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Morris.日乘2016年2月

Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。


 

今月の標語

腐國供兵


【2016年】 1月
【2015年】
12月  11月  10月 9月 8月 7月  6月 5月 4月 3月  2月  1月

2016/02/29(月)●中国道新見岡山方面
4時半起床。
今朝の血圧は180/85/82。
JR灘駅南に秋本くんに拾ってもらい、途中としろうも拾って、延々中国道走って、新見市のタイ向けピックアップ現場。
午前中になんとか作業終えて、としろうと二人、岡山市内のベトナム向けピックアップ現場。昼飯抜きで3時作業終了。丸亀製麺で遅い昼食。
帰り道iPhoneでMorris.部屋覗いたら、カウンターがキリ番(500000)になってた。Morris.部屋始めてもう17年になる。いまどき人気ブログなら、一日50万カウントなんてざらだろう。もちろんそんなのと比べるつもりもないが、これだけ長期間継続してる(ほぼ毎日)ことだけは、なかなかのものだと自慢しておこう(^_^;)
今夜のKBS歌謡舞台は、なぜかプログラムが更新されてないので、今夜は見るだけにして、後日紹介しよう。
今日の歩数は40023歩。


早朝の中国道 

安富SA 

朝霧の中国道 

霞か雲か 

新見の祠 

新見の石仏 

岡山方面は晴 

工場煙突 

総社付近 

岡山路面電車 

同じく 

Morris.部屋50万アカウント 


2016/02/28(日)●長居方面
6時半起床。
今朝の血圧は175/85/71。
JR住吉駅8時にトラック待ち合わせ予定だったので、7時半の電車に乗ろうとホームに行ったら人身事故でSTOPのアナウンスが。連絡して阪神岩屋から魚崎でトラックに拾ってもらい、大阪東住吉区湯里のピックアップ現場に。午前中に荷物引取、阿倍野の実家に冷蔵庫、洗濯機などローカル配達して、JR住吉でおろしてもらい3時前帰宅。
住吉のスーパーで五木食品の「火の国熊本とんこつラーメン」買ってみる。微ニ入ルソウルの杉山さんが絶賛してたからだ。
早速作ってみたが、麺は乾麺で、液状濃厚スープというのが売り、らしい。たしかにインスタントのスープとは思えないくらいの味だった。でも、Morris.はやっぱり熊本ラーメンより博多ラーメンのスープが好みである。
今日はぽかぽか暖かいので、3時過ぎにミニギター持って青谷公園に。たしかに暖かい。コートも脱いで歌ってたら、小柄のおじさんがやってきて、いろいろ話しかける。ラテンの曲はできないか、というので、ヒョンインの「ベサメ・ムーチョ」やったら、一緒に歌ってくれた。75歳で最近心臓の手術したばかりとのことだが、えらく元気で、別れ際に握手したら、すごい力で、ちょっとびっくり。
5時半帰宅。
今日の歩数は4157歩。


湯里の螺旋階段 

冬の薔薇 

五木の熊本ラーメン 

【新編 身近な樹木ウォッチング】 ★★★☆ 2001/06/27 淡交社
「新版」とあるが、1990年に発行されたものを全面改訂したものらしい。著者や編者の名前は無く、奥付の上の方に「企画・編集 株式会社 雅麗」と記してある。
「まず基本170種を覚えよう」というのが副題というか、きゃっちフレーズだろう。このところ、樹木の名を覚えたいtと、数冊の類書を見てるが、これは今まで見た中では一番とっつきやすかった。

・まず街路樹を覚えよう
・春の花木
・主要高木をマスターする
・葉で見分けるポイント
・春から夏の花木
・秋の木の実と紅葉
・植物園・公園を活用する
・野山にでかけよう
・冬の樹木観察


おおまかに以上のように区分け、見開きで数種の樹木を一括りにして紹介。学問的というより、わかりやすさ重視の方針のようだ。

・ニレやケヤキ、エノキやムクノキなど、ニレ科の樹木に共通しているのは、葉がきわめてザラザラしていること。
・長さ20cm以上の大きな単葉を持つ樹木は、都会では、プラタナス、トチノキ、アオギリ、キリ、ホオノキくらいなmのである。
・新芽・幼葉が赤い樹木はカナメモチ、オオバベニガシワ、アカメガシワなど。
・葉柄に翼がついたユズやカラタチ


こういった、ちょっとした知識も、それなりに役に立つ

[単葉のかたちによる検索]
・三角形--ナンキンハゼ、シラカバ
・菱型--マンサク
・円型--ハクウンボク、オオバベニガシワ
・ハート型--クワ、ハナズオウ、イイギリ、アカメガシワ、ボダイジュ、カツラ
・扇型--イチョウ
・卵型--ソメイヨシノ、サンシュユ、クスノキ、マサキ、ブナ
・逆卵型--モクレン、トベラ、サンゴジュ、カシワ、コナラ、リョウブ
・楕円形--サルスベリ、ミズキ、ツバキ
・長楕円形--タイサンボク、ホオノキ、タラヨウ、アオキ
・楕円形(葉先が尾状)--ケヤキ、シイ、ムラサキシキブ
・細長い--シダレヤナギ、ヤマモモ、シラカシ、クヌギ、キョウチクトウ、ビワ
・線状・針型--スギ、カヤ、マツ、ヒマラヤスギ、カラマツ、モミ、ツガ
・鱗状--ヒノキ、カイヅカイブキ

[分裂葉の数による検索]
・3裂--タイワンフウ、トウカエデ、ハナノキ
・3~5裂--モミジバフウ、アオギリ、イチジク、ヤブサンザシ
・5~7裂--プラタナス、イロハモミジ
・7~9裂--ハリギリ、ヤツデ

[複葉の形による検索]
・3出複葉--カクレミノ、ミツバツツジ、ボタン、カラタチ、ハギ
・5出複葉--アケビ、ムベ
・多出掌状複葉--トチノキ
・奇数羽状複葉--エンジュ、ニセアカシア、トネリコ、シンジュ、キハダ、ヒイラギナンテン、ヌルデ、フジ、ハゼノキ、バラ、ナナカマド
・偶数羽状複葉--ムクロジ
・2回奇数羽状複葉--センダン、エニシダ、ナンテン
・2回偶数羽状複葉--サイカチ、ネムノキ


樹木の場合、やっぱり、葉の形や付き方で見分けるのがポイントのようだ。ヴィジュアルなしではピンとこないかもしれないが、それぞれの代表種を把握するだけでも参考になりそう。
首都圏の読者を意識した編集らしく、東京並木道・街路樹マップとか、東京植物園ガイドとか、東京近郊ガイドが多いのが、ちょっと関西在住のMorris.には残念だった。

2016/02/27(土)●シリア停戦
7時起床。
今朝の血圧は194/96/69。
ピーターバラカンのウィークエンド・サンシャイン。今日はちょっとブルージーな曲が多かったので、ついつい最後まで聴いてしまった。
例のiPhoneアプリShazamで、曲名チェックしたらほぼ100%ヒットする。しかも、たいていは動画や歌詞も見ることができる。10年前には考えられれないことだ。韓国歌謡は歌詞は出ないし、マイナーな曲は登録されてないようだ。
昼から小雨模様になったので部屋ゴロ。
夕方ちょこっと水道筋に買い物に出た以外はほとんど部屋で過ごした。
米ロの肝いりで、シリアで停戦が発効した模様。暫定的なものだし、イスラム国などは停戦とは無関係のようだが、なにはともあれ、戦闘が一時的にしろ止まることは望ましいことではある。
今日の歩数は2522歩。


躑躅 

冬の薔薇 

水道筋駐車場猫C? 

照光寺クロ 

水道筋南の白黒 

阪急駅前TSUTAYAがセブンイレブンに 

【バックストリート】逢坂剛 ★★☆☆
2013/06/25 毎日新聞社 初出「サンデー毎日」2011-13
「イベリアシリーズ」7冊を読み終えて、もうこの人のものは、いいかと思ってたのだが、装丁がイベリアシリーズと同じで、表紙にフラメンコの絵があったので、スペイン絡みのものかとつい手にとった。
岡坂神策シリーズの一冊らしい。主人公は、現代調査研究所所長という肩書で、著述業もやっていて、著者自身を投影した部分が大きいらしい。
フラメンコの店で出会った踊り子たちとのやりとりから始まり、ひとしきりフラメンコ談義があったと思ったら、突然ドイツ新ロマン派の薀蓄になったり、卵子提供をめぐる裏取引、過激派の破壊活動を調査する公安がからんだり、実にとりとめのない物語だった。発表媒体に合わせてなのか、東京のグルメガイドみたいな部分があったり、中年主人公がやたら持てたりと、どうでもいいサービス過剰も目についた。

唯一の長編小説『ミハエル・コールハースの運命』は、復讐の念に凝り固まった馬喰の生涯を、ほとんど心理描写なしに行動だけで描き出し、すさまじい迫力を生む。
事実のみを、畳みかけて叙述するそのスタイルは、20世紀になってダシール・ハメットが、『マルタの鷹』や『ガラスの鍵』で取り入れた手法と、相通じるものがあるような気がする。
もしかすると、クライストは表現様式、技法としてのハードボイルドの創始者、といっていいかもしれない。


日本ではあまり馴染みのないクライストを、紹介しながら、ハードボイルドに強引につなげるあたり、いかにも自慢ぽいが、本書の文体はまるで、その反対である。

原稿を仕上げるのに、わたしはとうに生産が終了したワープロを、いまだに使用している。
それを、編集者の手元に届けるためには、ちょっとした手順が必要になる。
フロッピに保存した原稿を、パソコンに搭載した専用ソフトで、ワードないしテキスト文書に変換する。
変換した文書を、ハードディスクに記憶させたあと、メールに添付して先方に送るのだ。
手間はかかるが、ほかに方法がない。
日本語入力に関する限り、パソコン用のソフトはワープロに、遠く及ばない。返還能力も処理機能も、いちじるしく劣る。
キーボード自体が、日本語入力を前提に作られたものではないから、使い勝手が悪いのだ。
パソコン用の、フロッピ読み込み返還用のソフトも、市場から姿を消しつつある。
要するに、ワープロの命運はすでに尽きており、わたしのような使い方も所詮は、一時しのぎにすぎない。
まさに、風前のともしびといってよい。


これは、絶対作者のことだろうと、ネットで検索したら、本書出版当時の対談(2013年4月23日)で、こんなこと言ってた。

小説を書くには、40年近く、SHARPの「書院」を使っています。これはいちばん最後に売り出されたビジネス用の、130万円ぐらいした機械を、20年以上前に3台まとめて買いました。画面がそのままA4になっている大きいやつが3台に、もっと小さいやつが2台。これだけあれば一生大丈夫だろうというぐらい買いだめして、貸倉庫に預けたりしています。
 パソコンというのは日本語を打つようにはできていないんです。あれはアルファベットの26文字しかない、向こうの人たちが作ったおもちゃみたいなものですから、私はあまり信頼しておりません。字を書くにはワープロでないとダメですね。


Morris.が最初にワープロ買ったのが1979年だから、それより5,6年前からワープロ使ってたということになるのだろう。パソコン導入が92年だから、Morris.のワープロ専用機時代は12年間だったということになる。最初がCASIOで、後はSONYのプロデュースシリーズ(たぶん4台くらい買い換えた)。それにしても、20年以上前の130万円の「書院」を3台買うというのは、どう考えても無謀な買い物だったと思う。
まだ「書院」使い続けてるのだろうか。SHARPの台湾身売りには複雑な思いを抱いてるに違いない。

2016/02/26(金)226から80年●
8時半起床。
今朝の血圧は165/87/66。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「タービンを回す前に」というタイトルで原発テーマだった。原発を「えんがちょ」扱いしたり、飼い殺しの団塊社員に喩える導入からしていまいち切れ味が悪かった。当人が「うんざりしながら」語るのだから仕方ないのかもしれない。もちろん小田嶋は原発再稼動には反対だし、40年超えの高濱原発審査通過、メルトダウン隠し、ソウルの福島フェア中止などをネタに、まっとうな意見を述べてるのだが、それらを論議する事自体がやりにくくなってる「空気」に弱気になってる。ただ、40年超え問題で引用されてた讀賣新聞の2月25日の社説には、呆れてしまった。
タイトルからして「
原発40年超運転 「時間切れ廃炉」や許されない」だもんなあ。40年ルールを始めから無視している。

そもそも、原発の運転期間を40年としたルールに科学的根拠はない。原子炉等規制法を再度、見直すべきだろう。
発電コストなどに優れた原発の活用は、日本経済の再生に欠かせない。原発を主要電源として活用し続けることが重要である。
政府は、安全が確認できた原発の運転延長だけでなく、新増設の方針を明確に打ち出すべきだ。


日本で販売部数トップの新聞の社説で、こんなことを書いてるのか(>_<)
ニュースは、昨日の梅田の暴走事故と、シャープの台湾企業吸収と、民主・維新合流。
選挙を前にして、「民主党」のイメージダウンをかわすためにも、新党結成はやむを得ないと思うのだが、新しい党名はかなり大きな意味を持つ。「民主」という語を残すか否かがもんだいになってるが、もう、「民主」にこだわるべきではないだろう。まして「民主自由党」なんてのは問題外である。
午後は王子動物園。一番北側高台のベンチでミニギター(^_^;) 今日はヒョンインの「新羅の月夜」を集中練習。前奏の速弾きがMorris.にはかなり難しい。テンポを少し落として徐々に速くしていくべきなのだろうが、そうすると何か間延びした感じがする。このところさぼってるペンタトニック・スケール練習にもどるべきかもしれない。
水道筋のマルハチでかいものして4時半帰宅。
今日は226事件から80年目になるとのこと。青年将校のクーデター未遂ということになっているが、これを軍部が利用して議会に食い込み、いわゆる軍事政権に移行していくきっかけになった。当時の時代状況は何か今と似てるような気もする。
今日の歩数は2807歩。


今日のまぬう 

尉鶲(じょうびたき) 

ライオン 

アムールヒョウ生後10ヶ月セイラ 

駝鳥 

花簪(はなかんざし) 

【首折り男のための協奏曲】伊坂幸太郎 ★★★ 2014・01・30新潮社
2008年から2012年に複数の雑誌に掲載された7つの短編に手を加えて、ゆるい関連のあるオムニバス短編に仕立てたもの。

「感情に任せて、攻撃を仕掛けるよりも、落ち着いて冷静に考えるほうが人間らしいです」
「人間らしい、か」黒澤はその言葉の意味を噛み砕くようにゆっくりと口にした。「いや、人間も動物と同じだろう。冷静に論理的に行動するばかりではない。ローレンツが引用した、『軍旗がひるがえると、理性がラッパを鳴らす』というウクライナの諺は、動物にも人間にも当てはまる」
ラッパ? それ、どういうことですか」
「熱狂こそが、攻撃性を生み出す。そして一番、熱狂を生み出すために簡単なのは」黒澤は表情を崩さず、言う。「敵を作ることだ。俺たちはこのままではやばいぜ、このままだとやられてしまうぞ、と恐怖を煽る。怒りは一過性だが、恐怖は継続する。恐怖に立ち向かうために、熱狂が生まれる。さらに言えば、敵自体はいなくてもいいんだ。ローレンツも言っている。架空の敵を用意して、旗を振れば、理性がラッパを鳴らす。そういう仕組みだ」(「人間らしく」)


伊坂作品ではよくあるパタン。ある本を読み込んでそれを本文の中で利用するのだが、これは『攻撃--悪の自然誌』コンラート・ローレンツ著 日高敏隆・久保和彦訳(みすず書房)からのもの。ローレンツは「ソロモンの指環」しか読んでないが、動物行動学という学問を知らしめた先駆者である。「攻撃を生み出すのが恐怖」というのは、ローレンツが言い出したのかはっきりしないが、一つの真理であるな。

「いや、俺は歴史とかは全然詳しくなくて」
「物書きのくせにか」
「そうだ」
「どうせ、おまえはあれだろう、パソコンで原稿をかいているんだろうから、自分が書けないような感じを、作品でしれっと使ってるんだろう」
認めざるを得なかった。自分の本をめくってみれば、私が書けない漢字がぎっしり詰まっている。(「相談役の話」)


書ける漢字と読める(見て理解できる)漢字の差があるのは当たり前だ、と、思いたい。

わたしは釈明を試みる。私は恋人一筋のつもりだったのだが、その彼女がよりによって自分の誕生日に別の男とピアノコンサートに行く予定を入れていた。不憫に思った友人の井上が、開催する予定のあった合コンに誘ってくれたのだ、と早口で説明する。それに対する江川美鈴の返事はもっともなものではあった。「彼女がたった一日、男友達と遊びに行っただけで、合コンに行くとは常人の理解を超えている。妻が妊娠しているから浮気をしてもいいと主張することよりも、ひどい」

これは、最近不倫で議員辞職した宮崎某のことを思い出させたので……(^_^;)

合コン時におけるおしぼりサイン(男性用?)
食事中さりげなく、手を拭い、丁寧に筒状にして、それを置く際の向きが、「狙っている」女性を指し示す。途中で自分の目標が変わった場合にも随時、それを表現できる。
どの女性も好みでない時は綺麗に畳んでその場に置く。
複数の女性が好みの場合、おしぼりをくしゃくしゃに置く。

なるほど、っても、女性は女性で違った対応策を講じてくるんじゃなかろうか。

「人間の身体は上から下へ行くほど、原始的になっていくのだ」と、知り合いの男が言っていたのを思い出した。脳から顔面、首から胸、そして内蔵、生殖器と位置が下るほどに理性がなくなり、動物的な回路で動いていくのだ、と。そう考えればわたしの感じているこの怒りは、論理的な、理屈じみたものではなく、動物的な、言ってしまえば純粋なものを起源としているのではないだろうか。

形而上学とか形而下とかいう言葉は、今やほとんど死語になったような気配だが、Morris.若かりし頃は結構、あちこちで幅を利かせていた。

「同情してほしくて、加藤さんのところに来たわけじゃないんですよ」泣くのを堪えた小学生のような表情で、彼女は言った。「こんなの大したことじゃないって分かってるんですよねえ」
「うんうん」
「ほら、こうしている今だって、どこかで急病の人がいたり、危篤の人がいたり、もっと言っちゃえば、どこかの国とかで飢えとか寒さとかで震えている子供とかいるじゃないですか」彼女は店の外を指差し、そちらの方向にまるどこかの国があるのを知っているかのような仕草を見せた。
「中東のほうとか、いろんな爆弾とか落ちて、子供が死んだりしてるじゃないですか」
急に、中東で死ぬ子供の話をされてもわたしは戸惑うばかりだったが、彼女の言わんとするところは分かった。「でも、それとこれとは違うんだと思う」わたしは言わずにはいられない。「あなたはつらいと感じたんだし、それと、どこかで苦しんでいる別の人のつらさを比べて、泣くのを我慢する必要はないでしょ。つらいと思ったのは本当なんだから。わたしたちは、誰かがどこかで大変な目に遭っていても、目の前の生活で一喜一憂していくしかないんだよ。良くも悪くも、誰もが自分の人生を、大事に、頑張って生きるしかないんだから。だって、わたしなんて、どこかで戦争してようがそんなの気にもしないで、ここでプリンを食べて、挙句の果てに、そのプリンを食べ残してたりしてるのよ」
途中から自分でも何が言いたいのか分からなくなった。彼女もそう感じたのか吹き出した。
「加藤さん、いいこと言ってるようでいて、実は訳分かんないですよ」(「合コンの話」)


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮澤賢治「農民芸術論綱要」)という阿呆リズムへのアンチテーゼだね、これは。

特定の主人公や設定で統一した短編集とは少し違いますし、短編ごとに趣向が異なっているからか、綺麗に並んだ作品集というよりは、謎の工芸品ができあがったような感触があり、こういう読み心地の本はあまりないのではないか、と感じています。(追記)


なんとなく言い訳みたいに聞こえるのだけど。これは伊坂作品の中では、中の下クラスかも。

2016/02/25(木)Shazamで韓国歌謡検索●
8時起床。
今朝の血圧は
150/72/71。
iPhoneのアプリの更新なんて長いことやってなかったが、久しぶりに音楽検索機能アプリを追加してみた。
音楽検索と言えば、ずっと前に「SoundHound」というアプリをダウンロードした当座は面白がっていろいろ試してたが、だんだん飽きてめったに使わなくなってた。韓国歌謡に対応してなかったこともある。今日、これまためったに使わないでいたiPhoneの秘書機能ソフト「Siri」をonにして、KBSラジオ放送流しながら「この曲のタイトルは?」と質問したら、ちゃんとハングルで歌手と曲名が表示された。思わず、手持ちの韓国楽曲でいろいろ試してみた。およそ2/3くらいの確率で曲名表示される。基本的には市販されてるCDの曲に限られてるようだ。画面をよく見たら、
Shazam」という表記があり、これで検索してるようだったので、ネットで調べて、ダウンロードしてみたのだ。どうせすぐ飽きるのだろうけど、しばらくは楽しめそう。
先日予約で借りた図書、今日が期限日で、延長できないので三宮図書館に返却に行く。図書館で雑誌など見て、隣のダイエービル6階のジュンク堂。たいてい三宮センター街のジュンク堂にしか行かなかったが、ちょっと雰囲気が違ってて、結構長時間冷やかして回る。
三宮図書館前広場の片隅でしばらくミニギター(^_^;) 地下道出入口LED照明で楽譜がはっきりと見えるコーナができたのが嬉しかったのだ。でも、やっぱりちょっと寒い(>_<) 適当に切り上げて8時半帰宅。
昼間梅田のスクランブル交差点に乗用車が突っ込み二人死亡したとか。運転中に突然心臓血管破裂みたいな症状が起きたためらしい。
鹿嶋さんから手紙。2月初めに旅行に行ったタイの便箋(多分)も可愛かったが、同封されてたレトロな紙袋に何とマヌル猫のスタンプが捺されていた(@_@) これは倉敷の「蟲文庫」という古本屋のものらしい。由来などは聞きそびれたみたいだが、マヌル猫ファンがいることがあちこちにいることがわかっただけでも嬉しい。ぼさぼさ毛並みに低い耳の位置などたしかにマヌル猫の特徴を捉えているし、ちょっと戸惑ったような表情も可愛い。鹿嶋さん、ありがとう(^_^)/
報道ステーションで、憲法九条が幣原首相の進言で作られたという音声データを発見したというスクープ。「戦争放棄と幣原首相の関わり合い」については、以前から取り上げられて、かなり信憑性が高いものとされていたが、こうやって当時の録音が発掘されたことは大きい。安倍晋三の「押し付け憲法論」への反証にもなるし、憲法論議、特に九条論議に一石を投じることになるだろう。
今日の歩数は5492歩。


"SHAZAM"で韓国歌謡検索 

クリーニング屋猫A 

B 

大安亭白雉A 

B 

倉敷古本屋の紙袋に(@_@) 

2016/02/24(水)●海岸通り
8時起床。
今朝の血圧は165/78/81。
焼きそば作ろうとしてソースが切れてたので、向いのプリンセスソースへ。いつも買う1リットルでなくて、1,8リットルのしかなくて、大将が、1リットルの値段にしておくから、これで我慢しといてくれという。ありがたくこれを頂く。流石にでかい。単身者用ではないな(^_^;)
午後は、JR灘駅から南に下って、海岸通り、灘浜方面へ。昨日は青山登山道方面に行ったので、今日は海岸方面。とりあえず歩いて、山にも海にも行けるというのは神戸の地の利というものである。
ちょっと気温は低いが日差しがあれば大丈夫。ひなたぼっこしながらミニギターと読書楽しむ。途中自転車に乗った小学生の一団が拍手してくれた。
ヤマダ電機を冷やかして、5時帰宅。
事故から5年近く経った今日になって、東電は「福島第一原発のメルトダウンの定義を明記したマニュアルが事故当時存在してたのにしようしていなかった」ことを明らかにした。東電が福島原発事故のメルトダウンを公表したのは事故の2ヶ月後。このマニュアルを参照していれば、事故直後に公表できたはず。東電は当時公表が遅れた理由を「炉心溶融(メルトダウン)を定義付けるものがなかった」ためとしていたが、これが真っ赤な嘘だったということだ。九電に続いて関電も原発再稼動始めたが、政府も電力会社も、根本のところがわかっていない。あるいはわからないふりをしているようだ。
今日の歩数は4379歩。


ソース一升瓶(^_^;) 

鳶 

サン・シスター 

野外劇場 

橋の下を艀が 

蒲公英 

雲 

雀の木 

ベニカナメ (red robin)

2016/02/23(火)●青山川付近プチ山歩き
8時起床。
今朝の血圧は193/90/76。
ネットで衆院総務委員会の中継を流しながら読書。電波法関連で高市総務大臣とNHKの籾井会長が質問に答えていたが、この二人の顔見てるだけで何かいやーな気分になってしまった。安倍、菅、高市は戦前戦中の大政翼賛言論統制を夢見ているのだろうか。
午後は王子公園から、青山川に沿って登山道青山道のほんのちょこっとだけ登ってみた。ここらは猫場なのだけど、今日は残念ながら一匹も出会わなかった。
このところ山歩きしてないなあ。
川沿いの家の前に割と大きめのミモザの木があって、もう八分咲だった。こんなに早かったかな? ミモザはもともと含羞草(おじぎそう)の学名だが、一般には、この黄色い炒り玉子のような花を咲かせるギンヨウアカシアを言うことが多い。Morris.は大島弓子の「ミモザ館でつかまえて(1973)」をつい思い出してしまうが、もちろんその本歌はフランス映画「ミモザ館(1935)」であるらしい。まだ、神戸に住む前、大阪に住んでた頃、神戸に遊びに来て、王子動物園にも足を運び、動物園裏の大きなミモザの木が数本満開だったのを見て、異常に感動したことも思い出した。それから40年(^_^;) 王子公園のすぐそばに住むようになったのだが、あのミモザの大木は王子公園には見当たらない。
今日の歩数は6721歩。


近所の白 

冬の薔薇 

風見鶏シルエット 

青谷川 

ミモザ館 

小滝 

六甲大橋方面 

馬頭観音 

海星女学院聖母子像 

【お勝手太平記】金井美恵子 ★★★☆☆
2014/09/30 文藝春秋 初出「別冊文藝春秋」2012-13

70代の老嬢アキコさんが複数の友人に出した書簡集という形をとった美恵子さんの言いたい放題ともいえる。

今は、ボケのことを認知症って言いますけれど、これだってヘンな言葉づかいですよ。だって、何かを認知できないのがボケなのよ。

こういった素朴な疑問(^_^;)を率直に言うのも、本書の楽しいところのひとつだろう。

同級生のお舅さん(なんかさ、この字って、鼠に似てるわよね)

これもね(^_^)

そう言えば、『ノルウェイの森』という有名な小説があったわね。とっても幼稚な、若い男の子が夢精をするような青春ポルノ小説ですよ。

そして、これも。村上春樹、どうしても読めないMorris.だが、美恵子さんがこういうからには(こう言ってるのはアキコさんで、彼女は読んだということになるわけだが)、別に読まないでいいんだと、納得してしまう。

私は、俳句も短歌も、ほぼ興味ないのも同然なのですが、多少は、ひねった(フン、下品た言葉づかいですよね)ことのあるKによると、「草の花」は秋の季語なんだそうな。春だって草に花は咲くんじゃない? ペンペン草とかね。
『草の葉』はぞっとするノーテンキな男性中心主義者のホイットマンの詩集で、「草の根」は市民運動よね。「若い根っこの会」は昔のテレビドラマの『若者たち』に関係あるのかしら?

「K 」というのは、アキコさんの配偶者で弁護士か何か法曹界の仕事やってるみたい。アキコさん60歳代で結婚した模様。
ホイットマンも彼女にかかると形無しだな\(^o^)/

雑巾なんて縫わないほうがいいのよ。
幸田文だって、沢村貞子だって家事評論家の吉沢久子だって(他にも、その手の暮らしのし方の知恵を教えてくれる類いの、ズイヒツを書く女性なら、誰でも)、雑巾は使い古しのタオルを四つに折って拭く面を変えながら、一枚だけ使って干す、ってかいてるわよ。
一枚のタオルですから、すぐにかわくでしょ。重ねた布を縫い合わせた雑巾は、乾燥するのが遅いから、その分、雑菌が繁殖しやすいってことは常識よ。君、雑巾を縫い給うことなかれ、です。

これは「暮しの手帖」的、暮らしの知恵である。Morris.も前から雑巾縫うのはやめてたし、韓国の垢擦りタオルみたいなのを使ってるけど。

最近とみに単語や固有名詞の出てこない傾向が強まっている(私も、ですけどね。そのせいで手紙を書くのに時間がかかったりするのよ)ものだから、ドイツの作家の反戦小説で第一次世界大戦が舞台の、ハリウッド映画にもなってる、とじれったがるので、その小説だか映画と「軍靴磨き」は、まあね、関係ありそうだけど、ヘミングウェイの『武器よさらば』とかチャップリンの『担え銃』とかルノワールの『大いなる幻影』とか、いろいろ名前あげたんですけど、ほら、その小説家は、バーグマンとシャルル・ボワイエのでた映画の原作も書いてるよというので、『ガス燈』の? と言うと、いやいや、そうじゃなくて、こっちは第二次大戦ものですよ、と、じれったがり、私まで焦っちゃって、ハンフリー・ボガートじゃないのね、なんて言ったものだから、違いますよ、そんな『カサブランカ』なんかじゃないと怒り出す始末で、とやっと、遅目のお昼を食べている最中にレマルクの名前が浮かびあがり『西部戦線異状なし』にたどりついたものだから、その時はホッとした嬉しさのあまり、お互いにニッコリと顔を見合わせてテーブル越しに手を伸ばして握手まで下のですけど、そうなのよ、ご想像通り、元々はなんのためにこの名前を思い出す必要があったのかを思い出すのに、さらにまた時間がかかったのでした。
kはやっと『西部戦線異状なし』を思い出し、それと同時にバーマンとボワイエの共演作は『凱旋門』だということも思い出したんですけど、なにしろ、兵士が戦地で軍靴を磨く、ということが、男の言ってみればおしゃれの基本という、ロマンチックというか、マッチョおセンチな考えへの反撥から『西部戦線異状なし』を思い出したというのがきっかけでした。
ほんとにねえ。年を取るってさ、思わぬ面倒なことがあるってことです。

あまりに短い引用ばかりで、本書の手紙の雰囲気がまるで伝えられなかったので、ここを引用しておく。全体にこういった感じで、だらだら、ふらふらと、とりとめもなくとめどなく続いていくのだ。「単語や固有名詞の出てこない傾向」は、まさに同慶の至りぢゃ。

あなたの贈ってくださったバラは、大きく大きくいく重もの花弁を広げて、まるでボタンかシャクヤクのように咲き誇って、ベティ・ブープのマンガ映画でベティさんのバック・コーラスを歌うバラたちのように陽気に見事に咲いてから、散りました。


薔薇の形容にベティさんを投入するあたり、いかにもである。

南伸坊が俳句を作るとは知りませんでした。
そりゃあ、もちろん、俳句なんて上手下手はともかく、誰にだって作れるわけですけど、あなたが書いてきてくれた伸坊の俳句が、私たちのコオロギと縫い物議論の決着点だわね。

こおろぎの なにかいうらし それぞれに

まさしくそうでしたものね。


「ねこはい2013/7 青林工藝舎」という南伸坊の句画集からの引用。才人伸坊の面目躍如といったところだろうか。「吾輩は猫である」のひねりかと思ったが、本人が猫になりきってひねった句ということからのタイトルらしい。「議論の決着」というのは、蟋蟀の鳴き声の聴きなしで「肩刺せ、綴れ刺せ」をめぐってああだこうだと、いろんなやりとりがあったことを受けている。引用句はMorris.にはいまいちぴんとこない。

雑誌の著名文化人アンケートなんかでね、時々、「私の嫌いな言葉」とかさ「使いたくない言葉」なんての、やるじゃないの。
そういう時に、今頃、事新しいかのように「生きざま」なんて答える文化人がいてさ、これって、もう何十年も前から、ある種の著述家たちに毛嫌いされて滅多に眼にすることのなくなった、いわば死語化した言葉だと思うのに、まだ例にあげる人がいる、ということは、テレビのレポーターとかスポーツ・芸能新聞の老人ライターさんなんかで、使う人がいるのかも。


これは中桐雅夫の詩集『会社の人事』にあったぞ。ネットでチェックしたら(^_^;)

  何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、
 言い出した奴の息の根をとめてやりたい、
 知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、
 悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ!(「嫌なことば」 中桐雅夫 第一連)

だった。この詩集は以前持っていて、何かのおりに、いまは亡き武雄の熊さんに進呈したと記憶してるのだが、どうだろう。

私たちの人生って、なんて平凡で平板なんだろうって、満足のためいきと共にですけれど。非凡とまでは、もち、いわないけど、多少大変だったりしたアレコレがあったって、私たちが喋ったり話したりしていると、それがみんな平凡でありふれたものに、みるみる変化して行くじゃありませんか。不思議ね。

これは「あとがきにかえて」と但し書きのある美恵子さんへの手紙(作中人物から作者に宛てた手紙という、手の込んだ仕掛け)の一節だが、本文中の最後の手紙にあたるマリコ宛て手紙の結びにほぼ同じ形で提示されている。「不思議ね」って、その不思議さを美恵子さんは書き続けているんじゃないですか、と、思わずツッコミ入れたくなる。

とっくに見抜いていらっしゃるように、書く楽しみのために図々しくも勝手に凄く理想的な読者を設定して書いたのが、私の手紙なんですから。

ここでも種明かしされてるが、今や美恵子さんは融通無碍の境地に到達してて、饒舌も辛辣も閑話休題も何でも許される世界の住人である。

美恵子さんが『待つこと、忘れること?』でお書きになっていた「神話のシジフォスの苦役に比せられる」あの家事

これって掃除のことらしい(^_^;) あの本読んだはずだけど、この秀逸な比喩は覚えてなかった。

おしまいに本書に出てくる内外の映画70本ほどの一覧が付してあるが、Morris.が見たのは一割くらいだった。
本書はアキコさんの手紙のみで構成されて、それでも、相手からの返信の要約や、うわさ話めいた話題から、人間関係やそれぞれの事情、事件や、病気のことなども察せられるように構成されている(そして、それこそが、本書の眼目かもしれない)のだが、Morris.は、もう、初めからそんなことは放棄してしまい、ひたすら、美恵子節とでもいうべき、あの「至高のだらだら文」を楽しむことに専念した。結果、充分に楽しめたことは間違いない。
一方的な手紙で物語を紡ぎだした傑作書簡小説といえば「あしながおじさん」だけど、本書の場合はマリコ、佐藤絵真、下沢みどり、後藤弥生、杉田、中野勉、由紀と7人もの相手への手紙で構成されている。一番多く、長いのもマリコ宛で、メインはアキコとマリコの関係かもしれない。Morris.はマリコが以前作って、のちのちまで話題となったちらし寿司がたびたび話題に上りながら最後まで、公開されなかったことが心残りである。

2016/02/22(月)●猫とおでんと竹島の日(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は165/84/66。
昨日もシリアでイスラム国自爆テロで150人以上死亡者が出たとか。テロと空爆の応酬は、救いがない。
今日は「2ゃん2ゃん2ゃん」で「猫の日」とか、「2(ふ)-2(ふ)-2(ふ)-」でおでんの日とか、語呂合わせの記念日らしい。どーでもいーか(^_^;) まあ、あちらでは毎日が「独島の日」だしね。
そして島根では「竹島の日」の記念式典が行われた。これもまあ、しょーもない。
近所のパン屋「レマン」にバケット買いに行ったら、棚にパンの耳包んで無料でおいてあったのでもらって帰る。
ソースが切れたので、向かいのプリンセスソースに買いに行ったが、ウスターソース品切れで、水曜になるとのこと。ローカル人気で結構繁盛してるみたいだ(^_^)
散策兼ねて国体道路経由で大安亭方面に。
神若公園にトラと黒白2匹の猫がいて、特に黒白はMorris.好みだったのでMorris.@Catographerモード。大安亭のちょっと西側高架南の山側に「朝日」という、リサイクルショップ(というより我楽多屋)があって、ちょっと冷やかす、おばちゃんが話好きで、いろいろ話す。去年の9月に店開きしたとのこと。なぜか真新しい韓国のタル(お面)が二つあった。Morris.の持ってる木製の本格的なものではなく、紙張子でえらく軽そう。
今夜のKBS歌謡舞台1455回は- 가요산맥 시리즈작곡가 문호월★손목인 歌謡山脈 作曲家ムンホウォル文湖月★ソンモギン孫牧人-二人の有名作曲家の特集。

 1) 봄 아가씨春の娘(이난영イナニョン)/김연자キムヨンジャ,문희옥ムンヒオク
 2) 봄맞이春待ち(이난영イナニョン)/김용임キムヨンイム
 3) 인생극장人生劇場(남인수ナムインス)/진해성チンヘソン
 4) 분홍 손수건ピンクのハンカチ(장세정チャンセジョン)/문희옥ムンヒオク
 5) 추억의 두만강追憶の豆満江(송달협ソンダルヒョプ)/신유シニュ
 6) 관서 천리関西千里(이은파イウンパ)/오세정オセジョン(国楽人)
 7) 에헤라 춘풍エヘラ春風(이은파イウンパ)/문연주ムンヨンジュ
 8) 황해도 노래黄海道の歌(이해연イヘヨン)/하지아ハジア、김승원キムスンウォン(国楽人)
 9) 사리랑 동동サリランドンドン(이은파イウンパ)/김세윤キムセユン、윤대만ユンデマン(国楽人)
10) 타향살이他郷暮し(고복수コボクス)/김연자キムヨンジャ
11) 해조곡海鳥曲(이난영イナニョン)/금잔디クムチャンディ
12) 아빠의 청춘パパの青春(오기택オギテク)/송대관ソンデグヮン
13) 바다의 교향시海の交響詩(김정구キムジョング)/설운도ソルンド
14) 장한가長恨歌(윤백단ユンベクタン)/채수현チェスヒョン(国楽人)
15) 아리랑 술집アリラン酒場(김봉명キムボンミョン)/김광남キムクヮンナム
16)  범벅 서울まぜこぜソウル(남인수)/김수찬キムスチャン
17) 슈샤인 보이シューシャインボーイ(박단마パクタンマ)/박혜신パクヘジン
18) 노들강변ノドゥル江辺(박부용パクプヨン)/하지아ハジア、채수현チェスヒョン、김세윤(国楽人)

ソンモギンは「木浦の涙」でお馴染みだが、ムンホウォルは全く知らない。「ノドゥルカンビョン」は知ってたけど、Morris.はこの曲は民謡だと思ってたくらい(>_<)
韓国版Wikipediaによると、1905慶尚北道金泉生れ、主に日本植民地時代に活躍。27年頃から演奏家活動を初め、37年に「ノドゥル江辺」が大ヒット。三拍子の大衆歌謡、とりわけ新民謡を得意にした。1940年以降はほとんど活動せず1949年死亡。光復(日本の敗戦)以降活動しなかったのは、「親日派」扱いされたのかもしれない。ムンホウォルの息子がゲスト出演して、父の思い出話をいろいろ話してた。
ソンモギンは1913年慶尚南道晋州生れ、東京音楽学校留学中の34年に李哲のOkeyレコードから「他郷暮し」を発表。それから後はコンスタントにヒット曲発表。光復後も韓日を行き来して活躍、日本では「カスバの女」を作曲している。これはペティキムが韓国語で歌ってるらしいので、聴いてみたい。今日の特集でもこの歌取り上げて欲しかった。ネットで見てたので、途中フリーズしたりして、ちゃんと確認できなかったが、曲名ナンバーの太文字がソンモギンの曲。Morris.はいまいち新民謡はぴんとこないこともあって、★★☆☆。
今日の歩数は4112歩。


レトロ手描看板 

菫蕾 

神若公園のトラ雉 

Morris.好みの黒白 

同じく 

しつこく 

お寺の木象 

大安亭のふさ猫 

野菜問屋のクロ 

我楽多の店にタル(朝鮮お面) 

蘇鉄の実 

冬の薔薇 

鬱金香(チューリップ) 

在日大韓基督教神戸東部教会 

ハングルで聖書の一節が 

ドア飾り 

冬のミニ薔薇 

小さな蛹 

2016/02/21(日)●続「日本発見」シリーズ
6時起床。
今朝の血圧は188/90/67。
朝の三点セット。
昨日見つけたヒストリーチャンネルの「日本発見」。昨日が北海道から東海地方まで、今日は近畿から沖縄まで二日間一挙放映らしい。
午前中はとりあえずBGV(バックグランドヴィデオ)で流して、見るともなく見てた。60年代初めの町並みやファッションなどを垣間見る感じは悪くなかった。三重、和歌山奈良、、滋賀、京都、大阪、標語でちょうどお昼に。奈良県篇では、写真家入江泰吉が登場。なぜか名前は紹介されなかったが、間違いない。当時55歳くらい。(ネットで確認(^_^;))。兵庫篇では、神戸港から移民船「あるぜんちな号」が出港するシーンがあり、ちょっと驚いた。たしかに炭鉱が斜陽化した時期で、政府が積極的に移民政策をとってた時期だった。
KBSノレチャランは仁川篇。前の人気賞大会は、平日に放映されてたらしい。トップゲストがキムヘヨンで、「アッサ!ネサラン」歌った。そういえば、彼女は仁川に住んでたから、ノレチャランゲストもお手軽出演だったのかもしれない。
屋上でちょこっとミニギター。日差しがあるとなんとかなるけど、陰ると寒い。結局1時間持たずに撤収。
ふらっと水道筋に買い物に出て、5時帰宅。
「日本発見」の九州地方やってるのをまたBGVに。Morris.の出身地佐賀篇はかなり地味めだった。撮影時期、Morrisは少学校高学年の頃だったはずだが、あまり懐かしい映像はなかった。有明海で這いずりながらムツゴロウ獲ってるところくらいか。ムツゴロウなんて50年以上食べてないな。長崎篇では稼働している(^_^;)「軍艦島」の場面は感動的だった。おしまいの沖縄篇は、想像通り「基地なしで存在できない沖縄」みたいな取り上げ方だった。まあ、返還10年前の映像だしね。
今日の歩数は
2058歩。

神戸港を出る移民船(1961) 

真弓の実 

柊の実 

水道筋駐車場猫A 

冬の薔薇 

ミニ苺 

辨慶草 

水道筋南の雉 

軍艦島アパート10階屋上(1961) 



2016/02/20(土)●「日本発見」シリーズ
7時起床。
今朝の血圧は175/83/64。
ピーター・バラカンの番組、今日は2月6日に74歳で亡くなったダン・ヒックスのトリビュート特集。全く未知のミュージシャンで、アメリカ西海岸の「フォークジャズ」とも呼ばれるジャンルの人らしいが、どうもMorris.の趣味ではなく途中で中断。
今日は朝からずっと大雨という予想もあって、初めから部屋ゴロの日に決定。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「ロード・トゥ・ザ・提灯持ち」というちょっとわかりにくタイトルで、最近の自民党議員の暴言、失言、失態・不祥事……に関するものだったが、それぞれの事案へのマスコミの対応に突っ込みを入れて、放送しやすいものを大きく取り上げる姿勢への疑問と、矛盾。特に電波法への言いがかりが、マスコミを萎縮させる、させないを論じながら、傍から見えない形での牽制への牽制(^_^;)に共感を覚えた。

私は、丸川環境相や高市総務相のニュースより、丸山議員の失言のニュースの方がずっと大きく扱われていること自体が、実のところ、大きな枠組みから言えば、「メディアの萎縮」の現れであるというふうに受け止めている。

御用放送NHKは論外として、民法報道番組でも、殺人やスキャンダル、よその国の指導者選び(それも前哨戦)などを、えんえんと伝えて、もっと重要なニュースを伝えなかったり、おざなりにする傾向には、Morris.もずっと不快感を覚えていた。

なんとなくやりにくいニュースをスルーしているだけで、「萎縮」はものの見事に達成される。

「臭いものには蓋」、「君子危うきに近寄らず」、「逃げるが勝ち」が、ジャーナリズムの拠って立つところではあるまい。
というわけで(^_^;) 地上波以外に何か見るべきものはないかと、めったに触らない衛星放送番組をスキャンしてたら、CSヒストリーチャンネルで「日本発見」シリーズというのを延々とやってるのを見つけた。半世紀以上前の映像で日本47都道府県の風土記映画みたいなものだ。もともと1961年から翌年にかけて、
テレビ朝日の前身「日本教育テレビ」で放送されたもの。岩波映画が元気だった頃の産物らしい。16mmフィルムで撮影されたものを、近年デジタル化したものらしく、モノクロでも映像は驚くほど鮮明になってる。一本が30分だから、全部見るとほぼ24時間かかることになる。とりあえず、放映されてた青森県と福島県を見たのだが、福島県篇ではのっけから猪苗代湖の水力発電が取り上げられ、東京への電力供給地としての役割が取り上げられていた。さらに撮影当時竣工したばかりの奥只見ダムの紹介、常磐炭田の石炭による火力発電など、福島第一原発が登場する10年前から、福島県が東京の電力供給地であることが強調されていた。奥只見ダム一帯は、当時電力不足が慢性的に続いていた首都圏への送電を図るための特定地域に指定され、このダムの発電機が、後の原発メーカーでもある東芝製だったことも暗示的である。
とてもすべて見る元気はないが(^_^;) このヒストリーチャンネルは月間番組表をプリントして、たまには見ることにしよう。

今日の歩数は0歩。

【雑草の成功戦略】稲垣栄洋 ★★★☆
2002/03/25 NTT出版
筆者は1968年静岡生れ、雑草生態学専門で、農水省に入った後下野し、静岡県農業試験場に勤務の傍ら、自然観察会や野外体験活動の始動にあたってるらしい。
本書は雑草の生き方を、通じて植物学的処世術としてまとめたもの。というより、ちょっと切り口を変えた、雑草入門みたいな本だった。

雑草の生育型
1.直立型(多数)
2.匍匐型(シバ、シロツメグサ)
3.分枝型(ハコベ、オオイヌノフグリ)
4.叢生型(稲科)


これだけでも弁別、検索のときに役に立ちそう。

エスケープ雑草(園芸植物の雑草化したもの)--ハルシオン、マツヨイグサ、ベンケイソウ、フランスギク、ヒルザキツキミソウ、カタバミの仲間、クレオメ……

その逆に雑草と思われてたものが園芸植物になった例として、ヒナゲシはヨーロッパではトウモロコシ畑の雑草だったが、美学者のラスキンがこの花の美しさを称揚したことから、庭園で愛育されるようになったという、ネタも書いてあった。たしかに日本でもヒナゲシは結構あちこちに自生してる。虞美人草という漢名とは対照的な軽みのある花だ。

雑草が生きる最終目的は、種子を残すことである。この目的を達成し、雑草が成功を果たすためのポイントが二つある。それは「量」と「スピード」である。それぞれ「多産性」「早産性」という言葉で表現されている。
多産性は文字通り種子の多さである。ほとんどの雑草は万の単位で種子を生産することができる。ナズナで4万粒、ヒメムカシヨモギは82万粒もの種子を生産した記録がある。
早産性では、夏雑草の多くは芽生えから20~40日で種子を生産する能力を持っている。
「早くて量が多い」では、定食屋のキャッチフレーズのように聞こえるかもしれない。しかしそれは、逆境の中で雑草が悟った確かな成功へのキーワードなのである。


雑草を定食屋のメニューに喩えるあたりに、筆者の苦労がしのばれるところ。本書では、やたら、諺や格言を引用して、人生論に持ち込もうとする傾向がある。それが面白かったりもするけどね。根が真面目なんだろう。

ロゼットの茎はごく短くほとんどないように見える。その短い茎に密についた葉っぱを、地面にぴったりとつけている。外気に当たる面積は葉っぱのみ、それも表側だけである。つまり、外気に当たる面積は最低限にしている。そして、平身低頭の姿勢で吹きすさぶ寒風をやり過ごすのである。
ロゼットの下には地上の葉っぱからは想像もできないような太い根っこが地面の奥へと伸びているのである。力いっぱい広げた葉に受けた太陽エネルギーを、せっせと自分の根っこに蓄えているのだ。


蒲公英などが冬の間、地べたにしがみついてるあのスタイルになんとなく心惹かれるものがあって、それが、薔薇(ROSE)に擬せられてRosettaと呼ばれることを知って、ますます親しみを感じてた。さらに上記のように合理的な理由あってのことだと知って、なるほどと納得した。

●有るだけの力で地球を抱擁す薔薇状の葉は花より優し 『薔薇祭』

雑草は次世代の種子にばらばらな特性を持たせる。つまり「多様性(ダイバーシティ)が大きいこと」価値を見出しているのである。
人間の世界では、限られた狭い価値観で良し悪しを区別しがちである。その狭い価値観を植物に対して押しつけたものが作物である。より収量が多い、よりおいしいなど特定の基準で優れたものだけを選び出し、その形質ができるだけ均一になるように選抜淘汰をし続けてきた。まさに選りすぐりのエリートたちである。しかし、限られた基準で選ばれた個性の弱い集団は、環境の変化に極端に弱い。たとえば、ある病気に弱いという欠点があると、育てられているすべての株が同じ欠点を持つから、あっという間に全滅してしまうことが起こりうる。

ダイバーシティ(diversity)という言葉の意味を知らずにいた。ということは、おいといて(^_^;)、人間の価値観を植物に押しつけたものが作物である、というのは、そのとおりだな。人間に都合よく変形させられた作物、その典型が、遺伝子組み換え品種なんだろう。均質なものは、打撃に弱い。

雑草学者で著名なベーカー(Baker,H.G.)は、植物が雑草として成功するための特性=「雑草性(weediness)」を「理想的な雑草の特徴」として次の12の項目にまとめている。

1.種子に休眠性を持ち、発芽に必要な環境要求が多要因で複雑である
2.発芽が不斉一で、埋土種子の寿命が長い
3.栄養成長が速く、速やかに開花にいたることができる
4.生育可能な限り、長期にわたって種子生産する
5.自家和合性であるが、絶対的な自殖性ではない
6.他家受粉の場合、風媒かあるいは虫媒であっても昆虫を特定しない
7.好適環境下においては種子を多産する
8.不良環境下でも幾らかの種子を生産することができる
9.近距離、遠距離への巧妙な種子散布機能を持つ
10.多年生である場合、切断された栄養器官からの強勢な繁殖力と再生力を持つ
11.多年生である場合、人間の撹乱より深い土中に休眠芽を持つ
12.種間競争を有利にするための特有の仕組みを持つ


雑草をweedというのは、「Weeds never die 憎まれっ子世にはばかる」という諺で、知ってたが、雑草性(weediness)という言葉は初めて知った。
ベーカーさんの12項目は、本書のタイトルを集約したものといえよう。いや筆者は先にこれを知って、本書を書こうと思ったのかもしれない。
たしかに人間の生活に援用できる項目もあるといえばありそうだ。

雑草とは「望まれないところに生える植物である」と定義されている。雑草とは正確には特定の植物の種類を指すのではなく、あくまでも人の主観が決めるものなのだ。つまり、雑草とは人間が雑草扱いしてはじめて雑草となるのである。


いろいろ考えさせられる雑草の定義である。韓国の国民歌手ナフナに自作自演の「
잡초チャプチョ 雑草」という歌がある。


아무도 찾지않는 바람부는 언덕에
이름모를 잡초야
한송이 꽃이라면  향기라도 있을텐데
이것저것 아무것도 없는 잡초라네

발이라도 있으면은 님 찾아갈텐데
손이라도 있으면은 님 부를텐데
이것저것 아무것도 가진게 없어
아무것도 가진게 없네
 
誰も訪ねない風吹く丘の
名前も知らない雑草よ
一茎の花にも香りはあるというのに
そこかしこで何も持たずに生きている

足があるならあなたを探しに行くのに
腕があるならあなたを差し招けるのに
何にもないので私は
行くあてもないのよ 

2016/02/19(金)●住吉現場
7時起床。
今朝の血圧は180/94/67。
8時15分発のJRで住吉に出て、住吉本町のドイツ人現場に直行。
本棚やチェストなどの家具梱包。
4時作業終了。5時帰宅。
今日の午後国会で、安倍総理と、野田元総理の質疑があり、4年前の「約束」である、議員数削減について質したが、自民党は午前中に「先手」を打って、削減時期前倒しを表明、矛先を逸らそうとしたようだ。しかし、Morris.はあの時の解散劇は、裏で仕組まれた茶番ではなかったかという疑いを拭いきれずにいる。そして、今日のやりとりも、実は裏工作があったのではないか?と。思い起こせば20年前の村山首相誕生も、自民党の手品めいた策略だった。
今日の歩数は3226歩。


住吉駅前の錦鯉 

花の抜殻? 

面白い石灯籠 

2016/02/18(木)●奴隷発言
7時半起床。
今朝の血圧は191/89/62。
昨日の参院憲法審査会で丸山和也議員が「奴隷が大統領発言」をやらかして物議をかもした。
丸山和也でWikipediaみたら、すでにこの発言が取り上げられ、発言全文も引用してあった。ネット情報はすばやい。
それでこの全文を読んでみたのだが、日本がアメリカの州になったら安保も集団的自衛権も問題にならないし、日本人がアメリカ大統領になるかもしれないなどという、結構なトンデモ発言に続いて、今は黒人が大統領になってる。アメリカでは奴隷が大統領になるくらいダイナミックな国だ……憲法審査会での発言とは思えない内容。しかも最初に「ユートピア的」という形容付き(>_<)だもんね。自民議員の失策、愚行、暴言がとどまらない。しかし、何よりも甘利前大臣の収賄事件の真相をはっきりさせることだ。
青空が広がってたので、ミニギターもって王子公園へ。3時くらいにベンチが日影になったので、赤坂通りの公園へ。ここで4時過ぎまでのんびりやって5時帰宅。
今は冷蔵庫作動してるみたいだが心配。
今日の歩数は
2308歩。

道路からハンター邸 

工事用出入り口 

土蜂の巣 

オブジェっぽい遊具 

目白 

 

【文章読本】向井敏 ★★★ 1988/11/15 文藝春秋
海子さんが自分のブログでこの本のことを取り上げてたので、ちょっと懐かしく思って、再読することにした。そう、多分この本は出版当時に読んだはずだ。当然のことながら(^_^;)ほとんど記憶に無い。
著者については、書評家として有名で、開高健の仲間で鑽仰者であることくらいの認識しかない。
本書が出たのが88年だから30年近く経ったことになる。ネットで調べたら向井は2002年に亡くなっている享年72。

着眼が新鮮であること。文意が明確であること。展開にとどこおりがないこと。人目を楽しませる彩りに富んでいること。人を動かす力を蔵していること。文章が備えるべき美徳は数えあげていけばきりもないが、そのすべてに君臨するものがあるとすれば、それは晴朗で快いという徳であろう。(名文の条件)


これは大いに賛同。しかし、「明るく心地よい」を「君臨」させるあたりが、筆者の資質といえるかも。

明晰だが不愉快という文章はあっても、曖昧だが快いという文章はない。それはただもう愚かしいだけだ。

これには異論あり。曖昧だけど(だからこそ)不思議な魅力のある文章があるような気がする/しないでもない。←こういった結辞こそ曖昧の素。

これは断言してもいいと思うのだが、野間宏にしろ大江健三郎にしろ、その思考の構造はずいぶんと粗雑なはずだ。少なくとも、繊細さからは遠い。その証拠の一つに、ふつうの文章感覚の持主であれば気はずかしくてとても口にできないような、大仰で脅迫的な言葉を平然と使うということがある。野間宏の場合でいえば、「創造」、「文学創造」、「近代の終焉」、「人類滅亡の危機」、「歴史的状況」、「深淵」など、大江健三郎の場合だと、「創造」、「根源的」、「全体的」、「表現者」、あるいは「社会・世界・宇宙」。大げさで、不粋で、誤解を招きやすく、めったなことでは使う気になれない言葉だというのに、この二人の文章にはそれがのべつ出てくる。(明晰と曖昧)

あの時代は、どちらかというと言論の場では左高右低の傾向があったと思う。そのなかで向井は左派への嫌悪感を露わにしているようだ。あげつらわれてる言葉も、それほど大げさでもないようだし、断言されてもなあ(^_^;)

星新一は無重力の文体とでも呼んでみたいような、不思議な文体をもつ作家である。その文章はまるで重さというものを感じさせない。そして、いつも磨きたてたばかりのガラスのように透明で、濁りや曇りをしらない。この人はいったいどうやってそういう文体を手に入れたのだろう。もっとも、これは発しても答のえられることのない問いなので、もって生まれた文章感覚と数知れぬ試行錯誤のすえに成ったものとでもいっておくしかないのだが。(文体とは何か)

星新一の文章の軽みとユニークさは認めるとして、それを説明した上記引用は、星の文章とは対照的な、いかにももってまわった悪文ではなかろうか。

司馬遷は生き恥さらした男である。(武田泰淳「司馬遷」)
日本史のなかでも「室町期」の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせふしぎに豊穣な文化を産んだ時代はない。(山崎正和「室町期」)
現代は思想家よりも思想仲買人の方が幅を利かせてゐる世の中である。(林達夫「思想の運命」)
鴎外六十歳、一世を蓋ふ大家として、その文学的生涯の最後に、「霞亭生涯の末一年」に至つて初めて流血の文字を成した。(石川淳「北條霞亭」)

こうした極めを付けた一句、平たくいえば殺し文句は、文章の魅力をかもしだすうえでしばしばめざましい効果を発揮する。


石川淳の森鴎外論は持ってたので引っ張りだして該当箇所を確認した。Morris.には殺し文句とは思えなかった。というより、よくわからなかったというのが、正直なところ。

しかし、殺し文句にかけて海内無双の名手といえば、これはもう知れたこと、小林秀雄である。この人の生涯を評して、批評の可能性の追求だの、認識の魔との格闘だの、なにかと凝った言葉が選ばれがちだが、人を悩殺し、驚倒させ、感服させる名文句を工夫することに明け暮れたといったほうがいっそ実態に近いかもしれない。
あるいは鋭利、あるいは華麗、あるいは剛毅、あるいは軽妙、あるいは重厚、さまざまに意匠をこらした殺し文句を次から次へと繰りだしてくる。

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。(小林秀雄「當麻」)

世阿弥が『風姿花伝』に記した「花」の概念を解いて得た言葉だというのだが、『風姿花伝』にどんなに眼をこらしてもこういう解は出てきはしない。少なくとも、そのために必要な論証を小林秀雄はまったく講じていない。世阿弥の言葉の解釈であるかのように装ってみせているけれども、これは解釈などというものではない。「様々なる意匠」以来、批評とは作品をダシにして自分の夢を語ることだというのが小林秀雄の批評の一貫した信念だった。(殺し文句の功罪)

「海内無双」などという大層な言葉を引っ張り出して小林秀雄を持ち上げてるのかと思えば、つまりは、中身のなさを、キャッチフレーズでカバーするという、究極の悪口ではないか(^_^;)

司馬遼太郎はまた、しばしば漢語に和語のルビを振ったり、漢語を和語風に読みかえて用いる。「情報(はなし)」、「姿(なり)」、「中国(から)」、「船長(ふなおさ)」、「張三李四(ねこもしゃくしも)」、「意味(こころ)」とか「騒(さえ)ぐ」、「破顔(わら)う」といったふうに。これも口語化された感文脈という文体に沿っての工夫なのであろう。(文章の気品)

こういった当て読みとか宛て語はMorris.の好みなので、引用しておいた。

海老沢は正統的な散文を書く。彼はこみいつた事情を、それについてまつたく知らない相手に、詳しく、わかりやすく、そしてすばやく伝達することができる。彼の叙述は明晰で、彼の描写は鮮明である。彼はずいぶんややこしい事柄を、もたもたした口調にならずに、こともなげに伝へてくれる。それは沈着冷静な斥候将校の書く報告文のやうに、簡にして要を得てゐる。海老沢の文体は、テキパキと小気味がよく、伝達力に富む。彼は輪郭をきれいに取つて、あつさりと色を塗る。読者はそれによつて事情を知り、状況を把握することができる。彼が散文の基本をよく心得てゐるといふのはおほよそさういふことだつた。(丸谷才一 「ただ栄光のために」海老沢泰久解説)

海老沢泰久といえばMorris.は「美味礼賛」が印象的だったが、これが出たのは1992年。本書刊行時にはまだ出てなかったということになる。向井は過去の「文章読本」の中では丸谷才一のものだけには一目置いているようだ。何と本書のあとがきにも丸谷読本からの引用があった。

現代日本においては、伝統的な日本語と欧文脈との折り合ひをつける技術がとりあへず要求されていゐるわけだが、それが最も上手なのはどうやら小説家であつたらしい。宗教家でも政治家でもなかつた。学者でも批評家でもなかつた。歴史家でも詩人でもなかつた。小説家がいちばんの名文家なのである。当然のことだ。われわれの文体、つまり口語体なるものを創造したのは小説家だつたし、それを育てあげたのもまた小説家なのだから。
彼らは小説それ自体よりもむしろ一国の文体の創造といふ点で成功した。その證據には、小説家の文体を借りて政治家は演説したり手紙を書いたりし、新聞記者は記事を書き、宗教家は聖書を訳すのである。医学も裁判も、この文体がなければ成立しないだらう。明治維新以後の小説家たちの最高の業績は、近代日本に対して口語体を提供したことであつた。日本はこれによつて存続することができたのである。ひよつとすると、これほど一文明に対して貢献した小説家たちは世界文学史においてめずらしいのではなからうか。(丸谷才一「文章読本」)


意見や主張、あるいは分析や解釈のための文章にくらべて、ものごとの様子を説明したり、情報を伝えたりする文章は軽くあしらわれがちだが、文章作法からいえば、説明文や情報文をきちんと書く、読んですぐ理解できるように効率よく書くといいうことのほうがむしろ基本である。

正論ではあるが、その基本については何も教えてくれない。

こんなばかばかしい文章(福本和夫「「方向転換」と「資本の現実的運動」」)がありがたがられたのも、福本和夫がマルクス主義文献の知識にかけては群を抜いていたせいだったというが、いかに知識があろうと、この程度の文章しか書けないようでは、思考能力のほうはずいぶんお粗末な人だったというしかない。もっとも、福本和夫ほどではなくても、一般に日本の左翼の文章は今も昔もこの手の粗雑で幼稚なのがきわめて多いのだが。(文章の効率)

左派への厳しい目と前に書いたが、戦前のマルクス主義者への罵倒はなかなかのものである。

頼山陽が唐詩の起承転結の要領を教えるためにしばしば例に引いたとつたえられるこの俗謡。

大阪本町紅屋の娘
姉は十六妹は十五
諸国大名は弓矢で殺す
紅屋の娘は眼で殺す(起承転結のすすめ)


内容はほとんど忘れてたはずだが、この俗謡のことは、すぐ思い出した。

この本はもともと、『文章の秘密』の仮題で書きはじめたのだが、当初から『文章読本』の題を意識していて、書きすすむうちにそれがしだいに重みをまし、ほかの題を考慮する余裕がなくなってしまったらしい。惚れたあげくに世間のならわしをどうでもよくなった恋奴のようなもので、だから『文章読本』の題を選んだのは、いわば駆け落ちである。(あとがき)

たしかに「文章の秘密」はかなり酷いタイトルだ(^_^;) だから「文章読本」にした、てか。
ともかく、本書は、小説家以外が書いた「文章読本」ということで、それなりの話題になったらしい。
こうやって再読してみると、時代色が感じられる。
しかし、世の「文章読本」は、奇しくも向井が亡くなった2002年に出た斎藤美奈子の「文章読本さん江」で、息の根を止められた。たぶん向井は美奈子さんのこの本は目にしなかったと思うが、それでよかったのだろう。

2016/02/17(水)●家庭電禍(>_<)
7時起床。
今朝の血圧は158/85/69。
朝風呂浴びて、トーストとハムエッグで朝食、と思ったのだが、急にトースターが使えなくなった。パンを入れてレバーを下げても、止まらない。電源が入ってないと固定しないと書いてあるので、コード抜けてるのかと思ったがそのせいではなさそう。結局、トーストせずそのまま食べる。まあ、このトースターも随分前に引っ越しの処分品もらった奴で、寿命かもしれない。
そして、それより気がかりなのが、シャープの2ドアの小型冷蔵庫。こちらは電器店で買ったものだが、やっぱりそろそろ寿命なのだろうか。ちょっと前から冷凍室の中で霜付きが目立ち、どうも時々停止してるか、作動が不安定になってる疑いがあった。中の氷は溶けてはいないのだが、なんとなく冷凍食品が軟らかくなってたこともある。うーーん、トースターは、無ければ無いなりに何とかなるが、冷蔵庫が使えなくないとなると緊急事態である。
昼過ぎ、JRで神戸駅に出て、恒例になってる猫場公園へ。猫おばさんたちの餌やりは終わった後らしく、猫は3匹しかいなかった。
中央図書館では、「猫びより」や漫画(「花のズボラ飯/久住昌之・水沢悦子」「冬の動物園/谷口ジロー」「もっさい中学生/グレゴリ青山」)ヴィジュアル読書。
7時前に図書館を出て、帰りはぷらぷらと歩く。途中山本通の吉田米屋に先日デジカメ撮影した猫のプリント数枚進呈。
8時帰宅。
今日の歩数は6508歩。


宇治川小公園猫 

同じく 

同じく 

日々草 

螺旋階段 

夜のモスク 

トゥクトゥク(@_@) 

良い感じのタイ料理店 

カリヨンと月 

螺旋階段 

螺旋階段 

アメリカ民謡酒場「HONKY TONK」 

2016/02/16(火)●弱り目に甘利め
7時半起床。
今朝の血圧は187/92/81。
朝の三点セット。
左目がちくちくする。睫毛でも入ったのかと、こすったり目薬さしたりいろいろやったが、らちがあかない。
軽い傷でも就いたのだろうと思う。昔コンタクトレンズしてたころは、これがしょっちゅうだった。今思うと、かなり無茶してたと思う。今でこそコンタクトレンズは当たり前みたいにみんな使ってるが、Morris.が最初に使用したのは1970年代で、ちょうど普及が始まったばかりの頃。小倉で苦学生(^_^;)やってたころで、まだハードしかなくて、価格もとんでもなく高かった。粗忽者のMorris.は着脱時に落としたり、装着したまま寝てしまって、レンズが裏側に行ったり、眼球も傷だらけだった。今から思うと何と身の程知らずだったのかと思う。魔が差したというしかない。しかし、目が痛いのは辛い。歯が痛いのも、頭がいたいのも、お腹がいたいのも、どれも嫌だけどね。
今日は地上波の中継なかったので、ネットで衆院本会の中継見る。甘利前大臣の追求でUR会長がしどろもどろながら、かなり追いつめられてた。これでいよいよ、甘利と秘書の証人喚問か、と思ったのだけど、そのあと、突然、甘利元大臣が「睡眠障害」のため、一ヶ月休養が必要とのニュース(@_@)。あまりに見え見えの敵前逃亡である。これはある意味大きなチャンスかもしれない。
午後灘図書館に行って、6時半帰宅。
今日の歩数は6198歩。


苺の花? 

螺旋階段 

水道筋夜猫 


2016/02/15(月)●自暴自棄自民●
7時起床。
今朝の血圧は185/92/83。
今日はかなり寒そう。
国会中継やってるのでついそれを流しながら、読書。
昼からふらっと王子公園散歩して、ベンチで「新歌本」のおさらい。でもやっぱり寒いので適当に切り上げ、ちょこっと買い物して3時過ぎ帰宅。
このところ、自民議員の失策、暴言、不穏発言が、これでもかというくらい頻発している。例の育メン議員の浮気辞任、その前の復興大臣の下着泥棒事件から、沖縄・北方領土大臣が「歯舞諸島」を読めなかったり、環境大臣が被曝量基準に根拠なし発言したり、総務大臣が電波停止発言したりと、もう何かやけくそめいた感じだが、本命の甘利元経済相は大臣やめた後は国会にも出てこないが、今日質問に立った民主議員が、秘書と関係者の音声データやメモを入手。国会後の記者会見で報道陣に公開した。金額(200億円)の提示など、完全にクロを証拠付けるものだ。これだけのコマを入手しながら、徹底追求できないようなら、本当におしまいだと思うぞ。
今夜のKBS歌謡舞台1454回は- 추억의 학창시절 追憶の学生時代-という、青春ソング特集。

 1) 오라 오라 오라オラオラオラ/문정선ムンジョンソン
 2) 여고 시절女高時代/진미령チンミリョン
 3) 섬마을 선생님島の村の先生/이혜리イヘリ
 4) 친구여友よ/최병서チェビョンソ
 5) 동창생同窓生/문연주ムンヨンジュ
 6) 잊지 마忘れないで/이현イヒョン
 7) 젊음의 노트青春ノート/유미리ユミリ
 8) 나는 열일곱 살あたし17歳/한수영ハンスヨン
 9) 낭랑 18세朗らか十八歳/조은새チョウンセ
10) 소양강 처녀昭陽江娘/윤수현ユンスヒョン
11) 열아홉 순정十九の純情/류원정リュウォンジョン
12) 연인들의 이야기恋人たちの話/임수정イムスジョン
13) 추억의 소야곡追憶の小夜曲/배일호ペイロ
14) 물새 우는 강 언덕水鳥泣く川辺/김혜연キムヘヨン
15) 번지 없는 주막番地のない酒幕/김상배キムサンベ
16) 물레야糸車よ/김지애キムジエ
17) 울고 넘는 박달재泣いて越えるパクタル峠/최석준チェソクチュン
18) 고향 설故郷の雪/송해ソンヘ

18曲中12曲がお気に入りというのはかなりの高率である(^_^)
歌手の方はキムヘヨンくらいで、ちょっと物足りない気もするけど、好きな曲がいっぱい流れるだけで楽しい。それにしてもソンヘさんがトリといのはなかなかのものである。★★★☆☆
今日の歩数は3040歩。


山茶花 

ちょっと寒い(^_^;) 

ほぼ満開の梅 

上弦の月 

水道筋駐車場猫A 

今夜のキムヘヨン 

2016/02/14(日)●春一番
7時半起床。
今朝の血圧は16078/70。
昨日より気温が上がるとのことだったが、今日は風が強い。
どうやら春一番が吹いたらしい。
先週中止になったノレチャラン人気賞大会、もしかしたら今日放映するかと思ったが、今日はポチョン(抱川)編だった。
議政府の近くの小さな町らしい。
午後ちょこっと王子動物園覗いて、帰りにレマンでバケット買って4時半帰宅。
今日はヴァレンタインの日である。今でも義理チョコなんてのやってるのだろうか。柏原芳恵に「毎日がヴァレンタイン」という曲があった。さしてヒットもしなかったが、なんとなく懐かしい。

毎日が告白の日ヴァレンタインの筈なのに言ひ出しかねて昨日も今日も明日も すぃんぐるず

今日の歩数は2362歩。


白梟 

本土梟 

プレーリードッグ 

今日のまぬう 

河馬 

西空 

【悪医】久坂部羊 ★★★☆ 2013/11/30 朝日新聞出版
若い外科医師森川が、再発した末期癌患者小仲に余命三ヶ月を告げ、納得出来ない小仲は別の医療施設を転々としながら、ついにホスピスにたどり着く。森川は小仲のことを気にかけながら日々の医療に追われる。最後に二人は偶然の接点を持つが、医者と患者の意識のスレ違いなど現役医師でなくては書けない作品だと思う。

実際、抗癌剤は一般の人が思うよりはるかに効かない。分子標的薬で乳癌の特効薬のようにもてはやされるハーセプチンでも、遺伝子的に有効なタイプは乳癌全体の約3分の1で、そのタイプの約半分に効果を発するに過ぎない。すなわち、6人に1人しか効かないということだ。それで特効薬といえるのだろうか。
さらに森川が疑問に思うのは、「抗癌剤では癌は治らない」という事実を、ほとんどの医師がくちにしないことだ。
しかし、大半の患者は、抗癌剤は癌を治すための治療だと思っているだろう。治らないとわかって薬を飲む人はいない。この誤解を放置しているのは、ある種の詐欺ではないか。


患者にしてみれば、こう言われては実も蓋もないだろう。大方わかっていながらも、信じられないというか、知らぬふりをせざるを得ないのだろう。

たしかにもっと若くて難病に苦しむ人もいるだろう。生まれつきの病気や、障害のある人もいる。理不尽な別れを強いられる人、不条理な悲劇に突き落とされる人もいるにちがいない。
「逆に、意味を求めすぎて苦しむ人もいます。わたしもそうでしたが、ここで患者さんを見ていると、ふと思うんです。人生の意味って何だろうって。自分で勝手に決めてるだけじゃないでしょうか」
「何?」
「あ、気に障ったら許してください。わたしが言いたいのは、人生の意味なんか考えなくても、立派な人はたくさんいるし、普通の人も立派だし、そもそも意味のない人生なんてないということです」
何かが見えかけている。もつれた糸の向こうに、大事な何かが。
小仲は険しい表情で考えた。
これまで自分はずっと、人生には意味が必要だと思ってきた。裏を返せば、意味のない人生は価値がないと決めつけていたということだ。
そうだろうか。
自分は何か立派なことや、社会のためになる人生しか認めてこなかったのではないか。ふつうの人や、弱い立場の人を無意識に否定していた。
なんという傲慢。度し難いエリート主義だ。自分がもっとも忌避してきたものを、おれは知らずに求めてきたのか。
「梅野先生。おれはどうやら、くだらないことで悩んでいたようだな。話せてよかったよ。ありがとう」


ホスピスの梅野先生と小仲との会話。人生論というより、一種の諦観なのだろうけど、なんとなく身につまされてしまった。

「おれは……、もう死ぬ。それはわかってる。最後に……、先生に、言いたいのは、患者を、突き放さないでほしい、ということ、だ。患者は……いきなり死に直面させられ、うろたえてる。患者の哀しみと、恐怖を、少しだけでも、わかってほしい。
そんなもの、当然だとか……、思わないでほしい。
希望を、絶たないで、ほしいんだ。
希望は、患者なりの、心の準備、なんだから
死を控えた患者の肉体的な苦しみを、医師はよく知っている。その必死さが、途切れがちの声ににじむ。苦しげな呼吸を押して、精いっぱいの思いを伝えようとする患者の声に、医師は息を呑んだ。
「……患者の希望は、病気が治る、ということだけじゃない。医者が、見離さないで、いてくれることが、励みになる。そしたら、勇気が出るんだ……。死ぬ、勇気が。
もの事には、何でも、ふたつの面が、ある。医者の側からだけ、……見ないでほしい。
命を縮める治療でも……、いい面が、あるんだ。
やるだけやって……、……力を尽くしたって、思える。
だから、おれは……時間を、無駄にしたとは……、思ってない。
これで、納得して人生を……、終えられる。
……先生、覚えてるかい。
時間を、有意義に、使えって……。
……おれは、その通り、有意義に、すごしたんだ。
だから……、ありがとう」

テレビで森川の発言を聴いた小仲が、死ぬ直前にテープに録音したメッセージである。これはまあ、一種のハッピーエンド=デッドエンドということになるのだろう。

2016/02/13(土)●雨の日に沖縄を想う
7時起床。
今朝の血圧は183/86/72。
えらく暖かい。でも昼から雨降り出したので、今日は部屋ゴロの日にする。
11時から久しぶりにKBS2radio「チュヒョンミのラブレター」聴く。土曜日は音楽評論家との掛け合いで、今日は新民謡の特集。「タルタリョン」「ノレカラクチャチャチャ」などかかる。しかし、韓国語の聴き取り力がかなり落ちてる感じである(>_<)
先月から少しずつ読み続けてた「世界」の沖縄特集残りを一気に読み終える。
「沖縄」に関しては、Morris.もほぼ60年間というもの、ほとんど意識外にあった。沖縄という地に一度も足を運んだこともなく、ほとんどハワイやグアムと同じような存在だったかもしれない。
鳩山政権の「基地は少なくとも県外」発言あたりから、沖縄への関心が高まったのかもしれない。これまでにも沖縄関連本は何冊も読んだが、どうも「ヤマトンチュ」の視点でしかなかった気もする。
安倍政権による、強引な辺野古基地移転と翁長知事の全面対決という局面に至って、鈍感なMorris.も、これは看過できないと思った。
午後5時頃、何げなくめったに聴くことのないKBS1ラジオにチャンネル切り替えたら、何とここでもチュヒョンミがゲスト出演、旧正月に古い友人との交友があって、その友人たちと電話で話したり、娘も会話に加わったりしてた。
夜遅く、これまた久しぶりにコンサート7080見たら、懐かしいキムワンソンが登場。「ピエロ」「気分良い日」そして「カンアジ」の3曲を歌った。カンアジというのは子犬という意味だが、これは全く知らない曲だった。新曲なのかな?
何か、今日はKBSのラジオやテレビ漬けだったような気がする。
今日の歩数は0歩。

【沖縄 何が起きているのか】「世界」臨時増刊no.868 ★★★☆☆
2015/04/01 岩波書店
一時期、岩波書店に対して批判的に見る傾向が強くなってた。岩波新書の内容が変にライト感覚になったり、いわゆる「岩波文化人」のマンネリズムみたいなものが鼻についてきたためだ。
しかし、東日本震災以降、そして安倍政権登場後の、右傾化、富国強兵政策政策への批判メディアとして、季刊雑誌「世界」を再評価せざるを得なくなった(^_^;) それなのに、この「沖縄増刊」のことは迂闊にも知らずにいた。中央図書館のバックナンバーの棚で見つけて借り出し、少しずつ味読して、やっと全ページ読み終えた。

住宅密集地に存在する普天間基地の撤去という喫緊の課題は、名護市・辺野古への移設が「唯一の解決策」という言辞のもと、いつしか最新鋭米軍基地の新規建設事業へと転じた。安倍政権は、「負担軽減」の表看板をかなぐり捨て、それとは真逆の道、沖縄の軍事拠点へと走り始めた。
沖縄県民の意志は繰り返し示されている。昨年(2014)おこなわれた名護市長選、同市議選、沖縄県知事選、衆議院選、そのすべてにおいて、新基地建設を拒む民意は明確に示された。戦争tにつながる一切を拒否する「オール沖縄」という新たな「島ぐるみ運動」が現れた。ただ、集団的自衛権の行使容認など軍事路線をひた走る安倍政権は、その意志を「粛々と」無視し、基地建設を強行しようとしている。抗う民意は、警察や海上保安庁によって暴力的に制圧されている。その異常事態は、本土ではまだまだ伝えられていない。(表紙裏の巻頭言より)


これが書かれてからほぼ1年が経ち、状況は好転どころか、ますます悪化しているようだ。宜野湾市長選挙で自民の推す現職市長が当選し、政権はかさにかかって辺野古新基地建設を進めている。

基地依存経済がなぜ生まれたか、また、沖縄で製造業が育たなかったことには構造的制約があるわけです。復帰前まではドル経済で、基地にいた人たちの給与水準が高く、それだけ基地が機能していた。米軍はサトウキビだけをつくっていればいいと、他に産業をつくらせないで、基地で稼いだドルでよそから全部、物を買わせた。だからサービス産業が肥大していき、その構造は復帰した後もずっと続くのです。
本土復帰してからは財政依存です。日本政府が交付金と補助金で特別交付金という仕組みを作って、またそれをありがたがって受け続ける。

絵に描いたような「構造支配」である。

産業構造がなぜこれだけいびつになったかには裏があって、日本政府自身が総合事務局、今の内閣府、かつての開発庁を通して沖縄をコントロールしているのです。建設業界のの歴史を調べてわかったのは、日本政府が沖縄に第二次産業が育たないようにしていたということです。(照屋義実)

沖縄政策=国家犯罪、ということは明確である。

2009年9月に誕生した民主党・鳩山政権は普天間飛行場の県外移設を主張したが、あえなく半年で方針転換を強いられた。沖縄県民に怒りと失望感が高まる中、2011年には沖縄人の尊厳を踏みにじる暴言や、対米従属の呪縛にとらわれた外務・防衛官僚が暗躍する様が露骨に見て取れた。今に連なる動きである。
「方便発言」が報じられた後、国会での論戦や在京大手メディアの報道の大勢は、失言、放言の類いとみなし、鳩山氏個人の資質問題に矮小化した。民主党内の主導権争いと絡めて、またも普天間問題が「政争の具」と化してしまった。(松本剛)


傍目八目的発言を承知のうえで、何度も繰り返すのだが、鳩山が「県外移設」を最後まで固持してくれてたら、状況はかなり変わってたろうに、と思う。アメリカ・官僚・党内部の三面攻撃にやられてしまった(>_<)

安倍政権の行動には、安全保障上の効果の有無にかかわらず、兵士や国民が国のために戦い死ぬことを良しとするような国家主義も見え隠れする。そうした古いタイプの国家主義が、自由で民主的な日本の国家イメージを掘り崩してしまう危険性もある。つまり、日本自身が、自由民主主義を基礎とする現在の国際秩序にとってのリスク要因となる懸念すらあるといえるのである。
日本の安全保障政策という観点から見るとき、優先されるべきなのは、日中全面戦争事態に備えるべく軍事能力を高めることではなく、尖閣諸島における偶発的な衝突が全面化しないように細心の注意を払うことであり、同地域における海上保安庁の活動が安定的に展開できるよう配慮することである。


安倍晋三の「古色蒼然」たる国家主義体質を「容認」しているような、今の日本のおかしさ。
軍事増強による抑止力は、完全にベクトルが間違っている。

沖縄の基地の必要性は軍事的合理性に由来するものではなく、むしろ日本政府の政治的判断によるものである。軍事的にみる場合、中国の軍事能力の向上、とりわけミサイルの命中精度の向上によって、沖縄の米軍基地の脆弱性が高まりつつある。
それにもかかわらず、辺野古に海兵隊の基地を新設し、軍事能力の向上を図ろうとするのは、いわば貴重な資金や貴重な環境を無駄遣いすることにほかならない。(遠藤誠治)


前世紀の遺物とも言える海兵隊が、沖縄に駐留している事自体、大いなる矛盾だが、沖縄を攻撃して獲得したのは海兵隊であるという思い込みがあるのだろう。

世界最強の米軍を「専守防衛」の戦力に限定された自衛隊が守るのは常識的に見て珍妙な構図というほかない。見方を変えれば、自衛隊は米軍のガードマン役という下働きをさせられているのだ。

米国にとって、日本の自衛隊は民間軍事会社の肩代わりということか。

日米安全保障条約には米国による日本防衛義務が明記されるとともに、日本による米軍への基地提供義務があり、これにより条約は対等なものとなっている。日本と米国は五分と五分の関係であるはずなのに、日本政府が卑屈な態度を撮り続けるのは、敗戦国意識を持ち続けているからだろうか。それとも、米国を無視して中国との国交正常化位を進めた田中角栄首相が「米国発」ロッキード事件で失脚したことが見せしめの役割を果たしているのだろうか。

ここらあたりのことは孫崎亨「戦後史の正体」に詳しく解説してあった。

中国との関係悪化を修復することなく、中国を警戒する人々の心理を巧みに利用した軍拡が進む。政府は沖縄への自衛隊配備を急ぐ理由や、どこまで強化するのか全体像を語らない。米軍基地については米国任せである。(半田滋)

利用できるものはとことん利用、つごうの悪いことは知らんぷり、基地は親方星条旗、てか(>_<)

60年代後半から70年代にかけて、ベトナム戦争に疲れた米国は、海外基地の見直し、いわゆる「米軍再編」に着手した。誠治、財政、軍事的理由によって、米海兵隊の本国撤退が検討された。
ところが、この動きに日本の防衛庁が待ったをかけた。アジア地域の安保には機動力に富む海兵隊の沖縄中流が不可欠だ、と主張したのだ。
米側はそんな日本側の態度に目を付けた。東京の米大使館はワシントンに、海兵隊駐留は対日政策のテコに利用できる、と打電している。
日本は安心(保険)を買うため、米国が本国撤退を考えた海兵隊を沖縄に引き留めた。駐留経費の巨額負担も引き受けた。その額はNATO(北大西洋条約機構)の米軍受け入れ国が出す経費負担合計の約二倍にもなる。そして日本の米軍基地には、国内法が及ばない治外法権が与えられている。この保険は果たして、無理のない買い物(安保政策)なのだろうか。保険のかけ方に別の形態はないのだろうか。(屋良朝博)


なんという弱腰、なんというおバカぶり、なんという卑屈外交……

安倍政府は歴代政府と同様、海兵隊は日本の防衛に不可欠であり、普天間の移転先は辺野古以外にないと言いはってきた。しかしこの二つの前提ともに根拠はないと、専門家は明言してきた。(ガバン・マコーマック)

「そもそも」の前提に根拠なし。

石原慎太郎東京都知事(当時)が東京都による尖閣列島買い上げを主張したのは、ヘリテージ財団のシンポジウムだった。財団アジア研究センターの上級研究員クリングナー氏は「米海兵隊の沖縄駐留がなぜ太平洋の平和と安全保障にとって重要か 10の理由」という論文で、辺野古の基地建設で沖縄を説得するために「尖閣問題」を利用するよう、米国、日本政府に提言した。(高嶺朝一)


石原慎太郎のあの軽率な行為は「売国奴」というレッテル貼られてもしかたがない。それが米国機関の使嗾だとしたらなおさらである。

日本は民主主義国家であり法治主義国家のはずである。だが沖縄から見ると、安倍政権はきわめて強権的で独裁的な政権に映る。その姿は本土の多くの人たちには見えていないかもしれないが、本土でもそれが見えるようになったときにはもう遅過ぎる。なぜならば沖縄は、戦後日本の民主主義の危機を知らせるカナリアであり、沖縄の民主主義の息が詰まるときは、日本の民主主義の息の根が止まるときだからである。(桜井国俊)

本土から見ても充分以上に「きわめて強権的で独裁的」に見える、と思うのだけど、ということは、もう手遅れってことかい?
うーん、あまりに悲観的なことは言わないでもらいたい。あたってるだけに、つらい(^_^;)

基地は経済発展の阻害要因であるだけではなく、自治体の財施力向上の阻害要因でもある。沖縄は基地に依存しているのではない。経済発展と財政力向上の機会を奪う基地によって寄生されているというべきではないだろうか。(川瀬光義)

基地が寄生している沖縄、という指摘はぐさりときた。
翁長知事の「甘えているのは沖縄か、日本か?」を、わしらは今こそ真摯に受け止めねばならない。
こうやって、「ねばならない」と書いて、それですましては、これまでと同じことの繰り返しでしかない。
まずは現状を知ること。沖縄タイムスに無料会員制度があるので、それを活用することから出発しよう。

2016/02/12(金)●戦争を考える番組
8時起床。
今朝の血圧は210/101/64。
昨日から始まったサンテレビの韓国ドラマ第一話を録画で見ることにしたのだが、何とこれは「日本語吹き替え」だった(>_<) これでは仕方がない。即見るのやめて、連ドラ予約も解除。ある意味これは良かったかもしれない。だらだらと内容の薄い韓国ドラマに時間取られすぎてたきらいがあったからね。しばらく韓ドラとは手を切ることにしよう。
11時頃から、育児休暇を取るとか言いながら、妻の出産直前の浮気が表沙汰になった自民党議員の記者会見で、結局議員辞職することにしたらしい。しかし、こんな雑魚(^_^;)はまあどうでもいい。まずは甘利の口利き賄賂の件を徹底究明してもらいたい。
昼から六甲学生青年センターへ。先週新歌本をプリントした時、原稿の楽譜を置き忘れてきたので、それを取りに行ったわけ。ちょうど飛田さんが、印刷室で作業してて、楽譜もちゃんと保管してあった。
水道筋で買い物して5時半帰宅。
夜8時から8ch.で池上彰緊急スペシャル「なぜ世界から戦争はなくならないのか?」という3時間の特番が始まった。これは見逃せない。

戦争はビッグビジネスだ。
カラシニコフ --安い、丈夫、扱いやすい、冷戦時の備蓄が出回る
民間軍事会社のメリット(戦死者リストから外れる) 戦争の民営化
広告代理店のプロパガンダ。cf ナイラ発言(ヒル・アンド・ノウルトン)
軍産複合体という癒着構造 cf ハリバートン社
防衛装備(武器・兵器)および技術)移転(輸出)三原則 vs. 武器輸出三原則 経団連提言

なかなかに真っ当な番組だった。
今日の歩数は5807歩。


近所の白 

寿司屋前のトラ雉 

寿司屋寄目猫 

水道筋南の黒白 

蓮華ローズ ビンク 

同 白 

2016/02/11(木)●ミニ譜面台
7時起床。
今朝の血圧は194/81/75。
昨日でやっと終わったサンテレビの韓国ドラマ「大切に育てられたハナ」録画見終わる。うーん81回は長かった。韓国ドラマで「不自然」をあげつらってもしかたがないが、このドラマの不自然さは半端じゃなかった。それでも結局全部見てしまった(^_^;) 今日からは「ジャイアント」というのが始まる。いちおう連ドラ予約してるので、これも見てしまうんだろうが、漢江の奇跡を舞台にした、復讐劇らしい。
図書館から、予約してた本が三宮図書館に届いたというメールが来たので、取りに行く。以前はほとんど図書館で予約はしなかったのだが、前に外大図書館にしかない本を予約したのを契機に、ときどき予約するようになった。ネットで予約状況確認できるし、メールで連絡もらえるから以前に比べるとストレスが無くなった気もする。
大安亭の近くの仕舞屋風古道具屋の店先に、銀色に輝く小さな譜面台が老いてあった。値段聞いたら千円、というので即買う。(900円にまけてくれた)。普通の譜面台の半分くらいの大きさで、ミニギターにぴったり、というわけでもないのだが、旅行のとき、かさばらなくて、いいんじゃないかと思った。早速近所の生田川のベンチで試してみる。いっぱいまで伸ばしても90cmくらいで、ベンチに座ってぎりぎり使用可能といったところ。譜面載せる部分も小さいので今使ってるA4サイズ☓2の歌本はかなりはみ出してしまう。
図書館で予約本受け取り、週刊金曜日とブルータス(漫画特集)をパラパラと見る。いちおう現在漫画の見るべき8作と銘打たれていたが、Morris.とは無縁のものばかりだった。
帰り道、大安亭商店街北側の国香公園ベンチでまたミニギター演ってたら、また小さい子どもたちが寄ってきた。やっぱりおもちゃのリズムボックスが面白いのだろう。「ウルサンクネギ」をポンチャックディスコ風にやったら子どもたちが踊りだしたので、ママたちが携帯で撮影。Morris.も頼んでデジカメで写してもらった。いまどき、子供の撮影は気を使うが、母親が写すなら問題無いだろう。
6時前帰宅。
今日買ったミニ譜面台重さ測ったら600gだった。Morris.の今使ってる軽量譜面台とほぼ同じである。これはちょっと残念(>_<) でもそれなりの利点もあるだろう。
今朝4ch毎日放送で「神秘の蝶アサギマダラ 200キロを渡る旅」というのやってたので録画して、夜見る。アサギマダラの渡りをマーキングして調査する人たちを取材したもので、それなりに見てしまったが、なかなかアサギマダラにはお目にかかれないMorris.としては、あの美しい半透明の羽に、油性ペンでマーキングする行為にはどうしても違和感、というより嫌悪感を禁じ得ない。特に子供らが無造作に羽を摑むと鱗粉も剥離するし傷みも大きいだろう。しかし渡りをする蝶は世界でもほぼ唯一の存在らしい。
今日の歩数は5346歩。


昼間のTwin煙突 

冬薔薇の蕾 

八雲通自動車猫 

同じく 

八雲通雉 

同じく 

大安亭八百屋猫 

ミニ譜面台 

生田川公園で 

旭通りの二匹 

二宮の白黒 

国香公園でノリノリの子どもたちと 

2016/02/10(水)●倉庫作業
6時半起床。
今朝の血圧は
160/78/84。
自転車で摩耶倉庫に。
今日は3人で草津方面の現場に行くはずだったのに、よくわからない理由で、倉庫作業に変更になった(>_<) 実はMorris.はこの倉庫作業は苦手である。というか、運転できないMorris.は、あまり役に立たないのだ。
午前中は、三井倉庫に保管の荷物引取。午後は税関での通関作業。今日は麻薬犬の検査があった。麻薬犬といえば、Morris.はシェパードというイメージを持っていたんのだが、最近はリトリバーが主流のようだ。今日も黒いリトリバー二頭がやってきて、荷物嗅ぎまわってた。万一荷物の中から麻薬が見つかったら、大変なこになる。すべての荷物を再検査、もちろん配達も不可、
その後の業務にも大きな影響が出るだろう。まあ、めったに発見されることはないけどね。
通関の後、貸し倉庫のあるコンテナヤードで20フィートコンテナのデバン(荷降ろし)。
5時半に倉庫を出てマルハチで買い物して6時半帰宅。
先週くらいから、アメリカ大統領予備選挙のニュースが目立つ。簡略に紹介するならまだしも、延々と各候補の発言や徳勝や駆け引きなど長時間にわたって伝えてる。他に報道すべきことがあるはずなのに。これも、「宗主国」への関心の高さなのか、それとも政権にマイナスに働きそうなニュースを覆い隠すための作戦なのだろうか。
今日の歩数は
5033歩。

朝のTwin煙突 

冬の薔薇 

その2 

摩耶埠頭から六甲山を望む 

コンテナ角の雀 

螺旋階段 


2016/02/09(火)サランバン会
7時起床。
今朝の血圧は191/86/61。
朝の三点セット。
昼過ぎJRで鶴橋方面に向かう。今日は環状線玉造駅で下車してふらふらと散策しながら、コリアタウン東橋の公園でミニギター。新しい歌本一冊だけ持参で、集中練習。途中小学生が数人関心をもったらしく、話しかけてきた韓国語の歌というのが気になったらしい。在日の子どもたちだと思う。新歌本に入れた「韓国を輝かせる百人の偉人たち」をいっしょに唄おうとしたのだが、残念ながら彼らは知らなかったようだ。
4時過ぎに切り上げて、洪ママのお見舞いに。テレビのニュースから戦争の話題になり、昭和20年8月15日の天皇の玉音放送を聞いたことを覚えてるという話になった。洪ママは当時12歳だったとのことで、やっぱり理解不能だったようだが、アボジが「戦争終わった、ニッポン敗けた!!」と教えてくれたとか。5時過ぎに歌麿会長が来て、サランバン会の前に「宮廷」で食事することに。途中、カルビ・ハウスで白菜キムチ買う。12月にギョンヒさんからもらったキムチの味が忘れられなかったからだ。宮廷ではテグタン食べたが、Morris.はそれよりミニギターでの賑やかしが忙しかった(^_^;)
7時にサランバン会会場「Jun」に。榎本さん、丸本夫妻、ボクスンさんくらいしか来てなかった。結局今日は常連の4人ほどが欠席で、ちょっとこじんまりした会になった。ここでもMorris.は、新歌本の曲中心に歌ったのだが、やっぱり「落ち穂拾い」の感は拭えない。10時に切り上げて、JR神戸駅で目を覚まして11時帰宅。
今日の歩数は7762歩。


JR玉造駅の生花(未生流 清水孝子) 

近鉄高架下 

在日小学生と 

パンジーマンホール蓋 

金網越の更地の向こうに猫発見 

望遠で捉えた雉白 

もう一匹登場 

リラックス 

洪ママ 

「宮廷」前で 

この店は最高(^_^) 

お気に入りの「宮廷」ママと 

サランバン会#1 榎本さん

#2 高春子

#3 丸本嫁と「Jun」ママ

#4 丸本パパ「男という理由で 

#5 会長&ギョンヒさん 

#6 今夜はちょっとこじんまり 


2016/02/08(月)●猫正月?(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は150/80/77。
今日は旧暦の1月1日。中国では春節、韓国はクジョン(旧正)である。
昼から元町方面へ。生田川沿いの公園のベンチで、ミニギターで新歌本のおさらい。気温は低くても日差しがあれば大丈夫だ。
今日はあちこちで猫に出会えた。
元町阪神理容で散髪。3月末に立ち退きの最終話し合いがあるらしい。ともかく3月までは開店してるはず。
南京町に行ったら、京劇の扮装した行列を見ることが出来た。今日は平日だからそれほどの人出ではなかった。
ジュンク堂冷やかす。韓国語の参考書も相変わらず、入門本と検定試験の受験参考書がメインで、Morris.の食指をそそるものは見当たらなかった。帰りも歩いて、大安亭でちょこっとかいものして7時帰宅。
有田のつる姫から可愛い猫の便箋の手紙。たいてい葉書のやり取りだが、たまには封書も嬉しいものである。
今夜のKBS歌謡舞台1453回は「설특집가요무대 旧正月特集歌謡舞台」90分の特番。

 *  그랜드 오프닝 쇼グランドオープニング/KBS무용단KBS舞踊団
 1) 청실홍실青糸紅糸/오승근オスングン,장윤정チャンユンジョン
 2) 어머나オモナ+처녀 뱃사공娘船頭/장윤정チャンユンジョン,오승근オスングン
 3) 짠짜라チャンチャラ+내 나이가 어때서年齢がどうだって/장윤정チャンユンジョン,오승근オスングン
 4) 봉선화 연정鳳仙花恋情+내 마음 별과 같이心は星のようだ/현철ヒョンチョル
 5) 정말로ほんまに + 춤추는 탬버린踊るタンバリン/현숙ヒョンスク
 6) 잘했군 잘했어うまくやったね/현철ヒョンチョル,현숙ヒョンスク
 7) 뜨거운 안녕熱い別れ/쟈니리ジャニーリー
 8) 안녕하세요アンニョンハセヨ/장미화チャンミファ
 9) Diana/쟈니리ジャニーリー10) Sing Sing Sing/장미화チャンミファ
11) Oh! Carol/쟈니리ジャニーリー,장미화チャンミファ
  * 원맨쇼ワンマンショ/개그맨ギャグマン 남보원ナムボウォン
12) 성은 김이요姓はキムよ/박상철パクサンチョル
13) 자옥아チャオガ+사랑의 거리愛の街/문희옥ムンヒオク
14) 무조건無条件/박상철パクサンチョル
15) 강원도 아리랑江原道アリラン/문희옥ムンヒオク,박상철パクサンチョル
  * 스탠딩 개그スタンディングギャグ/개그맨ギャグマン 이상호イサンホ,이상민イサンミン
16) 뺑덕 어멈 심술 대목意地悪伯母さん+열두 줄十二弦/김성환キムソンファン,김용임キムヨンイム
17) 인생人生/김성환キムソンファン
18) 사랑의 밧줄愛の投げ縄/김용임キムヨンイム
19) 당신의 첫사랑あなたの初恋+춤을 추어요踊りを舞うわ/장은숙チャンウンスク
20) 남자라는 이유로男という理由で+사랑 찾아 인생 찾아愛を探して人生探して/조항조チョハンジョ
21) 나 하나의 사랑私一人の愛/조항조チョハンジョ,장은숙チャンウンスク
  * 추억의 서커스追憶のサーカス/동춘서커스단東春サーカス団
22) 차표 한 장車票一枚+사랑은 아무나 하나愛は誰もがする/송대관,ソンデグヮン태진아テジナ
23) 잘 살 거야うまく生きよう+해 뜰 날陽出る日/태진아テジナ,송대관ソンデグヮン
24) 유정 천 리有情千里/송대관ソンデグヮン,태진아テジナ
25) 아리랑アリラン+성주풀이ソンジュプリ+꽃타령花打令+짚세기 신고 왔네10世紀の辛苦+이대로 영영このまま永遠に/김세레나キムセレナ


チャンユンジョンが本当に久しぶりに自分のヒット曲を歌った。通う舞台では結婚してから初めてではなかろうか。「オモナ」と「チャンチャラ」うん、やっぱりこの2曲は強力ぢゃ。そして、彼女の笑顔も良かった。
今日はいちおう男女カップルで登場するパタンで、ヒョンチョルとヒョンスク、パクサンチョルとムンヒオク、チョハンジョとチャンウンスクと言った具合だが、不祥事でしばらく干されてたテジナとソンデグヮンは男二人で登場。これは罰ゲームか(^_^;) と思ったが、もともとこの二人は公私共に大の仲良しである。
90分の割に出演者は多くなかったが、往年の通うバラエティ番組風で楽しめた。おしまいのキムセレナの一人舞台も熱がはいってたし、今日の評価は★★★★(^_^)
今日の歩数は7178歩。


七竈(ななかまど) 

公園の雉 

スキヤ隣に猫壁画 

三毛雉 

スキヤ猫B 

枯れた極楽鳥花 

 大安亭トラック荷台猫

クリーニング店の白 

クリーニング店ふさ猫 

塵取猫 

Morris.ではない 

元町の白縁猫 

南京町は春節祭り 

京劇扮装行進 

素敵な猫の便箋 


2016/02/07(日)●北朝鮮Missile発射
7時起床。
今朝の血圧は
150/80/77。
日曜美術館で恩地孝四郎取り上げてたので見てたら、途中でニュース速報。北朝鮮がミサイル発射したらしい。ニュースに切り替えて、ついでにネットで韓国KBSも一緒に見る。切り離しも順調に進み先端は、大気圏を超えて宇宙空間に到達したとのこと。つまり、人工衛星打ち上げに成功したといえなくもないようだ。打ち上げ予定を1日前倒ししたのはよくわからないが、明日が旧正月だから、その前日にしたのかな?
実は今日のKBSノレチャランは、旧正月特集の2時間番組で、人気賞特集ということだったので楽しみにしてたのだが、北朝鮮のおかげで放映されなかった(>_<) どうなるのかな。ちょっと残念である。
恩地孝四郎特集は録画しておいたので後で見ることが出来た。杉浦非水と恩地孝四郎は戦前の装幀家の双璧だとMorris.は思っている。でも今回の特集は版画家としての作品がメインで、こちらはあまりMorris.の趣味ではなかった。途中、恩地の装丁本の収集家を訪ねる場面がちらっとあって、そこで紹介された小型の北原白秋詩集は、ずっと以前Morris.も古本屋で手に入れたものと同じだった。今は散逸したみたいだが、懐かしかった。ゲストに池内紀が出てて、何でも彼は10年がかりで恩地の評伝を書いたとのこと。
夕方散歩がてら水道筋回って5時半帰宅。
新しい歌本のリズムパタンの残りを適当にしあげて、目次作り。本当なら最初に目次作って一緒にプリントしとくべきなのだろうが、以前ノンブルが狂ったりしたし、3部しか作ってないから後からにしてるのだった。
今日の歩数は2742歩。


近所の黒雉 

鷺飛翔 

照光寺のクロ 
【死に支度】瀬戸内寂聴 ★★★ 2014/10/30 講談社 初出「群像」2013-14
1922年生れだから、とっくに九十歳越えてる瀬戸内である。本書は小説とは言い条、本人の身辺雑記+点鬼簿みたいなものである。それでもこの年でこれだけ書けるというのはすごいことだろう。
彼女の初期の女傑伝の数冊は傑作だと思うが、出家してからの作品は全く読んでなかった。本書をふと手にとったのはタイトルに惹かれたからかもしれない。88歳時の転倒から歩行不自由になり、移動は車椅子だが、以前にましての活躍ぶりには恐れ入るしかない。

固有名詞が出てこなくなったのは、もう十年も前からである。そこだけ記憶の糸がきれて、どうしてもつながらない。人と話していて、ふっと口をつぐんでしまう。
はじめは人の名前が思い出せなかったのが、いつの間にか、あれほど好きだった植物の名前さえ、ぱしっと記憶の糸が切れて空々漠々、どうしても名前が出てこない。寂庵にいつの間にか種が飛んできて野生に増えていいた私の好きな花の名が、きれいさっぱり記憶から消えてしまった。目の前にその花の群生を見ながら名が出て来ない。人にそれを知られるのが業腹なので、話題をそこへ持っていかないようにしている。それでも自分の頭の中では、常にその消えてしまった花の名を追い求めている。


これは身につまされた。Morris.も植物名を忘れると落ち込むことが多い。しかしこれを書いた時点で瀬戸内は91歳、十年前なら81歳。Morris.の固有名詞忘却症は4,5年前くらいから顕著になった。つまり60歳からとして、瀬戸内より20年早い発症ぢゃ(>_<) 「死に支度」はMorris.にこそ必要なのかもしれない。

2016/02/06(土)●ハンター邸前庭が(>_<)
6時半起床。
今朝の血圧は160/73/60。
昼前からミニギター持って王子動物園に。
昨日作った歌本の練習を兼ねてリズムパターンをつける作業。途中で5弦が切れた(^_^;) ちゃんと予備は持ってきてたので今日は大丈夫だった。半分くらい作業進んだところで、急に風が出て寒くなったので撤収。園内の洋館ハンター邸の前庭の池が埋め立てられて更地になってた。Morris.はこの池と洋館のコンビネーションが気に入ってたし、睡蓮の花、蒲の穂、糸蜻蛉や水に浮かぶ落ち葉や桜の花びらなど、風情があってよかったのに。工事の後がどうなるのか気になるところ。
資料館の図書室で、5冊組の「生命」という漫画シリーズを拾い読み。「ワンダフルライフ」でお馴染みのバージェス頁岩化石の部分は興味を引いたが、やっぱりこういった啓蒙漫画は、Morrisの向きではないようで、途中で放棄。
4時半帰宅。
台湾で今朝地震があったようだ。かなり大きなマンションが崩壊して、死亡者も出ているみたいだが、ニュース映像で観る限りでは、鉄筋も細く一部に四角い鉄缶が入っていたりで、工事の杜撰さが原因のようだ。
今日の歩数は2455歩。


お馴染みのペット豚 

今日のまぬう 

パンダ 

シタツンガ 

ハンター邸前庭が(>_<) 

河馬親子 

今日のヴィジュアル読書 

カピバラ 

駝鳥 

【ジョーカー・ゲーム】柳広司
★★★☆ 2008/08/31 角川書店
腰巻きに伊坂幸太郎が賞賛の言葉を書いてたので読む気になった。大日本帝国陸軍で秘密裏に作られたスパイ組織D機関の活躍を描いた連作短編集。この組織を一人で作り上げた結城中佐が超人過ぎで、ちょっとやり過ぎと思った。
「ジョーカー・ゲーム」「幽霊(ゴースト)」「ロビンソン」「魔都」「XX(ダブル・クロス)」の5作が収められている。

「死は常に世間の人々の最大の関心事だ。平時において誰かが死ねば、必ず周囲の関心を集め、必ず警察が動き出す。"見えない存在"であるべきスパイにとって、正体を暴かれる--否、単に周囲の関心を集めた時点で、任務の失敗を意味している」
それゆえスパイにとって<死>は最もさけるべき事態であり、一方で、それこそが日本陸軍の中でD機関が忌み嫌われている理由でもあった。敵を殺し、あるいは自らしぬことを前提とした軍隊組織の中で、スパイという存在は、所詮、箱の中に間違って紛れ込んだ腐ったリンゴ--周囲を腐らせる異物に過ぎないのだ。(ロビンソン)


【ダブル・ジョーカー】柳広司 ★★★☆
2009/08/31 角川書店
「ジーカーゲーム」の続編で「ダブル・ジョーカー」「蝿の王」「仏印作戦」「棺」「ブラックバード」の5作収録。「笑わし隊」をテーマにした「蝿の王」が印象的だった。

夏に始まった"世界大戦"は、しかし、当事者の誰もが数ヶ月か、遅くともその年の内には終わるだろうと予想していた。前線では、国家の都合で敵味方に分かれて戦うことになった兵士たちが、苦笑まじりに「仕方がない。でも、クリスマスは一緒に祝うとしよう」そう言って別れる場面があちこちで見られたほどだ。
戦争は、だが、半年では終わらなかった。
開戦から一年が経ち、二年を過ぎてなの、この戦争がどういう形で終わるのか、誰にも予測がつかなかった。戦禍は徒に拡大した。毒ガス、戦車、機関銃、潜水艦、航空爆撃機といった恐るべき新兵器が次々に投入され、戦場では犠牲者の数だけが増え続けた。何人にも先が見えない状況の中、各国は競って諜報機関を設立し、優秀なスパイの育成にやっきになった。(棺)

【新世界】柳広司 ★★★☆☆ 2003/07/30 新潮社
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーが書いた小説原稿を翻訳したという設定だが、先のスパイ小説より、こちらのほうが読みでがあった。

ナチスはアウシュビッツで、数百万のユダヤ人をシャワーと偽って死のガス室に送りこみ、もしくは、"死よりもひどい"強制労働に従事させていたのだ。
どうやら全体主義というやつは、個々の人間から責任の観念と、善悪の区別をも奪い去ってしまうものらしい。

「近代戦争がなぜ市民をまきこむようになったのか」ロバートが低い声でしゃべっていた。「皮肉にも、国家や戦争といったものが国民のものとなったからだ、近代以前、まだ国家が王のものであった頃は、一般市民は国家同士の戦争とは無縁の存在だった。隣国に攻め入った敵の軍隊は、少なくとも戦略的な意味をもっては、市民を戦闘に巻き込むことはなかった。そんなことは全然意味がなかったのだ。王は民などいくら殺されても平気だった。王はむしろ自らの軍隊の消耗をこそ恐れていた。民ではなく、軍隊が消耗した時、国家の主権者たる王ははじめて戦争終結を決意したのだ。
ところが今では戦争は国民がはじめ、そして自分たちが充分に殺されて、もうたくさんだと言ってやめる。民主主義、あるいは国民国家という建前のもとでは、戦争は国民一人一人に責任がある。『誤った戦争を始めた国民は、みずからの命をもってその罪を贖わなければならない。この戦争においては敵の全人口が適正な軍事目標なのだ』。グローヴス将軍はそう言って--そして、彼に説得された私たちもまた--ヒロシマへの原爆投下を正当化した」

--熱線、衝撃波、放射能障害……。すべては想像力の範疇を超えている。これまでの人類の歴史は、想像力がつねに現実に先立つものであった。だが、原爆の誕生は人間の想像力を無効にしてしまった。何十万という人間を殺すことが、今ではいとも無造作にやってのけられる。この領域では、われわれの想像力や感覚能力--花を美しく感じ、子供を愛しく思う心--を拠りどころにした制御力など、もはや効力をもっていはいない。いまやわれわれは自身よりも小さなそんざいだ。なぜなら、われわれは自分自身で行ったことを想像することができないのだから。ユートピア主義者とは、心に思い描いたことを実際に作り出せない人間のことを言う。だが、我々は逆に、実際に自分たちが作り出しているものを心に思い描くことさえできないのだ……。
一万フィートの高さまで立ちのぼる煮えたぎった黒い雲、糖蜜でできたお菓子の町のように溶けてゆく一つの都市、"千の太陽よりも眩しい光"が焼き尽くしたヒロシマのうめき声……。決して存在してはならぬ黙示録的厄災を前にして、人間は二つの道のいずれかを選ぶしかない。
恐ろしい二者択一。狂うか、殺すか、二つにひとつ。


【贋作『坊っちゃん』殺人事件】柳広司 ★★★ 2001/10/01 朝日新聞社
漱石作品のパロディはいくらでも出てくるみたいだが、本書は「坊っちゃん」の後日談というかたちで、自殺した赤シャツの真相究明に、坊っちゃんが山嵐と一緒に松山にもどり、坊っちゃんの松山での騒ぎが、実は、民権派と社会主義者との争いだったことを、原典(漱石の「坊っちゃん」ね)を、曲解して全く別の物語に変身させるという、凝った作りだったが、ひねりすぎて、面白みに欠けたようだ。
漱石文体模写も努力は見られるが、物足りなかった。


2016/02/05(金)●歌本その3
6時半起床。
今朝の血圧は181/74/64。
朝の三点セット。
昼前、歩いて六甲学生青年センターへ。
久しぶりに韓国歌謡の歌本作り。これまでに過去の歌本からピックアップして2冊作ったが、その後特に新曲が増えたわけではなく、いわば落ち穂拾いみたいなものである。それでも今回は160pというかなり厚いものになった。前の2冊が100pと140pだが、センターのプリンターで中折り小冊子としてはここらあたりが限界のようだ。とりあえず100曲ほどあるから、しばらくこれを中心におさらいすることにしよう。
飛田さんと稲田さんとも久しぶりに会えてちょこっとだけでも話しできてよかった。
八幡神社の境内は下草が刈り取られて猫の姿が消えたが、今日は一匹だけいた。
灘図書館によって、水道筋経由で4時帰宅。
今夜、桜島が噴火したらしいが、大したことはなさそうだ。
今日の「ア・ピース・オブ警句」は、清原事件で、いまいち乗り切れてなかったが「元野球選手の清原」とか「清原容疑者」といった、呼称に関していろいろ言ってた。Morris.が最近気になるのは、容疑者を「自称音楽家」とか「自称芸術家」とか「自称」をつける呼び方が多いことだ。なんとなく非難めいたり、軽視したような雰囲気を感じさせる。そういえば以前は「女性」といってた代わりに「おんな」というよびかたをするようになったのも同じパターンかな。
ニュース23に甘利大臣に50万円を渡した当人(一色氏)が登場。顔は隠していたが、甘利発言の嘘を指摘してた。
今日の歩数は6418歩。


河骨に似てるけど 

芽吹き 

160pの歌本 

雛這苔(ひなのはいごけ) 

冬の薔薇 

六甲八幡神社の雉 

照光寺のクロ(鬼塚古墳) 

水道筋南の黒白 

生そば「なにわ」のペルシャ系 

【戦争を通すな】鈴木邦男☓福島みずほ ★★★
2015/09/20 七つ森書館
右翼一水会の鈴木と社民党の福島の対談というのは、ちょっと異色だが、鈴木はこのところ孫崎亨や内田樹などとの共著をだすなど、結構クロスオーバー的活動が目立っている。
タイトルは、例の戦争法案を通過させるなという意味だと思うが、発行日の前日に自民の強行採決が行われた(>_<)というのが皮肉でもある。

福島 積極的平和主義というのは、ノルウェーの国際政治学者ヨハン・ガルトゥングさんが提唱した概念で、本来の意味は、戦争をなくすために、そのずっと手前の段階で、戦争に繋がる貧困や紛争をなくそう、積極的に平和を創ろうというものです。
(安倍政権は)集団的自衛権の行使に近づけて定義づけています。積極的平和主義といいながら、実は積極的戦争主義なのですよね。戦争が平和で、平和が戦争で、ジョージ・オーウェル『1984年』の世界です。
積極的平和主義といって、積極的戦争主義。放射能はアンダーコントロールといいながら、汚染水はだだ漏れ。女性を活用といいながら、女性を使い捨ての派遣法改悪。瑞穂の国を守るといって、TPP(Trans-Pacific Partnership 環太平洋連携協定)に参加。沖縄のみなさんに丁寧に寄り添って説明をするといいながら、新基地建設の工事を強行……
鈴木 ひどい現実を覆い隠すために、違う言葉をつかっているんですね。
福島 だから、戦争法案という言葉を削除せよ、と自民党から要求されるということは、言葉を奪われることなんですよ。
かつても、戦争するときには、戦争とはいいませでした。満州事変といって、日中戦争といわなかった。次に戦争するときは、事態っていうんですよ。


ここでもオーウェルが出てくるか(^_^) 「積極的平和主義」はもともとメイドインノルウェイというのは初耳だったが、安倍がいう「積極的平和主義」は「攻撃的平和主義」だと、Morris.はずっと言い続けてたもんだ。

鈴木 いま三島由紀夫が生きていたら、憲法改正には反対すると思いますよ。このままでは自衛隊はアメリカの傭兵になってしまいますし、三島のいうところの「魂なき武器庫」になってしまいますから。アメリカと一緒になって、アメリカのやる戦争に参加せざるを得ない。「自衛」ではなくなる。日本人を守るという基本的な魂がなくなる。なんだか、憲法改正さえすれば日本は自主的な国家になるという幻想をもっているんですよね。


日本の自衛隊の役割がアメリカの傭兵=下請けになるという現実。これをしっかり押さえとかなくては。

福島 安倍総理は、憲法というのは国家権力を縛るためのものではないとし、立憲主義とは、「王権が絶対権力をもっていた時代の主流的考え方」と説明しました。しかしそれは誤っています。憲法学者の99.9%は、憲法とは国家権力を縛るものだと考えています。
安倍総理は、天賦人権論には立たない憲法の価値観をもっていて、日本国憲法から脱却して、憲法ではないものに則った社会をつくろうとしています。


ここ数日の国会での安倍総理の憲法暴言は、ほとんど狂信的レベルに近づいているようだ。

鈴木 僕は、どんなに理想的で立派な自主憲法をつくっても、自由がなかったら生きていけない、国民のために憲法があるのであって、憲法のために国民が従って生きるわけではないので、自由のない憲法よりは、自由がある押し付け憲法でいいと思いますけどね。
福島 私は押し付けられたとは思っていないです。憲法24条では、家族のなかの故人の尊厳が定められていますが、個人の尊厳とあるのは24条だけです。


国連憲章を下敷きにしたものだから、押し付けと思わなくてもいいのではないかと……

鈴木 僕は、鳩山由紀夫さんが普天間基地の移設について、「最低でも県外」といったのは正論だと思います。
福島 最初は最低でも県外、といっていたけど、それが難しくなり、鳩山内閣は辺野古に新基地を作ると閣議決定したんですよね。でも私は、沖縄の人たちのことを裏切ることはできないと思ったので、署名をしなかった。それでよかったと思います。
「5月末までに決める」とか期限を区切らずに、息長く取り組んで行けばよかったのです。句切れといったのは外務省です。県外・国外、あるいはもう新基地は造らないということも含めて、取り組んでいけばよかったのです。地道に水面下で何年もかけてアメリカと交渉するぐらいの胆力としぶとさが必要だった。チーム鳩山をつくって、外務大臣から防衛大臣まで一致してうごくというかたちにしてやるべきでした。

確かに、あそこがポイントだったよなあ。署名しなかった福島、えらいぞ。

福島 国会周辺でのさまざまな活動や、政府を批判する言論活動は、民主主義の健全な作用です。寡占化された権力を一部の人間がもっているのでは、不健全です。そいういう人たちは上から目線になり、国家と自分を同一視してしまいがちです。だから、「お国のために」というのは、「私のために」ってことなんですよね。
鈴木 そうですね。うまい言い換えですね。自分のためにやってくれというより、お国のためにやってくれというほうが、みんなが一生懸命やってくれるわけですから。たぶん安倍さんたちはそうですね。

つい、加川良の歌を思い出した。

命はひとつ 人生は一回
だから 命を捨てないようにネ
御国のためなのと 言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい (教訓 1 加川良)


福島 中国の鼓腹撃壌--政治なんてなくても、みんながたらふく食べていける--が夢ではあるけれども、政治を必要としている人は歴然といます。
鈴木 一般の人はみんな、自分のことで忙しいから、憲法や政治について考えたりしなくていい、そのために政治家を選んでいるという考えもありますよね。国民が全部のことをしらなくてはならず、テレビの討論番組もちゃんと欠かさずみなくてはならないとなったら、それだけで一日がおわってしまうのでは……

「鼓腹撃壌」という熟語をMorris.は、字面に引かれて何か戦に関するものだと誤解してた。太古の聖天子堯帝が、市井を視察したとき、老人が食に足りて腹鼓をうち、地面を叩いてリズムをとりながら(一説に木独楽遊びしながら)、暮らしを楽しみ天子の存在など気にかけるひつようもないと歌ってるのを見て、自分の政治がうまくいってると安心したという故事に拠るものだったらしい。
それはともかく、ここ数日国会中継ばかり見てたMorris.も、政治のことなど気にかけなくてもいいと思えるようになればいいと思ってしまった。

対談本というのは、割りと安易に造られるものが多い気がするし、本書も例外ではなさそうだが、それなりに言いたいことがストレートに伝わってきた。読む方も気楽だもんね。

2016/02/04(木)●国会横目に……
7時起床。
今朝の血圧は210/100/56。
昨日の番組表では国会中継載ってなかったけど、今日になったら中継あることになってた、まあ、例のネットで観ることはできるのだけど、地上波でやることに意義がある。ということで、結局今日は、はじめから最後まで流しっぱなし。もちろんこれに貼り付いてたわけではなく、読書、ミニギターなどやりながら面白そうなところだけ注視。
遠藤五輪大臣にも献金疑惑?でちょっと盛り上がった(^_^;)けど、いちおう当人は否定、今後の展開に期待しよう。
午前中は、民主、維新で、あいかわらず咬み合わないやりとりだった。憲法に関するやり取りでは、安倍総理の乱暴な発言が目についた。
昼休みにローソンに楽譜コピーに行き、午後は共産党の志位委員長一人で、憲法九条、戦争法案への突っ込み。これはまあ見どころあったが、安倍総理ののらくらと、中谷防衛大臣の黙秘権(^_^;)で、これではやっぱりどうしようもない。大阪維新はこれはもう、安倍政権へのおべっか使いである。
鹿嶋さんからかわいい猫の写真絵葉書。知り合いが旅行中の一週間ほど預かってるとのこと。まだ子猫である。
また、昨日ネットで注文したデジカメの電池、今日配達。本当に最近のネット通販は手軽で早い。しかし、小さな電池一つで送料480円はちと高い。
センターから「むくげ通信」最新号(274号)も届く。10人の執筆者それぞれのワープロ原稿で、オールカラーというのも、センターの印刷機の威力絶大である。今号は信長さんが6p、堀内さん5p、山根さん4p、あとは2pずつといった感じ。表紙はこのところずっと尹英順さんのポジャギの写真だが、今号のチュモニ(巾着)は色鮮やかで美しかった。
深田さんの朝鮮石人像シリーズももう40回になるというのでちょっとびっくり。今回は名古屋の長楽寺で、ここには何と18体もの石像があるとのこと。
今夜の報道ステーションでの木村草太発言は、午前の安倍憲法発言の問題点を
理路整然と分析して、さすが、というものだった。安倍発言中の「自衛隊に関して憲法学者の7割が違法の懸念を表明している」を取り上げて、これはとんでもない問題発言だと指摘したことである。つい、Morris.は集団自衛権で9割以上の憲法学者が違憲としたことにばかり気を取られていたが、自衛隊の問題こそ、歴史的にも、実態上でも根本的なものだった。
今日の歩数は
518歩。

鹿嶋宅の預かり猫ゆず 

「むくげ通信」274号 

昨日注文のデジカメ電池 

【虐殺器官】伊藤計劃 ★★★☆☆☆ 2007/06/25 早川書房
笠井潔が対談などで積極的に評価してたことから読む気になった。
伊藤は1974年生れの2009年没。2007年の本書がデビュー作だから活躍時期は2年前後ということになる。
9・11以後のテロ化世界を極化した近未来のディストピア小説ということになるのかな。
なかなかに刺激的な作品であり、オーウェルの「1985年」のハイテク版といえるかもしれない。
Morris.にとっては、久しぶりのSF読書体験となった。本書は「HAYAKAWA SF SERIES J-COLLECTION」の一冊である。早川書房は「SFマガジン」の版元であり、日本SFの総本山といってもいい。Morris.も40年ほど前はどっぷり日米のSFにはまっていた。それがいつの間にか、縁遠くなり、このシリーズの既刊リストを見ても名前に見覚えのある著者は二、三人しかいない。

戦闘前に行われるカウンセリングと脳医学的処置によって、ぼくらは自分の感情や倫理を戦闘用にコンフィグする。そうすることでぼくたちは、任務と自分の倫理を器用に切り離すことができる。オーウェルなら二重思考(ダブルシンク)と呼んだかもしれないそれを、テクノロジーが可能にしてくれたというわけだ。

本文でもしっかりオーウェルの名が出てくる。

ぼくらが撃ち出されていく闇も、そんな地獄の一部だった。
それは悲惨であると同時に少なからず祝祭的でもあるだろう。
ヒエロニムス・ボッシュの描く地獄絵が、どこか楽しげであるのと同じ意味で。

ボッシュの絵をこういうふうに引用するあたりにも教養がこぼれている。

ユダヤ人虐殺はなかった、人類は月へ着陸していなかった、エルビスは生きている。
その種の与太話がときおり盛んに議論されるのは、歴史というものが本質的な意味で存在しないことの証左に他ならない。湾岸戦争は起こらなかった、とものすごいことを言ったのは、ポストモダンの聖人であるところのボードビリヤールだったっけ。
歴史とは勝者の歴史、という言い方もあるが、それもまた異なる。
世界で勝者となることと、歴史で勝者となることは、往々にして別なこともあるのだ。


ポストモダンとかボードビリヤールなども、教養の一部。歴史へのひねった考察もなかなかのものである。

赤十字や武装解除にあたる国連とNGOの連中の警備だけでなく、現地の武装勢力と実際に交戦し制圧する戦争遂行業務も、彼女の舞台をはじめとする民間軍事請負業者に委託している」
人々の血まみれの戦いを、戦争業務という言葉は嘲笑っているかのようで、そこではこのぼくもまた笑われている。戦争を遂行する業務、ということば。戦争が単なる仕事であるということ。予測も統御も可能な「作業」であるということ。
ハドソン研究所のハーマン・カーンは、熱核戦争を分析してレポートということばの連なりに定着させていくことを「思考し得ぬものを思考する」と言ったのだが、これなどはほとんどウィトゲンシュタインだ。

ウィトゲンシュタインは名前には聞き覚えがあったが、手抜きでウィキペディア見たら、ウィーン生れの哲学者で「初期の著作である『論理哲学論考』に含まれる「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という命題は、一般にも有名な言葉の一つである」とあった。

「世界は最近になるまで、ソマリアを徹底的に忘れ去り、その飛散から目を背けてきたのです」
世間の関心から「こぼれた」地域。ネットの海ヘ発信しても、あふれる波音のなか、その悲鳴はあまりにか細すぎ、誰の耳にも届かない。


アフリカ西海岸のソマリアも名前しか知らずにいたが、これもかなりに悲惨な歴史のある古い国のようだ。

ウィリアムズはぼくと同じ特殊部隊員であり、武装勢力の有象無象の兵士たちのなかから暗殺目標を見つけ出す「ウォーリーを探せ」を、長いあいだつづけてきた人間だ。人探しは人殺しと同じくらいお手の物

「ウィリーを探せ」を持ってくるあたりが、いかにも、である。「人探し」と「人殺し」は、字面からも異常に類似している。

カフカは「変身」をドイツ語で書いた。この国(チェコスロバキア)にはいまだ三つの言葉が残っている。公用語はチェコ語だが、ただでさえ、外国人がチェコ語を聴き取るのは難しい。そのうえドイツ語やスロバキア語まで入ってくるとなれば、なおさらだ。
「確かに、チェコ語を習得するのは他の言語に比べてすこし難しいと言えるかもしれませんね」
ルツィア・シュクロウプは説明しながら、ぼくに紅茶を差し出した。
「チェコ語は基本的にロシア語やクロアチア語と同じ、スラヴ語圏に属しますが、そのスラヴ語の特徴である、それぞれの単語の、置かれた状況による語形変化のバリエーションが極端です。二百以上の語形変化を見せる単語もありますよ」

主人公のぼくが広告会社員に偽装して、標的のジョン・ポールと関係のある女性に生徒として接触している時の会話だが、言語への考察の深さが本書の特徴の一つである。

「英語はいまや覇権言語ですからね」
そう言ってルツィアは笑ったが、不思議と腹は立たなかった。外国にいてアメリカの覇権云々されることほどうんざりするものはないのだが。
「そんなことはない。ウェブでいちばん勤勉に日記を書いているのは、日本人ですよ。その量といったら、あの国の国民はリアルで抑圧された感情を、ウェブに開放してるんじゃないかと思うくらいに」


英語=覇権語。水村美苗の言説を思い出した。日本人のウェブ上での日記の氾濫。Morris.もそういった日本人のひとりである。

「言語が人間の現実を形成する--エスキモーは雪を20通りの名詞で形容する、ってあれのことですか」
「昔懐かしいサビア=ウォーフの話ね、あれは一種の都市伝説に近いわね。話が伝わるたびに単語の数は増えていった。ボアズが最初にその話に触れたときは、4つだった。ウォーフが書いた論文では7つになって、そのあと雑誌やラジオ、テレビで触れられるたびに、イヌイットが持つと『言われる』雪を表す語根の数は増えていったの。けれど、実際に調べてみると1ダースもないというのが本当のところ」
知らなかった。そういう話はあまりにも有名な一行知識(トリビア)と化していて、気の利いた会話のなかで使いたがる気取り屋たちがいる。


こういった小ネタも、嬉しい。Morris.もずっとこの都市伝説にひっかかってた。

たしかに機能としての言語は驚くべき精妙さを備えてはいるものの、人工筋肉や神経系が旅客機の翼に用いられるいまだって、腎臓や肝臓のフィルタリング機能は小型化できていない。精妙さでは似たようなものだ。完璧な人工器官はまだ遠い。内臓がまだまだ神秘を秘めているというのに、ことばだけがどうして神から与えられた人間唯一の神秘だといえるだろう。
ぼくがぼくを認識すること。ぼくが「他人」と話すためにことばを用いること。それは進化の過程で必然的にもたらされた器官にすぎない。ぼくの肉体の一部である、自我という器官、言語という器官に。


ここらあたりから徐々に、本書のタイトルの依って来る所以と禍々しさが浮かび上がってくる。

「かつてあなたがたのアメリカは、世界に自由と民主主義を輸出していたじゃないですか。あれは立派な啓蒙だ」
「皮肉を言われるとは思わなかったな」
「アメリカ人がそう意識しているかどうかにかかわらず、現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的とも言える戦争です」
ぼくはこの男の会話のなめらかさに呆気にとられた。ルーシャスは本当に、このクラブのオーナーというだけの人物なのだろうか、ぼくはそう正直に訊いてしまう。
ルーシャスは笑って
「エリック・ホッファは港湾労働者でしたよ。あなたの好きなフランツ・カフカは小役人だった。職業に貴賎なし、と言いますが、同時に思索は職業を選ばないのです」

啓蒙的な戦争というのにも、びっくりさせられたが、突然、エリック・ホッファの名が出てきたのにも驚いた。先日としろうがホッファの「波止場日記」を読んでたからだ。アメリカの放浪哲学者らしい。

「人間は地獄に堕ちるようにはできていない。わたしたち大半の人間は良き行いをするために生まれているの。人間の基本仕様は、地獄モードなんかじゃない。いいえ、人間だけじゃないわ。生物の複雑性は、必然的に利他行為をとる傾向にあるの」
「人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな選考条件があったとしても。人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければいけないことを選べるからなのよ」

先にも出てきたチェコ語を教える女性の台詞。本作品に出てくる数少ない女性の登場人物。もう一人は主人公の死んだ母だが、この女性原理ともいえる「性善説」は、本書の「救い」でもある。

「虐殺には、文法があるということだ」
ぼくにはその意味がわからなかった。
ジョン・ポールもそれを察して説明を続け、
「どの国の、どんな政治状況の、どんな構造の言語であれ、虐殺には共通する深層文法があるということが、そのデータから浮かび上がってきたんだよ。虐殺が起こる少し前から、新聞の記事に、ラジオやテレビの放送に、出版される小説に、そのパターンはちらつきはじめる。言語の違いによらない深層の文法だから、そのことばを享受するきみたち自身にはそれが見えない。言語学者でないかぎりは」
虐殺の文法。それが語られるということは、その国でやがて起きる大量殺戮の予兆。


ここで、タイトルの意味が明確になってくる。

「黒人奴隷たちの第一世代の言語はビジン英語と呼ばれる。ビジン英語を見様見真似で喋っていた者たちの、ぎこちない会話を聴きながら育った世代が、新しく生み出したことばだ。それが混成語(クレオール)だよ。子供たちは明らかに、親の言語が持っていなかった複雑な文法を獲得していた。
それは脳がその内部にあらかじめ、手持ちの要素を組み合わせて文法を生成するしくみを持っていたからに他ならない」
「その生得的な文生成機能が、深層文法だということか」
「遺伝子に刻まれた脳の機能だ。言語を生み出す器官だよ」
脳のなかにあらかじめ備わった、言語を生み出す器官。
その器官が発する、虐殺の予兆。


ビジンイングリッシュとクレオールの生成と関係が、実にわかりやすく語られている。著者の明晰さが伺える。
そして、ここではっきりするタイトルの意味。

「ある俳優が、ある俳優とある映画で共演し、その俳優は別の俳優とある映画で共演し--こうやってつなげていくと、古今東西ほとんどの俳優は三人経由でケビン・ベーコンに到達してしまう。つまり、ネットワークだよ」
「ケビン・ベーコン・ゲームくらい、アメリカ人なら誰でも知ってるだろ」


この小ネタも面白かった。日本なら「笹野高史ゲーム」あたりかな?

「雨粒ほどの関心さえあれば、オルタナにつないで、その製品を構成するすべての材料をトレースできる社会に、ぼくらは生きている。情報だろうと物だろうと、すべての商業的事物(オブジェ)が通過してきた空間(スペース)と時間(タイム)とが記録されている時空(スパイム)社会にね。そうした物歴(メタヒストリー)の糸が織り成すのは、事物がたどる循環の果てしない宇宙だ。なのに誰も、自分の好きな物歴しかみない」


スパイム(spime)とは、spaceとtimeの合成語ということはわかるが、伊藤の造語ではなく、アメリカのSF作家ブルース・スターリンなどが使ってる
、新らしい用語らしい。物歴(メタヒストリー)なども、言葉へのこだわりが感じられる。

「だからぼくらはルツィアの家を見張らなくちゃならなくなった」
「わたしを監視していたっていうの……」
「仕方なかった。いま言ったように、同胞の自由を守るためだからね」
「政府や企業の情報管理がなくちゃ行きていけない世界を嫌って、誰でもない人間になった人たちが、その自由のために他人を監視していたの……」
「哀しいジレンマだ」
オーウェルは「動物農場」でこう書いた。すべての動物は平等である、一部の動物はさらに平等である。自由をもつ者がその自由を守るために人々を監視する。


何でもかんでも認識票で管理されてる世界からドロップアウトした者のたまり場であるクラブのマスターのジレンマ。こうした逆説的な監視社会は必然的に出現するのだろう。

心理学は昔から哲学の領域と仲が良すぎたし、ぼくを含む一般人が、心理学に期待しているのは心理学そのものというよりも学際的な領域であることがほとんどだ。それは心理と社会の関係であったり、心理と実存のかかわりであったり、バリエーションは様々だが、いずれにせよ心理学そのものではない。ニュースに出演する心理学者にわれわれが期待しているのは、社会学と哲学がずさんに混ぜ合わされたような回答だったりする。

心理学は魅力的だった。でも、今は無縁でありたいと思っている。

痛覚マスキング。国防高等研究計画局が開発したこのグロテスクな麻酔は、戦闘の障害になる「痛み」を「感じる」のを抑えながら、「痛い」と「知覚する」ことは妨害しないという効果をもつ。なぜこんな不気味なことができるのかというと、痛みとして「痛く感じる」ことと、痛みを「認識」することは、脳の別のモジュールが行っている処理だからだ。
痛覚をマスキングするように、ぼくらは感情もマスキングする。戦闘適応感情調整は、自分の一部に麻酔をかけることだ。「わたし」を意図的に薄めることだ。良心に関する領域は、自我という情報処理系統のなかでも感情面における重要な位置を占める一角だ。理性面ではなく。


「痛み」は身体を守るための感覚だと教えられた。痛みを感じずにいたら、危険を察知できないことが多いからだ。ここで痛みの「感じ」と「知覚」を分離して、「知覚」のみがわかるという状態は、たしかに兵士や運動選手にはすごいメリットかもしれない。しかし、これが恒常的になるとしたら、かなり怖い状態だと思う。

サラエボで核爆弾が炸裂した日、世界は変わった。
ヒロシマの神話は終わりを告げた。どういう意味かというと、世界の軍事関係者が薄々気づいていながら決しておくびにも出さなかったある事実を、おおっぴらにしてもいい、ということ。つまりそれは、核兵器は「使える」ということだ。
膨大な数の人間が死んだ。にもかかわらず、多くの軍人たちの目には、それが「よく管理された」爆発のように見えた。でたらめな被害が出たわけではない。手製の核爆弾が穿ったクレーターを目の当たりにして、軍人や政治家立ちは核兵器が利用するに足る兵器であるという確信を得たのだった。
そいういうわけで、インドとパキスタンが起こした核戦争は、意外にもそれほど世界の注目を集めることがなかった。
大量に人が死ぬことに、世界は慣れつつあった。


本書の舞台設定が、このサラエボでの手作り核爆弾の使用語の世界だ。抑止力ではなく、使用可能の核兵器。コロンブスのゆで卵的発想だね。
今の世界も、だんだんテロと犠牲者に麻痺し始めてる気がする。

ヒンドゥー原理主義。戦前からインドはカーストによる差別を法律で禁じていた。とはいうものの、紙とインクで一朝一夕に消えてなくなるほど、差別のほうはヤワではない。差別はとりもなおさず歴史そのものだ。インドに限らず、どこの国、どこの土地にあっても、差別というのは血肉をそなえた存在で、人間の脳と歴史との密やかな共犯関係だ。ヒンドゥー・インディアが生き残る余地も、その歴史の中にある。

本書ではインドもまた核兵器の被害地である。カースト制度は優れて(^_^;)制度化した差別制度であり、それは核爆弾くらいでは無くせないということか。

「ここでひとつ一行知識(トリビア)だ。レミング現象ってあれ、さっきお前さんが説明の中で言ったエスキモーの雪の語彙と同じような、ある意味都市伝説みたいなもんだ、って知ってるか」
「あの話はディズニーの作った記録映画が元なんだそうだ。そのドキュメンタリーじゃたしかにレミングが大量に河に飛び込んじゃいるが、それはヤラセだった可能性が高い」


このての小ネタには救われる。

「つらい、なんて嘘だろう。知ってるよ、きみらは作戦前に感情を戦闘用に調整するだろう。子供を殺すことを躊躇わず、殺したあとは傷つかないように。引き金を引くその瞬間には、どんな罪悪感だって感じちゃいないさ。違うかな」
ぼくは黙って聞いていた。
「仕事だから。19世紀の夜明けからこのかた、仕事だから仕方がないという言葉が虫も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけの残虐さを引き出すことに成功したか、きみは知っているのかね。仕事だから、ナチはユダヤ人をガス室に送れた。仕事だから、東ドイツの国境警備隊は西への脱走者を射殺することができた。仕事だから、仕事だから。兵士や親衛隊である必要はない。すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打ちこみ貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり、仕事とは宗教なのだよ。信仰の度合いにおいて、そこに明確な違いはない。そのことにみんな薄々気づいてはいるようだがね。誰もそれを直視したくはない。


仕事=宗教説。うーーん、すごい。無宗教を標榜するMorris.がこのところ仕事と縁遠くなったのもむべなるかな。

「虐殺のことばは、人間の脳にあらかじめセットされているものだ。わたしはそれを見つけただけだよ」
「原始社会や、文明化されていない未開地域は平和なんじゃないのか」
「それは前世紀に、文化を相対化しようとした学者たち……というより社会運動家が広めた根拠のない嘘っぱちだよ」
「戦争は」
「もちろん、しっかりある。戦争はわれわれ文明国の専売特許じゃない。未開の集落だって立派に戦争をやってのける。戦い、殺し、女を犯すことは、進化のそれなりのニーズによって脳のなかにその座を得ているのだよ」


原始ユートピアは字義通り、そんなところはどこにもないというわけだ。

愛国心が戦争の動機の座に就いたのは、いつだろうか。
みんなのために戦う。国民国家の誕生までは、その動機は買い物列の最後尾だった。それまで戦争は、利益のため、金儲けのために行われる一部の専門家の仕事だったから……国民の軍が登場するまでは、愛国心なんてものは存在しなかった。そもそも常に待機している軍隊、つまり常備軍というやつそのものが存在しなかったのだから、無理も無い。
つまり、自分の国を守るために自らを犠牲にするという精神自体は、つい最近発生したものにすぎない。
そういうわけで、考えてみれば当たり前なのだが、一般市民にとって愛国心が戦場へ行く動機になったのは、戦争が一般市民のものになった、言うなれば民主主義が誕生したからなのだった。自分たちの選択したせんそうなのだから、そこに責任が生ずるのは当たり前だ。その責任がいわば、愛国心というやつだった。
誰かを守るため。父や母や妹のため。
つまり、戦争は愛によって戦われうる。生存の適応として相容れないと思われた愛他精神と殺人衝動とが、ここで奇妙に矛盾を解消してしまうのだ。
ジョン・ポールが語ったのはそういうことだった。


昨年読んでいまいち理解に至らなかった「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)の超明快解釈なのかもしれない。愛のために愛によって戦われる戦争(@_@) いかに美しく蠱惑的であろうとも、この魔笛の誘惑を断ち切らねばならない。

ニュース・クリップで適切な文法で物語ることができたことに、ぼくは満足している。ジョン・ポールが残してくれたアドレスには、虐殺の文法を生成することができるエディターが眠っていたのだった。
かつてジョン・ポールが行ったように、ぼくは虐殺の物語を綴っていった。
虐殺の文法は、内戦の予兆などまったく存在しないこの国を、容赦なく混沌に叩きこんだ。機械仕掛けの神(デウスエクスマキナ)のごtく。すみやかに、自動的に。
英語による虐殺の深層文法は、あっという間にアメリカ全土覆いつくした。
ぼくは罪を背負うことにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。

「エピローグ」でのぼくの独白。標的ジョン・ポールの裏返し行為で、ぼくは救われるのだろうか。いや、そうではないと思う。
言語学やハイテク軍備や哲学的考察は、衒学趣味(ペダンチック)かもしれないが、これはMorris.の偏愛するところでもある。ただ、最近の小説に多い「ゲーム」臭には鼻白むところがある。伊藤は小島秀夫というゲームデザイナーの心酔者だったらしく、当然本書でも、ゲームに通じる(といっても、Morris.のゲームへの理解度はとんでもなく浅い)ものがあり、そこにはちょっと辟易する。
それにしても32歳でデビュー、34歳で亡くなったというのは、ただの夭折ではない。作品は他に数編あるようだが、ゲームのノベライズや、未完成の遺稿を他作家が完成したものを別にすれば、2008年の「ハーモニー」だけということになる。これもいずれ読んでみよう。

2016/02/03(水)節分は分節●
7時半起床。
今朝の血圧は
192/89/78。
珍しく国会中継やってたので流しっぱなしにしてたが、午前中は自民公明の与党の質問で、まるで緊張感なし。昼からちょこっと水道筋で買い物して帰り道、近所の「フクロウパン」という店でバケット買う。この店は一年前に開店したそうだが、気づかずにいた。石焼き窯を謳い文句にしてるようだが、特に美味いというわけではなかった。
午後も国会中継流しながら読書。甘利問題では、安倍総理は感情的になるし、注目の石原新大臣はまるで答弁になっていない。しかし、明日の共産党などが質問する国会中継はやらないみたいだ。
ニュースは昨夜覚醒剤疑惑で逮捕された清原の件でもちきり。以前から噂があり、特別班が2年以上張り付いてたとのことだから、遅きに失したと言うべきかもしれない。何らかの思惑があったのかもしれない。
今日は節分で、各地で豆まき、街では厄落としの海苔巻き売り出しやってた。今年の恵方は南南東とか言ってたが、Morris.はこれにはまるで関心なし。明日は立春であるが、これまた特に感慨もない。
先月数葉出した写真絵葉書が届いてないのではないかと書いたが、今日来たはがきはその返信で、Morris.の勘違いだったようだ。
今日の歩数は2683歩。


水道筋駐車場猫A 

木瓜 

冬の薔薇 

万両 

白実の万両 

フクロウパン 

【戦後70年史 1945-2015】色川大吉 ★★★☆ 2015/08/15
名前てお歴史学者ということだけは知ってるが、著書は読んだことがない。本書は戦後70年にあたる日に合わせて、90歳になる色川の自分史と戦後史を合わせて書き下ろしたものである。終戦時二十歳だった色川だから、しっかり成人になった直後から戦後70年を見尽くしたといえるだろう。

序章 戦争とは何であったか
第一章 敗戦-1945年8月15日と私
第二章 占領時代-復学、村の教師に
第三章 朝鮮戦争下に-カチューシャの青春
第四章 安保闘争を契機に、民衆史を拓く
第五章 ベトナム戦争下の学生反乱
第六章 渡米、そしてユーラシアの旅へ
第七章 高度経済成長の闇-水俣調査団へ
第八章 日本はこれでいいのか市民連合と歴博の創立
第九章 1989年-昭和の終焉と激動する世界
第十章 世紀末の政界激変
第十一章 二十一世紀の波乱の幕開け
第十二章 東日本大震災と国際テロの時代

呆れたのは首相に担がれた社会党の村山富市の変節である。村山首相は1994年7月の衆議院本会議で、自衛隊の合憲、日米安保体制の堅持確認、日の丸、君が代の始動容認などを公言した。これには私もびっくりした。多年の社会党基本政策の全面的な放棄だからである。おのれの首相の座を守りたいため自民党にすり寄ったこうした変節は、社会党がこれまでの支持基盤としてきた労働組合や革新的な市民層からも見放され、消滅の危機に至るという結果をもたらした。

Morris.も村山総理の誕生にはあっけにとられた。結果的に社会党が自分の首を締めた結果になったし、神戸震災時の総理で、その行動にはもう一回唖然とさせられた。色川は「村山談話」などには一定の評価を与えているが、それも今読み直すと中途半端なものでしかない。

1998年7月、橋本龍太郎に代わって、小渕恵三が首相になる。当初は自民党単独内閣であったが、99年1月の第一次内閣改造で自由党との連立、同年10月の第二次内閣改造で公明党を加えた三党連立内閣となる。(公明党については、これ以降自民党との連立政権に加わることになる。かれらは中道を行くと言いながら、現実には日本の保守化を推し進める役割を補完している。権力のうま味が忘れられないのだろう。)

自公連立からもう36年になるのか。この公明党への決め付けは判りやすい。

2000年春、小渕首相が脳梗塞で倒れたため、自民党は公明、保守と連理の森内閣をつくり、議会を解散した。総選挙の結果、議席を減らしたが森内閣は継続。だが、この森喜朗という首相は、日本を「単一民族の国家」だとか「神の国」とか失言して嘲笑されるような教養のない男だった。

森喜朗=教養のない男\(^o^)/ その森が今だにえらそうに五輪会長などやって、教養の無さを発揮しているのも、なんとも情けない。

2001年9月11日世界を震撼させたニューヨークの同時多発テロ事件が起こった。このテロ攻撃は全米を震撼させ、全世界に衝撃をあたえた。わずか数人による自爆的な行動が、世界最強の国をも揺さぶることができるといメッセージが、中近東やアジアやアフリカの貧しい国のとくに疎外された人びとの間を駆けめぐった。かれらにとっては英雄かもしれない。
私は歴史家の直感として、この瞬間から世界史にあらたな局面が開かれたという別の感想をもった。それは戦争が国家対国家間のものだけではなくなった、ということ。どの国民も国家によって確実に安全を保障されるということがなくなり、いつ国際テロに命をおびやかされるかもしれないという、不確実な時代に入ったという認識である。


あたりまえといえばあたりまえだが、正直でよろしい。

このころ(2002年)、小泉純一郎が構造改革と称し、アメリカで流行した新自由主義という競争原理を導入したため、体力の弱い中小企業や地方の金融機関などがバタバタと倒れていた。中部銀行の破綻、建設準大手の佐藤工業や大手スーパーのダイエーまでが倒産した。その上、福祉政策を軽んじたため、生活困窮者や失業者が街にあふれ、さまざまな社会問題が表面化した。それに対し、不良債権を抱えた大銀行などには税制上の特権をあたえ、金融再編成をすすめて体力を強化させていた。勝ち組代表のトヨタ自動車などは、年間の経常利益が日本初の一兆円を超えるという成績を出し、小泉純一郎が増幅した格差社会のいっぽうの象徴となった。

実はMorris.も小泉劇場に誑かされた一人であった。今思うとなんとも情けないが、それは例の北朝鮮訪問を過大評価したためでもある。

小泉純一郎にはプラス面もある。かれらしい果敢な行動である。2002年9月17日、かれは日本の首相として初の北朝鮮訪問を決行し、最高指導者金正日とはじめての日朝首脳会談をした。小泉は過去にわが国が朝鮮を植民地にしたことを謝罪し、金正日は日本人拉致を認め、謝罪し、日朝平壤宣言に署名した。この行為位は正当なもので国民からも支持された。

ちゃんとそのことにも触れてあって、なんとなく共感を覚えた。でも、その後の経過を鑑みるにこれも、やはりどこかで騙された感は拭えない。

2004年、日本共産党が党綱領を改めて、多年掲げてきた天皇制廃止のスローガンを撤回し、天皇制の存続を認めると声明した。また自衛隊の存続を認めるとも。これは、戦後ずっと変わらなかった皇室への国民感情に配慮したものであろうが、ここまで妥協して、党の独自性が保たれるのか。そこまでするのなら、「共産」という名称を変えたらどうか。戦前からの反戦反権力の不屈な党としての歴史を知っている者には、複雑な気持ちであった。

色川は共産党員として活動してた。その後小田実らと「ベ平連」活動、さらに「日本はこれでいいのか市民連合」など、民衆運動をつづけたようだが、共産党の節操の無さに憤懣やるかたない書きぶりから、党への愛憎交々なのだろうと思わせるところがある。
Morris.も日本共産党に関しては複雑な思いがある。それでも、、現状において野党といえるのは、いまや、共産党だけのような気もする。

米軍は沖縄に多くの基地を提供してもらっている上に思いやり予算という大金も得ている。「われわれは日本を守ってやるために駐留しているのだから、文句をいうな」というが、それは違う。朝鮮戦争やベトナム戦争、イラク戦争など、日本とは関係のない戦争で、沖縄をさんざん利用してきたのは米国自身のためで、日本のためではない。費用はそちらが払うべきものなのだ。対等な日米同盟というなら尚更だろう。こうした当然のことを小泉ら自民党政府は主張してこなかった。米国から基地料を取っているフィリピンに学ぶべきだ。

正論なのだけど、自民党には馬耳東風だろう。

ペシャワール会の中村哲医師らはアフガニスタンでも10年以上にわたって医療や用水路建設等に活動してきた別格の人だ。
日本が武力を持たない平和国家だからこそ、現地住民から親しみを持たれ、歓迎される、武装した自衛隊の支援など逆効果、迷惑だと直言してもいた。


この中村哲医師のことは、前にも何かで読んで関心したことがある。こういった実のある活動が、戦争法案で妨害されるということになるわけだ。

2009年4月、トヨタ自動車は71年ぶりに経営赤字に転落した。麻生内閣の支持率も死に体の10%台に急落し、8月の衆議院選挙で自民党は大敗する。そして8月30日、自民政治にあきあきした民衆に後押しされて、小選挙区制の衆議院選挙で民主党が大勝(民主308、自民119)して政権交代が実現。その結果、過大な期待を受けて民主党代表の鳩山由紀夫内閣が成立した。民主党政権は、このあと菅直人、野田佳彦と3人の首相で12年12月までの3年余つづいた。鳩山内閣の当初の内閣支持率が75%というから驚く。いかに国民の期待が大きかったか。それだけに、幻滅からくる失望も早かった。
鳩山は2009年7月、沖縄市の選挙演説で、「普天間基地の代替施設は最低でも県外」と発言していた。ところが献金疑惑という奇怪な疑いをかけられ、そのうえ、親米路線に立つ外務官僚、防衛官僚らによる内からの強い抵抗と米国の圧力を受けて鳩山は妥協を余儀なくされた。


鳩山由紀夫には、最後まで「県外」を貫いて欲しかった。内外からの圧力、陰謀もあったのだろうが、何と言っても民主党の足の引っ張り合いは犯罪だったと思う。

これ(福島原発事故)によって国民多数の反原発運動は高揚した。だが、時間が経過すると、一時、なりを潜めていた「原発一家」は復活し、とくに安倍内閣になってから巻き返しが露骨になってきた。私たちはこれにも気をゆるめることができない。原発再稼動を企む勢力と対決しながら、事故処理の推移を監視しなければならないのだ。これは放射能の汚染をもっとも受けやすい、子どもたちの世代への私たちの責務である。21世紀は、重い困難な宿題を抱えた世紀となったものである。

おじいちゃんから、孫たち世代への正直な思いだろう。

2011年、菅首相が不用意に消費税増税の必要などの発言をしたため、任期一年あまりで内閣を投げ出してしまった。代わりに首相に選ばれたのが、最も凡庸で評価の低い野田佳彦であった。この時点で、民主党には人材が枯渇してしまったのである。就任早々原発の輸出継続を表明したり、「東電原発は冷温停止状態で事故は収束」と宣言したりして、国民を驚かした。
このぐずぐず内閣の無策、不決断、スローモーさに失望した国民が大阪の橋下徹や声の大きい石原慎太郎に魅惑されたのはわかる。かれらは速断、即決、即実行型の指導者に見えるからだ。だが、この維新の会の橋下という男、本質は右翼的、ハッタリ屋で危ないのだ。いつの時代にも転換期にはこういう野心的な人物がチャンスをつかんで浮上してくる。かれらの特技は大衆の不満をとらえることのうまさだ。そして短い言葉で、意表を突くような警句を断言調に発し、既成の権威を否定し大衆の不満、その欲求に乗じて浮上してくる。


菅、野田という民主党の歴代内閣、特に野田という男は、社会党にとっての村山に劣るとも勝らない(^_^;)ぼんくら首相だったなあ。
そして、橋下、石原への評定は、概ねその通りだと思う。

自民党の安倍晋三たちが反中、反韓の愛国主義感情を煽り、日本を大きく右旋回させようと動き出したのだ。歴史に逆行するこのような反動思想の横行と、全体としての右旋回は危険である。戦後うまれの国民の多くは、戦時中、日本が中国に何をしたか知らない。中国全土を占領し、数百万の民衆を殺した事実があるという歴史教育も受けていない。だからこそ、この一方的なナショナリズムの大波にさらわれてしまう危険がある。戦前の強国日本への復帰を願う安倍晋三らの輩が、大阪維新の会の連中などと野合して、日本を右傾化させてゆくことだけは食い止めなくてはならないと思う。
思えば安倍内閣は特定秘密保護法から集団的自衛権などを次々と決定し(2014年)、十歳は戦争支援法なのに、「国際平和支援法」などと名付け、積極的平和主義などと美辞麗句をならべて国民をだまそうとしている。こうしたことが、どれほど国民を危ない道にみちびくか、私たちは恐れる。安倍自民党政権は戦後70年間、平和に暮らしてきた日本を、米国と共に戦争できる国に変えようとしている。それなのに国民の多数は、まだこの政権を支持している。"この民にしてこの首相あり"、と諦めることはできない。


これもMorrisは全く同感である。

私たちはまさに国際テロと紛争が流動する時代に入っているのである。この地上に安全なところはどこにもないと、嘆かれる時代にさしかかっている。島国日本もその例外ではあるまい。わが国には50もの原発がある。それがテロの標的にされたら、どうなる。この国は破滅するではないか。
それらを考えれば、古めかしい集団的自衛権などを持ち出すとは正気の沙汰を通り越して危険である。テロから身を守ろうとしたら、憎まれないようにすること、怨みを買うような行動は一切避けること、それが第一である。そのうえに日本はどの国、どこの人をも敵としない憲法を持つ平和国家である。


その憲法が…(>_<)

2016/02/02(火)●戦ってかちとる平和ならいらず
7時起床。
今朝の血圧は202/97/88。
青空が広がってたので、王子公園の散策。ベンチでミニギターチューニングしてたら3弦が切れた(>_<) 張り替えようとしたら3弦だけ入ってなかった。3弦抜きで何曲か弾いてみたがやっぱり駄目、ということで撤収。
神戸文学館で写真絵葉書き書くことに。
「昭和の川柳百人一句展」という企画が催されていた。1981年に出された「現代川柳百人一句集」という川柳作家百人の自筆の句に漆絵の名手小野為郎の水彩が添えられたもので、なかなか見応えがあった。Morris.は川柳とはあまり相性がよくない。それでも珍しく、百句をゆっくり見て回った。次の二句が心に残った。

・貌のない手ばかり挙がる多数決 野谷竹路
・戦ってかちとる平和ならいらず 志水剣人


まるで、昨今の日本の政権への異議申し立てのようだ。
岡部伊都子コーナーの本棚から沖縄のことを書いた「二十七度線」を読む。1968年に初めて沖縄を訪ねたときの文で、72年の復帰前の沖縄の様子と、当時からまるで変わっていない沖縄の状況と、当時からずっと無関心な「やまとんちゅ」として過ごしてきた自分の姿がはっきり見えてきた。
4時半帰宅。3弦張り替えて、屋上に上がったが、寒さと風ですぐ切り上げる。
今日の歩数は
1916歩。

芽吹き #1 

#2 

#3 

川柳小色紙展 

パンフレット等 

王子動物園マンホール蓋 

2016/02/01(月)●五百円貯金
7時起床。
今朝の血圧は172/69/62
11月末から1月までの仕事ひでりで、引き落とし口座の残金が心細くなったので、五百円玉貯めてた貯金箱を開けて六甲道の銀行に持っていく。重さの割に金額は思った程ではなかった。銀行の窓口で機械で数えてもらったらなぜか☓☓万☓千六百円だった。百円玉が一枚混じってたらしい(^_^;)
桜口のロッコーアートに猫写真プリント取りに行く。実は先月半ばに出した今年最初の写真絵葉書が、どうも届いてなかった疑いがある。もしかしたら投函したつもりでどこかに落としたのかもしれない。というわけで、出し直すことにする。
コーナンで洗濯機用のニップル(蛇口)買う。先日排水ホースが詰まったときにチェックしたら蛇口から水漏れしてたので、これも買い換えることにしたのだ。
4時半帰宅。水漏れは解決した(^_^)
甘利元大臣の口利き収賄疑惑、UR(都市再生機構)から黒塗りだらけのやりとりメモが提出された。読める部分からだけでも充分「口利き、圧力」が見て取れる。明日から国会審議再開される模様だが、国会の真偽が 試されそう。
今夜のKBS歌謡舞台1452回は- 레이블 Lable의 시대 1930 レーベルの時代1930 -という、ちょっとひねった特集である。

 1) 이태리의 정원イタリア庭園(최승희チェスンヒ)/안다미アンダミ
 2) 처녀총각独身男女(강홍식カンホンシク)/국악인国楽員 남상일ナムサンイル
 3) 마라손 제패가マラソン制覇歌(채규엽チェギュヨプ)/배금성ペグムソン
 4) 찻집 아가씨茶房娘(박향림パクヒャンリム)/금잔디クムチャンディ
 5) 남대문 타령南大門打令(강석연カンソギョン)/국악인国楽員 채수현チェスヒョン
 6) 나는 열일곱 살あたしは17歳(박단마パクタンマ)/조정민チョジョンミン
 7) 알뜰한 당신まめな貴方(황금심ファングムシム)/김연자キムヨンジャ
 8) 능수버들高麗枝垂楊(선우일선ソヌイルソン)/국악인国楽員 강효주カンヒョジュ
 9) 고도의 정한孤島の恨情(왕수복ワンスボク)/정수빈チョスビン
10) 젊은이의 봄若人の春(김용환キムヨンファン)/박구윤パククユン
11) 불사조不死鳥(이난영イナニョン)/최유나チェユナ
12) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲(남인수ナムインス)/진해성チンヘソン
13) 꿈꾸는 백마강夢見る白馬江(이인권イイングヮン)/남상규ナムサンギュ
14) 나그네 설움旅人の哀しみ(백년설ペンニョンソル)/설운도ソルンド
15) 불효자는 웁니다不孝者の帰還(진방남チンバンナム)/현철ヒョンチョル
16) 찔레꽃野茨の花(백난아ペクナナ)/권성희クォンソンヒ
17) 목포의 눈물木浦の涙(이난영イナニョン)/김연자
キムヨンジャ

1930年代といえば、朝鮮半島は日本の植民地で、戦争の時代である。レーベルといっても、コロンビア、ポリドール、ニットー、ビクターといったレーベルもほとんどが日系のレコード会社である。その中で李哲(イチョル)が中心となったOkeh(オーケー)レコードは、朝鮮色の濃い異色のレーベルである。
あまり好みの歌手が多くなかったこともあって★★★。
今日の歩数は7488歩。


楪(ゆずりは) 

目高 

花ぢゃなくて南京黄櫨の実 


 

 

 


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