ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
【いのちの緒】角川春樹 ★★★☆ ぐい句を始める前から、角川春樹の句は割と好きで句集も2,3冊読んだ覚えがある。本書のタイトルは「年ゆくや天につながるいのちの緒」という句から取られている。この句自体は著者が吹聴するほどいいとは思わなかったのだが、全体にMorris.好みの句が多数収められている。題名に引きずられてかどうか知らないが、死や忌の句が異常に多いのが気になるといえば気になる。しかし、彼の父角川源義の衣鉢を継ぐ俳人は結局彼しかいないだろうし、反撥しながら影響されると言うのは、父子の関係としては正当なのかもしれないと思わされてしまった。
おしまいに、岡井隆、岡野弘彦との対談二つが収められていてこれもなかなか面白かった。
岡井とは寺山修司、岡野とは西行の歌を主題として話しているのだが、春樹の「俺が、俺が」という持って行き方が鼻につく。それにしても、源義の「花あれば西行の日と思ふべし」はいい句だなあ。
生身の春樹とはあまりお近付きになりたいとは思わないが、現代の俳句では、一番親近感を感じるのは彼の句だというのは、いまのところ間違いないところだ。
ゆつくりと空昏れかかる金魚かな
流れゆく水に声あり夏料理
水引草に水の音ある空の奥
空澄みて紙いちまいの重さあり
桔梗や山のくらがり庭にあり
干大根いつの世に古る陰(ほと)の神
もはや何も急ぐにあらぬ根深汁
酢海鼠やなつかしき世に遊びをり
流れ来る今年の水の流れ去る
風花といふ華やぎも死後の景
青ぬたや旅をうながす旅の本
業平忌雨を眺めていたりけり
実石榴やいよよ濃くなる沖の紺
蟋蟀や女の嘘は嘘でなし
年の瀬やぐい呑みひとつ買ひに出る
賑やかな神のまぐはひ小正月
昼花火死にたる者も混じりけり
きぬかつぎ遊びごころのありにけり
冬の虹命透けゆくばかりなり
焼鳥や寄りどころなき身となりぬ
2000/11/29(水)●ひさびさのレッドカレー●
昨日の夢は、99歳の爺さんが棒高跳びに挑戦するというもので、Morris.は傍観者なのだが、まわりには若い(中学生くらい)棒高跳び部??の子供らが多数いて、爺さんを応援している。なかなか爺さんは跳躍に至らず、何故か、その部分をとばして、爺さんが銀メダルを獲得したシーンへ。その後爺さんと凱旋行進みたいなのに同行したりした。
灘図書館経由でハーバーランドに出、そこから高架下商店街通って南京町で買い出し。今夜は久しぶりにタイ風レッドカレー。最初ちょっと物足りなかったが、ナンプラーやココナツミルク、レモングラス、パクチーなど入れるごとに味わい深くなり、最終的にはバッチグー(^○^)だった。
KNTV「開かれた音樂会」。今夜は若者向けプログラムらしく、のっけからピンクルが「Now」を踊り歌う。本当にこの曲はよく出来ている。それに、やっぱりメインボーカル、ジュヒョンの歌唱力は素晴らしい。Morris.も、ぶんたさんのところで、ピンクラ(^○^)として、活動しようかと思ってしまう。次に出てきた、カンチュリーココのナンバーは、どこかで聞いた事のあるメロディ。こ、これはチェッカーズの「ジュリアに傷心」ではないか。これは盗作でなく、きっとカバーなんだろうな。日韓の文化交流の緩和がこんなところにも現われているようだ。この番組らしくオペラ歌手などが出演した後、久しぶりにキムスヒが出演して、「エモ=愛慕」「情熱の花」「ナメンヨルチャ=南行列車」と3曲も歌った、さすがの貫禄である。しかも前よりうんと元気そうだ。よかった、よかった。うーーんこれは録画しとくべきだったなあ。金曜日深夜の再放送を録画しよう。
【パソコンの論点1001】大川彰編著 ★★★☆☆
97年から99年の3年間に雑誌や書籍、ネットなどさまざまなメディアに表れた論点をパーツとして抽出し、それを分類して新しい順に並べたものである。1001とあるが、これは言葉のあやで、実際には800あまりのフラグメントが採集されている。某MSという寡占志向企業の戦略を始め、コンピュータ関連の雑誌や、パンフレットには、企業側から押し付けの記事ばかりが氾濫して、ユーザーの声はほとんど聞くことが出来ない。
それら数少ないユーザー側からの声を収集、抽出することによって、ユーザーが望んでいるPC環境とはどんなものか、ハード、ソフト(OSをふくむ)両面での、齟齬と乖離を明らかにして、これからあるべきPCの姿を展望しようという目論見から(たぶん)編まれたものと思う。
Morris.自身の知識、能力不足のため、皆目理解できない部分も多かったが、たしかにPCを使っている上での不滿の多くをカバーしていることはよくわかった。Morris.が共感する発言やヒントを、羅列しておく。煩雑なので個々の発言者の名前、媒体などは省略する。
・ユーザーが欲しいのは、確実で迅速な反応のある、信頼できる道具なのだ
・OSはもっと機能を絞って軽く、アプリケーションも小さく部品化して軽快に動くものを作って欲しい
・小出しのバージョンアップは信用を無くす
・昔は便利で手放せないユーティリティが多かった
・メーカにも責任はあるがユーザーも勉強が必要だ
・WWWブラウザはいらない機能が多すぎる
・速さを犧牲にした機能の増大は感心しない
・ソフトのプリインストールはユーザーに選択権を
・古いシステムに比べて、最新のシステムは不安定だ
・Windows再起動の時間を短縮するには、Windowsの終了で再起動を選択し、ここでShiftキーを押したままOKボタンを押す。「Windowsを再起動しています−−−」の表示が出るまでshiftキーを押したままにする。
・現在のPCのOSには、ウイルスがはびこることのできる大きな暗黒空間がある。別の名で言うと、ユーザーによる自主的なシステム管理の不在である。いかにも素人さんむけで楽な仕組みだ。しかし、人生の哲理として、安易と危険は同一物である
・ホストOSのように、何年も経って枯れたものを利用したい
・Windows95は使い込むほどシステムが不安定になる
・近頃のマイクロソフトのOSは原因不明な動作不良があり、その不具合が積極的に修正されなくなっている。競争相手がいないためだ
・コンピュータ関係の出版社は、MSから多額の広告費を受け取っているし、マニュアルは作らせてもらっているし、ほかの事業でも付き合いがある。何億円、何十億円というビジネスになっているから、批判やMS正否のイメージを傷つける記事はとても書きにくい
・レジストリ・ファイルのサイズは大きくなることはあっても小さくならない。これは、95起動時の慢性的なパフォーマンス低下の原因となる
・OSは社会的に生成されるべき
・図像+マウスというインターフェースはコンピュータにかぶせたぬいぐるみであり、本質的な理解を損なっている。問題が起きたとき「人にやさしい」=「人をだめにする」と気づく
・メール送信の形式でHTML形式が選ばれていたら、テキスト形式になおしておこう
・一つのキャラクタコード=一つの文字として、文字というものが固定長文字コードで処理できると考えるのは、欧米人の、そして我々漢字文化圏の人間の持つ幻想にすぎない
・すべての文字にコードを振っても解決しない
・コンピュータによるデザインのウイークポイントは、できてもいないのにできたかのように見えるということ
・テレビだって寝るときにはスイッチ切っているのに、なぜ、インターネットを繋ぎっぱなしにしたがるのだろうか
・原稿作成に、図体が大きくて余分な機能だらけのワープロソフトは不要。テキスト形式で保存することになるなら、軽快なテキストエディタを使用すべきだ
・編集者に要請されることは、テキストエディタを使いこなす技術のマスターだけである
・ワープロソフトというのは、でき上がった文章をきれいに印刷するための「清書マシン」「簡易DTPソフト」だ
・ヨコに表示するのが大好きなパソコンに文字をタテにしろと命令したら考え込んで動作が遅くなるに決まっている
・これまで著作権者や著作権団体が管理していたその外側に、新しい著作物のマーケットが出てきたから、エンドユーザーまで手を伸ばしてお金を取りたくなった。ユーザーから見ると、どうもビジネス優先で、どんどん進んでいる
・文書はテキストにしておけば、簡単に再利用できる
・個人データベースならテキストファイルとgrepさえあれば必要十分
・Windows95のエクスプローラはあまり評判がよろしくない。GF95Advansedは、ファイルのコピー、移動、削除はもちろんのこと、連結・分割もサポートしている。ビューア機能は幅広く、ファイルの圧縮・解凍もできる
・キーボードで操作できるファイラーを使いこなせ
・Linuxの難点は、あらゆる情報が公開されているとはいえ、それらを自分で勉強しなければならないことだ。だから、勉強とシステムの手作りを楽しめる人や、Windowsの性能の低さや不安定さに我慢ならない人、仕事上これは困るという人にまず向いている
・「キーボードは古いものほどよい」という法則がある
・パソコンは単機能に帰れ、万能機は結局何もできない
・品のある商品は、すぐに流行遅れになったりしないものだ
・「ウイルスチェック済み」と書かれていない限り、知人からのメールでも、添付されているOffice製品のファイルは取り出すべきでない
・ウイルスの主な感染ルートは電子メール
・修理より買い替えの方が安い現状は疑問
・PC業界は大いなる無駄な開発競争を繰り広げている。このような産業は、遠からず衰退していくと思う
・機器の信頼性を語るメーカーが少ない
・「寿命」ということばは安易に用いるべきではない
・根本的な疑問を無視するパソコン文化は、極めて空疎だ
・パソコンにトラブルが発生したとき、一般ユーザーが復旧できるような方法を最初から考えていないようなシステム設計が嫌いだ
・解説書はあっても深く掘り下げた書物がない
引用の一行空きは、章が変わっていることを示す。しかし、PC歴も10年弱になろうというのに、Morris.のパソコン音痴は相変わらずである(;_;)
2000/11/28(火)●スポーツ中継は副音声で●
昨夜の夢は、タイかどこかの国で安宿に逗留していて、他の日本人が出たり入ったりするのの世話焼きながら、自分も毎日リュック背負って流されて行く(川か何かの水の中を歩く)というものだった。昨夜の豚シャブの残りで雑炊作る。
楽屋から12月スケジュール届いたので楽屋部屋に貼り付けておく。
夜はTVで、クラブサッカー選手権試合観戦。スペインのリアルマドリッドvs.アルゼンチンのボカジュニアで、前評判はスペインが高かったので、とりあえずアルゼンチンの応援。試合早々アルゼンチンが2点先取、そしてスペインが1点返してなかなか面白い。だが、ゲストの明石家さんまが、いらぬ茶々入れてうるさい。なんで、日本のスポーツ番組は、しょうもないゲストを呼ぶんだろう。と、ちょっと嫌気さしはじめたところで、スペイン語の副音声があることに気付いてそちらに切り替えた。うん、これはいい。現場に行ったら、解説なんかない訳だから、充分楽しめるし、スペイン語でも選手の名前は聞き取れるから、まったく問題無しだった。ゲームは最初の得点のまま、アルゼンチンが勝利をおさめた。
【俳句という愉しみ 句会の醍醐味】小林恭二 ★★☆☆ 「俳句という遊び」の続刊らしい。そちらはたしか以前読んだようなおぼろげな記憶がある。ソウルの杉山さんからぜひ読むようにと勧められていたので借りて来た。現役の俳人や、歌人の岡井隆など7人が、二日間にわたって開いた句会の実況中継みたいなものだが、どうも緊張感に欠ける。著者が進行係として句を投じないためなのか、初めから本になることを参加者が意識しすぎたのか、何か冒険がないし、行儀良すぎるみたいだし、お互いに遠慮というか、気遣いがあって、はっきりいって期待外れだった。安東次男らが趣味で巻いた歌仙の記録は面白かったのに、本書は遊び心にもかけているような気がする。2日目の題詠でも、読者にも選句を促しながら、それぞれの見出しで話題句を先に指摘した形になってるのも感興を殺ぐ。端々に、俳句の約束や、注意などの説明もあって、まったく役に立たなかったわけではない。岩波新書嫌いのMorris.だからワリをくった点があるかもしれない(^_^;)
2000/11/27(月)●Pork Eater●
昨夜のヒアカムは、さりいちゃん、ひろことその同級生二人、えっちゃんに堀さんまで来てて、さながら澤村家の団欒みたいだった。中山君は、友人のギター弾き、それに井山あきのりのキーボードも交えて、ビートルズナンバーからオリジナル、アンコールのスタンドバイミーまで、力一杯のライブだった。やっぱり声がいいというのは強い。フクイーズは、矢谷が風邪で声が出ないのでコーラス無しでギターに徹してて、これはこれでなかなか聞き応えがあった。終ってからしばらく飲み、1時前に帰宅。何となくあわただしい週末だった。
今朝はしっかり朝寝坊して起きたのが11時過ぎ。昼から豚キムチ、ニンニクの芽入りなど作り食べる。午後ちょっと雨も降ったが、今日はかなり寒い。
ソウル在住の未知の女性からMorris.のぐい句を読んで面白かったので、自分の参加してる俳句会掲示板に遊びに来るようにとのメールが来たので、一度覗こうとしたが、添付のアドレスでは接続できなかった。その由を書いて返信メール送ったら、折り返し返事が来て、「アドレスは間違っていないが、httpの部分が全角になってた」とのこと。これは、あきらかに「間違い」だと思うぞ(^_^;)
それはともかく、掲示板を見たが、えらく活発で、どうもついていけそうにない。でも、女性が多そうなので、ちょっと惹かれるところもある。しばらくROMしておこう(^o^)
豚肉のブロックがまだ残っているので、今夜は豚シャブにしよう。
【海嘯】中島みゆき ★★★ ハードカバー450ページという堂々たる厚さの本だが、行間が異常に空いてるし、詩のような分かち書きなので、普通の書籍で言うと150ページ分くらいの文字量だと思う。その証拠にMorris.はこれ読み終えるのに1時間半かからなかった(^_^;) ところで、これは小説というべきなのか? いちおうストーリーはあるし、会話もあり、書簡のやりとりもあるが、さきに書いた通り、全体が分かち書きになってるし、文体も、かなり韻文っぽいし、これは「詩劇」みたいなものなのだろうか? 作者が中島みゆきでなければ、まず、手に取らなかったろうな。で、読み終えた結果、小説としてなら、これはあまりに腰砕けの作品としかいいようがない。養子として育った主人公のアイデンティティへの執着ぶりと、大時代めいた設定(名門旅館の乗っ取りと殺人の手口など)が、すでにリアリティを欠いているのだが、Morris.がそれなりに評価してるのは、自己陶酔的なみゆき節が随所にちりばめられていて、それが、割とうまくストーリーの中にはまりこんでいるからに他ならない。雰囲気だけは充分に感じさせてくれるというわけだし、ところどころに、独立して鑑賞するに足る詩句も散見するからだ。一例を挙げる。
どんな人にも 必ず夢は叶う
一生にひとつだけ叶う
引き替えに 一生の何もかもを失ってもかまわない
約束で
夢は
一生にたったひとつだけ叶う
それほどの夢とは 何だ
一生の総てと引き替えの夢とは何だ
己れと引き替えに叶う夢とは 己れにとっての何だ
夢をみることすらも手放せば
夢は叶う
たったひとつだけ
しかし 誰もそれを望まない
たったひとつだけ叶う夢よりも
幾億もの叶わぬ夢を抱くことのほうを 人は選ぶ
人は欲張りで 人は何も手に入れない
しかし、こういう試みは彼女(中島みゆき)にとって、どういう意味を持つのか、芸域を広げるということなら、あまり期待できない。やはり彼女は、肉声で表現する方が圧倒的に魅力的であろうことは、間違いないだろう。中島みゆきの、熱心なファンではないのだが、そう思う。
【猿蓑倶楽部 激闘!ひとり句会】小林恭二 ★★☆ 93年末から1年数ヶ月にわたって朝日新聞に連載された俳句コラムで、自作1句と自解、句論などを気楽に書いたものらしい。本人が言う通り、著者は「眼高手低」のようで、自作より、自作解説(批判)の方が水準が高いという皮肉な結果になっているようだ。掲載されている約80句の中でMorris.の心に留まったものは多くない。
・湯豆腐を煮るや情死を夢見つつ
・水底に稚き王ゐる冬の虹
・秋めくやナイフに映る詩人の目
2000/11/26(日)●SAMPO net プレイベント●
9時起床。味噌汁、ニラ玉、キムチに韓国海苔と言う、質素な朝食済まして10時半に伊藤君と一緒に部屋を出る。Morris.は、naddismの慈さんがらみのイベントに参加するため六甲八幡神社で待ち合わせ。「SAMPO
net」という、地域振興運動のテストイベントみたいなもので、参加者にインスタントカメラと、バインダ式のマップ、アルバムが貸与され、それを持って、自由に灘区内の散歩を楽しみながら、面白いもの、気に入った場所、動植物などを記録して、事後、集合して発表し合い、後にこれをまとめてパンフレット様のものを作ったり、これからの活動の参考資料にしたりするという企画。Morris.は何も考えずに参加した。参加者は約20名。とりあえず、カメラ散歩だと位置付けて、阪急越えて北上する。
篠原墓地にレリーフの、六地蔵がありどれも穏やかでいい表情をしていたので、これを撮影、すぐ上の厳島神社の狛犬やら切り株と落葉なども撮り、さらに上っていったら、天敵のパラマウント六甲前に出る。これも写して下り始め、篠原北町で、凄く素敵な路地を発見。地道で両脇には雑草と園芸品種(今は小菊中心)が混じり咲いていて、片方は板塀になっている。割と広くて東は結構大きな通りに面しているのだが、この路地だけは時間が停まったままという風情。いたく気に入り、今日の一番のお気に入り写真として提出することにした。その後、護国神社によったら、第4日曜日の「蚤の市」やってた。これまた思った以上に出店が多く、玉石混合というか、石ころだらけの中に、ちょこちょこ変わったものがあったりして、つい見物に熱中して、制限時間をだいぶ無駄遣いしてしまった。2時半に仮設のコミュニティセンターみたいなところに集まり、大きな用紙にそれぞれのルートを書き込み、簡単な発表と、フリートークなどして5時前に解散。今日の催しはnaddism独自のものでなかったためか、スタンプは捺してもらえなかった(;_;)
でも代わりにバッヂもらったからよしとしよう(^_^;)
一旦部屋に戻り、幸麺食べて、夜はヒアカムで、フクイーズライブ。今日のゲストはさりーちゃんが激押しの中山君なので、客は多いと思う。
2000/11/25(土)●久々にファミリーBAND●
8時起床。伊藤君と、昨日の麻婆豆腐の残りで麻婆丼。一旦伊藤君は帰宅し、午後2時の電車で須磨教会へ。ばななくらぶ主催のふれあいコンサートで、春待ちファミリーBAND撮影。Morris.が春待ちファミリーBAND撮るのも1ヶ月半ぶりだ。こんなに空いたのも珍しい。今日はメンバー全員が集り、1時間半たっぷりの演奏。パイプオルガンまでおいてある礼拝堂に約100人が集った。PAはいまいちだったが、観客はそれなりに楽しんでくれたようだ。終ってから、お寿司と手作りの松茸ご飯おにぎりなどいただく。8時過ぎに六甲道にもどり、井山、伊藤君と久しぶりに「万坊」へ。後からさりーちゃん、社長、堀さん来る。社長らは先に帰り、4人で零時過ぎまで飲む、隣席の客二人が伊藤君の高校時代の同級生ということがわかり、話がはずんでいた。16年ぶりの再開とか。結局伊藤君は連泊。今日の春待ちファミリーBANDのビデオダビングしながらまた飲む。
2000/11/24(金)●カメラ回転禁止を●
昨夜はKVTVで11時から2時間にわたって「ミュージック・タンク」の特集があったので、見るともなく見てたのだが、のっけからイジョンヒョンが刀持って踊るわ、HOTは最初から飛ばすわ、ピンクルの「NOW」はすっごくのりのりだし、シンスンフンまで出てくるわ、オムジョンファは、パラパラみたいな踊り見せてくれるわ、CLEOってのはMorris.好みのナンバーやってくれるし、と、久しぶりに期待しないで見た割には結構面白かったのだが、もお、前から言ってることだが、韓国のTV局のカメラマンに、警告する。「のべつ、まくなしにカメラ回転させるなーーーーっ!!!」ストロボフラッシュや、ライトの色替えくらいなら、我慢しよう。しかし、カメラ自体を回転させるってのは、見てる方は気分悪くなるだけだ。
今朝は早起きして、掃除、洗濯、毛布まで洗ってしまった(^_^;) Morris.の洗濯機は仕事先で貰った全自動で、最大4.5kgなので毛布はちょっと無理な感じもあるのだが、干すだけではあの埃は除去できない。しかし化繊の毛布って脱水したらほとんど乾いてしまうんだな。
午後灘図書館に行くついでにさくら銀行で出金しようとしたら行列があまりに長いので、後回しにして、図書館の帰りにまた寄ったら、まだ行列が続いていた。なにかあるのだろうか?
夕方は、吉田美奈子など聞きながらだしじゃこの頭と腸を取る作業。今回のじゃこはえらく小さいので時間ばかりかかる割にはかどらない。今夜は麻婆豆腐にしよう、と、取り掛かろうとしたら、伊藤君から電話。この前も麻婆豆腐作ってるときに伊藤君やってきたし、何か嗅覚がはたらくのだろうか?
伊藤君が、刺身やら唐揚げやらビールやら二階堂やら持ってきたので、二人で宴会モード、PCのビデオ見たり、植木等きいたりして夜中まで飲む、結局伊藤君そのまま泊る。
【熱い絹 上・下】松本清張 ★★★ 何でまた今ごろ清張なんぞ、と思われるかもしれない。Morris.は昔は結構、清張モノは読んでたのだ、途中で飽きてやめてしまったけど、本書は、85年発行となっているから、読んでなかった。
みかちゃんが、クアラルンプルに行くことになった頃、Morris.も遊びに行けたらいいなとマレーシアのガイドブック見てたら、この本のことが出ていたのだ。タイのシルク王ジム・トンプソンが、67年にマレーシアのカメロンハイランドで行方不明になり、今に至るも発見されず、商会からは膨大な懸賞金がかけられているという実話をもとに、書かれた小説とのこと、その時読むつもりだったのが2册本と言うこともあって、ちょっと躊躇してたのだが、やっぱり読んどこうと借りて来て、しっかりはまってしまった。
本書では仮名になっているが、トンプソンは戦時中、CIAの前身のOSSに所属して諜報活動に長けていたし、戦後もCIAとの関係はあったはずで、事件当時はベトナム戦争が泥沼化していたときでもあり、またトンプソンのクメール美術収集(盗掘?)なども絡んで、さまざまな憶測が飛び交っていた。本書でもそれらを踏まえて清張一流の泥臭い推理で真相にせまっていくのだが、前半はともかく、後半はだれているし、2册組にするほどの内容ではないと思う。もとが読売新聞の連載だった制約もあるのだろうが、人物や背景紹介が繰返されるのも煩わしいし、裏筋の主役となるデザイナーと踊り子の出番少なく、おしまいにとって付けたような説明になるのも頂けない。と、あらばかりあげつらっているが、Morris.としては、1967年という時代背景がよく見えると言う意味で面白かった。当時の日本人のマレーシア觀(外国そのものに対する感情、優越意識その他)、金銭感覚、交通機関、テレックスなど情報伝達組織のとろさ、等々、近未来ならぬ「近過去」小説としてちょっとしたタイムトリップを楽しむことが出来た。
2000/11/23(木)●出題者の解答知らず●
奥井さんと、西宮のカナダ向けピックアップ現場。昼食は苦楽園駅前の「まる万」で、カツ丼ミニそばセット。久しぶりだったが、ここのそばはちょっと平たいけど、なかなか美味しい。カツ丼も不味くは無いが少し味付けが濃く甘い。奥井さんが、そばにミニカツ丼だったらいいのにと言ってたが、同感。
帰りに、J-MALLで、備蓄食糧買い出し。食用油、天塩、片栗粉、出し雑魚、キムチ、鶏手羽中、腿、大蒜の芽等など。今夜は豚と大蒜の芽、キムチ炒めでも作ろう。
未知の人から「クイズの解答」というメール。はじめよくわからず、間違いメールかと思ったが、98年の朝鮮語講座に作った○×クイズ(25問)を韓国部屋に貼り付けておいたままにしていたことに思い当たった。しかも、答え合わせしようとしたら、数問、正解が分らないものがあった(^_^;)
【はじめてのパソコン書斎整理術】林晴比古 ★★★
本書はもともとMS-DOS機向けに90年に書かれたもので、Win全盛時代に合わせて99年に書き直したらしい。CDROM付属で、簡単データ管理ソフトが入ってるらしい。内容は目次によると袋ファイルや、クリアファイル、パソコンを利用したさまざまの管理法を展開してるらしい。らしい、らしい、と書いているのも、実はMorris.は、この本、ほとんど斜め読み、飛ばし読みしてすましたのだ。そのくせこうやって読書控えを書いて、評価も結構高いのは、ひとえに、つけたしみたいに提示してあった「林式微分整理法」のためである。これに割かれているのはたった3pである(@_@)
室内のゴミは一時にゴミの山になるわけでなく、ちょっとずつ置いたゴミの積分価であるということから、演繹して、その微分価を負価、つまり0以下にすればいいという数学的結論に達するとした上での対策と言うのが次の単純な方法である。
机に座るたびに机上にあるものを何かひとつだけ片づける。
あるいはまた、
室内に入るたびに室内のものを何かひとつだけ片づける。
といいう活用です。片づけるのはどんなに小さなものでもかまいません。とにかく昨日より、ほんのわずかきれいになっていればいいのです。実際にはたとえば
紙を一枚片づける
本を一冊片づける
放置されているボールペンを一本片づける
ディスプレイの周辺に貼ってあるメモを読んで一枚片づける
置いてあるものの縦横の耳を揃える
と言ったことです。ほんのわずかでいいわけですから「さあ片づけるか」と意気込む必要はまったくありません。負担としては何もしないのと同じです。それでも
一週間もすれば、もう室内はきれいさっぱり
です。これは本当にそうなります。
Morris.もこれを4,5日前から実践してるのだが、少なくとも、今のところ机の上は、先週と比べると驚くくらいすっきりしている(^o^)
2000/11/22(水)●ピュアなカップメンを希望●
としろう、市川さんと垂水のプレパック。近くに食堂が無いからと、ほか弁(>_<)で昼食。弁当だけでは足りないかと、ふと目についた日清チキンラーメンカップメンというのも一緒に買う。Morris.カップヌードルを始め、カップメンというの食べないのだが、袋入りのチキンラーメンだけは、年に数回くらいの割で無性に食べたくなることがある。で、今日の衝動買いとなったのだが、考えてみると、一般の袋入りラーメンと違って、チキンラーメンは、もともと麺に味がつけてあり、お湯かけるだけでOKというのが売り物だ。したがってカップメンにしたからといって、中身は袋入りとまったく同じで構わないことになる。そのくせ、カップメンは倍以上の値札が付いている、これは暴利ではないか。そういう、反論が出ることを考慮してか、カップメンの方には、ビリ辛具みたいなものがはいってる。こういう付加価値をつけて値段の差をごまかそうとしているのだが、Morris.にとっては、それこそ、要らぬことだ。件のカップメンは、チキンラーメンの味を完全に具みたいなものが殺いでると思う。もう、買わない。けど、日清には、プレーンなチキラーメンカップメンを出すことを強く要望したい。
帰り道元町に回り、阪神理容で散髮。昨日の夢を払拭しようというつもりではなかったのだが、今回は若いめの兄ちゃんで、あっさりスポーツ刈にされてしまった。てっぺんが見事に直線になってる(^_^;)
夜は本当に久しぶりに陶人へ行く。ビールしこたま飲んで午前零時帰宅。
2000/11/21(火)●宮内庁のお宝●
散髮する夢を見た。いつもの阪神理容ではない。当然理髪師も言葉遣いからして丁寧だ(^_^;)
えらく豪華な椅子に坐らせられて、髪型の希望を慇懃に尋ねられて、いつものようにと説明しようとするのだが、上手くいかない。焦ってるところで目が覚めた。フロイトなら、どういう解釈を垂れてくれるのだろう。
数日前、唇の上部を剃刀で切ってしまい、それがかさぶたになってて、うっとうしい。もともと、Morris.はこの部分だけが、小さな湿疹状になりやすい。特に内臟が弱ってるときに出やすいから、口内炎みたいなものかもしれない。とにかく、今回もそれが出て、つい髭剃るときにこの湿疹部分を切ってしまったのだった。髭なんか生えねばいいのに、と思うことが時々ある。しかし、思い起こせば、Morris.は10年ほど髭を貯えていた時期がある。これは結構長期間だと思うのだが、ある日、思い切って(当人としては)そったのだが、そのまま店(春待ち疲れBAND)に行ったら、数人いた客の誰もが、そのことに気付いてくれなかった。Morris.の存在感自体が薄かったとも考えられるが、Morris.の顔のなかで、髭の存在の占める割合がそれほど高くなかったということになるのだろう。同じ頃、松尾のりひこが、一度髭剃って、カウンターの隣に坐ってるのに、1時間くらい誰か知らない客だと思っていたことがあるから、それと比較すると、えらい差である。
午後バスで中央図書館へ行く。ホールのガラスケースに、宮内庁所蔵「椿花図譜」が展示してあった。講談社から1969年に復刻出版されたものらしいが、復刻版でも10萬圓では買えないだろうと思うほどの豪華さだった。厚さ15cm以上ある折帖二巻組で、立派な帙付。展示されてて見えるのは15点くらいだが、いやあ、溜息が出るくらい見事なものだ。しかし、こんなのを図書館が買うことは、是か非か??と、つい、貧乏性が出てしまった。神戸市の図書館の予算がどのくらいで、そのうち図書購入費が如何ほどかなんて事は知らないが、利用価値からすると、もっと他に購入すべき資料や、書籍があるのではないか??と、思ったりもしてしまった。
湊川神社方面に下りて、神戸からJRで帰宅。
【食べ暮らしダイエット】魚柄仁之助 ★★★
この著者の本は数册読んでいる。手抜き料理、食生活評論家として、講演などでも人気が高いらしい。基本的には、製品より、材料からというスタンスで、Morris.は結構気に入っている。キャラクタが面白そうだし、博多弁を多用した文体も、なかなか読者を喜ばせる壷を押えている。時々悪のりがすぎることもあるし、自分自身や身内の宣伝臭が鼻につくこともあるし、手抜きのやり方に疑問を持つこともあるが、もともとが、試行錯誤の中で身に付けてきたと自分でも言ってるくらいだから、納得いく部分だけを、参考にすればよい。
本書は、複数の新聞に連載されたものをまとめたもので、料理のレシピより、食を中心としながら、無駄を省くことをメインに、草の根生活主義(みたいなもの)の実践を、エッセイ風に、つまり、気楽に繰り広げているコラムなので、読む側としても、気楽に読んだ。
風呂敷の見直し、煮物の保温調理、大豆の奨励、携帯電話嫌い、などには共感を覚えた。
2000/11/11/20(月)●I hear a symphony●
月曜といえば、STARdigioの番組替えなのだが、最近ちょっとマンネリ気味だった。でも今週は472chでSupremsの特集がある。エアチェックしながら聴いて、やっぱりMorris.はダイアナ・ロスの声が大好きだということを再確認した。モータウンの黄金時代はMorris.の高校時代である。当時、まだ真空管(5球スーパーとかの時代)のラジオで、民放のPOPS番組の雑音の中から聞こえてくるアメリカのヒットチャートは、別世界の音楽のように聞こえていた。StonesにしびれていたMorris.だったが、Supremsは、出す曲全てNo.1に輝く人気ぶりに煽られて、聴いていたのだが初めて「ひとりぼっちのシンフォニー」を聴いたその日からダイアナロスはMorris.の偶像になってしまった。もちろん今日もこの曲は流れた。そして、やっぱり、今でもMorris.はこの歌のダイアナのヴォーカルが一番好きだ。彼女は今でも現役第一線で活躍していて、歌唱力も当時とは比べ物ないくらい上手くなってるし、円熟味も、表現力も加わっている。先日聴いたビリーホリデイのカヴァー「奇妙な果実」では、ジャズ歌手としても一流であるところを見せ付けてくれたが、Morris.はそれを評価しながら、20年以上も前の「シンフォニー」に固執してしまう。
今日も終日、糸のような時雨模様。
朝ご飯のような昼食。読書三昧の一日。
島田さんからスケジュール届いたので、島田和夫部屋更新。
【俳句入門】 楠本憲吉 ★★★☆☆
とうとうこんな本まで読むことになってしまった。ぐいぐい酒場で、ソウルの杉山さんに、あまりに初歩的な質問をしては無知を宣伝してたので、とりあえず、大まかな約束事だけでも一通りおさらいして、あまり無駄な迷惑をかけないようにしようと言う理由(表向きの)で、借りてきたのだが、読みはじめるのにちょっと手間取った。ぐいぐい俳句が、ぐいぐいでなくなるのを恐れたのだ。読み終えての感想は複雑である。入門書としては実に良く出来ていると思う。
226ページのうち、はじめの30ページは、入門以前の話で、後ろに名句鑑賞と、実習のハンドブックなんてのが70ページほどあるので、実質的入門部分は120ページくらいしかない。
キイワードは
・表現衝動・詩因・リゴリズム(省略)・リアリズム(写生)・リリシズム(抒情)・一元描写・取り合せ・比喩・定型・季語・切れ字
たった、これだけである(^○^)この単純さこそ、著者のリゴリズムかもしれない。例句の引用も適切で、作者の略歴や、用語解説も下注に要領よくまとめてあるし、各章の説明も納得いくものが多かった。
抒情詩とか叙事詩とかいう言葉がありますが、俳句は抒物詩であると言い切っていいのではないでしょうか。
俳句は節情の詩であるといえましょう。同じ節情の枠内にあっても、作者により非情派、抒情派の存在していることは免れません。
川柳は思いを述べる詩だろう。物に即したりしなくてよい。
思いを述べるのであるから、川柳は「流れ」の詩で、耳で聞くものだ。目で見るべきではない。
川柳は「思いを述べ」、俳句は「物であらわす」詩で、同じ十七音の詩型であっても、内容的には全く違うものだというわけです。
そうしますと、俳句と言うものは、五・七・五の定型感覚を持った十七音即物詩だということにどうやら決着しそうであります。
また「夜の秋」が夏で、「秋の夜」は冬、「夜寒」が秋で「余寒」は春、「日永」が春で、「短夜」は夏、「夜長」が秋で「短日」が冬というのも理屈には合いません。つまり、日永の季節は短夜の季節であり、夜長の季節は短日のきせつであるはずだからです。また春に出現して、夏にいちばん出盛る蝶や蛙が、なぜ春なのか、秋に来て春に帰る雁がなぜ秋であり、春に来て秋に去る燕がなぜ春なのか、雁と前後して渡来し、前後して帰って行く鴨がなぜ冬なのか-----。このような科学的季題感からすれば、いくつも大きな矛盾を含んでいるといえましょう
要するに、季語というものは、季節感を表わす手段として用いられて来たのではなく、季語の存在そのものが俳句にとって必要であり、その本来の役割は季節感ではなく、そのことばの醸し出す質量感にあったのだということがいえましょう。
そして季語の持つ質量感とは、作者と読者の共同理解の場を生むための結び目としての要素であって、特に他のことばよりは、共同理解の結び目となりやすい季のことばを俳句の中心に据えたのだということがいえるわけです。
そして、このことは、俳人が長い作品の歴史と実作の経験を経て体得した智慧であって、理屈ではないというのが、結論になるわけです。
本書は、Morris.に、俳句一般を整理してくれたような気がする。
俳句鑑賞篇は、俳句を六つの類型に分類して、それぞれの代表作を挙げて解説している。これもなかなか有用だった。その中から、Morris.の気に入った句、好きな句だけを引用してみる。それを一覧することで、Morris.の嗜好が明らかになるかもしれない;。
○写生俳句
・春尽きて山みな甲斐に走りけり 前田普蘿
・流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子
・白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男
・冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子
・冬蜂の死に所なく歩行きけり 村上鬼城
・去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
○風景俳句
・梨咲くと葛飾の野はとのぐもり 水原秋桜子
・ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋
○花鳥諷詠句
・谺して山ほとゝぎすほしいまゝ 杉田久女
・外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女
・をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
・くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
・火を投げし如くに雲や朴の花 野見山朱鳥
○抒情俳句
・月代は月となり灯は窓となり 竹下しづの女
・秋の暮業火となりて秬(きび)は燃ゆ 石田波郷
・をみなとはかゝるものかも春の闇 日野草城
・ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火
・雀色時雲は光輪持ちて降る 大野林火
・稲妻や夜も語りゐる葦と沼 木下夕爾
○生活俳句
・降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
・玖槐(はまなす)や今も沖には未来あり 中村草田男
・あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
・寒卵薔薇色させる朝ありぬ 石田波郷
・人それぞれ書を読んでゐる良夜かな 山口青邨
・淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守 原石鼎
・桔梗(きちかう)や男も汚れてはならず 石田波郷
・衰へいしのちを張れば冴え返る 日野草城
・金星すでにただの夏星先駆者よ 香西照雄
・おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼
・中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
・行く雁の鳴くとき宙の感じられ 山口誓子
・泉への道後れゆく安けさよ 石田波郷
○無季俳句
・しんしんと肺碧きまで海のたび 篠原鳳作
・白馬を少女汚れて下りにけむ 西東三鬼
・啼鳴や運河も昏れて哭くときあり 三橋鷹女
・男の旅 岬の端に佇つために 桂信子
以上の6類型は、引用句の数もまちまちなので、Morris.の選句が多いからと言って、Morris.がその傾向を好むと言うわけではない。
マニュアルを読むのが好きなMorris.だが、俳句のマニュアルは、本書だけでいちおう、ストップと言うことにしておきたい。
【俳風動物記】宮地伝三郎 ★★☆☆
動物生態学主に淡水産生物の研究に係る著者が、江戸俳諧に現れる動物を取り上げて解説するという、まるでこの前読んだ「大江戸鳥暦」みたいな本かと思ったが、余りに内容が偏っていてちょっとがっかりした。
取り上げられている「動物」としては、鮎、川獺、行々子、鶯、鳰、紅鮭(アメノウオ)、イサザ、タニシ、蜆の10種にも満たない上、イサザの項などは、ほとんど、動物生態エッセイめいたものに自作句を披露したというありさま(さすがにこれには気がひけたらしく、おしまいに断り書きあり)。岩波新書なんて所詮そんなもの、といえばそれまでだが、もう少しタイトルには留意してもらいたいもんだ。看板に偽りありすぎ(@_@)
俳句によまれた動物の生が後の生態学の研究の助けになることもある、というのは事実だろうし、現在絶滅したり、少なくなった種における、いわゆる文献資料としての価値を認めるにやぶさかではないが、句と学問とでは、自ずと向かうところを異にすることは言うまでもない。しかし、餅は餅屋で、蜆を詠んだ句の中で、大きく三種がある蜆のどれを詠んだものか判定する部分などは面白かった。Morris.が個人的に好きなタニシについて触れられてあるのも嬉しい。ミミズと同様、タニシも句の世界では鳴くことになっていて、これはたぶんシュレーゲルアオガエルの声をタニシの声と聞き違えたのだろうと言う説は一聴に値する。ミミズが鳴くというのは、オケラとの取り違えと言うのは広く知られている。
それより、本書で一番Morris.の目を引いたのは、季語に関するところだった。
俳句の季語は四季それぞれの季節感を表わすために、句によみこむ語と定義してある。季語の役割はそれにとどまるまいが、生物環境の中でも季節は格別に大切な要素であるから、それが重視されることに、異存は全くない。季語の成立の背景には、こうした生態学的のきびしい字数制限にもかかわらず、現象記述の簡潔性の追求と存在感の付与を可能にする。俳句的事象の成立の条件、季節を含めた環境を象徴的に代行表示する役割をもつのが季語であるべきで、季語の意図は指標生態学の発想と通底している。
このように見てくると、季語は単なる四季区分の表示語ではなくて、環境語の同義語、少なくともその主要構成部分である。季語を生物学の言葉に違約すると環境語になるともいえよう。なぜならば、季節はあらゆる自然現象の移行のペース・メーカーで、すべての生活行事や心理活動が演出される舞台装置−−万象の折々の生活環境を代表する総括概念でもあるから。常夏の熱帯にも乾季と雨季などの季節循環があるが、とくに温帯では、生物生活にも、季節の枠組みから外れた発現はありえない。
季語は俳諧の基本形態である十七字の短詩に求められている字数の制約を乗り越えるのに貢献しているのであって、季語の約束を案出した俳諧師は構文理論の天才である。
自然には人間の枠づけを拒む多様性があり、作句の対象には季節反応を求めない情感にかかわるものも少なくない。そんな場合に、表現の枷となり、その構成をちぐはぐにするだけで、状況を想いうかばせるのに有効に作用しない季語の組み込みに腐心することはあるまい。それは死季語だからである。ただし、事象の生起にかかわっている環境語は省かないでほしい。環境から遊離した現象記述には実感が伴わないからである。そして、これが季語の心でもあるだろう。
環境語ということばは俳句に不似合いだが、季語がなくても季語に代わるキイとなる語を配すると言う説はどこかで聞いたような気がする。この環境語もその考えの一つかもしれない。
2000/11/19(日)●民族学級50周年式典●
8時起床。掃除、洗濯済まして、久しぶりにKen Mizunoさんの部屋を覗いたら、ここのところずーーっと書き込みの無かった日記欄が更新されてた。Ken
Mizunoさんとは、niftyのパソコン通信時代からのお付き合いで、実際に会ったのは2度だけだが、PC関連でも、韓国語並びに韓国文学関連でも、論理的な面でもすべての面で一目も二目もおいてる存在なのだった。ここだけの話だが、Morris.は、PC始めてから、インターネットでサイト作ったりしている今日までの中で、パソ通はじめたばかりで出会ったKen
Mizunoさんを中心とするフォーラムで、つたないやり取りしていたころが、一番楽しく、充実していたような気がする(^_^;)
10時前に部屋を出て、JRで大阪森宮に出、市立北中道小学校へ向かう。今日はこの小学校に民族学級が設けられて50周年の記念式典が開かれる。いつも親しくお付き合い願っているファンピョンさんの姉でもある、チャンミさんが人一倍この行事に熱心に関わり、演技にも出演すると言うので見に行ったわけだが、行って良かった。在日だけでなく日本人同級生も参加し、学校ぐるみで、式典を盛り上げていたのも、嬉しかったし、お互い、自然な感じで一つに溶け込んでいるように見えたのが更に良かった。
在日の家族が異常に多いこの地域とは言え、市立の学校で民族教育を旨とする授業をおこなうことが、どのくらい困難で、反対や、中傷、誹謗などが多かっただろうことは想像に難くない。資金繰りや人材面での苦労も限りなかったろう、と、Morris.は頭の中で思うだけだが、こうやって、現実にその苦労が成果をあげ、50年という大きな区切りを祝うまでになったことにまず拍手を送りたい。
前半は子供たちの、テッコンド、プチェチュム、コーラス、合奏などで、やっぱりおそろいのピンクのチマチョゴリの女の子は可愛かった。午後からはOB、保護者らの出番で、チャンミさんはチャンゴの演奏と、踊りに出演して大活躍、さらに息子3人が空手の演武にも出場して、試技も見事だったが、模試では、三男が連勝して強いところを見せてくれた。ファピョンさんはもちろん、あしやん、あんちゃん、龍太家族と、山崎さん、辛さん夫婦も来ていたので、後ろの方で、話の花を咲かせた。龍太はまだ1歳にならないがずいぶん大きくなっている。
帰りに梅田のロフトなど回って、堀さん用のケトル探したがなかなか注文に合うのがみつからない。かっぱ横丁古本屋に寄る。以前に比べると黒っぽい本屋が増えたような気がする。
7時前に帰宅。録画してた韓国のどじまん見る。最近ちょっと低調だ。キムヘヨンが一向にゲスト出演しないこともある(^_^;)
今夜は湯豆腐、のつもりだったが、野菜、鶏、うどんまで入れたので、わけのわからない鍋になってしまった。
九州場所は曙が優勝したらしい。面白くも何とも無い。
2000/11/18(土)●自転車で神戸万葉散歩●
今朝は久しぶりにNHKのTVハングル講座を見た。インスンちゃんは相変わらずだった(^_^;)
あまり韓国語の勉強にはなりそうも無いが、趣味としてこれからもなるべく見るようにしよう。
Morris.部屋覗いたらカウンタ「22229」だった(>_<) ゾロ目好きのMorris.は密かに「22222」狙ってたのに、残念。
洗濯、掃除すまし、昼はビーフン作り、午後から自転車で、春日野道まで行き、勉強堂冷やかすも収穫無し。帰りに、ちょっと回り道して、43号線沿いの「敏馬(みぬめ)神社」に寄ってみる。ここは、よくトラックで通り過ぎるたびに、なんとなくいわくありそうだと思いながらも、神戸に来て25年以上ほったらかしていた。今日が全くの初めてだ。駐車場になってる、平地のちょっと高くなってるところに、柿本人麻呂の歌碑が建っていた。これくらいはMorris.も知ってる歌で、まあこの歌があるからこの神社が気にかかっていたということもある。
・珠藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に 舟近づきぬ 人麻呂(万葉集 巻3)
石段を上がると、拝殿と、本殿があり、拝殿の右側にもう一つの歌碑があった。田辺福麻呂(さきまろ)の、長歌と反歌、丁寧にそれぞれ別に石碑が建っている。長歌の方が大きくて安永2年(1773)となってるから、反歌の石碑は後で追加されたのかもしれない。
・八千矛の 神の御代より 百船の はつる泊りと 八洲国
百船人の 定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦浪騒ぎ 夕浪に 玉藻は来寄る 白真沙
清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず うべしこそ 見る人毎に 語り継ぎ 偲びけらしき
百夜歴て 偲はえ行かむ 清き 白浜
反歌
まそ鏡 敏馬の浦は 百船の 過ぎて行く可き 浜ならなくに
田辺福麻呂(万葉集 巻6)
他にも、大伴旅人や数人が万葉集の中でこの敏馬を歌っている。当時はこの辺は海辺で、神社の縁起神攻皇后が新羅に攻め入った時にここで船を作り帰国した時宮を開いたというまことしやかなものである。式内社であることには、間違いないし、「みぬめ=見ぬ目」という響きのため、王朝から江戸時代まで多くの歌人が歌に詠んでいる歌枕の一つであったらしい。境内には、複数の立て札に歌が書かれているが、ここは定家のもので代表させて措こう。
・秋の鹿 わが身こす浪 吹く風に 妻をみぬめの 浦みてぞ鳴く 藤原定家
「見ぬ目」に「恨み」まで使った凡作だが、古来こういう使い方をされてきたのに違いない。ここも95年の地震で相当の被害を蒙ったが、近隣の協力で、割と早めに復興したとのこと.(立て看板にそう書いてあった。)。しかし石の鳥居などは、まだ廃材が放置したままになっている。楠や銀杏クロガネモチなど鎮守の森も細々と残ってるし、鳥も多い。回りが殺伐としてるだけに環境保存して欲しい。拝殿から石碑に向かう飛び石がすべて違うデザインで、それぞれが工夫されてるのが気に入ってしまった。
コーナンでファックス用紙など買って5時ごろ帰宅。
夜は、残り物のジャガイモやキムチ、昨日の蒸し豚などで「カムジャタン」作ってみる。やっぱり骨付きの肉がないと、雰囲気が出ない。
【二重言語国家・日本】石川九楊 ★★★☆☆ 現代書家で、書の研究家である著者の本はたいてい読んでるMorris.だが、本書はちょっと毛色が違ってるため、見落としていた。日本語を、漢語と和語の分裂と結合の両面をもつ二重言語、文字中心言語と規定して、そこから日本人論にまで敷衍するという大風呂敷広げた、おいおいだいじょうぶかい?とちゃちゃ入れたくなるイントロだったが、たしかに、なるほどとうなずくところ多く、とにかく、これまであまりお目にかかったことの無いユニークなところに、Morris.はいささかの「知的興奮(^○^)」を味わわせてもらった。ユニーク過ぎて、後半にずっこける部分が散見するが、いやなに、面白ければそれでいい、という意味では、本書に対するMorris.の評価は結構高い。本職が書家だけに、ワープロへの非難というか、罵倒はなかなかのものである。
漢字文化圏においては、文字自体が事物化するという傾向をももつ。李氏朝鮮において発達した、意匠化した漢字を中心に置き、その周囲にさまざまな意匠を配した奇怪な李氏朝鮮民画などはその代表的な例であろう。そこに声を重視する西欧とは異なり、世界を文字とみなす無自覚な宇宙観も生れているのである。
その意味で、一語に一文字が対応する漢字は、文字と言う枠組みで受けとめることによってきわめて強力な構造力をもつが、同時に悪しき災厄をももった両刃の剣ともなる。
日本語においては、言葉の災厄が文字の災厄と結びついており、かつ二重言語であるために、どうもうまく言葉への戦術が成立せず、文体が育たない。
ワープロは、この人工音声発声機の書き言葉版に他ならないからだ。
手もあり、紙もあり、筆記具もあるのだから、自分の手で書けばよい。それで済む。それなのに、わざわざ機械の前に坐ってキイをたたいて、人工合成文字を並べている。これは前述の人工音声発声機で会話するがごとき奇怪な現象ではないだろうか。
ところが、肉筆の文字も印刷文字も、ともに文字であるという錯覚、それどころか、印刷文字こそ文字の典型であると考えるような倒錯が、肉声ではない人工音声発声機を嗤いつつ、肉筆ではないワープロのキイをせっせとたたくという、奇怪な事態を生んでいるのである。
鉛筆のHBの思想やBの思想というものもある。モンブランの思想やパイロットの思想だってある。ワープロはどうか?筆蝕を欠いたワープロから文体が生れるかどうかは疑わしいが、肉筆とは異なり、筆尖と紙とが接する際の決断の起筆と、自己と対象との挌闘と対話の摩擦と、また諦念の終筆を欠くために、良く言えば、私小説的膠着から解放された軽やかで、希薄な文体、また、自省が足りず、飛躍に飛躍を重ね、あるいは馴れ馴れしくまた犯罪臭の強い自己完結的文体が生れて来る。ワープロ時代には推理小説やSF小説が氾濫することになる。
日本が自然(フィシス)型アジア・中国的専制の下降線国家を脱し、近代西欧型の人為(ノモス)型上昇線国家に届くためには、「はんこ社会」を脱することは不可欠である。
むろん、「はんこ」制度だけがなくなったところで、どうなるものではなかろうが、はんこがなくなることは「天皇御爾」の終焉も意味する。「はんこ社会」をどこかで断ち切らぬかぎり、天皇制も日本型官僚制も、叙勲も終わらず、上(かみ)からの「めぐみ」と「なさけ」を戴く被害者王国から脱出し市民が市民社会を支える近代的誓約・契約社会への天下は存在しえないといえよう。
生活語の周辺は二重複線言語に彩られて、濃密になり、繊細な表現を可能にする一方、政治的・思想語は外来語たる中国語から頂上部分を脱色した上で、中国語に一元的に依存せざるをえない希薄さから、きわめて粗略な表現しか可能にならない。この日本語の分裂構造の中で、生活語からの自然な成長による政治語・思想語への転化部分を担う、本来豊かで、つなぎとなるべきはずの中間語の貧弱な日本語の構造が生れ、その反映たる日本文化がこの国に出来上がり、現在もその言葉と文化を生きている。
東アジアとは文字中心言語地帯、ヨーロッパとは声中心言語地帯の別名である。−−略−−東アジア大陸の想像を絶するような多民族、多言語の地方が、中国というひとつの国家としてのまとまりをもちつづけているのは、漢字によってつなぎとめられ、統一されているからである。
日本人は四季や花鳥風月に敏感だと言うが、ヨーロッパやアメリカ、オセアニアと較べてそれらが格別に美しいわけではない。平安時代のこれらの言語演習の結果として成立した日本語が四季を讃える詩語の語彙と文体に圧倒的な厚みをもっていることから、人々に四季を美しいと感じさせ、花見や紅葉狩り、あるいは俳句に駆りたてるのである。
引用が長きに過ぎたかもしれない。反論を(Morris.からも)招きそうな部分も含めて、なかなか面白いと言うことは理解してもらえたのではないかと思う。しかし、結論となると、ちょっと肩すかしである。
日本語の統一原理(アイデンティティ)は、漢字=漢語と仮名=和語、正確に言えば、和語の中国語あてはめ(訓)と中国語の和語あてはめ(音)、つまり音訓の複線、二重性と、中国語(漢語)の詞を和語の辞が支えるという構造にこそ存在する。漢字=中国語は抜き難く日本語の中にある。人間が言葉する存在であるとすれば、日本人は半分以上の部分、しかも主たる部分が中国人である。この二重性をはっきりと認めて、中国語の核心部分をふくらませ、和語の核心部分をこれに添え、さらに、西欧の良質なる思想と学問と知識語を漢語化して、日本語の中に確実に合流させれば、日本語は、世界的水準の言語に至りうるという実践的な課題の解決へと突き進むことができる。
うーーむ、これでは、竜頭蛇尾のそしりを免れえないだろうなあ。まあ、この論は、現在進行形のものを、NHK出版の要請でダイジェストしたものらしいから、もう少し「実践的な」指針と結論が、後に上梓される可能性はある。気長に待つことにしたい。
おしまいに、日本の定型短詩についての、ぼやきみたいな文を引用して切り上げることにしよう。いちおう、もと歌人、今ぐいぐい俳人を標榜するMorris.なので、興味津々な文だった。言いたいことも多いが、これ以上長くなるのはあんまりなので、差し控える。
大衆が定型短詩に参加することは、それはそれで日本語の表現力の維持に役立ちもしよう。だが、表現の尖端に立つべき俳壇において、近代の俳人・河東碧梧桐が、無季化、非定型化、ルビ化、さらには短詩に解消することによって果たそうとした俳句の現代化と世界化の課題すらなきがごとくに、季題と定型に甘んじていることは、短歌の安定と併せて、私にはとても不可解に感じられる。俳人や歌人達は、日本語の生理ともいうべき、「七五」「五七」調への安住にどれほどの苦さをもち、また、現在の詩人達は、いったい短歌や和歌についてどのような思索をもっているのだろうか。
2000/11/17(金)●Morris.部屋一時不通(^_^;)●
カルガモの夢を見た。とある沼を親鳥について数羽の子鴨が並んで泳いでいた。
昨夜からorcalandが繋がらない。ひらちゃんの部屋も、りーちさんの部屋も開かないから、きっとひらちゃんがメンテナンスやってるんだろう。ぐいぐい酒場は見ることが出来るし、メールも問題ない。Niftyのサイトはつうじたのだが、orcalandから、入ってる人は不通ということになる。しばらく様子を見よう。
午後灘図書館に行き、帰って接続したら繋がっていた(^_^;)。
J-MALLで買って来た豚バラかたまり、半分は蒸し豚にして冷凍、1/4はニンニク味噌床に漬け込み、残りをスライスして、野菜と炒め、マルタイの棒ラーメンの麺を湯掻いて、これでヤキソバにしてみた。結構いける(^o^)
【写真の時代】冨岡多恵子 ★★★☆☆ 本書は70年代後半に雑誌に連載されたもので、すでに20年以上前の作だが、今読み返しても少しも古さを感じさせない。これは著者が写真には素人と開き直りながら、写真を「作品」としてでなく、写真家と被写体の関係として捉えている立場によるのだろう。
月例コンテスト写真の投稿作品+選者の千編一律のつまらなさ、商業写真の思い上がり、ためにする写真などへの批判は、現在でも、力を失ってはいないし、日本の写真の草分け、上野彦馬が、何も無いところからいわば化学者として、達成した写真術への驚嘆、リーフェンシュタール「ヌバ族」の恐さ、不許可写真の結果的選別の面白さ、桑原甲子雄の普通の東京を撮ることの難しさなどなど、興味深い批評が目白押しである。
たとえば写真に「なぜ題をつけるか」という一文にある次のような一節。
本来、写真の場合は、番号に近い記号性を題に依存する程度にとどめて、なるべく写真については喋らぬ方がいいように思える。そうでないと、写真というものの自立性が失われる。ハッキリいうと、写真がものをいっていないのに、それを撮った人間がものをいっても仕方がないのである。写真は、他のいっさいの手助けなくて、そこにあった方がいい。逆にいえば、コトバの説明を必要とするような写真は、それだけ写真の力がよわいということにもなる。
料理であれ、踊りであれ、芝居であれ、小説、絵画、その他すべて人間のつくりだすもののおもしろさや良し悪しが判断できるのには、やはり無手勝流でいく無駄が必要となる。だからそこに解説があることは、効率主義への好みの結果だといわねばならない。即ち解説流行は、一般大衆の、せっかちでケチな心情、無駄をしないで早く得をしたいという効率主義を好む結果だといえるのである。(中略)解説は、本人がする場合は自信のなさの表明になり、他人や専門家がする場合は、それに対面する者の孤独の能力と楽しみをけずりとって、受けとる側をあまえさせてしまうようである。
正論である。
おしまいの方にある「写真のためにはなにも存在しない」という章のタイトルだけでも、彼女の写真に対する立場は明らかであり、Morris.もまったく同感である
【大江戸鳥暦】松田道生 ★★★ 書名と「川柳でバードウォッチング」という副題でわかるように、鳥の出てくる江戸の川柳を季節毎に引いて、簡単な解説を付けたもの。著者は、日本野鳥の会職員を経てフリーになったというから、どちらかというと、鳥が専門らしく、川柳の解は、やや省略したり、わからないのは曖昧なままにしてるようだ。それでも、鳥のイラストがなかなか素敵(水谷高英画)だし、江戸名所図絵や、和漢三才図会からのイラスト引用もあって、それなりに楽しめる1册だった。江戸時代と現代では、想像以上に鳥の分布が樣変わりしていることも、知ることが出来るし、川柳子が、意外にも細かい鳥の習性を観察してるところなども面白かった。
○春−烏、鶯、夜鷹、鷽、虎鶫、呼子鳥、雉、鶚
○夏−時鳥、水鶏、雀、白鷺、行々子、雲雀
○秋−雁、鴫、鵙、鵯、椋鳥、木菟、鳩、鵜、
○冬−鶴、鷹、鳶、千鳥、都鳥、白鳥、鴛鴦、鴨、鸚鵡
章に立ててある鳥の名を、故意に漢字で表記してみたが、どのくらい読めるかな?
ところで、ヨシキリの項で
よし切は伊勢も難波も同じ声
を、引いて
関西では、ヨシのことを浜萩というが、ヨシキリのことをハマハギキリとは言わず、なお同じ声で鳴くため。
としてあるのは頂けない(>_<)。「難波の蘆は伊勢の浜荻」の歌にもあるとおり、大阪で言う「蘆(よし)」を伊勢では「浜荻(はまおぎ)」と呼ぶわけだから、著者は二重に間違えていることになる。
また鶴の語源を、群で「連れる」からとか、他の鳥より立派な「優る(すぐる)」に由来するとしているが、これは朝鮮語の「トゥルミ」の転と見るのが自然だと思う。本書でもその後に韓国語説を挙げているが、なぜかそれが「ツルギ」になっている。
2000/11/16(木)●またまたオートマチック料理(@_@)●
昨夜は、美味しい鶏皮が格好のアテになったこともあって、ぐいぐいと飲んでるうちに酔っ払ってしまったらしい。気が付いたらベッドの中だった。それはいいのだが、昨日買って、下拵えして、冷蔵庫に入れておいた烏賊キムチを作らずじまいだったから、昼飯のおかずにしようと、冷蔵庫を開けたが見当たらない。中華鍋も食器もちゃんと洗って所定の位置に直してある。と、いうことは、またまた、Morris.は無意識状態で、料理して、たいらげて、洗い物まで済まして、寝てしまったということになる。この前の麻婆豆腐のときは、中華鍋に半分残したままだったけど、今回は、しっかりすべて終了状態。味がどんなだったかすら覚えていないのは、悲しすぎる。その前に、やっぱりこれは危ないなあ。何とか防止策を講じなくては、とはいうものの、どうしたものか(^_^;)
結局、今日の昼は残り物処理を兼ねての五目チャーハン、夜は讃岐うどん。
【居酒屋大全】太田和彦 ★★★☆ 12人ほどで結成した「居酒屋研究会」の手書き会報が今は無い雑誌「テイゥジャパン」に連載され、それに加筆したものが本書で、架空座談会と、レポート、テーブル、ルポなどで構成されている。ほとんどが著者のリライトらしい。著者は46年生のアートディレクターで、椎名誠らの仲間らしい。
発行が1990年で記事の内容はそれより数年さかのぼるから、酒や店の評価などガイドとしては古びている部分も多いが、全体としては、とても面白かった。別に「ぐいぐい酒場」(Morris.の掲示板)を開業してるからというわけでなく、もともとMorris.も、外で飲むなら、断然居酒屋派なので、こういう本は読むだけでも楽しい。何でもっと早く読むんだった。これは本書が図書館で日本十進分類法6793の棚に置いてあったのでつい見逃していたらしい。エッセイの棚にあれば、すぐ目についたはずだ。愚痴ってもしょうがない。
理想の居酒屋三原則「いい酒、いい人、いい肴」いい人に、店の人、仲間を含むということにすれば、これも依存はない。
座談会もそこそこ羽目を外さない程度のギャグを交え、蘊蓄や、壷を押えてテンポもいいし、テーブル仕立ての「資料」にも役立ちそうな情報が多い。
「入らなくても判る名店鑑別法」「日本酒ネーミングベスト」「日本酒ラベルベスト」「居酒屋料理ベスト」などは、ついついじっくり見入ってしまったよ。
東北の1週間にわたる、ルポを別にすると、紹介されてる店は東京中心だが、日本三大酒場の一つに選ばれている、大阪阿倍野アーケードの「明治屋」へは、一度行ってみなくては。
本文とは関係無いが、中に出てきた回文の2句は、なかなか上手い。「七星」というのが著者の俳号、もう一人は仲間の秋元という人らしい。
・雪の舞う 襟裳の森へ 馬の消ゆ−−虚視
・今 軍手 脱ぎつつ 注ぎぬ 天狗舞−−七星
【ポケット・フェティッシュ】松浦理英子 ★★★
彼女は、露骨ではないが、かなりアブナイ系の作家らしく、Morris.は敬して遠ざけてるのだが、本書はタイトルと、短いコラムだったのでつい借りてきた。小説ほどのしつこさはなかったが、紙おむつのコマーシャルから、幼児に対するセクシャルハラスメントを連想したり、A感覚、鵜鵜の究極は大便のやりとりだとか、女囚映画礼賛とか、ホルスト・ヤンセンの性交図への皮肉な見方などなど、それなりの毒性はやはりある。
一番面白かったのは、マッケローニの写真集に付した解説文だった。この写真集は恋人である女性の性器を3年間に2,000枚とった中からの抜粋らしい。写真集は未見だが、この解説文もなかなかに過激である。
女性器は隠され、そして暴かれる。私たちの文化は長い間、この隠蔽と暴露のゲームを続けてきた。
男は見る者であり女は見られる者である、とする性別による役割の固定が私たちの文化には存在するが、たかが見ることに男たちが情熱を燃やす理由も、見る行為=暴き出す行為と理解すれば、男ならぬ身にも薄々想像はつく。
マッケローニ作品が猥褻ではないことは今一度強調しておいてよい。これらは女性器に<真実>=<猥褻性>が内在しないことをあきらかにし、長い間続いて来た女性器をめぐる隠蔽と暴露のゲームに終止符を打つ力に滿ちた作品であり、公の場で展示されることでその力は発揮される。これらの公開を禁じるのは、隠蔽と暴露のゲームを延長し、女性及び女性器を快楽の道具とする差別的な見かたを生きながらえさせようとする反動的な措置である。私たちはゲームを終らせるべき時期を迎えているのである。
2000/11/15(水)●至高の鶏皮●
今日は1日細かい雨が降り続いている。
一日中部屋でごろごろ本ばかり読んでた(幸せ)。
夕方、買い物に出て、パニエに行ったのだが、休日らしかったので生協まで行き、スルメイカと鶏腿肉が安かったので買う。帰り道見たらパニエは営業していた(^_^;)。
で、鶏桃肉の半分の皮を湯引きして酒のあてにする。久しぶりだがなかなか美味い。残りを電子レンジで蒸して冷凍しようとしたが、ふと思い付いてこの残りの皮をグリルで焼いて大根おろしに、レモン、生姜、鷹の爪、醤油滴らしたら、これがもう、めちゃうま(^○^)
KNTVの「開かれた音楽会」にミンヘギョンが出演して「ネマウムンタンシンギョトゥロ」「ポゴシプンオルグル」等を歌った。本当に久しぶりだ。
【ぼくの鳥の巣コレクション】鈴木まもる ★★★☆☆☆
Morris.は初めて知ったのだが、著者は画家で絵本や鳥の巣に関する著作があるらしい。現在伊豆の婆沙羅山に住み、鳥の巣の収集と創作に励んでいるらしいが、とりあえずMorris.は巣のイラストの美しいことに感心した。鳥の巣といえば、ツバメ、カササギ、カラスくらいしか思い付かないが、単に「鳥の巣」といえば果物籠みたいな共通イメージはある。しかし、本書を見るとその形態、材料、色、場所などさまざまな変化に富み、構造、製作過程の複雑さ、精密さに驚かされてしまう。基本的に鳥の巣は使い捨てで、卵から雛が孵り、巣立ってしまえば、用済みとなりあとは自然に還元されるはかない存在なのだが、著者はこれらを大事に持ちかえり、ニスなどで補強して保存しているそうだ。もともと造形に関する興味から鳥の巣に惹かれたらしいが、逆に鳥の巣から、自然への理解が深まったともいう。
著者は愛鳥家とは一線を画して、鳥の巣を通して自然と関わる中から、ユニークな視点を持つに至ったようだ。文章においては、ユーモラスに表現しようとするあまり、ちょっと頂けない部分もあるが、一般的には見過ごされやすい、こういう自然のディテイルに注目し、図版やコレクションとして定着する作業には声援を送りたい。
【青春18切符パーフェクトガイド2000-20001】神戸寧彦
★★★ さんちゃん主催名古屋オフと四国行きを機会に生れて初めて、青春18切符を買ったMorris.なので、まさに初心者だったのだが、本書を書店で見付けて興味は覚えたのだが1500円も出して買うのはためらわれた。それが宇仁菅書店の均一台で200円で、出ていたのでつい買ってしまった。基本的には「鉄ちゃん」関係の本なのだろうが、ほとんどその方面には無知なMorris.にも解るように、初手から親切に手ほどきしてあり、実に役に立ちそうな本だ。前回のMorris.が利用した周遊券的使用法はやっぱり、素人の使い方で、本筋は、ムーンライトと名づけられた長距離快速列車(コア列車)と、それに接続するサポート列車を組み合わせての、超合理的ルートを駆使することにあるらしい。本書を熟読して青春18の初心者から、中級者を目指すことにしよう。
とりあえず青春18切符の発売期間、利用期間と料金を
・春季 2/20〜3/31(発売) 3/1〜4/10(利用期間)
・夏季 7/1〜8/31(発売) 7/20〜9/10(利用期間)
・冬季 12/1〜1/20(発売) 12/20〜1/20(利用期間)
5枚綴り、\11,500(1回あたり\2,300)
つまり、期間中は、日本全国のJRの、快速、普通列車が一日2,300円で乗り放題ということだから、使い方によってはすごいメリットがある。
Morris.はこの青春切符を利用して、今度の冬季か春季に下関から釜関フェリーで韓国に行くプランがあるので、そういう意味でも本書はいい買い物だった。
【岸和田少年愚連隊外伝】中場利一 ★★☆☆ お馴染み岸和田ワルガキのエピソードなのだが、さすがに、もう、食傷気味である。相変わらずはちゃめちゃな喧嘩場面は、痛快で、地元ネタのテンポのいい筋運びはそれなりに楽しませてはくれるものの、こればかりでは先がないんじゃないか、と思ってしまった。
2000/11/14(火)●過去の記事にコメント●
昨夜は風呂にも入らず、久々に焼酎飲んだためか、そのまま畳の上で寝てしまった。
昨日留守録に入ってたファピョンさんに電話したが、仕事が忙しいので後で連絡するといったまま連絡無し。
午後、バスで中央図書館、高架下を歩いて三宮図書館と流して6時前帰宅。
有田のヒロユキ君(和子さんの長男)からメールが来ていた。社長とセッションしたのがすごく嬉しかったみたいだ。
それとボーイスカウト愛知連盟尾張北地区江南第4団所属のHさんという未知の方から、サンボ部屋内の愛藏本コーナーにある「SING
AND SMILE AND PRAY」の記事中の「我はふくろ」の歌詞に関して疑義ある由のメールが来た。もともとイギリスのボーイスカウトソングだったらしい。Hさんのメールの一部を引用する。
「我はふくろ」の詩が作られた背景は日本のボーイスカウト指導者を育成するために開かれた10泊11日の研修(当時、中央実習所と呼ばれていました。これが英詩のGilwellです)で所員(指導する立場にあった方)の一人であった吉川哲雄氏が研修が始まる前日の夜、もうこれで準備万端だという気持ちをこめて歌ったと聞いております。
大正時代のことらしいです(大正11年だと記憶してますが…)。
ですから、歌詞の「ふくろ」は御察しの通り、吉川氏が自分を「ふくろう」に例えており、「つとめ果たし」た喜びを「今宵うれし」く思い、古巣=山中野営場で研修者を心待ちしようというものです。
ただ、一点気になるのは最後の一節が「湖のほとり北小松の森陰に」ではなく「ああ富士のふもと山中の森かげに」というもので現在のボーイスカウト歌集に載っております。
タイトルも「我はふくろ」でなく、「懐かしの森へ」となっています。「我はふくろ」の詩は、現在ボーイスカウト日本連盟の山中野営場に碑として残っております。
これは、きっとHさんの引用されてるのが、正しいんだろうと思う。しかし、それよりも、隨分以前に書いた記事に今ごろになってこんな反応が來るというのが、インターネットの面白さだなと、改めて実感した。
北野の「T2楽屋」が独自のHPを立ち上げたというメール。これまでMorris.部屋内の島田和夫部屋内に毎月楽屋のスケジュールを掲載していたが、今後は直接楽屋のHPを見ればいいことになる。
楽屋のHP
http://www21.freeweb.ne.jp/art/t2gakuya/
【鮮魚師(なまし)】永井義男 ★★☆ タイトル作と「天保糞尿伝」「蛍狩殺人事件」の3編の短編が収められている。中央図書館で立ち読みして面白そうと感じたので借りて来たのだが、3作とも取り上げてるモチーフは良さそうなのにすべて尻すぼみ。下手にミステリ仕立てにしようとして、興を削ぐ結果になってしまっている。小説以前だな。Morris.の選択眼が曇りかけているのか??と、ちょっと不安になった。
2000/11/13(月)●博多ラーメン満足満腹●
朝7時起床。ちょっと宿酔だ。社長は先に起きてもう風呂に行った模様。朝食を食べてから、社長と一緒に桜山に登る。この山は温泉の裏山みたいなもので、標高100mあるなしの低山だが頂上付近は奇形をなしている。頂上近くまで石段があるので、20分くらいで登り切れる。3百段くらいの石段を登ると、武雄の町が一望できる。鳥も多く、空気も澄んでいて実に気持ちがいい。しかし、宿酔のMorris.は頂上の岩場で、とうとうゲロ吐いてしまったよ(^_^;)
9時に宿に戻り、最後の露店風呂浴びて、帰る前に熊さん宅に挨拶に寄る。結局熊さんも駅まで見送りに来ることになる。社長はスーパーまるきょうで、嬉野産の温泉豆腐セットやらあごの干物など買い込む。ホームまで見送りに来た熊さんと3人で記念撮影、ということで近くの女の子にシャッター押してもらう。この子はO園E美ちゃんという佐賀大理工学部の学生で、社長が無理矢理列車内でも同席して、しゃべくる、しゃべくる。でも、ボランティア精神に富んだいい子で、佐賀までやさしく相手してくれた。しかも、途中で名刺渡した直後に「ところでお名前は?」なんていう大ぼけかましたりしてくれた(^o^)
最近ノートパソコン買ったばかりだというので、アドレス教えておいた。見に来てくれたら嬉しいな。
鳥栖で乗り換えて、昼過ぎに博多着。コインロッカーに荷物預けて、地下鉄で天神に出る。本屋でガイドブック立ち読みして、大丸南の「元祖赤のれん
節ちゃんラーメン」に行く。専門店ではなく、他のメニューも多かったが、肝心のラーメンも極細麺、スープはトンコツ+醤油で、Morris.好みの白濁ではなかったが、充分博多ラーメンの特長を具備してて、やっと久しぶりに満足のラーメンを食べることが出来た。もちろん、社長もMorris.も替え玉、Morris.なんか更にもう1回替え玉してしまった(^○^)陽気であいそのいいおばちゃんと店の前で記念写真も。
その後三越の地下食品街で、社長は買い物欲を発揮して、変なおかしやら、一風堂ラーメンやら、チャンポンのスープやら、何やらかにやら買ってた。ちょっと早めに博多駅に戻る。15:39発のひかりRailStaに乗る。この一番前の座席はオフィスシートで、コンセントと大型テーブルが設置されてる。Morris.の席は前から2番目だったので、一番前の席から電源引っ張って、無事帰りの新幹線の中で、ちびくろ思い切り使えることになった。この文章も、そこで打っている。うーーん、これは快適だ。
6時過ぎに新神戸に着き、地下鉄、JR乗り継いで7時前には帰宅した。
2000/11/12(日)●晩秋の感傷旅行●
7時起床。朝食済まして朝風呂軽く浴びる。昨夜は暗くてよく見えなかったが、露天風呂裏の山の佇まいも、昔ボイラー室の壁だったところなど見覚えのあるものばかりだ。社長と裏の広福寺へ。ここはMorris.幼少時の遊び場でもあり、小学生時代は、お盆などに小坊主としてバイト(檀家を回って、習わぬ経をよむ)したこともある思い出の寺だ。参道の坂道は立派な杉並木になってるし、何と拝観料まで取るようになってる。境内はいちおう整備されているが、まあ田舎の寺で、これで金取るほどのことはなかろうと思うくらい。まあ、Morris.は懐かしさいっぱいで、地方にしてはかなり立派な乾湿四天王像など鑑賞。本堂の床下には昔ながらに蟻地獄の擂り鉢状の巣が多数あったのも嬉しかった。
一旦武雄駅で、明日の新幹線の座席予約して、社長の好きなスーパーに寄ってから、熊さん宅に。まもなく和子さん(熊さんの娘)が有田から車で到着。社長の入れたコーヒー飲んで、彼女の車に便乗して有田へ向かう。ギャラリー有田という、陶磁器展示館兼食堂で昼食。Morris.は天婦羅定食、3人は有田名物「ごどうふ定食」。ごどうふというのは粘り気のある胡麻豆腐みたいなもので胡麻味噌生姜だれで食べる。これを社長がいたく気に入り、日持ちしないというのに、わざわざ
近くのスーパーで買い込み氷で冷やしながら持ち帰るほどの熱の入れ様。しかしここの定食はギャラリーという職業柄、ふんだんに食器を使っているので、それを見るだけでも楽しかった。
その後、陶磁器卸売団地へ行く。ここは30軒くらいの陶器問屋が軒を並べていて、焼き物好きにはこたえられない穴場だ。ここを見物してから、和子さん宅に戻りお茶など呼ばれ、旦那と二人の息子と談笑、音楽好きだということで、社長がギター片手にビートルズを歌い、長男がキーボード弾いたりしておおいに盛り上がった(^_^;)
ここ筒井家は以前は窯をやっていたそうで今でも庭に煉瓦造りの煙突が残っていた。
最新のVAIO(デスクトップ)があったので、ちょっとだけ、ぐいぐい酒場覗かせてもらう。
結局旦那の車で武雄まで送ってもらい、熊さん宅経由で、旅館まで送ってもらった。Morris.は熊さんと和子さんから、またまた紅茶カップを貰ってしまった(^_^;)
社長と餃子会館に夕食に行く。昨日すごく美味しそうな豚骨スープの匂いがしてたので一度行っておこうと思ったのだが、散々待たされたあげく、出てきたのは延びたラーメンとまんまるな餃子だった(>_<)
早めに宿にり、一風呂浴び、和子さんにもらった銘酒(「賀茂鶴純金粉入大吟醸」)飲む。うーーーん、美味いっ。あっという間に空になったのでもう一本もらった「古伊万里吟醸」というのも開けたのだが、こちらはいまいち、というより不味い(>_<)
でも結局Morris.はぐずぐずと飲み続け、いつ寝たのかも判然としない。
2000/11/11(土)●武雄行き泊まってみれば我が家跡●
7時半起床。朝ソウルのイパクサから電話。12月7〜10日、テハンノ(大学路)でコンサートあるので見に来ないかとのこと。そりゃ行きたいけどねえ(^_^;)
それと12月に出すクリスマスCD(^○^)にもMorris.やあしやんなど の名前クレジットしておくからねとも言ってた。昨夜の留守電はイパクサだったようだ。
バスで新神戸に行き、9:14発ひかりに乗る。昨日の酔いが残っていたので。1時間ほど眠ってしまった。ちょっと退屈したのでちびくろで遊ぼうと思ったが座席付近にはコンセントがない。グリーン車ならあるんだろうなと思いながら車内を探索した結果、洗面所にあるのを発見。しばらく、そこで床に坐り込んで使ってたのだが、広島でかなり空いたので、一番後ろの席を確保した。ここなら辛うじて席に坐ってもコードが届く。座席を180度回転してアダプタを警戒しながら今も打っている。ノートなんだからコンセントなしで使えるはずが、ちびくろのバッテリーはかなりへたって居るらしく、ワープロでも10分くらいしか持たない(>_<)
新幹線乗るのも久しぶりだったが、山陽新幹線はトンネルだらけで、面白味がない。まもなく小郡に着く。
今回の武雄行きは前から計画していたものではなく、社長が学研の仕事で肥前鹿島での仕事が入り、せっかくだから武雄の熊さんに一目だけでも会いたいと言うので、Morris.がついそれに付き合うことにしたのだ。熊さんは、小中高大を通じて友人である、一木良治の父親である。大正半ば生まれのはずだからもう80はこえているだろう。飄々とした面白い爺さんで、Morris.が学校出てからは息子より、この熊さんとのつきあいの方が親密なくらいだった。奈良や神戸に来た時はMorris.の部屋に泊まり、あちこち観光したりもした。国東半島の石仏回りの旅に行ったこともある。それが、さすがに最近は、遠出することも無くなったので、会う機会のないままになっていたので、社長の仕事をきっかけに泊りがてら遊びに行こうということになったのだった。熊さんの家は1戸建ての平屋だが、10数年前に隣りにもう1件建て増ししてる。将来息子を呼ぶつもりでそうしたのかどうかしらないが、とにかくまるまる1軒空いてるわけで、今回もそこに泊まるつもりでいた。それが昨日の電話では、わざわざ温泉旅館を予約するなどというので、あせったのだが、まあそれは熊さんとこに行ってから相談しよう。
博多駅で下車して地下の「めんきち」という店で博多ラーメン食べる。スープはまずまずだったが、麺がいまいち力がない。その後、快速、鈍行乗り継いで3時前にJR武雄温泉駅に到着。しかしこの駅名にはどうも馴染めない。Morris.が居た頃はすっきり武雄駅だったのに。
ぷらぷら歩いて熊さん宅に。途中の道が改装されててちょっと迷いそうになる。熊さんは思ったより元気そうだったが、タケさん(奥さん)が胆嚢の症状が出て半分寝込んでる状態だった(>_<)
6時前にバスで武雄駅に着いた社長を迎えに行き、いったん一木宅に戻り、熊さんと3人で「椿」という店で夕食。刺し身はなかなか美味しかった。熱燗頼んだら地元の「窓の梅」が出て、これも懐かしかった。温泉街をふらふらしながら、武雄温泉のシンボルとも言える楼門をくぐって、わしらの宿舎「楼門亭」へ。ここは、「鷺の湯」という温泉、サウナ、露天風呂施設と、宿泊施設が一緒になってるものだ。しかし、この付近はMorris.の幼少時のテリトリーなのに、すっかり変わってしまってるなあ、と思いながら、今夜泊まる205号室に入り、窓を開けたら見覚えのある風景。この坂道は広福寺に続く参道だ。あの井戸はMorris.家の洗濯場だった井戸に間違いない。こ、こ、これはMorris.の生家から見た景色とそっくり瓜二つだ。と、いうことは、がぁーーーーん!!!
ここはMorris.の生家の跡地ではないか(@_@)
Morris.の生家は「小桜屋」という温泉旅館だった。けっこう派手にやってたのだが、Morris.が小学校の頃から家業が傾き始め、大学時代に温泉会社に借金のかたに取られてしまった。それでも建物は10年前くらいまではそのまま朽ちるに任せて残っていた。それが今回すっかり様変わりしてて、しかも偶然とは言え、そこに泊まることになろうとは。因果は巡る小車の−−−だね(@_@)
熊さんは、自宅に戻り、社長としばらく武雄の街を徘徊して、JAVRO BARという店に入り軽く飲む。武雄には不似合いなくらい、お洒落な店で、若い子らが、結婚式二次会などしていた。10時前に宿に戻り、露天風呂に入り、ビール飲む。うーーん、天国ぢゃあ(^○^)
2000/11/10(金)●どんぐりHP1周年オフ●
昼に武雄の熊さんに確認の電話入れたら、明日は、どこか温泉旅館を予約しておくので、社長と一緒に泊るようにと言われ、ちょっとうろたえてしまった。おいおい、わしら別に温泉旅行に行く積もりはないのに(@_@)
社長が肥前鹿島で仕事あるというのにかこつけて、熊さんの顔見るだけなのだ。どっちにしろ社長は今夜は博多に一泊して明日の夕方には武雄に行くつもりでいるから、Morris.もそれに間に合うように出かけることにしよう。。
今夜は山形のどんぐりさんのHP開設1周年オフがあるというので7時に待ち合わせ場所、道頓堀のキリンプラザ前に行ったら、どんぐりさん、巻田さん、チャンジャさんの3人しか来てなかった。もうひとり来るはずだが連絡ないので、三つ寺筋の「武橋洞」という店へ。ここはニューカマーの多い店だ。海鮮鍋頼み、あとに春雨入れて食べ終わった頃、河崎さんが遅れて来る。仕事人らしい河崎さんとは初対面だ。韓国での仕事がらみで10数年来行ったり来たりしてるらしい。その他、ソ連に行ったこともありその時の話が面白かった。スユクと蒸し豚追加してしばらく談笑した後、あわただしくノレバンに行き、Morris.は途中で抜けたが、12時過ぎ帰宅。無言の留守電が2つ入ってた。明日の準備(というほどのことはないが)もしてないのでばたばたと整理して風呂から上がったらもう1時過ぎてる。
★お知らせ★
明日から2,3日間、日記など更新できません。ぐいぐい酒場は見たり書いたりすることが出来ると思います。
2000/11/09(木)●ホテル洋式朝食風夕食●
昨夜窓を開けたまま寝てて、寒さに目を覚ました。立冬以来変に暖かかったので、油断してたのだ。このくらいが普通の温度なのだろう。
珍しく気を入れて、俳句の参考書など読んでいた。
アメリカ大統領選の結果は、早くて今夜、下手すると明日以降に摺れ込みそうとのこと。しかし、今回の開票騒ぎで、何度聞いてもよくわからなかった選挙制度が良くわかった。結局あの国は、本多勝一の言うように「合衆国」というより「合州国」なんだろう。各州の独立性を強調するために、あんな変てこな選挙制度にしてるんだろう。今回みたいな事態になると、やっぱりちょっとおかしいことに気付くにちがいない。
午後、灘図書館に行き、甲南チケットで博多までの格安チケット買う。新大阪からでも新神戸からでも同じだそうだ。
夜、稻田さんが来るかもしれないと思って待ってたが、7時半過ぎても来なかったので、お茶請けに買っておいたクロワッサン、ハムサンドなど二人分とプレーンオムレツ、紅茶で、ホテルの洋風朝食風夕食(^_^;)になってしまった。
で、ちょうど食事終えた頃に稻田さんが、尹さんからの手紙と林檎土産にやってきた(^_^;)
尹さんの手紙は1月15日の枇杷木さん結婚祝パーティの写真だった(@_@)
ビスケットと紅茶、それに貰った林檎切って出す。日米野球見てから、ノレバン1号のゴミ掃除してもらう。アレアハングルのミニウインドウが、起動時に出て、うっとうしかったのを消去してもらえたのがありがたかった。稻田さんは11時過ぎに帰る。考えてみると、ここに引越してから稻田さんが来るのは初めてだった。
【俳句 四合目からの出発】阿部[竹冠+肖]人 ★★★☆☆☆
著者の名は「しょうじん」と読む。明治33年生、昭和43年没。本書はその最晩年に上梓されたものだが、15年後に講談社学術文庫に収められ、Morris.が借りてきたのは2000年4月27刷となっているから、結構版を重ねている。
四合目というのは、俳句を富士登山に例え、俳句の「裾野を独りぼそぼそ歩くのをやめ、車を飛ばし、三合目を過ぎ、本日、即刻、いきなり四合目の木っ端天狗の仲間入りを」するために書かれたという謂らしい。
2ヶ月前に突然「ぐいぐい俳句」なんてものを始めたMorris.なので、灘図書館の新着図書の棚にこの本を見付けて、思わず手に取ったのだが、目次を見て驚いた。一般の入門書とは余程違って、著者が命名したユニークな俳句の名が百花繚乱よろしく並んでいたからだ。さすがに「ぐいぐい俳句」というのは無かったが、いかにもMorris.の句に当てはまりそうなのが、ごろごろしていて、これは読まずにはいられなくなった。しかも、これらは全て、初心者の陥りやすい、悪弊の見本帳とある。
文庫ながら500ページという本文の大部分を割いて、これら初心者の句の、ステレオタイプな悪弊を、分類し、実作にあたってそれぞれを批判(罵倒、断罪、叱咤、恫喝)している。Morris.も読書控えでは、結構けなしたり、こき下ろしたりしてるのだが、本書の足元にも及ばない。なにしろ、初心者俳句15万句にあたり、そのあまりにも同じ誤りがあるため、この悪弊を分類して、一網打尽にしてやろうという気概あふれる作なのだった。
初心者の陥る、俳句をざっと総覧しておく。
・真理発見俳句・断定俳句・三段論法俳句・も、に俳句・だから俳句・筋入り俳句・説明俳句・セロファン俳句・世間俳句・慶祝俳句・時事俳句・身辺俳句・水増し俳句・物臭俳句・ためらい俳句・箍なし俳句・ああしてこうしてどうした俳句・季重なり俳句・蛇足俳句・トンチンカン俳句・語感薄弱俳句・挿入文混乱俳句・ブツ切れ俳句・多義俳句・旧ルビ俳句・難読俳句・新造語俳句・漢語俳句・骨董俳句・馬面俳句・古着俳句・馬車馬俳句・泣き面俳句・めそめそ俳句・しょんぼり俳句・孤独俳句・立ちん坊俳句・ちまちま俳句・せんち語俳句・さのさ俳句・口語文語混合俳句・はみ出し俳句・生ま生ま俳句・われ俳句・自己宣伝俳句・ナルシス俳句・親族俳句・師友俳句・君俳句・今ここ俳句・この、かの俳句・うわ言俳句・張り子の虎俳句・分裂症俳句・極限嗜好症俳句・野狐禅俳句・どん底俳句・遠方俳句・限界俳句・自意識過剰俳句・煩悶俳句・サッカリン俳句・虚無俳句・夢遊俳句・思い出俳句・憂愁俳句・春愁俳句・恋愛俳句・幸せ俳句・本性俳句・葬式俳句・詩人気取り俳句・芸術家気取り俳句・カンカン俳句・もたれ込み俳句・結論俳句・ひねくり結論俳句・ひとまとめ結論俳句・もの俳句・ところ俳句・形容詞の結論俳句・自己結論俳句・同感強要俳句・独り解釈俳句・独り合点俳句・ムード誇張俳句・必死俳句・ほかなし俳句・追いつめられ俳句・ばかり俳句・ねばならぬ俳句・得ず俳句・小さき俳句・色彩対照俳句・反対語俳句・相対俳句・相対語俳句・畳語俳句・出刃龜俳句・久米仙俳句・つぶら瞳俳句・無作法俳句・目に手に背に身に耳に俳句・ムード美装俳句・音楽美装俳句・説明俳句・記述俳句・報告通告俳句・弛緩俳句・未整理俳句・言い損ない俳句・ルビ俳句・平浅俳句・感傷俳句・小細工俳句・俗語俳句・外国語俳句・固有名詞俳句・観念語俳句・観念的ひねり俳句・理屈俳句・でっちあげ俳句
著者が俳人としてどの程度の才能の持ち主か知らないが、とにかく、これだけの名前をつけたというだけでも、Morris.は拍手を禁じ得ない。
目次だけではわからない物も幾つかあった。たとえば、「さのさ俳句」、これは、Morris.は小唄みたいな軽い調子のいい俳句かと思ったら、さにあらず。形容詞の語感に「さ」を付けて名詞化したものを使う弊を言うもので「赤さのさ、深さのさ」から「さのさ俳句」となづけたもの。
・たとえば「百合白し」「柿赤し」などは、実は色を示す必要もなくものを直指すれば、読者はその物と共に色を思い浮かべてくれます。−−ところがこの弊を一歩進めると物から色を抽出します。百合の「白さ」のように物から別に色を引き離します。この事は、物自体をじかに視ることでなくて、一種の「企らみ」を潜入させるのです。そして抽出した以上、それを何とかいわねばならぬと騎虎の勢いで、遂にあらぬ方に技巧的に外れて行きます。これが小細工であることを知らず、かえって一種の、深く見た技巧であると勘違いします。この類が非常に多い事であり、しかも一歩深く覚り得た作者は決して用いない技法であります。そこに初心的な大きな類型があります。
ざっとこんな風に、懇切丁寧に解説がなされているので、たしかに分かりやすく、こういった語はなるだけ使うべきでないと納得させられる。
著者の立場は、正岡子規の流れを汲み、写実、凝縮を旨とするもので、現代俳句の正統的実践者らしい。ほとんど門外漢のMorris.にとって、初めて読む入門書ということにもなる。
しかし第一部第一節「川柳とのちがい」において、「洒落、もじり、皮肉、滑稽、世故、人情、世態、風俗」の要素があるものが、川柳であると明記してあったので、意気消沈してしまった。Morris.の「ぐいぐい俳句」の大部分は、これらと関わっていたからだ。
だが、一通り読み終えて、こういう立場は立場として、Morris.は、好き勝手に作ってもかまわないのだと、開き直ることにした(^_^;)たしかに、格式ある、由緒正しい句を作るには、本書のべからず集を遵守すべきかもしれないが、Morris.の目指す「面白い」句には、また違った道筋があると思ったのだ。
・「俳句」の短さは、言葉否定の短さであり、ただの短さではありません。言葉は言う為の道具であるから、言うに従って詳しくなり、効果を挙げますが、それをぷっつりと切る所から否定が始まり、最も短くすることは、最も否定の力を働かせることであります。
これを短歌と比べると、短歌はその短詩型の程度で、言葉を否定していますが、その三十一字の範囲では言葉の存在や性質を肯定しています。俳句の最も嫌う感情露出といいうことは短歌では問題でなく、泣いたり歌ったり、叫んだり嘆いたりすることができます。とりもなおさず「しゃべる」ことができます。喋ることは、言葉の存在を肯定し、それを楽しむからです。
その半分の俳句は、だから短歌の半分位言葉を肯定しているのかというと、そうでなく、絶対に否定します。三十一を零に押し詰め、言葉を全部否定しきってしまいます。そして、そこから出なおして別の方向へ十七字として再出発します。それは言葉を否定し切った立場であって、短歌が、大部分否定しながら三十一字分だけ肯定しているのと、絶対的に異なった立場であります。だから短歌と俳句の間には、飛び移ることが許されない絶対の深淵が厳として存在します。
だからまた、たった十七字ぐらいで、事が足りるのでもあります。
一見して、俳句には高度の緊張が漲り、凝り固まった堅硬さであることは誰でも知っていますが、その緊張、凝縮する力はとりもなおさず、言葉を否定する力そのものであります。否定する力が、俳句の凝縮性となっています。
本書からは、他にもメモしたい部分も多く、著者の厳しくもユーモラスな指弾ぶりも紹介したいのだが、あまりに長くなりそうなので、ここで止める。
出来ない相談ではあるが、ぐいぐい俳句を著者に見てもらい、思いきり罵詈雑言を浴びてみたかったな。やっぱり俳句なんかやる輩はマゾなのだろうか?
2000/11/08(水)●縺れる開票結果●
アメリカの大統領選挙の結果なんかどうでもいいことだけど、今回はものすごい接戦。午前中初っ端から、ゴアがフロリダを制したとの報道のため、ほぼゴアに決定という論調で、日本の民放なんか、すでにゴア大統領と日本との関係云々という話をしてたくらい。10時半に高槻で赤軍の重信房子逮捕のニュースが飛び込んできて、そちらに重点がうつってしまった。それから、ちょっと所用で外出して、午後に帰ってきたら、ブッシュ優勢なんていってる。何でもフロリダのゴア当確がキャンセルになってる。その後も接戦が続き、とうとうフロリダはブッシュが勝ったとの報道で、ブッシュに当確。うーーーむ、これだけ決定に時間がかかるの珍しいなと、思ってたら、フロリダの票差があまりに僅少なので、票の読み直しすることになったので、結果は明日以降に持ち越すことになるらしい(@_@)
夜、武雄の熊さんに電話して週末の都合確認。土曜日から月曜にかけてやっかいになることにした。社長は金曜夜に松本から博多まで行き一泊して翌日鹿島で仕事だから、Morris.は往路はひとりで武雄に向い、夕方に落ち合い、二人で熊さんちに、2泊させてもらい、月曜日に一緒に神戸に戻るということになりそうだ。
昼間六甲道駅前でポケットティッシュ配ってた。サラ金のCMだろうと思ったら、50円割引券付きのFamilyMartだった。コンビニがティッシュ配るのはあまり見とことがない。先月、1軒おいてとなりにセブンイレブンが開店したので、危機感をもってのことだろう。セブンは24時間キャッシングを視野に入れての開店だろうが、コンビニもますます生き残りをかけての熾烈な競争が激化しそうだ。
やっと、今日、おでんすべて食べ終わった。5日間ずっと食ってたことになる。さすがにしばらく蒟蒻なしでも生きられそうだ(^_^;)。良く味が出てるので出しは漉して冷凍することにした。
福井君が写真送ってきたので、フクイーズ日記ページに貼り付けておく。
2000/11/07(火)●DRIVE:F(>_<)●
今日は立冬というのに、えらく暖かい。関西では立冬としては記録的な最高温度を記録したらしい。
図書館で借りてきた「バックアップがわかるとWindowsの再インストールに強くなる」という本を読んでて、改めてバックアップの重要性に気付いて、ノレバン1号の不要ファイル削除したり、レジストリーや辞書ファイルをPDにバックアップしたりした。中頃に起動ディスク作成の章があり、そう言えばそんなものがあったよな、ここはひとつ作っておこうと。前に作ったフロッピー引っ張り出して来たら、日付は98年11月となっていた(^_^;)。実に2年間ほったらかしてたことになる。で、ひさしぶりにフロッピー入れて作成しようとしたら「D:\Windows
CDROMの起動ファイルが見つかりません」の警告が出る。あれれCDROMがちびくろの方の奴なのかと思い、散々探し回ったが、無い(>_<)数時間後に、ふっと思い出した。ノレバン1号のCDROMドライブ壊れたとき、PD兼用のものに付け替えたのだが、その時EドライブがPDになり、CDROMはFドライブになってたのだ。と、いうことでCDROMドライブの指定をFドライブに変えて作業したらあっけなく起動ディスク作成できた。PC音痴を自称してるMorris.だが、以前には出来てた事さえ忘れてしまってる。ノレバン1号よりMorris.自身のリニューアルが先かもしれない。
夜は冷やし讚岐うどん、今日は長芋摺ってやまかけにして食べる。
福井君から10月のライブレポート届いたので、フクイーズ日記部屋に更新。(写真は
後日)
北野「T2楽屋」のスケジュールを、楽屋部屋に更新。
【ゼロ発進】赤瀬川原平 ★★ 2000年1月から5月まで読売新聞に連載した日録風コラムである。しかも彼の普通のエッセイ、コラムと比較しても非常に雑で、内容も劣る。毎日書いてやりとりしたというのなら、まだしも、リアルタイムの生々しさが出たかもしれないが、1週間分くらいをまとめて書いているものだから、同一日の出来事が数回にわたっていたり、野球見に行った記録や、贈物の開陳、読者からの反応への感想、自著の宣伝と記念会、講演の報告、勝ってる老犬や、拾ってきた野良猫観察録等など、書かでものことばかりで、なんで全国紙がこんなものを、それも看板を偽ってまで「新聞小説」として連載するのだろうか? 小説というのは著者が本文中でも強弁しているが、こんなもの、小説と呼べないとMorris.は断定しておく。まあ、Morris.は新聞小説なんて読んだこと無いが、老人力や、路上観察会、ライカ同盟などで、顔と名前が売れてる著者へ、新聞社の方が阿ったのかもしれないな。個人的には嫌いな人ではないし、読んで感心した著作もあるだけに、こういった手抜きのものを出されると、裏切られたような気になる。
2000/11/06(月)●Art Tatum にどっぷり●
昨夜珍しく酒を飲まなかったせいか、夜中に2度も目を覚ましてしまった(^_^;)
今日は矢谷、西根君と岸和田の現場。ガンバに出るのはえらく久しぶりのような気がする。昼食は「神坐(かみくら)」のラーメンセット。ここのは白菜が入ってるので天理系のようだが、スープは薄色で醤油トンコツだろう。以前同チェーン店で大盛り頼んでえらい目にあった(めちゃ多い、高い)ことがある。麺もやや細目でスープもまずまずなのだが、Morris.の好みとは違う。
昨日ソウルの杉山さんに教えてもらった、インターネット俳句会部屋にいって、掲示板にはじめましての挨拶書いたら、さっそく未知の方から、Morris.のぐいぐい俳壇を読んだと言うメールが来て、感想と好きな句を5句選んでくれてた。これは嬉しかったのだが、後で同じ部屋の匿名、批評掲示板を見たら、不真面目な句は、排除などという意見が目についた。ぐいぐい俳句とは、別の世界だったようだ。あわてて投稿などしなくてよかった、と思ったら、杉山さんが掲示板のMorris.へのレス発言で、ぐい句を一句紹介されていた(^○^)
抗議のメールでも来るかと思ったが、今のところ何も反応はない。
今週のSTARdigio、431ch「レア音源〜幻の名曲11」は、あまりにお粗末でタイトル写す気にもならないくらいだが、442chではMorris.の一番好きなJazz
Pianist、Art Tatumの特集があるぞ(^○^)それも2時間ぶっ続けだ。MD購入しておいて良かった(^○^)実は今もエアチェックしながら聴いてる。かなり古い音源で、ノイズもあるしモノラルだが、彼のテクニックと早弾きは、録音した後でテンポを上げてるとしか思えないくらい凄い。Morris.が彼のPianoを知ったのは、古いことではない。去年ソウルの三宅さん宅に泊めて貰ったとき、彼の復刻版を聴かせてもらってしびれてしまったのだった。
【雨のことば辞典】倉島厚編集 ★★★★ 先に日記でも紹介した雨のことばの辞典。予想通りなかなか楽しめるものだった。200pの小型のものなので、約千語くらいの語彙だと思う。雨の呼称だけでなく、雨に関する事象や、気象学てき情報、方言など幅広く収められているし、コラムや、ことわざ集などもあって、作った側も、楽しんだんだろうなと思わせる。おしまいに本書の中から、季節ごとに降る雨の語彙だけを索引風にまとめてあったので、写しておく。圧倒的に夏の語彙が多いのは、梅雨を含む季節であることと、その派生語が多いことが理由だろう。
○春の雨
・雨一番・育花雨・梅若の涙雨・お糞流し・華雨・蛙目隠・寒明の雨・甘雨・寒食の雨・木の芽おこし・木の芽流し・木の芽萌やし・杏花雨・草の雨・紅の雨・軽雨・啓蟄の雨・迎梅雨・紅雨・膏雨・高野の御糞流し・膏霖(こうりん)・穀雨・木の芽雨・催花雨・桜雨・桜ながし・社翁の雨・春雨・春霖・洗街雨・洗厨雨・暖雨・菜種梅雨・発火雨・花時雨・花時の雨・花の雨・春時雨・春驟雨・春雨・春の雨・春の長雨・春霙・春夕立・万糸雨・万物生(ばんぶつしょう)・びーじぅんあみん・彼岸時化・藤の雨・芽木の雨・柳の雨・山蒸(やまうむし)・愉英雨・雪解雨・雪消しの雨・愉莢雨(ゆきょうの)・養花の雨・よーず・沃霖・立春の雨・犂把雨(りはう)・リラの雨
○夏の雨
・青時雨・青葉雨・浅間立・紫陽花の雨・汗疹枯らし・イジュの花洗いの雨・いせむらだち・一陣の雨・一発雨・雨濯(うたく)・卯の花腐し・梅時雨・梅の雨・梅のつぶやき・うれあめ・温気・秧針(おうしん)の雨・大拔(おおぬけ)・沖早立(おきさきだち)・脅し雨・御雷樣雨(おらいさんあめ)・夏雨・過雲雨・隔轍雨(かくてつう)・かだち・かたばたあみ・神立・干天の慈雨・喜雨・きたあらし・狐雨・狐の嫁入り・急雨・牛脊雨・錦雨・銀箭・銀竹・くかるあまーみ・薬降る・栗の花霖雨・夏至の雨・黄梅の雨・梧桐雨・さずい・五月雨・さみだれ・ざらく・山賊雨・三把稲・駛雨・慈雨・繁雨・驟雨・暑雨・しょーぶながし・新雨・瞋怒雨・翠雨・すーまんぼーすー・青雨・早雨・叢雨・曾我の雨・神笠雨・日照雨(そばえ)・大宗雨・大雷雨・田植雨・田植さずい・たがらーめ・濯枝雨・筍梅雨・筍流し・蓼科立・蓼の雨・端的雨・湛轤耳雨・栗花落(ついり)・梅雨(−明け、−入り、−兆す、−豪雨,−籠り,−寒,−しとど,−出水,−めく、青−,暴れ−,荒−,えぞ−,送り−,男−,女−,返り−,空−,黄−,残り−,走り−,迎え−,戻り−,)・電雨・所降・土用雨・土用時化・虎が雨・流し・中降り・夏ぐれ・夏雨・夏時雨・夏の雨・入梅・猫毛雨・梅雨(−前線豪雨,陰性−,迎−,送−,陽性−)黴雨・梅夏・梅子雨・梅霖・はえ・白雨・麦雨・初夕立・婆威し・速雨・晩夏の雨・半夏雨・半夏水・氷雨・肘笠雨・一雲荒れ・蕗の雨・分竜の雨・埃おさえの雨・盆ながせ・磨刀雨・短夜の雨・水取雨・三束雨・村雨・瞑怒雨・もぎくらい・もらったあみ・夕立・白雨・ゆだち・ゆどぅん・余花の雨・よだち・雷雨・涼雨・緑雨・わいた・若葉雨・私雨
○秋の雨
・あきあめ・秋微雨(あきこさめ)・秋さずい・秋雨・秋時雨・秋湿り・秋驟雨・秋黴雨(あきついり)・秋の雨・秋の地雨・秋の村雨・秋霖雨・通草(あけび)腐らし・雨冷え・伊勢清めの雨・姥(うば)威し・御山洗・霧雨・霧時雨・黄雀雨・催禾雨・酒涙雨・秋雨・重箱日和・秋霖・蕭雨・じり・凄雨・洗車雨・洗鉢雨・台風・たかぬあみ・たかぬしーばい・たかわたり・ただれ・七夕雨・七夕流し・ちあめ・豆花の雨・九月の時雨・なごの小便・鍋割・西上・ねこけんあめ・後の村雨・白驟雨・澎雨・盆の雨・霧雨・薬雨・冷雨
○冬の雨
・あがりにしき・あげ・雨雪・うとぅなぶしぬあみ・雨氷・浦西・液雨・御降り(おさがり・新年)・鬼洗い・解霜雨・かえ・風花・寒雨・寒九の雨・十月(かんなづき)時雨・寒の雨・北しぶき・北降り・山茶花ちらし・山茶花梅雨・定めなき雨・四温の雨・時雨(−明かり,−癖,−月,−の雨,朝−,磯−,掻−,片−,北−,北山−,山茶花−,小夜−,月−,初−,冬−,ほろ−,村−,めぐる−,山−,夜来の−,夕−,雪−,横−,夜のー)・しまき・凍倒(しみだおれ)・霜流し・白雨・大根摺・冬雨・凍雨・冬至雨・時の雨・富下り・富正月・年末梅雨・運雨・氷雨・一切雨・氷の雨・ほかげ雨・水雪・霙・山廻り・夕霙・雪雨・雪下(ゆきおろし)・雪雑り・夜の霙・屡雨
もちろん、本文の説明も簡略ではあるが、多方面にわたり、いろいろなことがわかって面白い。
・「氷雨(ひさめ)」本来は夏の季語で雹や霰を表す。平成元年2月の「大喪の礼」の折には、朝早くから細く冷たい雨が降り続けたがその日の新聞は「氷雨の朝、昭和葬送」と見出しをつけて報じていた、さらに「外は冬の雨、まだやまぬ---」と歌われる歌謡曲「氷雨」のヒットで冬の雨としての市民権を獲得した。
・「雨中吟」考え過ぎの歌を例に和歌を詠む場合の戒めを教えた藤原定家著と伝えられる歌学書の題名で、転じて徘徊などで生硬で難解な句を指すようになった。
・「洗車雨」陰暦7月6日に降る雨。七夕の前日牽牛が念に一度の逢瀬に使う牛舎を洗う水が、雨となって降ると言い伝えられている。7月7日、七夕の当日に降る雨とする説もある。
・「雨降り花」花を摘むと雨が降るという伝承のある花。雨降り花と呼ばれている草花は「日本植物方言集」によると、一輪草、狐の牡丹、擬宝珠、苔竜胆、白詰草、昼顔、蛍袋である。
2000/11/05(日)●Morris.部屋開設2周年●
昨夜はみんなが帰り、まいまいさんが寝ているので、零時過ぎから本格的に飲み出したてちょっと夜更かししてしまった。
8時ごろ一旦目を覚ましたが宿酔で、もう目を覚ましていたまいまいさんに挨拶もせずまた寝込んでしまい、次に起きたらまいまいさんは帰っていた。
水を飲んで、風呂に入り、やっと人心地ついてから、昨日の残りのおでんの残りを食べる。
ちょっとカラーで印刷しようとしたら、何と「ブラックインクが切れてます」の表示。補充インク入れたばかりだけど、この前日記で150枚ほど刷ったからかなあ」と思い、もう一本の補充インク入れたがやっぱり同じ表示が出る。これはやっぱり純正でない(補充インクで指示されている適合機種ですらなかった)のを使ったためだろうか??
夕方灘図書館に行き、帰って夜もまたおでんだ(^_^;)
このMorris.部屋を立ち上げたのが1998年の11月5日。つまり今日はMorris.部屋開設2周年記念日に当る。多分に意図的に自分の誕生日にシンクロさせたので、Morris.も今日でまた一つ年を取ったことにもなる。
今日ぐらいは、酒を抜いてのんびり過ごすとしよう。ほんとは今朝まで飲んでたのだから、酒抜きにはならないんだけどね。
【倚りかからず】茨木のり子 ★★★☆ 99年に出た彼女の第八詩集である。光晴や獏さんの縁で彼女の詩も読み始めたのだが、Morris.が韓国語に興味持ち始めた頃に出た「ハングルへの旅」で、一気に親しみを覚えた。詩は寡作な方だが、女性的感性にあふれ、そのくせ骨太で、芯の通った語り口には好感を覚えていた。最近はあまり見ないなと思ってたら、難病(バセドウ氏病)を患っているらしいことを、本書に収められた一篇の詩で知らされた。快復を祈りたい。
苦しみの日々 哀しみの日々 茨木のり子
苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれども
さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと
少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 石榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)
苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである
受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから
2000/11/04(土)●おでん大会●
今日はおでん大会だった。3時前に、かねてつのPONちゃんが自社製品をダンボール箱で持って来てくれた。これはすごい。出しは昨日のうちに準備してあるので、後は材料入れるだけ。しかしこんな練り物の具の多いおでんは初めてだ(@_@)
4時ごろ、こうべまいまいさん、巻田さん、伊藤君が来たところでおでん始める。うまいうまい。その後PONちゃんの友達の京都の入江さんが来た。おでんの他に今日は讃岐うどんを出す。これは以前巻田さんが来たとき、麺が古くて不味いのを出してしまったので、名誉回復という意味合いもあったのだが、何とか水準以上の出来だった。6時過ぎに香介来る。その後社長がタコ持って来る。97年のイパクサのビデオや、春待ちファミリーBANDのビデオなど見て、飲み、だべる。8時に社長帰り、入れ違いにえっちゃん来る。一日早めの誕生祝。なんと柏原芳恵の豪華写真集だった(@_@)しっかり熟女になってて、しかも悩殺ポーズの連続。一頃噂になったヘアヌード写真ではなかったので、ほっとするような、残念なような(^_^;)
でも嬉しい。えっちゃんは3日前にPC(ヴァリュースター)買ったそうだ。巻田さんもヴァイオノート買ったと言ってたし、Morris.はどんどん取り残されていくばかり(;_;)
こうべまいまいさんが酔って畳で寝てしまい、転がってちびくろの上に乗っかかりそうになったので慌てて避難させる。その後伊藤君が板の間で爆睡。10時半頃、PONちゃん、入江さんが帰り、香介、えっちゃんと四方山話。
12時前、やっと目をさました伊藤君と香介、えっちゃんも帰り、こうべまいまいさんは、0:30現在、まだ寝ている。
2000/11/03(金)●今日は特異日●
朝早く伊藤君は帰って行ったようだ。
夜中に飲んだ焼酎が効いたみたいで、頭が痛い。昼まで寝ていた。昨日の麻婆豆腐の残りを麻婆丼にして食べる。
PONちゃんがあす練り物(PONちゃんは某カネテツ勤務)持ってくるのでおでん大会しようと言ってたことを思い出して、買い出しに出かけ、午後はおでんの下ごしらえ。出しは、昆布、鶏ガラ、牛スジ、アキレスでとり、ゆで卵、大根、蒟蒻を下茹でしてから煮込む。これで後は明日練り物と野菜関係をほうり込めば、出き上がり。
これやりながら、今年の日記を一通りプリントアウトしてみた。インクジェットプリンタの調子見る意味もあったのだが、10月まででA4用紙で140枚超えてる(>_<)
少な目に1ページ2時間と見積もってざっと300時間以上はこの日記に時間とってることになる。ぐいぐい酒場やよその掲示板への書き込み、メールまで入れるとその倍以上、下手すると年間1,000時間くらいネット関連に時間を消費していることになる。単純計算でまるまる40日分だ(^_^;)
今まで一度も行ったことのない、四天王寺ワッソを見に行こうかと思っていたのだが、宿酔と下ごしらえのため、あきらめてTVの中継を、これも初めて見る。浜村淳や黒田福美などがコメンテーターしてたせいもあるのだろうが、見に行かなくて、良かったと思ってしまった。黒田福美は前から思ってたが、周りが韓国通と持ち上げたり、自著のタイトルが「ソウルの達人」なんて付けてるわりに、韓国語はうまくないぞ。インタビューでも、相手の話に「イエー、エー、ネー、ネー」と相槌うってるばかりだ。この催しも今年で11回目になるそうだが、一度も雨が降ってないと、自慢してたが、昔から11月3日は、晴天が統計上高い確率で現われる「特異日」なのだった。
この前NHKの中村の中継見て、条件反射的に注文した、ふじめん(藤井製麺)の讃岐生うどん庖丁切り」が届いたので、明日は「おでん+うどん大会」と言うことにしよう。
夜、久しぶりに社長がやってきた。学研の仕事で青森まで行って帰って来たばかりだとのこと。ちょっと疲れているようだ。来週は木曜日に松本へ行き、そのまま九州は佐賀県の鹿島で仕事とか。鹿島とMorris.の生地武雄温泉とは目と鼻の先なので、一緒に行かないかと誘われたが、どうしよう。Morris.は別に武雄に帰りたくもないのだが、一木の父の、熊さんには久しぶりに会いたい気もする。問題は交通費で、新幹線使うとソウル行くのと同じくらい掛かってしまう。やはりソウルで金落としたのは後々にひびくなあ(>_<)
2000/11/02(木)●麻婆豆腐宴会●
また雨で部屋でぼーっとしてたらY2KファンのPONちゃんから電話で、遊びに来るというので、麻婆豆腐、金平牛蒡など作り、伊藤君も呼んでこじんまりと宴会。PONちゃん土産の鹿児島の米焼酎「欧羅火」を飲む。商標は1546年山川港にやって来たポルトガル人所ルジェ・アルバレスの「日本報告」の記録中にある米焼酎「orraqua」から命名したそうな。最近の高級志向の焼酎の名前って「百年の孤独」とか「野兎の走り」とか変に凝ったのが多い。
11時ごろPONちゃん帰り、伊藤君は12時ごろ起き出してしばらく最近の春待ちファミリーBANDのビデオ見ながらまた飲む。
【エンガッツィオ指令塔】筒井康隆 ★★☆
もう筒井は読まないでおこうと思ったのに、この短編集を借りてしまったのは、冒頭のタイトル作品の主人公が森崎という名だったから(^_^;)
この森崎は学生で、婚約者に指輪買うために、複数の新薬被験者になり、その副作用で、食事の席の婚約者一家を縛りあげ、糞尿食らうわ、陵辱するわのハチャメチャぶり、スカトロ好みならともかく、Morris.には初期のドタバタ物より面白いとは思えなかった。その他北朝鮮をパロディにしたのも、諷刺が利いてないし、雑なところばかりが目につくし、インターネットで公開していたという、七福神の短章シリーズは、一人よがりだし、歌舞伎もどきのファルスにいたっては習作の域を出ない。断筆宣言以後最初の作品集というが、この程度のものを出すのなら断筆したままの方が良かったのでは、と、前にも書いたが、重ねてそう思う。
おしまいに付けたしの、断筆解禁宣言というのも言い訳にして歯切れ悪い。ただ一つ、サンボ問題を例に引いた発言部分だけは、共感覚えること大であった。★の一つはこの部分の点数だ。
「当事者でもない、単なる支援団体や第三者の抗議は相手にしないということです。黒人でもないのに家族三人で勝手に作った「黒人差別を守る会」などの団体のことです。こんな者の抗議によって「ちびくろサンボ」が絶版になってる。第三者のおたく的な自己満足、歪んだ正義感の犧牲で文学作品が次つぎと消えていくわけで、こういう傾向はなんとかそししなきゃいけませんよ」
ところで「黒人差別を守る会」って、本当にこの名前で合ってるのかなあ?? 差別を守るって????
2000/11/01(水)●ぐいぐい俳句部屋立ち上げ(^○^)●
今日も雨だ。最近雨が多い。というわけでもないが図書館で「雨のことば辞典」というのを見付けて借りてきたので、読み始めたら面白いこと。これは後日読書控えで書くことにしよう。
10月に捻ったぐいぐい俳句を1ページにまとめたら、92句あった。23回投稿??した計算になる。9月から突然始めたぐぐい俳句だが、面白いので(Morris.が)しばらく続けるつもりだ。本来ならこのての創作関連はサンボ部屋に組み込むのだが、これは掲示板絡みなので、独立した部屋として立ち上げることにした。まもなくMorris.部屋も2周年を迎えるからその記念ということにしておく。部屋名は「ぐいぐい俳壇」(^○^)掲示板見てる方は、すでに読んだ句ばかりだが、いくらかの手直しと、注記も付けてるので一度覗いてください。
午前中は小降りだったのが、午後からは大雨になった。台風の影響らしく、明日まで降るらしい。
韓国SONYのイヒョクさん(イパクサのマネージャー)から電話。手帳無くしたことを心配してくれたのと、12月のパクサのコンサートには来ないのかという、内容。行きたいのはやまやまだけど、ちょっと無理かな(^_^;)
武雄の熊さんに、日記をプリントアウトして郵送する。これは毎月校正を兼ねてやってることだ。
【完本 文語文】山本夏彦 ★★★☆☆ 著者の一番新しい本だが内容は、これまでの著作の中から文章に関するものを集めたもの。全体の1/3を占める「明治の語彙」は、前に読んだときにも感服したが、あらためて味読するに足る。特に齊藤緑雨に触れた文に触発されて、しばらく愛蔵の「縮刷
緑雨全集」を拾い読みした。
前にも書いたが、Morris.は著者の信奉者ではないが、彼の文章を読む度に感心してしまう。論旨には必ずしも賛成できない部分も多いのだが、ついつい手にとってしまう。つまり「たらし」であり「てだれ」なんだろう。
以後詩は難解になった。読者が詩に思想またそれに似た何物かを求めるからである。現代詩にそれはないと詩人杉山平一は言う。詩は語呂合わせになった。判じものになった、なぞなぞになった、表記をしゃれる遊びになった云々。ただしそれに参加する読者は稀である。
凡百の詩歌はもと言葉の遊戯だった、たしなみだった。枕詞やかけ言葉の約束さえ心得れば分らぬということはなかった。それを滅ぼしたのは正岡子規である。
いま現代詩の約束を読者は知ろうとしない。詩の時代はついに去ったのである。
今は本が出すぎる。新しい本は古い本を読むのを邪魔するために出るという。
各人にオリジナリテがあるという考え方と、ないという考え方があって、私はないと思っている。もしあるとすればまねしているうちに自然にあらわれるものだと思っている。個性なんてちやほやされて出てくるものではない。
西洋人というものはくどいなあと兆民は言いたかったのだろうと私は察した。文は削りに削って危うく分らなくなる寸前でとどまるをよしとする。それを転瞬のうちに理解する読み手の快いくばくなるを知らない。
旧幕のころの遣米使節一行が皆々敬意を表しられたのは四書五経のバックボーンがあったからである。彼らは折にふれ歌を詠み詩を腑している。芸術ではない、たしなみである。言うまでもない最も学ばなければならないのは国語なのである。シオランという当代の碩学の言葉を繰返してあげたい。(出口裕弘訳紀伊國屋書店刊)
−−私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何ものでもない。
手短にいう。あらゆる思想は出尽したと絶望して人類は方向を転じたのである。産業革命である。蒸気機関は残せる。直ちに鉄道、汽船に応用できる。昭和初年特急は東海道を十六時間で走ったとせよ。今は四時間、三時間で走る。飛行機ならさらに早く飛ぶ。
人は何がしたいのか。時間と空間を「無」にしたいのだ。汽車が出来なければ電話がある。電話は時間と空間を征伐した。産業革命にもはじめは時間があった。八時間半を三時間半にするには十なん年もかかった。もう時間はない、いよいよない。
私は文語に返れと言いたいのではない。そんなことは出来やしない。ただ文語にあって口語にない「美」は何々ぞと、なおしばらくさがしたいのである。それは口語の美をすこし増しはしないのかとわずかに想うからである。
語彙の背後には千年の伝統がある。私は文語文に返れと言っているのではない。今さら返れもしない。早くすでに核家族である。私たちは風流という言葉を口にしなくなって久しい。古人はその短をすて長をとれと言っている。歌枕だとてとるべきところはあるであろう。