Morris.日乘2001年6月
Morris.日乘(i-mode版)

ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。



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市川さんと生駒のピックアップ。思ったより早く片付き、帰りも送ってもらい午後1時半には帰宅できた。一風呂浴びてしばらく仮眠。
夜はヒアカムで六甲UNITのライブ。矢谷智克vo.g.、神田修作vo.g.、伊藤時治tb.、島田和夫d.のユニットで、歌は矢谷、神田が半分ずつ歌うもの。よく練習してるのだが、客の入りがちょっと淋しかった。矢谷贔屓のMorris.としては「虹鱒」「GOOD BY&GOOD NIGHT」の2曲が良かった。アンコールでは何故か社長がStand by me歌ったり、福井君も歌い、おしまいに「GOOD BY&GOOD NIGHT」をもう一回別アレンジで演奏して終了した。

【赤目四十八瀧心中未遂】車谷長吉 ★★★ 先ごろネットで知り合ったかわうそ亭さんの読書録に釣られて借りてきた。「己れの無能にしがみついて」世を捨てた男が尼崎のアパートでモツの串作りをさせらている間に、同じアパートに住む、わけありの朝鮮人女性と関係を持ち、心中に付き合わされそうになるといったストーリーで、いまどき珍しいがちがちの私小説らしい。Morris.は、この手の作品は苦手だが、確かに一種の迫力はある。文章も自分のスタイルを持っているのだが、言う、食うなどワ行五段活用動詞を「言うた」「食うた」と表現したり、強調する語を句点付で「」で囲む、癖は好きになれなかった。

2001/06/29(金)●体力の玄海灘?
昨日までとは別の御影のオーストリア向けのピックアップ現場。予想より荷物が多く、5にん懸りで、現場を出たのは7時半だった。奥さんは韓国人で、石焼きピビンパ用の石鍋が6個あったのは羨ましかったが、これだけハードワークが続くとやっぱり、ばてばてだ。そろそろ限界に来ている。

【月がとっても青いから】久世光彦 ★★★副題にマイ・ラスト・ソング3とある。雑誌「諸君」に連載された愛唱歌エッセイをまとめたもので、本書以前に2冊出ているようだが、Morris.は全く初めて。好きな歌について綴るエッセイというのは安易な企画の割に興味と共感を呼びやすいので、古今数多くの同工異曲があると思う。サンボ通信でも、秋本たかしが「My favorite songs」というタイトルで連載してくれていた。
副題の意味は、自分の末期のときに聴きたい曲という意味らしいが、それにしては、曲数が多すぎるんではないかい、という突っ込みを入れたくなるのは、本書だけで33曲、1,2集を併せるともう100曲になるからだ。
久世は向田邦子ドラマの若手演出家としてのイメージが強いのだが、奥付けの紹介を見ると35年生まれで、もう66歳というのは意外な気がした。また、Morris.はずっと「くぜみつひこ」と思ってたのだが「くぜてるひこ」が正しいというのも初めて知った。
本書に取り上げられている曲は著者のノスタルジー世界BGM棚卸しといった感じで、はっきり言って古臭いものが多い。それだけに大ヒット曲より、中ヒット、隠れた名曲、意外な曲が目白押しだが、Morris.としては西岡恭造さんの「プカプカ」が一番印象的だった。

70年代のフォークを一つだけ選べと言われたら、私はためらわず「プカプカ」と答える。無為にただ走っていた私たちの時代の、あれはシニカルなテーマソングだった。
その西岡恭造が、死んだ。奥さんの祥月命日に首を吊って、死んだ。
歌の命は永遠だという人がいる。「荒城の月」も「みかんの花咲く丘」も「明治一代女」も、いまだって生きているとも言われる。でもそれは、程なく死んていこうとしている私たちの、弁解めいた感傷なのかもしれない。たった四半世紀前のフォーク・ソングでさえ、私たちはその結末をこうして見ているのだ。だとすれば、「マイ・ラスト・ソング」というのも、今わの際の切なさが、虚空に手をさし延べて、もうとっくに死んでしまった歌を道連れに探しているだけの話だろう。

本書で特筆すべきは、全編を通じて、歌詞の引用が多い、というか、引用だらけなのに、どこにもJASRACの承認という文字が見られないことだ。ドラマの中でも既成の曲を使用することが多いのだから、著作権に関しては人いちばい敏感なはずだから、これは、ちょっと不思議だ。単に表記のみ省略で、使用料は払っているのかもしれないが、以前も書いたように、正当な引用は自由に行える状況を望みたいMorris.にとっては、気になるところではある。

2001/06/28(木)●元祖春待ち
御影の現場の最終日。大きな現場の最終日はたいていえらい。それでも5時過ぎには梱包終えて、倉庫で降ろして、7時半には、新開地アートヴィレッジに到着。元祖春待ちファミリーBANDのライブ。社長、みっちゃん、神田、小谷、田辺君の5人のメンバーで、20年以上前の、春待ち創生期のスタイルを髣髴させるこのユニットは、年に1,2回しか見ることが出来ないので、Morris.は努めて見るようにしているのだが、さすがに最近の疲れで、途中、うとうとしてしまった。ここで元祖やるのは以前「ロクツボヤ」だった時に1回、ちゃーさん(千秋光男)の「BLUE BIRDS」になってから2回目だ。神田君の駄菓子屋から始まって、田辺君の太っちょママ、神戸シティブルース、小谷君の歯が痛いヒーリングバージョン、みっちゃんのフィッシングブルースなどリードボーカルも楽器も目まぐるしく持ち替えて、アンコールで、先に演った治井君と一緒にオールドジャックブルースまでたっぷり1時間半のライブだった。平日で、新開地ということもあって、あまり知った顔の客はいなかった。大谷(社長の妹さだこの旦那)が見に来てくれていて、久しぶりに話できた。
JR神戸駅で、「韓国市場」6月29日OPEN!!という大きな看板が目を引いた。場所はハーバーサーカス2階らしい。難波のプランタンに出来た「東大門市場」みたいなものなのだろう。今度ソフマップに行くついでに覗いて見よう。
11時前帰宅、イパクサから留守電が入っていた。折り返し電話したら、何度か連絡したがいつもMorris.が不在だったという。例の韓国の公式HPで、パクサの最新ニュースをチェックできることと、Morris.部屋にパクサページを作ったことを伝える。日本映画の出演に関しては、まだシナリオが届かないので保留のままだとのこと。それから、先日引っ越ししたとのこと。前の住いから数百メートルの近場で、部屋に余裕があるから、Morris.が韓国に来たら、ずっとその部屋使っていいと言ってくれた。最近売れてるから、きっと前より広いところに移ったんだろう。楽しみぢゃ。

2001/06/27(水)●観月三昧
御影現場4日目。さすがにちょっと飽きてきた。
帰りにパニエで紅茶を買ったのだが、値段を間違えてレジ打ってるみたいなのでサービスカウンタに届けたら、何と、間違えて打った値段を返却してくれた。そういう店の方針になってるらしい。得したとは思うものの、ちょっと腑に落ちない。
「私を旅館に連れてって」の最終回見てから、録画の「ナースのお仕事3」を見る。観月ありさ三昧ぢゃ(^。^)
矢谷君から、10年近く前のDATから音楽CDRに焼いたものをもらう。先日、杣谷の地鶏BBQのとき聴かせてもらい気になってたものだ。さすがに声が若い。そのお礼というわけではないが、矢谷部屋のsong-bookページに3曲の歌詞を追加。

【幻談・観画談】幸田露伴 ★★★☆☆☆ 露伴晩年の小品を収めた岩波文庫版で、標題の2編以外に「骨董」「魔法修行者」「蘆声」の3編の計5編だ。これらは随筆のようでもあり、史伝のようでもあり、小説のようでもあり、考証のようでもある。露伴当人が言う「漫筆雑文」でいいのだろうが、露伴の蘊蓄の深さと、融通無碍な文章(この時期のものは口述筆記らしいが)の魅力は比類がない。いつかは露伴を本格的に読もうと思いながらも、なかなか果たせず、ちょこちょことついばんで見るだけに終っている。
本書冒頭の「幻談」は一首の怪談なのだが、溺死人から取り上げる釣竿の描写などは、極めたものだけが為せる境地が伺われる。Morris.好みだったのは「骨董」で、中国古代の名品陶器にまつわるエピソードを連綿と綴って行くところが眼目なのだろうが、本筋に入る前の前振りの面白さったらない。巧まずして醸し出されるユーモアがあり、しかもツボを押えていること言うまでもない。

食欲色欲ばかりで生きている人間は、まだ犬猫なみの人間で、それらに満足し、もしくはそれらを超越すれば、是非とも人間は骨董好きになる。いわば骨董が好きになって、やっと人間並みになったので、豚だの牛だのは骨董を捻くった例を見せていない。骨董を捻くり出すのは趣味性が長じて来たのである。それからまた骨董は証拠物件である。で、学者も学問の種類によっては、学問が深くなれば是非是非骨董の世界に頭を突っ込むようになる。イヤでも黴臭いものを捻くらなければ、いつも定まりきった書物の中をウロツイている訳になるから、美術だの、歴史だの、文芸だの、その他いろいろの文科の学者たちも、ありふれた事は一ト通り知り尽くして終った段になると、いつか知らぬ間に研究が骨董的に入って行く。それも道理千万な談で、早い譬が、誤植だらけの活版本でいくら萬葉集を研究したからとて、真の研究が成立とう訳はない理屈だから、どうも学科によっては骨董的になるのがホントで、ならぬのがウソか横着かだ。マアこんな意味合いもあって、骨董は誠に貴ぶべし、骨董好きになるのはむしろ誇るべし、骨董を捻くる度にも至らぬ人間は犬猫牛豚同様、誠にハヤ未発達の憐れむべきもであるといってもよいのである。

この後、利休の目利きの凄さと、それを使い切った秀吉の話など、面白い話が次々と繰り出された揚句に先の中国宋時代の超名品、定窯の鼎を巡る逸話へと繋がるのだが、このエピソードがエピソードを生んで止まるところを知らず状態で、読者はだんだん不思議な世界に拉致された気分になってしまう。
「観画談」では、苦学生が神経をやられて、放浪して歩く中で、山寺で見た細密画によって一首の悟りを開くという筋で、これには、若き頃の露伴の体験が投影されているようだ。

2001/06/26(火)●故郷知らず
昨夜4chで、円ひろしが九州を回って、日本一古い樹木を探すという企画があり、Morris.の故郷、佐賀県武雄が2度に渡って登場した。武雄神社に大きな楠の木は、よく知ってたのだが、これは全国6位で、もう一つ「川古の大楠」というのが紹介されたのだが、これはMorris.には初耳、これが全国3位ということだった。さらに武雄温泉には、宮本武蔵が湯治に来て、ここで五輪の書の構想を練ったなどという話も、全然知らない話の連続だ。
伊藤君からメールで「ナースのお仕事3」が再放送されてるという連絡が入ったので、ついつい録画して見てしまっている。
夜はさりーちゃん招請の飲み会。6時半澤村家集合だったが、仕事終ったのが6時半だったので電話したら、澤村家で飲んでるとのメールが入ったので、7時過ぎに澤村家に行ったら、社長がサザエとパスタのグラタンみたいなのや、カレー豆腐??やら色々作って頑張ってた。でも結局、さりーちゃん、堀妹(堀姉は体調不調のため×)、えっちゃん、伊藤君、Morris.の5人で六甲町の「あうん」へ。カウンターで四方山話。さりーちゃんが店をやりたいという話で盛り上がった。10時過ぎに、みんなは二次会に御影の「Zクラブ」へ行くことになったのだが、さすがにこのところの疲労気味で、明日も仕事のMorris.はパス。

2001/06/25(月)●ユギオ
御影現場二日目。ドイツ気質なのか、ここの奥さんは几帳面で整理上手で、どんどん片づけて行くのではかどる。
先週のtotoは、順当勝ちだったこともあって3等賞金は900円、身近でも稻田さん、宮崎さん夫婦が獲得したそうだ。Morris.はギャンブルしないし、宝くじも買わないが、totoはやってみてもいいんじゃないかと思いながら、結局まだ一度も買ってない。
今日6月25日は、大多数の日本人にとっては、何の日かしらないだろうが、ほとんど全ての韓国人にとっては、忘れることのできない日、そう、朝鮮戦争勃発の日だ。韓国では「朝鮮戦争」とは呼ばずに、その日にちを表わす「625」の韓国語読み「ユギオ」という。米ソの代理戦争とも言われるこの戦いこそは、半島5千年の歴史を通じても最大の痛恨事ではないかと思う。皮肉にも敗戦国日本はこの軍需を梃子に経済復興〜経済大国に成上った。それから半世紀が過ぎて、日本の経済は破綻しかけてはいるが、半島の悲劇はずっと続いたままだ。

幾歳月 朴泰鎮 金素雲訳

気になるのは霧雨。いつも
距てを置いては晴れ間を見せる
幾歳月
生きて来たのが手柄だったのだろうか
幻覚は木の葉のように、ときには生きがいとさえ思い込みもした。

真実はこころの隅の
人それぞれという人情の道を
転つ、まろびつ、そういえば
生きるという意味の錯覚を
夕焼け空ほどになつかしみもしたっけ。

道の曲がり角は単幕劇の一場面、
逆情の顛落をうたうひととき
ふたたび新緑は訪れて
生きるという前提に色づけをする
六月はこころの季節

いまにいまにと 口ごもっていた言葉を
言えずじまいだった幾歳月、
的外れの大空は ただあるがままの宵、
一日よ、も一度さようなら
雲を感覚する齢なので。

歳月を落葉のように踏みしだきながら
わたしのしたこととては
いまは遠のいた時間の
年古りた興奮、失望の心愉しさ、
記憶にしまい込んだ名、いくつかの対話。

十(とお)の指では足らぬ
幾歳月、
夕焼けの向こう側はいつも明日、
いま十の指で こと足りようか
幾歳月。

2001/06/24(日)●歌集『無流』
昨夜は、大阪でMORGAN'S BARのライブがあり、伊藤君もそれを見に行ったので、さりーちゃん恒例の飲み会は、いやま、伊藤君抜きで、社長、堀姉妹、えっちゃんと6人参加。鉄板焼き「水軍」に行く。考えてみると朝から何も食べてなかったMorris.は空腹で、がつがつ食いまくった。昌美さんは持病の腰痛が再発して困ってるらしい。社長も以前から腰痛で悩んでいる。重いもの持つことが多いMorris.が腰痛になってないのは(肩は重いけど)不思議だ。水軍のマスターは、桂南光に似ていて、常連客のひとりが南光と知り合いなので一度顔合わせさせたいと言ってるそうだ。1時間後に、三宮で買い物してたやっちゃんが合流。
二次会は社長とやっちゃん抜きで、御影の阪神高架下のBAR「Natural spirit」へ足を伸ばす。やはり高架下の鉄板焼き「さとみ」と同じ経営らしい。ここでMorris.は飲み慣れないカクテル3,4杯(オレンジブロッサムやらモスコミュールなど)飲んで、だべって、ふらふらしながら零時前帰宅。
今日は完全休養日にしなくては、と思った割には早起きして、例の8/26企画書の下書き。その後、久しぶりにサンボ部屋に歌集『無流』を更新。タイトルが水無月に対応してるところが味噌か。
朝から強い雨が降ったり止んだりしている。
去年韓国で知り合ったミンさんというハラボジ(爺さん)から電話。何でも自分の戦争時代の日本での体験を700頁の日本語小説にまとめたのだが、これをe-mailで送って読めるかどうか確認してくれとのこと。了承したらまもなく2MB以上あるテキストふぁいるが送られてきた。直接開いたら文字化けで読めない。試しにカットアンドペーストでテキストエディタに貼り付けたら読めるようになった。タイトルは「かぐや姫」あるいは「都忘れ」副題は「学徒報国隊」。ミンさんは、どうやらこれを日本の出版社に送りつけて、出来れば発行したいと考えているようだ。前書きの一部を引用しておく。

筆者は韓国人で、出生地は日本の名古屋である。
 一九四五年に二次大戦の終焉直後韓国へ帰国して、終戦前には思いもしなかった、アメリカに留学して、其所に居着き、生涯の大部分をアメリカで送り、定年後帰国し、現在は韓国に住んでいる。
 筆者も日本の中学校三年生 (昭和19年) すなわち二次大戦が終焉した前年の春頃から、他の学友たちと共に学徒勤労報国隊に動員されて、名古屋市の重工業郡、詳しくは三菱発動機名古屋製作所(名発)、三菱航空機(三航)の傍系工場等や、軍の緊急突貫土木工事現場等で、中学校四年すなわち昭和二十年八月の終戦になるまで、国の興亡を賭けた総力戦の坩堝の中で過ごした。
 拙書は、その約一年半ほどの短い間に、筆者がほかの勤労動員学徒たちと共に身を持って体験したその頃の喜怒哀楽の想い出の数々を、このたび、敢えて想い出の「物語り」として纏めたものである。

午後は部屋でごろごろして、夕方灘図書館に行き、夜は冷凍してたタイカレーを解凍して食べる。それにしても、今夜は異常に蒸し暑い。
イパクサの部屋に、ニュースをふたつ追加。日本映画にゲスト出演する話などが出ているらしい。

2001/06/23(土)●剃刀は研いでおくように
10時半起床。しばらく伊藤君とお茶など飲みながらごろごろして、昼前に小雨の中灘図書館から学生センター鹿嶋さんに届けもの。飛田さんは昨日、北朝鮮観光旅行を終えて無事帰ってきたらしい。予想以上におもしろかったそうだ。旅行記をまとめて欲しい。稻田さんと、近所に新しく出来た「びあーん」という店で昼食。中華、鉄板焼きなど色々入ってる雑居ビルの1階だが、店内は南欧風のインテリアで、すっきりした感じのいい店だった。今日の定食「おろしトンカツを御馳走になる。量は少な目だがまずまずの味。稻田さんも夏にはPC買い換える意向らしく、Morris.もこれに追随しようと考えているので情報収集。それとサッカーの話。週3回透析に通ってる病院は冷房効き過ぎで、外気との気温差が大きすぎて、身体が痒くなったりするらしい。いろいろ大変だなあ。その後バスで中央図書館に行き、高架下を冷やかして、元町阪神理容で散髮。今日あたったおじいちゃんは、この店にしては手が遅く、あまり上手くなかった上に、かみそりが余り切れないのか数ヶ所出血してしまった。
矢谷部屋のスケジュールを更新。
今夜は、さりーちゃんらと飲みに行く予定。

2001/06/22(金)●8・26計画進行中
今朝方六甲道東南のビルで出火したらしく、付近に消防車が10台近く止っていた。幸いぼやで済んだらしい。
矢谷、西根君らと御影のドイツ人の現場。ここも割と大掛かりな現場で今日は梱包のみ。Morris.はリビングの食器だけの梱包に朝9時から4時半までかかりきりで、それでも半分くらいしか出来なかった。台所もちょっと覗いたら結構食器多くて、やりでがありそうだ。壁に鈴木春信の浮世絵3枚が懸っていた。やはり春信外国人好みなのかもしれない。以前の謎の春信と違い、ここのは座敷八景など、衆知の図柄ばかりだった。
一旦部屋に戻り、8時過ぎに矢谷宅へ。伊藤君も来ていて、8月26日(日)に企画している催しの打ち合わせ。初めは「私的神戸祭」みたいなものを計画していたのだが、結局HERE COMES THE SUNの入ってるビル「ヌーベル六甲」の中庭広場を借りてフリーマーケットを行い、ライブは店内でやることにしようと変わったらしい。まずは管理組合に広場使用の許可申請が先決ということで、企画書をまとめる役を買って出る。後はしばらく飲み、零時過ぎ伊藤君と一緒に帰宅、またしばらく飲んで、矢谷君から借りたリーチェ(イサンウン)のCD聴いたが、いまいちぱっとしなかった。

2001/06/21(木)●連夜のサヨナラ勝ち
最近とんと野球は見なくなってしまったのだが、昨夜は甲子園の阪神巨人戦にチャンネルを合わせて、見るとも無く見ていた、共に初回の1点だけで、後は貧打、拙攻の試合で、途中でチャンネル変えてしまった。ABCニュースステーションが野球のため10時半スタートだったが、何と甲子園は12回裏だから、試合終了まで中継するという異例なサービス。結果は阪神のサヨナラ勝ちだった。
今日は一日倉庫作業。廃棄処分ゴミをトラックに積んだり、マットレスの鉄バネだけを取り出したり(分別しないと引き取ってくれない)、大型コンテナに荷物詰めたりその他諸々の作業。
昨日の流れで、また野球見ている。今日はハンセン、上原の好投で、0-0が続いている。今日は典型的な投手戦で8時前に8回に入った。8回の裏好投のハンセンの代打に八木。このあたりが、野村監督のやりかたで、気に入らない。結局9回裏に上原も降板し、広澤のタイムリーヒットで、阪神連夜のサヨナラ勝ちとなった。結果オーライである。

【建築ことば漫歩<道具篇>】矢田洋 ★★★☆☆ 山本夏彦の雑誌「室内」に連載されたものをまとめたもので、50回文を1冊にして本書は3冊目。一冊目で「動物篇」、2冊目は「昆虫篇」だった。実は本書の発行が88年だから、すでにこのシリーズは5冊目を数えているはずだ。Morris.は建築とは無縁な方の人間だが、本書は門外漢でも楽しめる仕組みになっている。というより、建築ことばをネタにした軽妙なコラムが、毎回酒の話に(強引に)収斂するあたりがMorris.の酒心に共鳴するという理由もある。言葉遊び精神の横溢する文章は余儀ではない。なにしろ、彼は、言葉遊びの好事家知久章名で「言葉のブティック」を、建築家丹羽小丸名で「どうも住みません」、考現学・道具学の山口昌伴名で「台所空間学」など、さまざまなペンネームを駆使してそれぞれに蘊蓄ある著書をものしている。Morris.は「言葉のブティック」が著者との最初の出会いだった。
しかし知久章(ちくしょう)、矢田洋(やだよう)とペンネームでも散々遊んでるひとではある。
「鏡絵」の項から一部を引く。

日本の鏡台、姫鏡台には、小紋の鏡覆い(領布=たれ)がかけられ、その前に座布団が置かれるなど、すっかり和風に見えるが明治の舶来文化である。東海道四谷怪談のお岩さんは、手鏡をすかして自分の顔の変貌に驚いたのであった。当時のカガミはその字が金偏の鏡、鑑、鑒と書くごとく青銅、白銅などの鋳物で、これを鏡筥から取り出して鏡立て(鏡台=かがみだい)に懸けた。
鏡は建築用語としていろいろ使われ、ずいぶん重要な位置を占めている。まず、空間の中でもっとも重要なところを鏡と呼んでいる。床の間の正面の壁、何もないまったいらな壁、これを鏡という。能舞台の正面奧の大きな老松の描かれている羽目板のところも鏡という。歌舞伎ではこれが松竹梅にかわる。
四方に框がまわってその中は一枚板の戸を鏡戸という。図面に鏡戸と指定されているのを見て、等身を映すミエミエミラーなんか取りつけて怒られないように気をつけよう。
円形、八稜形のものも鏡という。鏡餅、おかがみがその好例。鬼瓦の中央に円形の凹面がある、これも鏡。そこでご存知酒樽の、丸い蓋を鏡という。建物の上棟式の振舞に鏡をふたつも抜いた、などという。ここではもう、鏡といえば、四斗樽こもかぶりの酒樽のことをいっている。枡の隅に塩を置き、小さな曲げものの円い杓に柄をつけた鏡柄杓で酒を注ぐ。

2001/06/20(水)●漢字クイズ解答
昨夜は大雨だったが朝には上がっていた。午前中は奥井さんと、猪名川の住宅へマレーシアからの荷物の配達。午後は倉庫作業。
観月ありさのドラマ(「私を旅館に連れてって」)を久々に見たら、来週が最終回らしい。初回と3回目だけ見て後はもういいかと放棄していたのだった。中抜きでもストーリーは丸解りで、来週の大団円もほぼ想像が付く。Morris.は、やっぱり観月の看護婦姿が見たい。「ナースのお仕事」はもうやらないのかなあ。

先日の漢字テストの解答を公開しておく。さっき、問題を読み返したらMorris.は半分くらい読み方忘れてしまっていた。記憶力の低下は救いがたいものがある。それはともかく、今回はかなりの難問揃いだったことは、確かだ。

問題
1.七葉樹木 2.加爾叟母 3.南燭 4.壁虎 5.大鋸屑 6.天蠶絲 7.射干玉の 8.事前葉 9.山慈姑 10.巧婦鳥 11.弱竹 12.御虎子 13.戒克 14.望江南 15.東海婦人 16.根發子 17.桃鼻鳥 18.椿象 19.水雲 20.海鹿 21.海扇 22.浮塵子 23.烏拉乖 24.烏頬魚 25.牛麥 26.石斑魚 27.秦吉了 28.秦皮 29.紫花地丁 30.繍眼兒 31.胡枝子 32.行夜 33.赤柳 34.赤裸蛇 35.鬼蜻蜒 36.黄道眉 37.俄羅斯 38.峙つ 39.瓢蟲 40.薯蕷芋 41.老成る 42.打切棒 43.熱り 44.驀地 45.逆つく 46.蔦撥鼠 47.明明後日 48.邪曲 49.臆れる 50.捏焼

解答
1.トチ 2.カルシウム 3.ナンテン 4.ヤモリ 5.おがくず 6.てぐす 7.ぬばたまの 8.カタクリ 9.カタクリ 10.ミソサザイ 11.なよたけ 12.いがぐり 13.ジャンク 14.センダイハギ 15.イガイ 16.コンパス 17.トキ 18.カメムシ 19.モズク 20.アメフラシ 21.ホタテガイ 22.ウンカ 23.ウルグアイ 24.クロダイ 25.ナデシコ 26.ウグイ 27.キュウカンチョウ 28.トネリコ 29.スミレ 30.メジロ 31.ハギ 32.ヘッピリムシ 33.ハンノキ 34.ヤマカガシ 35.オニヤンマ 36.ホオジロ 37.オロシア 38.そばだつ 39.テントウムシ 40.トロロイモ 41.ねぶる 42.ぶっきらぼう 43.ほとぼり 44.まっしぐら 45.むかつく 46.モルモット 47.やなあさって 48.わだかまり 49.わるびれる 50.つくねやき

2001/06/19(火)●ボケてる!?
矢谷君ら5人で十三のイタリア人の現場。ここもかなり大がかりな現場で、タイトパック必至ということで、家具の隙間に品物詰め込んだので、重いこと。まあ今日は梱包だけだったけど。奥さんは韓国人で、箱に書いてあったハングルを読んだらえらくビックリしてた。それは、良かったのだが、帰り際にMorris.が預かっていたエレベータのカードキーが無くなってることに気付き、大騒動になってしまった。胸ポケットに入れてたので作業中に滑り落ちたらしい。みんなで30分ほど探したが見つからない。結局フロントでカード再発行(手数料2,500円)してもらうことでけりは付いたが、みんなに迷惑かけた。集中力に欠けてる証拠だな。やっぱりボケだろうか。
福井くんがPC買ったそうだ。それでメールが来て、7月末のフクイーズ復活ライブのお知らせが届いたので、久々にフクイーズページを更新。

2001/06/18(月)●黒兵衞はまずまず
西根君と昨日の現場の仕上げ。昼食は川西の「黒兵衞」でラーメン。ここもいちおう博多ラーメンのチェーン店だが入るのは初めて。すーぷも具もげんこつに似ているが、最近ちょっとげんこつの味が落ち気味な感じがするので、こちらの方がましな気がした。麺は堅くするように頼んだが、やっぱり頼りないし太い、小倉や博多では普通によくある細くてこしのある麺が関西では少ないのはどうしてだろう。
午後は倉庫作業。夜はシャギーで「ダン松本と祕密の花園」ライブあるので行くことにする。時間あまったので久しぶりに東急ハンズを冷やかしてたら、香月さんに会ってちょっと話した。先日高知に行ったら、ちょうど春待ちファミリーBANDの演奏の日だったとか、四万十川に向うところだったので見ることはなかったが、ニアミスというところ。
シャギーは思ったより入りが悪く、始め社長、みっちゃんとMorris.くらいしかいなかった。姫路のデュオから始まり、横浜からのMassyさんのライブ、そして最後にダン松本の登場。祕密の花園というのは秋本たかし、井山あきのりのMORGAN'S BARコンビ。メニューは例によっての明朗替え歌春歌特集だが、今回はアレンジが凝りに凝ってて、ダン松本の遊びが爆発、どれもこれも聞き応え充分の素晴らしいライブだった。特にフィナーレの「オナニーボーイ」は10分を超える超大作に仕上げてあり、まさに入魂の熱唱だった。社長も大喜びで、帰り道でもしきりに今日のは録音しておきたかったなどと話していた。同感。それだけに客が少ないのがもったいなかった。

2001/06/17(日)●日曜パック
変な夢。ネットで知りあったおじさんが遊びに来たので神戸元町界隈を案内したのだが突然田舎に迷い込み、Morris.は子豚を追い立てながら前進。大きな豚に通せんぼされたり、民家風の民芸店でお茶飲んだりしているうちにおじさんはいなくなって、気が付いたら武雄の熊さんちの離れに寝ていて、今から神戸に戻らねばならないのに洗濯を始めてしまいこのままだと生乾きの洗濯物もって帰らねばならないと思ってるところで目が覚めた。
今日は日曜というのに、西根君とアメリカ向け荷物と保管などの池田の現場。奥さんが背が高くて顔も髪型もさんちゃんそっくりで、話し方まで似ていたのでびっくりした。明日の午前中にあげなくてはならないので、Morris.は梱包マシンになってパックしまくった。肩が重い。

【旧字旧かな入門】 府川充男 小池和夫 ★★★★☆ ワープロ、コンピュータの普及で、日本語の文字は大幅に制限を余儀なくされている。ワープロの第一水準漢字は3千ちょい、第二水準を加えても6,355字で、6万以上あるといわれる漢字の1割しか利用できない、ということは衆知の事実で、もちろん、これは国語審議会の漢字制限政策に、ワープロ開発者が安易に迎合した産物でもあるのだが、旧字というものの定義すら、めいかくでないままに制定された恨みがあるらしい。
本書は、コンピュータ上で、旧字旧かなの文章を作成するための、正しい旧字旧仮名遣いを表示するとともに、現状における、問題点、誤りがちな漢字の指摘、さらに、漢字制限に伴う代用語と、元の形を対照させた用字・用語集を併せて列記してある。前書き(旧字旧仮名遣いで表記されている)の一部を引用する。

情報化時代に生きる私達は、紙に筆で文字を綴ることなく、キーボードを叩き、機械(マシン)の力を藉りて假名を漢字に變換することで、文章を綴ってをります。其處に用意されてゐるのは「現代表記」に最適化された漢字と變換プログラムであり、そのやうな道具を用ゐて舊字舊假名の文章を綴るには正しい智識のみならず、其れなりの工夫と努力があらまほしきこととなりませう。
本書では、明朝體活字の舊字體を常用漢字と對照表として示し、歴史的假名遣・字音假名遣の一般原則をポータブルに纏めると共に、現在ではなかなか見られなくなつた用字法や用語の一覽を掲げて舊字舊假名の文章を綴るための手引となるやう編輯しました

ふーっ、たったこれだけ打つのに、えらく時間がかかってしまった。そのくらい、Morris.のワープロ環境と旧字旧かなとの相性の悪さが実感できる。
本書第一章は、常用漢字と人名用漢字をJIS X 0208の、区点番号順に並べ対応する旧字体と異体字の一部を併記しているのだが、全ての旧字体が、JISに登録されている訳ではなく、文字によっては、複数の漢字が一つの漢字に集約されていたり、別字が代用されていたり、新旧がぎゃくになっていたりと、複雑な様相を呈していたりする。JISのバージョンによって字形が変わっていたり、あったり無かったりしたりと、さらに混乱を助長するファクターもあって、まさにデジタル漢字の世界は魑魅魍魎の跳梁跋扈している。したがって、これを引用しようとしても、不可能(つまりMorris.の環境では打てない、表示できない)なものも多い。
一般に旧字と新字は、「舊」と「旧」、「變」と「変」、「體」と「体」のように、画数を減じて、簡略されたものが新字体というケースが多いので、同じ意味を持つ漢字なら画数が多いものが旧字と認識されやすいが例外も多い。
たとえば「芸」という字は「藝術」の「藝」の新字体として用いられているが、もともと「芸」は「うん」と訓み、「芸香」などに用いられていた全く別字だったのだから、旧漢字旧かなの文章で表わす場合でも「藝香」という表記は明らかに間違いということになる。「台」と「臺」も同様で、「天台宗」を「天臺宗」とは書きかえらない。

・着の旧字は著の旧字体と同じです。着は著を崩して書いたものが、「チョ」「チャク」の遣い分けを生じて、固定化したもので、康熙字典にはないようですが、活字には明治の初めからあり、夏目漱石も遣い分けています。石川淳などは着でよいところを著の旧字にしていますが、それを文庫本などで常用漢字にした時に「著物」「著付」などとなっているのは大笑いです。

・欠は「ケツ」ではなく「ケン」と読む字で「あくび」の意味です。缺の略字として当用漢字になりました、同時に「闕席」などの闕(7977の略字としても欠が用いられることになりました。缺と闕は、もともと遣い分けの難しい字で、熟語によってはどちらでも通用します。また略字として欠を用いることも古くから例がありますが、正式な用い方ではありません。余談ですが「欠伸(あくび)」を旧字で書こうとして「缺伸」とした小説がありました。大笑いです。

以上のように誤用を笑う類の指摘もあるが、全体的に、事細かに差違を指摘していることには脱帽せざるを得ない。Morris.は結構自分では、漢字の読みや、新旧字体についてはよく知ってる方だと思ってたのが、これを見ると、その水準は「お子ちゃま(by さとなお氏)」レベルだったことが判った。

・晴、清、精、請などの旁「青」は康熙字典体では下部を「月」でなく「円」に作りますが、楷書では昔から「月」ですし、字源的には「丹」です。

・遊の異体字に游(6266)があり、この形の方が多く遣われました。

・欲と慾には遣い分けがありました。新旧の関係ではありません。

・乱は亂の略字ですが、「波乱万丈」「乱読」などと守備範囲を広げています。乱を上手に成敗しないと旧字で文章を書くことはできません。

そうか、正しくは「波瀾万丈」「濫読」だもんな。これはMorris.も普通に使ってるし、ワープロにも始めから両方登録されている。
等など、目からウロコの蘊蓄が満載されている。これはハンドブックとして手元に置きたい一冊である。本書の発行元柏書房は、Morris.愛蔵の「宛字外来語辞典」も出してる出版社で、本書の姉妹編「宛字書き方辞典」というのも出ているらしい。えらいぞ、柏書房。拍手。
しかし、Morris.が一番嬉しかったのは、第三章の用字・用語対照表と、その難読語索引だった。もちろん、例によって、漢字クイズとして出題しておく。何と今回は一挙50題!!!!解答は数日後に発表します。とりあえずはチャレンジしてみて下さい。

1.七葉樹木 2.加爾叟母 3.南燭 4.壁虎 5.大鋸屑 6.天蠶絲 7.射干玉の 8.事前葉 9.山慈姑 10.巧婦鳥 11.弱竹 12.御虎子 13.戒克 14.望江南 15.東海婦人 16.根發子 17.桃鼻鳥 18.椿象 19.水雲 20.海鹿 21.海扇 22.浮塵子 23.烏拉乖 24.烏頬魚 25.牛麥 26.石斑魚 27.秦吉了 28.秦皮 29.紫花地丁 30.繍眼兒 31.胡枝子 32.行夜 33.赤柳 34.赤裸蛇 35.鬼蜻蜒 36.黄道眉 37.俄羅斯 38.峙つ 39.瓢蟲 40.薯蕷芋 41.老成る 42.打切棒 43.熱り 44.驀地 45.逆つく 46.蔦撥鼠 47.明明後日 48.邪曲 49.臆れる 50.捏焼

2001/06/16(土)●杣谷 地鶏&ミノBBQ大会
昨夜爆睡して、10時半起床。川にメダカがいっぱい泳いでいてそれを覗きこんでて、鞄を水の中に落とした夢を見る。先日の悪夢が財布紛失の前触れだったので、今日は用心しなくては。山のようなミノの大群宮崎直送の地鶏
午後3時前に阪急六甲で、矢谷、伊藤君と待ち合わせ、タクシーで杣谷へ。勇造さん主催の地鶏BBQ大会なのだった。幸い梅雨の晴れ間の行楽日和に恵まれた。
参加者は他に、いやま、南、長谷川、水谷、神田君に、女性陣は飯島ちゃん、由梨さん、リカちゃん、高田さん、奈緒ちゃん、みすずさんの総計15名。
そもそも九州男児の勇造さんが、ぜひ、九州の美味しい地鶏をみんなでたべようということから企画されたもので、宮崎から直送のでっかい真空パック地鶏が10枚用意された。これを炭火で豪快に丸焼きして切り分けるまでほとんどひとりでこなした勇造さんに、拍手。手製の柚子胡椒まで用意してるあたりはなかなかのもの。肝心の鶏は、肉厚でジューシーで、皮の脂も適度で、ブロイラーとは歯応えと旨味の濃さがが段違い。いやあ、ひさびさに鶏らしい鶏を食べることが出来た。しかも、南君が知り合いの肉屋からホルモンを大量に仕入れて来て、Morris.の天敵?ミノがどさどさと網の上に並べられたと来た日には、日頃冷静なMorris.も興奮の坩堝状態。恥も見栄も外聞もかなぐり捨てて焼ける前から「ミノ虫」になりきってしまった。食いすぎ飲み過ぎで遭難者も杣谷BBQ大会のひとこま勇造さんの勇姿
いやあ、南君もえらい。またこのミノが上等で、大き目に切ってあり、タレが、甘さと、辛さのバランス絶妙で、とりあえずMorris.は久しぶりにミノを心行くまで食べて食べて食べまくったよ。ミノ吉とでも、ミノ太郎とでも呼んでくれ。とにかく、鶏もミノも最高で、60本以上あったビールもすべて飲み干し、後は芋焼酎で飲み続け、滿足、滿腹、満点気分で山を下りて、ヒアカムへ。
明日仕事でさえなければ、もう少し飲み続けたかったのだが、仕方なく帰宅。それにしても、いい一日だった。

2001/06/15(金)●労働飲酒爆睡
住吉山手の現場最終日。朝からパック、パックで、梱包終了したのは6時過ぎてた。さすがにへろへろ。明日は久しぶりに休みで、午後は勇造さん主催の野外宴会の予定だが、明後日は日曜出勤だ。ああ。
帰りはゆうさんに送ってもらった上、立ち飲み〜万坊とはしごで、おごってもらった。11時前に帰宅して爆睡。

2001/06/14(木)●JAZZ歌謡の不思議な世界
雨の中、住吉山手の現場4日目。
KNTV解約したので、パーフェクTVは、Stardigio中心になってるのだが、仕事に追われてあまりチェックできずにいた。主だったお気に入りの特集はたいていエアチェックしてしまったということもあるのだろう。今週のメニューではCCRに加川良というのが懐かしいところかな。426chの「噂のJAZZ歌謡〜JAZZ歌謡の不思議な世界〜最終回」というのをあまり期待しないで聴いてみた。前回までは大して面白くもなかったからだ。だが、今回は最終回だけあって??結構インパクトがある。

1.瀬戸内行進曲(IN THE MOOD)/クリスタルキング
2.シング・シング・シング/フランキー堺
3.恋と涙の太陽/橋幸夫
4.明日があるさ/坂本九
5.ミスター サムシング ブルー/八代亜紀
6.ごめんなさい/朝丘雪路
7.ギターのような女の子/佐良直美
8.サンラウンシスコブルース/高石ともやとザ・ナターシャ・セブン
9.瞳とじれば/倍賞千恵子
10.とっていもいいわ(JE ME SENS SIBIEN)/金子由香利
11.誰もいない海/ペギー葉山
12.夜霧よ今夜もありがとう/浜口庫之助
13.BLUE/門あさ美
14.想い出のシーサイド・クラブ/平山三紀
15.東京の屋根の下/森光子
16.りんごの木の下で/吉田日出子
17.青空(MY BLUE HEAVEN)/川畑文子

かなり、ひどいのが,1.3.7.15.あたりかな。9.の倍賞千恵子はどう考えてもJAZZ歌える感じじゃないし、10.の金子由香利はもろ、シャンソンそのままではないか。ペギー葉山はバックに本場のジャズメンを従えてるのでバックはジャズっぽいのだが、歌はべたべただ。4.は現在リバイバルヒットしてるので、改めてオリジナルの良さがよく分かった。でもこれもジャズなのかなあ。2.のフランキー堺のドラムは一流品だ。最終回のトリに戦前日本ジャズシンガーの真打、川畑文子17.をもってくるあたりは、素晴らしい。今回のピカ一は、14.だと思う。是非、SATARdigioで平山三紀の特集を望みたいものである。

【俳句的人間 短歌的人間】坪内稔典 ★★☆☆ 題名につられて借りてきたが、ちょっと期待外れだった。読んだ後で岩波の本だと言うことに気が付いた。
俳句と短歌や詩に関わる雑文を寄せ集めた本だが、「鴎外の短歌、漱石の俳句」という小論から、著者のいう俳句的人間と、短歌的人間の特徴などをひろってみる。

短歌的人間
・長嶋茂雄、大江健三郎、曽野綾子
・主観的、情熱的、自己陶酔的、真面目
・勉強好き、自己主張的
・森鴎外−武士、長男、ドイツ留学、軍医、堅くて真面目

俳句的人間
・野村克也、井上ひさし、田辺聖子
・客観的で冷靜、自己をも茶かす道化的精神
・夏目漱石−町人、五男、イギリス留学、くだけて、気楽

しかし、これでは、ほとんど何も言ってないに等しい。Morris.は、一時期短歌を作っていたし、昨年から突然ぐいぐい俳句なんてのを始めた(最近はちょっとサボり)のだが、だからといって、前は堅くて真面目だったのが、いまはくだけて気楽になったわけではない。著者は、俳句作家で、俳句嫌いの短歌好きを標榜してるらしいが、おどろいたのは、奥付の著者紹介で、代表作として4句が列挙してあったことだ。小説家なら代表作は○○、××などと、小説のタイトルを書いてあることは珍しくないが、俳句は短いから、そのまま全文引用できる、のだから驚くことはないのかもしれない。しかし何となく現存してる俳人が、己の代表作はこれこれだと、書き付ける神経がわからない。その「代表作」4句。

・三月の甘納豆のうふふふふ
・そのことはきのうのように夏みかん
・口あけて全国の河馬桜咲く
・たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

確かにどこかでお目にかかったことのある句だが、Morris.好みではない。
他の文の中で「名句には二句一章のものが多い」という指摘は、例句をみて、なるほどと思った。
内容とは離れるが、この著者の文章の癖なのか、時々、唐突な体言止めや、形容動詞の語幹だけで止めてあるのは、舌足らずで、何か気色が悪い。著者の句にも似たところがありそうだ。

実は、二句一章の文体と取り合わせをどのように連携させるかが、俳句における最大の表現技術の開拓。具体的には、新しい取り合わせの発見が、すぐれた二句一章の俳句の誕生を促すだろう。

上記引用中、最初の文章の止めがその例である。

2001/06/13(水)●遅れてお礼申す〜敬愚
住吉の現場3日目。明日から雨らしいので、トラック2台分搬出。昼は「あさひ」。
6月というのに仕事の連続で、疲労は溜まるばかり。矢谷君も腰痛で先週病院に行ったらしい。このままだと、本当にダウンするかもしれない。
忙しくても酒は抜かないので、PCに向う時間が無くなる。掲示板にも1週間ほど書き込みしていない。書込むエネルギーが無くなっているのだろう。
忘れた頃にロビン・ギルからメールが来た。IPOOH(in praise of old haiku)ー 古句礼賛 の英訳 ーを執筆中だが、原稿量が予定の倍に膨れ上がりそうだとのこと。
日本語の著書が数冊あるくらいだから、日本語はかなり堪能だが、Morris.へのメールの文章には、なかなか笑わせる部分がある。冒頭が「丁寧なご返事・句解説ありがとうございます。こんなに遅れてお礼申す、申し訳なし。」で、締めくくりが「敬愚。ろ」だもんね。「敬愚」は「敬具」の間違いではなく、諧謔だと思いたい。
岩城司蘆という18世紀の俳人が海参(いりこ)問屋らしいので、海鼠の句があるかもしれないのだが、ネット検索では見当たらないとか。検索名人のきよみさんにでもお頼みしてみよう。
島田部屋矢谷智克部屋を一部更新。

2001/06/12(火)●パクサの付人募集??
昨日から始まった現場の2日目。ここの犬は雑種だが、人なつこくてとても可愛い。
昼休みに近所を散歩した。白川権現の大瀧という看板があったのでちょっと上って見たが、大したことはなかった。5時に倉庫に戻り、バン詰め作業。
大阪のですどらーどさんから、パクサの韓国公式HPのアドレスを知らせてもらったので、久しぶりにアクセスすることが出来た。
つながるアドレスは
http://www.2pak4.com/

Morris.は、ずっと http://www.epaksa.com/ で見てたのだが、どうやらこちらはミラーサイトだったようだ。と、いうわけで、Morris.のパクサ部屋のニュースを更新。今回は、パクサのロードマネージャー募集のお知らせなんてのがあった。まあ、運転手兼付き人なんだろうけど、素人にパクサの付き人なんてそうそうこなせそうにないと思うな。

【精神の氷点】大西巨人 ★★★「神聖喜劇」「三位一体の神話」の著者の小説第一作で、1947年に執筆されたものだ。主人公水村が虚無思想的立場から、悪徳(陵辱、盗み、姦通自殺未遂など)を無感情に行使し、徴兵前日には、見知らぬ他人を殺害して、戦争で肉体、精神の死に望みながら生き長らえて、戦前の姦通の相手との関係を通じて、ますます虚無的になりながら、女性からの離別の後、過去の罪を自首するところで終る。ストーリーは単純なのだが、しつこいほどの心理描写と、観念論に、筆者独特の事細かな写生風文章もあって、150頁足らずの中篇小説なのに、読みとおすのにえらく時間がかかったし、読後感は、異状に重苦しいものだった。半世紀以上前の作品だから、戦争、戦後の重圧から餘程遠ざかった現在から見るとアナクロでしかない視点もあるのだが、だからといって、これがつまらない作品というわけではない。たしかに読むものに訴える何物かはあるのだが、今のMorris.には、ちょっとしんどい、というのが、正直な感想だ。
若さのためか、最近の作品の魅力である、ゆとりと苦いユーモアに欠けているが、大作「神聖喜劇」のためのステップボードという意味でも、重要な作品であることは間違いない。

二十二歳。まさしく青春。「時は五月、所ははいでるベルク」、--鬱勃たる気概をもって人生と社会とに立ち向かうべき季節。生産的であることが不可能もしくは不合理であるとの理由から「不愉快な時代」とニーチェが呼んだ年頃、「まだ渋みを多分に持っている最初の成熟」の時期、倨傲の年代。苦悩は、苦悩のままに、叛逆は叛逆なりに、美しく、絶望も、現実変革への「情熱の逆説」にほかならず、虚無観も、瑞々しい「生への意志」の裏返しであるはずの時間。二十二歳。

1930年代に以上のような青春を享受していた主人公が、兵隊になり、死に損なって帰還し、夢魔に責めさいなまれるようになる。

---醜悪、汚辱、エゴイズム、エゴティズムその他、あらゆる否定的・背日的なものを含有する全体。その「全体」の丸ごと承認の上も尾手に負えぬ<虚無>が、やはり支配する。
すべては、物質であり、人間(の精神ないし魂)も物質である、ということにこそ、人間の真実の開放ならびに自由が、存在し、本来の在るべき人間そのものが、存在する。「神(超越者)」は、存在しない。具体の消滅(死)後には精神でも肉体でもない人間は、まさにそれゆえに、一瞬をでも真に生きるとき、彼は無限を生きるのである。

ということから主人公は自首するのだが、Morris.はやっぱり主人公に感情移入できない小説は苦手である。

2001/06/11(月)●財布紛失(;_;)●
昨日は早目に寝たのに(そのためか?)えらい悪夢を見た気がする。内容はあまり覚えてない、というより、思い出したくなくて封印したい夢だったのかもしれない。とにかく汗びっしょりになって目を覚ました。
この夢が正夢だったのか、朝、コンビニで電話代払って、JRからバス経由で摩耶埠頭まで出て下車しようとした時、バスカードの入っている財布が見あたらない(+_+) 小錢入れは別にあるので、バス代は払うことができた。財布には現金(2万円)以外はバスカードと、テレホンカードくらいしか入れてなかったのが不幸中のさいわいではあるものの、やっぱり悲しい。去年ソウルのバスでシステム手帖落としたのに比べれば、被害は少ないと、自分を慰めることにした。
今日から市川さんらと住吉山手の割と大きな現場。初日から台所に入って梱包できるので、比較的やりやすい現場といえる。昼食は先週の御影の現場から8回目の「あさひや」。ここはフライ物組み合わせの定食が8種類あり、親父が競馬狂のため、一枠から八枠と呼ばないと受け付けてくれない。なにしろ量が多いので、Morris.はたいてい、別枠の出し卷き定食を頼む。これも結構大きい出し卷きで、さらに一品(ハンバーグ、唐揚げ、海老フライなどが付く。その他うどん定食や、丼ものもあるが、ほとんどすべてが600円というのも、いまどきえらい安い価格設定である。肉体労働者の味方の店といえよう。味もなかなかいける。とはいうものの、これだけ連続すると流石に飽きるぞ。それが、またしばらく続きそうな気配。

ざぶん】嵐山光三郎 ★★★同著者による「文人悪食」「追悼の達人」の2作は面白かった。本書はその時の資料を使いまわしして連載小説に仕立てたものといえるだろう。副題の「文士放湯記」というのはなかなかうがったもので、明治大正の文士の放蕩ぶりと、彼らの(嵐山自身も)温泉好きとを掛けているし、舞台設定も温泉や風呂場を多用し、有名作家総出演オールスターキャスティングの大盤振る舞いで、大概がお馴染みなので、それぞれに楽しめるという仕組みではある。
後書きで白状しているが、ネタ元の第一は伊藤整の「日本文壇史」らしい。この全十八巻という膨大な労作??は、文学の歴史とはまるで違って、日本の一時期のみに存在した「文壇」という特殊社会の特殊風俗、エピソード、評判記、ゴシップ記録、毀誉褒貶、人気盛衰等などがドキュメント風に描かれている。
本書ではそれらのエピソードを、ほとんど興味本位にアレンジして、特に下半身的興味への偏っているのが特徴で、いわば、写真週刊誌みたいなスタンスなのだが、それを興味本位で読んでしまうというのも、読み手側の下衆根性にフィットしたということかもしれない。
元編集者だけあって、エピソードの連結、按配は上手いのだが、毎度のことながらこの人の意地悪な視点というのが、そこかしこに見えて、その部分は読んでいて嫌な気分になる。

2001/06/10(日)●やっぱりフランス強し飛田さん(左)と高吉美さん左から尹さん、水間さん、趙子衡先生
昨夜の「七川」のセンター朝鮮語講座同窓会参加者は、趙子衡先生、飛田さん、鹿嶋さん、信長夫妻、寺岡さん、水間さん、中西さん、姜さん、高吉美さん、尹英順さん、Morris.の計12名。久しぶりに会う顔も多く旧交を温めることが出来た。尹英順さんが来週からソウル延世大学語学堂に留学するのでその歓送会を兼ねての会だったが、たまにはこういった機会を持ちたいものだ。飛田、寺岡、信長正義さんらはまもなく北朝鮮ツアーに出かけるとのこと。尹さんから、イソラ2のCDもらう。感謝。
今日は午前中、春待ちファミリーBANDで、守口市寺方小学校へ。約1000人の子供+父兄の前で賑やかに演奏を終え、そのまま大至急、千里住宅公園で2回の演奏。このレポートは春待ちファミリーBAND演奏日誌部屋にアップ。
夜はサッカー日本-フランス戦を見るも日本は0-1で負けてしまった。点差以上に実力の差を見せ付けられた試合だった。

2001/06/09(土)●ポンチャンネ
8時半起床。それでも寝床で愚図愚図して起き出したのは10時前。シンシネ/ポンチャンネ
トースト、ニラ玉、サラダ、紅茶のブランチとって、また寝転んで読書、午後は4chで吉本見て、その後、韓国民謠のCD2枚聞いてから、その流れで、シンシネの「ポンチャンネ」をかけて、改めてその凄さに参ってしまった。シンシネは女優で、このアルバムはKBSの連続ドラマ「希望」の挿入歌?らしい。1曲目の「セサンウンヨジギョン−世の中予知鏡」は、のどじまんでも根強い人気を誇ってる名曲で、それ以外の19曲はすべてトロットのヒット曲のカバーで、台詞と合いの手入りのポンチャクメドレーである。KNTV契約破棄したので韓国ドラマと縁遠くなってしまったので、今度今里あたりで、このドラマのテープでも掘り出しに行こう。シンシネの演技は以前、うり丸さんに産婦人科医院を舞台にしたコメディドラマのビデオを見せてもらったことがあるが、その時はあまり印象に残らなかったが、このアルバムの台詞を聞くと、どうしても見たくなってしまった。このCDは一昨年ソウルの泥棒市で、何と1000ウォンで手に入れた物だが、発売元は「姫レコード」となっている、これは、キムスヒが経営しているレコード会社だ。
今夜は、桜口の「チルチョン(七川)」で、学生青年センター朝鮮語講座の同窓会がある。そのために民謠やポンチャクをかけたのではないが、結果として、すっかり頭の中がコリアナイズされてしまった。

【アリランの誕生】宮塚利雄 ★★★☆「歌に刻まれた朝鮮民族の魂」と副題にある。「韓国文化」に「民衆史としてのアリラン」と題して89〜92年に25回にわたって連載されたものを95年に加筆して上梓したもので、前から読もうと思いながらついつい読みそびれていた。なにしろ、あの名著「日本焼肉物語」の著者の作なので、期待して読み、期待は裏切られなかった。
羅雲奎ラウンギュの伝説的映画「アリラン」(1926)こそが、現在のアリランの原型であるという見地から始まり、映画、レコードになったアリラン、日本人が歌ったアリラン、近代以前の伝統的民謠としてのアリラン、また日本に渡った朝鮮人のアリラン、特攻隊として死んでいった朝鮮人の歌ったアリラン、古賀政男とアリラン、半島の舞姫崔承喜が踊ったアリラン、アリランの語源、アリランの発祥地とされている江原道(カンウォンド)の族善(チョンソン*チョンの漢字は正しくは族の矢の部分が生)訪問記など広汎にわたっていて、朝鮮近代史専攻の学究でもあるだけに綿密な調査と資料を駆使して、なかなかに読み応えがあった。特に映画アリランの製作過程や時代背景を克明に記録している部分は圧巻だった。ただ、取り上げられる時代が時代だけに、当然、日本による侵略、文化統制、弾圧、略奪等の事実を突きつけられるだけに、辛いものがある。
件の傑作「アリラン」のフィルムは現在失われて見ることが出来ないが、これだけ後世に影響を与えたというからには、凄い作品だったのだろう。本当に出来ることなら一度見てみたいものである。
アリランの語源としては、峠の名前説、女性の名前説、知らないという意味から来たという説、女真族のアリン由来説、赫居世(ヒョッコセ)の妃アルヨン説、妻との別れを惜しむ我離娘(アイラン)説など、地名や人名に由来したり、漢字語や言葉の意味に由来するという説から、ロシア、アメリカ、日本、イギリスに気を付けろという意味での「俄・美・日・英アミリョン」のことだという突飛な説までさまざまだが、筆者は特定を避けている。その代わり、徐廷範「韓国のシャーマニズム」中のアリラン説を掲げている。

「アル」は卵の意味を持たせた「アル」だと思える。「アル」は新羅王朝始祖の朴赫居世、高句麗王朝始祖の高朱蒙、駕洛王始祖の金首露王が生れた卵と関連すると思われる。
「アリラン」の「アル」も卵の意味であろうし、また朴赫居世の王妃アルヨンにより近い。すなわち王妃の出生地がアリヨン(アルヨン)だからである。アルヨンは地名であるが、「アリラン峠」も民謡では地名になっている。こう見てくると、「アリラン」は結局、祖国、民族、民族魂を喩えたものであろう。アリラン峠は、祖国と民族の受難の危地を意味していると見られる。すなわち、日本の植民地原住民の受難の危地である。「私を捨てて行く君は」の「私」は、祖国・民族を暗示しているといえる。その祖国と民族を捨てて行くような人は、一里も行かないうちに足に豆ができるぞと愛国心を高調した内容である。表現としては恋人を指しているように喩えているが、これは日本帝国主義の監視を避けるためだった。「青い夜空には星も多いが、私の胸には悩みがいっぱい」は、植民地原住民の苦しみ、悲しみは多いが、しかし希望は決して失うなと激奨する趣旨である。

ちょっと強引な印象も免れ得ないが、アリランの意味は、一言で言えない複雑な内容を併せ持っている(持たされてしまった)というのは事実だろう。
アリラン保存連合会の金煉甲の著書「アリラン」中にあるアジテーション風の文章が印象的だった。。

慟哭だ。血だ。憤怒だ。抗弁であり、絶叫であり、反乱だ。いや旗だ。消化剤だ。むしろ里程標だ。よく熟れたアジュカリ(唐胡麻)だ。悲しい浮気者であり限りない懐かしさだ。不思議にもこの地にあるものの中で殆ど唯一の国産だ。それゆえ土だ。米だ。韓服だ。この地の声だ。それゆえ地下放送であり、真言だ。この地に住む人が、この地に住む人々の声を聞けない時笑う。風刺であり、詰問し、いやらしく皮肉る。また調子が早くなるかと思えば、ふらりふらりと搖れ、素知らぬ振りをしたかと思えば、慇懃ともなる。そして証言するのみだ。いつもその"峠"を越え証言するのみだ。それは力があるからだ。多くの歪曲と受難の峠を越え、今日もこの地の風音のごとく聞こえてくるのは、すなわちこのように力があるからだ。つまりこの民族の力であるからだ。

2001/06/08(金)●acrophobic dream
高所恐怖症的な夢。工事の足場の上の方で作業していて、リフトに荷物を積もうとした途端すのこみたいな荷台を蹴ってしまい危うく落ちそうになる、荷台は数メートル先まで移動してしまい、細い木枠を伝ってそれを戻しに行かねばならなくなるが、足が竦んでしまい逡巡している。
矢谷君らと5人でブラジル人のピックアップ最終日。正夢だったのではないが、今日の現場は六甲アイランドの高層マンションの30F。Morris.は特に高所恐怖症というわけではないが、さすがにベランダから見下ろすと下半身がぞわっとする。植木などのゴミが多くて閉口した。その後家具の複数個所配達。明日は休みということで、ちょっとは休養できそうだ。8時に帰宅して部屋そうじ。疲れていたので何となく部屋が雑然となっていたので、久しぶりに掃除した感じ。
数日前から、韓国のイパクサ公式HPにアクセスできなくなっている。Morris.のPC環境のせいなのか、サイト側の事情なのか分からないが、おかげでパクサ最新情報が手に入らない。

2001/06/07(木)●サッカー録画失敗
梅雨の晴れ間といった感じ。晴れて良かった。御影の現場7日目最終日で、約50M3の荷物を搬出しなければならなかったからだ。雨だったら、と思うとぞっとする。ともかくもやっとこの現場終って、ほっとした。しかし疲れる一週間だった。
今日はサッカー日本-オーストラリア戦が午後5時からだったので、朝タイマーかけて、帰ってから見ようと思ってたのに、西根君がメール情報だと中田のシュートなど教えてくれるものだから「楽しみにしてるのに嫌味だあ」とおこったのだが、8時に帰宅してビデオ巻き戻したら何も録画されていない。あじゃじゃである。原因は、パーフェクTVの120chを予約してたのが、どうやら中継は121chで放映されたためらしい。まぎらわしい書き方してあったもんな。これなら、あっさり関西TVを録画しておくんだった。
社長からファックスで春待ちファミリーBANDスケジュール送られてきたので、春待ちファミリーBAND部屋を更新。
今夜は、どんなに疲れてても、なぜか、ほいほいとできてしまう麻婆豆腐。やっぱり美味いっ。

2001/06/06(水)●紫陽花色の
結局昨日付けで近畿も梅雨入り宣言だされてたらしい。ということで、今日も朝からじとじとと降り続いている。紫陽花も徐々に色気づき、じゃなくて、色づき始めた。
まだ御影の現場に貼り付いている。今日やっと台所に入る。それにしてもすごい物量だ。おまけにお母ちゃんは今日になって100KG以上の大理石像を衝動買いして、帰りに店まで引き取りに行かされてしまった。

【今夜の魚 呑む銘酒】魚柄仁之助 ★★★☆ 安く手抜きで美味しく食べるというコンセプトの魚柄のヴィジュアル料理本。本書は素材を地魚に限り、毎月2素材×2=48メニューの簡単なレシピと、それに合わせた地酒の紹介までを、例の変な九州弁混じりのお茶らけたコラムで、それなりに読んで楽しく、ためになる(ような気になる)一冊である。
なに、本当のところは、「ひと品平均200円」といううたい文句に、貧乏性のMorris.がつられてしまったというわけだ。
6月のメニューから、カツオの鉄板焼きのレシピを

・材料--カツオのサクどり、昆布、味醂、醤油、葱、大根
1.醤油3:ミリン1の割合で漬けダレを用意し、切った昆布を入れて30分おいておく
2.カツオを刺身にひいてつけダレに30分間漬ける
3.熱した鉄板に引上げた刺身をのせ、すぐに裏返し、皿に取る
4.大根おろしと葱を散らす

たしかに簡単ではある。これに合う酒は長野の「真澄 純毎吟醸あらばしり」\2910となっている。

酒の紹介の中から、気にかかる銘柄を、メモしておく。
・十四代(山形)・大七(福島)・明鏡止水(長野)・越後鶴亀(新潟)・伊佐美(鹿児島 芋焼酎)・北の錦(北海道)・八万八百(鳥取)・黒牛(和歌山)・日置桜(鳥取)・鷹勇(鳥取)・黒龍(福井)・神亀(埼玉)

2001/06/05(火)●そろそろ梅雨入り
御影の現場5日目、さすがに飽きるというか、食傷気味。午後から雨になった。宣言は出てないがそろそろ梅雨入りらしい。
昨日の夜は、本当になにか、だるかった。今日はそれほどでもないが、疲労は抜けない

てのりくじら】 枡野浩一短歌・オカザキマリ絵 ★★★ 枡野浩一の名前を知ったのは糸居重里のサイトからだった。自分のページと掲示板を持ってて、なかなか盛況のようだった。もちろん自作の短歌もいくつか読めるようになっていて、Morris.の感想は、可も無し不可も無しといったところだった。本書は歌集というより、最近流行りのヒーリング豆絵本といったおもむきの本で、太い単純な線の魚や動物のイラストがちょっといいな、とおもって借りてきた。全体で64頁、歌の数も50首足らずで、歌そのものも、ライトヴァースというか、ひねりを加えた、31文字の川柳のようなものだった。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である
本当のことを話せと責められて君の都合で決まる本当
怪談をおりる自分をうしろから突き飛ばしたくなり立ちどまる
ついてないわけじゃなくってラッキーなことが特別起こらないだけ
だれからも愛されないということの自由気ままを誇りつつ咲け
「たとえば」とたとえたものが本筋をいっそうわかりにくくしている
もっともなご意見ですがそのことをあなた様には言われたくない

エスプリというか、くすぐりみたいなものもあり、結構面白かったけど、でも、それだけかな?

2001/06/04(月)●日本、プラジルに引き分け
例の御影の現場今日で4日目。夕方岡本別の現場の配達に奥井さんとかされるも、ここで、ガーデンチェアや、ブランコの組み立てでえらく時間が掛かり、終ったのが7時過ぎだったので、直帰させてもらい、TVでサッカー観戦。今日は前の2戦に比べると日本の精彩が無かったが、それでも終ってみれば0-0のドロー。結果的にBグループ1位で準決勝出場。これは出来すぎぢゃ。韓国が2勝1敗ながら、得失点差で3位となり、予選敗退してしまったのが残念だ。
相変わらず疲れが取れない。

2001/06/03(日)●疲労が蓄積している
午前中ゴロ寝。午後、灘図書館、中央図書館回り、夜はヒアカムで、矢谷智克&井口達也ライブ。いやまもキーボードで2曲ほどゲスト出演。11時帰宅。疲れが溜まっているらしく、爆睡。

2001/06/2(土)●サッカー日本連勝
御影の現場3日目。今日はひさしぶりに高平さんが来た。涙をのんで春信の絵を梱包。裏側に1930wood printの書込みが。ということは昭和の始めに刷られたことになる。版木がオリジナルかどうかが気になるところだが、ともかくもこれでこの絵は、ベルギーで開梱されるまで、人目に触れることはない。
パーフェクTVの対応は思ったより早くKNTVは昨日から受信停止になっている。
夜はさりーちゃんと例のメンバー(伊藤君、堀姉妹、えっちゃん)で、魚平で腹拵えしてから、ヒアカムで「SHABU3」のライブ。いやま key.春野由梨 vo.飯島香織 tap.鴨川 g,のユニットで、前回はSHABU2だった。だんだん増殖しているらしい。いやまはキーボード新調したそうで、音色変えたり、ひとりドゥワップコーラスやったり楽しそうだった。
ライブの後「水軍」で零時まで飲む。
帰って、録画しておいたサッカー、日本−カメルーン戦見る。なんと2-0で日本連勝。これで準決勝進出決定。嬉しい誤算と言うか、すごい、すごい。鈴木の2ゴールだったが、中田と森島のアシストで、今回はまとまりもあり、いいチーム作りができてるようだ。

【寄せては返す波の音】山本夏彦 ★★★ 使い回しの帝王、山本夏彦が、週刊新潮に連載している写真コラム集成の10冊目である。100回分で1冊にするそうだからすでに1000回を越えたことになる。内容はほとんどが、山本語録の繰り返し(変奏)なのに、それなりに読ませらえれてしまう、山本の語り口、いや「騙り口」にMorris.は、手も無く乗せられてしまう。つくづくイヤな親父だと思う。
このあたりの機微を当人が簡潔に説明してるのが「ちがうのはタイトルだけ」と言うコラム。

・俗に不易流行と言う、私は万古不易なものにしか関心がない。故に結局はいつも同じことを書いて「ちがうのはタイトルだけ」になって読者の寛恕を請うよりほかないのである。

こう開き直られては、あっさり兜を脱ぐか、無視するか、どちらかしかないのだろうが、そのタイトルだけでも、面白いのでついつい、中毒症状みたような仕儀になってしまうのだ。

・暮らしの手帖の使命は終ったとプロは見た。それは決して花森の恥ではない。古往今来食い物を捨てる国は滅びる、その時代にはいったことを花森は感じたがいかんともしがたいこともまた感じたのだろう。暮らしの手帖は次第に衰え、読者は暮らしの手帖と共に置いた。
花森の言葉で強く記憶しているのは、英語の字引の訳語を日本語だと思うな、全文ひら仮名で書いてみよ。その上で漢字で書いて許される文字だけ漢字にせよ。 同感にたえない。

・文字は言葉の影法師だとギリシャ人は見ていた。ソクラテスもイエスも問答しただけでジブンは書いてない。書いたのは弟子たちである。本を読むのは死んだ人と話をすることだ。死んだ人は返事をしない。十年二十年たって読み返すとハタと思い当る。すでに書いてあるのを発見してようやく問答がなりたったのだ。
人間の知恵は古典に尽きている。それに加える何ものも現代人にはない。学ブニシカザル也と古人はそこまで言っている。けれども同じことでも同時代人の口から聞くのはまた格別である。だから本は少しはでてもいい。そんな本でも読む人は稀である。

・私は昔話をしているのではない。インテリ! この獅子身中の虫、自分の国をあしざまにいって良心的だと思っている者、安全地帯にいてなお左翼的言辞を弄する戸輩、それは学校に官庁に、ことに新聞社にいる。 わが同胞はそのインテリの支配下にある。

2001/06/01(金)●しつこく春信
昨日と同じ現場。今日は半日、例の春信の絵の横で割れ物梱包作業。見れば見るほどいい絵だ。30x40cmくらいの洋風の額縁に入っている。バックの雲母刷りといい、髪の生え際の細かい彫り跡といい、表情といい、文句の付けようがないのだが、贋作の可能性が高い。それでも好きなのは、好きでいいと思う。問題の春信
楽屋のスケジュール表が貼付メールで送られてきたが、やっぱり開くことはできても保存できない。
矢谷智克部屋のpoetical worksページに、詩を4編追加。

【漱石俳句を愉】半藤一利 ★★★☆☆ 熊本日々新聞に連載された「漱石くまもと100句」に松山代の句を合わせて、コラム風に論じたもので、漱石の初期の句好きのMorris.にととって、面白くない訳が無い。というより、同じ著者の前作「漱石先生大いに笑う」を読んで、気に入った句を引用したら、ソウルの杉山さんが「ぐいぐい俳句」と批評されて、それが縁でMorris.が「ぐい句」を作ることになったのだから、あだや疎かにはできない。
著者の細君は、漱石の長女の娘だから、漱石との縁もあさからぬものがあり、著者自身が文藝春秋、週刊文春の編集長を歴任しただけあって、蘊蓄あり、逸話あり、ツボを押えたコラムの手本みたいになっている。
しかし何よりも漱石の初期の俳句は楽しい。「草枕」の中で主人公に

十七字は詩形として尤も軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来るという意味は安直に詩人になれるという意味であって、詩人になるというのは一種の悟りであるから軽便だといって侮蔑する必要はない

と言わせてる漱石ならばこそ、の、どんどん作る姿勢が、初期の句に、破天荒な魅力をもたらした(駄作も当然多いが)のは間違いない。

・朧故に行衛も知らぬ恋をする(明29)
・或夜夢に雛娶りけり白い酒(明30)
・抱一は発句も読んで梅の花(明32)
・木瓜咲くや漱石拙を守るべく(明30)
・菫程小さき人に生れたし(明30)
・あつきもものむかし大阪夏御陣(明29)
・累々と徳孤ならずの蜜柑哉(明29)
・凩や海に夕日を吹き落す(明29)

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