ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
2000/12/30(土)●ぼーっとTV見てた●
昨夜は11時ごろ奈緒ちゃん帰り、伊藤君は連泊。
10時起床。トースト、ハムエッグ、紅茶の朝食、昼「鴛鴦歌合戦」という戦前のマキノ映画見るもあまりにひどい。伊藤君帰った後、家賃持って大家のところに行ったら、ベランダの塗装は数日前に終わってると言う。物干し金具等外して地面に放っておいたまま挨拶も無しで、それはないだろうと、文句言ったが、あたしは知らなかった、の一点張り。困ったもんだ。
J-MALLに買い出しに行き、おでんの仕込み。歳末特番「あの人は今」を見るともなく見ていたら、伊東咲子が出て「ひまわり娘」を歌った。すごく感じいい女性になっていた。
10時からKNTVでMBC演技大賞の生放送やってる。新人賞やら演技賞やら、ラジオ賞やら、監督、脚本、主題歌賞やらいろいろあるが、日本ではドラマだけでこういう賞の番組はない。賞毎に授賞役も男女のタレントが入れ替わり立ち代わり登場するし、年間活躍したタレントの顔見せみたいなものだろう。もともとMorris.はあまりドラマは見ない方だから、顔なじみのタレントもあまりいないのでそれほど面白くはない。主要な賞はほとんど「ホジュン」の関係者で占められていた。生放送のいいところは、CMもそのまま韓国で放映されているものと言うことだ。それだけKNTVのCMがつまらないと言う証拠でもある。
続いて「イソラのプロボーズ」まで見てしまう。こちらは録画でクリスマスイブ放映だったらしい。チョソンモ、イスンフン、イムンセがゲストで、結構歌う場面も多かった。
【言わねばならぬッ!】三波春夫 永六輔 ★★★
三波春夫が浪曲師から歌謡曲歌手になったことは知っていたが、戦後5年間シベリアに抑留されていたことは知らなかった。昨年芸能生活60年を迎えたのをネタに永六輔があちこちの記念講演や行事にかこつけて、対談して、一冊にまとめたもの。最近二人の親交はなかなかのものであるらしい。三波春夫がやたら歴史に詳しい。話題は教育論から忠臣蔵、高田嘉平衛、瀬戸内寂聴、さだまさしやら家族自慢やら、ほとんど四方山話のように、とりとめなく見えながら、六輔の巧みな話術と誘導で、それなりに読まされてしまう。二人の思想も立場も、好みも相当に食い違っているのだが、年の功で、お互いを牽制しながらそれぞれの言い分を通しているのもいい。
六輔は「六丁目」、三波は「北桃子」と号して、柳句会での句仲間らしい。二人の句が載っていたので、引用しておく。
・それぞれの春や伊予土佐讃岐阿波 六丁目
・遠まわりして生きてきて小春かな 六丁目
・如月の空の碧さの強気かな 北桃子
・もう一丁れんげ畠の相撲かな 北桃子
2000/12/29(金)●自家製ハム&ベイコン●
10時起床。二人ともまだ寝ている。
ぼちぼち起き出して、紅茶入れて、レッドカレー食べてまた、しばらくごろごろしてて、社長から電話で、伊藤君が先日演奏にでかけた奈良五条のハム工房「ばあく」から自家製のハムとベーコンがお歳暮に送られてきたというので、取りに行ってきてもらい、またそれをあてに宴会モードになってしまった。あまりに陳腐な言い方だが「今世紀最後のモリス亭宴会」かもしれない。いやあ、さすがに本物は、うんまぁーーーーい(^○^)
こうなったらガイヤーンなども焼いたりして、飲み続け、20:30現在、すでに二人は潰れて寢てしまっている(^_^;)
珍しくMorris.は割としっかりしている。
モリス亭ではハムとベーコンなんて、御馳走の部類だが、ブルースの名曲「It's
ain't nobody's business」の歌詞の冒頭は「ある日ハムとベーコン食って、翌日のメニューもおんなじだあ--」と、不満気に歌ってるから、アメリカではハムとベーコンは、あまり高級とはいえなかったのだろうか?
【江戸百夢 近世図像学の楽しみ】田中優子 ★★★ 今は無き「朝日ジャーナル」の廃刊直前に連載したものと、7年後にほぼ同量を書き下ろしして完成させたもの。40点ほどの画像付コラムで、贅沢な作りだが、とりあえずこの手の本は、Morris.の意に適う適う絵があればそれだけで点数が甘くなる傾向がある。本書では平均点は高いのだが、飛びぬけてMorris.を狂喜乱舞させるものはなかった。既知のものが多かったということもある。歌麿の春画が無修正で掲載してあるのなどは、いい時代になったいう感慨を覚えた。広重の風景の空の紺に、版木の木目が残って見えるのが何故か印象的だった。
2000/12/28(木)●今夜はヒアカム忘年ライブ●
大島弓子の「赦し」をテーマにした作品のような夢だった。蜂蜜が巣作りしていて、Morris.は蜂になってるわけではないのだが、いちおう巣作りに参加しているらしく密蜂に相談受けたり、材料を取りに行ったりしてた。そしてこれが大島弓子の作品のなかの一場面であると言うことだけが分かっていて、おしまいは悪事をやった蜂が何か高い存在から赦されるという結末であり、それに向かって事態が進行しているのだ、と確信していた。
昼にパニエに買い出しに行き、タイ風オムレツやパイナップルサラダなど、作る。3時ごろうさこちゃん来て、お茶飲んで、料理作って食べて、車に便乗してヒアカムへ。
今夜はフクイーズ年末特別、忘年ライブ。ヒアカム常連のバンドが大挙して演奏すると言うので店に入りきれないくらいではないかと心配していたが、それほどではなく、7時半くらいから、矢谷、福井セットに伊藤君がタブベース参加したセットでスタート、Foot
Mania 、山口君のソロ、飯島+井山、美保蘭(途中で井山乱入)、奈緒ちゃんのキーボードと伊藤君のボーカルによる「Morgan's
Barのテーマ」(これは一部に大ウケ)、風来、矢谷+井口(キーボード奈緒ちゃん)、ブギウギピアノ(井山+島田和夫)、春野由利、おしまいにフクイーズ、スタンドバイミー、イマジンなどの合唱で、1時過ぎまで賑やかに騒いでいた。ヒアカムでは特製ハヤシライスが特別メニューに出てたが、腹いっぱいで食べられなかったのが残念だった。
伊藤君と奈緒ちゃんと部屋に戻り、ちょっとだべって寝る。
【神州天馬侠】吉川英治 ★☆ 少年倶楽部傑作選の中に入っていたので、年末の時間潰しに、懐古趣味もいいのではないかと借りてきたのだが、子供向けとは言いながら、余りに御都合主義、ストーリーの雑駁さ、登場人物の行動のでたらめさに、呆気に取られながらとりあえず500ページ読み終えたのだが、こういうものが、70年前くらいの日本少年に熱狂的に受け入れられたというのが分からない。武田勝頼の忘れ形見が、再興を期して腹心や、盗賊の娘、鷲使いの少年などと様々な辛苦を受けながら、成長していくと言う、伝奇ものなのだが、皇家から神州(日本)のためとなる働きをすることを求められ、目覚めると言うとってつけたような結末は、あんまりであると思う。
2000/12/27(水)●91●
数学的な思考能力などゼロに等しいMorris.なのに、昨夜の夢は数字ばかりが一人歩きしてた。とにかく主人公は「91」。Morris.が91番目なのか、それとも91に分けられたなにものかは良く分からないのだが、91という数字がぴょこんと出て来て、これはいったい何なのだろうとMorris.は戸惑っていて、これが特別な数字なのかと考えてもわからない。辛うじて、13×7だから、等分するなら13か7だなとか思って、それがどうしたと言われ(ということは他に誰かいたのだ)て、「十三、七つ」のことではないかなどと、とぼけた答えなどしてるうちに目が覚めた。と、いうより、もっといろいろあったのに目が覚めたら、数字だけしか覚えていなかった、といったところだろう。
ベランダの塗装工事、やっと窓のビニールは取り外された。でも、まだ足場は組んだままだし、ペンキも乾いてないようだ。そろそろ洗濯ものも溜まってるので、いいかげんにしてもらいたい。
夕方灘図書館に行き帰ったら、留守電。また名前言わないで切れてしまってる。これは後で事務所からだったことが判明したが、こんな中途半端な留守電は止めて欲しい。
今夜はレッドカレー作る。おっそろしく辛い(>_<) ので、ココナツミルクを増量してマイルドにした。
KNTV「開かれた音樂会」に、めずらしくパンミギョンが出て「理由じゃないみたいな理由」と、もう一曲初めて聞く「ポル」というのを歌った。黒っぽいアップテンポの、かっこいい曲だった。ポルには韓国語で「野原、蜂、罰」などという意味がある。この歌の場合はどれだろう。パンミギョンの歌だから、野原ではなかろうと見当つけながら聞いていたら、途中で「ムソウン
ポル=恐ろしいポル」という歌詞があったので、罰なんだと直感したのだが、後で考えてみれば、蜂だって恐ろしいと言えなくはないな。
夜は、灘図書館から借りて来た「日本の絵巻7 餓鬼草紙、地獄草紙、病草紙、九相詩絵巻」に熱中する。す、すごい(@_@)
2000/12/26(火)●床屋にも不況風?●
夢でおかっぱ頭になってた。別に女に変身したわけではない。ロングヘアというのとも違う。周りのだれ彼が、その頭を指差して笑っている。ような気がする。キムスイルさんに頼まれたバリカンを買わなくてはと商店街を歩き回るが見つからない。
こんな夢を見た日は、床屋に行かねばと思い、寒いのを我慢して、元町の阪神理容へ。本当はまだあわてて散髮するほどではなくて、いつも年末にサービスでくれる、世界地図のカレンダーが、お目当てだったのだが、不況のせいか、今年はサービスなしだと(>_<)
ここ数年、ずっとトイレに貼ってたので、淋しい。
三宮図書館経由して、J-MALLで食糧買い出しして帰り、肉団子と餃子作る。
流石に今日は底冷えする寒さだ。畳部屋にはホットカーペットあるが、ノレバン1号を置いている板の間は冷えるが、この冬はまだ暖房使って無いので、もう少し我慢することにする。
【追悼の達人】嵐山光三郎 ★★★ 「文人悪食」の流れをくむエッセイ集らしいので借りてきた。明治、大正、昭和に死んだ49人の文豪の、追悼文を中心に、文壇のあれこれを描いたもので、それなりにおもしろかった。Morris.愛藏本「人間臨終図巻」(山田風太郎)と照らし合わせて読み進めたのだが、あらためて、風太郎の筆の冴えに舌を巻くことになった。人間の死に方はさまざまで、何度読んでも飽きが来ない。追悼には本音が出るというのも一理あるし、やたら追悼の上手い作家(川端康成、三島由紀夫など)なんてのもいるし、長生きするほど仲間が少なくなるので、いい追悼文に恵まれないというのも変に納得させられた。
あまり追悼とは関係ないが、小泉信三が「世界」に書いた幸田露伴のエピソードを引いておく。
遠国からテラとメラという兄弟が日本へきて菓子屋をはじめた。テラは小麦粉を焼いてふくらませ、メラは砂糖を焼いてふくらませた。テラの方はよく売れ、メラの方は少しも売れない。メラはしょっちゅうテラに金を借りに行った。で、貸す兄は「貸すテラ」、弟は「借るメラ」となった。これは露伴の作り話で、眞面目にきいていた小泉は腰を抜かした。こんな考証ばかりして、小説原稿は書かないから、世間からはますます忘れられていく。
うーーーん、いい話しだなあ(^○^) Morris.は、前から露伴のことが気にかかってるのだが、ますます好きになってしまったよ。
ところで、嵐山の「活字の人さらい」という小説も一緒に借りてきたのだが、こちらは、橋にも棒にもかからないしろものだった。
2000/12/25(月)●本格的な寒さ●
夢の中でMorris.のぐい句が、教科書に載ってるという噂が流れ(^_^;)あちこち回ってその教科書を探し回るのだがなかなか見つからない。あきらめかけたとき、知らない人が持って来てくれて、その句を見て安心したところで目が覚めた。探してるときはどんな句なのかはっきり分かってるつもりだったのに、目が覚めたらほとんど覚えていない。かろうじて思い出したのが「○○や○○ひとつ○○にけり」というのだから話にならない(^○^)今日は、冷え込んで、外は木枯らしが突風状態だった。早々に部屋に戻り、ビデオやMDのラベルの整理、年賀状の残り、読書控えの整理、テープダビングなどなど、とりあえずやっとかねばならない雑務をこなす。
それにしてもベランダの窓にビニールが掛けられて、まったく閉じ込められた状態というのは精神衞生上良くないね。洗濯物も干せないし、なんか部屋の空気もよどんでしまうような気がする。モリス亭は窓といえばそこしかないのだった。
【恨(ハン)の文化論】イ・オリョン(李御寧) ★★★☆
サンパル100円ブックコーナーで掘り出したもの。日本での発行は昭和53年(1978)だが、原書は1963年に「この土、あの風の中に」というタイトルで第一部「韓国人論」、第二部日本人論、第三部欧米人論の3部構成になっていて、本書はその第一部に「恨(ハン)とうらみ」を加えたぶぶんである。第二部は「縮志向の日本人」のタイトルで、日本でもベストセラーになったからご存知の方も多いと思う。Morris.もその本で著者の名を知ったのだし、当時感心して読んだものだ。近年韓国語版も手に入れて再読したくらいだ。
本署は日本人論に比べると話題にならなかったが、コラムといってもいいくらいの短文ながら、寸鉄の文章ぞろいで感じ入った。
韓国人の欠点、弱点もはっきり指摘しているし、時によっては非難さえしているように見える。しかしその根っこには、祖国と祖国の民への愛情がある。
たとえば「チゲ(背負子)を嘆く」と題された文中
チゲは人工的なところがない。はじめからチゲの形をしている木の枝を伐り取って作っているので、釘一本打ち込んだ痕跡もない。チゲを支える支え棒にしても、Yの字形をした木の枝を利用したものだ。
チゲを差しおいては、土に生きる韓国人の生活を語ることはできないだろう。浪漫的な理由よりも、実生活の面で、チゲの使命は大きい。だがチゲには、言うにいわれぬ悲哀と苦役がまつわる。それ以上に苛酷な運命を象徴している。
チゲの自然さを誇るかのように語り始めながら、つまりは、車を使えるような道を作らず、いつまでもチゲで、ものを運ぶ習慣を続ける韓国人の順応の型に疑問を呈している。
誰もがみな、眼には見えない一つのチゲを、あの順応のチゲを背負って生きている。
いまわれわれの現実がこうであるから、民主主義をめざすことが困難であろうという人たちがいる。だから、われわれにみあうチゲ(民主主義)をつくろうというのである。
現実の道を打開して「自由」の荷車が通れるように道を拡げようとは考えないで、けわしい路をそのままにして、あの重いチゲを使用しようとする人たちは、その思考法式がひたすらに薄いのである。
著者は、あくまで近代合理主義者である。
しかし、本書の眼目は「恨(はん)の文化」の紹介にあるだろう。
人は望み事がなくても、他人から被害を受けただけで、怨みをもつようになるが、それは「恨」にはならない。「恨」は別に他人から被害をこうむらなっくても湧いてくる心情である。自分自身の願いがあったからこそ、また自分自身の能力があったからこそ、何かの挫折感がはじめて「恨」になるわけだ。それは、かなえられなかった望みであり、実現されなかった夢である。
憾みは熱っぽい。復讐によって消され、晴れる。だが、「恨」は冷たい。望みがかなえられなければ、解くことができない。憾みは憤怒であり、「恨」は悲しみである。だから、憾みは火のように炎炎と燃えるが、「恨」は雪のように積もる。
「恨」を解く。それは怨みを晴らすだけの話ではない。望みをかなえるということであり、新しいその世界での生を実現させることを意味する。
造本が垢抜けしてると思ったら、裝丁に杉浦康平の名があった。
2000/12/24(日)●町はアベックだらけ●
夢は2本立て。一つは友人のデジカメ画像をMDに(>_<)落してもらい、それをMorris.の旧式機で取り込もうとするが上手くいかない。夢だから上手くいってもいいのにね(^_^;)それでまた別の友達に頼んで画像をファイルにして送ってもらう約束する。初めからそうしてもらえばよかったのに、と思うのだけどそこが夢だから---。もう一つは、多分韓国の田舎町のゲーセンで、変なゲームに1万ウォン硬貨(実在しない)を投入する。なんかゴミ収集車の後部みたいなマシンで、ローラーが回転して賞品が出てくるのだが、カスみたいな漫画本が出て、その奧に漫画柄のシャツが見えたのでMorris.が思いきって手を突っ込んでそれを取ったら、非常チャイムが鳴り出して、シャツ持ったまま逃げ出して、旅館にもどった、という、変に細部まで良く覚えてる夢だった。
昼食はさぬきうどんにして、午後、バスで中央図書館に行き、元町商店街通って南京町で食材買い出し。しかし、これは完全にMorris.の作戦ミスだった。なんせ、今日は24日のクリスマスイブ、おまけに日曜日、もちろん夜はルミナリエというわけで、商店街からアベックの群。南京町なんか春節祭の倍くらいの人出で、入口から林商店にたどり着くまで30分以上かかってしまった(>_<)
夜は愚図愚図して手を付けてなかった年賀状づくり。今年は基本としてインターネット貼り付けに決めたのだが、まだまだ全員がネット接続できるわけではないので、郵政省の年賀状も最低限買っておいた。カラープリンタが使えない(インク切れ(;_;))ので、白黒で作成。世間では高品質カラープリンタ全盛だから、かえってシンプルでいいかもしれない、と、自分を慰める。宛名は手書きにしたので、届かないのも出るかもしれない(^_^;)
【陋巷に在り 11 顔の巻】酒見賢一 ★★★☆☆ 孔子と顔回を中心に、虚実の伝奇世界をとんでもないスケールで書き続けている、酒見の畢生の大作の11巻目、小説が完結してないのに評価するというのも変なのだけど、とりあえずMorris.は今、日本の小説でこれが一番面白いと思う(^○^)。 すべてが理解できる訳でもないし、ストーリーの進行にもどかしさを感じたりもするのだが、なんか、はまってしまってる。早く完結して欲しい気持ちと、ずっと続けて欲しいと言う気持ちが葛藤してるというのが正直なところだ。
【新解さんの読み方】鈴木マキコ ★★☆
数年前、三省堂の「新明解国語辞典」の独得過ぎる語釈が話題になって、赤瀬川原平らがそれをあげつらった「新解さんの謎」という本を出してちょっともりあがったことがある。Morris.も読んだ。本書はその裏方だった、お姉さんが、それの続編+補足として出したものらしい。98年4月の発行だから、旬を外しているのは否めないが、まあ、辞書に関することならとりあえず面白がるMorris.なんで本書も、やや斜め読みながら、ところどころで笑わせてもらった。
著者のフットワークの軽さというか、無手勝流というか、怖いもの知らずというか、程の良い無知さに好感を持ってしまった。
「新解さんの謎」が第4版を対象にし、本書はちょうど第5版が出たばかりだったので、4,5版の比較を中心にしている。現在6版が出たかどうかMorris.は知らないが、とりあえず、新明解の語釈は、国語辞典として特徴が際立っていることは間違い無い。でもMorris.は、新明解も広辞苑も所持していない。現在Morris.が通常使ってるのは、三省堂の「大辞林」と、新潮社の「新潮国語辞典」だ、あとは「言海」と「大言海」しか持ってない。ということで、辞書好きを自認している割にMorris.の国語辞典の守りは余りに貧弱だということが露呈してしまった。いや、大正6年発行の「ABC引き日本辞典」もあったな。しかしこれも三省堂だ。うーーーむ、こうなるとやっぱり、新明解も1册手許に置くことにしようか。でも、広辞苑は買うつもりはない。
「凡人」という単語を一例として、Morris.手持ちの辞書と、新明解の語釈を比較してみよう。
[ABC引き日本辞典]
・Bon-jin(-ジン)[凡人]なみの人。つねの人。俗人。
[大言海]
・ぼん[志に"]ん(名)|凡人|ぼんにん(凡人)ニ同ジ。又ハンジン。
・ぼんにん(凡人)(名) 又ぼんじん。ヨノツネノ生レノ人。タダビト。
[新潮国語辞典]
・ボンジン[凡人]1.普通の人。2.身分のない人。平民。
[大辞林]
・ぼんじん[凡人]普通の人、平凡人。「われわれ−には思いつかぬこと」
[新明解国語辞典]
・ぼんじん[凡人]自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。
面白ければそれでいい、というのはMorris.のスタンスではあるのだが、こと辞書としての新明解は「面白すぎる」というべきかもしれないなあ(^○^)
2000/12/23(土)●ベランダ封鎖状態(>_<)●
昨夜11時からKNTVで3時間にわたって「KMTV歌謡大典」という韓国歌謡決算番組があったので、録画しながら見たのだが、若手中心であまり面白くなかったし、例によってのカメラぶん回しで、見ていられなかった。スポットでイパクサのファンタジーが流れ、映像も瞬間的に出たのだが、ゲスト出演はなかった、残念だ。
夢では白い覆面、白い水着の女性スイマーが颯爽と泳いでいたが、詳細は覚えていない。今朝から、塗装工事が始まった。割と大袈裟で、ベランダの窓はビニールで覆われて工事終るまで窓開けられないし、洗濯も出来ない。
夕方から急に天候が大荒れになってしまった。
【小説 春峰庵浮世絵贋作事件】久保三千雄 ★★☆☆
昭和初めに起きた肉筆浮世絵贋造事件を克明に描いた実録小説。親子3代を中心にした大掛かりな事件で、大学教授まで巻き込んだ異もあって当時大きく報道されたらしいが、現在に至るまで、肉筆浮世絵の研究がおざなりなのは、この事件の影響というのには驚かされる。
事件の中心人物矢田三千男(本書では矢野仙太郎)が、戦後雑誌に発表した暴露記事と、著者が個人的に手に入れた記録資料を元にしたと後書きにあるが、小説というには、あまりにも、資料と事件の推移(ほとんどストーリーには無用な部分までも)が書かれて、煩瑣に思えた。著者もそのへんは氣になったらしく、後書きで言い訳めいたことも書いてあるが、ポイントを絞り、贅肉をとって半分か1/3くらいにまとめて欲しかった。
Morris.の興味は、贋作の創作過程と、骨董屋と客の駆け引きなどにあったのだが、その意味においても、ちょっと食い足りなかった。主に製作を受け持った息子二人の手腕を、過大評価してるところもちょっと氣になった。
2000/12/22(金)●久々にキムヘヨン●
3つの開場で同時に3人の漫画家のサイン会。2人は有名らしく満員、もう一人は広い会場に子供が2,3人いるくらい。Morris.は仕方なくその会場に行き、何故か漫画家のライブ演奏見学、いつのまにか隣にいた飛田さんが「サビの部分のコーラスが下手だね」と論評するという、つかみ所のない夢だった。
塗装業者が訪れて、明日から南側壁面の塗装工事するので、ベランダ側の施錠と、洗濯物などは出さないようにとのこと。そう言えば昨夜大家から、そのような留守電が入っていた。
KNTV「歌謡舞台」に久しぶりにキムヘヨン出演。ちょっと痩せてる感じがした。
【文福茶釜】黒川博行 ★★☆☆ タイトル作を含めた5編の短編集で、すべて美術骨董の贋作をテーマにしたもの。読む前からネタが割れてしまう分だけ興ざめしてしまった。別の単行本の巻末紹介で贋作ものということを知って借りたのだから、文句をつける筋合いは無いような物だがMorris.は長編だと思って借りたのだった。小説としては全体的に可も無し不可もなしだったが、例の「お宝鑑定団」に関連した会話が面白かった。
「そらすごい。コレクションをテレビの鑑定番組に出してみたらどうです」
「あの番組はヤラセやから派手な値がつくけど、売るとなったら半値ですわ。わたしもときどきオークションで鑑定をするからよう分かる」
【俳句は下手でかまわない】結城昌治 ★★★
87〜88年NHKラジオ番組がもとになったものだ。著者は推理作家としても著名だが、俳句は若い時結核で入院した療養所に石田波郷がいたのが縁となって始めたという。この放送の頃は、くちなし句会という仲間で楽しんでいる状態で、実に平明で、また数多く挙げられている例句が粒よりの上解説も簡潔でツボを押えていて、手頃なアンソロジーとしても楽しめた。
タイトルは柳田国男の「俳諧評釈」のはしがきから採られたもの。
俳諧の活きて居るといふことは、是からもどしどしと作られることであつて、ただ古い文献が版になることだけではなかつた。さうして勿論さうあるべきものと、前人も予期して居たのである。へたでもいいぢやないかといふことを、たつた一言いひ忘れたばかりに、みんな芭蕉翁を最高峰と仰いで、それからは降り坂となり、或はなまけて麓の草原に寝ころんでしまつた−−−
2000/12/21(木)●今日は冬至●
昨夜のサッカーは見事に期待を裏切ってくれた。勝負は1-1のドローだったのだが、内容が情けない。前半の早い時機に退場者を出して一人少ないハンディの中で粘り切った韓国は、まだしも評価できるが、日本の技術のおそまつさと闘志の不足にはがっかりである。おかげで、お好み焼きもあまり美味しくなかったぞ(^_^;)
今朝は早起きして、5時半に迎えに来た奥井さんと武生のシンガポール向けのピックアップ現場。予想外に片付いていたので昼には作業終了、4時には倉庫に戻るという速攻だった。
今日は冬至だが、朝から雨が降ったり止んだり日が照ったりまた雨になったりとあわただしい天候だった。
帰りにゆうさんと大石の立ち飲みで一杯。例のばあさんと娘でやってる店。今日はカウンターでなかったので、ばあさんの調理を見ることができず残念だったが、よこわの刺し身が美味しかった。
有田の和子さんから手紙と、クリスマス柄のチョコレート届く。手紙は嬉しかったけど、チョコにはちょこっとがっかり(>_<)
猫に小判、Morris.にチョコレートだもんな。何か貰って文句言う癖はよくないと人にいわれるし、自分でもそう思うのだけど治らない。
福原さんから「てくてく新聞」2部届く。月刊なのだが、ちょっと遅れていて、でも生真面目な福原さんは、律義に号を重ねて、今回届いたのが126号(98年9月号)と127号(98年10月号)約2年のタイムラグがある。それにしても127号と言うのはすごいなあ。創刊はMorris.のサンボ通信と同時期なのだが、こちらは40号でストップしたまま(;_;)
126号は海外からの絵葉書特集で、Morris.が97年にソウルから出したのも掲載されている。久しぶりに自分の手書文字を見て、あらためてそのひどさに赤面してしまった。福原さんは年末年始3週間ほどタイに行く予定らしい。
タイと言えば、myuzkさんも1週間ほどタイに行ってたらしい。
【朝鮮統一の戦慄】長谷川慶太郎、佐藤勝巳 ★★☆ 読む前からだいたいどんな内容かは分かっていた。何しろカッパブックスだもんね(^。^) つい先頃出たばかりというだけの理由で借りてきた。南北会談の真相を暴くとか、金大中の思惑、米中の綱引きなど、よく目にする憶測が多いが、朝銀の不明朗な金の動き(北朝鮮への送金、政治家への賄賂)とその額の余りの大きさ(話1/10としても)には驚いた。コリア研究所の佐藤の論調は「反共」に徹しているが、中国の共産政府が携帯電話の普及によって破綻するだろうという視点は面白かった。この手の本ばかり読むのは問題だが、たまにはいいだろう。
2000/12/20(水)●Dry Furniture●
夢で「加藤常蔵」という人の家に遊びに行く。この名前の知人はいない。広い部屋なのに何も無くてMorris.はポケットから色んなかけらを取り出して水につけるとこれが膨らんで椅子になったり、机になったり、箪笥になったりする。面白くてこれをどんどん続けているうちに加藤氏はいなくなってMorris.の部屋になっていた。
朝、兵庫ネットに繋ごうとしても繋がらない。そう言えばメンテがあるというメールが来てたような気もする。チェックしてみたら今日の午前10時まで停止するとか。
午後灘図書館から三宮図書館をはしごする。サンパル2Fの古書の町に「100円ブック」という新しいコーナーが出来ていた。文庫新書、全集の端本、雑誌の他、投げ売りの単行本もあって、たぶん閉店した店の跡地を歯抜けにするよりはと利用してるのだろうが、とりあえずじっくり見物して、イオリョン(李御寧)の「恨(ハン)の文化論」を掘り出した。
J-MALLで食材買い出し。あのドリアンが売ってあったのには驚いた。5,000円だと、誰が買うんだろう。
今夜はTVでサッカー日韓戦見ながらお好み焼きの予定。
【長谷川町子絵画館】 アサヒグラフ別冊 ★★★
国民的漫画「サザエさん」の生みの親長谷川町子が密かに製作していた、水彩画や日本画、陶磁器などが没後7年たって、公開されたものを特集したムックである。漫画家といえば、とりあえず画家ではあるのだから、他のジャンルの絵を描くこともそれほど不思議ではないのだろうが、Morris.は、結構びっくりしてしまった。
今年の夏に発行されているから、それなりに話題になったのだろうが、彼女の作品の中でも、30代の鉛筆と水彩による人物画は、それだけで充分立っていける作品だと思う。チャイナドレスの少女、人形浄瑠璃師、和服の女性などなど、デッサン力を感じさせるが、とりわけ大きな犬を抱こうとするおかっぱの少女の絵にはすっかり参ってしまった。折があれば、世田谷区にある「長谷川町子美術館」をおとずれてみたいものだ。
2000/12/19(火)●川西げんこつ凋落か?●
矢谷らと川西の現場に入り、昼はみんなでげんこつに行き、Morris.は大盛りラーメン頼んだのだが、以前より味が落ちてる気がした。みんなの意見もほぼ同じ。博多ラーメンを謳ってるのに麺も細くなくなってるし、(堅麺と頼んだにも拘わらず)軟らかくてこしのない麺。スープはまあまあなのだが、スープの上手い店ならけっこう多い。ちょっとがっかりだった。
今日は一日暖かかった。
夜、261chで「スワローテイル」やってたので、ついついおしまいまで見てしまった。charaが、なかなか魅力的だった。
【はだか風土記】池田弥三郎 ★★★☆ 講談社のミリオンブックスという新書本で、本書が昭和32年刊行となっているからそのころ出されたものには違いないがあまり記憶にない新書シリーズだ。巻末の目録を見ると、「アジアの四等船室/金素雲」「酔中一家言/尾崎士郎」「不安の倫理/石川達三」「白樺派の文学/本田秋五」などの随筆評論の他に、佐藤春夫、井上靖、石川淳などの小説も多いから、今の講談社文庫の前身みたいなものかもしれない。
横道に逸れたが、本書は雑誌キングに連載した「性風土記」をもとに、大幅に加筆増補したもので、民俗学から見た性をテーマに、35編のエッセー風にまとめてある。折口信夫に師事した著者だけに神話時代から江戸期の川柳、読本、現在にも残る風習、芸能、民謠などからの引用も多く、特に性に関わる言葉の渉猟には熱心で、題名とは裏腹にかなりアカデミックな内容となっている。
・お祭りは 先祖の血筋 切らぬため
・清元の「神田祭」など、そう通称しているからいい樣なものの、正式には「〆能色相図」と言う。これを、しめろ、やれ、いろの掛け声とよむ。まことにとんでもない題である。
・磨きあげても 地が鉄なれば ときどき 浮気のさびが出る (対馬民謠集)
・心中はほめてやるのが手向けなり
・世間多い心中も、かねと不孝に名を流し、恋で死ぬるは一人もない(近松「長町女腹切」)
・心中しましょか、髪切りましょか。髪は生えもの、身はたから。
昨今の著者は国語審議会の顔として、隠然たる勢力を持つ。漢字制限や仮名遣い問題などで、Morris.は、腹に据えかねる思いをしたものだが、本書を著わした頃の気概を忘れずにいて欲しいものである。本書は6年くらい前に鶴橋の楽人館の百均ならぬ、3册100円の棚で購ったものだが、読了えるまでに何でこんなに時間がかかってしまったんだろう?
2000/12/18(月)●連番逃がし●
昨日の芦屋でのMORGAN'S BARライブは、ベース抜きで、秋本、井山、アンサンという変則的編成、クリスマスライブと銘打ったこともあって、新旧のクリスマスナンバーが多かった。Morris.はあまりMORGAN'S
BARのクリスマス曲は好みではないが、おしまいに歌った、メルトーメばりのChristmas
Songは素晴らしかった。雨なのに30人以上の入りで、MORGAN'S BARの人気もかなり定着したようだ。最近は携帯電話のiモードで、パーソナルな情宣が取りやすくなって、常連がよく来るというのも理由の一つだろう。
ライブのあと、伊藤くん、奈緒ちゃんと駅前の白木屋で飲み零時過ぎ帰宅。
録画してた「嵐を呼ぶ男」見ようとしながらすぐ寝入ってしまい、テープ巻戻しで目を覚ましベッドに移動。
7時半起床。やくざか暴力団(同じようなものだが)に追われて、知らない女の人の部屋にかくまってもらい、その代わりにか、料理、洗濯、掃除などさせられている夢。このところあまり、面白い夢に恵まれない(;_;)
ゴミ出しに行ったら、淡い青空に貧血のように頼り無げな半月が浮んでいた。
Morris.部屋トップページのアクセスカウンタは「00023477」だった。Morris.は密かに連番(23456)を狙っていたのだが、あっさりアウト(>_<)
やっと映画「嵐を呼ぶ男」を見る。主題歌はよく知っていたのだが、映画は初めて見るものだった。裕次郎扮するドラマーが弟の作曲家デビューのために身体を張って守るという筋なのだが、裕次郎は演技以前で、若さばかりが目についた。
【セレス】南條竹則 ★★★ いちおう近未来SFものということになるのだろうが、セレスというのがギリシア語で中国を表わすということからもわかるとおり、著者得意の中国を舞台にした幻想ものを、大掛かりな中国製ヴァーチャル・リアリティの世界という設定で今風なオブラートをかけた作品である。前半1/3が、日本人派遣社員の手記、殘りがその知り合いによるレポートという形式になっている。後半になるほど、対戦型ビデオゲームやRPGめいた展開になり感興を殺ぐ結果になってしまっているのは残念だった。
Morris.には、ヴァーチャル神仙世界のコンセプトや制作課程、仮想世界と現実世界の往来に関わる儀式めいた方法、仮想空間での行動や操作のためのマニュピレーション(手操)の古風な流儀、中国古来の神々を模した悪役の設定などに興味を覚えた。時代設定は21世紀後半となっているのだが、現在のネット状況を投影した部分が透けて見えてその分、安手に見えるのは欠点だと思う。
やはり、彼にはもっとストレートなファンタジー??を期待したい。
2000/12/17(日)●フォーゲラーのエッチング●
昨日は夕方やってきた伊藤君と一緒にヒアカムへ。井山 key. 春野由梨vo.key.
飯島 tap.per.の3人のユニットライブ。ジャズのスタンダードナンバーから、ボサノバ、歌謡曲まで、促成トリオにしてはなかなか上手くまとめていた。客も15人くらい入った。やっぱり井山の達者さに感心する。しばらく飲んで、伊藤君と部屋に戻り、スカイAで、阪神優勝年の巨人戦の録画など見ながらすぐ寝てしまう。
今朝は9時起床。飲み会の夢を見たが、大筋は忘れてしまった。
教育TVで、日本の白樺派に大きな影響を与えたドイツの画家フォーゲラー(1872〜1942)の特集を見る。彼の抒情的なエッチングには前から惹かれてはいたのだが、芸術家村ヴォルプスヴェーデでの、総合芸術運動などは漠然としか知らなかった。建築、内装、家具、食器、陶磁器、織物などのデザインにも手を広げたらしい。現在でも当時の建物や作品の残ってる彼の地の映像は興味深かった。しかしMorris.にとってのフォーゲラーや、はりエッチングに尽きると思う。あの憂愁を帯びた絵柄は竹久夢二に通じるものがある。
社長の車に便乗して灘の青陽東養護学校で、みどり会クリスマスにゲスト出演の春待ちファミリーBAND撮影。メンバーハ社長、伊藤、小谷、中川、尾西の5人という、わりとこじんまりした編成だったが、ぞうさん、ぶらんこ、フィッシングなど観客参加の曲中心で、アンコールもらうくらい受けた。
今夜は芦屋のスタジオRでMORGAN'S BARのライブ。
【ぼぎちん】横森理香 ★★★☆☆ 「おはん」を読んだ翌日にこれを読むというのも、何かの因縁だろうか? 本書はバブルの時代を背景にした20の娘と40男の恋愛物語なのだが、無頼なのに憎めない男と、しらけながらも不思議に一途な娘(著者の分身?)との、バブリーで波瀾万丈な生活が、読者を振り落としかねないスピードで語り継がれる。常識人の世界とは次元を異にした二人の生き方と愛憎模様に、やっぱりMorris.はついていけないものを感じながら、一気に最後まで読まされてしまった。ハードボイルド小説に似た乾いた描写でありながら、人間の悲しさ、弱さ、純粋さ、狡さ、しかたなさなどを、単純化の極みとも言える性描写、心理描写で、無造作なほどに「ぽい」と提示してしまう文体を、著者はどこで手に入れたのだろう? これまで知らなかった新しいタイプの恋愛小説(といっても94年刊)の登場だと思う。登場人物の年は老いも若きも入り乱れているが、これは間違いなく「若さの小説」である。こういう作品は既にしてMorris.には、あまりにもまぶしすぎる。
2000/12/16(土)●新開地ストリートライブ●
辺境で??独り句会やって、3句ものしたものの、一つは、野見朱鳥の「一枚の落葉となりて昏睡す」に酷似してた。夢で良かった(@_@)
早起きして久しぶりに教育TVハングル講座見る。40課にもなるのに「〜さんは来ないかもしれない」というスキット。やっぱり、これで韓国語マスターは出来そうにない。小倉某のコーナーが無くなっていたのは嬉しかった。今回のライブオンコレアは、3人組のローラコースターを取り上げていたが、割とふつう目のロックで、インディーズ出身のバングルスを思い出した。
社長と一緒にJR神戸に出て、新開地のストリートライブに。アーケードの中に作られた舞台で、12時から45分間のステージ。PAが、あまりにひどくて、まるで拡声器みたいな音だった。リハのときはもうちょい増しだったのに、本番であんなになるとは(@_@)
桂雀三郎とまんぷくブラザーズも出演した。「ヨーデル食べ放題」がヒットしてるのだが、やっぱり音がひどくて聞きづらかった。
こうべまいまい夫婦や、谷尻さん、後藤さん、えっちゃんなどが見に来てくれていた。
今夜はヒアカムで井山、飯島、春野のライブに行く予定。
【白磁の人】江崎隆之 ★★★ 民芸運動の柳宗悦に、朝鮮の焼物や木工の素晴らしさを紹介し、朝鮮総督府時代に、朝鮮古来の陶磁器や木工の素晴らしさを発見し、保存、研究、整理、紹介に務めた、朝川伯教、巧兄弟の話は、いくらか耳にすることがあった。ことにソウルの山林復興の公務に就きながら、朝鮮人を愛し、朝鮮人から愛された巧には、心引かれるものがあったので、本書がそれに関するものと知って、借りてきた。
一応小説の形を取ってはいるが、Morris.は伝記として愛読した。
現在とは、比べ物にならないくらい朝鮮蔑視の傾向の強い、日本人の中に、最初から朝鮮へ愛情を持ち、朝鮮人以上に朝鮮の民芸を愛し理解した人物がいたという、それだけで言い知れない感慨を覚える。従来評価の高かった高麗青磁に対して、ほとんど省みられなかった李朝白磁の良さを最初に発見したのは兄の伯教だが、巧は、その白磁が憑り移った存在のようだ。朝鮮の陶磁器技術は、歴史の不幸と、朝鮮人の技術軽視(ならびに技術の一人占め)のために、ほとんど伝来されずにいた。それぞれの陶磁器の属性、時代別の名称さえ明らかになっていた状態だったという。たとえばMorris.の好きな「プンチョンサギ=粉青沙器」は、日本での通称「三島」と呼ばれ、時代も白磁の後と漠然と思われていたのを、兄弟が、白磁の前の時期ものと認定したりしている。その他、柳宗悦の「民芸館」への寄与の大きさ、というより、民芸運動自体が兄弟無くしては存在しなかったのではと思われるほどの影響を与えたという。その美術、歴史的価値は、永久に残るにちがいないが、それ以上に、兄弟、特に巧の、日本と朝鮮を全く区別せず、ともに愛し愛された人格こそ尊く思われる。
この美点を総督府が、融和政索の一環として利用したことも事實だが、歴史の篩にかけてみると巧の美質がだけが明確に残されている。例外的な一人を称揚して、数多の愚行を濯ぐことは出来ないのだが、あの時代にこういう日本人がいたということは、日本人のひとりとして、救いでもある。
小説としては不自然なところもあるが、ストレートな人物の捉え方、感情移入には好感を持った。巧の娘、園絵が、民芸館に長年務め、宗悦に関しては数篇の文章を草しながら、父に関しての一文もないことは少し残念でもある。本書では、白磁こそが父の生まれ変わりと思ったから、生身の父に就いて書くことはなかったと結論付けてあるが、どうだろう。
【おはん】宇野千代 ★★★ 半世紀も前の、女流の高名な作を、今更初めて読むというのも、自分にもなぜなのかよくわからないのだが、つい拍子で借りて来てしまった。
二人の女の間を揺れ動く、はっきりしない男の独白体で、現在養われている女と、別れた妻とひとり息子への屈折した愛情、優柔不断というか、哀しすぎる、男と女の「性(さが)」が、綿々と書き込まれている。
Morris.は、途中で、もう勘弁してね(>_<)と何度も思いながら、ずるずると最後まで読まされてしまった。本作は200頁足らずで挿絵も多いから、中篇、いや、短編で通るかもしれない。著者は、これだけの作品を仕上げるのに10年かかったらしい。二人の女も男も、すべて自分の分身かもしれないと後書きにあるが、たしかに私小説を読んだような気になった。初版と同様の裝丁、挿画(木村莊八)が、時代の空気まで感じさせてくれてなかなか良い。しかし、このての世界は、こわい、こわすぎる(;_;)
2000/12/15(金)●今夜は鶏飯●
新学期で、新しいクラスメートと先生。先生が阪神ファンだといい、みんなにどこのファンか尋ねると、たいていが阪神という。先生がクラスで1番のトラキチはと聞くのでMorris.が「沢さんだけど今日は欠席です」と答える。他、松尾、香介などもいて、BGMのカラオケに合わせて六甲おろしを全員でワンコーラス歌う、という夢。
信長さんも、先週韓国に行ってたそうだ。観光ではなく有機農業関係の集まりだったらしいが、ちょうど寒波の前で助かったようだ。何しろ帰国した翌日のソウルの最低気温は、-9℃だったとか。
昼食はひさびさにプレーンの「幸麺」ですます。うーーん、しかしこれで25円は安い(@_@)
午後、灘図書館に行き、帰りにジャパンで、幸麺追加とその他食材買う。今夜は鶏五目炊込ご飯にしよう。
明日は正午から新開地で春待ちファミリーBAND演奏あるので、おひまなかたは是非来てください。詳細は春待ちファミリーBANDページを。
【だましゑ歌麿】高橋克彦 ★★★☆ 著者得意の浮世絵物で、寛政の改革の江戸を舞台に、幕府側の同心を主人公の反骨と、行き過ぎた倹約令に対する庶民側の反駁、駆け引きなどを描いた娯楽時代小説で、浮世絵師(歌麿、北斎)、黄表紙作歌(喜三二、東伝、春町)、書肆(蔦重)などお馴染みの連中が活躍するのでそれだけでも面白くない訳が無い。しかも本書では歌麿が女房を殺され、密かに押し込みの一団を組織して改革潰しを図るなど、えらく行動的だし、途中で身を隠して云々というストーリー展開だったから、Morris.はてっきり、写楽がらみなのだろうと当たりを付けて読み進めたのだが、これは裏をかかれてしまった。おしまいの大団円に持っていくための御都合主義や端折りはあるものの、脇役や色女にも魅力的なキャラクタがいるし、心理作戦や、あっと驚く展開もありで、エンターテインメントとして充分に楽しめる1册だった。
【満漢全席】南條竹則 ★★☆☆ さっそく見付けて借りてきた。200頁くらいの薄での中の半分が標題作、あと6つの短編で構成されている。短編は、著者の特長の萌芽は見られるものの、習作のようなもので、ちょっと食い足りない。標題作は、例のデビュー作の賞金をはたいて、抗州で宮廷料理「滿漢全席」ツアーを行った際の次第をノベライズしたもので、それなりに興味深く読めたし、Morris.など一生お目にかかれないだろう珍しい珍味、メニューの紹介や解説も楽しめたが、何と言っても、小説としての魅力には欠ける。ただ、先日読んだ「あくび猫」の登場人物の大部分が、この御馳走ツアーにも参加していて、ということは、猫も、虚々実々な著者の交遊世界の描写だったことがわかり、ますます、漱石の猫とのオーバーラップぶりが真実味を帯びてきて、何とも、羨望を禁じ得ない。
後書きの一行がいい。
中華料理と上等な蕎麦と、上等な寿司と、鯵のひらきがあれば自分は生きていると思う。
フランス料理は、3日もすると飽きるが、中華は、現地でずっと食べ続けることが出来て飽きることがないとのこと。そういえば副題に「中華料理小説」とある。
2000/12/14(木)●どうでもいい夢ばかり●
空港で長いこと待たされている夢。やっと入場許されて中に入ったら食事の用意??
バイキング料理みたいなやつで、Morris.はビーフカツの皿を取って来たのだがこれが異常に大きくて不味そうで結局手付けずじまい。近くの女の人から両替頼まれて小錢入れ見たら200円玉??がたくさんあったので両替してやる。そのままMorris.の生家で泊ることになり雑魚寝した後、朝には前庭にトラックが大挙停まっていて、これでまたどこかに運ばれていくところで目が覚めた。要するに複数の夢を見ていたらしい。
今日は朝から曇っていてそれほど寒くは無い。
myzkさんはここのところ1週間ほど、掲示板もHPも書き込みお休みとの告知。またどこかお忍びで旅行に行ってるのかもしれない。
さんちゃん夫婦は、韓国旅行から無事帰ってきたようだ。イパクサは見なかったとのこと。
バスで中央図書館に行き、歩いて三宮図書館まで流す。駅前の簡易郵便局で年賀状購入。今年(というか来年)は、なるべくインターネットで済まし、正月に届いた分だけに返事出すことにしようかと考えている。
【アジア パー伝】西原理恵子 鴨志田穣 ★★☆☆ このところよく目にする、西原身内本である。鴨ちゃん(いちおーフリーカメラマンで西原の亭主)のアジアでの回想みたいな、雑文に、あまり関係ない西原の漫画を組み合わせて、どうにか1册の体を成したというもので、Morris.はこのやり方には不満があるのだが、西原のファンではあるものだから、ぶつぶつ言いながらも読んでしまうことになる。本書も、見事なくらい、漫画と文章は別物なので、2册の本のつもりで読んだ。鴨ちゃんの、駄目さは、半端ではないが、その半端でないところで西原の旦那になったのだろうし、文章はともかく、ローアングルからの、タイ人観察は、それなりに面白かった。しかし、タイトルは、あんまりだと思う。「アジャパー」のギャグなんて、今ごろわかる者は少ないだろう。まあ、韓国語ではそのままで通じるんだけどね(^_^;)
2000/12/13(水)●まきちゃん女児出産●
やっぱり宿酔だ。おかげで夢も覚えていない。
山口さんからのまた聞きだが、ヒアカム常連のまきちゃんは、12月1日に女児を出産したらしい。名前は「ひなちゃん」とのこと。ちょっと遅まきだけど
まきちゃん、祝賀ハプシダ!!
今夜は鯛の頭だけで、お祝いしよう(^_^;)
【あくび猫】南條竹則 ★★★★ Morris.が読むのは、デビュー作「酒仙」から、本書で3册目だが、いやあ、実に面白かった。あくび先生に拾われた猫「チビ」が、先生とその仲間たちとの交遊や、食事、会話の蘊蓄、与太話などを見聞して記録するという連作掌編。といえば、そう、漱石の「吾輩は猫である」の南條版なのだ。古来、「猫」ほど摸倣作品の多いのはないと思うが、玉石混淆の中、奥泉の「吾輩は猫である殺人事件」こそ、現代の猫本ナンバーワンと決め付けていたが、本書もタイプが違うものの、原作の雰囲気を髣髴させながら、飄々とした中に、様々な蘊蓄や、料理話、詩編なども散りばめてあり、飽きさせない。登場人物も原作に劣らない一風変わった人士が多く、それぞれにうまく書き分けられているし、描写は的確、文体も文句の付けようが無い。ユーモア感覚もバランスよく配合されているし、何よりもどぎつくない俳味みたいなところがある。「酒仙」の賞金で中国に渡り大宴会を催し「満漢全席」を著わしたというだけに、本物の中華料理の紹介も堂に入ったものだし、翻訳者としても活躍しているらしく、本人訳と思われる海外作品の引用も出来がよろしい。しばらくこの人の物を探して読むことにしよう。
と、べた褒め状態だが、本書の語り部であるチビは「猫爾薀(ねこにおん)」という、幽体離脱術を会得して、自由にあくび先生の外での行状を観察できる立場にありながら、存外その存在感が希薄なのが、ちょっと物足りない。漱石の猫もそうだが、猫はあくまで「視線」として存在するのだから、本書でもそれを踏襲してるのは、わかるのだが、なかなか魅力的な猫なので、もうちょっと活躍させて欲しかったという、無い物ねだりみたいなものだ。
2000/12/12(火)●昼から飲んで潰れてしまった●
長い夢だった(^_^;) 自転車で2時間ほどかけて祖父母の家に辿り着き、食事の用意をすることになるのだが、なぜかその家には知り合いがすごくたくさんいた。途中でMorris.は自転車でもどろうとするのだが、また引き返し、紆余曲折の末、やっとカレーを作り終える。だれかにカレーを頭にたっぷりかけられ、背後からその頭をカレーごと小谷君の大きな口にかぱっとほおおばられてしまう。そういう状態でも食事会?は滞りなく進み、Morris.はどうしても帰らなくてはならないというので、また自転車で外に出るのだが、道がわからなくなって---というところで、目がさめた。
今日はAM10:30からJR六甲道駅北側で、読売TV録画のための春待ちファミリーBANDストリート演奏なので、撮影と「さくら」を兼ねて行ったら、ベースの山口さんも見に来てくれていた。録画は11時に済み、伊藤君と松尾君が部屋に寄ったので、昼から飲み出す。アテは昨日の餃子を解凍したり、冷蔵庫の中のものを色々利用。3時前に松尾君帰り、二人でぐずぐず飲み続ける。夜、近くの串カツ「通」に堀姉妹呼出して、4人でまた飲み食いしたのだが、その頃から既にMorris.は酔っ払っていて、どうやって部屋に戻ったかも覚えていない(>_<)
【日本語の値段】井上史雄 ★★☆☆ 言語学の世界では、平等であるとされる言葉も、市場価値を持つという観点から、日本語の世界における市場価値(ランク)をデータを中心に論じたものである。1「言葉の知的価値と情的価値」2「日本語の格付け」3「日本語のさまざま」という三部構成で、まず日本における外国語の人気や、就学頻度、書籍や辞書の多寡などを比較している。英語の独走ぶりは想像通りだが、インターネットの世界に英語以外の言語がこれからどう食い込んでいくかで、将来大きな変化が起こりそうだ。
日本語の価値は、日本国家の経済的発展に比例して市場価値は伸びて来ているようだが、ここでも英語との開きは異常に大きい。外国語と同じように、日本国内の方言にも偏差値があるというのも、言われてみればその通りだが、関西弁は、他の方言と比べると突出している。やはり言葉の市場はそれを使う人口の多寡と実用性によって高下するわけだから、今後、中国語が重要性を高めることは間違いないだろう。本書の著者の視点はユニークだが、いまいち読物としては楽しめなかった。
2000/12/11(月)●A Was An Apple Pie●
宴会やってる夢(^○^)見てる途中で目が覚めた。そのまんまやないかと思うのだが仕方が無い。昨日の鍋の残りで雑炊。今日はえらくいい天気だが、さ、寒い。
掃除、洗濯しながら、STARdigioの今週のチェックNO1だった、由紀さおりエアチェックしたのだが、これが期待外れというか、肩透かしもいいところ。童謠やカバー中心で、聴きたかった曲でかかったのは「手紙」と「いきがい」の2曲だけというひどさ。期待してただけにガッカリ。charaや、山崎まさよしの2時間特集などもあるが、特に好きってわけでもないし、オールディズで、ラヴィングスプーンフルとドノバン合わせて1時間というのがちょっとそそるくらいかな。来週はクリスマス特集っぽいし(>_<)
ほんとに最近のSTARdigioはパワー不足(Morris.にとって)だ。
昼からJ-MALLに買い物に行って、久しぶりにうめぐみ(矢谷嫁)に会う。
今日は秘伝の肉団子作り、ついでにニラギョウザも作る。これはちょっと水餃子風にして食べる。
このところぐい句ですっかり俳人になってしまったMorris.だが、ひさびさに、歌集をアップ。『APPLE
PIE』というタイトルだ。これをサンボ通信の巻頭歌集にした時は、何が何だか分らないと、さんざん悪評をかったものだ(^_^;)。今回は、解説兼種明しもあるので、ちょっとは理解してもらえるかと思う。作品としての評価はまた別だろうけどね。
とりあえず一度はのぞいてみてくださいm(__)m
今夜は何故か261chで「伊豆の踊り子」(64年、吉永小百合、高橋英樹)なんか見る。若い吉永小百合はやっぱり大根だが、それなりに可愛い。しかし、こんなの最期まで見てしまうなんてどうしたことだろう?
【江戸ストリートファッション】遠藤雅弘 ★★★
ファッションプロデューサーという肩書きの著者が、江戸のファッションを黄表紙、洒落本などから写したカットをもとに、今風に解説していくコラムみたいな本。ほとんどのページが上下に分かれていて下に写真や図版を置くというレイアウト。いかにもマックで作りましたという感じ。いちおう、色んな資料から引用してるし、間違ったことは書いてないようなのだが、個々のファッションや、流行から、結論づける方法が恐ろしく短絡的すぎて、思わず笑いを誘うところは、一応評価しておこう。
ただ、現在の流行ものを安易に比較の対象として出しているだけに、99年の発行なのにすでに古ぼけてる部分が多い。それと江戸東京博物館展示の、建物模型の写真が異常に多すぎるのも、手抜きに思えてしまった。
Morris.は江戸本のカットが好きなので、本書もそのカットが多い分だけ点数甘くなってるところはある。しかし他の印刷物からコピー引用したのかモアレがひどくて見るに堪えないものもあった。
2000/12/10(日)●結局夜は鍋宴会●
どこかの避難所にいるのだが、全然切迫感はない。学生たちが中心でMorris.も同年代である(^_^;)何か青臭い論議に熱中している。Morris.は珍しく聞き役に回っていたのだが、途中Morris.に難癖つける奴が出て来て、口論になる。いいかげん疲れてきたところで目が覚めた。
後で気づいたのだが、土曜の朝に留守電入ってて、女性の声で「もしもし」とだけで切れる。東京の京子ちゃんみたいでもあるがちょっと違うようでもある。こういうう中途半端な留守電はやめてほしい。
昼は、Morris.らしからぬピザトーストなど作る。韓国のどじまん見てるところに伊藤君から電話で住吉の満園宅で宴会のお誘い。ちょっと雨模様だが出かけることにする。
3時過ぎに満園君の部屋に行ったら、伊藤君、奈緒ちゃんと、さきちゃんだけがいて、さきちゃんはTVゲームに熱中してた。ちょっと事情があって今日の忘年会は延期になったらしい。とりあえずお母さんがさきちゃん迎えに来るまで待って、3人でMorris.の部屋へ。結果的にはうちで、忘年会ということになった。パニエで材料買って、水炊き。やっぱりこの季節、鍋が一番似合ってる。料理としては切って投げ入れるだけだから、簡単だし。TV大坂でやすしきよしの漫才ベスト10なんてのをやってたのでこれを半分くらい見たりして、飲み、適当に散会。
ちょっと遅まきだが、ヒアカム12月のスケジュールをヒアカム部屋に更新。
12日(火)の春待ちファミリーBANDTV収録は午前10時半頃になるらしい。平日だけど、時間の合う方は、10時過ぎにJR六甲道駅北側に来てください。
【文字の文化史】藤枝晃 ★★★ 中国の写本や石碑の文字の研究では、「書家は字のかたちや筆先のひねり方にもっぱら関心を向け、文学や哲学の専門家はそこに書きあらわされて事がらの内容や思想をひたすらに追求する。その中間ともいうべき、写本の材料やかたち、その本の作られ方、しまわれ方、よまれ方など、そういった書物の内容以前のことがらは、あまり問題にされない」ことに、疑問を感じ、活字印刷本における「書誌学」の、写本版、いわば「写本学」の確立を目指した著者の長年にわたる研究のカタログ的な所産なのだが、もともとが1971年の発行で、本書は91年に平凡社から文庫として出されたものである。甲骨文字、金石、木簡、帛書、楼蘭文書、ソグド語文書、印章、巻子本、敦煌文書、トルファン文書、折本、貝葉、突厥文字、ウイグル文字、契丹文字、西夏文字、女真文字、木活字等など、文字の変遷や、文字の記載メディアや形態などを時代順に解説しながら、それぞれに貴重な図版をふんだんに使った、当時としては画期的な労作だったことは間違いない。今、見ても充分面白いのだが、いかんせん30年前のものだけに、ちょっと研究レベルが、古すぎると感じる部分もある。当人も文庫版の後書きで触れているが、活版印刷が、文字の歴史の究極という捉え方は、すでに活版印刷がほとんど滅亡に近い状況にある現在からすると、前時代の著作と思いそうになるが、個々のエピソードや、発掘、研究の苦労と、分析、資料の渉猟などには、研究者の意地みたいなものがうかがわれて、頭が下がる。図版の大部分も、著者が実際に撮影したものを使ってるというのも、解説に重みを加えている気がする。
秦の始皇帝の悪名高い「焚書坑儒」も、文字を神をまつる時に使う聖なるものとして、横が独占するものであるという考え方からすれば当然の行為だったという説は、Morris.には目から鱗の落ちる思いがした。焚書というと、ついナチスの焚書などと同じように考えていたのだが、根本的に違っていたのだ。それに、秦の始皇帝が統一国家を作ったのが38歳のときで、この時の国家は、清代とほとんど同じ版図であったというのだから、いかに彼が凄かったか計り知れないものがあるのに、歴史では暴君扱いされるのは、文字を神のためだけに使うという心から、秦王朝の歴史資料などがほとんど残らず、秦に滅ぼされた列国や、秦を滅ぼした漢王朝の記録ばかりが多く残っていることによる、というのもなるほどと思った。
2000/12/09(土)●大晦日はおろし蕎麦にしよう●
7時起床。昨夜は枕が変わったせいか夢見なかった。
ホテルの和朝食食べて、昨日の現場。荷物量の調整がうまくいかず、昼食抜きで2時半まで係って、やっと終了。遅めの昼食は当地名産のおろし蕎麦。これはとても美味しかった。今年の大晦日はこれにしよう。
高平さんのトラックで神戸に戻り、近くでおろしてもらい7時半帰宅。そのあとすぐヒアカムへ。矢谷智克と井口君のライブがあるので、出向いたのだがMorris.が着いたときは客はまだ1名しかいなかった。ライブ始まってからどうにか8人ほどになったが、すごくいいライブだっただけにちょっと、残念。井口君は今日はカホン?という打楽器中心だったが、やっぱりジャンベを叩くと、音が違う。矢谷も最近の曲から懐かしい曲まで、熱唱してくれた。やっぱりMorris.は矢谷智克のファンであるということを再確認した。
2000/12/08(金)●早寝早起き●
昨夜は冷凍していた蒸し豚を活用して、豚汁定食(^_^;)。酒も飲まずに早めに就寝。5時に目覚ましかけてたのだが、4時半に目を覚ましてしまった。これまでも夢で何度も訪れた、ソウルかどこかの美術館に行き、陶磁器や、飾ってある花や、風景などデジカメで何枚も、何枚も撮影したのだが、朝起きて、デジカメチェックしても何も写っていなかった(;_;)
これから、奥井さんらと福井に出発する。まもなくトラックが迎えに来るはずだ。
明日(12/9)の午後1時と3時の2回、JR神戸駅地下「デュオ神戸」で、春待ちファミリーBANDの演奏がある。閑のある方は是非見に行ってください。Morris.は今回はパス(>_<)
トラック2台に分乗して、福井へ。朝食は多賀のサービスエリアで焼き魚定食。えらく貧弱そうな鯖だったが、味はまずまずだった。現場には9時ごろ着いて、台所梱包。昼食はトンカツ定食で、可も無し不可もなし。5時に上がって、武生の馴染みのビジネスホテルへ。奥井さん、高平さんと隣の居酒屋で、飲む。スジ煮込みや、鰤頭焼き、手羽先などけっこう美味しい。でもMorris.はここで飲むより食いすぎてしまった。あとは部屋でちびくろ打とうとしたが、腹が張りすぎて、億劫になり早めに就寝。
2000/12/07(木)●読書の日●
無夢。おお、これは珍しい。昨夜ちょっと飲みすぎたためだろう。熟睡というより泥酔してたので夢を見なかったか、見ても覚えていないのかだと思う。
今日は本当に一歩も部屋を出なかった。何をしていたかというと、ほとんど本を読んでいたのだ(^○^)
まる一日かけて2册。どちらもとびきり面白かった。
明日は早起きして福井に行く予定。1泊して帰って来るのは土曜の夜になると思う。
俳句掲示板で、またまた、Morris.のハンドルにいちゃもんがついた。俳句を縦書きにした時、Morris.というアルファベットだと、座りが悪いとか、セカンドネームみたいだとか、カタカナに戻せとか、漢字で宛字したらどうか(「銛巣」「藻栗鼠」「森酢」---(>_<))とか、言いたい放題。いいかげん馬鹿馬鹿しくなって来たので、これで某掲示板とは縁を切ることに決定した。ぐい句は、これまで通り、ひとりでぐいぐいやることにする(^_^;)
【金素雲『朝鮮詩集』の世界】林容澤 ★★★★
金素雲訳編の「朝鮮詩集」の原型は1940年河出書房から「乳色の雲」と題して出版された。53年にこれを増補する形で興風館から「朝鮮詩集」前期・中期・後期の3巻として計画、実際に上梓されたのは2册だけで、後期は遂に出ることはなかった。戦後、1953年に創元社版「朝鮮詩集」、さらに翌54年に岩波文庫版「朝鮮詩集」が発行されている。収録詩人や詩の数など若干の異同があるが、現在では岩波文庫以外は入手困難だと思う。Morris.はこの岩波文庫版をずいぶん昔から愛読しているが、地震で行方不明になったのであわてて買い直したくらいだ。
本書は少壮の日本文学研究家(韓国人)が、東大大学院留学中に博士論文として提出(1994)したものを、中公新書のためにまとめたもので、水準の高さ、論旨の明確さ、こなれた日本語、偏らない歴史感覚、資料の読み込み等など、多くの美点を持つ快著である。
金素雲(1908〜81)は釜山生まれで12歳で日本に渡りその後、日本と韓国を行き来しながらの生活を送った。朝鮮が日本の統治下にあった時代の産物である「朝鮮詩集」は戦後韓国では、不当なほど評価されていない。「親日派」のレッテルを貼られた金素雲は舌禍事件で52年から13年間韓国入国を拒否されるなど、波乱の一生を送り、毀誉褒貶の甚だしい人物でもある。
著者も最初は金素雲を研究のテーマにすることを忌避したらしい。指導教官の芳賀徹の強い勧めに押し切られた形でいやいやながらのスタートだったという。しかし研究を進めるに従って、金素雲の訳業の重要さと意義を認識し「祖国が植民地支配下にあったとき、支配国の言葉で自分の郷土の詩心や文化を支配国の読者に知らせたいという、特殊な境遇についてだんだん深く共鳴するようになった」と書く。
内容は、原詩と日本語譯の比較検討、文学史の中への位置付け、引き裂かれた自我の省察、アンソロジーとしての妥当性、類書との比較などだが、何と言っても10数篇の詩を原語(ハングル)で掲載してあるのが、少しでも韓国語を齧ったMorris.としては欣快に堪えない。新書という、ごく一般向けの書物にこうやってハングルが普通に掲載されることは、数年前なら考えられなかったろう。
著者の専攻が比較文学というだけに、原詩、訳詩と、日本の詩作品との、類似、影響を探る部分には力が入っている。佐藤春夫、萩原朔太郎、永井荷風、北原白秋らの作品の引用も、別の意味で楽しむことが出来た。また「朝鮮詩集」を越えて、詩の翻訳そのものに関する考察も読みがいがある。
結果的に金素雲の訳は、直訳とは対照的なもので、それが芸術作品にまで高まっている点を評価するとともに、時代の制約による限界も明らかにしている。
金素雲をいたずらに、美化したり、貶めたりせず、客観的に評価しているし、韓国人による著作ということもあるので、韓国でも出版する意義を持つ内容の本だと思う。是非韓国人にも読んでもらいたい。
おしまいに「朝鮮詩集」の中でも白眉というべき作品を一つだけ引用しておく。
南に窓を 金 尚鎔 /ナムロ チャンウル ネゲッソ
南に窓を切りませう/ナムロ チャンウル ネゲッソ
畑が少し/パッチ ハンチャムガリ
鍬で掘り/クェンギロ パゴ
手鍬(ホミ)で草を取りませう。/ホミロン プルル
メジヨ。
雲の誘ひにはのりますまい/クルミ コインダ カルリ
イッソ
鳥のこゑは聴き法楽です/セー ノレヌン コングロ
トゥルリャオ
唐もろこしが熟れたら/カンネンギガ イッコルラン
食べにお出でなさい。/ハムケ ワ チャショド チョッソ
なぜ生きてるかつて、/ウェ サニャゴン
さあね−−。/ウッチヨ。
(金 素雲訳)
【からだの文化誌】立川昭二 ★★★★
人間の身体の部位や機能などをネタにしたエッセイ36編が収められている。エッセイも軽妙で、ユニークな切り口に感心させられたが、それ以上に、俳句や短歌、詩や小説の章句などが誠に的確に引用されているし、これまた実にぴったりはまるカットや図版もある上、医学的にも正確な知識が披露されていて、攻走守揃った、心技体充実した一冊だ。
36というのは「俳壇」に3年間にわたって連載されたものをまとめているからだ。
頭・顔・目・鼻・口・耳・首,喉・胸,腹・背,腰・肩・手・足・髪・眉・歯・唇・頬,顎・指,爪・皺,皹・乳房・肌・骨・尻・性器・息・血・声・涙・汗・咳・眠り・夢・疲れ・痛み・病い・老い
・「頭」が人間の中心で、人間の頭脳が世界を支配しているという考え(イデオロギー)は、近代西欧の産物である。その西欧的人間中心のイデオロギーが地球[=自然]に対して何を犯してきたかを、今、私たちはようやく知った。
かつての日本人は頭脳より身体に価値を置く生き方あるいは生活感覚を持っていた。その頃は「頭にくる」ことはなかった。そんな慣用語もなかった。それが、都市化と工業化にともない、頭脳[=都市]が身体[=自然]より優位に立ち、さらに情報化社会は情報[=脳]が世界を統御する方向をおし進めていき、今、世の中全体が「頭にきている」。それを直さなければ、人ひとりの「頭にくる」病いも治せないのかもしれない。
・生きている臓器が欲しくて脳死という死を作る人間怖し 鷲津錦司
・人は、もっとも大切に隠しておかねばならないもの(顔)を、人前にさらしている。 ヴァレリー
・秋刀魚啖ふ口ステンカラージンをうたふ口 加藤楸邨
・「背骨が曲っている」などと言うが、実際には背骨という骨はない。ふつう背骨と言われているのは、頚椎・胸椎・腰椎・仙椎・尾椎の五つのタイプの骨から出来た長く連続した三十三個の骨のことである。
・「手を出す」は意識のあとに行動がともなう。「手が出る」は意識より先に行動がある。人間にとって根源的で重要なのは後者である。他者との触れ合い、また創造的な仕事はこの後者の無意識の人間行動によるところが大きい。
・短夜や乳ぜり泣く児を須可捨碁焉乎(すてつちまおか) 竹下しづの女
・羅(うすもの)に衣(そ)通る月の肌(はだえ)かな 杉田久女
・ホントニシヌトキハデンワヲカケマセン 津田清子
・海嘯と死んじゃいやよという声と 折笠美秋
・涙の量は普通一日0.5〜0.8グラム。一年間でジュース一缶分。こんな微量でも、眼の汚れを清め、眼の運動を滑らかにし、眼に栄養を与える大切な役目をしている。
・一日の汗の分泌量は600〜700ccで、目に見えないで蒸発している汗の量もかなりある。夏の暑い一日や筋肉労働やスポーツのときの発汗量は三リットルにもおよぶ。
・京の夢大坂の夢やうやくに身は衰へて冬に入るなり 馬場あき子
無駄な疲れ 堀口大學
無駄な疲れは省きませう
薄情(うすなさけ)ならないが増し
無駄な疲れは省きませう
つれない人は忘れませう
・今生はやむ生なりき鳥兜 石田波郷
・みづからの落度などとはおもふなよわが細胞は刻々死するを 斎藤茂吉
・死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも 斎藤史
2000/12/06(水)●物言へば唇寒し掲示板●
うなぎ釣りの夢。とにかくえらく長いうなぎで、どのくらい長いかと言うと、結局夢の中では尻尾までたどり着けなかったくらい(^_^;)。その他、体育館のような建物で黒人と共同謀議??をはかっている夢とか、他にも見たような気がするがよく覚えていない。
小林恭二の本に刺激されて、俳句は連衆が必要だと思い立って、某俳句関係掲示板にぐいぐい俳壇の宣伝と、挨拶代わりに1句投稿したのだが、最初の反応が、とんだ挨拶返しでどっと疲れてしまった。まずもって、人のハンドルを勝手にカタカナ書きにしてるのが面白くない。さらにはぐい句を「のびのびした自由律俳句」だと決め付け、句解も何だかなあ、である。でもこういう調子で反論をそのまま掲示板に書き込んだら、総スカン食うのは必至だろうな。迂闊なことはできないものである。
今週のSTARdigioもいまいちインパクトに欠ける。清水ミチコの特集で、彼女のモノマネを久しぶりに聞いたが、やっぱりすごい。ネタが古くて真似られキャラクターがすでに忘れられたりしてて、時の流れを感じさせる。しかし今聞いても「アイネクライネナハトムジーク」「ハニホの歌」などは傑作だと思う。
【本多勝一の こんなものを食べてきた!】堀田あきお&佳代 ★★★☆ 週刊金曜日に連載された漫画による食べ物回想記。本多勝一は長野県下伊那郡大島村の雑貨屋の息子として育った。彼の国民学校時代(1938〜43)つまり戦争真っ只中の田舎の子供の暮らしと食べものの思い出を、堀田夫妻が漫画化したものだが、取材などが行き届いて会話には方言も効果的に取り入れてあり、登場人物が生き生きと描かれているし、戦争の直接的影響からワンクッションおいた田舎のため、ほのぼの感に溢れていて、読んでいて心地良かった。そして取り上げられる食べ物と言うのが、虫やら花やら葉っぱやらと、結構ワイルドなのにも驚かされてしまった。
ゴトウムシ(カミキリムシの幼虫)、ヤマツツジの花びら、イロハモミジ、スイコンボ(スイバ)、ヒビ(カイコサナギ)、ツナミ(桑の実)、オカメス(メダカ)、ハチのコ(脚長蜂の幼虫)、キンタマハジキ(ナツハゼの実)、沢蟹、イタンドリ(イタドリ)、オコゲ(ウコギの芽)、クロンボ(黒穂病の麦)、チチバナ(アカツメクサ)、カヤの実、ネンブリ(ノビル)、スッパ(酢の木の葉)、オトシブミの卵、スガレ(雀蜂の幼虫)、チガヤ、アズキッパ(ナンテンハギの茎と葉)、コッカ(サルナシ)−−−
しかし、いろんなものを食ってたんだなあ。中でも「ヒビ」というのは、Morris.が韓国で天敵とさえ目している、ポンテギそのものである。本書でも東京から来た親戚の子にこれを食べさせ、その子が虫だと知って仰天するところなど身につまされる。さらに別の地方では成虫の蚕蛾を、羽の付いたまま炒めて食べるという記事もあり、これには仰天した。
【鬼才 李賀】中田昭栄 ★★☆☆ 唐代の夭折詩人、李賀については「長安に男児あり
二十にして心已に朽ちたり」の詩句が有名だし、以前平凡社のポケット版の詩集も持っていたこともあるのだが、すっかり忘れてしまった。ふとこの小説を見つけて、彼の伝記読むつもりで借りてきた。小説としては精彩がないが、李賀の薄幸な一生を概観することは出来たし、25編あまりの詩も併せて読むことが出来たので所期の目的は達したことになる。
本書では、韓愈の推薦状が徒になって科挙の進士試験を受けることが出来なくなったことが、彼の不幸の原因の全てと言う書き方をされているが、李賀本人にも、文弱の徒というイメージがつきまとう。自主性に欠けるようにも見える。つまり本書で見る限りあまり李賀と言うキャラクターには魅力が感じられなかった。
著者は兵庫県在住の高校国語教師らしく、李賀に関する小論文も併せて掲載されている。そういう意味で文献としては信頼できそうなのだが、創作としてはどっちつかずのものになってしまったようだ。
況ンヤ是青春日将ニ暮レナントス (時や時春の日は暮れんとし)
桃花乱レ落チテ紅雨ノ如シ (桃の花は落つ紅の雨に似て)
君ニ勧ム終日酩酊シテ酔ヘ (君酔えや終日酔い潰るまで)
酒ハ到劉伶墳上の土ニ到ラズ (酒は行かず酔漢劉伶の墓に)−−「勧酒」部分
2000/12/05(火)●2回目にして録画失敗●
花札をしている夢。ただし札は、株札だった。全体はモノクロなのに札の赤だけが異常に印象に残っている。別に賭博ではないようだった。誰とやってたのかははっきりしない。
今日はこの冬一番の冷え込みで、奈良では氷点下を記録したらしい。神戸も結構寒い。11月の日記を校正して、そのリサイクル利用を兼ねて、武雄の熊さん宛てに送る。
バスで中央図書館へ。まだ椿図譜は展示してあったが、せっかくなら、1週間毎にでも展示ページを更新してもらいたいものだ。しかし椿の変種名もいろいろ凝ったものがある。中でも一番強烈だったのは「ツンボ大工」。うーーん、想像を絶する命名だ。
高架下を通り元町から帰宅したのが5時半過ぎ。林巨正録画中のはずなのに、何故かテープが回っていない。あわてて途中から見たがまったく筋が判らない。録画失敗の理由も判らない。もしかしたら、途中でパーフェクTVの「設定初期化」があったのかも。
今夜はキムチポックムパッ(キムチ焼き飯)とトゥブチゲ。やっぱり朝鮮料理は辛いが美味い(^○^)
【実用 青春俳句講座】小林恭二 ★★★☆☆☆
前回の岩波新書「俳句という愉しみ」はつまらなかったが、杉山さんの勧めもあったので、もう1册の「俳句という遊び」の方も目を通そうとしたが、見当たらなくて、こちらが目についたので借りてきた。
いやあ。これはいったい、どうしたことか。、同じ著者の著作とは思えないくらい、面白くてためになるではないか。福武書店の造本(小型のハードカバーで平野甲賀裝丁)からして、意気込みが違うし、岩波とは濃度が違いすぎる。88年発行となってるから、こちらの方が古いと思う。書き下ろしの「青春俳句講座」と、既発表の10編、それに恭二八十句(小澤實選)という構成。特に書き下ろしの講座は自己の俳句体験を回想しながら実に要領よく彼の俳句観、方法論、理想の俳句論などが展開されている。当時の新進俳人の句の紹介と解説、批評なども、的確で、初心者には有益この上ない(ように思われる)。自作句の方は、やっぱりMorris.とは相性悪いみたいで、あまり印象には残らなかった。
「新鋭俳人の句会を実況大中継する」という一文こそは、前の岩波新書版と同様の企画だったのだが、こちらは25ページで、コンパクトにまとめられていて、退屈せずに楽しむことができた。岩波のは、この25ページ分をでれーっと引き伸ばした産物みたいなものだったのに違いない。(シカシMorris.モ
シツコイネ(^_^;))
瑕瑾としては「道造のうたは譜面に草ひばり」の句の評で「草ひばりは道造が愛してやまなかった鳥」というのはおかしい。草ひばりといえばキリリと鳴く蟋蟀の仲間で、秋の季語ではないか。
もう一つ加藤郁乎の「切株やあるくぎんなんぎんのよる」の評で、これを「歩く銀杏銀の夜と「ある苦吟難吟の夜」の二つの読みが出来る、と、まるで自分が発見したかのような書き方をしているのは、ちょこっとズルじゃないかと思ってしまった。この読み解きは松山巌だったか誰かが言い出したことで、郁乎自身がその解を聞いて驚いたという有名なエピソードがある。
しかしまあ、そんなことはおいといて、これなら、たしかに杉山さんが褒めるのもむべなるかな、と納得の1册だった。
2000/12/04(月)●夢の台頭●
前日の空白を埋めるかのように、昨夜の夢は長いわ、複雑だわ、3本立てだわ、と、書くのが億劫になるくらいだった。だんだん、現実より夢の方が充実して行きつつあるようだ(@_@)1本目(^_^;)は、Morris.の生家を明け渡すことになって荷物の整理をするというもので、やたら押入れや物置に潜り込んで、整理というより宝捜ししてる状態で一向にはかどらないというもの、次のは、うどんの食べ歩き(それもMorris.が運転して)してそれをレポートにまとめる仕事させられてるらしく、編集者からえらく叱られたりしてた。でもうどんは讃岐でなく、中国地方だった。おしまいのは、どこかの倉庫でMorris.は奴隷として(;_;)働いていて、そばを知り合いが何人も通っていくのに誰もMorris.に気づかず通り過ぎていくというもの。どうせ奴隷になるのなら、女王さまにもでてきてもらいたいくらいなものだが、それはなし(^_^;)
ソウルのイパクサから電話。やっぱり7〜10日のコンサートに来ないかとの誘いの電話だった。そりゃ行きたいけど、そうそうは動けない。とりあえず、今人気発売中のクリスマスミニCDを韓国SONYに頼んで郵送させると言ってくれた。これは嬉しい。更に12月末には、初めての本(自叙伝みたいなものか?)を出すのだが、そのなかにもMorris.や友人の名前が出てくると言ってた。これも楽しみぢゃ。
福井君から、「年忘れフクイーズ2000」の紹介が送られてきたのでフクイーズ部屋に更新しておく。
また、来年1月7日の「晴れるや夢街道」(読売TV 10:55〜11:25 am)に春待ちファミリーBANDが出演することが決まり、その収録のため、12/12(火)のお昼にJR六甲駅前でストリート演奏することになった。これは春待ちファミリーBAND部屋に更新しているが、いまいち詳細がはっきりしないので、わかり次第続報する。
今日から始まるKNTの大河ドラマ「イムコクチョン−林巨正」(月〜金17:00〜18:00)だが、このテーマソングを歌っている歌手こそ、Morris.が、現在もっとも注目している、チャンサイクだ。この前ソウルに行ったとき、このドラマのサウンドトラックCD見付ながら買わずに帰って来たことが悔やまれる。たぶん、主題歌以外にも彼の歌声が挿入されていると思うので、しばらく見続けることにしたい。
夕方、自転車で住吉のシーアに行った。経営は生協なのだが、ここ食器台所用品売り場は割と充実している。前から気になってた堀さんのやかんを探しに行ったわけだが、琺瑯の柄付きのものと、ステンレスの小型のものが見つかり、どちらにしようか迷ったが結局機能優先でステンレスにした。
帰ってから録画しておいた「林巨正」第一回を見る。さすがにチャンサイクの主題歌は素晴らしい。プロローグが主人公の最期の場面で、ストーリーではまだイムコクチョンは生れてもいない。元来Morris.はTVドラマ就中時代劇は苦手なので、毎日見続けるのは難しそうだ。ただ今回は、クヮンデ(旅芸人)の芸や伝統音楽の場面が多かったのでそちらの方は楽しめた。
【身世打令】姜(王+其)東 カンキドン ★★☆☆ 福岡に住む在日朝鮮人の句集だが、当人は後書きで句集ではないと言ってる。たしかに作品としては直裁に過ぎるものが多いが、それだけに、在日の生活や状況をさらりと表白したものには目を引かれるものがあった。
獅子舞の朝鮮長屋を素通りす
白木槿咲かせ一家の秘密かな
うたふごと祖母(ハルモニ)泣きぬ韮の花
銀漢や韓のはやり歌みな哀し
墓建てて木槿一本植えにけり
海峡を黯(くら)し黯しと帰る鳥
2000/12/03(日)●30代写真展●
10時起床。さすがに今日は宿酔気味で夢も覚えていない。
昼から福岡マラソン、ラグビー早慶戦と、TV漬け。夕方伊藤君来たのでしばらく飲んで、冷凍してたレッドカレーを解凍して食べる。一緒に元町に出てトアロードの東亜ギャラリーに、國米吉写真展「30代30人写真展」見に行く。いやまあきのりの写真もあり、いやまがアコーディオンで演奏するというので出かけたのだが、知り合いもいて、ビールなど振る舞われてしばらく見物した。モノクロのけれんみのない写真で好感を持った。
2000/12/02(土)●新今里韓国OFF●
夢は春待ちファミリーBANDと一緒に東京(だと思う)行って、駅で新幹線に乗ろうとするのだが、「新大阪駅」行きのローカル線乗り場が見つからない。つまり、ここで駅の混乱が起こっている。東京駅にいながら、新幹線に乗るためには、新大阪に行かねばという、関西人の条件反射に囚われていたらしい。その他、耳に雀蜂が止ってしまいしばらく動けずに入るという夢も見たが、これと、東京駅とは無関係のようだ。
昼食は前に伊藤君が買って来て、食べなかったのを冷凍していた食パンをもどして、玉子ソーセージ炒め、柿、パイナップルと紅茶。
夜は新今里で、光化荘から繋がる韓国系オフ。あしやんとファピョンさんの肝入りだが、えらく参加人数が多そうだ。新今里の漫画古本屋で「小梅ちゃんが行く」(青木光恵)の2巻を見付ける。1,3だけ持ってて長いこと探していたもの。ラッキー(^○^)
オフ開場は雑居ビル6階にある「コヤン−故郷」ここは以前一度だけ来たことがある。ソファとフロアとカラオケがあって、深夜には在日やニューカマー、留学生のディスコになると聞いたことがある。
今日はいちおう貸し切り状態で、料理は近くの遊覧船から出前(@_@)
参加者はあしやん&あんちゃん、さんちゃん&パイザさん、山田浩子さん&鄭成逸さん、金キョンアさん&二本松さん、古川夫婦の5カップルに、ファピョンさん、巻田さん、りーちさん、百舌鳥さん、司さん、山沢さん、宮本さん、女性は岩崎さん、境山さん、堤さん、立花さん、川崎さん、左さん、それにMorris.と24名、あしやんの息子龍太もいたから25名か、いや、数人漏れているような気もするぞ(^_^;)
Morris.は一番隅っこの席でしっかり電源確保してちびくろで日記など打ち込む積りでいたのだが、食事してビール飲んでカラオケ始まったらそれどころではなくなってしまった。今日はMorris.はド演歌オヤジに徹してしまった。おしまいの方では、一般客のアジュマらとどんどん演歌を歌い踊りまくってたみたいだもんね(^_^;)
リーチさんや百舌鳥さんなど、nifty時代からの知り合いとも久しぶりに会うことが出来て嬉しかった。10時半にお開きとなり、道路で記念撮影。いつものことだが、Morris.のデジカメはフラッシュないので、リーチさんが買ったばかりのカルディアで撮影し、Morris.あてに添付メールで画像送ってもらったのを貼り付けておく。途中で帰った人が多かったので、写ってるのは2/3くらいだが、この写真にはちょっと仕掛がある。三脚が無かったので、Morris.とリーチさんが1枚ずつ撮影したのだが、貼り付けてある写真には、二人とも写っている。そう、これは合成写真なのだった(^○^)これだけ小さいとあらは見えないだろう。
2000/12/01(金)●ぐいぐい俳壇11月号をアップ●
何か理由があって、ずっと夢を覚えているのか、それともこうやって日記に記録してるので夢を忘れずにいるのかどっちがどっちかわからないが、昨夜の夢は曖昧模糊としすぎていた。海底にいるらしいのだが、明るいし、息はできるし、町も地上と変わらないし、相手(不明)と会話もできてるのに、そこが海の中ということだけはMorris.には分っていて、その海底の町を、探し物を求めて歩き回っているのだが、御推察通り何を求めているのかがはっきりしない(^_^;)
校正と熊さんへの手紙代わりにするため、11月の日記をレーザープリンタで出力したら14用紙23枚にもなってしまった。これまでの平均が14,5枚だから、7割くらい多い事になる。武雄行った時の写真が多いのと、最近読書控えの引用が長すぎることにも一因があるのだろうが、果たして、Morris.以外にこの日記を全部読んでる人なんて何人かでもいるのだろうか?
まあ熊さんは、しかたなく読んでると思うんだけどね(^_^;)
運動不足解消を兼ねて、自転車で三宮図書館まで行く。神戸は南北は急勾配なので自転車は使いにくいのだが、東西なら大丈夫。直線距離で10kmあるか無しといったところ。
帰りに関西スーパーで買い物。スルメイカ1杯50円というのがあった。今日こそは記憶喪失料理になる前に「イカキムチ」作って食べることにしよう。
ぐいぐい俳句の11月分をまとめて「ぐいぐい俳壇11月号」をアップ。24回の投稿??で、96句だ。後一回出せば100句になるところだったのに、惜しい。いや、俳句は数じゃないことは分ってるですよ(^_^;)ぐい句を初めて2ヶ月半、最初のうちはそれこそ、ぐいぐいと出来てたのが、最近はちょっと時間がかかることが多い。ネタ切れなのだろうか、それとも入門書など読んだ弊害(^_^;)なのか。ともかく、まだ飽きてはいないので、しばらくお付き合い願いますm(__)m
今夜のKNTV「歌謡舞台」は15周年記念特集ということで、舞台の上からはみ出しそうなゲストの数だ。ざっと見た処でも、チェジニ、チュヒョンミ、キムスヒ、テジナ、ヒョンチョル---でもキムヘヨンの顔は見えない(;_;)
naddismからのメルマガに「チコタン」の歌詞が掲載されていた。前々回の二次会でも話題になった昔の小学校の合唱組曲で、その歌詞の内容があまりに印象的だったため今だに忘れられないという声が多く、話題に入っていけないMorris.は、ちょっと悲しい思いをしたのだが、改めて歌詞を見ると、たしかにこれを小学生が歌うと想像するだに鳥肌たちそうだ。決しておぞましいとか、おどろおどろしいというわけではなく、真摯で純真な歌詞なのだけど、ああ、もう、こうなったら引用するしかない。初っ端から長くなるなあ(@_@)
nddismの慈さんならびに、発信元のサイチャンには事後承諾ということでm(__)m
説明文も慈さんのものです。
「チコタン」は合唱組曲です。昭和44年度芸術祭優秀賞受賞作品。唱和40年代における交通戦争問題、反抗期問題、小学生初恋問題がテーマとなった高度経済成長への警鐘ともいえる、社会派作品となっています。灘区内でも各小学校で歌われたり、お昼の放送でかけられたりしていました。
「西灘小学校放送委員会カウントダウン給食放送ベスト5」でも
1位「チコタン」
2位「せっけんで手を洗おう」
3位「あるオッサン」
4位「ペルシャの市場にて」
5位「ガボット」
という風に堂々1位に輝いている曲です。
何が凄いってその歌詞。
その幸福の絶頂から地獄の底へ暗転するドライブ感は灘の子供達にとってはあまりにもショッキングだったことでしょう。
それはまるで、「鯨肉のノルウエー風にとくれんゼリーをトッピングして六甲牛乳とケンコーマヨネーズでシェイクした献立を食べさせられたあと、西湖堂のコッペパンを口に押し込まれるような衝撃」といっても過言ではありません。このあと「パパゼリー」を鼻の穴に突っ込まれたら一たまりもありません。
読者であるサイチャン様から「チコタン」全歌詞をお送り頂きましたので転載させて頂きます。ありがとうございました。泣いて下さい。(T-T)
「チコタン」 作詞:蓬莱 泰三 作曲:南 安雄
(1)なんでかな?
(前奏4小節)
なんでかな? なんでかな?
なんでチコタン 好きなんかな? なんでこないに 好きなんかな?
チコタン チコタン チコタン チコタン
アメダマみたいな 目ェやからかな?
マシュマロみたいな 鼻やからかな?
クラスでいちばん チビやからかな?
クラスでいちばん ゲラやからかな?
なんでこないに 好きなんかな?
なんぎやなあ なんぎやなあ
チコタン チコタン チコタンタン どないしょう どないしょう
チコタン チコタン チコタンタン チコタンタン チコタンタン チコタンタン
チコチコチコチコ チコタンタン チコタンタン
ぼくは アナタを・・・・・・・・・
ぼくは アナタを・・・・・・・・・
たべてもたろか!
(2)プロポーズ
(前奏2小節)
チチチチチチチ チエコさん ぼぼぼぼぼぼぼ ぼくぼくの
およおよおよおよおよおよおよ およめさんに ななな なってください
もしきみが およめさんになってくれたら
べべべ べんきょういたします よい子になります
そうじもサボりません ハナクソとばしません
女の子もなかしません ぜぜぜ ぜったいちかいます!
チチチチチチチ チエコさん そそそそそそそ そやさかい
ぼぼぼぼ ぼくのおよめさんに ななな なってください!
(3)ほっといてんか
(2/4拍子・前奏2小節)
ほっといてんか! ほっといてんか!
おやつなんか いらん ケーキなんか いらん
あほたれ あほたれ! 母ちゃんのあほたれ!
なんで ぼくひとりだけ うんだんや!?
ぼくがサカナヤつがんならんのに
そやから
ぼくはシツレンしたのに・・・・・・・・・
ほっといてんか! ほっといてんか!
ごはんなんか いらん テレビなんか 見とない
あほたれ あほたれ! 父ちゃんのあほたれ!
なんで サカナヤなんか したんや!?
チコタン サカナはきらいやのに
そやから
ぼくはシツレンしたのに・・・・・・・・・
ほっといてんか! ほっといてんか!
ひとりぼっちでほっといてんか!
(4)こんやく
(前奏2小節)
ええこと ええこと おもいついた
チコタン チコタン エビすきゆうた
チコタン チコタン カニすきゆうた
チコタン チコタン タコすきゆうた
そんなら そんなら チコタンすきな
エビ カニ タコだけ うったらええねん
ほんまに ええこと おもいついた!
ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー
ヤッホー!!
チコタン チコタン ニッコリ わろた!
チコタン チコタン オッケーゆうた!
チコタン チコタン ゆびきり げんまん
チコタン チコタン 日本一の
チコタン チコタン サカナヤやるぞ!
ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー ヤッホー!!
(5)だれや!?
(前奏4小節)
二人でゆびきりしたのに・・・・・・・・・
おとなになったら ケッコンしようと
二人でゆびきりしたのに・・・・・・・・・
ケッコンしたら
日本一のサカナヤになろうと
二人でゆびきりしたのに・・・・・・・・・
おいしいエビ たべさしたろ思てたのに
おいしいカニ たべさしたろ思てたのに
おいしいタコ たべさしたろ思てたのに
そやから そやから
いっしょうけんめ ベンキョウしたのに
よい子になったのに
そやのに・・・・・・・・・そやのに・・・・・・・・・
チコタン 死んだ
ダンプにひかれて チコタン死んだ
横断歩道で
黄色い旗にぎって チコタン死んだ
チコタン わろてる 花の中から
チコタン わろてる 写真の中から
チコタン わろてる いたかったのこらえて
つらいのこらえて
かなしいのこらえて
チコタン わろてる・・・・・・・・・
わらうな チコタン!
写真の中なんかで わらうな!
ぼくは つらいねんぞ
ぼくは さびしいねんぞ
ぼくは ないてんねんぞ
そやのに・・・・・・・・・そやのに・・・・・・・・・
だれや!? チコタン殺したのんだれや!?
ぼくのチコタン殺したのんだれや!?
ぼくのおよめさん殺したのんだれや!?
だれや だれや!? だれや だれや だれや!?
だれや だれや だれや!?
アホーーーーーーーーーゥ!!
なかなかベタな関西弁で、これだけ泣かせるとは。うーーん、しかし、こうなると、いよいよ、この合唱を聞いてみたくなるのは、人情というもの。
誰か、この音源持ってませんか?