ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
2001/02/27(火)●韓国でもカバー流行り?●
白黒斑猫の夢。Morris.は猫の柄では、雉猫と白黒が好きなのだが、昨夜の夢に出てきた白黒猫は顔が逆三角形だった。白黒はデブというかふっくら型が多くて、Morris.の好きなのもそのタイプだ。夢に出てきたのは、身体もすらっとして、顔も上品すぎるくらいだった。その猫といろいろ話しをしたのだが、内容は覚えていない。
FM cocoloの火曜日のお昼前の2時間は、韓国語中心の放送で、時々聞くのだが、今日は、3曲いっぺんに韓国の歌手による日本語のカバーがかかった。ミーシャの「悲しみの向こう側?」井上揚水の「リバーサイドホテル」サザンの「いとしのエリー」。最初のはS.E.S、おしまいはキムジャンフンとかいってたが、もう一人は聞き損ねた。昨年末に、チェッカーズの「ジュリアにハートブレイク」をカバーしたのが大ヒットして、他の歌手まで歌ってるのを見かけたから、結構日本曲のカバーはブームになってるのかもしれない。日本の大衆文化の受け入れが進んでいる韓国でも、まだ日本語の曲全面解禁には至っていない。でも、韓国語でならOKってことなのだろうか。
午後三宮図書館に行き、サンパルのジュンクで、紛失した文庫本探したが無い。センター街地下のKOBE
BOOKで見付ける。
夜、東京の京子ちゃんから電話。春待ちに行き出した頃は、常連でよく一緒に遊んだものだが、上京してからは縁遠くなり、もう10年近くあってない。二人の娘も中高生とか。
【木曜の男】G.K.チェスタートン 吉田健一訳 ★★☆☆
チェスタートンといえば、ブラウン神父もので、これは学生時代に一通り読んだはずだ。本書は1098年の作で、著者唯一の長編推理ということになっている。今回初めて読んだのだが、実は昔本書のペーパーバック版を手に入れて、辞書引きながら読もうとしたことがあったのだが、数頁も進まずにそれきりになっていたのだった。Morris.の英語力は、無いに等しいのだが、今回読み終えて、何と無謀なことを試みたかがよく解った。何しろ、日本語で読んでもよくわからなかい部分が多かったのだ(>_<)
無政府主義者の集まりに警察の密偵として入り込むことになった詩人が「木曜日」というコードを与えられ、その他の曜日を冠した不思議なメンバーと、幻想的な事件に巻き込まれていく物語で、途中のエスプリのきいたエピソードなどは面白いのだが、全体としてはつかみどころのない印象を受けた。「長編推理」という伏線こそが、ミスリーディングを誘うトリックだったということにでもなろうか。吉田健一の訳も雰囲気だけは出ているものの、読みにくい文章だ。230頁くらいなのに、やたら時間がかかって、時間の無駄遣いと思ってしまったし、いらぬ出費までかさんでしまった。つまり、図書館で借りて無くした本というのがこれだったのだ。
2001/02/26(月)●フクイーズ活動休止●
昨夜のアコースティックフォレスト(フクイーズ定例ライブ)は、ひょっとすると矢谷君が参加するかと期待して行ったのだが、やっぱり来ていなくて、フクイーズというより、福井君のソロライブだった。対バンは、急造のフォークロックみたいなバンドで、いまいちだった。で、福井君だがソロだとやっぱりちょっと物足りないのだが、アンコールの「ノークルー」は、なかなかの熱演だった。そして、突然の活動休止宣言(>_<)
2年以上にわたり、毎月最終日曜日に継続してきた定例ライブが、とりあえず昨日で打ち切りになるというのは、ちょっとショックだった。メンバーそれぞれの事情もあるようだが、ここ1年くらい、皆勤したMorris.としてはちょっと残念である。Morris.部屋の中にフクイーズのコーナーも作ってるのだが、これは、どうしたものだろう?
自転車で灘区役所へ。寒の戻りなのか、さ、寒い。土曜日夜の鉄板焼き屋(「鬼母」で「きまま」と読むらしい)に寄ったが、図書館の本見つからなかった(>_<)
サンボ部屋のBotanical Gardenに、「うめ」をアップ。本当に久しぶりだ。
2001/02/25(日)●胃の痛くなる試合●
今朝、カバンに入れてたはずの文庫本(図書館)が無いのに気付いた。昨夜鉄板焼き屋で落したのだろうか?
午後はTVでラグビーの決勝戦を見る。稻田さんも書いていたが、社会人決勝リーグと、日本一決定との対戦チームがほとんど同じというのは、無意味な気もする。しかし、ともかくもこれで勝たないことには「日本一」とは言えないわけで、何とか神鋼に勝って欲しいと応援したのだが、前半はサントリーが7点差でリードするという予想外の展開。ミスも多かったし、これはかなり危ないと思ったが、風下になってからの後半で踏ん張り、逆転、逆転の連続で、ラストプレイで、サントリー永友のゴールキック失敗で何とか同点で、両チーム優勝という結果になった。まあ、負けなくて良かったというべきだろう。実力伯仲ではあるが、解説陣がいうほど、素晴らしい試合だったとは思えない。
昨日のピフレホールでのレポートを春待ちファミリーBAND日記ページにアップ。
ユニクロなどの廉売で、中国からの衣類などの輸入規制問題が話題になっているが、今度は東南アジア、韓国などからの野菜類の輸入でも同様の問題が起きているらしい。金持ちは国産野菜、貧乏人は安い輸入野菜という時代が来ているらしい。これも稻田さんからの情報による。
今夜はヒアカムのフクイーズライブ見に行く予定。
2001/02/24(土)●ばら食品のドロソース●
新長田ピフレホールで、ライオンズクラブ主催の「盲導犬育成コンサート」に出演の春待ちファミリーBAND撮影。今日は8人全員参加。リハの後時間余ったので、久しぶりに秋本らと、六間道商店街へ。ここは、前から閑散としていたが、今やほとんどゴースト商店街の趣がある。道幅がやたら広いアーケードで、地震で歯抜けになった部分も多く、残った店も、2,30年前のたたずまい。いちおう、秋本がばら印のお好み焼きソース買うという目的でいったのだが、その「ばら食品」も、なかなか気合ははいってるものの、やっぱりちょっと怪しい雰囲気。2リットル入りのソース3本も買い、さらにお目当ての「ドロソース」を買おうとするも、おばちゃんは「無い」という。秋本が粘って「九州の友達におくりたいんだけど」などと、プッシュすると、おばちゃん「頼まれて1本だけとってある奴があって、今日取りに来ると言ってたんだけど、その人には待ってもらって、分けてあげる」と、見え透いた口上で、奧から1本だけ持ってきた。このくらいしないと、バラ印のドロは手に入らない(^○^)
しかも、やっとの思いで手に入れたソースには「ドロ」でなく「ドベ」と書いてある。
3時からの演奏は、間に盲導犬の紹介などもあって、4時半に終了。
夜はさりーちゃんらと、鉄板やきに行く予定。
社長、さりーちゃん、いやま、えっちゃんと、最初石屋川の鉄板焼き屋に行き、あと万坊はしごして11時帰宅。
【わらう伊右衛門】京極夏彦 ★★★ ご存知「東海道四谷怪談」を下敷きにした新解釈だ。著者の名はよく目にするのだが、初めて読んだ。お岩と伊右衛門が相思相愛でありながら、皮肉な運命で別れてしまうという設定は、他でも見たことがあるような気がするが、本書の眼目は、ストーリーより、その雰囲気を醸し出すことが眼目のようだ。事件のほとんど全ての黒幕とも言うべき、お岩の父の上司である男の、嗜虐趣味、放資な好色、無感動、狡猾、弱い者苛め、天の邪鬼、マザコンなどが交錯した「呪われた性格」を描き込むことこそ、著者の目的だったようだ。改行の多い、擬古文的文体もそれなりに、著者独自のスタイルとなっているようだし、特殊な宛字ルビなどは、Morris.をよろこばせたりもしたが、どんどん、読んでみたい作者とは言いかねるようだ。
2001/02/23(金)●文体模写サイト●
旧友福田博の出てくる夢。ふらっと遊びにやってきたらしい福田と飲みながら、最近作ったぐい句を見せびらかす。ちょっと褒められていい気になって自作解説をする。窓から峡谷が広がっている。何故か全体に屋根があり、その下を青鷲が飛びまわっている。庭に下りて見上げると、恐ろしいほどのギンヤンマの群。そのあと空が曇り、透き通った烏賊がどんどん降ってくる。3杯だけ拾ってビニール袋に入れて帰り道、カメラ屋に寄ったら知り合いの女性二人に会う。TV局のスタッフと会い、ポンチャク番組に出ないかという話になり、是非とプッシュする。そのあと知り合いの店のパーティがあって、持参した烏賊を料理してもらう。久しぶりに、長ーーい夢だった。
としろうたちと、北野のローカルピックアップ。
ソウルの杉山さんから、文体模写のサイトを紹介された。ちょっと覗いたら、カフカの「変身」の冒頭をお題に、物凄い量の作品??が満載されていた。小説家だけでなく、タレントや、有名人の眞似したものや、和歌、能、哲学書、番組、漫画仕立てにしたり、作品への感想などもあって、まあ、世の中には閑な人がいることよ、と、ちょっと、安心してしまった(^_^;)
アイデアが秀逸なのと、模写の技術がすごいのと、両方凄いのもあるんだろうけど、何しろ、発言数1,024!!
長いのもあるし、これはちょと読みきれないな。(^_^;) 挑戦したい気もちらっと、したけど、これも、「やってはいけない(^○^)」
今日も温かい一日だったが夕方から雨が降り出した。
【神保町の怪人】紀田純一郎 ★★☆☆ 古本商や古書収集家と古書にまつわるミステリー仕立ての3編が収められている。3作とも著者と思しい語り手が伝聞した形をとるので、なんとなく、古書にまつわるエッセイを読んでるような気がする。著者は書誌学者、図書館学などの専門家で、読書ノートや、専門分野の啓蒙署やエッセイは、以前から良く読んでるし、なかなか卓越した存在だと、一目置いているのだが、どうも小説はいまいちである。ミステリーにしてるため、無理矢理トリックや、謎解き畫筆用となり、どうも、故事付け、あまりに窮屈だったりする。それより、所々に出てくる、古書収集家のえげつないやり方や、駆引きなどのエピソードが面白い。要するに小説仕立てにする必要はないように思われる。
【スプーン一杯のビール】立松和平 ★★☆☆☆ ここ数年書き散らしたエッセーをまとめたもの。福島泰樹の歌に関する連載エッセーが冒頭40頁ほどあったので、ついつい借りて来た。著者は福島とは早稲田の後輩に当たるらしい。歌集「バリケード・1966年2月」の歌を中心に論じるというより、自分との関わりを中心にした、感想文みたいなものだが、福島の初期の歌を久しぶりに目にして、懐かしかった。
ここよりは先へゆけないぼくのため左折してゆけ省線電車
三月のさくら 四月の水仙も咲くなよ永遠の越冬者たれ
あじさいは雨に翳りていたるともよしや ひとりのわれとおもうぞ
酒飲んで涙を流す愚かさを断って剣菱白鷹翔ける
他では金子光晴の「マレー蘭印紀行」をネタに、アジア放浪の詩を引いて自分の旅を重ねていくエッセイが目を引いた。
Morris.は著者の小説は一冊も読んだことがない。このエッセイ集を読んだ限りでは、これからも読まないような気がする。
2001/02/22(木)●六甲南天荘もトーンダウン●
二日続けて本屋の話だが、JR六甲道駅北のフォレスタに入ってる南天荘を覗いたら、大幅に配置替えになっている。とりあえず棚と棚の間がえらく広くなって歯抜け状態。おまけに入って左3分の1は、ビデオコーナー、右側はマンガ、文庫、雑誌で占められ一般書籍は壁際に形見狭そうに並んでいる。これでは、国道沿いによくある、新興のコンビニブックストアではないか(>_<)
もともと六甲駅南のチャオ六甲2階にあった本屋で、六甲ではほとんど唯一のまともな本屋ということで、結構よく利用してたのだが、地震で潰れてからは、今の店と阪急六甲駅に小さ目の店で営業していた。阪急店も別の本屋になったし、今回のマイナスリニューアルで、南天荘は、J-MALLのBOOK
キオスク以下の店になってしまったような気がする。ジュンクと同じく、営業戦略なのだろうが、本屋がつまらなくなるのは悲しいものである。
【メイン・ディッシュ】北森鴻 ★★★ 小劇団の女優と劇団主宰の作家が、女優と同棲していた料理のうまい謎の男が関わる過去の事件を推理していく、長編推理だが、いちおう連作短編の形を取りながら、おしまいで強引にまとめている。読むほどに器用な作家だと思ってしまう。料理のメニューも以前のものに比べると具体的で美味しそうだし、ギャグもかなりはまっているし、登場人物のキャラクタ設定も無難にまとめているしと、最近の娯楽作家では、いち押しだな。相変わらず、トリックやミステリー風味はいまいちなのだが、これもいつものことながら、面白ければ其れでいいのだ。
【写楽まぼろし】杉本章子 ★★★☆☆ 写楽ものということで借りてきたのだが、写楽より、蔦屋重三郎が主人公で、戯作者や浮世絵師も多数登場するし、実に当時の文芸をよう読み込んでいるし、考証もしっかりしてるようだし、読み応え満点だった。著者は江戸文学専攻で院まで出ているとあったので、納得した。本作品は昭和57年に「歴史読本」に連載されたというから、かなり前の作品だ。写楽の正体は重三郎の幼くして別れた父親だったという、やや無理な設定だったが、短期間の大量製作、急速な筆の衰え、さらには贋作と思しい作品が出回ったことにも、それなりの解決を与えているところなどは、お見事と言ってよい。はじめ、杉本苑子かと勘違いしたくらいだ。他に月岑(武江年表の著者)や、明治の版画家小林清親を描いた作品があるらしいので、是非読んでみよう。
2001/02/21(水)●さよならサンバル ジュンク●
午後、元町に出て阪神理容で散髮した後、三宮図書館にまわり、サンパルのジュンク堂に立ち寄った。サンパルでのジュンク営業は3月10日までで、3月17日からは、隣のダイエービル7階に移転する。サンパルのジュンクは、神戸ではMorris.いち押しの本屋だっただけにちょっと淋しい。もちろんセンター街のジュンクは、めちゃでっかいし、売場面積、本の数では比べ物にならないだろうが、サンパルは、あまり客が多くなく、その分専門書の分類整理ぶりは、見事なくらいだった。偏見かもしれないが、ダイエーの中の本屋というのはどうも、気に食わない。たぶん、ジュンクは、センター街店の方に主力をおくことにしたのではないだろうか。本屋も商売だから、わからないではない。駸々堂があっけなく潰れたこともあるし、本の売れ行きも、漫画と雑誌以外は伸び悩み状態みたいだしなあ。今日は、いろいろ感慨を覚えて、少しゆっくり目に全体を逍遥してまわった。やっぱり、見やすいし、整理は完璧だった。図書館人間のMorris.は、書店にとってはありがたくない客なのだろうが、ここで費やした時間は結構長く、充実していた。感謝している。
【詩集 祝婚歌】北山冬一郎 ★★☆☆
文庫本サイズだが横長になっている。数年前、鶴橋の楽人館の均一棚に並んでいたのを、とりあえず表紙の大胆さに釣られて買ってしまった。昭和21年4月20日発行とあるが、改訂版第二刷になってるから、戦時中が戦前の作品という可能性が高い。発行は京都の新風社で、詩人も、出版社も知らない。えらく寒々しい名前だが、これはペンネームなのだろうな。
島崎藤村風のなかなか古臭いスタイルだし、センチメンタルなものが多く、昔の恋人が別の男と結婚するにあたって標題の詩を作ったようでもある。見本にいくらか引いておく。流石に、こんな詩は書こうとは思わないが、でも、読むのは嫌いではない。
[序詩]
わがうたは
かなしきいのり
若き日の過失に似たり
風ふける
ちまたに立ちて
うたふうた
君よきかずや
[祝婚歌]
少女はもはや
見えないところにゐた
あてどなく
とほいそのむかふ
たづねる術もなく
雲青く
せんせいばか
先生の馬鹿
お酒は駄目
聲は空から地に落ちた
[慟哭抄]
なさけあらずと いふなかれ
なさけなければ かのきみの
ひとづまなるを ひとの子の
そのはゝなるも いかでしる
されどれんぼの 身はいかに
きみそを云ひて せむるなよ
なさけありせば そがゆゑに
またひとつまも おもはるゝ
どうやら北山氏は、高校の教師か何かで女生徒に恋して、破れ、祝婚歌を書き、結婚したその女性に未練があったような雰囲気なのだが、どうだろう。
それにしても、この裝丁だけは、実に素晴らしい。
2001/02/20(火)●回転すしの不条理●
エレベーターの夢。春待ちの社長と何かの作業のためエレベーターに乗ったら、中はえらく広くて、ウエディングドレスを着た女性が横たわっている。作業の邪魔になると言うとここはあたしが許可を受けた場所だから動く必要はないと開き直り、トランクの中から別の服を出して、着替えたり、畳んだりを続ける。しかし広いので作業はできた。そのあと、みっちゃんと、風呂の温度についての議論。二人ともぬるい湯が良いということでは一致してるのだが、Morris.は42℃くらいがいいというと、みっちゃんは41℃でなくてはと主張して、結局平行線。
矢谷、西根君と河内長野の現場で、マレーシア向け荷物のピックアップ。昼食の時、近くに食堂がなくて、トラックで延々走った揚句、回転寿司屋に。長いこと回転寿司なんて入ったことないが、結構混んでて、Morris.らの席は回転するキャタピラのかなり後方にいたので、食べようと思うネタはたいてい先の客に取られてしまう。あれは時々逆回転させてほしいものだ。
【奇書! 奇書! 奇書の達人】歴史と文学の会編著
★★☆☆☆ 一見、ゾッキ本めいている。造本といい裝丁といい、実に素人っぽいし、全頁白黒で上部が灰色のグラデーションのデザインでなんとなくコピー本みたいでもある。4章に分かたれているが、27人の奇書の著者と作品を紹介してる第2章だけが、Morris.の関心を惹いた。
取り上げれらているのは、都良香、紀長谷雄、源隆國、大江匡房、根岸鎮衛、宮武外骨、梅原北明、夢野久作、井上円了、斉藤昌三、正岡容、木村荘平、添田唖蝉坊、斉藤夜居、牧逸馬、高橋鐡、稲垣足穂、渋澤龍彦、寺山修司、水木しげる、つげ義春、荒俣宏、高橋克彦、夢枕獏、鈴木光治、京極夏彦、団鬼六。
奇書というより、妖怪、怪談、猟奇を主にしているようだが、面白ければなんでもよいMorris.なので、先の作家の中で幾つか面白そうな作品の候補が見つかっただけでも読んだ甲斐はあった。しかし、もうちょっとデザイン、レイアウトには気をつかってもらいたいものだ。
2001/02/19(月)●バルチュス逝去●
東京の夢。東京のTV局で、司馬遼太郎と同じ部屋にいる。彼の作品についていろいろ話してるうちに、彼の唯一の句集をMorris.が持っていて、それを部屋まで取りに行き、この句がいいとか、面白いとか歓談する。しかし、目が覚めて考えると、司馬遼太郎は俳句なんて作ってなかったんじゃないかな(^_^;)
昨日から兵庫ネットで、インターネットに繋がらなくなってた。電話は繋がるのに、メールもサイトにも行けない。先日メンテやってたからその後遺症かもしれない。しかし、電話代だけはかかるだけに、馬鹿にされたような気がする。今朝になってやっと繋がったが、日頃に増して遅いように感じるのは気のせいだろうか?
先週、有機農業の関連で韓国に行ってた信長さんからメールが来てた。何でも帰国予定日に大雪になり、飛行機が欠航になって、結局2日も足止め食らったそうだ。冬の韓国は数回体験してて、その寒さは体験してるMorris.だが、そんな大雪にはあったことがない。
ニュースで、バルチュスがスイスで死んだと報じていた。1908年パリ生まれだから享年92だ。彼の描く挑戦的なポーズの少女像は、一目見て印象に突き刺さったものだが、残念ながら、生の作品はまだ一度も見たことが無い。関西で回顧展やってくれないものだろうか。
【らんぼう】大沢在昌 ★★☆☆ 凸凹コンビの刑事を主人公に暴力コメディタッチで描いた連作短編。10編全てに「ちきこん」「がんがらがん」「ほろほろり」といった擬態語めいたタイトルを付けててるのと表紙がサイバラのイラストだったのにつられて借りてし余ったのだが、いまいちだった。やっぱり彼の本領は長編、はっきり言えば新宿鮫シリーズに尽きるようだ。
2001/02/18(日)●今日は社長の誕生日●
昨夜は、近くの「ふくべ」で飲み会。社長、さりーちゃん、さなえちゃん、堀姉妹、えっちゃん、いやま、伊藤君という面子。ここは改装してから初めてだが、座敷が広くて融通が利きそうなのがいい、肴はこういう店だから安かろう不味かろうといったところ。2時間半ほどでお開き、さりーちゃんらは二次会に向ったが、Morris.と社長はパス。
今朝8時からのラジオ寄席は五代目志ん生特集で「粗忽長屋」「無精床」「千早ふる」「火焔太鼓」などお馴染みの掌編をやってくれたので、気楽に娯しめた。
昼に六甲道で待ち合わせて、春待ちファミリーBANDで六甲グランドヒルマンション子供会の演奏の撮影。MORGAN'S
BARは広島に行ってるのでメンバーは6人。2時からの演奏だったのに社長が勘違いしてて1時間早く着いてしまった。集会室には80人くらいの子供+父兄でほぼ満席。1時間15分にわたって熱演(といっても半分は社長のお喋り)で、子供たちの反応も良かった。
夜は社長宅へ。今日は社長の誕生日だった。伊藤君、堀姉妹も来て、しばらく飲んでだべる。堀妹が来週上海に行くということで、上海フリークの社長と中国の話で盛り上がった。
6chで「シュリ」やってたので見る。ソウルで見たときは当然字幕無しで、筋がよくわからなかったので、今度は字幕付きで樂しめると思ったら、吹替えだったのでちょっとがっかり。やっぱり、あまりMorris.向きの映画ではなかった。
【福田繁雄のトリックアート・トリップ】 ★★
騙し絵のデザイナーでもある著者が、世界各地でであった、トリックアートや作品を写真とコラムで紹介するというもので、毎日新聞日曜版に2年半連載されたらしい。遊び心のあるアートやデザインは嫌いではないのだが、ビルの壁に描かれた巨大アートは、どうも苦手である。
著者自作のポスターには、それなりに感心したこともあるので期待したのだが、本書はいまいち、意外性に欠ける気がした。
本書の裝丁も著者自裝で、三方をクリップで留める、騙し絵というスタイルをとっているのだが、この出来があまりにもお粗末なのが、淋しすぎる。
【『古今和歌集』の謎を解く】織田正吉 ★★★
以前同じ著者による百人一首の謎解き本「絢爛たる暗合」にシビれたことがあるので、大いに期待して借りてきた。
古今和歌集を、笑いと言葉遊びの歌集として捉え直すという視点は悪くないのだが、百人一首の謎に比べると、数段面白味に欠けるようだ。
紀貫之が書いた、古今集仮名序にある人麻呂紹介の部分の矛盾から、人麻呂は実は編集中に亡くなった紀友則に仮託しているとしたり、喜撰法師を空想上の人物(貫之の捏造)としたり、歌や序文に、選者らの頭文字を折り込んでいたり、身分の低いことを愚痴ったりしているなどと、例証を重ねて実証?しようとしているのだが、やや牽強付会は免れ得ないようだ。著者の例証が杜撰なわけではなくて、Morris.はかねがね著者の資料の読み込みと推理力には一目も二目もおいていて、本書でも、その慧眼にはたびたび驚かされたし、面白いところもあったのだが、謎自体が、いかにも弱いということになるのだろう。
考えてみれば、中国文化偏重の時代、まして「和歌」という芸術が「漢詩」に比べると段違いに貶められていた時代に、古今集が、最初の和歌の勅撰集とはいえ、まだまだ歌人の地位は定まっていなかっただろう。こんなことは、なかなか普通の文学史では教えてくれない。勅撰集という名には幻想をもってるだけに、貫之等の地位の低さというのは意外だった。ついつい「貫之」という活字が「貧乏」と見えてしまったよ(^○^)そういう意味でも、発見は多い本だった。
2001/02/17(土)●ちょっと恥ずかしい歌集●
昨夜の「歌謡舞台」には、ゲストにキムヘヨンが出ていた(^○^)ソロでなく、ヒョンスク、ハネジンらと6人のセットだったのだが、その分何曲も歌ったし、出演時間も長かったので滿足。白いチョゴリに赤いチマの韓国衣裳もとてもよく似合ってたし、一番笑顔が目立っていた。
またまた剣呑な夢。戦争の訓練で、サッカーをやらされてるのだがそのボールが、人間の頭だった(@_@)血は出ないし、蹴ってもちゃんと弾むのだが、表情は生きてるようで、別に恨みがましくなく、冷めた目でMorris.を見る。Morris.も別に平気で顔を合わせてそのまま蹴り返したりしてた。ヘディングの場面は無かったようだ。その後軍の車で山越えする。Morris.はナビゲータなのだが、地図があちこち空白になってて、迷ったりしながら何とか目的地(東海地方の軍港??)にたどり着いたが、船が来ていないので困ってしまう。
韓国歌謡のCDを連続して聞いていた。チャンサイクの3枚の中から好きなものを選んでMDに落す。演歌のリバイバル(換骨奪胎)ものはもちろん全て収めた。やっぱりすごいや。
サンボ部屋に歌集『雅歌』をアップ。これは、パウル・クレーの絵(とタイトル)に触発されて作ったものだが、この前の『玉石集』に劣るとも優らない(^_^;)破調ぶりだし、ちょっと気恥ずかしいのだが、80年代の歌集でこれひとつだけ残ってたので、公開することにした。
【厨師流浪】加藤文 ★★★ 戦後日本で薬膳料理店を開いた中国料理人の幼少から青年期までのノンフィクション的小説。日中戦争下の中国で裕福な漢方医師の息子として生まれた主人公が、腹違いの兄との確執や偶然の事件から家を出、さまざまな苦労と歴史に翻弄されながら料理の腕を磨くというストーリーなのだが、いわゆるグルメ小説、料理小説とは違い、社会情勢、当時の厨師(料理人)の仕組みなどを解説しながら、主人公の成長を描いたもので、最後まで一息で読み終えた。陳健民という耳馴染みの料理人も登場するし、冒頭とラストに老年の主人公とその同僚との感激的出会いのエピソードなども置かれて
結構よく出来た小説と思うのだが、ストーリーがぶち切れになる傾向があるのは、新聞連載の弊かもしれない。
主人公に薬膳料理の師が言う台詞
「才能とは生きていくためのずば抜けた能力のことなんだ。おまえの強みは、賢さだけじゃなく、天性の味覚の尺度を持っていることだ。ほとんどの厨師は、過去に食べた旨い料理の記憶を味覚の基準にしている。つまりな、手本から離れられないんだ。手本でなく自分の味覚だけを信じればいいおまえは、他の厨師にできない発見ができる。醤油を味噌に替えたり、鶏を家鴨に替えるのを思いつく発見でなく、料理の捉え方の発見だよ。薬膳は、技術じゃない。人が生きて、食って、死ぬという道理さ。料理の作り方でなく食い物と食うことの関係を薬膳でじっくり身に付けてごらん。そこから見える風景に、きっとお前なりの発見がある。俺の真似をしようなんて考えるな」
【五高生殺人 思いや狂う】飯尾憲士 ★★★ 標題作を含む6編の短編集。連作ではないが、ほとんどが「報復」の物語で、微妙に内容が交錯したり、絡んだりしているのが、確信犯かそうでないかの問題だ。小学生の娘を暴行して殺し、十五年の刑を終えて出所した犯人を殺す老夫婦や、未亡人。姦通された夫が相手の男を恨むでなく、殺してしまうなど、人間の心の奥深いところを抉り出すような筆者の力技には、感嘆するのだが、やっぱり後味が良くない。この人の作品を読むたびに同じ感想を書いてるようで、それなら読まなければいいようなのに、読まされてしまうのは、その圧倒的遡及力と構成力なんだろうか。これは、高村薫の作品に通じるものがありそうだ。
【江戸風狂伝】北原亞以子 ★★☆☆☆ 江戸の商人、浮世絵師、講談師などの反俗、意地、諷刺などをテーマにした7編の短篇集。テーマにつられて借りてきたのだが、どうも相性は良くなかったようだ。權威に反抗するそのやり方があまりにも、リアリティを欠いていたり、おとぎばなしだったり、尻すぼみだったりで物足りなかった。下手じゃないと思うんだけどね。
平賀源内をモデルにした「爆発」という小品は、源内の乱心の一解釈としては興味深かった。
2002/02/16(金)●みぞれ振る寒い日●
学校の夢。新学期か休み明けか久しぶりに顔を会わせた学生達に混じっている。二時間連続の講座に出なくてはならないのだが、その講師が苦手だから嫌だなと渋りながら教室に入ると前の席にハンサムな生徒が坐っていて、香介みたいなのだが髪は金髪、目はブルー(@_@)休みの間の話やってると、別の女生徒が、そのハンサムを誘って遊びに出ていってしまった。授業始まったが、講師のいってることがさっぱり解らない。内容でなく、言葉が理解できないのだった。
えらく寒い、みぞれ混じりの雨の中、バスで中央図書館へ。閲覧室は受験生でほぼ満員だったが、何とか席取れた。隣の机では、女子高生4人組がお菓子など持ち込んで、楽しそうに??勉強していた。
【奇想天外・英文学講義】高山宏 ★★★☆☆☆ アカデミックな英文学界からは、異端とか、はみ出し者と目されている(だからこそMorris.のような門外漢には面白い)著者の総括的な私的「超」英文学史(17世紀後半〜20世紀)研究の報告書である。実はこれ、講談社メチエ200号として、ほとんど2日間の「語り起こし」が核となってるらしい。それだけでも奇想天外といえるかもしれない。
英文学研究の世界では、「アンビギュイティ(ambiguity)」は「あいまいさ」ではなく「両義性」「多義性」という意味だとする積極的な展開が問題の1920年代にすでにあらわれ、そこから一世風靡のニュー・クリティシズム(新批評派)が出てきた。新批評派は文学作品の価値を、アンビギュイティ、パラドックス、そしてアイロニーの使いかたの上手いか下手かに置いた。
未曾有の断裂は未曾有の結合をうむ、とでもいうか。マニエリスム・アートが「アルス・コンビナトリア(ars
combinatoria=結合術)と呼ばれるのは、そのためである。合理的には絶対につながらない複数の観念を、非合理のレヴェルでつなぐ超絶技巧をマニエリスムという、といってもよい。
マニエリスムの表面に表れる狙いは、「人を驚かせること」である。これがマニエリスムの一番の根本義である。人を驚かせることに情熱、人生を賭ける人間類型があるんどあ。ところが日本ではこの「人を驚かせる」ことを「外連(けれん)」といって軽視する風潮がある。
十八世紀半ばから、絵自体が、自分で意識しないうちに言語と同じ構造を目指そう、近づこうとする傾向が始まる。先鞭をつけたのは、1728年のチェンバーズの「サイクロペディア」で、このあたりから、現実に近い精密な絵が出現した。これ以後、視覚文化とは、きちんと分けられたものを見る快楽であり、その快楽が「合理」「理性」という名前で人間の頭脳の構造として説明されていく。
「ディテールを積み重ねると、必ずリアリティに突き当たる」というリアリズムの根本の観念は、細かいディテールを積み重ねていけば必ず犯人に行き当たると信じ込んでいる探偵の確信とぴったり重なる。推理小説とはつまりメタ・リアリズム小説なのだ。この脈絡がわからないと、推理小説をちゃんと文学史の中にとりこめない。早い話、推理小説は「観相術」そのものの解説書なのである。
結局あらゆる小説が覗き小説であり、屋根をはがして上から見ている構造である。
かつて分類学者のリンネは、明解に区分した。区別できないものはぜんぶひとまとめに「パラドクサ」と呼んでいるのが面白い。博物学はそういった区分をやってきたから、キャロルの皮肉な博物学は、むしろどちらにも属さない、中間のミックスされた「パラドクサ」ばかりを作ることになる。
「見える」こと即ち「わかる」こと。見えないものは断面にしてでも切り割いてでも何でもいいから、とにかく「見える」ものにする。これはこれで合理という名の、狂ったファンタジアなのだ。
幻想(ファンタジー)とは、光の対蹠地にあるものではなく、光そのものが何かの形で変質していくものである。
Morris.も読みたくなった、推薦文献の一部
・「曖昧の七つの型」ウィリアム・エンプソン 岩崎宗治訳(研究社)
・「シェイクスピアのアナモルフォーズ」蒲池美鶴(研究社出版)
・「大江戸視覚革命」荒木正純(作品社)
・「独身者の機械」ミッシェル・カルージュ(ありな書房)
・「ディアロゴス演戯」由良君美(青土社)
・「空想旅行の修辞学」四方田犬彦(七月堂)
・「ストイックなコメディアンたち」ヒュー・ケナー(未来社)
・「博物学の黄金時代」リン・バーバー(国書刊行会)
2001/02/15(木)●ろくな夢は見ない●
昨夜のKNTV歌謡コンサートに、パンミギョンがゲストに出て、デビュー曲「タンポポの綿毛になって」を弾き語りで歌った。これは89年の作品で、現在の黒っぽいスタイルとはまるで違うフォーク風の曲で、懐かしかった。ボサノバ風の「火曜日に雨が降れば」も歌い芸域の広さを見せ付けてくれた。
海外旅行の夢。といっても戦争が終わった混乱の中で、バンコクの空港で日本へ代える飛行機を延々と待たされているという冴えないものだった。戦争が終わって価値観が変わりそのためやむなく帰国しなくてはならなくなったらしいのだが、その詳細もおぼえていない。
【ゴミの定理】清水義範 ★★★ 清水の本は、何度か、もう読むまいと決心しながら、ついつい、他に読むのが無いと借りてしまうことがある。本書には12編の短編が収められている。表題作は、ある数学者がゴミというものを数式で解明する、というスタイルをとっているものの、数式はほとんど冗談で、ゴミ定義を説明しながら、これが結構現代のゴミ問題のレジュメとしてわかりやすく整理されている。作品中に出てくる、主なゴミの定理を引いてみる。
・金をのぞくゴミではないすべてのものは、ゴミになろうとスキをうかがっている。
・ゴミでないものをゴミと化す力は伝染力を持っている。
・ゴミは無秩序さの産物である。
・整理整頓とゴミは反比例する。
・ゴミを、ゴミでなくすることがまれに、整理によって可能である。
・長時間たてば、いずれすべてのものはゴミとなる
・ゴミの量は経済繁栄度と比例する。
・分別されないゴミはゴミの王である。
・ゴミのうち、再利用できるものは再利用することによってゴミではなくなる。
・人類はゴミのために滅亡する。
最後の結論が、突然みたいだが、これが眼目でもあるのだろう(^_^;)
他にケータイの行き過ぎた使い方を茶化したものや、現地ガイドのいいかげんさ、夢の分析、旅行や、文豪のボケや、その他もろもろのよしなしごとについての感想、エッセイとも小説とも解らないものが多かった。著者の発想自体が一つのスタイルになってるので、読んでる時はそれなりにふんふんと、思うのだが、読後はほとんど何も残らない。時間潰しのためのものと割り切れば、それはそれでいいんだけどね。
2001/02/14(水)●美國夢世紀展●
このところどうも夢見が悪い。ノレバン1号不調のせいばかりではなかったらしい。
区役所に用があったので、自転車で出掛ける。ついでに王子の近代美術館まで足を伸ばして「アメリカン・ドリームの世紀展」を見る。青年からタダ券貰ってたのだ(青年も誰かから貰ったようだ)。初めからあまり期待もしてなかったのだが、「黄金卿−エルドラド」という名のいかにも、のアメ車や、イージーライダースタイルのバイク、ジュークボックス、テレビに冷蔵庫にラジオに掃除機など、変に懐かしい感じのアメリカを追体験させられてしまった。コカコーラ関連が多いと思ったら、ちゃんと協賛に名を連ねていた。「ライフ」のバックナンバーも多数展示してあったが、雑誌は陳列してあるだけでは魅力はほとんど無い。表紙は、マリリン、ケネディ、ジャクリーヌの3人だらけ。絵画もウォホールやリキテンスタインなどは、大きいだけで、別に本物見たからどうということも無いし、スーパーリアリズムも、今から見るとアラが目につく。プレスリーの映像や、古いTVCMのビデオが流れていたのがちょっと面白かったくらいだった。アメリカン・ドリームというもののの薄っぺら加減(そこが魅力なのかもしれないが)というか、やぼったさが際立つ。いわば「流行品」文化だから、後になってどうこう言うのは反則かもしれないな。
ついでに、小磯良平や版画室なども覗き、図書コーナーで、酒井抱一の画集などを眺めてきた。琳派の流れの花鳥画を描きながら俳味のある彼の画風には惹かれるものがある。宮内庁御物の「十二ヶ月花鳥図」の全部を見ることができた。それぞれに当月の植物と鳥虫獣を配合してあるが、どれも素晴らしい。弟子の其一になると、装飾的、近代的に過ぎてちょっと苦手だった。
社長からファックス来たので、春待ちファミリーBANDスケジュールを更新しておく。
2001/02/13(火)●ノレバン一号復旧??(波乱含み(^_^;))●
昨夜9時から4chでやってた「さようなら向田邦子 風立ちぬ」というドラマを珍しく真剣に見てしまった。先日「だいこんの花」シナリオを読んで感心したばかりだったので、えらくいいタイミングだったことになる。「父の詫び状」「男どき女どき」を翻案したドラマで久世光彦が演出したもの。田中裕子、宮沢りえ、田畑智子の三姉妹という、ほとんど信じられないキャスティング(こんな似てない姉妹って)に、小林薫、米倉まさかねといった芸達者が絡んで、TVドラマとしては、なかなかに力が入ってたし、昭和14,5年の下町の雰囲気を存分に楽しませてくれた。でもMorris.はドラマ見るのは、やっぱり性に合ってないようだ。シナリオ読んでる方が楽しい気がする。それと、CMの多さも感興を殺ぐこと甚だしい。韓国のTVは、ドラマでもバラエティでも、CMは番組の前後にまとめて流して、番組を中断することがない。最近これに慣れてるものだから特にそう思うのかもしれない。
今日もノレバン一号を、いろいろ触って見たが埒があかない。稲田さんに電話で相談したら、やっぱりBIOSのBOOT関係ではないかといわれたので、押し入れからノレバン一号のマニュアルを引っ張り出して、その中の「BIOSセットアップ」という20ページくらいの項目を手探りで(^_^;)読み、だめもとで鬼門の設定変更に挑戦。いろいろ試した後で、Boot
Option中のPost Errorsの説明を見たら「エラーが生じたときに、いったん停止するか、エラーを無視して、OSを読み込むかの選択」とある。これを「無視する」に設定し直して再起動したら、おおっ、Winが立ち上がった(@_@)
いちおう、ソフトも使えそう。しかし、これって、「エラーを無視して」立ち上がってることになるのだよなあ(^_^;)
とりあえず使えてるのは事実だから、よしとしよう(^_^;)これからはバックアップをまめにとるべきだろう。それにしても、ほんとにそろそろ「ノレバン2号」導入したい。
【青い月曜日】開高健 ★★★ 64年から65年にかけて書かれた、少年〜青年期の自叙伝的色彩の濃い長編で、戦事中、戦後の2部に分かれていて、間にベトナムへのルポ取材が入ったため、1部と2部ではかなり作品の雰囲気が違っている。
欝屈した文学少年である主人公は、戦時中は勤労奉仕、空襲、戦後の焼け跡、飢えと、混乱の中で、読書に逃避しながらも、食うためには働かざるを得ず、製パン工、旋盤工、英会話教師、海外文通の翻訳などをしながら、高校、大学に進んでいく。同人誌を通じて知り合った女性(牧羊子モデル)に、子どもができるあたりで、物語は閉じられるが、全体的に重苦しいムードが漂っているのは、時代の影ともいえるだろうが、著者自身にとってもあまり振り返りたくない記憶だったのかもしれない。それでも書いてしまうのは作家の業なのだろうか。
Morris.は、開高健の若き日の読書傾向が伺える部分が一番興味深かった。
「李陵」を「わが西遊記」のうえにおく批評家のおごそかな文章を読むとたちまち知的俗物だと思い込んでしまった。バルザックはたいくつだった。ソラはわずらわしかった。バーナード・ショウはすばらしい芸術であった。モームはおそるべき検閲官であった。「歎異抄」は偉大な自然であった。有島武郎は鮮烈、深刻であった。志賀直哉より井伏鱒二のほうが好ましかった。太宰治は「ロマネスク」一篇が傑作であった。「失われし時を索めて」より「ガリヴァー旅行記」のほうが好きだった。チェーホフは愛して尊敬し、ドストエフスキーは好きではないとしても尊敬した。ゴーリキーは初期の短篇の方がいいと思うのになぜみんな「母」を激賞するのかわからなかった。
ジョイス、プルースト、サン・テクジュベリ、マルロオ、リルケ、シュペルヴィル、アポリネール、オーウェル、ハクスリ、ローレンス、すべてある。何もかも語りつくされ、書きつくされてしまった。明晰な大岡昇平もいる。混沌たる武田泰淳もいる。透明なきだ・みのるもいる。荒野の空気そのもののような高杉一郎もいれば、地平線そのもののような長谷川四郎もいる。私は感嘆し、発見させられ、謎が発掘されたのを眺め、吐息をつくばかりであった。
2001/02/12(月)●ノレバン一号フリーズ(>_<)●
何度も目を覚ます夢?? 本当に起きたのかもしれないが、寝ているのを意識して、さあまもなく目を覚ますぞと自覚して起きて、気がつかないうちにまた寝ている自分を見ている別の自分が居て、と、なんかまんじりとしない夢だった。
夢見が悪かったためかどうか、朝一番にノレバン一号(デスクトップ)のスイッチを入れたら、様子が変だ(@_@)
一向にWinのデスクトップ画面にならない。??と思ったらフロッピーディスクが入ったままになってる。なあんだと思って、フロッピー抜いて再起動したのだが、そのままだ。<F2>set
upという、指示が点滅するばかり、F2ボタンを押すと、例のBIOS設定画面になるが、こいつはMorris.はアンタッチャブルだ。せめてWinを読み込もうという動作でもしてくれれば、急いでF8を押して、SAFE-MODEで、立ちあげる事もできるはずなのだが、それもできない(^_^;)
これは、けっこう厄介そうだ。昨日スイッチ切るまでにやった操作で、思い当たることといえば、ファイル検索で拡張子bakのファイルを一挙に削除したことと、クイズソフト「5TAKU」のwin版をインストールしかけてやめたことあたりが臭いな。
今この日記はちびくろで打って、アップしようとしているのだが、これは制約多いし、NIFTY部屋の更新はできなくなる。
誰かレスキューに来てくれないものだろうか(>_<)
奥井さんと相楽郡のカナダ向け荷物のピックアップ。昼食は天理スタミナラーメン。ここのスープは天理ラーメンにしてはこくがあって美味しかった。でもあのもじゃ麺は×だ。
帰ってからも、未練たらしくノレバン一号を触るが、どうしようもな(>_<)
2001/02/11(日)● 社長居ぬ間のいやまのドリア●
8時からSTARdigioの落語聞く。今日は三代目三木助ばかり三本やってた。達者なのだがいまいちMorris.の好みではない。
昼は、韓国のどじまんと、ラグビー(神鋼−慶応)見て、夜は社長宅で夕食会(社長夫妻旅行中なのでいやま等が料理する)に行くつもり。
7時ごろ社長宅に行ったら、やっちゃん、ひろこ、いやまのほかにえっちゃん、堀姉妹とえっちゃんも来ていて、今夜は鍋でなくドリアになったとのこと。だいこんサラダ、ローストビーフなどもあり、さっそく飲み会モード。ドリアは、初め電子レンジのオーブンで作るつもりが、火力の関係でオーブントースターで作ることになったので、一人前ずつの時間差攻撃で、全員が食べ終わるまでたっぷり1時間半くらいはかかった。しかし、味はなかなか美味しかった。
食後、だべってる間に夢の話になり、最近夢日記書いてるMorris.がえらそうに披露してたら、昌美(堀妹)が、非情にリアルな夢を見て、それをまた詳細に覚えてることにびっくりさせられた。その後、えっちゃんが買ってきた「寿司麻雀ゲーム」が始まった。簡単で面白そうなゲームだったが、Morris.はちょっと早めに帰宅。
【だいこんの花】向田邦子 ★★★☆☆
NETテレビ(現・テレビ朝日)で74年9月から75年3月まで放映された30回分のシナリオ。Morris.は当時(今でもその傾向はあるが)TVドラマには興味無くて一度も見た覚えはないのだが、四半世紀も後になってシナリオを読んで、ドラマの情景と人間が目の前に鮮やかに浮かび上がってくることに驚かされた。元海軍大佐の父子家庭を中心に、息子の結婚、周辺の人情劇が、シニカルかつコミカルに目まぐるしい中小事件の積み重ねで展開していくのだが、著者のドラマ作りの上手さには、感嘆するしかない。けれんあり、時にはあざといほどの感情操作あり、毒にすらなりかねない悪意を、その直前で逆転させたり、見る側、読む側を翻弄し、また楽しませるという曲芸だね、これは。文庫本2冊で計1,300ページほどの本書は、「だいこんの花・第4部」に当たるらしい。第1部、第2部までは向田邦子を含む複数の作家の競作で、3部から最終5部までは向田一人に委ねられたと解説にある。老父永山忠臣(森重久彌)と次男誠(竹脇無我)、次男の嫁まり子(いしだあゆみ)の3人が主役で、周りの癖のある脇役陣(金子信雄、真野順子、大阪志郎、加藤治子、松山英太郎、牟田悌三、春川ますみ、都家かつ江、水之江滝子等)が、縦横に個性を発揮しまくる構成になっている。
放映当時、シナリオというものは、どちらかというと日陰の存在だった。シナリオライターも、いわゆる小説家、作家と比べると一段低く、或いは軽く見られていたといって間違いないと思う。それを、質実ともに重要な役割として力技で世間に認知させる魁となったのが、向田邦子だったと言いきってもいいのではないかと思う。この世界には暗いMorris.なので間違っているかもしれないが、そのくらい、彼女のシナリオは作品として鑑賞できる。もちろん、戯曲というジャンルがあることは知らないではないし、TV以前に映画のシナリオ(脚本)の優れた作品があったことも想像はつくのだが、それでもシナリオの世界で向田以前、以後という区分けができるくらいに大きな存在だと、贔屓の引き倒しと思われようと、そう思っている。
2001/02/10(土)●チーズフォンデュ大会●
顔の白い女の夢。朝部屋に見知らぬ女性がいて、10時になったら出て行くという。能面のように表情が無く白い顔。紅茶一緒に飲んで、ジャズを聴いて、じゃあ時間だからと出て行った。
今日は寒波が戻ったようで寒い。夜は堀圭子(堀姉)宅で、転居祝いを兼ねて宴会というので、自転車で行く。マンション探しあぐねていたら、ちょうど社長夫妻と出会う。堀妹、えっちゃん、やっちゃん、井山、伊藤君が先に来ていた。今日はチーズフォンデュというので、社長が仕切る。Morris.はあまり、このチーズ系は好きな方でないので、コロッケや漬物、ポテトサラダ(これは堀姉の手作りで大好評)あてに、ワインとビール飲み続ける。10年以上前、春待ちファミリーBANDがイカ天に出場するため上京したおりに有楽町でストリート演奏したビデオが流されていて、10歳若いメンバーの演奏を懐かしんだ。
社長夫妻は明日から博多にラーメン旅行(^。^)に行くので先に帰り、後またずるずると飲みだべり、ノートPC(ダイナブック)で遊んだりして、零時過ぎに帰宅。
【断層海流】梁石日 ★★★ 93年発表の未完長編で、何故か読み損ねていた。不法入国のフィリピン女性、日本に帰化した不動産業者と政治家、やくざなどがバブル時代を舞台にやりたい放題やってる怪作だが、北朝鮮のレアメタル開発のため暗躍する部分などは、政治裏情報ものとしても面白かったし、父が日本に帰化したことを婚約者から知らされて混乱する娘と家族、その父の暗い過去等々、興味津々のストーリーが、絡みあって、これから物語りが佳境に入ろうとするところで、終わっているのが、なんとも心残りだ。
何とか続編を書き続けて欲しいのだが。
【さかしま】梁石日 ★★☆☆ 7編を収めた短編集。99年刊で2作を除いて書き下ろし。戦後の大阪朝鮮人部落周辺の事情を、夢に託して描いたり、金融関係の仕事をして負債をおって逃避する自伝的作品や、タクシードライバー時代のエピソードなど、ごたごたしていて、やはり、この人は、長編作家だと思った。
2001/02/09(金)●ああ、あの時カンオケに(@_@)●
ぼうぼう頭の夢。ある催しの受付として座っている。なかなか客は来ない。催しのスタッフから「その頭は何だ?」と言われて鏡を見ると、凄い髪型になっている。はっきり言ってドイツの古い絵本に出てくる「ぼうぼう頭」みたいだった。
結局昨夜の満月も見ることはできなかった。
チューリヒとか言う保険会社のCMで「ああ、あの時棺桶に入っていたらーーー」という台詞が聞えたので、ドキッとしたのだが、これは「ああ、あの時癌保険に入っていたらーーー」の聞き間違いだった。しかし、これはひょっとすると作為的なコピーなのではなかろうか、と、勘繰るのはMorris.だけだろうか(^_^;)
夕方、三宮図書館に出掛けたが、どうも最近三宮図書館は読みたい本が少ない。建物の外装工事中というのが関係してる訳ではないだろうが。それに、場所柄、本来の利用者以外の入館者が多すぎる。まあ、Morris.も似たようなものかもしれないな(^_^;)
北野T2楽屋2月のスケジュール送られてきたので更新しておく。
KNTV今夜も「歌謡舞台」の代わりにへんなドラマやってる。ったく腹立つなあ。
【漫画の文化記号論】大城首宣武 ★★★ 87年発行で、当時流行の記号論を漫画に援用したのだろと、丸分かりのタイトルで、実際そうだったのだが、取り上げられている作品の大部分が長編もので、その半分くらいが衆知だったため、面白いというより、懐かしさを感じた。筆者は沖縄の人で、それが漫画を見る視点にも微妙に関わっているようだ。最終章で新里堅進の「沖縄決戦」という、いささかマイナーな作品を取り上げ、熱く語っている。
沖縄決戦とは何だったのか。それは、大本営にとっては日本本土決戦の時間かせぎ、そして、牛島中将にとっては「沖縄の住民を将兵とともに玉砕させ、その事実によって日本民族の運命を示し、戦争継続を断念させる」ことであった。苛酷な選択であった。
スーパーヒーローがいつまでも年を取らないのは「完成された確固とした自己を実現しているので成長する必要がない」とか、少年、少女漫画によく出てくる転校生は「マレ人」であるとか、料理漫画、会社漫画は「未知の扉」を開けるものだとか、いう指摘は当時としては、鋭い視点だったと思う。個人的には、木原敏江の「夢の礎」が高く評価されていたのが嬉しかった。その結びのくだりを引用しておく。
絵柄は華麗の一言に尽きる。歌舞伎のようなきらびやかさ、武人、公家、庶民の生活が微細に描かれ、史実に沿いながらも力技とも思える想像力の限りをつくした歴史解釈、人間の生の営みがドラマの源泉であることを示している。虚実皮膜、絵巻の世界である。この解読には歴史と文芸と美術の素質が動員されなければならない。
【パンドラ 'S ボックス】北森鴻 ★★☆☆ 最近良く読んでる北森の短編集で、デビュー以前のものから最近のものまで7編と、それぞれに作家生活の歩みを赤裸々??に綴るエッセイを並列していて、彼の小説作法や来し方、思考方法などを知ることができて、面白かった。作品はジャンルも対象もばらばらで、多方面な知識、興味のあり方を知らしめるが、水準はそれほど高いとは言えない。久生十蘭の「顎十郎」のパロディには、ちょっとびっくりした。贋作アンソロジーの一編として書かれたものだそうで、Morris.は久生の文体を敬愛してるのだが、文体模写としてはなかなかよくできている。
2001/02/08(木)●今夜も無月●
スポーツシューズ店の夢。商店街に靴屋2軒がある。一方の店はすべて薄いグリーン、他方は、薄いコーラルの色のスポーツシューズばかり置いてある。Morris.は、薄いグリーンのシューズを買って履いてるのだが、ひどい色だなと思う。きっとこの店は2軒とも潰れるに違いないと思い、その通りになった。
宮崎さんの掲示板が本当に消滅(閉鎖の口上のみ)になってしまった。やっぱり淋しい。Morris.と違って彼はHPも掲示板も自己管理されてたので、アクセス状況なども正確に把握されているらしい。掲示板無しでも、検索エンジンからのアクセスがかなりあるようだ。今後の更新情報などは、日記などで公開してもらえることを期待している。
午後歩いて灘区役所に雜用で出掛け、そこからバスで中央図書館へ行き、4時半帰宅。
杉山さんの書込みによると、満月は今夜の月だそうだ。17年ぶりと言うのは、地球と月の距離が17年ぶりの近距離ということで、普通の月より10%くらい大きく見えるらしい。今日は陰暦1月16日だから元宵節はやっぱり昨日だったんだろうけど。とりあえず見ておきたい。神戸は昼間は晴れてたのに、夕方から曇ってきた。やっぱり縁が無いのかな(^_^;)
時々窓開けて観察してみよう。
【耽羅紀行−街道をゆく28】司馬遼太郎 ★★★
関川の本に刺激された訳でもないが、韓国からみと言うことで読んでみた。「耽羅」とは「済州島」の古称で、昭和61年(1986)二度の済州島の旅の記録である。「街道をゆく」の韓国本土編はこれよりずっと前に書かれ、Morris.も以前読んだはずだが、こちらは済州島のこととは思わず読まないでいた。
在日の姜在彦や編集者との旅で、当地の学者、ジャーナリストの案内を請う、一種の大名旅行だから、Morris.の旅とは全く違ったタイプに属するし、司馬の紀行文は、半分以上が、横道に逸れるエッセイとして読むしかない。しかし、本当に久しぶりに司馬の語り口に再会して、嬉しかった。やっぱり、上手いなあ。
李氏朝鮮を支配した儒教、就中朱子学がこの国を駄目にしたという、怒りに似た持論も、半分は当たっていると思う。島の風土、歴史に関しては、泉靖一の著わした「済州島」に、朱子学に対抗しようとした実学者に関しては、姜在彦の「朝鮮の開化思想」に多くを依ってると書いているが、そういった他人の著書の骨子を血肉化して自分の文章に取り込む手際も名人芸だ。
ところどころに配してある独白めいた感想も実に効果的で、これは彼の小説にも頻出して、大きな魅力となっていた。
海というのは、ふしぎなものである。
水だけのとりとめもない世界なのに、人間がそこへ押しだす場合、風むきや海流の方向などによって、陸地のように道ができてしまう。朝鮮半島は、その道からわずかに北へそれている。
このため、十五、六世紀の大航海時代、ヨーロッパは日本を"発見"したあとも、ながく朝鮮を"発見"しなかった。
ナショナリズムは、どの民族、郷党にもあって、わるいものではない。
ただ浅はかなナショナリズムというのは、老人の場合、一種の呆けである。壮年の場合は自己についての自信のなさの一表現かもしれぬ。若者の場合は、単に無知のあらわれでしかない。
【生死不明】新津きよみ ★★★ 意地になって、未知の作家のものを読んでいる。夫が結婚半年で失踪した後、書道教室を営む主人公が、父子家庭の父との結婚を考えている頃、夫にからむ電話や、手紙、裁判などにまきこまれ、友人夫婦とも関連する過去の事件を知って云々という、ミステリー色は薄い事件もの。主人公をはじめ、女性刑事(夫は主夫業)などの描写がなかなかうまいので、引き込まれてしまった。20年も前の盗難事件や、15年前の過失致死事件、共犯者同士のもつれなど、展開には無理なところもあるが、女性でなくてはわからない、仕事と家庭の軋轢などふーんと、感心するところもあった。
本文中に、家族三代が同じ日に誕生日を祝う確率の譬えがあり、女性刑事が「単純な偶然性だけから言えば、365の三乗分の一、約4千8百6十万分の一の確率です。つまり
日本中に二組あるかどうかの確率ですね」と言ってて、さらに「そういうケースは報告されている限り、日本に一例存在していますから−−」と続くのだが、三代と言えば、たとえば、親、子、孫、が同じ誕生日なら、確率は2乗分の一じゃないのかな?数字にはからきしのMorris.だから、勘違いかもしれないけど、よくわからない。まあ、これは、作品とはあまり関係ないことだった。
2001/02/07(水)●HPの見直し??●
高校野球の夢。Morris.の応援してるチームが決勝に進むことが決っていて、対戦校を決める試合をメモしながら観戦している。試合の後宿舎に自転車で戻る時眩しくてサングラスをしたがまだ目がくらむほど。突然、決勝の朝になり、選手を励ましながら球場に向うのだが到着する前に目が覚める。明るいというか、極彩色の夢だった。
宮崎(myzk)さんが、突然掲示板を閉鎖されるとのこと。HP自体のリニューアルとの兼ね合いらしいが、Morris.が一番親しみを感じていた掲示板でもあったので、ちょっとさびしい感じもする。しばらく宮崎さんのHPの動向に注目したい。Morris.部屋(Morris.
in Wordland)も、見直す時期に来ているのかもしれない。一番の問題は、この垂れ流しの日記なのかも(^_^;)
武雄の熊さんに短い手紙書いて、1月の日記と一緒に送る。しかし、これもいいかげん迷惑されてるのではないだろうか。
ぐいぐい酒場に、ソウルの杉山さんが韓国の新聞の記事から「今夜の月は17年ぶりに、大きな月が出る」と紹介されてたがMorris.は意味が分からずにいた。りーちさんが、それに「元宵節」のことだとレス付けられてたので、あわてて辞書で調べたら、「元宵-元夕」は、上元すなわち陰暦1月15日のことだと分かった。もともと中国の行事らしい。たしかに今日は陰暦15日で、当然満月なはずだが、そうなると17年ぶりに云々というのが、わからない。どっちにしろ今夜は雨が降ったりやんだりのあいにくの空模様だから、Morris.は見るべくもなかった。
【装刀 チャンドウ】杉洋子 ★★☆ 未知の作者だが、タイトルで借りてしまった。「チャンド」は鞘のある小刀で、朝鮮の女性が護身用、装飾として身に付けるものだ。豊臣秀吉の朝鮮出兵時に、ハフェ村のヤンバンの若い妻とその侍女が、日本兵に捕らわれ、日本に連れて行かれる。九州の武将村上景観が、若い妻を見初めたためだが、本書の主人公は侍女の方で、彼女は女主人の不興を買って遁走、やはり日本に連れて来られた朝鮮人の男と隠れ暮らす殊になる。やがて江戸時代になり、1607年の最初の朝鮮通信使に紛れて帰国を図るが、結局果たせず、元の女主人に仕えることになるというストーリー。それなりにドラマチックな話のはずが、平板に感じられた。逃亡が有り、流産があり、事件だけが一人歩きして、人間の感情や心理が活写されていない。展開も不自然な部分が多く、不満ばかりが残った。どうもこのところ、小説の選択がハズレることが多い。乱読のたたりだろうか。
2001/02/06(火)●タッカルビ●
ミシン作業場の夢。だだっ広い体育館みたいなところに無数の机があり、2台ずつのミシンが置いてある。工業用ミシンでなく、家庭用のミシン、それもすべて機種も大きさも色々で、Morris.はそのうちの1台で雑巾を縫っている。隣のお姉ちゃんはベテランで、すごい勢いで製品を縫っていた。能力による等級が付けられていてMorris.は1級、彼女は5級つまり、数が少ないほど下らしい。Morris.は早く2級にならなくてはと、隣のざっくばらんで気のいいねえちゃんにいろいろ教えてもらう。試験なのか、帯みたいな厚くて長い生地を縫うことになったのだが、これが難物で、糸は切れる、針は折れるで、Morris.に泣きが入った(;_;)
午前中は雨だった。社長が撮ったビデオや、元祖春待ちのビデオをVHSにダビングする。
夕方、テープを社長宅に届け、灘図書館、買い物して帰宅。夜はタッカルビ(鶏肉とキムチと葱の鉄板焼き)作る。
何気なくTV見てて、穴吹工務店のCMで例のあなぶきんちゃんが出たのだが、なんと、タレントが変わってて、これがまた不細工というか、気持ち悪いキャラクタで、ゲッ(>_<)と思ってしまった。
【司馬遼太郎の「かたち」】関川夏央 ★★☆☆
司馬遼太郎が晩年の10年間、文藝春秋の巻頭随筆として連載した「この国のかたち」を、司馬が歴代編集長に送った手紙の文章から検証したもの。つまり、文藝春秋からの委託作品みたいなものだが、関川はなかなかがんばっている。たしかに適役だったろう。
Morris.は司馬遼太郎の長編はほとんど読んだと思うのだが、決して良い読者とは言えない。「司馬史観」とさえ呼ばれる彼の歴史観にはちょっと異議があったのだ。確かに司馬の歴史小説は、面白くて、読み手(日本人)をいい気分にさせてくれるし、ありていに言えば好きなのだが、なにか、違うよなと思わざるを得ない。はまることなく、醒めて読んでいたということになる。
司馬の短編と随筆、対談、紀行文の類はあまり読んでない。本書のテーマ「この国のかたち」も同様だ。したがって、関川の文脈で想像するしかないのだが、結局司馬の歴史観は、現実社会、特に80,90年代の日本に対してはほとんど無効だったといえそうだ。加えて司馬の晩年の心身の疲労が露わになっている、ボケの徴候すら伺えて、ちょっと辛くなってしまった。司馬は「エッセイを書くと小説が書けなくなる」というのが口癖だったらしい。こんなことなら、最後に小説の一つでも書いてもらいたかった。
【個人のたたかい 金子光晴の詩と真実】茨木のり子 ★★★ 1967年刊「うたの心に生きた人々」の中の金子光晴論のみを豆本にしたてたもので、以前読んだ山之口獏の続編に当たる。30年以上前の作だが、現在読んでも、優れた(しかも無茶苦茶わかりやすい)光晴論である。実はMorris.の卒論は光晴だったから、ちょうど同時代の産物ということになる。著者は光晴門下といっても良いくらいの間柄だったこともあって、光晴へのオマージュに終始してる感が無きにしもあらずだが、それはそれでいいのではないか。
(金子光晴は)昭和50年(1975)急性心不全により、八十才でこの世を去りました。
その半世紀にわたる長い詩業には、恋唄もあり、抒情詩もあり、ざれ唄もあり、弱さをそのままさらけだした詩もあり、一読考えこまざるをえないエッセイ集もたくさんあり、じつに大きなスケールと、振幅をもっていますが、とりわけその時の、もっとも鋭い切っ先は、権力とわたりあい、個人の自立性は、たとえ国家権力によってだってうばわれないといった、まことに「無冠の帝王」にふさわしい、人間の誇りをかがやかせたのでした。
2001/02/05(月)●社長のホームカレー●
フラグメンタルな夢。だだっぴろく薄暗い部屋にいる。ピチャピチャという音が聞こえるので目をこらすと白い浴衣を着た女が酒を舐めていた。別の部屋にいて、押し入れを開けると、そこは空っぽで、すごく不安になってしまう。高山が来て帰ったあと、携帯電話を忘れていたので、追いかけるも見つからない。そのまま道に迷ってしまう。お風呂に入れてもらい、湯上がりに全身に天花粉を塗りたくられて、そのまま失神してしまう。(でも失神してるということは解っている。)
夕方社長、ビデオカメラ返しがてら来て、茶飲み話。夜は社長宅でカレーをご馳走になる。井山、昌美(堀妹)も来る。今日のカレーは鶏のハンバーグ入りで、社長がやっちゃんの好みに合わせて、辛さを押さえたホームカレーにしたのに、肝心のやっちゃんは課題作成で遅くなり、マクドで食事済ましてきたというオチがついた。
島田和夫部屋にスケジュールをアップ。
社長が神戸の保育所84ヶ所を回るという神戸新聞の記事を、社長部屋にアップ。
【百年の旅人たち】李恢成 ★★★ Morris.は在日作家の作品はあまり読まない。例外は梁石日くらいだ。2冊本で500ページを超える本書を借りた動機はよく分からない。タイトルとカバーのイラストに惹かれたためかもしれない。
昭和27年頃、サハリンから強制送還される、朝鮮人の家族など20名ほどが、鈍行列車で長崎県の収容所まで移動して、船で出港するまでの短い期間の中で、各家族、お互いの過去と事件、民族問題、愛憎、歴史、宗教、思想などが、複雑にからまる、はっきり言うとかなり鬱陶しい作品だった。
特に主人公は特定できないが、徴用で炭坑で強制労働され、解放の日(8月15日)に日本人現場監督を殺害した男の孤高な態度が際立って印象的だった。しかし、やっぱり、この手の作品は苦手に属する。
【冥府神(アヌビス)の産声】北森鴻 ★★★ 臓器移植に関連する「脳死」臨調の答申を巡る殺人事件を機に、大学研究室、製薬会社、政治家などの動きに、大学を追放されたジャーナリストと、浮浪者の群れに潜む男の反抗を社会小説風にしあげたもの。これまで読んだ著者の作品とは、全く雰囲気の違ったもので、ちょっと驚かされた。脳死の判定基準の取り扱いが大きなポイントとされるが、実は完全脳死と見られる死体から脳波を測定する解剖実験結果が極秘裏に行われ、その結果を握りつぶすため政治がらみの展開となる。新宿の浮浪者と予知能力を持つ少女(実はロボトミー手術されていた)、女性写真家の卵などが配されて、ストーリーが伝奇風になったのにはしらけてしまうし、ラストでの帳尻合せ、身内の患者によってころりと主張を代える二人の教授など、杜撰な部分も多いが、それなりの力作だと思う。
【詞人から詩人へ】宮沢和史 ★★☆☆ 著者はTHE BOOMのボーカリストだそうだ。Morris.はこのバンドは名前しか知らない。朝日新聞夕刊に連載されたもので22編の詩が収められている。前に茨木のり子も紹介していた、吉野弘の「祝婚歌」が本書にも載っていた。中原中也、谷川俊太郎、寺山修司、友部正人、三好達治、室生犀星、リルケなど、ほとんどが衆知の詩人だったが、冒頭に置かれた無名のまま戦死した竹内浩三の「骨のうたう」は、伝記のタイトル「こいびとの眼や ひょんと消ゆるや」という一節だけが記憶にあったのが、全編を読むことができた。悲しい詩だ。
骨のうたう
竹内浩三(1911〜45)
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分お事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
ところで、本書には CDが付属していて、著者による詩の朗読が収められている。試しに最初の数編を聞いてみたのだが、途中で止めてしまった。Morris.は好きな詩を、時々低声で愛唱することはあるが、他人が詩を朗読するのを聞くのはあまり好きでないようだ。
2001/02/04●ぐいぐい俳壇一月号●
8時起床。宿酔の頭で、STARdigioの落語番組を聞いたが、あまり面白くなかった。10時過ぎに起き出して、中華粥作って伊藤君と食べる。
今日は立春だが、外は曇りでやや肌寒い。
TVでマラソン、韓国のどじまんなど見るがこれもいまいち面白味に欠ける。
ぐいぐい酒場で、時々捻っているMorris.の「ぐいぐい俳句」1月分72句を「ぐいぐい俳壇1月号」としてアップした。
【日本語おもしろ雑學練習帳】日本雑学能力協会編著
★★★ この手の本は、暇つぶしとネタ繰りのため時々借りるのだが、たいてい、新書版や文庫でいいかげんな出版社から出されていることが多い。本書はわりと装丁が洒落ていて「新潮社」とあったので、期待して借りたのだが、帰ってよく見たら「新講社」という知らない会社だった(^_^;)
それでも10数個読めないものがあったので、例によって、ワープロにあるものに限って引用しておく。(解答はこのページのどこかに隠してあります。ひとまず、漢字の訓み方クイズとして挑戦して見てください。)
1.動もすれば
2.黄髪番番(白髪がさらに黄色みをおびるまでになった老人)
3.貪官汚吏(むさぼる官僚、汚職官吏)
4.已己巳己(互いに似ているものをさす)
5.交喙(鳥の名)
6.羊蹄(植物名)
7.春北風
8.庶幾くは
9.擢んでる
10.謙る
11.御侠
【狂乱廿四孝】北森鴻 ★★☆☆ 最近、数冊続けて読んでた北森のデビュー作。明治初期の歌舞伎の世界を舞台に、役者、作者、絵師、作家志望の娘、仮名垣魯文などが、幽霊の絵の謎解きから、時の人気役者で壊疽のため両足と腕を切断した沢村田之助の秘密を探るという時代物ミステリー。先に読んだ数冊に比べると、あまり面白くなかった。それなりによく調べて書いてるし、雰囲気も出そうとしてるのはわかるのだが、ドラマとして盛り上がりに欠ける。殺人のトリックも無いに等しいし、伏線も無く突然新たな事実を持ち出したりするのは、反則かもしれない。Morris.は今はミステリーファンではないし、どっちにしろ面白い小説であればいいという立場だが、そういう意味でも物足りなかった。
2001/02/03(土)●節分、豆撒き、手巻すし●
朝7時過ぎに、ひろこのバスケ試合を映すため、社長がビデオカメラ借りに来る。これで起きてしまったので、どんな夢を見たのか忘れてしまった(^_^;)
肉団子と卵で中華風スープ作って食べる。
午後、中央図書館に行く。
夜は社長宅で、節分の豆まき&手巻き寿司大会。伊藤君、堀姉妹、えっちゃんが来て、ちゃんと恵方(今年は南南東)を向いて寿司を食べ、韓国のタルチュムの仮面を鬼の代わりに被って豆撒き。
ひろこのバスケは1回戰は勝ったが、2回戰で負けてしまったらしい。社長は7時過ぎに戻ってきた。やっちゃんの課題(紙粘土のオブジェ)作りを冷やかしたりして、飲んでだべり、11時半にお開き。伊藤君と部屋でまた飲む。
【読書人志願】森村稔 ★★☆☆ 著者が20年にわたってスクラップした、読書に関する名言、エピソードなどを、テーマ別に分けてまとめたもの。割と平凡なものが多かったし、読書の形や、態度、分野も千差万別だから、それほど裨益するものは多くなかったが、読書家の自己批判めいた、苦言、反語の類には面白いものがあった。
・Reading does not make a man wise.It only makes him learned.(読書は人を聡明にしない。ただ物知りにするだけだ)サマセット・モーム
・多くの人にとって、読書が意味するものは、立派な呼称で偽装された、ごくつまらぬ時間潰しの途である。エルネスト・ディムネ
・わたしは読書する怠け者を憎む。フリードリヒ・ニーチェ
・多くの書物を読み、しかも彼自身の思想を持たないところの人は、通例、気位が高く、痴呆のようにぼんやりしている。萩原朔太郎
・愚なる人は一書を読みてこれを解せず。凡なる人は悉く解したりと思ふ。善く読むものは時として悉くは解し得ぬことあり。暗きを暗く見、明きを明しと見るなり。森鴎外
・読書は思索の代用品にすぎない。ショーペンハウエル
・書物こそもっとも恐ろしい毒物である。なにしろ書物には人類の呪いがこめられているのだ。ベンジャミン・ディズレリー
【グリコ・森永事件】宮崎学・大谷昭弘 ★★★☆
キツネ目の男に擬され、電脳キツネ目組を主宰している、宮崎と、読売の事件記者からフリーになった大谷の、個々の言説と対話、質疑応答などで、グリ森事件を総括している、いわば、締めくくりの書とも言える。限りなく当事者に近い宮崎の話が面白くないわけはない。昨年の時効直後に出されたものだから、今読むとちょっと旬を過ぎた気がしないでもないが、本書は、グリ森にいくらかでも関心ある者なら読んでおいて損はないだろう。
警察の失態、腐敗、責任逃れなどへの追求は相変わらず厳しいし、6:4ないし7:3でMorris.も宮崎側に、肩入れしてしまう。
宮崎・大谷は同い年(1945生)だ。大谷もジャーナリストとして、かなり事件に肉薄しているが、やっぱり宮崎の方が一枚も二枚もしたたかな気がする。
おしまいに、見方によっては宮崎の「勝利者宣言」とさえ受け取られかねない締めくくりのことばを引いておく。
いまでも警察やマスコミは、私が「真犯人」だと疑っているようだが、残念ながら、当時、私にはアリバイがあった。それでも万一、私が犯人だったら、どうするか?
どうしても私を犯人に仕立て上げたい警察やマスコミのリクエストにお応えして推測するが、私が犯人だとしても、時効が成立したらけっして真実を語らない。なぜならば、刑事事件からは逃れられたとしても、恐喝された各企業が被った莫大な被害の損害補償という民事裁判のリスクが犯人側には残るだろうし、一方、企業側もいまさら当時のことを蒸し返されたりすることは企業イメージのマイナス面からも絶対に避けたいことであろう。
いずれにせよ、真相は闇に包まれたままである。
2001/02/02(金)●元祖春待ち●
スープのような夢を見た、という記憶だけが残っている。匂いも色も温かさも覚えていない。スープを飲んでる訳ではない。どちらかというと自分自身がスープという流動体になって、そこに存在している、そんな夢だった、ような気がする。
昼食は、冷凍していた鶏飯に、中華風玉子スープを作ってみた。
6時前何気なくNHKにチャンネル回したら、不思議な、合奏やっていた。面白そうだなと思ってみてたら、太鼓叩いてるのは、井口君ではないか。そういえば前にヒアカムで矢谷と一緒にやったとき、瓢箪で作った楽器のアンサンブルに参加してると聞いた覚えがある。これがそうなのかもしれない。途中からみたのですぐ終ってしまった。殘念。
夜は新開地の千秋がやってる店に「BLUE BIRDS」(以前ヒットパレットだった場所)で、「うしろ向きでゴメンちゃい!
Folk Live Vol.2 」を見に行く。治井君と、元祖春待ちの出演ということで、ビデオ撮影も。ゲストに光玄(もっちゃん)が出て、すごく懐かしかった。元祖は、田辺君がボケと歌詞間違い連発で、社長からえらく突っ込まれていた。帰りは社長の車に便乗。社長は明日、ひろこのバスケの応援に豊岡まで行くとのこと。
留守録してた「歌謡舞台」を見たら、トップにキムヘヨンが出て「ニルリリマンボ」歌ってた。また、11時からの韓国映画劇場は「コンニプ−花びら」やってる。一昨年、テクノ歌手として大ブレイクしたイジョンヒョンが、まだ中学生の頃、光州事件で、気の狂った少女を演じて話題になった作品。Morris.は封切り時に、ソウルで見たが、あまりのおどろおどろしさに辟易した記憶がある。今回も字幕無しなので、細部がわからない。主人公が、事件前に野原で、無心に歌を歌うシーンがあり、将来は歌手になると言ってたのが印象的だったが、数年後に、現実にその夢が叶ったことになる。栴檀は双葉よりなんとやらで、幼いときからエキセントリックな素質は際立っていた。
【一本の茎の上に】茨木のり子 ★★★
詩人茨木のり子の散文を集めたもので、好きな詩人や、他人の詩に関するエッセイ、韓国工芸に関する点描、山本安英、木下順二の思い出など、内容はいろいろだが、いずれにも詩人の目を感じることができる。本人は、詩に比べて、散文は苦手だと正直に告白している。タイトルもそのままずばり「散文」というエッセイのなかで、森鴎外の「阿部一族」こそ日本語の規範だと思い、日本の口語文はまだ完成に程遠い、未成熟なものだと規定し、「鴎外の散文がいいのは、口語体であっても文語体に等しい骨組を持っているからではないか。さらに溯れば彼の深い漢文の素養へと至るだろう」というあたりは、山本夏彦に通ずるところがある。口語自由詩を書く自分の作品に思いをはせ、「口語形の未成熟ということでは詩も共に同じ運命を担ってい」ると、結論づけている。
吉野弘の「祝婚歌」を谷口俊太郎のアンソロジーで見つけ、気に入って色んな人に紹介してるという話は、現代詩の中では珍しい部類に入るかもしれない。世代、国境に関わりなく広く愛唱されるとき、詩は、作品以上のものに生まれ変わるのかもしれない。孫引きしておく。
祝婚歌
吉野弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとか
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があっていい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
この詩は、既にかなり広汎に流布していると見られる。本当かどうか知らないが、離婚調停にたずさわる女性弁護士が、この詩を愛し、最終チェックとして両人に見せ翻意を促すのに使っているというエピソードが付してあった(^_^;)
2001/02/01(木)●匂いの日??●
パチンコの夢(^_^;)街を歩いていて、道に若者が多数座り込んでいるのに逢う。パチンコ屋が夕方6時に新装開店するのでそれを待っているようだ。Morris.は、パチンコはやった事も無いのに、一緒に座って待つ事にする。6時になったのに店は一向に開かない。周りの若者は、文句も言わずおしゃべりしたり、煙草喫ったりしている。何時の間にかそこはJR大阪駅の構内になっていて若者はスキー列車を待ってるらしい。Morris.はスキーにも縁がないので、しかたなく神戸線で帰宅しなくてはと思う。
朝のうちはかなりひどい雨だった。昼から上がる。早いもので今日から2月だ。
ラジオで「今日は匂いの日です」なんて、言ってる。ほんとかよ、と思う。「2/01」で「におい」と故事付けたのだろうか?
線香屋の組合あたりの猿智恵かもしれないが、ちょっと無理があるんじゃないか?
夕方さりーちゃんがサウナに行くところにであったが、昨夜、約束した事をすっかり忘れている事が分かった。かなり酔っぱらっていたみたいだ(>_<)情けない。
午後7時からの4chの「あまからアベニュー」の焼肉屋特集に、雀三郎とまんぷくブラザーズがゲスト出演して「ヨーデル食べ放題」を歌ってた。曲が出来たのが7年前、発売が5年前で、昨年東京からヒットした。もともと関西ネタなので、もっと流行ってもいいと思う。何度聞いても笑ってしまう。
【「ケータイ・ネット人間」の精神分析】小此木啓吾
★★★☆ 「モラトリアム人間の時代」で一世を風靡した著者の最近の著作。「少年も大人も引きこもりの時代」と副題にあるが、ゲーム、インターネット、携帯電話(特にiモード)の浸透による、日本人と社会の劇的変化を、精神分析の視点で検証している。
少年犯罪の数自体は減少しているのに、マスコミを騒がせる「無目的的」な少年犯罪の頻発は、ゲームやネットなどハイテク社会の引きこもりから、現実世界への切り替えが出来なくなったことに原因があるという説は、これまでも言われたことだが、ゲーム機、携帶、ネットを、人と機械の中間の位置とみて、人と人との「1対1」の関わりでなく「1対0.5」(著者言うところの「1.5」の世界)であるとし、この居心地のよさが、引きこもりを助長するというところは面白かった。
モラトリアム人間が増殖しているばかりか、その存在を否定できない社会構造になってしまったと言う指摘は、また、Morris.にとっても耳の痛い苦言でもある。
もはや、このモラトリアム人間社会で生まれ育った人々には、本当の意味での働く人、そして、社会に責任を持ってストレスを抱えながら運営していく当事者と、働かない人、そして、気楽にその社会の世話になりながらいいたいことだけを口にしてればよい人、この二種類の人間のその意義の違いがはっきりのみ込めなくなっている。むしろ彼らの教育環境は、この区別を曖昧にし、平等を説くことに教育の主眼を置いてきた。現代は戦後の日本社会の悪弊としての平等幻想---現実がきびしい競争社会であるにもかかわらず、みんなが特有な平等幻想を抱く社会である。--中略--このような環境の中で、人間、誰が何といってもまず働かなければならないのだ、ということをうまく子どもたちに伝えることがむずかしくなってしまった。どうやって「絶対に働かなければいけない」ことを子どもに教えることができるのか。「苦労して働かないで、楽をして養ってもらったほうがいいじゃないの」という気分が、子どもたちの心にいつの間にかしみついてしまった。
このモラトリアム時代のジレンマは、いまやますます深刻なものになっている。
これは「依存」の認識が、正しく理解されていない(しようとしない)ところから来るもので、
さらにこの心理が進むと、私の言う「支配的な依存」の状態になる。それは、王様が家来をこき使って、本当は王様のほうが家来に依存しているのに、依存している王様は威張っていて、「おまえの世話の仕方が悪い」といって相手を怒るような依存関係である。
この、王様と家来のような関係になってしまう親子関係が、引きこもって家庭内暴力を働く子どもたちには顕著に見られる。それは、もともと親は、子どもを自分に依存させて世話させるのが当たり前という心理に発している。
確かに、現代の子どもたちの問題の多くが、こういった親権の歪んだ愛情に起因するような気がしてくる。
著者の現状分析は分かりやすく的を射てると思うのだが、その解決方法となると、途端に切れ味が悪くなってしまう。本書は問題定義の書ではあっても、処方箋ではないということだろうか。症状を知ることは大事なことだとは思うし、最終的には個人が解決しなくてはならないことなのだろう。
それとは、別のことだが、著者に限らず心理学者ってのは、どうしてこんなに、と呆れるくらい「造語好き」だ。元祖のフロイトが「エディプスコンプレックス」なんてのを発明してるから、右に倣えということかもしれないが、本書に出てくるのをざっと見渡しても
・モラトリアム症候群・自己愛人間・パラサイトシングル・山アラシのジレンマ・ヒッキー・ネットマニア・誇大自己・ホテル家族・あと1分シンドローム・ケータイネットタイムワープ・ケータイネット依存症・デジタルチルドレン・燃え尽き症候群・短縮定型化・かのような人格・シゾイド人間・アズイフ人格・一卵性母娘・スーパーウーマンシンドローム・スーアーウーマン挫折症候群・アダルトチルドレン・劇場家族・カーソナリティ
半分はマスコミが面白がって作った感もあるが、そもそも実態のない「心理」を扱うから、譬えやもどきによりかかってしまう傾向があるのだろう。
現代の進歩は、私たちの生活から「苦あれば楽あり」の「苦」の部分をどんどん消去して「楽」だけを追求する。苦痛があることで初めて、その苦痛を何とか処理しようと思う欲求や衝動が生まれる。空腹があるから食欲が生まれる。暑さがあるから、何とか涼しくなろうという欲望が生まれる。
ところが、この欲望を、本人の自然の営みを通して身体的な工夫や努力でみたすという部分が消去されている。現代の若者たちを無気力と呼ぶが、意欲そのものが発生する根源的な自然の状況を、大人たちが商品化してどんどん奪っているのが現代の社会である。彼らの願望を先取りして、若者たちを無気力化するのが現代文明の根本原理である。
これは、なかなかに痛烈な皮肉であると思う。
[02/04漢字クイズの」解答]1.ややもすれば 2.こうはつはは 3.たんかんおり 4.いこみき 5.いすか 6.ぎしぎし 7はるならい. 8こいねがわくは. 9.ぬきんでる 10.へりくだる 11.おきゃん