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Morris.日乘2004年9月 
ここは、Morris.の日記です。読書記録、夢のメモ、宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語 

九月は繰り返す

Morris. personal calender

【2004年】 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
2004/09/30(木)●立待月と讃岐うどん●

荻野君と、泉南熊取町の配達と、宇治のAIR便のピックアップ。
夜は社長宅で、うどんをいただく。これは以前レオマでお世話になってた藤田課長が昨年オープンした観音寺のうどん店の手打ち麺を社長がお土産にもらってきたもの。
松尾、矢谷君、堀姉妹らに声かけたらしいがみんな忙しくて、結局みっちゃんとMorris.だけがお相伴にあずかったということになる。
初めは冷たい麺に竹輪のてんぷら、2杯目は熱い釜玉。中村で7年間修行したというだけあって、なかなかしっかりした麺で、食べ応えがあった。おまけに麺をいくらかおすそ分けしてもらった。明日もMorris.亭でうどんが食えるぞ。
一昨日の仲秋の名月も、昨日の十六夜も雨と台風で見ることが出来なかった。そのぶん、今夜の立待月は美しく見えた。
「イヴのすべて」第9話では、とうとうウジンはヨンミをかばって死んでしまう。それでもヨンミは強引にマイウェイを突き進んでいく。ひどいなあ、嫌だなあと思いながら、ほとんどこのところヨンミのドラマである。
京都のレコードショップ十字屋の「JEUGIAフリーペーパー」秋号に、春待ちファミリーBANDのおなじみのナンバー「女房が消えた Samebody stole my love」に関するコラムが掲載されている。これは編集やってる筑井一哉さんからメールで内容照会があったので知った。


冷しうどん。こしのある麺

熱い釜玉もいける

立待月
2004/09/29(水)●ヨンミコワレテル●

矢谷、溝渕君と加納町の韓国人夫婦のピックアップ現場。テジョンに家があるらしい。
昼食は近くの「味加味」で。ここは以前ジャズストリートで春待ちファミリーBANDのライブ会場だった店である。
台風が近づいてるというので心配したが、作業終わるまで大して雨は降らなかった。
夜は歯医者。また右上の歯の神経抜かれる。ほとんど上の歯は全滅ぢゃあ。まだまだ治療は期間がかかるらしい。
帰ってから「イヴのすべて」昨日と今日の分見る。見損なった一昨日に、ヨンミとウジンはロンドンに出張に行かされ、ウジンは完全に捨てられたらしい。そいで、昨日のユジンの情けないったらありゃしない。ヨンミはひたすらわが道を行くのだが、とうとう先輩の車に細工して事故起こさせてしまう。しっかり殺人未遂である。そのくせ抜けてて、駐車場の防犯カメラにヨンミの犯行が写っててそのテープを手に入れたウジンは、これをネタにヨンミに迫るという、この二人はもう、めちゃくちゃでごじゃりまする。ウジンはただ情けないのだが、ヨンミは完全にコワレテると思う。ソンミはスカばかり引かされるし、ヒョンチョルはちょっとええかっこしすぎ。殺人未遂したあとでヒョンチョルにアタックかけまくるヨンミ。信じられない。ただなんでヒョンチョルはヨンミと食事に行ったりするんだろ。
島田和夫部屋更新。

2004/09/28(火)●無月●

8時半起床。空は晴れてるのでひょっとしたら、と、淡い期待を抱いたが、午後から雲が出始め夕方からあめになった。
昨日の夜録画しておいたNHKの「ちゅらさん3」を見る。Morris.はNHKの朝ドラなんかみることはほとんどないが、このちゅらさんはけっこうはまっていた。
そしてちょっと前に、続編特別編みたいな感じで「ちゅらさん2」が作られ、今回の「ちゅらさん3」である。月曜夜5回連続という短いドラマだが、このところドラマづいてるMorris.は、ついついこれも予約録画して見ている。NHK総花システムというか、女優陣の層の厚さには驚かされる、主役のえり(国中涼子)をはじめ、菅野美穂、佐藤藍子、そして心境著しい小西真奈と、これでもかという感じの配役で、それもこのドラマの魅力だったのだが、Morris.は今回のシリーズだけの出演と思われる、病弱な母親を演じる奥貫薫に完全にいかれてしまったよ。癌の末期症状で余命幾ばくもない30代の母親の役なのだが、娘を見る表情の悲しい優しさときたら、たまらんなあ。名前も知らない女優さんだが、ネットで見たらいろいろ出演しているようだ。しかしたぶん、この役だからいいんだろうと思う。
それはいいのだが、うっかり昨日は「イヴのすべて」録画しそこなってた(>_<)

2004/09/27(月)●ノレバンベスト10●

キムヘヨン「ガラスの靴」を熱唱昨日は昼間ごろごろして、半分寝たような生活だったせいか、昨日の夜はなんとなく寝付かれず、音楽聞いたり本読んだりして夜更かしして、気が付いたら5時過ぎていた。ここで寝るとまた、完全に昼間に寝る暮らしになってしまうので、そのまま起きておくことにした。成り行き上の徹夜ということになる。
今日もお天気はいまいちで、小雨模様だし、やっぱり部屋でごろごろの一日になったのだが、今日は珍しくPCで韓国KBSのノレチャラン(のどじまん)うや歌謡舞台などの番組を見ることができたので、退屈はしなかった。ノレチャランにはわれらがキムヘヨン嬢が新曲「ガラスの靴」を歌ってたし、8月末の歌謡舞台は、「成人歌謡愛唱曲ベスト50」なんていう企画ものやってくれた。
成人歌謡というのは耳慣れないが、ちょっと前までは「中年歌謡」といってた奴で、要するに、アジョシ、アジュマ(オジン、オバン)がカラオケでよく歌う歌の特集というわけだ。あくまでこの8月によく歌われた曲のデータだから、おなじみの名曲より最近の曲がかなり入っている。とりあえずベスト10だけ写しておく。

10.パボ/テジナ
9.ヨンヨン/ナフナ
8.ナメンヨルチャ/キムスヒ
7.ヨヘンウルトナヨ/チョヨンピル
6.タンドルハンヨジャ/ソジュギョン
5.チョンサンチェフェ/チェジニ
4.コチュルドゥンナムジャ/
3.ヌイ/ソルンド
2.コッパラムヨイン/チョスンジュ
1.チャウガ/パクサンチョル


Morris.の知ってる曲は半分くらいかな。

【GMO 上下】服部真澄 ★★★★ Morris.がはまってる筆者の近作(といっても2003年)長編である。タイトルのGMOはGenetically Modified Organism(遺伝子組み換え作物)のことである。
米国に住む日本人翻訳家が、ワインの本の翻訳をすることになったことから、南米ボリビアに新しいワイナリーを設ける米国食料関連大企業のバイオ戦略に巻き込まれるというストーリーだが、筆者お得意の大風呂敷(失礼)を見事に広げて、企業から国家がらみの経済戦略活動にもつれこませ、GM植物だけでなく、GM昆虫という隠し技を繰り出し、現代のレーチェル・カーソンといわれる天才科学ライターの畢生の新著(日米同時発売=日本語訳はもちろん件の翻訳家)を縦糸に、見事に複雑な事件小説を組み立てている。長さが災いしてか、ちょっと中だるみになったり、例によってのご都合主義や、終盤の拙速ぶりなど欠点も多いのだが、現代生物科学の可能性と危険性をリアルすぎるくらいに実証して、読者を慄然とさせる手腕が、そんなことを忘れさせてくれる。その他の登場人物もそれぞれ、必要に応じて的確に描きこまれ、人間関係も実に細かく演出されるなど、筆者のエンターテイナーぶりは大したもんである。
本当はそうではないのだろうが、読んでいると何かえらいことを教えられたような気にさせられるところも、彼女の得意技である。
タイトルでもあるGMOの解説めいたことも、彼女の手にかかるとこんなふうになる。

科学畑の人間には、すでに耳慣れた言葉になっている。メディアでもちょくちょく見かけるようになってきた。それもそのはずだ。情報技術と並んで、アメリカの二十一世紀の重要な"兵器"とみることもできるのだから。
人間は、いまでは神を真似て、新しい生物をも創っている。自然には存在しないはずだった生物が、品種改良の域を越えて、次々と創られている。遺伝子操作技術を用いて、生物に、自然では交配できない種の遺伝子が組み込めるようになった。バクテリアから植物へ、植物から動物へ、遺伝子を移すことが、理論的に可能になった。人間からヤギへ。人間からバクテリアへ…。
あらゆる種の交雑が、試される可能性が出てきた。
魚の持つ遺伝子を植物に導入することも、可能になった。カレイの遺伝子を持つジャガイモが創られた。
他の生物種に由来する外来遺伝子を、植物細胞に持ち込む方法が、1990年代に開発され、遺伝子組み換え作物が次々に誕生するようになった。
なぜ、ジャガイモカレイを創るのかって? カレイには、体内の水分が凍らないようにするタンパク質があって、極寒の海域でも生きていられる。そこで、あるエンジニアが思いついたのだ。カレイの遺伝子をジャガイモに組み込んで、凍らないジャガイモができたら、寒い地方でも作付けできるだろう、と。
ジャガイモカレイは、うまく育ったらしい。が、これは植物なのか、魚なのか? 種はさだかではない。が、とにかく、作物だ。ある地方、ある国には夢のような作物だ。いままで不毛だった土地で、作物が穫れるのだから。特別の性能を付加された機能性食品を、遺伝子技術は生み出す。どうあがいても叶わなかった夢が、ときには一足飛びに現実のものとなる。それが−−−遺伝子組み換え作物だ。倫理的な問題から、ジャガイモカレイはいまのところ実現されていない。だがアグリビジネスは、遺伝子組み換え作物の金脈を見逃さなかった。


ね、おっそろしく、わかりやすいでしょ。しかも説得力に長けている。こんな調子で、筆者にレクチャーされて、得したような気分になるのだが、それをまたてもなくひっくり返したりしてくれるのだ。
ボリビアのワイナリーで、葡萄以外に百種類もの植物を混載させて目的の作物から、害虫や細菌の関心をそらし、生態系のバランスをとるエリア「ハビタット・ブレイク」をつくる有機農法の定石をとくとくと述べる女性ワイン評論家に、ボリビアの議員の反論は、ステレオタイプだとしても、有機農業の現実の状況をぐさりと突く。

「オーガニック食材は、金のある国のなかでも、金のうなっている層の食い物だ。貧しい者の食卓には、決してのぼらない。贅沢なお遊びじゃないか。真面目にやろうものなら、コストが見合わない。葡萄畑に、雑多な植物を混ぜて植えるだと? 笑わせるじゃないか。一農家がそれをするのに、どのくらいの経費と手間をかけなければならないか、考えたことがあるのかね。」

もちろん筆者は、有機農法に闇雲に反対しているわけではないのだろうが、現状を知るほどにその乖離に苛立っているのかもしれない。
翻訳家が、頻繁に引用するレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の一節。

この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を及ぼしあいながら、生命の歴史を織りなしてきた。といっても、たいてい環境のほうが、植物、動物の形態や修正をつくりあげてきた。地球が誕生してから過ぎ去った時の流れを見渡しても、生物が環境を変えるという逆の力は、ごく小さなものにすぎない。だが、二十世紀というわずかのあいだに、人間という一族が、おそるべき力を手に入れて、自然を変えようとしている。

これに続けて「さらに、二十一世紀の初め、巨大なコングロマリットが……」となるわけだ。
しかし、翻訳家は実は、より大きなそして巧妙な力に、利用されていたわけで、後半ではその事実を知って愕然となるわけだが、そのあとに起死回生の逆転劇らしいエピソードがおかれている。しかし、それはやはりとってつけた結末でしかないようだ。本筋では勝負はとっくについていた感がある。
こういったスリリングな小説を読むたびに思うのだが、現在の書籍という形態は、どんなに長いものだろうと、読み進めていくうちに残りページが読者には丸わかりである。どんなに、波乱万丈で先が見えない作品でも物語のおしまいが近づいていることがわかってしまうということが、ストーリーに飲み込まれている読者の興を殺ぐということがままある。本書もそういう感じがした。
ところでおしまいのページに「本書は[新潮ケータイ文庫]上で、2002年1月から2003年4月まで連載後まとめたものである」と書いてある。ケータイ文庫というのがどんなものかよくわからないが、もしも、これが最終回の表示のない連載なら、Morris.の先の不満も解消できたのだろうか?

2004/09/26(日)●シアワセないちにち●

11時起床。宿酔ではないがいくらか酒が残っている感じ。これも久しぶりである。
昼過ぎにやっとベッドから起き出して、昨日録画してたはずの「海風後篇」を見ようとテープ巻き戻したら、「海風」は入ってなくて、代わりに?「ホテリア 総集編」なんてのが入ってた。うーーん、これまた久しぶりの録画予約ミスである。つまり「海風」を録画したつもりで、先週で終った「ホテリア」の予約が生きてて、この時間に総集編があったということらしい。「海風」はしょうもないドラマとは思いつつも釜山なまりが聞けたし、前半を見ただけというのが少し口惜しい。来週からまた「ペヨンジュンのパパ」というのが放映されるらしい。

【永遠の不服従のために】辺見庸 ★★★☆
2001年7月から2002年8月まで「サンデー毎日」に連載された「反時代のパンセ」という記事を再構成した時事評論みたいなものである。連載直後に例の9・11テロが起きたので、これに関連する記事が大部分を占めるという結果になっている。それ以外は死刑反対と有事立法反対、ジャーナリズム批判と限界などさまざまだが、それぞれ筆者が真摯かつ誠実に意見を述べようとしていることは疑いないが、かなりムラがあるのも事実だし、こういった類の文を、2年後、3年後に読むという空しさも感じずにはいられなかった。
各記事の冒頭にプロローグめいた引用が置かれていて、そのうちのいくつかはMorris.の琴線にも触れるものがあった。本書のタイトルもその引用の一つ、C.P.スノーの「暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」というアフォリズムに因っているらしい。
Morris.は「もの食う人びと」で筆者を知り、他の著作もいくらか読んでいるが、小説はどちらかというと苦手だった。奥付で芥川賞作家であることも初めて知ったが、もともと受賞作品はほとんど読んでないから知らなかったのも不思議ではない。ただ、本書の中でときどき、えらく小説的というか、変に凝った、幻想的な筆致の部分があって、その部分には違和感をおぼえてしまった。
一般誌への連載という制約の中ではかなり思い切った発言もあり、いわゆるぎりぎりの線を狙っているようでもあるが、そうした意識が見え透いて、読むのが辛くなるところもあった。
たとえば天皇関係記事の、確固とした出版界の自主規制に対して、筆者の抗弁は、正直ではあるものの抗弁にはなっていない。そして、その自主規制は、マスコミというより、個々の記者、寄稿家自信の心の中に深く巣くっているという、諦めのようでもある。

奇妙なことに、マスメディアで働く者たちは、昨今厳しさを増しているメディア批判の論考を読むときに、批判対象は自分ではなく、同じ領域の遠くの方にいるらしい。「困った他者」である、と思い込む癖があるようだ。自分が批判されているにもかかわらず。だから、だれも傷つきはしない。いわんや、戦争構造に荷担しているなどと、ゆめゆめ思いもしない。かくして政治とメディアは、手に手を取って、「現在」という未曾有の一大政治反動期を形成しつつある。(加担)

いや、アフガンを知らなくても、人間として理解すべき哲理というものがあっていい。
それは、殺しながら、同じ手で、食べ物をあたえ、慈しむことここそ、もっとも非人道的行為であり、人間への差別だ、ということだ。その意味で、この社説(朝日新聞2001/10/9)は、他紙童謡に、人倫の根源への深いまなざしを欠いているといわなくてはならない。朝日にファンの多い丸山眞男はかつて「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる」と書き記しているけれど、これは、今日的には、朝日社説に向けられた、もっとも適切なアフォリズムであると思う。
戦争という、人の生き死にについて論じているのに、責任主体を隠した文章などあっていいわけがない。おのれの言説に生命を賭けろとはいわないまでも、せめて、安全地帯から地獄を論じることの葛藤はないのか。少しは恥じらいつつ、そして体を張って、原稿は書かれなくてはならない。現場の若い記者たちの多くは、いま、社説とのひどい乖離に悩んでいるのだから。(社説)


本文とは、無関係なことではあるが、戦争反対の文の結びに「世界の動揺を拱手傍観している場合ではなかろう」とあった。
そうそう、漢字音読みという手があった。「拱く--コマネク」の気持ち悪さから逃れるためだけにでも、この「拱手傍観--きょうしゅぼうかん」を普及させたいものである。デモヤッパリムリカナア(^_^;)

2004/09/25(土)●ひさびさの3軒はしご●

5時半に奥井さんに迎えに来てもらい、日進市の現場へ仏蘭西からの荷物配達。日進市というのははじめてで名前すら記憶に無かった。名古屋の衛星都市みたいなところらしい。日進市があるのならどこかに月歩市というのがあってもおかしくないと思う。
荷物搬入は早く終ったが、フロアチェストのくみたてに時間を取られた。なにしろ8個ある引き出しから組み立てるのだから、しかたがない。
昼飯抜きで1時くらいまでやって作業終了。帰り守山サービスエリアで昼食、メニューにサボテンきしめんというのがあって、つい注文したら変な緑色のきしめんで味もいまいちだった。
4時過ぎに倉庫に戻り、トラックに荷物積み込み。
夜は矢谷君らと長田の焼肉屋に行くことになった。もと長田に住んでた南君のおすすめの店があるというので、以前から一度連れていってもらいたいと思ってた店である。
新長田の南、地下鉄駒ヶ林駅前に集合。参加者はあと松尾、福井くん、あさぎちゃんの計6名。海岸沿いに西へ歩く。途中の夜の浜辺の情景がなかなか風情があっていい感じだった。長田の下町方面はいちどゆっくり散策したいと思った。
くだんの店「味一」は、中年の夫婦だけでやってる店で、客もほとんど在日韓国人ばかりで、わしらはちょっと浮いてるようだった。注文してから肉をさばく方式なので出てくるまでかなり待たされたが、出てきた肉は見るからに新鮮で種類も豊富。ウルテ、タケノコ、ツラミなど昔風の炭火の焜炉に丸網おいておもむろに焼き出す。あまり換気にも気を遣ってなくて盛大に煙が上がる。タレは甘口の方とのことだったが、充分濃い味で美味しかった。Morris.は結局好みのミノを重点的に食いまくり、追加注文頼んだが、品切れだった。
8時半くらいに退去して(この店は早仕舞い)、鷹取駅方面に向かい、以前そら豆さんらと数回行った「用守冷麺」に流れる。ここでピビンネンミョン、ムルレンミョン、チヂミにチャンジャなどをアテに飲む。矢谷君らは音楽関連の話で盛り上り、11時過ぎまで粘ってJRで六甲道に戻る。かなりいい機嫌の矢谷君に誘われてこれまた久しぶりに「レーヴ」へ行ったら、六甲三人娘?(さりーちゃんと堀姉妹)が陣取っていた。遅れて飯島ちゃんも来て、またひとしきり飲む。でも三々五々彼等は帰っていき、結局はMorris.ひとり居残り、部屋に戻ったのは2時半過ぎてた(^_^;)。4日前にJAMESで飲んで以来だが、あの時はビール2杯だったのに、今夜はビール7,8杯に焼酎水割り3杯は飲んだと思うので、本当に久しぶりの酩酊だったかもしれない。それでも、一頃みたいに潰れるまでは飲んでない。


長田「味一」のホルモン盛合せ

年季の入った炭火焜炉

いい加減食いまくった後
2004/09/24(金)●歯医者はやっぱり嫌なもの●

今日も朝から雨模様ですっきりしない。古い韓国歌謡のVHSをあきもせずBGVに流してごろごろ。
夕方「イヴのすべて」を2回見てから、歯医者へ。
今日も小一時間右上の歯をけずったり、神経抜いたりされたが、治療費は思いのほか安かった。
しかし帰宅して麻酔が切れたらなんかじわーっと痛んできた。我慢しきれず鎮痛剤飲む。

2004/09/23(木)●スト来期?●

11時半起床(^_^;)秋分の日であるがどんよりとした空模様である。
昨日は久しぶりに酒飲んだ(といってもビール2杯--一杯はNAMIさんのおごり。感謝m(__)m)ので、熟睡したようだ(ウソ) 考えてみれば昨日、阪神理容に行ったのに、風呂に入らずに寝てしまった。これはほとんど自殺行為に等しい。なんたってあそこの散髪ときたら、とにかく早い安いが取り柄で、丁寧さとは対極に位置するし、洗髪と後始末はほとんど無いに等しいから、何をおいても帰宅したら入浴が必須のはずなのに(+_+)
仕方ないから朝風呂つかって、ごそごそしてたらもう2時過ぎで、偶然300chでダイエー-日ハムの中継やってたので、そのまま見ることにする。ストで中止になった試合がそのままだとロッテは昨日で全試合終了。日ハムは、今日、明日の試合のうち一つ勝てば3位でプレイオフの権利を得ることになるらしい。新庄もいることだし、心情的に日ハムを応援しよう。その日ハムが5回で5点をリードしたから、これで決まりだなと思ったら、いかにも今季のパリーグらしく、8回で6-6の同点になり、延長に縺れ込み、毎回チャンスを作りながらリョウチーム得点できず、これは引き分けかと思ったら12回裏、ダイエー井口のサヨナラホームラン。うーーむ、である。
そんなこんなで試合終わったのが6時で、ちょうど「イヴのすべて」が終ったくらいの時間だった。今日はちゃんと録画しておいたし、昨日の録画もまだ見てなかったので、第3話と4話を続けてみる。それも日本語で見た後続けて韓国語で見たからざっと4時間である(+_+) 韓国語聞き取りの勉強といえば聞こえがいいがまさにけっこうな時間潰しである。
それでドラマの方だが、すごい展開である。なんと2回目にして、ヨンミはウジンとくっついて、堕胎して(どうも狂言っぽい)、ソンミへのいやがらせはエスカレートするばかり。ソンミはロンドンから帰国したヒョンチョルに庇護される形になるが、なんと彼はMBS(放送局)会長の息子で、理事に就任。そのMBSに、ソンミ、ヨンミ揃って就職(ウジンもMBSのカメラマンだった)して、職場内での紛争劇へ怒涛の進行。
しかし、ヨンミの探査能力というか、聞き耳頭巾めいた情報収集ぶりと、打てば響くようなソンミ攻撃の立ち回りぶりはあんまりである。とんでもない食わせ物というのは2話目からわかってたが、凄すぎるう。
冬のソナタのユジンと違って、ソンミは悩みを内に秘めるのでなく率直に表に出すタイプだし、基本的に陽性というのがいい。今回はMorris.もヒロインに肩入れできるのが嬉しいような、ちょっと物足りないような気分でもある。
夜は、また昔の韓国歌謡ビデオを引っ張り出して、しっかり見続ける。完全に怠け者モードだ。

【骨董市で家を買う】服部真澄 ★★★
「ハットリ邸古民家新築プロジェクト」という副題がある。Morris.が最近はまってる作家の私的ドキュメントである。骨董屋の紹介で、北陸の古い民家を解体して東京に我が家として移築するという自分の家作りの記録で、土地は叔父が住んでる六十坪を借りることができ、それでも、4,5千万円かかるというのだから、かなり贅沢な家作りだし、いかにもいまどきの都会人の興味を引きそうな事例ではある。
筆者は小説家になる前は編集者として全国の伝統工芸を取材して回ったらしいから、古い民家などへの見識はあって、ずぶの素人ではないだろうが、移築なんてのは当然初体験だろうし、身近に類例もないわけで、そういった意味では一種の「冒険記」として読むことができる。いや、そういう方向で創作された部分が多いのだろう。そして、筆者の思惑は見事にMorris.を満足させてくれた。
一人称でなく、旦那であるボクに語らせるというスタイルで、自分の行動を客観的に批判したり茶化したりするという発想がまずすばらしい。また該当民家への見学行や、骨董商、職人、設計家との駆け引きややり取り、どんどん遅滞する工事の進行報告、見切り発車的引越しの模様など、戯作風にアレンジしての読者サービスも忘れないし、それでいて、基本的、実務的なところもきちんと押さえて、ドキュメントとしての形も崩していない。うまいもんである。
予算オーバーしたり、突発的問題発生なども混ぜながら、しっかり民家の良さをアピールしたり、多分に自己顕示、自慢めいたことも書き散らかされているが、それが鼻につかないように按配されてる手際の良さも含めて、脱帽である。もちろん本書の執筆による収入も、建設費の何割かに充当されるわけだろうし、しっかり、ちゃっかりぶりという面でもお見事といえる。
巻頭カラーを含めて写真も多数掲載され、筆者自身の姿もいくつかあるが、これもかなり計算されたものという感じがした。ただ、工事中の2階での同じような構図の写真をグラビアと見開きに使ってるのはちょっとしつこいと思う。

2004/09/22(水)●PIANO NIGHT●

10時起床。愚図ついた空模様である。なんかいっぺんに涼しくなったような気がする。明日は秋分の日だから、いよいよ秋本番なんだろう。
BOOGIE WOOGIE PIANO NIGHT at Pub James午後は三宮図書館に行き、夕方阪神理容で散髪してから、元町のPub Jamesへ。いやま君と島田さんのBOOGIE WOOGIE PIANO NIGHT。この店は島田さんがよく出演してるらしいが、Morris.は初めてだった。神戸港湾岸倉庫の3Fにあって、ゆったりしたソファが並んでいてちょっとびっくりしてしまった。いやま君とも久しぶりだが、あいかわらず、キンキラ衣装着ておちゃらけMCにつとめていた。今日はゲストにハープ、ヴァイオリンのQちゃんと、洗濯板のtakeshiが入って、後半はザディコやケイジャンスタイルのステージだったが、Morris.にはこういうのは良くわからない。このセットは名前の通りブギウギがメインだが、Morris.はずっと以前、大西ユカリちゃんが客演した「GOLD」の印象が強すぎるので、最近はあまり関心が湧かない。
ライブのあと、谷尻さんとNAMIさんと韓国ドラマや映画話題で盛り上った。「シュリ」以来の韓国映画ブームが冬のソナタブームでヒートアップして、Morris.のまわりでも急に韓国話題が出来るようになって驚くばかりである。二人が最近見たという映画「永遠の恋人」の話しててMorris.は見たことないなと思ってたが、筋を聞いてるうちに、4月に巻田さんから貸してもらった「恋愛小説」のことらしいとわかった。何故か韓国映画を日本で上映するときにタイトルを変えることが多い。あまり感心しない傾向である。

【ニホンゴ キトク】久世光彦 ★★★ 「週刊現代」95年から1年間連載されたエッセイ集である。タイトルからわかるように、著者のやや悲観的(悲憤慷慨的)日本語論である。
向田邦子、山本夏彦、森繁久澱彌に私淑すると自認する著者だけにこの3人にまつわる話が多い。あとがきにもこうある。

[言葉] について書かれた本は数かぎりなくある。筋道立てて教えてくれる本もあるし、長い時間をかけて調べたものもあり、私たちはそういう本を読んで、日ごろ[言葉]ついて考えてきた。私などがいまさら言うことはないのかもしれない。それに、私が今[言葉]について言いたいことは、たとえば山本夏彦翁がもっと上手に、もっと手短に書いてしまっている。私が一年かかってブツブツ呟いてきたことを、ほんの1ページで賢く、面白く書いてしまうのだから悔しい。幸い、私は翁より二世代ばかり若いのと、少しは翁と違う人生の体験をしてきたので、私は私が生きてきた中での[言葉]についてのあれこれ書いてみたのだが、もしご不満だったら、どうか山本という老人の文章を読んでいただきたい。[心]はおなじだと思う。

おおせの通り山本翁の本を読むことにしよう、などという意地悪はよすとして、たしかに新しい日本語、どんどん貧しくなる国語への叱言や不満を言いたくなる気持は良くわかる。Morris.も執念く「コマネク」廃止を主張したりしてるのだが、それが、だんだん無意味だという気になってくる。風化というか、馴化というか、趨勢というか、ともかくも「老兵は死なずただ立去るのみ」といった感じである。
本書でも、久世はいいことをたくさんいってるし、読んでるときは大いに共感するのだが、読み終わってみると、そういった言葉がすべて過去の思い出として定着されたような空しさに襲われる。
たとえば「邪慳」という語は最近は「邪険」と書かれることが多いが、筆者は「邪慳」とうい表記にこだわるという。ごもっとも、とも思うのだが、すでにこの語自体がほとんど日常的には使われなくなっている事実に気づくと、表記のことをあれこれいうことなど霧散してしまうという文脈に続くのだから、Morris.の感想も筆者と同じようなところにあるのだろう。
Morris.部屋のタイトル「Morris.in Wordland」は「Alice in Wonderland」の捩りでもあるのだが、いささかは「言葉」に関しての物言いをしていこうという気持もあったと思う。しかし、「歌を忘れた歌人」から「俳人でなく廃人」の道をたどっているMorris.がこんな看板を掲げているのは羊頭狗肉であるな、と思うことしきりである。

2004/09/21(火)●張徳・チャンドク●

11時半起床(@_@) とうとう生活時間帯が完全夜型になってしまったみたいだ。
昨日はパーフェクTVのフリーchサービスデイだったので、久しぶりにKNTVを見た。あいかわらずしょうもない番組とさらにひどいCMとTVショッピングだらけで、あれで月額¥3,150はないと思うぞ。Morris.は4年くらい契約してたから15万円くらい支払った計算になる。午後「歌謡舞台」があったので録画しておいた。後で見たらシンシネが「セサンウンヨジギョン--世間予知鏡」を歌ってた。あれはポンチャクの名曲である。
jauさんの紹介で、satoさんのやってるHP「るぅしぃ〜わ〜るど」内にイジヨンページがあり彼女の画像が多数公開されていることを知り、リンクさせてもらうようにたのむ。Morris.部屋のイジヨンリンクページとリンクできることになった(^。^)
韓国ドラマ「イヴのすべて」が6chで夕方放映が始まったが、初回の昨日はMorris.はうっかり朝鮮戦争番組に夢中になっていて、録画できなかった。タイマー予約はしてたのだが裏番録画なんてできなかったわけだ。
今日は午後灘図書館に行ってる間に録画しておいて帰ってから見る。父一人娘一人(チェリム)の家に、事故で両親を亡くした娘(キムソヨン)が居候して、二人がいがみ合うという設定である。居候娘が食わせ物で何かと嫌がらせするし幼なじみの恋人も横取りされそうになる。チェリムは短期留学のロンドンでチャンドンゴンと知り合い、帰国後も文通する間柄になる。20回ドラマだから、これからどうなるかよくわからないが、二カ国語放送だから、録画しておいて、日韓両方できいて、さびついた韓国語の復習教材にしよう。要するにまたまたドラマを見続けるということになりそうだ。丸顔のチェリムはMorris.の好みとはちょっと違うが、性格が良さそうでそれなりに可愛いので応援しようと思う。キムソヨンはいちおう美人タイプなのだろうが好かん顔である。
最近、ひまなこともあるが、jauさんとのやりとりで、私的韓国歌謡リバイバルモードに入った感じがある。今日も押し入れを引っ掻き回して古い韓国テープのダンボールの中からチャンドクのテープを探してMDに落とす作業に熱中した。といってもMorris.が持ってるチャンドクのテープは4本で、1本は彼女の死後、仲間の歌手たちが彼女の曲を歌った追悼盤だから実質3本である。一枚だけ持ってるCDとテープには曲の重なりがない。Morris.の一番最初に好きになったというか、最後のヒット曲「エジョンデンシガヌルウィヘ--予定された時間のために」の入ってるこのCDはMorris.のベスト10に入る。
彼女のデビューは76年兄と二人のデュエット「ヒョニワドク」だが(この復元CDも屋台で買った)、本格的活躍は84年にアメリカ留学から帰国後で、シンガーソングライタ-、実力派アイドル歌手として大活躍したが90年に突然の死を迎える。韓ポ研究紀要第2輯(1995/12/29)にYUKI会長によるチャンドクディスコグラフィが掲載されているが、これによると生前の彼女のアルバムは6枚を数えるが、ベスト盤みたいなのが2枚含まれるから実質4枚、Morris.の手元にある音源は全体の3/4くらいということになる。Morris.が韓国歌謡に親しみはじめた時期に姿を消してしまったチャンドクだが、いまだに彼女の人気は根強いものがある。89年、テレビのベスト10番組にゲスト出演したチャンドクが司会者から「万年少女」と言われて恥ずかしそうな表情をしてたのが忘れられない。

2004/09/20(月)●朝鮮戦争漬け●

昨夜遅くまでTVで映画見た後、ベッドで朝鮮戦争のグラフムックみたいな本を読んで、ついついそのまま朝になってしまった(^_^;)。朝風呂つかって、結局そのまま起きる。この本は2冊本なのでもうついでに全部読みとおそうと思う。何げなく、めったに見ない370ch(ヒストリーch)回したら何と、朝鮮戦争のドキュメント番組やってる。それも4タイトル連続である!!これは不思議な偶然である。そのままこのチャンネル流しながら先の本を読んで一日つぶしてしまった。放送は昼前から7時過ぎまで続いている(^_^;)
今日は敬老の日らしい。そもそもこの敬老の日と言うのは、岸和田出身の国会議員が、だんじりに合わせて強引に祝日にしたという噂があったものだが、いつのまにか移動祝日(ハッピイマンデイとかいうらしいが)になってしまってた。これでは岸和田の議員も浮かばれまい。
昨日、一昨日とプロ野球ストライキで試合無かったが、今日はやってる。宮崎さんも日記に書いてたが、ストやるなら、土日なんて中途半端なこといわずに、無制限でやるべきかもしれない。

【朝鮮戦争 上下】学研歴史群像シリーズ ★★★ 以前から朝鮮戦争についてある程度ちゃんとした本を読みたいと思いながら、なかなか手ごろな本が見当たらなかった。小説家麗羅の「体験的朝鮮戦争」でいくらか喝をいやしたが、本書はいわゆる、戦争マニア向けの本のようだが、写真、地図、年表などが多数掲載されているし、克明に戦争の経過を記録しているようだし、複数の筆者がそれぞれの立場で記事を書いてるので読んでみようと思って、ベッドで読んでる内についつい熱中して徹夜してしまった。
Morris.は決して戦争マニアではないし、戦記文学というのにも関心はないのだが、この特異な戦争だけは韓国にはまったこともあって無関心ではいられないし、米ソ、中国、日本はもちろん、全世界的な政治的歴史的偶然やら思惑やらが、おっそろしくこんがらがっている上に、近過去だけに生々しいところもあって、めずらしく興奮してしまったらしい。
日本の植民地支配の責任をほおかぶりするつもりはないのだが、本当に朝鮮半島の近代史は、不運の星の下にあったとしかいいようがない。第二次大戦後の南北分割にしても、さまざまの悪い偶然が重なり合った結果だし、朝鮮戦争の人的、心的、物的被害と、同一民族の殺し合い、代理戦争、終戦でなく休戦という結末に至るまで、全く不毛な結果しか生まなかったし、半世紀以上も負の遺産をひきずったまま現在に至ってる。指導者や幹部だけの責任でないことは分かっていても、金日成も李承晩もスターリンもトルーマンも毛沢東も戦争犯罪人であることは間違いない。
戦闘機や戦艦、武器の詳細な紹介や、作戦図などはMorris.にはやっぱり向いてないらしく、大部分を斜め読み、あるいはすっ飛ばしてしまった。

2004/09/19(日)●釜山訛りとmama boy●

10時半起床。そのまま11cdhの韓国ドラマ「海風 前編」見る。ペヨンジュンが出てるらしい。特に期待しないで見たのだが、ひとむかし前の釜山が舞台で、日本語字幕だったので、ばりばりの釜山訛りの台詞を楽しむことができた。ペヨンジュンはソウルのいいとこのぼんぼんなのに、酒酔い運転の交通事故で、逃げ出してきたという情けない役どころ。ストーリーも見るほどのことはない。
午後灘図書館に行き、帰ってから、韓国映画「JSA」をずっと前に録画してたビデオで見直す。封切りのときソウルで見て、その時はほとんどストーリーわからなかったが、こちらは二カ国語放送で録画したときに日本語で見たので、今度は韓国語でもおおよそ分かった。ちょっとミステリーっぽいところがあるので、Morris.の実力ではわからなくて当たり前だろう。
夜中には4chで「オルガミ--罠」というまたまた韓国映画見てしまう。これはチェジウが出てるわけで、昼の海風といい、民放も冬のソナタブームにあやかりまくりだね(^_^;) こちらは完全吹き替えで韓国語版なしでがっかりだが、ひまだからそのまま見てしまう。チェジウの結婚した一人息子の母親が、異常に息子を溺愛してチェジウにひどく当たるというか、一種のホラーなんだろうが、息子もとんでもない病的なマザコンで、気持ち悪いったらありゃしない。息子を殺した母にチェジウも殺されそうになり、最後は母子心中みたいな形でエンド。何とも安上がりな映画だと思った。母子の住まいや庭からして相当裕福な財産持ちだったから、実はすべてがチェジウ目論んだ「罠」で、異常な母子の性情を巧みに利用した財産目当ての完全犯罪だった、くらいのオチが欲しかったところ。(Morris.は半分本気でそう思った(^_^;))

【言葉の外へ】保坂和志 ★★★ 猫の小説読んだばかりの筆者のエッセイ集で、読書控え、将棋に関するエッセイ、自作を語る、樫村晴香との対談とバラエティに富んでるというか、寄せ集めみたいなものだった。
北杜夫「楡家の人々」、ドンキホーテ、カフカ、チェーホフなどを誉めてるあたりは平凡だし、将棋はMorris.には別世界だし、ちょっと期待外れだった気もする。
もともとこの作家の名前は大西巨人の本で知ったと思うが、その大西巨人にふれたところがあった。

大西巨人の『神聖喜劇』は、日本近代文学の金字塔で、この小説がもし各国語に翻訳されたらノーベル文学賞をとれるのではないかとk、私は本気で思っているくらいだ。大西巨人の文学は、小説らしからぬ硬さに満ちているのにもかかわらず、細部がものすごくいきいきしていて、ときになまめかしくて、心の複雑で柔らかい面を不思議なほど見事に描き出す。石だけで水の流れを表現した庭を生んだ、日本文化の抽象性や論理性と本質的なところで通じているのかもしれない。

なかなかうまいほめっぷりぢゃ。もしかして大西巨人はこれを読んで気分を良くして自作のなかに彼の名を出したのではなかろうか。ま、それはないだろうけど(^_^;)
自作を語るで「もう一つの季節」が新聞連載で「季節の記憶」という作品の続編として書かれたなどという楽屋落ちが書いてあったので、なるほどと思ったくらい。
「文学のプログラム」という一文が一番印象に残った。その中で「祈り」に言及したちょっと皮肉っぽい部分の含まれている一節。

正月になれば初詣に行ったりして、そこで手を合わせて拝んだりする。しかもただでは願いが伝わらないと思って、十円玉か百円玉を投げ入れたりする。運命という言葉を厳密に定義しないまま、賭け事に負けると「今日は運が悪い」と言ったりする。苦境に立たされている当事者に具体的に何も協力しないことの言い訳に、「お祈りしています」と言ったりする。


あはは(^。^)である。大事なのはそのあとで

これらのすべての場面で、かつて人間は真剣に畏怖の気持を持っていた。祈ることは必ず大きな犠牲を差し出すことだった。言葉が本来の力を薄められて、文学として使いやすい比喩的な意味ばかりになっていったのと同じことが起こっているわけだが、それとともに人間は世界を思い描くときのグレーゾーンを広げてきた。そのグレーゾーンを狭めていくことが、想像力を別の形に組み直す前提となり、言葉の力を別の形で回復させることになるのではないか。
私たちは自然と戦うことで人間が人間として立ったような世界に生きていないのだから、かつての人間のように言葉に呪術的な力を持たせることはできない。必要なことは、言葉から、比喩的な意味や情緒的な響きなどの厚みを取り払って、事物があることをただ記述したり、起こったことをただ記述したりして、言葉を薄く薄く使っていくことなのではないか。含みの多い曖昧な表現や、べたべた感傷的な書き方には、間違っても将来がない。


ここに、筆者の小説の特性が明示されているようだ。しばらくこの作家のものを読んでみよう。

2004/09/18(土)●ホテリア最終回●

10時起床。愚図愚図してるうちに昼になり、10chで「ホテリア」最終回が始まってしまったので録画しながら見てしまい、ついでだから、ビデオを韓国語版で見直したらもう4時である(^_^;)
結局ホテリアは全部見てしまった。特に面白かったわけでもないし、好きな俳優が出てるわけでもないのだが、韓流ブームに乗って、民放がマイナーだった韓国ドラマを流すということが嬉しくて、故意に便乗したということになるのかもしれない。
巻田さんの掲示板を見たら443さんの情報で明日の深夜には4chで韓国映画「オルガミ--罠」があるし、来週の月曜から6chで「イブのすべて」が放映されるらしい。その他でも韓国ドラマや韓国絡みの番組は目白押しの模様だ。しばらくMorris.も見られる範囲で追っかけることにしよう。
昨日のjauさん部屋の余韻で、古い韓国放送の歌謡番組ビデオテープ引っ張り出して見ているが、懐かしいのはいいとして、冗談ぬきでバックアップの必要を感じた。
ノレバン2号+外付けDVDドライブ+キャプチャー作戦がほとんど無に帰した今、流行のHDD+DVDレコーダを買うのが手っ取り早いのかもしれないが、歯医者通いもあって、懐に余裕がないのがネックではある(^_^;)

【もうひとつの季節】保坂和志 ★★★ Morris.にとっては全く未知の作者だったが、大西巨人の近作のなかに出てきた名前だと思う。150pの薄手の本で表紙の飄々とした猫の絵につられて借りたというのが正直なところであるが奥付を見たら芥川賞作家らしい。
5歳の息子とたわいない話したり、隣の年の離れた兄妹との会話などが中心になっている。後半では拾って可愛がっていた猫の落し主の貼り紙を見つけての逡巡とその顛末といった、かなりほのぼの童話的展開なのだが、それは世を忍ぶ仮の姿らしく、ところどころに哲学的な考察がちりばめられている。

確かに僕も松井さんも、赤ん坊の頃の写真に一緒に猫が写っていたこととか二十七年の時間を経て「松井君?」と呼ばれたこととかが与える不思議な気分は何に由来するのかというように、疑問が一周して自分に返ってくるようなことに強く気持ちが引かれ、自我とか自意識というものがなければそんなこともかんがえないのだろうけれど、「理由づけ」というのはつまりは「言い訳」のことで、自我とか自意識(この二つの違いを僕はわかっていない)というものが「言い訳」をきっかけとして育つのだとしたら、やっぱりおもしろくなくて、このおもしろくなさにうだうだとずっとこだわりながら、僕はタッちゃんとマアちゃんが来る前に読んでいた、量子学にまつわるわかりにくさや混乱は、無意識の中で起こっていることを普通に意識しているときの論理や時間性のの中で考えようとするから起こる混乱と似ているという本のつづきを読んだ。


父親である語り手の僕は、こういう独白からもそれなりのインテリらしさを表明しているのだが、嫌みなくこういった語り口ができるというのはなかなかのものであるな。

『サッちゃん』という童謡の三番の歌詞の、「---遠くへ行っちゃうってほんとかな/だけどちっちゃいからぼくのことわすれてしまうだろ/さびしいな、サッちゃん」というところはかなしいけれど、これを聞いたときに感じる「かなしさ」の中心が誰かといったら、サッちゃんのことを忘れないで「さびしい」と思ってる「ぼく」ではなくて、そういうことを忘れてしまうサッちゃんの方のはずで、美紗ちゃんが茶々丸というよりも猫全体に感じた「かわいそう」はそれと同じ感情なのだと思った。

阪田寛夫の『サッちゃん』はMorris.も好きだったけど、こういった解釈もあるのかと驚いた。言われてみればこれはこれで納得できる。でもここは、両者がそれぞれの「さびしさ」を共有してるところに歌の深みがあるんじゃないかとも思う。

「もう一ヶ月以上心配してるんだもんね」
と、「チビ」という名前をつけて呼んでいた茶々丸の元の飼い主に対して強い同情を感じはじめていたけれど、この、元の飼い主の気持ちを考えれば茶々丸を返すしかないという、つまりは一番単純な結論は、ヒューマニズムに乗っかかっている分、簡単に正しさが保証されてしまうところがある。
だから注意が必要だと僕は美紗ちゃんに言った。
相手に対して強い同情を感じて、相手の言い分をもっともだと肯定して、自分の方は一歩退く、という自己犠牲のような態度は、まわりの人からの共感を得ることは間違いないし、自分に対しての視線を仮想することで自分自身もけっこう満足感を得てしまうところがあるけれど、両者が望む解決にはなっていない。しかし、実際にはそれでももう、二人の気持は決まってしまっていた。

茶々丸は「サッちゃん」だから遠くに行ったら僕たちのことなんか忘れてしまうと僕は言った。仏教は家族や愛する者に対する執着を断てと教えるが動物はまさにそのとおりに生きている。
こういうときには同様でも宗教でも何でも出てきてしまう。きっとどちらもものすごく通俗的な感情に訴えかけるものなんだと僕は言った。


前の引用から数ページ飛んでの引用だが、大島弓子の「いちご物語」で、いちごのおばあさまが現われて、引き取りたいという話になり、家族で相談したときの林太郎の台詞(朝日ソノラマ版2巻74p)を連想してしまった。そういえば本書の雰囲気は大島弓子の不思議な優しさに通じるものがあるような気もする。

2004/09/17(金)●プロ野球スト決定●

としろう、浅海君と六甲アイランド高層住宅23Fの荷物開梱作業。午後は倉庫に戻ってトラック積み込み作業。
夕方5時にスト決行か否かが発表とのことだったが、4時間ほど遅れて結局話し合いは物別れで、日本プロ野球はじめてのストが決定した。Morris.はストを歓迎するわけではないが、とにかく、業界体質改善は前から言われてたことで、これを機会に思い切って膿を出して、一から考え直して欲しい。Morris.はプロ野球ファンのつもりだが、ファンというのは移り気なものでもある。面白くなくなればそっぽを向く存在でもあるということを、球団、親会社、選手も肝に銘じておくべきだろう。
先日ナムグンオクプンのことを日記の中で数年前に死んだようだと無責任なことを書いてしまったが、ぐいぐい酒場にjauさんから、それは事実誤認であるとの発言があった。謹んで訂正しておこう
そのjauさんのページの中で「Rememmber 80's & 90's 」というコーナーがあり、そこには55人もの韓国女性歌手のTV出演画像があり、jauさんお好みの曲と簡単なコメントがつけられていた。うーん、これはたまらん。ついつい全部に目を通してしまった。Morris.の大好きな歌手が20人くらい、名前と曲は知ってる歌手が10人くらい、名前だけ知ってる歌手10人くらい、名前も知らない歌手15人くらいといったラインナップだが、Morris.の守備範囲がせいぜい95年までだから、最近の歌手は知らなくて当然である。
それにしても、Morris.もこういったページ作りたくなった。

【モンク】藤森益弘 ★★★ 京都のジャズ喫茶「モンク」を舞台に、女性シンガーとピアニストの夫妻、マスター、常連客それぞれの家族や恋愛問題が、つかずはなれずで進行していき、著者自身をモデルにしたとおぼしい広告業界人が半分語り手のようになっている。女性シンガー淑美が在日韓国人でその家族の話に興味を感じて本書を手に取ったのだが、軽い読み物として楽しめた。
演奏のシーンでは、演奏されるナンバーのタイトルから、細かい解説めいた文が延々続いたりもするのだが、割と知ってる曲が多く、女性シンガー好きなMorris.なのでそれなりに楽しんだ。
娘一枝の韓国語読みで「イルジ」という曲を歌ったり、彼女の父が孫娘が可愛がっていた黒猫を助けるため踏み切りに入り、持病の症状を引き起こして亡くなり、その思い出を込めた「Father's Song」を作ってライブで発表する場面ではその歌詞まで掲載してあった。これは著者の創作でなく、おそらくこの夫妻のモデルとな二人の作品だろう。つまり本書は、著者の学生時代の思い出と、知人を懐かしむ一種のモデル小説ということなのだろう。登場人物はとうがたっている年代が中心だが、何となく青春小説を読んだような印象を与えてくれる作品だった。

2004/09/16(木)●ウィリアム・モリス展●

9時半起床。やっぱり久しぶりの仕事で疲れてたらしい。
午前中はしっかりサボってた3日分の日記を打つ。
午後は大阪に出て、大丸梅田店15Fで開催されている「ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ展」(9/15〜10/3)を見に行く。ことあるごとに言い立てていることだが、Morris.のハンドルはこのウィリアム・モリスにあやかっているくらいずいぶん前から彼のファンだった。
今回の展示会は、稲田さんが朝日新聞の記事で見つけてメールで知らせてくれたのだが、ネットで検索しても、大丸サイトではまったくヒットしなかった。あまり大丸としては情宣意欲はないみたいだ。
今回の展示会はタイトルにもあるとおり、彼の主催する工芸集団アーツ&クラフツの作品を合わせて公開したものだが、やっぱりモリス本人の作品ばかりに目がいってしまった。ケルムスコットプレス版の夢のような美しい本や活字、自分の屋敷でも実践した建築、内装、家具、ステンドグラスにいたるまで生活と芸術の融合を目指し、社会思想家としての一面も併せ持つモリスだが、Morris.は彼のテキスタイルデザインと壁紙の意匠に一番心を奪われる。これまでにも印刷物でお馴染みだった壁紙のいくつかの現物にお目にかかることができたとはいうものの、展示されている壁紙も最近リプリントされたものが大部分である。
しかし、そんなことはどうでもよくて、その美しさは見るたびに心が躍る。中でも大好きな「ひなぎく」の壁紙は、展示されているものとカタログの写真の色が劇的なほどに違っていて、Morris.は印刷の方が好きだったりした。また、版木と作品が一緒に公開されてるものが4点あって、「チューリップ」の版木は細かい部分は真鍮の薄板を埋め込んで、それ自体が見事な芸術作品と言える。
モリス以外の作品では、ウォルタ・クレインの「オレンジの樹」、メイ・モリス(モリスの次女)の「すいかずら」が心地良かった。工芸品やアクセサリーはMorris.の好みとは外れていたが、「おそらくハリー・パウエル作」のヴェネツィア風グラス花器は夢のようなフォルムと色合いが魅惑的だった。百貨店の展示会の限界かもしれないが、作品の質量(特に質)的物足りなさと、照明と展示方法の不備が気になった。ガラスの入った長尺ものの額入り作品なんか、どこから見ても電球が映り込んで見にくいことこのうえなしである。
それでも帰りにはミュージアムショップでお気に入りの壁紙のポストカードなんか買ってしまった(^_^;)
そのあと、ソフマップとヨドバシカメラ冷やかして、阪神で買えることにして、阪神地下一階の食堂街を久しぶりに覗いたら、すっかり様変わりしててびっくりした。こうなっては面白味など皆無である。


チューリップ

小鳥とアネモネ

ひなぎく

【魔岩伝説】荒山徹 ★★ 朝鮮と日本の関係をテーマにした、新しい伝奇作家として注目を集めているという前評判につられて読んだのだが、これが、まあ、全くの期待外れ。とにかく小説としてなってない。家康が朝鮮系で、平壌にある巨大な瑪瑙に刻まれた霊力で政権延命をこれに委ね、その継続のために朝鮮通信使をカモフラージュとして使ったという、奇想天外というより、単に突飛な、あまりにもとってつけたような御都合主義。さらにはヒロイン(朝鮮人娘春香)と、ヒーロー(朝鮮の血を引く日本人剣士)の動向は、波瀾万丈というよりは支離滅裂で、肝腎なところになると、急に後からの説明口調になるし、朝鮮忍法というのが、これまた箸にも棒にもかからないたわいもないものだったり、子供だましだったり、作者の勝手な作りつけだったりで、これはもう、最後まで読みとおすのは苦痛だった。文章も七面倒臭い単語を多用するばかりのこけおどしの悪文だ。もう読まない。

2004/09/15(水)●ポスター作家?●

春待ちハイボールライブポスター(秋本作)矢谷君と倉庫作業。朝から雲一つない日本晴れだった。苅藻島に紙ゴミ捨てに行ったついでに「大八」で鉄火定食。ここのうどんはさぬきうどんとはちがうが、なかなかに美味しいし、鉄火巻がこれまたまぐろがでっかくてうまい。このあたりは先日の台風でかなり被害受けたらしく、並木がほとんど枯れてしまっている。
夜は歯医者。左下の被せ。上の歯は次回とのこと。やっぱり一気にやると料金が嵩むためだろうか。いずれにしてもMorris.の腔内清掃作業が進行しているということは、肉体的には素晴らしいことかもしれないが、経済的には結構大きな負担にもなりそうである。
去年の今日は阪神18年ぶりの優勝を決めた日だった。今日は阪神に7連勝の山本だったが、なんとか2-0で勝ち、福原は10勝目をあげた。今週末のストは回避できない雰囲気である。
秋本君から、今度は10月24日の春待ちファミリーBAND甲南ハイボールライブのポスターが送られてきた。いやあ、じつにうまいもんであるな。このまえのジャグバンドフェスのポスターに勝るとも劣らない出来である。特に洗濯板の細かいところは玄人はだしである。新しいポスター作家誕生、というのはほめ過ぎかな?

2004/09/14(火)●ごろりんぴっく●

久しぶりに飲んだので、やや酒気が残っている。このまま部屋でごろごろを続ける(^_^;)昨日キム君から借りたCDを聞く。「大学街の恋歌」というタイトルで14曲が収められている。80年代前半から中盤までの作品らしい。ちょうどMorris.が韓国にはまる前のものなので、知ってる曲は1曲もなかったが、知ってる歌手は数人いた。
チョンテチュン、パクウノ夫婦、ノサヨン、イサンウ、イムンセ、イミッキなどである。もう一人女性歌手でナムグンオクプン(南宮玉粉)の「チェフェ--再会」という歌があった。韓国の姓はたいてい漢字一文字だが、ナムグンというめずらしい名前だけは記憶に残っていたが、曲は全く聞いたことがなかったし、理由もなく演歌歌手だと思い込んでいた。ところがこの曲はフォーク調で、何といってもその声にしびれてしまった。Morris.の好きなハスキーボイスではなく、澄みとおった美声である。そして何よりもこの曲は、Morris.最愛のイジヨンの中でも、偏愛している一曲「チョロプ--卒業」を髣髴させる。前奏の雰囲気がほとんどそのままで、歌い方といい、メロディラインといい、本当に双子みたいである。もちろんイジヨンのアルバムはずっと後に出ているから、たぶん、作曲者がこの曲を聞いていて、意識的にしろ、無意識的にしろインスパイアされたことはまず間違いないと思う。盗作とかでは全くなくて、どちらもそれぞれに素晴らしいとおもう。しかし、こうなるとナムグンオクプンのほかの曲も聞いてみたくなった。
あわてて「韓国歌謡現在形」(友野康海)を見たら、以下の記事があった。

南宮玉粉 ナムグンオクプン 58年10月2日、ソウル生まれ。79年「アルゲトゥェルゴヤ--わかるでしょう」「ポゴプンネチング--会いたい友人」などを歌い、歌謡界入り。81年、KBS新人賞。82年以降も10大歌手賞など多数。「ソロミンヌンウリマウム--信じあう私たちの心」といった健全歌謡などでも、声楽の発声法による高音域の清楚な歌を聞かせている。芯まで透き通った声をもつ、フォーク、ニューミュージック系の歌手。あだ名は、ワンダーウーマン。

うろおぼえだが、彼女は数年前に訃報をきいたような気がする。夭折だったらしい。近過去の歌手のなかにも、Morris.の知らない逸材がごろごろしてるのが韓国歌謡界の底しれないところだ。K-POPSとは無縁のMorris.だけに、ますます、80年代韓国歌謡に関心が向かってしまいそうだ。
どうでもいいといいながら、阪神-中日戦。井川、川上の投げ合いで、井川が今シーズン最高ともいうべき内容で、3-0で迎えた9回に、あっさり3ラン打たれて、同点、延長でつなぎの安藤があえなく打たれて逆転負け。シーズンを象徴するような負けっぷりだった(+_+)
観月ありさの「君が思い出になる前に」最終回見る。結局シンガポールで、二人が犯人に拉致されながら警察によって助けられ一件落着。最後は二人が一緒になるという「予定調和」だったが、子供をだしに使うというドラマ作りはやめてほしいものである。

【せきこえのどに六輔】永六輔 え・山下勇三 ★★★☆ 永六輔が唯一CMに出ているのが浅田飴ということは、本人が喧伝していることもあって、それなりに有名だが、本書は「話の特集」に掲載された雑誌広告の中から130点ほどをピックアップし、それに作者二人と矢崎泰久の鼎談を挟み込んだ作りになっている。
まあ、一種のビジュアル本ということになる(^_^;)が、Morris.は結構この広告は当時から好きだったので、あらためていっぺんに見ることが出来て嬉しかった。永のコピーは、俳句調だったり、警句調だったり、新体詩調だったり、ギャグあり、駄洒落あり、楽屋落ちありとなんでもござれだが、やはり山下の絵柄と永のキャラクタが渾然一体となってるところに面白味があるのだろう。

浅田飴は自宅に
会社に
自動車に
行きつけの店に
もしあればのことだが
別宅にもおいておくべきだ。永六輔

ジョン万次郎の英語辞典では
アメリカ--メリケン
イギリス--エンゲレセ
ニューヨーク--ヌヨルカ
ウェストミンスター--オシメシタ
レモネード--ラムネ
サンドイッチ--サミチ
こうなると浅田飴はサダーメですね。
セコエノニ サダーメ!(咳声喉に 浅田飴) 永六輔

ひねりのちょっときいた、江戸時代の広告に通ずるCMは捨てがたいものがある。
せっかくなら、各CMの掲載年月日を併記しておいてもらいたかった。

2004/09/13(月)●90年正月番組●

9時起床。朝風呂つかい、そのままごろごろモードは続いている。姜信子の「日韓音楽ノート」を読んだ流れで、ずいぶん前に鶴橋の楽人館で手に入れた、1975年発行の「韓国歌謡」(世光出版社)を改めてひもといてみた。「年代別ヒット歌謡総網羅、簡潔に取りまとめた歌謡半世紀」と副題にあるが、その後同社から、継続的に出されている、歌本「歌謡半世紀」の最初の版で、ハードカバー、千頁を超える大冊である。買った当座は単なる歌本だくらいに思ってたし、あまりに古い歌が多くて、ほったらかしておいたのだが、見直すと、資料的にも実用的?にも、すごい本だということがだんだんにわかってきた。
なにしろ、75年までの韓国歌謡曲千曲の完全楽譜で、年代別だから発表年が確認できるし、白黒で小さいとは言いながら、歌手、作詞作曲者の写真も数多く掲載されているし、巻頭40頁にわたって5名の執筆者による韓国歌謡史がおかれている。これはMorris.の没後は、大倉山の中央図書館にある「青丘文庫」に寄贈しよう。後で飛田さんに伝えるつもりだが、とりあえず、ここで明言しておく(^_^;)
そんなこんなで時間潰していたら、突然キムヨンガンさんから電話があった。彼は去年11月にはじめて会ったのだが、そのとき、イジヨンのTVデビュー時のビデオ持参でやって来てMorris.をいたく感動させてくれた、在日の韓国歌謡ファンなのだが、あれ以来結局音信不通状態だった。
今日も1990年正月の「若者の行進」「歌謡トップ10」のビデオ持参で、Morris.を喜ばせてくれた。正月ということで、韓服姿が多く、司会のイサンウンなんか、5回近く衣装とっかえひっかえしてた。やはり韓服姿のキムワンソンが「シロヨ--嫌よ」歌ったり、キムヘリム、チョガプキョンなど懐かしの女性歌手が出るたびに大喜びしたが、肝腎のイジヨンの画像がなかったのがちょっと残念だった。それにしても久しぶりの訪問ということもあって、節酒中のMorris.も1ヶ月ぶりくらいにアルコール解禁、ビールを浴びるほど飲んでしまった。昨日作ったタイカレー(グリーンカレー)を出したら、キム君は初めてだが、すごく美味しいと喜んでくれた。そのあとは歌謡談義と、ノレバン98号の自慢を兼ねて家庭内ノレバン状態になったことは言うまでもない(^_^;)
再会と、御影の韓国食堂+ノレバン行きを約束して、11時過ぎに散会。
今夜は「東京湾景」の最終回と、NHK「ちゅらさん3」がほぼ同じ時間にあったので、2台のビデオデッキで録画しておく。
後で「東京湾景」見たが、この作品は「冬のソナタ」ブームに便乗した、とんでもない駄作だという感をあらたにした。記憶喪失、恋人同士の兄妹疑惑、横恋慕家族(特にオモニ)の強引さ等々ほとんど猿真似だし、サンヒョク役のパクヨンハまで引っ張り出して、毒にも薬にもならない日韓友好論を述べさせるあたりや、石坂浩二のわけのわからん論理展開さらには「混血だから両国の架け橋になれ」などという発言も鼻白むものだったし、亮介の「韓国人になります」てのも唐突すぎだし、つっこみどころ満載のドラマだったが、そこが、逆説的にいえば面白かったということになるのだろうか。ただ、誰が書いたのか知らないが「約束」のハングル書道の文字はなかなか良かった。韓国でもハングル書道の本は立ち読みしたことがあるが、それに比べてもあの書はすぐれていたように思う。「私--ナ」「国境--クッキョン」の書も、まずくはなかったが、約束に比べるとかなり落ちる。

【日韓音楽ノート】姜信子 ★★★
著者の名前はイサンウン絡みで覚えていた。その後「私の越境レッスン」が出て、それ以来敬遠気味だった。岩波新書で98年に出た本書もついつい読まずしまいだったが、イミジャのインタビューが載ってることに気づいて借りてきた。もとは94年に西日本新聞に連載されたものを増補したものらしい。
93年のコンサートでソンチャンシクの歌に出会って80年代の民衆音楽への関心を喚起され、韓国歌謡の歴史、唱歌から演歌、そしてロック、フォーク、民衆歌謡と、自分が関わることになった日本での日韓共同コンサートのことなどを歌手や評論家のインタビュー、引用を交えて構成されたものである。
一時期、取りざたされた(たぶんに商業的演出)「韓国歌謡が日本演歌の源流である」という俗説と、その対論「韓国演歌は植民地時代に日本から移植されたもの」、いわゆるポンチャック論争に関しての、韓国評論家の話が面白かった。しかし、本書では、何故か両サイドそれぞれを支持する評論家の名前が明記されていない。故意に秘しているようで、たとえ新書版で研究書ではないと言い条、その意見を引用しながら引用者が明示されないというのはおかしいと思う。
80年代の民衆歌謡の隆盛と、90年代になってその運動が急速に萎んだ理由への考察など、見るべきところが多いのに、何となく説得力に欠けるのも、そこらへんの著者の及び腰が関係してるような気がする。
イミジャ、キムスチョル、シンジョンヒョンといった錚々たる韓国歌手とインタビューしながらあまりにも、内容が貧弱なことにもがっかりさせられた。
せっかく「ポンチャックメドレーの出現」という見出しをたててMorris.を喜ばせながら、内容はKBSのドキュメンタリ番組からの表層的なコメントの引用にとどまったり、「韓国を一面の廃虚に変えた朝鮮戦争が終ったのは1953年7月」という誤った記述といい、本書へのMorris.の偏見は助長されるばかりである。
テーマといい、着眼点といい、ずっと内容のある作になるはずが、こんなになってしまったことへの不満がわだかまっているのかもしれない。

2004/09/12(日)●貝塚で春待ち●

7時半起床。カーテン洗濯して9時過ぎに社長の車に便乗して、貝塚市民の森公園へ。親と子のフェスティバル。春待ちファミリーBANDの出番は正午から。今日はMorgan's Barが参加できず、メンバー6名。
フィッシングでみんな舞台に貝塚の名にちなんだ貝殻型のシェルシアターステージでの演奏。ステージはコンクリートで完全日射しの下でのつらい演奏になりそうだったが、途中雲も出て助かった。PAが貧弱で前音が弱い(+_+)社長は腰痛を押してぞうさん、ぶらんこなど子供らを率いてアクションやってたが、動きよりのどがつぶれてた(+_+)会場は天幕屋台が多く出て、家族連れが多く、淡い橙色のとんぼが多数飛び回っていた。ラストのフィッシングでは、恒例になった輪踊りで子供達もステージに引っ張り上げて賑やかに終了。
帰りに社長宅に寄ったら、さりーちゃんとやっちゃんがいっしょにTV見てた。どうも見覚えのある画面だと思ったら「ホテリア」のビデオだった。ずっと見てるらしい。ホテルの女社長が貧相だとやっちゃんが言ってたが、Morris.も最初からそう思っていた。それにしても、韓国ドラマは予想以上に日本で定着しているようだ。

2004/09/11(土)●グランフィナーレ●

今日は911ということで、TVではアメリカのテロ関連特番が多かった。
6chのテロに関するアメリカ側報道の矛盾を取り上げる番組はそれなりに興味深かった。特に国防省に突っ込んだのが旅客機ではなかったことらしいのと、墜落した旅客機の詳細が事実とはかなり異なるということはかなり信憑性があるようだ。テロも戦争も同じ穴の貉であるとおもう。
NHKは「冬のソナタ」地上波放送終了を記念してグランドフィナーレという特番を放映した。よくまあこんなことまでやるよなあ、と呆れながら、しっかり見てしまったMorris.である(^_^;)観客は概ねおばさまソナチアン(^_^;)で、ゲストは監督と二人の女性脚本作家。内容は名場面ベスト10に、三択クイズ。ユジンとチュンサンは、残念ながら生出演できず、ビデオ挨拶。まあ、Morris.はチェリン好みだから別に文句はない。

【ディール・メイカー】服部真澄 ★★★☆ 突然Morris.がはまった極私的新人女流作家服部真澄の第三作である(^_^;)
今回はディズニープロをモデルにしたメガメディア企業を、マイクロソフトをモデルにしたハイテク企業が買収するというのを大枠に、著作権問題を絡めた企業間謀略小説ということになるんだろう。前二作に比べるとちょっとスケールが小さくなった観はあるが、ディテールの確かさとストーリー作りの巧みさ、読者をそらさないテンポの良さは相変わらずで、しっかり楽しませる作品を提供している。たいしたもんである。
その取材力というか、専門知識の該博さ(見かけだとしても)には舌をまくしかない。
今回のテーマの一つでもある、人工受精による子孫の存続願望に関してはMorris.は生理的に納得できないが、人間の肉体が、遺伝子やDNAの乗り物であるといううがった考えに近いものかもしれない。
また、主要登場人物が、スタントマンなどと組んでの、どたばた映画みたいな小細工は、彼女の作品のスケールの大きさにはそぐわない、というか浮いてしまっている。こういった小細工は前作にも見られたから、彼女の趣味なのかもしれないが、作品の重みを瞬時に壊してしまうので、自重してもらいたい。それにしてもデビューから連続3作が、水準を軽くクリアしてるというのはすんばらしいことである。こうなると4作目も期待大だね(^。^)

2004/09/10(金)●MAYA●

STARdigio494chをBGMに本読んでたら、すごく印象的な歌声が聞こえてきた。あわてて画面点けて確認したら、「Wake Up」という曲で歌手はMAYAとなっている。494chは韓国歌謡で、このチャンネルは4時間枠なのだが、あまり頻繁に曲目を交代しない。そういうこともあってかSTARdigioの番組サイトでも曲目一覧表を提供してない。これには以前から不満で、前にも一度メール出したのだが、梨のつぶてである。それはともかくこの曲は、なかなかかっこいい。MAYAといえば、キムソウォルの名詩「チンダルレコッ--山つつじ」を歌詞の一部に使った歌をヒットさせた歌手で、Morris.はこの歌を韓国のどじまんで聴いてすっかり気に入り、ソウルに行ったときはノレバンで歌ったくらいだが、MAYA本人の歌は一度居酒屋で聴いただけである。STARdigioで流れないかとエアチェックしたが、今回の5曲には入ってなかった。今度行ったらCD買おうかな。
午後灘図書館に行き、帰りはえらい雨になってしまった。「誰でもピカソ」は氷川きよし特番で、ついついしっかり見入ってしまった。ユカリちゃんとデュエットした「恋の季節」もしっかり再放送されて嬉しかった。九州から上京して3年間の修行で最初の一年は発声練習だけに明け暮れたというのは凄いと思った。たけしは彼の芸名の名づけ親でもあり、なにかと面倒を見ているようだ。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【弟】石原慎太郎 ★★☆あの石原慎太郎の弟といえば裕次郎に決まってるわけで、何で今ごろこんなのを読もうとしたのかよくわからないが、映画、芸能コーナーの棚に置いてあったのをつい手に取ってしまった。著者はそういった芸能本のつもりで書いたのではないだろうと思う。
Morris.は著者の本はほとんど読んでない。今や東京都知事として認知されることが多いだろうし、著書も小説より、政治論や時事評論みたいなものが目立ってるようだが、まず読む気にはならない。
それにしても、本書の文章は小説家のものしたものとはとても思えない。読者層のことを考えてわざわざこういった文体にしたのだろうか?まさかなあ。
子供時代からさまざまのエピソードには、確かに兄弟ならではのことがらも多く、戦後の石原家の状況、父の死後の弟の放蕩、破滅寸前のところで自分の小説のおかげで一家が助かり弟も俳優への道が開けるという、なかなかに劇的な再出発の場面などは衆知のことながら、ついつい読まされてしまった。
世間ではスーパースターだった弟の、弱さ、わがままさ、映画や歌の限界も兄からという立場で歯に衣を着せぬ辛辣な意見を述べるのは、勝手といえば勝手だが、全体を通じて弟に対する優越性や自己の正当化が目立ちすぎるのではないだろうか。

私の作品の最初の映画化の原作料のつり上げは彼がやってくれたし、彼を強引に日活の俳優にさせてしまったのは私ということだ。
その後の独立プロのそそのかしは、まあロープ際での作戦の耳打ちくらいのところだkが、その後一本とるかこのままTKOでリングの外に放り出されるかの『黒部の太陽』の際には、私がタッチされて出て行き、少しの反則も含めて相手を痛めつけその後弟がフォールで完勝した。
ということでいくと、弟のプロダクションの二本目の大勝利にも実は私が絡んでいた。
アフリカでのサファリ・ラリーを主題にした『栄光への5000キロ』が、あの時弟に頼まれて私が動かなかったら実現しなかったということを弟だけは知っていた。
他に知っていた者もいただろうが、彼等は自分の沽券のためにそれを口にしたくはなかったろうし、私にすれば弟にいわれてやったことの成功を弟だけが黙って知っていればそれで十分だった。


それだったら、書くなよ。とつっこみたくなる(^_^;)
特にファンだったわけでもないのだが、やはりMorris.の世代だと、裕次郎は銀幕のイカすヒーローであって欲しい。そういったファンや、裕次郎当人からするとあまり嬉しい本ではなかったんではなかろうか。

嵐呼ぶ男ありけり若き日の胆汁苦し秋野分待つ 歌集『秋曲』

2004/09/09(金)●読書は続くも●

9月になってすっかりひまになり、毎日部屋でごろごろして読書三昧が続いている。
今年は2回の訪韓が祟って??か、読書量が激減してたから、それを取り返す時期があたえられたのかもしれない。Morris.にとって読書とは純然たるpastimeのはずだから、ひまが出来る→暇つぶし→読書というパタンで、別に読書量を一定水準に保つ必要なんてあってないようなもの。Morris.部屋をはじめてから日記に読書控えを記入し、それを毎年まとめてるので、ついつい年間読書量なんてのが気になるようになったのかもしれない。これって本末転倒かも(^_^;)

【金門島流離譚】船戸与一 ★★☆
表題作(330p)と「端芳霧雨情話」(150p)の2篇が収められた書き下ろしで、2004年3月発行だから著者の最新作といえるだろう。台湾と中国を舞台にした、作品だが、読後感はいまいちだった。中国海岸線に接近した位置にある金門島が一種の緩衝地帯となっていて、それを利用した闇流通ルートが存在し、そこに元商社マンの日本人が住みついて、彼を巡る事件を扱っている表題作でも、台北近辺の端芳での日本人と台湾人女性恋人が強姦事件に巻き込まれるもうひとつの作品でも、いかにも後味の悪さを感じてしまった。
「砂のクロニクル」「蝦夷地別件」というメモリアルな作品と比べるのは著者には酷に過ぎるとしても、本書のなげやりぶりには、落胆せざるを得ない。
世界的な視野の広さと、取材力、ストーリーテリングの彼の才能に心奪われてきた、Morris.としては、こういった作品は出して欲しくなかったというのが正直な感想である。イラク戦争後の混乱やチェチェンの不穏な動きなど、いかにもリアルタイムな世界情勢が盛り込まれているのだが、それは作品とは全く無関係である。
何といっても主人公に魅力が欠けていることが敗因の第一だと思う。別にスーパーヒーローを望んでいるわけではない。ただ、表題作の主人公の行動の一つ一つに、これまでの船戸作品らしさが感じられないどころか、情けなくなるくらいの優柔不断さを見て、歯痒くなってしまった。たのむから、以前の覇気を取り戻してもらいたい。

【剣ヶ崎・白い罌粟】立原正秋 ★★☆☆☆表題作他3篇の5篇の短編を収めた新潮文庫である。かせたにさんの韓国語の著書の中にこの作者のことが出てきたのをきっかけに読むことにした。立原正秋という作家に韓国人の血が混じっていることは何かのおりに知ったが、生前はそのことを公にしていなかったと思う。彼に限ったことではないが、今でこそ在日韓国人作家は実名で作品を発表して一種のブームでもあるようだが、10年前くらいまでは、よほど民族意識の高い作家以外は、日本名で書くことが普通だったと思う。
そういうこととは別に、著者の作品をこれまでに何度か読もうとしながら、ついつい避けてきたMorris.である。何冊かは読んだはずなのだが、印象に残っていない。
本書掲載の作品は60年代の後半に書かれたものである。直木賞受賞作品「白い罌粟」はわけのわからないままにニヒルな男の借金踏倒しの片棒をかついで破滅していく男の話でMorris.は、やりきれない上にはっきりいって嫌いな作品だった。日本と朝鮮の混血家族の葛藤を主題にした「剣ヶ崎」は、戦争中の悲劇の一種で、そこに混血問題を絡ませたことが結局は主題をぼかしてしまったように思われた。
最後におかれた「流鏑馬」が一番作品として読まされるものだった。愛人に子を産ませた夫の弟への愛が定まったところで愛人を無くした夫が戻って来ることになり、自殺する女性というあまりといえばあんまりなストーリーだが、立原の美学とドラマツルギーを端的に表している作品ではないかと思った。確かに細やかな情感の描写や感情の象徴化など、スタイルを持った作家なのだろう。とはいえ、やはりMorris.はこの作家とは相性は良くないようだ。

【ウェブログ・ハンドブック】レベッカ・ブラッド yomoyomo訳 ★★☆☆
「ブログの作成と運用に関する実践的なアドバイス」と副題にあるが、これは不当表示ではないかとMorris.には感じられた。
ブログ(weblog)に関しては、稲田さんからの勧めもあって気にかかってたところに、本書を三宮図書館で見つけたので借りてきたのだが、どうもMorris.が知りたいことを教えてくれる本ではなかったようだ。
そもそもウェブログ自体がかなり最近の産物で、共通概念が曖昧なままである上に、日米でのとらえ方にはかなりの差異も生じているようだ。
内容以前に本書のレイアウトや装丁についての不満を述べておきたい。翻訳であり、マニュアル的な作でもあるとはいえ、やっぱり日本語本の横組みは読み難いということがひとつ。それはおくとしても目次、前書き、訳者あとがき、索引などを収めた30ページのバックが黄色とピンクの蛍光色の小紋柄になっていて、文章の読み辛さといったらなかった。喧嘩売っとんか、コラ!!と言いたくなる。
本文は7章に分かたれていて、前半には自分のウェブログ体験とそれに追随するさまざまの事例、後半ではオーディエンスの対処法、オンラインでのエチケット、将来の展望などとなっている。
しかし、結局Morris.の知りたかった意味でのウェブログのことはほとんど書かれてないに等しい。途中からこれはウェブログのことではなく、いわゆるウェブサイト=HPのことだとかってに解釈して読み進めることにした。しかしMorris.とはまるで違う立場であると思うことが多かった。

自分のウェブログ上では、私は尊重すべきものに報い、下劣なものを無視し、正しいことのために辛抱強く戦い、そして自分の思っていることを言えない人たちの代弁をする全権を握っている。それが私のウェブログなのであり、その中で王様であるのも良いものだよ。

「けっ!!」である。Morris.も掲示板などでの迷惑発言や宣伝めいた発言は完全に無視することにしているが、著者とはかなり違ったスタンスである。こんなのだけがウェブログだとしたらMorris.とははじめから無縁なものだろう。
ただおしまいの、ネット上でのプライバシーの保護に関する部分には、謹んで拝聴する意見があった。
Morris.部屋の、特にこの日記ページでは、Morris.はけっこう自分のプライバシーを公開している。のみならず、友人、知人などの名前や、写真を掲載してきた。このことについてはちょっと前からいささか気にはなっていたのだが、本書を読んで、いよいよ真剣に考え直すべきではないかと思ったのだった。それなりに自分のスタイルを作り上げつつあるなんて思っていたが、今一度そちらの方面から再検討してみることにしよう。

2004/09/08(水)●競技場停電にはびっくり●

7時半起床。朝風呂。
一日ごろごろ部屋に寝ころがってSTARdigio聞きながら読書三昧。しあわせ、なんだろうな(^_^;)
夜は日本-インドのサッカー。コルカタのソルトレイクスタジアムからの生中継。日本は勝ってあたりまえの試合で、こういうのはなんとなく力が入らない。前半はインドの守りというか、日本のちぐはぐな攻撃でなかなか得点できずいらいらしたが、ぎりぎりおしまいに1点入れてほっとした。しかし、そろそろ後半始まるかとチャンネル戻したらえらく暗い。雨なのか、と思ったが、何と停電で試合できなくなってるとのこと。もしこのままだとノーゲームになるらしい。試合成立には60分以上が条件とか。やきもきさせられながら、約30分待足されたが、何とか試合は続行で、結果は4-0の快勝。何となく面白味の無いゲームだったが、これは初めから予想されてたこと。

【龍の契り】服部真澄 ★★★☆☆95年発行だからすでに9年前の作品である。いやあ、もっと早くに読むんだったなあ。本書は彼女のデビュー作で、97年の香港返還を主題にしたものだから、発表当時に読んだら一層興味深かったろうことはまちがいない。今読んでも充分楽しめたのだから、それはそれでかまわないのだが、いかにMorris.がエンターテインメント小説に疎いかということを思い知らされた気になった。
イギリスがなぜあんなに簡単に香港返還を承認したかという疑問から、日本の外交官、アメリカの女優、女性ジャーナリスト、各国の諜報員、、香港のハイテク企業家などなどが、重大な国家間契約書を巡って虚々実々の駆け引きや謀略戦、それらの裏で暗躍する世界的財閥の存在など、スケールの大きさに加えて、それに拮抗するストーリー構成と細部描写の確かさはとても新人の作品とは思えない。舞台を次々に移して、登場人物もその都度切り替えたりする映画やTVドラマ的スタイルだが、テンポの良さで読者をそらさない手腕もたいしたものである。
はじめの方にある皇太子と女性外交官の結婚を匂わせるエピソードは読者サービスのつもりとしてもちょっとくさ過ぎるし、日本の過去への礼賛の単純さとや、西洋に対抗するために日中の共同経済協力を促すあたりに、今ふうの大東亜共栄圏を感じるのはMorris.のひが目だろうか。

日本は、誇るに足らない国への道のりを歩んでいるのではないか−−−? 西洋化しようとして捨ててきた、いや、いまも捨てつつあるものの大きさに、気づいていないのではないか?
あらゆる国の情報が集まるなかで、彼は東洋文化の持つスケールやソフトの磁力に惹かれたし、そのなかの日本という国にも、誇りを持つことを禁じ得なかった。繊細で、柔軟で美(うま)し国。
にもかかわらず、少なくとも自分の世代が受けてきたごく一般的な教育という枠のなかで、日本という国の素晴らしさが、結局は少しも語られてこなかったことに、彼は気づき、あきれた。いつの間にか、西洋を至上としてきたその原因の多くは、高度成長期にあるのではないだろうかという思いが、心の底に引っ掛かりはじめた。終戦を契機に、西洋文化が押し寄せて来たあの時代、日本は目覚め方を誤っていたのかもしれなかった。日本の生まれ持つ、たくさんの美点と誇りを持ち長らえながら、合理主義のよい点だけを選ぶこともできたはずだった。
それに気づかず、貴重な日本らしさを今も捨て続けていこうとする国に、彼の歯痒さは募っていった。

ともかくも、ひさしぶりに楽しめる作家に巡り合ったというのが本音である。きっかけとなった近作「佛佛堂先生」は、どうやら彼女の本領から言うと余技だったみたいだが、それだけに彼女の懐の深さとネタの豊富さを感じさせる。

【鷲の驕り】服部真澄 ★★★☆☆ タイムラグを恐れずに言えばMorris.期待の新人の第二作目である(^_^;)処女作があまりに良く出来ていたので、2作目への不安もあったのだが、杞憂だった。しっかり面白かった。本作は日米間の特許を主題にした経済諜報ものということになるのだろうが、特許法の矛盾(特に米国の)に鋭く迫り、さらに特許そのものへの考察にまで至る小説以外の部分も興味深いものがあった。
現代の特許問題ということになると当然コンピュータ、インターネットは必須の小道具となるが、その方面でも著者の目配りというか知識はたいしたもので、伝説的ハッカーを登場人物に仕立て、日本人コンピュータセキュリタとの応酬部分などは、本書がハイテク小説かと錯覚させるくらいだった。
謎に包まれた米人発明家とその美人弁護士、副大統領、国防長官、CIA諜報員、家電メーカートップといった米国側のに対して、日本は通産省の女性情報調査官、自動車メーカーのオタク社員、電器メーカーのミーハー女子社員といった、いささか格落ちっぽいメンバーだが、これにイタリアの犯罪的企業家、ザイールの財閥の息子などがからんで、またまたスケールの大きな物語が繰り広げられる。そして本書の眼目でもある画期的発明にも関連するダイアモンドシンジケートの謀略。とにかく、次から次に展開される大ネタ小ネタの大盤振舞、テンポの良さは相変わらずで、これが新人の第二作目とかと感心しきりである。
著者の該博なことと、その知識の開陳手際の良さは本当に舌をまかずにいられないし、デビューから1年足らずでこれだけの作品を仕上げるというのは、彼女の実力のほどを証明してるというべきだろう。
一応の終結を迎えた後でのどんでん返しめいたオチは、あまりに身びいきすぎて気になるところでもあったが、とにかく、読書=時間潰しという意味では申し分ない出来である。
小説とは関係ないところだが、Morris.がこだわり続けている言葉の使い方で、デビュー作には「拱く」にルビで「こまねく」とあって、ちょっと目をひそめたが、本書ではひらがなで「こまねいて」が5回以上出てきた。これは「こまぬく」を使って欲しいものである。今や大辞林にも「こまねく」が見出しに立てられて「こまぬくの転」とあるから、すでに公認されている形だが、Morris.はこの言葉に関してだけは、大辞林からも撤回を望みたいと思う。「こまぬく」は中国の礼である「拱」の字の訓で、腕組みの形をすることで「組み抜く」の転であることは明らかだろう。「ぬく」という動詞を「ねく」という非在の動詞に作り替える必要は絶対に無いと思う。慣用訓みや、揺れには寛容であるべきという考えに頑なに反対するわけではないが、この語に関してだけは、Morris.はどうしても腕をこまぬいていることができないのだ。

2004/09/07(火)●地震台風より歯医者(^_^;)●

8時起床。今朝8時半頃また地震を感じる。今日のは神戸は震度2で、一昨日の余震と思うことにする。
台風18号は昼頃長崎に上陸。後は中国から日本海に抜けたようで、近畿地方は風が強いくらいで大した影響はなかったようだ。広島では瞬間最大風速60.2mを記録したという。これはすごい風速である。石原裕次郎の映画に「風速40米」(昭和33日活)というのがあって、同名の主題歌の歌い出しは「風が吹く吹く やけに吹きゃがると 海に飛び出し 歌いたくなるのさ」だった。風速40mでも、海に飛び出しては危ないと思うのだが、これが60mとなると、完全に自殺行為だろうな。なんて思ってたら、きっちり夜のニュースショーで筑紫てつやがこの映画のことを喋ってた。同世代なんだろうか?
夕方、強風の中歯医者に行く。今日もたっぷり1時間以上、削ったり型取ったり、残ってる歯の残片を抜いたりされた。今日で5回目の通院だが、回を重ねるごとに治療費が上がって行くのがちょっと気になる。まだ仮歯でこれだから、挿歯や被せだと跳ね上るんじゃないだろうな。本屋で歯の本を立ち読みしたら、最近の歯医者が予約制にして少しずつ治療するのは、一度に全部をやると治療費が高額になるので、患者の心理を考えて分散させてるのだ、と、書いてあった。何となく術中にはまってる感じである。確かに最近の歯医者は、昔ほど痛くないのだが、それでも麻酔が切れるとちょっと痛いし、治療途中はスカスカになってるし、仮歯は違和感あるしで、楽しいものではない。
観月のドラマ「君が思い出になる前に」は、記憶喪失の義兄が自殺未遂はかった後、観月とシンガポールに飛ぶという展開で、しかも来週が最終回になるらしい。こうなるとやはりこの番組もいまいち盛り上がりに欠けるドラマだったな。前の「ダイヤモンドガール」や「私を旅館に連れてって」の方がまだしもコミカルなところがあってましだったと思う。映画「ぼくんち」で意外な?好演だったのが、仇になったのかもしれない。Morris.はやっぱり「ナースのお仕事」続編を希望する(^_^;)

【関西フォーク70'sあたり】中村よお ★★★著者の「極私的関西フォーク史」、この前偶然読んだ「バー '70sで乾杯」の9年後の続編ということになるのだろう。前作が店や場を主題にしていたのに対して、本書はミュージシャンの活動とアルバムに焦点を合わせている。もちろん重なるエピソードも多いが、なかなかにマニアックな音楽へののめり込みと、自分の活動と密着した生身のミュージシャンとの交流ぶりは他の追随を許さないところがある。
小さくて白黒ながら、当時のアルバムジャケットやチラシのカット満載というのも楽しめるし、Morris.にとっても懐かしいミュージシャンや、生演奏を見たことのあるミュージシャンもそこそこ出てくるし、これまで知らなかったミュージシャン同士のエピソードや、バンドの変遷、バックアップ、オフステージの裏話など興味深い話題も数多く詰め込まれている。
Morris.は70年代の初めに関西に出てきたから、時期と場所的にはリアルタイムで本書の音楽シーンを共有できたはずだが、当時のフォークソングとはやや縁遠かったこともあって、良く知ってるミュージシャン、名前だけは知ってるミュージシャン、全く知らないミュージシャンが1/3ずつといったところだろうか。著者が神戸在住だけに、Morris.が神戸に来て、春待ちに親しんでから馴染みになった名前の方が多いかもしれない。
著者がファーストアルバム(1988)をアナログで出した途端に、世はCDにシフトしたという、笑うに笑えない話が妙に実感できるのも、他に似た例を知ってるからだろう。
著者はMorris.と同世代だと理由も無く思い込んでいたが、年譜を見ると4歳年下だった。たかが4年という見方もあるだろうが、やはり若い頃の4年の差というのは、結構大きい差でもあると改めて思わされたりもした。
75年から断続的とは言いながら「トオリヌケコンサート」を主催して、現在まで続けているということは、神戸のローカルな音楽シーンの中では大きな意味を持っていると思う。「極私的」と断っているとおり、共演したり、付き合いの深いミュージシャンへの身贔屓というか、気遣いによるヨイショと、音盤への評価ぶりも目に付くが、それは御愛敬ということにしておこう。
注文をひとつ言わせてもらうなら、これだけの数のミュージシャンや音盤が登場するからには、人名索引だけでも付けるべきではなかったかということである。昔の活字本時代ならいざしらず、今やPCのソフトクラスでも、索引付ける作業は充分出来るはずだし、それがあるなしで、このての本の価値はよほど違ってくるだろう。などと、いまさらいうのも、手後れではあるな(^_^;)。

2004/09/06(月)●地震過多●

昨夜零時ちょっと前に、地震がきた。ちょうど、ノレバン98号でぐいぐい酒場に書き込みしてる最中で、その内容も夕方の地震に触れてるところだった。直感的に震度3くらいだなと思う。横揺れが30秒以上持続したのであわててディスプレイ押さえたまま、発言を送信してすぐ電源を切る。TVで確認したところ、やはり和歌山南部中心らしい。ついつい、これが気になって、夜更かししてしまう。
そんなわけで起床は11時頃。
秋本君からメールが来て、自作のジャグバンドフェスティバルのポスターが添付されていた。なかなかかっこいいではないか、いつのまにこんなの作れるようになったんだ?と驚いてしまった。Morris.はPCの不調もあって、ここのところグラフィック関連なんてまったく触ってなかったな。最近のソフトにも縁遠くなってるし、OSはwin95のちびくろがメインという状況だもんなあ(^_^;) どんどん置いて行かれるって感じである。
8chの「東京湾景」は、恋人が血の繋がった兄妹だったというのが誤解で、そのあとヒロインが打撲で記憶喪失になる、という「冬のソナタ」のネタをぱくりまくりの展開。あんまりではないかと思う。それ以上にストーリー展開のあまりのひどさ+安易さ+やっつけ具合に、呆れるより感嘆してしまう。石坂浩二の大根ぶりは、本家のチュンサンオモニ、サンヒョクアボジを遥かに凌駕?している。来週以降はまたまた韓国ロケで、サンヒョク役のパクヨンハがまたまた登場するらしい。こうなるとドラマとしてでなく、日韓TV文化交流ドキュメントとして楽しめそうである。

【リクシャーマンの伝言】岡山陽一 漫画 中能健児 ★★★ 蔵前仁一の「旅行人」社から出ている、インド滞在記である。30代の二人によるエッセイ+漫画で、Morris.はインド行きはすでにして断念しているのであるが、たまには恐いもの見たさで、こういった本は時々覗いてみたくなる。
70年代にインドブームみたいなのがあって、Morris.もその頃はインドへの憧れみたいなものをもっていた。結局実行力がともなわず、憧れもいつのまにかしぼんでしまった。その間に韓国にはまってしまったこともあって、縁遠いままだが、それでもインドという国へのある種の特別視は残っているようだ。
本書のエッセイと漫画は、それぞれ独立してる。というか、それぞれがコラムの集まりみたいなもので、かなりおおざっぱな内容でありながら、当地の雰囲気をよく掴んでいる。インドで出会ったぶっ飛んでいる日本人や、インド人のエピソードも笑わされるものが多い。
岡山のエッセイは戯文調で、特に上手いわけではないのだが、勢いがあってよろしい。中能の漫画は、幾何学的にデフォルメされた登場人物の飄々としたたたずまいに心惹かれた。
リクシャーは日本の人力車からきた言葉で、インドや東南アジアではまだ現役の簡易交通機関の自転車タクシーである。本書を読んでも、インドへ行く気持は全く起こらなかった(^_^;)

2004/09/05(日)●プリンタのインク●

7時半起床。朝風呂をつかい、8月の日記をプリントアウトして、校正する。どうしてもPCのディスプレイでは校正する気にはなれないので、たいていこうやって校正用に印刷するわけで普通は白黒のレーザプリンタで打つのだが、先月は画像も多いのでカラーで印刷してみた。しかし、黒インクのノズルが不調で画像に細い縞が入る。ノズルクリーニングを何度か繰り返しても改善が見られない。以前からこのプリンタはインクの目詰まりが多くそのたびにクリーニングを繰り返すのだが、どうも結果が思わしくない。クリーニングのたびに結構インクを消耗するし、黒インクだけがおかしいのに、カラーインクと一緒でないとクリーニングできない。つまりカラーインクは全く無駄に消費されてることになる。それでなくてもインクジェットプリンタのインクはランニングコストが高いのだから、腹立たしい。メーカーの思うつぼなのかもしれないが、しわ寄せは消費者に来るのだから、もっと文句をいうべきだろう。補充式のインクもあるがいろいろ問題も多そうだ。そう言えば以前のワープロのインクリボンというのもすごい無駄が多かったな。罫線なんか引いたひには、それだけでどんどんリボンが消費されてたんだもんなあ。
元町駅前餃子の赤萬午後から灘図書館、三宮図書館回る。三宮図書館で思いがけなく高山君に会う。Morris.の本棚で続きを読みたいと書いてたみなもと太郎「風雲児たち」の続きを貸してくれるよう頼む。
サンパルの古本屋やジュンク堂を冷やかし、南京街の林商店でタイカレーのルーやフクロ茸など買う。帰り道久しぶり餃子の赤萬に入る、日曜の夜というのにがらがらだった。でもすぐいっぱいになった。ちょうどこのころ地震があり、JRは一時STOPしたらしいが、たいしたことはなかったようだ。
球団合併に、一リーグ制問題、巨人がパリーグに行くとか揺さぶりかけたり、選手会はストを辞さないとか言ってるしで、いいかげんにしろといいたくなるプロ野球だが、今日の阪神-巨人戦は2回に急な豪雨でノーゲームになったらしい。元町付近では雨なんか降らなかったのに、局地的集中豪雨だったのだろうか。

【清談 佛々堂先生】服部真澄 ★★★ 通人でおせっかいな関西弁の親父、通称佛々堂先生の道楽めいた「清談」を集めた4篇の連作中編である。Morris.はこの著者は初めてで、男性か女性かさえ知らなかったが、どうやら女流作家らしい。骨董、美術品の蘊蓄やら、筋の運びやら、引っかけ方やら、遊び心やら、なかなかに抽斗が多く、読ませる作家であると感心した。

「巻紙の絵手紙?まさか……」岡倉の表情に、真剣みが増した。「何という方ですか」
上村が先生の姓を口にすると、岡倉は唸った。
「そりゃ、佛々堂先生だ」
「--ぶつぶつ堂? 何ですか、それは」
「着付師だなんて、とんでもない。佛々堂先生は、関西きっての数奇者ですよ。諸芸全般に通じ、美術品の蒐集家でもある御大で、仏のような人だから佛という字をあてたという噂もあれば、何にでも一家言あって、ブツブツ文句をいうから、そんな異名がついたのだともいわれている……」


二つの家に伝わる、秋草蒔絵印篭二つを、年に一度の七夕に宴をもうけて揃うせるという趣向などやたら手が込んでて、作りすぎではないかと思うほどだし、絵師とその女の両方にちょっかい出しながら、実は、女の技量に目を付けていたり、松茸山の詐欺まがいの売買のやりかたを逆手にとって、八方丸く納めさせる結果を出したりと、この主人公のやることは「清談」とはかなりかけ離れたところにあるようで、「粋談」あるいは「漫談」の方がふさわしいかもしれない(^。^) 面白ければそれでいい、というのがMorris.の信条ではあるのだが、なんかこの作品の面白さは、いまひとつ痒いところに手が届かないようなもどかしさを感じさせるところがあるようだ。ともかく他の作品も読んでみることにしよう。

2004/09/04(土)●TV番組のCM過剰●

8時起床。昨日の津山の写真を整理して、写真ページ作ったり、日記書いたりして半日以上つぶしてしまった。夕方から雨になったので、結局今日は一日部屋に閉じこもり状態だった。
10chの「ホテリア」見るも、何となく中だるみである。二人ずついるヒーロー、ヒロインのうちにこれといって好きな俳優がいないのが、ネックだろうな。それにしても毎週2回分ずつをまとめて放映してるので、結構長くなるのは仕方ないが、毎週、最初にこれまでのあらすじと人間関係などを長々と流すのはあまりにくどいのでいいかげんやめて欲しい。またドラマの後半近くになると、CMの頻度がめちゃくちゃ高くなる。韓国はTV番組のCMは番組の途中には流れないので、韓国人がこれを見たら驚くかもしれない。

2004/09/03(金)半日津山

6時半起床。
いい天気である。今日こそ、青春18切符最終回を使ってどこか行くことにしよう。実は行き先は数日前に仕事中に世間話してるとき、どこかいいところはないかという話になって、奥井さんが津山なんかどうだろうという。津山は城下町ということくらいしか知らないし、これまで行ったことがない。たしかにちょうど手ごろな距離だし、姫新線と津山線で周遊コースもとれそうなので、そうすることにした。
JR六甲道7時半くらいの快速で姫路まで出て、9時過ぎの姫新線播磨新宮行きに乗車。姫新線は以前南光町に行くとき乗って以来である。津山まで直行する鈍行列車はない。次の連絡列車まで1時間ほど開いてるので、しばらく新宮を散策する。
駅前に小さなパチンコ屋がある。となりの薬局と同じくらいの大きさだが看板だけがやけに大きくて笑いを誘う。たしかに田舎町でたいしてみるものはない。古い和菓子屋に「乳菓 いなか娘」(^。^)というのがあった。
線路沿いに下って揖保川に出る。赤い吊り橋がかかっている。けっこう長いし揺れるが、十津川の大吊橋のことを思えば玩具みたいなものだ。川辺に降りてみる。岩がごろごろしている。川はゆったりした流れで、岩の間を羽黒とんぼがひらひらと飛んでいる。デジカメで撮ろうとするが、なかなか近寄れない。そうこうしているうちに時間が過ぎて、駅に戻る。佐用行きの普通電車で、佐用から津山までの列車とは10分くらいで連絡。津山駅到着はお昼過ぎだった。
衆楽園の眺め駅の観光案内コーナーで案内パンフレットや地図を数種類もらう。一時間ごとに出ている「ごんごバス」という市内観光地巡回バスに乗ることにする。「ごんご」というのは河童のことで、町のマスコットみたいになってるようだ。一律\200で、一日フリー券\500というのもあるが、今日は半日しかないので1回券でじゅうぶんだろう。
津山の観光地域は鶴山公園(津山城跡)を中心に、中央、城東、城北、城西エリアに分けられている。東回りのごんごバスは城東から中央まわりで、とりあえず、中央北部に位置する市役所前で下車。近世池泉回遊式大名庭園である衆楽園を見物する。大きな池に島を配したスケールの大きな日本庭園で、ちょうど池では睡蓮が白い花を咲かせていて美しかった。ここの糸桜は有名らしく、山口誓子の「糸桜水にも地にも枝を垂れ」の句碑もあった。
池端には大きな青鷺がじっと立っていて、デジカメに収めようと近づくと飛んで逃げる。離れるとまた、元の位置に戻る。ここが彼の定位置なのだろう。
しかしこれだけ大きな庭園を管理するだけでも大変だろうに入場無料というのは嬉しい。すぐとなりが津山商業高校で運動会の予行演習らしく、鉦や太鼓の大騒ぎしていたが、あまり気にならなかった。
市庁舎をちょっと覗いて、城山公園方面に下る。洋風建築の津山高等女学校の同窓会館や、昭和57年まで市庁舎として使われていた西洋石造りの郷土歴史館などがある。
朝から何も食べてなかったので、近くのトンカツ屋に入ろうとしたがそのとなりの飲み屋っぽい「つがわ」という店先の「焼魚定食\500」の貼り紙につられてはいる。中は完全にスナック状態で、昼間はついでにやってる感じ。あいにく焼魚は切れてて、ハンバーグ定食を頼む。こんな店だからいい加減なものが出てくると思っていたら、ちゃんとしたハンバーグにおろしのたれつき、ふたつきの陶器の器で、ナメタケたっぷりの汁、魚に牛蒡の挟み揚げともう一品佃煮と漬物が付いて味もしっかりしてるし、ご飯も美味しい。ボリュームも充分で、これで\500でいいのかい、と思ってたら、何と食後に珈琲、それもちゃんとしたのが、器もそれらしいもので出てきた。うーーーむ、参った。時間が有れば夜に、飲みにでも出直したいくらいの店である。
腹ごしらえもできてすっかり満足して、出雲街道の古い町家の密集してる地域へ向かう。
宮川大橋の北東側に長い白壁が続いている。先日大和八木の今井町を回ったばかりだが、あちらは寺内町、こちらは、城下町の町家中心で、どこか雰囲気が違う。
町ぐるみで保存整備が行き届いていて、新しい家もそれなりに全体の趣を損なわないように気を遣っているようだ。
日本家屋と洋風家屋が合体したような不思議な建物があり「河野美術館」の看板がある。ここは郷土画家河野磐氏の私立美術館で、自作を多数展示している。もともとここは診療所で彼の父が津山医師会長を務める名士だったらしい。磐氏はは美術の教諭などしながら好きな絵を描き、東京での生活も長かったようだが、2002年に生家にもどり、美術館を開いたと、パンフレットにある。油絵ばかりでなく、ポスターや演劇、デザインなど幅広く活動してたようで、展示室には戦後から現在までの長期にわたる大作が所せましと並べられている。主に人物を主題にした具象画中心だが、Morris.は1950年作の「楽屋にて」という作品が一番気に入った。90年の多数のランプを一枚に収めた作品などを見ると、なかなかの技量であることが知られる。
しかし何と言ってもこの建物自体が芸術品だと言っても過言ではない。元診療室だった部屋の天井は五角形の組木仕様になっていて、造形的にも素晴らしい。今年84歳の磐氏は好々爺然としているが、耳がちょっと遠い以外は、矍鑠としていて元気そのものである。診療室の壁にも小品が多数並べられていたが、Morris.の大好きな五位鷺の雛鳥の小品があって、これは本当に欲しくなるくらい素敵だった。
ここの近くにだんじり展示館があり4台のだんじりが収められていた。10月には祭りがあって、江戸時代のものも現役で頑張っているらしい。
火の見櫓や海鼠塀、連子窓など風情のある建物が多い。軒先に手作りの括り猿が下がっていて、奈良の元興寺町界隈を思い出したが、町の人に聞いたら、数年前から婦人会のおばちゃんが作りはじめたものらしい。
城東昔町家という名で公開されている旧梶村家住宅は、1階の全部と、2階建ての土蔵まで自由解放で、広い畳間に、ごろんと寝転がってる客までいた。Morris.も時間があればそうしたいくらいだった。
津山の洋学者箕造阮甫の旧宅や、津山洋学資料館などは開館時間を過ぎていたので中には入れなかったが、ともかくこの町は、一日じゅうふらふらしても退屈しないようだ。作州鎌の鎌造りが2軒だけ残っていて、一軒では作業場で制作してるところをデジカメに収めることができた。
そろそろ時間が無くなったので、適当に後戻りして駅に向かう。今日は半日しか時間が無く、全く初めてで、予習?も無しでやってきた割には、結構いろいろ見るものがあった。観光対策がしっかりしていて、地図やパンフレットが揃っているし、町中にも指示板や案内図も多く、これはふりの旅行者にはとても助かる。また機会があれば、今度はレンタサイクルでも利用して、城西の武家屋敷や、お寺なども巡回してみたい。
ともかくも、津山はMorris.には好感度大であった。奥井さんのナイスなチョイスにも感謝である。
帰りは津山線の快速で岡山に出て、後は新快速に乗れたので、思ったより早く神戸に到着した。これならもう1時間くらい津山にいられたかもしれない。しかしこれくらいがちょうどいいのだろう。
帰宅したら10時で「たけしの誰でもピカソ」という番組で、韓国映画、ドラマや、韓国で活躍する日本人の特集をやっていた。切り口は面白かったが、ゲスト解説の兼若先生は、いまいちだったな。
今日もデジカメで撮りまくり百枚くらいは撮ったと思う。日記にあまり多数の画像を貼り込むと、ダイヤル接続の方に嫌われそうなので、画像だけ別ページを設けることにしたので、そちらを見ていただきたい。小さ目の画像だが60点くらいはあると思う。

2004/09/02(木)●秋雨前線●

8時半起床。雨が降っている。昨日から9月で降る雨も何となく秋雨といった風情。
近所の煙草屋の看板?猫higashi3号の電源を、これもhigashiさんから借りている電源装置に繋いで起動し、サーバーからMorris.のデジカメ画像をダウンロードする。先月までの画像をCDROMにバックアップするためだが、半分くらいのところでシャットダウンしてしまった。何回か電源入れたが結局駄目である。
雨さえ降ってなければどこかでかけるつもりだったが、久しぶりにセンターに顔を出そうかと思い、稲田さんに電話したが不在だったのでこれも止めにする。
結局今日は日がな一日部屋でごろごろすることになった。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【深淵 上下】大西巨人 ★★★☆☆☆ 大作「神聖喜劇」からずっと注目している作家のひさびさの新作長編である。灘図書館の新館の棚に下巻だけがずっと置かれたままになっていて、なかなか上巻が返却されないので痺れを切らして初めて予約してやっと読むことができた。
記憶喪失になって九州の地方都市で12年間を過ごし、北海道で覚醒して東京に戻り、冤罪事件に関わる主人公を中心に、著者ならではの、超観念的小説世界が繰り広げられる。
やたら和歌や短歌が引用されたり、内外の哲学書、文学書からの抜書きも頻出して、著者の博覧強記ぶりと蘊蓄にうんざりさせられる読者もいるだろうが、Morris.はこういうのも嫌いでないので、それはそれとしてしっかり楽しむ事ができた。

齋藤史の歌集『風翩翻』から、引かれた次の一首

野生すでに消えし犬・猫にリボン結び<可愛い>などと言う甘ったれ 齋藤史

をまくらに、主人公と妻の愛玩動物嫌悪癖の場面は、ちょっと意表を衝かれたが、これもまた著者の好悪なのだろう。

登場する主要人物の多くが精神貴族といった感じで、どうもMorris.やその周辺の連中とは別世界の人種のようで、彼らのシュールな思考方式や観念に、畏れ入るしかないのだが、それらが浮いてないのは、著者が本物のそういった世界の一員だからだろう。
ストーリーの展開には無理や御都合主義が山ほど見られるが、それらも作者にとっての当為としてなされることだからまったくかまわないわけだ。彼にとって小説はすべからく実験小説であり、実験のない小説なんか読むにも書くにも価しないのではないだろうか。
著者本人をモデルにしたような人物も複数登場する。先の精神貴族的登場人物たちすべてが著者の投影といえないこともない。就中小説の有りうべき姿勢を論じる主人公の師にあたる老作家兼思想家が、新聞に寄稿したマルケスの「予告された殺人の記録」に関連するエッセイなどは、著者の意見そのままにちがいない。

「純文学にして通俗小説」とか「芸術大衆化」とか「純文学変質」とか、要するに、なかなか有意義にして甚だ興味深い---"意義は、そこそこにあるものの、興味は、すこぶるとぼしい"でもなく・"興味は、かなりあるが、意義は、ほとんどない"でもない---作物(すなわち語の真義における「上等作物」)の生産が、従来しばしば目標として掲げられ、追求せられた(スタンダール作『赤と黒』はその「上等作物」の至って希有な先例)。
しかし、その具体化・実現は、至難事であって、そういう動向は、たいていとんでもない方角---内実は、依然たる下等作物の生産---へ逸脱した(そんな目標追求に藉口して初手から下等作物の量産横行を企てるなどは、むろん論外の沙汰である)。
ガルシア・マルケスの諸作物(短編小説集『落ち葉』、長編小説『百年の孤独』ないし短編小説集『奇妙な遍歴』、中編小説『愛その他の悪霊について』)はその至難事具体化・実現の長い積極的な追求ならびに相当な達成であり、その中での最高の達成が、『予告された殺人の記録』である。


他の部分でも小説の評価に関する言説は出てくるが、つまり著者もそういった作品を望んで創作に努めたのだろうし、本書ももちろん、それに準じて書かれたものであるにちがいない。「赤と黒」を、理想に近い作品と捉えるというのは解りやすいが、本書の上巻が黒地、下巻が赤地の表紙になっているのも、スタンダールの佳作にあやかっての事かもしれない。ただ、Morris.としては、これは上下の色を逆にして欲しかった。「赤と黒」というタイトルに誘導されてのことかもしれないが、どうも、赤→黒という順序が好ましい気がするのだ。本書の配色には何となく落ち着かなさを感じっぱなしだった。
また本書は7篇45章に分かたれているが、各章の題目が篇ごとに統一されていたりする。例えば第一篇「序曲」では「発端」「覚醒」「事態」「夜思」「歳月」「追想」「帰心」「再会」と二文字の漢字熟語、第二篇「生々流転」は漢字四文字熟語、第三篇「世路の起伏」は二字熟語+「の」+二字熟語、第四篇「転変兆」は三文字熟語といった具合で、いわゆる形式美と遊びを兼ねているみたいなのだが、徹底してなかったりするところが、いかにもそれらしくて、笑ってしまった。
失礼を承知で言うと、本書は小説としては先の「上等作物」には達していないと思う。しかし、それなりに見るべき所はあるし、小説を読む喜びをMorris.には充分与えてくれた。たしかに、そういった読後感を与える作物は最近めったにない。ということで、Morris.は著者の意見に概ね賛同するのだが、出来上がった作品については、いろいろ、御託をならべたてたくなってしまう。
性格や感情描写の細やかさや、人事の些末なやりとり、体温を感じさせる部分など、本書から(故意に?)抜け落ちている要素も小説の楽しみのひとつであるはずだ。
しかし、Morris.が敬愛する作家であることに間違いはないし、学生時代に熱中していた倉橋由美子の作品世界への思いに、相似したものを感じたのは、二人が、共通して、F・カフカの「城」に執着しているためかもしれない。主人公「K」への執着、期せずして二人とも筆名のイニシアルにKがある。Morris.もカフカは学生時代に何冊かを読んではいるものの、のめり込むことはなかった。ただ、「K」への不思議な思いは持ち続けている。Morris.も本名にはそのイニシアルを持っている(^_^;)のだから、まんざら無縁でもない。あらためてカフカを再読しようかという気にもなったりしている。

友人によって引用された主人公の台詞。

「K・マルクスの『すべての社会生活は、本質上実践的である。理論を神秘主義へいざなうすべての神秘は、その合理的な解明を、人間の実践のうちに・またその把握のうちに見出す。』と、G・オーウェルの『来世の不存在を承認しつつ、なおいかにして宗教的な精神態度を復興するかが、切実・至上の問題である。』と、G・ジンメルの『私の生涯を通じて、<私>とは、空虚な場所・何も描かれていぬ輪郭であるに過ぎない。しかし、それゆえに、この<空虚な場所>を充填するべき義務および課題が、私に与えられている。それが、私の<生>である。』---これら三つの言葉が、僕の人生観、社会観、世界観、ないし現実認識を集約している。」

主人公の数度の記憶喪失という異常な体験を通して「生と存在との根源的問題解明の具体的可能性」は実存するのかもしれないという夢こそ、著者が本書で伝えたかったことではないだろうか。

大西巨人は1919年生まれだから、本書は80歳をまたいでの作ということになる。前作でボケるくらいなら死を選ぶといったことをテーマのひとつに取り上げていたが、本書を読む限りでは、その心配はなさそうである。
是非長生きをして、更に新しい実験を試みて、Morris.を楽しませてもらいたいものである。

2004/09/01(水) ●秋●

奥井さんと奈良県広陵町にシンガポールからの荷物の配達。午後からの指定だったので朝の間倉庫作業して10時に出発。開梱が無かったのであっさり作業終了。帰ってまた倉庫作業。9月は仕事ひまになりそうだ。今週は今日で仕事納め(^。^)
マレーシアのみかちゃんが、旦那の法事で帰省して、事務所に顔を出してた。長女のえりあちゃんも1歳半になったとのことだが、まだMorris.は会ったことがない。
帰り道本屋でweblogの参考書を色々立ち読みする。いま一つよく理解できないが、掲示板の日記版みたいなものかな。ぐいぐい酒場に稲田さんからweblogのメリットが寄せられていた。更新が簡単なことと、リンクが広がり、アクティブになりそうなことがメリットのようだが、Morris.部屋に向いてるかどうかちょっと迷うところ。もうちょっと調べてみよう。

【言葉が通じてこそ、友だちになれる 韓国語を学んで】茨木のり子 金裕鴻 ★★★ 茨木のり子さんは好きな詩人だし、「ハングルへの旅」は、韓国語学びはじめた頃に読んで深い感銘を受けた。金裕鴻さんはNHKのハングル講座の講師でもあり、韓国語入門書にも親しんでいた。
その二人の対談ということで楽しく読ませてもらった。数年前から体調を悪くしている茨木のり子さんだけに健康の様子をうかがいながらの対談で、おたがい気を遣ってることも感じられたが、内容的には、韓国語を通じて彼国への理解を深めるという当然にして、しばしば忘れられがちなことをきっちり再確認させられるものだった。
おしまいに、金先生の教え子の中の優等生??の紹介文が付録になっているのも、ふたりの対談だけではページ数が足りなくなった結果かもしれないが、これも韓国語では劣等生に終ったMorris.には、羨ましく、いささかの反省を促されながら読ませてもらった。

主題とはほとんど無関係だが、金先生の日本の押し入れへの言及が印象に残った。

日本では部屋の掃除をしていない所に人が来ると、気になってしょうがない。だらしないところを、人に見られることをものすごく嫌いますからね。だから部屋に押し入れというものがあって重宝がられていると思います。

モリス亭の押し入れのなかがすごいことになってることに思い当たったからだろう(^_^;)



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