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  Morris. 日乘2019年9月

Morris. の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多で す。新着/更新ページの告知もここでやります。 
今 月の標語

  加齢度スケープ

【2019年】
8月  7月  6月  5月  4月  3月 2月  1月

2019/09/30(月)阪神3位に(@_@)●
7時起床。
今朝の血圧は154/50/73。36.0℃
きょうも午前中はずっとYou Tubeでinetかけっぱなし(^_^;)
これをBGMに昼まで部屋ゴロ。
昼前自転車で、臥竜公園へ。灘駅前の五叉路角、前に骨董品店のあったところの工事、今日目隠しが外されて、何かえらくオシャレな六階建てのビルになってた(@_@)
公園に行く前、コミスタ図書室で、ちょこちょこと拾い読み。この図書室は月曜日も開いてるし、蔵書が一般の市立図書館とは一味違うので、けっこう遊べる。
公園ではベンチでミニギター演るも、どうもいまいちである。昨日張り替えた弦がよくないのかも知れない(^_^;) 3セット買ってるのであと2セット残ってるのがちょっとつらいところ。
大安亭で買い物して4時半帰宅。
今日で9月も終わり、明日から10月。消費税増税になるというので、駆け込み買い物客のニュース。悲しい庶民の性であるな(^_^;)
セ・リーグ最終戦、阪神-中日戦。なんとこの試合で阪神が3-0で中日を破り、まさかの6連勝で広島を0.5差で3位確定、これでプレイオフの権利を得て、つまり今シーズン日本シリーズ優勝の可能性が生まれたということになる。まさか、まさかの展開である。
今日の歩数は3559歩。


元骨董店跡はこんなビルに 

スキヤのちいちゃん 

マルナカのはなちゃん 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
입이 짧다(イビッチャルタ 好き嫌いが激しい)
(イプ 口)(イ ~が) 짧다(ッチャルタ 短い)
好き嫌いを「口が短い」というのは面白い表現だ。
입이 짧아서 걱정이에요.(イビッチャルバソコクチョンgイエヨ 好き嫌いが激しくて心配です)
호불호[好不好](ホブロ 好き嫌い)
홍어[洪魚]회는 호불호가 갈리는 음식[飲食]이다.(ホンgオフェヌンホブロガカルリヌンウムシギダ ガンギエイの刺身は好き嫌いが分かれる食べ物だ。)
비위[脾胃](ピウィ 好き嫌いの気持ちや機嫌)
비위[脾胃]를 맞추다.(ピウィルルマッチュダ 機嫌を取る)

2019/09/29(日)●inet(@_@)
7時起床。
今朝の血圧は162/58/72。35.6℃
朝の三点セット。
「ア・ピース・オブ警句」は「チキンなハートが招き入れるもの」のタイトルで、文化庁が「あいちトリエンナーレ」の補助金を交付しないとの暴挙への反論だった。

「あいトリ」をめぐる騒動は、画家や彫刻家をはじめとする表現者全般の存立基盤をあっと言う間に脆弱化し、文化庁の利権を野放図に拡大したのみならずクレーマーの無敵化という副作用を招きつつ、さらなる言論弾圧に向けての道筋を明らかにしている。

Morris.も文化庁の没義道ぶりには腹が立つし、言論弾圧事案であり、SNSなどのネトウヨクレーマーにおもねるような安倍政権の体質丸見えでもあるのだが、どうもMorris.は、芸術展示会そのものへの不信感みたいなものがあって、いまいち大声をあげる気になれないところがある。
昼前にミニギター(赤)の弦を張り替える。帰国してからはこればかり弾いてるので、替え時と思ったのだ。先日シマムラ楽器で買ったHistoryという韓国製の弦だが、何か張り替えた直後の満足感に欠ける(^_^;)気がする。
You Tubeで「아이넷TV 라이브(アイネッTVライブ)」というチャンネルを見つけた。これって韓国に行った時、ずっと愛聴してた有線TVの韓国歌謡専門チャンネルinetではないだろうか? こんなの日本で見られたりいいのになあ、と思ってた。考えてみれば局名がinetだから、当然インターネットで見られる可能性を考えてみるべきだった。ともかくしばらく見続ける。チープなトロットが中心で、二流、三流歌手が入れ代わり立ち代わり登場する。うーんこれはしばらく中毒になりそう。
昼過ぎ、自転車で都賀川へ。橋の下の河川敷で高校生たちがあちこちにたむろして、中にはきちんと並んで合唱の連取したりしてた。目の前の区民ホールでコンクールでもやってるようだ。
4時半帰宅。
今日の歩数は4293歩。


今朝の東空 

You Tubeでinet 

ギター弦張替え 

白い朝顔 

阪急王子公園駅上空 

河川敷で合唱練習 

揚羽蝶 

都賀川上空 

照光寺クロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
헛수고였어
(ホッスゴヨッソ 無駄骨だった)
헛수고(ホッスゴ 無駄骨、むだ骨、骨折り損)    
*수고(スゴ 苦労、手間、手間暇)
(ホッ)は「無駄な、虚しい、偽りの、中身のない」などの意味をもつ接頭語。[虚](ホ)という漢字+「」(サイッシオ)だと思う。
헛돈(ホットン 無駄金、捨て金、ムダ金)    
헛점[點](ホッチョム 抜け穴、弱点)    
헛일(ホンニル 無駄事、無駄なこと)    
헛다리(ホッタリ 無駄足、見当違い)    
헛걸음(ホッコルム 無駄足)
헛걸음 치다(ホッコルム チダ 無駄足を踏む、無駄足を運ぶ)    
헛스윙(ホッスウィン 空振り *스윙 swing)    
헛소문[所聞](ホッソムン     根も葉もない噂、デマ)
헛기침(ホッキチム 空咳、咳払い)    
헛웃음(ホドゥスム 作り笑い、空笑い)
헛소리(ホッソリ くだらない話、たわ言、虚言、馬鹿な話、戯言)    
헛고생[苦生](ホッコセンg 無駄骨、骨折り損)    
s
2019/09/28(土)●番狂わせ
6時起床。
今朝の血圧は169/63/76。35.9℃
自転車で摩耶倉庫に。
浅海くんと二人で、池田市石橋の二日取り現場初日。アメリカ向けの航空便と倉庫保管、広島と岐阜のローカル荷物、処分品引取作業。
Morris.は午前中航空便、午後は台所の小間物梱包。3時半作業終了。5時半に倉庫出て6時半帰宅。
今夜はラグビーWC日本-アイルランド戦、一杯やりながらテレビ観戦、と思ってたのだが、なんと夕方に試合やっててちょうど終わったところだった。それで結果は、日本が19-12でアイルランドに勝ったとか(@_@)。4年前に日本が南アフリカに勝ったときは、奇跡とも言われたが、今日のアイルランド戦の勝利でアナウンサーは「もう奇跡とは呼ばせない」と意気軒昂のようだが、やっぱり番狂わせだと思う。
午後9時からBS民法で中継録画やるので、こちらを見ることにした。
今日の歩数は4756歩。


朝顔 

梧桐の実 

日本がアイルランドに勝利(@_@) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
될대로되라
.(デルデロデラ なるようにな ケセラセラ)
(デル되다(デダ なる できる される)の未来形)+대로(デロ ように 通りに)+되라 (デラ 되다の命令形)
될대로 되라지(デルデロデラジ なるようになるよ)

2019/09/27(金)●瑞雲
6時起床。
今朝の血圧は180/77/78。36.2℃
久しぶりに自転車で摩耶倉庫へ向かう途中東の空に虹が? いやあれは虹ではない。瑞雲、いわゆる五色の雲と呼ばれるもので、景雲、五雲、慶雲、紫雲などとも呼ばれ、縁起が良い吉兆とされたようだ。時々見かけるのだが、これだけくっきり見えるのは珍しい。高橋の上で撮影したあと、Twin煙突を背景にまた撮影してしまった(^_^;) なんかいいことが起きるような気がする(^_^)
溝渕くんら4人で、朝は茨木市の倉庫保管荷物の配達。
午後は、神戸西神から加古川へのローカルムーブ。けっこうかつぎもあったし、かなり重い医療器具(80kg近い)を二階に上げるのはギブアップしたりもしたが、目眩の徴候もなく、これはすごく自信になった。医者に言うと笑われそうだが、どうもMorris.は血圧高い方が体調良い気がする。
帰り道渋滞で6時半倉庫着。
7時半帰宅。
今日の歩数は6238歩。


高橋から五色の雲 

Twin煙突上空の五色の雲 

茨木現場のベランダから 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
맙소사!
(マプソサ マジで! なんてこったい)
信じられない時、驚きや呆れた時に出る感嘆詞。 これは使ってみたいと思いながらまだ使えずにいる。
感嘆詞というのは、とっさに出るものだから、反射的に出なくては覚えたことにならないと思う。

2019/09/26(木)●社会復帰(^_^;)?
6時半起床。
今朝の血圧は153/62/73。36.0℃
JRで大阪、地下鉄御堂筋線乗り継いで、我孫子下車。アメリカ向けのピックアップ現場。
ほぼ一ヶ月ぶりの仕事ということになる。
昼休みなしで1時半頃作業終了。今日はこれで解放ということになった(^_^)
3時前に帰宅。今日は作業中に目眩の徴候も見られなかった。
ミニギターと缶チューハイもって屋上に。秋らしい、鱗雲が広がっている。
「ア・ピース・オブ警句」20日に更新してないと思ってたのだが、実は更新されていた(^_^;) Morris.の見落としか、ちょっと遅めに更新したのかも知れない。オリンピック一辺倒のメディアへの批判「努力についての真っ赤なウソ」という記事で、共感するところ大だった。

われわれが心配せねばならないのは、しょせんは一回性のイベントに過ぎない五輪の成否などではなくて、むしろ大量の五輪報道を通じて記事の質の劣化を気にしなくなっているマスメディアの機能不全の方なのかもしれない。
おもてなし精神」が標榜するものが「顧客満足度」ではなくて「接客業者の自己実現」だったりしているのと同じ構造の話だ。また、70年前に惨敗したうちの国の軍隊を動かしていた駆動原理が「いかにして敵に勝利するのか」ではなくて「軍隊内の同僚や銃後の国民の目から見てどれほど必死に戦っているように見えるのか」であったことと良く似た話でもある。


至極まっとうな見解だが、今の日本で、こういった発言すること自体、相当に「危険」な行為であるに違いない。小田嶋は業病に襲われて、捨て身になってるのかも知れない。
今日の歩数は2956歩。


現場ベランダから 

屋上東側 

鱗雲 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
일구이언
[一口二言](イプクイオン 二枚舌)
양설[兩舌](ヤンgソル 二枚舌)
こういった漢字語もあるが、二枚舌を一般的に使うときは。
한입으로 두말하네.(ハニブロトゥマラネ 二枚舌だな)
한입(ハニプ 一つの口) 으로(ウロ ~で)  (トゥ 二つ)(マル 言葉)하다 (ハダ する 言う)
がわかりやすい。

2019/09/25(水)●秋晴れ離宮公園
6時起床。
今朝の血圧は143/57/73。36.0℃
いやあ、朝からいかにもの晴天である。
昼前にJRで鷹取にでる。須磨図書館に寄ってから、須磨離宮公園へ。薔薇の季節にはまだ早いようで、あまり入場者はいない。
植物園奥の小噴水公園で、のんびりまったりの時間を過ごす。噴水まわりの樹木の枝の間を、小さな白い蝶が飛び交っている。裏銀蜆である。遠くで動きも早いので撮影は難しい。
4時頃公園を出て、マルハチで缶チューハイ買って、JR鷹取駅南の駐輪場で、一杯やりながら、ミニギター。途中雉猫が通り過ぎたので、追いかけて撮影。これですっかり気分良くなる。
6時半帰宅。
今日の歩数は6233歩。

豚丼 

縞剣紋(しまけんもん)?

野菊 

秋茜 

ダチュラ 

極楽鳥花 

曼珠沙華 

白花曼珠沙華 

?の実(^_^;) 

褄黒豹紋 

鷹取駅南駐輪場で 

雉猫 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
옥신각신
(オクッシンカクッシン もめごと いざこざ なんだかんだ てんやわんや すったもんだ )
옥신각신하다(オクッシンガクッシンハダ いざこざが起こる
옥신각신 다투다(オクッシンカクッシンタトゥダ ごたごた言い争う もめごとを起こす)*다투다(タトゥダ 揉める 争う)    
옥신각신 다투는 것을 피[避]하다(オクッシンカクッシンタドゥヌンゴスルピハダ いざこざを避ける)
옥신각신 끝에(オクッシンカクッシンックッテ 押し問答の末)

2019/09/24(火)猫日記アップ(^_^;)
6時起床。
今朝の血圧は148/57/73。35.7℃
この時期になると秋刀魚たべたくなる、といので昨夜マルハチで買ったのだが、これが解凍モノ(^_^;)
今年は記録的な秋刀魚不漁で、新物は極端に少なく、あっても高価で、型は小さいということになっている。
午前中は猫日記(^_^;)編集作業。大まかに出来たものの、後でチェックすると抜けが多い(^_^;)し、リンク違いも見つかった。
昼から、王子動物園へ。今日はイーリスが表に出ていた。動くまぬうを見るのは久しぶりである。
ハンター邸前庭でしばらく読書。
その後、駐車場樹の下ベンチでミニギター。犬の散歩のおばさん方から、声をかけてもらう。途中で小雨模様になったので、5時頃店じまい。
6時前帰宅。
どうにかこうにか、この夏の韓国旅行の猫日記「韓国猫撮り歩き」アップ。ふーっ、疲れた(^_^;)
今日の歩数は1945歩。


秋の味覚も今年は冷凍(^_^;) 

今日のまぬう イーリス 

ペッキー 

水鳥の餌に群がる雀 

鴛 

陸亀 

イグアナ 

ピントロング 

縞剣紋(しまけんもん)? 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
덤으로 받은 거야(トムロバドゥンゴヤ おまけでもらったんだ)
(トム おまけ) 으로(ウロ~ として) 받은(パドゥン 受け取った) 거야(ゴヤ ~なんだ)
한국[韓国]의 전통시장[伝統市場]에는 ‘덤’이라는 문화[文化]가 있습니다.(ハングゲチョントンgシジャンgエヌントミラヌンムナガイッスムニダ 韓国の伝統市場には「おまけ」という文化があります。 
증정[贈呈](チュンgジョンg 贈呈、プレゼント、おまけ)
경품[景品](キョンgプム 景品、おまけ)

2019/09/23(月)●秋分の日
6時半起床。
今朝の血圧は119/45/68。36.0℃
自他ともに認める「高血圧人」のMorris.だが、今日の「119」という数値は、異次元の値である。実は最初に「110」という数値が出て、計り直したのがこの数値である。
午前中は猫画像編集続けたが、流石にちょっと疲れて、今日の更新はギブアップ(>_<)
午後は自転車で都賀川に。すっかり秋めいてきた。
今日は秋分の日である。なんで秋分とか春分が祝日なのか?と思って調べたら、もともと皇室行事の「秋季皇霊祭」「春季皇霊祭」に関連している事がわかった。日本の祝日の大半は、皇室絡みのものが多い。
久しぶりのミニギター、左手中指の調子は相変わらずだが、何とかごまかして弾くことはできた。そんなに曇っていないのに、5時半になったら、もう楽譜が見えにくくなり、楽譜用ライト証明(^_^;)。今日からはどんどん日が短くなるわけだ。
7時帰宅。
今夜はもう何もしないことに(^_^;)
今日の歩数は4294歩。


ベランダから朝焼け 

チキンカレー 

窓ガラスに青龜虫 

都賀川から南方面 

犬飼族の交流 

久々ナイター営業(^_^;) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
허리띠를 졸라매야지
(ホリッティルルチョルラメヤジ フンドシを締めてかかれ)
허리(ホリ 腰) (ッティ 帯) (ルル ~を) 졸라매야지(きつくしめなくては)
もちろん実際にベルトをきつく締めるという意味でも使われる。
졸라매다(チョルラメダ)は조르다(チョルダ 締める)と매다(メダ 締める 結ぶ)という同じ意味の動詞二つを複合したもの。
이번 달 지출[支出]이 많아서, 다음 달에 허리띠를 졸라 매야 한다.(イボンタルチチュリマナソ、タウムタレホリッティルルチョルラメヤハンダ 今月支出が多いので、来月は引き締めて倹約しなければならない)

【韓国呪術と反日】 但馬オサム
★★★☆ 2015/01/22 青林堂
但馬オサム  1962年東京生れ。10代のころより、自動販売機用成人雑誌界隈に出入りし、雑文を生業にするようになる。得意分野は、映画、犯罪、フェティシズム、猫と多様。「ゴジラと御真影/サブカルチャーから見た近現代史」

いわやる「嫌韓本」に分類される一冊である。偏見に充ちた文言も多いし、明らかに事実誤認もあるのだが、それなりに納得できる韓国人観や、知らなかった雑学ネタもあった。

韓国は歴史問題等でサディスティックに日本を非難することで同時にマゾヒスティックな感情も満足させている。両者は正比例の関係にあるといっていいと思います。日本に対してサディズムをむき出しにすればするほど、彼らのマゾヒズム的快感が蔵風されるのです。一方、日本は韓国の非難にマゾヒスティックに頭を垂れれば垂れるほど、サディストである自分を自覚していくというわけになります。
仮面マゾのサディストと仮面サドのマゾヒストのもたれ合いの関係が、すなわち今日の日韓関係です。このもたれ合いこそが歴史問題をこれほどややこしくさせてきた元凶といえます。


筆者がエロ雑誌のライターやってたということから、こういった見方になるのかもしれないが、たしかにこういうふうに考えると両国の関係がわかりやすい気もする。

韓国人の人間関係を構成する特徴として、よく取り上げられるのが「ウリ」と「ナム」という概念です。本来「われわれ」を意味する「ウリ」ですが、この場合は「内輪」というふうに訳すとわかりやすいかもしれません。自分を中心に家族、血縁、本貫、地縁、友人、学閥と、さまざまな「ウリ」が構成されます。その外側が「ナム」です。てっとりばやく翻訳すれば、ナム=「赤の他人」ですが、ニュアンス的にはもっと排外的な響きがあります。
韓国人と少し仲良くなって、相手から「ウリ」と認識されると、精神的に同化したものと見なされるようです。自分と相手の自我の境界がはなはだ曖昧になり、際限なく甘え、依存し合う関係になります。自我を共有スルのですから、下着や歯ブラシを共有することなどなんの不思議でもないのです。
韓国人は「情の民族」を自認し、「日本人は情が薄い」などといいますが、この場合の「情」は、同化の度合いを意味します。
「ナムなら死のうと生きようと」という言葉があるそうです。
韓国のはなはだしい「差別意識」も結局、この「ウリ」と「ナム」の意識に起因する。かの悪名高い地域差別も、「ウリ」ではない「ナム」に対する極端な不信と蔑視以外の何物でもない。


「ウリ」と「ナム」の関係もこういうふうに割り切ればわかりやすい。

韓国人はよく「日本人が(韓国に)無関心なのが一番腹が立つ」と言いますが、そもそも「ナム」の関係が前提なら、無視・無関心に腹を立てる必要がありません。その意味では日本を「ウリ」だと思いたいのです。というか、「日本がウリに入れてほしがっている」と思いたいという方がより正確かもしれません。(第一章 反日のエロス)

両国の関係性の一端を伺うことができる。

李朝時代の伝統的階級は上から王族、両班、中民、常民、奴婢で、この他、階級制度の外に置かれる白丁(被差別民)がいました。朝鮮の階級制度はどちらかといえばインドにおけるカーストに近いものがある。
驚くべきは朝鮮における賤業のカテゴリーの広さです。妓生や遊芸者はむろんのこと、医師や女官、調理人や僧侶までもが賤業とされていたのです。韓国における階級制度は近代化以降、建前上はなくなりましたが、さまざまな差別が露骨な形で存在しており、今でも製造業や飲食業は地位の低いものの職業とされ蔑視の対象にあります。


韓国人の差別意識については、この階級制度を理解する必要がある。

日本人の諦念は仏教の無常観と密接な関係にあります。「無常」と「無情」は似て非なる言葉であり、「無常」は「常ではない」、世の中に変化しないものなど存在しない、という意味の言葉です。
一方、「恨」は、儒教的な色彩の濃い概念です。

私は、韓国の反日が決して解消することがないのは、それが単なる「反・日」ではなく「恨・日」だからだと思うのです。日本に対する恨の感情--それは、韓国が日本を身内として意識している証拠ともいえます。韓国にとって日本は、時に不埒な弟であり、時に不貞な妻であり、時に妻(竹島)を狙っている隣家の男なのです。常に手の届く身内の存在でなくてはなりません。


「恨・日」というのは言い得て妙な表現だと思う。

韓国人は、被害者と加害者という関係に強い執着があり、この語には儒教的な上下関係の巧みなワーディング(言い回し)がある。加害者・日本は、被害者・韓国にとって道徳的下位にあるといのが彼らの暗黙の主張なのです。被害者は絶対的な善であり加害者は絶対的な悪ということになります。
日本に対して「被害者」であることは、圧倒的優位、強者の立場にあるということを意味します。ここでもCK(チキンコリア=弱い韓国」とSK(ストロングコリア=強い韓国)が微妙に盗作しているのです。つまり、被害者という弱者(CK)を強調することで、暗にドスを効かし(SK)、要求を正当化させるという彼らなりの戦略と見ていいと思います。(第二章 のたうち回る愛)

このCKとSKというのも、下世話な比喩だが、それだけにわかりやすい(^_^;)

ソウルのような大都市でも、一歩裏道に入ると坐堂の印である「卍」の看板を自然に目にする事が出います。「卍」の印は都市生活と冥界をつなぐ、"どこでもドア"といっていいでしょう。

これはMorris.は、ずっと仏教のお寺と勘違いしてた(>_<) そうか、坐堂だったのか。似たような例では「哲学(チョラク)」という看板が、占い所だということはだいぶ前に知ったけど。

少女慰安婦蔵ですが、あれをstature(彫像)と英訳するのは間違いで、土俗信仰的な崇拝物、一種のtotem(呪像)と認識するのがより本質に近いというのが私の意見です。

これもなかなかうがった見方だと思う。

英語のcrime(クライム)とsin(シン)。crimeは法律上の犯罪、sinは(主にキリスト教的な立場からの)宗教上、倫理上の罪。
日韓併合を「罪」と仮定するとしても、日本人の知識人なら、その罪を当然crimeと捉えます。ところが韓国にとって日本の罪はsinに他なりません。
韓国は祖霊を中心とした呪術社会なのです。日本の罪(sin)を裁く=民族の祖霊の「恨」を溶かすことでもありますが、おそらくそんな日は永遠にこないでしょう。未来永劫、「恨」の債権はついて回るのです。(第三章 愛と呪いの国)


「日韓併合」=宗教的罪「sin」=「恨(ハン)」という等式(^_^;) そしてこの「恨(ハン)」は「溶けることのない恨」であるという救いのない結論。
引用した部分は、比較的Morris.も共感を覚えたり、納得できる部分である。
嫌韓、反韓意識も、類書に比べるとそれほどのことはない。それでも根幹の部分では、どうしても同意できないところも多かった。

2019/09/22(日)●引き続き猫画像整理
6時起床。
今朝の血圧は171/69/65。35.3℃
今日も朝からどんより曇り空。
昨日に引き続いて猫の画像の整理編集始めたのだが、思ったより手間取ってしまう。結局ピックアップした画像は、サムネイルと拡大画像合わせると400近くになった。
画像をページに貼り付けて、拡大画像とリンクさせ終わったら夜になってた(^_^;)。
今日も、テレビでラグビーや相撲流しながらの作業だったし、時々読書したりもしてたし、食事も作ったから、一日がかりというわけではない。しかし短いとはいえ毎日の文章を入れて、写真のキャプション入れるとなると、これまた面倒になってくる。何とか明日までにアップしたいと思っているのだが……
阪神-DeNA戦。代打鳥谷が先制のタイムリーヒット\(^o^)/ 満員の甲子園のタイガーズファンは嬉しかっただろうな。今シーズン初めてのお立ち台(そしてたぶん最後の)
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
팔짱만 끼다
(パルッチャンgマンッキダ 腕組みする こまぬく)
팔짱(パルッチャンg 腕組み) (マン だけ)  끼다(ッキダ 挟む、かける はめる)
팔짱을 끼고 보고만 있다(パルッチャンgウルッキゴポゴマンイッタ 手をこまぬいて見ているだけだった)

2019/09/21(土)●猫画像整理
6時半起床。
今朝の血圧は136/61/69。35.8℃
朝から雨。
6月、7月の韓国でのデジカメ画像のうち、猫の画像だけをピックアップして整理する作業にかかる。気にはなりながらまったく手を付けずにいる、韓国旅行日記。旅行の後、体調不良もあって、ほったらかしていたのだが、せめて、猫の画像だけでも整理してアップしようと思い立ったのだ。しかしこれが思ったより手間がかかる。毎日100点以上の画像があって、その中から猫画像だけ別のフォルダにコピーするだけでほぼ一日近くかかってしまった。作業しながら、BGMに昭和歌謡のMD流して(園まりとかちあきなおみとか)、午後からはラグビー(フィジー-オーストラリア、フランス-アルゼンチン、ニュージーランド-南アフリカ)の中継テレビで流し見しながら、やったので余計時間かかったのかも知れない。
午後には雨もやんだので、自転車で水道筋に出て買い物に出た以外は、ずっと部屋にいたことになる。明後日秋分の日までは天気わるそうなので、何とか猫ページ作り上げてアップにもちこみたい。
セリーグは巨人が優勝を決めたらしい。
今日の歩数は1935歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
캥거루족[族](ケンゴルジョク パラサイトシングル)
韓国では学校を卒業して自立する年にもかかわらず就職せず、または就職しても独立せず、親と同居し生活費を依存している20~30代の若者たちをカンガルー族という。日本でいう「パラサイトシングル」や「パラサイトダブル」のこと。韓国では結婚してからも経済的な理由で親と同居しているカンガルー族が多い。自立したくても経済的に厳しいためにできない構造的な面もある。アルバイトだけで生計を立てられない経済状況も反映されて出来た言葉かもしれない。

【燃える家】田中慎弥 ★★★ 2013/10/30  講談社 初出「群像」2010-2013

主人公瀧本徹の実父(地元(下関がモデル?)の有力政治家)の台詞。

「三島由紀夫は知ってるな? 腹を切って死んだ作家だ。書いたものはどれもやわだったが、死ぬ直前に言ったことはそれなりに意味があった。自衛隊員たちを前にして三島は演説した。自衛隊が立ち上がらなければ憲法改正は不可能だ、自分を否定する憲法を守るのか、永遠にアメリカの軍隊になってしまうぞ……自由国民党の政治家としてこれは耳の痛いところだ。ただ、三島はやり方を間違えた。むしろ、間違えなかった、間違えなさ過ぎた、と言うべきか。濁った水を嫌うあまりに餌のミミズさえ棲めない清流を求めた。正しいが急激だった。コースは合ってたがフライングだった、それも大幅にだ。だから当時の首相は、正気の沙汰とは思えないといい、自衛隊を預かる防衛庁長官は、迷惑な話だ、と切って捨てざるを得なかった。そうやって、冷戦の中でとりあえずアメリカの手先である極東の国として、ソ連と中国という共産主義の化け物の近所で生きてゆくしかなかった。情けないが我が党はその旗振り役だった。牙を抜かれて札束にしがみついていた。もう一度牙を生やすことは、赤どもは勿論、アメリカも望んでいなかった。恐れ多いことだが、恐らくは昭和天皇も……だが本当のところどう思われていたかは分からない。周りはいくらでも不躾な空想をする。A級戦犯が合祀されてから靖国神社へ参拝されなくなったことを取り上げて、それだけ当時の軍部に不快感を持っておられたのだ、と勝手に話を作り上げようとする。実際は違う。東京裁判で裁かれた死刑になった人物を神として祀る靖国へ天皇が参拝すると、他国を刺激して外交問題化する可能性があった。だから断念せさるを得なかったというのが真相だ。であればだ、公式にしろ非公式にしろ三島の自決についてのご発言はいっさい伝わっていないが、何事か深く思われたに違いない。少なくとも2・26事件の将校たちに対するのとはやや違った感覚をお持ちだったのではないかと思う。だがな、21世紀にもし三島が生きていれば、とは思わない。作家の突発的な行動など必要ない。現実を変えてゆかなければならない。日本は冷戦構造の中で経済発展という衣裳に身を包んできたが、もう芝居は終わりだ。我が党結成以来の最も大きな目標は、占領軍から下された、あの身の毛もよだつ日本語で書かれたおぞましい憲法を、自分たちの手で書き直すことだ。国を守るための軍隊を否定する、そんな憲法を、自分たちの手で書き直すことだ。国を守るための軍隊を否定する、そんな憲法を後生大事に抱え込んでいるバカな国などない。偽物の国から本物の国に生れ変る時だ。菅原にはそれが出来る。少なくともその要素はある。靖国参拝は党内の反菅原派とか日本遺族会を押え込むためのポーズに過ぎないがそれでも構わない。これだけ国民から支持されている首相の行動には全て意味がある。意味を持たせることが出来る。菅原が靖国へ行って中国や韓国が騒ぐ。決して悪いことじゃない。もっと騒げばいい。安定よりも混乱の方が物事の本質を焙り出せる」


2019/09/20(金)●ラグビー静かに観戦
6時起床。
今朝の血圧は156/69/74。35.8℃
小田嶋の「ア・ピース・オブ警句」は更新なし。
昼前自転車で大石のコーナンに座椅子みつくろいに行く。椅子の並んでいるコーナーで店員に訊ねたが、座椅子は見当たらないという。知らない間に一階売り場の奥が100均のダイソーになってて、売り場面積が狭くなったため座椅子は商品構成から外されたのかと思ったのだが、寝具売り場の片隅に座椅子コーナーがあった。でもこれまで使ってた(気に入ってた)のと同じようなものはなく、半ばあきらめかけたが、薄くてコンパクトな角度4段切り替えというのを見つけて、これを買うことにした。安かったし(^_^;)これならこれまで使ってた奴と重ねて使えるかもしれないと思ったのだ。結果はオーライだった(^_^)/
これに気を良くして、しばらくleno坊で、デジカメ画像の整理作業。
昼過ぎ、自転車で、王子公園へ。まぬうに挨拶(久しぶりにちゃんと会えた)してから、駐車場樹の下ベンチに赴いたのだが,すぐに小雨模様に(>_<) それでもしばらく粘ったのだが、3時半に撤退。
今日からラグビーワールドカップ開幕で、日本-ロシア戦テレビ中継見てたのだが、アナウンサーと解説がうるさ過ぎて、消音で観戦。東京オリンピックが近まるにつれて、国際試合スポーツ中継はひどいことになっている。とにかく日本がちょっとでも有利になると大騒ぎ、日本選手がミスしても選手に変わって弁護と言い訳に徹するし、トライでもしようものなら、ほとんど万歳三唱状態。消音モードだと、わかりにくいところもあるけど試合に集中できる。結果は松島の3トライもあって、30-10で日本快勝、勝ち点5と幸先の良いスタートを切った。
今日の歩数は2341歩。


今日のまぬう イーリス 

ペッキー 

プレイリードッグ 

大山猫 

ボブキャット 

樹の下ベンチ前の雀の群れ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
아싸
(アッサ アウトサイダー はぐれ者 不適応者)
Morris.は「アッサ」といえば、ついついポンチャックの掛け声앗싸!(アッサ!)を連想してしまう(^_^;) 김혜연(キムへヨン)の「앗싸 초특급! アッサ超特急」は、ポンチャックの殿堂入りアルバムだし、一昔前には、韓国カラオケ機器に「앗싸(アッサ)」というメーカーが君臨していた。。
今日取り上げた아싸(アッサ)は아웃싸이더[outsider](アウッサイド)の略で、「集団や組織に自然と溶けとめない人」の意味を持つ。
아싸の反対語は인싸(インッサ 인싸이더[insider](インッサイド)の略)で「集団や組織に自然と溶け込める人)。これに強調を表す接頭語「[核]」を付けた「핵인싸(ヘギンッサ)」となると、「ものすごく親しみやすい人気者、どこにいても似合う人」という意味になる。

【B面 昭和史 1926-1945】半藤一利 ★★★☆☆ 2016/02/12 平凡社

50年前に『日本のいちばん長い日』をかいたときも、また12年前に『昭和史』をだしたときも、かかれているのは表舞台だけの出来事だけで、裏側の庶民の生活がネグレクトされていると、それとなくお叱りをうけたりしました。(あとがき)

というわけで庶民の世相、トピックを中心に据えたB面昭和史ということになる。昭和元年から敗戦の20年までの20年間。例によって、松岡正剛の「情報の歴史」年表を参照しながら読み終えた。ちょっと疲れた(^_^;)

・大正15年(1926)12月25日午前1時25分大正天皇が葉山御用邸で亡くなり、ほぼ2時間後の午前3時15分に皇太子裕仁親王が百二十四代天皇となる。その直後枢密院会議で政府提案の「昭和」の元号が決まる。(昭和元年 一週間しかなかった年)


結果的に昭和元年は1926年12月25日から31日までの一週間しかなく、この間に生れた赤ちゃんの多くは、出生届を翌年生れにしたためもあって(当時は数え年のため生れた時点で一歳、年を越えると二歳になるため)、昭和元年生れは極端に少ないらしい。

・円本ブームが日本の出版界にマスプロ・マスアド・マスセールの道を開き、いわゆる本の買い取り制度を崩した。昭和になって、出版界は荒っぽい戦国時代に突入したことになる。(昭和2年)

円本ブームが書籍の再販制度を産んだとは知らなかった。

・「日本人は戦争が好きだから、事前にゴタゴタ理屈をならべるが、火蓋を切ってしまえば、アトについてくる」と予言した軍務局小磯国昭少将の豪語は的中した。戦争がはじまると、国民はいっぺんに集団催眠にかかったように熱烈に軍部を支持するようになった。
・9月19日午前6時半、ラジオ体操が中断されて「臨時ニュースを申しあげます」と元気よく江木アナウンサーが事変の勃発を伝えた。これがラジオの臨時ニュースの第一号。新聞はこのラジオのスピードにかなわなかった。負けてなるかと号外につぐ号外で対抗しようとするが、号外の紙面を埋めるために情報をすべて陸軍の報道班に頼みこむほかはない。勢い陸軍の豪語のままに威勢のいい記事をかくことになる。軍縮大いに賛成、対中国強硬論反対、さらには満蒙放棄論までぶって陸軍批判をつづけてきたこれまでの新聞の権威も主張もどもへやら、陸軍のいうままに報じる存在となる。ああ、こぞの雪いまいずこ。どの新聞も軍部支持で社論を統一し、多様性を失い、一つの論にまとまり、「新聞の力」を自分から放棄した。
おせrに戦争は新聞経営には追い風となるのである。
・「本来賑かなもの好きな民衆はこれまでメーデーの行進にさえただ何となく喝采をおくっていたが、この時クルリと背中をめぐらして、満州問題の成行に熱狂した。鷲破こそ帝国主義的侵略戦争というような紋切型の批難や、インテリゲンチャの冷静傍観などは、その民衆の熱狂の声に消されてその圧力を失って行った」(杉山平助「文芸五十年史) (昭和6年)


昭和6年は満州事変の年である。関東軍の暴走であり、小磯少将の発言の実践でもあるが、国民の中に、満蒙領有という欲望が渦巻いていたことが後押ししたとも言える。

・満州国建国宣言をはさんで、右翼「血盟団」による暗殺事件(前蔵相井上準之助、三井合名会社理事長団琢磨射殺)が相つぎ、5月には首相犬養毅が陸海軍青年将校の手で白昼に暗殺された(五一五事件)。これらは国家的貧窮にその因をもつといっていい事件である。史的には、これらの事件は政党政治の息の根を止めたばかりではなく、暴力が支配する恐怖時代の幕開けともなったといわれる。
・"改革"待望の眼からみると、軍部は頼もしく、そしてその強い力で連戦連勝して建設した新国家・満州国こそが、現状打破の突破口になるかもしれないと人びとの眼には映ったのである。赤い夕陽の曠野にこそ国家発展の夢がある。五族協和・王道楽土のスローガンが力強くこよなく美しい理想と思われる。(昭和7年)

B面と言いながら、A面的記事にばかり目が行ってしまう。

・平々凡々に生きる民草の春は、桜が咲けばおのずから浮かれでる。国家の歩みがどっちに向かって踏みだそうと、同時代に生きる国民の日々というものは、ほとんど関係なしに和やか穏やかにつづいていく。じつはそこに歴史というものの恐ろしさがあるのであるが、いつの時代であっても気づいたときは遅すぎる。こんなはずではなかった、とほとんどの人びとは後悔するのであるが、それはいつであっても結果が出てしまってからである。
・どうやら人間の脳の動きは未来を明るく想像したときにもっとも活潑化するようなのである。
そして同じように考える仲間に出会うと、たがいに胴調し合い、それが集団化する。するとその外側にいたものまでが、集団からの無言の圧力を受け、反撥するよりそれに合わせようとする。そのほうが生きるために楽であるからである。揚句は、無意識のうちにそれまでの自分のもつ価値観を変化させ、集団の意見と同調し一体化していってしまう。(これは池内了の説の敷衍)
たしかに昭和八、九年ごろの偏狭な国粋主義、軍国主義への静かではあるが、急速な国民感情の変容を考えると、こんな風な同調性と楽観性とが結びつき、集団的に、かつ主観的に日本のあり方を正しいものと夢みてしまう、といっていいような気になってくる。それはいまの日本についても同じことがいえる。
・この夏日比谷公園内のレストラン松本楼の主人が朝風呂のなかで、田舎で盛んの盆踊りが東京でもできないものか、とふと思いついた。それでさっそく西條八十に相談を持ちかけた。で、できあがったのが「丸の内音頭」。ところが、これに目をつけたビクターレコードが、もっと大々的な、東京中をまきこむ音頭へと発展的に改作はできないものかな、となって、ここに出来上がったのが有名な「東京音頭」なのである。
・10月1日陸軍が軍事啓蒙のためにつくったパンフレット「国防の本義と其の強化の提唱」一般に配付。第一次世界大戦の教訓から、これからの国防を考えるとき、あらゆる物的資源、人的資源、その全総力をあげて戦争に奉仕させねばならぬ、と恐れげもなく宣言したのである。
「戦いは創造の父、文化の母である」
という文句はいまでは有名であるが、当時はどうであったか。(昭和8年)


昭和8年は「東京音頭」の年。「気づくのはいつもあとになってから」である。

・3月18日、貴族院議員の菊池武夫が本会議場で東大教授美濃部達吉の憲法学説(天皇機関説)を「これは国体を破壊する思想である」と攻撃したのがはじまりである。
そしてこの問題は思想・学問の問題であり、歴史観への問いかけであり、言論の自由の問題であった。しかし、何ということか、美濃部学説を公の場で弁護し、学問・思想の尊厳を守ろうとする動きは、学界はもちろん、新聞をはじめ雑誌などの言論界にはそれほど強くなく、いや、ほとんどみられなかった。
思想的には、もはや宗教としかいいようのないような"天皇神聖説"が主流となり、現人神として天皇の神聖にあこがれることが日本の正義なのである。巷には政党政治の堕落がいわれ、国体明徴・挙国一致の神がかり旋風が吹きまくりはじめる。
・流行歌の数が、この年からぐんぐんふえだしてくる。なんとなれば、レコード会社がこの年にはなんと呆れるほど設立されていたからである。すでにあったものも含めれば、ビクター、コロムビア、キング、ニットウ、パーロホン、テイチク、タイヘイ、オーゴン、ツル、アサヒ、コロナ、ミリオン、ショーチク、ゼーオー、テレビ、国鉄、エジソン、日本グラモフォン、フタミ。
・七千万人の当時の平均寿命は、男44.8歳、女45.6歳と発表された。(昭和9年)


天皇機関説と天皇神聖説。どの時代にも御用学者が幅を利かす。

・事件(二・二六事件)が巻き起こした"テロ"という恐怖をテコにして、このあと政・財・官・言論の各界を陰に陽に脅迫しつつ、軍事国家への道を軍部は強引に押しひらいていった。
事件後に成立した広田弘毅内閣がとった政策がまことにまずかったと結論づけるほかはない。5月18日、軍部大臣現役武官制を復活させた。これは陸軍の思う壺にはまったことに気づかぬ愚かな決定、次に8月7日、陸海軍部と協議してこれからの日本のあり方を決定づける「国策の基準」(南北併進)を策定、11月25日、日独防衛協定の締結。
・皇道派という邪魔ものを排除した陸軍は、粛軍人事を免れた三人のうちの一人である凡庸な寺内寿一大将を陸軍大臣としてかつぎ、彼を補佐する統制派の幕僚グループが思うがままに動こえる組織をつくる。
・17名の死刑執行のあと、7月18日、戒厳令がやっと解除された。この夜、両国でさっそく川開き。花火見物に押しかけた群衆は「なんと、八十五万人」と時事新報が嬉しそうに報じている。
・ベルリンオリンピックをとおして国民的熱狂が燃え上がったことだけはたしかである。全国民が日の丸が揚がるかどうかで一喜一憂、それはラジオの実況放送を通して煽られ、国家ナショナリズムの高揚となっていった。あるは暗鬱な空気を吹き飛ばすため、という裏の意味もあったかもしれないが。(昭和11年)

二・二六事件はクーデター未遂事件である。結果としては完全に失敗だっが、その後の影響は大きかった。しかし世間はほとんどこの事件に関して知らされることはなく、ベルリンオリンピックの「前畑ガンバレ」と阿部定事件に興奮していた。

・「挙国一致」をスローガンに近衛文麿内閣、組閣後わずか33日目の、7月7日夜、日中両軍が北京郊外の盧溝橋付近で衝突した。日中戦争のはじまりである。政府ははじめは不拡大の政策方針を堅持しようとしたが、陸軍の戦略にたちまちにひきずられていく。このとき、この戦闘がその後8年にわたる大戦争となり、亡国に導くと予想した日本人は、ほとんどいなかった。
結果は、中国軍の執拗な抵抗があり、戦火は拡大の一途をたどり、互いに宣戦布告をしないままに「事変」という名の本格的な戦争となっていった。8月には「国民精神総動員実施要綱」の決定、11月には大本営令が公布され、日本の世情は一変、軍主導の戦時国家へと突入する。そして12月には中国の首都であった南京を攻略する。戦後問題となった虐殺事件は、このときの戦闘の過程で起こったものであるが、そんなむごたらしい事実のあっったことなど、民草はだれ一人知ることもなく、昼は旗行列、夜は提灯行列でその大勝利を祝っていたのである。
・1月21日、衆議院本会議場で壇上に立った政友会の浜田国松代議士が「五一五事件然り、二二六事件然り、軍部の一角より時々放送せられる独裁政治思想然り、(中略)
要するに独裁強化の政治的イデオロギーは、常に滔滔として陸軍の精神の底を流れている……この危険ある事は、国民のひとしく顰蹙するところである」
これにたいして陸相寺内寿一大将が反発した「われわれ軍人に対していささか侮辱するがごとき言説があったことはまことに遺憾であります」
ふたたび浜田は登壇して蛮声をはりあげた。「武士は古来、名誉を重んずる。どこが軍を侮辱したか、事実をあげよ。もしあったら割腹してキミに謝する。なかったら、キミ割腹せよ」
世にいう「ハラキリ問答」である。
・荷風の『濹東綺譚』の連載開始が4月15日で、終わったのが6月15日、その直後に盧溝橋の運命の一発があったのである。歴史にイフはないが、あと二、三ヶ月遅れていたら、玉の井の娼婦との何とも色っぽい交情を描いたこの小説の新聞掲載はとうてい無理なことであったろう。
・満州事変のあった昭和6年からの軍需景気もあって、12年までの経済成長率は平均7%、これは当時の世界最高で、"躍進日本"といわれていた。ウォール街の暴落による世界的不況からいち早く脱けだしていた。設備投資はまた景気を過熱させる。それでこの年の成長率は、なんと、23.7%というではないか。戦後のバブル最盛期でさえ14%であったことを思うと、ウヒャーと驚声をあげたくなってくる。
・戦前の日本人はたしかに戦争とは利得をもたらすものと考えていた、そういっていいと思う。日清戦争では賠償金二億両(テール)(いまに直せば約四億円?)を得た。日露戦争ハ賠償金ゼロであったが、満州にたいする厖大な権益を獲得した。第一次世界大戦では南方の島々を委任統治地にして、南方進出の拠点を得たし、戦争需要に乗じて製造業と海運業は莫大な利益を得た。と、そうした歴史的事実を追ってみると、よくいわれるような、娘を身売りさせなければならなかった、そうした貧困と窮乏とが戦争へと突き進んだ原因だ、という説に首を傾げたくなってくるのではないか。
・10月1日、朝鮮総督府は「皇国臣民の誓詞」を定めて日本本土に居住するものはもとより、朝鮮半島の日本人にさせられた朝鮮の民草残らずに配布する。ここでは、年少者用のものだけを弾いてみる。
一、私共は大日本帝国の臣民であります。
二、私共は心を合せて、天皇陛下に忠誠を尽します。
三、私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民となります。
・10月13日に日本放送協会の大阪中央放送局が流した美しい歌があった。それとなく"流行した"のは翌13年であるが……。「海行かば」である。
信時潔が作曲したこの歌は、対米英戦争中にしきりに歌われ、玉砕という悲惨の報とともにながされたために、悲しい思い出と結びつき、いつか"戦犯の歌"となったのか。わたくしには美しい名曲ではないかと思われる。
・11月20日、宮中に大本営が設置される。じつの話、近衛首相の要望によて大本営が成立したというのであるから驚きである。事変勃発いらい政戦略の指導権が自分の手にないことで不満たらたらであった近衛は、何とか軍をコントロールしたいと考えた。いわゆる文民統制(シビリアン・コントロール)ということ。しかし、敵はさる者の軍は首相の希望に応じる格好をして、もともとの大本営条例を戦時大本営令として天皇の許可を得てしまう。まさに得たりや応、渡りに舟とはこのことをいう。(昭和12年 (1937))


盧溝橋事件、南京虐殺の年。辺見庸の「1★9★3★7 イクミナ」の年である。

・近衛首相は1月16日「国民政府を対手(あいて)とせず」との声明を内外に発表するほどのぼせ上がった。この声明は、いま考えれば公式の日中間の国交断絶の宣言であり、「事変」は「戦争」になったことを意味する。
・無制限にひとしい「白紙委任」的な権限を、政府や軍部に与える国家総動員法が4月1日に成立、5月5日から施行となる。これは悪法としかいいようがないあが、その第四条だけどもしっかりと記しておく。
「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得 但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ」(昭和13年)


軍部も非道だったが、政治家の無能もまたひどかった。

・事実としては、第二次近衛内閣が成立した7月22日、太平洋戦争への道が決定的になった、といってもいいのである。外相松岡洋右、陸相東条英機など、対英米強硬派がぞくぞくと閣僚に信任された。
・9月11日、内務省は「部落会町内会整備要綱」と発表、つまり隣組を「国民の道徳的錬成と精神的団結を図る基礎組織」とすることを表明する。かくて、積極的に近所づき合いなんかしなくてもすんできた住民たちは、否応なしに互いに接触せざるを得なくなる。回覧板をまわしたり、配給物を配ったり、なかには隣組づき合いの好きな人もあり、やたらに人の家に出入りするようになる。隣組から出征兵士がでようものなら、総出でこれを見送り、隣組全員が署名した日の丸を贈るのが習わしとなった。(昭和15年)


前年(昭和14年)にノモンハン事件の大敗にも懲りず(秘密にして)、中国では持久戦状態になったところで、米英に宣戦布告するという暴挙。しかしこれも真珠湾攻撃の戦果と大げさな報道で日本国民は歓喜雀躍足の踏み場もないほど興奮した。

・大日本帝国は最大の危機のときにリアリズムを失い、ドイツの勝利をあてにして、蜃気楼のようなみずからの大勝利の夢想を前途に描いて、対米英戦争に突入していった。
・東京朝日新聞の見出しを拾ってみれば、12月3日一面トップ「ABCD陣営の妄動/今や対日攻勢化す」、6日一面には「対日包囲陣の狂態/わが平和意図蹂躙/四国一世に戦闘開始」とある。Aはアメリカ、Bはブリティッシュでイギリス、Cはチャイナで中国、Dはダッチでオランダである。8月1日の対日石油全面禁輸以後に新聞によって作られた流行語で、はたしてABCD包囲網などの事実はなかったというが、当時の日本人はみんなそれを信じていた。
こうして日本人は12月8日を迎えることとなる。そして真珠湾奇襲の勝利、マレー半島上陸作戦の成功の第一報に、気持ちをスカッとさせた。(昭和16年)

悪夢の三国同盟(>_<) 世界情勢の読み違え(>_<)

・6月のミッドウェイ海戦の敗北で日本軍は戦闘の主導権を失ってしまう。そのことは、攻勢作戦で勝利に次ぐ勝利をかちとり、とにかく短期決戦によって有利な講話へと導く、というその道がかたく閉ざされたことを意味する。これからのちは日本が(特に海軍が)恐れていた物量対物量の消耗戦かつ長期戦に否応なく引きこまれていくことになる。
そのあまりにもむごい戦闘の典型が、8月上旬から戦われたガダルカナル島攻防戦である。この島は日本軍にとってあまりにも遠かった。たとえば当時世界一の航続距離を誇った零式戦闘機でさえ、最前基地ラバウルから往復するのがやっとで、戦場上空にはせいぜい15分ほどしかいられなかった。こうした不利な条件をものともせずに奮戦したが、戦うこと五ヶ月、日本軍はたくわえてきた戦力(とくに航空機と駆逐艦)を使い果たして、一本の飛行場の争奪戦に敗れ去った。12月31日、大本営は御前会議の決定をまって、撤退をきめるのである。そしてこのあとの戦いは勝利のあてのない防戦につぐ防戦いっぽうとなった。
・さまざまな内政的苦難があり解決に給したとき、すべては外的の仕業にする。そうすることで、国内に現前する諸問題はたちまちに、国民の怒りが外的に向かうことによって解消される。およそ世界各国の指導者が歴史から学べる、それこそが教訓というもので、戦争はいつだって「自衛のためのやむにやまれぬ戦争」になるに決まっているのである。(昭和17年)


この年から大本営発表は完全な国民向けプロパガンダ機関になった。

・3月2日、兵役法が改正され、植民地である朝鮮や台湾の人たちにも徴兵制が布かれて赤紙が送達されることとなった。それまでは朝鮮と台湾の出身者には兵役の義務がなかったのである。もちろん特典ではなく、植民地の人間の忠誠心に疑いをもっていたからである。それと日本語理解力の問題があり、戸籍の不備もあった。しかし、いまやそんなことをいってはいられない。いよいよ国民根こそぎ動員のときがきた。
赤紙で徴兵された朝鮮人11万6294名、それに軍属12万6047名、台湾人の軍人8万433名、軍属12万6750名にのぼったという(cf.小熊英二)。
・最初に「疎開」という言葉が登場したのは9月21日のことという。東条内閣が年防衛のため官庁、工場、家屋、店舗などの整理を指示し、その別紙の最後に「疎開」の文字が配されていたという。
そもそもが軍隊用語で、戦況に応じて隊列の距離や間隔を疎らに開くという意なのである。(昭和18年)

徴兵された朝鮮人は10万人以上いたのか。疎開という言葉も誤解していた。

・陸軍は19年春からインド進攻のための「無謀なる」という形容詞をつけてよばれるインパール作戦を決行している。じつに十万余の大軍が、2週間ほどの食糧を携行し、しかも山岳地帯をゆうので野砲ではなく山砲を、という具合に軽装で攻撃をはじめる。それがのちにどういう結果をうんだか、もうかくまでもないことであろう。
・19年度の軍事費は国家予算の90.5%の735億円に及んだ。この数字が大日本帝国の断末魔の苦悩をそのままに物語っている。(昭和19年)


9割の予算が軍事費というのはこれはもう危篤状態である。ここで戦争を止められなかったことが、翌年の大空襲、原爆、沖縄の悲劇を産んだことも明らかである。

・昭和20年は日本の大・中の都市が焼野原となるなる年であった。
・3月の硫黄島激戦に隊の士気の日ましに落ちていくのに業を煮やしたカーチス・ルメイ少尉は、ついに決断を下した。それまで守られてきた"爆撃の騎士道"をかなぐり捨てたのである。作戦の根幹は焼夷弾による低空からの市街地への無差別爆撃である。
「日本の一般家屋は木と紙だ。超低空からの焼夷弾攻撃で十分効果があげられる」とルメイは自信たっぷりにいった。
この新戦術によるB29の大群の無差別絨毯爆撃が開始されたのが3月10日未明。それは東京の下町にたいする猛火と黒煙とによる方位焼尽作戦であった。
・戦争というものの恐ろしさの本質はそこにある。非人間的になっていることにぜんぜん気付かない。当然のことをいうが、戦争とは人が無残に虐殺されることである。焼鳥のように焼け死ぬこと。何の落ち度もない、無辜の人が無残に殺され転がるだけのことである。特に二十一世紀の戦争は、人間的なものなど微塵もないほどにいっそう非人間的な様相を呈するようになっている。
・沖縄抗戦がはじまってからは、もう志願にして志願にあらず、諾否を許さない状況下で非情の作戦命令として、軍部は一丸となって特攻の組織化を急いだのである。
・4月1日からはじまった沖縄攻防戦の実相は、当然のことながら民草のほとんど知るところではなかった。そして4月27日には情報局総裁下村宏が、ラジオを通して、とにかくいまこそ前線も銃後もなく、一億が火の玉とならなければならないときだ、といったあとで高結論した。
「一億総特攻あってこそ神州は不滅であり、大東亜戦争の完遂期して待つべきものがあるのである」
・大日本帝国にとって、沖縄防衛は本土決戦準備のための時間稼ぎであったのである。沖縄戦を立案した元陸軍大佐八原博通は戦後に「本土決戦を有利ならしむる如く行動」「戦略的には持久戦」と著書に記している。そのために軍は県民を「軍官民共生共死」のスローガンのもとに戦闘にまきこんだ。一言でいえば、沖縄は本土の盾にされ、県民は軍の盾にされて死ななければならなかったのである。
・「このポツダム宣言は重大な価値があるとは考えない。ただ黙殺するのみである」
この黙殺(ノー・コメント)が連合国には何としたことか、「日本はポツダム宣言をignore(無視)」、さらに「reject(拒絶)した」報ぜられてしまうのである。そしてこれがのちの原爆投下やソ連参戦を正当化するための口実に使われてしまったことはよく知られている。(昭和20年)


あの戦争の死者の大部分がこの年に集中してることを思うと、天皇の戦争責任の中最も大きな責任は降伏の時期を遅らせたことにあると思う。

・8月28日に東久邇宮成彦首相が記者会見で「ことここに至ったのはもちろん、政府の政策のよくなかったからでもあったが、また国民の道義のすたれたのも、この原因の一つである。このさい私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔することが、わが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」
首相から「懺悔せよ」と諭された民草が、これを読んだの30日の朝刊紙上においてである。
よく考えれば、戦時中のスローガン"一億一心"を裏返しにしたようなものである。線指導者の責任は、国民全体の責任へと拡散されて転嫁され、国民一人ひとりの責任は全体へともやもやとまぎれこんで、結局は雲散霧消した。そして国民総被害者という思考の図式が自然にでき上がっていくのである。しかもそれを戦争を煽ったメディアがさかんに報じるとは。とにかく日本人はみんなして心を一つにして責任逃れをしようとしていたのではないか。(エピローグ)


「一億総懺悔」はすごい(悪どい)キャッチコピーだと思う。「一億総活躍」なんてのはあまりにもおそまつだけど(^_^;)

過去の戦争は決して指導者だけでやったものではなく、わたくしたち民草がその気になったのです。総力戦の掛け声に率先して乗ったのです。それゆえに実際に何があったのか、誰が何をしたのか、それをくり返し考え知ることが大事だと思います。無念の死をとげた人びとのことを忘れないこと、それはふたたび同じことをくり返さないことに通じるからです。少々疲れる努力ですが。本書が少しでもその役に立てばありがたいと本気で願っています。(あとがき)

「無念の死をとげた人びと」。戦死者(餓死者が相当数を占める)や、原爆、空襲でなくなった民間人、「本土決戦の盾」とされた沖縄の民……もちろんこういった犠牲者への思いは大事だが、中国、朝鮮、臺灣、東南アジア等の犠牲者、つまり日本が加害行為を行った国々の被害者のことを見落としてはならない。

2019/09/19(木)●無責任社会
6時半起床。
今朝の血圧は155/75/69。36.4℃
午前中は韓国語のフレーズ整理。
昼から自転車でなぎさ公園。
3時過ぎに切り上げて、コミスタ神戸図書室で休憩兼ねて、いろいろ流し読み。初めて見かけた谷川俊太郎の「はだか」というすべてひらがな書きの詩集。佐野洋子の墨一色のカットが素晴らしい。特に小さな作品に心打たれた。ずっと以前、立原えりかの「花ものがたり」という小さな本に付された佐野洋子の小さなカットがすごく気に入って、エアメールの便箋に上から赤いボールペンでなぞり描きしたことを思い出した。
そのあと、臥竜公園で軽くミニギター。左手中指は相変わらず痛むが、ギター弾いたり、キーボード打つのはあまり支障ない。
大安亭で6時半帰宅。
福島原発事故、東電幹部3人の裁判。結果は全員無罪(>_<) これはもう無法状態というしかない。あれだけの事故を起こして、一人も責任取ろうとしない。政財官癒着ということなのだろう。責任ローディング??
今日の歩数は4928歩。


今日の練習場 

佐野洋子の珠玉のカット 

マルナカの看板猫はなちゃん 

?? 体長5mm

臥竜公園 

雲の波 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
배가 아푼데
. (ペガアップンデ 羨ましいな)s
배가 아프다(ペガアプダ)は「 腹が痛い」だが、 「うまくいっている人を見て嫉妬すること」という意味でも使われる。

2019/09/18(水)●座椅子買いそびれ(>_<)

7時起床。
今朝の血圧は153/62/83。35.6℃。
午前中はどんより曇ってたが昼から晴れてきた。
JRで三宮に出て、そごう別館「Loft」へ。実は先月くらいから、愛用の座椅子の調子がおかしくなってた。背もたれの角度を切り替える歯車(ラチェット?)がおかしくなったようで、後ろに体重かけるガクガクっと倒れてしまう。数年前にLoftで買ってすごく気に入ってたので、思い切って買い換えることにしたのだ。でも、もう同じ製品は無いかもしれないなとおもったりもしたが、まあ代替品でもかまわない。と、いうことで、買う気満々だったのだが、なんと座椅子のコーナーそのものが無くなってた(>_<)
三宮図書館に寄って、歩いて帰ることに。
途中大安亭前のコミスタ神戸四階で「神戸市小学校社会科作品展」やってるというポスターあったので、ちょっとだけ冷やかす。同じような催しは、図書館でもやってたけど、なかなかの力作揃いだった。デジカメ写真や地図、パンフレットなど付属した作品が多かったが、文章はすべて手書きで、小学生らしい文字が微笑ましかったが。須磨句を歌枕にした百人一首の歌を、現地ルポと歌の解釈を付した作品が気に入った。表紙はなかなか凝った切り絵で、意気込みが伝わってくる。
4時帰宅。
六甲学生青年センターのニュースが届く。一面に理事と館長の交代記事。飛田さんが館長辞めて理事に、新しい館長には朴くんが就任するとのこと。近いうちに移転する予定というのは聞いてたが、館長交代はまったく知らずにいた。30年以上の付き合いだが、ここ、数年は、古本市の設置と撤収時のお手伝いだけになってる感がある。
阪神-ヤクルト戦。退団発表したメッセンジャーが記者会見開いたとか。通算98勝。良く投げてくれた。ありがとう。第だに出た鳥谷はあえなく三振(>_<)で、試合も1-0から1-2に逆転されて7回に3-2と再逆転。それでも今シーズンは4位どまりだろうな。
今日の歩数は5193歩。


桔梗はトラジ 

旭変電所 

芙蓉 

花梨 

小学校社会科作品展 

スキヤ裏の雉 

スキヤ裏黒 

白ミニ薔薇 

飛田さん理事、朴くん館長に 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
앞이 캄캄해
.(アピカムカムヘ お先真っ暗だよ)
앞이(前が) 캄캄하다(真っ暗だ)これはわかりやすい。すぐ使える(^_^;)

【料理の消えた台所】江原恵 ★★★ 1986/04/15 草思社
江原恵といえば「包丁文化論」(1974)である。無名の板前だった江原が73年にエッソ「エナジー」誌の懸賞論文に応募入選してエナジー叢書の一冊として出されたのを読み衝撃を受けた。江戸時代の料理品指南書や品書きをずらずらと並べて、一刀両断に切り捨てるやり方に、圧倒されたこともある。同じ年に講談社から出されそれなりの話題になった。今思うと、トンデモ本の一種だったのかも知れない(^_^;) Morris.はけっこうこの手の本好きだから。
本書はそれから10年ちょっと後の作で、Morris.はこの本の存在すら知らずにいた。大安亭前のコミスタ神戸図書室で手にとって、ついつい借りてしまった。
外食産業と学校給食の実態と批判の書で、すでに30年以上前の本ということになる。

筆者は味に敏感なほうではないが、口に入れて噛んで一、ニ分たってから徐々にすうっと美味しさが伝わってくる食物は、大体安心して食べることにしている。(伝承の味はなぜ衰弱したか)

「著者は味に敏感なほうではない」そんなわけはなかろうと思うのだが……(^_^;)

だし(湯 タン)を本来のやり方でそのつど本式にとっていたら、あんなふうに全国的なチェーン展開などとてもできる道理がないし、どこへ行っても同じ味ということもあり得ない。これは常識以前の常識だ。そしてこの常識前の常識こそ、表面的な流行に似た風潮にまどわされることのない、暮らしの知恵のもとになるものだ。だが外食産業時代の一見はなやかな食文化の洪水には、その肝心の「常識」が欠けている。というよりも「それ」を押し流してしまったのだ。マスコミは、外食産業の急成長ぶりや売上げの数字だけを、何か重大な情報であるかのように広める。それがまたさらに「食文化」の風潮を煽り立てる。(ファミリーレストランはなぜはやるのか)

当時の外食産業では、すかいらーく、ロイヤル、マクドナルドの三店を主に対象にしている。弁当はほっかほっか亭。

東京・神田市場の統計によると、流通量の特に多い野菜は、キャベツ、たまねぎ、じゃがいも、はくさい、だいこん、トマト、きゅうり、にんじん、なす、レタスの10種類である。これだけで60%以上を占めており、これ以外の野菜類全部合わせても40%に満たないのである。つまり日本人の野菜の摂取量は実質的には以上の10種に集中しており、他のさまざまな野菜は添え物程度にすぎないことをこの事実は意味している。


Morris.もこの10種類以外の野菜は余り使っていない。後はパクチー、ピーマン、牛蒡、韮、菠薐草、生姜、大蒜くらいかな。

伝統的食生活が崩壊したとよくいわれる。しかしすでにふれたように、わが国の庶民レベルの食生活には、崩壊するほどの伝統はなかった。よしんばあったとしても、それは白ごはんに味噌汁に漬物に、そのほか煮物とか、魚の煮付けとか、焼き魚の類が一品か二品加わる程度の素朴な組み合わせの型であって、テレビ料理やグラビア料理からイメージされるような伝統は、現実には影も形もなかった。現実の伝統は食卓の上にではなく、年に一度の味噌仕込みや、漬物桶の中にこそあった。


日本の庶民の食卓には崩壊するほどの伝統はなかったと言われるとうなずくしかない。

マイカーは確かに個人の行動の半径を広げてくれた。しかしその一方では交通事故の多発や、排気ガスの問題をわれわれに突きつけた。道路を渋滞させ、日本国有鉄道を破産させる要因ともなった。が、だからといって、車社会を白紙に戻すことはできない。自動車が一部有産階級の特権的な乗物であった時代に日本を引き戻すことは、今日の豊かな国民一般の「生活」を否定することにつながる。
そして何よりもクルマ社会は、外食産業の飛躍的な発展を支えた土台であり条件でもあった。高度成長以前までの日本国有鉄道と鐵道に附随するバスが国民の主な足であった時代そのままでは、ファミリーレストランもハンバーガーショップも起こり得なかった。学校給食が全国津々浦々まで普及することもあり得なかったし、スーパーマーケットがこれほどに発展することもなかったろう。クルマ社会も食品工業も、われわれにとってはもはや取り替えのきかない環境であり、現実でもある。そして自動車の大量生産がクルマ社会をもたらしたように、かまぼこや魚肉ソーセージやもろもろの冷凍食品などの大量生産が、外食産業時代をもたらした。

本書の中ではこの部分が一番わかりやすく、納得できた。

加工食品は本来われわれの食生活を豊かにするはずのものだ、という見方が常識的であるらしい。しかしそれは、従来の伝統的な食卓にさらに加工食品を一つ二つ添えて、もうひとつバラエティを加える、というような場合に限られるのではなかろうか。加工食品だけの食卓では、お義理にも豊かになったとはいえまい。

食べることは、生活することである。食べる技術を向上させることは、生活の幅を広げることであり、また個性の創造につながる営みでもある。そしてそのためには、生活の論理が、生産の側の論理に対して優位に立つ必要があるように思われる。(日本人の味覚は衰えつつあるのか)


本書の読後感は消化不良感(^_^;)

2019/09/17(火)●ちょっと回復(^_^)
7時起床。
今朝の血圧は172/77/79。35.7℃
朝の三点セット。布団も干す。
昼過ぎ自転車で都賀川公園へ。
凍らせたペットボトルと缶チューハイ(ビターレモン)とミニギターでチャンユンジョンの「コッ(花)」歌ってたら、川で水遊びしてた中学生グループのうちの男子3人が、ミニギターに興味を持ったらしく、前でリズムとってくれた。アンコール?に答えて、チャンユンジョンツイストと、チュ・ヒョンミの「チャンカンマン」を歌う。戸惑いながらも拍手してくれた。今日は学校は?と訊いたら「代休だ」とのこと。同級生かと思ったが、原中、長嶺中など別々の学校で、男女交えて10名くらいで楽しそうだった。
昨日はかなり不自由した左中指、今日はすこしましになったような気がする。
4時に店じまいして、水道筋で買い物して5時前帰宅。
今日の歩数は3828歩。


土鳩(^_^;) 

ギャラリは中学生 

記念写真も 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
정줄놓
(チョンgチュルノッ 気が抜ける)
정신[精神]줄을 놓다(チョンgシンチュルル ノッタ)」の略。直訳すると「精神の紐を放す」。気が抜けたりしてぼうっとしたり、放心状態に陥ったりするときに使う言葉。
反対語は정신[精神]줄을 잡다(チョンgシンチュルルチャプタ)で「精神の紐をつかむ)」となり、意識がしっかりする、われにかえるといった意味になる。
정신을 차리다(チョンgシヌルチャリダ)は、直訳すると「精神を整える」で、「気を取り戻す、正気を取り戻す」で、馬鹿なことをやめてしっかりする、という意味に使う。
정신[精神] 차려!(チョンgシンチャリョ! しっかりしろ!)

【自分を動かす名言】佐藤優 ★★★★ 2016/05/01 青春出版社
鉤括弧(「」)付きの引用が著名人の名言。「」の無い文章は佐藤優自前の文章である。★の数の多さは、佐藤だけではなく引用された発言者に依る。

情報が十分あり、それを判断する教育を受けているにもかかわらず、現代の社会には反知性主義的な傾向が蔓延している。反知性主義とは、無知蒙昧のことではない。私が暫定的に定義しているのは、客観性や実証性を軽視もしくは無視して、自らが望むように世界を理解することだ。この反知性主義が、実は信頼と結びついている。信頼とは、複雑な世の中を理解するエネルギーと時間を削減するメカニズムなのだ。
安倍政権の経済政策は富裕層の所得を増やしているが、圧倒的多数の国民の生活は控除していない。外交的政策は場当たり的で、日本の国際的地位は日に日に低下している。国民もそのことに薄々気づいてはいるが、認めると惨めになるので、とりあえず安倍政権を消極的に支持している。しかし、安倍政権の失政がある閾値を超えて国民の信頼を失うと、自民党は国民から忌避されるようになる。政治の世界で、いったん失った信頼を回復することは、民主党の例を見ても明らかなように、至難の業だ。


「反知性主義」という言葉をいまいち理解できずにいたが、これはわかりやすかった。安倍批判も正論のように見えるが、日本という国の没落をうすうす気づきながら「見ざる聞かざる言わざる」と、手をこまぬいている民草への皮肉かも(>_<)

「私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには、私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない」--寺田寅彦

「猫は、どんなに小さくても最高傑作である」--レオナルド・ダ・ヴィンチ


猫褒めの言葉は何でも肯定したくなる(^_^;)

「恋愛は戦争のようなものである。はじめるのは簡単だが、やめるのは困難である」--メンケン

恋愛を戦争と比較するのは、勘弁してもらいたいが(^_^;)、戦争が始めやすく終わらせにくいというのは日本の昭和の戦争がそのとおりだった。

疑似命題とは、前提に難があるので、そもそも意味がない命題のことである。
未知の問題が出てきたとき、それを分解して易しい部分と難しい部分に分ける習慣ができていればうろたえることはない。そして、最も難しい部分の解決にめどが立てば、それ以外の問題はきれいに片付いていく。疑似命題に足をすくわれなければ、どのような問題でも解決の糸口を見出すことができるわけだ。


命題が疑似命題なのかそうでないのかを判断出来るかどうかが難しいことも多いと思う。

「国家とは、ある一定の領域の内部で--この「領域」という点が特徴なのだが--正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」 --マックス・ヴェーバー

「正統な物理的暴力行為の独占」。権力という暴力をどのくらいコントロールできるかどうかが民主主義のキモだろう。

「愛国心とは、自分が生れたという理由で、その国が他よりも優れているという思い込みのことである」--バーナード・ショー

国家ではなく故郷(くに)への愛着を基本にすべきなのだろうが、Morris.は若き日からの「故郷喪失者(ハイマートロスト)」である。

「宗教の本質は、絶対依存の感情である」--フリードリヒ・シュライエルマッハー

シュライエルマッハーは、神はこころの中にいると考えた。人間は心を持つ。しかし、心がどこにあるかを示すことはできない。だから、宗教は絶対依存の感情によって神を信じることにある。
もっとも、そうなると神と人間の区別がつきにくくなってしまい、心の中にある神が徐々に民族に転換していった。それにより、近代人は自分が所属する民族のために命を捧げることができるようになったのだ。拝金教と並んで、ナショナリズムが近代人の宗教になった。ナショナリズムという宗教が人類に深刻な災厄をもたらしている。


Morris.は無神論者ではないのだが、宗教にはある種の嫌悪感を持っている。汎神論には惹かれるものがあって、何かわからないものへの信仰心はあるようでもある(^_^;)

2015年9月19日未明、参議院本会議で強行採決された安保法制の本質は、日米同盟が戦後の「國體」と確信している外務官僚が、頭の回転があまり速くない自民党の政治家たちをうまく操って想いを遂げたということにある。もっとも、法案自体には創価学会を支持母体とする公明党がさまざまな地雷を埋め込んでいるので、実際に有事になったときは、もう一度ゼロから議論のやり直しになることは確実だ。
一連の騒動で、外交安全保障政策において、公明党の影響力がかつてなく大きくなったことが外交のプロの目に明らかになった。


安保法案の本筋は、こういったところだったかも知れない。創価学会に過度の期待はしないほうが無難だろう。

「昔、羽振りのよかった者は復古を主張し、いま羽振りのよい者は現状維持を主張し、まだ羽振りのよくない者は革新を主張する」--魯迅

魯迅は読まねば、と思いつつ、いまだにちゃんと読めていない。

「ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている」--ジョージ・オーウェル

こんな素晴らしい才能を、実に多くの人が持っているようだ。「1984年」から35年が過ぎて、日本は確実にオーウェルのディストピアへの階段を上り続けているようだ。

日本と中国や韓国との間で歴史認識が問題になると、それぞれの国が「真実の歴史を知るべきだ」と主張する。実は、こういう発想自体が歴史に関する無知から生じている。歴史とは、出来事と出来事をつなぎあわせて紡ぐ物語だ。それは民族や国家によってそれぞれ異なる。
すべての国家が認める単一の歴史というものは成立しえない。歴史は本質において物語性を帯びているのだ。


「HISTORY」という語の中には「STORY」が含まれてるもんね(^_^;)

出世病というのも、誰もが取りつかれている思想だ。親が必死になって、幼稚園児、小学生に受験勉強を強いる。偏差値の高い学校に進めば官僚になったり大企業に就職したりすることができ、高い給与で安定した一生が保証されるというのは神話だ。企業に入ってからも、出世だけを人生の価値観にしている人は、出世が難しくなった途端にやる気をなくしてしまう。やる気がないと、能力も衰える。
人間の社会にはさまざまな矛盾がある。人間の能力や適正には差があり、要領のいい人もいれば、そうでない人もいる。世の中の問題を一挙に解決することなどできるはずがない。かつての共産主義者や現在もイスラム原理主義過激派は、革命によって、理想的な世の中ができると信じているが、それは幻想だ。現実をしっかり見据えて生きていくには、労働が社会の基本になるという思想を身につけることが重要だと思う。


高度経済成長期の「教育ママ」の願いがつまりは、出世病だったわけで、今やそれが破綻してるのも自明で、理想的社会主義も蜃気楼でしかなく、革命という印籠も無力になった。労働を基本に据えるという考え方には共感。

理性や合理性を重視しすぎた近代人は、その結果として、将来人間は悩みをすべて解決できるという誤った楽観主義を抱くようになってしまった。こういう楽観主義が二度の世界大戦という大量殺戮と大量破壊をもたらしたのだ。

「思い上がりも甚だし」かった、というわけか(>_<)

どの国家や社会にも、知識を尊重しない人々が一定数いる。問題はこういう人たちが政治権力を握り、経済政策や戦争と平和の問題など、国家の命運を握っている状態が日本で生じていることだ。国民が結集し、民主主義手続きを用いて一日も早く反知性主義者を政治権力から排除しなくてはならない。

先にも引用した「反知性主義」政権への批判。これにも同感。

「希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである」--スティーブンソン

Morris.には次の韓国旅行への、希望の言葉である。

「時間の翼に乗って悲しみは飛び去る」--ラ・フォンティーヌ

「時間薬」(^_^)

「往く者は追はず、来る者は拒まず」--孟子

これが孟子の言葉とは知らずにいた。

「賭博は貪慾の子供であり、不正の兄弟であり、不幸の父である」--ジョージ・ワシントン

カジノ法案をIRなどと目くらましで、甘い汁を吸おうと思ってる、大阪や横浜の首長どもに捧げたい言葉である。

主観的に時間の流れは、加齢とともにどんどん速くなるのだ。
一歳児の場合、一年を生涯で割ると一分の一だ。十歳児になると十分の一になる。分母が増えてくるので、一歳児と比較した十歳児の一年は、人生の十分の一にしか相当しない。五十歳の人にとって、一年の比率は十歳児の五倍、一歳児の五十倍になる。加齢とともに時が速く流れていくように感じることには根拠があるわけだ。

これはMorris.が、自分で考案したと思ってた考え方で、もちろん、佐藤優の自論でもなく、とっくに誰かが考えてたことなんだろうな。

「昨日まで人のことかと思いしが おれが死ぬのか。それはたまらん」--大田南畝

「いつ死んでもいい。でも、今日はやめとこね」というMorris.の死生観?に通じるものがある。

2019/09/16(月)●月曜図書館
7時起床。
今朝の血圧は147/92/88。36.3℃
テレビは昨日のマラソンの結果と千葉の停電をしつこいくらいに伝えている(^_^;)
昼からJRで神戸に出て中央図書館へ。月曜日は図書館休館日だが、祝日だと開館して、翌日休館になっている。
中庭で「世界」閲覧。今月の特集は「AI兵器」。最近のサウジアラビアの石油コンビナート攻撃も、ドローン(無人飛行機)によるとされているし、 AI技術を駆使すれば、小さなドローンに顔認識機能装備して、特定の個人を攻撃することも可能だとか。Morris.はドローンの映像を初めて見た瞬間、これは危険だと直観した。安価で効果的な兵器に転用できると思ったのだ。これにAI機能まで備わったひには、どういうことになるか、考えただけで恐ろしい。
4時過ぎに図書館を出て、猫場、南宇治川小公園へ。今日は4匹いたが、草が生い茂って、ちょっとした草原状態(^_^;) 軽くミニギター演る。左手中指とその付根の痛みが前よりきつくなっている。ギターでコード押さえるときポジションによっては、かなり厳しかったりする(>_<)
帰り道、すぐ近くの自由学園ガーデンにもちょこっと寄る。元町、三宮のJR高架下通って三宮駅からJRで7時帰宅。
女子バレーボール、日韓戦中継してたのでつい見てしまう。長いこと女子バレ-見てなかったので、知ってる選手は3,4人くらい。第一セットは何とか取ったものの、第二セットはあっさり取られ、第3セットもジュースまで持ち込みながら落としてしまった。たぶん、もう観ないと思う(^_^;)
今日の歩数は5398歩。


凌霄花 

中央図書館中庭 

南宇治川小公園猫A 

B 

C 

D 

自由学園ガーデン 

西田歯科 

夜のモダン寺 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
뜨거운 감자
(ットゥゴウンカムジャ 厄介な問題、難問題、ホットイシュー、論争の的、扱いにくい難題)
直訳すると「熱いジャガイモ」。
政治的な難題ややっかいな社会問題などによく使われる。英語の「hot potato」から。

【沖縄報道 : 日本のジャーナリズムの現在】山田健太  ★★★☆ 2018/10/10 ちくま新書:1362
山田健太 1959年京都市生れ。専修大学人文・」ジャーナリズム学科教授。「放送法と権力」「法とジャーナリズム」

序章 忖度
第一章 地図
1.沖縄のメディア地図
2.沖縄の新聞
3.沖縄の放送
第二章 歴史
1.戦争による断絶
2.在沖日軍基地の地位
3.基地を巡る運動体
第三章 分断
1.対立の構図
2.事実を歪めるメディアがもたらす沖縄の分断
3.民意の伝え方
第四章 偏見
1.ヘイトを許す社会
2.ヘイトのメディア加担
3.フェイク・ニュース
第五章 偏向
1.公平とは何か
2.在京紙と地元紙の報道格差
3.主張するメディア
終章 権力


放送は「みんなのもの」であるという意識を忘れないことが大切だ。いわば公共概念であり、みんなに開かれていて、みんなのためになることが重要であろう。一般企業でも社会貢献が求められている時代、放送はまさにパブリックな存在であって、だからこそ日本では商業放送といわずに「民間」放送と呼んでいるのではないか。経済一辺倒の議論は、放送が民主主義を支える社会機能であるという大前提を崩壊させることにつながる。
NHKのみならず、民法も含めた公共的な放送が、豊かで自由闊達な情報流通を実現する言論公共空間を作り出すことが求められてきた。こうした役割は、分断化が進む今日の社会において、より重要になってきているといえる。だが、残念ながら政府の姿勢からは、公共的なメディアの未来像はまったく見えてこない。(第一章 3.)


放送メディアの権力への「忖度(すりより)」はすでに体質化してるのではないか。報道番組自体が激減してるし、あってもお笑いタレント交えてのバラエティ番組に成り果てている。

JNN TBSテレビ 毎日放送MBS 4ch
NNN 日本テレビ放送網 NTV 読売テレビ放送YTV 10ch
FNN フジテレビジョン 関西テレビ放送KTV 8ch
ANN テレビ朝日 朝日放送 ABC 6ch
TXN テレビ東京 テレビ大阪 TVO 7ch


これは全国のテレビ局ネットの一覧表から、東京と大阪の系列のみを併記したもの。実はMorris.は半世紀近く関西に住んでいながら、この系列がよくわからずにいたのだった。とりあえず、(関西での)4chがTBS、8chがフジ、10chが日本テレビというのを把握すれば足りるようだ。6chの朝日とテレビ大阪とテレビ東京は何となく直感できる。

戦後の米軍による沖縄支配は、いわゆる明治政府による「琉球処分」に続く「第二の琉球処分」、沖縄の切り崩しと呼ばれているものである。そしてこの方針は、天皇によって是認されていた(あるいはより積極的に推進された)。

1947年9月に宮内庁から米国側に伝えられた報告電文で、昭和天皇が進んで沖縄を米国に差し出すという内容であった。そして翌48年2月には二度目の天皇メッセージを届けている。そこでは、南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含めて反共防衛線をつくるべきだと提言している。
こうした考え方がいまなお、日本政府の対米方針に強く影響していることが、「第三の琉球処分」ともいわれるような、米国側の要求に従い「辺野古が唯一」として辺野古新基地建設を進める日本政府の対米追随姿勢に現れているといえるだろう。まさに、沖縄が復帰した後も米軍基地が残り、逆に強化されている沖縄の過酷な現実を招いている原点であり、いまなお「沖縄は戦後ではなく戦中だ」とされるゆえんでもある。

沖縄県内の日常的な生活--人々の自由や権利の守られ方が、あまりに本土の日常とかけ離れているのは、この地位協定に由来する事が多い。(第二章 2.)


戦争責任はもちろん、沖縄の現状にも天皇の責任はあまりに大きい。地位協定は治外法権に通じるものである。

まさに銃剣とブルドーザーによって、強制的に接収された土地を、一方的に基地として利用され続けている状況があり、そうした実態を一番よく知っている日本政府自体が、それを見て見ぬ振りをして、さらなる「押しつけ」を沖縄に強いようとしている状況に、沖縄県あるいは県民が反発を示していると考えるのが妥当である。(第三章 1.)


見て見ぬ振りをしてきたのは、政府だけではなく、沖縄以外のほとんどの日本人がそうだったと言える。本土での基地反対運動がそのまま沖縄の異常な基地密度に直結している。「醜の御楯」という言葉が頭をよぎる。

県内ではあまりに米軍基地関連の事件・事故が日常化している。そして起きる事件・事故は頻発かつ似たような事案が多い。その結果として、基地関係の事件・事故を伝える記事・番組内容は、似たようなものにならざるを得ない。その結果、ますます沖縄地元紙と本土紙の誌面格差は広がることにつながるし、県民にとってもその紙面が本土との違いを指摘されればされるほど、いつのまにか「変わった新聞」というイメージを持つに至ることになっている。この問題は、東日本大震災の被災地の「変わらないこと」(復興が遅れているさま)が本来伝えるべきことであったのと同様、沖縄県内で基地問題が解消せず、事件・事故が頻発している「変わらない日常」そのものがニュースであるということを、認識する必要がある。
目新しいもの以外は報道しないことは、基地問題を「なかったこと」あるいは「仕方がないこと」としてしまうことにつながるからである。


「NEWS」という単語が「新しさ」を意味するように、ニュースは「代わり映えしない」ことを恐れる。しかし、それを理由に報道しないでいると、なかったことになってしまう、という指摘は重要である。

沖縄・辺野古では、座り込み等の抗議活動を行う市民が何度も、「拘束」や「逮捕」されているのである。もし同じことが東京で起きれば、大事件であるにもかかわらず、沖縄で起きることにはまったくといってよいほどむとんちゃくな本土メディアがある。(第四章 2.)

中央集権(首都圏中心)報道(^_^;)は、関西に住んでいるMorris.にも、相当ひどいと思うのだが、これが沖縄に住んでる人びとには、おっそろしく不公平に感じられるだろうことは想像に難くない。座り込みの「拘束」「逮捕」を報道しないということは、権力におもねっていることになる。

安倍晋三首相はとりわけ第二次政権以降、「異論は認めない」という姿勢を明確にし、一部のメディアを言葉激しく罵倒し、その存在を否定してきた経緯があるからだ。しかもそれは個人的キャラクターにとどまらず、同政権の特徴として政府そして政権党全体に共通する基本的な鼓動規範となりつつある。
こうした政府姿勢に支持が集まるのは、一方的なプロパガンダ政策の成果というより、むしろそれを積極的に受容する市民社会が存在するからである。それはジョージ・オーウェル「1984年」との相違点でもあるが、決して秘密警察が暗躍しているわけではなく、むしろ居心地のよい情報を求める多くの一般市民がインターネットを介して、嘘情報(フェイクニュース)を確認することもなく拡散させている現実があるということだ。人々が政府の大きな嘘を見抜けないのではなく、むしろ進んでオルタナティブ・ファクトを受け入れているということになる。(第四章3.)


安倍政権(のブレーン)は情報操作能力に長けている。安倍首相自身が、NHKや読売TVと強いパイプを持ってるようだし、それ以外の全国紙やテレビ局の要人と食事会なども頻繁にやってるし、芸能人や有識者(>_<)も自分に好意を持つ人脈を広げ、メディア露出にも影響力を行使しているようだ。

本土紙と沖縄紙の報道格差を本土の報道側から色分けするならば、米軍姿勢化の「無理解」の時代、その後2000年代半ばまでの「軽視(もしくは黙殺)」の時代、2000年代半ばから翁長知事誕生までの「政治」の時代、そして今日に至る「対立」の時代に分けることができるだろう。

無理解-軽視(黙殺)-政治-対立。次に来るのは、紛争(内戦)か抑圧か融和か?予断は許されないが民意を無視することも許されない。

ジャーナリズム倫理として、「公平さ」は大切な基準であるといえ、その公正さとは、真ん中をさすのでも中庸をさすのでもなく、むしろ社会に埋もれがちな小さな声を拾うことや、弱いものの側に立つことを指す概念だからだ。これからすると、沖縄ニ紙の紙面編集方針が、公正さを実践する報道であることが分かるのであって、「偏向」報道批判は誤った解釈に基づくものといえる。
同じことは「不偏不党」にも当てはまり、これは特定の党派に偏らないという意味であって、政治的主張を排するという意味ではない。しかも偏る先として、為政者に寄り添うことはジャーナリズムとしての存在を自ら否定することになりかねない。放送法に定める「不偏不党」の中身も同じである。
むしろ、党派性を排すがいつの間にか政治的中立となり、そのために中庸な意見を述べ、明確な主張はしないことを良しとする、日本独特の報道スタイルが確立したことになる。それは別の言い方をすると、政府批判はほどほどにという、予定調和の政府批判のみが許容され、それを超えると途端に「偏向報道」として拒絶されることになるということだ。(第五章 3.)


これでは、戦時中の御用新聞と変わりないことになる。

沖縄の現状に即していえば、政府は、政府の意に添わない報道を「誤報」として抗議し、政府に反対する活動を取材する記者を拘束し、自民党は沖縄紙を潰そうと煽り、報道は捏造だと言ってはばからない。こうした政府の姿勢を有名人が支持するのを、ネット住民が拍手喝采で迎えるという構図だ。
さらにマスメディアも、地上波テレビで沖縄ヘイトを堂々と報道し、新聞も沖縄地元紙を貶める記事を流している。
こうした番組や記事が、地上波テレビや全国紙で流れるということは、すでに相当程度、この主の内容の報道を許容する土壌が社会にあり、報道することのハードルが下がっていることの表れである。メディアの中ですら、そして社会全体にも、「沖縄の新聞は変更している」「ちょっと変わった新聞」といった認識がほぼ定着している。あえていうならば、2000年少し過ぎからの15年間になされた、「イメージ操作」が成功裏に完結しつつあるということだろう。ちょうどその時期に辺野古新基地建設があたったというわけだ。(終章)


これが結論だとしたら、あまりにも心寒い。と、いって、今、何ができるか。そこからスタートしなくては。

2019/09/15(日)●寝たきり老人な一日(^_^;)
8時起床。
今朝の血圧は168/58/95。36.4℃
かなり宿酔。やっぱりウイスキーは危険である。昨夜半分くらい飲んだようだ。
それなのに、昨日の残りに氷いれて朝から飲みながら読書。ベッドに寝転がって、いつの間にか二度寝。
つけっぱなしだったテレビでマラソン中継やってるのを夢うつつに聴きながら、読書&ウイスキー、次に眼をさましたのが午後5時頃。
結局今日は殆ど一日寝たきり老人状態。今日は「敬老の日」だからまあいいだろうと思ったのだが、カレンダー見たら敬老の日は明日16日だった。
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
용병
[傭兵](ヨンgピョンg 助っ人、傭兵)
軍事用語で「傭兵」とはお金で雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵をいうが、韓国のスポーツ界では、外国人選手のことをこの용병(ヨンビョン)で表現する。
日常生活での「助っ人」は助ける人の意味の도우미(トウミ)を使う。その他、협력자[協力者](ヒョムニョクチャ)や조력자[助力者](チョリョクチャ)なども使われる。

2019/09/14(土)●久々臥龍公園
7時起床。
今朝の血圧は151/56/67。36.1℃
朝の三点セット。
午前中は部屋ゴロ。
昼から自転車で、コミスタ神戸図書室に返却、本棚に手塚治虫の「奇子」上下二巻ハードカバーあったので、閲覧。下山事件が大きな背景になってて、発表当時(1972-73)はかなりの問題作とされたらしい。近親相姦、殺人、座敷牢などけっこうおどろおどろしい部分もあるし、シチュエーションや設定に無理もあるが、手塚治虫の筆力(画力)には改めて感心した。
その後久しぶりに生田川辺りの臥竜公園。お散歩に来てた保育園児たちにはミニギター好評。
三宮図書館にも足を伸ばして、数冊借りてから、またまたダイエーで缶チューハイ買って、6時半まで公園。
帰り道、春日野道のマンダイに寄ったら、ホワイトホース800円で売ってたのでつい買ってしまう。
8時帰宅。
豚テキをあてにホワイトホース飲む。窓からきれいな満月が見えた昨日の中秋の名月は見そびれたから、十六夜の月ということになるが、月齢14.7で満月だった。
あとはおぼろ(^_^;)
今日の歩数は4923歩。


生田川上空 

臥竜公園 

旭通りの茶白 

三宮図書館前の空 

十六夜の月 

同じく(満月) 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
또라이
(ットライ 気違い、頭のおかしい人、狂った人)
精神障害のような異常がないのにも関わらず、常識外の異常行動をとる人を見下していう言葉。精神障害を持った人に対しては基本的に使わない。(ヨク 悪口)であるため、通常は人に対して使わないのが無難である。
軽いニュアンスで使う場合は미치광이(ミチゲンgイ)を使う。

2019/09/13(金)●無月
7時起床。
今朝の血圧は139/55/57。35.7℃
朝から雨。
「ア・ピース・オブ警句」は更新されてた(^_^) 「「旗」をめぐる最終的な悪夢」というタイトルで、韓国の「日章旗」クレイム?問題に関しての記事。Morris.は、あまりこの話題のこと知らずにいたのだが、今日のニュースでこれに関連するニュース(パラリンピックメダルの扇が日章旗を連想させるとの韓国側からの指摘)があって、へえ、そうか?と思ったくらい。結局はここ数ヶ月にわたる日韓外交のごたごた(子供の喧嘩)に関連するのだろうが、こういうのは無視するに限ると思うのだが…… ともかくも、今のもつれは、両国のトップの幼稚性に起因するに違いない。
今日は旧暦8月15日。韓国では秋夕(チュソク)の名節で、前後3日間は公休日のはず、いわゆる中秋の名月だけどあいにく今日の空模様では月見ることも叶わず(>_<) しかも今日は13日の金曜日でおまけに仏滅である。そんなこととも関係なしに、今日は一日一歩も外に出ず逼塞の一日となった。
ニュースでは先日の台風15号による千葉県の被害(主に停電)を、批判的に伝えているが、これを戦災と対比すれば、如何ほどのことではないかと思ってしまう。もちろん、人間は小指のささくれでも我慢できない存在だということは承知之助だけど……(^_^;)s
今日の歩数は100歩](^_^;)

[今日の韓国語単語from Kpedia]
우산[雨傘](ウサン 雨傘)
우산대[雨傘臺](ウサンデ 傘の柄)
우산[雨傘]꽂이(ウサンッコチ 傘立て)
우산[雨傘](ウサンサル 傘骨)
접는 우산[雨傘](チャムヌヌサン 折り畳み傘)
비닐우산[雨傘](ビニルサン ビニル傘)
양산[陽傘](ヤンgサン日傘)、
파라솔(パラソル パラソル)
우비[雨備](ウビ レインコート、雨合羽)
레인코트(レインコトゥ レインコート)

【もやしもん 10、12】石川雅之 ★★★☆ 講談社 イブニングKC
この漫画は全13巻(2005年-2014年)で、Morris.は飛ばし飛ばし読んでるのだが、本筋の他にいろいろ発酵菌やら酒やらの薀蓄が楽しめる。今回読んだ中のウイスキーと日本酒燗酒の早わかりを引用しておく。

ウィスキー
・スコッチ(スコットランド)--泥炭(ピート)で麦芽に香りをくわえる。スコットランド内で更に地域特徴
・アイリッシュ(アイルランド)--ピートより炭化した炭を使用。ポットスチルで3回蒸留する
・バーボン(米ケンタッキー)上記二つは大麦麦芽を主に使うが、ライ麦、トウモロコシを使う。樽にも特徴
・テネシー(米テネシー)--バーボンと大差ないが、濾過方法などに特徴
・カナディアン--ライ麦が原料、3年以上の熟成が決め事
・ジャパニーズ--スコッチの製法に準拠

日本酒 温度による呼び名
5℃ 雪冷え キンキン、味がわかりにくい面も
10℃ 花冷え 香りがひそみ、とろみが出てくる
15℃ 涼冷え ここまでの冷たさがいわゆる「ひや」
20℃ 常温 何だかんだで、これで飲むよね
30℃ 日向燗 これより温度が高いのが「かん」
35℃ 人肌燗 ぬるい、旨味は強く感じる
40℃ ぬる燗 香りもわかりやすくなる
45℃ 上燗 注ぐ時熱さに気をつけて
50℃ 熱燗 本醸造、普通酒などがグー
55℃とびきり燗 熱すぎて鼻にグワーときます


2019/09/12(木)●集団検診
7時起床。
今朝の血圧は144/57/69。36.0℃
朝の三点セット。
10時に部屋を出てJRで六甲道へ。灘図書館に寄ってから、灘区役所五階の集団健診会場へ。実はMorris.は健康診断というのはほとんどやってなかった。齢七十になり、このところ立て続けに身体的障害に見舞われて、弱気になったこともあり、無料ということもあって(^_^;) 受診することにしたのだ。
身長、体重、腰回りの身体測定、尿検査、血圧測定、血液検査、胸部X線撮影といったところで、一番重要と思われる血液検査の数値は3週間以降に郵送されるらしい。血圧はなんと最高134というMorris.にしてはめったに無い数値だった。
ATMで金おろして、ダイソー、TOHOでおにぎりと缶チューハイ買って、駅南公園の石のベンチで、昼食&ミニギター。昨日までとはうって変わって涼しい風が吹いて気持ちよかった。
ひさしぶりにレーヴのママとすれ違う。彼女も午後からの健康診断受けるとのこと。
3時過ぎにJRで三宮へ。安保法案反対市民団体の街頭アピール。今日は韓国関係をテーマにするとのことで、本当に久しぶりに顔を出したのだが、ビラ配りなどはせずに、近くのベンチでアピールを聴くだけに。主宰の西さんから声かけられてちょこっと話す。
その後三宮図書館に寄り、またまたダイエーで缶チューハイ買って、広場の隅の指定席(^_^;)で軽くくつろぐ。
目眩自体は生じずにいるが、時々その気配めいた徴候無きにしもあらず、という、落ち着かない状態。
帰りもJRで7時帰宅。
今日の歩数は5219歩。


田平子 

屁糞蔓 

六甲道の空 

灘区役所五階で集団検診 

計測値 

レントゲン車 

駅南公園紅一点 

蜻蛉 シルエット 

三宮丸井前市民の声アピール 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
저울
(チョウル はかり てんびん 秤)
物の重さはかるものは저울(チョウル)、人や動物の体重をはかるものは체중계[体重計](体重計)」という。
계측기[計測器](ケチュッキ 計測器 はかり)
(チャ 定規)
줄자(チュルチャ 巻き尺) * (チュル 紐 綱 縄 ロープ 弦)
기압계[気壓計](キアプケ 気圧計)
수은주[水銀柱](スウンジュ 温度計)
온도계[温度計](オンドゲ 温度計)    
체온계[体温計](チェオンゲ 体温計)    
습도계[湿度計](スプトゲ 湿度計)

【魔】笠井潔 ★★★ 2003/09/30 文藝春秋 初出「別冊文藝春秋」1997-98
本格ミステリ・マスターズ。
私立探偵飛鳥井が登場する「追跡の魔」「痩身の魔」二篇の中編に、笠井のエッセイ、インタビュー、作品リスト、「天使の瘡」と題した笠井潔論(佳多山大地)が収められている。
「追跡の魔」ではストーカー、「痩身の魔」では拒食症という、連載当時に登場した社会問題を素材にしているが、笠井作品としてはあまりに図式的、作為的で、ちょっと物足りなかった。やっぱりMorris.は笠井作品は長編、それも長ければ長いほど面白く感じる。

追跡者(ストーカー)や追跡行動(ストーキング)という言葉が日本でも一般化し始めたのは、この一、二年のことだろう。三十年前に渡米した頃には、まだアメリカでもストークという言葉に、現在のような特殊で否定的なニュアンスは込められていなかった。
ストーキングの被害者が、孤立感や多大のストレスの結果、精神的に疲弊してしまうケースは珍しくない。そんな場合、被害者が精神療法を求めることもある。(追跡の魔)


英語力は中学生クラスのMorris.なので、ストーカー、ストーキングを辞書で引こうとして、「stork」の項には「コウノトリ」しかなくて、ついつい綴りをネットに頼ってしまった(^_^;)
元の単語は「stalk」で、1960年版の新英和辞典(研究社)によると、原義は「大手を振って堂々と歩く」で、これから「獲物にそっと忍び寄る」「忍び足で歩く」「こっそり(獲物・人)の後をつける」「疫病などが横行する」という意味が派生したらしい。
そおれはともかく、日本でこの言葉が普及したのが90年代半ばで、すでに30年を閲して、この行為は減少するどころか、加熱しているようだ。

「……思春期の少女や若い女性の摂食障害は、過激なダイエットからはじまるケースが多いんです。スリムな美しい体つきへの願望と、食事を節制する意思がバランスを崩し、痩せたいという願望が肥大化してコントロールできない状態になるとき、いわゆる拒食症が発症する。接触症状の患者は女性がほとんどですが、飛鳥井さん、どうしてだと思いますか」
「痩せている女性を美しいとする、社会的な通年の結果ですかね。男もまた、外見的に評価されないわけではない。しかし肥満体でも小男でも、外見的なマイナス評価を相殺するための選択肢が、同時にあたえられてもいる。地位と名誉と財力のうちひとつでも獲得した男は、さして自分の外見を気にすることはない。しかし痩せた女性が魅力的だというのは、ごく最近の美意識ではないかな。ポリネシアでは伝統的に、肥満していることが美人の条件のようだし、ルネッサンス絵画でもルノワール作品でも、わざわざ絵に描かれるような美人は肉付きがよい」
「そう、マリリン・モンローの時代までね。わたしが小さな子供のころ、ツイギーというモデルが一世を風靡したとか」
「ビートルズの時代、男の長髪と女のミニスカートの時代、ようするに1960年代ですね」
「その時代を境として、女性の肉体にたいする美意識が大きく変化しています。日本では、神代の昔から1950年代まで、飽食は特権階級の贅沢だった。豊かな社会が到来して、だれでも思う存分に食べられるようになると、あえて食べずに痩せていることが豊かさのあるいは選ばれた階層に属することのシンボルと見なされはじめた」(痩身の魔)


美女の基準の変化が拒食症を生み出したというのは、通説である。最近では肥満型人気タレントが横行しているのは、どう考えるべきだろうか? 痩身至上主義?のアンチテーゼ? それとも……

ハードボイルド小説とは、だれもがアメリカ人であることを自己証明しなければならない移民国家アメリカが逆説的に生み出した、独特の小説ジャンルである。わたしは長いことハードボイルドを読みながら、日本人であり日本人でないという不可能なポジションを夢想し続けてきたのかもしれない。

現代日本社会の病理には、たとえば教室のイジメや外国人労働者問題に見られるような、内側的に閉じられた日本人の共同性の、歯どめを失った暴力的な累積に由来するものが多い。そもそも社会悪の告発になど感心をもたない、私立探偵のハードでクールな外の視線のみが、それらを的確に刳りだしうるのではないだろうか。

S・S・ヴァン・ダインとエラリイ・クイーンの影響で矢吹駆連作を構想し、jン・ル・カレが好きで『復讐の白き荒野』というエスピオナージュを書いた人間だから、私立探偵小説に手を染めても不思議ではないだろう。
正統ハードボイルド御三家のなかでも、日本ではチャンドラーの人気が圧倒的だ。ミステリ読者に限らず、たとえば村上春樹のような同世代の作家までがチャンドラー愛読者を標榜している。しかし、私のチャンドラー評価は高いとはいえない。ダフでクールなハードボイルド探偵の衣の陰から、鼻持ちならない文学青年の自意識をちらちらさせている主人公も好きではない。
わたしのフィリップ・マーロウ嫌いには、自己嫌悪が混ざりこんでいるような気もする。気を緩めたら最後、マーロウのように姑息な自己保身と自己韜晦、甘ったるい自己憐憫の砂糖壺に嵌りかねないという過剰な警戒心が、マーロウ嫌いの心理的背景としてあるのかもしれない。(スペシャルエッセイ「私立探偵小説と本格探偵小説」)

笠井は社会評論家としてもミステリー評論家としても健筆をふるっているが、チャンドラーへの否定的言説とその理由付けは面白かった。

僕は二十世紀後半と自分の人生がほとんど重なってるわけで、二十世紀というのは第一次大戦(1914)から始まって1989年ないし91年で終わった一時代であろうという結論に到達した。
89年を通過した時点でわかってきたのは、テロリズムはやはり二十世紀の病であって、テロリズムを生み出すような観念というのは、二十世紀の思想問題のひとつの焦点だった。そして探偵小説は、その二十世紀の小説形式の有力なひとつである。(インタビュー 2003)

笠井は1948年生れで、Morris.の一つ年上である。テロリズムが二十世紀の病で、探偵小説(SFも)が有力な小説形式というのはなるほどと思う。

2019/09/11(水)●スンドゥブチゲ
8時起床。
今朝の血圧は133/58/92。
午前中は昨日の日記編集と名刺作り。何となく雑な出来になった(>_<)
午後3時過ぎに自転車で都賀川公園へ。
一曲目始めた途端に大粒の雨が(>_<) あわてて、屋根のあるベンチへ避難。
5時半帰宅。
安倍内閣改造。菅官房長官と麻生副総理が留任、茂木、萩生田、甘利といった安倍お友達内閣そのままである。 小泉進次郎の初入閣(環境相)というのが、目玉らしいが、結局結婚に絡んで、安倍政権に取り込まれた形。
安倍首相は記者会見で、「改憲」を強調してた。これだけは阻止しなくては。
夜は、スンドゥブチゲ作る。ずっと前に鹿嶋さんから貰った一人用土鍋で、冷凍浅蜊(剥き身)使ったのはちょっと失敗かも。でも、それなりに美味しかった。65点(^_^;)
今日の歩数は3295歩。


雨を避けて屋根の下へ 

深町さんから絵葉書 

ミニ土鍋でスンドゥブチゲ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
건강
[健康]이 나의 재산[財産]이다 (コンガンgイナエチェサニダ 健康第一)
韓国では、風邪や足首の痛みに悩まされたし、8月中旬からはかなりきつい目眩に襲われほとんど半月仕事もせずに無聊をかこつことになった。「夢も希望もないという幸せ」を標榜するにも、やはり健康あってのことだもんな。

【オモニ太平記】小田実 ★★★☆ 1990/10/05 朝日新聞社
小田実は「何でも見てやろう」しか読んでなかった。
彼の妻(「人生の同行者」と表現)が在日韓国人だということも知らずにいた。知らなかったといえば、彼が2007年に亡くなってたことも(^_^;)
妻の両親、特に母親(オモニ)の言動を、面白おかしく、それも敬愛の念をもって書き散らかしたもので、彼独特の語り口調で、同じことの繰り返しも多かったが、けっこう楽しめた。

オモニの使うことばは面白い。わたしはひそかに「オモニ語」と呼んでいる。日本語でもないし、たぶん、朝鮮語でもないのかも知れない。いや、それでいて、日本語であり、朝鮮語だ。
どういううことばかと言うと、これは、日本語、朝鮮語二つをしゃべるわたしの「人生の同行者」の場合とくらべて考えてみるとはっきりする。「人生の同行者」の場合は、簡単に言ってしまうと、頭の中に字引が、日本語、朝鮮語それぞれ一冊ずつある。
オモニの場合はどうか。これも簡単に言ってしまえば、要するに字引は一冊しかないのだ。もとは朝鮮語の字引一冊しかなくて、それを頭のなかに持って大阪まで「クンデワン」あるいは「キミガヨ丸」に乗ってやってきたのだが、そのときから五十数年、日本語はいやおうなしに字引のなかに入りこんで来た。
オモニはたしかに最初、朝鮮語--と言うよりは済州島語という字引を一冊、頭のなかに持って日本にやって来たのだが、五十数年、日本人社会のなかにもまれて来たおかげで、字引は日本語と入りまじったものになってしまった。
つまり、頭のなかの字引が、ただ一冊、それも彼女の手づくりのものが頭のなかにでき上がっているのだ。
わたしは日本人なので、オモニはわたしとしゃべるときは、日本語を使う。すくなくとも、当人はそう思ってしゃべっている。しかし、しゃべることばのなかに朝鮮語、済州島語が入りまじり、オモニ流に言えば、チリパラチリパラとなって、あれはまさしく「オモニ語」である。


鶴橋やコリアタウンでの、在日コリアンの会話を聞く機会も多いのだが、たしかにこの「オモニ語」みたいな会話が多い。

彼(小田の「人生の同行者)の姉の夫)の子どものときの記憶の始まりのひとつが「済州島蜂起」だ。1948年5月9日にアメリカ合衆国政府が朝鮮半島の南半分で強行した「単独選挙」(はそのまま「南」の政権樹立に結びついた)に反対する動きがそのころ各地で起こった。そのなかでもっとも激しく、巨大だったのがまさに「人民蜂起」となった「済州島蜂起」だが、この4月3日未明に起こって二年余つづいた「人民蜂起」を鎮圧するのにアメリカ合衆国に支援された「南」の軍、警察は徹底した殲滅作戦を展開した。当時の島民25万人のうち7万3千人が殺され、5万戸あった家屋のうち2万8千戸が焼き払われたというのだから、その弾圧のすごさが判る。ひとりの「アカ」をつかまえるために村全体を焼き払うようなことまで平気でやったのだ。あまりのむごさに弾圧側の李承晩軍のなかにさえ反乱が起こっている。


済州島の四・三事件のざっくりした紹介。四・三事件に関しては金石範と金時鐘の対談「なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか」くらいしか読んでいないが、朝鮮戦争直前の、アメリカの反共政策の暴走というしかない。しかも実行したのは、日帝時代の残滓である警察と軍隊だった。

2019/09/10(火)●サランバン会新会場
7時起床。
今朝の血圧は140/77/79。35.9℃
昼前にJRで大阪に出る。
今夜はサランバン会。いったん梅田茶屋町のイシバシ楽器梅田店を覗く。「NU-chayamachi」というオシャレなファッションビル五階にあったが、お目当ての208ピックは無かった。神戸のイシバシ楽器にあったからこちらにもあると思ったのだが、考えが甘かった。ロフトのシマムラ楽器も覗いたがやっぱりあのピックは見当たらない。先日買った2mm厚のダンロップのピックもまあとりあえず使えそうだし、しばらく静観することに。
茶屋町付近はしばらく見ないうちに様変わりしてた。丸善とジュンク堂共同経営?の本屋ビルは7階すべて書籍で埋まってる。7階の語学コーナーでは、中国語と韓国語の棚が向かい合わせになってて7つの棚に参考書が目白押ししてた。韓国語では韓検の問題集や対策本が目立ち、試験とは無縁のMorris.には手を出すきになれなかった。月刊誌ハンナラのバックナンバーもそろってて、ちょっと食指そそられるものもあったが、結局何も買わず(^_^;)
環状線で鶴橋に出て、コリアタウン端の美幸森公園の四阿でミニギター、はよかったのだが。今日はなんとブルーツゥーススピーカーを部屋に置き忘れてきた(>_<) iPhoneのしょぼい音だけで演り始めたけど、それでも、近所の在日アジュマ、アジョシがえらく喜んでくれて、アジョシから缶ビールの差し入れも(^_^;)
4時半にハートフルに洪ママお見舞いに。ママは午前中病院に行って脚の診察受けたらしい。経過は良好ということで一安心。
5時過ぎに歌麿会長もやってきて、しばらく世間話してからおいとまする。
桃谷商店街の「王様が愛したカルビ」という新しい店で豚カルビランチご馳走になる。会長はスンドゥブチゲ、遅れて榎本さんもやってきて冷麺頼む。冷麺はj美味しかったようだ。
7時前にサランバン会の新会場「釜山」へ。桃谷駅近くのスギ薬局の南の路地を西に入ったスリムなビルの一階にある「釜山」と言う店。
丸本夫妻が先に来ていた。テーブル二つとカウンターのこじんまりした店で、丸本さんの前からの馴染みらしい。淑子ママが一人で切り盛り。15人も入ると満員になりそうだ。カラオケは前の会場と同じJOYSOUNDで、歌える曲はそのままというのがちょっと残念。高木さんと、大西さんが来て、今日の参加者は7人。このくらいでもこの店なら半分埋まってる感じで、前の会場「ジュン」よりは居心地がいい。
三ヶ月ぶりの榎本ビールを浴びるように飲んで、すっかりいい気分になって歌い(どなり)まくった。一般客は歌の上手い老夫婦が1時間ほどいて、その後入れ替わりに在日と日本人混交のアガシ三人が来て、メンバーの一部が大盛りあがり(^_^;)。
11時に店を出て桃谷から環状線に乗り、アラームかけてたおかげで、灘駅前で目を覚まし、零時半帰宅。即寝る。
今日の歩数は5833歩。


朝顔 

NU-chayamachiのインテリア店 

イシバシ楽器梅田店 

丸善+ジュンク堂書店 

7階の韓国語棚 

美幸森公園 

ン十年前の写真 

ハートフル4階からの空 

ここで食事 

新会場「釜山」でサランバン会 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7  

#8 

#9 淑子(スクチャ)ママと 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
호사다마
[好事多魔](ホサダマ 好事魔多し)
「月に叢雲花に風」

2019/09/09(月)●残暑続く(^_^;)
8時起床。
今朝の血圧は
172/69/95。35.9℃
今日もまるで真夏みたいな天気である。
LINEで明治大学で客員教授やってる徐正敏さんから、朝日Lonzaの発言「人文学のススメ(2) 」の紹介。実は先月(1)の紹介もあって、読んだのだがいまいち理解できなかった。今回の(2)は実に興味深かった。国際的学問の場での言語に関して、英語の利便性は認めながら、人文学(前回はこの言葉がぴんとこなかった)においては、基本的には母国語でこそ論じ得る部分が大きいこと、特にアジア圏内での会議で英語を用いることの不自然さ、そして特に漢字文化圏の研究者同士の、会議における「漢字語」の力の重要性を強調するところには共感を覚えた。それ以上に彼の若い頃の蒐集癖(おもちゃ、切手、帽子、筆記用具……)の紹介が新鮮だった。Morris.が六甲学生青年センターの朝鮮語講座で、彼の授業受けたは30年くらい前になるが、そのころは、彼の幼少時、青春時の話題はほとんど出なかったように思う。今になって初めて知ったわけだ。Morris.はあまり蒐集癖はなくて、小中学時代の昆虫採集くらいだが、それでも何か通じ合うところを感じてしまった。
昼過ぎ自転車で都賀川公園へ。リズムアプリ用のiPhoneを以前の物に代えてから初めてのレッスン。特に変わりはないのだけど、今日は、前に指定したパタン以外のリズムをいろいろ試してみる。倍速や1/2倍速でやると結構面白かったりする。
マルハチで買い物して5時帰宅。
今朝関東地方を通り過ぎた台風のニュースをしつこくやってた。放送局にしてみれば、ニュースソースは親方日の丸(気象庁)で、いちおうの視聴率は稼げるし、放送の公共性も担保できるから、台風さまさまなのかもしれない。
今日の歩数は3953歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
하의실종
[ハウィシルチョンg     下衣失踪]
一瞬「下着泥棒」と思ったのだが、「何も履いていないように見えるファッション」のことらしい(^_^;)
KPOPガールズグループの短い服装やファッションの流行により生まれた造語。
요즘 여자[女子] 연예인[演芸人]들 너무 짧게 입는 거 같아. 그런 걸 ’하의 실종’이라나 뭐라나(ヨジュムヨジャヨネインドゥルノムッチャルケイムヌンゴガッタ。クロンゴルハズイシルチョンgイラゴムォラナ 最近の女性芸能人たちはとても短射下着を履くようだ。これを「下衣失踪」とかいうとか)

【愛国奴】 古谷経衡 ★★★ 2018/06/09 駒草出版
タイトルは「売国奴」のギャグだろう。現今のネット右翼とそのオピニオンリーダー?の低次元の足の引っ張り合いや、自己顕示欲をおちゃらけスタイルで描いた作品。著者自身の投影無きにしもがなだが、ところどころ笑ってしまう場面があったり、左翼に教えたいくらいの正論があったりして、それなりに面白かった。
たとえば、こんなくだり。

そもそも、彼らの敵愾心はアメリカに向かうものだとばかり思っていた。アメリカは先の日米戦争の末期、国際的人道主義を無視して、広島・長崎と二発の原子爆弾で無辜の市民を殺傷し、「日本は住宅地と興行生産地が混在しており、家の中で内職をはじめとして民間人が軍需品を作っている。つまりそれらは全体が軍備施設を形成するのである」と手前勝手な理屈をつけて無差別爆撃を正当化したカーチス・ルメイは、八大都市を焼き払い、原爆を含めると八十万人、都市空襲だけでご十万人の無辜の日本民間人を死に至らしめたではないか。
さらに本土唯一の地上戦が行われた沖縄では、日本軍側の傍若無人もあったとはいえ、米軍による民間人の虐殺、拷問、強姦など、言い尽くせぬ非道を働いているのである。戦後、屈辱的な日米安保条約により、先祖からの土地は米軍基地に接収された。
照一はその昔、一介の勉強のつもりで横須賀にある海上自衛隊本部を訪れたことがあった。崖に削られた狭い、猫の額ほどの土地に、この国の海上自衛隊基地司令部の全てが、まるで隠れるようにして点々と細長く立地している。
一方戦後、広大な旧海軍用地を接収して建設された在日米軍横須賀基地では、その基地開放日がちょうど8月6日の広島原爆の日と重なっているというのに、訪れる市民は何の反米感情も持たず、米兵の焼く巨大な鶏肉やらグリルに載せたソーセージやらビールやらを600円とか800円で買い求め、無思慮に迷彩服の米兵と「ピース」写真に納まっているという腑抜けた状況を目のあたりにし、照一は敗戦国日本のみじめさを痛感し、日本がアメリカの属国になっていることをまじまじと痛感して落涙の思いにさえ至るのである。
このような始点から出発したのが、マッカーサーの司令によって起草された日本国憲法(押しつけ憲法)の打破と、自主防衛・自主独立を高らかに謳いあげるものこそが「普通の」右翼・保守だと照一は認識していたが、この界隈にはそんな気運は全然なく、その憎悪の方向が皆、国内の在日コリアンとか韓国政府や韓国民族に向けられ、しかもそれが差別と憎悪と無根拠のトンデモにまみれていることに、照一は唖然とする思いなのである。


2019/09/08(日)●無為な日曜日(^_^;)
8時起床。
今朝の血圧は144/67/74。36.1℃
特に理由もなく部屋ゴロ。とにかく暑い。
朝の三点セット。
今日も夕方水道筋に買い物に出た以外はずっと部屋籠り。
何となくだるい感じがしたのと、時ならぬ暑さに日和ってしまたようだ。
今日の歩数は2933歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
흥미진진
[興味津々](フンgミチンジン 興味津々)
日本語とまったく同じ四字熟語。
「興味津々だ」は흥미진진하다(フンミジンジンハダ  興味津々だ、エキサイティングだ)
그 야구[野球] 시합[試合]은 매우 흥미진진했다.(クヤグシハブンメウフンgミジンジンヘッタ その野球の試合はとてもわくわくするものだった)

【たのしい編集】和田文雄、大西美穂 ★★★☆☆ 2014/01/10 ガイア・オペレーションズ
和田文夫 1954年生れ。中央大学卒業。三修社入社「月刊アスキー」「月刊翻訳の世界」の校正・編集に協力2000年英治出版参画、2003年独立し、ガイア・オペレーションを設立。

ひらがな使用例
[不使用]           [使用]            [例外=使い分け]
今日               きょうは          今日(こんにち)では
一体                いったいなぜ  人馬一体となって
~した時          ~したとき       時を経て
~した方が       ~したほうが    考え方
~した後          ~したあと       その後
~し始める       食べはじめる    会議が始まる
~し続ける       話しつづける    彼に続いて
~限り             動くかぎり         限られた地域では
常に               つねに            ~するのが常だった
中に               なかには         部屋の中で
もっとも           最も長い(「それはもっともだ」とくべつするために)
上で               覚悟のうえで     机の上に
直す               やりなおす       故障を直す
気が付く          気がつく          付け加える
ほしい            売ってほしい     車が欲しい   
行く                うまくいく          海へ行く
出来る            できる              出来事
止める            やめてほしい    信号を止める


ワープロ使い始めて22年になる。そのおかげでどんどん漢字書けなくなったのは間違いない。ただ、ワープロの漢字変換機能は初期に比べると目覚ましい進歩?を見せているようだ。結果的にやたら漢字の多い文章になる傾向すらある。上記の「ひらがな使用例」は本書の著者ができれば漢字よりひらがなを使うほうが望ましいと思う気持ちのあらわれだろう。どちらを使うかは、筆者の自由だというのが、Morris.の基本方針だが、新聞、雑誌などではそれぞれの基準を設けて、記事などではそれに準拠しているはずだ。上記引用のうちMorris.がひらがな表記使うのは半分くらいかな? 参考にしたほうがいいと思うのだが……

誤用例
       <誤>                                <正>
それにも関わらず        それにもかかわらず/拘らず
七年に渡って             七年にわたって/亘って
豪雨の恐れ                豪雨のおそれ/虞
おあなりな返事           なおざりな返事
的を得た意見             的を射た意見(当を得た意見)
気まじめ                   生まじめ/生真面目   
大元の考えは            大本の考えは/おおもと
勅札が下る               勅令が下る
日影に入る               日陰に入る
自然界の脅威           自然界の驚異
異和感がある            違和感がある
胸踊る舞台              胸躍る舞台
着陸体制が整う        着陸態勢が整う
出席に配布する        叱責者に配付する
責任を追求する        責任を追及する(理想/真理を追求する)
濡れ手で泡              濡れ手で粟
不詳/不祥の息子      不肖の息子
独断場                    独擅場(どくせんじょう)
収集がつかない        収拾がつかない
去勢を張る              虚勢を張る
先立つ不幸             先立つ不孝
指を食わえる            指をくわえる/咥える
草場の影                草葉の陰
現場/現状回復        原状回復
口先三寸                舌先三寸
責任転化                責任転嫁
玉石混合                玉石混淆
シュミレーション        シミュレーション
プエル・トリコ           プエルト・リコ
ファーストフード        ファストフード
手をこまねいて        手をこまぬいて


これは、明らかに左の表記は「誤用」である。おしまいの「こまねいて」は、Morrisがしつこく指摘してる例(勝手に挿入(^_^;))だが、今や「こまねく」が掲載されてる辞書もあるくらいで、いささか鼻白むところである。

価値のある情報を要領よく切りとって右から左へばらまくのではなく、自分でよく噛みしめて、食べやすい工夫を凝らし、納得したうえで提供する。そういう本のつくり方ができれば、つくる人も読む人も、たのしいのではないか。
人は、たいてい傍観者だ。殺人事件、不治の病、不慮の事故、天災、差別、抑圧、戦争……この世界には数かぎりない不幸があるが、当事者にならないかぎり、人はその問題ののっぴきならない困難さをみをもって実感できない。当事者こそ、その問題の本質、むずかしさ、回避するための技術や経験を語ることができるのではないか。


編集の難しさを「不幸」ととらえ、当事者ならでこそその不幸を回避するためのノウハウを提供できる。かなりの自負である。

僕は天の邪鬼のせいか、むかしはベストセラーを避けていたが、あるときから話題の本はなるべく読むようにした。それは、その本の<おもしろさ>を突きとめたいというより、その時代にたくさんの人が感じている<おもしろさ>がどんなものか知りたいと思ったからだ。

Morris.もベストセラーは、意識して読まないようにしてきた。それは今も続いている。死ぬまでなおらないだろう。

京都の老舗料亭で腕をふるう料理長が「料理の真髄は<守破理>ですね」と言っていたのを思い出した。守破理--長い年月、経験から絞りだされ、培われ、定着してきた伝統を身につけたら、今度はそれを破棄し、新たな地平を切り拓いて洗練させてゆく。料理とは、その繰り返しだと言うのだ。どこまで行っても完成することはなく、正解など存在しない……さすがに一流の人は言うことも的を射ている。
編集と料理は似ているとよく言われる。新鮮な素材(著者)を探し求め(企画)、その素材を最も活かす調理方法をみつけだし(編集)、的確に調理し(DTP)、盛りつけにも創意工夫を凝らし(装幀)、多くのお客様に味わっていただく(流通・販売)。まことに手間暇かかる作業をこなしながら、渾身の一品をつくりあげる。


なかなかうまい比喩表現である。あまり上手い比喩は往々にして、本質の違いを忘れさせてしまうきらいがある(^_^;)

僕がベネット・サーフから学んだのは、編集の技法でも出版の経営手法でもなかった。ユーモア、ちょっぴり人を楽しませる工夫、つまり、人としてのささやかな信条だったということに、長い歳月を経て、いまようやく得心した。短い人生のなかで、大仰でも派手でも過剰でもなく、ほんのすこし人を楽しませる工夫をすること。
人生をたのしむのが、たのしい人生を送るコツなのではないか。

だから本書のタイトルは、『たのしい編集』以外にはありえないと思っている。

ベネット・サーフはランダムハウスの編集者で自身ユーモア作家でもあった人らしい。「人生をたのしむのが、たのしい人生を送るコツ」というのは同語反復のきらいもあるが、Morris.もこれに同調したい。

2019/09/07(土)●真夏日
7時起床。
今朝の血圧は151/63/77。36.2℃
朝の三点セット。
朝から真夏みたいな天気。
昼前にJRで神戸駅へ。
久しぶりの中央図書館。
もちろんその前に、猫場、宇治川南小公園。白雉二匹だけしかいなかったが、しばらくミニギター(iPhone取替て リズムパタン番号書き加えながら)弾いてたら、猫おばさんがやってきて、初めて見る黒猫も餌もらいにやってきた。
目眩の方も今日は朝から、頭もすっきりして、一日通して、症状らしきものは出なかった。
7時半帰宅。
今日の歩数は3056歩。


オキザリス・トリアングラリス 

宇治川南小公園猫 A B 

A 

B 

ここでは初見参の黒(まだ子供) 

昨日が上弦だった 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
뻥카
(ッポンgカ はったり ポーカーフェイス)
(ッポンg 嘘)+카드(カドゥ)、カード)の造語。ポーカーのようなお金を賭けるカードゲームで使う俗語のこと。自分に不利なカードが来ても、あえて大きく賭けることで相手をびびらせるときに使われる。日常やスポーツの世界で実状以上に見せたり、大げさに言ったりすることをいう場合もある。
뻥쟁이(ッポンgジェンgイ 嘘つき)
뻥치다(ッポンgチダ 嘘をつく)    

【マル暴総監】今野敏 ★★★ 2016/05/30 実業之日本社 初出「週刊実話」2015-16
「マル暴甘糟」の続編。本作では警視総監のトンデモ行動に捜査本部が翻弄されるという、前作以上に「あり得ない」話で、こうなると警察小説というより、コメディといったほうが近い。本作でも軟弱ヒーロー甘糟刑事の面目躍如である。

目立たないことをモットーとしていたので、級友たちに相手にされないことなど、まったく気にならなかった。むしろ、それが当然で、注目されたりすると、実に居心地が悪かった。
世の中は、シカトだのハブだのと騒ぐが、甘糟にとっては、無視されている状態が普通だった。
警察学校でもそうで、同期の連中は、術科の腕を競い合ったり、班ごとに成績を争ったりしていたが、甘糟はできるだけひっそりと過ごした。
おかげで、教官にほめられたことなど一度もないが、代わりに叱られたこともなかった。
子供連れのママたちを見て思う。仲間に入ることがそんなに大切なことだろうか。友達なんて、必要ないんじゃないだろうか


かなり筋金入りのことなかれ主義である。

なるほど、郡原なりに理由はあるというわけだ。たしかに、ぼうっと手をこまねいているより、電話でもかけていたほうがずっとましだ。

「手をこまねいて」表現。でもまあこんな作品で、誤用だ誤用だ、と騒ぐこともなかろう。

だいたい、甘糟は嘘が嫌いだ。……というより、嘘をついているときの緊張感が嫌いだ。嘘をついてどきどきするくらいなら、本当のことを言ってしまったほうがいいと、いつも思う。
あるとき、先輩にそう言ったら、じゃあ、結婚しないほうがいいな、と言われた。


つい、甘糟の考えに肩入れしたくなる(^_^;)

2019/09/06(金)●ちょっぴり心配
8時起床。
今朝の血圧は121/42/77。35.9℃
「ア・ピース・オブ警句」一ヶ月ぶりに更新されてた。小田嶋が脳梗塞を発症したことは知ってたが、その後別の重篤な病気が発見され、この一ヶ月の間に数回の手術もあったらしい。今週のタイトルは「ライターが原稿を書くことの意味」で、コラムニストという「売文業」の自負と偏見を彼流の筆致で開陳してたのだが、久しぶりの彼のコラムを読める喜びとともに一抹の不安も感じてしまった。
小田嶋の症状は、少なくともMorris.の目眩などとは次元の違う深刻なものだということは間違いなさそうだし、そういった前提で見るからか、何かついつい裏読みというか、深読みというか、勘繰りみたいな読み方になってたのかもしれない。快復を祈りたい。
Morris.の目眩は9月2日から昨日まで4日間症状が出なかったのだが、今日は朝から何となく頭が重い思いが(>_<) 昨夜はちょっと飲みすぎたから、宿酔かもしれないし、Morris.にしては異常な血圧の低さが、原因ではないかと思ったりもした。
夕方、歩いて都賀川公園へ。今日は最近演ってなかったクリアファイル持っていって、リズムパタン再チェック。これにはちょっと理由があって、今使ってるリズムアプリ専用のiPhoneの電池がいよいよ瀕死状態に近づいてるので、もう一つ前のiPhoneに切り替えるべきだろうという結論に達した。こちらは液晶が罅だらけだが、リズムアプリ見るだけならそれほど不自由はしない。問題は、現在使用のものと、リズムパタンの順番がまるで違ってるということだ。つまりリズムパタンの番号を切り替える必要がある。対照表は作ってるからそれほどややこしいことはないのだが、面倒なことは面倒である。
とりあえず今日も、頭が重い感はありながらも、自覚するほどのふらつきや目眩の症状は無かったといえるだろう。10日間症状がでなければ、一応社会復帰青信号ということにしてもいいだろう。10日にサランバン会がある(今月から会場変更→桃谷駅前「釜山」という店)ので、その日を目処ということにしておこう。
7時帰宅。
今日の歩数は3229歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
뜻밖에
(ットゥッバッケ 思いがけなく、案外、意外と、不意に、意外に)
(ットゥッ 意味)+(バッ 外)+(エ に)
시험[試験] 문제[問題]는 뜻밖에 간단[簡単]했다.(シホムムンジェヌンットゥッバッケカンダネッタ 試験問題は案外簡単だった)
그는 뜻밖에 피아노를 잘 친다.(クヌンットゥッバッケピアノルルチャルチンダ 彼は意外にもピアノが上手だ。)
뜻밖인데!!(ットゥッバッキンデ!! 意外だね!!)

【火車】宮部みゆき ★★★ 1992/07/15 双葉社

鶴見俊輔と関川夏央の対談で、宮部みゆきの「蒲生邸事件」をほめていたのをきっかけに、これを読んで、そこそこ面白かったので、他の作品にも手を出してしまった。いまいち肌が合わないと思いながらもそれなりの書き手だと言うのは間違い無さそう。
本書は、作家紹介などで、代表作みたいな取り上げ方シてあったので、ちょっと期待したのだが、作品としてはあまり感心しなかった。
タイトルの「火車」は亡者を乗せて地獄に走る車の謂だが、いわゆる「火の車」逼迫した経済状態とかけてあることはいうまでもない。

「本間さん、あなたは何年のお生まれです?」
「1950年、昭和25年ですよ」
「すると今、42歳ですか。ほう、もうちょっとお若いかと思ったが」
と、笑って、
「そうすると--あなたが十歳のときですよ。わが国に、初めて『クレジット』という言葉が登場したのは。赤いカードの丸井ですな、あの店が、『割賦』に代わって『クレジット』という言葉を使い始めたんです。昭和35年、1960年、安保の年ですな。これは、わが国の高度成長元年でもありますな。それだけ国が豊かになろうとしている時代だった。クレジット産業が誕生するのは、時代の必然であったわけです」
「『消費者信用』はまず大きくふたつに分かれます。ひとつが『販売信用』。カードを使った買い物などですな。もうひとつが『消費者金融』。これは定期預金や郵便貯金を担保にした貸し付け--銀行口座の貸し越しなどですな--それと、消費者ローン、つまりサラ金やクレジットカードによるキャッシングが含まれます」


主人公で休職中の警察官本間が、Morris.とほぼ同世代の設定(Morris.は1949年生れ)になってた。九州の片田舎で十一歳のときに丸井のクレジットカードなんてのは、まったく縁もゆかりもないものだった。ともかくも、カード社会が始まったのがその頃だったらしい。

「金融市場なんてものは、もともと幻なんです。元来、実態のないものなんですよ。そもそも、貨幣にしてからが、そうでしょうが。ただの紙切れ、ただの平たく丸い金属の塊だ。しかし、現実には、一万円札にはそれだけの価値がある。これは約束事があるからですよ。金融市場は、もともとが幻です。だが、それは言わば、現実社会の『影』としての幻なんですよ。だから、そこにはおのずと限界がある。社会の許容する限界が。それを考えると、この消費者信用の異常な膨らみ方は、やはりおかしい。この幻は、本来あるべきサイズよりも、はるかに大きく膨張している」

今やマネーゲームと化した金融市場は実体経済とは桁外れの規模で世界を牛耳る存在になっているようだが、経済オンチのMorris.にはちんぷんかんぷんである。

「金利というのはおんぶお化けみたいなものでね。先へゆくほど重くなる。それと、キャッシングという、この言葉の魔術です。サラ金にいくのはカッコ悪い。特に若者はね。だが、クレジットカードでキャッシングするのはスマートな感じがする。それにサラ金に比べて金利もやすいような「気がする」。ところが、これがとんでもない錯覚でしてね。クレジットカードでのキャッシングの金利は、年利に換算すると25%から35%。大手のサラ金とどっこいどっこいなんです。ところが、それを知らないと、なんとなく、漠然と、クレジットカードのキャッシングなら安全だ、と思い込んでしまう。これが間違いの一歩です」

銀行にしろサラ金にしろカード会社にしろとにかく金利生活企業なんてのは同類だろう。

現在の東京は、人間が根をおろして生きることのできる土地ではなくなってしまっている。地味も消え、雨も降らず、耕す鍬もない荒れた畑だ。
ここにあるのは、大都会としての機能ばかりである。
だから、今の東京にいる人間はみな一様に根無し草で、大部分は、親やそのまた親が持っていた根っこの記憶をたよりに生きているのである。
だが、その根の多くはとっくに弱り果て、その呼ぶ声は、とうの昔に嗄れてしまった。だから、根無し草の人間が増える。本間は、俺もその一人だ、と思う。


神戸だって似たようなものである。そして、Morris.も根無し草にちがいない。別にかまわないけど(^_^;)
ストーリーとは関係ない引用ばかりで、感想も投げやりになってしまった。
とりあえず、この作品で宮部読書はひとまずおしまということにしたい。

2019/09/05(木)●受験生(女子)との会話(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は135/49/59。35.9℃
朝の三点セット。
昼前に部屋を出て、自転車で南下してなぎさ公園の屋根付きベンチへ。
ここで1時間ほどミニギター練習して、その後三宮方面へ向かう予定だったのだが、このベンチの逆の端におサボり?とおぼしき女子高生がやってきて座ったので(^_^;) 彼女が退去するまで続けることにした。もしかしたら「不登校」かと疑ったのだ。なんと3時間近くたって、やっと彼女が立ち上がったので、お疲れ様と挨拶したら、近くにやってきて、そのまま世間話状態に。彼女は六甲の私立女子高3年のもろ受験生。不登校というわけでなく、今日は自主的にサボっただけだった。50歳以上の年齢差があるので、ほとんど異国人との会話モードだったが、それはそれなりに興味深かった。特に共通の話題もないわけで、まったくのフリートーク(^_^;) Morris.の韓国話、彼女の受験話、スマホで色鉛筆のイラスト見せてもらったり、読書関連、猫話、途中激しい夕立もあって、4時半まで二人で話しつづけたことになる。
その後三宮に出て、イシバシ楽器に行ったら、シャッター閉まってた。休日かなと思ったが、貼り紙に閉店案内が(>_<) 特にこの店のお得意さんではないのだが、ここの極厚ピックが気に入って、手持ちが少なくなるたびに追加購入してて、今日もピック買おうと思ってただけにショック。ちょっとあせって、近くのヴィブレ5階の島村楽器でダンロップの2mm厚のピック3枚買ってしまった。冷静に考えればイシバシ楽器は大阪にもある(梅田と心斎橋)のだから、そこで買うことができることには思いが至らなかったのだ。
その後三宮図書館に寄って、ダイエー地下で缶チューハイ買い、Morris.の指定席、図書館前広場隅で島村楽器で買ったピックの試しを兼ねてミニギター。やっぱりこれまで使ってたピックの方が使いやすい気がする。
帰り道喫茶マルナカの看板猫はなちゃんと久しぶりの出会い。
7時半帰宅。
今日で目眩の症状出ることなく4日が経過。そろそろ完治宣言出してもいいかと思うのだが、とりあえず一週間を目処に様子見ることにする。
今日の歩数は4948歩。


具沢山ラーメン 

今日のレッスン場(なぎさ公園) 

同じく 

おサボり女子高生? 

仄かな虹 

その後大雨 

三宮イシバシ楽器閉店(>_<) 

愛用ピック(左)と代品 

久々マルナカのはなちゃん 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
[理](はず、わけ)
할 리 가 없다/있다(~ハルリガオプタ/イッタ はずがない、はずがある) という形で使用される。常に連体修飾語を受けて使用される의존 명사[依存名詞](ウィジョンミョンgサ 依存名詞 形式名詞)
그럴 리[理]가 없다.(クロルリガオプタ そんなはずがない)
그녀[女]가 너를 잊을 리[理]가 없다.(クニョガノルルイジュルリガオプタ 彼女が君を忘れるわけない)
이런 시간[時間]에는 그가 집에 있을 리[理]가 없다.(イロンシガネヌンクガチベイッスルリガオプタ こんな時間に彼が家にいるわけがない)
여자[女子]친구[親舊]가 그런 말을 했을 리[理]가 없어요.(ヨジャチングガクロンマルルヘッスルリガオプソヨ 彼女がそういうことを言ったはずがないです)

2019/09/04(水)●離宮公園でリハビリ?
7時半起床。
今朝の血圧は160/74/71。36.1℃
比較的頭もスッキリ?してる気がする。
昼前に部屋を出て、JRで鷹取下車。久しぶりに須磨離宮公園へ。
マルハチで缶チューハイとおにぎり買う。
温室では、「ホラーな木の実展」なんてのをやってた。
Morris.御用達の植物園一番奥の小噴水公園。ここで、ミニギターとチューハイと食事。気がついたら4時過ぎてた。今日は真夏のような天候で、結構暑く、坂道で息切れ、ちょっと疲れたが、目眩とかの症状は全く無し。心地よい疲れと言えよう。
帰り道は月見山駅方面をわざと迷いながら、須磨図書館で一服。
またマルハチに寄って、午後6時帰宅。
香港の騒動は、法案完全撤廃を当局が発表。デモが始まってから3ヶ月。香港市民はよくやっていると思う。Morris.は半月ももたないだろうと悲観的に見てたのだが……でも、楽観はできない。
Morris.の目眩も今日で3日間、小康状態だが、これまた楽観はまだまだである。
今日の歩数は7285歩。


茸 

SL車輪を看板に 

栃の実 

秋茜 

銀杏の実 

旅人の木の実 

ライオン殺しの実 

白角胡麻の実 

黒角胡麻の実 

糸蜻蛉 

ハイビスカス 

噴水公園(お約束) 

茸 

大和蜆 

今日の雲 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
외도
[外道](ウェド 不倫、浮気)
남편의 외도[外道]를 알게 되었다.(ナムピョネウェドルルアルゲデオッタ 夫の浮気を知ることになった)
日本と同じく불륜[不倫](プルリュン 不倫)という漢字語も普通に使われる
최근[最近] 연예인[演芸人]들의 불륜[不倫] 소동[騒動]이 끊이지 않고 있습니다.(チェグンヨネインドゥレプルリュンソドンgイックニジアンコイッスムニダ 最近、芸能人たちの不倫騒動が後を絶ちません。)
特に男性が配偶者以外の女性と性関係を持つことを오입[誤入](オイプ)という。

2019/09/03(火)●ちか場で様子見
7時半起床。
今朝の血圧は146/55/67。36.3℃
朝の三点セット。
午前中は部屋ゴロ。
昼から王子動物園に行き、まぬうに挨拶して、図書室でしばらく写真集など見てから、久しぶりに駐車場の樹の下ベンチでミニギター。
今日は朝から目眩も体感するようなふらつきもなく、2時間ほどミニギターで遊べた。
油断大敵だが、明日はちょっと遠出してみよう。
広島のふくはらさんから手紙。カンボジアの領収書を便箋代わりに使い、封筒も手作り(アムステルダムの列車時刻表)で、なかなか凝ったもの。
横浜の阪神-DeNA戦は、雨ではなく雷のために中止(^_^;)
今日の歩数は1228歩。


今日のまぬう ペッキー 

イーリス 

河馬 

戻り夏? 

今日のヴィジュアル読書 

団栗早わかり 

王子公園夕暮れ 

今宵の月 

福原さんの手紙 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
잡치다
(チャプチダ しくじる 仕損じる 失敗する)
일을 잡치다(イルルチャプチダ 仕事をし損なう)
시험[試験]을 잡치다(シホムルチャプチダ 試験をしくじる)
서두르면 일을 잡친다(ソドゥルミョンイルルチャプチンダ せいては事を仕損ずる)
잡침(チャプチム しそこない 失敗)は잡치다の名詞形。これに(ケ 犬=侮辱語)をつけた개잡침(ケチャチム)はとんでもない失敗で「御陀仏 台無し)の意味になる。

【魔術はささやく】宮部みゆき ★★★
1989/12/10 新潮社
1989年、第二回日本推理サスペンス大賞受賞作である。このときの候補作には高村薫の「リヴィエラを撃て」(幸田精名義)があったとのこと。あの高村を押さえての受賞なんて(@_@) でも読み終えたら、なんでこれが受賞したのか疑問に思えた。「リヴィエラを撃て」が規定オーバー(600枚のところを70枚以上オーバー)したのが、減点対象になったのかもしれないが、審査員(佐野洋、高見浩、逢坂剛、椎名誠)の眼識を疑いたくもなった。

【夢にも思わない】宮部みゆき ★★★
1995/05/07 中央公論社 初出「小説中公」1993-95
小説としてではなく、執筆当時の生活、特に電話関連の事象に着目して読んだ(^_^;)
当時誰かが「携帯電話が普及する前と後では小説、特にミステリーは全く違ったものになる」というのを聞いて、なるほどと思ったが、四半世紀過ぎて省みると本当に通信機器の変化と普及ぶりは目覚ましいものがある。

「現在の警察の体制内では、警部さんが警部以上になるのは難しい。実績や能力には関係なく、ね」
「君はなんでそんなことを知っとるの?」
「緒方君の事件のとき、週刊誌に出てました。警察組織のことは、最近は、良質な警察小説がありますのでね。中学生にもわかりますよ」


この時期に「良質?」な警察小説が登場したらしい。

僕はぎゅっと受話器を握りしめた。「ただ」という接続詞はコワい。あとについてくる言葉で、それまでの話が全部ひっくりかえってしまうからだ。たとえば作文。ていしゅつしたものが戻されてくる。赤ペンで先生の講評が書きこんである。最初のほうの二行ばかりで褒めてある。僕は喜ぶ。ところが、三行目の頭の「ただ--」以降の文章で、コテンパンに叱られている。僕は落ちこむ、という具合だ。まことに、ただより怖いものはない。

これは電話機かんれんというより、「ただより怖いものはない」というオチが上手いと思っただけ。

僕らは今、こぞって「匿名の時代」に生きているのだ。匿名でなら、何をやってもいい。また匿名の人々がやっていることなら、どんなことでも「そんなもんか」と認めてしまう。僕が感じたのと同じように、「なんか小説のなかの話みたいだ」と呟いて、忘れてしまうこともできる。そうやって、僕らはみんな、あまりにも早すぎるスピードで進んでゆく世の中の一部と、かろうじてバランスをとりあいながら暮らしているのだ--

これは時代を先取りした言説ではないか

「いや、実際、『会社』をつくりあげたスタッフは5人の男性だったんだが、それぞれなかなか優秀な青年で、年齢もそろって二十代の半ばぐらいだった。みんな真面目な会社に勤めていて、学歴も高い。相互の連絡にはパソコン通信を使っていたっていうんだから、恐れ入るよ」
カナグリさんが声をひそめた。「警部はいまだにワープロも打てないし、外線電話をhかの部署に回そうとすると、いっつも切れちゃうの。操作が覚えられなくて」

「パソコン通信」という言葉が懐かしかったあ(^_^;)

人が表情をつくることができるのは、真正面から見せる顔だけだ。横顔は正直だ。そしてその、やや落ちくぼみ気味の目を間近に見たときに、僕はこの人が誰だかわかったと思った。


これはなかなかうがった観察眼である。プロフィール(profile)は日本では「横顔」と訳されるが、プロフィールが正直だとはあまり思えない(^_^;)

電話を切ったときには、新品のテレホン・カードの度数を、あらかた使い尽くしていた。僕が工藤家を振り返り振り返り去ってゆくとき、入れ違いにバイクでやってきたGジャンの高校生が、ポケットからカードを取り出しながら電話機に近づいていった。受話器を持ちあげ、のっけから長電話の姿勢でコンビニの壁にもたれかかる。夜、こんなふうに外で長電話している若者を見かけると--とりわけ真冬や真夏には--物好きなヤツらもいるもんだと思ってきたけれど、今後は考えを改めなければならない。今やビジネスマンの手には携帯電話があり、若者の心には--もとい、直接電話を引くだけのお金のない若者の心には、公衆電話がある時代だ。

そうそう、公衆電話は当時の小説では重要な脇役(小道具)だった。

僕もクドウさんも、むろん、専用電話なんか持っていない。でも、それぞれの部屋にファミリー・テレホンの子機をつけてもらっている。だから、数分間の会話なら、そしてかける時間を決めておけば、安心してお互いの声を聞くことができた。

このファミリーテレフォンの子機なんてのも、使ったこと無いし、これからも知ることはないだろう。

2019/09/02(月)●とりあえず小康状態
7時起床。
今朝の血圧は135/56/82。36.3℃
布巾の洗濯。
実は昨夜久しぶりに(10日ぶり?)、酒飲んでしまった。病院で、目眩の診察受けた時、酒のこと訊ねたら、特に目眩とは関係ないと言われたものの、やはり、何となく目眩と吐き気に酒は良くない気がしたし、働かざる者飲むべからずを実践してた。それでも一向に良くならないし、冷蔵庫には缶チューハイ残ってるしで、結局昨日缶チューハイ(ビターレモン)2本飲んだのだった(^_^;)
そして、今日は結局ほぼ一日目眩らしい症状は出なかった。酒のおかげではないと思うが、酒と目眩に直接関係はないらしい、ということで、酒解禁ぢゃ(^_^;)
2時過ぎに自転車でコミスタ図書室へ。しばらく休憩、3冊借り出して、大安亭で野菜など買い込んで4時半帰宅。
今日の歩数は2103歩。


亀虫の仲間 

玉簾(たますだれ) 

褄黒豹紋蝶 

[今日の韓国語単語from Kpedia]
[舊]닥다리 개그(クダクタリゲグ 親父ギャグ)
구닥다리 (クダクタリ 古ぼけたもの 時代遅れの)+개그(ゲグ gag ギャグ)
서투른 익살(ソトゥルンイクサル 駄洒落)서투르다(ソトゥルダ 下手だ たどたどしい)
시시한 익살(シシハンイクサル 駄洒落) 시시하다(シシハダ 味気ない くだらない まらない)    
익살(イクサル 滑稽 ユーモア 剽軽 ユーモア)
익살스럽다(イクサルスロプッタ こっけいだ、コミカルだ、面白い)    
익살꾸러기(イクサルックロギ ひょうきん者)    

【ペテロの葬列】宮部みゆき ★★★☆ 2013/12/25 集英社 初出2010-14各地方紙連載
杉村三郎シリーズ第三作。不思議な老人によるバスジャックに乗り合わせた主人公と他の客たちとの後日談を中心に主人公の転身が語られる。

大ざっぱなようでいて繊細な園田瑛子は、繊細なようでいて意外な死角を持つ人物である。

なかなか上手い文章である。

10月に入ると、残暑は未練を断ち切った恋人のように姿を消した。

この直喩もね。

「以来、私のなかにはひとつの確信が生まれた。人間は基本的に善良で建設的だ。だが、特定の状況に置かれると、それでもなお善良で建設的であり続けることができるタイプと、状況に呑まれて良心を失ってしまうタイプに分かれる。その<特定の状況〉の典型的な事例が軍隊であり、戦争だ」
閉鎖的な極限状況だ。


主人公の義父が軍隊生活で得た心情。

「さすがに昨今はあの業界も世代交代が進んで、豊田商事の残党は見かけなくなったそうだが、スキルは継承されているはずだ。ソフトというものは、一度開発されると、そう簡単には滅びない」
負の地下水脈だ--と義父は言った。


豊田商事の詐欺商法への批評が本書の背骨になっているようだ。

<一つの指輪>は、冥王サウロンの力の源泉であると同時に分身だ。指輪はサウロンのもとへ還ろうとする道筋で出会う中つ国の人びとを汚染してゆく。その心をむしばんで、人格どころか容姿までも変えてしまうのだ。
悪は伝染する。いや、すべての人間が心のうちに深く隠し持っている悪、いわば潜伏している悪を表面化させ、悪事として発症させる。<負の力>は伝染すると言おうか。
現実を生きる我々は、<一つの指輪>を持ってはいない。だが、その代替物なら得ることができる。それは誤った信念であり、欲望であり、それを他者に伝える言葉だ。
--影横たわるモルドールの国に。
我々もまた、生きている。


「悪」「負の力」の伝染、これがこのシリーズの大きなテーマだろう。
「ホビットの冒険」は読んだけど「指輪物語」は未読である。読む気もいまのところ無い。

2019/09/01(日)●鳥谷が(>_<)
8時起床。
今朝の血圧は162/85/65。35.8℃
9月になっても、朝からいまいち気分が優れない(>_<)
と、いうことで今日も一日部屋ゴロ。いや、ほとんどベッドに寝転がって読書。BGM代わりにYou Tubeで、韓国歌謡番組(歌謡舞台、ノレチャラン等)流しっぱなし。昼のニュースのあとNHKのど自慢。韓国ノレチャランは病的(^_^;)に好きなのに、日本ののど自慢はまず見ない。今日は沖縄読谷村からだったので、つい、見てしまったが、やっぱり面白くはない。
5時過ぎに自転車でマルハチに買い物に出ただけ。これでは運動不足になるのではないかと、別の心配も。目眩の方は軽い症状が数回。
甲子園の阪神-巨人戦、今年も阪神はBクラス確実だが、試合前に鳥谷の退団発言。数日前に球団が戦力外通告したらしい。たしかに今シーズンの成績は目を覆いたいくらいだったが、この時期にこんな形での通告はないんじゃないかい。できることなら、代打ででも、タイムリーヒット打って、その後、自らの口で、退団表明して欲しかった。生え抜きで16年間精一杯やってただけにね(;;) まあこれもファンの勝手な思い込みだけど……
今日の歩数は843歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]
자린고비(チャリンコビ けちな人、けちん坊)
韓国の昔話に登場する人物のことで、굴비(クルビ イシモチを塩漬けして干したもの )を天井から吊るしたまま、それを見ながらご飯を食べるようなけちな人、けちん坊の代名詞として使われる言葉。
구두쇠(クドゥセ けち、ケチな人、倹約家、けちん坊) これが一番一般的に使われる語かも。
인색[吝嗇]하다(インセッカダ けちだ、いじましい、けちくさい、渋い)
「吝嗇」は「りんしょく」の音読みで日本でも使われるが「けち」とルビを振られることも多い。
깍쟁이(ッカクチェンgイ けちで利害にかけてはあくどいほど抜け目のない人)
[全]깍쟁이 (チョンッカクチェンgイ ひどいけちん坊)
서울깍쟁이(ソウルッカクチェンgイ ソウル住まいの人のがめついさまをいう言葉) 

【名も無き毒】宮部みゆき ★★★☆  2006/08/25 幻冬舎 初出 各地方紙 2005年
先日読んだ「誰か Somebody」の続編というか、三部作の第二作ということになるのだろうか。

「究極の権力は、人を殺すことだ」
義父は続けた。口調は淡々としているが、目が光っている。
「他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから昨今、多いじゃないか」
私は黙ってうなずいた。
「たとえばあれが青酸カリだったなら、君らはみんな死んでいた」
「だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には、誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。ふん、何が今多グループの総帥だ。無力なことでは、そのへんの小学生と一緒だろう」

「殺意」が究極の権力の行使、うーーん、ちょっと違うんじゃないかな。

「その娘に、正義なんてものはこの世にないと思わせてはいけない。それが大人の役目だ。なのに果たせん。我々がこしらえたはずの社会は、いつからこんな無様な代物に堕ちてしまったんだろう」
ひとつ私の意見を言うならと、義父は声を強めた。
「古谷明俊さんを殺した犯人も、原田いずみも、同じ種類の人間だ。極北の権力を求めて、どうしてもこらえきれずに行使してしまった人間だからな」
「なぜそうなるのか、わかるか」
「私にはわかりません」
義父は一瞬、怖いような目で私を睨んだ。
「飢えているんだ。それほど深く、ひどく飢えているのだよ。その飢えが本人の魂を食い破ってしまわないように、餌を与えねばならない。だから他人を餌にするのだ」


先の引用の演繹した物言いで、「殺意」の原因を「飢え」と仮定するのもいささか短絡的に思える。

子供のころ、私は正月よりも年末が好きだった。これからお正月が来るという期待感に満ちて、見慣れた町並みさえもきれいに見える。輝きを放つ。それが新鮮で、心が踊った。
あれは子供に限らず、誰でも持ち合わせている心情なのではないか。人は皆、幸せの最中にあるよりも、これから幸せがやってくるという確信と期待に満ちたひと時をこそ望むものではあるまいか。


これには全く同感である。

私のこの家に、汚染はなかった。家のなかは清浄だった。清浄であり続けると、私は勝手に思い込んでいた。信じ込んでいた。
だが、そんなことは不可能なのだ。人が住まう限り、そこには毒が入り込む。なぜなら、我々人間が毒なのだから。


これがタイトルのよって来たるところだろう。性悪説ならぬ、性毒説。

事件は、それが煮えたぎっているさなかには、さまざまな感情や思惑から生じる磁力で、関係者を互いに引き寄せる。共闘感が、そこにはある。が、どういう経緯であれ決着を見ると、その磁力は消える。そして今度は斥力が生まれるのだ。
何よりも強い感情は、もうこんなことは忘れてしまいたいという願いだ。どんな親しい人とでも、一緒に事を乗り切った相手とであっても、事件を口にのぼせることさえ厭わしい。顔を合わせれば、それしか話題がないのが悲しい。自分の人生にはほかにもたくさんの良いことがあるはずなのに、このことばかりに囚われていなければならないのが腹立たしく、その腹立ちが後ろめたい。


すでに四半世紀前のことになってしまったが、ついつい、神戸大地震のことを思い出してしまった。






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