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          Morris.日乘2015年8月


Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。

 

今 月の標語

猿天下


【2015年】 7月  6月 5 月 4 月 3 月  2 月  1 月
【2014年】 12月  11 月 10月  9 月 8月  7 月  6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月

2015/08/31(月)●歌謡舞台30年
8時起床。
今朝の血圧は186/71/70。
朝から雨。
昨日の国会デモもほとんどテレビでは報道しない。岡崎のコンビニ立て籠り事件の中継を延々とやってる。まあ、テレビはこの手の中継お得意というか、視聴率稼げるから分からないでもない。
雨は弱くなったり強くなったりで、外にでる気を削がれてしまう。
You Tubeで韓国歌謡適当に自動連続で流してたら、偶然歌謡舞台25周年特番が始まった。確か今夜は30周年特番だったはず。最初に見たのは、「国民の歌」というテーマだった。この時は何と特番5週連続でやってたらしい。「伝統歌謡」「コリアンポップ」「昨日と今日」「映画ドラマ主題歌」「国民の歌」と5週にわたっての大特集。しかもすべてYou Tubeで視聴可能。さらに20周年特番の映像もあり、こちらは1時間20分の特番の映像もあった。さすがに15周年、10周年というのは見当たらなかったが、それでも、こういった過去の番組が自由に見られるというのはありがたい。
今日は夕方、すぐ近所のレマンというパン屋でフランスパン(^_^;)買いに出た以外は部屋ゴロ。
女子バレー日本-韓国戦。どんなスポーツでも日韓戦となると見過ごせないのはMorris.だけだろうか。
韓国はバレーボールはあまり得意技ではなく、今回も2勝4敗と、5勝1敗の日本とはかなり差をつけられているが、相手が日本となると目の色が変わる、はずだったが、1セットを落とし、2セットこそ24-24のデュースまでもつれたが、これを落として、3セットは途中で脱力気味でストレート敗け。ロシアがセルビアに番狂わせで敗けてしまったので、全勝が無くなり、これで日本にもリオ五輪出場権の可能性が見えてきた。明日のセルビア戦次第だな。
今夜のKBS歌謡舞台1432回は- 가요무대 30년 특집 -불멸의 가수, 영원의 노래歌謡舞台30年特集不滅の歌手永遠の歌 1부 남인수, 백년설 第一部ナムインス、ペンニョンソル。ということは、来週は第二部で女性歌手がとりあげられるのだろうか。それとも25周年みたいに3回以上の特番になるだろうか、ちょっと期待してしまう。

 1) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/설운도ソルンド
 2) 청춘 고백青春告白/인순이インスニ
 3) 낙화유수落花流水/홍민ホンミン
 4) 울며 헤진 부산항泣いて別れた釜山港/김용임キムヨンイム
 5) 달도 하나 해도 하나月も一つ日も一つ/김광남キムクヮンナム
 6) 가거라 삼팔선去去れ38線/문희옥ムンヒオク
 7) 이별의 부산 정거장別れの釜山停車場/류기진リュギジン
 8) 추억의 소야곡追憶の小夜曲/진성チンソン
 9) 무너진 사랑 탑崩れた愛の塔/배일호ペイロ
10) 번지 없는 주막番地の無い酒幕/명국환ミョングッカン
11) 고향 설故郷の雪/윤항기ユンハンギ
12) 나그네 설움旅人の悲しみ/현당ヒョンダン
13) 유랑극단流浪楽団/신유シニュ
14) 산 팔자 물 팔자山のさだめ海のさだめ/강민주カンミンジュ
15) 일자 일루一字一涙/김상배キムサンベ
16) 고향 길 부모 길故郷の道親の道/문연주ムンヨンジュ
17) 대지의 항구大地の港/현철ヒョンチョル


実はMorris.はナムインスもペンニョンソルも、それほど入れ込んでる歌手ではない。代表作の数曲は名曲だと思うのだが、同時代の男性歌手なら、ヒョンインの方がずっと好きだしね。ひょっとしたら今回の30周年特番も二部ではなくて四部、5部と長丁場になるのかもしれない。ちょっと期待してしまう(^_^;)。
とりあえず今回はそういう事情もあって評価はあまり高くない。★★★
今日の歩数632歩。

【かあちゃん】重松清 ★★★ 2009/05/28 講談社
中学生のいじめ問題を中心に、両親離婚、認知症介護、女性問題等々を扱った重松節満載小説。一章ごとに語り手を替えて、問題の多層性を表現してそれなりに成功してると思うし、筆者の真摯さも納得できるし、ストーリーテーラーとしても上手いと思うのだが、その分、何か作り物めいたものになってしまってるきらいもあると思う。

わたしはときどき思う。「正しい」の「正」という字はなんて窮屈なんだろう。縦横のまっすぐな線だけ。垂直と平行だけ。しかも、蓋のようにてっぺんに載った横棒をはずしてしまうと「止」になる。ということは、「正しい」とは、ほんとうは「止まっている」ものに無理やり蓋をしてごまかしているだけなんじゃないか……なんて。

登場人物の一人中学女子学生の独白だが、「正」という字は白川静の「字統」によると、「正字は一と止に従う。一は囗、城郭でかこまれている邑(まち)。止はそれに向かって進撃する意で、その邑を征服することをいう」とある。もとももとは武力で奪った土地から、年貢や義務負担を徴収することに由来するという、かなり強引な文字だったらしい。窮屈とはまた別な意味の負の要因を持ってたのかも。
本書のテーマの一つは、「忘れない」ことの大切さにあるようだが、年をとるごとに記憶力の低下著しいMorris.には至難な技かもしれない。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ


2015/08/30(日)●東公園あたり

7時起床。
今朝の血圧は171/84/75。
別業者のヘルプで昨日集会とパレードやった三宮、東公園脇の高層マンションのシンガポール向け荷物のピックアップ現場。
本当は今日は4時から大阪扇町で安保法案反対デモがあったので、それに参加したかったのだが、このところの農閑期だけに、今日の仕事は出ざるを得なかった。東京では国会前の大規模デモが予定されて、大阪のデモもそれに連動するもの。高山くんは参加したらしく4時半頃電話があった。
5時作業終了。三宮図書館に寄って6時半帰宅。阪神はヤクルトに連敗。ゲーム差1(>_<) ちょっとヤバい。
東京のデモは12万人ほどが集ったらしいが、例によってマスコミの報道はほとんどなし。
大阪の中学生二人殺害事件でも、中野区のタレント死亡女性殺害事件でも、TVニュースの映像素材のほとんどが、監視カメラ画像である。ちょっと前までは監視カメラ画像の利用はかなり制限されていたが、今回の事件wきっかけに、制限が解除されたのか、爆発的な露出ぶりである。テレビはヴィジュアルメディアだから、安易に映像を得られる監視カメラ画像がこれからは、ニュースのメインになるのだろう。Facebookやツイッターの引用がどんどんテレビを侵食していくのだろう。
今日の歩数は3299歩。


今日の現場 

31階から北を望む 

日本真珠会館 


2015/08/29(土)●講演会&パレード
7時半起床。
今朝の血圧は170/69/76。
ちょこっと宿酔気味で、午前中は部屋ゴロ。
昼過ぎ部屋を出てJR元町上がって兵庫県民会館へ。11階のホールで開かれる「子供たちの未来が不安!! ヤメテ!! 戦争法案集会」のためである。今日は4時から東公園を起点に弁護士会主催の抗議集会と示威パレードもあるので、ちょっと今日は長丁場になりそう。
講師は、元外務省国際情報局長孫崎享、反原発かごしまネット事務局長向原祥隆、那覇市会議員上原カイザの三人。集団的自衛権と安保法案、原発再開、辺野古基地問題とわかりやすいメンバーである。つい先日読んだばかりの「戦後史の正体」の著者でもある孫崎さんの話は特に聞きたかった。マスコミ(特にNHK)の偏向報道に始まり、尖閣問題の問題点、基地問題も原発も、根っ子にあるのがアメリカであるという彼の持論を披瀝。彼の他の著書も読まねばと思った。後の二人も、反対運動の実践の体験をリアルに話してくれた。
孫崎さんの話の中で印象に残ってるのは
・「集団的自衛権」ではなく「集団的「他」衛権」である。
・伊丹万作が昭和2年に雑誌に発表したエッセイ「戦争責任者の問題」の引用
・オリンピック招致で安倍首相の大嘘「福島は完全にコントロール発言」を忘れるな
・尖閣列島に石原元知事が係わったのは米国ロビーの裏工作
・天皇の新年挨拶中の「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切」という文言をNHKはニュースで故意に報道しなかった。
・オスプレイには、自衛の機能は無く、「集団的自衛権」での輸送に使われるためのもの。日本が買わされた17機の価格は3600億円。
等々

300名近い聴衆が集まり、信長正義さんも顔を見せてた。閉会の後孫崎さんに挨拶して、2ショット撮影も。
その後、歩いて東公園へ。こちらは弁護士会主催の抗議行動で、噴水広場は参加者で埋め尽くされて、主催者たちのアピールの後、二手に分かれてパレード開始。Morris.はいつものメンバーといっしょにフラワーロード北上して三宮駅に向かうコース。
小一時間かけてゆっくり行進。途中雨が降りだしたが、なんとか最期まで歩き通せた。信長たか子さんもパレードに参加してて、帰りは阪急電車で途中まで同席して、久しぶりにちょこっとだけ話ができた。
本当は今夜は六甲アイランドで地域のイベントがあってムックさんが9時頃から出るので見に行こうかと思ってのだが、ちょっと疲れてたし、明日は仕事だし、雨も降ってたのでパス。
7時半帰宅。
阪神はヤクルトに負けて2ゲーム差と詰め寄られてしまった。
今日の歩数は6249歩。

ミニギターぢゃ 

3人の講演者 

孫崎享さんと 

県民会館11Fから栄光教会 

兵庫県公館 

生田中学校 

紫陽花のステンドグラス 

ハイビスカス 

ハイビスカスの蕾 

東公園噴水広場 

猫も反戦 

フラワーロード真ん中をデモ行進 


2015/08/28(金)●屋上ダフルヘッダー
7時起床。
今朝の血圧は162/76/76。
良い天気である。朝の3点セット。
昼過ぎ、ミニギター&缶チューハイ持って屋上へ。西隣の螺旋階段は好きなので何度も撮影してるが、あらためて四方を見回すと結構階段がいろいろ見えることに気づいた。遅まきながらその一覧を下に並べておく。
今夜は7時から元町駅前でSEALS関西の集まりがあるので応援に行こうかと思っていたのだが、6時前にムックさんから電話で、今夜遊びに来たいとのこと。長いこと会ってなかったので、SEALSはパス。急いでマルハチで酒や肴買ってくる。
6時半にムックさん到着。ミニギターと缶ビール持って屋上へ。久しぶりに二人で屋上を楽しもうと思ったのだ。しかし、日の暮れるのが早くなって、演奏しようとしたらすでに、楽譜が見えないくらい暗くなってしまった。仕方なく部屋に戻って、ワインで乾杯。野球は阪神が4-0とリードしたので、ラジオ音量低くして、チャンユンジョン10周年記念DVD見ながら、一緒に歌ったり、飲んだりで楽しんだ。
10時過ぎにムックさん帰った後も一人で飲んでた模様(^_^;)
今日の歩数は1023歩。

屋上から見える階段 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

夜の屋上でtwin mini guitar 


2015/08/27(木)●手持ち無沙汰
6時起床。
今朝の血圧は158/71/68。
午前中は西宮の上海向け船便ピックアップ、午後は西元町のマンションへの配達現場。ピックアップは見積よりうんと少なかったし、配達は開梱なしということで、あっけなくおわってしまい、2時に倉庫に戻っても、特にやるべき仕事もなく、手持ち無沙汰。
4時半に倉庫出て5時帰宅。
シャワー浴びて、三宮マルイ前で、安保法案反対!市民の集いの抗議活動。例によって30日の国会周辺抗議活動へ学生を送るためのカンパの呼びかけビラまき。いまいち気分がのらないMorris.は「戦争法案反対」のパネルを掲げて、通行人に連帯アピールの意思表示のみ。途中、小太りの大学で政治学を学んでいる学生から話しかけられ、20分ほど話す。彼は集団的自衛権そのものには理解を覚えるとしながらも、今回の憲法解釈での進め方には反対とのこと。あまり議論にもならなかったが、とりあえずお互いの言いたいことは伝わったかと思う。
AEONとして再オープンした旧三宮ダイエーで買い物して7時半帰宅。
阪神は広島マエケンにやられて連敗。女子バレー日本はドミニカにフルセットで競り勝ったらしい。
今日の歩数は4491歩。

【漢字からみた日本語の歴史】今野真二 ★★☆ 2013/07/10 ちくまプリマー新書

漢字を素材に日本語の豊かさを探るという惹句に誘われて読むことにしたのだが、期待はずれだった。

漢字も文字であるので、平仮名や片仮名、アルファベットと同じことで、漢字という文字は「意味」をもっていない。漢字の「意味」のようにわたしたちが感じるのは、「漢字が表わしている中国語の意味」なのだ。中国語は原則として一つの語を一つの文字(漢字)で表わす。だから、語と、それを表わしている漢字とが一体化してみえてしまい、語と文字を分離して意識しにくい。それで漢字は「意味」をもっているように感じやすい。しかし漢字も文字であるので漢字そのものが「意味」をもっているわけではない。(はじめに)

ここらあたりは、面白そうだと思ったのだけど。そのあとは、万葉仮名、類聚名義抄、土佐日記、日葡辞書などの漢字使用の特徴や変遷を、ランダムに紹介しながら、自説をくりひろげるのだが、これがひとつも面白くない。明治時代の漢字問題を混乱気味に紹介して、戦後の常用漢字表への感想に移り、人名、地名を常用漢字表に反映させろという、思いつきみたいなことで締めくくる。
先日読んだ校正の本の中にあった「最近の新書はほとんど語り下ろしで、数回のインタビューを、編集者が後でまとめ上げる」そういったたぐいの典型ではないかと思わされた。

「美しい日本語」があるのなら、「美しくないX語=醜いX語」という言語Xがあるのだろうか。自らが使用している言語を大切にし、尊重することは自然なことであり、それはいい。しかし、特別な言語というものはない。言語はすべて当価値である。日本語を美しいというのだったら、あらゆる言語が美しい。言語がすべて等価値だと認めるところから、冷静な言語の観察、考察が始まるはずである。(おわりに)

「言語がすべて等価値」というのは、言語の序列をキーワードにした水村美苗の意見を聴いてみたいものである。ただ「美しい日本語」という「表現」にはMorris.も疑義を覚える。
本書は内容はMorris.とは無縁のものだったが、「はじめに」と「おわりに」の一部にだけ、ちょこっとだけ反応したということになる。

2015/08/26(水)●彦根方面
5時半起床。
今朝の血圧は168/72/65。
台風15号は深夜に中国地方を抜けて日本海に行ったらしい。
自転車で摩耶倉庫に。
荻野くんと彦根のアメリカ向け航空便、船便ピックアップ現場。昼前作業終了。
昼食は「肉のはせ川」という店でハンバーグランチ。久しぶりにまともなハンバーグ食べたような気がする。
阪神高速が渋滞で4時過ぎ倉庫着。
マルハチで買い物して6時過ぎ帰宅。
阪神は広島相手に苦戦中、ジョンソンから一点もとれず8回まで0-4。9回表梅田の2ランのあと二死満塁でゴメス登場。でもそれまでだった。
今日の歩数は5442歩。

朝顔は秋の季語 

尼崎アサヒビール工場跡地 

近江富士三上山 

平松のウツクシマツ 

美味しいハンバーグの店 

多賀付近 

蒲生付近 

竜王体育館 

箱入猫 

【日本語が亡びるとき】水村美苗 ★★★★ 2008/11/31 筑摩書房。
「英語の世紀の中で」という副題がある。10代で海外生活を過ごした著者が、戦前の日本文学全集を読み込んで、自分でも日本語で小説を書いて話題を呼んだが、英語が世界語(普遍語)として、ますますその勢力を伸ばし、英語以外で書かれた文学作品は、マイノリティでしかなくなるということを、自分の体験を元に開陳している。

人はなんと色んなところで書いているのだろう……。
地球のありとあらゆるところで人がいる。
地球のありとあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな条件のもとで、それぞれの人生を生きながら、熱心に、小説や詩を書いている。もちろん、65億の人類の九割九分九厘は、そんな作家が存在したことも、そんな小説や詩が書かれたことも知らずに死んでいく。それでも作家たちは、地球のありとあらゆるところで、働いたり、子供を育てたり、親の面倒を見たりしながら、時間を見つけては背を丸めてコンピュータに向かい、何やら懸命に書いているのである。与えられた寿命をたぶん少しばかり縮めながら、何やら懸命に書いているのである。


水村にとってコンピュータで書く(打つ?)ことは前提条件なんだろうな。

地球のあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな言葉で書いている--というよりも、さまざまな作家が、それぞれ<自分たちの言葉>で書いている。潜在的読者が数億人いる言葉でも、数十万人しかいない言葉でも、数千年前から書き言葉をもっていた言葉でも、数十年ぐらい前からしか書き言葉をもたなかった言葉でも、作家たちにとっては同じである。作家たちは、同じように情熱的に、真剣に、そして、あたかもそれがもっとも自然な行為でもあるかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。もちろん、人は何時の時代でも<自分たちの言葉>で書いていたわけではない。書くといえば<自分たちの言葉>で書くのを意味するようになったのは、近代に入ってからのことで、言葉によってまちまちだが、長くて数百年、短ければ数十年のことでしかない。それなのに、今、作家たちは、あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いている。英語やスペイン語や中国語で書くだけでなく、モンゴル語、リトアニア語、ウクライナ語、ルーマニア語、ヴェトナム語、ビルマ語、クロアチア語などで書いている。
しかも、その<自分たちの言葉>で書くという行為--それが、<自分たちの国>を思う心と、いかに深くつながっていたか。

言葉には力の序列がある。
一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族のなかで通じる言葉、さらにその上には、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。

今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの八割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。歴史の中で、あまたの言葉が生まれては消えていったが、今、言葉は、生まれるよりも勢いよく消えつつある。

今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全般で流通する言葉(<普遍語>)が生まれたということである。
それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。

百年後の地球の運命も定かではなく、いつまで私たちの知る文明が続くかもわからない。だが、英語は、少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの<普遍語>となる可能性が限りなく強いのである。

英語が<普遍語>となるとは、どういうことか。
それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、<母語>と英語という二つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。
ある民族は、<自分たちの言葉>をより大切にしようとするかもしれない。だが、ある民族は、悲しくも<自分たちの言葉>が「亡びる」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。(第一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々)


Morris.はついついこの「手をこまねいて」表現は見過ごせないのだが、英語を普遍語と断じる水村からすれば、「こまねく」だろうと「こまぬく」だろうと瑣末主義(トリビアリズム)にすぎないと思われるだろう。この「拱く」を、古い和英辞典(研究社 新和英辞典)で見ると

komanuku 拱く,v. fold(one's arms) 手を拱いて傍観する look on with folded arms(=with one's hands in one's pockets);stand by with one's arms folded;stabd idle.  This is no time for us to remain idle.

うーーん、普遍語の実力は貧弱なMorrisだけに、これではちんぷんかんぷんぢゃ(>_<)

世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。時はすでに、英国の軍事的、政治的、経済的な優位はもちろんのこと、英語圏の文化的な影響力の優位さえあきらかになりつつあった時代である。それにもかかわらず、日本では実学のための言葉、フランス語こそ西洋文明の真髄を象徴する言葉だとみなす風潮が広がっていったのであった。ことに、作家たちのあいだではそうであった。

戦後、志賀直哉が日本の国語をフランス語にしようと発言したことを思い出した。

書くという行為は自慰行為であはりません。書くという行為は、私たちのまえにある世界、私たちを取り巻く世界、今、個々にある世界の外へと、私たちの言葉を届かせることです。それは、見知らぬ未来、見知らぬ空間へと、私たちの言葉を届かせ、そうすることによって、遇ったこともなければ、遇うこともないであろう、私たちのほんとうの読者、すなわち、私たちの魂の同胞に、私たちの言葉を共有してもらうようにすることです。唯一、書かれた言葉のみがこの世の諸々の壁--時間、空間、性、人種、年齢、文化、階級などの壁を、やすやすと、しかも完璧に乗り越えることができます。そして、英語で書かれた文学は、すでにもっとも数多く、もっとも頻繁に、この世の壁を乗り越えていっているのです。

この考え方そのものが、一見アナクロではないかと思ってしまったのだが、嫌いではない(^_^;)

私は今三番目の小説を書いています。恋愛の物語ですが、実は<母語>への執着のようにも読める小説です。
何が女主人公に英語を拒否させ続けたかというと、それは、ほかならぬ「読む」という行為にあったのです。彼女が日本語で書かれたものを読めば読むほど、彼女は英語に背を向けることになった。読むという行為を通じて、彼女は、常に、かつ、まぬがれがたく、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉の、どうしようもないちがいに向き合わざるをえなかったのです。彼女を二つの世界、二つの主体のなかで生きるのを強制した、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉の、物質的ともいえるちがいです。

私の世代は日本の戦後民主主義教育で育った。戦後民主主義教育というのは、平和主義をのぞけば、いちにも、ニにも、三にも、平等主義であった。小学校の先生はイデオロギーを優先させるような先生では決してなかったのにもかかわらず、ラジオやテレビ、新聞や雑誌や本を通じ、一人で勝手に学んでいったのであろう。「職業に貴賎はない」などという表現は、「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが、真に受けるように教育されてしまえば、まさに「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる。平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた。日本文学について考えるときも、私は大人になっても長いあいだ平等主義的にしか考えられなかったのであった。
私は<国民文学>などという観念こそ知らなかった小さいころからずっと、どの国にも日本と同じようにその国の言葉で書かれた小説があるのを当然だと思っていたのであった。


これはMorris.も虚を突かれた。日本文学の存在というのはかなりに特権的な事態だったのだ。

そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てたアメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で要請する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて優秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、かれらがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンステッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マクレランも翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。(第二章 パリでの話
)

ノーベル文学賞とか世界文学とか、確かにへんてこりんなものである。

<普遍語>universal language
<現地語>local language
<国語>national language

今、人類の多くは、自分たちの<国語>を、おのが民族が、太古の昔から使ってきた言葉だと思いこむにいたっている。ところが、『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン 1983)によれば、<国語>とは、いくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。それでいて、いったん<国語>が生まれると、その歴史的な成立過程は忘れ去られ、忘れられれるうちに、人びとにとって、あたかもそれがもっとも深い自分たちの国民性=民族性の表れだと信じこまれるようになる。<国語>はナショナリズムの母体となり<国民文学>を創り、今度はその<国民文学>が母体となり〈国民国家〉を創っていく。物理的に存在するわけでもないのに、人がそのためになら命を投げ打っていいとまで思う、アンダーソンいわくの、「想像の共同体」を創っていくのである。

最近読んだ本のなかで、たびたびこの「想像の共同体」への言及がある。これは一度読まずばなるまい。

〈叡智を求める人〉というのは、ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち--のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たちである。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。
そしてかれらが、読むだけでなく、書きはじめることによって、人類にとっての〈読まれるべき言葉〉の連鎖が始まるのである。

知的エリート主義かもしれない。

日本語の〈国語〉という言葉は、近代日本の過ちと切っても切り離せない言葉として、悪名高い。
〈国語〉は少数民族の言葉であるアイヌ語、さらには日本のほとんどの方言を消してしまったとされるだけではない。日本人の血をしていること、日本の国籍をもっていること、日本語を〈国語〉とすること--本来はそれぞれ独立したこの三つの位相が、三位一体のように分かちがたく日本人の心に刻まれ、日本語でいう〈国語〉は、いつしか、即、「日本語」を指すようになったのは、日本の植民地となった朝鮮半島の人が「国語を常用しない者」と規定されていたことからもわかる。〈国語〉がそのような過去をもつ言葉であるがゆえに、日本では『想像の共同体』が、ベネディクト・アンダーソン自身の意図を離れて、〈国語〉批判の本として読まれたのも当然のことであった。


またまた「想像の共同体」か。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべき言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは〈読まれるべき言葉〉の連鎖にほかならず、その本質において〈普遍語〉でなされる必然がある。
このことは、何を意味するのか?
それは、〈自分たちの言葉〉で学問ができるという思いこみは、実は、長い人類の歴史を振り返れば、花火のようにはかない思いこみでしかなかったという事実である。


いや、これについては断固「反対」を表明しておく。

〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じように機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。
小説は〈母語〉のもつ長所を存分に利用しながら発展していった。かたや〈普遍語〉の翻訳として生まれた小説は、神の存在の有無、戦争と平和、人類の運命など雄々しく立派なことがらについて重々しく抽象的に語れる。だが、それだけではない。かたや〈母語〉を母体として生まれた小説は、人間の日常生活という、卑近な出来事の連続でしかないものを、どうでもいいような細部にわたってまで、生き生きと魅力的に描くこともできる。子供のころの鮮やかな記憶に遡ることも、その前の、記憶とよぶのもはばかられる、断片的な感触や、匂いや、ささやき声の混沌とした思い出さえ喚起することもできる。心のうちの奥底まで探り、どんなつまらぬ考えも恥ずべき思いも、思いのたけ打ち明けることができる。しかも、社会で〈国語〉が広く流通すればするほど、人々は自分が話す〈母語〉そのものを、〈書き言葉〉としての〈国語〉を規範にして変化させていく。
かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとばしり出る言葉のように思えてくるのである。〈国語〉とは、必然的に〈自己表出〉の言葉となる。小説は、社会に対する個人の内面の優位を謳うものとして発展していったが、内面の優位とは、実は〈国語〉で書くことの結果でしかない。(第三章 地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々)

日本で最初の近代小説だといわれる二葉亭四迷の『浮雲』が書かれたのは1889年。『浮雲』は未完でありながら、日本近代文学の最高傑作の一つである。のちの小説であの高みに達した作品は、数えられるほどしかない。明治維新からたった二十余年のことであった。しかも『浮雲』を筆頭に、『たけくらべ』『にごりゑ』『坊っちゃん』『三四郎』『道草』『銀の匙』『阿部一族』『渋江抽斎』『歌行燈』『或る女』『濹東綺譚』『春琴抄』『細雪』などを始めとして、枚挙にいとまないほどの優れた作品--それも、ひとつひとつが、驚くほど異なった世界を提示する作品があとからあとから書き継がれ、日本人の心を大きく豊かに形づくっていった。

海外でこれらの作品を読みふけったという、ある意味特異な状況下でのこの日本近代文学観は、一種の「結晶」作用なのではなかろうか。

江戸時代の末には、日本は、上は藩校から下は寺子屋まで、学校だらけの国ともいっていいほど広く教育が及び、世界一とされる識字率の高さを誇るまでに至っていた。もちろん統一された日本語は存在せず、さまざまな〈現地語〉の〈書き言葉〉が混在して流通し、その名称からして、漢文訓読体、和漢混淆文、和文、古文、擬古文、中古文、雅文、俗文、候文など、私のような素人は混乱するばかりである。しかも、どれも〈話し言葉〉とはかけ離れたものであったし、そもそも統一された〈話し言葉〉自体が存在しなかった。

(明治初期の)翻訳という行為に携わったのは、漢文訓読体になじんでいた二重言語者である。日本にはすでに千数百年にわたり、漢文訓読体で〈普遍語〉を翻訳してきた伝統があった。しかも、西洋語を翻訳するのに漢字という表意文字ほど便利なものはなかった。漢字は概念を表す抽象性、さらには無限の造語力をもつ。表音文字主義者を集め、いかに日本語から漢字を排除できるかを模索していた文部省でさえ、たとえば義務教育とは何かを理解するためには、漢字を使っての翻訳に頼らざるをえなかったのである。(第四章 日本語という〈国語〉の誕生)


日本の大学において、日本語で学問がなされるようになったとはどういうことか。何よりもまず、日本の大学が、大きな翻訳機関、そして翻訳者養成所として機能するようになったことを意味したのであった。近代日本を特徴づける知識人--西洋語で読み、しかしながら、西洋語では書かずに日本語という〈国語〉で書く知識人。

何でも知っている広田先生は、よくいえば、優れて〈叡智を求める人〉である。だが、悪く言えば、雑学のかたまりである。
実は『三四郎』という淡い恋愛がらみの教養小説には隠れた一つの主題がある。それは、なぜ、広田先生のような〈叡智を求める人〉が、雑学のかたまりでしかないかを問うことにある。
果たして、翻訳語としての日本語で学問をするとは、どういう意味をもつのか。日本語で学問をするのは、本当に可能なのか?
広田先生が、「偉大なる暗闇」である--あるいは雑学のかたまりでしかないというのは、日本語で学問=洋学をすることの、世界のなかでの「無意味」によって、構造的に強いられたものなのである。


事実、〈国語〉が高みに達したときは、単一言語者であっても、〈世界性〉をもった文学を書けるようになる。しかも、時を得た人間の能力には底知れぬものがあり、すべては目を瞠るような勢いでおこる。二重言語者が育つやいなや一挙に翻訳本が増える。すると〈世界性〉をもった〈国語〉で書かれた言葉が一挙に増える。〈世界〉で何が起こっているかをおおよそ知るために、西洋語をじかに読む必要がなくなるのである。
そして、言葉というものは、そうなってこそ、〈国語〉だと言えるのである。(第五章 日本近代文学の奇跡)

インターネットによる英語の支配と、インターネットで流通する言葉が多様化しているという事実とは、まったく、矛盾しない。英語と英語以外の言葉とでは、異なったレベルで流通しているからである。
すでに英語は--数学という人工言語を別にすれば--インターネット技術そのものに関しての〈普遍語〉である。インターネットは世界で英語が〈普遍語〉として流通するのを強化する技術だが、そのインターネットという技術に関してのメタ言語も、英語という言葉なのである。世界中の人々はインターネットについて語るとき英語を使う。
実際、西洋語に訳された漱石はたとえ優れた訳でも漱石ではない。日本語を読める人のあいだでの漱石の評価は高い。よく日本語を読める人のあいだでほど高い。だが日本語を読めない外国人のあいだで漱石はまったく評価されていない。日本文学の善し悪しがほんとうにわかるのは、日本語の〈読まれるべき言葉〉を読んできた人間だけに許された特権である。(第六章--インターネット時代の英語と〈国語〉)

「翻訳不能」な漱石。特権としての読者。これはもう言語芸術の翻訳不能の議論である。

「英語公用語論」には反対するが、政府の無策をまえにして「英語公用語論」を唱えずにはいられなかった人たちの思いには、手を取り合って泣きたいほど共感する。

何だかなあと思ってしまう。

非・英語圏の〈国語〉にとっての、さらなる悲劇は、英語ができなくてはならないという強迫観念が社会のなかに無限大に拡大していくことにある。ことに大衆消費社会においてほど、その強迫観念は、無目的に人々を捉える。なぜこのk自分に英語が必要なのかなどという問いはさておき、周りがみな英語ができなくてはと焦っているのを見るうちに、我も我もと、自然に焦らざるをえなくなるからである。
教育とは最終的には時間とエネルギーの配分でしかない。
何はともあれ、学校教育で、英語を読む能力のとっかかりを与える。その先は英語は選択科目にする。もちろん他の言語の学習も奨励する。
人間をある人間たらしめるのは、日本の国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。
遡れば、千五百年にわたって、日本の言葉は漢文という〈普遍語〉の下にくるものでしかなかった。漢字という文字こそ「真名」であり、大和言葉を表す文字は「仮名」でしかなかった。だが、そのころのことは今やほとんどの日本人はすでに忘れている。
問題は、近代に入り、日本語が〈国語〉になってからも、日本人は日本語に真に誇りをもつことはなかったことにある。
〈書き言葉〉が〈話し言葉〉の音を書き表したものにすぎないという「表音主義」。それは、西洋のように音声文字を使う文化が、歴史を通じて、性懲りもなく、くり返し、くり返し、到達せざるをえない誤った言語観だといえよう。
〈読まれるべき言葉〉を読みつぐのを教えないことが、究極的には、文化の否定というイデオロギーにつながるのである。文化の否定というイデオロギーのそもそもの種は近代西洋のユートピア主義にあり、それは、原子共産制礼賛、文化的資産を持つ者と持たざる者との差をなくそうとするポピュリズム、社会の規範からまったく自由な〈主体〉の物象化など、さまざまな形をとって、西洋でも文化の破壊を招いてきた。
表記法を使い分けるのが意味の生産にかかわるというのは、それとは別のレベルの話で、日本語独特のことである。
同じ音をした同じ言葉--それを異なった文字で表すところから生まれる、意味のちがいである。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん

という例の萩原朔太郎の詩も、最初の二行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。だが、このような差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だが、この詩を口語体にして

フランスへ行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
きままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。


おしまいの朔太郎の詩の改変?は、いくらなんでも、だが、とにかく、朔太郎の詩を普遍語にするのはやっぱり不可能だろう。特殊語ならではの価値。

日本人がみな安吾のように、いくら文化財など壊しても「我々は……日本を見失うはずはない」と思っているうちに、日本の都市の風景はどうなっていったか。建築に関しての法律といえば安全基準以外にないまま、建坪率と容積率の最大化を求める市場の力の前に、古い建物はことごとく壊され、その代わりに、てんでばらばらな高さと色と形をしたビルディングと安普請のワンルーム・マンションと、不揃いのミニ開発の建売住宅と、曲がりくねったコンクリートの道と、理不尽に交差する高架線と、人が通らない侘しい歩道橋と、蜘蛛の巣のように空を覆う電線だらけの、何とも申し上げようのない醜い空間になってしまった。散歩するたびの怒りと悲しみと不快。

突然日本の建築事情への罵倒めいた文言には吃驚したが、否定出来ないのが辛い。

私たちが知っていた日本の文学とはこんなものではなかった、私たちが知っていた日本語とはこんなものではなかった。そう信じている人が、少数でも存在している今ならまだ選び直すことができる。選び直すことが、日本語という幸運な歴史を辿った言葉に対する義務であるだけでなく、人類の未来に対する義務だと思えば、なおさら選び直すことができる。
それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。(第七章--英語教育と日本語教育)

結論がこれでは、あまりにも空しい気がする。他の道があると思いたい。
実は、本書を読み終えたのは半年以上前になる。

2015/08/25(火)●雨籠り
7時半起床。
今朝の血圧は169/69/75。
台風15合が九州上陸に影響されて朝から雨。
仕事キャンセルになったので、今日は部屋ゴロ決定。
朝からずっと国会中継流しながら、読書とミニギター(^_^;)
午後には先日私学会館でスピーチ聴いた民主党の水岡俊一の質問。約束通り自衛隊の安全に関する質問だったが落ち着いたやりとりだったが、いかんせん、自民党の回答がピント外れで(意識的に)だらだらモードで、時間の無駄遣いである。
朝鮮半島南北会談は、どうにかまとまった模様。北が形だけでも謝罪し、韓国側が拡声器放送を停止するということで手打ちになったようだ。

今日の歩数は0歩。

【日本語で書くということ】水村美苗 ★★★2009/04/25 筑摩書房。

漱石の遺著で未完の「明暗」の続編(^_^;)「續 明暗」でデビューした水村美苗の「日本語が滅びる時」の後で出された双生児的評論の片方である。

人は誰も若いころは自分が若いことを知らない。そのような無知は個人的な無知ではなく、つかのまの生を生きる人類に、恩寵のようにも原罪のようにも与えられた普遍的な無知である。私が死んでも次の世代がまたくり返さざるをえない無知である。
人間の歴史を振り返れば文明はいくつも消え、文字もいくつも命を失っていった。古くはシュメール文字が命を失ったし、新しくは、黄さんとも話したように、ヴェトナムのチュノム文字が命を失った。1993年にホーチミン大学での最後の講座が閉ざされたという。数千年来漢字の中に脈打ってきた命が失われ、漢字文化圏の言葉が電子翻訳機で英語に翻訳されても、何も失うものがなくなる日が来ても不思議はなかった。
だがそれを手をこまねいて見ているのは悲しすぎた。(もう遅すぎますか? --初めての韓国旅行)


わかるようなわからないような文脈だが、Morris.が反応したのはもちろん「手をこまねいて」表現(^_^;)

おしまいに置かれた二つのポール・ド・マン論「読むことのアレゴリー」「リナンシエイション<拒絶>」は、面白いくらいに、全く歯が立たなかった(>_<)
そのためだけではないが、同時発売の「日本語で読むということ」に比べるとMorris.にはかなりつまらなかった。まあ、Morris.のレベルの問題かもしれないけどね。


【日本語で読むということ】水村美苗 ★★★☆☆
2009/04/25 筑摩書房。
もう片方の「日本語で書くということ」に比べるとうんと興味深かった。

「優れた小説」と「つまらぬ小説」との差は、読み手に資質がなければわからない、芸術の問題である。「純文学」と「大衆小説」の差は、それとはまた別の、小説のジャンルにかかわる問題である。存在すべきかどうかを問う以前に、現に存在している区分けについて考察するのが、ジャンル論である。(半歩遅れの読書術)


Morris.のように「面白いか面白くないか」で分けることしかできない資質の読者には、どうでもいいことか。

1.ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
2.エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
3.シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』
4.スタンダール『パルムの僧院』
5.オルコット『若草物語』
6.ディケンズ『デイヴィッド・カッパーフィールド』
7.ド・ラクロ『危険な関係』
8.フローベール『ボヴァリー夫人』
9.プルースト『失われた時を求めて』
10.マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

こうして書いてみると、わかりやすい小説が好きで、その上、極めて平凡で保守的な趣味をしているのが、よくわかる。どれも、少なくとも、三度は読んだ小説である。最初の3冊に至っては何度読んだか分からない。しかも、みな、初めて読んだのが、若いころである。若いころに読むと、こうも深く見に染みこむのかと、恐ろしい。それと同時に、もう今から新しいものを読んでも仕方がない、再読しかない、とつくづくと思う。そういえば、自分自身、再読してもらえるのを願いながら常に書いているのを思い起こした。(私の「海外長編小説ベスト10」)


ベスト10というだけでつい身を乗り出してしまうのは、Morris.の野次馬根性なのだろう。10冊の内Morris.が読んでるのは「嵐が丘」「若草物語」「ハックルベリー・フィン」の3冊だけだが、「高慢と偏見」はいつか読まずになるまい。倉橋由美子が執拗に言及してたし漱石も愛読したらしいし、斎藤美奈子さんもイギリス版「細雪」と言ってたしね(^_^;)

なぜ日本語が変わってしまったのかはよくわからない。戦後民主主義教育の中で、戦前の日本を否定すること、それが歴史を否定することに繋がり、そのうちに、その否定がたんなる忘却と化したのであろうか。忘却の中で、新しさということのみに意味を求めるようになったのであろうか。
引用とは「死んだ人」たち自身の言葉である。そして『豪雨の前兆』で著者は「死んだ人」たちの言葉をあちこちから自在にひっぱり出してくる。場合によっては、「死んだ人」が自分の前に「死んだ人」の言葉について、書いた言葉もある。そこでは「死んだ人」たちの引用は重層的に響きあう。(「死んだ人」への思いの深さ--関川夏央『豪雨の前兆』)


水村が関川夏央をえらく評価してるのは、意外でもあり、嬉しくもあった。引用好きのMorris.だけど、生きてる人の引用も多いけどね。

「ただあこがれを知る人のみぞ、我が悩みをわかる」
若き日の森鴎外の、異国での恋を描いた本の中で、出会った言葉である。本の名も作家の名も忘れ、この一節だけが記憶に残った。のちにゲーテの詩だと知った。
「あこがれ」は元は「あくがれ」、古語辞典によれば、「心身が何かにひかれて、もともと居るべき所を離れてさまよう意」とある。つまりそれは何かにひかれて、自分が自分の現実を離れることである。ということは、「あこがれ」を知ることは、自分そのものがどうでもよくなる、大いなる精神の運動を知ることにほかならない。
いうまでもなく、「あこがれ」はすべての芸術の根源にある。音や言葉にひかれて人が自分の現実を離れることがなければ、芸術は可能でないからである。(あこがれを知る人)


文学について水村が結構ナイーブな思いを持ってることに、ちょっと驚かされた。

ワープロという文明の利器ができ、今の人は漢字を書けなくなったという声をよく聞く。だが私は、日本語で書く小説家として、ワープロの登場はたいへん幸運なことであったと思う。文部省の役人の誤った認識のせいで、今やすっかり貧しくなってしまった日本語を、まだ救えるかもしれないとさえ思うのである。ただそのためには、「使える漢字」がどういうものであるべきかを、新しく考えなおす必要がある。
読めるということは、字を識別できるということである。ワープロさえあれば、ポンとキイを押して適切な漢字を選べるということである。碩学漱石と私との越えがたい距離が大いに縮まったのは、ワープロのおかげであった。
そもそも誰にとっても「書ける漢字」と「読める漢字」というものは、数が何倍もちがってあたりまえなのである。ワープロが革命的なのは、「使える漢字」というものを、「書ける漢字」から「読める漢字」に変えたことにある。ここで重要なのは、その革命的な変化を積極的に評価することである。そこに表意文字の本質を見ることである。そして日本全体で「使える漢字」をもっと豊かに増やし、ルビをも厭わないことである。新聞などが常用漢字に固執するのは、数千年の人類の叡智を無にして、出来の悪い中学生の頭に合わせて日本語を使うのと同じことでしかない--と、そこまで考えることなのである。(使える漢字)


ワープロの登場はMorris.にとってまさに画期的だった。「書ける漢字」と「読める漢字」の見解には諸手を挙げて賛成である。「出来の悪い中学生の頭」(^_^;)というのはちょっと乱暴かも。

ラクソの真価がわかったのは、大人になり、お金と時間はともかく、心の余裕ができ、代わりになるランプを探し始めてからである。私はそのとき初めて知った。巷に幾千の照明器具が溢れていようと、ラクソほど便利でかつ完璧に美しい形をしたものはない。
ラクソが誕生したのは1937年。ノルウェーのエンジニアが商品化するつもりもなく作ったものが、人の目にとまり商品化され、やがて照明器具史上重要なものとなった。今や私にとっては、必需品の範疇を越えて、忠実な友である。(ラクソ・ランプ)


LUXO(ラクソ)というのは初耳で、どんな照明器具かネットで調べたら、いわゆるZランプみたいな角度調節可能なものだった。

あの3年間、いかに小説を書く時間を大切に生きたことか。授業のスケジュールを睨みながら、この日は夜に書ける、この日は一日中書ける、この週は3日連続して書ける、とカレンダーに赤く印しておく。連続して書ける日々は寝ても覚めても書き続けた。
その『續明暗』も絶版になってしまった。それを知ったとき、悲しみよりも衝撃の方が多かったのは、漱石と共に永らえることができると信じていたからである。(自作再訪--『續明暗』)


そうか「續明暗」は絶版になったのか。ちくま文庫版は今でも買えるようだけど。

海に囲まれた島国に住み、<自分達の言葉>が亡びるかもしれないなどという危機感をもつ必要もなく連綿と生きてきた日本人。それが今、英語という<普遍語>がインターネットを通じ、山越え海越え、世界中を自在に飛び交う時代に突入した。21世紀、英語圏以外のすべての国民は、<自分たちの言葉>が、<国語>から<現地語>へと転落してゆく危険にさらされている。それなのに日本人は、文部科学省も含め、「もっと英語を」の大合唱のなかに生きているだけである。(恩着せがましい気持ち……)


1945年敗戦国日本を占領した米国は、当初日本の公用語を英語(米語)にするつもりだったらしい。あれから70年、インターネットを通して英語が世界語になるのではという、著者の心配は杞憂に終わると思う(思いたい)。

2015/08/24(月)●北野坂あたり
7時起床。
今朝の血圧は132/51/70。
深夜に相模原の米軍基地で爆発火災が起きたらしい。けが人無しということだが、どうせまた報道は制限されるのだろう。それにしてもニュースの鳥瞰地図で駅前の広大な地域が補給基地になってることに改めて驚かされた。
JRで三宮に出て、としろうら4人で北野うろこの家の下のマンション6階ドイツ向けの船便ピックアップ現場。
作業は3時過ぎに終了したのだが、積み込みのトラックが遅れて、としろうと二人2時間近く待たされてしまった(>_<)
マンダイで買い物して6時半帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1432回は- 8월 신청곡8月のリクエスト -

 1) 나를 두고 아리랑私を置いてアリラン (김훈キムフン)/김수희キムスヒ
 2) 과거는 흘러갔다過去は流れた (여운)/여운ヨウン
 3) 기러기 아빠一人暮らしの父 (이미자イミジャ)/염수연ヨムスヨン
 4) 애정이 꽃피던 시절愛情花咲く時 (나훈아ナフナ)/박일준パクイルチュン
 5) 울산 아리랑 蔚山アリラン(오은정)/오은정オウンジョン
 6) 충청도 아줌마忠清道アジュマ (오기택オギテク)/배금성ペグムソン
 7) 정情 (박일남)/박일남パクイルナム
 8) 지나가는 비通り雨 (오은주)/오은주オウンジュ
 9) 황토 십 리 길黄土十里の道 (배호ペホ)/윤수일ユンスイル
10) 아빠랑 엄마같이 パパとママのように(윤승희)/윤승희ユンスンヒ
11) 한오백년恨五百年 (민요民謡)/국악인国楽人 강효주カンヒョジュ」
12) 어머니母 (이명주)/이명주イミョンジュ
13) 석양 길 나그네夕日の道の旅人 (김상진)/김상진キムサンジン
14) 비 내리는 영동교雨降る永東橋 (주현미チュヒョンミ)/연분홍ヨンブンホン
15) 애모愛慕 (김수희)/김수희キムスヒ
16) 터미널ターミナル (윤수일)/윤수일ユンスイル


のはずだったが、板門店の南北会談を受けての緊急ニュース特集に差し替えられてた(>_<)
今日の歩数は5295歩。

【フジモリ式建築入門】藤森照信 ★★★
2011/09/10 ちくまプリマー新書166。
藤森建築論はこれまでに数冊読んだが、本書は新書ということで、一種の「語りおろし」みたいなもので、いわゆる「建築放談」みたいな感じがした。

建築はふつう、人の暮しと活動を風雨風雪や外敵から守る実用の器と考えられているが、浅い考えで、本当は、それ以上に
"人々の記憶の最大の器"
現在各地で、昔の駅舎や戦前からの小学校校舎を保存する市民運動が起り、建て替えようとする意見と対立し、トラブル化しているが、保存の目的は記憶の器を守り、人々が記憶喪失に陥らないためである。
バラバラの要素が、ひとつのルールのもとに合体しうまく溶け合った時に生れる建築を名作といい、うまく溶け合った時にのみ生れる視覚的な印象のことを"美"と呼ぶ。
建築は記憶と美のふたつを容れることのできる器というしかあるまい。ふたつがひとつに合体する建築は、残念ながらそう多くはない。(第一章 建築とは何か)

Morris.にかぎらず、近過去の建築への愛好の底には「懐かしさ」があるというのは、わかりやすい。

日本人が、ふつうの住宅と記念碑的な建築を分けてかんがえるようになったのは、明治に入ってからで、1894年(明治27)、最初の建築史家で理論家の伊東忠太が、アーキテクチャーを「建築」と訳し、ふつうの実用的建物(ビルディング)を分けた。

伊東忠太、なかなかに魅力的な建築家のようだ。

ギリシャ神殿は、列柱の上にペディメントが載る。ただそれだけで他の造形要素はない。石は、細長い柱状には適せず、厚い壁状が一番向いているにもかかわらず、外観の見所が石の列柱になったのは、木の記憶にちがいない。
柱が上に伸びるに従い、カーブを描いて細くなる有名な"エンタシス"。法隆寺の柱と似ているが、法隆寺は途中が太くなる"胴張り"で、エンタシスは、きれいな放物線を描いてひたすら細くなる。


奈良の古寺の柱を「エンタシス」と思い込んでいた(思い込まされてた)が、微妙なちがいがあることを教えてもらった。

形のルールを"オーダー"という。基壇から屋根の上までのルールだが、柱の形が中心となり、柱の中でも上部の"キャピタル"(柱頭飾)がポイント。"ドリス式""イオニア式""コリント式"の三式があり、三式の美的性格は、ドリスの簡潔、イオニアの優美、コリントの華麗。
寸法のルールは"モデュール"といい、柱の底の直径を一モデュールとし、その倍数(小さいところは分数)ですべての寸法を決める。
「シュムメトリア(造形美基準)または比例を除外してはいかなる神殿の構成もあり得ない。すなわち容姿の立派な人間に似せて各肢体を正確に割り付けるのでなければ」(ヴィトルヴィウス「建築十書」より)
美が左右対称性に宿ることは、美容師や美容整形外科医の常識だし、なぜ女性が鼻筋を通し、高くしようとするかというと、中心軸がくっきり引かれ、左右対称感が向上するからだ。
左右対称の平面の上に立ち上る左右対称を強調した正面。正面は、側面など無いかのようにそれだけでまとまり安定し、ギリシャの青空をバックとして立つ。こうした強い表現力を持った正面のことを"ファサード"といい、以後のヨーロッパ建築の外観の基本となる。


建築史家から見ると常識以前のことだろうが、Morris.は知らないことばかりである。

ローマ人が建築に本質的な新しさを加えたのは、ただひとつ"アーチ"。
開口部に用いられた半円のことをアーチという。そのアーチを横に平行移動して生れるカマボコ状の構造体は"ヴォールト"、アーチがその場で回転して生れる構造体は"ドーム"と呼ばれる。
円錐状石積みにくらべ、アーチ状石積みは目にはとても不自然にうつる。円錐状は石を平らにして順に積みあげてゆくのに、アーチは、平らにしてスタートするが、途中から傾き、最後は真下を向いてしまうからだ。
途中は自立できないので、"センターリング"と呼ばれる木製の仮枠で支え、てっぺんの石を垂直に差し入れてから仮枠をはずす。最後の一つが入ってはじめて構造的に安定するので、てっぺんの石をキイ・ストーン(要石)という。センターリングをはずす時、アーチは音を立てて少し沈むから、こわい。(第三章 ヨーロッパ建築の始まり)


アーチという石積みの方法は魅力的である。また、Morris.の好きなドームはアーチの回転運動でできるというのも、言われて見ればそうだが、なるほどである。平行移動が「ヴォールド」と呼ばれるのも、初耳である。

人類はすべて、精霊信仰、自然信仰、地母信仰から信仰をスタートさせるが、なぜか途中でそうした信仰を野蛮なものとして捨て、太陽信仰を経て、結局、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教のような、言葉で書かれた聖典に基づく宗教へと収束してゆく。

ここらあたりが、放談っぽい(^_^;)

建物の表面に現われる継ぎ目のことを目地といい、設計者は目地をいかに美しく納めるかに腐心する。ところが泥の建物にはその目地がない。地面との接点にすら現われない。
植物も動物も目地はない。生物は一つ細胞が分裂を繰り返し、内から外に向かってふくれていった結果だから目地はない。ところが建築は、そうして育った木材などを寄せ集めて作るから目地が生れる。目地は、人工物としての建築の宿命にしてしるし。目地のない泥の建築は、人工物と生物の中間的存在と、建築的には言える。


目地(継ぎ目)が職人の腕の見せどころ、というのはよくわかる。

人や社会や国や思想の有為変転にもかかわらず、建築は平面も構造も表現も、前のものを踏まえ、改良し、ひとつ方向を目ざして進み、ついに到達し、そして終っている。人や人の思いとは別に、建築は建築というものの宿命を生きているのではないか。そんなことはあるはずもないが、建築の歩みに身を寄せてたどってくると、そう思えてくる。

フジモリ節絶好調(^_^;)

彼ら(ルネサンスの建築家たち)は、幾何学こそ目に見える世界の背後にひそむ真理で、根本は円と正方形と人体にあり、その真理が表に現れたのが美であると確信していた。
彼らの確信は意外にも音楽とつながる。和音の一件で、なぜ一定の音階の組み合わせだけが心地よく耳に響くのか。音階(空気の振動)は科学的には絃の長さで決まる、ということは、美しい長さの組合わせがあるにちがいない、と、耳の感覚を目の感覚に移し替え、各音に相当する基本図形を考え、その美しい図形の組合せとプロポーションを求め、ある者は黄金比に行きついている。


建築と音楽の結びつきはヨーロッパ建築では、特に教会建築と教会音楽の関係が深いような気がする。

ゴシック・リヴァイヴァルは、世界へ広がり、ウィーンでは歴史研究の成果を注ぎ理想のゴシックとしてヴォティーフ教会(1879)が造られているが、見る者に好感も嫌悪感も湧かせない奇妙な建築として知らている。知力と学習能力だけの設計では、人の心に届かない。
墓場のフタが開けられたように、"ネオ・ルネッサンス"、"ネオ・バロック"、"ネオ・ロココ"などなど、19世紀以前に成立した過去と近過去の様式が次々と蘇ってくる。同時に、クラシックとゴシックの融合をはじめさまざまな、"エクレティシズム"(折衷様式)も生れる。
"ネオ・クラシズム"(新古典主義)以後のネオやリヴァイヴァルの付くスタイルを一括りにし、"歴史主義"と呼ぶ。
日本の近代建築の最初のページを飾るアイルランド人鉱山技師トーマズ・ジェームズ・ウォートルスが運んできた建築スタイルは、イギリスのネオ・クラシズムの素人版だったし、次に登場するイギリス人建築家のシャルル・アルフレッド・シャステル・デ・ボアンヴィルとジョサイア・コンドルは、前者が北のネオ・クラシズムを、後者は南のゴシック・リヴァイヴァルをもたらしている。(第四章 ヨーロッパ建築の成熟と死)


明治文明化期の西洋建築が、世界建築史の見本市みたいになったのは、喜ぶべきことだろうか。少なくとも、Morris.のような野次馬的建築好きにはありがたいことのようにも思えるのだけど。

竪穴式住居は凍結深度より深く地面を掘り、防寒を心がけ、高床式住居は水位より高く床を張り、防暑を旨とする。
縄文と弥生、竪穴と高床、の関係は、複雑に重なり合いながら日本列島に共存していたのである。


日本の住居を主題にした後半は、どうもMorris.にはあまりおもしろくjなかった。

ヨーロッパの建築は時代に従い、日本の建築は用途に従う。
その結果、日本の建築様式は、時代とともに増え続けるしかなく、5000年前の竪穴式住居をはじめ各時代に成立した様式は探せばどこかで生きている。ガラパゴス島のような日本の建築。


奈良の都で貴族的なものとして確たる地歩を築いた高床式は、その後しだいに大型化し、複雑化し、794年都が教徒に移って平安時代を迎えると、"寝殿造"と呼ばれる定型に到達する。
私生活より行事と儀礼と対面を旨とする寝殿造。(寝殿造は貴族の住い)


日本建築の室内の特徴として知られる線と面による平明な構成は、畳がもたらした大きな成果だった。
畳、襖、障子、天井といった書院造ならではの作りを取りはずすと、元の寝殿造のガランドウに戻る。(書院造は武士の住い)


まず火があり、日の周りに人が集って一つの空間が生れ、空間をあり合わせの材料で包んだ時、人類の住いは出現した。その遠い記憶が、離宮の茶室にはある。
ダ・ヴィンチが原案を描き、ミケランジェロが工事を進めたローマのサン・ピエトロ寺院が人類の建築の一つの究極なら、利休の茶室はもうひとつの究極にちがいない。(茶室は建築の原点)


書院造を茶室の水で洗い、豪華や威厳を表わすための装飾や作りを流し去ってみると、意外な美しさが残っていた。書院造の線と面の構成に茶室の細く薄く軽い自由なデザインが加わり数寄屋独特の美しさが生れた。(数寄屋造に落ち着く)

平安貴族の寝殿造-武士の書院造-茶の侘び-数寄屋造という変遷は実にわかりやすいが、これはまあ常識だと思う。

2015/08/23(日)●昼は仕事夜はデモ
7時起床。
今朝の血圧は182/91/76。
としろうにJR灘駅南に迎えに来てもらい、東住吉のドーハ向け船便ピックアップ現場。
昼前に作業終了。近所に「うどん屋風一夜薬」という不思議な漢方薬屋があった。
六甲アイランド倉庫で荷降ろし、荷積みなど済まして、六甲ライナー、JRで3時帰宅。
4時に元町私学会館で「アベ政治を許さない市民デモKOBE」の集会に。
元自衛隊員の泥憲和さん、民主党参議院議員の水岡俊一さん、神戸大学反戦ネットの上瀬直哉さん、安保法案に反対するママの会の羽田直子さん、戦争体験者山本善偉さん(94歳)のスピーチがあり、それぞれの立場で、法案、安倍政権への批判、不満、欺瞞を発言して、なかなか聴き応えのある催しだった。300名以上の参加者で、6時半から、デモ行進。元町駅北側から元町アーケード街ー三宮アーケード街経由で、三宮駅前おっぱい広場で解散。
8時半帰宅。
今日の歩数は6035歩。

喇叭花 

神馬像 

うどん屋? 

色っぽいポスター 

風邪薬屋だった 

六甲ライナー最後尾から 

 

 

 

 

 

デモ開始 

元町駅北側から 

三宮を経て 

おっぱい広場で解散 


2015/08/22(土)●板門店会談
8時起床。
今朝の血圧は170/76/83。
午前中は部屋でごろごろ。
寝屋川の中学生男女誘拐殺害事件の容疑者が逮捕された。過去に数回、児童を誘拐したりしてた累犯者だったようだ。やりきれないものがある。
今日開幕の北京世界陸上選手権、マラソンでダークホースの19歳(エリトリアのゲブレスラシエ)が優勝。
阪神は午後2時からのデイゲームでDeNAに快勝。これで3連敗の後の連勝で首位をキープ。
夕方水道筋に買い物に出た以外は部屋暮し(^_^;)の一日だった。
朝鮮半島緊張は、午後6時から板門店で高官対談が始まり、ひとまず、戦闘開始にはいたらずに済みそう。「茶番」だと言われようと、とにかく穏便に収拾してもらいたい。
女子バレー日本-アルゼンチン戦。以前は結構女子バレーフリークだったが、数年前からほとんど興味をなくしてた。今回知ってるのは木村沙織だけ。その木村沙織が過去に引退を考え眞鍋監督の必死の要請でキャプテンとして復帰してたなんてことも知らずにいた。今日はアルゼンチンにストレート勝ちしたようだが(^_^;) やっぱり真剣に見る気にはなれない。今日はジャニーズ系グループの応援パフォーマンスがなかったのは救いだった。
今日の歩数は1221歩。

水道筋駐車場猫A 

駐車場猫B 

含羞草 

【西洋館を楽しむ】増田彰久 ★★★★
2007/10/10 ちくまプリマー新書

日本の西洋館の写真家とえいば、この人をおいてない、と思うのは「写真な建築」に掲載された白黒写真があまりにすばらしかったからだ。
写真はオールカラーで、新書だからかなり小さめだが、それでも「さすが」というしかない写真勢揃いである。
王子動物園内にあるお馴染みのハンター亭の写真は全景とベランダの二葉が収められ、表紙にも使われているが、Morris.の写真と比べるとまるで違う(^_^;)
西洋建築を「用途別」篇と「細部」篇に分けて以下の分類で4p(見開きカラー写真2p+文章2p)ずつ紹介している。

[用途別]灯台・税関・学校・役所・駅舎・工場・倉庫・レンガ窯・時計塔・教会・ホテル・邸宅・温室・刑務所
[細部]列柱・スレート・ベランダ・装飾金具・階段・食堂・暖炉・照明器具・ステンドグラス・タイル・漆喰装飾・植物装飾・動物装飾

18世紀中ごろ、イギリスの製鉄王アブラハム・ダービー一世は、地下に眠る鉄鉱石と石炭を利用して精錬する方法を世界で初めて考案し、今までにない安い鉄(鋳鉄)の大量生産に成功した。鍋や釜、街灯、暖炉、ストーブ、ベンチ、マンホールの蓋、柱、階段、手摺、そして船。変わったところでは棺桶から墓標まで鉄で製造された。日本でも新しい建築材料として近代の鉄・キャスト・アイアン(鋳物)は柱や梁にも使用されてきた。東京駅のホームにアカンサスの柱頭飾りが残っている。型に流し込んで造るので装飾金具にはよく使われた。いろいろなデザインができるので、建物のポイントに使われている場合が多い。(装飾金具)


鋳鉄(鋳物)が18世紀まで存在してなかったのか(@_@)。いや、それまでの脆い鋳鉄から、粘り気のある実用的な鋳鉄の生産が18世紀に始まったということだろう。

西洋では、階段は上の階にあがるという機能だけではなく、その建物の見せ場であり舞台でもある。このため階段は非常に重要な場所として、建物の重要なアクターとしてとらえられている。
階段が立派なお宅は家も立派。階段が貧弱で立派な建物はない。玄関の階段が家の第一印象を決めるのである。客人は階段を上がっていくと、視点が変わっていく。天井を見上げたり、ホールを見下ろしたり、玄関室をくまなく見せるという効果がある。(階段)


Morris.も結構階段好きだけど、どちらかと言うと公共建築の階段が主で、なかなか邸宅訪れる機会はないものな。まあ、Morris.が一番好きなのは螺旋階段だし(^_^;)

貴族の館では食堂に掛かっている絵はポートレートと決まっている。イギリスでは由緒ある邸宅は必ず、そのお宅にゆかりのある方のポートレート。有名な画家たちの手によって描かれた、ご先祖様をはじめ、親交のあるちゅうおうの貴族たちの肖像画である。なんでそうなるのかというと、食事は一種の儀式に近いからだ。食事をするときにはご先祖様の前で一緒に食事をするという感覚なのである。(食堂)

儀式としての食事と言うのは、Morris.はほぼ無縁だし、あっても一番苦手な部類に入る。

西洋館の煙突は富の象徴である。煙突のしたには暖炉があり、暖かな部屋がある。素晴らしい暖炉がある部屋は上級の部屋と見て間違いない。暖炉は部屋の格を決める。そういう役割も果たしていた。したがって、煙突の数が多いほど立派な邸宅なのである。(暖炉)


暖炉(マントルピース)も結構好きだけど、これまで見た中で一番好きなのは、旧ソウル駅舎2階にあるアールヌーボーデザインの白い大理石製のものだ。本書に掲載さいれている甲子園ホテル(ロイド設計)のアールデコ調の暖炉は良さそうだ。

コテ絵を製作するのには漆喰と顔料を混ぜて絵の具としたため、フラスコ画と似ているようだが全く違う。日本の左官はコテが命で絶対に筆を使わない。何が何でもコテ一本で全てを表現した。立体だろうと、龍や鶴など複雑な造形の場合でも同じ。例えば花を作るときには花びらをコテ台の上で、いきなり形にする。どんなものにも挑戦していて、不可能を可能にしてしまうのがコテ絵職人である。(漆喰装飾)

明治維新の西洋建築の取り入れに日本の職人の技術の高さが一役も二役も買ったというのが、著者の持論で、特に左官の技術は装飾の面で大きかったと言う。
「西洋建築を撮る」と題して二本のコラムが掲載されている。これは全文引用したいくらい本質を抑えた教えだが、読んでも実行は難しそうだ。とりあえず参考にはなるだろう。

[建築撮影の3つのポイント]
空間表現 建築には外部と内部の空間があるが空間は実際には目では見えない。見えているのは、それを生み出している屋根や壁、床や天井などである。写るのはこれらの部材であるが、建築の空間をハッキリと意識して撮影しているかどうかで写真のもつ説得力が違ってくる。
テクスチャー(質感)表現 建築には構造材から仕上げ材まで、多くの変化に富んだ質感をもつ材料が随所に使われていて、これらが建築上の大きな表現効果になっている。西洋館では古くからの木、石、土、漆喰をはじめ明治の新建材であるレンガ、鉄、コンクリートなど多種多様である。このためテクスチャーをいかに表現するかが、建築自体を正しく伝える一つの手段となるのである。
ボリューム表現 目で見た感じのボリュームを写真で伝達するのは大変に難しい。写真は生まれながらにしてプラス志向の強いメディアである。そのためか小さい物を大きく、狭い部屋を広く見せたりするのはこのためである。それでは正しいスケール感を表現するにはどうすればいいかというと、何でもかんでも広角レンズを使用しないことである。人間の目はよくできていて、目玉がグルリと動くのでかなり広角のように見えるが、どう見ても小型カメラの28ミリくらいではないか。よく、全部が入るからと言って超広角で何でも撮影する人がいるがやめた方がいい。なるべく人間の目に近い写角のレンズで写す方が自然なカニが出ていい。(西洋館を撮る①)

一時魚眼レンズ(ビデオ用のものを流用)を使いまくってたことがあるが、やっぱりこれで建築写真撮影は邪道だったみたいだな。

外観の撮影には西洋館では晴天の日が最もよい。自然な雰囲気で捉えるには順光線が適している。立体感や質感を強調するには斜光線で、逆光線で建築そのものをシルエットにするのも場合によっては面白い。建築にもよるが、夜間に撮影した方が効果的な場合もある。夜は見せたくない部分が闇に消えて魅力的な写真になることが多い。撮影は少し困難だが、雨の日は路面に光が写り一段と効果的な表現になる。
特殊なカット以外は、壁や柱を垂直にするのが一般的である。水平を写真の上でどのように処理するかは撮影者の個性の問題だが、フラットな視点は対照的な構図やパンターンや装飾などを強調するのに効果的である。建築写真の場合は垂直、水平は補正するかゆがめるかを画面の上でもハッキリさせることが重要である。(西洋館を撮る②)


そうか、やっぱり建築写真では垂直水平は補正もあり、だったんだ。今やPCの進歩で、かなりの補正は可能だろう。とはいえ、Morris.は補正する技術もつもりもない。Morris.のコンパクトデジカメは30倍ズームだから、なるべく離れたところからカメラ固定して(豆袋で(^_^;))スローシャッターで写すのが無難だろう。

2015/08/21(金)●朝鮮半島緊張
8時起床
今朝の血圧は161/80/87。
朝の3点セット。
10時に自転車で水道筋に出てマルハチで買い出し。
どこか出ようかと思ったがどんより曇で迷ってたら、珍しくNHKで国会中継やってたのでついつい見てしまう。民主党の蓮舫、共産党の小池が結構鋭い質問してたけど、自民党はのらりくらりである。こうやって時間だけが無駄に過ぎて質疑時間を費やして、60日ルールで議案成立、となるのだろうか、これはなんとか阻止したい。
5時から屋上でミニギター&缶酎ハイ。心地よい風が吹いて、途中からデッキチェアで読書。
今夜の阪神はDeNA戦。なんとか逃げ切って4連敗は免れた。
北朝鮮が、韓国のスピーカーに向けて砲弾を発射、これに対して韓国も砲撃し、両国は準戦時状態になった。これはかなりヤバい状況だと思う。
今日の歩数は1174歩。

 

 

 

【冬の鷹】吉村昭 ★★★ 1974/07/10 毎日新聞社
ターヘル・アナトミアの翻訳「解体新書」は杉田玄白の「蘭学事始」で世間に知られ、、教科書に取り上げられることになったが、実は翻訳の要となった前野良澤は、「解体新書」の編著者としては名前が出ていない。その良澤を主人公として描いた作品。

かれらは、激しい情熱をもっていたが、結束が一瞬にして崩壊する危険にもさらされていた。盟主である良澤が手をこまねいていることは、翻訳が一歩も前進せぬことをしめしている。医家として多忙な身であるかれらが、全く成功のおぼつかない翻訳事業のために時をすごすことは無駄なことにちがいなかった。

翻訳という作業では、Cクラスの能力者100人よりBクラスの能力者一人の方がはるかに役に立つ。そういう意味でこの翻訳作業の実情がよくわかる一文だが、もちろん、Morris.のチェックポイントは「手をこまねいて」表現である(^_^;)

「プラクテーキ」には、癲癇、卒中、麻痺、感冒、咽喉カタル、肋膜炎、喘息、肺結核、楊枝結核、吐血、発熱、丹毒、食欲過度、嘔吐、水腫、赤痢、疝痛、下痢、腎臓病、月経閉止、月経過多、子宮病、恋病い、難産、黄疸、蕁麻疹、回虫、足痛、壊血病、天然痘などの病気が項目別にわけられ、その発病原因と治療法が簡潔な文章でしるされていた。
「解体新書」刊行後三年目に著した「管蠡秘言」は、「管をもって天をうかがい蠡(ひさご=貝殻)にて海の量を測る」ようなせまい見識ではあるがと題しているが、それは蘭書を読んで得た知識をもとに旧来の節を排した宇宙論であった。

「解体新書」後にも、良澤は蘭書の翻訳を続けていったらしいが、ほとんど後世に知られるものではなかった。
「鼻はフルヘッヘンドしたもの也」という文章はエピソードとして教科書にも採用されたくらい有名だが、実はこれは緒方洪庵の記憶違いで、「ターヘル・アナトミア」にはそのような記述はないとのこと。これは著者の発見でもないのだが、印象深いエピソーどだけに、ちょとしらけてしまう。

2015/08/20(木)●巨人に3連敗(>_<)
7時起床。
今朝の血圧は149/76/67。
小雨模様なので、やっぱり甲子園に行くのはパス。もしかしたら決勝戦、明日に順延になるかもしれない。
と、思ったけど結局予定通り試合始まり、8回まで6-6という接戦だったが、9回表東海大相模のエース小笠原がホームラン、続いて3点が入り、勝負あった。10-6で東海大相模45年ぶりの優勝。仙台育英は準優勝で、今年も東北初優勝はならなかった。
午後雨も上がり、4時に部屋を出て歩いて三宮へ。「安保法案反対!市民の集い」の抗議行動。お盆休みで2週間ぶり。顔なじみ15人ほどが集まる。8月30日の国会前抗議集会に神戸のSEALDsの若者を送るための資金カンパ活動が主になっている。これはこれで意義あることだと思うが、Morris.としてはストレートに法案反対の意思表示したいだけなので、今日はポスターかかげて立ってるだけだった。
6時半に散会して、イシバシ楽器ひやかしたら、ワンセット199円(@_@)のエレキ弦があったので、つい買ってしまった。押入れに死蔵してる壊れかけの古いセミアコの絃を張り替えるつもり。別にいまさらエレキ弾くわけではないが、例のギター教本のスケール練習のハイポジションがミニギターでは難しいので、とりあえず室内練習のための措置である。
阪神-巨人3戦目、藤浪と菅野の息詰まる投手戦で8回まで1-1。でも、9回裏、藤浪死球、バント処理エラーで無死満塁としたところで呉昇桓と交代、一人は抑えたが、二人目にタイムリー打たれてサヨナラ負け(>_<) ゲーム差は0.5ゲームになってしまったが、まあ、この時期に首位争いできてる事自体を喜びたい。
今日の歩数は4384歩。

爆ぜ蘭 

大安亭八百屋猫野良B 

八百屋猫野良Aと飼い猫 

旭通りのGray 

今日の抗議行動 

エレキ弦199円(税込) 

【戦後史の正体 1945-2012】孫崎享 ★★★☆☆☆ 2012/08/10 創元社
高校生にもわかる戦後史の本という触れ込みだが、著者は1943生まれの元外交官で、鳩山由紀夫のブレーンとしても活躍した人らしい。
徹底して日米関係を軸にした戦後史で、実にわかりやすく、「面白くて(おそろしくて)為になる」本だった。
いつもにまして、引用が多いが、講義メモのつもり、ということでよろしく(^_^;)

9月2日(ミズーリ号での降伏調印)を記念日にした場合、けっして「終戦」記念日とならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。そう、日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。

実は8月15日に合わせて、戦後史の本でもと思って読み始めたのだが、のっけから、戦争の終わりは8月15日でなく、9月2日だという記述(^_^;)

さまざまな経緯の結果、日本占領は米軍による間接統治となりました。連合国最高司令官マッカーサーが日本政府に命令し、日本政府は最高司令官の指示にしたがって政策を実行する。そこに日本の自主的な統治が存在すると思うと、大きな判断ミスを犯すことになります。
「日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。
そこで一般の人は、一方のボスから他方のボス、すなわち現在のわが占領軍のもとに生計がたもたてれていれば、別に大したことではないのである」(トルーマン回顧録)


情報統制下の一般人。実は故意に「知らないふりをしていた」のではないかという疑いを抑えきれない。

「天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借--25年ないし50年、あるいはそれ以上--の擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」(マッカーサー元帥のための覚書1947/09/29)
進藤栄一がこの文書を発掘し1979年「世界」4月号に発表したのだが、日本の新聞や学会からは全く黙殺された。「不都合な事実には反論しないあたかもそれがなんの意味もないように黙殺する」(進藤発言)それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです。(第一章 「終戦」から占領へ)


昭和天皇が、沖縄の長期米国支配を望んでいたということは、前にも読んだことがあるが、それが表に出ない、議論されない、ということが問題である。

「軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。誤ってあたえられた権力の出現がもたらすかもしれない悲劇の可能性は存在し、また存在しつづけるでしょう。
この世界は、おそるべき恐怖と憎悪の社会ではなく、相互の信用と尊敬にもとづく誇るべき同盟にならなければならないということです。そのような同盟はたがいに対等な国々の同盟でなければなりません。もっとも弱い立場の者が、道徳的、経済的、軍事的な力によって守られたわれわれと同等の自信をもって、話し合いのテーブルにつかなければなりません」(1961/01/17 アイゼンハワー退任演説)
アイゼンハワーは軍人です。戦争の悲惨さを知っています。彼の演説を読むと、いかに戦争を避けるかを真剣に考えている事がわかります。
しかし2001年以降米国は「テロとの戦い」などといって「恐怖と憎悪」をあおり、不必要な戦争に突入してしまいました。現在の米国が、いかにアイゼンハワーのこの真摯な忠告から遠い場所にいるかを痛感させられます。


Morris.の記憶に残っている最初のアメリカの大統領といえばアイゼンハワーという名前だった。そのあとはケネディか?

マッカーサーは1951年4月11日、解任されました。それはマッカーサーが進めた「非軍事化」「戦争犯罪人の処分」「民主化の最優先」を軸とする日本占領政策の終わりを意味していました。
マッカーサーに代わって連合国最高司令官となったリッジウェイは、政治家や将校たちに出されていた公職追放をゆるめ、25万人以上の追放解除を行ないました。鳩山一郎や石橋湛山、岸信介といった著名な政治家たちが、このとき政治的権利を回復しました。1952年10月に行なわれた占領終結後、最初の国会議員選挙では、衆議院の42%を追放解除者が占めることになります。(第二章 冷戦の始まり)


占領時代の公職追放者の開放というのがいまいちよく分からなかったのだが、25万人以上という数に驚いた。戦中戦前の政治経済の勢力がそのまま戦後の日本をリードしていくことになった原点だったわけだ。

マッカーサーが解任されて5ヶ月後の1951年9月8日、日本はサンフランシスコで講和条約(平和条約)と日米安保条約に調印しました。
「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約(講和条約)-安保条約-行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかった」(寺崎太郎外交自伝)

*日米行政協定 日米安保条約にもとづいて駐留する在日米軍と米兵他の法的地位を定めた協定。1952年2月28日調印、同年4月28日に発効した。占領中に使用していた基地の継続使用や、米軍関係者への治外法権、密約として合意された有事での「統一指揮権(日本軍が米軍の指揮下に入る)など、占領中の米軍の権利をほぼすべて認めるものだった。
新安保条約の締結(1960)と同時に「日米地位協定」と名称を変えたが、「米軍が治外法権をもち、日本国内で基地を自由使用する」という実態はほとんど変わっていない。

現在の日米地位協定=行政協定が典型的治外法権の不平等条約そのものなのに、条約より下位の「協定」という名のもとに人目を避けて(^_^;)日米関係の根底に居座り続けている。
沖縄基地問題もつまりはこの協定から見直さない限り根本的解決はできない。

「米軍駐留に関する規定を安保条約の本文のなかに書き入れ、日本の国会や国民にきちんと判断してもらおう」という考えが(当時の)外務省にはあったのです。このあと当たり前になってしまう「協定や合意文書という形で米国と密約を結び、国民の目の届かないところで運用してしまおう」という姑息な考えは、当時の外務官僚は持っていなかったのです。
しかし、米国はこの日本側の提案を受け入れませんでした。米軍駐留に関するもっとも重要な部分は、国会での審議や批准を必要としない、政府どうしの合意だけで結べる行政協定によって結ぶことを求めたのです。

「協定や合意文書という形で米国と密約を結び、国民の目の届かないところで運用してしまおう」という姑息な考え---これは、そのまま、今日の安倍内閣の安保法案のやり方そのままではないか。

「占領軍は日本に指令を出し、いっさいの外国との接触を禁止すると命じてきた。それからずいぶん長い時間が経過した。その結果、すべてのことが占領軍まかせになった。日本の政治家も官僚も、外交とは占領軍を相手とした渉外事務にすぎないという程度の認識しか持てなくなったのである。
日米安全保障体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は、日本人のなかにしっかりと定着したのである」(1978 大野勝己「霞ヶ関外交」)

日本の外交がほとんど日米間の内交でしかない、という思いが……

江藤淳は「閉ざされた言語空間」のなかで、日本における言論空間が「奇妙に閉ざされ、統制されている」ことにいらだちを感じ、その根源を探っていくと、占領時代の言論統制に行きつくと書いています。
「占領軍の検閲は大作業でした。そのためには高度な教育のある日本人5千名を(破格の高給で)雇用しました。その経費はすべて終戦処理費だったのです」(岡崎久彦「百年の遺産」)
つまり日本人のお金で、日本人が日本人を検閲し、言論統制していたのです。
彼らは自分が「日本人検閲官」だったという前歴を「公表するぞ」といわれたら、非常に困ったと思います。つまり米国の諜報機関に利用されやすい条件をもつインテリ層が、戦後の日本には五千名もいたのです。
このように米国の方針にさからえば追放される、逆にすり寄れば大きな経済的利益を手にすることができる、この構図は今日までつづいているのです。


5千人もいた「日本人検閲官」(@_@)このアメリカのやり方は オーウエルの「1985年」を彷彿させる。

財閥解体には別の目的もありました。それは旧財閥を基盤とする戦前の経済人の力を弱め、代わりに米国に協力することにまったく抵抗のない人びとを日本の経済界の中心にすえるということです。
1946年4月、米国の青年会議所をモデルとして経済同友会が設立されます。
その設立時のメンバーが、このあと20年、30年と、日本の経済界の中心となり、政界にも強い影響力をもつようになります。全然の経済人が数多く追放される一方、彼らの多くは親米路線を歩んでいきます。
・櫻田武・水野成夫・永野重雄・小林中・鹿内信隆/藤井丙午・堀田庄三・諸井貴一・正田英三郎・麻生太賀吉・中山素平・今里広記


経済界には疎いMorris.でも上記の半分くらいは知ってる名前だ。大物経済人勢揃いで、彼ら親米経済人が、親米内閣と手を組んで高度経済成長時代を推進させたことになる。

ガリオア資金で注目すべきなのは、日本社会の重要な人物がこの資金で留学していることです。大学教授や公務員などが大量に米国に留学しています。さらにフルブライトの資金でも留学しています。多くの人は帰国後、日本社会のなかで指導的立場につき、日米関係強化の方向で動いたことはいうまでもありません。

経済界、政界だけでなく、親米学者の養成まで、アメリカのやり方は徹底しているんだなあ。

(安保条約一条には)「この軍隊は、日本国の安全に寄与するために使用することが"できる"」と書かれています。一般の人はうっかり見すごしてしまうでしょうが、「使用することができる」というのは、法律上は義務ではないということを意味します。

法律の言葉遣いは難しい(>_<) 出来る=出来ないわけではない=出来なくてもかまわない=しなくてもよい(^_^;)

おそらくみなさんは、「アメリカは沖縄を返してくれたのに、ロシア(ソ連)は北方領土を返してくれない。やっぱり嫌な国だ」と思っているかもしれません。でもここで驚くようなことを教えましょう。実は北方領土の北側のニ島、国後島、択捉島というのは、第二次世界大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土なのです。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉の其れへの引渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしているのです。理由は日本とソ連のあいだに紛争のタネをのこし、友好関係を作らせないためにです。驚きましたか?
これは国際政治の世界では常識なのです。英国などは植民地から撤退するときは、多くの場合、あとに紛争の火種をのこしていきます。かつての植民地が団結して反英国勢力になると困るからです。
日本と周辺国の関係を見ても、ロシアとは北方領土、韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島と、みごとなくらいどの国とも解決困難な問題がのこされていますが、これは偶然ではないのです。--米国に意図的にしくまれている面があるからです。(第三章 講和条約と日米安保条約)


こんなところが「陰謀史観」と呼ばれる所以なのだろうが、充分にありそうなことである。鵜呑みにするのではなく、可能性として保留しておく態度が必要だろう。

たしかに岸信介とCIAのあいだに闇の関係はありました。しかし、だからといって岸は自分の行おうとしたことをやめたわけではありません。逆に利用しています。このへんの芸当は、戦前の満州帝国の経営など、きれいごとの通じない世界でメキメキと頭角をあらわした時代の経験が大いに役だっていたのでしょう。その満州時代をふり返る形で、彼はこう話しています。
「政治というのは、いかに動機がよくとも結果が悪ければダメだと思うんだ。場合によっては動機が悪くても結果がよければいいんだと思う。これが政治の本質じゃないかと思うんです」(岸信介証言録」)


著者はそれなりに岸を評価しているのだが、Morris.はやっぱり好きになれないな。日常生活的には結果オーライな(^_^;)Morris.だが、国政という土俵では、悪い動機(根本)で動くべきではない。青臭いと言われようと、目的のためにこそ手段を選ばなくてはならないと思うのだ。

歴史で「もし」は禁句だそうですが、このケースだけは許していただきたいと思います。もし岸政権が1960年7月、安保騒動で崩壊しなかったら、岸首相は「駐留米軍の最大限の撤退」を「日米安保委員会」で検討させていたでしょうか。「おそらく検討させただろう」という結論が出ると、岸政権のこれまでの評価はすっかり変わります。
岸は「二段階論」を考えていました。つまり安保条約を改定して、その後「行政協定を改定する」方針でした。
ところがこのとき、池田勇人、河野一郎、三木武夫がそろって「同時大幅改定」を主張したのです。


「総じていえば、60年安保闘争は安保反対の闘争などではなかった。闘争参加者のほとんどが国際政治および国際軍事に無知であり無関心ですらあった」(西部邁「60年安保--セチメンタルジャーニー」)

60年安保時、Morris.は十歳だったが、ニュースなどで「アンポハンタイ!!」の掛け声だけは覚えている。著者は当時の反対運動にもアメリカの影を見て、否定的に捉えているようだ。西部邁の言うところの「参加者の無知、無関心」--これも、現在の安保法案反対運動参加者にも通じるのだろうか。やはり「無知は罪」なのだ。

新安保条約のどこが旧安保条約に比べてすぐれているか、それは2005年以降、日米の安全保障関係が大きく変質していくなかであきらかになります。
第五条で「日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続にしたがって共通の危険に対処するように行動する」としていること。
ここでは、日本は米軍が攻撃されたときも共に行動することをやくそくしています。しかし、そこには制限がついています。「日本の施政下にあるところへの攻撃」と「相手からの攻撃があるとき」に限られているのです(米国は最初、「日本の施政下」ではなく、もっと広い地域、「太平洋」をカバーしようとしていました)。
そして米国は「自国の憲法にしたがって」という条件はつけているものの、日本を守る義務を明記しました。これは旧安保条約にはなかったものです。


これは今の、集団的自衛権の問題点に深く関わるところである。つまり60年安保時に、辛うじてアメリカの要求から身をかわした部分を、安倍内閣は搦め手から、なし崩し的に無効にしようとしている。

欧米が植民地支配をするときは、よくその国の少数派と手を組みます。これがセオリーです。主流派は、別に外国と手を組まなくても支配者になれるからです。でも、少数派はちがいます。外国と手を組むことではじめて、国の中心に進出することができるのです。(第四章 保守合同と安保改定)

国際政治に関するこういった小ネタは、外交畑の現場で「情報屋」と言われた著者ならではのもので、興味深い。

米国は安保闘争で、「労働界や野党に工作をする必要性」を学びました。それが徐々に実を結び、労働運動では米国に厳しい姿勢をとる総評に代わり、連合が力をもつようになります。2009年に自民党から民主党に政権交代が起こった際にも、当初米国にきびしい姿勢をとった鳩山由紀夫氏や小沢一郎氏に代わって、いつのまにか、野田佳彦氏、前原誠司氏など、米国との関係を重視する松下政経塾出身者が民主党で勢力をもつようになります。米国がいかに長期的戦略をもって日本に対応しているかについては、実に感心させられます。

これも鳩山由紀夫内閣のブレーンを勤めた著者だからこその悔しさがにじみ出ているな。

「ニクソンの訪中のあと、尖閣諸島について国務省は日本の主張に対する支持を修正し、あいまいな態度をとるようになった。佐藤の推測によれば、ニクソンと毛沢東のあいだでなにかが話しあわれたことを示すものだった」(永野信利「外務省研究」)

国境紛争は話し合いでは解決しないものだが、第三者である米国が当事者である両国の紛争を自国の利益のために利用しようとするのは面白く無い。

米国は歴史的に、国際的な約束より自国の決定が優位に立っていると考えてきた国です。国際的な約束を守ることが自分の国に有利な時には、国際的な約束を守ります。他の国にも守るよう圧力をかけます。しかし、自分の国が不利になると、国際的な約束を破って行動するところがあります。

これをご都合主義という。

日本経済の低迷は1985年のプラザ合意から始まります。日本の通貨をわざと円高にして、米国への輸出に歯止めをかけたのです。円高で製品の輸出が困難になった日本企業は、海外に進出するようになりました。こうして日本経済の空洞化が始まります。(第五章 自民党と経済成長の時代)

あれから30年が経ったのか。て、いうか、Morris.はプラザ合意という単語は聞き覚えあっても内容は知らずにいた(^_^;)。円高は韓国に旅行する時レートが高くてありがたいくらいに思ってた、という、無知ぶりだった。

1995年2月「東アジア戦略報告書」のなかでナイ国防次官補は、「日本の国際的平和維持活動が活発になるのを歓迎する」と書いていますが、ここに米国の深謀遠慮が隠されています。
国際的平和維持活動といったとき、頭に浮かぶのは「人道的支援」です。日本の国民はそれにはほとんどはんたいしません。ですから自衛隊も国際平和維持活動にすんなり参加することができます。そうやって日本国民が自衛隊の海外派遣に疑問をもたなくなったころ、段階的に自衛隊を軍事面で使っていこうという計画です。(第六章 冷戦終結と米国の変容)

安倍首相のいう「積極的平和主義」に通底するものではないかと思う。Morris.にはどうしても「攻撃的平和主義」と聞こえてしまう。

2003年12月から2009年2月まで日本はイラク戦争に参加しました。でもその理由はなんだったのでしょうか「米国に言われたから」それ以外の理由はないのです。

簡にして要を得た質問と答え。

私は2003年、「中央公論」5月号に「情報小国脱出の道筋」と題した論評を書き、間接的な形でイラク戦争を批判しました。
私は中公新書「日本外交 現場からの証言」で山本七平賞をいただいてから、中央公論社から毎年2~3本の論評を掲載しますといわれていたのです。しかしこのあと中央公論から論評の依頼はなくなりました。
たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっても群れのなかで論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしていても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です。


「寄らば大樹の陰」か、それとも「赤信号皆で渡れば恐くない」か(>_<) 「日本限論界」(@_@)

9・11同時多発テロ以降、「紛争の平和的解決」「国際法の順守」「人民の同権および自決の原則」を尊重する考えは、米国の世界戦略のなかにはありません。とくに民主化、市場化をめざす国と、めざさない国とは同じにはあつかえないとして、敵と味方をきびしく分けています。
「日米同盟 未来のための変革と再編」(2005年10月29日)のなかに書かれている「日米共通の戦略」という言葉の意味は、米国が決定し、日本が同意する戦略ということです。
さらにこの文書では、その共通の戦略の目的が「国際的安全保障環境を改善する」となっています。これは非常に危険な条項です。
「国際安全保障環境の改善」というと、なにかいいことをするようなイメージをもってしまいますが誤解です。これは米国が必要と判断したときには、主権をもつ他の国家に対して自由に軍事力を行使できるという意味なのです。


アメリカの決定に、同意するしかない日本(^_^;) 完全にパシリ役扱いか。安全を保障するというより、安全のために日本を盾にする戦略だ。

多くの犠牲者を出した17世紀の宗教戦争、その深刻な反省から、ヨーロッパには「自分が正義だといって、その実現のために他国と戦争することは避けなければならない」という平和の知恵が生まれました。それが国際法における「国家主権」の概念です。これは宗教戦争に終止符を打った1648年のウェストファリア条約(30年戦争の講和条約)によって確立されました。国連憲章も大きな流れとしては、そうした平和を求める人びとの願いのなかから生れたものなのです。
現在の米国がかかげる「予防戦争」(何ヶ月あるいは何年も先に実現しそうな脅威をとりのぞくために、米国は軍事攻撃を行なっていいという考え方)という概念は、「近代社会400年の知の伝統の否定」です。そうした歴史の中で、日本は米国との「共通戦略」にのりだそうとしているのです。


勉強になるなあ。ウェストファリア条約なんて初めて聞いたような気がする。「予防戦争」と「戦争予防」の間にはとんでもなく大きな溝がある。集団的自衛権はこの「予防戦争」の色合いが濃い。

小泉首相時代、日本は安全保障面だけでなく、経済面でも対米従属が大きく進みました。私には、外交・安全保障面では完全に米国に追随しながらも、海外への派兵だけはせず、内政面ではなんとか米国の介入を防いで比較的平等な社会を築いてきた自民党政権の意義が、ここで完全に失われたのだと思えます。

小泉にはMorris.も見事に騙されたというにがい記憶がある。戦後、北朝鮮を初めて訪問した首相ということで、過剰に評価してしまったのだった。その後の顛末は省略する。

「在日米軍基地の見直し」と「中国との関係改善」。結局、日本にとって踏んではいけない米国の「虎の尾」とは、このふたつの問題につきるのです(本格的に踏んだ首相がいないので証明はできませんが、これにおそらく「米国債の売却」が加わります)。

これが著者の持論である。そして鳩山由紀夫はこの両尾を踏んだのだから、お仕置きは当然の結果ということになる。

鳩山首相が(普天間基地を)「最低でも県外移転」といったことに対して、政府内のだれも鳩山首相のために動こうとしませんでした。首相が選挙前に行なった公約を実現しようとしているのに、外務省も防衛省も官邸も、だれも動こうとしなかったのです。異常な事態が起こっていました。日本の政府が首相ではなく、米国の意向にそって動くという状態が定着していたのです。残念ながら、日本のマスコミはこの点をまったく報道しませんでした。
鳩山政権が米国に潰されたのはだれの目から見てもあきらかでした。


あの時の野党(自民党陣営)はもちろん、民主党内の対応もたしかに異常なものがあった。心情的にはMorris.は鳩山に同情的である。結果論を言ってもしょうがないが、あの時点で民主党が一丸となってたらよかったのに。鳩山の失敗は、「最低でも県外移転」を貫かなかったことだろう。

TPP論議の最大の問題は、推進者が実態をゆがめて説明している点にあります。
「TPPに参加しないと日本は世界の孤児になる」というのも詭弁です。
一方、被害はかぎりなく想定されます。これまで日本の繁栄を支えてきた素晴らしいシステムが、次々と破壊されていくのは確実です。
米国はなぜ日本にTPPを執拗にせまるのか。理由がふたつあります。
一つは日本が中国と接近することへの恐れです。もう一つは米国経済の深刻な不振です。
TPP推進派の人びとは、TPPの実態を説明していません。詭弁を使っています。
本当に危険な状況だと思います。(第七章 9・11とイラク戦争後の世界)

本文のおしまいがTPP批判である。やや八つ当たり気味でもあるが、気持ちはわかる。

①米国の対日政策は、あくまでも米国の利益のためにあります。日本の利益とつねに一致しているわけではありません。
②米国の対日政策は、米国の環境の変化によって大きく変わります。
代表的なのは占領時代です。当初、米国は日本を二度と戦争のできない国にすることを目的に、きわめて懲罰的な政策をとっていました。しかし冷戦が起こると、日本を共産主義に対する防波堤にすることを考え、優遇し始めます。このとき対日政策は180度変化しました。そして多くの日本人は気づいていませんが、米国の対日政策はいまから20年前、ふたたび180度変化したのです。
③米国は自分の利益にもとづいて日本にさまざまな要求をします。それに立ち向かうのは大変なことです。しかし冷戦期のように、とにかく米国のいうことを聞いていれば大丈夫だという時代はすでに20年前に終っています。どんなに困難でも、日本のゆずれない国益については主張し、米国の理解を得る必要があります。


結構読み通すのに時間がかかり、引用も多い割にまとまりのないものになってしまったが、あとがきで、以上のようにあっさりまとめてあって、ちょっと脱力(^_^;)。

戦後の首相たちを「自主」と「対米追随」という観点から分類してみたいと思います。
(1)自主派(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)
○重光葵(降伏直後の軍事植民地化政策を阻止。のちに米軍完全撤退案を米国に示す)
○石橋湛山(敗戦直後、膨大な米軍駐留経費の削減を求める)
○芦田均(外相時代、米国に対し米軍の「有事駐留」案を示す)
○岸信介(従属色の強い旧安保条約を改定。さらに米軍基地の治外法権を認めた行政協定の見直しも行なおうと試みる)
○鳩山一郎(対米自主路線をとなえ、米国が敵視するソ連との国交回復を実現)
○佐藤栄作(ベトナム戦争で沖縄の米軍基地の価値が高まるなか、沖縄返還を実現)
○田中角栄(米国の強い反対を押しきって、日中国交回復を実現)
○福田赳夫(ASEAN外交を推進するなど、米国一辺倒ではない外交を展開)
○宮沢喜一(基本的に対米協調。しかしクリントン大統領に対しては対等以上の態度で交渉)
○細川護煕(「樋口レポート」の作成を指示。「日米同盟」よりも「多角的安全保障」を重視)
○鳩山由紀夫(「普天間基地の県外、国外への移設」と「東アジア共同体」を提唱)

(2)対米追随派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)
○吉田茂(安全保障と経済の両面で、きわめて強い対米従属路線をとる)
○池田勇人(安保闘争以降、安全保障問題を封印し、経済に特化)
○三木武夫(英国が嫌った田中角栄を裁判で有罪にするため、特別な行動をとる)
○中曽根康弘(安全保障面では「日本は不沈空母になる」発言、経済面ではプラザ合意で円高基調の土台をつくる)
○小泉純一郎(安全保障では自衛隊の海外派遣。経済では郵政民営化など制度の米国化推進)
他、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、菅直人、野田佳彦

(3)一部抵抗派(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)
○鈴木善幸(米国からの防衛費増額要請を拒否。べいこくとの軍事協力は行なわないと明言)
○竹下登(金融面では協力。その一方、安全保障面では米国が世界的規模で自衛隊が協力するよう要請してきたことに抵抗)
○橋本龍太郎(長野五輪中の米軍の武力行使自粛を要求。「米国債を大幅に売りたい」発言)
○福田赳夫(アフガンへの陸上自衛隊の大規模派遣要求を拒否。破綻寸前の米金融会社への巨額融資に消極的姿勢)


これまた、わかりやすい分類表。本書は戦後史、特に戦後の歴代総理の批評史みたいな性格も持っている。個々の批評には異論もあるが、教えられる所も多かった。

戦後70年の歴史をふり返ってみて、改めてマスコミが日本の政変に深く関与している事実を知りました。
米国は、好ましくないと思う日本の首相を、いくつかのシステムを駆使して排除することができます。難しいことではありません。たとえば米国の大統領が日本の首相となかなか会ってくれず、そのことを大手メディアが問題にすれば、それだけで政権はもちません。それが日本の現実なのです。
米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を繁栄した政権です。ですからその次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、また頑張ればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。
カナダのピアソン首相が米国内で北爆反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字どおりつるしあげられました。カナダは自国の10倍以上の国力をもつ米国と隣りあっており、米国からつねに強い圧力をかけられています。しかしカナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し、毅然と物をいう伝統」をもちつづけ、2003年には「国連安全保障理事会の承認がない」というまったくの正論によって、イラク戦争への参加を拒否しました。国民も七割がその決断を支持しました。(おわりに)

今の安倍内閣が、日本の民意を反映した政権、とはとても思えないのだけど、それでも絶対的多数を誇っているというのが、悲しい現実である。
本書は刊行後20万部近いベストセラーになったらしい。高校の教科書のつもりで読んだMorris.だが、実際に本書が高校の副読本になれば面白いのにと思った。

2015/08/19(水)●路傍の雑草
7時半起床。
今朝の血圧は154/62/66。
甲子園に行こうかと思ったのだが、雨ふりそうな天気だったのでパス。
早実-仙台育英は0-7で仙台、関東第一-東海大相模は3-10で東海大相模とどちらもワンサイドゲームで興を削いだ。
メールで予約した本が戻ったと連絡があったので、歩いて三宮図書館へ。
途中道端の雑草をランダムに撮影。
三宮図書館で数冊借りて、ダイエーで買い物して帰ろうと思ったら、休みだった。ダイエーからAEONに名義変更+工事やってる模様。
JRで6時半帰宅。阪神は3点先制、能見好投で、ラッキーと思ったが、無死満塁、無死一二塁のチャンスを続けて逃し、ちょっとヤバいなと思ったら5回、また村田に同点打浴びてその後はまさに火達磨状態。二塁打6本含む10被安打で一挙12点取られてしまった(>_<) 連敗は必至で、ゲーム差は1.5。明日敗けたらまた団子状態になる。
今日の歩数は4268歩。

狗尾草と荒地野菊 

豆軍配薺 

豚草 

?? 

雌日芝 

雀の鉄砲 

姫昔蓬 

蓬 

小錦草 

野襤褸菊 

鷺苔 

?? 

蚊帳吊草 

河原決明 

片喰 

?? 

蔓蕎麦 

旭通りの白灰 

【植調 雑草大鑑】 浅井元朗 ★★★☆ 2015/02/12 全国農村教育協会。
B5版オールカラーの雑草図鑑である。タイトルにある「植調」は、本書を企画バックアップした公益財団法人 日本植物調節剤研究協会の略称らしい。本書はこの協会設立50周年の記念出版物でもある。
水田雑草28科129種、畑地雑草54科583種を掲載している。1ページに10点前後の写真(芽生え、全体像、花、種子、果実、細部等々)で、雑草のさまざまな姿を見ることが出来る。
和名・学名・英名、原産地、分布、出芽・花期、草丈、生活史、繁殖器官、種子散布などが併記されていて、特に草丈は「足首~膝」「膝~腰」「腰~胸」などのように身体部位で示してあるのは体感しやすい。
今日の日記で道ばたの雑草を撮影したのは、本書で同定して見ようと思ったためだ。

「雑草:撹乱の中に生きる植物」とタイトルされた序論は2pの短かさだったが、興味深いものだった。

雑草という名の植物はない。しかし雑草とみなされる植物はある。ある植物が雑草かどうかを決めるのは人間である。土手や道ばたに花を咲かせる草は、通りすがりの市民にとっては野草であるかもしれない。しかしその土地の所有者、管理主体者にとっては雑草だろう。

雑草は人間の管理の影響下に生きる植物群である。人間は土地を利用するために、さまざまな管理作業を加えている。土を耕したり、草刈りをするなど、その土地の植生を壊すことを生態学の用語で撹乱という。農地や緑地では、耕起、草刈り、湛水と落水、火入れ、放牧、除草剤処理といったさまざまな撹乱が加わることで、その土地の機能が保たれている。


「名もない草」という表現は俗的なもので、人目に付くくらいの植物で名前のないものはほとんど無いと思うが、雑草とみなされる植物はあるわけか。
「撹乱」という語は「乱れる、混乱する」みたいな意味だと思っていたが、生態学では雑草を除去する営みとして使われているというのは初めて知った。ちょっと意外な使い方である。
大辞林で「かくらん」を引いたら「[撹乱](コウランの慣用読み)かき乱すこと、混乱を引き起こすこと」とあった。正しくは「こうらん」と読むらしい。昭和初期の「大言海」「大辞典」には見当たらないから、1930年代以降に使われ始めた語かもしれない。「撹拌」も、正しくは「こうはん」と読むらしいが、今や「かくらん」「かくはん」と読むほうが一般的だろう。
またあとがきには

雑草も、社会を映すものです。
雑草を調べ、雑草との付き合いを考えることは、よりよい土地利用とそれがなされる社会のあり方を考えることでもある……雑草との関わりが続くほどに、そう、私は考えてきました。望ましいあり方とは? そのためにどうするのか? これまでのように、当事者の手が届かないところで多くのことが決まっているしくみから、自分たちで学び、決め、自分たちで決められる範囲をひろげてゆくための取り組みを続けること。雑草をはじめとする、足元の生物の生き様や他の生物とのかかわり合いに目を配り、その適切な理解に裏打ちされた土地利用の営みを地域社会の中で引き継ぐこと。それもまた豊かな社会の姿の一つでしょう。
本書の編纂に与えられた3年という期間は、この水準の書籍を完成するには明らかに短いものですが、その間たいへん楽しく充実した日々でした。東日本大震災後の、日本の社会がおかしな、荒んだ方向に進んでゆくことへのやるせなさからの逃避という面もあったかもしれませんが。


などという記述があり、著者の人間性がにじみ出ているようで好感を覚えた。
おしまいに、本書の中からこれまで知らずにいた、植物の漢字名を幾つか引いておく

カミツレ 加密列 chamomile 菊科 小鹿菊属 薬用植物として江戸時代に移入され、ハーブとして栽培される。リンゴに似た芳香があり、乾燥した頭花を利用する。逸出し、畑地、道ばた、空き地などに野生化している。
キランソウ 金瘡小草 紫蘇科 キランソウ属
ノヂシャ 野萵苣 忍冬科 ノヂシャ属
ギシギシ 羊蹄 蓼科 ギシギシ属
イノコヅチ 牛膝(猪子槌) ヒユ科 イノコヅチ属
メヒシバ 雌日芝 southern crabgrass 稲科 メヒシバ属


2015/08/18(火)●監視社会
7時起床。
今朝の血圧は175/69/94。
昨夜の歌謡舞台の最初に紹介された「チョゴリシスターズ」というのは、30年代後半、韓国演芸団の日本公演中、有名女性歌手で結成されたユニットだったらしい。このユニットや韓国女性グループに関する記事がKBSワールドページにあった。
9時前に自転車で金沢病院へ。いつもの降圧剤貰いに行ったわけだが、最近の血圧低下ということもあって、すんなり薬もらえた。
水道筋冷やかして10時半帰宅。
久しぶりにサンテレビの韓国ドラマ再開したので見る。高校野球中継でしばらく休みだったのだ。
午後は缶チューハイとミニギター持って屋上に。ICレコーダーで歌本のオリジナル流して一緒に練習。いい天気だったので、ボンボンベッド(^_^;) 広げて、寝転んで空見ているうちにうたた寝してしまった。隣のビルの影で寝てたのだが、太陽が移動して日光直射で目を覚ました。
今日から東京ドームで対巨人3連戦。先発メッセンジャーが不調で、3連続四球で満塁になり、村田にタイムリー打たれたり、その後もずるずると点重ねられた。阪神打線はメッセンジャー投げると、何故か打てないが、マイコラスに6回までパーフェクトに抑えこまれ、そのまま1-8のボロ負け。ゲーム差も2.5ゲームになり、黄色信号。
明日から参議院で安保審議始まるが、安倍内閣支持率もいまいち下がらない。暴言補佐官の証人喚問も有耶無耶にされそうだし、国会中継もなさそうだ。
寝屋川の女子中学生殺人事件。男子中学生と二人で野宿でもしようと深夜の街をさまよってたらしいが、コンビニや商店街の監視カメラ映像がバンバン流されてる。警察捜査が、監視カメラやスマホの連絡履歴や画像などへの依存度が高まるのに反比例して、現場捜査力がどんどん落ちてるような気がしてくる。ニュースの地図もほとんどグーグル依存だし……
今日の歩数は2604歩。

豚キムチ 

チョゴリシスターズ 

チュヒョンミ&ムンヒオク 

チュヒョンミ 

ホンジョン 

向日葵の蕾 

寿司屋猫白 

その2 

水道筋駐車場猫C 

駐車場猫B 

二匹とも車の下に 

午後の屋上 


2015/08/17(月)●稗田水神社の雉猫
6時半起床。
今朝の血圧は154/75/70。
昨夜は大雨で、朝はとりあえずやんでたけど、午後からまた雨という天気予報だったので、歩いて摩耶倉庫へ。
午前中は元町の海軍教会神父のイギリス向け船便ピックアップ。久しぶりの仕事だったのに、これが階段4階現場だった(>_<) それほど多くはなかったので2時間足らずで作業終了、一旦倉庫に戻り荷降ろしして、昼食は深江東市場のオリーブキッチンのサービスランチ(670円)今日はチキンカツ。
午後は日本橋のミャンマー向け航空便と船便ピックアップ。積み込み終わりかけたところで豪雨になり、しばらく待機。
5時過ぎ倉庫に戻り、荷降ろしして、雨はやんでたので、これなら自転車で来ればよかったと思っても、しかたなく歩いて帰宅途中、稗田町の水神社で好みの雉猫に出会い、しばらくMorris.@Catographerモード。
トラックのラジオで高校野球中継一部聴くことが出来た。早実の清宮は今日もホームラン打って、チームも明後日の準決勝に駒を進めた。今年の夏の高校野球は100年記念でもあり、話題も豊富で連日甲子園は満員盛況らしい。明後日の準決勝か次の決勝戦でも足を運ぼうかとも思うが、よほど早めに出かけねばならないだろう。
今夜のKBS歌謡舞台1431回は추억의 시스터즈思い出のシスターズ -韓国の女性グループの特集ということになる。

 1) 처녀 합창乙女の合唱 (저고리 시스터チョゴリシスターズ 中 이난영イナニョン, 박향림パクヒャンニム, 장세정チャンセジョン)/주현미チュヒョンミ, 문희옥ムンヒオ
 2) 김치 깍두기キムチカクトゥギ (김시스터즈キムシスターズ)/바버렛츠バーバレッツ
 3) Michael, Row the boat ashore (김시스터즈キムシスターズ, 이난영イナニョン)V  C  R
 4) 검은 상처의 블루스黒い傷跡のブルース (김치켓キムチキャッツ)/최유나チェユナ
 5) 아리랑 목동 アリラン牧童(김치켓キムチキャッツ)/홍진영ホンジニョン
 6) 슬픈 영화 (Sad movies)(정시스터즈ジョンシスターズ)/안다미アンダミ, 금잔디クムチャンディ
 7) 쌍고동 우는 항구汽笛の港 (은방울자매鈴蘭姉妹)/주현미チュヒョンミ
 8) 삼천포 아가씨三千浦娘 (은방울자매鈴蘭姉妹)/문희옥ムンヒオク
 9) 서울의 아가씨ソウル娘 (이시스터즈イシスターズ)/이시스터즈イシスターズ 김희선キムヒソン
10) 워싱턴 광장 ワシントン広場(이시스터즈イシスターズ)/바버렛츠バーバレッツ
11) 커피 한 잔 珈琲一杯(펄시스터즈ポルシスターズ)/박혜신パクヘジン
12) 떠나야 할 그 사람去って行くあの人 (펄시스터즈ポルシスターズ)/조정민チョジョンミン
13) 짝사랑片思い (릴리시스터즈リリーシスターズ)/김희진キムヒジン
14) 그 사람 데려다주오あの人連れて (바니걸스バニーガールズ)/문연주ムンヨンジュ
15) 파도波濤 (바니걸스バニーガールズ)/안다미アンダミ, 금잔디クムチャンディ
16) 내 모습이 쓸쓸해요寂しい姿 (국보자매国宝姉妹)/국보자매国宝姉妹
17) 첫차始発列車 (서울시스터즈ソウルシスターズ)/KBS 예술단芸術団
18) 울릉도 트위스트鬱陵島ツイスト (이시스터즈イシスターズ)/이시스터즈イシスターズ 김희선キムヒソン


2.3のキムシスターズは、「木浦の涙」のイナニョンと娘たちのグループである。
4.5のキムチケッは名前くらいしか知らなかったが、この二曲が彼女らの持ち歌とは思いがけなかった。
7.8.のウンバンウル姉妹はもろ演歌系の双子歌手だ。9.10.のイシスターズと11.12.のポルシスターズはpop系で、とくにポルシスターズ(Pearl Sisters)は、韓国ロックの大ボス、シンジョンヒョンの曲を多く歌っててMorris.のお気に入りである。
17.のソウルシスターズは太っちょパンシリがメインボーカルをとった女性トリオで、この曲はMorris.も愛唱している。
最近の韓国女性グループといえばK-POPならいくらでもいるが、演歌系となると、LPGやオーロラくらいしか思いつかない。LPGはこのところあまり出ないし、オーロラは、ペンニョンドのど自慢のゲストで、Morris.はメインボーカルの子に一目惚れしたのに、その後メンバーは何度も入れ替わりして、つかみどころがない。双子歌手なら今はウィンクが大活躍である。その前は「300ウォンコーヒー」のティティだったが、こちらもほとんど見かけなくなった。
基本的に女性歌手好きなMorris.だけに、今日の特集は概ね良好である。チュヒョンミとムンヒオクが出演して、デュエットまでやってくれたので、今日の評価も★★★★。

今日の歩数は7388歩。

稗田水神社の雉 

同じく 

同じく 

2015/08/16(日)●Twilight Zoo
7時起床。
今朝の血圧は187/79/76。
午前中はラジオで高校野球聴きながら、ベッドで読書。
午後は、ミニギターで教本おさらい。と言っても、ほとんど進まず。
夕方ふらっと王子動物園へ。お盆の三日間「トワイライトズー」と銘打って、午後7時まで開園するとの事だったので覗いてみたのだ。普段は5時までだから、2時間延長だけど、特に面白いものはない。まぬうは裏の檻に戻っていた。
知らずにいたが、アムール豹に子供が生まれてたみたいで、現在4ヶ月くらいで、母豹と追いかけっこするなど元気いっぱいで可愛らしかった。でもちょうど雨が降りだしたので、適当に切り上げて6時半帰宅。
阪神は鳥谷、福留のホームランなどで6-1で快勝。現在二位の巨人に3.5ゲーム差で首位キープ。次の巨人戦に勝ち越したら、かなり盛り上がりそうだ。
今日の歩数は2035歩。

氷の彫刻 

孔雀 

プレーリードッグ親子 

今日のまぬう 

ペリカン 

アムール豹の子供 

2015/08/15(土)●不戦70年記念日
6時起床。
今朝の血圧は179/82/75。
朝の3点セット。
高校野球、今日も第一試合は早実の登場。相手は東海大甲府。注目の清宮は最初死球で、第二打席で2ランホームラン。やっぱり凄いな。続いて4番の加藤も連続ホームラン。結果8-4で早実ベスト16進出。次のゲームも明後日の第一試合になるらしい。
今日は1945年8月15日から70年目の記念日である。甲子園でも黙祷があり、東京では天皇、安倍首相出席の戦没者慰霊祭が行われた。毎年の恒例ではある。
事情はともあれ、あれから今日までの70年間、日本は「戦争」に直接かかわらずに来た。それが、アメリカから下賜された憲法、就中第九条のおかげだったとしても、それは凄いことだと思う。その平和憲法が、なし崩し的に侵食されつつあることを思うと、やりきれない気になる。
午後、自転車で六甲道、灘図書館に寄り、コーナンでカッターの刃と、一番安いLEDスタンド(2000円)買う。ベッドの枕元のランプが白熱灯で、かなりガタがきてたし、場所塞ぎだったからだ。
水道筋のマルハチで買い物して6時帰宅。
阪神は岩本がワイルドピッチ2回で自滅、1-9の惨敗で7連勝を逃す。
今日の歩数は2156歩。

smoke tree 

ペチュニア 

枕頭LEDスタンド 

2015/08/14(金)●安倍70年談話
7時起床。
今朝の血圧は160/74/81。
午前中は高校野球中継ラジオで聴きながらベッドで読書。
昼過ぎ、缶ビールとミニギター持って屋上に行ったけど、風が強くて、単にビール飲んでゴロゴロしてただけ。
4時過ぎ自転車で、大安亭に買い物に出る。野菜はいつもの店で買えたけど、廉売りの業務スーパーは改装中で月末まで休業中だった。
前の猫場の駐車場は完全に閉鎖された中で工事中。魚屋横の駐車場猫を撮影して、春日野道のマンダイで買い物して6時帰宅。
安倍首相の「戦後70年談話」が発表されていた。原稿用紙で10枚という、これまでの談話より長めである。
前半2/3ほどは、自分に都合よくまとめた昭和史概説、後半で太平洋戦争への反省、侵略、植民地支配、お詫びなどの単語を使ってはいるものの、一種の「間接話法」を使っている。はっきりいえば詭弁を弄しているということだ。ツッコミどころ山盛りの作文ではあるが、こんなの精読する気にはならない。
阪神は藤浪が2点タイムリー放つなど大活躍。8回から5人の継投とちょっとバタバタしたが、呉昇桓が締めて6連勝。
今日の歩数は1587歩。

大安亭駐車場猫 #1 黒 

#2 白トラ 

#3 雉 

春日野道デュオ 

灰猫 

竈猫 

【夏目漱石「われ」の行方】柴田勝二 ★★★☆ 2015/03/20 世界思想社
研究者による著作で、ちょっと硬めな本だったが、後半の、朝鮮半島と漱石作品の関わりという部分が興味深かった。

これまでも『吾輩は猫である』に話題として盛り込まれ、『坊っちゃん』の構図に映しだされている日露戦争や、『三四郎』に透かし見られた維新以来の対西洋の関係など、漱石の作品には未成熟な近代国家としての日本が西洋列強としての日本が西洋列強とのせめぎ合いに晒される様相が、主人公の行動や彼をめぐる人物同士の関わりに託される形で表彰されてきた。それらはいずれも漱石が描き出そうとする「非我」の世界の「F」(観念的焦点ないし集合的関心)であり、『文学論』で詳述されるようにそれが時間的に変容していくのに応じて、新たなFが作品の主題としての位置を占めることになる。
そして日露戦争の終結後、日本の外交の主要な問題となるとともに漱石の作品世界で中心的なFとして機能することになるのが、明治43年(1910)8月に遂行されるに至る韓国併合であった。日露戦争後「保護国」化という方向で朝鮮半島への支配を強化していった流れが、併合に向かって加速していくのは、韓国を「保護国」化する立場にあった伊藤博文が韓国統監府統監を辞任する明治42年(1909)中頃からであったが、『それから』、『門』、『彼岸過迄』、『行人』といった、その間ないし併合後の状況が進行していく時期にもたらされた作品群には、その折折における日本と韓国・朝鮮との関係が織り込まれていることが見て取られるのである


文中「F」というのは、「非我」で、「f」の「我」に対する概念らしい。漱石自身が使ってるようだが、学者というのはこういうのが好きである。

漱石の作品において女性が植民地的空間の暗喩として現われるのはもちろん『それから』『門』が初めてではない。『坊っちゃん』においても「おれ」つまり坊っちゃんの陰画的分身である「うらなり」の婚約者の「マドンナ」が、<西洋>の記号性をはらむ教頭の「赤シャツ」に奪い取られることになる展開は、日清戦争後の三国干渉とその対象である遼東半島にロシアが侵出していくその後の経緯と符合していた。

坊っちゃんのマドンナが遼東半島というのは、びっくりだね。

韓国併合が成ったのはちょうどこの修善寺の大患(明治43=1910 年8月)の時期と重なっている。韓国併合条約が調印されたのは8月22日であり、その二日後に漱石は大吐血をお越し、危機的な状況に陥っているのである。これは必ずしも偶然の照応ではなく、漱石の胃の状態を悪化させていた要因に、韓国併合への憂慮があったことも想定しうる

こうなるとトンデモ文学論みたいな気がしないでもないが、著者は大真面目である。

「おれ」(坊っちゃん)のうらなりに対する気に掛かり方は、『こゝろ』の「私」の先生に対する意識のあり方と近似しており、土居健郎的な観点からすればこれを「同性愛的」といってもさしつかえないはずである。そしてこの感情的な親密さも『こゝろ』の二人の関係と同様に、彼らが近代日本に与えられた二つの寓意的表彰であるところからもたらされていた。
漱石の作品世界において「同性愛的」に見える男性同士の関係が描かれる時は、必ず近代日本に与えられた二つの側面と照らし合う相互の分身性がそこに込められているのである


そういえば、橋本治が「こゝろ」は、ホモ小説だと言ってたな。

先生は『猫』の金田夫人のように、物質的欲望によって物事のあるべき姿に盲目になった人間ではなく、欲望に動かされることの空疎さを認識しうる理性と良心を持っている。それが看取されたからこそ、「上」において「私」は先生に惹かれたのだが、逆にいえば、そうした人間であっても一つの状況の流れに置かれることで、空しい欲望に抗しきれなくなるというのが、先生ひいては漱石の人間観にほかならなかった。『文学論』や『文学論ノート』で考察されるように、人間は外界からの「暗示」に否応なく動かされる生き物であり、意識の埒外で受け取った外界からの信号に知らないうちに応じてしまうことも珍しくないのだった。

故意に複雑化してるようでもある。

第一次世界大戦への参戦とそれによるバブル的な景気の到来によって、大正という新時代が明治日本を覆った功利主義、帝国主義を脱却するどころか、それらを強める方向に進んでいく様相を呈することで、漱石はあらためて<非我-F>に比重をかけた創作に残り少なくなった生命力を傾注することになった。「則天去私」とは、彼岸へと至る命運に自己を任せるという含みをもちながらも、本質的には「私」に当たる<我-f>を極力抑制して「天」すなわち<非我-F>の表象に重きを置くという姿勢にほかならない。

則天去私をそう読み取るというのもかなり無理してるのではなかろうか。
長いこと漱石から遠ざかっていたが、ちょっとしたきっかけで、また読みなおしてみようかという気になっている。本書は、そのウォーミングアップみたいなものかも(^_^;)

2015/08/13(木)●釜ヶ崎夏祭り
7時起床。
今朝の血圧は152/74/66。
高校野球今日の第一試合は評判の早稲田実業と広島新庄の対決。清宮人気で甲子園は7時には満員とのこと。試合は息詰まるシーソーゲームで、早実が7-6で辛くも逃げ切り勝ち。
ネットでチェックしたら、今日4時からちまきちゃんが出演するらしいので、一昨日偶然足を運んだ釜ヶ崎三角公園夏祭りに行くことにした。
昼過ぎ、部屋を出ようとしたら、にわか雨が降って、どうしようかと迷ったが、30分もしないで上がった。
2時半に三角公園到着。ステージでは、最近デモでよく一緒になる平田隆さんが演奏していた。その後、東京から来たオカちゃんの缶カラ三線弾き語り。はじめ昭和演歌を歌ったが、本当は明治大正演歌が得意らしい。ええじゃないか節で世相批判などやってた。デモなどで、反戦フォークなど歌うより、こういった替え歌みたいなのが効果的ではないかと思う。缶カラ三線は手作りで胴部分は大きめのブリキ缶で音はかなりしょぼいけど、一種の打楽器と思えばそれはそれで面白い。
バギやんはさすがに貫禄で、しっかり盛り上げてくれた。そしてお目当てのはるまきちまき。やっぱり彼女の歌声は特別なものがある。命短し恋せよ乙女、上を向いて歩こう、ヘイヘイブギ、ひょうたん島など親しみやすい曲のほか、オリジナルのしっとり歌い上げる「小さき者へ」は感動モノだった。
懐かしの中川五郎のあと、のど自慢大会。カラオケかと思ったら、爺っちゃんのアコーディオン伴奏で、歌詞カード見ながら歌う。アコーディオンもあまりうまくなかったし、出演者の半分は酔っぱらっててかなりしっちゃかめっちゃかだったが、これはこれで面白かった(^_^;)。
ふらふらと萩の茶屋方面に。一昨日猫のいた今里駅下に別の猫たちがいた。ここも猫場で、地域でかわいがられているようだ。
その脇のホルモン屋台でいい匂いがするので、ついふらふらと立ち寄る。カップ酒260円。ホルモン一串70円と破格の安さ。酒とニ串で400円(@_@)
ちょっといい気分になって、またふらふらと山王商店街から、飛田遊郭街方面に(^_^;) 遊郭とは縁のないMorris.だがあの雰囲気は嫌いではない。顔見世の女性の横に行儀の良い白トラ猫がいたので、断って撮影させてもらう。
そのまま、ジャンジャン横丁、通天閣通りすぎて、日本橋商店街シャッター前で、缶チューハイ飲みながらちょこっとミニギター。
地下鉄で梅田に出て、阪急で王子公園にもどり、マルハチで買い物しようと思い、店まで行ったらがもう閉店してた。時間の感覚が無くなってた。やっぱりそこそこ酔ってたのだと思う。
11時過ぎ帰宅。阪神は5連勝で首位固めしてた(^_^)
今日の歩数は7625歩。

にわか雨 

萩之茶屋小学校 

三角公園 

44回釜ヶ崎夏祭りステージ 

平田隆 

踊り子 

缶カラ三線オカちゃん 

バギやん(趙博) 

はるまきちまき 

ち・ま・き・ちゃーーん!! 

中川五郎 

のど自慢 

釜ヶ崎ろくろ首猫 

左に同じ 

酔蛙 

今池駅下の白黒 

同じく 

ついふらふらと 

安っ!! 

年季の入った鉄板 

降りてきた白黒 

可愛がられてる 

スーパー玉出 

飛田遊郭街 

遊郭の白トラ 

クロベエ 

夜の路地猫 

トラキチビリケン 

通天閣 

日本橋で 


2015/08/12(水)●引籠り(^_^;)
8時半起床。
今朝の血圧は150/62/87。
お定まりの宿酔(>_<)
重症ではないが、結局今日は一日野球中継聞きながら部屋ゴロ。
おかげで読書は進む進む。
ギター教本練習は、進まない(^_^;)
阪神はメッセンジャー好投(でも勝ち星はなし)、呉昇桓日韓通算350セーブで4連勝。今夜はABCTVのおはよう朝日のメンバーが応援に来ていて、賑やかだった。
今日の歩数は0歩。

【原発ホワイトアウト】若杉列 ★★★☆☆
2013/09/11 講談社。
現役官僚による、原発体制告発フィクションらしい。2013年度のベストセラーで13万部売り上げたとか。
福島原発事故関連ほんを昨年ある程度読みあさったが、こういったフィクションものは初めてかもしれない。著者は現役官僚らしいが、なかなか如才ないライターぶりである。政府や電力会社への批判も、フィクションならではの辛辣な表現がわかりやすかった。

世間の動きに表層的かつ感覚的に反応する評論家は、「官邸前のデモは新しい時代の到来を予見させる。インターネット称揚していたが、実体は定職のない若者や定年後の高齢者が、やり場のない怒りをぶつけるステージに近かった。
大衆は熱しやすく、冷めやすい--。

原発デモはたしかに、一時の盛り上がりが、今や見る影もない(>_<) 川内原発再稼働反対もいまいち盛り上がらない、というか、持続するのは難しいのかもしれない。安保法案反対運動もこのパタンを繰り返さないようにせねば。

スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦によれば、日本の社会は「仕切られた多元主義」だ。人材の流動性が低いなか、人口ボーナス下で逃げ切れる団塊の世代は、それでいいかもしれないが、人口減少の時代にあって、これから生きていく玉川たち若い世代は違う。
電力会社が、総括原価方式によってもたらされる超過利潤(レント)によって、政治家を献金やパーティ券で買収し、安全性に疑義のある原発が稼働し、再び事故が起こるということは何としてでも避けなければならない。

何としてでも避けなければならなかったのに……(;;)

--驚くべきことに、日本電力連盟自体も、法人格を取得していない任意団体であった。総額15兆円の売上げを誇る業界でありながら、その業界団体が法人格すら取得していない……これは極めて異例である。
理由は何か? それは、日本電力連盟が外部の介入を過度に警戒しているからである。
電力会社が決して国の補助金を受け取らないのも同じ理由だ。会計検査院の検査が入り、電力会社の秘部に外部の目が届くことを忌避している。国の補助金を受け取ると、政治資金規正法上、政治献金ができなくなることも、電力会社のそうした行動を正当化していた。
電力業界全体が外部に発注する金額の総計は、なんと5兆円もある。その上前の上前だけで、日本電力業界には400億円もの預託金が使途自由な工作資金として積まれることになる。
このプロセスに一つでも違法な部分があれば、内部告発などが表面化した際には、マスコミや司法当局も触手を伸ばすことが可能であろう。しかし、違法性がない以上、たまに暴露話として、その存在が外部に漏れることはあっても、決して広がることはなかった。
しかも関東電力の取引先は、東栄会からの指示にしたがって淡々とパーティ券の領収書を処理するだけで、相場より15%も高い取引額を安定的、継続的に享受できる……安定して関東電力から仕事を受注する限り、倒産する心配はまずない。経営権争いや女性スキャンダルなどによる内輪もめが起きない限りは、取引先から秘密がばれることはなかった。
そして関東電力自体が、取引先において内紛やスキャンダルが起きていないかどうか慎重にウォッチし、この集金・献金システムに綻びが出ないよう注意していた。
(この集金・献金システムが)誕生したあとは、日本の政治社会を支配するモンスターとして、独自の生命を得たように活動をし始めた……。
こうして、公共事業への国家予算の分配がゼネコンの集金集票との見合いであることや、診療報酬の改定が日本医師会の集金集票との見合いであることと同様に、このモンスター・システムは、日本の政治に必須の動脈となったのである。

原子力村=モンスター・システムというのは言い得て妙である。福島原発事故こそ、このモンスターを倒す絶好の機会だったはずなのに、あれから4年以上過ぎて、モンスターはほとんどそのままである。

それにしても、大衆は常に愚かで、そして暇だ。衆愚というのはこういう連中のことを言うのだろう。こいつらの言うことを聞いていたのでは、国の将来を誤ることになる。
もちろん、フクシマの原発事故は反省をしなければならない。これも、お決まりの枕詞にしか過ぎないが……。しかし、だからといって、原子力エネルギーから一切背を向けるというのは、火傷や山火事を起こした原始人が火を使わなくなるのに等しい。太古の昔、原始人も火を使いつづけるかどうか議論したのだろうか? 原始人が火を放棄していれば、現代の文明には辿り着いていなかっただろう。
デモに参加している狂信的な連中は、世の中のごく一部だ。
脱原発俳優の山下次郎が獲得した66万票だが、その全部が狂信的な連中というわけではない。保守党の勝利を漠然と不安に思うインテリ層や現代の経済社会に対する批判層の票が狂信的な連中に触発されて、相当混じり込んでいるはずだ。デモに参加している連中と一般大衆とを分断して、一般大衆をフクシマの事故前の感覚に戻していけばいい。
「原発事故もいやだけれど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆はワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。
大衆は常に「自分よりもうまくやる奴」を妬み憎む。
・公務員でもないのに競争がないなんて許せない。
・競争がないなら電力会社の経営は合理化がなされていないはずだ。
・電力会社同士で競争させれば料金が下がるはずだ。
と、大衆は思っているのだから、とにもかくにも、電力業界での競争原理の導入を謳った電力システム改革の実施を政府で決めて、これからは競争が起きると大衆に信じさせればいい。
改革派官僚といわれる一部の役人までが、電力システム改革が至上命題であると信じているようだが、本当は、原発再稼働の手段に過ぎない。とりあえず、電力システム改革をやるぞ、といって大衆に啖呵を切って、競争が起きると誤認させれば、大衆の溜飲が下がり、原発再稼働へのハードルをクリアすることになるだろう。(第五章官僚と大衆)

これだけ言いたい放題が書けるのもフィクションならではだろうが、事態はまさに、この思い上がった発言に沿って動いているようだ。

一般大衆にどのくらい知られれている事実かはわからないが、政治家から省庁への圧力というのは、法案が閣議決定される前に終了している。
国会での論戦は、台本が書かれた寸劇にすぎない。野党の議員にとっては、総理や大臣を追い詰める論戦は、いわば「見せ場」ではあるが、前日の夕方には、質問内容の大筋は内閣総務官室や各省庁の国会連絡室に渡している。質問者から渡された質問を政府側が事前に咀嚼し、答弁を書いて大臣に「ご説明」していなければ、論戦にもならない。


これも現役ならではの突っ込みだろう。大衆はスタンドプレイに弱い。

政権と警察のねらいは、反原発のプロ活動家と一時の熱に浮かされた一般市民とを峻別し、後者を冷静に落ち着かせることにあった。
具体的には、私服警官を毎週末、数十人単位で動員し、反原発デモの活動の様子をビデオ撮りして、参加者の面を割る作業を進めるとともに、運動の先頭で目立った動きをしている人間を尾行し、自宅の住所を特定した。デモ参加者が帰路に、自転車を無灯火で運転したり、立ち小便をしたりしている姿も、すべてこっそり記録された。
自宅が特定された参加者の周辺では、それぞれ管轄の警察官による聞き込みが露骨に行われた。
こうした警察の行為を不適切と糾弾する声も上がったが、過激派や共産党が浸透しようとしている形跡があることにより、逆に、一般市民を監視することも含めて正当化された。
経済産業省前の反原発テントの参加者も同様の憂き目にあった。テントに泊まり込んだ者のみならず、テントに立ち寄った者の自宅周辺にも続々と警察官による聞き込みが行われた。自然と参加者は減少し、それでもあえて参加するものは、もはや一般市民とはいえず、プロ活動家の卵として先鋭化していくことになった。


これはいかにもありそうなことだ。安倍政権は現実にこの方向で動いているようだ。

まれに覚えの悪い識者もいたが、二度警告を発しても改善しない者はブラックリストに載せ、マスコミ各社に番組や記事に起用しないよう執拗に働きかけた。近年、テレビや新聞で見かけなくなった反原発の著名人の多くは、そうした日本電力連盟広報部の所業の結果である。

事故以前と比べるとかなり隠蔽体質が強化されていると思われる。

テレビ、新聞、週刊誌では、もともと誰からも相手にされず、反原発を貫いてきた研究者などが、フクシマの事故後しばらく「正義の味方」として重用されたが、彼らの過度に恐怖心を煽る極端な言論から人心が離れるのも早かった。

電力会社には、もともと正社員として検針や集金をしていた余剰人員のおばちゃんやおっちゃんが、腐るほど存在する。各社の広報部では、正規の広報部の別働隊として、こうした余剰人員を収容した特別な部屋をつくっていた。これらは本社とは別の分館の目立たない場所に設けられており、問題報道のあとには、余剰人員が一斉に、電話やネットで視聴者の声に反論の声を届ける。
これに加え、各社の余剰人員は、ネット工作員としても活動していた。「2ちゃんねる」、政治家やチョお名人のツイッター、フェイスブック、SNS連動型テレビ番組などで、続々と電力会社の主張に沿ったコメントを書き続けるのである。


九電の玄海原子力発電所再稼働へのやらせメールを思い出した。

フクシマの事故以降一年ほどは、地震、被災者、原発事故に関する報道は高い視聴率をとっていたが、その後、視聴率は長期低落傾向を示していた。震災後二年を経過したあとは、それが特に顕著になり、ニュースや特集番組で、こうしたトピックが取り上げられると、視聴率の数字がガクンと下がるようになっていた。
とにかくあの辛い経験や恐怖を早く忘れたい、過去のものとしたいのだ。もはや震災やフクシマの事故を日本国民の多くは現実のものとして直視できなくなった。


マスコミの報道番組減少、NHKの自滅、インターネットの普及もこれに歯止めをかけるものにはなっていない。

保守党は長年、租税特別措置法によって、古い産業界の既得権を税制の活用という手段で擁護してきた。毎年、政府税調で、「優遇税制は原則廃止」といった厳しめの議論をさせて、産業化に対し「租税特別措置の恩典がなくなるかもしれない」と脅す。その後に続く保守党税制で、ギャラリーを前に、族議員が既得権の優遇税制の堅持を訴えて、政治的にそれを勝ち取り、産業界に恩を売る。そういう一種の政治ショーだった。
立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている、といえば聞こえがいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変視させることに他ならない。


「利権至上主義」だな。

国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

兎の逆立ちぢゃ(>_<)

テロ防止のために必要な、原発で働く下請け孫請け企業の社員の身元確認、その義務化も見送られた。フクシマ事故前から、放射線量の高い場所での危険な作業は、電力会社や重電メーカーの社員ではなく、下請けや孫請けの協力会社が担っている。しかし、四次下請け、五次下請けのレベルになると、暴力団が日雇い労働者を手配、斡旋するのが日常の姿だった。
そうして集められる労働者は、アル中や家庭内暴力で妻子と別れて独り身になった者、元ヤクザ、勤務先が倒産したりリストラされたりした者、薬物中毒者、クレジットカードの借金が返済できない者、などである。生きるためには、身元確認や線量管理などが導入されては困るのだ。
電力会社にとっても、線量の高い場所での危険な作業を担う人員が確保できなくなることは大問題だし、四次下請け、五次下請けを通じ、暴力団に人件費をピンハネさせて、不法勢力と水面下でつながることに有形無形のメリットを感じているため、身元確認の義務化には反対姿勢を貫いた。

数年前の計画停電騒ぎはもう風化していた……「電力不足だから原発を動かします」という再稼働を目論む当初のロジックは破綻していたが、再稼働に対する国民のアレルギーも、同時に風化していた。

新崎原発で発電された電気は、北新崎幹線と南新崎幹線というニ系統の50万ボルトの高電圧線で、それぞれ訳200基の鉄塔を介して、関東電力のエリアに送られていた。
自然災害であれば、ニ系統のどちらも支障を来すという可能性は著しく低いと評価されていたが、自然災害以外の災害は起こらないという「性善説」に立った考え方であった……。


この部分が、この物語の核心となる、原発テロに関する部分である。ネタバレにならないよう、詳細は省くが、日本の原発の安全対策の脆弱さは、Morris.にも想像がつく。ドローンで爆弾落とすくらいのことは、個人でも簡単にできる時代である。


2015/08/11(火)●三角公園~サランバン会
7時起床。
今朝の血圧は174/71/77。
朝の3点セット。
とうとう川内原発再稼働してしまった(>_<)
つまりは政府の意向ということになる。
屋上で先日買ったギター教本で練習。開放弦専門のMorris.だけにハイポジションのスケールはなかなかスムーズに行かない。付録のCD音源をICレコーダーに録音してイヤホンで聴きながらいっしょに弾こうとするのだが、追っつかない。Morris.のICレコーダーはスピード調整できるので、一番遅い50%にして、ゆっくり練習。だんだん速くしていけばいいはず。
午後JRで新今宮まで出て、久しぶりに付近を散策。猫もいたし、やっぱりこのあたりは面白い。
三角公園に行ったら釜ヶ崎夏祭りの準備やってた、明後日と明々後日に開催されるらしい。
しばらく公園のベンチでミニギター&缶酎ハイ。
その後桃谷に出て洪ママのお見舞い。もう6時前で、歌麿会長らは帰った後だった。
二曲(木浦の涙と椿娘)いっしょに歌って、6時半にサランバン会場ジュンへ。
カラオケに入ってない「安東駅にて」をミニギターで歌う(^_^;)
その後はいつもどおり、榎本さんのビール攻めですっかり出来上がる。
帰りにソンギョンヒさんから白菜キムチと海苔とスルメの佃煮をおみやげにもらう。感謝。
なんとか零時頃帰宅。
今日の歩数は9946歩。

安い! 

長いことおから食べてない 

達筆 

いい感じ 

工事が気になる 

猫場 

雉白 

トラと雉 

やさぐれ黒 

白雉 

トラ 

銭湯付き(^_^;) 

萩之茶屋商店街 

雉三毛 

ふるさとの館 

三角公園 

カナブン 

釜ヶ崎風景 

阪堺線 

新今宮駅前 

洪ママと 

サランバン会 

ほぼ全景 

ひさびさ校長先生 

アジュマーズ 

歌って踊って 

?トリオ 

二人は仲良し 

貫禄 

帰り道猫 

2015/08/10(月)●姫路方面
5時半起床。
今朝の血圧は190/79/79。
西根くんと二人で姫路のドーハ向け航空便、船便ピックアップ現場。
昼過ぎ作業終了。
昼飯は、西根くんおすすめのうどん専門店「八軒蔵」。牛すじ甘露煮をのせた香露うどん(大盛り)とおでん、ご飯のセットで千円。ちょっと贅沢な昼食。
3時に倉庫に戻り、荷降ろしすました後、別倉庫でコンテナからの荷降ろしヘルプ作業。これで、また、しっかりバテてしまった。
マルハチで買い物して6時半帰宅。
シャワー浴びて、缶酎ハイとミニギター持って屋上へ。ああ、幸せな時間を過ごせた。
明日川内原発再稼働とのこと。これは、国家の犯罪である!!
今夜のKBS歌謡舞台1430歌謡舞台は- 광복 70년, 환희와 희망의 노래光復70年 歓喜と希望の歌 -8月15日(日本では敗戦記念日、韓国では解放記念日=光復節)が近づくとこのての特集がお約束である。

 1) 광복절 노래光復節の歌/KBS 어린이합창단児童合唱団,전 출연자全出演者
 2) 사대문을 열어라西大門を開いて/쟈니 브라더스ジャニーブラザーズ
 3) 귀국선帰国船/설운도ソルンド
 4) 울어라 은방울泣け鈴蘭/전미경チョンミギョン
 5) 꽃마차花馬車/장윤정チャンユンジョン
 6) 신라의 달밤新羅の月夜/남일해ナムイルヘ
 7) 1945년 뉴스ニュース (해방둥이 소개開放時の紹介)/엄용수オムヨンス
 8) 만남出会い/선우용여ソヌヨンヨ
 9) 나 그대에게 모두 드리리全てを捧げよう/이장호イジャンホ
10) 먼 훗날遠い将来/김미성キムミソン
11) 바보처럼 살았군요馬鹿みたいに生きてきたね/김도향キムドヒャン
12) 언덕에 올라丘に登ろう/김도향キムドヒャン, 김미성キムミソン,선우용여ソヌヨンヨ, 이장호イジャンホ
13) 럭키 서울ラッキーソウル/윙크ウィンク
14) 푸른 날개青い羽根/이자연イジャヨン
15) 청춘의 꿈青春の夢/명진ミョンジン
16) 찔레꽃野茨の花/진미령チンミリョン
17) 향수郷愁/송해ソンヘ
18) 꽃 중의 꽃花の中の花/김상희キムサンヒ, KBS어린이합창단児童合唱団


特別光復節だからというほどの選曲ではない。でもまあ好きな曲が結構いっぱいあった。
9.はイジャンヒのオリジナルで、Morris.にはちょっと思い入れのある人で。イジャンホというのは、彼の身内かなどと思ったのだが、映画監督とのテロップが、さらに彼自身がサックス演奏するなど、多彩なところを見せつけた。
12.は同名の韓国童謡かと思ったら「グリーングリーン」の翻案だった。
13.のラッキーソウルをウィンクが歌うというのも新鮮だった。
17.ではソンヘさんが元気な姿を見せてくれて嬉しかった。
そして、何と言ってもひさびさチャンユンジョン登場、歌うナンバーもお好みの花馬車ということで、今回の評価は★★★☆☆(^_^) しかしチャンユンジョン、出産後歌謡舞台に5,6回出演してるが、自分の持ち歌は一度も歌ってない、というのが気になるところである。
今日の歩数は6823歩。

2015/08/09(日)●長崎原爆忌
6時半起床。
今朝の血圧は124/41/77。これはMorris.が血圧測りだしてから最低かもしれない。
朝の3点セット。
11時から長崎平和祈念式典見る。田上市長の平和宣言の中で安保法案に触れて

現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるので はないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求め ます。

という一節があった。
また16歳の時被曝した谷口さんの平和への誓いでは、

戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し 進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてき た核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。

と、さらにストレートな反対表明がなされた。
安倍首相のあいさつでは、広島では触れなかったため批判を浴びた「非核三原則」という言葉を長崎では、いちおう使っていた。

今日の復興を成し遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを噛(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく決意を新たにいたしました。

それにしても、しらじらしい。
高校野球和歌山智弁と天理が共に初出場校に敗れるという波乱。
KBS全国ノレチャランは忠清南道ポリョン市篇。
屋上でちょこっとミニギター触って、3時に部屋を出てJRで神戸へ。ひさびさ中央図書館。暑いので中庭にはほとんど人がいない。図書館猫も見当たらず。
7時半帰宅。阪神は8回まで3-0。9回呉昇桓が出て2点取られながら逃げ切り勝ち。岩崎が今シーズン初勝利。
今日の歩数は4351歩。

平和像

田上長崎市長

蜘蛛 

瓜草? 

テーブル下の雀 

茜雲 


2015/08/08(土)●おさぼり(^_^;)
8時起床。
今朝の血圧は147/67/80。
高校野球三日目第一戦は早稲田実業-今治戦。早実の一年生清宮人気沸騰で、Morris.も見に行こうかと思ったくらいだが、8時に起きたのではどうしようもない。今日は7時半には球場満員になったらしい。猛暑の中選手も観客も大変だと思う。
試合は早実が6-0で快勝。清宮はタイムリーヒット1本。春選抜優勝の敦賀気比は明徳に競り勝ち、比叡山-大阪偕星の関西対決は偕星が延長10回表に4点入れて勝利、下関ー白樺は途中雨と雷で中断。その間に阪神-DeNA戦始まったので、そちらを見る(^_^;) 藤浪先発で、なんとか阪神の勝利。とりあえず首位奪回(^_^;)
8時頃雷鳴が聞こえて、また雨かと思ったが、これは、神戸港花火大会だった(^_^;)
結局、今日は一日野球中継見てたことになる。どうも夏バテ状態が持続してる感じだ。静養というか、おさぼりだね。
今日の歩数は279歩。

【校正という仕事 : 文字の森をゆき言葉の海をわたる】ヴェリタ編 ★★★☆☆ 2015/06/15 世界文化社

校正者の卵を対象にして、2013年9月から半年間にわたる連続講座を、一冊にまとめたもの。
6人の講師は、単行本・編集・新聞・商業印刷・出版・雑誌の専門家で、それぞれの切り口で校正という仕事を論じている。手書き原稿の時代、活版印刷の時代、写植の時代、デジタル原稿+DTP時代と、「校正」の内容も様変わりしているようだ。ワープロの誤変換やOCRの読み取りミスなど、過去にはなかった誤字も多くなっている。
誤字脱字勘違い満載のMorris.日乘ではあるが、校正作業らしいことはいちおうやってるわけで、色々参考になった。かな?

広辞苑は百科事典的な要素が多いので、品詞が書いてありません。だから当然動詞の活用も書いてない。

実はMorris.は「広辞苑」は一度も所持したことがない。新潮国語辞典、大辞林、大言海、大辞典が現在よく使ってるものだが、広辞苑に品詞がないという説明には驚いた。あわてて手元の大辞林見なおしたら、名詞語は品詞省略されてるが、それ以外の品詞は明記してあるし、動詞の活用形も載ってたので一安心。

差別表現に注意すること。いろいろの表現がありますが、これは自分が思う・思わない、で決めることではなく、それを言われた人、使われた側が傷つくかどうかを問題にしなければいけないのです。(飛山純子)

これにはちょっと異論があり、差別語の扱い方に関しても、別の考えを持っているが、煩雑になりそうなので省略。

失敗を封印して仕舞うのはよくないと思います。マルクス主義がだめなのは、自分たちの失敗を認めないからだ、と鶴見俊輔さんが、これもどこかで書いていました。これはマルクス主義にかぎりません。日本の軍隊だって、完了だって、東京電力だって、ずいぶんいろんな失敗をやらかしてきました。でも、それを素直に認めずに開きなおってしまうから、いっこうに進歩がないわけです。


先月亡くなった鶴見がそんなことを言ってたのか。正論だな。孫引きしておく。

製紙会社をつくって、おカネの流れを操作したという箇所があって、へんなことをするなと思ったものの、とくに訂正はしませんでした。ところが、あとで原文をよく見ると、ペーパーカンパニーが製紙会社と訳されていたのです

笑ってしまったが、ありそうな話である。似たことは今でもしばしばあるだろう。

ウンベルト・エーコは、長い目でみると、残るのは紙の本で電子書籍ではないといっています。これはよくわかります。なぜなら、電子媒体ほどすぐ消えてしまうものはないからです。フロッピーやMDはもう見かけなくなりましたが、CD、DVDもいつまでのこるでしょうか。フロッピーなどは、もう使えなくなっていて、昔フロッピーに保存したデータを読もうと思っても、システムが変わって読めないのが実情です。(木村剛久)

デジタルデータの恐いところである。ハード面での問題より、データそのものが完全に消滅する恐怖と、修正が見つけ難くなることの方が大きい。

「先祖帰り」は印刷会社が一番怖がっていることです。校正の現場では源流チェックという仕事があります。一番初めの原稿から始まり最後の校了紙に至るまでをさかのぼって、この過程で赤字の落としのミスがないかをチェックしていくことをいいます。源流チェックによって「先祖返り」をチェックできると考えているんですね。

「先祖返り」もデジタルデータ時代になって頻出することになった事象だろう。

あとは写真。写真が粗画のままだったとか、写真の切れもアウトです。それから何億もかけて大スターを起用した広告には気をつけたほうがいいですね。ゴミが一個顔にのっていただけで刷り直し、アウトです。広告代理店のほうで止めてしまいます。ちょっと色が赤くかぶっていたり、スミがかぶっていたりしても絶対アウト。(中村進)

交ぜ書きについては1998年、日本新聞協会新聞用語懇談会の春季総会で、京都新聞の校閲部長の方から「見苦しい」「何とかして用語懇談会で新しい指針をつくれないか」という声があがり、そのあたりから交ぜ書きをやめようということが業界全体のコンセンサスになっていったように記憶しています。

交ぜ書きは撤廃してもらいたい!!

安倍さんが「世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し」みたいなことをしょっちゅう言っているのを見たり聞いたりした方もいるでしょう。終戦記念日の式辞として新聞にも採録されていましたが、これは間違いですね。文語の下二段活用と四段活用がごっちゃにされているのです。
「あたうる」というのは「与える」の文語形「与ふ」の連体形です。安倍さんがおっしゃりたいのは「あたう限り」、できる限りということです。これは「能ふ」という四段活用の動詞ですので、終止形と連体形は同じです。それが「あたうる限り」と、口語体で言えば「与える限り」となってしまいます。正しくは「あたう限り」です。でも安倍さんのスピーチライターはずっとこれで通して、安倍さんはそのまま読んでいる。もしかしたら自分で書いているのか、その辺はわかりませんが……


とつぜん「安倍さん」の登場に驚いたが、日本の首相の言語能力は一般人以下だと思う。

「草弄の志士」というのがありました。正しくは草「莽(もう)」ですが、誤変換ではなくて、書いた人に訊いたら、そもそも「ソウホン」だと思っていたと(笑)。莽の字と奔の字が似ているから間違えて覚えてしまった記者が、「ソウホン」と入力したのでは、ワープロも面倒見てくれません。(原田泰雄)

「草莽」の「莽」と「出奔」の「奔」は確かに似ている。Morris.はうっかり「翻弄」の「弄」と勘違いしてた(^_^;)

ジュンク堂や丸善は、いまや大日本印刷の子会社です。印刷会社がそうした巨大書店を傘下に入れているということです。その点でも、10年前とは、業界はまるっきり違ってきています。
従来の書店とは反対に最近元気なのがアマゾン(amazon)などのネット書店です。ネット書店の上位10社の売上は2000億円です。そしてもっとすごいのはセブン-イレブン・ジャパンです。1万6800もの店舗には必ず雑誌や単行本が並んでいますが、その売上だけで全国に64店舗ある日本最大の書店チェーン、紀伊國屋書店グループの売り上げを上回っているのです。


梅田にジュンクと丸善合体本屋ができてたのにびっくりしたがそういう事情があったのか(@_@)
amazonの台頭は理解してたが、コンビニが本屋を侵食してる度合いにはさらに驚かされる。

最近多いのは語り下ろしといわれるものです。語り下ろしというのは、著者に2~3時間のインタビューを4,5回行い、それをゴーストライターがまとめて、著者がチェックして出来上がります。新書は今やほとんどがこれで、著者自身が実際に書いているのは、ほんの一部でしょう。

最近の新書流行りには、そういった理由もあったのか。昔の新書とは別物らしい。文庫もそうだけど。

あの時(3・11東日本大震災)、私は海外にいました。海外で放映されている日本の映像をずっと見ながら、一体これはどんなことになっているんだという感じでした。あちこちで火の手が上がりぼんぼん燃えているし、死体はごろごろ打ち上がっているし、みんな脱出しているようだし、あるいは日本では爆発した原発の汚染物質がどう流れるかといったことはずっと公表していませんでしたけれども、海外のメディアは福島付近の風向きなどの天気予報を克明に報道していました。ちなみに日本では死体の映像は放映しません。放射性物質拡散予測のSPEEDIが公開されなかったこともそうだし、海外放送のように天気予報図での被曝予想を出してもいません。
私は状況をよく把握していなかったので、日本に着いてすぐ経済産業省の知り合いに電話をしました。「たいへんなことになっているから、家族を沖縄か海外に逃がしなさい。後で笑い話になってもいいじゃないですか、私は家族を実家のある山陰に逃しました」ということでした。
実は震災当時、横浜~盛岡間の250km圏内住民全員避難が一度、首相官邸で決まったらしいのですが、しかしもしこれをしたらその後の収拾がどうなるか分からないということで取りやめになるんです。一部の新聞社やテレビ局は知っていたらしいがそれを報道しなかった。ではその後どうなったかというと、まさに大本営発表で、政府の発表の範囲内でしか報道しなくなってしまった。それが現在まで続いています。(宗像良保)


校正の講演でこんな話が出たら、主催者も戸惑ったかもしれない。しかしあの当時のマスコミ報道が大本営発表だったことはよく分かる。そして「現在まで続いています」というのも、その通りとしか言いようのない状態がけいぞくしているようだ。「フクシマが見たチェルノブイリ26年目の真実」(寒灯社 宗像良保2013)も機会があれば読んでみたい。

ただひとつ確実にいえるのは、何度も繰り返しますが、一回注意されたことは二度とやらないということでしょうね。人に言われなくとも、失敗が自分でわかったときには「なんでこんなことになっちゃったんだろう? ちょっと集中力が欠けていたのかな、ナメていたのかな」と自分で反省して、気持ちだけは二度とやらないと思うことでしょうね。(滝田恵)

これは校正にかぎらず、仕事、行動の指針としたい。

本文下余白に2p一組で、誤字誤植例が挙げられていた。その中から印象に残ったものを列記しておく。
左 誤字誤植例 右 訂正例

宝石を散りばめた 宝石を鏤めた
潮の満ち欠け 潮の満ち干
心血を濯ぐ 心血を注ぐ(灌ぐ)
信仰の自由を保証 信仰の自由を保障
4日間に渡る 4日間に亘る(亙る)
年期奉公 年季奉公
花火鑑賞 花火観賞
今時の法改正 今次の法改正
トルコの首都イスタンブール トルコの都市イスタンブール(首都はアンカラ)
酒造メーカー、製造メーカー 酒造業者、製造業者
例え火の中水の中 たとい(仮令、縦令)火の中水の中 *漢文訓読用語
上野静養軒 上野精養軒
アジアナ航空 アシアナ航空
実力を如何なく発揮 実力を遺憾なく発揮(「遺憾なく」は成句)
コミュニュケーション コミュニケーション
シュミレーション シミュレーション
会場が笑顔に包まれる 会場が笑いに包まれる
時計の駆動装置を収める駆体 時計の駆動装置を収める躯体
成功を影で支える 成功を陰で支える
造形が深い 造詣が深い

2015/08/07(金)●岡山方面
4時半起床。
今朝の血圧は153/77/73。
自転車で6時前摩耶倉庫着。
矢谷くんら4人で岡山の独逸向け船便ピックアップ現場。ブルーライン経由で行ったのだが、岡山市に入った途端大渋滞。9時ちょっと過ぎに現場到着。
かなりぶっ飛ばして、2時作業終了。
でも、帰りも渋滞で倉庫に着いたら5時前。またぶっ飛ばしで荷降ろし、積み込みすまして、6時帰宅。大急ぎでシャワー浴びて、着替えて、JRで元町に。
今夜は7時から元町駅前でSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)の神戸初の集会があるというので、参加したかったのだ。「安保法案反対!市民の集い」グループも10人ほどあつまり、Morris.もビラまきお手伝い。ちょっと小雨降ってたので心配したが、7時過ぎには上がって、OK。ひさしぶりに吉美ちゃんに会えた。次女の愛ちゃんもいっしょで、彼女はまだ女子大生。高山くんは学生連れて長野合宿中で不参加とのこと。
大学教授数人が反対表明した後、学生数人のアピール。途中、右翼街宣車が数回妨害に通りすぎたが、大したこともなく、話聴く事ができた。参加者は750人ほど。学生の反安倍、反安保法案の盛り上がりが心強い。今回はデモは無しで、9時半帰宅。
阪神はDeNAに敗けてた(>_<)
今日の歩数は5536歩

今朝の高橋猫 

摩耶埠頭夜明け 

岡山ブルーライン 

工場煙突 

吉井川 

元町駅前午後6時45分 

吉美ちゃんと次女の愛ちゃん 

集会開始 

西谷修東京外大教授 

SEALDs神戸初集会 

9時前解散 

Morris.ではない 

2015/08/06(木)●広島原爆忌
6時起床。
今朝の血圧は160/67/74。
今日から高校野球開始。100年目という記念大会らしい。始球式には王貞治がストライク投球。
広島原爆70周年忌日。午前8時15分に黙祷。平和式典には安倍首相も参列したが、これほど似合わぬものはない。さらに今年は「非核三原則」の文言は無し。それにしても、広島の平和公園の石碑の「あやまちはくりかえしません」という言葉がいまさらながら、納得がいかない。「あやまち(過ち、誤ち)」は原爆投下したアメリカに対するものか、無謀な戦争を遂行した日本政府なのか、原爆という兵器を開発したその事自体なのか? ここは、「戦争」そのものをこそ否定している言葉だと思いたい。
昨日は国会で中谷防衛庁長官が「新安保法案では核の輸送も可能」発言があったり、自民党若手議員の失言(本音?)頻発に、麻生副総理が「とにかく法案通すのが第一。言いたいことは法案が通ってからにしろ」という、暴言(これも本音?)があった。
高校野球聞きながら、読書メモ。このところ読書控えがなかったが、読んでなかったわけではない。韓国旅日記の本文を優先してたのだ。旅行前から、メモだけとってる本が10冊近くある。
夕方JRで三宮に出て、5時からマルイ前で「安保法案反対!市民の集い」抗議行動。今日は参加者10名ちょっとと、少なめ。とにかく、持続することが大事だと思う。
6時半散会して、センター街のイシバシ楽器に寄って、ギターの弦(3弦が連続して切れた)買う。本棚に「ペンタトニックの強化書」という前からちょっと気になってた教本見つけて、つい買ってしまった。三日坊主にならないことを祈りたい、って、Morris.の場合、韓国トロット(ポンチャック)専門だから、あまり役に立つとも思えないけどね(^_^;)
阪神は、広島に連勝。今日は広島は全員が背番号86で、原爆への抗議(と思いたい)を意思表示してたので、ちょっと申し訳ない気もするが、勝負は勝負だもんね。
今日の歩数は2512歩。

三宮駅前花壇 

今日の抗議行動 

久々ギター教本(^_^;) 

【トライアウト】藤岡陽子 ★★★ 2012/01/20 光文社
新聞社勤務の久平可南子は、8年前に父のいない息子を出産した。その前に八百長疑惑で逮捕されたプロ野球選手と偶然一緒にいたところを写真週刊誌にスクープされ、世間は父親はその選手だと思っているが、実は違っていた。
8年後スポーツ担当に移動された可南子が、トライアウトで戦力外とされた往年の名投手と出会ったところから物語は動き始める。宮城の実家に預けた息子の問題、父の死を通じて、可南子は自分の過去に疑問を持ち、新しい生き方を模索し始める。

「やっぱりいい球場だな」
深澤が自身に問い掛けるような口調で言った。
「芝がきれい。球場ってどこも芝生があざやかですよね」
あまりに美しい芝の緑に、可南子は素直に感嘆の声を上げる。こんなに明るい場所に立つのは、久しぶりかもしれない。
「職人たちが真剣に維持してるからな。グラウンドを整備する人たちも真剣。選手も真剣。球団を運営してる人たちも真剣。野球記者も真剣。ファンもまずまず真剣。そういう場所なんだな、プロ野球ってのは。たかが野球、されど野球。スポーツなんて要は娯楽かもしれないけど、それを命がけでやってる人間たちで守られてる場所なんだ」

これは無人の甲子園球場に、こっそり(つてを通じて)入ったふたりのやりとり。いかにもの野球論だが、「ファンもまずまず真剣」というところが気に入った。

【煩悩の子】大道珠貴 ★★☆☆ 2015/05/24 双葉社 初出「小説推理」2014。
小学5年生の桐生極は、大人びた表情で周囲から浮いている。4つ下の対照的な妹兆には、愛憎交々な複雑な気持ちだし、父母に対しても醒めた見方に徹している。そのシニカルな思考が九州弁(博多弁)で展開されていくのだが、どうもいまいちMorris.にはぴんとこなかった。

動物図鑑を脇に抱え、気が向けば、読んだ。姿かたちや生態を、スケッチブックに描き写したりもした。人間とほかの動物、どう違うんやろう、似ているところもいくつかあるが、知れば知るほど、動物のほうが賢いと思う。親は子に厳しく、耳を噛んだり牙を剥いたりして、巣穴から追い出す。独り立ちを強いられる子は逞しい。自分でえさを探す。探せなければ、餓死だ。親は子を産んだらそろそろ死ぬ。子はつがい相手を見つけ、自分も親になる。そして死ぬ。ぐるぐるぐるぐる、命はまわる。なんて潔いんだろう。すがすがしいなあ。寿命が短いって、うらやましいなあ。オオカミやワシや黒いピューマやコブラ。惚れちゃうなあ、カッコいいなあ。

11歳で、ここまで考えが及ぶのかどうか、ちょっと疑問だが、Morris.ならその頃は「昆虫図鑑」だったはずだ。人間より虫の方がえらい、とは思わなかったけどね。

この世に大人はいないんやないか。極は自分に訊いた。
おらん。自分で答える。
父も母も新海先生も他の先生も、やっぱし子どものままだ。子どもが子どもを産んだひとたち、子どもが子どもを教育しているひとたちなんやな。
極はもし自分に子どもができたら、覚悟しとかないかん、いや、そもそも子どもは要らんな、と、思う。子どもは大人に気を遣い、わかっていることも、わからないふりをし、大人が惨めに見えても、知らんふりをする。そしてじわじわ離れていくのだ。気づいたときには、ココロから大人たちを軽蔑し、せせら笑っている。自分みたいな子どもができたら、親も不幸だ。


「大人はおらん」と規定しながら、大人に対しての不満や気遣いを表明してることの矛盾が、子どもらしいのかな。ややひねくれた性格のようでもあり、共感と、近親憎悪を感じる。最後のフレーズは、いささか「兎の逆立」である。→ミミガイタイ(>_<)


2015/08/05(水)●夏バテ(^_^;)
6時半起床。
今朝の血圧は171/65/73。
昨夜も熱帯夜で、さすがのMorris.もちょっと夏バテ気味である。
昼過ぎ、自転車で六甲道に出て、灘図書館、銀行、ロッコーアート、コーナンと回って、買い物やら、プリント受け取りやらやって、水道筋でも買い物して4時前帰宅。
阪神、今日は5回まで5-0と広島をリードしてるから、勝てそうだ。明日は広島原爆記念日ということで、今日、明日の試合は、「ピースナイター」と名づけられ、平和を祈る催しになっている。毎年巡って来るごとに、平和の大事さに思いを馳せるのだが、今年はより一層、その思いを強く祈りたい。
今週の歌謡舞台129回(08/03)は、春子さんの誕生祝いで見損なったので、今日アーカイブで見ることにした。放映後2週間は一般映像で見られるから、ネットのオンエアより綺麗な画像である。
- 한여름 밤의 꿈真夏の夜の夢 -というテーマ。

 1) 꿈속의 사랑夢の中の愛(ヒョンイン1956)/하춘화ハチュナ
 2) 나폴리 맘보 ナポリマンボ(ヒョンイン1956)/서지오ソジオ
 3) 파도 波濤(ペホ1968) /배일호ペイロ
 4) 삼백 리 한려수도三百里閑麗水道(イミジャ1972) /박세빈パクセビン
 5) 바닷가에서 海辺で(アンダソン1963)/안다성アンダソン
 6) 모닥불キャンプファイア(パクインフェ1973) /현숙ヒョンスク
 7) 마포종점麻浦終点 (ウンバンウル姉妹1968)/이효정イヒョジョン, 김혜미キムヘミ
 8) 눈동자 瞳(イソンジェ1970)/김수찬キムスジャン
 9) 칼멘 야곡カルメン夜曲(ペクソリ1955) /안다미アンダミ
10) 불나비 火の蝶(キムサングク1965)/김국환キムクッカン
11) 이름 모를 소녀無名の少女(キム・ジョンホ1974)/신유シニュ
12) 꿈꾸는 백마강夢見る白馬江(イイングォン1940)/문연주ムンヨンジュ
13) 꿈 夢(チョヨンピル1991)/박상철パクサンチョル
14) 사랑 님 愛するお方(キムヨンイム2014)/김용임キムヨンイム
15) 무너진 사랑탑崩れた愛の塔(ナムインス1960) /류기진リュキジン
16) 그때 그 사람あの頃あの人(シムスボン1978) /이혜리イヘリ
17) 내 마음 별과 같이我が心星のように(ヒョンチョル1987) /현철ヒョンチョル

先週のプログラムには、オリジナル歌手が明記されていたが、今週は無くなってた。アーカイブなので、一時停止できるので、オリジナル歌手と発表年を追加しておいたが、いつもこれが出来るとは限らない。今回は好みの歌手も歌も少くて評価は★★(^_^;)

今日の歩数は2205歩。

2015/08/04(火)●死んでた(^_^;)
午後4時起床(^_^;)
居間夕の血圧は167/88/68。
昨夜終電に乗って、目が覚めたら垂水だった(>_<)
やっぱり焼酎が効いたらしい。
こうなったら久々の野宿である。駅からすぐ南が海だし、この季節なら寒さの心配はない。
港のベンチに発泡スチロールの板を敷いて、すぐ就寝したらしい。
6時過ぎに起きだして、なんとか帰宅、そのまままた寝て、目が覚めたら夕方だったということになる。
二日酔いというほどではないが身体の節々が痛む。
阪神は広島に連敗。
今日の歩数は2700歩。

仮の寝床(^_^;) 

朝の垂水港 

同じく 


2015/08/03(月)●高さん誕生日カラオケ会
7時起床。
今朝の血圧は179/66/98。
磯崎参考人招致が気になって、テレビ番組表検索したがどこも中継はやってない。NHKを筆頭に、日本のマスコミはどうなってるんぢゃ。
3時に部屋を出てJRで桃谷へ。今夜は新今里で高春子さんの誕生祝いカラオケ会があるので、早めに大阪に出て洪ママの見舞いに行くことにしたのだ。ママは今日は朝からずっとテレビ見てたようだ。いっしょに「相棒」見ながら世間話。5時前に辞去して、鶴橋「宮廷」でコリコムタン食べる。ビールも頼んで、一杯機嫌で、ぷらぷらと今里駅まで歩く。歌麿会長と榎本さんと待ち合わせ、今里公園横の交番前で丸本夫婦さんらと合流して、会場の「恋」へ。
高春子さんは来日してン十年、今回の誕生日喜寿を記念して韓国(ソウルと済州島)から、家族、親族を呼んで誕生会を開いたとのこと。3人の息子と娘、その孫などが会して楽しいひと時を過ごすことになり、サランバン会で顔なじみのMorris.もお相伴に預かったというわけ。この店は、ホストクラブみたいで、いちおう韓国通信カラオケも設置してあったので、ユジナの「コチュ」を歌うことが出来た。でも、日本製のカラオケと一緒に使うと、時々バッティングして歌が中断したりするので、結局日本のカラオケ使うことになった。
サランバン会からは8人ほどが、参加。やっぱりこの席が一番騒がしかった。
ビールが小瓶なので、面倒くさくなり、いいちこ水割りを飲み始めたが、これがよくなかったようだ。かなり酔が回り、榎本さんと、近鉄、環状線乗り継いで西明石行きの終電に乗り込んだところまではおぼえているのだが……
今日の歩数は9488歩。

「宮廷」でコリコムタン 

新今里交番前の朝鮮石人像 

誕生祝の高春子さん 

可愛い孫も 

家族席 

花束贈呈 

家族合唱 

親族記念写真 

全員記念写真 

榎本さん 

会場全景 

丸本夫婦 


2015/08/02(日)韓国猫2015
6時半起床。
今朝の血圧は169/73/76。
昨日、韓国旅日記いちおう完成し終えたので、今日はこの旅で出会った韓国の猫の画像をセレクトして、フォト蔵に90点ほどアップした。「韓国猫2015」というアルバムだが、できればスライドショーで見てもらいたい。去年と同じく50匹前後だろうが、去年ほどリキが入ってない気がする。
9時からNHKの日曜討論。自民党ヒゲの佐藤が出て、またピント外れの持論を展開。安倍首相の支持率低下にやや焦りが見られる。
昼のKBS全国ノレチャラン、全羅南道カンジン郡篇。ここは本当なら6月末に録画があり、見に行くつもりだったがMARSで延期になって見損なってしまった回だ。屋内でやってたから録画当日雨だったのかもしれない。
7歳の女の子が「羅城に行けば」を歌い、これは可愛かったのだが、ソンヘさんとのやりとりで、「トクトヌンウリタン(独島は我が領土」の歌詞の「ウリタン」を、日本人が歌うと日本人の領土になってしまうから、「トクトヌンハングッタン 独島は韓国領」と歌うようにしようと主張。まあ、回りに言わされてるんだろうが、もし、この録画見に行ってたら、Morris.にふられた可能性もある。あの歌、よく歌ってたもんね。
その後、歩いて青年センターへ。「安保法案反対!市民の集い」。いつもギター持ってデモに参加する平田さんが「死んだ男の残したものは」と「死んだ少女」を歌い、神大の今井さんの安保法案の現状解説。
灘図書館に寄って、JRで三宮に出て、5時からデモ。飛田夫妻、深田、宮川さんもデモに参加。Morris.はミニジンベで参加したが、どうもシュプレヒコールとジンベはあまり相性がよくないようだ(>_<) 大阪扇町デモでの若者のラップ風コールにはぴったりだったのに。これなら、やっぱり韓国鋏(カウィ)のほうがましかもしれない。
7時帰宅。
阪神-ヤクルト戦、前半投手戦で0-0だったのに、7,8回で5点取られて連敗。
チャンネル変えたら、日本-北朝鮮のサッカー(東アジアカップ)やってて、1-0で日本リードしてたのに、後半2点取られ逆転負け。
今日の歩数は5119歩。

ミミズク猫? 

センターで抗議集会 

今日のデモ 

2015/08/01(土)●須磨ビーチ方面
8時起床。
今朝の血圧は143/55/85。
朝の3点セット。
今日も厳しい暑さになりそう。
午前中は録画しておいたサンテレビの韓国ドラマ「ずっと恋したい」14話まで見る。三組のカップルの織りなすラブコメディ?で、だらだらと見続けている。
昼からJRで須磨に出る。泳ぐ気はないが、この暑さだからちょっとリゾート気分でも味わおうと思う。
夏休みの土曜日で、炎暑というのに、思ったほど人は多くない。
赤灯台裏の松林で缶ビール飲みながら、ミニギターで遊ぶ。
その後、海岸通をぶらぶら歩いてたいたら海の家の椅子でウクレレ弾いてるおっさんがいたので、ちょこっと話してしばし、合奏。
4時過ぎに水族館方面から北上して、須磨図書館に寄り、マルハチで買い物して鷹取駅からJRで7時帰宅。
ぼちぼち更新してた、韓国旅日記、なんとか21日分の本文追加して完成。しかし、これを全部読むという奇特な御仁が何人いるかどうか疑問である。結局はMorris.自身の記録として残すというか、もっとハッキリ言えば自己満足的行為なのかもしれない。Morris.の旅日記は今やほとんど写真絵日記みたいなものになってて、その写真(デジカメ画像)旅の間にアップしてるわけだから、今頃になって写真説明みたいな本文読まされてもなあ(^_^;)ってことになりそう。
今日から8月。今月のMorris.日乘のタイトルカットは、大阪平野川の橋にあった落書きである。画像をクリックすると全体の雰囲気がわかる。
阪神はメッセンジャーでヤクルトに負けて、首位を巨人に明け渡した(>_<)
今日の歩数は9140歩。

須磨海水浴場 

松林でビールを 

そこからの風景 

海の家のウクレレ親父と 

Beach Gals 

そろそろ引き上げ 

涼し気な木の実 

若宮小学校 

二宮金次郎 



 

 

 


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