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  Morris.日乘2016年6月

Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。


 

今月の標語

自縄自爆


【2016年】  5月  4月 3月 2月  1月
【2015年】
12月  11月  10月 9月 8月 7月  6月 5月 4月 3月  2月  1月 


2016/06/30(木)●岸和田屋根猫
5時半起床。
今朝の血圧は165/73/87。
7時に住吉駅で秋本くんに拾ってもらい、午前中は岸和田のイギリス向け航空便、午後は堺のマレーシア向け船便ピックアップ現場。
岸和田の現場向かいの民家の屋根に雉猫発見。しっかりMorris.@Catographerモード(^_^)
作業は2時過ぎに終了。
帰り道神戸美術館前で降ろしてもらい、3時半帰宅。
風呂浴びて、しばらく屋上でミニギター(^_^;)
参院選投票日まで残り10日。いまいち盛り上がりに欠ける気がする。TVニュースが消極的である。
今日の歩数4828歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] N서울타워(エンソウルトウォ  南山(ナムサン)タワー)ソウルのほぼ中央に位置する南山(남산ナムサン)の頂上にある電波塔。2005年までは남산타워(南山タワー)とよばれていた。ソウルのランドマークとして観光客も多い。タワーの高さは236.7mだが海抜243mのため、実質的な高さは450mを超える。
Morris.も何度か登ったことがあるが、10年ほど前から呼び方が変わったというのは知らなかった。鐘路のバゴダ公園がタプコル公園に変わったのは有名だが、こちらは初耳だった。まあ、Morris.は「バゴダコンウォン」「ナムサントウォ」を使い続けるけどね(^_^;)


どこかの飼い亀 

岸和田の屋根猫 

同じく 

張り子猫 

同じく 

向かいの阪急高架下工事 


2016/06/29(水)●住吉山手石仏群とカラオケ4人会
6時起床。
今朝の血圧は
191/91/69。
住吉の現場最終日。今日は現場直行ということで、早めに阪急御影に出て、しばらく住吉山手散策。ここらあたりは豪邸が多く、風情がある。墓地の入り口に六地蔵が並んでいた。これはありふれたものだが、その横に年代物の石仏6体が並んでいて、これにはちょっとびっくり。立て札には「石垣に埋め込まれた古い六地蔵の左端の石仏に「文禄三年(1594)二月吉日」と銘が刻まれている」と書いてある。いやあ、これはなかなか基調なものである。この周りには他にも多くの石仏が集められている。
2時過ぎに作業終了。
3時前に部屋に戻り、風呂浴びて、夕方JRで新長田に出る。今夜は大和くん主催のカラオケの会である。その前に長田図書館に寄ったら、上田トシコ「フイチンさん」の上巻があったので借りることにした。
7時にカラオケ「歌居屋」に。大和くん、山根さんが先に来ていて、後から今日早番だったムックさんが来て、結局今日はこの4人だけ。朴昌利さんもスタッフで参加してたが実質的には4人で順繰りに歌い続ける。山根さんは先日白内障の手術片方済まし、来週にはもう一方も手術とのこと。白内障はほとんどの老人がかかるくらいらしいから、Morris.も覚悟しとくべきかもしれない。大和くんは先週また韓国に行って、キョボ文庫で韓国歌謡の本など爆買いしてきたらしい。ムックさんはお得意のソルンドナンバーに加えてレパートリ増やしてるし、とにかくこの4人で歌いまくるというのもなかなか充実して楽しいものである。
しっかり飲んで歌って11時半帰宅。
今日の歩数は6035歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 웃프다(ウップダ 面白悲しい)웃프다は「笑う」という意味の웃다(ウッタ)+「悲しい」という意味の슬프다(スルプダ)をあわせた言葉。絵文字として큐큐で表せる。
泣き笑いは大阪人情劇の根本原理(^_^;) 若者言葉だけど、これはMorris.にも使えそう。
ただ「우습다(ウスプタ) 可笑しい、こっけいだ」という単語があり、発音が似ているから、きちんと発音しないとこれと混同されそう。


大和蜆 

住吉山手墓地の六地蔵 

その隣に古い石仏が六体 

文禄3年(1594)の銘文あるものも 

なかなかのもの 

周りには他にも多くの石仏たち 

山田太郎・次郎水車 

山田区民会館 

ちょっと目立った樹 

乾邸 

お茶の実 

露草 

雨の深田池の雀 

何だこれは? 笄蛭(コウガイビル) 

深田池裏山の気になる支那風建物 

長田図書館猫雉 

同じく白黒 

茸 

山根さん 

大和くん 

ムックさん 

朴昌利さん 

鏡で2ショット 

ムックさんと 


2016/06/28(火)●住吉山手2
7時起床。
今朝の血圧は176/74/60。
昨日と同じ現場。
今日はワードロや背高キャビネットなど大型家具梱包でちょっと苦労した。5時半帰宅。
甲子園では今日からDeNA3連戦。このところほとんど野球見てなかった。首位広島に3連敗してゲーム差も10超えてる(>_<) 今日は先発メッセンジャーが5回まで完全試合のペースの絶好調。打線も4点取って、今日は楽勝と思ったのに6回に連打で1点差に詰められてしまった。どうにかこうにか逃げ切ったがヒヤヒヤものだった。
今日の歩数は4989歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 적산가옥(チョクサンカオク 敵産家屋)敵とは誰か? 日本である(^_^;) 植民地時代に朝鮮半島に建てられた日本家屋のことをこう呼ぶらしい。家屋は韓国語でもカオクである。同じ漢字語で漢字の発音も同じ場合は日韓共通語になるわけだ。日本家屋は木造だから、75年も経てば、普通建て直しになる。どんどんこの敵産家屋は減ってることは間違いない。それでも、しぶとく残ってるものもあって、Morris.は結構これを見つけるのを楽しみにしてる。去年訪れた群山(くんさん)のように、今頃になってこれを観光資源として利用するところも出てきている。


住吉山手の住宅 

同じく 

アボカドサラダ 

【野生動物カメラマン】岩合光昭 ★★★☆
2015/12/22 集英社新書ヴィジュアル版
日本一の猫写真家(^_^;)として有名な岩合さんの、フォトエッセイで、世界中での野生動物撮影の苦心話やエピソード満載。渾身の傑作写真もカラーで数多く紹介されている。

岩合光昭 1950年、東京都生まれ。動物写真家。19歳の時、同じく動物写真家だった父・岩合徳光氏の助手として訪れたガラパゴス諸島で動物写真家になることを決意。以来40年以上にわたり、地球上のあらゆる場所で動物を撮り続けている。

今更紹介する必要もないだろうが、彼の本業は野生動物写真家である。

ぼくはできるだけ近づきたい。這いつくばって、低くカメラを構えて、より大きく見えるアングルで写真を撮りたい。上から見下ろして撮ると、動物というのはおもしろくないからです。


これは猫の撮影にもそのまま使える。Morris.もできるだけローアングルで撮ることにしている。

ライオンの狩りでも何でも6時間以上、ときには12時間も見続けていることはザラにあります。そのために双眼鏡は目にやさしいものを愛用しています。よく「どうしてそんなに値のはる双眼鏡を使うんだ?」と聞かれますが、安価なものだと目が痛くなって疲れてしまうのです。(ライオンに見る「家族の肖像」)

猫でも本当の野良猫だと、きちんと写そうとすると、30分くらい待つ必要があるかもしれないが、12時間となるともう普通の人には出来ないだろう。

それまでのぼくは、たとえば「ライオンの狩りを撮ろう」とか、撮りたいテーマを決めて、自分で一生懸命プランを練って、撮影に臨んでいました。
車が故障した翌日、アカシアの木の葉を食べるマサイキリンに遭遇しました。そのキリンの姿が、ことに首の線が非常ん美しく、車を止めてもらってしばらく眺めていました。カメラは故障した車の中に置いてきて持っていなかったのですが、そのときに、こう思いました。
「ああ、そうか。ぼくはこういう写真を撮ればいいんだ」と。
次の日から、ぼくは「その日、そのときに出会った動物たちを見て、撮りたいと思ったものを撮っていく」というふうに、考え方を切り替えました。自分の思いを押し出さず、どんな写真を撮るかは相手しだいと思うようになったのです。


こういうことを言えるのは、筆舌に尽くしがたい実績あってのことだろう。

人間優位に考えて「けっこう頭がいいんだな」とか「へぇ、こんなこともできるのか」というふうに、比較してものを言う。そこから「動物に学ぶ」という発想が出てくるのではないでしょうか。そうではなくて、シンプルに「相手を知りたい」と思う気持ちで動物たちと対峙したいと、ぼくはいつも考えています。

生類平等論だな。

いまの日本人、とくに都会に住む人を見ると、雨が降ると行動が制限されるからか、あまり雨を好まないようです。雨の恵みがあって豊かな自然がある、作物が実るとわかっていても、どうしても雨雲を見ながら「今日は天気が悪くなりそうだな」というふうな捉え方をします。
天気予報でも日常会話でも、「あいにくの雨」という表現が当たり前のように使われています。もしぼくが気象予報士だったら「みなさん、今日はすばらしい雨が降りますよ」と言いたいところです。
本当は、都会でも建物から一歩外に出ると、風が吹いているし、においも漂っている。それなのに感じようとしない、自分のなかで自然をシャットアウトしているところがあるのではないかと思います。(涙が出るほど美しいチータ)


確かに雨の恩恵を受けながら、雨天=悪天と決めつけるのは短絡的である。
ちょうど梅雨どきで、毎日のように雨模様だが、ちょっと意識改革してみよう。

クジラだけではなく、動物のたくましく美しい姿の基本は腰にある、とぼくは思っています。ネコだって、ジャンプするときは腰をぐーっと入れて、パーンと跳びます。腰が鍛えられているから、背筋もピンと伸びる。猫背のネコも、たとえばメスの様子をうかがうときなど、真剣なときは猫背になりません。
人間も同じです。
ぼくは写真を撮るときはいつも被写体のどこか一点に注目してシャッターを切っています。(クジラは腰の入れ方がいい)


これも参考になる。


2016/06/27(月)●住吉山手
6時半起床。
今朝の血圧は197/87/59。
8時半にJR住吉山手駅で秋本くんに拾ってもらい、住吉山手のインド向け荷物ピックアップ現場。近所に前から気になってた挑戦石人像がある。ムクゲの会の深田さんが専門で、全国の石人像を巡っているが、ここの石人像はちょっと異色である。一般の石人像は髭がないのに、この石人像は立派な八の字髭があり、表情豊かである。
クライアントはドイツ人のおっとりしたお婆さんである。日本語もある程度できる。それにしても、荷物が多い。3時までかかってやっと一部屋終えて、倉庫みたいになってる部屋に移動。
5時前に住吉駅で降ろしてもらい、コーヨーで買い物して5時半帰宅。
夕方から雨になった。
黒木華のドラマ「重版出来」の最終回のビデオ、やっと見終えた。このドラマ、第一回がすごく印象的で、連ドラ録画予約して毎週みてたのだが、最終回だけなぜか見そびれて、2週間遅れで見ることになった。最終回は出来レースみたいなハッピーエンドだったがやっぱり黒木華の笑顔だけで、いいドラマだと言うしかない。基本的にはMorris.は日本のテレビドラマは見ない。たまに好きな女優(観月ありさ)がヒロインのドラマは見ることがあった。今回は黒木華目当てで、やっぱり彼女は素晴らしかった。実はMorris.には珍しく、NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」も、録画してずっと見てる。こちらは高畑充希(DocomoのCMで注目)が目当て、というか「暮しの手帖」の大橋鎭子がモデルということで見てたのだが、一向に「暮しの手帖」にたどり着かず3ヶ月。あまりに臭い芝居に辟易しながら、それでもついつい見続けている。これが連ドラの魔力なのかもしれない。
今夜のKBS歌謡舞台1473回は-6월 신청곡-6月リクエスト

1) 안동역에서安東駅から/진성チンソン
2) 친구여友よ/조항조チョハンジョ
3) 개나리 처녀ケナリ娘/유지나ユジナ
4) 동동구루무トンドンクルム/정정아チョンジョンア
5) 우연히偶然に/우연이ウヨニ
6) 사랑을 할 거야恋してみようか/녹색지대緑色地帯
7) 백 세 인생人生百年/이애란イエラン
8) 여옥의 노래ヨオクの歌/지원이チウォニ
9) 나그네 설움旅人の悲しみ/배일호ペイロ
10) 여자의 일생女の一生/이수진イスジン
11) 아직도 못다 한 사랑いまだ果たせぬ愛/소리새ソリセ
12) 전우야 잘 자라戦友よ元気で/박상철パクサンチョル
13) 바다가 육지라면海が陸地なら/주연아チュヨナ
14) 그댄 봄비를 무척 좋아하나요君は春雨が好きか?/양현경ヤンヒョンギョン
15) 사랑이 메아리 칠 때愛がこだまする時/안다성アンダソン
16) 모정의 세월慕情の歳月/한세일ハンセイル

今日の歩数は3005歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 구조조정(クジョジョジョン 構造調整 リストラ)リストラ(Restructuring)「整理解雇(정리해고チョンニヘゴ)」「早期退職(명예퇴직ミョンエテジク 名誉退職)」とも言う。日本では「肩たたき」という俗語が、リストラという言葉が広まる前から使われていた。


住吉山手の石人像 

ちょっと異色 

グロリオサ 


2016/06/26(日)●四日市猫
5時半起床。
今朝の血圧は177/73/79。
6時にJR灘駅にとしろうに迎えに来てもらい、四日市白須賀のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。現場付近で、典型的野良猫発見。かなりの不細工というか、凄い御面相である。
午前中台所梱包済まして、昼食はコンビニ弁当。近所の八田という旧東海道沿いの地区を散策。古いポストを庭先に立ててオブジェのようにしてる家が2軒あった。そして、住宅の脇で4匹の子猫の母の三毛猫を発見。子猫は3匹が黒、1匹は黒白。ちょっとだけMorris.@Catographerモード。
バイトの時に使ってるセカンドデジカメ(Canon PowerShot SX280HS)がピンチ(>_<) である。以前から時々起動しなかったり、途中で「カメラがエラーを異常を感じたので動作を終了します」「バッテリーを交換して下さい」などの表示が出て勝手に終了する。これがだんだん頻繁になって、今日なんか、ほぼ2回に1回くらいの割でこのエラー表示が出る。そろそろ寿命かな。
四日市といえば2013年6月末の周炫美(チュヒョンミ)日本リサイタルのことが思い出される。あれから3年経ってしまったのか。あの時の盛り上がりはすごかったなあ。あの時サインしてもらったミニギターは、今でも自慢の種である。
4時前作業終了。6時に魚崎で降ろしてもらい、阪神電車で6時半帰宅。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 벽치기(ピョクチギ  壁ドン)벽は「壁」、치다は「打つ」という意味。기(ギ)は、動詞化する語尾。日本の少女漫画に登場したあと、ドラマにも頻繁に使われた。韓国では日本の漫画は数多く翻訳されて読まれている。当然文化的影響も大きいと思う。しかし「壁ドン」はやり方を間違えると、暴力あるいは痴漢行為になりかねない(^_^;)と思う。


唐黍 

生きている化石猫(^_^;) 

田園列車 

古いポストが庭先オブジェに 

こっちでも 

朝顔 

多産の三毛 

同じく 

アメリカザリガニ 

伊勢國八幡神社旧跡石碑 

新名神大鳥橋 

JR灘駅前夕空 



2016/06/25(土)●ユギオ66
6時起床。
今朝の血圧は179/85/72。
自転車で摩耶倉庫へ。今日も高橋猫はいつもの場所にいた。持参したいりこを柵の下においても、ちょっと身を引いてしまう。
荻野くんとふたりで、京都東区のシンガポール向け航空便と保管荷物、電化製品廃棄の引き取り現場。
昼前に作業終了。名神桂SAで昼食は豚汁定食(680円)、これが予想外に美味しかった(^_^)
そのあと、三宮高層マンションの引き取り現場のヘルプ。5時に倉庫に戻り、小雨の中自転車で帰宅。高橋猫はいなかったが、いりこは無くなってた(^_^)
阪神はデイゲームで2-4で敗けたようだ。
日本-スコットランドのラグビー国際試合。前半4点リードで折り返した日本。後半前には天皇皇后が来席。ラグビーでは初めての天覧試合ということになる。ひょっとして、これは、参院選の保守派への応援なのでは、と勘ぐったのだが、前半日本のリードでおりかえしたものの、後半試合巧者のスコットランドがしぶとく逆転してしまった。試合自体はなかなか見応えがあった。
今日の歩数は4933歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]  육이오(ユギオ 625) 육(ユク)は6、이(イ)は2、오(オ)は5、「ユク+イ+オ」がリエゾンして「ユギオ」になる。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争。韓国では한국전쟁(ハングクチョンジェン 韓国戦争)とも言うが、一般には「ユギオ」を使う事が多い。この戦争は現在も休戦中ということになっている。今日まで66年間戦争状態にあるともいえる(^_^;) 北朝鮮では去年から?この日を「反米闘争の日」と位置づけているらしい。
最近ではこのユギオを62歳超えて仕事してるのは罪だという意味で使っているらしい。


今朝の高橋猫 

ちょっと変わった螺旋階段 

尼崎のスナックコンパ 

2016/06/24(金)●英EU離脱決定
6時起床。
今朝の血圧は198/90/84。
自転車で摩耶倉庫へ。途中高橋猫にいりこを提供。でも、やっぱりちょっと逃げ腰である。
矢谷くんと2人で、城陽市のイギリス向け荷物ピックアップ現場。
昼前に終了。
午後は草津のデジバリ現場のヘルプ。荷降ろしする頃から小雨になり、搬入し終えたら大雨になった。そこまでは良かったのだが、開梱したダンボールなどトラックに積むときには、もろ雨の中でほとんどずぶ濡れになった。とりあえす3時に作業終了。
5時に摩耶倉庫に着いたら雨は止んでいた。
6時帰宅。
イギリスがEU離脱決定、というニュース。キャメロン首相は辞任を表明。昨日の予想では残留が多数を占めてるらしいということだっただけに、ちょっと意外。詳しいことはよくわからないが、世界の不況傾向強まりそうだし、円高、株安で、アベノミクスはなかったも同然になるのでははかろうか。これはナショナリズムの強まりの現れだろう。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「音楽は政治と分離できるか」というタイトルで、SEALsの岡田がフジロックフェスのトークコーナーに出演することに反対する勢力が「音楽に政治を持ち込むな」というセンテンスでアピールしていることに関するもの。いまいちMorris.にはピンと来ない話題だったが、小田嶋の結論は「こういった言葉で、反対すること自体が政治的」と、シンプルなもの。
ただ小田嶋らの世代といまどきの若者世代の、音楽への向き合い方がよほど違っているということは、そのとおりだと思う。

1970年代から80年代に青春期を過ごした者にとって、音楽、その中でもとりわけ「ロック」は、人格を識別する標識だった。ヘアスタイルはもちろん、ファッションの好みも、読書傾向も、果ては支持政党から酒の飲み方に至るまでが、ロックのおまけだった。そうやって、私は、自分の不適応を音楽によって癒やし、音楽を通じて現実世界を遠ざけていた。

わはは(^_^;) たしかにMorris.もそうだった。
散々だった交流戦も終わってリーグ戦再開、阪神は小雨の中の広島戦。なかなか勝ち星につながらない藤浪先発、7回まで何とか2-2踏ん張ってたが、8回裏藤川が代打新井に2点タイムリー打たれて、これでおしまい。28打席ノーヒットの続いていた鳥谷がやっと29打席目にヒット打ったものの、絶不調は続いている。
今日の歩数は4002歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 노답(ノタプ NO+答 どうしようもない )発生した出来事に答えが見つからない、ということから「どうしようもない、救いようがない」という意味で使われる。普通の表現だと답이 없다(タビオプタ 答えがない)。


今朝の高橋猫 

同じく 

石みたいな茸 



2016/06/23(木)●高橋猫が(@_@)
6時半起床。
今朝の血圧は175/76/69。
小雨の中傘さして摩耶倉庫に向かう。
高橋猫ひさしぶりに顔見せてた。長いこと見えなかったので心配してたのだが、この猫本当にしぶとく生き延びてるみたいだ。ただ、Morris.が近づくと警戒して柵の向こうに避難した。危険な目にあったのかもしれない。
矢谷くんら6人で芦屋の2日取り現場の初日、ちょうどガス工事とバッティングして、荷物の移動に支障が生じた。
帰り道また高橋を伺うと、なんといつもの高橋猫ではなくて、白猫がいた。こちらも結構警戒心強い。お馴染みの高橋猫とどういう関係なのだろう。
6時前帰宅。洗濯、風呂浴びて、まだ明るいうちに屋練(^_^;)
今日は沖縄慰霊の日で式典が開かれたが、翁長知事の平和宣言。なんと安倍首相も出席して、「参院選トーク」(>_<) 米軍属のレイプ殺人事件に怒りのポーズを見せてたが、あまりにも見え透いた発言に会場もしらけてたようだ。
今日の歩数は5349歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 질소과자(チルソクァジャ 窒素菓子 ) お菓子を保護するために入れる窒素が、お菓子の容量に比して異常に多いことから、消費者の不満が込められて言葉。つまり「過大包装」のこと。窒素を買うとお菓子がボーナスについてくるとの皮肉も。日本ではあまり聞かない表現だ。「上げ底」というのが多いかな。


高橋猫 

レンズ雲 

煙みたいな雲 

胡瓜 

高橋白猫(@_@)?? 

黄昏屋練 



2016/06/22(水)●参院戦スタート
7時起床。
今朝の血圧は168/66/65。
朝風呂浴びて、サンドイッチつくる。今日は天気予報では午後から雨になると言ってたので、午前中は王子公園のベンチでサンドイッチ食べながらくつろごうと思ってたのだが、昼前から雨が降りだした(>_<) もちろん屋上も雨ざらしである。ただ、屋上のドアの前に猫の額ほどの三角形の屋根(給水塔載せてる部分)があるので、ここでこじんまりと(^_^;) ミニギター&サンドイッチ。最近、ちょっとレパートリーを増やそうと思い、30曲ほどピックアップして、クリアファイルに入れて持ち歩いている。新曲、といってもほとんどが懐メロだけど(^_^;) このなかから半分くらいレパートリーになれば、と思っている。
2時半頃部屋に戻って、傘さして六甲道方面に。今日参院選公示で、ポスター掲示板も設置してあるが、雨の中、ちょっと寂しげに見える。しかし、この選挙は、日本のこれからを決定づける、非常に重い意味を持っている。党首インタビューを見ても、
灘区役所、灘図書館回って、帰りも歩いて、水道筋で買い物して6時帰宅。
昨日から九州方面中心にえらい豪雨のようだ。地震の被災地は、たまらんだろうな(>_<)
ニュースでは党首のインタビューで、とりあえずの所信表明で、目新しいものはなかったが、日本のこころを云々の中山党首の話し方と内容にはうんざりさせられる。
今日の歩数は4348歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] (テン ブー、ブブー)と딩동댕(ディンドンデン ピンポーン)は、クイズなどで間違った時に鳴らされる「ブー」と正解のときの「ピンポーン」だ。
「ハズレ」と「アタリ」ということもできるだろう。しかし、Morris.は、ノレチャラン(のど自慢)の鐘の音として覚えていた。もちろんひとつ鐘が「テン」で合格は「ディンドンデン」である。日本ののど自慢で、一番多い二つ鐘というのは、韓国のノレチャランでは今まで聞いたことがない。あったら「テン、テン」ということになるのだろうか?
1時間の番組で「テン」と鳴るのは、一人か二人くらいである。しかし、そこは韓国。転んでもタダでは起きない、というか、半数くらいは再チャレンジをアピール、中にはしつこく4曲くらい歌って「テン」の山を作る猛者もいる。そして、こういうチャレンジャーが人気賞を獲得することも稀ではない。いや結構多い。災いを「テン」じてインキサン(人気賞)である。


屋上でサンドイッチ 

六甲道芝生の鶺鴒 

雨の参院選 

ラズベリー 

寿司屋猫も雨宿り 

赤紫の海芋 

2016/06/21(木)●夏至の原爆ドーム
3時起床。
今朝の血圧は167/75/69。
傘さして4時過ぎに摩耶倉庫に到着。
朝海くんら5人で広島市中区神谷町のアメリカ人の船便ピックアップ現場。
昼食の後、原爆ドーム、平和公園に足を伸ばす。オバマ訪問以来訪れる人が増えてるらしい。前回訪れたときは補修工事中で全体に覆いがかかってた。今思うと、あの時点で、オバマ訪問を想定してたのかもしれない。
3時過ぎに現場を出て7時半、倉庫到着。
摩耶埠頭にバラ積み貨物船停泊してたので覗く。漢字で「犬山」と書いてある2万tクラスの船でパナマ船籍。
マルハチで買い物して8時半帰宅。
明日の参院選公示を前にして、報道ステーションで9党首会談あったが、ほとんど討論にはならない。しかも安倍は選挙期間中後1回しかテレビでの党首討論には出ないとのたまった(>_<)あべのメディア戦略ってのはこんなもんか。
今日の歩数は5022歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 모태미녀(モテミニョ 生まれつきの美女)漢字にすると「母胎美女」(^_^;) 美容整形大国である韓国ならではの表現かもしれない。
韓国の女子大では夏休みの後の3年生の半数は顔が変わってるらしいしね。日本と違って、整形は甲斐性みたいなもの。ウリタル(我が家の娘」に整形も受けさせられないの家は甲斐性なしということになるのかも。
日本では「天然美人」というのかな。あまり使わないようだ。「天然ボケ」はごろごろしてるけど……


原爆記念館 

外国人が多い原爆ドーム 

同じく 

未だに釈然としない 

元安橋 

帰り道幽かな虹が 

夜の摩耶埠頭 

「犬山」 

夏至の朧月 


2016/06/20(月)●孔雀日和
6時起床。
今朝の血圧は187/74/79。
昼前に王子動物園へ。
鳥舎で孔雀と白孔雀が羽を広げていたので観覧スペースに入って撮影。途中別の孔雀が観覧スペースまで飛んで来て、目の前で羽を広げてくれた。思わずデジカメ撮りまくり。普通は近寄ると逃げるのだが、この孔雀は羽広げたままMorris.のほうに歩いてきてMorris.の頭を羽でかるく撫でて通り過ぎた(@_@)。
まぬうの隣のオオヤマネコもその隣のボブキャットも死んで、檻が空になってたが、最近新しいボブキャットが入園したらしい。今日は表に出て無くて、裏の寝床覗いたらいた。また今度ゆっくり挨拶しよう。
ハンター邸前でくつろごうと思ったのだが、工事中で立入禁止(>_<)
結局いつものカンガルー舎裏の高台ベンチでミニギターおさらい。
こどもの国のD51の食堂車カウンターで葉書2枚書いて、レマンでバケットなど買って4時半帰宅。
原子力規制委員会が福井の高浜原発1,2号機の20年間運転延長を認可したとのバッドニュース(>_<) 40年前の原発を後20年も使おうというのはもってのほかである。この委員会はつまりは原子力ムラの末裔である雀百まで踊りを忘れずぢゃ。
今夜のKBS歌謡舞台1472回は-역사는 흐른다-歴史は流れるというタイトル

1) 한국을 빛낸 100명의 위인들韓国を輝かせる百人の偉人たち/KBS어린이합창단KBS子ども合唱団
2) 장녹수チャンノクス/전미경チョンミギョン
3) 백마강白馬江/태진아テジナ
4) 왕자 호동王子ホドン/이자연イジャヨン
5) 논개論介/이동기イドンギ
6) 강화 도령江華道令/장태희チャンテファ
7) 선죽교善竹橋/김경남キムギョンナム
8) 장한몽가長恨夢歌/김강キムガン,노현희ノヒョンヒ
9) 직녀성織女星/송해ソンヘ
10) 춘향가 春香歌 中 사랑가恋歌/국악인国楽人 남상일ナムサンイル,국악인国楽人 유성실ユソンシル
11) 백치 아다다白痴アダダ/반가희パンガヒ
12) 효녀 심청孝女沈清/김용만キムヨンマン
13) 새야 새야 파랑새야セヤセヤ青い鳥/김희진キムヒジン
14) 눈물의 신금단涙の辛金丹/오은주オウンジュ
15) 마라손 제패가マラソン制覇歌/배금성ペグムソン
16) 나 가거든私は行くのに/소프라노ソプラノ 김은경キムウンギョン
17) 방랑 시인 김삿갓放浪詩人金傘/명국환ミョングッカン


最初の「百人の偉人」の歌は、お馴染みだが、それ以外はほとんど知らない曲だった(>_<)

今日の歩数は2366歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 돌직구(トルチック 石直球  ぶっちゃけ発言)「トル」韓国固有語で石、「チック」は直球の韓国語読み。日本でもストレートな発言という意味で「直球勝負」などという。去年までタイガースの抑えとして活躍した오승환(オスンファン呉昇桓)の速いストレートから来たと書いてあるが、もっと前からあったのではなかろうか。


朝からキムチ焼飯 

姫女苑 

今日のまぬう 

新顔ボブキャット 

フラミンゴ親子 

孔雀#1 

孔雀#2 

白孔雀#1 

白孔雀#2 

蜥蜴 

プレーリードッグ 

久々食堂車 



2016/06/19(日)●部屋ゴロ
6時半起床。
今朝の血圧は153/74/67。
朝から雨で、今日は端から、外出する気にならない。
参院選告示間近で、NHKの日曜討論は、各党の党首が出席。めずらしく山本太郎も出席してたので、ちょっと期待したのだが、全体的に安倍よりの司会進行が目立ち、争論をぼかすことに主眼を置かれた番組ではないかと思ってしまった。相変わらず安倍は質問にはまともに答えず自分に都合の良い数字を並べ立てる。アンケートの提示も偏ってたし、意見が対立すると、別の話題に持って行こうとする。今や「アベチャンネル」と化したNHKだから仕方ないか。いや、これは見過ずべきではない異常事態だと思う。
KBSノレチャランはソウルヤンジン区篇。ユジナとキムヨンジャがゲストに出てた。
午前中かなり強い雨だったので、今日の甲子園の野球は中止と思ってたのに、試合は行われて、首位独走中のソフトバンクにこてんぱんにやられてしまった。
今日の日曜美術館は沖縄の写真家平敷兼七の特集。Morris.よりひとつ上で、沖縄の底辺の人物を撮り続けてきた。長らく無名に近い存在で、2007年に写真集「山羊の肺」を出し、2008年には伊奈信夫賞を受賞して、やっと認知されたと思った矢先2009年に肺炎で逝ってしまった、享年六十一。
沖縄では今日、元海兵隊員による女性殺害への抗議集会が開かれた。「沖縄県民の怒り」「沖縄の理不尽」「沖縄の悲しみ」……。いまだに「沖縄」は日本ではないのだ、ということを再確認させられた。
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 빈 수레가 요란하다(ピンスレガ ヨランハダ 空っぽの車が騒がしい)빈は空き、수레は車・馬車、요란하다(擾乱/揺乱ハダ)はうるさい、さわぎたてる。知識の浅い人が知っているふりをするたとえ。
 なんとなく聞き覚えのあるフレーズだなとおもい、いろいろ考えてるうちに「シントブリ 身土不二」を歌ってた韓国男性歌手ペイロの「99.9」という歌の歌詞の中にあったことを思い出した。一番の歌詞にこのフレーズがあり、二番では「빈 깡통이 소리가 크지 ピンカントンイ ソリガクジ 空き缶が大きな音を出す」になっている。こちらのほうがわかりやすい。「吠える犬は噛まない」というフレーズを連想した。でも、吠えて噛む犬はいくらでもいそうだけど(^_^;)

【沖縄 本土メディアが伝えない真実】古木杜恵 ★★★☆ 2015/08/17 イースト・プレス
著者は1948長崎県生まれのノンフィクションライターで「ダカーポ」や「世界」などに寄稿しているらしい。
沖縄の新聞「オキナワタイムス」「琉球新報」の記者への取材から、その立場や意見
特殊状況などを紹介している。

本土復帰直後の1972年10月、米国が在沖縄海兵隊の撤退を提示、日本政府が撤退を慰留していたことがオーストラリアの公文書で明らかになった。さらに少女暴行事件が起きた1995年にも在沖縄海兵隊の撤退を米国が提示したが、またしても日本政府が断ったことが当時のウォルター・モンデール駐日大使のインタビューで明らかになっている。こうした事実を本土メディアはいっさい報道しない。
沖縄に基地を置くのは抑止力という軍事技術上の問題ではなく、沖縄に置くのはいいが本土はかかわりたくないという意識が透けて見える。(はじめに)


沖縄の基地に固執しているのはアメリカではなく日本政府だという事実。
本書の初めに佐野眞一との対談がおかれている。佐野の沖縄に関する本は、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」と「僕の島は戦場だった」を読んでいる。特に後者には大いに蒙を啓かれた記憶がある。

古木 沖縄の知事が日本政府を越えて米国に直訴しなければならない状況は、いかに県政が米軍基地の問題に忙殺されてきたかということです。しかし、米国に行けば日本政府の問題と言われ、日本政府に訴えれば国の専権事項である外交問題として片づけられる。そこにこそ日米の狭間に立って振り回されてきた沖縄の知事の厳しさがあり、行きづまりもあったのではないでしょうか。

もちろんこれは、両国政府が結託した猿芝居がある。

佐野 (1995年の少女暴行事件時に)日本の本土から被害者の少女に同情する手紙は一通も来なかったというんです。そういうものなんですね。安倍総理は論外としても、いまの菅義偉官房長官や日本国民自体の沖縄に対する態度は、なっちゃないと思います。
古木 そうですね。沖縄の基地問題の底流には、日本人の意識的か無意識的かはともかく、沖縄の痛みを見て見ぬふりをしてきた他人事の論理があると思います。

今回の女性殺害事件でも、状況はほとんど変わっていない。

古木 基地被害に苦しめられてきた沖縄人は、米軍基地という痛みを県外の人に押しつけるのは心苦しい。沖縄の言葉を借りれば「ちむぐりさん」と言うのでしょうか。ところが2009年の政権交代で誕生した当時の鳩山総理が、普天間は少なくとも県外、国外に移設すると言った。沖縄県民はびっくりした。ちむぐりさんで県外移設はなかなか主張できなかった。


鳩山発言はインパクトあったことは間違いない。問題は、その後の撤回発言だが、鳩山の無能を責めるだけで、頬被りして、自分の権益を死守した輩のことを見逃すべきではないだろう。沖縄県民に「県外」という選択肢を認識させたというだけでも大きな意味があったと思う。今更ではあるが、鳩山には発言死守して欲しかった。

佐野 (寺島実郎との対談で)翁長さんが「20~30年前の沖縄は中国を睨んで極東の要石でしたが、沖縄は中国に近すぎて、いままさにミサイルが飛んできたら普天間は吹っ飛んでしまう。沖縄にいるアメリカ人のことを心配していて、もし中国との関係がもっとややこしくなってきたら、いつの日か突然、沖縄から出ていくのではないかとまで私は思うのですが」と発言しているんですね。
古木 同感です。在日米軍再編の協議からそういうことは言われていました。いわゆる本土の沖縄化です。中国のミサイルの開発技術が向上し、一カ所に基地が集中しているとリスクが大きい。卵をひとつのかごに入れておくと、すべて割れるリスクが増すという「かごの卵」論です。だから在日米軍が日本全土を巡回しながら自衛隊と一体化していく。それがいまの安保法制の動きでしょう。全体としては、そういう流れのなかにあると思うんです。


「在日米軍が日本全土を巡回しながら自衛隊と一体化していく。」(>_<)

古木 沖縄が独立するかしないかはともかく、仮に沖縄が独立したら、尖閣は琉球国の領土になる。そうすると日台中で領有権争いをしている尖閣問題は、琉球国が緩衝地帯になるのではないかという論議もありますね。
佐野 けれども、それは非常に難しいでしょうね。
古木 理想としてはそうあってほしいところです。
佐野 でも世界史的に考えて、戦争が終わって70年も占領された地域というのはほかにありますか。
古木 ないと思います。


沖縄独立論には心情的に賛成してしまう。

佐野 沖縄慰霊の日(6月23日)に安倍総理が「バカ野郎、帰れ」と言われた。あれはすごかった。あんなのは初めてだ。鳩山、梶山静六、小渕、それから山中貞則(自民党衆議院議員)らは沖縄に対して過剰なサービスをしていたとはおもうけれども、沖縄は日本の犠牲になったという思いをそれぞれ抱えていた。しかし、2015年の夏、安倍総理には小指の先ほどもそんな気持ちはないと思います。(佐野眞一との対談(2015/07/07収録))

安倍への非難は肯んじるが、佐野もどこか沖縄への偏見をもってる気がする。

沖縄は自由に使える--本土復帰41年を経たいまも日米両政府の認識は変わらない。米軍や米軍属による事件や事故はその延長線上で起こる。
沖縄は植民地か!
構造的差別はいつまで続くのか!
日本は主権国家と言えるのか!
日本政府はこうした沖縄の声に耳を傾けるどころか、「主権回復」を祝う式典の開催を強行したのである。


1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約=日本の主権回復と主張されて、沖縄、奄美の人々が反撥するのは当然と言える。それを知りながら強行したのが2013年の安倍内閣だった。

前政権の野田佳彦総理は2012年9月、沖縄県知事と県議会、41市町村の長と議会議長の県民総意の反対を押し切り、欠陥機オスプレイ12機を普天間飛行場に強行配備した。さらに12機の追加配備、そして嘉手納飛行場への配備計画も浮上している。しかも日米の合意で可能な限り避けるとされた住宅密集地での飛行が常態化。改善を求める沖縄側の声に対し、日本政府は具体的な言及を避け、「重く受け止める」「違反にあたらない」などとしている。(第1章 軍事記者が見た「本土vs.沖縄」20年史)

野田佳彦の失政はこちらにも及んでいたのか。

「仲井真氏は、「沖縄は金で転ぶ」という安倍政権による印象調査に」手を貸し、オール沖縄の世論を割る役割を演じた。安倍首相の高笑いが聞こえるようだ。政権に従う側とあらがう側をいがみ合わせて力をそぎ、権力側の思惑通りの展開にする。沖縄の知事が、「植民地統治」の核心である「分断統治」に加担してしまう責任はあまりに重い」(松元剛 2013/12/27) (第2章 「辺野古受け入れ」の不都合な真実)


この発言の松本剛記者は、本書全般に登場する。というか、本書の真の作者といえるかもしれない。
それにしても仲井真元知事は、末代に汚点を遺したというしかない。

安倍政権は仲井真前知事の埋め立て承認にすがりついて辺野古の海上工事をしているその一方で、安倍総理をはじめ、沖縄の基地負担軽減担当大臣である管官房長官、中谷防衛大臣ら基地問題を担う主要閣僚の誰ひとりとして知事選で圧勝した翁長知事と会談しようとしなかった。
政府の立場に立てば、新基地建設反対の立場を鮮明にしている翁長知事に政治的アピールの場を与えたくない。沖縄の民意の正統性を主張され、全国の世論を味方にされる懸念もある。


いずれにしても、安倍、菅コンビの翁長知事への態度は、上記を逸している。

2015年の新たな五点セット
1.安倍政権の知事との面談拒否
2.海上保安庁や警察による人権侵害をともなう過剰な警備
3.巨大ブロックの投入など強引な作業によるサンゴ礁の環境破壊
4.在沖海兵隊司令官の暴言「辺野古反対運動は共産党からお金をもらっている」
5.在沖海兵隊幹部による誤解に満ちた沖縄蔑視発言、抗議活動の陣頭指揮をとる沖縄平和運動センターの山城博治議長を狙い撃ちした米軍による逮捕
これらに政権与党議員の勉強会での妄言・暴言を加えると「新・六点セット」と言っていいだろう。


こういった不祥事が毎年のように繰り返されて来たわけだ。

政府は辺野古に基地を建設しなければ普天間飛行場は固定化すると繰り返す。みずから土地を奪っておいて、世界一危険になったから、老朽化したから、危険性の除去のために新たな基地を提供せよ、いやなら居座る、開き直ると言っているに等しい。

盗っ人猛々しい、とはこのことである。

2016/06/18(土)●中央図書館付近
6時起床。
今朝の血圧は195/90/74。
朝の三点セット。
10時前に部屋を出て中央図書館へ。
例によってお馴染みの猫場宇治川公園で一服兼ミニギターおさらい。猫は5,6匹。
公園の広場はこの前はクローバーが一面を覆ってたが、背の高い別の雑草が繁って、猫が通ると半分くらい見えなくなる。
途中3弦が切れてしまった。予備の弦を張り替える。ペンチがないのでエンドピンを抜くのにちょっと手間取った。ついでだから他の弦も張り替えることにした。
1時頃中央図書館到着。中庭で雑誌(「世界」「猫びより」「クウ・ネル」など)閲覧。
「世界」は参院選を見据えて「非 立憲政治を終わらせるために」という特集だったが、寺島実郎の「脳力のレッスン 特別篇 東日本大震災から5年--覚醒して本当議論すべきこと」が読み応えがあった。

3・11から5年を経たメディア報道は、相変わらずの「被災地と寄り添う報道」を繰り返し、涙目で人間ドラマを伝え続けた。悪くはない。だが、構造を問わねば復興は前に進まないのである。

アベノミクスの結末は明らかである。金融政策だけで実体経済は浮上しないということであり、国民は豊かになっていないという現実である。3・11直後の「戦後日本のあり方を省察する」という視座は、重苦しい閉塞感に耐え切れず、「デフレからの脱却と円安誘導」とい誘惑に引き寄せられ、中央銀行の金融緩和と財政出動で経済が好転するという幻惑に巻き込まれてきた。しかし、構造改革と産業と技術を重視する具体的プロジェクトの実行しか、経済を成長させる戦略はないのである。


(関東大震災から)時流れて約90年、東日本大震災は戦後民主主義の息の根をとめかねない情勢にある。「絆と連帯」を叫ぶ心理は秩序への希求となり、混迷から生まれる無気力と不安は力への誘惑を招く。国際環境も不安を増幅している。日中韓も相互の自己主張を強め、。ナショナリズムを政権不要の素材とする誘惑に駆られている。安保法制を進める力学が生まれる土壌がここにある。


安倍政権が推進してきた「安保法制」は……嫌中と対米不信を本音とする屈折したナショナリズム、それが現政権の外交安保政策の基調である。

上っ面だけでなく、真にグローバルなご意見である。
7時半帰宅。
阪神はデイゲームで、0-1の完封敗けだったらしい。
今日の歩数は3065歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 감정노동자(カムジョンノドンジャ 感情労働者=接客関連、サービス業)感情をコントロールしながら遂行する仕事ということで、出来た単語らしいが、いまいちぴんと来ない。「감정」で韓国語の辞書を引くと「感情」と「憾情」が並んで出てて、後者は「不満からの恨みや怒り」とある。今日の単語はどうもこちらの不満や恨みを抑えるという意味合いが強いから「憾情労働者」ではなかろうか。
と思ってネット検索したら、「お客様ガプジル防げ」……憾情労働者法で保護する」という聨合ニュース記事を取り上げた発言を見つけた。やっぱり「憾情労働者」だったようだ。それで「ガプジル」ってなんだろう? ということで今日はもう一つ。

 
[今日の韓国語単語from Kpedia] 갑질(カプチル 甲質  パワハラ)甲乙関係で、お金や権力で優位に立つ「甲(갑カプ)」が、弱者の「乙(을)ウル」に対して横柄な態度を取り、不当な要求や発言の行為をすることを言うらしい。つまりこの「乙」に当たるのがカムジョンノドンジャということになる。
先般話題になった大韓航空のナッツリターン事件(땅콩회항タンコン(ピーナッツ)フェハン(回航) )が典型的なカプチルの例だろう。パワハラ(パワーハラスメント)、モラハラ(モラルハラスメント)に近い。
デパートや専門店の顧客が従業員に跪くよう命令するなどのカプチルが後を絶たないため、政府がカムジョンノドンジャ保護のために「憾情労働者法」を作ったらしい。



宇治川公園猫 #1 

#2 

#3 

#4 

3弦が切れた 

#5 

#6 

クローバーの上に別の雑草が 

ムグンファ(無窮花) 

今日の空 #1 

#2 

#3 

図書館猫 

こふじ食堂隣の駐車場猫 

帰り道の宇治川公園猫 

JR神戸駅前の空 

今宵の月 

冷やし中華(インスタントだけど) 




2016/06/17(金)●姫路方面
6時起床。
今朝の血圧は163/77/68。
今日の「ア・ピース・オブ警句」は「シミッタレショー・マスト・ゴー・オン」のタイトルで舛添辞任に関する記事だった。舛添関連の記事は1ヶ月前に「舛添都知事の会見に見る「説明責任」」があって二番煎じかと思ったのだが、好調を維持している小田嶋は、新たな切り口で今回の辞任劇を解析している。
まず最近のアンケートで「辞任すべきが94%」という数字が出たことから始めて、「判断」より「気分・感情」で動いていること、報道の集中砲火や吊し上げめいた記者会見は、「公開処刑」に通じるもので、それを望んでいる人々の増加を危惧している。激情的(劇場的?)報道スクラムへの批判、「コミュ力(コキュにケーション能力」を持ち上げすぎる「空気を読めない」人々への蔑視、冷視が常態化していることを「隣組メソッドの復活」と名づけてた(^_^;)
おしまいでは、今回の辞任劇はオリンピック推進体制による舛添降ろしだったのでは、といううがった見方を披露、次の知事に関しては興味も関心もなく「橋下徹でさえないのなら、だれでもかまわない」だと\(^o^)/
7時前、JR灘駅南ロータリーで秋本くんに拾ってもらい、姫路のローカル引越し荷物引取現場。
台所済ましたら後はほとんどエレベータボーイ役(^_^;)
1時前に作業終えて、帰りも秋本くんに灘まで送ってもらい3時過ぎ帰宅(^_^)
佐川急便がリズムボックス配達。前のリズムボックスのボリュームつまみ不調に業を煮やして、とうとうネットで注文してしまったのだった。
福島原発事故直後、「東電清水社長が「炉心溶融(メルトダウン)という言葉を使うな」と指示したのは官邸側からの要請があったため」と、東電の第三者委員会が発表。東電が依頼した第三者委員会というのが、まさに舛添都知事が依頼した「第三者弁護士トリオ」を彷彿させるが、なんと東電の委員会にも舛添以来弁護士の一人が選ばれてたとか(@_@) これまた茶番、というか、参院選へのニュース操作の一環としか思えない。
原発といえば、今日高浜原発の感電不服申し立てが福井地裁で却下されたという朗報も(^_^)
阪神は昨日雨で流れ、今日からソフトバンク戦。スライド登板の藤浪は2点先取されたが、阪神は二死満塁から連続四球で同点。これで藤浪の敗戦投手はなくなった。9回裏、福留のヒットで俊介が返りサヨナラ勝ち。
今日の歩数は2693歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 매도 같이 맞으면 낫다(メド カチマズミョン ナッタ 苦しいことも何人かで一緒に饗ければ耐えやすい) 直訳すれば「鞭も共に打たれればましだ」ということになる。ことわざの部にエントリーされてたが、日本のことわざに当てはまるものが思い当たらない(>_<) 「一蓮托生」はちょっと違うかな。以前ぐいぐい酒場(ほぼ開店休業のMorris.の掲示板)で韓国のことわざを定期的に紹介して100個になったところで1pにまとめて、それきりになってるが、今日の題目はことわざというより、共感を覚える言葉といったところか。痛みや苦しみは同じでも。身近に同じ痛みや苦しみを共有する相手がいると、なんとなくほっとするものだ。「同病相哀れむ」に近いのかも。
大震災の後、連帯が深まるのもこれに類する感情かもしれない。


桶に浮草 

高砂のゴリラ岩 

加古川の「大真空」 

2台めリズムボックス

この曲線に痺れる 

麻婆丼 


2016/06/16(木)●傘持って散歩
5時起床。
今朝の血圧は172/72/71。
朝から雨。
昨日は一日部屋に篭ってたから、今日は傘さして三宮まで歩く。サンチカにちょっと用事もあったのだ。三宮図書館で週刊金曜日など読んで、帰りに大安亭で買い物して3時半帰宅。雨と言っても、大したことはなかったし、雨の日は花が美しく見える。
今日のニュースはイチローが4257ヒットを打って、ピート・ローズの記録を抜いたという話題で持ち切りだった。確かにすごい記録だけど、これをあまりに「日本の誇り」とか持ち上げて騒ぐ報道姿勢にはいささか鼻白む。
夜は久しぶりに麻婆豆腐。
今日の歩数は11579歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]  국민 여동생(クンミヨドンセン 国民の妹)韓国で妹のように愛される国民的スターやアイドルのことをこう呼ぶ。元祖は女優のムン・グニョン。2000年のKBSドラマ「秋の童話」の子役が人気を呼んで、そのときにこう呼ばれたらしい。イジヨンの「まだ私は愛を知らない」をカバーして歌ってたことを思い出す。歌はあまりうまくなかったな。
その後、フィギュアスケートのキムヨナや、新体操のソンヨンジュがこの「称号」を得た。現在は歌手のIU(アイユー)も、こう呼ばれているらしい。IUは韓国焼酎チャミスルのポスターのショットが気に入っている。彼女はすごく歌がうまい。
「国民の弟」というのはないと思う。


雨の紫陽花 

神鋼病院トイレのタイル 

みずみずしい赤い実 

大安亭クロ 

雉白 

ふさネコ 

凌霄花(のうぜんかずら) 

雨の薔薇 

折鶴蘭? 


2016/06/15(水)●不動の一日(^_^;)
5時半起床。
今朝の血圧は161/71/82。
目が覚めたのは堂島川の渡辺橋近くの草むらだった。昨夜大阪駅で下車した後、北側の公園のベンチで仮寝してたらガードマンに注意されたので、どこか仮寝できる所探して南下した。駅近くのビル街はガードマン多くてなかなか寝場所がない。結局堂島川まで来てしまったようだ。
この時期は野宿には最適かもしれない(^_^;) 特に宿酔でもない。枕元には缶チューハイが手付かずで置いてあった。
せっかくなので、朝の一杯やりながら一曲と思ったのだが、昨日歌いすぎたのかとんでもないガラガラ声。数曲で撤収。
6時半頃の電車で7時過ぎ帰宅。即ベッドに。
目が覚めたら午後で、舛添都知事がやっと辞職願い出したとのニュース。自民党が参院選への影響を考えて圧力かけたのだろう。
それにしても二ヶ月にわたる舛添の抵抗は驚くべきものだったなあ。
後は部屋ゴロ三昧(>_<)
今日の歩数は1005歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 고양이(コヤンイ )どちらかというと「コヤンギ」と発音したほうが通じると思う。猫の鳴き声は야옹(ヤオン)。この鳴き声から「야옹이(ヤオンギ)」と呼ぶこともある。ちなみに虎は호랑이(ホランギ)。
子猫は니비(ナビ)というが、これは元の意味は蝶々のことである。
野良猫は도독고앵이(トドクコヤンギ)。「トドク」は「盗賊」ぢゃ(^_^;)


真夜中の白黒猫 

目覚めた場所 

ちょっと慰労される(^_^;) 


2016/06/14(火)●サランバン会
7時起床。
今朝の血圧は219/97/75。
ひさびさの仕事。
7時半に阪神魚崎駅前でとしろうに拾ってもらい、西宮の米人の航空便ピックアップ。超特大の段ボール箱5つに入るだけ入れるというもの。重めのものばかり入れたらすぐ100kg超えることまちがいなしなので、軽重取り混ぜで梱包。それでも一番重いのは80kg近くになり、階段降ろすのはちょっとしんどい思いをした。
これを六甲アイランドの倉庫で降ろし、別業者の倉庫の荷物を数回ピストンして、3時前に解放してもらえた(^_^)
帰宅して風呂浴びて、4時過ぎに部屋を出て大阪に。
今夜はサランバン会で、仕事のためおそがけになると思ってたのが予想外に仕事早じまい出来たので、桃谷の洪ママのお見舞い。後から歌麿会長も来て、一緒に先日の「歌孝舞台」(5月6日の家族月間特集歌謡舞台)のビデオを一緒に見た後、最近高春子さんがママになった喫茶店「エデン」へ。この店は30年以上の歴史を持つ店らしい。先にヘギョンさんと榎本さんが来ていた。ここで、ビールとメロンとチョッパル(豚足)いただく。Morris.はあまりチョッパル好みではないのだが、今日のはおいしくて、チョコチュジャン(酸っぱい唐辛子味噌)がとてもよく合った。このチョコジュジャンはジョン・キョンファさんの料理本「きょうもおいしかったね。」に作り方書いてあったので、引いておく。

・チョコチュジャン--コチュジャン大さじ2、味噌・砂糖各大さじ1、すり胡麻小さじ1、醤油・おろしにんにく各小さじ1/2、塩少々を合わせ、酢大さじ1を柔らかさを見ながら加えて溶く。最後にみじんねぎ 適量を加える。

これはチヂミや水餃子のたれなどに広く利用できそうだ。
7時前にサランバン会場「ジュン」に到着、中山さん、丸本旦那、高森さん、岡江さんなどが先に来ていた。すでにビール入ってるMorris.は最初から飛ばした模様。いつもに増して、榎本さんのビール攻勢に飲み込まれてしまったようだ。「感激時代」「世間予知鏡」「無情列車」、おしまいに「キリマンジャロの豹」歌って、10時半過ぎに榎本さんと一緒に環状線に乗ったところまでは覚えているのだが、
目が覚めたら弁天町だった(^_^;) もう零時半なので、どうやら環状線2周くらいしたと思われる。逆周りの最終便があったので大阪駅まで戻り。下車。

今日の歩数は6562歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 성수기(ソンスギ 盛需期 シーズン)日本語だと「繁忙期」。韓国語とは漢字が違っている。需要の盛りという意味だろう。


桃谷の茶白 

高春子さんの店「エデン」で 

チョッパルいただく 

サランバン会#1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

2016/06/13(月)●圭美ちゃん人形芝居
6時起床。
今朝の血圧は166/69/64。
今夜は韓国からやってきた吉美ちゃんの妹圭美ちゃんの人形劇が長田のカフェ・ナドゥリであるというので、ちょっと早めに長田に出て、若松公園のベンチでミニギター&読書。
ナドゥリには吉美ちゃんの次女愛ちゃんや、信長夫妻、だるま森&えりこも来ていた。
今回の来日はオモニのいる介護施設で、圭美ちゃんの人形劇を披露するのが目的で、明日きこくするのだけど、せっかくだから、ナドゥリの韓国語学習者たちに見てもらおうということで突然企画されたものらしい。
むくげML で深田さんが情報あげてくれたので知った。
今回の出し物は、朝鮮の昔話「フンブとノルブ」と、お馴染みの鶴の舞。
フンブとノルブはパガシ(瓢箪)で作った人形がメインで、ガラガラ蛇や、サムルノリの楽隊セットなど多くの人形が登場。紙芝居風の韓紙使った背景も素敵だった。Morrisは単純チェビ(燕)のキャラクタが気に入った。なによりも、圭美ちゃんの躍動感あふれる、語りと進行を久しぶりに見ることができたのがよかった。
鶴の場合は大きな鶴のマリオネットで、会場が狭いので、ちょっと窮屈な動きだったが、それでも人形の動きや表情が素晴らしかった。
明日早い便で帰るというので、ゆっくり話もできなかったが、記念撮影もできたし、前回韓国であったときに、ちょっとしたトラブルあったことのお詫びもいうことができて、ちょっとほっとした。
10時半、帰宅。
舛添東京都知事の集中審議は、ほとんど空振りに終わったようだ。都議会議員の質問の甘さと舛添の厚顔無恥では勝負にならなかったようだ。
今夜のKBS歌謡舞台1471回は歌人 이난영 탄생 100년不滅の歌手イナニョン生誕100年-

1) 목포의 눈물木浦の涙 (관현악과 합창곡管弦楽と合唱)/합창단合唱団 Osongs
2) 목포는 항구다木浦は港だ (조명암チョヨンアム詞/이봉룡イボンリョン曲)/김연자キムヨンジャ
3) 해조곡 海鳥の歌(이노홍イノホン詞/양상포ヤンサンポ曲)/하춘화ハチュナ
4) 봄 아가씨春娘 (남풍월詞ナムプンウォル/문호월ムンホウォル曲)/문연주、ムンヨンジュ
5) 아버지는 어데로 父はどこに(신불출シンプルチュル詞/손목인ソンモギン曲)/김용임キムヨンイム
6) 다방의 푸른 꿈茶房の青い夢 (조명암チョヨンマン詞/김해송キムヘソン曲)/김란영キムランヨン
7) 알아 달라우요知らないわ (박영호パクヨンホ詞/김송규キムソンギュ曲)/안다미アンダミ
8) 명랑한 젊은 날明るい若い日 (이난영イナニョン,김해송キムヘソン歌)/김수찬キムスチャン,권민정クォンミンジョン
9) 진달래 시첩躑躅の頃 (조명암チョミョンアム詞/이봉룡イボンリョン曲)/금잔디クムチャンディ
10) 고향은 부른다 故郷は呼ぶ(이난영イナニョン,이봉룡イボンリョン歌)/윤수현ユンスヒョン,민수현ミンスヒョン
11) 바다의 꿈海の夢ち (조명암チョミンアム詞/박시춘パクシチュン曲)/문희옥ムンヒオク
12) 희망希望 (조명암チョヨンアム詞/김해송キムヘソン曲)/서지오ソジオ
13) 고향故郷 (조명암チョミョンアム詞/김해송キムヘソン曲)/권성희キムソンヒ
14) 목포의 눈물木浦の涙 (문일석ムンイルソク詞/손목인ソンモギン曲)/여자 전출연자女性歌手全員

イナニョンの特集は毎年行われて、曲も、内容も似たようなものだが、何といっても「木浦の涙」の存在が大きすぎるのだろう。今回もオープニングではオーケストラと合唱、フィナーレでは女性歌手全員が歌ってた。これまで歌謡舞台なら、トップかトリでチュヒョンミがこの歌を歌うのがお約束だったのに(>_<)
今日の歩数は2590歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 우후죽순(ウフジュクスン 雨後竹筍) いわゆる「雨後の筍」で、日韓共通ことわざの一つである。韓国語ではそのまま四字熟語になっている。


新長田の空 

鉄人広場猫 

「フンブとノルブ」 

燕が可愛い 

鶴の舞い 

同じく 

こちらは獅子 

だるま森&えり子も見に来てた 

記念写真 

2016/06/12(日)●完全休養日
8時起床。
今朝の血圧は132/55/85。
久しぶりの宿酔ぢゃ(>_<)
朝からどんより曇って午後には雨らしいということもあって、今日は完全部屋ゴロモード(^_^;)。
日曜美術館は「井浦新 円空への旅」。以前も円空取り上げられてたので再放送かと思ったが、新企画らしい。井浦新は写真も本格的にやってるようだし、芸術への造詣も深そうだ。今回の企画の円空には20代で出会って以来すっかり入れ込んでるとのことで、なかなか突っ込んだ意見も述べていた。それにしても、円空仏には、どこかけれん味を感じてしまう。そこがまた良いのかもしれないけどね。
KBSノレチャランは全羅南道チャンフン(長興)郡編。相変わらずソンヘさんが元気なのが嬉しい。
午後は阪神-日ハム戦。大谷のワンマンショーで0-6で阪神は完封負け。昨日は勝ったらしいが、どうも交流戦の阪神は冴えない。
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]  낚시글(ナクシクル 惹句)「ナクシ」は「釣り」「クル」は「文」、つまり釣り文句、キャッチコピーのこと。日本でも「釣り書き」という。わかりやすいたとえなんだろうな。韓国では主にインターネット上でアクセス数稼ぐための文章やタイトルのことを言う事が多いらしい。

【韓国呪術と反日】但馬オサム ★★★☆ 2015/01/22 青林堂

但馬オサム 1962東京生。フリージャーナリスト。SM関連雑誌から出発。得意分野は映画、犯罪、フェティシズム、猫。

タイトルと、出版社(青林堂はいぜんの「ガロ」時代と違って最近は嫌韓本を多く出している)からして、トンデモ本だろうと思った。たしかに、偏見や我田引水や露骨な表現は散見するものの、見るべきところも多かった。

私は、慰安婦問題は、すっきりした形で解決することはないと断言します。いわゆる慰安婦がキャンプ・フォロワー(追軍売春婦)でしかないという決定的証拠が出てきても、韓国はそれを認めることはないでしょう。
慰安婦問題ほど、韓国人の"寝取られ"コンプレックスを刺激してやまないイシューはないのですから、ゆえに韓国がこの屈折した快感を放棄することはないと思うのです。
韓国は歴史問題等でサディスティックに日本を非難することで同時にマゾヒスティックな感情も満足させている。両者は正比例の関係にあるといっていいと思います。日本に対してサディスティックをむき出しにすればするほど、彼らのマゾヒズム的快感が増幅されるのです。一方、日本は韓国の非難にマゾヒスティックに頭を垂れるほど、サディストである自分を自覚していくというわけになります。


もともとがSM雑誌のライターだけに、こういった観点になるのだろうが、一面の真理をついてるようでもある。

韓国人の人間関係を構成する特徴として、よく取り上げられるのが、ウリとナムという概念です。本来「われわれ」を意味する「ウリ」ですが、この場合は「内輪」というふうに訳すとわかりやすいかもしれません。自分を中心に家族、血族、本貫、地縁、友人、学閥とさまざまな「ウリ」が構成されます。その外側がナムです。てっとりばやく翻訳すれば、ナム=「赤の他人」ですが、ニュアンス的にはもっと排外的ない響きがあります。
韓国人は「情の民族」を自認し、「日本人は情が薄い」などといいますが、この場合の「情」は、同化の度合いを意味します。「情が薄い」とはすなわち、同化能力が弱いということです。

メダカや鰯といった群を形成する小動物は個体としての意志とは別に群としての意志を持つとされ、これを"群魂(グループソウル)"といいます。この仮説を韓国人に当てはめると容易に理解できるというのも面白いところです。つまり、韓国人にとって、この群魂にあたるのがウリ意識ということになります。(第1章「反日のエロス」)

ウリとナムを取り上げて、ナムを排外的と論じるあたりは、きちんと勉強してるようだ。
ウリを群魂に例えるあたりもね。

李朝時代の伝統的階級は上から王族、両班、中民、常民、奴婢で、この他、階級制度の外に置かれる白丁(被差別民)がいました。日本の士農工商が、階級というより職業区分の傾向が強かったのに比べ、朝鮮の階級制度はどちらかといえばインドにおけるカーストに近いものがあるように思えます。
また地域差別--とりわけ全羅南道や済州島出身者に対するそれや障害者に対する偏見など韓国社会における差別の根はとても深いのです。差別の種が多ければ多いほど、生じる「恨」も多種多様ということになります。歴史上、周辺大国のさまざまな干渉を受け続けていたことも「恨」文化の醸造に大きな影響を及ぼしていることは確かでしょう。とりわけ、文化的に弟(格下)と見なしていた日本に支配された屈辱は彼らの中に深い「恨」のリゾームを張り巡らせることになったと想像できます。


韓国人の差別意識は日本人と同じくらいに、ひょっとしたら日本人より強い(あるいはストレート)かもしれない。たしかに日本による植民地化への「恨」は、よりによって格下の日本に征服されたということで強化されたというのは説得力がある。

日本人には「恨」に類似する精神文化は育ちませんでした。その代わりに、培われたのは「諦念」、つまり諦めの心です。「失ったものはいくら嘆いても返ってはこない。そう思って諦めよう」。涙を拭いて、一から出直そう、無くしたものは一生懸命働いてまた築けばいいではないか、というのが日本人に染み付いた「諦」の考え方です。

日本人の諦めの良さは、もともと草食系だったことと関連があるように思える。

日本人の諦念は仏教の無常観と密接な関係にあります。「無情」と「無常」は似て非なる言葉であり、無常はその字の通り、「常ではない」、世の中に変化しないものなど存在しない、という意味の言葉です。「形あるものいつかは滅す」「朝の紅顔、夕べの白骨」という言葉にも象徴されています。
一方、「恨」は、儒教的な色彩の濃い概念です。
私なりに「恨」というものを解釈するならば、ずばり、それは「のたうち回る心」です。


この「恨」の定義は、違うと思う。儒教的というなら、本家の中国にも「恨」があるはずだろうに、そうは思えない。

NHKから民放各社、大手雑誌にスポーツ新聞、あらゆるメディアを総動員した翼賛・韓流ブーム。大韓民国の国策機関である国家ブランド委員会と「オリンピックから選挙までプロデュースする」といわれた日本の大手広告代理店の合作であったことは今では、いや、ブームの絶頂期ですら囁かれていたことでした。

あの「韓流ブーム」を請け負ったのが電通だったとは。うかつにも知らずにいた。言われてみれば、そのとおりだな。

「日本女性がメロメロになるカッコイイ韓国人」と「日本人に搾取され、奴隷のように扱われた韓国人」
。前者を好ましい韓国、優れた韓国、強い韓国、誇らしい韓国という意味でストロング・コリア(SK)、後者を不幸な韓国、踏みにじられた韓国、惨めな韓国、恨みの韓国という意味でチキン・コリア(CK)とこの本では仮称します。
韓国は、SKとCKをコインの裏表に、時に日本に対する無言の圧力の材料とし、時に国内のナショナリズムの高揚に巧みに利用してきた経緯があります。
アメリカ各地に韓国が建立をもくろむ慰安婦象や記念碑は、まさしくCKの極みなのですが、これを恥辱の上塗りと考えないところが、実に彼らしいところといえます。つまり、日本相手にはCKもまた有力な武器になるということです。


これもなかなか説得力あり。

拉致問題の解決どころか、その周知さえ遅らせてきたのが、国内外の韓国朝鮮勢力の被害者絶対論だったのです。拉致問題がまだ拉致疑惑と言われていた時代、家族会や救う会による地道な活動を、「差別だ」「右翼の捏造だ」と騒ぎ建て妨害し、これを報道しようとしていたマスメディアを萎縮させてきたのは、総連や民団の自称・強制連行で日本にやって来た、キラー被害者やアブドーラ・ザ被害者、あるいは旧社会党などの同調者でした。(第2章 「のたうちまわる愛」)

この辺になると、かなり偏見が露骨。

ソウルのような大都市でも、一歩裏道に入ると坐堂の印である「卍」の看板を自然に目にすることができます。「卍」の印は都市生活と冥界をつなぐ、"どこでもドア"といっていいでしょう。

Morris.はこの「卍」を仏教のマークと思ってたのだが、坐堂だったのか。こういう部分はMorris.の蒙を啓いてくれてありがたお4。

戦後坐堂文化は、朴正煕軍事政権下の迷信撲滅政策で二度目の打撃を受けますが、これがまた新興キリスト教カルトを活性化させるきっかけとなりました。この時期誕生した代表的なカルト教では、世界基督教統一心霊協会(統一教会)やキリスト教福音宣教会(摂理)、チョヨンギ牧師の汝矣島純福音教会、故ハヨンジョ牧師のオンヌリ教会などがこの時期に誕生しています。
坐堂のクッでは、チャンゴなどの楽器がトランスの誘導に使われますが、韓国教会ではオルガンやドラムスがこれに替わります。ためしにYou Tubeで「crazy korean churuch」あるいは「crazy koreann christitians」を検索してみてください。


たしかに統一教会はカルト的だが、これをキリスト教と呼ぶのは間違ってると思う。

日本で、なぜキリスト教がひろまらなかったか。答えは簡単です。日本人が一神教のようなトップダウン型の宗教を必要としなかっただけです。そこが、韓国との大きな違いだと思います。それでいて、一般的な日本人は「キリスト教的なもの」が決して嫌いではありません。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝い、結婚式を教会で挙げたりするのが、何よりの証拠でしょう。最近ではコマーシャリズムに乗ってハロウィンまで定着しそうな勢いです。むしろ、私に言わせれば、日本人はキリスト教をロマンチックに考え過ぎだと思います。本来が侵略の宗教なのです。西欧の植民地主義とキリスト教の布教は常にセットの関係にありました。南米のインディオをジェノサイドしたのはヨーロッパの宣教師だったではありませんか。

これも一種の偏見だろうが、Morris.は結構共感を覚えてしまった。

ソウルの日本大使館前に設置され、また韓国政府がグレンデール市をはじめ、全米に設置を画策する少女慰安婦像ですが、あれをstatue(彫像)と英訳するのは間違いで、土俗信仰的な崇拝物、一種のtotem(呪像)と認識するのがより本質に近いというのが私の意見です。

「少女慰安婦象」についてはMorris.なりの意見があるのだが、それはもう一冊の本(帝国の慰安婦」の読書メモで書くことにする。

韓国人は何事も白黒つけたがります。正と邪、善と悪、上と下という、徹底した二元論に立っているのです。その意味では曖昧を許しません。この二元論に、一神教的な懲罰思想が加わった結果、現代韓国知識人の思考はますます硬直し、不寛容で他罰的な対日観が形成されました。(第3章 「愛と呪いの国」)

二元論、これは韓国人に限ったことではあるまい。

安重根が独立運動の義士、英雄と奉られるのは実は光復後のことですが、それにしても過大過ぎる評価といえます。
戦後、韓国で「日本人も尊敬している安重根」→「罪深い日本人さえ安重根の正論を認めざるをえなかった」→「安重根の行動は正義に違いない」という論法の飛躍があったということは充分考えられます。そしていつしか安重根は「東洋平和を願って悪の日帝と戦った韓民族が誇る英雄」、伊藤博文は「アジア侵略を目論む日本帝国主義の首魁」といった、およそ正反対の評価に変質してしまったのでした。

これはかなりのこじつけである。安重根の行為についてはMorris.はそれほど評価していない。

閔妃は夫である朝鮮王・高宗を尻目に、国を私物化し閔一族の栄達のみを願ってひたすら国庫を両扉して朝鮮を亡国へ導いた傾城の愚女でした。まさに天下の悪女につきました。
ところが、80年代以降、韓国ではこの閔妃に関して「誇り高く慈悲深い国母」、「日帝の飢狼によって殺害された悲劇の王妃」というそれまでとはおよそ正反対の評価が起こっているのです。近年、閔妃映像作品で登場するたびにイメージ・ロンダリング(印象の浄化)がなされていきました。韓国では「閔妃」という呼び名を嫌い「明成皇后」を正式呼称にしようという動きが起こりましたが、○○皇后というの諡号(高貴な人に死後贈られる名前)ですから、生前の閔妃に「明成皇后さま」と呼びかけるのはおかしなことです。


最近の韓国での閔妃のイメージチェンジは、ちょっと異常だと思う。いろんな歴史書見ても、閔妃のやったことは褒められたものではない。だからといって、虐殺という行為はゆるされるべきではない。

韓国では2005年、悪名高い親日法(正式名称・観日反民族行為者財産の帰属に関する特別法)が施行されました。「日本帝国主義の殖民当地に協力し、わが民族を弾圧した反民族行為者が、その当時、蓄財した財産を国家の所有とすることで、正義を具現し、民族精気を打ち立てることを目的とする」(第1条)
いうまでもなく、近代法原則の遡及法の禁止、連座制の禁止に抵触します。


この法律にはMorris.も大きな違和感を覚えていた。「親日」という言葉が、極めつけの罵倒語であるということ自体が大きな問題である。

植民地経営の老舗、大英帝国は分断統治という手法を得意としてきました。たとえば、マレー半島を植民地にしたとき、イギリス人がじかに統治せず、インド人や華僑を入植させ、彼らにマレー人を支配させたのです。この統治法の巧みなところは、被支配者であるマレー人の怨嗟がイギリス本国に向かわず、直接の支配層であるインド人や華僑に向かうということでした。(第4章 「反日韓国は日本が作った」)

ここらあたりは、他の本からの受け売りっぽいが、たしかにイギリスの植民地政策は東インド会社の時期から水際立っていた。

何ごとも原因があって結果があるのです。言葉にすれば当たり前に聞こえるこの理屈を人類で最初に発見したのがお釈迦さまでした。唯物観を標榜するはずの左翼の学者や評論家の先生方も、なぜか日韓関係に関してはこの理屈を忘れ、ひたすら情念や感傷で歴史を語ろうとするのが不思議でなりません。しかしまた、その情念の部分を見逃してしまえば、日韓関係という倒錯した国家関係を読み解くこともできないのも事実です。本書は、日韓関係の情念の部分にむしろ徹底的にこだわった本といえます。(あとがき)

日韓関係が「倒錯」した関係というのは当たらずといえども遠からず(^_^;)であろう。だが、倒錯の責任は日本の方にあるのではなかろうか。
読み終えてみればやはり一種のトンデモ本ではあったが、それなりに刺激的でもあった。

2016/06/11(土)●市民集会
7時半起床。
今朝の血圧は153/64/69。
昼前にJR神戸駅に出て中央図書館に向かう。
恒例の南宇治川小公園で休憩。もう餌やりは終わったらしく、猫は3匹しかいなかった。
昼過ぎに中央図書館に着いて、裏手で猫探すも見つからず。クヌギかコナラとおぼしい樹木の根元付近にコガネムシやカナブンが数多く集まっていた。美味しい樹液が出ているとみえる。中庭で雑誌や漫画(週刊金曜日、Pinkなど)読んで、5時前に図書館出る。
三宮まで歩き、三宮図書館と同じ勤労会館ビル4階で6時から「参議院に戦争反対の議員を! 市民の集い」。100人以上が参加。参院選に出馬する水岡(民進)、金田(共産)と、女性弁護士川元志穂さんの講演。野党共闘の動きは進んでいるものの、情勢はかなり厳しい模様。
世間で参院選への関心が高まらないこと、安倍総理の支持率が落ちないこと、報道が政権への忖度、自主規制、コメンター交代が大きな影響を与えているとか、なんとなく悲観的雰囲気。川元講演は、自民党の憲法草案を叩き台にして、その理不尽さと恐ろしさを強調していた。選挙運動の空中戦(街宣、デモ、集会)と地上戦(電話、葉書、手紙、掛け声)で、与党が地上戦で有利に立っているとの話も、理屈ではわかるものの対応策は乏しい。結局主催者側の西さんの活動報告と、共産党の金田氏の、憲法九条をアジア共通の認識としようという話が有用だった。
9時に解散。
ダイエー地下で缶酎ハイ買って、図書館前広場の明るい(地下道の照明)コーナーで一杯やりながらミニギター。酒が入るとポンチャックに勢いが出る(^_^;) いい気分でやってたら、韓国語で話しかけられた。大邱から来ている夫婦で、大邱の西門市場で洋品店やってて神戸には仕入れに直々来るとのこと。数曲歌って別れを告げたが、20分くらいしてまたやってきた。コンビニで缶酎ハイ買ってきてくれた。またひとしきり歌って、記念撮影もして別れる。その後もしばらく歌ってた。どうもちょっと飲み過ぎたようだ。ふらふらになって部屋についたら零時過ぎてた(^_^;)
今日の歩数は10128歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]  홍길동처럼(ホンギルトンチョロム 神出鬼没) ホンギルトン(洪吉童)は朝鮮時代の小説の主人公で神出鬼没の遁甲術を身につけ、義賊として金剛山の山賊を手下に大活躍するというもの。朝鮮半島では知らない者はないというくらいに有名な存在。朝鮮のロビンフッドみたいなものかな。「チョロム」は「~のように」という意味の助詞。ロック歌手などのゲリラライブをホンギルトンライブとも言うらしい。

宇治川公園猫A 

B 

C 

図書館裏手の樹木 

黄金虫が蝟集してる 

図書館南のトラ 

宇治川商店街のクロ 

参院に戦争反対議員を! 

川元弁護士 

金田峰生氏 

大邱から来た夫婦と 

ちょっと飲み過ぎ(^_^;) 
2016/06/10(金)●麝香揚羽の産卵
7時起床。
今朝の血圧は156/79/73。
今日の「ア・ピース・オブ警句」は「たぶん天国へ行ったチャンピオン」と題して、先般亡くなったモハメド・アリ(カシアス・クレイ)に関するものだった。追悼ものはあまり面白くないだろうと、思ったのだが、流石このところ好調の小田嶋だけに、一捻りもニ捻りもあって、なかなか読ませる記事だった。小学校の頃からファンで、ソニー・リストンとの試合を白黒テレビで見た印象の強さを熱く語っている。Morris.は小田嶋と同い年なので、記憶が重なる部分が多い。この試合映像を見たことはうっすらと覚えている。「ホラ吹きクレイ」と呼ばれ、面白おかしく報道されたことも。小田嶋はクレイと立川談志を並べて

私にとって、カシアス・クレイ時代のアリと、笑点の時代の立川談志は、ほとんど区別のつかないほどよく似た人物で、ついでに言えば、その彼らの「生意気」は、年若い時代の私が目指していた人格そのものだった。

とまで書いている(^_^)/。もちろん、クレイの黒人差別への抵抗、ベトナム戦争徴兵忌避のこともきちんと押さえられてる。Morris.はそれほど、アリへの思いれはないが、その偉大さの一端は理解できる。
しかし今回の記事で印象深かったのは、小田嶋の持論でもある、ネット検索、特にWikipediaに代表される「ネット情報の切り貼り」への警鐘だった。タイトルにある「たぶん」はその伏線だった(^_^;)

優れたソースをパクった原稿は、それなりに見栄えの良いテキストに結実するし、ウィキペディア情報をベースにあれこれ書き足した原稿は、ファクト的にはそれなりに信頼できる記事であるみたいな外形を整えている。
でも、読者の目から見れば、パクリ記事がパクリ記事であることは、一発でわかる。
パクリ原稿を書いている書き手は、泥棒である以前に、他人のアイディアの奴隷になっているということだ。


個人レベルでは考えられない質量の情報が無料でイージーに得られるという恩恵に甘んじていると、自分の考えというものが消滅してしまうという危険性は、常に頭の片隅に置いておかねばならない。Morris.も以前に比べると辞書を引く回数は格段に減っている。とくにPC触っている時、疑問をおぼえたら、つい、Google検索窓に打ち込んでしまう(>_<) 老眼が進んだことも原因(言い訳?)の一つだが、単語の意味などは、まずは手持ちの辞書や事典にあたるということを基本にしておきたい。
梅雨の晴れ間、ということで、10時前に部屋を出て、JRで鷹取から須磨離宮公園へ。
先日課外観察授業に混ぜてもらったバタフライガーデンを覗く。誰もいなかったが、麝香揚羽の蛹(オキクムシと呼ばれる)でもいないかと、この前幼虫がいたあたりに行ったら、蛹や幼虫はいなかったが、麝香揚羽が産卵していた。何とかデジカメ撮影にも成功。特に珍しい種類でも、行動でもないのだが、なんとなく嬉しかった。
今は菖蒲のシーズンなので、池の裏の菖蒲園に行ったら、とりあえず満開だったが、なんとなく精彩を欠いていた(>_<)一昨日くらいが絶頂だったのではなかろうか。去年はまさにその絶頂のときに訪れたので、今日はさっと流しておしまい。
大噴水公園の薔薇も、ほとんど咲いてなかった。「一番花は終わりました 二番花は、6月20日頃から咲き始め、6月24日ごろから順次見ごろを迎える予定です」との立て札があった。次回は6月末だね。
でもまあ、Morris.の離宮公園通いの目的は、植物園一番奥の小噴水公園の指定席(ガーデンテーブル)で、くつろぎの?時間過ごすことである。今日もしっかり4時過ぎまで粘る。
鷹取のマルハチで買い物して7時前帰宅。
阪神は今日から北海道で日本ハム戦。シーソーゲームで阪神が1点リードした9回裏、藤川が逆転サヨナラホームラン打たれて万事休す。これくらい見事に敗けたら、それはそれで気持ちよかった(^_^;) でもこれで4連敗。
今日の歩数は7994歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 태양인(テヤンイン 太陽人) 韓方医学の「四象体質」の一つ。朝鮮時代後期の医学者李済馬(イジェマ)の理論により分類された4つの体質。
太陽人태양인(テヤンイン):積極的で前向き、気運があがりやすい
太陰人태음인(テウムイン)  :正直で言葉が少ない、食べ過ぎがちで肥満や高血圧
少陰人 소음인(ソウムイン):穏やかで落ち着いてる、消化器系の機能が弱い
少陽人 소양인(ソヤンイン):活動的で積極的だが気が短い、消化器が熱いため熱を冷やすものがいい
エルンスト・クレッチマーの3気質に通じるものがありそうだ。彼の場合体型と気質を結びつけて3気質に分けてた。
・細長型-分裂気質。静か、控えめ、真面目。(敏感性と鈍感性)
・肥満型-躁鬱気質(循環気質)。社交的、親切、温厚。
・闘士型(筋骨型)-粘着気質。きちょうめん、熱中しやすい、頑固、興奮しやすい。
韓国語からどんどん離れてしまう(^_^;)


ベンチの雀 

泰山木 

月見山公園のナチュラルアート 

バタフライガーデン 

麝香揚羽が馬の鈴草に産卵中 

産みたて卵 

菖蒲園 

満開と言えば満開だけど 

ちょっと遅かったみたい 

噴水公園 

黄薔薇 

須磨の海 

天道虫 

この奥がMorris.の指定席 

埋葬虫(シデムシ) 

残り咲き 

同じく 

朴の実 


2016/06/09(木)●阪神 泣き面に蜂(>_<)
7時起床。
今朝の血圧は145/61/58。
朝から雨模様で、今日は一日部屋ゴロだなと思い、楽譜の整理。A4クリアフォルダ2冊にまとめる。これで新しい歌本作ろうかとも思ったが、もう少し時間けけて取捨選択しよう。この前は欲張って160pの厚さにしたが、これはやっぱり重すぎる(>_<)
午後になって雨上がったので、屋上でみにぎたー&読書。
隣のマンションのお気に入りの螺旋階段に数人の男がたむろしている。たまに住人が昇り降りすることはあるが、大抵はエレベータ使うからめったに人は通らない。今日の集団は、階段の細部を詳しく観察したり、いろいろ討論したりしてて、どうやら傷みが激しいので補修しようということのようだ。まあ、取り除くことはないだろうが、変な補強工事などしてイメージ壊さないようにしてほしい。
夕方にはすっかり晴れたので、そのまま王子公園方面に。青谷川沿いのジョギング散歩コースのベンチでミニギター。このところ、完全にMorris.@ポンチャックモードで、リズムボックスのテンポのメモリ+1から2。おかげで、曲数もかなり多くこなせる(^_^;)
風が強くなったので6時前に切り上げて帰宅。
阪神は今日も2-7でロッテに敗けて、同一カード3連敗。先発藤浪は調子いまいちでリードされ、途中ライナーを右手に受けて中途降板。その後、キャッチャーで売出し中の原口もファール弾いて親指傷めたらしくこちらも途中交代。セリーグ順位も5位に落ちてるし、いいところなし。
今日の歩数は2006歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 희망고문(フィマンゴムン 希望拷問)叶えられないとわかってるのに相手に期待をもたせ、煩悶させること。恋愛する気もないのに、態度をはっきりさせず、相手を悶々とさせるようなこと。意図的でなく、優柔不断のために、このような状態になることもあるだろう。

午後の屋上 

お気に入りの螺旋階段に数人が 

王子公園の黒 

【東京プリズン】赤坂真理
★★★☆☆ 2012/09/10 河出書房新社
発売当時、かなり話題になったらしいのだが、Morris.は全く知らずにいた。これも先日読んだ「人間・この劇的なるもの」と同じく中島岳志推薦本ということで読む気になった。
1980年アメリカの地方高校に留学した少女マリが、ディベートの一環として擬似東京裁判の再現に役割を振られ、現実と幻を往来しながら、その本質を自分なりに理解していく。20年後の自分に電話したりもする。

東京裁判というのは、子供が見てもおかしな裁判で、「戦争をしただけで平和に対して罪がある、と、戦争の勝者が言える」というおかしな論理に基づいていた。あまりに素朴に変なので、変だと指摘するこっちが変に思えてくるような、そんな論理だった。

正しくは「極東国際軍事裁判 The INternational MIlitary Tribunal for the Far East」。普通の意味での裁判ではないことは、明らかだが、日本ではある意味禁忌とされたようでもある。

アメリカの歴史は戦争の歴史ではないかと思えてくるくらい、アメリカは間断なく戦争とそれに類することをしてきたことがわかる。イギリスからの独立戦争、南北戦争、メキシコとの戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、キューバ危機、ヴェトナム戦争……。そのアメリカに太平洋戦争でこてんぱんに負けた日本では、それ以降戦争を考えるのもタブーといわんばかりになって、私はそういう教育を今まで受けてきた。でもそのかわり、受験戦争や交通戦争、企業戦士、など、日本ではいろんなことが戦争の名で語られて、そのことには疑問を持つ人がいないかのようだった。


アメリカに劣らず日本人も戦争好きだったのではないか。江戸時代は鎖国と徳川幕府の幕藩体制で、例外的な戦争のない時代を実現したが、明治維新からは軍国主義。
そして1945年以降は、アメリカの庇護下で、直接戦闘には加わらなかったにしろ、金や基地や資材を提供してきた。そしていよいよ……

"I'll let you go back to your study"(まあ、このへんで、君を君の勉強に帰してあげるよ)
アメリカ人のこういう言い回しも、私には笑っちゃうほど面白い。でも笑ったところで相手には伝えにくい。外国にいたり外国語が不十分だったりするときに感じるフラストレーションとは、つまるところ、こういう小さなことを伝えられないことだ。
本当に相手に気を遣っているのか自分が切り上げたいのか、わからないけれど、相手の都合のかたちにして、自分が引くといやり方言い方--切り上げるときにこういう決まり文句が存在することは、面倒で、同時に楽だ。


外国語を通じて、彼我の差異を思い知らされることは多い。筆者は海外留学経験があるのだろうか。経験無しで書いてるとしたらすごい。

……ヴェトナム戦争は 呼ばれる 名誉なき戦争
……「『通常の戦争』の兵士だったら、どんなによかったろう」
……「僕は思った。こんな待ち伏せや落とし穴に怯える毎日じゃなく、ヒロイックな戦闘がある戦争を望んでいた。けれどここはノーマンディでもゲティスバーグでもなく、」
……「なんのために戦っているかさえわからなかった」
……「この戦争の別の汚名を 『泥まみれの戦争(ザ・マディ・ウォー)』」
……しかしこの戦争が、一方で、兵士たちの快適さを追求した戦争だということは、あまり知られていない。
それはペンタゴンが 奇妙な"砂糖とスパイス(シュガー・アンド・スパイス)"を加えた戦争だった。
その"砂糖"がRTD ローテーション・ツアー・デイト と呼ばれる制度、
……RTDは、兵士の□□を一年と定める。それまでの戦争は、目的を果たすか□□□か死ぬまで 終われなかったが、ヴェトナムでは一年で兵士は帰れた。そして予定は カンパニー単位でなく 個人単位で 組まれていた。
……それは兵士の最新ストレス研究の産物だった。
……スパイスは、R&R(レスト・アンド・レクリエーション)
……R&Rは、5日間与えられるフリーの戦闘休暇である。
兵士たちは、十都市から好きな場所を選べた。東京、マニラ、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、香港、タイペイ、那覇、シドニー、ホノルル。香港などでは□□□のピークで一年につきR&Rの□□はワンハンドレッド・ミリオン・ダラーズ。
……戦争は、死の恐怖そのものである。にもかかわらず、その周りには、アメリカからそっくり空輸されたような光景。
……兵士たちは、二重の非日常を生きていた。


「飴と鞭」を極端まで推し進めたやり方。これは今でも米軍では継承されているのだろう。

後方に戻れば仲間と冷えたビールで乾杯、ってか。食糧や最低限の薬さえなく死んでいった前線(フロント)の日本兵との、なんというちがいだろう。
つまりは、ヴェトナム戦争とは、アメリカが幾多の戦争の経験と研究から得た、最新ピカピカの合理性を投入してみた戦争である。
にもかかわらず、ヴェトナムは、アメリカがそれまで戦ってきたどんな敵ともちがったらしい。


米軍兵士は日本兵を異物としか見られなかったに違いない。

「これ」を考えると思考停止になる、というツボがある。おそらく私だけでなく、日本人全体にそのツボがある。そこに触れられるとフリーズしてしまう。日本の中学校では、近現代史に触れることは暗黙の、公然とした、タブーだった。事実は載せないわけにいかないので教科書には載っている、けれど誰もがそのことにおいては申し合わせたように足並みをそろえ、カリキュラムは卑弥呼から始めて明治維新あたりで時間切れになるようになっている。この連携は、見事というよりほかなかった。
発せられる強いメッセージはたったひとつ、それは考えてはいけない問題だ、ということ。特に子供や学生が。まして、問うてはいけなかった。なぜ考えてはいけないのか、ということも。
私たち子供がなぜそれを訊かなかったかというと、訊くと大人が困ると思ったからだ。
天皇の戦争責任。何かがそこにある気がする。


筆者は1964年生まれ。小説の舞台1980年で、その年16歳ということは、間違いなヒロインは筆者がモデルだろう。Morris.より15歳ほど年下だが、Morris.も「日本史」授業には彼女と同じことを思ってた。これは共通概念だった。

「ここヴェトナムにもフランスの傀儡政権があったし、日本も中国で。……おい何を驚いた顔してるんだよ。マンチューリを知らないのか」
「しかし俺は日本人をその点においては尊敬しないでもない」
「なんの話?」
「満州って国さ。国って一から建てられちゃうんだ、ってのは大発明じゃないだろうか。その点はもう少し誇ってもいいと思うんだがな。イスラエルの建国はあれをまねしたんじゃないかと思うほどだ」


「満州」には、Morris.はちょっと複雑な思いを持っている。「虹色のトロツキー」に触発されたところが大きいけど(^_^;) 船戸与一が最後に挑んだのが9巻にわたる「満州国演義」だった。物語としてはいろいろ言いたいこともあるが、ともかくも死ぬ前に完結できてよかった。イスラエル建国が満州の真似ねえ?

「俺たちはひとつになったんだ。祖国統一、みたいにね」
美しいほうの顔が私にウィンクした。
「お前が特別無知なわけじゃないってんなら俺たちには、日本人というものに同情する」
「同情なんて要らない。私たちは復興した。もう戦争の傷跡なんてない! 世界第二位の経済大国なのよ!」私はヒステリックに叫んでいた。自分がそんなことを考えていたことに驚きながら。
「そうだな、やはり感服と言ったほうがいいな、なんたってひとつの民族がそれほど歴史を忘れて生きていけるとは!」
「仕方ないわ、勝てなかったのは、圧倒的な物量の差の前には」
「物量」は、仕方のなさを説明するにはいちばんいい。誰だって、5が1より大きな数字であると知っている、というような意味で。それはあきらめやすい。あきらめやすい、とは気持ちを切り替えやすいということだ。ああ、そうか、だから日本人はなんでも数字に置き換えるようになったのか。数字が大きいほうが勝ちなのか。それが価値なのか。軍国主義の看板をおろして、経済戦争に集中した。平和の名のもとに。価値が経済に一本化されたのか。


ベトナムで1981年に生まれた下半身が繋がった結合双生児グエン・ベトとグエン・ドクの兄弟(いわゆる「ベトちゃんドクちゃん」)は日保ののマスコミでも話題になってた。原因は米軍が大量に散布した枯れ葉剤が原因と言われている。
本書に登場する双子はヒロインの幻想の中の存在だが、大きな役割を担わされている。

『真珠湾がなぜそんなに卑劣と言われるのか、何十年もの間、恥を知れみたいに言われ続けるのか、その意味がわかりません。あなたたちは合理的な民とされているけれど、この件の怒り方はどこか、生理的だ。原爆を二発も落としておいて始まりの瑣末なことを言い続けているみたいに、我々からは思える』。


あの戦争でアメリカ本土は一度も爆撃受けてない(風船爆弾(^_^;)を別にすれば)。それだけにハワイへの奇襲を過剰に取り上げるきらいがある。マッカーサーの捨て台詞「Remember Pearl Hourber」が、とりわけ、効果的だったということもあるけど。
これに対して、原爆投下、日本全土への空襲は、日本人はあまりに過小に受け止めていない。

「『平和にたいする罪』を犯した者が、A……ランクAの戦犯なのよね?」
「クラスA」
「クラスA、が、いちばん罪が重いのよね?」
「そんなことはない。ABCは種別であって、罪の重さじゃない」
ええっ! と私は声に出さずに驚いた。私の国では、今でも、A級戦犯というのがいちばん思い罪だと信じられている。それは私に限ったことじゃない。スポーツの大事な国際試合で負けたりすると、いちばん致命的なことをした人が"A級戦犯"とメディアに呼ばれて叩かれたりスル。なんて恥ずかしいことを言ってたんだろう。
「A,B,Cのクラス分けはニュレンバーグ裁判の形式をそっくり引き継いだものだ」
「第二次世界大戦後にナチスを裁いた国際軍事裁判があった場所。東京裁判はそれをベースにしている。クラスBの『通例の戦争犯罪』が、捕虜の虐待であるとか、民間人の殺傷であるとか。クラスCの『人道に対する犯罪』はホロコーストに向けられたもので、日本には対応するものがなかった」


東京裁判の戦犯のA級、B,C級のイメージは、Morris.もずっと誤解していた。井上ひさしの本で初めて知ったのではないだろうか。原語はクラスなのだろうが、たしかに「ランク」という評価基準だと思ってたのだ。

「ゲティスバーグがどうかした?」
「そう、あのときアメリカは、アメリカ合衆国軍、通称北軍は……神話をつくった。神話が、ぜひとも必要だった。それがあの有名な『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府(ガヴァメント)』。人びとには新しい神話が必要なのよ。こういうとき、そう、人がたくさんたくさん、死んだようなとき、たくさん殺したとき、あるいはたくさん殺すために、そしてそのためにたくさんの同胞も傷つき死んだとき。『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府』、民主主義は、「そのために」人が戦って死んだじゃない、あまりにたくさんの人が「死んだから」、創られた。そして人びと(ピープル)はまとまった。そしてそういう神話は人びと(ピープル)の中から出てこなければ、ピープルが腹の底から望んだ神話でなければ、生き延びないし、人びとも生きられないのよ……死んでしまう。死んでしまう、私たちは死んでしまう、日本人は。神話がない。アメリカのくれた神話はいいものではあったけど、それでは長くは生き延びられない、私たちはそのとき、どうするの? 私たちは死者に何をしたんだろう。私たちは死者の上に住んでいるのに、死んだ人にどんな栄誉を与えられた? もう戦争は繰り返しませんと呪文みたいに言うこと? あれが「過ち」だったと言うこと? では「過ち」のために死んだ人はどうなるの? 死んだ人が徹底的に無意味だ。あんなにたくさんの、死んだ人たちはどうなるの?」


これは日本の憲法の喩え。

-- Sear! Sear!  Why have you abandoned us?
さらに離れると、日本語で意味が来るようになり、
「大君! 我らが大君!」
「なにゆえ我らを見捨てたもうたのか?」


これは三島由紀夫「憂国」のパロディかもしれない。

1983年アメリカ資本のテーマパークがオープンして、すべてが変わった。そのテーマパーク、東京ディズニーランドは、日本の遊園地の概念を永遠に変えてしまった。ある意味、日本の遊園地を、高度経済成長期の親子や恋人たちが出かけた遊園地というものを、葬り去った遊興施設だった。そして日本のかつての多くの遊園地が今はただゆっくりと廃墟になるのを待っている。ただ一時代の渇望を満たし、やがて時代と人に遅れて見捨てられる、炭鉱や、巨大団地のように、高速のインターチェンジに寄り添ったラブホテルのように。

アメリカ文化による、日本文化の駆逐ということだな。そうか「東京」ディズニーランドは83年に開園したのか。ディズニーが戦争中にプロバガンダ映画作ったことは知られているが、いわゆるディズニー動画こそ、アメリカプロバガンダにほかならない。ディズニー死んだ後もシステムは残り、今もなお日本はその傘下にあるらしい。

そこはきつい潮のにおいがした。
そして何とも言えない有機臭がした。土や、金属、石油の匂いも。それらがどっと、塊のように押し寄せてきた。
周囲には泥や油や糞尿や生ゴミかつて家だったもの、などなど、およそ人の営みすべての蓋を開けたような光景が、灰色の粥のようなものと混ぜ合わされて横たわっていた。なんとも言えない臭いは、花の強い香気の中で、鼻腔の奥に貼りつく油膜のようだった。


災害や空襲の現場にある臭い。映像や画像だけでは絶対に知りえない。

大君。
私がそう呼ばれることも知っているが、私は王ではない。
私が世界を回しているのではない。世界は回る。世界は、回ることをそれ自身知っている。自ずから然(あ)る。ただ、回るには、中心が必要なのだ。そこへ入ること。それが我が系譜に綿々と続いた役目なのだと私は理解した。
ここが器。
中心の中核。私は器であり水である。杯であり血である。実体であり鏡である。


「大君」は、ヒロインに憑依した日本の天皇であり、それ以前からの精神の血脈みたいなものである。

<侵略戦争>は英語の文献では<war of aggression>だった。この言葉には<先に手を出した方が悪い>という意味合いがあると、アンソニーに習った。だから真珠湾攻撃があんなにねちねち言われ続けるのかとも
思ったが今感じるのはそうではなかった。
私は卒然と気づく。
歴史用語が、私たちに手渡された時点で翻訳語であり、いろんな意味が落とされたり別の意味をおびてしまったりしている。


「日本国憲法を原案(英文)から考える」(内田芳邦)という興味深い文章を見つけた。

どうしてこんな短期間で、私もわからなかった本質を知りえたのか。外から見るからなのか外国語で見るからなのか。<明治維新>だって言われればたしかに<レストレーション>であって、<王政復古の大号令>というのがあったけれど、そのことと明治維新はうまく繋がっていなかった。言われれば明らかにそれは<復古>なのだけれど、私はなんとなく<革命>だというふうに思ってきていて、<レストレーション>と言われるとびっくりしてしまう。英語の方が本質を掴んでいる。<維新>と呼んだことでわからなくしていたことだって、私たちには多かったのだ。漢字は日本人にとって、一種のブラックボックスになっている。わかった気になるだけで、本当はわかっていない。
私の母国語はすでに中国語という外国語を含んだ翻訳文だった! 「漢字」と書くことで出所が明らかすぎるほど明らかに示されているにもかかわらず、それが見えなくなっている。


restoration 1.復帰、復職、復位 2.(制度などの)復興、再興 ;(領土・状態などの)回復、復活、復旧 3.修復、修補、校訂 4.復元 5.回復、本復、全治 6.返還、還付 7.[神学]万民救済 8.王政復古(研究社 新英和大辞典)
維新 [維(これ)新(あらたなり)の意] 1.すべてのことが改められて、すっかり新しくなること 2.明治維新のこと(大辞林)

天皇の有名な「人間宣言」と呼ばれるもの、あれはよく読んでみると、「私は人間だ」などとは一言も言っていない。天皇は天皇自身の根拠を、あれでもこれでもないと、否定形ばかりの回りくどい言い方で、自分は神ではないと否定している「らしい」だけで、あとは戦争で国土や人心が荒れて嘆かわしいなどと、他人事のように戦争直後の国の様子を嘆いている。

私の国の人たちは、戦争が終わって、女のようにふるまったのではないかと。男も女も、男を迎える女のように、占領軍を歓迎した。多少の葛藤はあったとしても、相手に対して表現せず、抵抗も見せなかった。それどころか、占領軍を気持よくするためのことが、公にも個人レベルでも行われ、じじつ、日本人は占領軍と仲良くやった。まれに見る仲むつまじい占領だったのではないか。
この感じは今でも続いていて、国内に在る米軍基地だって、基地をめぐる政府の態度だって、そうだ。米軍のためには、<思いやり予算>ってものまであるのは、ついこの間、日本から送られてきた新聞のすみのほうに書かれていて知った。いったいなによそれ。誰にも聞いたことがない。もちろん中学で習ったこともない。私が中三だった1979年には280億円。日本の学校で学んでも、知らされたとは思えない。なぜなら……なぜなら大人たちがそれを恥じていたからでしょ?


「思いやり予算」とは、1978年、当時の防衛庁長官金丸信が決めた「法的根拠のない」負担に対して便宜的につけられた名前である。それから40年。この予算はいまだに、そして今からも、支払われ続けている。

天皇の何たるかを問うたなら、自分の立つ場所がなくなる感覚に襲われるだろうと。そしてこれが、私の国の大人が天皇を語ってはいけないことにしてそれを決して問わなかった理由であった気がする。「天皇が日本の象徴である」と口にするのは簡単なのだが、その意味を私たちの誰も本当には実感しておらず、本当にそれを問うたら、日本とは何かを問わなければならない。

けれど天皇が神だと言ったのも、もともと天皇自身ではないのだ。
だったら軍事裁判が軍部や政治家を罰するのは理にかなっている。神であるというのが、うまくできた嘘の広告であったなら、その広告の作り手を罰するのは。
天皇に宛てたつもりが、いつの間にか行き先が変わる。こういうすりかえのブラックボックスのような機能そのものが天皇をめぐって在る。彼らがつくった天皇制とは、そういううまいシステムでもあった。軍部や政治家はそれを利用していた。いわば彼らは最初から、天皇をシステム論的に使っていた。


男というシンボルのもとに結束せねばならなかった時代。すなわち「戦争」の時代。軍神は男の神でなければならなかったのだ。
ことは、天皇制よりも大きい気がした。
「その神は偽物(フォーニー)だったと君は言っているのか?」
「神は……神は全部偽物じゃないですか? フィクションでしょう、もともと? 天皇だろうとキリストだろうと。ちがいは神として語られた歴史が長いか短いか。ラジオやテレビがあったかなかったか」
その瞬間、そこここから痛いほどのブーイングが飛んだ。
驚いた。この物質文明のアメリカの人びとが、生身の大工の息子だったとほぼ認められている、イエス・キリストという人を本当の本気で神だと信じているのだった。一人の生身の人間の神性を信じているという点で、彼らと戦前の日本人の間にどれほどのちがいがあるのか。むろん、大きなちがいという事もできる。


このブーイングで、ここが、アメリカの高校のディベートの場だという現実に返る。

「俺たちは、植民地の甘い汁を吸った現地人の子だ。どんな植民地にも、俺たちの祖先のような奴らがいた。それを憎んで、俺たちは投獄した。自らを」
植民地の甘い汁を吸った現地人。なぜか日本には戦後、そんなひとばかりができた気がする。なぜなのかは、本当にうまく言えない。
「解放してほしい。おまえ自身を」
「解放してほしい。罪人たちを」
双子が両方とも話すのは、やはりめずらしいことで、私は彼らをまじまじと見てしまった。
ひとつ、わかったことがある。
英霊とは、忘れられた人びと、そして忘「れた」人びと。だったら、日本人全員、私も例外でなく、そうじゃないだろうか。


米軍は占領にあたって、日本人に敵意が低いと見てとると、戦闘体験のある者を本国へ引き揚げさせ、戦闘体験のない者たちを新たに日本へ送るという、人員の入れ替えを行ったという。日本人を憎む理由を持たない者たちには、日本人も憎しみを抱きにくいから。時々アメリカは、良くも悪くも感心するしかないことをする。ヴェトナム戦争のRTDやR&Rといい、この措置といい。


イギリスの植民地政策とは一味ちがうやり方のようだ。唯物論からくる合理主義?

「人は神を必要とする。人は神を利用する。でなければ人など大量に殺せない。私の神は特別で、私のほうが彼より神の愛を多く受けている、そう思わなければ。私が神の話をするのは、『神の名のもとに戦争をする』という愚を人類が繰り返すからです。神の名のもとに戦争をするのは最悪だ。人が、人を殺すということに対して持ちうる歯止めを、なくしてしまう。しかし戦争の規模が大きくなるほど、人は人以上の何かを持ちださなければまとまれないことを知ってしまった。神の名においてでなければ、奴らはちがう神を信じている、誤った神を信じているという理由でなければ、あなた方は原子爆弾を、同じ「人の子」の上に落とせたのですか? 同じ人の子を、何万人も、一瞬にして蒸発させられたのでしょうか? 同じ人の子なのです、同じ人の子なのです、ちがう神の子なのではない。みな神の子なのです」

私は虚無からは何も生まれないと思ってきた。しかし、もし虚空を中心に円を描けるのなら、私は自分が抱えてきた虚無感を受け容れられるのではないか。私は実体であり、同時に透明な意識として、純粋に驚いていた。虚無がそういうものであるなら、私は虚無感に苦しむ必要がもうないのだ。
私は話しているが、それは「私」ではなく、私は聴いているがそれが私なのでもなく、私はそのいずれでもあるし、"私"というのは今まで生きたすべての瞬間の私であり、おそらくは、すべての転生の私なのだ。


私が屈したとしても、私は人民(ピープル)であり、私は一人ではなく、私の魂は不滅なのです。
『私たちは負けてもいい』とは言いません。でも、負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負だったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。私は人民(ピープル)であり、一人ではありません。人民は負けることはありません。一人が負けても、すべてが負けることはないからです。だから、独りでも私は、退きません。


前半から中盤までは面白かったのに、おしまいへんの、怒涛のような天皇抽象論(擁護論?)にはついていけなくなった(>_<)


2016/06/08(水)●神戸高校あたり
7時起床。
今朝の血圧は157/70/65。
朝の三点セット。
昼前に部屋を出て、王子公園駐車場中央の大きな楠の木の下のベンチでミニギター。水曜日は動物園休みだからほとんど車も停まってない。犬の散歩のお婆ちゃんズが話しかけて来たので、サービスに日本の懐メロ弾いたら喜んでくれた。
午後は青谷川沿いに北上して、神戸高校まで登る。すぐ横の砂防ダムの補強工事やってて「ケーブルクレーン」というのが稼働していた。
この工事現場のすぐ下に、大きな野外劇場の廃墟(^_^;)みたいなところがあったので、ここでしばらくミニギターレッスン。ここのすぐ下には天理教の施設があるので、もしかしたらこれは野外講堂なのかもしれない。何かえらく気持ちよかった。
坂道をジクザグに下りて、水道筋で買い物して7時半帰宅。
阪神はロッテに連敗。
今日の歩数は4611歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]위문열차(ウィムンヨルチャ 慰問列車)韓国の国防広報院による、軍隊慰問を目的としたテレビ番組。「国防テレビ」というチャンネルでやってるようだ。You Tubeで検索したらいくらでも出てくる。ゲストのほとんどがガールズグループで、ほとんどがミニスカートである(^_^;) Morris.の記憶では、90年代初めにやってた「友情の舞台」というのがこれに類した番組で、イジヨンが出演して「クデ」を歌ってた。
  

コード・ネームC7 

太陽の暈」 

青葡萄 

梅? 

揚羽蝶 

アベ政治を許さない!!!!!!!!! 

大きな石仏 

ケーブルクレーン 

谷越えての工事現場 

時計草 

神戸高校 

同じく 

遥かに淡路島を 

今日のレッスン場 

飛行機雲? 

【人間・この劇的なるもの】福田恆存 ★★★☆ 1960/08/20 新潮文庫 初出1961年6月

報道ステーションのコメンテーターやってた中島岳志が我が枕頭の書と言ってたので、読む気になったのだ。もしかしたら、70年代くらいに読んだかもしれない。福田恆存は「私の國語教室」が印象的、というより、ほとんど信奉者だった(^_^;) でも、その後、言動がかなり保守寄りになったことから、遠ざかったようだ。
中島岳志も保守派を表明しているが、現在日本の学者を、保守だ、革新だと色分けするのはあまり意味をなさないのではなかろうか、保守である革新であれ、聞く価値があると思えば聞き、読む価値があると思えば読むべきだ。評価はその後すればよい。

私たちの社会生活が複雑になればなるほど、私たちは自分で自分の役を選びとることができない。またそれを最後まで演じきって、去って行くこともできない。未来はただ現在を中断するためにだけやってくるのだ。が、私たちは、現在の中断でしかない未来を欲してはいない。そんなものは未来ではないからだ。私たちの欲する未来は、現在の完全燃焼であり、それによる現在の消滅であり、さらに、その消滅によって、新しき現在に脱出することである。

完全燃焼(^_^;) 普通それは生命の消失(焼失?)ではなかろうか。

自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のままに生きることを欲していないし、それに堪えられもしないのである。
舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなければならぬのである。堪えがたいことだ、と青年はいう。自己の自然のままにふるまい、個性を伸張せしめること、それが大事だという。が、かれらはめいめいの個性を自然のままに生かしているのだろうか。かららはたんに「青春の個性」というありきたりの役割を演じているのではないか。
個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。他はいっさい生理的なものだ。
私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起っているということだ。
生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。私たちは二重に生きている。役者が舞台のうえで、つねにそうであるように。


うーーん、宗教書みたいだ。

劇的に生きたいというのは、自分の生涯を、あるいは、その一定の期間を、一個の芸術作品に仕たてあげたいということにほかならぬ。この欲望がなければ、芸術などというものは存在しなかったであろう。
人間はただ生きることを欲しているのではない。生の豊かさを欲しているのでもない。ひとは生きる。同時にそれを味わうこと、それを欲している。現実の生活とは別の次元に、意識の生活があるのだ。それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。(一)


なかなかのトンデモ本である。

純粋な意識の真の緊張感を呼び起こすもの、それが私のいう演戯である。自分を他人に見せるための演技ではない。自分が自他を明確に見るための演戯である。

演技と演戯の違いは、と大辞林みたら

演戯 ①演劇に同じ ②演技に同じ

とあった(>_<) まあ、福田の自論なのだろう。

演戯者にとっては、未来は、知っていて同時に知らぬものである。演戯者には、すべては見えない。過去と未来とから切り放たれた現在だけが、過去・現在・未来という全体の象徴として存在しているだけだ。
私たちは全体を見ると同時に、部分としての限界を守らなければならない。あるいは、部分を部分として明確にとらえることによって、そのなかに全体を実感しなければならない。
私たちが個人の全体性を回復する唯一の道は、自分が部分にすぎぬことを覚悟し、意識的に部分としての自己を味わいつくすこと、その味わいの過程において、全体感が象徴的に甦る。
私たち日本人は、自我のうちに自分と他人という二つの要素しか見ていない。
しかし、自我は自分と他人という相対的平面のほかに、その両者を含めて、自他を超えた絶対の世界とかかわりをもっているのである。
私のいう演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。自我に行きつくための運動の振幅が演戯を形成する。なんとかして絶対的なものを見いだそうとすること、それが演戯なのだ。ちょうど画家が素描において、一本の正確な線を求めるために、何本も不正確な線をひかねばならぬように。(二)


つまり福田は求道者なのだろう。

悲劇的な人物をまねたいという衝動を、作者の心に、あるいは役者や見物に起させるのは、その行為が「立派な、あるいは典型的な、そして完璧なる行為」であるからだ。それが悲劇であり、破局と死とに終わることを、私たちは一向いとわない。
いや、むしろ死い至る過程であるからこそ、それは私たちに愛されてきたといえる。
死だけは、つねに偶然の手にゆだねねばならず、これを必然化する手だては自殺をおいて他にない。
人間にとって唯一の不可能事である。が、悲劇の主人公は、私たちに代って、それをやってくれる。そして、かれらの死がことごとく自殺に似ているのは、この不可避なるものに向って、みずから歩み寄るかのごとき一糸みだれぬ行為の統一性のためにほかならぬ。イエスの生涯がひとびとに愛されてきたのもそのためである。


キリスト教のことは詳しくないのだが、イエスの生涯は「ひとびとに愛され」ているのだろうか?

マクベスは世間の誤解を恐れているのではない。かれははじめから誤解されるようななにものももっていない。かれが恐れているのは、むしろ世間の正解である。自分の正体を見やぶられることが恐しいのだ。他人の眼に見える外面的な行為以外に自己はないというのは、自分の眼にすら見えぬ自己を恃むハムレットにとって、生活信条であった。が、マクベスにとって、それは生きかたではなく、かれ自身の現実であった。たしかにマクベスには、王冠や地位や権力、またそれを獲得し維持するための行為以外に、自己は完全に空虚である。

Macbethという名前の中に安倍の名前が含まれているのは、何かを暗示しているのではなかろうか(^_^;)
これほど見事な、安倍批判が半世紀以上も前になされていたとは(@_@)

ストイシズムはアレクサンダー大王の東方諸国征服を背景として生れたものである。野蛮人たちは、まず自己を正当化してかからねばならなかったのだ。ストイックたちは人間の平等を説き、ギリシア人と野蛮人、主人と奴隷、その他いっさいの階級的差別を否定した。が、その心底にあるものは、現実のすべてを自己にとって不利なものと見なし、自分の手で自分を守らねばならぬと観じた孤独者の不信である。自分が自分を認める以外、どこにも生きるよすがは求められぬのだ。シェイクスピア劇の主人公たちが置かれた環境がまさにそれであり、これこそギリシア劇ともフランス古典劇と異なるものである。
ストイックたちはギリシアの神々の支配する宿命を拒否した。が、宇宙理性もまた一種の宿命論に堕する。
偶然の一環であり、ひとつの断片にすぎぬ個人が、全体の必然性を選び司るという論理的矛盾、それを避けるためには、克己と禁欲しかなかったのである。(四)


Morris.にも、どこかストイックな面があると思う。単に金がないというだけでなく(それも大きいよういんだけど)、子供の頃から何か、ストイシズムには惹かれていた。

今日におけるほど、自由ということばが、安易に用いられている時代はない。現在では自由とはたんに逃避というほどの意味に用いられているにすぎぬようだ。それは私たちにとってもろもろの「いやなこと」からの逃避を意味する。労働、奉仕、義務、約束、秩序、規則、伝統、過去、家族、他人、等々からの逃避、、それを私たちは自由と呼んでいる。
労働が強制的でなく、自発的にのみ存在した時代があったろうか。また未来において、ありうるだろうか。義務や規則は、本質的に個人の犠牲を要求しないであろうか。のみならず、ひとびとは、家族や他人の重圧から解き放たれて、なにを求めているのか。また、なにを得たのか。
おそらく、ひとびとはなにも得はしなかった。のみならず、なにを求めてもいはしなかった。自由の名において、ひとびとは、求めていたのではなくて、逃げていただけのことである。しいていえば、自由そのものを求めていたのである。なにかをしたいための自由ではなく、なにかをしないための自由を。


フロムの「自由からの逃走」は1941年に書かれているから、これを福田が知らなかったとは思いにくいが、この「自由」論はMorris.には、結構きつく迫ってきた。

ストイックやエピキュリアンが目指した倫理的最高価値としての自由とは、もちろん、権威、他人、現実などの、自己以外の存在の変改や抹消を意味しはしなかった。
したがって、かれらはつねに現実のなかにあった。今日の自由人は現実に捉えられぬ用心を怠らぬが、かれらは平気で現実のわなのなかにあった。捉えられぬことに心を使うよりは、捉われぬことに心を用いたのである。ふたたび皮肉をいえば、それは「負けるが勝ち」の処世術に道を通じている。ストイシズムは、文化に疎外された田舎者ないしは奴隷の哲学であり、エピキュリアニズムは、力に負けた都会的文化人の哲学である。


あぢゃぢゃ、ストイシズムは「田舎者ないし奴隷の哲学」だと。たしかにMorris.は田舎者だけど、奴隷とまで言われる覚えはないぞ。都会人はエピキュリアンだとなると、Morris.もストイックから楽天家への転換を試みるべきかも

自由ということ、そのことにまちがいがあるのではないか。自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はそう考える。自由によって、ひとはけっして幸福になりえない。自由というようなものが、ひとたび人の心を領するようになると、かれは際限もなくその道を歩みはじめる。自由を内に求めれば、かれは孤独になる。それを外に求めれば、特権階級への昇格を目ざさざるをえない。だから奴隷の思想というのだ。奴隷は孤独であるか、特権の奪取をもくろむか、つねにその二つのうち、いずれかの道を選ぶ。

え、結局自由も奴隷の思想なのか(>_<)

現代の自由思想は孤独を嫌う。正義は、つねに全体を離脱した個人の側にある。同時に、正義だけではどうにもならぬことを、ひとびとは知っている。個人は数において全体に劣る。それを恐れる結果、現代のあらゆる自由思想は、離脱した個人の頭数をそろえることに熱中する。頭数さえそろえば、離脱者側に全体という神がのりうつる。ひとびとはそう計算している。
自由の原理は私たちに快楽をもたらすかもしれぬが、けっして幸福をもたらさぬ。信頼の原理は私たちに苦痛を与えるかもしれぬが、私たちはそのさなかにおいてさえ生の充実感を受けとることができる。(五)


「自由」に対して「信頼」というのがいまいちわからない。どちらも錯覚なのかも。

多くの個人主義者は全体主義を憎む。が、論理的にそれに抗しえない。当然なのである。全体主義は個人主義の帰結であり、その延長線上にあるもとしか、私には思えぬ。
個人主義にせよ、全体主義にせよ、その原理は、人間が人間を支配しうるということである。この原理のもとには、全体は存在しえぬ。全体の本質はつねに未知のものとして、私たちのうえに覆いかぶさっていなければならぬ。(六)


ちょっと待て、全体主義が個人主義の帰結というのは、あまりに表層的発言ではなかろうか。

私たちは小さな花を通じて、季節のうちに、自然のうちに、全体のうちに復帰しうるのを喜んでいるのである。私たちの祖先は、泉や若芽に神が宿るのを見た。ミスティシズ(神秘主義)ムというのは、元来、それほどの意味にすぎない。
対象を路傍の花にかぎれば、それは逃避にしかならぬ。が、自然のみを対象とすることも、今日では、すでに逃避である。天災と戦おうとする科学は、私たちの自然にたいする支配欲の現れかもしれぬが、その裏で、もし私たちが自然との調和だけを心がけるとしたなら、やはりそれは逃避であろう。同様に、階級や戦争の悪を根絶しようとする試みも、私たちのあいだにあっては、容易に逃避に転化しうるのだ。
そればかりではない。個人が個人の手で、あるいは人間が人間の手で、全体を調整しようとすれば、自分が勝ち、相手を滅ぼすしか道はない。生命の貴重や平和を口にしようと、それが当然の帰結なのである。なぜなら、生がそれ自身によってのみ全体を構成しうるとすれば、それはあらゆる名目のもとに自己を正当化し、その極限においては、他人の死をも、自己正当化のために利用せずにはすまなくなるであろうから。(七)


これはかなりひねくれた思想だと思う。

個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。必然性というものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。個人の脱落や敗北は、全体の必然性を証明するためにのみ正当化される。敗北しながら、自己の必然性を正当化する浪漫派の歌は、所詮、ひかれものの小唄にすぎぬ。全体の勝利を信じなければ、個人としての私たちは、安んじて脱落することさえできないのだ。


どんどん病的になっていく。

私たちがいかに知的に開化しているとしても、肉体の生理的必然から、まったく自由でありうるわけはない。私たちは、日々、死を欲している。もちろん、新しくよみがえるために。シェイクスピア劇においては、一日の終りにおとずれる仮死としての眠りが、いかにくりかえし讃えられていることか。当時の人たちは、私たちが、生を慾求すると同時に、そのためには、いかに死を望んでいるかを、よく知っていたのだ。生が、そして個人が、死や仮死を必要としないほど強いものと錯覚しているのだ。そして、その錯覚が、じつは私たちの生を弱めていることに気づかずにいる。

結局本書は、非常に特殊なシェイクスピア論であり、つまりは、福田独特の演劇論なのだろう。死を欲するというのはいわゆる「タナトス」なのかもしれないが、現代人(1960年頃の)の「錯覚」は半世紀後の、今の日本人にはあてはまらないのでは? 60年代に比べると生への自信(錯覚だとしても)を喪失しているような気がする。

ヒューマニストたちは、死をたんに生にたいする脅威と考える。同時に、生を楯にあらゆることを正当化しようとする。かれらにとって、単純に生は善であり、死は悪である。
生の終りに死を位置づけえぬいかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであろう。死において生の完結を考えぬ思想は、所詮、浅薄な個人主義に終るのだ。中世を暗黒時代と呼び、ルネサンスを生の讃歌と規定する通俗的な史観や、封建時代に死臭をかぎつけ、現代に生のいぶきを感じる過った人間観はすべて個人主義的なヒューマニズムの所産にほかならない。
生はかならず死によってのみ正当化される。個人は、全体を、それが自己を滅ぼすものであるがゆえに認めなければならない。それが劇というものだ。そして、それが人間の生きかたなのである。人間はつねにそういうふうに生きてきたし、今後もそういうふうに生きつづけるであろう。(八)


21世紀の日本は、「生善説」が建前になってしまった時代といえるかもしれない。あまりにも「劇的に過ぎる」福田のドラマツルギーは、いささか、今の日本人には「劇薬」なのかもしれない。少なくともMorris.は服用をこばみたいたぐいのもののように思われた。
読み始める前の意気込みに比して、批判的というか、馴染めなかったわけだが、それはそれでかまわないだろう。少なくともマクベスを論じた一文だけでも読んだ甲斐があった。
本書はタイトルが「劇的」ということもあってか(^_^;)、比較的名前は知られている。しかし今やほとんど読まれていないのだろう。神戸の市立図書館に もこの文庫本が中央に一冊あるだけだった。もう一冊中央の蔵書である彼の著作集の中に収められてるようだが、これを合わせても二冊である。

2016/06/07(火)●雨・紫陽花・歯医者
今朝の血圧は194/94/66。
実は昨夜、久しぶりに徹夜してしまった。
理由は昨日の日記の読書メモにえらく時間かかったためである(^_^;) まあ「農閑期」だから好き勝手できる。一種の贅沢かもしれない。
夜から雨が降り続いている。
今日は午後4時に歯医者予約だったので、3時前に部屋を出て六甲道まで歩く。雨の中、いろんな紫陽花が咲き濡れて綺麗だったので、紫陽花限定デジカメ撮影。やっぱり紫陽花は雨が似合う。
今回の虫歯の治療は先月でひとまず終わり、今日は口内清掃(^_^;) 歯石取って、歯間も掃除してもらう。
その後、灘図書館で雑誌(「世界」など )拾い読み。
帰りも歩いて7時帰宅。
阪神は今日からロッテ戦。拙攻で1-2で緒戦を落とす。
流石に眠いので、早めに就寝。
今日の歩数は6423歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]개드립(ケドゥリブ) 寒いギャグ 개(犬)+애드립(アドリブ)


雨の日の紫陽花#1 

#2 

#3 

#4 

#5 歯医者の植木

#6 

#7 

#8 

#9 

2016/06/06(月)●Kpedia
7時起床。
今朝の血圧は175/80/82。
昨日の沖縄県議選は知事派が過半数を維持して勝利を収めた。まずは一安心。
告示前に起きた米軍属(元海兵隊)の女性遺体遺棄事件、そして選挙前日には米軍二等兵曹(女性)が酔っ払い運転で道路逆走して順送している軽乗用車2台に衝突(女性が胸骨骨折の重症、男性も一人負傷)て逃走するという事件まで起きている。
それにしても、いつまで「遺体遺棄事件」と言い続けるんだろう。逮捕直後に、容疑者は強姦・殺害を自白したはずだ。それが、突然黙秘に転じて今日にいたっている。これは日米両政府による何らかの圧力がかかっているというのに違いない。それを、本気で追求する報道が見当たらないあたりが、歯がゆい。
午後から、神戸文学館で岡部伊都子のエッセイを拾い読み。その後王子公園体育館裏の公園で、読書&ミニギター。昨日ひさしぶりにシンシネの「ポンチャンネ」聴きなおして、やっぱりMorris.にはポンチャックしかないと再確認した(^_^;) ということで、このアルバムICレコーダに入れて繰り返し聴きかえす。というわけで、今日のミニギターレッスンはオールポンチャック(^_^;)
6時帰宅。
午後4時から舛添知事が自前の弁護士2人とともに記者会見したそうで、ニュースはこれを大きく扱ってるが、わかりきった内容でしかない。
また、今日、甘利元大臣が、政治活動再開すると事務所駐車場で記者会見。国会終るのをみはからっての、厚顔ぶり。「睡眠障害」などと見え見えの仮病で、追求から逃げてたくせに、しゃあしゃあと「そんな誤解されてましたか?」だとヽ(`Д´)ノ さらに政治活動リハビリ発言。「部屋に篭っているとエコノミークラス症候群になるかも」などとのたまってた。安倍政権の譜代大名(御三家?)だけに、将軍様の庇護も万全と思ってるのだろう。不起訴そのものが、司法の醜態というしかない。
先月見つけたのだがKpediaという韓国語辞書のサイトがあって、これがなかなか充実している。このサイトではカテゴリー別に韓国語単語を網羅してるし、例文、試験用の問題など、韓国語試験を目指す人には有用だと思う。トップページには「今日の韓国語」「週間ランキング」「新語・流行語」「俗語・若者言葉」「慣用句」「連語」のコーナーがあり、毎日のように更新されている。
韓国語万年初級(>_<)のMorris.は、もう今さら本格的に勉強し直す気力もなく、記憶もどんどん薄れていくのが実情である。せめて毎日このトップページだけでも見て、重要な、あるいは興味深い単語を一つでも覚えておくことにした。
たとえば、昨日の「今日の韓国語」にあった
「振り込め詐欺 보이스피싱(ボイスフィッシング)」
voice fishingという英語のようだ。でも、この英訳をネットで検索したら
Billing fraud、remitance fraud、bank transfer scam、phishing scam、emargency scam、grandfather scam……
などが見つかった。まだ定訳はさだまっていないようだ。4番目に「phishing」というのがあって、これを調べたら

フィッシング (Phishing) とは、金融機関 (銀行やクレジットカード会社) などを装った電子メールを送り、住所、氏名、銀行口座番号、クレジットカード番号などの個人情報を詐取する行為です。 電子メールのリンクから偽サイト (フィッシングサイト) に誘導し、そこで個人情報を入力させる手口が一般的に使われています。

なるほど、「보이스피싱(ボイスフィッシング)」の「フィッシング」は「fishing」でなく、「phishing」に違いない。そうとわかれば、なかなかうまい訳語のように思えてくる。
今日のトップページから一つ。
ブラック企業 노동착취기업(ノドンチャクチュィキオプ労働搾取企業)
漢字語でそれほど面白くはないか。
今夜のKBS歌謡舞台1470回は-현충일 기획顕忠日(戦没者追悼い記念日)企画-숭고한 넋을 기리며崇高な精神を讃えて。

* 진혼곡鎮魂曲 (트럼펫 연주トランペット演奏)/수도방위소령부 군악대首都防衛少領部軍楽隊)
1) 비목ピモク/베이스ベース 이준석イジュンソク
2) 임 계신 전선貴方のいる前線/이혜리イヘリ
3) 전선야곡前線夜曲/조항조チョハンジョ
4) 아내의 노래妻の歌/장은숙チャンウンスク
5) 향기 품은 군사우편香り立つ軍事郵便/현숙ヒョンスク
6) 굳세어라 금순아頑張れクムスナ/송대관ソンデグヮン
7) 단장의 미아리 고개断腸のミアリ峠/박애리パクエリ
8) 삼팔선의 봄38度戦の春/이용イヨン
9) 이별의 부산 정거장別れの釜山停車場/현철ヒョンチョル
10) 바다로 가자海に行こう/네이비 싱어즈ネイビーシンガーズ(해군 성악팀)海軍声楽チーム
11) 육군 김 일병陸軍キム一等兵/김국환キムクッカン
12) 빨간 마후라赤いマフラー/쟈니브라더스ジャニーブラザーズ
13) 전우가 남긴 한마디戦友が残したひと言/허성희ホソンヒ
14) 달도 하나 해도 하나月も一つ陽も一つ/설운도ソルンド
15) 그리운 금강산懐かしい金剛山/소프라노ソプラノ 신델라シンテルラ
* 평화의 나팔소리平和のラッパ(트럼펫 연주トランペット演奏)/KBS 관현악단管弦楽団 트럼펫연주자トランペット奏者 이계군イゲグン
16) 평화의 나팔 소리平和のラッパ/솔리스츠ソリスツ

この手の特集は、いまいちである。好みの三曲は定番である。おしまいの「ソリスツ」は松下ホールでのチャンサイクコンサートの時、バックコーラスで出てたメンバーと思う。
今日の歩数は2235歩。

薔薇 

藪枯らし(別名貧乏葛) 

今日の夕空 

【情報】九島伸一 ★★★☆☆☆ 2015/11/10 幻冬舎
いやあ、この本、読み終えるのにえらく時間かかった。とりあえず目次。

第1章 データ、情報、知識、知恵
第2章 量、質、時間、空間
第3章 検索、入力、処理、出力
第4章 変化、共有、発信、プロパガンダ
第5章 正確さ、事実、正しさ、真実
第6章 ある、ない、リアル、バーチャル
第7章 情報戦争、メディア、情報商品、図書館

国家という枠組みで物事を捉える人たちにとっては、情報は国家のためのもの。国民のものではない。国家は、国内ではプロパガンダを行い、国外では情報戦争を闘う。国内での敵はプロパガンダに対抗する人たちであり、国外での敵は同じ情報戦争を闘う同業者である。(情報の捉え方)


クールであるな。

山本七平が書いたように「日本での最終的決定者は人ではなく『空気』だ」というのであれば、論理などというものはいらなくなり、また、「情報とはなにか」などということを考える必要もない。「『空気』対『情報』は、『空気』の勝ち」というのが日本なのだとしたら、日本では情報は必要ない。(疑問)

さらにクール(^_^;)

小平さち子は「メディア・リテラシーとは、メディアにアクセスする能力、メディアコンテンツの異なる側面を理解して、クリティカルに評価でき、さまざまな文脈においてコミュニケーションができる能力である」と書く。さらに、「メディア・リテラシーはメディアがいかに自分たちの物の見方や信念にフィルターをかけているか、個人の選択に影響を与えているかに対する認識を高めるのに役立つはずである」と続ける。(情報リテラシーは身につくのだろうか)

「リテラシー」という言葉は、何度もチェックしながら一向に身につかない。大辞林には「読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識」と、そっけない。上記の説明読んで、またまた混乱しそうだ。

人は、厳しい現実のなかでこそ、理想のなかの真実を必要とするものなのではないか。厳しい現実のなかの真実にとらわれすぎて、もっと大切なことを見過ごしているのではないか。
国の長は、国の理想を話さなけらばならない。国の理想は戦争をすることではなく、平和を目指すことだということを、示し続けなければならない。国の長はまた、国民の幸福を願い、国に関わるすべての人々を幸せにしなければならない。国民を戦争に駆り出して死なせるなどは、もつてのほかだ。
でも国の長は、国の理想を話す代わりに国の現実を話し、危機を煽る。隣国がどれだけひどいか、理不尽かということを、メディアを使って訴える。共に歩む代わりに、競い、争う。隣国と話し合うことはせず、話し合いができないのは隣国のせいだという。現場の真実ばかりに目を向ければ、待っているのは対立だけ。理想のなかの真実に目を向け、和解を目指すことはできないのだろうか。(理想のなかにある真実)


突然こんな正統的な政治的な話が出てくるのも本書の魅力の一つである。

データ:意味のない事象。ビット、数字、文字などで表される。
情報:集められ、整理されたデータ。伝えられ、利用される。
知識:消化され理解された情報。集団で共有される。
知恵:広く受け入れられた知識。人類で共有される。(私なりの答え)


この定義は重要。

集団の知識や社会の知識が置き換えられても、個人の知識が置き換えられるとは限らない。私たちの多くは、若い時に得た知識にしがみつき、社会の変化から取り残されるのだが、それは必ずしも悪いことではない。個人の知識には陳腐化するという宿命がある。(社会科学的な事実と知識)

納得である。

真実という虚構は、人間の集団幻想のような色彩を持つ。集団幻想のような色彩を持てば、集団の教えは、すべてが真実になる。「真実とは、その程度のものだ」と思ったほうがいいのかもしれない。(真実という虚構と知恵)


「真実の探求」もそんなもんか、と思えば、ちょっと気が軽くなる。

やって見せることもなく、考えたことを信じさせるという芸当をやってのけるのが、哲学や宗教だ。
ロバー・ノージックが書いているように、考えたことを論理的に説明し、人に信じ込ませるのが哲学者なのであって、哲学者にとっては自分の考えを自分が信じているかどうかは問題ではない。(考えるということ)


哲学者はあまり友達にしたくない。

人は「信じる」もののために想像を超えたことをする。信じるということは、一番人間らしいことであり、その強さは時に恐ろしい結果を生む。
論理的でないからといって、人が信じていることを軽んじたり否定したりしてはいけない。信じないところからは知恵は生まれてこない。
知恵を生み出すなどということは一部の人たちにしか縁がないが、知恵はみんなのものであり、みんなのためにある。知恵には、生活を豊かにしたり争いを防いだりといった不思議な力があるが、誰でもが知恵を働かせられるわけではない。(信じるということ)


ここらあたりは、ちょっと哲学っぽくないか?

財力の差がそのまま情報を扱う道具の差になり、知識の蓄積の差が情報の価値を決めるようになってきた。同じ情報が手に入っても、情報に鈍感な人たちは、情報を価値のないものにし、情報に重きを置く人たちだけが、情報を価値あるものにする。
情報から大きな恩恵を受ける人たちと、情報からなんの恩恵も受けない人たちとの差は、とても大きなものになってしまった。
でも、茨木のり子が示す通り、情報から大きな恩恵を受けていると思い込んでいる人たちの多くは、実は情報に振り回されているだけで、なんの恩恵もうけてはいない。(情報についての幻想)


情報格差もどんどん拡大しているのだろう。そして錯覚も。

戦争ひとつとっても、全時代的な国家の戦略はもはや通用しない。国家が相手にするのは、もう国民だけではないのだ。嘘でも本当でもいいから、とにかく世界中の人たちを納得させなければなにもできない。
可視化が進み、大統領や首相の演説を本人が用意しているなどと思う人は、もうひとりもいない。
密約とか機密文書とかいった隠し事も、知られることを前提にしてしか存在できない。そんな新しい環境のなかで、組織防衛を目的としたビュロクラシー(官僚制度)が生み出す嘘は、国家にとって大きなリスクとなる。(国家と情報)


官僚の保身が獅子身中の虫になっているということか。他人ごとではなさそうだ。

ひとりのパキスタン少女をプロパガンダに利用して、PR会社が利益を得る。挙げ句の果て、少女はノーベル賞を受賞し、PR会社はさらに大きな利益を得る。
マララという少女のことも、エデルマンというPR会社のことも、そしてPR会社の活動内容も、あっという間に世界中に広まってしまう。(さまざまな変化)


マララという少女にはMorris.も最初の頃から胡散臭さを感じていた。

戦略があったわけもなく、強い願望があったわけでもないのに、夢のような道具を次から次へと与えられ、その結果データは溢れ、人は時間をなくし、情報は意味を失う。それが今起きている変化なのだ。(増え続けるデータ)

耳かきで海の水を掬ってる感じ。

保存について忘れてはならないこと、それは短く言えば、「保存する時には、すべてを一括して」ということだ。(データの寿命と保存)

ダイジェスト版は不要ということ。つまりここで、Morris.が本の一部を引用してるのも、無駄なことなのかもしれない。

正確な数を知ることなど、できるはずがない。統計が正しいということも、絶対にない。
一番ずるいのが、偏見や先入観を利用した数字のでっち上げだ。統計の専門家は、「どう質問すれば、どういう答えがかえってくるか」とか、「集まった情報をどう処理すれば、どのように見せることができるか」を熟知している。
どうするのか、なにが解決策なのか。そういうことを考える時に、実は統計や数字はあまり役に立たない。統計や数字は、なにも考えない人たちを説得するための道具であって、本質的なものではない。(内容の正確さ)


統計は嘘をつく、というか、操作でどうにでもなるということだろう。メディアがやたら乱用するアンケートだって、似たところがある。

野球とかキリスト教系の大学とかが、統治戦略の一部なのだということは、誰もが知っている。
警視庁刑務部長を懲戒免職になった男が新聞社の社長になっても、「買収なのだから」といって誰も文句を言わない。戦時中、大政翼賛会総務や内閣情報局参与としてマスメディアを監視したその男が、戦後CIAに協力し、テレビ放送網の社長になってプロレスやディズニーなどを広めても、やはり何も言わない。
野球の普及が統治戦略の一部とすれば、CIAの協力者がプロ野球で一番人気の在る球団の「オーナー」になろうと、元駐米大使が日本野球機構の「コミッショナー」になろうと、おかしいことはなにもない。(専門性の高い情報)


もちろん正力松太郎のことである。「巨怪伝」(佐野眞一)に詳しい。

菅沼光弘が2006年に外国特派員協会で行った講演で「やくざ組織の60%が同和、20%が韓国系の在日、10%が北朝鮮系の在日、残りが中国人と同和でない日本人」とか、「今の右翼・民族派団体は、資金的関係によりほとんどすべて100%と言っていいほどバックグラウンドはやくざ」という指摘は、一部の人たちにとっては常識でも、ほとんどの人たちにはフレッシュな情報だった。(フレッシュな情報)


知る人ぞ知る情報は、知らない人は知らない情報。

日本に法の支配が確立し、民主主義国家ができてから、もうずいぶん経つ。国民の多くが民主主義国家に生まれた。それなのに、国民は相も変わらず人の支配のメンタリティーを持ち続けている。国家は国民のためにあるという基本すら理解せず、国民は国家のためにあるとか、社員は会社のためにあるとか、会社は株主のためにあるなどと本気で思っている人が多すぎる。
日本の原子力安全の元締めである原子力安全委員会が、東電福島の深刻な事故が判明してから10日経っても一度も記者会見をせず、委員長が首相と現地訪問したこと、職員を現地対策センターに派遣したことなどを委員会のウェブサイトで宣伝することはあっても、国民に向けての情報発信はゼロ。国民の目にはなにも見えてこない。
政治家や官僚、そして企業の幹部などが、国民のため、市民のため、社員のためという意識を持っていれば、情報はもっとタイムリーに出てきただろう。時には、特に緊急時には、情報は社会の鏡になる。(タイムリーな情報)


うん、うん、その通り。

グーグル・マップス・コーディネーツが出てきた時に、イヤーな感じを持った人は少なくないだろう。あなたのチーム・メンバーがどこにいて、なにをしているのかが、地図上でたちどころにわかる。次にしなければならないことを誰にさせるか、誰が良く働いているのか、地図を見ているだけでわかるという。
人員の配置や作業の指示の効率化など管理者から見て便利なものも、従業員から見れば24時間見張られることに繋がる締め付けの道具でしかない。
日本は接客に優れているというけれど、裏を返せば、低賃金でそれだけのサービスの提供を当然のこととして求められているわけで、素直に喜ぶわけにはいかない。
部下の画面を監視したり、部下の居場所を地図上で監視するのが管理者の仕事だという。そんな管理者のいる会社に将来はない。そして、そんな会社が当たり前のようにたくさんある社会が、良い社会なわけがない。(役に立つ情報)


中国に工場を作った日本会社の、社長か会長が、工場全てを監視できるシステム網を作り、これで作業の効率化が画期的に上がったと自慢してるテレビ番組を思い出した。

人道援助の仕事には、すぐに忘れ去られるという宿命が付きまとう。何日のあいだは、世界中の人たちの目が注がれるが、2ヶ月もすれば、その災害のことを話題にする人は、ひとりもいなくなる。災害についてサステイナブルな考え方をする人はほとんどいない。
「かわいそうに」という感情を身に纏ってしまった情報は、どこまでもあやふやだ。事実を伝えるよりも、感情を伝え、被災者のことを伝えずに、セレブリティーのことを伝える。情報はどこまでも偏り続け、利益のために利用され、貪り尽くされる。(あやふやな情報)


今回の熊本地震でも同様のことが起きている。

森巣弘は「ヒトは、現実よりも信じたいことのほうを信じる」、「メディアに誘導され、神話を信じるやつがバカなのだ」、「リスクを冒さないことが最大のリスクとなる」などなど、好き勝手に書く。ただそれはなぜか不思議なほど人に好かれる文章なのだ。
「軍事情報が日本で機密事項に属するのは、他でもない自国民の眼を覆うためなのだ」というようなことも、他の人が書けば間違いなく問題になる。それは森巣弘はやすやすと文章にする。(好かれる情報)


トリックスターってやつかな。

藤井青銅の「日本人はなぜ破局への道をたどるのか」によると78年周期で日本の歴史は繰り返すという。
明治維新から敗戦までの78年と、敗戦後から今日までの日本。共に、スタートから10年後あたりで大勢が固まり、20年後あたりに経済発展を迎え、30年後あたりに社会不安が起こり、45年後に改元し、60年後あたりに株価大暴落が起こっている。だとすれば、私たちを待っているのは、戦争と敗戦。「非論理的な情報」は時として「論理的な情報」よりも説得力を持つ。なぜかはわからない。(非論理的な情報)


数字のトリック。

東日本大震災のあとには、「がんばろう」が叫ばれ、その後、「寄り添う」、「つながる」、「忘れない」というような言葉が溢れた。そのひとつひとつにどうこう言う気はないけれど、JR東日本の「つなげよう日本」の評判が良かったとか、ANAの「心をひとつに、がんばろうニッポン」は優れたコピーだとか聞くと広告代理店に操られる情報への嫌悪感が湧いてくる。(見かけの良い情報)


同感。

図書館に行って本を借りたり、本屋に行って本を買ったりすれば知識が増えると思っている人がいる。でもそれは、まったくの誤解だ。同様に、インターネットで検索を続けたり、人のつぶやきを追っかけたりしていれば知識が増えると思っている人もいる。それもまったくの考え違いだ。
知識は、本を読みさえすれば仕入れることができるようなものではない。インターネット上でクリックしていれば得られるものでものない。自分で考えなければ、そして理解がなければ、知識を得ることはできない。(知識とはなにか)


兎の逆立ち。

知識というと、頭で考えただけのものだと思う人がいるが、それは少し違う。体の動きを伴う経験、五感のすべてをつかうような経験を通して得た知識は、体に染みつき、すぐに消えたりはしない。
知識の断片がいくらたくさんあっても、それはなんの意味も持たない。知識の断片が繋がることで、初めて意味を持つのだ。(知識と体験)


言うは易し行うは難しぢゃ。

日本の歴史は、外国のものを受け入れようとする側と、それに反対する側との対立という側面を持つ6世紀には、大陸の文化を受け入れようとする側と、それに反対する側との対立があったが、それは今に至るまで続いている。
大陸から長いあいだにわたってやって来た漢字で表される言葉には、さまざまな時代の、そしてさまざまな地域のものが混じっている。遠くインドやペルシャなどから来た言葉もあれば、日本で使われてきた言葉に漢字を当てはめてものもある。その結果、日本の漢字で表される言葉には、いろいろな読み方があることになった。そればかりでなく、ひとつひとつの言葉にはいろいろな意味が込められていて、しかも限りなく曖昧だ。
明治時代になると、西欧の言葉が、時に翻訳され、時にカタカナになって、日本のなかに大量に入りこんできた。翻訳は正確さを書き、カタカナは元の発音を失い、それでも西欧の考えを表す言葉の数々が社会のなかに定着していった。
どんなに明確な意味を持った言葉でも、日本語のなかに入った途端、その明確さを失ってしまう。そのさまは、「一神教の神が、日本に来た途端、神々のなかに加えられ、ワン・オブ・ゼムになってしまう」というのに似ている。(もう一度、知恵とはなにか)


日本語の漢字の訓みの多さが曖昧さに繋がるというのは一面で当たっていると思う。
甘利元大臣に関連して小田嶋隆が指摘してた「説明責任」と「Accountability」の関係を想起した。説明不十分ということだ。

白洲正子が「木」について書いた文章。「一番面倒だったのは、木の名前である。それは読んでくださればわかると思うが、例えば栃の木は橡とも書くが、橡はツルバミとも訓み、その場合は櫟(くぬぎ)の古名で、櫟はまたイチイとも訓むのである。いうまでもなく、それは名前が先にあったところへ漢字を当てたからで、牧野博士の植物図鑑が平仮名で通してあるのはその混乱をさけるためであった……木の名ひとつをとってみても、実にあいまいで、雲をつかむようなところに日本語の難しさがあり、大げさにいえば日本の文化の特徴があると知った」ありとあらゆることについて、ただひとつの答えを与えることはできないのだ。すべてが曖昧のまま、それが日本の文化なのだ。(日本では、知恵とはなにかという問いに、答えることはできない)

先の引用を補完する文章である。

子供や老人を見張ることができるということは、誰を見張るのも簡単だということ。「私たちはみんな、もうすでに見張られている」と考えたほうがよさそうだ。
でも私たちは、ジョージ・オーウェルが『1984』のなかで描いた全体主義的な、そして管理主義的な社会を生きているわけではない。もっとずっと複雑な情報社会を生きているのだ。それがどんな社会なのかは、誰にも見えない。面白いことに、権力者にも見えない。(見つかる情報)


。「1984」が書かれたのが1949年で、オーウェルは35年後を舞台にしたのだが、その舞台から32年が過ぎたことになる。ずっと複雑な情報社会になってしまったのも、むべなるかな、である。

考えてもみてほしい。盗用を防ぐといっておいて、盗用を助長する。儲かればそれもいいというのか。コンピューター・ウィルスを防ぐといっておいて、コンピューター・ウィルスを撒き散らす。書いたわけでも作ったわけでもないのに著作権を買取り、芸術を楽しむ人からカネを脅し取る。ビジネスとはそういうものだと平気な顔をしているMBAたちを、私は呪う。(情報の盗用)

マッチポンプというのは死語なのだろうか? ウイルスソフト会社への疑念を拭えない。自社で開発してるとまでは言わないが、新しいウイルスの登場が、会社の利益に直結してる構造は間違いなく存在している。

世界中の人たちが情報に能動的に接するようになっていくなかで、多くの日本人はなぜか、情報に対し、どんどん受け身になってきている。テリー伊藤は、「日本人が『わかりやすいもの』ばかりを求めるようになったからだ」と説明する。親切に説明してくれるものは理解し、高く評価もするけれど、説明がないものを自分の想像力や努力で理解しようとしなくなっているのだという。(知らないことばかり)

テレビ番組が、こんなになってしまったのも、この傾向に迎合したためなのか、それとも、テレビがこういった傾向を助長したのだろうか。

それにしても、内容を知らずに意見を言う人の多いこと。『我が闘争』のなかに書いてあることはどれも悪い情報。『種の起源』のなかに書いてあることはどれも正しい情報。ほとんどの人が、そう信じている。そう信じているといっても、その情報に触れた人は少ない。本を読んだ人は、ほとんどいない。
オスプレイの配備に賛成する人も反対する人も、オスプレイの性能とか、配備の目的とか、情報戦のなかでのオスプレイの役割などを知らないし、知ろうともしない。それでも、賛成し、反対する。私たちは、幸か不幸か、実にいいかげんにできている。(承認されていない情報)


戦時中、日本の公安(当時は特高か)は共産主義の本を熱心に読んでたと、聞いたことがある。これがミイラ取りがミイラになったこともあったかもしれないが、知らずに批判するというのは、命中率の低いギャンブルだと思う。

「責任を持って情報を選択する」というのは、権威にとって都合の悪い情報を切り捨てること。「責任を持って情報を編集する」というのは、プロパガンダを作成するということ。そんなことは、もうバレバレなのだ。(認可された情報)

バレバレなのに、開き直っている相手には、力技なり搦め手なりで情報を得る努力が必要だろう。

宗教的な国では、すべての事柄がイエスかノーかになってしまう。自分たちが正義で相手方が悪。そんな国から出てくる情報が、相対的であったり、多元的であったり、多様性を認めるものであるわけがない。
二分法というのは恐ろしいものだ。そして物事を二分法でしか考えられない人たちは、二分法そのものよりも、もっと恐ろしい。(宗教的な国でプロセスされる情報)


極右と極左が似てくるなんてのも、そこらあたりに起因するのかも。

綺麗は汚い、汚いは綺麗--「マクベス」
Fair is foul, and foul is fair.


「把握し、監視する」などという恐ろしいことを、無意識で、仕事として、簡単にしてしまう人がいる。そんなふうに思っただけで、私はすでにテロリストになっている。(管理される情報)


監視はテロリズム!!

「ウェブリオ(Weblio)類語辞典」は、面白い。
ウェブリオのサイトは、広告が増えたせいもあって、以前に比べて劣化している印象を与える。広告収入などが増えたせいもあって、以前に比べて劣化している印象を与える。
グーグルに「間違い」がなかったら、そしてグーグルのページが真っ白でなく、広告ばかりだったら、グーグルはあれほどまでに成長しなかったろう。(説明という情報)


そういえば、ペンギンブック版の「ロジェのシソーラス ROGET'S THESAURUS」長いこと手にとってなかった。昔は結構参照してたのに。 老眼で辞書引く事自体が減少したということもあるし、ネットで検索することが多くなったためでもある。
たしかにグーグルのトップページのシンプルさは素晴らしい。

「いつかは死ぬのだから」ということに思い至れば、そして「大事なものなど、なにもない」と考えることができるなら、なんでも捨てることが、そして消し去ることが、できるだろう。要は、考え方次第ということなのかもしれない。(保存の仕方)

先日読んだ「老前整理」の主題もこれだった。

レトリックに長けた魅力ある個人に率いられたポピュリズムほど、危険なものはない。指導者たちが、正しいと信じている方向に進むのではなく、マスコミの扇動に煽られた人々が、大した考えもなく向かおうとする方向に進んでいけば、一体何が起こるのか。それは歴史を見れば明らかではないか。
とにかく、ポピュリズムは危ない。ところが、ここ数年、ポピュリズムよりもっとずっと危険なものが現れてきた。ポピュラリズムという。支持率の変化を解析し、支持率が下がらないような政策判断をしていくというものだ。
ツイッターへのフィードやフェイスブックのポスティングを監視し、みんなのブログやサイトのページを読みあさり、みんなの動向を探り続ける。そんなことは人間にはできないから、コンピューター・システムにやらせる。
個人のレベルでも、社会のレベルでも、レトリックを操る人たちが成功を収めていく。そういう現実がある。好ましく思おうと思うまいと、すべての真実はレトリックの前では非力だ。(空っぽのレトリック)


これこそ安倍晋三のやりかたなのではなかろうか。レトリックというトリックに引っかからないようにしなくては。

明治時代に西欧に範を求め、なんでもかんでも持ち込んで、慌てて翻訳をした。その弊害は大きく、言葉という言葉がその意味を失い、哲学のようなものは限りなく難しいものになり、科学はわけのわからないものになり、文学は身の回りのことばかりになってしまった。(明治時代の負の遺産)


ネット検索したら「明治翻訳語のおもしろさ」というPDFファイルがあったが、つい「明治翻訳語のおそろしさ」と誤読してしまった(^_^;)

浦部法穂が、「ヒューマン・ライツ(human rights)と「人権」との違いを上手に書いている。
英語の「ライト(right)」という言葉には、「権利」の他、「正しい」、「右」などの意味がある。
西周が「ヒューマン・ライツ」を「人権」と訳してから、もう150年近くになる。翻訳語、すぐに、福沢諭吉に誤訳だと言われたにもかかわらず、他に良い言葉が見つからなかったこともあって、「人権」が使われ続けた。そして今、浦部法穂が書いている通り、私たちの「人権」からは、正しいという感じがつたわってこない。(ヒューマン・ライツと人権)


これだけ重要な言葉が、これだけ曖昧なままで今日まで使われているということこそ「おそろしさ」の一例だろう。

ダルメシュ・シャーがウェブサイトの上手な作り方を、箇条書きにした。どれも当たり前のような気がするが、基本的なことを考える人は意外と少ない。
ウェブサイトに来た人にとって、なにか良いことがあるのか? 誰のためのものか? どう動くのか? なぜ他のサイトではだめなのか? 値段はどれくらい? 試すことはできるか? サイトをやっているのは誰なのか? どこにいるのか? 連絡はつくのか? 質問はどうしたらいいか? というようなことを真剣に考え、チェックし、少しでも良いサイトにしようと努力すれば、必ず報われる。(ウェブサイトの上手な作り方)


Morris.部屋はほとんど報われない(^_^;) いや、報われようという考えに乏しい。最初はそうではなかったのだろうが、17年も経って、忘れてしまった(^_^;)

大事な情報は発信しないに限る。(発信しない情報)

金言。

日本では、中国のセンサーシップや韓国でのジャーナリストへの圧力などを盛んに報道するけれど、日本のセルフ・センサーのことはまず書かない。
知ってるけど書けない。書いても握りつぶされる。気に障る記事を書けば、会社員なら暇な部署に回され、フリーなら仕事が来なくなる。それで、政治家や大会社を批判することは誰もしなくなる。政府が検閲したわけでもない。誰かが圧力をかけたわけでもない。それなのに、書き手の側が、誰が頼んだわけでもないのに、勝手に読者に知らせないようという判断をする。(きれいごと)


センサーシップ(censorship) は検閲である。セルフセンサーは自主規制ということになる。日本のマスコミではこの傾向が目に余る(いや、目には見えないからこそ危ない)ほどになっている。ネットでなら回避できるかもしれないが、こちらはこちらで百鬼夜行状態である。

人も集団を作って生活する動物であり、集団のなかでは自然に役割分担をしている。リードする役割を担う人はごく少数で、大多数はリードされる役割を担っている。働く人も、働かない人よりずっと多い。
リードされる役割の人たちが、自分たちの過ちを認めることはない。社会に大きなダメージがもたらされ、自分たちの選択が間違っているということが明らかになると、それまでの権力を批判したり、「だまされた」と言ったりして立場を大きく転換させ、次の権力を支持する。(役割分担)


毎日のように目にする光景である。

権力に対抗する人たちにとって、言葉は武器であり、表現の自由は拠り所である。当然ながら、権力は言葉を恐れ、言論の自由には条件をつけ、制限を行う。「社会に悪い影響を与えるから」、「人道的見地から」、「プライバシーに関わるから」、「風評被害を防ぐために」、「国家の存亡に関わるから」などなど、理由はなんとでもなる。(表現の自由)


イソップ寓話に出てくる狼の主張。

選挙絶対主義とか多数絶対主義は、民主主義とはまったく違うという基本的な理解がないのがかなしい。
白石理は「人権の関することは、多数決できめてはならない」とも言う。たとえひとりのことであっても、その人の人権が侵されるようなことを政治が行ってはならない。そういう原則を無視してはいけないというのだ。
よく「ヒトラー政府の暴力的なやり方」が問題にされるが、国民が、民衆が振るった暴力は、政府の暴力の比ではなかった。みんなと違う意見を言うことの難しさは、言った本人にしかわからない。友人と思っていた人たちが、全員敵に回る。その恐ろしさを味わってでも、言わなければならないことを言う。そういう人にしか、社会を救うことはできない。(言わなければならないこと)


これまた「おそろしきもの」である。

A4、A3といった国際的な紙のアスペクト比(aspect ratio)も、B4,B3といった日本独自の紙のアスペクト比も、共に白銀比と呼ばれる「ルート2(1.414……)対1)になっている。半分にしても同じ比率、そのまた半分にしても同じ比率ということで、世界中の多くの場所で美しい比例の形として好まれてきた。
黄金比は、「Φ(1.618……)対1」で、これもまた世界中で使われてきたとされている。
35mm判フィルムカメラの画面のアスペクト比は「3対2(36mm☓24mm)だが、これはまたレンズ交換式のデジタル一眼レフのアスペクト比でもあり、iPhoneのディスプレーのアスペクト比でもある。
多くのデジタルコンパクトカメラのアスペクト比は、「4対3」。そしてスーパー16mmのアスペクト比は、「5対3」。ハイビジョンテレビのアスペクト比は、「16対9」で、デジタルカメラのイメージセンサーのサイズ規格の一つであるAPS-Hサイズのアスペクト比も、「16対9」。
アスペクト比の・ようなものは、人間が決めてきたこと。そして、人間が決めてきたことは、社会科学で言うところの事実だということになる。ただその意味合いはあくまで限定的。つまり「そう決めてきた」ということに対して「事実だ」と言うのであって、自然科学で言うところの事実とは大きく異なる。(縦と横)


これは雑学ネタとしても面白かった。

公平な報道などあり得ないとすれば、選挙予測は、誘導なのではないだろうか。
ウェード・メレディスは、26種類もの認知バイアスのことを書いている。願望とか、先入観とか、直感とか、恐怖とかが、論理的な思考を妨げ、非論理的な情報など、なんの意味も持たない。
バンドワゴン効果(勝ち馬に乗れ)、
リスキーシフト(赤信号みんなで渡れば怖くない)、
感情バイアス(不快な事実は認めたくない)、
アンカー効果(印象は基準により変化する)、
確証バイアス(都合の良い真実しか見ない)、
自己奉仕バイアス(成功は自分の力、失敗は他人のせい)、
認知的不協和(もう聞きたくないから黙れ!)、
コンコルド効果(今やめたらこれまでの投資が無駄になる)、
プロスペクト理論(堅実性を選ぶか、カケに出るか)、
フレーミング効果(表現が変われば印象も変わる)、
バーナム効果(占いはなぜ当たるのか)、
ハロー効果(後光がさす)、
あと知恵バイアス(俺は最初からわかっていたよ)、
観察者効果(見られていることを意識してしまう)、
といった具合だ。(選挙の予測)


たしかに報道は誘導でもあるだろう。だからこそ、一方にだけ偏った報道ではなく、多岐にわたった複数の報道が必要になる。

内戦は、国家には都合が悪いものだから、敵をテロリストと呼び、真剣に戦う。実際、内戦の数も、戦死者の数も、増え続けている。

内戦(civil war)。アメリカの南北戦争は典型的な内戦だった。

そもそもこの国にいるのは、騙されるように教育された国民だ。騙されないわけがない。テレビや新聞の言うことは無条件に信じ、効くはずのない健康食品を買い込み、振込み詐欺の餌食になる。そんな人たちは、騙されて当たり前だ。
権威に弱い人たちは、進んで騙されるなかで、権威の側が思ってもいなかったような過激な「空気」を作り出し、時には大きな力を持ち、時代を変えてしまったりする。
権威や権力は、自分たちに都合の悪い情報を、「風評被害」だとか「信頼の置けない情報」などという不思議な言葉を使ってもみ消そうとする。(騙されること)


このあたりは、えらく悲観論になってる。当たってるけどね(^_^;)

国家とか権力といったものを否定し、個人の自由を大切にする社会、個人の自主的結合を重んじる社会を実現しようとする考え方に立てば、ゴシップこそが武器になる。東日本大震災の時に、権力を持つ人たちが「都合の悪い情報」を「風評被害」と名付けたのは記憶に新しい。権力を持つ人たちにとって、ゴシップは限りなく都合の悪い存在なのだ。(ゴシップという情報)

「噂の真相」が懐かしい。

数字信仰の強い日本では、統計が、「ごまかし」、「意見誘導」、「イメージ作り」といったものの強力な道具になってきた。役所が統計を「プロパガンダの道具」にしたり、会社が統計を「売上を伸ばすための道具」にしたりという悲しい現実があった。
政府の出す統計は、お産の過程で死んだ赤ん坊や生まれてすぐ死んだ赤ん坊を統計にいれないことで、日本の寿命が世界一だという。失業率も、主婦を除いたり、月に1回でも働いたことのあるフリーターを除いたりして、実際よりもずっと低く見せる。そしてこれはファラシーでないという。(統計に基づく情報)


戦犯の伊勢志摩サミットでの、リーマンショック前の状況に類似した状況を説明するためのグラフもあまりに見え透いたごまかしだったな。「ファラシー fallacy 誤謬」。

人権も民主主義も、いま流行のヒューマニズムにしても、キリスト教のなかから出てきた価値なのだ。キリスト教のなにかを知らない私たちに、理解しろというほうがおかしい。「そんな価値、押し付けないでください」と言ってはいけないのだろうか。
戦後日本に侵攻・駐留し、日本のために作ってくれた平和憲法の中核が民主主義と人権だったのは偶然ではない。イラクに侵攻・駐留した時も、まず人権大臣なるものを任命した。民主主義と人権はアメリカ合衆国の政策であり道具なのだ。敗戦から70年。いつまで民主主義と人権をありがたがっているのだろう。(与えられた価値)


お題目だもの。

アグノスティック(不可知論者)のリストには、知った名前がたくさん並ぶ。
サミュエル・ベケット、アルベール・カミュ、トーマス・カーライル、フランツ・カフカ、ウラジーミル・ナボコフ、マルセル・プルースト、アレクサンドル・プーシキン、ジョン・スタインベック、スタンダール、マーク・トウェイン、エミール・ゾラ、ビル・ゲイツ、庵野秀明、ヘンリー・フォンダ、ジルベルト・ジル、デイヴ・マシューズ、ブライアン・メイ、ブラッド・ピット、フランツ・シューベルト、スティング、孔子、釈迦、ノーム・チョムスキー、デモクリトス、エピクロス、イマヌエル・カント、トマス・ヘンリー・ハクスリー、ロバート・インガーソル、バートランド・ラッセル、ラファエル・ナダル(アグノスティックのDNA)


つまり筆者も不可知論者の側に立っていることの表明なのだろう。Morris.もそうかも。

情報の流れ方が以前とはまったく違ってしまった。プロのカメラマンは、スポーツ中継など、予めわかっていることの撮影に特化するようになり、災害の映像は普通の人が撮るようになった。映像は編集されるものという常識は、もう通用しない。
災害の映像をインターネット上にアップロードした人たちは、その対価を要求しない。多くの情報が無料でシェアされるなか、プロの人たちの生活が脅かされていく。
文章にも似たようなことが起きている。文章が人の目に触れるには、翻訳、校正、編集など、さまざまなプロセスを通り抜ける必要があった。それが今では、映像と同じように、そのままの状態で世界中の人たちに届いてしまう。(不都合な情報)


情報価値のインフレーションともいえる。メモリーのインフレーションと連動しているはず。

情報は「正確かどうか」で判断されるはずなのに、いつの間にか「正しいかどうか」で判断するようになり、好み、好き嫌い、直感、感受性といったものが情報を位置付けてしまうのだ。
このエステティック(美学)の作用は、日本人には特に大きく作用する。曖昧な空気に包まれた時、その空気だけを頑なに信じ、それ以外を認めようとしない。自分が何を信じているのかも良くわからず、そのためもあって、認めたくないものへの排撃は苛烈を極める。
明治維新の後の仏教への排撃や、戦前の半国家主義への排撃のような上意下達の苛烈さを知るにつけ悲しくなるが、反対勢力が行った排撃も同様に苛烈だったことをも忘れてはならない。(エステティックと真実)


「正確/不正確」と「正しい/正しくない」との違いをきちんと押さえておかないといけないようだ。たしかにMorris.は「好み、好き嫌い、直感、感受性」に支配されやすい傾向にある。そしてこういうのをエステティックという言葉でくくるというのには、ちょっと驚かされた。
迂闊にもMorris.は、今日までエステティック(aesthetic)を「全身美容」としか受け止めていなかった。もともと「美学、審美眼」といった抽象的な語とは思わなかった。

子供の頃からテストに慣らされ、「正解」などというものに毒されてきた優等生たちにとって、二者択一ほど心地のよいものはないだろう。そんな人たちは、自分たちのことを優秀だと考えることはあっても、自分のどこが優秀なのだろうとは考えない。
少しでも考えることを知っていれば、自分のどこが優秀で、自分のどこが優秀でないのかは、簡単にわかるだろう。そして少しでも考えることを知っている人は、二者択一などという安っぽいトリックに騙されたりはしないだろう。(二者択一という単純化)


二者択一とか二元論というのは、まず最初に芽生える思考にちがいない。それだけプリミティブでもあるし、未熟ということでもあるのだろう。Morris.もともすれば二者択一で動いてしまいそうだ。人でもものでも、全体をランク付けするのでなく、それぞれの美点欠点を多岐にわたって評価すべきなのでは。

地球も、自然も、私たちが思っているよりはるかに強い。私たちがこの地球から、この自然のなかから、いなくなったあとでも、きっと長いあいだ、したたかに生きていく。
私たちが壊しているのは、他でもない、私たち自身なのだ。(人間のエゴ)


汎神論に繋がる考え方?

情報がないというのも困るが、膨大な情報に振り回されるのもたまらない。面白いことに、情報がなかった頃も、情報が溢れかえる今も、新聞やテレビは本当のことは言わない。インターネットが出現してから、情報は管理できなくなった。それでもまだ、情報を管理しようとする人たちがいる。そして信じられないことに、今でもまだ、新聞やテレビの言うことを信じている人達がいる。(なにを信じるか)

筆者から見ればMorris.は未開人に過ぎない。

テレビが出てきて、演劇も、映画も、ラジオも、もう終りだといわれた。多くが淘汰されたのは確かだが、すべてが終りはしなかった。インターネットが出てきて、本屋も、CDショップも、図書館も、新聞も、雑誌も、テレビも、小売業も、仲介業も、もうなにもかもが終りだといわれた。でも、すべてが終わるわけではない。スーパーが進出したから商店街が寂れ、高速道路ができたから街道が寂れたというのに似て、変化の犠牲者たちは変化を呪う。
どの変化もゆっくりしたものに見えるけれど、どの変化も思いのほか速く、気が付けば置いていかれている。
どうでもいいは、ちょっと考えれば、これでいいになる。赤塚不二夫を見習い、「これでいいのだ」といって笑っていれば、どうにかなるのだ。(どうにでも取れる情報)


おいおい、ここで開き直りかい(^_^;) きらいじゃないけど。

「自己責任」という言葉は大嫌いだが、ペテン師たちからそんな言葉を投げつけられないためにも、自分の責任において自分で考える癖をつけておいたほうがいい。心から、そう思う。(慣れてしまって)

他者から押し付けられる責任はいやだけど、自分の責任において自分で考える癖。これが大事。

差別に鈍感であることは、差別することとなんの変わりもない。「自分たち」という範疇に入る人たちが差別されることには異常に敏感で、「よその人たち」を差別していることには思い至らないという人が多すぎる。
女性や部落出身の人たちはもちろん、身体障害者も、やくざも外国人も、そして落ちこぼれもニートもホームレスも社会に引き込み、それぞれの能力を最大限に発揮してもらい、コンペティティブでしかも明るい社会を築こう。そんな考えに賛成する人は、ひとりもいませんか?(差別を見つめる)


「鈍感は罪」これも「無知の罪」の一種ということだろう。コンペティティブ(compettive) 競争的。

1965年の33億から2015年の72億へと増え続けた。災害も、人口増加を抑制する力は、もちろんない。
疫病も、戦争も、災害も、人口増加を抑制することができないとすれば、人は、その種が滅びる日まで、ずっと増え続けることになる。どんな終わりが待っているのか、とても興味深いが、私はそれを知る前に死ぬ。
人の数は、多くならないほうがいい。しかしそれは、この社会では言ってはならないことのように見える。
神谷美恵子は、
人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙のなかで、人類の存在とはそれほど重大なものであろうか。人類を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからしてすでに滑稽な思い上がりではなかろうか。
と、言った。
傍から見たら、きっと滑稽なことに違いないが、私たちは至極真面目に、自分たちが作り出したものに縛られ続ける。
その枠から外れた情報は、人道とか博愛とか科学とか人権とか自由とか愛とかの聖域に触れる情報は、というかそういうことを正義とする社会に楯突くような情報は、間違った情報、危険な情報とされてしまう。これはどうにもならない。(口にしてはいけない情報)


神谷の意見はやはり汎神論ちっくだが、何かの本でちょこっと出てきたインテリジェント・デザインにもつながる考え方のような気もする。
「自然淘汰」は人間が人間に対して言ってはならない言葉なのだろう。

「監視カメラについて、どう思うか」と聞かれても、「なにもやましいことをしていないので、撮影されても構わない」と答える人がほとんどだという。「監視カメラのおかげで犯人が捕まるのは、本当に有り難いことだ」という考えらしい。
自分にとっては「やましいこと」でなくても、集団にとっては「けしからんこと」だったり、社会にとっては「いけないこと」だったり、国家にとっては「犯罪」だったりということは、いくらでもある。そういうことに考えが及ばないのはなぜだろう。
いつの間にか監視社会が出来上がり、それをおかしいと思う人がいないばかりか、それを有り難がるのだから、わけがわからない。権力を持つ人たちを、そんなに信用して、いいのだろうか。(やましいことがないならば)


監視カメラ(Surveillance camera)の増加は目を見張るものがある。携帯電話のGPSだって、一種の監視カメラだし、その大元になっている人工衛星そのものが地球規模の監視カメラということになるだろう。

情報は永遠ではない。情報は消える。アーカイブをとっておこうが、なにをしようが、どんなに大事な情報もいつかはなくなる。人が死ねば、その人が持っていた知識や経験もなくなる。人がひとりもいなくなれば、すべての情報は消える。そう考えてはじめて、情報は私たちの頭脳があることで存在しているということに気付く。(限りある限りない時間)


HDDだってクラウドだって、いつの日か雲散霧消する日が来ることは間違いのないことだろう。メメント・モリ。これに尽きる。

理解をしていない人たちが、理解したつもりになって、または理解したふりをして、説明したり、議論したり、決断を下したりというのは、滑稽以外のなにものでもないが、それがまかり通る。
原子力エネルギーのことがわかる政治家などひとりもいない。それなのに、よってたかって「安全だ」とか「安全でない」とか言い合う。
過去の過ちは、すべて水に流す。水に流せないと思った時には、隠す。隠しきれなくなったら何人かで横並びになり「すみませんでした」と頭を下げ、減給などを発表する。責任を取っているようでいて、なんの責任も取っていない。罪悪感を覚えないばかりか、なにも覚えていない。「鈍感でなければ生きてはいけない」と、自己防衛のために鈍感になっているわけではない。ただ鈍感なだけなのだ。
石川淳、加藤周一などの文化人は、自分で見たことのないものについては話したり書いたりしないという原則を貫いた。
今は情報の環境も変わり、権威主義も薄れてきているから、本物を見なければなどと言う人も少なくなってきた。メディア信仰も薄れ、メディアが嘘をついても誰も驚かない。政府が間違ったことを発表しても、誰も不思議には思わない。事実も真実も、間違いも嘘も、膨大な情報のなかに埋もれている。(なにもわからない)


時々、こうやって具体的な反核アピールが出てきたりするのも面白い。ここで石川淳が出てきたのも嬉しかった。

さまざまな団体や個人が、メディスン・ホイール(Medicine Wheel)について考察し発表してきた。
恥ずかしいことに、私はそのまやかしを信じ、信じるだけでなく考えを膨らませてしまった。(まやかしのメディスン・ホイール)


メディスン・ホイール(medicine whheel)「聖なる輪」「生命の輪」「魔法の輪」といった意味で、形としては丸に十字、島津氏の家紋みたいなものである。アメリカ・インディアン(今はネイティヴ・アメリカン)をはじめ 世界各地に存在しているらしい。五行思想みたいなもので、森羅万象をこれで説明できるとか。Morris.はこういうのはどうもピンとこない。

みんながあると思っているおかげで成り立っているものもある。権力などは、その最たるものだろう。(あると思えばある)

権力夢幻論。

考えてみれば、私たちに民主主義をはじめとする価値やモラルを供給し続けてきたのは、キリスト教を信じてきた西欧の人たち。その西欧の人たちが見続けてきた世界は、聖書から読み取れる世界ではなく、教会の権威づけが大きく施されて出来上がった世界なのだ。
自由、平和、民主主義、人権といった価値やモラルを私たちに与えてきた人たちは、権威づけに慣れており、その効果をよく知っていると考えたほうがいい。(権威は有り難がる気持ちが作り出す)


突然ナショナリズムに目覚めたのか?

バーチャル化が進んでいるのは、ゲームや映画といったエンターテインメントの分野だけではない。例えば軍事。従軍している兵士たちにとって、なにがリアルかは、とてもわかりにくい。訓練を受ける時に目にするのは、リアルに限りなく近いバーチャル。だから、実際の場面でも、なんの違和感も覚えない。
金融にしても同じ。金融化などというが、要は実態からかけ離れたところでマネーゲームが行われるようになったということで、本質はバーチャル化である。
プログラミングがオブジェクト・オリエンテッドになったことは、古典力学から量子力学への発想の転換以上の大きな変化だった。
マスメディアのジャーナリストたちから伝えられるニュースは、リアルの匂いがしていた。ところが、過去10年でマスメディアはバーチャル化し、世論というバーチャルなものを作り上げ、それをリアルなものとして押し付けるというファンクションを持つようになった。
「架空」の類語を探してみると、仮想の、空想の、想像上の、作り事の、非現実の、理想の、夢の、幻想の、異空間の、あり得ない、でっち上げの、にせの、うその、でたらめな、偽造の、ありもしない、虚構の、ありもしない、虚構の、虚偽の、見せかけの、実体のない、装った、偽装した、幻想的な、観念的な非現実的な、空想的な、荒唐無稽な、などなど、どれもリアルでない、バーチャルな、しかもフェークな感じがする。
でも、バーチャルのなかには、リアルよりはるかに多くの真実がある。
バーチャルなことをネガティブに捉えず、リアルなことを疑ってかかる。そうしていけば、リアルはバーチャルに、バーチャルはリアルに、限りなく近づいていく。(バーチャルの真実)


前世紀(20世紀)半ば過ぎまで、映画やTVドラマのタイトルは、大道具、小道具使い手作り感の強いもので、時間も手間も金もかけて腕によりをかけたものだったのに、世紀後半、CGが登場すると、あっというまにタイトルは見た目は派手で目眩ましのCGに席巻されてしまった。あれがヴァーチャル文化台頭の先駆けだったのかもしれない。
しかし上記引用で大事なところは、世論=バーチャル≒リアルという視点だろう。

粉飾決算と税金逃れのために、タックスヘイブンに設立されたSPE(Special Purpose Entitiy:特定目的事業体)を経由した複雑な取引を行い「借入金」を「価格リスクからの負債」とすることで、債務を少なく店、営業活動からのキャッシュフローを多く見せ、財務状況を実際より良いと思わせる。それを実態がないという意味でバーチャルと呼んだりする。バーチャル経済と呼ばれるもののほとんどが、なにからなにまでリアルだというのはとても面白いことだ。リアルのことを、他のリアルなことのように見せたり、他のリアルのこととして処理したりするのは、リアルであってバーチャルではない。(バーチャル経済)

タックスヘイブン、一見バーチャルのようで実はリアルな金の動きという。例のパナマ文書で、日本でもいっとき話題になったものの、報道はすっかり忘れたかのよう(^_^;)

選挙ではどんな画像が、そしてどんな映像が選挙民の目に触れるかということが、当落を左右する。それを知っている候補者たちは、コンピューター・グラフィックを利用してより好かれる外見を作り出し、当選へ突き進む。計算され修正された画像や映像は私たちの脳を強く刺激し、私たちは大した考えもなく投票所に向かう。
誰かに好かれたいと思ったら、その人の顔写真と自分の顔写真をモーフィングすればいい。顔の類似度は、私たちにとって、結構大きな意味を持つようだ。(現実のように見えるバーチャルな情報)


参院選を一ヶ月後に控えた今日このごろ。今度こそはCGや情報操作などに惑わされず、投票してもらいたい。

木本(KIMOTO)のディラッド(DILAD)という透過型スクリーンが、すごい。ディラッドは、木本のプロジェクター用背面投影型スクリーンで、「前方拡散」を意味するらしい。(透過型スクリーン)

これは単にネタとして興味を感じたのだが、Morris.亭では使用難しそう。

ニューヨークを拠点に活動しているマルコ・テンペストのオーグメンテッド・リアリティーを使った手品が素晴らしい。(オーグメンテッド・リアリティーを使った手品)


これまた、ネタだけど、凄い人がいるものである。

15年戦争の最中に、同盟通信社という国策通信社を組織し、極東全域をカバーする大規模無線情報システムを構築しようとしたのだから、当時の日本には情報の大事さを理解できる人間がたくさんいたに違いない。同盟通信社のことを軍事国家の宣伝機関だといってネガティブに捉える人が多いが、当時の状況を考えればそのような通信社を組織するのは極めて妥当なことだったといえる。戦後に占領軍がそれを共同通信と時事通信に分割するなどして弱体化したのも、また、妥当というしかない。
わかっているのは、日本人が情報に対してあまりカネをかけようとしないということだ。それだけではない。日本人は、情報戦略を持たない。そもそも興味がない。つまり、日本人は、それが国家であっても、企業であっても、学術機関であっても、情報には重きをおかない。そのせいで、それぞれの戦闘や競争に勝つことはあっても、正当に評価されることはなかったし、今もない。それでも、情報に重きを置かず、カネも払わない。
中国はもう世界中でローカルに、そしてグローバルに発信できる能力を持っている。B29に竹槍で立ち向かおうとした国民だから、精神論で勝てると思うのだろうが、精神論で勝てるほど情報戦は甘くない。(宣伝力)

日本人に情報戦はできない、という、説得力ある結論(^_^;)

アメリカの国務省が政権を変えたいと考えている国々、例えばスーダン、イラン、サウジアラビア、エジプト、ウクライナ、ベラルーシ、ベネズエラ、タイというような場所で活動する若者たちを支援する。民主主義とか人権とか言ってみたところで、アメリカの企業の売り上げに貢献しない政府を弱体化させようという狙いは明らかで、若者の活動を支援することでその狙いを達成してしまうところがすごい。(インターネットでしか目にすることのない情報)

冷戦時代に情報戦を繰り広げ、敵失みたいな形にしろ勝利を得たアメリカだから、こういった情報後進国を自分の意のままに操るのはお手のもの。情報戦駄目出しされた日本は、71年にわたって属国状態というのも、已矣哉(やんぬるかな)ぢゃあ(>_<)

戦略を練っても、それが根底から覆されてしまうということは、よくある。最強のサイバー・セキュリティ・チームを作っても、発想の違う攻撃に対しては無力だったりもする。「想定外でした」という言い訳は、「想定できることに対して、なにもしませんでした」と言っているにすぎない。(実戦)

「想定外」という言葉は、完全に「負」のイメージを負わされたと思う。今や言い訳にもならない。

情報を流す側は、自分たちに都合のいい情報しか、流そうとしない。情報を受ける側のことを慮って情報を流す人など、どこにもいない。
戦争の当事国は、自分たちに都合の良い情報しか流さない。正確な情報を流す義務もない。少しでも正確な情報を求めて、当事者とは比較的関係の薄い、直接の利害関係のないメディアに頼ろうとしても、そこから流れてくる情報は当事者からの受け売りばかり。
政治家は選挙の前に、守れるわけのない約束を並べ立てる。でも当選後に、約束したことを実行する義務はない。当選後にどんな行動を取るのかまでは知ることができないから、とりあえず「良さそうな候補」に票を入れようと、候補者のポスターを見る。なんとも空しい。
与えられた情報を信じないこと。それしかない。(謀略)


それでは、どうするか、それが問題だ。個々人で考えよう。

中国が軍事的に脅威だという。北朝鮮も脅威だという。日本も韓国も脅威だという。インターネットの前に座って、例えばストックホルム国際平和研究所(SIRRI)のサイトにでも行って、世界の現実をデータから見てみれば、そんなのはみんな嘘だということが、すぐにわかる。脅威なのは、守ってくれているはずの「アメリカ合衆国」ただ一か国なのだ。
老人の多くが、テレビの前で穏やかな時間を過ごしている。これもまた至極まともなのだろう。でも僕は、テレビをぼーっと見つめる老人にはならない。僕は危険な老人になりたい。(テレビがつまらない1)


強烈なカウンタパンチだね(^_^) って、笑ってはいられない。

日本に限っていえば、「公立図書館は。入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」という図書館法17条の拡大解釈のせいと、自分のところは文化的だと見せたい各自治体や次の選挙を気にする地方議員のおかげとで、図書館は「無料貸本屋」であり続けている。(ビジネス・モデル)

おしまいの「図書館」では、Morris.にはちょっと肯定できない意見も散見した。それにしても、「無料貸本屋」というのは偏見だと思う。

佐賀県武雄市は、武雄市図書館の指定管理者にCCCを選び、運営を委託している。目的はズバリ、図書館の経費削減とサービス向上。委託してから閉館日はなくなり、開館時間も大幅に長くなった。
CCCや市の言うことは、いいことばかりだ。委託費は年1億1000万円で、従来の運営費よりも1000万円少ない。スタ雨は16人、書店などを含めると約50人で、全員がCCCの社員かアルバイト。市の職員は一人もイないという。
問題は、図書館のことをなにも知らない市長とか社長とかが、図書館を食い物にするという、その寂しさと悲しさだ。(図書館アウトソーシング)


これには全く同感である。

九島伸一 1925年東京生まれう。三井造船勤務を経て、IBM勤務の後、1982年から2012年まで、国連において、データ、情報、知識に関わる仕事に従事。5ヶ国語に精通し、独自の情報ソースを持っている。

巻末に10pを超える人名索引(ざっと400人(@_@))が付されている。
それにしても、Morris.としても異常な量の引用になったが、それだけ、共感し、教えられ、考えさせられる「情報」満載だったということになる。

しかし、このメモ取り終えてから知ったのだが、九島氏のウエブサイトに本書の詳細が驚くほど多彩な形式で掲載されていた。400人の人名索引を中心にしたリンク集もあり、これだけで数日はかかるだろう。オープンソースという言葉を思い出した。情報に関心ある方は是非一度覗いてみてもらいたい。つまり、以上までのMorris.メモはほとんど徒労に過ぎなかったということになる(>_<) 自爆である。
著者は、この「情報」に続いて、「知識」、「知恵」についての考察を刊行予定らしい。楽しみでもあるが、ちょっと怖くもある。

2016/06/05(日)●長田マダン
6時起床。
今朝の血圧は173/73/70。
朝のうちは雨が降ってた。今日は、大阪生野と神戸長田で統一マダンがあるということで、どちらかというと生野に行きたかったのだけど、日和見して、結局近場の長田にいくことにした。
JRで新長田に11時過ぎ到着。鉄人広場に天幕張られて、すごい人混みだったので、今年の統一マダンはえらい盛り上がりだな、と思ったのだが、これは長田の靴メイカーの大売り出しだった(^_^;) マダンは、隣のグラウンドで、雨のため開始時間をちょっと遅らせてたようだ。
幸い昼からは雨も上がり、滞り無くマダン開かれた。本部席には朴昌利さんがいた。
舞台では西神戸朝鮮初級学校の歌と踊りに始まり、韓国からやってきた「ウリナラ」というグループ、今回は5人中3人だけの参加で、男性がギターの他はCDカラオケ。しかし、PA が酷かった(>_<) 後、中国獅子舞や子供テコンドなど。これはちょっと退屈なので、途中二葉町方面散策。お目当の猫は雨上がりということもあってかあまりいなかった。
マダンに戻って、お決まりの朝鮮歌舞団。これは流石だったが、この時もPAがひどすぎ。とりあえずフィナーレまで見たが、無理してでも生野に行けばよかったかな。
その後長田図書館冷やかして、図書館前の公園ベンチでミニギター(^_^;) すぐ前のスペースに女子中学生6日ほどが座り込んで、携帯撮影やトランプ(大貧民?)やったりしてた。途中小学低学年の女の子が寄ってきてギター弾かせてという。韓国カウィ(鋏)でリズム取ってもらいしばらく遊ぶ。前の中学生にデジカメ撮影頼む。6時半くらいまで公園にいたことになる。
図書館裏の駐車場に5,6匹猫が群れていたので撮影して、7時半帰宅。
西日本は昨日、東日本も今日梅雨入りで、これからしばらくはちょっとうっとうしい天気が続きそうだ。
阪神はデイゲームで僅差で敗けたもよう(>_<)
今日の歩数は5177歩。

鉄人広場ではシューズフェア 

統一マダンはグラウンドで 

朝鮮初級学校の歌 

群舞 

韓国から「ウリナラ」 

朝鮮歌舞団

フィナーレ 

腕塚町の茶雉 

酒屋の白茶 

図書館裏の白黒 

雉 

外来種だと思うけど 

長田区は頑張ってるようだ 

図書館前公園で 

地下高速の通風筒らしい 

図書館裏駐車場 

同じく 

鉄人街灯 


2016/06/04(土)●ひねもすのらりくらりかな?
7時起床。
今朝の血圧は156/64/86。
ア・ピース・オブ警句」は、「なぜ安倍さんは謝らないのか」と題して、安倍総理の消費税先送り問題を取り上げてた。あまりにベタな話題であり、切れ味はいまいちだったが、「新しい判断」という言い方の理不尽さ(噴飯物)を一刀両断してるのは気持ちよかった。おしまいに、デビッド・ボウイがジョージ・オーウェル「1984年」を主題にした「ビッグブラザー」を引用して、日本人がビッグブラザー(安倍型政権)を望んでいるのではないか、と危惧してる。これこそ、昨日松下さんと話した「なぜ安倍支持率が落ちないのか?」に繋がる問題だと思う。
朝食は葡萄パンにキムチ目玉焼き。これは初めての試みだったがイマイチだった(^_^;)
今日はどんよりとした空模様で夕方から雨になるかもしれないということだったので、ぷらっと動物園に。Morris.には珍しく、猛禽類のコーナーを先に冷やかす。虎もライオンも寝そべってぐーたらしてるようだった。
まぬうも、寝てはなかったが、岩場に身を低くして顔半分しか見えない。
熊に至っては、これはもう何とも傍若無人な寝相っぷり(@_@)
午前中は、ハンター邸前庭のベンチで読書するつもりだったが「立入禁止」の立て札があった(>_<)ので、いつものカンガルー裏ベンチでミニギターおさらい。少なくともMorris.より年長者3人から「良いご趣味ですねえ」と言われた。「悪趣味」と言われないだけまし、と思うことにしよう。
入り口のフラミンゴたち、ちょうどこの時期は産卵期らしく、孵化したばかりの雛鳥がいっぱいいた。
3時半帰宅。まだ雨降りそうにもなかったので、自転車で大安亭に買い物に出る。
5時前帰宅。今日は阪神デイゲームで、9回藤川が3人で押さえて、5-1で快勝。
今日の歩数は4191歩。

キムチ目玉焼(^_^;) 

冠白椋(ムクドリの仲間) 

木の枝を咥える青鷺 

ライオン 

同じく 

虎 

アムール豹 

ジャガー 

雪豹 

今日のまぬう 

凄い寝相(蝦夷羆) 

同じく(馬熊) 

足長おじさん(抜け殻) 

象 

豆金亀子 

フラミンゴの雛#1 

#2 

#3 

ラマ 

螺旋階段(出来立て) 

大安亭の茶黒 




2016/06/03(金)●諏訪山方面
6時起床。
今朝の血圧は161/66/68。
朝の三点セット。
10時に部屋を出てJRで神戸駅に。久しぶりに中と中央図書館に向かう。途中恒例の猫場、宇治川諸公園で一休み。今日は早いのでまだ餌前らしく3,4匹が待機していた。
11時頃、餌やりの女性が登場、待ち構えた猫と、外から別の猫もわらわらと公園にやってきた。ここは数人の猫好きがローテーション組んで餌やりやってるのだ。
前から来るたびにデジカメ撮影した中から10数枚セレクトしたプリントを進呈する。とても喜んで、他の仲間と分けるとのこと。
そのあと、トマト3個差し入れしてくれた(^_^) 冷えてたので早速いただく。今日のおひるはトマトで済ますことになった。
その後中央図書館に行ったら、なんと蔵書点検中(5/30~6/9)で休館(>_<)
仕方なく裏手から大倉山公園に上がったら、老夫婦から「神戸空襲記念碑」がどこにあるか教えてほしいと頼まれたので、一緒に記念碑まで案内。明石在住の夫婦で、奥さんは空襲の年8歳で、疎開してたので空襲には遭わなかったが、お母さん(現在91歳)が空襲に遭ったとのこと。おたがい、安倍政権の軍国主義復活には怒りを覚えるということで、まずは78月の参院選挙でアンチ安倍投票しようと約束して別れる。
大倉山から北のほうに、ミニ東京タワー(^_^;)みたいなのが見える。水道局の「水の科学博物館」である。久しぶりに行ってみようと思う。
途中楠谷町でまるで似てない親子猫見つけてしばらくMorris.@Catographerモード。でもあまり良いショットは撮れなかった。
水の博物館は4時半閉園で入場は4時まで、ぎりぎりに着いたようだ。ここも神戸市の65歳以上は無料である。デイケアのマイクロバスが、ちょうど帰るところだった。博物館の建物は河合浩蔵設計の「奥平野浄水場旧急速濾過場上屋」(1917)を1990年にリニューアルして博物館にしたもので、ドイツルネサンス様式らしいが、Morris.にはちょっと不満がある。あまりにリフォームし過ぎてる感じがするのだ。入場口の守衛所の小さなタイル張りの建物が往時の雰囲気を色濃く残してて好ましい。
そのまま東に歩けば「海外移住と文化の交流センター」があって、ここもたまには覗いてみたいと思ったが5時過ぎてるので、またにしよう。
諏訪山公園下の花と緑の振興センターの小庭園の赤いガーデンテーブルで、休憩とミニギター。今や手放せなくなったKORGのミニリズムボックス、ボリュームつまみの不調は相変わらずで、ゴム紐弥縫策で何とか使えてるが、今度はフットペダルが時々反応しなくなってしまった(>_<) これはケーブルの断線か接触不良に違いない。千円くらいのものだから買い直せばいいようなものだが、まあ、これ無くても使えないことはないか。
そのあとトアロード経由で三宮へ。駅前で松下さんに呼び止められた。盲導犬関係の役員されてる方で、以前関連イベントで春待ちファミリーBANDを何度も呼んでくれた人だ。ここでもまた、安倍政権批判の話題になり、安倍個人の支持率が落ちないのがネックだということで意見の一致を見た。
ダイエー地下で買い物して、JRで7時半帰宅。
阪神は今日から西武戦。ボロ負け(>_<)
今日の歩数は9562歩。

裁判所前の白 

宇治川小公園猫#1

#2 

#3 

#4 

トマト貰った(^_^;) 

こふじ食堂隣駐車場猫 

中央図書館蔵書点検中だった(>_<) 

「克忠克孝」教育勅語50週年記念碑(^_^;) 

「神戸空襲を忘れない」 

水の科学博物館 

貝殻菊 

子猫ぢゃ 

親子猫 

同じく 

水の科学博物館 

すべり台のある広場 

「犬も歩けば」 

これが一番好きかも 

スモーク・ツリー 

あいおい湯 

黒薔薇? 

赤でコーディネート(^_^;) 

睡蓮の葉に糸蜻蛉 

東天閣 

測量基準点 

JR灘駅前夕景 


2016/06/02(木)●「ニッポン一億総活躍プラン」(^_^;)
6時半起床。
今朝の血圧は214/91/81。
今日も高橋猫の姿見えず。いちおういりこ置いておく。
灘駅南の大型歩道橋の下で猫が車に轢かれていた(>_<)
浅海くんら5人で西区学園前のドイツ向け船便、保管荷物ピックアップ現場。
午前中は、団地前の道路でエレピやソファの梱包。日差しは強かったが、湿度が低く風も吹いたので気持ち良く作業できた。
午後三時作業終了。
帰り道高橋で、今朝置いてたいりこが無くなってるのを確認。高橋猫が食べたとは限らないが、戻ってきてるかもしれない、と、ちょっと希望が持てた。
安倍総理が今日新しい政策を閣議決定してその名前が「ニッポン一億総活躍プラン」だと(>_<) 「ニッポン」をカタカナにするあたりが、いかにもうすっぺらでいかにも阿部らしい。「一億総懺悔」を思い出した。またまた阿呆らしやの鐘がなる。けっ!!!
阪神-楽天3戦目、3-0で阪神の快勝。それも藤浪被安打一、四球一の完封勝利(^_^) 絶好調といった感じではなかったが、ともかく7試合ぶりの勝利。これで本来の藤浪に戻ってもらいたい。
ちょっと冷えてきたので窓を閉めようとして、南の空に明るく光る星が目を惹いた。異様に紅っぽい。もしかしたら火星かもしれない。そういえば数日前、火星が地球に再接近したとニュースで言ってたような気がする。三脚使ってデジカメ撮影を試みたが、やはりなかなか難しい。
今日の歩数は5033歩。

朝の惨事 

笠付き蜂巣 

火星かな? 

2016/06/01(水)●新散歩道
8時起床。
今朝の血圧は178/74/72。
昼前に南下して、HAT神戸裏の海岸公園で、読書とミニギター。
結構風が強くて、譜面台が倒れて楽譜が飛んで行ったり(^_^;)もした。
途中、自転車でやってきたリーゼントの兄ちゃん?が話しかけてきた。自分もギターが好きでというので、ミニギター弾いてもらう。自分はヘビメタ専門だ、とのこと(^_^;) それでもいろいろ話もできて、阪神ファン同士ということで、六甲おろしを合唱した。
その後、海沿いにぷらぷらと三宮方面に歩く、生田川河口の森本倉庫の裏手に新しく人と自転車専用の散歩道路みたいなのができていた、ここから、メリケンパーク方面までつながってるらしい。
これは便利、というか、新しい散歩コースの一つとして利用できそうだ。
みなとのもり公園まで直結していて、その先は神戸税関とKIITOだ。ひさしぶりにKIITO覗いてみることにした。特に大きな催しはやってなかったが、Morris.は建物自体が好きなのだ。特に玄関入ってすぐの大理石階段(^_^)
一回のカフェで水、木はランチやってると書いてあったので、ここで遅いめの昼食。一度入ってみたかったのだ。鶏とサラダで600円は高くない。
一通り4階まで上がり、生糸検査機器の常設展示見て、みなとのもり公園でしばしくつろいで、帰りは大安亭経由のいつものコースを歩き6時前帰宅。
今日で国会閉幕して、そのあと安倍総理の記者会見。「消費税増税再延期は「公約違反」ではなく「新しい判断」だ、などと、噴飯物の言い訳に終止してたが、記者の質問にはまともに答えず、関係ないことをだらだら話して時間を無駄遣いし、結局質問した記者は3人くらい。国会の答弁と全く同じパターンである。
阪神-楽天二戦目は、阪神5-0で今日は楽勝、のはずだったがじわじわと点を取られ9回藤川で何とか5-3で逃げ切った。
 今日の歩数は8469歩。

橋の向うにバラ積み船が 

これはゴミ回収船 

ヘビメタ専門とか(^_^;) 

神戸税関 

KIITO(旧生糸検査場) 

KIITO:CAFE 

ここでランチを 

魅惑の階段回り 

芸術的 

無印良品の「いつものもしも」展 

浜梨(はまなす)の実 

みなとのもり公園 



 

 

 


【2016年】






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