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Morris.日乘2005年11月 
ここは、Morris.の日記です。読書記録、夢のメモ、宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語
自由位地Guts!!

Morris. personal calender

【2005年】 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
2005/11/30(水)●がんばれはやぶさ●

としろう、小川さんと、昨日と同じ現場。2時過ぎに作業終了。いったん倉庫に戻り、小川さんとふたり、東大阪の中国向け小口荷物の引き取り。
ばたばたした割に早めに帰宅できた。
7時半から、クローズアップ現代で、先日の小惑星探査船はやぶさを取り上げるという情報を稲田さんからもらったので、予約してたが、リアルタイムで診ることができた。30分の中で、アウトラインから、スタッフインタビュー、ゲストの解説、町工場の技術協力など盛りだくさんで、いかにもNHKらしいと思ったが、それでも、この計画が、ものすごく難しいもので、昨日までの推移がどれだけの僥倖と、関係者の努力によるものか良くわかったし、この計画の意義の大きさも理解できた。何といっても、小惑星itokawaの姿には驚かされた。小惑星の土壌の一部を回収して地球帰還のコースに入ったところで、何らかのトラブルが起きたというニュースが入った。これまでも、数々のトラブルが起きて、それを克服してきたはやぶさだけに、今回も何とかクリアして、サンプルを持ち帰ってほしい。

2005/11/29(火)●ユンジョンちゃんのVクリップ●

としろう、小川さんと、西区玉津のアメリカ向け荷物のピックアップ。二日取りのため、今日できないものが多くてあまり作業が進まない。
昼食は近くの中華屋でスタミナチャンポンというのを食べたがこれがかなりひどいものだった。スープはカレー味とも五味香ともいえない風味に、麺はとてもチャンポンとは思えない麺だし、スタミナということでニンニクの欠片が入ってるのはいいとして、ラーメン用の不味い焼豚が乗ってるのには、唖然としてしまった。
定時に倉庫に戻り、コンテナ詰め作業手伝ったりして、7時過ぎには帰宅。
韓国トロット関連の部屋で、チャンユンジョンの新曲「コッ-花」のミュージックヴィデオのサイトを紹介してあった。
さっそく、見たさ(^o^) 曲は前にラジオでも聴いてたが、「オモナ」「チャンチャラ」のシンプル明快チープ路線とはちがって、ちょっとアダルト路線である。映像はユンジョンちゃん一人二役で、これまたちょっと大人っぽくて色っぽい。絵も綺麗だし、日米のクリップみたいに、めまぐるしいショットの入れ替わりもなく、比較的落ち着いて見ることができる。でもこの曲がヒットするかどうかとなるとちょっと疑問である。やっぱりユンジョンちゃんには、もうしばらく、トロットアイドル路線を楽しませてもらいたい、というのが本音である。
「刑務所の前 第2集」花輪和一を読む。感想などは、5月10日の日記の第1集感想と全く同じである(^^;)

【随筆 本が崩れる】草森紳一 ★★☆☆ 風呂場に入ったときに積み上げた本が崩れて閉じ込められてしまった話を中心にした「本が崩れる」、野球少年だった往時を懐かしむ「素手もグローブ」、煙草に関するあれこれを書いた「喫煙夜話 この世に思いのこすこと無からしめむ」の3篇だけで、新書300pというのだから、それぞれがけっこう長いことがわかるだろう。草森といえば、時々とんでもなく面白い本を書いてるというイメージがあるのだが、本書は、いただけなかった。タイトルに随筆とあるとおり、筆の赴くままに書き散らしたという感じが強い。それはかまわないのだが、どうも本人が面白がるところが、Morris.にはちっとも面白くないのである。
著者撮影の白黒写真も十数点あるが、これもいまいちぴんと来なかった。唯一、煙草のところで、愛飲してるピースに関連して、最近の「煙草有害警告表示」がパッケージデザインを破壊してるという部分は、共感するところ大であった。

それよりもあまりにも激烈なデザインの破壊ぶりである。「ショート・ピース」は、アメリカの著名なデザイナー(レーモンド・ローイ)の手になる傑作である。世界のデザイン会議はこのまま黙って見過し、なにも抗議しないつもりなのか。著作権侵害より、人命尊重、そして世界平和(ピース)というわけか。

2005/11/28(月)●猫町●

西根君、小川さんと3人で寝屋川市のインドネシア向け荷物のピックアップ。香里園駅近くの現場で、商店街の脇のマンションで、この付近はやたら野良猫が多かった。Morris.好みのキジ虎が少なくとも3匹、白黒、かまど猫など5匹はいた。そして、野良なのに、街の住民にえらく可愛がられているらしく、人懐こい。特に青眼茶眼のキジ虎と、ボスらしいキジ虎の二匹は実にいい雰囲気で、Morris.は休憩時間に2匹に密着して、デジカメ撮りまくった。マンションの1Fにはお洒落な軽食喫茶があって、これらの猫たちは、まるで店のマヌカンよろしくポーズをとったり、寝そべったりしている。こういった形で、野良猫と、街が上手い具合に共存してるというのは、素晴らしいと思った。
昼休み食事の後、商店街を冷かして歩いてたら、洋品店の店頭に、えらく派手な綿入れ半纏が目に付いた。いちおう和風柄なのだが、色合いといいデザインといいまるでMorris.御用達(^o^)である。生地はオール化繊の中国製で、値段も安かったので、思わず買ってしまった。買ってから気づいたのだが、リバーシブルで、裏面はちょっと地味目の麻の葉模様である。実は婦人用のLサイズなのだが、Morris.にはちょっと大きいくらいである。


名前はナナちゃんらしい

左青眼、右茶眼

サボテン猫

ボスの風格

野生の魅力

証明写真

ごろにゃん。これはトリミング

ごろにゃん2

Morris.御用達半纏
2005/11/27(日)●「パパラギ」vs.「はやぶさ」●

9時起床。
何となく午前中はベッドでぐずぐずしてた。昨日買った「パパラギ」を読み返していたのだった。
昼前にやっと起き出して、KBSのアーカイブラジオ聴こうとしたが、日曜のせいか、途切れ勝ちなので、TVつけて見るともなく見る。欠陥マンションニュースのあと、日本の探索ロケットが、どこかの小惑星に到達して、土壌の見本を採取に成功して、地球に持ち帰るなんてニュースが流れて、何だろう?と思ってしまった。
あとで稲田さんから掲示板書き込みがあり、「はやぶさ」ミッションという、日本宇宙開発研究機構の探索ロケットで、解説のサイト見ると、うーーむ、日本の宇宙開発技術を、これまであまりに見くびっていたかと、反省させられてしまった。光の速さで片道17分の遠距離にあるイトカワ(糸川英夫博士を記念しての命名)という小惑星に着陸して、土壌を採取して、地球まで持ち帰るという、ちょっと信じられないミッションなのだった。地球に戻るのは2007年6月。どうも、気象衛星などの失敗ばかり報道されてたから、まさか、こんな画期的な計画が実行されてるなんて、思いも寄らなかった。よくわからないながら、拍手を送りたい。
しかし、ちょうど、ヨーロッパ科学文明への強烈な批判でもある「パパラギ」読んでる途中にこのニュースというのは、出来すぎというか、皮肉な気分になってしまった。
夜は、STARdigio457chでRoy Orbison特集やってたので、ついつい聴き入ってしまった。ロックンロール黎明期のスターである。映画のタイトルにもなった「Pretty Woman」が有名だが、泥臭いブルースの香りのする「Candy man」や、「愛しのラナ」なんかが懐かしかった。ヴェルベットヴォイスとでもいうのだろうか、良い声である。

【パパラギ】 岡崎照男訳 ★★★☆ 「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」というのが副題で、原書は1920年の発行である。それなりに有名な本であるから、知ってる人も多いと思う。南の島の未開人の目からみた、ヨーロッパ文明批判の書としても知られている。「パパラギ」とは「空を破って現われた人」という意味のサモアの言葉で、宣教師に代表される、ヨーロッパ人たちをさしている。
ドイツ人エーリッヒ・ショイルマンが、放浪生活の中でサモアにわたり、当時ヨーロッパを回って帰って来たサモアの酋長ツイアビから聞いた話をもとに、本書を著わしたということになっている。1920年といえば、第一次大戦の終わったばかりの時代で、ヨーロッパも疲弊していたにちがいない。そういった時代に本書は大きな話題を集めたようだ。
パパラギそしてこれが1977年にドイツで再発行され、その3年後に、日本でも発行された。Morris.も、割と早い時期に読んだと思う。その後、数回手に入れては人にあげたような記憶がある。とりあえず、印象深く、面白く、知らない人に教えてあげたくなるような内容で、手軽で、和田誠の装丁も洒落ていて、つい、人に贈呈したくなる本だった。
先般、絵本版の「パパラギ」というのを見つけて、懐かしさから手にとって、読んで見たのだが、どうもこれが、Morris.のイメージと微妙に違ってるようで、変な感じを受けてしまった。絵本を作ったのが和田誠だっただけに、余計気にかかってたのだが、昨日古本市場の百円均一で見つけたので買って帰り、ひさしぶりに、通読したのだが、やっぱり、絵本とはかなり違ってると思った。
1920年、1981年、2005年、と本書が書かれてから85年。日本語版が出てからでも25年経ってしまったことになる。ヨーロッパの文明は、日本にもあまねく浸透してるわけで、今やサモアの島々だって、かなり文明化の波を被ってるかもしれない。しかし、本書の批判は古びることなく生き続けているということに、改めて感動した。
しかし、最初に本書を読んだ時のMorris.と、現在のMorris.では、かなり感動の質が変わってしまってるというのも否めないようだ。
金や貨幣を論じた「丸い金属と重たい紙について」の中で

ヨーロッパでは、お金がないのは頭がないのと同じ。

という、フレーズを見て、思わず吹き出してしまった。西原の漫画に良く出てくるフレーズではないか。そうか、オリジナルはこんなとこにあったのか。

本書の眼目は唯物主義批判の「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」、時間論ともいうべき「パパラギにはひまがない」の二つの章だろう。

いうまでもなくパパラギは、そういうものが作れると信じている。大いなる心と同じように強いと思っている。だから無数の手が、日の出から日の入りまで、物ばかり作っている。人間が作る物、私たちにはそれが何のために使われるのか見当もつかず、美しいとはとうてい思えない。
そしてパパラギはいつでもいっそう多くの物を、新しい物を作るのに成功したときには、顔は幸せに輝く。そしてみんなが、その新しい物を欲しがり、崇め、自分の前に置いて、そのために歌を捧げる。

物がたくさんなければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きてゆけない。

少ししか物を持っていないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。食事の鉢のほかは何も持たなくても、私たちならだれでも、歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にそんな人間はひとりもいない。

彼らは物を作らねばならぬ。彼らは物を見張らねばならぬ。物は彼らにつきまとい、小さな砂アリのように彼らの肌をはい回る。彼らは物を手に入れるために、冷酷な心であらゆる罪を犯す。彼らは男の名誉のためでも、力比べのためでもなく、ただただ物のためにのみ、たがいに攻撃し合う。(「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」)

そう、彼は日々の新しい一日を、がっちり決めた計画で小さく分けて粉々にすることで、神と神との大きな知恵を涜してしまう。柔らかいヤシの実をナタでみじんに切るのとまったく同じように、彼は一日を切り刻む。切り刻まれた部分には、名前がついている。秒、分、時。秒は分よりも短く、分は時より短い。すべてがあつまって時間になる。分が60とそれよりずっとたくさんの秒が集まって一時間になる。

時間のこの叫びが響きわたると、パパラギは嘆く。「ああ、何ということだ。もう一時間が過ぎてしまった」そしてたいてい、大きな悩みでもあるかのように悲しい顔をする。ちょうどそのとき、また新しい一時間がはじまっているというのに。
これは重い病気だと考えるしか、私には理解のしようがなかった。「時間が私を避ける」「時は馬のごとし」「もう少し時間がほしい」---いずれも白い人の嘆きの声である。
これはある種の病気かも知れぬ、と私は言う。なぜかというとこうなのだ。かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。その方に心が動くだろう。たとえば、日光の中へ出て行くとか、川でカヌーに乗るとか、娘を愛するとか。しかしそのとき彼は、「いあy、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あってもまったく見ようとはしない。彼は自分の時間をうばう無数のものの名まえをあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。だが、その仕事を強いたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのである。

ヨーロッパで、本当にひまのある人はほとんどいない。おそらく、ひとりもいないのじゃないか。だれもが、投げられた石のように人生をおくる。ほとんどすべての人が、目を伏せたまま、大きく手を振り、できるだけ早く先頭に立とうとする。もし他の人が止めでもしようものなら、彼らは立腹して怒鳴る。「どうしてじゃまをするのだ。おれには時間がない。お前は自分の世話をやくがいい、自分の時間をむだにしないようにな」早く行けば行くほど人はりっぱであり、ゆっくり行く人は値打ちが低いと、まるで彼らはそう考えているようだ。

私たちの中に時間がないというものがいたら、前に出るがよい。私たちはだれもが、たくさんの時間を持っている。だれも時間に不満はない。私たちは今持っている、今じゅうぶんに時間を持っている。これ以上に必要とはしていない。私たちは知っている。私たちの一生の終わりのときが来るまでには、まだまだじゅうぶんの時間があることを。そしてそのとき、たとえ私たちが月の出た数を知らなくても、大いなる心はその意志のまま、私たちを呼び寄せてくださることを。(「パパラギにはひまがない」)


こういった、素朴で力強いアフォリズム(^^;)を読むと、Morris.の日々の暮らしが、いかに物や時間に囚われているかが良くわかる。
だからといって、これらに従って生きるということは、できないのも事実だろう。
本書の全体を覆っている「神」の存在が、胡散臭く感じられるのも、Morris.がすでに「神」から見放された存在だからだろうか。

2005/11/26(土)●収穫祭の豚汁●

9時起床。
習慣になりかけている,hapyFM聞きながら、どうしようか迷いつつ続けているMorris.のblogはてなダイアリの「ノレ番8090」を更新。
めぐすりの木の茶の色昨日こけしちゃんから貰った「めぐすりの木のお茶」、昨日はえらく薄く淹れてしまったようだ。今日はお湯の量をちゃんと合わせてしっかり淹れたら色もしっかり出たし、それなりの風味もあることが判った。
今日はセンターで、求める会(食品公害を追放し安全な食べ物を求める会)の収穫感謝祭があった。Morris.はこれで出る豚汁のファン?で、毎年顔を出して、お相伴に与っている。今年はついうっかりと、見過ごすところだったが、稲田さんから携帯にメールが入ってて、あわてて、自転車でセンターに行き、無事今年も豚汁食べることができた。「求める会」が発足したのは1974年ということだからすでに30年を超える。ちょうどMorris.が神戸に来た頃になるな。有機農業や自然食品への関心は社会的にある程度定着したとはいうものの、実践活動となると、なまなかな気持ちでは持続できないだろう。
大相撲は朝青龍の独壇場となって久しいようだが、人気は凋落といっていいくらいだ。Morris.もほとんど見ることはないのだが、今日は朝青龍が、14日目に優勝を決め、連続7場所優勝、年間全場所優勝、年間最多勝ち星(83勝)の三つの記録を塗り替えた。ライバル不在というのも悲しい状況ではあるのだが、それにしても凄い力士であることは間違いない。こうなると、次の目標は双葉山を超える70連勝への挑戦くらいだろうか。
夕方8chの「トミーズのはらぺこ亭」という番組に、ソウル家のママが出てたのでびっくりした。ワタリガニのチゲ作る場面があって、それで呼ばれたらしい。生野の店ではなく、スタジオに設えられたキッチンで調理してたが、全く普通にふるまってたのに感心した。


求める会収穫祭の豚汁

TV出演のソウル家ママ

レギュラーよりはまってる
2005/11/25(金)●「ぶさかわ」Pekoちゃん(^^;)●

めぐすりの木と「ぶさかわ」ペコちゃん朝宅急便が届く。東京のこけしちゃんからで、中には、太めのペコちゃん人形が入っていた。手紙には「ぶさかわ」ぺこちゃんと書いてあった。「不細工だけど可愛い」の意味と思うが、なるほど、と納得する顔である。どこにも不二屋の名はないし、どうもこれはバチもんの可能性がかなり高いと思う。全長25cmくらいなのに、顔の幅も15cm超えてる。スタイル的には「ニ頭身」である。普通のペコちゃん人形がえらくスマートに見えてしまった。これも貯金箱になってるが、貯め甲斐がありそうだ。これだけでも嬉しいのに、さらに、「めぐすりの木」という、眼病に効くらしい不思議なお茶まで同封してあった。新井薬師(新井山梅照院薬王寺)という、中野にある真言宗のお寺の特製品で、ここの本尊薬師如来は治眼薬師として信仰を集めていたらしい。紙パックで簡単に淹れることができそうなので、早速飲んでみる。味は、ほとんど無いに等しいが、気のせいかちょっと良く見えるような気がしてきたぞ。最近老眼も進み、視力の衰えを感じてただけに、実に良いタイミングである。これもMorris.の誕生祝とのこと、こけしちゃん、ありがとおーーーっ!!
今日はKBSアーカイブで、ノレチャランと歌謡舞台見ることが出来た。「歌謡舞台」は番組20周年記念番組で、豪華出演陣だったし、番組に登場した歌のランキングが出てたので、メモしてみてたのだが、終わったらいくつか、欠がある。Morris.のチェック漏れかもしれないが、順位ランダムに出てきたし、見直す気にはならなかった。
六甲ボール1Fの「古本市場」の百円均一の棚に「パパラギ」見つけたので買う。ブックオフとか、こういったタイプの本屋はくだらないと思っていたが(今もそうだけど)クズ本の中に本物が混じってることもあるのだから、一概に無視することもないか、と思った。
【韓国ことわざシリーズ】ちょこっとだけ更新。

【失投】ロバート・B・パーカー 菊池光訳 ★★★ 久し振りに読んだ「ダブルプレー」が面白かったので、ついつい同じ野球をテーマにした古い作品を借りてしまった。こちらは、例の私立探偵スペンサーシリーズである。
レッドソックスの若手投手が八百長に絡んでるという噂から、真相を知ったスペンサーが体を張って、解決に尽力するという、ストーリーは単純なものだが、流石に彼一流の語り口と、薀蓄と、ハードボイルドさに、ついつい読まされてしまった。でも、こういう世界にあまり深入りすることは、やめておこう(^^;)

2005/11/24(木)●嵐山また肩透かし(^^;)●

9時起床。いい天気である。風呂と洗濯済まして、ネットで天気予報と、京都の紅葉情報見る。嵐山は17日現在の情報で、来週当たりが見頃と書いてあったので、今日あたりはOKだと思う。夜はセンターで朝鮮語講座があるが、7時からだから問題ないだろう。
それでも部屋でついついぐずぐずしてて、部屋を出たのは昼過ぎだった。
灘図書館に寄って、阪急嵐山駅に着いたのが2時過ぎ、ちょっと遅いかなとも思ったが、それ以前にあまり紅葉が見えない。去年も一昨年も、Morris.は嵐山詣でしてるが、どうも、紅葉との相性は良くない。
渡月橋から桂川を下って川べりに降りて歩いたら、途中で河川工事やってる。それでも、川の流れを見るのは悪くない。5時くらいまで、ぷらぷらと歩いて、5時半発の電車で戻る。ちょうど7時にセンター到着。
いちおうデジカメは撮ってきたので、それで報告に代える(^^;)


これは六甲八幡神社

かなり美化した絵

いまいち赤さが物足りない

斎明神社境内

嵐山まで来なくても(^^;)

単なる民家

よくわからない

これは実も赤い

4秒スローシャッター

釣り場への道?

上下対象

上下対象その2

落日

これが一番良かったりして

カラスが枯木に
2005/11/23(水)●韓国トロット黄金時代●

昨日、一昨日の短期間長距離移動で流石に疲れてたらしく、11時前起床。
午後は千葉の国際駅伝なんてのがあったが、結局ほとんど見なかった。男女ともケニアが優勝したようだったが、女子の解説は増田明美で、本当に彼女の解説は情報収集、しゃべり方、長距離走への愛情が感じられて素晴らしい。ランナーとしては大した成績も上げず仕舞いだったが、引退後の転進でこれだけうまくいくとは意外だった。日曜に見事復活優勝した高橋尚子もゲストで出てた。やっぱりホッとした表情してた。
それ以外は、ほとんど、例に寄ってKBSのラジオ第二放送HAPPYFMをかけっぱなし。TVでは「歌謡舞台」が20周年特集番組と書いてあったがアーカイブでの視聴がおかしいのであきらめ、「開かれた音楽会」見たら、韓国トロット女王チュヒョンミがノヨンシムの名作「クリウムマンサイネ」を歌ってた。この歌はどちらかというとニューミュージック系で、ちょっと違和感を感じたがどんな歌でもこなせるというのが、韓国トロット歌手の条件でもあるらしく、それなりに上手くこなしてた。そのあとは、オリジナル3曲メドレーでしっかり盛り上げてた。
その彼女が、朝鮮日報で、最近の韓国の「フュージョントロット」への苦言を呈している。日韓歌謡の掲示板に書き込みがあったので、該当ページ記事をそのまま、exciteの韓日ウエブページ翻訳に貼りつけて読んだ。いや、便利な世の中である。
それによると、最近の若手のトロット歌謡は、トロットなのかコミックソングなのかわからない、といった雰囲気だった。はっきり名前は出してないが、チャンユンジョンの「オモナ」の大ヒットと、それに刺激されて出てきた、いわゆる「フュージョントロット」への嫌悪感からの発言らしい。
そりゃ、チュヒョンミの実力と、ユンジョンちゃんの歌唱力を比べるのは、あまりのことだが、歌謡曲の世界は何でもありだと思うし、ユンジョンちゃんには、彼女なりのオーラがあるわけで、目くじらを立てることはないと思う。いや、Morris.はこの記事を読んで、かえって、韓国のトロット界(演歌の世界)の、最近の興隆ぶりを再確認できたような気がする。
もちろん、Morris.の嗜好がそちら方面だから、最近の韓国トロットの曲を良く聴いてるのは個人的な傾向でもある。しかし、日本の演歌界と比べると、やはり圧倒的に今の韓国のトロットの人気と曲や歌手の充実ぶりは、突出してると思う。とりあえず、ソテジの登場以来、15年くらいは、韓国でも、いわゆるK-POPSが流行の中心となっていたが、去年くらいから、いわゆる大衆歌謡の人気が回復してきたような気がするのだ。先の「オモナ」の爆発的ヒットが引き金になったともいえるが、それ意外に、もともと韓国人の「歌好き」指向にこたえる歌がどんどん出てきてるように思える。
HAPPYFMに感化されたMorris.の妄言かもしれないが、日本の民放ラジオでもTVでも演歌のかかる番組なんてほとんど数えるほどしかない。それにひきかえ、韓国では「歌謡舞台」をはじめトロット専門のTV番組が複数あるし、ラジオに至っては朝から晩までトロット流れっぱなしだったりする。男女ともに、国民歌手ともいうべきベテランから、若手まで枚挙にいとまない状況であるし、ベスト30のさわりだけ聴いても、本当に聴き応えのある佳曲目白押しである。これは、ひょっとすると、韓国トロット界は、15年ぶりの黄金時代を迎えているのではないかと思えてきた。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【ダブルプレー】ロバート・B・パーカー 菊池光訳 ★★★☆☆ パーカーの近作(2004)らしい。彼の作品はかなり以前、スペンサーシリーズを何冊も読んだ記憶がある。本書は、ちょと異色といえるかもしれない。1947年米大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンと、そのボディガードになった白人バークの物語で、当時の人種差別の中での黒人選手の難しい立場や、社会状況を描きながら、著者お得意のハードボイルドタッチの鮮やかな語り口で、裏の世界も含む「男」の世界を描き切っている。著者自身も幼い頃からの野球ファンだったらしく、実録的な白人少年の独白をはさんだり、当時のゲームのボックススコアが複数引用されて、時代を再現するのに力を貸しているし、何といっても主人公の寡黙で頑固でやることはやる男くささ+タフガイぶりは、漫画以上にMorris.を楽しませてくれた。当然、あまりのご都合主義やスーパーマンぶりが目につくのだが、それはこういった作品には必需品といえるだろう。
こういった作品には珍しく、殴り合いなどの肉体的暴力シーンはほとんど描かれない。その代わりに、ヒーローのバークは海兵隊としてガダルカナルで日本軍の銃撃で重傷を負い、その回復の描写が十二分にその代理を果たしている。
37年に設立されたニグロリーグという存在にも興味を惹かれた。それにしても、やっぱり本場だけに、このてのハードボイルドはアメリカものには太刀打ちできないとおもってしまった。
そして、やはり特筆すべきは、ほとんど「剪定」といっていいくらいの、余計な部分を省略した文章構成だろう。そしてそれが、実に読者に実感されるように作られている。上手いもんである。

リッキーは、ずっと黙って座っていた。今度は口を開いた。
「絶対に気を緩めてはならない」彼が言った。彼はロビンソンを見ていたが、自分も含まれているのがバークには判っていた。「きみは細かいところまで見られている。酒は飲めない。性的に無分別なことはできない。物事について意見を持つことはできない。懸命に、正々堂々とプレーし、口をつぐんでいる。やれるか?」
「多少の運にめぐまれれば」ロビンソンが言った。
「幸運は意図の残留物だ」リッキ-が言った。
生涯打率二割三分九厘の男にしてはなかなかいいことを言う、とバークは思った。


【目白雑録 ひびのあれこれ】金井美恵子 ★★★☆ 朝日新聞社「一冊の本」2002年4月号から2004年3月号間で連載されたもの。「重箱のすみ」というエッセイ集とよく似た装丁だったので、つい見逃していたらしい。世の小説家はたいがい馬鹿であると喝破した上での、言いたい放題も、彼女ならではである。
Morris.より二つ上だからほとんど同時代人で、本書が書かれた時期がちょうど今のMorris.の年で書かれたことになる。身体的衰えや、ボケの始まりめいたぼやきも、身につまされるところ大である。
彼女は原稿をボールペンで書いてるらしいが、

トンボのモノボールという一本百円のボールペンで、これを長年愛用しているのだが、一本でほぼ、四百字詰め原稿用紙に、行変え無しでびっしり書いて十枚書ける見当だから-------以下略

とあったが、これはほんとだろうか?Morris.はボールペンで原稿書いたりしないが、ボールペンというものが、たかだか原稿用紙十枚(四千字)で一本消費されるというのは、意外というより、間違いのような気がする。ずっと昔「暮らしの手帖」の商品テストでボールペンを使ってどんどん書いていくテストがあったが、よくもこんなに書けるもんだというくらい書けるのがボールペンという印象が強かったのだ。いくら行変えなしだって、百枚くらいは軽々と書けそうだがどうだろう。実際に試して見る気はまるでないけどね(^^;)
近作「待つこと、忘れること?」に関して「私が悪口を書くのが(小説はもとより)達者なだけではなく、熟年のつつましい生活人として、料理に、大嫌いな掃除にいかにヴェテランとしての智恵を持っているかについて書かれたエッセイ集」と自画自賛した上で、

この年になると、ただ馬齢のみ重ねる人間と、年相応の幅広さを身につけた人間との差が、なぜかはっきりしてくる、というと、いかにも自画自賛のように聞こえるかもしれないけれど、実のところは、私にしても姉にしても、子供の頃からやっていたことを今もまだやっているということに、『待つこと、忘れること?』を一冊の本にまとめながら、改めて気がついた、

こんなこと、他のおばさんが書いた日には、ほんとにゲーなのだろうが、彼女が書くとそれなりに納まるあたりが、年季の入り方の違いだろうか。
本書の文章は、日記ではなく、批評でもない、雑録あるいはエッセイであり、

エッセイという分野こそ、私のような慎み深い小説家にとって、ある程度、奔放に振る舞える形式であると申せましょう。ある程度ですが。

というのが、あとがきの一節である。書きつづけてくれ。

2005/11/22(火)●PANORAMA関門海峡●

夕陽に映える関門海峡と関門橋

昨夜は10時半に小川さんの車で拾ってもらい、倉庫で井上君と落ち合って3人で九州に向かう。Morris.は荷台(アルミバン)で、家具養生用のミノを布団代わりに仮眠することに。まるで蓑虫状態である。夜中は結構冷え込むし、振動でもちろん熟睡は出来なかったが、MP3のおかげでたいくつすることはなかった。
朝6時半ごろ、古賀あたりのSAで朝食。当然のごとく、ラーメン頼んだがこれがまたとんでもなく不味かった(>_<)
現場は那珂川町の米人夫婦宅で、一昨日から来ている矢谷、荻野、浅海組と合流。6人がかりで、午後2時過ぎには作業終了。昼飯こそはまともなラーメン食べたいと、ちかくの「空海」という店に入る。ラーメンを「拉麺」と漢字で書くなど、ちょっと博多ラーメンのイメージと違って心配したが、ここはばっちり美味しかった。替え玉もやって満足。
また、現場の裏に「田中商店」という、乾物屋があって、明太やおでんのタネや、塩鯨や、見たことのない魚の干物などあって面白そうだった。
ちょうど夕方関門橋とうちゃく。めかりSAで一服したので、ここで関門海峡と関門橋の夕景やPanorama写真撮影。その後は中国道通って倉庫に付いたのが11時。まるまる24時間の仕事ということで、さすがに疲れてしまった(^^;)


那珂川町のラーメン屋

空海ラーメン

田中商店外観

田中商店内部

光る海

関門橋
2005/11/21(月)●500円!?●

9時起床。ちょっと三宮に所用があって出る。その後元町の阪神理容で散髪。いつもの刈り上げにしたのだが、さすがに襟足ふきんが涼しすぎる。「つの笛」に寄ったが、キリスト教書籍専門色がますます強まっている。店の方針なのだろうが、Morris.としてはちょっと淋しい気がする。
「虹色のトロツキー」全8巻\500!!元町高架下商店街のサンコー書店というめったに覗かない古本屋の棚に、安彦良和の「虹色のトロツキー」が全8巻揃いで出ていた。価格が何と\500。一瞬目を疑ってしまった。Morris.は2002年の5月に1,2巻を手に入れて以来すっかり夢中になったものの、なかなか続巻が見つからず、2年がかりで全巻そろえた(今はベッド脇の棚に祀られている)という、いわくの本なのに、全巻揃いで500円というのは、脱力してしまう。古本なんてこういうものかもしれないが、安野モヨ子あたりは1冊\250なんて値札がついてるだけに、この値段はちょっとショックだった。同じ本を二つ持っていてもしょうがないが、この作品はなかなかすごいので、神戸近辺で、関心ある方は、明日にでも走って買いに行くことを、お奨めしたい。
午後は、部屋で、昨日のライブ撮影ビデオをPCに取り込む作業。やっぱりときどき動作が変になる(>_<) それでも作業できないわけではない。
夕方矢谷君から電話があり、急遽、明日九州での現場が入る。矢谷君はすでに現場入りしてて、Morris.は小川さんらと今夜11時出発とのこと。急なことで、現場が九州のどこなのかさえわからないままに出発の準備にかかる。

2005/11/20(日)●高橋尚子あっぱれ!!●

9時起床。朝風呂つかって、昼前に元町に出て、波止場町倉庫跡の上屋劇場へ。今日は3時半から、春待ちファミリーBANDとYANOMANSのジョイントライブである。YANOMANSは、春待ちのレパートリーのオリジナルをいくつも作ってる(というか、春待ちが勝手にカバーしてるうちに春待ちのオリジナルみたいになってる、とも言う矢野あきら、ベースの天野SHO、ギターの西口善之という実力派揃いの三人組。
大谷君とこの息子二人も珍しく来ていたし、作用郡南光町(町村合併で無くなったけど)の渕上さんらも来ていた。それでも全体の客の入りはいまいちだったな(^^;)
演奏は、春待ちが先で、おしまいにいっしょに「上を向いて歩こう」でフィニッシュ。内容的にはいいライブだっただけに、ちょっともったいない感じ。昼間のライブだから客の入りが悪かったのか? どちらにしても、イベントとかゲスト出演とかと違って、こういった自主ライブはもう少し情宣と観客動員を真剣にやるべきだろう。バンド雑用係のMorris.も、職務怠慢といわれても仕方がないな。
東京女子マラソン優勝の高橋尚子南京街で豆板醤など買って、7時前に帰宅して、あまり気乗りしないものの、女子バレー、日本-アメリカ見る。今日もあまり加奈ちゃんの出番なかったし、これまでで最低の試合内容&結果の0-3負け。結局日本は韓国に勝っただけの1勝4敗で、予選敗退ということだろう。
その後、留守録しておいた、東京女子マラソン見る。高橋尚子が出るというので気になってたのだが、今日はライブと重なってたので録画しておいたのだった。高橋が足の肉離れで参加するかさえ不安視されてたから、ほんとに出場できるか、できても棄権せずに最後まで走れるのか心配してた。上手い具合に結果も何も情報入らないまま帰宅したので、全く実況みたいに真剣にTV観戦することができた。結果は、ほんとに絵に描いたような高橋の快勝。35kmあたりでスパートかけて、二人を振り切ったあとは、風のように走りきって、文句なしの優勝。インタビューも尚子スマイルで、さわやかだった。ああ、気持ちええ(^o^) 女子バレーの不甲斐なさのあとだけに余計に彼女のかっこよさが際立って見えた。大したもんである。アテネオリンピックに出場できなかった口惜しさも、これでいくらかは晴らせたと思う。別にこれで絶対北京オリンピックぢゃ、とかは思わないが、ともかくも、2年間の空白を見事引っくり返した彼女には、心から祝福と、拍手を送りたい。


上屋劇場入口

さりーちゃんと大谷ジュニアズ

これはリハーサル

お眠の弦

弦と両親

弦とさりーちゃん

渕上さんと

フィナーレのジョイント演奏

SHOさんと記念撮影
2005/11/19(土)●はまってる歌●

10時起床(^^;)昨日は女子バレー録画で見たりしてちょっと夜更かししてしまった。市営住宅の抽選結果の葉書がきていた。もちろん(^^;)落選。うーーん、これで3回目かの落選だが、落選葉書5枚貯めると次回に抽選が少し有利になると書いてあった。前の葉書は行方不明である。今回からはちゃんと取っておこう。ったって、くじ運は強くないからなあ。
このところ韓国歌謡で気になってる歌がある。先週KBSのhappyFM(AM第二放送?)のテジナの番組で、歌謡順位の紹介のなかで、20何位だったこの曲、ほんのちらっと一節だけ聴いてすごく気になっていたのが、ノレチャランのゲスト歌手がこれを歌ったので、さっそく歌詞を写していちおう翻訳などもしてみた。くわしいことは、はてな日記のブログ?「ノレ番Morris.8090」に書いたので、そちらを見てください。とにかく今はこれが一番好きかも。前にもどこかで書いたと思うが、Morris.は音感というか、音楽耳に関してはあまり優れてないようで、一回や二回聴いたくらいではとてもメロディ覚えられない。それでウォークマンなどで、一曲リピートにしてずっと聴いてることがある。本当のヘビーローテーションである。当然ここ数日はこの「チョホン--招魂」という曲を聴き続けたのだが、すぐ歌えるかというと自信がない(^^;)今日の同じ番組では12位に順位を上げてたようだから、今からヒットするかもしれない。
午後は自転車でぶらっと散歩?
夜は女子バレー、日本-中国戦見たら、加奈ちゃん出てない(>_<) 途中二回ほどちょこっと出たもののやっぱり悲しそうだった。結果は1-3で完敗だった。しかし、この女子バレー放送。Morris.はBS見られないので、10chで見るのだが、当然録画、それも1時間半の枠内に納めるためにかなり無茶な編集である。1時間半なら、フルセットはもちろん、3セットだって完全中継はおぼつかない。それだけ人気がないという証拠でもあるが、時間帯ずらしてでも、きちんと中継してもらいたい。

2005/11/18(金)●チビ三脚三代(台?)目●

先日コリアタウンで買ったキムチも残り少なくなった。最近業務スーパーの韓国産キムチが見当たらないので、ちょっと困ってしまう。例の寄生虫問題が関連しているのだろうか。何とかしなくては。
南側の工事は着々と進み、基礎はほぼ終了したみたいだ。
3台目のチビ三脚昼に灘図書館寄ってJRで大阪に出る。ヨドバシカメラへ。黒いチビ三脚がとうとう完全に使用不能になってしまったので買い替えである。近くのR-2沿いの古道具屋で、Kingの赤い可愛い三脚を\500で手に入れたのが2004年10月28日のこと。そしてこの前ソウルの泥棒市で2万ウォンを1万ウォンにねぎって買ったHANSAの黒が今年の6月2日、そして今日買ったのはVelbon製で二千円ちょっとだった。以前買った日付がわかるのは、もちろんこの日記のおかげで、トップページの検索窓で調べることができる。ともかく、赤が7ヶ月、黒が6ヶ月と、半年ごとに買い換えてることになる。しかも値段は\500→\1,000→\2,000と倍々ゲームである。このままだと来年の5月か6月頃\4,000で買い換えという計算になるが、それは勘弁願いたいものである。もともとこのての簡易三脚は、たまの旅行などに携帯して補助的に使うもので、Morris.みたいに常時携帯して使いまくってると、このくらいしかもたないのかもしれない。消耗品であるな。今回のは、銀色でMorris.のデジカメと色が同じで装着しても目立たなくて良いと思う。
地下鉄で心斎橋に出て、そごう12Fの丸善など冷かして、道頓堀に向かう。まだ御堂筋の銀杏は黄葉していない。ライトアップしている大丸を買ったばかりの三脚使って下から撮ってみる。いまいちである(^^;)
えびす橋でますみちゃんと待ち合わせて、お馴染みの羊串肉「延辺香」へ。前から一緒に行こうと言いながら、そのままになってたのだった。今日は金曜日というのに空いてて、客は他に一組だけ。当然、羊串の羊筋串、イカなどたのみ、あとはチヂミ、豆腐チゲ、豚キャベツなど食べる。やっぱり美味しいぞ。ますみちゃんも気に入ってくれたみたいでよかった。勘定はわりかんにするつもりだったが、最近のMorris.の困窮状態を見かねてますみちゃんが出してくれた。ちょっと遅れの誕生祝いということにしておこう。御馳走様m(__)m
帰り道道頓堀際のドンキホーテのビルと、観覧車を撮影。グリコ、蟹道楽、食道楽に続く、大阪いろものデコレーションである。
今夜は社長宅に大谷君が来ていて、顔出すようにと電話貰ったが、あいにくだった。ひまなときに限って、用件は重なるものであるな(^^;)
11時過ぎに帰宅して録画しておいた、女子バレー日本-ブラジル戦見る。結果はあたりまえのように0--3のストレート負け。でも、加奈ちゃんはこれまでの3試合の中では一番輝いていた。でもミスも多いぞ(^^;)


心斎橋大丸銀杏黄葉はまだ

恒例記念写真(反転) 

ドンキホーテのビルごと看板

【相棒に気をつけろ】逢坂剛 ★★☆☆☆ 見知らぬ同士の中年男女の世間師二人が、さまざまなせこい金銭問題を、どたばたと解決?していくという、コミカルピカレスク短編集ということになるのだろう。もともとこの人は長編が面白い作家で、それでなくても短編苦手のMorris.としては、途中から借りてきたのを後悔した。アンチックギターやら、古い映画やらの薀蓄もこの著者の得意?分野だけに本書でも此処彼処で開陳してあったが、上っ滑りである。そもそも著者のウィット?というのが、あまりにも底が割れているので、全く笑えない。もうこの人の短編は読むまい。

【ひさしぶりの引越し】高橋みどり ★★★ 40代の女性スタイリストが、10年前に自由が丘から青山に引越し、10年ぶりに同じ青山の別の部屋に引っ越したことをきっかけに、彼女の住まいのスタイルや、生活スタイルを女性写真家のカラー写真を多数配して紹介した、ヴィジュアル本である。大学で陶芸専攻し、テキスタイルアトリエに通い、大橋歩事務所を経てフリーのスタイリストという経歴からしても、お洒落なライフスタイルであることはいうまでもなく、Morris.とは対極のインテリアの部屋に住んでることは言うまでもないが、とりあえず、シングルライフで、狭い部屋を自分の好みを活かして、自分の生活空間を作り上げていく姿勢というのには共感を覚えた。
もちろん人の生活パタンは人の数だけあるわけで、どれがいいとか悪いとかは根本的には無いのだろうが、そこはそれ、好き嫌いは存在する。著者のインテリア感覚というより、モノの好みの方向性が似ているのかもしれない。一種の内容より、ぼけっと眺めてひとときを楽しむのに適した絵本といえるかもしれない。

2005/11/17(木)●K-POP STAR●

郵便局から電話が入る。ゆうパックで、午前中配達になってるのだが、到着時間の関係で、午後になりますとのこと。こちらは暇をもて余してるから、構わないと返事しておく。
そのまま、昼から、引出しの整理や、春待ちファミリーBANDのビデオテープの整理などやりながら、久し振りに古いMDを次々に聞いていた。気がついたら夕方近くになってた。郵便来てないかと、階段脇にある郵便函を覗きに行こうとしたら、ドアのところに不在配達表が(^^;) 見たら3時ごろ配達したが不在なので云々と書いてある。おいおい、Morris.は一歩も部屋から出てないのに(>_<) 書状に書いてあるとおり、プッシュホンの自動応答の指示に従って、夜の再配達を頼む。どうもこの自動応答というのは苦手である。それはともかく、7時ごろ到着したが、中身は東京のヒョンミさんから、「K POPSTAR」12月号と、もう一冊、あおばMOOKの「サラン」というグラフ誌だった。POPSTARは玉一の写真がヒョンミさんの記事中に使われているので、その掲載誌ということでわかるが、もう一冊の方は特にMorris.には関係ないもののようだった。ヒョンミさんが、取材やコーディネートで関わったのだろう。もろ、韓流ブームにのった本という気がする。クォン・サンウ、チャン・ドンゴン、チョウン・ウソン、ソ・ジソフ、など、韓国の男優の名前が表紙に踊っている。つまりは、日本のおばさま狙いなのだろう。本屋に行くと、そういったグラフ雑誌がずらずらっと並んでいて、はじめはびっくりしていたが、すっかり慣れてしまった。一時の「ヨン様」一辺倒から、色んな男優に移行してるようでもあるし、一過性のブームではなさそうなのだが、韓国の芸能界の体質を、いくらかでも知ってるつもりのMorris.としては、不祥事が起きないでくれ、と祈るような気持ちでいる。
引き出しの整理してたら、ファイルフォルダの中にえらく古い手書きの原稿らしいものが出てきた。サンボ通信に掲載するつもりだったらしい、植物エッセイである。日付を見ると、20年くらい前のもの中心である。このところ、というかMorris.部屋開設当時いらい、ほとんど更新してないBotanical Gardenに、おいおい紹介しようかとも思うが、ざっと目を通した限りではかなり、ひどそうだ(>_<)

【大志の歌】安野光雅 ★★☆ 「童話の学校 校歌・寮歌」と副題にある。人間以外の動物の学校の校歌や寮歌という形式で、34編の新童謡を収めたもので、画家である著者だけに、それぞれの校章もデザインしてあり、それが本書の一番の見ものだったかもしれない。
童謡のほうは、学校の名や、童謡、童話からの本歌取り、言葉遊び、ユーモア綯い交ぜにした努力は感じられるものの、これ、という作品は見当たらなかった。
たとえば、長野県私立 梓川河童高等学校の応援歌というのを引いてみる。

かっぱ踊り

かっぱ傘さし
かっぽれ踊る
からすまねして
かっぽれ踊る

かっぱかえるに
かささぎかもめ
かぜにかみなり
かっぽれ踊る

かっぱ悲しや
かた思いばっか
かんじょうは後
かなしいお酒

かっぱ酔ったら
かわにはよわい
かんな浮かばず
かんづち沈む

かっぱ勝ってよ
かっぱが負けりゃ
かみさま出てきて
かんしゃくおこす

かっぱ勝てよ
かみさま味方
かみかぜ吹いて
勝ち戦


「か」の字尽くしのことばあそびなのだろうが、どうもリズムも悪いし、しろうっとっぽさ/手抜きが目に付く。谷川俊太郎の傑作絵本「ことばあそびうた」中の「かっぱかっぱらった」などと比べるのは、著者に気の毒すぎるかもしれないが、余りに差があり過ぎる。
途中に架空の発表会の招待状やら感想葉書やら、挨拶など細かい芸を凝らしているが、それもあまりに作り物めいている。
本書は童話屋の文庫版サイズハードカバーのシリーズの一冊で、Morris.としてはこの会社が、日本の詩歌受容層の裾野拡大のための努力には、感心もし、期待しないでもないのだが、どうもこういった、安易な発想の作物を出すのは、あまり良くないと思う。安野さんも、やはり得意分野でのお遊びに精を出してもらいたいものである。「森の絵本」や「ABCの本」一連の紀行画本集など、とんでもない才能ある人だけに、余計にそう思う。

2005/11/16(水)●STARdigio!!●

スカパーからお知らせが届いた。これは毎月送付されてくるのだが、今日は別にSTARdigio名義の封書が来ていた。「重要なお知らせ」と書いてある。ひょっとして、STARdigio番組中止かも、と慌ててしまった。
Morris.はもともと韓国番組のKNTV見たいがためにパーフェクTVと契約して、3年以上見つづけたのだがだんだん内容が貧弱になり、月額\3,000と高かったこともあって結局解約。それ以外ではあまり見る番組も無かったからパーフェクTV自体を解約しても良さそうなのに、そうしなかったのは、STARdigioがあったからだ。100chの音楽chでBGMに最適だし、デジタル放送だから音も良いし、インターネットで半分くらいのchは曲目表があって、プリントアウトもできるので、エアチェックにも便利だった。ただ、ジャズヴォーカルや、フォークなどは、ずっとアーチスト特集だったのが、最近は寄せ集めばかりで魅力が減じてきてた。韓国chは、最初1chしかなかったのが、今年から2chになって、それは良かったのだが、曲のチェンジがあまり無いうえ、ネットで曲目知ることも出来ない。それでもSTARdigioが無くなるのは淋しいし、これでパーフェクTVともお別れかななんて思いながら、封を開けたら、チャンネル廃止ではなくて、来年から値上げの通知だった。これまで税別\1,200を税別\1,500にするということらしい。月額\300くらいの値上げならまあ我慢の範囲だが、それならば、せめて、先に書いた、内容の向上、回復を望みたいものである。
今夜はサッカー、日本-アンゴラ戦があり、時間重なったので、女子バレー日本-韓国戦は録画して後で見ることにした。
サッカーは、日本は珍しく積極的ゴール狙いで、惜しいゴールを逃しながら、時間ぎりぎりに1点入れての勝利だったが、まあ、評価しとこう。
バレーは、韓国に苦戦しながらも、結果的には3-0のストレート勝ち。韓国17歳のキムヨンギョンというのは、末恐ろしい選手である。日本は、大山、桜井、杉山が良く頑張ってた。加奈ちゃんも結構得点してたがミスも多い。明後日はブラジルで、すでにして、見るのが怖い(^^;)
今日は部屋にいる時間が長かったが、それでもぐっと冷え込んできたのがよくわかる。関西の紅葉は来週から見頃らしい。

【キムチ百科 韓国伝統のキムチ100】韓福麗著 守屋亜記子訳 ★★★ いやあ日本でもこんな本が出る時代になったんだな、と、キムチには目の無いMorris.はとりあえず嬉しがった。しかし以前ソウルで買った、キムチの本には30種類くらいだったから、100種とは多いぞ。本書は平凡社が出してるけど、翻訳ということで奥付見たら99年に原書が出てる。著者は宮中料理研究家で、ドラマ「チャングムの誓い」の料理監修もした女性らしい。単なる韓流ブームで出した一連の本とは、違ってるし、ノウハウ本とも違う、なかなかしっかりした作りになっている。

本書は、レシピを参考にしてキムチを作るだけの本ではありません。韓国のキムチ文化とその背景、各地方のキムチの写真を通して、韓国のオモニ(お母さん)たちが作り、食べてきたキムチの姿を理解していただければ嬉しく思います。

と前書きにある。冒頭に日本でキムチ作るときの留意点があり、続いて、キムチの歴史や語源、地方別のキムチの特徴、材料、製造工程、栄養と効用、貯蔵などについても、興味深い解説があって、これだけでも読み応え充分だった。
たとえば、キムジャンの一般的時期は、
ソウル・仁川・大邱:11月26日〜28日
江陵・浦項・尉山・光州:12月2日〜5日
鬱陵島・木浦・釜山:12月14日〜24日

などと、実に具体的である。他にもいろいろ、引用したいところだが、収拾がつかなくなりそうなので、ともかくも、本書のメインである、百種のキムチの名前だけでも、番号順に写しておこう。おおまかに十くらいに分類してまとめられている。

[結球白菜のキムチ] 白菜丸ごと塩漬けしたキムチ
01.白菜キムチ02.宮中式漁醤入キムチ03.キョンヂョン白菜のキムチ04.太刀魚の塩辛入キムチ05.柚子入白菜キムチ06.済州島白菜キムチ07.平壌式白菜キムチ
[白キムチ] 唐辛子を使わない白色のキムチ
08.白キムチ09.全羅バンジ10.生の高麗人参の白キムチ
[包みキムチ] 白菜の葉を風呂敷のようにして具を包むキムチ
11.包みキムチ12.白包みキムチ
[トンチミ] 大根に塩水を注いで漬けた簡単キムチ
13.トンチミ14.宮中式トンチミ15.アルタリ大根のトンチミ16.石榴キムチ17.芥子菜の水キムチ
[カクトゥギ] 大根を洗って皮ごと漬けたキムチ
18.カクトゥギ19.ゲゴル大根のカクトゥギ20.スケトウダラのアラ入りのカクトゥギ21.大根のソンソンイ22.茹大根のカクトゥギ23.カムドン塩辛入大根キムチ24.千切大根カクトゥギ
[ソクバクチ] 大根、白菜、ヤンニョム、塩辛、海産物などを色紙切にして漬けたキムチ
25.ソクバクチ26.カブのソクバクチ27.スケトウダラのソクバクチ28.太刀魚塩辛入りソクバクチ
[変わりキムジャンキムチ] 大根白菜以外を使ったキムチ
29.チョンガッ大根のキムチ30.コノシロと大根のキムチ31.うろこキムチ32.細切りイカのキムチ33.かぼちゃのキムチ34.ネギキムチ35.芥子菜のキムチ36.突山芥子菜のキムチ37.大根の葉のソバギ38.イヌヤクシソウのキムチ39.唐辛子のソバギ40.唐辛子と唐辛子の葉ノキムチ41.干し大根のチャンジ42.干し林檎のキムチ43.黄葉した豆の葉のキムチ44.白菜のチャンジ
[プッキムチ] 若い野菜を使った即席漬けなどのキムチ
45.春白菜のキムチ46.夏のオルガリ白菜のキムチ47.白菜のコッチョリ48.おろぬき大根のキムチ49.ニラキムチ50.胡瓜のソバギ51.胡瓜のソンソンイ52.キャベツの包みキムチ53.エゴマの葉のキムチ
[水キムチ] 前菜の役割をする、漬けてすぐ食べる辛くない、漬け水キムチ
54.おろぬき大根とオルガリ白菜の水キムチ55.ナパッキムチ56.鮑の水キムチ57.つる人参の水キムチ58.蔓万年草のキムチ59.夕顔のキムチ60.冬瓜のキムチ61.筍の水キムチ62.醤油漬けキムチ
[変わりキムチ] その他もろもろの材料で作ったキムチ
63.つる人参のソバギ64.ごぼうのキムチ65.桔梗の根のキムチ67.チシャのキムチ68.ニンニクの葉のキムチ69.芋づるのキムチ70.コリアンダーのキムチ71.芹のキムチ72.茄子のソバギ73.朝鮮かぼちゃとおろぬき大根のキムチ74.大根のチャンジ75.オイヂ76.胡瓜の醤油漬
[キムチの応用]
77.キムチ丼78.全州式大豆もやしのクッパブ79.エゴマの葉のキムチの80.白キムチ入り冷麺81.キムチ入り焼うどん82.春川式そば83.キムチ入焼餃子84.キムチ入り酔い覚ましスープ85.朝鮮かぼちゃとおろぬき大根の漁醤入チゲ86.挽き大豆のチゲ87.キムチ入もつ鍋88.キムチ入そば粉のチヂミ89.キムチ入緑豆のチヂミ90.チョガッ大根のキムチと豚ばら肉の鉄板炒め91.キムチと春雨の雑菜92.おろぬき大根のキムチ入りとうもろこしのムッ93.古漬キムチの蒸し物94.白キムチの煮物95.カクトゥギピザトースト96.キムチチゲ97.キムチ炊き込みご飯98.おろぬき大根のキムチと絹ごし豆腐の冷菜99.カクトゥギのサラダ100.キムチの串焼き


おしまいの「キムチの応用」は、まあ、数字あわせかもしれない(^^;) それにしても、たしかにこれ一冊あれば、たいていのキムチはカバーできそうだし、キムチ事典として一冊持っていても悪くないと思う。

2005/11/15(火)●加奈ちゃん復活も××●

8時半起床。良い天気だがちょっと寒そうだ。風呂使いながら洗濯。デジカメの画像いくらか選んで、例のデジカメプリントにネットで注文。ただ、あちらで画質調整してるらしく、焼き増ししたら、前とまるで違ってたり、明るくしすぎて安っぽくなったりしてたので、先に電話して、原画像そのままでプリントするように頼む。結果は、ほぼ思い通り、というか、明度やヒストグラム調整などは、こちらで済ましておくのだから、プリント屋で勝手に調整するのは、余計なお世話と思うのだが、ひょっとすると、デジカメしか持ってなくて、調整はプリント屋まかせという客の方が多いのかもしれない。
灘図書館に行き、中央図書館の分も返却しておく。長薯安売りしてたので、買って帰り、またまた部屋でエジプト焼。節約して冷凍庫の合挽ミンチ使ったら、味いまいちだった。やっぱり、エジプト焼はちゃんとしたカシミン使わねば、と、思い知らされた。反省。
復活した大山加奈ちゃん今日から、バレーのワールドなんとかという国際試合が始まり、日本の緒戦はポーランド。とにかく、バレーのTV放映+応援には、見る前から腹が立つくらいなのだが、女子バレーとなるとついつい見てしまうMorris.である。Morris.ご贔屓の大山加奈が復活していた。これは嬉しかったのだが、ちょっと顔が変わってるようで少しがっかり。しかもカメラの位地が以前と違って、ネット前のショットが無くてチャームポイントの三白眼が見られないのは辛い。などと、結局Morris.の観戦姿勢も、スポーツ観戦からは外れていることは百も承知である。それでも、アナウンサー、応援団、ゲスト、解説者、一丸となっての日本一辺倒の中継は、却って試合の興味を殺いでいると思うぞ。結果は×〇〇××で、日本の借敗ということになったのだが、セットカウント以上に(以下に)日本の力は劣ってた。いいとこ、ブービー争いだろう。

【恥ずかしい読書】永江朗 ★★☆☆ 洋書店に勤めた後フリーライタになった著者の、読書論というより、読書にまつわるよしなし事を、軽いコラム風に綴ったもの。
歯磨きしながらの読書とか、カバーを脱がせる楽しみ(^^;)とか、キーワード読書方とか、目に良い読書方とか、東京書店回りとか、とりとめのないことこの上ないし、内容的にもあまり深みも、突っ込みもないのだが、ところどころ捻りのある奇想が垣間見られるところが撮り得といえよう。
書店勤務の経験からの本棚論や、書店員への言及はちょっと興味をそそられた。
「写しながら読む」という項で、写真集をカメラのファインダー越しに鑑賞するというのは、感心したが、これはやはり一眼レフでないと無理みたいだな。小さなデジカメしか持ってないMorris.としては、ちょっと口惜しい。

むかし、ある雑誌で、写真集を紹介する連載をしていた。マイナーな雑誌だったので、取り上げる本の表紙や中の写真を、出版社から借りられなかった。プロのカメラマンに複写を依頼する予算もなかったので、ありターの私が自分で複写した。複写台なんか持ってないから、撮影用のランプを二つ買って、Zライトにつけて照明を工夫した。
複写しながら不思議な気分になった。まるで自分がいま直に被写体に向き合っているような錯覚に陥るのである。ページをめくっているうちに、自分がロバート・キャパになったような気分になる。ファインダー越しに写真集を見ているあいだだけ、デヴィッド・ベイリーとか、ヘルムート・ニュートンとか、荒木経惟とか、守山大道とか、篠山紀信とか、そうした有名写真家になった。

2005/11/14(月)●情けないパンフ(^^;)●

ちょっと最近、遊びすぎ傾向である。好きで遊んでばかりいるわけではない。(遊ぶのは好きだが)いくらシーズンによって出勤日数の多寡が激しい業種といっても、このところの仕事日照りは異常である。このままでは干乾しになりそうな心配もある今日この頃だが、今日も今日とて、ひねもす、読書と、KBSのhappyFMと開かれた音楽会などで時間を潰した。今年の読書控えは百冊を切るのかと心配していたが、おかげで、どうやらすでに百冊は突破した模様である。
進学塾のちらし昨夜は、日記に載せる二日分の画像の整理でえらく時間をとられてしまった。
午後、郵便受けに手作りの高校進学塾のチラシが入ってた。Morris.に必要なわけもないし、無差別投函なわけで、捨てれば済むことだろうが、トップに「鷹匠中学校の皆さん」とあり、内容も「鷹匠中学校の期末テスト対策講座」と、えらく具体的、地域限定的である。最近はこんなふうになってるのか、と呆れたり、感心したりしてぼーっと眺めていたら、ひどい誤字を発見した。テスト対策成功事例としてこの講座で優秀な結果を出した事例を並べた後に「各中学校で成績トップを排出し続けて来た秘訣を『期末テスト対策講座』で実感してください。」と書いてあった。
うーーむ、成績優秀者を「排出」したのかあ(^^;) この塾の、少なくとも漢字担当教師の実力のほどが思いやられるぞ。それともこの塾では成績優秀者は「輩出」でなく、塾にいる必要などないから「排出」してしまおうという思惑で使っているのだろうか?

【橋本治という行き方 WHAT A WAY TO GO】橋本治 ★★★ 
「行雲流水録」と題して「一冊の本」2001/07〜2005/01に連載されたもの。橋本治は同世代の書き手の中で、一番、二番に気になる存在(小説以外)で、あまり当たり外れはないのだが、本書はちょっと期待外れだったかな。
著者が「なぜ書くか」とか、自分の批評や時代感やら思想やらへの独自のスタイルを、どうやって手に入れたかというか、そういうスタイルしか取れないことへの弁明みたいなものを聞かされても、いまいちMorris.にはぴんと来ない。

私がなんで「思想」というものをいやがっているのかというと、「他人の作った正解」に自分を当てはめたくないからだ。自分に必要なのは「自分の正解」で、「自分の正解」を探すために「他人の作った正解」を参考にするのはいいが、それが下手をすると、「他人の作った正解に自分を無理矢理はめ込もうとする」になってしまう。その結果は、「思想の鉄砲玉」になって、肝腎の「自分」がどっかへ行ってしまう。それがいやだから、あまり「思想」には近づきたくない。私の十代の終わりは学生運動がピークに達した時代で、「思想に関しては右か左かどっちかを選びなさい。撰べないのはバカです」というような時代だった。私は選べないで「バカ」というところへ行かされた人間なので、そういうことを繰り返したくない。

思想が嫌いだと、一言で済ませればいいのではなかろうか。しかし、すでにして、これまでの著者の多くの著作を眺めれば、橋本治の思想みたいなものも、おぼろげにだが、見えてるような気もする。
薩摩枇杷の詞章を書く行為に関連して、古典芸能についての発言は面白かった。

古典芸能の世界で、「自分が出る」というのは、とても恥ずかしいことである。芸というのは、「自分」を消してからではなければ生まれない。「自分」が残っていればシロートで、シロートというものは、「自分を消す」という表現の基本をまだマスター出来ていない存在なのである。
もしかしたら私は、自分のすることすべてを、「古典芸能」のように扱っているのかもしれない.「自分としてはどうやるのか?」という問いは、「自分のやろうとしているものは、本来的にはどういうものなのか?」という問いとシンクロしていて、「自分のやろうとしているものの本来性」は常に上位に来る。自分のやらんとすることの「本来性」が見えなかったら、「やろう」とも「やれる」とも思わない。私は「自分」よりも「自分のやるべき対象」を信じているのである。
「自分のやるべきこと」は、「自分」なんかよりもずっと寿命が長い.昨日今日のポッと出である自分の主張なんかよりも、自分の前に存在しているものの「あり方」を尊重していた方が、ずっと確実である。だから私は、「自分」よりも「自分の外にある本来」を信用する。信用して、しかし言いなりになるかどうかはまた別の話で、もしかしたら私は、一度も「自分の外にある本来性」の言いなりになったことはないのかもしれない。
「自分を放擲してしまっても平気」という矛盾はこのように存在して、「自分の外にある本来性」というのは、常に「倒すべき敵」になっている。つまり禅宗で言うところの、「仏に会ったら仏を殺せ」である。

「仏に会ったら仏を殺せ」という素敵な文章に出っ喰わしたのは、三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいたときで、[仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し]と、えんえんと続く。今の人は短絡しているから、本当に「父母」を殺したりもしてしまうが、つまりは、「意味を殺す」である。
「自分」の外側には、強大な「立ちはだかる」とも思えるような「意味を発散するもの」がある。つまりは、「幻想」である。「幻想だから壊してしまってもいい」と思うと、「すべては幻想である」という接続パイプによって、なんにもなくなってしまう。もう少し冷静になるべきで、それが「幻想」でしかないのは、それが「こちらを排除する形で存在しているから」である。だから、「そこに入る」が必要になる。入って、「自分を排除していた要素」を殺す。それが、「仏に会ったら仏を殺せ」である。そんなにめんどうなこととも思えない。


Morris.には、けっこう「めんどうなこと」のように思えたりするのだが、ここには、古典芸能を超えた何か、創造への機微と要諦が含まれているようでもある。
著者が大学(東大)に入って、専門課程に進むとき、教授が「授業に出ることを望んでないし、好きに学んで、私らにわかる卒論を出してくれ」と言ったというのを、鵜呑みにして、それで通したのだと言い張っているが、これも、やや眉唾というか、一種のミスティフィケーションのように思える。しかし、橋本治なら何をやってもいいんだよな、という暗黙の了解をすでに、読者との間に取り付けているのだから、何を言ってもよいわけである。Morris.もそのへんのところは、見倣いたいものである。とうてい無理だろうけどね(^^;)

【物は言いよう】斎藤美奈子 ★★★☆☆ 『噂の真相』に「性差万別」と言うタイトルで連載したものをかなり手を加えたものらしい。連載当時のキャッチコピーが「人のふり見て我がふりなおせ。FC(フェミコード)にひっかからないための言説事典」。フェミコードというのは、セクハラに準じる行為を正すためのコードで、ドレスコードのフェミニズム版で、「性や性別にまつわる「あきらかにおかしな言動」「おかしいかもしれない言動」に対するイエローカード」という理解でよろしいとのこと。
斎藤美奈子フリークのMorris.としては、そんなことはどうでもよくて(^^;) 例によっての美奈子節を堪能したいというのが正直なところ、久し振りの美奈子本(といっても発行は2004年11月)を手にとって、わくわくしながら、読み始めたのだが、あれれ?どうも様子が変だぞ。政治家や文筆家などの発言を例にとって、そのフェミコードにひっかかる度合いを採点して、はっきり言えばいちゃもんつけるといった手法である。これが面白くないわけはない、と思って読み進めたのだがなかなか面白くならない。
本書は全体が7章に分たれている。

1.「女の涙には勝てん」問題
2.「女は家にいろ」問題
3.「女は女らしく」問題
4.「男はスケベだ」問題
5.「おんなだからこそ」問題
6.「女に政治はわからん」問題
7.「女はだまっとれ」問題


このうち第1章は書下ろしらしいが、2章ではコンビニやデバ地下の惣菜の充実振りや、インスタント食品の擁護とも言うべき発言、3章では性別によって人を規定するジェンダー・バイアスのジェンダーは「しつけられた性」、バイアスが「偏り」というわかりやすい説明、4章では「セカンド・レイプ」「セカンド・セクハラ」への突っ込み、6章では保守=世襲制であり、世の中のあらゆる不平等が世襲制に由来するという極論にして正論、7章では人種差別主義者(レイシスト)と性差別主義者(セクシスト)を同列に論じて、世の性差別を弾劾するなど、それなりに頑張ってはいるんだけど、いまいち切り口が甘い。Morris.がいつも惚れ惚れする美奈子さんの豪快な切り口に冴えが見えないのだ。しかし、Morris.がわざと飛ばした第5章「女だからこそ」問題篇だけは、違ってた。本書は、Morris.にはこの5章だけでよかった。そのくらいこの章は読み応えがあったし、美奈子さんの辛辣さも絶好調だった。以下引用はすべて第5章からである。

ところでコルセット問題だが、はたしてこれの流行は、山本氏がいうように男性の目を意識したものなのか、戸矢氏がいうように女性独自の価値観によるものなのか。私は戸矢説のほうが正しいように思う。これは万国共通の現象で、近代の日本でも、女の着るものに難癖つけるのはいつも男性のインテリ、女性は独自の価値観でそれを振り払ってきた。
その上で[これは男性側の公式見解で、本心ではないのではないのか]という一文を読むと、助教授の見解は、別の意味でたいへんに興味深い。女の下着ファッションを否定する男性も「本心」ではこれをニヤけた目で眺めていたのだろうか。
「このあたりの素直でない見解は、いかにも中年の男性研究者である」
なんて失礼なことを申し上げたら助教授は憤慨なさるだろう。「いかにも若い女性研究者である」だって同じでしょう。


つまり、コルセットに関しての若い女性研究家の論考に対して、中年男性の助教授が「いかにも若い女性研究者である」と評したことへの、見事な反撃ぶりである。気持ちええ。

「オンナはずるい」「オンナは楽だ」
もの書きのみならず、男にまじって仕事をしていて、この手の言いがかりと一生無縁ではいられる女性は少ないのではないか。こういう手合いを理論的に撃破するのは容易ではない。なぜってそれは理論的な攻撃というより、感情的な違和感の表明にすぎないからだ。私にいわせりゃ「ああら、それは嫉妬?」である。ぼめんなさいね、得をさせていただいて。いっそ、あなたも女性名前の覆面でお仕事なさったらいかがかしら。

これは大月隆寛への批判だが、美奈子さんは当然こういった批判なんか屁とも思わないのだろうが、同性である女性の言説にも目をつぶるわけでなく、言いたいことははっきり言うタイプである。黛まどか主宰の「月刊ヘップバーン」の、自己陶酔的な文について。

自分のことを自分で語っているのだ。これ自体がFCに抵触するわけではもちろんない。ないがしかし、思わずプッとふき出したくなるのはなぜだろうか。
ひとつめの理由は、たぶんエッセイと句の微妙なズレである。ふたつめには、これらがまさに「女だからこそ」のエッセイであり、句だからだ。
世の中には「少女趣味」と呼ばれる領域があって、男社会がよしとする価値観をブッ飛ばすパワーを秘めている点、これには積極的な価値がある。文学史はそれを徹底的に排除し、無視してきた。樋口一葉と与謝野晶子で近代文学史の女性は終わりと考えるのは、そのへんがわかっていない証拠といえる。女性作家をなめてはいけない。
しかし、じゃあ『ヘップバーンな女たち』が、この少女趣味の文化に連なっているかというと、微妙にそこはちがうのだ。アマチュアの文章なんだから許してやりなさいよ、という意見もあるだろうけれど、アマチュアだからこそ興味がわく。
だいたい、そこらのお姉さんがオードリー・ヘップバーンを気取るのは、そこらのお兄さんがハンフリー・ボガードを気取るのと同じなわけで、この自己陶酔ぶりはなに?
「ヘップバーン」文学のツボとはつまり、「世間が望む女性像」に知らず知らずに書き手も同化し、その価値観を内面化してしまっている点にある。


上の引用では、主旨とは離れて「少女趣味」への鋭い指摘があったので引いてしまったのだが、かくのごとき、恐ろしく鋭く重要な定義をぼそっと言っとくあたりも、Morris.の琴線に触れるのだろう。

そして、本書中で、一番印象的というか、衝撃的だったのが、やはり5章中の「【心得43】「僕ちゃん語り」の無自覚は犬も喰わぬ。」だった。若い批評家の批評内容でなく、文章を批評するのだが、ここで問題にされるのが、一人称「僕」である。

この文章のどこが気になるのか。「僕」という一人称、これに尽きる。詩や小説の場合はまた別だが、エッセイや批評を書く男性には「僕/ぼく/ボク」を好んで用いる人と、けっして用いない人がいる。たんなる好みの問題とはいえ、気になりだすと、めちゃくちゃ気になる。169(ヒロキ)と326(ミツル)に共通した表層の印象は「ったく、僕僕僕僕、連呼しよって。よっぽど僕が大事なんだな」である。そんな風に感ずるのは、第一に彼らが自分語りに必要以上に熱心だからであり、第二には、当たり前だが、中性化された「私」ではなく、男のジェンダーが刻印された一人称=僕(ぼく/ボク)を使用しているせいである。
もちろん一人称くらい、好きなのを勝手に用いればよいのだ。ただ、僕僕僕僕と無自覚に連発する人は、自らの「男の子」性を一瞬足りとも疑ったことがないんだろうな、とふとおもったりする。筒井康隆の「おれ」やビートたけしの「おいら」、町田康の「自分」にはまだしも含羞があるけれど、軽い甘えと幼さと感傷を含んだ僕(ぼく/ボク)には微妙に鈍感な感じがある。この鈍感さを感知できない鈍感さが、自分語りを普遍性と取りちがえる、もっと大きな鈍感さへの道を開いたんじゃないのか。と思うとなんだか放っとけない。彼らに必要なリハビリは、新聞記者や雑誌記者式に一人称を排して書く練習をすることかもしれない。

いやあ、「鈍感さ」四連発の「僕ちゃん使用者」攻撃は、えらい迫力だなあ。うっとり。……してるばやいではないんだな、これが(^^;) 実は、Morris.の日記の文章には、矢鱈一人称としての「Morris.」が出てくる。そんなことはまず無いだろうが、万一この日記を美奈子さんが見たら、「僕僕僕僕」の連発以上に、怖気をふるうのではなかろうか。いわゆる甘え世代のオンナコドモがよく使う「ミナコわーー」「これルミコのモノーーっ」なんていう幼稚固有名詞一人称使用方とほぼ同じだもんね。しかも、これを書いてるのが、芳紀56歳(^^;)の男ときた日には!!である。もともと、このMorris.というのは、ネットで発言する時に(niftyのパソ通時代)使うハンドルとして、自分で命名したのだが、それを臆面もなく、一人称的に使っている(それも意識的に多用してる)のは、ネット世界ではいくらかでも別の人格として動けるかも、と、甘く考えた上で、基本的には三人称として使い始めたはずだった。それが、最近はもろ一人称になってしまってるようで、それなのに多用ぶりは、是正されるどころか増加の一途をたどってる傾向にある。うーーーむ、どうしたものか。
しかし先の引用を読んで悩んだのはMorris.ひとりではなかったみたいだ。続けて引用する。

と、こう意地悪に書いたのは、雑誌連載時のことだった。この話には、じつは後日談がある。これがどうも男性の書き手をかなり抑圧してしまったようなのだ。もう「僕」は使用しないと宣言した人、「僕」を使用する意味についてレクチャーしてくれた人、「僕」から「私」にチェンジするキッカケがないと悩みを打ち明けてくれたひと。これほどの反響を呼ぶとは、正直、思っていなかった。みなさん、いいんですよ、気にしないでつかってください。「僕」。

おいおい、これって傷痕に塩を塗る行為ではないかい? おまけに、おしまいに「僕(ぼく/ボク)」って、子供に言うみたいに軽く呼び捨てされた上で、なおも「僕(ぼく/ボク)」を使うというのは、かなりのパワーを必要とするのではなかろうか。まあ、Morris.の場合は、当面、このままだけどね(^^;)

実はこの後に、さらに「僕」に関する言説は続き、小学校の作文教育で「ぼく」と「わたし」の書き分けの区別が性差別の元にもなると敷衍していくわけだが、結論的に、日本語は主語が省略できるという特性を最大限に利用すべきだから「節約は最大の美徳」だと、〆てしまう。これは、ちょっとずるいというか、逃げに見えるぞ。
美奈子さん(きっとこの呼びかけも、美奈子さん本人が見たら怒り(呆れられ)そう)は、現代日本でも、相当芯のあるフェミニストだとにらんでいるのだが、いわゆる自称フェミニストたちとは一線を画している。それは、彼女が、賢こすぎて、見えすぎるからだろう。そして、Morris.は昔から、賢い女性というのに、弱いのだった(^^;) 一生勝てんだろうなあ。
美奈子さんの本を読むと、ついつい引用が長くなってしまう。下手すると、著作権侵害になるんじゃないかと思ったりもするのだが、文章のプロ(レタリアート)を自称する美奈子さんと、文章のアマ(ちゃん)のMorris.の階級差に免じて見逃しておいてもらおう。

2005/11/13(日)●コリア・タウン共生祭●

7時半起床。今日は、桃谷コリア・タウンで恒例の秋祭りあるので、鶴橋でムックさんと待ち合わせる。ちょっと早めに待ち合わせたので、鶴橋市場からぷらぷらと裏道を歩いて、以前斎場だった、墓場や豪華絢爛スーパー玉出などひやかして、11時前にコリアタウンへ。チマチョゴリ姿の子供たちをデジカメに撮ったり、焼肉やらキムパつまんだりする。ムックさんはここは初めてということで、見るものすべてが面白そうだった。
生のあわびを贅沢に使ったあわび粥が\300だったので、食べてみる。これは韓国でも\1,000くらいするから破格の値段である。美味いっ(^o^)
ステージで東大阪朝鮮中級学校の女子生徒を中心とする民族楽器演奏はとても素晴らしかった。途中、巻田さん、443さんらと合流。
しかし、Morris.とムックさんは2時からのカラオケ出場(^^;) 初っ端はムックさんで、ソルンドのマウミウルチョケソを熱唱。つづいてMorris.は定番のシントブリ歌う。まあまあといったところか。二人とも記念品に靴下もらった。
そらさんは、昨日ここコリアタウンで出版記念会やったそうで、今日も、東京やソウルからお祝いに駆けつけた友人知人らと祭りに来ていた。夕方喫茶店で合流。しばらくだべる。東京支部長?の青梅さんとその友人、インサドンの茶店サランバンの主人や、17年前に来日して大阪で民泊やってるキムさん一家など。
4時前に解散して、またムックさんとふたり桃谷方面に南下したつもりが、例に寄ってのMorris.の方向音痴のおかげで、いつの間にか、勝山方面にきてしまった。折角だから、舎利寺を冷かすことにする。途中、白い綺麗な猫や、レトロなパーマ屋、廃墟っぽいアパートなどもデジカメに納める。
生野本通を通って、寺田町からJRで戻る。とちゅう、前から気になっていた、おばあちゃんの焼いてるカシワ屋で、焼き鳥10本買って、釜山の焼酎「C1」飲みながら、食べる。これがいやもう、なんとも言えないくらい美味いし、焼具合が絶妙である。一串\40というのは安すぎる。行列が出来てるわけである。
ともかく、今日はムックさんのガイドみたいな感じだったが、たまにはこういうのも楽しいものである。詳しいことは画像に譲ろう(^^;)


赤い実を食べた

鶴橋市場の豆柴3ヶ月

昼寝猫

彩色地蔵

チマチョゴリ娘 拡大画像

三松ママ(左)といっしょに

農楽パレード

朝鮮民族楽器演奏

特にこの子は--- 拡大画像

パンソリ演奏

あわびのお粥

ソルンド歌うムックさん

シントブリ歌うMorris.

巻田さん提供拡大画像

恒例記念写真 拡大画像

キムスビンちゃん

山田商店キムチ工場

レトロなパーマ屋

看板娘? 拡大画像

不思議なビル

ほとんど廃墟状態

微妙な美猫 拡大画像

生野ほん通りカシワ屋

年季の入ったおばあちゃん

さっそくキムチチゲ
2005/11/12(土)●蟹と鮟鱇の夜●

宿酔(^^;)
ほとんど一日部屋でKBSのhappyFM聴いてた。
夜は矢谷君宅で、蟹と鮟鱇鍋大会。本当は、豊岡のりゅうちゃんが材料持ってやってくるはずだったのに、どうしても勤務抜けられなくて食材クール宅急便で送ってもらったらしい。
参加者は、さりーちゃん、堀姉妹、竹田くん、伊藤くん、福井くん、青木さん、ヒアカムおかあさん、飯島ちゃん、えりちゃん、じゅんちゃん、それに矢谷君と、Morris.の13人。蟹は一人2匹ということだったが、Morris.はしっかり3匹食べてしまった。鮟鱇鍋なんて何年ぶりか思い出せないくらい久し振りだが、最近韓国料理が常食になってるMorris.には、味噌だしの鮟鱇鍋はちょっと物足りなかった。そのかわ、アンキモはでかくて新鮮で、これを炙り焼した奴は、芳醇で美味かった。大きなハタハタもあり、酒は、ビール、ワイン、焼酎と潤沢にあって、Morris.はしっかり飲んだ。
矢谷君が最近凝ってるらしい音楽DVD流しっぱなしで、ジャニス・ジョプリンが死ぬ数ヶ月前の映像があって、これは感動ものだった。しかし、あのころのジャニスって、本当にさりーちゃんそっくりである。1時ごろ退出したと思うが良く覚えていない。今日の報告は画像にゆずる。
矢谷君、ご馳走さんm(__)m


バイ貝だったと思う

絵のようなセコ蟹

蟹の外子(美味しいのは内子)

蟹の受け渡し

鮟鱇

鮟鱇鍋

鮟鱇の肝 拡大画像

おじやも美味しい

恒例記念写真 拡大画像

矢谷君のリズム教室

かなり大きなハタハタ

食後の演奏
2005/11/11(金)●韓国歌謡部屋●

昨夜はの野球はまるで面白くなかった。もし阪神が出てたらがらりと見る気がちがってただろうけどね(^^;)
今日はお昼から、ムックさんがくるので、新在家のマルワに買出しに出かけたら、ずっと前センターの朝鮮語講座で一緒に学んでた高橋さんと会った。地震前だから、10数年ぶりである。まえからおばちゃんだったが、何か以前より若返ってるような気がした。
ムックさんは、釜山からかえったばかりで、あちらのデジカメ画像800枚以上持参。さっそくhigashi4号に取り込んで、スライドショー見ながら、ムックさんの好きなソルンドBGMに飲みはじめる。ムックさんに頼んで買ってきてもらった、「韓国大衆歌謡史」とDJのお囃子入りのヒット歌謡CD「珍品名作3」も嬉しかった。
お互い好きな韓国話題で盛り上がり、ついつい飲みすぎたMorris.は潰れてしまったあ。エジプト焼と秋刀魚までは良かったのっだが、最後に予定して材料買ってたキムチチゲも作る前に轟沈してしまったらしい。ムックさんにはわるいことをしてしまった。御免なさいm(__)m


ソルンドを歌うムックさん

記念写真

「韓国大衆歌謡史」とCD
2005/11/10(木)●灰色でも解決は解決●

昨夜は、とうとう入れたばかりのウイルスソフト、アンインストールしてみた。でも、やっぱりKBSアーカイブ全く反応無しで、ふてくされて寝る。
今朝は9時半に起きて、この前矢谷君から借りた「僕の彼女を紹介します」見る。女性警官と高校美術教師のどたばたラブコメディのはずが、突然ファンタジスティックな悲恋ものになって、おしまいは擬似ハッピーエンド。とても映画としては作品以前のものみたいなのに、おしまいあたりではついついMorris.は涙ぐんでたぞ。まあ、最近年で涙もろくなってるのと、あまりに理不尽な死がでてくるとつい涙誘われる。ストーリーよりもそのばそのばの、二人のやりとりを楽しように出来てるのだろう。ヒロインのチョジヒョンは「猟奇的な彼女」で日本でもちょっと話題になったし、Morris.も見たのだが、どうも好みのタイプとはいいがたい。
午後からも未練たらたら、KBSページを触ってたが埒があかない。ふと、思いついて、MSメディアプレイヤーの新しいヴァージョンをダウンロードしてみることにした。MSのページで探したらメディアプレイヤーはver.10がリリースされてるが、これはXP専用のようで、結局これまで使ってたver.9を上書きダウンロードすることになった。そしてKBSに繋いだが、結果は×。
PCの電源落として、しばらくして再起動。ほとんど希望をなくしながらも、ついついKBS接続したら、おお、「バッファ中」のコメントが、なぜか突然快復してしまった。たぶん、メディアプレイヤダウンロードしたら、いちどPCを再起動する必要があったのだろう。今回の原因は、やっぱりウイルスソフトだった可能性が高い。ソフトそのものではなく、ソフトが自動的に新しい情報をダウンしたり、ネットとの接続で色々ガードしたりしてるうちに、メディアプレイヤーを使うためのiniファイルやdllファイルなどを、消したり、使用不能に指定したんじゃないかと思う。いや、これは、Morris.がわからないままに勘繰ってるだけだから、全く信憑性が無い。しかし、結果オーライ\(^o^)/である。
ダッフルぺこちゃんと王林嬉しくて、歌謡舞台見て、例のラジオ(HAPPY FM放送)聞く。何かしあわせである。
夜は、センターの朝鮮語講座。今日は生徒は5人だけ、先週のシャドウイングは、ほとんど練習していなかったので、ボロボロ。昨日、今日のPCストリーミング不能のごたごたで、練習する気になれなかったというのが、いちおうのいい訳だが、ここのところの暇さを考えると言い訳にはならない。
信長さんから小さなダッフルコート着たペコちゃんもらう。前の不二屋チョコの付録かと思ったが、こちらはすべてフェルト製で、ひょっとしたら手作りなのかもしれない。可愛けりゃどっちでもかまわないわね(^o^) 感謝。
稲田さんから求める会の王林(青林檎)もらう。感謝。
実は今夜は、アジア野球選手権?のロッテ-三星(サムスン)戦があったのだが、授業のため、留守録しておいた。今から見ることにする(^^;)

2005/11/09(水)●KBSアウト(>_<)!?●

昨日、ほとんど一日、higashi4号でKBSのTVやらラジオやら楽しんでた反動なのか、突然今日になって、KBSなどすべてが受信できなくなってしまった(>_<) やっぱり昨日インストールしたウイルスソフトの影響なのだろうか。作業中に時々勝手に最新データインストールたり、ソフト起動すると、これをインターネットに繋いでいいかどうか確認求める窓が開いたりして、よくわからないままに、再起動したりしてるうちに、完全にKBS関連の受信がアウトになったのだ。KBSサイトには繋がって、パスワード入れるといちおう映像受信の窓は開くのだが、「バッファ中」と出る枠に「準備中」と表示されたきりでオシマイである。言語ロケーションを切り替えてもまったく反応なし。これだと、ノレジャランや歌謡舞台も見られないし、ラジオ韓国日本語放送も聞けない(>_<)。これはMorris.にとっては、ひさびさのエマージェンシー!!だ。
これで、今日は、がっくりして、何もする気になれなかった(^^;)
夕方、鶴橋のキムさんから電話がある。例の、クロとさくらなどの猫の飼い主で、先日プリントした猫の写真を郵便受けに入れておいたので、そのお礼だった。

【アルボラーダ】入沢康夫 ★★★ 入沢康夫は最初の詩集『倖せ それとも不倖せ』(1955)を愛読したものの、それ以後ほとんど読めなくなってしまった。なんとなく理解できずにいたのだった。本詩集は処女詩集からちょうど50年目に出た最新詩集と思うのだが不思議な読後感を覚えた。川柳もどきや俳句もどきもあり、言葉遊びあり、故郷松江時代の擬古詩あり、アメリカのイラク侵攻を揶揄した戯作もありで、お遊びなのか、真面目なのかよくわからない。要するにこの4年ほどの間に雑誌に発表したものを寄せ集めたせいなんだろうが、やっぱりMorris.には理解不能の詩人なのだろうか。でも、どこか気にかかる存在ではあるんだな、これが(^^;)

(十三番目の……) 入沢康夫


四月が残酷な月だと言つた人があるけれども、月といふ月は程度の差こそあれ 残酷なところを持つてゐて たとへば まつたくたとへばの話だが 五月は犬たちを発情させ孕ませ 六月は麦藁帽子の少女を沼に溺れさせる 七月は瀝青を融かして家長たちの肌に引攣りを作り 八月は大口開けてそれを笑ひ 九月は大アンテナの下でサーベルを無意味に振り回し 十月はもう二度と逢ひたくない人を山のあちら側から連れ戻し 十一月は水鶏(くひな)の頚をひねり 十二月は樫の門扉に罅割れを作り 一月は星々を砂丘の襞々に撒き 二月はその星屑が掻き集められて恥づかしい症病(やまひ)の薬にされる

(月々はまた 慈悲深い一面も持ち たとへば またもやたとへばだが 五月は少年たちに途方もない悪戯を思ひつかせ 六月は沼藻を蔓延(はびこ)らせて水魔の活動を抑制し 七月は掃除ブラシを捨てて八月と取組み合ひの喧嘩をする 九月は着弾点を故意にずらし 十月は泣き泣き海辺を歩き 十一月は聞こえる筈のない蒿雀(あをじ)の声に腹腸(はらわた)を千切り 十二月は早起きして人の門出を送り 一月は夜空の麒麟に潤んだ眼を向け 二月は逆に頭を垂れてしきりに粥を啜る)

だが これらいづれもいささかならず平凡で意外に人間化された十二の月を遥かに凌駕して残酷なのは 十三番目の月 名無しの 十三番目と仮に呼んだが これは十二月の次に来るといふのではなく あたかも太陰暦に於ける閏月(うるふづき)のやうに 時の流れに割り込んでくる いな 閏月とちがつて月の途中でも いつでも構はず割り込み居座つて五十日 百日 容易に去らうとはしない さういふ十三番目の月 一切の形容語が失効する十三番目の月

さういふ人間の境域を絶した「月」を私は これまでに何度か体験したやうに思ふ
けれども「筆舌に尽くせぬ」その「内側」その「実態」そのほんの「欠片(かけら)」なりとも 意味を持つた言葉にして 他人(ひと)に伝へ得る日 そんな日が来るものだらうか 来るものだらうか 果して


なかなかにうがった詩でありそうだし、意識的に三月を省いた理由が何なのか謎であるし、深い(んじゃないかな)と思うのだが、やっぱり良くわからない。でも嫌いではない。なんなんだろう?これは。

もうひとつ「笠置シズ子へのリスペクト」という注のある短い漢字だけの1篇を。(ただしタイトルの「無」は原作では「旡」の左上の点が無い文字で意味は「無」と同じ)。
表題の「是無等等呪」は玄奘漢訳「般若波羅密多心経」の結び近くにある言葉で、「コレニ匹敵スル呪文ハ無イ」、つまり「コレコソ至上ノ呪文デアルゾ」の意である由---という注もある。

是無等等呪(ぜむとうどうしゆ) 入沢康夫

羯諦奄摩尼善良狗

羯諦奄摩尼善狗声


やっぱりこれも、深すぎて、わからんぞ。でも、Morris.も笠置シズ子は大好きだから。まあ、戒名みたいなもんか(^^;)
*これに関しては、後日掲示板で白豚さんという方からコメントがあった。「わてほんまによういわんわ」の地口だったらしい。

2005/11/08(火)●KBSの日?●

数ヶ月前に買いながら、ずっと、インストールしないでいたウイルスソフトSOURCENEXTのウイルスセキュリティを、インストールした。何でこんなに遅れたかというと、higashi4号がとりあえず問題なし動いてるし、KBSのアーカイブ放送も何とか見えてるので、ウイルスソフト入れることによって、かえって問題が発生するんじゃないかという不安があったためだ。
しかし稲田さんの掲示板発言もあって、やっと重い腰をあげることにした。廉価版お手軽ソフトだけにインストール自体は簡単に済んだのだが、やっぱりKBS放送に影響が出てしまった(>_<)ノレジャランオページや歌謡舞台ページにジャンプしたら真っ白ページが表示される。開かれた音楽会はちゃんと見えたりするから、KBSすべてが見えないわけでもないのだが何となく良くわからない。アンインストールしようかとも思ったが、ちょっと前に、イルボンノレジャラン見るときに教えてもらった、地域設定の言語ロケーションを韓国語にするという裏技を思い出して、やってみたら、ちゃんと見える事がわかった(^^;)。これが嬉しかったので、ついつい定番の三番組を連続してみてしまった。三番組ともにチャンユンジョンが出演してた。
「ノレジャラン」は忠清北道陰白郡篇だったが、何かメチャクチャ質の高い出場者連だった。清洲は、ポンチャックのふるさとだけに、土壌が良いのだろう。チャンユンジョンはトップのゲストで、地味目なワンピースで「チャンチャラ」歌う。バックの男性ダンサーズは、白のTシャツに彼女のイラストというダサダサファッションだった。その分ユンジョンちゃんの可愛さが際立つという面もあったかな。
「開かれた音楽会」では、終わりから一人前のゲストで「オモナ」「チャンチャラ」の2曲を歌い、やっぱり歌いこんでることもあるし、人気も後押しして、歌もかなりうまくなったな、と、思ったところで、トリのゲストがヤンヒウンで、プロとアマの差みたいな感じを見せつけられた。これはちょっと可哀そうである。
「歌謡舞台」は歌で世界旅行をという、良くあるテーマで、世界各国の地名のついた曲の総ざらいだった。我らのキムヘヨンが「ナポリマンボ」なんてのを歌って、相変わらず達者なところを見せてくれた。ユンジョンちゃんは中国風の歌を歌ったが、練習不足もあってか、デビュー当時を髣髴させる下手っぴーだった(^^;) しかし、こういった特集でも、絶対といっていいくらい、日本をテーマにした歌は流れない。もちろん数年前までは日本音楽自体が禁止だったし、開放されても日本をテーマにした歌がそうそう流行ることもないだろう。ちょっと前にキムヘヨンが「木浦と別府」という歌を吹き込んだけど、ヒットしたとは言えないもんなあ。こうなったら、いっそ日本の歌謡曲だが「カスバの女」を入れてもらうというのはどうだろう。「ここは地の果てアルジェリア」っていう地名も入ってるし、作曲家の久我山明は、「木浦の涙」の作曲家孫牧人の別名だから、韓国歌謡と強弁できなくもないだろう(^^;) そういえば、最近韓国歌謡で同名の歌があるが、この歌との関係は良くわからない。
この三番組を見た後、ついめったに見ない「Music Bank」という若手の歌謡番組まで見てしまった。今回から司会の男女が新登場らしかったが、このパクキョンリムという女性司会者はなんか、とてもK-POPS番組の司会とは思えないディープなお姉さんだった。ややチビ、ややブス、ややデブと三拍子揃った上にものすごいダミ声だし、ハンサムな男性司会(カンギョンジュン?)に盛んにちょっかい出すという役柄である。ついついMorris.はしばらくこの番組見ようかという気になってしまったよ(^^;)
更にさらに、KBSオンエアで、happyFMというラジオ番組を聴いたら、これがまたとんでもなくべたべたな番組揃いである。ついついそのままBGMとして延々と聴きつづけたよ。これも癖になりそうだ(^^;)

2005/11/07(月)●立冬とは思えない●

7時起床。ゴミを出して、朝風呂つかう。
わだのりさんから、本田美奈子が亡くなったという知らせ。38歳というのはあまりに早い。デビュー20年というときに白血病で入院。経過は順調とのことだったのに、まさかの急死。Morris.はファンと言うわけではなかったが、活動状況やスタンスに何となく好感を抱いていた。
午後はまたhigashi4号で春待ちの過去のビデオをDVDにするテストしてたが、どうもいまいちうまく行かない。時間がかかるだけにちょっといらついてしまう。
矢谷宅の九州地鶏夕方、ノレジャランでいっしょだった大阪の李貞栄さんから電話で、あのときの資料が欲しいとのこと、郵送しようかと言ったら、急いで欲しいからファックスでとのこと、Morris.亭は現在ファックス機がない。いまどきPCのファックスソフト使えば良さそうなものだが、スキャナーがUSB非対応で、ノレバン98号に繋がっているから設定がややこしいのだ。社長宅のファックス借りようと電話したら、社長は九州に行ってる。矢谷君宅でファックス使わせてもらうことにして、8時ごろ出向く。
九州から送られてきた鶏などいただき、デビッドボウイーのジギースターダストのビデオ見せてもらう。衣装といいメイクといい歌い方といい、物凄いモノであるなあ。夢にみそうだ。韓国の「僕の彼女を紹介します」のDVD借りて10時前帰宅。

2005/11/06(日)●雨のパレード-適塾-ワッソは中止●

7時半起床。ちょっと宿酔かも(^^;) 外は雨模様。でも、朝風呂つかって、8時半の電車で大阪に出る。今日は阪神優勝パレード。日本一を逃したし、パレード自体はTV中継の方が百倍良く見えるに決まってるのだけど、一昨年も行ったし、参加することに意義があるといえなくもいし、今日は昼から、難波宮址で四天王寺ワッソがあるので、どうせ大阪に出るのならということで、行ったのだが出遅れもあって、ほとんど観客の背中しか見えない。岡田監督の挨拶は聞こえたから良いとしよう。パレード始まってもほとんど何も見えない。小型三脚にデジカメ固定して、10秒セルフタイマーモードにして群集の頭上にふりかざして数枚撮ったが、結果はあわれなものだった。
電車で心斎橋まで行くほどの元気もなかったので、そのまま淀屋橋をさまよって、前に休日だった「適塾」に行く。緒方洪庵の蘭学塾で、大阪大学の管轄にある。200年程前の大阪の商家を塾にしたもので、76〜80年に解体修復作業を行い現在の形になったらしい。お洒落な中庭があって、いかにも江戸時代の民家という雰囲気だけでMorris.は気に入ってしまった。二階の塾生大部屋のシンプルなたたずまいも素敵だし、ヅーフ辞書を置いてあった「ヅーフ部屋」には、その辞書を始め蘭学の医学書なども並べてあった。雨模様がかえってこの建物を床しく感じさせてくれたのかもしれない。
ついでにすぐ近くの「愛珠幼稚園」も見る。ここは昔銅座があったところでいかにも由緒ありそうな建物である。一度入って見学したいものである。
地下鉄で谷町四丁目に出て、ワッソ会場に向かったが、「雨天中止」の看板が(>_<) あーあ、こんなことなら、今日は宿酔のまま部屋でTVでも見とけば良かったかな。でも、まあ適塾に行けたから良かったとしとこう。
梅田に戻り、旭屋、紀伊国屋と本屋冷かして帰宅。
帰り道近所の家の庭にMorris.お気に入りのダツラが咲いていて雨に濡れて美しかったのでデジカメにおさめる。最近は園芸名として「天使のトランペット」なんて呼ばれることが多いが、Morris.は「ダツラ」の響きこそがこの花の不気味な美しさに相応しいと思う。

【バラの画家 ルドゥテ】シャルル・レジエ著 高橋達明訳 ★★★☆☆ ルドゥテといえば、フランス宮廷文化を代表するバラの画家として有名である。Morris.も以前サンボ通信に歌集『薔薇祭』を掲載したときも、表紙に彼の薔薇図を白黒コピーして使ったくらいのものだ。
でも、その画家自身については、なーんも知らずにいた。そこに本書の登場である。即座に手に取ったが、本書は84年に旧版が出てその改訂版らしい。20年も知らずにいたというのは迂闊だったが、まあ改訂版では、カラーページを大幅に増やしたとあるから、それだけでも嬉しい。
で、結局Morris.は本書の図版、就中60ページほどのカラー図版だけに満足した。
本文記事は、ほとんど面白くなかった。ルドゥテはベルギー人で、彼の一族はもともと画家一族で、薔薇の画家ピエル・ジョゼフ・ルドゥテ(1759-1840)と弟のアンリ・ジョゼフ・ルドゥテ(1766-1852)が著名な画家らしい。フランス革命の時代にフランスを舞台に活躍しながら、外国人ということと、画家は一種の財産みたいな扱いだったこともあって、裕福な生活をして、貴族の庇護を受け、貴族の子女の先生をして、贅沢な暮らしをしていたことくらいしか印象に残らなかった。
ただ、彼の薔薇の絵がそれまでの画家の恣意的空想的な描き方でなく、リンネを総帥とする、博物学者の著書のためにも用いられる、ヴェラン(博物写生図)に基礎を置いてるということで、、それがこの画家の必然でもあったことを教えられた。絵を見ればおおよそわかることだけどね(^^;)
それにしても、往時の植物図譜の図版の美しさは、これはもう荒俣宏が言い尽くしてるとはいえ、素晴らしすぎる。もともと花好きなMorris.だけど、見るたびに嘆声あげずにいられない図が目白押しなのである。
本書でもルドゥテの「薔薇図譜」口絵に始まって、絢爛豪華繊細優美百花繚乱なのだが、ニコラ・ロベールという画家のセンボンタンポポの素朴な図だったというのが、ちょっと皮肉かもしれない。結局Morris.は、園芸種より、雑草の花の方が好きということなんだろう。
本書の評点のほとんどは図版に負っていることは言うまでもない。


遠くに見えるオープンカー

これが限度かな(^^;)

何も見えんわ

雨の適塾

適塾史跡公園

書斎

塾生大部屋

客座敷から前栽を望む

蘭学の医学書

当時の医者の番付

愛珠幼稚園正門

愛珠幼稚園側面

「愛」の瓦

またも雨でワッソ中止

JR大阪駅東高架下

花筏ではない(^^;)

雨の日のダツラ

下から見上げる
2005/11/05(土)●7th.Anniversary(^o^)●

6時半起床。快晴である。明日の四天王寺ワッソが、今日なら良かったのにと思ってしまう。天気予報では明日は崩れる模様だ。
とりあえず、今日はMorris.部屋開設7周年記念日である。ついでに言えばMorris.の誕生日でもある。57歳(数え歳だけど)である。ということは、Morris.部屋を始めたのが50歳の誕生日だったということになるな。7年というのは、中途半端な感じもするが、日々新たなりということにしておこう。
いちおう、記念に歌集『象形文字』をアップしておく。昨日の日記にも書いたとおり、神戸地震前後にわたってサンボ通信に分載したもので、漢字50個をネタに作ったもので、これでMorris.の歌集はすべてアップし終わったことになる。それぞれの漢字の古い形のカットを貼り付けているので、それを見るだけでも楽しんでもらえると思う。
昼前に灘図書館に寄ってから、センターの稲田さんところに顔を出す。飛田さんの奥さんのお母さんから生前に編んでもらったマフラーがすっかり痛んでたのを奥さんがリニューアルして稲田さんの部屋に預けているという連絡があったので、これを受け取りに行ったわけだ。同じ色の毛糸はなかなか見つからないから、先っちょを解いて補修に使ったとのこと。これだと補修の後が目立たないし、きっちり洗濯もしてもらって、ほとんど新品みたいである。これであと少なくとも3年は使えるだろう。このマフラーはほんとに気に行ってたので嬉しい。これは、今年の誕生日のプレゼントということに勝手に解釈しておこう。ありがとうございますm(__)m
稲田さんと昼食に出る。家の中に大きな楠木が生えている、というか、もともとあった大木をそのままに建築したとおぼしい「le freedom」というハワイ調の店。カフェって感じで、軽食メニューにタイカレーや東南アジア風焼ソバ、ハヤシライスなどがあった。Morris.が頼んだハヤシライスは美味くも不味くも無いといったところ。でもここは稲田さんが出してくれた。これも誕生祝ということにしておく(^^;)
帰宅途中にnadistの慈さん一向に出会う。最近ここのメーリングリストがあまり来なくて動向がわからずにいたが「灘大学」という中高年層の集まりの会を主宰して、今日もそのメンバーで「歩こう会」やってたらしい。Morris.も充分その大学なら入学できそうな気がするぞ(^^;)
夕方ファピョンさんからメールで、またノレバンのお誘いだったが、一昨日行ったばかりだし、やや逼迫してる経済事情に鑑みてパスしようと思ったが、誕生日を祝ってくれるとのファピョンさんの言葉に甘えて出かけることにする。
鶴橋の例の黒猫飼ってるキムさん宅にプリントした画像を配達(^^;)に行ったら、今度はクロの子供が家の前に正座?してた。かなり暗かったがやっぱり人なつこくて動かないので、三脚立ててスローシャッターで撮ったら何とか見えるくらいには写ったと思う。
福ちゃんで腹ごしらえしようと思ったが、満席で店の前に立って待っている客までいたので諦める。ひさしぶりにアリラン食堂に行き、コリコムタン定食頼む。福ちゃんよりちょっと落ちるが、まあこれはこれで美味しかったし、キムチ、ナムルなど小皿のパンチャンは大サービスだった。
8時前に「カラオケステージ恵子」到着。ファピョンさんは先に来ていた。客は7,8人で、まあいい感じ。誕生日ということで、ママがカラオケでハッピーバースデイ歌ってくれるし、不二屋のケーキ用意してあるしで、Morris.カ・ン・ゲ・キ!!である。しかしあと3年したら、冗談でなくMorris.カ・ン・レ・キ!!ということになる。うーーむ、それまで生きてるんだろうか?
今日は新曲で渋く決めようと思ってたが、結局はキムヘヨンやらキムジエやらチョヨンナムやらの賑やかものに終始。まあ、恵子ママとデュエットできたから良しとしよう。
11時過ぎに店を出て車で玉造まで送ってもらい。六甲道到着が零時半。カラオケ帰りとしては早いほうかも、ということでレーヴに行ったら、さりーちゃんと昌美さんがいた。例に寄ってほとんど潰れかけて記念写真撮って2時前帰宅。ああ、良い誕生日だった(^o^)


屋根を突き抜けて大樹が

freedomの内部

リニューアル マフラー

オキザリス

クロジュニア

アリランのコリコムタン

恵子ママとデュエット(^^;)

ン十年ぶりの誕生ケーキ(^o^)

レーヴ恒例 拡大画像
2005/11/04(金)●ひさびさページ作り●

昨日はそれほど飲んでないのに、ついつい夜更かししたので11時過ぎ起床。
明日でこのMorris.部屋も開設7周年を迎える。特にどうということもないのだが、ふと思いついて、Morris.歌集でただ一つアップしてなかった『象形文字』を記念にアップすることを思い立つ。これはサンボ通信に2回に分けて掲載したもので、合計50首ある。問題は、それぞれに漢字の古い形体の画像を付ける必要があるのだ。つまり50点ものスキャン+加工作業が必要なわけだ。このためにこの歌集は一番最後まで手付かずになっていたのだ。しかもスキャナーはhigashi4号でなくノレバン98号と繋がってるから、立ったままの作業になる。
午後からずっとこの作業やって、しっかり疲れてしまった。
最近、ほとんど日記だけの更新で、たまに違うものといっても、画像中心のアルバムページくらいだったから、こういった普通のページ作りは久し振りである。ついつい読み返したりして、あの当時のことを思い出してしまったよ。

【絵本 パパラギ】和田誠 構成・絵 エイーリッヒ・ショイルマン 編集 岡崎照男 原訳 ★★☆ 「パパラギ」は良い本だと思う。Morris.もこれまで数回買ったはずだ。でもすぐ人にあげてしまい今手許には残っていない。サモアの酋長ツイアビが1915年ごろヨーロッパを旅行して帰り島の住人に報告した話をもとに、サモアで暮らしたことがあり、ツイアビとも親交のあった詩人ショイルマンが本にして1920年にスイスで出版したものが原書ということになる。
それが1977年に復刊されて話題になり、日本でも1981年に岡崎訳で出されたのでMorris.が最初に読んだのもその頃だろう。そのときで、すでに60年以上前の記録だったわけだが、西欧の文化への痛烈な皮肉、風刺、批判、問題提起が、大らかなユーモアと素朴な語り口で、実に詩的に表現されていて、すでにパパラギ(空の穴から来た人--白人--文明人)の一員になっていたMorris.は、実に気持ちの良い一発を脳天に食らわされたような気がしたものだった。
たしか日本版の装丁も和田誠だったと思う。これがまた実に良かった。で、本書だが、2002年に和田誠自身が、絵本仕立てにしたもので、「この絵本はもとの書物よりいくらかシンプルに構成されています。」と書いてるように、90pの半分くらいが絵で構成されてる。たぶん文章は元の本の半分くらいになってるんじゃないかと思う。それはそれで良いんじゃないかと思ってた。もともとがシンプルな本で、それを素敵な和田誠の絵で飾って、子供にも読みやすくなってるんだろうくらいに思ってたわけだ。そして、たしかにそういう面もあったのだが、読後感は、何だこれは(>_<)、であった。
一つ一つの挿話は、原本と同じで、それをシンプルにしただけなのに、節の終わりになると、きまって、西洋文明への批判めいた解説みたいな文章が付加されてるのだ。これがMorris.には全くいただけないのだった。蛇足、というか、余計なお世話というか、これがあるだけで、原作のもっていたふくよかさが、ばっさりとはぎとられた感じがする。

パパラギがその仲間を大切にし、「私の物」「あなたの物」の取り合いで戦うことをやめたければ、「私の物」を分けあえばいいのだ。
自然の大きな力によってたくさん物を持ったら、仲間に分けてやらなくてはいけない。だれかひとりがたくさんの物を持つのは大自然の心ではない。
だれかひとりが「私は日なたにいる。おまえは日かげに行け」というのも大自然の心ではない。みんなが日なたに行くべきである。

こんな文章はオリジナルには、なかったと思うぞ。(しかしMorris.のことだから、勘違いかもしれない(^^;))
[後記]勘違いだった(>_<)。というか、以上引用したものと同じ文意の文章は存在してた。省略や文体の変更はあったものの、Morris.の記憶力の減退はかなりのものであるということの、傍証にもなってしまった。それでも、違和感は消えない。
たぶん、原作自体が、ツイアビの話をショイルマンが大幅に手を加えたり、詩的に変えたり、アレンジしたりしたものであることは間違いないだろう。いや、そもそもMorris.は、ツイアビの話というそのものすら実は存在しなかったのではないかと疑ってるくらいだ。要するにショイルマンという西洋の詩人が、サモアの酋長の話に仮託して、ほとんどすべてを創作したんじゃないかということだ。そして、それは、どっちでもかまわないと思う。出来上がった作品が上出来であればそれで意味がある。
しかして、この絵本版は、原作を結果的に貶めているとしか思えなかった。和田誠に悪意があったわけでなく、いや、むしろ、善意で作ったことははっきりしているのだが、それがほんとうに「余計なお世話」になってしまったようだ。和田誠のイラスト自体は悪くないだけに、困ったものである。

2005/11/03(木)●ニューソウルリニューアル?!●

何となく歯の調子が思わしくない。といって、特に痛むとかいうわけではない。もうしばらく様子を見ることにしよう。
ファピョンさんからメールが来たので、誘い合わせて「ソウル家」に行くことにする。4Fのカラオケラウンジスペースは、祝日というのに客は一人もいない。しかも見知らぬママがいた。どうやら1Fのソウル家が4Fのカラオケを貸すことにしたのだろう。店の名前は「カラオケcニューソウル」で、これは前からこういう名前だったのだが、Morris.はついつい1Fの食堂の名前で呼ぶ癖が付いてたのだった。別に内装は変わってないし、機械もそのままだが、何と大型液晶のリモコンが導入されてる(^o^) これは嬉しかった。この店の前のリモコンはほんとに使い勝手悪かったし、ボタン押してもなかなか反応しないでいらいらさせられてたもんな。
そして、この液晶だと、ハングルで、曲名、歌手名入れると即座に出てくる。とにかく歌手で選択できるというのが最大の特長である。曲名忘れたりすることが多いMorris.だけにすっかり嬉しくなって、キムヘヨンやらヘウニやらキムスヒやらイウナやら(女性歌手ばっか(^^;))じゃかじゃかリクエストしてしまった。ファピョンさんは今日も仕事で京都に行ってたくらいで、通院はしながらでもなんとか元気にやってるようだ。でも酒は禁止みたいだ。
途中ソウル家のママが顔出して、東京ノレチャランのテープ見たいので貸して欲しいとの事。ちょうどバッグに入っていた(^^;)テープをわたす。30分くらいして、ママが青い顔して上がってくる。テープがおかしくなったとのこと。一緒に降りて食堂のテレビデオから無理やりテープを取り出したら、機械の具合か何かで、テープぐちゃぐちゃになってた(^^;) まあ、すでにPCに取り込んでDVDにも焼いてるから、心配ないとママを安心させる。ものすごく気にしてたみたいで、かえって悪かったみたいな気になった。
11時過ぎに店を出てまたファピョンさんに車で玉造駅まで送ってもらう。零時半帰宅。


Pansyその1

Pansyその2

液晶リモコンと一緒に(^^;)
2005/11/02(水)●邪鬼でなく礎石●

今日も午前中は、データ整理。と、いっても住所録などでなく、Morris.部屋の問題個所の補正。たとえば、ホームページビルダで、ハングルが文字化けする件。これは、ちょっと前まで、出来てたのが、突然出来なくなったので、ソフトの問題とは言い切れないが、結局原始的なやり方で急場しのぎすることにした。Wordで編集したのだ(^^;) エクセル、ワードという今や、PCのメインになりおおせてる二つのMSソフトだが、Morris.はほとんど触ってない。とりあえず、ハングル使えるので、例の【韓国ことわざシリーズ】を久しぶりに更新することが出来た。それにしても文字の色変えなどに手間取る。ワードなりの簡単なやり方がありそうなのだが、よくわからないまま、いちいちツールバーから機能呼び出して変更するので時間かかる割に能率上がらない。これからはこまめに更新していこう。HTML文書は言ってみればテキストファイルなんだから、直接エディタ使えばいいはずなのだが、ハングルとなると、いちいちユニコード変換する必要があってこれでは、気が遠くなりそうだ。もっと簡単な方法もあるんだろうけどね(^^;)
午後から、図書館回り。灘図書館、三宮図書館回って、ぷらぷら歩いて大倉山方面に向かう。途中浄土真宗「徳照寺」に寄る。ここには稚気溢れる石の邪鬼がいて、お気に入りなのだった。四体並んで本堂の脇に置かれているがMorris.は左端の一番ごっついのが好きだ。前は四天王の下にでもあったのだろうと思ってたのだが、今日は寺守の爺さんがいたので訊ねたら、以前境内に石檀があって、その礎石として使われていたものと言うことがわかった。95年の神戸地震で崩壊して、これだけが残ってるとの事。そういえば、ここは釣鐘も平地に置かれてるが、鐘楼も地震で潰れてしまったらしい。地震後10年過ぎてもなかなか復旧はおぼつかないようだ。中央図書館でゆっくりしてまた元町まで歩いて6時過ぎ帰宅。
九州の林さんからメールが来てたがこれが見事な文字化け(>_<) 前回もそうだったが、その前の二通は普通に読めたから良くわからない。彼女はマック使いらしいからそれと関連あるのかもしれない。Morris.はyahooメールなのだが、最近あまりに迷惑メールが多くて(一日百通超える(>_<))ので、迷惑メールフィルタープラス(ベータ版)というのを使い始めたのだが、もしかしてこれが原因なのだろうか?
KBSアーカイブで開かれた音楽会見たら、パンミギョンが出て「イユガッチアニンイユ」歌った。嬉しかったのは、彼女のスタイル(見かけ)が以前にもどってたことだ。最近の奇抜な化粧や衣装は彼女らしくなかったのでほっとした。続けてみたノレチャランでは、ヒョンチョルのそっくりさんが登場、ほんとに似てたぞ。


ついつい写してしまうホトトギス

秋明菊(貴船菊)

礎石だった(^^;)

闇夜の白猫

そうそう、これぞパンミギョン

ヒョンチョルのそっくりさん(左)

【蜂起】森巣博 ★★☆☆ 「週刊金曜日」に連載されたもので、前に「非国民」というのを読んでそれなりに面白かったので借りてきたのだが、これは、小説以前の作品だった。社会的に挫折させられた複数の主人公が、国家破壊に立ち上がるという、単純なストーリーなのだが、実名で汚職事件や政治事件の告発めいた部分が目立つ。それもいかにもとってつけたような提示の仕方である。ちょうど「噂の真相イズム」を並行して読んでたので、その引き写しみたいな部分が目につくわ、鼻につくわ、だった(^^;) どうも、「週刊金曜日」に関してはイメージ悪くなるばかりである。著者も基本に戻って(^^;)自分の好きなスタンスでの小説を書いてもらいたいものである。

【噂の真相イズム】岡留安則 ★★★☆☆ 04年3月に黒字休刊して沖縄在住の「噂の真相」岡留編集長の新著。休刊までの編集長日誌をメインに、斎藤貴男、鈴木邦男との対談、新聞寄稿などを寄せ集めたものだが、流石に面白い。Morris.は「噂の真相」は立ち読み専門(^^;)で良い読者とは言えなかったが、それでも雑誌への評価は高かった。岡留はMorris.より二つ上だからほぼ同世代と言えるだろう。全共闘時代から現役で、その後もジャーナリズムの本道をどうどうと展開して、悠悠自適を掴み取った姿を見せ付けられるだけに、羨望の念を抑え切れないが、そもそもの資質が違うんだろうな。Morris.にとっての雲上人(ヒーロー)の一人である。

『噂の真相』がいよいよ25年の歴史を閉じる日が近づいたが、その『噂真』とは何であったのか、ということをひとことで説明すれば、この別冊のタイトル、「日本のタブー」へのチャレンジそのものの歴史であった、といえよう。天王制、部落、在日、大手芸能プロ、警察・検察、電通、作家・文化人……、いずれもマスメディアの商業主義の論理が背景に横たわっている日本独自ともいうべきタブーとの闘いである。

運動にかかわっちゃうと、雑誌づくりの方が中途半端になると思っているんですよ。僕は活字を通して火付け役に徹する。「社会には矛盾がありますよ、問題がありますよ、あとは皆さんがその情報を元に運動をやってください」というジャーナリストの自己限定、僕はそれを職分として徹するという役回りですね。

2005/11/01(火)●痛いの二乗(>_<)●

今日から11月である。Morris.は11月生れだからというわけでもないが、昔からこの月が好きだった。何より暑さに人一倍弱かったから、夏が嫌いで仕方なかったのだ。それがここ数年、突然のように暑さが平気になってしまった。特に夏が好きになったわけでもないのだが、暑さが負担にならなくなってしまったのだ。「年のせい」という声も聞こえるようだが、世間には暑がりの爺婆もいるのだから、必ずしもそうとは限るまい。
それはともかく、四季の中ではこの季節が一番美しいという思いは変わらない。今年こそは美しい紅葉を拝みたいものである。
イヨン「忘れられた季節」午前中は珍しく住所録の整理をした。ずいぶん前にアクセスで作った住所録があったのだが、結局アクセス使いこなせないまま、Morris.亭のPC禍でいったんほったらかしになってしまい、今回それを更新することにしたのだが、現在のhigashi4号にはアクセス入ってないので、ファイルをエクセルに読み込ませて編集することにした。実はMorris.はエクセルさえほとんど使ったことがないのだった(^^;) 最近とんと手紙書くことなくなったし、年賀状も宛名は手書することにしてるので、ついつい住所録もほって置いたのだ。郵便番号も3桁のままだし、半分以上は音信普通だったり、引越し先不明になってる気配だ。今や、住所より、e-mailアドレスと携帯電話番号のほうがメインになってるもんなあ。
夜は歯医者に行ったのだが、待合室でイヤホンで音楽聞いてて、呼ばれたことにしばらく気づかずあわてて診察室に入るときドアの金属のノブに腰骨がもろ衝突して飛び上がるほど痛かった。更に今日は新しい部分入歯が出来上がったのだがこれがきつくて痛いこと。それを看護婦が無理やり外すとき変な方に力入れるものだからこれまた本当に激痛が走る(>_<) いちおう今回の治療はこれで終了らしいが、もうしばらく調節してもらう必要がありそうだ。
帰ってから、昨日放映された「歌謡舞台」をKBSのアーカイブで見る。10月のリクエスト特集というので、きっとあの曲がかかるに違いないと思って見てたら、最後にイヨンが出てきたので思わず笑ってしまった。「イッチョジンケジョル--忘れられた季節」で、歌いだしの歌詞に「今も覚えているよ、10月終わりの夜を」とあるのだ。とにかく、10月終わりには必ずラジオではこの曲流れまくる。こういうの1曲持ってると歌手にとってはいい飯の種になるね。「ホワイトクリスマス」みたいなものかな。日本なら「クリスマスイブ」だね。
島田和夫部屋スケジュール更新。


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