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Morris.日乘2014年10月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今 月の標語
           
死 者 誤 入

【2014年】  9月 8月  7月    6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月
【2013年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/10/31(土)●久々歌本作り。●
6時起床。
今朝の血圧は207/111/67。
朝の3点セット。
何となく曇り空。
午前中、読書と、楽譜整理。
午後から自転車で六甲生年学生センターへ。久しぶりに韓国歌謡の歌本作ることにしたのだ。センターの印刷機使うのも久しぶりなので、また一から飛田さんの指導を仰ぐ。次は一人でできるように、使い方のメモ取っておく。
これで歌本も10冊目くらいになるが、さすがに最近はそうそうレパートリーも増えないし、前回の歌本のセレクトと追加曲で、36曲(48p)。4冊作る。事務所に導入されたアンバサダーでいれたコーヒーご馳走になりながら世間話。昨日自転車で武庫川に行って撮影した白鷺の画像を見せびらかしてくれた。超望遠のデジカメで撮ったとのこと。倍率を聞いたら「千倍」というので、いくらなんでもそれはないだろうと現物見せてもらう。コンデジなのに望遠は手動である。光学42倍ズームだった。これにデジタル2倍ズームかけたら84倍だから、かなりのものである。飛田さんが「千倍」といったのは、1000mm望遠レンズにあたるというのを勘違いしたらしい。たしかにすごいけど、ほとんど一眼レフ並みの大きさなので、Morris.向きではない。
今日は金曜日で稲田さんとも会えて、話もできたので良かった。稲田さんは部屋で水出しコーヒーを楽しんでいるらしい。韓国でスティックタイプの安っぽいクリームコーヒーに馴染んでしまい、帰国してからもドトールのスティックコーヒー飲み続けてるMorris.とは偉い違いである。
灘図書館に寄り、ダイソーでクリアファイル(歌本の表紙用)買って、マルハチで買い物して6時前帰宅。
水道筋商店街は、ハロウィンの扮装した母子連れで大賑わいだった。
今夜は12年ぶりに「ナースのお仕事」特別編がある。Morris.はこのシリーズが大好きで、というか、このドラマで観月ファンになったとも言える。。始まったのが1996年で、観月はちょうど二十歳だった。97年、200年、2002年のパート4まであって、映画化もあった。彼女ももう38歳か。確かにそれなりに年を重ねてるけど、看護婦の白衣姿は二十歳のときそのまま(^_^;)である。嬉しかった。今回は明日の夜の二話連続とのこと。
今日の歩数は5712歩。

新歌本 

ひさびさ飛田さん 

口笛文庫ウィンドゥ 


2014/10/30(木)●ソフトバンク日本一●
4時半起床。
今朝の血圧は202/94/92。
3人で昨日と同じ名古屋の現場。
宿酔ではないが、睡眠不足で、助手席で半分くらい寝てた。
今日はスロバキア向け荷物ピックアップ。昼飯抜きで1時半作業終了。
遅めの昼食は、大山田SAでカツ丼(690円)。これは意外と美味しかった(^_^)
4時半倉庫着。5時半帰宅。しかし、カラオケ明けの名古屋はちょっと応えた。
日本シリーズ第5戦。メッセンジャーが好投したものの、阪神得点できず、8回裏に1点取られ、9回一死満塁から西岡内野ゴロで本塁封殺、一塁送球が乱れた間に、二塁ランナーホームインで同点(^_^)、と思ったら、西岡守備妨害で試合終了(@_@)
何となくすっきりしない終わり方だったけど、秋山監督はこれでユニフォーム脱ぐそうで、有終の美を飾ったことになる。おめでとう\(^o^)/
今日の歩数は3910歩。

【福島原発の真実】佐藤栄佐久 ★★★☆2011/06/22平凡社新書。
吉岡斉の本の中で触れられていたので、あわてて、読むことにした。先にも書いたが、「サトウエイサク」という名前のひびきから、あの「佐藤栄作」元総理を連想してしまい、謂れのないマイナスイメージを持ってしまってたのだ(>_<) 東北への無関心というのがその前提にあったのだろうが、誠に失礼なことであった。
3・11直後の原発関連本出版ブーム(^_^;) の一環として出されたものだが、本書はそれらとは一線を画す貴重な記録である。原子力ムラ(国、東電、企業、御用学者)に、県知事として真摯に向き合い、ぶつかり合い、実質的な折衝をした政治家(吉岡はこれを「知事の反乱」と形容している)を、あらためて見直すことになった。

原発立地自治体には、電源三法交付金も得られる。しかし、落とし穴があった。交付金の用途は公共事業に限定されており、いわゆる「ハコモノ」を作るしかなかった。そこで原発立地自治体は次々に役場の建物を新しくし、市民ホールや図書館を作っていったが、交付金は維持管理経費に使えないことから、これらの維持費が自治体の首を絞めるようになったのである。そして固定資産税は、償却で金額が減っていく。
私はかつて「麻薬中毒患者のようだ」と表現したことがあるが、補助金頼みの自治体は、金がじゃぶじゃぶ入っているうちに目的と手段が完全に逆転してしまっており、「金がないから原発をまた誘致したい」という発想になるのである。その周期はきっかり30年だ。(目的と手段が逆転した原発誘致)


原子力ムラの「飴と鞭」手法を「麻薬中毒患者」に例えざるを得なかったという深刻さを見過ごしてはいけない。ハコモノ支援の弊害はこれまでにもとりあげられているが、一向になくなりそうにない。

官僚は異動してしまえば、それまでの責任を逃れることができるのだ。
法律用語で「無答責」という言葉がある。戦前の大日本帝国憲法体制において、官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使で国民に損害を与えても、国家は責任を負わないとする法理であり、現在の日本国憲法の下では否定されている。しかし、原発政策では、この「無答責の法理」が堂々と生きていた。
政治家と官僚の関係は、一般には癒着や利権と悪いイメージで受け取られるが、国民から選ばれた政治家が官僚をコントロールするという民主主義的側面もあることを見過ごしてはいけない。しかし、原子力政策においては、完全に官僚の独擅場となっていた。政策を実際につくるのは経産省の官僚であり、総理府(内閣府)=経産省=電力会社という事業者が密接に結びつく、「鉄のトライアングル」--すなわち”原子力ムラ”ができていた。特に日本のリーディングカンパニーを自負していた東京電力と官僚の結びつきは強かった。(「鉄のトライアングル」)


政治家も官僚には、自分の任期中に問題が起こらなければそれでいい、という考え方(保身 責任逃れ)があるようだ。福島原発事故の収束には10年(あるいは数十年、収束不可?)以上かかりそうだから、現在の担当者は心置きなく(>_<)責任先送りするんじゃないかと思ってしまう。

福島が経験してきた原発事故では、そもそも事故に至る経過と、事故が起こってからの隠蔽工作で、福島県民の「安心と安全」が失われている。
さらに問題だと思ったのは、「水平展開」がされていないということである。事故の情報が他の原発に共有され、改良が行われている気配がまったくないのだ。
たとえば、航空機事故やトラブルが起これば、同型機を運航している世界中の航空会社にすぐさま情報が伝わり、点検に入ることになっている。事故に至らずとも、不具合情報はメーカーやアメリカ連邦航空保安局などから書く航空会社に伝えらえる。そこに、JALもANAも縦割りは関係ない。しかし、原発では縦割りの中から情報が外に出てこない。「よらしむべし、知らしむべからず」を地で行っている。(三県知事に絞って政府に申し入れ)


原子力そのものが秘密体質を孕んでいる。その眷属である原発が秘密主義なのは当然なのかもしれない。それがますます原発をブラックボックス化している。

(2002年9月の検討会発言の中で)ことに私の印象に残ったのは、米本正平氏の、中央と地方に関するこんなとらえ方だった。
「日本社会の権力理解は『構造化されたパターナリズム』だと思います」
政策立案は、霞が関の中央省庁、すなわち「お上」の専権事項であり、父に従う子どものような関係が作り付けになっているというのだ。たしかに、「国にまかせておけば大丈夫だろう」「大きな会社だからきっと大丈夫だろう」「最新施設だから安心だろう」と考えていると、実は核物資をバケツでかき混ぜていた、というしっぺ返しを食うことになる。日本社会に深く食い込んでいる「構造化されたパターナリズム」の中に、原発政策もまた含まれていると考えると、それを考えていくのは容易なことではないと改めて考えさせられる。(国民の声は反映されているか)

吉岡斉氏は、再処理技術進歩の予想と現実が大きく食い違っており、そこを正しく評価できないことに原子力政策の最大の問題点があるという。
「アセスメントがなされていないのが日本の原子力政策の最大の問題で、再処理に躍起になるのは、それが最初からの前提だったから。1950年代においては、再処理は簡単にできると思われており、将来は高速増殖炉時代になるから再処理は必ずやるのだ、という前提の下で出発した。いったん出発すれば、そこに既得権益というものが生じるから、簡単にはやめられないということで続いてきた」(原子力政策の最大の問題点)

「わが国では、原子力推進と電力自由化という両立しない政策を同時にやっている。自由化は、ある意味で原子力の首を絞めることになり、原子力推進とは相容れない。原子力先進国であるフランスでは、現在、原子力で供給している75%の電力は不可侵の領域とし、残りの25%について自由化を推進している。わが国でも原子力推進と電力自由化を両立させようというのであれば、たとえば原子力の構成比率の上限を45%にし、残りの55%について自由化するといったようにしないと両立は不可能だ」(佐和隆光発言)

本文中で何度もご紹介した福島県エネルギー政策検討会「中間とりまとめ」(2002年9月)については、福島県ホームページからダウンロードできるので、ぜひご覧いただきたい。「中間とりまとめ」の基礎となった検討会の議事録も掲載されているので、当時の福島県の問題意識と議論を追っていただくこともできる。


この2002年の検討会は吉岡斉の本でも触れられていた。こうやって、ネットで公開されているのか。うーーん、議事録は長すぎるので、とりまとめのパンフレットだけでもめをとおしておこう。って、やっぱりこれも、後手に回るということだろうな。
たしかに福島県のホームページは福島原発並びに、震災復興状況を知るには、貴重な情報源であるに違いなく。震災後3年以上も、覗こうともしなかったことに反省させられた。

日本の原子力政策には、原子力基本法で定められた「民主・自由・公開」の三原則がある。しかし現実はどうか。本来、独立して原子力政策を策定するはずの内閣府の原子力委員会は、藤家原子力委員長(当時)が「とにかく、プルサーマルはどこかでやらなければならないんだ」というように、経産省の官僚が書いたプランを追認するところであり、原子力安全委員会は、国民のパブリック・コメントや地震学者の警告を無視した安全基準を作るところだった。原子力安全・保安院もまた、独立した監視機関ではなく、設立後に双葉郡全体に配布したチラシで自ら、「原発を推進する役所だ」と白状してしまっている。まさに原子力ムラは、"よらしむべき、知らしむべからず"の「構造化されたパターナリズム」であり、「経路依存症」の世界そのものだ。
原子力政策もそうだが、日本の統治機構の最大の問題点は、官に都合のいい組織ばかりが作られた結果、チェック機能が働かなくなっていることだ。組織内部だけではない。外部からのチェックすべきメディアも機能していないに等しい。(エピローグ)


こういった状況下に置かれた福島県で、原子力ムラに戦いを挑み、限りなく冤罪に近い引責で辞任を余儀なくされた元知事の「恨み節」。
先般の福島知事選では、5人の候補者すべてが、脱原発を表明、与野党相乗りで元副知事の内堀雅雄が圧勝したが、投票率は5割を切り、なまじ自民党の応援を受けてるだけに、福島の復興、脱原発の先行きの見通しは明るいとは言えまい。

2014/10/29(水)●名古屋-新長田●
4時半起床。
今朝の血圧は210/88/87。
浅海くんら5人、トラック2台で名古屋名東区極楽の欧州人(^_^;)宅のピックアップ。仕向地がベルギーとスロバキアの2ヶ所なので、今日はベルギー向けをメインに梱包。Morris.は外回り。小さい石灯籠やら、パラソルやらガーデンベンチやら、いつもとちょっと違ったパタンで面白かった。
今夜は長田の「歌居屋」のカラオケ会。先月は山口現場で欠席したが、今夜はどうかな、と思ったが、6時前に倉庫に戻り、荷降ろし済まして、6時半に帰宅、シャワー浴びて、着替えて、新長田へ。
歌居屋に着いたのが7時半過ぎで、30分の遅刻。いつもと違って狭い部屋で、すでに満員状態。主宰者の朴昌利さんのむくげの会の三人衆(山根、堀内、深田さん)、大和くんにムックさんの6人。通信カラオケジョイサウンドで、詳細採点モードだったので、ちょっと引いてしまった。Morris.はどうもカラオケの採点モードには馴染めない。というか嫌いである。とりあえず一回り目だけということで、外してもらう。
大和くんは久しぶりだったが、相変わらず上手いしレパートリーも広い。ムックさんは得意のソルンドナンバーを披露してみんなをびっくりさせてた。かなり練習してるようだ(^_^;) 山根さんもラップナンバーまで覚えてた(@_@) 遅れておなじみの在日アジュマ二人と、初参加の門永さんと結局今日の参加者は10人。
8人部屋に10人というのはちょっと窮屈だったが、これはこれなりに一体感があって、良かったかな。
明日も名古屋なので10時半に退出。
日本シリーズ第4戦は延長線にもつれ込んだらしいが、オスンファンが中村に3ラン打たれてサヨナラ敗け(>_<) これで、明日敗けたらTHE ENDである。何とか甲子園に戻ってきてもらいたいものである。
今日の歩数は3922歩。

カラマツの実? 

杉の実 

夜の鉄人 

歌の鉄人たち(^_^;) 

神戸のソルンド(ムックさん) 

ぎっしりカラオケ 

【プーと私】石井桃子 ★★★ 2014/01/30 河出書房新社。
2008年101歳で亡くなった石井桃子の、単行本未収録の随筆をまとめた本が数冊出されていて、本書は、プーさん、ピーターラビットやドリトル先生の翻 訳出版事情、児童図書館を中心に1年がかりでの欧米修旅行のエピソードなどを主題にしたものが40篇ほど集めてある。発表時期は1955年から2004年 までと半生記にわたっているが、
石井桃子といえば、「くまのプーさん」などの翻訳家、「ノンちゃん雲に乗る」などの児童文学作家として有名だが、Morris.とはあまり縁のない作家である。
それでも本書を読もうと思ったのは、沼部真一さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」に連載された彼女関係の記事に心惹かれたからだった。

あるとき、井伏さんが、次のようなことをおっしゃったときのことは、はっきりおぼえている。
「太宰はね、こう思うことが書けなくなったら、思う存分のことを書いて、壺に入れて、地面に埋めとくっていってるんですがね。」(井伏さんとドリトル先生 1998)

井伏鱒二と太宰治といえば、太宰の遺書の「井伏さんは悪人です」を思い出さずにいられないが、あれはやはり、太宰の屈折した物言いだったのだろう。

そのにぎやかなこと。私は、図書館では、足音もしのんで歩くようにお行儀をしつけているように聞いていましたが、それは、むかしのことで、たのしみに本を よみにくるんだから、わざとさわがしくする子どもなら、ともかく、けっしてコチコチのお行儀はしこまないということでした。(アメリカの子ども図書館 1956)

56年という時期にこの発言(発見)は、時代を先取りしていると思う。Morris.は「図書館=静粛に」を金科玉条のように思い込んでたが、市民の図書館という観点からすると、また別の規範があることも理解しなくてはならないのだろう。

2014/10/28(火)●パンミを聴きながら●
6時起床。
今朝の血圧は181/90/69。
今日も秋晴れの良い天気である。でも、午前中は部屋でごろごろ(^_^;)
昼過ぎ、自転車で三宮方面に。途中生田川の公園で休憩。ミニギター不携帯だったので、iPhoneに最近入れたパンミのアルバムをワイヤレスイヤホンで聴きながら、日向の草っ原に座って読書。パンミはキムヘヨンの先輩歌手で、独特な声と歌唱法で、中毒性がある。なかなか気持ちよくて、結局一冊読み終えてしまい、気がついたらもう4時前だったので、大安亭に引き返して、買い物して4時半帰宅。後は部屋で、久しぶりにノレバン98号で遊ぶ。
6時半から日本シリーズ第三戦。藤浪、大隣の投げ合い。藤浪、初回1点先制され、4回には、二死二塁から三振振り逃げで1点追加されるという、苦しい展開。6回リリーフの安藤が二死満塁で、フィルダースチョイスとポテンヒットで0-5。これで勝負あった(>_<) 阪神打線良いところ無し。9回二死から何とか鳥谷タイムリーで1点返したもののそこまで(>_<) 1-5の完敗。
今日の歩数は2154歩。

春日野道スキヤ雉 

大安亭八百屋猫#1これは飼い猫

#2 後は野良 

#4 

#5 

草っ原で読書 

【あ・い・た・く・て】工藤直子 詩・佐野洋子 絵 ★★★ 1991/09/14 大日本図書。
Morris.の愛蔵本というコーナーで「おんなのこ」という小さな詩集をとりあげたことがある。
先日、三宮図書館の本棚で、同じコンビの本書を見かけて、つい手にとった。四半世紀前のホンダが、先の「おんなのこ」は1975年刊だから、それから16年後にだされたものらしい。35篇の詩が収められている。

この本のなかの詩は、私家版の詩集、絶版になった本、雑誌にのせたもの…などのなかから書きなおしたものが少し。あと、ほとんどは「あいたくてという気持ちで、書きおろしました。(あなたに)

と、あとがきにあるが、絶版になった詩集というのが、先の「おんなのこ」ということになるのだろう。ぱらぱらとチェックしてみたら10篇ほどが、「おんなのこ」と重複しているようだった。でも「書きなおし」に違和感をおぼえてしまった。
「おんなのこ」の中でも、一番、二番くらいに好きだった「好きなもの」という詩は、タイトルも「すきなこと」と改題されて、中身もすっかり変身させられていた。

「おんなのこ」(1975) 「あ・い・た・く・て」(1991) 
好きなもの

好きなもの というのは
たいせつ です
わたしの たいせつなものは
「生きている」ことです

そのせいでしょうか わたしは
ふしあわせ も 愛します

 
すきなこと

ここに こうしてすわって
こーんな あくびをしたり
あーんな ためいきをついたり
泣くかとおもえば 笑ったり

なにやってんだ ばっかなやつ と
じぶんのあたまを こづいたり…
とどのつまりは これも
すきで やっているのか と

そのせいでしょうか わたしは
ふしあわせも 愛します

 
痛い

好きに なるのは
心を ちぎって
あげてしまう のだから

痛くて しかたないのです

 
痛い

すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか

だから こんなに痛いのか


 
こころ

「心が砕ける」というのは
たとえばなしだと 思っていた 昨日まで
今朝 心は砕けていた ほんとうに

ひとつひとつ かけらをひろう
涙が出るのは
かけらに日が射して眩しいから

砕けても心はわたしのもの
ていねいに ひろう

 
 こころ

「こころが くだける」というのは
たとえばなしだと思っていた ゆうべまで
今朝 こころはくだけていた ほんとうに

ひとつひとつ かけらをひろう
涙がでるのは
かけらに日が射して まぶしいから

くだけても これはわたしの こころ
ていねいに ひろう

 

詩人が自分の作品に手を入れることは、よくあることではあるのだが、とりあえず、一度発表された作品は、作者の手を離れて、読者の心のなかに住みつくことだってあるのだから、あまり大掛かりな改作は控えて欲しい。って、それだけMorris.が「おんなのこ」に固執しているということだろう。
「おんなのこ」と重ならない詩の中から、好きになった1篇を引用して終わりにする。

ばら

花びらが散ると そこに
花びらのかたちの なにか やさしいものが
あつまるように思われる


2014/10/27(月)●チャンユンジョン復活(@_@)??●
6時起床。
昨夜は10時頃から、ものすごい雷雨に襲われた。
朝になったら晴れ上がってた。
今朝の血圧は202/105/86。
昨日と同じ現場二日目。
昼に一時にわか雨が振り、その後はかなりの強風が吹いた。後で知ったのだが、これが「こがらし1号」だったらしい。
赤瀬川原平の訃報。尾辻克彦名義の著作も含めると10冊くらいは読んでいる。(自サイト検索の結果)。「千円札裁判」「老人力」「超芸術トマソン」などがよく知られているが、Morris.は彼の写真(面白くて楽しくて発見がある)が好きだった。享年七十七。合掌。
今夜のKBS歌謡舞台1391回は"10월 신청곡10月リクエスト“
   
1) 원점原点/설운도ソルンド
2) 여자의 일생女の一生/문희옥ムンヒオク
3) 울고 넘는 박달재泣いて越える朴達峠/박일준パクイルチュン
4) 아빠의 청춘パパの青春/오로라オロラ
5) 둥지/이용식イヨンシク
6) 남원의 애수南原の哀愁/김용만キムヨンマン
7) 초혼招魂/장윤정チャンユンジョン
8) 천리먼길千里の道/박우철パクウチョル
9) 꿈꾸는 백마강夢見る白馬江/신유シニュ
10) 산장의 여인山荘の女/임수イムスジョン
11) 돌아가는 삼각지三角地ロータリ/주영국チュヨングク
12) 흑산도 아가씨黒山島娘/문연주ムンヨンジュ
13) 물레방아 도는데水車回るのに/진성チンソン
14) 사랑은 무죄愛は無罪/염수연ヨムスヨン
15) 내 사랑 지금 어디私の愛は今何処に/이현イヒョン, 신유シニュ
16) 잊지 마忘れないで/이현イヒョン
17) 노들강변ノドゥル江辺/이호연イホヨン


毎月恒例のリクエスト、大して期待もしてなかったのだが、7曲目に何と、チャンユンジョンが登場。これはびっくりである。6月に出産で、5ヶ月足らずでのテレビ出演というのは早すぎる気がしないでもない。歌った曲は「チョホン 招魂」。この番組は歌手は歌うだけで、司会者とのやりとりはほとんどないので、出演に関する情報はまったくなかった。PCのストリーミングの画像だけに細部はわからないが↓以前と変わりない雰囲気である。
これからも出演する機会がつづくのかどうかもはっきりしないが、ともかく、これで「引退」はなさそう、ということで、吉報といえる。
今日の歩数は5003歩。

山芋の零余子(むかご) 

チャンユンジョン\(^o^)/ 

今宵の三日月 


2014/10/26(日)●惜敗(>_<)●
6時起床。
今朝の血圧は183/95/82。
久しぶりの仕事(^_^;) 荻野くんら5人で、須磨妙法寺マンション13階のスイス向け荷物ピックアップ現場初日。仕分けができてなくて、なかなかはかどらない。
4時過ぎ倉庫に戻り、5時前倉庫出て、マルハチで買い物して、6時前帰宅。
日本シリーズ2戦目。能見、武田の投げ合い。能見が2点先制されたのに対して阪神は音無し。何とか1点差に迫ったものの、結局1-2で阪神惜敗。これで1勝1敗。うーーん。
今日の歩数は4051歩。

今朝の高橋白トラ 

船寺通の八割雉 

灘南町のシミ付三毛 

【沸騰!図書館】樋渡啓祐 ★★☆☆ 2014/05/10 角川新書。
2013年4月TSUTAYAとの提携で開館した武雄市立図書館の話題は、全国的ニュースとしてとりあげられ、Morris.もネットでホームページ覗いたり、ドキュメントのビジュアル本も斜め読みした。結果、それほど感心はしなかった記憶がある。それでも、この図書館を作った樋渡啓祐武雄市長が開館一年後に出した本書を手にとったのは、なんとなく気にかかったからだろう。
武雄市はMorris.の生誕の地ということがある。ここで生れて高校卒業するまで暮した。それ以後はどんどん縁遠くなり、今やほとんど無縁のよそ者に成り果てている(^_^;)
Morris.が出奔(^_^;)してから半世紀経って、その武雄がどんなになってるのかなという、一種の怖いもの見たさもあった。
やっぱり、図書館そのものは、Morris.の好みとは程遠いもののようだが、地方の観光地(武雄は温泉町でもある)の話題作りとしては悪くない。図書館でなく、文化交流センターみたいなものということかもしれない。
本書でMorris.の目を引いたのは、本筋とはちがって、たとえば

17万冊あった本を段ボールに詰め、図書館から6キロほど離れている武雄市北方町の体育館に運び……

おお、北方町(きたがたちょう)は、Morris.が住んでた頃は、武雄市でなく、杵島郡だった。いつの間にか、がっぺいしてたのか、とか、町内に一校しかなかった小学校が増えてたり、武雄駅に特急がとまるようになってたり、そんなところに、時の変化を感じた。
また、本書に出てくる市議会議員や市民のローカルな姓が懐かしかった。樋渡というのもそうだし、納富、下平、牟田、宮原、光武……等など。特別珍しい姓ではないのだが、その地に住んだ者にはわかるという微妙なところだろう。
何か、ちょっと変な文脈になりつつある。
ここは「故郷は遠きにありて思うもの」ということで、後は白波。

2014/10/25(土)●棚ぼた日本シリーズ開始●
6時起床。
今朝の血圧は197/108/67。
午前中部屋でごろごろ。
昼から、ふらりと王子動物園。最近の定位置、一番上のカンガルー広場裏のベンチで、ミニギター&読書。土曜日でそこそこ来園者多い。金網の裏道通る小学生数人から声をかけられた(^_^;)
4時帰宅。
某所から、先月のKBS歌謡舞台秋夕特集のDVD届く。
夜は甲子園日本シリーズ第一戦。「君が代」をティーナ・カリーナという聞いたことのない女性歌手が歌ってる。ラジオ解説で
アルバム「棚からぼた餅」発表、といってた(@_@) あまりにもお似合いなタイトルである。名前からして外人歌手(中国系?)かとおもったのだが、日本人(本名田中里奈(^_^;))で、歌手名も本名のもじり、アルバムも「田中らボタモチ」とのこと。
メッセンジャー、スタンリッジの投げ合いで、4回ゴメスタイムリーで1点先制、5回にはゴメス、マートン連続2点タイムリーなどで6-0。結局9回オスンファンきっちり3人で〆て、6-2で阪神快勝\(^o^)/
まさかまさかの日本シリーズ出場で、緒戦楽勝、あまりうまく行きすぎていまいち実感がわかない。29年ぶりの日本一が、冗談のように転がり込んでくるかも(@_@)
今日の歩数は2770歩。

花と蜜蜂 

今日のまぬう 雄 

今日のまぬう 雌 

ボブキャット 

空に向かってポンチャック 

エミュウ 

【新版 原子力の社会史】吉岡斉 ★★★★ 2011/10/25 朝日新聞出版。元版 1999年 朝日選書624。
本書は必読だと思いながら、ついつい読みあぐねて、やっとこさ読了。(少しずつ読み進めて、二ヶ月近くかかってしまった)
とにかく日本の原子力の通史として、これ以上のものはないと断言出来る。

この本は、日本における原子力開発利用の、草創期から2011年7月までの大きな流れについて、歴史的な鳥瞰図を与えることを目指す著作である。著者はそうした鳥瞰図を、批判的な歴史家の視点から描こうと思う。

第Ⅰ期 戦時研究から禁止・休眠の時代(1939~53)
第Ⅱ期 制度化と試行錯誤の時代(1954~65)
第Ⅲ期 テイクオフと諸問題噴出の時代(1966~79)
第Ⅳ期 安定成長と民営化の時代(1980~94)
第Ⅴ期 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(1995~2010)
第Ⅵ期 原子力開発利用斜陽化の時代(2011~)

原子力というのは通俗的用語であり、正しくは核エネルギーと表記すべきだということは、科学者の間では常識に属する。(まえがき)


まえがきからして、しっかりしている。明晰で明確で明解である。6期の時代区分とその特徴見ただけで、何もかもわかったような気になる(^_^;)

GE社が始めた売り込み戦略というのは、メーカーが建設に全責任を負う「ターンキー(turnkey)方式」と、化石燃料に匹敵する価格による「固定化価格制度」を、組合わせたものだった。
日本では、ほとんどすべての政策分野で、この共同体システムが支配してきた。つまり「官産複合体」(goverment-industrial complex)があらゆる政策分野で形成され、意思決定過程を事実上専有してきたのである。
原子力政策においても2000年まで、電力・通算連合と科学技術庁グループの二つの勢力の連合体として、国策共同体が運営されてきた。
このような仕組みは、国家総動員時代から敗戦後の統制経済時代の流れであり、先進国では日本だけが、こうした「社会主義的」体制を現在もなお引きずっている。一電力会社の一発電所の建設計画でさえ、それが国策によってオーソライズされている限り、国家計画の一部であり、官民一体となって推進すべき事業とされてきた。そして国民や地元住民に対しては、国策への「理解」(賛成をあらわす日本独自の行政用語)や「合意」(受諾をあらわす日本独自の行政用語)が一方的に要請されてきたのである。(第一章 日本の原子力開発利用の社会史をどうみるか)

「理解」「合意」のカッコ入れ説明は著者のギャグだろうか。

原子炉とは、制御された核反応を持続することができるよう、核燃料その他を配置した装置のことである。原子炉(核分裂炉)の物理的機能は、大量の熱エネルギーと、中性子ビームを発生することである。大量の熱エネルギーは、電力等の動力に転換することができる。また中性子ビームは、核燃料生産等に用いることができる。(第三章  制度化と試行錯誤の時代)

無駄のない明解な説明。

日本のウラン濃縮研究のパイオニアは理化学研究所(理研)であった。理研は敗戦前から「ニ号研究」の一環として、熱拡散法を用いた研究を進めていたのである。戦後にウラン濃縮研究を再開したのは、なぜか同じ理研であった。

理研、って、あの理研だよな。

核燃料サイクルとは、核燃料の採鉱から廃棄までの全工程を包括的に表現する言葉である。
「核燃料サイクル」はさまざまのタイプがあるが、大きくワンススルー方式(一回限りで核燃料を使い捨てにする方式)と、リサイクル方式に分けられる。後者の方式を実施するためには、使用済核燃料の再処理が不可欠である。さらにリサイクル方式は、軽水炉などの非増殖炉を用いるタイプと、高速増殖炉を用いるタイプとに分けられる。


このリサイクル反対というのが吉岡の基本姿勢のようだ。

通産省が1930年代から40年代にかけて商工省のちに軍需省として、産業活動の強力な国家統制をおこなったことはよく知られているが、こうした軍国主義時代に確立された国家統制的な産業活動の秩序は、敗戦後も維持された。むしろ軍部が解体されたことにより、通産省(49年5月までは軍需省)は敗戦前よりもさらに独占的な統制権を掌握することとなった。60年代以降の海外からの自由化圧力の高まりにより、国家統制的なメカニズムは徐々に緩和されることとなったが、原子力発電は国家統制事業的性格を濃厚に残したまま今日にいたっている。

戦前統制体制の温存。

ただし地権者・漁業権者の合意さえ得られれば、それ以外の人々--立地地域住民、批判的立場の学識経験者等--がいかに精力的に反対運動を進めても、電力会社の計画とその政府による許認可(原発立地に関する許認可権は中央官庁がほぼ独占している)を見直させることが非常に困難であるというのも、日本の立地過程の特長である。財産権処分問題の解決後における反対運動は、日本では成算がとぼしいのである。

原発建設計画の許認可権は、原子力発電推進の立場をとる中央官庁(つまり通産省や科学技術庁)がほぼ全面的に掌握しており、国会・内閣・裁判所による官僚機構に対するチェック機能が働かず、地方自治体の法的権限も皆無に等しく、国民や住民の意見を政策決定に反映するメカニズムが不在なので、原子力共同体は財産権処分問題がすでに解決済の既設地点において、円滑に増設計画を進めることができたのである。そのため原発立地県のパイオニアである福井県および福島県と、後発組の一つである新潟県に原発が集中し、三県で合計30基もの商業用原発が、集中立地される結果となったのである。(2000年末現在)(第四章 テイクオフと諸問題噴出の時代)

原発フロンティア時代ね。

1986年4月26日にソ連(現在ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた核暴走・メルトダウン事故は、史上最悪の原発事故となった。
巨大な爆発によって炉心は粉々に破壊され、原子炉建屋には大穴があいた。追加の爆発が、さらに1,2回起こった。原子炉の内部では火災が起き、炉心のメルトダウンが進んだ。そして建屋の大穴から「放射性火山」のように、放射能が大量に漏洩し続ける最悪の事態となったのである。
チェルノブイリ事故は日本にも大きな影響をおよぼし、一般市民を幅広く巻き込んだ脱原発世論を高揚させたが、日本政府の原子力政策への影響は小さかった。
スリーマイル島原発事故のときと同じように、日本の原子力開発の関係者たちは、「このような事故は日本では起こりえない」という趣旨の議論をおこなった。

「対岸の火事」とみたわけだ。

脱原発世論の高揚の火に油を注いだのが、ノンフィクション作家の広瀬隆の活躍であった。広瀬は『東京に原発を! 新宿一号炉建設計画』(JICC出版局、1981年)を皮切りに、1980年代より精力的な原子力批判を展開するようになり、チェルノブイリ事故一周年の87年4月26日に『危険な話--チェルノブイリと日本の運命』(八月書館)を発表し、たちまち数十万人の読者を獲得した。--それから20年あまりがすぎた現時点から評価すると、広瀬隆の『危険な話』は先見の明にあふれた作品だったことが分かる。広瀬の最も基本的な主張は、チェルノブイリ事故とその影響に関するソ連政府の報告が基本的にフィクションであり、できるだけ事故の被害を小さくみせるための情報操作が加えられており、それは世界の原子力発電の拡大をめざす国際原子力機関IAEAとの合作であるというものであった。この主張は前述のベルベオーグの主張と同趣旨のものであるが、現在までに基本的に反証されていないと考えられる。(第五章 安定成長と民営化の時代)

これは最大限の褒め言葉なんだろうな。広瀬の「東京に原発を」はタイトルからして秀逸だったもんなあ。でも、「危険な話」は読まなかった。

1995年12月8日夜、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖炉原型炉もんじゅで、二次冷却系からのナトリウム漏洩が起きた。漏洩したナトリウムは空気中の水分や酸素と反応して激しく燃焼し、空気ダクトや鉄製の足場を溶かし、床面に張られた鋼鉄製ライナー上に落下してナトリウム酸化物からなる堆積物を作った。
もんじゅ事故とその事故情報秘匿・捏造事件は、高速増殖炉開発計画にさらなる打撃を与えた。この事故は高速増殖炉そのものの危険性をあらためて立証するとともに、日本の高速増殖炉技術の粗末さを、印象的な形で立証したのである。
こうした安全性に対する信頼感の喪失により、高速増殖炉開発計画はさらに厳しい立場におかれることとなった。しかも前述のように、高速増殖炉は核燃料サイクル全体の大黒柱であり、それを欠いたのでは、核燃料サイクル事業の大部分について、それを推進する意味がなくなる。その意味でもんじゅ事故は、単に高速増殖炉開発のみならず、核燃料サイクル事業全体に対する打撃となったのである。それは科学技術庁グループ、とくにその研究開発業務の中核に君臨してきた動燃の将来に、暗雲を投げかけた。

こんなものに菩薩の名前つけるのは「罰当たり」である。

96年8月4日に行なわれた新潟県巻町の住民投票は全国的な関心を集め、その是非をめぐり全国的な議論がおこなわれた。そこで中心的な争点となったのは、代議制と直接民主制の間の関係をどう調整するかという点と、「国策」と住民の意思の対立をどう調整するかという点の二つであった。原子力発電の推進論者は概して、代議制と「国策」の優位を力説し、批判論者は概して、住民の意思にもどつく直接民主制の権利の行使の正当性を説いた。
また論者のなかには(筆者自身を含め)、「国策」とは何かという基本的な疑問を呈する者もいた。一電力会社の一原子力発電所の建設計画を、政府が国策として指定し、電力会社と一体となってその推進に固執するのが、はたして正当な行為なのかどうかというのが、彼らの呈した疑問であった。より具体的にいえば、科学技術庁や通産省資源エネルギー庁が、多額の予算と多くのマンパワーを注ぎ込んで宣伝活動を展開したことが、はたして正当な行為なのか、また投票結果が判明してから通産大臣、通産省資源エネルギー庁長官、科学技術庁長官(原子力委員会委員長)ら政府首脳が一斉に、巻原発計画への住民の「理解」を求める談話を発表したことが、はたして正当な行為なのか、ということが疑問に付されたのである。

「理解」(賛成をあらわす日本独自の行政用語)(^_^;) 日本での原発反対運動の難しさと、それでもやり続けるパワーそして運動の中で正論吐いてた筆者。そういう人ならではの本書の筆致だね。

日本政府は、石炭火力発電の高精度成長を黙認しつつ、原子力発電を地球温暖化対策として奨励するという、ちぐはぐな姿勢をとった。また日本政府は炭素税やキャップ・アンド・トレード方式の排出量取引制度の導入もせず、さらに再生可能エネルギーの普及促進にも不熱心であった。(第六章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代 (一)世紀末の曲がり角)


「ちぐはぐ」という言葉にも吉岡の思いがこめられているようだ。

(プルサーマルの抱えるさまざまな難点)にもかかわらず日本政府はプルサーマル実施を急いだ。その目的は、核燃料再処理によって抽出されるプルトニウムの消費にあった。とくに1990年代以降は、余剰プルトニウムを出さないという国際公約のもとで、日本はプルトニウム利用計画を国際社会へ向けて公表することとなり、具体的な利用計画なくして再処理事業を進めることは不可能となっている。つまり六ヶ所再処理工場を稼働させる口実をつくり出すことがプルサーマルの目的なのである。

プルサーマル=口実。

東京電力に自主点検を委託されていたゼネラル・エレクトリック・インターナショナルGEII社の元社員が、自主点検記録に虚偽記載が含まれている件について、原子力安全・保安院に対して内部申告をおこなったのは、2000年7月であるが、それに関する原子力安全・保安院の調査は遅れ、発表は2年あまり後にずれ込んだのであるしかも調査の過程で内部申告者の氏名を東京電力に通報するという決定的なあやまちを犯した。

これも「氷山の一核」だったのではなかろうか。それにしてもひどい話である。

福島県の原子力問題に対する取り組み、そのリーダーとして活躍したのは福島県知事を1988年から2006年まで5期18年にわたり務めた佐藤栄佐久である。
内閣府原子力委員会は2004年6月に新計画策定会議を設置して長期計画の改定に乗り出した。その答申は2005年10月に「原子力政策大綱」として閣議決定されることとなる。佐藤知事は新計画策定会議の委員とはならなかったが、招聘人として原子力政策に批判的な意見を述べた。さらに2005年9月4日に国際シンポジウム「核燃料サイクルを考える」を東京大手町で主催した。国内外10名の専門家が集まり活発な論争を展開した。このような国際シンポジウムは本来は政府が主催し、賛否の議論をつくすべきなのに何もしないことに業をにやして、佐藤知事が核燃料サイクル国際評価パネル(吉岡斉座長、飯田哲也事務局長)の進言を受けて主催したのである。
しかし政府の原子力政策に対する福島県の反乱は、東京検察局特捜部による汚職事件捜査により2006年に終息することとなった。2006年9月25日に実弟の佐藤祐二が逮捕され、この事件に対する実兄としての責任をとって二日後の9月27日に知事は辞職を決断し、それが28日に県議会で承認された。こうして五期18年にわたる佐藤の知事活動は終わった。それから一ヶ月もたたない10月23日、佐藤栄佐久自身も収賄罪の疑いで逮捕され、のちに起訴された。その後のさいばんについては佐藤栄佐久『知事抹殺--つくられた福島汚職事件』(平凡社2009年)、佐藤栄佐久『福島原発の真実』(平凡社新書、2011年)などを参照されたい。


佐藤栄佐久知事のことはいろいろ聞き及んでいたのだが、その名前のせい(すまんm(__)m)で避けていたのだが、これは読まずばなるまい。

電力自由化反対論者の巻き返しの一つの主要な動機として、六ヶ所再処理工場問題があったと考えられる。もともと電力自由化推進と原子力発電推進とは、両立させることが困難である。原子力発電が本質的に、経済合理性を満たす事業ではないことが、その理由である。しかし原子力事業の中でもとりわけ核燃料サイクル事業、わけても核燃料再処理は、真っ先にリストラの対象とすべき事業である。

無理が通れば道理が引っ込む、ってか(^_^;)

1995年の高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩火災事故、1997年の動燃東海再処理工場火災爆発事故、1999年のJCOウラン加工工場臨界事故、2002年の東京電力等原子炉損傷隠蔽事件、2004年の関西電力美浜3号機配管破断事故、2007年の北陸電力・東京電力臨界事故隠蔽事件…………

ふうーーっ。

もんじゅ改造工事は2007年5月に終了した。その後、機器の故障・トラブル、MOX燃料の劣化などにより運転再開は4回も延期された。しかしついにもんじゅは2010年5月6日、停止後から14年ぶり運転再開し、5月8日に臨界に達した。だが運転中には種々のトラブルが続出した。
ついに8月26日、核燃料交換時に用いる重さ3.3tの炉内中継装置をクレーンで吊り上げたときに事故が起こった。炉内中継装置が原子炉容器の底部めがけて落下したのである。--炉内中継装置は2011年6月24日に無事回収されたが、回収後も原子炉容器底部の損傷の検査が必要である。(第七章 事故・事件の続発と開発利用低迷の時代 (二)原子力立国への苦闘)

「拙速」という言葉があるが、もんじゅの場合は「遅拙」という言葉が相応しい。

放射能汚染水問題はその後も長く尾を引くことになった。東京電力は4月4日から、その収容先の確保のために低レベル汚染水1万1500tを事前通知なしに海に放出し、国際的非難を浴びた。建屋底部に貯まった汚染水を吸着物質を入れたタンクを通過させて浄化し、再び炉心に注入する汚染水循環システムを構築する作業が4月から始まり、6月から稼働を開始した。しかしそれは放射能汚染水の増加を抑え放射線レベルを下げるための応急措置にすぎない。
福島原発事故の収束・復旧と損害賠償に要する費用は数十兆円に達するとみられ、復旧までに要する歳月としては数十年が見込まれる。--東京電力を会社精算し試算を売却しても10兆円程度しか回収できない。株式、社債、融資については金融会社に債権放棄してもらうのは当然だが、正味の資産をすべて一般公開入札で売却しても、損害賠償および事故処理・復旧のための費用のごく一部しか返済できない。残りの大半は政府が数十年にわたり返済していくしかないので、巨額の国民負担が発生するのは避けられない。単に原子炉施設の解体・撤去をおこなうだけでなく、周辺地域の汚染した表土の回収・処分を徹底的におこなうならば、数百兆円をひつようとするかもしれない。その重荷が日本の財政破綻をもたらすおそれもある。それが回避されても大幅増税による国民負担増とそれによる一層の景気低迷はさけがたい。

これが2011年10月、事故から半年時点での吉岡の観点だが、それから3年たった今、事態は変にぶれていないか??

日本の原子力発電はさまざまの安全上の弱点を抱えていた。日本の原発は世界一安全だという安全神話は根拠がなかったことは今や明らかであり、むしろその逆であった。

危機発生予防対策の不備については、以下の五項目が 重要と考えられる。
1.地震・津波大国に原子力発電所を建設したこと
2.1カ所に多数の原子炉を建設したこと
3.地震動・津波の想定が甘かったこと
4.圧力容器・格納容器破壊を想定しなかったこと
5.全電源喪失を想定しなかったこと

危機管理措置の失敗
1.政府主義の指揮系統の機能障害
2.東京電力の実力の範囲内での事故対応
3.圧力容器・格納容器破壊のあとの対策を考えなかったこと
4.住民被曝対策の機能障害
5.有効な防災計画がなかったこと

それらの背景にあるのが「原子力安全神話」に他ならない。この神話はもともと立地地域住民の同意を獲得すると同時に、政府による立地審査をパスするために作り出された方便にすぎなかった。しかしひとたび立地審査をパスすれば、電力会社はそれ以上の安全対策を余分のコストを費やして講ずる必要はない。こうして「原子力安全神話」が制度的に、原子力安全対策の上限を定めるものとして機能するようになった。いわば電力会社が自縄自縛状態におちいったようなものである。もし立地審査をパスした原子炉施設の安全性に不備があるというメッセージを社会に対して発信するため、それはタブーとなるのである。福島第1原発では負のイメージ形成を避けるという本末転倒の理由で、安全対策強化が見送られた可能性がある。
もちろん電力会社のみならずすべての原子力関係者にとって、「原子力安全神話」を否定するような想定を公表することはタブーとなる。こうしてすべての原子力関係者が「原子力安全神話」による自縄自縛状態におちいったのである。それが今回の福島原発事故により露呈したと考えられる。そしてそれが原子力災害時の機能障害と相まって、福島原発事故をここまで深刻なものにしてしまったと考えられる。(第八章 福島原発事故の衝撃)

(本書の原型は)1999年4月25日に朝日選書として出版された『原子力の社会史--その日本的展開』である。この本はありがたいことに1999年度のエネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞した。原子力に対する賛否の立場の違いをこえて、大枠的に賛成の立場をとる方々が選考委員となっておられる賞をいただけたことは、原子力に大枠的に反対の立場をとる筆者の議論の普遍性をみとめられたことを意味するので、かくべつの喜びであった。しかし、この作品の売れ行きはふるわず、重判が出ないまま10年あまりが経過した。
しかし、2011年3月11日の福島原発事故によって状況は一気に変わった。--前著で書けなかった1999年から2011年までの10年あまりの原子力開発利用の「現在史」について大幅に加筆した新版を急遽出版することになった。(あとがき)

20世紀末に日本の原発の社会史、その問題点をこれだけきっちり摘出した著作が出ていたことは、高く評価すべきである。新版の急遽出版を「「慶ぶべきこと」とは、とても言えない(^_^;)が、3・11を踏まえた本書は、Morris.にはとても貴重な読書体験となった。

2014/10/24(金)●セロリとモズク●
7時起床。
今朝の血圧は191/103/66。
今日も良い天気だが、昨日の登山(^_^;)で、ちょっと足が痛む(>_<)
午前中は部屋でごろごろして、昼から自転車で三宮方面に。
富士商会で、インク買おうとしたのだが、使ってる色(ライト・ブルー)品切れだった。
三宮図書館で、しばらく時間つぶして、帰りは大安亭で買い物して5時帰宅。
以前はあまり食べなかったセロリとモズクをこの頃良く食べるようになった。セロリはサラダに入れたり、スティックに切って、ドレッシング付けて齧る。モズクはカップに入った三杯酢で味付けしたものをそのまま食べる。
夜は、You Tubeで過去の歌謡舞台を何本も見る。以前と比べて番組全部を一本にした動画のアップが増加しているようだ。
今日の歩数は2323歩。

日暮通りの猫場 

アメショー風 

全雉 

【災後論】天野恵一★★★☆☆ 2014/03/11 インパクト出版会。
「核(原爆・原発)責任論へ」の副題がある。3・11直後から3年にわたりあちこちに発表した、直截的発言をまとめたもので、当然重複も多いし、まえがきにあるように「殴り書き」(^_^;)みたいなもの(ほとんどアジビラ(^_^;)も多いが、それがかえって新鮮に思えたりもした。著者は1978年生れで、「反天連(反天皇制運動連絡会)」書記長を勤めているとのこと。
共感覚える意見の引用がやたら多いし、その引用と本文が入り組んでたりするので、再引用するのがややこしかったりもした。

<災後>の時間は、自民党政権よりマシの期待を大いなる幻滅に転じた民主党政権の終焉をすぐもたらし、スッキリとした天皇主義者安倍晋三自民党政権のカムバックをも、もたらした。この<壊憲>政権はアメリカ帝国の政治的軍事的コントロールに自発的に従属しながら、本格的戦争国家日本づくりへ向けて暴走しだした。支離滅裂なウルトラ・ナショナリスト(アメリカのポチである<純粋日本主義>)は、アメリカじかけの戦後象徴天皇国家の奇妙な姿を白日の下にさらしだしている。今、私は<災後>の体験を通して、<もう一つの戦後史>をやっと手にしだしているようだ。
本書は、その進行中のパラダイム・チェンジのプロセスの、運動の渦中での殴り書きのレポートである。(まえがき)


この部分は、表紙に小さな文字で印刷されてあり、Morris.が本書を読んでみようという気になったのだから、ナイスな惹句だったわけだ(^_^;) 少なくとも上記引用部分には全面的に賛成である。

「東日本大震災でも、マス・メディアは、がれきの撤去作業や、行方不明者の捜索、遺体の収容などを行なう自衛隊員の姿、被災者が自衛隊に感謝する声を繰り返し伝える。『危機管理』には自衛隊を活用すべきである、という声がメディアでも当たり前のようになっている。私にも武器を携えて海外に行くくらいなら、災害支援をしていた方がましだ、という気持ちがある。こうした流れに対して、もういちど『軍隊は人道支援や災害支援をする組織ではなく、軍事組織である』という原則を打ち出す必要がある。いま私たちが直面する『危機』に対応する組織は自衛隊ではない。そのことをはっきりさせた上で、被災者が抱える多様な困難にきめこまかく対応できる専門性を持った新しい災害救助隊について、今こそまじめに論議する必要がある。民主主義という原則がない軍隊に『人道支援』『災害救援』をまかせ続けてはいけないんだ」(越田清和2011/06)

災害救助(人命救助)は大切であり、そのための組織を拡大・強化することは重要な課題である。しかし、それはほんとうのところ、軍隊が担えるものではなく、軍隊に担わせてはいけないものなのである。軍隊が市民社会の内側に浸透してくることは、軍隊の『民主化』などを意味しない。社会の軍事化という怖ろしい事態の進展を、そんなふうに取りちがえることは、派兵国家・社会を本格的につくりだそうとしている支配者の野望にまきこまれてしまうことにしかならない。

「今回の阪神大震災であきらかになったのは、兵庫県も神戸市もその他の都市も、自前の救助の間が制度』をほとんどつくりだしていなかったことだ。」(小田実『被災の思想 難死の思想』(朝日新聞社 1996)

小田は日本の戦後憲法の「平和主義」の理念を実現していくためには「殺すな」の原理にたった「非軍事的救助体制の形成」こそが必要だったはずだと、ここで力説している。小田は、ここで平和憲法の原点をふまえ、自衛隊に頼らない、「市民の火軍事の防災体制」をつくりだすことをよびかけている。それこそが彼の「被災の思想」であったのだ。


神戸地震の時、Morris.も全壊被災者だったから、自衛隊の救助活動には感謝すること大きかった。特に隣の小学校に移動式風呂を開いてくれた時には、思わず手を合わせそうになった(^_^;)くらいである。しかし、それはそれとして、やはり上記の視点を忘れてはならない。
最近の、広島土砂災害と御嶽山噴火事故での自衛隊活動はしつこくマスコミに取り上げられ、一種の情宣活動に見えてしまった。特に後者では、報道での写真も自衛隊提供という形で、完全に操作されたものとなっていた。
小田実は「何でもみてやろう」くらいしか読まずにいたが、この「被災の思想」は読むべきかもしれない。

「『無責任の体系』は1945年で終わることはなかったとだけはいえる。『無責任の体系』の議論そのものが、もう一つの『無責任の体系』の始まりを告げる序曲となってしまったのである。戦後の日本国民共同体は、戦争や植民地支配の責任について、一人として戦犯を摘出し、審議し、処刑することができなかったのである。戦後の国民共同体が、その『仲よし』の和を重視するあまり、植民地暴力や戦争中の残虐行為の責任者を摘出し、処罰する能力をついに獲得できなかったし、責任者を誤魔化すことから戦後社会は始まってしまったのである。
いま知識人が直面している課題は、挙国一致ないかカウの組閣に協賛したり国民の団結を奨励するために死者の霊を弔うことなどではない。このような惨事を生み出した制度的な条件を洗い出し、誰がどの段階でどのような発言をし、どのような決定を行なったか、その発言はどのような論拠があり、その論拠は妥当であったかを、一歩一歩調べ上げることであろう。」(酒井直樹「『無責任の体系』三たび」2011)

「事故のプロセスもよく分かっていないのに再稼働を急ぐことは、敗戦国が敗戦の原因を明らかにできないまま、戦争ができる国づくりを急ぐことと同じである。」(千本秀樹)
象徴天皇制国家の戦後責任(侵略・植民地支配の歴史的責任を問わなかったことの<責任>としてのそれ)を問い続けてきた私たちは、さらに連続されていくであろう再稼働反対の<脱(反)原発>運動の中で、戦争責任をふまえて<原発責任>を具体的に問い続ける作業をこそ持続していかなければなるまい。


3・11の、地震・津波被害は天災だが、原発震災は明らかに人災であり、この責任を誰も取ってないということは、絶対許されることではない。
何はともあれ「東電」「保安院」「経産省」の三悪の洗い出しからはじめなければならないのに、3年足らずのうちに、再稼働だの、安全宣言だの、原発輸出だのと、責任取るどころか、正反対方向へ向かっている。

敗戦・占領の時間ヒロヒト天皇の権威の上にのったマッカーサーは、天皇制の延命を願った日本の支配者たちの希望をくみこみ、象徴天皇制というスタイルの変換によってそれを延命させた。(戦争責任はいっさい問わず)。天皇制は、沖縄売り渡しの「天皇メッセージ」(これこそが現在の米軍基地にあえぐ沖縄をつくりだす起源にあるものだ)で、これに答えた。かくのごとく、戦後の象徴天皇制国家は、アメリカじかけでつくりだされてきた。日米安保体制という軍事同盟を戦後国家の「国体」としてつくりだすために、吉田政権下でヒロヒト天皇自身が「裏」で暗躍したことは、この間、多くの人びとが根拠をもって指摘している、公然たる事実である。

これは先日読んだ「女たちの<銃後> 増補新板」(加納実紀代)で、しっかり勉強させてもらった。みごとに「してやられた」んだよな(>_<)
戦後の失策を、災後にも繰り返しているのではないかというのが筆者の焦りにつながってるのかも知れない。

「放射能対策といえば『除染』しか無いかのごとく千億、百億円単位のお金がどぶに水を捨てるように注ぎこまれている。その効果は最初から疑問視されており、一時的、部分的効果はあっても元の木阿弥になるのが普通である。その時の汚水は河川や工場に流され、汚泥などは集積場が未定なので、その家の敷地の片隅のブルーシートで覆われて放置されている。この作業の手抜きぶりが年明け早々、
発覚し、その多くはゼネコンビジネスであることも判明した。」(佐々木慶子「あれからもう2年、福島の今」)


「除染」にはMorris.も疑問のぬぐいきれずにいる。除染が被曝を生むという、本末転倒の噂もあちこちで聞くし、行政の「アリバイ作り」でしかないのかな。

「昭和の妖怪」と呼ばれた「革新官僚」(ファシスト)政治家岸信介の孫の右翼天皇(国家)主義政治家安倍晋三は、一度、平和憲法破壊を公言して首相となり、あえなく挫折したが、一度首相として死んだ後、文字通り「平成の妖怪」としてカムバックしてきてしまったのである。
かつての侵略戦争と植民地支配の政治的リーダーの象徴的人物(満州帝国のエリート官僚であり東条内閣の大臣であった)岸信介は「A級戦犯」容疑で巣鴨プリズンにほうりこまれながら、なんと戦後に首相に返り咲いた。この事実は、最高の責任者天皇ヒロヒトの天皇としての延命の結果である象徴天皇制の継続とともに、日本が<最高の無責任国家>である事実を、それこそ象徴している。

著者の立場からすれば、「象徴している」で済ましてはいかんだろう(^_^;)

第二次安倍内閣官房参与飯島勲の名前を眼にして、私は「やっぱりな」の思いを強くした。この男は、小泉首相の「劇場政治」ポピュリズム政治の演出家として、名をはせた人物である。マス・メディアをフル活用した人気とりのための、ことこまかい演出。
小さなパーティに突然参加して、持歌を一曲歌ってみせる安倍、農業の現地視察で耕耘機に乗って、農民スタイルで、機械を動かしながら、親指だけを突き立ててにぎりこぶしを前に付きだして、にこやかにポーズを取ってみせる安倍。小泉「劇場」でおめにかかった風景が、連日、テレビを中心のマスメディアに、にぎやかにまたつくり出されているのだ。


この男の名前は覚えておかねば。ナチスの宣伝相ゲッペルスみたいな役割なのだろうか。
しかし耕耘機上での安倍のポーズって、Morris.の「身土不二」のポーズそのままぢゃ(>_<)
これはやめて欲しいぞ。

それにしても「主権を売り渡す」ことで成立した安倍らの天皇主義ナショナリズムは、あまりにハチャメチャである。だいたい、サンフランシスコ「講和」は大東亜戦争肯定論者である安倍らが否定してやまない「東京裁判」の判決を前提にして、安倍らが「決別」すべきとする「戦後レジーム」をつくりだしたものであるはずだ。日米安保を「国体」とする、米軍絶対の「売国」ナショナリズムという、自己矛盾が、こういう分裂的な論理を生み出しているのだ。公然たる論理の自己矛盾など、いっさい気にかけずに「天皇陛下万歳」と叫び「強い日本」などというムード的スローガンに自己陶酔しているだけなのだから、あきれる。

ちょっとヤケクソ気味な文章だね(^_^;) もうちょっと文章としても、論としても整理が必要だと思う。いいたいことはよくわかるんだけどね。

野田政権も、交代した自民党安倍晋三政権もふれずにきたが、メルトダウン事故の本当の「収束」は、何十年(あるいは百年)はかかるとされている。まだ実現したことのない「廃炉」を実現するまではありえないことなのだ。だとすれば「収束」のために必要なのは再稼働のための「規制委」などではなく、「廃炉」のための委員会だったはずである。

廃棄物、廃炉問題を棚送り(目隠し)したことこそ、原発行政のごまかしと没義道のキモであることははっきりしてる。3・11以降、このことは大多数が周知の事実のはずなのに…………

もう一点、忘れてはいけないことがある。この人為大事故の「犯罪現場」を管理しているのは犯人であることはまちがいない、「東電」なのである。そして調査はその犯人が提出するデータに基づいていろいろなされているだけなのだ。だから、国会事故調メンバーに「真っ暗闇」で視えないとの嘘をついて、地震で炉自体が破壊されていたであろう事実を隠蔽するような事が絶えないのだ(そうだとすれば、「基準」の前提<津波で壊れた>が崩壊し、ペテンの論理そのものが、なりたたなくなってしまうからだ)。

この茶番をひっくり返す、特効薬はないものか。

「東京オリンピック」誘致のため安部首相は国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京電力福島第一原発の放射能汚染について「状況はコントロールされている」0.3平方キロメートル範囲で完全にブロックされている」と断言してみせたのである。これは口をすべらせた政治的デマという、よくある水準のデマとはちがう。確信を持って大嘘を吹く、といった、文字通りのデマゴーグの言葉であった。
安倍の野望は実現し、「東京オリンピック」決定とともに、マスコミ報道は大歓迎一色に染あげらた。
マスコミは、放射能汚染水ではなく安倍政権によって完全にコントロールされてしまっていると考えるしかない事態が一瞬にして現出したのである。(許されないデマを首相が国際社会の舞台で、公然と発した事を、どのマス・メディアも正面から批判してみせることは、まったくできなかったのである)、オリンピック報道は戦争(大本営)報道と同じなのだ。このことに安倍のねらいはあったのだ。批判する奴は「非国民」というムードが、暴力(妨害)右葉たちが、私たちに向ける言葉(ムード)が、オリンピックを活用すれば日本社会全体を支配する。ここまで読んだ安倍のオリンピック政治。だから、この東京オリンピック生jは原発再稼働のための政治であり明文「壊憲」をとにかく実現するための政治なのである。

「2020年のオリンピックの東京での開催決定は『東京安全宣言』の先取りである。いまの段階で東京が放射能被害を免れていることを世界が認めるということは、どれほどの原発事故が起きてもたいしたことではないという世界的な原発推進清六のイデオロギーの肯定である。しかしなによりもこの決定は、日本社会の今後のあり方にとてつもない混乱状態を引き起こす可能性がある。まずひとつは、これからオリンピック開催年までの7年間に、現在政府とマスコミを中心にした情報操作で押さえ込んでいる放射能汚染による"健康被害"(とくに内部被曝)がどれくらい拡大・浸透し、騙したり隠しきれなくなるかという問題がある。」(杉村昌昭 2013/11)

9月20日の『東京新聞』には池内了の、2020年の東京五輪は「ナチスが演出して世界大戦の前夜となった1936年のベルリン・オリンピックと二重写しになる」と論じている。オリンピックの歴史を学ぶ学者なら、池内くらいの感性を持ち合わせていなければおかしいであろう。平和憲法の全面破壊にフル・スピードに暴走している安倍政権の政治的招致のこの現実を前にしたらそれが「文化」の最低限の水準ではないのか。


2020東京オリンピックはその招致の安倍トンデモ発言から、「国策」のレールに乗せられてしまった。
オリンピックに反対、あるいは批判的意見をいうと非国民扱いされるということになるのだろう。
マスコミも建設業者も観光業者もスポーツ団体も誰も彼もが、オリンピックという甘い蜜に群がって、政府は「オールジャパン」という大政翼賛国家作りのスプリングボードにしようとしている。

「小松一郎内閣法制局長官が憲法解釈の変更事例を明示したのは、安倍晋三政権が目指す集団的自衛権の行使容認に向け、大きな意味合いを持つ。憲法解釈を変更してはならないという誤った風潮が根強くはびこる中、過去に変更した事例を示したことで、国内外の社会情勢に応じた解釈変更の妥当性を強調し、行使実現に布石を打ったからだ。
内閣法制次長が長官に昇格してきた従来の慣例を破り、小松氏を起用したのは首相で、腹合わせをした上での発言と見るのが妥当だ」(産経新聞 2013/11/02)
首相の個人的な見解(主張)で、勝手に憲法解釈の大変更が許されたとしたら、法治国家ではなくなってしまう。「許されない」のはあたりまえ。しかし安倍晋三首相は、独善的な「人事」(トップを自分の都合のいい人物にすげ替える)を実行し、その人物と「腹合わせ」して、解釈の大変更を正当化して見せようと動き出しているのである。


就任当時のトンデモ発言で世間を騒がした籾井勝人NHK会長の人事が、同じようなケースだったのだろう。最近あまり表には顔を出さなくなったが、その分、NHKが安倍自民の応援放送局色を強めているのは、自明である。
「憲法改変(著者によれば「壊憲」)」より解釈変更への路線変更も、安倍本人よりブレーンの考えなのだろうと思うが、これだと国会でなく内閣でどんどん進行していくのがかなわん。

『東京新聞』2013年11月1日の「こちら特報部」の記事である。それは、安倍たちは「安全保障にかかわる情報の秘匿」という点に力点を置いてこの法案(秘密保護法安)を押し出したが、この分野については、かなり法的な措置が施されていることを考えれば、と前置きし、以下のように主張している。
「立法の本当の狙いは、特定有害活動とテロリズムの防止という残る二分野にありそうだ。これを担当するのは警察だ。法案を作成したのは内閣官房内閣情報調査室(内調)だ」。この「内調」は、前身は戦前(中)の特別高等警察(特高)であった。「公安(警備)警察」である、と論じた後、「特定有害活動」も「テロリズム」も、まともに定義されていない、どんな相手にも便利に貼り付けられるレッテル以外のものではないという事実を踏まえ、すでに非合法な捜査を繰り返している、この「公安」の活動は、「秘密のベールにつつまれて、この法律によって正当化されていくことになるだろう」と語るこの記事の結びは、以下の元警察官の声である。
「この法案が通れば、公安警察は野放しになる。気が付けば『特高の復活』という事態になりはしないか」。
「治安維持法」の現存的復活。私たちの活動は、もっぱら軍事問題に引き寄せて、これを問題にし続けてきたため、治安弾圧立法というグロテスクな性格について鋭く問題にする作業が少なすぎた。


新聞記事の引用と、自分の意見のパッチワークで、読みにくいことこの上ないが、秘密保護法=治安維持法ということは、Morris.にも前からわかってた。しかし、昨年末に交付され、12月10日の施行まで秒読み段階である。
あれやこれやと、多くの問題提起がなされ、共感したり、教えられたりするところ多かったが、大勢としては、悲観的にならざるを得ない(>_<)
責任者「出てこない」のである。

2014/10/23(木)●観音山鷲林寺●
6時起床。
今朝の血圧は189/94/68。
11時に部屋を出て、阪神西宮へ。阪神バスで鷲林寺下車。先日、関学から甲山方面を散策した時、近くにこの鷲林寺があることを知り、一度訪ねてみたいと思ったのだ。
バス停から寺まで15分くらいかかった。寺自体はそれほどのことはなかったが、その裏山、観音山に登って行った。
実は、今日は先日登れなかった甲山に登るつもりだった。でもせっかく鷲林寺まで来たのだからそちらの裏山のほうが近いし、高い(標高526m)から、こちらにしようと思ったのだ。寺の裏から登山道路があって、途中結構険しかったりもする(Morris.にはね(^_^;))それでも小一時間で、小さな岩場の山頂に到達。東側にの目下に甲山と北山貯水池、その向こうには大阪平野が一望でき、生駒山の手前に、阿倍野ハルカスを霞みの中に認めることが出来た。バス停が標高200mくらいだから、実質登ったのは300mくらいだと思う。Morris.には手頃な高さである。これからも、このくらいの高さの山を物色して登ってみよう。
一服しようと岩に腰掛けたら、猫の声がする(@_@)。 岩陰から長毛種の茶色の猫が現れた。人懐こい、というかものおじしない。たぶん登山客から餌をもらってるのだろう。あいにくMorris.は全く食料品持ってなかった(>_<)
でも、まさか低山とは言え山頂でMorris.@Catographerモードになるとは思わなかった。
しばらく、ミニギター(^_^;)。3時過ぎに同じ道を下って鷲林寺から甲山方面に歩く。Morris.は「山登り」は得意ではないが、平坦な道や下り坂なら、問題なし。途中鉄柵に緑色の美しい蛾を見つけた。繧繝とでもいうのだろうか、尋常でない色模様ある。あとでネットで調べたが名前は分らなかった。
北山貯水池から森林公園、神呪寺を通りすぎて、先日と同じく、大師道から阪急甲陽園駅まで歩き、6時過ぎ王子公園着。
マルハチで買い物して6時半帰宅。
今日の歩数は17098歩。

鷲林寺村の紫苑 

魅惑的な種子 

十三塔 

鷲林寺多宝塔 

茸 

神呪寺山頂から甲山方面 

526m 

山頂の猫 #1」 

#2 

#3 

#4 

#5 

山頂でミニギター 

案山子 

美しい緑の蛾 

北山貯水池 

大師道の石仏 

斜面マンション 


2014/10/22(水)●一年一ヶ月ぶり●
6時起床。
今朝の血圧は189/94/68。朝から雨模様。
米大リーグワールドシリーズ第一戦テキサスレインジャーズ-サンフランシスコ・ジャイアンツの中継。見るともなしに見ようとしたが、結局ほとんど見なかった。中継は、レインジャーズの青木に集中してたが、活躍はなく、試合もほとんどジャイアンツのワンサイドだったから、それもあったにしろ、Morrisは大リーグとは無縁の衆生だな。
雨も降ってるし、今日は外出する気無し。
久しぶりにMorris.の韓国歌謡ブログ「ノレ番Morris.8090」を久しぶりに更新することにした。前回の更新が2013年9月21日「KBS歌謡舞台100回記念」番組だった。今日のお題は「ユジナの「コチュ 唐辛子」」。前からこの日記でも書いてたから、知ってる人も多いかもしれないが、例によっての歌詞と邦訳、それ以外はYou Tubeのリンク集みたいなものになってしまった。次に更新するのはまた来年になるのかな?
それはともかく、はてなブログというのは、どうも選択を誤ったみたいだな。これから頻繁に更新するつもりなら、引っ越しを考えるべきだろう。問題は、頻繁に更新しそうにない、ということだ(^_^;)
夕方、雨の止み間にふらっと歩いて春日野道方面へ。勉強堂ひやかして、mandaiで買い物して6時前帰宅。雨は降らなかったが、風もあってえらく寒かった。
今日の歩数は4960歩。

豆科の灌木の莢果 

前紅透螟蛾(マエアカスカシノメイガ) 

JR灘駅 

【ベルカ、吠えないのか?】古川日出男 ★★★☆☆☆
2005年 新潮社。
第二次大戦下から戦後にかけて、選ばれた軍用犬の血の系譜。これは後の「ロックンロール七分作」の原型みたいな作品だった。つまり、Morris.好みということだ(^_^)
世界を舞台に繰り広げられる物語だが、米ソ冷戦時の、代理戦争における、その尖兵となるイヌのリアリズムには驚嘆させられた。
一瞬ほんとうにこんな超犬部隊が存在したのではないかと錯覚させられそうになった。古川の贅力にはいつもながら震撼するしかない。
しかし本書では、宇宙時代幕開けのソ連フルシチョフを狂言回しに使った、宇宙開発草創喜劇が一番面白かった。かなり、省略したり、前後移動しての引用を許してもらいたい。

じつのところ、最初の祖国(ソビエト)の英雄・ライカが誕生したのは、ほぼフルシチョフの功績だった。フルシチョフは「宇宙犬の創造者」だったのだ。もともとフルシチョフは宇宙開発にロマンなど求めず、軍事的にその研究が重要だからとの理由でロケット事業にゴーサインを出していたにすぎない。そして1957年8月21日、複数のロケットを束ねて驚異の推進力を有した、R-7ロケットの打ち上げが成功した。射程距離は7000キロ。愛称はセミョールカといったこれが、ソ連初の大陸間弾道弾だった。わずかひと月半後に打ち上げられた人類最初の人工衛星・スプートニク1号は、このセミョールカが「核弾頭の代わりに人工衛星を搭載して」発射されたものだった。フルシチョフは、だから、科学者たちの夢(たとえば--人類の宇宙進出! 世紀の大冒険! 大いなる科学・技術のロマン!)には当初、ひと欠片も興味なり共感なりを示していない。しかし、である。アメリカに先駆けて人工衛星を飛ばしてみたら、全世界の反響が凄かった。西側の<連中>は震撼していた。共産主義が人類の新時代を開いてしまった事実に。その衝撃(ショック)。
1957年11月の、3日だった。イヌ族の歴史に刻まれた、あの日だ。いわばイヌ紀元ゼロ年、人工衛星のスプートニク2号に乗り組み、気密室にこもった一頭の雌犬が、地球周回軌道からこの地上を見下ろした聖なる事件(エポック)の日。
そして現在(いま)は、1960年8月の、19日だった。
二頭のイヌが宙(そら)にいた。スプートニク5号に乗せられて、この日打ち上げられた。
イヌ紀元3年の事件の主役である二頭は、与圧服を着せられていた。この与圧服を着用して、イヌが「宇宙に出て、戻れる」のならば、人間も可能だ、とみなされた。そのための有犬宇宙飛行だったのだ。
ペルカとストレルカだった。人々は歓迎する。祖国の英雄のイヌ、あの「イヌの中のイヌ」・ライカにつづいた二頭、と。

そしてフルシチョフは夢見ている。つまり<言葉を換えれば>思いついてしまったのだ。祖国(ソビエト)の英雄を両親に持つイヌの部隊を作るのだ、と考えた。いつ何時、冷戦は「熱い戦争」に変わるかわからない。第三世界での代理戦争の類いならば、いまにも起きる。そこに--最前線に--このイヌの部隊を投入するのだ。鍛えあげられた、精鋭(エリート)の、宇宙犬の子孫に率いられたイヌの部隊。おお! とフルシチョフは自分の思いつきに唸った。見事に活躍させたならば、どうなる? われらが共産圏に対しては最高のプロパガンダとなり、西側に対しては、例のスプートニクの衝撃と屈辱を併せた効果を発揮する。することになる! なにしろ「ソ連の領土を宇宙にひろげたイヌの子孫」という稀有の肩書を持った「畜生」が、戦線で、資本主義の雑兵を蹴散らかすのだから。わははははは。


Morris.にとって「1957年」という年(Morris.は8歳だった)は、西暦紀元を初めて意識した年だった。それは明らかにスプートニクによってもたらされたものである。そして、それは、大陸間弾道ミサイルの変奏だったのか(>_<)。先般の北朝鮮の人工衛星打ち上げ名目の弾道ミサイルは、これの遅すぎるエピゴーネンだったということになる。スプートニク直後のライカ犬が、こうやって日本の異色小説に結実したことを思うと、やはりスプートニクショックは大したものだったんだ。

アメリカが地上軍をその場所に派遣したのは、1965年3月8日。そしてベトナム戦争は1975年までつづいた。
ソ連がその場所に--国境を超えて--地上軍を送りこんだのは、1979年12月25日。そしてアフガン戦争は1989年までつづいた。
ベトナム戦争とアフガン戦争。アメリカとソ連のそれぞれの「泥沼」。どちらも冷戦構造の産物で、どちらも"直接介入"から10年つづいた。相似形だったよ。イヌよ、イヌよ、お前たちはこの二つの「泥沼」に翻弄される。そしてお前たちは、お前たちの系統樹は、アメリカとソ連だけに影響をこうむるわけではない。剪定を受け、接がれ、運命を繁らせられるわけではない。
そこには中国がいる。第三のプレイヤーとして、共産中国(レッド・チャイナ)がいる。


こうやって、冷戦時代の米ソにからむ中国の台頭を、イヌたちに投影して物語は紡いでいく。うーーん、やっぱり古川の戦略はすごい。それを支える筆力もね。


2014/10/21(火)●菊正宗資料館●
6時起床。
今朝の血圧は175/101/85。
朝の3点セット。
ベランダから南東の空見たら、キノコ雲みたいなのが浮かんでる。神鋼のTwin煙突の煙かと思ったが、そうでもなさそうだ。
秋雨前線の影響で今週は天気ぐずつくとのことだが、今日は何とか持ちそうだったので、自転車で六甲道方面へ。
灘図書館に寄って、2号線を西に。御影公会堂過ぎて、住吉神社ひやかしてたら、滋賀から来たという婆さん3人連れに「太鼓橋はどこにあるんでしょう?」と尋ねられた。いや、ここには池も橋もないぞと、iPhoneで調べたら、大阪の住吉大社のことだったらしい(^_^;)
それはともかく、境内にまた雰囲気のある錆雉猫がいたので、しばらくMorris.@Catographerモード。
そのあと、久しぶりに東灘図書館冷やかす。新しくて、綺麗で、二階は多機能スペースになってるが、蔵書はMorris.が知ってる神戸の市立図書館の中では一番貧弱かもしれない。何とか1冊だけ選んで、自動貸出機で手続きして外に出たら、図書館員が追いかけてくる。自動ドア出るときブザーが鳴ったらしい(>_<) 無断持ち出しはしてないつもりだったのだが、さっき灘図書館で借りた図書が引っかかったらしい。Morris.みたいに図書館はしごする人間はそうそういないのだろう(^_^;)
自転車で住吉川沿いに降りて行ったら、菊正宗酒造があった。久しぶりに資料館を覗いてみる。ずっと以前、酒蔵めぐりイベントで、春待ち仲間と何度か訪れたことがある。都賀川河畔の白鶴資料館は、最近も覗いたし、中身はたいしてかわりはしないのだが、それはそれとして、こういったテーマ博物館には目のないMorris.である。
ちょうどキャンペーン期間らしく、バスで団体もやってきて、そちらは、係員が引率していろいろ説明してくれてたので、ついでに聞かせてもらう。
すぐ近くが六甲ライナー魚崎駅で、釣りやってる家族連れもいた。結構釣れてるようだった。
御影のニトリで、枕カバーとヤカン買う。お気に入りだった琺瑯のポット空焚きして、買わねばと思いながら今日まで、お湯はミルクパンで沸かしてた。次も琺瑯のポット探してたのだが、また空焚きするのがオチなので、結局沸騰したらピーッとなる笛吹ケトルに日和ってしまった(>_<)
マルハチで買い物して5時帰宅。
九州の深町さんから手紙が来ていた。先日子どもと一緒に福島浜通りにいってきたとのこと。いわき市に宿泊して、レンタカーで、北上、楢葉、富岡、双葉、浪江とモロ高放射能地域を通ったそうな。まともに見える店舗もショーウィンドの内側はめちゃめちゃだったり、2階建ての民家が折れ曲がったり、田んぼ、畑は草だらけ、除染作業地帯では、汚染物が黒い容器に入れて並べてあったり、未だに帰宅困難地域だけに手付かずの状態らしい。原発自体は見えなくて、送電線やクレーンだけが見えたとのこと。
宿泊地のいわき市にも仮設住宅が建てられ、3万人の人口流動があったそうで、補償の件などいろいろ複雑な問題を抱えているようだ。
地震津波原発事故から3年以上たっても、復興とは程遠く、特に福島第一原発事故はほとんど手付かず状態に近い。野田元首相の「収束宣言」とは何だったのだろう。そして、オリンピック招致での源首相のウソ八百もヽ(`Д´)ノ
九州から福島に行く人さえいるというのに、Morris.と来たら、事故前も後も、東北には一度も足を運んだことがない。身近にも、矢谷くんみたいに気仙沼と定期的なつながりを持って、支援活動してる人もいる。いろいろ理由をつけても、結局Morris.は口先男にすぎないのだ。
NHKの歌謡ステージで奥村チヨが「終着駅」歌った。今でも色っぽい。でも彼女の旦那が浜圭介というのは今日はじめて知った。
今日の歩数は7625歩。

今朝のキノコ雲(@_@) 

紋白蝶 

御影公会堂 

住吉神社錆雉 #1 

#2 

#3 

こんな雲も 

菊正宗資料館 

でかい看板 

菰樽看板 

Made in USA 

酒蔵 

パネル写真(^_^;) 

大釜 

麹揉み 

濾し場 

濾過器 

収蔵室(立入禁止) 

タイガー計算機 

擬似カウンター 

ハングルのパンフレットが 

海老徳利と鯰徳利 

焼印 

水車小屋 

小屋の内部 

宮水井戸 

魚崎港 

鯖かな? 

白鷺 

紫唐辛子 

【クイズ化するテレビ】黄菊英(ファンクギョン)★★★☆☆ 2014/07/20 青弓社。
著者は1982年生まれの韓国人。二十代後半に早稲田大学留学し、その時の修士論文が本書の元となっている。
解題として「クイズ番組とテレビにとって「正解」とは何か」(太田省一)、「テレビの文化人類学」(長谷正人)の二つの小論が収録されている。後者の長谷が著者の指導教官だったらしい。
Morris.はそれほどTV漬けの生活送ってるわけではないが、本書の考察はなかなかおもしろかった。

日本のテレビは無数の質問とクエスチョンマークであふれている。視聴者が手軽に情報を得たり、気楽に画面を眺めたりしているつもりでも、実はテレビは質問を投げかけ続けている。
私が最初に注目したのは、日本のテレビ番組に占めるクイズ番組の数の多さである。たとえば2010年のデータによると、東京では21本のクイズ番組が放送されていた。
たとえば2010年4月に韓国の4つの地上波キー局で放送されたクイズ番組は8本で、同時期の日本と比べると極めて少ない。


一般視聴者を回答者にしたクイズはお手軽で低予算番組の割に視聴率がそこそこ稼げるから多いのだろうくらいに漠然と思ってたが、そんなにクイズ番組が氾濫しているとは思わなかった。

本書ではクイズを以下のように定義しておく。
質問と答えという形式に基づいた
①啓蒙
②娯楽
③見世物化
のためのコミュニケーション形式(序章 テレビとクイズのはざまで)

私は日本に来た当初、クイズ番組を見ていて答えら
る分野とそうではない分野が明確に分かれていた。答えられるのは英語・スポーツ・世界史など国際的に共通する分野の問題だけで、日本の歴史・社会・地理・風習などの問題は日本語の意味自体がわかっても答えられなかった。
そのような問題は、留学生の私にとってはクイズ問題というよりそれこそ勉強に近く、メモをとりながら視聴することもあった。通常は自分が属している文化圏でつくられたクイズ番組しかみないのでこのことに気づくきっかけがないが、文化的背景による制約は確かに存在する。

これは、Morris.が韓国に行ってテレビのクイズ番組を見た時に同じようなことを思った。たとえば、世界史の著名人なら分かる事が多いが、韓国の歴史上の人物となると殆ど知らない。

クイズ番組が常にカルチュラル・リテラシーを基盤に成立しているということは、すなわちクイズ番組が日本人が知っておくべき知識や理解すべき文化を盛んに紹介し視聴者を教育していることを意味する。

「カルチュラル・リテラシー」というのが、わかるようでよく分らなかったので、辞書にあたってみる。
・cultural 修養上の、教養的な、文化的な……と言った意味

・literacy 読み書きができる、教養のある、学問ができること、識字率
ということから「◯◯人なら知っておいて当然の知識」みたいな意味で使われているようだ。

日本のクイズ番組では、漢字の書き方、読み方といった漢字そのものについての問題と、そこから派生する熟語問題・連想問題にいたるまでの多様な漢字関連クイズが出題されている。
いまの日本ではパソコンや携帯が普及したため手書きで漢字を書く機会が減り、機械による自動変換に頼るようになっているため漢字習熟度が下がってきているが、漢字の重要度そのものは落ちていない。したがってカルチュラル・リテラシーとしての漢字がクイズ番組によく登場するのはごく自然な現象であり、見方によっては公的メディアであるテレビが担う啓蒙の役割を、クイズ番組が果たしているとも考えられる。(第1章 クイズと「啓蒙)


漢字クイズは、日本のクイズの一大ジャンルといっていいだろう。読み書きの他、宛字、熟語、並べ替え、記号化、図式化などさまざまなヴァリエーション花盛りであり、これからも新しいタイプの問題が続々登場することが予想される。

「同時性」はクイズに限らず生放送・生中継がもつ特性だが、「同時刻性」はどのような手法で生み出されるのだろうか。
クイズ番組特有の「同時刻性」の要因は、その演出法にある。回答時間を制限し、秒を刻む音や残り時間の表示といった視聴覚的効果で切迫感を強調し、回答者が答えを云う瞬間に独特の間をもうけて緊迫感を高めたりすることが、それである。(第2章 クイズと娯楽)


これが後に出てくる「山場CM」につながる、というか、「山場CM」がクイズのやり方を踏襲して誕生したということだろう。

クイズ番組は、視聴者の参加を促すために、賞金や賞品を提供した。視聴者は、賞金や賞品のため、あるいはテレビに出演したいため、または自分の知識を自慢したいために、番組に参加し、互いに競い合ったり制限時間内で知識の限りを尽くしたりして、番組を見応えのあるものにしていった。
1990年半ばまで続いたこの状況は、情報化社会とインターネットの普及によって大きな変化を迎える。知識人であれ、博学の視聴者であれ、知識を身に着けた者がクイズ番組の主役になるのがそれまでの常識だったが、インターネット(具体的にはその検索機能)が普及してくると、知識はいつでもどこでも簡単に手に入れられるようになり、その社会的位置づけが変化した。
かつては自分が知らない知識を手に入れるには、たくさんの本を読んだり詳しい人に教えてもらったりするしかなく、欲しい知識に到達するまでの距離が遠かった。しかし、ネットの検索機能はその距離を誰にとっても平等に縮めてくれることで「知」の地位を変えたのである。
出題の傾向も、簡単に調べられる教科書的な知識より、番組が独自に作り出した問題や多様な説がありうる噂の真相、直接取材しないかぎり知りえない問題が主になってくる。クイズ番組で扱う素材が「知識」から「情報」へとシフトしつつあるとえいる。


たしかにインターネットは、クイズ、雑学、知識に決定的な影響を及ぼした。
いくら博学でも物知りでもネットにはかなわない。仲間内では比較的雑学に詳しいということで、質問受けることの多かったMorris.だったが、20年前くらいから、そのての質問はだんだん減ってきて、今世紀になって、そのレファレンス的価値はほとんど消失してしまった(^_^;)

テレビの制作者はその気になれば情報をきわめてコンパクトに伝えることもできるのだが、あえてそうしないのは、高い視聴率を目指すには、核心だけを伝えるよりもさまざまな演出をして視聴者の興味を引いたほうが効果的だとわかっているからである。特にクイズ番組は情報を意図的に「秘密化」してから視聴者に伝えるという手法をとることで、情報の公開を「イベント化」するという演出を施している。
素材(情報)そのものにはインパクトがない場合でも、クイズにすることでインパクトがあるようにみせかけることができ、情報の価値を水増しして「見せ物化」できるということになる。実際にはあまり重要ではない情報に必要以上の注目を向けさせているという見方もでき、これに対しては批判も成り立ちうる。(第3章 クイズと「見せ物化})

ここらあたりは、ちょっとステレオタイプな論の持って行き方だと思う。ヤラセも誇大表現もほどほどにね、ってところだろう。特にニュース、報道番組ではこの危険性が高い。

ニュース番組の「めくりフリップ」は、一見クイズとは全く違うものに見えるし、実際クイズではなくクイズの手法を応用しているだけなのだが、一方ではクイズの「演出」を意識的に取り入れて報道していることも間違いない。
クイズには必ず「正解」が存在する。実際はクイズではないとしても、クイズ的な形式をとることによって視聴者がニュースにも「正解」が存在するはずだと感じるとしたら、非常に危険なことでもある。
実際には深刻で非常に重要な問題をはらむ情報に、クイズの手法が乱用されると、クイズの特性によって、そう意図していなくても内容をイベント化・ショー化してしまい、視聴者がその深刻さを見逃してしまう危険性も看過してはいけない。

本書によると、めくりフリップを使い始めたのはみのもんたの番組(朝ズバッ!)だったらしい。不祥事続きで、めっきり登場番組の減ったみのもんた。クイズ・ミリオネアでのあのいやらしすぎたタメはもう見られない(見たくもないけど)だろうな。

日本のスポーツニュースはもっとも重要なこの情報(試合結果)を、すでに結果は出ているにもかかわらず、最初には決して告げず試合の経過を順を追って説明してから最期に伝えるというやり方をとるが、これもクイズ的手法のバリエーションといえる。韓国でもスポーツ関連ニュースが連日ほうそうされているが、ほとんどの場合、まず試合の結果を伝えてからハイライトシーンを流すという形式をとる。

Morris.はニュースの初めに試合結果が出ると、カックンとくる方である。擬似にしろ何にしろ「同時刻性」を味わいたい気持が人一倍強いのだろう。時々スポーツ番組を留守録してあとで見るつもりの時、ビデオ見る前に結果がわかると脱力してしまう。

活字メディアではランキングは、リスト化すれば一目で全体を理解させられる要約的な情報なのだが、テレビではそれとは正反対なのである。「要約」ではなく「拡張」であり、「一目」でわかるように伝えるのではなく「段階的」に伝えるものだからである。(第4章 偏在する「クイズ性」)

ランキングはそのままクイズになるし、100人に聞きましたみたいなタイプのランキングなんかだとクイズ作ること=ランキング作りである。

韓国もテレビ放送を開始した当初は番組の途中にCMを流していたが、1970年代に禁止されて以来、地上波放送では番組が始まる前か終わったあとにだけCMを流している。
日本の民間放送局は番組の途中に挿入するCMが全面的に許容されており、制限は番組全体の放送時間に対する比率(放送時間の10%を上限)だけである。
放送業界では商業主義が強い印象があるアメリカと比べても、日本の「山場CM」の数がアメリカの二倍以上に達するというのは非常に興味深い。(第5章 自己PRへ向かう「クイズ性」)

番組途中にCMを入れないという一点で、韓国テレビは素晴らしいと思う。これなら山場CMの出る幕はない。

韓国で生まれ育った私が日本のテレビを試聴する経験をもつことが出来たのは、テレビを改めて見直すいいきっかけになった。私は日本のテレビを通じていままで知らなかったテレビの特性、すなわち「クイズ性」」を発見することになったのである。

これは彼女の「発見」なのだろうか? 今は亡きナンシー関ならずとも、テレビのクイズ性は自明のものだったと思うのだが……

「山場CM」や番組予告ではテレビが自分自身をクイズ化し、「クイズ性」はテレビ自身をアピールし「見せ物化」するための道具として使われている。「クイズ性」を使って「媒体として」何かを伝えるのではなく、「媒体としてのテレビそのもの」をアピールしようとしているのである。

これに関しては、CM無しを売り物?にしているNHKの自局番組CMの目に余る過剰ぶりのことを指摘せずにはいられない。昨今は、それにくわえて、会長お友達の現職首相と与党のCM、オリンピックいらっしゃいCM、番組そのものがそれらのCMになってるようにも思えるものも多すぎる(>_<)。

テレビはまだ無数のシール(めくりフリップ)でキーワードを隠された存在で、本書はそのなかの一枚のシールをめくったにすぎない。だが、このような探求が「テレビとは何か」というテレビをめぐる最大のクイズ問題に答えるための一つの試みであることは、まちがいないだろう。(終章 クイズ化するテレビ)

結びの一文だが、無理に気の効いたオチ付ける必要は無かったと思うよ。本書の日本文は、発行元の編集者が校訂したようだから、ここも、その編集者の行き過ぎた親切だったのかもしれない。

ここから後は、長谷正人の解題からの引用になる。

丹羽美之の優れた研究によれば、クイズは第二次大戦直後、GHQの占領政策のなかで日本のラジオ放送に導入(=強制?)された文化形式であり、用語だった。GHQは戦時中の日本のラジオ放送が政府によって国民をコントロールするための道具として使われたことを批判して、日本に民主主義を根づかせるために番組内容を改め、できるだけ一般大衆にマイクを開放するように指導した。

そうやって生まれたクイズ番組は当時「当てもの」と呼ばれてたらしい。「話の泉」とか「二十の扉」とか、ね。

彼(レヴィ=ストロース)によれば、「ゲーム」は、開始されるときには参加者は全員平等な状態だが、終了するときには勝者と敗者という差別を作り出す形式をもっているのに対して、「儀礼」の場合は反対に、開始時は不平等な関係にあった参加者たちが、最後には互いに平等な関係に置かれるという形式をもっている。だから、前者は平等を条件にして参加者の競争を誘発するとすれば、後者は不平等を条件にして競争を回避しようとする文化の形式だと言えるだろう。
つまりテレビは、近代的な競争社会のなかに埋め込まれた、反=競争的な装置なのだ。
私的な家庭生活のなかで、人々は互いの生存を守り合うために助け合って暮らすしかない。そのような平等原理が支配する日常空間の真ん中で見てもらおうとするために、テレビはどうしても競争的原理を捻じ曲げられてしまうのだ。
ここからファンさんが発見した、日本のテレビの「儀礼としてのクイズ」-- たとえば知っている試合結果をしらないふりをして報道すること--の意味がわかってくるだろう。韓国のテレビは、公共社会の論理に従って、すでに知りえた試合結果を責任をもって迅速に報道する。しかし日本のテレビは、私的空間(お茶の間)の論理に合わせようとする。視聴者の目線に立って「さあ結果はどうなったでしょうか」と呼びかけることで、視聴者とのあいだに平等な関係を作り出したかのように偽装したいのだ。それが日本のテレビを支配する「儀礼の論理」である。


レヴィ=ストロースは昔読んで、いまいちよく理解できなかったけど、以上の引用はわかりやすい(^_^;) 日本のテレビはゲームより儀礼の空間に近いのか。「お茶の間」空間がほとんど消滅した日本社会では、テレビの儀礼性も変化せざるを得ないだろうけど。

娯楽的なテレビを研究するというばかばかしさにいささかも照れることなく、あるいはテレビが正義の立派さを目指せばいいという無力な正解を捏造してすますこともなく、ただひたすらにテレビの儀礼的な呼びかけに応じようと試み続けること。それによって、彼女はテレビ研究で誰も到達したことがない高みに到達したのではないか。その意味で、これほど透徹した美しい論文はない。そう私は思った。(長谷正人 解題 テレビの文化人類学)

指導教官の手放しの礼賛(^_^;) 微笑ましいというべきか。まあ、悪いことではないだろう。
透徹したとまでは言えないまでも、真摯で率直で目の付け所がよい論文ということは間違いない。巧まずして優れた日韓比較文化論ともなっている。
彼女が留学したことは、本当によかったと思う。

2014/10/20(月)●計画的封殺●
6時起床。
今朝の血圧は205/98/89。
朝から小渕通産相辞任ニュースで持ちきり。安倍に辞表出して、記者会見では知らなかった(けど知らないでは済まされないから辞任した)で通すつもりらしい。
昼前自転車で金沢病院に。柿坂という女医で、薬を増やそうと言われたが、例によって断る。水道筋回って1時前帰宅。
午後は雨になった。
例のうちわ事件の松島法相が辞任したというニュース。これは安倍側の意識的ダブルプレー作戦だろう。第一次安倍内閣時のトラウマがあるから対応を急いだのだにちがいない。
鹿嶋さんからフィリピンの絵葉書。10月中旬に短期旅行に出かけたらしい。アドレス忘れたので帰国してから投函したとのこと。鹿嶋さんは時々キューバに出かけてたけど、キューバとフィリピンといえば、過去スペインの植民地だったという共通点がある。
沼部真一さんのブログに「デブと針金」を再読してみるという興味深い記事があった。アンドレ・モロアの童話の挿絵画家が、第二次大戦中ドイツ占領下のフランスで秘密出版された小説が「海の沈黙」の作家ヴェルコールだったというもので、彼のブログにはときどき、こんな、意外性に飛んだ読み応えたっぷりの読み物がアップされる。先般の石井桃子と熊のプーさん絡みの連続記事も凄かった。文章といい、資料の蒐集といい、着眼点といい、まさにプロの作品である。これらは、是非一巻の書物にまとめて欲しいものだ。
日ハム-ソフトバンク最終戦。今日もソフトバンクが4点先取、それもじわじわと加点で、とうとう日ハムは力尽きて1-4の敗戦。秋山監督の胴上げのあと、両チーム選手全員で、現役引退の稲葉を胴上げ(金子もおまけ?に)。なかなか良くできた演出だった。これで25日からの日本シリーズ、阪神の相手はソフトバンクということになった。Morris.としてはちょっと残念だけど、まあ贅沢はいうまい(^_^;)
今夜のKBS歌謡部隊1390回は"향수에 젖어郷愁に濡れて“という特集?
   
1) 고향 역故郷駅/현철ヒョンチョル
2) 홍시熟柿/설운도ソルンド
3) 찔레꽃野茨/김혜연キムヘヨン
4) 유정 천 리有情千里/김성환キムソンファン
5) 고향초故郷草/김상희キムサンヒ
6) 머나먼 고향遠い故郷/최석준チェソクチュン
7) 고향의 그림자故郷の面影/배일호ペイロ
8) 꿈에 본 내 고향夢見る故郷/김혜영キムヘヨン
9) 물방아 도는 내력水車の回る訳/박상철パクサンチョル
10) 초가삼간草家暮し/이자연イジャヨン
11) 고향무정故郷無情/조승구チョスング
12) 고향 만 리故郷万里/진미령チンミリョン
13) 사모곡思母曲/태진아
14) 비 내리는 고모령雨降るコモリョン/권성희クォンソンヒ
15) 칠갑산七甲山/김영호キムヨンホ
16) 향수郷愁/왕소연ワンソヨン
17) 신라의 달밤新羅の月夜/오동동 타령オドンドン打令/삼오야 밝은 달十五夜明月/인순이インスニ
18) 불효자는 웁니다不孝者は泣く/하춘화ハチュナ


名曲揃いと言えなくもない(太字はあくまでMorris.の好み)が、全般に暗い曲悲しい曲が多い。
目玉はキムヘヨンが2曲も歌うってことか。特に、チュヒョンミお得意の「野茨」を対照的なキムヘヨンがどう歌うかが見ものである。
……なんて、書いたけど、8番目のキムヘヨンは別人だった(>_<) これ、以前にも間違えたと思う。厳密には二人の「ヨン」の発音は違ってて、Morris.が好きなのは김혜연、もう一方は김혜영ぢゃ。特別扱いは三曲メドレーのインスニだった。
今日の歩数は2833歩。

寿司屋の寄り目白雉 

水道筋駐車場のお馴染み 

同じく 

【原発事故と被曝労働】被ばく労働を考えるネットワーク編 ★★★ 2012/10/15 さんいちブックレット。
福島原発震災以降、高まった原発批判、しかし、やはり根底の下請け労働者の被曝と劣悪労働環境の実態は、なかなか表に出てこない。
本書は、ネットワークでつながった、小さな活動団体の代表やメンバー9名の、レポートやコメントを集めたものである。

原発で長年働いていた人物はこう語る。「原発の3K実態が暴力団・企業舎弟が存在感を増す下地になっている。この組織がピッタリはまる労働現場はほかにない。第一に、命令と服従の関係が仕事をこなすときに力を発揮する。第二に、東京や大阪で日雇い労働力の売買がまとまって行なわれる場所を"寄せ場"というが、ここを実質支配しているから日雇い労働者を集めやすい。第三に、放射線管理区域着替える機会が多く、刺青で幅を効かせられる。第四に、労働トラブルを抑えられる」と。
私たちは05年10月期の東電交渉で、この人物とともに申し入れを行った。「原発内雇用の多重構造の弊害が噴出している。暴力団組織や刺青を入れている人物の雇用が多く、公益企業として異常な実態にある。健康診断書と印の偽造。健康保険、厚生年金に加入させない違法行為などが横行している」。
これに対し、東電の回答は、「当社では工事請負契約上うたっているのは工事の品質管理、施工方法、竣工状況などであり、個人の身体や人格上の問題を契約に盛り込むことはできない。第一原発では、反社会的勢力への対応のために富岡警察署の次長を呼び、協力企業を対象に講話を開催し、意識の高揚を図っている」と工事請負契約で逃げを打ったが、反社会的勢力の存在は暗に認めた経緯がある。(略)(『脱原発情報』2012・05・29) 
  

これは福島で発行された情報誌からの引用だが、暴力団と原発の癒着の構造が現在まで根付いていることをうかがわせる。

私は、避難民に対して「失業者である」という観点を持たないといけないと思っています。失業者という観点から労働組合が仲間として受け入れて、なんとか、しようということで、動かないとだめだと思います。私も経験がありますが、失業者は昼間からお酒を飲んでしまいます。毎日、暇があれば、酒が抜けることはありません。たまたまお金を持っていればパチンコもします。何よりも家族を養っているという誇りが挫けることが大きいです。(桂武「労働相談などからみえてきたこと」)

難民はたしかに不条理に失業させられた人々といえる。住む場所を奪われて、明日の見えない状態に置かれてしまうと、朝から酒を飲みたくなっても仕方がない一面もあるだろう。

東電社員は、自分が辞めたくても、なかなか辞めさせてもらえない。外にいろんな話をもちだされるといけないから、辞めさせられないのではないかと思います。本人は、「周りは失業している人がいっぱいいるのに、自分はまだいいほうだ」と言います。(木幡ますみ「原発作業員の家族の声」)

東電社員の中にも協力な差別構造が存在している。

除染作業は放射性物質の移動(移染)でしかなく、しかもそれを人の手で行なう以上、除染作業の過程においても、除染後の生活においても被曝は避けられない危険としてある。しかし、帰還を願う被災者の思いや、帰還を促したい行政の思惑、そして除染事業という新たな利権構造をまえにした業者の意図は、この除染によってもたらされる被曝を無視・軽視する力として働く。それはまさに、行政・電力会社・地元住民・消費者が一体となって原発の危険性から目を背け、それぞれが自分の都合のよい解釈をして、総体として原発の安全神話を形成した構図と同じではないだろうか。(なすび「除染という新たな被曝労働」)


底辺労働者の被曝危険度は、事故後どんどん高くなっているのは間違いないし、必要な労働者の数もどんどん足りなくなってきている。それなのに彼らは、東電や原発企業、政治家からだけでなく、すべての人から見えない存在となっていく。

被曝労働者がどのような社会背景のもとで動員され、どのような労働条件や制度のもとで働き、どのような被害を受けてきたのか。今、これらを明らかにし、具体的に取り組んでいかなければ、地方社会や下層労働者が使い捨てられ、産業や「成長」のために人間が犠牲となる世の中は変わらないだろう。
原発問題は、エネルギー政策の問題などという矮小な問題ではなく、格差・差別構造の問題であり、ないがしろにされる生存権の問題だ。被曝労働問題は、そのことを端的に示しており、原発の闇をえぐる問題である。(あとがき)


「原発問題は差別問題」。これは絶対忘れてはならない視点である。

2014/10/19(日)●怠惰な一日(>_<)●
11時起床(>_<)
今朝の血圧は156/82/70。
宿酔ぢゃ(>_<)
KBSのノレチャランはソウル市ノウォン区篇。
そのあと日本ハム-ソフトバンクの中継見るともなく見る。大谷が2回に4点取られて、これで試合決まったかと思ったが、4-4となり、延長11回日ハムが2点取って明日最終決戦にもつれ込んだ。こうなると、藤浪と大谷の対決が見たくなる。
結局今日はパジャマ着替えることなく一日を終えてしまった。
今日の歩数は0歩。

【話してみよう!釜山語(プサンマル)】 キムセイル、ペクサンヒ★★★☆ 2013/07/21 HANA。
韓国語学習がおろそかになっている、今日このごろ、新長田図書館で本書見つけて思わず手にとった。万年韓国語初級留年(^_^;) のMorris.なので、サトゥリ(方言)学習なんか百年早いとも思うのだが、釜山といえば、Morris.の中では第二の故郷みたいな気がする町だし、気分転換ということで……

「釜山マルの発音と文法」「第二章釜山マル」「音声ドラマ」の三章に、16pカラーの「釜山案内」がおまけに付いている。もちろんCDも一枚付属している。標準マルとの対比、抑揚、発音変化の法則など、かなり突っ込んだ解説もあり、なかなか本格的釜山マル教本で、こういうのが日本で出版されること自体画期的だが、Morris.の水準で、これをマジに勉強すると、肝心の標準韓国語がおかしくなってしまいそう(^_^;)
釜山で、ちょっと冗談まじりで使えそうな単語とフレーズをいくらか引用してお茶を濁すことにする。
釜山マルのハングルとカタカナ表記、和訳 標準マルのハングルの順である。

쪼매 비싼데예. チョメピッサンディエ ちょっと高いんですが조금 비싼데요.
저 게기 이름이 머라예? チョケギイルミモラィエ? あの犬の名前は何? 저 고기 이름이 뭐옝요?
머 하능교?モハヌンギョ? 何してます? 뭐 하세요?
어서 오이소.オソオイソ いらっしゃいませ 어서 오세요.
마이 파이소.マイパイソ たくさん売ってください 많이 파이소.
와 그라노?ワグラノ? なぜなんだ? 왜 르래?
내 강대이.ネガンデイ 私帰るよ 나 간다.
잘 있거래이. チャルイッコレイ 元気でね 잘 있어.
아부지アブジ お父さん 아보지
어무이オムイ お母さん 어머니
할매 ハルメ おばあさん 할머니
할배 ハルベ おじいさん할아버지
누 ヌ 誰 누구
머 モ 何 뭐
으데 ウデ どこ 어디
와 ワ なぜ왜
까리하다 カリハダ かこいい멋있다
맛나다 マンナダ 美味しい  맛있다
아이다 アイダ 違う아니다
난주 ナンジュ あとで나중에
하모 ハモもちろん물론
안녕하상교? アニョンハインギョ こんにちは안녕하세요?
고마심니더. コマシムニド ありがとう고마습니다.
안녕히 게시이소. アニョンヒゲシイソ さよなら안녕히 계세요.
안녕히 강이소. アニョンヒガンイソ さよなら 안녕히 가세요.
아니예. アニィエ いいえ아니요.
알았심니더. アラッシムニド 分かりました 알았습니다.
모르겠심니더. モルゲッシムニド わかりません모르겠습니다.
미안해예. ミアネィエ ごめん미안해요.
개한아예. ケハナィエ 大丈夫 괜찮아요.
좋아예. チョアィエ いいです 좋아요.
을마라예? ウフマラィエ いくらですか얼마예요?
우야꼬. ウヤッコ どうしよう 어떡해.
머라꼬? モラッコ?何だと? 뭐라고?
아지매,주리주이소. アジメ、チュリチュイソ おばさん、お釣りください마주머니,거스름돈 주세요.
오랜마임니더. オレンマイムニド おひさしぶり오랜만입니다.
사랑한대이. サランハンデイ 愛してる사랑해.
대끼리! デッキリ! 最高!최고다!

2014/10/18(土)●阪神日本シリーズ進出●
6時起床。
今朝の血圧は195/110/75。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」は今週は香港のデモを取り上げていたが、テーマとは直接関係のない以下の一節に胸を突かれた。

私が、受け売りの文章を書くまいとしているのは、書き手としてのオダジマの誠実さのあらわれでもあるわけだが、それ以上に、他人の書いた記事を要約したり転記したりコピペしたり小保方ったりしていると、気持ちが荒んでどうしようもなくなってしまうからだ。

最近のMorris.の読書控えが、その本の要約やコピペ(まあ、Morris.は打ち込みだ4けど)だらけで、その量が半端じゃない。これは意識してやってることではあるのだが、「気持が荒」む行為なのだろうか? Morris.は「書き手」じゃないのだと開き直っておこう。
昼前にマルハチに買い物に行き、今夜ひさしぶりにムックさんが遊びに来るので、料理の下ごしらえ。昼からふらっと王子動物園。
6時から阪神-巨人戦。何と初回にマートンの3ランと福留のソロで一挙4点(@_@) 2回に2点追加して、この時点で勝負あった。結局8-4で阪神4連勝で9年ぶりに日本シリーズ進出を決めた。まさかまさか、である。嬉しいといえば嬉しいがちょっと複雑な気持ちでもある。
8時前にムックさんワイン持ってやってきた。勤務先から直行で、いつもと違ったたたずまい。先週韓国行ってきたばかりでそのみやげ話で盛り上がる。円安で、100円=910ウォンというのはかなりきつそうだ。交通事故でメンバーの二人が亡くなったLadies
codeの追慕にも行ったとか。
お母さんの具合が良くなくて、一寸心配だったが、このところ小康状態とのこと。
野球の方は大勢が決してるので、テレビ消音モードで、ミニギターとミニジンベでひとしきり韓国歌謡タイム(^_^;)
ワイン3本空けて、ムックさんは11時過ぎに帰っていったもよう(^_^;)
今日の歩数は4901歩。

今日のまぬう 

ひさびさムックさんと 

飲んで歌って 


2014/10/17(金)●阪神王手(@_@)●
6時起床。
今朝の血圧は183/91/75。
今日も良い天気。
昼前JRで神戸駅に出て、中央図書館から大倉山、平野方面をぷらぷら。平野交差点の古本屋「やまだ書店」がまだ営業してたのに、ちょっとびっくり。ちくま文庫の「50本の木」が百均で出てたので思わず買ってしまった。これまでに数冊買って、結局友人に贈ったので手元には無くなってた。これも、いずれ誰かにあげることになるだろう。
6時過ぎ帰宅。
阪神-巨人戦。メッセンジャーが2点先制されて、さすがに今日はダメかなと思ったが、同点に追いつき、4-2と逆転し、結局3連勝。これで日本シリーズ進出に王手をかけた。
韓国ソウル南のソンナム(城南)市の野外ライブで、排気口の金網が乗っていた若者の重みで外れて20m落下。16名死亡、多数の負傷者の惨事となったとのニュース。詳細は分からないが、セウォル号事故から半年の間に地下鉄事故などいろいろあって、この事故でまた、国の安全政策への非難が高まりそう。
今日の歩数は8368歩。

珊瑚樹の実 

クサギの実 

小鳥の屍骸 

今日はこの木の前でミニギター 

鷹羽薄 

平野の古本屋 

たわわに実ったキウイ 

平野祇園神社から元町方面を 

平野祇園神社 

平野市場の猫 

雉仔猫 

膨らんでる(^_^;)食堂 

関西電力有馬道変電所 

同じく 

佛立寺 



2014/10/16(木)●浅葱斑\(^o^)/●
6時起床。
今朝の血圧は172/89/81。
久しぶりに気持ちのよい秋晴れである。
先日出かけた甲山を再訪しようかとも思ったが、とりあえず、ふらりと外に出る。王子公園のスタジアムで何かやってないか覗いて見たが、なにもやってなかった。
そのままスタジアム裏手の岩場方面に回ったら目の前に大型の蝶がふんわりと優雅に舞い降りてきた。おお、これは浅葱斑ではないか(@_@)大好きな蝶で、 それほど希少種というわけでもないのだが、どうもMorris.はこの蝶とは縁が薄いらしくて、なかなかお目にかかれない。近くの石蕗の花に停まって吸蜜してるところを激写(^_^;)することができた。先週海子さんのブログに浅葱斑がフジバカマの上を飛んでる写真が載っけてあって、羨ましいとコメントしたこともあって、余計嬉しかった。今日は飛翔中のショットは撮れなかったが充分である。大きさからすると揚羽蝶の仲間かと思いがちだが、タテハチョウ科で「渡り」をすることで知られている。
すっかり気分良くなって、もう甲山はパスして、そのまま歩いて北上。
馬頭観音の妙光院から青谷道登山口にたどり着く。このあたりは以前から猫場で、前はもっとたくさんいたような気がするが、今日は、三毛、白雉、黒の三匹で、それぞれ味のある猫だった。ということで、しばらくMorris.@Catographerモード(^_^)
青谷川沿いに旧摩耶道を登っていく。そのまま2時間ほど歩けば摩耶山だが、さすがに今日はそこまで行くつもりはない。ふらふらしながら、あけぼの茶屋から岩屋滝不動明王越えて、日当たりの良いベンチでしばらくミニギター。平日ということもあってあまり登山者はいない。中高年団体一行から声をかけられる。でも韓国歌謡は、いまいち受けないよな(^_^;)
4時過ぎに下山? 帰り道、遠くにまた浅葱斑見かけたが、かなり暗かったので撮影は無理だった。
5時帰宅。
今夜の阪神-巨人戦。今日も阪神が先制で、一時は5-0と楽勝ムード。井端の2ランで3点差になったが、9回オスンファンが抑えて連勝。これで阪神の2勝1敗と有利になった。プロ野球はペナントリーグで、敗者復活戦なんかいらん、と公言してたが、こうなると、日本シリーズも夢ではない、とついその気になってしまう。ゲンキンなものである(^_^;)
今日の歩数は1403歩。

絞り柄ペチュニア 

浅葱斑\(^o^)/ 

その2 

その3 

梧桐 

梧桐のプロペラ種子

木槿の実 

黄蝶 

好みの三毛 

その2 

その3 

妙光院の馬頭観音 

犬槙(いぬまき)の実 

青谷登山口の二匹 

白雉 

黒 

同じく 

滝に虹 

紫陽花 

神戸唯一の茶畑 

岩屋滝不動明王 

シルエット 

真上から 

神戸遠景 

溝の白 

杜鵑(ほととぎす) 

影山邸 

2014/10/15(水)●ごろごろ●
8時起床。
今朝の血圧は212/106/78。
久しぶりの宿酔状態。
昼すぎまでベッドでごろごろ。
3時頃自転車で三宮図書館に行き、5時半帰宅。
途中黒白の素敵な猫に出会いMorris.@Catographerモード。飼い主が出てきて、すごく賢い猫だと自慢する。名前はマヴォだとか。塀と塀の間で身づくろいしてなかなか良いショットが撮れなかった。また再挑戦してみよう。
今夜は阪神-巨人のクライマックス緒戦。巨人には一勝のアドバンテージがあるから、阪神が勝ち抜けるには六戦中4勝する必要がある。初回鳥谷のタイムリーとゴメスの2ランで3点先取。藤浪も何とか8回まで失点1に押さえ、結局4-1で阪神が勝って、これで一勝一敗という形。やっぱり見ることになってしまいそう(^_^;)
今日の歩数は2488歩。

Morris.好みの白黒 

凛々しい顔、名前はマヴォ 

春日野道スキヤ雉 

スキヤトラ 

同じく 

旭通の錆雉 


2014/10/14(火)●サランバン会●
6時半起床。
今朝の血圧は197/99/82。
朝の3点セット。
台風一過のはずが、なんとなくすっきりしない空模様。
昼前、JRで大阪に出る。
ヨドバシカメラひやかして、デジカメ物色する。後継機と決めてる機種この前より千円値上がりしてるので(^_^;) 買うのはパス(^_^;) 現行機、いろいろ問題発生だが、とりあえず撮れてるので、なかなか思い切れない。
大阪駅ビル屋上の「空中農園」というスペースを散策?野菜や果実などが名札付きで整然と植えられているので、Morris.には格好の暇つぶしになる。
昼過ぎに環状線で大正駅下車。道頓堀川沿いに大阪市立中央図書館へ。
ここでしばらく、閲覧。大島弓子の「ロスト・ハウス」など読み返して、ちょっと感傷的になる。
歌麿会長から電話で、4時に鶴橋駅で待ち合わせ、韓国大衆食堂「クムジョン 宮廷」でビールとスンドゥブチゲごちそうになる。
そのあと、一緒に洪ママのお見舞いに。遅れて栗崎さんも来る。
6時前にコリアタウン「古里」で白菜キムチ買って、サランバン会会場「ジュン」へ。
丸本嫁が、不整脈で2週間ほど入院していたとのこと。ちょっと痩せてたが見た目は元気そうだった。
今夜も榎本さんからビール攻勢(^_^;)
10時までの自主的時間制限を30分延長して、10時半に店を出て、元町まで乗り過ごして、なんとか零時半帰宅(^_^;)。
今日の歩数は8377歩。

梅田スカイビル 

グランフロント大阪 

綿の花 

綿の実 

オクラの花 

オクラの実 

ラズベリー 

茶の花 

山査子の実 

生姜 

ミレット 

郁子(むべ) 

大正駅裏川岸 

同じく 

三泉北商店街 

白灰雉 

えらく人懐こい 

エダシャクの仲間? 

金光教神殿 

ツゲノメイガ 

でかい柚子の仲間 

道頓堀川 

大阪中央図書館の空 

大衆韓国食堂「宮廷」 

ここのスンドゥブチゲはgood!! 

鶴橋の雉 

栗崎さん、歌麿会長、洪ママ 

サランバン会歌麿会長の勇姿 

榎本さん 

ジュンのキムママ 

ビデオにスチールに大忙し 

丸本嫁と宮廷ママ 

丸本夫妻 

アジョシーズ 

歌麿ハ-レム 

歌って踊って 


2014/10/13(月)●台風19号●
6時起床。
今朝の血圧は179/92/80。
朝からすごい風である。雨は降ってないし、雲の切れ間から日差しもある。
台風19号は昼ごろ九州上陸。今夜遅くに淡路島から岸和田というコースで明日朝には関東-東北に抜けるらしい。
近畿直撃の台風は10年ぶりということになるそうだ。でも台風の勢力はかなり弱まっている。
昼前、自転車でマルハチに買い物に行き、午後からは部屋でごろごろ。
ぐいぐい酒場(Morris.の掲示板)で、杉山さんからWebCheckerというサイトを教えてもらう。
実はMorris.の掲示板は、めったに書き込みがなくて、たまに書き込みがあっても、気付かずに長いこと放ったらかしになることがあった。このチェッカーに登録しておくと、掲示板に書き込みがあれば2時間毎に(好きな時間に設定できる)メールで知らせてくれる。
掲示板というサービス自体が、今や時代遅れのしろものかもしれない。このMorris.日乘は、コメント機能も何もない自前の日記なので、ブログやSNSとちがってパーソナルなもので、このやりかたそのものがアナクロなのかもね(^_^;)
今夜のKBS1389回歌謡舞台は"낙엽 따라 가버린 사랑落葉と共に去った愛“という季節主題。

1) 낙엽 따라 가버린 사랑落葉と共に去った愛/다이나믹스ダイナミクス
2) 낙엽은 지는데枯葉が落ちて/최진희チェジニ
3) 누가 울어誰が泣く/주현미チュヒョンミ
4) 황혼의 엘레지黄昏のエレジー/김수희キムスヒ
5) 사랑의 진실愛の真実/임창제イムチャンジェ
6) 편지手紙/임나경イムナギョン,임창제イムチャンジェ
7) 낙엽의 탱고落葉のタンゴ/남일해ナムイルヘ
8) 세월이 가면/時が経てば이미배イミベ
9) 찬바림이 불면涼風吹けば/김지연キムジヨン
10) 열애熱愛/웅산ウンサン
11) 떠나는 임아去りし君/오승근オスングン
12) 세월이 가면時が経てば/윈터플레이ウィンタープレイ
13) 이별의 종착역別れの終着軽/우순실ウスンシル
14) 미소를 띄우며 나를 보낸 그 모습처럼微笑んで私を捨てた貴方の姿のように/이은하イウンハ
15) 잊혀진 계절忘れられた季節/이용イヨン


チュヒョンミを始め、Morris.の好きな女性歌手が6人も出演してるのに、好みの曲が少ない。ただ9.のキムジヨン「チャンパラミプルミョン」は懐かしい一曲だった。それと14.は張徳(チャンドク)作曲の名曲である。

今日の歩数は2319歩。


【種子(タネ)たちの知恵】 多田多恵子★★★★  2008/05/25 日本放送出版協会。
8月に読んだ「身近な実とタネハンドブック」の元となった本である。
30種ほどの植物のタネを4pずつで紹介、実物大タネ図鑑、団栗図鑑やら、ひっつき虫図鑑などのおまけもついて、実に素晴らしい写真と、多恵子ぶしとでもいいたい、語り口にすっかり魅了されてしまった。
彼女のプロフィールをネットから引いておく。

[著者情報](「BOOK」データベースより)
多田多恵子(タダタエコ)
理学博士、専門は植物生態学。東京農工大、立教大、淑徳短大非常勤講師。高名な物理学者である父・久保亮五(東大名誉教授)と植物好きの母・久保千鶴子(俳人・「未来図」顧問)の次女として、東京都に生まれる。当時、父親が理学部長だったこともあって、小石川植物園にもよく連れていってもらった。小学館の学習図鑑のジュウニヒトエの図の横に、初めて見た場所を「たまがわけん」(玉川学園と神奈川県を混同)と書き込むなど、子どもの頃から根っからの植物好き。それが高じて東京大学理学部に進学、植物学を専攻、大学院に進む。今度は小石川植物園が研究の場に。牧野富太郎博士ゆかりの伝統ある分類学研究室に所属し、お昼にハルジオンのおひたしを食べたり、ヨウシュヤマゴボウの試食にトライして気が遠くなったり、野鳥の撮影に夢中になって池にはまったりと、多感でワイルドな学生生活を過ごす。植物生態学研究室での研究生活を経て、理学博士に。コンピュータの研究者である夫と結婚、一男一女をもうけ、主婦業、大学講師、著述業そして研究者と、4足のわらじ生活(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


父は高名な物理学者、母は植物好きな俳人(@_@) うーーん出自からして並みじゃなかったんだ。
野草の試食で失神したり、池にはまったりの大学時代といい、彼女の資質とスタイルは、生来のものだったようだ。そしてあの親しみやすい文体は母の薫陶を受けたものと思われる。
ハンドブックで感心したキャッチコピーは、本書でもすでに用いられているし、各項のラストにおかれている「オチ」にもつい微苦笑を誘われる(^_^;)」

巷の噂では、ケサランパサランという白い毛玉のような姿をした謎の生き物がいて、捕まえてタンスの中で飼うと幸せになれるのだとか。追いかけて両手でそうっと捕まえると、それは真っ白な絹毛をゴルフボールくらいの大きさに広げたガガイモのタネでした。
ガガイモは、のどかな農村によく見られます。紡錘形の実は晩秋に避けて、純白に輝く絹毛のタネが現れ、まるで重さが全くないかのように、ふわ~っと風に漂います。
この絹毛は種子の一部が変化したもので、形態学的には「種髪(しゅはつ」といいます。ミクロン単位のとても細い繊維からできているので、空気の粘りけが大きく作用し、重力の作用を打ち消してふわふわ浮いて漂います。
実のなかでタネは毛をたたんだ状態でぎっしり並び、実が熟して縦に避けると種髪を丸く広げて旅立ちます。
タネが飛び去ったあとには、実の川の部分がカヌーのような形に残ります。『古事記』には、小さな体のスクナヒコナノミコトが「天の羅摩舟」、つまりガガイモの船で海を渡ってきたと書かれています。ガガイモは、日本で書物に登場する最古の植物でもあるのです。(ガガイモ)


実に気持の良い文章ぢゃ。「のどかな農村によく見られ」るなどという表現も、なかなか書けそうで書けない気がする。植物学的知識も薀蓄くさくなく、さらっと、そして分かりやすく解説される。持って生まれた特長的個性なんだろうな。綿毛が空中を漂うメカニズムの説明、古事記の言い伝えもさりげなく紹介してる。

毛虫のように見えるのは、ムクゲのタネです。長さ4~5mmくらい。おそるおそる手のひらにのせてみると、まが玉みたいな形をしたタネの縁に、硬い金色の毛がびっしり並んで生えています。たしかに毛虫みたい。でも、ほら、ライオンのたてがみにも見えるよ。(ムクゲ)

お母さんが子どもに教えてるみたいな語り口だが、嫌味にならないところが彼女の持ち味である。

さあ寄っていらっしゃい、水辺のマジックショーですよ。ソーセージが一瞬で綿あめに変わります。タネも仕掛けも……あるんです!?
日本にはガマ、ヒメガマ、コガマの3種があります。ともに湿地や沼のほとり、休耕田などに生える大型の多年草で、ソーセージを思わせる穂ときしめん状の長い葉が目印です。
漢字は「蒲」。「蒲鉾」は竹串に魚のすり身をガマの穂の形に巻きつけて焼いたのが始まり。ほぐした穂を中綿にしたので、今でもふとんは「蒲団」と書きます。(ガマの仲間)


穂をソーセージ、葉をきしめんに例えるあたりも彼女の面目躍如である。蒲鉾、蒲団の雑学もMorris.好み。

ブラシノキはオーストラリア原産の常緑樹。英名の「ボトルブラシ」のとおり、花はまさに瓶ブラシの形をしています。
学名のカリステモン(Callistemon)は「美しい雄しべ」という意味。
じつはこの実は、木が生きているかぎり、ずっとタネを閉じ込めたまま枝に残っています。実の口が開いてタネが散るのは、山火事にあうなどして枝が枯れたときだけです。
山火事のあとは、光が豊富で競争相手もおらず、灰の栄養もたっぷり。この絶好の機会を待って、ブシノキはタネを散らし、後継者の木を育てるのです。(ブラシノキ)


ブラシの木のあの花は「雄しべ」だったのか(@_@) 花の真ん中を貫くように枝が伸びて、過去の実がずっと残ってるというのも、不思議。

ジュズダマの栽培種がハトムギです。だったらジュズダマだって食べられるはず。そう思って堅いビーズを金づちで割ると、思ったより大きな半球形の穀粒がでてきました。きっと大昔の人類はヒビこうやって堅い殻をワリ、穀粒を食べていたんだね。ひたすらトンカチやっていると、気分はすっかり原始人。でも、30分かかって収穫は、やっとおちょこの底にひと並べ分でした。
お米に混ぜて炊いてみました。豆の味にちょっと似て、もちもち感があり、素朴だけど、意外といける味でした。そうか、中身がおいしくて動物に狙われてしまうから、こんなに堅い殻で守るようになったんですね。(ジュズダマ)


とりあえず食べてみる(^_^) という姿勢。いいなあ。

サルナシは野山に生えるつる性の木。柔らかく熟した実は、香りも味も断面もキウイフルーツにそっくり! そもそもキウイフルーツは、中国産の近縁種であるシナサルナシを改良したものです。
おいしいサルナシですが、食べ進むと舌がちくちくして甘みも感じなくなり、それ以上食べるのは苦痛になります。私の場合、どんぶり一杯が限度でした。(サルナシ)

どんぶり一杯(^_^;)

公園に植えられたムクロジの大木。その木の下で、骨董品のランプかポットを連想させる、不思議な実を見つけました。
果皮のサポニンは、昆虫には有害成分として働きます。さらにタネの殻も非常に堅い。これだけ厳重に守るからには、きっとタネの中身はおいしいに違いありません。
金づちでタネを割って食べてみました。少し苦いけれど、コクのあるナッツの味。調べてみると、油脂成分を豊富に含み、昔は炒って食べたとか。(ムクロジ)

どこまでも貪欲に食べてみる\(^o^)/

なにしろ、踏まれ強いのです。
葉には太い筋が通っていて、踏まれてもちぎれません。丈夫な繊維が電気コードのように維管束を包んでいるのです。花茎もしなやかで、踏まれたって折れません。根も四方に広がり、踏まれても蹴られても抜けません。
雨や露に濡れたタネは、ゼリー質に包まれてぺたぺた粘り、歩く人の靴や車のタイヤにくっつきます。こうして人間の行く先々に、タネが運ばれるという仕組み。学名のPlantagoは「足の裏」を意味するラテン語に由来し、中国名の「車前草」も車道によく生えることに由来します。(オオバコ)


オオバコを「車前草」と書くのは中国名で、「大葉子」という漢字表記があることも初めて知った。「丈夫な繊維が電気コードのように維管束を包んでいる」などという説明も分かりやすい。

野山に潜むヒッチハイカー。
タネたちはそれぞれ忍び道具を持っています。引っかけるかぎ針、刺さると抜けない逆さトゲ、挟み込むピン、ネバネバ粘着テープ。
オナモミの痛い実を何とか割りました。するとヒマワリのタネに似たタネ(本当は実)が」、あら、ふたつ。取り出して食べてみると、うん! いけます。味も食用に売っているヒマワリのタネにそっくり。調べてみると、中国では食用油の代用として栽培されているとか。(オナモミの仲間)


「ひっつき虫」植物はお馴染みだが、オナモミまで食べてみるかあ(^_^;) イノコヅチとかヌスビトハギとか、ヤブジラミとか、命名者が楽しんで名づけたようなのが多い。オナモミの語源が気になって「大言海」で「おなもみ(をなもみ)」を見たら「なもみヲ見ヨ」とあった。

なもみ[神麹に、此生汁ヲ用ヰル。生揉ノ意カト云フ。蝮、蛇ニ噛マレタルニモ、揉ミテ付くと云フ] 一、草ノ名。野生アリ、春生ジ、秋枯ル。葉ハ、茄ノ葉ニ似テ、緑ニシテ刺ナク、互生ス。茎、高サ三四尺、夏、茎ノ頂ニ白花ヲ開ク。実ハあをき(青木)ノ実ニ似テ小サク、両頭尖リテ刺アリ。今、コレヲ雄なもみト云フ。(大言海)

そうか、もとは「ナモミ」でこれを二つの植物に「オ(雄)ナモミ」「メ(雌)ナモミ」と命名したということか。

カラスムギのタネは、熟すそばからぱらぱら落ちます。この性質を「脱粒性」といいます。タネが成熟すると基部にすき間ができ、自然に落ちるのです。動物の食害を避けて早く安全な地面の中に逃れられるので、野生植物には有利な性質です。でも人間側から見れば、まとめて収穫できないので栽培には向きません。
野生穀物を栽培化するにあたっては、この脱粒性をなくすことが最大のポイントです。カラスムギから栽培化されたマカラスムギでは、脱粒性は消失し、タネは熟したあとも親の元にとどまります。稲にも同様の歴史があります。昔の人々は脱粒性のない変わりだね(野生植物としてはできそこない)を選び出して、栽培化してきたのです。(カラスムギ)


栽培穀物は、自然に反して、人間の収穫に都合の良い改良?を施されたものだったのか。

多恵子さんの本はこれで3冊目になるが、彼女のおかげで、Morris.の植物趣味も、花だけでなく、実やタネや葉の面白さに広がったようだ。最近のMorris.日乘にも、実ヤタネの写真が多くなったのは、当然その影響大である。
本書にはテーマからして「実は」とか「実に」というフレーズが頻出する。Morris.はついつい「じつは」とか「じつに」とか読んでしまいがちだった。彼女は「実(み)」の場合は漢字で「実」、「じつ」はひらがな表記を用いている。Morris.は「実(じつ)は」はずっと漢字表記を使ってきたから、「じつは」という表記には違和感を禁じ得ない。ちょっと悩ましいところである。

2014/10/12(日)●Light Work●
6時半起床。
今朝の血圧は208/100/91。
8時前に灘駅南側にトラックで迎えに来てもらい、須磨区のドイツ向け荷物ピックアップ現場。今日は別業者のヘルプ。
2時半作業終了。3時半に敏馬神社前で降ろしてもらって、解放。
ちょうど神社は秋祭りで奉納終えた獅子舞や、神輿が帰っていくところだったので、ちょこっと見物。
4時に帰宅したら、阪神-広島戦TV中継やってた。6回で0-0。能見、大瀬良好投と、両チーム好守で、緊迫したいい試合。ついついしっかり見てしまう。結局延長にもつれ込み、オスンファンが9回から3イニング連投、12回表広島無得点の時点で引き分けコールド(^_^;)。つまり2位の阪神はこの試合引き分け以上なら勝ち抜き決定だから、12回裏の阪神の攻撃は不要ということらしい。なにはともあれ、これで15日からの巨人戦4勝すれば日本シリーズである。まあ無理とは思うけど、また見てしまうんだろうな。
台風19号は明日の夜から明後日の朝にかけて近畿地方に影響及ぼしそう。仕事無いからいいけど(^_^;)
今日の歩数は4003歩。

コトネアスター? 

敏馬神社秋祭奉納獅子舞 

同じく 

子供神輿 

こちらは普通の神輿 

灘駅前の茸(テングタケ?) 

【日本の原発危険地帯】鎌田慧 ★★★☆☆
2011/04/17 青志社。
1982年4月、潮出版社より刊行
1987年7月、河出文庫として刊行
1996年11月、岩波書店より『新版 日本の原発地帯』と改題して刊行
2006年9月、新風舎文庫として刊行
そして、福島第一原発事故の直後(ひと月後)に再刊行されたのが本書である。
福井、伊方、福島、柏崎、島根、下北①、下北②、人形峠・東濃鉱山・幌延、巻町の9章となっている。
「自動車絶望工場」以来、日本での虐げられた労働者問題、公害問題、そして原発問題への精力的な取り組みは、突出している。
本書は30年以上に書かれたものが、増刷され、2011年3月の福島第一原発事故以後にまたあらためて再刊されたものだ。

福島原発は、これまでも、さまざまな隠蔽を問題にされてきた。2002年8月、原子炉の故障やひび割れが隠されていた、とする内部告発が原子力安全・保安院から福島県にあった。2年もまえにその報告をうけていた保安院が、なんの調査もせず、その情報をこともあろうか、東電本社に横流ししていた、という事実が暴露された。炉心隔壁(シュラウド)がひび割れしていた、という大事故につながりかねない欠陥だった。原発政策は日立、東芝、三菱、IHIなど、原子力産業と経産省、そのなかに包摂されている保安院が推進力である。これはたとえが悪いが、泥棒を泥棒が取り締まる制度ともいえる。(まえがき)

なかなかに辛辣な筆致だが、そうされても仕方のない原発側のやり方だった。

電源三法による交付金は地方財政のなかで「投資的経営」にだけ使われ、人件費などの一般財源には使えないように枠をはめられている。原発地帯において、道路とか、学校とか、体育館などが、「身分」不相応にデラックスなのはこのためである。つまり、局部にだけの過剰投資となるのである。
原発のもうひとつの特徴は、地方自治のなかに秘密がもちこまれることである。それは用地買収が電光石火、極秘裡のうちにすすめられることから端を発し、稼働中は何重もの自動ドアで仕切られ、事故や故障があってもその情報はなかなか外にもれない。(福井)


「電源三法」の飴と鞭、原発の秘密体質、原発はドロドロのブラックボックスぢゃ。

伊方原発反対運動の原則とは
①いかなる政党にも属さない
②いかなる支援も敵視しない
③各自共闘の自主性を尊重する
④経費は自前とする
の四項目である。大衆運動の理念が、簡潔にしてよく表現されている。(伊方)

これを決めるまでにどんな経緯があったのか知らないが、言うは易く行うは難しだろうな。

橋本さんのお宅は、炉心から千五百メートルの地点にある。放射能は空気とおなじで眼に見えないが不気味である。避難訓練をやってほしい、と東電の職員と会うたびにいうのだが、事故を予測することはできないので、訓練のしようがないとのことである。
おそらく、避難訓練の実施は、地元のひとたちの心に潜在している恐怖を撹拌し、原発にたいする疑問の泡を生みだす作用をもたらすことになるので、やろうとしないのである。(福島)


「怖いものには蓋」である。

わたしが訪れたとき、第一原発の第一号炉は運転停止中だった。81年4月10日、午前零時30分ごろ、非常時の際に原子炉を冷却する隔離時復水器につながる蒸気配管の一部がヒビ割れて、放射能をふくんだ冷却水もれが発見された。この一号炉は71年に稼働してから平均稼働率30%でしかなく、双葉地方原発反対同盟によれば、「被曝者製造炉」ということになる。(福島)

この「被曝者製造炉」がそれから30年後にどのような状態になるのかは、鎌田にも想像のおよぶところではなかったようだ。

彼(枡倉隆68)が断固として東北電力の原発建設に反対しているのは、かつて第一原発で「人夫」として働いた経験からである。原発は「科学技術の粋」などと喧伝されているが、労働環境が悪く、修理したあとの検査の杜撰さをみただけでも、そのひどさといい加減さがわかったのである。働きつづけて「原発病」で死んだ友人や知人には、ことかかない、という。
わたしが会った孫請業者(パイプ工事担当)は、「パイプに継手を使っていないから、亀裂が入って当たり前、いい加減なものだった」と証言した。(福島)


これは福島原発に限ることではなかったろう。

原発の恐怖とは、自然を汚染し、人間や生物の組織を破壊するばかりではなく、品性をいやしくさせ、人間のつながりを断ち切り、権力に迎合させ、自治体を秘密主義と非民主的にすることにある。電力の原発依存とは、人間生活が危険物に依存し、他人と未来がどうなっても、自分の現在だけがよくなればいい、という思想を蔓延させる。建設過程の強引さが、そのすべてを物語っている。そして、もしもひとたび事故が発生したなら、たとえば、島根原発の10キロ圏内に住む7万6千人がどのように避難するのか、30ヶ所の上水道、簡易水道の水源地をどう守るのか、水をどうして供給するのか、その具体案は市民になにも知らされていない。(島根)

内容の深刻さを思うと、不謹慎かもしれないが、こういった批判を書かせると鎌田は実に上手い。「名調子」と言えるだろう。

試験地がそのまま処分地にされるのではないか、それが東濃地区の人たちの共通の不安である。日本の政府は、既成事実で踏みつぶしてくるのを常套手段としている。既成事実を強引につくり、あとは時間をかけて、諦めさせる手法である。「地元の理解」とは、そのことを指している。(東濃鉱山)

日本の政府=ヤクザ説というのは、最近読んだ本にも書いてあった。

ウソとカネ。これが原発建設のエネルギーだ、とわたしは何度か書いてきた。それと地方自治の破壊、である。巻町のケースもまたその例外ではなかった。しかし、それでもここは土地を楯にして、原発の横暴を30年ちかくも抑えてきた。青森県は東通原発が、30年にわたる住民の抵抗のすえ、ついに工事がはじまろうとするのをみれば、東北電力が時間とカネを惜しみなく使ってなお、原発建設の見通しをたてられないのは、特筆に値する。
まして、市民が、自分たちの運命は、自分たちで決める、との住民自決の「住民投票」に漕ぎつけたのは、地方自治の簒奪をつねとする、電力会社にたいする未曾有の反撃といえる。(巻町)


「署名」も「住民投票」も、「お上」には暖簾に腕押しだったりする。

ひとびとは、港をつくってもらうことを条件に、まだ技術も確立せず、プルトニウムを原料とするもっとも危険な高速増殖炉の建設に同意した。行政から切り捨てられたものほど、行政の力に期待するようになる。たとえ、差し出された手が悪魔のそれであったにしても、それにすがらざるをえない。政治の貧困が、政治の強権をひきだすのである。
このように、原発地帯とは、たいがい、原発が侵攻した戦跡のことである。政治家は、それまで切り捨てて顧みることのなかった地域を、原発導入地帯として思い出す。もしも、事故が発生したにしても、そこは低人口地帯で被害が少なく、補償金も安くてすむ。そのことで電力会社と意見の一致をみる。低人口地帯の「人口」は、放射能を浴びることをはじめから想定されている、ともいえる。
とにかく、原発はカネである。カネをバラまいて原発が建設される。地元のひとたちを説得する武器はそれしかない。原発がバラまくカネは、住民を退廃させ、地方自治を破壊する。建設されたあと、大量に送りこまれた下請け、日雇い労働者たちの健康と将来を確実に墓石、被曝者量産工場と化す。原発は、コンピュータによって、というよりも、暴力団が手配する"人夫"によって維持されているのである。(82年版あとがき)


ここでも「名台詞」連発である。やっぱりルポライターもノンフィクションライターも、結局は「「筆の力」なしでは、大成出来ないに違いない。

いまなお、建設に至っていない、福島県の浪江・小高地区の原発反対運動をまとめてきたのは、枡倉隆さん(故人)だった。
「百姓はコメをどうするかということだけしか考えないが、相手は毎日だますことだけを考えているんだ。枡倉隆は百姓だ。口をきいたら負けるだけだよ」
彼はいっさいの交渉に応じなかった。彼の言葉に、建設するものとされるものとの不幸な関係が、はっきりと示されている。それは騙す、騙される関係でしかなかったのだ。(2006年文庫版あとがき)


ライターとは別次元での名台詞だね。それを不幸な関係と観じるライターがいて……

わたしが問題にしてきたのは、「国が安全だといったから」「あとのことはあとの首長が考えます」と答えていた、原発誘致自治体の判断停止状態だった。
70年台はじめから、柏崎原発の反対運動のルポルタージュを書いてきた。それ以後、全国の原発地帯をまわって、反対運動の報告を書き続けてきた。その結末が、四基を廃炉とする炉心溶融自己の発生とは、あまりにも悲しい。(2011年3月31日付あとがき)


Morris.も悲しい。

2014/10/11(土)●倉敷方面●
5時起床。
今朝の血圧は195/99/81。
浅海、溝渕くんと倉敷のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。
昼飯抜きで1時前作業終了。
吉備SAでカツ丼(800円)食べたが、これは、大失敗(>_<)
3時半倉庫着。帰り道、iPhoneで阪神-広島の敗者復活戦緒戦中継。8回で1-0。9回表、オスンファンが三者連続三振で阪神の先勝。
BS-TBSで高倉健の「駅 STATION」見る。81年製作の映画だが、後半、増毛の飲み屋「桐子」にはいり、カウンター越しにママ(倍賞千恵子)と飲みながらテレビで八代亜紀「舟唄」が流れる場面は、いかにも倉本聰(脚本)らしい仕掛けだと思った。大晦日に「桐子」に呼び出され、またまた紅白の「舟唄」聴いて、初詣,さらにもう一回という演出はあらためて見ると、ちょっとしつこいかも(^_^;) とおもってしまった。それにしても35年前の映画なのか。時の移ろいが速すぎる。
今日の歩数は4119歩。

小昼顔 

オクラの花 

灘南町の箱入り三毛 


2014/10/10(金)●あれから五十年●
6時半起床。
今朝の血圧は173/95/79。
午前中へやでごろごろ。
今日は64東京オリンピック開会式から50年目というので、朝から、これに関した話題でもちきり、昨日村上春樹がノーベル賞受賞してたら、それ一色だったろうけどね(^_^;)
それにしても、2020東京オリンピックに向けてのマスコミ攻勢が目立つ。このままあと6年は煽りっぱなしになるんだろうな。
台風、噴火などの災害ニュースの過剰も目立つ。今週の「ア・ピース・オブ・ケイク」では、地方自治体の保身的避難勧告への非難&げんなり発言があった。先週の18号台風に続いて、来週来るはずの19号台風情報のオーバー報道を「台風のインフレ化」と揶揄してた。確かに最近の災害報道はちょっとおかしい。
昼前王子動物園へ。
まぬうは雌が岩の上隅で熟睡してるだけで雄の姿は見えなかった。
今月はハンター邸公開中だったので、とりあえず覗く。
前庭の池はずっと水抜いてあって、ここで小学生団体が昼ごはん。なかなかのどかで変な感じである。
図書室で猫関係の古い本を見繕ってななめ読み。夏目房之介のイラスト記事が面白かったし、「猫学」というムックのモノクロ写真が素敵だった。数名の写真家の寄せ集め(キャプション無し)だが、Morris.が撮りたいと思う写真そのままだった。しばらく猫はモノクロ撮影してみよう(^_^;)
北の外れのベンチでしばらくミニギター。5時帰宅。
ぐいぐい酒場にNOAHさんが、先日の周炫美SHOWの番組全体の動画がYou Tubeにアップされてるとの情報。早速見てみる。かなりきれいな映像である。これも韓国の放送局番組だから、公開されてるのだろう。ともかく、ありがたいことである。
夜は日本-ジャマイカのサッカー。相手のオウンゴールで、1-0で日本勝利。でも、ちっとも面白く無い。
明日は5時おきで倉敷現場なので早めに寝ることにしよう。
今日の歩数は5648歩。

今日のまぬう 雌 

ハンター邸公開中 

ランチタイム 

ドアノブ 

YAMAHAオルガン 

装飾窓ガラス 

プレーリードッグ 

同じく 

シタツンガ 

蜂雀 

キリン 

クヌギの団栗 

今日のヴィジュアル読書 

今日のまぬう 雄 

象 

2014/10/09(木)●ノーベル文学賞って?●
6時起床。
今朝の血圧は175/92/81。
浅海、荻野くんと三人で香芝市の上海向け船便と保管荷物ピックアップ現場。2日どり現場の初日。
4時半倉庫着。6時帰宅。
ギャル曽根がディズニーランドで100食に挑戦という番組やってた。Morris.は実はギャル曽根ファンである。大食いチャンピオン番組で、必死で競い合う出演者を尻目に。軽々と美味しそうに食べまくる彼女には感動を覚えた。
そしてゲストに高橋真麻、中川翔子というのも嬉しかった。ということでついつい見てしまった。
今夜ノーベル文学賞の発表があるというので、NHKでは、やたら村上春樹の受賞を期待するニュース流してる。
3年前から有力候補に挙げられながら受賞を逸してきただけに、今年こそ、ということだろう。
結果は、フランスのパトリック・モディアノ(全く知らない(^_^;))が受賞したらしい。
そもそもノーベル賞ってのは、ダイナマイト発明したノーベルが作った賞で、いつの間にかえらい権威ある賞になってしまった。物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学賞の6部門だが、文学賞の基準というのがどうもよくわからない。いわゆる「世界文学」としての評価ということになるのだろうが……(^_^;)
これまでのノーベル文学賞受賞者一覧をネットで探して、整理して写しておく。太字の作家が、Morris.がとりあえず知ってて、断片的にでも読んだことのある作家で、35人。Morris.の読書が偏向してるこをと差し引いても、ノーベル賞と文学はあまり相性よくないような気がする。

    1901年 - フランス シュリ・プリュドム
    1902年 - ドイツ帝国 テオドール・モムゼン
    1903年 - ノルウェー ビョルンスティエルネ・ビョルンソン
    1904年 - フランス フレデリック・ミストラル、スペイン ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ
    1905年 - ロシア帝国 ヘンリク・シェンキェヴィチ
    1906年 - イタリア王国 ジョズエ・カルドゥッチ
    1907年 - イギリス ラドヤード・キップリング
    1908年 - ドイツ帝国 ルドルフ・クリストフ・オイケン
    1909年 - スウェーデン セルマ・ラーゲルレーヴ
    1910年 - ドイツ帝国 パウル・フォン・ハイゼ
    1911年 - ベルギー モーリス・メーテルリンク
    1912年 - ドイツ帝国 ゲアハルト・ハウプトマン
    1913年 - インド ラビンドラナート・タゴール
    1914年 - 該当者なし
    1915年 - フランス ロマン・ロラン
    1916年 - スウェーデン ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム
    1917年 - デンマーク カール・ギェレルプ、ヘンリク・ポントピダン
    1918年 - 該当者なし
    1919年 - スイス カール・シュピッテラー
    1920年 - ノルウェー クヌート・ハムスン
    1921年 - フランス アナトール・フランス
    1922年 - スペイン ハシント・ベナベンテ
    1923年 - アイルランド ウィリアム・バトラー・イェイツ
    1924年 - ポーランド ヴワディスワフ・レイモント
    1925年 - アイルランド ジョージ・バーナード・ショー
    1926年 - イタリア王国 グラツィア・デレッダ
    1927年 - フランス アンリ・ベルクソン
    1928年 - ノルウェー シグリ・ウンセット
    1929年 - ヴァイマル共和政 トーマス・マン
    1930年 - アメリカ合衆国 シンクレア・ルイス
    1931年 - スウェーデン エリク・アクセル・カールフェルト
    1932年 - イギリス ジョン・ゴールズワージー
    1933年 - ロシア イヴァン・ブーニン
    1934年 - イタリア王国 ルイジ・ピランデロ
    1935年 - 該当者なし
    1936年 - アメリカ合衆国 ユージン・オニール
    1937年 - フランス ロジェ・マルタン・デュ・ガール
    1938年 - アメリカ合衆国 パール・S・バック
    1939年 - フィンランド フランス・エーミル・シランペー
    1940年 - 該当者なし
    1941年 - 該当者なし
    1942年 - 該当者なし
    1943年 - 該当者なし
    1944年 - デンマーク ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン
    1945年 - チリ ガブリエラ・ミストラル
    1946年 - 西ドイツスイス ヘルマン・ヘッセ
    1947年 - フランス アンドレ・ジッド
    1948年 - イギリス T・S・エリオット
    1949年 - アメリカ合衆国 ウィリアム・フォークナー
    1950年 - イギリス バートランド・ラッセル
    1951年 - スウェーデン ペール・ラーゲルクヴィスト
    1952年 - フランス フランソワ・モーリアック
    1953年 - イギリス ウィンストン・チャーチル
    1954年 - アメリカ合衆国 アーネスト・ヘミングウェイ
    1955年 - アイスランド ハッルドル・ラックスネス
    1956年 - スペイン ホセ・ラモン・ヒメネス
    1957年 - フランス アルベール・カミュ
    1958年 - ソビエト連邦 ボリス・L・パステルナーク
    1959年 - イタリア サルヴァトーレ・クァジモド
    1960年 - フランス サン=ジョン・ペルス
    1961年 - ユーゴスラビア イヴォ・アンドリッチ
    1962年 - アメリカ合衆国 ジョン・スタインベック
    1963年 - ギリシャ イオルゴス・セフェリス
    1964年 - フランス ジャン=ポール・サルトル(辞退)
    1965年 - ソビエト連邦 ミハイル・ショーロホフ
    1966年 - イスラエル シュムエル・アグノン、西ドイツスウェーデン ネリー・ザックス
    1967年 - グアテマラ ミゲル・アンヘル・アストゥリアス
    1968年 - 日本 川端康成
    1969年 - アイルランド サミュエル・ベケット
    1970年 - ロシア アレクサンドル・ソルジェニーツィン
    1971年 - チリ パブロ・ネルーダ
    1972年 - 西ドイツ ハインリヒ・ベル
    1973年 - オーストラリア パトリック・ホワイト
    1974年 - スウェーデン エイヴィンド・ユーンソン、ハリー・マーティンソン
    1975年 - イタリア エウジェーニオ・モンターレ
    1976年 - アメリカ合衆国 ソール・ベロー
    1977年 - スペイン ヴィセンテ・アレイクサンドレ
    1978年 - アメリカ合衆国 アイザック・バシェヴィス・シンガー
    1979年 - ギリシャ オデッセアス・エリティス
    1980年 - ポーランド チェスワフ・ミウォシュ
    1981年 - イギリススイス エリアス・カネッティ
    1982年 - コロンビア ガブリエル・ガルシア=マルケス
    1983年 - イギリス ウィリアム・ゴールディング
    1984年 - チェコスロバキア ヤロスラフ・サイフェルト
    1985年 - フランス クロード・シモン
    1986年 - ナイジェリア ウォーレ・ショインカ
    1987年 - ソビエト連邦アメリカ合衆国 ヨシフ・ブロツキー
    1988年 - エジプト ナギーブ・マフフーズ
    1989年 - スペイン カミーロ・ホセ・セラ
    1990年 - メキシコ オクタビオ・パス
    1991年 - 南アフリカ共和国 ナディン・ゴーディマー
    1992年 - セントルシア デレック・ウォルコット
    1993年 - アメリカ合衆国 トニ・モリソン
    1994年 - 日本 大江健三郎
    1995年 - イギリス シェイマス・ヒーニー
    1996年 - ポーランド ヴィスワバ・シンボルスカ
    1997年 - イタリア ダリオ・フォ
    1998年 - ポーランド ジョゼ・サラマーゴ
    1999年 - ドイツ ギュンター・グラス
    2000年 - 中華人民共和国フランス 高行健
    2001年 - イギリス V・S・ナイポール
    2002年 - ハンガリー ケルテース・イムレ
    2003年 - 南アフリカ共和国オーストラリア ジョン・クッツェー
    2004年 - オーストリア エルフリーデ・イェリネク
    2005年 - イギリス ハロルド・ピンター
    2006年 - トルコ オルハン・パムク
    2007年 - イギリス ドリス・レッシング
    2008年 - フランスモーリシャス ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ
    2009年 - ドイツ ヘルタ・ミュラー
    2010年 - ペルースペイン マリオ・バルガス・リョサ
    2011年 - スウェーデン トーマス・トランストロンメル
    2012年 - 中華人民共和国 莫言
    2013年 - カナダ アリス・マンロー
    2014年 - フランス パトリック・モディアノ


21世紀に入ってからの受賞者ではクレジオとリョサくらいしか知らない。日本で大騒ぎしている(多分に援護射撃の意味が強い)村上春樹そのものがMorris.にはあまり縁のない作家である。テレビのインタビューでファンが「受賞できなかったからといって、春樹作品の真価は不変だ」てなことを言ってたけど、それをいうなら、受賞したって同じだろうと、つい突っ込んでしまった。スウェーデンアカデミーの審査基準というのもはっきりしないし、そもそも多種多様な言語による作品を客観的に評価できるのかどうかの疑問もある。
今日の歩数は4993歩。

2014/10/08(水)●紅い月●
6時起床。
今朝の血圧は190/96/84。
テレビは朝から、ノーベル物理学賞のニュースばかりで、いい加減食傷して、過去の録画のなかから、つまみ観してて、2012年7月放映の名古屋テレビ作成「歌と戦争の時代--日本と朝鮮半島の間で」を、何故かついつい最後まで見てしまう。ソウルでのロケもあったが、朴燦鎬さんの研究室での取材の場面。ああ、またあそこで、韓国歌謡SP盤を鑑賞したいものである。
最近あまり料理してなくて、錆びついたりなまくらになってる包丁を研ぐ。いちおう用途別に4本(出刃、柳刃、菜切り、牛刀)あるのだが、普段使ってるのはこれとは別のペチナイフである。砥石もかなり真ん中が磨り減ってて、これではちゃと研げそうにないが、とりあえず、サビ落とし中心。
途中に大阪ガスが点検にやってきた。3年に一度の定期点検らしい。
その後、国会中継見るともなく見る。川内原発再稼働、集団的自衛権、沖縄基地と大事な質問出るも、自民党は数をたのんでの、杜撰な答弁。だんだん腹が立ってくる。
3時過ぎに自転車で三宮図書館へ。
6時前帰宅。
6時過ぎから月食始まるというので、ベランダからデジカメ撮影。
見る見る欠けていき、6時半前にはほとんど皆既日食状態に。不思議な紅黒い月影はちょっとぶきみでもあった。
10分毎くらいに撮影して、6枚を連続写真風にアップしておく。皆既月食が終わったあとの画像はパス。
今日の歩数は3030歩。

包丁研ぎ 

大安亭八百屋半野良 

同じく 

皆既月食

【ヤクザと原発 : 福島第一潜入記】鈴木智彦★★★
2011/12/20。文芸春秋。

著者は1966生で主にヤクザ界取材するフリーライターらしい。東日本震災後、ヤクザの宮城支援に同行したことから、福島第一原発に潜入取材を思いつき、ヤクザ人脈を利用して2011年7月から8月の一ヶ月間現場作業員として働き、本書を執筆。
この内幕に関して、青木理と対談の動画がYou Tubeでも公開されている。2時間とえらく長めだし、かなり雑な編集だが、Morris.としては青木理の話にいろいろ共感覚える所多かった。

つい堀江邦夫の「原発ジプシー」を連想せずにはいられないが、時代も志もかなりの違いがある。でも、原発底辺の事実を探るという点では共通しているといえないこともない。
本書では、実際の作業描写や著者の感想より、知り合いの地元のヤクザ親分発言が興味深かった。

「こんなちいちゃな街、役場に就職するか郵便局に勤めるか、田畑耕すか、魚穫るか。大きな会社なんてどっこも来てくれない。◯◯電力様様だ。
(建設の)話が表に出たら、街は蜂の巣をつついたような大騒ぎに鳴ったよ。もう土地はこっちで買ってあるし、それから騒いでも遅せぇんだけどな。賛成、反対……みんな好き勝手言うけど、本音を言えば金、金、金、どれだけ儲かるのか、いくら稼げるのか、頭にあるのは金のことしかない。電力会社は普通の企業と規模も体質も違う。バックにいるのは日本政府だ。素直に、はいはい言ってたらなめられちまう。あっちこっちから蟻が群がってきて、儲けがよそに持ってかれちゃうんだ」


「ぶっちゃけた話」という類だろう。しかし、金に目をくらまされた住民も、とどのつまりが、被災難民になってしまうということは想像だにしてなかったろう。

「借金こしらえてにっちもさっちもいかなくなったヤツを使ってくれって、まとめて送ってもらったことがある。使い捨てだから誰でもいいんだ。飯場に住まわせて、にげられないよう俺たちが監視するし、たまには酒も呑ませてやった。といっても、あいつらの給料からガジッた金なんだけどね。それを悪いと言われたら、電力で働いてるヤツら、みんなそれぞれ搾取してっから同罪だよ。ご奉公が終わるまではけっこう気を遣う。それでもトンズラするヤツがいたらきっちりシメる。ろくなもんじゃないんだ。口で説明したって分らねぇよ。
メーカーも分かってるだろ。知らんぷりだけど、汚れ仕事はヤクザにって思ってるんじゃないか。それにみんな元々仲間内だから」


「極道にも三分の利(^_^;)」七分の利は電力に、ワリを食うのは底辺労働者。

「なにか不祥事があり、それが新聞沙汰になっても、東電が怖いのは世論からの批判だけ。どの協力企業も、一度や二度、そういった不始末を起こし、名前を変えて再出発しているし、元請けだってそれは分かっている。実質、ヤクザの会社であっても、兄弟や親戚を社長にすればいいだけだ。狭い田舎なんだから、隠そうたって無理な話で、それは暗黙の了解だ。もともとみんな仲間内なんだから。親戚や友達、先輩後輩……地域が全部グルと思っていい」
暗黙の了解……その後も原発取材で嫌というほど聞かされた言葉である。暴力団でも企業であっても、さも当たり前のようにこのフレーズを繰り返す。暴力団にとって、原発のようにダブルスタンダードと隠蔽体質の上に成り立つ産業は、最高のユートピアかもしれない。事実、原発を運営する電力会社は、警察に尻を叩かれ、ようやく暴力団排除に重い腰を上げたばかりだ。

原発産業がヤクザにとってのユートピアというのは、笑うに笑えない現実である。

「組織のてっぺんたちは、自分の勢力範囲に原発が建設されるだけで、黙っていても金が入るようになっている。よくいう近隣対策費。名目なんてどうでもいい。それをしなきゃ、まともに話なんてすすむわけない。
なにをするって? 決まってるだろ。邪魔するのさ。右翼を使ってもいいし、末端の若い衆をあばれさせてもいい。すんなり金は落ちるね。会社のほうでも織り込み済みの経費なんだろう。電力会社……知らないわけがないと思うが、この時代、さすがに直接の接点はない。窓口になるのは建設業者だ。俺たちにとっては幼なじみの同族だからな」

「電源三法」の甘い汁争奪戦。

「普通にサラリーマンしてる人たちなら、「放射能は嫌だ」っていうかもしれんが、金くれる人がいい人に決まってる。それに電気なかったら困るだろう。一般的に考えて。「じゃあいいよ、電気は売ってやらない。電気停めますよ」そう居直られたらぐうの音もでない。俺たちからいわせれば、ヤクザのやり口と一緒だよ。暴力で脅すか、他の手段で威圧するか、それだけの違いだ」


権力も電力もヤクザと同じ穴のムジナ。当人がいうのだから間違いないだろう。

「ヤクザもんは社会のヨゴレ、原発は放射性廃棄物というヨゴレを永遠に吐き続ける。似たもの同士なんだよ。俺たちは」

これは親分のオヤジギャグだと鈴木は対談で言ってたが、ギャグ以上に本質を突いた発言だと思う。
読後の感想だと、鈴木は、スタンドプレイ的な潜入取材より、人脈を活かした、外側からの聴きこみ取材に徹するべきだったのかもしれない。
しかし、あまりに知られていない福島第一原発事故後の、現場の実情の一端をしらしめるルポという意味では、やはり貴重な一冊ということになるだろう。

2014/10/07(火)●関学~甲山●
6時起床。
今朝の血圧は190/96/84。
朝の3点セット。
10時半に部屋を出て、阪急西宮で乗り換えて甲東園下車。先日原田の森で弦月会(関学美術部)の展示会で知った、関学博物館を訪れることにしたのだった。
関西学院大学はもともと1989年(明治22)王子公園(原田の森)に創立された学園で、1929年(昭和4)現在の西宮市上ケ原に移転した。
学校の建物は、ヴォーリズが全体設計から手がけたということで、前から見に行きたいと思ってたのだが、手続きとか面倒かもしれないと諦めていた。でも博物館(時計台=元図書館)が公開されるのなら、フリーで入れるだろうと思い、行くことにした。
甲東園から15分くらいで到着。正門から真正面に時計台が見え、その真後ろに甲山が見える。これは初めからそうなるように設計したんだろうな。
時計台前は広い芝生広場で周囲に背の高い椰子の木が植えてあり、なんとなく南欧風景(行ったことないけど(^_^;)を感じる。
ここの建物は、スパニッシュ・ミッションスタイルという、ヴォーリーズが得意にしてたスタイルらしいが、Morris.は、どちらかというと苦手なスタイルだった(>_<)
それでもせっかく来たのだから、しっかり見学する。内装や窓などはなかなか見るべきところがある。2代目学長愛用のタイプライターや、戦時中取り壊された英文エンブレムの欠片などは興味深かったし、入り口の壁に原田の森時代のチャペルの写真、これは、現在王子公園にある神戸文学館の元の写真で、なんとなく嬉しくなった。
適当にキャンパス散策。統一されたスタイルの建物がかなり窮屈に建て込んでいるような気がした。正門近くの小さなチャペルの脊柱の柱頭飾りが可愛くて素敵だった。
適当に切り上げて、甲山方面に向かう。関学の北側に西宮浄水場があり、その先一帯が甲山森林公園になっている。
ここで脇道を上ってしまったらしくちょっとした岩場で向かいに甲山が見えるところに出てしまった。そのままここで休憩兼ねて、しばしミニギター(^_^;) 結局2時間近く、くつろいでしまった。
甲山の中腹にそこそこ大きな寺の堂宇が見えるので、とりあえずそこまで行ってみることにする。
神咒寺(かんのうじ)という真言宗の寺で「甲山大師」という別名もあるらしい。ここもなかなか見どころの多い寺だった。境内橋の展望台からはほぼ180度の宝塚西宮神戸方面が鳥瞰できる。
甲山は300mくらいの低山だが、六甲連山から離れた独立峰で、台形の親しみやすい山型が目立っている。感応寺の裏から山頂までは20分くらいで行けそうだったが、ちょっと暗くなったので今回はパス。また来ることにしよう。
寺の下方に仁王門があり、その手前に朝鮮石人像が一対立っていた。2m以上ある大きめの文官で、脇の石碑に、昭和49年、西宮市六湛寺町の雑古春栄という人が奉納したことが書かれていた。境内にはやたら石仏や追悼碑などが多い。
帰りは、大師道下って甲陽園駅に出る。この道沿いにも多くの石仏が並んでいた。
いやあ、やっぱり甲山はMorris.の山歩き向きなスポットである。是非また行ってみよう。
6時半王子公園着。マルハチで買い物して7時帰宅。
ノーベル物理学賞に青色LED開発の日本人研究者3人が受賞したとのニュースで持ちきり。たしかにあれは照明革命というべき偉業だった。わかりやすくてよろしい。
今夜も月が明るく輝いている。明日は日本で3年ぶりの皆既月食とのこと。7時半から8時位が見頃らしい。
今日の歩数は19027歩。

艶青亀虫 

関学博物館(時計台) 

なんとなく南欧風 

展示室 

この窓はおシャレ 

戦時中壊された校章 

記章 

1910年代のタイプライター 

階段 

原田の森チャペル(神戸文学館) 

チャペル 

蟷螂 

西宮浄水場 

パンパスグラス 

甲山 

中腹にお寺が 

甲山バックに(^_^) 

気持ち良い軽登山道 

梵字の石碑 

池に映る甲山 

萩の花 

レリーフ風石仏 

神咒寺多宝塔 

見晴らし良好 

仁王門 

金網が邪魔(>_<) 

下の隙間から撮影(^_^;) 

朝鮮石人像が 

文官A 

文官B 

境内に石仏が多い 

無縁仏 

本堂の裏山=甲山 

パノラマ写真風#1 

#2 

#3 

千手観音 

神咒寺塔頭 

リキの入った賽銭箱 

いい感じの石仏多し 

これも 

これも 

これは一石五輪石塔 

ヤマノイモの種子 

坂口の地蔵さん 

甲陽園への帰り道 

忍冬 

今宵の月 

2014/10/06(月)●大風小虹●
6時起床。
今朝の血圧は202/93/74。
昨夜は台風の大風の吹く中、午前零時5分から、韓国MBCTVで「30周年周炫美SHOW」。これは先月13日と14日にソウルの世宗文化会館で開かれたショーの模様を1時間ほどにダイジェストしたものである。名古屋のえむあいさんや富山の渡り鳥さんはソウルにこのショー見に行ったはずだ。
DEL坊のストリームなので、画質音質はそれなりだったが、やっぱりこれは見逃せなかった。「雨降る永東橋」にはじまり、三連符三部作「梨泰院ブルース」「涙のブルース」「泣きながら後悔」そして新曲「雨のなかで」。ここでクッカステンのリードボーカルコビョンヒをゲストに迎えて「淋しい季節」。この曲は周炫美の古いオリジナルだが、ちょっとフォークっぽい名曲である。一昨年、ファンクラブのペクハンベク会長と公開放送見に行った「コンサート7080」でもこの二人のデュエットがあって、感激した曲である。そしてこの曲から、名人キムクァンソクが生ギターで加わり、しばらく懐メロギターメドレー(アルトゥルハンタンシン、母娘ギター、椿娘等々)。キムクァンソクのギターはやっぱり素晴らしい。
その後中国曲や、アルバム「周炫美と10人の作曲家」でお馴染みの「余白」。フィナーレはヒット曲メドレーそして、ラストはお約束の「新沙洞の人」。ああ楽しかった。
これ、You Tubeにアップしてほしいものである。
台風は近畿方面から東海方面に向かっているようだが、神戸もかなりの強風が吹きまくっている。雨はほとんど降ってないが、自転車だと危ない感じだったので、歩いて摩耶倉庫へ。なかなかの風である。
矢谷くんと草津のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。
お昼に作業終了。
昼飯は近所の王将で日替わりランチ(皿うどんと餃子 690円)。それなりの味(^_^;)
3時半に摩耶に戻ったら、きれいな虹がかかっていた。何かえらく小振りな虹である。普通虹は。広角レンズでなくては、全体を写すのはむずかしいのだが、この虹はMorris.のデジカメでも余裕で全体を撮影出来た。
倉庫に戻ったら、事務所の入り口のガラス戸とが、全体ひび割れ状態。吹き戻しの風で勢い良くドアが閉まった時の衝撃でこうなったらしい。
5時に倉庫出て帰り道、また虹が出ていた。こんどのは普通の大きさだった。
マルハチで買い物して6時前帰宅。
屋上に上がったら、雲の上に風情のある月が出ていた。今夜は十三夜である。「後の月」とも呼ばれるが、今日の月はまさに台風の「後の月」でもある。
BS朝日で広島-巨人の最終戦。見るともなく見る(^_^;) 前健3点取られて、結局4-1で巨人が勝ち、広島は3位に終わった。これで阪神は2位確定、11日からの2位と3位の敗者復活戦は、甲子園で試合できることになったらしい。
今夜のKBS歌謡舞台1388回は"진주의 가을 서정晋州の秋の叙情“と題して、1時間半の特番。何かこのところ歌謡舞台は、椀飯振舞のような気がする。
  
1) 진주라 천 리 길晋州千キロの道・/추억의 소야곡追憶の小夜曲/전 출연자全出演者
2) 무너진 사랑탑崩れた愛の塔/현철 ヒョンチョル
 3) 청춘고백青春告白/문연주ムンヨンジュ
 4) 이별의 부산 정거장別れの釜山停車場/우연이ウヨニ
 5) 낙화유수落花流水/설운도ソルンド
 6) 경상도 아가씨慶尚道娘/문희옥ムンヒオク
 7) 물방아 도는 내력水車の回るわけ/이혜리イヘリ
 8) 번지 없는 주막番地の無い酒幕/배금성ペグムソン, 신유シニュ
 9) 타향살이他郷暮し/김용임キムヨンイム
 10) 논개ノンゲ/이동기イドンギ
 11) 십 분 내로10分以内に/김연자キムヨンジャ
 12) 잡지 마触れないで/문연주ムンヨンジュ
 13) 벌 나비 꽃나비蜜蝶花蝶/배금성ペグムソン
 14) 이봐요ほらっ/문희옥ムンヒオク
 15) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/진미령チンミリョン
 16) 나그네 설움旅人の悲しみ/조항조チョハンジョ
 17) 짝사랑片思い/김연자キムヨンジャ
 18) 부초 같은 인생浮草人生/김용임キムヨンイム
 19) 시계바늘時計の針/신유シニュ
 20) 모르나 봐知らずにいて/이혜리イヘリ
 21) 정 정 정情 情 情/한영주ハンヨンジュ
 22) 추억 속으로追憶の中に/설운도ソルンド
 23) 고장 난 벽시계壊れた掛時計/현철ヒョンチョル
 24) 우연히偶然に/우연이ウヨニ
 25) 간다 간다行く行く/김수찬キムスチャン
 26) 미운 사랑憎い貴方/진미령チンミリョン
 27) 사랑 찾아 인생 찾아愛探し人生探し/조항조チョハンジョ
 28) 대지의 항구大地の港/전 출연자 総出演者


晋州はナムインス(南仁樹)の出身地ということで、今夜のプログラム最初から6曲くらいはすべて彼のヒット曲である。
キムヨンジャの「10分以内に」は、好きな曲だが大ヒットはしなかったが、時々ノレチャランで歌われるし、キムヨンジャ自身もこうやって歌ってくれるけどね。
今日の歩数は6075歩。

30周年記念チュヒョンミショー

締めは「新沙洞の人」 

午前6時の空 

近所のコンビニ前 

不思議な空 

午後3時半の虹 

事務所のガラス戸が(>_<) 

午後5時の虹 

ガガイモ 

灘南の箱入り三毛 

トンネルにいたキャタピラ 

夕雲 

白粉花変り柄 

今宵は十三夜 

六甲山方面 


2014/10/05(日)●嵐の前の●
6時起床。
今朝の血圧は190/84/74。
西根くんと大阪天満の上海向け航空便と、宮城の実家向けローカルピックアップ。
12時開始のしごということで、午前中時間あるので、処分の洗濯機、中江くん宅に運んでもらおうと思い、電話するも、通じず(>_<) 不在なのか、熟睡してるのかわからないが、残念ながらパス。
現場は堀川稲荷のすぐ近く。しばし散策。
早めの昼食は、近所のインドカレー屋でバターチキンカレー(750円)。不味くはなかったけど(^_^;)
4時作業終了。
6時帰宅。
台風18号は今夜から明日の朝関西の南を通る模様。明日は「ストーミー・マンデイ」になるかな。
月末にあの「ナースのお仕事」が二日間だけ戻ってくるという情報。稲田さんがぐいぐい酒場に書き込んでくれてた。Morris.はあのドラマにははまってたもんな。12年ぶりの復活だと。これは絶対録画しておかねば。
今日の歩数は4781歩。

高橋のシロトラ 

西郷川沿いの白雉 

自転車籠にプロペラ種子(庭漆)

堀川戎神社 

身土不二恵比寿? 

地車曳く狐絵馬 

神社の地車 

レトロな文化住宅 

バターチキンカレー 

2014/10/04(土)●言論抑圧モード●
6時起床。
今朝の血圧は200/97/73。
荻野くんら3人で尼崎の上海向け航空便と倉庫保管荷物ピックアップ。
階段三階だったが、若いバイトくんがほとんどかついでくれた。
12時半作業終了。
深江東市場のオリーブキッチンのサービス定食、今日は手ごねメンチカツ。これで670円はお値打ちである。
大阪土佐堀の三井倉庫に荷物搬入。
摩耶倉庫に3時過ぎ戻り、4時半帰宅。
大型台風18号は大東島附近に位置している。明日明後日にはかなり影響が出るかもしれない。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」今週は、「言論抑圧 主役はあなたです」と題して、元朝日記者の大学教授と非常勤講師への脅迫と、その対応から、言論抑圧の深層を論じている。

帝塚山学院大学と北星学園大学で起こった二つの脅迫事件は、「卑劣な言論弾圧事件」と言えば、そう言えないこともない。が、それ以上に、現代的なメディア犯罪の特徴をより多く備えている。 なんとなれば、「当事者」の顔がほとんど見えないからだ。
言論を窮屈にするのは、まずなによりも、権力のサーベルであるよりは、跳ね上がりの素人運動家の怒号であり、考えの浅い人間たちの徒党がもたらす雰囲気なのだ。
というよりも、本格的な言論弾圧は、「世論」の後押し無しでは貫徹できないのであって、戦前の言論弾圧においても、その背景には一般大衆の熱狂とメディアによる誘導が強く関連していたはずなのだ。


小田嶋は中公新書「言論抑圧・矢内原事件の構図」(将基面 貴巳)から多くを引用して、戦中の弾圧が、政府当局だけでなく、マスコミの自主規制、在野右翼、世論の圧力によって補強されたことにかんがみて、現在のネット社会ではそれが増幅されることの危険を不安視している。うーーん、共感するものの、ちょっとウツになってしまうなあ。
今日の歩数は5026歩。

今朝の南東の空 

高橋のシロトラ 

GLOBAL VANGUARD

【福島原発の闇】 文・堀江邦夫 絵・水木しげる ★★★☆☆ 2011/08/30 朝日新聞出版。
松岡正剛の千夜千冊の「福島原発の闇」で本書のことを知り、遅まきながら目を通すことが出来た。

人知れず眠っていたこのルポが見つかったのは、週刊朝日臨時増刊「朝日ジャーナル 原発と人間」の編集作業の最中だった。福島原発に関する過去の文献を集めていた週刊朝日の堀井正明記者が、1979年の「アサヒグラフ」10月26日号・11月2日号に掲載されたルポ(原題「パイプの森の放浪者」)を見つけた。
テキストが『原発ジプシー』の著者、堀江邦夫さんんのものであることも驚きだった。下請け労働者として過酷な作業現場の実態を明らかにした堀江さんが『原発ジプシー』の刊行よりも真似い書いたということは、これはおそらく福島原発の現場について日本で最初に発表されたルポである。(2011年の解説 林るみ)


いま、振りかえってみると、原発という職場がもつ一種独特の"雰囲気"が、無言の圧力になって私たちに沈黙を強いていたように思えてならない。
かつて大戦中には、「戦争反対」を唱えると、いや戦争への不安や不満をほんの少し口にするだけでも、たちまち"非国民"扱いされたというが、こと原発現場も同じだった。
たとえ原発の安全性に疑問・不安を抱いたとしても、それをそのまま口にできないような、そんな言い知れぬ"雰囲気"が原発全体を厚く覆っていたことはたしかだ。
Nさんが福島原発近くの雑木林のなかで自らの命を絶ったのは、スリーマイル島原発事故発生からわずか数日後のことだった。
「原発の仕事も考えもんだ」という遺書をのこして……。


1979年3月28日、スリーマイル島原発事故。このとき堀江は3つ目の敦賀原発で働いていた。その時の回りの雰囲気を思い出して書かれた文章だが、戦時下の圧力と共通するものが原子力社会にあることを、身をもって体験した堀江の感想は重い。

原発のもつもうひとつの顔が、ひそかに、しかも確実に社会全体を覆いつつありました。ドイツ生まれの作家ロベルト・ユンクがその著『原子力帝国』のなかで、原子力は強力な警察・管理国家をもたらす、と警鐘を鳴らしていたとおり、たとえば1974年には米国の核燃料製造所に勤務する女性技術者が内部告発資料を持ちだしたとたん不審な自動車事故に遭い死亡する事件(カレン・シルクウッド事件)が起きていましたし、私のような売れないものかきでさえ、1977年、取材の途中で原発のPR館を見学しただけで電力会社から警察に通報され、県警による長時間の取り調べを受ける、といった不快きわまる経験をしていました。(「あとがき」にかえて)

取材中にも干渉、妨害、嫌がらせが多々あったらしい。『原発ジプシー 増補版』のあとがきには、出版後、東電が仮名の登場人物を特定しようとやっきになった、という事が書かれていた。
本書の著者紹介によると、86年から沖縄に居住。90年から沖縄大学で「記録文学ゼミ」の口座をもち、同人誌「沖縄を記録する」を主幹するなど、新しい活動を続けて来たらしい。
ただ、増補版のあとがきに、病み上がりという発言があった。これが、原発取材時の放射能後遺症ではないかと、ついつい疑わずにはいられない。

順序が逆になったが、本書の見どころはやはり、水木しげるの画である。当時ほとんど知られていなかった、原発内部の世界を、堀江の話と、一度だけの現地取材(外から眺めただけ)で、これほどの絵が描けるというのは、鬼才というしかない。

水木さんは、いささか自信なげに幾枚かの絵をテーブルにひろげてみせてくださった。目を見張った。原発内のあの闇が、あの恐怖が、どの絵からも浮かび上がってくる。マスクをかぶったときの息苦しさ、不快な匂い、頭痛、吐き気までもが甦ってくる。(「あとがき」にかえて)

初出の「アサヒグラフ」は四六4倍版(335☓255)という、大判だったらしいが、本書はA5版(210☓148)と小振りで、ちょっと物足りない。ただ、ところどころに部分拡大図が挿入されていて、これがまたすごい。点描で丹念に描かれた水木独特の非現実的な空気や水やヘドロやパイプの表現が、放射能という妖怪を具現化しているようだ。

2014/10/03(金)●デッドヒート●
6時起床。
今朝の血圧は180/89/76。
インチョンのアジア大会も明日が閉会式らしい。今朝はマラソンやってたので、見るともなく見てたのだが、まれに見るデッドヒートレース。ゴール会場に3人が一団で入ってきた。そのうち二人が日本人選手(松村と川内)。もう一人がバーレーン。結局一位はバーレーンのマハブーブ、1秒遅れで松村が二位、4秒遅れで川内が三位という結果に終わった。日本の二人は大健闘だったと思う。
昼からJRで新長田まで行き、新長田図書館に寄り、そのあと兵庫図書館まで歩く。散歩を兼ねてだけど、実は、先日読んだ「原発ジプシー 増補版」が新長田図書館に無くて、兵庫図書館にあることがわかったためでもある。
5時半帰宅。
BS-TBSで岩谷時子の2時間特集やってた。やっぱり彼女は素晴らしい国民詩人だったとあらためて思う。
今日の歩数は6554歩。

郵便局の木「多羅葉(たらよう)」 

長田の白黒 

長田の黒 

長田の白雉 

パンパスグラス 

高架57 

兵庫駅天井 

兵庫駅階段 

おしゃれな絵葉書(from深町) 

【文学は、たとえばこう読む】関川夏央 ★★★☆☆  2014/05/27 岩波書店。
「「解説」する文学Ⅱ」という副題があり、2011年刊行の『「解説する文学』の続編である。
前作では、司馬遼太郎関連が半分近くを占めていたが、こちらは4つのくくりで30篇の解説が収められている。草森紳一の「随筆 本が崩れる」に取材した前書き風の文章があるから、31篇というべきかもしれない。

本はゴミだ。いまや蔵書はゴミの山だ。
老人が死ぬと、たいせつにしていた記念切手がたくさん出てくる。だが市場はもう存在しない。2011年、最後の大きな切手屋さんが店じまいした。店じまい前にも、未使用の切手なら額面5円、10円でも郵便物に貼って使った方がいいですよ、といっていた。それに似ている。
古書はもっとひどい。百科事典や文学全集は資源ゴミにすぎず、故人の蔵書は遺族にとってたんに場所ふさぎである。
普通人が本棚を本で埋めたがる時代は、だいたい70年つづいて1995年頃終った。(前書がわりの一文)


そうか、日本じゃ切手収集の趣味は実質上消滅してしまったのかあ、って、本題は、古書の方だった。Morris.は典型的な図書館型読書人(^_^;)で、蔵書というものは無いに近い。スチール本棚2本に、レファレンス系(辞書、事典類)、韓国歌謡系(歌本)、詩人全集、料理系、ヴィジュアル系(絵本、デザイン本、写真)、漫画に。もともと古書的価値も何もない。

大正は、日本が大衆化社会への第一歩を踏み出したはげしいひと時代であると先に述べた。「戦前」は実は昭和三十年代なかばまで細々とつづき、高度成長下の破壊的建設によって息絶えたのだとすれば、明治も大正まで生きのび、大正12年の大震災によって命脈を絶たれたのである。(『大東京繁盛記 下町篇』)

特に東京は関東大震災が節目だったと思う。戦後が昭和30年代まで続いたというのは、ちょっと異論があるけどね。

長いあいだ太宰治の小説が若い人たちに愛読されたのは、彼が自分の弱さをちっとも隠そうとはしなかったからです。誰もが自分の弱さに悩んでいますから、彼の小説は共感を呼んだのですが、おとなたちは太宰治が好きだというとあまりよい顔をしませんでした。それは彼が自殺の常習者であったり、ちょっと情けないというイメージが強かったためです。(太宰治『走れメロス 富嶽百景』)

弱さを隠さないという、一種の露悪趣味みたいなもので、若者に受けているというのはどうだろう。太宰の魅力は別所にあると思うのだが。

健康で長生きできればその生の内容は問わないという傾き、強いて名づけるなら「明るい虚無主義」の生まれた背景には、物質的に充足し生活水準が向上するに従って日本文化は衰弱していくとう逆説的かつ重大な主題がひそんでいるのだが……(足立倫理行『北里大学病院24時』)

「明るい虚無主義」は、Morris.の代名詞みたいに使ってた言葉だが、それを「長生きできれば生の内容は問わない」と、定義されると困ってしまう(^_^;) 充分長生きしてしまったMorris.だが、別に長生きしたかったわけではないし、内容は、問わないわけじゃない。(実質的に伴わないとしても、ね)

日本の北朝鮮観は、長く歪んだままに放置されていたい。その実態が新興宗教的独裁政権であるのに「進歩性力」と意図的に誤解されたのは、韓国に成立した朴正煕政権を「軍事独裁」として排撃したいためであった。
「進歩派」には、日本社会で感じたフラストレーションをよく知りもしない外国に仮託する傾向があり、それは朝鮮半島において著しかった。59年末からはじまった北朝鮮への「帰国運動」では、日本人によって書かれた根拠の無い北朝鮮賛美の本と、他国の民族主義に対してのみ情緒的にかんようであるセンスがそれを支え、結果として9万4千人の在日コリアンの人生をだいなしにした。そして、北朝鮮が民族主義の名のもとに抱えこんだ根深い差別感情と迫害によって、多くの帰国者の命が失われた。
87年、大韓航空機爆破事件では、拉致された日本人女性に教育を受けた若い女性工作員と初老の男性工作員、ふたりの北朝鮮人が日本人をよそおった実行犯となった。このとき、もし女性工作員が男性工作員のように首尾よく自殺を遂げていたならば、確証はないものの、日本人の犯罪とされる可能性が高かった。少なくとも韓国民族主義はそう受けとめただろう。とすれば日韓関係は修復しがたいまでに歪んだはずだから、この大韓航空機爆破事件は二重の意味での国家テロであった。(高世仁『拉致-北朝鮮の国家犯罪』)


快著『退屈な迷宮』の著者だけに、鋭い指摘である。
特に、北朝鮮への帰国事業への、日本の政府、マスコミの対応は、いくら糾弾してもしきれない。犯罪というべきかもしれない。朝日新聞も、慰安婦関連、や福島原発所長発言の、訂正お詫びの前に、この帰国事業への陳謝をなすべきだろう。まあ戦時中の大本営発表のこともあるし(^_^;)
また大韓航空機事件の件。確かに金賢姫が生きながら逮捕されて韓国での取り調べが、無かったとしたら、まさに北朝鮮の思う壺というか、関川の言うように日韓関係はとんでもない事になってた可能性が高かった。かなり高度の政治テロだったんだ。うーーん、やっぱり関川には本質が見えてる。

『戦争広告代理店』は、松本清張的陰謀史観からいまだ抜け出せず、情報操作といえば邪悪な意図のもとになさえるものとのみ信じていた、平和な(ナイーヴな、イノセントな、アンリアルな)日本人に衝撃を与えた。広告もPRも、商品を売るためにだけあるのではなかった。国際関係や外交、戦争のためにそれはあるのだった。いや、国際関係、外交、そして戦争もまた商品なのである。(高木徹『大仏破壊』)

「松本清張的陰謀史観」(@_@) これにもびっくりである。Morris.はいまだに、この史観に囚われているところがあるような気がしてきた。Morris.の脳天気さに対するきつーい一発だった。

批評眼とは、ものごとを因数に分解し抽象する能力である。そして、それを物語化できる教養の力量である。それが、いしいひさいちには備わっている。他の表現ジャンルを横断して、ここまでユーモラス、かつあざやかな批評の物語はないと私は信じる。(いしいひさいち『踊る大政界』)

いしいの漫画には、よく関川が登場する。二人は仲良く喧嘩する付き合いらしい。「バイトくん」「タブチくん」の頃のいしい作品は結構見てたのに、そのあとは縁遠くなってしまっている。Morris.は、難しい漫画は苦手なのだろう。

いわゆるトーク番組は、まるで酒場の悪ふざけのようだ。大物タレントは酒席で接待されている感じで、一方群小タレントは大物のご機嫌をひたすらうかがい、ナンシー関の言葉を借りれば「傘下」に入ったことを身をもって示しながら、業界での生存を画策するばかりだ。
思えば民放テレビとは、近年のドラマにおける身も蓋もないご都合主義も含め、日本社会の繁栄そのものである。
テレビ評などというしろものをやっているわけではなく、テレビ的現象から見とおす現代史研究というまったく新しいジャンルの開拓者であり実践者である彼女(ナンシー関)は、やはりテレビとつきあってしまう。それはしようがないことだろう。
へらへらしながらあぶないことをいう姿勢をつらぬきつつ、高度な論理性を内包した新鮮な口語的文体を駆使して、批評し分析する。それは大衆化社会の極北に生を受けた天才・ナンシー関の仕事、というか宿命だと思う。やはり業だよ(断定形)これは。(ナンシー関『テレビ消灯時間』)


ナンシーが亡くなる2年前に書かれたものである。トーク番組はあの頃からああいうふうだったんだな。
とっくにテレビがつまらなくなっていたとしても、ナンシーがいなくなって、テレビはさらにさらにつまらなくなってしまった(;;)

内田樹の書くものは、難しいが軽い。重いのにやさしい。
話し言葉的速度は、書き言葉の難しさに対して軽さを、重さに対してはやさしさを注入する。その速度は、おもに電子的記述によってもたらされた。
速度が快(速い)であることは、書く(話す)側の精神にも快で、ストレスは相当部分消える。また「推敲癖」からも人を自由にする。推敲は言語表現の重要な一部であることに間違いはない。しかし、それがひとたび「癖」となると人を縛る。自意識の「かっこつけ」につながりやすい。
60年代末から70年代初頭にかけて、大学のキャンパスで流行した野蛮な「ものいい」にはいまでも赤面を禁じ得ないが、思えばあれは「理論」に関する雑学コンテストであった。いま、居酒屋などでオヤジ同士が通俗知識を披瀝しあって盛り上がる現場をたまたま目撃したときに感じるいたたまれなさと同質である。私たちはそういう時代を通過した。通過せざるを得なかった。(内田樹『知に働けば蔵が建つ』)


「推敲癖」うーーん、Morris.にはいくらかこの癖はあるようだ。つまり「かっこつけ」た文章になるってことか。要注意である。
「理論の雑学コンテスト」(^_^;) これもちょっと身につまされる発言である。Morris.(1949生)は関川(1949生)、内田(1950生)とほぼ同世代であり、共通した恥ずかしさを共有しているということになるのだろう。

山田風太郎が好んで描く明治前半期こそ、旧モラルを捨てようとしてもいまだ新しいモラルを見出せないという意味で、日本人の精神のまことに混沌たる時代であった。また、このような価値紊乱期は小説構成上の基点が定まらないという意味で、善悪の判断が日ごと場所ごとにかわる14世紀の南北朝時代とおなじく小説にはしにくいものである。タブーとさえいわれてきた。
しかし、だからこそ山田風太郎はこの時期を選ぶのである。それは小説家としての地震と探究心のあらわれにほかならないし、その企てはみごとに成功した。(山田風太郎『明治波濤歌』)


風太郎といえば、まずは忍法帳から始まる(もちろん乱歩編集時代の雑誌『宝石』時代の推理小説が先だが)のだが、後期の開化ものシリーズで、その才能が大輪の花を咲かせたと思う。開化ものを再読しなくてはと思う。

オランダ帰りのこの海将(榎本武揚)が、義と侠の旗の下に五稜郭で壮烈な死をとげていたら、あるいは彼こそ、維新の嵐における最大のヒーローとなり、それどころか永遠に日本人を鼓舞する幾人かの叙事詩的英雄の一人として残ったのではあるまいか。(「それからの咸臨丸)

これは風太郎作品からの引用だが、確かに榎本武揚は、傍観者的無責任を承知で言えば、死に場所死に時を誤った人物なのかもしれない。
本書は編集子の念の入った手際の良さで、前半にタイトルの依るところの日本文学の代表作家の作品解説が並んでいる。Morris.は、これらを、風太郎の「人間臨終図巻」を参照しながら読んだ。
72歳で死んだ榎本の項には、上記の文章がほとんどそのまま(五稜郭で死んだら享年三十三だったということが追加されてる)掲載されていた。

2014/10/02(木)●重陽●
6時起床。
今朝の血圧は198/82/71。
今日は旧暦9月9日、重陽の節句である。奇数の月の重なる日は、名節となる。
1月1日(元日)、3月3日(桃の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)だが、重陽は一番地味というか、あまり知られてないようだ。いちおう菊花の節句ということになるのだろう。
木曽御嶽山噴火は、今日現在47人の死亡確認、これは火山災害としては、平成3年(1991)の雲仙普賢岳土石流での43人死亡を超えて、戦後最悪の災害になった。
今シーズンの野球は終わった(^_^;)ということで、知らん振りしてたMorris.だが、今夜は、パ・リーグのオリックス☓ソフトバンクはついついテレビ観戦することになった。ソフトバンク勝てば優勝、オリックス勝てば残り2試合でマジック1、引き分けならマジック2という、きわどい状況。もちろんMorris.はどちらを応援するということもないのだが、今日の試合は緊張感あふれるいい試合だった。結果は延長10回裏ソフトバンクがホームのスタンドで2-1のサヨナラ勝ちでリーグ優勝を決めた。セリーグもこのくらいしのぎをけずるシリーズだったらよかったのに。
このあと、敗者復活戦みたいなのがある、というのが、ピンと来ないのだが、これも商売だからしかたがないのかもね(^_^;)。
今日の歩数は3438歩。

ソラナム(観賞用トマト) 

ロシアンブルー? 

茄子 

水道筋駐車場雉」 

鷹羽薄 

城内通の白 

【女たちの<銃後> 増補新板】加納実紀代 ★★★☆ 1995/08/25 インパクト出版会。
先日読んだ「ヒロシマとフクシマのあいだ」の著者の専門分野である戦時下の日本女性論。犠牲者として取り上げられることの多かった、「銃後」の女性たちにも、戦争責任があったという視点は貴重でもある。

序章 私の「原爆の図」
1章 銃後への胎動--1930年代の女たち
2章 銃後の組織化--国防婦人会を中心に
3章 それぞれの銃後--奥村五百子、高群逸枝、八木秋子、長谷川テル
4章 銃後のくらし
5章 女たちの八月十五日--銃後の終焉
終章 生きつづける天皇幻想

「満州事変」がはじまって3年目の193年10月1日、陸軍省は『国防の本義と其強化の提唱』なる小冊子を刊行した。これは、ふつう「陸軍パンフ」と呼ばれるが、このB6版46ベージにすぎないちっぽけなパンフレットが、国内に与えた衝撃は大きかった。冒頭に書かれた「たたかいは創造の父、文化の母である」という高らかな戦争賛美もさることながら、これまでの戦争観の改変を強力に国民に迫るものだったからだ。
植民地再分割をめぐって戦われた第一次世界大戦は、人類の歴史はじまって以来の大規模なものであり、この戦争ではじめて登場した飛行機、潜水艦、戦車等は、戦争の帰結を大きく左右したが、それらの兵器は、<物質的資源>をとてつもなく消費するものであったし、また、それらを用いての戦闘は、これまでとは比較にならないスピードで、<人的資源>を消費する。
したがって、戦争の勝敗は、大量に消費される<物的資源>、<人的資源>を、いかに早く、いかに多く補給し得るかにかかっている--。
そこから「陸軍パンフ」に盛られた総力戦構想が生まれ、その具体化が日中戦争開戦二ヶ月後に発足した国民精神総動員運動であり、1938年4月公布された国家総動員法であった。
男は国外の<前線>に、女は国内の<銃後>に--。侵略戦争のなかで。これまで<家>の内と外に分けられていた性別分担役割分業は、その規模を、一挙に国家大にまで拡大したのだ。こうして女たちは、特に日中戦争i以後、侵略戦争の<銃後の女>として、総動員体制のなかに、がっちりと組みこまれていく。(2章 <銃後>の女への総動員)


戦時下の国民を「人的資源」と見れば、男は兵隊、女は銃後という形で総動員体制に組みこまれるのは、当然の成り行きになるわけで、戦争で、これらが「大量に高速で「消費さ」れる」というところがキモだろう。使い捨てであり、当然「産めよ増やせよ」ということになる。

銃後の妻の不品行に目を光らせた国防婦人会は、一方では、いわゆる「商売女」に対しては寛容であった。国防婦人会発祥の地大阪では、今里新地、飛田遊郭等の芸姑、娼妓の集団入団あいつぎ、東京でも、佃島、須崎等の女たちが大挙して入会している。
中国大陸の国防婦人会についても同様のことがいえる。1937年11月、教育界の前線慰問団の一人として、「満州」・中国を訪れた志垣寛によれば、中国奥地の日本軍部隊には、日本人娼婦や、「朝鮮ピー」、「満ピー」と呼ばれる多数の朝鮮人や中国人の娼婦がいた。彼女たちは、兵士たちの性欲の処理を引き受ける一方、昼間は、国防婦人会のたすきをかけて洗たくをしたり傷の手当てをしたり、かいがいしく兵士たちの世話をしていたという。
以後日本軍は、行く先々に従軍慰安婦と呼ばれる女たちを伴い、やがてその女たちには、強制連行された年若い朝鮮女性があてられることになる。
銃後の女たちに「日本婦徳」をいい、「貞操」を求めた「皇軍」は、一方では、前線においてこうした「現地妻」を伴っていた。その相矛盾する男たちの要求に、二つながらこたえたのが国防婦人会であった。(2章 <銃後>の女への総動員)


国防婦人会の発祥地が大阪だったというのは、なんとなく分かるような気がする。軍隊の「性欲処理」として設けられた慰安所の女性たちが、国防婦人会に入って活動していたというのは意外だった。

(<皇国史観>とは)「記紀」にあらわれる建国神話を歴史的事実とし、万世一系の天皇が連綿としてこれを治め、一君万民、その統治原理が支配-服従の関係ではなく家族的情に結ばれていること。それを世界に比類なき価値として、その観点から日本の歴史を裁断する、そしてそれを<八紘一宇>に見られるように単に日本のみではなく世界に広めるべき価値だとする--。
そういった歴史観を、<皇国史観>とするならば『日本婦人』にあらわれている高群の姿勢はそこから大きくはずれることはない。(3章 高群逸枝)


何気なく用いられる「皇国史観」の分かりやすい説明として、引用しておいた。

混食は、麦、あるいは大豆や野菜の炊き込みごはんである。長野県飯田市では、ある食堂に主人が、40年7月1日の興亜奉公日に「戦時代用食」として焼そばと焼飯を売りだしたところ大好評。現在、大衆食堂のもっともポピュラーなメニューである焼そば、炒飯の普及のきっかけは、どうやら「戦時代用食」にあるらしい。
野菜炒めは、戦時下の食糧不足・燃料不足、調理器具不足、そして主婦の時間不足というないないづくしのなかで、なんとかカロリー不足を補おうという、主婦の努力の結晶だったのだ。日本の家庭に「炒める」という調理法が一般化したのは、戦争のおかげ(?)だった。(4章 台所と国家)


これは雑学ネタとして面白かった(^_^;) いささか信ぴょう性に欠けるけどね。

マスメディアの発達は、より多くの人が、同時に、同じ情報を受けとるということであり、したがって、マスメディアを支配するものの意向が社会全体の動向を決定することも可能になる。それをもっとも意識的に行なったのがナチス・ドイツの支配者であり、彼らの情報支配を熱心に学んだのが、日本の戦争指導者であった。(5章 女と戦争と情報)

これがいわゆる国家的プロパガンダだな。
本書の中で、一番興味深かったのは終章で、中でも、戦後、GHQの編成で作られたラジオ番組で流された太平洋戦争の開戦に関する天皇発言を巡る、考証と分析である。

NHKラジオで46年2月から毎日曜夜放送された「真相箱」(「真相はこうだ」のタイトル変更)番組20回分を書籍化した『真相箱』(1946年8月刊 GHQ民間情報教育局=CIE編)の内容は、聴取者からの質問に答えるという一問一答形式で構成されている。
45年9月27日の天皇の第一回マッカーサー訪問、そこでの天皇発言を引用している。太平洋戦争開戦を認可した理由として、天皇はマッカーサーに次のように述べたというのだ。
「もし私が許さなかったら、きっと新しい天皇がたてられたでしょう。それは「国民の意志」でした。ことここに至って、「国民の望み」にさからう天皇は、恐らくいないのでありましょう」
つまり、米英への開戦は、「国民の意志」、「国民の望み」であり、それも天皇が認可しない場合は、退位を迫るほどの強いものだったので、従わざるを得なかった--というのだ。これが放送されたのは46年春あたりと思われる。
この天皇発言は『アカハタ』46年6月11日号にもとり上げられているが、ここでは、アメリカの週刊誌『ライフ』(46年3月4日号)、リチャード・E・ローターバッチのレポート「秘められた戦争計画」からの引用であることが明らかにされている。
アメリカのジャーナリスト、ジョン・ガンサーの『マッカーサーの謎』には、開戦を許さなければ、「国民はわたしをきっと精神病院かなにかにいれて、戦争が終るまでそこに押しこめておいたにちがいない」と天皇が答えたことになっている。これも、開戦責任を「国民の意志」にもとめるものだ。
私が気になるのは、当時これを聞いた日本国民の反応だ。『ライフ』や『アカハタ』を見る国民は少なかったろうが、この発言はラジオで放送され、さらに本にもまとめられている。かなりの国民の眼や耳に触れているはずだ(敗戦時ラジオの聴取台数は572万)。
この天皇発言は、明らかに事実に反している。国民はけっして積極的に米英との戦争を望んではいなかった。
にもかかわらず、この天皇発言が当時問題に鳴らず、現在にいたるまで批判の対象になっていないのはどうしたわけか。
十数年前、天皇は、開戦は政府が決めたが、終戦の断は自分が下したといった<いいとこどり>的発言をしたが、これに対しては数多くの批判があった。しかしそれ以上に億面もない自己保身と無責任に貫かれたこの発言に、批判がないどころかその事実すら知られていないのはなぜなのだろう。
民衆の<戦争責任>という観念の希薄さ、<天皇制>に対する認識不足--この二つが相まって、開戦責任を国民に転嫁する天皇発言を、ただ聞き流させてしまったのではないか。
戦争を天災視する意識からは、<戦争責任>、とくに<開戦責任>を問う姿勢は出てくるはずはない。それどころか逆に、戦争が「終わった」ことの喜び、戦争を「終わらせてくれた」ものへの感謝が先立つ。
こうした動きをみるとき、敗戦直後の「天皇制妥当」運動の誤りをつくづくと思う。
当時「天皇制妥当」をいうことは、つまりは<革命>の呼びかけであった。革命とは、もちろん支配機構、国家機構の変革であり、そのための権力奪取が不可欠だが、それだけでは充分ではない。民主主義革命であれ、社会主義革命であれ、その過程で民衆が自らの被支配状況に気づき、それをもたらすものを自覚的にとらえ、そこに向かって怒りを結集する--、つまり民衆の主体形成が伴われなければならない。民衆の主体形成を伴わない権力奪取は、ただの権力交代であり、革命の名に値しない。
46年5月19日の「食糧メーデー」が25万の大衆を集めて盛り上がりを見せたのは「朕ハタラフク食ッテルゾ 汝人民飢エテ死ネ ギョメイギョジ」(松島松太郎が掲げたプラカード)に共感する人も多かったからだろう。
ここであらためて思うのは、先に記した「真相箱」の天皇発言、「開戦は国民の意志」という発言をなぜもっと有効に使わなかったか、ということだ。運動が鎮静に向かった6月になってから『アカハタ』の小さな囲みで『ライフ』の記事を引用し、天皇の無責任を糾弾してみてももう遅い。4月から5月にかけての有利な客観情勢のなかで、民衆の天皇への幻想くずしの武器としてなぜもっと有効に使わなかったか。
根本的原因は、3月に提示されたGHQ製新憲法草案、そこにある「象徴天皇制」の問題点を見抜きえなかったからではないか。たしかに新憲法の「象徴」規定によって、天皇制は「軍事的警察的国家機構」ではなくなった。しかし、さきにみたように民衆にとっての天皇制は、もともと清瀬一郎の発言にあるように「平和的」かつ「民本的」、つまり「象徴天皇制」そのものであった。こうした民衆の天皇制認識があったからこど「軍事的警察的」天皇制もあり得たのであり、状況によっては「平和的民本的」にもなり得れば「軍事的警察的」にもなり得るところに天皇制の本質はある。(終章)


現行日本憲法の「象徴天皇」への異議申立であり、戦後の取り返しの付かない「失策」への憤りでもある。しかし、これこそ「後の祭り」という感が拭えない。
天皇制そのものが、もともと「無責任」な制度なのかもしれない。

2014/10/01(水)●衣更え●
6時起床。
今朝の血圧は177/95/65。
朝の3点セット。
今日から10月。10月は黄昏の国といったのは、ブラッドベリというか、彼の短篇集のタイトルだった。
今日はたしか柏原芳恵の誕生日だ。彼女も49歳になるらしい。
昼前自転車で、春日野道から大安亭方面。猫撮りと買い物。
3時帰宅。
見るともなく、国会中継見る。各党代表質問みたいなもので、質疑応答でないこともあって、安倍晋三の答弁は、誠意も熱意もない現行棒読み。
次世代の党という耳慣れない党(例の石原慎太郎の党だった)の代表質問に平沼赳夫が出てきて、おっそろしいくらいの、旧右翼的言説(>_<) に、ちょっと呆れてしまったよ。
今日の歩数は1196歩。

春日野道スキヤ雉 

大安八百屋猫連 #1 

#2 箱入り 

#3 これが飼猫 

#4 他は食客 

#5 バックネット裏 

【原発ジプシー】堀江邦夫
★★★☆☆  1979/10/26 現代書館。
1978(昭和53)年9月から79年4月まで、美浜、福島第一、敦賀の三箇所の原発で、下請労働者として実体験した、作業の内容、原発の底辺労働者の実態を記録した、一種の潜入ルポである。「原発=科学」の虚妄を剥ぐ体験ドキュメント」と副題がある。
鎌田慧の「自動車絶望工場」(1970)に範を取ったものといえるかもしれないが、舞台が原発という特殊な場所だけに、決死的取材であり、画期的作物でもあったが、Morris.は本書が出されて話題になった事を知りながら、読むことはなかった。福島第一原発事故を契機に新版が出されているが、中央図書館3階書庫から35年前の原版を借りだして読むことにした。
著者は1948生だから、当時30歳、取材中に31歳の誕生日を迎えている。また敦賀原発で作業してる時にスリーマイル島事故が起きている。

私がそこで体験したものは放射能に蝕まれ「被曝者」となって吐き出される棄民労働の全てだった(表紙の惹句)

日々の作業、下請業者、東電社員の対応、同僚との人間関係、放射能の恐怖、過酷な労働への泣き言、原発そのものへの疑問と怒り…………を、可能な限り冷静に記録している。

原発で働いているあいだに、私は実に多くの仲間をだまし続けてきたことになる。より待遇の良い会社に入れるよう手配してやると言ってくれた美浜の漁師、是非うちの社員として働いてくれとさそってくれた下請業者の社長等々……
これらの人々に「すまない」という気持は、実際に働き始める以前から持っていた私だったが、それでも現実の場に立たされると、やはり強烈に胸が痛んだ。
現実のこととして、原発内にもそれも労働現場に足を踏み入れることが「許可」されたジャーナリストは、こくわずかでしかない。つまりそれだけ原発は外部の"目"から厳重に隔離されたそんざいなのだ。そしてこの"秘密主義"の厚いベールを通り抜けるには、私自身の"身元"を秘めることしかないと判断したのだった。だから正直なところ、仲間たちにすまないと思う一方で、こうでもしなければ原発の素顔を知ることができないような状況をつくり出している電力会社に、強い憤りを感じないではいられなかった。(あとがき)


潜入ルポならではの、悩み、忸怩としない心情は理解できるし、そのなかで、堀江は誠実に対応したというべきだろう。

「堀江さん、わしらの賃金が安いって言うけど、元請会社から山田工業に、一人当たりいくら支払われているか知ってる?」
「わしが聞いた話だと、一万数千円……」
「そんなところじゃないかな。たとえば、一万5000円だとしようよ。それが堀江さんには5500円しか渡らない……」。単純計算しただけでも、山田工業は、9500円もピン(ピンハネ)してることになる:
「それも一日・一人についてのピンだからなあ」
「労働者を50人かかえてれば、たった一日で、えーと、47万5000円。ひと月を20日間とすると、一ヶ月のピンハネ料だけで、なんと、950万……」


実際は、何重もの下請連鎖で、ピンハネの額はとんでもないものになるにちがいなく、ここに、ヤクザが食い込まないわけがない。

水を抜いたプールの底で作業をしていた二人の労働者が鉄バシゴをつたって上がってきた。
フードのついたツナギの上に黄色いビニール合羽を着込み、顔には全面マスクをしている。彼らはブルブルと震える手でマスクを固定しているガムテープをはずしにかかった。素手でマスクをはがそうというのだ。
そこへ放管(放射能管理官)が走り寄ってきた。
「だめ! だめだよ! 手が汚染するじゃないか!」
彼はそういいながら、労働者の手を払いのけると、ガムテープをはがしはじめた。
マスクが外れる。二人の労働者とも、「まるでゆでダコのような」との表現がオーバーでないくらい、まっ赤な顔をしている。二度三度、彼らは深呼吸をくりかえす。横で見ている私でさえ、つられて深呼吸をしたくなるような、それほど苦しそうに顔をゆがめている。ようやくのことで、白いツナギ一枚になると、二人はそのまま床に座り込んでしまった。


ほとんど、拷問みたいな作業であり、明日は我が身と思う筆者の感情移入もあって、リアルな描写になっている。

増大の一途をたどる廃棄物。膨大な管理コスト。そこで登場したのが「廃棄物償却装置」だ。ドラム缶発生量が従来の30~50%も減少するというこの装置、管理する側にとっては、まさに"救いの神"だ。だが、労働者にすれば、仕事量と被バク量を増大させる"死神"となっているのだった。

東電にしてみれば、合理化が、底辺労働者にとっては死活問題になる。それが当たり前のシステムなのだ。

もし私が"本物"の日雇労働者だったら、生活は完全に破綻するだろう。なんらの保障もなく、「体ひとつ」で生きていくことが、いかに苦しく、難しいかを身をもって痛感する。

タンクの中のヘドロ除去作業のため、時々空気がストップする(^_^;)といわれるエア・ライン・マスクを付けての苦しい作業の数日後の感慨である。これが筆者の本心だということがよくわかる。

--C服(汚染管理区域用作業着)の作業順序。
1.フードつきのカバー・オール(薄地のビニール製ツナギ。ピンク色)を着、内ポケットに、アラーム・メーター、ポケット線量計、フィルム・バッジ、ATLDを収納。
2.黄クツの上から赤いナイロン製クツ下をつける。
3.綿手袋。
4.ゴム手袋。
5.布製の帽子。
6.カバー・オールのフードをかぶる。
7.タイペッック(紙製のツナギ。フードなし。ピンク色)を着る。
8.さらにゴム手袋。袖口をガムテープで固定。
9.ガムテープにマジック・インキで会社名・氏名を書き、胸元に貼る。

これだけで、もう勘弁してくれと思いたくなるが、危険区域ではこれに息苦しくなる半面マスク、全面マスク着用となるらしい。

作業中ビニールシートでカバーされていたマンホールに落ちて肋骨を骨折した堀江がのたうちまわってるところにボーシン(班長)がやってきて、「下に東電の社員が見まわりでウロウロしてるから、ちょっと立って、仕事してるふりをしろよ」と言ったという、記述には、開いた口がふさがらなかった。
二日後病院に向かう車のなかで、安全責任者は「労災扱いにすると、東電に事故のあったことがバレるから」と、労災にしないよう要請されたという話もあったらしい。底辺労働者の身体のことより、上部組織にばれないようにという、保身。これが隠蔽体質というものだろう。

Wikipediaの該当項目みたら、出版後に「電力会社が本書で仮名だった登場人物の本名を割り出そうと血まなこになっている」との記事もあった。東電の体質からすると、こんな本を出したら、ただでは済まされないということは想像に余りある。
こうなると、やはり、2011年に出た「増補改訂範」にも目を通さねばという気になった。
松岡正剛の千夜千冊の「福島原発の闇」で、この本が出される前に、アサヒグラフで堀江と水木しげるのコラボ特集記事のことが記されていた。これも驚異である。


 

 

 
















                         
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