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Morris.日乘2013年3月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語

誤認話の増えたECO

【2013年】 2月 1月
【2012年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月 1月

2013/03/31(日)●桜ノ宮界隈●

7時半起床。
今朝の血圧は199/99/75。
3週間ぶりにSBSの「挑戦千曲」を見る。いつもならチャンユンジョンと男性コメディアンの二人が司会でまず登場するのに、今日はDJチョリというのが舞台を仕切っている。もしかして、司会交代か(>_<)とビビったが、後からユンジョンちゃん出てきたのでほっとした(^_^) 今日のゲストには「愛のバッテリー」のホンジニヨンが登場(^_^) 彼女を個人的に応援するサイトにはいろいろ情報提供してもらrってることを別にしても、なかなかに魅力的である。歌の実力もなかなかである。
11時に部屋を出て桜ノ宮へ。造幣局前の「泉布観」が今日まで一般公開らしいので、花見を兼ねて出かけることにしたのだ。
ネットでMorris.部屋の愛読者である高槻の岩本さんから一度会いたいとのメールがあったので、これを機会に一緒に花見することにした。2時に桜ノ宮駅で待ち合わせ。先に「泉布観」まで行ってみたが、数百人の行列ができて、内部内部見学は無理だと判断(>_<)
しばらく川辺の桜の下でミニギター弾き語り。数人が興味を示してくれた。2時に岩本さんと落ち合う。斎藤さんにちょっと似た感で、Morris.と同世代である。建設関係会社に長期間勤め、野球場設営などに携わって来たとのこと。
とりあえずローソンでビール買って、花見て一杯。しばらくミニギターでポンチャック。
泉布観に寄って外から見学。綺麗になってるというものの、ベランダの手摺をピンクに塗るなど趣味の悪いこと(^_^;) 隣の旧造幣局正門の方がよほど見甲斐があった。
向かいの造幣局が開いていたので覗いてみる。今年の通りぬけは4月16日かららしい。思った以上に桜も咲いていた。通りぬけには何度も訪れているが、この時期にしか咲いてない桜が結構あって、これは儲けものだった。さらに日曜日は閉館のはずの造幣博物館も特別開館していたので、初めて入館することが出来た。これもラッキーだった。特別珍しいものはないのだが、時価八千万円の金塊や、5百円玉2000枚(百万円)の入った袋などを触ったり持ったり出来る展示もあって、五百円貯金やってるMorris.には面白かった。ちなみに5百円玉で百万円だと15kgほどになるらしい。
造幣局は通り抜けることはできなかったので、いったん泉布観前まで引き返し、ぷらぷら歩いて天神筋橋商店街へ。
JR天満駅裏の飲み屋街を物色して「一軒め」という格安居酒屋に入る。いや、ここは安かった。値段の割には味も結構美味しい。Morris.好みの鶏皮ポン酢がボリュームたっぷりで\300(@_@) ビール大瓶4本、天ぷら盛り合わせ、ドテ焼き、串カツなど頼んで二人で\3000というのはウソみたいな安さである。是非また、天満で飲みましょうと、約束して大阪駅で別れる。
ヨドバシカメラちょこっと冷やかして8時半帰宅。
阪神、今日は藤浪が初先発だったが、0-2で負けてしまったようだ(>_<) 新人投手の初先発なのだから、打線が援護すべきだろう。2日続けて無得点というのは情けない。
今日の歩数は6117歩。



ホンジニョン 

チャンユンジョン

2ショット

蘖桜 

白木蓮 

桜ノ宮駅から

花見ミニギター

造幣局前

泉布観

すごい行列(>_<)

煙突

古い煉瓦小屋

旧造幣局正門 

同じく

同じく

造幣局

無題 

白妙

白雪

心惹かれる八重 

養老桜

幸福

浦和

萬里香

造幣局記念メダル

造幣博物館

同じく

旧い造幣局銅版画

同じく

同じく

五百円玉で百万円

旧造幣局模型

枝垂桜

早咲の八重

他所の娘と岩本さんと 

御衣黄はまだ蕾

造幣局正門

桜マーク 

堀川小学校

ここは高そうでパス 

「一軒め」の鶏皮ポン酢(^_^)

看板猫ぶんちゃん 
2013/03/30(土)●繁忙期の終わり?●

6時起床。
今朝の血圧は218/109/72。
矢谷くんらと3人で大阪北区の香港からの引越し荷物配達。12時半作業終了。
午後は枚方の航空便引取。
阪神-ヤクルトはデイゲームで、トラックで聴いたが、今日の阪神打線は音無しで、0-1のシャットアウト負け(>_<)岩田が投げると打線が凹むというのは今シーズンも続くのか(>_<)
3月は20日ほど現場に出た。これでもMorris.にとってはかなりの稼働率である(^_^;) 今年の繁忙期もMorris.にとってはおしまいのようだ。明日からしばらくオフである。
桜も見頃のようだし、ふらふらとあちこち花見に出かけることにしよう。
今日の歩数は4990歩。


White-field

同じく

摩耶埠頭の夕暮れ
2013/03/29(金)●阪神開幕祭り\(^o^)/●

5時半起床。
今朝の血圧は188/101/70。
自転車パンクしたので、歩いて、摩耶倉庫へ。今日は灘駅から海岸通経由で歩いたが、いつもの高橋経由のほうがいくらか近いようだ。
矢谷くん、としろうと昨日の現場の続き。2時前に作業終了。本当は2時頃に別業者が国内引越し荷物の引取に来ることになってたのに、一向に来ない。遅れて4時半頃になるという連絡があったので、倉庫に戻ることにしたのだが、途中事務所から、業者のトラックと連絡不能との電話があったりで、てんやわんや。結局6時頃に浅海くんが別のトラックで、草津まで荷物引取りに向かったとのこと(>_<)
荷降ろし、積込みなどやって7時に倉庫出る。今日プロ野球開幕。阪神はヤクルトと。iPhoneのRadicoで中継聴きながら8時前帰宅。3-0でリードしてた阪神は5回裏にメッセンジャーが四球頻発で押し出しなどで3-3の同点。後半は、阪神打線大当たりで、17安打9-3で快勝。大和4安打、西岡3安打、マートン3安打と打ちまくりで、6年連続開幕戦勝利(^_^) なんだかんだ言ってもやっぱり阪神が勝つと嬉しい。
日ハムの大谷は8番ライトで出場2安打1打点と、と、華々しいデビューを飾った。
今日の歩数は5115歩。


JR灘駅前桜のトンネル

辛夷

変り咲木蓮

今朝の摩耶埠頭

東レ滋賀事業所

胡瓜草

馬杉歯科医院ウ 

ゐ勢屋

化粧地蔵さま 
2013/03/28(木)●瀬田川辺り●

5時半起床。
今朝の血圧は170/85/74。
朝早めに出て、摩耶埠頭の貨物船撮影。GENIUS STAR CXIIと書いてある。ネットで調べたらパナマ船籍総トン数9990tのRo-ro cargoと書いてあった。roll-on/roll-off ship 一般にはRO-RO船(ローロー船)と呼ばれ、客を乗せないカーフェリーみたいなものらしい。2013年建造。ということは今年出来たばかりだ。
矢谷くんらと大津のイギリス向け荷物ピックアップ現場2日取りの初日。現場は瀬田川のすぐそばだった。瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川で、大阪湾に流れ込む。途中宇治川、淀川と名を変える。近畿全体を支える川と言えるかもしれない。
両肘の痛みは相変わらずで、梱包はそれほど影響ないが、荷物の積み込みなどはかなり厳しいものがある(>_<)。
7時に倉庫を出て、マルハチで買い物して自転車に乗ったら後ろのタイヤがパンクしてた(>_<) もともとが拾い物(引越し現場の処分品)だし、かなりガタがきてたので、そろそろ交換の時期ということだろう。
繁忙期でしばらく一階の古本屋「ワールズ・エンド・ガーデン」覗いてなかったが、昨日今日と連休だったようだ。店主小沢さんが母の還暦祝いに道後温泉に一泊旅行してきたとのこと。親孝行である。って、母親がMorris.より年下ということになるんだな(@_@)
今日の歩数は2410歩。


今朝の摩耶埠頭 

GENIUS STAR XII 

瀬田の唐橋

瀬田川風景 1.

2. 屋形船

3.黒い鴨? 鷭? 

おしゃれな歯科医

夜の摩耶埠頭

同じく 
2013/03/27(水)●右肘までも(>_<)●

6時起床。
今朝の血圧は204/110/71。
昨日のサッカー、前半ロスタイムにコーナーキックからヨルダンに先制され、後半に追加されて0-2。やっと香川が1ゴールあげ、その後PKを得た。これで同点で引き分けなら決勝進出 かと思ったのに、遠藤が外して結局1-2で敗けてしまった(^_^;)
昨日と同じ、草津現場。3時作業終了。
八幡の別業者小口荷物配達。
以前から左肘に痛みがあって、だましだましやり過ごしていたのだが、とうとう右肘にも痛みが(>_<) 同じところが同じように痛むから同じ症状だと思う。今年の農繁期も後3日程で一段落しそうだから、一度病院に行ってみよう。病院に行ってもどうせ「重いものを持たないように」といわれるのが関の山だろうけどね(^_^;)
今日の歩数は3328歩。


今朝の砂場猫

今朝の摩耶埠頭貨物船

ミニミシン 

雪柳

趣きのある文化住宅2

畳工場
2013/03/26(火)●どうした?チャッピー●

6時起床。
今朝の血圧は218/113/67。
矢谷くんらと草津のシンガポール向け荷物ピックアップ現場。船便14m3、保管17m3あるので2日取り。量は多いが、昨日の現場に比べたらすごく、楽だった(^_^;)
昼は近くの「がんばり屋」というカレーうどん専門店に行き、つい大盛りを頼んだのだが、これが、めちゃくちゃ大量で、食べ終えるのに往生した。味は悪くないのだが、カレーうどんの細麺は勘弁してもらいたい。
太陽に大きな暈がかかっていた。天気は下り坂になるようだ。
4時半作業終了。8時前帰宅。プリンセスソース入り口前に黒っぽい猫の影が。Morris.のそばに近寄ってきた。やっぱりチャッピーである。先日亡くなったプリンセスソースの爺っちゃんが可愛がってたのだが、最近ほとんど姿見せなくなってた。これまでほとんどMorris.に接触することなんかなかったのに、どうしたのだろう? ちょっと気がかりである。
今夜は11時から日本-ヨルダンのサッカー中継がある。やっぱり見るんだろうな(^_^;)
今日の歩数は2885歩。


今朝の高橋からのTwin煙突

摩耶埠頭からのTwin煙突

今朝の倉庫猫

見事な太陽の暈サ 

暈桜 

電柱暈

現場マンションのモニュメント

趣きのある文化住宅

砂場付近のふさ猫

プリンセスソース店の前で 

所在なげに佇む猫 

どうした?チャッピー

2013/03/25(月)●京都であたふた(^_^;)●

6時起床。
今朝の血圧は206/98/78。
矢谷くんとフラたり、午前は京都中京区の韓国向け荷物ピックアップ。午後は西京区の配達。割りと軽いめのメニューと思ったのだが……
あまり、細かいことははしょるが、梱包材料不足、台車積み忘れ、荷物超過などで、昼過ぎまでバタバタしてしまった。
昼は丸源の肉そば。
午後は三階建てで階段が狭くて、布団袋の幅ギリギリいっぱいでちょっと大変だったが、他の荷物は一階に置くだけだったので助かった(^_^;)
今日も定時に倉庫出て6時前に帰宅。
旧友馬場茂くんから手紙、というか武雄中学校16回卒業3年12組の同窓会名簿が送られてきた。最近同窓会やってそれを機会に名簿を作ったらしい。Morris.が中学を卒業した年といえば昭和40年(1965)ということになる。48年前かあ。
年表を見ると、ベトナム戦争北爆が始まり、日韓条約が調印され、シンガポールが独立し、中国では文化大革命が始まった年となっている。当時のMorris.はほとんどそういったことには興味も関心もなく、ラジオから流れてきたRolling Stonesの"Satisfaction"に衝撃を受けまくってたようだ。
担任の川浪先生はまだお元気とのこと。クラス47人うち20人くらいは武雄市で暮らしているようだ。名前だけはなんとなく覚えているようだが、顔と一致するのは十人足らずである。馬場くんからは以前高校三年の同窓会のビデオ送ってもらったことがあるが、ほとんど見知らぬ顔ばかりだったことを思い出した(^_^;) 
韓国サイバーテロで、今夜のKBS歌謡舞台(1315回)は見られないかと思ってたが何とか見ることが出来た。月末恒例のリクエスト特集だったが、チャンユンジョンとチュヒョンミ出演というだけでMorris.にとっては嬉しい番組だった(^_^)

チャンユンジョン「チョホン」1) 노란 셔츠의 사나이黄色いシャツの男/チャンユンジョン
2) 살아있는 가로수生きている街路樹/ ムンヨンジュ
3) 정情/パクイルナム
4) 추억으로 가는 당신思い出になるあなた/チュヒョンミ
5) 사랑의 자리愛の指定席/ヨムスヨン
6) 외나무 다리丸木橋/ソンデグヮン
7) 고장난 벽시계壊れた掛け時計/イジュヨン
8) 초혼招魂/チャンユンジョン
9) 허공虚空/イホソプ
10) 비 내리는 고모령雨降るコモ嶺/チュヒョンミ
11) 고향 무정故郷無情/ソンデグヮン
12) 찔레꽃野茨/ウヨニ
13) 아리랑 목동アリラン牧童/ハチュナ
14) 연변 아가씨延辺娘/キムヨンイム
15) 인도의 향불印度の夜/ペグムソン
16) 여자의 일생女の一生/イヒョジョン
17) 휘뚜루 마뚜루フィトゥル、マトゥル/ハチュナ、イホソプ


今日の歩数は3398歩。


辛夷も満開 

 

 

【東京スタンピード】森達也 ★★★★<森達也といえば「放送禁止歌」ですっかり敬服させられたが、その他の著作といえば、昨年「東京番外地」というルポを読んだくらいか。
本書は2008年発行、初出は2006年から07年「本の時間」に連載されたもので、[2014年、東京に大虐殺(ジェノサイド)が勃発する」という、近未来小説である。書かれた時点からすれば6年後、7年後という設定だが、現時点ではもう来年ぢゃ。とかく近未来を舞台にした作品は、賞味期限が短い傾向がある。それはそうだろう。数年もすれば、予測された時間になってしまうんだもんな(^_^;)
そういう意味ではこの作品は、賞味期限直前ということになるのだが、最近の無差別殺人の頻発や、メディアの現状を思うと、ちょっと恐ろいくらいリアルな内容を含んでいる。小説というより、社会告発の問題作と言えるかもしれない。Morris.も小説ではなく、ドキュメントとして読んでしまった。
スタンピード(stampede)とは「大挙して逃げ出したり押し寄せたりする、群衆などの突発的な行動。パニック状態。」らしい。初めて聞く言葉だった。

まずは、主人公井沢(著者の分身)と同僚の岡林の会話から。

「今どきテレビを見ているのはほとんどが六十歳過ぎの連中だ。企業にとっては商品訴求するには難しい世代だ。だからスポンサーがつかない。予算が抑えられる。いつのまにかテレビは年寄り向けの番組ばかりだ」
そこまで言ってから岡林はまた吐息をついた。
「年寄り向けって意味がわかるか。盆栽とか囲碁とか、そんな枯れた趣味の番組ばかりという意味じゃないぞ。今の年寄りは昔とはちょっと違う。団塊世代だからな。かつては国家権力を相手にさんざん暴れた世代だ。年寄りなのに刺激を求める傾向は強い」


Morris.もいわゆる団塊世代の一員であるが、そのMorris.にとっても、最近のテレビ番組には見るものが少ないと思う。低予算番組が多いというのはそのとおりだと思うが、年寄り向け番組と決めつけられるとちょっとそれは違うような気がする。団塊世代=テレビ第一世代ということになるのだろうし、エンターテインメントの中でテレビの果たした役割(罪?)は、半端ではなかった。
現在は家庭を持っているが、過去に井沢の恋人だった令子の疑問、人の知覚の個人差に関しては、Morris.もずっと以前から同じ事を考えていた。

「わかる?」と令子が言った。
「わからない」と僕は答えた。
「つまりね、私たちが知覚しているこの世界は、感覚器をとおして脳内世界で再現された世界なのよね。たとえば視覚。光を受容する細胞が知覚できるのは一定の周波数の範囲だけ。紫外線や赤外線は見えない。もしも人が知覚できる光の周波数がちょっとずれれば、それだけでこの世界はぜんぜん違って見えるわけ。聴覚もそう。人が知覚できるヘルツの幅はとても狭い。だから一定以上の高音や低音は聞こえない。つまりこの世界は、異なる知覚を持つ動物によって違うのよ。ユクスキュルはこれを"環境世界"と名付けたの。……やっぱりわからない?」

「何を見ているって?」
「色だよ。でも正確には、このキャベツが反射した波長の光を見ているんだよな。ものを見るってことは、その対象物が反射する光を見ることだから」
そういうことかというように黒沢はうなずいた。
「実体はそこにないということを言いたいのか。つまり映画と一緒だ。そこには光と影しかない。しかも映画の場合は一秒を24に分割したパラパラマンガだ」
「テレビだって同じだ。コマ数は映画より6枚多いけれど」


知覚、感覚、好き嫌い、快不快、善悪、価値観……それらの個体差がいかほどのものか、すべては「共有幻想」ではないか、という疑問は、学生時代から漠然とあった。結局これは結論出ないんだろうな。
そして関東大震災時の朝鮮人虐殺事件。

「ほら、ここに載っている。震災による死者と行方不明者は10万人以上。そして暴徒化した民衆に殺された朝鮮人の数は、1説には6000人以上と言われているだって。ほとんど民族浄化ね」
「なぜ朝鮮人は殺されたんだっけ?
「だから恐怖よ。あなた同じ質問を二回しているわよ」
「……どっちがどっちを?」
「もちろん恐れていたのは日本人よ。怖れられていたのは在日朝鮮人」
言いながら令子は、パンフに掲載されている年表を指で示す。
「朝鮮併合は1910年。震災の13年前ね。公式には併合という言葉を使って対等な関係を強調していたけれど、でもこれが実質的な植民統治であることは、朝鮮人も日本人もよく知っていた。だからこそ震災の直後に、日本人に恨みを持つ朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるとか、家々に放火しているなどの噂が飛び交って、それを信じ込んだ人が大勢いた」
「マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』は観た?」
「DVDで観たよ」
「あれも同じね。アメリカ人が銃を手放せない理由を、先住民族を殺して支配した歴史と記憶があるからだと説明していた。いつかは報復されるかもしれないという恐怖よ。だからアメリカは敵に対して攻撃的になる。関東大震災のときの一般市民による朝鮮人狩りも、構造としては近いのかもしれない」

「他にもこんな事例は幾らでもある。ルワンダもそうだ。規模はもっと大きい。たった100日あまりで少なくとも100万人が虐殺されたと言われている。中国の文革では数百万から3000万人が殺された。ナチスのホロコーストは600万人。カンボジアのポル・ポトだって知っているよな。ここでは170万人。イラク18万人。ボスニアのスレブレニツァで7000人。ダルフールで200万人。不思議だよな。人はなぜこんなことができるのだろう」
「黒沢、少し落ち着こう」と僕は言った。
そう言ってから黒沢はもう一度両手で持ったグラスを口に近づける。
「告白するけれど、最近は眠れないんだ。だから精神科医に通って、薬をいろいろもらっている。だからかな。ちょっと不安定だ」
「大丈夫よ。あなたは殺されたりしない」
令子の言葉に黒沢はゆっくりと首を左右に振る。
「殺されることじゃない。もう一回言うよ。殺すことが怖いんだ」

関東大震災時の朝鮮人虐殺のことは、気にかかっていたが、神戸震災の死者とほぼ同じくらいの数の朝鮮人が殺されたという事実にはその規模を思い知らされた。
ナチスが600万人、中国が3000万人となると、Morris.の想像力の限界を超えてしまう(>_<)
先日読んだ「詩歌と戦争」でも取り上げられていたし、佐野眞一の「巨怪伝」で、正力松太郎の関与も知った。しかし、やはり朝鮮人虐殺事件の最大の原因は日本の一般市民の恐怖だったのだろう。恐怖がパニックとスタンピードを生む。「殺すことが怖いんだ」という映画監督黒沢の言葉は実に「怖い」。

「ジェノサイドという言葉の歴史を井沢は知っているか」
レムキンは、別の文脈で使用されることのない言葉を必要とした(「残虐」や「野蛮」は、他で使用されるので孵化)。「新鮮で人目を惹く」と同時に「なるべく簡潔で、胸を刺すような」言葉を懸命に探した。
レムキンが決定した言葉は、ギリシャ語から派生し、「種」「部族」を意味する「ジェノ(geno)と、「殺害」を意味するラテン語「カエデレ(caedere)から派生した「サイド(cide)とを結びつけた造語「ジェノサイド(genocide)だった。「ジェノサイド」は、簡潔にして斬新であり、そう簡単には間違って発音されることもない。ヒトラーの恐怖支配を連想させる響きがあるため、聞き手の背筋をぞっとさせるには十分である。

ジェノサイドという言葉が、1940年に一個人によって作られた造語だということも知らなかったが、これが直接的にナチスのホロコーストでなく、第一次大戦時、オスマントルコのアルメニア人に対して行った百万人規模の大虐殺だったということも初めて知った。

「まあこれは、俺たち報道畑のあいだでもよく議論になるんだ。こんな凶悪な事件が起きましたという報道するほうが人は注目する。つまり視聴率が上がる。その市場原理にマスメディアがどっぷりと漬かってしまっていることは確かだ」

「メディアと社会との相互作用。でももちろん、メディアは恣意的に治安を悪化させようとしていうわけじゃない。結果としてそうなった」
結果としてそうなった。すべてそうだ。たとえば関東大震災のあとの朝鮮人虐殺。たとえばルワンダ。たとえば文化大革命。すべてそうだ。結果としてそうなった。
「……相が転移しかけているということかな」


これはマスメディアの犯しやすい「未必の故意」なのだろう。視聴率絶対主義、長いものには巻かれろ、タブー、自主規制、そして「結果としてそうなった」という形でその結果を「報道」する。無意識のマッチポンプというべきかもしれない。

「相移転は私たちの日常においては、とてもありふれた現象です」
そこまで言ってから植木は、「凍る。融ける。こわばる。和らぐ」とつぶやいた。
「蒸発する、凝縮する、沸騰する、凝固する、縮こまる、冷める、閉ざす、硬化する。まだまだあります。これらの言葉は物理的な用語でありながら人の心理状態を表す場合にも使われます。つまり生命現象のみならず人の心理状態の多くは、相移転で説明することが可能です。特に徒党を組んだり集団になったとき、この傾向は顕著に現れます」


ここで登場する「植木」が、あの「植木等」というのには驚かされた。植木等は本書の連載中2007年3月に亡くなっているから、これは作為的なのだろう。「わかっちゃいるけどやめられない」という「スーダラ節」の一節(作詞青島幸男)の「恐ろしさ」を再確認させられてしまった。

「この共同体をル・ボンは群衆と名づけました。互いに名前も知らない人たちの群れ。現代の都市社会では当たり前のようにありますね。雑踏。ラッシュ時の電車。朝方のホテルのロビー。会社。学校」
「ネットの掲示板」
黒沢の言葉に植木は、「確かに。掲示板では名前どころか顔すら見えない。究極の群衆ですね」とうなずいた。
「この近代的な群衆は、ある種の外界からの刺激が反復されたときに、意識活動が急激に低下することが特徴です。互いに名前を知る者だけの共同体なら普通に機能するはずの論理や規範、批判能力や情緒が衰え、無意識の領域が前面に現れます。いったんこれが始まると、あとは群衆の一人ひとりが相互に影響し合いながら、無意識の領域が連鎖反応のように顕在化してゆきます。ネットを背景にした特定の人物や組織への誹謗や中傷、バッシングは典型ですね。感染します。連鎖します」
「ル・ボンは"断言・反復・感染"の三つを群集が為政者に扇動される際のキーワードにあげています。
群衆は弱い権力に対しては攻撃的になり、強い権力に対してはあっさりと卑屈なほどに従属するとも指摘しています。一人ひとりにはその自覚はないのです。でも形成された集団は、あたかもそんな意志があるように振る舞います」


つい最近の韓国へのサイバーテロのようなインターネットへの直接的攻撃も、脅威ではあるが、それ以上に、攻撃とは知らされないままに、意識(+無意識?)を操作されることの危険性がより大きいのではないだろうか。国家、企業、組織による、サイバー支配、利用、はとっくに始まっていることは疑いをいれない。ナチスの扇動、デマゴーグ、プロパガンダはその古典といえるかもしれないが、初めて群集心理という概念を提唱した19世紀フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンがナチスを初めファシズムのテキストに利用されたと言われている。ということは、ナチスのプロパガンダを聖典とする現在の広告企業もル・ボンの信者ということになるのだろう。

「彼の代表曲『イマジン』は、創発を見事に言い表しています。国境や宗教、戦争や憎悪がない世界。そんなイメージを語りながらレノンは、一人ではなくみんなが本気で願うのなら、きっとそんな理想が実現すると訴えています。つまりこれがボーアの夢です。特に冷戦の時代、自由主義陣営と社会主義陣営は、それぞれの存亡をかけて核兵器を開発しました。より多く。より壊滅的に破壊できるように。その結果として世界は、地球を何十回でも破壊できるほどの核兵器を保持することになりました。誰が考えたってばかげています。だから人々は気づきます。首をかしげます。何かが変だとつぶやきます。こうして創発が始まりました。自分たちの生命や財産を守る手段としての核兵器などありえない。攻撃すればすなわち自滅なのです。その思いは伝播します。連鎖として広がりました。量が質を変えたのです。大国は核兵器開発や保持の正当性を声高には主張できなくなった。広島と長崎は、ビンラディンが同時多発テロ直後の声明でアメリカの暴虐さを訴える実例として名前を挙げるほどに、世界的に有名な都市となった。現実にこの二つの年に落とされて以降もう70年近くが過ぎるのに、核兵器は敵を殲滅する手段としては一度も使われていいません。これはある意味で驚くべきことです。人は虫になる。しかし虫であり続けることはできない。どこかの時点でストッパーが作動する。だからこそジェノサイドをくりかえしてきた歴史を、多くの人に知らしめねばならない。ほとんどのジェノサイドは、正義や大義や愛するものを守るなどのセキュリティへの希求が駆動力として働いています。そしてほとんどの戦争も、やらねばやられるとの自衛意識が高揚して、正義や大義と結びつきながら始まります。つまり悪意ではなく善意。だからこそ誰もが加害の側に回る可能性を秘めている。そんなことを人々に本気で実感させることができれば、ジェノサイドは必ず阻止できるはずだと植木は信じました。ボーアの夢を共有しました。多少の被害が出るかもしれない。でもそれは言ってみれば臨海のガス抜きになるはずで、最終的には量は質を変えるはずだと植木は考えました」
そこまで言ってから、加藤は長々とため息をついた。


核開発のきっかけになった量子力学の祖、ニールス・ボーアは「核兵器はあまりに危険であるがゆえに、核兵器を人類はつかうべきではないし、これからは二度と使わない」と言い続けて1962年に死ぬ。この「ボーアの夢」は、やはりあまりに楽観的ではないかと思われる。レノンの「イマジン」もつまりは、楽観主義の賜物なのか。Morris.も悲観主義より楽観主義に与したいのだが…………

この世界にはあらやる仮説が溢れている。利益を得るために極論を唱える人がいるし、その逆の極論を唱える人もいる。あまりに悲観的な説もあれば、楽観的すぎる説もある。
人は愚かだ。この地球を破壊するかもしれない。地球から駆逐されるかもしれないし、その前に核兵器で自滅するかもしれない。その可能性はある。でもあきらめない。遅すぎると思わない。人の英知を信じる。この方向に歩き続ける。量は質を変えると信じる。人の優しさを信じる。まだ間に合うと信じる。
時おり僕は間違える。道に迷う。思い込む。反省しない。妥協する。場の雰囲気に飲まれる。でも信じる。大きくは間違っていないと自分を信じる。だってまだ生きている。ならばできることがある。やることもある。
顔がゆっくりと近づいた。耳もとでささやく声がする。
「でもそろそろ起きなくちゃ」
僕はうなずいた。わかっている。これから自分が何をすべきかを僕はわかっている。方向はわかっている。あとは真直ぐ歩くだけだ。頑張る。そろそろ起きる。


本書の末尾の井沢のつぶやきは、作者森達也の意思表示だろう。「頑張る」という言葉にはあまり共感を覚えないMorris.だが、森達也が「頑張る」というなら、是非本気で「頑張って欲しい」と思う。
で。Morris.はどうするんぢゃ? と問われると、返す言葉がない(>_<)

2013/03/24(日)●巨大絵画●

6時起床。
今朝の血圧は219/96/71。
矢谷くんらと京都南区の保管荷物ピックアップ現場。
3時作業終了。
矢谷くんからKIITOの話が出て、Morris.はもう2度も行ったと自慢したら、今月20日から31日まで、宮城県生まれの巨大水彩画家加川広重の「雪に包まれる被災地」展示されているということだった。20日のオープニングイベントでは、矢谷くんも出演したとのこと。20日は休みだったから、見に行くんだったと後悔しても後の祭り。ともかくもこの絵だけは見ておきたいと思った。
今日は5時に倉庫出ることが出来たので、そのまま自転車でKIITOまで走る。7時まで開場ということだった。1Fの大ホーMル奥の壁一面に立てられた絵の巨大さ(5.4m☓16.4m)にまずは圧倒されてしまった。石巻の工場を舞台に、震災に遇った各地の惨状をコラージュしている。作品の工場の骨組みとKIITOのホールの天の鉄骨がそのまま繋がったみたいで、ホール全体が、津波に襲われた東北の海岸になったと錯覚させる。それくらいの迫力があった。
画家の加川さんも会場にいて、取材を受けていた。
せっかくなのでまたKIITOの建物を見物。
大安亭の業務スーパーでアイスクリームとキムチ買って7時帰宅。
今日の歩数は4659歩。


会場が東北の海に 

画面細部 

同じく

作品前に立つ作者加川広重さん 

何度見ても飽きない 

階段上から 
2013/03/23(土)●湖西堅田あたり●

6時起床。
今朝の血圧は202/105/79
荻野くんら5人で大津堅田の保管荷物ピックアップ現場。
珍しく一日箪笥部屋で、家具梱包。一番大きなワードローブの箪笥はドアからでなくて、窓とフェンス外して出すことになった(>_<)
これで結構時間かかってしまった。
マルハチで買い物して7時半帰宅。
先日のサイバーテロから、ずっとネットで見られなくなってたKBSTV、今夜は見ることが出来るようになってた\(^o^)/ でも、あいかわらずKBSサイトは不通である。
今夜のテレビ大阪「日の巨人たち」は速水御舟の『名樹散椿』。うーーんこれはなかなか見甲斐があった。漁舟といえば焔の上を大きな蛾が群れ飛んでいる「炎舞」を偏愛していたが、他の作品にも見るものが多い。、とりわけこの散椿は凄い。背景金地(金砂子の撒きつぶし)だけでもとんでもないもののようだ。
今日の歩数は4004歩。


今朝の倉庫猫

解体工事進む尼崎朝日麦酒工場 

2013/03/22(金)●岡山あたり●

4時半起床。
今朝の血圧は185\93/77。
倉庫6時出発で、矢谷くんら5人で岡山の中国向けにもうピックアップ現場。
海外便以外に、保管、東京、京都へのローカル荷物など盛りだくさんで、作業終了が4時。
帰り路が渋滞で、倉庫に着いたら7時で、その後、バン詰め、明日の準備などで8時半帰宅。3連休で休養充分とのはずだったが、やっぱりちょっとふらふらするぞ(^_^;)
今日の歩数は3945歩。

【ナマコ】椎名誠 ★★★ 基本的にMorris.はこの人の本は読まないのだが、タイトルだけで手にとってしまった。「しいなまこと」という名前のなかに「なまこ」が含まれているというのを誇示するような表紙デザインもお洒落だった。
椎名の行きつけの新宿居酒屋の店主小田さんが北海道の友人に会いに行くのに付き合ったら、友人はナマコ漁に従事していて、中国との取引が多くなっているというのが発端で、中国のナマコ業者から招待受けて3人で香港に赴き、ナマコ料理をご馳走になり……というストーリーは、あってもなくても(^_^;)いいようなもの(この小説はたいしたことはおきないけれど実話をベースにしている。それがどうした--と言われると困るのだけれど……。 著者)で、薀蓄混じりのおしゃべりのための饒舌が続く。

「今回のことで私も私なりにナマコのことをいろいろ調べたんだが、ナマコと言うのは本当に面白いねえ。ナマコというのは第一に感覚器官がなにもないんだね。目もないし嗅覚もないし農と呼べるような神経組織もないんだ。ただ海底にころがってじっとしているだけ。口も肛門もはっきりしていないんだけど、口らしきところに小さな触手があってこれがゴニョゴニョうごいてひたすら砂を食べている。砂の中の有機物を選別しているらしいんだ。夜になると珊瑚の下にもぐりこんでじっとしている。明るくなるとそこから出てきてまたこらおがっているんだ。感覚器官がないけれど、この夜と昼のちがいはわかるらしいんだねえ」

ナマコのことなら何を書かれても嬉しい。
●玄海の海月を案ず海鼠哉 Morris.

2013/03/21(木)●神戸も開花宣言●

7時起床。
今朝の血圧は199/99/88。
見るともなく見てきたNHKテレビハングル講座。今週で今年度は終了で、コウケンテツが韓国に行き、友人宅で和韓折衷の参鶏湯を作るという特別番組。今年の講座はペコちゃん似のジソンさん、韓国人並発音の藤原くん、そしてコウケンテツの簡単料理講座、スキットドラマももなかなか面白く、結構楽しめた。テジクッパとカムジャタンなんか、Morris.も作ってみたもんね(^_^)
4月からはガラリと入れ替えで日本人ゲストは榛名由梨とか。ちょっと嫌な予感がする(^_^;)
午後は王子動物園。今日は開園記念日で無料開放のため平日にしては人が多い。まあ、Morris.は年間パスポート持ってるから関係ないけどね。まぬう雄が岩の中層まで上り、一番上の炭にいる雌に向かって威嚇してた(@_@) 喧嘩などしなければいいのだが。
神戸でも今日桜の開花宣言。平年より12日早いとのこと。今年の夜桜ライトアップは4月4,5,6日の予定だが、散りかけてるかもしれない。
資料館の図書室で、また昆虫図譜を眺める。その他、「ぶたにく」という写真集、「鳥の形態図鑑」というイラスト。どちらも見応えがあった。
一旦帰宅して、自転車でマルハチで買い物。
今日の歩数は2004歩。


白木蓮 

王子動物園開園記念日 

雌を威嚇する?まぬう雄 

睨む雌

神戸もサクラサク

今年の夜桜は4月4,5,6

今日の二冊 

「ぶたにく」

朧桜と水母月
2013/03/20(水)●血管年齢八十五歳(>_<)●

8時起床。
今朝の血圧は188/100/82。
昨夜のテレビニュースで、国立がんセンターが、中高年者対象に10年間の脳卒中の発症確率を予測するモデルを作成、簡単な計算式を発表したと言ってた。かなりの視聴者が一斉にネットに繋いだらしく、がんセンターサイトはパンク状態になってた(^_^;)
年齢、性別、喫煙、肥満度、糖尿病、血圧の6つの因子でそれぞれの点数を出し、その合計点で確率を予想するというもの。
それで、今日ネットで調べて計算したら、Morris.の点数は37点。今後10年の脳卒中発祥確率は12-15%ということになるらしい。年齢で16点。男という理由で6点。そして予想された通り血圧は最高点の15点である。性別年齢はどうしようもないから、やはりMorris.の場合は、驚異的高血圧が問題ということは自明である。しかしこの点数の男性の血管年齢が「八十五歳」というのは、いささかショックだった(>_<) そもそも普段の血圧が200前後という事自体が慢性異常と思うのだけどね(^_^;)
今日は春分の日。朝から曇り空。三連休の中日で昼からどこか出かけようと思ってたのに雨がふりだしたので、結局一日部屋でごろごろということになった。  
先日頂いた、ソウル俳句会主宰者山口禮子さんの句集「半島」を読んだり、ビデオ録画見たり。後は例によってミニギターで遊ぶ。
韓国では銀行、放送局などが大規模なサイバー攻撃に襲われたとのこと。北朝鮮側の攻撃の可能性が高いようだ。先程ネットのKBS関連サイトに接続してみたがすべて繋がらない。
今日の歩数は0歩。

【山口禮子句集『半島』】★★★☆ 2012年末に上梓されたソウル俳句会を主宰する女流俳人の処女句集である。先日わざわざMorris.のもとに国際郵便で送られてきた(@_@) 
句集「半島」微ニ入ルソウルの杉山さんがこの句会の同人であることから、毎年発行されている合同句集をソウルに行くたびに頂戴している。その関連で句集もいただいたのだが、2010年のソウル俳句15集掲載の 

虫愛づる女ありけり五月闇

が、強く印象に残り、彼女の名前も忘れずにいた。いかにもMorris.好みの句である(^_^;)
実はMorris.は過去に一度だけソウル句会の吟行に交ぜてもらったことがあり、そのときに顔を合わせてるのではないかと思う。ネットの自サイト検索で調べたら2005年5月28日(土)だった。8年前かあ。キョンヒグン(慶熙宮)という余り知られない王宮で取材したあと、プレスセンタービルで投稿・相評した後、「つくし」とうい日本人経営の居酒屋での二次会までつきあった。     
彼女は1950年生で1991年渡韓だから、Morris.とほぼ同世代、韓国歴も時間的には重なるが、彼女はその後、現在までソウル在住であるから、その深度はまるで違う。
ハードカバー270pの豪華な句集で、五百句近くがほぼ年代順の6章に分けて収められている。

蓼そよぎ風紅に染まりけり
行く秋や心に鬼のゐるやうな(まろき秋 1995-2003)


「紅」に染まるということから、この「蓼」は食用に用いる「柳蓼」ではなく、「赤マンマ」と俗称される「犬蓼」のことだろう。犬蓼の紅は韓国語でピンクを表す「プノンセク(粉紅色)」に近い。夏の風がアガシのピンクのチマのように染まるというのを想像するだに楽しい。
冬を控えて思えらく、「鬼」も「仏」も人の心にのみ存在するのかもしれぬ。

夫奪ひし天の桜をかなしめる(白蓮燈 2003-2006)

2003年3月に夫君が急逝。ソウル俳句会には夫婦で入会。彼女の俳句もそこから始まったもの。8年後に伴侶を突然失った彼女の思いが込められた一句である。

葛飾は昭和のままに望の月
キムジャンのすすぎ水縷々坂の町(土器の舟 2003-2008)


葛飾は彼女の生まれ故郷。ミニエッセイ「私のふるさと」に、以下のようにある。

ソウルに暮らして二十二年。東京の町々はすっかり変わってしまったが、葛飾区堀切は東京のはずれに取り残されたように時間を止めている。映画館はスーパーになり、あの魚屋も二代目がおじいさんになったけれど、満月を振り返ったその景は五十年前からの、子供の頃そのままのシルエットだった。(2012)

キムジャンは韓国の冬の季語の代表と言えるだろう。この句はソウル俳句十ニ集にあって印象に残っていた。ソウルは盆地だから東西南北坂に囲まれていると言える。神戸のように一方向だけの坂とは、よほど地勢が異なっている。

愛されも疎まれもせぬ夜寒かな
白牡丹李氏の館の女門
ほほづきの嚢に朱き朱き闇
猫車立てかけてある虫の闇
寒波寄す鼻の欠けたる石仏
半島の月大きくて悴めり(猫車 2008-2009)


この「猫車」にはMorris.の好きな句が多く含まれていた。
「白牡丹」と李氏家の韓屋の対比。そして「女門」が効いている。漢字の並びもそれだけで絵になる。
彼女の「闇」の句はどれも好みである。
韓国では仏像の鼻を煎じて飲むと薬効があると信じられていて、特に野の石仏は大半が鼻欠けである(^_^;)
「半島の……」本句集のタイトルにもなったと思しい句。Morris.も韓国で見る月は、何か日本で見る月とは違った風情を感じることが多い。「大きく」て「かじか」んでいるというのはなかなかの描写だと思う。

連翹は黄泉平坂目眩ませ
十六夜や会ふたびに母老いたまひ
ポンチャクに浮かれてしまふ十二月(赤烏帽子 2010-2012)


連翹は韓国語「ケナリ」と呼ぶほうがMorris.にはしっくりくる。日本人が桜に感じる思いを韓国人はこの花に持つのではないだろうか。日本神話では妻を喪ったイザナギがこの黄泉平坂を通ってイザナミを追いかけたことになるが、この句では夫を追う作者がケナリの黄にその坂を幻視しているのだろう。
十六夜は「猶予ふ いざよふ­=ためらう、停滞する」に由来する言葉で、これを「老い」と比肩させるあたりが、年の功か(^_^;)
そして「ポンチャク」\(^o^)/ 12月だけでなく、韓国では十二ヶ月ポンチャックに浮かれていて欲しい。Morris.は確実にそれを実践している(^_^;)。

一升を薬缶に沸かす雪月夜
風花やソウルは山の近き街
老いらくの宵をざらりと雪の降る
月太る窓辺に小さき旅かばん
五句五合きこしめしたる良夜かな
花百句即花百片の花の屑
二十年住みしソウルや花は葉に(雪月花抄 2009-2011)


この章は、雪・月・花を季語とする句の集成である。ここにも秀句、笑句が目白押しだった。
薬缶で一升酒を沸かすという豪快さ、ソウルが盆地であることの反証、老残の雪は「ざらり」と降るし、月は太るわ、酒飲んで句作にはげみ、花も屑になり、葉に変わる。
「五句五合」は「虫愛づる女」と同じ号に載っていて、これもよく覚えていた。

本句集には付録として60pほどの「覚書 韓国歳時記」と、自己紹介に代えて合同句集掲載のミニエッセイ十篇が収められているのも嬉しかった。
「歳時記」の「黄砂 ファンサ」の項の

街騒を閉ぢこめ霾の居座りぬ

という句の「霾 つちふる、ばい=黄砂」これは知らない漢字だった。
「連翹 ケナリ」の項もあって、ケナリは「ケ 犬」+「ナリ 百合」とあった。これも初めて知った。

鉄条網越ゆるケナリや統一路

「月見 タルマジ」には、「湿度が低いせいか月がはっきり大きく見える。ソウルは煌々と輝く中秋の名月に出合う事ができる大都会だ。」とあった。

月の街猫はつないで飼はないで

10月9日「ハングルの日 ハングルラル」の項では、その起こりと、記念日制定と変遷を要領よく整理してあった。

1446年の陰暦9月に世宗が二十八の新しい文字(訓民正音 フンミンジョンウム)とその解説書である『訓民正音』を頒布したことを記念する日。
1926年に朝鮮語研究会が主体となり陰暦9月29日を記念日として祝い、その後「ハングルラル」と改称、また日を陽暦10月9日に変更して1970年には「官公署の公休日に関する規定」により公休日に指定された。1990年から2012年までは公休日から除かれていたが、再び2013年からは公休日に復活。


おお、今年からまたハングルの日が公休日になるのか、これはめでたい\(^o^)/
また「ハングル語というのは、日本語を「ひらがな語」と言っているようなものでよろしくない」との指摘もあり、これは以前Morris.も口を酸っぱくして主張していたのだが、最近のNHKTV講座では、講師がはっきり「ハングル語」と言ってるぞ(>_<)

以下、歳時記とミニエッセイに掲載された句の幾つかを引用して結びとしておく。

空に咲き地に散るけふの花むくげ
鳳仙花摘む老嬢の爪丸き
とろとろと小豆粥煮る外は風
オンドルや倦怠期という心地よさ
チンパンを湯気ごと鬻ぐ大蒸し器 
*チンパン=餡饅
テボルムのナムル日向の匂ひけり 
*テボルム=小正月(陰暦1月15日)
居酒屋へカチは塒へ大西日 
*カチ=カササギ
猫抱きて思春期に入る九月かな
父の年越えて父の忌五目ずし

2013/03/19(火)●Oh!演歌●

8時起床。
今朝の血圧は184/98/76。
朝の3点セット。
電話で明日、明後日と3連休になったとのこと。最近のMorris.の疲労とミス連発を見るに見かねての事務所の思いやり?かもしれない。とりあえず、しっかり休養しよう(^_^;)
韓国ドラマ見て、久しぶりにミニギターレッスン。
手造り楽譜集3冊(何故かあまり見てなかった)のおしまいにあるソンデグヮンの「ヘットゥルナル 太陽が昇る日」を何となくやってみたらシンプルでなかなか良い。ソンデグヮンは韓国トロット男性歌手四天王の一人(他はヒョンチョル、ソルンド、テジナ)で、「ネパクチャ」「ユヘンガ」「チャピョハンジャン」「ジョンテムネ」など結構Morris.のレパートリーも多いのだが、この曲はあまり歌ったことがなかった。1976年発表ということだからだからかなり古い。ソンデグヮンは46年生まれで、歌手デビューは72年だが、ヒット曲に恵まれず、「ヘトゥルナル」は実質的なデビュー曲と言えるだろう。韓国では75年頃芸能界に大麻事件が発生して、ロック、フォーク、ポップ歌手の多くが活動停止、海外移住に追い込まれた。その間隙を縫って?76年はトロットが巻き返しを図った年とされている。この曲もその一環なのだろうが、曲(シンデソン作曲)はGOGO調、歌詞(作詞ソンデグヮン)はフォーク調というのがちょっと笑わせる。しかし、この人生応援歌風の歌詞は、ちょっと落ち込み気味だったMorris.には何となく心に染みた。歌詞も短いし、コードも簡単なので、ソラで歌える用練習することにした。

 해뜰날 송대관

꿈을 안고 왔단다 내가 왔단다
슬픔도 괴로움도 모두 모두 비켜라
안 되는 일 없단다 노력하면은
쨍하고 해뜰 날 돌아온단다

뛰고뛰고 뛰는 몸이라 괴로웁지만
힘겨운 나의 인생 구름 걷히고
산뜻하게 맑은 날 돌아온단다
쨍하고 해뜰 날 돌아온단다
  日はまた昇る ソンデグヮン

夢抱きしめてやって来た
悲しみ苦しみ乗り越えて
努力さえすりゃ何でもできる
ガツンと一発 日はまた昇る

走り続けるこの身は辛いけど
苦しい人生の暗雲去って
すっきりピーカン青空
ガツンと一発 日はまた昇る
 

2時頃部屋を出て、歩いて三宮図書館へ。
途中賀川記念館にぶつかったので覗いてみる。賀川豊彦は、キリスト教系の社会運動家で、生協の創立の立役者でもある。
大正時代神戸の貧民窟に入り込み福祉施設を造りその体験を基に書いた小説「死線を越えて」は400万部という驚異的なベストセラーになった。ビルの4階にある記念館は展ブースは賀川の著作がメインで、あまり見るべきものはなかった。ここは、一種のコミュニケーションセンターみたいになってるらしい。昭和初年に出した「暗中隻語」の1節を引いておく。

114 私は人間が好きだ
私は人間が好きである。どんな恐ろしい殺人鬼でも、必ず何處かに可愛い處が有る。私は彼らに苛られて逃げ出しもする。実際私は破落戸漢(ならずもの)に苛られて神戸の貧民窟を出た。併し私は破落戸漢に見切をつけた譯ではない。自然も面白いが、貧民窟の子供達も面白い。子供達を遊ばして呉れるなら、私は子供より自然が良いとは云はない。誠に人間が汚くなつたのは、全くその罪惡の為である。酒と梅毒がなければ、どんな破落戸漢だつて恐ろしい者ではない。私は破落戸漢は恐しくないが、酒を飲んだ破落戸漢が恐しいのである。私は鼻の欠けた四十男や、腰を屈めて歩く淫売婦が花よりも美しいとは云はない。併し彼等にも私はまだ断念(あきらめ)をつけることが出来ない。私は人間に執着する。私は彼等を愛せねばならぬ。酔漢に追ひつめられて、逃げ隠れすることがあつても、彼等の酔ひが醒めた時に、私はまた彼等の處に帰つて行かう。(「暗中隻語」)


ナイーブというか、かなりの文章ダネ(^_^;)、ちょっと前に「死線を越えて」の復刻版読んだのだが、あまりの悪文に辟易させられたことを思い出した。
帰りも歩いて大安亭で買物して5時半帰宅。
今日の歩数は7044歩。


アロエの実?

大安亭の白雉

賀川記念館

展示ブース 

童話集 

「暗中隻語」

薔薇の蕾

禁煙舗道

今日の空生田川北方 
2013/03/18(月)●雨の山科●

6時起床。
今朝の血圧は201/107/82。
今日は大雨になるとの天気予報だったから歩いて摩耶倉庫へ。
奥井さんら3人で京都山科のアメリカ向け荷物ピックアップ。
昼飯抜きで1時半作業終了。
昼食は桂SAで、ワンコインメニューの「鶏カツ丼」これが意外と美味しかった。
午後は一時暴風雨状態だったが、夕方には小降りになった。
WBC野球日本はプエルトリコに1-3で敗けてしまったらしい。能見が2ランホームラン打たれたとか。鳥谷は3塁打で唯一の得点に貢献したらしいからまあよしとしよう。9回一死一、二塁で一塁走者だけが盗塁を敢行するという草野球でもなかなかお目にかかれない凡ミスで万事休す(>_<) 走った内川を責めるより、ランナー二人いるこんな場面で「行けると思ったら走れ」というサインを出したベンチの大ポカだろう(^_^;)
今夜のKBS歌謡舞台(1314回)は"작사가 반야월 1주기” 作詞家パンヤウォル(半夜月)一周忌特番である。
パンヤウォルは昨年3月26日95歳で亡くなった。初期はチンバンナム(秦芳男)名義で歌手としても活躍していた。数多のの韓国歌謡名曲を作詞しているが、朝鮮戦争休戦後は禁止曲となった北越作家の作品を半夜月名義でリバイバルヒットさせた。朴燦鎬さんとの因縁浅からぬものがある。先般のテレメンタリーでは、二人の初対面場面が印象深かった。

1) 꽃마차花馬車/ソルンド 1939年 作曲イジェホ 歌チンバンナム 
2) 가는 봄 오는 봄行く春来る春/ムンヒオク 1957年 作曲パクシチュン 歌チェスクチャ、ペクソリ
3) 오늘 밤은 차차차今夜はチャチャチャ/キムヨンマン 1961年 作曲キムプヘ 歌キムヨンマン
4) 무너진 사랑탑崩れた愛の塔/キムサンジン 1958年 作曲ナファラン 歌ナムインス
5) 연락선連絡船/ハネジン 1982年 作曲コボンサン歌チョンジェウン
6) 단장의 미아리 고개断腸のミアリ峠/ソンヘ 1957年 作曲イジェホ 歌イヘヨン
7) 산장의 여인山荘の女/キムサンベ 1957年 作曲イジェホ 歌クォンヘギョン
8) 두형이를 돌려줘요弟を返して/オウンジュ 1963年 作曲ナウムパ 歌イミジャ
9) 유정 천리有情千里/ナムペクソン 1957年 作曲キムブヘ 歌ペクチェホン
10) 마상일기馬上日記(자료화면資料映像)/ チンバンナム 1940年  作曲ホンガプトゥク 歌チンバンナム
11) 잘 있거라 항구야おさらば港よ/ソルンド 1940年 歌チンバンナム
12) 불효자는 웁니다不孝者は泣く/ソンヘ 1938年 作曲イジェホ 歌チンバンナム
13) 만리포 사랑万里浦の愛/リュギジン 1958年 作曲キムギョソン 歌パクキョンウォン
14) 삼천포 아가씨三千浦娘/オウンジュ、ムンヒオク 1964年 作曲ソンウンソン 歌ウンバングル姉妹
15) 여수야화麗水夜会/ヒョンダン 1957年 作曲パクシチュン 歌パンウナ
16-1) 무정열차無情列車/キムクァンナム 1957年 作曲イジェホ 歌ナムインス
16-2) 울리는 경부선むせび泣く京釜線/キムクァンナム 作曲ナファラン 
17) 울고 넘는 박달재/泣いて越えるパクタル峠/ナムペクソン、キムクァンナム、キムサンジン 1948年 作曲キムギョソン 歌パクチェホン


最近歌謡舞台にノレチャラン司会者のソンヘさんが歌手としてよく出演する(^_^)
資料映像ではMorris.が一番好きな作曲家パクシチュンとパンヤウォルが2ショットで映っていた。パクシチュンえらくお茶目である。例によってKBSプログラム引用だが、発表年度と作曲家とオリジナル歌手名を付記してみた。年度はあまり正確ではなさそうだが目安にはなるだろう。
明日は久々の休みである(^_^) どうも過労のためかミスが続いてる(>_<)ので、明日は完全休養日にしよう。
今日の歩数は3837歩。


明け桜 

今朝の空

今朝の摩耶埠頭 
2013/03/17(日)●蜂屋付近●

5時起床。
209/96/89。
奥井さんと二人、午前中守山市の中国向けピックアップ。午後1時に守山市の別現場への配達、午後4時に向日市ベトナム向け航空便ピックアップと、軽い現場3件だったが、時間指定だったので、かなり空き時間が出来た。道の駅「あぐりの郷」にトラック停めて、近所を散策。枯田の向こうにこんもりした鎮守の森がみえたので、畦道歩いて行った。すぐ北側を新幹線が走っている。
のどかである。
空ではひばりが囀っている。ああ、ひばりの声はいい感じだなあ。美空ひばりという芸名もむべなるかな、である。
この蜂屋地区にある宇和宮神社は養老元年(717)創建という古い神社で、永正2年(1505)に棟上げした本殿は、重要文化財に指定されいるとのこと。建物の形式は三間社流造、屋根は檜皮葺、庇に建具を入れて前室とし、さらに向拝を付ける形式は滋賀県の中世の本殿に多い。(と立看に書いてあった(^_^;))
ともかくも、大きくはないものの良さげな神社だった。
5時半倉庫着。
昨夜は10時に就寝したので、ちょっとは身体ましになった気がする。冷蔵庫の残り物でオムライス作る。
カナダでのフィギュアスケート大会、久々にキム・ヨナ登場。そして彼女は完璧だった\(^o^)/
今日の歩数は4005歩。


良さげな鎮守の森 

新幹線沿いの田んぼ

こぼれ麦?

農作業器具小屋 

三上山

田んぼの端の石仏 

同じく

栗東汚水

椿

木の鳥居 

ブサカワ狛犬 

前殿 

重文本殿

向拝 

脇殿 

鬼瓦

紅梅


蜂屋付近

同じく

挨拶してくれた婆っちゃん

蒲公英

白花蒲公英

デカい大根
2013/03/16(土)●彦根-吹田 そして疲労●

5時起床。
今朝の血圧は205/100/79。
矢谷くんと二人で午前は彦根の台湾向け航空便。こちらはカートン4個くらいの軽い作業だったのに、Morris.はエレベータ前の段差につまずいて、軽量用秤を台車から落っことした(>_<) 重量読み取りの透明プラスチック部分が完全に割れてしまった。とりあえず秤としては使えるけど、なんとも情けない。
午後は吹田山田西のアメリカ向け船便ピックアップ。こちらは大事にしている高級自転車(マウンテンバイク)が2台あって、厳重梱包のリクエストがあったので、廊下で一から大きな箱作り作業。ほとんどこれ二つでMorris.の午後の仕事は終わり(^_^;)
4時半に4時半倉庫着。荷降ろし、バン詰め、などやってるうちに何かフラフラになってしまった。
帰って夕食作る元気が出そうにないので、なか卯で牛丼特盛(@_@)で済ます。
今夜は早く寝よう。
今日の歩数は3944歩。

【ボディ・アンド・ソウル BODY AND SOUL】古川日出男 ★★★☆☆ 「ロックンロール七部作」ですっかりシビレた古川作品だが、この人の本は結構読む側にも体力を要求するので、この繁忙期にはなかなか手が出ない。
BODY AND SOUL本書は2004年発行(初出 「小説推理」2003年2月号~10月号)。だいぶ前に読了して、メモだけ取っておいたものだ。装丁がいい感じで紙質も軽めのザラ紙というたたずまいに惹かれて手に取ったのだが、中身は相当に濃かったあ。ちなみに装幀・装画はあのクラフト・エヴィング商會。
古川本人が実名で登場する。もちろん私小説ではないのだが、、死んだ妻が二人称で登場したり、大手出版社(これもも実名)の古川担当編集者たちとのやりとり、新作のプロットやアイデアなどの濫発、先輩小池さんの薀蓄とオヤジギャグ、トリビアな無用の雑学(Morris.はこれが好き(^_^)……等々、作家の椀飯振舞にふりまわされてしまう。一種のメタ小説ということにもなるのだろうが、Morris.はエンターテインメントとして読んだ。

たしか日本政府は「フリーターというのは定食に就かずにアルバイトで生計を立てている32歳までの成人」と定義している。

こんなゴミみたいなトリビアがあちこちに配されている。これは古川本人の心のつぶやきだが、ネットで調べたら厚生労働省は、
「フリーター」とは「15~34歳の男性又は未婚の女性(学生を除く)で、パート・アルバイトして働く者又はこれを希望する者」のことをいいます。
と、定義していた。古川、勘違いしてるじゃないか。いや、これも故意の韜晦なのだろう。

「ローリング・ストーンズの『チェリー・オー・ベイビー』という曲。これは1976年のアルバムに入っていてレゲエのヒット・ナンバーが原曲なんだけれども演奏の中盤でまるで単純なミスのような音が入っているのね。オルガンの。どうしたって弾き間違いに聴こえるし、なにゆえにそんな間違いがメンバーやスタッフに見落とされてレコードに収録されたのかがわからない。計算ずく? そんなはずはない。そうして、わからないで四半世紀がすぎたわけですな。ところがこのオムニバスを聴いたら疑念が氷解した。つまり、ストーンズのリスペクトは、敬愛するレゲエ・ミュージシャンたちの、演奏ミスだってショボい録音だって気にかけないで平然とレコードにしてはつばいしてしまう、そのアティテュードにむけられていた。もちろんレゲエのリズムや旋律も愛したが、それ以上にあのルーズさが、ミスをして真似をしたいほどに憧れだった。」小池さんの話はためになるなあ。

これは小池先輩の薀蓄で、面白いが眉唾としておきたい。

こだわりつづけた「動植物名は漢字で書き表わす」という原則を曲げた。たとえば山の羊と書いてヤギと読ませる類いに、つかれちゃったのである。だって、ヤギはヤギじゃん。いちいち"山の"なんて修飾語をつけたら、ヤギは生来ヒツジに劣る生物だと認めることになりはしないか? たとえばイルカ。海の豚と書いてイルカとは、あまりの所業。そもそもイルカは小型のクジラなんだから(生物学的にいったら違いはおおきさだけです)、ならばクジラは大海豚とでも表記して当然ではないのか?
なぜにクジラは鯨か?
さらに、です。字典類を調べれば雄のクジラを鯨と書き、雌のクジラを鯢と書いた歴史まで起ちあがってきて、おまけに鯨鯢という熟語は弱い者いじめをする悪人のかしらを指すと解かれていて、こうなるとクジラに失礼千万だし、なんかゲイ差別。俺つかれちゃった。
こだわって意味があるのか?
だから「動植物名は漢字表記」の原則は捨てたの。


Morris.は今でもなるべく動植物名は漢字で書きたいと思っている。山羊や海豚の字面をあげつらって難治るのは些かピント外れだと思う。鯨鯢や麒麟など雄雌で漢字を変えるなんてのは、凄くお洒落だと思うのだけどなあ。個人は虹のことを生き物だと観じて、これの雄雌を虹霓と.呼んでいた。
こだわることにこそ意味がある。と思いたい。何よりも、動植物名のカタカナ表記は漢字表記のイメージの豊穣さと、意味の理解度の合理性、かてて加えて「美学」的観点からすれば、月とスッポンのスッポンポンの方ではなかろうか。

「牛における反芻のシステムとは、どうなってるの? 四つの胃袋を順番に通過するだけなの? 毎度毎度、口に戻すの?」
「あのですね」と僕は脳味噌の灰色(グレイ)ゾーンをどうにか活性化させる。「微生物がね、一番めと二番めの胃にいるんです。まず、いったんダイイチイ……いいづらいな、第一胃に蓄えられれるでしょ? それから第二胃を通過したのちに口に戻されましてね、噛み直しが行われます。反芻(ハンスー)っスね。それから三番めの胃袋に入ってファイナルの四番めの胃袋で、いよいよ胃液で消化されるんですね。牛が完全にそうなのかは、折れもわかんないけど。とりあえず一般の反芻動物は」
「その四番めが」
「[これ]と」
われわれはギャラをひと肉(きれ)、ひと肉、おのおの箸でつまむ。


反芻のメカニズムはよく知らずにいた。ありがとう。
牛の四番めの胃とはいわゆる「赤センマイ」である。「ギアラ」とも呼ぶことは、「焼肉物語」や「ホルモン奉行」で学習したが、「ギャラ」という表記は、何となくチガうような気がする。

僕は書きだす。僕はいっきに書きだす。躊躇がない。イメージよりも言葉が沸騰している。没め、小説に沈没しろ、バカ。僕はトイレにも立たない。膀胱が破裂しそうになっても気づかない。4時間がすぎている。5時間がすぎている。僕はほとんど絶叫している。鼻唄を歌うようにメロディを唸っているが、唄の種類はわからない。糞。書いている。ここは海底だ。お前が作家ならば魂を削れ。死ね。
生きろ。死ね。生きろ。死ね。
そして書きあがる。30枚ばかりの短編がしあがっている。その小説を脱稿したとき、物語から浮上したとき、僕は救済されている。
言葉よ。


これは創作家のの格闘シーンだね。Morris.は肉体派ではないし、スポーツ零能者だから、ボクシングなど、絶対やることはないが、リアルな格闘シーンの描写には興奮させられることがある。同様にMorris.は作家の素質も欠落してるが、上のような記述には思わず「おお」と口をあけたりもする。

二日めと三日めは、『小林カツ代 料理の辞典 おいしい過程料理のつくり方2448レシピ』を開いて、バリエーションに富んだお粥にする。葱醤油がすばらしいアクセントになる豆腐のスープ粥と、食感がすこしばかり感動的な百合根粥。

栗原はるみ著『ごちそうさまが、ききたくて』をひもときながらフキの胡麻煮を作ってみる。
季節感を大切にする。フッと現われて、フッと消えてしまうものを、意識して甘受する。僕もフッと消えてしまうかもしれない。だか、まだここにいる。

本書には古川自身が作る料理や、登場人物との食事場面も多い。それぞれ、なかなかに美味しい文章が並んでいるが、小林カツ代と栗原はるみなどが、ぽろぽろと出てくると嬉しくなってしまうな。

あらゆる神にID番号をつける。それから数式を用意する。なければ自ら編みだしてモデル化する。コンピュータなんて、そのためにある。コンピュータなんて、そのために、現在の処理速度と、馬鹿みたいな容量がある。簡単だ。聖書ならば、あらゆる登場人物に、ID番号をふること。旧約聖書の神と新約聖書の神に、AとAダッシュのちがいを付加すること。それから、聖霊/天使/イエスと神(あるいは神ダッシュ)が等号で結ばれるか、計算すること。
仏典はこの作業にふさわしい。ヒンズー教も、かなりCPUをヒートアップさせそうだ。K、Kダッシュ、Kダッシュ・ダッシュ、Kダッシュ・ダッシュ・ダッシュ……。あたしが目論むのは、結局、すべてが等号でむすばれるかもしれない地平。最初は、等号付き不等号で力関係が示されて、おそろしい「神の大家族制」が明かされる。それを地球規模で、する。地球規模というのは、全文化を無視しない、とのマニフェスト。もちろん、こんなことは、日本人は本地垂迹説で試みていた。あるいは反本地垂迹で。あたしはコンピュータがあるから、それができる。頭だけでできた人たちは、ほんとうにすごい。全然、すごい。
ただし、あたしは、そんな物語は創らない。
神なんて。
代わりにあたしは、家族が総勢で……そう、七百人強いる東方の一族(ファミリー)について、イメージする。ID番号をふらなければ成立しない「エゾの大家族制」と、そこに嫁入りした(してしまった)23歳の女子の、ハードな一日。法事が執り行われるのだ。彼女は七百人強のあらゆる関係を理解して、一種、Z、Zダッシュ、Zダッシュ・ダッシュ、Zダッシュ・ダッシュ・ダッシュ・、Zダッシュ・ダッシュ・ダッシュ・ダッシュ……を独自に整理して、まるで数人しかつどっていない会であるかのように、かんぺきに処理(こな)す。そのプロセスと、想像力による発案のすごみを、あたしは描出する。本家の嫁として生き残るために、彼女=ヒロインは、脳内に壮絶きわまりないソフトウェアをプログラミングする……。

そうそう、コンピュータなんて、こんなことに使うための道具だと、つい、相槌を打ってしまった。この部分が本書の眼目かもしれないな。

紀元百年ごろに『説文解字』は成立した。いちばん初めの字書。中国に現存している、最古の漢字の解説書。著者は許慎。後漢の学者だ。
許慎は漢字を配列することで、宇宙に存在するあらゆるモノを整理した。
ある秩序にしたがって。
漢字が宇宙なのか。
たぶん許慎の脳裡では、宇宙が漢字だった。
漢字・カンジ・かんじ。さあ、後漢という言葉に帰ろう。これは「漢の字」だ。カタカナ文字の氾濫が日本語を破壊していると唱える輩よ、だったら漢字なんて使うな、馬鹿。なぜ日本人が漢字を採用したのか? 僕は呪術性を否定しない。僕は表意文字であり、"絵画"である漢字に、日本人がそうとうなポテンシャルを認めたことを否定しない。はるかな昔、中国→朝鮮半島→日本、と物品が入ってきて、そこには漢字が刻まれていた(はずだ、絶対に)。当時の日本人には意味不明で、しかし力は認めた。文字を持たない/持つ必要がいまだない日本人が、そのパワーに魅入られた。僕たちがエジプト旅行してヒエログリフに魅惑されるように、神秘を感じる。霊的ななにごとかを甘受する。だから、だ。だから漢字(それ)は採用される。ただの表音文字--アルファベット--を排他的につかみとらずに、漢字(それ)を。
システムだ。
宇宙だ。
はなから宇宙化されている。
さあ、どうする? 外来語廃止論にひた走るなら、この宇宙(ユニバース)を抛棄しよう。漢字から派生したアルファベット、すなわち平仮名も、片仮名も、投げだそう。abcdefghijklmnopqrstuvwxyzだけで日本語を表記しようか? そうしたら万歳? でも、それが英語の音素を表わす文字体系だからと、またもや拒絶が沸きあがるはず。
僕はなにも拒絶しない。
全部、投入する。


先の動植物カタカナ表記と、通底するようで、どこか混乱している。「全部、投入する」=「何でもあり」ということか? それを言っちゃこまどり姉妹ぢゃ(^_^;)

「思想以前に、存在が『アラビアン・ナイト』なんだなぁ。フルカワさんはやっぱり変わってるんだなぁ。まるでイジョー者ですよ、そのアイディアの湧きかたは」
存在が『アラビアン・ナイト』!うーむ、異常といわれても大変にうれしい。

古川の創作世界が「アラビアンナイト」に通じるというのは、言い得て妙、というか、なんたって「アラビアの夜の種族」が、センセーショナルな出世作だもんね。 いつかは読まなくては(^_^;)

ボディがいままでとは異なるソウルを宿すとき、ボディには意識が芽生える。たとえば、あたしは男性ではないし、あたしの肉体はそれまで小説を書き綴ったことがない。手書きの4倍の速度でマッキントッシュの鍵盤をばちばち叩きつづけた経験はない。そうした、もろもろの事実。たぶん無視できない。するとあたしのボディは、かすかな自意識のもとに調整を行なう。その調整をここにいるソウルは感知できない。
あたしが降ろしている声は、気づけない。
つまり、あたしはあたしを騙す。
本当は、あたしはヒデオくんを騙す。
わかる?
肉体だけにも、意思があるかもしれないこと。かもしれない、のではない。実際には、ある。
あるの。
そうでなかったら、どうしてゾンビが生まれるの?
でしょう?
ほら、肉体は死んだときですら夢を見る。デッド・バット・ドゥリーミング。だから、生きているならば、もっと、もっと。
あたしのボディは騙しつづける。
それはただの調整。
ただの調整。


死んだ(はずだった)妻が(実は)死んでいた夫を入れ替わりに演じる入れ子構造と、本書のタイトルの風景だろう。
作品を創作するときに、書き出しと、〆をかなり重視してる作家かもしれない。
ということで、本書の冒頭は

たとえば僕はここで死んだふりをしてみる。すると、霊魂は脱けだす。それから?

末尾は

たとえば僕はここで生きているふりをしてみる。すると

2013/03/15(金)●倉敷辺り●

4時起床。
今朝の血圧は198/97/89。
荻野くん、としろうと3人で倉敷のタイ向け荷物と保管にピックアップ現場。
昼休みは、現場すぐ南の倉敷風致地区見物。ほとんど映画村状態。
大原美術館は、やっぱりゆっくり見に来たいものである。
4時過ぎ作業終了。帰り道が混んでいて倉庫には7時頃到着、荷降ろしなどやって帰宅は8時半。
明日も5時起きで彦根である(^_^;)
今日の歩数は3994歩。


今朝の高橋から

摩耶埠頭からTwin煙突

見事な梅 

現場近くの民家 

ここらあたりから風致地区

ほとんど映画村

こんな擬似洋館が好み

中国銀行

倉敷の空

えべっさん

焼鳥高田屋

銘酒萬年雪

重厚

楠戸合名会社

落ちかけてる屋根

蔵?

犬のの資料館

風見鶏

堀端 

舞妓撮影

猪牙で観光 

倉敷館

大原美術館

同じく

 焼き塀路地

消火栓

素朴な煙突

2013/03/14(木)●同窓会?!(^_^;)●

6時半起床。
今朝の血圧は211/105/77。
溝渕、岡本くんと東大阪市の台湾向け荷物ピックアップ。
午後1時前作業終了。
遅めの昼飯は神戸東市場内のオリーブキッチンでサービスランチ(\650)。今日はハンバーグだったが、ここのランチは質量共に文句なしである。
今日は帰りに自転車で灘図書館に酔って、返却期限切れの本を返すつもりだったが、春待ち社長からメトロ神戸の大谷くんの店「昭和や はなれ」で会おうとのメール入ったので、一旦帰宅して、風呂あびて、JR神戸駅から中央図書館に廻り、返却してから「はなれ」へ。社長のほかに、中江、松尾くん、それにさりーちゃんも来ていた。社長以外とは、今年初めてである。
社長は17日からひろことタイに行くらしい。
しばらく酒は控えようと思ってたが、こうなると飲まないわけにはいかない(^_^;) 美味しい日本酒(香住鶴)に、お好み焼き(隣が本店でこなもん屋)、おでんなどアテに4杯くらい飲んでしまった。
明日は4時起きで倉敷現場なのに、大丈夫だろうか(^_^;)
今日の歩数は2285歩。


今朝のTwin煙突 

東大阪の空

大谷夫婦

中江くん、社長、松尾くん

さりーちゃん



2013/03/13(水)●十三あたり●

5時半起床。
今朝の血圧は168/96/63。
二日酔いではないようだが、身体ボロボロである(>_<)
ふらふらと自転車に乗って何とか7時半に摩耶埠頭倉庫にたどり着く。
矢谷くんら4人で、十三のスイス向け荷物ピックアップ現場。
いやあ、辛い一日だった(>_<)
午後から雨が降り出した。
帰りは自転車置いて歩いて帰ろうかと思ったが、ちょっと小降りになったので自転車で走りだしたのだが、途中で本降りになってしまい(>_<) 濡れネズミで部屋にたどり着いて、とりあえず風呂に。
これから3月いっぱいは、農繁期である。しばらく禍飲は控えることにしよう。
今日の歩数は4352歩。


今朝の砂場猫

淀川土堤に上がる階段

川越に梅田を望む

十三の野良三毛 

神津神社

懐かしいゴミ箱(ホテル「ローマの休日」) 
2013/03/12(火)●ママ抜きサランバン会(>_<)●

6時起床。
今朝の血圧は199/107/72。昨夜の「歌謡舞台 1313回」は"작곡가 박춘석 3주기” 「作曲家パクチュンソク(朴椿石)三周忌特集」だった。歌謡舞台はこの作曲家には縁が深いのか、没後に2回特集をやっている。昨年3月の時も、今回と同じくナムジンのカスマプゲから始まった。ただ今回は、パクチュンソク自身が歌ってるビデオ映像が流された。彼は当初歌手としてデビューしたらしい。古い写真もあったがなかなかの男前である。

1) 가슴 아프게 カスマプゲ(胸が痛くて)/ナムジン
2) 비 내리는 호남선雨降る湖南線/チョハンジョ
3) 황혼의 엘레지黄昏のエレジー/チェユナ
4) 물레방아 도는데水車は今日も/カンジン
5) 우수憂愁/ナムジン
6) 내 영혼의 히로인魂のヒロイン/ナムジン
7) 타인들他人たち/ムジュラン
8) 누가 이 사람을 모르시나요誰があの方を知らないか/문 주 란
9) 삼팔선의 봄38線の春/ペイルホ
10-1) 흑산도 아가씨黒山島娘/キムヨンジャ
10-2) 기러기 아빠雁暮らしの父さん/キムヨンジャ
10-3) 섬마을 선생님島の村の先生/キムヨンジャ
11) 가을을 남기고 간 사랑秋を残して去った愛/クォンソンヒ
12) 초우朝雨/イハスク
13) 바닷가에서海辺にて/アンダソン
14) 호반에서 만난 사람湖畔で会った/ハチュナ
15) 숙녀 초년생レディ新入生/ムンジュラン
16) 공항의 이별空港の別れ/ムンジュラン


パクチュンソクは生涯に2700曲を発表していて、これは韓国では最多記録らしい。今回の出場者の中ではナムジンとムンジュランがオリジナル楽曲を多く持っているようだ。キムヨンジャがイミジャオリジナルを3曲メドレーで歌った。この中では「島の村の先生」が一番のお気に入りである。去年はイジャヨンが歌ったが、今回のキムヨンジャも、ちょっと気張りすぎのような気がした。
今日は韓国人専門引越し業者のヘルプ現場で、尼崎武庫川パークタウン。ここは阪急からもJRからも結構距離がある。JR甲子園口で降りて30分程かけて武庫川を遡る。いつもの馬さんと二人で10m3くらいのピックアップ。
5時過ぎ作業終了。
今夜はサランバン会なので、大きな鞄に着替えやらミニ太鼓やら入れて持参したのが正解だったようだ。一旦帰宅して出直したら8時過ぎたと思う。
サランバン「会場「恋人」には7時前に着いたが歌麿会長ら4人しか来てなくて、洪ママの姿が見当たらない。ちょっと遅れるのかなとも思ったが、いつも歌麿会長がエスコートしてくるから、それも無さそう。ちょっと嫌な予感がしたのだが、何と洪ママは2月のサランバン会の数日後に体調不良で救急車で警察病院に運ばれ、現在別の病院に入院中とのこと(>_<) だいぶ回復してリハビリ中とのことで、一安心だが、一日も早く元気な姿を見せてもらいたいものである。
ミニ太鼓持っていったのも、洪ママに自慢したかったのに(>_<)。結局今夜はトータル8名くらいしか集まらなくて、ちょっと寂しい会になったような気がする。
とは言え、例によって榎本さんのビール攻勢で酔いの回ったMorris.は太鼓叩きまくり、歌いまくりで大騒ぎをした模様である(^_^;歌麿会長から、昨日の歌謡舞台のDVDも頂いたようだし、11時過ぎに店を出て何とかJR環状線、神戸線乗り継いで、最終電車で灘駅に到着したら1時過ぎだった。
何故かアパート一階の古本屋「ワールズエンドガーデン」、灯りが付いている(@_@) 小沢店長の他に若い男女5,6名がたむろしてて、何か茶話会でもやってたようだ。すっかり酔ってたMorris.はほとんど覚えていないのだが、声かけられて店内に入り、太鼓叩いたような気もする(^_^;)のだが、春の夜の夢であった。ということにしておきたい(^_^;)今日の歩数は4477歩。


イミジャとパクチュンソク2ショット

キムヨンジャ

ハチュナ

朝の武庫川 

同じく

Morris.の袖に留まった花虻

尼崎市立武庫小学校 

尼崎の下水マンホール蓋 

鶴橋の煉瓦塀 

中華屋前の猫

同じく

サランバン会風景

ゴージャスな白百合 

丸本嫁と「恋人」ママ 

午前一時の「ワールズエンドガーデン」(@_@) 

2013/03/11(月)●春眠午睡●

7時起床。
今朝の血圧は232/106/71。
朝の3点セット。
今日で東北大震災から2年になる。事態は一向に進展せずにいる。
午後王子動物園へ。
まぬうは雄も雌もぐっすりお寝みでぴくりともしない。隣の山猫もボブキャットも、ライオンも虎もみんな寝てた。春眠午睡というところだろうか(^_^;)
資料館図書室で、新着図書チェックしようとしたが、特に目新しいものがなくて、書棚冷やかしてて「図説 世界の昆虫 阪口浩平著」という大型の6巻本があったので、何気なく手に取った。これがまたとんでもなく凄い本だった。30年ほど前の出版で1冊1万3千円もするが当時としては最高の印刷技術を駆使したとおぼしいカラー図版が美しい。東南アジア2冊、南北アメリカ2冊、アフリカ、ユーラシアという構成で、取り上げられている昆虫は蝶と甲虫が大半を占めている。いわゆる学術的書物とはひと味ちがう感じを受ける。阪口浩平という人は高名なノミの研究家らしい。同時に昆虫標本の収集家でもあったらしい。この6巻は、自己の標本のめぼしい所を公開したもののようだ。結局ひと通り図版だけ目を通した。2pずつくらいの解説も、専門的ではなく、とっつきやすそうである。また関心あるところだけでもチェックしよう。それにしても、ツノゼミやハゴロモなど、昆虫少だったMorris.にも馴染みのない、興味深い形態や色彩の昆虫に心惹かれてしまった
マルハチで買い物して5時帰宅。
今夜は久しぶりに麻婆豆腐。
北朝鮮が60年ぶりに休戦協定の全面撤回を発表。朝鮮戦争再開なんてことになりませんように。
明日は別業者のヘルプで、尼崎現場直行、直帰である。夜はサランバン会だが、どうしたものだろう。着替え持参で、そのまま鶴橋に移動しようか。また、明日夜は三宮のGreat Blueで春野由利バースデイライブがあり、井山くんのほか、福井くんや、宮崎からユウゾウも出演するとのことで、是非行きたいところなのだが、サランバン会と重なってしまった(>_<)
今日の歩数は1878歩。


久々ぶんちゃん 

王子動物園 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄

ボブキャット 

ライオン 雌


黒豹

雪豹

アムール豹

こんなところにまぬうが(@_@) 

図説「世界の昆虫」阪口浩平著 

同書からウスカバマダラ群生

同じくハゴロモの仲間

象 

【詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」】中野敏男 ★★★☆☆ NHK BOOKSというのは、ときどき面白いものを出すことがある。本書もその一冊ということになるだろう。2012/05/30発行。

拡大の一途をたどりつつ国民に奉仕を求める国家、自らすすんで協力する人々、その心情を先取りする詩人、三者は手を取り合うようにして戦時体制を築いてゆく。<抒情>から<翼賛>へと向かった心情の回路を明らかにし、戦前・戦時・戦後そして現在の一貫性をえぐり出す瞠目の書。(見返しの惹句)

本書は、関東大震災とそれを前後する1920年代のことを、遠い過去と見てしまうのではなく、むしろ戦争に向かって進んだ民衆の同時代経験としてしっかり考えなおしておく必要があるだろう、そんな問題意識が先にあって始めていた仕事を心情の文化史という軸でまとめたものです。それが現実に生起した大災害により、当面する状況に文字通り直に関わるものとなってしまうとは。想像もつかなかったこの事態の成りゆきに、胸のつぶれる思いはなお消えることがありません。「ボランティア」や「絆」が強調されているこの時に、しかもそれが実際に人々の物心両面での支えにもなっているはずの場面で、その基底にある危うさに注意を向けるというのはやはり容易なことではないでしょう。しかし、そういう時だからこそこれは必要な問題提起となるに違いない、そのように心を奮わせて、いまはそれを送り出すのみとなりました。(あとがき)

関東大震災と、この度の東北大震災がシンクロしてしまったということなんだろうなあ。
Morris.も、何となく「絆」の強調には違和感覚えていた。

震災後という状況下ではなおさらそうだと思いますが、人びとの傷ついた心情が抒情詩歌によって癒されるというとき、そこでいつもなにがしかは意識されているのが「郷愁」という心情であることは間違いないでしょう。学校唱歌の代表作である「故郷(ふるさと)」も実はそうだったのですが、童謡の代表作である「赤とんぼ」や「夕焼小焼」などを考えてみても、最も典型的な「日本の抒情歌」と言われているそれらの歌が、そろって遠い故郷や過ぎ去った日々を思う心情を歌っていることはよく知られています。そしてそう考えてみると、本書で考察対象とする北原白秋の作品にとっても、代表作の「砂山」「からたちの花」「この道」などを順次挙げてみれば、郷愁が特別に重要なモチーフであるのは明らかと思えます。すると、そこにはいったいどんな問題が潜んでいるのでしょうか。

郷愁というのが、「新しい観念」であることを、わしらはつい忘れてしまいがちである。

「大正」という時代を迎え、日本民衆はここから「大正デモクラシー」と名づけられた政治状況の担い手にもなっていくのですが、それへの道がこのような移住熱と版図拡大要求をひとつの原動力にして開かれていたことは、その後の日本における民衆意識の性格を強く規定したと考えなければなりません。またその裏面で、このような一大植民地帝国にむかう日本国家とそれを支える日本民衆との協力(共犯)関係が、植民者である日本人と被植民者となった朝鮮人や中国人という対抗関係を形作って、この両側にいる<民衆>という存在の間に[蔑視]と[敵意]を生み、次第にそれが自他を思う感情に深く暗い影を落としていったというのもやはり間違いないことでした。

「国家と国民の共犯関係」これこそ、戦後の日本国民が知らぬふりしてすましてしまったことだろう。

北原白秋という詩人における童謡と新民謡の世界の生成について、そこに見えた郷愁の本質化という問題を取り付き点にしてかなり立ち入った考察を続けてきました。そしてここにいたって、白秋のその本質主義の意識が、いまや帝国日本の神話的な地理の構想にまで進んできていることを確認しています。しかもこれまでの考察で重要なことは、詩人白秋におけるそのような詩想の展開が、実はつねに同時代の植民地主義との関わりを契機としながらステップアップしていると理解できることでしょう。そのことにより白秋の詩的世界は、一大植民地帝国の建設に進む同時代の日本の時代精神と次第に深くその基調を合わせるようになっているのだと分かります。大正デモクラシーの「自由」という社会的雰囲気の中で日本民衆の心情をしっかりつかんだ白秋童謡と新民謡の詩的世界が、ここまで進んで、いよいよはっきりと植民地帝国の歩みにその詩想の足並みをそろえるようになっているわけです。

ハワイ、アメリカ、ブラジルへの移民と、朝鮮、台湾、満州への移民では、対照的にベクトルが違ってしまっている。つまり、日本人が植民地政策の「うま味」を味わうために動いたわけで、その心情を甘く包んでくれたのが白秋の童謡や新民謡だったということなのだろう。

今日の時点から考えると暗い戦争の時代の幕開けとみなされがちなこの1930年代の前半は、同時代の都会人の短期的な体験として見る限りで、大不況からの脱却という光が見出されていた時期であり、満州事変も、遠い中国の地で勃発しながら自分たちには戦争景気をもたらしてくれる絶好の営利チャンスとして植民地主義的感覚で受け入れられていたということです。
1931年から33年にいたるプロセスには二つのとても大きな状況の落差があって、それが人々の意識を強く揺さぶっていたのです。二つの落差とは、ひとつは不況から好況への反転という落差ですし、もうひとつは都市部と農村部との落差です。この顕著な事態は、一方に垣間見えた「好機」を逃すまいと前のめりに突き進む切迫した投機的野心を生み、他方ではあまりにひどい貧富の落差が「憂国」の心情に火をつけもして、やはり誰にとっても重大な精神の危機につながる可能性を秘めていました。
そんな状況を考えてみると、世界第二位になると喧伝された「大東京」の実現は、この時期の人々には決して単なる一都市の出来事なのではなく、むしろ「日本人みんな」の気持ちを揺り動かし痺れさせる力を備えた麻薬のように魅惑的なシンボルにもなっていたことが理解出来ます。すなわちそれは、都会人にとっては厳しい不況から脱して豊かな消費生活に向かい始めたその前途を保証してくれるはずのかけがえのない目標であり、農村の人々にとっては絶望的な貧困から脱して安定した生活への可能性を開くなけなしの縁(よすが)のように見えただろうということです。


何か「大東京」と「大阪都構想」がダブって見えてくる。関東大震災と東北大震災、朝鮮人虐殺と無目的殺人、不況脱却、翼賛と「強い日本。まさに「この道はいつか来た道」ではないかい。
戦後最初に大ヒットした童謡「里の秋」が実は戦前に「星月夜」というタイトルで作られていたもので、その歌詞が以下の様なものだったというのは驚きだった。

里の秋(作詞 斎藤信夫 作曲 海沼實 1945/12/24放送)

1.しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の落ちる 夜は
ああ かあさんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

2.あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ とうさんの あの笑顔
栗の実 食べては おもいだす

3.さよなら さよなら 椰子の島
お舟に ゆられて 帰られる
ああ とうさんよ 御無事でと
今夜も かあさんと いのります

星月夜(斎藤信夫作 1941年12月)

(1.2.は「里の秋」と同じ)

3.きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります

4.大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります

軍国主義について検閲がありそれが奇妙にも軍国主義の隠蔽として、戦時の暴力から目を逸らさせる忘却を生む(この時期に教室で使われた「墨塗り教科書」もそれだった!)。このように作られた「忘却」であれば、その暴力を一時的に遮断はしても、根絶やしにすることは決してないでしょう。

そうそう、言い換えは、そのばしのぎでしかない。

思えば、1950年代の朝鮮戦争の時代とは、日本国内では「戦後復興」が声高に叫ばれていた頃のことでした。また60年代のベトナム戦争の時代とは、日本では「高度経済成長」が謳歌されていたその時にほかなりません。そんな時節を通じて、日本ではこの時期全体を「平和と民主主義と経済成長の戦後」と認識し、「奇跡的な復興」を「繁栄」につなげた日本の栄光と、戦災の焼け跡から立ち上がった「平和で勤勉な民衆」という自己像をそこの投影してきていたのでした。しかしこのような戦後日本の民衆の自己像が、実際には戦争が続いたアジアの各地から日本を「基地国家」として見ていた彼の地の人々から見れば、日本の内向けにのみ通用するひどく欺瞞的なものと映るのは明らかでしょう。この「基地国家」は、冷戦状況下での他国の独裁政治や戦争を自国にとっては好都合な前提条件とし、そこで特別に生まれる営利チャンスを自国経済の成長のステップにしてきていて、その意味でこの国家は、独裁と戦争に寄生する「経済成長」志向だったと見なければなりません。そうだとすれば、日本国内でのみ通用する「戦後平和主義」とは、そしてそれを肯定する「戦後」意識とはいったい何だったのでしょうか。

「基地国家=日本」という視点は注目である。「独裁と戦争に寄生する経済成長志向」こそ、日本の戦後を端的に集約する言葉だね。

21世紀に入った今日では、「戦後」と言われる時代もすでに六十年を超える歳月が過ぎ、世界の冷戦構造も確かに大きく変容しました。
それに加えて現在では、東日本大震災を前後して大きく問題化した二つのことが、あらためてその現状を厳しく照らしだすことになりました。
ひとつは、普天間基地移転が焦点化する中であらためて問われている沖縄の米軍基地の荷重負担という問題であり、もうひとつは、震災にともなう福島第一原子力発電所の事故に端を発した深刻な原子力災害のことです。わたしたちはいま、戦後に植民地主義の継続を考える際に、この戦後世界に作られていた[犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」の存在に注目しました。
軍事基地の負担を沖縄に集中し、エネルギー供給に関わるリスクをフクシマその他に集中していればこそ、今日まで日本の他の地域の人々は、日常的にはそんな負担やリスクを意識しないままに「平和で豊かで安全な社会」であるという中央中心の事故認識をずっと維持してこられたわけです。そうであれば、これもまたひとつの植民地主義だと言わねばならなのではないでしょうか。
このように考えてくると、東日本大震災を経た今日、この日本は確かにひとつの大きな曲がり角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災でしたが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、「犠牲やリスクの不平等」を生むこんな差別的秩序に依存して進められてきた戦後日本の「経済成長」路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの拡張路線の、手酷い破綻であるに違いありません。深刻な放射能汚染と生活破壊を伴う大災害の現実を目の当たりにして、もうこれまで通りやってはいけない、やってはならない。そんな声がまずは負担を強いられてきた人々からあがり、それが生活レベルから広範な人々に共感されて、基地や原発を前提としないような将来構想がいまや切実に求められるようになっているということです。このような意識が確かに結びあうなら、それは生活する民衆の精神からの事故変革につながり、やがてはそれがこの歴史と社会に新しい未来を開く力になっていくかもしれません。
そんな時だからこそ、かつては震災から戦争に向かってしまった痛切な歴史を見直し、そこに堆積した民衆の文化経験に学ぶ営みがやはり大切なことなのだとあらためて思います。そのように歴史とその責任をしっかり見極めつつ、いまこのときに精算すべきことはきちんと精算して、そこから新しい生活と文化を創り出していくことが、わたしたちにできるでしょうか。そこではいったいどんな詩や歌が求められ、生まれるでしょうか。

東北大震災2年目にあたる時点で、この結びの言葉には共感を覚えた。
しかし、この「ですます」調の文体は、写してて、ちょっと勘弁してもらいたくなった(^_^;) はっきり言えば「悪文」である。筆者が2006年に急性心筋梗塞で倒れ、回復したものの活動に制約を受ける状態、というのが一因かもしれないが、発表する際にはもうすこし刈り込むべきだろう。

2013/03/10(日)●倉敷あたり●

4時半起床。
今朝の血圧は199/98/67。
和子さんからのいかなごくぎ煮溝渕、浅海くんと3人で、倉敷アメリカ向け荷物ピックアップ現場。
途中吉備のSAで休憩。片隅に大きな桃太郎像があって、犬、猿、雉もなかなかリアルな力作だ思ったのだが、裏側に回るとあまりにもおそまつだった(>_<)ひどい造りである。せっかくなら全身きちんと作っておいて欲しかった。
現場は一戸建て二階で、Morris.はほとんど一階の倉庫保管荷物の梱包。昼ごろちょっと雨が降ったが、午後には上がった。
5時過ぎ、倉庫着。
浅海くん嫁である和子さんから、神戸の春の風物詩「いかなごのくぎ煮」のおすそ分け。これを味わうと春の到来が実感される。
和子さん、ありがとうm(__)m
WBC日本-オランダ戦は、鳥谷の先頭打者ホームランを初め6本のホームランで何と16-4で7回コールド勝ち、という、予想外の結果になった。投げては前田健太の好投が冴えわたった。たまにはこんな試合も良いだろう。これでアメリカサンフランシスコでの準決勝進出は決定だが、やっぱり何となく盛り上がれない。
仕事で「挑戦千曲」も「ノレチャラン」も見ることできなかったので、11時から「コンサート7080」見る。チンミリョン、ウォンミヨン、ヤンハヨン、キムヒジンと、熟年女性歌手4人相手に司会のぺチョルスと思い出話の座談会状態(^_^;) チャンミヨガン(薔薇旅館)という名のフォークグループなど、80年代フォーク色の濃いプログラムで、Morris.にはちょっと畑違いのようだった(^_^;)
今日の歩数は3296歩。


早朝の砂場猫

吉備SAの桃太郎像

その裏側 

枝垂れ梅 

摩耶ガソリンスタンドから

倉庫前の夕空

2013/03/09(土)●屋上初夏気分●

6時起床。
今朝の血圧は194/103/74。
今日は朝からえらく暖かい。
西郷川沿いの濃いピンクの桜が満開になってた。1月から咲いてる河口公園の小ぶりの桜ほどではないが、こちらもかなりの早咲きである。
矢谷くんと二人西宮のタイ向け荷物ピックアップ。午前中で作業終了。
昼は矢谷くんお薦めの「たけふく」という大衆食堂。いちおうそば屋らしいのだが、トンカツとカレーが美味しいとの話だったので、カレーカツ丼(\850)。和風のカレーとカツのコンビネーションがなかなかのものだった。
1時過ぎ倉庫に戻り、バン詰めなどして2時半に退出。3時帰宅(^_^)
汗ばむくらいの暖かさなので、思わず、ミニギター持って屋上へ。外壁工事で屋上も一部足場組んであったが、土日は作業休みということでOK。
結局2時間くらい遊んでた(^_^;)。
3月になっても、一向に仕事がたてこまない。と、思ってたら、やっと明日から月末までは結構忙しくなりそう。
とりあえず、明日は4時半起きで倉敷現場である。
今日の歩数は2118歩。


今朝の砂場猫

砂場もしばらく工事らしい 

これも早咲きの桜 

摩耶埠頭貨物船 

GLOBAL WIND PORT VILA ??

今朝の摩耶埠頭

木蓮の蕾

西宮大屋町「たけふく」 

「たけふく」のカレーカツ丼

叩頭虫(こめつきむし)

ここからTwin煙突見えなくなる(;;) 

初夏を思わせる屋上 
2013/03/08(金)●The L(Wr?)ongest Game●

7時半起床。
今朝の血圧は178/91/78。
何となく部屋でゴロゴロ。
夕方歩いて六甲道に出て灘図書館寄ってから、こいずみ歯科へ。歯周ポケットの検査と奥歯の研磨。Morris.にしてはしっかり歯磨き続けてるお陰で、現状維持かやや回復気味とのこと。今後は3ヶ月毎くらいにチェックが望ましいとのこと。
帰りはJRで7時半帰宅。
WBC日本-台湾戦、とりあえず見る。3回に能見が三連続四死球で押し出し(>_<)で先制される。日本打線はあいかわらずちんたらしてる。5回に追加点取られて、リリーフ田中が6,7回はぴしゃりと抑え、8回には何とか同点にしたもののその裏台湾が1点追加。9回四球で出た鳥谷が二死から盗塁(かなり危なかった(^_^;))決めて、井端のタイムリーでどうにか追いついて延長に。この時点でもう11時過ぎてた(>_<) 10回表、一死似、三塁で中田の犠牲フライで勝ち越し、やっとのことで日本の勝ち。試合終了は11時45分(^_^;) 熱戦というより、凡プレー、拙攻連続の、変な試合だった。
今回の大会は7時試合開始で、ゲーム終了まで中継放映するということになってるらしく、ABCも最後まで中継したから、報道ステーションは翌日にまたがってしまった。見る方も疲れた。
Morris.一押しの大阪大正区のディキシーランド・ジャグ・バンドTHE BIGOOD!のウォッシュボードのはっしーが退団したとのこと、これでメンバーはムーちゃんといくちゃんのデュオということになる。ちょっと残念だけど、仕方がない。
今日の歩数は3912歩。


薔薇の蕾

稗原町の白雉

同じく
2013/03/07(木)●勤労奉仕●

7時半起床。
今朝の血圧は188/100/76。
8時半に自転車で六甲学生青年センターへ。
恒例のセンター古本市の会場設営である。
今年で16回目になる。第一回は1998年で、Morris.はその頃まだセンターの朝鮮語講座に通ってたこともあって、自然と手伝うようになった。
ここ数年前からMorris.は飛田さんアイディアのみかん箱で作るダンボール本棚作りの専従(^_^;)になっている。去年まではスチール本棚組立も手伝ってたが、今日はボランティア学生も多かったので、最初から別室(ホール)でダンボール本棚作業に終始した。ヘルプに女性ボランティア一人つけてもらい、流れ作業的に本棚8個ほど作った。今日は鹿嶋さんも手伝いに来てたので、お昼や休憩時にちょこっと話もできた。
正式に古本市開始は3月15日だが、すでに、今日から買えるので、時間のある方は不要本持ち込みも兼ねて覗いてもらいたい。
一般書籍は三百円均一、文庫、漫画、絵本は百円均一だから、かなり掘り出し物もあると思う。
岩合光昭の猫写真集が5冊もあったので、休憩時にひと通りぱらぱらと見たが、やっぱり、すごい(@_@) 
午後からは、ほとんど雑用係に徹して、4時頃作業終了。
マルハチで買い物して5時半帰宅。
今日の歩数は2119歩。


古本市設営 

Morris.はこちらでしこしこと(^_^;) 

ブティックショーウィンドゥ 
2013/03/06(水)●神戸税関モノクロ探訪●

7時半起床。
今朝の血圧は190/96/80。
朝の3点セット。
朝からえらくうるさい、と思ったら、今日からアパート補修工事開始で、足場を組み始めたらしい。一ヶ月くらいかかる予定らしいから、一階の古本屋「ワールズ・エンド・ガーデン」はいい迷惑だと思う。
2時前に部屋を出て、海岸通まで出て、三宮方面に歩く。今日は暖かいと言ってたので、久しぶりにミニギター持って行こうかとも思ったが、風があるのでパス。代わりに?ミニミニジュンベリュックに入れる。石のベンチでiPhone音楽似あわせてしばらく遊ぶ。
三井倉庫から新港貿易会館ビルを冷やかす。一階にはブティックが入って、上は事務所の雑居ビルになってるようだ。
1月6日に見学した"KIITO"(旧神戸生糸検査所)も、もう一回覗いてみる。
二階のパンフレット置場(^_^;)では「日本中がマチオモイの春!」という面白い展示やってた。町や地域のガイドブックではなく、全国のアーチストが、自分の住んでいる地域への思い入れを込めて写真やイラストなどで「マチオモイ帖」という名のパンフレットを自由に制作するという企画らしい。全国13ブロックで展開されているが近畿が中心のようだ。形態もページ数も様々、玉石混交状態だが、すごく素敵な写真や、アイディアに富んだ作品も多かった。中でも才村昌子作「武庫川帖」は素晴らしい。実は彼女は井山嫁で、この作品も以前彼女の個展で見せてもらったことがあるのだが、改めて他の作品と並べてみると、突出してると思った。写真もコンパクトデジカメで撮ったもので、すごく良い感じである。身びいきでなく、彼女の才能を認めたい。もう一つ堀内・二階堂作「神戸色イロ帖」は、色違いの紙にカット風の切り絵を重ねたもので、これは抜群にセンスが良かった。この展示は3月24日までやってるらしい。"KIITO"ビルそのものも、検査所の資料展示室
そして、今日のお目当て神戸税関へ。ここは初めてではないが、Morris.偏愛の入り口の石段だけでも神戸レトロビルのトップに挙げたいくらいのものである。建物自体も良かったのだけど、8年ほど前に強引に増築してしまった。いちおう前から見ると以前のスタイルを維持しているからよしとしよう。
九階の展望ロビーまで上がったが、ベランダ庭園には出られなかった。八階の食堂もこの時間では営業してなかった。
五階の屋上には出ることが出来た。これは旧館の屋上ということになるのだろう。今日はすべてモノクロで撮影した。それなりに良い感じのショットが撮れた。ような気がする。
Morris.が熱心に石段撮影してたのを見て、守衛のおっちゃんが、こんどはお昼の食堂やってる時間においで、狙い目は11時半から12時15分までだよ、と教えてくれた。
三宮図書館に寄って、ダイエーで買い物して、JRで7時過ぎ帰宅。
WBC、日本-キューバ戦。相変わらず日本は貧打で、8回終わって0-6。9回に何とか3点返したが焼け石に水。まあ、今日は勝たなくてもいい試合だけどね。それよりも、別グループの韓国は台湾に逆転勝ちしたものの得失点差で予選落ち確定(>_<) ほとんど日韓戦を見るためのWBCと思ってたMorris.にとってはショック!!である。
今日の歩数は8332歩。



今日から外装工事(>_<) 

渚中学校

渚の太鼓叩き(^_^;) 

鴨 

三井倉庫

新港貿易会館

同じく

入り口のステンドグラス

一階階段

ブティックらしい

階段脇の丸いステンドグラス 

階段上から

廊下

一階踊り場 

この鉄枠模様が面白い

旧神戸生絲検査所 裏手から 

今は"KITO"

面白い展示が

才ちゃんの「武庫川帖」

同じく 

これも秀逸

やっぱりいい感じ 

検査機器 

広々とした一階部分 

cafe 

入り口

表側 

神戸税関 

Morris.偏愛の石段 

入庁証 

入り口の天井ドーム 

アーチとシャンデリア 

新館から 

九階ロビー 

五階屋上から 

旧屋上と増設新館 

新館内部 

ズーム無しでこれだけ近づける 

これも屋上から 

中庭から 

増築前の模型 

ライオンはネコ科 
2013/03/05(火)●客室でスノッブ(^_^;)●

7時半起床。
今朝の血圧は189/100/66。
本当は今日は広島現場のはずだったのだが、昨日、突然キャンセルになってしまった(>_<) 3時起きになるところだったから、まあ、よしとしよう。
仕事ない日は、8時半から10時まで、TV大阪の韓国ドラマ見るのが通例になってしまった(>_<)
8時半から9時までの「不屈の嫁」はまだまだ続きそうだが、9時から10時の「ロイヤルファミリー」は昨日で終わり、今日から「華麗なる遺産」というのが始まった。例によって財閥御曹司などの出てくる上流社会モノである。余り面白くも無さそうだが、結局ロイヤルファミリーも見てしまったから、こちらも見てしまうのだろう。
午後、王子動物園へ。まぬうは2匹出ていて、悲しいくらい同じパタンを続けている。
塗装修理などやってた、ふれあい広場のSL D51見に行く。おお、修理終わって、Morris.の専用座席だった食堂車も中に入れるようになってた\(^o^)/ これから暖かくなるから、また絵葉書書いたり、読書したりできる。今日も2枚だけ写真絵葉書書いて、普通の客車の座席で読書。iPhoneに入れてたビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を聴こえるか聴こえないかくらいのボリュームで流す。絵に描いたようなスノッブごっこである(^_^;) ちょうどアルバム一枚分だけ読書。
今日は啓蟄。といっても、とりたてて何ということもない。
今日の歩数は2044歩。


結構人気なまぬう 

今日のまぬう雄

今日のまぬう雌

綺麗に塗り直されたD-51 

食堂車も 

立ち入り許可になってる(^_^)

さすがに綺麗

普通客車も 

鵞鳥

ホロホロ鳥

白色レグホン

王子飯店横空き地の白雉

【ラクダに乗って】庚申林(シンギョンニム)詩選集 吉川凪訳 ★★★ クオン社の「新しい韓国の文学」シリーズの一冊。庚申林は1935年忠清北道中原郡(現、忠州市)生まれで、韓国民衆詩の代表的詩人らしい。
韓国では日本に比べると「詩」が好まれている傾向がある。書店に行っても、小説、非小説と並んで詩集のベストセラーが並べられている。しかし、Morris.は韓国の詩にはどうしても馴染めずにいた。Morris.にとって韓国の詩といえば、金素雲の訳詞集「朝鮮詩集」に尽きるかもしれない(^_^;) これは戦前のものである。しかも、あまりに金素雲の「意訳」の傾向が強く、ほとんど創作といえるかもしれない。茨木のり子訳編の「韓国現代詩選」も、読んだはずだが、何か記憶の彼方である。
金時鐘の「猪飼野詩集」は偏愛しているし、崔華國の「猫談義」は好きだったが、これらはもともと日本語で書かれたものだった。
庚申林の代表作とされる「農舞(農楽)」を引用する。 

農舞(ノンム)

銅鑼(チン)が鳴る 幕は下りた
桐の木に電灯吊るした仮舞台
見物人の去った運動場
俺達は白粉が剥げたまま
学校前の飲み屋に押しかけ焼酎を飲む
息詰まる きつい暮らしが恨めしい
鉦(ケンガリ)を先頭に市場を行けば
ついて来て騒ぐのはガキばかり
娘たちは油屋の塀にもたれて
無邪気にくすくす笑ってら
月は満月 ひとりの野郎が
林巨正(イムコクチョン)のように泣き叫び 別の野郎は
徐霖(ソリム)みたいにへらへら笑うが
こんな山奥であがいたところで何がどうなる
肥料代も出ない畑仕事なんぞ
いっそ女たちに任せちまって
牛市場を過ぎ屠畜場の前を回るころ
俺たちはだんだん浮かれはじめる
片足上げてチャルメラ吹こうか
首を回して肩揺すろうか (詩集『農舞』1975)


チンやケンガリは農楽の打楽器であり、林巨正は、伝説的な英雄盗賊、徐霖はその手下である。ネットで探したら原詩はすぐ見つかった。

농무(農舞) - 신경림

징이 울린다 막이 내렸다.
오동나무에 전등이 매어달린 가설 무대
구경꾼이 돌아가고 난 텅빈 운동장
우리는 분이 얼룩진 얼굴로
학교 앞 소줏집에 몰려 술을 마신다.
답답하고 고달프게 사는 것이 원통하다.
꽹가리를 앞장세워 장거리로 나서면
따라붙어 악을 쓰는 건 쪼무래기들뿐
처녀애들은 기름집 담벽에 붙어 서서
철없이 킬킬대는구나.
보름달은 밝아 어떤 녀석은
꺽정이처럼 울부짖고 또 어떤 녀석은
서림이처럼 해해대지만 이까짓
산구석에 처박혀 발버둥친들 무엇하랴.
비료값도 안 나오는 농사 따위야
아예 여편네이게나 맡겨두고
쇠전을 거쳐 도수장 앞에 와 돌 때
우리는 점점 신명이 난다.
한 다리를 들고 날라리를 불꺼나.
고개짓을 하고 어깨를 흔들거나.


ところどころ見知らぬ単語が出てくるが、文章的にはそれほど難しいものではなさそうだ。
ふと思いついて、ネット自動翻訳の、エキサイトとGoogleで翻訳させてみた。

 エキサイト翻訳    Google翻訳
農舞-シン・ギョンニム

チンが鳴る幕が降りた。
桐に電灯が摂りつかれた仮設(架設)舞台
野次馬が戻った空っぽである運動場
抜く方が汚された顔で
学校の前一杯飲み屋に集まって酒を飲む。
苦しくて大変疲れるように生きるということがうらめしい。
かあんと行くだろうを先頭に押し立てて長距離に出れば
追いついてわめくのはチョムレギドゥルプン
娘子供たちは油集壁について立って
幼稚にクスクス笑うんだな。
十五夜月は明るくてどんな野郎は
コクチョンイのように泣き叫んでまた、どんな野郎は
書林のように害しまくるがこのそれしきの
産具席に押し込まれて地団駄を踏んでも何をするだろうか。
肥料値も出てこない農作業などが
最初からヨピョンネイゲナまかせて
鉄全(前)を経て導水長の前にきて回るとき
私たちはますます興がわく。
ある足を上げて遊び人をプルコナ.
頭ことをして肩を揺さぶったり。 
  濃霧(农舞) - シンギョンリム

どらが鳴り響く膜した。
桐の電灯がつなぎ留め付きの仮説舞台
視聴者が帰って、私は空っぽの運動場
我々は、分染色顔で
学校前ソジュト家に集まってお酒を飲む。
苦しくてゴダルプゲ買うことが円筒である。
クェンガリを先頭に立てて長距離に乗り出せば、
追い付き悪を使うのは追わムレ5秒だけ
処女の子供たちは、油家壁について立って
鉄なしくすくす代だね。
満月は明るくいくつかの人は
コクジョンイのように泣き叫んでまたどのような人は、
書林このようヘヘ大地がイカジト
山の隅に閉じこもっもがい親たちは何だろうか。
肥料の値も出て農作業なんかよ
最初からヨピョンネこれが私任せておいて
スェジョンを経て、度数章の前にと回したときに
我々は、ますます興が出る。
した足を持って遊び人を火コナ。
頭をやって肩を揺らしたり。

 

機械翻訳だから、同じような誤訳も見られるが、かなりの違いもある。どちらかというとエキサイトのほうが点数高いような気もする。
7行目の「長距離」は「ジャン(市場)のコリ(町)」えお漢字三文字熟語と解したのだろう。ケンガリを「があんといくだろう」と訳したエキサイトには拍手をおくりたい(^_^;)/ 
無料提供のこれらの翻訳サイトで、これだけできるのだから、大したものである。
詩の内容についてはあまり語ることはない。とはいえ、これだけでは失礼に過ぎるので、印象に残ったもの数編を追加引用しておこう。

啓蟄

泥に汚れた下着姿で横たわり
妻は身を震わせながら咳きこんだ。
ひがな一日オンドルの煙道ががたがた鳴って
麹の匂いが鼻をつく精米所の裏部屋。
はだか電球のもと 鉱山の若い連中が
夜更けまで時季外れの花札を引くので
妻の代わりにムクを切って酒を運び
ふいごを回してオンドルを焚き。
米俵を積んできた馬方までが
一緒になって興じれば いつしか鶏が時をつくり
ボタ運びに出かける妻のため ぼくは
勝った奴から金をせびってヘジャンククを買いに行った。
啓蟄でもまだ寒い村の市場。
戦争の最中に殴り殺されたユクパリの妻は
誰かれ構わず色目を使いながら
ウゴジたっぷりのヘジャンククを飯にかけて。 (詩集『農舞』1975)



触れるものすべてをめらめらと焼きつくし
周囲を明るく照らす火だった
だから夢であり道であった 闇の中で彼は

日差しの中に出ると猫になった
塀の下や木陰でうずくまって眼を光らせ
鋭い鳴き声を上げる厄介者になった
触れれば真っ黒な炭になるのが怖くて皆が敬遠する
孤独で美しい声になった (詩集『母と祖母のシルエット』1998)



止まれと言われれば止まり 座れと言われれば座った。行けと言われれば行き 戻れと言われれば戻った。追えと言われれば追い 噛みつけと言われれば噛みついた。そうして、

年老いて元気がなくなると主人は彼を犬買いに売った。そして彼の肉は皮から剥がされ貪欲な人たちの食卓にのぼった。主人もこのうえなく愛していた犬の肉を食べ、たいへん満足した。

その犬は死んで安物の革しか残さなかった。革よりももっと貴い教訓を残したという嘘とともに。 (詩集『角』2002)

ラクダ

ラクダに乗って行こう あの世へは
星と月と太陽と
砂しか見たことのないラクダに乗って。
世間のことを聞かれたら何も見なかったみたいな顔で
手ぶりで答え、
悲しみも痛みもすっかり忘れたように。
もういちど世の中に出て行けと誰かに言われたら
ラクダになって行く、と答えよう。
星と月と太陽と
砂ばかり見て暮らし、
帰りにはこの世でいちばん
愚かな人をひとり 背中に乗せて来るよ、と。
何がおもしろくて生きていたのかわからないような
いちばん哀れな人を
道連れにして。 (詩集『ラクダ』2008)

2013/03/04(月)●「景観権」●

6時起床。
今朝の血圧は227/121/66。
窓開けたら朝焼けだったので、屋上に上がってTwin煙突撮影。
溝渕くんと、新入りの岡本くんと3人で姫路の中国向け荷物ピックアップ。
別所SAで唐揚げ定食。これが意外と美味しかった。
高橋の南東部、以前臨港線が走ってた区域でマンション建設工事が始まってる。これが完成すると高橋からTwin煙突を望むことができなくなりそうだ(>_<) Morris.はここからの煙突風景がお気に入りで、これまでに何回もデジカメ画像紹介したが、実に残念である。高橋北側のマンションが出来た時も、六甲山のスカイラインが一挙に見えなくなって、すごくがっかりした。マンション建設では日照権などが問題にされるが、街角の「景観権」というものも、環境権の一つとして、もう少し考慮してもらいたいものである。
今夜の歌謡舞台1312回は「春」特集。

1) 봄이 오면春が来れば/チャンミファ
2) 봄노래春の歌/ミョングッカン
3) 봄이 오는 길春がくる道/キムヒジン
4) 그리운 강남懐かしの川辺/ペグムソン
5) 봄바람 님 바람春風恋風/イヨンファ
6) 산 너머 남촌에는山向こうの南の村には/チェジニ
7) 소쩍새 우는 마을木菟鳴く村/ウィンク

8) 강촌에 살고 싶네川岸に住みたいね/シニュ
9) 찔레꽃野薔薇/クムチャンディ、ハンスヨン、チウォンミ
10) 개나리 처녀ケナリ娘/イジャヨン
11) 청춘의 꿈青春の夢/ヒョンチョル
12) 휘파람 불며口笛吹いて/ソルンド
13) 처녀 총각乙女とチョンガー/ヒョンチョル、ソルンド

14) 푸른 날개青い羽/パクユンギョン
15) 청춘의 삼색 깃발青春の三色旗/ミョングッカン
16) 내 이름은 소녀名前は少女/クムチャンディ、ハンスヨン、チウォンミ
17) 나는 열일곱 살あたしは十七歳/アンダミ
18) 봄 아가씨春娘/キムヨンイム
19) 늴리리 맘보ニルリリマンボ/チョンハナ
20) 울릉도 트위스트鬱陵島ツイスト/ヒョンスク
21) 삼천리강산 에라 좋구나三千里山河賛歌/全出演者


太字は例によって、気に入った曲。
今日の歩数は2944歩。


屋上からTwin煙突 

阪神高速とTwin煙突

ここにマンションが出来ると(>_<) 

倉庫猫1

倉庫猫2

チェジニ

2013/03/03(日)●KBSビッグ・コンサート●

7時起床。
今朝の血圧は177/96/79。
お約束の「挑戦千曲」今日はキャンパスルックというコンセプトらしい。出場者もだいたい若いグループが多かったが、ユンジョンちゃんは、一番短いミニスカートで登場。えらく楽しそうだった。
昨日作った金平牛蒡にキムチ、大根、ほうれん草などで、お手軽なピビンパ作る。
グレゴリ青山の「ナマの京都」読む。やっぱり面白かった。これに関しては例の第二京都主義を参照しておいてもらいたい(^_^;)
今日のノレチャランは釜山のヨンド(影島)篇。
午後ちょこっと水道筋に散歩兼買い物に出て、5時からKBSの特別歌謡番組「2013ビッグ・コンサート」を見る。
今日はじめて知った番組で、KBS放送公社設立40周年記念(放送開始86年)の企画らしい。若手歌手中心に、過去の名曲を新しいアレンジで披露するというもののようだった。最初は若手ではなくインスニがキムプジャの「無人島」と自分のデビュー曲「シルパラム」を歌い、若手の女性歌手ヒョリが、ポルシストジュの「珈琲一杯」をロック調で歌う。続いてホンギョンミンがチョンヨンノクの「ハヤンパメ 白い夜に」を熱唱。この曲は、前から気になってるのだが、カラオケにも入ってないし楽譜も見つからずにいる。とにかくかっこいい曲である。
そしてキムヒョンシクの「春夏秋冬」をインスニとデュエット。これは見応えあった。
次は、ペクチヨンがシン・スンフンの「ポイジアンヌンサラン」をしっとりと感情込めて歌い上げる。これも名曲である。
アルリという知らない女性歌手が、チョヨンピルの難曲「キリマンジャロの豹」に挑戦。これが、アコーディオンとバイオリンをフューチャーしてのアルゼンチン・タンゴアレンジ。これはちょっと失敗だと思う(^_^;) 続けてシンヒョンジュンの「美人」を農楽と一緒にやったけど、これもイマイチだった。
その後は中堅男性歌手3人の登場。キムボムスが持ち歌の「ボゴシプタ」とナムジンの「ニムガハムケ」、キムテウがナムイルヘの「赤い靴の娘」とペティキムの「クデオプシンモッサラ」、イムテギョンがイミジャの「椿娘」とユンシネの「熱愛」をミュージカル風に歌い、最期はイウンミが持ち歌の「エインイッソヨ」と愛と平和の「ハンドンアントゥムヘソッチ」。フィナーレは全員で「チョルムンクデ」と2時間弱のコンサートを終えた。それなりに面白かった。
野球、日本ー中国戦は5回で日本が5-0でリードしてるから、今日は楽勝の気配。
今日の歩数は1004歩。


キャンパスルックのチャンユンジョン(^_^;) 

レトロ画面で嬉しそう

お手軽ピビンパ

KBS40周年2013ビッグ・コンサート

インスニ

アルリ

ペクチヨン

イウンミ

フィナーレ 

【ニッポン・スウィングタイム】毛利眞人 ★★★★ 1972年生まれなのに、何でこんなに戦前、戦時中の日本のジャズシーンのことをよく知ってるのだろうと、びっくりさせられた。フルトヴェングラーファンで、オーディオマニアでもあったらしい父の影響から、レコード道楽にはまったとのことだが、その聴きこみは半端ではない。ひさびさに読み応えのある音楽史モノだった。

僕はいつからかレコード道楽にめざめ、音楽を構成する音を解剖したり、録音にふくまれるその場の空気を味わったりすることに喜びを感じるようになりました。そんな曖昧模糊としたものは、科学の力でも解析しえない要素です。しかし、ある人物や時代を生々しく伝えるには、膨大なデータやエピソードももちろん必要ですが、その人物や時代がまとう空気感こそがもっとも大切だと僕は考えています。日本に伝わった洋楽は、1920年代は1920年代の様式と美意識で、1940年代には1940年代の潮流に乗って表現されました。その折々の感覚に共感することで、その時代と人も見えてくるのではないでしょうか?(あとがき)

まずもって、この姿勢が良いね。戦前ジャズ研究の第一人者瀬川昌久に薫陶と恩恵を受けているようだが、とにかく音盤を聴き倒しての解析の緻密さは見事としか言いようがない。型見本として1929年1月新譜の「君恋し」(二村定一歌、井田一郎アレンジ)の解析を引いておく。

「君恋し」は元来、佐々紅華の作詞・作曲、高井ルビーの歌唱、ニッポノホン・オーケストラの伴奏で1926(大正15)年11月新譜としてリリースされた新流行歌であった。新流行歌とは、欧米の手法で作曲した国産ポピュラーソングを売り出すに当たって考案された名称である。
二村定一歌唱の、この2分54秒のフォックス・トロットはじつに手のこんだアレンジで飾られている。演奏するのは、サックス2、トランペット、トロンボーン、バンジョー、ドラムス、ヴァイオリン、テューバという編成の日本ビクター・ジャズバンド。
たとえばイントロである。高井ルビーの旧盤はたっぷりワンコーラス32小節を演奏したあと歌唱に入るが、二村盤はわずか10小節ですます。従来の書生節や流行唄の多くは長い前奏を奏でてから歌唱に入るパターンが多かったから、この聴き手をいらいらと待たせない即物的な前奏は好評であった。32小節のコーラスはAABAというティピカルな構成で、間奏を置かずに3回繰り返される。
一番コーラスは二村の歌唱とともにアルト・サックスがメロディをなぞり、ヴァイオリンが対旋律を弾く。トランペットとトロンボーンのブラスセクションがフィル・インする。♫君恋し~……の直前のあいだにはトライアングルが入り、Bのサビの部分では、ミュートをつけたトロンボーンがもの狂おしくリズムを刻む。後半、2本のサックスがヴォーカルに和する。
二番では初め、バンジョーとドラムの刻むリズムセクションがリードする。ブラスのフィル・イン。ヴァイオリンが薄くメインコーラスの旋律を通奏するが、テナーサックスによる対旋律が強く存在を主張する。♫君恋し~……の直前にはアクセントのパーカッションが入らないので肩すかしを食う。サビでもテナーサックスが強く絡む。後半、ヴァイオリンが旋律を追う。
三番は夜の匂いの立ちこめるようなアルト・サックスとリズムセクションの強拍が特徴的である。ブラスのフィル・インも控えめだ。もう一本のアルトサックスがやさしく対旋律にあらわれる。その静寂を破るのがアクセントのシンバルである。この強打を境にサビはサックスセクションとドラムスで悲壮感を纏いつつ盛り上がる。♫臙脂の紅帯緩むも寂しや……ではテナーサックスとアルトサックスの重奏が深沈とした夜の雰囲気をかもし出す。コーラスの直後、橘川正のトランペットがフューチャーされて哀愁たっぷりな「埴生の宿」"Home,Sweet Home"のアンコが入る。ブラスとサックス主導で強拍を打って進行する後奏にちょっとだけあらわれる、ねっとりとしたアルトサックス(高見友祥)のソロは聴きものである。


ふーっ、SP音盤からこれだけの情報を吸い上げるというのは、耳の良さもさることながら、かなりの音質、音量で再生させる機器も必須だろうし、当時の音楽事情、人間関係などの情報、かてて加えて音楽理論、技法の知識無しにはできまい。もともとクラシック畑(父がフルトヴェングラーファンだもんな)の素養があるのだろう。
しかし、このあと「今日の耳で聴けば稚拙なジャズである。バンドとしてのボリュームも技量も、現代のコンボの比ではないだろう。しかし、彼らはもてる技術を尽くしてフォックス・トロットのリズムに身をゆだね、ジャズに痺れている。」と続く(^_^;) 褒めてるのやらけなしてるのやら。ご贔屓の二村の歌唱に関しては念の入ったフォローがある。

二村の畳みこむような焦燥感せまるヴォーカルは、豊かな官能を湛えたアレンジに包まれて、語る以上のはたらきをする。二村は一見、美声と芝居気のみで時代に受けたように見えるが、じつは性格歌手的な要素を多くもっている。声の陰影をマイクロフォンをとおして巧みに駆使する術を知っていた歌手であり、邦楽の歌唱法を用いることによって多彩な感情表現を可能としていた。「君恋し」ではそれが最大限に活かされている。

戦前日本のジャズといえば、Morris.などは、「上海バンスキング」で、何となくそんな世界があったことを教えられたような気がするのだが、その影響で大好きになった川畑文子に触れた部分を引いておこう。

川畑文子は、1933(昭和7)年から1938年にかけて、コロムビアに四十面もの録音をした。ごく古いポピュラーソングからドイツのシュラガー(流行歌)、ブルース、和製ジャズソングまで多彩なレパートリーだが、彼女のけだるいもち味と自在にうねる草書体のような歌唱センスには、技量を超えた良さがある。
1935(昭和10)年から翌36年にかけてはテイチクと契約し、二十六面の録音をした。テイチクでのレパートリーは、ハワイアンとホットナンバーにくっきりはっきりわかれるのが特徴である。そのなかでもとりわけ素晴らしいのは「ティティナ」(三根徳一(ディック・ミネ)訳詞、編曲、36年11月新譜)である。
テイチクジャズバンドの編成はトランペット、クラリネット、アルトサックス、トロンボーン、ドラムス、ピアノ、ギターというコンボ編成。ディキシーランドジャズスタイルの華美なアレンジが施されている。南里文雄のパワフルなペットとトロンボーン、トーマス・ミスマンのクラリネット、サックスのアドリブソロでイントロにワンコーラス演ってヴォーカルが入る。歌詞、演奏の醸し出す靄のかかったようなアンニュイな雰囲気に川畑文子の歌唱も渾然一体となって、けだし名唱である。このディスクにおける川畑は、初期のたどたどしい歌唱からずいぶん進歩しており、技巧的にも申し分ない。
ヴォーカルの背後では杉原泰蔵が弾く物憂い響きのピアノ、もやもやしたサックスが絡んでいる。フィル・インにトランペットが挟まる。
コーラス間の間奏はミュートをつけたトロンボーンとテディー・ウィルソンをおもわせるクールなピアノの絡み、二番コーラスも一番と同様、ピアノが活躍し、こんどはクラリネットとトランペットがフィル・インする。後奏はクラリネットでワンコーラス演奏したあと、南里の音を割ったトランペットが圧倒的な名演をみせる。フェイクするペットにクラリネットが高音で絡んでクライマックスを迎える。このディスクの一方の主役は南里文雄である。
ミネがアレンジした「ティティナ」は、彼のほかの編曲作品「上海リル」や「あなたとならば」"I'm Following You!"などと共通するアンニュイでロマンチックな香気に包まれている。ソロプレイをふんだんに織りこみ、ヴォーカルの効果的な盛り上がりを約束するミネは、アレンジャーとして、いまいちど再評価されるべきであろう。


ディック・ミネはやはり色んな意味で「大物」だったみたいだな。彼のカセットテープ持ってたはずだから、今度、mp3に変換してみよう。つい先日亡くなったプリンセスソースの爺っちゃんも好きだと言ってた。

1937(昭和12)年2月7日午後1時、JOAKはニューヨークのCBSブロードキャスティングからベニー・グッドマン・オーケストラのコンサートを国際中継放送した。これは1月31日(アメリカ時間で30日)にAKがフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の55歳の誕生日を祝ってアメリカに国際親善放送を贈った返礼としておこなわれた番組である。
折しも正月映画としてBG(ベニー・グッドマン)の出演する映画「1937年の大放送」が封切られ、日米でスゥイング・ジャズが全盛を迎えていたのんで、新聞のラジオ欄でも「これがスヰング・ジヤズ」と大きく紹介された。
事前にCBSが「曲目は総て最近流行のものばかりであるが、グッドマンがその時の気分で即興的に演奏するから何が飛び出すか判らない」という電文を寄越したので、AKはプログラム解説のためにニューヨーク/タイムズ紙記者のバートン・クレインを手配して、日本語で解説を加えた。
バートン・クレイン(1901~63)は1925(大正14)年から36年にかけてジャパン・アドヴァタイザー紙の記者として滞日した。滞日中の1931(昭和6)年、「酒が飲みたい」「家にかえりたい」を日本語で愛嬌たっぷりに歌って、ジャズソングとしてヒットさせた。続いて30曲ほどのジャズソングやコミックソングをレコード化したので、日本ではよく知られた外国人だったのである。


戦前に日本でもベニーグッドマンが聴かれて、国際放送までされたというのも驚きだが、バートン・クレインのことが出てきたので着目した。米人新聞記者で日本で歌手としても活躍した彼のこと、もう少し詳しく知りたいものである。Morris.は題名の上がってる2曲はおなじみだが、他に30曲も録音したというのは知らなかった。

キングでスウィングらしいスウィングをマイクにのせたのは、37年に現われた「キング・スウヰングバンド」である。日本で初めてスウィングの名を冠したこのバンドは、多紀英二のアレンジで「ダイナ」「青空」(36年6月新譜)をレコーディングした。林伊佐緒がひらひらと歌う「ダイナ」はクラリネット、テナーサックス、トランペット、ギター、ベース、ドラムス、ピアノという編成で、各パートがチェーサーを重ねながら楽しい雰囲気でジャイブする。「青空」"My Blue Heaven"は前記の編成からサックスが抜けて、かわりにストリングスが入っている。こちらも軽いノリでスウィングしながら、松島詩子の成熟したヴォーカルを引き立てている。
「キング管弦楽団」というネームになっているが、「シボネー」(松島詩子、40年2月新譜)も同じような編成のコンボである。これらをアレンジした多紀英二=林伊佐緒(1912~15)は作曲・編曲・歌手を一手にこなした才人で、本職のジャズアレンジャーとはまったく異なるリズム感覚と楽器編成を独自のスウィングを表現した。その定型に囚われないセンスが、戦後に「真室川ブギ」(54年)などのジャズ民謡シリーズを生むこととなる。


林伊佐緒といえば「イヨマンテの夜」だと、ずっと思い込んでたのだが、今、ネットで調べたらこれはMorris.の完全な勘違いで、作詞菊田一夫、作曲古関裕而、歌は伊藤久男だった(>_<)。
林伊佐緒のヒット曲は戦時中の「男なら」「もしも月給が上がったら」戦後は「ダンスパーティの夜」「麗人草の歌」「高原の宿」「思い出のブンガワンソロ」などだが、大部分は自作で、日本のシンガーソングライター第一号と言われてるらしい。声量は超弩級だったとか。さらに作曲家として多くのヒット曲を提供している。
三橋美智也の「リンゴ村から」、春日八郎の「ロザリオの島」「長崎の女」、藤田まことの「てなもんんや三度笠」も林の作品だとか。いやあ林伊佐緒も日本歌謡界の巨人だったのか。彼の音楽的素因が、戦前のジャズの世界にあったということもよくわかった。

コロムビアから発売されていた(コロムビア・ジャズバンドの)ダンスレコード・軽音楽レコードの大半は流行歌の平凡なアレンジで、楽団のアンサンブルこそ完璧なもののジャジーな雰囲気には乏しかった。しかし、朝鮮半島向けに「リーガル管弦楽団」の名で録音された「싱・싱・싱」"Sing Sing Sing"(孫牧人=唄、39年5月新譜)を聴くと、かれらの秘めていた実力は一目瞭然である。この「シング・シング・シング」は宮川はるみのレコーティングのために服部良一がアレンジしたスコアをさらに進化させたバージョンだが、宮川はるみ盤の流麗なスタイルから一変、アメリカのバンドと遜色ないほどのブラックなフィーリングで、型破りにワイルドなホットプレイを展開している。このような思いがけない一面は、他には映画「舗道の囁き」(1936)などでジャズるシーンに見られる程度である。かれらのステージでの実演やラジオ放送が聴けないいま、私たちは想像力をはたらかせてこの最強バンドの実像を測らなければならない。

朝鮮半島へのジャズ流入の記事だったので、チェックを入れた。歌っている孫牧人(ソンモギン)は、韓国歌謡で一番有名かもしれない「木浦の涙」の作曲家だし、日本でも「カスバの女」の作者(久我山明名義)として知られているが、彼もやはりジャズ畑で活躍してたんだな。

大阪住吉に本社のあったニットー、西宮のタイヘイは、関西の二大メジャーレーベルだった。
ニットーは大正期から住吉大社そばのスタジオで録音をおこなっていたが、1928年から東京スタジオでも録音作業をおこなうようになり、19229(昭和4)からは企画を大阪本社で立てて、主なレコーディングを東京スタジオに移行した。
ニットーのメインバンドだった日東管弦団(N・O楽団)は東京で編成された楽団で、プレイヤーにメジャーレーベル並みの力量の持ち主が揃っている。このレーベルはもともとダンスレコードに力を入れていたので、ディキシーを基調にしつつアップテンポでもけっして崩れない堅実な演奏をした。1934年にレコーディング・オーケストラの入れ替えで「神月春光とリズマニアンズ」がメインバンドとなり、服部良一の意欲作「道頓堀行進曲」(34年9月新譜、ニットー)「流線型ジャズ」(35年5月、クリスタル)などで、スウィング時代の先駆けを飾った。
タイヘイは、前身の「内外レコード」時代からダンスホールやカフェーのジャズバンドを使い、自前の楽団をもたなかった。深夜、カフェーやダンスホールが閉店してからスタジオにバンドマンを集めて流行歌の伴奏やダンスレコードを録音する寄せ集めバンドで、「タイヘイジャズバンド」「タイヘイダンスオーケストラバンド」「タイヘイダンシングンバンド」などさまざまな名前がつけられていた。そのほか、「キング]「オリエンタル」などのダンスホールに出演している実働バンドをスタジオに呼んだり、道頓堀のカフェー・赤玉にマイクロフォンを出張させて前野港造の率いる「赤玉ジャズバンド」を録音したりなどしている。
1931(昭和6)年からは同社で作曲・編曲を手がけていた服部良一が数人編成のR・Hセレナーダースを編成して、流行小唄の伴奏やダンスレコードに大活躍した。このバンドには宝塚会館に出演していたアーネスト・カアイ(ギター)や平茂夫(ピアノ)、ディック・ミネも加わり、ごく少量だがホットな演奏をのこした(R・Hセレナーダースはコロムビア大阪スタジオでもも盛んに録音した)。編曲者に平茂夫、プレイヤーに南里文雄が加わることもあった。平のアレンジした「ダイナ」(宮下昌子、35年1月新譜)は、コロムビアの中野忠晴&コロムビア・ナカノ・リズムボーイス盤(奥山貞吉編曲)に似せたアレンジをサックス3、ブラス2、リズム3という標準的なダンスバンド編成の「タイヘイボーイスジャズバンド」が演奏している。タイヘイのジャズは寄せ集め的な雰囲気が否めないのだが、かなり金をかけて良いメンバーを集めたのだろう、各プレイヤーの技量とよく揃ったアンサンブル、押し出しのよいドライブ力でメジャーレーベル並みの水準に達している。


ニットー、タイヘイの名前は、朴燦鎬さんの著作などで、耳馴染みがあった。当時の関西のレコード業界の一端がうかがわれて興味深かった。

1941(昭和16)年12月8日、日本とアメリカのあいだに戦端が開かれた。
この日からラジオは電波管制下にはいり、都市放送(地方局)はすべて取りやめ。
12月30日、内閣情報局は「今後日本人は、純音楽、軽音楽を問はず、敵国人の作品演奏をさせない」という音楽統制の方針を発表した。
では、開戦と同時に敵国アメリカのジャズが国内から完全追放され、ジャズメンは地下に潜ってレジスタンス的にひそかなジャムセッションを繰り広げたかというと、じつはその逆だった。むしろ巷にジャズがあふれる珍現象を呈したのである。
レコード界も、売れるジャズを容易に引っ込めはしなかった。ハワイアンも敵国アメリカの支配下の地域の音楽でありながら、日系人が多かった関係か「南海音楽」としてふつうに売られていた。
1942年になると、コロムビア、ビクター、キングは日本人によるホットディスクを競ってリリースしはじめたのだ。
しかし日本のジャズレコードもこのあたりで命運が尽きた。
キングが4曲の民謡ジャズを発売した翌月、日本コロムビアは米ブランズウィック原盤を使用したジャズレーベル、「ラッキー」のリリースを停止した。政府からの指導もあったが、そもそも慢性的な物資不足で不急不要の娯楽レコードにはレコード材料として必要不可欠なシェラックが回ってこない。シェラック(貝殻虫の分泌する樹脂状の物質で、熱を加えると軟化し、冷ますと硬くなるという性質からレコード素材に使われていた)は軍事物質でもあったからである。やはり戦時下であった。
敵性語の追放も激しさが増し、レコード会社は1942年から、
・コロムビア→ニッチク
・ポリドール→大東亜
・キング→富士音盤
とブランド名を改定した。
一方、ビクターは社名が日本ビクター蓄音機株式会社から「日本音響株式会社」になったものの、ビクターというブランド名は守り抜いた。またテイチクはそもそも社名が帝国蓄音機株式会社なので、会社統合で消滅する危機に見舞われつつもブランドを維持した。
楽器も基本的に和名を用いることになり、用語としても実際に機能したのかは疑問だが、サキソフォンには「金属製曲がり尺八」などという珍妙な名称が与えられたという。


それにしても1942年まで、日本国内でジャズがこれだけ演奏されたというのは、意外である。1945年が敗戦ということは、日本のジャズの空白期間?は3,4年しかなかったということになるのか。沈潜しながら維持されただろうことを思うと、ミュージシャンにとって、ジャズは剣より強かったとでもいうべきか、それを気づかせてくれたという意味でも本書の意義は大きいと思う。
以下、本文、注の中から印象に残ったエピソードや事項をピックアップしておく。

明治期の「船の楽隊」からスタートした井田一郎は、「佐渡おけさ」や「磯節」「木曽節」などアップテンポでメロディラインのはっきりした民謡、いわゆる「八木節形式」を好んでフォックス・トロットに編曲した。反面、苦手としたのがゆったりしたメロディーの「追分」である。「追分」は長野県、関東から北、北海道までの地域で広く歌われた馬子唄で、「八木節形式」に対して「追分形式」と呼ばれる。追分の特徴として、ひとつの母音を音程を上下させながら演奏・歌唱する音楽的な装飾、メリスマを多用している。メリスマは演歌のコブシに似ているが、拍節を超えて長いフレーズに用いられることが多い。したがってリズム的に不分明な要素が強く、聞かせどころ(ソリ)が目立たせにくい。また扱う音域が広いのでジャズ風ヴォーカルも入れにくい。これを鍛えられた耳とセンスですぐれたスウィングにアレンジしたのが、服部良一を尖兵とした、杉本幸一、佐野鋤らジャズ第二世代である。

二村定一は全盛期からゲイとして知られていた。1933年にかほる夫人と結婚はするものの、半年あまりで離婚してしまうのである。慶応の学生、映画の子役、茶道の宗匠などと浮名を流し、しかも自身の性癖を隠そうとしなかった点、二村は、現代的というか当時の規範からはずれたタレントであった。1949年、四十九歳という若さで二村が死去したのち、葬儀を取り仕切ったのもかつて可愛がられた学生だったという。

ジャズソングの名称変遷
1928年 ジャズバンド(ニッポノホン)、ハーモニカジャヅ(ニッポノホン)、ジャヅ合唱(ニッポノホン)、ジャヅソング(ニッポノホン)、ジャズ流行唄(ニットー)、フォックス・トロット(ビクター)、ジャズ合唱(オリエント)、ジャズ小唄(ニットー)、ジャヅソング(ニッポノホン)、ジャズソング(ニッポノホン)、ワルツ(ビクター)、ジャズ(ビクター)
1929年 ジャズソング(ニットー)、タンゴ(ビクター)、流行小唄(オリエント)、ジャズソング(内外)、ジャズソング(コロムビア)、ジャズソング(ビクター)、ジャズソング(ツルほか各社)

BIG APPLEはリンディ・ホップの一種で、複数のダンスカップルがトラッキン、チャールストン、スジーQなど数種類のステップをリーダーの合図一つで踊り分ける。ジタバッグ(現在のジルバ)の進化形とも言われているグループダンスである。ちなみにこのダンスの名前は、ニューヨークの愛称、ビッグ・アップルからきている。

平茂夫(1903~?)は浅草のバンド屋出身で、大正末期に大阪松竹座のオーケストラに入った。日本のジャズピアニストの先駆けである。昭和10年代に服部良一から和声法や作曲法を学んでからは本格的にジャズアレンジャーの道を歩んだ。弟の平八郎(ギター)は「ザ・ドリフターズ」の加藤茶の父親。昭和10年頃のミュージシャンで高級車を乗り回しているのは藤山一郎と平茂夫くらいだと言われ、「平八幡」があだ名だった。

(コール・ポーターの名曲"Begin the Beguine"が40年に「ボレロに寄せて」という邦題でリリースされたことの注として)
ビギンは西インド諸島のマルティニーク島やセントルシア島で踊られている急速な二拍子のダンス音楽。1920年代に欧米に伝えられた。ボレロに近いリズムなので、コロムビアは日本になじみのないビギンをボレロとして紹介したのだろう。日本ではやや不明確なリズムながら「サリタ」(井上起久子、日蓄ジャズバンド、29年8月新譜)がもっとも早い伝来例である。

コロムビアで旺盛にホットジャズと取り組んでいた同じ時期、1938(昭和13)年から41年にかけて、服部は「松竹楽劇団」の座付き作曲家・アレンジャー・指揮者として、笠置シヅ子と強力なタッグをくんだ。瀬川昌久氏によれば、当初は紙恭輔が正指揮者、服部が副指揮者の格で、この二人が作曲・アレンジのすべてを担当したが、実質上、楽劇団のジャジーなカラーは服部によって形成されたという。劇伴オーケストラは、放送やPCL管弦楽団で活躍した斉藤広義がひきいるサックス4、ブラス5、リズム4という編成のSGDスヰング・バンドで、服部良一の指導下めきめきと技量をあげたという。
笠置シヅ子の伴奏はすべて「コロムビア。オーケストラ」名義となっているが、かなり広いスタジオで録音されたのか、劇場で聴いているような印象を与える。またアンサンブルも、レコーディングオーケストラにしては粗さがある。しかし笠置シヅ子のヴォーカルと一心同体の躍動感、日本人離れしたブラックなフィーリングからは、並のオーケストラでないことが明瞭に感じとれる。その正体こそSGDスヰング・バンドなのかもしれない。

瑕瑾を言い立てるようなことになるが、本書に索引が無いのは、実にもったいないことだと思う。人名索引だけでもあれば、レファレンスブックとしての利用価値が数段上がったことは間違いないと思う。コンピュータ編集の時代になってから、索引づくりはそれほど面倒なことではなくなったのではと、思うのだが、どうなのだろう。
著者のブログ「音盤茶話」もなかなかに充実しているようだ。

2013/03/02(土)●大輪田の泊●

7時起床。
今朝の血圧は187/95/79。
今朝のピーター・バラカンはリクエストで、それほど熱心に聴かなかった。ライ・クーダーが好きだったという、ジョン・リー・フッカーの「ブギ・チルドレン」は凄かった。
昼過ぎまでこたつでゴロゴロ。
2時過ぎに部屋を出てJRで兵庫駅に出て、兵庫図書館へ。図書館内に「戦災資料室」があり、神戸空襲の写真や、戦時の小物が展示されていた。
こちらに来たのは、先日読んだグレゴリ青山の「シブチン京都」の前作「ナマの京都」を読みたかったため。図書館検索でしらべたら、中央図書館とここの2箇所にあり、中央図書館は貸出中だった。
書棚には未読のグレゴリ青山本「グ印関西「濃口」めぐり」「ねうちもん京都」の2冊もあったので座り込んで読み始める。「関西濃口巡り」はほとんどカラー漫画でめちゃくちゃ読み応えがあった。「ねうちもん京都」はイラストルポ風でイマイチ。しかし2冊読んだら5時過ぎてしまったので(^_^;)「ナマの京都」は借りることにして、兵庫駅を南に下り、新川運河方面散策。運河に沿って散策道路が整備されている。ベンチに座って、iPhoneの韓国歌謡に合わせてミニミニジュンベ叩くも、今日はちと寒くて、5,6曲で止める。
清盛塚、神戸大仏など通りすぎて、兵庫駅前の関西スーパーで買い物して7時過ぎ帰宅。
日本-ブラジルの野球。かなりの苦戦ながら、何とか日本が5-3で辛勝。
Morris.亭のアパートビル、3月6日から外壁改修工事の予告ビラが入ってた。4月半ばまでかかるというから、かなり大掛かりな作業であるらしい。「工事中は騒音、粉塵、異臭が発生します」とのこと(>_<)

1.外部足場の設置
2.外部窓廻り シーリング打ち替え
3.外壁(北、東西面)調査、補修、塗装
4.5階バルコニー床 防水塗り、手すり塗装
5.北面 外壁斜め部分化粧鉄板板張り
6.外部の窓(北、東西面) ガラス 枠 美装
7.内部 階段室 壁 欠損部 左官、塗装、補修


工事前、工事後の写真を撮らなくては(^_^;)
今日の歩数は5902歩。


JR兵庫駅

兵庫図書館内の戦災資料室 

救護団腕章

「日章旗の下に」

松本かつぢのカード

弾丸切手

グレゴリ青山本3冊

兵庫駅上空 

猫場 

切戸町の黒 

新川運河 

大輪田橋 

清盛塚

象の木像

神戸大仏
2013/03/01(金)●サミルチョル(三一節)●

5時半起床。
今朝の血圧は200/101/88。
浅海君ら5人で、京都烏丸のドイツ人宅の保管荷物ピックアップ現場。
ちょうど正午に作業終了。
「金の豚」でチャーシューメンで昼食。
3時過ぎに梅田の小口の航空便荷物ピックアップして4時倉庫着。
夕方から雨になり、一時は嵐みたいな降り方してたが、倉庫を出る頃には小雨になり、雨合羽で自転車で5時過ぎ帰宅。
今日3月1日は、韓国では「三一節」である。ちょうど読んでいた韓国語参考書に、この日のことが例文で載っていたので、ハングルタイピングの練習を兼ねて引いておく。

Lesson16 三・一独立運動

1919년 3월 1일 한국에서 일어난 독립운동을 삼일 만세 운동 또는 독립 만세 운동이라고 합니다.
서울 탑골공원에 모인 수많은 시민들은 태극기를 휘날리며 "대한 독립 만세" 를 외쳤습니다.
구 후 이 운동은 전국 방방곡곡으로 퍼져 나가게 되었습니다. 한국의 잔 다르크로 불리는 유관순은 17세의 소녀의 몸으로 독립만세 운동을 이끌었습니다. 유관순은 헌병에게 체포된 후에도 총칼과 고문을 두려워하지 않고 끝까지 만세를 부르다 감옥에서 죽음을 맞이하였습니다. 유관순의 애국심과 용기는 지금까지도 많은 사람들로부터 존경받고 있습니다.이러한 한민족의 독립정신을 영원히 기념하가 위해 정부는 이날을 국경일로 정했습니다.

1919年3月1日韓国で起きた独立運動を三・一独立運動または独立万歳運動と言います。
ソウルのタプコル公園に集まった数多くの市民たちは、太極旗を振りながら、「大韓独立万歳」を叫びました。
その後この運動は全国津々浦々に広がっていきました。
韓国のジャンヌ・ダルクと呼ばれる柳寛順(ユガンスン)は、17歳の少女の身で独立万歳運動を率いました。柳寛順は憲兵に逮捕された後も、銃刀と拷問を恐れずに最後まで万歳を叫んで、監獄で亡くなりました。柳寛順の愛国心と勇気は、今も多くの人々から尊敬されています。このような韓民族の独立精神を永遠に記念するため、政府はこの日を国慶日(祝日)に定めました。
(韓国では3月1日は[サミルチョル 三一節]と呼ばれます)
--「前田式韓国語中級文法トレーニング」より


今日の歩数は3118歩。



 

 

 


 
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