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Morris.日乘2012年12月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語

死地致死始終苦

【2012年】 11月 10月 9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月 1月
【2011年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月

2012/12/31(月)●おおみそか●

9時起床。
今朝の血圧は201/99/88。
朝の3点セット。
今日は良い天気である。
でも、やっぱりこたつでごろごろぢゃ(^_^;)
2012年の読書控えページ造り。まあ、これはMorris.日乘に時々書いてる読書メモをコピペするだけなのだが、冒頭の一覧表と記事をページ内リンクするのにえらく手間がかかるのだ。きっと、もっと簡単に出来る方法があるのだと思うのだが、とりあえずしこしこやるしかない。
夕方自転車でナフコに行って、掛ふとんカバー買う。今日の外出はこれだけ。
屋上に上がって今年最後のTwin煙突を望む。しかし、煙突方面に建物が工事中で、これが完成すると屋上から煙突がかなり見にくくなりそうだ(>_<)
夜は7時からの紅白見ながらこたつで年越しそば。
恒例の春待ち六甲八幡神社初詣ライブが今年は中止なので、しっかりいいちこお湯割り飲んで、結局途中で酔いつぶれて寝てしまったらしい。
いかにもMorris.らしい年越しになったというべきだろう。
今日の歩数944歩。


今年最後のTwin煙突 

螺旋階段方面 

年越しそば

【月がとっても青いから】久世光彦 ★★★☆☆「マイ・ラスト・ソング」シリーズの3冊目である。Morris.はこのての本は好きなので、たぶん本書が出たころ(2001年)読んだと思う。このシリーズは5冊出ている。

その心情は詠嘆でなく叫びである。それも、投げやりを通り越して自暴自棄に近い。誰でもが、しみじみ飲む酒にするところを、星野哲郎の酒はヤケ酒なのだ。こんなアナーキーな三番を書いた作詞家は、いままで一人もいない。そして極め付けが「箸を持つ手が重くなる」という最期の一行である。こんなリアルでアナーキーな感覚を、歌謡曲の世界に持ち込んだ星野哲郎という人を、私は怖くなってしまうのだ。これは名作小説の、選びに選び抜かれた最後の一行である。悲しいでもないし、無力感に襲われたでもない。明日が見えないでもなく、死にたいでもない。「箸を持つ手が重くなる」のである。女なんて、恋なんて--そして人生なんて、二本の箸ほどのものである。昨日まで器用に扱ってきたつもりのその箸が、なぜにどうして、こんなに重いのだろう。「女の宿」は、たった二本の割り箸を取り落とすか、持ち直すかの瀬戸際の歌なのだ。たかが--と軽く見くびっていたものに痛烈にしっぺ返しをされた、驚きの歌なのだ。それが星野哲郎の、無惨の青春だったのだろう。私はこの歌を、奇跡のように一粒だけ彼の胸から零れ落ちた、二度と還ることのない青春の歌だと思っている。(「おんなの宿」)

私は、いつまで「マイ・ラスト・ソング」を書きつづけるのだろう。人が文章を書いたり、絵を描いたり、あるいは歌を歌ったりするテーマが、いつも、「歳月」であるならば、「マイ・ラスト・ソング」は、その歳月の終わりである。いろんなことがあり過ぎた人生を、苦しい息の下で一つに括ろうとしたって、理屈は面倒だし、整理しようにも、体力も気力もないから疲れてしまう。やはり歌あたりがいちばん手ごろである。その一曲を選び、そのメロディを想いながら目を閉じれば--そのとき人は、誰もが誇り高くいられるのではなかろうか。--歌は私たちの、最後の矜持である。(歳月)


久世はTVドラマの演出で名を売ったが、50になって文筆業に転身した。きっかけは女性問題だったらしいが、結果としては良かったのかもしれない。と、言いながらMorris.は彼の小説はほとんど読んでいない。エッセイやコラムめいたもの、そしていちばん好きなのがこのラストソングシリーズである。
これだけ歌詞についての薀蓄を傾けるのなら、自分でも作詞してるのではないかと勘ぐって、調べたら、何と香西かおりの「無言坂」がそうだった。市川睦月という別名使ってたので気づかずにいたらしい。これは伊集院静が伊達歩名義で「ギンギラギンにさりげなく」の作詞をしたというのに似ている。
久世は2006年70歳で世を去っている。この葬儀で弔辞を読んだのが小林亜星と伊集院静だったらしい。

あの町も この町も 雨模様
どこへ行く はぐれ犬 ひとり
慰めも 言い訳も いらないわ
答えなら すぐにでも 出せる
こんな つらい恋
口を閉ざして 貝になる
許したい 許せない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂

帰りたい 帰れない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂
ここは無言坂 (「無言坂」)

2012/12/30(日)●キ・ン・ピ・ラ●

8時半起床。
今朝の血圧は199/99/88。
おお、今日は日曜日だ。ということであせってちびくろ2号でSBS「挑戦千曲」。ほとんど知らない出演者ばかりだったが、とりあえずMorris.はユンジョンちゃんの笑顔見られればそれでいい。今回は子供はハンミヌというのが一人だけ出場だったが、どうやらPSYの江南スタイルのビデオの一番初めに出てくる悪ガキのようだ。7歳くらいだが、これがなかなか芸達者である。以前に2、3回見たミンファというこれまた芸達者の女の子と良い勝負だな、と思ったら、二人が共演してるビデオが流れた。結構売れてるらしい。
昼のKBSノレチャランは年末総決戦の2時間特番。司会のソンヘさんもタキシードで登場。まあMorris.は普段のノレチャランの方が好きなんだけど。ただ番組の途中で今年のエピソードがあって、それでキム楽団長が今年亡くなったことを知った。一昨年くらいから、どうも元気が無いと思ってたら、いつのまにか、若いのが楽団長になってしまってた。
6月のピョンチャン(平昌)ノレチャランの時ソンヘさんにキム団長どないしてるか、と訊ねたら、何となく曖昧な返事だった。かなり体調が悪かったのだろう。キーボードもアコーディオンも名人クラスで、1999年末の大阪ノレチャランでは、Morris.が、突然歌うことになった「ソウルテジョンテグプサン」のバンド用の譜面をソラでチャッチャと書いてくれたことが思い出される。ソンヘさんもこの話をした後、しばらく涙ぐんでた。Morris.もキム楽団長はすごく好きだったので衝撃だった。合掌
ノレチャランにも何と先の悪ガキハンミヌが登場。うーーん、これはかなりの売れっ子ぶりであるな。
今日は朝から雨、それも本降りだったので、やっぱりまたまたこたつでごろごろ(>_<)
雨が小止みになったので、歩いて水道筋でちょこっと買い物。
しかし、こんな雨続きの年末はちょっと珍しい。
昨日作った金平牛蒡をもう一度炒めなおす。実は昨日作って、おでん宴会に持って行こうと思ってたのだが、どうも出来がいまいちなので、持っていくのはパスしたのだが、今日食べたらめちゃくちゃ美味い(^_^;) やっぱりこういったものは、一日二日置かねばならないということを再認識した。今も食べながらこれを打ってるのだが、いやあ、これはMorris.のキンピラの中ではベストかもしれない。
夜はレコード大賞番組をBGVモードで流してた。ほとんど日本歌謡界とは縁遠くなったMorris.だが、別に日本の歌を毛嫌いしてるわけではない。ただ、いわゆるJ-POP系はまるで駄目だし、演歌、歌謡曲でもあまり好きな歌手が見当たらない。桂銀淑やちあきなおみそしてやっぱり美空ひばりみたいな歌手がいないのだ。
大賞は去年に続いてAKB48(>_<) 作詞賞も秋本某(>_<) 
今日の歩数は1044歩。


 

 

 
2012/12/29(土)●おでん忘年会●

10時起床。
今朝の血圧は168/89/78。
ちょっとだけ宿酔(^_^;)
結局こたつでごろごろ(^_^;)
You Tube見たり、お馴染みのサイト巡回。
ねこやしきさん宅の猫食事まるこめさんの「猫の手も借りたい」写真掲示板に、ねこやしきさんという方が投稿した写真→
何と一回分の猫の食事支度とのこと(@_@) ハンドルの通りねこやしきさん宅には現在40匹の猫が飼われているとか。いちばん多い時は65匹いたと書いてあった。Morris.が時々猫を複数飼ってる家見つけては猫屋敷と呼んだりしてたが、こちらはまさにほんまものであるな。
夕方から水道橋で、おでんのネタなど買い出しに出る。今夜、下の古本屋オザワさんと、いっしょにおでんでも食べようと話したら、先日の二人も来ることになったので、ちょっとネタを追加しとこうと思ったのだ。
オザワさん一人ならMorris.の部屋でと思ったが、4人となると無理なので、結局オザワさんの部屋に鍋とカセットコンロごと持ち込みである。
今日はぶんちゃんはえらくおとなしかった。ストーブの前でおなかを上にしてまるで無防備状態。デジカメ撮り放題ではあるのだが、今度は動きがなくて面白くないなどと贅沢な不満も。
おでんはさいわい好評だった。Morris.部屋を見てるふみちゃんが「サンボ通信」がどんなものだったのか知りたいとのリクエストが合ったので、部屋から合本(黒表紙で2巻にまとめたもの)を持ってきて披露。3人とも熱心に見てくれた。あれを作ってた頃のことがちょっと懐かしくなった。記事の中からいろいろ話題も広がった。
高野さんが明日朝の新幹線で帰省(島根県)のため11時におひらきということに。また新年会に鍋でもやろうと約束。
今日の歩数1033歩。


おでんで宴会

無防備ぶんちゃん

決めのポーズ 
2012/12/28(金)●サランバン忘年会●

9時半起床。
今朝の血圧は188/104/78。
今更であるが、年年歳歳、年末と正月という意識が失われつつある。
今年なんか、23日で仕事終わったから、8日もある年末をいささか持て余し気味である。こたつ導入(^_^;)が、Morris.の無精体質を強力に補強している。
今夜は鶴橋でサランバン忘年会があるから、昼前に大阪に出て、また下町探訪でもやろうと思ってたのだが、あいにくの雨模様(>_<)
で、結局4時までこたつでごろごろ(>_<)
下の古本屋「ワールズ・エンド・ガーデン」覗いてからJRで鶴橋へ。
御幸通りコレアタウンの山田商店でキムチやチャンヂャやケンニプなど買い込んでたら、歌麿会長と洪ママと一緒になって、そのまま「恋人」へ。サランバン会は毎月第ニ火曜日が例会だが、12月は忘年会ということで今日になったのだった。
あまり参加者は来ないだろうと思った。最初は中山さんしかいなかったのだが、栗崎、高山、増田。榎本さん、丸本夫妻と常連が姿を見せてくれた。ソンジャさん夫妻は釜山から24歳の娘まで連れてやってきた。
Morris.はイミジャ、チュヒョンミ、チャン・ユンジョンと定番の女性歌手ナンバーオンパレード。例によって榎本さん(1月に釜山に行くとか)からどんどんビールご馳走になり、やっぱり酔っ払って11時店を出る。
何とか環状線で大阪下車、普通列車がかなり遅れているようだったので、ちょうどやってきた新快速に乗った。これが間違いだったのかもしれない(^_^;) 「次は神戸」と言うアナウンスで慌てて下車。すでに上り列車は出た後である。神戸駅前にもジャンカラあるのは知ってたけど、雨も止んでたし、歩いて帰ることに。した。ためしにiPhoneのGoogle Mapsで経路検索したら59分と書いてある。結局1時間半近くかかって2時半帰宅。
今日の歩数は3803歩。


今日のぶんちゃん

同じく

隣の螺旋階段ビル

サランバン会風景#01 

#02 歌麿オンステージ

#03 榎本、ソンジャさんと

#04

#05 洪ママ元気(^_^)

#06 ソンジャ娘とオモナ合唱
2012/12/27(木)●アブ内閣(>_<)●

7時半起床。
今朝の血圧は204/103/84。
昨日発足した第二次安倍内閣だが、茂木経済産業相は就任インタビューで民主党の「2030年代の原発ゼロをめざす」に再検討が必要と白紙に戻す発言。さらも再稼働、新規建設にも前向きの姿勢を示した。そもそも自民党は原発で肥ってきた党だから、ずぶずぶと以前の路線に戻るのだろう。自民党の一党で過半数ということから、原発ゼロを謳ってた公明党もそのことには知らぬふりを決め込んでいる。TPPも有耶無耶のうちに入ってしまいそうだし、自衛隊の国防軍化、憲法改正への意欲満々と、阿部内閣はかなりアブない内閣であることは間違いない。
夕方ムックさんから電話で、今夜大阪飛田「百番」で忘年会があり、席が空いてるので参加しないかと声がかかり、どうしようか迷ったが結局パス。「百番」といえば、いかにも豪華遊郭といった唐破風手すり露台付き2階建ての文化財的建物だから、見るだけでも値打ちものだが、明日は鶴橋サランバン忘年会だから、2日連チャンというのはちょっときついかなと思ったのと、風呂に入ったあと立ちくらみしたので、大事をとったのだった。
今夜はおとなしく部屋で、おでんの用意することに。
このところたいてい正月は一人で部屋でごろごろ過ごすことの多いMorris.は、たいていこの時期はおでんで乗り切る(^_^;)ことにしている。一回つくれば、後は毎日火いれて、ネタ追加すればそれで良いのだから、不精ものにはもってこいである。
ダシだけは鶏ガラと昆布とスジ肉で割りとしっかりとる。本当はコロがあったら文句なしだが、そこまで贅沢はいうまい。最初だけは、コンニャクと大根は別々に湯通しして臭みをとる。Morris.は知る人ぞ知る蒟蒻好きなので、これだけは大量に買ってある。
おでんは初日は駄目で、本当に美味しくなるのは三日目からくらいだと思う。だいこんや卵は、ダシが冷えるときに味が染むものだからね。
今日の歩数4922歩。


あすは満月

寸胴で多めにダシをとる

ひとまず出来上がり

【終末処分】野坂昭如 ★★★☆☆ 1978年(昭和53)「小説現代」に3回連載されたもので、内容が原発やごみ処理に関したものだったこともあってか、2012年8月に初めて単行本化されたもので、「大量生産、大量消費に終わりが来る時」という、現時点での気持ちを書き足している。
原発黎明期のエリートを主人公に、原子力ムラの構造、政財界とのつながりを、かなりの取材で得た材料をもとに暴露しようとしたもののようだが、作品としては、尻切れトンボになっている。うがった見方をすれば、34年前にこのような主題を扱った作品を発表することへの、出版社の自主規制があったのかもしれない。

農地改革が、農民の心を荒廃させたと同じ筆法であるいは都市生活者の気持を、妙に歪めたのは、戦災ともいえる。戦前、都市計画の多くは借家だった、家族が増えれば引っ越しする、気分転換に狂いを移す、自由気ままに動けるのが、町に暮す者の特権であり、土地に執着を持たなかった。
これを変えたのが、焼野原の風景だった、何もかも無くなって、残ったのは土地だけ、頼むべきはこれしかないと、心に刻みこまれたのではないか、土地を所有し、自らの砦を築き上げることが、人生の目的となる、首尾よく果せば、家だけが自分のもの、公共の環境は、お上が整備して当然、すべて要求だけする。借家の頃は、仮住まい同士、家も借りものなら、道路も公園も借りもの、同じレベルで考えた。だから、互いに譲り合い協調して、向こう三軒両隣り、また町内単位で、暮しの知恵を出し合い、奉仕した、戦後自作農が土地を殺したように、持家の連中は、都市を窒息させつつある。清掃工場に対する反対など、その典型だろう。


これが書かれた8年後(1986)に始まった日本のバブル経済こそ、こういった土地至上主義が生み出した幻覚だったのかもしれない。前にも書いたが、土地の私有はあってはならないと思う。国有という意味ではなく、仮にその土地に居させてもらってる、という感謝のこころ。売買してはならないもののひとつである。

「なってないですよ、ミュンヘンじゃ一日千トンの焼却炉から最大十二万五千キロワットの発電を起している、もっとも、ゴミだけにたよってるんじゃないらしいけど。東京では一万一千トン以上の能力がある、単純に計算して百万キロワット以上出来ないのは、電力会社が独占事業だからです、電気事業法にしばられている。それに売電契約を交すと、いかなるトラブルがあっても売電料を確保する義務を負わされる、また発電設備についてもうるさい制約がある、要するに枝葉末節にこだわってみすみすエネルギーを捨てているわけです」楠本がメモをみながら説明した、

ゴミの有効活用という視点も正しいが、何よりも日本の電気事業そのものの矛盾(独占的利潤循環システム)をついている点が重要だと思う。

白血病はあらわれなかったが、今度は、必ず原爆で死ぬと、予感がまつろいついた、「臆病なのね、原爆ならみんな一緒に死ねるでしょ、でも平和日本にその可能性は少ないじゃないの。高畑さんが原子力やってるときいた時、ようやく可能性が出て来たと思ったの。だけど反対なんだものね」塚本、高畑の体に手を巻きつかせ、「死の灰の運び屋ですって自己紹介した時、素敵だったわ、私、何も知らないから、死の灰を、花咲爺さんみたいに、ぱっぱとふりまいて歩く姿を、思い浮かべちゃって」高畑も、原爆で死ぬ自分を、昭和二十年代にはよく考えた、当時とくらべて、その可能性はさらに大きくなっているのだが、もはや想像力は働きにくい。
「不真面目っていった方がいいのかもね、原発がいけないっていうんならさ、どこか一つぶっとばしちゃうか、プルトニウムとか何とかを、とび散らさせりゃいいのよ」「反対してる連中はみんな心の中で思ってるね、どこかで、早く事故が起ってくれないか、でなきゃ気がつかないって」


33年後(2011)に、福島で3つの原発が「ぶっとんで」しまった。しかし、結局原発御用政府は頬かむりしようとしているというわけか(>_<)

原発の運営は、一応電力会社、その電力会社を牛耳るのは国家。圧倒的に強い、何でも出来る力を持つ。この関わりが危ないことは歴史が示している。原発そのものの仕組みに疑問を抱く専門家もいることはいた。原発推進の構造を見張る必要があると、当初、懸念の声も上がった。これが絡めとられていった前提には、世間の無関心さがある。
原発立地以外の地域に暮らす人間にとって、電気の恩恵は有り難いものだった。だがしばらくすれば、水や空気のように、あってあたり前のこととなる。かつて受けた原爆の傷は覚えていても、原発となれば科学や技術の恩恵とみなし、深く考えない。誰かがきちんと管理していると思い込んでいる。
一度便利なものに慣れると手放さないのが人間の常。
一方、技術者、学者はどうか。本来技術者は原発賛否から無縁、遠く離れた存在である。技術者は常に客観的立場にいて、専門家の目で物事を見る。それがいつの間にか原発側に立っている。いったん関われば、そこにある種の信仰のようなものが芽生える。後戻りが出来ないシロモノだけに、前へ進むしかないのだ。
原発の孕む危険性という、大きなテーマより、目先の出来事にとらわれてしまう。そもそも日本には原子力の専門家は一人もいなかったに等しい。
アメリカの言うままを信じた。それでも各分野から、優れた視点を持って、原発推進に歯止めをかける人物も現われた。だがその人たちは食えなくなった。次第に喋る機会が失われ、出版物の広告も出来ない。どこからか圧力がかかる。
マスメディアは広告で成り立っている。電力会社はスポンサーの一つ。いつまでも原発反対ののろしを上げているわけにもいかない。


そして、あの大事故が起きた後の現在でも、全くこのまま、このとおりである。救いがたいなあ。
以上までの引用は1978年発表の本文で、これから以下の引用は単行本化された時に追加されたものである。

一体何故狭い島国にこんなにたくさんの原発が必要なのか。原発ありきで進められた政治、原発に生きる人々、また、原発の恩恵をあたり前に受けてきた社会、原発を止めては困る仕組みがそれぞれにある。

東日本大震災は、ぼくらが目覚めるいい機会だった。原発について考え、反対の声も高まった。だがやはりどこか他人事。
電気の恩恵を存分に享受しながら、原発は嫌だという。天災は天災と片付け、原発事故も、不幸な事故として片付けようとしている。
ぼくらの足元といえば、明日にも溶け出す氷の如き危なっかしい有様。これでさえ、誰かがどうにかしてくれると思い込んでいる。

2012/12/26(水)●チュヒョンミ三昧(^_^;)●

7時半起床。
今朝の血圧は178/99/69。
今日も朝からこたつてごろごろ(>_<) 予想以上にこたつの拘束力は強力である。
見たいテレビ番組ほとんど無いので、ビデオでも流すことにした。先日あるところからチュヒョンミのDVDをいっぺんに入手した\(^o^)/ので、今日はこれを見ることにしよう。
明日27日の夜はソウルの中央大学の大劇場でチュヒョンミのソロコンサートがある。去年まではクリスマスディナーショーが恒例だったのだが、今年は母校のステージでファンのためのひと味違うコンサートを企画したとのこと。日韓歌謡架橋の仲間数人はこのために訪韓するらしい。えむあいさんはクリスマスからソウルに先入りしてるらしい。そりゃMorris.も観たいけど、ちょっとこの時期の訪韓は難しい、ということでパス(;;) まあ今年はソウルの「コンサート7080」録画と、四日市リサイタルと2回(前日のレセプションを入れると3回)も生チュヒョンミを見ることができたから、我慢しよう。
オリジナルのヒット曲はもちろん、歌謡舞台などでの懐メロステージもどれもこれも上手すぎる(@_@)
4時間ほど聴き続けたことになる。
夜は社長とお好み焼き「たけうち」に行く事になってたので、ちょっと早めに六甲道に出て、昨日休館だった灘図書館で本を借りて、7時前、待ち合わせ場所の駅改札口へ。ところが社長がやってきて「たけうち」は休みだと(>_<) 電話くれたら良いのにと思ったがしかたがない。どこか違うところに行こうかとも思ったが、結局、今日はやめておくことになった。何のこっちゃ、である。
歩いて、マルハチで買い物して8時帰宅。
夜のBGMは久しぶりにKBS2ラジオの「チュヒョンミのLove Letter。最近この番組ではあまりトロットのかかる割合が減ってたのであまり聴かなくなってたが明日のコンサートのことを話題にするかと思って流したが、その話は出なかったようだ。(聴き逃したのかもしれないけど(^_^;)
今日の歩数は3855歩。

【流跡】朝吹真理子 ★★★ 先ごろ初めて読んだ「きことわ」で少し興味を覚えて、もう一冊読んでみた。こちらが先に出ていて、たぶんデビュー作になるのかな。100頁ほどの短いものの割に、なかなか読み終えるのに時間がかかってしまった。
やっぱり言葉の実験みたいな作品で、やっぱり時間というものの曖昧模糊さをテーマの一つにしているようだ。
特異な文体はそのままで、これが魅力と言えないこともないが、最初に読んだ時と比べるとインパクトに欠ける。ひらがな多用、擬態語過剰、狂言綺語の突出あたりも、何となく鼻白む気もした。こういった文章なら、いっそ旧仮名遣いでの表記が似つかわしいのではなかろうかと思ったが、若い読者のことを考える無理な注文かもね。

ひらくととじるの間が失われている。百年か百日か百時間、ほんの百万秒分の一を本のなかで過したのかもわからない。しかしなにも書かれていなかった気がする。光にさらしてパラフィン紙ごしに装丁を確かめる。そこの書かれてある題名も著者名も販売元の印字もISBNコードもひかひか反射してよく見えない。いったい誰の本だったか。もう何日も何日も、同じ本を目が追う。追うばかりで一文字も読んでいない。本をひらく。印刷された文字が糸水のようにつながり意味をなしてゆくはずだというのに、扉、見返し、奥村、花切れまでつけて一冊の本としての表情をみせているようでいて、明朝体9ポイント、余白をとった紙片のなかにおさまるきめ細やかな活字が意味あるふりをして。あるいは文字の集積であるかのように装って、記述されたことが本をひらくたびどこかに逃げ去っているんだろうか。

タイトルが「流跡」ということからして、書かれた言葉、物語を水の流れに喩えているわけだろう。書くことの根源を問うのは、倉橋由美子や金井美恵子に顕著だった(Morris.がそのあたりしか読んでないだけかもしれないが)傾向が、朝吹が彼女らの正当な裔なのかどうかははっきりしない。

海中にいるというのでもなく月や木星、綺羅星だのが空に散っている。

これは「綺羅星」の使い方への疑問として挙げただけである。誤用とまでは言えないとしても、ちょっと変だと思う。新潮社の校正がこれを看過しているということは、これもまた「慣用 緩用」になりつつあるのかな。

こうして起伏のない日常が過ぎる。単調、というのはなにもいけないことではない。むしろ単調はときに幸福であるにちがいない。こうして過ぎてゆけばいい。

しらっと、嘘を書くのは、小説家の特権でもあろうが、Morris.も時々こんな口をききたくなる気持ちになることは否めない。持続はしないんだけどね。このところのMorris.の日常が単調に過ぎるのでひっかかってしまった。

この煙突というのは、自分でつくりだしているのだから夢と同じようにあらゆるイメージがまぜこぜになって相即してできているのだろうと考えながら、それは古代遺跡の円柱にもみえるし、すべすべしながら隠蔽したようなみょうに明るい白さもあって、どこかでみかけた清掃工場かなにかの煙突なんだろうか、あるいはテレビでみた発電所や製錬所、それとも母方の親戚が死んだときにみた、実利一辺倒の荼毘所のもまた似たようなものだったか、それとも大好きだった銭湯の高高とした煙突。どれも遠い記憶で定かではない。それとも本か何かで読んだり挿絵でみたりした煙突なんだろうか。いくつもの記憶がまぜこぜになった架空のものをみている。幻を眼がみてしまうというより、そうした幻をみる眼そのものをこの意識がつくりだしているのかもしれない。

煙突好きのMorris.なので、つい引用してしまった(^_^;)が、別に作者が煙突好きというわけではなかった(>_<)Morris.は何故煙突好きなのだろう? 雲が好きなのに通じるのだろうし、天に向かう方向性に惹かれるのかもしれない。

実人生、というのがそら言のように響く。習慣として読書をしているだけで、ほんとうの意味で読んでいるのではなかった。

こういう物言いをされて、いや自分はそうではない、と言えるほどの神経の持主はそうそういないだろうな(^_^;) しかし「ほんとうの意味で読んでいる」というのが、そもそも胡散臭いぞ。

はれ。ひやらひやら。さまざまの大金魚、和金、琉金、獅子頭、出目、らんちゅう、しろがちあかがちの桜錦、素赤、黒斑、更紗、キャリコにシルク、白銀、黄金、乳白色の鱗紋様、緋鮒も混じって総出で踊る。腹がなみうつ。雨滴はいっそうはげしくなる。なかには頬袋に酒をためてへべれけになったの。煙にぐるぐるまかれてのびたの、肉塊のぶつぶつした額に豆絞の手ぬぐいをのせたひときわ太ったやつがそれを踏み越えてえごえご踊る。ひれがゆらぐ。あまたの、幾百、千にとどくほどの大金魚が、ひっきりなしにロータリーに集い来て、湯気をたちのぼらせつややかにほたほた笑っている。陽の射すなか、雨滴を浴びて破顔している。皆背をかたぶかせ、ぱくぱく口を開いて、大円陣で、はれ、ぐるぐるまわるごとに、はれ、白煙も、はれ、雨も、どんどん濃かになってゆく。

これは幻想の煙突の周りに漂いはじめた幻想の金魚たちの乱舞場面で、本作のなかでいちばん楽しげだったのだが、「えごえご踊る」というのがわからなかった。

えごえご(副)1.太っていて、肉がだぶつくさま。また、太っているため動作が鈍いさま。のそのそ 2.おぼつかない足取りで歩くさま。よちよち(大辞林)

たしかに「えごえご」踊ってるのは「太った」金魚になってるが、この「太」という字が本書では「太」の下の点がカタカナの「ン(二水?)」になっている。これはMorris.の手持ちの辞書では見当たらなかった。典拠やわざわざ使った理由を知りたいものである。

ひとやひとでないものが文字というかたちを帯び、他の文字を誘引し、きりなく交いあい、二文字、三文字とつづけられ、文節をなし、文字列の増殖は止まない。確かにこの指で入力した文字が液晶画面にうかびあがると、まるでゆくりなく出遭ったことばとして、いつのまにか書かれていたものとして目に触れてくる。光の接触に網膜がしみながら、キーボードと身体がほとんど同化し、背を屈め、画面に顔を近づかせ、脈打つように書きつづけてゆく。ひとやひとでないものたちが、行きつ戻りつ、迂回と途絶をくりかえし、時には踏み外し、ことばのなかで転びながらうごきつづける。その一挙手一投足が間断なく書かれる。しかし、いくら精確に河口とつとめ執拗に書きしるされたとしても、書かれたものは書かれなかったものの影でしかなく、いつまでも書き尽くすことはできない。……結局一頁として読みすすめられないまま、と消すようにして書かれはじめた何百列が糸水となってながながとつたい、ようやく、いよいよ、最終段落の最終行の最終文字に近づいてゆく。

最終行の最終文字列できつく縢(かが)ったはずの指示記号が一瞬震え、ぽたりと画面の奥に落ちて消えた。それを境にして、うつしだされていたはずの文字がほどけて溶けて、画面はひたすら博士のがらんどうとなる。キーボードの隙間から書かれたものが流れる決勝となってあてどなくなだれ、四方にひろがってゆく。書くことがひとたびも終わらない。ふたたびひとやひとでないもののものおもいやひしめきの微温がつらつらつづきはじめる。文字がとどまるいことをさけ、書き終わることから逃げてゆく。ひたすら押し流れてゆこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ---


二十代の著者だから、ワープロ原稿は当然だろうし、ワープロでしか書けないタイプの文体のようにも思えるし、その生成から消滅までを、言葉で描くというのは至難の業で、それなりに何となく納得できるような収斂(後の引用が、本書の最終部分)ぶりだが、成功しているとはいいがたい。
つまりは、「方丈記」冒頭の名文句の変奏でしかないようで、その演奏ぶりにいささかの芸がある。といったところだろうか。
次作(次次作か)を読む気になるかどうか、微妙なところである。

2012/12/25(火)久々社長と

8時起床。
今朝の血圧は201/104/84。
昼過ぎまでこたつでごろごろ(^_^;)
やっと昼過ぎに風呂つかって、JRで六甲道に出て灘図書館に行ったら休館日だった(>_<)
23日(日)が祝日で翌日が振替休日だったため、図書館もずらして連休になったらしい。
やまやでカティ・サーク買って帰ろうとしたのだが、ふと思いついて社長宅に電話。在宅だったので久しぶりに訪ねてみる。
次女のひろこは半ドンで家にいて部屋の大掃除中だった。
春待ちファミリーBANDの演奏も滅多になくなったこともあって、社長と会うのはジャグバンド祭り以来である。
メンバーの動向やらゆく年くる年的無駄話しながら、カティ・サークのお湯割りかなり飲んで、いい加減出来上がって9時前帰宅。
大谷くんがやってたメトロ神戸のお好み焼き屋「昭和屋」の隣に、「隠れ家」という居酒屋をオープンして、嫁の貞子(社長妹)と二人でやってるとか。これはいちど出かけなくては。
年末の六甲八幡神社の年越し演奏も、今年は社長の都合で中止になるらしい。これはちょっと、残念でもあるが、こたつでゆっくり紅白見るのもたまには良かろう。
大晦日には歌謡舞台もあるし。韓国TVの正月番組も楽しみである。(例の「ライブで韓国」が利用できれば)
今日の歩数3922歩。


「ライブで韓国」での歌謡舞台

このくらい精緻に映る(ムンヒオク)

久々春待ち社長

2012/12/24(月)今日からこたつライフ(^_^)

8時起床。
今朝の血圧は191/94/75。
朝の3点セット。
先日仕事の処分品をもらってきたこたつの設置。家具調でもない、普通の簡易こたつに「設置」というのは大げさだが、事情がある。
実はMorris.はずっと大きめの丸い卓袱台を愛用してきた。地震の後、2回目に移った桜口の部屋にいた時買ったものだから、10年以上は使ったと思う。丸テーブルは、詰め合えば6,7人は座れるから、来訪者の多かった間は重宝したものだ。ところがその後引っ越した現在の部屋は異常に狭くて、人を呼べるスペースもないため、ちょっと持て余し気味だった。折り畳みの脚が壊れて、ネジ止め固定したので畳めなくなったのも困りモノだった。そろそろ処分して、小さめのテーブルかこたつ買おうかと迷ってた。
そこに出物の処分こたつの登場。しかも、サイズが90cm☓60cmという、普通の正方形のこたつを1/3くらいカットした細長い奴で、これこそMorrisの狭い部屋.にはお誂え向きである。卓袱台の脚を外して、処分するのに手間取ってしまった。
こたつは如何にも日本的暖房器具で、電気代もストーブなどに比べると安上がりなのだが、これを使うと絶対入りっぱなしになることは容易に想像がつく。
まあ、今日は使い始めということで、何でもOKということにしておこう。
ベッドトップに置いてたマドロスたかさんからもらったHPミニノートもこたつに移して、ネット閲覧はこれで済ますことにする。いやあ、こたつに蜜柑というのは、やっぱり冬の一人暮しにはぴったりだな。
結局、今日は一日こたつに入ってることになってしまった。
今日はクリスマス・イブ。近所の主音教会のクリスマス礼拝を覗こうかと、夜に前まで行ったのだが、礼拝は6時からで、もうとっくに始まってる。途中から入るのも気が引けたので、外から教会の建物のみ撮影して、水道筋まで歩き、ちょこっと買い物。
最近ずっとシャッターが下りてる月光レコード。ここに、猫探しのポスターが貼ってあった。写真みるとどこにでもいそうなトラ雉猫で、これで見つけるのは無理だろうと思ったが、良くみると、細かい特徴までしっかり書いてある。飼い主の愛情がにじみ出てるようなので、こちらにも掲載しておこう。水道筋方面でみかけたら、飼い主に連絡して欲しい。
7時半帰宅。
今日は月曜日でKBS歌謡舞台の日である。ふと思いついて韓国TVの視聴のサイトを検索して「ライブで韓国」というのを見つけた。これはすごい(@_@) これまでMorris.が見てた画像に比べると格段に綺麗な画像で韓国のテレビを楽しめる。
本当はKBSは会員登録無しでは見られないのを、裏ワザ使ってとりあえず視聴出来るようになってた。早速今夜の歌謡舞台(12月リクエスト)を見る。残念ながらMorris.好みの歌手はほとんど出演しなかったけど、画面は綺麗である。こたつのHPミニノートでもちゃんと見える(時々バッファで中断)けど、ここは擬似デスクトップちびくろ2号に接続の標準モニターで見たら、地デジ前のアナログ放送程度の画質で楽しむことが出来た。いつまでこれが視聴可能かどうかは予断を許さないが、見られる間だけでも、大いに楽しむことにしよう。ユンジョンちゃん司会のSBS「挑戦千曲」を早くみたいものである。大晦日のKBS「トロット大祝祭」もね。
今日の歩数は1594歩。


一人用こたつ

主音教会クリスマス・イブ

尋ね猫
2012/12/23(日)苦界、いや階段九階(>_<)

6時半起床。
今朝の血圧は189/101/82。
歩いて摩耶倉庫へ。
西根くんと芦屋のマレーシア向け航空便ピックアップ。午後は大阪市西区のシンガポール人宅への配達。
月末の仕事がキャンセルになって、たぶん今日が今年最後の仕事なりそうな気配。左肘の痛みが治まらないので、ちょうどいいかとも思う。配達荷物も20個くらいで楽勝(^_^)と思った。ところが、ところが、エレベータが小さくてマットレスががはいらない。何と客の部屋は九階だった(>_<) いや、これはきつかったあ(^_^;) 左肘もかなり悪化したかも知れない(;;)
今日の歩数は3588歩。


今朝のTwin煙突

好きな神戸HATの幼稚園?

摩耶埠頭からTwin煙突
2012/12/22(土)森本硝子Studio音楽会

6時起床。
今朝の血圧は198/98/89。
朝から雨模様。
矢谷くんと守口市のマレーシア向け荷物ピックアップ現場。小さな子どもがいて、荷物の仕分けができてなくて、作業に手間取ってしまった。
近所に冷蔵庫配達というオプションがあって、これは左肘痛めてるMorris.としてはちょっと辛いかなと思ったが、午後にとしろうが別の現場からヘルプに来てくれたので助かった。
4時半倉庫到着。
今夜は新開地でムックさんのライブがある。去年12月18日に初めて行った、森本硝子のスタジオである。ムックさんと友人たちのバンドと、女性のスチール・パントリオ「モジョンヌ」のセット。これは去年もそうだった、スチール・パンのバスドラムの女性だけが同じであとの二人は大阪の別の奏者で合わせるのは初めてとのこと。この楽器はトリニダードトバコの特産で、今でもすべて手作りらしい。
ムックさんは、ジョン・レノンナンバーとオリジナル半々。今年はほとんどムックさんのライブ見る機会がなかった。Morris.が暇な時にはムックさんが忙しく、その逆だったりですれちがいが多かったな。
それにしても、この森本硝子のスタジオは良い感じである。スタジオ部分は吹き抜け風に天井が高く、奥はカウンターバーみたいになっている。三代目社長が自分で設計したらしい。大正時代から続く硝子屋ということで、スタジオの外装内装にも硝子が効果的に多く使われている。圧巻はスタジオの大きな硝子壁中央に蛇行しながら積み重ねられた硝子板オブジェだ。またステージを見下ろせる中二階も床はさまざまな磨りガラスで、Morris.はこれがお気に入りである。
このライブはチャージ無し。ドリンク(なんでもあり)\500、おつまみ食べ放題、という、ほとんど社長のおごりみたいな企画である(^_^;)
是非来年も開いてほしいものである。
久しぶりにワイルドターキーなどいただいて、すっかりいい気持ちになって11時に店を出る。2日早めのクリスマスパーティだった(^_^)
今日の歩数は2845歩。


冬の雨中の姫女苑

阪神高速から

同じく


森本硝子のLOGO

落書き風の案内

まずは乾杯!

森本店長あいさつ 

女性スチール・パントリオ

盗撮? 

ピアノでLOVEを 

一階で撮影

中二階から

こんな感じ

あちこちに硝子が効果的に

落書き風の案内

久々にターキー(^_^)

スタジオ外側から

ちょっとアップ

記念撮影

2012/12/20(金)冬至

6時半起床。
今朝の血圧は197/97/84。
今日は冬至。とは関係ないだろうが、今朝の髙橋からのTwin煙突とそのバックの空はなかなかの長めだった。
矢谷くんと大阪南港ATCから六甲アイランドのファッションマートへのオフィスムーブ。これはかなり厳しいか、と、思ったら大した荷物でなくて楽勝だった(^_^)
昼は東市場のオリーブキッチンのサービスランチ、今日は豚丼(\650)で、これは質量共に大満足。
午後は別業者の倉庫で荷物引き取り。4時半過ぎに倉庫出る。雨が降りだしたので歩いて、マルハチで買い物して6時前帰宅。
12月8日に放映された「大和 乗組員たちが見つめた生と死」を録画で見る。12月8日といえば、真珠湾攻撃の日だった。乗組員三千数百名中、生存者276名。その生き残りの数名へのインタビューを中心にしたドキュメンタリーで、もう80代から90歳の証言はやはり悲壮なものだった。奥泉光の「「神器」で、大和の特攻は生贄だったという仮説に感心したが、実際それに似た考えが軍部にあったらしい事を知らされて唖然とする。
今日の歩数は44492歩。


今朝のTwin煙突

天保山観覧車

遥かに大阪港煙突

【きことわ】朝吹真理子 ★★★☆☆ タイトルは二人の主人公の名「貴子(きこ)」と「永遠子(とわこ)」を組み合わせたものである。葉山の別荘に夏の間だけ一緒に暮らした二人の女の子が、25年後に再会して、過去と現在とをないまぜに回顧するといった趣の実験小説のようだ。
金井美恵子とのトークショーを見て、ちょっと作者に興味を覚えて読んで見ることにしたのだが、なかなかに見所があった。

永遠子が髪の毛から指を離そうとすると、貴子の髪が指の付け根にからんだ。
このあいだの夢でもこんがらがっていたことを永遠子は思い返しながら目を細める。むかしとおなじことをしている。春子が貴子の髪をとかそうとすると、貴子は永遠子に結ってほしいとせがんだ。春子が今度は永遠子の髪をとかそうとすると、貴子は永遠子の髪は自分がすると言って、春子のてからブラシをうばう。永遠子はいつも貴子の髪をとかしては結い、貴子もまた永遠子の髪にふれた。貴子が髪をとかすと、きまって永遠子の髪にブラシがからがる。からんだ髪をほぐそうとして指を髪の毛にさしいれると貴子の指にも髪がからまり、春子はどうしてそんなにふたりともからがるのかとふしぎそうにしていた。


二人の髪が絡まってしまうシーンは、本作を象徴してるようだ。「からがる=絡がるというあまり馴染みのない言葉につい立ち止まってしまった。これを始め、意識的に雅語や古語や死語を多々使用(試用)している。古典への回帰ではなく、再生の意志なのだろう。

貴子は幾冊かの本をひらくが、つぎからつぎに読んでいたはずの物語は、いったいどこにすりぬけていったのか。貴子はこの家で読んだ、自分の顔よりもおおきな赤黒いなめし革の装幀本に書かれてあった物語のことをふと思い起こした。あれはいったい誰が書いたのか。むかしは、書いたひとのいないものだとして本を読んでいた。しかしその書かれたものはいったいどういう筋のものだったのか、一文字の記憶も思い出せない。二階をさがしまわったが、それだけはみあたらなかった。その本を開くと、いつもうすぼこりが立ちあがった。それが日差しに散るのをしばしばながめてから文字に目をおとしていた。いまはただ、ほこりの立った瞬間のことだけを記憶している。

このあたりはもろ金井美恵子風である。

一口に三分といっても、カップラーメンを待つ、風がふきすさぶ早朝に電車を待つといった三分間はながく感じられる。公衆電話の三分十円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは三分もあればじゅうぶんすぎる。時間というのは、疾く過ぎてゆくようであり、また遅延しつづけるようでもあり、いつも同じ尺でながれてゆかない。二階で整理していた本に、宇宙のおおまかなところは三分でできたというタイトルの本があったことを貴子は永遠子に言った。

時間の観念で遊ぶのも本書の特徴のひとつだが、カップラーメンやウルトラマンといった俗語を使って読者を揺さぶるあたり、結構、あざといのかもしれない。

「ねえ、これ壊れてない?」と、永遠子はいつまでも白砂を落としつづける砂時計をみる。貴子は携帯をみる。
「あと何秒?」
「あと一分」
「まだ?」
「まだ」
「そう。こうしているうち百年と経つようよ」


それにしても砂時計のあの形状は絶妙というしかない。最後の台詞の「百年と」の「と」がまさに砂時計の括れを連想させる。

目の前を、母親のすがたが過(よ)ぎる。当時、九歳になったばかりだった娘も母親の享年を超えてゆく。貴子は同い年となった母親の面影をみとめた。どうして死んだのかという埒もないことばが頭をもたげる。死人のことはいくらでも思い出せる。たしかめようがないからなのかもしれなかった。貴子は、自分が母親に会えないのは、母親にみられている夢の人だからではないかと思った。母親が起きている間貴子は眠り、貴子が起きている間母親は貴子の夢をみている。自分は夢にみられた人なのだから、夢をいつまでもみないのではないかと、それこそ夢のようなことを、とぎれとぎれの意識のなかで思っていた。明日に差し障るだろうから目をつむる。それでも目は眠りにつかず眠りと眠りの間を漂っていた。

こういったウロボロス的イメージの転がし方も作者の得意技のようだ。

「雨の日の白湯はやっぱり甘い」
珈琲も紅茶も雨の日のほうがまろやかな味になると春子は言っていた。
「なぜだろう」
永遠子が首をひねる。水道局が塩素の量を調節するからだと春子は貴子に説明していた。永遠子は貴子の白湯をひとくち飲むが違いはわからなかった。貴子は、ふだんから白湯を飲まないとわからないと思うとすこし誇らしげに言って、ふたたびマグカップに唇をつける。


擬科学的講釈と、瑣末な感覚の特権化、もったいぶった振舞が作品の隠し味になっているようだ。

髪を乾かしながら、ベランダをみると、新月に近い月がでている。月というより、薄曇りの空に亀裂が走っているようにみえる。裂け目からまた大百足がでてきたら嫌だなと昨昼のことを思い起こしてから、さっきみた月はたしか満月であったはずだと思う。しかし、いまみている月をただ月としてみていればそれでよいのかもしれないと貴子は思った。

細い月を空の亀裂と見るのは、Morris.にも既視感を覚えた。月の満ち欠けは太古から永遠に繰り返されていて、そのいずれの瞬間においても月は気高いものであるよということか。
ひさしぶりに、若い作家の純文学を読ませてもらったようで、何か嬉しかった。この文体は貴重だと思うぞ。もう少し読んでみよう。

2012/12/20(木)年賀状

9時起床。
今朝の血圧は192/101/88。
何となくかったるくて、ベッドでこの前読んだ、取り壊された名建築写真集の続編を見始めたらついつい熱中して、見終えたらお昼になってた(^_^;)
NHKFM流し聴きしてたら、クラシック番組の後に「音楽遊覧飛行」という番組で吉村嘉彦という人が「食と音楽でめぐる地球の旅」というテーマ(今日は肉料理)で各国の音楽を流したのだが、その国の料理の紹介が実に上手で知識が身についてる感じがした。たとえば韓国だと、プルコギ、サムギョプサル、コムタン、ソルロンタン、サムゲタンすべて、きっちり把握してて、流したのがキムボムスの「ポゴシポヨ」だった。沖縄の肉料理もやたら詳しそうだったし、出身地の大阪では梅田北新地のカツサンド絶讃して有山・上田の「梅田から難波まで」をかけるなど、これは思わぬ拾い物だった。
80年代Morris.の年賀状午後は年賀状造り、といっても、Morris.の年賀状はここ10年以上、ほとんど同じデザインで、その年に読んだ本のタイトルを羅列するだけなので、タイトルをピックアップする作業さえすめば、あとはそのままペーストしておしまい。白黒のレーザプリンタ(Morris.亭にはカラープリンタは無い)でプリントすれば出来上がり。全部で1時間ちょっとしかかからない。ただしMorris.は宛名だけは手書きなので、結局これにいちばん時間がかかるわけだ。
以前は下手の横好きで、木版画、それも2色刷りとかやってたことがあって、これだと彫るのに数日、擦るのに丸一日くらいかかってた(>_<) スクラップブック引っ張りだしたら何枚か貼り付けてあった。これ(→)は80年から87年頃のもの。ほとんど小学生水準だし、当時からペコちゃんやらベティちゃんやらパクりまくりだね(^_^;)
年賀状は25日までに出せば大丈夫だから(実際は12/29までならほぼ全国OKと思う)、かなりの早手回しということになる。
今日の歩数0歩。

【失われた近代建築 2.文化施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信 ★★★☆☆ 先日読んで(観て)感動したので早速続編も借りてきたのだが、結局今朝、ベッドで一気に読み終えた。。
邸宅・集合住宅15件、学校・病院・教会18件、公共施設・産業施設・駅舎11件、倶楽部建築・娯楽施設・ホテル16件の計60件。やはりサムネイル風のリスト(48件)も付いてる。前編と比べるとちょっと評点が低いが、やっぱりお上と民間の格差なのだろう。写真の数が前より少ない感じもあった。

住宅については国ごとの差が目立ち、共通性を基本にしながら、風土や歴史的事情に応じて多様な展開を見せている。そうした多様なスタイルが、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなどからバラバラに入ってきて、日本の洋風住宅のスタイルは成立している。オモチャ箱を引っくり返したような状態はいなめないのだが、あえて二つだけスタイルを覚えるとしたら、私は、「チューダー」と「スパニッシュ」をすすめたい。戦前の日本人に好まれたらしく、数も多いし、特徴もわかりやすいからだ。(藤森)

スパニッシュというのは一見してわかる。春日野会病院(旧池長孟別邸)などでおなじみである。名前に反して、このスタイルはアメリカから伝えられたものらしい。
チューダーはイギリス様式で、その例として取り上げられてた「室屋藤七邸」こそ、須磨離宮公園の向かいにあったあの重厚な洋館だった。ヴォーリズ建築事務所の設計で、昭和9年(1934)竣工、平成19年(2007)解体となっている。残念ながら本書の写真は外側だけで、内装などは一切うかがうことができない。木と煉瓦を半分ずつ使った「ハーフチンバー」らしい。
印象的だったものを挙げておくと。

・同潤会アパートパートメント 東京都渋谷区代官山、神宮町
・東洋英和女学院本館 東京都港区六本木
・成田図書館書庫 千葉県成田市田町
・日本赤十字社本社 東京都港区芝公園
・神戸中山手カトリック教会 神戸市中央区中山手通
・国鉄国府津機関区車庫 神奈川県小田原市国府津
・阪急梅田駅 大阪市北区角田町


東洋英和学院は阿川佐和子の母校で、ヴォーリズ設計の校舎保存のため彼女が藤森に相談しに来たという経緯が書かれていた。確か阿川の本でもこのことを読んだ覚えがあった。結局解体されてしまったが、藤森がヴォーリズへ建築に物足りなさを表明しているのが興味深かった。

阿川さんから、シンポジウムの席上、どうして藤森さんはヴォーリズのよさを素直にほめられないんですかと問い詰められ、答えに給したことがあるが、表現とはそういうものだろう。良く出来ているだけでは物足りないのだ。心に深く響くには、そこに、無理というか、問いかけというか、未到の夢というか、何か実現していない質が欠かせないのだ。あるいは、まだ誰も試みていないデザインとか、試みとか、そういう先駆性でもいい。
ヴォーリズはスパニッシュにせよチューダーにせよ、教科書通りにこなしてみせた。歴主義様式をこととした同時代の渡辺節や、長野宇平治は中條精一郎や武田五一のように、チャレンジする気迫やそれ故の欠けが、感じられないのだ。
住んだり、使ったりすると、愛着の湧くデザインの質にはちがいないのだが。(藤森)


Morris.なんか、住みやすくて、使いがってがよくて、愛着が湧けばそれでいいんじゃないのかい、と思うのだが、これは「お子ちゃま思考」なのかな?

この少し古い近い過去が問題なのである。
それらの建物を見ると懐かしさを覚える。田舎の学校の古い木造校舎を見て幼い頃の自分を思い出すのと、どこか似た感覚であるそう感じるのは、古くてもせいぜいが曾祖父さんの時代、明治以降の建物であって、けっしてそれ以前ではない。国宝の法隆寺や姫路城は誰でもが素晴らしいと感じるが、懐かしいという人はいない。そして今までは、懐かしいというと、かなり年配の人の感情と思われてきたものが、少し様子が違ってきた。最近では若い人が、少し前のことをやたら懐かしがったりするのである。(増田) 


Morris.もすでに年配の懐かしがりやということになってしまったのだろうが、若年層に、こういったちょっと古い建物への愛情が普及するというのは良いことだと思いたい。

2012/12/19(水)朴槿恵当選

9時起床。
今朝の血圧は165/97/87。
昨日の担ぎの後遺症か、体全体がだるい。外は寒そうだし。ということで、部屋でごろごろ。
それでも昼から歩いて三宮図書館へ。特に面白かったわけでもないのだが、堂場瞬一の「異境」という本を一冊読了。気がついたら6時過ぎてた。シーダで買い物して、iPhoneのKBS1radioで韓国大統領選開票速報聞きながら歩いて7時半帰宅。パククネがやや有利のようだ。
夕食のキムチチゲ食べながらちびくろ2号でKBSテレビで開票速報の続き。9時過ぎにはパククネ当選確実となる。韓国初の女性大統領誕生である。
ムックさんからメールで、ヘルニアで腰痛とのこと(>_<) 
今日の歩数は6277歩。


クリーニング屋の白黒

クリーニング屋の雉

 大安亭クーラー上の白雉

同じく

旭変電所

9時過ぎに当選確実に

2012/12/18(火 )豊田市方面

4時半起床。
今朝の血圧は203/107/80。
矢谷くんと豊田市広川町のマレーシア人宅のピックアップ現場。名古屋から3人ヘルプに入り、5人がかりで3時に作業終了。
昼休みは近くにある浄土宗の性源寺へ。田んぼの向こうにずらりと石仏が並んでいたのに惹かれたのだ。これは西国三十三カ所の観音像だろう。なかなか良い建物である。本堂は寄棟造の前面に唐破風月の小屋根が迫り出しているちょっと変わった造り。山門も時代がかった立派なものだった。門の前には何故か山頭火の二つの句をが記された真新しい碑が立っていた。

・この旅死の旅であらうほほけたんぽぽ
・松はみな枝垂れて南無観世音


現場は階段二階で、それほど重い荷物も無かったが、左肘の痛みが再発してちょっとつらかった。
帰りのトラックの中で矢谷くんお携帯電話に竹田くんから娘が誕生したとのメールが入る。初めての子どもである。まえにも書いたが、初めての子供の誕生は新しい父と母の誕生日でもある。
おめでとう竹田くん夫妻\(^o^)/
5時過ぎ倉庫着。コンテナ積みして6時半帰宅。
夜、斉藤さんが、美香さんという女性同伴で訪問。何と二人は2ヶ月前に入籍したとか(@_@)
Morris.は全く知らなかったのでびっくり。年齢差20歳近いというのは、最近流行りとはいえ、うーーむ、であるな(^_^;)
斉藤さん持参の缶ビールで乾杯。
斉藤さん美香さん祝賀ハプシダ\(^o^)/
明日は韓国大統領選挙投票日。韓国で、大統領の任期は5年、それも一期限りである。これは朴正熙の16年にわたる独裁政権への反省からそうなったのだが、今回の選挙の与党の候補者パククネはその朴正熙の実の娘である。
Morris.は1997年12月の金大中が大統領になった選挙の碑、イパクサ宅に泊まってて、家族3人と一緒に近所の小学校に投票に出かけたことを思い出した。あの日は夜もパクサ宅のTVで開票速報を深夜まで見続けた。
今日の歩数は3831歩。


見事な石仏一列横隊 

岡野山 性源寺

墓守石仏 

馬頭観音 

立派な本堂

立派な山門


こんな風情も

山頭火の句碑

素敵な参道 

イラガの繭

豊田スタジアム

田園風景 

柿に目白

新・斉藤夫妻と 

2012/12/17(月 )たらチゲ

8時起床。
今朝の血圧は189/103/72。
テレビのニュースは昨日の選挙結果オンパレード。前回の民主党、今回の自民党の勢力分布図比較。オセロゲームにしか見えない。中島知子はどうしてるんだろう?
たらチゲ昨日マルハチで安かったので買ってきた鱈(たら)の切り身。ずっと以前春日野道の勉強堂で買った「コウケンテツの韓国料理1.2.3.」にタラチゲレシピがあって美味しそうだったことを思い出したので、これを参考に作って見ることにした。だいたい韓国料理で鱈(テグ)料理といえば「テグタン」でで、これはいかにも韓国らしく唐辛子塗れの真っ赤なスープだが、ケンテツ・タラチゲは昆布だしのすまし汁風で、珍しいと思ったのだ。本当はカブとシメジを使うと書いてあったが、大根と干ししいたけで代用。うーーん、思ったより上手く出来たような気がする。
Morris.は一番好きな魚は鯖(さば)だと思うが、鱈もベスト10に入るだろう。白身で淡白なのにしっかりした味わいと歯ざわりは、時々無性に食べたくなる。
この料理本は2008年NHK出版となっている。同年にNHKきょうの料理に出演したときの副産物らしい。今やTVハングル講座のレギュラーというよりメインキャラクターになってるコウケンテツのNHKとの付き合いはここから始まっようだ。
昼から外出しようと思ったら雨が降りだした(>_<)のでパスして、録画しておいた昨夜のサッカー倶楽部CUP コリンチャンスvs.チェルシー戦を見る。やっぱりレベル高い。どちらかというとチェルシーが押し気味で始まったのに、コリンチャンスのGKカッシオの好守もあって、チャンスを逃し、ワンチャンスをものにしたコリンチャンスが倶楽部世界一になった。
森羅万象のあべさんが、懐かしい門司港駅の写真をアップしてたので、書き込みしたら、

歴史的建造物の写真はMorrisさんですっ!! Morrisさんが日乗に惜しみなく載せてる写真 上手いなぁ といつも感心しています

との大褒めの言葉を頂いてしまった(^_^;) 嬉しくてお礼のレス付けたら、何と

好奇心、追求心、裏にも回って見ておく行動力、何でも撮っておくこまめ度、 ネコも忘れず撮っておく・・・・街角写真ならMorrisさん!! 
Morrisさんほど上手な人は見たことありません \(^o^)/


と、更にヒートアップしたお言葉(@_@)\(^o^)/もちろん、これは褒めすぎだけど、ありがたく頂いておこう。昨日の蜜柑やお米と同じく「お歳暮」の一環なのだろう。いやそれより「無財の七施」の一つ「言辞施(愛語施)」かもしれない。
今日の歩数は0歩。

【きみの友だち】重松清 ★★★☆☆ 十歳の時の交通事故で松葉杖無しで歩けなくなった少女恵美が、クラスで孤立してしまう中で、身体が弱くてたびたび入院を繰り返す由香と心を通じ合わせるが、由香は中学三年を終えることなく旅立ってしまう。
恵美とそのクラス仲間や、弟ブンとその仲間たちを毎回「きみ」という呼びかけで主人公にした小さな物語10編を集めて、ひとまとまりの長編小説に仕上げたもの。
最近、こういった形の作品はよく見かける。
ひと昔前の新聞小説なんか、ほとんど毎日山場を作るために、やや不自然になったり、異常に矢鱈波瀾万丈だったりしたものだが、月刊誌なら、毎回ある程度のページ数が提供されるからそれほど不自然にならずに長編だって連載できるのだろうけど、やはり読者に、毎月ひとつの物語を読み終えたという満足感を与え、なおかつ、長編好きな読者(Morris.もどちらかというとそう)にも、単行本化したときには、長編作品としてアピール出来るということなのだろう。
本書はその点、語り手(書き手)が実は、物語の終わりで登場人物全てと関わったことがわかるようになるというあたりも含めて、なかなかに「巧い」。
子ども世界での人間関係のさまざまな問題、仲間はずれ、いじめ、軋轢などをテーマに扱いながら、読み手を飽きさせないストーリーテリングも手馴れている。おしまいあたりでは、ついMorris.は涙ぐんでしまったさ(^_^;)
これは、最近図書館でもコーナー作ってる「YAコーナー」にも置いて欲しい作品だと思う。

ベッドに入ったきみは、何度も寝返りを打った。
「五」という数字が頭の片隅から離れない。小学五年生のときに仲良くなって、中学三年生が終わるまぎわに、たぶん、別れる。五年間の「五」。実際には丸五年には満たないけれど、とにかく「五」で計算する。計算したい、と思う。
いまは十五歳だから、五年間は三分の一にあたる。人生の三分の一を由香ちゃんと一緒に過ごしてきた。すごい。家族以外ではいちばん長い付き合いということになる。
でも、二十歳になって振り返ると、由香ちゃんのいた日々は四分の一になってしまう。三十歳になると六分の一。四十歳だと八分の一。五十歳だと十分の一。六十歳、七十歳……平均寿命は八十歳を越えているから。そこまで生きると、由香ちゃんのいた日々は十六分の一以下の、ほんとうにわずかな、ごく短い期間にすぎない。


中3の恵美が、無二の親友由香の死が避けられないとなった時点での感慨である。物語と直接関係ないのだが、Morris.もずいぶん前によく似たことを考えてたことを思い出した。
三十過ぎた頃だと思う。何となく一日一日が過ぎるのが速くなりつつあるという感じがして、理由をでっちあげてみた。それは年令によって「人生(今日まで生きてきた日々)」における「一日」の占めるパーセンテージが違うということだ。
新生児にとって生まれた一日はまるまる人生の100%、それが生後100日目の嬰児にとっては10%、三歳児は1%以下、当時のMorris.だと0.1%以下ということになる。六十をとうに越えた現在なら、ざっと0.04%ぢゃ(^_^;) あっという間に毎日が過ぎていくわけだ。
まあ十五歳の子が考えるくらいのことだから、Morris.が一人で思いついたとしても、特別な発想でもないのだろうが、この時間の捉え方は何となくずっとMorris.の中に根付いているような気がする。

恵美のことばをいくつか引いておく。

「わたしは、一緒にいなくても淋しくない相手のこと、友だちって思うけど」

「わたしは『みんな』って嫌いだから。『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対に」

「あのね、うつむいてから顔を上げるでしょ、その瞬間って、結構笑顔になってるの。なにも考えずにパッと顔を上げたとき、ほんとに、笑顔が浮かんでるわけ」
うつむくと自然に息苦しくなって、顔を上げたときに空気を胸に送り込もうとする。そのときに少しでも多くの息を吸うために頬がゆるみ、笑顔になる。
「だから、笑いたいときには、うつむけばいいわけ。自分の影を相手にして、かげふみしてればいいんだよ。そのうちに息が苦しくなって、顔をあげたくなるから」

2012/12/16(日)稲沢市方面

4時半起床。
今朝の血圧は206/116/79。
ひっさしぶりの仕事。西根くんと稲沢市次郎丸大角町の中国天津向け船便ピックアップ現場。
iPhoneに入れたばかりのGoogle Mapsアプリを使ってみる。ナビモードにしたら、おお、何と音声案内が出る。地図も充分使用に耐える。ああ、あのiOS6に変更した後の専用地図アプリのあまりのひどさに落ち込んでからずっと闇だった世界に一筋の光明が射してきたようである\(^o^)/
稲沢市というのはMorris.は名前すら知らずにいた(>_<) 名古屋からヘルプに来た木下くんに訊いたら「国府宮(こうのみや)のはだか祭が有名です」とのこと。調べたら大化の改新の後、この地に尾張の国の国府が置かれたと書いてあった。なるほど、それが国府宮か。他は銀杏の生産日本一らしい(^_^;)
2時前作業終了。
新名神高速ができてからは、名古屋はたいていこちら使うようになったから、久しぶりの雪化粧の伊吹山がすごく新鮮に目に映った。
5時半倉庫着。マルハチで買い物して6時半帰宅。
録画しておいた日曜美術館。今日は円空仏特集で。これは見応えがあった。来年1月からの東京国立博物館の円空展絡みの特集だったらしい。これは魅力的だけど(関西であれば確実に見に行くだろう)、大きな展示場でいっぺんにたくさん見るより、こじんまりした会場やお寺で、じっくり拝観したい(これは仏像全般に言えることだけどね)ものである。しかし、Morris.は真物の円空仏見たことあったのかな(^_^;) これだけ高名であれだけ沢山の仏さまを残してるのだから、ひとつも見なかったとは思えないのだが、いまいち印象がない。写真集などで見て感心してることが多かったようだ。今日の番組でもどの仏さまも好きだった。田舎の小寺の仏さまなんか擦り切れてほとんど原型を留めないほどだったが、これが何と、村の子どもたちがこの円空仏を外に持ち出し、川に浮かべて遊んだりしてたためとのこと(@_@) 別の農家が所蔵するものは、囲炉裏の煤で黒くずみながら光沢がある。多くの人が手にとって撫で擦った結果らしい。こういった愛され方こそ円空仏にいちばん相応しいのかもしれない。
8時の投票終了と同時に発表された出口調査を元にした結果予想で、自民の圧勝が確実となった。民主の大凋落とセットである事は云うを俟たない。未来の党は伸び悩み(;;)
今日の歩数は4048歩。


現場のベランダから 

伊吹山

帰路の空 #01

#02

#03 NIKE雲?

#04
2012/12/15(土)●投票・蜜柑・米m(__)m●

今朝の血圧は200/102/88。
朝から雨模様。
実は昨夜は徹夜してしまった。何とはなしに夜更かししてて、気がついたら4時前だった。明日4時半起きだから、これから寝ると昼過ぎまで寝ることになるから、もうそのまま起きとくことにしたのだった。
昼過ぎ雨も上がったので、自転車で六甲道に出て、灘区役所四階で、選挙投票を済ます。Morris.はつい不在者投票と言ってしまうが、今は期日前投票ということになっている。
灘図書館でしばらくくつろぐ。神戸市の図書館でも、かなりのパーセンテージでスタッフフとして活動してるTRC(㈱図書館流通センター)選んだ2011年に発行された書籍の人気投票の結果が貼りだされていた。4508人のスタッフ中2762人が投票、有効投票数2605票でベスト21を選んだらしい。

TRCのベスト2012TRCスタッフが選んだ本2012
1.舟を編む 三浦しをん光文社
2.ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち 三上延 アスキーメディアワークス
3.県庁おもてなし課 有川浩 角川書店
4.心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 長谷部誠 幻冬舎
5.人生がときめく片づけの魔法 近藤麻理恵 サンマーク出版
6.未来ちゃん 川島小鳥写真集 ナナロク社
7.マスカレード・ホテル 東野圭吾 集英社
8.麒麟の翼 東野圭吾 講談社
9.世界の夢の本屋さん エクスナレッジ
10.花の鎖 湊かなえ 文藝春秋
11.真夜中のパン屋さん 1 午前0時のレシピ 大沼紀子 ポプラ文庫
12.おまえさん上 宮部みゆき 講談社
13.困ってるひと 大野更紗 ポプラ社
14.八日目の蝉 角田光代 中公文庫
15.百歳 柴田トヨ 飛鳥新社
16.漁港の肉子ちゃん 西加奈子 幻冬舎
17.おじさん図鑑 なかむらるみ絵・文 小学館
18.偉大なる、シュララボン万城目学 集英社
19.ジェノサイド 高野和明 角川書店
20.謎解きはディナーのあとで2 東川篤哉 小学館
21.アライバル ショーン・タン 河出書房新社


見事なくらいMorris.は一冊も読んでない(^_^;)。いや6位の写真集は本屋で立ち読みしてしまった。図書館業務をやスタッフたちと、Morris.の読書傾向が全く違ったって、一向にかまわないが、これだけ接点が無いとはね。
灘図書館出たら雨が降ってた。自転車置いて帰るわけにも行かないので、濡れながら6時帰宅。
郵パックが二つ届く。
ひとつは安城のアシナガさんから蒲郡みかん10kg、もうひとつは中学からの友人武雄市橘の馬場くんから佐賀米「さがびより」5kg。お歳暮ということになるのかな。Morris.亭には珍しい到来物である。
Morris.は結構「貰い下手」である。人から何かを貰っても、自分の気にいらないと、あまり喜んだ顔をしない(^_^;) 極端なときは、受け取らないことさえあった(>_<) 「いただくものなら夏でも小袖」くらいの人のほうが可愛げがあるに違いない。
しかし、今日の到来物はどちらも実に有り難い。蜜柑一人で10kgとい多すぎるくらいだし、お米は何と言っても主食だもんね。
アシナガさん、馬場くん、ほんとうにありがとうm(__)m
今日の歩数は1559歩。


比例代表選と裁判官国民審査 

アシナガさんからの蒲郡みかん 

橘の馬場くんからのさがびより 
2012/12/14(金)●元町でThe Bigood!●

8時起床。
今朝の血圧は206/101。
朝の3点セット。
昨日の深夜ABCで放映された「エンカ・テインメント のど自慢大会」のビデオを見る。むくげの会会員でもある大和くんが出場すると言ってたので予約録画してたのだ。何と8人の出場者は700人もの応募の中から選ばれたとのこと。それに勝ち残っただけでも相当にすごい。大和くんは3番目に「さざんかの宿」を歌ったが、うまいものである。こぶしばりばり効かせての熱唱。結果はグランプリつまり優勝してしまった(@_@) この番組ののど自慢は今回が41回目で、歴代グランプリには川中美幸、鳥羽一郎、坂本冬美、ジェロなど錚々たる歌手がいるそうな。ひょっとすると大和くん歌手デビューなんてのもありえるかもしれない。ともかく、おめでとう\(^o^)/
ぐいぐい酒場で稲田さんが、iPhone用のGoogleMapアプリが出たとのお知らせ。早速インストールしてみた。iPhoneに初めから入ってたのとはかなり絵柄が違うし、現在位置が、ちょっとずれてるような感じもするが、とにかく、今入れてる他のマップよりは使いやすそうだ(^_^)
金井美恵子トークセッションだいぶ前読に読み終えていながら、長いこと読書控え書けずにいた、金井美恵子「ピースオ・オブ・ケーキとトワイス・トールド・テールズ」を片付ける。引用が長すぎて時間食ってしまったのだった(^_^;)。
チェックのためネット検索してたら、何と、2012年2月20日、ジュンク堂で「読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき」のタイトルで、金井美恵子と朝吹真理子のトークセッションが行われたらしく、その時の模様がYou Tubeにアップされてた(@_@)のを見つけてついつい見てしまった。すっかり好々婆(^_^;)になった美恵子さんはともかく、若い朝吹の名前は初めて聞いたが数年前の芥川賞作家らしい。訥弁というより吃音症ではないかと思うくらいの話しぶりだったが、えらく手足が長く、特に手の動きが綺麗で、印象的だった。これもネットで調べら、1984年生まれで、父が朝吹亮二、朝吹登水子と石井好子が大伯母、そのほか実業家政治家の大物が親族にごろごろしてる名門のお嬢さまで、篠山紀信がモデルに頼み込んで写真展まで開いたとか。こうなると一度作品も読んでみたくなった。
夕方「ワールド・エンズ・ガーデン」に寄ってから、JRで三宮にに出て、三宮図書館で朝吹の本借りて、歩いて元町「シルクロード」へ。今夜はThe Bigood!のライブがあるのだ。対バンはジョッシュ率いる「ときめきエンジェルズ」。7時半に店についたらほぼ満席だったが、何故かいちばん前の席が空いてた、ラッキー。
本当はBigood!が先の予定が、いくちゃんが遅れるので、エンジェルズが先番になったらしい。女性3人含む8人組で、ジョッシュのギター教室の教え子たちのバンド。基本はブルーグラス、カントリーらしいが、歌謡曲やクリスマス曲も交えて、和気藹々のえんそうだった。
Morris.お目当てのBigood! いくちゃんは間に合ったのだが、マスクしてる。風邪で喉の具合もあまり良くないらしい。表情も冴えない。ライブのためかなり無理してるのだろう。演奏始まったが、やはりいつもの声とはかなり違う。それでも、演奏続く内に、元気出して笑いも取り戻したようだ。ムーちゃんは今日はジャグホルダー作って首から掛けてたので、写真も撮りやすかった。はっしーは何度もMC振られて立ち往生していたのが逆に受けてた。アンコールのあと、聖者の行進をみんなでセッション。10時前終了。
外に出たら小雨になってた。11時前帰宅。
今日のライブでははデジカメ動画撮影はほとんど無しで、デジカメ撮影に集中したのだが、帰ってPCで見たら、いまいちだった(>_<) アンコール曲「Mr. Sandman」だけYou Tubeにアップしておいた。
総選挙明後日に迫ったが、よりによってその日にひさびさの仕事が入る(4時半起きで名古屋)。明日不在者投票に行くことにしよう。
みんなも、投票行くように(^_^;)
今日の歩数は3881歩。


エンカメグランプリ大和くん 

今日のぶんちゃん

ときめきエンジェルズ

The Bigood! #01 

#02

#03

#04

#05

記念撮影

【ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ】金井美恵子 ★★★★まず、腰巻の惹句を引いておこう。

物語(テールズ)とドレスと映画と記憶と夢に祝福された言葉の宇宙
そして、至福の小説がはじまる
"読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)"に満ちた前代未聞の小説!
五年ぶりの長編小説


リキ入りまくりぢゃあっ(^_^;) それにしても「"読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)"」というのはかっこ良すぎると思ったら、これはあとがきのタイトルだった。とりあえず5年ぶりの長編小説となると読まないわけにはいかない。
最近は、金井といえば毒舌と下世話な(失礼)目白シリーズ作品やエッセイが人気を博しているようだが、本作は彼女のもうひとつの主題である小説のための小説(メタ小説)的な要素が色濃く出ているようで、Morris.は読み通すのにえらく時間がかかってしまった。読みづらいとか、ではなくて、何か一気に読むことを拒絶する何かがあって、結局読み始めてから読了するまでに1ヶ月半くらい過ぎてしまった。そして、それがこの本を読むのには相応しかったような気がする。
タイトルは、「ケーキの一切れ(楽々と出来ることという意味を併せ持つ)」+「書き直し(ホーソンの短編酒のタイトル)」で、「本書は意味的には「楽々と出来る語り直し」という、あざといタイトルを持っています」とあとがきにある。
21の掌篇から成り、それぞれが微妙に絡まり合いながら、変奏を繰り返し、それらが収斂するのではなく、きめ細かく紡がれた織物のように広がりをもった豊穣な物語世界として定着されている。そのことは以下の一節からも読み取れる。

ほとんどの物語のなかで語られることに決っている試練や冒険や戦い--冒険だらけの7つの航海や、髪の毛が蛇で出来ている女の怪物、迷宮の奥にひそんでいる半牛半人の怪物、嵐や、巨人や、人喰い鬼、人喰い人種や、野蛮な土人やライオンや奴隷商人や人買いや海賊や悪い王様の軍隊といったもの、解けなければ殺される謎々や、人間を動物に変えてしまう魔女や、難破、漂流、無人島での孤独な生活、ポルトガルやチリでの大地震、理不尽な迫害、宗教裁判、モーロ人の囚われ人、夜襲、累々と横たわる屍体、流される血と英雄的行為、仲間の裏切りと裏切り者のむごたらしい死、中世の城での、あるいは西部の町や牧場での血糖、悪者から逃れて隠れひそむ洞穴、湿った洞穴の中のサソリや毒蛇や毒グモ、悪賢しこく残忍な敵、囚われの美女と誘惑する美しい魔女、法師を守って旅する猿、美しい少女に変装する美少年と美少年に変装する美しい少女、忠実な馬と忠実な犬の助けと、その崇高な死、脱出と逃走、そして故郷への帰還--のいっさいがないままに、アキノスケはトコヨの国の王に命じられて島の総督となって二十三年間島をおさめるのだが、賢明で忠実な補佐役の部下がいるので仕事は少しも難しくなく、島は健康によいおだやかな気候と豊かに肥えた地味に恵まれ、住民はひどく善良でささいな犯罪をおかす者とてなく、悲しみや嘆きや怒りの小さな影のさすこともないのだ。美しい島の華美な宮殿の前の広場には緑色のすべすべした輝く石で見事に彫られた龍王が人口の池の中央にある島にいて口から水を噴き出し(王国の繁栄を保証しているように)、総督夫妻には七人の子供が次々と生まれ、子供たちはみんな丈夫ですくすくと育ち、さまざまな楽しい小さな出来事が積み重なるばかり、と、私はつぎはぎ細工の布を集めて縫うように語る。心地良い退屈さ。

ありとある物語のさまざまな要素を、玩具箱をひっくり返すように展示しながら、「心地良い、退屈さ」で覆ってしまう、これが金井流の「洒落」なのかもしれない。

田舎町の雑貨店の娘は、町に立ち寄った美男の実業家と知りあい恋に落ち、田舎者で嫉妬深い婚約者を捨て、家出同然にシンシナティの河船の上で船長のもと、二人きりで結婚式を挙げようとするのだが、婚約者に邪魔され、やっと船つき場にやって来ると、船はすでに出航した後で、船上で娘を待ちつづけていた青年実業家は、ぎりぎりになって彼女が自分への愛に賭けることをやめたのだと考え深い傷心のままニューヨークへと向い、やがて娘も青年を忘られぬままニューヨークへ出て、お針子として苦労し、もともと才能があったせいでファッション・デザイナーとして成功するのだが、五年後、娘はすでに結婚して妻子のある実業家と出あい、初めて出会った時よりもさらに激しく深くお互いが愛しあっていることを知り、ヒロイン(アイリーン・ダンのもマーガレット・サラヴァンのも、スーザン・ヘイワードのも見たけれど、もちろん、アイリーン・ダンが一番いいと伯母は言う)は、日の当る表通りの正式な夫人としてではなく、裏街の愛人として彼を愛しつづける決心をするのだったが、大きな底知れぬ深い水のような眼を持った美しい若い不幸な娘や女たちの話は、布の上を滑るように走る針の銀色の瞬くような輝きと共に語られる。

これはアメリカ映画「裏町 Back Street」への言及である。といっても、ネットで調べてわかったことだ。女優の名前で検索すれば何のことはなかった(^_^;) 古い順に並べると

アイリーン・ダン版(1932) 監督 ジョン・M・スタール 脚色 グラディス・レーマン 台詞 リン・スターリング
マーガレット・サラヴァン版(1941)監督 ロバート・スティーヴンソン 脚色 ブルース・マニング フェリックス・ジャクソン
スーザン・ヘイワード版(1961) 監督 デイヴィッド・ミラー 脚本 エリノア・グリフィン ウィリアム・ルドウィグ


で、原作はすべてファニー・ハースト。美恵子さんは、名うての映画通であるし、こうやって名指しするくらいだから、当然すべて観てるはずだ。
Morris.は作品名すらしらなかったのだが、それぞれのあらすじを見比べたら、それぞれかなりのバリエーションが施されているようだった。つまり「書き直し」の見本例としてぴったりの映画だったのだろう。いやこのプロット自体が本書のプロットに重なっている、ひょっとすると本書そのものがこの映画のバリエーションでもあるということなのかもしれない。彼女にしてみれば自家薬籠中の小道具といった感じなのだろう。

中国料理のメニューでは、萌やしは銀芽と書くのだと母は言い、あんたのパパはそれを銀の牙だって読み間違えたまま思い込んで、中国人の言葉の感性にひどく感激していたものだった、シートンの白い牙より凄い大きな犬が出てきそうじゃないか、って言って、と笑う。
薄茶色のごしゃごしゃした糸クズのような根と頭のさきについている双葉になりそこなった豆の皮のカスがついたままでは、萌やしなんて、咽喉や奥歯に糸クズみたいに伸びた根がひっからまるだけのいやな臭いのする下司で貧乏くさい食物だけれど、それをきれいに取り除けば、つやつやと輝く銀の芽という言葉で賞賛される料理になるのだと、根も頭も一度だって取ったことのないあんたのパパはいつも言っていた


もやしのことを「萌やし」と書くことも知らなかった(>_<) Morris.はけっこうもやし好きで良く使うのだが、根と葉を取ることはまず無い。もやし料理では韓国のコンナムルクッパ(もやし雑炊)が一番好きだ。「シートンの白い牙」にはちょっとひっかかった。「白い牙」といえばジャック・ロンドンではないのか、まあ、これは父の言葉だから、彼がそう思い込んでたということでよしとしよう。

洋裁室から聞えて来るミシンの回転する音で、どんな布地(きれ)を縫っているのかわかる。薄い夏物の木綿を真っすぐ縫っている時は、水道の蛇口をいっぱいにひねって流れ出した水が流しに弾ね返って排水口に吸い込まれて行くような音をたてるし、薄い木綿でも袖付けや襟といった曲線や小さな尖った角のある所を縫っている時には、布地をゆっくり手で針の下に送り込むからミシンはトントンと小刻みにゆっくり回転するし、もっと厚い布地が重なっているのを縫うときには、ミシンはふとざおの三味線がじょうるりの節のように、テテデン、テテデン、テテデン、と鳴り、薄い布地の尖った衿先にミシンの針を落しているときには、「おんなていきん」の「せいろくの三味線」ほどではないけれど、最後の縫いどまりで針を上げると、ツトンツトンツトンツトン、ジャン、という音をミシンがたてるのだけれど、お前さんの小っちゃな爪をハサミでつまむ時は、小指からチンツン、チンツン、人差指の爪はすこし大きいから、ハサミをテンと入れてテンツン、親指はもっと大きくて爪も他の指より固いから、テンテン、ト、ジャンでしめることになるので、これは「きよもと」と、祖母は言い、

ミシンの縫い音を三味線に例えるというのも結構面白いが、その擬音表現もなかなかに懇切で笑わせてくれる。ここらあたりは谷崎の影響があるのかもしれない。

この今わたしが見ている月は、はじめて見る月であり、同時にこれを見るのは今が最後なのだ、という考えが浮んだ。それから、そう考えてこの今の瞬間が、他の多くのことと同じように忘れ去られてしまうだろうと考えて無性に悲しくなった。それとも、いつかこの今の瞬間、今こうして見ている月と、この道と、風と、こうして今わたしの感じているすべての感覚を思い出すことがあるだろうか。この今の瞬間から、瞬間ごとに遠ざかっているのだという思いが私を苦しめた。時間というものが止ることなく流れつづけて、すべてのことを取り返しようもなく過去のものにしてしまうという思いが、歩く足の一歩一歩を重くした。

月と時間で、つい稲垣足穂を連想したのだが、まるで違ってた(>_<) この部分はこの作品の「肝」かもしれないし、瑕瑾かもしれないな。

「艶のある毛足の長い柔らかな黒い毛皮が取り巻いている白い首筋は、なめらかな円柱の形をしていて、床屋でうぶ毛をあたってもらったばかりらしく、鋭く薄い剃刀の刃できれいな二つのくさび形に整えられた襟足は、そこに舌の先で軽く触れると、微かな金属の味がしたかもしれない。ひんやりと冷たく、舌の先きのざらざら荒れた味蕾の粒の一つ一つに、ひんやりと冷たく微かなヒリヒリする苦味のある金属の味がひろがり、なめらかな首筋の皮膚はくすぐったがるように少しばかりふるえて小波のような興奮ののために小さく泡立ち、彼女は艶やかな光沢の柔らかな黒い毛皮のなかに顎を埋めるようにうつむくので皮膚の表面が粒立った頚椎を浮びあがらせて水平になり、左腕に持っていた柔らかなキッド革の四角いハンドバッグを右腕に持ちかえ、手袋をはめていない手で、厚手のかたく粗いツウィード地のコートの袖をつかむ。

バロッキー&トリビアリズミックな解剖的記述。そして、美しい。画面全体にピントの合った(合いすぎた)写真を見せられているような気になる。もちろんモノクロね。
本書の表紙と扉に使われているのもモノクロ写真で、これは岡上淑子が1950年代にこしらえたフォトコラージュである。エルンストを知らずに、エルンスト風のコラージュを日本の若い女性がやってたというのも驚きだが、その質の高さ(美しさと深さ)には圧倒されるばかりだ。Morris.は表紙より扉のロングドレスの貴婦人が右手に人の手らしきものたちをさり気なく抱えている作品が一押し。今ならコンピュー上でコラージュなんか簡単にできそうだし、縮小も変形も自由自在だからいくらでも完璧に近づけそうだが、やはり鋏と糊での手作業というのが、作品にリアル感を与えているようだ。

不摂生をすれば覿面、熱が出ることはわかっているのに夜ふかしをして本を読んだりするからだ、そもそも、「絶対」は付かないまでも「安静」というのは本なんか読まずに(本を読むのは頭だけではなく、体中の細胞を使うことなのだ、と母親は主張する)休んでいることなのだから、じっとしているのが退屈だって我慢しなければしかたがないのだ、と母と伯母が言い、それに、「安静」にしている時は「想像力」をつかえばいいのだし、「本」のなかに登場する人物のほとんどは「本」を読んで「学問」というより「想像力」を培うというかやしなうのだけれど、それは本人にとって必ずしもいい事ばかりではなくて、滑稽なことの方が多いかもしれないし、時にはそれだけではなく不幸のもとになるかもしれない「想像力」と伯母は言って笑う。

いかにも金井らしい読書論である。目と頭だけでなく全細胞を使って本を読む。そりゃあ、疲れるわな。でもそれが出来ない輩は美恵子さんに読者として認めてもらえないにちがいない。

<わたし>か、あるいは、誰かの舌が--柔らかく粒立っている--<わたし>か、あるいは誰かの貝殻骨の窪みに溜った汗を舐め取り、複数の夢の水となって、汗と唾液がまじりあい、身体の内部から分泌する液体と精液がまりじあう。そして、無数の誰でもない者となる。

これが最終節である。ああ、この作品は「形而上下諸刃の剣」的ポルノグラフィだったのか、と思い当たった。

2012/12/13(木)●北野・旧移民収容所●

8時起床。
今朝の血圧は209/112/69。
朝の3点セット。
昼前に部屋を出て、原田の森ギャラリー冷やかすも、まるで面白くなかったので素通りしてそのまま歩いて新神戸に出る。
そのまま北野に上るのではなく、ハーブ園行きのケーブルカー乗り場から、旧北の浄水場の方に回る。浄水場施設はほとんど何も残ってなくて、煉瓦作りの門番小屋だけが残っていた。これは今でもレストランのガードマンの番小屋に使われているらしい。これはなかなか味わいのあるもので神戸市のマークやタイルで装飾されてたようだが、タイルはかなり破損していて原型をとどめなかった。
とりあえず観光客みたいなふりして、異人館通りを西に歩く。飛行船が飛んできたので撮影しようとしたが、アリコのスヌーピー号では撮る気が萎える。
わざと横道や裏道通って北野西公園やら再度山公園あたりをうろつく。外人倶楽部の横の坂上って行ったら金網の向こうに白い円柱の建物が垣間見えた。外人倶楽部のホールのようだ。昔ゆうさんとしごとしてた時には、わりと頻繁にこの外人倶楽部に立ち寄る機会があったことを思い出した。
山本通を西に歩くと、移民センターの建物があるのだが、何かえらく綺麗になってる。玄関の柱には「海外移住と文化の交流センター」という看板が掲げられていた。
2008年ブラジル移住百周年を記念して建物の大改修を施し、翌年竣工したらしい。一階二階には移住ミュージアムとして無料公開されている。Morris.は、展示物より建物の内部が見られるというのが嬉しかった。復元とは言っても、かなりのリニューアルで、綺麗すぎ(^_^;)という感じがした。それでもやっぱり階段や廊下の雰囲気にはすっかり魅せられてしまった。
1928年(昭和3)に「国立移民収容所」として開設したこの建物は32年「神戸移住教養所」に改称されたが41年戦争によって閉鎖「短期高等海員養成所」、42年に「大東亜要員短期養成所」。敗戦後52年に「海外移住斡旋所」として再開、64年「神戸移住センター」に改名したものの71年に閉鎖。72年から83年までは「神戸市立高等看護学院」として使用、とさまざまな役割を果たしたようだが、95年から99年までは、神戸震災で被害を受けた神戸海洋気象台がこの建物の一部を使用したとか。長田の双葉小学校もそうだが、古い建物をこういった形で、保存+文化活動のために利用するというのは、良いことだと思う。
展示のポスターや写真、ビデオ見たりして、結構長居をしてしまった。
そのあと諏訪神社まで上って、4時半過ぎに中央図書館到着。延滞図書返して、しばらく雑誌や漫画など読んだり、三階のデザイン本冷やかしたりして7時半に退出、8時帰宅。
今日の歩数は9559歩。



旧北野浄水場の番小屋

煉瓦道

煉瓦塀

教会風の礼式場

ヴォーリズの黄色い家

北野点景

同じく

飛行船

公開異人館

ひっそりやってる喫茶店

北野交番

洋館 #01
 

洋館 #02

洋館 #03

洋館 #04

北野サーカス

洋館の残滓

急傾斜

北野西公園

外人倶楽部のHALL?

レトロモダン

「海外移住と文化の交流センター」

旧国立移民収容所

修復前の姿

往時の窓枠

移民船の図像

移民募集のポスター等

脇階段

居室

アート空間

廊下

往時の廊下

中央階段

同じく

1952-64はこの名称に

戦前の記念写真

階段口の窓

内部から玄関を

アメリカ田舎styke

諏訪神社から見下ろす

煉瓦塀

花と緑の地域センター

崖っぷち床屋

夜の大倉山図書館

郵便受けに入ってた(^_^)
2012/12/12(水)●北朝鮮のフェイント(>_<)●

8時半起床。
今朝の血圧は156/97/77。
北朝鮮の「衛星?ミサイル?」ロケット打ち上げと、尼崎連続殺人事件の主犯角田容疑者の留置場での自殺と、立て続けのニュースに、TVは混乱してた。一昨日発射予定延期を発表しながら、今朝の発射というのは、北朝鮮お得意の猫騙しに、日米韓が見事に引っかかったというべきだろう。昨日「解体状態」情報をメディアに出した韓国政府は、対応に大わらわ。
角田容疑者自殺は、兵庫県警のとんでもない失態というしかない。これで事件はほとんどうやむやになりそうな気配である。
昼過ぎまで、昨日の日記の編集。何しろデジカメ画像が50、拡大画像も入れると70もあったのだからしかたがない。
夜は歩いて六甲の「ごパン」へ。「ごパン」は12月で店を閉じるので、そのお別れライブかと思ったら、何か東北支援のNPBの集まりのようだった。2月末から3月にかけて学生センターで写真展をするとのことだった。矢谷くんの歌はあまりなくて、ちょっと拍子抜け。
ごパン店長は結婚して和歌山に引っ越すらしい。
今日の歩数は1341歩。


北朝鮮「衛星?」打ち上げ映像

「朗報」を報じるお馴染みアナウンサー

畑原市場は工事で閉鎖

3ヶ月前の気仙沼ビデオ(矢谷撮影) 

矢谷くんの気仙沼応援ソング

今年で閉店する「ごパン」店主

【失われた近代建築 1.都市施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信 ★★★★明治から昭和初期の西洋建築を撮り続けて来た増田彰久の写真に建築探偵藤森が解説つけたもので、25X26cmの変形版150p、1.都市施設としてオフィスビル17件、金融22件、官公庁13件の計52件。付録にその他の失われた名建築148件もサムネイル風に紹介されている。
本書に掲載されているものはすべて、もうこの世から無くなっているわけだから、この写真集で見るしかない。しかし、もし現存していて、その建物にまみえたとしても、この写真ほどに見ることは難しいだろう。そのくらいの写真が揃っている。それでも、あとがきの最後に置かれた写真家の言葉は、

建築は現存していないとダメである。取り壊されると記憶からも消え去ることになる。

確かにそうなんだよな。取り壊すのは簡単(簡単ではないか)だけど、一度取り壊されたものは永遠に無くなってしまう。
藤森の解説もコラムみたいな短いものだが、さすがに寸鉄人を刺す要所を抑えた文章である。
取り上げられた建物の半分以上は東京のものだが、一番印象的だったのが神戸の「三井銀行神戸支店」というのは、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちにさせられた。
解説の藤森は「忘れられない建物である」と書き出している。少し引いておこう。

一歩近づくとエンタシスの柱がグイとふくらみ、二歩近づくとググイ、柱は歩数に合わせてふくらみ、一方、イオニア式の渦巻きはその分、ふくらんだ柱の上端を締めつける。まるで石の柱が、生きもののように見えた。
以降、まるでつきものでも落ちたように、西欧感のスタイルが、鮮やかに目に映るようになる。この建物が私の目を開いてくれた。
設計者は第二世代の長野宇平治。
今にして思えば、この列柱だからこそ目のウロコを落としてくれた。瀬戸内海の北木島産御影石の一本石、それも11メートルの一本石六本はこれが最初で最後の産出。
もしこれが、一本石でなければ、たとえば三菱銀行のように継いだものであったら、その味わいに気づかなかったかもしれない。もしこれが、長野宇平治でなく師の辰野金吾のデザインだったら、通り過ぎたかもしれない。
長野は、辰野の下で十六年間、日銀の仕事についた。そして、辰野のような浅い理解でヨーロッパ歴史主義に接してはいけないと思い定め、ヨーロッパから高価な原典、たとえばルネッサンス期のパラディオの原本やピラネージの原本を取り寄せ、懸命に学んだ。その懸命さが、渡辺節にくらべ細部の造形をやや濃い目の味にしているのだが、その懸命さが、濃さが忘却の時間を超えて私の目に映ったのだと思う。
なお、阪神/淡路大震災のおり、倒壊し、一本石はバラバラに割れてしまった。その味わいは今やこの写真の中にしかない。


「失われた近代建築 1.」ああ、確かにこの建物はMorris.も記憶にある。たしかに素晴らしい柱だったなあ。本書の表紙は、この石柱の基部が並んだ写真が使われている。これもまた素晴らしい。
今更、並べ立ててもしようがないのだろうが、Morris.の印象深かった建物をランダムに挙げておく。

・大阪ビルディング東京分館一号館「大ビル一号」
・シェル石油横浜事務所
・東京朝日新聞社
・心斎橋そごう百貨店
・大同生命本社ビル「大同生命ビルディング」
・大阪市庁舎
・千葉監獄(房舎)
・鹿児島監獄
・豊多摩監獄
・小菅刑務所(炊事場および工作棟)


監獄が4件も入ってる(紹介されてるすべてぢゃ(^_^;))のはご愛嬌だが、「大同生命ビルディング」は、建物ではなく内部の、マーブル造りの螺旋階段の色と曲線の美しさに心奪われてしまったのだ。大阪市西区江戸堀1-2という住所は、つい先日出会った日本基督教団大阪教会のすぐ近所ではないか。近くで見つけた小さな4階建ての雑居ビルといい、このあたりは、かなりレトロビル密集地だったらしい。
増田の写真といえば「写真な建築」の感動は今でも忘れられない。Morris.が日記で結構建物の画像を紹介するのもその影響(と言っては笑止千万だろうが)だと思う。本書の続編「2.文化施設編」はもちろん、他の二人の共作本も是非拝観(^_^;)したい。

2012/12/11(火)●大阪中央図書館まで●

8時起床。
今朝の血圧は191/103/73。
今夜は鶴橋でサランバン会なので、早めに出て、前から気になっていた大阪市立中央図書館に行く事にする。
せっかくだから、梅田からぷらぷら散策しながら歩いて行く事にした。梅田のビル街堂島から土佐堀経由で江戸堀でこじんまりしたレトロビル発見。雑居ビルで、事務所等入居者募集と書いてあったので、ちょこっと覗いてみる。狭い階段で二階はビストロ、三階にはデザイン事務所などいろいろはいってて二部屋くらい空いてるようだった。
ここの裏手にレンガ造りの教会の塔の頭が見えてたのでそちらに廻る。途中ダンボール箱で寝てるトラ雉見つけて撮影しようとして起こしてしまった。
教会はプレートに日本基督教団大阪教会と書いてある。iPhoneで調べたら1922年(大正11)竣工のヴォーリズ建築らしい(@_@) ロマネスク様式とも書いてあった。なかなか良い建物なのだが、周りが立てこんでいて、全貌を撮影するのが難しい。向いにも大きな教会風の建物があったが、こちらは結婚式やパーティなどの礼式場みたいだった。
明治小学校、堀江小学校という歴史の古い学校をひやかして、やっと中央図書館にたどり着いたら3時前だった(^_^;) 閲覧室は地下一階から三階までの4フロアー。とにかく広いし、ゆったりしている。丸テーブルや不定形のテーブルが彼処においてあって、ゆっくり読書できるようだ。地下には喫茶や簡易レストランがあり、11時から2時までだけかなり低価でランチサービスがあるらしい。
韓国図書のコーナーもあり、新長田図書館の倍くらいの規模だった。
文学コーナーでは個人全集が数多く開花閲覧出来るようになってるのが嬉しかった。
芸術コーナーでは、写真集が充実してたし、楽譜の多さにも驚かされた。
雑誌も種類が多く、これなら丸一日いても退屈せずに時間過ごせそうだ。近くにこんな図書館があれば嬉しいだろうな。
5時半過ぎに図書館を出て地下鉄千日前線で鶴橋へ。「恋人」についたのが6時半。洪ママ、歌麿会長など6人くらい先に来てた。12月だから早めの忘年会ということになるのかな、と言ったら、今月末にもう一度集まろうという話になった。たぶん28日になりそう。
先週練習したキムヨンジャの「10分以内に」を張り切って歌おうとしたのだが、見つからない(>_<) この店のJoy Sound UGAはキムヘヨンの「ソウルテジョンテグプサン」も、ユンジョンちゃんの日本語版も、チェジニの「愛の迷路」も無い。これはちょっと情けないな。
遅れてきた榎本さんにまたもビールどんどんおごってもらったが、今日は何とか11時前に店を出て、何とか無事に午前零時前に帰宅できた。
今日の歩数は9811歩。



淀川

梅田ビル群点景 

同じく 

同じく

同じく

面白いオブジェ

リッツホテル

ホテル前庭の彫像

鏡ビル

堂島川

田蓑橋

土佐堀川

筑前橋

江戸堀のレトロビル 

雑居ビルらしい

ちょっと覗いてみる

二階はビストロ?

なかなか好みである 

裏の食堂のトラ雉

同じく

素敵な階段

教会風の礼式場? 

同じく

同じく

日本基督教団大阪教会

礼拝堂

フランドル積煉瓦


礼拝堂前面細部 

中沢佐伯記念野球会館(高野連本部)

可愛い表札

「信号用 府警」 

「照明」

看板建築

明治小学校

同じく

校内に保存の阿古島橋欄干

黒猫?

大阪西教会

三階建て蔵?

堀江小学校

面白い洋品店

同じく

大阪市立中央図書館

階段

サランバン会点景

#2 洪ママ

#3 洪ママと2ショット

#4 親子、いや姉弟デュエット

#5 和気藹々

#6 オッス!! 歌麿会長 
2012/12/10(月)●歌は世につれ●

8時半起床。
今朝の血圧は190/102/92。
朝の3点セット。
今日も午前中は部屋でごろごろして、やっと昼から王子動物園へ。フラミンゴ、羊、ラマ、レッサーパンダ、コアラ、手長猿、かわうそ、まぬうなど速写して、資料館図書室で「外来鳥ノート」を見る。以前税関前の電線に多数止まってた鳥の名前を知りたかったのだけど、結局良く判らなかった。びっくりしたのは、鵲(かささぎ)が、北海道を始め日本全国かなりの県で自然繁殖しているということだった。この鳥は韓国語で「カッチ」と言って、あちらでは結構人気のある鳥で、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時に九州に持ち帰ったものが、佐賀県一帯にのみ繁殖したということが有名で、佐賀県では「カチガラス」と呼ばれているし、大正期には天然記念物の指定を受け、佐賀県の県鳥であるというのがMorris.の一般常識だった。まさかそれが今や全国に(@_@)と驚いたのだが、今のところ佐賀福岡以外では、極く少数ということで、一安心(^_^;)??した。
4時に動物園出て、王子運動公園の散歩道歩いてたら、前にも見かけた白黒猫連れて散歩中のおじさんに出会う。デジカメ撮影しようとしたら「写真ならあげますよ」といって、自分が撮ったプリントを2枚くれた(^_^;) でも写真もらってる間に黒白はどこか行ってしまったぞ(>_<)
スギ薬局、マルハチで買い物して6時前帰宅。6時になるとほとんど真っ暗だね。
今夜のKBS歌謡舞台。先週は大統領候補討論会で中止。今日は討論は10時で終わったのだけど、その後ニュースが始まり今日も無いのかなと思ったが、10時50分から始まった。「セウォルタラプルヌンノレ 時代に連れて歌われる歌?」というタいまいち掴みにくいタイトルだが、時代順に男女歌手が交代で登場、それぞれの持ち歌を歌ったあと男女デュエットするというプログラムのようだ。
キムヨンマンの「回転椅子」、ソンチュンヒ「ヨンサンガン乙女」、キムサンヒの「テモリチョンガク」、ナム・イルへ「赤い靴の娘」、ハイライトはチュヒョンミ「新沙洞の人」とチョハンジョ「男という理由で」の組み合わせ。二人で歌ったのはは「幸福の泉」という知らない曲だった。調べたら1965年イヨンイルとパクチェランのデュエット曲だった。後はパク・サンチョルとアンダミ、ホンジニョンとシニュという組み合わせだった。実は今日の歌謡舞台は例のホンジニョン応援ブログで彼女が「愛のバッテリ」で久々登場という紹介があったので、多分放送あるだろうと思ってネットのKBS1TV切らずに見てたのだ(^_^;) あのブログ書いてるのは29歳の日本人男性らしいが、韓国歌謡界の情報収集能力は端倪すべからぬものがある。できればいろいろ教示してもらいたい。
小沢昭一の訃報。享年八十三。「小沢昭一的こころ」のラジオ番組でおなじみだったし、日本の放浪芸研究、映画では名バイプレイヤー、しゃぼん玉座での一人芝居、変哲という俳号で俳句を楽しみ、明治村の村長を務めたこともあったとか。永六輔、野坂昭如と「中年御三家」と呼ばれたことを思い出した。あの語り口がもう聴けないというのは寂しい。冥福を祈る。
今日の歩数は2378歩。


「夕鶴」と動物愛護の取り合わせ?

そういう作品だったのか(@_@) 

こちらは図書室前のオブジェ

フラミンゴ 

 

ラマ

レッサーパンダ 

獺(かわうそ)

たまにはコアラも 

今日のまぬう(雌)

まぬう(雄)

ボブキャット

黒白コロブス親子

黒手長猿 

白手長猿

ペンギンズ 

夕空

夕陽のハンター邸

冬の蟷螂

散歩黒白

飼い主撮影写真

2012/12/09(日)●死んでた(>_<)(^_^;)●

9時起床。
今朝の血圧は154/87/99。
それほど飲んだとは思わなかったがひさびさの宿酔のようだ。
「挑戦千曲」見逃してしまった(>_<) 昼間でベッドで読書。
昼からのノレチャランもほとんど音声聴く状態。
今朝は神戸でも初雪が降ったらしい。
午後はグズグズと昨日の日記、というか、デジカメ画像の編集。やっぱりぶんちゃんは可愛いぞ。現在4ヶ月とのことだから来年3月すぎにはすっかり成猫(これは響きが悪い(>_<)、大人になってしまうことになる。今のうちの画像は貴重だと思う。せいぜい記録撮影に励むことにしたい。
夜はTOYOTA カップ、広島vs.アルアハリ(エジプト)。試合早々広島のGK西川の頬に相手選手の膝がモロに入って退場。前半は1-1で折り返したが、後半に店を取られて1-2の惜敗。
今日の歩数は0歩。

【お父やんとオジさん】伊集院静 ★★★☆ この作家の名前はよく見かけてはいたものの、何となく手に取ることがなかった。Morris.と同世代で西原の漫画に時々出てくるので、ギャンブル好きなんだろうくらいのイメージしかなかった。
在日朝鮮人で、「ギンギラギンにさりげなく」の作詞家で、夏目雅子の夫だったというのも知らずにいた。図書館で短編を立ち読みしたことはあるかもしれないが、まともに読んだのがこの600Pを超える長編である。2007年から09年「小説原題」に連載されたもので雑誌発表時は「ボクのおじさん」というタイトルだったらしい。
伊集院自身のモデル小説ということは間違い無いと思うのだが、タイトルを見ると「父と叔父」が対等のようだし、連載時は叔父がメインのように思える。しかし読んでしまうと、これは完全に父がメインの物語だと思う。
序章に、東京オリンピックの随行議員として、突然現れてすぐ去っていった「おじさん」は、長男(作者がモデル)にとって、すごく立派な人物のように思われた。そのとき父とは将来の進路などでぶつかり合い、父は他所に妾を持つなど反発を覚えていたため、余計におじさんを理想化したのかもしれない。その後間もなくおじさんは早世してしまう。
全体で十一章あり、三章で朝鮮戦争の始まりになる。おじさんは北朝鮮軍に徴発され、途中で逃亡して三千浦の実家に逃げ帰るが村の人々は自分の子供が殺されたのはおじさんの密告のせいだと思い、帰ってきたら有無をいわさず殺すつもりだった。おじさんは鶏小屋の下に穴を掘って底に身を潜める。
朝鮮戦争は半島をローラーで押しつぶすように両軍が南北をズダボロに侵略しあって一進一退の泥沼化してしまう。おじさんの状況は切羽詰まってることを知らされた父さんは、弟であるおじさんを心配する母さんの願いを聞くため、偽装船を仕立てて密航しておじさんを助け用途する。結局は大変な危険をおかして、おじさんをソウルに連れていき何とか韓国軍に入隊させ、単身帰国する。8章から11章まではこの命がけの救出作戦に割かれている。
おじさんはほとんど一方的に父さんに助けられるばかり。それなのに、青臭い理想主義で父さんに反論したりもする。

「君はどうして私が日本に渡ったのかと訊きましたね。それは簡単な理由ですよ。……生きるためです。それ以外の理由は何もありません。君の父上も、あの塩田の組仲間の人も皆同じはずです。生きるために新しい世界が必要だったからです」
「人間は生き手入れはそれでいいんですか。そこに希望がなくてもですか」
「私はそう信じています。生きていれば希望は見つかるものだと信じています」
「他所者と虐げられてもですか」
「吾郎君、別に他所者でなくとも人間は弱い者を虐げるものですよ。強く生きていればそんなことは平気なはずです」
「義兄さんは強い人ですね」
「強いのではなく、そうなるしか生きて行けないのだと思います。男であれ女であれ、国を出て新しい土地で生きて行くにはそうならざるをえないでしょう。あなたのお父さんも若い時は皆が頼り、慕う方だったではありませんか。吾郎君にはお父さんのその血が流れています」
「…………」
今度は吾郎が黙り込んだ。


朝鮮戦争の推移や日本の(特に在日の)状況などがなかなかリアルに描かれているが、後半の父さんの活躍部分が長すぎて、ちょっとテーマが散漫になってるような気がした。その行動もあまりにご偶然と都合主義で処理されてる感が拭えない。

2012/12/08(土)●ぶんちゃん宅?にお呼ばれ●

8時起床。
今朝の血圧は192/110/70。
ウィークエンド・サンシャイン、途中から聴くも、いまいちピンとくるのが無かった。今日はジョン・レノンの命日ということで、「Imagine」がかかったが、これがハービー・ハンコックのものというのが、ピーター・バラカンらしいところか。
昼間は部屋でごろごろ。
夕方マルハチに買い物に出る。元町でのルミナリエに対抗してか(^_^;) アーケードから西側の通りにイルミネーションが飾られていて、寒い中で3人組が演奏してた。アコーディオン、ギターに、女性の二胡とボーカル。草競馬をテーマにした軽快な曲が楽しかった。
6時帰宅。
今夜は一階の古本屋店主オザワくんの部屋におよばれ。ビールと二階堂もって部屋に行ったら友達二人も来ていた。和歌山のふみちゃんと塚本のタカノくん。今夜のお呼ばれはタカノくんが、Morris.部屋をみてオザワくんにいっしょに飲もうと声をかけてくれたらしい。
いつもは紐につながれてるぶんちゃん、部屋では開放されて、思いっくそ走り回ってた(^_^)
ふみちゃんが作ってくれた山かけ丼とおからの卵焼きをいただき、ビールで乾杯。あとは焼酎(二階堂+カボス)飲んで歓談。タカノくんおみやげのオリープ大福なんてのもあったが、Morris.はパス。
ぶんちゃんは人見知りしないどころか傍若無人ぶりを発揮(^_^;) 全員の肩の上に乗るわ噛むわ引っ掻くわ(ほぼ被害者はタカノくん)
しかし、こんなかわいい猫が部屋にいると楽しいだろうなあ。楽しいけど部屋では何もできなくなるかもしれない。
焼酎は終って、タカノくん持参の福寿生酒いただきながら、本の話やら映画を話題に話は大いにはずんで、気がついたら2時前(^_^;)。いい気分になって帰宅。
今日の歩数は3362歩


二胡の演奏とルミナーダ(^_^;)

ぶんちゃん 

たねやのオリーブ大福

肩乗りぶんちゃん#1

#2 

#3

#4

やっぱりきゃわいい!! 

兎猫(^_^)
2012/12/07(金)●猫撮り歩き●

7時半起床。
今朝の血圧は202/108/83。
浅風呂、掃除。
海子さんブログで白山羊の写真に、まどみちおの「やぎさんゆうびん」を引いて、最初の手紙の内容を「諸説あるようですが お食事のお誘いの手紙だったようです ですが、お互いにお互いの手紙を食べすぎて(歌はエンドレスに続く) お腹がいっぱいになったので また次の機会に ということだそうです  (-"-)」と書いてあったので、そうかな?と思ってネットで調べたら「やぎさんゆうびんの謎」という記事を見つけた。結構な長文なのだが、これがまためちゃくちゃ面白かった。かなり古い(1999)記事だが、あまりに面白かったので「森のくまさんの謎」「おおブレネリの謎」という姉妹作まで読んでしまった。こちらもそこそこ面白かった。文章も上手いし、論理構築がしっかりしてるし、遊び心もある。うーーん、やっぱりネットの世界も奥深いものである。
今日は早めに部屋を出るつもりだったが、この人の書き込みを色々見てたら昼になってた(^_^;)
1時前に部屋を出て、JR駅を通り過ぎて南に降りる。ケーズ電気でノートパソコン冷やかすつもりだったが、フレッツ光の勧誘員に捕まって、これを機会に色々質問する。小一時間くらい説明してくれた。2年縛りで、今ならパソコン\45000値引きとか。そのかわり、光テレビなど4つのオプションを付ける必要があるし、工事ネット開始は来年になりそうとか。とりあえず再考するということで開放してもらう。win7機は冗談抜きに品不足になるとの忠告もいただいた。この夏発売のダイナブックQosmio T752というのが展示品で10万円台でちょっと心惹かれた。しかしこれも先の大幅割引の話があってのこと、結局は5,6万円台の安物で充分なのだろう。
海岸通り経由で大安亭方面。例の猫好きクリーニング屋の猫を写したデジカメ画像のプリントを進呈(郵便受けに入れておく)。
大安亭猫4匹ほど撮影して、買い物して、大日商店街経由で5時半帰宅。途中イシカワ米穀店の店の中のストールに座ってた雉を久しぶりに撮らせてもらう。でも懐かしくてつい無造作に近づいたら逃げてしまった(>_<)。
夕方三陸沖で地震が発生、津波警報も出たが、大したことはなくて良かった。
ABCテレビ報道ステーションでは党首10人集めての討論特集。古館も健闘してたが、これだけ人数が多いとなかなか話し合いにならない。それなのにCMで何度も中断。こんな時くらいCMは後回しにすべきだろう。石原の失言は毎度のことだが、古館も「綺羅星」の使い方間違えたり、地震で遅刻した福島社民党主は「安倍総理!」と呼びかけるわ(^_^;) かなりわやくちゃであるな。
今日の歩数は3833歩。


岩屋の白雉 

長~~い窓拭きモップ

海岸通りの空

鈴懸の実

枯木に雀

春日野道の橘高精華堂

大安亭隙見白 

車下の黒 

同じ黒

白と白雉 

白雉

ふさ白雉

大日商店街の黒

ひさびさイシカワ米穀店の雉

偶然のマーブリング

2012/12/06(木)●蛾像1万点(@_@)●

7時半起床。
今朝の血圧は202/108/83。
朝のテレビは昨日亡くなった中村勘三郎のニュースでもちきり。後は北朝鮮ミサイル、尼崎連続殺人……などで、ニュースだから報道するのは当たり前だが、選挙報道が何となく少ないような気がする。マスコミの保守擁護策のような気がしないでもない。
ミニギターでおさらいするも、ちょっと目新しいものも欲しいな。キムヨンジャの「シップンネロ 10分以内に」なんかレパートリーにしたらいいかなと思って聴き直してたら、いつも聴いてた2枚組でなく、縦長ジャケットの豪華ベスト・アルバムに、この曲のカラオケが入ってることに気がついた。どちらも韓国のど自慢でゲスト出演したキムヨンジャ本人からもらったものだが、懐メロも多く入ってる2枚組ばかり聴いてたのだ。これならカラオケ練習できる。
アップテンポで覚えやすい曲と思ってたのだが、キムヨンジャ独特のこぶしと畳みかけるように盛り上げるあたり、結構難しかった。
2時過ぎに王子動物園に散歩に出る。思ったより寒い。今日のまぬうは雌が表に出て。元気に動きまわってた。裏の檻の雄も覗いてみたが隅のほうに縮こまってて撮影諦める。
資料館図書室で、12月1日に名前の判らなかった蛾の名前を調べようと、日本蛾類図鑑上下2冊を引っ張りだして見ていったが、結局見つけきれなかったので、これはひとまずおくことにして、前にもちょっと見た「旅するうなぎ」という大判の豪華なヴィジュアル本を再読。著者二人は東京大学、東海大学出版会の発行で学術研究書のはずなのに、造本といい、オールカラーで洒落たレイアウト、何よりも写真や図がとんでもなく美しい。内容も学問的記述はきちんと抑えながら、民俗、迷信、絵画作品、多方面にわたっていて、一種のウナギ百科みたいになっている。これで定価が税込で\3990というのは、これまたとんでもなく安い、と思う。
3時半に図書室でたらまた寒くなってる。寒いと元気になるペンギンを覗く。王子動物園には小型のマゼランペンギンと割りと大きめのキングペンギンの2種類がいる。キングペンギンは2頭いたのだが数カ月前に片方が死んでしまった。そのせいか小型マゼランペンギンの群の中に立ち尽くす姿に、何となく悲哀を感じてしまう。
帰りに原田の森ギャラリー覗いたが今はなにもやってないみたいだった。
5時帰宅。
ネットで、蛾の関連記事を探してみた。日本には蝶は237種いる(しかいない)。ところが蛾は? 少なくとも現在約6000種が記録されているそうだ(@_@)正確には何種類いるか特定することは不可能らしい。みんなで作る日本産蛾類図鑑というサイトがあった。ここには蛾像掲示板という、蛾の写真を投稿して名前など質問する掲示板もあったので、とりあえず12月1日の蛾の画像で投稿してみる。
その後同サイト内にある「成虫画像一覧(注意10000枚以上あります)」を最初から見ていった。1ページに50画像が置いてあるから、10000だと200ページ見ることになる。結局100ページくらいみたところで「カバエダシャク」というのが見つかった。まずこれに間違い無いだろう。
いちおう蛾の種類(科・属)別に一覧を見ることが出来るのだが、Morris.の場合調べたい蛾がどの種類に属するのかがわからない(^_^;) ともかくもこうやって5千以上の蛾の画像を一度に見るというのは初めてで、ちょっと興奮してしまった。蛾の種類が6千なのに、1万以上の画像というのは、同じ種類の蛾の画像が多数重複してるの未特定種が含まれているためだ。
今日えらく寒く感じたのは、今日の最高気温は夜明け前の午前3時頃で、昼間も気温が上がらずそのままどんどん気温が下がったかららしい。夕方から5℃以下になったが、これは平年とそう変わらない。ソウルはとっくに最低気温は零下になってるから比較にもならないが、寒いところはそれなりの対応がなされてるから、体感の寒さで言うと、それなりにこちらも寒いということになる。
今日の歩数は1844歩。


たまにはパンダも

宇宙飛行士ワオキツネザ
ル 

山嵐

今日のまぬう(雌)

ごろごろ

熊の檻横の水槽 

今日は昆虫図鑑中心

贅沢過ぎる一冊 

まるでヴィジュアル本

孤高のキングペンギン

翅バイク 

屋上からの夕景 

【空飛ぶ広報室】有川浩 ★★☆☆ 「阪急電車」の映画化ですっかり人気作家になった有川作品だが、本作は防衛庁広報室から持ちかけれられた話ことをきっかけに誕生したものとのこと(あとがき)。結果としてかなりPR色の濃い作品になっている。本当は2011年に出すはずだったのを、東日本震災による松島基地被害を書き足すため書きおろしを加えて2012年夏に出された。
不慮の事故でP免になった若い戦闘機パイロット(主人公)が広報に配属され、アンチ自衛隊の女性TVディレクタを担当する中で、世間の自衛隊の反発や無知にめげず、広報活動を通じて成長していく(^_^;)という、青春小説みたいな味付けもなされてる。変にミーハーで上に強い室長、昇格を自ら拒んで広報に生きがいを感じている指導教官、「女」の弱みをみせないためおっさん化した女性報道隊員、民間広報に出向したこともあるベテラン上官など、わかりやすいキャラも取り揃えて、学園ドラマみたいなところもあるし、つまりはゲームのキャラみたいな面々である。
発端主人公のP免からして、実にわかりやすい悲劇だし、テレビ局女性は筆者をモデルにしたキャラまるわかりだし、広報のテクニックは、参考資料に阿ってるところ大きいような気もした。

何の気なしの口調だったが、聞いた片山のほうは目の前で猫だましを食らったかのようだった。
それは片山が民間と自衛隊の風土の違いにもがきながら一年過ごして、ようやく理解した真理だった。それも漠然と体感したに過ぎず、まだ明確には言語化されていない。


これは文体見本としてあげたのだが、全体に有川作品は、こういったいかにも物のわかったような上から口ぶりが多い。Morris.はどうもここらあたりが鼻につく。登場人物は最初に提示されたキャラ通りの行動をとることが決められているようだし、ストーリーは起承転結順守のステロタイプだし。
本文中「しばたたいた」はきちんと使ってるのに「規則だからと手をこまねいていることは絶対にできない」(444p)というのは確信犯かもしれないが、あくまでMorris.にとっては減点対象である(^_^;)
先日テレビのクイズ番組の解答に「手をこまねく」というボードが出たのには頭にきたが、そのくらい、「こまねく」に侵食されているということだろう。しかしMorris.は、「抜く」という動詞の複合語である「こまぬく」を「こまねく」というのは、「追い抜く」を「おいねく」、「つらぬく」を「つらねく」、「栓抜き」を「栓ねき」というのに等しい、と思うぞ。
「阪急電車」読んだ時は手放しで賞賛(あくまでエンターテインメントとして)したMorris.だが、数冊読んで、やはりその底の浅さと似非規範主義みたいなものに、嫌気がさしてきたらしい。たしかに読ませる技術に長けてることは認めざるを得ないけど。

2012/12/05(水)●生田神社から●

8時起床。
今朝の血圧は201/115/74。
昨日の日記編集。
昼前に三宮に出る。
その前に下の古本屋「ワールドエンズガーデン」に立ち寄り、ぶんちゃん撮影。店主の知りあいがMorris.部屋のことを知っているから機会があったら一度会ってみようという話もでる。
三宮図書館に寄ってから、ふらふらと生田方面。脇道から生田神社の境内に入る。「生田の森」から境内を一回り。新しい「包丁塚」というのがあって、このオブジェがなかなか良く出来ていた。
わざと脇道通って3時前に中央図書館着。入り口の猫は紙箱の中で眠ってたので、起こさないように撮影。
館内で偶然尾西くんに会う。しばらく立ち話。
一階と三階で数冊立ち読みして気がついたら7時過ぎてた(^_^;) 伊坂幸太郎の「グラスホッパー」あったので借りるつもりで、パラパラと読んだら、これは間違いなく前に読んでることが判明。読書控え書いてなかったのかな。
神戸駅からJRで8時過ぎ帰宅。
今日の歩数は4888歩。


今日のぶんちゃん

生田ギャラリーの招き猫

白いBAR

寄生八つ手 

生田の森

包丁塚

折れ鳥居

蛭子小社の青蛙

生田神社本殿

柊(ひいらぎ)

白い画廊 

白いビストロ

取壊中の「アジアホテル」

同じく

白いキッチン

兵庫県公館

公館庭の番犬?

落し物?

神戸教会

風車? 

図書館猫

【言い寄る】【私的生活】【苺をつぶしながら】田辺聖子 ★★★☆ これは昭和49年から67年に書かれた田辺の中期の代表的三部作らしい。イラストレターの乃梨子が、好きな男は親友に取られ、金持ちの息子と結ばれて神戸高台の豪奢なマンション暮らしをしながら結局別れてしまう。「言い寄る」が結婚前、「私的生活」が結婚生活、「苺をつぶしながら」が離婚後で、それぞれの悲喜交交を、楽しさ、面白さ優位に展開している。かなりアレンジされてはいるが、乃梨子には田辺の実生活が反映されていることは間違いない。例によって小説の筋より、寄り道みたいに書かれている、乃梨子のモノローグの部分が眼目だろう。

大阪ではツトメ人とショウバイ人とは別の人種、ということになっている。これは職業上の区別でなく、性格上の分類なのである。だから直営業の商売人でも、ほんとの商売人でない人もある。つまり性格上のツトメ人というのは、ゆうずうがきかず四角四面(スクエア)で、理屈の多い、几帳面すぎる人、ショウバイ人といわれる性格は、円転滑脱で、伸縮がきき、話がわかり、茶目っけがあり、そのくせ、いつのまにか言い分を通すというような、老巧なかけひきの人間関係を得意とする、そんな感じのものである。

大阪生まれということもあって、骨の髄からの大阪人らしく、こんな人種論(^_^;)にもそれがよく現れていると思う。そしてやっぱりショウバイ人贔屓ということも。

このハワイアン音楽という「土人の音楽」は、野性の中のもっともいいものが凝縮されてると思う。首狩り、襲撃、だましうちなどの歌が「土人の音楽」にはつきものなのに、これは心をそそのかす。武装解除の歌である。
飽食した人間の歌である。
その音色や旋律には、人の心を放恣に流れとろけさせてしまう、抗いがたい力がある。
これは目をつぶって玩味して聞く音楽ではない。
目を開けていて、そのくせ、何も見ていないとき、何かほかのことを考えるそぞろ心で聞くとき、最高に打ってつけの美しい音楽である。(言い寄る)


ハワイアン=土人というのも時代を感じさせるが、ハワイアン音楽を武装解除の歌というのは何となく実感されるが、Morris.のハワイアン音楽の知識といえば、日本のアロハハワイアンズとか、マヒナスターズ(^_^;)くらいである。田辺が聴いてるのも、同じようなものだったろう。好きになった男がギターで参加してるハワイアンバンドという設定だしね。

そうして美人でもなかったが、でも魅力のあるのは自分で知っていた(そんなこと知っていない女の子がいるかしら!)。でもなぜか、私は、私の魅力をみとめる男をバカにする傾向があった。私の魅力ををみとめてくれるのだから、だいじにしてやればいいのに、(フフン、この阿呆が)という調子で見くだしてしまう。

この部分は何となく、人ごとではないような気になってしまった。ずいぶん以前のことだがMorris.も自分の良さを認めてくれる人を馬鹿にとまでは言わずとも軽視する傾向があったと反省しきりである。もったいないことをしたもんだ。

昔、寝たことがあるというだけで、なれなれしくするような男は屑である。與謝野晶子の歌にも、「男きて狎れがほに寄る日を思ひ恋することはものうくなりぬ」というのがある。

「僕は六甲が好きですね。この山は陰気くさくないから。たいてい、日本の山はお墓とか神社とか会って、なんとか上人がひらいたりして、神々しかったり、陰気だったりするけど、ここは外人がみつけて開いたから、日本はじめてのゴルフ場とかね、ハイキングコースとか、どだい、あっけらかんとして陽気でええですな」(私的生活)

これは乃梨子の言ではないが、六甲が好きという発言には、悪い気がしないということで引いてしまった。

私、この前、新聞で、最近のブリジット・バルドーのインタビューを読んでいたら、とてもドキンとして、まるで私のことをいっているような文句にぶつかっちゃった。
「人生で一番美しいもの、それは人生だわ。本当に人生なのよ。それを自覚する必要があるんだわ。人生はいろんなことに役立ってる、とりわけ、生きているということに気がつくのに役だっているんだわ。
私は、毎朝目が覚めると、生まれ変っているの。一日だって同じような日はないわ。もしそうでなかったら、私は生きていないだろうし、機械みたいな存在にすぎない。私の毎日は、私に吹いてくる風のようなものなんだわ」(苺をつぶしながら)


BB(べべ)といって、分かる人は若くはないだろう。バルドーといえば、フランスのセックスシンボル的女優で、熱心な動物愛護運動家ということで有名だが、田辺はよほど彼女の言葉が気に入ってるらしく、あちこちで引用している。上の内容なんか、フランス人大多数の考えのようにも思えるのだが、田辺が共感することで、その読者もそんな気にさせられるのかもしれない。

2012/12/04(火)●竹島=独島問題講座●

7時起床。
今朝の血圧は153/87/87。
昨日は酒も飲んでないのに、Morris.にしては「異常な」血圧の低さである??
昨夜は10時から「歌謡舞台」見ようとKBSTVネットで繋いだら、政治討論会みたいなのをやってた。韓国大統領選挙も今月だもんな。
今日は日本も選挙告示である。前回の投票率は69.28%だった。最低これをクリアして欲しい。
ちびくろ2号の動きがときどきとんでもなく遅くなる症状(このためPC買い替えが急務となってた)の対応策として、無料ウイルスソフト「Avira Free Antivirus」をアンインストールしてみることにした。先日稲田さんと話してた時、アンチウイルスソフトの話題が出て、もしかしたらこれが元凶ではないかと思ったからだ。
結果。ウソのように、動きが普通になった。なーんだ(@_@)である。しかし、いまどき、ウイルスソフトなしで動かすというのはやばいのは間違いない。とりあえず、MSのオンラインウイルスチェックしてみたら、いちおう感染ファイルは見当たらなかった。
今夜は学生センターで木村幹先生の朝鮮史セミナー「どうして「竹島=独島」問題は「今」起こっているか」がある。これは見逃せない。6時に部屋を出て歩いてセンターへ。キャッチーなテーマということもあって、すでに8割型席は埋まっていた。
プロジェクタでレジュメや画像やグラフを投影しながら、要領よくこの問題を総括しながら、実に興味ふかい持論を展開された。このところ何となく集中心に欠ける傾向のあるMorris.も、久しぶりに熱心に受講して、何か「面白くてためになる」楽しいひとときを過ごすことが出来た。ような気がする。
印象に残った発言をランダムに羅列すると

・「固有の領土」は日本の発明、極東に限られて通じる用語
・領土は動くもの、というのが欧米の常識
・日本が「北東アジアのトラブルメーカー」になりかけている
・恐慌や不景気の後に民族主義の台頭。cf.ナチス
・グローバル化が隣国や古くからの友好国家の重要性の低下を招く。
・韓流ブームが、本質的な日韓の関係改善にはならない。


現在、竹島、尖閣諸島問題が突発的に顕在化しているが、これが当事国の日本、韓国、中国の政治経済外交関係に連動していることくらいはMorris.にも何となくわかってたが、韓国における日本の重要度が急落して、この傾向にこのままでは歯止めがかからず、低落の一途をたどるだろうという先生の意見は、あまりに悲観的だと思いながらも、説得力があった。
これを解決するには「日本が韓国に対して「何ができるか」を具体的に提案」することが必要という締めくくり、それが何なのかは、すぐには分からないが、こういう指針を教えられただけでも、今夜の講義は意義深いものだった。これを個人的な人間関係に敷衍して考えることも可能だろうという「おまけ」も、ある意味、日韓問題以上に、Morris.には刺激的だった。何事にも手をこまぬいて看過していることが、事態の悪化、膠着化を招いていることを肝に銘じる必要がありそうだ。
帰りも歩いて途中マルハチで買い物して10時帰宅。
今日の歩数は3381歩。


いちおう感染ファイルは無かった(^_^)

木村幹先生

パワーポイントでヴィジュアルな講義

【ROCK'NROLL SWINDLE】嶽本野ばら ★★★ 「正しいパンク・バンドの作り方」というのが副題。

この物語は基本的にノンフィクションです。しかし、面白くするためにデフォルメをしたり、小説としての都合上、フィクションも多少、混ざっています。

あとがき、というより、但し書きみたいなところに書かれていたが、要するに自分自身をモデルにした一種の私小説と言えなくもない(^_^;)
ふと思いついてパンクバンド結成して、ギターとヴォーカルをやることに決めた野ばらが、知りあいのミュージシャン数名を集めて、全く弾いたこともないギター買って、個人レッスン受けるなどおちゃらけ気味かつ真剣にバンドにハマる過程の描写が続く。

そもそも僕は歌が上手くありません。というか、見事に音痴です。音域も広くないです。リズム感も人並みだと思います。ですが、それらはヴォイストレーニングを受ければ直せるものであるし、経験次第で矯正可能です。ヴォーカリストとして不利だとしても、大きな問題ではないのです。されど、声質だけは骨格や喉や鼻など器官の構造が複合的に絡み合った結果に因る産物なので、根本的に改造するが適いません。ビブラートを掛けるくらいは訓練で出来ますが、それで強烈に際立った声にするには、やはり元来の声質がずばぬけたものでなくてはならない。いいポン酢を使えば、安いお肉でも美味しく食べられるけれど、その味には限界があり、いいお肉でこそいいポン酢の魅力を最大限に引き出せるのと同じ道理です。優れたヴォーカリストの声は、人の鼓膜を不思議な振動で揺らし、脳内でとびきりの麻薬物質を製造します。そんな声をもったヴォーカリストは非常に稀なのですが、本来、フロントでヴォーカルをとるからには、そこまでの特殊な声を持っていなければならないのです。ブルースをハスキーに歌う為の声が欲しく、わざと大酒を飲み、喉を潰す努力したというシンガーが、よくいるではないですか。されど、つまらない声は、どうやったたってつまらない。

このヴォーカルに関する記述には、Morris.も大いに共感を覚えてしまった。ちょっと悲しいけど、そうなんだよなあ。ポン酢と肉との比較は上手いと思う。

センスがあることと才能、資質があることとは、違う。センスがなくたって、才能や資質を持ち合わせていれば、音楽や文芸に限らず、クリエイターとして素晴らしい作品がアウトプット出来ます。例えば、不世出の歌声を持つディーバと呼ばれしBjork。セルフプロデュースとはいえ彼女の『Post』や『Hmogenic』はテクノの大御所、LFOのマーク・ベルの協力なくして独特の妖しい浮遊感がデなかっただろうし、『Vespertine』もやはり、ディープ・ハウスの奇才、マシュー・ハーバートのプログラミングがあってこそ、Bjorkの世界観を活かすことが可能だったのです。ですからいくらその声が唯一無二のものであるとはいえ、自分の声のみで作ってみようと、つい、調子に乗ってしまい、冒険を企てた『Medulla』はビミョー、それ以降、彼女のアルバムはどんどんと、差し障りのないものになっています。

ここらあたりも、野ばらの言うことはよくわかる。しかし、結局は決め付けだよな。Morris.は音楽は、基本的に「好み」至上主義(当たり前か)である。

急ごしらえでどうにか、この段階までたどり着いたことよなぁ。少し早い感傷に浸ってしまいましたが、あら、何と、次のリハは中止、DRAWERSは活動の停滞を余儀なくされてしまいました。
はい……。僕が……。こともあろうに、大麻不法所持。逮捕されたが原因でした。


わははははは(^_^)/ そういえばそんな事件があったよな。ある意味、この事件への弁明というか、開き直りというか、そういった意味合いも本書には込められているのかもしれない。
本書には、件のバンドのファーストライブを録画したDVDが付録についてた。いちおう視聴してみたけど、内容には触れないことにしておく。

2012/12/03(月)●土佐堀方面ビル巡り●

7時半起床。
今朝の血圧は203/103/88。
朝の2点セット(洗濯はなし)。
昼前にJRで大阪に出る。PC見繕いでヨドバシカメラ寄ろうと思って出かけたのだが、駅前第一ビル地下で大阪-三宮昼得切符買って、そのまま堂島川沿いに歩く。朝日新聞本社向こう岸の好きな小さなレトルビルから四ツ橋-土佐堀方面。菅澤眼科の看板のある角が丸くなった3階建ての素敵なレトロビル発見。後でネットで調べたら昭和3年(1928)清水組の建設とのこと。眼科クリニックは休業したと書いてあった、ドアを開けて覗いたら中の自動ドアが開いてすごく立派な内部が垣間見えたので思わずシャッター切ってしまった(^_^;)
安治川の分岐点まで来たら「小説「泥の河」舞台の地」と彫られた石碑が立っていた。つい先日読んだ宮本輝の舞台となった場所らしい。
その書き出し部分もそのまま彫られている。

堂島川と土佐堀川ひとつになり 安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた 昭和橋と端建蔵橋それに船津橋である。

なるほど、と、その昭和橋をわたってしばらく歩いたらガソリンスタンドの向こうに煉瓦造りの大聖堂が見えた。「日本聖公会川口基督教会 1919」と書いてある。このあたりは旧居留地だったらしい。これも後で調べたら、この教会は1869年長崎から大阪にやってきた宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教がここに居住し、1881年に教会設立、現在の礼拝堂は1020年竣工、設計はウィリアム・ウィルソンとなっている。
うーん、なかなか由緒ある聖堂なんだな。ヴィクトリア・ゴシック様式らしい。ただ、ここに限ったことではないが、狭い道に面していて電柱電線が邪魔で全体像が撮影しにくい。教会向いに二階建て長屋みたいなこれまた素敵なレトロビルがあった。
九条あたりで大きな石碑があった。立て札の説明によると、淀川洪水を防ぐため貞亨元年(1684)に幕府が河村瑞賢に命じて安治川(つまりバイパス)を開削させたとある。この石碑(大正4)は大阪城築城の時川底に落ちた石を引き揚げて利用したと伝えられているとも。
ここらあたりから川の下を通るトンネルわたって、JR西九条駅まで行き、そのまま環状線沿いに大阪まで戻った。
駅前のソフマップ冷やかして、ノートパソコン触ってみたが、結局よくわからない(>_<)
5時半帰宅。
今日の歩数は7833歩。


堂島川沿いの好きなビル 

建物より右下のドアが好み

これはイタリアレストランらしい

菅澤眼科ビル 

良い建物ぢゃ 

中を垣間見る

これは装飾品店らしい

お洒落な食堂看板

「泥の河」記念石碑

昭和橋

作業船


川口基督教会聖堂

1919年と書いてある

撮影しにくい(^_^;) 

教会向いのビルもレトロ

細部も素敵 

この辺り一帯は居留地だったらしい

いかにも港湾らしいビル

高岸さん宅の薔薇

船の荷降しのクレーンだろう

河口付近左は中央市場 

川岸の鶏頭花壇 

安治川開削河村瑞賢紀功碑 

こんな雲も好き 

しっかりした二重塔 

モンタレーホテル 

2012/12/02(日)●熊内通り界隈●

7時半起床。
今朝の血圧は193/101/86。
「挑戦千曲」今日は全く知らないゲストばかり。子供3人もいたが、あまりノリはよくない。いつも書くことだが誰が出たって大して変わりはない。
どんな歌が出てくるか知ってる曲だけちょっとメモしてみた。20曲くらいは知ってる歌だった(^_^;)
新沙洞の人・コッ(花)・タハムケチャチャチャ・男は船女は港・ヨクシムジェンイ・愛のバッテリ・紫の香り・プニゴ・カプトリとカプスニ・何で泣く・チョッチャ・モルラ・おかっぱ頭・南行列車・恍惚の告白・HONEY・雨の中の女・苗字はキムよ・チョンシンチャリヨ・少女時代・ヒナリ・ナンケンチャナ
昼のKBSノレチャランは京畿道抱川(ポチョン)篇。人気賞になった「ソウル旅行」というのは、イパクサの日本版アルバムに入ってた「エジプト旅行」と同じ曲だった。パクサが替え歌で歌ってたらしい。
1時半に部屋を出て、大日商店街から熊内方面へ。坂を登って、布引中学校からさらに登って行ったら「金比羅山雷声寺」というお寺があった。長い石段とどでかい十三石塔があり、まだ紅葉が綺麗だった。そのまま摩耶山へ上がる登山道になっていて、また軽く山登りとも思ったが、小雨がぱらつきだしたのでパス。ぷらぷらと下って、大安亭でかいものして5時前帰宅。
今日の歩数は6620歩。


今朝の屋上Twin煙突 

今朝のユンジョンちゃん

近所のシャム系野良

大日商店街の薄茶 

宮本通の装飾住宅 

四方仏石

可愛い教会 

春日野会病院の羊石

雰囲気のあるコンクリート塀

白トラ

金平糖花

旧南蛮美術館 

Twin招き猫

布引中学校

貫通石

峰薬師 

峰薬師祠の石仏

スペイン風住宅 

眺望

金毘羅山雷声寺 

飛蝗みたいな亀虫

でっかい十三石塔

不動明王

草蜉蝣

【マリアビートル】伊坂幸太郎 ★★★☆ 東北新幹線の中で繰り広げられる、殺し屋、裏稼業連中ドタバタ殺人劇。ロードムービー仕立てというのかもしれない。「グラスホッパー」という作品(Morris.は未読)の後日譚みたいなものらしい。
蜜柑と檸檬という二人組の殺し屋、不運の星の下に生まれた七尾、中学生なのに病的に知恵の働く王子。
Morris.はこの王子の出てくる場面ばかりが印象に残った。

「担任教師の名前や個性とかはどうでもいい。個人的な信念や使命感だって、みんな似たり寄ったりだ。人の個性や考え方なんて、なんだかんだ言っても、結局はいくつかのパターンもだいたい決まっている。教師も結局は、こうすればこう動く、こうやって接すればこう反応する、って、チャート式みたいなものだから、メカニカルに動く装置と同じだ。装置に固有名詞なんていらない」
あまりに無邪気に、自分のことを見方だと信じている教師が哀れに思え、一度、ヒントを与えたことがあった。読書感想文の提出の歳、読んだばかりの、ルワンダの虐殺に関する本について書いた時だ。応じは小説よりも、世界情勢について書かれた本や歴史についての資料を読むほうが好きだった。小学生がそのような本を読むことが、教師には信じがたいらしく、尊敬の念すら浮かべて、早熟ねえ、と感心していた。おそらく、と王子は思う。自分に何か特別な才能があるとすれば、それは、本を読解する力に秀でていたことだろう。本を読み、内容を噛み砕くことで、語彙が増え、知識が増え、いっそう、読解力が増した。本を読むことは、人の感情や抽象的な概念を言語化する力に繋がり、複雑な、客観的な思考を可能にした。
どうして虐殺のような出来事が起きるのか、王子には簡単に理解できた。人間は、物事を直感で判断するからだ。しかも、その直感は、周囲の人間たちから大きな影響を受ける。
人間は同調する生き物なのだ。
それを踏まえれば、虐殺が止まらないどころか、推進されていくメカニズムも理解できた。彼らは、自分の判断ではなく、H数段の判断こそが正しい、と信じ、それに従っていたに違いなかった。

「大事なのは、『信じさせる側』に自分が回ることなんだ」王子は言いながら、こんなことを説明しても、木村には永遠に理解は出来ないだろうな、と思った。「それに、国を動かしているのは政治家じゃないよ。政治家以外の力、官僚や企業の代表とかね、そういう人たちの思惑が社会を動かしてるんだ。ただ、そういう人たちはテレビに出てこない。普通の人たちは、テレビや新聞に出てくる政治家の顔や態度しか目にしない。後ろにいる人たちにとってはつごうがいいんだ」

「殺人を許したら、国家がこまるんだよ」
「国家、ですか」王子は、抽象的な話に移りそうな予感で、顔をしかめる・
「たとえば、自分は明日、誰かに殺されるかもしれない、となったら、人間は経済活動に従事できない。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たないんだ。そうだろう? 自分で買ったものが自分の物と保証されないんだったら、誰もお金を使わない。そもそもお金だって、自分の物と言えなくなってしまう。そして、『命』は自分の所有しているもっとも重要な物だ。そう考えれば、まずは、命を保護しなくては少なくとも命を保護しなくては、少なくとも命を保護するふりをしなくては、経済活動が止まってしまうんだ。だからね。国家が禁止事項を作ったんだよ。殺人禁止のルウるは、そのひとつだ、重要なものの一つ。そう考えれば、戦争と死刑が許される理由も簡単だ。それは国家の都合で、行われるものだからだよ。国家が、問題なし、と認めたものだけが許される。そこに倫理は関係ない」


伊坂作品にはこれでもかといったくらいのひねりが詰め込まれているが、この王子のようなとことん厭なキャラクタまでつっこむのは、勘弁してもらいたいと思うMorris.である。でも、前作「グラスホッパー」も読むんだろうな(^_^;)

2012/12/01(土)●収穫祭●

10時半起床。
今朝の血圧は193/101/86。
昨夜はカティーサーク1/4くらいにしておいたのだけど、何となく夜更かししてたので、寝坊してしまった。
今日はセンターで求める会の収穫祭で、有機栽培の野菜で作った豚汁が美味しいので、これを楽しみによく顔を出すのだ。でも、阪急で12時前にセンターに行ったらもう豚汁は売り切れだった(>_<) 飛田さんは先に券を買ってたので豚汁、Morris.は仕方なくハンバーグにしたが、やはりこれは情けなかった。
稲田さん、信長さん、鹿嶋さんらの顔見て帰ることにしたが、稲田さんに喫茶コーナーで珈琲とケーキおごらせてちょっとPCの話する。つい最近求める会のデスクトップが壊れて、EPSONのノート買ったばかりとのこと。やっぱりデスクトップの方が使い勝手が良いのではとのことだったが、ちびくろ2号を擬似デスクトップで使ってる現状からすると、今更デスクトップに戻るのはかなり難しいと思う。年内には何とかしなくては。
帰りはとろとろ歩いて帰宅。
サッカーJリーグではヴィッセル神戸とガンバ大阪がJ2降格となってしまったようだ。
今日から12月。今月の標語はわかりにくいかもしれないが、海子さんのブログで「九九の七の段を忘れてしまった」という発言があったので、そのレスとして投稿したのだが、わかってもらえなかった(^_^;)ようなのでこちらに流用。エコエコアザラクみたいなものと思っておいてもらいたい。
KBS日本語放送は今日が開局記念日で、恒例の歌謡コンクールの発表があったのだが、Morris.はあえなく落選してた(>_<) 最近ほとんど放送聴いてないし、コンクールだけ入選狙うというのがそもそも間違ってるのかもしれない。でもやっぱり残念である(^_^;)
今日の歩数は4993歩。


求める会の収穫祭

食べ損ねた豚汁(飛田さんの分を撮影)

ノメイガの一種 

篠原北町の三毛(飼猫) 

同じく

同じく

大土平銀杏神社

同じく

パンジー 

黄葉と実 

美味しそう(^_^;)

幽かに虹が



 

 

 


 
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