ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の獨斷、氣紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
1999/01/30(土)
先日、フランス人牧師の引越現場で廃棄処分された本の中から、1954年版の「PETIT
LAROUSSE ILLUSTRE」を掘り出して狂喜してしまった。いわゆる「絵入り小百科事典」で、Morris.はこれの1917年版を愛蔵しているのだが、とにかく数千点の銅版画のイラストが素晴らしくて、フランス語はわからないまま何度も繰り返し眺めて飽きないでいる。これについては、愛蔵本ページにまもなく掲載する。この54年版も大部分は17年版と同じイラストが使われているのだが(それも結構すごいことだけど)、受ける感じが微妙に違う。両者を突き合わせてみると、古い版の方が、うんと精密、つまり網点が細かいのだ。もともと小さいカットで、紙質もそれほどよくないので、細部はつぶれたり、甚だしい場合はほとんど真っ黒なものもあるので、コピーして引用するときなどは新版が絶対有理だろうが、Morris.としては旧版に軍配を挙げざるを得ない。それでも、両者の比較(絵の省略ぶり、追加と削除項目など)は興味深い。しばらくは、暇つぶしにもってこいの材料となるだろう。
と、いうわけで急遽、愛藏本ページに「PETIT
LAROUSSE vs.ABCびき日本辞典」を追加しました(^○^)
今夜はさりーちゃんが部屋に来るはずだったの、体調こわしてキャンセル。9時まで練習して「あうん」で打ち上げのC&Pに合流。そのままMorris.の独房にになだれ込んで、朝まで飲み続け。家庭内カラオケにビデオ大会。なおちゃんはコンピュータけとばして、春待ちファミリーBAND部屋の画像飛ばしてしまうわ、Morris.は例によって酔いつぶれて狼藉の限りを尽くすわ、で大変でごじゃりました。伊藤は冷靜に原稿書く余裕を見せる。1月28日の毎日テレビ収録の記事を伊藤時治の鶏駕籠に追加。満園はなかなかこの雰囲気に馴染めずにいた。(そりゃそうだろう)
1999/01/29(金)
ポーアイから、北野の入り組んだ坂道の奥にあるマンションへのローカルの仕事で疲れてしまったが、早目に帰宅できたので部屋で一休みしてから、授業。稲田さんは昨日引越し(祝賀ハムニダ!!)。枇杷木さんも16年間の寮生活(すごいよな!!)にピリオド打って来月にも一人暮らし始めるらしいし、Morris.もそろそろこの独房から、脱出したいものだ。平衛六が満員で入れず、お好み焼き屋で飲んで帰る。久々の寒波。真円に近づいた月が美しい。そういえば斉藤さんとこのつよしも臨月で、数日中にも朗報がもたらされる予定だ。
【人はなぜ道に迷うか】山口裕一★☆方向音痴のMorris.だから、この書名だけに惹かれて借りてしまった。ところが、これがなんともおそまつ極まりない内容。ちくまプリマーブックスという叢書の1冊で「How to read a map.How to use the brain」なんて赤面ものの横文字の副題付けてて、ほんと、もうちょっと頭つかえよな、と毒づきたくなるくらいの非充実ぶり。論の立て方からしてすでに本人が迷い道に入り込んでるし、結論(?)らしきものが、「迷わないためのマニュアルは作れないし、たとえ作れたとしても作るべきでない、というのが私の考えです」だと。おいおい、ちょっと待ってくれよ。これじゃまるで羊頭狗肉。たかだか200頁のくせに100頁あたりで突然新しい用語を「発明」していわく「実は、この新しいキーワードは、ある面では同じ意味の、また別の面ではかなり違った意味の言葉なんだということを、まず申し上げておきましょう。そしてこの本自体にとって、とても重要な役割を持つ言葉になりますので、まず、この言葉の説明から−−問題を取り上げていこうと思います」だと。しかもこのキーワードは「専門用語と違って、これらの区分けは、私が思いついたキーワードです。厳密に意味が決められている言葉ではありませんから曖昧で、適当なものと思われても仕方のない部分がかなりあると思います」と、言い訳しながら、自分の思考方法で実感できれば「意外にすっきりと、理解できるはずです」との御託宣。どこが「すっきり」するってーの??この論理のいいかげんさ。しかし、それよりも、なによりもこの本でMorris.がイライラさせられたのは、その「悪文」ぶりにあることはまちがいない。悪意はないことはわかる。特に文章を飾ろうと言う意識もない。ところが、なにしろ説明の道筋が不必要なまでにぐねぐね蛇行している上に、文末語尾の曖昧さも徹底している。ランダムに改行前の終りを連続して引いてみる。「〜だといえます」「〜といえるでしょう」「〜といえるでしょう」「〜ような気がします」「〜と思います」「〜しておくことにしましょう」「それだけで十分です」「〜ということになります」「〜ないのではないでしょうか」「〜かもしれません」「〜と思います」ああっ!!なんて優柔不断、なんという自信の無さ、こんなにMorris.が不快を感じるのは、実はMorris.の文章にもこれに似た悪弊があることを、自覚させられたことによる「のではないだろうか」。自分の欠点を強調してさらけだされた「ような気がするのかも知れない」。つまりこれはバーチャルな自己嫌悪体験「のように思われる」(^_^;)要するにこの本はMorris.の文章読本(反面教師としての)として肝に銘じるところあまりに多いがために、やや長ったらしい紹介(悪口)を書き連ねた「ということになるのではないだろうかと、Morris.には思われるような気がするのだ」
1999/01/28(木)
夕方6時半から長田の焼肉「甲子園」で、みかちゃんマレーシア行き歓送会が行われたが、主賓のみかちゃんは7時半頃参加、春待ちファミリーBANDのテレビ録画に立ち会うため8時にJR六甲に行かねばならないMorris.は挨拶もそこそこにあわただしいお別れ会になってしまった。記念写真も撮れず残念。
毎日テレビ「おかえりワイド」の録画は、「ワシントン」1曲だけで、30分くらいで簡単に済む。この模様は2月5日(金)午後5時〜6時に放映されるとのこと。
さりーちゃん、社長、中川、伊藤、松尾6人で、「遊」(甲南ハイボール勤務のつよしさんが開いたSHOT-BAR)で、12時近くまで飲む。
1999/01/27(水)
朝、としろうに迎えに来てもらい、四日市まで。あのあたりは、伊勢茶の名産地らしいが、Morris.は、ほとんど日本茶飲まないので、うまいのかどうかもよくわからない。田舎は嬉野茶の本場だったから、そればかり飲まされていた。
【群衆の悪魔】笠井潔★★★★☆1848年2月革命から第二帝政に至るパリを舞台に、青年ボードレールと、モルグ街殺人事件のオーギュスト・デュパンが、貴族らの出生と陰謀に絡む連続殺人事件に巻き込まれ、これを解明するミステリーだが、事件の解決より、当時のパリの思想の転換、革命の実態、文学、群衆誕生論、香水から市民の衞生意識の変遷を論じるるところなどが一層興味深い。笠井は大作なほど、Morris.好みで、本書も2段組400頁を超える長編だが、飽きさせることなく最後まで引っ張っていく手際は大したもの。大作「哲学者の密室」(これは長い!!)に比べるとちょっと物足りない気もしたが、主人公がお馴染みの詩人と初代名探偵という絶妙の取り合わせというアイディアだけでもポイント高い。これに笠井お得意の哲学的文明批評がまぶしてあり、面白くてためになる(ような気にさせる)Morris.好みの作品だった。おしむらくは、デュパンの推理ぶりが、あまりに名人芸過ぎるのと、彼の政治、文化、歴史評が、ズル(つまり、現在から過去を見た上での結果批評)でしかない事だ。まあデュパンは天才の創造した天才なんだからそれはいい事にしておこう。
【カラオケ、海を渡る】大竹昭子★★★☆アジア各国(台湾、香港、中国、ベトナム、韓国)におけるカラオケの様相を紹介しながら、その受容と変形、現状を、供給業者、設置施設(場所)の取材をまじえて、解説批評しながら、特殊な形態を取る沖縄、そして東京に戻り、カラオケ全体を総括するという、なかなかの労作である。業界のパイオニア(これは企業名じゃなくって開拓者ね)へのインタビュー、関係者の取材もまめにやってるが、その人物評語の画一的(闊達、清濁合せ飲む)なところはちょっと鼻についた。8トラ、ヴィデオテープ、レーザーディスクから、通信カラオケというソフトの変化が必ずしもアジア全般で同じように変化しているのでは無い事、各国独自なカラオケスタイルを知ることができるだけでも読んだ甲斐がある。特に韓国で独自に開発されたROM音源カラオケの記事中にMorris.がソウルやプサンでノレバンに行くたびに目にした「ARIRAN」とか「ASSA」というメーカー名が出てきたのは嬉しかった。
1999/01/26(火)
春待ちファミリーBAND部屋にバンド紹介のマスコミ記事をスクラップするページを新設、1月21日の朝日新聞の切り抜きに加えて、1月23日読売朝刊に掲載された記事を追加した。この記事には見出しがなんと5本も立っていた。
みかちゃんは30日にマレーシアに向かう。クラウンでは28日に歓送会予定しているとの事だが、当日は午後8時からJR六甲道で毎日テレビ絡みのストリートライブだ。どーしよう。
1999/01/25(月)
入浴時間はいくら長くても20分までの「烏の行水」Morris.だが、今日は珍しく30分以上もユニットパスタブに浸かって、ちょっとのぼせ気味。
この部屋の読者の中で、ハングル/韓国/朝鮮に関心があって、パソコン上、インターネットweb上で自由にハングル、日本語、英語を混在使用出来たらなと思いながら、なかなか思うにまかせずにいた方に、朗報です。「ハングル工房・東京綾瀬
http://home.att.ne.jp/yellow/han-lab/」で、Ken Mizunoさんによる「ハングルの使えるパソコン環境」の講義がスタートしました。講義と言っても堅苦しいものではなく、機械を買うときの注意(ここは、ハングル無関係のユーザーも必読??)から始まって、MacとWindowsの環境の違い(Macの優位)、とりあえずハングルを使う法、韓国製ハングルソフト−アレアハングルの問題点など、わかりやすくてためになる講義です。この後Morris.も使ってるKorean
Writerや他のソフト解説へと続く予定とのことで、どきどき、わくわくですね。Macに潔く切り替えるのは、しばらくは無理なMorris.のような、Windows派(支持派じゃなくて、仕方なしにの)への、救済措置(応急処置)などもぜひ講義に加えて欲しいですね。って、だんだんメールモードになっていく(^_^;)
冒頭の、Morris.の長湯の原因は、この講義のベタ打ち(テキストのみで4頁)を、クリアファイルに挟んで、湯船で読みふけってたためでした(^○^)
1999/01/24(日)
10時起床、久しぶりの雨。冬の雨なので「ささんくゎ」と降っている(^o^)
Starplusのチャイニーズtop20見てる。このところ、韓国歌謡と中国歌謡半々くらい。中国語なんて全く分からないMorris.だが、歌詞は逐次、漢字でテロップ流れるので、雰囲気だけは掴む事が出来る(かな?)。とりあえず、現時点では、韓国ヒットチャートが、ダンスグループ中心、要するにガキの遊び場と化してるのに比して、中国チャートは、ダンスも有れば、しっとり大人のムードの曲もあり、懐かしのフォーク路線も健在と、バラエティ豊かなので、ついつい惹かれてしまうのだろう。もちろん、実力派歌手も多い。ところで、今週のチャートでは、とうとう例のレネ・リュウの「很愛很愛弥」(中国語版
Kiroro「長い間」)が1位になっちゃったよ。日本語版??より、響きが心地よいもんなあ。しかし、この、韓国、中国のミュージックビデオ映像というのは、どうしてこんなにせわしないんだろう。ショートカットなんてもんじゃない。春待ちファミリーBANDヴィデオカメラマンとしてのMorris.のロングカット(ワンステージ、切れ目無しがほとんど!!)というのも、一考を要するところありなのだろうが、その対極に位置するこれらのミュージックビデオは、ほんと、疲れるぜい。
【名古屋のモダニズム】INAXギャラリー★★★☆☆このINAXギャラリーは、株INAXが不定期に発行している美術デザイン誌で、企業誌と思えない充実ぶりで、Morris.も何冊か所有してるくらいだが、本書の主題、1920〜30年代の名古屋のモダニズムといえば、Morris.の関心は「ノリタケ・アールデコ」にしかなくて。今回もそれを目当てに借りてきた。もともと米国への輸入だけのために短期間生産された安物陶器だったノリタケ・アールデコが、半世紀以上経ってから、再評価され、レトロ、キッチュの範疇から一歩抜け出したとされるが、まだまだ一般的に認知されてるとは言い難い。いや、Morris.はレトロ、キッチュの方が性に合ってるからそんなことはどうでもよくて、面白い、可愛い、好き、上手い、気にかかるくらいのポイントでしか評価できない。やっぱり、ノリタケ・アールデコってのはミスマッチの美だよなと、再認識したのだが、続いて紹介されてた「瀬戸図案研究会」の皿の意匠に、完全に心奪われてしまった。蝶や薔薇や豌豆などが、まさにMorris.好みの大正ロマン風、シンプル&叙情的に体現されてたのだ。典型的なアールデコ幾何学模様の皿も、ノリタケとは格段の差で「本物」だ。更に目を皿のようにして見ると、これらは製品としての皿ではなく、皿のデザインのための下絵であることがわかった。瀬戸図案研究会は、瀬戸陶器学校の後身である愛知県立陶器学校に明治末赴任した日野厚の指導のもとに結成されたデザイングループだそうだが、いやはや、この意匠の皿なら、現在でも通用するどころか、Morris.ならずとも、欲しくなるに違いない。当時の独逸デザインを参考にしたという意匠に、特にMorris.は心惹かれた。名古屋あなどるべからず。
1999/01/23(土)
「恐怖の韓日戰」というKNTVの番組は面白かった。両国の文化やファッション、アイドルなどを比較して、両国の出席者や世界各国からのゲストに採点させて、優越を競うもので、広末涼子とキムヒンソンのアイドル対決では圧倒的にキムヒンソンのポイント、パンソリと歌舞伎の退屈度?対決ではパンソリの方が退屈と決まったり、相手国の知名人では、日本人が歌手、スポーツ選手や金大中を挙げたのに対して、韓国人はまず「豊臣秀吉」だったり、韓国の若手男性グループ「カントリーココ」が日本の露天風呂で、闖入してきた日本娘にたじたじとなったりと、結構笑わせてくれた。
今夜はさりーちゃんの招請による飲み会。「玉手箱」に社長一家(社長、さりーちゃん、やすこ、ひろこ)伊藤時治、えっちゃんとMorris.の7人で、寄せ鍋飲み放題コース。社長はまだ風邪が全快せず、途中で寝てしまう体たらく。娘らはTVの恐怖番組「リング」に釘付け状態。伊藤から原稿もらい「伊藤時治の鶏駕籠」(部屋の名前変更、ついでにページの配色も変えた)に更新。
【魔法としての言葉】金関寿夫★★★★☆☆「アメリカインディアンの口承詩」とサブタイトルにある。文字をもたないインディアンが口伝えに伝承していた詩編を、アメリカの学者や文学者が英語で記録した各種資料から日本語に訳し、適切な解説を付した素晴らしい一冊である。Morris.はこれが発行された直後に読んで感動した記憶がある。10年ぶりに借りて再読したのだが、感動は薄れるどころか、更に輝きを増したように思う。「魔法としての詩」という章が立てられているように、厳密に言うとこれらの詩章は文芸というより、呪文や祈りに近いものかも知れない。著者も書いているが、これらの詩句の比喩はレトリックでなく、実際にそうであると信じられた表現なのだろう。それにしても、この美しさはどうしたことだろう。もちろん日本語訳の見事さも評価せねばなるまい。英語からの重訳だから、本来の姿からはかなりの変貌を遂げているであろうことは、心に留めておかねばならないとしても。断片のような短詩、物語詩、擬音だけの詩、絵に添えられた歌など、バラエティに富んでいて、Morris.は中でもチッペワ族の、俳句にも似た短詩に、まず、シビれてしまった。
・ときどきおれは/じぶんのことが/あわれになる/たとえば/風にさらわれて
空を/横っとびに/すっ飛んで/いくときなど(雷人の歌)
・空が/おれのゆくところへ/ついてくる(夢の歌)
・あ かいつぶりだ/と思ったら/わたしの彼が水をはねる/櫂のおとだった
・おれは空のうえを/歩いている。/鳥に/おれはついてゆく(夢の歌)
・大草原を見わたせば/春のさなかに/夏を知る(春の歌)
その他にも、ナバホ族の「夜の歌」、シムシアン族の「子守唄」、ズーニ族の「雨乞いの歌」、各部族の愛の歌など、本当に素敵な歌が目白押しで、すべてを引用したくなる欲望を押えるので大変なくらいだが、ここでは、集中の最高傑作の一つである、メスカレロ・アパッチ族の「夜明けの歌」だけを紹介しておく。これらが気に入った方は、ぜひ、本書を図書館などで探して御一読ください。(1988/05/01 思潮社 ISBN4-7837-7C0095)
・夜明けの歌(メスカレロ・アパッチ族)
黒い七面鳥が 東の方で尾をひろげる
するとその美しい尖端が 白い夜明けになる
夜明けが送ってよこした少年たちが
走りながらやってくる
かれらが穿いているのは
日光で織った黄色い靴
かれらは日光の流れの上で踊っている
虹が送ってよこした少女たちが
踊りながらやってくる
かれらが着ているのは
日光で織った黄色いシャツ
かれら夜明けの少女たちは おれたちのうえで踊っている
山々の横っ腹が みどり色になる
山々のてっぺんが 黄色になる
そしていま おれたちのうえに
美しい山々のうえに
夜明けがある
1999/01/22(金)
三宮図書館、中央図書館はしごして計9冊借りる。図書館で「帰ってきた旅人」という田村隆一の詩集立ち読みして、彼が昨年亡くなっていたことを初めて知った。「四千の日と夜」などの初期作品には衝撃を受けたものだ。遺稿集というべきこの最後の詩集中「世紀末という言葉は19世紀末だけに使って欲しい」という意味の一節を見つけて、深く共感した。
授業は、風邪のためか欠席多い。松下さんのお誕生会(わしらは幼稚園児か(^o^))で、ケーキでお茶会。
稲田さんから昨日の朝日夕刊の記事の切り抜きもらったので、しばらく貼りつけておくことにする。ちょっと読みにくいけど我慢して見てください。好意的に取り上げてあって嬉しかったけど、この部屋のURLアドレス載ってなかったのがちょっとだけ残念。
型通り4人で平衛六へ。まだ、Morris.は「ハートランド」を「ノースランド」と間違え続けている。
1999/01/21(木)
「求める会」の稲田さんからひつじ書房という会社の書評サイトを教えてもらい、ちょっと覗いてみた。結構なコンテンツの量に圧倒されてしまったが、Morris.がこの日記で、時々本の紹介みたいなのを書いてるのは、あれは書評というにはおこがましいですね。この書評サイトには数人の分担で、すでに500冊近い書評があがってて、検索もできるので読書案内としても役に立ちそう。ただ、Morris.の場合、ほとんど図書館で背表紙見ないと、実感わかないから、きっとあまり、利用しないだろうけど(^_^;)。またこの会社は、text表示ブラウザを販売しているそうで、これを使うと現在の、読みにくいホームページ(Morris.の部屋こそ、その典型かも)が、ずいぶん見やすくなるそうな。CRTにしろ、液晶にしろ、行間なしの、細かい字は、うんざりするもんなあ。近い将来、汎用のブラウザで、見やすいページを表示できるようになればいいのになあ。なんてことを考えさせてくれました。
このサイトのURLアドレスは
http://www.shohyo.co.jp/
夕方から備蓄用の肉団子作り。Morris.はこれを冷凍してさまざまに活用している。余した挽肉で今夜のメニューはMorris.十八番の麻婆豆腐。今日のはちょっと材料がシンプルだが、その分多めに入れた胡瓜が美味しいぞ。いくらか残して明日は麻婆丼にしようと思ってたが、このままじゃ無くなってしまいそうだ。
九州の深町さんから絵葉書で、サンボ通信のWeb化はめでたいが、自分はインターネット見れないので淋しい、と書いてあった。紙メディアのサンボ通信を熱心に支持してくれた数人だけにでも、何とか手当てをするべきなのだろうか?まだまだ、Morris.の身近ではインターネット人口比は低いもんな。
今日の朝日新聞夕刊(近畿版)に春待ちファミリーBANDの記事が載ったらしい。Morris.はまだ見てないが、その連絡を数人に同送メール出したのだが、その中でMorris.の「個人ホームページ」と打ったつもりが「孤児ホームページ」となっていた(>_<)
あながち間違いではないような気もするが(^_^;) ホームページ上や、同送メールでの間違いはいっぺんに恥を広めることになるのが、困りものだ。
【雑書放蕩記】谷沢永一★★★☆☆☆幼少時からの読書体験と、忘れられぬ本の数々をたどりながら、半生を回顧する自伝として読んだ。これは正直面白かった。「プルターク英雄伝」から始まって、円本、乱歩、ルパン、伊藤痴遊、三銃士、文芸評論、経済学、ロシュフコオ、古寺巡礼、ヴァレリー、世阿弥---と、まさに「雑涜」であるが、このジャンル無視という点においてはMorris.と似ているので共感を覚えた。しかし、読み込みの深さ、理会力、引用の的確さ、評言の鋭さは、比べようもない(>_<)
この人にしては珍しく母親への無防備な愛情を吐露した部分があって、本書の空気抜きのような役割を果たしている。大学に残って助手になるまでの委細はややしつこすぎる。蛇足だが、本書では大阪日本橋に正しく「にっぽんばし」とルビ振ってあって、安堵した。(「粋判官」には「にほんばし」とあったので)
いくらか孫引きをしておく。
・大抵詞(ことば)直く理明に、知り易く記し易きものは必ず正理なり。詞難く理遠く、知り難く記し難きものは、必ず邪説なり。(伊藤仁斎)
・語の置換を発見と、隠喩を証明と、語の吐出を重大な認識の奔流と、そして自分自身を神託と思ひ込む病弊、これはわれわれの持つて生まれた病弊である。(ヴァレリイ、佐藤正彦訳)
・「ああ、君、君は感謝を期待しちゃいけない。誰もさうする権利なんか持つてはゐないのだ。結局、それが君に喜びを与へるから、君はいいことをするのだ。それがそこにある幸福の最も純粋な形なのだ。それに対して感謝を期待するのは、実際あまり多くを要求しすぎてゐる。」(モーム、青山一浪訳)
1999/01/20(水)
このところ仕事のお呼びがかからないので、すっかり本とテレビと酒に溺れてしまってる。
ところでこのごろMorris.の嗜好品の一つとして定着してるのが、キリンの「午後の紅茶−ストレート」。日頃から甘いもの天敵にしてるはずのMorris.なのに、結構砂糖も入ってるこれが気に入ったのは、どうしてだろう。まあ、以前からアイスクリーム(バニラかミルク系に限る)だけは、好物だったから、絶対甘いものが駄目なわけではなさそうだ。それで「午後の紅茶」なのだが、原料を見ると「紅茶・砂糖・香料・ビタミンC」となってて、どうもこの香料という奴が曲者だな。他社の紅茶と違ったフレーバー、何かこう、懐かしさを感じさせるよなあ、といろいろ考えて、子供の頃花祭りに、お寺で飲ませてもらった「甘茶」に似てることに思い当たった。Morris.の生家は坂沿いに建ってて、その坂を登りきったところに広福寺という禅寺があり、小学生の間は結構頻繁に行き来して、盆や彼岸にはアルバイト(習わぬ経をよんでた(^o^)したことがあるくらいだから、4月8日は朝から入り浸りで、この甘茶も、何杯も飲んだはず。本来甘茶は甘茶蔓というウリ科の蔓植物の葉を蒸して、乾燥した奴を煎じて製するものらしい。広福寺の甘茶が実際そうだったかどうか、今となっては判然としないが、とにかく記憶の中の甘茶と「午後の紅茶」はMorris.の中で渾然一体となってることは確かである。さらに最近は麦焼酎をこれで割ることを覚え、またまた消費拡大を招いている。
【北の詩人】松本清張★★★☆☆日本植民地時代からの韓国の詩人で、第二次大戦後北にわたり、米国のスパイ活動をしたとして処刑された、林和(イム ホヮ)の悲劇と当時の政治背景を暴こうとしたノンフィクション色の濃い作。共産党がらみの、転向、寝返り、密告、謀略、拷問、脅迫、裏切り、保身等々には、うんざりのMorris.なのだが、これは、ちょっと前から読んでおかねば、という義務感みたいなものがあったのだが、やっぱり、結構しんどかった。清張は「或小倉日記伝」の頃からの愛読者で、前半の作のほとんどは読んだはずだが、1972年に雑誌連載されたこの作品は、当時Morris.が朝鮮/韓国にほとんど無関心だったためか、読まないでいた。今の時点で読むと、最終的に北朝鮮側の裁判記録に準拠してることからも分かるように、やや北にバイアスかかってるようで、主人公林和の主体性の無さ、存在の希薄さに、物足りなさを感じてしまった。日本の戦後における米国占領政策を資料と調査で綿密に抉り出す清張のやり方は、この作品でも活かされていて、それなりに読まされた。
1999/01/19(火)
珍しく昨夜は酒飲まずに就寝。そのためか夜中3時半に目が覚めてしまい、せっかくだから本読んだりしているうちに夜が明けてしまった。
夜はセンターでキルギスタン大学助教授で中央アジアの朝鮮人を研究しているペクテヒョンさんの講演があった。畑違いだし、難しそうなので、普段なら敬遠する所だが、センターの鹿嶋さんから招請があったので参加。やっぱりほとんどわからなかった。とりあえずカザフスタンとキルギスタンの位置関係がわかったことくらいが収穫か(^_^;)講演の後いっしょに打ち上げで平衛六に。久しぶりに山根さんキムヨンダルさんらと飲むことになった。名刺を渡してキムヘヨンの宣伝に努めたが、ほとんど理解してもらえなかった、かなしい。
【たびびと】立原正秋★★★何となく氣になりながら読むのを控えて来た作家の一人で、まあ、前に何冊かは読んだのかもしれないが、とにかく相性は良くなさそうだ。いろいろ趣向を凝らしてはあるが、中年男の放蕩の言い訳じゃないか。舞台装置に衣装、小道具はまずまずのものをそろえているが、結局は通俗の粉飾に過ぎない。と見るのはMorris.に見る目がないのか。いちおう世評は定まっている作家なのだが−−−
【歌集 青童子】前登志夫★★☆☆この歌人も、以前からMorris.とは合わない。じゃあ何故借りてきたかというと、後書きに「百済・新羅への韓国紀行として作った「望郷50首」を含むとあったからだ。一通り全作目は通した。で、お目当ての「望郷」がまた面白くない。「ハングルの文字になじめず手に重きカメラをさげて百済を歩む」だもんな。さらに「南北に分断されし半島の五月の空を柳絮漂ふ」「鼻毛抜き半島の地図に植ゑたれば慶州の夜のやまなみふかし」ときたもんだ。まあ、これはとりたてて駄作、愚作を選んだわけで、もう少しましなものもあるにはあるのだが、全体の感じの悪さから、罰としてここでは引用しない(Morris.も偉くなったもんだ(^_^;)。今後この人の歌は読まないことにしよう。
1999/01/18(月)
今年10回目(よくわからない)の宿酔。KNTVをBGVにしてほとんどベッドで読書。
季節外れだがBotanical Gardenに「あぢさゐ」、「こすもす」、「ほととぎす」を追加。
【『吾輩は猫である』殺人事件】奥泉光★★★★☆☆いやあ久々に面白い小説読ませてもらった。やっぱり奥泉光はただものでない。漱石の猫のパロディは掃いて捨てるほどあるが、この作はそれらの中の一金字塔となるだろう。堂々たる大作(506頁)全体を、漱石の文体模写で通してる。しかも旧仮名遣いだ。漢字こそ旧漢字は使われていないが、その手並みだけでも賞賛に値する。その上ストーリーも気宇壮大で、主な舞台は当時の上海、「猫」の主要登場人物はほとんど出てくるし、猫族も、多士済々。イギリスからホームズ猫とワトソン猫まで到来して苦沙弥先生殺害の謎を巡って、波瀾万丈、奇想天外の物語が展開される。「猫」を3回読み、中高生時期にはシャーロキアンとは行かないまでもホームズものは全作読破したMorris.のために、あつらえられたかのような小説で、推理小説としてはやや、寄り道、冗長、御都合主義が多いとしても、とにかく面白かったあ。
【見知らぬ妻へ】浅田次郎★★☆この点数からすると、紹介にも及ばないのだろうが、一時期彼の作を読み漁ってたMorris.としては、一言いっておきたい。こんなの書いてちゃ駄目じゃない。屈指のユーモアピカレスク小説でMorris.を楽しませてくれた浅田次郎はどこにいったのか?直木賞もらって墜落したのか? あの面白すぎる大作「きんぴか」の、興奮と快感を今一度、体験させてくれ。白状するが8篇の短編中、半分は途中で読み飛ばしてしまった。
【春秋の花】大西巨人★★★★「神聖喜劇」の作者による、詞華集(アンソロジー)。主に週間金曜日に連載されたものらしい。引用句も短く解説も1枚前後の短いコラムだが、その選択の妙技と、寸鉄の筆法には、読みながら快哉したり、苦笑いしたりして、要するにとても楽しめた。俳句、短歌、詩の他に小説や随想の一節もまぎれこましてあり、著者の博識と批評眼を手軽に知ることも出来る。著名人から、無名人まで、披引用者もジャンル、時代にとらわれず、引用句もひねりが聞いている。さらに解説には引用句から連想される別の引用も多く、結果的に含蓄ある言葉の小宇宙を形作っている。感服。
1999/01/17(日)
社長の車でハーバーランドのこべっこらんどへ。午後から「がんばれこべっこ元気アップコンサート」撮影。社長を始め風邪組が多くて心配したがなんとか盛況裡に終了。CDも4万円の売上があった。
演奏後、伊藤時治、秋月、わかと4人でモザイクの「ハーフェンブルク」でビール飲む。そのあと、伊藤と二人で、六甲道の「あんぽんたん」で、飲み食いし、さらに新在家高架下の「茄子の花」で日本酒まで飲んでそれでも10時に帰宅。
小谷しんじの保健室に、楽器おたく小谷君の楽器コレクションを披露する期待のコラム「音楽室倉庫裏」第2回を追加。今回はマンドリンだ。
サンボの部屋Botanicakl Gardenに「ささんくゎ」を久しぶりに追加。
1999/01/16(土)
ほとんど死んだ状態で仕事。今日はもう何もしたくない。
1999/01/15(金)
ちょっと二日酔い気味で9時起床。パピヨンさん、DEKOさんと挨拶回り。DEKOさん送りがてら、新大阪まで出、中央待合室横のCafe
Wintisで、ビール飲む。ソウルから来て新大阪で待ち合わせる約束のイジュカンさんを待ちながら結局DEKOさんは5杯、Morris.は6杯も飲んでしまった。ここのウエイトレス高山さんがすごく素敵で、Morris.は一目惚れ状態。2時過ぎに到着したジュカンちゃんと乾杯して、酔いに任せて、強引に高山さんとツーショットの写真まで撮らしてもらった。ヤッタネ(^o^)って、単なる酔っ払いおやじではないか。
4時前帰宅、さすがに疲れて寝る。
7時に目覚ましで起き、ビデオカメラ持って、ヌーベル六甲のヒアカムへ。井山あきのりと島田和夫の「ブギウギピアノナイト」。ピアノより喋りの方が受けてたきらいがあるが、どちらもうまいので、充分楽しめた。ここでも12時近くまで飲み、12時過ぎ帰宅。飲みすぎだ。
1999/01/14(木)
いけない、どうも、夢コン(dream conscious)になってしまったらしい。連夜の夢ラッシュで、昨夜なんかほとんど悪夢に近いものだった。舞台は太平洋戦争末期(まだMorris.は生れてない)でそろそろ敗戦は決定的という諦念が弥漫した雰囲気の中で、えらく生々しい人間関係の醜さみたいなものに巻き込まれて深刻に悩んだり、困ったり、口論したり、解決策を模索してあっちこっち走り回ったり−−となかなかの長丁場のもので、もちろんMorris.自身の弱さや狡さも露呈されたりして、いやいや、こんなことを書くことが、また次の夢の誘因となるのかもしれない。夢魔(night-mare)はたしか女性のはずだが、Morris.は女嫌いだから付き纏っても無駄だぜ(嘘、嘘(^_^;)
夜社長から凄い声の電話があり、風邪がひどいので、明日のストリートライブ中止とのこと。あわてて春待ちファミリーBAND部屋に、中止の告示。でも、ひょっとしてハーバーランドに行った人いたら、ごめんなさいm(._.)m
東京から広島に行く途中で大阪に寄るというDEKOさんに会いに森ノ宮のパピヨンさん宅へ行く。DEKOさんすでに酔いつぶれて寝ている。パピヨンさんが部屋を貸している韓国人夫婦としばらく飲み、3時頃DEKOさん叩き起こして4時半まで飲む。
【遊民爺さん】小沢章友★★★☆☆時は1984年、哲学専攻の大学生だった「ぼく」が、70歳のディレッタント(芸術おたく)爺さんに、出会ったことから話が始まる。大半が爺さんの芸術に関する蘊蓄で占められているが、この爺さん金も仕事も才能もなく、それでも芸術が好きで、好きで、のめり込まずにいられず、結果的に遊民をやってる、つまり超低級遊民であるところが、Morris.の先行きを暗示しているみたいで、ついつい読まされてしまった。ちなみに作者はMorris.と同い年で、出生も同じ佐賀県だった。これは85年に書かれて8年後に日の目(開高健賞奨励賞受賞)を見たもの。おもしろうて、やがて哀しきストーリーだが、最初の奇妙さで最後まで突っ走って欲しかった。
【遊民爺さん、パリへ行く】小沢章友★★★10年後に書かれた上記の続編。タイトルはきっとギャリコの「ハリスおばさんパリへ行く」のパロディだと思う。そう言えば遊民爺さん自体、パターンとしてはハリスおばさんシリーズと共通点を持っている。爺さんが商店街の抽選で3泊4日カップルパリ旅行ご招待に当選し、大学を出て社会人になってる「ぼく」を同伴者にしてパリに出かけ、芸術がらみの珍道中を繰り広げる趣向。それなりに話はできているし、爺さんの恋する、芸術少女なんてのも出てくるのだが、インパクトは前作より落ちるなあ。やり方によってはユニークなシリーズになったかもしれないだけに、ちょっと惜しい。
199/01/13(水)
10日の夜に夢を見て、その筋を良く記憶してて、めったに夢は見ず、見てもたいてい忘れてるMorris.にしては珍しいので記録して、夢に登場したKen
Mizunoさんにメールで送ったら、それはHPで公開したらと返事貰った。しかしそれはまた、別の場所で公開することにしよう。実はそれがMorris.の初夢だったわけで(覚えてる範囲で言えば)、そういうことが引き金になったのか、昨夜は夢にイパクサが出てきた。夢はあまり見ないと書いたが、Morris.は以前には、数本立ての夢やら、前中後編を一晩に立て続けに見たこともあるくらいだから、この頃は単におぼえてないだけなんだろう。その方がいい。
愛藏本コーナーに「天草本 伊曾保物語」を追加しました。江戸時代以前にこの本が、日本で印刷刊行されていたというのが凄いです。
1999/01/12(火)
昨日、今日と豊中の同じ現場で、昼食も二日続けて「博多ラーメン げんこつ」に行った。Morris.は絶対にグルメ(B級にしろ、C級にしろ)なんかじゃなく、とりあえず、めちゃくちゃ不味くなけりゃ、あまり文句はない方だ。甘いものが苦手なほかは、それほど好き嫌いもないと思う。もちろん嗜好は嗜好としてあるわけで、蒟蒻、海鼠、ミノの三点は、宴会などでは独占しようとする。あともう一つ、「九州ラーメン」にも目が無い。故郷が佐賀で、学校が小倉だったせいもあって、ずっとラーメンは九州味しか知らずにいた。その後、世界には??色んなタイプのラーメンがあることに驚きつつも、やっぱりラーメンは小倉の丸和前のが、いっちゃんうまいと思っている。博多の長浜ラーメン、久留米ラーメンも結構いけるし、薩摩ラーメン、熊本もうまいし、長崎はチャンポンに押されて影が薄いようだが、それなりにいけるし、佐賀は比較的特徴がないけど、武雄の来々軒(今はない)の味は懐かしいな、と、とにかく九州ラーメン(とんこつスープ、細めん)なら、たいてい無条件で許す。豊中のげんこつは、去年やはり仕事の昼食で初めて寄り、西根、市川、清水の絶賛を勝ち得た店である。で、二日続けて食べた感想は、というと、たしかにスープはうまい。燒き豚もかなりおいしい。値段もリーズナブル(ラーメン大盛りに、ご飯、酢の物、漬物で750円)だが、惜しむらくは麺がやや軟らかすぎるのと、細くはないことだ。これなら、マルタイの棒ラーメンの方が好きだ。神戸三宮センタープラザ地下にあった「三馬力」はその点、スープ、麺ともに合格点で、生姜、にんにく、胡麻、ニラなど入れ放題と、申し分ない店だったのに、どうして突然閉店してしまったんだろう。現在Morris.が、関西で一番うまい九州ラーメンの店と思うのは、京都木屋町の「長浜ラーメンみよし」だ。ここのは、下手すると博多の長浜ラーメンよりうまいのではなかろうか?−−−などと、グルメでもないMorris.が、食い物の話を書いてみたのは、稲田さんから紹介された「さとなお」さんのHPを覗いて、刺激されたからだが、付け焼き刃もいいところで、いっこうに、うまさも、雰囲気も伝えきれない。さとなおさんは、神戸近辺在住の方で、5年くらい前から食いしん坊ホームページを開いていて、その中の「さぬきうどん食べ歩き」コーナーが大人気で、単行本まで出したと言う。さっそく覗いてみたら、本当に良く食べ、良く味わい、良く批評されている。とてもMorris.などの眞似できるところではない。さとなおさんのHPアドレスは
http://www.ckp.or.jp/satonao/index.html
1999/01/11(月)
仕事の後、クラウンの事務所に殘った6人(古田、奥井、武下、小林、清水、Morris.)で歳暮のビール軽く1杯のつもりが、話が弾んで、歳暮のハムを肴にして、気が付くと9時まで冷蔵庫のビールを飮み干してしまってた。考えてみればMorris.もここで仕事始めて軽く10年越える。事務所も三宮市役所前から、深江、現在の須磨、そして3月にはポーアイに引っ越すらしい。Morris.は秋本の紹介でここを知ったが、途中社員、バイトで、話の種になるキャラクターは枚挙にいとまが無い。今夜は彼らの思い出話、武勇伝、失敗談で盛り上がった。
1999/01/10(日)
いつも、初詣は十日戎と決めてるMorris.は、たいてい西宮戎に行くのだが、今年は珍しく今宮戎に足を伸ばした。たまには福娘でも鑑賞しようと言う下心が、なかったと言えば嘘になる(^o^)。行きがけに阪神百貨店で古書展やってたので、冷やかすだけにしておこうと思ったが、生田春月全集の端本(第3卷)が出ていて、1,500円と言う値につられてつい買ってしまった。この卷には「長編
時代人の詩」という耳おぼえのない詩集が掲載されていて、卷末に遺書数通が付されていることからしても、彼の最後の作品らしい。作品として何の期待もしないが、この詩人とは腐れ縁みたいなものがあって、見過ごせなかった。
話がそれてしまったが、今宮戎は日曜で晴天と言う好条件で予想以上の人込み、お参りもほどほどに福娘に本年の運勢を占ってもらおうとおみくじ引きに行ったら、ここはじじいばっかりでやんの(>_<)そりゃ売れっ子の福娘達には、値の張る福笹を売ってもらわなくてはという神社の気持ちはわかる。で、今年のMorris.のおみくじは
第十一番半吉 あめつちもくづれおつるかとばかりに
はれゆくそらやなる神のおと(一時はおどろくこともあるけれども、それがかえって吉事のはじまりです。三ヶ月ほどおくれています)とあって、○願望
ととのう ○縁談 ととのわない ○待人 来ない ○出産 軽い(これはつよしにおすそわけしたい)○病気
長びく ○住居 変ること(よしこれで決心がついたぞ)○商い 苦しいが世の為にがんばりなさい(????)
○試験 成功する
まあ、悪くはないようだ。肝腎の福娘だが無茶苦茶の人込みにもまれながらにしては、よく撮れてたので、またまた期間限定で福娘コンテストページに掲載しておきます。見ただけで福が来ることうけあいです。
帰り道に日本橋電機街のマツヤ電機で、目を付けていた松下電工の空気清浄機(EH376)見つけた。Morris.の部屋の埃っぽさときたら大したもんで、これまであきらめてたのだが、正月に井山が部屋でナショナルの空気清浄機を使ってて、結構効果あると聞いたので、リサーチの結果先の機種に決めたのだがこれが、結構品不足、昨日板宿SEIDEN店じまいセールで破格で出てたので、即買おうとしたら、取説、付属品が見つからないときたもんだ。マツヤ電機のはそれよりちょっと高かったが、まあ、いいかと思いきって買うことにした。そしたら、何とフィルター別に一つ(定価4,500円)サービスしてくれた。ラッキー(福娘の御利益かも)
273chSTAR PLUS/アジアTVは、例のお買い得パックに入れておいたのだが、これが実に充実してて、韓国ものも結構多い。ひょっとしたらKNTVより、視聴時間長くなるような気さえする。そこで「中国歌謡トップ20」(たぶん香港系)てのをボーッと見てたら、聞いたことのあるメロディ(kiroroの「長い間」の中国バージョン)が流れてきた。歌ってる女性歌手は
レネ・リュウ(劉若英−−あだ名はミルクティ!!)でタイトルは「很愛很愛弥」だと。これが現在4位。でもそれよりも1位になってたワンフェイという女性歌手は素晴らしい!!ひとめでファンになってしまった。
1999/01/09(土)
矢谷と二人で西神−西宮−灘と小口の仕事で、トラックの中で昨日の図書館カードの件でさんざん愚痴ってしまった。帰りに中央図書館に寄って5冊借りる。
【隻眼の人】飯尾憲士★★★☆☆タイトル作品を含む6編の短編集で、主人公(筆者モデル)が祖国に親戚を訪ねるテーマのものが2作あり、そのひとつ「パッチィ(蝙蝠)」が出色だった。題名はハングルにカタカナルビが振られている。日本女性と結婚した父が朝鮮人であることを息子(主人公)に隱して日本語しか話さないで死んでいく。それから数十年もたってから、父の位牌を携えて祖国の親戚を訪ね、帰国した彼のもとに親戚からの手紙が届く、姪にあたる娘から来たハングルの手紙を、彼が自力で読みたいがために、韓国語の学習を始め、やっとその手紙を読めるようになったとき、祖国での親戚の心の底がくっきりと明らかにされていく。その内容が愛情に滿ち滿ちていながら、悲しく美しく、きびしくて、やはりこの作者はただ者ではないと思う。短編集なので、点数が辛いが、この作だけならあと☆☆くらい加えてもいい。
以前にも大いにヨイショした京都書院アーツコレクション文庫シリーズ、ちょっと目を離したすきに250タイトルを超えてた。Morris.を狂喜させるものも、まあまあのも、??なのもあって、玉石混淆状態だが、これでいいのだ。我慢できずに、買ってしまったのが次の2冊。定価は各1,200円と、ちょっと値上がり気味だが、まだリーズナブルな方だろう。
【大正末〜昭和20年代 日本の広告マッチラベル】三好一★★★★ラベルにはからきし弱いMorris.だから、これはとりあえず買っておかなきゃ、だったが、Morris.のマッチラベルの嗜好は圧倒的に製品マッチラベルで、広告マッチラベルは一段低く見ていた。それ程に初期のマッチメーカーのラベルデザインは、Morris.の好みをそのまま実体化したものとしかいいようがないんだもの。ところで、あらためて、ここに集められた千種以上を見ると、これはこれでなかなかにすばらしい。やはり、編者の選択眼と、コレクションの質の高さに与っているのは間違いない。一昔かふた昔前にはMorris.の身の回りにも、喫茶店やバー、食堂などのマッチラベルのコレクターが何人かいたものの、あまり感心した覚えが無い。やはり、時代が、マッチ衰亡の時期にあたっていたのと、彼らはとにかくなんでもいいから数だけを誇るような集め方する傾向があったからなあ。それに引き換え、この文庫のラベルは粒よりで、テーマ別にきっちり分けてあるのも見やすくてよい。解説にも書いてあったが、広告マッチラベルは「ミニミニポスター」として鑑賞するのが似合っているようだ。懐かしのカルピス黒子さんや、パッケージそのままの煙草マッチ、人気が高いのもむべなるかなと納得の資生堂などに混じって、昭和10年頃とおぼしい築地小劇場での「春香傳」(村山知義演出)の宣伝マッチなどを、発見してまた別の喜びに浸ったりもした。
【シルクロードの印章】小田玉瑛★★★★☆これは数年前単行本で出た時に図書館で借りて、すっかり魅了されたものだ。文庫版の方がカラー写真図版が多くてお買い得なのだが、Morris.の関心は、圧倒的に印章自体より、捺印された印面にあるので、単行本の、モノクロ紙面に、鮮やかな朱印がくっきりと浮かび上がるレイアウトの方が印象深かった。しかし、ローマ、オリエント、イランなどの印は、粘土や封蝋に立体的に刻印するレリーフなので、このカラー写真はわかりやすく、やっぱり、買わずにいられなかった。中国、日本の篆刻(特に遊印)も大好きだが、シルクロードのものは、花模樣、動物、抽象模様と多樣で、形も自由自在で、エキゾチシズムが漂ってて、これも捨てがたい。印章自体の造詣も凝りに凝ったものから、シンプルなものまでさまざまで、石や金屬、陶器、ガラスなど、素材それぞれの面白さもありそうだが、まだまだそこまではMorris.の目は届かずにいる。
1999/01/08(金)
昨日のたんすがたたって、今朝は腕、首筋、背筋が痛くて起き上がれなかった。ようやっと昼前に起きて掃除して外に出たら、久びさの寒波に震えあがった。
三宮図書館で、返却、貸出ししたところ、「図書館業務コンピュータ化のお知らせ」というチラシを手渡された。當館も來る3月24日からコンピュータ処理館になりますと言うお知らせ。ああ、Morris.の危惧していたことがとうとう、現実になるのか。現在Morris.が恒常的に利用している図書館は、中央図書館、灘図書館、三宮図書館の3館で、たまに東灘図書館にも顔を出す。この内すでに中央図書館、灘図書館はコンピュータ処理で、図書利用券も共通、これで1館なら7冊2館合計で10冊まで借りることが出来た。三宮図書館は現在も、紙ポケット式の利用券でこれで、7冊まで借りることが出来た。つまりMorris.は、中央図書館、灘図書館で計10冊、三宮図書館7冊の最大計17冊を借り得る状況だったのだ。
これが、三宮図書館もコンピュータ化されると、一挙に借りられる册數が7冊も激減してしまう。Morris.の読書生活にとって、大々大ピーーンチ!!なのである。図書館って、読みたい時に読みたいだけ本を貸し出しするのがたてまえではないのだろうか?
ちなみにMorris.は最大17冊借りれるからといっていつもそれだけ借りてるわけじゃない。現に今日だって、三宮図書館では4冊借りただけだ。普通Morris.の本棚にある図書館の本の册數は8〜15冊くらいと思う。中央図書館は何と言っても神戸じゃ最大の蔵書を誇る中央館だし、灘図書館は一番身近な館で、三宮図書館は別に7冊借りれることもあるし、三ノ宮に出ることは多いから利用しやすいということから、この3館を相互に利用しきたわけだ。もちろん、3館じゅんぐりに回れば、見たい本に出会う機会も増えるのも理由の一つ。でも、極言すれば、ひとつの図書館に見たい本が全部そろい、何冊でも借りられる環境が実現していればそれが理想じゃないのだろうか。実現できてないから、Morris.は3館を循環してた(せざるを得なかった)わけなのに、それが3館で10冊と制限されたのでは、本当に困ってしまう。なんとか策はないものだろうか。先にも書いた通り、別にMorris.は慾どおしく、借りられるだけ借りてやろうと考えているわけじゃなく、これまでも必要な冊数、借出し期間内に利用出来る範囲で借りてきたつもりだし、返却日に遅れることもほとんどない。(よんどころない、事情で多少は遅れたことはあったが)とにかくトータルで10冊というのはひどすぎる。各館7冊にして欲しいところだが、最低でも15冊くらいにはならないものだろうか。10冊で限定されると、A館とB館で計8冊借りている時にC館でどうしても読みたい本が3冊あった場合1冊は借出しできないことにある。もっと言えば、2館で10冊借りてしまってる時は、C館に行く意味がなくなるってことにもなりかねない。
何度も書くが図書館は「読書の自由」を目的として、存在してるのではないか?
とうぜん、他の利用者のため、という言い訳があるだろうことは想像つくが、そのためにこそ返却期間が決められているのではないか?
利用冊数の限定がある程度やむをえないとしても、それは、最大限の限度(Morris.は先にぎりぎり15冊と、書いたが、仮に30冊を必要とする個人が一人でも存在すれば、やはり30冊までにしてほしい。)個人と書いたのは、家族、配偶者があればその券を融通することは不可能でないからだ。このことは、結構Morris.には、重要なことなので、直接図書館にも、要望していきたい。Morris.は3館を利用しているので、それにこだわったが、たとえ1館でも、貸出し册數の限定は解除(あるいは緩やかに)して欲しい。そろそろ、授業に出る時間なので、とりあえずキーを止める。
今年の初授業は欠席者多く、趙子衡先生も風邪であまり元気が無かった。今日のテーマが洗濯ということで、洗濯大好きのMorris.は張り切るべきところだったのに、授業途中、DUKEII(携帯韓国語辞書)の電池が切れかけてるとの表示が出て、予備の電池に取り替えたら、全然表示されない。古い電池を入れなおしたら表示は出る、色いろ触ってるうちに「保存情報リセットしてもいいですか?」との指示にうろたえながら、もちろんnoを押したが、このままじゃ、まだメモしてない知人の電話番号などが消えてしまうと、ますますうろたえてしまった。結局新しく入れ替えた電池の片方が放電していたらしいことがわかり安堵の胸をなでおろしていたころ、先生から質問されたので、しどろもどろもいいところ。初授業でいい恥かいてしまった。
その後例の4人で平衛六へ。Morris.は今年も「ハートランド」を「ノースランド」と思い違えている。稲田さんは今月中に復興なった元のマンションへ引っ越すらしい。うちの講座がややマンネリ化しているのは、Morris.、信長、松下の年長組が足を引っ張ってるのではないかとの自己分析。でもまあ、しばらくは3人ともやめる気はなさそう。帰り道打ち水が凍っているのに気付いた。今年初めて氷点下を記録したのかもしれない。寒いほど星が奇麗に見える。
11時帰宅して、録画しておいた「歌謡舞台」見たら、あら懐かしや「タバンエプルンパム−−茶房の蒼い夜」が入っていた。この歌は、題名通りブルースフィーリングいっぱいで、途中に「セントルイスブルース」のフレーズがほとんどそのまま使われているという珍しい曲で、数年前テレビで初めて聴いたMorris.は、すっかり面白がってソウルでこの歌の楽譜の載ってる歌本を探しまわったことを、懐かしく思い出す。(あ、ずいぶん苦労してやっと入手しました)
図書館のこともあったので、今日はえらく長くなってるが、もうひとつ、これは楽しい話題。三宮図書館北側のサンパル、ジュンク堂書店は、今熱く燃えてるぞ、と言うニュース。以前から3階売り場は、書籍の品揃え、選択、見事な配列で他の追随を許さない(以前、浜松の一木をここに案内したら感激してた)存在だったが、4階売り場は参考書や教材、子供の本など、どっちかと言うと地味の窮みだった。それが、地震後再開してから、映画や美術のコーナーを充実させて、なかなかいけてる売り場に変身してきたのだが、それが、ついにブレイク(っても、壊れたわけじゃない)して、今日なんか、ついつい、ヴィレッジバンガード(ハーバーランドコウベ新聞会館3階のナイスな本屋)にいるのかと錯覚したくらい、刺激的かつ、興奮させる空間になってしまっていた。美術、工藝、写真、演劇、デザイン、書道、漫画、絵本、カウンターカルチャー、洋書などなど、ここだけで半日はつぶせそう。一昨年、広大な売り場構成で華々しく開店し、神戸のブックシーンの主導権を握ったかに見えた駸々堂も、ジュンクの巻き返しに、ちょっとだけ色褪せて見えたくらいだ。しかし、両者そこそこいい勝負をしていることは事実で、こんな競争ならいくらでも続けて欲しい。10年前と比べるとえらいちがいだ。本に関しては(洋書と古書は別だが)わざわざ東京、大阪まで行く必要を感じないで済む。
1999/01/07(木)
今夜は社長宅で斉藤さんの誕生パーティを開くというので、楽しみにして、プレゼントも企画も用意してたのに、現場が今津(滋賀県)から春日井市(愛知県)というルートだったので、ちょっと遅れそうだなと思ってたら、津市(三重県)にヘルプの要請が来て、急遽寄り道することになった。今日は遠出した三組それぞれにオーバーワークだったようで「手が足りない同士が、足を引っ張り合う」事態に陷ったらしい。Morris.らも春日井で、たんす(メチャ重!!)の吊り上げ、組み立てで手間取リ、津に到着したのが8時半!!どうあがいても間に合わないと觀念。結局部屋に戻ったのは11時半過ぎだった。年末からあれだけ飲み会続けたのだから、結果的には身体に良かったかもしれない。が、やっぱり殘念無念である。
1999/01/06(水)
今年4回目の宿酔(打率6割6分6厘(^_^;)で、またまた昼過ぎまでベッドの中。
武雄の紀伊安孝先生から現金書留届く。3千円入っている。年賀状代わりに送ったCD「たそがれ六甲壹番街」の代金ということなのだろう。贈り物と明記してなかったので申し訳ないことになった。先生は高校時代の担任で英語を教えていただいた。Morris.にとっては、小中高大17年間を通じて、今でもおつきあいのある(といっても賀状のみ)唯一の先生である。同封の便りに、6度目の年男と書いてあったから、72歳になられるのか。今でも自宅で塾を開いて中高生を教えていられるらしい。参ったのは、先生宅にはCDプレイヤーが無いと書いてあったことで、重ねて申し訳ないことをしてしまった。テープにダビングして送ろうかと考えている。(この場合のダビングは許して欲しい)
六甲に出たら、春待ち疲れBANDの店が地震前にはいってたビルの工事隠しの塀が取り払われて、11階建てのマンションが、外裝だけ出来上がっていた。これで、本当に或時代が終ってしまったような感慨に教われた。Morris.より社長やさりーちゃんが、強くそう思うだろう。マンションの名「パルメーラ」というのはうろ覚えだがたしか「春の女神」という意味じゃなかったかな。そうだとしたらあまりにも皮肉だ。
初詣ライブと12/27のダンサーとの共演写真を伊藤時治の蛸部屋に追加した。
KNTV「韓国の詩人」で、徐廷柱(ソジョンジュ)が取り上げられてた。さすがに内容はわからず、日本語訳を持っている作品「花蛇」だけを、原詩聞きながら追っかけた。1915年生まれの彼は、今回の特集でも「魂(ホン)の詩人」とタイトルされている、仏教詩人なのだが、この「花蛇」は美しい蛇を、花紐(下服の足首を縛る飾り紐)に喩えたり、イブや、クレオパトラの故事を挿入したり、二十歳の娘の誘惑者に例えたり、官能的な作品だとMorris.には感じられる。最終部分を金素雲の訳で引用しておく。
針で刺して締めようか 花紐よりもきれいな色。
クレオパトラの血を吸ってペロペロ燃える紅い唇(くち)−−失せろ蛇!
うちのあの子は とつて二十(はたち)の 子猫みたいに可愛い唇−−失せろ蛇!
1999/01/05(火)
今日は何となくヴィジュアル漬けで、まず松下さんから借りてた韓国映画「ケガッツンナレオフ−−犬のような日の午後(邦訳は「灼熱の屋上」)」見る。猛烈に暑いある日団地で起こった夫婦のもつれから、暴力をふるう夫を団地の女達がボコボコにして、男は救急車の中で死亡。屋上に立てこもった女達と、警察の攻防、マスコミと女性たちの応援、コミカルにそのやりとりを映像にした、結構笑える映画だった。アリストパネス(だったかな?)の「女の平和」をパロディ(もともとが喜劇だが)にしたようなところもある。
その後は311chで「Let's spend the night together」見る。いつ見てもミックの異常な元気さ、キースのとんでもないかっこよさにはシビれるなあ。ロンウッドが入ってるので、そんなに古いことはないのだけど(Morris.の時制による)ビルもチャーリーもまだまだ若くて元気で嬉しくなってしまう。「Time
is on my side」のバックに初期Stonesの映像が使われてて、ブライアンの姿が映されると涙がちょちょぎれてしまう。やっぱりMorris.は一生Stonesフリークです。
夜は井山あきのりの誕生パーティ(35歳)。初めて井山の部屋に行ったら、嬉しいことにMorris.の独房より狹いでやんの。でも荷物ないからスペース的には負けてるかも(>_<)8時に行ったら、すでに、藤井、秋月、伊藤、えっちゃん、が来ていて、遅れて、社長一家、吉口、飯島も来て総勢13名。宅配のピザや中華の出前とって、なかなかに若者ホームパーティ風だが、世代差はかなりのもの。Morris.は前半体調が悪くて、午後の紅茶なんか飲んでたが、おしまいは盛り返して結局12時半帰宅。
【詩人まどみちお】佐藤通雅★★★☆☆☆現存する詩人の中で、好きな詩人といえば、絶対にまどみちおを欠かすことは出来ないと思ってるMorris.だから、この本は迷わず手に取った。著者名に見覚えがあるような気はしたのだが、以前感銘を受けた「横書きの現代短歌」と同一著者とは思いがけなかった。何となく畑違いのような気がしてたのだ。しかし、彼は作歌活動しながら、新美南吉、宮沢賢治、北原白秋の童謠などの研究もやってたということなので、それほど驚くことはなかった。Morris.自身、まどさんの詩は、例の「全詩集」が出るまでは、断片的にしか読んでなくて、その中のさらに断片的詩句にしびれていたわけで、作者の經歴などもほとんど知らず、阪田寛夫の「まどさん」で、これも断片的にしか知らされずにいた。本書で初めて、その全貌を伺うことが出来て大いに得るところもあったが、読むのに辛い部分もあった。それはまどみちおの戦争体験だ。その中で数篇の戦争詩(戦争協賛ではなく、戦争を主題にした)を書いたことを、今でもまどみちおは恥じているということや、それでも嚴しいまで自分に眞摯な身の処し方などを知るに付け、ますます惹かれてしまう。評論としての本書の価値も相当に高いものと思う。緻密な考証は無理だとしても、作品句々への透徹した分析は、鋭く、時に遠慮なく批判のメスを入れもするが、基本的に、まどみちおの詩世界に魅入られた論者ならではのものであるから、説得力がある。うたわれる「童謠」と、読まれる「詩」の境界を往来しながらその狹間で均衡を保っている希有な作品として「ぞうさん」を賞揚しながらも、完成度の面で疑問を呈するのも、その一例だ。Morris.はまどみちお作品は、印象批評でこと足れりとしてきた(それしかできない)が、分析批評もできて、その意味もあることを教えられたような気がする。でも、やっぱり、まずみなさんには、詩を読んで欲しいです。図書館で「まどみちお全詩集」(理論社)があれば、厚さにひるまず、手にとって見てください。やっぱり重いと言う方は、「まめつぶうた」「ぞうさん」「ことばあそびうた」なんでもいいです。
ひろげた はねの
まんなかで
クジャクが ふんすいに
なりました
さらさらさらと
まわりに まいて すてた
ほうせきを 見てください
いま
やさしい こころの ほかには
なんにも もたないで
うつくしく
やせて 立っています
(「クジャク」まどみちお)
1999/01/04(月)
正月気分もそろそろ終り、世間では仕事始めた方も多いことと思います。Morris.は惰眠をむさぼっております。
今年Morris.に寄せられた賀状の中から、力作6点を選んで1999年賀状展示室に公開(期間限定)した。やはりパソコンプリンタ作成のものが増えてますね。
【風濤】井上靖★★☆☆☆なんで今ごろ、しかも99年のトップに、こんなのを読んだのかというと、内容が「元冦−−蒙古襲来」前後の時代を、日本でも元でもなく、高麗に視点を据えて書いた作品らしいので、いつか読まねばと思い、クリスマス前に借りてたのに、忘年会、新年会で読書どころではなくて、やっと今日読み終えたもの。一言で言えば退屈だった。発表は昭和38年(1963)だから、既に相当古びていることもあるし、著者自身が「歴史そのまま」を目指したものと言ってる通り、ほんと、歴史の参考書読んでるみたいだったし、やたら引用されてる漢文讀み下し(漢字+カタカナ)擬古文には閉口してしまった。この漢文読み下し文てのも、そろそろ現代語風にならないもんだろうか? いつまでも「豈はからんや」とか「〜するところなり」なんて使いまわし必要ないだろう。格好付けとしては役に立つかもしれないけれど。でも、井上靖って、学生時代に読んだ「蒼き狼」なんか結構面白かったような記憶があるのに、これは小説以前だな。まあ、元と日本との板挟みになって凄い迷惑を蒙った高麗の二人の王樣(元宗忠烈王)と臣下達の、苦労と努力、時代背景などはよくわかったから、無駄な時間を費やしたとは思わないが、期待外れだったことは否めない。
1999/01/03(日)
予想していたものの、さすがに正月3が日は、死んでました。昨日2日は午後に社長宅で新年会ということで、宿酔の頭抱えながら参加。伊藤、えっちゃん、井山、香介、さなえちゃん・サブちゃん夫婦、吉口、矢谷夫婦(娘も)、藤井、これに社長家族4人、大谷貞子(息子二人)と、たくさん集まり、ごちそうは山盛り、酒は飲み放題ということで、あっという間にMorris.はダウン。あとはやっちゃんの部屋のソファで寝込んでしまった。斉藤・つよし夫婦も来たらしいが失神状態だったから挨拶も出来なかった。たぶん10時過ぎくらいに、香介、奈緒ちゃんに連れられて帰宅。それから夜明け近くまでトランプ!!結局昼頃起き出して、ローソンでおにぎりなど買って食べる。二人は3時前に帰っていった。夕方KNTVの「スター歌謡祭」特集(2時間番組)見ているのだが、なんかみんなしろうとっぽい。つまり本職の歌手でないスターが歌う番組のようだ。
昨日社長宅で原稿貰ったので伊藤時治の蛸部屋に追加しておいた。
井山あきのりが、1月15日にヒアカム(阪急六甲北ヌーベル六甲地下)で、ピアノライブをやる。ゲストは憂歌団のドラマー島田さんとのこと。
1999/01/01(金)
あけましておめでとうごじゃいます。
新年最初の宿酔です(^_^;)
昨夜は恆例通り、カウントダウン、演奏行進、神社の境内での自由演奏。すでに初詣の名物となっているので、前から待ってるファンも多く、たっぷり1時間以上のりのりの演奏をくりひろげた。年賀状代わりのチラシを配り、さりーちゃんはCD販売を受け持ち、お布施(観客からの投げ銭)も2万6千円を超える大入り。その後井山あきのりの主導で、おみくじ大会。12人参加者中、おみくじの卦の悪い順に4人が負け組で、屋台の飲食代を負担するというもの。これは地震前から7,8年続いていて、Morris.は去年初めて負け組になってしまった。今年は拾九番上々吉で、余裕の勝ち拔け、結局下々を引いてしまった井山をビリに、秋月、光森さん、沢田さんが負け組で、Morris.らの燒きそば、燒き鳥、壷焼き、ビール酒代を負担した。これで4人の厄払いもすんだことになる。
その後、行く先のない、迷える羊たちは、ぞろぞろとMorris.の独房へ−−−なんてったって真実狹いワンルームに今年は10人(井山、満園、秋月、藤井、沢田、わか、ホセ(わかの同僚スペイン人)、足立、立原、門田)が、詰め込まれ状態になった。おまけに半分は初対面じゃ。で、結局飲むしかなく、用意してたおでんにさりーちゃん謹製のおせち料理、猪飼野のキムチ、イカフェ、チャンジャで宴会。缶ビール1ケースと日本酒一升(四万十川)は朝までに完璧に空いてしまった。
導入したばかりのパーフェクTVがあるので、チャンネルに不自由はない。でも彼らが一番夢中になったのは、映像もない、アニメソングチャンネル。みんなそれぞれに思い入れのあるジャンルがあって、とうとうマイクまで出して歌い出す。これの流れで、Morris.ご自慢の韓国カラオケCDROMの登場となったが、今回韓国関係はMorris.ひとりで、多勢に無勢、200曲ほど附録に付いているポピュラー(英語の歌詞)を歌うことになり、結構これで楽しめた。この日の模様は井山あきのりの部屋に期間限定で掲載した。
昨日録畫して置いたMBCの「98年歌謡大祭典」を見たのだが、とりあえず、歌手の弟やら、親やら、子供やら、女房やらがゲスト出演で、おまけにしっかり歌ってしまうという、えらくアットホームなのにびっくりした。でもこれがすごくいい感じ。特にテジナの奥さんが「オッキョン」と言う名前で、大ヒット「オッキョンイ」がまさに彼女へのオマージュだったことを知ってあらためて感激してしまった。
昨夜小谷君から、彼の部屋で連載する予定の原稿をフロッピーでもらったので、さっそく「小谷しんじの音楽室裏倉庫第1回
Gibsonn L-5」を彼のページに追加。
また、昨年のセンター朝鮮語講座忘年会用に作った、「韓国/朝鮮○×クイズ」を日本語に直してアップしておくのでお正月の余興に役立ててください。