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Morris.日乘2009年11月 

Morris.の日記です。読書記録、宴会散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。 
今月の標語
Morris.カ・ン・レ・キッ!

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【2008年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月

2009/11/30(月)●降圧剤攻防(^_^;)●

7時起床。
今朝の血圧は183/106/82。
降圧剤が残り少なくなってしまった。
9月の韓国旅行をきっかけに、この日記で毎日血圧、脈拍、歩数を記入しているので、Morris.の高血圧は一部では有名かもしれない(^_^;) 現在の高いほうの平均は180くらいである。今年の春先まではこんなもんじゃなかった。
春先にめまいをおぼえて、金沢病院に行ったら、まず血圧計って、何はともあれ降圧剤をということになり、ディオバン40mgという錠剤を毎日一錠ずつ服用している。このおかげで血圧は20〜30くらい下がってると思うのだが、先生はこれではまるで不充分だという、それで、診療のたびにもっと強い薬にするよう勧められる。Morris.はとりあえずこれで様子をみようということで、同じ薬の続投を要求している。しかし、今日はかなりお互いが感情的になってしまったようだ。
いちおう60日分もらうことができたので、次の診療は来年ということになるのだが、ちょっと通院に嫌気がさしてきた。
帰りは病院すぐそばの都賀川でミニギター練習。今日もクラリネットアジョシがいたので、しばらく伴奏させてもらったが、1音低いというのがネックである(>_<)
5時前に帰宅。
KBSアーカイブで「歌謡舞台」見る「健康で百歳まで」というタイトルで、年配歌手中心のプログラム。ノレチャラン司会のソンヘさんが、歌手として登場して「ホンドヤウルジマラ」歌った。またキムヨンジャも登場。彼女は今年から日本韓国半々くらいの活動をやると言ってたから、本国での始動の一環なのだろう。
今日の歩数は5907歩。


不思議な白い葉

都賀川夕景

今日のMorris.ステージ 

水道筋の夕日

水道筋路地CATS

御馴染み

【砂漠】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 3冊目である。とりあえずこれまで読んだ中で一番面白かった。東西南北を苗字に持つ4人ともう一人の大学新入生4人(もう一人鳥井を入れて5人)の交友を春夏秋冬4章に分けて描いた構成で、エピソード風な4年後の短い春の章がおまけについている。この苗字は全体を通して頻繁に行われる麻雀とリンクしているようだ。
本書にも前読んだ本に出てくる一種の超能力を持つ女性や、新進政治家の雛形みたいなのも出てくるし、社会批判みたいな部分もあるし、伊坂という作家の拠って立つ何かがあるのだろうが、あまりこれが続くとちょっと厭になるかもしれない。

「賢くて、偉そうな人に限って、物事を要約したがるんだよ」
「と言うと」
「超能力はこうだ、とか、信じる人はどうだ、とかね。たとえば、映画を観ても、この映画のテーマは煮干しである、とかね、何でも要約しちゃうの。みんな一緒くたにして、本質を見抜こうとしちゃうわけ。実際は本質なんてさ、みんなばらばらで、ケースバイケースだと思うのに、要約して、分類したがる。そうすると自分の賢いことをアピールできるから、かも」
言えてるかもしれないな、と僕は餃子を、醤油ダレの小皿に浸けつつ、うなずいた。それから、煮干しがテーマの映画とは何だ、と思う。


サンテグジュペリの「人間の土地」からの同じ部分の引用が登場人物二人の台詞の中に出てくる。

「人間とは、自分と関係のない不幸な出来事に、くよくよすることだ!

彼方で人々が難破している時に、手をこまねいてはいられない!」

「どこか遠くの彼方にはなんぱしている人たちがいるんだ、こんなに多くの難破を前に腕をこまねいてはいられない、我慢しろ、今、ぼくらのほうから駆けつけてやるから!

にんげんであるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に忸怩たることだ」

巻末の参考文献には新潮社版堀口大學訳の「人間の土地」があげられているが、上の二人の引用ではどちらも、Morris.の嫌う「腕をこまねいて」になっている。堀口訳がどうなってるのかたしかめたくなった。

一向に、本作のストーリーなどに触れないでいるが、これはMorris.の作為である。
もうしばらく伊坂読んでみよう。

【エミリー】嶽本野ばら ★★☆☆ 「レディメイド」「コルセット」「エミリー」という3篇の短編が収められている。
例によってMorris.の聞いた事も無い横文字の衣服メーカーの名前がどんどこ出てきて、それを異常に好む登場人物たちが二人だけの世界を飛行するというシチュエーションになっている。
そして二人は

「『卒業』という映画がありますよね。あの映画が、僕は嫌いです。ラストシーン、結婚式を行っている教会に、主人公が乗り込んで、花嫁を連れ去ってしまうシーンが僕は嫌いなんです。世の中では、名場面とされていますけれど。あんなことをしでかして、あの主人公は奪った花嫁を幸せにすることができるんでしょうか。あんなふうに式をぶち壊されたら、花嫁はもう親や親戚、友人らに合わす顔がないですよね。花嫁にそれだけのリスクを負わせても自分の感情のままに行動するという主人公の傲慢さが、僕には理解できない」
「私もあの映画は好きじゃありません。残された花婿のことを考えずに、主人公についていく花嫁の気持が、理解できないです。きっと新婚生活の為の家や家具も用意してあるんです。あの主人公と花嫁は我儘です。あのラストを観て、私は全く爽快な気持になれませんでした」(「コルセット」)


こんな会話をしたりしてる。いや、じつはMorris.も『卒業』に関しては同感なのである。でもその二人がやろうとしていることは、それ以上の理不尽さだったりもする。
表題作では、幼児期に性的トラウマを持った娘とゲイとの恋物語だが、これがまた出口なしの展開になっている。
どうせとんでもない世界を描くのならあの「下妻物語」くらい、アグレッシブな登場人物にしてもらいたかった。

2009/11/29(日)●TV漬け●

7時起床。
今朝の血圧は183/106/82。
ベッドで、昨日稲田さんから借りた島田虎乃介の「東京日記」を読む。やっぱり、凄い。ついつい3回も読んでしまった。個人的には「トロイメライ」の方が上出来かと思うが、こちらはテーマが小津安二郎で、Morris.は彼の映画ほとんど見ていないというのが、ネックになってるのかもしれない。それでも、彼の漫画のセンス、作品志向と密度と完成度の高さは、凡百のものとは桁外れのものがあると思う。おしまいに寺山修司の歌が二首使われてて、懐かしくなり、久しぶりに角川文庫版の「寺山修司青春歌集」を引っ張り出してみた。引用されてたのは「チェホフ祭」の冒頭にある

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

と、初期歌篇中の

わが夏をあこがれのみが駆け去れり麦藁帽子被りて眠る

だが、「まきしのみに」「駆け去れり」などという、やや生硬な表現を含む二首をわざわざ択ぶあたりも田中の癖のあるところかもしれないな。
昼前に置き出して、冷蔵庫の残り物でサンドイッチ作り、TVで吉本新喜劇、見て2時から天理-関学のラグビー見る。前半は面白かったがやっぱり体力気力が勝る関学が余裕で買って関西リーグ優勝を決めた。
夜は内藤-亀田のボクシング。個人的には内藤を応援したのだが、12ラウンド闘って亀田の圧倒的判定勝ち。内藤は鼻がものすごく腫れあがって可哀相だった。
そのあと12chにチャンネル回したら、オーケストラ演ってて、N饗かと思ったが、読売交響楽団で、指揮者のタニスラフ・スクロヴァチェフスキという爺さんがやたら動きが面白かったし、演目のバルトークの管楽器協奏曲というのもクラシックとは思えないくらい遊びのある楽しい曲だったのでついついしっかり観てしまった。
12chにしたのは日本と朝鮮半島の特集を見るためで、こちらは、豊臣秀吉の朝鮮侵略が今回のテーマで、大筋は戦争の経過と李瞬臣と亀甲船の話が中心で代わり映えしなかったが、九大教授の話で、慶長の役と文禄の役では戦の目的と形態がまるで違うというのは、興味深かった。
唐津の名護屋城が、当時としては馬鹿でかいものだったことや、この前初めて訪れた有田の李三平の磁石の山の映像なども出て懐かしかった。次回は朝鮮通信使(12/27)らしい。
今日の歩数は0歩(>_<)

2009/11/28(土)●八幡神社CATS●

7時起床。そのまま9時過ぎまでベッドで読書。
今朝の血圧は163/108/91。
洗濯、風呂済まして、昼から阪急で六甲学生青年センターへ。今日は求める会の「収穫祭」ということで顔を出したのだが、今回はいつも楽しみにしてた豚汁は無いとうい情報を先にもらってたので、もう一つ盛り上がらない。
久しぶりに信長さんに会うことができたけど、忙しそうだったので、ほとんど話もできず。豚汁の代わり?に頼んだ野菜カレーもいまいちだったし、稲田さんと珈琲&デザートいただいてちょこちょこと話したくらい。このまえ中央図書館で見つけた島田虎乃介の「トロイメライ」と「東京命日」を稲田さんから貸してもらえることになったので、それを受け取りに行ったようなものだった。
帰り六甲八幡神社で猫撮影。今日は6匹もいたので、撮り甲斐があった。
そのまま歩いて水道筋まで戻り、八幡温泉前の照光寺境内の「鬼塚古墳」など冷やかし、リサイクルショップで薄手のガラスのティーカップ&ソーサー、お洒落なワイングラス2客買う。
3時半帰宅。早速ティーカップ使ってみる。もしかしたらこれはアイスティー用なのかもしれない。いちおう耐熱ではあるようだけど、この華奢さだと、いつまでも保つことやら(^_^;)
今日の歩数は7666歩。


八幡神社猫その1 

八幡神社猫その2

八幡神社猫その3

八幡神社猫その4 

八幡神社猫その5 

八幡神社猫その6

春日神社の樹齢500年?の大楠

神前町の黒雉

紅い実(^_^;) 

都賀川畔紅葉

鬼塚古墳跡

水道筋の美猫

【秘密の本棚】いしかわじゅん ★★★☆ 先日中央図書館で見かけた「漫画ノート」があまりに細切れのコラムみたいなので、ぱらぱらと見て、読むのをやめたが、本書はそれに比べるとちょっと長めである。あとがきによるとこれはネットで発表したものらしい。
「漫画と、漫画の周辺」と副題にあるとおり、新旧取り混ぜての漫画家、作品の話はもちろん、いしかわ個人の漫画歴、明大漫研の先輩後輩、、アシスタント群像、編集諸氏との交遊など、多岐にわたっている。ネット書き流しの雑なところもあるが、やっぱり漫画を見る目は凄いものがある。かなり辛口だったり、自弁っぽい部分も目立つが、かえってそういった部分が面白くもある。
矢作俊彦がダディグースというペンネームでアメコミタッチで漫画描いてたといのは本書で初めて知ったし、佐藤まさあきの不思議さ、山田詠美と原律子の接点、山松ゆうきちのインド行き、のだめの二ノ宮知子の酔っ払いぶりなど、エピソードとしてだけでも興味深かった。
NHKの「BS漫画夜話」の話題もかなり頻繁に出てくるが、これはBS見られないMorris.にはちょっと困る(^_^;)
永島慎二を採りあげた、「ぼくらの罹ったハシカ」が一番印象に残った。

高校生になっていたぼくは、永島慎二の世界に魅了された。おそらく、ぼくだけではなく日本中の漫画少年たちが、永島慎二にはやられたのだ。多くの漫画新世代の読者たちが、永島慎二には夢中になった。。全存在を懸けてきたものには、全存在で返すのだ。それが礼儀というものだ。
しかしその読者たちは、ある日ふと思うのだ。自分が夢中になっていたものは、ずいぶんと浅いものではなかったか。わかりやすい分、単純で薄っぺらい価値観に、ぼくたちはのぼせ上がっていたのではないか。
人生をわかったように語られ、示されたようn見えた道も、また新たな迷路であったにすぎない。難解に見えた韜晦も、ただの世捨て人の世迷い言であったのかもしれない。あれほど魅力的だった絵も、よく見ればモジリアニやシャガールやビュッフェの翻案にすぎないようにも見える。
大学生くらいになると、少しは遠くが見えるようになる。その目で見た永島慎二は、急に色褪せることになるのだ。
こうして、永島慎二は若いころにかかるハシカと認定され、長い間、評価の対象から外れていた。


実はMorris.も、これとほとんど同じような思いを持っていた。何か懐かしさより気恥ずかしさを感じるのだ。しかし、いしかわは、そこにとどまらず、再検証を試みている。

読み返してみれば、『漫画家残酷物語』も『フーテン』も、もう少し後に描かれた『若者たち』も、青臭く懐かしい作品だ。
この時期、彼らは真摯に生きたのだ。
確かに、表現はあまりにも直接的で、甘く安易な部分も多かった。しかし、真実はあった。その真実こそが、ぼくらを動かしたのだ。人格形成期にあったぼくらの心を揺すぶり、ほかの誰でもない永島慎二という存在を際立たせたのだ。
ぼくらは永島慎二を過剰に大きくし、そして過剰に落胆したのだ。
若き日の永島慎二が薄っぺらだったのと同じように、幼き日のぼくらもまた、未熟だった。永島慎二の意味を充分に理解できないほどに、未熟だったのだ。


うーーむ、その通りである。ここまで思いが及ばないあたりが、Morris.の精神回路が膠着化してる証拠なのかもしれない。こうなると、やはり「漫画ノート」も読んでおかねばという気にさせられてしまう。

2009/11/27(金)●動物園ガイド●

7時半起床。
今朝の血圧は測り損ねた(^_^;)
二人で缶ビール持って屋上に上がり、即席神戸案内に代える(^_^;)
昼から、王子動物園を案内。佐賀県には大きな動物園が無いので、かなり興味深く見物してくれた。まぬうもいたし、ひととおり見て回る。象のセックスというサービスもあって(^_^;)なかなか面白かった。
Morris.指定席(SL食堂車)で珈琲のんでくつろぎ、帰り道、例の神戸文学館(旧関学チャペル)、原田の森美術館の書道展など冷かして2時前に帰宅。また軽く飲んで3時半頃バスで新神戸まで見送りに出る。ちょっと時間があったので新神戸駅裏の谷間に行く。ここで、ちょっと酔ってたMorris.は、またも片足水の中に突っ込んでしまった(>_<) 大したことはなかったけど、危うく修理終わったばかりのデジカメ水に落っことすところだった。
馬場君を見送った後ふらふらと三宮まで下って、富士商会でインク買って6時前帰宅。酔いと疲れでそのままバタンキュウ。
9時半に目覚ましで起きて、「おひとりさま」見て、また寝る(^_^;)
今日の歩数は15906歩。


屋上から五色の雲を望む 

屋上で記念写真

コロちゃんと

後ろ向きパンダと 

今日のまぬう 

お約束の熊写真

ハンター邸

駝鳥

キリン 

Morris.指定席 

象のセックス(^_^;)

雪豹

神戸文学館内部 

書道展学生の部 

新神戸駅裏にて 

蟷螂

白雉

ダブル雉
2009/11/26(木)●有朋自遠方来 不亦楽●

8時起床。
高校の卒業アルバムを見る馬場君今朝の血圧は173/97/83。
朝の…セット済まして、午後マルハチで買い物。それとドコモサービスセンターに寄って、メール設定変更のやり方を聴く。今回は、別のガイドブックをくれたので、何とかなりそうだった。こんなことなら前回このガイドブックをくれればよかったのに。
今夜は中学以来の友人馬場茂君が大津で何かの表彰式に出席した後、Morris.亭に泊りに来るので、ビールと日本酒(「立山」)買い、アテに牛蒡の金平(この前のリベンジ)、蛸酢、納豆オクラなど用意して、晩御飯のおかずに麻婆豆腐作る。
夜7時半頃馬場君到着。さっそく飲み始める。押入れから武雄高校の卒業アルバム引っ張り出して、二人で見る。Morris.はほとんど忘れてるのに地元で小学校の先生やってた馬場君はさすがに同窓生の動向をよく知ってる。数人の訃報も知らされる。同窓生の子供らも何人も教えたりしたようだ。彼は今年度で退職である。最後が故郷の橘小学校の校長と言うのも、双六の上がりみたいで収まりが良い。父親の吾一さんもたしか同じだったと思う。
結局二人で日本酒飲み干して就寝。
今日の歩数は5002歩。

2009/11/25(水)●図書館でネット接続挫折(>_<)●

8時起床。
今朝の血圧は142/71/89。
午前中は部屋でごろごろして、昼から、JR神戸駅に出て、中央図書館へ。
今日は別館3Fの無線LANサービスをを使ってみるためにちびくろ2号持参。
平日だから、席は空いてたので、さっそく受付で貰った接続ガイドの通りにやってみることにした。
1.スタートボタンの「接続」で「ワイヤレスネットワーク接続」を選択して、
2.「ワイヤレスネットワーク接続の状態」画面から「プロパティボタン」をクリックする。
あれれ、ちびくろ2号ではこの状態で「プロパティボタン」が見つからない。
よくわからないままにいろいろ触ってたらなんとか「FREESPOT認証画面」が表示されて、携帯電話のメールアドレスを入力して送信する。これで、Morris.の携帯電話に10時間有効なIDとパスワードが送信されるはず。
しかし、まてど暮らせどメールは来ない。何度かアドレス確認して再送信したが、そのたびに返信しましたの表示は出るもののメール来ない。もしかしてアドレス間違えてるのかもしれないと思い、秋本君にメールして自分の携帯アドレスコピーして送ってもらう。
携帯電話で自分のメールアドレス見る方法がわからなかったのだ(>_<) その結果アドレスは間違いないことがわかった。
そうか、Morris.は迷惑メールのラッシュに対応するため、PCからのメールは受信拒否にしてた。きっとこれが原因だろうと思う。だが、実はMorris.はこの受信拒否のやりかたがわからなくて(取扱説明書何度読んでも駄目だった)ドコモのサービスステーションでせっていしてもらったのだった。これを解除しようとしたが、設定のやり方わからないのだから、結局駄目だった。30分以上いろいろやってみたがどうにもならなくて、今回はLANサービスは断念することにした。
まあ、机と電源もあるので、編集作業などは出来るわけだが、これでは面白みがない。調べものするときインターネットで調べて必要な書籍をすぐ請求して閲覧できるというのが、図書館での利用の眼目だろうから、ネット接続できないということはほとんど無意味だろう。
またドコモのサービスセンターに行って、今度は自分で設定できるようにきちんと教えてもらわなくては。
と、いうことで、今日のネット接続は断念して、ちびくろ2号かばんにしまって1F閲覧室へ。
前にも書いたが、中央図書館の漫画コーナーがなかなか充実してるので、面白そうなのを閲覧することにした。充実してるといっても物理的には棚一つ半+移動書架くらいのもので、それほど大量が揃っているわけではないが、その品揃えがなかなかのものである。
特につげ義春は全集、特集、単行本など棚一列分くらいあるし、水木しげる、永島慎二、青柳裕介、横山光輝、いしかわじゅん、西原理恵子、杉浦茂、佐々木倫子、大友克洋、島田虎乃介、「赤銅鈴之助」「漱石の時代」「サルまん」「手塚治虫初期作品」「神聖喜劇」「陰陽師」……などなど、かなり偏ってはいるものの、担当者の熱意が感じられる。
今日は青柳裕介の「初恋物語」と島田虎乃介の「トロイメライ」を読んだ。特に後者「トロイメライ」は凄かった(@_@) 植民地時代のピアノを巡って、日本人調律師とイラク人の職人、原木のあったカメルーンの若者たちが虚実ないまぜに不思議な空間を織り成していた。
これが3作目で、他にオートバイテーマの「ラストワルツ」、小津作品をネタにした「東京命日」というのがあるらしい。これも機会があればぜひ読んでみたい。
7時まで図書館にいて三宮まで歩く。今夜は月齢8.3の上弦だった。昨夜の月齢7.3の方が半円に近かったけど、これも満月と同じで必ずしも月齢とはぴったり合わないようだ。
今夜はちょっと前に買ったまま手付かずになってたキムチを消費するため、キムチたっぷりの焼飯作る。文句なしに美味しかった。
ピョンジンソプの「希望事項」をつい口ずさんでしまった(^_^;)
今日の歩数は7303歩。


これも紅葉(^_^;) 

普通の紅葉 

今日はここで挫折(>_<) 

中央図書館の漫画棚の一部 

月齢8.3の上弦 

Morris.特製キムチポックンパブ 
2009/11/24(火)●Zoo Camera Guitar●

8時起床。
今朝の血圧は168/94/91。
朝Canonサービスセンターから電話でデジカメ修理できたとのこと。今日は火曜日なので、また梅田でカメラ受け取って、サランバンにギター持って行くことにした。ハードケース蝶番部分応急修理してとりあえず、持ち運び出来るからこのまま店に置かせてもらうことにしよう。
昼前王子動物園に。まぬうは一番上の岩に坐ってたが、Morris.へのサービスなのか(^_^;)ゆっくり降りてきて地面を数回回ったり、岩登りしたりして楽しませてくれた(^_^)
カバの赤ちゃんは今日は姿を見せなかった。
今日はレッサーパンダが珍しく外部の庭をちょこまかと歩き回ってた。Morris.はもともとレッサーパンダは好きだった。ジャイアントパンダの百倍は可愛いと思う。と、いうより、あのジャイアントパンダを可愛いとは思えないのだ。
久しぶりにレッサーパンダ撮影しようとしたが動きが速くてなかなか上手く撮れない。
これまた久しぶりにMorris.の指定席SLの食堂車で写真絵葉書を何枚か書く。今日は祝日の翌日で空いてるだろうと思ってたが、保育園、幼稚園、小学校の団体ラッシュで結構賑わってた。
2時帰宅。焼きそば作って、また昔のテープを流してたら、韓国女性歌手のジャズソングのテープが出てきた。これは大学路にあったジャズ喫茶「ヤヌス」の女主人パクソンヨンの作品で、Morris.は90年代前半にはよくこの店に顔を出してたものである。今よりもっと韓国語できなかったから、かたことで、好きな女性歌手やジャズソングの話もしてた。このテープは製品ではなく、市販の生テープに手書きでタイトルが記されている。AB面5曲ずつ計10曲が収められている。密陽アリランなど2曲がインストで、パクソンヨンさんの歌は8曲、「スゥイングがなけりゃ意味が無い」「ボディ&ソウル」「アントニオの歌」など、ジャズスタンダードのほかに、韓国語の曲が2曲入っていて、そのうちのB面一曲目に収められている「ムルアンゲ 狭霧」という曲が、すごく良い。当時から気に入ってて、楽譜見つけようとしたが見つからなかった。同名の歌謡曲(ソンミギョン歌)はあるのだが、全く別の曲である。もしかしたら彼女のオリジナルかもしれない。今日全曲聴きなおしたら、最後にジャズとは全く無関係の曲が入ってた。もしかしたら、これはいわゆる健全歌謡なのかもしれない。80年代末くらいまで、韓国では歌謡曲のアルバムには必ず最後に1曲、愛国的だったり童謡みたいな歌を一曲入れることが強制されていた。ということは、このテープも元はちゃんと発売されたもので、それをダビングしたものだったのだろう。
ヤヌスは、何かの折に、ちょっとしたことで(Morris.のわがままのせい)ママと気まずいことになって、それからぱったり行かなくなってしまった。噂では10年ほど前に移転して梨花女大裏手でえいぎょうしてるとも聞いたがそれきりである。
そろそろ時効と思うので(^_^;)次回気が向いたら顔を出してみよう。もうMorris.のこと忘れてると思うけど。
4時過ぎにサランバンに常備するためのギター抱えてJRで大阪に。Canonサービスセンターでデジカメ引取り。結局今回もレンズ部分の取替えということになった。釜山でのアクシデント以前にも同じ症状でレンズ部分交換したから、今回でレンズ部分は4代目ということになる(@_@)。一台のカメラで4回も同じ部品の交換というのはちょっと異常である。購入時の価格が3万数千円で、1回目の修理代が約1万円、この前の修理代が1万4千円。つまりこのカメラにMorris.はざっと5万5千円以上支払ったことになる。レンズ部分の価格がざっと1万円とすると、このカメラ自体は購入時価格+レンズ部分×3=6万数千円、つまりこのカメラ1台でほぼ元の倍くらいの金がかかってることになる。廉価版のデジカメ一眼買える価格だな。でも今のところMorris.はこれを使い続けたい、というか、そうするしかない(^_^;)
6時半にサランバンへ。金子マスター夫妻とママしかいなかったが、ちょっとして増田さん、さらに遅れてpostmanが来て、結局今日は客は3人だけ(^_^;) Morris.は中型のギター久しぶりに弾けるのが嬉しくて、歌うより他の客のカラオケに合わせてギターに熱中。そして、修理でもどってきたデジカメに例の魚眼アダプタつけての撮影にいそしんだ。10時半過ぎにお開きで零時7分帰宅。
今日の歩数は8117歩。


今日のまぬう 

掻き掻きまぬう 

お澄ましまぬう 

桜紅葉トンネル 

センダングサ 

伊呂波紅葉

これも見事 

レッサーパンダ

ちょっとアップ 

保護色(^_^;) 

Morris.指定席前の紅葉 

コアラ舎脇の蔦紅葉

魚眼シリーズその1 

その2 

その3 

ママアップ 

金子マスター&postman 

今日のMorris.(postman提供) 

【ゴールデンスランバー】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 前に「魔王」を読んでちょっと興味をひかれての2冊目である。いや、面白かった。野党から出馬して首相になった金田が地元仙台で爆弾を積んだラジコンヘリコプタによって暗殺され、その容疑者にされてしまった青柳雅晴が逃げ回るというストーリーで、ケネディ暗殺事件を下敷きにしていることはすぐわかったが、構成が緻密で、なかなかよくできた作品である。
金田首相というのが「魔王」の新進政治家とかぶるところがあり、セキュリティポッドという市民管理システム機構など、社会的批判の姿勢も見られるし、学生時代の彼女とのかかわりやら、入院患者の複数の手助けなど、うまく全体のストーリーにからめて読み飽かさせないところなど、大したものである。

目撃情報が次々と流れる。当然ながら、すべてが正しい情報であるはずもなく、情報同士が矛盾し合うものも多かったが、テレビ局はそのことはまるで意に介さず、もしかすると矛盾自体も青柳雅春が起こした混乱で、自分たちは悪くない、とでも考えているのかもしれなかった。「仙台市内に設置されているセキュリティポッドから、様々な映像や音声が収録され、今、警察で分析中のようです」とアナウンサーが言う。セキュリティポッドねえ、と樋口晴子はソファに腰を下ろした。自分の携帯電話の通話情報も警察には調べられている。何もかもお見通しなのか、と思うと青柳雅春に同情する気持はもとより、それ以上に、監視ツールを駆使し、一般人を包囲する警察や権力者たちへの怒りを強く感じた。
「偉い奴らは紅茶を飲みながら、脚とか組んじゃってよ、俺たちのことを高見の見物してるんだぜ。腹立つよな?」と言った森田森吾の声が急に思い出された。


事件を盾に、関係者の電話盗聴、カメラによる監視の強化が、上からの押し付けでなく、市民の側から自発的になされるように仕向けられるやりかたなど、何となくじわっと怖くなるところである。
ところで、本筋とは無関係だが「高見の見物」はないだろう。ちゃんと「高みの見物」としておいてほしかった。
終盤、青柳がマンホールから逃亡する場面で、昔仲良くなった花火師連中がいっせいに花火打ち上げて逃亡を助けるというのは、読者サービスかもしれないが、ちょっとわざとらしさが強すぎると思った。わざとらしさで出来上がった小説ではあるけどね(^_^;)。
ともかく、この人のものをこれからもしばらく読んでみよう。

2009/11/23(月)●The 嵐山●

8時起床。
今朝の血圧は175/86/86。
今日はまあ良い天気である。
天気予報見たら明日からまた下り坂になってる。と、いうことで?今日紅葉狩りに出かけることにした。
Morris.はここ数年、紅葉は嵐山に決めてる。それなのに、どうも、当たりが悪い(^_^;) 
それでも結局阪急一本で行ける嵐山は、Morris.のところから交通費が一番安い紅葉の名所ということになる。
昼前に部屋を出て阪急王子公園から2回乗り換えて嵐山に着いたのが2時。うーーん、やっぱりあまり紅葉してないぞ(>_<)いや、いちおう紅葉はしてるのだが、色がぱっとしないし、単に枯れてるみたいなものも多い。それでも天龍寺境内にはそれなりに美しい紅葉が見られた。休日の晴天ということで、えらい人出である。天龍寺は大きな寺院で塔頭だけでもかなり見甲斐がある。
そのあとぷらぷらと嵯峨野、落柿舎、向井去来の墓あたりをうろつく。近くに西行井戸の跡があって歌碑があり、有名な

牡鹿鳴く小倉の山のすそ近みただひとり住むわが心かな

という歌が刻まれていた。このくらいの文字ならMorris.にも読める(^_^)
また近くに、新しく百人一首の庭園みたいなのができていて、14首ほどの大きな歌碑が配置されている。その奥の方が薄を背景にした広場になっていて、石のベンチもあったので、ここでしばらくミニギター練習(^_^;) 奥まってるのでほとんど観光客はやってこない。気持ちよく歌ってたが、4時すぎると急に冷え込んできたので、切り上げる。
結局今日は往復の電車賃\1020と、道端で売ってた柚子3ヶ\100の計\1120で済ましたことになる。安上がりの紅葉狩りであった(^_^;)
5時すぎるとすっかり暗くなって、渡月橋あたりはライトアップしてるのではないかと期待してたのだが、まるで×。辛うじて阪急嵐山駅前の紅葉が一本だけライトアップしてあったので、三脚使って撮影。月齢6.3の月と金星を一緒に写そうと結構苦労した。
7時半に王子公園に戻り、マルハチで買い物して8時帰宅。
今日の歩数は13401歩。


これは葬儀屋の看板(^_^;) 

観光客ラッシュの渡月橋 

白鷺 

貸しボート 

天龍寺の紅葉 

同じく 

同じく 

同じく 

一樹一葉の紅葉 

部分紅葉 

ここのが今日一番綺麗だった
 

何故か猫の置物 

天井に龍の図が

古井戸に飾り瓦 

枯蓮と紅葉 

蝶紋瓦(雨樋が邪魔) 

古い柱の一部 

なかなか渋い石塔s 

これは良かったけど上下がちぐはぐ 

仏足石 

すっかり観光地 

嵯峨野の竹林 

紅葉の溝蓋 

落柿舎 

向井去来の墓 

落ち紅葉 

西行井戸脇の歌碑 

今日のMorris.ステージ 

歌碑の説明 
式子内親王の歌碑 

池と紅葉 

月が出る 

お洒落な民家の門灯 

阪急嵐山駅前ライトアップ 

紅葉と月と金星 

3個\100の柚子 

【やっとかめ探偵団と鬼の栖」清水義範 ★★★☆ シリーズ5冊目で、いちおう一番新しい作品ということになるらしい。2002年発行だから、このシリーズはほとんどストップ状態なのかな。
昨日読んだ「やっとかめ探偵団と殺人魔」が3作目で93年だったから、かなりスパンが長いのかもしれない。忘れた頃に新作が出るという可能性もありそうだ。
本書は表題作と「やっとかめ探偵団と唐人お吉」の2篇が収められている。ヒロイン波川まつ尾は、相変わらず74歳、つまり、サザエさん方式で、登場人物は年を取らないことになってるようだが、時代背景は発行年に準じている。
表題作は幼児虐待、次作は水商売時代の昔の男(チンピラ)に付きまとわれて掴みかけた幸福を逃す女性の話と、結構暗いテーマなのだが、例によって眼目はストーリーではなく、四方山の薀蓄、名古屋のdeepな紹介などを楽しめばそれでよい。

近頃の若あ人は、なんでも気に入った物を欲しがってまって、我慢するということができない。欲しい物は手に入って当然で、そうでなければ自分がひどい目にあっているかのように感じてしまう。
誘惑だらけの世の中であり、しかも、たとえ現金を持っていなくたって物が買える仕組にになっているのだ。その店のカードを出せば、何回払いにしますか、ときいてくる。自動的にローンになってしまうのだ。
サラ金のCMはうんざりするほどテレビから流れてくる。どんどん金を借りて、欲しいものは全部買えと世の中があおっているのだ。


これはMorris.、ずっと前からそう思ってたことだ。TVに限らず、マスコミで何であのように大っぴらに高利貸しのCMを垂れ流しにしておくのか、理解に苦しむところである。

一般的に言って、愛知県では、若者が大人びた発言をする傾向が、他の都市より強いような気がする。社会人になるとあっという間に、いつまでも世間知らずな子供じみたことは言っとれんがや、という考え方をするようになるのだ。世の中に通じたいっぱしの大人を高く評価する風潮があるのかもしれない。
そのことは、悪く言えば、エネルギーに満ちた若者文化が育ちにくい、ということになるのだが、よく言えば、社会秩序がよく保たれる、ということだ。


こういった何気ない指摘も、名古屋インサイダーの著者ならではの物言いだと思う。清水は名古屋への愛着を持ちながら、ただお国自慢するのではなく、長所、短所見究めた上で適切な分析をしてる姿勢が好ましい。
ストーリーは置いとくと言ったが、2作目の不幸な女性が、縁もゆかりもない他人を、チンピラ殺害のための青酸ソーダの毒見で殺してしまうという展開は、あんまりだ。これは絶対避けるべきだったと思うぞ。ネタバレになるけど、これは明らかに清水のミスだと思うので書いてしまう。
探し回ってまで読むほどのことはないが、また目についたらシリーズ他の作も読んでみよう。

2009/11/22(日)●金平自滅(>_<)●

8時起床。
今朝の血圧は190/100/81。
昨日買っておいた牛蒡で、久しぶりに金平作る。
焦げ焦げ金平(>_<)牛蒡笹掻き、人参細切り、鶏肉細切れにして唐辛子刻んで、油で炒め、出汁、味醂、醤油加えて水気を飛ばすだけ。あ、胡麻を多めに振りかける。本当は少し蒟蒻入れるといいのだけど、買い忘れたので省略。これだけで充分美味しい金平が出来るはずだったのだが(^_^;) 中華鍋で出来上がる寸前のところをデジカメに撮ろうとしたら湯気でレンズが曇ってしまい、これが結構油っけのある湯気で、綿棒で拭いたりしてるうちに、あちゃちゃ、底の方が焦げてしまったよ。肉とか魚系ならちょっと焦げたくらいが美味しいのだけど、金平に関しては焦げた匂いが付いたら最悪(>_<)
まあ、食べられないことはないけど、先に火を止めるか、弱火にするべきだったな。これまで金平失敗したことなんて無かったのにい(;;)
これで、何かすっかり盛り下がり。
午後からは雨模様になったので、今日も一日蟄居ということになる。
今年の読書控えの整理始める。今日現在で70冊というところ。予想通り少ないなあ。このままだと今年も百冊は無理だろう。ここ10年でも、多い時期の半分以下に落ち込んでる。理由はいろいろあるが、年間百冊は維持したいと思う。
今日の歩数は0歩(^_^;)

【やっとかめ探偵団と殺人魔】清水義範 ★★★☆
 清水作品はけっこう読んでるが、このシリーズは初めて読む。名古屋中川区に住むお菓子やのおばあちゃんまつ尾を主人公とする、ユーモア推理小説ということは読まなくともわかってたが、暇つぶしできるものをと思って、三宮図書館にあった2冊を借りてきた。思ったよりうんと面白かった(^_^)
ウィキペディアで調べたら、このシリーズは5作発表されてて本書は3冊目で1993年の発行である。
「長編推理小説」と銘打ってあるが、6編の短編が集まって、通して読むと一つの物語になってるという形式である。しかし推理小説としてはあまりに大雑把なものである。まつ尾とその周辺の名古屋のおばあちゃんらの生態と、風俗を楽しむにしくはない。
ところでこの「やっとかめ」は「久しぶり」の名古屋弁だが、これは「八日十日め」の約ではないのかと、ひらめいたが、どうだろう?*これは「八十日目」というのが正しいようだ(^_^;)

「強姦殺人とはちょっと違うだわな」
「変な話だなあ」
変といえば変だけれど、いろんな人間がいるからなと、まつ尾は思った。
「乱暴って、強姦のことでしょう」
「うん。新聞はそういう言葉使うわな」
「そんだけどよう、乱暴って、頭を殴ったりするのも乱暴だろう。強姦のことを乱暴と言ったら、話があやふやになれせんきゃあ」
なかなか鋭い意見を言うではないかとと、松尾は生田ハツの顔を見た。
「そんでも、新聞に強姦とはかきにくいんだわさ」
と早坂千代。
「そんなら、狼藉と書きゃええが。それなら何があったかようわかるでえ」
「そんなもん、今の人にはよけいわからんわ」


こういったところが、Morris.には面白かった(^_^;)
先のウィキペディアによると清水は今年2009年に中日文化賞を受賞したらしい。
ついでにウィキペディアの彼の略歴の一部を引用しておく。

奇想とアイディアには定評があるが、狂気を帯びた毒、尖鋭的な実験には走らず、穏健な人間性の滲み出たものが多く、安定した人気を誇っている。

なかなかうがった紹介である(^_^;)

2009/11/21(土)●ポジャンマチャ●

8時半起床。
今朝の血圧は205/103/79。
朝の三点セットすまして、またごろごろ読書(^_^;)
暇なら暇を活かして紅葉狩りにでも出かけようかと思うのだが、デジカメが修理中というのが足枷になってる。もちろん、旧機もあるし、ききさんからもらったのも使えるのだが、何となくわざわざ出かけるのなら一番使えるので撮りたいと思ってしまう。そんなこんなしてるうちに見ごろが過ぎてしまうかもしれないけどね(^_^;)
午後は先日の歌謡舞台で初めて聴いたヒョンスクの「ポジャンマチャ」の練習。この曲Morris.の歌本には載ってなかったが、カラオケCDROMには収録されてた。「ポジャンマチャ」は韓国の屋台酒場のことである。すごく気に入ってる。
何とかミニギターでレパートリーにしたいと思い、カラオケ画面から歌詞を写して、コードをつけようとしたのだが、Morris.の音楽的素養ではなかなか手ごわい(>_<) 楽譜さえあれば何とかなるのだが、日本では手に入れるのは無理だろう。次の訪韓時にでも探してみよう。
古い韓国歌手事典で調べたら、これは1982年の曲だった(@_@) 30年近く前の曲だったのか。 ヒョンスクのデビューは1978年だから、初期のヒット曲ということになる。何となくヒョンスクは若手というイメージがあるのでちょっと不思議な感じがする。
夜は矢谷君主宰のライブサンド。久しぶりである。今日は竹田君とのコンピレーションが中心。豊岡からリュウちゃんもダンボールドラムで参加。堀さんがめずらしく来てた。郵便局勤務の竹田君経由で年賀葉書受取。今日は半分はこれが目的だった。おしまいに出演者全部で「アフリカ」演ったが、これが一番良かった。
今日の歩数は2253歩。


武田&竹田 

フィナーレの「アフリカ」 

同じく 
2009/11/20(金)●SONO-COLOアワー●

6時起床。
今朝の血圧は198/108/74。
午前中はまたごろごろベッドで読書。
昼は残り物で雑炊。
カセットテープの整理続ける。市販のものやコピーテープはだいたい内容がわかるが、問題はライブやエアチェックしたもので、タイトルも何も書いてないものが結構あって、これは再生して確かめるしかない。
デジタルだとスキップできるが、テープではそれは無理で、すべて聞くとなるととんでもなく時間がかかる。
90年代初めの中島みゆきの金環食ライブNHKFMエアチェック4本だけでもざっと7時間くらいかかる計算になる(^_^;)
まあちょこっとだけ聞いて見当付くものは適当に切り上げる。
その中でMorris.の知らないエアチェックテープがあった。じつはこれ、ずっと以前に「宮崎商店 店主徒然」の宮崎さんがMorris.に向いてるんじゃないかということで送ってくれたものだ。たしか一度聴いたはずだが、そのときはあまり印象に残ってなかったらしく、そのままになってたようだ。宝の持ち腐れになるところだった。
「SONO-COLOアワー」という番組で、90分テープに「ドドンパ特集」「宇宙旅行特集」「ツイスト特集」「ロカビリー特集」の4回分が収録されている。ほとんど解説抜きで、音源のパッチワーク風だけで特集の雰囲気を楽しめるようになっている。そのラインナップと編集の手際がが見事で、只者ではないと思われる構成は菅佐原英二(すがさわら・えいじ)という人で、検索したらregister movementというブログがあって、これがまた面白かった。戦後歌謡曲シーンのおたく兼コレクターといった感じで、ついついこれにはまってしまってた。
夕方自転車で三宮に出て、三宮図書館、ジュンク、電器店冷やかし、帰り大安亭で買い物して6時帰宅。
今日の歩数は3511歩。

【官能小説家】高橋源一郎 ★★★☆☆☆ この人の作品を読むのは始めてである。実は以前「文学がこんなにわかっていいかしら」という評論集?みたいなのを、立ち読みして何となく敬遠してそのままになってた。
斉藤美奈子さんをはじめいろいろな書評でも好意的に採りあげられてるし、やっぱり読んでみるか、ということで、本書を読むことにした。
自分をモデルにした小説家が朝日新聞に連載始めることになり、タイトルを「官能小説家」にする。そこに明治の文豪が続々現代に訪れ始める。樋口一葉に小説指導する半井桃水を中心に、AV男優になった森鴎外が一葉に惹かれ恋人になるなどはちゃめちゃのストーリー展開ながら、ところどころにまっとうな小説論が出てきたり、シニカルな批評があったりで、結構面白かった。
しかし、本書で一番面白かったのは筒美京平作品を並べての御託と、森鴎外の口を借りて明治の文豪なぎ倒しの箇所だった。この2箇所だけで、Morris.は本書に☆二つ追加してしまったよ(^_^;)

有線で西田佐知子の「くれないホテル」が流れていた。渋いリクエストだ。筒美京平の曲だ。しかし、それはエンゲルベルト・フンパーディングの「ラスト・ワルツ」によく似ていた。続いて、南沙織の「17才」がかかった。おれの好きな曲だ。これも筒美京平の作曲だ。でも、それはやはりリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」にあまりに似ていた。おれは耳を澄ました。今度はマッチの「ギンギラギンにさりげなく」だった。誰だか知らんが、同じやつがリクエストしてるにちがいない。またまた筒美京平だ。作詞は伊集院静だけど。おれは心を静めるために、水割りに胡椒を入れた。なんだかそうしたい気分だった。これは「ギンギラギンにさりげなく」じゃなくてクインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」じゃないだろうか? わからん。世界はどうなっているんだ。おれが悩んでいると、曲はいつの間にかトム・ジョーンズの「ラブ・ミー・トゥナイト」に変わっていた。間違えた。少年隊の、というか筒美京平の「仮面舞踏会」だった。いや、それも間違い! 俊ちゃんの、というか筒美京平の「抱きしめてトゥナイチ」だ! そんなの専門家でも区別がつかんぞ。おれは興奮して立ち上がりそうになった。こういうのをパクリだというアホな連中がいる。筒美京平はベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の悲劇を一身に体現しているのだ。やつがやっているのは単なる創作よりずっと高級なことなんだ。頑張れ、筒美京平!
有線から流れているのはもう筒美京平ではなかった。安室奈美恵の曲だった。というか、小室哲哉の曲だった。というか、ダイアナ・ロスとシュープリームスの「またいつの日にか」じゃないかとおれは思った。でも、そういうことをいっちゃいかんのだ。おれは酒を飲んだ。もちろん、おれのボトルの酒だった。

鴎外はおれを無視したまま、おれの本棚の本を指さした。相田みつをの本だ。本? 本かよ、これ。書道のお手本じゃないの?
「おい、そりゃ、なんだ?」
「売れた本だよ」
「面白いのか?」
おれは両手を胸に当てて考えるふりをしてみた。
「ノーコメント」
「なるほど」鴎外はニヤリと笑った。ひとを小馬鹿にしたような笑いだった。
「お前、それだからダメなんだよ。人間、いわなきゃならん時がある。その時は、ガツン! と一発かますんだ自分に正直にな。そして、世界を凍りつかせてやれ。そうでなきゃ、作家になった意味がないだろ」
「お言葉を返すようですが」おれはいった。「あんた、そんなこと他人にいえた義理?」
おれはちょっとこのおっさんをからかってやろうと思った。
「漱石っていたろ。夏目漱石。あんた、どう思ってたわけ?」
「女房の尻の下に敷かれてた哀れなやつだな。子分を集めて悦に入ってたただのアホさ」
「小説は?」
「やつの小説なんかどれも一緒じゃないか。一つのネタで5つも6つも書きやがって、いい根性してやがる」
「ふーん。じゃあ藤村は? 島崎藤村。知ってるよね」
「ああ、書くことがなくなるとその度に自分でスキャンダルを起こしてたケチくさいやつか。陰気くさいのが文学だと思ってた勘違い野郎だね」
「ちょっと待て、じゃあ、幸田露伴は? あんた、友だちだったろ?」
「ただのオタクだよ。つまらん知識はたくさん持ってたけど、使い途を知らなかったな。長生きして娘が優秀だっただけだよ」
「おいおいあんた、それ、なんか根拠があるわけ?」
「根拠なんかないよ。気にくわないだけさ。いまなら、なにいっても文句をつけられる心配ないからな」
「じゃあ、あんたも当時は遠慮してたわけ?」
「当たり前じゃん」
おれはちょっとだけその生意気なジジイが好きになった。まあ、ちょっとだけだが。


ぐはははは(^_^) もう少し高橋作品を読み続けてみることにしよう。

2009/11/19(木)●なべて世はこともなし(^_^;)●

7時起床。
今朝の血圧は202/100/79。
朝ムックさんから、今から釜山に向かうとのメール(^_^;) 24日は戻ってくるらしい。
KBSアーカイブの歌謡舞台、今週は歌手ペホの特集だった。といっても彼は1971年に亡くなってるから、後輩歌手が彼のナンバーを歌うのだが、たしかこの歌手は徐正敏先生が好きだったと思う。出演は流石に男性歌手が多かったが、何とユンジョンちゃんが連続出演してた(^_^) ペホに関してはずっと以前に「ノレ番Morris.8090」に書いたのでそちらを参照のこと(^_^;)
午後自転車で六甲道に出て灘図書館、区役所回り、帰りに水道筋で野菜など買って6時帰宅。
図書館で立ち読みした雑誌見て、手塚治も60歳で亡くなったことを知る。現在のMorris.の年までにあれだけの作品を残したというのは、やっぱり凄い。
今日の歩数は3104歩。


ヒョンチョル&ユンジョン(^_^;) 

神ノ木通の黒猫

鶏皮湯引

【魔物上下】大沢在昌 ★★☆☆ ロシアのイコンに憑いた魔物が、殺し屋から日本の暴力団Wwwqさcv幹部にのり移り、さらに主人公である麻薬捜査官のトラウマとなってる同級生の殺人鬼と合体する。
魔物は人間を殴り殺すはおろか、銃で撃たれても血を流さず、ほとんどゾンビ(だから魔物なんだけど)状態、仲間の死を何度も経験し、若いロシア女性の助力を得て、魔物を追いつめていく捜査官、警察との軋轢、暴力団の圧力、まあ、はっきり言って、荒唐無稽の冒険譚だが、大沢作品としてもかなり雑な作品だと思う。もちろん時間つぶしにはなったけど。

【影絵の騎士】大沢在昌 ★★★
 近未来、東京湾の人工島は原発と映画村で一種の治外法権状態。混血孤児(ホープレス)で腕利きの探偵になり、今は引退した主人公が、同じ境遇から売れっ子小説家になった友人から妻の警備を頼まれ、人工島にわたる。妻は島の主とも言える老人の孫娘の女優で、これに島の自治警察や原発警察、マスコミを乗っ取ったネットワークの作為的殺人鬼、などがからんで、さまざまの抗争、かけひき……これまたかなり大雑把な作品だった。
ネットワークがインターネットへの風刺だというのはわかるが、それがいかにも、とってつけたようである。

「ただのメディアじゃないですか、観たくなければ、観なけりゃいい。多少不便を感じたとしても、それで生きられないというわけじゃない」
佐藤がいった。
「そうさ。皆がそう考え、自分たちには選択の自由があると信じている。だがいつのまにか、情報をもたらすのはネットワークだけになっちまった。そのことの意味に、気づいている人間が少なすぎる」
「確かにそれは問題ではあるでしょう。でも私は警官になって気づきました。人間というのは、自分とその周囲さえ幸福であるなら、生きていけるんです」
「それを保証しているのがネットワークなのさ」
「どいういうこと?」
「どういうことです?」
キャロルと佐藤が異口同音に訊ねた。俺は前方に見えてきた、巨大な墓石の連なりのような、ナカノニュータウンに車を向けながらいった。
「佐藤のいったことには欠けてるものがある。自分とその周囲の幸福に、会ったことのない奴の不幸が加われば、さらに人間は幸せになれるって理屈だ。自分たち以外の人間が、この世界でどう生きているかまるでわからないとしたら、人はむしろ不安になるものだ。自分よりもっといい暮らしをしている奴がたくさんいるのじないか、本当は自分たちは不幸なのじゃないか、とな。この世界のことをもっと知りたいという気持ちは誰にでもある。そしてその欲望が満たされると、人は幸福を感じる。できればそれが、自分より不幸な人間の存在や、悲劇の情報であれば尚さらいい。災害や大事故、戦争のニュースが、なぜレーティングを稼げるか考えてみるといい。悲惨だ、かわいそうだといいながら、それが自分の運命じゃなかったことに、皆ほっとし、幸福を感じているのさ」

主人公の発言がこの程度に皮相的なことからも、おおまかな作品の質がわかるだろう。

2009/11/18(水)●塩屋須磨あたり●

7時半、秋本君からの電話で起こされる。突然だが今日ジェームス山での現場だと(^_^;) 昨夜帰ってから飲むんじゃなかった(>_<) でも、このところの仕事旱を考えると行かざるをえない(^_^;)
今朝の血圧は210/109/97。
昨夜は風呂入らずに寝てしまったけど、朝風呂入る時間は無いので、そのまま現場に向かう。
Morris.は一日オフィス(PCルーム)の梱包。久しぶりに仕事すると楽しい(^_^;)
昼は朝買っておいたコンビニ弁当だったけど、塩屋の海を見下ろす中庭で食べると美味しく感じる。
5時に作業終了。須磨で降ろしてもらい、缶ビールもって須磨海岸の堤防まで歩いて、しばらく海を眺めることにしたが、やっぱり寒い。ので、早々に切り上げて6時過ぎ帰宅。
久しぶりに、「東山旅館ものがたり」のぷりんすさんが、ぐいぐい酒場に書き込みしてくれてた。体調悪くしてしばらく療養されて、サイトの方も開店休業状態だったのが、体調回復で、この春に仕事にも復帰されて台湾旅行にも行かれ、この年末には訪韓とか。ともかくめでたい\(^o^)/
今夜はペペロンチーノで済ます。
今日の歩数は8615歩。


塩屋の海を遥かに望む

同じく

現場の庭

美しい雲

櫨の紅葉

花とおじさん(^_^;)

電線が無けりゃね

須磨の夕暮れ

須磨セピア
2009/11/17(火)●さらさらサランバン?●

8時起床。朝から雨。
今朝の血圧は220/107/67。
昼過ぎまでまた部屋でごろごろ(^_^;)
今日は一日雨止まないみたいだし、12月並の寒さという天気予報で、行こうか行くまいか迷ったけど、4時過ぎに傘さして大阪に。
Canonサービスセンターにデジカメ修理に持っていく。とりあえず無料で修理できそう。だが、やはり釜山での状況からすると、レンズエラー以外にも何らかの故障があってもおかしくない。エラーが再発したときが年貢の納め時かもしれない。
久々ガイヤーン銀行に寄ってから、紀伊国屋書店を冷かす。やっぱりワンフロアというのは無理がある。旭屋書店の方が見やすいと思う。
6時半過ぎにサランバンへ。金子マスター夫婦とママと増田さんだけ。途中postmanが来て、今日はこれだけ。
今日はMorris.にはめずらしくバラード系の練習。やっぱりミニギターが無いとものたりない。
金子マスターに話して、例のヤマハギターを店に置かせてもらうことにした。来月のサランバン会(12/1)にもって行くつもり。でも、ハードケースが壊れてるのが問題だ。安いビニールケースでも買おうか。
10時半頃店を出て、きっちり環状線1周半して(^_^;)最終で帰宅。
それでも懲りずに、久しぶりのガイヤーンなどあてにして缶ビール飲み、2時過ぎ頃寝たと思う。
今日の歩数は18384歩。


さすが鶴橋のファミマ

今日のサランバン

シックなママ

金子ママ

金子マスタ

地味なMorris.(postman提供)
2009/11/16(月)●テープ漬け●

8時起床。昨夜はワイン以外はビールだったのでほとんど酔いは残っていない。
今朝の血圧は185/97/100。
先日の歌謡舞台録音から、何となくこのmp3録音づいてて、今日は押入れから古いカセットテープを引っ張り出して、手当たり次第にかけて、面白そうなもの、とっておきたいものは全体を1ファイルで録音することにした。
Morris.の買った「デジ造」は廉価版のため、曲間でチャプタ入れることができなくて、一曲ごとにファイル作っていくととんでもなく手間がかかる。その点、一つの大きなファイルにAB面一緒くたにいれて、必要があればその中からピックアップするということにしたのだ。
イジヨンの3rd.アルバムから始める。これはLPとテープしか持ってなくて、以前テープからMDに録音したのだがそれが行方不明なので、改めてmp3に落とすことにした。やっぱり懐かしい。
その後は、あかつきてるこ、戦前日本ジャズソング、ばうちゃん、柏原芳恵、大上留利子、イウナディスコ、韓国運動歌、キムヘヨンエップンカペ3、チャンドク追悼コンサート……etc.
ふーっ、地震を機に2/3くらいは処分したのだが、それでもまだ300本近く残ってる。中にはヘロヘロになってるのもあるし、CD持ってるのもあるわけで、ついでにまた整理処分するべきだろう。
今日もまた冷蔵庫の残り物でサンドイッチ作って、一日部屋から出なかった。
今日の歩数は0歩(^_^)

2009/11/15(日)●ミニギターツインズ(^_^)●

7時、ムックさんの電話で起こされる(^_^;) 今日は仕事早上がりなので夜遊びに来るとのこと。
今朝の血圧は207/98/64。
朝の三点セットすまして、後は、またごろごろ読書。
昼横浜女子マラソンやってて、見るともなく、いや見ることはほとんどなく音声だけ聞いてた。解説が増田明美で、ゲスト解説に高橋尚子。増田の解説の上手さは最初からだったし、最近はますます磨きがかかった上に取材の綿密さも感心しきりである。それに対して高橋ははっきり言って素人丸出し。それでも負けず嫌いだから、必死で話に食い込もうとする。ほとんど二人の応酬みたいだった。Morris.は高橋のファンだったし、今でも決して嫌いではないのだが、これから解説者としてやっていくのなら、やはり増田を見習えとはいわなくとも、それなりの訓練が必要だと思う。
釜山の火災事故は最悪の状況(10人死亡)になったようだ。「ガナダラ実弾射撃場」という店名がいやに耳につく。
夕方歩いてマルハチに出てビール、アテなど買う。
7時半にムックさんが赤ワイン土産にやってきた。彼は相変わらず多忙だが、19日から公休使って5日ほど釜山に行くらしい。Morris.がいうと嫌味に聞こえるかもしれないがやっぱり羨ましい。当然釜山の火災事故が話題に上るが、彼も知らないと言ってた。
ポンチャックテープBGMに、ワイン、ビール飲む。食事は一昨日作ったカレーで、最初はそれほどでもなかったが流石に三日目となると、かなり味が濃くなって、結構美味しく食べることができて良かった。
その後は当然ミニギター共演(競演? 狂演)。もちろんムックさんの十八番のソルンドナンバー、二人が好きなユンジョンちゃん、トロット、ポンチャック、Morris.がこのところちょっと入れ込んでる「なんちゃってジャズソング」おしまいは、BEATLESナンバーでしめくくり。こちらはもっぱらムックさんの独壇場。
ああ、でも、久しぶりで楽しかった。ちょっと隣の部屋には申し訳なかったけどね(^_^;)
Morris.のデジカメが、突然またアクシデント(>_<) 今回は何もしてないのに「レンズエラーが…」という表示が出る。これは、10月始めの帰国時に修理したのと同じ症状だから、多分無料で修理可能と思う。
明日明後日にでも大阪に持っていくことにしよう。
今日の歩数は4649歩。


ダンディムック

結構美味しかったカレー

ミニギターツインズ
2009/11/14(土)●釜山射撃場火災(>_<)●

8時起床。
今朝の血圧は184/110/97。
午前中は写真の整理。デジカメプリントショップ利用してかなりの枚数になってる。結局後から見ると別にプリントする必要なかったんじゃないかと思うものが大半である(>_<)
まあ、以前は、ポケットアルバムで、旅の報告兼ねて見せびらかすために必要だったが、今はネットで公開してるし、いざとなれば、ちびくろ2号で見せるという方法もある。と、いうことで思い切って半分近く処分した。ざっと千枚くらいだろう。
午後はJR神戸駅に出て、中央図書館へ。笠井の難解評論で疲れてたので今日はエンターテインメント中心に7冊借りて、しばらく三階の書架を冷かす。
ふらふらと元町から三宮までアーケード歩いて、結局そのまま灘まで歩いて帰宅。
昨日のカレーの残りを食べる。
釜山の国際市場にある、射撃場が火事になり、遊びに来てた日本人11人ほどが巻き込まれたらしい。Morris.は済州島で雑誌記事取材の手伝いで射撃場でモデルになったことはあるが、発砲したことはないし、したいとも思わない。そんな施設が釜山のそれも街の中にあるとは知らなくて、ちょっとびっくりした。三人は火傷で救出されたらしいが、残りは悲観的状況のようだ。
今日の歩数は10738歩。

【写真の読みかた】名取洋之助 ★★★☆ 岩波新書1963(昭和38)初版発行。定価は\130。名取の名前くらいは前から知ってたけど、竹村嘉夫が講談社現代新書「写真を撮る」の中でこの本をえらく推奨するので、読まねばと思っていたのだが、今日中央図書館で請求して書庫から出してもらった。
名取は1962年に52歳で亡くなっている。つまりこの本は死後の出版で、10年前くらいから岩波新書のために書こうとしていた原稿に、その他の原稿、雑誌発表の記事などを寄せ集めて作られたものらしい。
戦前若くしてドイツに渡り、当地でカメラを始め、すぐにドイツの一流グラフ誌の契約カメラマンになり、帰国して日本工房を立ち上げ「NIPPON」を刊行、米国「ライフ」社とも契約を結ぶ。戦後は岩波写真文庫の責任編集者となる。日本報道写真の先駆け、重鎮として、いわゆる芸術写真とは一線を画して、組写真を得意としたようだ。

私は写真を写す時、まず誰のために、何を通じて、何を語るか、ということを考えます。……何を写すか。どんなことでもよいから、社会的に意義のある作品を残すことが、報道写真家や雑誌社の第一条件であり、ジャーナリストとしての取材意欲の根本でしょう。こうして、しっかり自分の場がきまれば、自分の語りたいことをどう表現するか、という問題がおこります。自分の感じたことを間違いなく人に、伝えるためにはどうしたらよいか。そのためにはあるていどの技術が必要になりましょう。写真が視覚的に訴えるものである以上、視覚を不愉快にしたり、混乱させたりすることは得策ではありません。あるていど、視覚的に安定したものであり、写真の要点に見る人をひきずってゆく技巧が必要になります。といって、何も対象そのものが写真的に美しい必要はないのです。むしろ写真的に対象を美しくしてしまって、かえって語ろうとする物への印象を誤らせることが多い。私は、どちらかといえば、きたないもの、不愉快なものを強調するような写真技術を会得したいと思うことがあります。まったく、印画に現われる写真化学の美しさが、語ろうとすることを、邪魔することさえあるのです。……(『アサヒカメラ』1952年1月号)

末尾にある「名取洋之助メモからの抜書きだが、あまり文章は上手いとは言えないな(^_^;) この人は物書くのが苦手で、原稿はたいてい口述筆記だったらしい。それでも言いたい事はわかる。かなり癖の強い人でもあるらしい。

人間の眼で見る範囲は限られてはいるが、枠にはめられていないのに対して、写真はすべて一定の枠で対象を切りとります。これも写真の大きな特徴です。
私たちはトンネルの出口の黒い惑を通して見た景色、ビルの窓の四角な枠から見た風景の美しさにハッとすることがあります。ところが、期待してトンネルを抜け、窓から首を出してみると、案外つまらない。平凡な風景なのです。枠による錯覚で、枠が風景を美化してしまうのです。写真の展覧会といえば、ほんの少し前までは、かならず額ぶちにいれたのも、そうした方がきれいに見える彼ですし、汚ないものを、汚なく写真に撮るのが、きれいなものをきれいに写真に撮るよりも、はるかにむずかしいのも、写真の枠という制約のためなのです。

写真の読みかたにいろいろあるところに、写真を使う側にも、見て、読む側にも、重要な問題が潜んでいます。寺田寅彦は「地図をながめて」という随筆で、地図の語る言葉に馴れ親しんでいるものにとっては、一枚jの地形図はあらゆる有用な知識の宝庫であり、忠実な助言者である。たとえば、地形図のなかからどこか一寸四方をとって、そこに盛りこまれているあらゆる知識を言葉に翻訳しようとするなら、それはたいへんな仕事である、という意味のことを書いていますが、写真の場合も同様です。

写真は、なんといっても、具体的であるだけに、あまりにもいろいろに読めてしまいます。見る人の趣味や教育、教養のていど、政治的、社会的な興味の違いが、写真の読みかたをかえてしまいます。それだけに、組写真の場合にはとくに、作者の意図を正確に読者に伝えるための、周到な容易と充分な計算が必要です。同じねらいの組写真であっても、読者層が違えば、当然、写真の選びかたも、並べる順序も違っていなければなりません。

高い建物を写すと、上の方が小さくなります。私たちは正面から見た丸ビルを考える時、たくさんお窓のある矩形を頭に浮かべますが、地上に立って丸ビルを写すとこうはなりません。上の狭い、梯形のビルになります。レンズの眼の性質に人間が馴れたために、原因と結果を取り違えるのです。現在、低い建物を高く見せようとする時には、とくに遠近感の強くなる広角レンズを使うのは、このとり違えを利用しているのにほかなりません。
こうした例亜h、このほかにも、いろいろありますが、いずれの場合も、写真を見せる側と見る人との間に、暗黙のうちにせよ、いつもあるルールがあることを語っています。粒子のあれた汚ない写真ならば、なんとなく真実感があるというのも、j一つのルールですし、上が細い建物は高いというのもルールです。
このルールの存在は、ルールを知り、それを逆用すれば、写真で嘘をつく可能性を生みだします。写真は組むことによって、写真の内容とは別個のストーリーがつくれることは、まえに述べましたが、一枚の写真でも、読みかたのルールを知っていれば、かならずしも、事実に制約されないのです。


「芸術写真」への対抗意識からか、一枚の写真作品より、組写真へ傾いたという点にはちょっと疑問なくもないが、Morris.日乘での小さな写真を並べるスタイルだと、結果的に組写真構成的になるわけだから、いろいろと参考にもなった。

2009/11/13(金)●給湯不能(^_^;)●

8時半起床。
今朝の血圧は201/120/88。
今日も朝から雨模様である。
珍しく普通のカレー作ることにした。
かなり手抜きで、味もまあそれに対応したものとなった(^_^;) 前に引越しで貰った大きなトマト缶を開けて投入したので、かなり甘みと酸味とトマトカレーみたいになった。
午後、風呂に入ろうとお湯の蛇口捻ったが、お湯が出ない(>_<) 給湯器の電源は入ってるようなのだが、点火しない。何度も試したし、流しの方の蛇口でも同じである。
大阪ガスに電話したら、給湯器は業者の管轄なので、とりあえず、家主に連絡とるようにとのこと。そこで大家に電話したら、とりあえず業者から連絡させるとのこと。
5時前にガス設備業者の兄ちゃんが来て、いったんガス栓閉めるからと、ガス栓触って「あれ、閉まってますね」と言う。え? Morris.は閉めた覚えがないぞ。ということで、ガス栓開けてもらい、蛇口ひねったら普通にお湯が出た。掃除機かギターケースを動かした時ガス栓にあたって勝手に閉まってたのが原因(^_^;)だったらしい。 何てこったい(@_@)である。兄ちゃんもちょっと呆れてたみたいだった。恥ずかしい。
てなわけで、無事風呂入ることができた。
夜は先日の歌謡舞台をmp3の音源ファイルに取り込む。ずっと以前に買った「デジ造」使うことにしたのだが、ちびくろ2号でKBSのアーカイブ流して、イヤホン端子を「デジ造」に繋ぎ付録のSoundRipperというソフトをDEL坊で立ち上げて録音することにしたのだ。録音は出来るのだが、録音中音を聴くことが出ない(^_^;) いろいろ試行錯誤して、ちびくろ2号のイヤホン端子をラジカセにline inに通し、ラジカセのline out端子を「デジ造」に繋いだ。これならラジカセで音が聴けるし、ヴォリュームはラインだから気にしなくて良い。しかし、えらいややこしい接続になる。でも、この「デジ造」買ったときにちょこっと使ったままほったらかしてたから、これからときどき、KBSの番組録音(録画でなく)しよう。
今日はオバマ大統領訪日、首脳会談のニュースで持ちきりだった。わざわざ13日の金曜日選んだのか?と思ったのだが、テキサスの兵隊乱射事件で一日遅らせたらしい。
今日の歩数は0(>_<)


ほとんどトマトカレー(^_^;) 

まあ合格点すれすれか

おくらとおかか

【例外社会】笠井潔 ★★★☆ 「神的暴力と階級/文化・群集」と副題にあり、表紙に

グローバリズムは何をもたらしたのか? 非正規雇用者とワーキングプアの激増、サブカルチャー的な知性の台頭、反テロ戦争と世界内戦−−。「ゆたかな社会」が終焉したとき、人間は群集に変貌し、未曾有の例外状態が到来する!
21世紀、日本社会の現状を世界史的なレベルから把握し、新たな社会思想の潮流を展望する、著者渾身の本格長編評論。


と書いてある。(^_^;) 
Morris.は結構笠井の作品は読んでるし、とんでもない厚さの長編も数本あったけど、もともと長編好きのMorris.だから、面白ければ長いほど嬉しいみたいなところがあるのだが、評論で長編となるとちょっと、びびる。本書は700pもあって厚さも5cm近い。それでも笠井の21世紀社会論なら見どころがあるかもしれないと読み出したのだが、やっぱりしんどかった。
もちろん興味を覚えたり、なるほどの考察も結構あるのだが、やたら引用が多く、それがまたそれぞれに業界用語の多い難解な(Morris.には)文章が多く、同じところを何度も読み返したり、読み返しても結局良くわからなかったりで、ほとんどここ一週間近くこの本に時間とられてしまった。
笠井自身が深くかかわった60年全共闘運動への現時点からの分析などは流石だと思うところ多かったし、同世代でありながら、ノンポリ路線を歩んでしまったMorris.にはいささか耳の痛い言説もあった。

世界史上、最後に登場した帝国主義国としての日本には、戦前の講座派経済学者が過剰なまでに強調したような、「前近代的・半封建的」特質があった。その焦点は寄生地主制であり、膨大な過剰人口を抱えこんだ貧しい農村の存在である。イギリスやフランスはむろんのこと、19世紀には後進国だったドイツでさえ、20世紀に入った時点で資本主義的に分解可能な農村人口は枯渇していた。
欧米よりも20年ほど長く続いた日本経済の繁栄の秘密は、新卒一括採用と終身雇用制、賃金と地位の年功序列、護送船団方式と中小企業の系列化と企業内労働組合、現場労働者の創意や情熱を企業が動員しうるシステム(QC運動など)、その他もろもろの日本式経営システムではなく、出発点における農村の過剰人口に見いだされなければならない。ある意味で第二次大戦後の日本農村の資本主義は、前近代的・半封建的な「遅れ」や「歪み」を、経済成長のための優位性に転化しえたのだ。言語や文化を共有しない移民労働者は、単純なマニュアル労働にしか向かない。労働者の創意や自発性までを徹底的に収奪する日本式経営の高度な生産性は、低廉な新規労働力を国内で大量に調達しえたという固有の条件に支えられていた。
しかし、このシステムが有効に機能しえたのは1970年代までのことで、80年代以降は農村の過疎化と高齢化が、加速的に累積し続ける重大な社会問題となる。また90年前後には、団塊の世代を中心とする集団就職世代が40歳を超え、年功序列の賃金システムが企業の固定費を急増させた。これに平成大不況の圧力が重なり、リストラという名の人員削減や強制解雇にほとんどの企業が走りはじめた。

今日、ネオリベラリズムを批判する左翼リベラルの大半は、20世紀後半の福祉国家と完全雇用制が復活することを無責任に夢想している。この点からすれば、左翼リベラルは19世紀的ではなく20世紀的といえるかもしれない。しかし左翼リベラルが理想化する福祉国家もまた、総動員体制を構造化した20世紀的な例外国家にすぎない。そこには「平和」的な戦時体制という倒錯が存在した。この倒錯を、19世紀的な社会的理想の実現と思い違えたところに、「配分の正義」を掲げる現代リベラリストの限界がある。

ネオリベラリズム社会の勝者である堀江貴文を、敗者の「下流」(三浦展)青年層が圧倒的に支持したといわれる。ネオリベラリズム批判派は、こうした事実を妥当に説明することができない。フリーター的な「下流」青年層は、ジャージやTシャツを着てコンビニや100円ショップで買い物をしても不自然ではない、自分たちと変わらないホリエモンのライフスタイルに共感した。
郊外化にたいする東浩紀の態度は両義的だ。一方では「それでそれですばらしい」と評価し、他方では「格差を覆い隠す装置」ではないかと疑問を呈している。「下流」青年層による社会的な流動化の要求には、現実的な根拠もあった。佐藤俊樹『不平等社会日本』によれば、第二次大戦による社会的流動化は日本の階層格差を一時的に低減させている。しかし社会的な規模で「ガラガラポン」を求める集合的心性には、スタートラインの暴力的な再設定という動機には還元されえない、「セカイ系」的な黙示録的破局への願望も含まれている。
いうまでもないが21世紀的な例外社会は、富と権力と威信が万人に等しく分配される業堂社会ではありえない。そのような文明社会はかつて一度も存在したことはないし、制度的には今後も実現されることはないだろう。比較の問題としては、20世紀後半の福祉国家による「ゆたかな社会」、総中流社会は「平等」だった。しかし、この平等社会はすでに崩壊した。
格差化/貧困化の急激な進行は、総中流という社会意識が隠蔽していた日本社会の階級性を劇的なかたちで再露出させた。にもかかわらず、不可避に進行する格差化/貧困化は、東浩紀が指摘したように生活様式(ライフスタイル)の階級的な差異としては可視化されていないように見える。

第二次大戦後、とりわけ高度経済成長とともに、熱病のような高学歴化の時代が到来する。学歴差別が改善されない以上、自分も高学歴になるしかない、高学歴は高所得と社会階層的な上昇をもたらすという確信が未曾有の教育熱を煽りたて、全国民的な規模での高学歴化に帰結した。しかし社会全体が高学歴化していくなら、学歴ゲームに参加する個々人にとって高学歴取得のメリットは低下する。戦前の初等教育が戦後の大衆教育社会では中等教育に、中等教育が高等教育に底上げされるにすぎないからだ。
事実はそのように進行したが、それでも高学歴化の国民的意欲が衰えなかったのは、高度経済成長がパイを膨らませたからだ。戦後日本では所得や生活水準の面で、親よりも子の世代のほうが飛躍的に豊かになったという事実は、経済成長によるパイの膨張の結果にすぎないのだが、人々は高学歴化をめざした努力の成果であると思い違えた。

マルクスの労働阻害論では扱いきれない、20世紀後半の福祉国家と「ゆたかな社会」が生じさせた新しい抑圧システム。それに鋭敏に反応して、俗流疎外論は学生たちに支持されたのだ。長田が「わけの分らない」まま念仏のように唱え続ける「実存」とは、豊かではあるが高度に抑圧的な例外国家で「解体と腐蝕を深めた[私]に貼りつけられた内容空疎な私の集合が、一回きりの生を鮮烈な意味で充たそうとした大衆反乱だった。いかなる意味でも、経済的利害を基底とした階級闘争ではない。

完全雇用社会がもたらした大衆社会状況は、東大生と日大生を問わず当時の青年たちに主体性の深刻な危機と意味の喪失感をもたらした。繰り返すが、全共闘運動は教養の本来の意味である精神性を、それによる尊厳や承認やアイデンティティを渇望した青年たちの反乱だった。大学改革という果実をほとんど得ることなく運動が終息したのも、その意味では必然的である。「改良か革命か」という古めかしい二者択一を信じこんで、大學の制度的改良を拒否したからではない。
徹底的に敗北するまで闘い続けるしかないという「実存」的決意が、この運動を際限なく前方に押しやり、常識的には自滅しか意味しないような過激化をもたらした。全共闘の若い連中は「人生論」で闘争をやろうとしている、という年長世代の左翼の感慨を長崎浩は紹介していたが、いいえて妙である。
利害の要求でもルサンチマンの発散でもなく、おのれの生の意味をめぐる問題であると厳粛に信じられていたから、あのような徹底性で運動は極点まで突き進んだ。

全共闘運動で[教養]が焦点化されたことは、決して偶然ではない。第二次大戦前から戦後までを貫いて、ハビトゥスとしての教養が社会的再生産を実質的に支えてきた。全共闘学生による教養主義への執拗な攻撃は、この運動が20世紀後半に闘われた真の意味での階級闘争、階級間の利害抗争ではなく階級それ自体の無化をめざしたユートピア的闘争だったことに由来する。
19世紀的であれ20世紀的であれ、階級性に原理的に対立しうるのは、個と全の特権的一致を夢見る千年王国主義的な集団である。しかし、[いまここ]に革命的コミューンの樹立を希求する社会的闘争は必然的に[敗北]するといわれる。しかし千年王国主義の[勝利]は、敗北よりも悪い結果に帰着せざるをえない。

いまのところ日本の若者が大規模な暴動も反政府運動も起こしていないのには、二つの根拠がある。第一は、80年代のバブル的繁栄が若者の"内向化"を構造的に準備した点だ。第二は「街頭政治」の伝統の不足だろう。「街頭政治」という発想も、そのためのスキルやスペースも若い世代には継承されていない。フランスでは二百年以上の歴史がある「街頭政治」も、日本では第二次大戦後のことにすぎないし、その記憶も旧左翼の議会主義化と、新左翼の「内ゲバ」的な自己崩壊のため80年代には失われれてしまう。

近代ドイツのカトリック的サブカルチャーは、世界史的にはマイナーなものにすぎない。しかしドイツ教養主義に対置されたナチス的サブカルチャーには、手当たりしだいのパッチワークという安直な外見にもかかわらず、20世紀後半にも通用する要素が明らかに含まれていた。
高度に演出された祝祭はディズニーランド的、20世紀的メディアとしての映画はハリウッド的、肉体と健康と自然はエコロジー的なものとして、第三帝国が滅亡して以降も確実に生き延びたのだ。オカルト的なものはいうまでもない。祝祭、自然、オカルトと20世紀的メディアの倒錯的な結合は、1980年以降の日本で盛んに論じられるようになるサブカルチャーと奇妙なかたちで重なりあう。

20世紀精神の中核に位置した「実存」とは、ハイデガーによれば「ひとごとでない、係累のない、確実な、しかもそれなりに無規定な、追い越すことのできない可能性」(『存在と時間』)としての「死」に臨み、本質的な不安から逃れることのできな20世紀人を指している。それは19世紀の大きな物語の崩壊から生じた裸の個人、砂粒のような個人にほかならない。この意味でモダニズムは「実存」による芸術や思想の運動だし、否定神学精神も行動的ニヒリズムも「実存」の世界観念や倫理として生じている。
市民社会化と大衆社会化が同時進行した1950年代後半以降の日本で、市民社会の極は総評に組織された労働者階級に、大衆社会の極は学生層に体現された。第二次大戦後の学生運動は60年安保闘争まで、いわゆる「層としての学生運動」論に主導され、大衆的な自治会運動、大学自治会の連合体である全学連運動として展開されていた。この点で、少数の学生共産主義者の運動だった戦前の学生運動とは性格が大きく異なる。

徹底的な「敗戦」を回避した日本の「終戦」は、戦後精神に深刻な傷(トラウマ)を残している。戦後日本では「しらふのまま、真摯になること、名誉や誇り、信念や正義といったことがらに直面することが、巧妙かつ細心の手続きで、縮滅され、削除され、微温化され、回避され」ざるをえない。朝鮮戦争下の反米武装闘争も60年安保や60年代後半の新左翼による暴力的闘争も、この精神的外傷から不可避的に生じている。回避された本土決戦を虚構的に継続するものとして、それぞれの時期の闘争は暴力的に闘われた。
こうした経緯をよく理解していたのは三島由紀夫だろう。三島は『英霊の声』に、昭和天皇の裏切りを呪詛する英霊たちを登場させている。三島事件それ自体が、本土決戦を虚構的に実現するものとして決行された。三島が新左翼や全共闘に共感を抱いたのは、その暴力が戦後精神の隠蔽された傷(トラウマ)に起因していることを見抜いていたからだ。
「新しい歴史教科書を作る会」や安倍晋三など自民党タカ派の凡庸で無内容な保守主義者とは違って、江藤淳もまた終戦国家日本に必然的である倫理的根底の不在を鋭く意識していた。もしも可能であれば三島は時間を巻き戻して本土決戦を戦うことを望んだろう。江藤もまた日米戦争は終わっていないと語っている。しかし江藤が主張したように憲法九条を改正し、日本が交戦権を法文化すれば終戦国家の倫理的根底は回復されうるだろうか。
その程度で「ゴジラ」の怨念は解消されえない。公然と東京裁判の判決を拒否し、サンフランシスコ条約は無効であると宣言し、あらためて交戦国となった旧連合国との戦闘を再開するのでなければ。日本国家が倫理的根底を回復するには、自己保身のため半世紀前に棚上げされた本土決戦を再開し、今度こそ徹底的に敗北することしかない。あらゆる意味で本土決戦の再開は不可能と判断したからこそ、三島は孤立しながらも虚構の本土決戦を敢行した。今日の親米保守派には三島や江藤のような断念させもない。保身的に延命してきた戦後国家が平和と繁栄を失うことなく、第二次大戦の戦死者を弔いうると自己欺瞞し続けているのだから。

いまの時点から振り返ると、80年代日本で盛大に語られたポストモダン論や消費社会論の特異性と一面性が目につく。資本主義の21世紀的高度化という点で消費社会はネオリベラリズム化と表裏であるのに、80年代の日本では格差化/貧困化を前提としない高度消費社会の「夢」が野放図に語られた。

連合赤軍を自壊に追いこむことで、戦後日本社会は「ゴジラ」の脅威を最終的に解消しえたと信じた。しかし粉々に吹き飛ばされた「ゴジラ」の巨躯は、無数の微小な断片と化して日本車かに拡散し終えたのではないか。この時代の「ゴジラ」は南太平洋の海底で甦り、海を越えて日本列島に襲来することはない。あらゆる家庭や学校に、街頭や職場に「ゴリラ」の細胞は無数にばら撒かれ暴力的に蘇生する機会をうかがっている。
三百万という戦死者を自己保身のために裏切り、裏切った事実を隠蔽することで平和と繁栄を謳歌してきた戦後日本は、ゴジラを最終的に消去することでキティを生みだした。口のないキティは「公」という普遍的基準のもとに自己を主張する言葉をもたない戦後日本を象徴している。ひたすら無力で「かわいい」だけのキティは、他者と態等に向きあう責任を負おうとしない、「母」にも「父」にもなろうとしない戦後日本精神の正確な鏡像である。



本書は
T階級論 例外社会と存在論的不安
U文化論 教養主義とサブカルチャー
V群集論 自主的生権力と神的暴力

の三部に分かたれているが、上の引用はほとんどが一部と二部の前半までに集中している。
三部の群集論は、Morris.にはほとんど理解できなかった。特に最後の100pくらいは、読むのが苦痛で、とどこおってしまった。途中で止めても良かったのだろうが、せっかくここまで読んだのだから、もったいないと思ったのだが、結果的には、時間がもったいなかった(^_^;)
あとがきに

社会思想に通じた読者は不必要と感じるだろう常識的な説明の部分が少なくないことも、頁数が増えた理由の一つである。書籍化に際して初歩的な説明部分をカットすることは、むろん可能だった。そうしないことに決めたのは、これまで社会思想に無関心だった若い読者にこそ、この本を読んでほしいと思ったからだ。自分もまた秋葉原事件のような「テロ」に隣接していると実感せざるをえない、例外社会の縁に投げ棄てられた若者たちに向けて、この本は書かれている。

とある。おいおい、本気かよ、と突っ込みたくなってしまった。そういった若者が、この本を手にとる姿と言うのは想像できにくいし、彼らが本書のようなものいいを読解できとは到底思えない。というのは、Morris.の理解力不足を棚にあげての反面的(反感的)思い上がりなのだろうか。
哲学用語の氾濫、フーコー、ハイデッガーをはじめとす内外哲学者著作からの引用、「知ってのとおり」とか「いうまでもなく」などの前置きから始まる高踏的立場からの言説には、読者を選別するかのような選良意識が見え隠れするし、何かといえば自著を参照するようにとの命令口調にも、ちょっといらつく。
現代社会の閉塞した現状の分析批判は大いに結構と思うのだが、もう少し平易な語り口で、明快、明晰かつ簡潔にまとめてもらいたかった。

どうでもいいことを付け加えておくが、「東京行進曲」の作詞者を「西条四十」と表記(430p)してあるのだが、何か根拠あってのことなのか、何らかの作為があるのか、それとも、単なるポカミスなのか、よくわからない。

2009/11/12(木)●夜の恋歌●

8時起床。
今朝の血圧は174/101/84。
洗濯、風呂つかって、しばらく本棚最下段の古いファイルの整理、というか不要ファイルの処分である。1/3くらい捨てることにした。
KBSアーカイブで11月2日放映の「歌謡舞台」見る。今回のテーマは「パメヨンガ 夜の恋歌」となってる。何となく期待できそう(^_^)
突端からおしさしぶりのチェジニが「星輝く夜に」というMorris.の知らない曲で登場。確かに彼女は夜の歌というか「カペノレ」では欠かすことのできない女性歌手である。Morris.が最初に彼女を見た90年くらいからまるで顔変わってない。もともとアジュマ顔だったけどね(^_^;)
続いてナムインスのデビュー曲「哀愁の小夜曲」これはキムグヮンナムという中年歌手、そして、何とその後にチャンユンジョンちゃんが、キムヨンジャの「スウンドゥン 水銀灯」を歌った。この曲Morris.はあまり印象に残らなかったのだが、ユンジョンちゃんが歌うとすごく良い曲に聞こえたたのは、贔屓耳と言う奴だろう。この前よりさらにショートカットになってる。やっぱり可愛い。彼女も30代に入ってるから、観月ありさと同世代である、Morris.好みの二人の共通点は童顔ということかもしれない。
次は「ソニョワカルドゥン 少女と街灯」これは夭折の天才少女チャンドクの作品で、もちろん彼女自身も歌ってたし、兄のチャンヒョンとのデュオグループ「ヒョニワドク」のアルバムにも入ってる。チャンドク追悼コンサートではイソニがこれ以上ないくらいに力んで絶唱してたのを思い出す。でも、今日はチンミリョンが歌った。と、いうか、実はこの曲は彼女の持ち歌ということになってる。つまりチャンドクが彼女のために書き下ろしたものらしい。どちらかというと語りかけるような雰囲気の歌である。チャンドクにはもっと長生きしてもっといっぱい素敵な曲を作り続けてほしかった。
次は、しばらく体調を悪くして休んでて最近復活したキムジエの「モルレヤ」。曲調のせいもあるだろうけど「ヤルミウンサラン」の頃のようなパンチの効いた(ドスのきいた?)歌いぶりとは別人みたいだった。
チョヨンナムナンバーを知らない歌手が歌った後に、再びチェジニが持ち歌の「カペエソ」。これはまさにカペノレ女王の貫禄を見せつけてくれた。この曲は一時盗作問題が取りざたされてしばらく歌ってなかったようだが、もう時効(^_^;)のようだ。
チェユナが「ウエロウンカロドゥン 悲しみの街灯」。彼女は歌もうまいし、顔もスタイルも悪くないのに、いまいちMorris.好みではないわれらがキムヘヨン嬢のライバルということもあるかもしれない。
そしてムンヒオクの「ホンコンアガシ」。彼女は何を歌っても上手い。上手すぎるのが欠点かも知れない。
後は懐メロメドレーと言った感じで、ヒョンインの「新羅の月夜」「ソウル夜曲」、ナムインスの「ファンサエット 荒城の跡」、「夢見る白馬江」、「大田ブルース」などなど。
そしてラストは「リップスティックチッケパルゴ 口紅濃く塗って」をオリジナルのイムジュリが歌った。Morris.はこの曲、キムヘヨンの「エップンカペ」アルバムで知って、すごく気に入って十八番にしてるのだが、考えてみるとオリジナルを聴いたのは初めてかもしれない。
悪くはなかったけど、Morris.はキムヘヨンの方が馴染んでていい。そして、この曲は作曲家キムヒガプの魅力が凝縮されたような曲で、誰が歌ってもいい。
お終いは全員で「夢の中の愛」を合唱。
いや、ともかくも、久しぶりに充実の歌謡舞台だった。夜の歌ならやはりここはキムスヒの登場があればさらに錦上に花を添えることになったかとも思うが、贅沢は言うまい。
ついつい2回見直してしまったよ。
しかし、こんなことくだくだ書くのなら、ずっとサボってるMorris.の韓国歌謡ブログ「ノレ番Morris.8090」の記事にすればよかったかな(^_^;)
午後は、都賀川畔まで歩いて、ベンチでミニギター練習。近くでクラリネット練習してるアジョシがいて、聞き覚えのあるメロディが流れてきたので、ちょっと合わせてみたらなんとかいけそうなので、隣までいき、ことわって、いっしょにしばらくやってみた。クラリネットはキーがB♭で、ギターより一音低いので、キーをずらすことにした。これが一音高いのなら2CAPOで解決のところだが、まあ良い練習にはなった。
帰りに水道筋の「タナカ」でたこ焼き。今日は出汁で食べる。やっぱり美味しいし、ここのアジュマの串さばきはまさに神技である。
5時半に帰宅。
食事の後、歩いて、矢谷君宅に。Morris.のジャンボギター5弦のペグが折れてしまったので取り替えてもらうことにしたのだった。ギターショップに出せばセットで交換ということになり、1万円以上かかりそうだが、矢谷君なら、リペアのペグを使って安くで上げてくれるだろうとの下心である。結果的にドイツ製のちょっと小さめのペグにほいほいと替えてくれて、代金はコンチャ(ただ)にしてもらった。そのかわり、かねてから気になってたffftpの設定変更して、何とか彼の側からサイト更新できるようにした。これでチャラということに(^_^;)。ということで、久しぶりに矢谷部屋のスケジュール更新なってると思う。
矢谷君は先週末に神田君とのデュオ「風來」で、台湾の田舎でのイベントに参加してきたと言うことで、台湾のお茶お土産に貰い、9時過ぎに部屋を出る。
途中川沿いで久しぶりにジャンボギター弾いてみる。ミニギターとはまるで別の楽器のようだ。ボリュームはもちろん、音色や響きも違う。でも、デカいし重い。ケースまで入れるとミニギターの5倍はあると思う(>_<)
10時帰宅。今朝からのファイル整理に続いて、手紙や名刺の整理。こちらは2/3くらい処分することにした。
今日の歩数は12579歩。


ますますショートカットのユンジョンちゃん

近所の黒猫

同じく

水道筋の黒雉

六甲温泉前の竈猫

都賀川の白と雉

同じく



クラリネット練習

タナカのたこ焼き

今日は出汁で
2009/11/11(水)●晴行雨読●

8時半起床。
今朝の血圧は199/117/82。
昨夜からえらい雨である。
今日も一歩も部屋から出ず。
このところ晴れたら歩く、雨ならベッドで読書の繰り返しである。
昨夜大阪南港で、英人女性殺人の容疑者が捕まったが、その後新大阪駅から東京、車で千葉警察までの犯人移送の模様を、追跡取材の大層なこと、これに野次馬も加わって、えらい騒ぎである。何でも2年7ヶ月も逃亡してて、整形やってそのポスターが出てかなり話題にはなってたようだが、逮捕の現場とかなら、まだしも、移送を密着取材したって意味が無いと思う。まあ、見る人がいるからやるということなんだろうけど、どこかおかしいと思う。
書き忘れてたが、今月の表紙のペコちゃんは、先日長田に鉄人見にいったとき、隣の大丸でやってた昭和の生活展で見つけた、富士やのキャンデーのプラスチック缶の貼り紙である。絵柄からしてもかなり初期のものと思うが、注目すべきは、ベロの位置が反対だということだ。現行のペコちゃんはベロは右側と決ってるのにこれは左側に出してる。これは珍しいというか、最初の頃は厳密ではなかったと言うことだろう。
今日の歩数は0歩。

【昭和出版残侠伝】嵐山光三郎 ★★★ 昭和56年(1981)に平凡社を追い出された上司馬場一郎に追随して退社した著者が、他の退社仲間とともに青人社という学研の外部出版社を立ち上げ、そこで起こったもろもろを、面白おかしくドキュメント風にまとめたものである。メインは「ドリブ」という雑誌を巡るエピソードで、あいにくMorris.はほとんどこの雑誌は記憶にない。
まあ、著者の自己宣伝みたいなものであるが、付き合いが広いので、登場人物がお馴染みだったりして、それなりに面白かった。

【赤黒 ルージュ・ノワール】石田衣良 ★★★ 「池袋ウエストゲートパーク外伝」とあったので、つい手にとった。2001年だから割と初期の作である。
外伝とあるだけに、筆者をモデルにしたとおぼしいいつもの狂言回しマコトは直接登場せず、Gボーイズもちょこっと脇役風に出るにとどもまり、しけた映像作家が、カジノの売上金強奪事件に関与してドジを踏み、羽沢組のサルに補佐されて金を横取りした犯人探しをsるうという、変てこなストーリーで、タイトルは、つまりはルーレットの赤と黒という意味で、おしまいは、カジノでの大勝負。小説でギャンブルというのは、はっきりいって反則だと思う。丁半、赤黒、ポーカー、役マンなんでも、作者の好き勝手に操作できるんだものね。
そういいう意味では本書も同様だったが、いかにもこの作者らしく、言葉遊びやら、小ネタもあって時間つぶしにはなった。

映画、演劇、音楽、どの分野でも変わらなかった。表面上のにぎわいはともかく、現在の日本には芸能を支える基礎体力がないのだ。悪いのは大人の男たちである。仕事にばかりうつつを抜かし、国を支えるもう一本の柱を放りだしてしまった。男が遊ばない国に、ろくな文化など育つはずもない。

「成功というのはある時点でどれだけ勝ったかじゃないの、いつまで勝ったかなのよ。最後まで勝ち続ける人間が勝者で、勝者になるには死ぬまで勝たなきゃいけない。それができないなら、博打からは手を引きなさい。あなたにできることは他にある。勝負を張るのなら、そこでおやんなさい。勝っても負けてもきちんと自分の身につくことがある場所で。博打は負けたらゼロ、そこで倒れて死ぬだけよ」

2009/11/10(火)●仮死状態(^_^;)●

夜中に寝なおして、目が覚めたら9時前だった。
あわてて家庭ごみ出して、また寝る(^_^;)
結局午前中はベッド。ひどい宿酔ではないが、身体は動かない(^_^;)
雨模様だったし、今日はこのまま篭城状態。明日も雨らしい。
今朝の血圧は151/89/94。
今日の歩数は200歩(^_^;)

2009/11/09(月)●野崎通のシマなど…●

7時半起床。
今朝の血圧は183/110/78。
昼は冷蔵庫かき回して焼きそば。
午後からふらふらと北西に向かって歩く。
野崎通りで素敵な路地を見つける。路地も素敵だが二匹の猫がいたのがポイントどっちも雉だが、手前の白っぽいのは飼猫で「シマちゃん」もう一匹は野良らしい。しばらくMorris.@Catographerモード。
さらに小学生の女の子がトラを抱いてるのに出会ったのでこちらも撮らせてもらう。
ジグザグに北上して神仙寺通りからちょこっと山に入る。
中尾谷第二堤で、一服して持参のポケット瓶のカティサーク飲んで、しばらくミニギターおさらい。坐って演る場所が無かったので、
斜めの堤防の壁に寄りかかって歌う。なかなか気持がよい(^_^) 酒の勢いもあったのだろうが、Morris.には珍しく大声が出てたと思う。堤防にこの時期では珍しいハナムグリがいたので、これもマクロで撮影。
ちょっと暗くなってきたので、そろそろ下ることにする。
帰りもふらふらジグザグと歩いて、結局五毛神社まで行ってから水道筋に下りる。
途中偶然小川さんと会い、そのまま「ひろちゃん」というお好み焼きの店に。カウンタだけの狭い店だったが、ここで、おでんと日本酒ふるまってもらい、調子に乗ってミニギターで韓国歌謡歌い始める。あとはお決まりのコースで、完全に記憶喪失状態で、気が付いたら部屋の床に寝ていた。カバンもギターも無事だったが、勘定はすべて小川さんが払ってくれてたようだ。
今日の歩数は10584歩。


あまりもの焼きソバ 

猫小路

こっちは野良

こっちが飼い猫シマちゃん

近づきすぎ

アップ

さりげなくお洒落な家

抱かれ猫

大きな団栗(クヌギ)

シロテンハナムグリ

今日のMorris.ステージ

結構いい感じ
2009/11/08(日)●なべて世はこともなし(^_^;)●

7時起床。
今朝の血圧は165/90/84。
午前中はベッドで読書。
昼はホットサンドと珈琲。
午後は風呂つかってから、ミニギターおさらい。
まぬうの最近の画像15点ほどフォト蔵のまぬうアルバムに貼り付ける。
夕方JRで三宮に出てちょっと延滞してた本を三宮図書館に返却。帰りは歩いて大安亭で買物して6時半帰宅。
今日の歩数は4,796歩。

【応化戦記三部作】 打海文三 ★★★☆☆ 全5巻、合計1600p、しかも未完(^_^;) ということで、ついつい読むのを先延ばしにしてた打海文三の遺作である。
『裸者と裸者(2冊)』、『愚者と愚者(2冊)』、『覇者と覇者』の5冊を、Morris.五十代最後の日である11月4日の朝から晩までかかってほとんど一気に読み通した。ざっと20時間ちかくかかったかな(^_^;)。まあ、そのくらいの面白さはあったわけだ。
近未来の応化時代の内乱状態の日本で、孤児の少年佐々木海人(かいと)が、妹と弟を守るため、軍隊に入り、孤児部隊を編成して様々の敵と渡り合いながら、成長していくさまを描いたもので、最初の巻の副題「孤児部隊の世界永久戦争」というのが端的でわかりやすい。
Morris.がすっかりはまってしまった「ハルビンカフェ」の流れを汲む作品で、そのスケールからしても、彼の代表作とすることに異論は無いが、やはり「未完」というのが惜しむに余りある。
魔女的な双子の姉妹桜子と椿子、佐々木兄弟の下宿のおかみで海人の恋人になる里里菜、聡明でかたくなな妹恵(めぐ)、ロシアマフィアのファン、外人部隊司令官イリイチ、孤児部隊司令官白川如月、女性扶桑組織の森まり、朝鮮人マフィア高麗幇の女ボス小燕、といった主要登場人物もそれぞれに魅力的かつしたたかで個性豊かなキャラが揃っている。
戦闘の描写も打海らしく精密で無駄がないし、駆け引きや作戦に関しても実に堂に入ったものと感心する。しかしあまりにリアリティのある戦争描写というのは、苦手である。
セックス描写に関しても同様な感じを受けてしまう。変態的性交を描いてもそれなりのリアリティを感じさせるのだが、やっぱりMorris.はあまり読みたくなくなる。
それなら何がMorris.を惹きつけるのかというと、家族愛、友愛、ついでに言えば(^_^;)博愛の精神かもしれない。
妹弟への親愛はもちろん、里里菜への献身的愛、孤児部隊の部下であり友人である数人との深い結びつき、白川司令官への畏敬に満ちた愛、ファンとの擬似師弟愛……
もちろん、女性武装集団隊員とボスである双子との愛や、高麗幇や他のマフィア内部での親愛もあるし、孤児部隊の国籍や性差別に絶対反対する姿に、作者のメッセージがこめられているようであもある。
つまり、本作は、極限状況における、愛の実験作なのではないだろうか。
本当なら個々の一冊ずつに感想など書くべきだったかもしれないが、この際一括、それもおおざっぱな感想ですましておく。
Morris.としてはどうしても「ハルビンカフェ」が一番だと思う。

【魔王】伊坂幸太郎 ★★★ 「魔王」と「呼吸」という2編で構成されているが、この2編はそのまま一つの物語になっている。
犬養というニューファシズム系の政治家が登場、未来党を立ち上げて一般の人気を集め始める。これに違和感を覚える安藤が、目の前の人間に自分の思った言葉を言わせることの出来る超能力を授かり、犬養に立ち向かおうとするが、倒れる、というのが前編で、安藤が「俺」という一人称で語る形式。5年後犬養は日本の首相となり、憲法改正の国民投票の実施にこぎつけるまでになっている。田舎に引っ込んだ安藤の弟がじゃんけんに勝つ能力?を授かる。弟の妻である詩織が「私」という一人称で語って物語を続けるのが後編である。
憲法改正の眼目は、想像通り九条であるが、その具体例と、登場人物の反応などがなかなかリアルだった。

「今回ね、憲法の九条を改正するだけじゃなくて、他にも環境権とかプライバシー権の明文化とか、いろいろ、加えられるんだよね」
「それが」
「でもね、投票は一括方式なわけ。今回の改正案全部に賛成ですか反対ですか、って、それしかないわけ。つまりね、九条改正は反対で、環境権は賛成、とかそういう個別に答えるのは無理なんだよね。だから、こういう聞こえのいい、環境権とかを混ぜて、抱き合わせ的に、憲法九条も飲ませようって考えなんだってば」
「えー、そうなの?」私は、そんな単純なやり方に効果があるのかな、と疑問も感じる。
潤也君はしばらく、そのお知らせの冊子をじっと読んでいて、少し経つと音読した。
[現行]
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
[改正案]
第九条 日本国民は、他国を侵略し征服することを目的とした戦争を永久に放棄し、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
日本国民は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つことを目的とした自衛のための軍隊を保持する。
二、前項の軍隊の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
三、国民は、第一項の軍隊に参加を強制されない。

「九条ってこんなんだっけ?」潤也君はしみじみと言う。「意外に読んでみると、現行バージョンは、凄いこと書いてあるよなあ」と感心した。「永久にこれを放棄する、とか、戦力はこれを保持しない、とかさ」
「理想的、と言うか絵空事と言うか」
「絵に描いた餅?」蜜代っちが苦笑した。
絵に描いた餅、という表現自体をひどく久しぶりに聞いたけれど、「そうかも」と思った。この前の赤堀君じゃないけれど、「陸海空軍は持たないって言ってるくせに、陸上自衛隊、海上自衛隊ってあるし、しかも、自衛隊は海外にどんどん出かけていってるし。現実とはかけ離れまくりじゃないか」という疑問はある。
「今のところは、自衛隊のやる平和活動は、戦力じゃないっていう理屈なんだよね」蜜代っちはムキになるでも、教え諭すでもなく、淡々と言う。
「でも、もしどこかの国が攻めてきて」潤也君が腕を組む。「平和活動だけやっても、じえいになららいよなあ」
私はそこで、どこからか見知らぬ国の軍隊が大量に攻め込んできて、その間、みんなが井戸を掘ったり、救援活動に勤しんでいる姿を思い描いた。確かに、それはそれで大事な作業だけれど、そんさ、「平和」なことをしているうちに、肝心の敵はずんずんと各地を占拠していくに違いない。それが自衛力か?と問われれば、違うとしか言いようがない。「やっぱり、敵と戦わないと、守れないね」
「そうだね、無理があるかも」意外にも蜜代っちはすぐに認めた。
「それに比べると、改正案はうまくできている気がするなあ」潤也君が声を上げる。彼はもちろん、蜜代っちが改正に反対していることは知らないから、異を唱えるというよりは、純粋に自分の思ったことを口にしただけなのだろう。「自衛のための戦力、って謳ってるわけだし、しかもこの文面からすれば、徴兵制はないんだし。いいね」
「うんうん」私も同意する。
「そうなんだけどさあ」蜜代っちはどこか承服しがたい様子だった。「わたしもね、昔は思ってたの。近所に、護憲派のおばさんがいてね、強烈だったのよ。護憲御前と言うか。ヒステリックでさ、国民投票反対、平和憲法を守れ、戦争反対、って死ぬほど訴えてて。何だかさ、わたしも子供ながらに、そんなに九条を守りたいなら、国民投票をやって、勝てばいいのに、って思っちゃったんだよね。本当に自分たちの意見が正しいと思うなら、投票で決めればいいのに、って」
「うんうん、それは正しい考えのような気がする」
「だけど最近は、少しわたしも考えるようになってさ、投票やるのも結構怖いかもなあ、って」
「怖いかも?」
「政治家とか国とか、権力を持ってる人って、ずるいんだよね。そう思わない?」
「ずるい?」さっきも蜜代っちはそう言った。「と言いますと?」とそれこそ権力者のお答えを伺う気分になる。
「たとえば、国民投票って、昔、学校で習った時、憲法の改正は国民の過半数の承認が必要だ、って聞いた気がするんだよね」
「あ、違うんだっけ?」私にもそういう記憶が、薄っすらとだけれど、あった。
「憲法自体にはね、過半数としか書かれていないんだよ。だから、どうとでも解釈できるわけ。国民全部の過半数、とも、有効投票数の過半数とも。で、今は国民投票法ってやつで、有効投票の過半数ってなってる」
「いつの間に」
「それに、さっきも言った、抱き合わせ的な、一括投票もずるいし。まあ一番妖しげなのは、『自衛のための』って言葉だよね。『自衛』の定義なんて、漠然としてるんだし」
「でも、ある程度はイメージがあるけど」
「考えてみてよ、今の憲法の、『戦力を持たない』って言葉すら、解釈で好き勝手されてるんだよ、『自衛のため』なんて言葉はいくらでも解釈できると思わない? 『自衛のために核兵器を持って、まずはひとつ、発射しておきますか』ってのだって、自衛行為と解釈されるよ、きっと。本当に自衛のためにこだわるなら、もっと事細かに、書かないと駄目なんだと思う」

「兄貴、前に一度だけ、憲法改正のことを俺の前で喋ったことがあったんだけど」
「いつ頃?」
「兄貴が大学生の頃でさ、こう言ってたんだ」潤也君は自分の記憶の歯車を手動で回転させはじめたのか、しばらく無言の間が入り、もしかするとこのまま寝入ったのかな、と疑いかけた時に「この国の人間はさ、怒り続けたり、判足し続けるのが苦手なんだ」と呟いた。
「怒り続けるのが、ってどういうこと?」
「初回は大騒ぎでも、二度目以降は興味なし、ってことだよ。消費税導入の時も、自衛隊のPKOの派遣の時も、住基ネット開始も、海外での人質事件も、どんなものだって、最初はみんな、注目して、マスコミも騒ぐ。ただ、それが一度、通過すると二度目以降は途端にトーンが下がる。飽きたとも、白けたとも違う。『もういいじゃないか、そのお祭りはすでにやったじゃないか』っていうさ、疲労感まじりの空気が漂うんだ」
「潤也君?」私は隣から聞こえてくるその声が、確かに声自体は潤也君のものではあるのだけれど、どこかいつもとは異なった暗さを含んでいて、しかも記憶を辿りながら話すにしては流暢に過ぎる、と気づいた。もしかすると横に寝ているのは、潤也君に似た、別の人間ではないか、と引っ掛かった。
「だからさ、もし、俺が政治家だったならば」と潤也君の声は続く。「こうやるよ。最初は、大きな改正はやらないんだ。九条は、『自衛のための武力を保持する』とその程度にしか変えない。『徴兵制は敷かない』と足してもいい。それだけでもおそらく、大変の騒動になるだろうな。マスコミは連日、この件について論じるし、知った顔の学者が様々な意見を言う。そして、たぶん、憲法は変わる。大事なのはその後だ。時期を見計らって、さらに条文を変えるんだ。マスコミも一般の人間も、一回目ほどのお祭りは開催できない。抵抗も、怒りも、反対運動も持続はできないからだ。『もういいよ、すでに九条は改正されているんだからさ、また変えればいいじゃないか』という感じだろうな。既成事実となった現実に、あらためて歯向かう気力や余裕はないはずで、『兵役は強制されない』の条文を外すことも容易だ。一度、認められた消費税は上がる一方で、工事は途中では止まらない」


えらく長い引用になってしまったが、九条問題の復習と整理の意味で、しつこく引いてみた(^_^;) それくらい、わかりやすく本質をついた言説だと思えたのだった。
Morris.にとっては未知の作家だが、直木賞候補に毎年のように挙げられ、本屋大賞受賞してるらしいから、それなりに人気の作家らしい。
シューベルトの歌曲「魔王」や、宮沢賢治の詩の引用など、教養もありそうなので(>_<) 他の作品も読んで見ることにしよう。

2009/11/07(土)●いただきもの(^_^)●

7時起床。
今朝の血圧は188/92/86。
アシナガさんからのプレゼント性懲りも無く宿酔(^_^;)
昼過ぎまでベッドで読書。
午後小包が届く。安城のアシナガさんからで、中身は蒲郡蜜柑、お洒落なティーバッグ、珈琲、韓国文化財パンフレット、「しゃべってみりん 三河弁」という60pあまりの小冊子と盛りだくさん(^_^)
書いては無かったけど、還暦祝いという意味があるのだろう。
アシナガさん感謝ハムニダm(__)m
アシナガさんは10月末に韓国行ってきたらしい。
早速蜜柑と紅茶いただく。美味しい(^_^)
「三河弁」というのはあまり馴染みがないが、本文用紙が茶色のいい感じで、ずっと昔のサンボ通信(Morris.のミニコミ誌)の用紙を思い出させてくれた。
約300くらいの方言が掲載されてるのだが、面白そうなのをいくつかピックアップしておく。

・あもすもない(あっというまに、どうしようもない)
・いせくれる(からかう)
・おそがい(おそろしい)
・おとましい(もったいない)
・かしみられる(引っ掻かれる)
・ぐろ(隅)
・けなるい(うらやましい)
・ごたいげ(おつかれさま、ようこそ)
・ごんずり(ごみ)
・さばくる(探す)
・じゅるい(ぬかるんでいる様子)
・しょんぼけ(肥えタゴ)
・そそい(雑、いいかげん)
・だだくさ(無駄)
・だちゃかん(してはいけない)
・たらわん(届かない)
・だんなし(お金持ち)
・ちみきる(つねる)
・ちょうらかす(からかう、おだてる、だます)
・づつない(苦しい状態)
・とちんこ(固結び)
・どんごろ(蝉の抜け殻、幼虫)
・はい(もう、既に)
・はらぎし(腹いっぱい)
・ばんげしま(夕方、暗くなる前)
・ひずるい(まぶしい)
・ひとねる(育てる)
・ふちゃる(捨てる)
・ほせ(棒)
・ぼんぐり(丸太棒)
・まる(排泄する)
・みりん(みなさい)
・やぐい(もろい、軟弱)
・やっとかめ(ひさしぶり)
・よど(よだれ)
・らんごくい(散らかっている様子、乱雑な様子)
・わらける(笑える)

名古屋弁に似たものもあるし、何となく見当が付くのもある。なぜかMorris.の生まれた九州佐賀県の方言と同じものもいくらかあった。
有田のつる姫からも小冊子が送られてきた。これは今年の1月に若くして亡くなった長男笹井宏之君の、歌仲間が発行した詩誌「生命の回廊」創刊号で、笹井宏之追悼号になっている。
生前の彼と親しかった歌仲間たちの追悼詩や歌、思い出や批評などなど。人は死んでも、こうやって思い出の中に生きてるわけだし、彼の場合はその歌作品が、今後とも読み継がれていくことで、さらにその存在感が強くなっていくのかもしれない。
Morris.は彼の歌の良い読者ではなかったし、すでにして「歌を忘れた歌人」を標榜していることもあるので、本誌に掲載されている引用歌をすべて再引用しておく。

拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません 笹井宏之(以下すべて)
両親が出会ったという群青の平均台でおやすみなさい
ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす
「生命の回廊」真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ
あやとりの東京タワーてっぺんをくちびるたちが離しはじめる
空と陸とのつっかい棒を蹴飛ばしてあらゆるひとのこころをゆるす
ひろげたら羽根がいちまい落ちてきてそれから軽くなったつまさき
もうひとひ眠れば初夏になりそうな陽射しを束にして持ってゆく
あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ
まばゆいね、まばゆいねって宇宙服着たままはじきあう青林檎
洞穴になってゆくあなたのそばで私は春のうたを歌った
切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために
この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
感覚のおこりとともにゆびさきが葉でも花でもないのに気づく
スパゲティ素手でつかんだ日のことを鮮明に思い出しまちがえる
風をのみ川をひらいて朝焼けの、どこにもいないひとになります
「スライスチーズ、スライスチーズになる前の話をぼくにきかせておくれ」
吊り革に救えなかった人の手が五本の指で巻き付いている
もうそろそろ私が屋根であることに気づいて傘をたたんでほしい
祝祭のしずかなおわり ひとはみな脆いうつわであるということ
風をのみ川をひらいて朝焼けの、どこにもいないひとになります
それは世界中のデッキチェアーがたたまれてしまうほどのあかるさでした
天国につながっている無線機を海へ落としにゆく老婦人
たてぶえのあたまをつよくひきぬいて木枯らしの子が恍惚となる
ひかりふる音楽室でシンバルを磨いて眠る一寸法師
果樹園に風をむすんでいるひとと風をほどいているひとの声
蛾になって昼間の壁に眠りたい 長い刃物のような一日
まばたきの終え方を忘れてしまった 鳥に静かに満ちてゆく潮
兄弟の包まれている新聞に海のむかえが来る時間帯
あまがえる進化史上でお前らと別れた朝の雨が降ってる
こん、という正しい音を響かせてあなたは笹の舟から降りる
一生に一度ひらくという窓のむこう あなたは靴をそろえる
「ねえ、気づいたら暗喩ばかりの中庭でなわとびをとびつづけているの」
おそらくは腕であるその一本へむぎわら帽を掛ける。夕立
一様に屈折をする声、言葉、ひかり、わたしはゆめをみるみず
ひらかれてゆくてのひらを鳥が舞いみえかくれする島のきりぎし
気のふれたひとの笑顔がこの世界最後の島であるということ
満ちやすいもののすべてが一様に真紅に染まる 終わるのでしょう
あなたからわたしへ移りゆく夢の破片のような魚をすくう
しおみずと真水の違いでしかない私たち ただ坂を下った
白砂をひかりのような舟がゆき なんてしずかな私だろうか
折り鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域
真夏日の夜の公園にばらばらの鍵盤としてちらばる私
今夜から月がふたつになるような気がしませんか 気がしませんか
新聞紙いちめんに散らばっている星のひとつを画鋲でつぶす
ゆきげしき みたい にんげんよにんくらいころしてしまいそうな ゆきげしき
借りもののからだのことを打ち明けてあなたはついに氷上の星
生きようと考えなおす さわがにが沢を渡ってゆくのがみえて
眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて
ゆっくりと上がっていってかまいません くれない色をして待っています
合図もなく浮上してゆく産卵のあとの卵を私はくるむ
からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ
カルシウム不足の月を叩き割る 斧のいたるところにどくだみ
憐れみのレバーを戻しさよならを、さよならをニホンザルに教える


日本シリーズ、巨人が2-0で日ハムを破って7年ぶりの日本一(>_<) Morris.としては明日のダルビッシュ見たかったのにい(@_@)
今日の歩数は0歩(^_^;)(携帯に触らなかった)

2009/11/06(金)●河馬の赤ちゃん●

7時起床。
今朝の血圧は183/104/81。
昼から王子動物園へ。まぬうは今日は上の方の岩でくつろいでた。しきりに顔をなでたり身づくろいしたりしてる。体調もまずまずという感じである。ラバーフードの使い方もだいぶ慣れたようで、望遠だと結構角度変更できるようになった。
そのあと河馬舎に行ったら、河馬の赤ちゃんが母河馬といっしょに池に浮かんでた。さすがに大人気である。Morris.はこれまでに何度か屋内で見たがどうしても隅っこにいてデジカメ撮影できなかったので、今日はしっかり撮影(^_^)
しばらくMorris.のミニギター練習場ハンター邸前でしばらくミニギター練習して、帰りに原田の森美術館冷かしたら、兵庫県高校書道展やってて、これが、びっくりするくらい水準高かった。
4時半帰宅。自転車でマルハチで買物して、夜はハリイカの刺身と焼きうどん。
10時から「おひとりさま」4回目。観月ありさのゆるキャラと渋谷哲平の絡みがもうたまらん状態である。ついついそのまま同じチャンネルつけてたら、釣瓶の番組で相武紗季がゲストで、これまた何かすごく入れ込んで見てしまった。彼女が17歳で甲子園のキャンペーンガールのとき、ちょっと注目したことがある。その当時の写真も出てきてすごく懐かしかった。
今日の歩数は6521歩。


Morris.亭ミニギタースタンド(^_^) 

今日のまぬう

あくびまぬう

なめなめまぬう

葉陰まぬう

幼稚園児の反応はまちまち(^_^;)

河馬の赤ちゃん

母河馬の背中に

ジョウビタキ?

桜紅葉

池に映ったハンター邸

原田の森美術館のモニュメント
2009/11/05(木)●十一周年記念●

6時半起床。
今朝の血圧は211/115/80。
7時半にJR灘駅に奥井さんに迎えに来てもらい、大阪西区のアメリカ人のピックアップ現場。
昼休み近所の散策。明治小学校の片隅に「阿古野橋」の古い道標があった。またこの小学校の塀際には黄色いダツラが多く植えられていて、まだ蕾から開きかけの花も多くて美しかった。
また近くには「サムハラ神社」があり、この神社名の漢字四文字は、絶対PCでは出てこないものばかりである。境内には黒白猫が2匹いてMorris.を喜ばせてくれた。
3時過ぎに作業終了。現場で解放してもらい、ふらふらと散策。「長瀬産業」のビルが素敵だった。1928年(昭和3年)の建物らしい。
今日はMorris.の60回目の誕生日、つまり還暦である。このホームページも開設11周年ということになる。
島田和夫部屋スケジュール更新。
今日の歩数は21979歩。


[阿古野橋」の古い橋標(明治小学校) 

ダツラ(明治小学校)

「サムハラ神社」と読む(@_@)

サムハラ神社の黒白

サムハラ神社の黒白その2

サムハラ神社の人面植木?

喫茶店前の三毛

長瀬産業ビル本館

同じく
2009/11/04(水)●読書マラソン(^_^;)●

6時半起床。
何となく頭が重い。
ラジオ聴きながらベッドで打海文三の応化戦記三部作を読み始める。「裸者と裸者上下」「愚者と愚者上下」と4冊を読み終えたら(^_^;)もう4時過ぎてる(^_^;)。
最後の「覇者と覇者」で5冊目にはいるところでさすがにお腹が減って、冷蔵庫の残り物を鍋にぶち込んで即席鍋食べる。
今夜の血圧は187/109/111。
今日の歩数は708歩。これは昨夜零時以後の歩数である。今日は携帯机の上に置いたままだった。

2009/11/03(火)●サランバン会●

7時起床。
今朝の血圧は169/155/77。
昨夜はちょっと飲みすぎたようだ。完全な宿酔である。
ということでほとんど部屋でごろごろ状態。
やっと4時頃風呂に入り、JRで大阪、鶴橋サランバンへ。
今日は第一火曜日、サランバンの恒例の集まりだが、いちおう今日はMorris.の還暦イブイブも兼ねてくれるらしい。
ちょうど6時に鶴橋に着いて、王将の餃子お土産に買って、そらを見上げたら見事な満月が出ていた。
サランバンは10人くらいで、校長先生がちょっと体調悪いらしく欠席というのが淋しかった。
金子マスターがMorris.の誕生祝いのポスターを描いてくれてた(^_^)
宿酔が残ってたので、はじめのうちはぼちぼちだったが、おしまいあたりは、すっかりビールも飲んで歌いまくった。ような気がする。
零時半帰宅。
今日の歩数は4309歩。


見事な月齢15.9の満月 

サランバン会風景

その2

その3

その4

その5

その6

その7

その8(postman提供)
2009/11/02(月)●机上整理●

7時半起床1。
今朝の血圧は186/95/90。
今日はDEL坊のデスクトップを整理することにした。
ソウルの杉山さんからタスクバーの使い方を教えてもらったので(これまで知らなかった(^_^;))、これまでデスクトップに置いてたショーとカットをタスクバーに移してついでに、タスクバーを左側縦置きにしてみた。これでずいぶんデスクトップがすっきりしたと思うが、やっぱり、縦置きタスクバーには違和感を感じる。
なにげなくTV番組表見てたら教育TVのハングル講座に「トロットナイトキングスペシャル」と書いてある。これは面白そうなので、録画予約までして見たのだが、完全に肩透かしだった。男性4人組で、ダンスとお笑いのトロットバンドとの触れ込みなのだが、いっこうに面白くもなんとも無い。ただ、TVハングル講座のレベルなら、Morris.は別に見る必要が無いということがわかったのが収穫かもしれない。
夕方買物に出ようとしたのだが、あまりの寒さに、引返してきた。温度も結構下がってるが、それ以上に風が冷たかった。
冷蔵庫の残り物で麻婆豆腐作る。美味しい(^_^)
今日の歩数は1432歩(^_^;)


すっきりしたデスクトップ 

ついでに卓袱台も整理

美味しい麻婆豆腐
2009/11/01(日)●水道筋music street●

6時起床。
今朝の血圧は212/118/74。
天気予報では雨マークだったのに、ほとんど快晴状態である(@_@)
今日は昼から水道筋ミュージックストリートなので、ちょっぴり冷かしに行こう。何ならミニギター持参で、街角で韓国歌謡コーナー(^_^;)やるのもいいかな、なんて不遜なことを考えながら、朝からミニギターの練習してたら、9時過ぎに電話が。

「今何してるんですか?」
「歌ってますよ」
「え? 何ですって?」
「だから、韓国歌謡の練習してるんですよ」
「今日、仕事の連絡入ってませんでしたか?」
「いえ、何も聞いてませんが」
「何てこったい、今からすぐ来れませんか?」
「え、どこにですか」
「六甲アイランドです」


と、いうわけで、あわてて顔洗って、現場へ(^_^;)
10時前に現場到着。秋本君らが来ていた。何でも2時くらいには格好つけたい現場で、人手が必要だったらしい。そういう現場が近日あるという話はきいてたが、それが今日だったらしい。これは完全に事務所の連絡ミスである。
とにかくコンピュータ関係の梱包から作業に入る。
昼前から一天にわかにかき曇り、すごい雨が降り出した(>_<) 
結局作業は3時半に終了して4時には帰宅できた。雨は降り続いてるけど、傘さして水道筋に行く。午後1時から8時までの催しだからまだ、半分くらいはある。
特に見たいバンドもないし、狭い店が多いので、外からちらちらと覗いて回る。小谷君やみっちゃんらの顔も見かけた。
小腹がすいたので、たこ焼き「タナカ」に寄ったら、中野さんが先に入ってた(^_^;)
5時から×100(ぺけひゃく)という店でカサスリムのステージを見る。ときどき島田さんのスケジュールで見かける名前なので興味を覚えたのだった。
生ギターのブルースで、なかなか楽しかった。ゲストのトシ新町のハープも悪くはなかったが、のべつまくなしに吹きまくるのはちょっとうるさかった。途中、ユカリちゃんの新世界メンバーでもあるマンボ松本がアコーディオンで乱入参加してくれたのが嬉しかった。
その後は、な也で天野SHOステージ。Morris.の目的は、ひさしぶりに島田さんのドラム聴きたかったのだ。やっぱりかっこいい(^_^)
フィナーレステージはパスしてマルハチで酒食糧買って8時過ぎ帰宅。
また見るともなく日本シリーズ。おお、何と今日はダルビッシュが先発したらしい。6回2失点でマウンドを降りたらしいが、これは見ときたかった。試合は4-2で日ハムが五分にもどした。解説が新庄と清原で、これでは解説にならんだろう(^_^;) でも面白かった。新庄なんか、ほとんどファンキー親父である。
今日の歩数は15860歩。


路上演奏家たち 

「通い船」での沖縄歌謡 

カサスリム 

アコーディオンでマンボ松本乱入(^_^) 

ひさびさ島やん 

天野SHO 

【韓国現代史】木村幹 ★★★☆☆☆ 2008年に出た中公新書である。副題「大統領たちの栄光と蹉跌」とあるとおり、歴代大統領と韓国の戦後の歴史をクロスさせて、時代を浮き彫りにするという手法をとっている。

本書では、このような「歴史」を「語る」に当たり、歴代大統領の経歴を追う、という手法を取った。その理由は大きく分けて二つある。第一はいうまでもなく、従来の韓国の政治では、大統領が、その生まれた時期や社会階層、さらにはその経歴などにおいて、異なる点を数多く有しており、それゆえ、彼らが大統領に登りつめるまでの過程を見ることにより、韓国現代史の多様な側面が明らかになると考えたからである。
その意味で、本書は「大統領の地位にある人びとの視点を通じて」韓国現代史の一側面を明らかにしようとした著作ではなく、「大統領に登りつめる人びとの視点を通じて」それを語ろうとした著作である。


という、あとがきに明確に語られている。そしてこの試みは大成功だったといえる。
韓国での歴代10人の大統領のうち本書で取り上げられているのは、李承晩(イスンマン)、尹[三水偏+普]善(ユンソボン)、朴正熙(パクチョンヒ)、金泳三(キムヨンサム)、金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)、李明博(イミョンバク)の7人で、崔圭夏(チェギュハ)、全斗煥(チョンドファン)、盧泰愚(ノテウ)の三人が除外されている。もちろん本文中には言及されているのだが、ちょっとこれには疑問を抱いたが、これもあとがきで理由を知ることができた。

この三名については、彼らが民主化後、光州事件をはじめとするさまざまな点について、裁判を受けることになった関係上、客観的で詳細な研究がなされておらず、資料的制約が大きかったことが最大の原因である。

なるほど、ではあるが、これはぜひ、前書きに記しておいてほしかった。あとがきから読む人も多いし、Morris.もよくそうするのだが、本書では最初から読み進めて、読み終えるまでずっと、これを疑問に感じてた。
新書ということもあって、一般読者にもわかりやすいレベルの書き方になってるという点を考慮しても、本書は、Morris.にとって、これまで読んだ韓国現代史の本の中で、一番理解しやすく、共感を覚えるところ多く、そして何よりも面白く興味深く読むことができた。
本書で初めて知ったことも多かったし、これまでほとんど関心の無かった金泳三の「大統領になるまでの」経歴には、認識を新たにした。
Morris.が初めて訪韓した88年に全斗煥から盧泰愚の政権交代があり、このときの選挙が、野党分裂(金大中と金泳三の二人が出馬)で与党(盧泰愚)が漁夫の利を得たというイメージを持っていたのだが、これが結果的に韓国のその後にとって、マイナスばかりでなかったことを理解できただけでも、本書を読んだ意味がある。
また、金大中が当選した97年12月18日の選挙当日、Morris.はイパクサ宅にホームステイ(^_^;)していて、朝からパクサ家族と一緒に近くの小学校の投票所まで同伴して、夜はパクサ夫婦と夜遅くまでTVの選挙速報(実に手に汗握る接戦だった)を夜遅くまで見てたこと。奥さんが全羅道出身ということもあって、金大中の勝利が確定した瞬間、思わず「マンセー!」と叫んだことが思い出される。
数年前の訪韓中には、鍾路商店街の店舗で開発記念行事に列席していた、市長在任時の李明博を目の当たりにしてデジカメに収めた(その時は名前すら知らなかった)こともあった。
そして今年の盧武鉉の自殺と、金大中の逝去。
李承晩の政治的配慮から、異常に強力な力を持つことになった韓国の大統領制度が、独裁者的大統領を生み出し、さらには、その権威が形骸化しはじめている現代においても、韓国国民の大多数がその権威を幻視しているなど、韓国人の国民性にまで踏み込んだ考察にも鋭いものがある。
そしてなおかつ、直接表現はなされていないが、著者の胸底にある、隣国韓国への深い親愛の情が感じられるところがMorris.には一番嬉しかった。
著者とは、Morris.はパソ通時代の知己である。というか、その時期限定の知己というべきかもしれない。
それ以後も、新聞寄稿やTV出演を見る機会もあり、また神戸六甲学生青年センターでの講演で親しく謦咳に接したこともあるが、正直言ってこれまでの彼の著作はMorris.にはちょっと敷居が高かった。
そういう意味でも本書は、Morris.にとっても「面白くてためになる」好著として、実に嬉しかった。
評点には、身内贔屓は全く入っていない。つもりである(^_^;)



 

 

 

 
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