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          Morris.日乘2015年12月


Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。

 

今 月の標語

NO!何かしよう


【2015年】 11月  10月 9月 8月 7月  6月 5 月 4 月 3 月  2 月  1 月
【2014年】 12月  11 月 10月  9 月 8月  7 月  6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月

2015/12/31(木)●オワリモウデ
8時起床。
今朝の血圧は184/97/81。
今日も良い天気だ。
いよいよ大晦日。といっても特にすることはない。2015年最後の日も部屋ゴロ。
定期的に覗いてるホンジニョン応援ブログで、「オワリモウデ」のことが書いてあった。みつろうさんの「笑えるスピリチュアル」で紹介されているおまじないで、初詣ではなく12月31日、近所の神社で、以下のりお詣りをするという主旨である。

一つ.鳥居に入る前にペコリすること
一つ.手を洗い清めること
一つ.300円以上のお賽銭を入れること
一つ.お賽銭を入れたあと、ペコリすること
一つ.大きく深い深呼吸を3回し、心を鎮めること
一つ.合掌すること
一つ.お宮の鏡が見えるなら、それに映る自分を見ること
一つ.鏡が無い場合は目を瞑ること
一つ.今年一年間起こった『良いこと』を出来るだけ沢山思い起こすこと
一つ.それら一つずつに「ありがとうございました、○○が起きてとても幸せでした」と言うこと
一つ.ここで神からのビジョン(ありがたいなーという感覚)が湧いてくるらしい
一つ.その感覚に意識を集中し、あなたのこれまでの前世を想起すること
一つ.前世がなんだったのか具体的に浮かばなくても、前世があったという感覚だけに集中するこ
一つ.これまでの長い人類の行い全てに「ありがとう」と感謝すること
一つ.最後に「ヤワタヤワタ」と声に出してつぶやくこと
一つ.全てが終わったらペコリすること


初詣で新年の「福」を祈願するのとは対照的に、行く年の幸に感謝を捧げるというのが気に入った。昨年から春待ちでの六甲八幡神社初詣ライブ中止になったし、今年はこれをやってみよう。
一番近い大きめの神社といえば、筒井八幡神社である。神社に向かう途中阪急高架下のスタジオゼロに「命どぅ宝」という垂れ幕があったので覗いてみる。清水公明という人の展示会で開催は1月9日からで今は準備中だとのこと。しばらく、沖縄辺野古基地移転の話などする。
筒井神社は初詣に備えて、ライトアップなどされてたが、まだ参詣者はいなくて、ゆっくりお詣りすることができた。今年の楽しかった出来事をMorris.日乘からピックアップしてiPhoneにアップして、とりあえずこれらの出来事に感謝して、一年を終える。これはなかなか良いことかもしれない。
5時半帰宅。井上ひさし原作の「きらめく星座」小松座講演やってたので、見るともなく見る。7時15分からは紅白歌合戦。
2020東京オリンピックとNHKのプロパガンダ色の濃い演出だった。2016年がますます全体主義になりそうな予感がする。
ニューストップで、10年以上前に発見(作り出した)113番めの元素の命名権を日本が取得したことを伝えていたが、これも、大晦日というタイミングを選んでの発表にちがいない。
今日の歩数は2908歩。

気になる垂れ幕 

お陰参りぢゃなくてオワリモウデ 

2015年も暮れゆく 

015/12/30(水)●大晦日イブ(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は167/96/76。
昼間で部屋ゴロ。
午後は小掃除(^_^;)
ちょこっと水道筋方面散策して4時帰宅。
読書控えの整理。
先日の日韓外相会談での慰安婦問題での慰安婦像の撤去で、また一悶着起こりそうな気配。今回の会談は唐突だったが結局は安倍政権のスタンドプレイ&宗主国アメリカの意向に沿った茶番だったのだろう。
今日の歩数は4252歩。

百合 

水道筋駐車場猫A 

駐車場猫B 

【本格小説】水村美苗 ★★★☆ 2002/09/25 新潮社。初出「新潮」2001-02
1990年「續明暗」を発表した後、12年後に書かれたこの「本格小説」は、嵐が丘をプロットの下敷きにした、本格長編(^_^;)である。Morris.は水村作品が気になりながら、ずっと読まずにいた。デビュー作が漱石の未完の遺作の続編というスタイルだったので、前作?を読んでなかったMorris.は手を出さずじまいだった。

雨が屋根を叩きつけるように降っている。風はなく、大きな瀧となって天からひたすらなだれ落ちる雨の勢いに、あたかもこのあたり一帯が水底に沈んでいくようであった。
やがて祐介はぽつぽつと話し始めた。そうしていったん話し始めるともういつまでもやまなかった。私は深い眠りを眠りながら聞くように祐介の話を聞いていた。今という時間も消え、ここという場所も消え、祐介も私も消えた。現実がすっかり消えてしまった眼に、四方の壁についた小さい電球が黄色い光を放つのが、闇夜にちらちらと揺れる鬼火のように見える。家の外から自然の猛威が押し寄せてきているのも、自分を離れたどこか遠い出来事のようであった。

「私小説」的な作品とは、実際に小説家が自分の人生を書こうが書くまいが、究極的には、それが作り話であろうがあるまいが、何らかの形で読み手がそこに小説家その人を読み込むのが前提となった作品である。「私小説」的な作品においては、書き手は抽象的な「書く人間」である以前に、具体的な甲や乙といった小説家--写真を通じてその顔が世間で知られたりしている、具体的な個々の小説家なのである。それ故に「私小説」的な作品においては、書き手が、書き手自身の人生を離れずに書くこと自体が、読み手にとって正の価値をもつ。のみならず、そこではその作品が、初めもなければ終わりもないこと、断片的であることなど自体が正の価値をもつ。具体的な人生経験とは、まさに初めもなければおわりもない。断片的なものでしかありえないからである。すなわち、「私小説」的な作品においては、言葉によって個を超越した小宇宙を構築しようという、全体への意志がないように見えることこそが、読み手にとって正の価値をもつのである。
なぜ、日本語では、そのような意味での「私小説」的なものがより確実に「真実の力」をもちうるのであろうか。逆にいえば、なぜ「私小説」的なものから隔たれば隔たるほど、小説がもちうる「真実の力」がかくも困難になるのであろうか。(本格小説の始まる前の長い長い話)


つまり水村は「私小説」とは違う「本格小説」を書くのだという決意を表明している。実は95年に「私小説 from left to light」という作品を発表している。未読だが、日本語と英語を混交させた作品らしい。それだけで、Morris.はもう読む気になれないし、いまいち水村の作品が読者を獲得できない理由なのかもしれない。

「民主主義は大変結構よ。わたくしはそんなものには反対しませんよ。でもね、『女中』っていう言葉をね、昔のことを話してたって使えないって、それはいったいどういうことなんですか?」
ただでさえきつい眼が光を増した。
「昔はああいう人たちはどのお宅にもいたのに、『女中』って言葉を使えなかったら、ああいう人たちのことをどうやって話すの? あんな人たちはいなかったってことにしたいの?」
日本ていう国はね、そういうことにしたいのよ、言葉を使わなかったら事実が消えると思ってるの、そして女中がいたなんて事実は消えた方がいいとおもってるの、と冬絵が応えた。(クラリネット・クインテット)

この小説のおかげではなかろうが、最近はこの「女中」という言葉は結構使われてると思う。しかし、女中に限らず、禁止用語あるいは、出版社の自主規制用語は、逆に増えているようでもある。

よう子ちゃんはすっかり清潔になってゆう子ちゃんのパジャマを着て立っている太郎ちゃんを見るとびっくりし、次の瞬間にはスカートのうえのものを取り落として立ち上がると、跳ねるようにして近づいてきました。よかった、きれいになって、と襟のあたりに顔をもってきて、ああ、いい匂い、と鼻孔を膨らませて嗅ぎます。太郎ちゃんも鼻孔を膨らませてそおっとよう子ちゃんの匂いを嗅いでいるようでした。よう子ちゃんは体温が高いせいか首のあたりからいつもミルクのような甘い匂いがするので、それを嗅いでいたのかもしれません。この先この二人の子供たちがどうなるかなどということはわたしも考えず、ただこの小さな男の子の胸のうちを思いやって、ほっとしたものとみえます。
隣の座敷でわたしが太郎ちゃんの下着や服をアイロンで乾かしている間もよう子ちゃんが何やら亢奮しておしゃべりしているのが聞こえます。ほころびを縫っているあいだもその声はやみません。やがて板の間の続きにある子供部屋に一緒に行ったらしく、遠くからもまたその声が聞こえてきます。太郎ちゃんの声は耳を澄ましてもそんなに聞こえてきませんでした。
よう子ちゃんの熱に浮かされたようなおしゃべりがずっと続き、それが太郎ちゃんが、至福と煉獄の間を生涯さまようことになる関係にひきこまれていく始まりでした。(DDT)

和製ヒースクリーフ、太郎と、キャサリン、よう子の幼時の至福と煉獄の時間の始まりである。

大きく瞠った眼をことさら大きくしばたいている。(桜の園)

これは、漱石の続編を書こうという作家が「しばたいて」などというミスをしてどうするのぢゃ、という重箱の隅つつきである。

それを聞いたわたしは黙って手をこまねいている気にはなりませんでした。(ハッピーヴァレイ)

これも、Morris.がしつこく嫌っている「手をこまねいて」表記への批判。

男は最後に日本に話を移した。
「もう日本には帰ってくるまいと思っているせいか、日本のことをよく考えるんです」
暗い眼で庭の先の方を見ている。庭の先は藪となっており、その先には藪にほとんど隠された黒ずんだ廃屋がある。廃屋を上から覆う雑木の無効にはさっきまで晴れていたのにまた垂れこめた空が望めた。
「こんな国になるとは思っていませんでした」
表情のない声であった。
「だいたい、こんな金持になるとは思っていなかった」
唇が一瞬つれてから元に戻った。
「でも何となくもっとましな国になると思っていた」
暗い眼はそのまま庭を見続けていた。
「何がいけないんでしょうか」
男は祐介の生真面目な顔を見て何と返事をしたらよいのか迷う風を見せた。祐介は深く考える前にまた訊いた。冬絵が言っていたという言葉が耳に残っていた。
「軽薄なんでしょうか?」
二十六年間の人生で祐介自身うすうす感じていたことかもしれなかった。
「軽薄……」
男はそうくり返してからぽつっと言った。
「軽薄を通り越して希薄ですね」
シャンペン・グラスを眼線まで上げて泡を眺めながら続けた。
「この泡みたいな感じ……ほとんど存在していないような感じがする」
そう言ってから祐介の方を見て思い出したように、そう言えば、あなたは三バアサンに会ったんでしたね? と訊き、祐介がうなずくと、今、富美子が引き留められている軽井沢の知人の家というのはその三バアサンの家であると説明した。
「今となってみると、あの三バアサンは少なくとも希薄ではなかったって、そんな風に思ったりもします」
また唇がつれた。(ハッピーヴァレイ)


追い出されてアメリカで富を築いて、復讐に戻ってきた男が、得たものが軽薄どころか希薄な存在となった日本というのは、アメリカで思春期を過ごした水村の実感と重なるのかもしれない。
Morris.はそれなりに結構面白く読めた。

【母の遺産 新聞小説】水村美苗 ★★★☆☆ 2012/03/25 中央公論社 初出「読売新聞」土曜朝刊(2010/01/16~2011/04/02)

先の「本格小説」の10年後に刊行されたものだが、初出にあるように読売新聞に連載(毎週土曜日)もので、終盤が、東日本大震災の3・11とかぶさっている。もちろん、偶然なのだが、きっちりそれを作品に取り入れている。
本作は「金色夜叉」尾崎紅葉を、下敷きにした作品らしいが、本家本元が、明治30年から5年にわたって「讀賣新聞」に連載されたから、これはかなりに作為的である。実は、Morris.が最初に読んだのがこの作品で、これが実に面白かったので、他の作品も読む気になったのだった。

Gメールの画面が目に入ったとたんである。言いようもない不快感が胸に広がった。夫と女が交わした言葉は、世界のどこにあるのか何か所にあるのかもわからない、グーグルの情報貯蔵庫に幾重にも保護され、自分の死後も残る。哲夫と女の死後も残る。昔は人が死に、その人を記憶する人が死ねば、その人が存在したという事実は残らなかった。人の身体が塵芥(ちりあくた)に戻り、自然界の原子の一部となってしまうのと同様、その人の存在は無に返っていった。
何と清らかなことだったであろうか。
それが今は一度何かをウェブに載せてしまえば、あたかも人類が文字を発明した罰ででもあるかのように、まさに「ちりあくた」としか言いようのない類いの言葉でも、億、兆、京のそのまた何億倍という単位でほぼ永久に残る。21世紀の初頭に平山美津紀という五十代の女がいて、若い女のために夫に捨てられようとしているという記録がほぼ永久に残る。
何たる屈辱であろうか。(36「ちりあくた」)

これって、きっと水村の本音だろう。小田嶋隆が同じようなこと書いてたし、通説と言っていいかもしれない。しかしこれを「屈辱」と吐き出すあたりが、いかにも潔癖症の彼女らしい。

この小説は自分のことを書いてあるのでは、と怪しんだ女がフランス中にいたという。以来、小説を読みすぎ、人生に華やかなものを期待しすぎることを人は「ボヴァリスム」と呼ぶようになった。
「恋、恋人、恋女」と恋愛を飽きもせずに謳いあげたのが、西洋の小説であり、それが日本に押し寄せてきたのは、明治の途中からである。一千年以上前から『源氏物語』をもつ日本文学だが、色恋沙汰はあまたある主題の一つでしかなかった。ところが、明治、大正、昭和と日本に入ってきた西洋の小説は、ほとんど恋愛一辺倒である。そのような小説を読むうちに、日本人の心も男と女の関係に関して浪漫的になり、贅沢になり、身の程知らずになり、親や親戚や近所の人が決めた結婚相手では満足せず、エンマのように、小説に出てくるような、美しく恋を語れる相手を求めるようになっていく。当然現実に対する不満も増えていく。母のように床屋の跡取り息子との縁談を逃れて「横浜」へ飛び立ったりする。みなが自殺をするわけではないが、それぞれに不満を抱えながら、小さな人生を生き、死んでいく。
小説とは罪作りなものである。(46 夫婦茶碗)


「ボヴァリー夫人は私だ」というのは、この作品をめぐる風紀紊乱裁判の公判で、作者フロベールの言葉として有名だが、自分のことだと思ったフランス女性がたくさんいてそれが「ボヴァリスム」という言葉まで生み出したとは知らなかった。「小説とは罪作り」というのは自負心なのだろう。

時は百十年以上前の、明治三十年。「讀賣新聞」で尾崎紅葉の『金色夜叉』が始まった。
その影響はのちにも尾を引き、映画というものが誕生してから、なんと20回以上も映画化されている。日本の統治下にあった台湾でも映画化されている。テレビというものが誕生してからは、何度もテレビ化されている。演歌師の作った歌も、今の若い人はもう知らないが、美津紀の小さい頃はだれでも知り、熱海の海岸での有名な場面は彫刻にもなっている。
間貫一のような男にこそ愛されたい--とそう思うようになった日本の女たちは、まさに和製「ボヴァリスム」に陥ったと言えるのではないか。(48 『金色夜叉』)


そう、金色夜叉はほとんど国民的メロドラマであり、熱海の海岸でのシーンは超定番ギャグ(^_^;)でもある。韓国でも植民地時代に「長恨夢(チャンハンモン)」のタイトルで翻案され、大ヒットした。「韓国を輝かせる百人」とい歌の中にも、「이수일(イスイル)과 심순애(シムスネ)」という一節がある。イスイルが貫一、シムスネがお宮の韓国版である。

たしかに新聞のない生活は考えられなかった。ナットー、ナマチャン、トットットップーと納豆を売る豆腐屋が吹く喇叭の音。それと同じように、子供がランドセルを鳴らしながら駆ける音、新聞を取り出したあと、カタンと郵便ポストが閉まる音も、朝の喧騒の一部であり、欠かせないものであった。
祖母が死んだあとは、母は母の見解を述べた。
「あのおばあちゃんが『金色夜叉』を読めたっていうこと自体が信じられないわ」
『金色夜叉』は漢字だらけの美文調、文語体の小説である。いくらルビがついていたとはいえ、今の日本語ほどかんたんには読めない。のちに知ったが、連載されたころは、漢文学に親しんでいた読者の楽しみのため、漢文の文章も入っていた。そんな新聞が、日本の津々浦々まで、「民主主義」や「個人」や「自由」など、西洋からの翻訳語を盛りこんだ記事を届け続け、新しい日本語と日本人とを次第に作っていったのであった。(53 「パパ、ママ好き」)


昔の新聞は総ルビ活字だった。単行本もたいていがそうだった。いや、戦後でも文学全集などは総ルビだったと思う。Morris.が割と漢字の訓みに強いのは、子供の頃読みふけった総ルビの本のおかげだと思う。
しかし、金色夜叉の新聞連載には漢文も併載されてたというのは驚きである。

『金色夜叉』といえば、西洋の宝石の王者である金剛石が有名で、金剛石といえば、出だしのお正月の歌留多遊びの場面が有名である。
奈津紀がリンクを送ってきたスライド・ショーは、昔ああいう時代があったのを思い出させてくれたが、その「時」は、今とは結びつかなかった旧い過去はすべてが伝説のように美しく、最近の過去はどこまでも醜かった。若いときの母と老いてからの母と同じようだと思った。(54 歌留多遊び)


金剛石はもちろんダイヤモンドで、「金剛石(ダイヤモンド)に目がくらみ」というのは、金色夜叉の謳い文句みないなものだが、小説には出てこなくて、芝居になった時に作られたものらしい。過去の美化は許すべきだろう。

その前年ぐらいに、新聞の一面に『金色夜叉』の種本が特定できたという記事が載り、母を驚かせたあとだったからである。種本は、アメリカの読み捨てのダイム・ノベル、日本語でいえば、三文小説だったという。
新聞を広げてみれば、バーサ・M・クレーという作家が書いたもので、『女より弱きもの』というのが原題の訳であった。
明治時代の小説家にとって「恋、恋人、恋女」を謳った西洋の小説を翻訳するのみならず、それを翻案して自分の小説を書くのは日常茶飯事であった。作家の尾崎紅葉も種本があるのを隠していたわけではない。そのようにして日本の近代小説が成り立っていったというたった百年前の歴史を日本人が脳天気に忘れ、新聞で驚かされたというだけであった。(59 小説にもならない)


浜の真砂は尽きるとも世に盗作のネタは尽きまじ。だが、ネット世界になってからは、盗作もなかなか難しくなってしまった。

欲望に突き動かされ続ける母の存在--諦めというものを知らず、虎視眈々と隙を狙い、何かに感動し、生きていることの証を欲しがり続ける母の存在は、なんとおぞましかったことか。老いは残酷で、精神が空高く飛翔し血が湧き踊るのをいくら欲しても、感動を命の泉として受けられる杯そのものが、年ごとに浅くなっていく。母が人生から感動を求め続ける姿は、しまいに、いつも飢えと乾きに苦しむ餓鬼道に落ちた亡者のような様相を帯びてきた。あるいは荒淫が不可能になった人間が、今一度の快楽の刹那を追い、さらに激しく荒淫を求めるのに似てきた。そんな母を見ていると自分の血がどろどろと腐ってくるのが感じられた。
老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか。それも、母親が老いれば老いるほど、そのような瞬間は頻繁に訪れるのではないか。しかも女たちが、年ごとに、あたかも妖怪のように長生きするようになった日本である。姑はもちろん、自分の母親の死を願う娘が増えていて不思議はない。今日本の都会や田舎で、疲労でどす黒くなった顔を晒しつつ、母親の死をひっそりと願いながら生きる娘たちの姿が目に浮ぶ。しかも娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛--自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。
若いころは抽象的にしかわからなかった。「老い」が、頭脳や五体を襲うだけでなく、嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚すべてを襲うのがまざまざと見える。あれに向かって生きていくだけの人生なのか。(61 海の底の光)

「老い」についていろいろ考えるのは、やはり自身が老いを感じるようになったという証拠だろう。水村はMorris.より二つ年下だから、これを書いたのは還暦前後だろう。タイトルが「母の遺産」だから、もちろん娘が母の死を願う理由の一つにそれが無いとはいえないが、そこはかとユーモアを感じさせる表現でもある。「女たちが妖怪のように長生きする日本」がははは\(^o^)/

文庫本の感触は懐かしいものであった。美津紀の祖母には新聞小説があった。母には小説と映画があった。二人ともそれだけで充分に夢を羽ばたかせて生きたのに、今の美津紀にはさらにたくさんのものが与えられていた。コンピュータに向かえば、さまざまな国のさまざまな時代の物語が、この世に何回生まれ変わろうと見尽くすことができないほど溢れ出し、そこには息を呑むような画像と音楽もついていた。それでいて--いやそれだからこそ、美津紀は、最近ますます文字でつづられただけの物語へと戻っていっていた。書かれた言葉以上に人間を人間たらしめるものがあるとは思えなかった。

ネット中心の世界へのささやかな反抗心。活字・文字への信仰告白。これにはMorris.も強い共感覚える。評点のいくらかはこの一節に負ってる。

引越したのは3月の10日--美津紀の祖国である日本が、大きな不幸の波に呑まれる前日であった。

最初に書いたとおり、新聞連載中に3・11の大震災が起きた。当然作者はここまでのストーリーに変更を余儀なくされたはずだ。

次の日、荷ほどきをしていると、古いマンションの床が立っていられないほど揺れ、美津紀は段ボール箱のあいまにしゃがみこんだ。
北のほうで海が躍り、波が押し寄せ、恐ろしい勢いで多くの人が命を失い、親しきを失い、家を失い、あれよあれよというまに海岸沿いが死者と瓦礫でうずたかく盛り上がったのを知ったのは、奈津紀との電話が通じてからである。しかも災いはそれだけでは収まりそうにもなかった。新しい一歩を踏み出したとたんに、箱根の闇とは異質の、あまりに現実的な闇に放りこまれた美津紀は、テレビがつながってからは、毎日テレビとコンピュータの前に釘づけとなって呆然と時を過ごした。
日本の多くの人が、ひさびさに、日本のことばかりを思う毎日であった。


「ひさびさに」日本のことを思った人々が、5年経ったら、すでに「風化」である。人の事は言えない。Morris.も思い新たにせねば。

4月に入って二日目の朝である。
起きてLDKに出てみれば一夜のうちに、池の周りに白い雲が広がるのが黄金色のオーガンジーを通して見える。息を呑んで薄い布を引けば、白い雲は桜の雲となった。
生きている……こうして私は生きている。
母が二度と見ることはない桜の花は、いづれ美津紀も二度と見ることがなくなる桜の花であった。(66 桜が咲いた日)


災害から一ヶ月も絶たないうちに、桜の花に思いを集約するというのは、あまりに安易というか、逃げではないかと思ってしまったのだが、これはショックの大きさに、言葉を失った結果ということにしておく。

2015/12/29(火)●鳳仙花
8時起床。
今朝の血圧は190/86/69。
えらく良い天気である。
10時前に自転車で大安亭に買い物に出る。
11時帰宅。
金平牛蒡作る。これもなんとなく年越しの定番めいたメニューであるな。おかずにも酒のあてにもなるし、冷蔵庫に入れとけば結構日持ちする。
ぐいぐい酒場に冬ソナさんが1980年(昭和55)放映のTBS番組「鳳仙花 近く遥かな歌声」がYou Tubeで見られるとの書き込み。これは以前ターちゃんが自分のブログで内容紹介してて、機会があれば見たいと思ってたので、早速見る。戦後35年、今から35年前という時期の番組。多くの歌手、作曲家、作家などが登場。イミジャ、美空ひばり、朴椿石、金達寿、吉屋潤、李恢成、金素雲、朴是春、黄文平、金貞九、李御寧、金蓮子、太珍児(テジナ)……それぞれが、韓国歌謡への思い、「恨」と懐かしさを語る。
日本でデビューしたばかりの金蓮子が舞台でのインタビューで「古賀政男をご存知ですか?」と聞かれて「ご存じます」と答えてたのが初々しくてよかった。
李恢成が、李光洙について、批判はするが、同情と尊敬の念を持つと吐露してたのが印象的だった。また朝鮮人は本来明るい民族で、だからこそ悲しい歌を歌い継ぐのだとも。

歴史家 李光洙

歴史家よ きみの歴史は 嘘っぱち!
われらの愛が 誌されてない歴史
そんな歴史があるものか
われらの 愛の破綻が 誌されてない歴史
そんな歴史は 知れたことさ 嘘八百さ(金素雲訳)


鶴橋牧野レコード店主が、戦前戦中の韓国歌謡SPの原盤を披露したり、戦争協力歌謡の話題の中で、白年雪の「息子の血書」を同席の歌手南江樹にアカペラで歌わせる場面もあった。
番組全体を通じてイミジャの韓国懐メロ(「他郷暮らし」「カスマプゲ」「木浦の涙」が流れて、これがまた良かった。実に中身の濃い番組である。これからもう一度見ることにしよう。
今日の歩数は1106歩。

「最終的不可逆的解決」ってどういう意味? 

30分遅れでトロット大祝祭 

新曲「アッサ!ネサラン」キムヘヨン 

大安亭ふさ黒白 

クロ 

中華鍋で金平牛蒡 

【定本 想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行】B.アンダーソン 白石隆、白石さや訳 ★★★☆ 2007/07/31 書籍工房早山
IMAGINED COMMUNITIES : Reflections on the Origine and Spread of Nationalism(1991 Rvised and Expanded edhition) by Benedict Anderson
近代歴史や思想の本や、水森美苗など読むと、やたら本書のことに触れてあったので、いつか読もうかと思いながら、なかなか果たせず、中央図書館書庫から借りだして、かなり長い時間かけてやっと読了した。

国際連合(United Nations 諸国民の連合)の時代に生きる我々にとって、国民国家(Nation State)--「平等一体なる国民(ネーション)の共同事務機関」というフィクションによって意味付けられる国家--は、政治生活の基本的枠組みとなっており、国民国家に存在論的根拠を与える「国民」は、我々には自明の前提となっている。しかし、それにもかかわらず、「国民(ネーション)」と「国民主義(ナショナリズム)」の概念については、はなはだしい理論的混乱がみられる。それは、たとえば日本語において、「ネーション」が「国民」「民族」と、また「ナショナリズム」が「国民主義」「民族主義」、そしてときには「国家主義」とすら等置されることにただちにみてとれよう。本書は、こうした「国民」概念の混乱のなかで、「国民」を「想像の共同体 Imagined Community」ととらえ、そうした「想像の共同体」が人々の心の中にいかにして生れまた世界に普及するに至ったのか、その世界史的過程を、「聖なる共同体」と「王朝」、「メシア的時間」と「空虚で均質な時間」、新しい「巡礼」の旅、「言語学・辞書編纂革命」、「海賊版の作成」などの概念を鍵として解き明かしている。(初版 訳者あとがき)

先にあとがきから引くのはずるいやりかたかもしれないが、それでも、いまいち理解できなかった(^_^;) 今回は引用だけにして、後で再履修することにしたい。

国民はイメージとして心の中に想像されたものである。国民は限られたものとして、また主権的なものとして想像される。
国民のなかにたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、常に、水平的な深い同志愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。
これらの死は、我々を、ナショナリズムの提起する中心的問題に正面から向いあわせる。なぜ近年の(たかだか200年)萎びた想像力が、こんな途方も無い犠牲を生み出すのか。そのひとつの手掛りは、ナショナリズムの文化的根源に求めることができよう。(Ⅰ序)


人間の言語的多様性の宿命性、ここに資本主義と印刷技術が収斂することにより、新しい形の想像の共同体の可能性が創出された。これが、その基本的形態において、近代国民登場の舞台を準備した。(Ⅲ国民意識の起源)

私がここで提起していることは、経済的利害も自由主義も啓蒙主義も、「それ自体としては」これら旧体制の強奪から守るべき想像の共同体の「種類」または形態を創造することはできなかったし、創造しなかったということにある。(Ⅳ クレオールの先駆者たち)

フランス革命は、ひとたび起こると、それは出版物の堆積していく記憶に入っていく。それを行った人々とその犠牲者となった人々の経験した圧倒的でつかまえどころのない事件の連鎖は、ひとつの「こと」となり、フランス革命というそれ自体の名称を得た。(Ⅴ 古い言語、新しいモデル)

明治人は半ば偶然の三つの要因によって助けられた。その第一は、幕府による国内の平定と二世紀半の孤立によってもたらされた、日本人の比較的高い民族文化的(エスノカルチュラル)同質性である。第二に、天皇家の万邦無比のふるさ、そしてそれが疑う余地なく日本的なものであることによって公定ナショナリズム発揚のために天皇を容易に利用することができた。第三に、夷人が突然、一挙に脅迫的に侵入してきたため、大多数の政治的意識をもつ住民は、新しい国民的(ナショナル)枠組みで構想された国防計画に容易に結集することができた。

(明治の藩閥政府は)国際関係における対等性の意識がなく、むしろ国内的な階層的支配(ヒエラレルヒー)の眼で国際関係を見るから、こちらが相手を征服ないし併呑するか、相手にやられるか、問題ははじめから二者択一である。このように国際関係を律するヨリ高次の規範意識の希薄な場合には、力関係によって昨日までの消極的防衛の意識はたちまち明日には無制限の膨張主義に変化する。(「現代盛時の思想と行動」丸山真男)

シートンワトソンが「公定ナショナリズム」と呼ぶものは、19世紀半ば頃から、ヨーロッパで発展した。これらのナショナリズムは、民衆の言語ナショナリズムの登場までは、歴史的に「ありえない」ことであった。なぜなら、公定ナショナリズムは、本当は、民衆の想像の共同体から排斥されるか、そのなかで周辺化されそうになった権力集団による「応戦」だったからである。
ほとんどすべての場合において、公定ナショナリズムは、国民と王国の矛盾を隠蔽した。(Ⅵ 公定ナショナリズムと帝国主義)


経済力は、ほとんどどこでも、植民者自身によって独占されるか、あるいは、政治的に不能な賤民(非原住民)事業家の階級と植民者のあいだで不均等に分有されていた。インテリゲンチアが前衛的役割を果たすようになったのは、かれらの二重言語読み書き能力によったということも一般的に認められている。出版物を読みまた書くこと、これによって、すでに述べたように、想像の共同体は均質で空虚な時間の中を漂っていくことが可能となったのだった。二つの言語を使いこなすということは、すなわち、ヨーロッパ国家語を経由して、もっと広い意味での近代西欧文化、とくに19世紀に世界の他の地域で生み出されたナショナリズム、国民、国民国家のモデルを手に入れることができるということであった。

インランデルという言葉は、英語の「ネイティヴ」、日本語の「土民」「土人」「原住民」と同様、いつも意図せざる逆説的意味をはらんでいた。それは、この植民地において、それぞれ別の他の植民地におけると同様、この言葉で言及される人々が「劣等」でしかも「そこに属している」ことを意味した。
一種の沈殿作用によって、インランデルは白人、オランダ人、中国人、アラブ人、日本人、「ネイティヴ」「アンディジーヌ」「インディオ」「土民」をつぎつぎの除いていって、その指示する意味内容がしだいに明確となり、そっしてついには、成熟したさなぎのように突然変態して「インドネシア人」という華麗な蝶になったのである。



言語は排斥の手段ではない。原則として、誰でも、どの言語でも学ぶことができる。それどころか、言語は本質的に包摂的であり、誰も「すべての」言語を学ぶほど長生きすることはできないという、あのバベルの宿命だけによって制約されている。ナショナリズムを発明したのは出版語である。決してある特定の言語が本質としてナショナリズムを生み出すのではない。

主としてアジア、アフリカの植民地に打ちよせたナショナリズムの「最後の浪」は、産業資本主義の偉業によってはじめて可能となった新しい型の地球的帝国主義への反応として発生したものであった。マルクスが彼独特の言い方で述べているように、「自己の生産物に対してたえず販路を広げなければならない必要は、ブルジョワジーを駆って全地球をかけまわらせる。」(Ⅶ 最後の波)

世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々がみずからの命を投げ出そうとしたということにある。究極的自己犠牲の観念は、宿命を媒介とする純粋性の観念をともなってのみ生まれる。
国民を、「歴史的」宿命性、そして言語によって想像された共同体と見れば、国民は同時に開かれかつ閉されたものとして立ち現れる。(Ⅷ 愛国心と人種主義)


公定ナショナリズムのモデルは、まさに革命家が国家の掌握に成功し、かれらの夢(ヴィジョン)を実現するためにはじめて国家権力を行使しうる地位についたとき、とりわけ妥当なモデルとなる。そうした妥当性は、断固としたもっとも急進的な革命家ですら、常にある程度は崩壊した体制から国家を相続するのであるかぎり、ますます大きくなる。(Ⅸ 歴史の天使)

意識の深刻な變化はいつでも、まさにその性格上、特有の記憶喪失をともなうものなのである。そうした忘却のなかから、ある特定の歴史的状況の下で、物語(ナラティヴ)が生まれる。黄ばんだ写真のなかの裸の赤ん坊があなただということを知るのに他人の助けが要るというのはなんと奇妙なことか。写真、つまり、この複製技術の時代の申し子は、事実記録の膨大な近代的蓄積(出生証明書、日記、成績通知票、書簡、診療記録、その他)のなかでもっとも有無を言わさぬものであるにすぎず、こうしたものが同時に、なんらかの外見的連続性を記録し、それが記憶から失われたことを強調する。この疎外から人物(パーソンフッド)、アイデンティティ(そう、あなたとあの裸の赤ん坊は同一(アイデンティカル)人物なのだ)の概念が生まれ、そしてそれが「記憶」されえないものであってみれば、語られるほかない。(Ⅺ 記憶と忘却)

本書(以下ではICと呼ぶ)がこれほどまで普及したのはその質ではなく、それが元来、ロンドンで、英語でつまりかつての教会ラテン語と同様、今世界的にヘゲモニーを持つ言語で出版されたためである。

わたしが標的としたのはアメリカ人の驚くべき唯我独尊さで、これはいまでも自由主義的『ニューヨーク・タイムズ』にはっきり見ることができる。カール・ドイチェはかつてシニカルに「大国は(他国の言うことなど)聞かなくともよいのだ」と言った。

ICの最初の訳書は1987年、東京で出版された。これはかつてのわたしの学生、白石隆と白石さやによって行なわれたもので、かれらがIC翻訳を思い立ったのは、日本人の島国性、そして日本の歴史と文化は日本特有のものでこれを他国と比較することはできないし比較しても意味はないという保守的信仰と戦う上で、本書が教育的一助となると考えたからだった。出版社、東京のリブロポートは、中道左派の出版社で、タカシが最近、知らせてきたところでは、「この出版社の所有者、堤氏は、大実業家の息子で、かれは父親に逆らって詩人、作家の途を選択した人物であるが、結局のところ、父親の死に際し、そのビジネスの一部を相続することになった。そこでかれは編集者にもうけることは考えないでよい、良い本を出せばよい、と言った。……この出版社は1990年代に破綻した」(旅と交通(あとがき)


2015/12/28(月)●トロット大祝祭
8時起床。
今朝の血圧は186/96/64。
2015年も残り4日というのまったく歳末という気分にならない。10年くらい前からそうだったが、去年から、大みそかの春待ち八幡神社初詣も取りやめになったので、めりはりなくなったのかもしれない。
ぐいぐい酒場(Morris.の掲示板)に稲田さんからラグビー関連の投稿があったので、9月のワールドカップ、日本-南アフリカ戦のビデオを見直す。もう、5回めくらいになると思う。何度見てもあの試合はすごかった。
そういえば、昨日から高校ラグビーも始まってる。どこかTV中継してないかとネットで調べたら、準決勝(1月7日)と決勝(1月11日)はMBSで中継するらしいが、ネットでLIVE中継やってて、普通の放送と同じくらい綺麗な映像で見ることができることがわかった。11時から東京朝鮮中高-筑紫の試合始まったので見ることにした。以前大阪朝高の試合見に花園まで行ったことを思い出す。なかなか緊迫したシーソーゲームだったが、惜しくも東京朝鮮中高は一回戦で敗退してしまった。
午後、自転車で金沢病へ降圧剤貰いに行く。都賀川はさんで西側の灘区民ホール前にあるモニュメントを撮影。以前から気になってた。親子らしい3人の立像だが、マント被って、いかにも「冬」をイメージさせる。銘板には「旅立」二口金一と書いてある。あとでねっとでしらべたら、昭和3年(1928)富山生まれの彫刻家で、神戸ではメリケンパークやしあわせの村に作品が置かれているらしい。写真見るとほとんど同じスタイルである。シリーズなのだろう。屋外のモニュメントはめったに感心するものがないが、この作品は訴えるものがある。
帰り道、水道筋で買い物して4時帰宅。
寸胴鍋に鶏ガラと牛スジでおでんの出汁をとる。年末にはおでんというのが、Morris.亭の定番みたいになってる。もうそろそろやめてもいいかと思うのだが、結局これが一番楽だし、ネタさえ追加していけば、ずっと食べられる。
今夜のKBS歌謡舞台は毎年恒例の「2015트로트대축제トロット大祝祭」である。午後10時から始まる予定が、臨時ニュース番組(日韓外相会議)のため、30分遅れで始まった。
 
1) 오프닝 쇼オープニングショー/KBS예술단KBS芸術団
2) 아미새アミセ/현철ヒョンチョル
3) 돌리도トルリド/서지오ソジオ
4) 늦기 전에手遅れになる前に/배일호ペイロ
5) 미운 사랑憎い愛/진미령チンミリョン
6) 잃어버린 30년失われた30年/설운도ソルンド
7) 사랑 님愛しい方/김용임キムヨンイム
8) 이봐요ほら/문희옥ムンヒオク
 9) 괜찮아大丈夫/김상희キムサンヒ
10) <판소리 노래교실パンソリ教室>
김성환キムソンファン.현숙ヒョンスク.문연주ムンヨンジュ. 진성チンソン.
박상철パクサンチョル
11) 아싸 내 사랑アッサ我が恋/김혜연キムヘヨン
12)일소일소 일노일노一笑一小一怒一老/신유シニュ
13) 인생 팁人生のヒント/현숙ヒョンスク
14) 안동역에서安東駅で/진성チンソン
15) <신나는 리듬 속으로楽しいリズムタイム>
1. 렛츠 트위스트 어게인レッツツイストアゲイン
2. 빨간 구두 아가씨赤い靴の少女
3. 나폴리 맘보ナポリマンボ
4. 서울야곡ソウル夜曲
 김상희キムサンヒ.김연자キムヨンジャ
배일호ペイロ.태진아テジナ.신유シニュ
김혜연キムヘヨン.문희옥ムンヒオク.금잔디クムチャンディ
권성희クォンソンヒ.진미령チンミリョン.강진カンジン.서지오ソジオ
16) 웃으며 삽시다笑って生きよう/문연주ムンヨンジュ
17) 노래방カラオケボックス/박상철パクサンチョル
18) 십분 내로十分内に/김연자キムヨンジャ
19) 묻지 마세요尋ねないで/김성환キムソンファン
20) 달도 밝은데月も明るいし/강진カンジン
21) 산다는 건生きるとは/홍진영ホンジニョン
22)<현철과 몽키스ヒョンチョルとモンキーズ>
1. 헬로 미스터 몽키ハロー・ミスター・モンキー
2. 다 함께 춤을皆で踊ろう
3. 아파트アパート
현철ヒョンチョル.조항조チョハンジョ
설운도ソルンド.김용임キムヨンイム
23) 동반자同伴者/태진아テジナ
24) 하이난 사랑海南愛/권성희クォンソンヒ
25) 오라버니お兄さま/금잔디クムチャンディ
26) 그 놈에 사랑あいつに愛を/조항조チョハンジョ
27) 모정의 세월慕情の歲月/전 출연자全出演者


女性司会者は去年に続いてホンジニョン。特番1時間50分と長尺で、それなりにビッグネームを揃えてる。男性四天王は、今年もソン・デグァンが欠席というのが悲しい。来年は是非とも4人揃ってほしい。女性陣ではチュヒョンミとチャンユンジョンが欠席。できれば以前のようにチャンユンジョンに司会して貰いたかった。まあ、お祭りだから賑やかに楽しんでもらえればそれでいいか10.のパンソリ教室は昔風のバラエティで面白かった。22.のコーナーは、来年が申年ということにちなんだものだろう。それならイパクサ呼んで「モンキーマジック」やってくれたらよかったのに。
今日の歩数は2142歩。

「旅立」二口金一1991 

金沢病院 

おでんの出汁とり 

【東京自叙伝】奥泉光 ★★★  2014/05/10 集英社
東京の地縛霊が、6人の人物に憑依して、時代順に東京の歴史、世相、事件に関わりながら、面白おかしく自己弁護を交えながら語り継いでいくというスタイルで、明治以前から東日本大震災までの、東京通史講談みたいな作品である。奥泉ならではの仕掛けや遊びも多く、文体もかなりひねくったもので、それはそれなりに面白かったが、完成度からいうと物足りなかった。

震災からだいぶ経って、朝鮮人の暴動云々はデマだったと云う話が伝わった。必ずしも不逞の徒とはいえぬ者が殺されたり怪我を負わされたりしたのではないかと疑うも者もあった。たしかにそうした事実は一部にはあったと思います。が、私が警備した地域に限っては、ないと断じ切る自信がある。なぜなら私が斬ったり捕らえたりした者は誰がドウ見ても怪しかったからだ。彼らは怪しさの蒸気を全身から立ちのぼらせて歩いていた。怪しい者ですヨ、と顔に大書してうろついていた。そういう者だけを選って私はやっつけた。もちろん可能性をあげつらうなら、なかに一人や二人、無実の者が紛れ込んでいた可能性は否定出来ない。が、ああいう非常の際だ、瑣細な間違いはどうしても避けられぬ。少々の犠牲はやむを得ない。それより僅かな間違いを恐れるあまり取り返しのつかぬ事態を招く方が恐ろしい。私はそう思います。

ざっとこんな感じである。関東大震災時の朝鮮人虐殺に関わりながら、ほとんど反省もなく、自分本位な発言。もちろん、奥泉がそう思ってるわけじゃなくて、ギャグであり皮肉でもあるのは言うまでもない。

かくて国民間には米英憎しの感情が燃え出した。一度火がついてしまえば、あとは放っておいても燎原の火となって燃え広がる。議会では米英討つべしと議員が大合唱し、陸軍には連日激励の手紙が届く。こうなればいかに聖慮といえども流れは押し戻し難い。民衆の声こそ真の聖慮なりと、立場上天皇陛下だって考えぬわけにはいかんだろう。たとえアマテラスが出張してきたって、走りだした民衆の勢いは止められるもんじゃない。
かくて12月8日未明、南方軍マレー半島にコタ・バルに上陸し、続いて海軍機動部隊が真珠湾を奇襲して、対英米戦争の膜は斬って落とされました。

太平洋戦争の始まりも、時の趨勢に逆らえなかったからだと、いかにもの弁明。

実のところ、ドウモ私は東京が火事や地震で壊れることを密かに喜んでいる節がある。これはやや後になっての話ですが、あるときゴジラの映画を観た私は、これにスッカリ参ってしまった。東京湾から上陸した怪獣ゴジラが暴れて、ビルや鉄塔を壊して回る様子にモウ恍惚となった。同じ映画を何度観たか分からない。この場合、ゴジラが壊すのは東京でないと駄目なので、それが証拠にゴジラ映画の二作目がかかったと云うんで、それッとばかりに勇んで観に行ったら、全然つまらない。ゴジラが暴れるのが大阪だったせいです。東京が壊れるのが面白い。

自虐的な一種の身贔屓ともいえる(^^;)

新憲法の施行が終戦から二年目、すなわち昭和22年、西暦で1947年5月。同じ年に財閥解体、改正民法発布と、この辺りがGHQの民主化政策の頂点。ここから先は「逆コース」と云うやつで、公職追放されていた連中が復帰する一方、レッドパージがはじまる。一度は消えてなくなった軍隊も名前を変えて復活する。26年9月にはサンフランシスコ講和条約が結ばれて、進駐軍の占領は終了、めだたくニッポンは独立。とは云っても安保条約のおまけ付き、沖縄を手土産に差し出して、アメリカさんんのご機嫌を窺いつつの独立だ。そもそも首都東京の眼と鼻の先に米軍基地がいくつもあるんだから、要はアメリカの妾になったようなもの。何のことはない、日本がまるごとパンパンになったと云う、笑うに笑えぬお話。

戦後になってからは、当初の奔放さに比べるとややシリアスになってくる。「日本がまるごとパンパン」というのは強烈である。

アジア諸国への賠償交渉が始まったのが、サンフランシスコ講和条約締結の前後、これはいわゆる直接方式というやつで、賠償を受ける国が日本の企業に船舶だとか工作機械だとかを発注し、日本政府が代金の支払いをまとめて行う。政府が払うというと判然りしないが、要は役人が国民の税金から払うわけで、当の役人からしたら所詮は他人のカネ、自分の懐が痛むわけじゃない。だから言い値でいくらも出してくる。受注した会社にとってこれほどおいしい餌もないので、甘い汁を吸うチャンスだと誰だって考える。しかも甘い汁の総額は三千五百億円以上、嵩も膨大となれば、多くの企業がなんとか賠償ビジネスに食い込めぬものかと、蟻のごとく群がり寄るのは自然の理だ。

福島復興予算にしろ、原発にしろ、オリンピックにしろ、結局は自分の懐が痛まないという構図は同じである。賠償ビジネス、復興ビジネス、福祉ビジネス、年金ビジネス……

マア政治家諸氏が考えていたのは主に核武装。憲法9条を改正して再軍備し、核兵器もできたら持ちたいと願う政治家は、いま同様当時もゾロゾロ居て、1954年3月に中曽根康弘らが原子力予算案を国会に提出して採用されたのは、政治家陣営の悲願達成への第一歩と云ってよいだろう。
元来米国は核エネルギー研究を機密としていたが、核開発競争でソ連に追いつかれるや方針を百八十度転換、自由主義陣営や第三世界にむしろ各技術を輸出してヘゲモニーを握る方向へと舵を切る。とコウなれば、日本とて遅れをとるわけにはいかぬ。ぜひ原子炉を日本にも、と云う話の成り行きとなれば、アメリカに顔が利いて巨額の資金を集められる人物がどうしたって必要になる。マイクロウェーブ構想で実績のある正刀に期待が寄せられたのは必然だ。


ここらあたりになると、お馴染みの話だ。正刀というのは、正力のこと。
時代が下るほどに面白みがなくなってくる。

誰かが株を買えば株価が上る。それなら自分も儲けたいと、買いたい人間が現れて株価はモット上がる。するとまた儲けたい者が買うのでいよいよ株は高くなる。土地も同様。値上がりを見込んで買えば、買ったせいで値が上がり、するとモット上がると思う者ががた買うから、ドンドンと上がっていく。じつに簡単明瞭な原理だ。もっとも儲かるのは株価や土地価格が無際限に上昇できればの話なのであって、じつは天井があるから、いずれは破綻を免れぬ。実際バブル崩壊後、多数の企業や金融機関が破綻に見舞われたわけで、しかし好景気の真っただ中では価格が青天井に見えるから不思議だ。バブルの空は、秋の空に似て、どこまでも青く高い。
浮かれていたと云われればまさしく御説の通り。しかし寄せくる波に人が浮かれるのは必然だ。波に逆らう方がどうかしている。と申しますか、どのみちなるようにしかならぬのだから、浮かれるべきときには浮かれて居るのが正しい。鼠だって餌が豊富なら浮かれ騒ぐし、餌が足らねば狂奔の挙げ句に飢え死にする。単純にそれだけのこと。人間だって変わらぬ。


バブルの解説も割とステレオタイプだ。

図らずも宇治田が漏らした本音、即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。

東京無責任時代。どうも奥泉は本書を無責任に終わらせたかったようだ。
Morrisは、奥泉を、一押しの作家と目していたのだが、ここ数年の作品を見るに、ちょっと失速しているような気がする。

2015/12/27(日)●年末ノレチャラン
8時起床。
今朝の血圧は196/96/67。
久しぶりにKBS全国ノレチャラン見たら、「年末決選」という2時間の特番だった。会場はKBSホール。正直言うとMorris.は普段の地方公演の方が好きである。それでもまあ、女性司会者と一緒に張り切ってるソンヘさん見るのもまた一興。以前は、前半期の優勝者と後半の優勝者の決戦みたいなことやってたが、今年はそんなのなしの一発勝負だった。大賞は最初の女性出演者で、パンミギョンの「理由にならない理由」。これは懐かしかった。

別離とは割れた玻璃窓不条理な理由今更聞きたくもなし 歌集『韓歌』

2時から女子サッカー皇后杯決勝をTV観戦。INAC神戸-アルビレックス新潟で、普段女子サッカーは見ないのだが、今日は澤穂希の引退ゲームということで見る気になった。(年賀状のコメント書きながら(^_^;))
結果は後半の澤のヘディングが決まって、1-0で神戸優勝。出来過ぎという感じだが、まあこれは許せる。
夕方、年賀状投函。阪急王子公園駅前五角交差点にあったTSUTAYAが今月20日で閉店してることを知った。2階建てビルまるごとTSUTAYAだっただけに、後がどうなるのかちょっと気になる。もともとレンタルビデオは利用しないMorris.だけど、「空気人形」と
古舘伊知郎だけでなく、NEWS23の岸井成格も3月降板だとか。古賀茂明降ろしに始まり秋には読売「情報ライブミヤネ屋」の青木理も突然降板させられてたそうで、これはもう露骨な、安倍批判キャスター、コメンテーター抹殺計画だな。青木のコメントを引いておく。

「テレビ局側の自粛なのか圧力なのか、それぞれの事情は知りません。だけど、結果を見れば政権側の思うツボだし、官邸にとっては好都合の状況が醸成されつつあると思う。このままいくとマジメに取材する報道番組が次々と消え、毒にも薬にもならないエンタメ番組ばかりになるでしょう。すなわちテレビ局が報道機関から娯楽機関に成り下がるということです。それでいいのか。重大な問題をはらんでいると思います」(青木理 週刊ゲンダイ)

時代はますます「1984」に逆行していってる。
今日の歩数は860歩。

全国ノレチャラン2015年末決選 

澤穂希引退ゲームでゴール 

TSUTAYA閉店 

【文化亡国論】笠井潔、藤田直哉 ★★★ 2015/04/20 響文社
笠井潔 1948生れ。作家、批評家、思想家
藤田直哉 1983年生れ。SF・文芸評論家
前に笠井と白井聡の対談読んだばかりだが、藤田は名前も知らなかった。かなり年齢差もあり、テーマも文化全般ということだったが、カラーとしては白井との対談に重なるものも多かった。結構荒唐無稽論もあって、笑わせてもらった。

笠井 大東亜戦争と称された対中・対米戦争は、国際法的に合法化された征服戦争なのか。中国やアメリカによる侵略戦争への、日本の自衛戦争なのか。あるいは、欧米支配に抵抗するアジアの解放戦争なのか。日本型リビジョニストの自虐史観批判には、この三つの立場が無自覚に混在している。これらは相互に矛盾するわけだから、まず歴史修正主義の陣営内で大論争が起こるべきだし、最終的には分裂するべきなのに、決してそうはならない。どうしてなか。
藤田 ぼくには、ナルシズムの問題に見えます。自分の国が、悪いことをしていたと思いたくない、というのが先にあるように見えます。


大東亜戦争肯定論がナルシズムか。そういう面無きにしもあらずぢゃ。

藤田 アイデンティティの不安や剥奪感を「皆が」感じているというのは、おかしいです。そうすると奪っているのは「誰」なのか。誰でもないのかもしれない。それは、旧来の人間が変容して今までの生活ができなくなっていることによって必然的に生まれている不安感や剥奪感だというのが、ぼくの分析です。新自由主義になって労働環境が変わったとか、情報環境ができて人間のコミュニケーションが変わったとか、いろんな点で20世紀的なものから21世紀的なものへの変容が起こってくる。その過渡期に、ある種の剥奪感が生じる。皆が皆自分を被害者であり奪われた者、攻めこまれている者だと思っているから、そのようなフォーマットのフィクションが流行する。これはほとんど、在特会の人々が抱いている不安や、世界観と同じですよ。

被害妄想?

藤田 一昔前、「夢を追う若者」が話題になったじゃないですか。ペンション経営するとかカフェを開くとかAKBに入るとか。しかし、その「夢」を追うことも今から思えば割と立派だったと思えてくるぐらい、「承認」を求める先が卑近になっている。斎藤環さんが、マズローの欲求の五段階で一番上にあるのは自己実現なんだけれど、いまや自己実現の上に承認が来ているのではないかと分析されてました。
*マズローは、基礎的な欲求が満足されたのちに次の段階の欲求が生じると考えた。その順序は「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」。余談だが、このマズローの五段階説、就職説明会や自己啓発本で非常によく見かける。


マズローなんてのも初めて聞いたが、「承認」てのはつまりは、他者からの評価ってことだろうか。そもそもこの「承認」が「社会的欲求」より上に位置するというのがよく理解できてなかった。

藤田 在特会の人たちは、在日朝鮮人を敵にして、なんでもかんでも在日認定するという、妄想的な敵の単純化を行っているので、ある意味で求心力があると思うんですよ。でも左翼にとって、わかりやすい共通の敵を名指せるように思えません。アメリカ、天皇、安倍、新自由主義、原発、システム、日本的なもの、村社会……。漠然としていて、これぞという敵が見えない。
日本共産党のポスターを街でみかけるんですけど、賃金闘争を訴えたりブラック企業を批判したりしていたかと思えば、原発をなくすと言いだしたり、今度は集団的自衛権に反対と言いだしたり、機会主義的なように見える。芯が見えない。
笠井 1990年代から排外主義は当面の敵、まさに主要打撃の方向だと僕は考えていたし、いまではそれが誰の目にも明らかになってきた。戦後日本の地平を超えていくために反原発、反貧困、反基地は一繋がりの主題としてどれも重要ですが、しばらくは排外主義との闘争が最優先でしょう。


排外主義というのがどうもわからない。例によって大辞林見ておく。

排外 自己の属する集団外のもの、特に外国人や外国の文物・思想などを排斥すること。 排外主義 多民族・他国に対して、排斥・敵対的態度をとること。ショービニスム。
ショービニスム chauvinisme (ナポレオン一世を熱狂的に崇拝した、フランスの老兵士ショーバンの名に由来する)狂信的な愛国主義。極端な排外主義。→ジンゴイズム
ジンゴイズム jingoisum(露土戦争のとき対露強硬政策をうたった好戦的なイギリスの俗謡中のJingoの語から)感情的で好戦的な愛国主義。→ショービニスム
ゼノフォビア xenophobia 外国嫌いや、外来の人物や風習を嫌悪・排斥することを指す語であり、「攘夷」に近い語である。
攘夷 外国人を撃ち払って国内に入れないこと。 尊皇攘夷 幕末、外国との通商に反対し夷狄の排撃を主張する思想。開港以後は、尊王論と結びつき下級武士の政治運動を支える尊王攘夷論となった。


上記のうち「セノフォビア」は大辞林にはなくて、ウィキペディアから引用。

笠井 戦前、絶望的に貧しい日本の農民が村をあげて満州に渡っていった。まさか満州に無主の耕作可能地が、いくらでもあったわけがない。中国農民から暴力的に奪った土地であろうと、それを自分のものにして貧困から抜け出せるならかまわない。満州に渡った農民にとって、帝国主義の暴力に依存し、それに加担することで反貧困は一旦達成されたわけです。しかし、それで本当によかったのか。たとえ反貧困であろうとも排外主義は「敵」で、排外主義と闘う反貧困にしか脱出口はない。戦前のファシズムのような反貧困は袋小路でした。もちろんボリシェヴィズムの反貧困にも、僕は否定的です。(第一章 ネット右翼とネット左翼--情報社会と政治的感性)

笠井のいう「排外主義」というのは先の辞書からの引用と、違ったもののように見える。

笠井 男のジャニーズ、女のAKBは「素人っぽさ」が売りだけど、エグザイルが違うのは、ダンスは本格指向だというところ。安室奈美恵などアクターズスクール出身者もそうですね。K-POPのガールズグループは、もともと安室奈美恵が参照先だったわけです。安室が踊りながら、クチパクでなく本当に歌っているのを見てびっくりして、少女時代やKARAにいたるガールズグループが次々にデビューした。追い越された日本がどう対応したかというと、プロフェッショナルなコンテンツ構築の方向は放棄し、ダンスも歌も学芸会水準でOKという路線に徹した。少なくとも日本国内では、こちらのほうに需要があるから。
藤田 日本の芸能人消費者には「素人っぽさ」を好む傾向がありますよね。


韓国ガールズグループのルーツが安室奈美恵。言われてみれば「アムラー」というのが、一時韓国でも目立ってた。日本では逆に劣化して学芸会水準のAKBみたいなのになったということか。

笠井 一神教と違ってアニミズムには構築性が希薄です。神と人間の境界がはっきりしないように、プロフェッショナルと素人も曖昧に連続している。歌やダンスに完璧を求めるのは当然のこと、全身整形も辞さないで「理想(イデア)」を追求する韓国のガールズグループが一神教的だとしたら、AKBはアニミズム的でしょう。
これまでも指摘した来たように、ジャパニーズ・カワイイの前線はAKBではなく、きゃりーぱみゅぱみゅですよ。


ここできゃりーぱみゅぱみゅが出てくるとは(@_@)

藤田 ネットの工作員に関しては昔から「チーム世耕」とか「ホロン部」とかの名証で、都市伝説的に指摘されていることではありました。企業がステマ(ステルスマーケティング=宣伝だと気づかれないように行なう宣伝のこと)をやっていることは自明ですし、広告業界が企業のためにやっていることが、政治に応用されないということは考えられません。だから、ぼくは、ネット右翼は自然に発生したんじゃなくて、長い時間かけたネット上での工作の結果、人為的に生み出された存在ではないかと疑う必要もあると思っています。

ネトウヨ=自民党の傀儡説は他所でも聞いたが、どうだろう。自然発生したのを、利用したのではとMorris.は思う。

藤田 敗戦のときに本土決戦を行わなかったことが、現在にまでつながるさまざまな日本社会のゆがみの元凶であると、『8・15と3・11』などで笠井さんは主張されていらっしゃいますね。
笠井 僕のいう本土決戦は、陸軍が構想していたような沖縄戦の拡大版ではありませんよ。無能な戦争指導部を一掃して、抗米百年戦争のためのパルチザン軍に軍を改組することが前提です。敗戦を終戦といいかえるような負け方ではなく、言い訳できないような徹底的な負け方をするということでもいいと思う。防衛問題というのは、自分たちの身は自分たちで守るというのが原点なんだから、各人がその責任を負う気があるのかどうかということなんです。自衛隊という専門家集団を一種の傭兵とみなして、金で雇っとけばなんとかなるというのはおかしい。


旧全共闘闘士笠井の面目躍如たるところだろう。

笠井 対米従属を疑うことなく日本の侵略センスも正当化したいという安倍晋三的な自己欺瞞と、『ヤマト』や架空戦記の自己欺瞞は通底している。(第二章 グールジャパンとナショナリズム--右傾エンタメは危険か?)

戦争おたくか?

笠井 「否認」(「否認」とは、自分自身の悪い部分や問題を(無意識に)認めないで、認識から欠落させること)しきれなくなったら自分の問題を他人に「投影」(意識のなかで抑圧した自身の悪い部分が相手にあるように見えてしまう現象)し、他人を憎む。将来の自分がなるかもしれない生活保護受給者をバッシングするのは、精神分析的にはわかりやすい図式ですね。
藤田 そうですね、否認と投影。辛いけれども、そこから個々人が脱出することが、その個人にとっても、社会にとっても、未来への道に繋がるとぼくは思っています。(第三章 もはや引きこもってはいられない--おたくから、ヤンキーへ)


責任転嫁からの脱出は難しいと思う。

笠井 第一次大戦によって19世紀的な世界は崩壊したし、3・11によって戦後日本も終わった。人々は3・11を忘れはじめたという見方もあるけれど、見たくないものや思いだしたくないものを抑圧しているにすぎません。無意識に抑圧されたものは違う形で回帰してくる。3・11後の急速な右傾化もまた、抑圧された集合的記憶が心身症的に反復されている現象として理解できるのではないか。戦後日本の「繁栄と平和」はもはや維持できない、日本は「衰退と戦争」への過程に入ったという事実を、地震と津波と原発事故はわれわれに否応なく突きつけたわけです。このトラウマ経験が抑圧され無意識化されて、安倍内閣の右傾化路線や民間の排外主義勢力の増大として反復されている。

見たくないものは見えないことにする。これを最大限に利用しようとしてるのが安倍政治だ。

笠井 19世紀が国民戦争、20世紀が世界戦争だとすると、9・11によって開始された21世紀の戦争は世界内戦ではないだろうか。「世界内戦」はドイツの法学者カール・シュミットが『パルチザンの理論』で、抗日戦争と中国革命を考察して生み出した概念です。世界内戦では主権国家が特権的な主体ではなく、国家の軍隊と民間の軍隊が入り乱れて戦う。また国民戦争のように、宣戦布告と講和条約の締結で時間的に区切られるのではない、起点も終点も不明確なまま際限なく続く戦争です。20世紀の世界戦争のように、対戦国の体制崩壊が目的化されるわけでもない。そもそも敵が国家とは限らないのだし。さらに軍事的な戦闘だけでなく、文化や精神の領域までが戦場になる。もう戦争は、いつでもどこにでもある。このように21世紀とは、世界の戦争化が進行しつつある時代なんです。国民戦争でもない新しい異様な戦争に注目し、かなり早い時期に書かれた小説が『虐殺器官』(伊藤計劃)でした。(第四章 リキッド・モダニティと空気の国民--21世紀の自我)

テロと世界内戦。まさに今の時代である。「虐殺器官」読まなくては。

笠井 山本七平の『空気の研究』によれば、アニマを日本語に訳すると空気になる。空気の支配とはアニマ=精霊による支配なんですね。日本はアニミズムのまま文明化に成功した例外的な国です。日本のアニミズム的風土を肯定する人もいますが、僕は問題だと思っています。


笠井 僕の世代でまじめ派の運動は終わると思っていたら、十歳二十歳下でも水増しされてのこっている。
藤田 そういう運動って、どうやって伝承されたんでしょうか。
笠井 単純な話、常に正義の側にいたいという自堕落な欲望が、弱い人間には草のように生えてくるからでしょう。
自分は正義の側にいると思うことで楽になり、人格的にも安定できる。この種の人間にとって正義は嗜癖の対象なんですね。正義に依存することでしか生きていけない。


「正義の側にいたいという自堕落な欲望」「弱い人間」「正義派嗜癖の対象」これらの言葉が、Morris.への非難のように聞こえるのは、被害妄想なのだろうか。

*「ネ申」はインターネットで、コミュニケーションの材料になりそうな話題を提供し、なおかつ滑稽な対象に使われることが多いように思う。(第五章 ネ申とアニミズム--サブカルチャー宗教性)

笠井 デモは合法的でなければいけないとか、非暴力的でなければいけないとかいうのは間違いで、合法性や非暴力性が有効な状況もあるということです。
1970年、80年代の世界に類をみない経済的繁栄の結果、日本では蜂起の文化や街頭政治の伝統が途絶えてしまった。そんな時代に生まれ育った、新しい活動家たちだったことを思えば、何度かの決壊という結果も含めて反原連はよくやったと思いますよ。
大衆蜂起と評議会は、例外状態から新しい国家が立ち上がるのを阻止し続ける運動であって、ボリデェヴィキ革命のようにソヴィエト国家とか自称しはじめたら終わりです。
藤田 結果としてそれは旧来の国家よりも非道な権力になってしまったという歴史を人類は経験したわけですからね。
笠井 旧体制を機能麻痺に陥れ例外状態を創出した大衆蜂起が、おのれの力量を保ち続けることができない弱さのために、国家に頽落する。これが市民革命以来、幾度となく繰り返されてきた事態で、ロシアや中国のような社会主義革命もその変種です。ようするに市民革命は一度も成功していない。絶対主義王政の支配を覆しても、絶対主義が発明した主権国家システムの解体には失敗したわけだから。市民革命の半敗北の産物が人民主権論です。


「成功した市民革命は存在しない」というのも笠井の持論だったな。
SEALsの奥田が「re-demo」という新団体たちあげたらしいが、反原発、反安保法案のデモは、昔からノンポリだったMorris.でも、今回のデモは、物足りなかった。

笠井 僕は子供のころから多動症ぎみだったし、もともとディシプリン権力(規律訓練型の権力。学校、工場、刑務所、病院など)には耐えられない人間なので、いわば「一人蜂起」状態で生きてきました。初歩的なことをいえば、何時に起きてもいいし、何時に寝てもいいという生活の自己管理は、事故権力の第一歩です。
僕は嫌なことをしないで好きなように生きる、最悪でも飢えて死ぬだけだろうと考えて高校中退を決めました。親や教師に「そんなふうに社会を舐めていると生きていけないぞ」と恫喝されても、絶対に後悔しないと覚悟した。それから半世紀たって窮死の現実性も浮かんできましたが、それはそれで仕方ない。「自業自得の潔さ」です。
藤田 ご自身でそう覚悟されることは、とても美しいし、そういう書き手を尊敬します。そしてそれを他人に強要する社会や政策はひどい。これは美徳の悪用だと思います。

自業自得の潔さ。これを言える笠井は強者なんだろう。

笠井 線を引くこと、これは人間にとって本質的な行為です。線を引いてあるものと別のものを分けるのが、認識するということだから。線の引き方が、すなわち認識の仕方でもある。時間の場合にも線を引いて、「~より前」「~より後」と分割することが歴史的認識の基本です。

笠井 ルールを信じて懸命に努力しても成功の直前にルールが失効し、元の木阿弥になってしまう。このような敗北や挫折は、ルールの下での競争で敗れた場合とは違って、容易に納得できません。経済的な場面だけでなく、政治の領域でも同じようなことがいえます。たとえば安倍政権の改憲問題ですが、ルールの変更をめぐるルール、ようするにメタルールの存在を無視して恣意的に憲法解釈を変えてしまう。ルールの恣意性という点で、安倍政権の解釈改憲と新自由主義的な労働政策は表裏です。

二つの意味で「話しにならん」わけだ。

笠井 自民党右派を政治的代表部としてきたのは神道政治連盟や日本会議などの日本型リヴィジョニスト(修正主義者、歴史見直し主義者)勢力で、これが安倍政権のイデオロギー的支柱です。対中・対米戦争の肯定、ようするに大東亜戦争肯定論が日本型リヴィジョニズムの原点で、改憲や東京裁判の否定など戦後一貫して主張してきたことが、いまや実現できると勢いづいている。

安倍は血統書付きリヴィジョニストというわけである。

藤田 憲法改正もしようとしているし、秘密保護法も成立したし、自衛隊のイメージアップに躍起になっている。それは、傍から見ると、戦争を準備しているようにしか見えません。戦前の日本を、どうしても想起してしまいますが、いかがでしょうか。
笠井 アメリカの戦争だったアフガン戦争に、イギリスなどNATO加盟国も参戦しました。アメリカは同じことを日本にも期待している。燃料補給のような間接的な参加ではなく、地上部隊も出して欲しい。自衛隊員が死ぬ分、アメリカ軍の死亡者が減るわけだから。できれば一番前で弾除けになってくれたら、もっとありがたいと思っている。


自衛隊のイメージアップは、ニュース番組での事故救援報道に顕著だった。当然取引があったはずだ。

笠井 安倍は無知で馬鹿だと、左翼リベラルの知識人は嗤いますよね。麻生首相の場合もそうでしたが。しかし、こうした嘲りには違和感がある。安倍政治に歯止めなく押しまくられている事実への心理的代償として、安倍を小馬鹿にしているのではないか。これには阿Qのような虚勢さえ感じます。
藤田 それはそうかもしれませんね。仮に馬鹿でも無知でも、現に力を持っていて、それを分析することや対抗することに失敗してしまっているわけですから。
笠井 条件を緩和して改憲を強行するにしても、集団的自衛権の行使容認をめぐる解釈改憲にしても、これまでの憲法秩序は「例外」化される。改憲が難しそうなので解釈改憲でいこうという安倍のやり方は、憲法秩序の無効化という点でナチス独裁と通じるところがある。その意味ではファシズム化とにているんだよね。
藤田 90年代であったら、もっとたくさんの批判が殺到していたでしょう。今では、もっとみんな怒るかと思っていても、あまり怒らない。するっと、色んなヤバめの法案が通って行っちゃう。戦後民主主義シャキでは建前として許されていなかったことが、やっていましたとかやりますと身も蓋もなく言うようになってきているし、国民に受け入れられてしまう。


馬鹿が馬鹿に馬鹿にされてるという図式\(^o^)/。

笠井 そもそも人間の数が多すぎるわけで、適切なところまで減るしかない。(第六章 クレタ島の鶏は、夜明け前に騒がしく啼く--21世紀の蜂起)

例によって、ぶっ飛んだ結論(正論(^_^;))ぢゃ。

2015/12/26(土)●小掃除(^_^;)
今朝の血圧は182/79/89。
午前中は部屋ゴロ。
午後は、こたつひっくり返して掃除。年末大掃除というものではないが、ぼちぼちやっておこう。
キングオブコメディの高橋が、高校制服盗難で逮捕とのニュース。You Tubeでコントを見たが、これが結構、面白かった。Morris.は、どちらが高橋かわからず、ややブサイクな方がと思ったら、やや二枚目風の方が高橋だった。高橋は以前痴漢冤罪で話題になったらしいが、今回の件は、証拠品(自宅から制服600点)があり、侵入された学校側の監視カメラ映像もあって、冤罪ではなさそうだ。
夕方水道筋に買い物に出て、6時前帰宅。
今日の歩数は2108歩。

【日本劣化論】笠井潔/白井聡 ★★★☆☆ 2014/07/10 ちくま新書 1078
白井聡:1977東京生れ。社会思想、政治学者。『永続敗戦論--戦後日本の核心』(2013)
白井の名前は知ってたが、著書は未読である。

いまもなお収束の目途がたたず、現在も危機が継続しているこの事故は、現時点ではそれでもなお不幸中の幸いによって大いに助けられている、ということを強調しておかなければならない。この事故はもう少しだけ運が悪ければ、東日本全部が壊滅する自体を招来する可能性があった。場合によっては、全く手が付けられないまま、貯蔵されている全ての使用済み核燃料までもが大量に溶け出し、プラントに近づけば急性被曝によって作業不能、もうお手上げという事態に陥ったとしても不思議ではなかった。
この未曾有の危機にあって、いまだに体面を気にする言動を示す責任者たちの姿に、「あの戦争」の再現を見た。
大東亜戦争という大失敗は、明治維新以来の近代日本の悲劇的結末であった。そして、「戦後」とは、この失敗への反省に基づいて歩まれてきた時代であったはずだった。こうした公式見解が現実によって粉砕されたとき、この社会は公式見解が蓋をしていたドロドロした暗いものを解き放ち始めた。一方では、有力な政治家達による歴史修正主義を指示する言動、彼らの幼稚きわまる軍事への傾斜や、排外主義者たちの街頭活動といった攻撃的言動がそれを代表し、他方ではオリンピック誘致の狂騒やエネルギー政策の原発回帰のごとき、あたかも何事もなかったかのように振る舞う「現実の否認」がまかり通っている。(白井によるまえがきより)


「この事故」とは、もちろん福島原発事故だが、これと「あの戦争」の類似を見るというのは、笠井の「8・15と3・11--戦後史の死角」と全く同じ視点である。本書の対談の直接のきっかけであろう。
何よりも事後処理の、おぞましいほどの相似には戦慄せざるを得ない。なのに、それを是正するどころか、事態は補強、推進の経緯を辿ろうとしている。「愚行の輪」という言葉を想起する。

笠井潔 すでに安倍政権は日本版NSCを設置し、特定秘密保護法を国会で通しました。また、武器輸出三原則の緩和や沖縄辺野古の基地移転も進んでいます。さらに集団的自衛権をめぐる解釈改憲や、共謀罪の創設も視野に入れ始めました。これらは例外なく、自民党右派が戦後一貫してめざしながら、国民世論の反対のため長いこと宙吊りにされてきた政策です。それが安倍内閣によって、一気呵成という勢いで次々と実現されようとしている。

これらは去年から今年にかけて、次々と現実になってしまった(>_<)

白井聡 安倍さんがいうところの積極的平和主義における「平和主義」の実質とは安全保障政策の方向を指している。つまり、自国の安全を確保するにあたって、積極的な方法と消極的な方法がある。消極的な方法というのはとにかくできるだけ戦争にかかわらないようにする。あるいはそのかかわりをミニマムにするというものです。これと反対の積極的な方法というのは、敵を名指しして威嚇したり攻撃を加えることによって敵を無力化し、自国の安全を確保するというものです。
笠井 積極的に攻撃可能にするということでは、集団的自衛権の問題ともつながりますね。
白井 はい。もちろん、自衛隊の「専守防衛」の原則は無効化されます。支配層にとって、問題はそれをどのように理屈付けるかということなんです。
2000年代になると、アメリカが対テロ戦争を始めたため、はっきりと潮目が変わったのです。アメリカ自身が国連中心主義をかなぐり捨ててしまった。国連中心主義に引き続きとどまるのか、それともアメリカの暴走に追随するのか。日本の指導層の主流はほとんど何の躊躇もなく、後者をえらんだ。その延長線上にあるのが、積極的平和主義であって、それは軍事的な意味でアメリカの一部となって色んな活動をするということです。


「積極的」平和主義=「攻撃的」平和主義。つまりは戦争へ一直線の道である。

白井 要するに、日本の昔懐かし派が「歴史を修正する」ことができる範囲はアメリカによって決められているということです。そもそも歴史修正主義的な歴史観が成立しえたのも、アメリカによる対日処理の結果、旧支配層が根絶やしにされなかったためであって、その意味では戦後日本は歴史修正主義もアメリカから与えてもらったということです。

アメリカの占領政策の不徹底と、歴史の皮肉。

白井 こういう時期にああいう人が首相になって、最高権力者になってしまったということは偶然ではなく、ある意味必然ですよね。社会全体に反知性主義が蔓延しているのですから、見方によっては、日本国民を正しく代表しているとも言えるわけです。

安倍は必然、安倍の反知性主義は日本国民の真の代表。な、わけはなかろう。もちろん、白井の発言は逆説である。

白井 今の財界は、すごく近視眼的になってしまっている。経団連の会長だって個々数代ろくな人がいません。今の米倉弘昌(住友化学会長)なんてもうどうしようもないわけです。原発が爆発するのを見ながら、「原子炉は地震と津波に耐えて誇らしい」と言った人ですから、ほとんど狂人に近い感じがします。米倉はTPP推進派で、これはあやしい噂ですが、モンサント社と住友化学が長期的協力関係を結んでいるからではないかと言われています。
「政治的な」財界人の代表が、JR東海名誉会長の葛西敬之です。安倍総理の「お友達」で、NHK 会長に籾井勝人を突っ込んだのは此の人物です。(第一章 日本の保守はいかに劣化しているのか)


またまた、葛西敬之の名前が挙がってる。国鉄分割民営化の実質的責任者であり、「親米保守」の旗頭でもあるらしい。

白井 戦前の天皇が占めていた地位に、戦後、アメリカが代入されたのです。言ってみれば、ワシントンの大御心を輔弼するというかたちでずっと政治が行われてきたわけです。
いわゆる対米従属利権共同体で飯を食っている人にとって自分だけがアメリカの意思をしっているということが、日本国内における大変な権力リソースニなる。その「知っている」の内容に自分にとって都合のよい事柄を入れ込む。これは政治の世界のみならず、経済さらにアカデミックな領域においてもまったく同じ構造が貫かれていると思うんです。これが、アメリカを頂点とする戦後版天皇制の基本構図だろうと私は見ています。
笠井 天皇からすればアメリカは征夷大将軍で、アメリカからすれば天皇は日本従属化の駒だった。つまりお互いの思惑がうまくかみ合ったわけですね。とはいえ、イニシアティブを取ったのはアメリカ。
白井 そうなんですよね。アメリカがいつまでも好意的に征夷大将軍をやってくれるだろうというのは、勝手な思い込みにすぎません。(第二章 日本の砦 アメリカと天皇)


大掛かりな手品だな。しかしその手品もそろそろネタバレで、それでも、強引にショーを続けようとしている。

笠井 日本はヨーロッパの後追いで主権国家を作り、他国を侵略し植民地化し、第二次大戦に敗れてすべてを失った。今度は侵略の被害国だった中国が、同じ主権国家という罠に足を取られ、人の住んでいない島まで自国の領土だと、いいはじめたわけです。
ある場所がどの国に属するのかは、そこに住んでいる人間が決めることです。ある国家に固有の領土など存在しないのです。
白井 そのような先進的意識が東アジアに根付くためには、まず永続敗戦レジームによる日本のアジアでの必然的孤立を解消しなければなりませんね。日本を本当の意味でアジアに着地させようという動きは、90年代には河野談話・村山談話をはじめとする動きもあったわけですが挫折してしまった。そして鳩山由紀夫さんがもう一度それをやろうとしたけどやはり挫折した。鳩山さんは自らの信条である友愛主義に基づいて、東アジア共同体というのを提唱しました。これはおおよそのところEUに範をとったものであるわけですけれど、いまのところ一種の空想にとどまっています。
笠井 EUをモデルにしたような国家連合は不可能でしょう。ASEAN的なものを徐々に緊密化・進化させていくしかないですね。


空想的アジア主義。空想は罪だろうか(cf.谷川俊太郎)(^_^;)

笠井 状況が切迫して実際に軍事衝突が起こり、自衛隊員が多数戦死するような事態になれば、日本の世論は雪崩を打って好戦的になるでしょうね。戦争支持の世論を背景として、権力による国内の締め付けも一気に厳しくなるだろうし、そんなときどう対処するつもりなのか、反戦派は腹を括って置いたほうがいいと思います。
白井 実際に軍事衝突が起きたら、間違いなく中国政府は在中日本資産の差し押さえをやるでしょう。そうなるとアメリカはどう出るのか。在日米軍は日本の加勢はしてくれないだろうと考えるのがリーズナブルでしょうね。日中戦争など絶対にやらせたくないというのがアメリカの本音ですから、そのための実力行使に出る可能性がある。まあこういった事態になる以前に外交的恫喝によってやらせないようにするという展開が有力です。何せ、横田基地や横須賀基地など、沖縄に次いで米軍基地が多いのは首都圏であって、それはどうしてなのか、何のためなのか、という真実が突きつけられることになるでしょう。

日本はバイプレイヤーでしかなくなる。どうせなら、端役に徹底すべきでは?

白井 いったい何が起きれば、朝鮮半島の統一が実現するのか。日中が衝突し、そこに韓国が参戦するというかたちになったときに、北朝鮮は韓国の側に立てば対日戦に参戦できる。これこそが、北朝鮮と韓国が和解する契機になると思うんですよ。
朝鮮半島の統一は、現状ではあまりにも困難なので、これほどの事態が生じない限り不可能ではないかと思えるのです。(第三章 アジアで孤立する日本)


アクロバチックな朝鮮半島統一シナリオ(@_@)

笠井 日本の民間極右勢力は自前の政党を持たないまま、日本民主党の流れを汲む岸派以来の自民党右派を政治装置として活用しています。ここがヨーロッパとの大きな違いですね。
白井 今やネトウヨが民間極右の分厚い層を形成しているわけです。これはネット上のうわさ話に過ぎないんですが、今やネトウヨは組織されていて、その元締めは、とある自民党議員なのだと。
これこそ真偽不明な話なんですけど、こうした推測が説得性を持って成り立ってしまうほど、極右が政党をつくるひつようがないという現実が頑としてあるわけです。幸福実現党はひとりも当選者を出せないにもかかわらず、実質的には選挙に勝っているのです。いつの間にか自民党が幸福実現党と似たようなことを言い出すからです。
笠井 極東裁判や南京虐殺や従軍慰安婦をめぐる自民党右派の歴史修正主義的な主張は、国際標準でいえば極右そのものですから。


ネット右翼というのが、あるらしいということはよく耳にするのだが、どうも実体が掴めない。まあ、匿名で言いたいことだけ言う輩のことだから、実体は無いのかもしれないが、操作しようと考える者は当然存在するだろう。幸福実現党への言及は、非常に示唆的である。知らないうちに、気づかれないようにことは運ばれているのかも。

白井 日本人もまさに、欧米人などからみれば、中国人・韓国人と見分けがつかない。差異があることではなく差異がないことが耐え難いという図式がまさに当てはまります。
笠井 欧米に見下されながら、欧米を模倣して今度はアジアを見下してきたのが、要するに近代日本です。オリエンタリズムの客体でありながら主体でもあるという倒錯的二重性と、日本による対アジアの特殊な暴力性は連続していることになりますね。


近親憎悪?

笠井 テロとは実体ではなく関係です。実在するのは政治的動機による暴力だけであって、それがテロか革命的行為なのか愛国的行為なのかは、どのような関係の磁場に置かれているかによって決まります。
安重根による伊藤博文暗殺の問題も、殺された伊藤地震が幕府にとってはテロリストだった。「安重根はテロリストだ」と言明した官房長官は、朝鮮を植民地化した日本帝国の立場に龍ことを宣言しています。


黒川創の「国境」に通ずる考え方ぢゃ。

笠井 日本の左翼や民主主義勢力は第二次大戦後、国にだまされたという大衆意識に批判的に対峙することなく、それに乗っかかったわけです。
日中戦争も日米戦争も国民の大半が支持していました。勝った勝ったでもりあがっていうるうちに、どういうわけか本土に爆弾が降りはじめる。話が違うと思った日本人は、本土決戦でなく無条件降伏を歓迎しました。自堕落に開始された戦争は自堕落に集結し、日本人は対米従属による平和と反映を嬉々としてうけいれます。


安易に得たものは、また安易に失われる。

これに対して白井は伊丹万作の「戦争責任者の問題」から一部を引用している。これは何度も読み返し、噛みしめてもらいたい文章である。

笠井 日本国憲法9条は交戦権の放棄を謳っていますが、これは大戦間の戦争非合法化の流れを下敷きにしたもので、9条讃歌を奏でる人たちが主張するような思想的独自性は見られません。
第二次大戦の直後に開始された冷戦時代には、米ソが半世界国家として世界を分割支配することになる。アメリカの属国である日本は、アメリカという半世界国家のもとで「戦争を放棄」し続けました。言い換えれば憲法9条は、原理的に日米安保条約と相互補完的なのです。9条支持と安保反対は両立し得ない。これに反する立場は空想の彼方に舞い上がるしかありません。
日本社会党が政権と無縁だった主要な理由は、9条平和主義と一体の反米・反安保という空想的な国際路線にありました。

これは笠井の持論で、何度も目にした。確かに的を射てる意見のようだが、何か釈然しないところもある。

笠井 ソ連崩壊で日本社会党内のマルクス主義者は沈黙し、あるいは転向し、協会派に牛耳られていた社会党は解体への道を歩みはじめました。保守政党と張り合える社会民主主義政党の不在が、日本の右傾化を歯止めのないものにしています。
白井 55年体制においては自民党も社会党も両方とも勝ちながら負けてきたわけです。自民党は選挙をやれば勝つのですが、悲願の自主憲法制定には議席が足りないから、そういう意味では負け続けた。社会党は議席数では負け続けてきたのですが、憲法改正を阻止するという意味では勝ち続けてきたのです。まさにプロレスです。
笠井 自民党でも軽武装・経済優先の吉田路線を引き継ぐ保守本流は、アメリカの対ソ軍事負担要求をできるだけ値切るために、憲法9条の制約を口実として利用してきた。だから自民党と社会党も、裏で手を組む国対政治が可能だったんですね。


猿芝居だったわけだな。それが、一方の猿回しがいなくなって、もう片方の歯止めが無くなり、均衡がとれなくなって深みへと……て、感じかも。

白井 何だかんだ言っても、企業というのは利益を上げることが最終目標です。グローバリゼーションが唱えられて、システムチェンジをしろという圧力が高まってくる中で、会社内での分配よりも株主を優先することになって現在に至るわけです。
笠井 中間団体の空洞化や解体は「再分配か承認か」でなく、人々から「再分配も承認も」奪いとる方向に進みます。
白井 しばしば、中間団体の衰退は日本社会の問題だと言われますけど、企業という中間団体だけは生き残っていて、ますますその権力を増している。その唯一残った中間団体としての企業が再分配をせず承認も与えなくなったら、システム自体が枯渇してしまう。今はそういう状態に陥っているのではないかと思います。


格差社会の底辺は弱り目に祟り目である。

笠井 日本版PC(Political Collectoness)は、平和と繁栄の0年の産物に過ぎないというわけですね。
白井 PCという概念で最も嫌なのは、それが結局「政治的に正しい」もののみを認めてほかの「正しさ」を禁圧することです。例えば、政治的には誤っているが美しいものは存在する。こういうものの存在は、人を立ち止まらせます。この美しさに惹かれるのなぜだろうと。こういう違和感から人間の思考は始まるわけです。PCの言葉狩りの発想に忠実であるならば、政治的に正しくない表現はこの世の中から抹殺すべきだということになりますから、人が違和感を覚えるような表現はそもそも存在しなくなる。つまり、思考という行為を抹殺することへと向かうのです。


「1984年」から30年以上経ってるのに、社会はいよいよ「1984年」化しつつある。

笠井 デモを議会制民主主義の潤滑剤におとしめる俗論が目につきますが、デモこそが議会制民主主義の生みの親であることを忘れてはなりません。
白井 警察が定めた範囲を突破してやってしまうからこそ、デモンストレーションであり示威なんですよね。不測の事態が絶対に起きないようコントロールするデモなんていうのは本来の意味のデモではない。それは最初から示威しない、威力を示さないということですから。もちろん、デモという政治的行為の社会的ハードルが異様に高くなってしまったという文脈があって、ともかくいまは穏便にやらねばならないという要請があります。ただそのような状態は異常なものであって、早く脱却せねばなりません。(第四章 右と左がどちらも軟弱になる理由)


デモの本来の姿を取り戻さねば。言うは易し行なうは難し、だけどね。

白井 もともと反知性主義に対抗するのが啓蒙主義とか教養主義だったんですが、それはすでに失効してしまっています。それらが崩壊したからこそ、反知性主義が跋扈してきている。
笠井 プレモダンな反知性主義の裏返しでしかない場合が多いですね。丸山真男によれば戦前日本には、大衆と知識人の中間に、いわば町内会の世話役のような中間層が存在した。
白井 日本のファシズムを根底から支えたのは彼らだと丸山はいっていますよね。
笠井 軍部でいえば下士官が中間層です。半インテリである下士官や世話役といった中間層が知識層に反感を抱き、反知性主義に流れていく。だから反知性主義は教養や知性の対立物ではなく、その裏返し、あるいは劣化ヴァージョンなんですね。


反知性主義は反反省主義でもある。だから、安倍一党の無茶なやり方を、知性で批判しても、蛙の面にションベンにしかならないのだろう。

笠井 日本型教養主義に止めを刺した80年代の輸入ポストモダニズム。体系的な知の構築物の重圧で背骨をへし折られかけた人間の悲鳴が、喩えていえばポストモダニズムです。ヨーロッパ近代を超えるポストモダンの尖端だといった、下らない自画自賛にしかなりません。こうした幼児的な自己肯定は、日本現在の成功による自賛気分ととも絶妙にフィットして、80年代に大流行しました。いまから思えば愚者の楽園としかいえませんが。

ポストモダニズム=愚者の楽園\(^o^)/当時 Morris.は愚者だったかもしれないが、この楽園には足を踏み入れることはなかった。

白井 知識人って本当はいやな商売なんです。この社会に不幸なことが存在することによて飯のタネは増えます。他人の不幸を飯のタネにすること、それが知識人の原罪なわけです。そのことに自覚がないから、安易に代弁者になれて、「最も虐げられた者」という最強の立場から他のすべての人々を断罪する快楽に耽溺するわけです。
笠井 若者論で非正規労働者を代弁するのは自由ですが、その当人は時給800円で働いてるわけじゃない。
抑圧された者の代弁もまた抑圧的だ、という批判があります。被抑圧者による闘争は支持しても、その代理人として振る舞う人間は信用できません。
もしも知識人が今日も存在しうるなら、いかなる資格も後ろ盾もなく、本人一人の責任で語らなければ。
白井 それをやる覚悟がない人は語ってはいけないわけですよね。
笠井 上にある権威の源泉を後ろ盾に、下に威張るのが日本型組織だと丸山真男がいいました。その典型が軍隊で、人格化すれば下士官。被抑圧者の代弁から代理糾弾へいたる真理は、無自覚的にこれを再現しています。(第五章 反知性主義の源流)


日本的エリート主義。

笠井 沖縄独立とは、沖縄が永続敗戦レジームの外に出ることを意味します。我々はヤマトによって独立を奪われ、しかも沖縄戦ではヤマトの盾として利用され、膨大な人命が犠牲になった。独立して別の国になった以上、これからは日本の戦争責任を追求する、と主張することになるでしょう。
白井 本土で沖縄独立論を冷ややかに見ている人はたいてい、今までずっと補助金経済で生きてきたのに、それが全部絶たれたらどうするんだと言いますよね。でも、もう後には引けないと思えばいい知恵がでてくる。
笠井 基地は観光独立路線の妨害物に過ぎません。要するに邪魔なだけです。
白井 沖縄の問題は日本人とは何か、近代国民国家の国民としての日本国民とは何者なのかという重いテーマを突き付けています。
日本本土にいる人間の過半数は、沖縄問題に無関心です。ひどい人は、あいつらはゆすり・たかりの名人だなどという。沖縄には地場産業もないし、あいつらは怠け者でどうしようもない。だから基地でも押し付けておけばいい。そういう明確な差別意識を持っているわけです。これに対して沖縄県民が自分たちは差別されているという意識を持つのは当然でしょう。


正論である。しかし反知性政権は、正論など見ても見えないにちがいない。

笠井 第二次大戦は開始された以上は敵国の体制崩壊まで続くことが最初から決まっていました。20世紀の戦争がデスマッチであることに無自覚だった日本は、対米戦争も日露戦争と同じように判定勝ちに持ちこめるだろうと考え、安易に対米開戦に踏みきったわけです
白井 かえすがえすも痛恨なのは、そのような認識の誤りによって戦争を始めてしまい、しかもその誤りを修正できなかったことです。だからこそ「国体の護持」という観念にズルズルとこだわって、その間にどんどん犠牲者を増やしていきました。
笠井 ルーズヴェルトは、この戦争が世界国家を樹立するための戦争であることを自覚していた。
世界国家アメリカが君臨するだろう戦後世界に、もう戦争は存在しえない。世界国家の権力を承認するオブジェクトレヴェルの諸国家は、交戦権を持つ必要はないし、交戦権を行使するための軍事力を持つことも許されない。
白井 それで憲法9条が成立したわけですね。
笠井 日本国憲法の序文、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」というところの国際社会とは、ルーズヴェルトが構想していた戦後世界に他なりません。

これも笠井の持論だが、これには全面的に賛意を評したい。そもそも日本はアナクロな戦争観でもって、世界戦争に足を突っ込んでしまった、その時点で、死んでたわけだ。

笠井 冷戦の終結は、日本にも新たな可能性をもたらしたはずです。冷戦下でのアメリカの属国から脱し、21世紀世界で独自の地位を占める可能性です。冷戦後もアメリカが日本とタッグを組んで中国や北朝鮮の封じこめに遭遇するだろうという安直な期待は、すでに裏切られているのに、安倍政権はそれを直視しようとはしません。

あのときああしておけば、こんなことにはならなかったのに、というのは、繰り言にすぎない、とわかってはいるのだけど……

笠井 テロをテロと認定し、警察行動で対処するメタレヴェルの世界的権力など存在しないということなら、また世界戦争の時代に戻ったのか。しかしアルカイダは国家ではないから、対テロ戦争は対国家戦争ではない。20世紀の世界戦争には、交戦団体が国家ではないゲリラ戦という逸脱も含まれていましたが、それでも基調は国家間戦争でした。しかし反テロ戦争では国家間戦争中心的とは言えない。テロとも戦争とも決めかねる軍事力行使に、これまた国家間戦争ではない反テロ戦争が対抗する。
白井 そういったテロの定義も戦争の定義も国家の定義もすべてぐちゃぐちゃになってきたから、その状態を世界内戦と言ったわけですね。
笠井 いずれにせよ、世界国家による世界支配というのは最悪です。外部のない世界国家は人類の悪夢ですから。(第六章 独立という思想へ)


笠井によると冷戦こそ第三次世界大戦だったということになる。そうすると今世紀のテロ組織との抗争は、世界内戦という、第四次世界大戦であり、わしらはいま、その戦いの中にずるずると引き込まれているのかもしれない。

集団的自衛権の必要論と反対論は、いずれも的を外れている。その概念と歴史を正確に把握していないからだ。
自衛権の概念が確立されたのは、第一次大戦後のことである。最初の世界大戦の惨禍は戦争を非合法化し、禁止しようとする国際世論を生じさせた。それによって主権国家は交戦権を事実上放棄した。宣戦を布告し戦争を開始することは、国際的な犯罪行為と見なされるようになる。では、犯罪としての戦争(侵略戦争)をしかけられた被害国はどうすればいいのか。ここで要請されたのが自衛権だった。
しかしこうした分割は自衛戦争を生じさせたにすぎない。このようにして世界は、第二の世界大戦に呑みこまれていく。
第二次大戦後の世界では、犯罪国家による侵略戦争は国連軍が制圧する。国連軍の制圧行動が開始されるまでのあいだ、侵略の被害国は個別的自衛権の行使が可能である。被害国の隣国なども、被害国の自衛戦争を援助する集団的自衛権を行使できる。
冷戦とは世界国家の座を賭けた最終戦であり、米ソによる第三の世界戦争だった。
東側ブロックの崩壊により、アメリカが冷戦に勝利する。
安全保障をめぐる問題では、日本国憲法は国連憲章と相似形をなしている。
しかし日本国憲法、とりわけ前文の精神や第九条は国連憲章第2条4項(戦争の禁止)や第51条(自衛権の規定)と同じく、冷戦が開始された時点で空文と化した。
すでに前提が失われている事実を問うことなく、国連では自衛権をめぐる空疎な議論が続いてきた。9条をめぐる日本での論争も同じことで、自衛権をめぐり蜿蜒と続けられてきた憲法解釈論議は空中楼閣にすぎない。
いまや主権国家は空洞化と形骸化を深め、集団的自衛権の概念も無力な漂流を続けている。こうした時代に、かつて集団的自衛権が他国への軍事介入や侵攻の口実として使われた事実を持ちだしても、安倍政権による解釈改憲を阻止する論理は構築できそうにない。
解釈改憲の強行そのものが、憲法秩序の空無化と例外状態の恒常化を意味する。また例外状態の恒常化こそ、世界内戦の国内体制にほかならない。これに立憲主義の尊重を唱えても無力だろう。
世界内戦のリアリティから逃れることなく、世界国家なき世界社会という長期的な展望のもと、「われわれ」の安全保障を構想すること。「われわれ」の安全保障を、日本国家の安全保障として語られる集団的自衛権必要論に対置しなければならない。(笠井によるあとがきより)


国連の再生をのぞみたい(^_^;)

2015/12/25(金)●Xmas 満月
8時起床。
今朝の血圧は190/91/71。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」今週は恒例の「吉例いろは歌留多」これでもう5回めになるらしい。いろは歌留多48句をひねり出すのは、道楽でやる分には楽しい作業でもあるのだが、こうやって半ば義務的に作るとなると、苦行であるかもしれない。
安倍絡みのものは

[う] 嘘も訪米(真っ赤な嘘も、白々しいお世辞も、黄色っぽい空手形、詐欺師真っ青の大風呂敷も、米議会で演説してしまった以上、外交的な文言として歴史に残るわけで、そう思ってみれば、あの人はうまいことやったのかもしれません)
[や] 安かろう倍買おう(安いから倍買おうという100円ショップライクな粗雑な購買行動が、つまりは安倍主義だったということなのかもしれません)
[き] 岸改正の一撃(大好きだったおじいいちゃんの悲願をたっせいするべく憲法改正に邁進する所存だ文句があるか馬鹿野郎め)


の3本だけだった。他で印象に残ったのは
[か] カネは天下のローリングサンダー
[し] 知らぬならほっとけ
[ひ] 人の噂も75スレッド

くらいか。200位上作ったとなるとネタ切れなんだろうな。「仏の顔にサンドバッグ」という傑作の印象が強すぎもんね。
午後JRで神戸に出て中央図書館へ。もちろん例の宇治川小公園にも。今日は5匹ほどいた。
図書館裏でも雉猫一匹いて、撮影。
5時に図書館出て、高架下通って、阪神理容で散髪。ここも来年3月で立ち退きになるらしい。
三宮図書館経由で歩いて、7時帰宅。今夜は満月で、クリスマスと満月が重なるのは38年ぶりだとかニュースで言ってたが、だかろ、どうだ、と言われればそれまでのことぢゃ。
今日の歩数は10638歩。

宇治川小公園猫#1 

#2 

#3 

図書館猫 

同じく 

今日のヴィジュアル読書 

紅い小さな葉の蔦 

図書館中庭から 

阪神理容 

ここも来年3月まで? 

今宵の月は 

Xmas 満月 

JR三宮駅前広場でコーラス 

一階古本屋の看板猫 

ぶんちゃん 

【リバース】相場英雄 ★★★ 2015/02/22 双葉社 「小説推理」2014年7月~12月号
原発事故復興に乗じての詐欺を追う刑事たちの物語で、国有地になるという土地の詐欺から、だんだん大規模な詐欺に進み、おしまいは、海外原発業者と閣僚との贈賄問題に突き進むが、実際のところ、もっと上層部に同様の詐欺的行為があるに違いないと想像させるところが、眼目かもしれない。
現場取材も多くこなしてるようで、避難地域の復興状況の描写が印象的だった。

西澤の視線の先には、写真集で見たカットと同じアングルの光景がある。村役場に通じる県道沿いの、牧草地畑が広がっていた谷間の一角だ。
しかし、目の前には一切の緑がない。ブルドーザーなどの重機で地肌を削り取られていた。
土がむき出しになった大地が、なだらかな彼方の山の麓まで続いている。言葉が出ない。
大震災と原発事故の発生から3年以上が経過した。この間、新聞やテレビでは、被災地の瓦礫が撤去され、新しい道路がつくられ、人々が元の生活に戻りつつあると盛んに報じていた。
それは全く違っていた。村に来る途中、住民たちが暮らす仮設住宅団地の脇を通った。町外れの丘の上、辺鄙な場所で窮屈な部屋に住民たちは詰め込まれている。
美しかった村が、除染という施策でむき出しの土ばかりが目立つ荒れ野に変わった。村人がこの光景を見て、なにを感じるのか。(飯舘村)

住民表示が南相馬市小高区に変わった辺りから、浜が見渡せる一帯に出た。大型の重機が地表を削っている。周囲には、かつて住居だったことを窺わせるコンクリートの基礎がむき出しになっていた。
「俺たち、タイムスリップしたのか?」
外の景色を見ながら、清野は呟いた。
国道脇に、大型のコンテナや農機具がひっくり返ったまま放置されていた。津波に店舗の大半を抉られたパチンコ店があり、駐車場のアスファルトを割り、雑草が伸びている。
<福島の再生なくして日本の再生なし>
政府首脳が連呼していた言葉が耳に蘇る。
どこが再生だ。ここに来て同じことを言ってみろ。壁が崩れたまま放置されている民家を見ながら、清野は思った。


これらは実景に違いない。現時点で原発での避難者は10万人を遥かに超えている。政府は、避難解除地に戻るよう呼びかけているが、上記のような状態で、放射線濃度も曖昧なままでは、帰るに還れないのが実情だと思う。

「原発は必ず老朽化します。その際に廃炉という新たな需要が生まれます。ご存知のように、関東電力は特大の廃炉需要を抱えています」
関東電力と世界的な原発企業。
「それじゃなにか? 福島の原発について、米仏の大手企業が廃炉の仕事を得るために日本人を過剰接待していたのか?」
「その通りです。大まかな試算ですが、事故を起こした福島の原発の廃炉に関しては、約5兆円の資金を要すると言われています。贈賄側の米仏二社にとっては、巨額収益が見込める受注のためならば、接待など取るに足らないことだったのです」
「一方、収賄は省資源開発庁となります」
「省資源開発庁のほかに、関東電力の人間もリストアップされています」


福島原発廃炉作業は、はっきり言って暗中模索である。
このような中で、川内原発は再稼働を始め、それ以後各地で再稼働の準備に入ってる。これは、もう、常軌を逸してると思う。

2015/12/24(木)●福井地裁の裏切(>_<)
7時半起床。
今朝の血圧は176/91/74。
ふとしたきっかけ(ホンジニョン応援ブログ)で、キムスミ主演のコメディ映画「ヘルモニ」のことを知った。彼女は映画「全国ノレチャラン」で、キメ(金海)の女市長を演じて、非常に印象的だった。ネットで検索したら何と、まるまるYou Tubeにアップしてるのを見つけた。タイトルは、ハルモニ(お婆ちゃん)とヘル(Hell)の合成語らしい。
ひょんなことから詐欺で刑務所に服役してたお婆ちゃんが出所するところから始まる。彼女の特技が、ヨクソル(辱説=悪口、雑言、忌み言葉、悪態、呪いの言葉)である。テレビではこのヨクソルの勝ち抜き番組があって、スタッフからスカウトされた彼女は圧倒的ヨクソルパワーで、挑戦者を下し、全国的人気者になる。決勝ではムーダンの婆さんとの一騎打ち。ここでも圧倒して優勝、というところで、過去の前科がバレて窮地に。それでも昔の知り合いなどに助けられて大団円。途中、家政婦したり、市場で一悶着起こしたり、いろいろエピソードもあるのだが、字幕なしの韓国語だけでは、なかなか理解できない。なんといっても肝心のヨクソルが難しい。ケセッキ(犬ころ野郎)とか、ケジビ(尼っ子)くらいなら知ってるが、機関銃みたいに連発されるとまるでアウトだが、それでもついつい聞き惚れてしまう(^_^;)。どこか映画「ノレチャラン」とダブるところもあって、Morris.向きの映画だと思った。サンテレビの字幕付き韓国ドラマ見るより、字幕なしの映画見る方が、勉強になるかもしれない。
福井地裁が、4月に下した仮処分を取り消し、高浜原発3,4号機の再稼働が法的に可能になった。つい先日、高浜町長と福井県知事が再稼働容認の発言した直後の判断で、これはもう、政権、地方、関電が司法に圧力をかけての、力業にほかならない。原子力ムラは福島事故のあとも、健在であることを見せつけたことになる。
反原発の立場で、マスコミの枠の中でそれなりに意思表示してきた報道ステーションの古舘伊知郎が来年3月で番組降板とのこと。安倍批判も多かっただけに、こちらも相当な圧力がかかったことは疑いない。久米宏の後に古舘が始めた時は、まるで期待してなかったが、これが意外なくらい頑張ってくれた。ポスト古舘が誰になるか不明だが、やっぱり期待はもてそうにない。番狂わせあればいいけど。
年賀状、プリントした後、王子動物園へ。動物園の前に、大きな白豚連れて散歩する男性に遭遇。2歳7ヶ月で48kg。ベトナムで生後二日目に手に入れてペットして飼育しているとのこと。ちょっとびっくりした。
水道筋回って4時半帰宅。
夜はぼちぼち年賀状の宛名書き。
夕食に、ギョンヒさんからもらった白菜キムチ食べたら、とんでもなく美味しかった。彼女が前勤めてた「ふる里」のキムチが気に入って、ちょくちょく買ってたが、こちらは今勤めてる「カルビハウス」のものだろう。今度はこれを買ってみよう。
今日の歩数は4372歩。

ヘルモニ 

キムスミ 

ペットの豚 

雀 

七面鳥 

フラミンゴの散歩 

冠鶴 

枯木シルエット 

今日のまぬう 

楠の実 

アムール豹 

水道筋駐車場猫A 

倉石通の白 

照光寺のクロ 

ギョンヒさんからもらったキムチ 

【すらすら読める方丈記】中野孝次 ★★★☆☆  2003/02/20 講談社
某掲示板で、知人が「徒然草」の一節を引用してたのに刺激されて、たまには、古典の随筆でも読もうかという気になり、徒然草は長いから、うんと短い「方丈記」にしようと思った。本書は、中野孝次の訳文と、解説だが、原文を大きな活字で印刷してあるので、読みやすいということで、これにした。

若いときは「方丈記」に書いている鴨長明の考えが消極的に過ぎるように感じられ、あまり近づかなかったのが、老いてから次第にその主張が身につまされるようになってきた。
消極的なようだが、これが実は一番強い生き方なのだ、と思うようになった。
いままでに全体を訳したことがなかったから、今回そそのかされたのを好機として、自分の好むように訳したのがこの方丈記訳である。(序)


要するに原文を読みたかっただけなので、解説は流し読み、訳文も、疑問感じた部分を参照した程度である。従って、評点は、中野ではなく、鴨長明へのものである。まあ、方丈記は、学生の頃読んだ(最初の、古典演習がこれだった)から、おおまかなところはわかっている。つもりでいた。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖と、また書くのごとし(一)

書き出しの一段は、あまりにも有名だけど、それだけのことはある名文なので、引かざるを得ない。

朝(あした)に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。(ニ)

これも、見事なコピーであるな。類例は多そうだけど。

世にしたがへば、身、苦し。したがはねば、狂せるに似たり。(ニ五)

生きるということはそういうことなのだろう。

芸はこれ拙なけれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。独り調べ、独り詠じて、みづから情(こころ)を養ふばかりなり。(三〇)


これはMorris.のミニギターのことを、Morris.に代わって述べてるような気がした\(^o^)/。

ほど狭(せば)しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに、不足なし。
事を知り、世を知れゝば、願はず、走(わし)らず。ただ、静かなるを望みとし、愁ヘ無きを楽しみとす。
今の世の習ひ、この身の有様、ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。(三ニ)

「起きて半畳、寝て1畳」という諺もここらあたりが起源かな。これもMorris.の現況を代弁してるようでもある。「静かなるを望み」というのは違ってるか(^_^;)

なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人を顧みるよりやすし。もし歩(あり)くべき事あれば、みづから歩む。
身、心の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば、使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。ものうしとても、心を動かす事なし。いかにいはんや、常に歩き、常に働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人を悩ます、罪業なり。いかが、他の力を借るべき。(三ニ)


歩くの大好きのMorris.なので、これも共感するところ大である。

いざ行かむ雪見に転ぶところまで 芭蕉

2015/12/23(水)●年賀状づくり
7時起床。
今朝の血圧は211/91/61。
ミニギターのブリッジピン折れたのを引っ張りだして4弦張り替え。全弦張り替えようかと思ったが、流石にこれからは寒くなるだろうから、あまり外でギター弾く機会もなくなるだろうから、4弦だけにしておく。
朝からどんよりの曇り空。午後からは雨になるとの天気予報だったので、今日は部屋ゴロ。
午後から、年賀状作り。ここ10年くらい、Morris.の年賀状はほとんど同じデザインである。要するにその年に読んだ本のタイトルと著者名を列記するというもので、これは毎年「読書控え」としてページ作ってるので、その副産物というか、その目次みたいなものでもあるわけで、Morris.にとっては年末の風物詩ともいえる。とりあえず、おおまかに出来上がったが、印刷は明日以降にする。カットがいまいち決まらないのと、ミスのチェックのため。
今日は天皇誕生日だったようで、皇居で顔見世があり、ニュースでもその「お言葉」が流されてた。「戦争を知ってる世代がどんどん減ってる今、あの戦争について知り、思いを深くすることが必要だ」とか。宮内庁の自主規制、政府からの圧力、保身、受けなど色んな思惑が複雑に絡んでいると察せられる。
報道ステーションでも昭和天皇と「今上」天皇との沖縄への思いをテーマに特集してたが、これまた、マスコミの自主規制に絡め取られた内容だった。安倍政権の先祖返りの軍事国家邁進に対する牽制に天皇発言を利用しようというのは矛盾を孕んだものだと思うぞ。
今日の歩数は0歩。

【ポエムに万歳!】小田嶋隆 ★★★
2013/12/05 新潮社
かなり古いコラムから最近のもの(と言っても、刊行が2年前)をある程度整理編集して寄せ集めたもの。例によって玉石混交状態。

商業メディアにとって五輪というイベントは、ネタ元であり取材先であり、キャンペーンのキーアイテムであり、巨大な広告の発生源であるわけで、メディア企業がこれに反対することは、漁師が出漁に反対することと同じく、原理的に不可能に近い所作なのである。
いずれにせよ、「震災の傷跡を持つ日本が元気になるためには五輪が必要だ」という理屈は、「過疎に悩む地域経済の活性化のためには原発の誘致が必要だ」というお話とほとんど区別がつかない。あまりにもスジが悪い。
ニッポンと言われて、うっかりチャチャチャと手拍子をするのはゆとり世代だ。
私は招致に反対する。
私の日本は腕組みをしている。(そんなにいいのかオリンピック)


これは招致で東京開催が決定する前の発言だと思うが。オリンピックと原発誘致が同じ根っこだというのは、そのとおりだと思う。Morris.も東京オリンピックには反対である。オリンピックそのものが全体主義養成ギブスのような気がする。

ネット上で一度燃え上がった火種は、何年たっても消えない。目に見える形で燃え上がったり、煙を立てたりすることはなくなっても、たとえばの話、誰かが名前を検索すると、画面上に表示される項目の上位には、必ずや炎上の際に作られた何百というつぶやきや書き込みが登場することになる。
つまり、変な噂を立てられたり、悪意あるデマを流された人間は、ネガティブな検索結果からのがれられないのである。
つまり、残念だが、「デマ」は、結局のところ有効であり、「リンチ」は一過性のお遊びでは終わらないものなのだ。
もともとわれわれは「リンチ」が好きなのだ。ネットは、そうしたもともとわれわれの中にある処罰感情を、カジュアルに刺激し、効率的に宣伝し、爆発的に増幅させる機能を持っている。
デマを流すには1行で済む。
が、それを完全にひていするには、百万行を費やしても足りない。(デマを流すには1行で済む)


ネット関連の発言は、経験豊富な小田嶋だけに説得力がある。一度ネットに公開したら、それは、決して無かったことにはできない。危険度200%の行為であるということはいくら強調してもしすぎることはない。Morris.部屋で10年以上、日々の生活など垂れ流してるわけで、好んで自らを危険にさらしていると言えなくもない。仮にMorris.が何らかの不祥事など起こして取材対象となったら、マスコミはきっとMorris.部屋をチェックするだろう。今更ながらではあるが、ネット上のMorris.は、現実の森崎某とは別の虚構のキャラクタであると、告知しておこう。

ネットは衆愚批判のメッカだ。
「大衆」が大量消費社会と戦後民主主義の申し子であるのだとしたら、その指し示すところの意味合いが凡庸さであれなんであれ、自分たちが「大衆」であることは、喜ばしいことであっただろうし、最も典型手的階層が平凡な人間であるという観察は、不当なことでもない。
しかし、「大衆」のニュアンスは、時代が進むにつれて、徐々に、冷めたものになる。それもそのはず、本来の意味からして、「大衆」は、「市民」の対義語であって、要するに、「他律的」で「雷同的」で「無名」でかつ「無個性」な「衆愚」に近い概念だからだ。(消えた大衆)


「市民」が消えれば「大衆」も消えるだろう。「衆愚」というクソ言葉が大手をふって横行してる時代なんだな、今は。

一方の極には、橋下徹大阪市長の喋り方がある。
闊達といえば闊達。明快で、聞いていてスリルがある。だから人気は高い。戦闘力も高い。とはいえ、ネタを明かせば、ツイッターやぶら下がり取材の中で展開される彼の論法は、弁護士の弁論そのものだ。
具体的に言えば、「自分の側に有利な条件だけを並べ立」て「論敵の非をどこまでも執拗に追求」し「藁人形論法や誇張といった詭弁に近い手段を弄することも辞さ」ずに、「ただひたすらにオノレの正しさを述べ立て」るタイプの答弁法だ。これは、ディベートの手法としては非常に強力で事実、彼は、この話しぶりで、多くの相手を言い負かしてきた。
が、政治家として見るなら、このしゃべり方は「妥協ができない」意味で、半人前であり、「相手の言い分を聞けない」という面で失格になる。
結局、弁論はできても、議論ができない典型的な弁護士の語り口なのである。(メディアノレッカ)


橋下批判ではなく、客観的分析である。ともかくも、こんなのに政治をまかせておくわけにはいかない。当人は政治家廃業を宣言してるけど。市長やめた翌日には、安倍&菅と、全く信用ならない。

2015/12/22(火)●冬至のサランバン忘年会
8時起床。
今朝の血圧は160/72/71。
朝の三点セット。
昼前にJRで大阪に出る。
地下を通って、渡辺橋から川べり歩いて、例の三井住友銀行向かい岸のベンチでミニギター。今日も結構暖かくて気持ちいい。でも途中で4弦が切れてしまった。予備の弦はあるので、張り替えようとしたのだが、弦を引き抜こうとしたらブリッジに弦を止めるピンが途中で折れてしまった(>_<) うーん、これでは仕方ない。今日のレッスン?はこれで中止。
日銀大阪店の方から曽根崎回りでまた大阪駅に戻り、環状線で桃谷に出て、洪ママの見舞いに。先に歌麿会長来てて、韓国民俗芸能のビデオを観てた。しばらく無駄話して、5時半に出て、「ヘバラギ」へ。ギョンヒさんとチュンジャさんが先に来てた。今日は冬至なので、パッチュク(小豆粥)をいただく。日本では南瓜食べる風習があるが、韓国ではこの小豆粥が定番らしい。Morris.は甘いもの苦手なので、これまで食べることがなかったが、パッチュクはぜんざいと違って砂糖が入ってなくて、小豆本来の味がしてとても美味しかった。
7時前にサランバン会の会場「ジュン」へ。12月例会は8日にやったけど、今日は「忘年会」ということで月2回めである。
山下先生夫婦、丸本夫婦、栗崎、高森、増田、榎本さんら常連中心に15人ほど参加。一般客も結構来店してたが、和気藹々と交流してた。例によって、榎本さんからビールごちそうになり、ギョンヒさんから白菜キムチいただく。
環状線で大阪駅まで行ったら、事故で遅れが出てたので、阪急使って午前零時半帰宅。
今日の歩数は6855歩。

梅田マルビル 

中之島でミニギター 

あぢゃぢゃー(>_<) 

鴎オブジェ 

日銀 

コリント式柱頭 

銀杏の黄葉 

大江橋から 

つるのはし跡碑 

「ヘバラギ」で小豆粥いただく

サランバン会忘年会 

山下先生夫婦 

Morris.ファン(^_^;)後藤さん 

ミキさん榎本さん 

山下先生と丸本嫁 

チュンジャさんと丸本旦那 

クワルテット? 

?? 

【デジタル一眼 構図の教科書】上田晃司他 ★★★2013/10/25 技術評論社
「プロが教える150のテクニック」と副題にある。Morris.はデジタル一眼とは無縁の衆生であるが、構図ということならコンパクトデジカメでも、役に立つだろう。一時期、撮影テクニック関連書籍をよく読んでたが、いつの間にか遠ざかってしまった。本書は大判(B5版)オールカラーで、1p1テーマで、なかなか写真も綺麗だったので読む気になった。先日近所の神鋼病院に検査に言った時、その待ち時間で読んでしまった。150pの半分以上が写真だから、読む量はたかが知れてるか。
構図の基本と、シーン別構図に二部構成となってる。
まずはいわゆる一般的構図のパターン。

三分割構図/二分割構図/対角線構図/日の丸構図/山型構図/垂直水平構図/斜線構図/シンメトリー構図/対比構図/曲線構図/放射線構図/三角系構図/トンネル構図/パターン構図/点構図

もちろんこれらの組み合わせでいくらでもパタンを増やすこともできる。Morris.の好きな「額縁構図」というのが無かったが、トンネル構図というのがちょっと似てるかな。
Morris.は基本的に横構図で撮ることにしてるが、縦構図の特徴&特長にも考慮すべきかもしれない。

横で撮る--横位置は横に広がりを持たせることが可能で、広大な風景などを撮るのに最適です。総じて、やさしい印象の写真に仕上がる傾向が強いです。横位置で撮る際に注意したいのは、空間が左右にできやすく、余計なものが入り込みやすいことです。
縦で撮る--縦位置は、要素を限定的にとらえるのに向いています。例えば、主役のはっきりしている場面で縦位置を利用すると、より被写体の力を強調して写せます。縦位置は肉眼では見られない新鮮な縦横比で画面を切り取れるのも魅力です。ただし、多用しすぎると絵づくりのパターンが単調に見えることもあります。


アスペクト比と写り方の違い

2:3 一般的で最もオーソドックスなj比率。さまざまな場面で表現幅の広い撮影可能。人間の目にもっとも近い切り取り方。
3:4 やや正方形に近く、やさしい印象が演出しやすい。ミラーレス一眼では初期設定がこの比率になってるものも多い。
9:16 斬新な切り取り方が可能。パノラマ写真風。横に長いだけ、左右空間に無駄な要素が入りやすい。
1:1 縦横の概念が無い。伝えたい要素がはっきりしてる場合、この比率で撮るだけで、被写体の力を引き出せる。


これも、Morris.はほとんど「2:3」で撮ってる。フィルムと違ってデジカメの場合、これらの比率は左右上下のトリミングにすぎないようだ。たまには1:1で撮るのも面白いかと思った。

2015/12/21(月)●血液検査&CTスキャン
7時半起床。
今朝の血圧は161/77/63。
9時過ぎ、小雨のなか神鋼記念病院へ。
どうも、最近体調がすぐれない気がするので、もう一度きちんと検査してもらうことにしたのだった。
9時半に受付して、かなり待たされて、まだ若い女医さんに診察受ける。血液検査と、頭のCTスキャンしてから再診することになった。
神鋼病院は、Morris.がよく利用してる金沢病院と比べるとかなのり大型病院で、医師も職員も相当数いて、業務もシステム化されてる感じがする。
診察室や検査室など移動するたびに診察カードを機械に通して、ディスプレイの指示を見守る。今日は月曜日のためかえらく混んでて、診察まで2時間弱、検査して結果でるまでまた2時間。診療終わって支払いまで1時間。ざっと5時間かかってしまった。診察結果は、CTスキャンは、断面図見た限りでは不審な箇所は見当たらず。血液検査も、40あまりの項目のほとんどが、許容範囲内で、L(やや低め)が1件、H(やや高め)が4件。それらも極端な数値ではないとのことだった。Morris.が気にしてたふらつきやめまいも、簡単な検査では、特に問題ないとのこと。うーん、ふらふらではなく、「ぶらぶら」病だったのかな? まあ、結果オーライ(^_^;)ということにしておこう。何しろ、今月の標語↑は「脳梗塞の結果、そこから先の脳の組織が酸欠で壊死に陥った状態」のギャグだもんね(>_<) いちおうそれなりに不安を覚えていたのだった。
じつは、数日前から右上の奥歯付近が虫歯になったのか、冷水飲むとえらく滲みる。この際、一気にすませようかと、六甲道の歯医者に電話し今日診てもらえるか訊いたら、今日、明日は無理とのこと(>_<) せっかく行く気になったのに、これでまたずるずると行きそびれるかも(^_^;)
今夜のKBS歌謡舞台1447回は- 과거는 흘러갔다過去は流れていった -

 1) 다 함께 차차차皆とチャチャチャ/설운도ソルンド
 2) 기타 부기ギターブギ/김혜연キムヘヨン
 3) 나그네 설움旅人の悲しみ/배일호ペイロ
 4) 과거는 흘러갔다過去は流れていった/여운ヨウン
 5) 서울 탱고ソウルタンゴ/반가희バンガヒ
 6) 한 잔의 추억一杯の記憶/박세민パクセミン
 7) 아빠의 청춘パパの青春/현숙ヒョンスク
 8) 동백 아가씨椿娘/문희옥ムンヒオク
 9) 사랑은 아무나 하나愛は誰でもする/태진아テジナ
10) 찰랑찰랑なみなみと/이자연イジャヨン
11) 내 나이가 어때서年齢が何だって/오승근オスングン
12) 불효자는 웁니다不孝者は泣く/하춘화ハチュナ
13) 아내에게 바치는 노래妻に捧げる歌/홍민ホンミン
14) 영원한 친구永遠の友/조은새チョウンセ
15) 어느 60대 노부부의 이야기60代夫婦の話/김목경キムモッキョン
16) 나 하나의 사랑一つの愛/최유나チェユナ
17) 축배의 노래祝杯の歌/남일해ナムイルヘ.한수영ハンスヨン


企画タイトルは平凡だが、結構好きな歌、お気に入りの歌手多くて満足。特にキムヘヨンのギターブギが期待大。★★★☆。
今日の歩数は2810歩。

これでCTスキャン 

大笑いしてる?Morris.脳断面図 

検査結果は比較的良好 

【李光洙 (イ・グァンス) 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印】波田野節子 ★★★☆☆ 2015/06/25 中公新書
李光洙の名前だけは知ってた。といっても、朝鮮近代文学の大御所で抜群の人気を博したが、戦争後期に日本名を名乗り、植民地政策に協力したということで、戦後糾弾されたというくらいだった。
「むくげ通信273号」(2015/11/29)で川辺康一さんが本書の紹介された記事を見て読む気になった。

李光洙の人生を通して見えてくるのは、実は19世紀後半から近代化をめざして疾走していたにおhんの姿でもある。明治・大正と日本に留学した李光洙が見た日本の姿は、いかなるものだったのか。そして現在の日本とどうつながっているのか。
本書は李光洙の生涯をたどるものである。同時に彼の人生から垣間見える過去の日本の見つめるものでもある。(はじめに)


日清戦争直前に生まれ、朝鮮戦争直後に北に連れ去られ直後に死んだとされる李光洙の生涯は、まさに日本の半島侵略の時代と重なる。著者の労作である李光洙年表をいくらかアレンジして引いておく。

1892(明治25年) 李光洙、平安北道、定州に誕生
1894 日清戦争(8月~1895年)
1902 父母がコレラで急逝
1903 東学教徒の伝令として働く
1904 日露戦争(2月~105年)
1905 東学の留学生として来日、ポーツマス講和条約、第2次日韓協約(保護条約)
1906 大成中学入学、学費が切れて帰国
1907 皇室留学生として再来日、明治学院編入学
1908 夏帰国時に白恵順と結婚
1909 安重根がハルビン駅で伊藤博文暗殺(4月)
1910 韓国併合(8月) 多くの初期創作
1913(大正2年) 「アンクルトム」の抄訳『黒坊の悲しみ」(2月) 大陸放浪で上海へ(11月)
1914 ウラジオストック-ムーリン-チタ 第一次大戦(8月~1918) 帰国
1915 5年ぶりに東京へ 早稲田大学予科編入(9月)
1916 早稲田大学文学部入学(9月) 結核発病
1917 『無情』連載 『開拓者』連載
1918 許英粛と北京に駆け落ち(10月) 東京に戻る(11月)
1919 東京で2・8独立宣言を起草して上海に亡命(2月) 3・1独立運動、臨時政府樹立に参加、安昌浩との出会い
1920 興士団に入団(2月)
1921 帰国(3月) 許英粛と再婚(5月)
1922 修養同盟会創立(2月) 「民族改造論」(5月)
1923 東亜日報入社(5月) 関東大震災(9月)
1924 「民族契約論」(1月) 『再生』連載(11月)
1925 脊椎カリエスで手術(3月)
1926(昭和元年) 『麻井太子』連載(6月) 入院(6月) 東亜日報編集局長就任(11月)
1927 結核再発((7月
1928 『端宗哀史』連載(10月)
1929 腎臓結核で大手術(5月)
1931 『李舜臣』連載(6月) 満州事変(9月)
1932 満州国建国(3月) 安昌浩逮捕(4月) 『土』連載(4月) 『改造』の山本実彦と会食(5月) 東京出張日本文人と交流(9月)
1933 朝鮮日報社に移籍(8月) 『有情』連載(10月)
1934 次男鳳根が敗血症で急死(2月) 朝鮮日報辞任(5月) 北漢山麓に隠棲(9月)
1936 日本に滞在(5~6月) 『改造』に「萬爺の死」発表 『彼の自叙伝』連載(12月)
1937 同友会事件で逮捕(6月) 日中戦争勃発(7月) 病気釈放入院(12月)
1938 安昌浩の死(3月) 思想転向の「申合書」提出(11月)
1939 第二次大戦勃発(9月)
1940 香山光郎と創氏改名(2月11日) 朝鮮芸術賞受賞(2月11日) 『世祖大王』刊行(7月)
1941 太平洋戦争勃発(12月8日)
1942 『元暁太子』連載(3月) 東京で大東亜文学者大会に参加(11月)
1943 朝鮮半島出身学生に兵志願を勧めるため東京へ(11月)
1944 平安道思陵に疎開 (11月) 南京で大東亜文学者大会に参加(11月)
1945 解放(日本敗戦)(8月15日)
1946 許英粛と離婚(5月)  光東中学で英語と作文を教える(9月)
1947 『私・少年篇』刊行(12月)
1948 大韓民国建国(8月15日) 『私・二十歳の峠』(10月) 『わが告白』刊行(11月)
1949 反民族行為処罰法により収監(2月)   保釈(3月)
1950 朝鮮戦争勃発(6月25日) 北朝鮮軍に連行されて平壌に強制移送(7月) そのこと消息は不明
1962 『李光洙全集 全20巻』刊行開始
1975 許英粛死亡
1991(平成3年) 米国在住の三男李栄根が北朝鮮に行き、1950年10月25日に凍傷のため死亡したと聞かされる
2009 日帝強占反民族行為真相糾明に関する特別法(親日反民族特別法)により、親日反民族行為者301人の1人に認定される


波乱万丈と言っていい生涯であり、朝鮮と日本だけでなく、上海、北京、ウラジオストックと広範囲も国際的である。また生涯の半分くらいは病気に悩まされている。日本名に改め、日帝の植民地政策に積極的に協力したとして、死後半世紀以上後に、「親日派」として再び糾弾されている。当初は民族主義の愛国者で、反日運動でも主導者的立場にあり、1919年の2・8独立宣言も英語と日本語は彼の筆になることを知れば、本当に、ここらあたりで亡くなっていたら、「義士」として名をとどめただろう。

併合以来、日本の朝鮮統治の政策を観るに、併合当時の宣言に反し、吾族の幸福と利益とを無視し、征服者が被征服者に対する如き政策を応用し、吾族には参政 権、集会結社の自由、言論出版の自由を許さず、甚しきに至りては信教の自由、企業の自由までも少なからざる拘束をなし、行政、司法、警察等、諸機関が朝鮮 民族の人権を侵害し、公にも私にも吾族と日本人間に優劣の差別を設け、日本人に比して劣等なる教育を施して、以て吾族をして永遠に日本人の被使役者たらし めんとし、歴史を改造して吾族の神聖なる歴史的、民族的伝統と威厳とを破壊し、陵侮し、少数の官吏を除く外、政府の諸機関及交通、通信、兵備等、諸機関に 於て全部或は大部分日本人のみを使用し、以て吾族をして永遠に国家生活の智能と経験とを得べき機会を得ざらしむ。吾族は決して斯かる武断、専制、不正不平 等なる政治の下に於て生存と発展とを享受すること能わず。加之、元来人口過剰なる朝鮮に無制限に移民を奨励し補助し、土着の吾族をして海外に流離するを免 らざらしめ、国家と諸機関は勿論、私設の諸機関にまで多数の日本人を使用し又は使用せしめ、一面朝鮮人をして職務と職業とを失わしめ、一面朝鮮人の富を日 本人に流出せしめ、又商工業に於ても日本人には特殊なる便益を与え、以て朝鮮人をして産業的勃興の機会を失わしむ。斯くの如く、如何なる方面より観るも、 吾族と日本人との利害は相互背駆し、背駆すれば其の害を受くる者は常に又自然に吾族なり。吾族は生存の権利の為め独立を主張するものなり。
(2・8 独立宣言書 外務省記録 自大正8年1月至3月 「不逞団関係雑件 朝鮮人ノ部 在内地産」)

ここには日本の植民地政策の実態と本質が、的確に表現されている。「植民地時代には日本は良いこともした」などという輩は、これをじっくり読んでもらいたい。

翻訳(translation)とは言い換えや言語の移動の意味だが、移動(trasfer)という意味では映画から言語への移動もその一種である。その意味で李光洙の創作は翻訳から始まったということができる。


1908年、明治大学4年在学時に李光洙が投稿した「血涙--ギリシャ人スパルタクスの演説」に関する分析で、これがもともと映画からの翻訳だったというのが著者の見立てである。1912年には「アンクルトムの小屋」も翻訳している。

朝鮮半島北部の二つの道、平安道と黄海道を「西北(ソブク)」地方という。朝鮮王朝時代にこの地方の出身者は中央で出世ができないという差別を受けていた。そのために、彼らの目は自然と大陸へと向き、中国との交易で活躍する商人を排出してきた。

韓国では今でも済州島や全羅道への差別が残っているようだが、北部の道でもやはり差別があったということか。

当然のことだが、植民地時代の文章を読むときには、それがいつ、どこで、どのような状況で発表されたかを見極めることが重要である。以前の李光洙研究では東京時代のものだけが対象にされていたが、近年、その前のロシア時代と後の上海政時代のものが発掘されて研究の制度が増している。

これは重要な指摘だと思う。日本人が言うと物議を醸しそうだが、韓国の研究者にもこれを心してもらいたい。

当時の特高の監視がどれほど厳しかったかは、1916年5月の『学之光』編集会議の記録がよく示している。7号、8後、9号と連続して押収された編集部は対策会議を開いた。ところが、特高はこの対策会議で誰が何を放したかまで記録していたのである。内部にスパイがいたのだろう。特高の情報収集力はきわめて高かった。

過去の話だと思ってはなるまい。

朝鮮では「孝」が最高の道徳とされ、生活すべてが親中心であった。しかし「生物学が教えるように、人類の目的は個体の保全と種族の発展にある」から、親が子を育てる義務はあっても、子が親のために犠牲になる義務はない、と李光洙は主張する。
ここで注意が必要なことは、「われわれの子どもたち」と書いていながら、李光洙が自分を親でなく子の側に置いていることである。
興味深いのは、この頃中国で、魯迅が同じような内容の論説を、子ではなく親の立場から書いていることである。
魯迅は淘汰される弱者の側に立って淘汰そのものを拒否し、親である自分が犠牲になることに尊厳を見出した。一方、生存競争で淘汰されないために力を付けよという自民族に対する李光洙の呼びかけは、他民族の淘汰を前提としている。

李光洙と魯迅を単純に比較するわけにもいかないだろうが、いろいろ考えさせられる対比である。

1930年代は、1929年にニューヨークから始まった大恐慌のなかで幕を開けた。日本はこれまで獲得した大陸の権益を確固たるものにしようと1931年に満州事変を起こし、翌年満州国を建国する。だが、中国の抗日意識はますます強まり、日本はしだいに戦争の泥沼へと踏み込んでいく。
こうしたなか、新幹会の解消とは対照的に同友会は1931年から積極的な活動に乗り出す。『東亜日報』が大々的に学生たちに呼びかけて開始した「ブ・ナロード運動(人民のなかへ)」に参加するかたちで農村啓蒙運動を始めたのである。
19世紀ロシアの啓蒙運動から名前をとった朝鮮のブ・ナロード運動は、学生たちが夏休みに農村に行って農民にハングルを教える識字運動で、1934年まで4回行われ、延べ5700人を動員して、10万人にハングルを教えるという成果を挙げた。


「識字運動」が「ブ・ナロード運動」の下に行われたとのことだが、この時代はまだハングル禁止という政策は取られていなかったらしい。国語(日本語)常用が表に出されたのは、日中戦争勃発の1937年以降、いわゆる「皇民化政策」が実施されてからだ李光洙の悲劇もまさにこの年の、逮捕に始まると言えるだろう。

本書で著者は、実に詳しく李光洙を読み込んでいるし、周辺の資料にも目を通している。巻末に挙げられている参考文献は日韓で百冊近い。そればかりでなく、アメリカ在住の李光洙の息子や娘にも取材を重ね、文献だけでなく血の通った研究をしているらしい。
「新書なんて、ほとんど著者の語りおろしを編集者が仕上げるやっつけ仕事」という、某氏発言に毒されていたMorris.だが、本書は決してそんなものではなかった。
著者は2005年に李光洙の出世作「無情」を完全翻訳して刊行しているとのこと。しかし、あらすじ見るかぎりでは、読もう!という気にはなりにくい(^_^;)

2015/12/20(日)●なんとなく不調(>_<)
8時起床。
今朝の血圧は153/79/68。
このところどうも、気分がすぐれない。
なんとなくやる気がでないというか、集中力に欠けるというか、ぼーっとしてることが多い。前からその傾向はあったが、物忘れもひどくなったような。老化現象だろうか。
日曜美術館は国吉康雄の特集。あの絵柄には心惹かれるものがあるが、日本人移民として差別や攻撃も受けたらしい。1931年に里帰りして個展開いたが理解されず、アメリカに帰国して10年目に太平洋戦争が起きると、完全に敵視され、戦後人気復興したものの、赤狩りで排斥されるなど、毀誉褒貶の人生を送ったとのこと。
京都の高校駅伝をテレビで見るともなく流しながら、読書。うっかりして、ノレチャラン見損なった(>_<)
結果は女子も男子も広島の世羅高校が優勝した。
午後は久しぶりにノレバン98号で、家庭内ノレバン。
夜は、サッカークラブW杯決勝、メッシ、ネイマールも出場して、さすがの動きを見せてくれた。結果は3-0でバルセロナがリバープレートにシャットアウト勝ち。やっぱり世界最高レベルのプレイは見応えがあった。
今日の歩数は0歩。

【私の「情報分析術」超入門】佐藤優★★★ 2014/09/30 徳間書店 「アサヒ芸能」連載
えらい売れっ子になった佐藤優だが、Morris.はなんとなく避けてきた。本書はいかにもわかりやすそうだったので、ついつい手にとって、流し読みしてみた。

「総合知に対立する博識」という中世ヨーロッパの格言がありますが、細かいデータをいくら記憶しても、それは「教養」にはつながらない。したがって、ビジネスに役立つ知識にもなりづらい。もちろん、プラモデルや戦史などに関連して「趣味として知る」ということならば、話は別です。(「仕事に必要」か、「教養の強化」か)

至極まっとうな意見である。しかし、教養=ビジネスに役立つという考え方も時代遅れのような気がする。

本当に重要かつ必要な情報とは、自分の記憶の中に定着させるべきものなのです。(重要なことはパソコンに保存しない)

記憶力に自信ある人のご意見である(^_^;)

かつての日本においても、細菌兵器の研究は軍のインテリジェンス機関が行っていました。1939年に設立された登戸研究所(正式名は「第九陸軍技術研究そ」)です。細菌やウイルスを使った「生物兵器」や、気球に爆弾をつけて米国本土を狙った「風船爆弾」などの開発が行われていたとされ、関係者に迫ったドキュメンタリー映画『陸軍登戸研究所』(2012年)も製作されました。現在の国立感染症研究所の前身は、「旧陸軍医学校」で、「旧日本軍731部隊(関東軍防疫給水部)」の、かつての拠点でもあります。1989年の研究所(当時は国立予防衛生研究所)の建設中には大量の人骨が発掘されて大騒ぎになったこともありました。(「エボラ出血熱」から何を読み解くか)

政治、経済にかぎらず、医学分野でも戦前の流れが脈々と続いているらしい。

辺野古移設を安倍政権が強行すれば、沖縄で住民投票が行われ「沖縄の自己決定権の確立」を宣言する可能性が十分ある。(琉球新報はウクライナ問題を沖縄等身大で解いた)

佐藤の母は沖縄生まれで、アメリカとの地上戦も経験している。それだけに佐藤の沖縄への思い入れは強いようだ。

琉球語の不朽と継承が持つ政治的意味を過小評価してはならない。ここで重要なのは沖縄が琉球語という文化に、政治や安全保障にかかわる問題を包み込むことで、自己決定権を回復しようとしていることだ。(琉球新報による、「琉球語」普及と継承の意味)

これもまっとうな考え方だ。佐藤優、もう少し読んでみるか。

2015/12/19(土)●デモ空振り(>_<)
6時起床。
今朝の血圧は195/89/88。
ピーター・バラカンのウイークエンドサンシャイン。今日はハーモニカ特集で、ビートルズの恋する二人やストーンズのマネーなんかがかかって、懐かしかった。たまにはこんな特集も良いね。
昼から歩いて三宮図書館に行き、5時頃三宮花時計前へ。今日は戦争法案強行採決から3ヶ月ということで、反対デモがあると思ってたのだ。でも誰もいなかった(>_<)
ネットで調べたら、今日は昼間に県庁を取り囲む形での抗議行動ああったらしい。完全にチェック漏れである。
大安亭で買い物して6時帰宅。
今日の歩数は4350歩。

【歩きだした日/ヒロシマ1】那須正幹★★★ 2011/07/16 ポプラ社
【様々な予感/ヒロシマ2】那須正幹 ★★★ 2011/07/16 ポプラ社
【めぐりくる夏/ヒロシマ3】那須正幹★★★ 2011/07/16 ポプラ社
ヒロシマ三部作。Morris.は一つの長編として、一気に読み終えた。
著者は「ずっこけ三人組」シリーズなどで人気の児童文学作家だが、Morris.はこれが初めてである。原爆で家族を失いながらたくましく生きていく女性三代の物語。昭和24年の広島から物語は始まり、著者は広島出身で、一種の自伝的な作品でもあるらしい。
主人公の生業となった広島お好み焼きに関しては以前に紹介本を出したくらいの詳しさだし、昭和24年からほぼ半世紀の広島の復興と暮らしぶりをエピソードや、文化、世相、生活用品、建物などを描写している。ある意味、戦後生活史が、本書の大きな柱になっている。
原爆の後遺症で主人公や回りの人々も苦しめられながら、それでも力強く生きていく姿は感動的でもあるし、それぞれの人間的弱さも、欲も、矛盾もそれなりに描かれる。
人間関係がやや図式的だったり、出会い、偶然があまりにご都合主義だったりもするが、韓国ドラマに比べればなんということもない。
いちおう一般図書の棚においてあったが、子どもにも読めるよう大きな活字で組んであったので、読みやすかった。

2015/12/18(金)●孔雀翔ぶ
8時起床。
今朝の血圧は174/82/57。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」今週は「新聞の軽減税率適用について」という、ひねりのないタイトルだった。いつのまにか、消費税10%値上げそのものの議論はすっとばして、軽減税率の細部ばかりが議論の中心に生ってる。これをセールストークの常法に比較してるのは、なかなか上手いと思った。消費税にかぎらず、安倍政権のやりかたは、本質論より枝葉末節に土俵を持っていくという、姑息なやり方が多い。集団自衛権の時も、憲法改正ではなく、憲法解釈変更で強引に突っ走ったし、説明責任という言葉を知らないようにも見える。しかし、問題は、この傍若無人ぶりがあまりに連続するため、まわりがだんだん麻痺してしまうことかもしれない。
昼過ぎ、裏庭(王子動物園)散策。鳥舎のテラスに孔雀が上がってたので、近接撮影。さすがに、近寄ると避ける。フェンスに飛び上がり、そこから下の池のある庭に向かって飛翔。でも、暗かったため完全に被写体ブレになってしまった。
寒さもあってか、ほとんど動かないまぬうに挨拶だけして、資料館図書室でヴィジュアル読書。岩波化学ライブラリーの雀の本(「スズメ つかずはなれず2千年」三上修)が割りと面白かった。現在日本にいる雀はざっと2800万羽、20年前に比べると半減してるらしい。
その後原田の森ギャラリー冷やかす。「みんなのアート展」という特別支援学校の作品展やってた。かなりの数の作品の中で、はりま特別支援学校高等部1年の共同制作「野の花」という作品が素晴らしかった。クローバーカラスノエンドウ、タンポポなどの絵60枚で構成されたもの。紅葉をテーマにしたものと2つが並んでたが、圧倒的に春の草花が良かった。
5時帰宅。
今日の歩数は3162歩。

孔雀が目の前に 

翔ぶというより飛び降りる 

聖家族 

今日のまぬう 

来年の干支は申 

今日のヴィジュアル読書 

「野の花」(はりま支援学校) 

上は紅葉、下は春の野 

赤杉 

【もどろき】黒川創 ★★★ 2001/02/25 新潮社 初出「新潮」2000年12月号
「もどろく」は「斑く、文く」と書いて、まぎらす、惑う、くらむといった意味があるらしい。(大辞林によるが、本書では「もどろきさん」と呼ばれる神社からタイトルに用いられたらしい。

「遷来神社(遷来大明神)【モドロキ ダイミョウジン】/由緒」御祭神 藤原旅子は第五十代 桓武天皇の皇妃にして、第五十三代淳和天皇の生母であり、太政大臣 藤原百川の女(ムスメ)である。往昔 此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、上竜華町、下竜華町)は藤原氏の食邑地にして、当時其の邸宅あり旅子此処に生まる。長じて比良の南麓、最勝寺開祖、静安に随従し佛に帰依す、土俗称して龍華婦人という。……延暦七年(西暦788)五月四日病を得て逝去さる、病重篤と成りし時『我が出生の地、比良の南麓に 梛(ナギ)の大樹有り、その下に祀る可し』と遺命されし故、此処に神霊として祭祀さる……故郷に還り来たれるとの此の神社の由緒に鑑み、その後日清、日露 の戦いに参戦する人、此の社に参拝をなし、無事帰還を祈願さる、大東亜戦争に至るや、参拝者引きも切らずとかや。

この神社を巡って。祖父、父、私の三代の錯綜した記憶がまじりこむ、幻想的な作品だが、ストーリーより、細部のことばに心惹かれるところがあった。

自然を模倣したものが、地図なのか。
ならば、なぜ私たちは、これに関して著作権を主張するのか。
そうではなくて、地図製作者は、そこに滴らし入れた自分の嘘に著作権を主張するのだ、と考えればどうだろう。歪曲の連鎖を、地図は形づくって、その領域を拡げていく。
新しい嘘は、きのうつかれた嘘とは違っている。むかしの嘘が囁きかけてくるのを、古い図書館のなかで聞く。未来の嘘は、まだ声を発さず、世界のなかに身を潜めている。


ほとんど詩作品だね。
次は、改行もあって、さらに詩っぽい。

愛の名による禁止。
愛の名による命令。
愛の名によるおあずけ。
愛の名による罰。
愛というものは、これが語られる数だけ、愛ならざるものを生んでしまう。
---かわいかったわよ、とっても。
ひとがここに生きて在ることの「自由」を、その声は承認する。
Yes.と、それは言う。
あなたが、いまここにいること、そのすべてがイエスなのだと。


でも、これはちょっと「ポエム」っぽかったかも(^_^;)

好きなように生きることは、どこかで、いたるところで、横車を押しつづけることである。ひとは、いつか自分で、そのことにケリをつけなければならない。

無理は止そうぜ身体に悪い。



2015/12/17(木)●ちょい寒波
7時起床。
今朝の血圧は155/82/76。
今日はちょっと寒い。というか、昨日まで1周間ほどが12月にしては暖かすぎたのだ。
昨年のセウォル号沈没事件時の朴槿恵大統領の「7時間の不在」報道で、起訴された産経元ソウル支局長の裁判。1年4ヶ月かけて、今日判決がでた。結果は「無罪」。これはもう、裁判というより、政治決着というしかなかろう。
午後、歩いて灘図書館へ。
5時半に図書館出て6時過ぎ帰宅。
帰り道、ちょっとふらつき感があった。病院盥回しされてから20日以上たつ。あれ以来、特に目立った症状はないが、時々軽いめまいめいた感覚に襲われることがある。やっぱり、ちょっと心配である。
サッカー、バルセロナ対広州。メッシもネイマールも出場しなかったが、3-0でバルセロナの圧勝。
今日の歩数は7263歩。

昼下りの月 

冬薔薇 

近所の白 

トビケラ 

絞り椿 

精霊飛蝗の子供 

琵琶町のクロ 

同じく 

薔薇のリース 

【国境[完全版]】黒川創 ★★★☆☆ 2013/10/20 河出書房新社。
「暗殺者たち」から5ヶ月後の刊行だが、もともと「国境」は1998年に刊行されている。「暗殺者たち」に掲載された、全集未収録の漱石の「満韓所感」をテーマにしたエッセイを加えて、新装版(完全版)として出されたものということになる。

漱石の「満韓所感」は原稿としては短いものですが、まさにミッシングリンクと呼べそうな文書です。いや、それがこうして出現したことで、初めて私たちは、そこに日本の近代文学史上のミッシングリンクがあったということに気づかされる。
『暗殺者たち』という作品を書く上で、私自身の関心の一つは、明治末のごく短い期間に、漱石と満州の関わり、伊藤暗殺、さらに大逆事件が、重ねて起こったということでした。これらは互いに絡みあって展開し、当時の日本社会全体を包みはじめます。伊藤暗殺と大逆事件、この二つの事件は、21世紀の現在に至っても、まだ全貌が解明されていません。


安重根の伊藤博文暗殺(1909年10月)は闇の部分が多いし、幸徳秋水の大逆事件(1910年5月)はでっち上げに近いものがあったと思われる。そして1910年8月には韓国併合。たしかにこれらの出来事の関連性は強い。

文学上の表現は、明治末から大正デモクラシーの時代に向かうにつれ、自由度を増していったのか? それとも取り締まりのほうが厳しくなったか?
むしろ、私は、このように考えられるのではないかと思います。それは、出版物が量的に増大するにしたがって、伏せ字もまた進化していく、ということです。というのは、伏せ字は、出版弾圧の産物というより、自己規制の手だてでもあるからです。出版物が増大していくことと、伏せ字が増えていくことは、矛盾しません。なぜなら、出版部数が大規模なものになるだけ、出版元はより安全な刊行を確保したくなるもので、そのための自己規制も進んで受け入れるようになるからです。だから、出版は繁栄し、伏せ字も繁栄し、つまり、自己規制はより安易かつ厳重に行きわたる、そういう状況がありえます。いや、近代の時間の多くが、そうであってきたということになるでしょう。(序論にかえて)

これは明治、大正、昭和前期だけのことに限らない。いや、現時点での日本のマスコミ報道出版において、「自主規制」の度合いはますます濃密になっているような気がする。

郵便という新しい通信手段も、明治になると加わります。なかでも、都市生活者の漱石が好んで用いたのは、ハガキでした。これは、旧来の書状と較べてインフォーマルな通信方法で、今日流に言うならチャットでしょう。
東京の郵便は、集配すると主要地域の範囲が現在よりずっと狭いだけに、すばらしい機動力を発揮しています。先方も東京の住民なら、差し出した当日、相手に届く。相手がすぐに返事を書けば、これもその日のうちに戻ってくる。それを読み、さらにもう一通、この日のうちに、同じ相手に差し出した漱石のハガキまで残っています。(漱石が見た東京)


日本の郵便制度はかなり早くから整えられたらしい。たしかに家庭用電話などなかった当時、通信機関としては郵便が主役だったわけで、ハガキの利用も、チャットとまではいかなくとも、かなり頻繁なやりとりがあったのだろう。

I'm lucky.--という言い方が英語にあります。
たまたま、わりに裕福な家庭に生まれて、アイム・ラッキー。多民族による植民地支配を受ける側の国民として生まれ落ちずに、アイム・ラッキー。
これら、いずれの場合も、そこでの幸運に恵まれた自分を、あえて正当化するのでも、ことさら卑下しているのでもありません。ただ事実として、そのことを認める、という言い方です。そして、もちろん、ここから先、どんな生き方を選ぶのかは、また別のことなのです。(漱石の幸福感)


先の「満韓所感」の漱石の植民地への視線や態度を、客観的に述べている部分である。こういったことからの漱石批判のあることも知っているが、国民作家たるところかもしれない。

撮影者と、被写体とされる者との関係のありかたに、何か本質的な変化が起こっている。たとえば、かつては、カメラのファインダーのこちら側に撮影者、そして、レンズの向こう側に被写体となる者がいた。たとえ戦場でも、両者は同様の生命の危険に身をさらしていることで、撮影者と被写体の対等さは、かろうじて最低限には保たれた。だが、いま、はるか高空から撮られる偵察衛星のカメラの場所に、撮影者はいない。アフガニスタンやパキスタン上空を飛ぶ、無人攻撃機と同じである。つまり両者のあいだの関係は、本質的なところで、不均衡な(さらに率直に言うなら不公正な)ものへと入れ替わっているのである。
撮る側(また、見る者の側)の安全だけが、完璧なかたちで確保される。そして被写体は、危険のなかに取り残されている。これが不問に付されたままなら、撮る者は、いわば狙撃手(スナイパー)の位置に立つことになるだろう。(それでも、人生の船は行く)


武器の進化が、加害者と被害者の位置を際限なく広げていく。結果、被害者は加害者を見ることもなく、あるいは、その存在すら知ることもなく殺されていく。シリアへの空爆などはさしづめその典型だろう。

ここから後は、1998年版「国境」に収められた文章。

「国境」は、国に入る者の前にだけあるのではない。そこから逃げた者も、即座に新しい「国境」に直面しなければならないのだ。この時、「国境」は、どんな姿で、彼の前に現れるのか。そのことに私は興味がある。
(メルヴィルの処女作「タイピー」の)主人公は、不思議な"軟禁生活"を送ることになる。彼らの予想とは違って、タイピー族はとても親切だった。日常生活いっさいを世話する下僕の男まで提供される。恋人もできる。だが、いっさいの世話やきはいっさいの監視でもある。部族の人々は、きわめて善意に満ちたやりかたで、ただ一つのことだけ、断じて主人公のトムにゆるそうとしないのだ。つまり、彼が村から出て行くことを--。
部族社会の姿を借りて、メルヴィルの国家観がここに暗喩されている。これを"軟禁"と呼ぶなら、近代国家の内側に軟禁されているのは、われわれのすべてなのだと。
「奴隷ならぬものが世にあるか、と私はききたいのだ」(メルヴィル『白鯨』)(国境◎船迎(ひなむけ))

島国に暮らす日本人には、なかなか国境が意識できにくいようだ。
メルヴィルの「白鯨」は高校時代に全訳を読んだが、あれは確かに哲学的な作品でもあった。

言葉の背後には、社会的な全システムが広がっている。

「河には蓋がない」--「淡水河無蓋」とは、もともと、台湾独特の言いまわしの俗語で、普通、女性同士の口喧嘩などで使われたという。淡水河には蓋がないから、いつでも飛び込んで死んでしまえ、という罵倒の言葉である。(国境◎川とおしっこ)

黒川もなかなかに哲学的思考の人であるようだ。

高度成長期の神隠しは、役所の魔法(書面)使いたちの幻術によって進んだが、それはいまの私たち自身の風景にも照応する。1996年、水俣病未認定患者三団体とチッソのあいだの「最終的な和解」が交わされた。だが一方、ここにいたる年月のうちに、水俣湾の埋め立ては着々と進み、すでに総面積58ヘクタールの更地ができあがっているという。--これによって、かつての豊饒の海、また、暗緑色の水銀ヘドロの海は、ともになかったことになっていくのか?
人間は、言葉で考えるのだろうか。だとすれば、言葉によらないぼんやりとした考えは「存在しない」ことになるのか。誰かと向きあって話しながら、自分が本当に言いたいのはこのことではない、と感じるとき、私たちは、言葉にならない未生の思考によって、それを知覚しているのではないだろうか?
沖縄のことばで、中国との交易時代を「唐(とう)ぬ世(ゆー)」、日本領時代を「大和ぬ世(ゆー)」、米国属領時代を「アメリカ世(ゆー)」と呼ぶことがある。老人たちはいまも太平洋戦争のことを「いくさ」と言い、戦場と化した沖縄は「いくさ場」であった。歌の名手は「情(なさき)」が深いと言って称えられる。
「言語」は言語科学において明確に定義された概念ではない、もし政治的境界について何も知らない言語学者がいたら、「言語」と「方言」に区別を認めないだろうと、チョムスキーは言った。(国境◎非中心へ)


「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」というフレーズを思い出した。田村隆一の「帰途」という詩の冒頭の一行だ。
沖縄の言葉(琉球語)は、日本語の方言ではないと思う。

植民地支配体験は、入植者の側において、ナショナリズムに基礎を置きながらも、そのナショナルなものへの素朴な信頼を自壊させていく進行過程としても現われる。この内面の崩壊を敏感にとらえた文学に、E・M・フォースター、ジョージ・オーウェルらの諸作品があり、朝鮮での滞在作家・田中英光が、そこでの経験をもとに戦後まもなく書いた『酔いどれ船』などにも、同様の心の動きを見ることはできる。(月に近い街にて)

この章のタイトル「月に近い街」は韓国語で「タルトンネ」高台にある貧民窟の蔑称である。オーウエルが植民地インドで生まれ、ビルマの警察に勤務した間の体験を描いた「ビルマの日々」くらいしか知らないが、植民される側だけでなく、植民する側をも蝕んでいく側面がありそうだ。

私は、彼の気分を、"他者性"というより、いわば、"他人性"の表明として、受け取りたい。かったるいような気分とでも、言えばよいか。自分はこの戦争に対して、どっちの側でもない。たしかに、かつて鏡花も「海賊発電」で、敵と味方、どちらでもないという立場に固執した。だが、それはここでの漱石とは違う。鏡花の場合、「どちらでもない」という立場を仮構してみせることで、実際には、「逆賊」としての意識、権力否定の意識をつらぬこうとした。漱石には、それがない。二者択一の内的論理がない。彼の場合、どっちでもないのとともに、強いて求められるなら、どっちでもいいと言ってしまうことをも、自分に否定しないありようである。彼はそのことを、自分のなかで大事にした。無責任男、漱石。

無責任天国日本の「国民作家」漱石が無責任男というのは、解りやすい(^_^;)

もともと、50年代のうたごえ運動のなか、"全司法福岡支部"によって作られたという「沖縄を返せ」は、こんな歌詞だ。
《かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ》
「我らのものだ、沖縄は、沖縄を返せ」と「日本人」がうたうことを前提としているこの歌は、どこか倒立している。何が倒立しているのか。仮にここでの「沖縄」を「満州」と書き換えても、それなりに意味が通じる。つまり、この歌詞は植民地支配のイデオロギーにのっとっていいるとも、言えるだろう。
にもかかわらず、これをうたう運動を、沖縄「領有」運動ではなく、"復帰"を促す運動だと思いみなした観念が、倒立しているのである。(輪郭譚)


作ったのも歌うのも日本人で、「沖縄」は我らのものだ、返せ、というからには、確かに沖縄を植民地と見ている。現在の辺野古移転ゴリ押しも、その視点はそのままぢゃ。

《私はこの同じ旅行中にも或る文明国の殖民地を見たが、そこではその文明国人が殖民地土着の民で--けれども相当の文明を持っている人間を、その風俗習慣を異にしているということのために、殺しはしなかったけれども牛馬のように遇しているのを見た。これなども文明人が他の表情を異にしている文明人を圧倒しようとする有りふれた一例である。また私は或る文明国の政府が、当時の一般国民の常識とややその趣を異にした思想--それによって一般人類がもっと幸福に成り得るという或る思想を抱いていた人々を引捉えてそれを危険なる思想と認めて、しばしばその種の思想家を牢屋に入れ、時にはどんどん死刑にしたのを見聞したこともある。文明人たちもまた、野蛮人と同じく、自分たちの理解しないものを悉く悪と決定し去って、その不可解な表情--霊の表情を持っている人を根絶することに努力する。--文明人のなかにもまた、「魔鳥使い」と認められた人々は多数に有る。》(佐藤春夫『魔鳥』1923)
佐藤は作品中で、この「或る文明国」を日本、「殖民地」を台湾とは、一度たりとも名ざしはしない。それは、検閲に対する警戒でもあろうが、むしろここでは、そのことに、浪漫的な作風の寓意性を力として生かそうとする意識が働いているのを見るべきだろう。"幻想的"ゆえの権勢に対する猛烈な反発、そうした作品の力は、泉鏡花のような作風から、ここにも引きつがれているのである。
「自分とは誰か」という問いを可能にするのは、その前にあるべき「(自分ではない)おまえは誰か」という問いである。あるいはそれを、「日本人とは何か」を可能にするのが「(日本人以外の)他者とは何か」という問いであったと、言い替えてもかまわない。魔鳥とは、おまえは誰か、人が人に、そう問わずにおれなくさせる、何かである。この鳥が跳梁跋扈したあとで、人はその世界で、「自分とは誰か」、そう問いはじめたのだ。(洪水の記憶)


うーーむ、佐藤春夫がこんなのを書いてたのか。こういう作品を見つけてくるあたり、黒川の目利きぶりが際立っているし、その演繹手腕にも見るべきところがある。

ブラジルの日系人は、自分たちの社会をコロニア(植民地)と呼ぶ。それは、特定の国家が侵出し、征服した土地という意味とは、違っている。移民としての自分たちが、移動し、「いまそこにいる場所」、それが彼らにとってのコロニアなのだ。
コロニアは、ある固定された均質な社会を、さすのではない。人が交わり、異質さをはらんで、流動している。何かを生成しながら、消失にもさらされ、国家の庇護の外にあり、自助の必要を負う場所。それが彼らのコロニアだとも言えるだろうか。
植民地の概念に多重性があるというのは、そういうことである。
日本国家は、かつて、朝鮮、台湾を植民地とした。いまも、ソウルに、シンガポールに、ニューヨークに、北京に日本企業のコロニアがある。しかし、ブラジルでのコロニアのありように重ねるなら、むしろ日本社会が、在日コリアンや中国人の、あるいはイラン人の、ペルー人の、米国人の、フィリピン人の、少し違う言い方をすれば沖縄の、それぞれのコロニアであることも事実なのだ。むろん、ブラジルからの出稼ぎ者たちのコロニアでもある。
あらゆる場所が植民地で、あらゆる文学が植民地文学であるというのは、そういうことである。
この世界は、移民の位置からも見わたすことができる。たとえば、大英帝国のアメリカ植民地が移民を主体にして独立にむかったときにも、こうした主体の転移があり、とはいえ、そうやって生れた社会のシステムも、やがてまた新たに国家へと収斂されていく。これを考えると、国家の庇護から離脱したコロニアの尻尾は、神話中の大蛇(ウロボロス)のように、早くも国家という頭に呑まれつつあるのであって、この閉回路をどう解除するのかという、はじめの問いのところに戻る。(漂流する国境)

っすごい「じゅずつなぎ思考」であるな。

記憶が、確かなものだとは言えない。私たちは、絶えず自分の記憶を、つくりかえながら生きている。その点で、私にとっての記憶とは、すでにそれ自体が、いわば砂まじりのものなのである。
記憶を疑ってみる必要がある。また、自分の思考自体を縛る、日本語というものを。
どこかに、純粋な真理とか、揺るぎなき「正義」とかが、あるわけではないだろう。あらゆる事実が、さまざまな人々や事物のなかの記憶、さまざまな語りかたで構成されている。あらゆる「事実」の下に、記憶の鉱脈が走っていると言ってもいい。そして、この誤りを含みうる砂まじりの地歩を、私は大切にしたいと思っている。(98年版あとがき)


夏目漱石という作家は、20世紀初頭のたった10年間を、創作に心血を注いで生き、そして死んでしまった。彼は時代への参加者でありながら、すぐれた傍観者でもあった。私には、その人柄が、微笑ましく感じられる。森鴎外という人が、支配体制の枠組みのなかに辛抱してとどまりながら、つい、ときどきは、崖っぷちのぎりぎりまで覗きに行って、また戻ってくる、そうした態度を示すことについても、また。

安重根事件についてのまともな「研究」が、なぜ、この日本に現れないかというと、「事件の現場が日本ではなかった」、ということが、最大の原因ではないかと思う。つまり、この事件の根本資料は、(少なくともその多くは)日本語では残されていないのである。捕縛された被告はほとんど日本語を解さない朝鮮人(国籍は大韓帝国)であり、ハルビンは当時の清國領であり、しかも、事件現場のハルビン駅は東清鉄道付属地としてロシアの行政警察権の下にあった。この事実を現実認識から取り落としてしまいがちなところに、当時もいまも、日本人の無意識の領域にまで深く達した植民地主義とでも言うべきものがあるのではないか。(完全版 あとがき)

黒川創は1961年京都生まれで、幼少期から知り合いの鶴見俊輔に誘われ「思想の科学」の編集委員として、評論活動を開始、1999年「若冲の目」で作家デビュー。父は評論家北沢恒彦、叔父は秦恒平。かなりの「脳閥」の一員らしい。

2015/12/16(水)●神戸高校付近
7時起床。
今朝の血圧は185/87/87。
朝の三点セット。
昼からふらりと王子公園から北上。
ひさしぶりに神戸高校方面に。何度見てもここの校舎はなかなかのものである。入口前に金属製の案内板があり「上野が丘のロンドン塔」と書いてある(^_^;)

この本館は神戸一中が1938年(昭和13)に生田川のほとりから移転してきたとき、南欧古城のイメージで建てられました。英国パブリックスクールに範をとった教育理念を具体化したものとされています。その後2002年(平成4)に正面玄関を中心とする約4分の1を修復の上保存し、東の部分は保存部分につながるイメージで新しく立て直されました。保存部分はモダンゴシック様式で、3連アーチのポルチコ(出入口部分)やバルコニー、パラペット、ロンドン塔と称される塔屋、屋上手すりの銃眼などが特徴の城郭風校舎です。

かなり自慢気だね(^_^;) まあ、それだけのことはある。そのまま上野道で摩耶山方面に上がろうとしたのだが、水も持ってなかったので、ほんのちょこっとだけ上って引き返す。
赤坂通り路地に猫二匹見つけてしばらくMorris.@CatographerモードΦΦ。
ふらふらと水道筋に降りて、マルハチで買い物して4時半帰宅。
サッカークラブワールドカップ準決勝、サンフレッチェ広島対リバープレート(アルゼンチン)戦。広島よく守って前半0-0で折り返したが、後半にセットプレーからアルゼンチンが先制、これを守り切ってアルゼンチンが決勝進出。しかし、アルゼンチンの応援の多さにはびっくりした。
今日の歩数は8222歩。

枇杷の花 

野菊? 

ハンター亭 

繭玉みたいな木の実 

灘基督教会 

神戸高校 

上野が丘のロンドン塔(^_^;) 

公立高校とは思えない 

枯木シルエット 

紅葉の色はいまいち冴えない 

ちょこっと山歩き 

けっこう大きな石仏 

赤坂通の白茶 

雉 

椿 

【暗殺者たち】黒川創  ★★★☆ 2013/05/30 新潮社 初出「新潮」2013年2月号。
サンクトペテルブルク大学の日本語学科の生徒向けの講演「ドストエフスキーと大逆事件」という形をとった歴史小説。
これまで、取り上げられることのなかった、明治42年(1909)大連で発行されていた「満州日日新聞」11月5日、6日に掲載された夏目漱石の「韓満所感」という記事が、作中に使われたことによって、話題になったらしい。
安重根による伊藤博文暗殺は1909年10月26日。

(安重根)は、1879年、朝鮮の黄海道海州に生まれた人物です。つまり、伊藤博文をピストルで撃ったとき、彼は満三十歳。その翌年、1910年3月26日、日本の関東都督府が所轄する、遼東半島の)旅順監獄で死刑に処されます。事件からちょうど五ヶ月後のことで、絞首刑でした。

安重根の事件については、数冊の本を読んだが、どうも事実関係がはっきりしないし、実行犯が安重根ではなかったという説まである。

自分がもしも暗殺者になったらと、想像してみることは誰にだってありうることです。普通のことなんです。異性とちゃっかりうまくやることも、血みどろの殺人者になることも、誰しもが想像のなかでは、やっていることなんです。
日露戦争後、社会主義運動に対する日本国内での行きすぎた圧迫が、その極端な急進化をも招いたことは、否めません。どれだけ激しい弾圧も、相手が依って立つ正義感の根拠を消滅させることはないからです。

たしかに想像の中では、Morris.だって(^_^;)

かつてのソウル拘置所(西大門刑務所)は、もう、いまは使われていません。そして、美しく整備された独立公園のなかの保存建造物に生まれ変わっています。ただし、そこでの展示などでは、日本による植民地支配下で多くの独立運動家たちがここに囚われていたことは丁寧に解説されていますが、大韓民国樹立後も1980年代まで、軍事政権下で多くの政治犯を収容していたことはほとんど述べていません。

旧西大門刑務所は「歴史館」として公開されてるから、Morris.も数回訪れている。日帝軍人、憲兵による、朝鮮人への拷問の蝋人形などはずっと展示されてるが、たしかに、軍事政権下の展示は全くなかった。

1910年初夏、幸徳秋水も、菅野壽賀子も、大石誠之助も、「大逆事件」で、みな、捕まりました。そして、捕まりそこねたような形になった荒畑寒村だけが、東京の街で桂太郎首相を襲うテロリストになろうとして、それにもまた、なりそこね、うろうろしています。「韓国併合」の調印式が、第二次桂内閣の下で行われるのが、この夏、8月22日です。つまり、「大韓民国」という国号が存在したのは、「独立門」が竣工する1897年から1910年まで、わずか13年たらずのことでした。しかも、そのうち後半の5年、この国は、外交権さえ日本政府に譲って「保護国」とされる状態でした

韓国では「日帝36年」という言葉があるが、実質的には「日帝40年」だったということだ。1905年の保護条約で、漢城(ソウル)に総監府が置かれ、初代総監が伊藤博文だった。

伊藤博文が30歳のとき、「岩倉使節団」一行を代表して、彼がサンフランシスコで行なった有名な演説の記録が残っています。「日の丸演説」って呼ばれたものなんですが。
「--わが国旗のまんなかにある紅い丸印は、もやは、みずからを閉ざす封筒の封蝋みたいに見えることなく、将来には、本来の意匠通りに、朝日を示す尊いシンボルとなって、世界の文明諸国と肩を並べてせり上がっていくでありましょう。」


伊藤博文が暗殺者となって殺したのは、21歳のとき、塙次郎という国学者です。塙が、天皇退位の事例の典拠を江戸幕府から頼まれて調べていると聞きつけて、仲間ひとりといっしょに待ち伏せて、二人がかりで日本刀で斬り殺してしまいます。この塙についての噂は、実は誤解だったとも言われていますが、直前に、伊藤は英国公使館の焼き討ちもやっていて、とにかくこの時期の彼は激しいんです。天皇が中心となる国を作って、外国勢力を追い払わないと日本は滅んでしまうと、当時の彼は思いつめていたわけですから。

安重根をテロリストというならば、伊藤博文もテロリストだったということだ。

「韓満所感」では--
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云う自覚を得た事である。内地に跼蹐している間は、日本人ほど憐れな国民は世界中にたんとあるまいという考に始終圧迫されてならなかったが、満州から朝鮮へ渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となっている状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの)印象を深く頭の中に刻みつけられた。
同時に、余は支那人や朝鮮人に生まれなくって、まあ善かったと思った。彼等を眼前に置いて勝者の意気込をもって事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云わねばならぬ。」
自分が中国人や朝鮮人に生まれなくて「まあ善かった」、率直にそう表現せずにはおれなくなるほど公平を欠いた現実を、かぎられた旅程のうちにも、すでに見聞きしてしまっていたからです。
漱石は、わざとこういう言い方を選んでいるんでしょうか? むろん、それ以外にはありえません


新発見とされた「韓満所感」も、読んだ限りでは、それほど内容は無いような気がした。

2015/12/15(火)●今年の漢字は不安の「安」
7時起床。
今朝の血圧は165/65/70。
今日は午後から雨になると言ってたが朝はまだ青空が広がって、暖かそうだったので、10時前から屋上でミニギター。思った以上にあたたかくて、ついつい長居をしてしまった(^_^;)
2時前に部屋に戻ったら、雨が降りだした。
毎年恒例の「今年の漢字」、2015年の漢字は「安」だと。安保法案、安倍晋三からの連想なのかと思うと気分が悪くなるが、つまるところ「不安」の「安」ということなのだろう。2位が「爆」、3位が「戦」だったということで、ともかくも穏やかな年ではなかったことを象徴している。
スペインの大会で330点という前人未到の記録で優勝したフィギュアスケートの羽生結弦が凱旋帰国して、夜の報道ステーションに生出演したが、かなりストレートな質問(平昌オリンピックまでもつのか? マスコミ攻勢と成績など)にもきちんと答えて、相変わらずの落ち着きぶりだった。
結局今日は雨もあって、屋上以外はどこにも出なかった。
今日の歩数は649歩。

屋上空北東方面 

南東方面 

西方面 

【憎悪のパレード】石田衣良 ★★☆ 2014/07/15 文藝春秋
「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ11冊めである。このシリーズ初期の頃は結構愛読してた。だんだんこの作者の作品とは縁遠くなってしまった。
本書はタイトルに惹かれて読むことにしたのだ。
脱法ドラッグの「北口スモークタワー」、パチンコの「ギャンブラーズ・ゴールド」、ネット犯罪の「西池袋ノマドトラップ」、そしてタイトル作、ヘイトスピーチの「憎悪のパレード」の4篇が収められている。ときどきの話題をネタにしてるわけだが、いまいちひねりが足りない。

「あのね、ネットを熱心に見てるのは、どんあ人間だと思う?」
自分の人生が充実していればだれもネットなんか見ない。
「ひまな人間かな」
「それだけじゃない。あともうひとつ大事な形容詞がある」
ちっちっちっ、人さし指の先を振る。インチキ手品師みたい。
「ひまで、バカな人間だよ。日本で一番人気のネットのトピックは、芸能界のクズみたいな噂なんだ。アフィリエイトは自分のブログに広告をのせて、見にきた人数におうじて収入を得る仕組みだ。ぼくは狙い目をふたつにしぼっている。そいつらが一番熱心にネットを見てるから」
ため息をつきそうになる。ネットは人類が創造した最良の集合知のネットワークだったはずだ。それが芸能界の噂でいっぱいか。
「芸能人の噂ブログとあとはなにが稼ぎ頭なんだ」
「ネット右翼を煽るブログだよ。どこどこのテレビ局が韓国に肩入れしてるとか、ある商社が中国から資金援助をうけているとか、適当に書き散らせばいい。ネトウヨはいつもあちこちのサイトをのぞいてネタを探しているから、必ず見てくれるんだ。こちらは数字を稼いで、大手のネット通販なんかからアフィリエイト収入をもらえる。いいビジネスだよね」(西池袋ノマドトラップ)


2ちゃんねるなどとは、極力距離をおいてるが、芸能クズネタの膨大さは容易に想像がつく。嫌韓嫌中も2ちゃんねるの得意分野?であることもわかるが、これを食い物にする輩も多いのだろうな。この後に、お得意様のネトウヨのことを「純粋な」と形容してるのも、皮肉なのだろうか。

おれたちは経済成長の先輩として、もうすこし余裕をもったほうがいい。共産党政府につながるひとにぎりの大金もち以外、中国人のひとりあたりの収入はまだジャマイカより少ない。岩だらけの小島でもめようが、GDPで抜かれようが、そこまでナイーブに傷つくことはないはずだ。
21世紀はアジアの世紀だような。
世界経済の中心が数百年ぶりに東アジアに回帰するのは、まず間違いない。その果実をいらいらせずに、ゆっくり待つといい。近隣関係で耐えがたきを耐えるとしても、先進ニッポンで心たのしく暮らしたほうが、死ね! 死ね!と叫んでデモするより、ずっとまし。
なにせ、こちらは政治家の悪口だっていいたい放題の自由と民主の国なんだからな。

たしかに今のところ、政治家の悪口言えてるが、それも時間の問題かもしれない。中国への視線もあまりに皮相的ではなかろうか。

格差はどんどん広がり、自分の身を守るのに精いっぱい。数字をあげられない者は、努力不足だとか愚か者とののしられる。おれには格差社会というのは、自分より下の人間にはどんなにひどいことをしてもいい社会に見える。生活保護を受けている人間、在日の中国人や韓国人、非正規雇用のワーカーたち。ネットを開くと憎しみの言葉が泥の奔流のようにあふれだしてくる。


格差社会をこの程度にしか見られないというのも、なんだかな、である。

ヘイトスピーチのデモについていえば、今日も世界中のどこかでパレードは続いている。……世界から多民族憎悪をなくす解決策は見つかっていない。おれはガンや水虫の特効薬より、できればそいつのほうにノーベル賞をやりたい。のむだけで世界人類が兄弟になるなんて薬、ベートーヴェンの第九みたいでいいと思わないか。(憎悪のパレード)

表題作では、在特会をモデルにした「中排会」(中国人を祖国日本から徹底排除する市民の会)と、反対勢力の「ヘ民会」(ヘイトスピーチと民族差別を許さない市民の会」、しばき隊をモデルにした「レッドネック」(ヘ民会から分派した武闘派 アメリカ南部の畑仕事で首筋を真っ赤に日焼けさせた貧しい農民)を登場させながら、結局は、中国資本のビル地上げの阻止でお茶を濁す。ヘイトスピーチの根本問題はほぼ素通りである。
世界人類が兄弟になる薬、けっ!。おまえは笹川の後継者か、と言いたくなる。「世界は一家、人類はみな兄弟」は他人の始まりぢゃーっ(^_^;)
どうも、著者はどんどん大政翼賛会っぽくなっていくなあ。
もう読まないことにしよう。

2015/12/14(月)●マイナンバー通知
8時起床。
今朝の血圧は165/86/73。
昼間郵便局からマイナンバー通知カードが届いた。国民総背番号制度である。もちろんカード作るつもりもないし、極力使用するつもりもないが、すでに事務所の申告書などには、記入を求められている。こうやってどんどん、国家の管理システムに情報が吸収されて、操作され、捜査や納税その他に利用、流用されるのだろう。配布の時点でかなりの事故起こってるし、これが一挙民間に漏洩する可能性もありそうだ。堺市の有権者68万人の情報が流出して、市長が謝罪するニュースがつい先程流れたが、いずれ「一億総暴露」も覚悟しておくしかない。
北朝鮮のモランボン楽団が北京の公演に出かけ、リハーサルまでしながら、ドタキャンで帰国したというニュース。先般北朝鮮歌謡の本読んでYou Tubeの動画見たりしてたので、ちょっと注目したものの、まあ、どうせ真相は闇の中ということになるのだろう。
夕方歩いて大安亭まで買い物に行き5時半帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1446回は- 人生旅路 -というちょっと退屈そうなタイトル。

 1) 한오백년恨五百年, 창부타령丈夫打令/명창名唱 김영임キムヨンイム
 2) 산 팔자 물 팔자山の宿命水の縁 (백년설ペンニョンソル)/박일남パクイルナム
 3) 여자의 일생女の一生 (이미자イミジャ)/주현미チュヒョンミ
 4) 하숙생下宿生 (최희준チェヒジュン)/김상배キムサンベ
 5) 유정 천 리有情千里 (박재홍パクチェホン)/김연자キムヨンジャ
 6) 회전의자回転椅子 (김용만キムヨンマン)/김용만キムヨンマン
 7) 인생人生 (남인수ナムインス)/배금성ペグムソン
 8) 인생은 나그네人生は旅人 (진송남チンソンナム)/진송남チンソンナム
 9) 홀로 가는 길 一人で行く道(남화용ナムファヨン)/남화용ナムファヨン
10) 몽夢 (오승근オスングン)/신유シニュ
11) 인생人生 (남진ナムジン)/김연자キムヨンジャ
12) 고향의 품에故郷の品に (주현미チュヒョンミ)/주현미チュヒョンミ
13) 구름 나그네雲旅人 (최헌チェホン)/장계현チャンゲヒョン
14) 여로旅路 (권성희クォンソンヒ)/권성희クォンソンヒ
15) 울고 웃는 인생 泣き笑い人生(한명숙ハンミョンスク)/장보윤チャンボユン
16) 인생은 작은 배人生は小さな船 (패티김ペティキム)/박혜신パクヘシン
17) 가야지 行こう(김영임キムヨンイム)/명창名唱 김영임キムヨンイム
18) 길道 (현인ヒョンイン)/안다성アンダソン

今回のプログラムもいまいち好きな歌、歌手は少なかったが、チュヒョンミ、キムヨンジャの二枚看板で、どちらも二曲ずつ歌ったので★★★。
今日の歩数は4122歩。

JR灘駅の空 

螺旋階段 

秋並木 

蔓日々草 

落葉 

大安亭ふさ白黒 

【宮沢賢治殺人事件】吉田司 ★★★☆ 太田出版
国民的童話作家としてのみならず、人格者として、教育者として、農業改革者としてまで評価が高い宮澤賢治。
そのカリスマに、真っ向から否定的に論じた一冊である。
著者は1945年山形生まれ。1970年から水俣に住み胎児性水俣病患者らと若衆宿を組織し、患者の生態を生々しく描いた「下下戦記」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
実母が宮澤賢治没後の宣伝に一役かったという、因縁もあり、それをからめての論評は近親憎悪的でさえあるような業の深さを感じさせる。

賢治精神の最も深い核心は"あなたのためなら何百回だって死んでみせます"という<捨身>(自己犠牲)だからだ。
<捨身>=<献身>とは必ずしも限らない。賢治の<捨身>は、ある時はあのアジア侵略の有名なスローガン「八紘一宇」という言葉を作った、軍国ファッショの宗教団体「国柱会」(田中智學)の<不惜身命>の思想と結びついたり、またある時は日の丸特攻隊の若者の<散華>の美学を裏支えしたりしたからである。賢治の<裏の顔>ってトテモ危険なのだ。(序章)

これが本書の「核」でもある(^_^;)

賢治誕生百年のある日、私は決めた。賢治の亡霊(ゴースト)を倒し、等身大の賢治の物語を取りもどそう。そしてその軽々と小さな、彼の無名の魂を、あの花巻のお寺の墓の下にそっと返してやろう。私は賢治の「ゴースト・バスターズ」になるのだと思った。(第一章誰が賢治を売りだしたか?)

本書は賢治生誕百年がきっかけになった、と、何度も書いてある。

宮澤賢治とは、この「遊民」という<不思議な階級>の一人だったのではないか。
彼の経済生活(=生活費、遊興費、勉学費)が生涯、父政次郎の財産で賄われていたことは、どんな賢治本にも載っている。"自分の労働で暮らしてゆく"と大見得を切った羅須地人協会の時でさえ、「賢治にわからぬように」裏から政次郎が財政援助していたのである--まさに「彼らの事業は、実に、父兄の財産を食ひ滅す事と無駄話をする事だけ」(『時代閉塞の現状』啄木)の、見事に立派な「高等遊民」ではなかったろうか。
つまり読者よ、宮澤賢治の詩や文学の本質を一言でいい表わすなら、それは<遊民の文学>なのだ。

これは納得できる位置づけだと思う。「遊民」。Morris.に金があったらそうなったかもしれない。幸か不幸かそうぢゃ無いから、遊民にはなれなかった。たしかに賢治作品は、金持ちの遊びめいた雰囲気が濃厚だ。

冒頭から<おれは幽霊だ>などと宣言して登場してきた近代詩集なんて、それまで一冊もなかった。そのブッ飛んだ、シュールな表現を本当に身体感覚で理解して小躍りしたのは、草野心平でも高村光太郎でもなく、たったひとり、超現実主義(シュールリアリズム)への過渡期にあったダダイズム(破壊主義)の詩人・辻潤だけだっとろうと。
中央文壇がほとんど『春と修羅』を黙殺した中で、大正13年、辻潤は「惰眠洞妄語」でこう評した。
「若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら私は『ツァラトゥストラ』を忘れても、『春と修羅』を携へることを必ず忘れはしないだらう」(第二章 ふしぎな階級)


Morris.は賢治童話はいまいち苦手だったが、詩集「春と修羅」には、しびれるものがあった。たぶん「ブッ飛んだシュールな表現」にしびれてしまったのだろう。ここで辻潤が出てきたのにはちょっと驚かされた。たしかに辻潤ならこの作品を好んだろうと思い当たる。

日本近代とは、「白骨の大地」から日本民族を救済する、新しい「富国富民」の救世主(メシア)願望=絶対天皇制(教)の選択に他ならなかった。しかし、読者がよくご存知のように、この絶対天皇制がもたらした近代国家の本質は「富国富民」ではなく「富国強兵」である。帝国陸海軍を擁する「武装天皇制」だった。
こ~して「白骨の大地」岩手は、幕末には反官軍の東北列藩同盟一翼を担うが、明治近代を迎えるや一転して、その武装天皇制を支える東北最大の「軍人大国」にのし上がってゆくのである。日本民族を大東亜戦争の破滅に導いた。


明治維新薩長藩閥に対抗して、日本帝国陸軍の顔役が続出したという指摘も、東条英機、板垣征四郎、斎藤実、山屋他人、米内光政、及川古志郎……というラインナップを見れば納得せざるを得ない。

賢治の<ふしぎな遊民性>は、実は不思議でもなんでない。当時の花巻商人のチョットした成功者や旦那衆がもっていた"蓄音機狂い"や"宗教道楽"などの「余暇贅沢」の全面展開だったことが見えてくる。
宮澤賢治は<エレキ・モダン>の時代の子なのである。
彼の詩が「難解でわからない」のは、その言葉が新鮮な上に一種の愉快犯的「おたく」語になっているからだ。賢治の言葉は、その語源や真意などを一々細かく吟味し出すと却って危ないのだ。賢治の仕掛けた「愉快なゲーム」に迷い込んでしまうからだ。「愉快なゲーム」とは、読者が愉快になるのではなく、仕掛けて死んだ賢治の方が読者の頭(おつむ)の程度を死後の世界からこっそり笑って愉快がるゲームである。つまり『注文の多い料理店』の山猫亭と同じ構造が、彼の詩集のそちこちに準備されている。

かなりひねくれた、読解だとも思う。でも、それに共感するところも大である。

全方向に向かって"良い顔をし続ける"テクニックが、彼の文学の中心命題となった--彼の作品が、農本主義や転向した真壁仁の側からも、プロレタリア社会主義の側からも同時に評価されたりして、同時代人の眼にまぶしく「乱反射」して見えたのは、この彼が仕組んだ<言い訳文学>(=遊民性の擁護)の高等テクニックにみんなだまされたのだと、私などは思っている。
宮澤賢治の文学は"深さ"から逃げる文学だ。誰にも反論しようのない、わかり易い"正しさ"だが、底が"浅い"。その"浅さ"がバレないように、乱反射して深く見えるように、賢治は死の直前まで何度も何度も昔々の原稿を引っ張りだしては手直しや書き換えや、一字一字の語句の配置に至るまで推敲し続けたのだと、私は思う。
そう、賢治生誕百年記念ブームの中の賢治像が、天才詩人、アンデルセンに匹敵する世界的童話作家、銀河系宇宙の科学者、鉱物学者、いじめ克服の理想的教師、農民のために死んだ法華経の聖者、農民芸術家、動物愛護家、エコロジスト、ベジタリアンと、マルチ化して多面的に語られるのは、後世がそう幻惑されるように彼が生涯をかけて仕組んだからだ。(第三章 花巻ルネサンス)


どんどん、著者のプロパガンダに毒されていくのが心地よい(^_^;)

「ひとのために何かしてあげるためにこの世に生まれてきた」--この商人倫理の子守唄こそが賢治の生涯をつらぬくテーゼとなったのである。前章で展開した、彼が商人世界の中にぬくぬくととどまり続けることができず常に対極に「農民救済」を置かねばならなかった人生の大矛盾は、即ち賢治はこの<転換期の時代>の「商人宗教(=近代浄土真宗)」がもつ社会的使命を過剰に担うべく周囲からも期待され、自らもそう運命づけていった<倫理の申し子>だったといって良かろう。政次郎の仏教講習会のレベルを越えて「人のために何かしてあげる」ことを常に強迫されていたわけで、宗教教育というか洗脳(マインドコントロール)が行き過ぎた結果である--こうして賢治はいつも政次郎の思惑を過剰に踏み越えて行動する、手に負えない奔馬となった。

宗教が洗脳(マインドコントロール)というのはオウム絡みなのだろうか。あまり考えたくない分野である。

賢治が出会ったのは古びた鎌倉時代の日蓮ではない。大正時代の亡霊としての日蓮で、ピカピカの銃剣や大砲や軍艦で武装している。「神国日本」の精神的支柱になろうとする--明治・大正・昭和の集団的狂気、「戦争と侵略」の時代をナゼ「日蓮神秘主義(=北一輝や井上日召、石原莞爾などの法華ファシズム)が下支えしたかの秘密がコレである。そしてその日蓮神秘主義(=武装せる日蓮)の先鞭を切ったのが、国柱会の田中智学だった。
大正9年12月、宮沢賢治は国柱会に入会し、親友の保阪嘉内を折伏せんと次のような手紙をしたためている。
「今度私は国柱会信行部に入会いたしました。即ち最早私の身命は日蓮聖人の御物です。従って今や私は田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。……田中先生に 妙法が実にはっきり働いてゐるのを私は感じ私は信じ私は仰ぎ私は嘆じ、今や日蓮聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対に服従致します。御命令さへあれば私はシベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。」
大正8年には中国で日本帝国主義の侵略に反対する激しい抗日の「5・4運動」が起き、日本皇軍はその血なまぐさい鎮圧に銃剣をふるっていた。大正9年5月にはシベリア出兵にからんで、ソビエト・パルチザンがニコライエフスクで日本軍民を虐殺するという「尼港事件」が起き、そこの日本人町が全滅している。


「法華ファシズム」というのはなかなかインパクトがある。国柱会に入会した賢治が死ぬまでその気持を持ち続けたというのが、著者の考えであり、賢治がもっと長生きしたら、きっと積極的に戦争賛美の翼賛主義に取り込まれたろうという。
「尼港事件」は知らずにいたが、ノモンハンなどと同じく、国民には広く知らされなかったきらいもある。

「新興商人と手を結んだ近代浄土真宗」(=政次郎の世界)vs.「新興天皇制と手を結んだ近代日蓮主義」(=賢治の世界)という、これまで誰も提起したことのない"賢治の宗教図式"が浮かび上がってくる。そしてこの宗教図式を下敷きにすると、今まで見えなかったトテモ不気味なものが見えてきたりするんだ。例えばあの有名な人類救済のスローガン、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要)
あれの原型は、田中智学の『宗門之維新』の教え
「大日本国成仏セズンバ吾レ成仏スベカラズト念ゼヨ」
の中にあったのではなかろうかとかね。(第四章 賢治を殺した子守唄)


あのスローガンは、最初知った時は、感動に近いものを覚えたが、だんだん気味が悪くなってきた。

啄木が看破した、<宗教的欲求の時代>は、それから十年後の大正9年、明治神宮の完成=近代天皇制(教)の様式美の完成を受けてピークに達する。それは天皇を救世主(メシア)(=現状変革者)とする国民的な「他力本願」教が成立したことを意味し、以後日本国は多くの人々が気づかぬ間に一種の異様に張りつめた<宗教圏>にスッポリとおおわれていったのである。

天皇をメシアとした「他力本願」教という図式は、実にわかりやすく、説得力がある。

「永訣の朝」の、あれほどに「すきとおった」「あかるい」「うつくしい雪」の朝の中で死んでいったトシの胸の中は、実はドロドロに腐れ、真っ赤な病巣を貯めこんだ肺病(結核)死なのだった。そしてそれを看取る母親のイチも賢治も同じ真っ黒な病巣を抱えた肺病患者だった。そのドーニモ救いようのない、絶望的な"病原菌世界"のど真ン中で、賢治は、

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧(かて)をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

と歌ったのである。これが「ミソギ」文学でなくて何であろう!


「永訣の朝」は賢治の絶唱と思うが、何となくMorris.は妹トシは無垢な幼い少女というイメージを持ってたが、死んだのは24歳。死因は上の引用の通り結核だったわけで、これが「禊」の詩という解釈は妥当なところだろう。

多くの論者が、戦後ストレプトマイシンが出回るまで、肺病がどんなに忌み嫌われた伝染病だったかを忘れている。血がケガレる"血統の病い"として、肺病の家とは「通婚禁止」。既婚でも肺病とわかれば「強制離婚」されても文句がいえなかった。人々は"空気感染"しないように、肺病の家の前を手で口を押えて走り抜けたり、肺患の手の触れた物は必ず"日光消毒"した。
私は長い間水俣病患者とつき合ってきたからよく知っているが、昭和30年代の「暗黒の水俣病差別」と呼ばれているもの、ほとんどがこの戦前の「結核差別」をお手本にしたものだ。

「この辺じゃ『肺病』という言われ方が一番きつい。そこで『肺患』の人は、肺病と言われると『いいや、肋膜炎』と言い換える。肋膜かと聞かれると、『いいや、急性肺炎』と一個ずつ病名を軽~くしてゆく(笑)」
ドーヤラ賢治の「昭和3年の急性肺炎」もこの哀しい隠れ蓑を使ったらしい。「隠せるうちはあくまで隠し通すこと」は、非差別の民の常道だった。他にどんな差別回避の手立てがあったろう!


結核は戦前は「死病」だったし、忌まわしいものとして、忌避されたことを、ついつい忘れてしまいがちだ。病名は、文章化されるとそれによって殺菌されるのかもしれない。白血病、黒死病、黄熱病など本当は恐怖の対象なのに、文字を見るとある種の象徴のように感じられる。

「不信惜命」はたった一つしかない、かけがえのない重たい命をかけるから尊いのであって、賢治のように「百ぺん灼いてもかまはない」ナンテことを、軽々しく、いつもいつも連発しているのでは、それは単なる「捨身」の思想だ。そしてその捨身の傾向は、最後の『グスコーブドリの伝記」では、もうほとんど<死の美学>にちかいところまで純化されていっている。
危なくってしょうがない!
事実、大東亜戦争に入るや、この賢治の、己れを他者のために軽く差し出すという「捨身」の思想は、「"愛"と、"戦"と、"死"という問題についての最も美しい、ヒューマニスティックな考え方なのだ」(『きけわだつみの声』)などと「誤読」されて、単純に「天皇陛下万歳!!」の中に死ぬ理由を見つけられなかったインテリ学徒に、ヒューマニズムのために死すという<死出の美学>を与えることになったのである。


「捨身」というより、半ばやけくその「捨て身」と取られたのではないか。

賢治は逃げ続けた。肺結核を隠す方向へ、結核差別との正面対決を避ける方角へ。彼はこの花巻という封建制土壌が本気で牙をむいたら、自分などアッという間に潰されてしまうことをよく知っていたのだ。
だから私はこう思うのだ。"誰よりも農民を愛した君は、また誰よりも農民を恐れた君だった"と。(第五章 天上のアイスクリーム)

これの原典は芥川の「或阿呆の一生」の中の「誰よりも民衆を愛した君は、誰よりも民衆を軽蔑した君だ」で、芥川が「君」と呼びかけているのは、レーニンのことらしい。
レーニンが名家の生まれで、民衆との乖離があったことと、賢治が商人の子で遊民であり、農民との乖離があったことを指しているのだろう。

イーハトーブとは、賢治の「王道楽土」のことだった。
賢治の私的な<仮想王国(バーチャルランド)>と化すのだった。
賢治はこの哀しみを浄化する「仮装王国(ドリームランド)」のバーチャルな救世主(メシア)にして創造主なのだ。
つまり宮沢賢治は<イーハトーブ>という遊民ランドの『聖書』を書いた。彼の死後、農学校の教え子たちが残した「先制との思い出の記」は、後世その聖書の中に収められ、幾編かの「使徒行伝」となったというお話である。決して決して賢治は「農民のために」なんか死んではいない。「遊民のため」に死んだのである。昭和バブルの残党である現在の「くう・ねる・あそぶ」の<遊民>日本人が彼を「聖者」扱いにして崇めるのは、当~然のことだ。(第六章 遊民のバーチャルランド)


イーハトーブというテーマパーク(^_^;) うーん、賢治の軽さの秘密はこれかもしれない。

己れが飾った言葉の美しさに酔っ払い、言葉がもつ<現実>責任はスッカリ忘れてしまう快楽主義者を芸術家と呼ぶなら、賢治は間違いなく超一流の芸術家だった。
「雨ニモマケズ」の詩は、賢治の封建的土壌への全き肯定、即ち「雨ニモマケテ風ニモマケテ」花巻の封建農村の中へ屈服していった<転向の唄>だったのである。
知識人(インテリ)や亜インテリ、運動者や学生など意識的に転向せねばならなかった者だけが過剰に思い入れできる、フツーの人にはよくわからない、なにか<転向>の重荷を癒すような暗号がこの詩の中には埋め込まれているのだと私は思う。(第七章 雨ニモマケテ風ニモマケテ)

11月3日の日付が、明治天皇の誕生日でもある(明治時代には天長節、大正から昭和戦中までは明治節)だったということも銘記すべきだろう。
たしかにこの庶民経典めいた文言には、Morris.にはよくわからないが、何か怪しさを含んでいる。

あり得ないからこそ、私たちはますます<聖なる賢治>の生涯を捏造せねばならなくなる。
ドーシテモこの泥だらけの世の中を清らかに照らす<聖者伝説>が必要なのだった、賢治の<実像>を殺しても。
「賢治」が必要なのではない。「賢治伝説」が必要なのだった。
戦前の転向者たちは、戦えないこと、戦わないことを合理化する賢治の詩(うた)を賞賛することで、それを己れの<変節の隠れ蓑>とした。単純に「天皇陛下バンザイ!」で死ぬわけにはいかなかったインテリの戦没学徒たちは、賢治の人類愛や世界愛のスローガンで、己れの死のカラッポな空虚さを埋めて逝った。
賢治の<聖者伝説>は<賢治教>の教徒たちが寄ってたかって護持し続けてきたのだ--彼らの<実像>殺しによって、今日の誇大化した賢治ブームがある。(第八章 聖者伝説の時代)


賢治の信者にとって、本書は焚書の対象となるべきものかもしれないな。
信者でも愛読者でもないMorris.は、結構面白く読めた。著者のクセの強い文体(カタカナ乱用、<> ""多様、投節めいた言葉遣い)も、本人自身がクセの強さの表われだろう。
佐賀県生まれで神戸に住むMorris.が言っても説得力に欠けるきらいありそうだが、賢治のモダンさは、東京コンプレックスに準拠するのではないかと思った。

2015/12/13(日)●スタオバ復活ライブ
8時起床。
今朝の血圧は161/68/59。
午後、JRで神戸に出て、例の宇治川小公園で猫撮って、中央図書館へ。
6時に図書館出て、歩いて湊川公園。
今夜は、ミナエンタウン地下の「Key West」でムックさんとうなぎさんのライブがある。二人は20年以上前に「スターティング・オーヴァー(スタオバ)」というグループを結成。Morris.がムックさんと知り合った頃は二人とベース、ドラムの4人編成だったが、2007年解散してしまった。当時は結構ライブ見に行ったものだ。
今日のライブはニ部構成。一部は二人で、15曲。二部は前にドラムやってたAkiちゃんが、ベースで参加。Aki ちゃんは、以前北野の「ハッピーローラ」の店長やってて、今は、「Cafe Sun」の店長やってる。いやあ、久しぶりにスタオバ聴けて懐かしかった。30曲すべてオリジナルというのもすごい。あらためて彼らの魅力を実感した。
10時に店を出て11時前帰宅。
今日の歩数は10568歩。

宇治川小公園#1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

車屋上猫 

同じく 

アスター? 

新開地猫 

みなえんタウン地下「Key West」 

ライブポスター 

うなぎさん&ムックさん 

京都からも応援に 

Akiちゃん登場 

Starating Over 3/4 


2015/12/12(土)●浜矩子講演会
9時起床。
今朝の血圧は193/94/72。
昼過ぎ、JRで新長田へ。
新長田勤労会館で「アベノミクスと富国強兵」のタイトルで浜矩子講演会。彼女はテレビ出演も多いが、Morris.は以前「AERA」のコラムで、ジョージ・オーウェル「動物農園」を引いて、現代日本への批判書いてたのが印象に残って、足を運ぶ気になった。
大会議室ほぼ満員で、聴衆の大半が60代以上のようだった。
「アベノミクス」に「どアホノミクス」とルビのある主催者の垂れ幕に反応して、盛んに安倍批判から始まり、TTPをTYP(とてもヤバい協定)と茶化しながら、安倍政権の目指すものが「日本帝国」であることを強調。そして、
1.原点回帰。経済活動の目的は人々の幸福。これに反する「経済合理性」は詭弁or誤読
2.バランス感覚。論語「己が欲するところに従えど矩を越えず」欲と矩(行動原理)の黄金のバランス
3.三つの道具。傾ける耳・涙する目・差し伸べる手。
という、いささか道徳的行動指針。なかなか上手で、時間ピッタリで終了。何となく「わかりやすさ」のためにレベル落としたような感じがしたけど(^_^;)
ここで中休み。そのあと学生や主催者の話有るとの事だったが、Morris.はここで退散。高山くんが来てて、ちょこっとだけ近況報告できた。
ちょこっと駅前広場でミニギターやって、新長田図書館へ。
5時過ぎに図書館出て、何となく欲求不満だったので、駅前広場街灯の下でまたまたミニギター。この広場は、何となくやりやすい。
8時帰宅。
今日の歩数は5521歩。

南京黄櫨 

浜矩子講演会 

夜の新長田駅前広場 


2015/12/11(金)●Jeansスリム化作戦
8時起床。
今朝の血圧は153/65/64。
えらく暖かい朝だ。ニュースでは24℃とか言ってる(@_@)地域によっては25℃で「12月に夏日」になったところもあるらしい。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」先週は水木しげる、今週は野坂昭如追悼記事だった。どちらもMorris.と共通する感想だった。同時代の共通感覚ということかも。
例の拾ったミシンをいろいろ触ってみる。
糸掛けもMorris.が前に使ってたのに比べると簡単で、針の糸通しシステムなんてのもある。これは結構できるようになるまで時間がかかった。
昨日は曲がりなりにも普通に使えてたのに、今日は途中から、布地の進行方向変えるスイッチが機能しなくなった。それも、前進しないで逆行のみである。これはいかにも使いづらい。それと布押さえが、拾った状態では3種類しかなくて、最も普通に使う直線&ジグザグのJタイプが無い。G タイプという、特殊なかがり縫いようのものがあり、これで直線は縫えそうなので、とりあえずこれで、挑戦。
何に挑戦するのかというと、Gパン補修である。実は、ミシン拾う気になったのも、これが目的だった。Morris.は普段着もよそ行きもすべてGパンで済ましてる。古着がメイン(^_^;)だが、メーカーはリーヴァイス。本当はMorris.はスリムが好きなのだが、リーヴァイスはあまりスリムタイプはない。ということで、以前は自分で細くしてた。
地震から20年間はミシン無かったので、仕方なくそのまま履いてきたわけだが、久しぶりにスリムが履けるかもしれない。
そろそろ捨てようかと思ってた奴で試し縫い。やっぱり逆向きで縫うのは勝手が違う。そもそもミシン使う事そのものが20年以上ぶりなので、なかなか思うようにいかない。途中で縫い目が曲がったり、糸が切れたりもつれたりと、四苦八苦しながら、なんとか一本完成。本当は裁ちかがりもしなくてはならないのだろうが、とてもそこまでは無理。履いてみるとまだまだ余裕があるので、もう一回縫ってかなりのスリムに変身。ああ、これこれ。ぴっちりだと短足なりに、脚が長く見える。ような気がする。
途中ミニギターや、本読んだりして、休み、休み、夕方までに5本補修。細かく見れば問題なしとは言えないだろうが、まあ、普通に履く分にはかまわないだろう。せっかくだから、近いうちに袋物や、敷布や、枕カバーなど、小間物にも挑戦して見よう。その間、しばらくこのミシン、場所ふさぎだけど置いておくことにする。
結局今日は雨ということもあって、部屋籠り。
消費税軽減税率で、自民と公明がいろいろ交渉してるとニュースで言ってるが、消費税今の8%から10%に値上げするときに食品だけは8%に据え置くとの話で、これははっきり言ってほとんど意味が無いと思う。どうせなら。食品は消費税無しにする、と言うくらいの話でないとね。
阪神の守護神、呉昇桓がマカオで賭博やったことから、来季は契約シないことになったらしい。おいおい、どうするんぢゃ(>_<) 今更藤川復活てわけにもいかないだろう。
今日の歩数は0歩。


これがアフター 

脚長く見えるかな(^_^;) 

戦いの跡(^_^;) 

【沼地のある森を抜けて】梨木香歩 ★★★☆ 2005/08/30新潮社
先祖伝来の「ぬか床」を引き継いだ久美。という始まりで、これは和風の家庭小説かと思ったのだが、そのぬか床に突然卵が出現、そこから少年が孵って……で、お得意の幻想メルヘンかと思い直したのだが、このぬか床が、南の島の沼につながり、そこが異系の生物発生の場だった……と、異様にスケールの大きな物語だった。

--あら。無性生殖って言葉を知ってるでしょ。性は本来生殖を目的にしたものでもあるけれど、生殖自体は無性でも--無論、生物を選ぶけどね--可能なわけよ。それで、より下等な動物に可能なことなら、何故もっと高等な動物である人間にはそれが不可能なわけがある?
--風野さん、その論理はおかしい。意識的にそうあろうと努めるのと、現実の問題は別でしょう。それに、結局今の話、クローンに行き着くわけでしょう。
--あら。ええ、今のところはちょっと飛躍していた。それは認めましょう。じゃあ、クローンよ。まるでクローンというと生命倫理に反することのようにみんな騒ぎ立てるけれど、それって、本当にそんなに悪いこと?
--でも、やっぱりバラエティがあった方が種としても生き残る率が高いわけで……。
--そう、結局みんなそういうわけよ。けれど例えば植物でも竹なんかは全部クローンよ。ヒガンバナなんかも。クローンで増える植物はいっぱいいる。でも、彼らはそう簡単に絶滅なんかしない。そういう意味では優秀な遺伝子なのよ。ある程度の進化に達した段階で、これでよし、としたわけよ潔いじゃないの。それに生育条件の違いで、全く同じには育たない。それなりの個性はどうしたって出てくる。その程度の個性で充分よ。
--それって優生思想ですよ、結局。全面的に賛成はできない。それに進化の可能性が……。
--進化? 進化なんかより退化、劣化の方が遥かに高い。どんどん悪くなる可能性もあるわけよ。優秀な良心の間に、彼らを上回る優秀な子が産まれたなんて話、滅多にあることじゃないわ。だとすればよ、調和的で平和を好む人々がいれば、その人たちの間でクローン再生産をした方が、人類はよっぽど明るい未来への展望が開けているわけじゃない。それが優生思想ってんなら、優生思想で結構よ。もう、進化なんかまっぴらよ。繁栄もいらない。これ以上、どこへ行こうってのさ。

菌類を研究している、脱男性志向の風野と、久美の対話だが、これが後半の生物発生異説に繋がる。

沼は、私どもにとっては、母であり、また命そのものでした。私どもは、いってみれば、沼から生まれ、沼へ帰るのです。
それがこんな有様になってしまう。目先の利益のために数千年、いやそれ以上続いた森が伐採され、沼までが涸れてゆく。問題は単に森の伐採を止めればいいということではなく、人の心の変化と、その欲望を可能にしてゆく世の中の変わりようです。開化と呼ぼうが、進歩と呼ぼうが、この流れは止めようがありますまい。

南の島の沼のある特殊地域の長老の台詞。この沼がつまりぬか床の故郷だったというわけである。

--今はもちろんもっといろんな説があるけれども、とにかく、菌類は植物とも動物とも独立した系統とされている。この三つに共通した祖先があるとして、それをまあ、原生生物というとして。
富士さんは結晶の羊歯の根っこの所を指して、
--この辺で無脊椎動物、脊索動物に分かれ、脊索動物は、脊椎動物と原索動物なんかに分かれる。で、脊椎動物が、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と分かれ……。
彼は羊歯の葉っぱの末端を指した。
--で、人間がこの辺といわれているわけだ。植物の方も、この原生生物から、緑藻類に入ってきて、今の陸上の植物群もすべてこの水中生活をしていた緑藻類から進化してきた。太古の、コケ植物、シダ植物、それから裸子植物、被子植物……。
--それらのすべてが、それぞれすっかり独立して、壁のようなもの、いわばウォールで仕切られるよに、他と混じらない、種になっているわけです。でも、まったくこの分類に当てはまらない進化を遂げていくながれがあったわけです。でも、まったくこの分類に当てはまらない進化を遂げていく流れがあったわけです。それがどの辺から分かれたものなのか。おそらくこういう分類全て、空しくなるような、けれども奇妙にそれとシンクロしてやってきたような、別の流れ。ウォールを全く無視するような流れ。
--それが沼地にいたというんですね。
--そう。
気が遠くなりそうだ。思わずしゃがみ込む。ウォール? それは秩序ということだろう。そういうものを無視して、この生物圏が成り立つというのか。


いわゆる「系統樹」の説明だけど、種と種の間の壁(ウォール)を「秩序」と規定し、それを無視した別の生物圏(沼)があるというのは、「ワンダフルライフ」を思い出した。

--例えば、風邪のウィルスに感染した人間は、ウィルスによって行動をコントロールされる。ウィルスは宿主にくしゃみを起こさせて、自分たちを更なる繁栄へと導く。そういう例はいっぱいある。
--だから、個、というものが自分の行動を全て自分の意志決定によって行っているという考えがそもそも眉唾もの、だと?
風野さんの言葉は、静かで、自嘲気味ですらなかった。それから、
--そういうことはすでに考えたことがあった。あらゆる思想や宗教や国の教育システム、そういうものが、自分を乗っ取ってゆく可能性について。もっとわかりやすく洗脳、といってもいい。あるいは、すでに乗っ取られている可能性について。自己決定、ということが幻ならば、せめて、自ら、自分はこの「何か」に乗っ取られてもかまわない、そう決断することが、最後に残された「自己決定」なのではないか、と。
私は固唾を呑んで風野さんを見守った。


--世界は最初、たった一つの細胞から始まった。この細胞は夢を見ている。ずっと未来永劫、自分が「在り続ける」夢だ。この細胞は、ずっとその夢を見続けている。さてこの細胞から、あの、軟マンガン鉱の結晶のように、羊歯状にあらゆる生物の系統が拡がった。その全ての種が、この母細胞の夢を、かなえようとしている。この世で起きる全ての争いや殺し合いですら、結局、この細胞を少しでも長く在り続けさせるために協力している結果、起きること。単なる弱肉強食ということではなく。全ての種が、競い合っているような表面の裏で、実は誰かが生き残るように協力している--たとえその誰かが、酵母、とかであっても。生物が目指しているものは進化ではなく、ただただ、その細胞の遺伝子を生きながらえさせること。

生物の主人公は実は遺伝子で、生命体は遺伝子に操作されて、生き延びようとしてるというのは、結構よく聞く言説である。解りやすくて意外性のある説だから、拡散してるのだろう。Morris.も最初に聞いた時はおお、と思ったが、今はちょっと醒めてるかな。

--シ。
と、僕は彼女の名前を呼んだ。
全てを失って、確実さへの渇望があまりに激しくなり、白い火花を生んだ。それが僕の体を変えたのか、それとも相手の体が変わったのか、その両方だったのか。多分その両方だろう。白い火花は熱を生み、それは僕が今までにけいけんしたことのない高温で、きっとそれが相手の存在の「流動性」を一挙に高めたのだろう。それと気づいたときは、相手はほとんど液状化しており、僕は存在自体を相手に包まれ、そして接合していた。それは当初接合しやすい器官に変わった部分的なそれだったが、あっというまに互いの皮膚が溶け合い、内部の混入が始まった。そしていつ緩やかに意識まで一つに向かって行くようだった。僕は一瞬のうち、彼女の内側の感情をつぶさに経験したように感じた。驚き、喜び、悲しみ、そして共感。これが僕たちの、少なくとも僕の望んだ確実さだったのだろうか。それは分からない。しかし、抗いようがない、この流れの強大さこそ、「確実」そのもののようにも思えた。これが「シ」の実相なのだろう。なぜなら、「僕」は変容し始めていた。そして、そのことは以前の「僕」が終わったということを意味していたから。

梨木流セックス描写(^_^;) 「性と死」の共時性なんていう一昔前に流行った哲学的思考をアニメティックに表現したらこうなるのかも。

--ほら、富士さんがいっていた、そもそもたった一つの細胞の夢が、っていう話。全宇宙でただ一つ、浮かんでいる孤独、ってすさまじいものだったろうなあ、と思って。実際には同じようなものが試行錯誤で繰り返されていたのだろうけれど。それでも最初の一つ、っていうのはあっただろう。全宇宙にたった一つの存在。そのすさまじい孤独が、遺伝子に取り込まれて延々伝わってきたのかな、って思って……。細胞が死ぬほど願っているのは、ただ一つ、増殖、なんだ。人間の、特に男の、自分の遺伝子を残したい、ってそういう欲求を諸悪の根源のように思ってきたけれど、その原初の圧倒的な孤独っていうのが、根っこにあるのかな、と思えば、なんか、もののあはれ、みたいなしんみりした感じになってきて……。

そう、くるか(^_^;) って、梨木にはどうしても、いまいち本気になれないMorris.である。

2015/12/10(木)●訃報 野坂昭如
7時起床。
今朝の血圧は179/86/69。
昨日の夜、灘駅前交差点の台にミシンが置いてあった。不要品と思われる。家庭用にしては結構大型で迷ったが、とりあえず持ち帰る。ブラザー プロフィル ZZ3-B697 という機種で、ネットで調べたら1996年製で、当時の定価は10万円。結構高額機種だったようだ。電源入れてみるととりあえず動きそう。フットペダルもついてる。Morris.はずっと以前小さなミシン使ってたことがある。これは引っ越しの処分品だったと思うが、けっこういろいろ遊べてた。地震のあと、処分してしまったが、あったらいいなと思いながら、邪魔だから諦めていた。今回のミシンは前のよりかなり大きいので、どうなるかわからないが、使えるものなら、いくらか遊んでみるのも悪く無いと思ったのだ。でも、ボビンが一個もついてない。
というわけで、昼間雨降る前に水道筋のミシン屋さんで、ボビン買ってきた。普通のボビンより薄めのものを使うらしい。なんとか糸通しまでは済んだが、いざ試し縫いと思ったが、なかなか上手くいかない。ネットでマニュアル探したが見つからない。どうも、布押え金具の一番普通のものが見当たらないようでもある。一旦中断(^_^;)
野坂昭如が昨夜亡くなったとのニュース、享年八十五。野坂はMorris.にとって懐かしい存在である。小説で思い出されるのは「アメリカひじき」「欣求穢土」「骨餓身峠死人葛」「真夜中のマリア」「騒動師たち」「1945夏神戸」「マッチ売りの少女」等々。つまり初期の作品に限られている。Morris.は結構、野坂の歌が好きだった。手元に昭和49年(1974)自由国民社発行の「スタースポット歌手野坂昭如の世界」がある。いちおう歌本として買ったもので、37曲の楽譜が収められている。そのちょっと前の「浅川マキの世界」がぼろぼろになってるのに比べると、えらく綺麗なままである(^_^;) 収録曲の半分以上が 詞能吉利人 曲桜井順となっているが、同一人物である。「黒の舟唄」が代表曲ということになるだろうな。国会議員になったこともあるし、政治への関心が高く、戦争法案にも旗幟を鮮明にして反対活動やってた。
合掌
今日の歩数は4650歩。

拾い物ミシン 

久々水道筋駐車場猫A 

「歌手野坂昭如の世界」 

【からくりからくさ】梨木香歩 ★★★☆ 1999/05/20 新潮社
祖母が遺した古い日本家屋で、共同生活を始めた若い女性4人。染色、機織りを通じて、一種のコラボレーションも行われるし、それぞれの対人関係のもつれもあるし、いわくのある人形、先祖からの因縁、中東の唐草模様を追い求める若者……実に不思議な世界が描かれる。

りかさんは人形だけれど、命がある。
かつて祖母は、体は生命の「お旅所」だといった。神社のお祭りのとき、神様の御霊を御神輿に乗せる。その場所を、御霊のお旅所、と呼ぶ。
生命は旅をしている。私たちの体は、たまたま生命が宿をとった「お旅所」だ。それと同じようにりかさんの命は、人形のりかさんに宿をとった。
それが祖母の説明だった。りかさんの命はまだ働いている。


この人形も大きな役割を持っている。作者には「りかさん」という独立した作品もあるらしい。

「ついこの間、セイタカアワダチソウで黄色を出したのよ」
「これ? 信じられない。何と思慮深そうな深遠な色」
「ねえ。見かけによらないものよねえ」
「帰化植物が日本の植物染料の奥行きを深くするってのもおもしろいねえ。文化の純血性にばかり神経尖らせていたら、文化って痩せて貧弱になっていくのかもね」


こういったボタニカルな雑学もふんだんにでてくる。やはり植物にはなみなみならぬ関心と知識がありそうだ。

クルドのことは少しは知識があった。だがこちらにきて実際にクルド人だと自称する人物に会ったのはそれが初めてだった。トルコ政府がクルド人に対して彼らの言葉の使用の禁止をはじめ、それを自称すること、文字、音楽、あらゆる文化に渡る民族アイデンティティを抹殺し去ろうとしていること、それを破ったものには拷問か一方的な裁判、処刑が待っていること、建国以来トルコ政府は一貫してそういう民族など最初からいなにのだ、という態度を取り続けてきたこと、そういうことは日本である人から聞かされていた。
クルド民族はメソポタミアのいわゆる先住民族で、クルディスタンと呼ばれる彼らの土地はトルコ、イラン、イラク、シリア、アルメニアなどにまたがっており、それぞれの土地で過酷な同化政策を強いられている。
クルドは昔から国というものに興味を持たなかった。部族意識があまりに強烈なので、それを統合し連帯して全体を運営していく能力に欠けていたのだといわれる。
トルコ政府がテロリストだと呼ぶいくつかの民族運動グループでは、今は過去の遺跡のようになったマルクス主義で理論武装しているところもあるが、それは必要に迫られてどこからか借りてきたものに過ぎない。大方のクルド人の意識としては、ただ自分たちをあるがままに放っておいてくれというところだろう。自分たちが自分の言葉をしゃべること、子どもたちに自分たちの文化を伝えることを認めてくれ、と。


少数民族の織物を研究する若者が外地から送った手紙の一部である。このところ、難民やテロや空爆で、頻繁に耳にする「クルド人」のことを、前世紀のうちにこうやって、小説に取り上げられているのは珍しいことかもしれない。言葉を奪うという行為がどれほど過酷な仕打ちか、日本人なら尚更肝に銘じるべきだろう。中国のチベット、ウイグルなどへの仕打ちも同類だろう。

理屈ではなく、私、わかったの。
雷に打たれたようにわかったの。
伝えること 伝えること 伝えること
大きな失敗小さな成功 挑戦や企て
生きて生活していればそれだけで何が伝わっていく
私はいつか、人は何かを探すために生きるんだといいましたね。でも、本当はそうじゃなかった。
人はきっと、日乗を生き抜くために生まれるのです。そしてそのことを伝えるために。
クルドの人々のあれほど頑強な闘いぶりの力は、おそらくそのことを否定されることへの抵抗からきているのでしょう。
生きた証を、生きてきた証を。


これは作者の「生の」声なのだろう。彼女の作品には、こういった、高みからの視点がしばしば出てくる。ここらが、ちょっとMorris.には違和感を覚えさせる。

「これは、古代ヨーロッパで祭祀用に使われていた斧なんです。それに琴、菊ときたらもう一つは斧ではないかと普通は思いますよ」
「なんで?」
「斧はよきというので、よき、こと、きく、つまりよきこときく、とう演技のいい語呂合わせになってるんですよ」


本書の登場人物は、染色や織物については専門家や研究家なのに「よきこときく」の語呂合わせ模様を知らなかったというのは、不自然だと思う。

2015/12/09(水)●ΦΦ猫撮り歩き
8時起床。
今朝の血圧は153/87/84。
午前中は昨日の日記編集。
午後歩いて三宮図書館へ。
途中、春日野道西側の東雲通りでいっぺんに3匹の猫に出会い、しばらくMorris.@CatographerモードΦΦ。
また大安亭でも3匹の猫に会い、朝日通でも一匹と、何か猫との出会いの多い一日だった。
三宮図書館で雑誌「週刊金曜日」など読んで、7時前に出て、山本鶏卵店で卵(「瀬戸の彩り」270円)買って7時半帰宅。
靖国神社のトイレに爆発物を置いたとされる韓国人が、今日再来日して日本の警察に逮捕されたというニュース。政治取引がされたとしか思えないが、当事者が群山で暮らしていたというのにちょっと反応。
今日の歩数は9025歩。

今日の空 

ふくら雀 

花と花虻 

東雲通の3CATS 

その1 雉 

その2 錆 

その3 白黒 

ミニ薔薇 

ピラカンサ 

大安亭白雉 

青果問屋のクロ 

同じく 

ふさ白黒 

旭通の白雉 

旭変電所 

【雪と珊瑚と】梨木香歩 ★★★☆☆
2012/04/30 角川書店
21歳の珊瑚は、生まれたばかりの娘、雪を抱えて途方にくれるが、様々な人の親切で、惣菜カフェを作り、徐々に生活を充実させていく、という、心あたたまる人生ドラマで、前に読んだ「家守奇譚」などとはまるで違ったタイプの作品。そのギャップに驚かされた。

……弦にかえる矢があってはならぬ。おそらく私たちはそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった……
暗記している、石原吉郎の「望郷と海」の一節を、珊瑚は小さく呟き、それから大きく深呼吸すると、くららの家のインターホンを押した。


珊瑚は父の愛読してた石原吉郎の詩が好きらしい。あまり通俗小説には引用されることのなさそうな詩人である。って、Morris.もほとんど読んでないが、何となく気になる存在ではある。
クララという老女は本作の中で重要な役割を果たす人物である。

そこには、大きめのキュウリのようなものが生っており、一旦それに目が慣れると、次々にズッキーニが見えてきた。
「え、ズッキーニって、キュウリみたいに生るものだと思っていました」
「生ってるとこ見ると、カボチャの仲間だって分かるでしょ」
「カボチャの仲間なんですか」
珊瑚は思わず大きな声を出す。


ズッキーニといえば、ホバクである。韓国ではポピュラーな野菜で、Morris.はこれの天ぷらみたいな「ホバクジョン」が大好物である。韓国では普通のカボチャもホバク(区別する時はヌルグンホバクとも)という。たしかに見かけはズッキーニはカボチャより、キュウリに似てる。

「リーズナブル、っていうことを、よく考えるんだ」
貴行は続ける。
「なんか、お買い得とか、安い、とかいう意味合いで使われがちな単語だけど、いろんな角度から考えて納得できる価格、っていうのかな。こちらがかけたエネルギーに見合った対価。確かにそれだけの価値があると認めてもらえる生産品。僕はそういうリーズナブルなものをつくってきたし、珊瑚ちゃんを一人前の取引先として認める以上、他のレストランより安くするなんてことは出来ない。同じ値段で買ってもらわないといけない」


有機農業やってる貴行の意見である。出張食い倒れサイトの山本謙治を思い出した。

今まで居なかった猫もどこからか入ってきた。壁側に置かれたソファの上に、勝手知ったる、という様子で飛び乗り、毛づくろいをしている。トラネコである。珊瑚の方をちらちらと見ている。
そこへ二人が帰ってくる。貴行が
「ごめん、急に。あ、ウィトゲンシュタイン、帰っていたのか」
「え、なんて、今? この猫の名前ですか」
「そう、ウィトゲンシュタイン。『語りえないもについては沈黙をまもらなければならない』寡黙な猫なんだ。鳴いたの聞いたことない」


猫の名前に20世紀の哲学者の名を与えるあたりが、この作家の「趣味」をうかがわせる。

白いセダンが一台停まっていた。車種に疎い珊瑚には、どういう車なのか分からなかったが、そこからは何か、「平均的な幸福」といったものが漂っているように思えた。主張がなく、威嚇がなく、敵意を感じさせない。これがいわゆる、ファミリーカーというものなのだろう、と、おおいに感心した。その「感心」には嫌みが混じっている、とすぐに気づく。そういうふうに自分が反応するのは、「平均的な幸福」から、遥かに遠いところにいる、という自覚からくる僻みなのかもしれない。情けないことだ、と我に返って頭を振り、一旦その「僻み」を吹き飛ばし、車の横を抜け、「物件」へと向かった。

うーん、このいささかもって回ったひねくれた論理というのもこの作家の韜晦なのかもしれない。

「『若草物語』に、クリスマスの朝、四姉妹が楽しみにしていたごちそうを、母親に言われてそのまま、町の貧しい人たちに持っていくところがあるでしょう。あの四姉妹は、ずっと楽しみにしていたことだけに、残念でならないと思ってもいるけれど、清々しい思いもする。……自分たちが自己犠牲を払うことによって他者が喜ぶ、それを自分の喜びとすることで気持ちよくなるのか、優越欲求が満たされて、気持ちよくなるのか、或いはその両者は同じ一つのものなのか……問題は、人類が生まれてから、ずっと、ありがとうございます、とお礼を言いつつ施される側にあった人々のことです。感じていたのは感謝だけとは思えない。ごく稀にはそれだけのこともあるだろうけれど、大かたは、六割の感謝、二割の屈辱感、二割の反感、みたいなものだったろうと思います。けれど、それでも生きていかないといけない、という現実が、彼らに頭を下げさせる。『施す側』の中の、センスのいい人々は、なんとなくそれを感じ取って、彼らに卑屈さを感じさせまいと余計に丁寧に接する、そうするとそのことがまた、彼らの屈辱感を倍加させる……」

先の僻みに通じる、複雑な心の襞の分析だけど、これもまた作者の思考パタンなんだろうな。

「確かに、私には珊瑚さんと雪ちゃんの役に立てれば、という気持ちがあります。それを同情と呼ぶかどうかは別にして。珊瑚さんは、同情を引くのがいや、と言っているけれど、たとえば、あなたの好きな石原吉郎がいたシベリアの抑留地で、彼らはそんなことを言ってられたかしら。彼らの中の誰かが、ソ連側の誰かの同情を引いて銃殺を免れたとか、パンを一個余計に貰って餓死を免れたとしたら、その『同情を引く力』は、その人が生きるための武器になったのではないかしら」

くららお婆さんの本領発揮というか、ここでもまた石原吉郎が出てくる。それにしても「同情を引く力」かあ。

「ちょっと気の利いた店が一誌に掲載されると、次から次へ他誌も取材に来るよ。そうなるとあっというまに客が押し寄せるようになって、いつ行っても満員。そしてだんだん、あれ? ってい言うような味になって、最初はおいしかったんだけどね、って囁かれて、遅かれ早かれ客足も引いてしまう。5,6年のうちには店自体消えてしまう。そのうち名前も忘れられる」ぎゃー、と由岐は両手で頬を押さえ、
「なんですか、それ、怖すぎるじゃないですか。都市伝説ですか」
「実体験だよ。ほんと、そんな店、何軒も見て来た」


これは確かにありそうな話である。雑誌やマスコミに取り上げられて、当座は行列ができて、いつの間にか消えてしまう店。ネットの普及で、そのサイクルも加速してるのではなかろうか。

「人間なんてみんな、病理が物質化したみたいなもんだから、いたわり合い、助け合って生きていくしかないんだよ」

凄い表現である(@_@) まあ「ハンデの無い人間はいない」というMorris.の持論と通底するところがあるかも。

2015/12/08(火)●サランバン会
7時半起床。
今朝の血圧は196/89/81。
1941年のこの日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、1980年のこの日、ニューヨークでジョン・レノンが射殺された。
昼過ぎにJRで鶴橋に出て、いつものコリアタウン公園でミニギターやるが、結構寒くて人も少ない。4時過ぎにお開きにして「ふる里」で白菜キムチ買って、洪ママのお見舞い。歌麿会長ちょっと遅れて来て、5時半に「ヘバラギ」でスンドドゥブチゲ、トックッ、甘鯛の干し物など頂いて7時前にサランバン会の会場「ジュン」に。今日は栗崎、高森さんが欠席だったが、榎本さん、丸本夫妻、中山さんら常連に、新しい参加者もやってきて盛り上がった。Morris.はお気に入りの「宮廷」ママのハスキーボイスが聴けたのが嬉しかった。
10時半に店を出て、ちょうど零時帰宅。
今日の歩数は7283歩。

屋上からTwin煙突 

キムチポックンパブ 

リコリス 

ヘバラギで甘鯛など 

サランバン会 

すでに出来上がってる榎本さん 

会長&ギョンヒ」さん 

大好きな宮廷ママと(^_^) 

同じく 

ジュンママ 

榎本さんと 

今夜も大盛り上がり 

【家守綺譚】梨木香歩
★★★☆  2004/01/30 新潮社

すべて植物名をタイトルに持つ掌編28篇が、100年ほど前の京都を舞台に綴られて行く。物書きの青年が、亡くなった友人の家を守るという約束で住み着き、ときどき現世に戻ってくる友人との語らいや、付近の魑魅魍魎、不思議な出来事を、淡々と綴っていく。全体として大きな物語の流れはあるものの、細部の描写がなかなかに、ゆかしい雰囲気を醸し出している。とりあえず、全編の植物名を。

サルスベリ/都わすれ/ヒツジグサ/ダァリア/ドクダミ/カラスウリ/竹の花/白木蓮/木槿/ツリガネニンジン/南蛮ギセル/紅葉/葛/萩/ススキ/ホトトギス/野菊/ネズ/サザンカ/リュウノヒゲ/檸檬/南天/ふきのとう/セツブンソウ/貝母/山椒/桜/葡萄


カタカナ表記が多いのがちょっと気になるが、ふきのとうはひらがなだし、普通レモンとカタカナ表記するのを漢字表記にするなど、作者なりの思惑があるのかもしれない。

信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美しく浮かび上がってくるものなのだ。もちろん、風雪に打たれ、堪え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ、むやみに掘り出してひと目に晒すだけがいつの場合にも最良とは決して限らないのだ、ことに今ここに住む我らとは、属する宗教が違う。表に掘り出しても、好奇の目で見られるだけであろうよ、それでは、その一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか、と。(木槿)

これは文体見本。なかなか哲学的な感じである。

疎水べりを歩いていると、ススキの穂も立ち始め、夏の頃とは大分空気の質も変わってきたのがわかる。虫の声もいよいよ姦しくなった。季節の営みの、まことに律儀なことは、ときにこの世で唯一信頼に足るもののように思える。(南蛮ギセル)

舞台が百年近く前の京都の疎水と琵琶湖あたりで、そういった意味でノスタルジーを感じさせる描写は上手いと思った。

早朝から外がざわめいている。朝飯の後で散歩に出たら、近所の爺さんに会ったので、今朝、何かあったのかと訊くと、
--疎水べりで首吊り。
と、まるでこれ以上長いこと口を開いていると疫病が移ると云わんばかり、口に手を遣って私を睨んだ。鼈のように皮のたるんだ爺さんの首が、妙にこちらに迫ってくるようで、這々の体で逃げ出し、しばらく疎水には行かぬことにしようと決心した。(サザンカ)

奇譚というだけに、こういったちょっと不穏な事件も起る。

--ふきのとうには雌花と雄花がある。知っているか。
高堂は私の手にあるふきのとうに目を落としながら云った。
--知らなかった。
--小菊の寄り集まったようなのが雄花、黄緑の蕾の集まったようなのが雌花だ。
--ほう。
確かに二種類あった。
--私はそれを全部一つのものと思っていた。一つのものの生育の段階の差だと。随分長いことそう思い込んでいた。
--そういうこともあるさ。
高堂は軽く頷いた。
--思い込みというのは恐ろしいな。
ーーだがとりあえずは思い込まねばな。(ふきのとう)

ふきのとうに雌雄があるというのは初めて知った。最後の「思い込み」に関するやりとりは胸を突かれた。
漱石の「夢十夜」に通じる世界のようでもある。本書には続編もあるらしいので、それも読んでみることにしよう。

【冬虫夏草】梨木香歩 ★★★ 2013/1/30 新潮社
さきの「家守奇譚」の続編である。例によって植物名を冠した40篇ほどが収められているが、前作よりひとつながりのストーリーになっている。

クスノキ/オオアマナ/露草/サナギタケ/サギゴケ/梔子/ヤマユリ/茶の木/柿/ショウジョウバカマ/彼岸花/節黒仙翁/紫草/椿/河原撫子/蒟蒻/サカキ/リュノウギク/キキョウ/マツムシソウ/アケビ/茄子/アケボノソウ/杉/タブノキ/ヒヨドリジョウゴ/樒/寒菊/ムラサキシキブ/ツタウルシ/枇杷/セリ/百日草/スカンポ/カツラ/ハウチワカエデ/ハマゴウ/オミナエシ/茅

残念ながらいまいちノレなかった(^_^;)

2015/12/07(月)●個人レベルで
8時起床。
今朝の血圧は164/79/67。
朝の三点セット。
三宮マルイ前の抗議行動やでもで、ギター持参で反対の歌を歌ってたひらたたかしさんから、封書で活動予定のチラシが送られてきた。そのなかで、ベ平連の流れの「安保関連法案に反対する市民の集い」の法案強行採決後の動きに関して、「ボクラの自由な集まりを組織化し権威主義的なものにしようと言う動きが露骨になり始めました。これはボクの思う「ベ平連」的な市民運動=個人の自由な表現の集まりを否定するものであり……ボクはこの集まりに別れを告げることにしたのです」という、文言があった。権威主義的とまでは思わなかったが、Morris.が、このところ、この集まりの抗議行動に参加しなくなった気持ちに通じるものがある。Morris.も個人レベルで、何かできる方法を模索したい。
昼から王子公園のベンチでミニギター。今日は小春日和で比較的暖かかったのだ。
4時帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1445回は- 신민요 列傳 1930 -新民謡列伝 1930
先々週放映予定だったプログラムである。

 1) 조선팔경가朝鮮八景歌 (선우일선ソヌイルソン)/김부자キムプジャ
 2) 태평연太平蓮 (선우일선ソヌイルソン)/명창名唱 이호연イホヨン
 3) 꽃을 잡고花を掴んで (선우일선ソヌイルソン)/국악인国楽人 강효주カンヒョジュ
 4) 신新 방아타령新々パンガ打令 (왕수복ワンスボク)/국악인国楽人 박애리パクエリ
 5) 그리운 강남恋しい江南 (왕수복ワンスボク)/국악인国楽人 남상일ナムサンイル
 6) 관서 천 리関西千里 (이은파イウンパ)/명창名唱 유지숙ユジスク
 7) 앞 강물 흘러 흘러 川の水流れ流れ(이은파イウンパ)/문희옥ムンヒオク
 8) 새 날이 밝아오네新しい夜明け (이은파イウンパ)/국악인国楽人 박애리パクエリ, 남상일ナムサンイル
 9) 가거라 초립동去れチョリプトン (이화자イファジャ)/김부자キムプジャ
10) 삽살개 타령サプサルケ打令 (이화자イファジャ)/국악소녀国楽少女 박지현パクチヒョン
11) 호이타령 ホイ打令(이난영イナニョン)/배금성ペグムソン, 연분홍ヨンプノン
12) 이별의 악수別れの握手 (장唱일타홍イルタホン/문연주ムンヨンジュ
13) 날 두고 진정 참말私を残してほんとにチャムマル (박단마パクタンマ)/금잔디クムチャンディ
14) 함경도 아가씨咸鏡道娘 (김복희キムボクヒ)/정수빈チョンスビン
15) 천 리에 임을 두고千里の君を置いて (조백오チョベクホ)/국악인国楽人 채수현チェスヒョン
16) 아리랑 풍년アリラン豊年 (이해연イヘヨン)/명창名唱 유지숙ユジスク 국악인国楽人 강효주カンヒョジュ
17) 노들강변ノドゥル江辺 (박부용パクプヨン)/명창名唱 이호연イホヨン


「新民謡」というのはいかにも、Morris.と縁遠いジャンルのようぢゃ(>_<) 曲も歌手(国楽人)もほとんど知らない。うーーん、これは★(^_^;)
今日の歩数は2011歩。

【流星ひとつ】沢木耕太郎 ★★★☆
2013/10/10 新潮社
藤圭子を書いた本といえば、五木寛之の「怨歌の誕生」を思い出すが、沢木がこんな本を出してるのは知らずにいた。1979年、藤圭子が最初の引退宣言した直後にホテルでのインタビューを核として、「一瞬の夏」と並行して書き進められたものの、結局未発表のままお蔵入りしてたらしい。そして、2013年8月藤圭子がマンション13階から飛び降りて死去した2ヶ月後に本書が発行されている。年譜ふうに整理しておこう。

1947年11月29日 沢木耕太郎 東京都大田区誕生
1951年7月5日  藤圭子 岩手県一関市に生まれる。
1969年9月25日 藤圭子「新宿の女」で歌手デビュー。
1970年4月25日 -藤圭子 「圭子の夢は夜ひらく」発売
1971年 藤圭子 前川清と結婚。
1972年 藤圭子 前川と離婚。
1974年 フランスオルリー空港で偶然の出会い
1974年 藤圭子声帯ポリープ除去手術
1976年 沢木「敗れざる者たち」
1978年 沢木「テロルの決算」
1979年 藤圭子 引退を突然表明し、アメリカ合衆国に渡る。
1979年秋 ホテルニューオータニでインタビュー(本書の核)
1981年 藤圭似子の名で芸能界に復帰。
1981年 沢木「一瞬の夏」
1982年 藤圭子 宇多田照實と結婚(再婚)。
1983年 藤圭子 長女光(宇多田ヒカル)を出産。
1984年 藤圭子 芸名を藤圭子に戻す。
1986年 沢木「深夜特急第一便」
2006年3月 藤圭子 ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にて大金を没収される。
2006年 沢木「危機の宰相」
2007年 藤圭子 宇多田と別居。
2013年8月22日 藤圭子 死去。
2013年 沢木「流星ひとつ」発行


79年のインタビューから、34年も封印されてたことになる。一夜に8杯ものウォッカを傾けながら、インタビューしたという形式で8章に分かたれている。もちろん実際には、このインタビューの後も数回取材を重ねたらしい。
完全に会話のみで成り立っているのも、沢木の新しいノンフィクションスタイルへの試みだったらしい。最初、タイトルもそのものずばり「インタビュー」とするはずだったとか。

「あなたの歌から、なにか急速に力がなくなっていったような、そんな気がぼくにもしてたけど、それは、もっとあなたの精神的なものから来ているんだと思っていた……」
「手術する前は、夜遊びしても、声が出なくなるのが心配で決して騒がなかったの。でも、手術してからはその心配がなくなった。でも、その声はあたしの声じゃないんだよ」
「つらいのはね、あたしの声が、聞く人の心のどこかに引っ掛からなくなってしまったことなの。声があたしの喉に引っ掛からなくなったら、人の心にも引っ掛からなっくなってしまった……なんてね」
「手術前の歌を聞くと、自分でもうまいと思う?」
「思うよ、やっぱり」
「手術後のは、へた?」
「へたじゃないでしょ?」
「うまいへたというより、つまらないの。聞いていてもつまらないし、歌っていてもつまらないんだ」


デビュー5年後に声帯のポリープを除去したことで、彼女の声から何かが消え去ったことを、後悔して、それが引退の理由になったとしている。この真偽はわからないが、五木寛之に言わせると、最初のアルバム1枚が全てだったようだから、これでも遅きに失したということになるのかもしれない。

「あたしはね、財布に一万円あれば一万円使うし、百円しかなければ百円でいいの」
「あっ、それはぼくと同じだ」
「だからね、あたしは、お金がなければないでどうにでもやっていけるし、いまから倹約なんかしてるつもりはないんだけど……なんか、使う気がしなくなっちゃった」
「お金なんて、あるときに使えばいいし、なければないでいいしね」
「そうだね。あたしもそう思う」
「金なんていらないさ」
「うーん。いらないといまでは思わないけどな……」
「いらないよ、金なんて」
「なければないでいいけど、あればあるにこしたことはないよ」
「金なんか、体が健康ならどうにでもなるさ」
「そうでもないよ。みんな、必要なときになくて困っているじゃに」
「いや、金なんかいらないのさ。金はるにこしたことはないなんっていうけど、ぼくはそうじゃないと思う。金はないにこしたことはない」

「でも、金はないにこしたことはないっていうのは、間違っていると思うよ、あたしは。それこそ、極端すぎるよ」
「そう……少し、そういうとこはあるかな。しかし、ぼくの理想は、あまり金がないけど、稼ごうと思えばいくらかは稼げるし、急に必要なときは友人に借りられる、という状態なんだ。そのためには、かねのかからない、つましい生活をいつでもしてなければならんだけどね。その状態っていうのは、金なんかなければないほどいいんだ。五体満足でありさえすれば、ね」
「ふーん。それは、そうだね。ほんとに、そんな生活ができたら、ね」
「できるさ。少なくとも、ぼくはしてきたけどな、いままで」
「へえ……すごいなあ」
「すごくもなんともないよ。昔、みんな貧乏で、うちも例外じゃなかったけど、結構、やろうと思えば、楽しく生きられたからさ。要するに、ぼくは、金を沢山持って楽しく生きる方法を知らないだけなんだよ。だから、いつも、ほどほどの収入で生きられるくらいのしごとしかしないんだ」
「いいなあ、そういうの」


この「お金談義」がなかなかに興味深かった。当然藤圭子は、このインタビュー時にもかなりの金満家だったろうし、沢木だって、貧しかったともおもえないが、この、浮世離れした会話に魅了されてしまった。「金はないにこしことはない」という逆説。


「ほんと! 前川清の舞台をわざわざ見に行ったわけ? 別れた亭主のショーの会場に? なぜい見に行ったりしたの?」
「来ないかって誘われたんだ。あたし前川さんの歌が大好きなの。あんなにうまい人はいないと思ってるんだ。昔も好きだったけど、いまも前川さんの歌は大好き。あんなうまい人いないよ。絶対に日本一だよ」
「前川さんはいい人だよ、それに歌も抜群にうまいよ、あたしはそう思ってる。でも、別れる別れないというのは、それとは違う話だよ」
「前川さんはね、以前からやめろといっていたの。おまえは芸能界には向かないからって」
「男としての格が違うと思うの。でも、やっぱり、前川さんは肉親みたいな気がしちゃうんだ。一緒にいると、こんなに心が落着く人はいないんだけど、心がときめかないんだよね。どういうわけか……」


藤圭子が前川清と結婚してたことも忘れていた。そういえばそうだったが、離婚後7年経って、こういった話し方ができる、というのは、ホッとさせられるし、彼女の前川への信頼と情愛が感じられる。

彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、もっとも美しい瞬間の、一枚のスナップ写真になっているように思える。
二十八歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるのかもしれない……。
執筆当時は、歌を捨てる、芸能の世界から去る、ということから「星、流れる」という言葉が浮かんだ。
しかし、いま、自死することで本当に星が流れるようにこの世を去ってしまったいま、『流星ひとつ』というタイトルは、私が藤圭子の幻の墓に手向けることのできる、たった一輪の花なのかもしれないとも思う。(後記)

藤圭子の自死を待ってたかのような、本書刊行への言い訳のようにも思えるが、宇多田ヒカルの母として、再注目され、その後の経過では、完全に「病気」扱いされてしまったことを思えば、たしかに、このタイミングで本書が刊行されたことは、追善といってもいいだろう。
本書を読みながら、ひさしぶりに藤圭子を聴いてみた。やっぱりかけがえのない歌声である。Morris.は「京都から博多まで」が一番好きかな。

2015/12/06(日)●春待ち忘年会
7時起床。
今朝の血圧は160/79/69。
昼過ぎに歩いて六甲道方面へ。
今日は1時半から成徳小学校内の福祉センターで、「春待ち疲れBANDあったら39年パニック」の集まりがある。
澤村重春社長が1976年に灘生協前ビル二階でライブハウス「春待ち疲れBAND」を初めて19年目に神戸地震で全壊。それから20年経って、本来なら39周年記念ということになるはずの催しで、開店当時二十代、三十代だった常連客も五十代、六十代である。
途中猫に出会ってしばらくMorris.@CatographerモードΦΦになってたので会場に着いたら2時前くらい、社長、みっちゃん、松尾くんらが先に着てた。社長、矢谷くんらは午前中淡路で福祉関係のライブやってきたとのことで、淡路から治井くんもやってきてた。その後、神田くん、堀姉妹、なおちゃん、小谷くん、中江くんなど15人くらいの参加。人数の割に食べ物や飲みものが多すぎるくらいだった。
小谷くんを皮切りに演奏も始まり、矢谷くん、みっちゃん、治井くん、社長と続いて、おわりかけに尾茂田由美(もんちっち)がやってきて、強引に歌わされてたが、これがまた懐かしくてよかった。
4時半にお開きになり、ゴミなど持って、社長のところまで持っていく。次女のひろこが、二番目の子を出産したばかりで、社長も孫二人ということになった。
来年は40周年なので、小さなところで小さなコンサートやりたいという話も出てた。
年末大晦日の初詣行進境内ライブは去年から中止とのこと。
10年一昔が4回りともなると、流石に色んなものが変わっていくな。
灘図書館に寄って、歩いて6時半帰宅。
今日の歩数は6021歩。

大河原通雉 

大河原通クロ 

同じく 

別の公園のクロ 

乾杯 

和室でくつろぐ 

和気藹々 

そろそろ演奏 

矢谷&松尾 

神田くん駄菓子屋 

みっちゃん 

社長 

もんちっち 

記念写真 

ひろこ長男 

次男 

大家族(^_^;) 

またね! 



2015/12/05(土)●絵具の話
 7時起床。
今朝の血圧は181/82/78。
朝の三点セット。
天気は良さそうだが、かなり寒そうなので部屋で愚図愚図してた。ずっと以前の韓国歌謡をテーマにした歌集『韓歌』の歌手と曲名にハングルを追加。これまたずっと前に言われてたのにほったらかしてた。以前は同じ画面で日本語とハングルを一緒に表示するのは結構ややこしかったのだが、今や何の事はない。
昼過ぎ王子動物園へ。寒さに負けて今日はミニギターなし。
史料館図書室で、別冊太陽と、文庫版劇画「猫楠」(水木しげる)を読みなおす。この漫画は過去2回読んだ。今日で3回めである。先日亡くなった水木作品としては、「劇画ヒットラー」と同じく異色作だが、作品としてはこちらが質量ともに上だと思う。400p近い大作で、猫の目を通して、巨人南方熊楠のとてつもなさを描き出している。うーーん、やっぱり、水木も、とんでもない作家だった。
3時半に動物園出て、原田の森ギャラリー冷やかす。東館一、二階で「武蔵野美術大学校友会兵庫支部展覧会」というのをやってて、作品は特に目立ったものはなかったが、4時から「絵具ア・ラ・カルト」と題して、ホルベイン工業の小杉弘明さんの講演会があるとのことだったので聴講することにした。スライド駆使して、絵具の歴史と、最新の製品情報や問題点の指摘。高校以来絵画とは縁がないが、あのローズマダー色のホルベインの水彩絵の具には懐かしさを感じる。絵具は顔料と接着剤で出来てるという話から始まって、カイガラムシを減量とする赤素コチニールは現在でも広く使われ、クリムソンやカーマインも同じ語源だとか、朱銀と呼ばれる美しいヴァイオレット色素は水銀が原料なので、原料を新規に得ることは難しく、使用済みの体温計や、電池などを回収して使用してるとか、ポスターカラーは色素の粒子が凸凹で光を吸収するから不透明になるとか、絵具金属チューブは19世紀に登場して、最初はチタン鉛チタンの三重構造だったが今はアルミだとか、知っても知らなくてもかまわないネタをいろいろ教えてもらった。
6時帰宅。
国連で11月5日を「津波の日」とすることが決まったとのニュース。「Tsnami」が国際語というのは聞いたことがあるが、わざわざ「津波の日」作ることもなかろうと思うが、まあ、Morris.の誕生日がこの日なので記憶に残ったというだけのことである。
今日の歩数は2823歩。

鴛鴦(おしどり) 

プレーリードッグ 

今日のまぬう 

王様ペンギン 

今日のヴィジュアル読書 

例年の干支は申 

レッサーパンダ 

武蔵美ヴィエンナーレ神戸 

講演会「絵具ア・ラ・カルト」 


2015/12/04(金)●部屋籠もり
6時起床。
今朝の血圧は173/78/71。
昨夜遅くの雷はすごかった。
とりあえずPC電源切ったもんね。
今日は晴れてるけど、なんだか寒そうで部屋ゴロ。
夜は、近場で、みっちゃんのライブがあるので見に行くつもり、だったのに、場所確認しようと先日デジカメに収めたポスター見たら「要予約」とあったので、電話入れたら、もう予約いっぱいと言われてしまった(>_<) 残念。
午後7時半からの「かんさい熱視線 Blues in Osaka」という番組。30分番組であまり期待してなかったが、木村充揮、BORO、有山じゅんじ、大西ユカリ……おなじみのミュージシャンぞろぞろ出てくるわ、中村泰士が語るし、で、なかなかおもしろかった。驚いたのはおしまいに、22歳のReiちゃんが登場。天才ブルース少女ということで島田さんが水道筋のナ也に連れて来たことを思い出す。当時13歳と言ってたから、あれからもう、8年も経ってしまったのか……と感慨しきり。
結果的に今日もほとんど部屋籠もり状態だった。
春待ち社長からメールで、明後日12月6日、午後1時半から「春待ち疲れBANDあったら何周年?パニック」やるとのお知らせ。JR六甲道駅南東、成徳勝学校内の成徳福祉センターの和室。飲みもの食べ物各自持参ということで、お暇な方は、集まりましょう。
今日の歩数は1044歩。

バケットサンド 

ユキノシタ科? 

「中々還暦ミレニアム」 

【震える牛】相場英雄 ★★★☆ 2012/02/05 小学館
先日読んだ菅原文太対談集の中で知った本。対談集に引かれてあった「雑巾ハンバーグ」の部分が一番インパクトあったみたいだな。

駆け出し時代、田川が手抜きを見抜かれたときは、担当区域全員の証言を得なければ捜査本部に入れてもらえないことさえあった。最近は、操作指揮官や地取り責任者が地道な操作を軽視している。だから検挙率が下がるのだ。

これは、最近の警察の捜査の劣化を端的に指摘してあることへの共感しての引用。

日本実業新聞という巨大メディアに在籍している間は、この種のネタは書きたくとも書けなかった。莫大な広告費や事業局にもたらされるイベントの協賛金がネックとなった。現在所属する新興メディアは、海外の投資ファンドと富裕な独立系企業オーナーたちが運営資金を賄ってくれる。気兼ねなく、日本企業の恥部を暴くことができた。自身の取材力を反映させる機会が久々に訪れたと鶴田は思った。

企業と報道の癒着、タブー化ということ。

高森は2000年に大きな出来事があったと告げた。通称・大店法が廃止されたことが地方都市を本格的に破壊し始めたと言った。
従来の大規模小売店舗法、通称・大店法は、500平米以上の店を出す際には地元商工会との競技を経るよう義務づけ、小規模の商店を守ってきた法律だった。しかし、日米通商摩擦n激化、その後に米国大手小売業の日本進出という黒船級の出来事が起こったと高森は言った。また小売業の発言力が強まりつつあった日本の財界主導で規制緩和を要求した。錦の御旗のもとに規制が撤廃されると、堰を切ったように出店が加速したと高森は自嘲気味に言った。
「彼らの合い言葉は『お客様の隣に』だよね。言い方を変えれば、売り上げが悪くなったところからはさっさと撤退するスクラップ・アンド・ビルド、これが『隣』というキャッチフレーズの本質だ。今、大型SCの開発を停めているのもその一環だよ。
彼らは言葉巧みに地方に進出する。遊休地から固定資産税が徴収できる、地元の雇用を確保できると地方の有力者を誘惑する。いざ大型商業施設ができれば、地元商店街から客を根こそぎ奪う。しかし、儲からなくなった途端、別の土地を探すんだ」

日本全国に蔓延しているシャッター商店街のできたわけ。

「皆さん、当たり前のように食べている世界チェーンのファストフードも基本的な仕組みは一緒ですよ。大量仕入れで世界中から老廃牛のクズ肉を集め、そこに添加物を混ぜ込む。刺激の強い調味料で肉本来の味なんてわかりっこないのです」

マクドナルドを始めとして、おおむねこんなもんなんだろうな。
やはり小説は、先にポイントを知ってから読むものではないのかもしれない。本書も先見なしに読んだらもっと評価高くなったかもしれない。

【共震】相場英雄 ★★★2013/07/28 小学館
東日本大震災を舞台にしたものらしかったので「震える牛」と一緒に借りてきた。
震災後3週間目に現地取材したらしく、被災地の描写や罹災者の心情などは、細かく描かれているが、ストーリー的にはかなり雑駁になってしまってるきらいがある。
著者は時事通信社で記者経験があり、その経験を活かした、取材、警察内部の描写も上手いと思うのだが、本作は、時間と、登場人物の入れ替わりが煩雑で、Morris.の苦手な構成だったので、非常に読みづらかった。


2015/12/03(木)●年越米到来(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は159/86/68。
昨夜の報道ステーションとニュース23で、翁長知事の中継があったので録画して数回見直す。NHKがおざなり報道しかしない今、て民法がこういった形で報道していることは評価したいが、それでもかなりの軋轢があるような印象を持った。
朝から昼過ぎまで雨。
中学時代からの友人馬場茂くんから、地元産の米「さがびより」が送られてきた。7年前から毎年送ってもらってる。お歳暮なのだろうが、Morris.には「年越米」という位置づけ(^_^;)である。ありがとうm(__)m
夕方水道筋方面。今年は紅葉がいまいちということで、結局紅葉狩りに出るということもなかった。駐車場の猫は今日も姿が無かった。一色屋裏の細い路地に、以前見かけたMorris.好みの雉猫発見。しばらくMorris.@CatographerモードΦΦ。
マルハチで買い物して、5時帰宅。
高浜町長が原発再稼動に同意表明、どんどん原発再稼働の動きが具体化している。高浜原発は今年4月に福井地方裁判所が再稼働認めない仮処分決定出しているが、政府と関電はこれをなんとか撤回する気満々のようだ。
今日の歩数は5391歩。

昨夜の翁長知事 

午後の西空 

橘産「さがびより」 

灘駅南の螺旋階段 

水道筋の紅葉 

熟睡三毛 

照光寺クロ 

水道筋南裏雉 

同じく 

【校閲ガール】宮木あや子 ★★★☆ 2014/03/28 KADOKAWA
全く未知の著者だったが、タイトルに惹かれて読むことにした。著者は76年生まれ。
ヒロインは出版社の校閲部に入社二年目の河野悦子(こうのえつこ)。文芸部の校閲しながら、文学には関心なく、ひたすらファッション(と、グルメ)一筋。編集や校閲同僚、作家たちとドタバタコミックミステリーを繰り広げる。ストーリーより、少女マンガチックな会話、意外とまともな校閲小ネタ。ファッション系のブランド名などはMorris.にはちんぷんかんぷんで、逆に面白かった。嶽本野ばらジュニア版って感じかな。

漢和辞典を引きながら悦子は米岡に答える。今まで読んだファッション雑誌に載っていた主要な用語はすべて頭に入っている。しかしミステリーによく出てくる「脂漏(しろう)」は去年まで読めなかったし、それが具体的になんなのか未だに判らず。「山風」はアイドルグループの隠語だと思っていた(山田風太郎というひとだった)。

「山風」が山田風太郎というのは、言われればそうなんだけど…………

「ほら、読んじゃってんじゃん。『摑』がところどころ新字のままになってるし、ルビが中付きと肩付き交じってる。改行なのに一字下げにされていない箇所もあるし、一目見たら判るじゃんよ、こんなの」
「ルビ」ふりがな。語源は宝石のルビー。かわいい!ルビは「振る」「組む」もの。ルビを付けられる文字(親文字と呼ぶ)の半分のサイズが普通。
振り方→すべての漢字に振る場合は「総ルビ」、難しい漢字だけに振る場合は「パラルビ」と呼ぶ。
組み方→漢字の連なるひとつの単語などに対してひとまとめ(等間隔)に組む場合は「グループルビ」、ひと漢字ずつそれぞれ組む場合は「モノルビ」と呼ぶ。

ルビについてもこのくらいネタふってあれば充分ためになる。グループルビとモノルビの区別は初めて知った。

「あ、あたし明後日から取材で韓国行くんだけど、なんかほしいものある?」
「別に羨ましくなんてないからね! 私だっていつか韓国飛び越えてミラノまで行くんだからね! 今に見てろよこのやろう、スキンフードのスクラブとセムのバルマスクとソルファスのフィニッシャー買ってきてください!」


おしまいへんのカタカナは韓国コスメメーカーと人気商品らしい。もちろんMorris.は全滅。ソルファスは感じで「雪花秀」と書くらしい。とりあえず、会話の雰囲気見本。

「じゃあマジで鰻でも食べに行ったんですよ、宮崎あたりに。あーいいな私も行きたい。なんでこの歳になってまで私マックでてりやき食ってるの」
「…………もう一回言って?」
「なんでこの歳になって私マックでてりやき食ってるの」
「それより前、鰻の。宮崎って、どっかの店の名前?」
「ああ、違います、九州の。鰻っていったら浜松みたいに東京の人は思うみたいだけど、九州のほうが実は水揚げ量おおいんですよ。たしか鹿児島が日本一だった気が。しかも安くて美味しいいの。知らなかった?」
知らなかったし、そんな情報を今井の口から知らされたことのほうに驚いた。

こういった雑学ネタも隠れ味。
けっこう、楽しませてもらった。

2015/12/02(水)●辺野古訴訟
7時起床。
今朝の血圧は180/79/80。
辺野古埋め立て承認取消代執行訴訟の第一回口頭弁論で翁長知事が意見陳述したとのニュース。「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるか。国民のみなさますべてに問いかけたい」と締めくくった。本質を問うた言葉であり、重く受け止めなければならない。でも、次の公判は1月8日で、それまでも、工事は粛々と進められて行くわけだ。
「本土」の意識はといえば、淡路洲本の小松市議がSNSで移設反対者は「(機動隊員がはいている)あの鉄板の入った頑丈な靴で、思いっきりけとばせばいいんだよっ」と書き込んだとか(>_<) 上から下まで、沖縄の民意なんてまるで無視。わざわざ東京から機動隊派遣して、老人も多い反対者を根こそぎにしようとする、政府のやり方は、まさに盛時の暴力である。こうなると、ますます、沖縄は独立すべきでは? との思いが強くなる。
昼から王子公園散歩コースのベンチで、ミニギターと読書。
その後、ちょっと山手回りで水道筋へ。途中摩耶小学校西側の地蔵堂に立ち寄る。ここには小ぶりの十三塔と、前から気にかかってた石仏(明王?)があって、一度きちんと撮影しておきたかったのだ。仔細に見ても、いくらか幼さの残る良い表情である。
明王とは、大辞林によると「大日如来の意を受けて、導きがたい人々を強力に仏の教えに導いて救済する諸尊。一般に憤怒の相を表わす」とある。この明王さまは優しすぎるかもしれないが、現在の「導きがたい輩」を善導していただきたいものである。
4時半帰宅。
7時半からよくわからない(^_^;)サッカー、11年ぶりに復活のチャンピオンシップとか言ってる。ガンバとサンフレッチェの対戦。ホームとアウェイ2試合やってトップを決めるらしい。今日はガンバのホームゲーム。前半0-0。後半はガンバが先制。サンフレッチェが同点に追いついた直後にガンバ勝ち越し、インジュリータイムにサンフレッチェが同点に追いつき、さらに、試合終了直前にゴール追加してサンフレッチェ逆転勝ち、という、展開としては結構面白かった。
今日の歩数は4326歩。

羽毛(マクロ撮影テスト) 

楽譜上の小蝿(これもテスト) 

残葉 

小ぶりの十三塔(摩耶小学校横) 

良い御顔の明王?さま 

「まやみち」石標 

【星宿への道】宮本輝 ★★☆☆ 2003/01/10 幻冬舎 初出「星星峡」1998年2月号~2002年4月号連載。
中国ウイグル族地区の旅行中にタクラマカン砂漠に姿を消した兄(実は養子)の秘密を探ろうとする弟。兄の子をみごもって女児を産んだ女性とその母、兄の複雑な思いと、子供時代の仲間との付き合いなどを通じて、さまざまな生き方を描き出そうとした作品。

「金は借りたら返さなあかん。それも利子をつけて。そのマンションに誰も入居せえへんようになるときが来たら、どうやって銀行のローンを返済するんや?」
「それは、代行会社が責任を負うんや」
「ほな、その代行会社がつぶれたら? 契約書に、銀行が肩代わりするっていう一行が入ってるどでもいうんか? うまい話が、うまいままつづいたことは、あらへんで。こんな異常な景気が、いつまでもつづくはずがあらへん。この好景気は、ものすごう頭のええ連中が仕組んだ罠や。世界のどこかで、金と政治のゲームを操ってるやつがいてるんや。そいつらの手綱さばきひとつで、大どんでん返しが、思いのままに起こせるんや」


いわゆるバブル期に、マンションを買おうとする女性に対する兄のセリフ。まあ、正論だけど、あの当時、こういった当たり前のことが見えなくなっていたわけで、後出しの感は否めない。

「働く」ということへの思想……。それは、雅人がタキを話題にしたとき使った言葉であった。「働く」ことで自分は生活の糧を得ている。自分がこの社会で生活できるのは「働く」場所があって、「働く」機会を与えられているからだ。そしてそれは不平や我儘が通用する世界ではない。自分の仕事に感謝し、その仕事に精一杯の労力を使うことが「働く」ことなのだ。

タキというのは、ビルマ人ウエイターで、その仕事ぶりを見ての兄のセリフ。これは宮本節とでもいうものだろう。
Morris.は、どうしても宮本輝の良い読者にはなれないようだな。本書は、ストーリー的にも尻切れトンボではないか、と思ってしまった。

2015/12/01(火)あっという間に師走●
8時起床。
今朝の血圧は170/94/69。
本当に、あっという間に師走になってしまった。時の流れに身をまかせているとはいえ、この加速が止まらない感は何なんだろう。
昨夜から冨山房の「日本家庭大百科事彙」第三巻を読む、というより、眺めていた。昭和初期の百科事典の一つだが、「家庭」が冠されていることから、一般の百科事典とはいささか毛色が違う。昭和2年に第一巻が出て昭和5年の第三巻で一応完結したが、昭和6年に索引と補遺をまとめた一巻を追加して、全四巻本として流布したものらしい。かれこれ80年以上前の百科事典ということになる。ときどきこうやって、見るともなくぱらぱらと眺めることがある。
昼から屋上でしばらくミニギター。
3時に歩いて三宮図書館へ。大判の「世界で一番美しい猫の図鑑」というのを眺める(^_^;) 歴史的に猫の品種と交配種などを紹介したもので、たしかに綺麗な猫と綺麗な写真がいっぱい載ってたが、Morris.はそこらにいる普通の猫のほうが好ましい。
5時過ぎ帰宅。
「むくげ通信」273号が届いていた。Morris.唯一の購読雑誌(^_^;)である。むくげの会の機関誌で、ほぼ10人が連載記事を掲載している。ほとんどMorris.の知り合いだが、それぞれの個性と志向が出ていて面白い。しっかり読み通した。足立さんの「ソウル歴史散歩」で昌慶宮の動物園の記事に目を惹かれた。動物園は今はもう無いのだが、日本の植民地時代に強制的に設置したものらしい。Morris.は、ここのガラス温室が好きなのだが、これも動物園と同じころ設置されたもので、今でも残って登録文化財になっている。
今日の歩数は8332歩。

昨夜のチャンユンジョン 

Twinガスタンク 

今日のヴィジュアル読書 

旭通りの錆猫 

子猫たちも 

旭変電所 


 

 

 


【2015年】    11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2014年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2013年】   12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
【2012年】  12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
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