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Morris.2015年読書控
Morris.は2014年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点
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2014年








2015143
【本格小説】水村美苗
2015142
【母の遺産 新聞小説】水村美苗
2015141
【流星ひとつ】沢木耕太郎
2015140
【定本 想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行】B.アンダーソン
2015139
【東京自叙伝】奥泉光
2015138
【文化亡国論】笠井潔、藤田直哉
2015137
【日本劣化論】笠井潔/白井聡
2015136
【リバース】相場英雄
2015135
【すらすら読める方丈記】中野孝次
2015134
【ポエムに万歳!】小田嶋隆
2015133
【嘘だらけの日韓近現代史】倉山満
2015132
【おしょうしな韓国 ほのぼの韓流100話】木口政樹
2015131
【植調 雑草大鑑】 浅井元朗
2015130
【原発ホワイトアウト】若杉列
2015129
【ラーメンと愛国】速水健朗
2015128
【漂流者たち】柴田哲孝
2015127
【校閲ガール】宮木あや子
2015126
【デジタル一眼 構図の教科書】上田晃司他
2015125
【李光洙 (イ・グァンス) 】波田野節子
2015124
【私の「情報分析術」超入門】佐藤優
2015123
ヒロシマ三部作】那須正幹
2015122
【もどろき】黒川創
2015121
【国境[完全版]】黒川創
2015120
【暗殺者たち】黒川創
2015119
【憎悪のパレード】石田衣良
2015118
【宮沢賢治殺人事件】吉田司
2015117
【沼地のある森を抜けて】梨木香歩
2015116
【からくりからくさ】梨木香歩
2015115
【雪と珊瑚と】梨木香歩
2015114
【家守綺譚】梨木香歩
2015113
【冬虫夏草】梨木香歩
2015112
【震える牛】相場英雄
2015111
【共震】相場英雄
2015110
【星宿への道】宮本輝
2015109
【ほとんど人力】菅原文太
2015108
【問いかけとしての戦後日本と日米同盟】寺島実郎
2015107
【明暗】夏目漱石
【續 明暗】水村美苗
2015106
【戦争の谺 軍国・皇国・神国のゆくえ】川村湊
2015105
【死神の浮力】伊坂幸太郎
2015104
【タブーの正体!】川端幹人
2015103
【朦朧戦記】清水義範
2015102
【関東大震災の想像力】ジェニファー・ワイゼンフェルド 篠儀直子訳
2015101
【脳力のレッスン156 特別篇 江戸期の琉球国と東アジア、そして沖縄の今】寺島実郎
2015100
【激昂のスティグマ】中山七里
2015099
【なんといふ空】最相葉月
2015098
【吾輩ハ猫ニナル】横山悠太
2015097
【屋上のあるアパート】阿川佐和子
2015096
【日本語とハングル】野間秀樹
2015095
【この国。】石持浅海
2015094
【さよならドビュッシー】中山七里
2015093
【バカだけど社会のことを考えてみた】雨宮処凛
2015092
【安保と原発】 石田雄
2015091
【64 ロクヨン】横山秀夫
2015090
【震度0(ゼロ)】横山秀夫
2015089
【詩のこころを読む】茨木のり子
2015088
【ラスト・コード】堂場瞬一
2015087
【新版 テロルの現象学】笠井潔
2015086
【警官の血】佐々木譲
2015085
狭山事件 石川一雄、41年目の真実】鎌田慧
2015084
【トンネル工法の“なぜ”を科学する】大成建設
2015083
【共鳴】堂場瞬一
2015082
【世界地図の読み方】池上彰
2015081
【チャイナ・インベイジョン 中国日本侵蝕】柴田哲孝
2015080
【名作うしろ読み】斎藤美奈子
2015079
【闊歩する漱石】丸谷才一
2015078
【在日朝鮮人:歴史と現在】水野直樹、文京洙
2015077
【日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土】孫崎享
2015076
【検証 尖閣問題】孫崎享
2015075
【いい階段の写真集】 BMC(ビルマニアカフェ) 写真 西岡潔
2015074
【紀州 木の国・根の国物語】中上健次
2015073
【新しい国へ-美しい国へ 完全版】安倍晋三
2015072
【命こそ宝(ぬちどぅたから) 沖縄反戦の心】阿波根昌鴻
2015071
【火花】又吉直樹
2015070
【北朝鮮ポップスの世界】高英起、カルロス矢吹
2015069
【日本の島々、昔と今。】有吉佐和子
2015068
【文字の食卓】正木香子
2015067
【京の路地裏植物園】田中徹
2015066
【戦後日本史の考え方・学び方】成田龍一
2015065
【本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」】前泊博盛
2015064
【最後の詩集】長田弘
2015063
【残夢の骸】船戸与一
2015062
【かあちゃん】重松清
2015061
【漢字からみた日本語の歴史】今野真二
2015060
【日本語が亡びるとき】水村美苗
2015059
【日本語で書くということ】水村美苗
2015058
 【日本語で読むということ】水村美苗
2010057
【フジモリ式建築入門】藤森照信
2015056
【西洋館を楽しむ】増田彰久
2015055
【冬の鷹】吉村昭
2015054
【戦後史の正体 1945-2012】孫崎享
2015053
【夏目漱石「われ」の行方】柴田勝二
2015052
【校正という仕事】ヴェリタ編
2015051
【トライアウト】藤岡陽子
2015050
【煩悩の子】大道珠貴
2015049
【ナグネ : 中国朝鮮族の友と日本】最相葉月
2015048
【二畳で豊かに住む】西和夫
2015047
【旅のうねうね】グレゴリ青 山
2015046
【芭蕉入門】幸田露伴
2015045
【韓国歴史漫歩】神谷丹路
2015044
【植民地朝鮮の残影を撮る】中野茂樹
2015043
【韓国 近い昔の旅】 神谷丹路
2015042
【濁流】蔡萬植 三枝壽勝訳
2015041
【調律師】熊谷達也

2015040
【女中譚】中島京子
2015039
【昭和の犬】姫野カオルコ
2015038
【韓国の「昭和」を歩く】鄭銀淑
2015037
【「踊り場」日本論】小田嶋隆 岡田憲治
2015036
【雁】森林太郎
2015035
【新・廃墟の歩き方  探訪編】栗原亨
2015034
【ペンギン・ハイウェイ】森見登美彦
2015033
【東京バンドワゴン】小路幸也

2015032
【あん】ドリアン助川
2015031
【コラム道】小田嶋隆
2015030
【本よみの虫干し】関川夏央
2015029
【浮き世のことは笑うよりほかなし】山本夏彦
2015028
【銀の匙】中勘助
2015027
【すべて真夜中の恋人たち】川上未映子
2015026
【ヘヴン】川上未映子
2015025
【原発広告と地方紙】本間龍
2015024
【韓国語概説】イイクソプ 前田真彦訳
2015023
【そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります】川上未映子
2015022
【小暮写眞館】宮部みゆき
2015021
【あまちゃん 連続テレビ小説】宮藤官九郎
2015020
【夏目さんちの黒い猫】 関川夏央
2015019
【やむを得ず早起き】関川夏央
2015018
【遠ざかる韓国 冬扇房独語】田中明

2015017
【情報のさばき方】外岡秀俊
2015016
【見仏記 ぶらり旅篇】いとうせいこう、みうらじゅん
2015015
【ガソリン生活】伊坂幸太郎
2015014
【TENGU】柴田哲孝
2015013
【中国毒】柴田哲孝
2015012
【残り全部バケーション】伊坂幸太郎
2015011
【「対米従属」という宿痾】 鳩山由紀夫、孫崎亨、植草一秀
2015010
【ヒーローインタビュー】坂井希久子
2015009
【エロの「デザインの現場」】有野陽一
2015008
【思想地図 β 特集震災以後】東浩紀編集長
2015007
【『噂の真相』25年戦記】岡留安則
2015006
【神戸のまちづくりその光と影】尾形誠宏
2015005
【GEQ Great Earth Quake】柴田哲孝
2015004
【小説 電通】大下英治
2015003
【洗脳広告代理店 電通】苫米地英人
2015002
【増補版 電通の正体週刊金曜日取材班
2015001
【電通と原発報道】本間龍

2015143
【本格小説】水村美苗 ★★★☆ 2002/09/25 新潮社。初出「新潮」2001-02
1990年「續明暗」を発表した後、12年後に書かれたこの「本格小説」は、嵐が丘をプロットの下敷きにした、本格長編(^_^;)である。 Morris.は水村作品が気になりながら、ずっと読まずにいた。デビュー作が漱石の未完の遺作の続編というスタイルだったので、前作?を読んでなかった Morris.は手を出さずじまいだった。

雨が屋根を叩きつけるように降っている。風はなく、大きな瀧となって天からひたすらなだれ落ちる雨の勢いに、あたかもこのあたり一帯が水底に沈んでいくようであった。
やがて祐介はぽつぽつと話し始めた。そうしていったん話し始めるともういつまでもやまなかった。私は深い眠りを眠りながら聞くように祐介の話を聞いてい た。今という時間も消え、ここという場所も消え、祐介も私も消えた。現実がすっかり消えてしまった眼に、四方の壁についた小さい電球が黄色い光を放つの が、闇夜にちらちらと揺れる鬼火のように見える。家の外から自然の猛威が押し寄せてきているのも、自分を離れたどこか遠い出来事のようであった。

「私小説」的な作品とは、実際に小説家が自分の人生を書こうが書くまいが、究極的 には、それが作り話であろうがあるまいが、何らかの形で読み手がそこに小説家その人を読み込むのが前提となった作品である。「私小説」的な作品において は、書き手は抽象的な「書く人間」である以前に、具体的な甲や乙といった小説家--写真を通じてその顔が世間で知られたりしている、具体的な個々の小説家 なのである。それ故に「私小説」的な作品においては、書き手が、書き手自身の人生を離れずに書くこと自体が、読み手にとって正の価値をもつ。のみならず、 そこではその作品が、初めもなければ終わりもないこと、断片的であることなど自体が正の価値をもつ。具体的な人生経験とは、まさに初めもなければおわりも ない。断片的なものでしかありえないからである。すなわち、「私小説」的な作品においては、言葉によって個を超越した小宇宙を構築しようという、全体への 意志がないように見えることこそが、読み手にとって正の価値をもつのである。
なぜ、日本語では、そのような意味での「私小説」的なものがより確実に「真実の力」をもちうるのであろうか。逆にいえば、なぜ「私小説」的なものから隔た れば隔たるほど、小説がもちうる「真実の力」がかくも困難になるのであろうか。(本格小説の始まる前の長い長い話)


つまり水村は「私小説」とは違う「本格小説」を書くのだという決意を表明している。実は95年に「私小説 from left to light」という作品を発表している。未読だが、日本語と英語を混交させた作品らしい。それだけで、Morris.はもう読む気になれないし、いまいち 水村の作品が読者を獲得できない理由なのかもしれない。

「民主主義は大変結構よ。わたくしはそんなものには反対しませんよ。でもね、『女中』っていう言葉をね、昔のことを話してたって使えないって、それはいったいどういうことなんですか?」
ただでさえきつい眼が光を増した。
「昔はああいう人たちはどのお宅にもいたのに、『女中』って言葉を使えなかったら、ああいう人たちのことをどうやって話すの? あんな人たちはいなかったってことにしたいの?」
日本ていう国はね、そういうことにしたいのよ、言葉を使わなかったら事実が消えると思ってるの、そして女中がいたなんて事実は消えた方がいいとおもってるの、と冬絵が応えた。(クラリネット・クインテット)

この小説のおかげではなかろうが、最近はこの「女中」という言葉は結構使われてると思う。しかし、女中に限らず、禁止用語あるいは、出版社の自主規制用語は、逆に増えているようでもある。

よう子ちゃんはすっかり清潔になってゆう子ちゃんのパジャマを着て立っている太郎 ちゃんを見るとびっくりし、次の瞬間にはスカートのうえのものを取り落として立ち上がると、跳ねるようにして近づいてきました。よかった、きれいになっ て、と襟のあたりに顔をもってきて、ああ、いい匂い、と鼻孔を膨らませて嗅ぎます。太郎ちゃんも鼻孔を膨らませてそおっとよう子ちゃんの匂いを嗅いでいる ようでした。よう子ちゃんは体温が高いせいか首のあたりからいつもミルクのような甘い匂いがするので、それを嗅いでいたのかもしれません。この先この二人 の子供たちがどうなるかなどということはわたしも考えず、ただこの小さな男の子の胸のうちを思いやって、ほっとしたものとみえます。
隣の座敷でわたしが太郎ちゃんの下着や服をアイロンで乾かしている間もよう子ちゃんが何やら亢奮しておしゃべりしているのが聞こえます。ほころびを縫って いるあいだもその声はやみません。やがて板の間の続きにある子供部屋に一緒に行ったらしく、遠くからもまたその声が聞こえてきます。太郎ちゃんの声は耳を 澄ましてもそんなに聞こえてきませんでした。
よう子ちゃんの熱に浮かされたようなおしゃべりがずっと続き、それが太郎ちゃんが、至福と煉獄の間を生涯さまようことになる関係にひきこまれていく始まりでした。(DDT)

和製ヒースクリーフ、太郎と、キャサリン、よう子の幼時の至福と煉獄の時間の始まりである。

大きく瞠った眼をことさら大きくしばたいている。(桜の園)

これは、漱石の続編を書こうという作家が「しばたいて」などというミスをしてどうするのぢゃ、という重箱の隅つつきである。

それを聞いたわたしは黙って手をこまねいている気にはなりませんでした。(ハッピーヴァレイ)

これも、Morris.がしつこく嫌っている「手をこまねいて」表記への批判。

男は最後に日本に話を移した。
「もう日本には帰ってくるまいと思っているせいか、日本のことをよく考えるんです」
暗い眼で庭の先の方を見ている。庭の先は藪となっており、その先には藪にほとんど隠された黒ずんだ廃屋がある。廃屋を上から覆う雑木の無効にはさっきまで晴れていたのにまた垂れこめた空が望めた。
「こんな国になるとは思っていませんでした」
表情のない声であった。
「だいたい、こんな金持になるとは思っていなかった」
唇が一瞬つれてから元に戻った。
「でも何となくもっとましな国になると思っていた」
暗い眼はそのまま庭を見続けていた。
「何がいけないんでしょうか」
男は祐介の生真面目な顔を見て何と返事をしたらよいのか迷う風を見せた。祐介は深く考える前にまた訊いた。冬絵が言っていたという言葉が耳に残っていた。
「軽薄なんでしょうか?」
二十六年間の人生で祐介自身うすうす感じていたことかもしれなかった。
「軽薄……」
男はそうくり返してからぽつっと言った。
「軽薄を通り越して希薄ですね」
シャンペン・グラスを眼線まで上げて泡を眺めながら続けた。
「この泡みたいな感じ……ほとんど存在していないような感じがする」
そう言ってから祐介の方を見て思い出したように、そう言えば、あなたは三バアサンに会ったんでしたね? と訊き、祐介がうなずくと、今、富美子が引き留められている軽井沢の知人の家というのはその三バアサンの家であると説明した。
「今となってみると、あの三バアサンは少なくとも希薄ではなかったって、そんな風に思ったりもします」
また唇がつれた。(ハッピーヴァレイ)


追い出されてアメリカで富を築いて、復讐に戻ってきた男が、得たものが軽薄どころか希薄な存在となった日本というのは、アメリカで思春期を過ごした水村の実感と重なるのかもしれない。
Morris.はそれなりに結構面白く読めた。


2015142
【母の遺産 新聞小説】水村美苗 ★★★☆☆ 2012/03/25 中央公論社 初出「読売新聞」土曜朝刊(2010/01/16~2011/04/02)

先の「本格小説」の10年後に刊行されたものだが、初出にあるように読売新聞に連載(毎週土曜日)もので、終盤が、東日本大震災の3・11とかぶさっている。もちろん、偶然なのだが、きっちりそれを作品に取り入れている。
本作は「金色夜叉」尾崎紅葉を、下敷きにした作品らしいが、本家本元が、明治30年から5年にわたって「讀賣新聞」に連載されたから、これはかなりに作為 的である。実は、Morris.が最初に読んだのがこの作品で、これが実に面白かったので、他の作品も読む気になったのだった。

Gメールの画面が目に入ったとたんである。言いようもない不快感が胸に広がった。 夫と女が交わした言葉は、世界のどこにあるのか何か所にあるのかもわからない、グーグルの情報貯蔵庫に幾重にも保護され、自分の死後も残る。哲夫と女の死 後も残る。昔は人が死に、その人を記憶する人が死ねば、その人が存在したという事実は残らなかった。人の身体が塵芥(ちりあくた)に戻り、自然界の原子の 一部となってしまうのと同様、その人の存在は無に返っていった。
何と清らかなことだったであろうか。
それが今は一度何かをウェブに載せてしまえば、あたかも人類が文字を発明した罰ででもあるかのように、まさに「ちりあくた」としか言いようのない類いの言 葉でも、億、兆、京のそのまた何億倍という単位でほぼ永久に残る。21世紀の初頭に平山美津紀という五十代の女がいて、若い女のために夫に捨てられようと しているという記録がほぼ永久に残る。
何たる屈辱であろうか。(36「ちりあくた」)

これって、きっと水村の本音だろう。小田嶋隆が同じようなこと書いてたし、通説と言っていいかもしれない。しかしこれを「屈辱」と吐き出すあたりが、いかにも潔癖症の彼女らしい。

この小説は自分のことを書いてあるのでは、と怪しんだ女がフランス中にいたという。以来、小説を読みすぎ、人生に華やかなものを期待しすぎることを人は「ボヴァリスム」と呼ぶようになった。
「恋、恋人、恋女」と恋愛を飽きもせずに謳いあげたのが、西洋の小説であり、それが日本に押し寄せてきたのは、明治の途中からである。一千年以上前から 『源氏物語』をもつ日本文学だが、色恋沙汰はあまたある主題の一つでしかなかった。ところが、明治、大正、昭和と日本に入ってきた西洋の小説は、ほとんど 恋愛一辺倒である。そのような小説を読むうちに、日本人の心も男と女の関係に関して浪漫的になり、贅沢になり、身の程知らずになり、親や親戚や近所の人が 決めた結婚相手では満足せず、エンマのように、小説に出てくるような、美しく恋を語れる相手を求めるようになっていく。当然現実に対する不満も増えてい く。母のように床屋の跡取り息子との縁談を逃れて「横浜」へ飛び立ったりする。みなが自殺をするわけではないが、それぞれに不満を抱えながら、小さな人生 を生き、死んでいく。
小説とは罪作りなものである。(46 夫婦茶碗)


「ボヴァリー夫人は私だ」というのは、この作品をめぐる風紀紊乱裁判の公判で、作者フロベールの言葉として有名だが、自分のことだと思ったフランス女性が たくさんいてそれが「ボヴァリスム」という言葉まで生み出したとは知らなかった。「小説とは罪作り」というのは自負心なのだろう。

時は百十年以上前の、明治三十年。「讀賣新聞」で尾崎紅葉の『金色夜叉』が始まった。
その影響はのちにも尾を引き、映画というものが誕生してから、なんと20回以上も映画化されている。日本の統治下にあった台湾でも映画化されている。テレ ビというものが誕生してからは、何度もテレビ化されている。演歌師の作った歌も、今の若い人はもう知らないが、美津紀の小さい頃はだれでも知り、熱海の海 岸での有名な場面は彫刻にもなっている。
間貫一のような男にこそ愛されたい--とそう思うようになった日本の女たちは、まさに和製「ボヴァリスム」に陥ったと言えるのではないか。(48 『金色夜叉』)


そう、金色夜叉はほとんど国民的メロドラマであり、熱海の海岸でのシーンは超定番ギャグ(^_^;)でもある。韓国でも植民地時代に「長恨夢(チャンハン モン)」のタイトルで翻案され、大ヒットした。「韓国を輝かせる百人」とい歌の中にも、「이수일(イスイル)과 심순애(シムスネ)」という一節がある。イスイルが貫一、シムスネがお宮の韓国版である。

たしかに新聞のない生活は考えられなかった。ナットー、ナマチャン、トットットッ プーと納豆を売る豆腐屋が吹く喇叭の音。それと同じように、子供がランドセルを鳴らしながら駆ける音、新聞を取り出したあと、カタンと郵便ポストが閉まる 音も、朝の喧騒の一部であり、欠かせないものであった。
祖母が死んだあとは、母は母の見解を述べた。
「あのおばあちゃんが『金色夜叉』を読めたっていうこと自体が信じられないわ」
『金色夜叉』は漢字だらけの美文調、文語体の小説である。いくらルビがついていたとはいえ、今の日本語ほどかんたんには読めない。のちに知ったが、連載さ れたころは、漢文学に親しんでいた読者の楽しみのため、漢文の文章も入っていた。そんな新聞が、日本の津々浦々まで、「民主主義」や「個人」や「自由」な ど、西洋からの翻訳語を盛りこんだ記事を届け続け、新しい日本語と日本人とを次第に作っていったのであった。(53 「パパ、ママ好き」)


昔の新聞は総ルビ活字だった。単行本もたいていがそうだった。いや、戦後でも文学全集などは総ルビだったと思う。Morris.が割と漢字の訓みに強いのは、子供の頃読みふけった総ルビの本のおかげだと思う。
しかし、金色夜叉の新聞連載には漢文も併載されてたというのは驚きである。

『金色夜叉』といえば、西洋の宝石の王者である金剛石が有名で、金剛石といえば、出だしのお正月の歌留多遊びの場面が有名である。
奈津紀がリンクを送ってきたスライド・ショーは、昔ああいう時代があったのを思い出させてくれたが、その「時」は、今とは結びつかなかった旧い過去はすべ てが伝説のように美しく、最近の過去はどこまでも醜かった。若いときの母と老いてからの母と同じようだと思った。(54 歌留多遊び)


金剛石はもちろんダイヤモンドで、「金剛石(ダイヤモンド)に目がくらみ」というのは、金色夜叉の謳い文句みないなものだが、小説には出てこなくて、芝居になった時に作られたものらしい。過去の美化は許すべきだろう。

その前年ぐらいに、新聞の一面に『金色夜叉』の種本が特定できたという記事が載り、母を驚かせたあとだったからである。種本は、アメリカの読み捨てのダイム・ノベル、日本語でいえば、三文小説だったという。
新聞を広げてみれば、バーサ・M・クレーという作家が書いたもので、『女より弱きもの』というのが原題の訳であった。
明治時代の小説家にとって「恋、恋人、恋女」を謳った西洋の小説を翻訳するのみならず、それを翻案して自分の小説を書くのは日常茶飯事であった。作家の尾 崎紅葉も種本があるのを隠していたわけではない。そのようにして日本の近代小説が成り立っていったというたった百年前の歴史を日本人が脳天気に忘れ、新聞 で驚かされたというだけであった。(59 小説にもならない)


浜の真砂は尽きるとも世に盗作のネタは尽きまじ。だが、ネット世界になってからは、盗作もなかなか難しくなってしまった。

欲望に突き動かされ続ける母の存在--諦めというものを知らず、虎視眈々と隙を狙 い、何かに感動し、生きていることの証を欲しがり続ける母の存在は、なんとおぞましかったことか。老いは残酷で、精神が空高く飛翔し血が湧き踊るのをいく ら欲しても、感動を命の泉として受けられる杯そのものが、年ごとに浅くなっていく。母が人生から感動を求め続ける姿は、しまいに、いつも飢えと乾きに苦し む餓鬼道に落ちた亡者のような様相を帯びてきた。あるいは荒淫が不可能になった人間が、今一度の快楽の刹那を追い、さらに激しく荒淫を求めるのに似てき た。そんな母を見ていると自分の血がどろどろと腐ってくるのが感じられた。
老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらい は訪れるのではないか。それも、母親が老いれば老いるほど、そのような瞬間は頻繁に訪れるのではないか。しかも女たちが、年ごとに、あたかも妖怪のように 長生きするようになった日本である。姑はもちろん、自分の母親の死を願う娘が増えていて不思議はない。今日本の都会や田舎で、疲労でどす黒くなった顔を晒 しつつ、母親の死をひっそりと願いながら生きる娘たちの姿が目に浮ぶ。しかも娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目に する苦痛--自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。
若いころは抽象的にしかわからなかった。「老い」が、頭脳や五体を襲うだけでなく、嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚すべてを襲うのがまざまざと見える。あれに向かって生きていくだけの人生なのか。(61 海の底の光)

「老い」についていろいろ考えるのは、やはり自身が老いを感じるようになったという証拠だろう。水村はMorris.より二つ年下だから、これを書いたの は還暦前後だろう。タイトルが「母の遺産」だから、もちろん娘が母の死を願う理由の一つにそれが無いとはいえないが、そこはかとユーモアを感じさせる表現 でもある。「女たちが妖怪のように長生きする日本」がははは\(^o^)/

文庫本の感触は懐かしいものであった。美津紀の祖母には新聞小説があった。母には 小説と映画があった。二人ともそれだけで充分に夢を羽ばたかせて生きたのに、今の美津紀にはさらにたくさんのものが与えられていた。コンピュータに向かえ ば、さまざまな国のさまざまな時代の物語が、この世に何回生まれ変わろうと見尽くすことができないほど溢れ出し、そこには息を呑むような画像と音楽もつい ていた。それでいて--いやそれだからこそ、美津紀は、最近ますます文字でつづられただけの物語へと戻っていっていた。書かれた言葉以上に人間を人間たら しめるものがあるとは思えなかった。

ネット中心の世界へのささやかな反抗心。活字・文字への信仰告白。これにはMorris.も強い共感覚える。評点のいくらかはこの一節に負ってる。

引越したのは3月の10日--美津紀の祖国である日本が、大きな不幸の波に呑まれる前日であった。

最初に書いたとおり、新聞連載中に3・11の大震災が起きた。当然作者はここまでのストーリーに変更を余儀なくされたはずだ。

次の日、荷ほどきをしていると、古いマンションの床が立っていられないほど揺れ、美津紀は段ボール箱のあいまにしゃがみこんだ。
北のほうで海が躍り、波が押し寄せ、恐ろしい勢いで多くの人が命を失い、親しきを失い、家を失い、あれよあれよというまに海岸沿いが死者と瓦礫でうずたか く盛り上がったのを知ったのは、奈津紀との電話が通じてからである。しかも災いはそれだけでは収まりそうにもなかった。新しい一歩を踏み出したとたんに、 箱根の闇とは異質の、あまりに現実的な闇に放りこまれた美津紀は、テレビがつながってからは、毎日テレビとコンピュータの前に釘づけとなって呆然と時を過 ごした。
日本の多くの人が、ひさびさに、日本のことばかりを思う毎日であった。


「ひさびさに」日本のことを思った人々が、5年経ったら、すでに「風化」である。人の事は言えない。Morris.も思い新たにせねば。

4月に入って二日目の朝である。
起きてLDKに出てみれば一夜のうちに、池の周りに白い雲が広がるのが黄金色のオーガンジーを通して見える。息を呑んで薄い布を引けば、白い雲は桜の雲となった。
生きている……こうして私は生きている。
母が二度と見ることはない桜の花は、いづれ美津紀も二度と見ることがなくなる桜の花であった。(66 桜が咲いた日)


災害から一ヶ月も絶たないうちに、桜の花に思いを集約するというのは、あまりに安易というか、逃げではないかと思ってしまったのだが、これはショックの大きさに、言葉を失った結果ということにしておく。



2015141
【流星ひとつ】沢木耕太郎
★★★☆
2013/10/10 新潮社
藤圭子を書いた本といえば、五木寛之の「怨歌の誕生」を思い出すが、沢木がこんな本を出してるのは知らずにいた。1979年、藤圭子が最初の引退宣言した 直後にホテルでのインタビューを核として、「一瞬の夏」と並行して書き進められたものの、結局未発表のままお蔵入りしてたらしい。そして、2013年8月 藤圭子がマンション13階から飛び降りて死去した2ヶ月後に本書が発行されている。年譜ふうに整理しておこう。

1947年11月29日 沢木耕太郎 東京都大田区誕生
1951年7月5日  藤圭子 岩手県一関市に生まれる。
1969年9月25日 藤圭子「新宿の女」で歌手デビュー。
1970年4月25日 -藤圭子 「圭子の夢は夜ひらく」発売
1971年 藤圭子 前川清と結婚。
1972年 藤圭子 前川と離婚。
1974年 フランスオルリー空港で偶然の出会い
1974年 藤圭子声帯ポリープ除去手術
1976年 沢木「敗れざる者たち」
1978年 沢木「テロルの決算」
1979年 藤圭子 引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
1979年秋 ホテルニューオータニでインタビュー(本書の核)
1981年 藤圭似子の名で芸能界に復帰。
1981年 沢木「一瞬の夏」
1982年 藤圭子 宇多田照實と結婚(再婚)。
1983年 藤圭子 長女光(宇多田ヒカル)を出産。
1984年 藤圭子 芸名を藤圭子に戻す。
1986年 沢木「深夜特急第一便」
2006年3月 藤圭子 ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される。
2006年 沢木「危機の宰相」
2007年 藤圭子 宇多田と別居。
2013年8月22日 藤圭子 死去。
2013年 沢木「流星ひとつ」発行


79年のインタビューから、34年も封印されてたことになる。一夜に8杯ものウォッカを傾けながら、インタビューしたという形式で8章に分かたれている。もちろん実際には、このインタビューの後も数回取材を重ねたらしい。
完全に会話のみで成り立っているのも、沢木の新しいノンフィクションスタイルへの試みだったらしい。最初、タイトルもそのものずばり「インタビュー」とするはずだったとか。

「あなたの歌から、なにか急速に力がなくなっていったような、そんな気がぼくにもしてたけど、それは、もっとあなたの精神的なものから来ているんだと思っていた……」
「手術する前は、夜遊びしても、声が出なくなるのが心配で決して騒がなかったの。でも、手術してからはその心配がなくなった。でも、その声はあたしの声じゃないんだよ」
「つらいのはね、あたしの声が、聞く人の心のどこかに引っ掛からなくなってしまったことなの。声があたしの喉に引っ掛からなくなったら、人の心にも引っ掛からなっくなってしまった……なんてね」
「手術前の歌を聞くと、自分でもうまいと思う?」
「思うよ、やっぱり」
「手術後のは、へた?」
「へたじゃないでしょ?」
「うまいへたというより、つまらないの。聞いていてもつまらないし、歌っていてもつまらないんだ」


デビュー5年後に声帯のポリープを除去したことで、彼女の声から何かが消え去ったことを、後悔して、それが引退の理由になったとしている。この真偽はわか らないが、五木寛之に言わせると、最初のアルバム1枚が全てだったようだから、これでも遅きに失したということになるのかもしれない。

「あたしはね、財布に一万円あれば一万円使うし、百円しかなければ百円でいいの」
「あっ、それはぼくと同じだ」
「だからね、あたしは、お金がなければないでどうにでもやっていけるし、いまから倹約なんかしてるつもりはないんだけど……なんか、使う気がしなくなっちゃった」
「お金なんて、あるときに使えばいいし、なければないでいいしね」
「そうだね。あたしもそう思う」
「金なんていらないさ」
「うーん。いらないといまでは思わないけどな……」
「いらないよ、金なんて」
「なければないでいいけど、あればあるにこしたことはないよ」
「金なんか、体が健康ならどうにでもなるさ」
「そうでもないよ。みんな、必要なときになくて困っているじゃに」
「いや、金なんかいらないのさ。金はるにこしたことはないなんっていうけど、ぼくはそうじゃないと思う。金はないにこしたことはない」

「でも、金はないにこしたことはないっていうのは、間違っていると思うよ、あたしは。それこそ、極端すぎるよ」
「そう……少し、そういうとこはあるかな。しかし、ぼくの理想は、あまり金がないけど、稼ごうと思えばいくらかは稼げるし、急に必要なときは友人に借りら れる、という状態なんだ。そのためには、かねのかからない、つましい生活をいつでもしてなければならんだけどね。その状態っていうのは、金なんかなければ ないほどいいんだ。五体満足でありさえすれば、ね」
「ふーん。それは、そうだね。ほんとに、そんな生活ができたら、ね」
「できるさ。少なくとも、ぼくはしてきたけどな、いままで」
「へえ……すごいなあ」
「すごくもなんともないよ。昔、みんな貧乏で、うちも例外じゃなかったけど、結構、やろうと思えば、楽しく生きられたからさ。要するに、ぼくは、金を沢山 持って楽しく生きる方法を知らないだけなんだよ。だから、いつも、ほどほどの収入で生きられるくらいのしごとしかしないんだ」
「いいなあ、そういうの」


この「お金談義」がなかなかに興味深かった。当然藤圭子は、このインタビュー時にもかなりの金満家だったろうし、沢木だって、貧しかったともおもえないが、この、浮世離れした会話に魅了されてしまった。「金はないにこしことはない」という逆説。


「ほんと! 前川清の舞台をわざわざ見に行ったわけ? 別れた亭主のショーの会場に? なぜい見に行ったりしたの?」
「来ないかって誘われたんだ。あたし前川さんの歌が大好きなの。あんなにうまい人はいないと思ってるんだ。昔も好きだったけど、いまも前川さんの歌は大好き。あんなうまい人いないよ。絶対に日本一だよ」
「前川さんはいい人だよ、それに歌も抜群にうまいよ、あたしはそう思ってる。でも、別れる別れないというのは、それとは違う話だよ」
「前川さんはね、以前からやめろといっていたの。おまえは芸能界には向かないからって」
「男としての格が違うと思うの。でも、やっぱり、前川さんは肉親みたいな気がしちゃうんだ。一緒にいると、こんなに心が落着く人はいないんだけど、心がときめかないんだよね。どういうわけか……」


藤圭子が前川清と結婚してたことも忘れていた。そういえばそうだったが、離婚後7年経って、こういった話し方ができる、というのは、ホッとさせられるし、彼女の前川への信頼と情愛が感じられる。

彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、もっとも美しい瞬間の、一枚のスナップ写真になっているように思える。
二十八歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるのかもしれない……。
執筆当時は、歌を捨てる、芸能の世界から去る、ということから「星、流れる」という言葉が浮かんだ。
しかし、いま、自死することで本当に星が流れるようにこの世を去ってしまったいま、『流星ひとつ』というタイトルは、私が藤圭子の幻の墓に手向けることのできる、たった一輪の花なのかもしれないとも思う。(後記)

藤圭子の自死を待ってたかのような、本書刊行への言い訳のようにも思えるが、宇多田ヒカルの母として、再注目され、その後の経過では、完全に「病気」扱いされてしまったことを思えば、たしかに、このタイミングで本書が刊行されたことは、追善といってもいいだろう。
本書を読みながら、ひさしぶりに藤圭子を聴いてみた。やっぱりかけがえのない歌声である。Morris.は「京都から博多まで」が一番好きかな。

2015140
【定本 想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行】B.アンダーソン 白石隆、白石さや訳 ★★★☆ 2007/07/31 書籍工房早山
IMAGINED COMMUNITIES : Reflections on the Origine and Spread of Nationalism(1991 Rvised and Expanded edhition) by Benedict Anderson
近代歴史や思想関連本や、水森美苗の評論など読むと、やたら本書のことに触れてあったので、いつか読もうかと思いながら、なかなか果たせず、中央図書館書庫から借りだして、かなり長い時間かけてやっと読了した。

国際連合(United Nations 諸国民の連合)の時代に生きる我々にとって、国民国家(Nation State)--「平等一体なる国民(ネーション)の共同事務機関」というフィクションによって意味付けられる国家--は、政治生活の基本的枠組みとなっ ており、国民国家に存在論的根拠を与える「国民」は、我々には自明の前提となっている。しかし、それにもかかわらず、「国民(ネーション)」と「国民主義 (ナショナリズム)」の概念については、はなはだしい理論的混乱がみられる。それは、たとえば日本語において、「ネーション」が「国民」「民族」と、また 「ナショナリズム」が「国民主義」「民族主義」、そしてときには「国家主義」とすら等置されることにただちにみてとれよう。本書は、こうした「国民」概念 の混乱のなかで、「国民」を「想像の共同体 Imagined Community」ととらえ、そうした「想像の共同体」が人々の心の中にいかにして生れ、また世界に普及するに至ったのか、その世界史的過程を、「聖なる 共同体」と「王朝」、「メシア的時間」と「空虚で均質な時間」、新しい「巡礼」の旅、「言語学・辞書編纂革命」、「海賊版の作成」などの概念を鍵として解き明かしている。(初版 訳者あとがき)

訳者は、原著者とは同じ大学で師事したことがあり、本書の執筆時も身近に接していたらしい。しかし、訳者として適任だったのだろうか。引用は本文でなくあとがきなのだが、実にわかりにくい。

国民はイメージとして心の中に想像されたものである。国民は限られたものとして、また主権的なものとして想像される。
国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。
これらの死は、我々を、ナショナリズムの提起する中心的問題に正面から向いあわせる。なぜ近年の(たかだか200年)萎びた想像力が、こんな途方も無い犠牲を生み出すのか。そのひとつの手掛りは、ナショナリズムの文化的根源に求めることができよう。(Ⅰ序)


ナショナリズムという言葉の中に潜む危険性、犠牲、滅私奉公、同胞愛、至上の価値等々がすべて想像に依拠するものというのは、一種の唯幻論なのだろうか。

人間の言語的多様性の宿命性、ここに資本主義と印刷技術が収斂することにより、新しい形の想像の共同体の可能性が創出された。これが、その基本的形態において、近代国民登場の舞台を準備した。(Ⅲ国民意識の起源)

資本主義と出版事業がナショナリズムを生み出した、というのが、著者の基本的考えらしい。

フランス革命は、ひとたび起こると、それは出版物の堆積していく記憶に入ってい く。それを行った人々とその犠牲者となった人々の経験した圧倒的でつかまえどころのない事件の連鎖は、ひとつの「こと」となり、フランス革命というそれ自体の名称を得た。(Ⅴ 古い言語、新しいモデル)

生成期には名付けられるものではない何かが、あとになって命名されることによって、確固たる歴史に捏造?される。

明治人は半ば偶然の三つの要因によって助けられた。その第一は、幕府による国内の平定と二世紀半の孤立によってもたらされた、日本人の比較的高い民族文化的(エスノカルチュラル)同質性である。第二に、天皇家の万邦無比の古さ、そし てそれが疑う余地なく日本的なものであることによって公定ナショナリズム発揚のために天皇を容易に利用することができた。第三に、夷人が突然、一挙に脅迫的に侵入してきたため、大多数の政治的意識をもつ住民は、新しい国民的(ナショナル)枠組みで構想された国防計画に容易に結集することができた。

明治維新のレジュメ(^_^;)。これは多分に訳者の提供になるものではないだろうか。

(明治の藩閥政府は)国際関係における対等性の意識がなく、むしろ国内的な階層的 支配(ヒエラレルヒー)の眼で国際関係を見るから、こちらが相手を征服ないし併呑するか、相手にやられるか、問題ははじめから二者択一である。このように 国際関係を律するヨリ高次の規範意識の希薄な場合には、力関係によって昨日までの消極的防衛の意識はたちまち明日には無制限の膨張主義に変化する。(「現代政治の思想と行動」丸山真男)

これは丸山真男からの孫引きだが、

シートンワトソンが「公定ナショナリズム」と呼ぶものは、19世紀半ば頃から、 ヨーロッパで発展した。これらのナショナリズムは、民衆の言語ナショナリズムの登場までは、歴史的に「ありえない」ことであった。なぜなら、公定ナショナ リズムは、本当は、民衆の想像の共同体から排斥されるか、そのなかで周辺化されそうになった権力集団による「応戦」だったからである。
ほとんどすべての場合において、公定ナショナリズムは、国民と王国の矛盾を隠蔽した。(Ⅵ 公定ナショナリズムと帝国主義)


経済力は、ほとんどどこでも、植民者自身によって独占されるか、あるいは、政治的 に不能な賤民(非原住民)事業家の階級と植民者のあいだで不均等に分有されていた。インテリゲンチアが前衛的役割を果たすようになったのは、かれらの二重言語読み書き能力によったということも一般的に認められている。出版物を読みまた書くこと、これによって、すでに述べたように、想像の共同体は均質で空虚 な時間の中を漂っていくことが可能となったのだった。二つの言語を使いこなすということは、すなわち、ヨーロッパ国家語を経由して、もっと広い意味での近代西欧文化、とくに19世紀に世界の他の地域で生み出されたナショナリズム、国民、国民国家のモデルを手に入れることができるということであった。

インランデルという言葉は、英語の「ネイティヴ」、日本語の「土民」「土人」「原 住民」と同様、いつも意図せざる逆説的意味をはらんでいた。それは、この植民地において、それぞれ別の他の植民地におけると同様、この言葉で言及される 人々が「劣等」でしかも「そこに属している」ことを意味した。
一種の沈殿作用によって、インランデルは白人、オランダ人、中国人、アラブ人、日本人、「ネイティヴ」「アンディジーヌ」「インディオ」「土民」をつぎつ ぎに除いていって、その指示する意味内容がしだいに明確となり、そっしてついには、成熟したさなぎのように突然変態して「インドネシア人」という華麗な蝶 になったのである。



言語は排斥の手段ではない。原則として、誰でも、どの言語でも学ぶことができる。 それどころか、言語は本質的に包摂的であり、誰も「すべての」言語を学ぶほど長生きすることはできないという、あのバベルの宿命だけによって制約されてい る。ナショナリズムを発明したのは出版語である。決してある特定の言語が本質としてナショナリズムを生み出すのではない。

「バベルの宿命」

今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々がみずからの命を投げ出そうとしたということにある。究極的自己犠牲の観念は、宿命を媒介とする純粋性の観念をともなってのみ生まれる。
国民を、「歴史的」宿命性、そして言語によって想像された共同体と見れば、国民は同時に開かれかつ閉されたものとして立ち現れる。(Ⅷ 愛国心と人種主義)


つまりは洗脳ということか。

意識の深刻な變化はいつでも、まさにその性格上、特有の記憶喪失をともなうものなのである。そうした忘却のなかから、ある特定の歴史的状況の下で、物語(ナラティヴ)が生まれる。黄ばんだ写真のなかの裸の赤ん坊があなただということを 知るのに他人の助けが要るというのはなんと奇妙なことか。写真、つまり、この複製技術の時代の申し子は、事実記録の膨大な近代的蓄積(出生証明書、日記、 成績通知票、書簡、診療記録、その他)のなかでもっとも有無を言わさぬものであるにすぎず、こうしたものが同時に、なんらかの外見的連続性を記録し、それ が記憶から失われたことを強調する。この疎外から人物(パーソンフッド)、アイデンティティ(そう、あなたとあの裸の赤ん坊は同一(アイデンティカル)人 物なのだ)の概念が生まれ、そしてそれが「記憶」されえないものであってみれば、語られるほかない。(Ⅺ 記憶と忘却)

語りは騙りであるからつまり物語となる。写真が真を写すものと錯覚される時点で、それは一つの逆説になる。

本書(以下ではICと呼ぶ)がこれほどまで普及したのはその質ではなく、それが元来、ロンドンで、英語でつまりかつての教会ラテン語と同様、今世界的にヘゲモニーを持つ言語で出版されたためである。
わたしが標的としたのはアメリカ人の驚くべき唯我独尊さで、これはいまでも自由主義的『ニューヨーク・タイムズ』にはっきり見ることができる。カール・ドイチェはかつてシニカルに「大国は(他国の言うことなど)聞かなくともよいのだ」と言った。

英語で出版された書物だから普及した、というのは、あまりに一面的理由(謙遜?)かもしれないが、この視点が水森美苗に大きな影響を与えたのだろう。

ICの最初の訳書は1987年、東京で出版された。これはかつてのわたしの学生、 白石隆と白石さやによって行なわれたもので、かれらがIC翻訳を思い立ったのは、日本人の島国性、そして日本の歴史と文化は日本特有のものでこれを他国と 比較することはできないし比較しても意味はないという保守的信仰と戦う上で、本書が教育的一助となると考えたからだった。出版社、東京のリブロポートは、 中道左派の出版社で、タカシが最近、知らせてきたところでは、「この出版社の所有者、堤氏は、大実業家の息子で、かれは父親に逆らって詩人、作家の途を選択した人物であるが、結局のところ、父親の死に際し、そのビジネスの一部を相続することになった。そこでかれは編集者にもうけることは考えないでよい、良 い本を出せばよい、と言った。……この出版社は1990年代に破綻した」(旅と交通(あとがき)

リブロポートが、堤清二が創立に関わった出版社ということは知らずにいた。変わった出版社だな、と思ってたが、そういうポリシーがあったのか。



2015139
【東京自叙伝】奥泉光 ★★★  2014/05/10 集英社
東京の地縛霊が、6人の人物に憑依して、時代順に東京の歴史、世相、事件に関わりながら、面白おかしく自己弁護を交えながら語り継いでいくというスタイル で、明治以前から東日本大震災までの、東京通史講談みたいな作品である。奥泉ならではの仕掛けや遊びも多く、文体もかなりひねくったもので、それはそれな りに面白かったが、完成度からいうと物足りなかった。

震災からだいぶ経って、朝鮮人の暴動云々はデマだったと云う話が伝わった。必ずし も不逞の徒とはいえぬ者が殺されたり怪我を負わされたりしたのではないかと疑うも者もあった。たしかにそうした事実は一部にはあったと思います。が、私が 警備した地域に限っては、ないと断じ切る自信がある。なぜなら私が斬ったり捕らえたりした者は誰がドウ見ても怪しかったからだ。彼らは怪しさの蒸気を全身 から立ちのぼらせて歩いていた。怪しい者ですヨ、と顔に大書してうろついていた。そういう者だけを選って私はやっつけた。もちろん可能性をあげつらうな ら、なかに一人や二人、無実の者が紛れ込んでいた可能性は否定出来ない。が、ああいう非常の際だ、瑣細な間違いはどうしても避けられぬ。少々の犠牲はやむ を得ない。それより僅かな間違いを恐れるあまり取り返しのつかぬ事態を招く方が恐ろしい。私はそう思います。

ざっとこんな感じである。関東大震災時の朝鮮人虐殺に関わりながら、ほとんど反省もなく、自分本位な発言。もちろん、奥泉がそう思ってるわけじゃなくて、ギャグであり皮肉でもあるのは言うまでもない。

かくて国民間には米英憎しの感情が燃え出した。一度火がついてしまえば、あとは 放っておいても燎原の火となって燃え広がる。議会では米英討つべしと議員が大合唱し、陸軍には連日激励の手紙が届く。こうなればいかに聖慮といえども流れ は押し戻し難い。民衆の声こそ真の聖慮なりと、立場上天皇陛下だって考えぬわけにはいかんだろう。たとえアマテラスが出張してきたって、走りだした民衆の 勢いは止められるもんじゃない。
かくて12月8日未明、南方軍マレー半島にコタ・バルに上陸し、続いて海軍機動部隊が真珠湾を奇襲して、対英米戦争の膜は斬って落とされました。

太平洋戦争の始まりも、時の趨勢に逆らえなかったからだと、いかにもの弁明。

実のところ、ドウモ私は東京が火事や地震で壊れることを密かに喜んでいる節があ る。これはやや後になっての話ですが、あるときゴジラの映画を観た私は、これにスッカリ参ってしまった。東京湾から上陸した怪獣ゴジラが暴れて、ビルや鉄 塔を壊して回る様子にモウ恍惚となった。同じ映画を何度観たか分からない。この場合、ゴジラが壊すのは東京でないと駄目なので、それが証拠にゴジラ映画の 二作目がかかったと云うんで、それッとばかりに勇んで観に行ったら、全然つまらない。ゴジラが暴れるのが大阪だったせいです。東京が壊れるのが面白い。

自虐的な一種の身贔屓ともいえる(^^;)

新憲法の施行が終戦から二年目、すなわち昭和22年、西暦で1947年5月。同じ 年に財閥解体、改正民法発布と、この辺りがGHQの民主化政策の頂点。ここから先は「逆コース」と云うやつで、公職追放されていた連中が復帰する一方、 レッドパージがはじまる。一度は消えてなくなった軍隊も名前を変えて復活する。26年9月にはサンフランシスコ講和条約が結ばれて、進駐軍の占領は終了、 めだたくニッポンは独立。とは云っても安保条約のおまけ付き、沖縄を手土産に差し出して、アメリカさんんのご機嫌を窺いつつの独立だ。そもそも首都東京の 眼と鼻の先に米軍基地がいくつもあるんだから、要はアメリカの妾になったようなもの。何のことはない、日本がまるごとパンパンになったと云う、笑うに笑え ぬお話。

戦後になってからは、当初の奔放さに比べるとややシリアスになってくる。「日本がまるごとパンパン」というのは強烈である。

アジア諸国への賠償交渉が始まったのが、サンフランシスコ講和条約締結の前後、こ れはいわゆる直接方式というやつで、賠償を受ける国が日本の企業に船舶だとか工作機械だとかを発注し、日本政府が代金の支払いをまとめて行う。政府が払う というと判然りしないが、要は役人が国民の税金から払うわけで、当の役人からしたら所詮は他人のカネ、自分の懐が痛むわけじゃない。だから言い値でいくら も出してくる。受注した会社にとってこれほどおいしい餌もないので、甘い汁を吸うチャンスだと誰だって考える。しかも甘い汁の総額は三千五百億円以上、嵩 も膨大となれば、多くの企業がなんとか賠償ビジネスに食い込めぬものかと、蟻のごとく群がり寄るのは自然の理だ。

福島復興予算にしろ、原発にしろ、オリンピックにしろ、結局は自分の懐が痛まないという構図は同じである。賠償ビジネス、復興ビジネス、福祉ビジネス、年金ビジネス……

マア政治家諸氏が考えていたのは主に核武装。憲法9条を改正して再軍備し、核兵器 もできたら持ちたいと願う政治家は、いま同様当時もゾロゾロ居て、1954年3月に中曽根康弘らが原子力予算案を国会に提出して採用されたのは、政治家陣 営の悲願達成への第一歩と云ってよいだろう。
元来米国は核エネルギー研究を機密としていたが、核開発競争でソ連に追いつかれるや方針を百八十度転換、自由主義陣営や第三世界にむしろ各技術を輸出して ヘゲモニーを握る方向へと舵を切る。とコウなれば、日本とて遅れをとるわけにはいかぬ。ぜひ原子炉を日本にも、と云う話の成り行きとなれば、アメリカに顔 が利いて巨額の資金を集められる人物がどうしたって必要になる。マイクロウェーブ構想で実績のある正刀に期待が寄せられたのは必然だ。


ここらあたりになると、お馴染みの話だ。正刀というのは、正力のこと。
時代が下るほどに面白みがなくなってくる。

誰かが株を買えば株価が上る。それなら自分も儲けたいと、買いたい人間が現れて株 価はモット上がる。するとまた儲けたい者が買うのでいよいよ株は高くなる。土地も同様。値上がりを見込んで買えば、買ったせいで値が上がり、するとモット 上がると思う者ががた買うから、ドンドンと上がっていく。じつに簡単明瞭な原理だ。もっとも儲かるのは株価や土地価格が無際限に上昇できればの話なので あって、じつは天井があるから、いずれは破綻を免れぬ。実際バブル崩壊後、多数の企業や金融機関が破綻に見舞われたわけで、しかし好景気の真っただ中では 価格が青天井に見えるから不思議だ。バブルの空は、秋の空に似て、どこまでも青く高い。
浮かれていたと云われればまさしく御説の通り。しかし寄せくる波に人が浮かれるのは必然だ。波に逆らう方がどうかしている。と申しますか、どのみちなるよ うにしかならぬのだから、浮かれるべきときには浮かれて居るのが正しい。鼠だって餌が豊富なら浮かれ騒ぐし、餌が足らねば狂奔の挙げ句に飢え死にする。単 純にそれだけのこと。人間だって変わらぬ。


バブルの解説も割とステレオタイプだ。

図らずも宇治田が漏らした本音、即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。

東京無責任時代。どうも奥泉は本書を無責任に終わらせたかったようだ。
Morrisは、奥泉を、一押しの作家と目していたのだが、ここ数年の作品を見るに、ちょっと失速しているような気がする。



2015138
【文化亡国論】笠井潔、藤田直哉 ★★★ 2015/04/20 響文社
笠井潔 1948生れ。作家、批評家、思想家
藤田直哉 1983年生れ。SF・文芸評論家
前に笠井と白井聡の対談読んだばかりだが、藤田は名前も知らなかった。かなり年齢差もあり、テーマも文化全般ということだったが、カラーとしては白井との対談に重なるものも多かった。結構荒唐無稽論もあって、笑わせてもらった。

笠井 大東亜戦争と称された対中・対米戦争は、国際法的に合法化された征服戦争なのか。中国やアメリカによる侵略戦争への、日本の自衛戦争なのか。あるいは、欧 米支配に抵抗するアジアの解放戦争なのか。日本型リビジョニストの自虐史観批判には、この三つの立場が無自覚に混在している。これらは相互に矛盾するわけ だから、まず歴史修正主義の陣営内で大論争が起こるべきだし、最終的には分裂するべきなのに、決してそうはならない。どうしてなか。
藤田 ぼくには、ナルシズムの問題に見えます。自分の国が、悪いことをしていたと思いたくない、というのが先にあるように見えます。


大東亜戦争肯定論がナルシズムか。そういう面無きにしもあらずぢゃ。

藤田 アイデンティティの不安や剥奪感を「皆が」感じているというのは、おかしいです。そうすると奪っているのは「誰」なのか。誰でもないのかもしれない。それ は、旧来の人間が変容して今までの生活ができなくなっていることによって必然的に生まれている不安感や剥奪感だというのが、ぼくの分析です。新自由主義に なって労働環境が変わったとか、情報環境ができて人間のコミュニケーションが変わったとか、いろんな点で20世紀的なものから21世紀的なものへの変容が 起こってくる。その過渡期に、ある種の剥奪感が生じる。皆が皆自分を被害者であり奪われた者、攻めこまれている者だと思っているから、そのようなフォー マットのフィクションが流行する。これはほとんど、在特会の人々が抱いている不安や、世界観と同じですよ。

被害妄想?

藤田 一昔前、「夢を追う若者」が話題になったじゃないですか。ペンション経営するとかカフェを開くとかAKBに入るとか。しかし、その「夢」を追うことも今か ら思えば割と立派だったと思えてくるぐらい、「承認」を求める先が卑近になっている。斎藤環さんが、マズローの欲求の五段階で一番上にあるのは自己実現な んだけれど、いまや自己実現の上に承認が来ているのではないかと分析されてました。
*マズローは、基礎的な欲求が満足されたのちに次の段階の欲求が生じると考えた。その順序は「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」。余談だが、このマズローの五段階説、就職説明会や自己啓発本で非常によく見かける。


マズローなんてのも初めて聞いたが、「承認」てのはつまりは、他者からの評価ってことだろうか。そもそもこの「承認」が「社会的欲求」より上に位置するというのがよく理解できてなかった。

藤田 在特会の人たちは、在日朝鮮人を敵にして、なんでもかんでも在日認定するという、妄想的な敵の単純化を行っているので、ある意味で求心力があると思うんで すよ。でも左翼にとって、わかりやすい共通の敵を名指せるように思えません。アメリカ、天皇、安倍、新自由主義、原発、システム、日本的なもの、村社 会……。漠然としていて、これぞという敵が見えない。
日本共産党のポスターを街でみかけるんですけど、賃金闘争を訴えたりブラック企業を批判したりしていたかと思えば、原発をなくすと言いだしたり、今度は集団的自衛権に反対と言いだしたり、機会主義的なように見える。芯が見えない。
笠井 1990年代から排外主義は当面の敵、まさに主要打撃の方向だと僕は考えていたし、いまではそれが誰の目にも明らかになってきた。戦後日本の地平を超えて いくために反原発、反貧困、反基地は一繋がりの主題としてどれも重要ですが、しばらくは排外主義との闘争が最優先でしょう。


排外主義というのがどうもわからない。例によって大辞林見ておく。

排外 自己の属する集団外のもの、特に外国人や外国の文物・思想などを排斥すること。 排外主義 多民族・他国に対して、排斥・敵対的態度をとること。ショービニスム。
ショービニスム chauvinisme (ナポレオン一世を熱狂的に崇拝した、フランスの老兵士ショーバンの名に由来する)狂信的な愛国主義。極端な排外主義。→ジンゴイズム
ジンゴイズム jingoisum(露土戦争のとき対露強硬政策をうたった好戦的なイギリスの俗謡中のJingoの語から)感情的で好戦的な愛国主義。→ショービニスム
ゼノフォビア xenophobia 外国嫌いや、外来の人物や風習を嫌悪・排斥することを指す語であり、「攘夷」に近い語である。
攘夷 外国人を撃ち払って国内に入れないこと。 尊皇攘夷 幕末、外国との通商に反対し夷狄の排撃を主張する思想。開港以後は、尊王論と結びつき下級武士の政治運動を支える尊王攘夷論となった。


上記のうち「セノフォビア」は大辞林にはなくて、ウィキペディアから引用。

笠井 戦前、絶望的に貧しい日本の農民が村をあげて満州に渡っていった。まさか満州に無主の耕作可能地が、いくらでもあったわけがない。中国農民から暴力的に 奪った土地であろうと、それを自分のものにして貧困から抜け出せるならかまわない。満州に渡った農民にとって、帝国主義の暴力に依存し、それに加担するこ とで反貧困は一旦達成されたわけです。しかし、それで本当によかったのか。たとえ反貧困であろうとも排外主義は「敵」で、排外主義と闘う反貧困にしか脱出 口はない。戦前のファシズムのような反貧困は袋小路でした。もちろんボリシェヴィズムの反貧困にも、僕は否定的です。(第一章 ネット右翼とネット左翼--情報社会と政治的感性)

笠井のいう「排外主義」というのは先の辞書からの引用と、違ったもののように見える。

笠井 男のジャニーズ、女のAKBは「素人っぽさ」が売りだけど、エグザイルが違うのは、ダンスは本格指向だというところ。安室奈美恵などアクターズスクール出 身者もそうですね。K-POPのガールズグループは、もともと安室奈美恵が参照先だったわけです。安室が踊りながら、クチパクでなく本当に歌っているのを 見てびっくりして、少女時代やKARAにいたるガールズグループが次々にデビューした。追い越された日本がどう対応したかというと、プロフェッショナルな コンテンツ構築の方向は放棄し、ダンスも歌も学芸会水準でOKという路線に徹した。少なくとも日本国内では、こちらのほうに需要があるから。
藤田 日本の芸能人消費者には「素人っぽさ」を好む傾向がありますよね。


韓国ガールズグループのルーツが安室奈美恵。言われてみれば「アムラー」というのが、一時韓国でも目立ってた。日本では逆に劣化して学芸会水準のAKBみたいなのになったということか。

笠井 一神教と違ってアニミズムには構築性が希薄です。神と人間の境界がはっきりしないように、プロフェッショナルと素人も曖昧に連続している。歌やダンスに完 璧を求めるのは当然のこと、全身整形も辞さないで「理想(イデア)」を追求する韓国のガールズグループが一神教的だとしたら、AKBはアニミズム的でしょ う。
これまでも指摘した来たように、ジャパニーズ・カワイイの前線はAKBではなく、きゃりーぱみゅぱみゅですよ。


ここできゃりーぱみゅぱみゅが出てくるとは(@_@)

藤田 ネットの工作員に関しては昔から「チーム世耕」とか「ホロン部」とかの名証で、都市伝説的に指摘されていることではありました。企業がステマ(ステルス マーケティング=宣伝だと気づかれないように行なう宣伝のこと)をやっていることは自明ですし、広告業界が企業のためにやっていることが、政治に応用され ないということは考えられません。だから、ぼくは、ネット右翼は自然に発生したんじゃなくて、長い時間かけたネット上での工作の結果、人為的に生み出され た存在ではないかと疑う必要もあると思っています。

ネトウヨ=自民党の傀儡説は他所でも聞いたが、どうだろう。自然発生したのを、利用したのではとMorris.は思う。

藤田 敗戦のときに本土決戦を行わなかったことが、現在にまでつながるさまざまな日本社会のゆがみの元凶であると、『8・15と3・11』などで笠井さんは主張されていらっしゃいますね。
笠井 僕のいう本土決戦は、陸軍が構想していたような沖縄戦の拡大版ではありませんよ。無能な戦争指導部を一掃して、抗米百年戦争のためのパルチザン軍に軍を改 組することが前提です。敗戦を終戦といいかえるような負け方ではなく、言い訳できないような徹底的な負け方をするということでもいいと思う。防衛問題とい うのは、自分たちの身は自分たちで守るというのが原点なんだから、各人がその責任を負う気があるのかどうかということなんです。自衛隊という専門家集団を 一種の傭兵とみなして、金で雇っとけばなんとかなるというのはおかしい。


旧全共闘闘士笠井の面目躍如たるところだろう。

笠井 対米従属を疑うことなく日本の侵略センスも正当化したいという安倍晋三的な自己欺瞞と、『ヤマト』や架空戦記の自己欺瞞は通底している。(第二章 グールジャパンとナショナリズム--右傾エンタメは危険か?)

戦争おたくか?

笠井 「否認」(「否認」とは、自分自身の悪い部分や問題を(無意識に)認めないで、認識から欠落させること)しきれなくなったら自分の問題を他人に「投影」 (意識のなかで抑圧した自身の悪い部分が相手にあるように見えてしまう現象)し、他人を憎む。将来の自分がなるかもしれない生活保護受給者をバッシングす るのは、精神分析的にはわかりやすい図式ですね。
藤田 そうですね、否認と投影。辛いけれども、そこから個々人が脱出することが、その個人にとっても、社会にとっても、未来への道に繋がるとぼくは思っています。(第三章 もはや引きこもってはいられない--おたくから、ヤンキーへ)


責任転嫁からの脱出は難しいと思う。

笠井 第一次大戦によって19世紀的な世界は崩壊したし、3・11によって戦後日本も終わった。人々は3・11を忘れはじめたという見方もあるけれど、見たくな いものや思いだしたくないものを抑圧しているにすぎません。無意識に抑圧されたものは違う形で回帰してくる。3・11後の急速な右傾化もまた、抑圧された 集合的記憶が心身症的に反復されている現象として理解できるのではないか。戦後日本の「繁栄と平和」はもはや維持できない、日本は「衰退と戦争」への過程 に入ったという事実を、地震と津波と原発事故はわれわれに否応なく突きつけたわけです。このトラウマ経験が抑圧され無意識化されて、安倍内閣の右傾化路線 や民間の排外主義勢力の増大として反復されている。

見たくないものは見えないことにする。これを最大限に利用しようとしてるのが安倍政治だ。

笠井 19世紀が国民戦争、20世紀が世界戦争だとすると、9・11によって開始された21世紀の戦争は世界内戦ではないだろうか。「世界内戦」はドイツの法学 者カール・シュミットが『パルチザンの理論』で、抗日戦争と中国革命を考察して生み出した概念です。世界内戦では主権国家が特権的な主体ではなく、国家の 軍隊と民間の軍隊が入り乱れて戦う。また国民戦争のように、宣戦布告と講和条約の締結で時間的に区切られるのではない、起点も終点も不明確なまま際限なく 続く戦争です。20世紀の世界戦争のように、対戦国の体制崩壊が目的化されるわけでもない。そもそも敵が国家とは限らないのだし。さらに軍事的な戦闘だけ でなく、文化や精神の領域までが戦場になる。もう戦争は、いつでもどこにでもある。このように21世紀とは、世界の戦争化が進行しつつある時代なんです。 国民戦争でもない新しい異様な戦争に注目し、かなり早い時期に書かれた小説が『虐殺器官』(伊藤計劃)でした。(第四章 リキッド・モダニティと空気の国民--21世紀の自我)

テロと世界内戦。まさに今の時代である。「虐殺器官」読まなくては。

笠井 山本七平の『空気の研究』によれば、アニマを日本語に訳すると空気になる。空気の支配とはアニマ=精霊による支配なんですね。日本はアニミズムのまま文明化に成功した例外的な国です。日本のアニミズム的風土を肯定する人もいますが、僕は問題だと思っています。


笠井 僕の世代でまじめ派の運動は終わると思っていたら、十歳二十歳下でも水増しされてのこっている。
藤田 そういう運動って、どうやって伝承されたんでしょうか。
笠井 単純な話、常に正義の側にいたいという自堕落な欲望が、弱い人間には草のように生えてくるからでしょう。
自分は正義の側にいると思うことで楽になり、人格的にも安定できる。この種の人間にとって正義は嗜癖の対象なんですね。正義に依存することでしか生きていけない。


「正義の側にいたいという自堕落な欲望」「弱い人間」「正義派嗜癖の対象」これらの言葉が、Morris.への非難のように聞こえるのは、被害妄想なのだろうか。

*「ネ申」はインターネットで、コミュニケーションの材料になりそうな話題を提供し、なおかつ滑稽な対象に使われることが多いように思う。(第五章 ネ申とアニミズム--サブカルチャー宗教性)

笠井 デモは合法的でなければいけないとか、非暴力的でなければいけないとかいうのは間違いで、合法性や非暴力性が有効な状況もあるということです。
1970年、80年代の世界に類をみない経済的繁栄の結果、日本では蜂起の文化や街頭政治の伝統が途絶えてしまった。そんな時代に生まれ育った、新しい活動家たちだったことを思えば、何度かの決壊という結果も含めて反原連はよくやったと思いますよ。
大衆蜂起と評議会は、例外状態から新しい国家が立ち上がるのを阻止し続ける運動であって、ボリデェヴィキ革命のようにソヴィエト国家とか自称しはじめたら終わりです。
藤田 結果としてそれは旧来の国家よりも非道な権力になってしまったという歴史を人類は経験したわけですからね。
笠井 旧体制を機能麻痺に陥れ例外状態を創出した大衆蜂起が、おのれの力量を保ち続けることができない弱さのために、国家に頽落する。これが市民革命以来、幾度 となく繰り返されてきた事態で、ロシアや中国のような社会主義革命もその変種です。ようするに市民革命は一度も成功していない。絶対主義王政の支配を覆し ても、絶対主義が発明した主権国家システムの解体には失敗したわけだから。市民革命の半敗北の産物が人民主権論です。


「成功した市民革命は存在しない」というのも笠井の持論だったな。
SEALsの奥田が「re-demo」という新団体たちあげたらしいが、反原発、反安保法案のデモは、昔からノンポリだったMorris.でも、今回のデモは、物足りなかった。

笠井 僕は子供のころから多動症ぎみだったし、もともとディシプリン権力(規律訓練型の権力。学校、工場、刑務所、病院など)には耐えられない人間なので、いわ ば「一人蜂起」状態で生きてきました。初歩的なことをいえば、何時に起きてもいいし、何時に寝てもいいという生活の自己管理は、事故権力の第一歩です。
僕は嫌なことをしないで好きなように生きる、最悪でも飢えて死ぬだけだろうと考えて高校中退を決めました。親や教師に「そんなふうに社会を舐めていると生 きていけないぞ」と恫喝されても、絶対に後悔しないと覚悟した。それから半世紀たって窮死の現実性も浮かんできましたが、それはそれで仕方ない。「自業自 得の潔さ」です。
藤田 ご自身でそう覚悟されることは、とても美しいし、そういう書き手を尊敬します。そしてそれを他人に強要する社会や政策はひどい。これは美徳の悪用だと思います。

自業自得の潔さ。これを言える笠井は強者なんだろう。

笠井 線を引くこと、これは人間にとって本質的な行為です。線を引いてあるものと別のものを分けるのが、認識するということだから。線の引き方が、すなわち認識の仕方でもある。時間の場合にも線を引いて、「~より前」「~より後」と分割することが歴史的認識の基本です。

笠井 ルールを信じて懸命に努力しても成功の直前にルールが失効し、元の木阿弥になってしまう。このような敗北や挫折は、ルールの下での競争で敗れた場合とは 違って、容易に納得できません。経済的な場面だけでなく、政治の領域でも同じようなことがいえます。たとえば安倍政権の改憲問題ですが、ルールの変更をめ ぐるルール、ようするにメタルールの存在を無視して恣意的に憲法解釈を変えてしまう。ルールの恣意性という点で、安倍政権の解釈改憲と新自由主義的な労働 政策は表裏です。

二つの意味で「話しにならん」わけだ。

笠井 自民党右派を政治的代表部としてきたのは神道政治連盟や日本会議などの日本型リヴィジョニスト(修正主義者、歴史見直し主義者)勢力で、これが安倍政権の イデオロギー的支柱です。対中・対米戦争の肯定、ようするに大東亜戦争肯定論が日本型リヴィジョニズムの原点で、改憲や東京裁判の否定など戦後一貫して主 張してきたことが、いまや実現できると勢いづいている。

安倍は血統書付きリヴィジョニストというわけである。

藤田 憲法改正もしようとしているし、秘密保護法も成立したし、自衛隊のイメージアップに躍起になっている。それは、傍から見ると、戦争を準備しているようにしか見えません。戦前の日本を、どうしても想起してしまいますが、いかがでしょうか。
笠井 アメリカの戦争だったアフガン戦争に、イギリスなどNATO加盟国も参戦しました。アメリカは同じことを日本にも期待している。燃料補給のような間接的な 参加ではなく、地上部隊も出して欲しい。自衛隊員が死ぬ分、アメリカ軍の死亡者が減るわけだから。できれば一番前で弾除けになってくれたら、もっとありが たいと思っている。


自衛隊のイメージアップは、ニュース番組での事故救援報道に顕著だった。当然取引があったはずだ。

笠井 安倍は無知で馬鹿だと、左翼リベラルの知識人は嗤いますよね。麻生首相の場合もそうでしたが。しかし、こうした嘲りには違和感がある。安倍政治に歯止めな く押しまくられている事実への心理的代償として、安倍を小馬鹿にしているのではないか。これには阿Qのような虚勢さえ感じます。
藤田 それはそうかもしれませんね。仮に馬鹿でも無知でも、現に力を持っていて、それを分析することや対抗することに失敗してしまっているわけですから。
笠井 条件を緩和して改憲を強行するにしても、集団的自衛権の行使容認をめぐる解釈改憲にしても、これまでの憲法秩序は「例外」化される。改憲が難しそうなので 解釈改憲でいこうという安倍のやり方は、憲法秩序の無効化という点でナチス独裁と通じるところがある。その意味ではファシズム化とにているんだよね。
藤田 90年代であったら、もっとたくさんの批判が殺到していたでしょう。今では、もっとみんな怒るかと思っていても、あまり怒らない。するっと、色んなヤバめ の法案が通って行っちゃう。戦後民主主義シャキでは建前として許されていなかったことが、やっていましたとかやりますと身も蓋もなく言うようになってきて いるし、国民に受け入れられてしまう。


馬鹿が馬鹿に馬鹿にされてるという図式\(^o^)/。

笠井 そもそも人間の数が多すぎるわけで、適切なところまで減るしかない。(第六章 クレタ島の鶏は、夜明け前に騒がしく啼く--21世紀の蜂起)

例によって、ぶっ飛んだ結論(正論(^_^;))ぢゃ。


2015137
【日本劣化論】笠井潔/白井聡 ★★★☆☆ 2014/07/10 ちくま新書 1078
白井聡:1977東京生れ。社会思想、政治学者。『永続敗戦論--戦後日本の核心』(2013)
白井の名前は知ってたが、著書は未読である。

いまもなお収束の目途がたたず、現在も危機が継続しているこの事故は、現時点では それでもなお不幸中の幸いによって大いに助けられている、ということを強調しておかなければならない。この事故はもう少しだけ運が悪ければ、東日本全部が 壊滅する自体を招来する可能性があった。場合によっては、全く手が付けられないまま、貯蔵されている全ての使用済み核燃料までもが大量に溶け出し、プラン トに近づけば急性被曝によって作業不能、もうお手上げという事態に陥ったとしても不思議ではなかった。
この未曾有の危機にあって、いまだに体面を気にする言動を示す責任者たちの姿に、「あの戦争」の再現を見た。
大東亜戦争という大失敗は、明治維新以来の近代日本の悲劇的結末であった。そして、「戦後」とは、この失敗への反省に基づいて歩まれてきた時代であったは ずだった。こうした公式見解が現実によって粉砕されたとき、この社会は公式見解が蓋をしていたドロドロした暗いものを解き放ち始めた。一方では、有力な政 治家達による歴史修正主義を指示する言動、彼らの幼稚きわまる軍事への傾斜や、排外主義者たちの街頭活動といった攻撃的言動がそれを代表し、他方ではオリ ンピック誘致の狂騒やエネルギー政策の原発回帰のごとき、あたかも何事もなかったかのように振る舞う「現実の否認」がまかり通っている。(白井によるまえ がきより)


「この事故」とは、もちろん福島原発事故だが、これと「あの戦争」の類似を見るというのは、笠井の「8・15と3・11--戦後史の死角」と全く同じ視点である。本書の対談の直接のきっかけであろう。
何よりも事後処理の、おぞましいほどの相似には戦慄せざるを得ない。なのに、それを是正するどころか、事態は補強、推進の経緯を辿ろうとしている。「愚行の輪」という言葉を想起する。

笠井潔 すでに安倍政権は日本版NSCを設置し、特定秘密保護法を国会で通しました。また、武器輸出三原則の緩和や沖縄辺野古の基地移転も進んでいます。さらに集 団的自衛権をめぐる解釈改憲や、共謀罪の創設も視野に入れ始めました。これらは例外なく、自民党右派が戦後一貫してめざしながら、国民世論の反対のため長 いこと宙吊りにされてきた政策です。それが安倍内閣によって、一気呵成という勢いで次々と実現されようとしている。

これらは去年から今年にかけて、次々と現実になってしまった(>_<)

白井聡 安倍さんがいうところの積極的平和主義における「平和主義」の実質とは安全保障政策の方向を指している。つまり、自国の安全を確保するにあたって、積極的 な方法と消極的な方法がある。消極的な方法というのはとにかくできるだけ戦争にかかわらないようにする。あるいはそのかかわりをミニマムにするというもの です。これと反対の積極的な方法というのは、敵を名指しして威嚇したり攻撃を加えることによって敵を無力化し、自国の安全を確保するというものです。
笠井 積極的に攻撃可能にするということでは、集団的自衛権の問題ともつながりますね。
白井 はい。もちろん、自衛隊の「専守防衛」の原則は無効化されます。支配層にとって、問題はそれをどのように理屈付けるかということなんです。
2000年代になると、アメリカが対テロ戦争を始めたため、はっきりと潮目が変わったのです。アメリカ自身が国連中心主義をかなぐり捨ててしまった。国連 中心主義に引き続きとどまるのか、それともアメリカの暴走に追随するのか。日本の指導層の主流はほとんど何の躊躇もなく、後者をえらんだ。その延長線上に あるのが、積極的平和主義であって、それは軍事的な意味でアメリカの一部となって色んな活動をするということです。


「積極的」平和主義=「攻撃的」平和主義。つまりは戦争へ一直線の道である。

白井 要するに、日本の昔懐かし派が「歴史を修正する」ことができる範囲はアメリカによって決められているということです。そもそも歴史修正主義的な歴史観が成 立しえたのも、アメリカによる対日処理の結果、旧支配層が根絶やしにされなかったためであって、その意味では戦後日本は歴史修正主義もアメリカから与えて もらったということです。

アメリカの占領政策の不徹底と、歴史の皮肉。

白井 こういう時期にああいう人が首相になって、最高権力者になってしまったということは偶然ではなく、ある意味必然ですよね。社会全体に反知性主義が蔓延しているのですから、見方によっては、日本国民を正しく代表しているとも言えるわけです。

安倍は必然、安倍の反知性主義は日本国民の真の代表。な、わけはなかろう。もちろん、白井の発言は逆説である。

白井 今の財界は、すごく近視眼的になってしまっている。経団連の会長だって個々数代ろくな人がいません。今の米倉弘昌(住友化学会長)なんてもうどうしようも ないわけです。原発が爆発するのを見ながら、「原子炉は地震と津波に耐えて誇らしい」と言った人ですから、ほとんど狂人に近い感じがします。米倉はTPP 推進派で、これはあやしい噂ですが、モンサント社と住友化学が長期的協力関係を結んでいるからではないかと言われています。
「政治的な」財界人の代表が、JR東海名誉会長の葛西敬之です。安倍総理の「お友達」で、NHK 会長に籾井勝人を突っ込んだのは此の人物です。(第一章 日本の保守はいかに劣化しているのか)


またまた、葛西敬之の名前が挙がってる。国鉄分割民営化の実質的責任者であり、「親米保守」の旗頭でもあるらしい。

白井 戦前の天皇が占めていた地位に、戦後、アメリカが代入されたのです。言ってみれば、ワシントンの大御心を輔弼するというかたちでずっと政治が行われてきたわけです。
いわゆる対米従属利権共同体で飯を食っている人にとって自分だけがアメリカの意思をしっているということが、日本国内における大変な権力リソースニなる。 その「知っている」の内容に自分にとって都合のよい事柄を入れ込む。これは政治の世界のみならず、経済さらにアカデミックな領域においてもまったく同じ構 造が貫かれていると思うんです。これが、アメリカを頂点とする戦後版天皇制の基本構図だろうと私は見ています。
笠井 天皇からすればアメリカは征夷大将軍で、アメリカからすれば天皇は日本従属化の駒だった。つまりお互いの思惑がうまくかみ合ったわけですね。とはいえ、イニシアティブを取ったのはアメリカ。
白井 そうなんですよね。アメリカがいつまでも好意的に征夷大将軍をやってくれるだろうというのは、勝手な思い込みにすぎません。(第二章 日本の砦 アメリカと天皇)


大掛かりな手品だな。しかしその手品もそろそろネタバレで、それでも、強引にショーを続けようとしている。

笠井 日本はヨーロッパの後追いで主権国家を作り、他国を侵略し植民地化し、第二次大戦に敗れてすべてを失った。今度は侵略の被害国だった中国が、同じ主権国家という罠に足を取られ、人の住んでいない島まで自国の領土だと、いいはじめたわけです。
ある場所がどの国に属するのかは、そこに住んでいる人間が決めることです。ある国家に固有の領土など存在しないのです。
白井 そのような先進的意識が東アジアに根付くためには、まず永続敗戦レジームによる日本のアジアでの必然的孤立を解消しなければなりませんね。日本を本当の意 味でアジアに着地させようという動きは、90年代には河野談話・村山談話をはじめとする動きもあったわけですが挫折してしまった。そして鳩山由紀夫さんが もう一度それをやろうとしたけどやはり挫折した。鳩山さんは自らの信条である友愛主義に基づいて、東アジア共同体というのを提唱しました。これはおおよそ のところEUに範をとったものであるわけですけれど、いまのところ一種の空想にとどまっています。
笠井 EUをモデルにしたような国家連合は不可能でしょう。ASEAN的なものを徐々に緊密化・進化させていくしかないですね。


空想的アジア主義。空想は罪だろうか(cf.谷川俊太郎)(^_^;)

笠井 状況が切迫して実際に軍事衝突が起こり、自衛隊員が多数戦死するような事態になれば、日本の世論は雪崩を打って好戦的になるでしょうね。戦争支持の世論を 背景として、権力による国内の締め付けも一気に厳しくなるだろうし、そんなときどう対処するつもりなのか、反戦派は腹を括って置いたほうがいいと思いま す。
白井 実際に軍事衝突が起きたら、間違いなく中国政府は在中日本資産の差し押さえをやるでしょう。そうなるとアメリカはどう出るのか。在日米軍は日本の加勢はし てくれないだろうと考えるのがリーズナブルでしょうね。日中戦争など絶対にやらせたくないというのがアメリカの本音ですから、そのための実力行使に出る可 能性がある。まあこういった事態になる以前に外交的恫喝によってやらせないようにするという展開が有力です。何せ、横田基地や横須賀基地など、沖縄に次い で米軍基地が多いのは首都圏であって、それはどうしてなのか、何のためなのか、という真実が突きつけられることになるでしょう。

日本はバイプレイヤーでしかなくなる。どうせなら、端役に徹底すべきでは?

白井 いったい何が起きれば、朝鮮半島の統一が実現するのか。日中が衝突し、そこに韓国が参戦するというかたちになったときに、北朝鮮は韓国の側に立てば対日戦に参戦できる。これこそが、北朝鮮と韓国が和解する契機になると思うんですよ。
朝鮮半島の統一は、現状ではあまりにも困難なので、これほどの事態が生じない限り不可能ではないかと思えるのです。(第三章 アジアで孤立する日本)


アクロバチックな朝鮮半島統一シナリオ(@_@)

笠井 日本の民間極右勢力は自前の政党を持たないまま、日本民主党の流れを汲む岸派以来の自民党右派を政治装置として活用しています。ここがヨーロッパとの大きな違いですね。
白井 今やネトウヨが民間極右の分厚い層を形成しているわけです。これはネット上のうわさ話に過ぎないんですが、今やネトウヨは組織されていて、その元締めは、とある自民党議員なのだと。
これこそ真偽不明な話なんですけど、こうした推測が説得性を持って成り立ってしまうほど、極右が政党をつくるひつようがないという現実が頑としてあるわけ です。幸福実現党はひとりも当選者を出せないにもかかわらず、実質的には選挙に勝っているのです。いつの間にか自民党が幸福実現党と似たようなことを言い 出すからです。
笠井 極東裁判や南京虐殺や従軍慰安婦をめぐる自民党右派の歴史修正主義的な主張は、国際標準でいえば極右そのものですから。


ネット右翼というのが、あるらしいということはよく耳にするのだが、どうも実体が掴めない。まあ、匿名で言いたいことだけ言う輩のことだから、実体は無い のかもしれないが、操作しようと考える者は当然存在するだろう。幸福実現党への言及は、非常に示唆的である。知らないうちに、気づかれないようにことは運 ばれているのかも。

白井 日本人もまさに、欧米人などからみれば、中国人・韓国人と見分けがつかない。差異があることではなく差異がないことが耐え難いという図式がまさに当てはまります。
笠井 欧米に見下されながら、欧米を模倣して今度はアジアを見下してきたのが、要するに近代日本です。オリエンタリズムの客体でありながら主体でもあるという倒錯的二重性と、日本による対アジアの特殊な暴力性は連続していることになりますね。


近親憎悪?

笠井 テロとは実体ではなく関係です。実在するのは政治的動機による暴力だけであって、それがテロか革命的行為なのか愛国的行為なのかは、どのような関係の磁場に置かれているかによって決まります。
安重根による伊藤博文暗殺の問題も、殺された伊藤地震が幕府にとってはテロリストだった。「安重根はテロリストだ」と言明した官房長官は、朝鮮を植民地化した日本帝国の立場に龍ことを宣言しています。


黒川創の「国境」に通ずる考え方ぢゃ。

笠井 日本の左翼や民主主義勢力は第二次大戦後、国にだまされたという大衆意識に批判的に対峙することなく、それに乗っかかったわけです。
日中戦争も日米戦争も国民の大半が支持していました。勝った勝ったでもりあがっていうるうちに、どういうわけか本土に爆弾が降りはじめる。話が違うと思っ た日本人は、本土決戦でなく無条件降伏を歓迎しました。自堕落に開始された戦争は自堕落に集結し、日本人は対米従属による平和と反映を嬉々としてうけいれ ます。


安易に得たものは、また安易に失われる。

これに対して白井は伊丹万作の「戦争責任者の問題」から一部を引用している。これは何度も読み返し、噛みしめてもらいたい文章である。

笠井 日本国憲法9条は交戦権の放棄を謳っていますが、これは大戦間の戦争非合法化の流れを下敷きにしたもので、9条讃歌を奏でる人たちが主張するような思想的独自性は見られません。
第二次大戦の直後に開始された冷戦時代には、米ソが半世界国家として世界を分割支配することになる。アメリカの属国である日本は、アメリカという半世界国 家のもとで「戦争を放棄」し続けました。言い換えれば憲法9条は、原理的に日米安保条約と相互補完的なのです。9条支持と安保反対は両立し得ない。これに 反する立場は空想の彼方に舞い上がるしかありません。
日本社会党が政権と無縁だった主要な理由は、9条平和主義と一体の反米・反安保という空想的な国際路線にありました。

これは笠井の持論で、何度も目にした。確かに的を射てる意見のようだが、何か釈然しないところもある。

笠井 ソ連崩壊で日本社会党内のマルクス主義者は沈黙し、あるいは転向し、協会派に牛耳られていた社会党は解体への道を歩みはじめました。保守政党と張り合える社会民主主義政党の不在が、日本の右傾化を歯止めのないものにしています。
白井 55年体制においては自民党も社会党も両方とも勝ちながら負けてきたわけです。自民党は選挙をやれば勝つのですが、悲願の自主憲法制定には議席が足りない から、そういう意味では負け続けた。社会党は議席数では負け続けてきたのですが、憲法改正を阻止するという意味では勝ち続けてきたのです。まさにプロレス です。
笠井 自民党でも軽武装・経済優先の吉田路線を引き継ぐ保守本流は、アメリカの対ソ軍事負担要求をできるだけ値切るために、憲法9条の制約を口実として利用してきた。だから自民党と社会党も、裏で手を組む国対政治が可能だったんですね。


猿芝居だったわけだな。それが、一方の猿回しがいなくなって、もう片方の歯止めが無くなり、均衡がとれなくなって深みへと……て、感じかも。

白井 何だかんだ言っても、企業というのは利益を上げることが最終目標です。グローバリゼーションが唱えられて、システムチェンジをしろという圧力が高まってくる中で、会社内での分配よりも株主を優先することになって現在に至るわけです。
笠井 中間団体の空洞化や解体は「再分配か承認か」でなく、人々から「再分配も承認も」奪いとる方向に進みます。
白井 しばしば、中間団体の衰退は日本社会の問題だと言われますけど、企業という中間団体だけは生き残っていて、ますますその権力を増している。その唯一残った 中間団体としての企業が再分配をせず承認も与えなくなったら、システム自体が枯渇してしまう。今はそういう状態に陥っているのではないかと思います。


格差社会の底辺は弱り目に祟り目である。

笠井 日本版PC(Political Collectoness)は、平和と繁栄の0年の産物に過ぎないというわけですね。
白井 PCという概念で最も嫌なのは、それが結局「政治的に正しい」もののみを認めてほかの「正しさ」を禁圧することです。例えば、政治的には誤っているが美し いものは存在する。こういうものの存在は、人を立ち止まらせます。この美しさに惹かれるのなぜだろうと。こういう違和感から人間の思考は始まるわけです。 PCの言葉狩りの発想に忠実であるならば、政治的に正しくない表現はこの世の中から抹殺すべきだということになりますから、人が違和感を覚えるような表現 はそもそも存在しなくなる。つまり、思考という行為を抹殺することへと向かうのです。


「1984年」から30年以上経ってるのに、社会はいよいよ「1984年」化しつつある。

笠井 デモを議会制民主主義の潤滑剤におとしめる俗論が目につきますが、デモこそが議会制民主主義の生みの親であることを忘れてはなりません。
白井 警察が定めた範囲を突破してやってしまうからこそ、デモンストレーションであり示威なんですよね。不測の事態が絶対に起きないようコントロールするデモな んていうのは本来の意味のデモではない。それは最初から示威しない、威力を示さないということですから。もちろん、デモという政治的行為の社会的ハードル が異様に高くなってしまったという文脈があって、ともかくいまは穏便にやらねばならないという要請があります。ただそのような状態は異常なものであって、 早く脱却せねばなりません。(第四章 右と左がどちらも軟弱になる理由)


デモの本来の姿を取り戻さねば。言うは易し行なうは難し、だけどね。

白井 もともと反知性主義に対抗するのが啓蒙主義とか教養主義だったんですが、それはすでに失効してしまっています。それらが崩壊したからこそ、反知性主義が跋扈してきている。
笠井 プレモダンな反知性主義の裏返しでしかない場合が多いですね。丸山真男によれば戦前日本には、大衆と知識人の中間に、いわば町内会の世話役のような中間層が存在した。
白井 日本のファシズムを根底から支えたのは彼らだと丸山はいっていますよね。
笠井 軍部でいえば下士官が中間層です。半インテリである下士官や世話役といった中間層が知識層に反感を抱き、反知性主義に流れていく。だから反知性主義は教養や知性の対立物ではなく、その裏返し、あるいは劣化ヴァージョンなんですね。


反知性主義は反反省主義でもある。だから、安倍一党の無茶なやり方を、知性で批判しても、蛙の面にションベンにしかならないのだろう。

笠井 日本型教養主義に止めを刺した80年代の輸入ポストモダニズム。体系的な知の構築物の重圧で背骨をへし折られかけた人間の悲鳴が、喩えていえばポストモダ ニズムです。ヨーロッパ近代を超えるポストモダンの尖端だといった、下らない自画自賛にしかなりません。こうした幼児的な自己肯定は、日本現在の成功によ る自賛気分ととも絶妙にフィットして、80年代に大流行しました。いまから思えば愚者の楽園としかいえませんが。

ポストモダニズム=愚者の楽園\(^o^)/当時 Morris.は愚者だったかもしれないが、この楽園には足を踏み入れることはなかった。

白井 知識人って本当はいやな商売なんです。この社会に不幸なことが存在することによて飯のタネは増えます。他人の不幸を飯のタネにすること、それが知識人の原 罪なわけです。そのことに自覚がないから、安易に代弁者になれて、「最も虐げられた者」という最強の立場から他のすべての人々を断罪する快楽に耽溺するわ けです。
笠井 若者論で非正規労働者を代弁するのは自由ですが、その当人は時給800円で働いてるわけじゃない。
抑圧された者の代弁もまた抑圧的だ、という批判があります。被抑圧者による闘争は支持しても、その代理人として振る舞う人間は信用できません。
もしも知識人が今日も存在しうるなら、いかなる資格も後ろ盾もなく、本人一人の責任で語らなければ。
白井 それをやる覚悟がない人は語ってはいけないわけですよね。
笠井 上にある権威の源泉を後ろ盾に、下に威張るのが日本型組織だと丸山真男がいいました。その典型が軍隊で、人格化すれば下士官。被抑圧者の代弁から代理糾弾へいたる真理は、無自覚的にこれを再現しています。(第五章 反知性主義の源流)


日本的エリート主義。

笠井 沖縄独立とは、沖縄が永続敗戦レジームの外に出ることを意味します。我々はヤマトによって独立を奪われ、しかも沖縄戦ではヤマトの盾として利用され、膨大 な人命が犠牲になった。独立して別の国になった以上、これからは日本の戦争責任を追求する、と主張することになるでしょう。
白井 本土で沖縄独立論を冷ややかに見ている人はたいてい、今までずっと補助金経済で生きてきたのに、それが全部絶たれたらどうするんだと言いますよね。でも、もう後には引けないと思えばいい知恵がでてくる。
笠井 基地は観光独立路線の妨害物に過ぎません。要するに邪魔なだけです。
白井 沖縄の問題は日本人とは何か、近代国民国家の国民としての日本国民とは何者なのかという重いテーマを突き付けています。
日本本土にいる人間の過半数は、沖縄問題に無関心です。ひどい人は、あいつらはゆすり・たかりの名人だなどという。沖縄には地場産業もないし、あいつらは 怠け者でどうしようもない。だから基地でも押し付けておけばいい。そういう明確な差別意識を持っているわけです。これに対して沖縄県民が自分たちは差別さ れているという意識を持つのは当然でしょう。


正論である。しかし反知性政権は、正論など見ても見えないにちがいない。

笠井 第二次大戦は開始された以上は敵国の体制崩壊まで続くことが最初から決まっていました。20世紀の戦争がデスマッチであることに無自覚だった日本は、対米戦争も日露戦争と同じように判定勝ちに持ちこめるだろうと考え、安易に対米開戦に踏みきったわけです
白井 かえすがえすも痛恨なのは、そのような認識の誤りによって戦争を始めてしまい、しかもその誤りを修正できなかったことです。だからこそ「国体の護持」という観念にズルズルとこだわって、その間にどんどん犠牲者を増やしていきました。
笠井 ルーズヴェルトは、この戦争が世界国家を樹立するための戦争であることを自覚していた。
世界国家アメリカが君臨するだろう戦後世界に、もう戦争は存在しえない。世界国家の権力を承認するオブジェクトレヴェルの諸国家は、交戦権を持つ必要はないし、交戦権を行使するための軍事力を持つことも許されない。
白井 それで憲法9条が成立したわけですね。
笠井 日本国憲法の序文、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というところの国際社会とは、ルーズヴェルトが構想していた戦後世界に他なりません。

これも笠井の持論だが、これには全面的に賛意を評したい。そもそも日本はアナクロな戦争観でもって、世界戦争に足を突っ込んでしまった、その時点で、死んでたわけだ。

笠井 冷戦の終結は、日本にも新たな可能性をもたらしたはずです。冷戦下でのアメリカの属国から脱し、21世紀世界で独自の地位を占める可能性です。冷戦後もア メリカが日本とタッグを組んで中国や北朝鮮の封じこめに遭遇するだろうという安直な期待は、すでに裏切られているのに、安倍政権はそれを直視しようとはし ません。

あのときああしておけば、こんなことにはならなかったのに、というのは、繰り言にすぎない、とわかってはいるのだけど……

笠井 テロをテロと認定し、警察行動で対処するメタレヴェルの世界的権力など存在しないということなら、また世界戦争の時代に戻ったのか。しかしアルカイダは国 家ではないから、対テロ戦争は対国家戦争ではない。20世紀の世界戦争には、交戦団体が国家ではないゲリラ戦という逸脱も含まれていましたが、それでも基 調は国家間戦争でした。しかし反テロ戦争では国家間戦争中心的とは言えない。テロとも戦争とも決めかねる軍事力行使に、これまた国家間戦争ではない反テロ 戦争が対抗する。
白井 そういったテロの定義も戦争の定義も国家の定義もすべてぐちゃぐちゃになってきたから、その状態を世界内戦と言ったわけですね。
笠井 いずれにせよ、世界国家による世界支配というのは最悪です。外部のない世界国家は人類の悪夢ですから。(第六章 独立という思想へ)


笠井によると冷戦こそ第三次世界大戦だったということになる。そうすると今世紀のテロ組織との抗争は、世界内戦という、第四次世界大戦であり、わしらはいま、その戦いの中にずるずると引き込まれているのかもしれない。

集団的自衛権の必要論と反対論は、いずれも的を外れている。その概念と歴史を正確に把握していないからだ。
自衛権の概念が確立されたのは、第一次大戦後のことである。最初の世界大戦の惨禍は戦争を非合法化し、禁止しようとする国際世論を生じさせた。それによっ て主権国家は交戦権を事実上放棄した。宣戦を布告し戦争を開始することは、国際的な犯罪行為と見なされるようになる。では、犯罪としての戦争(侵略戦争) をしかけられた被害国はどうすればいいのか。ここで要請されたのが自衛権だった。
しかしこうした分割は自衛戦争を生じさせたにすぎない。このようにして世界は、第二の世界大戦に呑みこまれていく。
第二次大戦後の世界では、犯罪国家による侵略戦争は国連軍が制圧する。国連軍の制圧行動が開始されるまでのあいだ、侵略の被害国は個別的自衛権の行使が可能である。被害国の隣国なども、被害国の自衛戦争を援助する集団的自衛権を行使できる。
冷戦とは世界国家の座を賭けた最終戦であり、米ソによる第三の世界戦争だった。
東側ブロックの崩壊により、アメリカが冷戦に勝利する。
安全保障をめぐる問題では、日本国憲法は国連憲章と相似形をなしている。
しかし日本国憲法、とりわけ前文の精神や第九条は国連憲章第2条4項(戦争の禁止)や第51条(自衛権の規定)と同じく、冷戦が開始された時点で空文と化した。
すでに前提が失われている事実を問うことなく、国連では自衛権をめぐる空疎な議論が続いてきた。9条をめぐる日本での論争も同じことで、自衛権をめぐり蜿蜒と続けられてきた憲法解釈論議は空中楼閣にすぎない。
いまや主権国家は空洞化と形骸化を深め、集団的自衛権の概念も無力な漂流を続けている。こうした時代に、かつて集団的自衛権が他国への軍事介入や侵攻の口実として使われた事実を持ちだしても、安倍政権による解釈改憲を阻止する論理は構築できそうにない。
解釈改憲の強行そのものが、憲法秩序の空無化と例外状態の恒常化を意味する。また例外状態の恒常化こそ、世界内戦の国内体制にほかならない。これに立憲主義の尊重を唱えても無力だろう。
世界内戦のリアリティから逃れることなく、世界国家なき世界社会という長期的な展望のもと、「われわれ」の安全保障を構想すること。「われわれ」の安全保 障を、日本国家の安全保障として語られる集団的自衛権必要論に対置しなければならない。(笠井によるあとがきより)


国連の再生をのぞみたい(^_^;)


2015136
【リバース】相場英雄 ★★★ 2015/02/22 双葉社 「小説推理」2014年7月~12月号
原発事故復興に乗じての詐欺を追う刑事たちの物語で、国有地になるという土地の詐欺から、だんだん大規模な詐欺に進み、おしまいは、海外原発業者と閣僚と の贈賄問題に突き進むが、実際のところ、もっと上層部に同様の詐欺的行為があるに違いないと想像させるところが、眼目かもしれない。
現場取材も多くこなしてるようで、避難地域の復興状況の描写が印象的だった。

西澤の視線の先には、写真集で見たカットと同じアングルの光景がある。村役場に通じる県道沿いの、牧草地畑が広がっていた谷間の一角だ。
しかし、目の前には一切の緑がない。ブルドーザーなどの重機で地肌を削り取られていた。
土がむき出しになった大地が、なだらかな彼方の山の麓まで続いている。言葉が出ない。
大震災と原発事故の発生から3年以上が経過した。この間、新聞やテレビでは、被災地の瓦礫が撤去され、新しい道路がつくられ、人々が元の生活に戻りつつあると盛んに報じていた。
それは全く違っていた。村に来る途中、住民たちが暮らす仮設住宅団地の脇を通った。町外れの丘の上、辺鄙な場所で窮屈な部屋に住民たちは詰め込まれている。
美しかった村が、除染という施策でむき出しの土ばかりが目立つ荒れ野に変わった。村人がこの光景を見て、なにを感じるのか。(飯舘村)

住民表示が南相馬市小高区に変わった辺りから、浜が見渡せる一帯に出た。大型の重機が地表を削っている。周囲には、かつて住居だったことを窺わせるコンクリートの基礎がむき出しになっていた。
「俺たち、タイムスリップしたのか?」
外の景色を見ながら、清野は呟いた。
国道脇に、大型のコンテナや農機具がひっくり返ったまま放置されていた。津波に店舗の大半を抉られたパチンコ店があり、駐車場のアスファルトを割り、雑草が伸びている。
<福島の再生なくして日本の再生なし>
政府首脳が連呼していた言葉が耳に蘇る。
どこが再生だ。ここに来て同じことを言ってみろ。壁が崩れたまま放置されている民家を見ながら、清野は思った。


これらは実景に違いない。現時点で原発での避難者は10万人を遥かに超えている。政府は、避難解除地に戻るよう呼びかけているが、上記のような状態で、放射線濃度も曖昧なままでは、帰るに還れないのが実情だと思う。

「原発は必ず老朽化します。その際に廃炉という新たな需要が生まれます。ご存知のように、関東電力は特大の廃炉需要を抱えています」
関東電力と世界的な原発企業。
「それじゃなにか? 福島の原発について、米仏の大手企業が廃炉の仕事を得るために日本人を過剰接待していたのか?」
「その通りです。大まかな試算ですが、事故を起こした福島の原発の廃炉に関しては、約5兆円の資金を要すると言われています。贈賄側の米仏二社にとっては、巨額収益が見込める受注のためならば、接待など取るに足らないことだったのです」
「一方、収賄は省資源開発庁となります」
「省資源開発庁のほかに、関東電力の人間もリストアップされています」


福島原発廃炉作業は、はっきり言って暗中模索である。
このような中で、川内原発は再稼働を始め、それ以後各地で再稼働の準備に入ってる。これは、もう、常軌を逸してると思う。



2015135
【すらすら読める方丈記】中野孝次 ★★★☆☆  2003/02/20 講談社
某掲示板で、知人が「徒然草」の一節を引用してたのに刺激されて、たまには、古典の随筆でも読もうかという気になり、徒然草は長いから、うんと短い「方丈 記」にしようと思った。本書は、中野孝次の訳文と、解説だが、原文を大きな活字で印刷してあるので、読みやすいということで、これにした。

若いときは「方丈記」に書いている鴨長明の考えが消極的に過ぎるように感じられ、あまり近づかなかったのが、老いてから次第にその主張が身につまされるようになってきた。
消極的なようだが、これが実は一番強い生き方なのだ、と思うようになった。
いままでに全体を訳したことがなかったから、今回そそのかされたのを好機として、自分の好むように訳したのがこの方丈記訳である。(序)


要するに原文を読みたかっただけなので、解説は流し読み、訳文も、疑問感じた部分を参照した程度である。従って、評点は、中野ではなく、鴨長明へのもので ある。まあ、方丈記は、学生の頃読んだ(最初の、古典演習がこれだった)から、おおまかなところはわかっている。つもりでいた。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖と、また書くのごとし(一)

書き出しの一段は、あまりにも有名だけど、それだけのことはある名文なので、引かざるを得ない。

朝(あした)に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。(ニ)

これも、見事なコピーであるな。類例は多そうだけど。

世にしたがへば、身、苦し。したがはねば、狂せるに似たり。(ニ五)

生きるということはそういうことなのだろう。

芸はこれ拙なけれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。独り調べ、独り詠じて、みづから情(こころ)を養ふばかりなり。(三〇)


これはMorris.のミニギターのことを、Morris.に代わって述べてるような気がした\(^o^)/。

ほど狭(せば)しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに、不足なし。
事を知り、世を知れゝば、願はず、走(わし)らず。ただ、静かなるを望みとし、愁ヘ無きを楽しみとす。
今の世の習ひ、この身の有様、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。(三ニ)

「起きて半畳、寝て1畳」という諺もここらあたりが起源かな。これもMorris.の現況を代弁してるようでもある。「静かなるを望み」というのは違ってるか(^_^;)

なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人を顧みるよりやすし。もし歩(あり)くべき事あれば、みづから歩む。
身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば、使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。ものうしとても、心を動かす事なし。いかにいはんや、常 に歩き、常に働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人を悩ます、罪業なり。いかが、他の力を借るべき。(三ニ)


歩くの大好きのMorris.なので、これも共感するところ大である。

いざ行かむ雪見に転ぶところまで 芭蕉



2015134
【ポエムに万歳!】小田嶋隆 ★★★ 2013/12/05 新潮社
かなり古いコラムから最近のもの(と言っても、刊行が2年前)をある程度整理編集して寄せ集めたもの。例によって玉石混交状態。

商業メディアにとって五輪というイベントは、ネタ元であり取材先であり、キャンペーンのキーアイテムであり、巨大な広告の発生源であるわけで、メディア企業がこれに反対することは、漁師が出漁に反対することと同じく、原理的に不可能に近い所作なのである。
いずれにせよ、「震災の傷跡を持つ日本が元気になるためには五輪が必要だ」という理屈は、「過疎に悩む地域経済の活性化のためには原発の誘致が必要だ」というお話とほとんど区別がつかない。あまりにもスジが悪い。
ニッポンと言われて、うっかりチャチャチャと手拍子をするのはゆとり世代だ。
私は招致に反対する。
私の日本は腕組みをしている。(そんなにいいのかオリンピック)


これは招致で東京開催が決定する前の発言だと思うが。オリンピックと原発誘致が同じ根っこだというのは、そのとおりだと思う。Morris.も東京オリンピックには反対である。オリンピックそのものが全体主義養成ギブスのような気がする。

ネット上で一度燃え上がった火種は、何年たっても消えない。目に見える形で燃え上 がったり、煙を立てたりすることはなくなっても、たとえばの話、誰かが名前を検索すると、画面上に表示される項目の上位には、必ずや炎上の際に作られた何 百というつぶやきや書き込みが登場することになる。
つまり、変な噂を立てられたり、悪意あるデマを流された人間は、ネガティブな検索結果からのがれられないのである。
つまり、残念だが、「デマ」は、結局のところ有効であり、「リンチ」は一過性のお遊びでは終わらないものなのだ。
もともとわれわれは「リンチ」が好きなのだ。ネットは、そうしたもともとわれわれの中にある処罰感情を、カジュアルに刺激し、効率的に宣伝し、爆発的に増幅させる機能を持っている。
デマを流すには1行で済む。
が、それを完全にひていするには、百万行を費やしても足りない。(デマを流すには1行で済む)


ネット関連の発言は、経験豊富な小田嶋だけに説得力がある。一度ネットに公開したら、それは、決して無かったことにはできない。危険度200%の行為であ るということはいくら強調してもしすぎることはない。Morris.部屋で10年以上、日々の生活など垂れ流してるわけで、好んで自らを危険にさらしてい ると言えなくもない。仮にMorris.が何らかの不祥事など起こして取材対象となったら、マスコミはきっとMorris.部屋をチェックするだろう。今 更ながらではあるが、ネット上のMorris.は、現実の森崎某とは別の虚構のキャラクタであると、告知しておこう。

ネットは衆愚批判のメッカだ。
「大衆」が大量消費社会と戦後民主主義の申し子であるのだとしたら、その指し示すところの意味合いが凡庸さであれなんであれ、自分たちが「大衆」であるこ とは、喜ばしいことであっただろうし、最も典型手的階層が平凡な人間であるという観察は、不当なことでもない。
しかし、「大衆」のニュアンスは、時代が進むにつれて、徐々に、冷めたものになる。それもそのはず、本来の意味からして、「大衆」は、「市民」の対義語で あって、要するに、「他律的」で「雷同的」で「無名」でかつ「無個性」な「衆愚」に近い概念だからだ。(消えた大衆)


「市民」が消えれば「大衆」も消えるだろう。「衆愚」というクソ言葉が大手をふって横行してる時代なんだな、今は。

一方の極には、橋下徹大阪市長の喋り方がある。
闊達といえば闊達。明快で、聞いていてスリルがある。だから人気は高い。戦闘力も高い。とはいえ、ネタを明かせば、ツイッターやぶら下がり取材の中で展開される彼の論法は、弁護士の弁論そのものだ。
具体的に言えば、「自分の側に有利な条件だけを並べ立」て「論敵の非をどこまでも執拗に追求」し「藁人形論法や誇張といった詭弁に近い手段を弄することも 辞さ」ずに、「ただひたすらにオノレの正しさを述べ立て」るタイプの答弁法だ。これは、ディベートの手法としては非常に強力で事実、彼は、この話しぶり で、多くの相手を言い負かしてきた。
が、政治家として見るなら、このしゃべり方は「妥協ができない」意味で、半人前であり、「相手の言い分を聞けない」という面で失格になる。
結局、弁論はできても、議論ができない典型的な弁護士の語り口なのである。(メディアノレッカ)


橋下批判ではなく、客観的分析である。ともかくも、こんなのに政治をまかせておくわけにはいかない。当人は政治家廃業を宣言してるけど。市長やめた翌日には、安倍&菅と、全く信用ならない。


2015133
【嘘だらけの日韓近現代史】倉山満 ★☆  2013/12/01 扶桑社新書
まあ、タイトルと出版社見ただけで、どんな本かは想像がつこうと言うもの(^_^;)
著者の名前も知らないが73年生まれで、憲政史研究者を名乗っている。本書の前に「嘘だらけの日米近現代史」「嘘だらけの日中近現代史」を出しているらし い。2チャンネルなどのネット右翼レベルの内容だろうが、トンデモ本を読むつもりで冷やかしてみることにしたのだ。予想通りかなり偏向した内容だが、とこ ろどころまともそうな意見も散見した。
一応時間軸で七章に分かたれてるが、その小見出しのいくつかをあげておく。

・「高麗」他国の英光は自分の歴史
・「世宗大王」愚民に文字を与えた名君
・朝鮮半島は秀吉の「通り道」だった
・無礼な朝鮮--征韓論の真相
・「日清戦争」は朝鮮の約束違反が招いた
・「日露戦争」はロシアに媚びた朝鮮が招いた
・朝鮮など併合したくなかった
・朝鮮人を守るために満洲事変が起きた
・帝国陸軍の申し子、朴正煕
・北朝鮮に核武装を許した金大中
・泥舟中国にすり寄る朴槿恵


(^_^;)(^_^;)(^_^;)

古代史本はミステリアスで面白いストーリーが作れるので根強い人気がありますが、私は史学科出身で、隣の席でコツコツと研究している古代史研究者の姿を知っているので断言します。日本古代史で面白く突飛な主張をする人はすべて偽物だと思って下さい。

たしかに、古代史トンデモ本は多いけど、それが「面白く」読めればそれでいいとも思う。

韓国では常に真人間が非業の最期を遂げます。その真人間の定義とは、「愛国者」で「親日派」です。


「チニルパ(新日派)」は、韓国では最大級の罵倒語で、これは何とかならないものかと思ってしまう。基本的には植民地時代に日本におもねった人々を呼ぶ言 葉だったらしいが、戦後、日本のことをよく知って、仲良くしたいと思う韓国人がこの罵倒語のために、その気持を素直に出せないこともあるのではないだろう か。

東学党とは、西洋の経済や文化的な侵略に対し、東洋本来の精神で対抗しようとしたと理解されていますが、より正確には朝鮮ナショナリズムの追求です。
西洋の文物を取り入れようとする開化思想も、儒教精神に則った衛正斥邪思想も両方排して、民衆の救いを目指そうと1860年に崔済愚がはじめました。儒教 のような難解な学問ではなく、「天に感謝すれば救われる」という単純極まりない教えを信じればいいだけという教義なので、ほとんど文字がよめなかった朝鮮 の民衆にも急速に普及します。
第二代崔時享のときに、日清戦争の原因となると日本の教科書でも必ず紹介される東学党の乱が起ります。とにかく、思想性はあまりないけれども、民衆の気持ちをつかんで勢力を張ったのが東学党です。


この東学党に関しては、むくげの会の信長正義さんが地道に研究を続けている。

明成皇后こと閔妃こそ、日韓人民共通の敵です。「人を殺すのは良くない!」というような当時の李氏朝鮮には全く存在しない価値観でも持ち出さなければ、閔妃殺害を指弾することは不可能でしょう。韓国人の立場に立てば、閔妃はドイツ人におけるヒトラーのようなものです。

閔妃が暗殺された現場である景福宮で、その石碑などを探したが見つからなかった。以前には石碑と祠みたいなのがあったと思うのだが。どんどん復元して新しい建物が増設されている中で、どこかに移されたのだろう。

そもそも論ですが、日本は朝鮮を「侵略」したと言いますが、なぜ悪いのでしょうか。確かに現在「侵略」は悪いこととされていますが、いつから悪いことになったのでしょうか。むしろ、日本が韓国を併合した1910年の価値観では、「侵略」はいいことでした。
ちなみに、国際法として「侵略」が悪だという価値観が定着するのは、1945年に51カ国によって署名された国連憲章です。1917年のアメリカ大統領 ウッドロー・ウィルソンの「勝利なき平和」や1928年の不戦条約にもそういう傾向が見いだせますが、確立するのは1945年であって、それ以前に「侵略 は悪だ」などということ自体がナンセンスなのです。


おお、ものすごい開き直り論ぢゃ(^_^;) 著者の本領発揮といったところ。こんなの読んで、2チャンネルなどに孫引きするものが多いのだろう。

根本的なことを指摘すると、当時の日本人が「韓国を植民地にした」などとはしゃいでいながら、「植民地に投資する」というよくわからない行動をとったことが問題なのです。
結論から言えば、日本人には真の意味での植民地経営は無理でした。少なくとも善意の塊のような日本人には、朝鮮支配は無理です。


「善意の塊のような日本人」(>_<) うーん、よくまあ、こんなこと言えるなあ。

従軍慰安婦--戦地売春婦のことですね。彼女らはお金をもらっていましたが、あなたはこの世のすべての売春を廃絶しようという立場なのでしょうか。
強制連行といいますが、要するに女衒です。親に騙されて売られた少女がいたことを日本国の責任にしたいのであれば、買春したことのあるすべての男性を裁いてから言うべきです。


橋下発言を思い出した。

最終的に、朝鮮戦争は米中の戦いになっています。金日成も李承晩も敗走を 重ねるご とに、それぞれの陣営で発言権をなくしていくのですが、反対派の粛清だけは忘れません。韓国検定教科書の言う、「戦争の結果、南北双方で独裁が強化され た」という結果につながっていきます。二人とも戦争責任を問われたくないから、それぞれの国で反対派を粛清して独裁を強めたのです。

李承晩は独立運動などほとんどやらず、戦時には米国の保護下にあり、解放後帰国してアメリカの後ろ盾で大統領にしてもらったのだが、朝鮮戦争でもほとんど無策だったようだ。

北朝鮮は朴正煕政権のことを「ファッショ独裁殺人鬼一味」と呼んでいたものですが、鏡に映った自分のことを指していたのでしょう。
日本では、朝日新聞を代表するメディアが朴正煕を「悪の軍事独裁政権」と蛇蝎の如く嫌う反面、北朝鮮のことは「地上の楽園」と礼賛していました。


たしかに当時の日本のマスコミの朝鮮半島への論調は、そのとおりだったと思う。

デフレで広告収入が減り、「制作費を赤字にしないプロデュ-サーこそ仕事 ができる 人」という文化に変わります。ドラマでも報道でも、かつての一本分の制作費で三~四本の番組を作る、そもそもお金のかかるドラマよりも安易なバラエティ番 組を作るという風潮になってしまえば、良い番組など作れません。面白くないから、視聴者が離れ広告収入が減る、お金がないので益々面白い番組を作れなくな る。まさにデフレスパイラルそのものになってしまうのです。さらに、テレビ業界全体の自主規制が輪をかけます。
そんなところに、韓国政府の補助金によってダンピングに等しい価格で販売された韓流ドラマが流れてくると、飛びつくのはとうぜんではないでしょうか。


これは日本のテレビの現状を、正しく捉えていると、大いに共感するところだった。著者の言いたいのは、それゆえに韓国ドラマブームになったってことだけどね。

かつて、ソ連は自民党に工作を仕掛けるときに、あえて反共のタカ派に目をつけたそうです。そして、「反ソ」で構わないから「反米」であればスパイに仕立てあげられるというリアリズムに徹したのです。
日本が見習うべきはこれではないでしょうか。「反日」でも構わないから、「反北」であれば共闘できる。朴正煕のときの「昼は反日、夜は親日」などはその理 想型とも言えたのです。日韓現代史で悲劇なのは、二つです。韓国が「反北」ではないこと。もうひとつは、日本が弱すぎることです。

佐藤優の「インテリジェンス論」の模倣だろうか。

安部首相がやろうとしている「戦後レジームからの脱却」、すなわち「敗戦国からの脱却」には多くの抵抗勢力が存在します。敗戦国である日本から利権を得ている勢力にとって、間違いなく安倍政権は邪魔な存在です。
日米同盟を強化しつつ、中韓以外のアジア太平洋諸国との友好関係を強化し、英仏をも招き入れるダイヤモンド構想は、久しぶりの自主外交の姿でした。
長年の懸案であった集団的自衛権の解釈変更に関しても道筋をつけ、戦後最強の官庁と言われていかなる政権も介入できなかった内閣法制局長官人事で意中の人物を送り込みました。


やっぱり著者は安倍派の一員だった。この「意中の内閣法制局長官」というのは、先般の国会答弁で、ブーイングの的だった横畠裕介のことかと思ったが、出版 時期からすると、小松一郎のことらしい。こちらも国会答弁で共産党議員から「安倍総理の番犬」呼ばわりされたらしい。



2015132
【おしょうしな韓国 ほのぼの韓流100話】木口政樹 ★★☆☆2013/07/15 かんよう出版 初出「米沢日報」連載

「おしょうしな」は米沢方言で「ありがとうございます」という意味である。米沢に生まれ、今年2013年には韓国在住25年になる筆者が、韓国の地でなんとか生き延びてこられたことに対する感謝の念をこめてこの本を編むことになった。(まえがき)

韓国人女性と結婚し88年に妻の故郷慶州に移住、そのあと、ソウル、天安と移り住み、故郷の岩手の地方紙に連載したもので、何か、地元に阿るところがあっ て、ちょっと気になった。25年韓国で暮らしてるだけにMorris.の知らない韓国人の機微に触れることも多かったようだが、あまり関心を惹くものは多 くなかった。
聞いたことがある「ポムセン・ポムサ」と「エクテム」が出てきたので、メモとして引いておく。

「ポムセン・ポムサ」という言葉がいつ韓国でつかわれるようになったのか知らない。「格好に行き、格好に死ぬ」という意味で、カッコのよさ、見てくれ至上 主義、外面を大切にする生き方を示した言葉だ。カッコつけることである。エエかっこすることである。たしかに韓国の人は外見を重要視するようだ。
「폼생 폼사」「폼」は英語のformのことで생は生、사は死。

A(C)=えーかっこしーぢゃ(^_^;)

エクテム 액땜(액때움) 大きな厄を小さい厄で肩代わりしてもらうこと。

この「エクテム」は、去年、ソウルでMorris.が酔っ払ってジーンズにiPhone入れたまま洗濯して(>_<)落ち込んだ時、ソウル在 住のHACHIさんから教えてもらった。「厄祓い」という意味だけど、けっこういろんな場面で使えそう。

2015131
【植調 雑草大鑑】 浅井元朗 ★★★☆ 2015/02/12 全国農村教育協会。
B5版オールカラーの雑草図鑑である。タイトルにある「植調」は、本書を企画バックアップした公益財団法人 日本植物調節剤研究協会の略称らしい。本書はこの協会設立50周年の記念出版物でもある。
水田雑草28科129種、畑地雑草54科583種を掲載している。1ページに10点前後の写真(芽生え、全体像、花、種子、果実、細部等々)で、雑草のさまざまな姿を見ることが出来る。
和名・学名・英名、原産地、分布、出芽・花期、草丈、生活史、繁殖器官、種子散布などが併記されていて、特に草丈は「足首~膝」「膝~腰」「腰~胸」などのように身体部位で示してあるのは体感しやすい。
今日の日記で道ばたの雑草を撮影したのは、本書で同定して見ようと思ったためだ。

「雑草:撹乱の中に生きる植物」とタイトルされた序論は2pの短かさだったが、興味深いものだった。

雑草という名の植物はない。しかし雑草とみなされる植物はある。ある植物が雑草かどうかを決めるのは人間である。土手や道ばたに花を咲かせる草は、通りすがりの市民にとっては野草であるかもしれない。しかしその土地の所有者、管理主体者にとっては雑草だろう。

雑草は人間の管理の影響下に生きる植物群である。人間は土地を利用するために、さまざまな管理作業を加えている。土を耕したり、草刈りをするなど、その土 地の植生を壊すことを生態学の用語で撹乱という。農地や緑地では、耕起、草刈り、湛水と落水、火入れ、放牧、除草剤処理といったさまざまな撹乱が加わるこ とで、その土地の機能が保たれている。


「名もない草」という表現は俗的なもので、人目に付くくらいの植物で名前のないものはほとんど無いと思うが、雑草とみなされる植物はあるわけか。
「撹乱」という語は「乱れる、混乱する」みたいな意味だと思っていたが、生態学では雑草を除去する営みとして使われているというのは初めて知った。ちょっと意外な使い方である。
大辞林で「かくらん」を引いたら「[撹乱](コウランの慣用読み)かき乱すこと、混乱を引き起こすこと」とあった。正しくは「こうらん」と読むらしい。昭 和初期の「大言海」「大辞典」には見当たらないから、1930年代以降に使われ始めた語かもしれない。「撹拌」も、正しくは「こうはん」と読むらしいが、 今や「かくらん」「かくはん」と読むほうが一般的だろう。
またあとがきには

雑草も、社会を映すものです。
雑草を調べ、雑草との付き合いを考えることは、よりよい土地利用とそれがなされる社会のあり方を考えることでもある……雑草との関わりが続くほどに、そ う、私は考えてきました。望ましいあり方とは? そのためにどうするのか? これまでのように、当事者の手が届かないところで多くのことが決まっているしくみから、自分たちで学び、決め、自分たちで決められる範囲をひろげてゆくた めの取り組みを続けること。雑草をはじめとする、足元の生物の生き様や他の生物とのかかわり合いに目を配り、その適切な理解に裏打ちされた土地利用の営み を地域社会の中で引き継ぐこと。それもまた豊かな社会の姿の一つでしょう。
本書の編纂に与えられた3年という期間は、この水準の書籍を完成するには明らかに短いものですが、その間たいへん楽しく充実した日々でした。東日本大震災 後の、日本の社会がおかしな、荒んだ方向に進んでゆくことへのやるせなさからの逃避という面もあったかもしれませんが。


などという記述があり、著者の人間性がにじみ出ているようで好感を覚えた。
おしまいに、本書の中からこれまで知らずにいた、植物の漢字名を幾つか引いておく

カミツレ 加密列 chamomile 菊科 小鹿菊属 薬用植物として江戸時代に移入され、ハーブとして栽培される。リンゴに似た芳香があり、乾燥した頭花を利用する。逸出し、畑地、道ばた、空き地などに野生化している。
キランソウ 金瘡小草 紫蘇科 キランソウ属
ノヂシャ 野萵苣 忍冬科 ノヂシャ属
ギシギシ 羊蹄 蓼科 ギシギシ属
イノコヅチ 牛膝(猪子槌) ヒユ科 イノコヅチ属
メヒシバ 雌日芝 southern crabgrass 稲科 メヒシバ属



2015130
【原発ホワイトアウト】若杉列 ★★★☆☆ 2013/09/11 講談社。
現役官僚による、原発体制告発フィクションらしい。2013年度のベストセラーで13万部売り上げたとか。
福島原発事故関連ほんを昨年ある程度読みあさったが、こういったフィクションものは初めてかもしれない。著者は現役官僚らしいが、なかなか如才ないライターぶりである。政府や電力会社への批判も、フィクションならではの辛辣な表現がわかりやすかった。

世間の動きに表層的かつ感覚的に反応する評論家は、「官邸前のデモは新しい時代の到来を予見させる。インターネット称揚していたが、実体は定職のない若者や定年後の高齢者が、やり場のない怒りをぶつけるステージに近かった。
大衆は熱しやすく、冷めやすい--。

原発デモはたしかに、一時の盛り上がりが、今や見る影もない(>_<) 川内原発再稼働反対もいまいち盛り上がらない、というか、持続するのは難しいのかもしれない。安保法案反対運動もこのパタンを繰り返さないようにせねば。

スタンフォード大学名誉教授の青木昌彦によれば、日本の社会は「仕切られた多元主義」だ。人材の流動性が低いなか、人口ボーナス下で逃げ切れる団塊の世代は、それでいいかもしれないが、人口減少の時代にあって、これから生きていく玉川たち若い世代は違う。
電力会社が、総括原価方式によってもたらされる超過利潤(レント)によって、政治家を献金やパーティ券で買収し、安全性に疑義のある原発が稼働し、再び事故が起こるということは何としてでも避けなければならない。

何としてでも避けなければならなかったのに……(;;)

--驚くべきことに、日本電力連盟自体も、法人格を取得していない任意団体であった。総額15兆円の売上げを誇る業界でありながら、その業界団体が法人格すら取得していない……これは極めて異例である。
理由は何か? それは、日本電力連盟が外部の介入を過度に警戒しているからである。
電力会社が決して国の補助金を受け取らないのも同じ理由だ。会計検査院の検査が入り、電力会社の秘部に外部の目が届くことを忌避している。国の補助金を受け取ると、政治資金規正法上、政治献金ができなくなることも、電力会社のそうした行動を正当化していた。
電力業界全体が外部に発注する金額の総計は、なんと5兆円もある。その上前の上前だけで、日本電力業界には400億円もの預託金が使途自由な工作資金として積まれることになる。
このプロセスに一つでも違法な部分があれば、内部告発などが表面化した際には、マスコミや司法当局も触手を伸ばすことが可能であろう。しかし、違法性がない以上、たまに暴露話として、その存在が外部に漏れることはあっても、決して広がることはなかった。
しかも関東電力の取引先は、東栄会からの指示にしたがって淡々とパーティ券の領収書を処理するだけで、相場より15%も高い取引額を安定的、継続的に享受 できる……安定して関東電力から仕事を受注する限り、倒産する心配はまずない。経営権争いや女性スキャンダルなどによる内輪もめが起きない限りは、取引先 から秘密がばれることはなかった。
そして関東電力自体が、取引先において内紛やスキャンダルが起きていないかどうか慎重にウォッチし、この集金・献金システムに綻びが出ないよう注意していた。
(この集金・献金システムが)誕生したあとは、日本の政治社会を支配するモンスターとして、独自の生命を得たように活動をし始めた……。
こうして、公共事業への国家予算の分配がゼネコンの集金集票との見合いであることや、診療報酬の改定が日本医師会の集金集票との見合いであることと同様に、このモンスター・システムは、日本の政治に必須の動脈となったのである。

原子力村=モンスター・システムというのは言い得て妙である。福島原発事故こそ、このモンスターを倒す絶好の機会だったはずなのに、あれから4年以上過ぎて、モンスターはほとんどそのままである。

それにしても、大衆は常に愚かで、そして暇だ。衆愚というのはこういう連中のことを言うのだろう。こいつらの言うことを聞いていたのでは、国の将来を誤ることになる。
もちろん、フクシマの原発事故は反省をしなければならない。これも、お決まりの枕詞にしか過ぎないが……。しかし、だからといって、原子力エネルギーから 一切背を向けるというのは、火傷や山火事を起こした原始人が火を使わなくなるのに等しい。太古の昔、原始人も火を使いつづけるかどうか議論したのだろう か? 原始人が火を放棄していれば、現代の文明には辿り着いていなかっただろう。
デモに参加している狂信的な連中は、世の中のごく一部だ。
脱原発俳優の山下次郎が獲得した66万票だが、その全部が狂信的な連中というわけではない。保守党の勝利を漠然と不安に思うインテリ層や現代の経済社会に 対する批判層の票が狂信的な連中に触発されて、相当混じり込んでいるはずだ。デモに参加している連中と一般大衆とを分断して、一般大衆をフクシマの事故前 の感覚に戻していけばいい。
「原発事故もいやだけれど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆はワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。
大衆は常に「自分よりもうまくやる奴」を妬み憎む。
・公務員でもないのに競争がないなんて許せない。
・競争がないなら電力会社の経営は合理化がなされていないはずだ。
・電力会社同士で競争させれば料金が下がるはずだ。
と、大衆は思っているのだから、とにもかくにも、電力業界での競争原理の導入を謳った電力システム改革の実施を政府で決めて、これからは競争が起きると大衆に信じさせればいい。
改革派官僚といわれる一部の役人までが、電力システム改革が至上命題であると信じているようだが、本当は、原発再稼働の手段に過ぎない。とりあえず、電力 システム改革をやるぞ、といって大衆に啖呵を切って、競争が起きると誤認させれば、大衆の溜飲が下がり、原発再稼働へのハードルをクリアすることになるだ ろう。(第五章官僚と大衆)

これだけ言いたい放題が書けるのもフィクションならではだろうが、事態はまさに、この思い上がった発言に沿って動いているようだ。

一般大衆にどのくらい知られれている事実かはわからないが、政治家から省庁への圧力というのは、法案が閣議決定される前に終了している。
国会での論戦は、台本が書かれた寸劇にすぎない。野党の議員にとっては、総理や大臣を追い詰める論戦は、いわば「見せ場」ではあるが、前日の夕方には、質 問内容の大筋は内閣総務官室や各省庁の国会連絡室に渡している。質問者から渡された質問を政府側が事前に咀嚼し、答弁を書いて大臣に「ご説明」していなけ れば、論戦にもならない。


これも現役ならではの突っ込みだろう。大衆はスタンドプレイに弱い。

政権と警察のねらいは、反原発のプロ活動家と一時の熱に浮かされた一般市民とを峻別し、後者を冷静に落ち着かせることにあった。
具体的には、私服警官を毎週末、数十人単位で動員し、反原発デモの活動の様子をビデオ撮りして、参加者の面を割る作業を進めるとともに、運動の先頭で目 立った動きをしている人間を尾行し、自宅の住所を特定した。デモ参加者が帰路に、自転車を無灯火で運転したり、立ち小便をしたりしている姿も、すべてこっ そり記録された。
自宅が特定された参加者の周辺では、それぞれ管轄の警察官による聞き込みが露骨に行われた。
こうした警察の行為を不適切と糾弾する声も上がったが、過激派や共産党が浸透しようとしている形跡があることにより、逆に、一般市民を監視することも含めて正当化された。
経済産業省前の反原発テントの参加者も同様の憂き目にあった。テントに泊まり込んだ者のみならず、テントに立ち寄った者の自宅周辺にも続々と警察官による 聞き込みが行われた。自然と参加者は減少し、それでもあえて参加するものは、もはや一般市民とはいえず、プロ活動家の卵として先鋭化していくことになっ た。


これはいかにもありそうなことだ。安倍政権は現実にこの方向で動いているようだ。

まれに覚えの悪い識者もいたが、二度警告を発しても改善しない者はブラックリストに載せ、マスコミ各社に番組や記事に起用しないよう執拗に働きかけた。近年、テレビや新聞で見かけなくなった反原発の著名人の多くは、そうした日本電力連盟広報部の所業の結果である。

事故以前と比べるとかなり隠蔽体質が強化されていると思われる。

テレビ、新聞、週刊誌では、もともと誰からも相手にされず、反原発を貫いてきた研究者などが、フクシマの事故後しばらく「正義の味方」として重用されたが、彼らの過度に恐怖心を煽る極端な言論から人心が離れるのも早かった。

電力会社には、もともと正社員として検針や集金をしていた余剰人員のおば ちゃんや おっちゃんが、腐るほど存在する。各社の広報部では、正規の広報部の別働隊として、こうした余剰人員を収容した特別な部屋をつくっていた。これらは本社と は別の分館の目立たない場所に設けられており、問題報道のあとには、余剰人員が一斉に、電話やネットで視聴者の声に反論の声を届ける。
これに加え、各社の余剰人員は、ネット工作員としても活動していた。「2ちゃんねる」、政治家やチョお名人のツイッター、フェイスブック、SNS連動型テレビ番組などで、続々と電力会社の主張に沿ったコメントを書き続けるのである。


九電の玄海原子力発電所再稼働へのやらせメールを思い出した。

フクシマの事故以降一年ほどは、地震、被災者、原発事故に関する報道は高 い視聴率 をとっていたが、その後、視聴率は長期低落傾向を示していた。震災後二年を経過したあとは、それが特に顕著になり、ニュースや特集番組で、こうしたトピッ クが取り上げられると、視聴率の数字がガクンと下がるようになっていた。
とにかくあの辛い経験や恐怖を早く忘れたい、過去のものとしたいのだ。もはや震災やフクシマの事故を日本国民の多くは現実のものとして直視できなくなった。


マスコミの報道番組減少、NHKの自滅、インターネットの普及もこれに歯止めをかけるものにはなっていない。

保守党は長年、租税特別措置法によって、古い産業界の既得権を税制の活用 という手 段で擁護してきた。毎年、政府税調で、「優遇税制は原則廃止」といった厳しめの議論をさせて、産業化に対し「租税特別措置の恩典がなくなるかもしれない」 と脅す。その後に続く保守党税制で、ギャラリーを前に、族議員が既得権の優遇税制の堅持を訴えて、政治的にそれを勝ち取り、産業界に恩を売る。そういう一 種の政治ショーだった。
立法府による行政府への民主的統制のメカニズムが働いている、といえば聞こえがいいが、その内実は、こうした既得権益側が国会議員を使って行政に圧力をかけ、法制度や事業の内容を我田引水に変視させることに他ならない。


「利権至上主義」だな。

国の政治は、その国民の民度を超えられない。こうしたことが当たり前のように行われていることを許している国民の民度は、その程度のものなのである。

兎の逆立ちぢゃ(>_<)

テロ防止のために必要な、原発で働く下請け孫請け企業の社員の身元確認、 その義務 化も見送られた。フクシマ事故前から、放射線量の高い場所での危険な作業は、電力会社や重電メーカーの社員ではなく、下請けや孫請けの協力会社が担ってい る。しかし、四次下請け、五次下請けのレベルになると、暴力団が日雇い労働者を手配、斡旋するのが日常の姿だった。
そうして集められる労働者は、アル中や家庭内暴力で妻子と別れて独り身になった者、元ヤクザ、勤務先が倒産したりリストラされたりした者、薬物中毒者、ク レジットカードの借金が返済できない者、などである。生きるためには、身元確認や線量管理などが導入されては困るのだ。
電力会社にとっても、線量の高い場所での危険な作業を担う人員が確保できなくなることは大問題だし、四次下請け、五次下請けを通じ、暴力団に人件費をピン ハネさせて、不法勢力と水面下でつながることに有形無形のメリットを感じているため、身元確認の義務化には反対姿勢を貫いた。

数年前の計画停電騒ぎはもう風化していた……「電力不足だから原発を動かします」という再稼働を目論む当初のロジックは破綻していたが、再稼働に対する国民のアレルギーも、同時に風化していた。

新崎原発で発電された電気は、北新崎幹線と南新崎幹線というニ系統の50万ボルトの高電圧線で、それぞれ訳200基の鉄塔を介して、関東電力のエリアに送られていた。
自然災害であれば、ニ系統のどちらも支障を来すという可能性は著しく低いと評価されていたが、自然災害以外の災害は起こらないという「性善説」に立った考え方であった……。


この部分が、この物語の核心となる、原発テロに関する部分である。ネタバレにならないよう、詳細は省くが、日本の原発の安全対策の脆弱さは、Morris.にも想像がつく。ドローンで爆弾落とすくらいのことは、個人でも簡単にできる時代である。


2015129
【ラーメンと愛国】速水健朗 ★★★☆☆ 2011/10/20 講談社現代新書。
松岡正剛千夜千冊で本書が取り上げられてたのを見たのがきっかけである。紹介や特長も松岡の文章を読んでもらえればそれでいいようなものだけど、やっぱりMorris.の印象に残ったところは、かなりの違いもあるので、多めに引用しておく。

大量生産や大量輸送、データを利用した運行管理は、元々ロジスティクス (兵站)と 呼ばれる、戦時の後方支援、物資尚達の分野において必要とされ、発展した技術である。第二次世界大戦の時代は、統計学がその先端技術として求められてい た。戦後、フォードに入社し、のちにベトナム戦争時に、米の国防長官を務めることになるロバート・マクマナラも、第二次世界大戦中に陸軍で統計や解析の要 員として活躍した一人であった。ちなみにB-29の量産を主張し、生産計画の立案に関わっていたのは、若き日のマクマランである。
デミングは、1947年、日本の統計学を正すべく派遣される。
デミングの講習会に参加した経営者、技術者たちは、情熱をもってデミングの講習を受け止めたという。デミングは、経営や生産のシステムやテクニックを伝え ているにすぎなかったが、日本人にとっては、そうではなかった。彼の講演、技術指導は「アメリカはどうやって戦争に勝ったのか、その内なる秘密を解き明か している」ように映った。
デミングの手法とは、生産された製品のばらつきを調べ、それが発生する過程を分析し、その原因を追求してシステム全体を改善するというものである。(いわ ゆるフィードバックの手法)しかし、デミングのアドバイスはそれだけに留まらず、従業員の行動意欲、顧客のニーズを把握することの重要性などにも及んでい た。
デミングの講習を機に盛り上がった日本の品質管理運動は、職人の匠こそが最上と理解されてきた日本のものづくり観に変化を与えた。生産技術という思想がな いことで戦争に敗れた日本は、戦後、生産技術を身につけ、ものづくりにおいて世界に名をとどろかせていくことになる。


ラーメンを論じるのにデミングを出すあたりが筆者のユニークさでもあり、気負いでもあるのだろうけど、面白ければそれでいい。

チキンラーメンは発売開始から50年以上の歳月を経た現在もなお、第一線 で活躍す る商品である。その間には、細かなパッケージデザインの変化しかなかった。 百福は、この商品の発明以来、五十余年にわたって毎日の昼食にチキンラーメンを食べ続け、味のチェックと時代に合わせた改良をしていたという。
2007年1月5日、安藤百福は96歳で死亡した。多くの日本のメディアが褒め称えたのは、チキンラーメンを発明し、「インスタントラーメン」という巨大な市場を生み出した業績である。
アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、百福を「労働者階級のための安くて、きちんとした食べ物」を独力でつくった人物として評して、その功績を たたえたのである。これは彼を商品の"発明者"や新産業をゼロからつくった起業家として評価したのではなく、ラーメンを大量生産可能な"工業製品"として 発明し、安価な保存食品として世界に広めたという、百福が持っていたものづくりの思想への評価である。(第二章 T型フォードとチキンラーメン)

チキンラーメンの登場はMorris.も、はっきりと記憶にある。たしかに画期的だった。今でも年に一度か二度、無性に食べたくなることがある。本書を読んで、またしても食べたくなった。

1967年から放送が始まったTBSラジオの「パックインミュージック」 は、それ までトラック運転手向けの放送が中心だった深夜の放送枠を、若者向けの内容に切り替えた音楽番組だった。同じ年には、ニッポン放送が同じように若者に向け た「オールナイトニッポン」の放送を開始している。ちょうど、団塊世代が受験勉強で夜更かしを始めた時期だ。この世代の青春の記憶の一つとして、夜食の ラーメンやラジオの深夜放送が結びついている。団塊世代とは、受験勉強のお供の夜食としてインスタントラーメンを食べた最初の世代なのである。

ラジオの深夜放送とチキンラーメン登場がしんくろしているということは、Morris.もまさにその最初の世代だったということになる。「パックインミュージック」は愛川欽也がメインだったらしい。ちょうど彼が亡くなったニュースと重なったので感慨深かった。

1972年2月のあさま山荘事件は、単に凶悪犯を警察が包囲したという性 質のもの ではなかった。警察と連合赤軍は、互いにライフルを持って向かい合っていたが、それとは別の層で、メディアを通した空中戦が行われていた。当時、警察庁長 官だった後藤田正晴は、絶対に犯人を殺すなと命じる。それは人道的な配慮ではなかった。過激を極めた反体制運動は、この当時、すでに多くの支持を失い、孤 立していた。だが、ここでの銃撃戦で、連合赤軍の側に死者を出してしまえば、彼らを悲劇のヒーローにしてしまう。そこで、国民感情が逆に振れる可能性があ る。いつ善悪が入れ替わってもおかしくない状況が、テレビカメラの前で進行していたのだ。

あれもこれも、Morris.世代のメモリアルである。この事件で、カップヌードルが普及したことが触れてあったが、Morris.は、このカップヌードルとは相性が悪かった。

戦後復興期を支えた世代、高度経済成長時代を支えた時代、そして、インス タント ラーメンを最初に食べた団塊世代。これらの三つの世代の間には分断があるものの、自分がいつしか過去のものとして乗り越えていった"貧しかった時代"の刻 印としての1958年という年やラーメンをめぐる思い出は、それぞれの記憶に深く留められている。こうして地層のように積み重ねられたラーメンの記憶が、 やがてラーメン=国民食という、日本人全体が共有する共通意識に結実していったのだ。(第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー)

この辺りから、ちょっと論旨が我田引水になっていくような気がする。

中央の財源をいかに地元に利益還元するかが、国会議員の能力の指標となる 日本の政 治構造は、角栄が中核となって築き上げた当時の中央集権システムが生み出したものである。土建屋や道路族などと呼ばれる政治家だけが潤い、無用な道路が全 国にできてしまう悪弊の発端がここにある。だが、当初の「道路整備特別法」は、政府が公共事業でインフラを整備し、それを活用して事業を行う民間企業が進 出し、経済が発展するという、本来あるべき公共事業を効率よく行うための仕組みとして生み出されたものだったのだ。

列島改造論で華々しく政治を引きずっていった田中角栄の時代。「いいこともした」という論じ方には賛同できない。

我々は、別々の場所に住みながらも同じニュースを見ている。本来であれば、自分の地域のことだけを知ればいいのに、ニュースはいちいち日本全国のお天気を 知らせてくれる。これは、北海道から沖縄までが日本であるという帰属の意識を確認する作業として捉えることができる。ニュース番組が視聴者に愛国心を押し つけようと意図しているわけではないが、標準化された全国のお天気は、図らずもそれを生み出しているのだ。


これは、ラーメンとはあまり関係なさそうだが、言われてみれば、全国の天気というのは、大半が不必要だけど、それが国民意識を根付かせるというのは、面白かった。

我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族であり、ラーメンを愛する同じ日本人であるという共通の意識を持っている。つまりチキンラーメンのCMに よって「ラーメン」という「共通語」「国語」が生まれて以降、日本人はラーメンを通して国民意識を形成しているのだ。この国には札幌ラーメンがあり、博多 ラーメンがあり、「東京ラーメン」も「熊本ラーメン」も「旭川ラーメン」もある。固有の土地に根ざしたご当地ラーメンが存在する。そんな、ラーメン列島の 地図すら見えてくる。これをアンダーソン風にネーミングするなら、「味覚の共同体」とでも言ったところだろうか。

ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」(1983)のもじりだが、この本に関しては別の本で紹介されて、興味をもったところだった。こうなるとそちらも読まねばという気になる。しかし、筆者の持って行き方には無理を感じる。

観光の産業化は、ときに地域に根ざさないものとして発展することがあるのだ。ご当地ラーメンの成り立ちもこれと同じである。ご当地ラーメンも、地元の歴史や固有の文脈に沿った郷土料理から切り離された観光資源として生み出されたものであろう。

「博多ラーメン」「喜多方ラーメン」「和歌山ラーメン」「札幌ラーメン」……といろいろあるだろうが、Morris.は「博多ラーメン」しか認めたくない部分がある。少なくとも観光資源として生み出されたラーメンなんてのは、問題外ぢゃ。

モータリゼーションとともに、街の中心部の商店街が廃れ、日本全国のロードサイドの光景が均一化していった様を「ファスト風土」という言葉で示した三浦展は、「ファスト風土化」の原点を田中角栄に見いだしている。
公共事業を通して地方にお金が流れるという、角栄が1950年代に手がけたシステムは、政治と地元産業の癒着を強くした。このシステムは戦後の復興期から 高度成長時代までは、国内産業育成の原動力として役に立った。しかし、ある時点からは公共事業そのものが目的化してしまった。
不必要な高速道路や新幹線網だけがつくられていき、地元ならではの産業の育成などはなおざりにされる。ファスト風土化はこうした状況から生まれていったのである。
ご当地ラーメンは、「地元に根ざした」食文化の結晶である本来の郷土料理に成り代わって、観光課のニーズに応える形で全国的に増殖した。全国のご当地ラー メンを見ると、食文化の多様性が見えてくるように思えるが、日本古来の食文化という観点で見れば、ご当地ラーメンは、多様性が失われ画一化した、戦後日本 の食文化の象徴でもあるのだ。

「ファスト風土化」というのは、言い得て妙な述語だね。今やたいていの地域に見られる、画一的なチェーン食品店の並んだ区画。ファーストフードそのものが苦手なタイプだと思うのだが、結果的に侵食されてるのだけど、出来る範囲ででも抵抗したい。

かつてであれば、観光地として地元に観光客を誘致するためには、それなり の名勝な り、歴史のある建造物なり、世界遺産候補なり、売り込むための観光資源が必要だった。しかし、状況は変わった。B級グルメにせよ、ゆるキャラにせよ、 NHKの大河ドラマの誘致にせよ、偶然性の高い観光資源が突如生まれてブームとなるというのが昨今の傾向である。(第四章 国土開発とご当地ラーメン)

いまでは当たり前になったが、前線で行われる軍事行動を下請けの民間軍事 会社にア ウトソーシングするという方針は、湾岸戦争において検討・導入されたものだ。もはやすべての国民が負担を背負うような総動員、総力戦タイプの戦争は古いも のとなった。総力戦時代の戦争では、生産や資源採掘などに力点が置かれたが、情報集約型の新しい戦争においては、無形の情報やメディアに力点が置かれる。 そして、戦争は際限なく国費が投じられる公共性の高いイベントから、最前線から銃後に至るまで経済効率を優先したサプライチェーンマネジメントの利いた性 質のものとなり、利益の最大化が求められる戦争の時代となる。

戦争ビジネスの合理化。こんなところまで踏み込んでいくのが本書の特徴だろうし、どんどん戦争がバーチャル化していくという捉え方は間違っていないと思う。、

公共の電波を独占する免許事業である放送局の仕事とはあくまで公共性を帯びたものであり、夕方のニュース枠はまさに放送局の公共性を担うものだった。そのためこの枠は、下請けの制作会社には任せず、テレビ局の報道局が自ら制作してきた。
しかし、視聴率を少しでも稼ぐために17時、18時きっかりに番組が始まるのではなく、数分前倒しして始まったあたりから、その原則は崩壊した。テレビが 自らの公共的な役割を放棄し、利益の最大化を追求するようになったのがこの時代(80年代末から90年代初め)のことである。


ちかごろのテレビときたら、という物言いは、したくないのだけど、せずにいられない。その原因の一つがこういった「唯益論」なんだろう。

東京オリンピックの時代から、人気のテレビコンテンツの一角だったバレーボールは、日本チームが世界で勝てなくなっていった90年代を機に、大きくテレビコンテンツとしての最適化が図られていく。
まずは、ルールがテレビ的な理由で改正される。ラリーポイント制の導入により、試合時間が短縮されたのだ。会場では、日本チームを応援するDJが投入さ れ、マイクを使ったワンサイドだけを応援するかけ声が響く、そして、開催地は、毎回、日本開催となった。もはやバレーボールは日本のテレビ局が独占するス ポーツになっている。スポーツにおける公平性は価値を失い、商業的な価値が優先されるようになったのだ。


女子バレーが好きだったのだけど、どんどんつまらなくなっているのは、上記にあるいびつな放送にもあるに違いない。

日本の1990年代のテレビ業界は、他業種からの放送業への算入障壁は相変わらず高いまま、既存放送局が既得権益を保っている。こうした状態のまま、電波を自社の関連ビジネスの利益を最大化するために活用するという、都合のいい自由化を進めているのだ。

料理のモダニズム(近代主義)運動と言えるヌーベル・キュイジーヌの特徴は、確かに1990年代のラーメンと重なっている部分が多い。ラーメンは元々個人店舗が中心だが、90年代のラーメン屋は匿名的ではなく、ラーメン職人の存在が前面に出た属人的なものとなっていく。

日本においても、イタリア発のスローフード運動は人気が高い。そして日本にも、「身土不二」という言葉が存在する。これは地域の旬の食品が、最も健康にいいということを示す言葉である。
「身土不二」は、明治時代の食養運動のスローガンとしてつくられた言葉であるが、現代においてスローフード運動や「地産地消」を推奨する運動などと同調し、再び注目を集める言葉となっている。

「身土不二(シントブリ)」はMorris.には、韓国農協のスローガン、そしてペイロの歌う同名の歌謡曲でおなじみだが、スローフードと連携してるとい ウノにはちょっとびっくりだった。そして、韓国の「身土不二」が日本経由というのも。まあ、上記の引用もWikipediaにもっと詳しく解説してあっ た。どんんどん横着になっていく(^_^;)

世間で武士道や宮本武蔵がもてはやされるようになるのは、決まって外国と の軋轢が 生じ、日本人としてのナショナル・アイデンティティが問われる時期なのだ。世界という他者と向かい合わざるを得ない状況で、日本人は初めて「日本という自 己」を意識させられ、自らの存在を問われる。あやふやな自己を肯定し、セラピー的な効果を持ち得る、「都合のいい過去」が持ち出されるのは、そんなときで ある。意地悪い言い方だが、これがセラピー的なナショナリズムのメカニズムである。

この「セラピー的なナショナリズム」というのは、昨今の日本の右傾化のメカニズムとしても有効ではなかろうか。

実感としてもラーメンの単価は高くなっている。いまどきのチェーン系を除 いたラー メン屋のラーメン一杯の値段は700~800円が相場だろう。……1990年代初頭にはファストフードの客単価ほどしかなかったラーメンは、90年代を経 てファミレスの中級店クラスの客単価にまで上がったということができるだろう。(第五章 ラーメンとナショナリズム)

せめて最後くらいは、ラーメン絡みの引用で〆ておこう。そう、いまどきのラーメンは高すぎるぞ。
本書は、Morris.にとっては、ラーメンをネタにした、同時代史として興味深く読めた。



2015128
【漂流者たち】柴田哲孝 ★★★☆ 2013/09/10 祥伝社。
実際の3/11を起点に、探偵神山が、被災地を北上して、逃亡した男を追うというロードムービー風のミステリー。ついつい福島第一原発事故のことばかりに気を取られていたMorris.は、地震、津波の被害地のことを疎かにしてきたことを反省させられた。
もちろん福島第一原発事故についてもきちんと記されている。

3月11日の本震と津波によってSBO(全交流電源喪失状態)に至った福島第一原発の事故は、その後も悪化の一途を辿り続けた。東京電力は燃料プールへの 送水冷却が完全に止まっていることを把握しながら廃炉を決断せず、海水の躊躇。結果としてこの自己保身しか考えない身勝手な判断が、地域住民の生命を危険 にさらし、日本を国家的危機にまで追い込むことになる。
神山は福島第一原発の2回に及ぶ水素爆発を、テレビの画面で見ていた。だが、自分の住んでいる場所から僅か80キロの地点でとんでもないことが起きている ことはわかっても、その実態は何も理解できなかった。東京電力の積ン者や原子力安全委員会の担当者は記者会見の場に立ち、意味不明の専門用語を振りかざし て言い訳に終始する。政府と国民の接点である内閣官房長官までが、健康には「ただちに問題はない……」という曖昧な見解を繰り返すだけだった。
だが、その裏で目に見えない悪魔は、着々と侵攻し人々を蝕みはじめていた。14日の2度目の爆発から翌15日にかけて、福島第一原発は一立方メートルあた り一万ベクレル--法令規制値の約2500倍--という大量の放射性ヨウ素131を放出していた。しかもこの時点でSPEEDI(緊急時迅速奉書脳影響予 測ネットワークシステム)は、10兆ベクレルという天文学的な数値の放射性ヨウ素を放出量を推計していたのだ。それでも東京電力、原子力安全委員会、政府 はこれらのデータを隠蔽し、何も知らない国民の頭上から放射性物質が降り注ぐことを黙殺してしまった。


今となってはお馴染みの描写だが、これがそのまま小説のいち場面として出てくると、ちょっと感慨にふけってしまう。

すべての情報が錯綜していた。新聞やテレビ、ラジオのニュースは都会に住む者が原発や被災地のことを知るためのもので、逆に被災地に住む者には何の役にも立たなかった。風説はただ人を惑わすだけだ。

報道が東京中心だったのはこの時に限らない。

広島、長崎の原爆研究者の間でも、さらにチェルノブイリに関する元ソ連科学アカデミーの研究結果においても、被爆二世の白血病や癌の発症率が2倍、3倍になることは暗黙の常識だった。その事実を頑として認めないのは、アメリカと日本の学閥と政府だけだ

放射線の影響は公害の最たるものかもしれないのに、これを実証するのは無茶苦茶難しそうだ。

ニュースの間には、人々の空虚な心に何かを刷り込もうとするかのような、ACジャパンのコマーシャルが流れ続けている。

確かにあのCMはイヤだった。

この世には、弱者と強者しか存在しない。核施設、原発とは、両者の間を分かつひとつの象徴にしかすぎない。
戦争に行く若者と、戦争で富を得る資本家の違いと同じだ。戦争も、核施設も、常に強者の都合の上にのみ存在する。弱者は金で言論の自由を封じられ、強者に 従順になることだけを求められる。ただ恐怖と苦痛に耐えながら、自分の運命を受け入れることだけを強いられる。


ステレオタイプの言説だが、間違ってはいない。

かつて、六ヶ所村は、吹越烏帽子と御宿山の山々と川や湖沼に囲まれた青森 県下北半 島の静かな寒村だった。村には木村文書と呼ばれる古文書が伝わり、源頼朝が所有した名馬"いけずき"の産地として知られていた。かつてはこの土地に倉内、 平沼、鷹架、尾駮、出戸、泊の六集落があったとされ、明治22年にこれが合併して、"六ヶ所村"となったという。
1988年10月、原子力事業の皮切りとしてウラン濃縮工場を着工。90年11月、低レベル放射性廃棄物埋設管理センタ-着工。92年7月、『日本原燃株 式会社』を設立。93年4月、再処理工場が着工。2010年10月、MOX燃料加工工場が着工。現在はそのほとんどが稼働し、静かだった下北半島の寒村 は、いつの間にか"核エネルギーの村"に変貌していた。


「この村が、どんなだかわかってるべ。ここさ来る間にも、でっただ建物をいぺえ見たべ。ここの村じゃ、金が余ってんだよ。村議会に行ったって、村長も、議員も、もう反対派なんず一人もいねえよ……」
現在、村人の平均所得は一人当たり約1300万円。人口1万1千人ほどの村の年間予算が、約130億円。そのうちの60億円が、再処理工場やその関連施設などの日本原燃に起因している。
村には巨大な公共施設が次々と建築され、インフラも整備されている。各家々にはテレビ電話が無料で設置され、コンサートホールでは日常的に八代亜紀や小林幸子などの大物演歌歌手のコンサートが開かれている。
六ヶ所村は、もはや僻村ではない。ある意味では、日本で最も裕福な村となった。それもすべて"核"のお陰なのだ。
「だからよ……」桜庭がいった。「いまさらそのくれえの銭っこさあっても、どうもなんねえべ。金の力なら、国にはかなわねえんだ。それより、いまは、その金さもっといらう人たちがいんべよ……」
坂井は、桜庭の話を聞きながら考えた。六ヶ所村の村人たちは、弱者なのか。それとも強者なのか。だが、弱者だからといって敗者になるとは限らない。強者が勝者になるとも限らない。


核バブルだな。

「まだわからないさ……」神山がいった。「今回の震災の福島第一原発の事故で、日本の原発事情は大きく変わるかもしれない。進行中の建設計画はすべて中止になるかもしれないし、原発そのものが次々と廃止になる可能性もある……」
だが、神山は、それが希望的観測によるきやすめにすぎないことをわかっていた。確かにしばらくの間は、日本の世論は反原発に傾いていくだろう。建設計画が中断され、既存の原子炉が運転停止に追い込まれることもあるだろう。
それでも人間は、喉元を過ぎればやがて熱さを忘れる。時間と共に、日本の経済は原発がなければ存続できないことを思い知らされる。政府や電力業界は電気不 足や電気料金の値上げという"脅し"をちらつかせながら、民衆を黙らせ、時には"餌"とばら撒き、また原発事業を促進させていくことになるだろう。


何か救いのない終わり方である。
2015127
【校閲ガール】宮木あや子 ★★★☆ 2014/03/28 KADOKAWA
全く未知の著者だったが、タイトルに惹かれて読むことにした。著者は76年生まれ。
ヒロインは出版社の校閲部に入社二年目の河野悦子(こうのえつこ)。文芸部の校閲しながら、文学には関心なく、ひたすらファッション(と、グルメ)一筋。編集や校閲同僚、作家たちとドタバタコミックミステリーを繰り広げる。ストーリーより、少女マンガチックな会話、意外とまともな校閲小ネタ。ファッション 系のブランド名などはMorris.にはちんぷんかんぷんで、逆に面白かった。嶽本野ばらジュニア版って感じかな。

漢和辞典を引きながら悦子は米岡に答える。今まで読んだファッション雑誌に載って いた主要な用語はすべて頭に入っている。しかしミステリーによく出てくる「脂漏(しろう)」は去年まで読めなかったし、それが具体的になんなのか未だに判らず。「山風」はアイドルグループの隠語だと思っていた(山田風太郎というひとだった)。

「山風」が山田風太郎というのは、言われればそうなんだけど…………

「ほら、読んじゃってんじゃん。『摑』がところどころ新字のままになってるし、ルビが中付きと肩付き交じってる。改行なのに一字下げにされていない箇所もあるし、一目見たら判るじゃんよ、こんなの」
「ルビ」ふりがな。語源は宝石のルビー。かわいい!ルビは「振る」「組む」もの。ルビを付けられる文字(親文字と呼ぶ)の半分のサイズが普通。
振り方→すべての漢字に振る場合は「総ルビ」、難しい漢字だけに振る場合は「パラルビ」と呼ぶ。
組み方→漢字の連なるひとつの単語などに対してひとまとめ(等間隔)に組む場合は「グループルビ」、ひと漢字ずつそれぞれ組む場合は「モノルビ」と呼ぶ。

ルビについてもこのくらいネタふってあれば充分ためになる。グループルビとモノルビの区別は初めて知った。

「あ、あたし明後日から取材で韓国行くんだけど、なんかほしいものある?」
「別に羨ましくなんてないからね! 私だっていつか韓国飛び越えてミラノまで行くんだからね! 今に見てろよこのやろう、スキンフードのスクラブとセムのバルマスクとソルファスのフィニッシャー買ってきてください!」


おしまいへんのカタカナは韓国コスメメーカーと人気商品らしい。もちろんMorris.は全滅。ソルファスは感じで「雪花秀」と書くらしい。とりあえず、会話の雰囲気見本。

「じゃあマジで鰻でも食べに行ったんですよ、宮崎あたりに。あーいいな私も行きたい。なんでこの歳になってまで私マックでてりやき食ってるの」
「…………もう一回言って?」
「なんでこの歳になって私マックでてりやき食ってるの」
「それより前、鰻の。宮崎って、どっかの店の名前?」
「ああ、違います、九州の。鰻っていったら浜松みたいに東京の人は思うみたいだけど、九州のほうが実は水揚げ量おおいんですよ。たしか鹿児島が日本一だった気が。しかも安くて美味しいいの。知らなかった?」
知らなかったし、そんな情報を今井の口から知らされたことのほうに驚いた。

こういった雑学ネタも隠れ味。
けっこう、楽しませてもらった。


2015126
【デジタル一眼 構図の教科書】上田晃司他 ★★★2013/10/25 技術評論社
「プロが教える150のテクニック」と副題にある。Morris.はデジタル一眼とは無縁の衆生であるが、構図ということならコンパクトデジカメでも、役 に立つだろう。一時期、撮影テクニック関連書籍をよく読んでたが、いつの間にか遠ざかってしまった。本書は大判(B5版)オールカラーで、1p1テーマ で、なかなか写真も綺麗だったので読む気になった。先日近所の神鋼病院に検査に言った時、その待ち時間で読んでしまった。150pの半分以上が写真だか ら、読む量はたかが知れてるか。
構図の基本と、シーン別構図に二部構成となってる。
まずはいわゆる一般的構図のパターン。

三分割構図/二分割構図/対角線構図/日の丸構図/山型構図/垂直水平構図/斜線構図/シンメトリー構図/対比構図/曲線構図/放射線構図/三角系構図/トンネル構図/パターン構図/点構図

もちろんこれらの組み合わせでいくらでもパタンを増やすこともできる。Morris.の好きな「額縁構図」というのが無かったが、トンネル構図というのがちょっと似てるかな。
Morris.は基本的に横構図で撮ることにしてるが、縦構図の特徴&特長にも考慮すべきかもしれない。

横で撮る--横位置は横に広がりを持たせることが可能で、広大な風景などを撮るのに最適です。総じて、やさしい印象の写真に仕上がる傾向が強いです。横位置で撮る際に注意したいのは、空間が左右にできやすく、余計なものが入り込みやすいことです。
縦で撮る--縦位置は、要素を限定的にとらえるのに向いています。例えば、主役のはっきりしている場面で縦位置を利用すると、より被写体の力を強調して写 せます。縦位置は肉眼では見られない新鮮な縦横比で画面を切り取れるのも魅力です。ただし、多用しすぎると絵づくりのパターンが単調に見えることもありま す。


アスペクト比と写り方の違い

2:3 一般的で最もオーソドックスなj比率。さまざまな場面で表現幅の広い撮影可能。人間の目にもっとも近い切り取り方。
3:4 やや正方形に近く、やさしい印象が演出しやすい。ミラーレス一眼では初期設定がこの比率になってるものも多い。
9:16 斬新な切り取り方が可能。パノラマ写真風。横に長いだけ、左右空間に無駄な要素が入りやすい。
1:1 縦横の概念が無い。伝えたい要素がはっきりしてる場合、この比率で撮るだけで、被写体の力を引き出せる。


これも、Morris.はほとんど「2:3」で撮ってる。フィルムと違ってデジカメの場合、これらの比率は左右上下のトリミングにすぎないようだ。たまには1:1で撮るのも面白いかと思った。

2015125
【李光洙 (イ・グァンス) 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印】波田野節子
★★★☆☆
2015/06/25 中公新書
李光洙の名前だけは知ってた。といっても、朝鮮近代文学の大御所で抜群の人気を博したが、戦争後期に日本名を名乗り、植民地政策に協力したということで、戦後糾弾されたというくらいだった。
「むくげ通信273号」(2015/11/29)で川辺康一さんが本書の紹介された記事を見て読む気になった。

李光洙の人生を通して見えてくるのは、実は19世紀後半から近代化をめざして疾走していたにおhんの姿でもある。明治・大正と日本に留学した李光洙が見た日本の姿は、いかなるものだったのか。そして現在の日本とどうつながっているのか。
本書は李光洙の生涯をたどるものである。同時に彼の人生から垣間見える過去の日本の見つめるものでもある。(はじめに)


日清戦争直前に生まれ、朝鮮戦争直後に北に連れ去られ直後に死んだとされる李光洙の生涯は、まさに日本の半島侵略の時代と重なる。著者の労作である李光洙年表をいくらかアレンジして引いておく。

1892(明治25年) 李光洙、平安北道、定州に誕生
1894 日清戦争(8月~1895年)
1902 父母がコレラで急逝
1903 東学教徒の伝令として働く
1904 日露戦争(2月~105年)
1905 東学の留学生として来日、ポーツマス講和条約、第2次日韓協約(保護条約)
1906 大成中学入学、学費が切れて帰国
1907 皇室留学生として再来日、明治学院編入学
1908 夏帰国時に白恵順と結婚
1909 安重根がハルビン駅で伊藤博文暗殺(4月)
1910 韓国併合(8月) 多くの初期創作
1913(大正2年) 「アンクルトム」の抄訳『黒坊の悲しみ」(2月) 大陸放浪で上海へ(11月)
1914 ウラジオストック-ムーリン-チタ 第一次大戦(8月~1918) 帰国
1915 5年ぶりに東京へ 早稲田大学予科編入(9月)
1916 早稲田大学文学部入学(9月) 結核発病
1917 『無情』連載 『開拓者』連載
1918 許英粛と北京に駆け落ち(10月) 東京に戻る(11月)
1919 東京で2・8独立宣言を起草して上海に亡命(2月) 3・1独立運動、臨時政府樹立に参加、安昌浩との出会い
1920 興士団に入団(2月)
1921 帰国(3月) 許英粛と再婚(5月)
1922 修養同盟会創立(2月) 「民族改造論」(5月)
1923 東亜日報入社(5月) 関東大震災(9月)
1924 「民族契約論」(1月) 『再生』連載(11月)
1925 脊椎カリエスで手術(3月)
1926(昭和元年) 『麻井太子』連載(6月) 入院(6月) 東亜日報編集局長就任(11月)
1927 結核再発((7月
1928 『端宗哀史』連載(10月)
1929 腎臓結核で大手術(5月)
1931 『李舜臣』連載(6月) 満州事変(9月)
1932 満州国建国(3月) 安昌浩逮捕(4月) 『土』連載(4月) 『改造』の山本実彦と会食(5月) 東京出張日本文人と交流(9月)
1933 朝鮮日報社に移籍(8月) 『有情』連載(10月)
1934 次男鳳根が敗血症で急死(2月) 朝鮮日報辞任(5月) 北漢山麓に隠棲(9月)
1936 日本に滞在(5~6月) 『改造』に「萬爺の死」発表 『彼の自叙伝』連載(12月)
1937 同友会事件で逮捕(6月) 日中戦争勃発(7月) 病気釈放入院(12月)
1938 安昌浩の死(3月) 思想転向の「申合書」提出(11月)
1939 第二次大戦勃発(9月)
1940 香山光郎と創氏改名(2月11日) 朝鮮芸術賞受賞(2月11日) 『世祖大王』刊行(7月)
1941 太平洋戦争勃発(12月8日)
1942 『元暁太子』連載(3月) 東京で大東亜文学者大会に参加(11月)
1943 朝鮮半島出身学生に兵志願を勧めるため東京へ(11月)
1944 平安道思陵に疎開 (11月) 南京で大東亜文学者大会に参加(11月)
1945 解放(日本敗戦)(8月15日)
1946 許英粛と離婚(5月)  光東中学で英語と作文を教える(9月)
1947 『私・少年篇』刊行(12月)
1948 大韓民国建国(8月15日) 『私・二十歳の峠』(10月) 『わが告白』刊行(11月)
1949 反民族行為処罰法により収監(2月)   保釈(3月)
1950 朝鮮戦争勃発(6月25日) 北朝鮮軍に連行されて平壌に強制移送(7月) そのこと消息は不明
1962 『李光洙全集 全20巻』刊行開始
1975 許英粛死亡
1991(平成3年) 米国在住の三男李栄根が北朝鮮に行き、1950年10月25日に凍傷のため死亡したと聞かされる
2009 日帝強占反民族行為真相糾明に関する特別法(親日反民族特別法)により、親日反民族行為者301人の1人に認定される


波乱万丈と言っていい生涯であり、朝鮮と日本だけでなく、上海、北京、ウラジオストックと広範囲も国際的である。また生涯の半分くらいは病気に悩まされて いる。日本名に改め、日帝の植民地政策に積極的に協力したとして、死後半世紀以上後に、「親日派」として再び糾弾されている。当初は民族主義の愛国者で、 反日運動でも主導者的立場にあり、1919年の2・8独立宣言も英語と日本語は彼の筆になることを知れば、本当に、ここらあたりで亡くなっていたら、「義 士」として名をとどめただろう。

併合以来、日本の朝鮮統治の政策を観るに、併合当時の宣言に反し、吾族の幸福と利 益とを無視し、征服者が被征服者に対する如き政策を応用し、吾族には参政 権、集会結社の自由、言論出版の自由を許さず、甚しきに至りては信教の自由、企業の自由までも少なからざる拘束をなし、行政、司法、警察等、諸機関が朝鮮 民族の人権を侵害し、公にも私にも吾族と日本人間に優劣の差別を設け、日本人に比して劣等なる教育を施して、以て吾族をして永遠に日本人の被使役者たらし めんとし、歴史を改造して吾族の神聖なる歴史的、民族的伝統と威厳とを破壊し、陵侮し、少数の官吏を除く外、政府の諸機関及交通、通信、兵備等、諸機関に 於て全部或は大部分日本人のみを使用し、以て吾族をして永遠に国家生活の智能と経験とを得べき機会を得ざらしむ。吾族は決して斯かる武断、専制、不正不平 等なる政治の下に於て生存と発展とを享受すること能わず。加之、元来人口過剰なる朝鮮に無制限に移民を奨励し補助し、土着の吾族をして海外に流離するを免 らざらしめ、国家と諸機関は勿論、私設の諸機関にまで多数の日本人を使用し又は使用せしめ、一面朝鮮人をして職務と職業とを失わしめ、一面朝鮮人の富を日 本人に流出せしめ、又商工業に於ても日本人には特殊なる便益を与え、以て朝鮮人をして産業的勃興の機会を失わしむ。斯くの如く、如何なる方面より観るも、 吾族と日本人との利害は相互背駆し、背駆すれば其の害を受くる者は常に又自然に吾族なり。吾族は生存の権利の為め独立を主張するものなり。
(2・8 独立宣言書 外務省記録 自大正8年1月至3月 「不逞団関係雑件 朝鮮人ノ部 在内地産」)

ここには日本の植民地政策の実態と本質が、的確に表現されている。「植民地時代には日本は良いこともした」などという輩は、これをじっくり読んでもらいたい。

翻訳(translation)とは言い換えや言語の移動の意味だが、移動(trasfer)という意味では映画から言語への移動もその一種である。その意味で李光洙の創作は翻訳から始まったということができる。


1908年、明治大学4年在学時に李光洙が投稿した「血涙--ギリシャ人スパルタクスの演説」に関する分析で、これがもともと映画からの翻訳だったというのが著者の見立てである。1912年には「アンクルトムの小屋」も翻訳している。

朝鮮半島北部の二つの道、平安道と黄海道を「西北(ソブク)」地方という。朝鮮王朝時代にこの地方の出身者は中央で出世ができないという差別を受けていた。そのために、彼らの目は自然と大陸へと向き、中国との交易で活躍する商人を排出してきた。

韓国では今でも済州島や全羅道への差別が残っているようだが、北部の道でもやはり差別があったということか。

当然のことだが、植民地時代の文章を読むときには、それがいつ、どこで、どのような状況で発表されたかを見極めることが重要である。以前の李光洙研究では 東京時代のものだけが対象にされていたが、近年、その前のロシア時代と後の上海政時代のものが発掘されて研究の制度が増している。

これは重要な指摘だと思う。日本人が言うと物議を醸しそうだが、韓国の研究者にもこれを心してもらいたい。

当時の特高の監視がどれほど厳しかったかは、1916年5月の『学之光』編集会議 の記録がよく示している。7号、8後、9号と連続して押収された編集部は対策会議を開いた。ところが、特高はこの対策会議で誰が何を放したかまで記録して いたのである。内部にスパイがいたのだろう。特高の情報収集力はきわめて高かった。

過去の話だと思ってはなるまい。

朝鮮では「孝」が最高の道徳とされ、生活すべてが親中心であった。しかし「生物学が教えるように、人類の目的は個体の保全と種族の発展にある」から、親が子を育てる義務はあっても、子が親のために犠牲になる義務はない、と李光洙は主張する。
ここで注意が必要なことは、「われわれの子どもたち」と書いていながら、李光洙が自分を親でなく子の側に置いていることである。
興味深いのは、この頃中国で、魯迅が同じような内容の論説を、子ではなく親の立場から書いていることである。
魯迅は淘汰される弱者の側に立って淘汰そのものを拒否し、親である自分が犠牲になることに尊厳を見出した。一方、生存競争で淘汰されないために力を付けよという自民族に対する李光洙の呼びかけは、他民族の淘汰を前提としている。

李光洙と魯迅を単純に比較するわけにもいかないだろうが、いろいろ考えさせられる対比である。

1930年代は、1929年にニューヨークから始まった大恐慌のなかで幕を開 けた。日本はこれまで獲得した大陸の権益を確固たるものにしようと1931年に満州事変を起こし、翌年満州国を建国する。だが、中国の抗日意識はますます 強まり、日本はしだいに戦争の泥沼へと踏み込んでいく。
こうしたなか、新幹会の解消とは対照的に同友会は1931年から積極的な活動に乗り出す。『東亜日報』が大々的に学生たちに呼びかけて開始した「ブ・ナロード運動(人民のなかへ)」に参加するかたちで農村啓蒙運動を始めたのである。
19世紀ロシアの啓蒙運動から名前をとった朝鮮のブ・ナロード運動は、学生たちが夏休みに農村に行って農民にハングルを教える識字運動で、1934年まで4回行われ、延べ5700人を動員して、10万人にハングルを教えるという成果を挙げた。


「識字運動」が「ブ・ナロード運動」の下に行われたとのことだが、この時代はまだハングル禁止という政策は取られていなかったらしい。国語(日本語)常用 が表に出されたのは、日中戦争勃発の1937年以降、いわゆる「皇民化政策」が実施されてからだ李光洙の悲劇もまさにこの年の、逮捕に始まると言えるだろ う。

本書で著者は、実に詳しく李光洙を読み込んでいるし、周辺の資料にも目を通している。巻末に挙げられている参考文献は日韓で百冊近い。そればかりでなく、アメリカ在住の李光洙の息子や娘にも取材を重ね、文献だけでなく血の通った研究をしているらしい。
「新書なんて、ほとんど著者の語りおろしを編集者が仕上げるやっつけ仕事」という、某氏発言に毒されていたMorris.だが、本書は決してそんなものではなかった。
著者は2005年に李光洙の出世作「無情」を完全翻訳して刊行しているとのこと。しかし、あらすじ見るかぎりでは、読もう!という気にはなりにくい(^_^;)




2015124
【私の「情報分析術」超入門】佐藤優
★★★ 2014/09/30 徳間書店 「アサヒ芸能」連載
えらい売れっ子になった佐藤優だが、Morris.はなんとなく避けてきた。本書はいかにもわかりやすそうだったので、ついつい手にとって、流し読みしてみた。

「総合知に対立する博識」という中世ヨーロッパの格言がありますが、細かいデータ をいくら記憶しても、それは「教養」にはつながらない。したがって、ビジネスに役立つ知識にもなりづらい。もちろん、プラモデルや戦史などに関連して「趣 味として知る」ということならば、話は別です。(「仕事に必要」か、「教養の強化」か)

至極まっとうな意見である。しかし、教養=ビジネスに役立つという考え方も時代遅れのような気がする。

本当に重要かつ必要な情報とは、自分の記憶の中に定着させるべきものなのです。(重要なことはパソコンに保存しない)

記憶力に自信ある人のご意見である(^_^;)

かつての日本においても、細菌兵器の研究は軍のインテリジェンス機関が行っていま した。1939年に設立された登戸研究所(正式名は「第九陸軍技術研究そ」)です。細菌やウイルスを使った「生物兵器」や、気球に爆弾をつけて米国本土を 狙った「風船爆弾」などの開発が行われていたとされ、関係者に迫ったドキュメンタリー映画『陸軍登戸研究所』(2012年)も製作されました。現在の国立 感染症研究所の前身は、「旧陸軍医学校」で、「旧日本軍731部隊(関東軍防疫給水部)」の、かつての拠点でもあります。1989年の研究所(当時は国立 予防衛生研究所)の建設中には大量の人骨が発掘されて大騒ぎになったこともありました。(「エボラ出血熱」から何を読み解くか)

政治、経済にかぎらず、医学分野でも戦前の流れが脈々と続いているらしい。

辺野古移設を安倍政権が強行すれば、沖縄で住民投票が行われ「沖縄の自己決定権の確立」を宣言する可能性が十分ある。(琉球新報はウクライナ問題を沖縄等身大で解いた)

佐藤の母は沖縄生まれで、アメリカとの地上戦も経験している。それだけに佐藤の沖縄への思い入れは強いようだ。

琉球語の不朽と継承が持つ政治的意味を過小評価してはならない。ここで重要なのは沖縄が琉球語という文化に、政治や安全保障にかかわる問題を包み込むことで、自己決定権を回復しようとしていることだ。(琉球新報による、「琉球語」普及と継承の意味)

これもまっとうな考え方だ。佐藤優、もう少し読んでみるか。



2015123
【歩きだした日/ヒロシマ1】那須正幹
★★★ 2011/07/16 ポプラ社
【様々な予感/ヒロシマ2】那須正幹 ★★★ 2011/07/16 ポプラ社
【めぐりくる夏/ヒロシマ3】那須正幹★★★ 2011/07/16 ポプラ社
ヒロシマ三部作。Morris.は一つの長編として、一気に読み終えた。
著者は「ずっこけ三人組」シリーズなどで人気の児童文学作家だが、Morris.はこれが初めてである。原爆で家族を失いながらたくましく生きていく女性三代の物語。昭和24年の広島から物語は始まり、著者は広島出身で、一種の自伝的な作品でもあるらしい。
主人公の生業となった広島お好み焼きに関しては以前に紹介本を出したくらいの詳しさだし、昭和24年からほぼ半世紀の広島の復興と暮らしぶりをエピソードや、文化、世相、生活用品、建物などを描写している。ある意味、戦後生活史が、本書の大きな柱になっている。
原爆の後遺症で主人公や回りの人々も苦しめられながら、それでも力強く生きていく姿は感動的でもあるし、それぞれの人間的弱さも、欲も、矛盾もそれなりに描かれる。
人間関係がやや図式的だったり、出会い、偶然があまりにご都合主義だったりもするが、韓国ドラマに比べればなんということもない。
いちおう一般図書の棚においてあったが、子どもにも読めるよう大きな活字で組んであったので、読みやすかった。



2015122
【もどろき】黒川創 ★★★ 2001/02/25 新潮社 初出「新潮」2000年12月号
「もどろく」は「斑く、文く」と書いて、まぎらす、惑う、くらむといった意味があるらしい。(大辞林によるが、本書では「もどろきさん」と呼ばれる神社からタイトルに用いられたらしい。

「遷来神社(遷来大明神)【モドロキ ダイミョウジン】/由緒」御祭神 藤原旅子は第五十代 桓武天皇の皇妃にして、第五十三代淳和天皇の生母であり、太政大臣 藤原百川の女(ムスメ)である。往昔 此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、上竜華町、下竜華町)は藤原氏の食邑地にして、当時其の邸宅あり旅子此処に生まる。長じて比良の南麓、最勝寺開祖、静 安に随従し佛に帰依す、土俗称して龍華婦人という。……延暦七年(西暦788)五月四日病を得て逝去さる、病重篤と成りし時『我が出生の地、比良の南麓に 梛(ナギ)の大樹有り、その下に祀る可し』と遺命されし故、此処に神霊として祭祀さる……故郷に還り来たれるとの此の神社の由緒に鑑み、その後日清、日露 の戦いに参戦する人、此の社に参拝をなし、無事帰還を祈願さる、大東亜戦争に至るや、参拝者引きも切らずとかや。

この神社を巡って。祖父、父、私の三代の錯綜した記憶がまじりこむ、幻想的な作品だが、ストーリーより、細部のことばに心惹かれるところがあった。

自然を模倣したものが、地図なのか。
ならば、なぜ私たちは、これに関して著作権を主張するのか。
そうではなくて、地図製作者は、そこに滴らし入れた自分の嘘に著作権を主張するのだ、と考えればどうだろう。歪曲の連鎖を、地図は形づくって、その領域を拡げていく。
新しい嘘は、きのうつかれた嘘とは違っている。むかしの嘘が囁きかけてくるのを、古い図書館のなかで聞く。未来の嘘は、まだ声を発さず、世界のなかに身を潜めている。


ほとんど詩作品だね。
次は、改行もあって、さらに詩っぽい。

愛の名による禁止。
愛の名による命令。
愛の名によるおあずけ。
愛の名による罰。
愛というものは、これが語られる数だけ、愛ならざるものを生んでしまう。
---かわいかったわよ、とっても。
ひとがここに生きて在ることの「自由」を、その声は承認する。
Yes.と、それは言う。
あなたが、いまここにいること、そのすべてがイエスなのだと。


でも、これはちょっと「ポエム」っぽかったかも(^_^;)

好きなように生きることは、どこかで、いたるところで、横車を押しつづけることである。ひとは、いつか自分で、そのことにケリをつけなければならない。

無理は止そうぜ身体に悪い。
2015121
【国境[完全版]】黒川創 ★★★☆☆ 2013/10/20 河出書房新社。
「暗殺者たち」から5ヶ月後の刊行だが、もともと「国境」は1998年に刊行されている。「暗殺者たち」に掲載された、全集未収録の漱石の「満韓所感」をテーマにしたエッセイを加えて、新装版(完全版)として出されたものということになる。

漱石の「満韓所感」は原稿としては短いものですが、まさにミッシングリンクと呼べそうな文書です。いや、それがこうして出現したことで、初めて私たちは、そこに日本の近代文学史上のミッシングリンクがあったということに気づかされる。
『暗殺者たち』という作品を書く上で、私自身の関心の一つは、明治末のごく短い期間に、漱石と満州の関わり、伊藤暗殺、さらに大逆事件が、重ねて起こった ということでした。これらは互いに絡みあって展開し、当時の日本社会全体を包みはじめます。伊藤暗殺と大逆事件、この二つの事件は、21世紀の現在に至っ ても、まだ全貌が解明されていません。


安重根の伊藤博文暗殺(1909年10月)は闇の部分が多いし、幸徳秋水の大逆事件(1910年5月)はでっち上げに近いものがあったと思われる。そして1910年8月には韓国併合。たしかにこれらの出来事の関連性は強い。

文学上の表現は、明治末から大正デモクラシーの時代に向かうにつれ、自由度を増していったのか? それとも取り締まりのほうが厳しくなったか?
むしろ、私は、このように考えられるのではないかと思います。それは、出版物が量的に増大するにしたがって、伏せ字もまた進化していく、ということです。 というのは、伏せ字は、出版弾圧の産物というより、自己規制の手だてでもあるからです。出版物が増大していくことと、伏せ字が増えていくことは、矛盾しま せん。なぜなら、出版部数が大規模なものになるだけ、出版元はより安全な刊行を確保したくなるもので、そのための自己規制も進んで受け入れるようになるか らです。だから、出版は繁栄し、伏せ字も繁栄し、つまり、自己規制はより安易かつ厳重に行きわたる、そういう状況がありえます。いや、近代の時間の多く が、そうであってきたということになるでしょう。(序論にかえて)

これは明治、大正、昭和前期だけのことに限らない。いや、現時点での日本のマスコミ報道出版において、「自主規制」の度合いはますます濃密になっているような気がする。

郵便という新しい通信手段も、明治になると加わります。なかでも、都市生活者の漱石が好んで用いたのは、ハガキでした。これは、旧来の書状と較べてインフォーマルな通信方法で、今日流に言うならチャットでしょう。
東京の郵便は、集配すると主要地域の範囲が現在よりずっと狭いだけに、すばらしい機動力を発揮しています。先方も東京の住民なら、差し出した当日、相手に 届く。相手がすぐに返事を書けば、これもその日のうちに戻ってくる。それを読み、さらにもう一通、この日のうちに、同じ相手に差し出した漱石のハガキまで 残っています。(漱石が見た東京)


日本の郵便制度はかなり早くから整えられたらしい。たしかに家庭用電話などなかった当時、通信機関としては郵便が主役だったわけで、ハガキの利用も、チャットとまではいかなくとも、かなり頻繁なやりとりがあったのだろう。

I'm lucky.--という言い方が英語にあります。
たまたま、わりに裕福な家庭に生まれて、アイム・ラッキー。多民族による植民地支配を受ける側の国民として生まれ落ちずに、アイム・ラッキー。
これら、いずれの場合も、そこでの幸運に恵まれた自分を、あえて正当化するのでも、ことさら卑下しているのでもありません。ただ事実として、そのことを認 める、という言い方です。そして、もちろん、ここから先、どんな生き方を選ぶのかは、また別のことなのです。(漱石の幸福感)


先の「満韓所感」の漱石の植民地への視線や態度を、客観的に述べている部分である。こういったことからの漱石批判のあることも知っているが、国民作家たるところかもしれない。

撮影者と、被写体とされる者との関係のありかたに、何か本質的な変化が起こってい る。たとえば、かつては、カメラのファインダーのこちら側に撮影者、そして、レンズの向こう側に被写体となる者がいた。たとえ戦場でも、両者は同様の生命 の危険に身をさらしていることで、撮影者と被写体の対等さは、かろうじて最低限には保たれた。だが、いま、はるか高空から撮られる偵察衛星のカメラの場所 に、撮影者はいない。アフガニスタンやパキスタン上空を飛ぶ、無人攻撃機と同じである。つまり両者のあいだの関係は、本質的なところで、不均衡な(さらに 率直に言うなら不公正な)ものへと入れ替わっているのである。
撮る側(また、見る者の側)の安全だけが、完璧なかたちで確保される。そして被写体は、危険のなかに取り残されている。これが不問に付されたままなら、撮る者は、いわば狙撃手(スナイパー)の位置に立つことになるだろう。(それでも、人生の船は行く)


武器の進化が、加害者と被害者の位置を際限なく広げていく。結果、被害者は加害者を見ることもなく、あるいは、その存在すら知ることもなく殺されていく。シリアへの空爆などはさしづめその典型だろう。

ここから後は、1998年版「国境」に収められた文章。

「国境」は、国に入る者の前にだけあるのではない。そこから逃げた者も、即座に新しい「国境」に直面しなければならないのだ。この時、「国境」は、どんな姿で、彼の前に現れるのか。そのことに私は興味がある。
(メルヴィルの処女作「タイピー」の)主人公は、不思議な"軟禁生活"を送ることになる。彼らの予想とは違って、タイピー族はとても親切だった。日常生活 いっさいを世話する下僕の男まで提供される。恋人もできる。だが、いっさいの世話やきはいっさいの監視でもある。部族の人々は、きわめて善意に満ちたやり かたで、ただ一つのことだけ、断じて主人公のトムにゆるそうとしないのだ。つまり、彼が村から出て行くことを--。
部族社会の姿を借りて、メルヴィルの国家観がここに暗喩されている。これを"軟禁"と呼ぶなら、近代国家の内側に軟禁されているのは、われわれのすべてなのだと。
「奴隷ならぬものが世にあるか、と私はききたいのだ」(メルヴィル『白鯨』)(国境◎船迎(ひなむけ))

島国に暮らす日本人には、なかなか国境が意識できにくいようだ。
メルヴィルの「白鯨」は高校時代に全訳を読んだが、あれは確かに哲学的な作品でもあった。

言葉の背後には、社会的な全システムが広がっている。

「河には蓋がない」--「淡水河無蓋」とは、もともと、台湾独特の言いまわしの俗語で、普通、女性同士の口喧嘩などで使われたという。淡水河には蓋がないから、いつでも飛び込んで死んでしまえ、という罵倒の言葉である。(国境◎川とおしっこ)

黒川もなかなかに哲学的思考の人であるようだ。

高度成長期の神隠しは、役所の魔法(書面)使いたちの幻術によって進んだが、それ はいまの私たち自身の風景にも照応する。1996年、水俣病未認定患者三団体とチッソのあいだの「最終的な和解」が交わされた。だが一方、ここにいたる年 月のうちに、水俣湾の埋め立ては着々と進み、すでに総面積58ヘクタールの更地ができあがっているという。--これによって、かつての豊饒の海、また、暗 緑色の水銀ヘドロの海は、ともになかったことになっていくのか?
人間は、言葉で考えるのだろうか。だとすれば、言葉によらないぼんやりとした考えは「存在しない」ことになるのか。誰かと向きあって話しながら、自分が本 当に言いたいのはこのことではない、と感じるとき、私たちは、言葉にならない未生の思考によって、それを知覚しているのではないだろうか?
沖縄のことばで、中国との交易時代を「唐(とう)ぬ世(ゆー)」、日本領時代を「大和ぬ世(ゆー)」、米国属領時代を「アメリカ世(ゆー)」と呼ぶことが ある。老人たちはいまも太平洋戦争のことを「いくさ」と言い、戦場と化した沖縄は「いくさ場」であった。歌の名手は「情(なさき)」が深いと言って称えら れる。
「言語」は言語科学において明確に定義された概念ではない、もし政治的境界について何も知らない言語学者がいたら、「言語」と「方言」に区別を認めないだろうと、チョムスキーは言った。(国境◎非中心へ)


「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」というフレーズを思い出した。田村隆一の「帰途」という詩の冒頭の一行だ。
沖縄の言葉(琉球語)は、日本語の方言ではないと思う。

植民地支配体験は、入植者の側において、ナショナリズムに基礎を置きながらも、そ のナショナルなものへの素朴な信頼を自壊させていく進行過程としても現われる。この内面の崩壊を敏感にとらえた文学に、E・M・フォースター、ジョージ・ オーウェルらの諸作品があり、朝鮮での滞在作家・田中英光が、そこでの経験をもとに戦後まもなく書いた『酔いどれ船』などにも、同様の心の動きを見ること はできる。(月に近い街にて)

この章のタイトル「月に近い街」は韓国語で「タルトンネ」高台にある貧民窟の蔑称である。オーウエルが植民地インドで生まれ、ビルマの警察に勤務した間の 体験を描いた「ビルマの日々」くらいしか知らないが、植民される側だけでなく、植民する側をも蝕んでいく側面がありそうだ。

私は、彼の気分を、"他者性"というより、いわば、"他人性"の表明として、受け 取りたい。かったるいような気分とでも、言えばよいか。自分はこの戦争に対して、どっちの側でもない。たしかに、かつて鏡花も「海賊発電」で、敵と味方、 どちらでもないという立場に固執した。だが、それはここでの漱石とは違う。鏡花の場合、「どちらでもない」という立場を仮構してみせることで、実際には、 「逆賊」としての意識、権力否定の意識をつらぬこうとした。漱石には、それがない。二者択一の内的論理がない。彼の場合、どっちでもないのとともに、強い て求められるなら、どっちでもいいと言ってしまうことをも、自分に否定しないありようである。彼はそのことを、自分のなかで大事にした。無責任男、漱石。

無責任天国日本の「国民作家」漱石が無責任男というのは、解りやすい(^_^;)

もともと、50年代のうたごえ運動のなか、"全司法福岡支部"によって作られたという「沖縄を返せ」は、こんな歌詞だ。
《かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ》
「我らのものだ、沖縄は、沖縄を返せ」と「日本人」がうたうことを前提としているこの歌は、どこか倒立している。何が倒立しているのか。仮にここでの「沖 縄」を「満州」と書き換えても、それなりに意味が通じる。つまり、この歌詞は植民地支配のイデオロギーにのっとっていいるとも、言えるだろう。
にもかかわらず、これをうたう運動を、沖縄「領有」運動ではなく、"復帰"を促す運動だと思いみなした観念が、倒立しているのである。(輪郭譚)


作ったのも歌うのも日本人で、「沖縄」は我らのものだ、返せ、というからには、確かに沖縄を植民地と見ている。現在の辺野古移転ゴリ押しも、その視点はそのままぢゃ。

《私はこの同じ旅行中にも或る文明国の殖民地を見たが、そこではその文明国人が殖 民地土着の民で--けれども相当の文明を持っている人間を、その風俗習慣を異にしているということのために、殺しはしなかったけれども牛馬のように遇して いるのを見た。これなども文明人が他の表情を異にしている文明人を圧倒しようとする有りふれた一例である。また私は或る文明国の政府が、当時の一般国民の 常識とややその趣を異にした思想--それによって一般人類がもっと幸福に成り得るという或る思想を抱いていた人々を引捉えてそれを危険なる思想と認めて、 しばしばその種の思想家を牢屋に入れ、時にはどんどん死刑にしたのを見聞したこともある。文明人たちもまた、野蛮人と同じく、自分たちの理解しないものを 悉く悪と決定し去って、その不可解な表情--霊の表情を持っている人を根絶することに努力する。--文明人のなかにもまた、「魔鳥使い」と認められた人々 は多数に有る。》(佐藤春夫『魔鳥』1923)
佐藤は作品中で、この「或る文明国」を日本、「殖民地」を台湾とは、一度たりとも名ざしはしない。それは、検閲に対する警戒でもあろうが、むしろここで は、そのことに、浪漫的な作風の寓意性を力として生かそうとする意識が働いているのを見るべきだろう。"幻想的"ゆえの権勢に対する猛烈な反発、そうした 作品の力は、泉鏡花のような作風から、ここにも引きつがれているのである。
「自分とは誰か」という問いを可能にするのは、その前にあるべき「(自分ではない)おまえは誰か」という問いである。あるいはそれを、「日本人とは何か」 を可能にするのが「(日本人以外の)他者とは何か」という問いであったと、言い替えてもかまわない。魔鳥とは、おまえは誰か、人が人に、そう問わずにおれ なくさせる、何かである。この鳥が跳梁跋扈したあとで、人はその世界で、「自分とは誰か」、そう問いはじめたのだ。(洪水の記憶)


うーーむ、佐藤春夫がこんなのを書いてたのか。こういう作品を見つけてくるあたり、黒川の目利きぶりが際立っているし、その演繹手腕にも見るべきところがある。

ブラジルの日系人は、自分たちの社会をコロニア(植民地)と呼ぶ。それは、特定の国家が侵出し、征服した土地という意味とは、違っている。移民としての自分たちが、移動し、「いまそこにいる場所」、それが彼らにとってのコロニアなのだ。
コロニアは、ある固定された均質な社会を、さすのではない。人が交わり、異質さをはらんで、流動している。何かを生成しながら、消失にもさらされ、国家の庇護の外にあり、自助の必要を負う場所。それが彼らのコロニアだとも言えるだろうか。
植民地の概念に多重性があるというのは、そういうことである。
日本国家は、かつて、朝鮮、台湾を植民地とした。いまも、ソウルに、シンガポールに、ニューヨークに、北京に日本企業のコロニアがある。しかし、ブラジル でのコロニアのありように重ねるなら、むしろ日本社会が、在日コリアンや中国人の、あるいはイラン人の、ペルー人の、米国人の、フィリピン人の、少し違う 言い方をすれば沖縄の、それぞれのコロニアであることも事実なのだ。むろん、ブラジルからの出稼ぎ者たちのコロニアでもある。
あらゆる場所が植民地で、あらゆる文学が植民地文学であるというのは、そういうことである。
この世界は、移民の位置からも見わたすことができる。たとえば、大英帝国のアメリカ植民地が移民を主体にして独立にむかったときにも、こうした主体の転移 があり、とはいえ、そうやって生れた社会のシステムも、やがてまた新たに国家へと収斂されていく。これを考えると、国家の庇護から離脱したコロニアの尻尾 は、神話中の大蛇(ウロボロス)のように、早くも国家という頭に呑まれつつあるのであって、この閉回路をどう解除するのかという、はじめの問いのところに 戻る。(漂流する国境)

っすごい「じゅずつなぎ思考」であるな。

記憶が、確かなものだとは言えない。私たちは、絶えず自分の記憶を、つくりかえながら生きている。その点で、私にとっての記憶とは、すでにそれ自体が、いわば砂まじりのものなのである。
記憶を疑ってみる必要がある。また、自分の思考自体を縛る、日本語というものを。
どこかに、純粋な真理とか、揺るぎなき「正義」とかが、あるわけではないだろう。あらゆる事実が、さまざまな人々や事物のなかの記憶、さまざまな語りかた で構成されている。あらゆる「事実」の下に、記憶の鉱脈が走っていると言ってもいい。そして、この誤りを含みうる砂まじりの地歩を、私は大切にしたいと 思っている。(98年版あとがき)


夏目漱石という作家は、20世紀初頭のたった10年間を、創作に心血を注いで生 き、そして死んでしまった。彼は時代への参加者でありながら、すぐれた傍観者でもあった。私には、その人柄が、微笑ましく感じられる。森鴎外という人が、 支配体制の枠組みのなかに辛抱してとどまりながら、つい、ときどきは、崖っぷちのぎりぎりまで覗きに行って、また戻ってくる、そうした態度を示すことにつ いても、また。

安重根事件についてのまともな「研究」が、なぜ、この日本に現れないかというと、 「事件の現場が日本ではなかった」、ということが、最大の原因ではないかと思う。つまり、この事件の根本資料は、(少なくともその多くは)日本語では残さ れていないのである。捕縛された被告はほとんど日本語を解さない朝鮮人(国籍は大韓帝国)であり、ハルビンは当時の清國領であり、しかも、事件現場のハル ビン駅は東清鉄道付属地としてロシアの行政警察権の下にあった。この事実を現実認識から取り落としてしまいがちなところに、当時もいまも、日本人の無意識 の領域にまで深く達した植民地主義とでも言うべきものがあるのではないか。(完全版 あとがき)

黒川創は1961年京都生まれで、幼少期から知り合いの鶴見俊輔に誘われ「思想の科学」の編集委員として、評論活動を開始、1999年「若冲の目」で作家デビュー。父は評論家北沢恒彦、叔父は秦恒平。かなりの「脳閥」の一員らしい。


2015120
【暗殺者たち】黒川創  ★★★☆ 2013/05/30 新潮社 初出「新潮」2013年2月号。
サンクトペテルブルク大学の日本語学科の生徒向けの講演「ドストエフスキーと大逆事件」という形をとった歴史小説。
これまで、取り上げられることのなかった、明治42年(1909)大連で発行されていた「満州日日新聞」11月5日、6日に掲載された夏目漱石の「韓満所感」という記事が、作中に使われたことによって、話題になったらしい。
安重根による伊藤博文暗殺は1909年10月26日。

(安重根)は、1879年、朝鮮の黄海道海州に生まれた人物です。つまり、伊藤博 文をピストルで撃ったとき、彼は満三十歳。その翌年、1910年3月26日、日本の関東都督府が所轄する、遼東半島の)旅順監獄で死刑に処されます。事件 からちょうど五ヶ月後のことで、絞首刑でした。

安重根の事件については、数冊の本を読んだが、どうも事実関係がはっきりしないし、実行犯が安重根ではなかったという説まである。

自分がもしも暗殺者になったらと、想像してみることは誰にだってありうることです。普通のことなんです。異性とちゃっかりうまくやることも、血みどろの殺人者になることも、誰しもが想像のなかでは、やっていることなんです。
日露戦争後、社会主義運動に対する日本国内での行きすぎた圧迫が、その極端な急進化をも招いたことは、否めません。どれだけ激しい弾圧も、相手が依って立つ正義感の根拠を消滅させることはないからです。

たしかに想像の中では、Morris.だって(^_^;)

かつてのソウル拘置所(西大門刑務所)は、もう、いまは使われていません。そし て、美しく整備された独立公園のなかの保存建造物に生まれ変わっています。ただし、そこでの展示などでは、日本による植民地支配下で多くの独立運動家たち がここに囚われていたことは丁寧に解説されていますが、大韓民国樹立後も1980年代まで、軍事政権下で多くの政治犯を収容していたことはほとんど述べて いません。

旧西大門刑務所は「歴史館」として公開されてるから、Morris.も数回訪れている。日帝軍人、憲兵による、朝鮮人への拷問の蝋人形などはずっと展示されてるが、たしかに、軍事政権下の展示は全くなかった。

1910年初夏、幸徳秋水も、菅野壽賀子も、大石誠之助も、「大逆事件」で、み な、捕まりました。そして、捕まりそこねたような形になった荒畑寒村だけが、東京の街で桂太郎首相を襲うテロリストになろうとして、それにもまた、なりそ こね、うろうろしています。「韓国併合」の調印式が、第二次桂内閣の下で行われるのが、この夏、8月22日です。つまり、「大韓民国」という国号が存在し たのは、「独立門」が竣工する1897年から1910年まで、わずか13年たらずのことでした。しかも、そのうち後半の5年、この国は、外交権さえ日本政 府に譲って「保護国」とされる状態でした

韓国では「日帝36年」という言葉があるが、実質的には「日帝40年」だったということだ。1905年の保護条約で、漢城(ソウル)に総監府が置かれ、初代総監が伊藤博文だった。

伊藤博文が30歳のとき、「岩倉使節団」一行を代表して、彼がサンフランシスコで行なった有名な演説の記録が残っています。「日の丸演説」って呼ばれたものなんですが。
「--わが国旗のまんなかにある紅い丸印は、もやは、みずからを閉ざす封筒の封蝋みたいに見えることなく、将来には、本来の意匠通りに、朝日を示す尊いシンボルとなって、世界の文明諸国と肩を並べてせり上がっていくでありましょう。」


伊藤博文が暗殺者となって殺したのは、21歳のとき、塙次郎という国学者です。塙 が、天皇退位の事例の典拠を江戸幕府から頼まれて調べていると聞きつけて、仲間ひとりといっしょに待ち伏せて、二人がかりで日本刀で斬り殺してしまいま す。この塙についての噂は、実は誤解だったとも言われていますが、直前に、伊藤は英国公使館の焼き討ちもやっていて、とにかくこの時期の彼は激しいんで す。天皇が中心となる国を作って、外国勢力を追い払わないと日本は滅んでしまうと、当時の彼は思いつめていたわけですから。

安重根をテロリストというならば、伊藤博文もテロリストだったということだ。

「韓満所感」では--
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云う自覚を得た事である。内地に跼蹐している間は、日本人ほど憐れな国民は世界中にたんとあ るまいという考に始終圧迫されてならなかったが、満州から朝鮮へ渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となっている状態を目撃して、 日本人も甚だ頼母しい人種だとの)印象を深く頭の中に刻みつけられた。
同時に、余は支那人や朝鮮人に生まれなくって、まあ善かったと思った。彼等を眼前に置いて勝者の意気込をもって事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云わねばならぬ。」
自分が中国人や朝鮮人に生まれなくて「まあ善かった」、率直にそう表現せずにはおれなくなるほど公平を欠いた現実を、かぎられた旅程のうちにも、すでに見聞きしてしまっていたからです。
漱石は、わざとこういう言い方を選んでいるんでしょうか? むろん、それ以外にはありえません


新発見とされた「韓満所感」も、読んだ限りでは、それほど内容は無いような気がした。
2015119
【憎悪のパレード】石田衣良 ★★☆ 2014/07/15 文藝春秋
「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ11冊めである。このシリーズ初期の頃は結構愛読してた。だんだんこの作者の作品とは縁遠くなってしまった。
本書はタイトルに惹かれて読むことにしたのだ。
脱法ドラッグの「北口スモークタワー」、パチンコの「ギャンブラーズ・ゴールド」、ネット犯罪の「西池袋ノマドトラップ」、そしてタイトル作、ヘイトス ピーチの「憎悪のパレード」の4篇が収められている。ときどきの話題をネタにしてるわけだが、いまいちひねりが足りない。

「あのね、ネットを熱心に見てるのは、どんあ人間だと思う?」
自分の人生が充実していればだれもネットなんか見ない。
「ひまな人間かな」
「それだけじゃない。あともうひとつ大事な形容詞がある」
ちっちっちっ、人さし指の先を振る。インチキ手品師みたい。
「ひまで、バカな人間だよ。日本で一番人気のネットのトピックは、芸能界のクズみたいな噂なんだ。アフィリエイトは自分のブログに広告をのせて、見にきた 人数におうじて収入を得る仕組みだ。ぼくは狙い目をふたつにしぼっている。そいつらが一番熱心にネットを見てるから」
ため息をつきそうになる。ネットは人類が創造した最良の集合知のネットワークだったはずだ。それが芸能界の噂でいっぱいか。
「芸能人の噂ブログとあとはなにが稼ぎ頭なんだ」
「ネット右翼を煽るブログだよ。どこどこのテレビ局が韓国に肩入れしてるとか、ある商社が中国から資金援助をうけているとか、適当に書き散らせばいい。ネ トウヨはいつもあちこちのサイトをのぞいてネタを探しているから、必ず見てくれるんだ。こちらは数字を稼いで、大手のネット通販なんかからアフィリエイト 収入をもらえる。いいビジネスだよね」(西池袋ノマドトラップ)


2ちゃんねるなどとは、極力距離をおいてるが、芸能クズネタの膨大さは容易に想像がつく。嫌韓嫌中も2ちゃんねるの得意分野?であることもわかるが、これ を食い物にする輩も多いのだろうな。この後に、お得意様のネトウヨのことを「純粋な」と形容してるのも、皮肉なのだろうか。

おれたちは経済成長の先輩として、もうすこし余裕をもったほうがいい。共産党政府 につながるひとにぎりの大金もち以外、中国人のひとりあたりの収入はまだジャマイカより少ない。岩だらけの小島でもめようが、GDPで抜かれようが、そこ までナイーブに傷つくことはないはずだ。
21世紀はアジアの世紀だような。
世界経済の中心が数百年ぶりに東アジアに回帰するのは、まず間違いない。その果実をいらいらせずに、ゆっくり待つといい。近隣関係で耐えがたきを耐えるとしても、先進ニッポンで心たのしく暮らしたほうが、死ね! 死ね!と叫んでデモするより、ずっとまし。
なにせ、こちらは政治家の悪口だっていいたい放題の自由と民主の国なんだからな。

たしかに今のところ、政治家の悪口言えてるが、それも時間の問題かもしれない。中国への視線もあまりに皮相的ではなかろうか。

格差はどんどん広がり、自分の身を守るのに精いっぱい。数字をあげられない者は、努力不足だとか愚か者とののしられる。おれには格差社会というのは、自分 より下の人間にはどんなにひどいことをしてもいい社会に見える。生活保護を受けている人間、在日の中国人や韓国人、非正規雇用のワーカーたち。ネットを開 くと憎しみの言葉が泥の奔流のようにあふれだしてくる。


格差社会をこの程度にしか見られないというのも、なんだかな、である。

ヘイトスピーチのデモについていえば、今日も世界中のどこかでパレードは続いてい る。……世界から多民族憎悪をなくす解決策は見つかっていない。おれはガンや水虫の特効薬より、できればそいつのほうにノーベル賞をやりたい。のむだけで 世界人類が兄弟になるなんて薬、ベートーヴェンの第九みたいでいいと思わないか。(憎悪のパレード)

表題作では、在特会をモデルにした「中排会」(中国人を祖国日本から徹底排除する市民の会)と、反対勢力の「ヘ民会」(ヘイトスピーチと民族差別を許さな い市民の会」、しばき隊をモデルにした「レッドネック」(ヘ民会から分派した武闘派 アメリカ南部の畑仕事で首筋を真っ赤に日焼けさせた貧しい農民)を登場させながら、結局は、中国資本のビル地上げの阻止でお茶を濁す。ヘイトスピーチの根 本問題はほぼ素通りである。
世界人類が兄弟になる薬、けっ!。おまえは笹川の後継者か、と言いたくなる。「世界は一家、人類はみな兄弟」は他人の始まりぢゃーっ(^_^;)
どうも、著者はどんどん大政翼賛会っぽくなっていくなあ。
もう読まないことにしよう。


2015118
【宮沢賢治殺人事件】吉田司 ★★★☆ 太田出版
国民的童話作家としてのみならず、人格者として、教育者として、農業改革者としてまで評価が高い宮澤賢治。
そのカリスマに、真っ向から否定的に論じた一冊である。
著者は1945年山形生まれ。1970年から水俣に住み胎児性水俣病患者らと若衆宿を組織し、患者の生態を生々しく描いた「下下戦記」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
実母が宮澤賢治没後の宣伝に一役かったという、因縁もあり、それをからめての論評は近親憎悪的でさえあるような業の深さを感じさせる。

賢治精神の最も深い核心は"あなたのためなら何百回だって死んでみせます"という<捨身>(自己犠牲)だからだ。
<捨身>=<献身>とは必ずしも限らない。賢治の<捨身>は、ある時はあのアジア侵略の有名なスローガン「八紘一 宇」という言葉を作った、軍国ファッショの宗教団体「国柱会」(田中智學)の<不惜身命>の思想と結びついたり、またある時は日の丸特攻隊の 若者の<散華>の美学を裏支えしたりしたからである。賢治の<裏の顔>ってトテモ危険なのだ。(序章)

これが本書の「核」でもある(^_^;)

賢治誕生百年のある日、私は決めた。賢治の亡霊(ゴースト)を倒し、等身大の賢治 の物語を取りもどそう。そしてその軽々と小さな、彼の無名の魂を、あの花巻のお寺の墓の下にそっと返してやろう。私は賢治の「ゴースト・バスターズ」にな るのだと思った。(第一章誰が賢治を売りだしたか?)

本書は賢治生誕百年がきっかけになった、と、何度も書いてある。

宮澤賢治とは、この「遊民」という<不思議な階級>の一人だったのではないか。
彼の経済生活(=生活費、遊興費、勉学費)が生涯、父政次郎の財産で賄われていたことは、どんな賢治本にも載っている。"自分の労働で暮らしてゆく"と大 見得を切った羅須地人協会の時でさえ、「賢治にわからぬように」裏から政次郎が財政援助していたのである--まさに「彼らの事業は、実に、父兄の財産を食 ひ滅す事と無駄話をする事だけ」(『時代閉塞の現状』啄木)の、見事に立派な「高等遊民」ではなかったろうか。
つまり読者よ、宮澤賢治の詩や文学の本質を一言でいい表わすなら、それは<遊民の文学>なのだ。

これは納得できる位置づけだと思う。「遊民」。Morris.に金があったらそうなったかもしれない。幸か不幸かそうぢゃ無いから、遊民にはなれなかった。たしかに賢治作品は、金持ちの遊びめいた雰囲気が濃厚だ。

冒頭から<おれは幽霊だ>などと宣言して登場してきた近代詩集なんて、それまで一冊もなかった。そのブッ飛んだ、シュールな表現を本当に身体 感覚で理解して小躍りしたのは、草野心平でも高村光太郎でもなく、たったひとり、超現実主義(シュールリアリズム)への過渡期にあったダダイズム(破壊主 義)の詩人・辻潤だけだっとろうと。
中央文壇がほとんど『春と修羅』を黙殺した中で、大正13年、辻潤は「惰眠洞妄語」でこう評した。
「若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら私は『ツァラトゥストラ』を忘れても、『春と修羅』を携へることを必ず忘れはしないだらう」(第二章 ふしぎな階級)


Morris.は賢治童話はいまいち苦手だったが、詩集「春と修羅」には、しびれるものがあった。たぶん「ブッ飛んだシュールな表現」にしびれてしまった のだろう。ここで辻潤が出てきたのにはちょっと驚かされた。たしかに辻潤ならこの作品を好んだろうと思い当たる。

日本近代とは、「白骨の大地」から日本民族を救済する、新しい「富国富民」の救世 主(メシア)願望=絶対天皇制(教)の選択に他ならなかった。しかし、読者がよくご存知のように、この絶対天皇制がもたらした近代国家の本質は「富国富 民」ではなく「富国強兵」である。帝国陸海軍を擁する「武装天皇制」だった。
こ~して「白骨の大地」岩手は、幕末には反官軍の東北列藩同盟一翼を担うが、明治近代を迎えるや一転して、その武装天皇制を支える東北最大の「軍人大国」にのし上がってゆくのである。日本民族を大東亜戦争の破滅に導いた。


明治維新薩長藩閥に対抗して、日本帝国陸軍の顔役が続出したという指摘も、東条英機、板垣征四郎、斎藤実、山屋他人、米内光政、及川古志郎……というラインナップを見れば納得せざるを得ない。

賢治の<ふしぎな遊民性>は、実は不思議でもなんでない。当時の花巻商人のチョットした成功者や旦那衆がもっていた"蓄音機狂い"や"宗教道楽"などの「余暇贅沢」の全面展開だったことが見えてくる。
宮澤賢治は<エレキ・モダン>の時代の子なのである。
彼の詩が「難解でわからない」のは、その言葉が新鮮な上に一種の愉快犯的「おたく」語になっているからだ。賢治の言葉は、その語源や真意などを一々細かく 吟味し出すと却って危ないのだ。賢治の仕掛けた「愉快なゲーム」に迷い込んでしまうからだ。「愉快なゲーム」とは、読者が愉快になるのではなく、仕掛けて 死んだ賢治の方が読者の頭(おつむ)の程度を死後の世界からこっそり笑って愉快がるゲームである。つまり『注文の多い料理店』の山猫亭と同じ構造が、彼の 詩集のそちこちに準備されている。

かなりひねくれた、読解だとも思う。でも、それに共感するところも大である。

全方向に向かって"良い顔をし続ける"テクニックが、彼の文学の中心命題となった --彼の作品が、農本主義や転向した真壁仁の側からも、プロレタリア社会主義の側からも同時に評価されたりして、同時代人の眼にまぶしく「乱反射」して見 えたのは、この彼が仕組んだ<言い訳文学>(=遊民性の擁護)の高等テクニックにみんなだまされたのだと、私などは思っている。
宮澤賢治の文学は"深さ"から逃げる文学だ。誰にも反論しようのない、わかり易い"正しさ"だが、底が"浅い"。その"浅さ"がバレないように、乱反射し て深く見えるように、賢治は死の直前まで何度も何度も昔々の原稿を引っ張りだしては手直しや書き換えや、一字一字の語句の配置に至るまで推敲し続けたのだ と、私は思う。
そう、賢治生誕百年記念ブームの中の賢治像が、天才詩人、アンデルセンに匹敵する世界的童話作家、銀河系宇宙の科学者、鉱物学者、いじめ克服の理想的教 師、農民のために死んだ法華経の聖者、農民芸術家、動物愛護家、エコロジスト、ベジタリアンと、マルチ化して多面的に語られるのは、後世がそう幻惑される ように彼が生涯をかけて仕組んだからだ。(第三章 花巻ルネサンス)


どんどん、著者のプロパガンダに毒されていくのが心地よい(^_^;)

「ひとのために何かしてあげるためにこの世に生まれてきた」--この商人倫理の子 守唄こそが賢治の生涯をつらぬくテーゼとなったのである。前章で展開した、彼が商人世界の中にぬくぬくととどまり続けることができず常に対極に「農民救 済」を置かねばならなかった人生の大矛盾は、即ち賢治はこの<転換期の時代>の「商人宗教(=近代浄土真宗)」がもつ社会的使命を過剰に担う べく周囲からも期待され、自らもそう運命づけていった<倫理の申し子>だったといって良かろう。政次郎の仏教講習会のレベルを越えて「人のた めに何かしてあげる」ことを常に強迫されていたわけで、宗教教育というか洗脳(マインドコントロール)が行き過ぎた結果である--こうして賢治はいつも政 次郎の思惑を過剰に踏み越えて行動する、手に負えない奔馬となった。

宗教が洗脳(マインドコントロール)というのはオウム絡みなのだろうか。あまり考えたくない分野である。

賢治が出会ったのは古びた鎌倉時代の日蓮ではない。大正時代の亡霊としての日蓮で、ピカピカの銃剣や大砲や軍艦で武装している。「神国日本」の精神的支柱 になろうとする--明治・大正・昭和の集団的狂気、「戦争と侵略」の時代をナゼ「日蓮神秘主義(=北一輝や井上日召、石原莞爾などの法華ファシズム)が下 支えしたかの秘密がコレである。そしてその日蓮神秘主義(=武装せる日蓮)の先鞭を切ったのが、国柱会の田中智学だった。
大正9年12月、宮沢賢治は国柱会に入会し、親友の保阪嘉内を折伏せんと次のような手紙をしたためている。
「今度私は国柱会信行部に入会いたしました。即ち最早私の身命は日蓮聖人の御物です。従って今や私は田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。……田中先 生に 妙法が実にはっきり働いてゐるのを私は感じ私は信じ私は仰ぎ私は嘆じ、今や日蓮聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対に服従致します。御命令さへあれば私はシ ベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。」
大正8年には中国で日本帝国主義の侵略に反対する激しい抗日の「5・4運動」が起き、日本皇軍はその血なまぐさい鎮圧に銃剣をふるっていた。大正9年5月 にはシベリア出兵にからんで、ソビエト・パルチザンがニコライエフスクで日本軍民を虐殺するという「尼港事件」が起き、そこの日本人町が全滅している。


「法華ファシズム」というのはなかなかインパクトがある。国柱会に入会した賢治が死ぬまでその気持を持ち続けたというのが、著者の考えであり、賢治がもっと長生きしたら、きっと積極的に戦争賛美の翼賛主義に取り込まれたろうという。
「尼港事件」は知らずにいたが、ノモンハンなどと同じく、国民には広く知らされなかったきらいもある。

「新興商人と手を結んだ近代浄土真宗」(=政次郎の世界)vs.「新興天皇制と手 を結んだ近代日蓮主義」(=賢治の世界)という、これまで誰も提起したことのない"賢治の宗教図式"が浮かび上がってくる。そしてこの宗教図式を下敷きに すると、今まで見えなかったトテモ不気味なものが見えてきたりするんだ。例えばあの有名な人類救済のスローガン、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要)
あれの原型は、田中智学の『宗門之維新』の教え
「大日本国成仏セズンバ吾レ成仏スベカラズト念ゼヨ」
の中にあったのではなかろうかとかね。(第四章 賢治を殺した子守唄)


あのスローガンは、最初知った時は、感動に近いものを覚えたが、だんだん気味が悪くなってきた。

啄木が看破した、<宗教的欲求の時代>は、それから十年後の大正9 年、明治神宮の完成=近代天皇制(教)の様式美の完成を受けてピークに達する。それは天皇を救世主(メシア)(=現状変革者)とする国民的な「他力本願」 教が成立したことを意味し、以後日本国は多くの人々が気づかぬ間に一種の異様に張りつめた<宗教圏>にスッポリとおおわれていったのである。

天皇をメシアとした「他力本願」教という図式は、実にわかりやすく、説得力がある。

「永訣の朝」の、あれほどに「すきとおった」「あかるい」「うつくしい雪」の朝の中で死んでいったトシの胸の中は、実はドロドロに腐れ、真っ赤な病巣を貯 めこんだ肺病(結核)死なのだった。そしてそれを看取る母親のイチも賢治も同じ真っ黒な病巣を抱えた肺病患者だった。そのドーニモ救いようのない、絶望的 な"病原菌世界"のど真ン中で、賢治は、

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧(かて)をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

と歌ったのである。これが「ミソギ」文学でなくて何であろう!


「永訣の朝」は賢治の絶唱と思うが、何となくMorris.は妹トシは無垢な幼い少女というイメージを持ってたが、死んだのは24歳。死因は上の引用の通り結核だったわけで、これが「禊」の詩という解釈は妥当なところだろう。

多くの論者が、戦後ストレプトマイシンが出回るまで、肺病がどんなに忌み嫌われた 伝染病だったかを忘れている。血がケガレる"血統の病い"として、肺病の家とは「通婚禁止」。既婚でも肺病とわかれば「強制離婚」されても文句がいえな かった。人々は"空気感染"しないように、肺病の家の前を手で口を押えて走り抜けたり、肺患の手の触れた物は必ず"日光消毒"した。
私は長い間水俣病患者とつき合ってきたからよく知っているが、昭和30年代の「暗黒の水俣病差別」と呼ばれているもの、ほとんどがこの戦前の「結核差別」をお手本にしたものだ。

「この辺じゃ『肺病』という言われ方が一番きつい。そこで『肺患』の人は、肺病と言われると『いいや、肋膜炎』と言い換える。肋膜かと聞かれると、『いいや、急性肺炎』と一個ずつ病名を軽~くしてゆく(笑)」
ドーヤラ賢治の「昭和3年の急性肺炎」もこの哀しい隠れ蓑を使ったらしい。「隠せるうちはあくまで隠し通すこと」は、非差別の民の常道だった。他にどんな差別回避の手立てがあったろう!


結核は戦前は「死病」だったし、忌まわしいものとして、忌避されたことを、ついつい忘れてしまいがちだ。病名は、文章化されるとそれによって殺菌されるの かもしれない。白血病、黒死病、黄熱病など本当は恐怖の対象なのに、文字を見るとある種の象徴のように感じられる。

「不信惜命」はたった一つしかない、かけがえのない重たい命をかけるから尊いので あって、賢治のように「百ぺん灼いてもかまはない」ナンテことを、軽々しく、いつもいつも連発しているのでは、それは単なる「捨身」の思想だ。そしてその 捨身の傾向は、最後の『グスコーブドリの伝記」では、もうほとんど<死の美学>にちかいところまで純化されていっている。
危なくってしょうがない!
事実、大東亜戦争に入るや、この賢治の、己れを他者のために軽く差し出すという「捨身」の思想は、「"愛"と、"戦"と、"死"という問題についての最も 美しい、ヒューマニスティックな考え方なのだ」(『きけわだつみの声』)などと「誤読」されて、単純に「天皇陛下万歳!!」の中に死ぬ理由を見つけられな かったインテリ学徒に、ヒューマニズムのために死すという<死出の美学>を与えることになったのである。


「捨身」というより、半ばやけくその「捨て身」と取られたのではないか。

賢治は逃げ続けた。肺結核を隠す方向へ、結核差別との正面対決を避ける方角へ。彼はこの花巻という封建制土壌が本気で牙をむいたら、自分などアッという間に潰されてしまうことをよく知っていたのだ。
だから私はこう思うのだ。"誰よりも農民を愛した君は、また誰よりも農民を恐れた君だった"と。(第五章 天上のアイスクリーム)

これの原典は芥川の「或阿呆の一生」の中の「誰よりも民衆を愛した君は、誰よりも民衆を軽蔑した君だ」で、芥川が「君」と呼びかけているのは、レーニンのことらしい。
レーニンが名家の生まれで、民衆との乖離があったことと、賢治が商人の子で遊民であり、農民との乖離があったことを指しているのだろう。

イーハトーブとは、賢治の「王道楽土」のことだった。
賢治の私的な<仮想王国(バーチャルランド)>と化すのだった。
賢治はこの哀しみを浄化する「仮装王国(ドリームランド)」のバーチャルな救世主(メシア)にして創造主なのだ。
つまり宮沢賢治は<イーハトーブ>という遊民ランドの『聖書』を書いた。彼の死後、農学校の教え子たちが残した「先制との思い出の記」は、後 世その聖書の中に収められ、幾編かの「使徒行伝」となったというお話である。決して決して賢治は「農民のために」なんか死んではいない。「遊民のため」に 死んだのである。昭和バブルの残党である現在の「くう・ねる・あそぶ」の<遊民>日本人が彼を「聖者」扱いにして崇めるのは、当~然のこと だ。(第六章 遊民のバーチャルランド)


イーハトーブというテーマパーク(^_^;) うーん、賢治の軽さの秘密はこれかもしれない。

己れが飾った言葉の美しさに酔っ払い、言葉がもつ<現実>責任はスッカリ忘れてしまう快楽主義者を芸術家と呼ぶなら、賢治は間違いなく超一流の芸術家だった。
「雨ニモマケズ」の詩は、賢治の封建的土壌への全き肯定、即ち「雨ニモマケテ風ニモマケテ」花巻の封建農村の中へ屈服していった<転向の唄>だったのである。
知識人(インテリ)や亜インテリ、運動者や学生など意識的に転向せねばならなかった者だけが過剰に思い入れできる、フツーの人にはよくわからない、なに か<転向>の重荷を癒すような暗号がこの詩の中には埋め込まれているのだと私は思う。(第七章 雨ニモマケテ風ニモマケテ)

11月3日の日付が、明治天皇の誕生日でもある(明治時代には天長節、大正から昭和戦中までは明治節)だったということも銘記すべきだろう。
たしかにこの庶民経典めいた文言には、Morris.にはよくわからないが、何か怪しさを含んでいる。

あり得ないからこそ、私たちはますます<聖なる賢治>の生涯を捏造せねばならなくなる。
ドーシテモこの泥だらけの世の中を清らかに照らす<聖者伝説>が必要なのだった、賢治の<実像>を殺しても。
「賢治」が必要なのではない。「賢治伝説」が必要なのだった。
戦前の転向者たちは、戦えないこと、戦わないことを合理化する賢治の詩(うた)を賞賛することで、それを己れの<変節の隠れ蓑>とした。単純 に「天皇陛下バンザイ!」で死ぬわけにはいかなかったインテリの戦没学徒たちは、賢治の人類愛や世界愛のスローガンで、己れの死のカラッポな空虚さを埋め て逝った。
賢治の<聖者伝説>は<賢治教>の教徒たちが寄ってたかって護持し続けてきたのだ--彼らの<実像>殺しによって、今日の誇大化した賢治ブームがある。(第八章 聖者伝説の時代)


賢治の信者にとって、本書は焚書の対象となるべきものかもしれないな。
信者でも愛読者でもないMorris.は、結構面白く読めた。著者のクセの強い文体(カタカナ乱用、<> ""多様、投節めいた言葉遣い)も、本人自身がクセの強さの表われだろう。
佐賀県生まれで神戸に住むMorris.が言っても説得力に欠けるきらいありそうだが、賢治のモダンさは、東京コンプレックスに準拠するのではないかと思った。

2015117
【沼地のある森を抜けて】梨木香歩 ★★★☆ 2005/08/30新潮社
先祖伝来の「ぬか床」を引き継いだ久美。という始まりで、これは和風の家庭小説かと思ったのだが、そのぬか床に突然卵が出現、そこから少年が孵って…… で、お得意の幻想メルヘンかと思い直したのだが、このぬか床が、南の島の沼につながり、そこが異系の生物発生の場だった……と、異様にスケールの大きな物 語だった。

--あら。無性生殖って言葉を知ってるでしょ。性は本来生殖を目的にしたものでもあるけれど、生殖自体は無性でも--無論、生物を選ぶけどね--可能なわけよ。それで、より下等な動物に可能なことなら、何故もっと高等な動物である人間にはそれが不可能なわけがある?
--風野さん、その論理はおかしい。意識的にそうあろうと努めるのと、現実の問題は別でしょう。それに、結局今の話、クローンに行き着くわけでしょう。
--あら。ええ、今のところはちょっと飛躍していた。それは認めましょう。じゃあ、クローンよ。まるでクローンというと生命倫理に反することのようにみんな騒ぎ立てるけれど、それって、本当にそんなに悪いこと?
--でも、やっぱりバラエティがあった方が種としても生き残る率が高いわけで……。
--そう、結局みんなそういうわけよ。けれど例えば植物でも竹なんかは全部クローンよ。ヒガンバナなんかも。クローンで増える植物はいっぱいいる。でも、 彼らはそう簡単に絶滅なんかしない。そういう意味では優秀な遺伝子なのよ。ある程度の進化に達した段階で、これでよし、としたわけよ潔いじゃないの。それ に生育条件の違いで、全く同じには育たない。それなりの個性はどうしたって出てくる。その程度の個性で充分よ。
--それって優生思想ですよ、結局。全面的に賛成はできない。それに進化の可能性が……。
--進化? 進化なんかより退化、劣化の方が遥かに高い。どんどん悪くなる可能性もあるわけよ。優秀な良心の間に、彼らを上回る優秀な子が産まれたなんて話、滅多にあ ることじゃないわ。だとすればよ、調和的で平和を好む人々がいれば、その人たちの間でクローン再生産をした方が、人類はよっぽど明るい未来への展望が開け ているわけじゃない。それが優生思想ってんなら、優生思想で結構よ。もう、進化なんかまっぴらよ。繁栄もいらない。これ以上、どこへ行こうってのさ。

菌類を研究している、脱男性志向の風野と、久美の対話だが、これが後半の生物発生異説に繋がる。

沼は、私どもにとっては、母であり、また命そのものでした。私どもは、いってみれば、沼から生まれ、沼へ帰るのです。
それがこんな有様になってしまう。目先の利益のために数千年、いやそれ以上続いた森が伐採され、沼までが涸れてゆく。問題は単に森の伐採を止めればいいと いうことではなく、人の心の変化と、その欲望を可能にしてゆく世の中の変わりようです。開化と呼ぼうが、進歩と呼ぼうが、この流れは止めようがありますま い。

南の島の沼のある特殊地域の長老の台詞。この沼がつまりぬか床の故郷だったというわけである。

--今はもちろんもっといろんな説があるけれども、とにかく、菌類は植物とも動物とも独立した系統とされている。この三つに共通した祖先があるとして、それをまあ、原生生物というとして。
富士さんは結晶の羊歯の根っこの所を指して、
--この辺で無脊椎動物、脊索動物に分かれ、脊索動物は、脊椎動物と原索動物なんかに分かれる。で、脊椎動物が、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と分かれ……。
彼は羊歯の葉っぱの末端を指した。
--で、人間がこの辺といわれているわけだ。植物の方も、この原生生物から、緑藻類に入ってきて、今の陸上の植物群もすべてこの水中生活をしていた緑藻類から進化してきた。太古の、コケ植物、シダ植物、それから裸子植物、被子植物……。
--それらのすべてが、それぞれすっかり独立して、壁のようなもの、いわばウォールで仕切られるよに、他と混じらない、種になっているわけです。でも、 まったくこの分類に当てはまらない進化を遂げていくながれがあったわけです。でも、まったくこの分類に当てはまらない進化を遂げていく流れがあったわけで す。それがどの辺から分かれたものなのか。おそらくこういう分類全て、空しくなるような、けれども奇妙にそれとシンクロしてやってきたような、別の流れ。 ウォールを全く無視するような流れ。
--それが沼地にいたというんですね。
--そう。
気が遠くなりそうだ。思わずしゃがみ込む。ウォール? それは秩序ということだろう。そういうものを無視して、この生物圏が成り立つというのか。


いわゆる「系統樹」の説明だけど、種と種の間の壁(ウォール)を「秩序」と規定し、それを無視した別の生物圏(沼)があるというのは、「ワンダフルライフ」を思い出した。

--例えば、風邪のウィルスに感染した人間は、ウィルスによって行動をコントロールされる。ウィルスは宿主にくしゃみを起こさせて、自分たちを更なる繁栄へと導く。そういう例はいっぱいある。
--だから、個、というものが自分の行動を全て自分の意志決定によって行っているという考えがそもそも眉唾もの、だと?
風野さんの言葉は、静かで、自嘲気味ですらなかった。それから、
--そういうことはすでに考えたことがあった。あらゆる思想や宗教や国の教育システム、そういうものが、自分を乗っ取ってゆく可能性について。もっとわか りやすく洗脳、といってもいい。あるいは、すでに乗っ取られている可能性について。自己決定、ということが幻ならば、せめて、自ら、自分はこの「何か」に 乗っ取られてもかまわない、そう決断することが、最後に残された「自己決定」なのではないか、と。
私は固唾を呑んで風野さんを見守った。


--世界は最初、たった一つの細胞から始まった。この細胞は夢を見ている。ずっと 未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。この細胞は、ずっとその夢を見続けている。さてこの細胞から、あの、軟マンガン鉱の結晶のように、羊歯状にあらゆる 生物の系統が拡がった。その全ての種が、この母細胞の夢を、かなえようとしている。この世で起きる全ての争いや殺し合いですら、結局、この細胞を少しでも 長く在り続けさせるために協力している結果、起きること。単なる弱肉強食ということではなく。全ての種が、競い合っているような表面の裏で、実は誰かが生 き残るように協力している--たとえその誰かが、酵母、とかであっても。生物が目指しているものは進化ではなく、ただただ、その細胞の遺伝子を生きながら えさせること。

生物の主人公は実は遺伝子で、生命体は遺伝子に操作されて、生き延びようとしてるというのは、結構よく聞く言説である。解りやすくて意外性のある説だから、拡散してるのだろう。Morris.も最初に聞いた時はおお、と思ったが、今はちょっと醒めてるかな。

--シ。
と、僕は彼女の名前を呼んだ。
全てを失って、確実さへの渇望があまりに激しくなり、白い火花を生んだ。それが僕の体を変えたのか、それとも相手の体が変わったのか、その両方だったの か。多分その両方だろう。白い火花は熱を生み、それは僕が今までにけいけんしたことのない高温で、きっとそれが相手の存在の「流動性」を一挙に高めたのだ ろう。それと気づいたときは、相手はほとんど液状化しており、僕は存在自体を相手に包まれ、そして接合していた。それは当初接合しやすい器官に変わった部 分的なそれだったが、あっというまに互いの皮膚が溶け合い、内部の混入が始まった。そしていつ緩やかに意識まで一つに向かって行くようだった。僕は一瞬の うち、彼女の内側の感情をつぶさに経験したように感じた。驚き、喜び、悲しみ、そして共感。これが僕たちの、少なくとも僕の望んだ確実さだったのだろう か。それは分からない。しかし、抗いようがない、この流れの強大さこそ、「確実」そのもののようにも思えた。これが「シ」の実相なのだろう。なぜなら、 「僕」は変容し始めていた。そして、そのことは以前の「僕」が終わったということを意味していたから。

梨木流セックス描写(^_^;) 「性と死」の共時性なんていう一昔前に流行った哲学的思考をアニメティックに表現したらこうなるのかも。

--ほら、富士さんがいっていた、そもそもたった一つの細胞の夢が、っていう話。 全宇宙でただ一つ、浮かんでいる孤独、ってすさまじいものだったろうなあ、と思って。実際には同じようなものが試行錯誤で繰り返されていたのだろうけれ ど。それでも最初の一つ、っていうのはあっただろう。全宇宙にたった一つの存在。そのすさまじい孤独が、遺伝子に取り込まれて延々伝わってきたのかな、っ て思って……。細胞が死ぬほど願っているのは、ただ一つ、増殖、なんだ。人間の、特に男の、自分の遺伝子を残したい、ってそういう欲求を諸悪の根源のよう に思ってきたけれど、その原初の圧倒的な孤独っていうのが、根っこにあるのかな、と思えば、なんか、もののあはれ、みたいなしんみりした感じになってき て……。

そう、くるか(^_^;) って、梨木にはどうしても、いまいち本気になれないMorris.である。
2015116
【からくりからくさ】梨木香歩 ★★★☆ 1999/05/20 新潮社
祖母が遺した古い日本家屋で、共同生活を始めた若い女性4人。染色、機織りを通じて、一種のコラボレーションも行われるし、それぞれの対人関係のもつれもあるし、いわくのある人形、先祖からの因縁、中東の唐草模様を追い求める若者……実に不思議な世界が描かれる。

りかさんは人形だけれど、命がある。
かつて祖母は、体は生命の「お旅所」だといった。神社のお祭りのとき、神様の御霊を御神輿に乗せる。その場所を、御霊のお旅所、と呼ぶ。
生命は旅をしている。私たちの体は、たまたま生命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿をとった。
それが祖母の説明だった。りかさんの命はまだ働いている。


この人形も大きな役割を持っている。作者には「りかさん」という独立した作品もあるらしい。

「ついこの間、セイタカアワダチソウで黄色を出したのよ」
「これ? 信じられない。何と思慮深そうな深遠な色」
「ねえ。見かけによらないものよねえ」
「帰化植物が日本の植物染料の奥行きを深くするってのもおもしろいねえ。文化の純血性にばかり神経尖らせていたら、文化って痩せて貧弱になっていくのかもね」


こういったボタニカルな雑学もふんだんにでてくる。やはり植物にはなみなみならぬ関心と知識がありそうだ。

クルドのことは少しは知識があった。だがこちらにきて実際にクルド人だと自称する 人物に会ったのはそれが初めてだった。トルコ政府がクルド人に対して彼らの言葉の使用の禁止をはじめ、それを自称すること、文字、音楽、あらゆる文化に渡 る民族アイデンティティを抹殺し去ろうとしていること、それを破ったものには拷問か一方的な裁判、処刑が待っていること、建国以来トルコ政府は一貫してそ ういう民族など最初からいなにのだ、という態度を取り続けてきたこと、そういうことは日本である人から聞かされていた。
クルド民族はメソポタミアのいわゆる先住民族で、クルディスタンと呼ばれる彼らの土地はトルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアなどにまたがっており、それぞれの土地で過酷な同化政策を強いられている。
クルドは昔から国というものに興味を持たなかった。部族意識があまりに強烈なので、それを統合し連帯して全体を運営していく能力に欠けていたのだといわれる。
トルコ政府がテロリストだと呼ぶいくつかの民族運動グループでは、今は過去の遺跡のようになったマルクス主義で理論武装しているところもあるが、それは必 要に迫られてどこからか借りてきたものに過ぎない。大方のクルド人の意識としては、ただ自分たちをあるがままに放っておいてくれというところだろう。自分 たちが自分の言葉をしゃべること、子どもたちに自分たちの文化を伝えることを認めてくれ、と。


少数民族の織物を研究する若者が外地から送った手紙の一部である。このところ、難民やテロや空爆で、頻繁に耳にする「クルド人」のことを、前世紀のうちに こうやって、小説に取り上げられているのは珍しいことかもしれない。言葉を奪うという行為がどれほど過酷な仕打ちか、日本人なら尚更肝に銘じるべきだろ う。中国のチベット、ウイグルなどへの仕打ちも同類だろう。

理屈ではなく、私、わかったの。
雷に打たれたようにわかったの。
伝えること 伝えること 伝えること
大きな失敗小さな成功 挑戦や企て
生きて生活していればそれだけで何が伝わっていく
私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。でも、本当はそうじゃなかった。
人はきっと、日乗を生き抜くために生まれるのです。そしてそのことを伝えるために。
クルドの人々のあれほど頑強な闘いぶりの力は、おそらくそのことを否定されることへの抵抗からきているのでしょう。
生きた証を、生きてきた証を。


これは作者の「生の」声なのだろう。彼女の作品には、こういった、高みからの視点がしばしば出てくる。ここらが、ちょっとMorris.には違和感を覚えさせる。

「これは、古代ヨーロッパで祭祀用に使われていた斧なんです。それに琴、菊ときたらもう一つは斧ではないかと普通は思いますよ」
「なんで?」
「斧はよきというので、よき、こと、きく、つまりよきこときく、とう演技のいい語呂合わせになってるんですよ」


本書の登場人物は、染色や織物については専門家や研究家なのに「よきこときく」の語呂合わせ模様を知らなかったというのは、不自然だと思う。
2015115
【雪と珊瑚と】梨木香歩
★★★☆☆
2012/04/30 角川書店
21歳の珊瑚は、生まれたばかりの娘、雪を抱えて途方にくれるが、様々な人の親切で、惣菜カフェを作り、徐々に生活を充実させていく、という、心あたたまる人生ドラマで、前に読んだ「家守奇譚」などとはまるで違ったタイプの作品。そのギャップに驚かされた。

……弦にかえる矢があってはならぬ。おそらく私たちはそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった……
暗記している、石原吉郎の「望郷と海」の一節を、珊瑚は小さく呟き、それから大きく深呼吸すると、くららの家のインターホンを押した。


珊瑚は父の愛読してた石原吉郎の詩が好きらしい。あまり通俗小説には引用されることのなさそうな詩人である。って、Morris.もほとんど読んでないが、何となく気になる存在ではある。
クララという老女は本作の中で重要な役割を果たす人物である。

そこには、大きめのキュウリのようなものが生っており、一旦それに目が慣れると、次々にズッキーニが見えてきた。
「え、ズッキーニって、キュウリみたいに生るものだと思っていました」
「生ってるとこ見ると、カボチャの仲間だって分かるでしょ」
「カボチャの仲間なんですか」
珊瑚は思わず大きな声を出す。


ズッキーニといえば、ホバクである。韓国ではポピュラーな野菜で、Morris.はこれの天ぷらみたいな「ホバクジョン」が大好物である。韓国では普通の カボチャもホバク(区別する時はヌルグンホバクとも)という。たしかに見かけはズッキーニはカボチャより、キュウリに似てる。

「リーズナブル、っていうことを、よく考えるんだ」
貴行は続ける。
「なんか、お買い得とか、安い、とかいう意味合いで使われがちな単語だけど、いろんな角度から考えて納得できる価格、っていうのかな。こちらがかけたエネ ルギーに見合った対価。確かにそれだけの価値があると認めてもらえる生産品。僕はそういうリーズナブルなものをつくってきたし、珊瑚ちゃんを一人前の取引 先として認める以上、他のレストランより安くするなんてことは出来ない。同じ値段で買ってもらわないといけない」


有機農業やってる貴行の意見である。出張食い倒れサイトの山本謙治を思い出した。

今まで居なかった猫もどこからか入ってきた。壁側に置かれたソファの上に、勝手知ったる、という様子で飛び乗り、毛づくろいをしている。トラネコである。珊瑚の方をちらちらと見ている。
そこへ二人が帰ってくる。貴行が
「ごめん、急に。あ、ウィトゲンシュタイン、帰っていたのか」
「え、なんて、今? この猫の名前ですか」
「そう、ウィトゲンシュタイン。『語りえないもについては沈黙をまもらなければならない』寡黙な猫なんだ。鳴いたの聞いたことない」


猫の名前に20世紀の哲学者の名を与えるあたりが、この作家の「趣味」をうかがわせる。

白いセダンが一台停まっていた。車種に疎い珊瑚には、どういう車なのか分からな かったが、そこからは何か、「平均的な幸福」といったものが漂っているように思えた。主張がなく、威嚇がなく、敵意を感じさせない。これがいわゆる、ファ ミリーカーというものなのだろう、と、おおいに感心した。その「感心」には嫌みが混じっている、とすぐに気づく。そういうふうに自分が反応するのは、「平 均的な幸福」から、遥かに遠いところにいる、という自覚からくる僻みなのかもしれない。情けないことだ、と我に返って頭を振り、一旦その「僻み」を吹き飛 ばし、車の横を抜け、「物件」へと向かった。

うーん、このいささかもって回ったひねくれた論理というのもこの作家の韜晦なのかもしれない。

「『若草物語』に、クリスマスの朝、四姉妹が楽しみにしていたごちそうを、母親に 言われてそのまま、町の貧しい人たちに持っていくところがあるでしょう。あの四姉妹は、ずっと楽しみにしていたことだけに、残念でならないと思ってもいる けれど、清々しい思いもする。……自分たちが自己犠牲を払うことによって他者が喜ぶ、それを自分の喜びとすることで気持ちよくなるのか、優越欲求が満たさ れて、気持ちよくなるのか、或いはその両者は同じ一つのものなのか……問題は、人類が生まれてから、ずっと、ありがとうございます、とお礼を言いつつ施さ れる側にあった人々のことです。感じていたのは感謝だけとは思えない。ごく稀にはそれだけのこともあるだろうけれど、大かたは、六割の感謝、二割の屈辱 感、二割の反感、みたいなものだったろうと思います。けれど、それでも生きていかないといけない、という現実が、彼らに頭を下げさせる。『施す側』の中 の、センスのいい人々は、なんとなくそれを感じ取って、彼らに卑屈さを感じさせまいと余計に丁寧に接する、そうするとそのことがまた、彼らの屈辱感を倍加 させる……」

先の僻みに通じる、複雑な心の襞の分析だけど、これもまた作者の思考パタンなんだろうな。

「確かに、私には珊瑚さんと雪ちゃんの役に立てれば、という気持ちがあります。そ れを同情と呼ぶかどうかは別にして。珊瑚さんは、同情を引くのがいや、と言っているけれど、たとえば、あなたの好きな石原吉郎がいたシベリアの抑留地で、 彼らはそんなことを言ってられたかしら。彼らの中の誰かが、ソ連側の誰かの同情を引いて銃殺を免れたとか、パンを一個余計に貰って餓死を免れたとしたら、 その『同情を引く力』は、その人が生きるための武器になったのではないかしら」

くららお婆さんの本領発揮というか、ここでもまた石原吉郎が出てくる。それにしても「同情を引く力」かあ。

「ちょっと気の利いた店が一誌に掲載されると、次から次へ他誌も取材に来るよ。そ うなるとあっというまに客が押し寄せるようになって、いつ行っても満員。そしてだんだん、あれ? ってい言うような味になって、最初はおいしかったんだけどね、って囁かれて、遅かれ早かれ客足も引いてしまう。5,6年のうちには店自体消えてしまう。そ のうち名前も忘れられる」ぎゃー、と由岐は両手で頬を押さえ、
「なんですか、それ、怖すぎるじゃないですか。都市伝説ですか」
「実体験だよ。ほんと、そんな店、何軒も見て来た」


これは確かにありそうな話である。雑誌やマスコミに取り上げられて、当座は行列ができて、いつの間にか消えてしまう店。ネットの普及で、そのサイクルも加速してるのではなかろうか。

「人間なんてみんな、病理が物質化したみたいなもんだから、いたわり合い、助け合って生きていくしかないんだよ」

凄い表現である(@_@) まあ「ハンデの無い人間はいない」というMorris.の持論と通底するところがあるかも。





2015114
【家守綺譚】梨木香歩
★★★☆  2004/01/30 新潮社

すべて植物名をタイトルに持つ掌編28篇が、100年ほど前の京都を舞台に綴られて行く。物書きの青年が、亡くなった友人の家を守るという約束で住み着 き、ときどき現世に戻ってくる友人との語らいや、付近の魑魅魍魎、不思議な出来事を、淡々と綴っていく。全体として大きな物語の流れはあるものの、細部の 描写がなかなかに、ゆかしい雰囲気を醸し出している。とりあえず、全編の植物名を。

サルスベリ/都わすれ/ヒツジグサ/ダァリア/ドクダミ/カラスウリ/竹の花/白木蓮/木槿/ツリガネニンジン/南蛮ギセル/紅葉/葛/萩/ススキ/ホト トギス/野菊/ネズ/サザンカ/リュウノヒゲ/檸檬/南天/ふきのとう/セツブンソウ/貝母/山椒/桜/葡萄


カタカナ表記が多いのがちょっと気になるが、ふきのとうはひらがなだし、普通レモンとカタカナ表記するのを漢字表記にするなど、作者なりの思惑があるのかもしれない。

信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美 しく浮かび上がってくるものなのだ。もちろん、風雪に打たれ、堪え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ、むやみに掘り出してひと 目に晒すだけがいつの場合にも最良とは決して限らないのだ、ことに今ここに住む我らとは、属する宗教が違う。表に掘り出しても、好奇の目で見られるだけで あろうよ、それでは、その一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか、と。(木槿)

これは文体見本。なかなか哲学的な感じである。

疎水べりを歩いていると、ススキの穂も立ち始め、夏の頃とは大分空気の質も変わってきたのがわかる。虫の声もいよいよ姦しくなった。季節の営みの、まことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。(南蛮ギセル)

舞台が百年近く前の京都の疎水と琵琶湖あたりで、そういった意味でノスタルジーを感じさせる描写は上手いと思った。

早朝から外がざわめいている。朝飯の後で散歩に出たら、近所の爺さんに会ったので、今朝、何かあったのかと訊くと、
--疎水べりで首吊り。
と、まるでこれ以上長いこと口を開いていると疫病が移ると云わんばかり、口に手を遣って私を睨んだ。鼈のように皮のたるんだ爺さんの首が、妙にこちらに迫ってくるようで、這々の体で逃げ出し、しばらく疎水には行かぬことにしようと決心した。(サザンカ)

奇譚というだけに、こういったちょっと不穏な事件も起る。

--ふきのとうには雌花と雄花がある。知っているか。
高堂は私の手にあるふきのとうに目を落としながら云った。
--知らなかった。
--小菊の寄り集まったようなのが雄花、黄緑の蕾の集まったようなのが雌花だ。
--ほう。
確かに二種類あった。
--私はそれを全部一つのものと思っていた。一つのものの生育の段階の差だと。随分長いことそう思い込んでいた。
--そういうこともあるさ。
高堂は軽く頷いた。
--思い込みというのは恐ろしいな。
ーーだがとりあえずは思い込まねばな。(ふきのとう)

ふきのとうに雌雄があるというのは初めて知った。最後の「思い込み」に関するやりとりは胸を突かれた。
漱石の「夢十夜」に通じる世界のようでもある。本書には続編もあるらしいので、それも読んでみることにしよう。


2015113
【冬虫夏草】梨木香歩 ★★★ 2013/1/30 新潮社
さきの「家守奇譚」の続編である。例によって植物名を冠した40篇ほどが収められているが、前作よりひとつながりのストーリーになっている。

クスノキ/オオアマナ/露草/サナギタケ/サギゴケ/梔子/ヤマユリ/茶の木/柿 /ショウジョウバカマ/彼岸花/節黒仙翁/紫草/椿/河原撫子/蒟蒻/サカキ/リュノウギク/キキョウ/マツムシソウ/アケビ/茄子/アケボノソウ/杉/ タブノキ/ヒヨドリジョウゴ/樒/寒菊/ムラサキシキブ/ツタウルシ/枇杷/セリ/百日草/スカンポ/カツラ/ハウチワカエデ/ハマゴウ/オミナエシ/茅

残念ながらいまいちノレなかった(^_^;)


2015112
【震える牛】相場英雄
★★★☆ 2012/02/05 小学館
先日読んだ菅原文太対談集の中で知った本。対談集に引かれてあった「雑巾ハンバーグ」の部分が一番インパクトあったみたいだな。

駆け出し時代、田川が手抜きを見抜かれたときは、担当区域全員の証言を得なければ捜査本部に入れてもらえないことさえあった。最近は、操作指揮官や地取り責任者が地道な操作を軽視している。だから検挙率が下がるのだ。

これは、最近の警察の捜査の劣化を端的に指摘してあることへの共感しての引用。

日本実業新聞という巨大メディアに在籍している間は、この種のネタは書きたくとも 書けなかった。莫大な広告費や事業局にもたらされるイベントの協賛金がネックとなった。現在所属する新興メディアは、海外の投資ファンドと富裕な独立系企 業オーナーたちが運営資金を賄ってくれる。気兼ねなく、日本企業の恥部を暴くことができた。自身の取材力を反映させる機会が久々に訪れたと鶴田は思った。

企業と報道の癒着、タブー化ということ。

高森は2000年に大きな出来事があったと告げた。通称・大店法が廃止されたことが地方都市を本格的に破壊し始めたと言った。
従来の大規模小売店舗法、通称・大店法は、500平米以上の店を出す際には地元商工会との競技を経るよう義務づけ、小規模の商店を守ってきた法律だった。 しかし、日米通商摩擦n激化、その後に米国大手小売業の日本進出という黒船級の出来事が起こったと高森は言った。また小売業の発言力が強まりつつあった日 本の財界主導で規制緩和を要求した。錦の御旗のもとに規制が撤廃されると、堰を切ったように出店が加速したと高森は自嘲気味に言った。
「彼らの合い言葉は『お客様の隣に』だよね。言い方を変えれば、売り上げが悪くなったところからはさっさと撤退するスクラップ・アンド・ビルド、これが『隣』というキャッチフレーズの本質だ。今、大型SCの開発を停めているのもその一環だよ。
彼らは言葉巧みに地方に進出する。遊休地から固定資産税が徴収できる、地元の雇用を確保できると地方の有力者を誘惑する。いざ大型商業施設ができれば、地元商店街から客を根こそぎ奪う。しかし、儲からなくなった途端、別の土地を探すんだ」

日本全国に蔓延しているシャッター商店街のできたわけ。

「皆さん、当たり前のように食べている世界チェーンのファストフードも基本的な仕組みは一緒ですよ。大量仕入れで世界中から老廃牛のクズ肉を集め、そこに添加物を混ぜ込む。刺激の強い調味料で肉本来の味なんてわかりっこないのです」

マクドナルドを始めとして、おおむねこんなもんなんだろうな。
やはり小説は、先にポイントを知ってから読むものではないのかもしれない。本書も先見なしに読んだらもっと評価高くなったかもしれない。



2015111
【共震】相場英雄 ★★★2013/07/28 小学館
東日本大震災を舞台にしたものらしかったので「震える牛」と一緒に借りてきた。
震災後3週間目に現地取材したらしく、被災地の描写や罹災者の心情などは、細かく描かれているが、ストーリー的にはかなり雑駁になってしまってるきらいがある。
著者は時事通信社で記者経験があり、その経験を活かした、取材、警察内部の描写も上手いと思うのだが、本作は、時間と、登場人物の入れ替わりが煩雑で、Morris.の苦手な構成だったので、非常に読みづらかった。


2015110
【星宿への道】宮本輝 ★★☆☆ 2003/01/10 幻冬舎 初出「星星峡」1998年2月号~2002年4月号連載。
中国ウイグル族地区の旅行中にタクラマカン砂漠に姿を消した兄(実は養子)の秘密を探ろうとする弟。兄の子をみごもって女児を産んだ女性とその母、兄の複雑な思いと、子供時代の仲間との付き合いなどを通じて、さまざまな生き方を描き出そうとした作品。

「金は借りたら返さなあかん。それも利子をつけて。そのマンションに誰も入居せえへんようになるときが来たら、どうやって銀行のローンを返済するんや?」
「それは、代行会社が責任を負うんや」
「ほな、その代行会社がつぶれたら? 契約書に、銀行が肩代わりするっていう一行が入ってるどでもいうんか? うまい話が、うまいままつづいたことは、あらへんで。こんな異常な景気が、いつまでもつづくはずがあらへん。この好景気は、ものすごう頭のええ連中が仕組 んだ罠や。世界のどこかで、金と政治のゲームを操ってるやつがいてるんや。そいつらの手綱さばきひとつで、大どんでん返しが、思いのままに起こせるんや」


いわゆるバブル期に、マンションを買おうとする女性に対する兄のセリフ。まあ、正論だけど、あの当時、こういった当たり前のことが見えなくなっていたわけで、後出しの感は否めない。

「働く」ということへの思想……。それは、雅人がタキを話題にしたとき使った言葉 であった。「働く」ことで自分は生活の糧を得ている。自分がこの社会で生活できるのは「働く」場所があって、「働く」機会を与えられているからだ。そして それは不平や我儘が通用する世界ではない。自分の仕事に感謝し、その仕事に精一杯の労力を使うことが「働く」ことなのだ。

タキというのは、ビルマ人ウエイターで、その仕事ぶりを見ての兄のセリフ。これは宮本節とでもいうものだろう。
Morris.は、どうしても宮本輝の良い読者にはなれないようだな。本書は、ストーリー的にも尻切れトンボではないか、と思ってしまった。



2015109
【ほとんど人力】菅原文太と免許皆伝の達人たち ★★★☆☆ 2013/07/21小学館
「本の窓」連載「連載対談 外野の直言、在野の直感」を加筆修正したもので、以下の17人との対談が収められている。

第一章 「のど元すぎれば……」で、また戦争するのか?
・金子兜太(俳人) 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
・樋口陽一(憲法学者) 第九条は国民を守る要塞。壊したら国民を守れない
・堀田力(さわやか福祉財団理事長) まやかしの集団的自衛権
第二章 「知らぬが仏」では、すまされない
・相場英雄(作家) 『震える牛』に震えてしまった
・大石又七(第五福竜丸乗組員) 第五福竜丸と原発は、深く結びついている
・中村哲(医師、ペシュワール会現地代表) ほとんど人力
第三章 アメリカよりアジアを向いた脱官僚の国へ
・大田昌秀(元沖縄県知事) 沖縄の苦闘、本土の怠慢
・丹生宇一郎(元中国大使) 対中関係とアベノミクスの行き着く先
・副島隆彦(民間人国家戦略家) アメリカの策謀で、アジア人同士戦うな
・古賀茂明(元経産省) TPPくらいのことがないと、変わらない
第四章 人間力をとりもどすために
・松島令(作家、金融・経済評論家) 大災害は日本の構造転換のチャンスだ
・関野吉晴(探検家、医師) 人類は生き残れるのか
・野口勲(野口のタネ代表) 誰も知らないタネの怖い話
・西部邁(評論家) 近所と家族があれば、最低生きていけるよ
第五章 人は「資源」ではない。型破りのススメ
・黒田征太郎(画家) アートも人間も土に還れ
・吉田敏浩(ジャーナリスト) 人は消耗品でいいのか
・鳥越俊太郎(ニュースの職人) 清潔社会がもたらす罪

2014年11月28日に81歳で亡くなった菅原文太。偶然にもまさにその一周忌当日に本書を読んだことになる。
一般には「仁義なき戦い」「トラック野郎」のシリーズで知られ、ガラの悪いしかし憎めないキャラクタ-と認知されているが、2009年から山梨県で農業を 始め、2011年の東日本震災を契機に俳優引退を表明、国民運動「いのちの党」の代表者となり、死の直前に沖縄県知事選挙で翁長雄志の応援にもかけつける など、反戦、復興など社会問題への発言・活動も積極的に行っていた。そういう噂はMorris.も仄聞していたものの、本書を呼んで初めて彼の本意と志と に触れることが出来た。上っ面ではなく、しっかりとした視点と知識を持つ人士だったと思う。

樋口陽一 言うなれば「日米同盟」が現在の「国体」です。戦後の日本には「同盟」という言葉は使えないという意識が会ったのですが、それがだんだん国体としてそれこそ正面に鎮座するようになって……
菅原 歯止めがずーっとなかった。とくに沖縄問題なんか、同盟という言葉でがんじがらめになって動きが取れない状態になっている。

戦後日米同盟が国体というのは、判りやすいだけに、辛い(>_<)

菅原 集団的自衛権も個別的自衛権も、国連できめられているんですね。
堀田力 はい、国連憲章の第51条に出てきます。「国際紛争は国連軍がすべて解決する」と、国連憲章はそう定めているのですが、国連軍を作るのが間に合わないときはどうするのか。本来その場合は個別的自衛権で各国が撃退すればいいわけです。
ところが、その後国連軍ができたためしがほとんどないので、個別的自衛権と集団的自衛権という応急措置として規定されたものが常態化してしまった。


現時点での国連の存在の耐えられない軽さ(^_^;)が、諸悪の元かもしれない。日本国憲法も国連憲章に準じて作られたものであることを思えば、日本は、もっと国連に肩入れして、国際社会に貢献するという姿勢を見せるべきではなかろうか。

堀田 戦前と違って、いまは意見を言う手段が与えられているわけです。民主主義というのは、ただ自分の意見を持っているだけではなくて、表に出して、おかしな動きは「おかしい」と言わなければいけない。
菅原 日本が民主主義国として成熟していくためには、これからなにが大事ですか?
堀田 勇気でしょうね。民主主義は基本は個人主義ですが、個人主義は利己主義ではない。個人が責任を持って生きるということですから、自分の信念に反する事態が起こったら、反対だと主張し、意見が活きるようにがんばらなければならない。


戦前の言論封殺時代に逆戻りしようとしているニッポン。後手後手に回ってきたことを真摯に反省しなくては。
合言葉は「勇気!!」

相場英雄 いまは安ければ何でもいいという風潮になっていますよね。着るものはそれでいいかもしれないけれど、食べ物が安すぎるというのはどうなのか、と。
菅原 いまの日本はあらゆることがこのような状態になっていると思うんだよ。大型ショッピングセンターのような、大きな、得体の知れないものによって、小さな人たちの暮らしがはじき飛ばされてしまう。
大手スーパーで売られているというハンバーグね。(『震える牛』では)「雑巾」と呼ばれているけれど、そのつくり方のところに出てくる代用肉--食用油を 抽出したあとの脱脂大豆に亜硫酸ソーダ水溶液を混ぜ、あ塩酸ガスを加える。さらに亜硫酸塩、塩化カルシウム、イオン交換樹脂の薬で濾過したあとは、甘味 料、化学調味料、牛の香りを演出する合成香料、それに容量を増す水を加えてできあがり--って、これ、恐ろしいね、食べ物じゃないよな。
相場 ファストフードをすべて否定したら生活が成り立たないのはわかるけれども、工業製品を食べ続けていたら人間は絶対おかしくなる、と思います。
菅原 いまどこを旅しても郊外に大型のショッピングモールができて、町の中心部の昔ながらの商店街がどんどん廃れていってるよね。こういう変化が顕著になったのは、いつ頃からなの?
相場 いい意味でもい悪い意味でも小泉さんの時代からだと思います。グローバルスタンダードという名のもとで、スーパーも規模を大きくして調達のコストを安くすることで安い商品を提供するという仕組みはすばらしいとは思うのですが、それが行きすぎちゃったのかなと……
菅原 2000年に、大店法が廃止されたのも、アメリカの圧力があったからでしょう。


今週のニュースでも、加工肉の発がん性問題(WHO発表)がとりあげられていたが、早速業界からの巻き返しが起こる。食品業界と食品の安全はベクトルが逆向きになっているようだ。「震える牛」読まなくては。

菅原 二週間かかって、焼津港に入ったときはどうなっていました?
大石又七 事件がわかって、専門家や学者が放射線量を測る機械を持って船に乗ると、ダダダーッて鳴るんですよ。もう船自体が放射能になっていたんでしょうね。
菅原 焼津に着いたとき、国はビキニ環礁で水爆実験が行われて第五福竜丸が被爆した事実をしっていたの?
大石 わかっていない。無線を打たなかったから。というのは当時は日本とアメリカの力関係の差がすごく大きくて、下手に無線を打つとアメリカに傍受されて沈められてしまうおそれがあったんですよ。
実際、あとでアメリカの資料を見ると、偵察していた飛行機が私たちの上空に向かっていたんだって。ところが、キノコ雲がたくさん広がっているので引き返した。
菅原 戦後、日本人の目に飛び込んできた、アメリカの豊かな暮らしやハリウッド映画にすっかり見とれていたあの頃、アメリカ軍は容赦なく漁船を標的にしていたのか。沖縄のいまがなんkだ思いやられるな。
大石 いちばん腹が立つのは、原発を導入した人たち。原発を導入できたのは、日本政府がアメリカに対してこう言ったからですよ。「ビキニの件は補償しなくていい、核兵器も核実験も容認します、その代わり、原子力の技術と原子炉を早急に送ってくれ」と。
そういう経緯で福島にも原発ができたのに、中曽根さんをはじめ原発を導入した人たちは、あれだけの事故が起こっても頬っ被りして、顔をださないじゃないですか。
菅原 日本人が日本人を売り飛ばしてしまった……。第五福竜丸と原発は、そういうところで深く結びついている。

確かにビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸は、アメリカにとっては爆沈させたい存在だったに違いない。そして、この事件が、日本を原発大国にした契機になったというのは、あまりにも皮肉である。

大田昌秀 何で沖縄経済がもっているかといったら、観光産業なんですよ。なかでも本土からやってきた若者たちが海に潜ったり自然を楽しむエコツーリズムが盛んで、大浦湾一帯はその中心地なんです。東京にいる政府の官僚たちはそういうことを十分にご存知ないんですよ。
菅原 沖縄の観光資源は実に豊かですよ。アメリカが手離さないのはそこにも目をつけているんじゃないか、と疑っているんですね。


自然が破壊されたら、観光は成立たない。アメリカも日本政府も知ってて知らんふりしている。

菅原 日本政府は意図的に沖縄を本土と分断している。日本にとって沖縄とは何なのか。先生はどんなふうに思われていますか?
大田 大変遺憾ながら沖縄は、文字どおりの国内植民地というしかありませんね。


完全な入れ子状態だな。

菅原 地政学的にも経済的にも沖縄に基地を置く意味は乏しいと。にもかかわらず、アメリカが基地を置き続ける理由、いくら沖縄の人たちが訴えても聞き入られない理由は?
大田 一つには、アメリカが今以て沖縄を戦争に勝って手に入れた一種の戦利品とみなしていることもありますね。また、アメリカ政府が基地の削減や撤退を図ろうとしても、それを止めているのは、他ならぬ日本政府なんですよ。


戦利品!! それを日本政府が返還を拒むという本末転倒な事態。沖縄人が怒るのは当たり前だろう。

菅原 本来なら、石原慎太郎という半ボケ老人を叱責するべきだったのに、民主党はそれをしないで丹羽さんを辞めさせてしまった。
周恩来が「我が国は倍賞を求めない」と言ったでしょ。尖閣も棚上げしようじゃないかと。それを「東京都が尖閣を買う」などと浅薄な愛国者顔で言っておいて、都知事の職を投げ出した。
丹羽宇一郎 尖閣のような無人島を争ったって両国にとって実質たいした得にもならんですよ。「いや、下に石油があるんだ」と言うけれど、石油を掘り出してすごい利益になるのか。ならないよ。

確かに尖閣問題の第一責任者が当時の東京都知事だった石原慎太郎だが、これにもアメリカの陰があるという説もあったな。

丹羽 日中の関係が悪くなればなるほど、中米の関係が深まっていく。
菅原 つまり、日本は両国から軽んじられている。
丹羽 そうなりつつある。


悪い予想は当たる(^_^;)

副島隆彦 やっぱり官僚たちって悪いんですよ、本当に。「世の中は貧乏人と金持ちでできている。その上に俺たちがいる。東大に入って、いちばん上にいるおれたちがい い思いしてあたりまえだ」と思っている。人間の歴史というのは、上のほうでいい思いをする人間と下のほうで一日16時間働かなければならないような人たち とでできあがるようになっている。
彼ら官僚は経営者として能力があって金持ちになったわけではない。組織・団体のなかで上手に生きてきたという人たちです。

教育ママたちの願望の終着点が、ここらあたりにあったのではないかと思われる。大部分が終着点のはるか手前で、脱落したとしてもね。

菅原 権力者たちをさらに操り人形のように使う人形師がいるわけでしょう。
副島 アメリカの金融財界ですね。べつに闇の組織があるということではない。彼らは優秀な人材に目をつけて大学院生の頃から面倒を見る。「おまえは裁判官にな れ、おまえは政治家、おまえは大企業の幹部」と言って育てるわけです。するとお金を出してもらっている恩義があるから上院議員や学者になっても逆らえな い。それがネットワークというものなんです。
菅原 日本も同じだろうね。なにしろ"植民地"だから(笑)
副島 そうです。アメリカ留学させてもらって教育されると、やっぱり言いくるめられるんですね。自覚しているかどうかはともかく、アメリカの手先になっている。


大米日共栄圏というやつだ。

野口勲 野菜でも米でも採れたタネを蒔くとまた同じ作物ができる……というのが本来のタネです。ところが昭和30年代後半から「F1種--正式名は一代雑種」とい う、一代限りの雑種のタネばかりになっちゃったんですね。それを使うと生育が速くて、きれいに揃った、見た目も立派なものができる。でも、そこから採れた タネを蒔いてみると、姿も形も全然違ったものができてしまうんです。
菅原 オレはいま、ちっぽけな農地を借りて、野口さんのいうフツーのタネも取り入れて野菜をつくっているわけだけれど、在来種や固定種は、F1のように揃ったものができるわけではないから収量は何割か減る。
野口 雑種にすると、生育が速まって、収量が多くなる。この力を"雑種強勢"というんです。


野口 本来、タネというのは「一粒万倍」と言って、ひと粒蒔けば一年ごとに一万倍ずつ増えていく。それが生命力なんだけど、この子孫をつくれないタネが、一億、一兆、一京と増やされて、そればかり食べさせられる世の中になっているんです今は……。

野口 日本ではいま、TPPへの参加が議論されていて、工業製品を売るために「絶対賛成」という意見が大勢ですよね。でも、そうなるとアメリカの農産物しか食べ られなくなるかもしれない。そして、それは遺伝子組み換えや雄性不稔(無精子症)の作物ばかり、ということになりかねないんですよ。
アメリカがつくった遺伝子組み換えのタネはヨーロッパでは売れない。そこでアメリカはTPPというEUに対抗する経済圏をつくって、そこで遺伝子組み換えを広めよう、そういう野菜しかつくれない社会をつくろうとしているんじゃないかと……。
菅原 戦後、アメリカは日本を農薬の実験場にしたわけだよね。日本の農民には何も知らせないまま、自分のところよりはるかに強い農薬を使わせて……


多国籍バイオ化学メーカー「モンサント」などが暗躍してるにちがいない。何しろ、遺伝子組み換え作物のタネの世界シェアは90%だし、自社の除草剤ラウンドアップに耐性をもつ遺伝子組み換え作物をセットで開発販売しているらしい。

野口 日本の農家で有機農法を実践しているのが1%。固定種を使っているのはそのうちの1%もないですからね。ただ、いままでしてきたような話を僕がすると、いちばん反発するのはじつは有機農家なんですよ。
菅原 ええっ!?
野口 要するに、彼らは有機で作ればどんなタネだっておいしくなると信じているわけ。タネには全然目がむいていない。F1のタネを使って、ただ無農薬でつくっているだけなんです。


有機農業にもピンからキリまであるだろうし、作ってる側も食べていかねばならないだろうしね。

西部邁 日本人は、東電を人身御供にして技術に酔い、情報に酔い、ITに酔ってきた。そんな奴らに、東電を批判する、バッシングする資格があるのかということになる。
菅原 政府も電力会社もマスコミも、こぞって本当のことを伝えてこなかったからね。日本人は70年近く「世の中が豊かになるためには、人間の幸福のためには科学 文明が必要だ」というお題目のもと、祭りを絶えることなく続け、酔いしれてきたから、原発という花火がボーン、ボーンと鳴っていても聞こえなかった、気に しなかったと……。


Morris.は「西部邁」を「せいぶまい」と思ってた。本当は「にしべすすむ」というらしい。この対談の中では、唯一、苦手な人間のように思えた。

菅原 黒田さんはいのちの党の悪党(笑)のひとりだけど、いのちの党は農業にも目を向けていこうよ。戦後70年近く、いのちよりカネの時代が長く続いた。
これは日本人だけじゃないけれど、いまは実体のないカネのやりとりに世界中が侵されているじゃない? 一度そういうことから脱却したほうがいいと思うんだよ。いま、日本が二流国家になってしまったなんて言われているけれど、中途半端に二流あたりにいるから ダメなんで、いっそのこと五流か六流に……、
黒田征太郎 大賛成!


「いのちの党」は政党ではなく、あくまで、個人の意思で活動する運動グループとのこと。堕落論ではないが、本当にもう一度とことん、底まで落ちてみるのもありだと思う。

吉田敏浩 直接自分の身に及ばないことに対しての想像力と言いますか、当事者の身になって考えてみようという回路が閉ざされている。あるいはうまくつながらない状況 があるのではないか。ひとりひとりが自分の興味のある狭い範囲に没入していて、友人とか家族とか身近な人間同士でさえ問題を共有して話し合うことが少なく なっている。個々の関心がタコツボ化して、問題意識を共有できない。そういう背景があるのかなとおもうんですよね。
菅原 そのように国民を分断していくのも統治する側の戦略だとも思うよ。

菅原文太、す、鋭い。

菅原 いまの日本では「不満があればいつでも辞めてください、代わりはいくらでもいますから」と言われて"生産のための消耗品"とみなされる層が厚くなっている。
吉田 アメリカの経営学理論では「労働者は人的資源」で、「ヒト、モノ、カネ、情報という経営資源をいかに戦略的に組み合わせて利益を上げるかが経営者に求めら れる」とされているわけです。その理論が日本でも流行っていて、「人的資源」英語では「ヒューマン・リソース」ですけど、そういう言葉を大学でも教えてい る。
人的資源という言葉は元々、戦前・戦中の国家総動員体制において軍部が使い出したもので、まさに人間が戦争遂行のための消耗品として、物と同じように扱われていたのです。
いまの日本で生きていくうえで、われわれはさまざまな困難や矛盾を感じるのですが、その背景を調べていくと、今日お話したような隠された事実があることが 明らかになる。日米関係にかぎらず、TPPにしても規制緩和にしても、それをどうするのかを議論し、考えていくには、政府や企業が持っている情報を公開し て、みんなが事実を知ったうえで意見を交わしながら判断していかなければならないと思うんですね。事実は素材なんです、議論のための。


人的資源なんてのは、アメリカ流プラグマティズムの申し子みたいなものだろう。植民地なら宗主国のやり方真似るのも当たり前(>_<)なんだ ろう。情報公開したくない情報をこそ知る努力を怠ってはならないのだろうけど、これはなかなかにしんどい作業だろう。

鳥越俊太郎 僕は「市民=正義」という考え方に納得出来ないんです。市民というのはそんなに清く正しいものなのかと。正しい人もいれば、間違いを犯す人もいるでしょ う。だから、市民が出した議決文が妥当なのか、吟味しなければいけない。「市民で構成されているから、出した結論も正しい」というのは、おかしいと思うん ですよ。
菅原 だいたい「市民」という言葉は戸惑いがあるよね。市民て誰なのか、と。
鳥越 「市民」という言葉は清潔社会のシンボルだと思うんです。清潔社会は市民が主人公であり、主人公である。だから市民がかかわった裁判員制度や検察審査会の判断は正しい--こういう論理がいま、まかり通っているんです。


Morris.も「市民」には、抵抗がある。市民運動にも、なかなか参加する気になれずにいた。秘密保護法、戦争法案に反対する運動には、Morris. には珍しく積極的にさんかしたものの、市民運動やってるというつもりはなかった。市民が清潔社会のシンボルというのは共感度大。

菅原 困難な時代に生きる次世代、後世のために、政治がこの国を間違った方向に向かわせないよう、しっかりと見張る必要があるのではないかということで、志をひとつにする在野のアウトサイダー、サムライたちが集まった。それが「いのちの党」なんです。

この「気持ち」は貴重なものだと思う。ただ、実効性という意味では、なかなか力を持ち得ないだろうなという気もする。そして、もう菅原文太はいない。
遅まきながら、冥福を祈りたい。



2015108
【問いかけとしての戦後日本と日米同盟】寺島実郎 ★★★☆ 2010/10/28 岩波書店。初出「世界」連載、「脳力のレッスン」2007年~2010年。
雑誌「世界」に連載の「脳力(のうりき)のレッスン」の3冊目。ちょっと前に、沖縄の歴史の回を見て感服したので、ちょっと読んで見る気になった。著者の名前は聞き覚えがあった。4ch「サンデーモーニング」の解説者として出演してる。本書は、3・11直前までの記事であることを留意して読むべきだろう。



現下の金融不安・経済危機で日本が骨身に沁みて学ばねばならない価値基軸は、「実 体性への回帰」と「自律性への志向」であろう。「実体性」とは、マネーゲームの話は止め、過剰流動性を向けるべき具体的産業、事業、プロジェクト、技術の 話に専心しようということである。また「自律性」とは過剰な外部依存を脱し、自らの運命を自分で律する覚悟であり、とりわけ日本の場合、「米国を通じてし か世界を見ない」という世界からの脱却である。(2009・2)

かなりまっとうなものの見方をしている人だということは、これだけでもわかる。

(97年のガイドライン見直し)こうした判断の背景には、90年代の世界状況に対 する認識があったといえよう。冷戦後の「米国の一極支配」とか「唯一の超大国となった米国」といった議論が主潮となり、深い思慮もなく米国の世界戦略との 一体化が加速されてしまったのである。そうした状態で21世紀を迎え、9・11の衝撃を受けた米ブッシュ政権が、逆上してアフガニスタン、イラクへと軍事 侵攻するのに対し、「日本は米国についていくしかない」という思考停止の選択を余儀なくされていった。
日本側の軍事負担は次第に拡大し、1978年からは金丸信防衛庁長官(当時)が日本人基地労働者の福利厚生費の一部を「思いやり予算」の名目で負担するこ ととしたことを始まりとして、日本側負担増が常態化してきた。冷戦後の20年間で、累計10兆円を超す米軍基地関係費用を日本国民は「安全のコスト」とし て税金で負担してきたのである。
世界にも他に例がないほどの、受け入れ国が米軍基地の経費の7割を負担しているという事実が、逆に現状変更を困難にする要素になっていることに気づく。(2010・2)

冷戦後の世界観を見損なっている日本政府への批判。「おもいやり予算」を始めとして日本の過剰な基地負担が、基地削減の足枷になってるというのは鋭い。

団塊の世代が「戦後日本」といいう環境に培養され身に着けてきた価値観を集約的に 表現するならば、「私生活主義(ミーイズム)」と「経済主義(拝金主義)」といえる。全体が個を抑圧してきても、人間としての強い意思をもって対峙する思 想としての「個人主義」とは異なり、他動的に与えられた民主主義の中で自分の意思で生きることを認められた個々人がライフスタイルとして「自分の私的な時 空間に他者が鑑賞することを嫌う」傾向を「私生活主義」という。個の価値を問い詰めて社会との位置関係を模索する真の個人主義には背を向け、結局、戦後世 代が身につけたものはこの「私生活主義」にすぎなかった。(2008・4)

寺島はMorris.より2歳年上だが、まあ同じ団塊世代である。その同時代人からのこの規定は、兎の逆立ち発言(耳ガイタイ)である。Morris.が個人主義と思ってたのがミーイズムだとしたら、かなり虚しいことになる。

歴史的な「政権交代」を経てもなお、「普天間基地問題」の経緯のごとく、基地と日 米同盟のあり方について米国と正面から向き合うのではなく、21世紀のアジアの安全保障を配慮した「抑止力」の中身を真剣に吟味することなく、むしろ沖縄 の期待を押さえ込むことで進路をとろうとする鳩山内閣と、そのシナリオを主導した外務省、防衛省の責任は重い。深い歴史観の中で、今を生きる日本人が立ち 向うべき課題が理解できていないのであろう。(2010・7)

寺島もいちおう民主党には期待をもっていたのだろう。ああ、それなのに、それなのに。である(>_<) 外務省、防衛省の官僚たちの思うように持って行かれ、その官僚を遠隔操作してるのが米国ということになる。

1980年代からの規制緩和とIT革命を要因として進行した金融世界の変質を振り 返る時、「産業の金融化」という潮流をどう捉えるべきか。「額に汗して働く」という価値が後退し、マンハッタンの超高層ビルから人間社会の営みを見下すよ うにコーヒーを飲みながら「濡れ手で粟のごとく儲かる仕組み」を創出し運用する者が高笑いをする経済へと我々は足を踏み入れているのである。それどころ か、我々はIT革命の進行の中で、ネット社会がもたらす仮想現実に次第に引き込まれ、実体経済と仮想空間を行き来することでビジネスを組み立てるという状 況に近づいているのかもしれない。だからこそ、生身の人間としての身体性が問われるのである。人間らしく生きるという正気が新たな試練を迎えている。 (2008・1)

「儲かる仕組み」の発明。「産業の金融化」が生み出したのがデイトライダーと称される輩、バブル期に荒稼ぎして、逮捕直前に「カネを儲けてなにが悪い」と開き直ってた、村上ファンド元代表などに代表される人種だろう。

中東でいかなる軍事介入をしたこともなく、中東のいかなる国にも武器輸出をしたこ ともないという日本の中東地域外交の強みを自ら否定し、「軍事貢献なき国際協力は評価されない」という思い込みと「軍事力なき大国はない」という誘惑に引 き込まれていった小泉外交は、結局「米国の要望があればいかようにも変容する日本」という国際イメージを形成し、ブッシュのアメリカとともに沈下する日本 をもたらした。(2008・10)

やっぱり、小泉劇場に喝采を送った(まんまとだまされた)国民に責任があったのか。

「非専門化の専門家への志」という言葉は、加藤周一という知の所在地を理解する キーワードであろう。「専門家」というタコツボに入ることは、そのサークルの中だけで通用する隠語の世界に埋没し、全体がみえなくなりがちとなる。だから といって、「非専門化の専門家」といってみても、大方は収拾のつかない雑学の権化となってとりとめない饒舌に陥りかねない。その危険なバランスを、加藤周 一は驚嘆すべき知的勤勉さで深い洞察力と全体知として身につけていった。(2009・4)

「雑学の権化」(>_<) Morris.は権化にもなってないが、時々「物知り」などといわれることがあって、そのたびに自己嫌悪に落ち込んでしまう。知ったかぶりをする癖はやめなくては。

戦後日本人が実に偏狭な世界観を身に付けていった理由は、アメリカを通じてしか世界を見ないということです。いま我々が東アジア連携を話すとき、必ず向き 合わなければならないのが「日米同盟は永遠の基軸」と言い続ける、世に言う「安保マフィア」という人たちです。(2009・4)

これは姜尚中との対話の中の、寺島の発言中の一節だが、「安保マフィア」という言葉に反応した。以前「安保ムラ」という言葉を聞いて、「原子力ムラ」と同じだな、と思ったが、安保ならたしかに「ムラ」より「マフィア」の方が似つかわしい。

冷戦が終わり、約20年間が経過する中で、米国の一極支配の幻想は後退し、世界は多極化を通り越して、「全員参加型秩序」とでもいうべき無極化(大国主導の覇権抗争の終焉)とでも呼ぶべき局面にある。

それに一向に気付かない、(気付きたくない)日本政府、というのが寺島の一番言いたいことのようだ。
2015107
【明暗】夏目漱石
★★★☆☆ 1917(大正6)01/26 岩波書店。初出「朝日新聞」1916(大正5)5月~12月
【續 明暗】水村美苗 ★★★☆ 1990(平成2)09/01 筑摩書房。
この2冊が並んでる理由は、Morris.が、一つの物語として読んだからだ。言うまでもなく「明暗」は漱石の遺作であり、未完の長編だった。水村の作品 は、それから73年後に完結させるという形で発表された。そのころMorris.は興味を覚えたものの、まだ漱石の「明暗」読んでなかった。漱石の小説の 半分くらいは読んでたが、どちらかと言うと初期の作品が好きで、就中「猫」にぞっこんだったから、後期作品で、しかも未完の「明暗」は読む気にならなかっ たのだろう。
結局Morris.がこの2冊を読了したのが2015年、漱石作からほぼ1世紀、水村作から四半世紀後ということになってしまった(>_<)
漱石作は中央図書館書庫から、復刻版を借りて読んだ。水村作の単行本はとうに絶版になり、2005年に新潮文庫上下2冊として出され、2009年にちくま文庫1冊本として再発行されたらしい。しかも、文庫版は現代仮名遣いになってた模様。
まあ、Morris.は、図書館で単行本借りて読んだから、どちらも旧仮名遣いで読むことが出来た。
読後の感想は、そこそこ面白かった(^_^;) で、これでは両者から不興を買いそうだが、仕方がない。
とりあえず、例によって、印象に残った部分を引用してみる。

「何うして彼の女は彼所へ嫁に行ったのだらう。それは自分で行かうと思つたから行 つたに違ひない。然し何うしても彼所へ嫁に行く筈ではなかつたのに。さうして此己は又何うして彼の女と結婚したのだらう。それも己が貰はうとは思つてゐな かつたのに。偶然? ポアンカレーの所詮複雑の極致? 何だか解らない」(ニ)

2回めにしてポアンカレーの名前が出てきたので、つい引いてしまった。この前に友人から聞かされた、ポアンカレーの偶然とは複雑な条件が絡み合って起こる 必然だ、みたいな説からの考えだが、漱石も久しぶりに「猫」の筆法を思い出して挟み込んだのだろう。なに、Morris.にはまるで見当もつかないのだ が、学生時代からの愛読句集「牧歌メロン」(加藤郁乎)次の句があったためだ。

●南柯がぽあんかれーらいすで恵比寿る


冷たさうに燦(ぎら)つく肌合の七宝製の花瓶、其花瓶の滑らかな表面に流れる華麗 (はなやか)な模様の色、卓上に運ばれた銀きせの丸盆、同じ色の角砂糖入と牛乳入、蒼黒い地の中に茶の唐草模様を浮かした重さうな窓掛、三隅に金箔を置い た装飾用のアルバム、--斯ういふものの強い刺激が、既に明るい電燈の下を去つて、暗い戸外へ出た彼の眼の中を不秩序に往来した。(十二)

これは密度の高い描写の文体見本として。漱石がいわゆる美文調の作家ではないのだが、このくらいはお茶の子で書ける蓄えがあった。

彼女の夫は道楽者であつた。
人生観といふ厳めしい名を附けて然るべきものを、もし彼が有つてゐるとすれば、それは取りも直さず、物事に生温く触れて行く事であつた。微笑して過ぎる事 であつた。何にも執着しない事であつた。呑気に、づぼらに、淡白に、鷹揚に、善良に、世の中を歩いて行く事であつた。それが彼の所謂通であつた。金に不自 由のない彼は、今迄それ丈で押し通して来た。又何処へ行つても不足を感じなかつた。此好成績が益彼を楽天的にした。(九十一)


彼女というのは、津田の妹秀子である。その夫のいささか、軽蔑を含んだ人物評なのだが、何か、Morris.は、この作品の登場人物の中で一番あらまほしき存在のように思えた。

所がお秀は教育からしてが第一違つてゐた。読書は彼女を彼女らしくする殆ど凡てで あつた。少くとも、凡てでなければならないやうに考へさせられて来た。書物に縁の深い叔父の藤井に教育された結果は、善悪両様の意味で、彼女の上に妙な結 果を生じた。彼女は自分より書物に重きを置くやうになつた。然しいくら自分を書物より軽く見るにした所で、自分は自分なりに、書物を独立したまんまで、活 きて働いて行かなければならなかつた。だから勢ひ折折柄にもない議論を主張するやうな弊に陥つた。然し自分が議論のために議論をしてゐるのだから詰らない と気が附く迄には、彼女の反省力から見て、まだ大分の道程があつた。意地の方から行くと、余りに我が強過ぎた。平たく云へば、其我がつまり自分の本体であ るのに、其本体に副(そ)ぐはないやうな理屈を、わざわざ自分の尊敬する書物の中(うち)から引張り出して来て、其所に書いてある言葉の力で、それを守護 するのと同じ事に帰着した。自然弾丸(たま)を込めて打ち出すべき大砲を、九寸五分の代りに、振り廻して見るやうな滑稽も時時は出て来なければならなかつ た。(百二十六)

こちらはその妹への、兄貴ならではのこき下ろしに近い表現だ。なかなかに漱石の男尊女卑傾向が表れてるところだな。でも、Morris.もこんな妹はあまり欲しくない。

津田は腕を拱(こまぬ)いて下を向いた。(百八十六)

これは、漱石が、ちゃんと「こまぬ」くとルビをふってることの確認(^_^;)

…………これまで漱石・ここから水村…………

肚に一物あるらしい夫人の前に涼しい顔を見せ附けたかつた。そもそも吉川夫人の不 可解な来訪も、其魂胆は、好いやうにお延を焦らした揚句、不必要な疑を起こさせて若夫婦の間に水を差すことにあつたのかも知れない。お延の頭には玄関に立 つた冬支度の夫人の姿が底気味悪くちらちらした。他人の人生を弄(いぢ)らうとする夫人の動機を初めとして、夫人の目的も、其目的の意味する所も明らかで はなかつたが、其やうな魂胆をあの夫人から嗅ぎ出す事ほど今のお延にとつて自然な衝動はなかつた。思へば夫人との会見を過去に順次に遡つてみて、いづれの 断面にも大なり小なりさういふ棘のある欲望を夫人に見出さない事はなかつた。(二百十二)

お延は津田の妻で、水村は続編を書くにあたって、この妻と津田が以前、友達に譲った? 元彼女清子との、相剋を物語の大きな柱にしている。それを使嗾するのが、津田の上司の吉川夫人である。これは水村の文体見本という意味で。

昨日彼の肝を冷やしたお延から電話があつたといふ事実すら、何だか此自分の人生に起こつたやうな気がしなかつた。それでゐてつい今しがた迄清子と共に居た 事も、同じやうに遠い世界の出来事に思へてならなかつた。意識が深い底へ潜つて仕舞つた所為か、世の中から忘れられたやうな、世の中を見捨てたやうな、自 分の実世界に於ける立場と境遇とを離れたい鈍い感覚がなかなか脳を去らなかつた。(二百四十六)


ここらあたりに、ポアンカレーの複雑の極致とそれを払いのけたいという気分が出てるのかも。

「貴方は最後の所で信用出来ないんですもの」
「夫が理由で僕が厭になつたんですか」
「ええ」
「何が信用出来ないんですか」
「何がつて、そんな風に訊かれたつてお答しやうがないわ」
「だつて只信用出来ないつて云はれたつて、餘まり曖昧で能く解らないぢやないですか。人間として信用出来ないといふことですか。男として信用出来ないといふことですか。一体どういふ意味で左う仰るんです」
津田の聲の調子には焦立ちが益露れた。それを聞いた清子は、つと柵から身を離し、津田とすれすれに向き合つて立つた。さうして男の顔凝(ぢつ)と打ち守ると、低いながらも力の籠る聲で云ひ放つた。
「例へば、--現に斯んな所にゐらつしやるぢやないの」(二百五十九)


ここで清子の強烈な一言。

「だつて、一体貴方に、何かを訊く気なんて実際におありなの?此間からもう少し後 にしよう、後にしようつて、訊く事を先送りしてらつしやる丈ぢやない。貴方は正直に云つて本当のことなんか何もお訊きになりなくない、--といふより、お 訊きになる事が出来ないの。貴方つて方は斯んな所迄いらしても……他人を……延子さんを裏切つて斯んな所迄いらしても、まだ真面目になれないんです」
「左ういふ所が嫌なんですとしか申し上げやうもありませんわ」
「そりや、貴方は私に会ひにいらしたんでせうけど、貴方つて方は……」
「貴方つて方はそんな御自分のお気持ちにも充分に真面目になれないんだもの。昔から左うだつたし--」
「今だつて左うなんです。自分を捨てるつていふことがおありぢやないから些とも本物ぢやないんです。他人には解るんです。--今回だつて真実、何がなんで も……私に会いにいらしたんだつたら、左うしたら私だつて、此胸にちやんと感じると思ひますわ。左うしたら……」(二百六十)


さらに、止めの一撃ぢゃ。弱き者、爾の名は男(>_<)

遅過ぎるかも知れない、間に合はないかも知れないといふ思ひは、もう間に合はない だらう、間に合ふ筈がないといふ思ふにぢきに変はつて行つた。凡ての機会を逃して今の今迄遣つて来て、最後になつて丈間に合ふ筈はなかつた。其間に合ふ筈 がないといふ思ひが確信に変はつた時、今朝から一度も憶ひ出す事もなかつたのに、不意に清子の顔が眼の前に閃いた。例の梯子段の上で蒼くなつた清子の顔で あつた。全身を剛張らせて津田を凝と見下ろしてゐる。今となつては、あの時の清子の顔が単に驚愕を示してゐる丈とは思へなかつた。其所には凡てが見えてし まつた人間の、何とも云へない表情が彫り附けられてゐたやうな気がしてならなかつた。丸で斯うなる事をあの時既に清子が知つてゐたやうだつた。津田は半信 半疑であの時の絵を今一度心の眼で凝視した。其途端、津田自身の過去、現在、未来とが一瞬のうちに隈なく照らし出されて仕舞つたやうな恐ろしい感覚があつ た。彼は身体中の血がすうつと引くのを感じた。今津田の居る場所から振り返る過去は明るいものではなかつた。現在は果して斯んな状態だつた。未来は、-- 未来はもし此儘行つたら、津田の知つているどんな闇よりも暗いものとなるのは必然であつた。(二百八十六)

どんどん津田は主人公の役割から遠ざかっていく。

「奥さん、人間は人から笑はれても、生きてゐる方が可いものなんですよ」
ぼんやりと前を見詰めるお延の耳の底に、何時の間にか小林の台詞が鳴つてゐた。瞼には小林の顔も閃いた。然し其顔は以前、実際に其台詞を口にした時の小林 の顔ではなかつた。夫は先日お延を驚かせた、一瞬真面目な表情をした小林の顔であつた。今、お延の耳は其小林の台詞に、自分に対する冷嘲(あざわらひ)も 当て擦りも聞かなかつた。かと云つて、これこそ人間一般の究極の真理だといつた風な騒騒しい主張も聞かなかつた。其言葉は其言葉以上のものでも、其言葉以 下のものでもない。其言葉の持つ当り前の意味が、妙に露出された形をとつてお延の耳に響いた。
是から何うするべきか解らなかつた。何をするにも、此宙釣りの状態から一歩でも抜け出すには、果して途方もない勇気が要るやうに思へた。けれども恰も人に 捜し出されるのを待つやうに、此所を此儘動かずに居るのは屑(いさぎ)よしとしなかつた。お延は、一体是から何処へ行くべきだらうかと、自分の行先を問ふ やうに、細い眼を上げた。--お延の上には、地を離れ、人を離れ、古今の世を離れた萬里の天があるだけだつた。(完)(二百八十八)


貧乏書生小林によって、俗っぽくも真理を含んだ言葉を浴びせられたお延が、一種の目覚めと決意をするという結末である。しっかり主人公が男から女に転換したみたいで、やっぱり漱石だったら、こうはならないだろうと思った。
とはいえ、正編、続編を続けて読んで、文体にしろ、ストーリーにしろ、それほど違和感を感じずに読了できたということは、水村の力量は大した物だということだろう。拍手を贈りたい。
漱石作品読む時の、Morris.の楽しみの一つが、その独特の造語や宛字、宛読みである。両作品からのそれを引いておしまいにしておく。

「明暗」宛字

調戯ふ からかふ
乾燥ぎ廻る はしやぎまはる
混雑した ごたごたした
不体裁 ふしだら
応答つて あしらつて
笑談 じやうだん
圖迂圖迂しい づうづうしい
熟しつける こなしつける
空疎もの うつかりもの
冷評した ひやかした
判切 はつきり
庇護ふ かばふ
左右いふ人 さういふひと
浮誇の心 ふこのこころ
蟠りが蟠蜓つてゐる わだかまりがうねくつてゐる
牘鼻褌 ふんどし
模細工 モザイック
焦燥す ぢらす
無能 やくざ
微温い なまぬるい
忽卒しく そそつかしく
拘泥る こだはる


「續 明暗」宛字

絶壁 きりぎし
手欄 てすり
退避ろいだ たぢろいだ
悄然と しよんぼりと
盆槍と ぼんやりと
強ち あながち
偏見 プレジユジス
明海 あかるみ
無残 みじめ
成行 いきさつ
空虚 がらんど
薩張 さつぱり
經過 いきさつ
困絡かつた こんがらかつた
頑愚 かたくな
機會 はずみ
夢中歩行者 ソムナンビユリスト
露骨に あからさまに
符號 シムボル
引つ手繰る ひつたくる
烏鷺烏鷺 うろうろ
辟易む ひるむ
失策つた しくじつた
耳語く ささやく
擦れつ枯らし すれつからし


いくつかは、漱石の写しかもしれないけど、宛読みでも水村、がんばってるぢゃん(^_^)/



2015106
【戦争の谺 軍国・皇国・神国のゆくえ】川村湊 ★★★☆ 2015/08/30 白水社

「本市がこうむりたるこの犠牲こそ、全世界にあまねく平和をもたらした一大動機を 作りたることを想起すれば、わが民族永遠の保持のため、はたまた世界平和恒久平和の人柱と化した十万市民諸君の霊に向かって熱き涙をそそぐとともに、ただ 感謝感激をもってこの日を迎えるはおおないと存じます。」(1946/08/06原爆投下一周年追悼式典 木原七郎市長の挨拶)

ヒロシマの原爆被害者が「わが民族永遠の保持のため、はたまた世界平和恒久平和の人柱」となったというこの広島市長の言葉は、原爆投下は「世界平和恒久平 和」の樹立のための「やむをえない」「避けられない」選択であったというアメリカ側の言い分と、「わが民族保持」のための「尊い犠牲」という二つの戦後的 言説の原型となったと考えられる。
「ピカッち光った原子のたま」はまるで手品のようにそのなかから「平和の鳩」を飛び立たせてみせ、それは「いくさ忘れてひめばなし」をしている人々によっ て担われていたのである。それは魔術であり、詐術であった。原子爆弾という「人類最終兵器」が、「世界平和恒久平和」を作り出すというマジック。しかし、 あろうことか、広島の生き残った市民たち(日本人たち)は、そうしたアメリカと日本の支配層が共同制作した大マジックに拍手喝采を送ったのである。
原爆投下という、まさに人類的な戦争犯罪によって「殺された」のであり、それらの人々の死を「人柱」とsちえとらえること自体、アメリカの原爆投下という 戦争犯罪と、それを結果的にもたらした日本の戦争犯罪を隠蔽しようとするものにほかならないのだろう。(「トカトントン」と「ピカドン」)

原爆投下が、どれほど非人道的な行為か、それを、被害者の側が、進んで忘れようとしているかのような行動を取ったことへの疑問と、分析。
「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の碑文の、曖昧さとあいまって、「怒り」が全く含まれていない。

永井隆は聖者化され、その著作は聖典化されることによって、長崎における原爆投下 責任や、その復讐心の発動は、これを永遠に放棄することが密かに決定されてしまった。すべてが"神の摂理"だったのだ。キリスト教国のアメリカの大統領 が、広島・長崎に原爆を落とすことを決意したのも、現人神が、開戦と終戦の詔勅によって、戦争を開始し、そしてそれに敗れて、死者の山を築いたあげくに集 結(敗戦)を決意したことも。
永井隆が、原爆を"神の摂理"としたのは、人間の原罪を戒めるための大いなる懺悔、反省へと至らしめるための覚醒の意味をもっているのと同時に、石油資源 のn獲得のために戦争を引き起こさざるをえなかった無資源国・日本のエネルギー問題を一挙に、直ちに解決するために、神が与え賜うた光明と考えたからにほ かならなかった。
しかし、もちろん、この発想は転倒している。石炭、石油に代わりうる新しいエネルギーが原子力であったとしても、それが原子爆弾という形で実現されなけれ ばならなかった必然性はな。ましてや、それが広島、長崎の人間を犠牲にして実現されなければならなかったことへの何の理由も言い分もなかったはずだ。
永井隆の存在によってある意味では聖域化された、長崎大学医学部の原爆研究、放射線医療の分野は、2011年の3・11以降、福島第一原発の原子炉事故に よって漏れ出た(溢れ出た!)放射性物質による放射線量は、人体にまったく害のない程度のものであり、安全であるという放射能"安全神話"を振りまいた張 本人として、広瀬隆などの反原発派の運動家から刑事告発された、長崎大学医学部教授の山下俊一のような御用学者を輩出させた。
原爆被爆の犠牲者は"特別の犠牲"といいながら、国による賠償や保障の責任を一切認めようとしあんかった学者たちの考えが、福島第一原発事故による放射能 汚染を"すべての国民がひとしく受忍しなければならない""一般の犠牲"tpそて。「国家責任」をあくまでも避妊しようとする原発擁護派、推進派(の学 者、官僚、政治家、電力会社)の考え方に継承されていると思わずにはいられない。(ああ、長崎の鐘が鳴る)

長崎にも平和公園があり、馬鹿でかい平和祈念像があるが、長崎の町にはほとんど原爆の被害を思いこさせる建物の残骸などは見られない。
自らも被爆者で、キリスト教者の永井隆が、責任を「神の摂理」としたことを、アメリカと日本政府は巧妙に利用し尽くした。
山下俊一のトンデモ発言は、あまりにひどいものだったな。

紀ノ上一族が、ある意味では究極的なマゾヒズムを発揮することによって弾劾した 「アメリカ」の帝国主義、植民地主義的な恥部は、原罪も、社会帝国主義としてのソビエト連邦と競り勝った「アメリカ帝国主義」の内部にほとんどそのまま 残っている。エネルギー、食糧、知的財産に関する囲い込み的な独占(これをグローバリズムと称する)への欲望は、冷戦以降、一層強まっているといえる。こ うした飽食したマンモスのさらなる欲望は、地球を壊すところまでゆかなければ、止まることを知らないものかもしれない。そしてそれは、戦前の日本、戦中の 日本、戦後の日本が、追いつき、追い越そうとした「帝国主義」にほかならなかった。紀ノ上一族は、日本社会においても、アメリカ社会においても、絶対的な 少数者(マイノリティー)として、そうした帝国主義的グローバリズムに最後の抵抗を試みたのである。(「鬼畜米英」論)

「紀ノ上一族」は久生十蘭の小説である。アメリカ移民の一族が三大にわたって迫害され、ついには最後の一人まで殺されるまでを描いた、得意な作品だ。久生 十蘭は何度か小さなブームになるが、日本文学のなかできちんと批評されていないが、Morris.は偏愛する作家の一人である。

宮澤賢治の「農民藝術」の精神、「羅須地人協会」の理念は、「八紘一宇」から「民 族協和」という満州開拓の思想のなかに流れ込んでいることは確かだ。それはむろん賢治の責任でもなければ、賢治の文学や思想を排斥する要素となるものでも ない。ただそれが田中智学や石原莞爾が呼号した「八紘一宇」「民族協和」の精神と、まったく無関係であるとは言い切れないのである。
それは、「世界を一つにする」という「地球主義(全球]主義 グローバリズム」と呼べるものに関わっている。それはともすれば「世界」を一つの思想、文化、理念で蔽ってしまおうという「全体主義」や「グローバリズ ム」の考え方に近接してゆく。統一されたユニバースとしての地球。全体主義は、ファシズムとも天皇制の皇国主義とも、マルキシズムとも、レーニズム、ス ターリニズムともなって、地球全体を蔽おうとする。もちろん自由主義や民主主義、資本主義もその弊を免れているわけではない。「八紘一宇」の精神は、こう した「世界は一つ(ワンワールド)」という、という、統一したイデオロギーによって全世界を蔽い尽くそうとする思想の魁ともいえるものなのである。
しれはちょうど日蓮の法華信仰が、すべての人間を折伏し、異なった信仰や新人を撃破して、"正しい教え"に帰一してゆくことを目指しているのと、本質的には同じことなのではないか。
それは別な言葉で言い換えれば「全体主義」ということになる。「世界は一家 人類は皆兄弟姉妹」--これは空想的な「世界平和主義」「世界親善平和」のお題目だが、実は、こうしたお題目こそ、「世界は一つ」を目指さない、異端的思 想やイデオロギーを排除し、抹殺しようとする、寛容さを失った狂信に転化してゆくのではないか。私たちは、それをナチズムやファシズム、スターリニズムや イスラム原理主義として、これまで幾度も繰り返されてきた悲劇、喜劇として見続けてきた。
「世界は一つ」ではなく、多様であり、多彩であり、それぞれが"違うこと"に意味がある。「人類はみな兄弟」ではなく、他人であり、そして他人だからこそ、相手を尊重し、個人として認め合うことができる。
マッチ一本が、火事の元である。「世界は一つ(でならなければならぬ)」という全体主義的な狂信的な一言が、悲惨な戦争をもたらすということを、人類はこれからも繰り返すのだろうか。(「八紘一宇」論)

宮沢賢治が熱烈な日蓮宗徒であり、「八紘一宇」を国体の精髄として使用した田中智學の国柱会にも入会して、日本的全体主義の薫陶を受けていたことは、3・11直後のネット論争?で知った。
戦時中の「一億一心!」「進め一億火の玉だ」、敗戦後の「一億総懺悔」なども「八紘一宇」に通ずるものがある。それでいうと、安倍首相の「一億層活躍」もこの系譜にあることは疑う余地はない。
「八紘一宇」って平たく言えば、たしかに「世界は一家」である。
Morris.の日乗1988年12月の今月の標語
●世界は一家、人類は皆兄弟は 他人の始まり




2015105
【死神の浮力】伊坂幸太郎
★★★☆☆☆ 2013/07/30 文藝春秋
2005年の作品「死神の精度」の続編である。前作はオムニバス短編だったが、本書は長編。
一人娘を殺された夫婦と、殺した男どちらにも死神が取り憑いている。殺した男はサイコパス(良心が異常に欠如、極端に冷酷、無慈悲、つまり本質的悪人)。 死神が取り付いて生死の判断を調査する一週間の物語。伊坂らしく、意表をつく展開、トリッキーなやりとり、有象無象の雑学、ユーモアまぶしながらも鋭い会 話、スリルに満ちたカーチェイス(片方は自転車だけど(^_^;))等々、いつもにまして、面白く考えさせられるところの多い作品だった。

「その男がうちの先生に向かって、言ったの。『歯医者の先生がいるから、虫歯ができるんじゃないの?』って。歯科医があるから、虫歯があるんだ、という理論ね」
「戦争が起きるのは、武器商人のせいだ、という理屈と同じか」私はあまり深く考えずに言った。以前、地対空ミサイルを中東に売り込もうとしたアメリカ人を 調査したことがある。彼は結局、取引の直後に爆発により死亡したのだが、生前はよく、「武器を売らなければ戦争がなくなるかもしれない」と自嘲気味に言っ た。


コンピュータ・ウイルスのことを連想した。つまりアンチウイルスソフトの企業があるから、ウイルスがあるんだという理論ね(^_^;)

「『われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである』パスカルの言葉ですよ。人間は死のことを真面目に考えたら、耐えられません。彼のメモをまとめた『パンセ』に乗っています。

『我々は生きています。そして、刻々と死へ近づいてゆきます。まず、この不幸を凡人は凡人ながら忘れぬようにしたいと思います』「その後で<渡辺先 生>はローマの詩人ホラティウスの言葉を引用している」父は、本から顔を上げた僕を見た。「日々を楽しめ、とな」
「日々を?」
「そう。もともとは、『その日を摘め』と訳すらしい」
「どういう意味」
「どうせ死ぬのだから、今この瞬間を楽しめ」


この言葉が「Crpe Diem」ということを、Morris.は知っていた。以前年賀状の下に、ラテン語やギリシア語の格言を引用してる時期があって、一番気に入ってたのがこ の言葉だった。しかし「その日を摘め」「どうせ死ぬのだから、今この瞬間を楽しめ」という意味があるとは知らなかった。ますますこの言葉が好きになった さ。

システムの故障を調べる仕事をし、合唱が趣味だという男で、私は比較的よく覚えて いるのだが、彼の話は興味深く、中でも「うっかりミスは防げない」と言っていたことが新鮮だった。「注意深くしろ」と命じられて、注意不足が直ることは少 ない、と。「ちゃんと注意を払っていれば、絶対にやるはずがない」と呆れるような失敗を、たくさんの人間がやる。それは私も知っている。「注意深く!」と 訴えるための標識の置き場所自体が、「うっかり」間違えていることもあるのだ。うっかりミスは防ぎようがない。

これはMorris.にとって「開き直り」のための評語になりそうぢゃ。

「人間と動物の大きな違いって、なんだか分かりますか」
「違い?」
「協力する、ってことらしいですよ」
「人間は放っておくと自然と争いを起こす」山野辺が口を開く。
「パスカル?」と美樹が試すように訊き返す。
「これはカント」
「誰っすか」
「いたんだよ、そういう哲学者が。人間は争いを起こして、進化してきた、って。だから、争いは比較的、楽(らく)なんだ。放っておいても起きるから。それに比べて、平和は大変だ。楽な争いに流れるのを、我慢しなくてはいけない。『平和は苦しくて、戦乱は楽』」
「それはパスカル?」
「渡辺先生」と山野辺が笑う。
どれもこれもが誰かの言葉であり、そのことが奇妙にも感じられた。
「戦乱がいつ起きるか分からないのを、みんなで必死に抑えてる。その、頑張りが勝利している状態を平和とよぶだけだからね。平和ぼけ、とは言うけれど、そ れを保っているのは多くの人間が頑張っているからあ、そう<渡辺先生>は言っていた。決して、ぼけていては平和を守れない、とも」


「渡辺先生」はフランス文学者の渡辺一夫(巻末の参考文献にあった)である。Morris.は「ガルガンチュワ物語や」「痴愚神礼賛」の訳者として親しんでいた。「平和は苦しく、戦乱は楽」なんて言ってたことなど知らずにいた。

「人間が集団を作れば、確実に、自分たちの強さを確かめたくなる。そうじゃなくても、だ。集団が落ち着いてくれば、必然的に、あれがはじまる」
「あれが?」「退屈だ」「退屈?」
「そういうものですか」と僕は答えながら、同じようなことを<渡辺先生>が書いていた、と思いだした。人間は平和や安静、正気と呼ぶ状態を一 応好ましいものとしているにもかかわらず、それが長く続くと、飽きて憂鬱になったり、倦怠を催す、と。平和がいいね、と分かっているのに、平和に飽きる」

またまた「渡辺先生」だ。というわけで、参考図書として挙げられていたこの本中央図書館で借りてきた借りてきた。↓

【狂気について--渡辺一夫評論選】渡辺一夫 1993/10/18 岩波文庫
本書は多くの分野でのエッセイや小論文の見本帳みたいなもので、結局半分も読めなかったのだが、伊坂幸太郎「死神の浮力」に引用されたおおまかにここらへんという部分と、それ以外に、印象深かったものを引用しておく。

私は、マンの思想も、私の考え方も、「甘い」という表現を蒙ることは承知しており ます。しかし、思想は本来「甘い」ものなのであります。そう考えてもよろしいのでしょうか? 近代現代のユマニスムの思想の一端を、マンを通じて補足しても誤謬はないものでありましょうか? また、ユマニスムなるものは、たとえそれがいかに「甘く」且つ「無力」でありましょうとも、いやしくも学問や思想に生きようと志した人間は飽くまでこれを 護らねばならぬものと考えますが、それでよろしいのでしょうか?(トーマス・マン『五つの証言』に寄せて 1946)

T先生とあるのは、故辰野隆先生のことであり、「個人的な自己処置」とは、東大を辞任したいという願いであった。「ユマニスト」だった「渡辺先生」の本音 だろう。「甘くかつ無力な」思想とは、昨今のにわか右翼らが「お花畑」と呼ぶものに重なるが、Morris.は「被害意識の茨の道」より「お花畑」を択び たい。

寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙を振るって「最低の暴力」 を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ 以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それは あたかもジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ、違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛 容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。そこに若干の光明もある。
人間を対峙せしめる様々な口実・信念・思想があるわけであるが、それのいずれでも、寛容精神によって克服されないわけはない。そして、不寛容に報いるに不 寛容を以てすることは、寛容の自殺であり、不寛容を肥大させるにすぎないのであるし、たとえ不寛容的暴力に圧倒されるかもしれない寛容も、個人の生命を乗 り越えて、必ず人間とともに歩み続けるであろう、と僕は思っている。
ただ一つ心配なことは、手っとり早く、容易であり、壮烈であり、男らしいように見える「不寛容」のほうが、忍苦を要し、困難で、卑怯にも見え、女々しく思 われる「寛容」よりも、はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐を感じさせる場合も多いということである。あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であ ると同じように。

「寛容=平和」「不寛容=戦争」と短絡させても構わないだろう。これは、今の日本への警鐘である。

ミシェル・ド・ロビタルは、人間を救うはずの宗教が原因で人間同士が殺し合いをす る愚劣を知っており、キリスト教の人間化を体得した最初の一人である。そ して自分も含めて「あらゆる人間」が、うまく、世を渡れるようにと念願をしただけなのである。あらゆる人間がうまく世渡りができることを願うのがなぜいけ ないであろうか? その上、「世渡り」などという変な匂いのする言葉を、僕は、わざとここで使っていることも判ってほしい。ド・ロピタルのような態度に対して、狡猾とか卑怯 とか曖昧とかいう罵声が加えられたが、それは見当違いである。彼は、周囲の人々よりも、一段と高いところにおり、別な次元を獲得していたにすぎないのであ る。

見かけの「軽さ」の中の考えられないほどの「重さ」。それと対照的な、見掛け倒しの「軽い」言葉もある(ポエム現象など)。

現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々は、それを激化せしめぬように 努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教 訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、甫(はじ)めて、 人間の進展も幸福も、より少ない犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。歴史は繰り返す、と言われる。だからこそ、我々は 用心せねばならぬのである。(寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アノトレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか 1951)

パリの同時テロへの対応に関しても、この文章が一つの処方箋になるのではなかろうか。もちろん、「渡辺先生」の本意は「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきではない」である。

学生時代から今日にいたるまで忘れられない辰野先生の言葉を二つ記すに止める。
「好きなことを楽しく一所懸命にやるのだな。」
「判りやすい日本語に訳せないようなフランス文は、結局よく判っていないんだよ。」
この何気ない言葉に秘められているむつかしさは、歳をとるにつれて判るようになった。


一つ目は「Carpe Diem」に通ずる考え方だろう。
二つ目は、翻訳本で、わかりにくかったりするとつい訳者のせいにしがちだが、原文に問題があることもあるということか。

私は、日本が明治時代にひき始めた「びっこ」をまだひき続け、方向は異っても、何 かの方向に雪崩落ちないとどうにもならぬような気がしてならぬ。平和になったからと言ってだらけ切り、自由になったら責任は忘れられ、民主主義とやらに なったら、数と衆だけが羽振りをきかせ、権利が重んぜられると義務が棚上げにされ、自制を伴わぬ消費や、懐疑を知らぬ信念や、歴史を恐れない行動や、人間 が自分の作った制度・組織・思想・智識・機械・薬品を使いこなせず逆にそれらに使われている例が、日毎に見られるように思う。(老耄回顧 1972)

40年以上前に書かれた文章だが、「責任を忘れ」「数と衆が羽振りをきかせ」「懐疑を知らぬ信念」「歴史を恐れない行動」……すべて当てはまる色んなことが、まさに目の前に繰り広げられているではないか。
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ここでまた伊坂作品に戻る。
物語の中で、サイコパスの男が、意図的に被害者少女とのやり取りの映像を、第三者に撮影させて、それを犯罪隠蔽の証拠として利用するというくだりがあっ て、その巧妙な手口はともかく、最近の監視カメラの急増と、その映像が証拠となり解決した(ということになっている)事件のパーセンテージの高さを思い合 わせると、今後、この監視カメラ映像の改竄、作為的な設置など、民間、公的を問わず、新たな犯罪につながる可能性がるのではないか、と、心配になった。



2015104
【タブーの正体!】川端幹人 ★★★☆☆ 2012/01/10 ちくま新書939
「--マスコミが「あのこと」に触れない理由」という副題がある。
筆者は、あの「噂の真相」の元副編集長。天皇関連記事で、右翼の抗議を受け、編集室で、岡留編集長らとともに負傷した際の、自分の弱さを反省・総括しながら、それでも、時をおいて、再びこういったテーマの本を書いて言挙げした勇気には拍手を送りたい。
今や自己規制だらけの報道、マスコミのなかで、タブーを取り上げるのは、困難を極める行動で、そういった本を出版すること自体、著者・発行者奏法にリスク が大きいことは想像にかたくない。本書では、匿名やぼかしめいた手心が加えられているところもありそうだが、それでも、これだけ書いてあれば、読者には大 筋理解できる。

最近の報道では、あらゆるメディアがひとつの話題を集中的に取り上げる、「報道のスペクタクル化」と呼ばれる現象が起きているが、実はこれもタブーの増殖 と無関係ではない。タブーが極端に増えたことによって、報道できる領域・対象が狭くなり、メディアは視聴者や読者の関心を喚起できるニュースを見つけるこ とが難しくなった。だからひとたび、リスクがなくて、話題を呼ぶことのできるネタを見つけると、すべてのメディアがそこに飛びついてしまうのだ。


直近のパリ同時テロ報道でも、その傾向が顕著である。報復の空爆報道は無いか、あっても瞬間的だ。辺野古基地報道も、その重要性に比してあまりに少ない。 某チャンネルでは、反対者の座り込みの映像でも、機動隊は出さない。「報道しない」という、ジャーナリズムの自殺行為とも思われる、自主規制が蔓延してい る。

本書では、メディア・タブーの要因を暴力、権力、経済という三つに分類してアプ ローチする。この三つの恐怖を軸にタブーを観測すれば、なぜ、メディアはこうも簡単にタブーに屈するのかという本質的な問題を解く鍵が見えてくる気がする のだ。(序章 メディアにおけるタブーとは何か)

暴力には、筆者が被った肉体的暴力だけでなく精神的暴力、嫌がらせ、ゴシップ、誹謗中傷、権力による暴力、経済的攻撃も含まれるだろう。

右翼から抗議を受けた人がとる態度は二種類しかない。一つは、「俺は右翼から抗議を受けたが屈しなかった」と武勇譚にする態度。もう一つは、これが圧倒的 に多いのだが、抗議を受けたこと自体を隠し、人知れず転向してしまう態度だ。結局、タブーに直面した人間はほとんどの場合、その経験をタブーとして封印し てしまう。そして、そのことでタブーの実態はますます見えにくくなり、タブーは肥大化していく。


タブーというものの存在をタブー化する。タブー(禁忌)の原義からは、どんどん遠ざかっていく。

<本当の意味における自粛ならば、何もいうことはない。陛下の御平癒を祈念申し上 げ、シュクシュクと過ごすのは天晴れなことであろう。しかし、今の自粛は、かなりの面で「他粛」の気味合いが強い、はっきりいえば、右翼が怖いのだ。(野 坂昭如 1988『週刊朝日』1988年11月22日号)>

野坂の30年近く前(昭和の終わり)の発言だが、再評価したい。

1961年の風流夢譚事件以降、右翼への恐怖はあらゆるメディアに伝播し、ジャーナリストも作家も編集者も、天皇タブーという楔を打ち込まれて、身動きがとれなくなってしまった。

発表誌「中央公論」の社長宅を右翼が襲い、社長夫人らが殺傷された。これで作者深沢七郎は、生存中は作品の復刻を許さなかった。これは暴力に屈したという より、責任と悔みのためだろう。しかし、この事件の影響は甚大で、右翼にとっては結果的に大成功だったということになるのだろう。

メディアが宗教批判に踏み込めない最大の要因は、暴力への恐れなのである。「信教の自由」は、この恐怖を糊塗するためのお題目にすぎない。

オーム真理教が極端な例だが、創価学会も、初期の頃はかなり大胆な行動をとっていた。宗教は阿片であるばかりでなく、宗教団体は軍事組織的一面がある。現在のテロも宗教戦争だもんな。

部落差別をめぐる問題はいま、救いがたい状況にある。長い間、メディアの過剰な自 主規制によって、差別構造は解消されるどころか、より一層陰湿なかたちで温存されていた。それが、ここ数年で一転して不正の追求が始まった結果、差別の構 造が一気にむき出しになっているのだ。恐怖の転倒、正義と不正義の転倒が起き、差別感情が「お前らだけがおいしい思いをしやがって」というルサンチマンと 合体して噴き出している。
同和団体の顔色をうかがうだけのタブー化と、権力の尻馬に乗った差別構造の増幅。メディアがやったことは結局、どこまでも差別解消とは逆の方向にしか作用しなかったのである。(第1章 暴力の恐怖)

「悲喜劇」という一言で片付けるわけには行かないのだろうが、差別の根は恐っそろしく深い。

支持率は政権がタブーになるための必要条件ではあるが、十分条件ではないのだ。権力がタブーになるためには他にもいくつかの条件を満たす必要がある。
そのひとつが、情報操作、メディア工作に長けていることだろう。新聞・テレビ局の幹部からスポーツ紙記者まで、さまざまなメディア関係者に接近して取り込 みをはかり、メディアが飛びつきそうなネタをリークして報道を誘導していく。内閣情報調査室、公安などを使ってメディアに謀略情報を書かせる。あるいは、 逆に恫喝と圧力で自分たちに都合の悪い報道を封殺する……。


まさに、今、安倍政権がやっていることそのままではないか。

鳩山政府が短期間で崩壊に追い込まれたのは、鳩山首相や小沢幹事長が政治と金の問 題で追求を受けたことが発端だったが、これは霞が関が主導したものだった。これは陰謀論などではなく、明らかな事実である。検察はこれまでも、自らが持つ 公訴権や捜査権を政治的に利用してきた。自分たちの作り上げた秩序を脅かそうとする相手は、無理やり容疑をでっちあげてつぶし、その権益を維持してきたの だ。
いや、検察だけではない。警察も、自分たちの意にそわない閣僚候補のスキャンダルを調べ上げて官邸に進言し就任を阻止する、自分たちの不正を暴こうとした野党議員に嫌がらせ捜査をしかける、といった謀略行為を頻繁にやってきた。


検察、公安、警察、自衛隊、財界、芸能プロ、スポーツ団体、ゼネコン、銀行、研究所、労働組合……「力」を持つものは、その力を使って権益を守る。目的のためには手段を選ばずだ。

最近のメディアは自分たちが孤立することを極度におそれるようになり、政治報道の 姿勢をますます極端なものにしている。政権が死に体に近い状態になれば、かさにかかって責め立てるが、政権の支持が少しでも回復し、相手に強気に出てこら れると、とたんに一切の批判やスキャンダル追求をやめてしまう。

安倍の支持を落とすためなら、何でもやりたい。

実は検察という組織は正義をふりかざして政治家や企業を摘発する一方、自分たちは 平気で大手企業やブラックな人脈、政治家と癒着し、組織的にタカリ行為や利権漁りに手を染めてきた。検察幹部や特捜部出身の弁護士が問題企業や政治家の顧 問弁護士になり、現役の検事と水面下で交渉をして事件の幕引きをはるヤメ検という問題……

天下り(韓国語では落下傘という)は、出来レースなわけだ。

ムネオ事件では、鈴木宗男やともに逮捕された外務省分析官の佐藤優が保釈後、週刊 誌や月刊誌、著書などで、検察の捜査がいかに恣意的だったかを暴露し、佐藤が検察を批判する際に用いた「国策捜査」という言葉は一種の流行語になった。だ が、その言い分を紹介した新聞・テレビはほとんど皆無だった。

佐藤優を野に放したことを、外務省関係者が後悔してると思うのだが、佐藤本人はテレビには極力出演しないと書いていた。「国策捜査」は、秘密保護法や共謀罪でますます流行するだろう。

欧米では、報道の自由を侵されるような問題が起きると、メディアは立場のちがいを超え、連帯して抗議の声をあげ、徹底的に戦うが、日本のメディアはそれができない。むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。(第2章 権力恐怖)

「黄犬契約」という言葉は知らなかった。大辞林には

黄犬契約[黄犬契約] yellow dog contract 労働組合への不加入または労働組合からの脱退を条件とする雇用契約。不当労働行為として禁止される。

と、ある。イエロー・ペーパーとかイエロー・ジャーナリズムというのは知ってたが、権力の犬になるというくらいの意味かな。イエローは黄色人種差別の接頭語でもある。

米国では企業が反ユダヤ主義という烙印を押されると、商品ボイコットの動きが起きたり、ユダヤ系の強い金融機関や半導体企業から取引停止を言い渡されるなど、事実上、ビジネスができない状況に追い込まれれる。

陰謀説では主役に擬されることが多いユダヤ人閥。千年以上迫害、追放された民族だものな。しかしMorris.には、いまだに、ユダヤ人やユダヤ主義のはっきりしたイメージが浮かばない。

メディアと電力業界の関係は"癒着"といった生易しいレベルではなく、完全に一体 なのだ。新聞・テレビは"原子力ムラ"の一員として、電力会社や政府、御用学者とともに、ひたすら既得権益を守ることに血道をあげてきた。これでは、電力 会社が他の企業とは比べものにならない強大なタブーになってしまったのも当然といえるだろう。
しかも、このたブー企業には、権力機関のバックアップもある。どんなに大量の広告をばらまいている企業も捜査当局が動いて事件になれば、メディアの報道に さらされてしまうが、電力会社は政界、財界、経済産業省、さらに検察、警察にも太いパイプをもっているため、不祥事や不正が事件にならないのだ。


福島原発事故以来、このタブーは消滅して当たり前だったのに、無くなるどころか、事故以前より、タブー色が濃くなったのではないかと思われる。秘密主義を強化して、より狡猾に立ちまわっているのだろう。

200年頃、福井県の高浜原発で、プルサーマル導入に反対する高浜市長と関電の間 で激しい対立が起きていたのだが、その少し後、高浜原発の警備を担当していた警備会社社長が『週刊現代』で、同発電所幹部から反対派町長の殺人依頼を受け ていたと告発したのである。だが、警察は関電側をまったく調べようとせず、逆に告発した警備会社社長らを大阪府警が恐喝で逮捕したのだ。この背景にはおそ らく、電力業界に毎年、大量の警察官が天下りしているという問題がある。

ここでも落下傘(>_<)

この構造は福島原発事故後もまったく変わらず、温存されたままになっている。一時 は、一部のメディアが原発批判や東京電力批判を開始したかに見えたが、それも今では完全にトーンダウンしている。原発の再稼働はいつのまにか既定路線とな り、東電国有化や発送電分離といった意見もどこかにかき消されてしまった。
おそらくこのままいけば、電力会社タブーはほどなく完全復活をとげるだろう。そして事故の損害賠償も再生エネルギー買い取りもすべて電気料金に上乗せされ、電力会社はむしろ焼け太りしていくのではないだろうか。

焼け太り(@_@)(>_<)ヽ(`Д´)ノ

民営化後のJR韜晦を独裁的に支配してきた葛西敬之会長は、自民党タカ派勢力とき わめて近い財界人として知られている。葛西会長は国鉄時代に政界との交友を広げ、自らも中国問題や軍事、歴史問題でナショナリスティックな政治的言動を繰 り返してきた。中でも親しいのが安倍晋三元首相で、安倍政権時代は教育再生会議の委員や集団的自衛権を検討する有識者懇談会委員を務めている。

要チェック人物ぢゃ。

自民党は1998年の参院選直後から、選挙大敗の原因がメディアの報道にあると考 えて、さまざまな対策を講じてきた。全国の党員にメディアをチェックさせる報道モニター制度を導入し、当政調会に「報道と人権等のあり方に対する検討会」 を設置。メディア規制を本格的に検討し始めた。

安倍のマスコミ、メディアへの関心の高さはこの辺りから培養されてきたらしい。

ネットもこの名誉毀損高額賠償判決の圧力からは自由でいられない。今はまだ、政治 家や企業、芸能人など、訴える側がネット上のニュースや掲示板の書き込みまでをマークしきれていないため、訴訟沙汰になるケースは少ないが、この先、その 影響力がさらに増せば必ず彼らのターゲットになる。匿名の掲示板に書き込んだ者の氏名などの公開を義務づけ、ネットにはさらに高い賠償金を課すといった法 改正も十分ありるうだろう。
そう考えると、今から10年後、この国にスキャンダルを報道することのできるメディアは残っているのだろうか。メディアはタブーでおおわれ、プライバシー 保護という美名のもと、刑事事件にならないかぎり、権力や富、名声をもつ者の不正を知る機会はない。そんな社会が出現している可能性が非常に高いといわざ るをえない。(第3章 経済の恐怖)

ゾッとしない予測。

グローバル化とは無縁に思えたこの国のメディアも、2000年前後を境に、世界を 席巻した新自由主義や市場原理主義の波に飲みこまれていったのである。そしてほとんどの新聞社、テレビ局、出版社は、10年前朝日新聞で当時の箱島社長が 宣言したとおり、「普通の会社」になってしまった。
かつては少なくとも建前としては存在していた「報道の自由」や「知る権利」を守るといったジャーナリズムの使命が、利潤追求という目的によってどこかに吹き飛ばされてしまったのだ。(第4章メディアはなぜ、恐怖に屈するのか)


金が仇の世の中であるな。
「噂の真相」は、生きながらタブーに葬られたのだろうか。沖縄在住の岡留安則は、まだまだ意気盛んだが「WEB 噂の真相」最近更新が遅れがちである。健闘を祈る。



2015103
【朦朧戦記】清水義範 ★★☆ 2015/02/20 新潮社
登場人物がダブる、9篇の短編が収められている。
前半は老人ホームのクイズ合戦や海外旅行や合コンなどの、これも結構ハメ外しのストーリーだが、後半は、擬似戦争や、団塊アゲイン党、団塊全共闘、防衛義勇団の争いで、えらくキナ臭い展開になっている。

「ええ、私なんかでも、企画を進めていてちょっとワクワクしますもんね。確かに戦 争には少なからず楽しいところがあるんです。考えてみれば、多くの人がゲームを楽しんでいるじゃないですか。スマホのゲームとかゲーム機のゲームです。あ のゲームが、半分はパズルだったり、カーレースだったりだけど、あとの半分は喧嘩と戦争のシミュレーションですよ。すごく多くの人が、三国志や、専属武将 のゲームをしたり、巨大モンスター仲間と協力して倒すゲームをしているんです。それは戦争が娯楽だからですよ」
「そうだな。だから70年もやらないでいると物足りなくなってきて、集団的自衛権なんてことを言いだし、やれるようにしたくなるのかもしれん」


こうなると、かなり安易な発想だし、集団的自衛権に繋げるあたりも、見当違いである。清水作品は当たり外れが多い。これは外れだと思う。
Morris.は前の「やっとかめ探偵団」シリーズみたいなものと思って読みだしたのだが、どうも様子が違う。清水悪ノリし過ぎではないかと思った。




2015102
【関東大震災の想像力】ジェニファー・ワイゼンフェルド 篠儀直子訳 ★★★★ 2014/08/20 青土社
Gennifer Weisenfeld,Imaging Tokyo and the Visual Culture of Japan's Great Earthquake of 1923
(Univesity of Callifornia Press,2012)
「災害と復興の視覚文化論」という副題がある。中央図書館の三階で本書を見つけ、まず150点以上ある図版に惹かれてしまった。今日のヴィジュアル読書と いうことで、ソファでぱらぱらと見ているうちに、内容も興味深そうだったので借りてきた。著者は米国プリンストン大学で日本美術史で博士号とった人物で、 MAVOに関する著書もあるとか。

1923年の震災の震度と被害の甚大さは、日本の近代史において抜きん出ている。 それどころか、20世紀前半における世界最大の自然災害の一つである。それどころか、20世紀前半における世界最大の自然災害のひとつである。死者数と物 理的被害の面では、いまなお日本国家最悪の自然災害だ。だが2011年3月11日、マグニチュード9.0という前例のない大地震が日本の東北地方を襲い、 その後も強い余震が何百回となく続いたのを見て、自然を前にした人間の無力さを、世界はあらためて思い知らされたのだった。
わたしの研究によれば、1923年の震災への視覚的反応からは、以下のことが読み取れる--災害は都市改革、社会改革、政治改革、道徳改革におけるさまざ まな思惑と論点を明確にする機会を、個人や社会、国家に提供するのだと。災害のあとは誰もが評論家になる。その評論が、国家回復の集団的レトリックによっ てつづられているとしてもだ。1923年における評論と2011年におけるそれとの驚くべき類似性--政治面での不適切さと不正の告発、現代社会の道徳的 堕落への言及、科学技術の傲慢さがもたらす陥穽の指摘--は、過去と現在との強力な類似性を明らかにしている。(まえがき)


原書の発行が2012年だから、まさに執筆中に東日本地震津波原発事故が起こったということになる。グッドタイミングというのは不謹慎だが、タイムリーな ことは間違いない。Morris.は本書を読みながら、先の東日本大震災と、Morris.自身も罹災した神戸震災のことを常に頭に置きながら読み進める ことになった。

震災を単なるローカルな悲劇ではなく、国民的出来事へと構築するには、全日本人の 連帯が必要であったが、この構築においてイメージはまさに中心的役割を果たした。マスメディアと新たな科学テクノロジーは日本の悲劇をグローバル化し、世 界中の共感と同情を集めた。災害イメージは視覚的権威(ヴィジュアル・オーソリティ)の枠組みを打ち立て、この国民的カタストロフィへの政府の対応を正当 化した。だが、災害は政府だけの領分ではない。皇室から左翼アヴァンギャルドに至るまで、公的・私的なさまざまな存在が、この震災を用いてみずからの持つ 未来像を唱道したのであった。

災害写真は記録し、伝達し、表現し、くすぐり、動員し、保存し、記憶する。生成の 瞬間においても、提示と消費のさまざまな文脈においても、多様なあり方で機能する。写真は過去の、現在の、未来の痕跡を持っている。見る者 (viewer)は未来の行動可能性を具現化した存在であるが、写真は見る者の今という時間的位置を強調し、そうすることで、切迫感を伝えると同時に距離 の感覚を補強する。このパラドクスは、歴史的指標(インデクス)としての写真に関するヴァルター・ベンヤミンの思索を想起させる。その思索において、ベン ヤミンは次のように述べていた--「「正当な」歴史理解の状況にわれわれが関わることができるのは、まさにこの歴史提示の中断と爆発」の瞬間においてであ り、「この理解は時間の真実をわれわれに提示し、歴史とはわれわれが決して立ち会うこのとできない何かなのだと語ってくれる」

ベンヤミンが出て来たので、ちょっと嬉しくなった(^_^;) Morris.も「複製技術時代の芸術作品」にはしびれたもんね。

地図とは、社会的・政治的利害に形態を与えるための視覚的提案である。中立的に見 えるけれども、客観的でもまったくない。数多くの研究によれば、地図はある境界を持った統一体を示しているといいながら、実際にはそれを生産していること で、知を、さらには権力をも自然なものに見せかけている。
マッピングは別々の存在を結び合わせる。1923年には、ばらばらだった町や県を統合して関東地方という合成体を作り上げ、他のいかなる自治体をもしのぎ うる国家的重要性を持った地方を誕生させた。--歴史家の成田龍一もまた、この地震が「関東大震災」と再命名されたことのなかに、同じ戦略的動きを見てい る。


巨大災害の命名は、イメージ的にも政治的にも歴史的にも大きな意味を持つ。東北ではなく「東日本」大震災と呼ばわせるように仕向けたのは政府とマスコミ が、東京も被害地だと認定させるがためではなかったろうか。1923年の地震が「関東地方」という合成体を作り出したという指摘には意表を突かれた。

災害それ自体はパラドクスだ。破壊であると同時に建設であり、性質上、恐ろしいと 同時に崇高でもある。物理的荒廃と心理的トラウマを引き起こすと同時に、内省と刷新のための空間を創りだす。災害後の社会的大変動は、疑いなく、創造の肥 沃な土壌である。そして、土地や都市、人間の身体へと残酷に刻みつけられたカタストロフィの物理的な傷跡は、嫌気をもよおさせるようなものであると同時に 魅惑的なものでもある。
日本史上のさまざまなカタストロフィ的出来事に対する文化的反応を見ていくと、自然災害と人為的災害との区別が曖昧であったことが明らかになる。最近全世 界で頻発している自然災害が、社会および国家の落ち度と責任の問題を前面化している現在、これはとりわけタイムリーな論点だ。人間の介在があるときのみ、 自然現象は人類にとっての「災害」となるのであり、だからその意味において、純粋な自然災害というものは存在しないのである。(序)


「創造的破壊」という言葉を思い出した。純粋な自然災害は無いという論旨は、納得できるが、福島原発事故は100%人災である。災害の両面性(パラドクス)は、確かに存在する。問題はバランス感覚かも。

北原糸子は安政大地震の鯰絵に存在する別々の、しかし互いに連関し合っている二つ のメッセージを特定した。それらはすなわち、幸と不幸である。天からの使者としての「大きな」ナマズを人々が敬ったのは、それが有害な社会悪を暴き、最終 的によりよい社会をもたらすからだった--一般的に上層の階級、とりわけ武士階級が持っていた見方である。これに対し、災害の無数の不幸の象徴である「小 さな」ナマズを人々からののしられ、攻撃された--こちらは一般的に労働者階級の見方であった。しかし多くの鯰絵は労働者階級の苦境に同情的であり、富の 再分配を促進するポジティヴな出来事として地震を見ていたのだ。(第一章 日本における地震)

地震と鯰の絵にも二面性があるということか。

これはポール・ヴィリオが「世界を悲しみで包む大異変(カタクリズム)と大惨事 (カスタトロフィ)のメディア・スケール」と呼ぶもののすぐれた実例である。これらの視覚イメージは、のちに長きにわたって持続することになる、災害を表 す際の視覚的言い回しと視覚的モチーフの総体を成文化し、まそれによって、関東大震災と呼ばれる出来事が集合的に形成されることになったというのがわたし の主張だ。カメラとテクノロジー的視覚化技術によってもたらされたさまざまな見方が、視覚的権威を行使し、人々の震災に大きな影響力を持った。

そうそう、ヴィジュアルの力はとんでもなく大きい。歴史記憶を決定づけるものであり、一度定着すると、それを変更することはほとんど不可能に近い。それだ けに、自分の都合の良いように、誤解させる、あるいは、不都合な部分を隠蔽するための、イメージ操作が常に起きる可能性があるということだ。

スーザン・ソンタグによれば、「われわれはノンストップのイメージ(テレビ、ストリーミングビデオ、映画)に取り囲まれているが、こと記憶という点になる と、深く食い入ってくるのは写真である。記憶はコマ止めを行なう。その基本単位は一枚のイメージなのだ。情報過剰の時代にあって、写真は物事を素早くとら え、それを記憶しやすくコンパクト化することができる。写真は引用のようなもの、あるいは警句、あるいは諺のようなものだ」


おお、ソンタグも懐かしい。ベンヤミン読もうと思ったのも、彼女の「写真論」に出てきたので読まねばと思ったのだ。写真が「引用」「警句」「諺」という比喩だけでも素晴らしい。

第一次世界大戦中に発展した「軍事的知覚の兵站術」は、適切な弾薬補給と同じくらい戦略的に重要なものだった。「監視機械」としての航空機搭載カメラは、写真の眼を兵器へと変える。

現在は静止衛星が、宇宙兵器ということになるのだろう。

9月1日の地震発生直後、ニュースの流れを管理すべく、日本政府は「協力依頼通 牒」を発布し、すべてのメディアを実質上政府の公式組織のようなものへと変換した。平静を保ち、混乱を防ぐため、特定の種類の情報や、遺体の扇情的イメー ジの公開が禁じられた。国家によるメディアの管理と厳しい検閲は、11月のおわりまで、地震の二か月以上続く。国民家族国家の家長たる天皇を有する、賢明 かつ威厳ある皇室の統治下で社会が団結するよう、政府の支援を得たマスメディアはただちに道徳キャンペーンを開始した。このキャンペーンは実質的に、国家 全体の利益と折り合わない活動を消去ないし非難する、一種の社会コントロールであった。

現在のマスコミの、遺体報道の大元はここらにあったのだろう。情報操作は太古の昔からあったのだろうが、民主主義の世界においては、さらに複雑なものとなっている。「陰謀論」などというのも、その派生物かもしれない。

情け深い「政府による保護」を装って公布されたメディア規制のせいで、震災後二か月のあいだ、朝鮮人虐殺の直接的報道はまったくなかった。植民地臣民は同化政策を強いた帝国の内部構造にすでに位置づけられており、彼らの労働は搾取され、自立性は抑圧されていた。
視覚文化は彼らの日本への従属を消去というかたちで要約表現したのだ。それでもなお、回想録の類のなかで繰り返し語られている朝鮮人虐殺のヴィジュアリ ティは、この虐殺を伝える最も強力な側面のひとつだった。火災による焼死体とは明らかに異なるその遺体が、意図的な拷問や暴力を克明に証言している。-- その手は縛られ、鼻は切り落とされ、目はえぐられ、腹は切り裂かれ、四肢は切断され、皮膚には無数の傷がついていた。人々は--そのなかにはこれがトラウ マとなった子どもたちも多くいたのだが--この残忍な殺戮を目撃しただけでなく、道端に捨てられた遺体も見たのだった。

関東大震災時の朝鮮人(一部中国人や間違えられて殺された日本人も含む)の虐殺は、上記のような、報道規制で、その実態は非常につかみにくくなっている。

罪なき者の犠牲という言説は、1906年のサンフランシスコ大地震から9・11の テロ攻撃に至るまで、歴史的悲劇を語る国家的物語にも見ることができる。メディアの視覚的権威は、復活と団結、罪のなさという概念を--実際にはその反対 を表わす証拠が圧倒的に存在していたにもかかわらず--不朽のものとした。

福島原発事故のように、責任者ははっきりしているのに、誰も責任をとらない。どころか、被害者面して、開き直っている。「語る」は「騙る」ことでもある。

アメリカ赤十字社のような、道徳的に高い価値観を持つ慈善的で人道的な組織であっても、その募金活動の大成功は、センセーショナルな大衆文化を積極的に使 い、人々の感情を操作することで達成されたのだった--その形式はしばしば、大衆向けエンタテインメントと区別のつかないものだった。
イメージの生産と消費は、たとえそれが強力なダーク・ツーリズム的傾向を生み出したとしても、災害後の対処プロセスの重要な一部分だった。
この出来事のイメージ化においては、目に見えることができるすべてのものと引き換えに、多くのものが隠されたのであり、そうした消去が同時に何事かを露呈してもいると言える。(第二章 カタストロフィのメディア・スケール)


「ダーク・ツーリズム」。野次馬根性だけではすまされないだろうが、惨事のエンタテインメント化、それが、多くの人の同情心(うわべだけのものとしても)を誘うというのも事実だろう。

スペクタクルが生み出すのは見物人(スペクテイター)であり、それは参加者とは異なる。
スペクタクルは言うまでもなくエンタテインメントの問題だ。そしてまた、センセーションがパッケージ化され消費されるのだから、商品化の問題でもある。緊 急事態において重要な公共的役割を果たすニュースメディアもまたまさに大災害の情動的、扇情的側面を利用し、利益につなげてきたのだった。
危機と恐怖をスペクタクルを通じて生産することで、利益を得ようとするのはマスメディアだけではない。たとえば、セイフティ・ネット商品を関東大震災のあ とに提供した日本の保険会社や、大衆のパニックを、政府権力と治安国家の拡大へとつなげようとした帝国政府当局がそれだ。元東京市長である内務大臣後藤新 平は、都市刷新と防災の名の下に、東京の都市計画を根本から徹底的に見直そうとさえした。

「スペクタクル」は映画やドラマの惹句くらいにしか思っていなかったし、「大辞林」にも「映画や演劇などの豪華・壮大な見せ場。また、そういう見せ場のある映画や演劇」とだけ記されている。古い研究社の英和辞典では

spectacle
1.光景、美観、壮観、奇観、見もの
2.(大仕掛けの)見せ物
3.見るもかわいそうなもの、みっともないもの、不快な光景
4.眼鏡(複数形で)
5.色めがね、独特の考え方(複数形で)


と、なっている。そういうものを見物する人がスペクテーター、つまり観客なわけか。

モダニティはそれ自体、新テクノロジーの現在進行形のスペクタクルである。新テクノロジーには、戦争においける兵器から、急発展するメトロポリスまでもが含まれ、資本主義という動力と手を取り合って、独自の「創造的破壊」を創りだしてきた。
群衆、兵器、列車、摩天楼、写真、映画--これら近代の視覚的スペクタクルは、進歩の名の下に近代が行使する破壊能力を絶えず思い起こさせる。関東大震災による物理的断絶は、これを再度思い知らせ、拡大して見せた。(第三章 スペクタクルとしての災害)

本書では1.2.3.に天変地異、戦争、群衆、列車などが加えられているわけで、つまり一種の制御不能なエネルギーみたいなものをスペクタクルに負わせているようだ。

震災からおよそ10年のあいだに、一連の治安維持法が制定、改正されていくが、と りわけそのなかでも、ロシア革命後日本で盛んとなり、国体をおびやかすものと考えられていた左翼運動の取り締まりを目的としたものを、「軽佻詭激」から国 を守れというこの要求は正当化することになる。

東日本震災の後に、秘密保護法、戦争法案などが矢継ぎ早に採決されていることとの、相似を思わずにいられない。

政府は明らかにこの災害を、道徳的・社会的改革の機会として利用することを望んで おり、とりわけ国民教育システムに着目していた。震災からちょうど3か月後、文部省は国民教育カリキュラムへの使用を目的とした三巻本『震災に関する教育 資料』を刊行する。教育者たちはこの震災を、道徳教育強化の好機と考え、天皇への忠誠、犠牲、勇敢さを、尊ぶべき価値の三本柱として強調した。

安倍政権の3本の矢(けっ!)のひとつが教育であること、道徳教育強化の好機と考えてることなど、恐ろしいほど似てるぞ。

バラックは1923年の震災後に生まれた新しい言葉であり、以後日本で広く用いられるようになる。
バラックは、震災で最も被害を受けた地域である、東京の下町に集中していた。最大のバラック村の一つができたのは皇居周辺だった。


バラックが関東大震災語の新語というのは知らなかった。
本書の小見出しに 「バラック・ユーモア」「バラック装飾」とあったのには、大笑い(「ブラック・ユーモア」「パロック装飾」の連想)が、当時、今和次郎を主導者として「バ ラック装飾社」という、建築家のグループが誕生し、いくつかの画期的デザインの建物が造られたとのこと。

今和次郎はバラックの簡素さに刺激を受け、「素朴な生活」の美を熱狂的に謳った。今は、丸裸にされたバラックの状態に深遠な精神的意味を見出して、貧困が 持つ素朴さを理想化し、最低限のレヴェルで生きることの崇高さを肯定した。彼はバラックのむき出しの環境に偉大な美を見ていて、これを農村の貧困生活が持 つ尊厳と結びつけていた。
今の考え方は、ヨーロッパの重要なデザイン理論家、ウィリアム・モリスとアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデにとりわけ多くを負っているように思われる。

清貧の思想だな(^_^;) ウィリアム・モリスが出てくるのも嬉しかった。

震災後の共同体は利他的だったのだろうか、それとも腐敗的だったのだろうか? 英雄的な生存者、忠誠心ある帝国臣民、いたわり合う家族、寛大な博愛主義者、共感する藝術家、社会的団結の唱道社者、労働者階級の擁護者といった者たちの 表象は、利他的な日本というポジティヴなイメージを無数に作り出す。だがそれと同時に、無法な自警団、偏見を持つ植民地主義者、ミソジニスト(女性嫌悪 者)、暴利をむさぼる者、政治ゴロ、人々をおびやかす存在としてのモダニストといった表象は、共同体に根深い腐敗的性質を暴き立てている。(第五章 災害は誰に利するのか)

まあ、性善説と性悪説みたいなものか。

東京が大カタストロフィ後のお決まりの段階--救援、復旧、再建、追悼/記念-- を経るにつれて明らかになったのは、復興において何よりも優先された生産至上主義的エートスは、都市の発展と刷新を正当化することを目的としており、権威 付けされた災害からの「前進的物語」(progressive narrative)--創造的破壊という近代のロジックの強制的反復--を生み出していたということだった。最終的に、これはこの出来事のメタ物語とな り、個人の利害と犠牲とを震災それ自体の記憶で包みこんでいったのだが、そうなったのは激しい論争プロセスを経てからのことだった。そしてそのプロセスに おいて東京の住民は、視覚文化の領域における観客でもあり、パトロンでもあった。

権力の思惑と、東京住民との綱の引き合いで、それなりに住民も善戦したということだろう。

カタストロフィのトラウマは甚大だったけれど、政府官僚の多くはこれを、首都を合理化し近代化するための、思いがけなく幸運な都市計画の機会だと考えた。
首都改良に向けての楽観的感覚は、復興プロジェクトを回顧的に語った多くの文献に表われているが、首都の歴史性や江戸時代にさかのぼるそのルーツへの愛着は、それらの文献にほとんど見られない。


神戸震災後の区画整理でもそうだったし、東日本震災後の現況を見るに、権力の考え方の本質は変わってないことがわかる。

1924年の「震災居復興展覧会」は、地震の瓦礫や、震災を耐え抜いた日用品を展示するというセンセーショナルな展示方法の先駆けであり、震災がもたらした身体的トラウマの視覚的証拠を提供していた。
会場には、恐ろしい死のスペクタクルに惹きつけられた人々が群れをなして押し寄せ、震災のダーク・ツーリズムの新たな局面を呈した。一時間あたり3000 人の入場があり、初日だけで入場者はおよそ3万人にのぼった。混雑のあまり陳列ケースのガラスが割れ、混乱のなかで貴重な物品が行方不明になった。展示物 が伝えるトラウマの本能的美学は、入場者から強烈な感情的反応を引き出していた。入場者たちの多くは自身も被災者であり、この恐ろしい経験の共有と、喪失 に対する心理的埋め合わせとを求めていた。展示物が放つアウラ的性質が感情的暴動に火をつけ、喪失感を抱える群衆を扇動的な暴徒へと変えたのだった。(第 六章 復興の視覚的レトリック)

災害の痕跡を髣髴とさせる遺物を展示して、それが大衆の記憶の代替物となる。「聖遺物」の大衆化。実はMorris.も、こういったものへの嗜好癖がありそうだ。

記憶の忘却的側面をいたずらっぽく想起させるのが、みずからの編集する雑誌『変態知識』の震災一周年記念ん号表紙に掲載された、宮武外骨の実験詩「大地震 記念としての作り事」である。「転覆の活字を拾ひ寄せた」箱」という五七五調の言葉が付されたこの詩は、MAVOなどの集団による、視覚的な前衛文学実験 を真似て(というよりも、おそらくパロディにして)いる。文字を並べ替えるパズルを解くときのように、ごちゃまぜの文字のなかからフレーズが浮かび上がっ て意味のある物語を作り出し、この一年間に起こった不調和な出来事が記念される。


宮武外骨、すごい!! 活字や新聞記事をデフォルメしたり、モンタージュするなどのデザインは、彼の得意技だが、この震災一年後のこの作品、それも表紙に堂々と披露する勇気は天晴れ、というしかない。これは下に図版引用しているのでじっくり見て欲しい。

1930年3月の、東京の完全復興を祝う式典と、本所被服廠跡に公的な震災記念建 造物が落成したことを頂点とするこのプロセスには、内在する二つの文化的緊張が明らかになる。ひとつは宗教的追悼/記念と歴史的追悼/記念との緊張関係で あり、もうひとつは過去の記憶化と未来への祝福とのそれである。(第七章 追悼/記念)

戦後日本の太平洋戦争の処し方もこれに倣っている。しかも東京空襲の戦死者は、関東大震災の震災記念堂に合祀された。これは、震災被害者と、戦災被害者を等質のものにしようという意図が見え隠れする。

山本唯人の研究を土台としつつ、カラカスは、死者たちのために記念館を造ろうとす る遺族たちの草の根運動の発生を丁寧にたどっていく。その運動を彼は、東京を「忘れない都市」にしようとする試みだと記述するが、同時にまた、日本人に幅 広く見られる、根深く厄介な記憶喪失的衝動--それは広島の原爆との関連で米山リサが見事に解読した衝動に近い--をも見出している。激怒する遺族たち は、筋道のとおらない主張をせざるをえなかった。亡くなった者たちは、彼らを戦争への動員へと駆り立てた、虚偽に満ちた軍事政権の忠実な臣民であり、かつ 罪のない犠牲者だったという主張である。日本の軍事エリートを非難しながら、帝国主義的拡張と戦時の侵略に対し民間人が共犯関係にあっった数十年間につい ては積極的に忘却するという、都合の悪い部分は削除したかたちでの慰霊を遺族たちは求めた。山本によれば、彼らはまた、平和を記念するモニュメントのなか で英霊を讃えることで、戦争の展示と追悼との緊張関係を減じ、戦争の意味を犠牲者の悲劇と未来の平和へと転化したのである。

「日本人の記憶喪失的衝動」。嫌なことは忘れて、都合の良いことだけ覚えておく。あるいは変質させる。もっと端的にいうならば「忘れっぽさ」ということになる。

最近の教科書は、震災時の朝鮮人虐殺について本文中で短く言及したり、本文脇の短 いコラムのかたちで掲載したりしているものの、そのほとんどは、極度のカオス状態のなかで「ならず者」から成る自警団員が行った不幸な行為として取り上げ ているか、または主体の特定を避けるために殺害を受動態で語っているかである。たいていの場合、残虐行為における政府役人の共犯性は掘り下げられず、ま た、植民地臣民を標的とすることを可能にした排外主義的イデオロギー構造を、日本帝国主義がどのように生み出したのかというより大きな文脈も検討されては いない。

少なくとも、Morris.の高校時代の歴史教科書には全く記述がなかったと思う。

戦後、震災記念はまたしても、国家危機管理と結びつけられた。1960年6月、日本政府は、国民の意識を高め、防災教育を進めることを目的に、9月1日を防災の日と定めたのである。
関東大震災という出来事が表面化させた深い社会的・文化的・歴史的意識から教訓を学ぶ機会を国民が得ることのないまま、妥協的に出来上がった本所の記念館 のなかに、簡略化され削除された教科書のなかに、お決まりのこととして繰り返される防災行事の文化の中に、関東大震災の記憶は、物言わずとどまりつづけて いる。(第八章 エピローグ)


これが本書の結語である。日本人が忘れていることを、アメリカ人が、これほど、広く深い考察と、貴重な資料を集成して、刊行してくれたことに感謝したい。

関東大震災90周年にわずかに先んじて原書は出版されたわけだが、「まえがき」に あるとおり、原著者がこれを執筆しているまさにそのとき、日本は東日本大震災に見舞われた。かくしてこの本は、元元有していた啓蒙的・学問的価値に加え、 偶然にも刺激的な同時代性をもまとうことになった。この翻訳書が出版された時点で、日本に住むわれわれは震災後の時期を生きている。本書であぶり出される 震災と復興のヴィジュアリティは、われわれが経験した、そしていま経験しているそれとどのように類似し、どのように異なるのか。われわれの生きている時代 がどのような時代であるかさえも本書は考えさせるものだと思うが、これらの論点についての考察は、読者のみなさんんひとりひとりにゆだねたい。(訳者あと がき)

本書が提示してくれた数々の問題や事実を、いま現在の復興に活かすのは、ひとりひとりに(Morris.にも)委ねられてるわけだ。
本書の価値は、以上の考察の深度にもあるが、やはりヴィジュアルな図版の圧倒的喚起力に負うものが多い。現物を見てもらうしかないが、雰囲気のかけらでも感じてもらうため、サムネイルサイズで以下に6点ほど引用しておく。


横浜駅 1923 

丸の内 1923 

「帝都大震災画報」1923 

「大正大震災画報」1923 

バラック装飾的デザイン 

「変態知識」1924 



2015101
【脳力のレッスン156 特別篇 江戸期の琉球国と東アジア、そして沖縄の今】寺島実郎 ★★★★ 岩波書店「世界」2015年4月号。
日記に書いたように、この記事を図書館で立ち読みして、その内容の濃さに圧倒されて借りてきた。7pなのに、沖縄の歴史と、立場と、これからの方針など、正確な知識と見識にはは恐れいった。
15世紀、1429年尚巴志(しょうはし)が沖縄本島を統一して、琉球王国を建て、それ以後明治政府による「琉球処分」(1879)までの450年間は、東シナ海の独立国として存立していた。ということから論が始められている。
徳川幕府初期1609年、薩摩の琉球出兵に敗れ、時の尚寧王は本土に連行され、駿河で家康、秀忠に面談を強いられ、その後薩摩に2年間拘留され、盟約書(奄美大島他五島割譲と薩摩への貢租を定める)によって、実効支配することになった。
琉球を薩摩の領地として日本に併合しなかったのは、幕府の明国への配慮と、薩摩の思惑がからみ合っていた。

薩摩侵攻以降の江戸期の琉球王朝は、日本の幕藩体制の中で藩籍が与えられたわけではなく、あくまで独立国なのだが、「附庸」として薩摩に制御され、一方で中国に朝貢を続け、明から清への変化を受けながらも中国の冊封体制に組み入れられていたという「両属国家」だった。
この270年間にわたる「日中両属性」という時間が、ファジーな中を生き抜くという沖縄の性格を熟成し、歌舞音曲に象徴されるたくましい文化を生んだ。

沖縄、ではなく、琉球。たしかに琉球は外つ国だった。

1853年浦賀に向かうペリー艦隊は、5月26日上海から那覇に入港し、7月に浦賀で開国を迫る交渉の後、回答を一年待つということで、一旦那覇から香港 に戻り、翌1854年3月浦賀で日米修好条約締結し、函館まで周回して7月に那覇に帰還し、琉球との米琉修好条約を締結している。

これも初めて知った。ペリーの航跡もほとんど知らずにいた。

明治維新で、琉球は「琉球藩」として日本の領土に組み入れられ、さらに1879年「琉球処分」で「沖縄県」になった。このとき王家一族は東京に退去させられた。
曲がりなりにも独立国であったものが、明治になって唐突に琉球藩とされ、さらに琉球藩から沖縄県にされる経緯を考えれば、「琉球処分」が幕藩体制下の藩や士族制度を失うだけではなく、「国を失う」衝撃だったことに気付かされる。


「故国喪失」。朝鮮も、台湾も一時期、国を失って(奪われて)いたわけだ。その加害者である日本人として、両国に対するとき、これを忘れてはならない。

こうやって日本近代史に巻き込まれた沖縄の行き着いた悲劇がアジア太平洋戦争における沖縄戦だった。

敗戦後の沖縄は、1972年の沖縄返還まで米国による占領・統治の時代を迎える。実体的には今もその中にあると言えるかもしれない。


沖縄問題を考えるとき、米国において「沖縄は海兵隊の島」という認識が潜在していることを知る必要がある。
海兵隊は戦後、一度解散された後、1953年に朝鮮戦争を背景に第三海兵団として再結成されて日本本土に配置され、1957年に沖縄に移転した。


沖縄とアメリカの尋常ならざる因縁、「捨て石」と形容される沖縄だが、日本人は、やはり、沖縄を、どこか異国として見ているようだ。

2009年の日本における民主党への政権交代が失敗に終わったのも普天間移設を巡 る迷走が主因であった。鳩山政権の挫折の本質は、この問題を「沖縄の負担軽減」としか捉えきれなかったことである。「最低でも県外移設」という鳩山の真情 が本気だったとしても、米国の既得権益確保へのこだわりと「現状維持こそが国益」との固定観念に凝り固まった日本側の外務・防衛官僚の羽交い締めによって 政権内の結果が崩れ、「米軍は東アジア安定の抑止力」という建前論での「辺野古移転容認」という腰砕けに終わったことの責任は重い。真に踏み込むべきは、 在日米軍基地の在り方を再点検し基地の段階的縮小と地位協定の改定を進める日米戦略対話の実現であった。
どこかに普天間の移転先を求めて迷走する次元の話ではなく、冷戦終結後のドイツがすべての在独米軍基地の使用目的と必要性を俎上に乗せて、基地の縮小とド イツの主権回復に踏み込んだごときアプローチが必要であった。世界の多くの政権交代を経験してきた米国は、日本側からのそうした問題提起に一定の覚悟をし ていた。ところが鳩山政権は「基地問題の歴史的転換を図る」という政権公約を見失い、続く管・野田政権は「米国の虎の尾を踏んではならない」という怯えと 萎縮の中で「政治的現実主義」の名の下に、「既に決まっていることは今まで通りで良い」という裏切りに堕してしまった。


民主党の政権獲得から転落までの泥仕合を振り返る気にもならないが、Morris.は鳩山がずっとトップにいたら、と思わずにいられない。
「辺野古移転」を最後まで反対の立場を貫いて欲しかった。民主党内部での足の引っ張り合いも、見苦しかった。政権復帰してからの自民党や保守系評論家、 ネット右翼などからのバッシング(罵詈雑言)は、目に余る。前の話ではなく、つい最近も鳩山をゲストに迎えた会合でも街宣車などが繰り出したと聞いた。

私は「反米・反安保・反基地」というかつての「革新」勢力の三大話を蒸し返してい るのではない。新たな局面が見えているのに、戦後70年も経って外国の軍隊が占領軍のステータスのままに存続していることに問題意識を抱かない国は独立国 とは言えない、と語っているのだ。もちろん、東アジアの安定のために日米同盟を賢く「抑止力」に利することも大切である。そのために、日本における全米軍 基地を再点検し、21世紀の東アジアの安全保障を睨んで基地の段階的縮小と地位協定の改定を粘り強く提起し、その中で辺野古の位置づけを議論すべきであ る。

Morris.は「反安保、反基地、反原発」の三題噺にこだわってるが(^_^;) 日本は独立国ではないんだろうな。日米同盟を利用するのではなく、利用され放題になりそうな気配でもある。

「日米同盟のためには沖縄が犠牲になっても仕方がない」などと安易に考えてはなら ない。今、なすべきは筋道の通った情熱で米国と向き合うことだ。確かに短期的利害として、7割の駐留経費を受け入れ国たる日本が負担し、占領軍のステータ スに近い地位協定を享受する基地を失うことはペンタゴンの官僚からすれば容易に譲れないであろう。海兵隊は沖縄に集中しており、その基地縮小となれば米軍 内の陸・海・空・海兵の力学の調整問題も生じる。だが、大切なのは日本側の意思と構想力である。日本の自立自尊とアジアの安定を見据え、21世紀の日米同 盟を再構築する視界が問われる。課題は日本自身が冷戦型の思考回路からいかに脱却できるかなのだ。

安倍政権の日米同盟のとらえ方は冷戦時代そのままである。しかも、自分の都合のいい「親方星条旗」思考であり、現実が見えていない。
沖縄を「捨て石」とする方策は戦前の思考そのままなのかもしれない。

同情や贖罪意識で沖縄を論ずることは、別次元での「日本中心の中華思想」であろう。

同情より贖罪より、現実を知ることから始めなくては。

72年の「沖縄復帰」から40年余、本質的な意味で祖国とはいえない日本への「復帰」に期待した沖縄人の心情が、敗戦後苦しみながらヤマトンチュ(日本人)たる我々も襟を正さねばならない。

日本と共に歩むことが沖縄の希望となるように努力する、それが沖縄を翻弄してきた日本が沖縄の問いかけに答えることではないのか。基地問題の解決なくして戦後はおわっていない。


心の底のどこかで「沖縄独立」を支援したい気持ちを抑えきれずにいるMorris.である。



2015100
【激昂のスティグマ】中山七里 ★★★ 2014/12/20 新潮社
「さよならドビュッシー」が結構面白かったので続編?の「おやすみラフマニノフ」というのを続けて読んだが、これはいまいちだった。
本書は、神戸地震が舞台になってるようなので読むことにしたのだが、東日本大震災も出てくる(^_^;)

めぐみの言説は世間知らずで半可通の域を出ない。日本人が戦争に不感症になってい るのは事実だとしても、それは先人たちがこの国に戦禍が及ばないように絶え間なく奮闘した結果であり、それを若い世代が訳知り顔で寸評する傲慢さに全く気 付かない。淳平もめぐみに近い世代なので、近視眼的な観点が尚更鼻につく。
戦争こそないものの、年間では戦死者に劣らぬ数の自殺者を出している国の何が安寧か。実際は目に見えない形での崩壊が着々と進んでおり、銃撃で即死するか緩慢に自然死するかくらいの違いでしかない。


どこかで聞いたような御説の受け売りっぽいが、こうやっていちおう社会問題を解説するのがこの人の癖のようだ。

「あれは住民の意向を無視した再開発やったんよ。神戸市がトンチンカンな計画立てて仰山のの予算使ってあんなもの建てたけど、まともにテナントが埋まら ず、それでも体裁整えようとしてタダ同然の賃貸料で他府県の企業に貸してんねん。もちろんその費用は税金なんよ。お陰であの辺の地価は下がるわ、要らん税 金使われるわで市民はえらい迷惑。結局潤ったのは一部の役人と建築業者だけ。あんな……あんな悲惨な目に遭った人たちが、また食い物にされてんのよ。」


神戸震災の復興についての言説で、登場人物は須磨区に住んでたことになってるが、どうしても長田区の再開発のことに見えてくる。これも、Morris.が最近読んだ本の受け売りみたいだ。

「悲劇にも賞味期限がある。育英会がこの国を選んだのは慧眼と言えるかな」
勝呂は皮肉を交えて言う。あの東日本大震災すら、日を追うごとに義援金の額は目減りしていく。被災地報道も扱いが小さくなっていく。
人間は感情の動物だが、感情の中で一番持続するものは怨嗟と嫉妬だ。同情や義憤はさほど長持ちしない。その意味で、新しい不幸、新鮮な悲劇に注目した育英会--是枝孝政の着眼点は秀逸と言えた。

「悲劇にも賞味期限がある」は、なかなか含蓄のある言葉だと思う。
でも、この人の作品は3冊読んで、もういいか、という気になった。



2015099
【なんといふ空】最相葉月 ★★★ 2014/08/05 PHP 2001年中央公論新社刊に追加したもの。
Morris.は彼女の「絶対音感」は興味深く読んだものの、その後はご無沙汰だったが、ちょっと前に今年出た岩波新書の「ナ グネ 中国朝鮮族の友と日本」を読んで、彼女自身への興味を覚えて、本書を読むことにしたのだ。「絶対音感」発売前後に出した最初のエッセイ集に、新しく数篇を 追加して再発行したもの。つまり15年前と数年前のものが混じっているわけだが、すでに15年前には「ナグネ」の主人公女性との出会いもあったようで彼女 に関するエッセイも数篇あった。、当時は結婚して、その後離婚したなど、いろいろ個人的なこともわかるようになっている。

たくあんと豚のバラ肉の炒め物は、テレビを見た母がまず作り、私が気に入って覚 え、二代にわたって我が家にとけ込んだ献立だ。サラダ油をうすくフライパンにひいたらにんにくのみじん切りを入れ、肉を炒めて火が通ってからたくあんを加 える。最後は醤油で風味付け。ご飯が何杯も食べられて、冷めてもいける。一週間はもつ。酒の肴にも最高。何より簡単。(旨いけど)

簡単料理レシピみたいなもので、ついメモしてしまった(^_^;) いまやこういったのはインターネットやアプリで星の数ほどあふれてるけど、15年前は結構、エッセーや小説でもこういった小ネタが使われてたな。


掛布雅之が第39号ホームランを決め、岡田彰布が二塁打で同点になった瞬間、輪転 機が回りはじめた。逆転すればもちろん、同点でも優勝が決まる。負ければ数百万円の損失になる恐れはあったが、日刊ゲンダイ大阪本社は三分の二と可能性に 賭けていた。刷りたてのタブロイド紙数万部は四台の車に積み込まれ、キタとミナミに向かった。
十回裏優勝が決まると同時に本社から「配れ」の号令が飛んだ。車で待機していた販売部員たちは各駅の売店に「阪神優勝」のタイトルが踊る新聞を配布した。
ほろ酔い気分のサラリーマンたちは歓声をあげ「六甲おろし」を合唱し、ネオン街に繰り出した。1985年10月16日、21年ぶりの阪神ペナントレース優勝を伝えた新聞第一号は「日刊ゲンダイ」だった。(まだ、虎は見える)


これが書かれたのが、優勝から15年目くらい、そして今年が30年目。当時の熱狂ぶりを思い出さずにはいられない。それにしても、今年もいいとこまで行きながら三位止まりだった。来年の金本阪神に期待したい。

昭和45,6年ごろ、神戸市灘区の団地に住んでいた。楽しみといえば、近所の王子公園へ行き、遊園地と動物園を結ぶ象の鼻を模した長いすべり台を上り下りすることだった。動物に飽きたら、その裏にある野外ホールで隠れんぼをした。(ジュリー、ジュリー、ジュリー)

半世紀ほど前に、今Morris.が住んでるところのすぐ近くで暮らしてたのか。王子動物園の象のすべり台は今でも健在だが、裏の野外ホールというのは、 今は見当たらない。キリン棟からカンガルー園に上がる広い石段になってる部分が、ホールの観覧席だったのかもしれない。Morris.がカンガルー園の上 でときどきミニギター練習やってるのがそのあたりというのも何かの縁のように思えてくる。

たとえば、蛇口から水が一滴落ちるとき。聴者は水滴が洗面器に落ちたときに初めてポトンと音が聞こえるが、ろう者の場合は蛇口から水が顔を出したときに一度目の音が鳴り始め、洗面器に落ちた時二度目の音が鳴って止むように感ずるという。
また、車のエンジン音。聴者はキーを差した瞬間から音が聞こえるが、ろう者には車が発進して動き出した瞬間から音が鳴り始めるように思える。
太陽も同様。日が昇る瞬間に音が鳴り出す。音は日が立つと書くが、日が立つ、すなわち、昇るときに音が始まり、日が沈んで暗くなると音が消えるように感ずる。
いずれも動きに音を感じ、視覚と音が密接な関係を持っているというのである。(目で聞く人)


これは確かに聴者には気づきにくい現象である。こういったネタも彼女のノンフィクションのテーマ取材から得られた情報だろう。

郵便制度が始まったのは明治4年(1871)。第一便は東海道、すなわち東京・大阪間で、所要時間は78時間だったという。それまでの飛脚便では東海道を6日間で運行したというから、この第一便がいかに画期的な早さだったかと思う。
第一便を走らせる前年の明治3年、駅逓権正(えきていごんのかみ)に命じられた前島密は、郵便制度の具体案がほぼまとまりかけたころ、まずためしに東海道に通信便を開きたいと太政官に稟議書を提出していた。
祖父に、おじいちゃんのおじいちゃんは郵便制度をつくった前島密だよと教えられたのは、小学六年生のときだった。飛脚精度を廃止したことで生命を狙われ、一時岡山の総社に身を隠した前島の世話をした地元の令嬢が、祖父の祖母だった。(赤いポストに)


前島密の玄孫(やしゃご)ということか。ちょっとびっくりである。
実家に鴨居玲の絵があるとか、鬱病傾向にあったとか、弟が不登校だったとか、いろいろプライベートなことまで書いてあった。
しかし、本書を読んで、また彼女の別の本を読もうという気にはならなかった。



2015098
【吾輩ハ猫ニナル】横山悠太 ★★★★☆ 2014/07/15 講談社。
日本語と中国語を混交した斬新な文体で、日本人の父を持つ中国の青年の成長を描く、ユーモラスな話題作。--ユニークなルビで読む者を圧倒する文章表現。クリティカルな日中文化論、そして見事な漱石論(パロディ)。

というのが、腰巻に書かれた惹句だが、まさにその通りの佳作だった。あちこちに閑話休題的エピソードの飛び石配置、浮世離れした視点、「猫」や「こころ」 のパロディなど、実に面白かったが、Morrisは、何といってもその「ユニークなルビ」にすっかり興奮させられてしまった。
とりあえず、印象に残ったものをピックアップして、「一般」「副詞的」「外来語」「固有名詞」の四つに振り分けてみた。分類は厳密ではないけど、これでずいぶん見やすくなったのではないかと思う。これまで一冊の本での、ルビ漢字ピックアップ最多記録に違いない。

[一般]
動静(けはい)、口音(なまり)、招財猫(まねきねこ)、不自由(きゅうくつ)、 下巴(あご)、手病(くせ)、接龍(しりとり)、敷衍(まにあ)わせる、弛張(めりはり)、歧視(さべつ)、伐(さが)す、壊(わる)い、蛙牙(むし ば)、有趣(おもしろ)い、外号(あだな)、顛倒(あべこべ)、胡話(うわごと)、得意面(したりがお)、玉潮虫(だんごむし)、生肖(えと)、移(ず れ)る、麻煩(やっかい)、拐角(まがりかど)、瞞(ごまか)す、山塞(いかもの)、衣柜(たんす)、土豆(ジャガイモ)、帯魚(タチウオ)、任意横行 (かってきまま)、鶏婆(おせっかい)、手表(とけい)、翻筋斗(もんどりう)つ、不対面(みっともな)い、無聊(たいくつ)、提倡(おしうり)、規尺 (ものさし)、九連環(ちえのわ)、老様子(あいかわらず)、辮子(おさげ)、黄鼠狼(いたち)、馬桶(べんき)、下流(きわど)い、五顔六色(いろとり どり)、毛硝子(すりガラス)、鍋貼(ギョーザ)、波浪(ちぢれ)る、筋道(こし)、魔芋(こんにゃく)、方法(ぐあい)、留恋(みれん)、一起(いっ しょ)、困境(はめ)、穏定(おちつき)、事情(はなし)、暴利(ぼったくり)、地板(ゆか)、脳海(あたま)

生肖(えと)、手表(とけい)、土豆(ジャガイモ)、帯魚(タチウオ)などのように、日本語の漢字とまるで違ってるものが目を引くが、こんにゃくが、「魔」の「芋」というのが興味深かった。このコーナーで一番好きなのは恋が留まるで「みれん」という奴。

[副詞的]
点々(ぽつぽつ)、各種各様(さまざま)、簌簌(ざわざわ)、翻雲覆雨(ころこ ろ)、猶豫(ぐずぐず)、五顔六色(いろとりどり)、発麻(じんじん)、乱七八糟(いいかげん)、軟軟扭扭(なよなよくねくね)、清楚(はっきり)、自然 (しっくり)、倶(つぶさ)に、相当(よほど)、一動(びく)とも、果然(やっぱり)、忽然(ふい)に、徐々(おもむろ)に、飄々(ゆらゆら)、迷迷糊糊 (うとうと)、冷笑(にたにた)、膨膨(ぱんぱん)、自行(ひとりで)に、実羞(はずか)しい、心神不定(そわそわ)、五花八門(さまざま)、湾湾曲曲 (くねくね)、揺揺晃晃(ゆらゆら)、漸漸(だんだん)、陰沈(どんより)、発呆(ぼんやり)

四字熟語が多いが、これが中国語なのか、著者の創作なのか不明である。漱石らしさのあるものが多い。迷迷糊糊(うとうと)というのが好きかな。清楚(はっきり)はちょっと意外な気がした。

[外来語]
摩尓斯密碼(モールスコード)、水平(レベル)、出祖車(タクシー)、領帯(ネク タイ)、公寓(アパート)、手機(ケータイ)、口袋(ポケット)、陽台(ベランダ)、賓館(ホテル)、奥林匹克(オリンピック)、吉祥物(マスコット)、 背包(リュック)、安装(インストール)、知識分子(インテリ)、節奏(リズム)、同歩(シンクロ)、霊感(センス)、粉絲(ファン)、銀狐犬(スピッ ツ)、跟踪狂(ストーカー)、輪郭(シルエット)、方便店(コンビニ)、口袋紙巾(ポケットティッシュ)、超市(スーパーマーケット)、信息(メッセー ジ)、平滑(スムーズ)、示意(モーション)、啤酒(ビール)、旅行箱(トランク)、青椒(ピーマン)、托盤(トレー)、薯条(ポテト)、襟辺(フリ ル)、雪紡(シフォン)、目録(カタログ)、熱身運動(ウォームアップ)、曲体(ワープ)、抗衰老(アンチエイジング)、某東西(サムシング)、空姐(ス チュワーデス)、手推車(カート)、鋁箔(アルミホイル)、汽水(サイダー)、果凍(ゼリー)、甜品(デザート)、塑料紙(ビニール)、相機(カメラ)、 名牌(メーカー)、順利(スムーズ)、算法(アルゴリズム)、站台(プラットホーム)、連衣裾(ワンピース)、老幼病残孕専座(シルバーシート)、音箱 (スピーカー)、電梯(エレベーター)、護照(パスポート)、衛洗麗(ウォシュレット)、接合器(アダプター)、猫(モデム)、演示(プレゼン)、柜台 (カウンター)、按鈕(ボタン)、語調(イントネーション)、接地(アース)、遥控器(リモコン)、頻道(チャンネル)、方便麵(インスタントめん)、手 持麦克(ハンドマイク)、動画片(アニメ)、黄色録像(アダルトビデオ)、天線(アンテナ)、目標(ターゲット)、系列(シリーズ)、迷你裾(ミニスカー ト)、手機鏈(ストラップ)、橱囱(ショーウインドー)、香腸(ソーセージ)、複写(トレース)、培訓中心(トレーニングセンター)、自卑感(コンプレッ クス)、標籤(タグ)、刹車(ブレーキ)、髪箍(カチューシャ)、沙発(ソファ)、番茄醤鶏肉炒飯(チキンライス)、芝士(チーズ)、小房(ブース)、扮 演(コスプレ)

一番多かったのがこのカタカナ語だけど、猫(モデム)というのがよくわからない。マウスからの連想なのかな?発音を写したものと、意味を表わすもののニ系列がありそう。汽水(サイダー)が好き。

[固有名詞]
馬耳達(マツダ)、沃尓沃(ボルボ)、奥廸(アウディ)、奔馳(ベンツ)、宝馬 (BMW)、捷豹(ジャガー)、雷帝嘎嘎(レディーガガ)、邁克尓傑克遜(マイケルジャクソン)、魯濱遜(ロビンソン)、苹果(アップル)、俄羅斯方塊 (テトリス)、機器猫(ドラえもん)、七龍珠(ドラゴンボール)、乱馬二分之一(らんまにぶんのいち)、全職猟人(ハンターハンター)、数碼宝貝(デジタ ルモンスター)、奥特曼(ウルトラマン)、魔人Z(マジンガーZ)、船長哈洛克(キャプテンハーロック)、肯徳基(ケンタッキー)、馬克思(マルクス)、 馬可波羅(マルコポーロ)、馬丁路徳小金(マーティンルーサーキングジュニア)、奥巴馬(オバマ)、瑪格麗特撒切尓(マーガレットサッチャー)、優衣庫 (ユニクロ)、尼康(ニコン)、佳能(キャノン)、奥林巴斯(オリンパス)、沙特阿拉伯(サウジアラビア)、阿凡達(アバター)、伊斯蘭(イスラム)、榴 蓮果(ドリアン)、獼猴桃(キウイ)、一串紅(サルビア)、鬣蜥(イグアナ)

こちらも、音と意味の二種類がありそうで、雷帝嘎嘎(レディーガガ)はもちろん音を写したのだろうけど、漢字の字面が彼女を的確に描写してるように思える。優衣庫(ユニクロ)は中国で優遇されてるのかなあ?

このピックアップ引用では、久しぶりにMicrosoft IMEの手描きIMEパッドのお世話になった。これなしではやる気にならなかったかもしれない。普通の日本語では出てこない漢字が多かったためだ。実は会 話の部分にも、多くのルビ付き漢字熟語があったのだが、こちらは、簡体字が使われていたので、パスしたのだった。

作中「先生」と呼ばれる三毛猫が登場するのだが、しばらく後に

自分は先生が郎猫(オス)なのか女猫(メス)なのかでさえ了解していないのである。

という主人公の独白がある。もちろん三毛ならメスだと思うのだが、特別の猫ということでオスということも考えられないわけではないか。
ルビ付き漢字の引用だけでは、あんまりなので、ちょこっとだけ、文体見本を兼ねて引用しておく。

国籍は日本になっていて、名前を認ればすぐ日本人だと思われる。男と女が協力して 製造(こしら)えたる宝貝(あかご)は往々にしてその中間ではなく男か女の何れかであるのだから、中国人と日本人が製造えたる宝貝もその中間ではなく中国 人か日本人の何れかであらねばならんのだろう。しかし、自分の心液はこれからも理科学習の浸透圧のごとく半透膜を穿りぬけ、往来伝去を反復(くりか)えす であろう。日本と中国が何かの競技で国際試合をすれば輪(ま)けているほうを応援するだろう。だってそれが人情というものじゃないか。自分は自分を防衛す るために敢えて国境上に胡坐を組み、其処で一人釣り糸を垂らし微睡みの裡で獲物を待つ。そうやって鈎に掛かってきた奇特な魚だけを吃ってい活きていく。そ んな人生があったとすれば、或いは自分にとってそれが理想的な人生なのかもしれない。だがこの悍馬(あばれうま)は、そんな活き方をどう思うだろう……。 本来(そもそも)そんな活き方が可能なのか……。

日本人と中国人の混血(ダブル→ハーフという言葉は差別的表現になるため)である主人公のアイデンティティ考察部分である。漱石の文体模写というほどでも ないが、本書はこれまでに何百と書かれてきた「吾輩は猫である」のパロディ作品の中で、ベスト10に入るくらいの佳作だと思う。

終盤で、秋葉原のメイドカフェのメイド相手の会話から自分も猫になって大混乱する場面は、タイトルに合わせてしつらえたものだろうが、それまでのいい雰囲 気をかき乱すに終わったきらいなきにしもあらずで、ちょっともったいないとも思ったが、ここの場面転換に使われてる、絵文字がいたく気に入った。

ΦΦ

ギリシア文字アルファベットのファイの大文字「Φ」を二つ並べたものだが、いかにも猫の目そのものである。これからMorrisも使わせてもらうことにしよう。すでに辞書登録してしまった(^^;)



2015097
【屋上のあるアパート】阿川佐和子 ★★★ 2003/01/20 講談社
何となく好感度の高い阿川佐和子だが、これを読もうと思ったのはタイトルに惹かれたからだ(^_^;)
本書に登場するアパートは3階建てで、住民の物干し場としても利用されているようだ。

「ねえねえ、こっちですよ、こっち。ほら、いいでしょう」
男がとうとう麻子を迎えにきて、肩を軽く叩いた。
「あ、はいはい」
麻子は猫を諦めて、しぶしぶ男の示す方角へと歩き出した。
「こっちはね、物干し場になってるんですよ。ここは風通しも日当たりもいい。洗濯物だってお布団だって、すぐ乾きますよ。で、こっち半分のスペースは居住 者が自由に使えることになってますからね。日向ぼっこもできるし、夜、星空を仰ぎながらビールを飲むなんて、どう? ロマンチックでいいじゃないですかあ」

Morris.の住んでるアパートはエレベーター無しの5階建てだが、屋上には木製の階段で自由に出入りできる。これを奇貨として、Morris.はここ をベランダ代わりに使いまくっている。Morris.の屋上(^_^;)は、実は、自由に利用できると明記されているわけではない。ドアの鍵がかかってな いのに乗じて、Morris.が勝手に上がって、くつろいでるわけで、スツールや折りたたみのサマーベッドなど置いてる。季節的には3月頃から10月くら いまでが賞味期間(^_^;)ということになる。
肝心の本書のストーリーは著者をモデルにした30代女性が初めてひとり暮らししながら、男女友人知人との交友(恋愛感情も含む)を、綴った、軽い読み物 で、文章も下手ではないし、エピソードもいかにも彼女らしいもので、退屈はしなかったが、これならエッセー読む方がましかもしれないと思ってしまった。



2015096
【日本語とハングル】野間秀樹 ★★★ 2014/04/20 文春新書
Morris.はこの人の「新 私服の朝鮮語」というテキストを買って一通り通読した。
本書は語学学習とはあまり関係なく、言語学の立場から日本語という言語をハングルという文字と対照させながら追求しようと試みた本のようだ。

仮名、漢字。万葉仮名に変体仮名、アラビア数字にローマ数字に漢数字。ラテン文 字、ローマ字、ギリシャ文字、振り仮名、読み仮名、送り仮名。音読み、訓読み、重箱読みに優等読み。呉音、漢音、唐宋音。縦書き、横書き、散らし書き。明 朝、ゴシック、勘亭流。王羲之、仮名書に、ペン習字。
漢字の読みも幾通りもあり、さらに「書」という藝術まであります。
このように日本語の世界は、およそ文字に関しては、絢爛たる文字の群雄割拠大聖堂(カテドラル)ともいうべき様相を呈しています。


言われてみるまでもなく、日本語くらい「読み書き」の難しさはかなりのものだと思う。その代わり?「話す聞く」ことに関しては、かなり容易なのではなかろうか。

甲骨文字から現われた漢字は、様々な書体としての「かたち」の変遷を経ています。楷書、行書、草書などいくつかの書体のうち、現在は楷書を基礎に活字など が作られています。楷行草とか、崩し文字などと言われますが、草書は楷書を崩してできたわけではなく、草書の方が先に現れたあたりは、書体の変遷からはと ても面白いことです。

これは石川九楊あたりからの流用ではないかと思われる。

Who contlors the present controls the past.--George Orwell
現在を制する者が、過去を制する。 ジョージ・オーウェル

When the rich make war it's the poor that die.--Jean-Paul Sartre
富者が戦争を起こすとき、貧者が死ぬ。ジャン-ポール・サルトル


以上は、日本語と英語と韓国語の語順を説明するための引用文だが、いい言葉なので孫引きしておく。

日本語論などでは主語のことが喧しく言われる一方で、述語のことはあまり論じられません。これも日本語論が西欧の大言語とばかり比べているからです。主語 はもちろんですが、実は述語の方こそ、アジアの大言語である韓国語や中国語と比べたり、日本のアイヌ語などと比べてみても、またいろいろ面白いことがざく ざく出てきます。


たしかに西洋言語の研究から生まれた言語学で日本語を分析するのは無理がある。東洋言語、特に漢字圏の言語独特の言語学もあり、かと思う。述語というのは日本語と韓国語は、多様性という意味で際立っていると思う。

マルチ・トラックの「話された言葉」を文字化し、データ化するのは、容易ではあり ません。音声データを文字化入力する専門的なプログラムはあるのですが、コンピュータ上でマルチ・トラックをそのまま手軽に扱える、マルチ・トラックのエ ディタやワープロソフト、表計算ソフトといったものが必要なのです。
変体仮名が使えないと、少なくとも明治以前の平仮名を含む文献について、活版印刷の活字はともかく、今日の電子的な処理では、古典を十全にテキスト化でき ていないのです。貴重な古典を現在、そして将来に生かし切るためにも、IT関連企業へのこうした点への尽力や、公的な支援が望まれます。
デジタル画像はさらに自由に、さらに高速に扱えるようになる。三次元の立体、三次元のものや空間さえも扱えるようになる。紙以前の竹簡、木簡、巻物の形の 巻子本、紐で綴じた線装本、そしてかばんのように大きなグーテンベルグ聖書のようなものまで、およそ古今東西の「書物」を三次元でデジタル化することが可 能になるでしょう。それら全てにオプションで「音」を付けることができます。

本書で、著者が一番言いたかったのは、ハイテク文化を利用して、過去の文字をそのまま再現できる環境つくりを実現しようということだったのかもしれない。 変体仮名にはMorris.も関心を持ちながら、なかなか読めずにいる。koinというフォントメーカーが、変体仮名フォントを発売しているという情報に は驚いてしまった。
これの見本はpdfファイルで一覧できる。
Koin 変体仮名外字明朝一覧表
ある程度変体仮名読めないと、明治の小説だって原文は読めないものね。


2015095
【この国。】石持浅海 ★★☆☆ 2010/06/18 原書房
一党独裁の管理国家であるこの国の治安警察官番匠が活躍する短編連作。もちろん「この国」は日本のパロディである。

19世紀半ばまで、我が国は二百年あまり鎖国していた。それが欧米列強からの圧力 によって開国し、封建制を敷いていた旧政府が崩壊したのが、1867年。新政府のスタッフたちは、いきなり国際社会の荒波に放り出された国を護るために、 各国を敵情視察して回った。そして思い知らされたのだ。自分たちが殻に閉じこもっている間に、いかに世界が進歩したのかを。
それでは我が国を発展させるためには、どうすればいいのか。敵を作らなければよい。幸い我が国は島国だ。紛争が起こりやすい国境を持たない。他国に対して はのらりくらりと対応して、侵略しない代わりに侵略されもしない。そんな方向に進めばよい。人畜無害を表明しながら、持てる力を殖産興業に注ぐ。それが新 政府の選択だった。
新政府はそのまま一党独裁政権となり、21世紀の今日まで続いている。戦争に対する考え方も同様だった。第1次、第2次世界大戦共に中立、不参戦を貫き、 ロシア革命に端を発した介入戦争にも朝鮮戦争にも兵を送らなかった。むしろ戦争をしている国相手に物質を売りつけて、せっせと外貨を稼いできた。広い国土 も資源も持たない我が国が、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国にまでのし上がった理由は戦争を捨てたことにあるのだ。


国家を発展させる。それが一党独裁政権が自らに課した、ただひとつの使命だ。そし て彼らは、国民を徹底的に管理する道を選んだ。選択は誤りではなかった。現在、発展しているのだから、そんな政府が表現の自由を護ろうとしたとき、すべて の情報を管理することによって実現させようと考えたのは、自然な成り行きだった。
政府の力が弱く、一見国民が自由を謳歌しているように見える国は、実は大衆に迎合した文化しか生まれない。そして危険な情報は地下に潜る。我が国は違う。 国がしっかりと基準を定め、潜れる地下を徹底して根絶している。だから国民は、検閲におびえることなく、妙な大衆受けを気にすることもなく、自由に表現す ることが可能なのだ。


これらが、「この国」の大雑把な歴史と管理方法で、たしかに、現代日本のパロディとしてはわかりやすい気がする。しかし、本書が出たのが東日本災害直前で あることを思えば、震災後にこんな脳天気なシチュエーション設定は出来なかったのではなかろうか。いかにも安普請である。
公開処刑やら、小学校卒業時の進路決定、東南アジア等の女性を使った国営売春機構、表現省主催の「カワイイ博覧会」等など、それなりに面白そうなアイディ アを揃えているのだが、事件が起り、その解決となると、C級アクションドラマか、対決ゲームみたいになってしまい、どっちらけである。
番匠をはじめ、登場人物も、いかにもゲームのキャラみたいで、まるでつまらない。もう読まない。


2015094
【さよならドビュッシー】中山七里 ★★★☆ 2010/01/22 宝島社 第8回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。資産家の祖父と、インドネシア地震で家族をなくした従姉妹と火事にあい、二人は焼死、自身も全身大やけど を負った、女子高生遥が、包帯だらけで私立の芸大特待生となり、新進気鋭のピアニスト岬の指導でコンクール優勝を目指す。遥を襲う不審な事件、母の事故死 などを乗り越えてコンクールに雪崩れ込む。まあ、音楽ミステリーということになり、結構Morris.はこのての筋立ては好きなので、読むことにしたのだ が、なかなかおもしろかった。

「いつまでも不幸を引き摺るな。その二本の足で立って前を見ろ。悲しい時には泣い てもええ。悔しい時には歯噛みしても構わん。しかし自分の不幸や周りの環境を失敗の言い訳にしたらあかん。前に進むのをやめたらあかん。目の前に立ち塞が るものを恐れて逃げたらあかん。逃げることを覚えると、今度は余計に怖くなる。
ええことを教えてやろう。世界中の誰にでも、世の中のあらゆる困難にも打ち勝つ唯一無二の方法があるのを知っとるか?
それはな、勝つまでやめない、ちゅうことさ。大抵のことはな、闘い続けていれば勝機が訪れるもんだ。倒されても、倒されても、その度に立ち上がっていれ ば、いつか必ず勝てる。いや、勝てないまでも負けることは絶対にない。負けるのはな、闘いをやめた時や。闘いをやめたいと思う自分に負けた時や。いや全て の闘いは詰まるところ弱い自分との闘いと言っていい」

生前の祖父の台詞。ここらはちょっと、苦手だけど、重度のハンディキャップを負うことになる主人公への伏線でもある。

「鍵盤をしっかり打つというのは日本のピアノ教育者にしてみれば強迫観念に近いも のなんだよ。曲げた指先を高く持ち上げて垂直に鍵盤を打つ。ハイフィンガー奏法というのだけど、そもそもは19世紀後半にヨーロッパでホール用ピアノが開 発された際、その重い鍵盤に対して考案された奏法だったんだ。確かに利点もある。手首を固定させて指を上下させるだけだから、音色に頓着しなければ短期間 のうちにノーミスで早く弾けるようになる。しかし、硬く突き刺すような鋭い音はばらばらになり易く、レガートの流れるような連結ができない。ところが丁度 その頃に日本がピアノを輸入したものだから、以来この国では強い打鍵がピアノ教育の常識になってしまった。そして奇妙なことに、それが今でも公然と罷り 通っている」

音楽、小ネタとして面白かった。

「形成外科は新しい医学で伝統がないから軽く見られても仕方ない。鑿や金槌、時には鋸なんて物まで使うものだから他科からは大工さんなんて陰口叩かれる始末だ。覚えておくとい。権威ある世界には必ずヒエラルキーが存在する」
「美容整形なんてテレビであれだけCM流してるし、凄く認知されてるじゃないですか」
「認知されているのは大量に広告流しているから。大量に広告流すのは、そうしないと認知されないから。サラ金と一緒だよ」


形成外科(整形外科)とサラ金を、同列に論じるあたりは、小気味良い。

「刑事さんはお幾つですか」
「私ですか? 今年でもう42になりますが」
「42。厄年だけど、見かけよりは若いんですなあ。そんなら、刑事さんのお父さんくらいの年代に当たるんかしら。その時分の人間は今と違って一徹な人が多 かったんですよ。一徹な人は、そりゃあ嫌われますよ。周囲に合わそうとせんのですから。でも軽蔑はされません。最近は言うこともすることもころころ変わる 人が多うて。古いモンからすると嫌われはしませんが尊敬はできませんねえ」


一徹者なんていう言葉、久しぶりに聞いた。大辞林には「思い込んだことは、是が非でも押し通す性質の人。頑固者。いっこくもの。」とある。そういえば、土 佐のいごっそう、肥後もっこす、津軽じょっぱりが「日本三大頑固」と呼ばれていることを思い出した(^_^)/。

本書の魅力の一つが、ピアノ名曲の演奏の叙述というか、実況中継めいた名調子で、その白眉は、岬の演奏するベートーヴェンピアノ協奏曲「皇帝」のライブ中 継描写だった。何と8ページにも及ぶということからも、作者のリキの入れ方がわかると思う。流石にこれを引用するのは無理なので、ショパンのエチュード 10の12、ハ短調「革命」の中継を引くことにする。

いきなり叩き付けるような荒々しい和音が心を貫く。激情のまま上下に動き回るパッセージが、右手の壮烈なオクターブの旋律に乗って絶望と憤怒を謳い上げる。聴き手の魂を揺さぶり、ぎりぎりと締め付ける。
1831年、ショパンはパリに向かう途中で故国ワルシャワがロシア軍によって陥落したことを知らされる。蹂躙される故郷と残してきた家族。この曲はその時の失望と怒りを即興的に表したものだ。だから全編に亘ってショパンの怒りが漲っている。
曲は左手から始まり、低い音域から音階的に進行し変ロ長調に変わる。冒頭の荒々しい和音は何度も形を変えて現れ、その度に興奮の度合いが増していく。怒り は鎮静することを知らず激昂し続ける。旋律を背景に戦禍に斃れていく民衆と崩落していく建物が見える。銃声、破裂音、そして阿鼻叫喚--観客は皆、固唾を 呑んでいる。あたしも両手を握り締めていた。
第二部に入ると曲調は大胆に転調し、猛り狂うような強奏和音が高らかに鳴り響く。パッセージの上下向が続く中、第一部が再現され、ショパンの怒りは最高潮 に達する。ハ短調に始まり、転調しながら盛り上がりそして静まっていく。瓦礫の山に累々と重なる死体。この静けさは破壊と殺戮の後に訪れる死の静寂だ。そ して、最後に叩きつけるような和音を残して、この短くも悲壮感に満ちた叙事詩は終わりを告げた。
圧巻だった。


この描写そのものも圧巻である。先のピアノ奏法への言及などからして、著者は子供の頃からピアノを学んだ人ではないかと思ったが、実は奥さんがエレクトーン奏者で、官女からいろいろ知識を得たようだ。

「君の言う通り、世界は悪意に満ち溢れている」
「…………」
「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺 せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつ頃からか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走 らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が時分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようと する。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱い者を虐めたり差別するのも多分にそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問 答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めた者の転落を悦ぶ……全部、同じ構図だ。無抵抗な人間には際限なく悪意が降りかかる」

これもまた、なかなかに鋭い現代社会批判であり、賛同する部分や教えられるところも多い。Morris.は特に「不寛容」という言葉に、目を引かれた。他 の複数の書物で「寛容」と「不寛容」に関する問題提起を読んで、いろいろ考えてたところだったからだ。身体的ハンディキャップに関しての取り上げ方も迷い がない。著者は介護探偵シリーズも書いてるらしいから、常日頃関心が強いのだろう。

「本来、人は障害者とか病人怪我人をじろじろ見ようとしない。いや、見たくないと思っている。だから視界に入ってきても、さっと視線を逸らせるか遠ざかろうとする。とにかく関わり合うのが嫌なんだね。君も、そいういうのは経験済みだろう」

こういった台詞もなかなか、書けないことだろう。たしかにMorris.にもそういった傾向がありそうだ。
日本ではニュース報道でも、死体や怪我人の映像や画像は公開されない(自主規制だと思う)ということなどにも通底するのではないかと思う。臭いものには蓋 というと語弊がありそうだが、本当の悲惨さ、酷さ、残酷さから、目をそらそうというのが条件反射なのだろう。一種の強迫観念かも。


2015093
【バカだけど社会のことを考えてみた】雨宮処凛 ★★★ 2013/09/26 青土社
阻害された青春時代、リストカットやったり、キャバクラやったりもした筆者が、ワーキングプア問題や反原発運動を通して、社会の矛盾に気づき、生活保護、 生きづらさ、自殺、女性問題、脱原発、国政選挙などを、活動の報告を兼ねて下から目線で書き綴ったもの。「バカ」を標榜してるが、もちろんこれは、低レベ ルからの発言ということだろう。

3・11以前、私たちは、そしてこの社会は、「原発反対」という声を上げる人たち に、冷たい視線を送っていなかっただろうか。「なんとなく話の通じない怖い人」というイメージは、私の中にも確実に植え付けられていた。そしてそのこと自 体が、原発推進側が仕掛けたネガティブキャンペーンが成功していたことの証拠ではないだろうか。

こういったトーンである。こういった物言いは、いわゆる有識者からは出てこない。

劣化ウラン弾がバラまかれて8年後のイラクで目にした悲劇。
日本の原発に使うウランの多くは、アメリカで濃縮しているのだという。その残りかすはそのままアメリカに置いてくるので、それが劣化ウラン弾に転用されている可能性はある。
イラクで見たあの小児病院の光景と、日本の原発、そして私たちが消費してきた電力の問題が一本の線で繋がった。


イラクまで出かける行動力も持ち合わせている。劣化ウラン弾のことは、他の本で読んだ記憶があるが、日本の原発との関連には思い至らなかった。

あの震災と原発事故は、この国の「矛盾」をあますところなく露呈させた。
被災地の高齢化、過疎化、シャッター通り化は日本の地方すべてが抱える問題だろう。そして原発事故は「都市と地方」という問題を白日のもとに晒した。これ といった産業もなく、財政の厳しい地域にしか建設できない原発。地元の「安定した雇用」としての被曝労働。まったく民主的な手続きはなく、一部の者のみが 莫大な利権にあずかり、ひとたび事故が起きれば多くの人が見捨てられる犠牲のシステム。
「原発」は、この国の矛盾すべてを孕んでいる。戦後の自民党政治的なもののすべてが凝縮されている。そんな大矛盾を突きつけられ、多くの人が立ち上がったのだ。


本書が出たのがちょうど2年前。あの頃はまだ反原発デモや集会が定期的に行なわれていた。そして、2年後の今、川内原発2機が再稼働になってしまったし、玄海原発のある、佐賀県では、再稼働賛成が反対を上回ってるらしい。喉元すぎれば怖さを忘れる人が多すぎる。

2009年の政権交代は、明らかに「自民党への懲らしめ」が大きな原動力となって いた。その3年後2012年12月の衆院選はあまりに大きな意味を持っていた。憲法改正や原発再稼動に前のめりで、弱者を切り捨て、「国防軍の創設」など を掲げる自民党が圧勝。そして政権交代。安倍内閣が発足。
運動の盛り上がりと、選挙結果の乖離という現実。このことは、私に大きな「宿題」を与えるものだった。


いささか図式的にすぎる、とはいうものの、おおむねその通りである。筆者は決してバカではない。Morris.も倣うべきところ大有りである。



2015092
【安保と原発】 石田雄 ★★★☆ 2012/03/11 唯学書房
1923青森生れ。父は戦前警視総監で、本人は学徒出陣で東京湾銃砲兵連隊で兵隊生活を経験。戦後東大法学部で丸山真男ゼミに参加。東大名誉教授の肩書を持つというエリートらしい。
「命を脅かす二つの聖域を問う」という副題があり、もともとは安保だけを扱うつもりだったのが、3・11が起きたので急遽、原発問題も合わせて論じることにしたらしい。発行日を見てもその気配濃厚である。

安保と原発の共通点
1.共に「国益」や「国策」にかかわる重大問題であり、素人には近づきにくいものとして「聖域」化され、外からの問いかけが妨げられてきた
2.公開の場で検討されることなく既成事実が積み重ねられた結果、基地周辺の事故・犯罪や、原発からの放射性物質の放出など人間の生命を脅かす結果を招くことに至った
3.生命の脅威にさらされる人たちは「周辺」に位置する人たちだということ。その象徴が沖縄とフクシマであり、「周辺」に位置づけられた人たちの犠牲は、政策決定をする「中央」の人たちからは遠くの問題として、軽視されがち


聖域化=安保ムラ、原子力村だろう。既成事実=目隠し、周辺化=地域差別。これらのことは、去年散々読んだ関連本の中でも挙げられていたが、繰り返し意識しておかねばならない。

推進する力としては、アメリカのアイゼンハワー大統領に「軍産複合体」と名づけら れたもの、すなわち日本では軍需生産で利益をあげる産業やそれと関連した政官学領域の人たちがこれにあたる。彼らは、世論に対しては「国家の安全保障」と いう主題を「聖域」化して、軍事機密の保護等の名目で公開を拒否し、批判を回避する方法を採用する。また、在野の民族主義運動は、外からの脅威を強調し、 排外主義をあおることによって、「軍事化」を推進する役割を果たす。

今回の集団的自衛権の戦争法案成立の目的の一つが武器輸出であり、背後には軍産複合体があることは自明で、着々とその方向に邁進している。

「軍事化」の傾向が、最初は目立たなくても、気がつかないうちに加速し、ある惰性がつくと止めることができなくなる。
昭和恐慌の経済的困難を経て、「非常時」という呼び声で対外強硬論が強くなると、驚くほどの速さで軍事化が進められていった。私がはっきりと記憶している のは、「国防国家」の建設が叫ばれ「昭和維新」の名の下に1936年に軍部によるクーデターである2・26事件が起こってからである。


戦争は始めるのは簡単だが、止めるのは至難であることも、いくら強調してもし過ぎることはない。自衛隊を国防軍と改名させようとする安倍政権の危険さ。

日本の軍隊が外国で人を殺さなくなって、半世紀以上になる。だから日本は軍事化とは無縁な社会だと考えたら、それはたいへん危ういことだ。多くの日本人が軍事化に無関心であるのは、武力行使が米軍によって、海外の遠いところでなされているからである。
加えて、無関心な人が多いのは、権力とメディアの結託により作られた世論が安保を「聖域」として守ってきた結果でもある。
原発事故がただちに安保との関連を私に思い起こさせたのは、原発問題が安保と同じような、中央と周辺の関係に支えられているからである。簡潔な表現をすれ ば、フクシマが沖縄を思いこさせたといってもよい。差別された周辺として、過疎や財政難に悩む地域に特別な補助金をだすことによって、基地や原発立地とし ての犠牲を押しつけるという構造の共通性である。


無関心にさせられていることにすら気づかずにいる者は多い。それに加担しているのがマスコミでもある。「権力とメディアの結託」はジャーナリズムの自殺行為ぢゃ。

日本の近代的発展を特徴づけるのはどのような型であるのか。簡単にいえば、夏目漱 石が「外発的開化」と名づけたものである。「西欧に追いつけ、追い越せ」という外発的契機によって、中央の厳しい管理の下に、周辺を犠牲にして無理をしな がら、急いで強行された発展である。(序章 生命を脅かす二つの聖域)

最近、漱石を読まねばと思ってる時に、この文章を読んで、さらにその気持が強まった。
「外発的開化」=西欧植民地主義の真似。

戦前において聖域とされたものに「国体」という言葉がある。「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が万古不易の国体である」神話を信じて疑わないようにしなければ「国体」という聖域は存続しえない。
聖域を作り出すには「その言葉をきいたら、それ以上は詮索しない」という「お守り言葉」が用いられる。たとえば、現在では「同盟」や「抑止」、あるいは「国益」という言葉がそれに当たる。最終的には聖域のお守り言葉は、常に権力を持つ強い者に利用される。


戦前の「国体」と戦後の「同盟」「抑止」「国益」が聖域のお守り言葉というのは、説得力がある。

占領軍は日本政府を通じた間接統治を行い、国体に支えられていた統治機構がそのま ま温存された。そうすると、聖域という考え方もある程度、温存され、徐々にその対象が天皇から占領軍に移っていくことになる。その際に「聖域」に関する戦 前からの連続する面と変化の面という両面が顕在化する。変化はいうまでもなく、神話的要素が失われたことであり、連続面は「無責任の体系」にみられる。
いつの間にか、戦前の天皇制のような神話としての時間的な無限軸ではなく空間的に限りなく遠く思われるアメリカが聖域になった。
1951年にサンフランシスコ講和条約を結び、日本が形式上独立国家になると、今度は、建前としては日本は主権国家になったが、しかし現実にはアメリカに従属しているという二重構造を持つようになった。そして、それに付随して聖域の意味も変化した。

「無責任の体系」は丸山真男の言葉らしいが、日本の体制をもののみごとに剔抉している。

アメリカは、自分たちの方針に沿って作った憲法の理念に反する再軍備を命じるとい う、矛盾に満ちた政策を日本に押しつけた。このことによって、「憲法」という価値的な建前と、「再軍備」という政策との齟齬が顕在化してきたわけだ。そし て、それが矛盾しているにもかかわらず、講和による形式的独立後も日本側はそれを追求できない。そういう意味で、消極的聖域への変化が起こっていたという ことを見ておく必要がある。

冷戦と代理戦争のために、アメリカに再軍備させられたという事実。

1960年5月19日から20日にかけて、岸首相が国会で警官隊を院内に入れて強 行採決したことによって、大規模な反対運動が勢いづいてきた。それはもちろん、「安保反対」の運動であったが、より多くは非民主主義的な岸のやり方に対す る抗議、つまり「民主か独裁か」という問題として大衆運動が昂揚してきたという側面がある。だから皮肉なことに、民衆の運動が昂揚することによって、安保 に対する関心が弱まったという逆説的な面もあった。
そして、安保改定は衆議院で強行採決され、1ヶ月後には自動的に参議院で承認、6月19日をもって自然成立という形で改定安保が成立した。そうなると、大 衆運動も沈静化していくこととなった。結局、岸が強行採決の責任をとって首相を辞任すると、「岸を倒せ」といっていた運動は一応目標を実現したことにな り、そこで運動は沈静化する。沈静化すると活動家はたいへんな挫折感に陥り、「やはり我々の運動は失敗だった」という悪循環に陥ることになる。このことが 大きな原因となり、それ以後もう一度安保の消極的聖域化が支配的となる。
岸の後を継いで首相になった池田は、低姿勢で安保のような面倒な問題は避けて、所得倍増というスローガンを中心にして、国民の関心を経済に集中させてい く。その結果、安保は消極的聖域として、見事に隠されてしまうことになった、それから1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博が続く中で、日本社 会は、経済成長を謳歌する時代に突入していいく。(第一章 安保はなぜ議論されないのか)


60年安保の時に、安保と三池闘争を「スローガンの抱き合わせ」として結びつけようとしたのは明らかに間違いであった。安保の後に「体制が一挙に変われば社会はすべて良くなるんだ」という考え方も非常に危険である。

60年安保に触れる時、筆者は熱が入る。ある種の象徴なのだろう。挫折感も強く味わった世代にちがいない。

安保条約は、本来冷戦体制を前提としたものであるから、冷戦が終わるとともにその任務を終えたはずであった。
ところが1996年、クリントン・橋本の「日米安全保障共同宣言」以後、強められていた日米の軍事的一体化の方向は、2001年の9・11事件からアフガ ニスタン、イラク侵攻を経て、05年の「日米同盟:未来のための変革と再編」によって、より決定的となる。その場合の鍵となる言葉は「自衛隊と在日米軍と の間の連続性、調整及び相互運用性の不断の確保」という点にある。

戦争法案の強化はずっと進められてきたわけだ。以下もその種々相。

日本は、湾岸戦争後に、「湾岸戦争で金だけ出して、人を出さなかった」という国際協力の強迫観念を利用して、PKO協力法を成立させた。そして次々と、自衛隊の海外派遣を推し進める結果を導いた。
1954年に自衛隊が誕生した際、自衛隊の成立と同時に「自衛隊の海外派遣をなさざることに関する決議」を参議院において全会一致で議決したが、こうした考え方は、いつの間にか「時代遅れの一国平和主義」として、批判の対象になってしまった。

一方海上自衛隊では、アメリカが自国を守るためのミサイル防衛システムに日本が巻き込まれて、このシステムを担うためのイージス艦を6隻まで作らされることになった。

97年の「新ガイドライン」では、「周辺事態」という新しい概念も出てくる。そして、それが99年5月に「周辺事態法」として法律で裏づけされた。これはたいへんおかしな話である。すなわち、「実務レベrの気誠実が政策を決定する」という倒錯現象が起こっている。

偕行社(1877(明治10)に創立された、陸軍将校の親睦団体。戦後解散した が、のち親睦団体として復活)の会長は、イラク派遣部隊の隊長であった佐藤正久が2007年の参議院選挙に立候補した時に、その後援会長にもなっている。 佐藤正久は自民党全国区で25万票を獲得し、当選した。陸上自衛隊の全面的な支援のもとに佐藤正久は当選を果たしている。

あの佐藤正久はイラク派遣の部隊長だったのか。それで「ヒゲの隊長」か。うっかり忘れていた。

三菱重工の幹部の話によれば、「戦車の生産に携わっている企業は1000社以上に も及び、自分たちはその産業に貢献しているのだ」という。しかし兵器産業はおよそ破壊以外の何物にも役立たない。その意味で、持続的生産に役立たない産業 だという点に注目する必要がある。(第二章 軍事的抑止力の危うさ)

兵器産業は非生産的産業!!

ベ平連の組織論上の具体的特徴としては、「規則なし、会員なし、その他一切の公式組織なし」という運動であったということ、加えて三原則として
1.言い出した人間がやる
2.人がやることをとやかく言わない
3.好きなことは何でもやれ
ということを決めていた。(第三章 市民運動の視点からみた歴史的展開)


今回Morris.が元ベ平連神戸の流れをくむ集団の抗議運動に参加したのも、この3つのスローガンに惹かれたからだった。

「琉球新聞」2010年5月31日号の報じるところでは、全国の安保条約支持率が75%であるのに対して、沖縄では7%という極端な違いを示している。(コラム16 「捨て石」と「要石」-二重苦の沖縄)

沖縄県民の93%が安保反対。よく言われることだが、日本国土の9.6%の沖縄に、75%の米軍基地が存在していることと直結している。

国家の安全保障という名目、つまり国家という抽象概念で国民を動員していく。そしてこの抽象性を補うために、「抑止力がないと外からの脅威に負けて侵略される」という形で恐怖感をあおり、これを支えていこうとする。しかしこれにはいくつもの問題がある。
1.抑止力を強化することが逆効果となり、緊張を激化させるという側面。そもそも敵を殺すことで安全を守る、という考え方自身にも問題あり。
2.国家を守るということが、はたしてその国に住む人間を守ることになるのか? 沖縄戦の教訓。
3.原発を日本の核武装の潜在力として維持しようという考え方いついては、安保の場合に見られた武力による抑止の問題と同じ危うさを考えなければならない。

「抑止力」という大ウソ。

安保にかかわる政策決定をする人は、兵器産業の既得権を維持しようとする人たちに取り囲まれているわけであるから、意識しなくても、政策決定者の視点は既得権益者の意向によってきていされがちとなる。
同じことは原発についてもいえる。つまり原発の政策決定に携わる人たちは、原発推進に既得権をもつ財界との不快つながりを持つ人が多い。電力会社の役員から政治献金を受け取り、パーティ券を電力会社に勝ってもらっている政治家がその典型的な例だ。
加えて、巨額の広告費を電力会社から受け取っている組織で働く世論の指導者についても同様であり、特に原子力関連の学会においては、原発に反対する研究者 は通常の社会的上昇を期待できないという形で規制されてきた。そのほか、中・下層の組織人にとっても、異説を唱えるということは自分の将来にとって非常に 危険なことであり、むしろ目をつぶって支配的な論調に順応するほうが有利であるとして沈黙を守るのが通例であった。

このこともわすれてはならない。

「永遠の課題としての他者感覚」「永久革命としての民主主義」は丸山真男の表現を 借りたもので、制度としての民主主義(今でいえば代議制民主主義)はそれ自体では動かないものであり、放っておくと権力者は、権力から遠い人の身になって 考えることを忘れがちである。それだからこそ、永遠の課題としての他者感覚を持って、絶えず権力からより遠い人からの問いかけを権力者に対して迫っていく 運動をしなければならない、ということである。

「永久革命としての民主主義」かっこいい言葉である(^_^;) 丸山真男は何となく食わず嫌いしてたが、何かひとつ読んでみよう。

自衛隊が災害救助に大きな役割を果たしたということは広く認められるところであるが、それならば自衛隊を災害救助隊としてその一部を改編し、災害救助に必要な訓練と装備をさせるということも当面必要な措置だと思われる。

最近の事故や災害ニュースで自衛隊救助活動をPR的に取り上げる傾向が顕著である。映像も自衛隊提供が大部分。もちろんあちらはおあつらえ向きの広報活動と考えているのだろう。

聖域にかかわってきた経済的強者の既得権者は、政治的支配とも深くかかわっている ため、一朝一夕にその政策転換を期待することはできない。それならば、普通の市民にできることは何なのだろうか。それは先ほどの永久革命論と同様に、忍耐 強くその聖域を問い続けていくということである。そして、その現実的危うさに気づく人の数を増やしていくことによって、政策の変更を求める圧力を強めてい くということである。

普通の市民にできること、ということで、注目したが、やはり特効薬みたいなのはないんだ(^_^;)。

大切なのは他者感覚という感受性、あるいは想像力であり、何よりも必要なのは行動 する意思である。この意思さえあれば、直接対話は無くても連帯という結びつきは可能となる。そしてこのつながりこそが新しい希望の源泉となる。希望はどこ かにあるものではなく、自分の意思と行動によりつながりを作ることで生み出されるものと私は信じていいる。(終章 2011年9月11日に思う)

「行動する意思」うーーん。

巻末に「フクシマ論」の著者、開沼博との対談があった。

開沼博 経産省や東電という中央で原発を推進してきた人たちが、福島をある種の実験場であり、植民地であるという他人意識でやってきたことと通底します。脱原発の 運動と推進する側が対極にあるようでいて、地方-中央というものさしを出してくれば、結局意識は同じ地平に乗っているのではないか。

石田 脱原発ということが、福島に対する差別を強めるよ うな方向に働く可能性があるわけですよね。私は「永遠の課題としての他者感覚」ということをいつも言っているのですが、この意味は、「一番困っている立場 の人の考え方をたえず問題にしていかないと、結果的には差別することになってしまう」ということなのです。
「沈黙の螺旋」というのが怖く、「しょうがないから静観していよう」となることが結局、今の既成事実の惰性を生かす結果を招くことになってしまいます。どうしたらその惰性を止められるかというのが一番の大きな課題といえるでしょう。

いまいち意見がかみ合わないきらいがあった。
本文全体が著者の体調もあって、語り下ろし的なもので、文章として冗長になってるところもあったが、安保の聖域問題のわかりやすい解説ではあった。



2015091
【64 ロクヨン】横山秀夫 ★★★  2012/10/25 文芸春秋
昭和64年、昭和天皇の死で一週間しか無かった昭和最後の年。その時起きた誘拐殺人事件を巡って、刑事部と警務部が完全衝突。元刑事から広報に移った三上 が、板挟みになりながら、真相に迫っていくという警察小説で、警察とマスコミのやり取りなどリアルでなかなかおもしろかった。

「匿名発表はスケジュールに乗っているんですよ」
スケジュール……?
「個人情報保護法案と人権擁護法案が中央で論議されているのは知っていますね」
「ええ」
記者の口からもよく飛び出す。メディアの規制に直結する悪法だ、許すまじ、と。
「マスコミは色々と難癖をつけていますが、自業自得、身から出た錆です。事件が大きいとメディアスクラムで被害者にさらなる被害を与える。その一方で身内 の事件は隠したり恣意的に小さく扱ったりする。そんな輩が、権力の万人ヅラをしてこちらを批判するなど厚顔無恥としか言いようがありません」
赤間は話をとめて唇にリップクリームを引いた。
「二つの法案はいずれ通ります。その次が匿名発表です。我が方が働きかけて政府内に犯罪被害者対策に関する検討会を造らせます。事件の被害者を発表するし かないか、その判断は警察が行うという文言を盛り込みます。被害者の名前に限ったこととはいえ、これを閣議決定させて御旗を得れば匿名発表はいくらでも拡 大解釈が可能になります。入り口から出口まで、つまりは記者発表のあらゆる場面において、我が方が主導権を握れるということです」


刑事という職は人生の隠れ蓑になりうる。尾坂部はそんなことを言ったのかもしれな かった。楽な仕事でないことはあまねく知られている。刑事の苦労や苦悩や悲哀はテレビドラマやドキュメンタリーの過剰供給によって刷り込まれ、誰もが知っ た気になっている。刑事と名乗れば勝手に相手のスイッチが入る。自分の口から何も語る必要がないことが楽なのだ。ましてや刑事は現実の苦労も苦悩も悲哀も たやすく棚上げできる。常に追うべき獲物がいるからだ。所轄時代、いみじくも松岡は部下をこう鼓舞した。愚痴らず楽しめ。俺たちは給料を貰って狩りをして いるんだからな---。
理性はともかく、犯罪を憎む本能は刑事に備わっていない。あるのはホシを狩る本能だけだ。三上もそうだった。ホシを割り、追い込み、落とす。延々と繰り返 される日々に個人のメンタリティは色を失い、鈍く光る刑事色に染め上げられていく。誰も抵抗しない。むしろ自ら進んでより濃く染まり、再興の娯楽でもある からだ。


2015090
【震度0(ゼロ)】横山秀夫 ★★ 2005/07/30 朝日新聞社
先の「64(ロクヨン)」がそこそこ面白かったので続けて読むことにしたのだが、これは、スカだった。
神戸地震を背景に使いながら、結局ほとんど意味のない扱いだった。

もはや痛みすら感じなかった。何千何万の人間が死のうが、自分にとって700km近く離れた彼の地の出来事は無関係なことなのだと、はっきり自覚した。N 県警の警務部長として冬木がやるべきは、不破失踪の真相を早急に突き止め、この異常事態を最小限のダメージで軟着陸させることに尽きる。


これが地震への感想であり、タイトルで、物語の結末まで見え見えである。



2015089
【詩のこころを読む】茨木のり子★★★☆☆ 1979/10/23 岩波ジュニア新書 9
この本は、ずっと以前に読んだはずだ。
あらためて読みなおしたのは、斎藤美奈子さんの「名作うしろ読み」にこう↓あったからだ(^_^;)

彼女の隠れた名著は『詩のこころを読む』である。詩の鑑賞法を説きながら、人生についても語っちゃうアクロバットみたいな本。(茨木のり子「詩のこころを読む」1979)

ジュニア文庫だから、中学、高校生くらいが対象であり、
「生まれて(26p)」「恋唄(49p)」「生きるじたばた(50p)」「峠(88p)」「別れ(37p」
という5つのテーマ別になっている。言葉を変えれば
誕生、愛、生活、老い、死ということにでもなるのだろうか。
全体でほぼ50篇の詩が紹介(外国詩人二人=プレヴェールとラングストン・ヒューズ)されている。谷川俊太郎、吉野弘、黒田三郎、川崎洋、岸田衿子など、 仲間内や、親しい詩人の作品が半分くらいを占めているし、半分以上はMorris.にもお馴染みの作品だったが、今回読んで、あらためて発見したり、教え られるところも多かった。

例えば吉野弘「I was born」を引いて

「頼んで生まれてきたんじゃないや」と憎まれ口をたたく子供も多く、それなのに、 ああしろ、こうしろうるさくて、割りの合わない話と、子供時代には誰もが漠然とそのように感じています。受身形で与えられた生を、今度は、はっきり自分の 生として引き受け、主体的に把握しなければならないのです。考えてみれば、つじつまのあわない、かなり難解なことを、ひとびとはやってのけているわけなの でした。
そういう認識に美しい形を与え、読む人の頭をすっきり統一してくれます。かげろうの話、母の死が陰影となり、一人の人間の生誕が持つ奥行きの深さ、生誕にまつわる神秘をも開示してくれています。

見事な手際の解説である。
こういった素敵なアンソロジーを読むと、好きな詩やなつかしい詩が目白押しで、どんどん引用したくなるが、ここは、ぴりっと決まった、キャッチフレーズみたいな評言(賛辞)をセレクトしておく。

・超大級のおおらかさ--プレヴェール「祭」
・若い時でなければ書けないような、まじりっけなしの純粋さ--谷川俊太郎「かなしみ」
・墨絵のように深沈とした格調--会田綱雄「伝説」
・読んでも照れくさくない恋唄--高橋睦郎「鳩」
・外国のいい詩を、名訳で読んだような--滝口雅子「男について」
・恋の果て、の感慨--滝口雅子「秋の接吻」
・ときどきとなえたくなる呪文の一つ--岸田衿子「くるあさごとに」
・社会現象のシュールレアリズム--大岡信「地名論」
・日本詩歌史上にそびえたつ富士山のような位置--金子光晴「寂しさの歌」
・ものの見事な離陸--濱口國雄「便所掃除」
・自分の恥の痛覚を隠していない--岩田宏「住所とギョウザ」
・詩に必要な想像力の伸びが抜群--谷川俊太郎「愛について」
・1時間のお経よりありがたい--石垣りん「くらし」
・「清福(せいふく)」をしみじみ悟らせてくれる詩--河上肇「味噌」
・完璧としか言いようがない--石垣りん「幻の花」


とても一行以内に収まらないものもあったので、いくらか追加しておこう。

1967年頃に書かれたので、今から十年以上も前なのですが、ここ十年ばかりの間に各地でむやみやたらの地名変更が行政的に進められました。アッと気づい た問には、紺屋(こうや)町、鍛冶町、青葉台、木挽町、長者町、角筈、雑賀(さいか)町、山寺道、狸穴(まみあな)、古くからの由緒ある地名が、本町、緑 町、中央通り、大通りなどという、おもしろくもない町名に変えられてしまっていたのです。
これではならじと、1978年に「地名を守る会」というのが出来、山形県の米沢市のように、さらに踏み込んで、この改悪をくつがえし、すべて旧町名を復活させたところもあります。(「地名論」)


大岡信といえば「折々の歌」の人というイメージかもしれない。Morris.が学生の頃は詩人としてかなり目立っていた気がする。「地名論」は彼の作品の 中では毛色の変わったものだが、今思い出せるのは「春のいそぎ」とこの「地名論」だけだ。それはともかく、地名変更への憤懣はMorris.も共通するも ので、米沢が旧町名を全て復活させたということは知らなかったので、嬉しく思った。

私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きてゆけない農村地帯があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地良く思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。(寂しさの歌)

金子光晴には特別の思いがあったことは知ってたが、この作品は結構長い。200pくらいの新書で作品だけで13p、解説を入れると20pくらになる破格の 扱いである。ここに茨木のこだわりを感じた。Morris.も相当の光晴フリークで、好きな詩は数えきれないほどあるのだが、

「便所掃除」を詩たらしめたのは終わりの四行「便所を美しくする娘は/美しい子供をうむ といった母を思い出します/僕は男です/美しい妻に会えるかも知れません」なのです。(「便所掃除」)

これは「トイレの神様」(2010年植村花菜)の元ネタ、というか、こういった話は昔からあったのかもしれない。

作者が迷子の頃、日本と朝鮮は対等ではなく、植民地化してしまっていました。姓名もすっかり日本名に変えさせたり、朝鮮語を使うことを禁じたり、ひどいこ とをやっています。たとえば日本がどこかの国の植民地になり、明日からはロシア語と英語しか使えないとしたら、老人、子供に至るまでそうするのを強制され て日本語を使えば、すぐさま刑務所にほうりこまれるとしたら、どんなに苦痛でしょう。日本は朝鮮に対し、そういう苦痛を36年間も強いてきました。
かつての非道の幾多の資料、統計、論文を読むよりも、この一篇の詩は、はるかに心にぐさりと突きささり、日本と朝鮮の過去の不幸を照らしだしているのを感じます。(「住所とギョウザ」)

人生体験といえるほどのものをもっていない若者でも、少し敏感な人なら、じぶんの喜びがしばしば他人の悲しみの上に立っていることに気づかずにはいられないでしょう。
しれを考えると身動きできずいじけてしまいますが、それもまたみっともないことで、自分もまたある時は誰かに食われる存在であると思って、せいいっぱい生きるしかありません。(「くらし」)

足りないものは一つもなく、余分なものも一つもなく、菊をみていた視線から転じて、おしまいの二行に飛躍する呼吸の自然さ。「そうして」という接続詞が、 こんなに利いている例もそう多くはなく、全体にふかぶかとした余韻と、詩にはどうしても欲しい<軽み>までそなわっていて。(「幻の花」)

そして、以前読んだ時は、素通りしていたこの詩だけは、全文引用させてもらう。



    石川逸子

遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

遠くのできごとに
人は美しく怒る
(おれはその訳を知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはその訳を知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)

近くのできごとに
人はおそろしく
私たちはちいさな舟のようにふるえた
(吹いていった風)

遠くのできごとに
立ち向うのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向うのは近くの私たち

(あたりまえの歌を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった)
---詩集『子どもと戦争』

アウシュビッツのことや、ユダヤの少女、アンネの悲惨な生涯には、この上ない正義感で怒ることができるのに、同じ頃、日本が中国、朝鮮、東南アジアで、ほ しいままふるまったことには報道のあおるがまま、大喜びでばんざいを叫んでいたし、今でも、かつてのアンネに寄せるような涙を、東洋のアンネたちにそそい ではいません。このアンバランス! よその国でもまったく同じようなことが起こっているのでしょう。

おいまいに、岸田衿子の「アランブラの宮の壁」を死を歌ったものであると見定めて

どうやっても、たった一つだけ、わからないこと(死)があるというのは、考えてみれば、素敵に素敵なことではないでしょうか。そんなことを感じさせ、考えさせてくれる詩です。

と、評したあと、

では
このへんで
この小さな本も
さようなら。

とさりげなく、別れを告げる。美奈子さんの本でもここは当然引用されてたし、あの本の中でも一番、二番に印象深かった。
あの本もこの本もいい本だった。



2015088
【ラスト・コード】堂場瞬一 ★★★☆2012/07/25 中央公論社
父親が惨殺され留学先のアメリカから帰国した美咲。渋谷中央署の筒井は彼女を羽田で迎えるが、その帰路、何者かに襲撃される。しかし、それは序章に過ぎなかった。犯人の標的は筒井?それとも美咲?熱血刑事と天才少女息詰まる逃避行。(ネットから流用(^_^;))
この人の作品はスポーツものと警察ものの二つがメインで、Morris.はどちらかというとスポーツもの、特に野球ものをまとめて読み、そのあと警察もの に移った。本書はもちろん警察もので、多国籍製薬会社の研究家(少女の父)の開発を巡り、中国人の暗躍に、警察、公安、政治家の袖の引き合いで、孤立無援 になった二人に、美人探偵やら、ボランティア警察官(^_^;)の応援、どんどん、トンデモ筋になるのだが、それなりに楽しめた。

ここは、誰も責任を取らずとも社会が動いていく、不思議な国なのだ。

警視庁キャリアが責任をとらずに、情報だけを得ようとする場面での、ト書き。

「私は……やっぱり、研究者タイプの人間なのかもしれない。分からないことがある と、そのままにしておけないんです。最後まで理解できないと、気持ちが悪くてしかたがないから」美咲が笑おうとした。その努力は無様に失敗し、奇妙に引き 攣った表情が現われただけだったが。「どんな小さな謎でも、最後の符号(コード)が見つからないと方程式は溶けないじゃないですか。それって、すごく気持 ち悪くないですか」

タイトルを含む天才少女の台詞。何となく、この作家の芸風がわかると思う。



2015087
【新版 テロルの現象学】笠井潔 ★★★☆ 2013/02/05 作品社。旧版1984年刊。
1984年に書かれた笠井の処女評論集を30年後に再刊、というのもなかなかのものである。Morris.は彼の小説は割りとよく読んでるが評論には手を出さずにいた。数年前に「例外社会」を手こずりながら読んで、いつかは伝説の処女評論も読まねばならないか、と思ってたところに、この新版が出たので、これまた手こずりながら、何とか読了した。

「観念の発生」から「欺瞞」へ、「背理」へという発生史的必然性によって、「暗殺の美学」は「憎悪の哲学」に必然的に転化する。この必然性を厳密に解きほぐし了解しきる作業が達成されない限り、時代はふたたび、殺戮に帰結する理想主義的熱狂の痙攣を呼ぶことだろう。
革命という觀念はステパン的な怖れることなき断定、「理想主義の敵は理想である、革命の敵は人民である」という倒錯のまるごとの自明化に沿って、私たちの 眼前でシベリアからインドシナへと広がっている、今日の惨状にまで歴史的に否定性の自己展開を遂げてきたのだから。とはいえ、「革命を全人類に強制」する ことを誓ったステパンさえ、その僅か十数年後に、ボリシェヴィキ革命の最高指導者であるレーニンとトロツキーによって演じられることになる、血も凍るほど に無残な「觀念の倒錯」のドラマを前にして、なお同じ主張を敢然と叫びえたかどうかは疑問である。(1自己觀念-3觀念の背理)

文体見本という意味もあっての引用だが、これは、疲れる(^_^;) 赤軍派闘争直後、フランスに渡り、そこで、この評論と「バイバイエンジェル」を、同時に書き進めていたことになる。

天皇は2・26将校にとって、また三島由紀夫にとって、近代における自己觀念の典型形態である「革命という觀念」の象徴となっていた。
三島の革命理論は「過程的、中間的なものをすべて無視し、いわば天皇陛下の直接民主主義をを過激に追ひ求めること」といった表現に示されているように、い わば「天皇制アナーキズム」論とでもいえるものだ。近代日本において三島の「天皇制アナーキズム」論に帰結した右翼的・天皇主義的革命思想は、左翼的・マ ルクス主義的革命思想よりもはるかに重要な思想課題を提起している。それは一方で「宗教-法-国家」という共同觀念の累積史に内在する謎めいたものに触れ ているばかりでなく、他方で党派觀念を媒介しない自己観念と共同観念の「直結方式」という、観念の発生史における固有の水準をも体現しているからだ。(2 共同観念-5観念の逆説)


「天皇制アナーキズム」というのは面白い。極右と極左が酷似することは、ほとんど常識に近い(^_^;)が、極左活動が崩壊した後の笠井の心情は、何となくわかる。

いまや世界の民衆叛乱を領導しているのは、宗教と叛乱の融合形態としてのユートピ ア的社会主義であって、科学的社会主義=マルクス主義はただそれへの敵対者あるいは簒奪者としてのみ存在している。マルクス主義がいったん勝者となった初 期社会主義運動にもまた、まったく同じことがいいうる。この点で近代世界の形成期であったブランキの時代と、近代世界の没落期であるこの時代とは、まるで 循環する歴史のように重なりあっている。(3集合観念-9観念の遍歴)

ユートピア=Nowhere、ということを忘れるな。

プロレタリアートという集合態を労働者階級という共同態に矮小化し、革命を「社会 主義」実現のために利用すべき物理力として簒奪し、呪術師、修道士、秘教家、そして蜂起する農民と労働者、ブランキの後継者である革命の技術者(アルティ スト)を全面殺戮したマルクス主義収容所国家の足元から、しかし、ユートピア的叛乱はまたしても甦るだろう。これこそが革命であり、革命が不滅であること の真の意味だ。繰り返すが、革命は[いま、ここ]に、そして、蜂起する[われ/われ]の集合的投企においてのみ真に生きられるのであり、それ以外のどこに も存在しない。(3集合観念-9観念の遍歴)

ソ連式共産党独裁国家への身体的嫌悪感が溢れている。

ウインストンが置かれている世界、それは[二重思考(ダブルシンク)]によって支 配される世界である。モスクワ裁判に象徴されるマルクス主義的収容所国家の普遍的・相対的抑圧という謎を、オーウェルが何よりも二重思考という原理によっ て究明しようと努めた点にこそ、『1984年』という作品に込められた真の独創性がある。
オーウェルがこの作品で、二重思考にまつわるディテールを執拗に描き出すことによって主題化したのは、他ならぬ弁証法的意識の心理学、党派観念の心理学な のだ。それが難解であり誤解されがちであるのは、「主観-客観」という近代的二項対立の世界に読者が疑いを抱かない、あるいは抱きえない限りにおいてであ る。
二重思考は主観的世界と客観的世界を、つまり自己観念の世界を最終的に統合する。統合の場所は、いうまでもなく「党」である。「人間が完全に徹底的な自己 放棄を行ない、自己だけの存在から脱却して党に合体し、自己即ち党ということになれば、彼は全能となり、不滅の存在になる」。ここにおいても、あの「主体 の二律背反」を[止揚]するのは他ならぬ弁証法的権力としての党派観念なのだ。(4党派観念-12観念の自壊)


オーウエルをつい最近読んだばかりのMorris.だけど、旧版の発行年度が1984年。笠井の意識の中に大きく刻印されてたのは間違いないだろう。

テロリズム批判はマルクス主義批判へと徹底化されなければならない。連合赤軍事件 とカンボジア虐殺事件。無惨で異様な、この内外二つの事件によって挟み込まれた1970年代の、暗澹たる時代経験の意味を渾身の力で読み解こうとするモ チーフが、本書の出発点にあった。テロリズム現象の底部に巣喰う観念的なるものの発生史的記述という作業によって、世界を覆うテロリズムの混沌を、基礎的 な三範疇--制度的テロリズム、反抗的テロリズム、相対的テロリズム--へと分節化し、さらにその観念的構成をも必要な限りで可知的なものとなしえた今、 テロリズムをめぐって深められてきた思考は、ここで新たな主題への直面を避けえないことになる。それは、マルクス主義的党派観念と[弁証法=権力知]への 根底にわたる批判であり、集合観念の近代的諸次元--美的、エロス的、革命的諸次元--への根拠にわたる問いかけである。(終章 観念の浄化)

以上までの引用が、旧版の内容からである。正直言って、読むのに消耗してしまった。評論家の評論でなく、実践者による総括、しかも若さ故の生硬さ+観念的文言には、ちょっとついて行けないところもあった。
これから後は「補論 68年ラディカリズムの運命--『テロルの現象学』以後三十年」からの引用になる。ずいぶん文体も変わり、わかりやすくなった(^_^;)

68年に由来するラディカルな思想と運動の前には、、5つの陥穽が待ちかまえてい た.1970年代には「社会主義の夢」、80年代には「消尽の夢」、90年代には「霊的・身体的解放の夢」と「マイノリティ解放の夢」、2000年代には 「自由の夢」がそれぞれ異様な悪夢へと鋭角的に反転し、68年世代の多くが思想的な罠に足を取られていく。
1973年から75年にかけてフランスで刊行されたアレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所群島』によって、68年ラディカリズムの「社会主義の 夢」は「絶滅収容所の悪夢」に反転した。中国文化大革命の暗部とカンボジア虐殺共産主義の暴露、あるいは社会主義国家間戦争など70年代後半の一連の事件 は、『収容所群島』で詳細に描かれた20世紀マルクス主義=ボリシェヴィズムによる相対的テロリズムのグロテスクな反復だった。ソ連や中国などボリシェ ヴィズムとその亜種による「現存する社会主義」が、人類にとって20世紀最大の災厄だった事実は疑問の余地ないものとなる。


笠井らしい、68以降の希望と総括。「20世紀最大の災厄」\(^o^)/
社会主義→消尽→開放→自由という夢と希望が無残に変貌させられてしまったことへの、恨み節。

日本には、ドイツやイタリアとも異なる「克服されざる過去」が存在した。本国の全 土を戦場とし、首都ベルリンが陥落して戦争の最高責任者ヒトラーが自殺するまでドイツは戦争を継続する。イタリアでは蜂起したパルチザンがムソリーニを絞 首刑にした。沖縄を犠牲にしながら本土決戦に日和見を決めこみ、徹底した敗戦さえ回避して曖昧な「終戦」迎えた日本人の第二次大戦体験は、ドイツやイタリ アと明らかに異なっている。日本の親世代の自己欺瞞は二重底をなしていた。アジアへの加害責任や侵略責任に加えて、後に続く者を信じて先に逝った同胞をも 裏切った事実を隠蔽し忘却したのだから。

戦争責任の棚上げ。無責任社会日本を、これだけ根源的に剔抉した文言は珍しい。しかも、概ね的を射ている。二重、三重、いや無限に重なっていく裏切りの上に、今の日本が乗っかっている。

1945年の「終戦」は日本的な無構築思考の典型例である。昭和天皇が「終戦」を主導した事実に示されるように、天皇制こそ日本的無構築性を体現してきた。
第二次大戦の「戦後」は朝鮮戦争の勃発で終わっている。米ソ冷戦の40年間にも「戦後」が続いていると思いこんでいた柄谷は、冷戦とは核戦闘なき第3次世界大戦だった事実に無自覚だったにすぎない。
柄谷が主導し島田雅彦、高橋源一郎、いとうせいこう、田中康夫などポストモダン派の作家が参加した「文学者」の反戦署名の「声明2」には、「世界史の大き な転換期を迎えた今、われわれは現行憲法の理念こそが最も普遍的、かつラディカルであると信じる」とある。高度消費社会を華麗に遊泳していた日本型ポスト モダニズムは、こうして日本的「終戦」の産物である戦後民主主義の地平に後退して雲散霧消した。

冷戦=第三次世界大戦。これは半分当たって半分外れてると思う。Morris.はポストモダンにはまるで馴染めなかった。わかりにくかったということもあるが、それ以上に胡散臭かったのだ。

のちに中曽根康弘が当時の本音を語っているように、国鉄分割民営化の隠された目的 は総評の中心としての官公労、官公労の基軸としての国労を解体することにあった。護憲非武装の立場から自民党右派の改憲再軍備路線を阻んできた、社共総評 による戦後革新勢力の弱体化こそ中曽根の真の狙いだった。日本がバブル景気に浮かれていた1978年に国鉄の分割民営化は完了する。また同年には右翼的労 働戦線統一によって、戦後革新勢力の組織的基盤だった総評も解散した。

突然、国鉄、総評解体という、社会問題が出てきたが、たしかに78年も一つの大きな転機だった。国鉄民営化は悔やんでも悔やみきれないが、その奥にさらに大きな悪意があったということだ。

不況は景気循環の一局面にすぎないと政治家も官僚もエコノミストも信じ込んでいた し、1990年代の小渕政権や宮沢政権の時代には景気回復の刺激として巨額の公共投資が行われ財政赤字の山を築いた。日本経済のアキレス腱となった国家財 政の膨大な累積赤字は、この時期の大盤ぶるまいに直接の原因がある。時代は変わった、もうバブル時代には戻れないという社会意識が芽ばえたのは、1995 年の阪神大震災と地下鉄サリン事件の衝撃によってだろう。
日本でもレーガノミックスと同時代の中曽根時代に端緒がある新自由主義改革を、20年後の小泉政権は完成したにすぎない。
「与えられた20年」とソ連崩壊による新旧左翼の無原則な大量転向は思想的根拠のあるリベラリズムではなく、もはや左翼ではないが保守や右翼でもないとい う「なんとなくリベラル」層を増殖させた。それを2000年代に体現したのが民主党というヌエ的政党だった。


見事な要約。こういうことをやらせたら笠井は上手い。民主党への悪態も堂に入ったものである。

1999年の改正男女雇用機会均等法と同年に労働者派遣事業法が成立する。派遣法 は改悪を重ね、今日ではあらゆる業種に派遣労働者が溢れている。また派遣労働者など非正規・不安定労働者は就業人口の1/3を占めるに至った。使い捨て労 働力の確保を目的とした「雇用の柔軟化」は、いうまでもなく新自由主義に特徴的な労働政策である。とすれば、均等法とは女性労働者を標的とした新自由主義 的改革だったのではないか。

ここらあたりから、笠井の論調は急に凡庸なものとなり始める。というか、投げてるのかも。

2010年代の日本の新自由主義国家は排除/包摂のメカニズムを二重化し、それでも包摂しきれない社会的不満は新排外主義で吸収するという路線に向かうだろう。[反差別]大連合は社会的包摂の機能と希望を託した「新しい社会運動」の末路といわざるをえない。
対米従属による「平和と繁栄」を謳歌した戦後日本はすでに「戦争と衰退」の21世紀に足を踏み入れた。衰退が戦争を、戦争が衰退を加速する21世紀日本 は、肥大化した公安権力=パブリックなセキュリティ権力によって押し潰されかねない新自由主義的な例外社会の抑圧に対向する思想的基軸を立て直すために も、68年ラディカリズムの核心だった「自由」の要求が意味するところを再考する作業は不可欠だろう。

かなりの悲観史観である。

十年以上の歳月を置いて改めて眺めてみると、あの1960年代後半の数年間とは、 ブランキ主義者とフーリエ主義者が活動した、1848年の世界革命に呼応する、もうひとつの世界革命だったことがよく判る。この60年代後半の世界革命の 理念こそ、ル=グィンが『世界の合言葉は森』で描き出したものに他ならない。それは管理社会的侵略に抗議するだけでなく、その構造的根拠である近代世界と その支配精神である科学主義や人間主義そのものに対してのラディカルな批判であった。(『機械じかけの夢』)
68年の思想的核心が自由の要求だったことは疑いない。学生に占拠されたアメリカの大学キャンパスではフリースピーチからフリーセックスにいたるまで、も ろもろの自由(フリー)が乱舞していた。日本語ではフリーダムもリバティも「自由」と訳されるが、あの68年世代が要求したのは自由(フリーダム)であ り、だからこそ自由主義(リベラリズム)の自由(リバティ)を拒否したのである。


FreedomとLibertyの相剋、そもそも日本語の「自由」からして、どこかとりとめないものだった。Morris.にはいまだに理解不能な不自由な思考に囚われているようだ。

あらためて強調しておきたい。1970年代のチリにはじまり80年代に英米で確立 され、「現存する社会主義」が崩壊した90年代以降にグローバル化して日本でも全面化する新自由主義とは、68年の自由要求に触発され、あるいはそれに強 制された資本と国家による受動的革命にほかならない。1848年革命の平等要求は、ナポレオン三世やビスマルクによる社会政策や福祉政策という受動的革命 をもたらした。歴史をなぞるように68年革命の自由要求は新自由主義という受動的革命に帰結し、「自由の夢」は「新自由主義の悪夢」に裏返されていく。

聞くごとにアレルギー症状を引き起こしそうな「新自由主義」の定義として、なかなか説得力がある。ここにもfreeとlibertyの相剋が感じられる。わしらは悪夢の世界に生きている。

68年のラディカリズムは「自業自得の潔さ」という格率を掲げて規律権力のパター ナリズム(父権主義)に対抗した。しかし切断線も曖昧なまま「自業自得の潔さ」は新自由主義的な「自己責任」に転化していく。68年の行動的ニヒリズムを 貫いて新自由主義の賞賛者になった村上龍は、この罠に足を取られたと言わざるをえない。

村上龍が新自由主義の賞賛者という指摘にはちょっとびっくりしたが、言われてみればそうかもしれない。

社会主義の崩壊によって到来した21世紀社会こそ「汝、斯くなり」の権力を完成す るのではないか。自生する生権力のネットワークは、露骨な「支配」や「管理」とは縁遠いように見える。しかし「自由」になればなるほど、われわれは無自覚 のうちに秩序化されていく。コントロール権力の精緻きわまりない支配と比較すれば、かつての弁証法的権力は「汝、斯くなり」の初期的で粗雑な形態だったと 考えざるをえない。

いやいや、今や支配の管理傾向はどんどん露骨になっている。

近代の革命の前身は中世末期の千年王国主義運動だった。清教徒革命は勝利した千年 王国主義運動だし、既成社会の全面破壊と一挙的な更新を求めた点で、フランス大革命にも千年王国主義的な指向性は明瞭に認められる。1848年革命やパ リ・コミューンにも同じことはいえるだろう。社会変革運動が社会の合理的で漸進的な改良として構想されるようになったのは、19世紀後半にマルクス派が勝 利を収めてからだ。社会民主主義的な改良運動とその成果である福祉国家に異を唱えた68年ラディカリズムには、千年王国主義の反時代的な復活という面があ る。

68年ラディカリズムこそ笠井がその中核になってたわけで、その当人が千年王国の反時代的復活というのは見過ごせないところ。

オウム教団は職業革命家ならぬ出家信者を中核とした厳格なピラミッド状の組織、疑 似的解放区の形成、国家権力への野心、無差別テロと武装蜂起の秘密計画などの諸点で、ほとんどボリシェヴィキ党派の戯画である。しかし逆説的にも戯画のほ うが、内ゲバ戦争に明け暮れていた新左翼党派を凌駕する強大な組織を建設し本格的な武装化を達成した。
オウム教団の「武装蜂起」は68年の敗北の帰結にほかならない。しかもオウム真理教の地下鉄サリン事件は、ニューヨーク貿易センタービルを倒壊させた9・11攻撃の先取りだった。観念的倒錯の必然性は世界的な規模で左翼的観念から宗教的観念に転移していく。


オウムをボリシェヴィキの戯画と見、68年ラディカリズムの帰結とするあたりは、68当事者である笠井ならではの感想である。しかし、左翼的観念から宗教的観念に移るというのには、疑問を感じる。

新自由主義革命の旗手だったマーガレット・サッチャーに、「社会は存在しない」と いう"名言"がある。小さな政府を標榜して社会的国家=福祉国家を攻撃する新自由主義は、規律権力の重層的な体系としての市民社会を解体していく。市民的 主体はそれぞれが孤立した微細な経営者=資本主義に変貌し、自己責任の名において露骨な市場競争に駆り立てられる。規律化する装置としての学校や企業をは じめとする社会組織は、これまで資本のアナーキーや暴力的な競争から諸個人をパターナリズム的に「保護」してきたのだが、民営化と規制緩和によって縮減さ れた新自由主義国家と、敵対的に競争しあう諸個人のあいだにいまや「社会は存在しない」。

民主党政権の迷走が誰の目にも明らかとなっていた2011年3月11日、未曾有の 大地震と大津波が東日本を襲う。続いて史上最悪レヴェルという福島第一原発事故が、国民に第二次大戦後最大ともいえる衝撃をもたらした。ドイツやイタリア の明確な「敗戦」とは異なる欺瞞的な「終戦」によって、戦後日本は対米従属を前提とする「平和と繁栄」を享受しえた。それをエネルギー供給面で支えたのが アメリカに管理された原子力発電である。「失われた20年」を通じても曖昧に生き延びてきた日本経済復活の期待は、福島原発事故によって最終的に息の根を 絶たれ、戦後の「繁栄」路線の失効は国民意識の上でも疑いないものとなる。

神戸地震と東日本震災、ともに自民党の総理でないタイミングを見計らったみたいに天災が襲うというのは、何かの陰謀ではないかと思いたくもなるのだが、福島原発事故が「敗戦」という意味を持つと考えるべきかもしれない。

68年の自由(フリーダム)を裏返した新自由主義の「革命」に対抗し、コントロー ル権力とポストフォーディズム(工場や事務所などで雇用されている賃労働者だけでなく、社会全体を剰余価値生産に総動員させる体制)の例外社会を突き破る 大衆蜂起の時代はようやく開幕したばかりだ。2010年代の叛乱は68年世界革命の限界を声、[生存のためのサンディカ]の重畳するネットワークと[世界 国家なき世界社会]の方向に一歩でも歴史の歯車を廻しうるだろうか。
開始された叛乱を極点まで導くには、かつての敗北の根拠を自覚的に教訓化しなければならない。敗北の自己批判として観念的倒錯の完成形態である党派観念の 病理を徹底的に検証した『テロルの現象学』が、いま大衆蜂起の時代に足を踏み入れようとしている若い世代の参考になることを願う。


大衆放棄の時代、いや大衆蜂起の時代の若者なんているのだろうか、と思いながら、先般のシールズなどを考えても何か違うと思ってしまう。

本書の原型となった未発表の私稿「観念論」は、『バイバイ、エンジェル』と同じ1975年にかけての、最初のフランス滞在時代に書かれた。私稿「観念論」は、本書の前半部である「自己観念」および「共同観念」の部分をほぼ覆っている。
この程度の本を書くのに十年もかかってしまったという自身の無能と怠慢を責める気持はもちろんある。しかし本書の完成のためには、個人的な努力だけではど うにもならない、なにか時代的な成熟といったものが必要だったのだという気もしないではない。イラン革命と光州蜂起の経験がなければ「集合観念」の部分は 書かれえなかったであろうし、同様にカンボジア虐殺事件とヴェトナムのボート・ピープル問題を経験しなければ「党派観念」の部分もまた、やはり書かれえな かったに違いない。(旧版あとがき)

韜晦と自負と自責が綯い交ぜになった一文である。

『テロルの現象学』の著者として心から喜びたいのだが、人類の災厄でしかないマルクス=レーニン主義の革命は、もう二度と起こらないだろう。(文庫版あとがき)

ソ連崩壊は彼にとっても予想外のことだったろう。人類の災厄というのは過去にも言挙げしてるが、これも一時期自分の血肉であったはずの思想への自己嫌悪が含まれているようだ。

ドストエフスキー『悪霊』の登場人物であるキリーロフは、人間が神になる人神論を 唱え、「地球と人類の物理的変化」を予感し、そのための哲学的自殺を企てる。『悪霊』の読書は中学生のときだが、続いて読んだA・C・クラーク『幼年期の 終わり』には、「地球と人類の物理的変化」の具体的なイメージが鮮やかに描かれていた。わたしのユートピア構想は、この二冊の小説で基本的に決定された し、それは半世紀後の今日にいたるまで変わることがない。
願望を現実と取り違える類の万年危機論者は若いころから軽蔑していたし、1968年の世界革命が敗北して以降、危機という言葉を口にしたことは一度もない。しかし40年という歳月を経過し、またしても危機は到来したのである。
危機といっても、マルクス主義者が期待する恐慌や戦争のような一過性の世界危機ではない。社会がモル状の固定化から分子的な散乱状態に雪崩れこむ局面のこ とで、人々がこれまでと同じようには生きられない、暮らしていけないと実感する時代を意味する。(新版あとがき)

クラークの「地球幼年期の終わり」はなつかしい。幼年期の後には少年期、青年期、壮年期、老年期と続くのだろうか、そしていまは少年期なのか?それとも一 切飛び越えて一挙に老衰期になっているのではという終末論につい傾きがちなMorris.の今日このごろである(^_^;)


2015086
【警官の血】佐々木譲 ★★★☆☆ 2007/09/25 新潮社。
警察官三代記を、戦後の時代背景を描きながら、全体を貫謎解きのストーリーがある。上下あわせて800p近くを一気に読んでしまった。
戦後民主主義警察の誕生から、反動化、官僚化、労働組合、学生運動、裏社会とのかかわりなども、しっかり書き込んである。この人の作品は「エトロフ発緊急 電」「ベルリン飛行指令」の第二次大戦のスパイ小説連作を読んで、エンターテインメントとして楽しませてもらった記憶があるが、警察ものでもスパイ小説の 要素がある。

2015085
狭山事件 石川一雄、41年目の真実】鎌田慧 ★★★☆  2004/06/01草思社。
差別による冤罪事件として有名だが、本書が出たのが41年ということは、すでに半世紀超えてることになるのか(@_@)

非識字は石川一雄一人だけの問題ではない。石川家および菅原4丁目、さらには被差 別部落全体にかかわる問題だった。もっている者が、もっていない者の痛みを理解できないように、文字を読める者は、文字を読めない者の痛みを共有できな い。相手を理解しようともしないのが差別意識であり、刑事も検事も判事も、当時の一雄には脅迫状さえ書くことができないとは考えられなかった。その常識が ストレートに犯人視にむすびついたのだ。

この図式は重い。重すぎる。

自供させた取調官は、自供だけでは証拠として弱いので、本人の自発的な意志による供述である、と証明する「物的証拠」をつくりたがる。裁判官がそれに惑わされがちなのは、活字人間のつねとして、なによりも書かれたものを信じやすいからである。

この権力の思考様式は、現在までも連綿と続いているような気がする。


2015084
【トンネル工法の“なぜ”を科学する】大成建設 ★★ 2014/01/30 アーク出版。
前から高速道路などのトンネルを通るたびに、どうやって掘ってるのかなと疑問に思ってたので、借りてみたのだが、ハズレだった(>_<)。
何だか大成建設のトンネル工事の報告書みたいな感じがするのと、文章が拙いのと、Morris.の頭の造りがこのての本に向いてないのかもしれない。
いちおうトンネル工法は、

1.山岳工法
2.シールド工法
3.開削工法
4.沈埋(ちんまい)工法

に分けられる。ことくらいは理解できた。しかしこれくらいのことなら、ネットで調べればわかることだ。


2015083
【共鳴】堂場瞬一 ★★★ 2011/07/25 中央公論社。
元刑事の祖父と、引きこもりの孫が近所の事件を二人で探ることになり、という、いかにも作り物めいたプロットの作品。

「80年代--当時は、まだ、パソコン通信の時代だった。俺の間隔では、あれはハムだな。
掲示板サービスの始まった90年代初頭のネット人口はどれぐらいだったろう……あの頃は、実名を晒す人も珍しくなかった。最先端の娯楽を楽しんでいる孤高の少数派、という自負もあっただろう。」


パソコン通信という言葉に懐かしさを感じた。ただそれだけ(^_^;)


2015082
【世界地図の読み方】池上彰 ★★★ 2010/10/04。小学館。

ドバイの経済体制を支えているのは、石油ではないのです。ドバイの石油産出量はたいしたことがなく、まもなく石油がなくなってしまうともいわれています。
現ドバイ首長のムハンマドとその父ラシード目首長が、石油に頼らずにすむ経済体制の構築を目標に国づくりをしてきたことが今につながっているのです。目指 したのは、金融独立国、観光立国、貿易立国です。海外から資金を調達して、ペルシャ湾を望む世界最大級の人工貿易港ジェベル・アリ港を開港しました。しか もドバイ全体を免税地区にし、行き来する貨物に税金がかからないようにしました。その結果、今や世界120カ国以上、6400社の貨物が集散する世界物流 のハブ港となっています。

ドバイは地域的にオイルマネー立国と思い込んでただけに、ちょっとびっくりした。





2015081
【チャイナ・インベイジョン 中国日本侵蝕】柴田哲孝★★★ 2012/11/29 講談社。
中国人が、北海道など日本各地で国防上重要な土地を買い漁ってる事実を追う自衛官、公安、ライターが真相を追う、という、国策?小説。かなり右傾化小説でもある。

無尽講は、正確には"頼母子講"と呼ばれる。その発祥は定かではないが、鎌倉時代 (13世紀)頃に始まった庶民の相互扶助を目的とした一種の給金組合で、日本各地によって名称も異なる。沖縄のモアイ(模合)、石川県の預金講、会津のム ンジン(無尽)もそのひとつだ。基本的には一口当たりの金額を定め、参加者の全員が掛け金を支払ってこの口数を埋める(相互掛け金制度)。満額になったと ころで参加者の全員に平等に分けられ、お陰参り(一生に一度の伊勢神宮参り)などの費用に充てることを主旨とした。だが一方ではクジなどを用い、一人もし くは一部の者が掛け金の全額を独占する投機的な方式もあった。
江戸時代になると無尽講はさらに日本各地に広く浸透し、次第に一種の金融組合としての組織形態を確立していった。町や村といった地域だけでなく、農業や工 業、漁業などの職業別の無尽講も各地に発生し、一部は諸藩の地域経済などに影響を与えるほど大規模化する講も現れた。明治時代にはさらにこの傾向が強くな り、無尽講の営業を目的とした会社組織までが多数出現した。
規制法が制定されてから、全国の無尽講は急速にその形態を変えていった。ネズミ講や詐欺的なものは次々と姿を消し、合法的かつ大規模な組織や会社は金融機 関と鳴って生き残った。近年まで日本各地に存在した"○○相互銀行"と名の付く金融機関は、ほとんどが大規模無尽講の末裔である。他にも会社内や商店会の 旅行や飲み会の積み立て、冠婚葬祭の互助会として相互掛け金の形態は存続するが、"無尽講"という言葉自体はいつの間にか忘れられていった。


ストーリーとはほとんど関係ないのだが、この無尽講の解説は興味深かった。「相互銀行」が無尽講由来というのもね。


2015080
【名作うしろ読み】斎藤美奈子★★★☆☆  2013/01/25 中央公論新社
これはかなり以前に読み終えてた。それよりさらに前に本書には出会いながら、手にするのをためらってた。
世間に、名作の書き出しの一文を集めた本は結構多い。しかしおしまいの一文を集めた本は見たことがなかった。これは新機軸である、とは思うものの、読んだ 本ならともかく、未読の本のおしまいを先に読んでしまうというのは、何だかなあ、という気分があったことは否めない。何度か逡巡して本書を手にとったきっ かけが、おしまいのあとがきにこうあったからである。(^_^;)

お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。
結論から言えば「着地がみごと決まって拍手喝采」な作品はむしろすくない。「こ、ここで終わるの?」な作品あり、「この一言は蛇足ちゃう?」な作品あり。 書き出しで読者の心をぐっとつかみ、フィニッシュをピタッと決めて美しく舞台をさりたい。そう願っても、人生と同じで本てのも、そう上手くはいかないので ある。(あとがき)


犯人探しだけが目玉という、ミステリーならともかく、「名作」と銘打たれるくらいの本なら、そのとおりに違いない。ということで、読み始めたら、これが、 なかなかに面白かった。おまけというか殆どの作品の、書き出しの文も併載されてたし、美奈子さんの「本読み巧者」ぶりが遺憾なく発揮されていて、笑わされ たり、驚かされたり、煙に巻かれたりだった。
読後、これだけは読んでおかねばという本が数冊あったりして、ついこちらの紹介が遅くなったというところもある。やっぱり美奈子さんは凄い。
以下の引用では、特におしまいのフレーズを引いてるわけではない。為念。

思えば『雁』には天然キャラの岡田に対する軽い嫉妬が流れている。お玉の恋路を「僕」は最初から邪魔したかったのではないか。女に選ばれなかった男が、読者に八つ当たりしているような終わり方だ。(森鴎外「雁」1915)

「雁」はちょっと前に再読しただけに、この指摘がすんなり理会できた。Morris.も鴎外の初期作品の登場人物って、結構こういった、尻の穴の小さい輩が多いような気がしてた。

主人公の死を、人生の終わりではなく、歴史のはじまりと考える。この瞬間「歴史を変えた男」としての龍馬像がたぶん固まったのである。
『竜馬がゆく』の欠点はおもしろすぎることだろう。龍馬ならぬ竜馬が読者の共感を呼ぶのは、彼の行動原理が、近代人だからである。が、それは司馬史観によ る龍馬ならぬ竜馬像。虚像だとまではいわないが、冒頭で源爺ちゃんが桜の木に咲かせた「紙の花」みたいなものかな。(司馬遼太郎「竜馬がゆく」1966)


上手いもんである(拍手) 実際の龍馬と司馬版竜馬の差異をあっさり「紙の花」よばわりするあたり。作者が生きてたらこんな物言いはできんだろうけど。でもたしかに面白すぎるくらいオモシロかったなあ。

表題の異邦人(エトランジェ=L'Etranger)とは共同体から排除された 者、くらいの意味。英語式にいえばストレンジャー(The Stranger)だ。もし書き出しが、「きょう、オカンが死んだ」で、一人称が「おいら」だったら、印象はちがったかもしれない。ムルソーは少し変わっ たところはあるが、プレゼンテーションが下手な普通の若者なのだ。(アルベール・カミュ「異邦人」1942)

「ママン」と「オカン」が字数と響きまで一緒というあたりが、笑いを倍加させる。たしかに、漱石の「吾輩は猫である」の翻訳で、各国の訳者がどのように訳したか並べくらべてみたいものだ。ムルソーをプレゼンテーション下手と言うあたり美奈子節炸裂ぢゃ。

みんな生きていたら、さぞや修羅場になっただろうからな。日本文学にも多大な影響を与えたツルゲーネフ。この人のせいで明治大正の恋愛小説がああなったかと思うと複雑だ。(ツルゲーネフ「初恋」1860)

日本の恋愛小説が「--のせいで」ああなったという、責任追及みたいな口ぶりがおかしい。彼女には「複雑」ぢゃなく、「単純」すぎと思ったにちがいない。

終盤を飾るのは「オシアンの歌」なる、英雄と愛と死を描いた古い叙事詩である。死 の前々日、これを読んでテンションを上げるウェルテルとロッテは、まるでカラオケで盛り上がる現代の若者と人妻のようだ。詩に感化されて死を選んだ青年。 それにまた感化された後世のおびただしい読者たち。青春の書の感染力はおそろしい。
悲劇は戯曲の専売特許だった時代に、小説でも悲劇が書けると証明した作品。(ゲーテ「若きウェルテルの悩み」1774)


今度はウェルテルとロッテをカラオケで盛り上がる二人に例える(^_^)/ 決めの一言も見事。

『細雪』は、雪子の見合いを軸に進行する物語、いまどきの言葉でいえばアラサー女性の婚活小説だ。(谷崎潤一郎「細雪」1948)

言いたい放題である。正解でもあるだけにね。

『パルタイ』に欠けているのは破壊力である。《学生》《労働者》《革命》といった単語を《》で囲ってちりばめた、若気の気負いが目立つ短編。行動は一見破滅的だが、最後の一文に語り手が躾のよいお嬢さんであることが透けて見える。(倉橋由美子「パルタイ」1960)

倉橋が生きてたらこんなこと書けなかったにちがいない。「パルタイ」はそれほでもなかったが、他の作品で結構倉橋フリークだったMorris.はいささか複雑な思いである。

これこそがシンデレラ物語にふさわしい幕切れなのだろうとは思う。原題の「ダディ・ロングレッグス」とはザトウムシのこと。元祖「伊達直人」は意外な色男だった。最初から下心込みだったのかも。あやしいっ!(ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」1912)

Morris.はdaddy long legsは幽霊蜘蛛というクモの仲間と思ってた。ザトウムシは調べてみたらダニの仲間で、たしかに足は長いし、原書に出てくるジョディのイラストに見えな くもない。まあ、これはどっちでもいいか。「伊達直人」がダディ・ロングレッグからの借用とは知らなかった。
美奈子さんはローリーに下心があったかのように、思ってるが、Morris.は、逆のことを考えていた。

親 愛 な る J.A. 君と脚長伯父様の何れが戀の手練れだつたか今だに解らず 歌集『偏奏曲』

彼女の隠れた名著は『詩のこころを読む』である。詩の鑑賞法を説きながら、人生についても語っちゃうアクロバットみたいな本。(茨木のり子「詩のこころを読む」1979)

たとえば、この一文を読んで、以前読んだことのある「詩のこころを読む」を再読しなくてはと思ってしまった。

階級や家格や財産がいちいち恋愛に影を落とす。頼みもしないのに家族や親戚はしゃ しゃり出てくる。セレブの世界は、まことに面倒くさい。ジェントリーと呼ばれる下級地主階級では、玉の輿にのる以外、女性が生きる道はなかった。富豪で人 格者(そのうえ表面上はチョイワル)のダーシーは理想の王子に見えるけど、そのへんは少女マンガのノリってことで。
いわばイギリス版の『細雪』である。(ジェーン・オースティン「自負と偏見」1813)

少女マンガのノリ&イギリス版『細雪』\(^o^)/ 実はMorris.はこの本読まねばと思いながら、結局未だに未読である。読まねば(^_^;)

2008年、まさかのベストセラーになった、プロレタリア文学の代表的な作品であ る。長く文学史の中で眠っていた作品が再び時代の脚光を浴びたのは、原題の派遣労働者らの実態が『蟹工船』と重なるからだったといわれる。昭和のプロレタ リア文学式にいえば「階級的な目覚め」だが、平成の格差社会風にいえば「ワーキングプアの逆襲」だろう。(小林多喜二「蟹工船」1929)

Morris.も読んでないプロレタリア作品が今の若い世代の共感を呼ぶというのは、奇跡に近いが、それを「階級的な目覚め」と持ち上げて、すとんと落っことすところなんか、惚れ惚れしてしまう。

「本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに 高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる」これが最後の一文。園芸家の目で見れば、年月がたつことこそが至上の喜 びだ、というのである。現在という土の中にも、見えないだけで、たくさんの芽が育っている。現在を悲観するなかれという作家、いや園芸家からのささやかな メッセージ。
当時のチェコはナチスの侵攻前夜。作者は抵抗を続けていた。と考えると、この結末にももうひとつの意味が加わる。兄のヨゼフ(後に強制収容所で死亡)の挿絵も楽しい本。(カレル・チャペック「園芸家12ヵ月」1922)


この本は小松太郎の訳で文庫本だけど愛読してた。たしか誰か(高山くん?)にプレゼントしたと思う。引用はしなかったが「本書は園芸家の必読書」というのも、一種のギャグだった。でも、いい本だと思う。

明治以降のエリートは諭吉の教えを曲解し、争って学歴の取得を目指したが、これからはラストの一文を広めたい。人間関係で悩む若者にはぜひ一言。諸君、「人にして人を毛嫌いするなかれ」だよ。福沢諭吉もそういってるよ。(福沢諭吉「学問のすゝめ」1876)

書き出しは有名な「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」だが、おしまいの、「人ニシテ人ヲ毛嫌イスルナカレ」と、整合性はありそうだ。これはいわゆる「福沢心訓七条」(「福沢諭吉は謎だらけ。」清水義範参照)に通じる感じがする。

血なまぐさい出来事をすべて無に返す桜。
これは「色は匂へど散りぬるを」ではじまり「浅き夢見じ酔ひもせず」で終わる「いろは歌」の世界に近い。つまりすべては諸行無常だと。(坂口安吾「桜の森の満開の下」1947)


これは学生時代に読んだはずだが、内容は記憶にない、そして再読しようとも思わないが、いろは歌はほんとうによく出来ている。

わが身を不本意と感じながらも、どうすることもできない主人公。変わってしまった 息子を持てあまし、おろおろする母、りんごを投げつける父、食事だけは運びながらも徐々に世話をしなくなる妹。彼の姿は引きこもりの少年や、うつ病のサラ リーマンや、要介護になった寝たきりの高齢者を思わせる。描かれているのは、介護者と被介護者の現場なのだ。
グレーゴルが死んで「厄介払い」をした後に訪れた新しい希望。なんとブラックな結末か。でも、この開放感も身に覚えが……。昨日のザムザ一家は今日の私たち。とても他人事と思えない。(カフカ「変身」1915)


昨今の日本の実情と比較したくなる気持ちは痛いほどわかるし、最後のブラックユーモアも後効きしそうだが、美奈子さんにしては直截過ぎではなかろうか。

親友(恋人?)のクイークェグを失い「孤児」となった悲しみが、語り手イシュメールを鯨学に向かわせたのではなかったか。なぜって鯨は親友(恋人?)の思い出に直結するからだ。そう思うと、いっけん退屈な鯨学の部分まで切なく感じる。ゲイ文学の傑作に認定したい。
船の名のピークオッドは白人に虐殺された先住民の部族の名前。白い巨鯨(レヴァイヤサン)は巨大な白人国家アメリカを連想させる。(メルヴィル「白鯨」1851)


これはMorris.は中学生のときに、河出書房の世界文学全集で読了した。特に冒頭の長いクジラの博物誌みたいな部分に圧倒されたことは今でも覚えている。女の出てこない小説とはいえ「ゲイ文学」のギャグはちょっとお下劣かも。

「どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていた」。新大統領の誕生に熱狂した大国も、政権交代に湧いた極東の島国も、この通りだった。
今日の国家や政治を考えるうえで、これほど適したテキストはちょっとない。「逆ユートピア小説」とも呼ばれる作品。作中の風車は、ほとんど現代の原発のごとしである。(ジョージ・オーウェル「動物農場」1945)


昨年ちょっとオーウエルを読み漁ったところだったから、解説も分かりやすかった。しかしあの風車を原発と見るか? 再再読が必要かも。「動物農場」再読は、原発関連本を片っ端から読んでた時期に重なるだけに、返って風車と原発を同一視できなかったのかもしれない。

司馬遼太郎『街道をゆく』を指して<行政当局が敷いてくれた取材ルートに乗〉り、<その土地のサワリの部分を、文人気質でサワッてみ〉るだけの旅だと批判する中上。『紀州』の方法論は全く逆だ。
作家の関心は一貫して「差別・非差別」に向けられる。熊野三社のひとつがある本宮では、古い神社跡のの石碑に刻まれた「禁殺生穢悪」の文字に見入る。牛肉で有名な松坂では、有名牛肉料理店の前に屠場を訪れる。
みなが参拝する伊勢神宮の森ではなく、その裏にある墓地に心を寄せる。バイオリンの弦などに使う、塩漬けされた馬の尻尾の毛を抜く青年の話など、一度読んだら忘れないだろう。
そんな旅の最後に作家は書くのだ。<紀伊半島で私が視たのは、差別、被差別の豊かさだった。言ってみれば「美しい日本」の奥に入り込み、その日本の 意味を考え、美しいという意味を考える事でもあった〉。そして最後に<ここは輝くほど明るい闇の国家である〉。(中上健次「紀州--木の国・根の国物語」1978)


中上健次には、強力な磁場を感じながら一冊も読めずにいた。でも、今は一冊だけ読んでることになる。それがこの「紀州」で、きっかけは、本書だったが、そ れは上記引用の「バイオリンの弦などに使う、塩漬けされた馬の尻尾の毛」だった。馬の毛なら「弦」ではなく「弓」じゃないかと思ったからだ。原文を確かめ ようと、中央図書館の書庫から出してもらい、確認したら、

とある村では、バイオリンに使う弦(ゆんづる)の最初の作業過程を身、切り取った肉のまだついた馬の尻尾から毛を抜き取る青年にあった。腐肉のにおいのたつ工場で、塩洗いしてあるという尻尾の、塩の味をしりたくて、毛をなめた。(序章)

これは序文で本文にも類似の描写はあるのだが、中上は「弦(ゆんづる)」と表現している。「ゆんづる」は「弓と弦」という意味なのかな。それならぎりぎりセーフである。バイオリンの弦はガット(羊の腸)で作るし、今は合成素材だろう。
弘法も筆の誤りということもあるし、重箱の隅を突くみたいな物言いになってるのは重々承知なのだが、この「うしろ読み」でも取り上げてあった「あ・うん」 (向田邦子)に、これが出てきたことを思い出したからだ。これも図書館でチェックしたら「蝶々」という短編に以下の部分があった。

ほかのことではかなり器用な門倉も、ヴァイオリンは別らしく、なかなか音らしい音が出なかった。
「羊の腸を縒ったものに、馬の尻尾をこすりつけて音を出そうというほうが手品なんだ」(「蝶々)


当然、美奈子さんもこの部分は読んでるはずで、それで、ちょっと、しつこくからんでみたのだった。

戦前は「大和魂」、戦後は「民主主義」が空気であった。そして新しい空気の中では、過去は「私は当時ああせざるを得なかった」」という形で必ずうやむやにされるのだ。
国家の意思さえ左右する空気。同調圧力。場の雰囲気。ムード、いかようにも言い換え可能だが、いまも「空気」で説明できそうなことは多い。学校も会社も官庁も。
問題はしかし、空気から脱して自由な発言を確保するにはどうするか、であろう。本書はそれには答えない。答えず<本書の主題は、"空気"を研究して まずその実体をつかむことだからである〉と逃げてしまうのである。空気だから「実体をつかむ」だけでも容易じゃないってか。なんとなくこう、騙された気 分。「空気」さえ批判してればすむのだって「空気」だし。(山本七平「「空気」の研究」1977)


空気の研究」は、Morris.は2012年になってやっと読んだ。Morris.も何となく騙されたみたいな気分だった。美奈子さんのおしまいの決め言葉に一票。

聖徳太子は「倭人」であって「日本人」ではない。「百姓」とは「農民」と同義ではなく、漁民、山民、商人、廻船人、職人など、たくさんの「非農業民」を含む概念だった。
歴史の転換点は14世紀ごろにあり、その前後で社会のあり方は大きく変わった。そして現代はこの14,5世紀に匹敵する大きな歴史の転換期にある。
戦後歴史学の常識に逆らった、じつは過激な書。(網野善彦「日本の歴史をよみなおす(全)」1991)


美奈子さんにしては、えらくストレートに褒めてる?ようなので、これも読まねば、と思いながら、果たせずにいる。

<現在、日本人は、軍国主義を失敗に終わった光明と考えている〉と彼女はいう。今後は世界の動向にかかっている。日本は他国の動静を注視し、軍国主義が失敗でなかったと知れば、再び戦争に情熱を燃やすだろう。
他を見て自身の態度を決める日本。外圧に弱い国への皮肉に近い。これが「恥の文化」の実態なのだ。ちなみに「菊」にも天皇の含意はない。(ルース・ベネディクト「菊と刀」1946)

これは一時比較文化論の代表として喧伝されたので、Morris.も読んだのだが、ほとんどなんも覚えてなかった。菊が菊花展や菊人形など、日本の手の込 んだ園芸の技のことで、天皇の菊の紋とは無関係というのも初めて見たような気がした。でも、これは再読する気にはならない。

復讐劇にもいろいろあるが、最強の一冊は、やはりエミリー・ブロンテ『嵐が丘』だろう。
ヒースクリーフ(ヒースの崖)という名の由来にもなったヒースは、このへんの荒れ地に茂る植物の総称だそう。(エミリー・ブロンテ「嵐が丘」1847)


「最強」という形容詞がいいね。西田佐知子「エリカの花散る時」のエリカという花は、見たこともないまま、何となく憧れていた。これがヒースの仲間だと 知ったのは随分後のことだった。「嵐が丘」は「文学と悪」(バタイユ)で、蠱惑的な批評に出会い、これに釣られて読んだ記憶がある。異常な作品だという思 い込みがある。

この小説は一族の誰に対しても特別な思い入れを示さない。語り手はあくまで批評的な地位にあり、どんなに悲惨な逸話にも滑稽みがただよう。ラストの龍子も少し滑稽だ。家族の没落を描いた古今東西の作品の中でもまちがいなく一級品。台所目線の勝利である。(北杜夫「楡家の人びと」1964)

「楡家の人びと」はリアルタイムで読んだ。あの頃は北杜夫のマンボウシリーズに夢中だった。なかでも「マンボウ昆虫記」はもう一度読みたい。そして2012年にも再読したな。滑稽みがあるのはたしかだが、良い作品だと思う。この作品の元ネタ(^_^;)でもある、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」も訳本で読んだはずだ。

田山花袋『蒲団』からはじまった私小説の系譜は、質量ともに厚みのある『死の棘』で終わったといってもいいように思われる。なんにせよ、読者を(文壇も)震撼させた夫婦間バトル。彼や彼女のケータイ履歴が気になるあなた、こうなる覚悟はできてます?(島尾敏雄「死の棘」1977)

これは読んでないし、読もうとも思わないが、私小説にとどめをさしたという表現に驚かされた。



2015079
【闊歩する漱石】丸谷才一★★★ 2000/07/28 講談社
「坊っちゃん」「三四郎」「吾輩は猫である」をネタに、博覧強記ぶりを披露したエッセイ3篇。一種のトンデモ本といえるかもしれないが、ちょっと食い足りなかった。

「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モゝンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」(坊っちゃん)
すつきりした罵り言葉といふのは、自分に言はれるのでない限り実に楽しいもので……


悪口は自分に言われなければ確かに楽しい(^_^;) 坊っちゃんのこの台詞は漱石の創作というより、当時の普通の言い回しのような気がする。

日本が西洋と本式に出会つたのは19世紀。そして19世紀西洋の合言葉は「進歩」 で、自分たちは人類文明の頂点に立つてゐると自負してゐた。この傲慢さのせいで、過去を軽んじる一種の反伝統的な気風が生じたのは必然の結果でした。もち ろん、昔ごころが残つてゐるヨーロッパですから、いろいろ歯止めはかかつてゐたにしても。ところが西洋文学の日本移入は、それ以前の文学を断ち切り、無視 しての19世紀文学だけの摂取でしたし、その新聞学の底にひそんでゐるギリシア、ローマ以来の古典主義の骨格は目にはいらなかつた。かういふ浅はかな仕事 の結果、日本の文学者は概して、西洋とはすなはち西洋19世紀のことと思ひ込んでゐたのです。東・対・西とはすなはち、悠久の東洋・対・俗悪な進歩の時代 といふことだつた。漱石が左国史漢と英文学とを対立させたのは、この図式を典型的に示してゐます。
谷崎や萩原の「日本への回帰」が実はモダニズムの一形態であつたと同じやうに、漱石の初期の小説もまたモダニズム文学の最も新しいものであつたと言へるは ずです。事実彼は1900年から02年までイギリスに留学して、世紀末文学からモダニズムが成立するころのロンドンに居合せた。
モダニズム文学がいはば前史の段階を脱して本格的にはじまるところのロンドンで生き、そしてそのイギリス小説の大転回あるいはその萌芽の時期に立会つて、 その体験を東京に持ち帰つたのが三十代後半の漱石でした。この、プルーストより四歳上、ジョイスより十五歳上の男は、東京に帰って数年後、プルーストや ジョイスに先んじてモダニズム小説を書いたとわたしには見えます。


丸谷の本領発揮の大風呂敷である。Morris.はこれが結構好きだけどね。なんといっても面白いもの。
で、モダニズムが谷崎潤一郎や萩原朔太郎(これだってモダニズムと言われ出したのは戦後)よりうんと前にあの漱石が、それも同時代的に、プルーストやジョイスに先んじて実現されたなんていうのは、考えるだけでも嬉しくなる。

残念なことに、後期の漱石にはモダニズム文学の色調が薄れます。むしろ自然主義への接近が見られて、初期の漱石にみなぎってゐた祝祭的文学館は失はれて、じつに不景気なことになつてしまつた。(わすれられない小説のために)

そういえば、韓国では漱石は初期の作品に評価が集中しているときいた覚えがる。

中村光夫の『風俗小説論』以後、風俗は日本文学ではどうも評判が悪く、憎まれたり 軽蔑されたりしてゐるやうだが、これは大きな間違ひなので、古来、小説家たちはみなこの要素と共に生きる人物たちを描く形で世界と人間をとらへてきた。空 漠たる観念だけでは小説は成立たないことを彼らはよく知つてゐた。そして重要なのは、風俗のなかには服装、髪型、化粧、料理や酒の好み、建築、室内装飾、 挨拶の仕方、会話の礼儀などからはじまつて精神風俗まで含まれるといいふ事情である。この要素は社会を大きく動かすものだし、従つて小説の方法において見 のがすことができない。信仰にも哲学にも風俗といふ一面は確実にあるし、さういふ浮薄ないし俗悪な局面を見ようとしない思想論や人間観は硬直してゐるので ある。

そうそう、俗は小説にとって大事な要素だと思う。俗気のない小説は面白くない。その点漱石は俗を避けることなく、それでいて、すっきりと表現しえていると思う。

日本では「モダン」といふ外来語は「当世風」などと嫌悪感をこめて訳されてゐるや うで、現代は下降史観によつて単純に蔑視されてゐるらしい。ボードレール的な「モデルニテ」への関心は薄い。そしてモダニズムは、私小説、プロレタリア文 学と並べて「三派鼎立」などと言はれてゐて、そのせいかどうか、他の二つが重厚だつたり真摯だつたりとかく強持てするのにくらべて、何となく浮薄なものの やうに受取られてゐるふしがある。
漱石がモダニズムだといふ説は、容易に受入れられないはずだ。

Morris.は受け入れる(^_^;)

1861年から90年にかけて文学マーケットが勃興し、商品としての本が確立した。読者が本を買ふための基本的条件は、閑暇と識字力とポケット・マネーださうだがこの三つが揃つたのだ。

Morris.にはポケット・マネーが足りないので、図書館に全面的によりかかっているということになる。

漱石は出来あひのものとしてのモダニズム小説を学んだのではなかつたといふことで ある。1880年から1900年まではモダニズム小説のいはば待花(まつはな)の時期で、それから1920年までが初花のころだから、彼はイギリスの新小 説が形成される過程に伴走者のやうにつきあひ、といふよりもむしろ自分の内部でそれを形成して行つた。それゆゑ彼の道筋は、横光利一、川端康成、伊藤整な どのモダニズム受容と違ひ、もつと朦朧と、あるいは混沌としてゐて、内発的で、活力に富んでゐたし、いはば個体発生が系統発生をくりかへすやうな趣があつ た。彼はヴィクトリア朝小説からモダニズム小説への移り変はりの、弟子でも傍観者でもなく当事者だつた。といふのは、漱石のモダニズムはイギリス小説史の 展開を復習するところから生れたもので、それは18世紀小説の流れを汲む『吾輩は猫である』と『坊つちやん」からはじまり、ジェイン・オースティンの新版 と見立ててもよい『三四郎』へと至つたものだからである。

三四郎がオースティンの新版。オースティンはまだ一冊も読んでないが、気になりながら手が出ないでいる。「個体発生が系統発生を繰り返す」というのがよくわからない。

イギリスの社会は
上流 upper class(王室、貴族など)
中流上層 upper middle class(政治家、医者、大学教授、会社社長、高級官吏などを含む)
中流 middle class(ビジネス・マンや知的職業などを含む)
中流下層 lower middle class(小売商人、下層官吏など)
下層 lower class(労働階級と同じ)
といふ区分で出来てゐる階級社会である。
『三四郎』には「日本の状態」小説とも呼ぶべき局面ないし性格があることに気がつくだらう。
彼がこんなふうに社会全体を展望しようといふ気持を見せたことは、これ以前にも以後にもなかつたのだ。その点で『三四郎』は例外的な作品であつた。

「一億総中流」と言われた70年代。格差社会となった現在でも、日本人の大部分はこの中流意識に囚われ続けているらしい。
漱石が日本の状態をどう捉えたのか、当時新聞を購読する層が中流だったと言えるかもしれない。

漱石はイギリス留学によつて自国への批評意識を強めたし、もともとイギリス小説の 伝統に詳しかつたし、さらにオースティンを敬愛してゐたことは、後年、「則天去私」の作家は誰か問はれて彼女の名をあげたことでもわかる。そのオースティ ンゆづりのアイロニーが最もよく発揮されてゐるのは『三四郎』であつた。(三四郎と東京と富士山)

オースティンは徹底して中流社会の私生活と結婚について書き続けたようだが、そのアイロニー(皮肉、韜晦)というのは、作品を読まねば分からない。うーん、これも課題だなあ。

戦後の日本の知識人全体が、イギリス名誉革命以後、都市に生きる中流階級の人々の 余暇の増大のせいで小説の勃興がもたらされたというイアン・ワットの小説史論に接しても、18世紀ヨーロッパの国民国家が、新聞と小説によつて想像の共同 体として統合されたといふベネディクト・アンダーソンの政治学的仮説を耳にしても、さほどの感銘を受けなかつたのは当然だらう。日本人にとつて小説は、相 変らず、社会と隔絶した藝術家による孤独で反社会的な作品なのである。(あの有名な名前のない猫)

Morris.がこのところ、少しずつ読んでた「想像の共同体」が「政治学的仮説」と軽くやりすごされてることに、ちょっと引っかかってしまった。東大英 文科を出て、翻訳も多くこなした丸谷だから、これも原文で読んだのではないかと思うのだが、どうも、Morris.が途中まで読んだ内容とはかなり食い 違っている、というか、あまりに瑣末的部分のみをとりあげての総括のように思える。まあ、感銘を受けなかった対象を「戦後の日本知識人全体」としているか ら目くじらを立てるほどのことではないかもしれないけどね。



2015078
【在日朝鮮人:歴史と現在】水野直樹、文京洙 ★★★ 2015/01/30 岩波新書1528

本書は、大きくは韓国併合前後から、植民地期の在日朝鮮人世界の形成を経て、戦時 期の試練へと至る時期を扱った第一章、第二章(執筆担当、水野直樹)と、朝鮮開放から、高度成長期以後の在日朝鮮人の世代交代や多様化を経て、、「グロー バリゼエーションの時代」へと至る時期を扱った第三章、第四章、終章(執筆担当、文京洙)の二つの部分から成り立っている。(まえがき)

1923(大正12)9月1日の関東大震災で、殺された朝鮮人の数は司法省の発表 では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造の調査では2711名とされるが、朝鮮人留学生らが「罹災同胞慰問団」の名目で行なった調 査では6415名という数字が揚げられている。日本政府が朝鮮人虐殺の事実を隠すために調査を妨害したので、正確な死者数は不明だが、千名単位の死者が あったことは否定できない。(第一章 定着化と二世の誕生)

関東大震災時の朝鮮人虐殺は、日本人としては実にやりきれない不祥事である。デマや風聞にのせられたとしても、日本人の側に、朝鮮人から仕返しされるといった気持ちがあったからだろうし、その元は朝鮮人への差別意識と侮蔑があったろう。

1938年に下関の学校が作成した資料は、全校児童の約20%を占める朝鮮人児童 の性格を「無気力、不熱心、勉学心乏し、積極的気風を欠く」「強情強い所があるかと思うと軽率、雷動的」「不道徳行為を平気でやる」「虚言を何とも思わ ず、羞恥心に乏しい」など、あらゆる否定的言辞で貶めた上で、それを矯正するには「日本人意識日本精神」を持たせ、「日本人の真の力を敬仰景慕せしめ日本 児童たることを至高とし感謝する情念を養う」ことが必要であるとしている。

恥ずかしい(>_<)

1939年以降の強制連行・強制労働の時期には、樺太の炭鉱に多くの朝鮮人が送り 込まれた。その数は2万人近くに上ると見られるが、戦争末期になると九州や北海道の炭鉱に移動させられた者も多く、正確な数字をつかむことができない。日 本敗戦時に樺太にいた朝鮮人の数は4万人以上といわれるが、これも正確には不明である。
戦後、ソ連領となった樺太からは、引き揚げ協定にもとづいて日本人が引き揚げたが、朝鮮人は引き揚げの対象とされず、サハリンに取り残されることになっ た。戦時期に動員された際、故郷に残してきた家族と連絡もとれない状態が長く続いた(ソ連崩壊後、ようやく韓国に帰ることができるようになった)。日本の 植民地支配と戦争動員が生み出した大きな悲劇である。


樺太に取り残された朝鮮人たちは、祖国へ帰るすべもなかった。理不尽の極みである。
むくげの会では数年前からサハリンを定期的に訪れて、返還団体と連携して当地の朝鮮人の調査や報告を行なっている。

敗戦後の特高警察の解体とともに興生会も解散することになったが、協和会・興生会 体制の下で進められた朝鮮人の皇民化、一部朝鮮人の親日化、さらには警察を軸とする朝鮮人の管理・統制などの問題は、戦後の日本社会、在日朝鮮人のコミュ ニティにも「負の遺産」として引き継がれることになる。(第二章 協和会体制と戦争動員)

戦前戦中の悪しき体制が戦後に持ち越されているというケースは、仔細に見ればかなり多岐多様にわたっている。死んだと思ったのが生き返ってくるということもある。

朝鮮戦争中の過激な反戦運動は、共産党と在日朝鮮人を日本社会のなかで絶望的なま でに孤立させた。共産党は52年10月に実施された総選挙では49年選挙で獲得していた30の議席をすべて失い、翌年4月の総選挙でも辛うじて一議席を獲 得したにすぎなかった。孤立感や徒労感が漂うなかで共産党や民戦内部でそれまでの闘争方式を「一揆主義」や「冒険主義」と批判する声が高まっていった。3 月のスターリンの死、7月の朝鮮戦争停戦、さらに10月の徳田球一の北京での各死などもあって、合法的な大衆路線への共産党の政策転換が在日朝鮮人運動の 「路線転換」を伴いながらすすむことによる。

Morris.は共産党のシンパではないが、日本共産党の政策転換は実にヘマだったと思う。

在日朝鮮人の国籍問題は講和条約の発効を控えて開かれた日韓予備会談(1951) でも議論されたが、韓国側は、国籍の選択権よりも在日朝鮮人を一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った。当時の在日朝鮮人の登録者56万人余 りのうち韓国籍保持者は17%にすぎず、韓国政府にとっては在日朝鮮人の韓国籍への囲い込みが重要であった。
一片の通達によって外国人となった在日朝鮮人は法律126号によって当面の在留は許されたものの、国外への退去強制規定を盛り込んだ出入国管理令の対象と なり、外国人登録証の常時携帯や指紋押捺を義務づけられることになる。一方で、日本政府は「帰化」をめぐる裁量権を名目にして好ましい者、つまり日本に完 全に同化した者のみを日本国民とする政策をその後も押し通した。




民戦時代の文化活動を代表する『ヂンダレ』の編集・発行に携わった金時鐘は、「思 想悪のサンプル」として組織の思想的引き締めや鈍化のための、いわばスケープゴートとなった。『ヂンダレ』は、53年2月、大阪朝鮮詩人集団の機関誌とし て創刊され、金時鐘のほかに鄭仁(チョンイン)、権哲沢(クォンゲテク)、梁石日などが日本語による創作を発表した。だが、これに対して総連は「民族虚無 主義」などの批判を浴びせた。朝鮮語による「愛国詩」の創作を求める総連に対して金時鐘は、「詩を書くことと愛国詩を書くこと」は無関係であり、「在日」 という特殊性は、祖国とはおのずから違った創作上の方法論が必要だと反論した。「批判は58年から65年まで延々と続き、丸10年表現活動ができなかっ た」と、金時鐘はふりかえっている。巨大化した組織と、「在日を生きる」表現者の自己意識との齟齬が明らかとなりつつあった。

以前学生センターでの金時鐘さんの講演のあと、打ち上げで、現物の「ヂンダレ」を手にして当時の話を伺ったことを思い出した。

1958年の中留集会以降、にわかに帰国運動が大規模化した背景について最近の研 究は当時の東アジアの冷戦構造のなかでの北朝鮮の状況判断や政策変化をいちように指摘している。要するに北朝鮮は、金日成単独支配の確立や社会主義建設で の達成をふまえて、日韓の離間や日朝関係の推進、対南戦略、さらに経済建設の人的資源の確保など複合的な利益を求めて大量帰国政策に踏みきり、総連もそれ までの方針を変えて、組織を挙げてそのためのプロパガンダを展開したのである。(『日朝冷戦構造の誕生』朴正鎮)
だが、もちろん、在日朝鮮人の歴史の中でも最大規模の運動といえる帰国運動が、北朝鮮の指令や総連のプロパガンダだけで実現しうるものではない。言うまで もなく、多くの在日朝鮮人が日本での生活に見切りをつけ祖国に夢を託した背景には、なんといっても救いがたいほどの貧困や差別があった。(第三章 戦後在日朝鮮人社会の形成)


それにしても、あの当時、北朝鮮に「帰国」した在日朝鮮人(ほとんどが半島南部出身)たちのその後を思うと、暗澹たる思いに襲われる。

「法的地位協定」(1965)にみられる日本政府の本音は、東アジアの冷戦政策の 遂行上、韓国籍保持者に限って「永住権」を付与するが、その中身はできるだけ限定したい、というものにほかならなかった。当時の首相、佐藤栄作は、国会答 弁で「永久に永住権、居住権」を認めて、「外国人として特殊な生活様式を持つこと」は「将来に禍根を残す」と述べたが、マスコミの論調もこれと似たり寄っ たりであった。
「朝日新聞」も、「子孫の代まで永住を保障するとすれば、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題を抱え込むことに」 (1965/03/31付社説)なると書いた。日本側のこうした同化主義は、韓国側の在日に対する「棄民政策」と表裏の関係にあった。65年、李東元外務 部長官は、「在日韓国人は日本人に同化される運命にあり、在日韓国人に対して、そのような方向での日本国民の配慮を期待する」と語り、当時の韓国政府の認 識を露わにした。


「地位協定」というと反射的に日米安保条約の下の日米地位協定を思い出してしまう。日韓の地位協定もやはり不平等に満ち満ちているようだ。韓国の在日朝鮮人「棄民政策」というのも、日本の南米移民「棄民政策」に通じるものがある。

在日企業の揺籃期に総連が商工会や朝銀を介して果たした役割は実に大きい。しか し、70年代には、在日企業の稼ぎだした富が総連を介して北朝鮮に吸い上げられるという仕組みがつくり出される。85年、金日成は、総連結成30周年の記 念式典に祝電をおくり、在日商工人を「総連の基本群衆」「愛国の主人」ともちあげた。だが、すでに代替わりを経つつあった同胞の商工人たちにとって北朝鮮 への献金は、愛国心よりも、帰国した親族の生活や地位向上を願っての上納金といった意味合いを少なからず帯びていた。(第四章 二世たちの模索)

帰国運動で北朝鮮に行った在日朝鮮人たちは、残った在日朝鮮人に対する「人質」になってしまい、総連は人質のために「上納金」を送り続け、いつのまにか自分で自分の首を締めてたということか(>_<)

80年代は日本人の他者認識に變化が兆し始める時期であり、日本人の韓国への関心 も、それまでの政治・経済などハードな分野に限られていたものが、料理、音楽、映画といいたソフトな大衆文化を中心としたそれに傾きはじめる。80年代初 めには趙容弼の「釜山港へ帰れ」が大ヒットし、84年には、NHKで「ハングル講座」が開設される。関川夏央の『ソウルの練習問題』(1984)や四方田 犬彦の『あんにょん・ソウル』(1986)など韓国を普通の外国として眺める戦後世代の言説も注目を集めるようになり、88年ソウル五輪を前後する時期に は、韓国の大衆文化が「韓国ブーム」という形で日本社会に受容された。

まさにMorris.はこの時期に韓国デビュー(^_^;)した。特に関川夏央の「ソウルの練習問題」は刺激になった。

2000年代以降には韓流ブームに乗って、コリアタウンは関西の観光名所としてにぎわうようになった。
1989年の韓国での海外旅行の自由化がいわば「ニューカマー元年」だとすれば、それからすでに20年余りの歳月が流れ、その多くは「ニューカマー」とい う言葉がもはや不自然なほど日本の地域社会に定着した。猪飼野では、そうしたニューカマーがオールドカマーの生活世界と摩擦や融合を繰り返しながら歳月を 重ねて固有の慣習や文化をもつ生活圏が形づくられてきたといえる。だが、大久保では、オールドカマーの影はいたって薄い。グローバル化の下で意味が改めて 問われようとしているのである。

その韓流ブームもそろそろ頭打ち、在日外国人の中で朝鮮/韓国人の割合は1/3くらいになっている。帰化する人の数が増加しているようだ。Morris.は鶴橋、猪飼野付近がフランチャイズ?だが、たまには大久保付近にも出張ってみたいものだ。



2015077
【日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土】孫崎享 ★★★ 2011/05/10 ちくま新書
2012年刊行の「戦後史の正体」を最近読んで大いに共感を覚えた直後に、本人の講演聴く機会があって、他の著書も読まねばと思ってたが、日本の国境問題を取り上げた本2冊を立て続けに読むことが出来た。
本書は新書だけに、分かりやすかった。

尖閣・竹島・北方領土。領土は魔物である。それが目を覚ますと、ナショナリズムが燃え上がる。経済的不利益に、自国の歴史を冒瀆されたという思いも重なり、一触即発の事態に発展しやすい。突き詰めれば、戦争はほぼすべて領土問題に端を発する。(カバー袖書)

なかなかうがったキャッチコピー(^_^;)である。

領土問題は領土問題単独では問題にならない。一番多いケースは国の内外情勢が悪い時、ナショナリズムを煽り、世論の支持を得ようとすることである。
政治家が対外的に強硬姿勢を取ることは、どの国でも最も安価に支持率をあげうる手段である。


李明博の竹島(独島)上陸が思い出される。

「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国并ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(1945/08/02-ポツダム宣言)
日本の範囲に含まれる地域として「四主要島と対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島を含む約一千の島」とし、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」としている。(1946年1月 連合軍最高司令部訓令)


ポツダム宣言に関する野党の質問に、安倍総理が知らんぷりを決め込んだのは、ポツダム宣言を無いものにしたいというのが、彼の本音なのだろう。もう一つの訓令をそのまま受け入れれば、竹島(独島)と北方領土問題は、初めから問題にならないことになる。

今日、米国にとって安全保障上の最大の課題は中国になった。米国国内では中国との 関係で、中国を自分たちの方に引き込み宥和政策をとるグループと、あくまでも中国と対決することを望むグループに分かれている。前者は金融・産業界であ る。後者は産軍複合体である。いずれも米国内で強力な基盤を有する。一方が完全に優位に立つことはない。米国の対中国政策は、今後絶えず協調路線と対決路 線の間で揺れ動く。

ちょうど現時点で習近平がアメリカ訪問中だが、アメリカは「米中」2G体制でほぼ決まってるように思う。

リチャード・アーミテージ元米国務省副長官は著書の中では「日米合同で合同上陸作戦訓練を行うべきだ。パラオでもマーシャル群島でもどこでも。日本はもう少し軍備にお金をかけることができるでしょう。たとえば憲法九条を破棄したらどうでしょう」と言っている。

「たとえば憲法九条を破棄したらどうでしょう」なんてことをアメリカの政治家が著書に書くということ(^_^;)

尖閣諸島では中国が攻めてきた時には自衛隊が守る。この際には米軍は出ない。ここで自衛隊が守れば問題ない。しかし守りきれなければ、管轄地は中国に渡る。その時にはもう安保条約の対象でなくなる。
こう見ると、「日本は北方領土、竹島、尖閣列島を守るためにも、強固な日米関係が必要である」と一般に思われていることが、実はどれもこれも自明ではない。

ここがキモかもしれない。

紛争が発生した時、異なる見解を持つ相手を力まかせで従わせようとしても、簡単にいかない。しかし、相手が紛争解決に利益を見いだすなら、事態は簡単に解決する。平和的手段は一見頼りない。しかし有効に機能させれば、最も効果のある手段となる。

「利益」至上主義(>_<) これは人類発生以来大きな主導原理である。

平和的手段の類型
1.相手国と直接交渉し、合意点を見いだすこと。
2.国連等の政治的取り決めに依存すること。
3.国際司法裁判所など国際的な司法に解決を委ねること。
4.紛争の生じうる可能性のある相手国と地域機構を構成し、紛争の対象よりもはるかに利益の大きい協力関係を築くこと。


ここでもやっぱり「利益」ぢゃ。

尖閣諸島への中国の武力行使が国連憲章の「領土保全に違反する」ことを、中国政府や国際社会に訴えていくことは、十分抑止力となる。
将来、日・中・ASEAN諸国との間での協力を安全保障に広げ、ここでASEAN・中国で合意している「領有権」紛争は武力行使に訴えることなく、平和的手段で解決する」を日・中・ASEANに拡大できれば、日本外交の大成功となる。

これは今の日本政府外交では、まず無理だろう。

権利留保条項(without prejudice clauses)は二国間交渉と同様、多国間交渉においても有効である。
武力紛争に持ち込まないとう意識を持ちつつ、各々の分野で協力を推進することが、平和維持の担保になる。
領土問題の重要なポイントは、領土問題をできるだけナショナリズムと結び付けないことである。
しかし、政治家の中には、自己の勢力を強め、自己が推進したいと思う政策を推進するために意識的に領土問題を煽る人々がいる。
私たちは、政治家が領土問題で強硬発言をする時、彼はこれで何を達成しようとしているかを見極める必要がある。


Morris.は領土問題は、話し合いでは解決しないとずっと思い込んでいた。といって、すぐさま武力行使というわけにはいかない。つまり永遠のディレン マだろう。ナショナリズムを表に出すと、たしかに引っ込みがつかなくなる。島国である日本の場合、国境問題は概ね海洋に点在する島が舞台となるだけに、問 題が見えにくい。それがいいのか悪いのかわからないが、尖閣に関しては「寝た子を起こす」ような愚を犯した石原都知事(当時)の罪は大きい。そして、背後 にあるアメリカの思惑を瞬時も忘れてはならない、というのが著者の持論である。



2015076
【検証 尖閣問題】孫崎享 ★★★ 2012/12/21 岩波書店
孫崎と数人の識者による対話が中心となっている。

尖閣諸島問題が浮上するとともに、安倍自民党総裁等自民党議員等から集団的自衛権の行使を実施すべきだという声が強まってきた。ここでいう集団的自衛権は日本の防衛とは直接関係がなく、自衛隊を海外に派遣するためのものだ。

「集団的自衛権」ではなく「集団的他衛権」であり、専守防衛とは全く相反する考え方である。

集団的自衛権の推進者たちは「国連で認められた権利であり、これを行使できないの はおかしい」という論を展開している。しかし、これは間違いだ。彼らが行おうとしていることはむしろ、武力行使を相手国が軍事的攻撃をした時に限定しよう とする国連憲章の精神に反するものである。自民党等の主張する集団的自衛権は先制攻撃の一部分である。そして米国が「国際的安全保障環境の改善のため」と 称して行う軍事行動はイラク戦争やアフガニスタン戦争、リビア攻撃を見てもわかるように、不当に戦争に入っていることが多い。
集団的自衛権の問題が浮上しているのは、尖閣諸島をめぐる動きを日米軍事協力の強化に利用しようとする動きの一環である。


こういった物言いを「陰謀論」と非難する輩も多いが、Morris.はこれこそまっとうな「正論」だと思う。

天児慧 石原さんがああいう揺さぶりをかけて、日本政府がそれに対する対応に追われていく。私は、極端な言い方をすれば、日本の国有化というのは、まさに現状維持 を内部的に保証する手続きであったと思います。しかし、それはいくら説明しても中国側は、「国有化」の意味としてそれは受け止められない。
やはり日本の外交が少し中国の動向の読み方を誤っていたのではないかと思います。
日本はもっと冷静になって、少なくとも中国側の面子を立てることをしなくてはならない。国有化に踏み切ったというのは、中国にとって実質的な問題もありますが、それ以上に面子の問題でもあるわけです。

石原元都知事のスタンドプレイにあたふたして、国有化した民主党野田総理(当時)の対応は外交のいろはを知らない素人丸出しのやり方だったな。

小寺彰 日 中関係と言うのは非常に難しいものだと思っています。日本と中国の経済関係は、日米関係を越えていまや日本にとって最大のものになっているのですが、他方 で、中国共産党の正統性の一つは反日戦争を戦い抜いたことにあるということで、どうしても反日的なエレメントが伏在しているわけですね。そういう微妙な関 係の中で、都が尖閣諸島を取得するという方針を出した。このように難しい関係にある国に対して一歩踏み込む時は相当慎重でなければいけないのに、尖閣諸島 は日本の領土だからやりますというようなきわめて単純な理屈で行なわれたことに、私は大きな憤りを覚えます。

日中戦争で日本軍と戦ったのは、毛沢東の共産党ではなく、蒋介石の国民党だったのではなかったか。それはともかく、反日は国民感情というより、中国政府の 恣意的「道具」として利用されている気がする。だからといって、日本が「嫌中」で対抗しても始まらない。ここは慎重のうえにも慎重にやるべきだった。

石川好 2年前の漁船衝突の時に民主党がやったことは、ほとんど世間知らずで、所轄官庁の前原国土交通大臣に海上保安庁から情報を上げたら、「船長を逮捕」と言っ てしまうわけです。赤塚不二夫の漫画と同じで、「逮捕」と(笑)。岡田外務大臣もすぐに「逮捕」、仙石官房長官も弁護士だから「逮捕」と言ってしまった。
今中国の内部で起きている一番恐ろしいことは何かと言うと、第二次大戦の否定までにおhンはしようとしている、と見ていることです。いま安倍さんが、宮沢 談話、村山談話、これは侵略戦争であったことを認めたものですが、それから河野談話、この三つを否定する、と言っている。これは別に国会で決めたわけでは なく、内閣が踏襲しているだけですが、これを安倍さんは、自分が政権をとったら全部やらないと言っているわけです。これをやらないと言った瞬間、中国は国 交正常化を全部廃棄に出ます。次に何をするかというと、倍賞を請求します。これはもう内部で議論が始まっている。

民主党は世間知らず、安倍内閣は怖いもの知らずということか(>_<)

宋文洲 (自著『やっぱり変だよ日本の営業』の)最大のポイントは精神論を否定したことです。根性さえあれば売れるというのは嘘に決まっている。お客さんはニーズ があって買ってくれるのであって、根性を見せられても買わない。外交問題もそうでしょう。外交というのは、お互いの合意や解決のことであって、相手を全く 無視して自分だけの、つまり国内だけの根性で頑張ると言ったって、それは外交ではない。だから僕は、外交の問題を解決するのに、まず相手がどういう状況か を知ることが大事だと思うわけです。それは妥協するという意味ではないんですよ。

確かに外交は営業である(^_^;)

羽場久美子 日本の思い違いということですが、日米同盟を堅持していればアメリカは日本の側についているという状態は、もう終ったのではないかと思うのです。冷戦が終 焉してから、そして特に2010年、日本が中国にGDPで追いぬかれ、日本がアメリカに忠誠を誓えば誓うほど、日本に対するアメリカの過小評価はすすむの ではないか、日本のことは考えなくなるのでは、と考えます。
アメリカの言うことを聞いていれば日本はうまくいったという60年があったために、この後うまくいくという保証は何もないにもかかわらず、アメリカと結ん でいることが日本の国益であると考えるようになってしまった。これが21世紀のアメリカにとって、日本は考慮しなくてもよい存在になった原因ではないか。


時代が変わっていることを、見て見ぬふりをしている日本。いや見えないだけなのか?

孫崎 羽場さんが、日本はアメリカと結ぶことで経済的に繁栄したと言われましたが、確かに、85年まではそうだったと思います。しかしそれ以降は、アメリカは日 本の経済の脅威に対してどう対抗するかを考えたわけです。それで、プラザ合意で円高に持っていった。それからバーゼル合意で日本の銀行に足かせをはめた。 1990年代初めに比べると、アメリカのGDPは二倍以上になっていますが、日本の対米輸出は全く伸びていない。

日本側の、いわゆる「営業的」敗北。

岩下明裕 私の考えるアプローチは二つです。一つは、歴史問題からこの問題を切り離すこと、もう一つは、島を空間利用の問題として、お互いの利益になるように考える ことです。その場合、地元の人達がどういうことを望んでいるかをきちんと踏まえて、枠組みを作っていく。そういう現場の目線を大事にした境界地域の利用と いう形が、境界紛争をナショナリスティックにせずに平穏な場へと戻していく重要なアプローチだと思います。

これはいささか安易な考え方と思える。



2015075
【いい階段の写真集】 BMC(ビルマニアカフェ) 写真 西岡潔 ★★★☆ 2014/01/12 パイ・インターナショナル
BMCは大阪の建築愛好家グループらしいが、「月刊ビル」という不定期雑誌も発行しているとか。本書より前に「いいビルの写真集」がある。
「いい階段40選」「いい階段の見どころ」の二部構成だが、Morris.としてはガイドブックとして読んだ。
印象的だったものを列挙しておく。太字は訪れてみたい物件と旧知のもの。外付け階段なら問題ないが、内部の階段となると、建物に入られなければ見られないわけで、結構敷居が高いものが多い。

関西大学(千里山キャンパス)村野藤吾 簡文館の螺旋階段
大阪府立中之島図書館 中央ホール階段
USEN 大阪ビル旧館 朱色の螺旋階段 大阪市中央区高津
北浜レトロビルヂング 空色の木製階段 中央区北浜1-1-26
大丸心斎橋本店 ヴォーリズ作品
山本仁商店 エントラス螺旋階段 京都市中央区室町通鯉山町529
綿業会館 渡辺節 中央区備後町2-5-8
芝川ビル マヤ・インカ風デザイン 中央区伏見町3-3-3
生駒ビルヂング レッドカーペット大理石階段 中央区平野町2-2-12
新阪急ビル 屋外避難階段(普段は吊り上げられている)
大阪駅前第2ビル 噴水吹き抜け双方向階段
青山ビル 野田源次郎旧邸 スパ二ッシュスタイル ステンドグラス 中央区伏見町2-2-6
妙像寺 箱庭付螺旋階段 中央区谷町8-2-14
大阪神ビル 百貨店X階段
大阪倶楽部 階段室色硝子 中央区今橋4-4-11
志の志め苑 賃貸アパート 中央区玉造2-28-23


同じグループで「いいビルの写真集」も出しているらしいので、これもチェックしたい。



2015074
【紀州 木の国・根の国物語】中上健次 ★★★☆☆ 1978/07/29 朝日新聞社 初出「朝日ジャーナル」
中上健次(1946和歌山市新宮生れ、1992没)は気になりながら何故か読めずにいる。1946年和歌山県新宮市の生まれである。被差別部落出身で部落のことを「路地」と呼び、血族と共同体を土俗的に泥臭く作品を書き続けた。
その中上健次のこの本は、かなり異色のルポルタージュである。何故これを読もうと思ったかというと、斉藤美奈子さんがこの本を取り上げていたからである。 実はちょっと疑問を感じる部分があって、それを確かめようと思って、中央図書館の書庫から出してもらったのだが、ついつい読み通すことになった。

(新宮の花柳界)大王地の「養老館」とは、幸徳秋水や大石誠之助が、酒を飲んだと ころである。大逆事件は、大逆という汚名を着せ、キリスト教徒や新思想者を拘引処刑することによってイメージとしての隠国を熊野に引き落とし、地方分権、 地方文化を一挙に中央集権化したものと私は取る。(序章)

初めから挑戦的である。大石誠之助は新宮の医師で、大逆事件で処刑された12人の一人である。

穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しいと思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった。(新宮)

差別と美の関係にはただならないものがある。

この子大事じゃ おもしのたね
この子おといたら ままあがり

ままにならぬと おひつを投げる
そこらあたりは ままだらけ

もりはらくなもんじゃ らくなもんじゃいうけど
おうみやんせ なにゃらくじゃ

こんな泣く子を 一日おうたら
手足ゃ棒になる 杖になる

こんな泣く子を てんまにのせて
沖のまん中 おいてこい(和深)

本書には土地土地のわらべうたや伝承歌謡が引用されている。この子守唄は海辺の者ならではである。マザーグースにも隠されたおどろおどろしさが魅力の一つとなっているが、この子守唄は直截で、美しい。

私は小説家である。事物をみてもほとんど小説に直結する装置をそなえた人間であるが、一瞬にして、語られる物語、演じられる劇的な激そのものを見、そして物語や、激からふきこぼれてしまう物があるのを見た。
若い青年が腐肉のにおいを相手にして仕事をしなくても、他に色々仕事はある、と思いましたし、物の実体、ここでは自動車洗いに使うハケや歯ぶらしという商 品であるが、その物、商品の実体はみにくいとも思った。人が、そのみにくい実体に顔をむけ、手を加え、商品という装いにしてやる。いや、そこで抜いた馬の 尻尾の毛が、白いものであるなら、バイオリンの弦(ゆんづる)になる。バイオリンの弦は商品・物であると同時に、音楽をつくる。音の本質、音の実体、それ がこの臭気である。塩洗いしてつやのないその手ざわりである。音はみにくい。音楽は臭気を体に吸い、ついた脂や塩のためにべたべたする毛に触る手の苦痛を ふまえてある。弦は、だが快楽を味わう女のように震え、快楽そのもののような音をたてる。実際、洗い、脂を抜き、漂白した馬の尻尾の毛を張って耳元ではじ くと、ヒュンヒュンと音をたてる。(朝来 あっそ)


実はこの部分が、確かめたいところだった。馬の尻尾で作るのはバイオリンの弦ではなく弓ではないかと思ったからだ。ここでは「ゆんづる」と振り仮名があるから。「弓と弦」という意味かもしれない。

雑賀孫市、確かに魅力的な人物である。私がその人物を魅力的だと思うのは、闘って 敗れた者への判官びいきに負うところが多い。つまり貴種流離譚である。そこでふと私は、敗れた貴種の系譜というものを考えてみた。雑賀孫市-大塩平八郎- 「大逆事件」というふうにである。大逆事件は大石誠之介、高木顕明でもよい。それはとっぴな小説家特有の発想かもしれない。いや、私がもし伝奇小説、伝記 的空想小説の作家であるなら、そのとっぴな発想をもとに、一種神話的なくまどりの濃い謎を持つ三人が、実のところ同一人であった、とする小説でも書きたい ものだと思う。

これは是非書いてもらいたかったな。いや、石川淳の伝奇的作品がこの趣向に近かったか。

切って血の出る物語とは、ここでは被差別者であるとの烙印をわれとわが腹の子から ぬぐいとろうとする努力である。差別、それは人をまで殺す。差別、被差別、口ではたやすい言葉である。簡単に差別は生み出され、差別するが、烙印を押され た以上、簡単には被差別から抜け出すことは出来ないのが、この日本社会の構造である。
所謂差別語なるものが、穢多、非人から新平民、水平社、と次々、その時代に合わせて"差別語"として使われてきたことからも明らかである。(有馬)

簡単に生み出され、抜けるのは至難の業。差別と戦争に通底するもの。

私は、このどこにでもあるなつかしい稲の煙のにおい、女性ではなく母親のような女 の立ち働く姿を見て、この光景を、回路にかけて分光することがむごい事だと思った。いや、この旅は、そのむごい事をする覚悟で出た旅だった。紀伊半島とい う日本の日本たる特性のはっきりした場所を、回路にかける。風景、事物、それらは一変して見える。ここでは稲という日本的自然の粋を集めて植えられ刈られ る植物であり、米というヌエ的商品を作り終えたのちの、光景である。確かに米というものは、日本的自然の粋だった。寒暖が露骨であれば稔りが悪く、すべて ほどほどがよいとされる。そして「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」という不快な植物である。(紀伊長島)

コメ=ヌエといいい、不快な植物と言い放つ。これが中上節だろう。沙翁マクベス冒頭の魔女たちのコーラスの変奏ともいえるかもしれない。

日本的自然において古代の天皇とは、日と影、光と闇を同時に視る神人だったように 思う。賤民であり同時に天皇であるとは、謡曲「蝉丸」を待たずとも、光と闇を同時に視る人間の眼でない眼を持つ神人のドラマツルギーであるが、「これはあ きまへん、とこちらからサジを投げてかかる」という(部落の存在しない地方に育った)治者が、差別者であり同時に被差別者である神人でない故に、治者のや る事はことごとく玩物喪志であり、改良主義であり、せいぜい善意でしかない。ということは、被差別は差別するということである。被差別こそが差別しなけれ ばならぬ宿命と言い直そうか。この日本では文化、芸能、信仰等において、被差別は差別するというのが一種テーゼとしてあったはずである。

対立概念を強引に同一視するというのは、ありがちな方法だが、賤民と天皇を両極におくやり方を「賤民」を出自とする中上としては、一種の「選民主義」といえるかもしれない。

豚はここではまぎれもなく食肉という商品になる豚である、とそのおびえる事も忘 れ、ただうずくまった二頭の生きた豚にカメラを向けながら思う。私はその屠場の中で写真を撮ったのは、従って、物ばかりである。屠殺している現場の写真を 撮らせない、と男が言った言葉を思い出し、生き物を屠殺する者の痛みを考えた。獣の皮をはぐ者が生皮をはがれるその痛みについてである。ここでは牛は単に 物としての牛であり、同時に生命をもった生き物である。屠場のそこで血がおびただしく流れる牛の生暖かい体を想像し、物であって生き物である牛を屠殺する 事こそ、見ることが不可能な闇と光を同時に視る事とつながろうと思った。男の眼は深い。
屠殺とは神人の業である、と思う。(松阪)

先の「選民主義」の可視化だろう。

この日本の小説家のすべての根は、右翼の感情にもとづいていると思ったのだった。
私が言う右翼の完成は、日本的自然の粋である天皇こそが差別者であり同時に被差別者だということを知った者の言葉の働きである。いやここでは、私は自分を右翼的感性の持ち主である、と思ったと言えば済む事かもしれない。(伊勢)


右翼と左翼も一見両極のようだが、これは対照的な対応に過ぎない。中上が右翼的感性というのも、実は個人的な感情だろう。

物語を求めて、吉野・五条に来て、私は、物語の毒に犯されている私自身を視る想いがする。物語とは何だろうか、と思う。もちろん、私の直感は、セイタカアワダチソウのそれである。根に差別の毒を持ち、夜にあわあわと、昼に黄色に光る花を持つ。
ここでは人々が生きているのではなく、物語のみが生きて、人の血を吸い、人の声を伝って語り継がれているのである。
その物語を、私は信じるしかない。その物語を信じなければ、物語に取り殺される。いや事実、事物に囚われ、物フェティシズムに陥り、眼が視力を喪う。物語を信じるとは、事実、否応なしに諸関係の総体である事を知ることでもある。(吉野)


セイタカアワダチソウ(背高泡立草)はアレロパシー効果(根から毒素を出して周囲の植物を抑制する)を有し、モグラやネズミの糞尿や死体を肥料として成長し、昭和40年代には爆発的に繁殖した。中上はこのことを知って、比喩として用いている。

部落「問題」とは、絶えず生なましい。その自浄作業とは、まず皮革工場の経営者に 対する皮革労働者の闘争であると私は見た。50名の青年労働者が、それぞれ零細工場の中から集まった労働組合のような形を見せている。そして、それが部落 産業の一つにも数えられている皮革であるゆえ、経営者即ち部落ボス、労働者即ち部落大衆という形になっている訳である。いままでの部落解放運動なるものが 部落の一人二人を成り上がらせ、一等解放運動の手が差しのべられるのを待っている部落大衆をいつまでも置き去りにする、と片山悦蔵氏と上迫誠朗氏は言う。 (和歌山)

部落問題の生々しさ。その底に、屠殺、皮革製造過程での異臭がある。昨今の消臭剤、防菌商品の押し付けがましさが、日本の差別意識の無意識的表れのようでもある。

差別、被差別の回路を持って私は、紀伊半島を旅し、その始めに紀州とは鬼州であり、喜州でもあると言ったが、いまも私にはこの紀伊半島そのものが輝くほど明るい闇に在るという認識が在る。ここは闇の国家である。日本国の裏に名づけられていない闇の国として紀伊半島がある。
差異と差別とはよく似ているが違う。差別とはあくまで四の機構であり、差異とは「三」奇数の事であろう。文学で言えば序、破、急という短編小説であり、批評文の書き方にもなろうか。
紀伊半島で私が視たのは、差別、被差別の豊かさだった。言ってみれば「美しい日本」の奥に入り込み、その日本の意味を考え、美しいという意味を考える事でもあった。
ここにたとえば「美しい朝鮮」という命題を入れてみよう。差異とは、朝鮮と日本の間にある。
ここが何故、日本なのか、日本の紀伊半島なのかを知ろうかと思ったのだった。つまり言葉を変えてみれば、紀伊半島を汎アジアの眼でとらえてみるということ である。土地土地を経巡る私に、紀伊半島がまぎれなく日本の紀伊半島>であるのは、<熊野の荒らぶる神>のような被差別部落があるから だ、と映った。ここは輝くほど明るい闇の国家である。(終章 闇の国家)


差異と差別の差(^_^;)

差異 ちがい、へだたり difference
差別  ある基準により、差をつけて区別すること distinction


「美しい日本」というのはとりたてて新しい表現ではないが、川端康成ノーベル賞受賞スピーチ(「美しい日本の私」)を思い出す人が多いだろう。中上はここに被差別部落を起点として美しさを逆証明した。
引用は、本書の末尾だが、最後の決めフレーズは、破格のかっこよさである。
遅ればせながら、彼の作品の一つくらいは読まずばなるまい。



2015073
【新しい国へ-美しい国へ 完全版】安倍晋三  ★☆」 2013/01/20 文春新書
2006年刊行の「美しい国へ」に『文藝春秋』2013年1月号に掲載した「新しい国へ」という記事30p足らずを加えたもので、二度目の自民党総裁に再選され、第二次安倍内閣成立直前の発行である。
こんなの読む気にはならないし、どうせ官僚なり、身内ブレーン(あるいは広告会社?)の作文だろうから、時間の無駄としか思えないのだが、「トンデモ本」読みということで(^_^;)

初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォオー・ジャパン」という国民の声に耳をすますことなのである。(はじめに)

国民の声に耳を済ます(^_^;)

祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えて いた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うように なっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった。

爺コン。

わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本及び日本人について考える姿勢のことだとおもうからだ。
現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きたひとたちに対しても責任をもつ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれて きた伝統がなぜ守られてきたのかについて、プルーデントな認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神ではないか、と思っている。


プルーデント?? 大辞林(初版)には載ってなかった。英和辞典にはあった。
prudent 1.用心深い、慎重な 2.分別のある、賢明な 3.抜け目の無い
安倍晋三の場合は、3.だろうな。日本語使えよ。

自民党の政権への復帰は、意外に早かった。だがそれは、安全保障条約では基本的に考えの違う社会党と連立を組むという、オーソドックスではない政権奪取の方法であった。
新生自民党のスタートは、わたしにとっても、精神のリセットを意味した。その第一が、自民党は、もはや政権の地位にあること自体を目的にした政党ではない、という認識をあらたにすることだった。


あの村山政権というのは社会党にとっては致命的失策だった。何であんな馬鹿なことしたのか理解に苦しむ。

わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。
「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」--わたしの郷土である長州が生んだ俊才、吉田松陰先生が好んで使った孟子の言葉であ る。自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし、という意味である。(第一章 わたしの原点)

これが安倍晋三の本音か。「わたしがこうありたいと願う国をつくる」(>_<)。完全に国の私物化である。
引用された「自反而縮雖千萬人吾往矣」は、孟子公孫丑編にある言葉だが、孟子が孔子の言葉を引用したものではなかったかな。
これについては澤藤統一郎さんのブログに興味深い記事があった。

先にあげた独裁国家では、自由と民主主義が否定され、報道の自由が認められていない。存在するのは、一部の権力者が支配する閉された政府だ。問題なのはその統治のかたちであって、国家というシステムではないのである。

どうみても安倍政権は独裁国家を目指してまっしぐらとしか思えない。

日本の国は、戦後半世紀以上にわたって、自由と民主主義、そして基本的人権を守 り、国際平和に貢献してきた。当たり前のようだが、世界は、日本人のそうした行動をしっかりみているのである。日本人自身がつくりあげたこの国のかたち に、わたしたちは堂々と胸を張るべきであろう。わたしたちは、こういう国のありかたを、今後もけっして変えるつもりはないのだから。(第二章 自立する国家)

前半はともかく、後半は真っ赤な大嘘。

「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴と しての天皇である。日本では天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。 素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。

元(古今集)の初五は「我が君は」で、特に天皇家のことではなかったように思うのだけど。それを天皇の歌に仕立てたのが明治政府で、それを「象徴としての天皇」だと強弁するのは戦後になってからのこじつけでしかない。

今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。(第三章ナショナリズムとはなにか)


命をささげたり、進んで身を投じずに済むような国家造りを目指すように。ということだ。

自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概がひつ ようなのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事 力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。

時代は常に動いている。冷戦時代とは様変わりしている。それに合わせて臨機応変の外交が必須ではないのか。

ではわたしたちが守るべきものとは何かそれは、いうまでもなく国家の独立、つまり 国家の主権であり、わたしたちが享受している平和である。具体的には、わたしたちの生命と財産、そして自由と人権だ。もちろん、守るべきもののなかには、 わたしたち日本人が紡いできた歴史や伝統や文化がはいる。それを誇りといいかえてもよいが、それは、ほかのどこの国も同じで、国と国との関係においては、 違う歴史を歩んできた国同士、おたがいに認めあい、尊重しあって信頼を醸成させていくことが大切なのである。

この人が言うと、何とも空疎にきこえる。

軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとす る知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことは、それによって、合理的な日本の防衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそ れは結果として、日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。(第四章 日米同盟の構図)

これも大嘘。

教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興 は国家の任である。日本の高校生たちの回答(国に対して誇りを持っている 50.9%)は、わたしたちの国の教育、とりわけ義務教育に、大胆な構造改革が必要であることを示している。(第七章 教育の再生)

恐ろしい臣民育成教育国家。

私は今後の成長戦略のカギとなるのは、イノベーションだと思います。日本が誇る人材と技術力を文化力を結集し、国家と人類が抱える「新しい課題」にブレイクスルーをもたらすような新しい技術やアイデア、創造的な取り組みが必要になってくる。

カタカナ語使いすぎ。

日米安保条約第五条には、日本の施政下にある地域が攻撃を受けた際は、共同対処する旨が記されています。つまり米国の兵士は、日本のために命を懸けることになっています。
自分の国を守るために戦わない国民のために、替わりに戦ってくれる国は世界中どこにもありません。
集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自 衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる。これが日本の安全保障の根幹を為すことは、言うまでもありません。(増補 最終章 新しい国へ)


よくもまあぬけぬけと、こんな無責任なことを言えるなあ。


2015072
【命こそ宝(ぬちどぅたから) 沖縄反戦の心】阿波根昌鴻 ★★★☆☆ 1992/10/20 岩波新書。
沖縄の平和運動家阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)のことは、先日読んだ「戦後日本史の考え方・学び方」に紹介してあって読む気になった。
タイトルは次の琉歌から取られている。

戦さ世(ゆ)んしまち (「戦世」は終わった)
みるく世ややがて  (平和な「弥勒世」がやがて来る)
嘆くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝  (嘆くなよ、おまえたち、命こそ宝) 琉歌

阿波根昌鴻は1903年沖縄生まれ、1925年移民としてキューバ、ペルーに渡り1934年帰国。伊江島い移る。1945年沖縄戦で一人息子を失い、戦禍 をまのあたりにして反戦平和の闘いを決意、米軍占領下の伊江島土地闘争で先頭煮立つ。72年の復帰後も反戦地主として闘いを続け、84年建設反戦平和資料 館「ヌチドゥタカラの家」を主催。本書の発刊時89歳だったことになる。2002年没。
73年発行の「米軍と農民」(岩波新書)と同じく、沖縄問題評論家で『沖縄事情』を30年にわたって発行した牧瀬恒二が、阿波根が語ったことをまとめたもので、一種の語り下ろしである。

わしのたった一人の息子も、わしが殺したようなものです。沖縄戦がはじまろうとい うとき息子は東京にいて、わしの弟が沖縄は危険だから東京においておった方がいいというのに、もう今度は死ぬんだから、一度顔を見て、一回だけでもご馳走 を一緒に食べて、それから死んだ方がいいといって、伊江島まで呼び寄せた。息子はわしに会ったあと、まだ兵役年齢にもならないのに現地招集で兵隊にとら れ、沖縄本島で戦死しました。那覇の北、浦添のあたりだというのですが、はっきりしたことはわかりません。遺骨もありません。

たしかに悔やんでも悔やまれない悲惨な事情である。沖縄戦が「捨て石」だったことを思うとなおのことである。

1959年に世界人権連盟議長のロジャー・ボールドウィンが沖縄の土地闘争で人権 侵害の調査に那覇に来て、講演会をスルということを知って、陳情書に「日本政府はわしらの家を焼き、農民を縛り上げ、土地を取り上げて、核戦争の準備をし ておりますが、これを止める方法がありましたら教えてください」と書いて、諮問したのです。
どんなむずかしいことをいうか、と思っていたら、ボールドウィンさんの答えは簡単でした。「みんなが反対すればやめさせられる」、こういわれたのです。わ しらは考えましたみんなが反対すれば戦争はもうできないんだ。「ああ、これはそのとおりだ」」とわしは納得しました。わしが自分の土地を基地に使わせない ための闘いを続け、そして、反戦平和のための運動を続ける上で、このことばは実に大きな支えとなったのであります。
「みんなが反対すれば戦争をやめさせられる」、そのためには一人になっても訴えつづけなければいかない。平和を創る闘い、実践がいまこそ必要である。(序章 語り伝えたいこと)


この「みんなが反対すればやめさせられる」という言葉は、今回の戦争法案反対においても有効な言葉だと思った。元がアメリカ人の言葉でも共感できる言葉は自分の言葉になる。

1972年5月15日に本土復帰した沖縄。復帰して沖縄が沖縄県になったことで、自動的に適用されたのは、平和憲法ではなく安保条約でありました。そして日本政府が、アメリカに対して沖縄の基地を守る義務と責任を負ったのです。
安保条約は実は「危険条約」であることがわかってきました。復帰しても基地はなくならない、それどころかますます軍事的に強化され、自衛隊もくる。そういうことがわかってきたのであります。(Ⅰ 復帰後のの沖縄、そして伊江島)


沖縄の戦後は内地より27年も遅れて始まり、しかもその戦後も占領時代と大差はない、いや自衛隊がやってきて余計悪くなったとも言える。

「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。」
「軍人は上からの命令があれば、今でも原爆をおとさねばならない。だから戦争をしてはならない。」


いや、やはりMorris.は原爆投下したアメリカの罪は重い(しかも認めようとしない)と思うぞ。少なくとも広島、長崎の市民に直接的な罪は無かった。

気の毒であると思っていることと、天皇に責任があるかどうかは、まったく別のことであります。宣戦布告したのは、天皇の名前において行なったのである。戦争をやめさすときは、天皇の考えでできたのに、戦争をやったときには責任はないというのは何事か。
わしは天皇制などというのは、必要ないし、なくなった方がいいと思っておる。戦前の天皇は、人なのに神の真似なんかさせてね、人間として可哀そうである。 天皇にとっても、天皇制などはなくなった方が幸せだと思いますよ。だが周囲が許さない。これは天皇が利用価値があるから、天皇というと従う人が多いからだ と思う。戦後になっても、まだ自民党なんかが、天皇制を利用しようとしているのは、実にけしからんことである。


戦前に生まれた日本人として天皇への複雑な思いが現れている。天皇には責任があるのは間違いないし、結果として責任を取っていない。天皇の利用価値は、維新の薩長閥からそのまま軍閥に引き継がれ、それが戦後も政府にも根強く残っている。

わしが、戦争をしてはいかない、どんな小さな戦争でもしてはいかないと話したから でしょう、ある小学生の女の子が、「いじめ」も小さな戦争だとわかった、二度とそんな小さな戦争でもしてはいけないと思った、と手紙を書いて寄こしました よ。わしはすぐ返事を書いて、その通りだ、がんばって下さいといいました。(Ⅲ 戦争の証拠が訴えるもの)

いじめは犯罪だというのがMorris.の持論だが、戦争だというのには虚を突かれた。そうかも。

平和をのぞむ運動家は、生活の場でも平和でなければ本当の平和は実現しない、そう いうふうにわしは考えております。何か特別なことをするのが平和運動ではない。悪いことだけはしない、生活の場から平和をつくりだしていく、これが基本だ とわしは考えておる。(終章 心の勉強と心理の闘い)

平和原理主義だな(^_^;)

この世で最大の悪は、国と国との戦争であります。何の罪もない多くの子供たちやお年寄り、婦女子にいたるまで無差別に殺し、ありとあらゆる宝物を焼きはら い破壊しつくすからです。さる日米戦争で、沖縄だけでも米軍2万人ちかく、日本人が20万人余が死んでおります。勝っても負けても戦争は多くの人命を奪い ます。


そう、戦争とは「人殺し」だということを常に念頭においておかねばならない。

つい最近、日本政府はわしらが夢想もしていなかったPKO法を成立させました。ま ことに悲しいことであり、これを阻止できなかったことを反省し、残念に思っています。しかし、だからこそいっそう、基地撤去の闘いは何としてもつづけなけ ればならないと考えております。基地はアメリカ国民のためにもならない、もちろん私たちのためにもならない。このことを確信しているからであります。(あ とがき)

PKO を大幅に逸脱した今回の集団的自衛権を含む戦争法案。こいつを阻止できねえとなりゃ、反省だけではすまされめえ。

ふたたび日本は加害者となろうとしている。そのことの重大性、危険性を自覚してい る人びとがどれだけいるでしょうか。よくいわれることに、米軍の危険な軍事行動に基地は直結している。連動しているという言い方があります。そのようなと らえ方では、あまりにも客観的すぎて、こんにちでは不正確になってきたといえます。軍拡をつづける自衛隊についても同じことが指摘できます。そうしないで いると、日本の加害者としての行動を被害者のつもりで支持したりしてしまうし、下手をすれば、それに気がついたときには、もはや手おくれという事態にもな りかねないのです。(林茂夫『沖縄事情』91年2月号)

解説のなかで引用された文章であるが、どうしても四半世紀前に書かれたものとは思えない。今現在の状況への警鐘ではないか。リアルタイムへの真摯な訴えとしてMorris.の胸を撃つものがあった。


2015071
【火花】又吉直樹 ★★★ 2015/03/11 文藝春秋 初出『文藝』2015年3月号
お笑い芸人が芥川賞ということで、話題騒然、百万部をあっという間に売りさばき、二百万部にも達しようかという、最近では稀有のベストセラーである。
基本的にベストセラーは読まないMorris.だが、これにはちょっと気を惹かれた。大倉山の中央図書館の雑誌の棚の「文藝春秋」9月号にこれが全文掲載されてたので、中庭で読むことにした。
又吉自身をモデルにしたと思われる内省的お笑い芸人が、少し年上の破滅的お笑い芸人神谷を師匠と仰ぎ、二人の10年ほどの交流のなかで、漫才の本質論を繰 り広げる。ストーリーはあるようなないようなもの。主人公のコンビはちょい売れしたあと、相棒の結婚で解散、師匠は借金で首が回らなくなり所在不明にな り、自己破産したあと、主人公と再開。熱海の花火大会に一緒に出かける場面で終っている。

観客達は夜空から白い煙が垂れてくるのを、ぼんやりと眺めていた。すると、スポンサー名を読み上げる時よりも、少しだけ明るい声の場内アナウンスが、「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。誰もが息を飲んだ。
次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火は御世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。その余りにも露骨な企業と個人の資金力の差を目の当たりにし て、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にした訳ではない。支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし、 次の瞬間僕達の耳に聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。それは花火の音を凌駕する程のものだった。群衆が二人を祝 福するため、恥をかかせないために力を結集させたのだ。神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手をした。
「これが、人間やで」と神谷さんはつぶやいた。


ほとんど上方人情喜劇である(^_^;)
破滅型芸人神谷のセリフがこれだから、ちょっと肩透かしでもある。
高い評価を受けてただけに、文章は下手でないし、風景描写もしっかりできてるが、Morris.の好みではなさそうだ。



2015070
【北朝鮮ポップスの世界】高英起、カルロス矢吹 ★★☆ 2015/03/17 花伝社
北朝鮮の音楽が好きな人といえば、平田さつきさんくらいしか知らなかった。彼女は数十年にわたって、北朝鮮音楽のミニコミ誌を作り続け、Morris.のところにも送られてたのだが、なかなか理解出来ずにいた(^_^;)
数年前むくげの会に加入した大和くんが、幅広い音楽研究(活動?)の中で、日本の演歌、韓国トロット、中国・台湾歌謡と並んで北朝鮮音楽に入れ込んでいて、会の機関誌「むくげ通信」で次々に関連記事を発表。
カラオケを通じて大和くんと親しくなったMorris.も、これをきっかけに北朝鮮音楽に関心を覚えた、わけぢゃなかった(^_^;) 韓国トロット(ポンチャック)命のMorris.には、どうしても馴染めなかったのだった。
本書は著者二人の対話で、しばしば雑談や横道に逸れる部分も多いが、いちおう北朝鮮音楽の通史がひと通りわかるようにはなっている。
メインはMorris.でも名前くらいは知ってた1985年結成の「ポチョンボ(普天堡)電子楽団」だが、これは一つのバンドというより楽団と歌手の音楽 共同体みたいな感じで、さまざまな編成で演奏を繰り広げているようだ。金正日の音楽的好みが濃厚に反映されているとのこと。
2011年金正日没後、跡を継いだ金正恩の肝いりで2012年結成されたモランボン楽団は、ほとんどアイドル路線らしい。You Tubeで2,3曲視聴 したが、やっぱりMorris.との相性はいまいちである。クラシックの素養がある容姿端麗な女性たちが揃ってることは認めるけどね。
楽曲の日本語訳が40曲ほど収められ、全体の1/3くらいを占めている。「偉大なる首領様」みたいな極端なのは避けられてるようだが、それでもやはり内容は基本体制賛美である。
本文下段には注釈が付されて(たぶん編集部による)、北朝鮮音楽とは無関係などうでもいいようなものが多かったが、

アリラン:キキョウを掘る娘のことを歌った、朝鮮半島で最も有名な民謡の一つ。

という注釈は「トラジ打令」と取り違えてるのではなかろうか。
You Tubeでモランボン楽団を探してる途中、本書のタイトルと同じ映像を見つけた。北尾トロ、えのきどいちろう司会のネットテレビ番組で、本書の著者二人をゲストにした対談。つい見てしまったが、これからも、北朝鮮音楽をわざわざ聴くことにはならないと思う。



2015069
【日本の島々、昔と今。】有吉佐和子 ★★★☆ 1981/04/30 集英社 初出「すばる」1980-81

有吉佐和子晩年(と言っても50歳)の連載ルポである。単行本には解説めいたものは何も掲載されていないが、「恍惚の人」で老人問題、「複合汚染」で環境 汚染問題を取り上げた著者が、島国日本の国境問題と漁業問題を軸に辺境の島々を訪れ、闊達自由に自説を開陳している。番外編として、北方領土、竹島、尖閣 を取り上げていて、Morris.は何かの本でこの事を知り、読む気になった。
訪れた島(番外編を除く)は以下のとおり。

1焼尻島・天売島(北海道)--海は国境になった
2.種子島(鹿児島)--鉄砲とロケットの間に
3.屋久島(鹿児島)--二十日は山に五日は海に
4.福江島--遣唐使から養殖産業まで
5.対馬(長崎)--元寇から韓国船まで
6.波照間島(沖縄)--南の果て
7.与那国島(沖縄)--西の果て、台湾が見える
8.隠岐(島根)--潮目の中で
9.竹島(島根)--日韓の波浪
10.父島(東京)--遥か太平洋上に
11.択捉・国後・色丹・歯舞(北海道)--北方の激浪に揺れる島々
12.尖閣列島(沖縄)--そこに石油があるからだ!

1980年、81年の時事問題を枕に振りながら、暇をみてはランニングにいそしみ、彼女らしいわがままぶりも随所にかいま見える。我田引水というか、にわ か仕立ての知識(方言学や古代史や漁業条約等々)を振りかざして、取材者側の顰蹙を買ったりもしながら、それでもぐいぐい突っ込んでいくさまは、ルポの内 容とは別として面白かった。
初回のタイトル「海は国境になった」というのが、本書全体のテーマのようだが、ルポというより、紀行エッセイみたいに思える部分も多かった。とりあえず、前半は流し読みして、番外編を重点的に読んだ。

(モスクワオリンピックボイコットから)まあオリムピックは、この機会にやめてし まうのも手だろうと私は思っている。20年前、私はローマ・オリムピックに朝日新聞特派で出かけて行ったが、そのときオリムピック憲章にあるアマチュア規 定というものを疑問に思った。全体主義国家が総力を挙げて要請し、国威宣揚を目的としてオリムピックに送り出す選手と、個人が親や先輩や友人の協力で練習 に励み、アマチュア規定に従ってスポーツでお金を取らず、だからごく限られた幸運な人だけが出場できる西側諸国の選手たちと同列に論じられるだろうか。 (与那国島)

2020東京オリンピック関連の不祥事続出ということもあって、どちらかというとアンチオリンピックモードのMorris.だけに、お、これはいいぞ、と思ったのだが、有吉の力点は共産国家と西側諸国の選手育成環境の不公平に置かれていた。ちょっと残念。

昭和37年、池田首相は「竹島は日本固有の領土であり、韓国が理不尽に占領してい るものであるから、漁業権などの日韓交渉とは別に解決したい」と議会で答弁、小坂外相は「竹島は韓国の直接交渉より、第三者の国際司法裁判所の判定に委ね るべきだ」と、前々からの主張を重ねて表明。
「竹島問題の解決なしには韓国との国交正常化はない」というタテマエ論と「竹島問題で国交正常化を遅らせたくない」というホンネが、当時の国会議事録で池田首相の答弁にチラチラする。(竹島)


これは孫崎さんの持論である「棚上げ大いに結構」論に関わるところ。
竹島(独島)の過去の帰属の経緯に関しても大いに勉強して詳細に紹介してあった。でもお互いに自国の不利になることには認めないことは明らかぢゃ。

台湾のサンゴ漁船による被害は甚大で、漁礁は荒らされるし、海底が滅茶苦茶にな る。第一、二百カイリどころか領海内にも平気で入って来て、こちらが追いかけると逃げてしまう。昭和54年10月10日から今年(53年)の1月26日ま でに確認された台湾のサンゴ漁船の数は延べで1326隻にもなる。すべて小笠原村周辺海域でそうぎょうしていた。支庁が確認していない数を入れると気が遠 くなるほどの台湾船が来ていたことになる。さすがに最近はマスコミも書きたてるし、日本政府の申入れもあって少なくなったようだが、ここにも海が国境に なった現代の姿があるのだった。(父島)

小笠原近海の大規模なサンゴ密漁が大きな話題になったのは昨年(2014年)のことだったが、80年頃にもこういった事件が起こってたんだな。もっとも80年当時は「台湾漁船」、昨年は「中国(中華人民共和国)船」の違いがある。

私は飛行機の中で旧クリル諸島、明治8年以降は千島列島と呼ばれていた島々の地図 をひろげ、その島名の難しいのに再び辟易した。カムチャッカ半島から北海道東北部を繋ぐ点々たる島々は、北から阿頼度(アライト)、占守(シュムシュ)、 幌筵(パラムシル)、志林規(シリンキ)、磨勘留(マカンル)、温禰古丹(オンネコタン)、春牟古丹(ハルムコタン)、越渇磨(エカルマ)、知林古丹(チ リコタン)、捨子古丹(シャスコタン)、雷公計(ライコケ)、磐城(イワキ)、松輪(マツワ)、羅処和(ラショワ)、宇志知(ウシシル)、計吐夷(ケト イ)、新知(シムシル)、武魯頓(ブロウトナ)、北知里保以(キタチリポイ)、南知里保以(ミナミチリポイ)、得撫(ウルップ)、択捉(エトロフ)、国後 (クナシリ)、色丹(シコタン)、歯舞(ハボマイ)。これが全部日本領土だった時代は、島名を覚えるだけでも大変だっただろう。列島の長さは、仙台から鹿 児島までの距離と同じ。総面積は岐阜県と同じだった。(択捉・国後・色丹・歯舞)

千島列島の個々の島の名前なんか覚えようとは思わないが、唯名論のMorris.としては、辟易するよりは興味津々だった。戦後の領土争いの経緯などにもかなりのページ数が費やされてたが、パス。

中東が火を噴く発端になったのは、突然イスラエルという国家が出現したことであっ た。二千年間も、その地を留守にしていたユダヤ人たちが「この地域は古来ユダヤ人が住んでいたところだった」と言い、金と力によってパレスチナ人を追い出 して、イスラエル国家を作ったのだが、尖閣が古来中国のものだという95人の日本人は、イスラエルを是認し、追い出されたパレスチナ難民についてはどうい うご意見なのだろう。

これは、1971年中国政府が尖閣が領土であるとの声明を出した翌年、羽仁五郎ら95人の進歩的文化人が「尖閣は歴史的に中国固有の領土だ」との声明を出したことへの批判である。
20世紀に突然出現したイスラエル国は、たしかにパレスチナ人にとったら青天の霹靂みたいなことだったろうと思う。

私は中国に6回行っているが、万寿山頤和園に行く度に、その壮麗な建築と、満々た る水を湛えた人工湖の大きさに感嘆しながら、西太后は李鴻章の諫言をしりぞけて、この離宮を建て、そして日清戦争に敗けたのか--と感慨しきりであった。 傾城とか傾国という文字通りのことを西太后は本当にやったのだ。女と生まれて権力を握ったら、このくらいの贅沢はやってみたい。さぞ気分はいいだろうとい うのが私の率直な感想である。

本筋とは全く関係ない感想だが、いかにも有吉らしいのでつい引用してしまった。

国連は大国に拒否権を与えた。だから大国は国連で平和的に話し合う必要がない。そ してすべての小国は、大国が対立するとき、局地戦争にまきこまれる。つまり代理戦争である。泥沼のようなベトナム戦争がそうだった。イランとイラクを見て いても、背後にはっきり大国の支援がある。憲法第九条で戦争放棄をしている日本は、絶対にこういう揉めごとにまきこまれてはならないのだ。日本が平和国家 として生きのびていくためにも、尖閣地域からは決して石油が出ない方がいい。
改憲論者や軍備強化を主張する日本人は、どこと戦争して、誰が死ぬと思っているのだろう。(尖閣諸島)


これはそのまま、現在問題となってる「戦争法案」への反対表明として使えそうだ。国連安保理事会で五カ国だけに「拒否権」を与えられているのは不平等の最たるものだと思う。



2015068
【文字の食卓】正木香子 ★★★ 2013/10/25 本の雑誌社。

「活字」の時代は終ったとよく言われる。現在の印刷物の9割くらいはコンピュータDTPによるものだろう。しかし、活字の後に「写植」の時代があったこと は、あまり話題にならない。実はMorris.は30年ほど前の数年間、業界紙などの零細出版社で編集の仕事やってたことがあり、その時がまさに写植の時 代だった。
本書は、その写植の書体への愛着を食べ物に例えながらエッセイ風に綴ったものだ。
Morris.もそれなりに書体への関心はあったが、彼女のように敏感には捉えられなかったし、どちらかというと「活字」の方に強く惹かれていたこともある。

「活字」をつかう活版印刷と、「フォント」を使うDTPとのあいだに、「写植」と いう印刷技術が出版業界を支えていた時代があったことはあまり知られていない。私もそのような背景について理解していたわけではないが、同じ書体にも違い があることを初めて認識したのが、多くの書籍でつかわれている<岩田細明朝体(ILMA)>という写植文字だった。書体デザインに定評のある 写植会社の「写研」によるもので、活字のそれよりもさらに精錬された読み心地を感じられる。
その違いは「見た目」でも、おそらく「味」ですらない。舌触りが滑らかで、余計な気泡がまったくはいっていない、という感じ。
現在<岩田明朝体>は<イワタ明朝体オールド>としてパソコンでつかえるデジタルフォントがリリースされているため、新刊の書物でも見かける機会が多い。
しかし、逆に、そのために活版や写植の<岩田明朝体>が急速に消えてゆくことには納得出来ないさびしさもある。(缶ドロップスの文字-岩田明朝体)

活字-写植-デジタルフォントと土俵を変えて生き残る書体も多いのだろうが、その差を読み取る読者はそうそういないだろう。

実はずいぶん前に、ほんとうにまねして紙にかいてみたことがあるのだけれど(書道 の経験なんかないので鉛筆で書いた)、石井茂吉が写植機とともに残した<石井明朝体>は、どれもすごく優雅な文字なのに、ゆっくりのんびりか こうとしても絶対にかけない。ほとんど一本の線みたいに、ひと息でかいてしまうしかない。(ゼリーの文字-石井中明朝オールドスタイル)

活字を真似するというのはやったことがなかったな。もともとひどい悪筆のMorris.だが、ずっと以前に、暮しの手帖に花森安治のひらがな五十音図があって、これをエアメール便箋で写した覚えがある。

<凸版明朝体>。その名があらわしているように、印刷会社のトッパン が使用権利を持つ独自の明朝体である。書籍ではよくみかけるわりに、市販の書体見本帳にはほとんど載っていないから、一般には意外と知られていない書体で はないだろうか。(機内食の文字-凸版明朝体)

印刷会社御用達の書体もあるのか。いろいろ勉強になる。

私は、この書体で書かれた、句読点を含む文章が好きだ。句読点の愉楽というものを、私はたぶんこの書体から教わったと思う。(バターの文字-アンチック中見出し)

詩ではあまり句読点使わないのだが、ときどきこれを効果的に使った作品に出会うこともある。先日読んだ長田弘も、作品によって、句読点を使ったり使わなかったりしてた。

私は植草甚一の愛読者じゃないけれど、<新聞特太ゴシック>で帯にかかれたコピーの一文(ぼくたちには植草さんが必要なんだ。)はとりわけすばらしいと思う。深く意味を考えているわけでもないのになぜか凝視してしまう。
そんなふうに、文字を「情報」じゃなく「物質」としてみつめているときの自覚は、まさに「腹ごしらえ」という気分がしっくりくる。眺めてうっとりするのではない。エネルギーを欲するのだ。
この書体をみると、自分が空腹だったことを思いだす。
そんな文字を、日々、食べて暮らせたらいいなと思う。(おべんとうの文字-新聞特太ゴシック)


骨太の文字はなんといっても目立つ。それだけにこれを多用されると、ちょっと勘弁という気にもなるが、決まるときは決まる。

書体が消えていくのは、時代に必要とされなくなったからなのかな。
どうしてその文字がいいのかを、誰にも証明できなかったからじゃないだろうか。
どれだけ言葉を重ねても、いつか見失ってしまうのなら、せめて、その儚い泡だちに名前をつけたい。
過去と未来をつなぐ文字。ときどき、とりだして眺めると、記憶のなかの自分と目があう。
そんな、世界にひとつだけの書体見本帳がほしい。(微炭酸の文字-石井太明朝オールドスタイル)

本書をつくった理由の意思表示みたいでもあるが、これはそのまま詩として読める。

写研の<石井明朝>が東京の築地明朝活字の流れを汲んでいるのに対 し、今もオオサカに本社を置くモリサワの<リュウミン>は、オオサカで創業された森川龍文堂の明朝体活字を復刻したものだ。勿論何の根拠もな い話だけれど、もしそのことが無縁ではないとしたらおもしろいなと思う。(花の文字-リュウミン)

そうそう写植では写研とモリサワが二大巨頭的存在だった。Morris.は主に写研を使ったと思うが、なんとなくモリサワが贔屓である。モリサワのPR誌「たて組ヨコ組」が素敵だったのと、8年ほど前東京のモリサワで、素敵なマッチラベルの本をもらったからだ。

「教科書体」と呼ばれているのは何も<光村教科書体>だけではない。
写研やモリサワ、イワタなど、様々な書体メーカーが教科書体を出している。共通しているのは、「小学校の児童が筆者の手本にできるように」文部省の学習指 導要領で定めた「学年別漢字配当表」の字体にしたがってつくられており、私たちがふだん、雑誌や書籍で目にする明朝体よりも自然な手書き文字に近いという 点。基本的なコンセプトが同じだから見分けが難しいけれど、各社の教科書体を見比べるとそれぞれに特徴があっておもしろい。(給食の文字-光村教科書体)


たしかに小中学校の教科書の文字は、普段書籍や新聞とはまったくちがったタイプだったな。個人的にはあまり好きになれなかったような気がする。出版社によって微妙に違うなんてことは考えもしなかったけど。

いったいどこまでが製作者の意図なのか、私にはまったく理解できないことなのだけれど、ちゃんと、子供らしい文字にみえる。
フェルトペンで一気に描いたような、スピード感のある線。やや乱暴にも感じられる大胆なまっすぐさと、みえない真四角にきっちりと収める繊細さ。その相反 する性質を、ひと筆に閉じこめてしまえるのはやはり、職人の技量としかいいようがない。(貝の文字-ファニー)

漫画の強調吹き出しに使われる書体で、子供っぽいというより、ギャル系みたいな感じがする。これもあまり好みではないな。

<ナカフリー>は、手紙文でよくつかわれる写植書体である。
手紙形式の文章には教科書体も好まれるけれど、<ナカフリー>は、教科書体よりかしこまっていなくて、人目につくことを想定していない感じというか、プライベートをのぞきみるような気配が漂う。(ヨーグルトの文字-ナカフリー)


小説で2つ以上の書体を使うのはMorris.はあまり好きでない。本文の書体と似過ぎてるのは論外としても、あまり違うのも目を剥きそうだ。確かに手書きの手紙に似つかわしい書体ではあるが、頭下げくらいでいいかと思う。

このあやしくておもしろいかな書体は<良寛>という名前で、ほんとうにあの良寛の筆跡からつくられたものだという。
写植書体の<良寛>が世に出たのは1984年。印刷業界で写研とモリサワがながいあいだ二大シェアを分けあっていた当時、「リョービイマジク ス」(現、リョービ)という新規参入の写植メーカーから発表されたこの書体は、新しもの好きのデザイナーたちに意外な新鮮さをもって受け入れられた。(蠟 燭の文字-良寛)


この良寛という書体には思い入れがある。30年ほど前にMorris.が初めて買ったカシオのワープロHW100にこの良寛が搭載されていたのだ。と言っ てもこれは平仮名と片仮名だけで、漢字は明朝かゴシックを使うしか無かった、というか、明朝を使うしか無かった。このワープロの文字は24ドットくらいで よく見るとかなりギザギザ感があるが、すごく気に入って、これを機会に作ったミニコミ「サンボ通信」ではこのフォント使いまくってた。ついさっき古いサン ボ通信を見なおして、ノスタル爺さんになってた。

私は書体を「モノ」として所有したいというわけではないということ。
この文字でかかれた言葉に感じる、神秘性や、敬意や、畏れの背後にある物語を大切にしたい。
美しい文字を生かすには、それに見合う強い心が求められるのだ。(魚の文字-秀英初号明朝)


一種の信仰告白(^_^;)だな。このくらい好きになれるというのも才能かも。

本書は、いわゆる「おもしろい本」や「めずらしい本」を紹介するブックガイドではありません。文字の成り立ちに関する研究所や、デザインの入門書でも勿論ありません。
書体の「用と美」から生まれる、滋味豊かな味わいを伝えたい。作り手と読み手とのあいだにある、言葉にできない至福を、文字にうつしとりたい。そんな思いから書かれた本です。(あとがき)

いや、なかなか好感を抱かせる文章である。こういった本はなかなか出会えないだろう。筆者のホームページで、上記引用したフォントや、それ以外のフォントを見ることができる。



2015067
【京の路地裏植物園】田中徹 ★★★☆☆ 2015/04/04 淡交社。「京都新聞」連載
下町の路地の園芸植物を、植物分類学や有用資源植物学の研究者で、植物同好会の代表でもある著者が、気楽に紹介したもの。季節別に90種ほどをカラー写真 と解説1pずつの見開きで、文章はコラムみたいなものだが、素人向けに、ツボを押さえた簡にして要を得た説明に感心した。写真もほとんど自分で撮影したも ののようだが、素人離れしている。印象深かったものと、見覚えがあって名前覚えたいものをピックアップしておく。

[春]
カゲツ(花月) ベンケイソウ科 「980年浜松の草花生産者が五円玉の穴に葉柄部分をくぐらせて、あたかも硬貨が実ったように仕立て「金のなる木」と命名して出荷。これが大ヒット。日本でもっとも多く栽培されている多肉植物。
ツキヌキニンドウ(突抜忍冬)スイカズラ科 トランペットハニーサックル。花に近い葉が合着し茎が葉を貫いているように見えるので"突抜"の名がついた。北半球に約二千種を数えるロニケラ属のうち、蔓性の種類を欧米ではハニーサックルと総称する。
バラモンジン(婆羅門参) キク科 この植物の種子(痩果)は、キク科の中でも特に立派なパラシュートのような冠毛を持つ。名称はインド(婆羅門)からきた人参という意味で、元来は別の植物の中国名だった。
ペラペラヨメナ キク科 中央アメリカ原産、明治末期観賞用として導入。当時は「朝鮮嫁菜」と称した。花は咲き始めが白く、徐々に赤に変わることから「源平小菊」と呼ばれ、属名のエリゲロンの名でも流通。生け花界や茶花関係の本では「御簾の内」という大変優雅な名で呼ばれている。
[]
シラサギガヤツリ(白鷺蚊帳吊) カヤツリグサ科 ディクロメナ。北米南部原産「シューティング・スター」。ほとんどが風媒花のカヤツリグサのなかで例外的な虫媒花。
デュランタ クマツヅラ科 最近になって青紫色の花に白覆輪の入った品種「デュランタ・タカラヅカ」が登場。一世を風靡。
ハゼラン(爆ぜ蘭) スベリヒユ科 午後三時に花が開くことから「三時草」とも。丸い小粒の蕾から一気に爆ぜるように開くことからの命名。
ヒオウギ(緋扇) アヤメ科 祇園祭の期間中にこの花を生ける伝統が、室町界隈などに残っている。特に秘蔵の屏風の前には必ず飾られる。
[]
キブネギク(貴船菊) キンポウゲ科 キブネギクという名称は、秋明菊の別名として使われるが、本来は古く渡来した半八重咲きのものを指し、これに対して秋明菊は原種、園芸種を含めた総称として使われる。
タガヤサン(鉄刀木) シソ科 クラリンドウは学名Clerodendrumの訛りか。光沢のある細長い葉の間から30cmもあるゴージャスな花房にクサギの花にそっくりの花が。
・ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦) タデ科 ヒマラヤ原産。観賞用として明治中期に導入、1960年頃から逸出野生化を始めた。
ホウライシダ(蓬莱羊歯) 「アジアンタム」と呼ばれる属の羊歯には多くの種類があるが、園芸種でそう呼ばれる大半は蓬莱羊歯である。
[]
オボロヅキ(朧月) ベンケイソウ科 路地裏多肉植物御三家の一つに挙げられるほど関西ではごく身近な植物だが、意外なほどその名は知られていない。おまけに園芸店ではほとんど扱われることはない。路地から路地へと人の手を伝って広まった植物といえるだろう。
オリヅルラン(折鶴蘭) ギジカクシ科 南アフリカナタール原産。明治初期、室内植物として導入、株元から長い茎を出して花を咲かせ、気根を持つ子株(不定芽)を節々に生ずる。欧米ではスパイダープラントと呼ばれる。
コエビソウ(子海老草) キツネノマゴ科 メキシコ原産の常緑低木で1931年に「ベロペロン」の名で導入。見れば見るほど海老のようで、英名も「シュリンプ・プラント」。
フユサンゴ(冬珊瑚) ナス科 南米ブラジル原産。1895(明治28)に渡来の記録。玉珊瑚、姫橙、玉柳など多くの別名を持つ。


出版社が淡交社ということもあって、茶花のことも書いてあったり、京都らしく行事の話題も出したり、いろいろ気遣いが感じられる。
オボロヅキの記事にある"路地裏多肉植物御三家"って、後の2つは何と何かな?



2015066
【戦後日本史の考え方・学び方】成田龍一 ★★★☆ 2013/08/30 河出書房新社
「歴史って何だろう?」の副題があり、「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊である。先般読んだ創元社の「戦後再発見シリーズ」が、高校生から理解で きる水準という謳い文句だったが、こちらは中学生向けの一冊である(^_^;) Morris.の水準がどのあたりなのか知りたかった、というわけでもないのだが、これはこれでなかなかに有用な一冊であった。

・アメリカが主体となって占領したので、日本の人々はアメリカに敗れたように思うことが少なくありませんでした。しかし、戦争のあいだ日本が一番多くの兵隊を送りこんだのは中国でしたし、一番たくさんの兵隊が死んだのも中国でした。

こういった当たり前のことが当たり前に認識されていないことから歴史を見なおさなければならない。

・歴史は「語られる」ものだということを述べてきました。よく考えてみると、さら に、歴史は「あとから」語られるものだ、ということができます。つまり、どうしても、「いま」の視点で、「いま」の考え方によって過去がとらえられてしま うということなんです。「あと出しじゃんけん」みたいなものなんですね、歴史というのは。

歴史が「あと出しじゃんけん」というのはわかりやすい。歴史書もそうだが、歴史小説なんか読んでると、まさにあと出しじゃんけんみたいな、作者や登場人物の「明察」に鼻白むことが多かった。

・過去を過去のまま、冷凍保存して眺めるのが歴史であり、それが理想であると思うかもしれませんが、歴史とはそういうものではありません。第一そんなことは、そもそも不可能です。

タイムマシン問題に通じる?

・これから未来を生きる私たちが、歴史を考えることには大きな意味があるのです。未来の時間が長いみなさんにはとくに、歴史について考えてもらいたいのです。


対象が中学生だもんね。
「沖縄から見た戦後史」に出てくる、ジュニア向け沖縄史の本に出てくる年表には刮目させられた。

沖縄戦の特徴
1.勝目のない「捨石作戦」で本土防衛の時間かせぎのたたかいであった
2.米英軍による無差別攻撃で多くの住民(非戦闘員)が犠牲となった
3.住民をまきこんだ激しい「地上戦」が行なわれた
4.現地総動員作戦で住民が根こそぎ戦闘に動員された
5.軍人よりも住民の犠牲者が多かった→四分の一死亡(約15万人)
6.日本兵による「住民殺害事件」が多発した(『ジュニア版 琉球・沖縄史』所載の年表より)

・瀬長亀次郎(1907-2001) 1956年、那覇市長になったときに、アメリカ軍政府は市への補助金を打ち切る妨害をおこなったが、市民たちは自主的に納税。危機をのりきった。また何度 も不信任案を決議しようとしたが成功せず、とうとうアメリカ軍政府は瀬長を追放する暴挙をおこなった。市長としての在任は1年に満たなかったが、多くの人 の支持を受けていた。
・阿波根昌鴻(あはごんしょうこう 1901-2002) 156年に起きた「島ぐるみ闘争」運動の代表者の一人、「命こそ宝(ぬちどぅたから)」と訴え続けた。


こういった沖縄の戦後史では欠かせない人物も、一般の教科書には出てこないという指摘も身にしみた。

・ポイントになるのは、「いま」当たり前のことが移り変わっていくということです。そうした視点をもつことが歴史を考えることの中心にありますが、困ったことに、一度当たり前になったことに対して、それが当たり前になる以前のことを想像することは、意外に難しいんです。
たとえば、携帯電話、ケータイのことを考えると、その難しさがよくわかると思います。
「当たり前」以前をよく知れば知るほど、「当たり前」や「当たり前」以後がよく理解できることにもなります。


本書は当たり前のことを知ることを強調している。ケータイが当たり前になった今、たしかにケータイの無い生活を思い出すことは難しい。ほんの15年ほど前のことなのに。

・歴史は過去を語るのですけれども、同時に未来を語っています。未来をどのように考えているかによって、いまがどのようにとらえられ、過去がどのようにとらえられるかが変わります。
未来に向けて、いまを確かめ、そして、どのような過去の条件があるのかということを知る営みが、歴史です。

この結論は、ちょっと、優等生的ではなかろうか。もう一捻り欲しかったところ。って、中学生向けにそれを望むのは年寄りの冷や水かもしれない。



2015065
【本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」】前泊博盛 ★★★☆ 2013/03/01 創元社。
先日読んだ「戦後史の正体」(孫崎享)と同じ「戦後再発見双書」の2冊めである。
パート1で17問の日米地位協定Q&A、パート2で外務省の裏マニュアル「日米地位協定の考え方」を解説、資料として地位協定全文と解説で構成されている。

1951年1月26日に行なわれたアメリカ側のスタッフ会議でダレスは、日米安保条約における最大の目的が、
「われわれが望む数の兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」を明言。
(get the right to station as many troops in Japan as we want wahere we wantand for as on as we want)

講和条約や安保条約には書きこめない、もっとも属国的な条項を押しこむための「秘密の了解」、それこそが日米行政協定だったのです。なぜ協定に押しこむ必 要があったかというと、ダレスの言うとおり、条約とちがって協定には「国会の承認や国連への登録が必要ない」からです。もともと「行政協定 (administrative agreement)」とは、アメリカ政府が上院の承認を得ずに他国の政府と結べる協定をさす一般名詞なのです。

何か憲法には触らずに解釈変更で事を進めようとする安倍晋三のやりかたに通じるものを感じる。

国全体が「安保村」ともいうべき日本の言論空間では、
「アメリカは日本の友人であり、日本に不利なことは絶対にしない」
「アメリカが日本に不利なことをするなどという可能性をカタルのは、すべて陰謀論だ」
ということになっています。
東京都にある横田基地を始め、厚木も座間も横須賀も東京のすぐそばにあります。首都圏がこれほど外国軍によって占拠されているのは、おそらく世界で日本だ けでしょう。首都圏に外国軍がいれば、なにかあったときにはすぐに首都が制圧されてしまう。いくら外交でがんばろうとしても、ギリギリ最後のところでは、 絶対に刃向かうことができないわけです。
*福島の原発事故以来、「原子力村」という言葉をよく耳にするようになりました。電力会社や東大教授、官僚、マスコミなどが一体となってつくる「原発推進 派」の利益共同体のことです。同時にこの共同体は、豊富な資金に物をいわせて、推進派に都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルと して機能します。
「安保村」というのはそのスケールを大きくしたような存在で、「安保推進派」が集ってつくる利益共同体=言論カルテルのことをさします。といっても「戦後 日本」とはそもそも安保推進派がつくった国なので、「安保村」とは日本そのものであり、その言論統制は大手マスコミを中心に、ほぼ全体におよんでいます。


このシリーズ第三弾は、一冊目巻末予告では「安保村」の誕生」(豊下楢彦)というタイトルで予告され、二冊目の本書では「「安保国家」の誕生」と変更して 予告されているが、現在、この本はまだ出版されていない。もしかしたら「安保村」の圧力で出版不可になったのかもしれない。

戦後、米軍統治下に入った沖縄は、「銃剣とブルドーザー」で米軍に土地を強制接収 され、広大な基地を建設されました。そのうえで産業という産業を破壊され、大人たちは基地建設に駆りだされ、基地建設後は基地労働者としての労働を余儀な くされるという環境におかれました。財産権のみならず基本的人権を侵害され、住民自治の権利などは「神話」とさえ思えた暗黒の時代です。多発する米軍犯罪 は千件を超えました。莫大な国費を投じた基地建設、「世界の警察」を自認する米国軍隊による重大な人権侵害。それらの実態を、米国国民はいっさいしらな かったのです。

アメリカ人の9割は沖縄がどこにあるかもしらないんだろうな。

1957年7月、米軍立川基地の拡張工事をめぐって、反対派のデモ隊が米軍基地の 敷地内に数メートル入ったことを理由に、刑事特別法違反で7人が逮捕されました。この事件の一審裁判で東京地裁・伊達秋雄裁判長は、在日米軍は憲法第九条 2項で持たないことを定めた「戦力」に該当するため、その駐留を認めることは違憲である。したがって刑事特別法の適用は不合理として、被告全員を無罪とし ました。在日米軍を真正面から「憲法違反」であるとしたこの判決が有名な、その後の60年安保や70年安保の原点にもなったとされる「伊達判決」です。と ころがその後、アメリカ側の工作によってこの判決は最高裁でくつがえされてしまいます。
最高検察庁の陳述も、最高裁判所の判決も、非常にダイレクトな形でアメリカの国務省から支持されていたのです。

判決要旨
六 安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命と する司法裁判所の審査の原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外 にあると解するを相当とする。
七 安保条約(およびこれにもとづくアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法九条、第九八条2項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない。
砂川裁判のもつ最大のポイントは、この判決によってGHQ=アメリが上位>日本政府(下位)
という、占領期に生まれ、その後もおそらくウラ側で温存されていた権力構造が
安保を中心としたアメリカとの条約群(上位)>日本の国内法(下位)
という形で法的にかくていしてしまったことにあります。
2012年に改正された「原子力基本法」に、こっそり「わが国の安全保障に資することを目的として」という言葉が入ったのもそのせいでしょう。これによっ て今後、原子力に関する国家の行動はすべて法的コントロールの枠外へ移行する可能性があります。どんなにメチャクチャなことをやっても憲法判断ができず、 罰することができないからです。
こうしてアメリカが米軍基地問題に関してあみだした「日本の憲法を機能停止に追い込むための法的トリック」が、次は原子力の分野でも適用されるようになっ てしまった。その行きついた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝しつづけるなかでの原発再稼働という狂気の政策なのです。


現在争われている安保法案の違憲を合憲と言いくるめるために安倍政権が持ちだした「砂川判決」の実態がこれである。
本書のハイライトが「Q&A16 米軍基地問題と原発問題の共通点」である。

①根拠の乏しい「安全神話」の流布
(米軍基地と安保、原発)のどちらも、「安全」情報の発信源は「政府」。なのに、その必要性や安全性の論理的説明は不十分。
安全性の「論議」封じ込めるため、高額な交付金や補償金、手厚い雇用政策や失業対策、地域振興政策が実施される。
一度受け入れてしまうと財政も経済も雇用もすべて「基地・原発依存」体制が構築され、二度と依存体制からだっきゃくできない「依存経済」の呪縛にはまってしまう。

②恩恵を受ける人間と負担をする人間が別であるという「受益と被害の分離」
福島原発の発電の受益者は遠く離れた東京など大都市が中心。放射能漏れなど重大な汚染被害は発電所周辺に集中して、受益者である大都市圏の住民は被害の外側に。
米軍基地の広い意味での「安全保障」の恩恵は全国が享受し、基地周辺の住民は爆音被害や演習被害、環境汚染、米兵犯罪の被害だけを押し付けられる。
被害と受益の分離は、同じ国民の間で格差や差別を生む。


③管理・運営・危険管理の「他人任せ」
どちらにも職責をきちんとはたせる「責任者」の不在。
担当者の「当事者意識の欠落」。「自治体任せ」。基地被害、原発被災の「僻地への押し付け」。
原発の装置や安全管理、事故対策・対応などすべて民間の「電力会社任せ」という政府の無責任ぶり。
基地問題では安全保障政策の立案、作成、実施などはすべて「アメリカ任せ」。米軍駐留・基地負担はその74%を沖縄県に押し付ける「沖縄任せ」。

④抜本的解決・対処策を担うべき政策担当者や専門からの「思考停止」
背景には、政府だけでなく、専門家、担当者、そして国民の「思考停止」。
脱原発政策について、議論そのものを封印してきた思考停止。
米軍普天間問題における辺野古移設への固執、根拠や論拠が希薄な「米軍駐留の抑止力」えの盲信、アジア共同体論議や多国間安保論議、脱日米安保や総合安全保障政策論議の封印。

⑤事故や事件を防ぎチェックする側と施設を運営する側の「なれ合い」
原発事故当事者(電力会社)と監督官庁(経産省、原子力保安院)間の天下り人事、交流人事、利権分配。
米軍と自衛隊の合同・行動訓練の実施、米国と日本官僚のなれ合いと盲従ぶり。

⑥国民全体の生命・財産にかかる重要情報なのになぜか開示されないという情報の「隠蔽体質」
基地問題でも原発問題でも、事件や事故は隠蔽され、その結果、対策は遅れ、安全対策や再発防止などに必要な正確な情報が開示されない。
提供される情報の遅れや不正確さ、必要な情報の不開示による「安全情報」の神話化、膨大な補助金や交付金による「論議の封殺」、事故の発生事実の隠蔽、不誠実で実効性の乏しい再発防止策。

⑦重大な問題にも関わらず、共通する「国民の無知と無関心」
原発地域のかかえる悩みや苦しみに対する国民全体の関心の無さ、原発の危険性、安全神話に対する無知と無関心。
日米同盟、日米安保、日本の安全保障政策、米軍基地をかかえる地域の基地依存化による弊害への国民の思考停止や無知と無関心。


安易に比較するのは軽率と言われるかもしれないが、最近世間を騒がせている。2020東京オリンピックの新国立競技場と大会エンブレム白紙撤回後の、問題の共通点に通じるというか、そっくりではないかと思ってしまった。

駐留米軍の就留経費の75%を負担させられるうえ、根拠のない(協定上とり決めのない)費用までも「思いやり」予算として超法規的に負担を強いられ、米軍の基地使用で生じた住民の被害に対する保証費用もそのほとんどを負担させられています。
日米開戦70年を総括するならば、戦勝国・敗戦国という米日の「主従関係」から日本がいかに抜けだし、国民の意見を基に国家政策を決定できる真の主権国家政策、独立国家、民主主義国家としての「日本」をどう構築するかが最大の課題といえるでしょう。

日本という国家が、主権国家でも、独立国家でも、民主主義国家でも無いのではないかという疑いは前からあったが、それが、だんだん確信に変わっていく……



2015064
【最後の詩集】長田弘 ★★★☆☆ 2015/97/01 みすず書房
今年5月に75歳で亡くなった詩人の、タイトル通り最後の詩集である。
死の前日まで創作活動続けていたとのことだから、さらに拾遺があるかもしれないが。
15篇の詩と、「日々の楽しみ」と題して地方紙に連載した短文6篇が収められている。
詩は南欧を旅した思い出を主題としたものが多く、短文は詩人の暮らしの一齣といった感じで、いずれも長田らしさに満ちあふれている。

素のものがいい。無味に近いもの。松の実。焼き銀杏。焙りにんにく。新たまねぎのスライス。曲がった小さなきゅうり。
小なすの漬物。山盛りのキャベツの千切り。レタスはじめ朝採れの生野菜はすべて。よく乾いたアーモンドの実。湿ったレーズン。夕日色した干し柿。
噛みしめて飽きないするめ。やりいかの刺し身。蛸のぶつ切り。あなごの箱すし。まれに泉州の水なすの浅漬け。太った椎茸。塩茹でのだだちゃ豆。納豆、神田 明神の大きな粒の。京都錦のちりめん山椒。キムチ。オイキムチ。満願寺唐辛子。自分で煮た、砂糖なしの十勝大豆一皿。
チーズ、パルミジャーノ。山羊のチーズ。モッツァレラ。青カビチーズのゴルゴンゾーラも。オリーブの実の塩漬け。桃太郎トマトまるまる一個、スライスで。 ボンレスハム。粗挽きのソーセージ。アルコールなし。たまにバゲット一片とかベーグルも。ザルツブルグの岩塩を一舐めのときも。
とりとめもない、ささやかな、お気に入りのリスト。しかし、よき人生なんて、もともととりとめもない、ささやかな、お気に入りの人生にすぎないのではないだろうか。(お気に入りの人生--日々の楽しみ)


長田版「マイフェバリットシングス」。Morris.の好みとはかなりちがってるが、だからいいのだろう。「キムチ、オイキムチ」というのがちょっと笑いを誘う。最初のキムチが白菜キムチ、後のが胡瓜キムチだろう。おしまいの岩塩は浄めの塩にちがいない。

平和は詩だったのだ、
どんな季節にも田畑が詩だったように。
全うする。それが詩の本質だから、
死も詩だった。無くなった、
そのような詩が、何処にも。
いつのことだ、つい昨日のことだ、
昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。(詩のカノン)


大槻文彦「言海」にある「平和 タヒラカニ、ヤハラグコト。穏ニシテ、變ナキコト。」を、詩として引用しながら、追いかけ続ける想念。平和を!!

円柱たちの、
その粛然とした感じは、うつくしい建築が、
遺跡に残した、プライドだった。
人のつくった、建築だけだ、
廃墟となるのは。
自然に、廃墟はない。(円柱のある風景)


建築だけが廃墟になる、か。詩人は目の付け所が良い。

Forever and a day
一日のおまけ付きの永遠
永遠のおまけである
一日のための本
人生がよい一日でありますように(One day)

Morris.も50歳以降の生はおまけ(ふろく?)と思っているが、おまけが多すぎるのも考えものである。
集中、一番気に入った、ちょっとマザーグース風の一編を引いて終わりにする。
感謝!!安らかにm(__)m

ハッシャバイ

昔ずっと昔ずっとずっと昔
お月さまがまだ果物だった頃
神さまは熟したお月さまを摘んで
世界の外れにある大きな戸棚に
仕舞ってからぐっすり眠った
世界はみんな眠ったみんな眠った
おやすみなさいと闇が言った
おやすみなさいとしじまが言った
ハッシャバイ(静かに眠れ)
人生は何でできている?
二十四節気八十回と
おおよそ一千個の満月と
三万回のおやすみなさい
そうして僅かな真実で




2015063
【残夢の骸】船戸与一 ★★★☆ 2015/05/020 新潮社
2015/04/22に亡くなった船戸与一の遺作ということになる。「満州国演義」の最終巻でもある。ほぼ10年をかけて綴られた大河小説。しかもテーマ が満州ということで、Morris.は期待を持って読み続けたのだが、巻が進むにつれて、読むのが辛くなってきた。

小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅してくことだった。理由は はっきりしている。戦争の形態が変わっていったのだ。まず、兵器がちがう。次に交通手段がちがって来る。それは戦術そのものを変化させた。点対点は線対線 に、線対線は面対面に。最後は空間対空間が戦況を決定するのだ。航空機による無差別爆撃が常態となったとき、牧歌性が存する余地はもはやどこにもない。そ れは近代戦の宿命であり、浪漫主義のつけ入る隙のないものだった。(あとがき)

うーーん、著者もだんだん書くのが辛くなったらしいが、その理由を戦争の形態が変わったためと理由付けられてもなあ。

小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。
歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになっ てはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリーのために事実関係を強引に捻じ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的 事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである。
--歴史とは暗黙の了解のうえにできあがった嘘の集積である。--ナポレオン・ボナパルト(あとがき)


いわゆる歴史小説において、よく論議になる「歴史離れと歴史そのまま」の葛藤だが、ナポレオンのがこんなかっこいい言葉残してたなんて知らなかった。彼の有名な言葉といえば「余が辞書には不可能の文字はない」を思い出すくらいだものな。
ネットで調べたら「歴史とは合意の上に成り立つ作り話以外の何物でもない」という形で一般に流布してるようだ。こちらのほうがわかりやすいが、船戸の引用の方が格調高い。

「東条首相は陸相と参謀総長兼務、嶋田海相の軍令部総長兼務の批判を躱すために、参謀総長を辞し、軍令部総長辞させ、内閣改造で事態を乗り切ろうとした」
「で?」
「一部の閣僚に辞表を出させようとした。しかし、軍需省として統合された商工省の大臣だった岸信介国務大臣が辞表提出を拒否した。岸国務相は勘がよく変わ り身の早いことで有名だ。軍部の言いなりの大政翼賛会傘下の翼賛政治会から推薦を受けて当選した大量の代議士のなかからも東条批判が噴き出してることに注 目したんだよ。知ってのとおり、東条首相の父親・東條英教中将は山県有朋によって形成された陸軍の長州閥を心底怨んでた、天才的軍事家たる自分が軽んじら れたのは長州閥の陰謀だとしてね。しかし、満州が縁で岸信介を知り、商工相に引きあげてやった。その恩を感じ岸信介は言うがままに辞表を提出するものと考 えてたらしい。それが拒否されたんだ、裏切られたと感じても当然だよ」

敷 島太郎と同盟通信社の記者香月信彦の会話で、東條内閣辞職に岸信介が大きく係わったという部分で、安倍首相の祖父の変わり身の早さというのが出てきたので つい引用してしまった。ここで岸が東条から離れたことが戦後A級先般として巣鴨に収監されながら、冷戦と朝鮮戦争を契機に開放され総理にまでなったことの 伏線ともなったのだと思うと、その勘の良さは、大したものである。
以下の引用はすべて香月発言である。

「盧溝橋事件が起きたとき、次郎くんが駆け抜けようとした満州の夢は終わった。そして、次郎くんが死んだとき、多くの日本人が夢みた満州は理想の国家の欠片さえ失なって重い重い鉄鎖でしかなくなった」

敷島4兄弟のうちMorris.は次郎が一番好きだったが、船戸自身もそうだったのではないだろうか。このシリーズ初めの頃の次郎は実に魅力的だった。それがだんだん精彩を欠くようになり、最終巻をまたずに死なせてしまったことへの口惜しさが感じられる。

「本土に上陸して来る米軍にすさまじい損害を与え、無条件降伏ではなく条件つきの講話に持ち込むということだよ。これには時間が掛かる。沖縄戦にちゃんと した増援部隊を送らなかったのはそのためだ。沖縄にはただ戦闘を長びかせることだけが求められた。戦死者九万、民間人死者十万、鉄血勤皇隊などの義勇兵死 者二万、合計二十一万の死者を出した沖縄戦は本土決戦のための捨て石となったと言ってもいい」

沖縄が本土決戦の捨石だったことは事実だろう。そして、おびただしい本土空襲、広島・長崎原爆投下は、無差別殺人以外の何物でもない。戦争はどんな理屈をつけても人殺しという行為だということを忘れてはならない。

「長州出身の松蔭が下田からアメリカへの密航を企てて失敗し、伝馬町の獄に繋がれたときに認めた『幽囚録』がある。それが佐久間象山に手渡されたが、そのなかに欧米への対抗策が書き記されてる」
「いま急に武備を修め、艦ほぼ備わり砲ほぼ足らば、すなわちよろしく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、隙に乗じて、カムチャッカ・オロッコを奪い、琉球を諭 し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古えの盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島 を収め、漸に進取の勢いを示すべし」
「これまで地下水脈として流れていた日本の民族主義は黒船の来航で一挙に顕在化した。このままでは欧米によって植民地化されるという危機感に包まれた。そ の打開策を論じたのが吉田松陰だよ。それに平田篤胤の国学に心酔した連中がつづき、尊皇攘夷となって現われた」
「明治維新という内戦を終えたあとも吉田松陰のこの打開策は生きつづけた。ただひとつ、廃藩置県による中央集権化は松蔭の想像になかったことだがね。とり あえず明治政府は生起する矛盾を溶解する手段として黒船来航まえは暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇を日本のすべてを統べる中心に据えつけ、 欧米列強による植民地化を回避するために躍起となった。その方法をめぐっては大雑把に言ってふたつに分かれる。ひとつは伊藤博文に代表される近代化論。も うひとつは山県有朋が領導した兵営国家論。このふたつがあるときは対立しながら、あるときは補完しながら非植民地化を回避し、吉田松陰が提示した打開策に 向かって突き進んでいった」
「植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない。それが『幽囚録』で示されたとおり、朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本 民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の形成をめざして走りだしていった。民主主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾 みがつくと急速に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。これは植民地主義を白人の専有物だと考えていた欧米列強にすさまじい衝撃を与えた」
「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松蔭の提示した方法によって怒涛の進撃を開始し、アメリカの投下した二発の原子爆弾によって木端微 塵にされた。日本の民族主義の興隆と破綻。たった90年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない」

玉音放送直後の香月の発言だけをックアップしての引用だが、これが本シリーズ9巻の総括のような気がする。

巻末13pに及ぶ参考文献に500冊近くの資料が列記されている。その量に圧倒されるが、もちろんこれ以外の資料も膨大なものだったろう。これらの資料に 船戸が押しつぶされていったところもあるのではないかと思うのはMorris.の僻目だろうか。もう少し自由に描いてもらえれば良かった。
船戸作品の少なくとも3/4以上は読んだと思う。特に「砂のクロニクル」「蝦夷地別件」は日本文学史上に残る傑作だと断定したい。他の作品でも随分楽しま せてもらった。そして彼の畢生の大作「満州国演義」9巻も、たしかに力の入った労作だとは思うのだけど、成功作とは言い切れない。それでも「明暗」執筆の 途中で亡くなった夏目漱石と比べると、大作を校了した後に没した船戸は作家としては幸せな最期を全うしたと言えるかもしれない。以て瞑すべしである。改め て感謝と冥福を祈りたい。



2015062
【かあちゃん】重松清 ★★★ 2009/05/28 講談社
中学生のいじめ問題を中心に、両親離婚、認知症介護、女性問題等々を扱った重松節満載小説。一章ごとに語り手を替えて、問題の多層性を表現してそれなりに 成功してると思うし、筆者の真摯さも納得できるし、ストーリーテーラーとしても上手いと思うのだが、その分、何か作り物めいたものになってしまってるきら いもあると思う。

わたしはときどき思う。「正しい」の「正」という字はなんて窮屈なんだろう。縦横 のまっすぐな線だけ。垂直と平行だけ。しかも、蓋のようにてっぺんに載った横棒をはずしてしまうと「止」になる。ということは、「正しい」とは、ほんとう は「止まっている」ものに無理やり蓋をしてごまかしているだけなんじゃないか……なんて。

登場人物の一人中学女子学生の独白だが、「正」という字は白川静の「字統」によると、「正字は一と止に従う。一は囗、城郭でかこまれている邑(まち)。止 はそれに向かって進撃する意で、その邑を征服することをいう」とある。もとももとは武力で奪った土地から、年貢や義務負担を徴収することに由来するとい う、かなり強引な文字だったらしい。窮屈とはまた別な意味の負の要因を持ってたのかも。
本書のテーマの一つは、「忘れない」ことの大切さにあるようだが、年をとるごとに記憶力の低下著しいMorris.には至難な技かもしれない。

●何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ



2015061
【漢字からみた日本語の歴史】今野真二 ★★☆ 2013/07/10 ちくまプリマー新書

漢字を素材に日本語の豊かさを探るという惹句に誘われて読むことにしたのだが、期待はずれだった。

漢字も文字であるので、平仮名や片仮名、アルファベットと同じことで、漢字という 文字は「意味」をもっていない。漢字の「意味」のようにわたしたちが感じるのは、「漢字が表わしている中国語の意味」なのだ。中国語は原則として一つの語 を一つの文字(漢字)で表わす。だから、語と、それを表わしている漢字とが一体化してみえてしまい、語と文字を分離して意識しにくい。それで漢字は「意 味」をもっているように感じやすい。しかし漢字も文字であるので漢字そのものが「意味」をもっているわけではない。(はじめに)

ここらあたりは、面白そうだと思ったのだけど。そのあとは、万葉仮名、類聚名義抄、土佐日記、日葡辞書などの漢字使用の特徴や変遷を、ランダムに紹介しな がら、自説をくりひろげるのだが、これがひとつも面白くない。明治時代の漢字問題を混乱気味に紹介して、戦後の常用漢字表への感想に移り、人名、地名を常 用漢字表に反映させろという、思いつきみたいなことで締めくくる。
先日読んだ校正の本の中にあった「最近の新書はほとんど語り下ろしで、数回のインタビューを、編集者が後でまとめ上げる」そういったたぐいの典型ではないかと思わされた。

「美しい日本語」があるのなら、「美しくないX語=醜いX語」という言語Xがある のだろうか。自らが使用している言語を大切にし、尊重することは自然なことであり、それはいい。しかし、特別な言語というものはない。言語はすべて当価値 である。日本語を美しいというのだったら、あらゆる言語が美しい。言語がすべて等価値だと認めるところから、冷静な言語の観察、考察が始まるはずである。 (おわりに)

「言語がすべて等価値」というのは、言語の序列をキーワードにした水村美苗の意見を聴いてみたいものである。ただ「美しい日本語」という「表現」にはMorris.も疑義を覚える。
本書は内容はMorris.とは無縁のものだったが、「はじめに」と「おわりに」の一部にだけ、ちょこっとだけ反応したということになる。


2015060
【日本語が亡びるとき】水村美苗 ★★★★ 2008/11/31 筑摩書房。
「英語の世紀の中で」という副題がある。10代で海外生活を過ごした著者が、戦前の日本文学全集を読み込んで、自分でも日本語で小説を書いて話題を呼んだ が、英語が世界語(普遍語)として、ますますその勢力を伸ばし、英語以外で書かれた文学作品は、マイノリティでしかなくなるということを、自分の体験を元 に開陳している。

人はなんと色んなところで書いているのだろう……。
地球のありとあらゆるところで人がいる。
地球のありとあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな条件のもとで、それぞれの人生を生きながら、熱心に、小説や詩を書いている。もちろん、65 億の人類の九割九分九厘は、そんな作家が存在したことも、そんな小説や詩が書かれたことも知らずに死んでいく。それでも作家たちは、地球のありとあらゆる ところで、働いたり、子供を育てたり、親の面倒を見たりしながら、時間を見つけては背を丸めてコンピュータに向かい、何やら懸命に書いているのである。与 えられた寿命をたぶん少しばかり縮めながら、何やら懸命に書いているのである。


水村にとってコンピュータで書く(打つ?)ことは前提条件なんだろうな。

地球のあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな言葉で書いている--とい うよりも、さまざまな作家が、それぞれ<自分たちの言葉>で書いている。潜在的読者が数億人いる言葉でも、数十万人しかいない言葉でも、数千 年前から書き言葉をもっていた言葉でも、数十年ぐらい前からしか書き言葉をもたなかった言葉でも、作家たちにとっては同じである。作家たちは、同じように 情熱的に、真剣に、そして、あたかもそれがもっとも自然な行為でもあるかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。あたかも、人類 がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いているのである。もちろん、人は何時の時代でも< 自分たちの言葉>で書いていたわけではない。書くといえば<自分たちの言葉>で書くのを意味するようになったのは、近代に入ってからの ことで、言葉によってまちまちだが、長くて数百年、短ければ数十年のことでしかない。それなのに、今、作家たちは、あたかも、人類がこの世に存在した限 り、人は常にそうしてきたかのように、<自分たちの言葉>で書いている。英語やスペイン語や中国語で書くだけでなく、モンゴル語、リトアニア 語、ウクライナ語、ルーマニア語、ヴェトナム語、ビルマ語、クロアチア語などで書いている。
しかも、その<自分たちの言葉>で書くという行為--それが、<自分たちの国>を思う心と、いかに深くつながっていたか。

言葉には力の序列がある。
一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族のなかで通じる言葉、さらにその上に は、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。

今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの八割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。歴史の中で、あまたの言葉が生まれては消えていったが、今、言葉は、生まれるよりも勢いよく消えつつある。

今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全般で流通する言葉(<普遍語>)が生まれたということである。
それが今<普遍語>となりつつある英語にほかならない。

百年後の地球の運命も定かではなく、いつまで私たちの知る文明が続くかもわからない。だが、英語は、少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの<普遍語>となる可能性が限りなく強いのである。

英語が<普遍語>となるとは、どういうことか。
それは、英語圏をのぞいたすべての言語圏において、<母語>と英語という、二つの言葉を必要とする機会が増える、すなわち、<母語>と英語という二つの言葉を使う人が増えていくことにほかならない。
ある民族は、<自分たちの言葉>をより大切にしようとするかもしれない。だが、ある民族は、悲しくも<自分たちの言葉>が「亡び る」のを、手をこまねいて見ているだけかもしれない。(第一章 アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々)


Morris.はついついこの「手をこまねいて」表現は見過ごせないのだが、英語を普遍語と断じる水村からすれば、「こまねく」だろうと「こまぬく」だろ うと瑣末主義(トリビアリズム)にすぎないと思われるだろう。この「拱く」を、古い和英辞典(研究社 新和英辞典)で見ると

komanuku 拱く,v. fold(one's arms) 手を拱いて傍観する look on with folded arms(=with one's hands in one's pockets);stand by with one's arms folded;stabd idle.  This is no time for us to remain idle.

うーーん、普遍語の実力は貧弱なMorrisだけに、これではちんぷんかんぷんぢゃ(>_<)

世界のスノビズムがわかってくれば、辺境ほどスノッブになるという法則が働く。時 はすでに、英国の軍事的、政治的、経済的な優位はもちろんのこと、英語圏の文化的な影響力の優位さえあきらかになりつつあった時代である。それにもかかわ らず、日本では実学のための言葉、フランス語こそ西洋文明の真髄を象徴する言葉だとみなす風潮が広がっていったのであった。ことに、作家たちのあいだでは そうであった。

戦後、志賀直哉が日本の国語をフランス語にしようと発言したことを思い出した。

書くという行為は自慰行為であはりません。書くという行為は、私たちのまえにある 世界、私たちを取り巻く世界、今、個々にある世界の外へと、私たちの言葉を届かせることです。それは、見知らぬ未来、見知らぬ空間へと、私たちの言葉を届 かせ、そうすることによって、遇ったこともなければ、遇うこともないであろう、私たちのほんとうの読者、すなわち、私たちの魂の同胞に、私たちの言葉を共 有してもらうようにすることです。唯一、書かれた言葉のみがこの世の諸々の壁--時間、空間、性、人種、年齢、文化、階級などの壁を、やすやすと、しかも 完璧に乗り越えることができます。そして、英語で書かれた文学は、すでにもっとも数多く、もっとも頻繁に、この世の壁を乗り越えていっているのです。

この考え方そのものが、一見アナクロではないかと思ってしまったのだが、嫌いではない(^_^;)

私は今三番目の小説を書いています。恋愛の物語ですが、実は<母語>への執着のようにも読める小説です。
何が女主人公に英語を拒否させ続けたかというと、それは、ほかならぬ「読む」という行為にあったのです。彼女が日本語で書かれたものを読めば読むほど、彼 女は英語に背を向けることになった。読むという行為を通じて、彼女は、常に、かつ、まぬがれがたく、ほかの何物にも還元することのできない、二つの言葉 の、どうしようもないちがいに向き合わざるをえなかったのです。彼女を二つの世界、二つの主体のなかで生きるのを強制した、ほかの何物にも還元することの できない、二つの言葉の、物質的ともいえるちがいです。

私の世代は日本の戦後民主主義教育で育った。戦後民主主義教育というのは、平和主義をのぞけば、いちにも、ニにも、三にも、平等主義であった。小学校の先 生はイデオロギーを優先させるような先生では決してなかったのにもかかわらず、ラジオやテレビ、新聞や雑誌や本を通じ、一人で勝手に学んでいったのであろ う。「職業に貴賎はない」などという表現は、「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが、真に受けるように教育されてしまえば、まさ に「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる。平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた。日本文学について考えるときも、私は大人 になっても長いあいだ平等主義的にしか考えられなかったのであった。
私は<国民文学>などという観念こそ知らなかった小さいころからずっと、どの国にも日本と同じようにその国の言葉で書かれた小説があるのを当然だと思っていたのであった。


これはMorris.も虚を突かれた。日本文学の存在というのはかなりに特権的な事態だったのだ。

そもそも日本近代文学の存在が世界に知られたのは、日本が真珠湾を攻撃し、慌てた アメリカ軍が敵国を知るため、日本語ができる人材を短期間で要請する必要にかられたのが一番大きな要因である。アメリカの情報局に雇われた中でも極めて優 秀な人たちが選ばれて徹底的に日本語を学ばされ、かれらがのちに日本文学の研究者、そして翻訳者となったのであった。エドワード・サイデンステッカー、ド ナルド・キーン、アイヴァン・モリスは海軍で、ハワード・ヒベットは陸軍で。ほぼ同世代で、戦前の日本に育ったスコットランド人のエドウィン・マクレラン も翻訳者となった。
1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したのも、そのように英訳があったおかげである。(第二章 パリでの話
)

ノーベル文学賞とか世界文学とか、確かにへんてこりんなものである。

<普遍語>universal language
<現地語>local language
<国語>national language

今、人類の多くは、自分たちの<国語>を、おのが民族が、太古の昔から使ってきた言葉だと思いこむにいたっている。ところが、『想像の共同 体』(ベネディクト・アンダーソン 1983)によれば、<国語>とは、いくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。それでいて、いったん<国語>が生 まれると、その歴史的な成立過程は忘れ去られ、忘れられれるうちに、人びとにとって、あたかもそれがもっとも深い自分たちの国民性=民族性の表れだと信じ こまれるようになる。<国語>はナショナリズムの母体となり<国民文学>を創り、今度はその<国民文学>が母体とな り〈国民国家〉を創っていく。物理的に存在するわけでもないのに、人がそのためになら命を投げ打っていいとまで思う、アンダーソンいわくの、「想像の共同 体」を創っていくのである。

最近読んだ本のなかで、たびたびこの「想像の共同体」への言及がある。これは一度読まずばなるまい。

〈叡智を求める人〉というのは、ただ、さまざまな苦労をものともせず、自分が知っ ている以上のことを知りたいと思う人たち--のみならず、しばしば、まわりの人たちの迷惑をも顧みず、自分が知っている以上のことを知りたいと思う人たち である。自分が知っている以上のことだけでなく、人類が知っていることすべてを知りたいと思う人たちである。
そしてかれらが、読むだけでなく、書きはじめることによって、人類にとっての〈読まれるべき言葉〉の連鎖が始まるのである。

知的エリート主義かもしれない。

日本語の〈国語〉という言葉は、近代日本の過ちと切っても切り離せない言葉として、悪名高い。
〈国語〉は少数民族の言葉であるアイヌ語、さらには日本のほとんどの方言を消してしまったとされるだけではない。日本人の血をしていること、日本の国籍を もっていること、日本語を〈国語〉とすること--本来はそれぞれ独立したこの三つの位相が、三位一体のように分かちがたく日本人の心に刻まれ、日本語でい う〈国語〉は、いつしか、即、「日本語」を指すようになったのは、日本の植民地となった朝鮮半島の人が「国語を常用しない者」と規定されていたことからも わかる。〈国語〉がそのような過去をもつ言葉であるがゆえに、日本では『想像の共同体』が、ベネディクト・アンダーソン自身の意図を離れて、〈国語〉批判 の本として読まれたのも当然のことであった。


またまた「想像の共同体」か。

学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべ き言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。学問とは〈読まれるべき言葉〉の連鎖にほかならず、その本質 において〈普遍語〉でなされる必然がある。
このことは、何を意味するのか?
それは、〈自分たちの言葉〉で学問ができるという思いこみは、実は、長い人類の歴史を振り返れば、花火のようにはかない思いこみでしかなかったという事実である。


いや、これについては断固「反対」を表明しておく。

〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的に も、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉でもある。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じよ うに機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。
小説は〈母語〉のもつ長所を存分に利用しながら発展していった。かたや〈普遍語〉の翻訳として生まれた小説は、神の存在の有無、戦争と平和、人類の運命な ど雄々しく立派なことがらについて重々しく抽象的に語れる。だが、それだけではない。かたや〈母語〉を母体として生まれた小説は、人間の日常生活という、 卑近な出来事の連続でしかないものを、どうでもいいような細部にわたってまで、生き生きと魅力的に描くこともできる。子供のころの鮮やかな記憶に遡ること も、その前の、記憶とよぶのもはばかられる、断片的な感触や、匂いや、ささやき声の混沌とした思い出さえ喚起することもできる。心のうちの奥底まで探り、 どんなつまらぬ考えも恥ずべき思いも、思いのたけ打ち明けることができる。しかも、社会で〈国語〉が広く流通すればするほど、人々は自分が話す〈母語〉そ のものを、〈書き言葉〉としての〈国語〉を規範にして変化させていく。
かくして、〈国語〉は、あたかも自分の内なる魂から自然にほとばしり出る言葉のように思えてくるのである。〈国語〉とは、必然的に〈自己表出〉の言葉とな る。小説は、社会に対する個人の内面の優位を謳うものとして発展していったが、内面の優位とは、実は〈国語〉で書くことの結果でしかない。(第三章 地球のあちこちで〈外の言葉〉で書いていた人々)

日本で最初の近代小説だといわれる二葉亭四迷の『浮雲』が書かれたのは1889年。『浮雲』は未完でありながら、日本近代文学の最高傑作の一つである。の ちの小説であの高みに達した作品は、数えられるほどしかない。明治維新からたった二十余年のことであった。しかも『浮雲』を筆頭に、『たけくらべ』『にご りゑ』『坊っちゃん』『三四郎』『道草』『銀の匙』『阿部一族』『渋江抽斎』『歌行燈』『或る女』『濹東綺譚』『春琴抄』『細雪』などを始めとして、枚挙 にいとまないほ