top 歌 集 読 書録 植 物 愛 蔵本 韓 国 リンク集 掲示板

  Morris. 日乘2019年12月

Morris. の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多で す。新着/更新ページの告知もここでやります。 
今 月の標語

師走檸檬

【2019年】 
11月 10月   9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月 22月  1月

2019/12/31(火)●まったり大晦日
7時起床。
今朝の血圧は150/43/81。36.2℃
朝のゴミ出し。この地域は燃えるゴミは火曜、金曜だから当たり前なのだが、それでも大晦日がゴミの日というのは何となく嬉しい。
朝風呂浴びてから、金平牛蒡作り。大晦日(または30日)に金平牛蒡作るというのはいつから始めたんだろ。うちの金平は、牛蒡、人参、蒟蒻、鶏が定番である。ボウルに沈めた網ザルに牛蒡を笹がきすると、今年も終わったなと実感される。
昼前に自転車で水道筋マルハチで、買いそびれてた、大根、蕎麦(ゆで麺)、昆布など買う。
午後は2019年読書控えの整理。ページ内リンク設定が結構手間取る。
日産のゴーン元会長が、今朝国籍のあるレバノンに逃亡したというニュース。海外渡航禁止などを条件に保釈中だったのが、どうやらパスポート無しで、プライベートジェットでレバノンに入ったらしい。検察の面目丸つぶれということになるのだろうか。保釈金15億は没収になるのだろうが、こんなことなら百億くらい取っとくべきだったかも(^_^;)
6時からボクシング(井岡対シントロン)中継、見るともなく見て、7時からは紅白。
今年の年越しそばは、肉そばぢゃあ\(^o^)/ もともとそれほど蕎麦好きでもなくて、それでもいちおう年越しそばは食べることにしてる。今年はマルハチで一番安いゆで蕎麦に、たっぷりの肉炒めと卵黄乗っけて、これがなにかめちゃうまかった。しょうもない惣菜の海老天はいらないな。
紅白もなんとはなしにBGV状態。欅坂のメインボーカルの子を久しぶりに見ることができて嬉しかった。
今日の歩数は2663歩。


金平牛蒡 

おでんもしっかり味滲みてる 

年越し月見肉蕎麦(^_^) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
[怯]꾸러기(コプックロギ 臆病者, こわがり屋)
 -꾸러기(-ックロギ)はある語に添えて, そのような性質·癖の強い人の意をあらわす接尾辞。
잠꾸러기(チャムックロギ 寝坊 ねぼすけ)
떼꾸러기(ッテックロギ 駄々っ子)=わがまま、駄々
빚꾸러기(ピックロギ 借金だらけの人)=金
욕심[欲心]꾸러기(ヨクシムックロギ 欲張りもの)
익살꾸러기(イクサルックロギ ひょうきんもの)익살=ユーモア、ひょうきん、こっけい
장난꾸러기(チャンgナンックロギ いたずらっ子)장난=いたずら
말썽꾸러기(マルッソンgックロギ 厄介者)말썽=トラブル、問題
심술꾸러기(シムスルックロギ 意地悪)심술=意地悪
변덕꾸러기(ピョンドックロギ 気まぐれもの )변덕=気まぐれ、移り気
천덕꾸러기(チョンドックロギ 邪魔者 冷遇された人)

【AX (アックス)】伊坂幸太郎 ★★★ 2017/07/28  ADOKAWA

殺し屋稼業の兜とその家族の物語。伊坂ものにしてはいまいち切れ味がよくなかった。「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」という5篇の連作短編だが、頭文字がアルファベット順に並んでいるようで頭文字「D」の作品を欠いているのも、なにか意味があるのだろうか。

「親父は、思い込みが激しいんだ。あ、これはこうなんだ! と思ったら、それが真実だと信じるだろ。すぐに情報を組み合わせて、結論に飛びつくんだ。何でも結びつけたくなる。親父の、『なるほど』は要注意だ」(AX)

Morris.も「思い込み」が強いほうなので、引っかかったのだが、伊坂作品は登場人物の思い込みでストーリーが動いていく物が多い。

「友人と知人との違いについて述べよ」とはじまる作品をちょうど読んでいた。<親しい知人を友人という。親しくない友人を知人という。>作者はそれでは答えにならない。と頭を悩ませ、辞書を引く。そのけっか、「友人という言葉ほど曖昧なものはない」と考える。「親しさ」というもの自体が曖昧なのだ、と。

たしかに人間関係は移ろいやすいものでもあるし、感情がからむし、時の経過で変化するだろうし、ちょっとしたことで仲違いもあるだろうし、難しい。「昨日の敵は今日の友」だったりもするしね(^_^;)

「レストランに行くのが嫌なら富士急ね。どっちか選んで」
克己が、「それって、詐欺師のやり口なんだよ」と苦笑した。「選択肢を絞るんだ」(EXIT)

妻の二者択一に対して、息子が「詐欺師のやり口」と夫(兜)に言う場面。選択肢は二つとは限らない。大抵の場合複数、あるいは無限にあると思うべきか。

2019/12/30(月)●ノスタル爺い(^_^;)
8時半起床。
今朝の血圧は171/60/79。
昨夜は久しぶりに飲んだウイスキー(ホワイトホース)に飲まれてこたつで眠ってた2時頃ベッドに移動した模様。
朝から雨。とりあえず、掃除はしたし、おでんの仕込みも済んだし、今日は何もしないことに決定(^_^;)
クラウンでもらってきた日野自動車のカレンダーと、「月齢カレンダー」を縮小プリント。
昼前から4chで「報道の日2019 米中露~激動する世界地図」という6時間番組やってたので、これを流しながら、読書などしながら、部屋ゴロの一日。米ソ冷戦からソ連崩壊、中国の台頭に日本がどう対応したのかという流れで、結局日本はアメリカの属国でしかないことを再確認させられた。(熱心に見たわけではないが)
夜はたぶん今年最後のパクチー粥。愛媛産のパクチーは香りが高くて美味しかった。
夜はレコード大賞やってたが、すでに全く無縁の存在。
古いDVDひっくり返して、2002年7月、音屋での矢谷くんのライブ「ALL CLEAR」のDVDを観る。うーん懐かしい。17年前ということになる。久しぶりに見たのだが、えらく、懐かしかった。出演者は矢谷くんを始めとして11人。今は亡き島田さん、井山くんのスタンドプレイ、など、感慨無量、しっかりノスタル爺さんと化していた。
今日の歩数は0歩。


月齢カレンダー 

これを6時間BGV 

今年最後のパクチー粥 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
일련탁생[一蓮托生](イルリョンタクセンg 一蓮托生)
一蓮托生という漢字四字熟語は何となく仏典に由来するものと思っていたが、日本の浄土信仰から生まれた和製熟語らしい。韓国語일련탁생(イルリョンタクセンg)は日本からの外来語ということになる。
本来は「死後、極楽浄土で同じ蓮華の上に共にうまれること」「死後までも変わらない愛情を契る」というような意味だったのが、いつの間にか、「死なばもろとも」とか「結果に関わらず運命を共にする」と言うあまりよくない意味で使われることが多くなってしまった。
죽으나 사나 전원[全員] 일련탁생[一蓮托生]의 운명[運命] 이다.(チュグナサナチョヌォンイルリョンタクセンgエウンミョンgイダ  死ぬも生きるも全員一蓮托生だ)

【保守と大東亜戦争】中島岳志 ★★★☆☆☆ 2018/07/18  集英社新書:0941

中島岳志 1975年、大阪府生れ。京都大学大学院、専攻は近代日本政治思想史、南アジア地域研究。「中村屋のボース」「血盟団事件」「「リベラル保守」宣言」「親鸞と日本主義」「憂国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか」

私が疑問に思ってきたのは、保守思想の論理に依拠すると、戦争に至るプロセスには、どうしても受け入れることのできない論理が含まれていることです。1930年代の昭和維新を掲げたテロ・クーデターには極めて革新的な思想が反映されており、保守思想と矛盾します。「大東亜戦争」や「八紘一宇」という超国家主義的構想も、保守の立場から見れば、そう簡単に容認することはできません。
保守=大東亜戦争肯定論という等式は、疑ってみる必要があるのではないか? これが本書の大きなテーマです。(まえがき)


「保守を革新し、革新を保守する」という言葉遊びみたいなテーゼを本気で信奉してたことがある。本書は戦前・戦中の保守思想家家が必ずしも、戦争容認派ではなかったことを、彼らの言説から証明しようとの思いから書かれたらしいが、もともと「保守」という言葉にはそれほど政治的意味は含まれてなかった気がする。

ほしゅ[保守] 1.古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること。↔革新。2.正常な状態を保ち守ること。「--点検」(「大辞林」)

西部邁は保守思想のエッセンスを提示するとともに、「自由民主主義は保守主義であらざるをえない」と説いていました。保守派人間に対する懐疑的な見方を共有し、理性の万能性や無謬性を疑います。そしてその懐疑的な人間観は自己にも向けられます。自分の理性や知性もパーフェクトなものではなく、自分の主張の中にも間違いや誤謬が含まれていると考えます。そのような自己認識は、異なる他者の意見を聞こうとする姿勢につながり、対話や議論を促進します。そして、他者の見解の中に理があると判断した場合には、協議による合意形成を進めていきます。これが保守のリベラル(寛容)な態度にほかならない、というのが西部の「リベラルマインド」でした。

西部邁のことをずっと「せいぶまい」と読んでたMorris.(ただしくは「にしべすすむ」)だから、彼の著作とも縁遠い存在だった。自己認識をも疑うというリベラル(寛容)さ、というのは、聞くに値する考え方かもしれない。

人間にとって普遍的なのは「罪」や「悪」から完全に解放されることはなく、「理性の誤謬」です。人間社会が完成されることはなく、常に不完全なまま推移していくことを余儀なくされます。それが人間であり、人間によって構成される社会のあり方です。
保守は、個別的な理性を超えた存在の中に英知を見出します。それは伝統、慣習、良識などであり、歴史の風雪に耐えてきた社会的経験知です。この集合的な存在に依拠しながら、時代の変化に対応する形で漸進的に改革を進めるのが保守の態度です。
保守は革命のような急進的変化を嫌います。なぜならば、ラディカルで極端なものの中には、必ず理性への過信が含まれているからです。
保守は理性への驕りを戒め、歴史の存在的叡智に依拠しながら、グラジュアル(漸進的)な変化を進めようとします。抜本的改革を推奨するのではなく、あくまでも「保守するための改革」を推進するのです。
保守が目指すのは、戦争による絶対的世界の実現などではなく、秩序を維持するための「永遠の微調整」です。
保守思想を重視する立場からは、どうしても超国家主義や昭和維新に対して懐疑的なまなざしを向けざるをえません。復古による理想社会の実現というヴィジョンには、保守の人間観からは到底容認できない要素が含まれているのです。(序章 保守こそ大東亜戦争に反対だった)


グラジュアル、漸進的改革というのは、妥当な考え方のように思える。

青年将校による暗殺は「イデオロギーによる直接行動」であり、「そのイデオロギーとは、ブルジョアジー体制を仆して国家社会主義をたてようという、1920年30年代世界の共通の現代的なもの」でした。
「事実あの日華事変のあいだ、侵略をしていた日本人は、主観的には侵略をしているとは感ぜずに、防禦をしていると感じていた。もし勝たなかったら亡国だ、という恐怖と焦燥をもっていた。この聖戦を完遂しなければこれまでの成果は全部空しくなる。今までたくさんの人々が英霊になり国帑を費やしたのに、いまさらどうしてその犠牲をむなしくすることが出来よう…!それは致命的な悪循環だった」(「昭和の精神史」竹山道雄)」
竹山が強調するのは、日本はナチスのような国家ではなかったという点です。東條英機はヒトラーやムッソリーニと同様のファシストとみなすことはできず、「日本のファシズムとよばれているものは、その大きな部分が戦時体制との混同である」と言います。日本の国家体制は「整然たる一元的ファシズムからは遠いものであり」、「戦争遂行の主体すらな」いものでした。もし日本が本格的な全体主義国家であれば、日中戦争のような「食いちらかし」など起きるはずもなく、統御のきかない拡大も防ぐことができたはずでした。当時の日本は「あらゆる部分が自己主張をして、全体が有機性のない焦点のない雑然たるものいなってしまっていた」というのが実態でした。


竹山道雄といえば「ビルマの竪琴」のイメージで、中途半端な嫌戦小説家くらいに思ってきたが、それだけの人ではなかったようだ。

昭和維新運動の人材供給源となったのが猶存社という団体でした。1919年に結成されたこの団体には、三人の中核的人物がいました。北一輝、大川周明、満川亀太郎です。彼らに特徴的なのは、ラディカルな国家改造を希求する革新主義者であったという点です。しかも、彼らは社会主義に影響を受け、設計主義的な維新を志向しました。
復古的革新主義者たちは「超国家主義」という立場をとりました。これは熱烈なナショナリストとなることで、国家を超えた普遍主義へと到達することを目指す立場です。
戦前の日本は保守的だったから権威主義体制を拡大させ、全体主義的なヴィジョンにのめり込んでいったのではありません。逆です。近代日本における保守の空洞化こそが、大東亜戦争に至るプロセスを制止できなかった要因なのです。(第一章 戦争に導いたのは革新勢力である)


戦前の「右翼」には社会主義の影響があったという指摘は、他の本でも散見するが、これって結構重要なところだろう。

「近代人は過大な欲望と過小な人格とを持った人間である。距離と時間は短縮されたが、このために人間の生活内容は拡充されず、短縮されゆく距離と時間とは人間に取り憑いて、いやましてこれを短縮すべく狂奔せしめる。およそ近代のスピードというものには実質がない。近代人の常に追いかけられるような多忙の生活は一種の幻影の上に立っているのではなかろうか?(竹山)」
中世における真理は神です。しかし、ナチスは既存の宗教を否定的に扱います。では、ナチスにとっての「確定せられたる真理」とは何なのか。
それは「国家」であり「民族」です。権威は「党政治」に集約化され、権力は絶対化されます。重要なのは組織化であり、すべては功利的抽象化へと帰結します。自由なる知性は否定され、権威に対する絶対的服従が浪漫化されます。これは共産主義的独裁を続けるソ連と同様の形態です。「新しき中世」は狂気以外の何ものでもありません。


近代のスピード化が近代人を多忙にし空疎にしたという竹山の指摘は、たしかに一面の真理を突いている。全体主義=狂気。主義には濃淡の差はあっても狂信の要素が含まれている。

「国が敗けて亡びることは、もとより願うことではない。しかし、いまわれらを支配しているものが勝つことは、願う気にはなれない」
「軍人は小児にひとしい。勲章を好む」
「戦争は冷血なる国家の利己主義である(竹山)」


あの戦争の最中に、これだけのメモを残したというだけで、竹山道雄の正気をうかがい知ることができる。

敗戦後の日本は、あっという間に戦中のファナティックな国体論を放棄しました。そして多くの人が手のひらを返し、戦争指導者たちを罵りました。
人々は「時流のファナチズム」から開放されたように見えましたが、それは左翼思想という別のファナチズムに乗り換えただけでした。「狐」が落ちて、また別の「狐」に憑かれたのです。竹山にとって、戦前と戦後は同根の代物でした。
「全体主義を復活させてはならない。姿を変えた「ファッショ的革新」を拡大させてはならない(竹山)」その強い思いが、彼の粘り強い共産主義批判を後押ししました。竹山にとって、戦前の超国家主義への熱狂と戦後の共産主義への熱狂は、同根の存在に他ならなかったのです。


戦前の超国家主義と戦後の共産主義が同根のものと言われるとちょっと引きそうになるが、反共には反共の理由があったのだ。

「わたしたちが昭和の軍閥をにくむのは、かれらがその知識的限界あるひは自己の利己的動機について、いささかも反省することなく、みだりに皇道だの大義だの国体だのと、当時の美名を偽善的に濫用し、政治に従ふべきかれらが逆に政治を支配し、その結果は大失敗となり、全国民にあらゆる苦難を舐めさせたからであらう。(田中美知太郎「時代と私」)
田中は、軍人の濫用する「国体」論を「かれら自身のことにほかならない」と看破しました。軍人たちは「天皇陛下の命」を掲げ、様々な行動を行いました。これは天皇の権威を流用した自己正当化に他ならず、「絶対的な言動」を手に入れるための方法に過ぎません。田中にとって、軍人の「国体」論は、現実世界における自らのヘゲモニーを担保する装置以外の何ものでもありませんでした。
田中はこの軍人の姿と同様の虚妄を、戦後の平和主義者に見出しました。戦後左派が「反戦」や「平和」を神聖な観念に祭り上げ、これと自己同一化することで「絶対性を主張しようとする言動」を、軍人の「国体」論と同根の存在とみなしたのです。田中にとって、両者は同じ穴の狢に過ぎませんでした。
田中は東條内閣をはじめとする軍閥政治を「カキストクラシー(劣悪者の支配)のうつてつけの見本」と断じています。民主政治は「劣悪者」を指導者に選ぶと、途端に「最悪の独裁政治に転化」してしまいます。そして、独裁政治は「組織の末端において愚劣さは倍加」されるため、国民はさらに劣悪な状況に置かれることになります。しかし、戦時中の国民は軍部に対してさしたる反感も示さず、戦争の行く末に楽観ばかりが支配していました。(第二章 戦争への抵抗)


「カキストクラシー」初めて知った用語だが、これは安倍政権にあつらえ向きの用語のように思える。

池島信平にとって、超国家主義も戦後民主主義も、長い年月をかけて蓄積されてきた良識を蔑ろにする急進主義に他なりませんでした。彼は、日本人が極端なものにとびつきやすい傾向にあることを深く認識し、そこから距離をとることで「正統なるもの」を表現しようとしました。これが彼にとっての「保守派」という立ち位置でした。

文藝春秋社三代目社長で、全共闘運動への反発から「諸君」を創刊した池島信平。「日本人が極端なものにとびつきやすい傾向」というのは、いささか耳の痛い言葉である。

「陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」ことである。日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根源であったと私は思う。(「一下級将校の見た帝国陸軍」山本七平)」
「戦艦大和の出撃などは"空気"決定のほんの一例にすぎず、太平洋戦争そのものが、否、その前の日華事変の発端と対処の仕方が、すべて"空気"決定なのである。(「「空気」の研究」山本)
山本は「空気の支配」を日本特有のアニミズム的世界の論理とみなし、これにキリスト教的な超越的「神」の存在を対置させました。
抗うことのできない「空気」は、不安に基づく誇大表現によって強度を護持していきます。山本は、リアリティを欠如させた「空気」の支配を、戦中の軍隊とともに、戦後の左翼運動の中にも見出していました。そこには客観的根拠や論理性は存在せず、精神主義の鼓吹ばかりが横行することになりました。「空気」はイデオロギーを超えた現代日本の絶対権威であり、あらやる論理を超えて人々を拘束する魔物なのです。


山本七平の「「空気」の研究」は日本社会における空気の「魔力」を剔抉したものといっていい。

「階級史観は便利なことがある。日本はたしかに戦争を起こしたりして悪かった。だが、それは軍部と独占資本がやったことで、被支配階級のせいではない。自分のせいではない。そういって責任をのがれることができる。自分はそういう体制側に抵抗したが一般的にもり上がるにいたらなかった。なとどいって自己弁解もできる。要するにおれは別だという証明を日本人の悪口をいうことで代行する手で、戦前と同じことである。戦争指導の直接責任者は、一億総懺悔とうまいことをいう。これも日本人全体を悪者にすることで自己の責任を最高度に稀薄にしようとする卑劣な立場であった。(「日本の風土と文化」会田雄次)」
階級史観を手に入れることで巧みに責任逃れした戦後の日本人は、「進歩派」として戦後民主主義やヒューマニズムを礼賛していきます。戦前の翼賛体制下で国粋主義を鼓舞していた人たちが、戦後になって絶対平和主義を唱え、世界連邦主義や憲法九条礼賛論を唱えていました。(第三章 軍隊での経験)


戦前の共産主義者の「転向」も、戦後の進歩人の「変節」も同根ということ。会田雄次はビルマで英軍の捕虜となり、帰国後「アーロン収容所」を発表。これはずっと以前読んだ記憶はあるが、西洋人の女性が、日本人捕虜の前で全裸で平然としているというくだりしか覚えていない(^_^;)

当時の日本政府は「アジア解放」を標榜して大東亜戦争を戦いました。しかし、そこには「一種の自民族優越論と近隣多民族への支配思想が存在」しており、いかに日本側が「解放」を謳っても、「実質的に外国軍隊に占領され生活を収奪される民衆はそれを解放とは考えず、それ故多くのものがそれに反抗した」のです。
そもそもアジア解放と言うならば、なぜ満州事変や日中戦争が行なわれたのか。それは「日本人体白人種の戦いではなく、日本が他のアジア人に対して行った戦い」でした。日本は「解放ではなく支配をしようとした(林健太郎)」のです。(第四章 戦中派保守 最後の戦い)


林健太郎は戦後になってマルキシズムから転向した。東大紛争時の文学部長として学生との断交で強腰姿勢だったことで知られている。

竹山道雄は1937年に「将軍達と「理性の詭計」」を書き、大物軍人の非合理的思考を批判しました。彼は「ファッショ的革新勢力」が天皇制を乗っ取ったことを問題視し、昭和維新運動が持った革新的論理を批判しました。
田中美知太郎は、軍人たちが国体を流用することで「絶対的な言動」を手にし、独占的なヘゲモニーを握っていったことを批判しました。田中にとって、統制派の軍閥や皇道派の青年将校は、絶対的正義を掲げることで権限と地位を獲得しようとする「粗雑な心理」の持ち主でした。
猪木正道は、河合栄治郎の自由主義を継承し、軍国主義を批判しました。大東亜戦争中は「狂信的な軍国主義者」が自分たちの特権と面目のために国民を犠牲にしているとみなし、日本全体が「発狂」していると絶望しました。
福田恆存は、戦争協力を行った文化人を知的な装いを身にまとう「俗物」とみなし、彼らの処世や出世というエゴイズムを批判しました。また、都合のいい戦況ばかりを語り、現実離れした美辞麗句を並べる軍人たちにも懐疑的でした。
池島信平は、軍国主義に対する「便乗者」や「神がかり」を嫌悪し、言論の自由を擁護しようとしました。また海軍内部での私的リンチの醜悪さに辟易し、「こんな軍隊なら早く消えてなくなれ」と反発しました。
山本七平は、合理性を欠いた「軍人的断言法」を断罪し、言葉を奪うことで絶対的服従を強いる手法を憎みました。フィリピンの戦場では、戦略なき戦いに翻弄され、肉体的にも精神的にも極度の疲弊を体験しました。
会田雄次も山本同様、派兵された戦場での凄惨な経験によって疲弊し、「絶望と自棄の気分が支配」する中、日本軍の非合理的な「狂気」を批判しました。
彼らは、全員が自らの立場を「保守」と名乗っていたわけではありません。しかし、保守的な人間観を共有していたことは事実です。(終章 保守の世代交代の果てに)


「保守」という立ち位置を考え直さねばならないのかな(^_^;)

2019/12/30(月)●おでんの仕込み
7時起床。
今朝の血圧は138/78/90。35.9℃
昨日の残りの麻婆豆腐で麻婆丼。毛布を洗濯してから、自転車で大安亭で買い出しに出る。途中春日野道スキヤに寄ったがママは留守で、猫のプリントドアノブにはさめておく。そして大安亭に言ったら、車椅子のスキヤママにばったり出会う。年内最後の挨拶ができて、よかった。
大安亭の鶏屋で鶏ガラ、業務スーパーで蒟蒻や練り物などのおでんのネタ、珈琲、缶詰など買って正午前帰宅。
おでんの下ごしらえ(鶏ガラと昆布でダシ取り、卵茹でて、大根と蒟蒻それぞれ別茹で)しながら、昨日の中掃除の続き。いい加減にすまして、4時過ぎ、また自転車で水道筋へ。八百屋でパクチーや蜜柑、マルハチで酒(ビターレモン、ホワイトホース、二階堂)など買って、5時帰宅。マルハチは大晦日午後9時まで営業、正月3日から営業とのことだから、あわてて正月の買い物する必要もなかったみたい。
今日の歩数は4923歩。


ベースは鶏ガラ 

主役は蒟蒻(^_^;) 

照光寺のトラ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
오뎅(オデンg おでん)
韓国の屋台でもおでんは人気の一品で、日本語と同じ発音、というか、日本語そのまま使ってるのだろう。韓国人の半分くらいは、오뎅(オデンg )と우동(ウドンg)は、韓国語だとおもってるのではなかろうか。
포장마차[布帳馬車]에서 오뎅과 떡복기를 먹었습니다.(ポジャンgマチャエソオデンgグァットッポッキルルモゴッスムニダ 屋台でおでんとトッポキを食べました。)

【水曜日の凱歌】乃南アサ★★★  2015/07/20 新潮社 初出「小説新潮」2013-14
昭和20年8月15日水曜日。敗戦の日14歳だった鈴子。進駐軍相手のRAA(特殊慰安施設協会)で通訳として働く母と、施設を転々とする。語られなかった戦後を少女の目で描いた作品。

昭和15年は、今上天皇のずっとずっとご先祖にあたる神武天皇が、日本で最初の天皇さまになられて、つまり日本という国が出来てから二千六百年目にあたると教わった。そんなにも長い間、現人神であられる天皇さまに守られてきたからこそ、日本は無敗を誇る世界一の国なのだそうだ。それでも、ご飯はまずますまずくなったし、砂糖やマッチまでが手に入りにくくなって、お母様が嘆くようになった。
神さまがいる国なのに、毎日少しずつ、楽しいことが減っていく。何となく息苦しくなっていく。大体、鈴子たちには「みんな仲良く」と言うくせに、どうして日本はよその国と戦争などしているのだろうか。戦争というのは、要するに喧嘩のことではないのか。神さまが喧嘩なんかするものだろうか。


9歳の鈴子の独白。昭和15年に9歳の女の子がこのように考えるというのはかなり難しいとも思うが……

「特殊慰安施設協会設立宣誓式」
<宣誓 ……新日本再建の発足と、全日本女性の純血を護るための礎石事業たることを自覚し、滅私奉公の決意を固めるため……>
<声明書……我ら既にして此の覚悟をなす。時あり、命下りて、予め我等が職域を通じ、戦後処理の国家緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せられる……我等固より深く決する処あり。褒貶固より問ふ処に非ず。成敗自ら命あり。只同志結盟して信念の命ずる処に直往し、『昭和のお吉』幾千人の人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純血を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす……我等は断じて進駐軍に媚びるものに非ず、節を枉げ、心を売るものに非ず、止むべからざる儀礼を払ひ、条約の一端の履行にも貢献し、社会の安寧に寄与し以て大にしてこれを言へば国体護持に挺身せんとするにほかならざることを重ねて直言し、以て声明となす>

おためごかしとご都合主義。学徒出陣や特攻につながるものだろう。

けれど、鈴子はもう気がついてしまった。そんなのは嘘っぱちだ。
アメリカ人は本当は怖い人たちだ。自分たちとは関係のない相手になら、原子爆弾だって平気で落とす。たった一発の爆弾が、一体どれだけの人たちを殺すことになるか、日本よりもよほど科学の進んだ国だというなら分からないはずがないのに。何一つ悪いことなどしていないのに、放射能を浴びてしまった人たちは、ただの怪我や火傷を負っただけでは済まされず、これから先もずっと苦しむのだそうだ。そして広島や長崎には、あと何十年たっても草木の一本も育たないと、学校の先生は言っていた。


「アメリカ人」を「人間」に置き換えてもそのまま通じる。

「日本はね、戦争に負けたらすぐに占領軍が押し寄せてくるから、そうしたらアメリカ軍の男たちが日本の女を全部、手当り次第に乱暴するだろうからって、それを防ぐために、新しい女子挺身隊を作ったんだから」
勝子ちゃんは、話の意味を測りかねているようにケロイドの見える首を傾げている。鈴子は「本当なのよ」と、すっと背筋を伸ばして、去年の夏からこれまで自分が見てきたことを、ひと息に喋った。大森海岸に行った日のこと、ごく普通のお姉さんたちが大勢、集められたこと。RAAという組織が生まれて、宮城の前で宣誓式まで執り行ったこと。天皇さまの放送があってから、さほどたたない八月のうちに、もう大急ぎで開店した慰安所は大きな料亭を改造したもので、大勢の女の人が送り込まれ、店の前には来る日も来る日も、進駐軍の兵隊たちが長い行列を作って、大騒ぎしながら、その女の人たちを買いに来ていたこと。そして、派手な浴衣を着せられて、押し入れに隠れて泣いていたお姉さんのこと。
「要するに、うちのお母さまはね、日本の、普通の仕事も行く場所もなくて、お腹を空かせていた女の人たちを、とにかく大勢かき集めて、白人や黒人に身体を売らせる、その手助けをしてきたっていうわけ」


空襲で片腕を失った、幼馴染の勝子と再開した鈴子が自分の戦後の経緯を話すみごとな要約である。

警察官の一人が警棒の先でミドリさんのみぞおちを突くようにした。ミドリさんの身体が一瞬、前のめりになった。それでも彼女は身体を奮い起こすようにして「何しやがるっ」と声を上げた。
「あたしらをイヌ畜生だとでも思っていやがるのかっ! パンパンだろうが何だろうが、あたしたちは人間なんだっ、この日本で生まれた、日本の女なんだよっ! おまえら男たちがだらしないばっかりに、こうしてあたしらが、後始末をしなけりゃあ、ならないことになったんじゃないかっ」
悲鳴のようなミドリさんの声が、小さな駅前に響き渡る。
「覚えておきなっ、日本の男ども! 誰もかれも、女のまたの間から生まれたくせに、その恩も忘れやがって、利用するときだけしやがって! 戦争中は『産めよふやせよ』で、戦争に負けた途端に、今度は同じまたを白人どもに差し出せとは、何ていう節操のなさなんだっ! それで平気なのかっ! 見ていやがれ、この国を駄目にした男ども! 女の一人も守れないで、何が日本男児だ、大和男子だ、馬鹿野郎っ! いいか、あんたたちは、いつか必ず復讐される。いつか必ず、報いを受ける。アメリカからなんじゃなく、日本の女たちからねっ!」


昭和21年4月3日。水曜日。この日、第22回衆議院選挙の立候補届出が締め切られた。何が驚いたと言って、その選挙に、あのミドリさんが立候補したと聞いたことだ。

敗戦の8月15日翌年4月3日衆院選挙立候補届出日が水曜日だったからこのタイトルにしたのだろうか? ちょっとものたりない。

2019/12/28(土)●中掃除(それも途中まで(^_^;))
7時起床。
今朝の血圧は187/77/57。35.3℃
今朝の「サワコの朝」は大竹しのぶ、南伸坊、三谷幸喜の3人がゲストで去る10月7日に亡くなった和田誠を偲ぶ番組。阿川佐和子も和田との交友歴は古く、それぞれが懐かしい思い出話を繰り広げ、見甲斐があった。亡くなった直後に小田嶋隆が和田が実績に比して不当なほどに知名度が低いことを憤っていたが、知るほどに和田の作品と活動は、日本の文化貢献度大だったと思う。妻平野レミもビデオでメッセージ寄せてたが、二人のおしどり夫婦ぶりを思うと、平野レミの落胆は思いに余りある。
洗濯すましてから、昼前自転車で六甲道へ。サランバン忘年会の記念写真を六甲アートでプリント受け取り、ATMで家賃入金して灘図書館へ。神戸の市立図書館は今日が今年最後の開館日だったので、正月読書用に8冊借りる。正月は4日から開館だからそんなに張り切る必要もないのだけど、つい欲張ってしまうのも貧乏性のなせるわざだろう
水道筋でネギとニラ買って2時前帰宅。
大掃除、と行きたいところだが、とてもそれだけの気力もなく、"中"掃除(^_^;)開始。風呂と流し周りと冷蔵庫などやってたら5時過ぎたので、今日はこれできりあげて、こたつ&ベッド部屋は明日に回す。こんなに狭い部屋なのに、段取り悪過ぎ。ゴミ箱の裏側に小バエの死骸がこびりついてたりして、時間くってしまったため。
夜は困った時のメニュー麻婆豆腐作って、麻婆丼。まずくはなかったけど、それほどでもない。そろそろ新しいメニューを開発せねば、まあ、正月はどうせおでんと金平牛蒡になるのだろうけど(^_^;)
今日の歩数は4220歩。


サワコの朝は 

和田誠追悼 

栴檀は双葉より芳し 

南京櫨の実 

久々「七福」寄り目猫  

困った時の麻婆豆腐 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
깨다(ッケダ 覚める、起きる)
「体を起こす」「起き上がる」という意味では일어나다(イロナダ)を使う。깨다(ッケダ)は「目が覚める」「覚醒する」「(麻酔や酔いから)覚める」「我にかえる」というニュアンスで使われる。
왕자[王子]의 키스로 100년[年] 동안의 잠에서 깨어났다.(ワンgジャエキスロペンgニョンドンgアネチャメソッケオナッタ 王子様のキスで100年の眠りから覚めた。)
잠이 깨다(チャミッケダ 目が覚める)    
술이 깨다(スリッケダ 酔いが覚める)    
틀을 깨다(トゥルルッケダ 型破りをする、枠を破く)    
편견[偏見]을 깨다(ピョンギョヌルッケダ 偏見を破る)    
판을 깨다(パヌルッケダ 雰囲気を壊す、場を壊す)

【新昭和史論 --どうして戦争をしたのか】筒井清忠編 ★★★☆☆ 2011/05/31 ウェッジ選書:41

第一章 昭和超国家主義運動と陸軍--昭和史の「原動力」 筒井清忠
第二章 満州事変から日中戦争へ--日中関係の実像とは 戸部良一
第三章 真珠湾への道--日米関係の破綻は避けられたか 五百籏頭眞(いおきべまこと)
第四章 天皇・政党・軍部--昭和前期の内政と外交 北岡伸一
第五章 「インテリ」と知的社会の変貌--アカデミズム・ジャーナリズム・ポピュリズム 山崎正和 *『日米の昭和』(1990)所載の『「インテリ」の盛衰--昭和の知的」を編者が大幅に改稿したもの。)
第六章 「大震災以降」の大衆心理の転換--映画(小津・成瀬)と文学(谷崎・荷風)に見る 川本三郎-筒井清忠
第七章東京裁判--その実体を検証する

本書は、昭和史のそれぞれの分野の第一人者に最も詳しい問題についてできるだけ正確にそしてわかりやすく語ってもらったものである。したがって正確な叙述でありながら(すべて「です・ます」調の)読みやすい内容となっている。
新しく生まれたインテリ・中間層を機軸に昭和の知的社会の変貌を跡づけた第五章は、この方面の変化を知るための出色の論考であり、特に著者に依頼して収録することができたことは、本書に比類のない精彩を加えることとなった。(はじめに 筒井)


たしかに第五章だけでも読んだ甲斐があった。☆2つはこの章によるボーナス点である(^_^;)

1919年(大正8)大川周明と満川亀太郎が中心となって作った「猶存社」はアナキズム・共産主義と袂を分かって、はっきりと平等主義的な国家主義的運動を展開しようと考えた団体。その思想的リーダーとして上海にいた北一輝を思想的リーダーとして迎える。
北一輝の「日本改造法案大綱」は後の歴史に重要な影響を与えた。「天皇の大権発動により日本を非情に平等な社会にして行く」というのがその骨子。まず天皇の名のもとにクーデターを起こし、3年間憲法を停止し両院を解散して全国に戒厳令を敷く。その間に貴族院や家族制度など、すべての特権的な制度の廃止、治安警察法や新聞紙条例、出版法といった言論を弾圧する法律も全部廃止、私有財産制度は、一定限度以上は認めない。土地は徹底的に公有にする。地主・小作関係の不平等を解消するために自作農を創設し、労働省を新設して労働者の待遇を改善し、児童の教育権を保全する、というもの。
北と社会主義との違いは、北には独自のアジア開放論があった。国内的に平等主義的な社会主義的改革を実施した上で、国際的にも平等主義を実現するために、極端に不平等な植民地支配を受けているインドなどのアジア諸国を日本民族が解放して、イギリス・アメリカの世界支配を覆していくということを主張。
「五・一五事件」(1932)の意義はむしろその後の裁判のほうにあった。翌年から開始された裁判では公判の様子が大々的に報道され、青年将校たちは英雄視されるような風潮を現出。公判は「昭和維新運動」の宣伝の場のようになっていった。
永田鉄山を中心にした中堅幕僚による日本を高度国防国家に向けて作り変えていこうとする「統制派」と、荒木貞夫、真崎甚三郎という老将軍を押し立てて、日本国内の平等主義的変革を進めようとする青年将校グループの「皇道派」が対立していく。
昭和の超国家主義運動はいわば政治運動としては「二・二六事件」によって失敗・挫折したと言えるが、この運動が持っていたアジア主義的・平等主義的発想は、「二・二六事件」の失敗後も様々な形で受け継がれていく。(第一章)


戦前と戦後では「右翼」というものはまるで違ってたようだ。

アジアの戦争とヨーロッパの戦争は本来、別物でした。ということは、これを別物として、結びつけない選択肢もありえたはずです。ところが、日本はこの選択を採らなかった。三国同盟は、アメリカ抑止が狙いでしたが、戦争を戦っているヨーロッパの陣営の一方に日本が加担したことは間違いない。北部仏印進駐も、重慶を圧迫することを目的の一部としていましたが、武力南進の第一歩であったことは否定できませんでした。
こうなると、アメリカは日本の動きを放っておくことはできない。日本が中国で戦っている間は、アメリカの権益を侵害したり、不快で厄介な存在でしたから、執拗に抗議を繰り返しましたが、その死活的利益が脅かされたわけではありませんでした。しかし、日本がドイツと結び、武力を用いて南方に進出してくるとなると、いやでも日本を現実の脅威と見なさざるをえなくなります。こうして、アメリカは日本の前に立ちはだかってくる。日米戦争、大東亜戦争への道は、このようにして用意されることになったのです。(第二章)


三国同盟というのは、日本にとっては火中の栗を拾う行為だったらしい。

戦前の日本に軍部独裁は達成されたかというと、実は軍部独裁には程遠いものだった。文武諸機関の多元的連合体である明治政府はそのままに、その中で軍部が圧倒的な力を持ったにすぎず、憲法改正も授権法もなかった。
石原莞爾は東西文明間で行なわれる世界最終戦争として、日米戦争が不可避であるとし、それに備えるために満州事変を強行したが、あの瞬間の対米戦争には反対した。理由は必ず負けるから。
近衛文麿首相は重大な政治的決定を繰り返し誤る人で、盧溝橋での偶発事(1937)を長期にわたる日中戦争に拡大する上で決定的な役割を果たした。
日本軍は快進撃を続け、12月には南京に迫る。このとき多田駿参謀次長が停戦を提案。どの国にとっても首都は失いたくない。だから今なら日本は有利な条件で終戦できるというわけです。日中戦争の全面化と泥沼化の恐ろしさを、近衛首相はまだわかっていなかったようで「この期に及んで、軍がなぜ弱気になるのかわからない」といって停戦の機会を失う。首都を落とせば屈服するとでも思っていたようだ。
国内受けのイメージレベルでしか外交安全保障を理解せず、国に不幸をもたらす首相は、昔も今も本当に困ったものである。
1940年春のドイツ軍による西部戦線電撃攻撃の成功に、陸軍をはじめ戦争完遂派はたちまち現気づき「バスに乗り遅れるな」と、ドイツの戦争への熱い共感をもって起ち上がる。マスコミ論調もイケイケどんどん。この熱気に乗ったのが、再び近衛首相。同年7月に第二次内閣を組織し、松岡洋右を外相、東條英機を陸相に任命し、9月に日独伊三国同盟を結ぶ。直前の8月にはドイツは英本土上空の戰いで挫折したところだった。(第三章)


近衛文麿は公卿の悪癖を体現した政治家というのが、大方の見方のようだ。「国に不幸をもたらす首相」。昔話ではない。

満州事変は国際協調体制というレジームを破壊したという意味で非常に重要な事件だった。
1932年8月に西園寺が「国際協調派だ」と思って外相に起用した内田康哉が暴走して「国を焦土としてでもこの事変の成果は守る」と発言、しかも満州国を承認してしまう。
第一次大戦後のベルサイユ条約では、民族自決が唱えられたが、これはヨーロッパには適用されても、ヨーロッパ人はアジアに適用するとは思っていなかった。
蒋介石は「南京は守れない」と知りながら、世界にひどさをアピールするために守るための戦争をしたともいえる。そこで南京事件が起きる。ちなみに「南京では虐殺はなかった」と言う人がいるが無かったはずはない。理由は、その時の「戦闘詳報」の中に「それぞれの部隊で捕虜を何百人処分した」という記述があり、中央から出た命令には「捕虜を取るな」とある。処分のかなりの部分は処刑で、つまり普通の概念で言えば虐殺である。
南京に残された組織されないばらばらの兵隊の集団と、「補給がない。これで勝てば戦争は終わる」と思って突撃した日本兵集団。そうしたらそこに何が起こるかわかりそうなものなんで、何割かは中国側にも責任はあるのではないかと思う。
「ハル・ノート」を最後通牒だと思った人が多かったが、吉田茂はそうは思わなかった。これには締め切り期限もなく、最後通牒とも書いていない。これをただの提案だと思って反対提案をしてぐずぐずやっていればよろしい。ときの外相東郷茂徳に「辞めなさい」と直言。辞めると内閣は混乱する。混乱していると開戦の決定ができない、そのうちに時間が過ぎるとアドバイスしている。
これは「たら・れば」の話だが、もしこの12月の頭に開戦していなければ、12月下旬になると、北太平洋は悪天候になり、真珠湾攻撃はできなくなる。春まで待ったら、そのときはすでにスターリングラードでドイツが負け始めているから、ここで出来なかったら日本はアメリカと戦争しなかったかも知れない。」


ここでも三国同盟なかりせばの話になる(^_^;)

(原爆投下に関して)たぶんアメリカは、一つは新兵器を使いたかったんだと思う。巨額を投じて作ったもので使わずに終わるのは惜しい。天皇の地位保障をあんまり早く言わなかったのはこれを使いたかったからではないか。

原爆に限らず、新兵器を手に入れたら、使わずにいられなくなる。

マッカーサーにとっての一番の目標は、日本改造を安いコストでさっさと済ませること、さらには自身が「大統領になりたい」というのが彼の野心だった。少ない予算と少ない兵力で日本を根本的に変える、ただ一つの方法、それが天皇の協力を得るということ。そして根本的に日本を変えたように見せる。それが憲法九条であり「天皇の協力を得て象徴天皇制を残し九条で軍隊を廃止する。したがって、天皇は東京裁判には出さない」というのが、マッカーサーのベストソリューション(問題の解決策解決策)だった。(第四章)


このシンプルな説は実にわかりやすく、納得せざるをえない。

明治・大正時代までの高校生や大学生は庶民の素朴な敬意を集め、自由と自治を信奉する知識人の反体制的言動や逸脱にも庶民は温かい受け止め方をすることが多かった。知識人は政治的な権力はないまでも、権力によって保証された権威であって、彼らの反権力主義はそれ自体が権力によって権威づけられるという、皮肉な状況におかれていた。
社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側にまず鋭く意識される。
インテリゲンチャは、進取の気性と行動力に富む。逆に言えば彼らの生活態度は安定性を欠き、内面には存在証明をめぐる深い不安を秘めていた。大半が農村の大家族を捨てた新しい都会人であり、伝統的な共同体を捨てた「根なし草」感をもっていた。
彼らは社会の現状変革に憧れながら、それが困難であったために、ますますエリック・ホファーの言う「情熱的」人間になるしかなかった。総合的知識の体系を求めるあまり教条的なイデオロギーに傾きがちになる。昭和の知的社会が左右両翼の対立を生んだのは、この「根なし草」の心理によるところが大きい
この不安なインテリが学界と結びついたとき、そこに台頭したものが新しい啓蒙主義であり、具体的には岩波文庫や「中央公論」に代表される高踏的ジャーナリズムだった。
昭和の知識人にとってマルクス主義は貧困解決の方法論ではなく、より多く、彼らの心理的な不安の解決の手段であった。マルクス主義の戦闘的な用語はエリートへの反抗的な気分に快い刺激を与え「知識と美とを特権階級の独占より奪い返す」といった、景気のよい高揚感を生むのに役立った。また、マルクス主義は一つの形而上学の体系であり、存在論から自然科学論から芸術論までを含む、巨大な総合的知識の見取り図を提供し、同時代の他の哲学に比べてわかりやすく、現実問題に一刀両断の回答をくだすのだから専門的で非現実的な象牙の塔の知識に対してこれほど有効な武器はない。さらにマルクス主義は階級の理論であり社会運動の理論であって、伝統的な貴族集団を失った都市住民に一つの連帯の間隔を与えてくれる。インテリは根なし草の罪悪感から救われ、ときには積極的な行動の規範すら提供されたのではと想像される。
一方、同じインテリが草の根大衆と結びついたとき、世界のどの国でも生まれるのがポピュリズムである。昭和初期のそれは一般的に右翼的で、典型的な姿は、貧しい農村を背後にした軍の学校で育てられた職業軍人に見られた。これにジャーナリズムに容れられぬ民間の知識人が加わったとき、二・二六事件の例に見られたように、このグループは、ナショナリズムと「天皇親政」を叫んで立ち上がることになる。
忘れてならないのは、軍の独走を外から助け、ときには先に立って軍事的冒険を扇動した新聞の役割である。昭和の新聞は、急激に成長しながら他紙と競争を続ける大衆紙で、支持基盤はとかく煽情主義の影響を受けやすく、ナショナリズムに傾きがちな階層である。この層に訴えやすい主題は、政府攻撃と愛国心という矛盾するものの混合物で、そのための最善の手段は対外強硬姿勢をとること。満州事変が起こると、朝日、毎日の両紙は空前の大取材競争を展開した。その動機は純粋に商業的な競争であり、軍国主義というより単なる煽情主義だったが、これが結果的に国民の戦意高揚に寄与したのは否定できない。
こうしてジャーナリズムは日ごとに大衆迎合の度合いを強め、アカデミーは仲間言葉と業界隠語で語り合う閉鎖社会へと傾いていく中、戦争と破局の道を日本は歩んでいくことになった。(第五章)


うーっむ、山崎正和。名前はよく聞きながらも、まだ一冊も読んでなかった。ぜひ一読せねば。

2019/12/27(金)●仕事納めは滝野社
6時起床。
今朝の血圧は
テレビハングル講座はこれまでの復習。
7時にJR灘駅南に敏郎に迎えに来てもらう。滝野社の広島向け国内引越現場。
往路は材料満載のためMorris.は隙間にクロスパッド布団代わりに荷台で現場まで寝たままだった(^_^;)
すぐ近くに単線のJRがあった。加古川線らしい。
午後は外の物置やガーデン用具の梱包。現場の飼い犬ビーグル犬が、人懐こくて、Morris.にまでまとわりついてきた。猫派のMorris.でも、この犬はすごく可愛いと思ってしまった。
3時半作業終了。他のメンバーは明日もこの現場で、配達は明後日らしいが、Morris.は今年の仕事はこれでおしまい。ちょっと早めの仕事納めである。
帰りも車で灘駅まで送ってもらい5時半帰宅。
自衛隊中東派遣決定。ほとんど論議なしの決定、これはもう没義道というしかない。
今日の歩数は2298歩。


JR加古川線滝野駅近く 

同じく 

デイジー 

下滝野公民館 

現場の飼い犬 

中国自動車道夕暮 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
핑계 없는 무덤이 없다(ピンgゲオムヌンムドミオプタ 言い訳の無い墓は無い)
色々言い訳をして責任逃れをする
どんなことにもそれなりの理由があり、言い訳して責任逃れをしようとすればできてしまう。そのような人に皮肉の意味を込めて使う。
핑계(ピンgゲ 言い訳、屁理屈)
매일[毎日] 바쁘다는 핑계로 어질러진 방[房]을 못 본 척하지 않으세요?(メイルパップダヌンピンgゲロオジルロジンパンgウルモッポンチョッカジアヌセヨ? 毎日の忙しさをいいわけにして、散らかったお部屋を見ないフリしていませんか?)

【花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前後篇】橋本治 ★★★★ 2015/08/20 河出文庫新装版 北宋社(1979年4月) 河出文庫(1984年1月)

もちろん再読である。80年頃に読んだと思う。まだこの当時はMorris.部屋演ってなかったので読書控えはないが、これによって橋本治はMorris.にとって重要な論客となった(^_^;)
なんてったって、おしまいの大島弓子論が白眉で、これ以来、Morris.は、大島弓子について、あれこれ言うのはおこがましいと思うようになってしまった。

第一章 失われた水分を求めて--倉多江美論
第二章 眠りの中へ--萩尾望都論
第三章 世界を変えた唇-- 大矢ちき論 付、猫十字社論
第四章 妖精王國女皇紀--山岸凉子論
第五章 九十九里坂の海賊の家--江口寿史論+鴨川つばめ論
第六章 優しいポルノグラフィー--陸奥A子論
第七章 それでも地球は、廻っているのだ!--土田よしこ論
第八章 全面肯定としての笑い--吾妻ひでお論
第九章 ハッピィエンドの女王--大島弓子論

かつて"世界"は存在していた。そして"世界"とは、家庭である。
"かつて"とはいつか? それは第二次世界大戦の終わった1945年から10年余の間、「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長の始まる1950年代。
人は現実に足をとられ、明日に希望を託し、現在欠けている物が満たされる日がその明日の日であると信じ、そしてその忙しさに浸って、十分に幸福だった。
それでは問おう、SFの本質とは何かと--そう、それは"漂流"なのである。
人はSFに於て、異次元空間を、未来社会を、辺境の惑星を、大宇宙を、時空間を、破滅に瀕する地球を、超能力者と宇宙人と怪物(ベム)の世界を流され漂う。
何故人の"漂流"が可能かといえば、彼には生まれ育った、帰るべき土地があるからである。そして人は生まれ育った土地の思考様式によってのみ、漂流地に於ける漂流生活が可能となる。だから何故に1945年から1950年代前半までにアメリカがSFの傑作群を生み出しえたのかは容易に想像がつくだろう。
かつての黄金時代を支えたハッピィエンドの思想は息の根を絶たれ、アメリカの夢は滅び去り、そして滅亡を目の辺りにした人々は、かつての黄金の夢をその中に宿すSF作品群を抱いたまま、遥か遠くの世界へと漂って行くようになったのである。
彼らは漂着の地の孤独の中で、過去を、現在を、未来を、そしてすべてを、夢に見る。漂流者の上を覆う暗い夜空に広がる銀河は、星ではなく無数に撒き散らされ鏤められた銀の砂粒なのだ。それは、夢の宇宙でしかない。だから、萩尾望都はその銀の砂粒を身に纏い新しい妖精たちの物語を紡ぎ出すのである。
その物語は微細にして巧緻な描線に導き出された、どこまでも流れ、漂い、そして最後は微細にして巧緻な点描の一点一点となって瞬き、消え去るのである。それはあたかも煌めく銀の砂粒の如く。


萩尾望都を語って、SFの本質をあっけらかんと種明かしするあたり、橋本治の独擅場である。

"ポーの一族"は、子供をこどもたらしめる黄金時代の滅亡を直視直感した萩尾望都が目を瞑り、夢の中に入っていったことに始まる。夢の中で時間は流れず、主人公エドガーは永遠に十四歳のままである。そして何故にエドガーが夢の中で永遠に十四歳でありえるかといえば、それは「現実の十四歳の少年を」"永遠の少年"として照らし出した、黄金の、輝ける現実の残光によっているのである。
破滅を直感した身に未来はない。そして同時に、直感されてしまった側の世界も、その未来は破滅の内にしかない。
"ポーの一族"は、滅亡を決定づけられた戦後社会と、その為に葬り去られた子供たちにあてて贈られた、萩尾望都の壮大な鎮魂歌(レクイエム)に他ならない。(第二章)


「ポーの一族」。やっぱりあれは奇跡的な傑作だと思う。ただ、今となっては読み返すのが恐い(^_^;)

山岸凉子は「天人唐草」によって、性を持つ少女を描き出し、同時に少女マンガを選びとることの正当性をも獲得した。
一度獲得された正当性は、その人間の内部で揺ぎないものとなり、二度と再び侵されることはない。(第四章)


山岸凉子はちょっと苦手だった。最近図書館でバレー漫画「テレプシコーラ」を、順不同に拾い読みしてるくらい。「日出処の天子」もほんの一部しか読んでいない。

初めに珍奇な見世物として登場させられた一人の少女つる姫は、回を重ねる度に確実にその存在を主張し、見事に、ゲテ物ギャグマンガの主人公から、ギャグというジャンルに於ける、立派な一人の"少女マンガの主人公"に成長を遂げたのであります。
如何なる星の下に生まれたか? 突如として人に笑われる為にのみ登場した一人のドブス娘は、斯くして、愛すべき一人の可愛い少女へと花開いたのです--鼻の穴を拡げたまんま。
チョウチン・ブルマーをブカブカさせ、一張羅のカスリの着物にハダシ足袋、ウンコをタレ流す一方で、自分の絵日記に人知れず、"恋ってルリ色ね"とトンチンカンにもナイーブに書き綴るつる姫は、一般大衆の笑い声をものともせず、今日も一人突き進むのです。あたしはあたしよベッカンコと。ドギツイ笑いを振り撒きながら、愛すべき一人の少女・つる姫は、もう何をやっても許されるのです。(第七章)


土田よしこは、トンデモ少女漫画家元としてすごかった。「つる姫ぢゃーっ!!」は全巻揃えで何度も読んだ。

大島さんの作品は、すべてハッピィエンドでなければなりません。何故ならば、大島さんの作品はあらかじめハッピィエンドであることを確認されて、その後に大島さんの中で構想されるからです。
"分からない"ことに苦しめられていた人間が一つの答を見出し、"分かった"状態がハッピィエンドでなくて何でしょう?

「綿の国星」は、猫にしかなれない自分を抱えてあきらめて生きて行くようなマンガではありません。何か、自分を持っている"最高に素晴らしいなにか"に向って突き進んで行くのが「綿の国星」なのです。
"鳥は鳥に 人間は人間に 星は星に 風は風に"でも、"猫は猫に"ではありません。それが猫であろうと、人間であろうと、あるいは鬼であったとしても、私は私なのです。
"私は私に"を封じ込めた作品「バナナブレッドのプディング」は、その"私"の中に奥深く潜む得体の知れない恐ろしいもの--"性"を真っ向から見据えた作品です。
衣良の髪型は、頭の両脇に2つのお団子を作ってクルクルと丸めた髪型です--"これはね 猫の耳が発想のもとなのよ"。
「綿の国星」のチビ猫は、生まれ変わった衣良なのです。だからチビ猫は、生まれながらにしてすべてを知っている無垢の少女なのです。

死ぬとは、"魂と肉体が分離して 魂は空へ 肉体は朽ちること"。
その猫は感じました。肉体が朽ち果てる時、その肉体を縛りつけていた"時間"が彼を解き放つ時、彼の意識をさえぎるものが何もなくなった時、彼は感じたのです--"とてもすてきだ"と。
一生きままに暮した彼は、もう思い残すことなく、肉体が朽ちて行くままに朽ちて行かせました。彼の魂は空へ上って生きます。"とてもすてきだ"と彼は思いました。彼の意識が、自分の作り上げた綿の国の中へ、彼を導いたのです。
猫は誰でも、自分自身の綿の国を持っているのです。

「七月七日に」は、時間の中にしっかと根を据え、光り輝く物語です。封じ込められた"過去"、封じ込められた"物語"と"母"が、"夏の光と水の反射を、正視できずに見るような 印象で存在する"物語なのです。
微塵も搖ぐことはないこの枠組の中で、大島さんはキラキラと光り輝く"愛"だけを使って、物語を組み立てたのです。だから、現実にかつて存在した"過去"--この作品を存在させる"過去"には、何一つ"現実"はないのです。
幻の時間の中へ足を進める大島さんは、その先にある幻を"現実"に変える為、その幻だけを使って一つの"現実"、一つの物語を作り上げたのです。

"お母さんの涙は、不思議な味がした"--そう言うチビ猫は、何も見ず、何も考えず、なぜか悲しそうな顔をします。チビ猫の胸に、今初めて遣る瀬なさがこみ上げるのです。何故、誰が? 何を感謝するというのでしょうか? 何故に。
それは、作者の大島弓子が、この世界のすべてのものを愛していたからでした。

長い時間がかかりました。
「ジョカへ…」を描いた大島弓子にとって、女の子の"時間"は、ただ後戻りするだけの"時間#でした。
「ほうせんか・ぱん」を描いた大島弓子にとって、"無垢の少女"と"知っている少女"は決して一つにならないものでした。
「いちご物語」が大島弓子に、女の子の"時間"がその先溶けてなくなっていることを教えました。
「ヨハネが好き」を描いた大島弓子は、本当の女の子が成長する"時間"などまだどこにもないことを無いことを知りました。
だから大島弓子は、「すべて緑になる日まで」で、"泣かないで トリステス"と言わなければならなかったのです。
だから「七月七日に」で、"さようなら"を言わねばならなかったのです。
一人になった大島弓子は、「きゃべつちょうちょ」で言いました、「受け入れて」、と。
そして、それがどんなことかを「ハイネよんで」で問いかけました。
そして、「いたい棘いたくない棘」で、なにかを一つ分りました。
「シンジラレネーション」で、だから、"ありがと"といいました。
「バナナブレッドのプディング」の中、すべての思いをぶち込みました。
そしてすべてを捨てたのです。最も自由になる為に。待っている筈の"最高に素晴らしいこと"をつかまえる為に。

"間違い"を"間違い"と感じられない自分の正しさは間違いなのだろうか? その"間違い"を"間違い"と指摘する"正しさ"に間違いはないのだろうか? 自分に"正しさ"を教えてくれたその"正しさ"は、本当に正しいのだろうか? その"正しさ"を"正しさ"と感じられない自分の"正しさ"とは言えないのだろうか?
首を絞められながら頭を撫でられるような矛盾。
一つの正しさ、一つの根拠、一つの肯定、一つの否認、そして一つの大きな愛。
長い時間がかかりました。

私は私になりました。
私を私として受け入れ、世界を世界として受け入れ、今、"私"は"私"になったのです。
私は世界を捨て去ったのではありません。私は、世界を受け入れたのです、あるがままに。

すべての人は、すべての人になります。すべての自分は、すべての自分になるのです。だからこそ人は、すべての他人がすべての他人になることも分り、すべての他人を愛することが出来るのです。
愛することは受け入れることです。愛することは分かることです。
もしあなたが分らなければ、まず受け入れなさい。そして分ればよいのです。
もしあなたに受け入れることができないのなら、まず分りなさい。そして受け入れればよのです。
愛することは愛されることです。人に身を委ねることが出来ることです。なぜならなばすべての他人は人間だからです。(第9章)


そして、大島弓子論。これについて今、どうこう述べる気持ちも、気力も、器量もない(>_<)

しかし、これほどの貴重な著作なのに、神戸市立図書館で所蔵してるのは東灘図書館のみ(それも2015年の文庫版)というのは、中央図書館に無いというのは、どこかおかしい、と思う。

2019/12/26(木)●香芝-天理
6時半起床。
今朝の血圧は176/61/59。35.2℃
雨降りそうな天気だったので歩いて摩耶倉庫。
遠距離向け年賀状投函。
荻野くんら3人で、香芝のインドネシア向けピックアップ現場。昼食はひさしぶりに「神座」ラーメン。
午後は天理の航空便4個だけのピックアップ。
帰りの高速道路渋滞で5時半過ぎに倉庫着。荷降ろしなどやって7時帰宅。
今日の歩数は5235歩。


朝の摩耶埠頭 

西名阪 

神座ラーメン 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
귀찮다(クィチャンタ 面倒くさい、厄介だ、煩わしい、やる気がしない)
귀찮은 일은 나에게 맡겨.(クィチャヌンイルンナエゲマッキョ 厄介な仕事は私にやらせて。)

2019/12/25(水)●六甲アイランド
6時半起床。
今朝の血圧は183/68/82。36.4℃
自転車で摩耶倉庫。先週現場に入った六甲アイランド高層マンションの5日取り現場最終日。
昼食はまたまたより合い向洋でチキンフライ定食。どうも最近この店の味が落ちた気がする。
3時に作業終了。
今日の歩数は4233歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
쩐다(ッチョンダ すごい、ヤバい)
チョンダ(쩐다)とは、「すごい、ヤバい」の意味。
半端ない実力があるモノに対して使う。
同意語で、「チュギンダ(죽인다)」「テダナダ(대단하다)」などがある。
日本の若者言葉でいうと「ヤバい」にあたる言葉。


2019/12/24(火)●サランバン会忘年会

7時起床。
今朝の血圧は194/77/65。35.1℃
午前中は年賀状整理。
昼からJRで鶴橋に出る。
東上町公園のクリスマス飾りつけしたベンチで軽くミニギター。
その後桃谷をうろついて猫撮り。
御幸森公園で4時半過ぎまでミニギター。日本人のおばさん二人がしばらく聴いてくれた。5時半、ハートフルに洪ママ見舞い。先に歌麿会長と久しぶりに三宅さんが見舞いに来てた。
6時に、王様豚カルビで榎本さん交えて食事。7時前にサランバン会場「釜山」へ。丸本夫妻、可能、高木、鄭さんなど、10名前後。今日は他の客皆無で完全貸切状態。しっかり飲んで歌って踊って。それでも午前零時に帰宅(^_^;)
今日の歩数は55528歩。

JR大阪駅エスカレータ 

東上町公園 

葵系? 

聴覚障害支援学校 

桃谷公園紅葉 

桃谷雉 

桃谷トラ雉 

桃谷竈猫 

同じく 

御幸森公園北の古い質屋 

飴の差し入れ 

桃谷猫公園猫 

古いドラえもんサンタ 

テジカルビ定食 

サランバン会忘年会 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 記念撮影 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
망년회[忘年会](マンgニョンフェ 忘年会)    
송년회[送年会](ソンgニョンフェ 忘年会)
망년회[忘年会]라는 말에는 그 해에 있었던 안 좋은 것은 그 해에 잊어 버리자라는 의미[意味]가 들어 있습니다.(マンgニョンフェラヌンマレヌンクヘエイッソトンアンジョウンゴスンクヘエイジョビアラヌンウィミガドゥロイッスムニダ 忘年会という言葉には、その年にあったいやな事はその年のうちに忘れてしまおう、という意味が込められています。)

2019/12/23(月)●ペッキー(まぬう)訃報
6時起床。
今朝の血圧は164/73/63。35.3℃
朝の三点セット。
昼前に王子動物園。まぬう、雌のペッキーが20日に死んだとのこと。表には一匹だけになったイーリスが岩の上で睨みをきかせていた。実は昨夜複数のメールでペッキーが死んだというメールもらって初めて知った。そういえばここ最近ペッキー表に出ててもたいていミカン箱で寝てたもんな。20日の朝いつものように表に出てから突然死(心不全)だったらしい。長く苦しむこともなかったのは良かったと思うしか無い。
裏には献花台が設けられ、ノートもおいてあったし、寝室の中にも多くの献花が置かれていた。今更ながらペッキーは人気者だったと再確認させられた。
昨夜は、以前フォト蔵にアップしたまぬうアルバムをスライドショーでずっと見てた。アルバムアップした時期にはまだイーリスはいなくて、ペッキーと別の雄まぬうの画像が混じっている。実はMorris.が最初にまぬうのファンになった時は、まぬうは一匹しかいないと思ってて、二匹が交替に表に出てることに気づかずにいた(^_^;)
ペッキーは2007年8月20日に上野動物園で生まれ、09年1月に王子動物園にやってきた。享年12歳4ヶ月で、国内の動物園のまぬうの中では最高齢だったとのこと。
ペッキーは動物園で生まれて動物園で死んだわけで、厳密には野生動物と言えないのかもしれない。ペッキー、「ありがとう、さようなら」。
午後は年賀状作り。賀状は毎年激減しているようで、自主的に休止する動きもあるようだが、Morris.は止める気はない。ここ10年ほどほとんど同一デザインなので、作成自体は簡単である。ただ、今回はプリンターの不調で、いろいろ手こずり刷り損ないも3枚ほど発生。来年はプリンター買い換える必要に迫られそうだ。
とりあえず今日中に宛名書きまでは済ませることができた。
今日の歩数は2492歩。


ペッキーが(>_<) 

寝室にも献花が 

一匹まぬうになったイーリス 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
먹자골목(モクチャコルモク 食い物横丁)
直訳すると「食べよう路地、食べよう横丁」となる。Webサイトでは「うまいもん横丁」「うまいもん通り」「グルメ横丁」「グルメ通り」「食い倒れ横丁」などと翻訳されている。ソウルで飲食店が並んでいる通りをこのようにいう。韓国では同じ料理を扱う店が集まっていることが多い。

2019/12/22(日)●甲子園~逆瀬川
6時起床。
今朝の血圧は182/76/63。36.1℃
自転車で摩耶倉庫。
溝渕くんら3人で、西宮甲子園町のタイ向け航空便と、宝塚市逆瀬川の実家へのローカル配達現場。
甲子園町の現場は本当に甲子園球場の真横にあった。試合がある日はけっこううるさいだろうし、阪神ファンでないと住めないのではと思ってしまった(^_^;)
昼食抜きで、配達も済ませて、倉庫近くで食事してから、荷降ろし積み込みやって、自転車で倉庫出たら雨が降り出し、結構濡れ鼠になって帰宅(>_<)
今日は冬至だが、特に何ということもない(^_^;)
今日の歩数は4439歩。


倉庫前の枯蔦垣 

現場は甲子園球場の目の前 

現場の螺旋階段 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
육하원칙[六何原則](ユッカウォンチク 5W1H)
누가(ヌガ 誰が?), 언제(オンジェ 何時?), 어디서(オディソ 何処で?), 무엇을(ムオスル 何を?), (ウェ 何故?), 어떻게(オットッケ 如何に?)
5W1Hとはもちろん、Who?、When?、Where?、What?、Why?、How?の頭文字である。
新聞記事の基本のように言われるが、伝達全般の基本である。

누가? 安倍首相後援会が 아베[安倍] 총리[総理] 후원회[後援会]
언제?2019年4月12日に 2019 [年] 4 [月] 12 [日]
어디서?ホテルニューオオタニで 호텔 뉴 오오타니에서
무엇을?「桜を見る会」前夜祭を "벚꽃을 보는 모임"'전야제[前夜祭]
? 首相の人気とりのために 총리[総理]의 인기[人気] 얻으을 위해
어떻게? 異常に安い会費で開催した。이상[異常] 싼 회비[会費] 개최[開催]했다.

【鉄条網の歴史】石弘之、石紀美子 ★★★☆☆
2013/03/11洋泉社
石弘之 1940年東京都生れ。東大卒業後、朝日新聞入社、ニューヨーク特派員、編集委員などを経て退社。国連環境計画上級顧問。「地球環境報告」「キリマンジャロの雪が消えていく」「名作の中の環境史」「火山噴火・動物虐殺・人口爆発」「地球クライシス」

「自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明」という副題。
小手鞠るい「アップルソング」でこの本のことを知り、読まなくてはと思った。期待は裏切られなかった。

鉄条網はフランスと米国でほぼ同時期に発明され、米国では1867年に最初の特許が認められた。米国発明会がまとめた年代別の大発明の1860年代の項には、「リチャード・ガトリングの機関銃」「ウェスタン・ユニオン社の大陸横断電信網」「パスツールの殺菌法」「ノーベルのダイナマイト」「現行キーボードのタイプライター」とならんで、この鉄条網が挙げられている。
他の発明と比べてみても、鉄条網はきわだったローテク製品である。鉄線にトゲになる短い鉄線を巻きつけただけだ。こんな単純な構造にもかかわらず、「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」という機能は、今もって鉄条網に代わるものはない。
このローテクは、兵器として思いもかけないほどの潜在力を秘めていた。敵の進撃を阻むバリケードになり、基地や陣地を守る防衛戦になった。
牛の群れを囲う機能が、人間に向けられるのは時間の問題だった。人間を拘束する刑務所、強制収容所、捕虜収容所、難民収容所などは、鉄条網抜きには存在しえないまでになった。
鉄条網は国地国を隔てる国境だけでなく、国内でも敵味方、人種、民族、宗教、貧富……などを分け隔てる壁でもある。(まえがき)


このまえがきで、鉄条網の「負」の部分がよくわかる。

イリノイ州の農夫、ジョセフ・グリッデンは、長さ5cmほどのワイヤーの両側を斜めに切って鋭くしたトゲ(これをbarb(バーブ)という)をワイヤーに固定する技術を確立した。この製品名のbarbed wire(バーブドワイヤー)が英語の鉄条網を意味するまでになった。
日本では、厳密にはトゲを巻きつけた鉄線を「有刺鉄線」、網状にしたのが「鉄条網」と区別するが、実際には業界団体も含めて両者をいっしょにして「鉄条網」としている。(第一章 西部開拓の主役)


「有刺鉄線」と「鉄条網」。同じものを刺す、いや、指す言葉だが、受ける印象はかなり違う。

1916年に第一号戦車「マークⅠ」が完成した。キャタピラー式の農業用トラクターに分厚い鉄板を張っただけの簡単なものだった。この新兵器の名前は、秘密にするために「タンク(水運搬車)」と名づけられた。

戦車を「タンク」と呼ぶ理由を初めて知った(^_^;)

第一次世界大戦は、国民と生産力を総動員した空前の総力戦となった。裏を返せばどちらが先に疲弊するかの消耗戦であり、どれだけ国民が犠牲に耐えられるかの我慢比べでもあった。

Total Warである。

塹壕・鉄条網・機関銃の防衛戦術の三点セットが確立した。
長引く塹壕戦ではさまざまな装備が生まれた。たとえば腕時計がはじめて将校の標準装備に加わった。塹壕にこもった兵士たちが、後方からの砲撃で敵を叩いてから、長く延びる塹壕を飛び出して一斉に突撃するには正確な自国が必要になったからだ。
寒い冬の戦いには暖かくて防水の効いた軍用コートが必要になり、このためにイギリスで発明されたのがトレンチ(塹壕)こーとだった。肩のボタン留めのショルダーストラップが軍服だったときの名残だ。ここに、双眼鏡、水筒、拳銃の吊りひもを通した。負傷したときには、このストラップを持って引きずることにも役立った。
銃の使えない塹壕内での格闘のために開発されたのが、刃渡りが短く殺傷力の高いトレンチナイフだ。なぐり倒すことができる頑丈なグリップは、滑らないように指を守るフィンガーガードが備えられ、刃の断面は三角形で殺傷力を高めた。
敵の目を欺いて相手の塹壕に接近する方法も考えられた。カモフラージュ部隊の登場である。(第三章 塹壕戦の主役)


トレンチコート、トレンチナイフの雑学ネタ。

第二次南アフリカ戦争で英国は疲弊し、アジアでの軍事力が手薄になったため1902年に日本と同盟を結んだ。この日英同盟が、日露戦争のときにロシアへの圧力になって、日本の勝利に貢献した。第二次南アフリカ戦争に日本は観戦武官を送り込み、本格的に戦争で使われた機関銃や無煙火薬の効果を認識して日露戦争の準備を進めていった。

日英同盟なくして日露戦争(の勝利?)はなかった。

ナチスの強制収容所(Konzentrationslager 略してKZ)である。人類が犯したこの20世紀最大の残虐行為は、この鉄条網の存在がなければ、あれだけ短期間に大量の人間を収容し殺戮できたかは疑わしい。

安い、早い、酷い(>_<)

現在、人類学者や遺伝学者で「人種」という概念を使う人はまずいない。皮膚や目の色、体型、頭骨など形態学的、遺伝学的な違いが、能力や特性の違いに関係するということは、科学的な根拠がまったくないからだ。
人種の差というのは、劣等人種と優越人種という近代西洋の価値観に基づく部分が大きく、植民地支配や奴隷貿易などの口実にされてきた。人種とIQの違いなどが論じられるが、それは教育や生活の水準、栄養条件などの環境の違いでしかない。アマゾンや東アフリカで狩猟で暮らす先住民と生活を共にしたことがあるが、彼らの基準では、私は狩りも採集もできずひとりでいきていけない無能な「劣等人種」であった。(第四章 人間を拘束するフェンス)


「人種差別」以前に「人種」という言葉が差別を内包しているということか。

鉄条網の最大の機能は、空間の「遮断」である。それは政治的な分断にも威力を発揮してきた。鉄条網は紛争あるところには必ず顔をだし、今も昔もさまざまな政治的な境界の主役である。
100年近くほとんど変わらなかっった鉄条網は、トゲの部分が尖らせた針金からカミソリ(レザー)の刃のような鋭利なものに進化した。「レザー鉄条網 Razor Wire」「対人鉄条網」と呼ばれ1970年代に米国の刑務所の塀に設置されはじめたが、やがて紛争の激化とともに中東に普及していった。(第六章 世界を分断する境界線)


このレザー鉄条網は、韓国で初めて見た。棘でなく刃の付いた鉄条網は武器のイメージが強い。

いたるところで、定住農耕と狩猟採集という生業の違いによる宿命的な利害の対立が先鋭化した。開拓民は容赦なく先住民の土地を奪っていった。「入植」というのは、多くの場合、先住民の土地へ侵入して力ずくで土地を奪うことだった。農地や牧場が拡大するのに反比例して先住民の生活圏は狭められていった。ついいは土地から引き離されて居留地という名の収容所に押し込められた。
そのせめぎ合いが「フロンティア」であり、白人側にとって「野蛮な」先住民を追い払う「文明化」の最先端であり、先住民側にとっては理不尽な「迫害」がおよんできた最前線である。


アメリカの「西部劇」は、この一方的な「迫害」の美化、英雄化ということになる。

19世紀半ば、マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)という奇怪な論が全米ではやった。米国の膨張を「天命」とみなして、先住民虐殺や西武侵略を正当化する口実にされた。19世紀末にフロンティアが事実上消滅すると、今度は米国スペイン戦争やハワイ併合など米国の領土拡大や覇権主義のために使われた。

「膨張主義」は諸悪の元。アメリカの膨張主義は今も形を変えながら健在(>_<)のようだ。

制度的な迫害に加えて、白人の持ち込んだ疫病は「細菌兵器」となり、天然痘やハシカに免疫のない先住民族は大量に命を奪われた。北米の先住民人口は白人の入植以前には1000万人以上あったと推定されるが、20世紀初頭までに95%が失われた。(第七章 追いつめられる先住民)

天然痘やハシカが「細菌兵器」になった(>_<)。恐竜伝染病絶滅説を連想させる。細菌や毒ガスや放射能など目に見えない兵器。天災や地球温暖化なんてのも、ある意味地球規模の兵器なのではなかろうか。

2019/12/21(土)●彦根方面
5時半起床。
今朝の血圧は147/58/55。35.8℃
自転車で摩耶倉庫。
荻野、小池くんと彦根のドイツ向け荷物ピックアップ現場。
二度に分けて送る一便目で、お客さんがなるべ二便目に多く持っていきたいとのことで、今日は荷物少なめになり、昼過ぎに作業終了。
肉のはせ川でハンバーグ。なかなか美味しかった。
4時帰宅。
何となく脱力気味で、明石家さんまの「明石屋紅白」なんてのをボーッと見てた。甲斐バンドの「最後の夜汽車」が感慨深いものがあった。
今日の歩数は4204歩。


彦根の町裏 

交通施設の消耗品 

薔薇 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
부카니스탄(プカニスタン 北朝鮮)
北朝鮮を蔑んでよぶ言葉。
韓国では北朝鮮を地域の一部として북한[北韓](プッカン)と呼んでいるがこれに国を表わす「スタン」を付けた造語。「スタン」は国を意味する接尾語で、もともとペルシア語で「土地」という意味を持つ。ペルシア帝国の影響を受けた国名として多く使われている。現在「スタン」のつく中央アジア諸国は、その昔はトルキスタン(トルコ人の土地)と呼ばれていた地域である。
북괴[北傀](プックェ)という蔑称もある。こちらは北朝鮮が「傀儡政権」という意味。
괴뢰정권[傀儡政権](クェレジョンgクォン)

【もやしもん 9】石川雅之 ★★★☆☆ 2010/07/06 講談社 初出「イブニング」2009-10
ときどき、図書館でこの漫画を順不同で閲覧することがある。全巻そろってるのかどうかもはっきりしないが、この9巻(初めて読む)の「食料自給率」などの論議だけは、ちゃんとメモしなくてはと、借り出してきた。日本茶と紅茶の種類の一覧や、漬物の話など、他にも裨益するところ多かった。

[日本茶(蒸して緑茶にする)]
煎茶 最もポピュラーなお茶
深蒸し煎茶 倍の時間葉を蒸した煎茶
玉露 渋み少なく甘い。高級品
てん茶(抹茶) 臼で挽いたお茶
かぶせ茶 玉露に近い製法、旨味あり
玉緑茶 丸い葉、まろやか
番茶 古葉を使う、さっぱり

[紅茶]
・インド茶
アッサム 深い味わい、香りが強い
ニルギリ 軽い香り、さっぱり
ダージリン マスカットぽい香り、さわやか
・セイロン茶
ディンブラ 爽やかで優しい味
ヌワラエリア 緑茶ぽい、渋みの花の香り
キャンディ 他より渋み少ない

長谷川遥 そのうち紅茶の人気がヨーロッパで爆発してイギリスの「午後の紅茶」の習慣とか生まれるんだけど。紅茶をヨーロッパに輸入していたのは主にポルトガル、その下にオランダがいたの。
樹慶蔵教授 そのうちインドのアッサムに自生する紅茶の樹が発見され、紅茶好きのイギリスが進出してくる。イギリスは東インド会社を設立し大々的に紅茶の栽培と中国とのケンカをおっ始めるんだ。
長谷川 東インド会社は企業という民間の形をした国営組織で、要はアジアの植民地化を進める大英帝国の橋頭堡よ。裏の顔としては政府公認のアヘン密売シンジケートってトコ。ヨーロッパの物産に興味を示さなかった中国もアヘンとなら茶を交易したのよ。でも、さすが麻薬だからヤバいってんで清朝の当局は取引を禁止したの。清王朝はギリスの持ってきたアヘンを港ですてたのよ。それに対して英国は「たとえ麻薬でも賞品を捨てるとは何事だ」って宣戦布告。それhがアヘン戦争。敗北した中国へのその後の欧米列強のむしり取りっぷりは歴史の通りよ。


アヘン戦争の経緯がこれでやっとわかった(^_^;)。

長谷川遥 日本は米の自給率はほぼ100%だし野菜も水産物も70%超えてるわ。日本のカロリーベース食料自給率40%ってのはその数字だけ見て危機盛り上げても何の意味もないのよねー。そもそも「食料自給率40%は低いから上げないと駄目」って、どうして? 要は食料自給率問題なんて問題は存在しないとあたしは思うのよね。本当に問題だ、危険だってんなら、ざっとした数字であおるだけで対処がのんびりなのはおかしくない?
小坂さん それは長谷川先輩の持論ですよね。具体的な例をいただかないと納得できませんよ。
長谷川 食料自給率ってのは人間が食べる物のみの計算じゃないのは分かってるわよね? 穀物飼料や牧草等家畜なんかのために生産されている農産物も含まれてるでしょ。特に問題視されている穀物自給率の低さ。米の自給率はほぼ100%なのに、何故こんなに低くなるのか。大量に輸入される家畜専用飼料、トウモロコシや小麦のお陰で「割合」として国産穀物が低くなるのよ。
武藤葵 自給率がヤバいって言われても何かピンと来ないじゃん。意味ないとはあたしごときがいえないけどさ。ひとくくりに40%ってい盛り上がるのは無理があるとはおもうのよ。実際自給率低価の理由は単純に食の欧米化で油を筆頭にした洋食の部分を輸入に頼るからでしょ? 世界も見据えろとか、グローバルなんたらとかゆっときながら食は国産国産ってねェ」
川浜拓馬 というかそもそも和食は世界から見て最もバランスの良い食物と言われたんだぞ。で、世界中で和食が注目されてブームになってる最中に等の日本はバンバン食の欧米化が進んで至る現在になってんだ。食料を工業みてェに輸出入の商品にしてた奴らの今更な懐古主義だよ国産至上主義なんて。
樹教授 うーん、それはどうかなー?
長谷川 ええ、理由はもっと単純です。「中国の野菜が危ないって巷で言われているのを聞いた」「アメリカの食物がよく分かんないトコがあるって何かで聞いた」「国産は安全安心な気がする」「国内の食品ギソウ等の問題はその会社や個人の問題で基本は大丈夫」
小坂さん ちょっと待ってください。結論に論理の飛躍を感じます! 実際自給率が上昇する事が悪ではないじゃないですかっ。
長谷川 だってそもそもみんなさァ そんなに農に関心あったっけ? ちょっと違う話に聞こえるかもしれないけど食品廃棄の話していい? 食品製造業、外食産業、コンビニなんかがまだ食べれる物を捨ててるって問題にされるじゃない? でも実際調査をすると、一般家庭からの食品廃棄の方が外食産業より多かったのよ。「食べ残し」が4割近く含まれているの。まだ食べられるものを捨ててるのよ。平成17年度の調査では国内に供給された食料の内7割しか摂取されてないって結果も出てる。 みんながみんな心当たりが無いとは言えないでしょ。それらを一人ひとりがなるべく減らせないかしら? 意識するのちゃんと。エコロジーに「ブーム」なんて付けた奴は何にも分かってないのよ。そしてこれはブームではなく常識への回帰よ、意識の問題。「必要なだけ食べる」「残さないで食べる」「捨てないよう食べる」たったそれだけで、無駄が確実になくなるの。でもこれで食料自給率が上昇することは1%もないわ。消費の問題だから。でもこっちの方がより具体的で身近じゃない

樹教授 いやーー 若い子の議論はいいねー

これは特に重要。食料自給率のナンセンスさをこれだけ明確に宣言する長谷川遥はすごい!!と思ってしまった。そして食べられるものを捨てている罪悪についても。

樹教授 現在日本で最も人気で売れてる漬物は糠漬けでも梅干しでもなく圧倒的にこのキムチだ。一方、日本では食の欧米化に併せて「減塩ブーム」がおこり強い塩と菌の発酵による「保存食」としての漬物の役割を忘れ、調味液と着色料に漬けこんだだけの発酵でない日持ちのしないものが漬物として市場に多く出回っている。

スーパーで売ってるアレは、漬物とは言えないものらしい。

樹教授 安心安全な食いモノを誰かがどこかで作って自分に常に供給して欲しい。政府が悪い、農協が悪い、農家が悪いと誰かに悪をなすりつけ、知る努力をもせず、求めるばかりの消費者という名の虚像を放つエゴが真の悪だ。消費者とは何だいそもそも。すべての人が生活していれば消費者でもあるじゃないか。売る立場は本気で「客は神様」と思っているよ。しかし買う側に回るとそれを真に受けて神なら何を要求してもよいと思うものもいる。自分が神でなくモンスターになっている事に気づかずに、それを指摘し倒せる最大の力を持つマスコミは先頭切って震え上がって、今やそれらの言いなりだ。「消費者」という錦の御旗に逆らう方が悪という図式ができてしまっている。実はそんなタブーなど存在しないのに。
少なくとも君ら農大生は農薬は悪でない事を知っているね。農薬は使う人間の方に問題がある事がほとんどだ。農協だって全てが悪ではない。新規就業者にはかゆいトコまで手が届くありがたい存在だ。しかし同時に食品偽装など不祥事の百貨店でもある。農の一面を見てもこのように清濁あわさってこその社会なんだから、消費者と売り手は互いに学び、知り、チェックし合い支え合うのが正しい関係なんだと思うよ。


樹先生もなかなかの論客である。10年前にこれだけのことをマンガで指摘されながら、今現在、事情は好転どころか、その正反対だろう。

2019/12/20(金)●小米桜満開
6時起床。
今朝の血圧は177/65/61。35.0℃
目覚まし代わりのハングル講座で目を覚ましたが、水曜の夜にすでに見てたので、音だけ聴く。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「「うそつき」をめぐる奇天烈な話」のタイトルで、伊藤詩織さんの民事一審勝訴に関するもの。山口氏の記者会見での「嘘つき」発言にはMorris.も唖然としたものだが、たしかに常軌を逸している。逮捕状出されたのを、安倍首相の番犬みたいな中村某によって執行停止され、不起訴になったことが大本で、もちろん小田嶋もそのことも踏まえてる。とりあえず民事で勝訴になったことは大きかった。これが民事まで潰されてたら、もう司法の権威は地獄に落ちるところだったもんね。もちろんこれで全て解決したわけではないので、今後とも見守っていこう。
昼から歩いて六甲道へ。灘図書館で「世界」ななめ読み。斎藤貴男のコンビニルポ(前編)は、背筋が寒くなるくらい、コンビニ(セブンイレブン)の、ブラック企業ぶりが暴かれていた。
ATMで金おろして、駅南広場でちょこっとミニギター。3時前には日陰になって、ちょっと寒かった。
帰りも歩いて5時帰宅。
今日の歩数は5938歩。


阪急王子公園駅上空 

可愛いリース 

薔薇 

南天の実 

春日神社脇の小米桜(@_@) 

照光寺クロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
듣보잡(トゥッポチャプ 無名でつまらないもの
듣지도(トウッチド 聞いたことも)+보지도(ポジド 見たことも)+못한(モッタンない)+잡것(チャプコッ ガラクタ 雑物)の略語。
あまり見たり聞いたりしたことがないことから、有名ではない、興味ない、知られてないものやことを言う時使う。
듣보잡 회사[会社](トゥッポチャプフェサ三流会社)

【ヘイト・悪趣味・サブカルチャー--根本敬論】香山リカ ★★★ 2019/03/22 太田出版
香山リカ 1960年、北海道生まれ。東京医科大学卒業、精神科医。「テクノスタルジア」「しがみつかない生き方」「ポケットは80年代がいっぱい」
根本敬 1958年、東京都目黒区生まれ。ガロ1981年9月号掲載「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。以降「特殊漫画」の道を突き進み、漫画界の極北に位置する。「生きる」「天然」「タケオの世界」「豚小家発犬小屋行き」「ミクロの精子圏」「未来精子ブラジル」「因果鉄道の旅」

卵子は「卵子を育てる袋(卵胞)」で作らられるが、そのもととなる原始卵胞は女性が生まれるときにすでに卵巣に蓄えられており、それ以降、新たに作られることはない。生まれた時点で卵巣に蓄えられている卵母細胞は約200万個なのだが、思春期までに約170万個から189万個が自然に消滅するといわれる。その後も減少は続き、1日に30~40個が減り続ける。しかも、そのうち実際に卵母細胞から放出され(排卵)受精のチャンスを迎える卵子は、毎月1個から数個に過ぎない。さらにその期間はその女性が思春期から更年期を迎えるまでの30年間程に限られ、おおよそ400個程度と言われている。女性の場合、一度妊娠すると子どもが誕生するまでの約10ヶ月は少なくとも排卵が止まり、新たな妊娠はできない。だから、どんなに子だくさんの女性でも、一生で産める子どもはせいぜい十数人ということになるのだ。
それに比べて男性の場合、10歳くらいから精巣で精子が作られ始め、それは一生、産生可能と言われている。作られる精子の数も1日約5千万から数億個ずつで、人生70年だとしても、一生のうちに作る数はなんと1~2兆個と言われている。また1回の射精で放出される精子の数も1~2億個と、「ひと月に1個から2個」の卵子に比べてその希少性がいかに低いかがよくわかるだろう。


これは、Morris.の卵子の知識の無さを思い知らされたので、メモしておいた。戦前「産めよ増やせよ」政策に迎合して10人以上の子を産んだ日本の母親はほとんど限界近い多産ぶりだったわけだ。

野間易通氏は、この社会構造の非対称性に対する"美しいまでの無関心"が、その後のヘイトスピーチにつながっていったのだという。この「表現の自由」を盾として「左翼、テロリズム、ナチス、軍事、カルト、エログロ、ロリコン、ドラッグ、皇室、被差別社といったあらゆるものを並列に並べて等価なものとして語り、消費しようという制度」が、90年代後半にインターネットという「強力な武器」を得て、誰もが匿名の発信者となっていく。そして、「誰もがコントロールを失うなかで、実験はいつのまにか本番とな」ったのが、リアルな世界でも姿を表すようになった歴史修正主義や排外主義である。これが野間氏の主張だ。もっとわかりやすく言えば、被害者不在のまま「なんでも言っちゃえ」という雰囲気が醸成されていったことが、後の偏狭な愛国心や差別扇動主義を隠そうとしない「ネトウヨ」と呼ばれる人たちを生み出したのではないかということだ。

Morris.にとって根本敬といえば、やはり「ディープ・コリア」に尽きる。

「お人好しか? 欺瞞か? 韓国だったら腐ったキムチにでも舌鼓を打ってしまう武者小路実篤バリの韓国本が氾濫するさなか、『韓国人はフリチンだ!』と3人の子供(本当はもちろん大人)がワイルドでダイレクトな目で描き、撮り綴った韓国旅行ガイド版『裸の王様』。数ある韓国本のなかでも、タルタリ(自涜)からサヌリム(韓国No.1ロックバンド)まで出てくるのは本書だけ」(「ディープ・コリア」1987年ナユタ出版会の帯)

「くだらない事、バカバカしい事、マヌケな事には事欠かぬ国。ズサン美の宝庫。それが大韓民国である。マヌケさから目をそらしては真の韓国/朝鮮の理解は不可能である」(「定本・ディープ・コリア」1994年青林堂版の帯)


Morris.が韓国に初めて行ったのが1988年。行く前にナユタ出版会版を読んだはずだ。
かなりの衝撃だった。

「時代の産物」として生まれた『ディープ・コリア』がウケていたのではなくて、当時『ディープ・コリア』を受け入れる土壌のほうが「時代の産物」だったのではないか、ということだ。もちろん中には高橋健太郎氏のように当時から鋭い人権感覚を持ち、「これは人権侵害だろう」と気づいていた人もいた。ただ、そういう人たちよりも「おもしろい」と思ったり、さらにはそこから励ましや勇気ににも似たものを得る人たちも、たしかにいたということだ。

当然Morris.は、面白がり、勇気(蛮勇?)を得た記憶がある。

2019/12/19(木)●夢しずく
7時半起床。
今朝の血圧は177/62/71。35.7℃
朝の三点セット。
昼前ゆうパックで佐賀の米「夢しずく」が届く。佐賀県武雄市橘町の馬場茂くんからのお歳暮である。彼とは中学以来の友人で、中学高校時代はそれこそ毎日のように一緒に遊んでいた。父親が小学校の校長ということからか、教職の道を歩み、最終的には地元小学校の校長をつとめて、今は退任して悠々自適の生活を送っているようだ。去年までは「佐賀びより」という品種だったが、今年は初めての品種。「ひとめぼれ」と「キヌヒカリ」の交配種らしい。いずれにしろ、年越し米というのは嬉しくもありがたい。馬場しゃん、感謝m(__)m
昨日民事で勝訴となった伊藤詩織さんのニュースで、朝のABCでは被疑者山口敬之が安倍首相の提灯記者で、逮捕状が出たのに、突然の執行停止になった件にも触れていたのは評価したい。
午後は歩いて水道筋に出た以外はほとんど部屋ゴロ。
今日の歩数は2005歩。


佐賀産米「夢しずく」 

Morris.の守護神? 

美容院前の大壺 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
스카이(スカイ 韓国大学三羽烏)
韓国で人気大学ベスト3のアルファベットの頭文字を並べた言葉。
空のように高い意味のskyをかけている。
s=서울대(ソウル大 ソウルデ)、国立大学(東京大学のような存在)
k=고려대(高麗大 コリョデ)、私立大学(早稲田大学によく比較される)
y=연세대(延世大 ヨンセデ)、私立大学(慶応義塾大学によく比較される)


【「アベ友」トンデモ列伝】 別冊宝島編集部ほか ★★★
2018/12/31
安倍晋三に群がるトンデモない面々を面白おかしく? 紹介した一冊。
記憶力減退著しいMorris.は、すぐ人名忘れるので、彼らの忘名録代わりに書き留めておく。

杉田水脈 「LGBT は非生産的」発言
小川榮太郎
小川が生きている世界はネトウヨの思考停止空間である。「民主党時代よりマシ」「中国・韓国はけしからん」「朝日新聞はけしからん」といった思考停止のテンプレートを拡大再生産することによ、安倍政権の売国政策を隠蔽しているのがあの手の集団だ。もちろん彼らは保守でも右翼でもなく、あえて言えば、安倍ビジネスである。(適菜収)
百田尚樹
見城徹幻冬舎社長
幻冬舎は、安倍首相に近い言論人の書籍を多数刊行していることで知られる。百田氏を筆頭に『日本国紀』編集の有本香氏、『新調45』休館の元凶となった小川榮太郎氏、レイプ疑惑で表舞台から去ったTBSワシントン支局長の山口敬之などがそうだ。(編集部)
櫻井よしこ
西岡力
櫻井氏は外国特派員協会の記者会見冒頭で司会者に「元ジャーナリスト」「リビジョニスト(歴史修正主義者)」と紹介され、本人がそれを訂正するという一幕もあった。(山田厚史)
籠池泰典・籠池諄子夫妻
稲田朋美
青山繁晴 ネトウヨ議員
和田政宗 ネトウヨ議員
山口敬之 元TBSワシントン支局長
伊藤さんは事件直後の2015年4月9日、警視庁に相談し同月内に告訴状を提出。同年6月に逮捕状が発行され、山口氏が帰国する羽田空港で逮捕すると聞かされていたが、まさに逮捕直前になって、当時警視庁刑事部長だった中村格氏によって「執行停止」が決済された。中村氏は警察庁のキャリア官僚で、2012年12月より約2年ほど、菅官房長官の秘書官をつとめていた。
山口氏が逮捕を回避したいのはもちろんだが、安倍政権にもそれを回避したい動機は十分にあった。
北村滋内閣情報官
山口氏が『週刊新潮』の取材申し入れに対し、次のようなメールを同誌に「返信」してしまったのだ。
<北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。××("詩織")の件です。取り急ぎ転送します。>
北村氏は警察官僚で、2006年の第一次安倍政権では総理大臣秘書官をつとめ、2012年以降は内閣情報官として、危機管理を担当する「裏の仕事人」だ。新聞の「首相動静」にもっとも頻繁に登場する官邸の黒子でもある。
「山口の『総理』、小川榮太郎の『約束の日』、そして産経新聞の阿比留比記者の『総理の誕生』は、"3大ヨイショ本"として記者たちの間でしばしばネタとなっています」(週刊誌記者)
片山さつき
佐川宣寿元国税庁長官
加計孝太郎
森友学園が小学校の建設用地購入時に国から8億円も値引きしてもらったのに対し、加計学園は愛媛県今治市から36億7000万円相当の土地を無償譲渡されていた。建設された獣医学部の事業費は192億円その半分を県と市の血税で賄う計画が進んだ。
下村博文元文部科学大臣
下村は、安倍政権を支える安倍グループの四天王と目される一方、加計ともごく親しい。政治献金も受けていた。(森功)
沖縄の歴史は教科書によって大きく内容が異なるケースがあり、時の教育委員会の意向によって採択される教科書が変わってくる。だが、下村氏はそこで政治介入し、尖閣列島など、日本の立場を明記した領土問題の記述を含む教科書を採択させようとした。
こうした「実績」が安倍首相に評価され、下村氏はその後も政権のキーマンとして重用されることになる。
2015年4月2日、当時首相秘書官だった経済産業種出身の柳瀬唯夫氏と、加計学園幹部、愛媛県及び今治市職員が官邸で面談し、柳瀬氏が「本件(獣医学部新設)は首相案件」と説明した。このとき愛媛県の職員が作成した「文書」がそれを証明したが、柳瀬氏は最後までのらりくらりと「記憶がない」とシラを切り通し、同日に面会した事実を最後まで認めなかった。
実はこのとき、加計学園にいちばん獣医学部を作らせようと動き回っていたのは文科相だった下村氏である。加計学園煮立ちする不適切な補助金支出を実質的に主導していたのは、家族ぐるみでつきあいがあり、学園から献金も受けていた下村氏であることは明白だ。(伊田文彦)
加藤康子内閣官房参与
加藤康子氏は1959年生れ。故・加藤六月農水相の長女で、父六月氏は安倍晋太郎氏の腹心だった。現在安倍政権で総務会長をつとめる加藤勝信氏の妻は、康子氏の妹。康子氏は、安倍首相の幼馴染み、加藤総務会長の義理の姉、ということになる。(千葉哲也)
籾井勝人 元NHK会長
安倍政権の「NHK支配」はトップ人事だけではなかった。2012年に第二次安倍政権がスタートして以降、国会同意人事であるNHK解説委員に作家の百田尚樹氏や、小川榮太郎氏の師として知られる長谷川三千子埼玉大学名誉教授など、ろこつに「アベ友」を多数押し込んでいる。
岩田明子 NHK解説委員 安倍首相の"お気に入り記者"
昭恵夫人の実家「森永製菓」も安倍系企業だ。
安倍家の「経済人脈」の原点は、質・晋太郎氏と平岩外四元日本経済団連名誉会長の親交だ。平岩氏は首相の祖父・岸信介とも親交が深く、当時の東京電力社長を仲介。以来、代々東京電力社長は安倍家とのつきあいを続けてきた。安倍首相の「原発再稼働」の方針はこうした背景とも無関係ではない。(編集部)
菅義偉 内閣官房長官
菅氏は不動の官房長官として、政権運営の安定化に大きな役割を寄与してきた。政権中枢の麻生太郎財務省とは距離を置いていると言われるが、そのバランス関係が政権運営状はうまく機能してきたという指摘も多い。菅氏は霞が関の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を実質的に仕切っており、そのため安倍政権で官僚たちからもっとも警戒される政治家であり続けている。1948年秋田県生れ。地元の高校卒業後、上京して肉体労働から飲食店の皿洗いまでをこなし、法政大学法学部に。大学卒業後、大学のOBを通じて小此木彦三郎衆議院議員の秘書となる。(編集部)


2019/12/18(水)●久々名古屋
4時15分起床。
今朝の血圧は149/59/70。35.7℃
自転車で摩耶倉庫。
浅海、荻野くんと3人で、名古屋市栄のアメリカ向けピックアップ現場。
昼休み前、デジカメがケースに入ってないことに気づく。トラックの助手席に落としたのかと思ったのだが見つからない。
午後になって、荷物の自転車に引っかかってたのが見つかって、ほっとする。
現場は白川台公園のすぐ横で。休憩のプラネタリウムなどがあり、銀杏並木が風吹くたびに黄色い葉を吹雪のように散らせていた。
4時半作業終了。
7時半倉庫着。8時半帰宅。
東アジアサッカー、日本-韓国での決勝戦というのを後半からみる。日本は得点差で、この試合引き分けでも優勝とのことだったが、前半韓国が先制して、そのまま0-1で敗けて、優勝を逃した。釜山での試合だったから、韓国は全国的に盛り上がったことだろう。s
今日の歩数は4293歩。


現場廊下から名古屋駅方面 

街角の三人娘 

大山田PA 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
이거 겉은 바삭바삭 하고 속은 부드러워요(イゴコトゥンパサッパサッカゴソグンプドゥロゥオヨ これ外はパリパリ中はトロトロですよ)
「外はパリパリ/カリカリ、中はトロトロ/とろーり/ふわふわ/やわらか/ジューシー」色々表現のヴァリエーションはあるが、料理番組で頻発される表現である。
実はこれ、今日の「テレビでハングル講座」の今日の表現。

2019/12/17(火)●グロリオサ
6時半起床。
今朝の血圧は164/72/76。36.4℃
小雨の中を自転車で摩耶倉庫へ。
昨日の現場二日目。今日は朝からずっと、割れ物梱包。
昼は今日もよりあい向洋。定番の鶏唐揚定食。それほど混んでないのに、出来上がるまできっちり30分待たされる(^_^;) Morris.はこの待ち時間を読書タイムにして結構楽しんでいる。前に一度50分以上待たされて昼休み時間過ぎてしまったときはちょっと焦ったけど(^_^;)
そしてここの大きな食卓にはいつも真ん中に花が飾られている。今日は街でもよく見かける派手な赤い反り返った百合みたいな花が飾られていた。Morris.はこれをアリストロメリアだと思いこんでたのだが、あとでネットで調べたたら「グロリオサ」だった。熱帯アジア及びアフリカ原産で、以前はユリ科とされていたが、今はイヌサフラン科ということになってるらしい。この花の球根にはグロリオシンというアルカロイドが含まれているとか。何か毒のある花って怪しい美しさを感じてしまう。
帰りも雨の中を自転車で6時帰宅。
明日は4時起きなので、早めに寝ることにしよう。
今日の歩数は3952歩。


よりあい向洋の鶏唐揚定食 

食卓のグロリオサ 

メイプルの並木 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
저가항공[低価航空](チョガハンgゴンg 格安航空会社、LCC、ローコストキャリア)
LCC(格安航空会社)のこと。2013年現在の韓国におけるLCCは、全羅北道・群山空港に拠点におくイースター航空、済州空港に拠点を置く済州航空、大韓航空の子会社ジンエアー、アシアナ航空系列のエアプサンがある。

2019/12/16(月)●六甲アイランド方面
6時半起床。
今朝の血圧は162/71/79。36.1℃
自転車で摩耶倉庫。
矢谷くんら4人で、六甲アイランド高層マンションのアメリカ向けピックアップ現場。4日取りの結構大きな現場で、何かやたらと本が多い。子供の本、大人の本と合わせて25箱くらい梱包したと思う。他のメンバーが梱包した分を合わせると40箱くらいになる。これは、大学教授並の蔵書数だと思う。
昼は久しぶりに「よりあい向洋」に。相生産のカキフライ定食というのがあったのでついうっかり(^_^;)頼んでみた。Morris.はそれほど牡蠣好きではない。今日の定食は3年ぶりくらいの牡蠣だったが、特に美味いとは思わなかった。
4時半作業終了。倉庫作業などすまして7時過ぎ帰宅。
釣瓶の家族に乾杯、ゲストに結婚したばかりの壇蜜が秋田を訪れるというもので、特に彼女のファンでもないのだが、ついつい見入ってしまう。
引きこもりの息子を刺殺した元農水省次官の裁判、懲役6年の実刑が下された。日本の中高年の引きこもりは60万人いるとか。
今日の歩数は4927歩。


今朝のTwin煙突 

よりあい向洋カキフライ定食 

日本福音ルーテル神戸東教会 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
방콕족[族](パンgコクチョク 引きこもり)
방콕방에 콕 틀어박히다(パンgエコクトゥロバッキダ 部屋に閉じこもる)の略。
[房](バンgエ部屋に) (コク ぽつんと ぶすっと) 틀어박히다(トゥロバッキダ 閉じこもる、引きこもる)
은둔형[隠遁型] 외톨이(ウンドゥンヒョンgウェトリ ひきこもり)
외톨이(ウェトリ)は、一人ぼっちという意味。日本語の「引き籠もり」を韓国語に訳した語で、日本語で히키코모리(ひきこもり)といっても通じる。韓国では2000年以降に一般的になった概念で、引きこもりは若年層のみならず中高年にも多いと考えられている。
그는 성격[性格]이 소심[小心]해서 학교[学校]에서 외톨이로 지낸다.(クヌンソンキョギソシムヘソハッキョエソウェトリロチネンダ は性格が臆病で、学校で一人ぼっちで過ごす)

2019/12/15(日)●ちょっと寒めの日曜日
8時起床。
今朝の血圧は172/73/73。36.4℃
午前中部屋ゴロ。
午後、王子動物園ちょこっと覗いて、2時半帰宅。このところずっと表に出てるのはペッキーで、ミカン箱で熟睡してることが多い。今日は一応起きてたけどやっぱり箱の中。裏のイーリスもまたダンボール箱の中。
青空が広がってたが、やや寒い。
屋上に上がったら、隅っこだけに西陽がさしてて、そこで、日差しが翳るまでミニギター。4時過ぎに部屋に戻り、早めに風呂浴びて、夜は冷蔵庫の残り物野菜一掃のキムチ焼き飯と野菜スープ。
今日の歩数は2455歩。


今日のまぬう ペッキー 

イーリス 

輪尾狐猿 

雪豹 

赤い実 

屋上 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
어리버리하다(オリボリハダ 天然ぼけだ、天然だ、間抜けで賢くない)
「バカ」や「愚か」というイメージを持ちながらも、どこか憎めない印象を持つ人のことをいう言葉。日本語でいう「天然」「天然ボケ」に近い。
어린이(オリニ 子供、児童)と해버리다(ヘボリダ ~してしまう、やってしまう )の複合語ではないだろうか。    
그녀[女]는 어리버리한 연예인[演芸人]이라서 인기[人気]가 많아요.(クニョヌンオリボリハンヨネインチラソインキガマナヨ 彼女は天然な芸能人なので、人気があります。)
これは日本で言う「おバカタレント」だね。

【世界の果てのこどもたち】中脇初枝 ★★★☆☆ 2015/06/17 講談社 初出「小説現代」2014-15
中脇初枝 1974年徳島生れ、高知県育ち。高校在学中に「魚のように」で坊っちゃん賞を受賞し、17歳でデビュー。「きみはいい子」(2012)「わたしをみつけて」(2014)

戦時中、高知県から親に連れられて満州にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子(ミジャ/よしこ)と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。何人(なにじん)なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、運命は三人を引きはなす。戦後の日本t中郷で、三人は別々の人生を歩むことになった。--たくさんの死を見た。空襲で家を失った。自分の故郷ではない国で生きて行かなければならなかった。でも、そこにはいつだって、国境を超えた友情があった。(帯書き)

近い将来であるはずのいつか、帰国するときにこどもたちがこまらないよう、朝鮮語を教える国語講習所が日本に残った朝鮮人によって作られた。「知恵のあるものは知恵を、力のあるものは力を、金のあるものは金を」という合い言葉のもと各地に設立され、その数は五百を超えた。
しばらくすると朝鮮学校と名前がかわった。たしかに学校ではあったが、これまでの国民学校とはずいぶんな違いで、校舎は倉庫にテを加えて机と椅子を並べただけのものだった。窓にはガラスも嵌まっていなかった。生徒数も少なかったが、こどもたちはすぐに打ち解け、兄弟のように仲良くなった。なにしろここではキムチを堂々と弁当に詰めてこられた。


「知恵のあるものは知恵を、力のあるものは力を、金のあるものは金を」という合言葉は以前、在日関連の本で知ったときも感動したが、改めて、いい言葉だと思った。

新しく担任になった小玉先生はやはり若い女性で、オルガンがうまかった。最初の授業で自己紹介をすると、詩を読んでくれた。
「心に太陽を持て、
あらしが吹こうが雪が降ろうが」
先生がじぶんのために言っていると、その瞬間に、茉莉は思った。
「くちびるに歌を持て、
ほがらかな調子で。
日々の苦労に
よしや心配が絶えなくとも
くちびるに歌を持て」
茉莉はいっぺんでこの詩をおぼえた。


この詩は、小学生の頃からMorris.の愛唱詩だった。昭和37年(1962)発行の世界少年少女文学全集50巻「世界少年少女詩集」(講談社)で初めて読んだ。この全集は毎月配本されて小学時代のMorris.の読書の中核となったもので、この最終巻一冊だけは現在も愛蔵している。ドイツの詩人の作で、山本有三訳だった。この作品で小玉先生が紹介したものと、微妙に違っている。せっかくだから全編引用しておく。

『心に太陽を持て』
ツエザール・フライシュレン(1804-1920)
(訳 山本 有三)
 
心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。
 
くちびるには歌を持て、
軽く、ほがらかに。
じぶんのつとめ、
じぶんのくらしに、
よしや苦労がたえなかろうと
いつも、くちびるに歌を持て。
 
くるしんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」


その選挙で初めて、女性代議士が日本に誕生した。
このとき選ばれた議員たちによる第九十回帝国議会において、帝国憲法改正案は圧倒的多数で可決され、日本港憲法が生まれた。
「もう二度と、戦争はしないことになったのよ」
その朝も、小玉先生は教壇に立つと、頬を紅潮させて言った。
「もう二度と」
ひとりつぶやくようにくりかえすと、くるりと黒板のほうに体を回し、こどもたちに背をむけた。その背中がぷるぷると震えていた。
茉莉も胸が熱くなった。茉莉にとって、もう二度と戦争をしないということは、もう二度と、母や父たちが焼き殺されたりしないということだった。もう二度と。


1946年8月24日の衆議院本会議で賛成421票、反対8票で可決された改憲法案への期待と感動のさまである。
安倍総理の改憲がこのような感動をもたらすとはとても考えられない。

アメリカとソ連の冷戦のもと、南北に分断されたままの朝鮮半島では南と北の対立が深まっていた。同じ半島に暮らす朝鮮人同士でありながら政治的に相容れないとされたが、大多数の朝鮮人にはその違いすらもよくわかってはいなかった。
南部の各地で共産主義者への弾圧が始まり、多くの人が捕らえられた。読み書きができるとか北部出身だとかいうだけの理由で北のスパイだとされた。済州島で起きた四・三事件では、なんの根拠もなく、無差別に島民が殺された。
せっかく日本から帰った朝鮮人たちも、かつて日本にいたというだけで命を狙われかねない状況に、密航してでも日本に逃げて戻ってくるようになった。
美子の両親は密航してきた同胞を家にかくまった。中には、開放前に日本の工場で女子挺身隊として働いていた女性もいた。せっかく朝鮮に戻って嫁いだのに、戦時中に日本で働いていたために婚家で従軍慰安婦だったのだろうと疑われ、離縁されて行くあてを失った人だった。


朝鮮戦争直前の在日事情が、的確に紹介されている。やりきれない。

折しも、中国全土では、毛沢東の大躍進政策の失敗による大飢饉が始まっていた。邢台の道ばたで餓死者を見ることさえあった。本来であれば農村で餓死は考えられなかったが、大躍進政策により鉄の増産が叫ばれ、だれもが農作業を放りだして畑におそまつな溶鉱炉を作り、夜となく昼となく、鍋釜など身の回りの鉄を根こそぎ集めて投げ込んでは製鉄に従事していたために、農業は大打撃を受けていた。燃料にするために木は切られ、山は丸裸になった。

毛沢東の明らかな失政である。

美子の心に残ったのが、朋寿が朝鮮学校の修学旅行で北朝鮮に行ったときのことだった。
「在日同胞は同胞(ドンポ)の過去を保存しているんだよ」
同胞とは、現在の北朝鮮と韓国、二つの国に分かれてしまった朝鮮民族をまとめて呼ぶことのできる便利な言葉だった。
「日本の植民地だった時代の記憶をそのまま保存して、更新しない。日本にいることで純粋培養されて、言葉も文化も、もう朝鮮半島に暮らす同胞たちが捨ててしまったものまで、そのまま使っている。共和国へ行ってそれがよくわかった。だいたいね、朝鮮半島の同胞は、在日同胞のことなんて知らないんだよ。在日同法は故郷をなつかしみ、故郷と同じようにしようと必死だけど、肝心の故郷の人たちは、在日同胞のことも知らないし、昔のことにも興味がない」
朋寿はさみしそうにわらった。
「共和国も韓国もどんどんかわっていく。でも在日同胞はかわらない。だから、同胞は同胞でも同じじゃないんだ。在日同胞は朝鮮人でも韓国人でもない。在日同胞なんだよ。日本に住んで、日本の文化を吸収して、かつ同胞の古い文化を残している。ぼくたちはもう、日本人でも朝鮮人でも韓国人でもないんだ。そしてもう、後には戻れない」
美子はおどろいたが、理解できるような気がした。日本で焼肉屋をしている自分がまさに在日同胞の存在を具現化している。


ここでも実に的確に在日同胞の立場と事実を描き出している。

茉莉にはわかっていた。
日本人。それは、わたしも。
日の丸の旗を振って、進一お兄ちゃまをフィリピンに送りこんだ。鉄を集めて、弾丸切手を買って、鉄砲の弾を送った。シンガポール攻略のときも提灯行列をして祝った。「陥落されたシンガポールの人たちがどうなったのか、考えもせずに。
そして、なにもかも忘れた。日本人が何人殺されたのか、日本人が何人殺したのか。
玉砕しても撃滅せよ、ひとり一殺と言って、学校で竹槍を藁人形に突き刺した。
その鬼畜米英を迎え入れ、クリスマスを祝い、ジングルベルの歌を歌う。ハローのおじさんと遊ぶ。チョコレートをもらう。
ハローのおじさんたちは、わたしたちの頭の上に焼夷弾をばらまき、機銃掃射をし、原子爆弾まで落としたのに。
何もかも忘れ、なかったことにする。


日本人だけが忘れっぽいわけではないのだろうが……

日本は、朝鮮戦争から始まった特需景気に沸いていたが、軍隊を持たないようになったはずの日本に警察予備隊が作られ、米軍は日本から朝鮮半島へ進軍していった。家族の写真をわたしに見せて涙ぐんでいたハローのおじさんたちは、今度は朝鮮に爆弾を落とした。
もしかしたら、朝鮮人だと言っていた、よっちゃんの頭の上に。わたしにおむすびをくれた、よっちゃんの。


そしてきっと、弱い人間はくりかえす。きっと、みんなはくりかえす。私は繰り返す。くりかえしてはいけなかった。
「ごめんなさい」
茉莉はその胸の中から逃れた。
「やっぱり、わたしは幸せになれない」
幸せになるつもりだった。みんな。
戦争をして、幸せになるつもりでいた。
自分のためだけじゃない。だれかを幸せにするために戦地へ行って、ほかのだれかを殺した。
だれかを幸せにするために、みんなで工場で武器を作り、みんなで食べ物をがまんした。
だれも、決してだれかに不幸せいなってほしくはなかったのに。
それなのに、だれかの幸せのために、たくさんの人が不幸せになった。
茉莉は、戸惑う勝志の顔を見上げた。
いつか、わたしの幸せのために、この人はだれかを不幸せにするかもしれない。
「わたしは幸せにならなくていいの」
約束を守ってくれた。わたしのことを忘れないでいてくれた。
この優しい人にだけは、わたしの幸せのために、だれかを不幸せにしてほしくはなかった。


フィクションであるとわかりながらも、この茉莉の心情には胸が詰まってしまった。
誰かの幸せのために、誰かが不幸になる。確かにそういった事実があることは否定できない。だからといって、幸せになろうとすることを自ら放棄することもなかろうとも思う。
物語は、中国残留孤児となり日本語も全く忘れてしまった珠子が帰国して、母と二人の友人と再会し、その後もそれぞれの人生を切り開きながら支え合うことになる。
戦争に翻弄された子どもたちの戦後を描いた貴重な作品である。

2019/12/14(土)●帰国事業60年(>_<)
7時起床。
今朝の血圧は159/72/76。35.6℃
朝の三点セット。
昼過ぎ102バスで丸山公園へ。
いつもの展望ベンチは先客がいたので、階段一つ降りた小広場のベンチでミニギター。左中指の痛み、医者の云うところの「バネ指」の症状はずっと継続している。パソコンのキーボード打つのはいまのところほとんど問題なしだが。ギターのコードによってはかなりきびしい状況。ごまかし、ごまかし演ってるわけで、それでも今はまだ何とか弾けてるわけで、症状が進んで弾けなくなるまでは思い切り弾いておこう(^_^;) といった感じ。金沢病院の形成外科では、注射かそれでも駄目なら手術というが、躊躇してしまう。
3時頃急に雲が厚くなり雨が降り出したので東屋に避難。
小ぶりになってから歩いて水道筋まで下り、5時前帰宅。
新潟港で、北朝鮮帰国事業60年を追悼する式典が開かれたというニュース。1959年12月14日新潟港から最初の帰国船が出向したとか。この帰国事業は、当時日本政府も、赤十字も、社会党も、マスコミも、積極的にこれを支持した。もちろん一番熱心だったのは当事者でもある朝鮮総連で、途中から北朝鮮の実情がわかりはじめてからも、送り出しに尽力をつづけた。先に帰国した家族が「人質」になってしまったことや、責任回避もあったらしい。9万人をこえる帰国者の大部分が悲惨な結果になった。「地上の楽園」というのが、当時の北朝鮮のキャッチフレーズだった。
今日の歩数は5233歩。


102バスで丸山公園に 

 車窓から

今日は一段下のベンチで 

楠の実 

雨が降り出した(>_<) 

切替式螺旋階段 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
찌릿찌릿하다(ッチリッチリッタダ  しびれる びりびりする ぴぴっとくる)
찌릿찌릿(ッチリッチリッ)で「ぴりぴり、ビリビリ)という擬態語。
정전기[静電気]가 찌릿찌릿하다(チョンgチョンギガッチリッチリッタダ 静電気がパチパチする。)


2019/12/13(金)●半ドン(^_^)/
6時起床。
今朝の血圧は155/68/76。35.6℃
朝のテレビでハングル講座。
今日は阪急で梅田に出て、昨日と同じ現場。
昼飯抜きで午後1時作業終了。今日はこれで解放\(^o^)/
阪急で2時帰宅。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「ニコニコしているのは、幸福な日本人だろうか」のタイトルで、感情をあらわにしないのがいまどきの日本の「常識」化してることへの疑問。

自分が自分のためにニコニコすることは、抑圧ではない。でも、他人にニコニコを求めることは、巨大な抑圧になる。令和のこの時代に、ニコニコしているのは、幸福な日本人だろうか。

昨日テレビで、毎朝パソコンソフトで「笑顔の採点」して、百点でないと仕事させないタクシー会社やスーパーの紹介などやってたが、これにはMorris.も気分が悪くなった。
しかし今回の記事のなかで、小田嶋の体調が気がかりだった。

この一週間ほど、体力が衰えているからなのか、丸1日をマトモに起きていることができない。今週に入ってからは、毎日14時間以上眠っている。

ちょっと心配である。
イギリスの総選挙は保守党勝利で過半数獲得。これで来年1月にはEU離脱ほぼ確定である。だからどうなるというわけではないが、投票率70%超え。日本の選挙もこのくらいは投票率欲しい。
今日の歩数は3229歩。

朝の近所白 

薔薇と尺取虫 

梅田の空 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
황태(ファンgテ 干し鱈)
황태(ファンgテ)は、冬の寒いなかで명태[明太](ミョンgテ スケトウダラ)を干し、夜間に凍らせて日中は溶かす、というサイクルを繰り返した干し物。
동태[凍太](トンgテ 凍ったスケトウダラ)
명태[明太]는 세계[世界]에서 어획량[漁獲量]이 제일[第一] 많은 생선[生鮮]입니다.(ミョンgテヌンセゲエソオフェンニャンgイチェイルマヌンセンgソニムニダ スケトウダラは世界で一番漁獲量が多い魚です。)

【ツリーハウス】角田光代 ★★★
2010/10/15 文芸春秋 初出「産経新聞 夕刊」2008-09

新宿の「翡翠飯店」に住む家族の物語。祖父の死に始まり、祖母の「故郷」中国への旅に同行する孫良嗣の視点から、家族の過去、戦争の記憶が少しずつ理解されてくる。

「シンちゃんの漫画には未来が描いてあるだろ。その未来にはさ、戦争もあるし悪者も出てくるけど、でも昔みたいっていうか、どっかのんきそうなところが、いいなと思うんだよ」
「褒めてないぞ」慎之輔は笑った。
「ううん、本当にそうおもうんだよ。未来って、昔みたいだったらいいなって思うことあるんだ。前に前に、知らないところに住むんじゃなくて、知っているほうに進むんだったらいいなって」


弟基三郎との会話。

けれど今良嗣は、自分や兄や、仕事をさぼってばかりいる父やのんきなおじと、祖父母もそう変わらなかったのではないかと想像する。今いる場所よりもっといい場所があると信じ、深く考えずそこを目指し、けれど思い描いたようなものが手に入らず落胆をくり返しながら、でも、今日を生きるしかない。歴史に加担しているようで、そのじつ、歴史に関わっている意識もなくただ時代が与えるものを受け入れていく。もし祖父母と自分たちと違うところがあるとするなら、彼らは帰れなかった、ということだろうと良嗣は考える。背を押されて出ていって、そして彼らは帰れなかった。必死になって帰ってきた場所ではかつて彼らがやったことは悪いことだと見なされて、しかも、生きて帰ってきたことは名誉だとは見なされない。彼らが出ていった場所は異国だったが、戻ってきた場所もまた異国だったのではないか

日本の「棄民政策」のとどのつまり(>_<)

良嗣は背を丸めて写真を整理している祖母に問う。「満州にいったこと、後悔したこと、ある?」あまりに直接的な問いだと思いながら、しかしそれは旅のあいだずっと訊きたいことではあった。その問いに対するイエスノーが聞きたいのではなく、戦後から今に続く長い日々を、この無口な祖母がどのように過ごしてきたのかを良嗣は知りたいのだった。失ったものと得たものについてどのように考えているのか、知りたいのだった。
「いや、ないよ」祖母は即答した。「だってあんた、もし、なんてないんだよ。後悔したってそれ以外にはないんだよ、何も。私がやってきたことがどんなに馬鹿げたことでも、それ以外はなんにもない、無、だよ。だったら損だよ、後悔するだけ損。それしかなかったんだから」


満州=無論。

2019/12/12(木)●梅田で仕事
7時起床。
今朝の血圧は172/74/75。36.0℃
JRで梅田に出て、北口のタワーマンション33階のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。
えらく片付いてて、台所の割れ物もカートン5個で終わり、オフィスの本棚や、デスクの梱包。
ベランダからは淀川がのぞめる。
明日も同じ現場の予定。
帰りは阪急で6時帰宅。
今日の歩数は4399歩。


今風リース 

今日の現場 

空中庭園のある梅田スカイビル 

パノラマ風 #1 

#2 

#3 

飛田さんの字に似てる(榊莫山) 

鮫の化石? 

耳かきはほんとは耳に良くない(^_^;) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
귀이개(クィイゲ 耳かき)
부인[婦人]들이 늘 지녀야 할 일곱 가지 도구[道具].(プインドゥリヌルチニョヤハルイルゴプカジトグ 婦人が常備する七つの道具 女性の七つ道具)
1.가위(カゥイ 鋏)
2.창칼(チャンgカル 切出し小刀)
3.바늘(パヌル 針)
4.귀이개(クィイゲ 耳かき)
5.족집개(チュクチプケ 毛抜き)
6.실패(シルペ 糸巻き)
7.손톱깎이(ソントッカッキ 爪切り)

【満州国演義 1-9】船戸与一 ★★★☆

船戸与一による歴史小説である。新潮社から2007年に刊行開始、2015年に9巻を発刊して完結した。当初は『週刊新潮』に連載されていたが、第4巻以降書き下ろしへ移行した。2015年から2016年にかけて新潮文庫版も全9巻が刊行された。
舞台は満州事変から第二次世界大戦終結までで、架空の人物、敷島四兄弟がそれぞれの視点から満州国の興亡を描いていき、最後は通化事件で悲劇的なクライマックスを迎える。
刊行開始時には全10巻の予定となっていたが、結果的に9巻で完結した。それでも船戸の作品としては例外的な長さである。船戸の他の作品は、文庫本換算で1冊もしくは2冊から3冊程度のものがほとんどを占めている。
執筆途中の2012年頃には船戸が肺がんを患っていることが公表されており、一時は完結も危ぶまれた。最終巻の9巻の刊行から2か月後の2015年4月22日、船戸は肺がんによりに死去した。(Wikipedia)


Morris.は船戸の作品はほとんど目を通していると思う。本作も発表された順に、8年にわたって読みつづけたことになる。ただ、一年近く間が開くと、すでに記憶が薄れてしまったり、思い違いしたりということもあった。いつか読み直さねばと思っていて、やっと一月くらいかかって読み通した。満州事変や15年戦争への関心が深まり、少しはまた違った観点から理解できるのではと思ったのだ。たしかに事変の推移や個々の事件などは大部分わかってはきたようだ。
前に読んだときの読書控え(数巻分は控えが残って無い(^_^;))にはリンクしておく。全体的に、評価が低く、次巻に期待するなんてのが多かったような気がする。
主人公で狂言回しでもある敷島四兄弟があまりにも時代に流され過ぎ、一番自由で魅力的だった次郎までもが、憲兵や軍部に利用されることになったのが、なんとも読者としては歯がゆかったこともある。

1.風の払暁


2.事変の夜


四郎はその名刺を受け取って眼をやった。シャンハイ・ウィークリー・ニュース記者・ジョセフ・フリーマン。
「わたしは日本軍の首脳は実に頭がいいと思う」
「何でです?」
「アメリカは大恐慌からまだ抜けだせていない。フーバー大統領への国民の怨嗟は煮え滾ってる。イギリスも金本位制の停止に伴う混乱で揺れつづけて来た。ソ連はまだ五カ年計画の最中で他国に干渉できる余裕はない。この国の国民党は共産党の紅軍潰しに追われてるだけじゃなく、党内がふたつにも三つにも割れてる。それに、三千万の罹災者をだした揚子江の大水害からほとんど立ち直ってない。そういう時期に満州をぶん捕りに掛かった。ちょうど、どこかの国が関東大震災の直後に日本に攻め入るようなもんです。卑怯と言えば卑怯だが、蒋介石や張学良がどうあがこうと、満州は結局は日本の手に落ちる」
「あなたは満州での日本軍の行動を評価してるんですか?」
「評価します。わたしはユダヤ系イギリス人だ、この摩天楼のサッスーンのようにね。興味あるのは政治力学や地政学だけです。公理だの正義だのという言葉の玩具遊びに興味はない。現実の力学だけが基準になる。そういう意味で日本軍首脳の満州での行動を評価しています」


このフリーマンと、同盟通信の記者香月信彦の事変への言説は、かなり作者の視点に近いもののようである。言葉を変えれば、歴史的事実を学んだ未来からの視点でもある。

在ベルギーのアメリカ領事が事変についてふたつの見解があると漏らしたという。
ひとつは満州での関東軍の行動は日本政府自体の熟慮した計画だとする分析だった。もうひとつは外務省と対立する軍部の独断的行動だという見解だった。
国民政府は事変を日本全体の領土的野心の結果だとして国際世論に対日強行措置を期待したのだ。だが、アメリカはいま日本に強い圧力を加えると軍部の勢力を増大させるとの見解を採った。そして、連盟理事会はアメリカの分析に同調して、幣原喜重郎外相の軍部抑制を支援するためにしばらく静観する方針を採用したのだ。
しかし、関東軍はこういう国際情勢を一顧だにしようとしなかった。


これもね。

小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。これが本稿執筆の筆者の基本姿勢であり、小説のダイナミズムを求めるために歴史的事実を無視したり歪めたりしたことな避けて来たつもりである。(あとがきの一部)

これは最初読んだ時にも引用したのだが、歴史小説を書く時に必ず問題となる「歴史そのまま」と「歴史離れ」への船戸の立場表明である。

3.群狼の舞


「陸相に荒木貞夫中将が座ってから帝国陸軍も海軍もなべて皇軍と言いはじめたでしょう、国家の軍隊ではなく天皇の軍隊だということを強調するように、これは私見ですが、荒木陸相には何となく昭和維新を唱える連中と同じような臭いを漂わせているように感じられてなりません」
荒木貞夫が陸相に就任してから帝国陸海軍をなべて皇軍と称するようになっただけじゃない、日本も大日本帝国ではなく皇国と呼びはじめた。新聞各紙やラジオもこれに従いつつある。正輝はもともと自由主義者だった。それなのに荒木陸相の指導を抵抗なく受け入れている。知らず知らずのうちに人間は変質していくのだ。じぶんにもその傾向は否めない。満州建国という眩しさがそうさせるのだろう。


猪口正輝という建築家のことば。

満州の建国宣言が出されてからじぶんは明らかに変質したと思う。むかしは阿片なんかにはすさまじい嫌悪感を覚えていた。しかし、いまはちがう。阿片によって満州国の経営が成り立つなら、それはそれでいいだろう。婬になる人間なんかどうせ役立たずだ、満州国に奉仕して鼠のように死んでいくがいい。本気でそう考えるのだ。国家の創造は男の最高の浪漫。耳もとで囁きかけて来るこの言葉がみずからの変質をすべて合理化してくれる。

これは長男太郎の独白。

「それにしても、わたしには理解できない。なぜ頭山満がこれだけ軍人や政治家に強力な影響を与えるかが」
「大アジア主義だよ」
「え?」
「維新での攘夷論は明治にはいって大アジア主義へと変貌していった。しかし、この大アジア主義というのは具体的な内実を伴っていない。漠たるスローガンとして拡散していった。つまり、大アジア主義は人によってその内容が異なるんだよ。西洋文明に抗するというだけが共通の概念だからな。つまり、大アジア主義は先鋭化するほどの結束力を持ってない。それが政府公認のイデオロギーとなった理由だよ。大川周明ほどの明晰な頭脳をもってしても論理化できず、幕僚将校たちに国家改造を焚きつけるだけだ。大アジア主義と国家改造論を結びつけるものは具体的には何も見つからん。それでも、軍人たちは感心して聞き入ってるんだがね。この大アジア主義の象徴が遠山満だと言っていいだろう。軍人も政治家もそのことを知り抜いている。象徴を傷つけたら何が飛びだしてくるか知れたもんじゃないと漠然と思ってるだろう。そのことに気づいてるのかどうか判断できんが、遠山満は大アジア主義の内実についてただの一度も論じたことがない。信奉者に求められて、ただ敬天愛人という西郷隆盛の言葉を揮毫するだけだ。まさに明治維新以降の歴史の停留を代表する存在としか言いようがない」


太郎と同盟通信の記者香月信彦の会話で、これも前に読んだときに引用した部分。

国通つまり満州国通信社を設立させた一国一通信社論は信彦の所属する新聞連合の専務理事・岩永祐吉によって関東軍参謀部第四課に提案された。この提案を受け入れて参謀部第四課は国通を設立させた。それには国内の荷台通信者たる新聞連合と電通つまり日本電報通信の合体が不可欠だった。東亜同文書院卒で第四課嘱託となった里見甫がこれに奔走した。
「関東軍は満州事変のときにわたしたち記者に餌をばら撒いた。戦場を取材させるという餌をね。新聞各紙はその餌に食いついて多少のことには目をつぶり提灯記事を書いた。関東軍はそれでも満足できんらしい。今度は国通だけに生情報を与え、他の記者連中が関東軍に拝跪するように仕向けて来たんだ。腹が立つ。本当に腹が立つ! しかし、こんなことは満州だからできたことだ。一国一通信社制なんて国内じゃ絶対に許されん」
「ずいぶん興奮してますね、香月さん」
「おそらく里見甫と甘粕正彦が第四課に入れ知恵したんんだろう。里見は得体の知れんところがあるし、甘粕正彦は渡満以来人間が変わった。完全な陰謀家に変質してる」
「面識があるんですか? 里見さんと?」
「あいつは『北京新報』や『順天時報』で記事を書きまくってた。そのころからの知り合いだよ。済南事件のときに天津の支那駐屯軍の依頼で国民革命軍との停戦協定調印の秘密工作にあたった。それが縁で満鉄に勤務することになり、満州事変の時に第四課の嘱託辞令を受けた。何せあいつは満語がぺらぺらなんでね」

4.炎の回廊

「祖国のためなんですよ」
「おれの知ったことじゃない」
「自由ですか?」
「何だと?」
「そんなに自由が大事なんですか」
「おれは刹那刹那で生きてるだけだ。自由がどうだこうだとは考えたこともない」
「そのうち持て余しますよ」
「何を?」
「自由をですよ。自由というのはある意味じゃ厄介なものだ。実に扱いにくく、そのうえ重い。わたしはその重さに潰された連中を何人も知ってる。持て余して捨てたくなったら、わたしに報らせてください。自由よりずっと心地いい境地を用意します」
「何なんだね、それは?」
「国家への隷属ですよ。孤独でしょう、自由は? しかも、だれからも赦されることがない。みずからすらからも。国家に隷属しさえすればすべてが赦されるんです、どんな残酷な犯罪も。一度、天皇陛下万歳と叫んでごらんなさい。あらゆることが一瞬にして救済されます」

次郎と憲兵綿貫昭之との会話

「フリーマンはセファルディかアシュケナージかと訊いているんだよ」
「何なんです、それ?」
「知らないのか、ユダヤ人は二種類いるってことを?」
四郎は黙って首を左右に振った。
章介が低い声でつづけた。
「セファルディとはユダヤ王国滅亡後、流浪の民となってイベリア半島に向かったユダヤ人だ。主に貴族階級でな、保身のためにキリスト教に表向き改宗したが、家庭内じゃ頑なにユダヤ教の戒律を守ってた。それが13世紀の宗教裁判でスペインやポルトガルから追放され、イタリアやアムステルダム、ロンドンに散らばっていった。新大陸が発見されると、アメリカや中南米にも向かった。スエズ運河の株を買い取って植民地政策を確立したイギリスの首相ディスレリーや大富豪ロスチャイルドなどユダヤの名家はほとんどセファルディだ」
「アシュケナージというのは?」
「流浪の民としてドナウ川とライン河の流域を北上した庶民階級のユダヤ人だ。ドイツや北フランス、ポーランド、ロシアへと流れていった。アメリカにも多い。帝政ロシア時代に圧迫された大量のアシュケナージが流入したからな」
「ユダヤ人のなかでその二つは対立してるんですか?」
「何とも言えん。ただ、ちがいははっきりしてる。アシュケナージは数のうえでは圧倒的だ、九割を占めてるからな。ただ資力はセファルディが持ってる。言葉もちがう。セファルディは古来のヘブライ語を使うが、アシュケナージはドイツ語とヘブライ語の療法を取り込んだイーディッシュ語という言語で暮らしてる。


四郎とハルビン特務機関の少佐、落合章介の会話

「わたしに言わせれば、国体明徴運動というのは実に馬鹿げてる。明治維新以降の歴史を知らな過ぎるとしか言いようがない」
「どういう意味ですか?」
「曲がりなりにもヨーロッパの論理学で格好をつけた天皇機関説を排撃して何になる? その理屈は絶対に蒸し返しちゃならんのだよ、それは奥の院にそっと仕舞い込んでおかなきゃならん!」
「何を興奮してるんです?」
「天皇というのは虚構なんだ」
「え?」
「天皇は日本人が生み出した最高の虚構なんだよ!」
「穏やかじゃありませんね、香月さん」
「考えてみろよ、太郎くん、天皇は三つの性格を持ってる。まず立憲君主制のなかの君主。次に、兵馬の大権を独裁する大元帥。三番目に神事を司る最高の祭司官。つまり、法律的最高権威であり軍事的最高権威であり宗教的最高権威なんだ。そのことは現人神という虚構でしか纏められん」
太郎は銜えている煙草に火が点けられなかった。こんなことは考えたこともない。それをいきなり突きつけられたのだ。緊張感に背すじが強ばって来る。太郎は黙って信彦の眼を見つめた。
「現人神・天皇という虚構は立憲君主国家を目指す伊藤博文と兵営国家を作り上げようとした山県有朋の妥協の産物として生まれた。そして、それは最高の虚構として機能した。明治維新からたった68年間で日本がこれだけの強国となったのはこの虚構のおかげだ。江戸時代に天皇はどんな役割を持ってた? 室町時代や鎌倉時代は? 天皇にできたのは元号を決めることぐらいだった。それが現人神という虚構となって日本人を纏めあげ、日本は欧米列強に対峙できるまでになったんだ。国体明徴を唱え天皇機関説を排撃すれば、論理的には天皇とは何かという問題に行き着かなきゃならなくなる。せっかく日本人が創り出した最高の虚構をあらためて白日のもとに曝すことになるんだよ! 馬鹿げてるとは思わないか? 虚構は虚構としてそっとしておかなきゃならない。最高の虚構はなおさらだ。それなのに、天皇機関説排撃を言い立てて政府を追い詰めようとする政友会には腹が立つ。機関説排撃によって青年将校を煽り、その動きに阿り、陸軍内の抗争に利用しようとする真崎教育総監らにはもっと腹が立つ。やっていいことと悪いことがある。奴らは明治維新以降の日本の成功の秘密にまったく気づいてない! わたしはそのことに危惧してる」



「甘糟さんがいまや協和会を牛耳ってることはだれもが知ってる。けど、わたしには甘粕正彦という人間がいまひとつ理解できん、逢ったこともないしね。どういう人なんだい、甘糟さんは一言で言えば?」
「虚無的な現実主義者」
「困るね、そんな文学的な表現をされたんじゃ」太郎は笑いながらそう言ってふたたび煙草を銜えた。「もっとわかりやすいように説明して欲しい」
「しかし、そうとしか説明できないんだよ。石原さんが浪漫的理想主義者だったとすれば、甘糟さんはそう捉えざるをえない。協和会は満州青年連盟系と大雄峯会系を糾合することから発足した。会と言っても、現実には政党だからね。満州をめぐってさまざまな意見が出る。政治的な主張が交錯して収拾がつかなくなることが多々生じて来る。そんなときに甘糟さんがずばりと決定する。それで行こう、これで行こう、とたった一言でね、まるで理想とか主張とかがまったく無意味であるかのように。そうやって協和会の意思統一が行なわれるんだよ。いまや協和会は甘糟さん抜きには一歩も前に進めないような仕組みになって来てる」
「満足なのかね、きみはそれで?」
「しかたないんだよ」

太郎と東拓の的場雄介の会話。満州での甘糟の活躍?は誰もが取り上げるが、船戸の評価が今ひとつわからない。

「そうだ、人間は変わる。純朴だった歩兵将校はいまや民間人には任務内容もわからない憲兵大尉だ。末弟はむかし無政府主義に傾倒してた。それが国策の走狗となって満州武装移民とともに北満で行動し、これを阻もうとする満人の群れに銃で左脚を射たれた。このわたしはどうだ? 張作霖爆殺や柳条溝事件のときはあれほど関東軍の傲慢さに憤りを感じたくせに、いざ満州国が建国されるとなると狂おしいほどの男の浪漫を感じ、それに協力することに何とも言えない悦びを覚えた。いまも満州国が整備されるたびに充足感に侵される。おかしいかね? おかしきゃ笑えよ!」


これも太郎の台詞。このあたりまでは次郎はまだ馬賊やっててかっこよかったのに、彼への言及はない。

「いまはだれもが歴史の激動期に生きている。その荒波のなかで漂ってる。価値観に整合性を持たせようとしても何の意味もない。時代はあらかじめそんなことを拒否しているんだ。歴史の荒波を自力で泳ぎ抜こうとすれば、価値観の溺死が待っている」

「歴史」と「溺死」。語呂合わせかな?(^_^;)

「わたしの想像じゃあ、この二・二六事件の首魁は真崎大将じゃない」
「だれです?」
「士官学校事件で除籍となった磯部浅一元一等主計と村中孝次元大尉」
「しかし、もう民間人でしょう」
「叛乱には軍服を着て参加した」徳蔵がそう言って頬に薄い笑みを滲ませた。「とくに、磯部浅一の存在が大きい。襲撃目標の選定とその方法に大きく関わってるしな」手酌で猪口に酒が注がれた。
「奉勅命令が下達され、皇軍相撃の危機に叛乱軍にすさまじい動揺が走ったとき、磯部浅一は何と言ったと思うかね?」
「まったく想像できません」
「皇軍相撃が何だ! そう叫んだんだよ、磯部浅一はな」
徳蔵の声が冷え冷えとして来た。
「特設法会議の検察官に磯部浅一が何をどこまで喋るか見当もつかん。しかし、もしかしたら、磯部浅一は殺された永田鉄山軍務局長以上に強烈な国家社会主義体制を望んでいたのかも知れん。それに磯部浅一ら皇道派は天皇機関説排撃と国体明徴を基軸に急成長して来た。だが、磯部浅一こそもっとも徹底した天皇機関説の信奉者だった可能性が強い。みずからが夢想する社会体制を発足させるためには真崎大将はおろか天皇までも使いまわすつもりだったのかも知れん」


関東軍特務の間垣徳蔵は全編を通じて敷島兄弟にまとわりつく、背後霊のような存在(実は暗い因縁の血縁関係があった)だが、この二・二六事件の見方も、同時代の人間がこれだけの洞察ができるかどうか疑問である。

5.灰燼の暦

岸信介の名まえは外務省にも響き渡っている。東京帝大時代は国粋主義を主張する木曜会に属し、北一輝や大川周明の思想に共鳴する一方、マルクス主義の文献も読み込んでいたらしい。

安倍首相の祖父はマルクス主義にも精通してたのか。

「二・二六事件からまだ三ヶ月も経ってない。だから、現役武官制復活を単なる皇道派追放のための法的措置としか捉えてなかった」
「それ以上の意味があるとでも?」
「大正初年に西園寺内閣や桂内閣が瓦解したときを考えてください。統制派はそれと同じことを狙ってるんです。じぶんたちの気に入らない人物に総理大臣が任命されたら、陸海相を出さない。つまり組閣させないんです。現役武官制の法的復活は陸軍中枢が好みの内閣を勝手に作れるという法的な保障です。わたしが思うに、皇道派には論理もへったくれもなかった。やたら皇国とか国体とかを吼えるだけの激した感情しか持ち合わせなかった。そこへ行くと、統制派は狡猾です。陰湿です。法的根拠を固めてからじわじわと締め上げていくつもりなんだ! 日本型ファシズムはこうやって完成していくんです」


太郎の部下古賀哲春の私見

新京赴任まえに手渡された『日本人官吏服務心得』には朝鮮人についてこう書かれていた。窃盗の癖があり、放逸を好み、苦労を嫌い、しばしばおおげさなことを話し、政治上のことを語るのを好む。あの愚劣な文章はまさに五族協和の建国精神を蔑ろにするものだ。しかし、いったんそれを読んでしまった以上、その指摘から逃れられないじぶんがいることに気づく。太郎はいまさらながら思うのだ。差別とは、差別される側だけでなく差別する側にも妙な萎縮を与えてしまうものなのだ。

これって、まさにヘイト文書ではないか。差別は、する側にも萎縮を与えるという指摘にはちょっと頭が痛くなった。

6.大地の牙

「軍中央にはいい加減なところで矛を収めようという声もある。だが、結局は押し切られるだろう」
「だれにです?」
「世論にだよ。南京が陥落したとき、国民はそれを祝って提灯行列までしたが、蒋介石はまだ生きてる。国民革命も健在だ。すべてを叩き潰せという声はますます大きくなる。新聞もそれを煽って部数を伸ばす。軍部はそういう世論にあるときは阿り、あるときは利用して強硬路線を一瀉千里に突き進もうとする。それがファシズムというものだよ。ファシズムは大正14年の普通選挙によって計らずも産み落とされた魔性のシステムだといってもいい」
「普通選挙が支那事変を泥沼化させると?」
「明治38年の日露戦争終結のときのことを考えてみるがいい。当時はごく一部の高額納税者にしか選挙権は与えられていなかったが、国民のほとんどがよほどの好条件でないかぎりロシアと講話すべきでないと叫んでた。完膚なきまでロシアを叩けと狂ったように拳を突きあげてた。だから首席全権の小村寿太郎はポーツマスに出発するまえに遺書を残したし、交渉中に家が焼かれたり家族に危害が加えられる畏れもあった。絶対にロシアに譲歩するなというそういう世論をぴたりと封じ込めたのが山県有朋や桂太郎といった軍人政治家だったろ? 消耗しきった帝国陸軍や帝国海軍にちゃんとした戦闘能力はのこってなかったし、戦費も底をついていた。講和の時期を逸したら、ロシアの反撃は必至だった。だから、山県有朋や桂太郎は強権を振りまわして世論を抑え込んだんだよ。しかし、もしあの当時、普通選挙が行なわれていたら、政治家は表が欲しくて世論に阿り、戦争継続を叫んだかも知れない。つまりね、ファシズムとは普通選挙から生まれ、選挙民の感情を満足させるために他国との戦争を必要とすると言ってもいいんだよ」


太郎と香月信彦の会話。日本の戦争が日本の世論に後押しされたというのは、よく言われるが、普通選挙法がファシズムを生んだというのは、かなりにうがった意見である。

「吉本興業は関西の芸人を月給制で囲い込んだ、芸人にしてみりゃ収入が安定するんでそれに飛びついた。そうやって吉本興業は肥大化していったんだよ」信彦がそう言って硝子コップを弄んだ。
「しかしでかくなりゃなったで、厖大な仕事量を必要とする。必然的に、国家と結びつかざるをえん。 軍部もそこを利用した。たがいに相身互いで戦地慰問団『笑わし隊』が結成された。そういう事情だから笑いに毒がない。毒のない笑いがおもしろいはずがない」

次郎と香月信彦の会話。吉本の本質を軽く(^_^;) えぐってる。たしかに毒のない笑いは面白くないが、今どきのお笑いの「毒」は作用する対象を間違えてしまっている。

「今度の作戦は大本営の意向を無視しておこなわれています。ハルハ河渡河も奉勅命令なしに行なわれた。陸軍警報第三十五条擅権の罪ですよ。しかも、関東軍のこの暴走はたったひとりの作戦参謀によって行なわれた。辻政信という少佐の提案によってね」
三郎は何も言わずにその眼を見つめつづけた。
敬司が皮肉な笑みを頬に滲ませて言葉を継いだ。
「陸軍中央の意思を無視して関東軍が突っ走る。これは明らかに満州事変の成功体験の成せるわざですよ。辻政信少佐は士官学校事件のときは片倉衷中佐の意をうけて動き、渡満後は石原莞爾少将に気に入られるように満州建国大学設立趣意書を書いた。そして、今度は満州事変を真似るようにノモンハン事件を起こした。そして、今度は満州事変を真似るようにノモンハン事件を起こした。辻政信少佐はたぶん石原莞爾にでもなったようなつもりでいる」
「穏やかじゃないね、その言いかたは」
「腹が立つんですよ、辻政信少佐にはね。石原莞爾少将とは人間としての格がちがう。それなのに、その気になってこんなことをやらかした。服部卓四郎作戦主任参謀もある意味では同罪だ。辻政信少佐の虚偽情報の垂れ流しを止めようともしなかったんですからね。板垣征四郎陸相にも大いに責任があると思います。満州事変実行者という過去のために関東軍の動きをまったく押さえようとしない」


三郎と特務中尉床波敬司の会話。辻政信はたしかに評判悪い。

「とにかく、ノモンハンに関しては帝国陸軍が内包してた矛盾が一気に噴きだした。統帥の乱れ。将官の品性。根拠のない精神主義。うんざりするよ。先月の三十日にノモンハン方面の作戦の速やかなる終結を策すべしという大本営陸軍部命令が出たろ、ハイラルの本田豊吉特務大尉からの情報なんだがね、その命令を将軍廟の第六軍司令部に伝えに行ったのは辻政信参謀で、それを受けた荻洲立兵司令官がウィスキーを飲みながらこう言ったらしい、小松原道太郎中将が死んでくれることを望んでる、と。第二十三師団の残兵を集めてホルステン河南方の極東ソ連軍を殲滅せよと小松原師団長に命じたのは荻洲中将なんだぜ。それをそう言い棄てた。さすがの辻参謀も烈火のごとく怒った。こんな将官の指揮下で死んでいった兵士たちの霊が浮かばれんよ、そうだろう?」

三郎とハルビン特務機関中佐落合章介の会話。ノモンハンの戦いを正しく認識していたら、あの戦争もかなり変わったはずだ。

「シャンハイ支局が掴んでるもうひとつの情報じゃ日独防共協定が三国同盟に格上げされて枢軸化したら、蒋介石は英米支の三国の合作によって二億ドルの借款ができると踏んでるらしい。それだけじゃなく、アメリカから五百機以上の戦闘機を貸与されると計算してると聞く。わたしには何もかもが不気味な方向に動いてると思えてならん」
太郎はその眼を見つめたままゆっくりと桜茶を啜った。
数字を見るかぎり、いったん大恐慌から立ち直りかけたかに見えたアメリカ経済がふたたび落ち込みはじめている。大恐慌前の水準に戻すためには莫大な需要がなくてはならない。国民が戦争に巻き込まれることに反対して来たアメリカ労働総同盟や産業別組織会議あ何と言おうと、そのもっとも手っ取り早い需要の創出は破壊だ、戦争なのだ。ルーズペルトはおそらくそれを待っている。
ヨーロッパではムッソリーニがそろそろドイツ側について連合国側に宣戦するはずだ。内地では天津のイギリス租界封鎖を機にした反英感情がますます燃えさかり、防共協定の三国同盟化を求める声を天皇すらが押さえられそうもない。
太郎には聴こえて来るような気がする。
熄みそうもない砲撃音や編隊飛行をつづける爆撃機の爆音が。


そして、決定的だったのが、三国同盟(>_<)

7.雷の波濤

「近衛元首相は政治そのものに疲労困憊したのじゃなかったのかね?」
「わたしもそう思ってたがちがう。あの人はよくも悪くも公卿なんだよ。明治維新のときの岩倉具視と同様に、小心翼々とした保身術と変革を伴なう権力欲がない混ぜになってる。周囲の人間はそれに振りまわされる。汪兆銘が重慶を脱出して対日和平声明を発した直後に近衛内閣が総辞職したのは政治に疲れたわけでも何でもない、政治力を温存するためだったんだよ。そういうところは妙に狡猾なんだ。近衛元首相は10日前に枢密院議長を辞任し、強力な挙国政治新体制確立の必要性を説いたろ、あれは米内内閣の後継たらんことの表明に他ならない」
「具体的にはどんなものなんだね、挙国政治新体制とは?」
「第一次近衛内閣では政府は陸軍内の統制派の際限ない介入によって結局は支那事変を泥沼化させた。近衛元首相はそれが慚愧に堪えない。そこで軍部に対抗する強力な政治体制なしに正常な政治は行えないと考えたんだろう、麻生久や浅沼稲次郎ら社会大衆党の唱える挙国政治議員連盟論に乗っかかるふりをして政治の一元化を目指した」
「具体的には」
「政治の翼賛化。各政党がばらばらに政治的な主張を繰返していれば、政治はどんな力も持ちえない。だから、政党をすべて解散させて、大政翼賛会なるものに一元化する。政友会も民政党も社会大衆党もそれを受けて近々解散するらしい。政党だけじゃなく、ほとんどの労働組合もそれに倣うだろう。
この大政翼賛会に向かう研究は近衛元首相が信頼する昭和研究会によって進められて来た。賀屋興宣、風見章、蠟山政道、笠信太郎、三木清、尾崎秀実。大なり小なり、マルクス主義の影響を受けた革新官僚や知識人たちによって構成される昭和研究会が政治の一元化を主張してる。目指すところは東亜新秩序のための新体制だよ。この昭和研究会に矢次一夫の国産研究会が同伴してる」
「どんな人間なんだね、その矢次一夫って?」
「佐賀の生れでね、北一輝の猶存社を経て、十五年前に労働事情調査書を創って『労働週報』を発刊した。そして、野田醤油争議、共同印刷争議、日本楽器争議などのでっかい労働争議を調停して来た。とにかく、得体の知れない男でね、国家社会主義者だってことはまちがいないんだが、マルクス主義にも相当精通してる。その矢次一夫が国策研究会を造り、近衛新体制に昭和研究会とともに協力していく。大政翼賛会はかならず軍部に簒奪され、絶好の戦時体制として機能していくことになると思う」


太郎と河辺慎一の会話。近衛首相のドジは公卿の体質からきたものか。佐賀県出身の矢次一夫、というのは知らずにいたが、戦後も1983年まで生き延びて、公職追放された後、国策研究会を再建し、岸信介の個人特使として、日韓国交回復の根回しやったり、児玉誉士夫や小佐野賢治以上に陰のフィクサーみたいな役目をしたらしい。

支那の夜、支那の夜よ
港の灯り むらさきの夜に
のぼるジャンクの夢の船
ああ 忘られぬ 胡弓の音
支那の夜 夢の夜

「あの唄はああじゃなかった。内務省警保局図書課が検閲して強引に歌詞を変更させた。品位に欠けるという理由で、すでに名を成した作詞家・西條八十に書き換えを命じたんだ。わたしは最初の歌詞のほうがずっと気に入ってるがね」

支那の夜 支那の夜よ
阿片のけむり むらさきの夜に
踊るあの娘の絹の靴
ああ 悩ましい酔いごころ
支那の夜 夢の夜


香月章介の述懐。「支那の夜」のこのエピソードは印象的だった。

「そろそと始めるんですよ、731部隊が」
「何を?」
「人体実験」
三郎は一瞬、何のことだかわからなかった。
政之が低い声でつづけた。
「ペスト菌を人体に注射してその経過を観察する。これは細菌戦の基礎です。何としても実験に実験を重ねなきゃならない。その実験用人体は隠語で丸太とよばれてます。ハルビン憲兵隊経由で731部隊から丸太を平房に送れという要請が来た」
「それを捜しにこの豊満ダム建設現場に?」
「そうです、ここで働くのは大東公司から送り込まれた通州事件の捕虜連中や吉林監獄の囚人たちだ。突然消えたとしてもだれも心配しないい。丸太として平房に送り込まれれば、栄養たっぷりの食事を与えられ、完全滅菌した冷暖房つきの部屋でしばらく暮らします。そして、文句のつけようのないほど健康になったところでペスト菌を移植される。ある意味じゃこの豊満ダムで牛馬のように働かされるよりよっぽど幸福かもしれない」


三郎と特設憲兵隊少尉御厨政之少尉の会話。七三一部隊所属の大部分も、戦後アメリカとの裏取引で生き延びている。

八紘一宇とは国柱会の田中智学が日本書紀のなかから取りだして組合わせた造語で、東亜新秩序の理念として使われることになったのだ。大東亜という言葉は外相となった松岡洋右が何かの折りに口にしたもので、従来の日満支という概念を飛び越えてぐんと大きな広がりを持つ。そして、それは明治以来の陸軍の北進論に拘わらず、南進論も視野に入れるものだ。

「陸海ともに航空部隊の役割を過小評価してるんだ、おそらくね。その理由は日露戦争の成功体験から抜け出せないことにある。奉天会戦と日本海海戦。それによって陸軍はあいも変わらず歩兵第一主義だし、海軍は大鑑巨砲主義へと傾いた。ノモンハン事件で航空機の役割が見直されはじめたがそれでもまだまだ低い。だから、航空隊はいまだに陸海軍の付属物なんだよ」


「満州重工業の鮎川義介が国務院の要請を受けて満州産大豆とドイツの工作機械の交換を持ちかけにドイツに出向いたろ、鮎川義介はヒットラーと逢ってどんな話をしたか耳にしてるかね?」
「提案は断られたと聞いてますが」
「短い会見だったが、ヒットラーはこう言ったそうだ。国民のこころをひとつに纏め上げるのは政治家としてはもっとも苦労するところだ・その点日本は羨ましい。天皇という存在のもとに国民は一丸となれる。ヨーロッパにはそういう歴史がない。天皇は日本の至宝だ。そんなことを言われたと鮎川義介は周囲に漏らしている」


太郎と香月信彦の会話。

新京軍官学校は二年生国軍幹部訓練所として運営されて来た奉天軍官学校が四年生に改組されて移って来たものだ。
「どうなんです、学生たちは? 教え甲斐はありますか?」
「ひとりだけすごいのがいる」
「どんな学生ですそれは?」
「高木正雄という朝鮮人だ。朝鮮名は朴正煕。二十三歳と他の学生より歳を取ってるが、とにかくできがちがう。
朴正煕は480名の学生のうち5番目の成績で入学して来たんだが、頭がいいだけじゃなく、小柄ながら剣道が滅法強い。それに強烈な民族精神の持主でな、能力的に日本人や満人に劣ることを赦しがたい恥と感じてるんだよ。そこに菅野弘が眼をつけた」
「誰です、それ?」
「菅野弘は二・二六事件に連座した皇道派将校でね、事件後退役させられて新京軍官学校の教官となった。いまだにあの蹶起は正しかったと信じてるらしく、軍上層部が腐敗した場合、クーデタしか採るべき途はないと教壇で熱弁を振るってる。朴正煕は周囲の学生たちに菅野教官の授業ほどおもしろいものはないと漏らしてるらしい」

太郎と熊谷誠六の会話。朴正煕の通名が高木正雄だったというのは、どこかで読んだ記憶がある。

「いまは国家存亡の危機だと断じてもいいくらいなのに、陸軍と海軍はまだそんなちゃちな勢力争いを?」
「明治の建軍時代からの伝統だよ、陸軍と海軍の啀み合いは」徳蔵がそう言って短くなった煙草を灰皿の中に押し潰した。「陸主海従で、陸軍は勝手に優越感を持ち、海軍は冷や飯を食わされて来たと思い続けてる。情況がおかしくなりゃなるほど、陸軍と海軍の反目は深まり、たがいの猜疑心は強まる一方だろう。支那方面艦隊参謀長の井上茂美中将は陸軍との協力は強盗と手を握るがごとしと及川海相に言い放ったし、石原莞爾中将は陸軍が強盗なら海軍は巾着切りだと評した。支那事変とちがってアメリカを相手にするとなりゃ陸軍と海軍の共同歩調が必須となる。なのに、反目が緩和される見込みはいまのところまったくない。しかも、わたしに言わせりゃ陸軍も海軍も松岡洋右の根拠の薄い思い込みに騙されてる」
「といういう意味です、それは?」
「松岡洋右は白鳥敏夫と同じで三国同盟の締結はアメリカにたいする抑止力になると考えてる。ルーズベルトは三国同盟の軍事力を警戒して慎重にならざるをえないと踏んでるんだ。陸軍も海軍もそれを信じた。三国同盟締結というアメリカへの対決姿勢の表明は逆に対決回避に繋がると決め込み、より多くの石油備蓄の獲得のために強硬意見を吐く。つまり、舐めきってるんだよ、国際情勢を」
「間垣さんはそんなことはありえないと考えてる?」
「ルーズベルトは戦争を欲してるんだ。ニューディール政策とやらは看板どおり機能してない。アメリカ経済を大恐慌まえの段階に戻すには圧倒的な需要を生じさせなきゃならない。日本が世界恐慌から抜け出せたのは満州事変による需要の創出によってだ。ルーズベルトもそいういうことを欲してる。もちろん、アメリカの国内世論はそうじゃない。労働総同盟は非戦主義だし、モンロー以来の孤立主義も強い。しかし、何らかのきっかけがありゃ大恐慌からの完全脱出の絶好の機会として、欣喜雀躍、戦争を選ぶ」


太郎と間垣徳蔵の会話。

敷島四郎は次々にはいって来る南方軍戦勝の報にこころが浮き浮きして来るのを禁じえなかった。戦場がどんなものか知らないわけじゃない。通州事件の現場も見たし、第二次上海事変も目撃している。南京攻略のときの残虐さは憶いだしたくもない。戦争とはそういうものなのだ。しかし、いったん活字となって新聞に掲載されると、戦場で飛び散る肉片や夥しい量の血液の臭いが掻き消え、一切が何らかの競技のように思えてしまう。そのことが妙に日本人の血を意識させ、名状しがたい高揚感へ繋がっていく。四郎は自分は国粋主義とは無縁な存在だと思い込んでいたし、新聞記事に刺戟されて民族的な高揚感を抱くとは想像もしていなかった。

8.南冥の雫

ノモンハン事件に火を点け、第23師団をほぼ全滅に追い込んだあの辻政信はシンガポール占領直後に華僑粛清の担当者となった。実際には何人が殺されたかはっきりしない。しかし、国民党系の新聞は少く見積もって六千、上限は二万を越える華僑が銃剣によって虐殺されたと発表しているのだ。真珠湾攻撃を日本人の卑劣さの証しに仕立てあげたルーズベルトはシンガポールの華僑粛清を南京事件に並ぶ日本人の残虐さの証明として喧伝しようとしている。辻政信中佐はそんなことは百も承知だろうが、七万人の米比軍捕虜の殺害を私的に命じた。バターン行軍では3名の米兵がオーストラリアに逃走しているのだ、私的殺害命令のことも当然マッカーサーに報告されているだろう。問題はあれほどノモンハンで重大な失敗をしながら、責任らしいせきにんはほとんど取らされずに辻政信のような人物が南方作戦で酢酸参謀というきわめて重要な椅子に座りつづけていることだ。陸軍省人事はいったいどうなっているのだ?

太郎の感慨。

徳蔵が静かな声で言葉を継いだ。
「わたしは東京で軍令部第一課所属の中佐と一晩飲んだ。そのとき、実際にミッドウェーで何が起きたかを聞いた。確かに大本営が発表したように南雲忠一中将の指揮する第一機動部隊はアメリカのエンタープライズとホーネットという二隻の航空母艦を撃沈した。だが、連合艦隊の被害はその比じゃない。赤城。加賀。飛龍。蒼龍。この四隻が撃沈され、重巡洋艦・三隈もあえなく太平洋の藻屑となった。それだけじゃない。大本営は航空隊の35機が未帰還だと発表したが、現実には320機を撃墜されてる。要するに、連合艦隊は全滅に近いかたちでミッドウェー海戦を終えたんだ。それをあたかも勝利したかのごとく発表したつけは今後かならずまわって来る」


「何です、重大な疑惑とは?」
「暗号が解読されているかも知れん」
「え?」
「連合艦隊の動きはアメリカの太平洋艦隊司令長官ニミッツに読まれてたかのようだと東京で飲んだ軍令部第一課所属の中佐は漏らした。あれだけぴたりと照準の合った迎撃戦は単なる勘や推測で行えるもんじゃない。連合艦隊の発する暗号が完全に解読されてるからこそできた迎撃作戦としかか考えられんと言うんだよ。日米開戦直前の外交交渉のときもそうだった。暗号が解読されてる可能性はどうしても否定できん」


9.残夢の骸

「東条内閣が総辞職したが」
「ああ」
「突然だったな、サイパンが玉砕してもあれほど強気だった東条首相が」
「一番驚いてるのは東条首相だろう、総辞職せざるをえなくなったことに。裏切られるとは思ってもなかったろうし」
「何なんだ、裏切りって?」
「東条首相は陸相と参謀総長兼務、嶋田海相の軍令部総長兼務の批判を躱すために、参謀総長を辞し、軍令部長も辞させ、内閣改造で事態を乗り切ろうとした」
「で?」
「一部の閣僚に辞表を出させようとした。しかし、軍需省として統合された商工省の大臣だった岸信介国務大臣が辞表提出を拒否した。岸国務相は勘がよく変わり身の早いことで有名だ。軍部の言いなりの大政翼賛会下の翼賛政治会から推薦を受けて当選した大量の代議士のなかからも東条批判が噴き出してることにちゅうもくしたんだよ。東條内閣はいずれ帝国議会とぎくしゃくするとね。そこで見切りをつけたんだろうよ。満州が縁で岸信介を知り、商工相に引きあげてやった。その恩を感じ岸信介は言うがままに辞表を提出するものと考えてたらしい。それが拒否されたんだ、裏切られたと感じても当然だよ」
勝久が抑揚のない声でつづけた。
「帝国憲法の規定じゃ首相に閣僚の更迭権はない。閣僚が個別に辞表を提出スル以外に内閣改造はできないことになってるだろ、だから総辞職するしかなくなったんだ。ちょうど第二次近衛内閣が松岡洋右を外すために総辞職して第三次近衛内閣を成立させたようにね」


太郎と上海総領事代理瀬古勝久との会話。

ヒットラー暗殺を試みたワルキューレ作戦に参加した将校四名が即座に銃殺され、国家元首に予定されていたベック上級大将が自決しただけでは事態は収まらなかった。国防軍防諜部カナリス提督、武装親衛隊ネーベ中将、神学者ボンヘッファー神父ら七百名以上が処刑されるらしい。そのうちの数名はピアノ線で絞首されるという。その悶死する情景が撮影されてヒットラーはそれを総統官邸で上映させるだろう。ストックホルムからの情報はそう予感させるように伝えている。

石原吉郎の詩「ピアノ線の夢」を思い出す。

「このぶんだと大西瀧治郎第一航空艦隊司令官は特攻の創始者ということになっていくでしょう。新聞各紙は実に単純な誤認をしてる。まず特攻は太西中将が発明した戦術なんかじゃない。最初の体当たり攻撃は今年の4月、陸軍輸送船・松川丸を護衛中の飛行第二十六戦隊の一式戦闘機・隼が米潜水艦から発射された魚雷めがけて界面に突入し、爆破に成功してる。次は八月に北九州八幡に空襲に来たB29爆撃機にたいし迎撃に出た飛行第四戦隊の二式複座戦闘機・屠龍が体当たり攻撃をして空中爆発させてるんです。どれも自発的な特攻です。太西中将はそれを組織化し、戦術のなかに取り込んだだけだ。しかし、恐いのは陸軍航空隊が海軍を真似て特攻という戦術を採用することです。その可能性は大いにある」
「太西中将は純粋軍人というよりも政治的納涼に秀いでた人間と考えたほうがいいかも知れない。一年半まえ、航空本部総務長時代、航空機生産能力を上げるために蒋介石と取引をしている」
「何ですって?」
「当面の成果を求めるためには手段を選ばない。帝国陸軍の嘱託となってる政商・児玉誉士夫を使って交戦相手の国民革命軍に中古兵器を渡し、その見返りとしてタングステンを手に入れた。要するに、目的のためには手段を選ばない。取引で手渡した中古兵器で支那派遣軍の兵士が何人殺されようと、精神的な呵責を感じない性格なんだ。神風特攻隊を新聞各紙が英雄化することで、陸軍航空隊にも太西中将のやりかたを踏襲しようとする司令官がかならず出て来る。それを考えると、わたしはほんとうにぞっとする」


太郎と松添忠之支那派遣軍大尉の会話。

「マニラで陸軍四百機の特攻命令を下しながら戦況悪化に敵前逃亡を図った第四航空軍司令官・富永恭次中将は軍法会議にも掛けられず今月5日に予備役編入となった。しかし、陸軍内部から轟然たる非難の声が挙がった。軍人のくせに死の恐怖に敵前逃亡した人間を予備役にして戦争から解放するのはおかしい! そういう声がね。そこで陸軍省人事局は7月中旬に満州で編成される第百三十九師団の師団長ににんめいすることにした。こうなると、もはや戯画ですね。戦力として計算すらできない師団と、臆病で卑怯者の代名詞のように扱われた将軍の師団長赴任。かつて泣く子も黙ると評された関東軍はいまや戦力とはいまや戦力とは呼べない集団と化しつつある」

三郎と床波敬司特務大尉。

「松代の施設建設は端緒についたばかりだ、大本営移転はもはや悪い冗談としか言えん。大本営は参謀本部第一部長の宮崎周一中将に命じて本土決戦態勢を4月7日に構築させた。日本を滋賀県および岐阜県を境にして二分し、東を杉山元元帥を司令官とする第一総軍、二死を畑俊六元帥を司令官とする第二総軍、陸軍航空軍はインパール作戦時にビルマ方面軍司令官だった川辺正三大将指揮下の航空総軍とする。これが決号作戦と帝国陸軍内で呼ばれている本土決戦態勢でね、それが一撃講話論として準備された」
「何です、一撃講話論とは?」
「本土に上陸して来る米軍にすさまじい損害を与え、無条件降伏ではなく条件付きの講話に持ち込むということだよ。これには時間が掛かる。沖縄戦にちゃんとした増援部隊を送らなかったのはそのためだ。沖縄にはただ戦闘を長びかせることだけが求められた。戦死者9万、民間人死者死者10万、鉄血勤皇隊などの義勇兵死者2万、合計21万の死者を出した沖縄戦は本土決戦のための捨て石となったと言ってもいい」
「一撃講話論で獲得しようとしている条件とは何です?」
「国体の護持」


太郎と間垣徳蔵。

7月26日、無条件降伏を要求する対日ポツダム宣言が発表されたのだ。受け入れ前提として六つの条項を挙げている。
軍国主義の駆逐。連合国による日本領土の占領。日本の主権は本州、北海道、九州、四国および小島嶼に限定。日本兵力の完全武装解除。戦争犯罪人の厳重裁判。最軍味を可能なら締める産業の不許可。
この六つの目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に基づく平和的傾向を有せる責任政府が樹立された場合は連合国の占領兵力は日本領土から撤退する。日本政府は即刻全日本兵力の無条件降伏にし、かつ適切なる保障をなすこと。然らざるに於いてはただちに徹底的破壊を齎すことになる

「明治政府は生起する矛盾を溶解する手段として黒船来航まえは暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇をにほんのすべてを統べる中心に据えつけ、欧米列強による植民地化を回避するためにやっきとなった。その方法をめぐっては大雑把に言ってふたつに分かれる。ひとつは伊藤博文に代表される近代化論。もうひとつは山県有朋が領導した兵営国家論。このふたつがあるときは対立しながら、あるときは補完しながら非植民地化を回避し、吉田松陰が提示した打開策に向かって突き進んでいった」
「どういう意味です、それは?」
「植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない。それが『幽囚録』で示されたとおり朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の形成をめざして走りだしていった。民族主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾みがつくと休息に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。これは植民地主義を白人の占有物だと考えていた欧米列強にすさまじい衝撃を与えた」
太郎はこの声を聞きながら乾いてきた唇を静かに舐めた。
信彦が腕を組み替えて言葉を継いだ。
「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松蔭の提示した方法によって怒涛の進撃を開始し、あめりかの透過した二発の原子爆弾によって木端微塵にされた。日本の民族主義の興隆と破摧。たった90年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない。この濁流のあとかたづけに日本は相当の歳月を要することになるだろう」

「いろんな憶測が流れてる」
「たとえば、どんな憶測です?」
「二ヶ月ばかりまえに興凱湖のそばのジャリコーワ戦闘指令所で秦彦三郎関東軍総裁参謀長と瀬島龍三参謀がワシレフスキー極東軍事総司令官と会談したろ? そのとき瀬島参謀が戦闘を中止すれば、60万の関東軍をシベリア開発の労働力として提供すると申し出たと言うんだよ」
「しかし、瀬島参謀にはいろんな噂ががつき纏ってますね」
「そうだ、台湾沖航空戦勝利が誤報だったと報らせる電文やドイツ降伏後ソ連が対日参戦するというストックホルムからの電報を握り潰したとかね。しかし、それは個人的にやれることだ。60万の関東軍をシベリア開発の労働力として提供するとなると、国家的な決定ということになる。瀬島参謀の階級は中佐だ。一中佐にそんな権限が与えられてるとは考えにくい。これまでの経過から噂が噂を呼んでるに過ぎんと思うが、混乱のさなかだ、何があっても不思議じゃない」

四郎と間垣徳蔵。結局敷島四兄弟のうち、戦後生き延びたのは、この四郎だけだった。

「東京や大阪じゃあちこちに闇市が立ち、べらぼうな値段で物が売られてるし、腹を空かせた子供たちは掻っ払いに走る。女たちは占領軍の米兵に競って春を売ってるそうだ。パンパンという言葉を聞いたことがあるかね?」
「何です、それは?」
「5年半まえ本間雅晴将軍第十四軍がマニラを攻略するまでフィリピンの売春婦が米兵を誘うときに使ってたタガログ語で、性行為を意味するらしい。それが日本じゃ売春婦を指す言葉になり、そのパンパンが増加の一途にある。この増加は政府方針に基づいててね、良家の子女の貞操を守るために内務省警保局が作った進駐軍特殊慰安施設司令に沿ってるんだよ」


四郎と東北電影公司の灘尾浩巳。

文献を読むかぎり、昭和前期の時代の濃さは後期とは比較にもならない。戦争。革命。叛逆。狂気。弾圧。謀略。抗命。破壊。哄笑。落胆。敗残。抑留。幕末維新時に巣立ちした日本の民族主義が明治期に飛翔しつづけ、第一次大戦後の国内外の乱気流に揉まれて方向感覚を失い、ついにはいったんの墜死を遂げるのだ。
10年がかりのこの作品を仕上げるには厖大な量の文献との格闘が不可避だった。資料渉猟はわたしのもっとも苦手とするところである。文献に当たっては執筆し、執筆しては資料を再確認するという作業の繰り返しは苦行僧の営為のごとく感じられた。
書きながら痛感させられたのは小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅していくことだった。戦争の形態が変わっていったのだ。航空機による無差別爆撃が常態となったとき、牧歌性が存する余地はもはやどこにもない。それは近代戦の宿命であり、浪漫主義のつけ入る隙のないものだった。
小説家は歴史家のように何が事実化を突き止める能力を有していないし、そういう場にいるわけでもない。こんなとき、190年ばかりまえにナポレオン・ポナパルトが看破した箴言が脳裏に突き刺さって来るのだ--歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である。(あとがき)


巻末資料の欄には300を超える参考文献の一覧があった。

2019/12/11(水)●中央図書館方面
8時起床。
今朝の血圧は122/48/80。36.4℃
いささか二日酔い気味。
午前中、昨日の日記編集。
昼からJR神戸駅に出て、中央図書館へ。もちろんその前に猫場宇治川南小公園に行ったのだが、猫は一匹もいない(>_<) しばらく石のベンチでミニギターやってたら顔見知りの猫おばさんがえさ持ってやってきたら、3匹だけ出てきた。今日も結構暖かくて風もなかったので3時過ぎまでくつろぐ。
図書館ではいろいろ拾い読みしてるうちに6時近くになってしまった。
7時帰宅。
中村哲さんの葬儀が福岡で執り行われた。米軍が撤退を始め、日本のODAも引き気味の中で、個人の力でアフガニスタンの人々のために尽力した彼の行動の持続に頭が下がる。
今日の歩数は4922歩。


JR神戸駅付近の高架下の菊科植物 

宇治川南小公園 

白雉 

黒 

白雉 

緑半透明の蜘蛛 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
죽을 쑤다(チュグルッスダ しくじる、失敗する)
結果がよくない、しくじる、状況が悪い、失敗する
(チュク お粥)(ウル ~を) 쑤다(ッスダ 炊く)
元々ご飯を炊こうとしたのに水加減を間違えてお粥になってしまったことから由来。
시험[試験]은 완전[完全]히 죽 쒔어요.(シホムンワンジョニチュクッソッソヨ 試験は完全にダメでした。)

2019/12/10(火)●猫とサランバン会
7時半起床。
今朝の血圧は137/64/80。36.0℃
郵便局で簡易書留だして、年賀状購入。
昼過ぎJRで鶴橋に。
まず東上町公園、と思ったら12月14日にイルミネーションの催しの準備やってたのでパス。
桃谷の裏通り歩いて、空き地のエアコン外機の上に白雉猫が寝そべって日向ぼっこしてた。何か気にいってしばらくMorris.@Catographerモード。その後御幸天神社に寄ったら白雉猫が。この神社で猫見るのは珍しいということでまたまたMorris.@Catographerモード(^_^;) さらに本殿隣の社務所の窓から高価そうな三毛のスコティッシュフォールドが顔を覗かせてた(@_@)のでこれも撮影。
2時前に御幸森公園にたどり着き、ぼちぼちミニギター。きょうはけっこう暖かった。在日のアジュマ、アジョシもちらほらやってきてリクエストに応えたりする。88歳のハルモニがえらく喜んで合わせて踊ってくれた。4時半頃きりあげて、ハートフル近くの猫公園に立ち寄ったら、3匹ほどがいたがもう薄暗くて撮影は難しかった。
5時過ぎに洪ママの見舞い。先に歌麿会長きてた。ママは体調が良くないようで、何となく不機嫌だった。
6時前に「王様豚」で食事会。会長と榎本さんはスンドゥブ、Morris.はピビンパいただく。いつものお姉ちゃんがいなかったのでちょっと榎本さんは不満げ。
7時にサランバン会会場「釜山」へ。中山さん、丸本夫妻が先に来ていて後から高木さん、加納さんと連れの女性。今日も参加メンバーは10人足らず。集中練習してたチャンユンジョンの「木浦行き鈍行列車」はやっぱり入ってなかった(>_<) ユンスヒョンの「チョンテマンサン」にも再挑戦したが、これもまだまだ歌詞が追いつかない。
11時前店を出て、零時10分帰宅。
今日の歩数は5293歩。


武庫川 

神崎川 

淀川 

東上町公園飾り付け 

鶴橋エアコン外機上猫 

同じく 

大韓仏教般若寺前の布袋? 

力作サボテン(^_^) 

桃谷ゴミ広場猫 

肋骨雲 

御幸森神社 

社務所の豪華猫 

神社の野良白雉 

同じく 

肉屋の張り子の猫 

この公園で2時間半 

第四朝鮮初級学校 

桃谷南公園 


雉 

飛び出すXmas絵本 

王様豚でピビンパ 

12月サランバン会 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
끝장이다(ックッチャンgイダ おしまいだ、おわってる) 。
(クッ)だけで「終わり、突き当り、最後、決着、末、びり」の意味だが、끝장(クッチャン)はこれに強調の接尾語を付けたもの。
이번에 또 실패[失敗]하면 정말 끝장이야.(イボネットシルペハミョンチョンgマルックッチャンgイヤ 今度また失敗したら本当におしまいだ。)
끝내다(ックンネダ 終える、終わらせる)
일을 다 끝냈습니다.(イルルタックンネッスムニダ 仕事をすべて終えました。)

2019/12/09(月)●パクチー三昧
7時起床。
今朝の血圧は156/70/76。35.7℃
昨夜から、今年の読書控え作業やってた。今年は月ごとにえらく読書量のバラつきが甚だしいようだ。
昨日買ったパクチー使って、朝はパクチー粥、昼はピザクラッカーにパクチートッピング、夜はパクチーカレーとパクチー三昧である。
昼から自転車で六甲道の六甲アートにデジカメプリント受け取り。水道筋経由で4時帰宅。
今日の歩数は4383歩。


パクチー粥 

ピザクラッカーパクチートッピング 

パクチーカレー 

石仏A 

石仏B 

屋上夕月 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
김 여사[金女史](キムニョサ メスドラ)
もともと여사(ヨサ)とは社長婦人などを示す単語で、社長婦人なら多少乱暴な運転をしても許されるということから、メチャクチャ運転をする人のことを総称してこう呼んだのが、時間がたつにつれて、運転の下手な女性ドライバーをバカにして呼ぶ名称になった。「びっくりするような運転をするめちゃくちゃな女性ドライバー」という意味で、特定の誰かではない。

【そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります】川上未映子 ★★★ 2006/12/01 ヒヨコ舎
先日のNHKあさイチのトーク番組がきっかけで、前からタイトルが気になってた本書を読むことにした。
2003年8月29日(誕生日)から3年間のブログが元になっている、ネット日記だが、かなりエキセントリックで無頼派風文章は、面白いところもあったが、勘弁してよの部分も多かった。

倉橋由美子氏が亡くなったのを、私は今朝知って、なんとも云えんなんとな気持ちが。
倉橋氏の死の印象を喩えるならば、ひとつのひっそりとした植物のある体系の消滅というか、精巧な空中庭園の崩壊とか、精緻で無意味なまでに巨大な無人宮殿の設計図の消失、そうんなような、異動。生きていようがいなくなろうが、空中庭園や設計図は完成されしきっていると思い込んでいたけれど、倉橋氏の死によって、いよいよにそれらは盤石の極み、左脳にひびきわたる地なりをもって地を発ち、もはやこの世のものではない存在
の我々を見下ろし始めたというか、そんなとりとめない印象が午前中ずっと、頭の中をぐるぐるしてました。(2005/06/14)

倉橋由美子が亡くなったのは2005年6月10日で川上は4日後に知ったことになる。Morris.は学生時代から結構倉橋由美子フリークだったのに、彼女の死を長いこと知らずにいた。

昼間に数人の友達とばったり会って、「噛ませ犬」、「あて馬」などの語源やちゃんとした意味は何かとはなしてて、んで「井の中の蛙」のことわざの話になって、驚くべきことにこの続きを誰も知らなかったので、教えてあげたら、すごく盛り上がった。
井の中の蛙、大海を知らず、されど。
されど?
空の青さを知る。
やねんて、すごい励まし。
でも空の青さは井の中から出ても変わらず見えるわけで。青さだけを知っていることと、大海の広さと空の青さを知ってること、どっちがいいかなんてそら場合によるよな。(2005/07/08)


本書中、このエピソード?が一番印象に残った。このことわざ、たしかにことわざらしからぬ、一種の詩情がある。

随分と時間が経って、「バナナブレッドのプディング」を読んだ。
夢中で読んで、ホットミルク、小さな救い、そして沙良の最後の手紙のところで、じぶんがふちだけになるような感覚に襲われて思わず床に突っ伏した。私は正しいとか間違いとか、人間関係とか表現とか、そういうことを知らなかったときのただの子どもに戻って、ただただ鼻水と涙でぐちゃぐちゃになって、お母さん、と叫んだ。生まれてきてよかったよか、生んでくれてありがとうとか、それは絶対に云えない言葉だったけど、そういう言葉ではなくて、今まで生きてきた言葉じゃないほうの全部が混ざった、お母さんだった。
中高生の頃の私ではなくて、「生まれてきた自分」と「生む自分」の療法がある二十九歳の今の私に、大島弓子の物語が会いに来てくれたのではないか。「生きてもいいし、生んでもいいんやよ」とそれは多分大島弓子のものでもない声が胸の中で響いた。それは読んだ人をひとり残らず抱きしめる。安堵は続いていくものではないけれど、こうして一回の完全な安堵にめぐり会えたこと、このことは、私は二十八歳になって、二十七歳になって、十歳になって、五歳になって、0歳になっておぎゃあと生まれて、お母さんの体に戻って、うれしいやかなしいやさようならがなくなるまで、私は忘れないと思う。(2006/03/07)


そして、あさイチで気にかかっていた、「バナナブレッドのプディング」。これで疑問は氷解した。なかなか正統的大島弓子受容のしかたである。
実は、ついでに2008年芥川賞受賞作「乳(ちち)と卵(らん)」も借りてきて、一応通読したのだが、こちらは、全くMorris向きではなかった。ただ、番組で紹介された新作「夏物語」の原型らしいことだけはわかった。

2019/12/08(日)●今日は何の日?
7時起床。
今朝の血圧は153/69/83。35.6℃
朝の三点セット。
午後、歩いて水道筋方面。
結構寒い。
安売り八百屋でパクチー、人参、大根買った後、古道具屋というよりガラクタ店のダンボール箱に色とりどりのミシン糸が3つ百円で売ってた。最近ミシン使うこともほとんどないし、これからなにか作ろうという予定もないのだが、安さと絹糸特有の光沢と色合いにつられて、3つだけ買おうと思ったのだが、3つというのはついつい迷ってしまい、結局6つ買ってしまった(^_^;)こういうのを安物買いの銭失いというのか貧乏性の成せるわざなのか、まあ、見てるだけでも楽しいからよしとしよう。
今日12月8日は、今から39年前(1980)、ジョンレノンが暗殺された日である。ムックさんを始め、世のビートルズやジョンのファンにとっては忘れられない日だろう。その日からさらに39年前の12月8日といえば、日本が対英米戦争の火ぶたを切ったひということになる。今どきのこどもは、日本がアメリカと戦争したことすら知らずにいたりするが、やはり日本人として忘れてはならない日だと思う。
今日の歩数は3928歩。


王子公園駅上空 

薔薇 

六甲山方面 

唐辛子 

Hot Lips 

ミシン糸色々 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
하느님(ハヌニム 神様)
韓国の国歌、애국가[愛国歌](エグッカ)では「神様」を하느님(ハヌニム)と歌っており、一般的にも하느님という。語源は「空」を意味する하늘(ハヌル)。空にいる(イム 様)という意味。キリスト教では천주교[天主教](チョンジュギョ カトリック)では하느님と呼ぶが、기독교[基督教](キドッキョ プロテスタント)では「唯一、ひとつ」という意味の하나님(ハナニム)とよぶ。
[神](シン 神)
당신은 신[神]을 믿습니까?(タンgシヌンシヌルミッスムニッカ あなたは神様を信じますか。)
[神]이시여, 인간[人間]은 왜 절망[絶望][感]을 맛봐야 하나요?(シニシヨ、インガヌンウェチョルマンgカムルマッボァヤハナヨ? 神さま、人はなぜ絶望感を味わうのですか?)
신령[神靈](シルリョン 神)
창조주[創造主](チャンgジョジュ 創造主、神)様

【日本の戦争1 歴史認識と戦争責任】山田朗 ★★★☆☆ 2017/12/08 新日本出版社
このシリーズは、2,3,1の順序で読むことになった。いちおう三部作すべて読了ということになる。

イギリスは1902年、日英同盟を結んだ年に、世界の植民地や主要国との間の海底ケーブル網を完成させている。電話ではなく、モールス信号による有線電信であるが、情報がほぼ瞬時に世界どこでも届くようになった。情報と戦争遂行が密接に結びつき始めたのは、この日露戦争からだと言える。10年前の日清戦争のときは、ヨーロッパの新聞では、一週間や10日遅れで、ニュースが流れるのみだったが、日露戦争でほぼリアルタイムで情報が流れるようになった。
イギリスによる日本への支援も、あくまでロシアを「満州」に進出させないためのものであった。イギリスにとっては、日本が大勝して「満州」を独占してしまうことになるのも困る。
アメリカが日露の講話の斡旋をしたが、日本が決定的でない形で戦争に勝ち、ロシアもある程度北部「満州」に勢力をもっているという「満州」を巡る勢力均衡状態の間に入って、「満州」進出をすすめる戦略だったのである。


日露戦争(1904-05)で日本は、英国の海底ケーブルの恩恵に預かるところが大きかったようだ。
日本の戦争を顧みるとき、こういった国際的視点から見ることが大事。

日本軍の前半の成功として特徴づけられるのが、部隊間の相互連携である。これこそ、司馬遼太郎『坂の上の雲』に出てこない話である。この小説を読むと、日本軍は巧みに連係がとれていて、どうやって連絡していたのだろうと疑問をもつのであるが、肝心なことがカットされている。実際には、当時イギリスなどから派遣された新聞記者が、日本側の電信線の設営や野戦電話を盛んに写真に撮り、記録に残しているのである。ところが、日露戦争後に日本で出版されたものには、この点は秘密にされ、ほとんど出てこない。日本側にしてみると、秘密にして記録に残さないうちに、日本人自身が忘れてしまう、あるいは軽視してしまうということが起きてしまったのである。
『坂の上の雲』では、旅順攻略が上手くいかなかったのは、乃木希典第三軍司令官が無能だったためと読めるのであるが、実際には、誰がやっても同じだったというのが実情であろう。
司馬遼太郎の歴史認識には、明治は成功の時代でその頂点は日露戦争、昭和は失敗の時代でその頂点がアジア太平洋戦争というものがる。しかし、昭和の戦争、日中戦争以降の戦争の無謀さや侵略性のへの発言と、対になっている明治の戦争については、かなり実像に近いところまでは描かれて入るが、明治時代の人間の目で再現しようとしたがために、逆に同時代人には見えなかった国際的な政治力学--日本の後ろにイギリスがあったこと、イギリスやアメリカの思惑の中で戦っていたことなど--が希薄になっている。その時代の人になり切って歴史を描こうとした司馬の作品は、その部分がどうしても希薄である。


たしかに司馬遼太郎の作品では、明治の日本人の視点で書くことに力点が置かれたため、秘密にされたことは、知らないまま表現されてしまったということか。「司馬史観」とも呼ばれる、明治=成功、昭和=失敗とみなすことは、戦後日本人のかなりの部分に、歴史の誤読をうながしたとも言える。

日露戦争は国際的な政治力学のなかでつまり世界的な英露対立という基本的な対立構造のなかに日本が組み込まれた結果起きた戦争である。
そのこと以上に問題なのは、この日露戦争が、その後の日本人にどう受け止められたのか、ということである。日露戦争は、前述したように失敗の連続であったが、その失敗面はほとんど例外なく隠され、「失敗ではなかった」と言いかえられた。
逆に成功した真の原因は秘密にしておこうとされる。しかも秘密にしておくうちに、自分たちのなかでも伝わらなくなる。
最も失敗した事例では、亡くなった人を軍神にしてしまった。広瀬中佐を失った旅順閉塞戦などは、本来、この作戦を命令した幹部は批判されてしかるべきでもあるにかかわらず、軍神にすることで批判を封じ込めてしまう。その後も、アジア太平洋戦争に至るまで、軍神が生まれた事例というのは、ほぼ失敗事例である。
日露戦争は、日本軍の<伝統>を作ってしまった。
司馬遼太郎の作品では、明治の軍人と昭和の軍人を対比し、明治の成功と昭和の失敗を対比・強調するが、昭和の失敗の種は、ほとんどが日露戦争と日露戦争直後に蒔かれたのだという事実は、現代の私たちが理解しておかなければならないポイントだと思う。(第一章 日露戦争とはどいういう戦争だったのか)


「軍神」とは、作戦失敗を糊塗するために作られた偶像神みたいなものという指摘にはなるほどと思った。

孫文のスローガンであった漢・満・蒙・回・蔵の「五族共和」は、民族の融和による共和政体の確立という明確な意味づけがあったが、日・朝・漢・満・蒙の「五族協和」とはどのような意味が付与されていたのであろうか。「五族協和」「協和」とは、五族が融和スべきであるという理想を示すものではあるが、必ずしも五族が国民として「平等」であるということではない。そもそも、「満州国」には国家でありながら、「満州国国民」にあたるものが存在しなかったのである。何をもって「満州国」の「国民」とするかという法的な基準が存在していなかったのである。
「満州国」に国籍法が施行されなかったのは、日本では国籍法によって二重国籍を認めていなかったので、「満州国」に国籍法ができると、「満州国」に居住する日本人は「満州国民」となってしまい、日本国籍を喪失してしまうことになり、日本側とりわけ軍部の反対が強かったからなのである。(第二章 満州事変と「満州国」の実態)


「満州国」のスローガン「王道楽土」「五族協和」というのがいかに、眉唾ものだったかが、だんだんわかってきた。ちょっと遅きに失するけど(>_<)

私たちは、歴史を後(結果)から見がちなので、アジア太平洋戦争・対英米戦争に行き着いたプロセスとして日中戦争を位置づけてしまうが、今日、日本人が記憶として継承しなければならない(記憶の希薄化が顕著)のは、日中戦争の方である。なぜなら、日本の戦争は他国に攻撃されたり、強いられたりして引き起こされたのでなく、自らが勢力の膨張をめざした、侵略戦争だったからである。
満州事変こそ、第一次世界大戦以後の世界秩序を破壊する先駆けとなり、戦争とファシズムへと世界の歴史を大きく傾斜させた重大な事件である。
日本の戦争は、結局、中国での戦争の拡大とその収集を図るための三国同盟、日中戦争の成果を守るために対米開戦へと突き進んだともいえるものである。多くの日本人の戦争意識・歴史認識は、戦争といえばアメリカとの戦争ということに収斂するが、あらためて日中戦争を中心にすえた戦争認識・歴史認識へと再構築することが、私たちに求められている。


あの戦争を「太平洋戦争」と呼ぶことが、日中戦争を見えにくくしている一因かもしれない。日本の敗戦が、アメリカを中心とする連合軍への降伏だったこともあるだろう。しかしやはり、あの戦争は、領土拡張を目指した侵略戦争だったことを忘れてはなるまい。

南京没落後、中国の戦地には非常に多くの慰安所が置かれるようになる。日本側としては、激増する性暴力対策として慰安所が置かれた。慰安所を作っても、中に誰もいないというわけにはいかないので、当然、「慰安婦」をどこからか供給するということになり、主として朝鮮から連れてくる、ということになる。南京事件というのは、その後の「慰安婦」問題の、ある意味では原点でもあるわけだ。(第三章 日中戦争と南京事件の真実)

言われてみればそのとおりである。

12月8日、日本陸軍による英領マレー半島コタバル上陸に始まり、陸軍はタイ領内に侵攻、香港(英領)への攻撃も開始した。海軍は、真珠湾攻撃に続いて上海・シンガポール(英領)、ダバオ(フィリピンミンダナオ島)・ウエーク島(米領)・グアム島・ミッドウェー島を空襲あるいは艦砲射撃し、そしてフィリピンルソン島の米軍基地に大規模な空襲をかけた。発進基地である台湾での濃霧によって海軍の空襲部隊の発進が7時間以上も遅れたことが、ここではかえって米軍に大きく災いした。一瞬のすきをつかれた米軍の航空兵力(約200機)はその大部分を開戦初日に地上で失ってしまった。これは米軍にとっては真珠湾での被害につぐ、大損害だった。
日本軍にとってハワイ作戦は主作戦ではなかったということである。緒戦における日本軍の第一の戦略目標は南方資源地帯の確保という点にあり、その時間をつくるために米海軍主力に打撃を与える必要があったのである。(第四章 真珠湾攻撃とは何であったのか)


12月8日は真珠湾攻撃が大きくとりあげられる傾向にあり、アメリカへの通告が遅れたことから「だましうち」と呼ばれたことが取りざたされるが、上記にある通り真珠湾より先に攻撃が始まったのはマレー半島コタバル上陸で、こちらは英国への通告すらなかったという事実。またフィリピンルソン島の米軍航空兵力の大部分を失ったというのも、Morris.は知らずにいた。

歴史修正主義的言説が、ネット上にとどまらず、ナショナリズムを導火線として、政界に蔓延し、さらにそれが権威化された言説として還流するという構造が出来上がったことである。

安倍首相とネトウヨの癒着パターン。

スマラン事件とは、1944年日本軍占領のインドネシア・ジャワ島において、南方軍管轄の第16軍事幹部候補生隊に属する軍人たちが、抑留所にいたオランダ人女性36人をスマランにあった慰安所4ヶ所に<強制連行>し慰安婦としたもので、、関係者は、戦後オランダ臨時軍事法廷でBC級戦犯として裁かれ、軍人・業者らに有罪が宣告されている。

これこそ慰安婦強制連行の典型例である。

しかしながら、歴史的事実とは無関係に、この70年政府答弁の「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という一節は、歴史修正主義者の中で「慰安婦の強制連行はなかった」という政府見解が示されたと「解釈」され、さらに「慰安婦は強制されたものではなく自由意志だ」、要するに「公娼と同じだ」、「合法的なものだった」、さらには「売春一般と同じだ」と連鎖的に曲解されていった。そしてさらにこの慰安婦の<強制連行>否定の連鎖は、朝鮮人労働者の<強制連行>の否定へと燃え広がっていくのである。政界に蔓延した歴史集成主義的な言説は、政府答弁書や首相の発言という形で発出されたことで、それhが権威化された言説として、ネット上の言論空間に還流し、猛威を増幅させたのである。(第五章 戦争責任論の現在と今後の課題)

どこまでも自分の都合の良いように解釈する連鎖の行き着く先が、これ。

日本は過去において、欧米の「白人帝国主義」を批判しながら結局自らも異民族支配、帝国主義の道を歩んだ。欧米帝国主義の徹底した差別・選民主義の支配とは異なり、日本は「皇民化」、同化主義という形で異民族支配をやっていく。欧米の差別主義と日本の同化主義は、支配されている側にとっては、どちらが良くてどちらが悪いという問題ではない。日本は本国人と植民地人を建前の上では「日本人」あるいは「皇民」と同等であるとしながらも、実際には朝鮮人のことを「半島人」などと呼んだように、決して同等の者として扱わなかった。日本政府は、台湾や朝鮮を同じ「日本」であるとしながらも、台湾や朝鮮には「大日本帝国憲法」を施行せず、あくまでも日本本国とは別物として支配したのである。このことを日本が明治以来、「脱亜」の道から「大アジア主義」への道をたどっていったという前提条件として確認しておく必要がある。そうした傾向は、昭和になって初めて出てきたわけではなく、日本の近代化・大国化の中に早い時期から組み込まれていたものなのである。

ここはポイント。欧米の横暴、日本の陰険。

「良いこと」とは何だったのか、ということをあらためて考えてみる必要がある。学校を建てたとか、道路や橋を造ったなどとい「良いこと」は、あくまでも植民地支配のために必要だったことなのだ。植民地支配のために必要ということは、基本的には本国の利益のため、統治を円滑におこなうためということである。(第六章 「植民地支配と侵略」の計画性と国家の責任)

「良いこともした」発言は、なかなかしぶとい。加害者からすると「盗人にも三分の理」みたいな考え方なのかもしれないが、本質を掴んでおかねば。

戦前男の子は将来立派な軍人になって忠誠を尽くし、戦場で戦って死に、靖国神社に祀られるのが最高の栄誉である。このように教え込まれた。ほとんどの人は死にたくないと思っているが、建前として戦死することが立派な事だ、と教え込まれた。実際にこれが公の価値観として流布し、軍人たちも死に直面すると「靖国神社で会おう」などと言いながら死んでいった場合もある。こういう話を次の世代が聞き、英霊が英霊を呼ぶというサイクルができあがっていく。これを「英霊サイクル」と呼ぶ。(第七章 日本は過去とどう向き合ってきたか)

「英霊サイクル」(>_<)。北朝鮮にもこれに似たサイクルがありそうだ。

安倍氏をはじめとして安倍内閣の閣僚たちの多くが、「自虐的」なるもの、「誇りを傷つける」ものを排除するために、まず、政府の足かせとなっている談話の類いを実質的に取り除こうと躍起になっている。具体的には、「河野談話」(慰安婦問題)、「村山談話」(侵略・植民地支配)、「宮沢談話」(近隣諸国条項)の三談話である。そして、これらの談話を排除した上で、靖国問題でより強硬な見解を確立しようとしている。13年5月の橋下発言とそれへの批判が国際的な広がりを見せるなかで

三談話排除の動きはやや後退したように見えるが、政局次第でこれらが再び浮上してくることは必至である。

安倍首相のやり方は、排除から、「無視」へと移行しているような気がする。

日本国憲法の理念である平和主義は、ある意味で「日本が政治的な小国であってもいい」とい考えを前提としている。これも大国になることのデメリットリスクを、戦前の日本が嫌というほど味わったからであろう。しかし、その経験が今や揺らいでいる。

大国志向の危うさをもう一度考え直そう。

安倍晋三首相は2015年8月の安倍談話で、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とこの戦争を持ち上げているが、それはとんでもないことだ。日露両国が戦争後、1905年に結んだポーツマス条約の第二条には、ロシアは「(日本が)韓国に於いて政事上、軍事上経済上の卓絶なる利益を有することを承認し」云々とあり、これによって韓国併合が可能になったのである。「勇気を与えた」どころの話ではない。


そら、韓国人/朝鮮人は怒るわな。

日本会議は、「先人が培い伝えてきた伝統文化」と重要視しているが、多くの場合、明治時代を理想化するあまり当時作られたものを「伝統」と見なしているにすぎない。
日本会議綱領には、なぜか「対米従属」についてはまったく触れていないが、歴史的に日本の近代は「自主独立」どころか、超大国追随の歴史であった。明治時代は日英同盟を結び、次に自分でやろうとしてうまくできなくて、結局ドイツ・イタリアと三国同盟を締結して失敗する。戦後は日米同盟であるが、虎の威を借りるように、超大国を後ろ盾にしながら、自国の存在感を強めていく--という点で、戦前も戦後も一貫しているといえる。


「伝統」メイドイン明治。
親方日の丸ならぬ、親方超大国。終始一貫というブラックユーモア。

戦犯容疑者にはなったけれど、起訴されなかった人々が多くいた。典型的なのが、安倍首相の祖父である岸信介であり、児玉誉士夫や笹川良一といった右翼であった。彼らは戦後も米国と一緒にやれると見なされ、米国に命を救われた人々である。
米国に助けてもらった存在だという事実がわかったら身もふたもないので、「占領憲法打破」とか、「東京裁判史観の蔓延は、諸外国への卑屈な謝罪外交を招き」(日本会議設立主意書)などといったように、ことさら米国の占領時代を否定的に描く。これは戦後の右派の恥部を隠す、一つのレトリックにすぎない。(第八章 政界における歴史修正主義)


戦前-戦中-戦後を貫く人脈と金脈。
このシリーズは、様々なところで発表されたものを編纂したもので、重複するところも多々あるが、飲み込みの悪いMorris.には、忘れかけては思い出す(^_^;)ということもあって、いくらか理解が深まった気もする。

2019/12/07(土)●肩透かし
6時半起床。
今朝の血圧は179/66/60。35.1℃
9時頃、最近の猫写真、ネットで六甲アートにプリント注文。おりかえしプリント完了のメール。昼過ぎに自転車で、六甲アートまで行ったら、シャッター降りてる(>_<) シャッターには営業時間10:00~18:00 定休日 日曜祝日と書いてある。電話しても通じない。つまりは土曜日半ドンってことなんだろうけど、10時ごろのメールに「いつでもご来店」とあったのだから、今日は普通に営業してると思うよな。まあ文句の持っていきどころもないので、水道筋経由で1時半帰宅。
横浜-東京のサッカー中継やってるので、見るともなく流す。いちおう決勝戦で、ただし、圧倒的横浜有利な条件で、東京が優勝するには4点差以上で勝つしか無い。これって相当なハンディキャップだけど、不可能ではないはず。でも後半残り20分くらいで横浜が3-0でリード。逆ならまだおもしろかったんだろうけど…… 15年ぶりの横浜の優勝ということになるらしい。サッカーを始めとして、スポーツ全般に対して関心が薄れている。
例外のはずのプロ野球も、阪神の成績次第(^_^;)だけど。
今日の歩数は4399歩。


超大型ポンカン?? 

ショッキングピンクの曼珠沙華? 

照光寺のクロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
여덟아홉(ヨドラホプ 八九)
固有数詞を連続してつなげて言うとき、発音や綴に微妙な省略・変化が生じる。基本は
하나(ハナ ひとつ)、(ドゥル ふたつ)、(セッ みっつ)、(ネッ よっつ)、다섯(タソッ いつつ)、여섯(ヨソッ むっつ)、일곱(イルゴプ ななつ)、여덟(ヨドル やっつ)、아홉(アホプ ここのつ)、(ヨル とお)
한둘(ハンドゥル 一二)한두 (ハンドゥ 一二)한두번(ハンドゥボン 一二回)
두셋(トウセッ 二三)두셋 마리(トゥセマリ 二三匹)
서넛(ノソッ 三四)서넛 박(ソノバク 三四泊)
네다섯(ネタソッ 四五)너댓(ノデッ 四五) 너덧(ノドッ 四五) 네다섯 층(ネタソッチュンg 四五階)
대여섯(テヨソッ 五六) 대여섯 권(テヨソックォン 五六冊)
예닐곱(ィエニルゴプ 六七)
일고여덟(イルゴヨドル 七八)일여덟(イリョドル 七八)
여덟아홉(ヨドラホプ 八九)엳아홉(ヨダホプ 八九)

2019/12/06(金)●日本語崩壊
6時起床。
今朝の血圧は165/66/88。35.7℃
今週の「ア・ピース・オブ警句」はまたまた桜を見る会関連。「12月3日を「日本語が死んだ日」に」のタイトルは、招待者名簿を巡るやり取りのなかで、12月3日の野党議員と内閣府のやりとり

内閣府:「内閣府においてこの情報は保有していない」
議員:「その時の担当者に確認してきて下さいっていいましたよね?」
酒田総務課長:「当時の担当者が特定できるということは申し上げたが、確認をするというところまで確約したかというと記憶にございません」
議員:「は?」
酒田総務課長:「“わかりました”というのはそういう趣旨は理解しましたが、“必ず確認してきます”と承諾したということではありません」


これはもう日本語の破壊というしかないという意味だろう。
これまでほとんど見たことのないNHKのあさイチという番組を見る。作家川上未映子のトークショーで、有田のつる姫から、この番組で息子の本が紹介されるから見るようにとのメールもらったため。川上の新作「夏物語」が毎日出版文化賞を受賞したことからの企画らしい。紹介された本は『ねこのジョン』なかえよしを・作 上野紀子・絵 金の星社、『子どものための哲学対話』永井均・著 内田かずひろ・絵 講談社、『日出処の天子<完全版>』山岸凉子 KADOKAWA、『日本文学全集』(「たけくらべ」樋口一葉) 河出書房新社、『歌集 ひとさらい』笹井宏之 書肆侃侃房。
川上の仕事場の映像もあって、パソコンのディスプレイ前にわざとらしく置かれていたのが大島弓子の「バナナブレッドのプディング」だったに目を惹かれた。
午後、王子動物園でまぬうに挨拶、ったって、ペッキーはりんご箱で相変わらず熟睡してるし、イーリスは裏の檻で不機嫌そう。
バスで三宮に出て、三宮図書館で川上の本2冊借りる。
そのあと元町まで歩いて、阪神理容で散髪。
今日からルミナリエらしい。ちょこっとだけ冷やかそうとかとも思ったが、大丸前から延々と続く行列見ただけで、もう、パス(^_^;)
JRで7時帰宅。
今日の歩数は4728歩。


川上未映子 

笹井宏之歌集「ひとさらい」紹介 

薔薇 

今日のまぬう ペッキー 

イーリス 

ピントロング 

ペンギンの雄叫び 

黒鉄黐 

ルミナリエ行列 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
양극화[両極化](ヤンgグックヮ 格差、両極化、二極化)
양극화は、韓国でも大きな社会問題になっている。양극화という単語はいろんな分野で否定的な意味として使われている。
양극화사회[両極化社会](ヤンgグックヮサフェ)
한국사회[韓国社会]는 여러분야[分野]에서 양극화[両極化]가 확대[拡大]되고 있다.(ハングクサフェヌンヨロブニャエエソヤンgグックヮガファクテデゴイッタ 韓国社会はいろんな分野で格差が広がっている。)
양극화사회[両極化社会]는 사회학[社会学]의 중요[重要]한 연구[研究]테마입니다.(ヤンgグックヮサフェヌンサフェハゲジュンギョハンヨンgテマイムニダ 格差社会は社会学の重要な研究テーマです。)
격차[格差](キョクチャ)
빈부격차[貧富格差]는 나라 전체[全体]에 경제적[経済的], 사회적[社会的] 불안[不安]을 야기한다.(ピンブキョクチャヌンナラチョンチェエキョンgジェジョクサフェジョクプラヌルヤギハンダ 貧富の格差は、経済的、社会的不安を国家全体にもたらす。)

2019/12/05(木)●"化石賞"(^_^;)
6時半起床。
今朝の血圧は178/79/81。35.5℃
午前中部屋ゴロ。
昼から自転車で大安亭へ。コミスタ図書室でいろいろ拾い読み。ここは一般図書館と違って、本の入れ替えはあまりなく、昭和の本棚みたいな感じで、ちょっとしたタイムスリップが楽しめる。今日は開高健の大型本「オーパ!OPA!」、森崎和江「からゆきさん」、幸田文「きもの」などを冷やかす。
大安亭で買い物して、5時半帰宅。
2日からマドリードで開かれているCOP25(地球温暖化防止会議)で、日本が「化石賞」を受賞した。同賞は温暖化対策に後ろ向きな姿勢を示した国に贈られるもので、今回は他にブラジルとオーストラリアが受賞。日本は梶山経産相の「石炭火力発電利用継続」の政府方針を示したことからだが、今年の豪雨、台風被害も温暖化によるものと見なされたらしい。
今日の歩数は4221歩。


スキヤのちーちゃん 

マーガレット 

Morris.の定番(^_^;) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
청첩장[請牒狀](チョンgチョプチャンg 招待状)
청첩장は主に結婚式の招待状をいう。
結婚式以外の一般的な「招待状」は日本語と同じ초대장[招待状](チョデジャンg)が使われる。
결혼식[結婚式]을 올릴 때는 청첩장[請牒狀]을 준비할 필요[必要]가 있습니다.(キョロンシグルオルリルッテヌンチョンgチョpチャンgウルチュンビハルピリョガイッスムニダ 結婚式を挙げる際は、招待状を用意する必要があります)
벚꽃을 보는 모임 초대장[招待状]이 도착[到着]했다(ポッコチュルポヌンモイムチョデチャンgイドチャッケッタ 桜を見る会の招待状が届いた)

2019/12/04(水)中村哲医師銃撃死(>_<)●
6時半起床。
今朝の血圧は170/69/59。35.9℃。
午前中は部屋ゴロ(^_^;)
午後は、ちょっとした作文の下書き。原稿用紙3枚という短いものなのになかなかはかどらず、下書きというより叩き台みたいなものしかできなかった。最近どうも文章を書く(打つ?)のが億劫になってきてる気がする。この日記の文章もごくごく短くなってる。それなのに、時間ばかりかかってしまう。呆けてきてるのかもしれない。「失語症」という言葉が頭を過る。
アフガニスタンで30年にわたって農業用水路の整備など復興に献身してきた中村哲医師が銃撃されて死亡したとのニュース。車で工事現場に向かう途中、何者かの銃撃を受け、別の車でカブール治療のため搬送される途中に死亡したという。享年七十三。
彼のことは複数の著者の本の中で、とりあげられて、名前と献身的活動の一端は知らされていたが、今日の突然の悲報。タリバンは銃撃に加担していないという声明を出しているが、いずれにしてもかけがえのない命が失われたことは事実である。
今更ながらWikipediaで彼のアウトラインをチェックしたら、彼が作家火野葦平の孫であることや、ハードボイルド作家原尞と高校の同級生だったなどということを知った。
0歩(^_^;)

ブレックファースト 

中村医師アフガニスタンで(>_<) 

今宵は上弦 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
육개장[肉狗醬](ユッケジャンg ユッケジャン)
육개장は牛肉のほか、고사리コサリ ワラビ)、콩나물(コンgナムル 豆もやし)などの野菜を辛く煮込んだスープ。
육개장はもともとは개장[狗醬](ケジャンg 犬肉のスープ)である。邪気を払うとして葬式で食べる料理でもある。육개장のなかにうどんを入れて食べる육개장우동(ユッケジャンgウドンg ユッケジャンうどん)」がメニューとして提供される店もある。カタカナで書くと牛肉の刺身の육회[肉膾](ユッケ)と混同しやすい。
Morris.も、ずっとユッケジャンのことを刺し身のユッケから来たものと思ってたがたしかに、ユッケは載ってなかった(^_^;)
이 육개장[肉狗醬]은 맵고 맛있다.(イユッケジャンgウンメプコマシッタ このユッケジャンは辛くておいしい。)

2019/12/03(火)寝屋川京田辺方面●
6時起床。
今朝の血圧は166/92/72。35.6℃
自転車で摩耶倉庫へ。
矢谷くんと、午前中は寝屋川のアメリカ向けピックアップ現場。
午後は京田辺のインドネシアからの荷物配達。
午後6時帰宅。
ムックさんリーダーのジョン中川バンドが12月1日に和歌山で開かれた「第13回南紀おやじバンドコンテストでベストオリジナル賞を受賞したとのニュース。ムックさんの「みなとまち」はMorris.も以前から大のお気に入りである。このコンテストは今回が最終回だったらしい。なにはともあれおめでとう\(^o^)/
福津の深町さんからクリスマスカード。飛び出す絵本式のちょっと派手なディズニーキャラクターのカードでちょっとMorris.には似合わないけど、感謝!!
今日の歩数は4529歩。


ムックさんベストオリジナル賞(^o^) 

西郷川公園夜景 

福津の深町さんから 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
하자[瑕疵](ハジャ 傷、欠陥、欠点)
「本来あるべき価値などが損なわれている」という意味。日本語では法律用語として使われることがほとんどだが、韓国では法律用語だけでなく、「欠陥、傷」という意味でもしばしば使用される。 「瑕疵」で「かし」と読むのもかなりの難読だし、この漢字書ける日本人なんて一割いないんじゃないかな。
하자 제품(ハジャチェプム 欠陥製品、わけあり製品)    
하자담보[瑕疵担保](ハジャタムボ 瑕疵があるとき、売り主や物を引き渡した人が負うべき担保責任)
전자체품[電子製品]을 사용[使用]하는 [中]에 하자[瑕疵]가 발생[発生]했다. (チョンジャチェプムルサヨンgハヌンチュンgエハジャガパルセンgヘッタ 電気製品を使用している途中に欠陥が発生した。)

2019/12/02(月)ヘビーローテーション●
6時半起床。
今朝の血圧は183/81/60。35.5℃
朝から雨。
それをいいことに昼間で部屋ゴロ。
午後は参院本会議のTV中継やってるのでいちおう流しておく。
集中審議と違って、質疑応答なしで、安倍総理のコメントは全く誠意のかけらもない。今回の桜を見る会事案の火付け役、共産党の田中智子の質疑も暖簾に腕押し、阿部側にすれば臨時国会残り少ないし、今日さえ乗り切れば、後は来年まで直接の応答はないから、一段落という思惑なのだろう。
雨のやみ間に自転車で神鋼病院まで出向きATMで家賃振込み。
その後は、最近すっかりはまってしまった、チャンユンジョンの「木浦行き鈍行列車」の練習。この曲は今年の春頃のリリースされたらしいがMorris.は全く知らずにいた。。You Tubeで偶然「ミストロット」という番組で歌ってる動画見て、いっぺんで参ってしまった。
結婚、出産のあと、何となく生彩を欠いてる感じで、もう終わったのかなと思ったりもしたのだが、この歌は素晴らしい。惚れ直した(^_^;) 特にこの動画の感情移入したユンジョンの表情は神々しいほど。ここしばらく機会があればこの曲聴いてた。バックにヘグム(奚琴)が使われてるから、「コッ(花)」、「チョッサラン(初恋)」、「エガタ(焦心)」に繋がる系統だろうが、出だしは典型的トロット(韓国演歌)の曲調である。
s
목포행 완행열차  장윤정 木浦行き鈍行列車 チャンユンジョン
작사 신유진 작곡 임강현 作詞シンユジン 作曲イムガンgヒョン

목포행 완행열차 마지막 기차 떠나가고 木浦行き普通最終列車が去り行き
늦은 밤 홀로 외로이 한잔 술에 몸을 기댄다 深夜一人寂しく飲む酒に身を任せる
우리의 사랑은 이제 여기까지가 끝인가요 二人の愛はここまでで終わりでしょうか
우리의 짧은 인연도 여기까지가 끝인가요二人の儚い縁もこれっきりなのか
잘가요 인사는 못해요 아직 미련이 남아서 別れの言葉もでない まだ未練があるの
언젠가 우리 다시 만나는 그날 いつの日か再び相まみえる日
 그냥 편히 웃을 수 있게 安らかに笑えるように
그냥 편히 안을 수 있게 心おきなく分り合えるように


タイトルと歌いだしのフレーズは、懐メロの名曲「テジョンブルース」の歌詞の最後のフレーズそのままである(^_^;)
しかしこの歌は細かいこぶしがあって、なかなかMorris.には難曲である。キーがAmなので何とか弾き語りできるくらいにしたいのだけど。
今日発表された今年の流行語大賞は、ラグビー日本のキャッチフレーズ「ONE TEAM」に決まった。これはもう初めからわかってたような結果。来年の東京オリンピックにも流用しようという考えだろう。ずっと前の阪神のキャッチフレーズ「チーム一丸」と似たようなものだけど。
今日の歩数は2733歩。


「責任」口だけ 

枇杷の花 

チャンユンジョン 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
스마트폰 노안[老眼](スマトゥポンノアン スマートフォン老眼)
スマートフォンを長時間見続けることが原因で、目を傷めて老眼の状態になること。実際は老眼になる年齢ではない、比較的若い世代の老眼が増加しているといわれている。

2019/12/01(日)紅葉の離宮公園●
7時起床。
今朝の血圧は159/51/82。36.1℃
朝の三点セット。
昼前に部屋を出てJRで鷹取下車。
須磨図書館に寄ってから、須磨離宮公園。バタフライガーデン覗いたが帳は一匹もいない。今日から12月である。温室ではポインセチア展演ってたがあまりおもしろくはない。それより二回の白いダチュラが美しい。
今日まで紅葉まつりとのことだが、どうも今年の紅葉はあまり色づきがよくない。いつもの一番奥の小噴水公園でくつろぐ。陽射しがある間は結構温かい。
3時過ぎると小公園は日陰になるので、ふらふらと一周りして、鷹取のマルハチで買い物して、5時半帰宅。
今日の歩数は6203歩。


天井川 

多肉植物 

皇帝ダリア 

薔薇 1 

薔薇 2 

薔薇 3 

紅葉 1 

紅葉 2 

紅葉 3 

ダチュラ 

噴水公園 

紅葉と十月桜 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
용병[傭兵](ヨンgビョンg 助っ人、傭兵)
軍事用語で용병(ヨンgビョンg、傭兵)とはお金で雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵をいうが、韓国のスポーツ界では、外国人選手をよく용병と表現する。普通の生活では助ける人の意味の도우미(トウミ)を使う。その他、협력자[協力者](ヒョムニョクチャ 協力者)や조력자[助力者](チョリョクチャ 助力者)などがある。
프로농구[籠球]의 우승[優勝]은 용병[傭兵]에 달려있다.(プロノンgグエウスンgウンヨンgビョンゲタルリョイッタ プロバスケットボールの優勝は助っ人次第だ。)

【看板建築 : 昭和の商店と暮らし】萩野正和監修 ★★★ 2019/06/03 トゥーヴァージンズ
藤森照信の著書で、看板建築には関心持つようになった。本書は東京中心なので、Morris.にはあまり利用価値はなさそうだった。東京の看板建築なんて、どんどん取り壊されていく運命にあるだろう。いや、関西でもどこでも同じよな傾向にある。看板建築という名前からして、恒久的建物とは相反するもんね。
それでも巻末にあった用語集は、これからの建物観察に役に立ちそうである、一部引用する。


アプス--聖堂などでみられる祭壇の裏側に聖像などを安置するための壁の窪んだ部分。壁龕(へきがん)
一文字書き--金属板などの平面を水平方向に一直線上に書く手法
オーニング--建物の日よけ・雨よけテント
型板--表面に型模様を彫り込む加工をしたガラス
唐破風--そり曲がった破風
カルトゥーシュ--バロック建築様式に用いられた文字や紋章の壁面装飾額
コーニス--建物の軒や壁面にまわした水平材。蛇腹
ドロップアーチ--ゴシック建築に見られる先端の尖ったアーチの一種
辰野式/クイーン・アン様式--建築家辰野金吾が好んで多用した様式。レンガと石を交互にまわして外壁を構成する賑やかな壁面と、瓦やスレートによる勾配屋根が特徴
出桁造--江戸から大正時代に多く見られた一般的な商店建築様式。梁(腕木)を柱の外に突出して出桁を乗せ、その上に垂木架けて瓦屋根を支える構造
妻入り--入口が棟と直角方向(八の字になる側)にある建築様式。出雲大社
デンティル--西洋建築の軒下に見られる垂木を模した歯状装飾。歯飾り
ドーマー窓--屋根から突き出した小さな空間を持つ窓
塗屋造--外壁に土や漆喰を塗り込んで防火的にした建築様式
斜碁目(はすごもく)--下地に対して斜めに碁目編みした模様
破風--三角形の屋根と水平材に囲まれた壁面
バラック装飾社--関東大震災発生直後に今和次郎が仲間と「バラックを美しくする仕事一切を引き受ける」べく結成した活動体
パラペット--建物の屋上やバルコニーの外周部などに設けられた低い立ち上がりの壁
パルメット模様--シュロの葉を扇状に開いた形状の装飾
平入り--入口が棟と平行した軒先側にある建築様式
ファサード--建物の正面部分
ペディント--西洋建築における切妻屋根の庇の斜材と水平材に囲まれた三角形の部分
ベネチアンゴシック--イタリアのベネチアで見られる半野外の列柱空間を持つ建築様式
マンサード屋根--二方傾斜をもつ腰折れ屋根の形式の通称。正しくは「ギャンブレル屋根」
メダイヨン--肖像画やシンボルなどを描いた楕円形の装飾。メダリオンとも
モールディング--凹凸のある部分に施される帯状の縁取り。繰形(くりかた)
持ち送り--梁や庇など張り出した部分を支える補強材
雷紋--連続した方形の渦巻状の文様
卵鏃(らんぞく)--ルネサンス期に流行した、卵と鏃を交互に並べた文様
ロンバルディア帯--コーニスの下に設けるアーチが連続した帯状の飾り








【2019年】
11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2018年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2017年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2016年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2015年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2014年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1 月
【2013年】   12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2012年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2011年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2010年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2009年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2008年】   12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2007年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2006年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2005年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2004年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2003年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2002年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2001年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2000年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【1999年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
top 歌 集 読 書録 植 物 愛 蔵本 韓 国 リン ク集 掲示板
inserted by FC2 system