ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の獨斷、氣紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
1999/02/27(土)
昼前に元町阪神理容で散髮。土曜日なので混んでいたが20分待って10分足らずで完了だから文句はない。何てったっていまどき850円だもんね(^o^)。でも、顔をあたるときはもうちょっと優しくあたって欲しいぞ。まだ数ヶ所ヒリヒリしてる(^_^;)。
三宮図書館で読売新聞バックナンバー立ち読み。これは読売の家庭くらし版の「こどもTODAY」という連載コラムに、チャチャ(津吉ゆう子)がカットを描いてることを、旦那(斉藤さん)から教えてもらったため。ちょうど今日が最終回で、全部で10回ほどのカットのほとんどに動物の親子が、素朴なタッチで描かれている。今月7日に初産で長男能斗也を授かった直後の仕事だけに、とりわけこどもへの愛情が自然に絵にも現われたのだろう。社長のシングルアルバム「ありときりぎりす」や「ぞうさんだぞー」のジャケットイラストでお馴染みのアリや象、さらにはライオン、シマウマ、鳥など、童心に溢れた一連のカットなので、図書館に出かけた折には、見てください。
今夜は鶴橋で脇薗さんらと焼肉の予定。
脇薗さん(以後脇やん)と、先日いっしょに行ったミナミのスナック「Lyra」でバイトしてる真抄子と3人で近くの焼肉屋に行ったが満員で、結局おなじみ「ありらん食堂」で、食べ散らかす。Morris.はひたすらミノに集中。真佐子はよく食う。チジミ、チャプチェ、焼肉もわしら以上に平らげた上に一人だけ石焼きピビンパ追加だもんね。若さの勝利か?その後のカラオケもMorris.御用達のノレの穴「ユウ」になだれ込むという、Morris.モード(^_^;)に終始。でも二人が全く韓国には無縁なので、Morris.もお付き合いで、久しぶりにカラオケで日本語の歌を歌ってしまった。レパートリーがオールドウェーブに偏るのはしかたの無い所、始め若ぶってPuffyなど歌うもやはり似合わない。で、柏原芳恵からテレサテン、山口百恵に郷ひろみという路線に切り替えたのだが、脇やんの超強力「舟木一夫」攻め(^○^)に敢え無く惨敗。当然のごとく12時過ぎ帰宅。
【蛇を殺す夜】奥泉光★★★☆☆☆標題作と「暴力の舟」の中篇2作収録。すごいものである。これまで奥泉作で、裏切られたことがない。「蛇を殺す夜」は婚約者の実家に伴われて挨拶に出かけた主人公の混乱した性と地霊の呪縛の葛藤の物語のように見えるが、他者を知るということの不可思議さと単純さを希求した作品として読んだ。しかし、Morris.はもう一つの「暴力の舟」の方がより興味深かった。純粋すぎるほどの教条主義者であるうえに極端な被暴力誘因保持者「先輩」のキャラクタ設定に辟易しながらも、目が離せないでいるうちに、なんと「先輩」の実家、日本海上の孤島に伝承された「うつぼ舟」が登場したときには、瞠目してしまった。これも以前福田がサンボ通信で谷川健一の歌を引きつつ紹介していた。孫引きに及ぶ。
・わが心封じこめたる空船(うつぼぶね)太陽(てだ)の端(ばんた)に差しかかる見ゆ−−谷川健一
もともとは大木を刳りぬいて中空にした船で、丸木舟もその一種だが、浦陀洛渡海や人身御供、即身仏傳説と結びつき、島国日本ならではの信仰対象になり、実際にそのような渡海もなされたことは民俗学を持ち出すまでもなく、Morris.も親しく知っていることだった。作中、先輩が自縄自縛式にこの現実の空舟に乗せられ、儀式的な、「死」を賭しての救世の航海を果たした後、回りの意地悪な策謀をその教条主義で逆転させて無形の勝利を得るものの、当人の肉体は病巣に虫食まれており、裏切ったはずの恋人は狂気を乗り越えて献身的に先輩を看護する−−−うーーん、いかんなあ、また上滑りの紹介になってしまった。これは、自己犠牲と人類愛の物語。すなわち個人の内部にある(かつてあった?)ユートピア復権の物語だと強引にこじつけておこう(^_^;)
1999/02/26(金)
芦屋−大阪−芦屋と現場を行ったり来たりして、えらく疲れてしまった。夕方から雨になる。授業は出席者4名というさみしさ。今日も帰りの飲み会はお流れ。稲田さんの体調を考えるとしかたないが、ちょっと淋しい。
きょん☆あさんの韓国メーリングリストで、漫画の話題が出たので、急遽韓国部屋に「韓国漫画散歩」と題して新しくページを追加。第一回目はいかにも韓国らしい少女漫画家キムドンファ。しかしこれがシリーズ化するかどうかは疑問。なんてったって、ネタがない(^_^;)
不二家の新キャンペーン。今度は「きせかえペコちゃん」だ。うーーん、これは欲しいぞ。(特にシェフのこすぷれぺこちゃんはグー!!)
1999/02/25(木)
夜、斉藤さん部屋に来て、ビデオカメラの使い方教える。愛児能斗也のビデオを撮影のため、据え置きデッキ購入でお役御免になったHI-8mmビデオカメラ使ってもらうことにしたため。問題は取り説無くしたこと。取りあえず自前で「早分かりマニュアル」1ページ作って渡したが、結構マニュアル作りって難しい、ということがよくわかったよ。
【作家になるパソコン術】松本侑子★★★☆☆☆ちくまニコニコブックスだし(^○^)、どうせワープロ少女小説家の、お手軽ノウハウものだろうと、あまり期待もせずに借りてきた(実は、ところどころにある水玉蛍之丞のイラスト目的で借りた(>_<))のだが、見くびってごめん。ちゃんとした内容の本だった。作者は、赤毛のアンの訳者でもあり、そのためにも、コンピュータ、インターネットに深入りしたそうで、ハードにしろ、ソフトにしろ、通信に関しても、うわついてない、自分の見識をもっていることにまず感心。スキャナー、デジカメ、ノートパソコンの買い方にしても、単なる流行でなく、必要であることを認識してから購入してるし、モバイルに関しても良き指導者にも恵まれているにしろ、着実に利用してるし、(このへんは、ちょい、羨ましいモード)このところ、故意に目をつぶってきた、携帯機導入熱が再発しそうな気配も!!??それにしても、このタイトルは、何とかならないものか。第一、内容とは、全く一致してないぞ。
1999/02/24(水)
海南の友滝ひこさんから電話。再就職口きまったとのこと。職種を尋ねたら「地場産業」と答えたので「たわし」でも作ってるのだろう。(海南は荒物の特産地、中でもたわしは有名)
【体にいい寄生虫】藤田紘一郎★★★☆「笑うカイチュウ」「空飛ぶ寄生虫」が面白かったので、すっかりファンになった。本書も前2作の流れを汲むものだが、編集者が話を纏めたような感じで、ちょっと物足りなかった。でも、本当にサナダ虫の幼虫を飲んで、自分の体内で育てて、観察するというのはすごい。「清潔」な社会を目指して、ほとんど寄生虫を駆逐した日本社会が、そのために却って不健康に(アレルギー、花粉症)なってしまったと言う作者の持論は、そのまま鵜呑みにはできないまでも、日本の衞生システムに、矛盾が多いことは間違いない。サナダ虫によるダイエットが流行すると面白そうだが、体内で飼うペットにしては、巨きすぎやしないかい?(サナダムシは体長10メートル以上)
1999/02/23(火)
西根、としろうと、鈴鹿、四日市、蟹江倉庫と回り、午後8時前帰宅。みっちゃんから部屋用の写真届く。って、みんな、ハムスターの写真じゃないか!!でもまあ、可愛いから載せちゃおってわけで、みっちゃんの部屋が模様替えです。それから春待ちファミリーBANDの予定がやっと一つ入りました。でも、4月だもんな。
【浪花節繁盛記】大西信行★★★★「浪花節的」という言葉が、日本の恥ずべき低俗文化思想の代名詞として使われて久しい。現代日本では死滅した、と言ってもいいくらい、すたれているが、実はこの低俗にこそ日本人の「根」があるのではないかと思ったりもする。Morris.も浪花節に関してはほとんど無知だが、「なにがなにしてなんとやらー」という、あの独特の節回しには懐かしさを感じるし、「旅ゆけば駿河の国に茶の香り」の広沢虎造くらいならリアルタイムに聴いた覚えもある。筆者は現役で浪花節の台本書きもしているだけに、浪花節への愛情(諦め混じりだが)の深さに関しては人後におちない、というかほぼ唯一の人でさらには、正岡容の直弟子という、由緒正しい血筋??の人でもある。正岡容の名前には記憶がある。金子光晴のエッセイ中にしばしば登場して抜き難い印象を残した。明治生まれの「江戸人」とも言える粋人と理解していたが、浪花節の最大の論者で「日本浪曲史」を著わし、台本もよくしたとは初めて知った。デロレン祭文を起源とする門付け芸から派生した浪花節は、江戸時代後期に形が整い、明治中盤から全国に広まり、桃中軒雲衛門が爆発的人気を得、大衆芸能として定着、太平戦争中の国粋主義昂揚の道具として使われたとして、糾弾されたが、戦後一時はラジオ放送の花形として、最後の黄金時代を築く、しかしTV時代には対応できず衰退した、と言うのが大まかな趨勢だが、本書を読んで「浪花節的」なものを、もう一度見直したくなった。正岡容が二代目玉川勝太郎のために作った「天保水滸伝」のさわりを引用しておく。
利根の川風袂(たもと)に入れて
月に棹さす高瀬川
人目関の戸たたくは川の
水にせかるる水鶏鳥(くいなどり)
恋の八月大利根月夜
佐原囃子(さわらばやし)の音(ね)も冴え渡り
葭(よし)の葉末に露おく頃は
飛ぶや蛍のそこかしこ
潮来あやめのなつかしさ
私ゃ九十九里荒浜育ち
と言うて鰯の子ではない
意地にゃ強いが情にゃ弱い
されば天保十二年
抜けば玉散る長脇差
赤い血しぶきしとどに浴びて
飯岡笹川両身内
名代なりける大喧嘩
伝え伝えし水滸伝
1999/02/22(月)
朝から日本橋へ出て、ソニーの8mmビデオデッキ(据え置き型)買ってきた。昨日から連続してダビング始めたものの、ビデオカメラでの再生では、あまりにもトロくて操作性も悪すぎる。巻き戻すだけで5分はかかるし、それでなくても酷使してガタがきてるらしく、接続での音ブレまであるので、急遽購入決定。実は以前もデッキ使ってたのだがMorris.のミスで壊して、廃棄したままになってたのだ。ホームビデオカメラも、主流はデジタルに移行してしまい、8mm続けて発売してるのはソニーだけ。そのせいもあって8mmデッキも値引きがきかなくて、ちょっと割高だが、しかたない。これまで撮り溜めしてる、200本近くの春待ちファミリーBANDの8mmテープを再生するだけにでも必須だし。撮影はすでにMorris.もデジタルに切り替えてるので、次はデジタルビデオデッキが欲しい、と、思ってもこちらはまだまだ高嶺の花。それに、今の部屋ではすでにスペース無し。本気で引っ越し考えねば−−−−と、思いつつ、面倒臭がってる。
生協に行ったら午後の紅茶、安売りしてたので3本(ペットボトル大ね)買ってきた(^○^)
麦焼酎の午後の紅茶割への消費拡大は、とどまる所をしらない。
【絶対音感】最相葉月★★☆☆1年近く前にベストセラーになったノンフィクションだ。Morris.はほとんどベストセラーは読まない。でも「音感」に不自由なところがあって、まして「絶対音感」なんてきくと、コンプレックスがマゾヒスティックに刺激されて、読む気になった。多人数に取材して、構成にも工夫があって、手際もいいのだが、何故か読後感はうすっぺらな印象しか残らなかった。「絶対音感」が特別の才能ではなく、訓練によって身につくものであるとか、それでも音楽家にとっては一種のステイタスであるとか、自由な表現、調性の妨害になるとか、日常生活に支障をきたすことさえあるとか、それぞれに納得しながらも、もっと他の何かがあるはずだと思うのはMorris.の「無いものねだり」かもしれないが、どうも作者は、あたかも取材によって発見を重ねたふうを装いながら、実はすでに内包している一定のストーリーを補強するためにインタビューを援用しているのではないか。しかも昨今のビデオクリップの画面よろしく細切れに目まぐるしく錯綜させて、論を追うのにいらいらさせられるところもある。それはよいとしよう。「絶対」なんて冠した言葉にろくなものはないことは、先刻承知だったはずだから。ちなみにMorris.は自分のことを「絶対差別主義者」と標榜している。絶対という言葉をぎりぎりまで摘要していくと手袋を裏返すように、立場が反転することはしばしばで、つまりは絶対という言葉(概念)の胡散臭さを証明している。しかして「絶対音感」もまたちっとも「絶対」なんかではなかったが、そのことは、読む前にわかっていたのだ。だから、Morris.は、あまりこの本が好きになれないのだろう。
1999/02/21(日)
社長から頼まれた地震直後の春待ちファミリーBAND演奏ビデオをダビングしながら、ついつい見入ってしまった。メンバーの半分が全壊状態だったのに、地震後12日目の1月29日に都賀川と阪急六甲駅で演奏やったのは「快挙」といえるかもしれない。でも、観客は少なかった。寒かったもんなあ。斉藤さんの部屋のシーンもちょっとだけあったし、移動の町並破壊風景も、今更ながらものすごいものがある。人間は「忘れる動物−ホモ・イジョボロス」であることの幸せを、思わず心から感謝してしまったよ(^_^;)
午後はKNTVで96年のナフナ大阪公演を2時間たっぷり楽しんだ。うーーん、やっぱりナフナはぢつに濃いぞ。あの頃はナフナフリークの燒栗さんが、燃えまくってたな。たしかこの大阪公演も見に行ってたはず、ひょっとしたら映ってるかもしれない。今度見る時は(録画した(^○^)注意してみよう。
以前Morris.も愛読していた「高麗歌楽楼」という、韓国・朝鮮歌謡のミニコミを出してた、平田さつきさんの新しいミニコミと、彼女の卒論をまとめた冊子の紹介を、韓国部屋に「高麗楼出版物案内」と題して掲載した。彼女は70年代後半から東アジア歌謡にはまってたという、韓国歌謡おたくの草分け的存在だ。
夜は金大中大統領の「国民との対話」生放送があってて、ついつい見てしまう。事前の打ち合わせやシナリオはあるにしろ、庶民と大統領のやり取りを直接中継放送するとは、政治家と国民の関係は日本より開かれている気がする。
1999/02/20(土)
午後から図書館回り。さすがに3件かけもちは疲れる。いいかげん足を棒にして帰宅する頃はすっかり夜。西の空の上方にきれいな三日月、その下に明るい星、さらにすぐ下にもっと明るい星がほぼ直線に並んでいた。一番下の明るい星が金星、その上のは木星のようだ。
小谷しんじの音楽室裏倉庫連載第4回を更新。今回はMartin
O-18Kという小ぶりのギターです。本当はこれの前に別の機種を紹介する予定だったのに、スキャンしようとしたら写真がなくて大あわてで探し回ったのに見つからず、小谷君にメール入れて、急遽こちらに差し替えた(実は件の写真は初めから貰ってなかった!!)もの。それにしても1頁にこれだけ名器(なんだろうなあ)が並ぶと見物(みもの)だ。みっちゃんのFolky-Nightも、スケジュール更新。でも肝腎の春待ちファミリーBANDスケジュールがずっと空白なのはどうしたことだろう(;_;)
【霊廟】E・M・エンツェンスベルガー、野村修訳★★★★☆三宮の駸々堂で100円で買ったといういわくつきの詩集。「進歩の歴史からの37篇のバラード」と副題にあるように、世界の科学者、思想家、芸術家、革命家など37人をモチーフにバラードをずらずらずらっと37篇並べてある。何か、Morris.の歌集と構造的に通じるものがあって嬉しいぞ。でもこのバラードの一篇、一篇が読み応え、手応え充分で、少しずつ読み続けて、やっと読み終えた。いっぺんに読むのが勿体無かったってこともある。
エンツェンスベルガーなんて名前からして、骨太のごつごつ感があるうえに、訳者の文体もがっしりしてて、膨大な引用まであるので、千頁以上の評論読んだような感じ。決して難解ではなく、実に面白かったが、Morris.には全く未知の人物も多く登場して、ある程度リファレンスが必要だったかもしれない。
他の作はほとんど読んでないので、本書だけに限って言えば、エンツェンスベルガーの手法は、コラージュ、モンタージュを多用して対象の輪郭を明確にしていくというものだ。引用を巧みに自己の文と連結させたり、対立させたりして、新たな意味や、批評(時には皮肉や揶揄まで)を生み出す。つまりは的確な引用が出来てるということになる。形式はすべてバラードと言いながら、ここかしこにアイディアが散りばめられていて退屈させない。詩人としても批評家としてもかなりのテクニシャンと見た。ブレヒトに通じる部分もある。
しかし、どうもこの詩集には既視感がある?? しばらくして思いあたったのが、松岡正剛の雑誌「遊」が、2巻に分けて刊行した「存在と精神の系譜」。これの読後感とそっくりなのだった。当時かなり興奮して読んだよな、と本棚から引っ張り出してみた。こちらは150人を、やはりコラージュ的にレイアウトしている。「遊」の2冊が76〜77年。「霊廟」のオリジナルが75年(邦訳本は83年)に出ているから、同時代の空気ということもあるのだろう。
本書の37人中、Morris.が、耳馴染みといえる人物を順に挙げると、グーテンベルグ、マキャベリ、カンパネラ、ライプニッツ、リンネ、ピラネージ、メシエ、ギヨタン(ギロチン)、マルサス、フンボルト、フーリエ、ブランキ、ダーウィン、ショパン、バクーニン、スタンリー、メリエス、ライヒ、ゲバラの19人。辛うじて半分。
特筆すべきは、四半世紀近く前の作とは思えないほど、コンピュータへの関心と危惧が、全編を通じての主調音となっていることだ。これも、彼の先見性を証明するものだろう。
冒頭の作品を、改行を省略して引用する(これでも集中ではかなり短い方)。イタリアの時計職人ジョヴァンニ・ドンディ(1318〜1389)を主題にしたもの。
ジョヴァンニ・ドンディはパドゥアに生まれ/生涯をついやして/時計をひとつ組み立てた。
その時計は無類、そして無比/その後400年ものあいだ。/幾重もの仕掛けが/楕円の歯車が/伝動装置で結ばれていて/スピンドルの歯どめをはじめてもった/前代未聞の構築物。
七つの文字盤が/天空のありさまを/惑星すべての/沈黙の周行を示す。/第八の/一番目立たぬ盤が示すのは/時刻と日と年−−/AD1346年。
ワレトワガ手デ作リアゲタ/天の機械、/目的のなさ、意味の深さは「勝利(トリオンフィ)」と同じ、/あの文字でできた時計/フランチェスコ・ペトラルカ作の。
シカシキミタチハナゼワタシノ手稿ヲ読ンデ/キミタチノ時間ヲムダニスルノカ/モシキミタチガ私ニ/倣ウコトガデキヌノナラバ?
昼の長さ/月の軌道の交点/動く天空。/計算の機械、と同時に/もうひとつの空。/真鍮、真鍮の。/この空の下に/ぼくらはいまもなお生きている。
パドゥアのひとびとは/この時計に目をとめなかった。/暴動に暴動が続いた。/ペストの死をのせた車が路上を過ぎた。/銀行家たちは/かれらの項目を清算した。/食べものはろくろくなかった。
あの時計の淵源は/問題をはらんでいる。/コンピューター類似品。/メンヒル。天象儀。/時間ノとりおんふぃ。余剰品。/目的のなさ、意味の深さは/さながら真鍮製の詩だ。
グッゲンハイムが毎月一日に/フランチェスコ・ペトラルカに小切手を/送っていたわけではない。/デ・ドンディはなんの接触もなかった。/ペンタゴンとは。
別の猛獣たち。別の/文字と歯車。だが/同じ空。/この中世のさなかに/ぼくらはいまなお生きている。
1999/02/19(金)
清水君のお迎えで京都の現場。氷雨降り寒い。ちょっと風邪気味。帰りの電車で、先日ラグビー一緒に観戦した三宮の「Who's
who」のママと一緒になる。当日Morris.は、試合中爆睡してたことが判明(>_<)
授業も寒さのためか出席者5人。宝塚組も欠席で飲み会もパス。
1999/02/18(木)
一日雨。夕方斉藤さん辞書を返却に来る。罐ビール(ロング缶)1ケースまで持参(^_^;)こちらこそお祝いせねばならないのに、恐縮。しばらくビデオなど見て帰る。このページの「能斗也デジカメ画像」がことのほか受けた(すでにして親馬鹿モード)ようだ。大分の長野からメール。長男が結婚して、まもなく祖父になる由。とにかくめでたい。前にも書いたが初めての子の誕生は、同時に新しい父母の誕生でもある。ということは初孫の誕生は爺さん婆さんの誕生でもあるということか。
1999/02/17(水)
今日も早出で名古屋のピックアップ。このところ名古屋の現場が多いなあ。今日は一部岐阜市まで配達もあったので、やっぱり帰宅は11時前になってしまった。帰りに養老のインターに寄ったのにレストラン満員でカツカレー食べ損なったのが何とも心残り。
朝、ばたばたしてたので「ありがとう浜村淳」の留守録セットするのを忘れてしまった。誰か録音してないかな?
1999/02/16(火)
何と二日連続宿酔。とりあえずベッドで雑読でリハビリ(^_^;)
【私の舞踏手帖】淀川長治★★★☆☆映画漬けだった一生に先般ピリオドを打った著者の、ダンサーへのオマージュ。数多い淀川本の中ではちょっと異色の1冊。クラシックバレー、ラテン、そして当然映画の中のダンスにとジャンルも広く、取り上げられているダンサーも十指に余るが、とにかく、女性ではアンナ・パブロワ、男性ではフレッド・アステア、この二人の項目だけで充分この本を読む甲斐がある。それほどに二人は突出していたといえるし、13歳でパブロワを見て真底感動して、一時は本気で舞踏家を目指したという入れ込みようは、著者の生涯を通しての対象への全的感情移入の萌芽としても微笑ましい。傳説を見てしまったものは、それ以後は不幸でいるしかない。傳説とはそれを超えるものが現われないということだから。それで、彼はクラシックとは別の世界の傳説を探そうと試みる。スペイン舞踊のアルヘンチーナ、そしてダンスミュージカルの空前絶後の存在、アステア。「ジーン・ケリーは野球、アステアはテニス、ジーン・ケリーは運動場、アステアは花咲く庭、アステアは白いレース、バラの花、レモン色の三月−−−」あまり多くは見ていないMorris.でも、あのダンスの魔法の一端は知っている。それにしても淀川長治の語りそのままの、花も実もあるこれらのオマージュ(評論とは呼びたくない)は、これはこれで至高の芸だったな。これからはその新しい作物を味わうことが出来ないと思うと、本当に「残念」を禁じ得ない。
【滝】奥泉光★★★☆☆☆「滝」と「その言葉を」の中篇2作が収められている。「滝」は夢の中から生み出された非常に寓意的な作品。ある教義の修行のために5人の少年が山中の社を巡礼し、神託で凶が出ると禊のために山を下って各社に応じた滝で水垢離を行わねばならない。リーダーの少年は将来を嘱望される人材で、彼のあまりの落ち着きに先輩信者が試練を課す。試練にはくじけないが、悲劇が起る。これは「選ばれた者」と、そうでない者との葛藤の物語である。作者の観念が先走って(か、Morris.の理解が足りなくてか)難解に過ぎる部分もあるが、それを補って余りある、研ぎ澄まされた文体。Morris.はこの文章だけで、奥泉ファンになった。石川淳の「鷹」を髣髴させるみずみずしく丈高い境地と言い切っておこう。「その言葉を」は、ジャズと造反運動を交差させて往時の若者の(あるいは著者自身の)青春への訣別の書か。個人的には苦手な部類の作品に属するのだが「あのころ」のジャズ喫茶ならびにジャズファンの空気は的確に描写されて見事だ。
【こいびとになってくださいますか】大西泰世★★★☆☆☆姫路、赤穂でスナックを経営しながら川柳を書く著者の第三句集。以前横浜の福田がサンボ通信の「歌兒誉美」で紹介した「身を反らすたびにあやめの咲きにけり」が初めての出会いだった。行き付けの図書館では見かけなくて、縁のないものと思っていたら、三宮図書館の郷土コーナーにこっそり紛れ込んでいた。福田も書いてたが、これは川柳じゃないという気もするのだが、本人がそう呼ぶならそれでもよい。女にしか詠めない句が目白押しだ。始め適当に選んだら50句を超えた。泪を飲んで20句に絞って紹介しておく。
鬼百合が漂うている夜の書肆
死者ひとりいて天体を所有する
うばうことうばわれることかがやけり
パンジーの青色のみを偏愛す
夕焼けを飲み干すたびに手紙くる
さくら異聞ひとつのあそび全うす
風を聴く全身薔薇の遺書になる
想いつづけて一匹の魚になる
生涯の恋の数ほど曼珠沙華
曇りのち晴れのち言葉あそびかな
こいびとになってくださいますか吽
三日月や三日見ぬ間の男運
思慕一つあり本棚は本ばかり
恋文の余白をすべて憎むべし
滅亡という救いありウマゴヤシ
確実に死は来る一年草の媚態
夜桜という引力で人が死ぬ
肉体というやっかいなもの藤袴
露草のまなざしを持つ猫を飼う
冬薔薇星のひとつを受信せり
1999/02/15(月)
見事に宿酔。ほとんどベッドで一日過ごす。夕方起き出して須磨の「NENGOROYA」で矢谷、神田修作のライブ。しっかり打ち上げまで参加して12時ごろ帰宅。この店のオーナーが坂本九のファンで、須磨スキヤキ基金という福祉活動を続けていて、このライブもその活動の一環とのこと。なかなか感じのいい店なので一度食事にでも行ってみたい。
1999/02/14(日)
先月末マレーシアのクラウンラインズに入社したみかちゃんからメールが来た。予想通り元気にやっているようだ。
>>ここに来て2週間が経ちました。ようやく、スタッフの顔と名前が一致してきた今日このごろです。
先日から、何件か神戸行きの荷物を出しました。通関のときに私の字のBOXがあるかもしれません。
こちらの私の家は、なんと100M3の3LDKのコンドミニアムで(アンダンテの狭いほうぐらい)一人暮らしです。
家賃が¥30000(内、会社が¥20000払ってくれます)、食費が少々、車・ガソリンはタダ・・・・神戸での生活が嘘のようです。
ううーーーっ!! Morris.の独房はベランダ入れても20平米ないと言うのに、100立方米(??!!)の3LDKにひとり住まいなんて、それで3万円、自前は1万円なんてすでに犯罪状態だ。
>>食事は一応自炊なのですが、朝、昼、晩、供にほとんど屋台で済ましています。それと言うのも、1食がRM3
− 5(¥90 − 150)ぐらいなので、家で作るより安くなるんです。倉庫は神戸の4倍強ぐらいでしょうか。LOCALのPACKERが20人ほど働いてます。
食費も土地も桁違い。とにかく土地があまってるみたいだな。
>>こちらでの私の仕事は営業と現場監督で、なんと
私が毎日スーツを着て仕事をしています。
みかちゃんのスーツ姿とスカート姿は見たことがない。一度拝見したいもんだ。ほんとに、タイ・マレーシア周遊旅行を計画しなくては、という気になってきた。
今日は松尾、香介と3人で花園でラグビーダブルヘッダー観戦。松尾がタダ券を調達してくれたのでちゃっかり便乗というわけ。サントリー−慶応、神戸製鋼−明治ともに社会人の圧勝で、ゲームとしては物足りなかった。途中でMorris.は寢てしまってたくらい。帰りに梅田で飲み、酔いつぶれて帰る。どうやら、醉って電子辞書を無くしてしまったらしい(;_;)
2月17日の朝のラジオ「ありがとう浜村淳」に社長が生出演決定とのこと。たしか朝日放送だったよな。出番は9時50分くらいの予定。
【似顔絵物語】和田誠★★★★☆前作「装丁物語」も良かったが、これはそれを上回る出来。彼一流の文体もこなれてて読みやすい。なにしろ本業のイラストレイター、デザイナーとして現代屈指の実力者なのに、装丁家、エッセイスト、映画批評家、監督としての分野でも水準を遥かに超える八方美人(あ、これは韓国式にいう万能人という意味ね)の著者だけに、これまでの仕事の回顧(本書では似顔絵、ポスター)が、それぞれが納得せざるを得ないものばかりで、不器用さでは誰にもひけをとらないMorris.なんかはその一枚の似顔絵にだけでも、へへーーーっと、恐れ入ってしまう。とにかくシンプルかつ上手い、ひねりもある。似顔絵の第一条件「似ている」のは当然でその上に作品としての完成度が高い。こういう才能にあふれた人って、われら凡人を楽しませるために、神樣がプレゼントされた存在なのではないかという気がしてくる。音楽、美術(AV)は感覚を直撃するものだけに、魅せられてしまうと、批評なんてできない。好きか嫌いかという決定以降は、判断停止状態になるのがMorris.の常で、読書控えでヴィジュアル系に点が甘くなるのもそのためだろう。本書にも相当数のカットが載っていて、どれもがはっとする出来だが、もっともっともっと見たくなる。和田誠ワールドへの入門書として最適な本だ。
1999/02/13(土)
昨夜はKNTVで放映された1984年の韓国映画「その年の冬は暖かかった−−クヘキョウルン
タットゥタッテンネ」見て夜更かししてしまった。韓国版「火垂の墓」(って、Morris.はアニメは見てない)。朝鮮戦争で幼い姉妹が家族とはぐれ、避難の途中で、力尽きた姉は妹を捨てて逃げていき、家族と巡り合い高名な声楽家になる。妹は孤児院で育ち、再会した姉は、事情により姉妹の名告りを躊躇する。その後さまざまな偶然の悲劇が繰り返され、最後には妹が夫を落盤事故で亡くし気絶した後、姉は妹に真実を告げる。ほんとの「粗」すじだが、年取ったせいか何度か泪してしまった。妹の夫役アンソンギはあいかわらず上手いが、この作では妹役のイミスクが良かった。
小滝歯科で治療(いちおう終了)日本橋まで出て店冷やかしたが、結局何も買わず。心斎橋そごうの古本市に立ち寄り、2冊買う。いけない、どうもこの頃本を買いすぎてる。とにかく本は図書館を旨としているのに、これではまた本棚があふれてしまう。自戒、自戒。
【宙を舞う】郭早苗★★★☆長田に住む在日韓国女性が、神戸大地震被災後、家族(夫、息子2人、娘)とともに、また夫を残して、各地で疎開生活を過ごしたりした日々の記録で、Morris.も当事者のひとりとして地震直後の記述にはついつい自分の体験と重ねあわせて色々考えさせられた。Morris.のような天涯孤独な存在はああいう混乱時にも、比較的冷靜に(正直に言うと結構面白がったりしながら)観察したり、行動したりもできたのだが、やはり「家族」だと、お互いのことが支えになったり、荷物になったりしながら、個人行動はとりにくい。それがある程度暮らしも安定してくると、それまでの我慢や無理がたたり、心身の症状が現われることも多いのだろう。本書の著者も長男の自閉症が憑依したような記述も見られ、自意識過剰だったり、突然感覚が麻痺した状態になったりしている。書く事によって、自分を正気の世界に留めおこうとするような、一種の怖さを感じさせる部分もある。途中から地震とは無関係の日常の些事や映画などの記述が多くなり、読むのがしんどくなったりもしたが、地震後、神戸をしばらく離れて、外から被災地のことを考えるという視点は意外と語られていないようで、なるほどと思う点もあった。実は著者の旦那、歌手の光幻(もっちゃん)とは、春待ちを通じての古い知り合いである。この本の中にもMorris.の知人が数人出てくる。彼らの地震当時の行動や、思考の一部を垣間見ることができるのも、特殊な楽しみではあった。さらに言えば、Morris.は早苗さんとも短い間、一緒に韓国語を学んでいたことさえある。その時テキスト代わりに彼女の前作「父・KOREA」の韓国語版(海賊版?)を使ったので、アンチョコとして原作にも目を通したが、決して読みやすい本ではなかった。それに比べると本書は文章も、表現力も、語彙選択にも格段の進歩が見られる。
【子供より古書が大事と思いたい】鹿島茂★★★☆☆19世紀フランスロマンチック挿絵本の収集家として知られる著者の、パリ古書店中心のエッセイ集。彼は古書店を超A級、A級、B級、C級に大別するが、Morris.にはC級でも遥か遠くに峻り立つ岩山のように思える。まあ、精神の贅沢さとか、元手のかかったエッセイは好きだから、かまわないが、超美本にこだわる世界は、金があっても無縁でありたい。タイトルはフランスの地方都市に家族とともに自動車旅行したときに、ある古書で19世紀ラルース百科事典17巻を格安で見つけ、どうしても持ち帰らなければならないはめになったときの、状況をユーモラスに書いたものだが、Morris.は、「間奏曲」という幕間のコラムに紹介されていた「荒木一郎の教訓」が印象深かった。荒木一郎は切手収集で相当の実力者らしいが、彼による優秀なコレクション完成の秘訣は
1.収集のフィールドを限定すること
2.一件についての購入価格の上限を設定すること
3.狙っているものが、むこうからあらわれてくるまで気長に待つ
の3項目ということだ。鹿島茂は、これを実践して、効果覿面だったと書きながら、その後次々にフィールドを新規開拓していき、病膏肓にはいってしまったと、嬉しそうに愚痴っている。
1999/02/12(金)
大阪の現場でL字形の家具(めちゃ重)やソファなど4点を4階まで吊り上げして、もうへろへろ。おまけに仕事が遅れて今日の授業は8時半到着。今日は先生が韓国のマンドゥ作ってみんなで韓国語のみで料理実習という、魅力的な授業のはずだったのに、Morris.は結局出来上がったところで、ただひたすら食べるばかりという、おいしいところのみ熱心に実践ということになった。キムチやネギ、にんにく、ミンチなどの入ったマンドゥは美味しくて、疲れ切ってたMorris.は、鬼のように食べる食べる。余った分まで貰って帰る。先生からは市販の「ヌルンジーお焦げ」(本当に釜のそこのおこげをこそいで乾かしただけのこれ以上素朴なお菓子はない)までもらう。今日は食べすぎで例の飲み会は中止。
斉藤さんの長男の名前決定したとの電話。命名は「斉藤能斗也(のつや)」。Morris.の作った漢字カード利用してこれに決めたとのこと。やや時代離れした感じもするが、たしかに字面は悪くない。
1999/02/11(木)
朝から雨が降っている。昼過ぎに松尾のりひこと友滝ひこが来て、Morris.の独房でギターとヴァイオリンのデュオの練習!!
東京のひょんみさんから、食品いろいろ(チューブ入りコチュジャン20個!!海苔、ガム、龍茶、チョコレート)送られてくる。ヴァレンタインプレゼントだと勝手に解釈しておこう(^o^)感謝。
3時に社長が迎えに来て海星病院へ。後から伊藤時治、えっちゃんも合流。斉藤・つよし夫婦の長男は健やかに寝入っていた。みんなは斉藤さんに似てるなんて言ってたけど、Morris.はそんなことないと、思う(写真参照)。とりあえず斉藤さんよりは可愛いぞ。名前はまだ検討中で、「のつや」のほかに「象平」という対立候補も浮上してた。ビデオやカメラ撮影、社長の赤ん坊にはわからないパフォーマンス披露などで結構長居した後、社長宅に立ち寄って、6時前帰宅。松尾&ひこは、練習終えてた。材料用意してた、Morris.十八番の麻婆豆腐作って、飲み会しようと思ったら、二人は秋本と待ち合わせてハイボールへ行くという。仕方ないのでひとり淋しく麻婆豆腐食べる。(うまかったけど、ちょっとむなしい。それに多すぎる!!)
「KOBE C情報」「百番目のTシャツ通信」に掲載された社長の記事を「澤村重春の社長室」に掲載。
1999/02/10(水)
イエローカメラに写真取りに行く途中、宇仁菅書店前の百円均一台をちらっとみたら「韓国歌謡−−」の文字が目に留まり、反射的に手に取ったらなんとこれが87年発行の(一部では)幻の名著として名高い「韓国歌謡現在形」(友野康海)だった。今でこそ韓国歌謡の情報はその気になればいくらでも手に入るが、当時の日本でこれだけの歌手、歌謡曲を取り上げたというだけでも、驚異的な本だ。現在見直してもその情報は的確でエピソードも多い。当然わしら遅れて来た韓国歌謡愛好家の間では、かなり話題になり、うり丸さんなんか、生野図書館の蔵書を全頁コピーして大事にしてたくらいのものだ。そのお宝本(あくまで一部では、ね)が、たったの百円とは!!!
昨日の京都書院本といい、このところのMorris.は完全に有卦に入ってるもんね。正月のおみくじも良かったし。一瞬本気で宝くじ買いに走ろうとしたくらいだ。と、いうわけで、速攻で紹介。
【韓国歌謡現在形】友野康海★★★★☆☆1987年という時期(Morris.が初めて韓国に行く前年)に、韓国歌謡にこれだけどっぷり漬かり、しかも200人もの歌手を紹介したという快挙にまず拍手喝采である。Morris.の知る限り、この時期に彼と対抗できたのは、むくげの会の山根さんくらいだろう。Morris.が後になって知った往年の名歌手のデビュー時の写真や、コメント、思い入れの深さがしみじみと伝わってくる文章。著者の日常が生き生きと描写されてるコラム「鶴橋ラプソディー」を読んだだけでも圧倒される。本業は印刷関係のデザイナーだそうだが、Morris.の偉大なる先達であることは間違いない。特にMorris.が好きだった歌手の項からいくつか部分引用しておく。
●キムスヒ(金秀姫)7才の時に父親と死別したため貧しい生活が続く−−もし彼女が裕福な家庭に育ち歌の道に入っていなければ、今頃はハッピーな恋物語を得意とする女流作家として活躍してるだろうなぁと想像され、今日私達が、金秀姫のあの絶唱を聞くことができるのは、いったい誰に感謝すればいいのだろう?と考えたりしてしまう。
●キムワンソン(金完宣)韓国でも、ルックスのよしあしが歌手の人気を左右する今日。以前はダンサーをしており、まわりから推められて歌手に転向したという金完宣。彼女のリズムに合せた軽快なフットワークは最高、でも歌のノリも悪くない。
●ケウンスク(桂銀淑)韓国でのニックネームは水玉潜水艦−−韓国人に多いというB型人間。旅行やサイクリングが大好きという行動派である。85年には海をこえて日本へ上陸。−−(彼女は)通が通であるための演歌歌手といえるのではないだろうか。
●ナミ(羅美)宇崎竜童作曲の「スルプンイニョン(哀しい因縁)」などでよく知られるスーパーアイドル羅美。韓国No.1のポップシンガーである。
●ミンヘギョン(閔海景)こどもの頃から雨の日が好きだったらしい。−−その後の大ヒット曲は「ネインセンウルチャジャソ(私の人生を求めて)」。鉄とコンクリートで囲まれた一室に、アフリカの大草原を投影したような原始ビートが最高!
●パンミ(芳美)ちょっとハスキー、賑やかな歌謡曲。デビューは80年「ナルボロワヨ(会いに来て)」趣味はボーリング。編み物が得意。
●イウナ(李銀河)「気分はソウル」という本の中で水出さんという方が、李銀河のことを「内気なハスキーボイス」と述べておられ、すごいなーと感心。最小にして最大。彼女のイメージを語る表現としては、これ以上のものは他にないと思う。
●イミジャ(李美子)韓国歌謡といえばまずこの人を思いうかべる人も多いだろう。−−*本稿を書くに際して、神戸市のむくげの会が発行する「むくげ通信97号」、山根俊郎さんの研究レポートより多大な引用をさせて頂きました。
●チャンドク(張徳)ヒョニとトギの兄妹デュオとしてデビュー。−−歌手、ソングライター、女優と、多才な実力派アイドルとして人気が急上昇。−−87年前期は、テンポのいい「ニムトナンフ(あなたが去った後)」が、放送回数第一位になるくらいの大ヒットとなった。
●チュヒョンミ(周(火+玄)美)美顔と美声−−天に二物を与えられた若手のホープは演歌街道を着実に進む。必要以上の絶唱を避けたここちよい節まわしが、とかく熱っぽい韓国演歌に新しい涼域を築いている。
●ヘウニ ヘウニファンの人は二つのタイプに分けられるようで、一つは、手の中でふるえる小鳥のような歌声に聞き手の保護本能がくすぐられるという、保護本能派。もう一つは、生命発祥の源である海への退行現象をおこさせるという退行現象派。後者は、平たくいえば、母の羊水の中で、何の心配もなく眠っていたころまでに逆戻りしてしまうということ。人生に忙しい男たちの勝手な音樂鑑賞ではあるが、こっちの方が当っているなーと思うんですがどうでしょう。
例によってMorris.のミーハー趣味が露骨に出て、女性歌手ばかりの引用になったが、もちろん本書には男性歌手も数多く紹介してある。なにしろ先ほど手にいれたばかりということもあって、ちょっと興奮気味で、引用も長めになってしまったが、これでもチェジニ、イソニ、インスニなどまだまだ引用したい女性歌手目白押しで物足りないくらいだ。イミジャのところで、山根さんの名前が出てくるのは、さすがですね(両者とも)。ナミのヒット曲が宇崎竜童作品というのも、ビックリでした。
今夜のKNTV「開かれた音樂会」ではオムジョンファがアルバムタイトル曲「招待」を歌っている。Morris.は4曲目の「POISON」にはまってたが、こちらもなかなかに魅力的だ。黒いドレスに扇子を持っての彼女の不思議なダンスにも悩殺されそう。しかし、こうやって、ほとんどリアルタイムに韓国歌謡の最新映像までも享受できる環境にあるという至福、じつに先の本のタイトル「韓国歌謡現在形」が、日本にいながらにして実感できているのだと思うと、感慨深いものがある。
ちなみにこの「開かれた音樂会」は、今月から日本で放映始まったみたいだが、すごくいいプログラムっす。歌謡あり、民謡あり、クラシックもありで、最近ビデオクリップばかり見てた(見せられてた)Morris.にはすごく新鮮に感じられます。あ、ひさしぶりにイソニが登場だ。昨年離婚したと噂に聞いたが、思いなしか歌声に往年の元気が無いようでもある。イソニ、パイティン!!
1999/02/09(火)
甲子園の小滝歯科で治療受けたあと、梅田に出て、歩いて淀屋橋、中之島公会堂前にある東洋陶磁美術館へ。ここの朝鮮陶器のコレクションは素晴らしくて、とりわけMorris.の偏愛する粉青沙器の名品の数々を収蔵、常設展示してあるので、これらをたまには見ようと思ったのだ。ところがちょうど「英国デイビッド・コレクション展」という特別展やってて、千円も取られた上にお目当ての韓国部屋は展示縮小、ちょっと失敗だった。特別展は英国収集家の中国陶器コレクションで、せっかくだから一通り見たが、やっぱりMorris.にはしっくりこない。おまけにメモ代わりにデジカメに記録してたらガードマンがうるさく制止する。これじゃしょうがないと、韓国部屋で数少ない粉青沙器を写そうとしたら、またまたガードマンが付けまわしてたのか文句を付ける。そもそも美術展や博物館などで写真撮影禁止というのは、止めて欲しい。あれはお仕着せの図版や葉書が売れなくなるからやってるのだろうか?
もちろん混雑してる中でやたらフラッシュ焚いたり、観客をどけさせたりして、迷惑になるのならともかく、Morris.のQVなんかフラッシュもともと付いてないし、シャッター音すらしないし、客のいないところで、こそっとメモ代わりに使ってるんだから、誰にも迷惑はかけてないと思うぞ。ガードマンもそのへんは見て見ぬふりしても罰はあたらないだろうに。パンフレットや絵葉書などの図版をスキャンした方が、奇麗な画像を得ることはできるだろうが、せっかく現場に足を運んだからには、ぼやけてても、小さくても自前の画像使いたいのが人情ってもんじゃないかい。(行ったことないけど、たしかルーブルなんか写真撮影自由なはず。それよりも、万博公園の民族博物館を見習って欲しいぞ。なにしろあそこは、写真撮影はもちろん、展示品手にとって鑑賞できる)
心に潤いをとの目的で出かけた美術館で、逆に心をかさつかせてしまったので、気晴らしの散歩をかねて御堂筋を南下する。大阪丸善も久しぶりに覗いたが、これならもう完全に神戸のサンパルジュンクや駸々堂が勝ってるな。
三木楽器前の「中尾書店」の店先をちょっと冷やかしたら、こはいかに(恐い蟹ではない)? このところMorris.がヨイショしまくってる、京都書院アーツコレクションの新本がトンデモ価格で出ているじゃないか!! まあもともとが文庫で定価1,000〜1,200円なのだが、それが400〜450円。6掛けならぬ6割引き。点数も20種近くあり、すでにMorris.の買ったのもかなり含まれてる。とりあえず、めぼしいものをばたばたと7冊も買ってしまった。それにしても、この大量新本流出はいったいどういうことなのだろう?再版制度の徹底してる日本で、こうやって古本屋のゾッキ本として出る場合は印刷出版した後、返本が多くて見切った商品と相場が決まってるのに、これはゾッキの印(たいてい天地にスプレーなどでマークしてある)もない、まったくの美本だ。安く買えて、るんるんではあるが、ファンとしてはちょっと気になるところでもある。
【和更紗紋様図鑑】吉岡幸雄編★★★☆☆室町時代に南蛮貿易で輸入された南蛮更紗を江戸時代に和風にアレンジした「和更紗」は、エキゾチシズムと日本的なものの融合、窯変、誤魔化し、遊びの付加などで、実に面白い模様世界を現出している。
【日本の藍】吉岡幸雄監修★★★★☆藍染めは日本の特徴と特長を兼ね備えた日本文化の粋といえる。
【縮緬変化】大谷みやこ★★★★☆☆縮緬といえば江戸時代が最盛期だが、本書では皮肉にも「江戸ちり」と呼ばれる明治の型友禅を取り上げている。Morris.なんか、いっそ江戸期のものより、こちらの方が好み。とにかくこのままプリント地にしてアロハ作ったら絶対欲しいってのが山ほど詰まっている。ああ、一枚でもいいからそんなシャツがあればなあ。ため息出そう。
【千代紙】★★★★☆☆ご存知いせ辰の棚卸しカタログみたいな本で、これも以前大型で出たときは図書館で借りてしばらく見とれてたものだ。韓国の友人崔貞姫さんが英国に移る時の餞別の一つとしてこれをあげて、手元に無かったのでさっそく補充。
【ブリキのおもちゃ】★★★☆☆おたから探偵団では華やかなスポットライト浴びて、ブームだが、Morris.はそれほど関心がない。でも、やっぱり、明治、大正のものにはなんとも言われぬ味がある。
【人形・うつし絵・着せかえ・ぬり絵】★★★★三次元の人形より、二次元平面の紙絵がいい。きいちのぬり絵も懐かしい。うつし絵なんて、現代の子は知らないだろうな。今はプリクラがその代役を果たしている。
【明治の輸出工芸図案】樋田豊次郎★★★☆☆☆タイトル通りだが、その下絵となった日本画の鳥獣植物の絵自体が素晴らしい。300頁以上あるのにカラー図版が半分以下というのがちょっとさびしい。
(以上★☆の大盤振舞だが、Morris.はヴィジュアルに弱いんでそこんところ請御理解)
思いがけない収穫に気分よくしてどんどん歩く。道頓堀のグリコのネオンも復活してる。ちょっとデザインが簡略化されてるみたいだが、気のせいだろうか。途中黒いバッシュー衝動買いしたりして夕方に難波に到着。「梅田から難波まで」は、きー坊(上田正樹)と有山じゅんじの歌だが、実際歩いたのは何年ぶりになるだろう。
ひょんなことから電話番号を手に入れた脇薗さんを呼び出して、15年ぶりくらいに再会。彼はヨネミヤ(Morris.が最初に入社したディスプレイ業社)の1年先輩で、勤務時代はよく面倒見て貰ったものだ。今は独立して内装の仕事やってるとのこと。うどんすき食って、Lyraという店でボトルほとんど空けて帰る(^_^;)スナックなんて行くのも、本当に久しぶりだった。ここでもMorris.は店に靴を置き忘れて(履いてる奴じゃなくて買った奴ね)取りにもどり、又も最終快速のお世話になったことも正直に報告しておこう(^_^;)
1999/02/08(月)
朝早出で名古屋に行き9時前に帰宅。先週の大雪の時に比べると順調にいったほうだが、それでもトラックの助手席に往復6時間以上は疲れる。唯一の楽しみは養老サービスエリア(下り)食堂の「カツカレー」。先週で味をしめて、今朝も養老(上り)で普通のカレー食べたらちっとも上手くない。帰りに下りで、また「カツカレー」食べたらやっぱりうまい。それにしても朝晩カレーもないだろうというのが、回りの意見。もっともではある。
斉藤家長男の名前は「のつや」に決まったらしい。ただし漢字はまだで、Morris.にも字選の協力要請があった。しかし、変った名前だ。(なんか、斉藤さんが前に読んだ小説の主人公の名前らしい)
【蔵書票の魅力】樋田直人★★☆☆蔵書票大好きのMorris.なので、期待して読んだのに、はっきり行って期待外れだった。そういえば、この丸善ライブラリという新書シリーズで、これまで、面白いのに当たった記憶がない。Morris.が好きな蔵書票は要するにブックラベルなのだが、筆者はそんなものは蔵書票として値打ちがないと言うスタンスなのだ。蔵書票の歴史や、世界の愛好会とか好事家の収集方法、「正規の」蔵書票に固執するあまり、楽しみをわざわざ遠ざけているのではないか? とはいえ、Morris.好みの数点も引用してあったし、武井武雄の切手型蔵書票には、その形態(ミシン目あり、裏に糊付)は普及してしかるべきだとの感想を持った。(作ってみたいぞ)
【古書無月譚】尾形界而★★★★☆古本屋大好きのMorris.で、もちろん古書店も同断だがこちらはちと敷居が高い。それはともかく、古書業界を舞台にした小説は大体面白くない(エッセイはおおむね面白いのにね)。いたずらに専門知識ひけらかしたり、異常なビブリオマニアをさらに病的に描いたり、変な臭みがあったり、小説になってなかったりなのだが、本書はそのいずれにもあたらない、とんでもない大当たりだった。個人の愛書家が古書店を開き、客から注文を受けた詩集(嬉しいことに、立原道造の「萱草に寄す」)を東京の大市で入札購入しようとするが、さまざまな思惑が渦巻いて、とんでもない高價で取り引きされるが---というのが大まかな筋で、ちゃんと下げも用意されて、それなりに着地もうまく決まっている。本筋以上に脇役の登場人物(古書店主)たちが、それぞれひと癖もふた癖もあって、飽きさせない。中でも憎まれ役の大阪「どう屋」二代目店主のせりふには、古書店側の本音があけすけに語られていて、めちゃくちゃ面白かった。
いわく「金を持っとる客、気持ちの大きい客、本筋を追って目標を高く持っとる客を見つけるんや。五万円以下の安い本をなんぼ買うたかて、そんなんは客やない。その辺に糞と残飯と一緒に臭って流れとるドブや。二千円、三千円の本買うのに五分もどうしようかと決めかねているような奴ははじめから相手にすな。ホウキで掃いたれ」
いわく「客なんてもんは、何も知らんもんや。わしから見たら赤子、でくのぼう、野づらのカカシ、大学の教授や。この本十万で売っとるな、なんて知ったふうなこと言うたら、ほならそれは八万で買うときますわと平気で言うんじゃ。それで客が知らん百万の本があったら一万円で買うとくんや。客は大よろこびやで。十万円の本八万円で買うてくれたんやからな。一万円で買うた本も一万二千円くらいしてんのやなくらいに思うとるわ。あそこは高う買うてくれるいうて広告料なしで宣伝もしてくれる。店の名前とか信用とかはそういうもんや」
まあ、小説だから誇張や粉飾はあるにしても、これだけ徹底されるといっそすかっとする。しかしMorris.にとって一番面白かったのは、後輩への電話でしたり顔で言う次のせりふ
「初版本専門いうてえばっとる? そんなもん相手にすな。どうせ戦後の松本清張とか三クニオ売っとんのやろ。三クニオて誰やて?
小川国夫、辻邦生、塚本邦雄や。署名本と限定本ばっかりぎょうさんありよってからに、そのくせどないにも商売にならん代表作家のこっちゃ。よう覚えとけ。」わっはっはっ(^○^)
Morris.は小川国夫は読まないが、後の二人は結構身入れて読んで来た。でも、確かに愛蔵限定本が多すぎると思ってたのは事実だもんな。しかし、しかし、小説とは言え、こんなこと書いていいのかよ??!!
筆者は古書業界か、さもなくば古書店と頻繁に付合ってる文筆の徒に違いない。当然筆名はいわば匿名だろう。タイトルは「ツキが無い古書」と言うギャグだろうか。いずれにしろ筆者の文章力は水準を軽くクリアしてるし、まだまだネタは山ほどもっていそうだし、何でもいいから、どんどんこのての本書いて欲しいな。読みたい、読みたい。本書の欠点はただ一つ、短かすぎることだ。
1999/02/07(日)
春待ちファミリーBANDのバンジョーピッカー中川みつおの第2理科室にいよいよ連載企画登場。タイトルは「みっちゃんのFolky
night情報」。彼の身近なフォークシンガーの身近なライブを紹介していくコーナー。もちろん中川みつお自身の参加するライブも重点的にピックアップされるはず。みっちゃんファンは、毎週チェックよろしくね。
先月くらいからMorris.のアパートを、でかくて不細工なトラ猫が徘徊している。Morris.は結構猫好きなのだが、こいつはちょっと可愛がる気にはならない。顔に似合わず甘えた声出して、住民の中には定期的に餌やってるものもいるらしい。そんなこんなで、あまり人には頓着しないらしく、試みにデジカメで写したら、こんなにアップで撮れてしまった。(Morris.のデジカメは望遠も無い)。
ね、かなり目つき悪いでしょ。
夜遅く斉藤さんから電話。ずいぶん待たせたあげく本日午後10時に男児出産!!との朗報。母子共に元氣との事。
いやあ、祝賀ハプシダ!!
これで安心して名古屋に行ける。(明日は4時起き)
1999/02/06(土)
春待ちファミリーBANDきっての買い物大魔王小谷君ならではの、元手かかりまくりのページ「音楽室裏倉庫」に連載第3回「Martin
D-28」を掲載。このギターは50年以上も前の名器です。それにしても楽器おたくって金かかりそうだなあ。
サンボ通信部屋に久々の歌集「Alicematics」を追加。永遠の聖少女アリスへのMorris.の片思いを綴った恋文歌集。今読み返すとちょっと気恥ずかしい。
今夜は鶴橋アリラン食堂でコレアンメーリングリストのオフ。三宮図書館経由で出かけることにしよう。
というわけで、お約束の通り、ありらん−ノレバン「ユウ」経由で、最終快速で12時半過ぎに帰宅。よく食った、よく飲んだ、よく歌ったぞお。(この日の模様は高仁鳳さんがデジタルビデオで編集した画像をアップしてるので、物好きな方はhttp://www.kbsjapan.com/korea-ml/を覗いてください。でも結構重いです)
【新・バンコク探検】下川裕治★★★★前作「バンコク探検」が出たのが91年で、Morris.はむさぼるように読んだ記憶がある。これに刺激されてとうとうバンコクに行ったら2日目にバイクに跳ね飛ばされてバンコク探検どころではなくなったが、それでもこの町のあやしい魅力のいくらかは満喫できた。新作もあいかわらずディープなところまでを、さらっと分かりやすく解説してある。バンコクに関する本はこの人と前川健一の二人で充分だと思う。当地には浜田が住みついているし、先般松尾のりひこも行ってきたばかり、そろそろMorris.も敵討ち??に出かけたいものだ。日本きってのバンコク通であるばかりでなく、バンコク−タイへの愛情の深さも半端でない著者が交通機関(特にバスに関する部分は圧巻)、料理、風俗などからタイの本質を炙り出して見せるその筆力と、抜群の体力、飽くなき好奇心ともに感服の一語に尽きる。なんたって面白いっす。マル
1999/02/05(金)
右上の歯の被せが取れたので、甲子園の小滝歯科へ。ここはずっと以前に富阪さんに紹介してもらって以来、15年くらい掛かりつけ。もうかなり老齢の先生だが腕は確かで、何より残ってる歯をなるべく抜かずに治療する方針がありがたい。地震の直後には、全壊したというMorris.の話を聞くと、即無料にしてくださった(まだ、補償の話が出る以前)。これは絶対忘れられない。その帰り、今津で途中下車して、三浦さんの「珈琲香房」に寄る。本当に久しぶりで、多分2年近く前に購入したMorris.の珈琲券はまだ壁に留めてあったが、まだ8枚も残ってる(^_^;)
共通の友人の話も、なかなか会えなくなったねという話題ばかり。去る物日々にうとし、だな。
東京のふくはらかおりさんから「てくてくしんぶん」117号届く。旅行好きなふくはらさんのミニコミで、創刊はサンボ通信とほぼ同じなのに、40号で休刊中のサンボとは、どんどん差がついてしまうなあ(;_;)
ふくはらさんはサンボにも手描きのイラストコラム「ぷらぷら日記」を連載してた。これも好評だったよな。うーーん。でも、彼女もこの半年くらいはいろいろしんどい事が続いたみたいで、今号も約半年ぶり。サンボもいつか捲土重来を夢見ても悪いことはないだろう。
午後5時からは、毎日テレビ「おかえりワイド」録画しながら見る。今日は地元六甲の特集で、春待ちファミリーBAND以外にも馴染みの店やスポットが取り上げられてて結構面白かった。バンドの場面は2分くらいでこれはまあ予想していたとはいうものの、物足りなかった。さくらで来てもらったファンの吉田さんが一瞬アップで映ってましたね。
福岡の深町さんから辛子明太と博多ラーメン送ってくる。さっそく夕食に頂く。懐かしい味だ。感謝。彼女は大学の同窓で、日本語教師やってて、海外の留学生などホームステイさせたり、逆に息子らを中国に行かせたりと、国際交流に熱心だったが、昨年仕事一時休止したと賀状にあったのでちょっと心配になって、便り出したので、お届け物はそのお返しだったらしい。
社長宅に電話したら、斉藤・つよし夫婦が来ているから遊びにおいでとのこと、おいおい、出産はどうなったんだと思いながら出向く。井山もいて、普段とあまり変りない団欒風景。な、な、なんなんだこれは!!??と思いながら結局飲んでしまうと、どうでもよくなるのはMorris.の常で10時まで飲んで帰る。井山とやっちゃんはキャラクターのお絵描き合戦、ひろこはバスケットのビデオに熱中。さりーちゃんは自転車盗られたとかで、ご機嫌斜めだった。井山から、MORGAN'S
BARなどの予定もらったので、井山あきのりの病室に追加しておく。
【歌集 赤光】齊藤茂吉★★★歌人を標榜しているのに、なぜかMorris.は茂吉がわからない。近代短歌の最高峰とも目される彼の歌を読んで、感動した記憶が無いのだ。塚本邦雄、岡井隆ほか、数多くの歌人評論家が茂吉論を書いて、そのいくつかは目を通してるし、たしかにすごいらしいことは分かるのだが、白秋や晶子や牧水、勇、佐美雄、史修司などなどの好きな歌人の作品を読んで感じる、ぞくぞく、どきどき、うっとり、わくわく、びっくりといった心の昂ぶりが感じられないのだからしかたがない。Morris.には、鑑賞能力が欠けているのかもしれない。この高名な「赤光」もたぶん3度目くらいになるのだろう。今さら読み直したのは、一昨日名古屋大須のノムラ古書店で、初版の復刻版が、たった300円で出てたので思わず買ってしまい、今日までに読み通したわけだが、千首前後のかなり多めの歌の中で、先の評論などでお馴染みのもの、名作として世評の高いものは散見するのだが、Morris.の琴線に触れたものはあまりなかった。調べの美しさとか、精神の澄明さなどは何となくわかるんだけどね。強いてあげればこの一首かな。
・猫の舌のうすらに紅き手の触(ふ)りのこの悲しさに目ざめけるかも
【家紋の話】泡坂妻夫★★★★☆☆日本の家紋の美しさにはかねてから注目していた。適当な紋帳の一冊くらい欲しいよなと思って、時々古本屋で物色してたが、なかなかこれというのにあたらずにいた。本書は推理作家として名を成している作者が、実は紋の上絵師を本業としていることから、家紋の歴史や分類を啓蒙的に解説したもので、学問的と言うより、その意匠の美と面白さを中心に据えて論じてるだけに、Morris.も我が意を得たりと言う気にさせられた。紋の研究書と言えばなにをさて置いても代表とされる「日本紋章学」(沼田頼輔)に対しても、実証を重んじるあまりに、後世の改良、新作、手直しなどを堕落のように捉えることへの異議申立てを、いわば実作側の立場から堂々と反駁したり、特にこの大著に引用されている紋の図の貧弱さを指摘するあたりは痛快ですらある。とにかくこれは、家紋の門外漢にもわかりやすくその世界の全貌を知る事が出来る良書であるばかりでなく、さすが本職ならではの、紋の図も納得の高水準だし、点数も必要十分で、これは是非手元に置いておきたくなる一冊だ。唯名論者のMorris.は、それぞれの紋の名称にも魅了される。
「結び雁金」「三つ入れ子枡」「蝶車」「石持鉄砲松皮菱に三菱」などなどいわくありげな名で、上絵師はこれだけで特定の家紋を描けると言う。とにかく、これは心技体充実した名著であると断定する。
1999/02/04(木)
ひーーーっ!! 名古屋に行ったのはいいけど昨夜の大雪にたたられて、帰ってきたのが4日の午後10時過ぎ。名神、名阪ともに渋滞と通行止めで、神戸から来るはずのトラック結局これなくなり、名古屋で手配したがこれがまた渋滞で遅れてこの結果だが、昨夜は節分で、泊まったホテルのすぐそばが大須観音で、豆撒きの催しが見物できた。大雪の中で震えながら豆を撒いてるスナップを撮ったが、ちゃんと写ってるかどうか?
疲れたので今日はもう寝る。斉藤さんからの連絡は入ってない。
1999/02/02(火)
突然今夜から名古屋行きになってしまった。早ければ明晩、遅くとも明後日には戻る予定。昨日が出産予定日だった斉藤宅に電話したら、当のつよしが出て、まだ生まれそうにないの、と、のんきな応答だった。
1999/02/01(月)
何か今日も一日中疲れが取れなかった。夜風呂入ったとき、ビオレ洗顔フォームのつもりで、キシリデント(LIONの歯磨きね)思いくそ使ってしまったMorris.です。えらく、すーすーすると思ったよ(^_^;)
【盲目の鴉】土屋隆夫★★★☆【影の告発】土屋隆夫★★★読んだ順で並べたが発表は前者が昭和55年、後者が昭和49年。何で今ごろこんなオールドウェーブをほじくりだしたかというと、先の大西巨人が彼の事に好意的に触れていたことを覚えていて、つい図書館で目にとまったことによる。どちらも検事が探偵の役をするし、トリックが電話の利用、田中英光、大手拓次、藤村、牧水などの文芸作品がストーリー展開に絡むこと、過去の深層記憶が犯罪の原因をなすなど、共通点が多く、この2作だけで、作風が分かった気になる。心理分析や、人格描写も的確で、文章も結構読ませる。嫌いなタイプではないが、何ぶんにも古びている。リアルタイムで読むべき作家だったのだろうな。