ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
【2001年】 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【2000年】12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【1999年】12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【1998年】12月 11月
2001/11/30(金)●ホープ軒の鶏がら醤油ラーメン● |
2001/11/29(木)●ひさびさの雨● |
【これから】夏目房之介 ★★☆☆ 50代を迎えた著者が、そろそろ老いを感じる中で、老後の暮らしについての思いを中心に、身辺雑記、回想などを交えたお気軽なコラム集で、タイトルはもちろん祖父である漱石の「それから」のもじりだ。
Morris.は著者の漫画論のファンなのだが、本書ではそれに関する記事は極端に少なくてやはり物足りなかった.太極拳やら、アカペラ、南の島(バリ)滞在などの趣味のこと、初孫との交歓などは、別に興味は持てないもんね.まあ、それでも著者くらいになると私生活にも関心を持つファンもある程度はいるだろうから、Morris.日乗よりは需要があるのだろう。
ネットの総合掲示板2チャンネルで、漫画評論の部屋で著者のことが話題になった時、当人が書き込みしたら大変な騒ぎになったというエピソードがあった.ああいう場だけに、偽者説が出たり、妙に真面目な雰囲気になったり、いちびりの発言があったりして賑やかだったらしい.もう書き込みは終わったとのことで、これは一度くらいはのぞいて見たかった.
2001/11/28(水)●訳がわからないGSコレクション● |
ザ・ライオンズ「良い子のゴー・ゴー」
ザ・トーイズ「じょんがらゴーゴー」「お宮さん」
ザ・リンド&リンダーズ「燃えろサーキット」
ザ・ダイナマイツ「毛皮になったしま馬」
ザ・イーグルス「昭和二世」「結婚してチョ」
ザ・フレッシュメン「お花おばさん」
ザ・ボルテージ「汐鳴りの幻想」
スカイ・ホークス「天国からのお迎え」
ザ・スイング・ウエスト「スキーがからだにとっついた」
ザ・ジャイアンツ「スケート野郎」「恋愛射撃隊」
アウト・キャスト「エンピツが一本」
ザ・シルバーフォックス「レッツ・ゴー・ミリタリー・ルック」
ザ・ピーコックス「レッツ・ゴー・ピーコック」
ザ・レンチャーズ「サイケ・カッポレ」
ザ・リード「悪魔がくれた青いバラ」
ザ・レンジャーズ「赤く赤くハートが」
知ってるグループは、ダイナマイツとスイング・ウエストくらいかな。レンチャーズとレンジャーズは同一グループかもしれない。聞くには聞いたもののエアチェックする気にはならなかった。
午後は元町高架下経由で、中央図書館に出かけ、神戸回りで帰宅。大倉山行きの市バスが廃止されてから、本当に中央図書館通いが不便になった。
【詩人であること】長田弘 ★★★★
「世界は一冊の本」の詩人が1982年3月から83年6月までに書き下ろした(たぶん)39章に分かたれた小論集である。最近書かれた類書にはあまり感心しなかったが、本書は力の入った、優れた「一冊の本」だった。
詩を書き始めたころの思い出や、父の話、偶然目撃した少年の死、戦後詩の夜明けを共に生きた一人としての証言、有名無名の詩人たちとの関わり、ソ連、東欧、特にポーランドの詩人への傾倒、原民喜の「ガリヴァー旅行記」、宝島就中シルヴァーの魅力、戦争論、読書論、ビゼーの唯一の交響曲、昇平-中也-富永太郎、岸上大作の一行詩(短歌)への批評と批判、ハイネ復権、日本語のなかの漢字、森鴎外の「椋鳥通信」、ザミャーチンの「われら」、ルネ・シャールのペシミズム、オーデンの孤独、メキシコの骸骨画家ポサダ讃美、露伴贔屓等々、著者の好奇心の強さと、目配りの広さ、それぞれの対象に向き合う真摯さと、洞察、すべてにおいて、ひさびさにMorris.は「読む」ことの楽しさと深さを同時に享受することが出来た(ような気がする)。
船も、ギターも、信仰もない。
犬たちの死体を燃やす犬殺しの竈もない。
一緒にねるとそのたびに、いっそう
生娘らしくなる幻の女たちもいなくなった。
おれたちの時代には、こころをうばう
はりつめた冗談がいつも決定的に欠けている。(「真実にいっぱいくわせろ」より)
著者の詩句を始め、引用したい部分は山ほどあるが、やはり傑作「世界は一冊の本」の原型のような、言葉、文章があちこちに見られるので、それを引いておこう。
人生は一冊の本だ。風だけが読むことのできる一冊の本だ。風が枝や葉をざわざわさせて吹きぬけてゆく。風の音は、風がものいわぬ本のページをめくってゆく音である。物語を読むとは、そうしたものいわぬ一冊の本を開いて、語られることなく生きられた一コの物語をそこに読むということだ。アンデルセンは世界を、一冊の本として読んだ。アンデルセンの物語はどんな物語だろうと、いつだってものいわぬ一冊の本の物語なのである。(風は物語る)
本というのは、ふしぎなしろものだ。一冊の本は一冊の本であって、一冊の本でない。一冊の本は、いつだって、まったく同じ本が二冊以上(100冊だろうと1000000冊だろうと)存在することによって、はじめて可能な一冊なのだ。
本というのは、ふしぎなしろものだ。わたしたちは、何一つ知らないものを択びとるしかたでしか、じぶんにとっての一冊の本を、どのようにも決めることができない。本の経験は、言葉を読むことにはじまるのではない。本の経験は、一冊の本をまえに読者としてのわたしたちが、アテにすべきどのような既知をもうばいさられるそのときから、すでにはじまっているのである。(五重塔)
文学が本なしに文学でありえないとすれば、それは、文学の表現が「一冊の本」として書かれて「一冊の本」として読まれるという行為によって深くささえられているという、そのことのためなのだ。本を読む。それは「一冊の本」を読むことである。本を書く。それは「一冊の本」にむかって書くのである。文学は「一冊の本」として文学だ。
ジャンルの別は、もともとは「一冊の本」のあらわれかたのちがいだった。だが、それがいまはちがった意味で、文学の市場の分業化の目安として、職能の区分であるかのようにかんがえられているというのは、奇妙な光景である。そのことが文学の「のような」「らしい」ありようをうながす一方で、今日「一冊の本」としての文学のありようをみあやまらせているということはないだろうか。(一冊の本ということ)
なぜかこの本は、灘図書館の新着書の棚に並べられていた。奥付は84年9月15日第二刷となっているのに、ついさっき出来上がったみたいに美麗なのだった。小ぶりなB6版、明るい青布のハードカバーにはポサダの骸骨のカットが数点、くっきりとエンボス風に刻印されてあり、本文にも相当数のポサダのカットが挿入されているし、本文の印刷は活版だ。心・技・体すべてにわたって文句の付けようが無い本書が、岩波書店発行というのが、Morris.にとっては、もう一つの驚きだった。20年近く前には、岩波もなかなかやってくれる出版社だったのだ、と、最近の低迷ぶりを改めて嘆きたくなった。
2001/11/27(火)●ぶらり閉店ライブ● |
2001/11/25(月)●値上げ通達● |
【秘宝耳】ナンシー関 ★★☆☆ 週刊朝日99/04/02から2000/09/01号まで連載された、TVウォッチングコラムで、例によって著者の消しゴム似顔絵版画付きだ。はっきり言って面白くなかった.素材が新鮮素材だけに1年もたてば、すでに昔のことになってしまってると言うことを割り引いても、そうなのだからしかたがない。これはMorris.がここ数年、それ以前にも増してTV番組を見なくなったことと、TV番組自体のパワーが落ちたことと無関係ではないだろう.ナンシー関のトーンダウン、マンネリ化もあるようだ。お楽しみだった似顔絵版画も、相変わらず巧いのは巧いのだが、以前に比べると、説明的というか、平凡になって、面白みが半減したような気がする.彼女の才能は買っているので、今後はTVの枠からはみ出して、もっとさまざまな事象を対象に取り上げて新境地を開拓してもらいたい.
【神戸むかしの味】水原茅子 ★★★☆☆ 著者は1950年神戸北区生まれの主婦で、歌人でもある。長田区や神戸以外での暮らしをへて、現在は御影在住らしい.
内容は、神戸の日常的な料理をエッセイ風に綴り、各章末に自作の歌も付してあるもので、料理に重点を置いたものではないが、気取らず、専門的にならず、さらっと書かれていながら、文明批判や、子育て論、神戸気質などにかんしても、言うべきことはちゃんと言うスタンスには好感を持った.地震後の、神戸、東地区と西地区の復興の違いを悼む心も共感を覚える.
とりあげられている、料理や食べ物は、
・いかなごの釘煮・稲荷寿司・こんぺい糖・お好み焼き・茄子と小エビの煮付け、糠漬・わらび餅・トースト・カレーライス・ポテトサラダ・点心・タマゴトースト・ジャージャー麺・魚の干物・アイスクリーム・梅干・イカの塩辛、マナガツオの焼き煮・ブリ大根・栗の渋皮煮・牛スジと大根の煮物・チゲ鍋・鮭と大根の漬物・野菜スープ・離乳食・天津飯・コーヒー・アーモンド菓子・ハンバーグ・祭りずし・ハヤシライス、鮭ずし
といった、たしかに庶民風なものが中心で、レシピというより、本文の中に、上手に混ぜ込んである.おまけとして、12種類のメニューの簡単レシピもあるのは、親切心なのだろう。
先日、矢谷宅でバトルまでやったお好み焼きの、神戸風の一般的な作り方として、その項を引用しておこう.
[お好み焼き]・材料/キャベツ(細いみじん切り)、青葱(小口切り)、山芋or長芋、天カス、かつおの粉、青海苔、小麦粉(水で溶く)・お好み焼きの具/豚バラ肉(薄切り)、イカ、タコ、海老、牡蠣、スジ肉(だし、みりん、醤油)、紅生姜など(好みのものを用意)
1.スジ肉はだし汁にみりんと醤油で煮て味を付けておく。
2.山芋は5センチほどをすって、溶いた小麦粉に混ぜる。粉の濃さは天ぷらの衣くらいを目安に。
3.2.にキャベツを加え、混ぜ込む。
4.一枚分を別にとり、玉子1個を割りいれて軽く混ぜる。卵黄と卵白が絡まる程度にして、熱くした鉄板に流す。
5.葱、肉や魚貝の順に載せ、かつおの粉をかけ、天カスをまく。紅生姜を入れても美味。
著者の料理へのスタンスは、たしかに普通の主婦としての料理である。しかし、現在では、これですら、むずかしいと思う主婦は多いだろう.
なんでもない小母さんの料理は井戸端会議から、テレビの番組から、スーパーマーケットに置いてある料理カードからの情報である。誰もがいつも作っている、気にも留めない料理ばかり。何度も失敗しながら自分のものに仕立てあげてゆく。母や姑からの伝承が基本だが、それを自分の方向にすこしずつ変化させてゆく。
せっかくだから、彼女の歌もいくらか紹介しようと思うのだが、Morris.の好きなタイプとはちょっと歌風が違うようではある.
・紫の涙のような茄子を焼く歯ごたえのなきやさしさ思いつつ
・ビンボーと言えばにわかに子ら笑う迷走台風今夜来るらし
・くたびれた木綿のシャツを繕えばむかしむかしが降る天窓に
・乱切りの大根しずか夕ひかりこのままこっそり行く方知れず
・幸福を輪切りにすれば鬼の子がほろんほろろん転がりてくる
・惑わない惑います惑う惑う時惑えば惑え シグナルの青の点滅
・家族なるやわき果実をゆびさきで割ればしたたる密の暗がり(水原茅子)
2001/11/25(日)●とんでも小説『小猫』● |
【壁 旅芝居殺人事件】皆川博子 ★★★☆☆ 84年刊行の中篇だが、白水社の小ぶりなフランス装の叢書??の一冊で、前から何となく気になっていた。この叢書はどちらかと言うと、紀行文や幻視行エッセイなどが中心で、タイトルが漢字一字か二字になっていた。澁澤龍彦の「城」、塚本邦雄の「半島」、池内紀の「温泉」は当時読んだ記憶がある.
そこで本書だが、タイトルにもあるとおり、れきとしたミステリー小説である。読後、ポーの黒猫を思い出してしまった.日本では珍しいバロックの味わいを持つ作品だ。
芝居小屋の娘を語り手に、同じ場所で15年を経て繰り返される殺人事件と役者たちの因縁話なのだが、芝居のこととなると、一家言持つ著者だけに、舞台裏の構造や、けれんの描写、役者気質と衰退する芝居自体への哀悼などが綯い交ぜになって、ストーリーとはまた別次元で雰囲気を構築している。5章に分かたれた構成も何となく芝居の幕場の交代に似ているし、謎解き、どんでん返しも充分水準をクリアしている。芸の冴えとか、神技のような、芸談はないが、はしばしに散りばめられる名台詞も、適所を得ているし、確かにこの人は前から巧かったのだなと感心した.作品の性格にかんがみて、ネタばらしはしないが、事件の真実を知った時の苦味は、めったに味わえないものがあった。
【山谷崖っぷち日記】大山史朗 ★★☆☆ ルポというか、省察というか、エッセイというか、タイトルどおり日記といおうか、一種の社会不適応者の手記であることは間違いない.
Morris.とほぼ同年輩の著者は、自律神経失調症の持病もあって、会社を辞め、87年から山谷で日雇い労働を続けている。本書は、そのドヤ街で知り合った群像のスケッチがメインになっている。またバブル崩壊の影響をもろに受けたドヤ街の状況を、客観的に描写している。本書を読みながら、著者の置かれている状況は、Morris.と無縁ではないという強迫観念にしばしば襲われた.
平成十年代を初老で迎える私の人生は、昭和三十年代に初老を迎えた虚弱な労務者のそれよりも恵まれたものだろうとは、私にももう思えなくなったしまっている。私は元来、ごく僅かのもので満足できる、とても少欲な人間だと思うのだが、その私でも、ここ、二、三年の山谷生活の厳しさにはついグチがこぼれる。
老後に向かう私にとっての現実的な選択も、性質の異なるマイナス価値をめぐってのものとなる。衣食住を保証された、飯場での追いまわされ生活と、食べ物を漁らなければならないが、限りなく他人とのかかわりから開放され、気楽に図書館で読書三昧にふけることのできるような生活との選択。私は迷うことなく後者を選ぶ.
2001/11/24(土)●Harvest● |
【名言なんか蹴っとばせ】ジョナソン・グリーン 里中哲彦訳 ★★☆ 先日の「定義集」がそれなりに面白かったので、調子に乗って借りてきたのだが、これはかなり出来が悪いと思う.タイトルからして普通の名言集でなく、どちらかと言うと皮肉っぽいものを集めた「冷笑家事典」の一種らしい.それはそれでMorris.の好みなのだから、悪くはないし、それなりに面白いものも含まれていないわけではない。
・英雄を必要とする国は不幸である。(ベルトルト・ブレヒト)
・女の涙は目から出る汗にすぎない.(ユウェナリス)
・よく知られている格言ほど、役立たないものはない。(トマス・ベビートン・マコーレー)
・経験とは、自らの失敗に与える名である。(オスカー・ワイルド)
・芸術家気質というものがあるとしたら、それは素人がかかる病気である。(G・K・チェスタートン)
・あらゆる政治は、大多数の無関心に基づいている。(ジェームズ・レイトン)
グリーンという人は、他にも辞世語事典や同類の引用句事典を多く刊行してるらしい.内容は他人の引用だから、編者の腕のみせどころは選択眼と見識と言うことになるのだろうが、その意味でもあまり大した事はないような気がする.しかし、本書の一番の欠点は、たぶん訳文にありそうだ。格言や、警句などは、寸鉄人を殺すくらいの鋭さがあってしかるべきもののはずなのに、どうも訳文が弱いのだった.あとがきに、日本には、こういった冷笑家事典の類が少なく「この一事をもっても、わが国の出版事情の遅れを垣間見ることが出来るような気がする」とある。この一文をもって、訳者の知識水準を垣間見ることが出来るような気がするのはMorris.だけだろうか?
2001/11/23(金)●水道筋散歩ネット● |
2001/11/22(木)●イントネッ・ウチェグッ● |
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一番嬉しかった料理本 「ご飯とお粥」 |
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早速作ってみた珍味粥 器は堀さん提供 味はかなり薄味。 今度病気したら食べよう(^o^) |
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スタイル | 得意のカシミン。鶏のひき肉、キャベツ、紅生姜、葱などを粉に混ぜ込み比較的厚めに焼き上げる岸和田風。 | 粉に混ぜるのははキャベツだけ、蒟蒻、天カス、イカ、豚、葱などは順々に載せていく大阪+神戸風。 | オーソドックスな豚玉スタイル。キャベツを超微塵切りするのがポント。神戸風。 |
Morris.評 | 何度か食べたことがあるが、お好み焼きに鶏ミンチという意外性もあり、最初は衝撃だった.いつも味が安定してるのは流石.慣れてるだけあって手際もよい。味も悪くないが、外がぱりぱり中がとろける食感がたまらない.作りながら一番賑やかだったのはもちろんいうまでもない。 | Morris.のコンニャク好き、イカ好きを知っていたかのようなメニュー。しかもトッピングを丁寧に並べていくやり方は几帳面な性格が良く出ている。大テコがなくてひっくり返すのに苦労していたようだが、味は文句なし。後半戦はソバ入モダン焼も。 | キャベツの微塵切りだけに30分を費やしたとのこと。最初は日清のお好み焼き粉を使いさりーちゃんグループから、一番の支持を集めながら、後半普通の小て軟かめに仕上げていた。. |
【顔】山本昌代 ★★★ しつこく彼女の作品を読みつづけている。前にも書いたが彼女の本は比較的薄いし、文章も明晰だから割と速く読めてしまう.本書は200Pで短編4篇が収められている.「上田秋成に捧ぐ」という献辞があったので、ちょっとイヤな予感がした。Morris.は彼女の幻想ものは、あまり好きではないのだ。読後感も案の定そうだったのが、やはり彼女は、記伝ものが素晴らしい.
表題作「顔」は、首の後ろにもう一つの顔を持つ老人の話だが、とりとめのなさが物足りない.「鶯」と言う作品は、鏡の扉を持つ家に住むカリグラファーと、喫茶店でバイトしている女性との、循環型タイムトンネル話で、これは細部に興味を覚えたのだが、全体としてはやっぱり尻切れ蜻蛉と言う感が拭えない.図書館で読める彼女の作品は大方8割くらいは読んだと思うので、せっかくだからもう少し、読みつづけてみよう.
【添削・俳句入門】深谷雄大 ★★★ Morris.には未知の著者で、石原八束に師事とあるので、何となく苦手ではあるが、逆にベーシックな俳句のルールブックにもなるかと思ったし、添削ということをされたことがないMorris.として、ちょっと興味をおぼえたのだ.
添削例は、助詞の一つだけ変えたもの、漢字をひらがなに変えたもの、繰返しの「々」「ゝ」を漢字、ひらがなに戻しただけといったものから、元句の面影すら残さないくらいに大掛かりな変更(これはもう別作か)までいろいろあったし、さすがとうならされるいい添削もあれば、これなら元句のままのほうが良かったのではないかいと思うものまでいろいろで、予想以上に楽しめた.
「俳句は、五・七・五の三文節十七音をもって構成される、季語を伴った日本固有の韻律詩です。」を金科玉条とする著者なので、無季や、季重なり、字余り、字足らずは言うまでもなく、新語や造語にも厳しく、擬声語は使用禁止、擬態語、形容詞もなるだけ使わぬようにという徹底振りで、これでぐい句を律したら半分ははねられてしまうこと間違いなしだろう.
以前読んだ阿部しょう(竹カンムリに月)人の「俳句-四合目からの出発」といい勝負だが、本書はちょっとソフトムードだ。その分読み手としては物足りない。
禁止事項として「連用止め」「三段切れ」「曖昧な言葉遣い」「概念句」「破調」「略語」などが挙げられている。著者のポリシーからすればあたりまえのことだろうが、Morris.は「三段切れ」の部分にちょっと引っかかりを感じた.
三段きれとは一句が三箇所で切れていることで、たいていの句は句で切れているから、途中の切れは1箇所にしろということである。その添削例
[原句]京の夜伽羅蕗の味春にほひ
[添削句]京の夜の伽羅蕗の味春名残り
を見ると、確かに彼此の差は歴然だが、
[原句]年の瀬や過去ふり返り感無量
[添削句]顧みることの茫茫去年今年
こうなると、原句が三段切れとか何とかいう以前の問題だという気がしてくる。
それはそれとして、ぐい句でも無意味に三段切れにするのはなるべく避けることにしよう。この一事だけで本書を読んだ甲斐があった。かな?
2001/11/21(水)●a day in the life● |
【九季子】山本昌代 ★★☆☆ タイトル作を含む6編の短編集だが、Morris.苦手の作品が多くあまり楽しめなかった。「さ蕨」とい作品中、退職して妻に先立たれ老年者住宅で一人暮らしする柊氏を、息子の嫁と幼稚園児の孫娘が訪ね、偶然同席した俳句会仲間の老人と4人でなりゆきで「歌仙」の真似事をする場面が、馬鹿馬鹿しくて面白かったくらいか。
さ蕨や垂水の上のいはつばめ(句仲間の某老人)
南風なら恋叶ふらん(柊氏)
青空に洗濯もののよく乾き(息子の嫁)
遠足は動物園へ行く(孫娘)
白クマもうだる暑さや夏木立(某)
白クマ好き(孫)
夕涼み風鈴の音チリンチリン(柊)
将棋さす手に玉の汗かき(嫁)
孫娘の付けは、単におしゃべりなのだが、こんな連句ならMorris.も参加できそうだ(^。^)ふと、「蕨」という字は「蠍」に似ていると思った。
【薔薇窓】箒木蓬生 ★★★☆ この作者のものにしては珍しく、舞台が外国、それも万国博覧会が開催中の1900年のパリとなっている。主人公は裁判所付け特別医務室に勤務する精神科の医者で、何かのショックで心を閉ざした日本人少女に出会ったことから、物語が始まるのだが、600頁近い長編だけに、登場人物も多く、ストーリーも錯綜している。主人公が日本趣味(鍔の収集)で、パリ在住25年の日本人骨董商とつきあいがあり、これがきっかけで日本娘を病院から手元の食堂に住み込みで働かせながら治療することになる。1世紀前のパリの街の風物や、たたずまい、万博会場や、それにちなむ日本の芝居、軽業の舞台見物などの興味深い場面が多く、その一一がなかなか精細に描写されていて、これだけ独立して楽しめるくらいだった。その他、犯罪がらみの精神病患者を次から次に診察する必要のある主人公が、的確に判断を下すくだり(すごく多い)も、さすがに専門家(筆者は専門医)だけあって、納得させられる。
若い外国人女性が次々に誘拐される事件と、日本娘の関わりが、メインストーリーなのだが、こちらの方は、あまりにご都合主義だし、小説としての魅力も欠けるが、それに目をつぶれば、Morris.にはかなりの長時間を通して楽しめる作品だった。
主人公が当時としては珍しい写真の趣味があり、同好会が事件解決の糸口ともなるのだが、それとは無関係な写真論みたいな文章が記憶に残った。
ヴァンセンヌの森で、湖の風景を撮ったとき、現像の手違いで、周囲の森がぼやけてしまった。湖に突き出た舟着き場と、打ち捨てられたボートだけがくっきりと形を成していた。それが却って幻想的な雰囲気をかもし出し、周囲はあたかも霧に閉ざされたようになっている。
物事ははっきりし過ぎると、人の興味をつないでおれなくなる。絵画でも同じことだ。何から何まで明瞭に描かれていると、見る者はじきに退屈する。だから画家は、自在にぼかしを加え、神秘さを残すのだ。
こんな風にところどころに、なかなかうがった省察などもあり、著者の教養の広さも伺えるし、医者としての仕事をこなしながらの健筆ぶりにも舌をまく。
2001/11/20(火)●引越し流行り?● |
【濁流】蔡萬植(チェマンシク)三枝壽勝訳 ★★☆☆ 朝鮮日報1937年11/12-38年5/17まで連載された、新聞小説である。ストーリーは、地方の娘初鳳(チョポン)が家族の犠牲となって、録でもない男と結婚させられ夫の死後も不運に巻き込まれ、ソウルで子供をなしてつきまとう男を蹴り殺してしまうという殺伐とした通俗小説で、何でこんなものを今ごろになって邦訳したのかと思う(おまけに500pと、やたら長い)のだが、訳者によるとこの訳は「異質な世界の異質な発想を理解できるかの試金石なのである」そうだ。これは弁明ではないのかと思ってしまった。もともと本書は日韓文化交流基金の事業として計画された「韓国文学名作選」の一冊なのだが、同シリーズの一冊「皇帝のために」(李文烈)が、Morris.がこれまで読んだ数少ない韓国小説の第一位の面白さだったのと対照的に、面白さとしては最低ランクであったのは間違いない。それでも最後まで読み通してしまったのは、文体の不思議さにつられたということはあるだろう。訳者の試みはその意味では成功したといえるかもしれないが、それでなくても日本では人気の無い韓国文学を紹介するならば、別の作品を取上げて欲しかったというのが正直な感想である。
【源内先生舟出祝】山本昌代 ★★★ 1987年作だから彼女の初期作品で、たぶん当時読んだはずだ。今回読み直して、Morris.贔屓の「き人伝」のルーツにもなる作品だと思った。平賀源内を皮肉かつ辛辣に描写しながら、冷たく突き放してはいないし、会話が多いとは言え、地の文も、極端に改行が多く、シナリオを読んでいるような気にさせられた。「き人伝」にくらべると饒舌で刈込がなされてないし、粗削りと思う。杉田玄白との友情、秋田藩士直武への複雑な愛情、源内の「器用貧乏」に起因する不幸も、彼女独特の淡々とした筆で描かれると作品として立つというのが、やはり大したものである。
【朝霞】山本昌代 ★★★☆☆ タイトル作を含む、中編3編が収められている。幻想的な「くまん蜂の眠る頃」は退屈だったし、自閉症傾向の女教師の出てくる「木陰にて」は言語学関係のエピソードを除いては面白くなかった。学生時代から創作を始めるまでの自伝的要素の強いタイトル作は、興味深く読めた。星印は「朝霞」だけへの評価である。漱石の『猫』談義も面白かったし、親友に絶交される場面の飲み込みの悪さも彼女の性格の一端がはしなくも表れているようで興味深かったし、音楽、美術、映画、語学、そして谷崎潤一郎、荷風から近世につながる彼女の興味の赴いていく過程を、過不足なく語っていく叙述は彼女らしくて好ましいし、Morris.の野次馬根性を満足させてくれた。
近世は、日本という国家が近代を迎えるために葬った闇の中の世界である。私は恐る恐る出かけたのだろうか。そういう記憶はない。むしろ、気がついたら、そちら側に入っていた。
大変おもしろいところであったのだ、近世というのは。それで帰って来れなくなってしまった。
リアルタイムというのはすてきな言葉である。江戸はリアルタイム、そして今現在ももちろんリアルタイムなのである。
舞台としての江戸の枠を取り払って、現代を未来を他所の土地をと、どこでも書きたいものを書いていくつもりでそれも自然、実行に移している。
2001/11/19(月)●獅子座流星群● |
【定義集】ちくま哲学の森 別巻 ★★★
600頁近い定義集だが、「楽しむ哲学」というコンセプトのシリーズらしく、結構くだけたものも含まれている。定義は短いものほどいい、という考えなので、3行以上のものは流し読みして(^.^;)しまった。
技あり一本、うまい!!という奴や、思わず笑いを誘うもの、詩的なもの、粛然とせざるを得ないものまでいろいろあるが、いずれも言葉の妙技である。やっぱり言葉っておもしろい。
[愛]愛するということは不運である。お伽話の中の人々のように、魔法が解けるまでそれに対してどうすることもできないのだ。(プルースト「失われた時を求めて」)
[悪魔] 神が食物を作り、悪魔が調味料を作る。(ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」)
[うらみ]およそこの世において、うらみはうらみによってしずまることはないであろう。うらみをすててこそしずまる。これは不変の真理である。(ブッダ「中部」)
[運命]運命、それは性格だ。(ノヴァーリス「断片」)
[映画]映画は夢の工場。(エレンブルグ)
[エゴイズム]エゴイストとは私のことを考えてくれない人のことである。(ウージェーヌ・ラビシュ)
[老い]老いとは、要するに生きたことに対する懲罰にほかならぬ。(シオラン「四つ裂きの刑」)
[死]死は一種の救いなのかも知れないわ。(マリリン・モンロー)
[俳句]私は俳句の本質--俳人達は「俳句性」という言葉で言っているが--について、三箇条を挙げている。それは、一、俳句は滑稽である、二、俳句は挨拶である、三、俳句は即興である、という三箇条である。(山本健吉「"軽み"の論」)
[俳句]「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳い句である。」「いくらやっても俳句の出来ない性質の人もあるし、始めからうまい人もある。」(夏目漱石 cf寺田寅彦の回想)
[美]美とは無言の欺きである。(テオフラストス)
[不幸]自分自身の不幸によってよりは、他人の不幸によって学ぶ方がずっといい。(イソップ)
[無]あらゆる規定は否定である。(スピノザ)
[目的]不正な手段を必要とするような目的は正当な目的ではない。(マルクス)
[勇気]勇気とは、死に急ぐ形を取りながら生きようとする強い欲望。(チェスタトン「正統とは何か」)
Morris.は人間がひねくれてるせいか、直球勝負より、変化球、逆説的な定義に惹かれる傾向がある。本書中、一番引用句の多かった「人間」の項から複数を引いておく。
[人間]
・人間は、ただ神の遊びの具(玩具)になるように、というので創られたのです。(プラトン「法律」)
・買手:では人間とは何か。
ヘラクレイトス:死すべき神々だ。
買手:神々とは何。
ヘラクレイトス:不死なる人間だ。(ルキアノス「哲学諸派の売立」)
・人間は自然に服従しながら自然を支配する。(F・ベーコン)
・人間、取引きをする動物。(アダム・スミス「国富論」)
・人間は自分の属する種の全体を皆殺しに出来る唯一の動物である。(エリクソン)
・人間は自殺することのできる動物である。(日高敏隆)
・人間は他人の経験を利用するという、特殊な能力をもった動物である。(コリングウッド「歴史の理念」)
・人間は、時を結びつける能力のある動物である。(コージブスキー「科学と正気」)
・人間とは自分の不幸だけを見て、愚痴をこぼす動物である。(出典不明)
・人間は、自分でルールをつくって自分で楽しんでいる動物である。(田辺聖子)
・人間はその食うところのものである。(伝フォイエルバッハ)
・人間は息と影に過ぎない。(ソフォクレス「断片」)
・人間よ、汝、微笑と涙のあいだの振り子よ。(バイロン)
・人間は人間の未来である。(ポンジュ)
Morris.も自前の定義を一つ作ってみた。
[定義]定義は先に言うたもん勝ちである。(Morris.)
2001/11/18(日)●17年ぶりのメダル● |
【紅茶の本-増補改訂版】堀江敏樹 ★★★☆☆ 大阪堂島の紅茶専門店「ムジカ」を経営している筆者のこの本は、一時色んな紅茶本を読み漁っていた頃に読みたいと思いながら図書館では見当たらず、そのままになっていたのだが、例の検索システムで調べたら、灘図書館と東灘図書館には有るということが分ったので、早速灘図書館で借りてきた。これまで見つからなかったのは、この本が分類619つまり園芸や有用植物の棚に置かれていたためだった。Morris.は597(調理、飲食)の棚しか見ていなかった。確かに本書は、紅茶の美味しい入れ方、各種紅茶の特徴などのほか、スリランカへの表敬訪問のルポや、紅茶栽培の歴史などにもかなりページを割いているから、どちらにおいても間違いではないのだろうが、やはり他の紅茶入門本と同じ場所に置いといて欲しかった。
89年に元になる本が出され92年にこの改訂版が出たから、10年以上前のデータだが、紅茶自体はそれほど変化はないだろう。最初にこの本読んでたら、類書は読まなくて済んだかもしれない。そう思うくらい、必要充分な内容である。
美味しい入れ方に関しては類書での学習効果の甲斐あって、ほぼ今の入れ方で間違いはないようだが、ミルク(牛乳のことね)は人肌くらいの方が望ましいと書いてあったのでなるほどと思った。冷えたミルクだと紅茶が冷めてしまうし、あっためたミルクだと紅茶に膜が張ったりするものなあ。
チャイの作り方もわかりやすくて参考になったが、「チャイ」がお茶のことだから「シチュードティ」と呼ぶというのは、イメージが湧かない。同じイギリスブランドの紅茶でも、日本向けのものは日本の水に合わせてブレンドしているから、向こうの製品をそのまま直輸入しても本来の味はでないとかいう指摘も肯ける。
その他、水出し紅茶は愚昧だというのも、Morris.の好きなNeptuneを否定されたようで、ちょっと悲しい。もっとも、もともとがNeptuneみたいなフレーバーティは、認めない立場の著者だから、あれは、紅茶とは別の飲み物と思うことにしよう。
復習を兼ねて、美味しい紅茶の入れ方を。
1.新鮮な水をすぐ火にかけて沸騰したらすぐ(沸騰したまま時間の経過したお湯は酸欠になるので)ポットに注ぐこと。市販の「おいしい水」などは不可、魔法瓶や保温ポットのお湯は論外。美味しい湧き水などが手に入る環境以外なら、水道の水を勢いよく出してから入れれば充分。
2.温めたポットに、適量(たっぷり目、葉の大きさに応じて一人前(カップ2,3杯分=3-6g)の茶葉を入れておく。
3.待ち時間はお茶の量に比例する。3-6分。この間ポットの中で茶葉が循環してることが重要。
4.軽くポットを振り、温めておいたティーカップに、静かに茶漉しかストレーサーの上から注ぐ。回転茶漉しもカップに引っかけずに手で持って濾すこと。
5.水色、香りを楽しんだ後、好みに応じてミルクを入れる。
6,2杯目3杯目は濃くなるので、渋味を味わうも良し、お湯をさすのも良し、ミルク多くして濃厚な味を楽しむ(Morris.はこれ(^。^))もまた良し。
7.ポットが冷めないよう、コジー(ポットカバー)は、効果的。特に夏の冷房の効いた部屋では有効。
後、高価な紅茶をちびちび飲むより、一般的なお茶を日常的に飲んで回転を早めることが大事とか、自販機の缶紅茶は紅茶にあらずとか、紅茶のCMあれこれとか、とにかく紅茶大好きというのが伝わってくる記事だらけで、文章は素人っぽいし、構成もばらばらだったりするのだが、同好の士(かなりギャップはあるけど)としては実にいい本だと思う。
2001/11/17(土)●海鼠の句● |
実平の手を辷りたる生海鼠哉 鳥酔
わたつみや餌たにまかて生海鼠かく 白雄
憂き人の心にも似し生海鼠哉 青蘿
浦人や思あり気に生海鼠かく 保吉
浮出てゝ憂きともなかぬ生海鼠哉 士朗
紅葉生海鼠にも物の心哉 仝
浮歩く生海鼠に家はなかりけり 完来
をかしさや生海鼠の好か名に立ちし 葛三
闇の夜の沢山になる生海鼠哉 祥禾
鉢の生海鼠梅の一枝乗せてけり 鹿古
俎にあくれは動く生海鼠哉 一草
海士か子よ宿も定めぬ生海鼠哉 月居
とうなりと生海鼠は人に任す哉 江戸 星高
二夜居て音を持つ桶の生海鼠哉 三津人
松風と千島の下の生海鼠哉 阿波 普鮮
白波の物としもなき生海鼠哉 角米
海鼠食ふは穢いものかお僧達 嵐雪
日を拝む腹に目もなき海鼠哉 沙羅
酢の中をけた逃歩く海鼠かな 吐月
魚市の昼過めける海鼠哉 因是
泡沫の泡や海鼠に積りけん 月巣
暗きより暗きに生海鼠売られけり 伊豆 仙風
死なんこと知らて静な生海鼠哉 加賀 子皐
捨てゝあるものと思へは生海鼠哉 美濃 南甫
尾鰭ふる中に睡れる生海鼠哉 備後 古橘
網子むれて踏みつふしたる生海鼠哉 浪花 作者不知
尾頭の心もとなき生海鼠哉 去来
生きなから一つに氷る生海鼠哉 芭蕉
うかうかと海月に交る生海鼠哉 仝
砂原に吹上けられし海参哉 如行
蒟蒻の角むつかしと生海鼠哉 左次
生海鼠哉夜か明けたやら暮れたやら 露川
汲汐に転び入るへき生海鼠哉 利雪
市へ出て未た目の覚めぬ生海鼠哉 春波
器物のなりに寝て居る生海鼠哉 山李
生海鼠ともならて流石に平家也 涼菟
海鼠腸に秋風そふく海雲売 京 仙鶴
能州の人に生海鼠を貰ひ鳧(金華伝)
こぞりあふ寒さも桶の海鼠哉 万古
石鉢に寒さをすくむ海鼠哉 老鼠
むくつけき海鼠そ動く朝渚 露沾
いつ見ても濡身のまゝの海鼠哉 馬光
頭から蒲団被りし海鼠哉 清泉
海鼠腸の壺埋めたき氷室哉 利重
月雪の身を香に匂ふ海鼠哉 士巧
めづらしと海鼠を焼や小野の奥 俊似
酌む汐にころけ入るべき海鼠哉 利雪
思ふこといはぬさまなる生海鼠かな 蕪村
引き汐のわすれて行きしなまこかな 蝶夢
蜆子にも逢はで漂ふ生海鼠かな 蓼太
生海鼠干す伊良古が崎の二日凪 暁台
憂きことを海月に語る海鼠かな 召波
俎板の氷をぬめるなまこかな 太祇
釣針の智恵にかゝらぬ海鼠哉 也有
活て居るものにて寒き海鼠哉 几董
むかし男なまこの様におはしけむ 大江丸
あぐる竿急や海鼠の突けたらし 播水
海底の火の山ねむる海鼠かな 晋
海鼠食ひし男まぎれぬ街の燈に 展宏
海鼠腸をすするや絹をすするごと 尺山子
海鼠切ることに器用を働かせ 敦子
うすずみに寒の海鼠の深ねむり 治司
目には見(え)て手にはとらこのぬめり哉 成之『続境海草』
女波男波よりうみ出すなまこ哉 政俊『桜川』
喰物と知れとうるさき生海鼠哉 白良『猿舞師』
酢にあふて骨あるやうななまこ哉 竹紫『草苅笛』
海鼠畳は咽通る間の手ぎは哉 止水『類柑子』
丁銀の握りごゝろや初生海鼠 越蘭『正風彦根躰』
ぬり箸に兵法つかう生鼠哉 慰角『三千化』
二三盃浪をはづれる海鼠哉 祇丞『園圃録』
寒い日に笑のたえぬ海鼠哉 里夕『鶉たち』
尻口のとゝのはぬ世に海鼠哉 草也『俳諧三崎志』
何の実の沈んで動く生海鼠哉 尾風『湘海四時』)
ぬけて出た貝もあるべきなまこ哉 路尹『武埜談笑』
献立に目鼻は付て海鼠哉 也有『ありづか』
出してをけば自堕落に成(る)海鼠哉 尺布『俳諧新選』
似た物と猫も見て居る海鼠かな 柳居『柳居発句集』
俎板にまだ眼の覚ぬ生海鼠哉 素丸『素丸発句集』
北へむくあたまも持たぬ海鼠哉 晩得『哲阿弥句藻』
頭から蒲団かぶれば海鼠かな 蕪村『新五子稿』
天窓(あたま)から蒲団被りし生海鼠哉 清泉(俳諧古選)
山へやる荷物にふつゝかななまこ哉 篤老『篤老園自撰句帖初編』
天地の昔しも今も海鼠哉 馬卵『やまかづら』
一休の買てゆかれし海鼠哉(花讃女『萩陀羅尼』)
水底に平家ほろびて海鼠かな寥松『八朶園句纂』
海鼠噛むそれより昏き眼して 中村苑子
海鼠切って海の暗さの手に残る 宇都宮伝
白昼の海鼠に尋ねられており 五島高資
酢海鼠に切りきざまれしとき見たり 日出登
酢の中にこころうろつく海鼠かな 日出登
喉すぐる酢海鼠このむ年となり 谷口満寿子
女にはいやだと言へぬ海鼠かな 齋藤洪郎
口の中なすすべもなき海鼠かな 平方文雄
海鼠喰ふ歯のおとろへを妻も言ふ 西島麦雨
凍りあふて何を夢みる海鼠かな 松瀬青々
海鼠提げ誰に逢ひても口きかず 加藤楸邨
心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな 石田波郷
古妻や馴れて海鼠を膳に上(の)ぼす 嶋田青峰
無為にして海鼠一万八千歳 子規
海鼠また此巌蔭に雌伏せる 虚子
砂の中に海鼠の氷る小さゝよ 碧梧桐
かけつけのこのわたざけはすこし無理 万太郎
生海鼠きる手にもみ裏の見ゆるなり 青々
滾々と水湧き出でぬ海鼠切る 百間
干潟には赤濁の波海鼠突く 貢太郎
なまこ舟礁越す波に漕ぎうつり 橙黄子
海鼠舟ふくるゝ潮にさからはず 野風呂
厨の灯たぬしむごとく海鼠売 夜半
雑念は失せぬなまこのごとく居る 鷹女
古びたる船板に置く海鼠かな 草城
蜑老いぬ根つき海鼠を突きながら 元
牡蠣よりも海鼠の黙ぞ深からむ 瓜人
夕されば海はしぐれぬ海鼠売 掬池路
海鼠噛む遠き暮天の波を見て 龍太
海鼠舟竿しなはせてあやまたず 時彦
ついでに海鼠の歌の引用もいくらかあり、そのなかにMorris.の歌集『夢の小径』中の
軟かき夢の身体ぞ妬ましき紅き海鼠の腸を断つべし
まで引用されていた。この引用があったので、robinからメールが来たのだろう。
スポーツの秋ということで??最近、TVでのスポーツ観戦ばかりしてる気がする。
今日も2時から神鋼-ワールドのラグビー、2時半から日本-ロシアの女子バレー、9時から日本-キューバの野球と目白押しで、時間重なってるのもあるし、夜はさりーちゃん招請の飲み会あるので、ビデオ大活躍させねば。明日は女子マラソンもあるらしい。
ラグビーは神鋼が快勝で関西リーク優勝を決め、バレーはロシアの高さに手が出ず、ストレート負けだった。
夕方灘図書館に行き、7時に待ち合わせて「あうん」に。今日はさりーちゃんは不参加で、堀姉妹と伊藤君だけ。しかも今日はヒアカムでフクイーズのライブだったらしい。Morris.はてっきり明日だと勘違いしていた。残念無念。
10時に帰宅して野球見る。延長まで縺れ込んだが結局11回2点を与えて日本は敗退してしまった。
2001/11/16(金)●ユカリちゃん、Fightin'!!● |
【インターネットセキュリティ】ユニゾン ★★☆☆ 「用語からカンタンにわかる」という惹句に引かれて借りてきたのだが、結局Morris.にはほとんどがチンプンカンプンだった。用語というのの大部分がヨコ文字、さらにはアルファベットの略語だらけで、まずこれを把握するのが一苦労で、章とコラムのタイトルに出てくる略語だけでも
ID,TCP/IP,DNS,PPP,DHCP,FTP,HTTP,RAS,VPN,TA,DSU,MIME,HTML,URL,ASP,CGI,PGP,S/MIME,SSL,SET,DoS,RAID,LAN,OSI,SSI,PKCS
大体理解出来るのが1/5、何となくイメージできるのを入れても1/3、あとは何がなにやらわからない.略語の利点というのも認めざるを得ない(たとえば「URL」の代わりに毎回「Uniform Resouruce Locator」と表記されたらたまらん)のだが、明解な日本語にしてみようと言う努力は初めから放棄されている。PCの世界が、英語に始まり英語に終わるからだと言われると、それでお終いだし、「Computer=電子計算機」という日本語訳が定着したことが、どれだけ多くの日本人に誤解を与えたかと思うと、はじめからコンピュータと呼んでおいたほうがましだったというのも妥当な意見だろう。しかしこれはこれ、それはそれで、たとえば中国語の「電脳」という訳語だったら、ずいぶんと理解しやすかったような気が(今になってだが)する。
全てのコンピュータ用語を日本語にしろとは言わないが、重要な概念や用語の中で、分りやすい日本語に置き換え可能なものは、そうする方が、大多数の表層使用者にとってありがたいと思う。斯界の進歩の速度は秒進分歩らしいから、そんな悠長なことは無理だと言われるかもしれないが、もし日本人がコンピュータを発明して進化させたと考える時、その概念や用語に、どんな命名をしたかと空想すると、それなりに日本語の世界が広がっていったのではないかという気がしてくる。日本語の中の外来語(主に英語)の増加率の異常な高さは、以前から言われてきたことでもある。
本書とは、関係ないことばかり書いてるが、自己の理解能力不足を棚に上げて、八つ当たりしてるという気がしないでもない.
本書でわかった、というか、面白かったのは「ハッキングの基礎用語」のパートで、色んなハッキングの手口を紹介していて、たいていが「完全な対応は難しい」で、マナー、モラルの向上に期待するという論調が多かった。
著者のユニゾンというのは会社名らしい.
2001/11/15(木)●ダイナマイトアコーディオン娘● |
2001/11/14(水)●甘すぎる?蜜柑● |
【百人百句】大岡信 ★★★☆☆ 百人の俳人を選びそれぞれの選句の季語の順に並べて、平易な解説と略伝を付したもの。同工異曲は数知れぬほどあるだろうが、さすが「折々の歌」で斯界(^o^)の大御所となった観のある大岡信だけに、目配り気配りのきいた妥当な選句で、もともとが語り下ろしだったという解説も分かりやすい。近世(江戸)俳人と現代俳人をランダムに取上げているのもありがたいし、各俳人一句以外に代表作を数句ずつ本文中で紹介しているから、少なくとも五百句以上の名句を楽しむことができる。俳句の入門書としても、選集としてもお勧めの一冊といえよう。
例によって、印象に残った句を引用するのだが、ちょっと多くなり過ぎるかな。Morris.の知ってる句は省いたので、代表句の半数以上が抜けていることを了解してもらいたい。
行吾もにほへ花野を来るひとり 池西言水
大原や蝶の出て舞ふ朧月
水底を見て来た顔の小鴨かな
時鳥鳴くや湖水のささ濁り 内藤丈草
蝶老いてたましひ菊に遊ぶ哉 榎本星布
花鳥も思へば夢の一字かな 夏目成美
砂原を蛇のすり行く秋日かな 村上鬼城
うすめても花の匂の葛湯かな 渡辺水巴
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
天寿とは昼寝の覚めぬ御姿 阿波野青畝
酢をくぐり小鯵の肌や夕時雨 鈴木真砂女
春の水とは濡れてゐるみづのこと
運ばるる氷の音の夏料理
葉先より指に梳きとる蛍かな
冬深し柱の中の濤の音
硝子屋は硝子をかさね春の雪 長谷川櫂
蛸壺やはかなき夢を夏の月 松尾芭蕉
ながながと川一筋の雪の原
木のまたのあでやかなりし柳哉 野沢凡兆
白魚やさながら動く水の色 小西来山
木兎の独わらひや秋の昏 榎本其角
水底も秋経し色や初なまこ 志太野坡
古井戸や蚊に飛ぶ魚の音くらし
静けさに堪えて水澄たにしかな 与謝蕪村
ところてん煙の如く沈み居り
船の名の月に読まるゝ港かな
秋の夜や紅茶のくゞる銀の匙
雪の夜の紅茶の色を愛しけり 日野草城
美しき緑走れり夏料理 星野立子
金粉をこぼして火蛾やすさまじき 松本たかし
虹自身時間はありと思いけり 阿部青鞋
陰に生る麦尊けれ青山河 佐藤鬼房
尾頭の心もとなき海鼠哉
船乗の一浜留守ぞけしの花 向井去来
海鼠喰ふはきたないものかお僧達 服部嵐雪
初雁や夜は目の行く物の隅
うつす手に光る蛍や指のまた 炭太祇
青海苔や石の窪みの忘れ汐 高井几董
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原石鼎
外套の裏は緋なりき明治の雪 山口青邨
蜩や暗しと思ふ厨ごと 中村汀女
葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男
全長のさだまりて蛇すすむなり
つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
桔梗や男も汚れてはならず 石田波郷
秋風やひとさし指は誰の墓
かくれんぼ三つかぞえて冬となる 寺山修司
落鮎や日に日に水のおそろしき 加賀千代女
枯れ葦の日に日に折れて流れけり 高桑闌更
こがらしや日に日に鴛鴦のうつくしき 井上士郎
夏真昼死は半眼に人を見る 飯田蛇笏
ゆきふるといひしばかりの人しづか 室生犀星
木がらしや目刺にのこる海のいろ 芥川龍之介
元旦やくらきより人あらはるゝ
人をいかる遊魚あるべし水の月 加藤暁台
手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ 高浜虚子
冬うらら海賊船は壜の中 中村苑子
昭和衰へ馬の音する夕かな
かもめ来よ天金の書物ひらくたび 三橋敏雄
ついつい「海鼠」の句を優先的に引用したきらいがあるな(^o^) 長谷川櫂という若手(1954生)は本書ではじめて知ったが、なかなか良さそうだ.
2001/11/13(火)●春待ちCD紹介ページ● |
が、ともかくも日【色と欲】上野千鶴子編 ★★★ 96年に小学館が出した「現代の世相」叢書の1冊で、12人の小論文出構成されている.「欲望する家族・欲望された家族/三浦展」「AVの社会史/赤川学」「飽食と摂食障害/中島梓」「こころの産業/上田紀行」などそれぞれいわくありげなタイトルが並んではいるが、いずれも食い足りないことこの上ない。そもそもが「現代の---」と冠された書物は生鮮食品みたいなもので、リアルタイムに読まねば意味が無いことが多い.それにこの叢書という形態は玉石混交ならまだしも、石ころの寄せ集めだったりする。本書は、上野千鶴子の総論、徳大寺有恒の「日本車の現代史」が比較的面白かったが、Morris.は自動車免許証すら持たない人間で車のことは皆目分らない。唯一山口昌伴の「台所戦後史-台所からキッチンへ、そして---」という30ページほどの小論が飛びぬけて面白かった.日本の台所文化は5年ごと変換しているという説での切り取り方がすごい。
1910(明治43)- 瓦斯化台所の普及
1915(大正4)- 第一次台所改善運動
1920(大正9)- 第一次家電ブーム
1925(大正14)- 木製キッチン、文化流しの時代
1930(昭和5)- 欧米キッチンモデル導入時代
1935(昭和10)- 電化の夢破れて代用品時代
1940(昭和15)- コミュニティキッチンの試行、そして台所炎上
1945(昭和20)l- 道ばた台所,床の間台所、肘掛窓台所
1950(昭和25)- 愚妻から愛妻へ、都合により主婦の変貌
1955(昭和30)- キッチンセット×家電製品、日本型キッチンの成立
1960(昭和35)- 建築家の理念実現願望の発展的解消
1965(昭和40)- キッチンの主題の変貌--仕舞えるキッチン願望
1970(昭和45)- セットキッチンの完成と解体
1975(昭和50)- システムキッチンへのプレリュード
1980-1995 三極分化「短いシステムキッチン」「調理台より配膳台キッチン」「プロ志向,プロはだしキッチン」
これだけでは分りにくいかもしれないが日本の台所/キッチンの猫の目のように形態を変えている割には、本質的には変わってないのではないかという気がする。
2001/11/12(月)●しし鍋● |
2001/11/11(日)●ライブ三昧● |
2001/11/10(土)●歌集『木の精』● |
2001/11/09(金)●Migrine-偏頭痛● |
【神戸在住】木村紺 ★★★ 地震の後、神戸に引越し、神戸北野にある大学の美術家に在籍する主人公(=作者)が神戸の街、店やスポットの紹介、そして震災のエピソードなどを、交友関係を通じて、淡々と時には切々と綴っていく、エッセイ風の漫画である。98年から講談社の「アフタヌーン」を中心に飛び飛びで連載されたもので、単行本3巻まで出ていて、現在も継続中.
神戸在住25年になんなんとするMorris.にしてみれば、わが町を舞台にした漫画ということだけでも興味はあったし、稲田さんがプッシュしていたので気になっていた.で、なかば強引に稲田さんから借りて、二日がかりで読み終えた。漫画3冊にしては時間がかかってしまったのは、.ネームが多くかったのと、物語のリズムが、さっさと読み飛ばすのに不向きだったためだろう。
絵ははっきり言ってうまくはない。少女漫画志望の高校生の方が巧いかもしれない.やたら多い登場人物の顔が見分けつかなかったり、風景も写真の引き写しだったりする。最初ぱらぱらと見たとき、やけに白っぽい絵で、下書きみたいだと感じてしまった.いまどきの漫画にしては、スクリーントーンを全く使っていないのは珍しい。おまけにベタすらほとんどなく、影や黒髪などは、すべて手書きの細い横縞で処理されている.
主人公がまた、えらく繊細で、ウブで、素直で、おかげで友人には恵まれているという設定だが、主要な友人はそれぞれに魅力的に描き分けられている。中国人、フランス人などの外国人も多数登場するし、学友の出身地もバラエティに富んでいて、神戸の雰囲気をいろんな角度から描写し得ているのには驚かされた.弟の彼女や、同棲してる友達がいたり、ほほえましい恋愛ストーリーもあるのだが、途中から震災のエピソードがメインになり、ボランティアの内情を深く掘り下げたり、震災後の人間関係の軋轢などもきちんと書かれていたので、読み進むほどに身につまされたりもした。
全体に頻出する、細部へのこだわり、些細なことへの愛情みたいなものが、この漫画を味わい深いものにしている。たとえば、元町高架下の店の紹介、懐かしの絵本、想い出の曲、浴衣の帯の結び方の丁寧な説明ぶりなども、好感を覚えた.個人的には大阪出身美術科の鈴木さんが好きだったのだが、途中で嫌味な行動をとったりするのを残念に思った.。
2001/11/08(木)●プレゼント攻め● |
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【俳句の方法 現代俳人の青春】藤田湘子 ★★★ Morris.のぐい句とはほとんど対極に位置するタイプの正統派俳人藤田湘子の俳書は、「俳句作法入門」を読んで、しばらくぐい句ができなくなったことがある(言い訳かも)くらいなのだが、本書は副題にもあるとおり、彼の青春時代、太平洋戦争末期俳句に目覚め、水原秋櫻子の門下に入り、戦後「馬酔木」同人となり、第一句集「途上」を出す昭和30年までの修行時代の半自伝である。もちろん、師秋櫻子や、波郷など当時の代表俳人の句や、自作句の引用も多く、それぞれ楽しむことが出来た.また俳句結社というものの、美点欠点もよく分るような気がした.
戦後まもなく、馬酔木から離れるにあたっての瀧春一の句
・かなかなや師弟の道も恋に似る 春一
から、俳句の師についてさまざまに考えを巡らしたあげく、秋櫻子に着いていこうと決心した筆者も、それから20年後に馬酔木を離れるわけだから、これは伏線なのかもしれない。秋櫻子に寵愛されながら、一時期女性関係のことで疎まれ、再び寵愛を取り戻す経緯など、単に師弟云々関係を越えたどろどろしたものがあったのではないと勘繰りたくさえなるが、それは筆者の本意ではないだろう。
波郷が、秋櫻子第一と推した句と、本書中で印象に残った湘子の句を並べておく。
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋櫻子
愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子
2001/11/07(水)●日本、イタリアに健闘● |
【緑色の濁ったお茶 あるいは幸福の散歩道】山本昌代
★★★☆☆ 長いタイトルのわりに全体で168頁と短い。彼女の本は総じて薄手で軽い造本が多い、そして、これが彼女の作風と無関係ではないような気がする。
本書は「奇妙な風味の小説」である。ウォーキングを趣味とする年金生活の父、軽い持病を持つ母、小説を書いている姉、強度の身体障害者で詩を書く妹の4人家族の日常が、妹の独白と、対話を中心に語られていく。父が直腸癌で入院し、手術をするというのが一番大きな事件だが、小説の眼目は、会話の端々のフラグメントが妹の空想世界のなかにはめこまれて一つの作品、たとえば風景画のようなものに再構築されていくところにあるようだ。作風はまるで違うのに、金井美恵子に似たテイストを感じたのだが、錯覚だろうか。
特に、姉(可李子)妹(鱈子)の会話に出てくる作家や詩人などの顔ぶれが興味深いし、そのうち数人の簡単な略歴紹介ぶりは「き人伝」に通じるところがあって楽しめた。
勝海舟の後援者でもあった、竹川竹斎、「山椒魚」の井伏鱒二、インディオの作家レスリー・ウィスコウ(Morris.は初耳)、「センチメンタルジャーニー」のロレンス・スターン、詩人の八木重吉。妹はプロテスタントに入信しているし、教会の人から貰った詩集という設定になっているから不自然ではないのだが、八木重吉が出てきたときは、ちょっと驚いた。そして詩句の引用もある。
「ぽくぽく
ぽくぽく
まりを ついていると」
可李子が読み出した。
「ここがいいの。
まりを
ぽくぽくつくきもちで
ごはんを たべたい」
鱈子さんは不思議な気持ちがした。その詩は、鱈子さんの良いと思った詩だったからである。特にその「ぽくぽく---ごはんを」という箇所は、鱈子さん自身が魅力のある表現だと感じたところであった。
体調が悪くて食事がろくにできない時、この詩のその部分は、本当に切実に胸に迫るものがあった。
Morris.は八木重吉の愛読者ではなく「素朴な琴」一編の美しさをおぼえているくらいだが、手元にある創元社版「現代日本詩人全集12」にあたってみた。件の詩らしきものはあったが、肝腎の「ごはんをたべたい」の部分が見当たらない。
○
ぽくぽく
ぽくぽく
まりを ついていると
にがい にがい にがいいままでのことが
ぽくぽく
ぽくぽく
むすびめが ほぐされて
花がさいたやうにみえてくる
○
ぽくぽくひとりでついてゐた
わたしのまりを
ひよいと
あなたになげたくなるやうに
ひよいと
あなたがかへしてくれるやうに
そんなふうになんでもいつたらなあ(八木重吉)
この詩は重吉の遺稿詩集に収められているようなので、全集に当たれば見つかるかもしれない。
2001/11/06(火)●「ヤ号作戦」膠着状態● |
【雑草博士入門】岩瀬徹、川名興 ★★★
「たのしい自然観察」という副題があり、基本的には小学生向けの啓蒙書なのだろうが、カラー写真、特に拡大写真が多くて奇麗だし、花の造り、葉の付き方、根の形、種の散り方など懇切丁寧に解説してあったので、復習のつもりで借りたのだが、なんの、なんの知らなかったことのオンパレードだった。
紫陽花の花びらみたいに見える部分は実はガクであるくらいのことはMorris.も知っていたが、どくだみの場合は総包片で中央の穂状の花は花びらもガクも持たない珍しいタイプであるということまではしらなかった。またオオバコの種は濡れるとくっつきやすくなり人の足や、車のタイヤについて遠くまで繁殖するとあり、漢字名「車前草」というのが改めてなるほどと思ってしまった。
また踏まれて強い雑草は、もともと姿勢が低いタイプが多いが、それらを「枝分かれ型(スベリヒユ、コニシキソウなど)」「茎が這う型(ギョウギシバ、クローバーなど)」「叢生型(スズメノカタビラ、ニワホコリなど)」「混合型(ツユクサ、カキドオシなど)」に分けて紹介するなど、非常にわかりやすい。たしかに子供にも大人にも有用な一冊である。
発行元が全国農村教育協会というのがいかにもで、同社では「校庭」シリーズというのも出しているらしい。「校庭の昆虫」「校庭の野鳥」「校庭の昆虫」「校庭の樹木」「校庭の作物」「校庭の花」と、多数が出ているから、人気シリーズなのだろうが、最新刊は、なんと「校庭のクモ・ダニ・アブラムシ」だ。これはあまり売れないのではないだろうか。いやいや推薦文中に「先入観で好ましくない生き物ときめつけるのではなく、同じ地球上の生き物として尊重する気持ちを大切にしたい」とあるとおり、あまり目立たないこれらの生物を知ることこそ真のナチュラリストを育てる基盤になるのだろう。
2001/11/05(月)●The 3rd Anniversary● |
【睡魔】梁石日 ★★ 例によって主人公は著者をモデルにしているのだが、本書では比較的フィクションの部分が多いような気がする。それがいい方向に出たら良かったのだが、読後感は「げんなり」の一言に尽きる。
昔の仲間とネズミ講まがいの健康マット販売グループに関与して、抜群の成績をあげながらも、持ち前の性分と偶発事件等から破産状態に追い込まれる。主人公は、告発小説の出版を盾に被害金額を取り返すことには成功するが、過去に溯る個人的借金を払い、妻子も離れていってしまい、結局は何もかも無くしてしまうというラストまで、ストーリーはそれなりに繋がってはいるが、販売グループの勧誘方法や、研修会での商品説明、集団心理と洗脳を含む講習の内容が、しつこいほどに(本書全体の半分以上を占める)書き込まれてあり、これでは小説としての体をなしていないと、言い切ってしまおう。
勘ぐれば、過去に著者自身が(あるいは身近でそんなトラブルに巻き込まれた知人がいたのかも)本当に告発小説を書こうとして、それを改めて焼き直したのではないかとさえ思いたくなる。「夜を賭けて」のような傑作を持つ著者のファンとして、応援という意味で、喝を入れたいと思う。
2001/11/04(日)●敏馬小唄● |
新小唄 敏馬小唄
作詞 佐久羊村
作曲 近藤十九ニ
振付 花柳芳次郎
1.夢の敏馬が 狭霧に明けりや
いきな姿の 通勤つばめ
乙女心を迷はせる 迷はせる
2.摩耶のお山は ヴエールをかけて
恋の満願 ふり袖小袖
中を取り持つケーブルカー ケーブルカー
3.ボートレースは 敏馬の沖よ
オール持つ手も 君ゆへ踊る
心とり舵恋の舵 恋の舵
4.今日もとろりと 夕日が沈みや
ネオンサインに またさそわれて
君を待ちましよ街の角 街の角
5.宵の明るい 阪神国道
ジヤズに合はせた 足どり軽く
流す横眼が気にかゝる 気にかゝる
6.波に照る月 しんから蒼い
敏馬やしろの 木陰にひとり
たれをまつやら紅の帯 紅の帯
7暗い港に 灯影が残る
残る思ひが 持つ杯に
落ちて別れの涙雨 涙雨
8.カクテール飲まうか マージャンせうか
いつそ敏馬の 可愛いゝしやくで
しらずしらずに夜は更ける 夜は更ける
ジャズやボートレースにケーブルカーが出てくるあたりは神戸らしくてよろしいが、8番の歌詞は、完全に「映画見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか」(東京行進曲)のぱくりだね(^o^)
そのあと春日野道の勉強堂に行ったら閉まっていた。日曜休みではなかったと思ったのだが勘違いだろうか。仕方ないので、大安亭商店街を冷やかして帰る。
【青春マンガ列伝】夏目房之介 ★★★☆ 夏目のマンガ論は定評があるし、Morris.と同世代で、好きなマンガも重なる部分多いので、結構よく読んでいる。本書は彼の青春期の自伝的色彩が濃く、それはそれで面白いのだが、そのぶん、マンガ論としてはちょっと物足りない感じもする。もともと「マルコポーロ」で連載始めたものの、同誌が廃刊になり、間をおいて「鳩よ」で連載を再開、両者をまた再編成したものにいくらか加筆したものである。宮谷一彦、鴨川つばめへの論及は読み応えがあった。ほかはバロン吉本の初期作品がアメリカンコミックそのものであったことや、永島慎二への傾倒と卒業、佐々木マキのエピゴーネンになりかけていたこと、「赤色エレジー」(林静一)と「同棲時代」(上村一夫)の比較、師事していたしとうきねおの隠れた傑作紹介、などなど、やっぱり色々気になる話題満載で、しっかり読まされてしまった.岡田史子はやや否定的に取り上げてあったが、引用のカット見るだけで懐かしさが込み上げてきた。
彼が後年、マンガ批評の仕事を始めることに関連して、橋本治の「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」1979に触れて、次のように書いている.
もし橋本治があのままマンガ論を次々展開してくれたら、私は現在のようにマンガ批評にのめり込まなかっただろう。何も苦労して自前の粗雑な批評をつくりあげることはない。読者として橋本を応援していればすむのだ。けれど天才は気まぐれで、待てど暮らせど次の展開はなく、結局私はずっとあとになって自前でマンガ表現に手をつけることになったのである.
現在日本で有数のマンガ批評家の夏目にしてこの言葉あり、ということからも、橋本の一冊がいかに画期的な作物だったかがわかるだろう。Morris.もあれを読んで、当時書きかけていた大島弓子論を反故にしてしまったという、ほろ苦い想い出がある。
後書きの末尾に「この本でとりあげたマンガを全部知ってる人間って、日本広しといえどもそうはいないだろうなぁ」と書いてあるが、確かにMorris.も95%くらいしか知らなかった(^o^)
2001/11/03(土)●http://www.ysugiyama.com/vinyl/● |
【ピンの一(ぴん)】伊集院静 ★★☆☆☆ 競輪、麻雀、競艇、競馬、花札、将棋、ちんちろりんまで賭博ならなんでもござれの快男児、花房一太(通称ピンのぴン)が、師匠格の勝千や、身の回りの博打好きと、さまざまなギャンブルの場で大騒ぎをやらかすという連作短編。ストーリーも登場人物も破天荒なものだが、ギャンブルの場面だけは、なかなか本格的みたいになっている。Morris.はギャンブルとは無縁の人間だが、フィクションで疑似体験をするのはきらいではない。これはヴァイオレンスもの、スパイものなどを読む時の気持ちに似ている.本書の長所は、主人公の性格が明るいことで、ギャンブルに関しても純粋に楽しんでるところが、浮世離れして楽しめるのかもしれない。みんなから親しまれ、慕われ、もちろん女にももてて、当人はすぐ照れたりするという、お約束のキャラクターだが、こういった作品ではこれでいいのだ。なにせ、お終いには、ピンがギャンブルで勝った金で飛行機を貸切り、みんなと仏蘭西に行き、アラブの王子と、サラブレッドを集めてロンシャン競馬場で、競馬主催して勝負した上、カジノで馬鹿勝ちし、みんなでラスベガスに向かう機内でギャンブルしてる最中に大西洋に墜落し、無人島にたどり着いて、手作りのサイで博打をやるところで紙数が尽きるというホラ話めいた終わり方である。
ところどころで開陳される人生訓、ギャンブル訓みたいなものもしつこくなくて、破茶目茶小説の香辛料となっている。
2001/11/02(金)●夜を賭けて映画化● |
【丸谷才一と22人の千年紀ジャーナリズム大合評】 ★★★☆☆ 「東京人」に連載された鼎談12回分をまとめたもので、過去に5冊出ているシリーズらしいが、Morris.は初めて読んだ。どんなものかは丸谷の紹介を引くのが手っ取り早い。
たとへば草思社を取上げて日本の出版一般にまで話が及ぶ。「朝日ジャーナル」の失敗の歴史を研究して近代日本の知識人を特異な角度から批評する。テレビと新聞の選挙報道を手がかりにして日本の政治のあり方に新しい光を当てる。小学および中学一年生の国語教科書を拉し来つて日本の教育の実態をさらけ出し---慨嘆これを久しうする。いちいち具体的で、しかも議論の構へが大きい。
相変わらず上手いものである。その他には野球映画/小説、世界文学全集、似顔絵とジャーナリズム、新聞短歌、東アジアの漢字事情などの話題が興味深かった。
たとえば、日本の野球映画がつまらないのは、役者が野球を知らないからで、いっそ長島一茂や定岡を起用して映画を作れという、豊田泰光の意見などは大いに賛同できる。
「世界文学は大学院においてではなく、子供部屋においてはじまる。子供たちはとおい昔から伝わる物語、すべての時代とすべての風土の童話をきかされている。彼らはグリム兄弟がドイツ人だからといって反感を持ったり、シャルル・ペローがフランス人だからといって不服をいったり、アンデルセンがデンマーク人だからといって不満を持ったりはしない」(アルベール・ゲラール「世界文学序説)
丸谷「感想文なんて、子どもになんか、できるはずのものじゃないんですよ。なぜ、難しいかといえば、それは簡単なことで、一つの本について書くには、じつは何冊もの同じ種類の本を読んでなければだめなんです。書評家はそういう蓄積があって、そのうえ文章をかく技術もあるからできるわけ。」
【コレクション】山本昌代 ★★★☆☆☆
これは「き人伝」の続編のようなもので、期待して読んだ。期待は裏切られなかった。蘇東坡、ランピオン、蔦重、チェーホフの4人が取上げられている。二人目のブラジルの無法者の頭首ランピオンだけは未知の人物だったが、他は有名な詩人、出版人、劇作家であり、中国、ブラジル、日本、ロシアという出身の振り分けも意図的なものかもしれない。
はじめの2編は、正直言ってちょっと乗り切れなかったが、蔦屋重三郎は、作者お得意の時代、分野でもあり、前作「き人伝」に勝るとも劣らない見事な出来栄えだった。写楽の謎から始めながら「画家は画業を終えていなくなれば、画がその人であろう」で片付ける。蔦屋の出版の推移を冷静に、詳細に書き記しながら、当時の権力と江戸市民の空気への目配りも忘れない。例によって省けるところはどんどん削ぎ落としながら要諦ははずさない達意の文がいい。
江戸の浮世絵史で、ここだけがなぜか時間の流れがとまっているような、奇妙な印象がある。この黒雲母摺りの二十八枚が一斉に蔦屋の店先に並んだ時がだ。二十八体の役者たちは、二百年前のある瞬間をずっと持続させて今に至っている。雲母の光彩の沈み具合が当時と異なるのは当然だが、その一点一点を鑑る度に、写楽が永遠であることを改めて知る。写楽と号した一人の町絵師がではない、その名のもとに創り上げられた絵がである。
チェーホフについてはMorris.はあまり知らないだけに、初めて知る事実にただただ引き込まれるばかりだった。妹マリアの献身的な兄へ愛情と奉仕ぶりは、いささか異常ですらある。
本書で取上げられている4人に共通するのは、「烈しい生き方」ということになるのだろうか。自分に正直な生き方とも言えるかもしれない。
2001/11/01(木)●ノスタル爺● |
【北上幻想】森崎和江 ★★☆☆☆ Morris.の本名と酷似してることもあって、他人とは思えない著者の本はこれまでに数冊読んでるし、「からゆきさん」を始めとする、虐げられた女性の歴史を掘り起こす作業には敬意を表するものだが、なにぶん、テーマが重いことと、生真面目過ぎるために、あまり楽しい読書体験にはならない。本書は副題に「いのちの母国をさがす旅」とある。
朝鮮生まれの著者が、戦後日本に帰国してアイデンティティを探しながら、からゆきさん、済州島や北海道や玄海町の海女、沖縄の祝女(のろ)、陸奥の縄文遺跡、奥羽地方の安倍一族の軌跡、北上市の鬼剣舞にうぶめ鳥の幻想を見るまでの心の揺れ動きには、正直言って付いていけないものを感じた。
ウィーンの高齢の日本史研究家スラウィク博士からの手紙に、森崎姓に関する言及があったというところが、一番印象に残った.
スラウィク博士は、森崎という苗字は日本にはさして多くはないが、九州に傾くように思われることだとか、長崎奉行が寛文年間に長崎市外浦の旧地名・森崎の地に移ったことや、同地の森崎神社のこと、島原地方の森崎姓の人びとのこと、その他にふれておられた。そして森崎という姓を持つ者たちの由来や歴史についての調査に、何らかの協力をということのようであった.
スラウィク博士の妻の母、森崎れいは、からゆきさんだったらしい。そのことから筆者のライフワークと関わりが出てきそうなのだが、結局詳細はわからないままで終わってしまう。
出雲少女 森崎和江
親のない児をうんでしまった
ゆうやけを食べた駒のように
うんだものが親さ
さざなみは岩にたわむれ
海へ散る雨あしに似て
わがうろこはこぼれつづける
とうさんほしや
かあさんほしや
人の児のしわぶきにぬれ
加賀の潜と(くけど)はがらんどう
われをうみたまいし父のごとく
われをうみたまいし母のごとく
海鳴りにこころうばわれ
親のない児をうんでしまった
とうさんは青い石
かあさんは青い石
【三代目柳家三木助】山本昌代 ★★☆☆ 「き人伝」にはまって以来彼女の作品を読みつづけているのだが、本書は、落語家の評伝ということで、「き人伝」に沿った作風のはずなのに、何かいまいち乗り切れなかった。Morris.はあまり落語に詳しい方ではないし、好きだったのは、志ん生、円生あたりだったので、三木助にもうひとつ馴染みがないというのも、理由か知れないが、つい「き人伝」の簡潔にして芳醇な文体の魅力を見出せなかった。落語界の事情にも通じているし、登場人物の機微も的確に描いているとは思うものの、三木助のキャラが立ってないと思ってしまった.