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Morris.日乘2014年9月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今 月の標語
           
物言へば首筋寂し

【2014年】 8月  7月    6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月
【2013年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/09/30(火)●飾磨あたり●
6時起床。
今朝の血圧は227/109/66。
今日は別業者の仕事で、姫路市飾磨区のアメリカ人宅ピックアップ現場。
近所に恵美酒天満宮があり、昼休みに覗いてみた。10月8日、9日の秋祭りを間近に控えて、町中に提灯や幟がはためいていた。飾磨区は戦前は飾磨市で、1946年に姫路市飾磨区として編入された。この宮前に市役所があったらしく、旧跡の石碑があった。
3時半作業終了。4時半帰宅。
今日の歩数は3286歩。

木槿 

飾磨恵美酒天満宮 

変った注連縄 

本殿内に神輿が 

鬼瓦 

もうすぐ秋祭り 

飾磨市役所跡 

オリーブの実 

ランタナの実 

【光の王国 秀衡と西行】梓澤要 ★★★☆  2013/11/10 文藝春秋。2011年11月12年7月まで「福島民報」に連載、その後岩手日報、陸奥新報などに順次掲載。
梓澤要といえば「百枚の定家」である。Morris.は一時期、図書館に行くたびに「あ」の棚を見るのが習慣になってたものだ(^_^;) それが、読むごとにその気持がしぼんでいくばかりで、最近はその習慣も無くなってしまってた。
本書は「西行」の名に惹かれて読むことにした。
やっぱり「百枚の定家」の輝きは感じられなかったが、本作は、東北大震災への鎮魂歌的作品だった。発表紙と時期を見ればそれは明らかだろう。

「いま現に、苦しみ喘いでおる者たちを救わねで、なにが仏ぞ。仏法ぞ」
迸り出るような声音で言い放った。
「わしは決めた。毛越寺をこの現実の世で苦しみ喘ぐ奥州の民を護り、災厄からのがれさせる寺にする」
「来世より現世のための寺になさると?」
秀衡がまた目を瞠った。
「そうじゃ。死者のためではない、生きている者たちのために寺をつくる。それがわしの役目だと、やっとわかった。ようやっと心が定まった」
基衡は、秀衡と西行の顔を交互に見て、力強く断言した。
「毛越寺は、薬師如来を本尊とする」
薬師如来は薬師瑠璃光如来ともいい、東宝浄瑠璃浄土の教主である。またの名は大医王、医王善逝ともいう。人々の病を癒し、苦悩を取り除いてくださる仏である。
薬師如来はまだ菩薩として修行していたとき、十二の大願を発した。
--光明がこの地上をあまねく照らし、実り豊かで、人々は食べもの、着るものに不自由せず、身体満足で、争い諍いをせぬように。清い心を保ち、仏法に帰依して、平和で安楽に生きられるように--。
「至福消災」徹底した現世利益である。
その十二の大願に応じて、薬師如来の化身である十二人の憤怒の形相の神、十二神将が現実世界を守護し、日光菩薩と月光菩薩が脇侍としてつき従う。


薬師如来が現世利益の仏だというのは、ちょっと強引なようだし、十二神将の謂れもこじつけっぽいと思ったが、梓澤は2007年から某大学院で仏教学を学んでると書いてあったので、それなりに根拠があるのかもしれない。

馬具は種類が多い。武家の鞍は黒漆が決まりだが、蒔絵や螺鈿で贅をこらしたものもある。それ以外にも、足をかける鐙(あぶみ)、鞍の上に敷く鹿や牛や熊の毛皮の鞍褥(くらしね)、鞍が前後しないように馬の胸につける胸懸(むながい)、尻につける韆(しりがい)、手綱をつける轡、それを頭に固定する面繋(おもがい)、鎧を吊る力革、鞍を固定する腹帯(はるび)、鞍の下に敷く障泥(あおり)、色も形も、素材も実にさまざまで、使う人の好みもさまざまだ。さらに、剣、槍の武具や鎧兜との調和、つり合いを考慮して、部者は生死を賭ける戦場の晴れ姿をととのえるのである。

こういった専門用語もいろいろ勉強してるんだなと思ったが、「武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具」という早口言葉を連想した。これは歌舞伎十八番「外郎売り」の一部だった。

人の記憶は風化する。忘れられるのは死者にとって無念なことか、それとも、ようやく静かに眠れることなのか。どちらなのかと思うことがある。

待賢門院璋子への没後の西行の感傷的独白である。これを東北大震災の津波での犠牲者への思いをかさねているのだろう。

壇ノ浦に沈んだ平清盛の三男知盛は、最期に「見るべきものは見つ」と言ったという。まばゆすぎる栄耀栄華、落魄、陰謀、裏切り、滅亡。この世のさまざまなことはもうすべて見つくした。この世のすべては明け方の夢のようにはかない。
その気持がわかる。わたしも、この世でみるべきものはもうすべて見たという思いがある。
わたしは秀衡とあの世で会えるだろうか。


末尾の一節である。「見るべきものは見つ」という言葉はずいぶん以前から好きな言葉だったが、これが知盛のものだったというのは知らずにいた。

2014/09/29(月)●栗東方面●
6時半起床。
今朝の血圧は184/80/85。
矢谷くんら5人で、栗東のローカル配達現場。時間指定が午後1時だったので、道の駅「あぐりの里」で休憩と昼食。
ローカル搬入済ましてから、矢谷くんと二人神戸北野のアメリカ人宅の現場。6時に倉庫に戻り、7時前帰宅。
今夜のKBS1387回歌謡舞台はお約束の"9월 신청곡9月のリクエスト“
結構Morris.好みの女性歌手が登場。イウンハは先週の「コンサート7080」にも出演してた。チェジニの「愛の迷路」は定番だし、「愛のバッテリー」のホンジニョンも歌謡舞台への出演回数増えてる。ウィンクはこれまで登場した双子歌手の中では一番上手いかもしれない。そして、何と言っても、今Morris.いちおしのユジナ。「コチュ」は目下特訓中のナンバーである。
  
1) 아직도 그대는 내 사랑今でも貴方は我が愛/이은하イウンハ
2) 사랑의 미로愛の迷路/최진희チェジニ
3) 향수郷愁/전미경チョンミギョン
4) 당신あなた/김정수キムジョンス
5) 노란 셔츠의 사나이黄色いシャツの男/홍진영ホンジニョン
6) 월남의 달밤ベトナムの月夜/진송남チンスンナム
7) 월남에서 돌아온 김 상사ベトナム帰りの金上士/이은하イウンハ
8) 향기 품은 군사우편芳しき軍事郵便/윙크ウィンク
9) 청포도 고향青葡萄の故郷/ 박건パクコン
10) 아내에게 바치는 노래妻に捧げる歌/홍민ホンミン
11) 고추唐辛子/유지나ユジナ
12) 여자의 일생女の一生/최유나チェユナ
13) 일편단심 민들레야一片丹心蒲公英/최병서チェビョンソ
14) 화개장터華開市場/김국환キムクッカン
15) 이별이 주고 간 슬픔別れがもたらす悲しみ/이현イヒョン
16) 잘 있어요元気だよ/이현イヒョン

今日の歩数は5299歩。

朝顔 

枯向日葵 

野仏 

褸紅草(るこうそう) 

コスモス 

青蛙 

大豆畑 

木通(あけび) 

木の実(^_^;) 

【カタロニア讃歌】ジョージ・オーウエル 鈴木隆・山内明訳 ★★★☆☆ 1966/4/30 現代思潮社。Homage to Catalonia(London,1938)
オーウエルの「1984」「動物農場」につづいて、やっとこの「カタロニア讃歌」読み終えた。先の二つは創作、こちらはルポである。発表と逆順に読んだことになるが、これは良かったと思う。
1936年12月から37年6月まで内戦中のスペインカタロニア地方で、POUM(マルクス主義統一労働者党」の部隊に身を投じて、負傷し、裏切られ、失意のまま英国に戻り、その直後に書かれたものである。英国ではPOUMはトロツキストとして糾弾され、本書も全く売れなかったらしい。
実は、「動物農場」読んだ後、世界ノンフィクション全集17を借りてすぐ読もうとしたのだが、これに収載された「カタロニア讃歌」は全訳でなく抄訳だということがわかって、肩透かしくわされてしまった。
で、結局、一番古い邦訳(と思う)1966年版で読むことになった。

アナーキストは、その原則はむしろ曖昧であったが、特権と不正に対する憎しみは全く純粋であり、この点で大多数のいわゆる革命家とは正反対であった。理論的には、コミュニズムとアナーキズムは両極に離れている。実践面、すなわち目標とする社会形態においては両者の相違は主として力点のおきどころにあるが、それは全く和解出来ないものである。コミュニストの力点はいつも中央集権主義と能率に置かれているのに対して、アナーキストの力点は自由と平等に置かれている。アナーキズムは深くスペインに根ざしており、ロシアの影響がなくなれば、コミュニズムより長く生き続けそうである。(戦争か革命か)

オーウエルはアナーキズムに親近感を覚えたらしい。しかし、そのアナキズムはスペイン独自のものだった。

(私が1月から4月まで前線にいたアラゴン地方では)革命的雰囲気は、将兵と一兵卒も、農民と民兵も、まだ対等に話し合っていた。だれもが同じ給与をもらい、同じ服を着、同じものを食べ、だれも相手を「お前」とか「同志」とかで呼び合った。つまり上に立つ階級もなければ、下に仕える階級もなく、乞食も、娼婦も、弁護士も、僕しも、おべっかつかい、いばりくさる奴もいなかった。私は平等の空気を吸い、しかも単純にスペインじゅうがこうなのだと想像した。私だけがむしろ偶然に、スペインの労働者階級のなかでも最も革命的な集団に隔離されているのだということを、悟らなかったのである。(戦争か革命か)

たぶんに、オーウエルは「革命的雰囲気」を理想化してたきらいがある。

普通の人々を社会主義にひきつけたり、彼らをそのために喜んで身体を張る気にさせるもの、つまり社会主義の「神秘」は平等の理念である。圧倒的多数の人々にとっては、社会主義とは階級のない社会を意味し、そうでない限り何ものも意味しない。市民軍にいたこの数ヶ月、私にとって価値があったのはまさにこの点においてであった。スペイン市民軍こそ、それが存続していた間は一種の階級無き社会の小宇宙であったのだから。そこには金儲けや昇進に熱中するものは一人もなく、あらゆるものが欠乏していたのに、特権もなく追従者も一人もいなかった。そのような社会にいて、人はおそらく社会主義の幕あきがどのようなものであるのかを、あらかじめまざまざと見ることができたろう。(戦争か革命か)

これも先と同質の理想主義であり、それが一時の夢の世界だったとしても、それは美しい記憶として、刻み込まれたことに意義がある、というべきか。

告白すれば、Morris.は、オーウエルの本文より、二人の訳者による解説に、大きな感銘を覚えた。「プレ1968年」という時期の若い世代の革命意識が色濃く現れている。

五月事件に関するくだりは本書のクライマックスとでも称すべきもので、この重要な歴史的事件に関する証言を提供している。POUM弾圧の無慈悲なやり方と反革命の荒れ狂う悪夢のごときバルセロナの状況は、異常な現実感をもって読者に迫る。
こうした彼の体験は、彼をして単なる反ファシズム人民戦線万歳といったような皮相な見解にとどまらしめず、スペイン市民戦争には革命が存在し、そして人民戦線の内部で革命と反革命が闘われたこと、そして公式主義、権威主義、官僚主義がいかに恐るべきものであるかについて鋭い洞察と指摘を行なわしめるにいたった。(解説 山内明)


「異常な現実感」(^_^;) シュールレアリズムかも。

「プロレタリアの偉大な首府であるバルセロナの陥落は1937年5月におけるプロレタリア虐殺の直接の代償である」(「スペインの悲劇」1939年2月)トロツキーは弾劾する。バルセロナの陥落は革命の終焉を象徴するものではあったが、すでにそこでは革命が破産し、死滅していたのである。その過程を理解する上で、バルセロナ市街戦は歴史的意味を持ってくる。オウエルが指摘するように、この事件に対するスターリニスト共産党の政治的評価は、プロレタリア革命を否定する立場から行なわれた革命戦線に対する欺瞞に満ちた中傷と誹謗であり、ひきつづく反動的粛清の合法化であった。その結果ひき起こされた事態は、人民の革命に対する失望とブルジョア共和制の復活であり、まさに反革命が勝利する転換点となったのである。(解説 鈴木隆)

トロツキーによるスペイン内戦への批判と、革命の死。これは日本赤軍派のたどった道筋に酷似しているような気がする。

スペイン市民戦争は第二次世界大戦の前哨戦たる意味を持っており、反ファシズム戦争という意味でも後者の方が比較にならぬ程大規模なものであるが、前者のような感動をほとんど呼び起こさない。その理由の一つには後者の場合はもはや国家間の軍隊による戦いであり、たとえ一方がファシズム、一方が社会主義の軍隊であろうとも、そのそれぞれの内部でとられた姿勢は、われわれの眼にはありふれた国家への忠誠、上官への服従、組織への帰依といったものに過ぎないからではなかろうか。これに対して、スペイン市民戦争にはまず民衆なり個人なりの一人一人の自発性や抵抗があった。
スペインだけにファシズムに対する民衆のかくも広範で根強い抵抗があったことを理解するために、スペインの歴史における民衆にまず注目しなければならない。スペインこそ上流階級と区別される意味での、民衆が存在しつづけた国なのである。
そしてこのスペインの民衆の気質を、19世紀末以降政治的に表現したのがアナーキズムであった。
それは総体として事故を近代の人間疎外から開放し、未来には自由の王国を創ることを自覚したスペインの民衆運動そのものであった。
そして人間の疎外からの開放、権力や権威からの開放を目的としたこの民衆運動が、徹底した反権威主義、自由または自発性と連帯に彩られ、小手先の妥協、実利を排して原則に固執したことも当然であった。民衆の自発的直接的政治への参加を革命と呼び得るならば、そこには最も根源的に革命的な根があったということができよう。30年代のヨーロッパでただひとりファシズムに対して起ち上がった民衆はこのような民衆にほかならなかった。(解説 鈴木隆)


これはオーウエルが惹かれたスペインのアナキズムの見事な分析である。そしてスペイン内戦が何故にこれほど、魅力的に語られるかの種明かしでもある。

第二次大戦で国際的ファシズムが打倒された後、勝ち残ったアメリカ資本主義とスタイーリン主義的共産主義。
スターリニズムは、社会主義を恐るべき退廃、不毛に陥れた。それはスペインの民衆が闘った人間の疎外からの解放の問題を何ら解決していない。
一方、生き残り、ますます高度化した資本主義はどうか。そのためには日本の現状を少しでも見れば十分である。いま表面的な経済繁栄のもとに、恐るべき人間の疎外と精神の喪失がある。人はただ自己を一企業の従業員、一官僚、つまり国家や利潤追求組織に組みこまれたもの以上には意識することも表現することも許されない。自発性と連帯性の失われた真空には、無関心とエゴイズム以外には埋め合わせるものもない。そして他方、経営者、官僚、権威者、専門家、名士、スター等々が、民衆の自発性と連帯と参加を、かくも見事に巧妙に奪っている。人々がこれほどばらばらで希望を失い、無力感と挫折感に捉えられたことがかつてあったろうか。これらのことはスペインの民衆が生命を賭してこだわれい問題としたことが何ら解決されず、彼らを圧殺して今日生き残っている体制が著しい不毛と破綻の兆候を示していることを物語っている。30年前のスペイン市民戦争が今なお、激しい感動と現実感をもってわれわれに迫る一つの理由はここにある。(解説 鈴木隆)

時代を感じさせる解説だね。今やスペイン内戦は80年前の歴史的事件になってしまった。それでも、この解説のテンションの高さはMorris.に迫ってくるものがある。

2014/09/28(日)●ぷらぷら日曜日●
6時起床。
今朝の血圧は198/99/64。
御岳の噴火はいくらか収まったようだし、マグマ噴火でなく、水蒸気噴火で、それは良かったのだが、山頂付近にまだ30人ほど取り残されたままというのが心配である。
日曜美術館、アメリカのイラストレーター、バーニー・フュークスの特集。名前は知らなかったが、スポーツ&イラストレーテッドのスポーツイラストや、ケネディ、モハメド・アリなどの肖像画でなんとなく見覚えのあるタッチだった。ケネディの肖像は5点も描いたらしいが、没後に描かれた5点目の作品は見事だった。ノーマン・ロックウェルの再来と言われたというだけで、おおよそのスタイルは想像がつくと思う。いかにもアメリカらしい作風である。
昼前、自転車でぷらっと三宮方面へ。結局、中央図書館まで行ってしまい(^_^;) しばらく中庭で、川原泉の「コメットさんにも華がある」読む。「MELODY」に掲載された「~がある」進学高キャンパスシリーズで、どうもいまいちMorris.の好みとは外れてしまっている。というかMorris.にとっては、83年から94年までの15冊が彼女の全てといっていいからしかたがないところかも。
そのまま自転車で4時半帰宅。
大相撲は逸ノ城も白鵬も共に勝って、白鵬31回めの優勝。
アジア大会サッカー、日本-韓国戦。ついつい日韓戦になると見てしまう。ずっと0-0で推移したが、後半40分過ぎに韓国がPKで得点。これでおしまい。まあ、インチョンでやってるから、これでよかったということにしておこう。
今日の歩数は2073歩。

久々川原泉 

神戸NHKタワー

隙間野菊 

【ヒロシマとフクシマのあいだ】加納実紀代 ★★★
2013/03/21インパクト出版会。
「ジェンダーの視点から」という副題。
先日ナニワの巨人(^_^;)パギやんがトークライブで、本書を3回も読みました」と、激賞してたので読む気になった。1940年ソウル生れで5歳のときヒロシマで被爆したフェミニストらしい。
本書は福島第一原発事故を契機に出されたもので、あちこちに発表したものをまとめたもので、発表時期は半分くらいが事故以前のもの。

原子物理学者の武谷三男は被爆体験ゆえの「平和利用」を主張した。
被爆国にもかかわらず、ではなく、被爆だからこその原子力利用だというのだ。この文章は彼の持論「平和・公開・民主」につながるものだが、広島ではこの部分だけが一人歩きする。武谷の言うように、もっとも原子力の被害を受けた国がもっとも恩恵を受けるべきだとすれば、直接被害を受けた広島こそいちばんに権利がある。55年1月27日、アメリカのイェーツ下院議員は、広島に原子力発電所を建設するための予算2250万ドルを下院に提案した。前年9月、アメリカを表敬訪問した浜井信三広島市長が働きかけた結果である。浜井はその理由として、「原子力の最初の犠牲都市に原子力の平和利用が行われることは、亡き犠牲者の慰霊にもなる。死のための原子力が生のために利用されることに市民は賛成すると思う」と述べている。(ヒロシマとフクシマのあいだ)


下手すると、本当に広島に原発ができてたのか(@_@) これはとりあえず、ポシャってよかったと思う。

戦前の広島は「軍都廣島」でした。陸軍の第5師団が置かれ、日清戦争の時には大本営が設置されました。明治天皇が広島に来て、ここで政治を行った時期が半年くらい会ったわけです。しかも隣接する呉は海軍の拠点でした。また、広島の宇品港はアジア侵略に向かう兵士の送り出し港でした。出征する兵隊さんや見送りの家族を泊める宿がたくさんあって、ものすごく賑わったそうです。(原爆・原発・天皇制)

確かにこの事実は、押さえておかねばならない。しかし、だからといって、原爆投下は没義道なものだった事実に変わりはない。「繰り返してならないあやまち」とは、原爆投下という行為であることは、はっきりさせておかなければ。

マッカーサーは天皇制の存続を絶対必要としていた。そのために憲法第一章の天皇制と日本の非武装という第9条を抱き合わせにしたわけですが、その天皇制は戦前そのままではまずい。象徴天皇制でなければならない。atomic sunshineの話は、原子力にバックアップされることで、天皇制は戦後、新たな形で生き延びたということです。だから戦後の天皇制と原子力は対立矛盾するものではなく、まさに抱擁関係、共犯関係にあるのではないか。それは戦後日本の出発点における欺瞞性です。(原爆・原発・天皇制)

玉音放送で天皇は「敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」つまり、原爆という新しい爆弾がとんでもない力を発揮して、これでは日本は滅亡するので降伏すると言ってたもんな。

武谷三男はずっと原発の問題性を指摘し、「原子力情報資料室」の初代代表でした。「原子力情報資料室」は高木仁三郎さん中心でしたが、1975年に立ち上 げた時の代表は武谷でした。その武谷が、1952年11月に「被爆国だからこそ原子力の平和利用」ということを言っているのです。(原爆・原発・天皇制)

高木も、最初は原発推進側だったわけだし、そこらへんはあまりつっこまなくていいのではないかとも思う。

戦後電機業界が家電開発に取り組んだのは、もちろん女性解放のためではなく、日本資本主義の復興の方向性と合っていたからです。憲法九条の武装放棄により軍備から民需への転換を迫られる中で、生き残りをかけて開発したのが家庭電気製品だったのです。
しかし50年、朝鮮戦争が起こりました。そうなると企業は、朝鮮特需ということで再び軍需に転換します。
そうした中で51年、本格的な経済復興のためのエネルギーの確保のために、いま問題になっている全国九電力体制が確立し、電源開発5ヶ年計画が開始されます。
1953年は電化元年と言われています。なぜ53年が電化元年なのかといえば、朝鮮戦争の休戦により特需が終わったからです。ふたたび民需で商売しなければならないということで、家庭電化製品の開発が盛んになったわけです。(「原子力の平和利用」と女性解放)

いささか図式的に過ぎるが、日本の産業の高度成長は、軍備と民需が入れ替わり立ち代りで成長してきたというのはわかりやすい。ひょっとして、現在が、民需から軍備への入れ替わり時期にさしかかってるのでは?という、嫌な予感がする。

日本の一般大衆が原爆の惨状を目にしたのは52年4月28日の独立後だった。独立後初の原爆記念日を期して発売された『アサヒグラフ』では無惨に焼けただれた被害者を真正面からとらえ、衝撃を与えた。同じ日付で『岩波写真文庫 広島』も刊行され、人びとは初めて見る原爆の惨状に息をのんだ。
しかし原爆の威力には、熱線、爆風、放射能の三つがあり、さらに放射能被害には急性のものと晩発生のケロイドや白血病、ガンといった後障害がある。『アサヒグラフ』や『岩波写真文庫』に捉えられた人々の多くはこの時期までに死亡していると思われるが、生き延びた人びとはケロイドや後障害に苦しんでいた。広島では7年目の白血病、10年目のガンといわれるが、50年代はじめから原爆症(白血病)が多発した。当時は原因がわからないまま、ブラブラ病、怠け病などとよばれることもあった。
1950年代、原爆表象は「原爆一号」から「原爆乙女」へ、さらに「サダコ」(折り鶴少女)へと女性性をつよめることで、無垢なる被害者性を構築してきたといえるだろう。そのことはかつての戦争における日本の侵略性・加害性への無自覚さ、忘却・隠蔽と無関係ではあるまい。(原爆表象とジェンダー)


しかし、惨状の事実は、マスコミでは自粛状態である。事故や、事件でも、まず死体映像は流されないし、傷口や、血糊もほぼカットされる。ちょっとタイプは違うが、9・11のツインタワー崩壊の場面も、日本では放送局同士の内輪の話し合いで、なるべく再放映しない取り決めになっているらしい。

中曽根はビキニ事件の直後、まだ日本では被曝の事実が知られていない1954年3月4日、2億3500万円の実権原子炉製造予算案を国家に提出した。そして『読売新聞』3月21日夕刊は一面全紙を使って「急性放射能患者第一号」などとして、漁船員の横顔や手足の写真を載せているが、その見出しは「原子力を平和に」である。記事ではモルモットにされたくないという被害者の声を伝えたあと、次のようにいう。
「しかし、いかに欲しくなくとも、原子力時代は来ている。近所合財みながこれをやるとすれば恐ろしいからと背を向けているわけには行くまい。克服する道は唯一つ。これと対決することである。恐ろしいものは用いようで、すばらしいものと同義語になる。その方への道を開いて、われわれも原子力時代に踏み出すときが来たのだ。」(原爆表象とジェンダー)


中曽根-正力ラインのこの話は、しつこく引用してきたが、そのたびに腹立たしくなる。

女には母性本能がある、母は自分を犠牲にしても子を守るもの、愛するもの、というのは、女から無限の自己犠牲を引き出すために男が作った神話にすぎません。ヒロシマを語るにあたって母の悲しみが強調されるというのはこの神話にのっかっているからです。困ったことに女自身もこの神話を内面化して、それによかかかって運動を展開してきたということがあります。とりわけ原爆とか核の問題については、そうだったと思います。
これまで核に関して「母として」とうことがとりたてて言われてきたというのは、そのことと関係があると思います。長いスタンスでいのちというもの、いのちの連なりというものを実感するのが、男よりも女であった。ただ、それは、女の母性本能とかによるのではなくて、<産む>という機能を持った存在として事実としてそうだったということです。しかし、にもかかわらずそこで母性神話と癒着してしまう。母性神話はマザコン男の作ったもので、マザコンと家父長制は共存する。広島に原爆を投下した米軍機の愛称はエノラ・ゲイですが、それはティボー機長の母親の名前です。母性と核兵器は共存しているわけですね(女がヒロシマを語るということ)

ここが、本書のキモかもしれない。

73年3月、住民の反対運動に手を焼いた小林柏崎市長は、原子力産業会議の席上、エネルギー政策は「あくまで国策として国の責任において遂行」すべきだとして、「国の現地に対する啓蒙活動の強化」、「立地市町村に対する財源付与」など9項目の提案をした。
ちょうど「おらが大臣」田中角栄が総理大臣の時代である。小林市長の提言は、74年6月公布のいわゆる電源三法(電源開発促進税法・電源開発促進対策特別会計法・発電用施設周辺地域整備法)に結実した。地元に特別交付金を支給して公共施設の整備にあてるという、要するに迷惑料としてのアメである。しかし、過疎化に悩み、「地域振興」を願う住民にはさしあたり非常にオイシイ話だった。電源三法がその後の原発建設推進に果たした役割を思えば、小林柏崎市長-田中総理大臣の連携プレーはまことに犯罪的だった。(反原発運動と女性)


電源三法は東電と角栄と柏崎市長の三位一体のトリプルプレーだったわけか。たしかに、これは効果抜群の「電化の法灯」だった。

たしかに原発は、都市と農村の差別に乗っかって建設される。そして農村は、都市の生活を支えるために危険を押しつけられ、自然とともにあった暮らしを奪われ、さらに都市への従属を深める。(反原発運動と女性)

開発はなべて差別の具現化であるな。

1957年8月27日、原子力研究所の研究炉が日本で初めて臨界に達し、「原子の火ともる」と大々的に報じられた。その日の『朝日新聞』「天声人語」にはこんなことが書かれている。
「原子力は二つの道に通ずる。人間滅亡への道と、繁栄と幸福への道である。現代の人類はその十字路に立っている。原子兵器のドレイとなれば滅び、人間が原子力を平和的にコントロールする主人公となり了せれば、無限の繁栄がつづく。」(女はなぜ反原発か)

天声人語の脳天気さは、これに始まったものではないけどね(^_^;)

「母親として」原発に反対するということは、母親でない女たちや母親になる以前の自分自身の二十数年だかの人生を、切り捨ててしまうことにならないか。
なぜ「子どものため」なのか。「……のために」と自分以外のもののために生きる姿勢は、容易に「御国のために」「天皇陛下のために」に転化するおそれがある。(「母性」が陥る危険性について)
女には生まれながらに子どもを慈しみ育てる母性が備わっている。母性は女の本質であり、自然である--。母性神話の誕生である。日本では19世紀末から 「良妻賢母」dくりが女史教育の柱となり、「母」は規範となったが、母性神話の成立は1920年代、都市中産階級の成立による。(当事者性と一代主義)


ここらあたりがフェミニストらしい思考方式かもしれない。

エリザベト・バダンテールによれば、18世紀のフランスでは貧富をとわず都市の子どもが農村に里子に出される現象が流行した。1780年、首都パリでは一年間に生まれた2万1000人の子どものうち、母親に育てられたのは1000人以下、1000人は住込みの乳母に育てられ、残り1万9000人は里子に出されたという。(母性主義とナショナリズム)

これは単に雑学情報として、印象に残ったもの。

リブの先駆とされる森崎和江は、すでにその10年前(60年代初め)、個人通信において「「母」は「水」などと同じ言葉の質を持っているはずです。ところが、それが何か意味ありげなものとして通用しています。まるで道徳のオバケみたいに、献身的平和像、世界を産む母などという標語をくっつけて」と「母」を批判していた。
かつて「母」を否定した森崎和江は、「一代主義」を批判して生命の連続性を語っている。「いま、一番気になっているのは、近年、急速に現実化してきた「一代主義」の文化です。生命の連続性に対する思想性の欠如です。「生命がこの世に連続的に存在することを、どのように思想化すればいいのか。産む産まない産めないなど個々の条件や、選択を越えて、そして何よりも物質文明に流されることなく、生命界の一員として」と考え続けています。」(1999)
原発はまさに森崎のいう一代主義文化の産物である。その重大な事故により、本来の生命が危機にさらされている現在、母親たちは「子どものために」と脱原発に立ち上がっている。フェミニズムはこれをどう考えればいいだろうか。
<母>を、産む産まないにかかわらず子どもの世話をするひと、ケアの担い手と考えれば、子どもの安全は<母>としての当事者性の範疇にある。ケアがなければ生きていけない依存する存在を守ること、それはケアするものの当事者としての責任である。
いずれにしても放射能汚染による子どもの被害は、私たちおとなが、この地震列島の海岸に54基もの原発を建て、便利な生活を享受した結果といえる。母に限らず大人はみな、そうした状況を生み出した、とまでは言えなくても、少なくともやめさせなかった当事者として、脱原発社会をめざす責任があるのではなかろうか。(当事者性と一代主義)


森崎和江が「リブの先駆」というところはちょっとひっかかったが、「一代主義」という言葉には、ずしりとくるものがあった。刹那主義、享楽主義にも通じるような、今が良ければそれでいいという意味でなら、Morris.の生き方にかさなってしまう(>_<)。「後は野となれ山となれ」ってことだよね(^_^;)
そして、原発が一代主義の申し子だとしたら、Morris.がシャカリキになって、反原発を唱える事自体が自己撞着ではないかという不安がよぎった。
本書は類似したテーマの文章が多く、同じことを何回も読まされるようで、ちょっと辟易するところもあったが、本来の専門分野である、「銃後」の女性史関連の著書も読まねばという気になった。

2014/09/27(土)●木曽御嶽山噴火●
5時半起床。
今朝の血圧は208/100/67。
浅海くんら3人で、大阪天満橋のフィリピン人宅のピックアップ。2日取り現場の二日目で、昨日かなり作業済ましてくれてたので、昼過ぎ作業終了。昼飯抜きで、倉庫作業済まして、2時帰宅(^_^)
仕事やってこんなに早く帰るのはめったにないことで、どこか出かけようかと思ったが、テレビつけたら、木曽の御嶽山が噴火したというニュースで、ついつい見入ってしまった。山頂から南に下がった地点三箇所くらいから噴煙があがっている。すごい火山灰で、登山客に被害が広まっているようだ。
逸ノ城は白鵬には力及ばず2敗になった、いちおう明日の千秋楽まで優勝の可能性残っている。
夜は、BSジャパンの寅さんシリーズ最終回。先週の48作が最終作品だったが、今日は、渥美清没後の1997年に、特殊撮影など駆使して作られた「寅次郎ハイビスカス特別編」。こんなのがあるのは知ってたけど、見るのは初めて。75年の海洋博時の沖縄が舞台で、米軍ジェット機や、米兵の歓楽街など、基地沖縄への批判的視点無くも無しという一面もあったが、全体的に寅さんへの鎮魂歌的イメージ大だった。究極のマドンナリリーに絞ったのが良かった。主題化を八代亜紀が歌ってるのが、意外で、すごく良かった。
この番組来週からは加山雄三の若大将シリーズ。ということで、これはいらんか(^_^;)
今日の歩数は4993歩。

背筋天蛾(せすじすずめ) 

金木犀 

御嶽山噴火 

【日本の原発危険地帯】鎌田慧 ★★★ 2011/04/17 青志社。

【市民科学者として生きる】高木仁三郎 1999/09/20 岩波新書。
日本の反原発運動の先端にいた高木の自伝的活動史で、先日読んだ「原発事故はなぜくりかえすのか」と同じく、癌に冒されて病院のベッドで書き綴られたものである。

1938年のハーンとシュトラスマンによる核分裂現象の発見が大事件である。
私は丁度その1938年に生まれ、1945年には小学校一年で敗戦を体験した。その後原子核化学を先行し、約40年間「核」と付き合ってきた。その初めの3分の1は、原子力利用を進める体制内の研究者として、残りの3分の2は、大きな研究・開発体制からとび出した、独立の批判者、市民活動家として。(序章)

右の道を選ぶか左の道を選ぶかはさして重要ではなく、その道をどう歩むかが枢要の問題だろう。(第3章)

日本の原子力産業は、政治的意図や金融資本の思惑が先行して始められた産業であり、技術的進歩を基盤として自ら成長していった産業とはかなり性格を異にしていた。(第3章)


原子力産業黎明期に研究員として参画した高木の持論(多分正解)だが、この持論に達するまでにはかなりの時間がかかったようだ。

体内にとりこまれたプルトニウムは大きな発がん性をもつことが、当初から知られていた。これは後に明らかになったことであるが、アメリカ政府はマンハッタン計画の当初から、囚人などを使って人体実験を繰り返していたのである。シーボーグの本にも、「人間に知られている最も危険な毒物のひとつ」と書かれている。当然シーボーグは人体実験に直接に関係していたか、少なくともその結果をすべて知り得る位置にはいたであろう。(第6章)

高木は研究のはじめからこのプルトニウムと縁が深かった。広島の原爆がウラン型だったのに対して、長崎の原爆はプルトニウムだった。自然界にはほとんど存在しないプルトニウムは、ウランの核分裂によって生ずる超ウラン元素であり、41年アメリカのグレン・シーボーグにより発見された。
高木は最初フィーボーグに啓発されてプルトニウムの研究を始めたが、その後、このプルトニウムを生み出す核燃料サイクルの廃止を終生の悲願としていた。

「国益のため」という大義(と称するもの)がある。電力の安定供給は国家経済の要である。これに反対するものは非国民だ、という居丈高な主張がある。非国民という言葉も実際に使われたが、頻繁に使われたのが、地域エゴという言葉だ。「迷惑施設」を引き受けるのを拒みながら、自分はその"恩恵を享受"し、日本の高度成長による繁栄にあずかろうとする。これはエゴだという。(第8章)

地域エゴではなく、都会のエゴではないかと思うが、大きな声を出したほうが勝ちということなのだろうか。高木も、反対運動のなかで、巨額のカネでの誘惑や、ヤクザの電話などさまざまな嫌がらせうけたようだが、そのことにもさらっと受け流してるところは、強い、と思う。

日本でも日米防衛協力のための指針、いわゆる新ガイドライン関連法案の成立によって、戦争参加の道が一挙に開かれた。さらに、「君が代」「日の丸」の法制化や「盗聴法」と、私たちの少年時代には考えてもみなかった方向に政治が転回している。しかも、ひとびとは概して静かすぎる程静かである。結局、私たちの世代も、それ以前の世代の誤ちを、何も教訓化し得なかったのか。そして「オマエハケッキョク、ナニヲヤッテキタノカ」。(終章)

今、現在のことが語られているような気がする。そしてMorris.も同じことを自問せずにはいられない。

私たちはあきらめからの脱出、すなわち希望を、単に個人個人に期待するだけでなく、人々の心のなかに積極的にその種を繙き、皆で協力し合って育てていくものとしてとらえ直す必要がある。それを私はオーストリアの友人ペーター・ヴァイスにならって「希望の組織化」と呼びたい。(終章)

高木の63年の一生を振り返ると、やはり一種の知的エリートだったという気がする。前橋高校時代から模試の上位者として知られ、東大出て、原子力事業に入り、東大研究所助手から、都立大助教授、ドイツで客員研究員したあと、都立大退職して、自主グループ「プルトニウム研究会」を組織、「原子力資料情報室」代表、反原発運動の事務局長などを努め、国内外の受賞など、いわゆる、在野の反原発主義者とは、一線を画している。それが悪いというわけではなく、なんとなく雲の上の人みたいな感じがする、という、それだけのことである。

2014/09/26(金)●往復800km●
2時半起床(^_^;)
今朝の血圧は180/75/83。
溝渕、荻野くんと3人で、山口県光市の、ベトナム向け引越し荷物ピックアップ現場。
熊本の実家へのローカル荷物は別業者がやることになってたので、思ったよりもらくだった。
昼飯抜きで1時過ぎ作業終了。
宮島SA昼食。(まずかった(>_<))
倉庫に戻ったのが7時過ぎ。積み下ろしやバン詰め作業済まして帰宅したのが8時過ぎ。
今夜は長田でカラオケ会があったのだが、時間的にも厳しいし、一日で往復800km(10時間)トラックに揺られるのは、さすがに応える、ということで、パス。
逸ノ城は、横綱鶴龍にも勝って一敗を守り、白鵬が豪栄道に破てしまい。明日、一敗同士で、白鳳ー逸ノ城が対戦する。
巨人が2014年セリーグのリーグ優勝決定したらしい(^_^;)  とりあえずおめでとさん(^_^)
今日の歩数は4200歩。

【舟を編む】三浦しをん★★★ 2011/09/20 光文社。初出「CLASSY」2009年11月号~2011年7月号。
発表翌年本屋大賞受賞、2013年には映画化されているから、それなりのベストセラーということになるだろう。
ベストセラーは読まない(^_^;)Morris.なのだが、本書は辞書作りを取り上げた作品ということで読んでもいいか、と思いながら、結局3年たってやっと読む事ができた。結論を言えば、期待はずれだった。
発表媒体が女性ファッション誌ということもあってか、登場人物の人間関係と行動があまりにも単純(>_<) 良いテーマが薄っぺらに鳴ってしまっている。
岩波と小学館の辞書編集部や王子製紙を取材したり、辞書関連本を参考にして、それなりに辞書編纂のノーハウや、苦労話をもりこんでいる。その分、提灯記事みたいになってる印象を受けたのは、Morris.の僻目だろうか?

「なぜ、新しい辞書の名を『大渡海』にしようとしているか、わかるか」
「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」
魂の根幹を吐露する思いで、荒木は告げた。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いを誰かに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」
「海を渡るにふさわしい舟を編む」
松本先生が静かに言った。「その思いをこめて、荒木くんとわたしとで名づけました」
きみに託す。声にはしなかった言葉を聞き取ったのか、馬締は円卓から両手を下ろし、姿勢を正した。


本書タイトルの拠って来るところだが、それにしても辞書の名前に「大渡海」はないと思うぞ。「言葉の海」という喩えからも、大槻文彦の「言海」「大言海」のパロディと思われる。
それはともかく、辞書を舟に例えるセンスもMorris.にはぴんとこなかった。それ以前に、この文体がMorris.の苦手とするものだった。

試作品の紙をためつすがめつしていた馬締が、突然叫んだ。
「ぬめり感がない!」
『広辞苑』のページを、馬締は指の腹で一枚一枚めくった。「これが、ぬめり感です」
「指に吸いつくようにページがめくれているでしょう! にもかかわらず、『紙同士がくっついて、複数のページが同時にめくれてしまう』ということがない。これが、ぬめり感なのです!
馬締に『広辞苑』を渡され、岸辺と宮本もページをめくってみた。
「あ、ほんとだ」
「たしかに、絶妙にしっとりとした質感で、指の腹だけで難なくページがめくれますね」
ようやく悟りを得ましたか、と言いたげに、馬締は鷹揚にうなずいた。
「これこそが、辞書に使用される紙が目指すべき境地です。辞書は、ただでさえ分厚い書物です。ページをめくるひとに無用なストレスを与えるようではいけません」


この「ぬめり感」というのは、興味深かった。以前から辞書の紙質には、感心することが多かったが、「ぬめり感」という言葉には、なるほどと思った。もっとも、新人社員とはいえ、印刷会社の社員である宮本がこれを知らないという設定はおかしい。
Morris.は広辞苑持ってないので、試すことは出来なかったが、Morris.の脂っけの無い指の腹でめくれる紙はなかなかありそうにない。

しかし、今世紀に入ってからのネット普及で、紙製の辞書の存在は、いよいよ危うくなりそうだ。
Morris.もひところと比べると、本棚の辞書を引く頻度は激減している。
逆に以前、紙メディアの辞書を引く習慣の無かった人の間では、PCやスマートフォンなどで、検索という形での習慣が普及していることは、間違いないところだろう。これはネットの「功罪」の「功」だと思う。

2014/09/25(木)●ひさびさ仕事(^_^;)●
6時起床。
今朝の血圧は205/92/74。
台風崩れの低気圧で午前中は雨の予想だったのに、雨降ってない(^_^) 自転車で、久しぶりに摩耶倉庫に。
溝渕くんら3人で、草津の上海向け引越し荷物ピックアップ現場。よく片付いてたのっで昼前に作業終了。
昼食はあ丸亀製麺でぶっかけうどん。3時に倉庫に戻り、5時帰宅。
大相撲はほとんど見なくなってたのだが、ひさしぶりに見たら、白鳳は全勝だが、一敗は鶴龍と新入幕の逸ノ城。昨日は大関稀勢の里を破り、今日は大関豪栄道と当たる。
昨日は変化しての勝ちだったらしいが、今日はがっぷり組んで、完全な勝ち相撲(@_@)。明日は異例の横綱鶴竜との対戦。ちょっと面白そう。
明日は倉庫3時半集合で山口県光市の現場。
今夜は早く寝よう。
今日の歩数は4994歩。

【身のまわりの木の図鑑】 葛西愛 ★★★☆☆ 2004/11 ポプラ社。
植物好きのMorris.。のはずなのだが、いまだに町歩きしていても、樹木の名前がわからないことが多い。。これまでに何度か樹木図鑑類を見たことがあるのだが、なかなか身につかない。
本書は初心者向け(中高生向け?)で、簡単な樹木知識からはじめて、全体を、わかりやすい十種の形態に分類してある。ざっと200種近い樹木が取り上げられているが、そのなかで、Morris.周知のものは除外して、覚えておきたい樹木の名前を、先の分類別に、写しておく。ついでに、google検索の画像一覧のリンクもいくつか張っておく。これもあくまでMorris.のための利用本位(つまりいいかげん)(^_^;)である

1.学校周辺の樹木
さすがにここで紹介されてるものは皆知ってた。(桜、藤、蘇鉄、犬槙等)
2.街なかで見られる樹木
ナンキンハゼ(南京黄櫨)
シャリンバイ(車輪梅)
モミジバフウ(紅葉葉楓)
アオギリ(梧桐)
エンジュ(槐)
3.落葉する樹木
トサミズキ(土佐水木)
アベマキ(「木」偏に「青」)
ラクウショウ(落羽松)
センダン(栴檀)
ムクノキ(椋の木)
アカシデ(赤四手)
フウ(楓)
イボタノキ(水蝋の木)
サイカチ(皀莢)
4.紅葉する樹木
ドウダンツツジ(満天星)
トウカエデ(唐楓)
イタヤカエデ(板屋楓)
マルバノキ(丸葉の木)
サンゴミズキ(珊瑚水木)
ミズキ(水木)
5.常緑の樹木
ヒヨクヒバ(比翼檜葉)
サワラ(椹)
コノテガシワ(児の手柏)
アスナロ(翌檜)
ウバメガシ(姥目樫)
カナメモチ(要黐)
ネズミモチ(鼠黐)
カクレミノ(隠れ蓑)
ユズリハ(楪)
ヒサカキ(姫榊)
マサキ(柾)
イヌツゲ(犬黄楊)
ツゲ(黄楊)
マテバシイ(馬刀葉椎)
スダジイ(
シラカシ(白樫)
キャラボク(伽羅木)
イチイ(一位)
エノキ(榎)
ナギイカダ(椰筏)
トキワマンサク(常磐満作)
6.花を楽しむ樹木
キミガヨラン(君が代蘭)
サンシュユ(山茱萸)
ギョリュウバイ(御柳梅)
ニワウメ(庭梅)
シジミバナ(蜆花)
カラタネオガタマ(唐種沼霊)
シデコブシ(四手辛夷)
ハクチョウゲ(白丁花)
ウツギ(空木)
ヒメウツギ(姫空木)
ニシキウツギ(二色空木)
ガマズミ(
カンボク(肝木)
ボタンクサギ(牡丹臭木)
エゴノキ(
ニオイバンマツリ(匂番茉莉)
スモークツリー(煙の木 )
ヤコウボク(夜香木)
ムラサキナツフジ(紫夏藤)
7.実を楽しむ樹木
カマツカ(鎌柄)
サネカズラ(実葛)
クロガネモチ(黒鉄黐)
ハクサンボク(白山木)
ウメモドキ(梅擬)
モッコク(木斛)
サンゴジュ(珊瑚樹)
8.食べられる樹木
ブシュカン(仏手柑)
ユスラウメ(桜桃)
アマチャ(甘茶)

9.役に立つ樹木
カジノキ(梶の木)
カツラ(桂)
アブラギリ(油桐)
シナノキ(科の木)
10.室内の樹木
カネノナルキ(クラッスラ)
カンノンチク(観音竹)
タイワンレンギョウ(臺灣連翹 デュランタ)
ゲッキツ(月橘 シルクジャスミン)

2014/09/24(水)●小糠雨猫●
6時半起床。
今朝の血圧は199/91/76。
台風16号は熱帯低気圧になったようだが、今日明日はその影響で雨っぽい天気になりそう。
午前中ベッドでオーウエルの「カタロニア讃歌」読む。
午後ちょっと雨上がったので歩いて六甲道方面へ。
都賀川の川沿い公園に小さな仔猫が二匹いた。デジカメ撮ろうとしたら、近所の母娘がやってきて、抱えて持ち帰って行った。飼うつもりでなく、避妊手術して耳に刻みいれて地域猫にするつもりかもしれない。
その後また小雨降りだしたが、そのまま灘図書館まで行って、山上たつひこの「中春 こまわり君」2冊読む。例のがきデカの社会人篇で、かなりシリアス&スラップスティック・コメディで、結構読むのに骨が折れた。でも、あまりおもしろくはなかった。昔夢中で読んだがきデカキャラクタの変貌を懐かしむといった感じか。
ふらふらと歩いて、5時半帰宅。
長田区の小学1年生女の子の死体が、自宅のすぐ近くの雑木林で見つかり、近くの47歳男が逮捕されたというニュース。2週間近くも、見つからなかったというのが大きな疑問。警察はどんな捜索やってるんぢゃ。
えらく長いこと農閑期続いてたが、明日からちょこっと仕事連続しそうだ。
今日の歩数は8812歩。

酒屋のメカ恐竜 

都賀川で仔猫が2匹 

白雉 

この母娘が連れてったけど 

寿司屋前の白 

米屋のペルシャ系 

白雉 

お馴染みの駐車場猫 

ゴーヤ 

【日本破滅列島】樋口健二 ★★★☆ 1992/10/15 三一書房。
1970年から1990年までのフォトドキュメンタリーである。250pの中に150葉ほどのモノクロ写真が掲載されている。「自然破壊」「公害」「労働災害」「巨大開発」の4章に分けて25件の環境破壊現場の写真と文章が掲載されている。まるまる高度経済成長期にあたるこの20年間に、どれだけの理不尽なことどもが行われてきたことか。

林道開発によるブナ原生林伐採、洗剤などによる湖汚染、諫早湾干拓で無くなる海、林野庁の屋久島伐採、石灰石採掘による山の消滅、工場による大気汚染、水俣病、イタイイタイ病、ダンプによる塵肺患者、炭鉱事故、マンガン中毒、別子銅山の振動病、燃料各サイクル施設、本四架橋、石垣島新空港、八郎潟干拓、東京ゴミの埋め立て、ゴルフ場農薬汚染…………

本書に取り上げられた破壊の一端である。明治、いや江戸時代から続く環境破壊もあるのだろうが、やはり戦後の日本列島改造論に代表される高度成長至上主義の歪みが目立つ。やったものがちの欲望至上主義、お定まりの無責任と責任転嫁、隠蔽、裏工作、詐欺まがいの開発等など、とどまるところをしらずである。
Morris.の住んでいる神戸市の巨大な人工島(ポートアイランド、六甲アイランド)、明石大橋のために、どれだけの自然が破壊されたか想像に難くない。そして95年の大地震災害の復興に便乗しての環境破壊も、半端ではない。

島民の生活を犠牲にしようが、みかん畑をズタズタにしようが、島の自然を削りとろうが、そんなのは国家的な事業を推進するためには小さな問題といわんばかりである。
日本は戦後、経済優先のみを大義名分として弱いもの、過疎地、農漁業を犠牲にしながら豊かさを求めてきた。しかし、豊かさとは……。
当時、ほとんどのマスコミもこうした現実に無批判だったのではないだろうか。いやむしろ、本土と四国が直結することによって、人々の制圧に潤いを与えると喧伝してきたのである。(夢の瀬戸内海架橋)


マスコミが意識的にしろ無意識的にしろ、こういった開発の提灯持ちになることは、多々ある。いや、そちらのほうが多いのかもしれない。大本営発表を持ち出すまでもなく、国策や世論に左右される危うい媒体であることは間違いない。

原発行政はもともと廃棄物をどうするのか、寿命になった原発はどうするのか、などの事後をどうするのか解決策をもたぬまま無責任にスタートしている。そのためいざ難題に直面すると過疎地を探し出してきて施設建設の計画案をぶち上げるということを繰り返し、反対運動の少ない地域に押しつけるという方法を用いてきた。六ヶ所村はまさに巨大開発計画の頓挫後の原発推進側の最後の砦といってもよかった。(巨大開発に翻弄された村)

原発に関しては、この六ヶ所村のことだけしか取り上げられていない。原発だけの本は別に複数出してるためだろう。原発はほとんど樋口のライフワークとなる対象だが本書が出された時期は、まだ、JCO事故の前だし、この六ヶ所村が一ホットな問題だったのかもしれない。

きれいに整備された緑の芝生にプレーヤーは目を奪われ、爽快感を味わうことだろう。しかしその芝生には年間35回以上、2トンをう回る農薬が散布されているのである。除草剤、殺虫剤、さらには化学物質と百種類以上に及んでいる。一ゴルフ場でこれだから、日本列島全体では想像を絶する量が撒かれているものと思われる。
ゴルフ場は90年現在で千ヶ所、造成中・計画中も含めると二千ヶ所を超え、日本列島を虫食い状態にしていっている。ゴルフ場は開発前に会員権を発売することによって資金を確保できるというウマミを利用しながら、森林をなぎたおして建設されていく。そこはまた土地の買収や認可などによる地方議員をも巻き込んだ利権の場でもある。農薬の散布禁止だけでは建設ブームを止められないというのは、この点にある。また、国土を守るという役割をもつ林業では整形を立てられなくなっている現実が、山林を手放すことに拍車をかけている。(ああコルフ列島)


ゴルフには縁のないMorris.なので、ゴルフにはあまり良い印象は持っていない。とりあえず、日本にこれだけ多くのゴルフ場があるのはナンセンスだと思う。テレビも、ゴルフ場公害を否定的に取り上げたりもしながら、ゴルフ中継やゴルフ教室番組を延々とやっている。
日本のゴルフ場の数、ネットで調べたら、2002年に2460ヶ所というのがピークでそれ以後はちょっとだけ減少傾向らしい。狭い日本には、あんな広い施設を要する競技は向いてないと思う。

このドキュメンタリーは私なりの民衆史として位置づけています。
しかし、これらの写真群をいくら積み重ねたところで、巨大な力に押しつぶされるでしょう。また、社会変革も簡単にできるはずもありません。
そんな思いにかられながらも、私は日本列島の北から南へ、また南から北へとカメラをかついで歩きまわってきたのです。夢中で歩き回っているうちに、あっという間に20数年が経過してしまいました。(あとがき)


このあとがきが書かれてから、また20数年が過ぎて、福島第一原発事故が起こり、これも力に押しつぶされようとしている(>_<) 社会変革どころかどんどん悪い方向に進んでいるように思うのはMorris.だけだろうか。
しかし、こうやって口先だけで悲憤慷慨して見せても、への突っ張りにもならないのだ。
フォトドキュメンタリーなのに、写真への言及が無いのは片手落ちと思うが、これはやはり「百聞は一見に如かず」である。ぜひ、直接手にとって見ていただきたい。と、いいながら、神戸市の図書館では灘図書館に一冊しかない(>_<)
2014/09/23(火)●秋分青天●
8時起床。
今朝の血圧は208/87/69。
朝の3点セット。
雲ひとつ無い青空が広がっている。今日は秋分の日だ。秋分の日に晴天が多いという統計はあるのだろうか?
晴れの特異日といえば、11月3日を思い出すのだが、10月10日もそうだったかな?秋分の日はたいてい9月23日だけど、時々ずれることもあるから特異日にはならないかも。手っ取り早くウィキペディアで調べたら、やっぱり秋分の日はとりあげてなかったし、10月10日は晴れの特異日ではなかった。晴れの特異日は11月3日以外に、1月16日、3月14日、6月1日の三日が挙げられている。他に雨の特異日や猛暑の特異日、台風襲来の特異日などいろいろあるらしい。
まあ、こういうのは日本独自のものかもしれない。雨期と乾期がはっきり分かれる国や、カリフォルニアみたいに、一年中晴れてるところでは、意味もないだろう(^_^;)
10時過ぎに王子動物園に。カンガルー広場の上のベンチで、ミニギターと読書(^_^;)
祝日だから結構見物客多かった。
1時半帰宅して、昼はまたまたタイカレー。一緒に入れておいた茹で卵が、すっかり沁みてこれまた美味しかった。
3時過ぎに自転車で都賀川方面散策。
マルハチで買い物して6時帰宅。
今日の歩数は4112歩。

蛍蛾 

秋分青天 

雛駝鳥 

桜の葉 

アラカシの団栗 

動物園で読書(^_^;) 

木槿 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

黒鉄黐(くろがねもち) 

煮卵? 

降下 

【逆転ペスカトーレ】仙川環 ★★★ 祥伝社 2008/12/20。
タイトルに惹かれて(全く理解できなかったけど(^_^;)読むことにした。作者は68年生まれで阪大大学院で医学を学び、医療関連の記者をやりながら2002年「感染」という作品でデビュー、とある。
実家のレストランのピンチに姉の命令で、手伝いとして入り、謎のシェフと謎の調味料の絡んだ事件に巻き込まれながら、料理の奥深さに心奪われていく、という、よくありげなストーリーだが、専攻分野の知識を活かした薀蓄が楽しめた。

ペスカトーレは、見た目が豪華なわりには、シンプルな料理だ。ニンニクと赤唐辛子の香りをオリーブオイルに移し、アサリを白ワインで蒸しあげる。そこいトマトを加え、煮詰めていく。スパゲッティが茹で上がるタイミングを見計らい、イカやエビといった具材を入れて火を通せば完成だ。

決してシンプルとは思えないぞ。Morris.はあまりパスタ党ではないが、作るのはほとんど超シンプルペペロンチーノである(^_^;) 材料はパスタとニンニクと鷹の爪のみぢゃ。

大人になるということは、自分を枠にはめ、我慢をして生きることだと思っていた。お金のために、家族のために、したくもない仕事をするなんて、まっぴらだと思っていた。でも結局、生きるというのはそういうことであり、特別な才能もない自分は、その運命から逃れられない。ならば、できる限りフラフラしている期間を引き伸ばしたかったのだが、もういい。今の自分のほうが好きだ。

今でもフラフラしているMorris.には兎の逆立ち発言(ミミガイタイ)(^_^;)

2014/09/22(月)●ヒット・パレード(^_^)●
8時起床。
今朝の血圧は185/89/69。
昨夜、KBS「コンサート7080」久しぶりに見たら、ナンケンチャナ」のチンジュと、大好きなイウンハが出演してて、得した気になった。
海子さんのブログに新聞紙で作るゴミ箱のことが書いてあったのでMorris.も作ってみることにした。折り紙で箱作るのと同じらしいが、こういうのはMorris.の苦手分野である。ネットで作り方のページ探して、挑戦してみる。やっぱり何度か失敗してやっと作れるようになった。
サンテレビの韓国ドラマ「愛情万々歳」やっと今日最終回。全部で57話だった。ひどいストーリー展開だと文句言いながら、録画予約してて、結局全部見たことになる。もともと50話だったのを、7回延長して57話にしたという噂で、とくにおしまいあたりの無茶苦茶な運びは、多分にそのせいだったのだろう。最終回も、突然「2年後」というテロップが出て、おっそろしくご都合主義のエンディングだった。
明日からは「夢見るサムセン」という70年代ソウルで、漢方医を目指す少女の物語という、女性版ホジュンみたいなものらしい。これも見ることになるのかななあ(^_^;)
昼ごはんは、当然昨夜作ったグリーンカレー。一晩おくとさらに美味しくなる。。
昼から自転車で三宮に出てロフト、ハンズなど回ってケトル物色したが、これというのが見つからない。
手ぶらで戻る途中、大安亭で、茄子と筍、冷凍烏賊など買って、タイカレー増量した。しばらくこれを食べ続けることになりそう(^_^;)
ノレバン98号で「ポルカ&ポンチャック」ひとしきり歌う。
今夜のKBS歌謡舞台1386回は"히트곡 퍼레이드ヒット曲パレード“というタイトルに恥じない、素晴らしいプログラムだった\(^o^)/
   
 1) 물새 한 마리水鳥一羽/하춘화 ハチュナ
 2) 동백 아가씨椿娘/장사익チャンサイク
 3) 비 내리는 영동교雨降る永東橋/주현미チュヒョン
 4) 잃어버린 30년失われた30年/설운도ソルンド
 5) 남자라는 이유로男という理由で/조항조チョハンジョ
 6) 남행열차南行列車/김혜연キムヘヨン
 7) 홍도야 울지마라紅島よ泣くな/송해ソンヘ
 8) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/김용임キムヨンイム
 9) 나그네 설움旅人の悲しみ/김상배キムサンベ
 10) 돌아가는 삼각지三角地ロータリー/배일호ペイロ
 11) 동반자同伴者/태진아テジナ
 12) 내 마음 별과 같이我が心は星のように/현철ヒョンチョル
 13) 서풍이 부는 날西風吹く日/장미화チャンミファ
 14) 처녀 뱃사공娘船頭/오승근 オスングン
 15) 나성에 가면LAに行くなら/권성희クォンソンヒ
 16) 정말로ほんまに/현숙ヒョンスク
 17) 아버지父さん/인순이インスニ
 18) 꽃구경花見/장사익 チャンサイク


好きな曲目白押しで12曲、好きな歌手これまた12人(@_@)。いやあ、チュヒョンミ、キムヘヨン、ヒョンスクというMorris.ご贔屓の3女性歌手。韓国のソウルディーヴァ、インスニ、男性陣もソルンド、テジナ、ヒョンチョル、さらにノレチャラン司会のソンヘさん、チョハンジョ、ペイロ、そして歌手というよりソリクンというべきチャンサイクの出演というのは、貴重だ。昨年のドイツ公演以来ということになる。
今日の歌謡舞台は、本年度のナンバーワンだと思う。
今日の歩数は5414歩。

チンジュ 

イウンハ 

新聞ボックス 

屋上の空 

色鮮やかな葉鶏頭 

黄葉鶏頭と精霊飛蝗 

チャンサイク 

チュヒョンミ 

キムヘヨン 


【「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか】開沼博 ★★★★ 2011/06/30 青土社。
1984生の著者が2011年1月14日に東大大学院に修士論文として提出し、2月22日に受理された論文がメインになっている。この論文は3月15日終了確定が予定されていたが、その4日前に、3・11東北大震災が起きてしまった(@_@)
学術論文ということで、難解なものかとビビったが、実に分かりやすい文章で、論旨も明解、各項で総括まとめもあるので、読みやすかった。
内容的にも、これまでMorris.が見落としていたことが多く、教えられることも多かった。
上野千鶴子ゼミ生であり、姜尚中にも師事してるらしい。
それにしても、事故以前に福島第一原発をフィールドワークの場に設定、事故直前に提出したという偶然にも驚かされる。
本書の冒頭で、原発のある地域を「原子力ムラ」と規定するということに、違和感を覚えたが、それはおいおい納得させられる仕組みになっている。

ここでいう「原子力ムラ」とは地方の側にある原発及び関連施設を抱える地域を指し、一方で中央の側にある閉鎖的・保守的な原子力行政のことも指す。本書では前者を「原子力ムラ」、後者を<原子力ムラ>と表記することにする。原子力を導入し広めたい側の<原子力ムラ>と原子力を受け入れ維持した側の「原子力ムラ」との共鳴が今日の原子力を成り立たせていることをここで明らかにしていきたい。(「フクシマ」を語る前に)

第一部 前提
 序章 原子力ムラを考える前提--戦後成長のエネルギーとは
 第一章 原子力ムラに接近する方法
第二部 分析
 第二章原子力ムラの現在
 第三章 原子力ムラの前史--戦時~1950年代半ば
 第四章 原子力ムラの成立--1950年代半ば~1990年代半ば
第三部 考察
 第五章 戦後成長はいかに達成されたのか--服従のメカニズムの高度化
 第六章 戦後成長が必要としたもの--服従における排除と固定化
 終章 結論--戦後成長のエネルギー
 補章 福島からフクシマへ


本書が試みようとするのは原子力と日本の戦後成長の関係についての考察だ。そしてそこで明らかにされるのは「翻弄される地方・地域の問題」に他ならない。それは、原子力という「リトマス試験紙」を用いてなされる「戦後成長と地方」論とも還元できるだろう。

「日本の場合、「特需」とは、戦後に限られた事情ではなく、20世紀以降の日本国家の成長にいつも付きまとっていた。日本企業の発展にとって、海外侵略による経済的恩恵の享受は普通かつ必須の条件だったのだ。さらに「特需」は、経済成長が永遠に続くかのような印象を与える心地よい物語であるだけでなく、政治的な保守性を担保する役割をも担ってきた……
多くの日本人が「特需」の経済定期利益を受けてきた蔭には、その繁栄から取り残された人々が少なからず存在した。多くの局面で日本の戦後社会は植民地支配に連なる負の部分を抱えながら真の脱植民地化への努力を先送りにしてきたのである。」(本橋哲也「ポストコロニアリズム」(2005)岩波新書)(序章)


この「ポストコロニアリズム」というのが、著者の拠って立つところであるらしい。姜尚中が日本のポストコロニアリストと論者と挙げられているから、その影響なのだろう。
それはともかく、この本橋哲也がいうように、日本の近代は「特需」に支えられてきたという視点は重要だと思う。

原子力という対象に「戦後成長の基盤」「地方の統制装置」「幻想のメディア」というそれぞれ、経済的・政治的・文化的な切り口に対応しているとも言えるような3つの視点からの意義を見出しながら議論を進めていくことにする。(第一章)

2010年6月に成立した菅直人政権が定めた新成長戦略においては、インフラ整備をアジア諸国に輸出し、高成長が続くアジアの需要を国内経済に反映させる「アジア経済戦略」が立てられ、そこでは鉄道と並び原発が主要な輸出商品とされる。

民主党もそういう意味では間違いなく親原発政権だったなあ。

侵略や略奪、虐殺といった抑圧の極地にあるものを、「そうは言っても、そうせざるをえない時代的な情勢があった」「そもそも数字が違う。一部、いや全部捏造だ」といった論理のなかで相対化するのが歴史修正主義だとすれば、原子力についても、「原発があったから貧しい田舎が近代化され、文明を持つようになったんだ」「反対派は危険性を煽りすぎ。そんなあなたたちも恩恵受けちゃってるんじゃないの」という「抑圧」を是とし、「変革」を消し去る結論に陥ってしまう可能性は十分にあるからだ。実際、そういった論理を、原子力を推進する側は直接的・間接的に用いてきただろうし、一方で反対する側がその批判をある面で見ぬふりをしてきたことも事実であろう。

歴史修正主義というと、つい最近読んだオーウエル」の「1984年」を思い出してしまう。フィールドワークという研究手法からすれば、当然こういった、本音と建前の桎梏があってしかるべきなのだろう。

「原発の安全確保については政府や電力会社を「信じるしかない」と地元代表たる町長がしみじみと述懐する。政府や東電は町長の肩に手を起き「そう。信じなさい。任せなさい」とやさしく、またたのもしく胸を張ってみせる。まことにうるわしき信頼関係といいたいところですが、……相当いいかげんで投げやりな挨拶に違いありません。……ここでは原発は科学の次元を超越してほとんど「信心」の問題になっています。「信じないこと」によって不安な毎日を送るよりも「信じること」で安穏な日々を暮らすことの方を選ぶのが庶民の知恵なのだとしたら--それは奴隷の知恵でしょう。」(清水修二「差別としての原子力」1994 リベルタ出版)

人間にとっての選択は自由か幸福であり、その大多数にとっては幸福が遥かにましなこと」という「1984年」の一節が、また頭に浮かんできた。あまりに似すぎている。

今日の原子力ムラには一見外部から見たら特異に見える状況、つまり、自ら持続的に原子力を求めていくaddictionalなシステムが存在する。それは中央の<原子力ムラ>と共鳴しながら原子力の推進を強固に進めていくものだ。(第二章)

*addiction(嗜癖) 中毒症状みたいなものか。

GHQが主導して行われた戦後改革の主眼は、民主化・非軍事化の達成、すなわち日本を第二次大戦に向かわせたファシズムの解体にあった。
しかし、実際は、そのような改革が不完全なものとして頓挫し、ある面では戦時体制への逆流とともに現在まで至ってきていることは数多の研究が既に指摘してきたことだ。それは、米国にとってのソ連の脅威と冷戦への突入、中華人民共和国の成立、朝鮮戦争の勃発という流れにおける「逆コース」あるいは「再軍備」に象徴されるように再集権化に向かうのものだった。(第三章)


ムラの中では新たな産業が生れ様々な繁盛記が生まれた。食堂、弁当屋、ホルモン屋、結婚式場、葬儀屋、「原子力運送」と名づけた運送会社、。ムラに流れ込んだカネは広く波及していった。
原子力によってムラにもたらされた「中央」は、ムラにとって夢がいつまでも現実化するかのような感覚をあたえていたのかもしれない。
例えば、大熊町議会では69年、原発を観光資源としようという計画が持ち上がる。現在から見れば、いささか理解しがたい「夢」が真剣に議論され、実現に向けて動き出していた。


いや、実は原発事故以後、福島で似たような企画が出されていると仄聞した(@_@)。もちろん「夢の原子力」ではなく、反面教師「怖いもの見たさ」を狙ったものだろうけどね。
ここらあたりが「幻想のメディア」たる本領発揮なのだろうか。

このごろ、双葉にはやるもの 飲み屋、下宿屋、弁当屋
のぞき、暴行、傷害事件、汚染、被曝、偽発表、飲み屋で札びら切る男 魚の出所聞く女。
起きたる事故は数あれど 安全、安全、鳴くおうむ
形振り構わずばらまくものは 粗品、広報、放射能 運ぶ当てなき廃棄物 山積みされたる恐ろしや。
住民締め出す公聴会 非民主、非自主、非公開
主の消えたる田や畑 減りたる出稼ぎ増えたる被曝
避難計画つくれども 行く意志のなき避難訓練 不安を増したる住民に 心配するなとは、恐ろしや。(72年結成の双葉地方原発反対同盟が作った「原発落首」)


よく出来ている(^_^;)

ムラへの原子力の訪れは突然のもので、まずは、用地買収、そして建設工事への雇用を通してムラから大量の人員を動員することになる。その結果、ムラの生活の中心にあった生産性の低い農業、あるいはそれらを補完していた出稼ぎからムラは解放される。
工事が進むにつれて、ムラは大きく変貌を遂げる。それは、中央からムラにもたらされたカネによる経済的な要素以上に、ヒトやモノによる文化的な要素によるところが大きい。東電社員やGE村との交流が、ムラを外部へ開かれたものとしていった。しかし、ムラの内部から新たな産業が起こるなかで、負の側面が露わになってくる。それは、かつてのムラだったらありえなかった秩序悪化であり、中央とムラとの溝、反対運動の到来といった形で表面化する。しかし、それを経てもなお、もはや後戻りできないムラは、原子力への信心を持っていくしかない状況になっていったのだった。ここに原子力ムラの成立が完遂したと言えるだろう。


先の落首を散文化したらこうなるか。

原子力ムラが見てきた夢とはここまで追ってきた「子や孫たちのため」という言葉に象徴されるような愛郷の実現への夢に他ならない。それはかつてとは形を変えながらも今日に持続しているものと言える。
一方<原子力ムラ>が見た夢とは、核燃料サイクルによって自国内での資源確保を疑似的に達成する、ということに象徴される。もしそれが実現すれば、エネルギーを他国任せにせず成長が安定する。
原子力に夢を見てきたという点以外にも共通する点がある。それはどちらの夢も幻想であったことが、時間の経過とともにますます明らかになってきたということだ。核燃料サイクルも、ムラの永続的な発展も、現実的には難しい。にもかかわらず、原子力を通すことによってそれは実現可能であるかのように思えてしまう。原子爆弾で始まった戦後社会にとって、原子力とは超越的な存在に他ならない。
原子力というメディアによって、原子力ムラ・<原子力ムラ>は自らを「近代の先端」へと向かい合わせてきたと言える。そして、それらは幻想にしがみつき続けるゆえに「前近代の残余」(戦時体制的な中央集権体制であり、地縁・血縁的な共同体をベースに成り立つムラの田舎性を根底に抱える)としての閉鎖性・硬直性といったムラ性、現代的かつ特異な「ムラの精神」を保持し続けながら今日にいたっているのだ。(第四章)

最新技術という衣装を着た、前近代的集団同士のコラボは、やっぱり幻想だったようだ。

80年代以降、原子力ムラはもはや原発なしでは財政が成立しない状態になり、また、政治的・文化的にも原子力ムラとして固定化されていくようになる。70年代まではムラのなかで認識されていた「ポスト原発」の時代をいかにするか、という視点も、91年の双葉町の増設誘致決議に象徴されるように、失われていく。addictionalに原子力を求める体制が確立したといえよう。
日本語で「嗜癖」と訳されるaddictionとは、ただ依存的になるというのみならず「本当はよくないとは思いながらやってしまう」という前提がある。

ディレンマ、という奴だな。

1895年の台湾総督府設置に始まり、1945年の終戦に終わる日本の植民地主義は、後発近代国家としての日本が、成長を対外膨張、つまり、外部の国家システムへの取り込みによって達成しようとした「外へのコロナイゼーション」の動きと言える。ここでいう「コロナイゼーション」とは、成長に不可欠な種々の資源や経済格差を求めて「植民地化」を進めていく過程をさす。
1945年の終戦から1995年の地方分権推進法までの期間は、敗戦と同時に失った植民地を通して得ようとしていた資源とエネルギーを、国内に見出し、成長のために用いようとする志向のもとにあった(内へのコロナイゼーション)。そのなかで地方は翻弄され疲弊している。
この45年からの50年間にわたる大きな政府のもとでの再分配を軸とした「内へのコロナイゼーション」は、小さな政府のもとでの「自動化・自発化されたコロナイゼーション」に変化をしているのではないか。つまり、地方への分配が困難になるなかで、新自由主義的な政策のもと、それまで必要だった暴力・軍事力やメディエーター無しに、地方が自ら持続的に国家システムのなかに飛び込んでくる状況にあると言える。
この推移は、ある種の国民国家における統治システムの高度化としてとらえられるのではないか。(第五章)

1895年から1945年の50年が日本の植民地支配時期であり、終戦からの50年間が「内へのコロナイゼーション=国内植民地化?)というのは、えらく数字的に綺麗に出来上がっている。
この「ある種の国民国家における統治システムの高度化」も、やはり「1984年」のオセアニア国システムを連想せずにはいられない。現実時間としての1984年がこの期間に含まれているし、偶然だろうが、著者の生年も1984年だった(^_^;)

単純に「ムラも原子力を欲していた」と見れば、「ムラも欲していたんだからいいじゃないか。むしろ感謝するべきだ」という、丁度、歴史修正主義においてなされる「植民地化されて喜んでいる人もいたんだからいいじゃないか。そのおかげでインフラが作られて近代化できたんだ。むしろ感謝するべきだ」という言説と同様の解釈を招きかねない。
確かに、それは一面的に事実ではあるが、そのような見方によって切り落とされる現実があることには正面から向き合っていく必要がある。その点において重要なのは、これまでの原子力を扱う研究、あるいは地域を扱う研究・ジャーナリズムが抱えてきた、一見、抑圧を肯定する立場とは正反対に見える「抑圧の元にあるムラに対する不正を告発し、守り、変革しなければならない」という立場も、一面的な見方による、ムラの側の能動性の切り捨てをしている、という点で同様のものとしてあると言える。


せっかく明晰な論理展開だったのに、ここらへんでなんとなくこんがらがってしまってる気がする。文の乱れは心の乱れぢゃ(^_^;) 

常磐炭田では、他の炭田同様に、新たな労働力として学生・女性とともに、「朝鮮人労働者」と呼ばれる層による労働力の補完がなされていた。朝鮮人労働者が特に増えたのは、41年の米国との開戦以降だとされる。
安価で長時間働かせることが可能な労働力が、牢獄のような格子窓と監視の目がついた飯場や目立つ服、長時間歩けない地下足袋といった装置のなかで固定化され、起死回生を目指す国家から求められる石炭増産を支えていた。そして、その現実は、日本人から見たら「飯場はいいところか」と聞いてしまうことに象徴されるように、排除と隠蔽の構図のなかで無意識のなかに封じられていたのだった。
朝鮮人労働者のなかでも、より日本語や意思疎通に長けた者、すなわち「植民地的主体性」をより獲得した人物を「班長」などとして要所に置きコラボレーターとして利用しながら間接的統治を行っていた。植民地的主体の生産は常に朝鮮人労働者の統治にとって重要なものだった。


戦前、戦中の朝鮮人炭鉱労働者と、原発底辺労働者との類似、いや、両者の直結を見逃してはならない。

排除と固定化、それによる隠蔽の構図は、「戦争を支える石炭」という特殊な事例だけではなく、近代社会において「成長を支えるエネルギー」として普遍性を持つものといっていいだろう。その構図は、原子力ムラの社会にも相似的に存在する。

当然著者はそのことに言及している(^_^;) というか、そのために朝鮮人労働者を取り上げたのだった。

「危険性はない」ということを証明することが、いわゆる「悪魔の証明」として困難なことは、論理の上だけでなく、現実においてもそうであることはJCO事故の際に明るみになった。ずさんな管理と危険性を持ち出すまでもなくいえることだ。どこまで、制度上の安全性を突き詰めても、運用の過程でその安全性からモレが生まれることは避けられない。それゆえに、トラブル隠しが常態化したこともあったのだろう。

悪魔の証明」というのはきちんと知らずにいたので、勉強になった。

福島県の原子力ムラにいる東電の社員には、大きく分けて大卒と高卒の二種類があり、位置づけは大きく違う。大卒は、東京本社で採用された社員であり、採用された後に本人の希望を聞きつつ会社側の都合に応じて職務を振り分けらた結果福島に来ている。高卒は、地元雇用の拡大の意味も大きく、地元の非進学校の高校で成績トップの層、あるいはコネクションを軸に、ほんの一握りが採用されている。

ヒエラルキーの誕生だね。

一つの、または多重の切り離し、言い換えれば排除の連鎖のなかで、排除と固定化が行われ、抑圧や葛藤の隠蔽が行われる構図を形成しているということだ。そしてこれは、中央-地方-原子力ムラの関係についてもいえることで、この構図によってこそ、原子力を社会に導入し維持するという戦後のエネルギー政策の最大の難所を突破できたと言える。
排除・固定化と隠蔽のメカニズムは、原子力ムラの内部にも、またナショナル・グローバルへと開かれた構造のなかで原子力ムラ自身にも作用しながらその存在を支えている。コロニアリズムもポストコロニアリズムも、あるいはグローバルもローカルもナショナルも、普遍的にこの構図を内包してきた。そしてこれは、安定したエネルギーの確保、つまり、成長の実現にとって不可欠なものとして近代社会を支えてきたのだ。(第六章)

ここも、もう少しすっきりした文章にしてもらいたかったところだ。分かりやすく書いてくれよ、というのは、Morris.の頭のお粗末さゆえの感想なのだろうか。

原子力ムラの財政は時間とともに悪化するように出来ている。それは、建設時から導入時が一番カネがまわり、その後は固定資産税の償却など時間がたつほどにカネが回らなくなってくるという理解しやすい構造ゆえのことであるが、一方でムラ自身が過剰なハコモノを作りその維持コストがかさんでいるなどの要因もある。しかし、ムラの住民の数や予算規模は、かつて調子が良かった時代に作られたものだからその維持だけでもムラの財政は逼迫してくる。「燃費の悪い車だけど捨てることはできない」ような、時間がたつほど苦しくなるシステムがあると言える。
地方は原子力を通して自動的かつ自発的な服従を見せ、今日に至っている。

笑うに笑えない、しかし笑うしかない現実という奴だね。

原子力ムラがなぜ自縄自縛の状態に陥っているかと言えば、自らの内部の「前近代の残余」を払拭しようとする欲望のなかで自らを追い込んだ結果だと言える。そこにおいて原子力は、原発が来ればここも都会になる、もっと豊かになれる、という「近代の先端」、あるいは「夢」といってもいいようなものは、そもそもはじめから幻想に過ぎなかったということは、近年露呈してきている通りだ。
しかし、ここで主張したいのは、そのような幻想があったがゆえに、戦後の成長は達成された、という事実だ。(終章)

おいおいおい、というような結論だね(>_<)

今、本書を通して示された歴史的分析の上に立って為されるべき絶対的な課題。それは「忘却」の問題の検討に他ならない。

忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」(「君の名は」冒頭ナレーション)

想定可能なリスクの回避のために張り巡らされた微細な網の目。机上の計算によって編まれたそれは圧倒的な現実によって瞬く間に突き破られる。
しかし、少なくとも、これまで愚かにも一昔前と同じ過ちを幾度も繰り返してきた私たちの社会は、福島をもまた忘却していくことは確かだろう。


何度でも記憶喪失出来るから生き続けて行けるのだ女よ 歌集』銀幕』

なんて、歌ってるばやいじゃないよね(^_^;)

この「社会による忘却」とは、精神分析学的にいうとろころの「無意識化」とも換言できるかもしれない。原子力を現代社会が抱擁しつつ「無意識」へと追いやってきたものだと捉えるのならば、3・11はその狂気の表出に他ならない。

「狂気の表出」(^_^;) 著者はなかなかのレトリシヤンとみえる。


原発の危険性をあえて報じようとせず「安全・安心」の大本営発表を垂れ流す旧来型マスメディアへの批判は既にあり、それは今後も追求されるべき点であろう。しかし、一方で、圧倒的な「善意」「善き社会の設立」に向けられているはずの「脱原発のうねり」もまた何かをとらえつつ、他方で何かを見落としていることにを指摘せざるを得ない。原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。そして、その圧倒的なジレンマのなかに原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごされていることにこそ最大の問題がある。とりあえずリアリストぶって原発を擁護してみる(ものの事態の進展とともに引っ込みがつかなくなり泥沼にはまる)か、恐怖から逃げ出すことに必死で苦し紛れに「ニワカ脱原発派」になるか。3・11以前には福島にも何の興味もなかった「知識人」の虚妄と醜態こそあぶり出されなければならない。それが、40年も動き続ける「他の原発に比べて明らかにボロくてびっくりした」(30代作業員)福島原発をここまで生きながらえさせ、そして3・11を引き起こしたことは確かなのだから。
中央は原子力ムラを今もほっておきながら、大騒ぎしている。


珍しく著者の辛辣な批判炸裂である(^_^;) でも、おしまいのフレーズは、重い。

3・11以前に、原子力をその基盤としつつ無意識に追いやっていた社会は、意識化された原子力を再び無意識のなかに押し込めることに向かいながら時間を費やしている。

返す言葉がない。

社会は目の前に非日常が立ち上がる度に「これは前代未聞、有史以来初めてのことだ」「これで社会は大きく変わる」と変化を捉えたがる。
しかし私たちはその根底に沈み、忘却の彼方に眠る「変わらぬもの」をこそ見出すことに努めなければならない。なぜならば「これで○○は終わるんだ。これで社会はまったく別なものになるんだ」と言うことが私たちにつかの間の安心を与える機能を持つ一方で、実際にはその本質は一切変わっていなことを私たちは既に何度も経験しているからだ。


繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し………………

私たちは原子力を抱えるムラを「国土開発政策のもとで無理やり土地を取り上げられ危険なものを押しつけられて可哀相」と、あるいは「国の成長のため、地域の発展のために仕方ないんだ」と象徴化するだろう。しかし、実際にその地に行って感じたのは、そのような二項対立的な言説が捉えきれない、ある種の宗教的とも言っていいような「幸福」なあり様だった。
村役場前の民宿に泊まりながら聞いてまわった話と目にした光景は、己がそれまで身を浸してきた陳腐すぎる象徴化も、稚拙すぎる想像力も、とうてい捉えきることを許さないものを突きつけてきた。それは、まるで安全である「かのように」振舞いあうことによって担保される「原子力ムラの神話」によって危うくも「幸せ」な生活を続ける現在の、そして、彼らの「子や孫が残って暮らせる」という夢がある面で叶い、そしてある面で完全に原子力に侵食されることになる未来のムラへの圧倒的なリアリティに他ならなかった。そこから「植民地」を連想するのは困難なことではなかったし、また「植民地」を切り口とした考察が一つの形を整えた今、それが「発想の飛躍」でなかったことを確信している。


ちょこっと、発想の飛躍ではないかと、Morris.は(肯定的に)思う(^_^;)

信心を捨て、そこにこぼれおちるリアリティに向きあわなければならない。希望はその線分の延長上にのみ存在する。(補章)

本書の結びの言葉である。禅問答の世界だね(^_^;)
しかし、本書は、これまで読み漁った、福島第一原発以降の関連著書とは、一味違った、ある意味で、原発の本質を突いた画期的な一冊ではないかと思う。

2014/09/21(日)●ひさびさタイカレー●
6時起床。
今朝の血圧は192/93/69。
昼前に自転車で大安亭に買い物に出る。
その前に原田の森ギャラリーの関西学院大学絵画部弦月会創立100周年記念展冷やかす。初め東館の展示(現役学生作品)見て、いまいちかと思ったが、本館一階では、卒業生の作品が展示されていて、こちらは吉原治良、石阪春生、寺岡政美などMorris.も知ってる画家の作品も混じって、全体の作品の水準も高かった。印象に残った3点を紹介しておく↓。
ポスターで関西学院大学の時計台が9月28日に大学博物館としてオープンすることを知る。前から関学の古い建物は関心があった(大半がヴォリーズ設計)のだが、キャンパスに勝手に入れるかどうかわからないので行かずじまいだった。博物館を口実に来月にでも建物見物に行こう。
ギャラリー前のテーブルで写真絵葉書。今日は日曜で秋口ということで、ベンチやテーブルでくつろぐ人もそこそこいた。
春日野道から大安亭まで猫写しながら、ふらつく。
街路樹の公孫樹にもう銀杏が実ってる。中には鈴生りになってる樹もあった。Morris.は銀杏は好きだけど、ずっと以前、銀杏の実拾って、両腕がかぶれてしまったことがあるので、落ちてる実を拾うのはタブーである。
先日南京町の林商店でグリーンカレーペーストとココナツミルクパウダー買ったのを思い出して、久しぶりにタイカレー作ることにした。茄子と筍と鶏肉と、袋茸はなかったので、マッシュルーム缶詰で代用。ところが、肝腎のパクチーが見当たらない。南京町まで足延ばすのも億劫で、今日はこれ抜きで我慢することにした。残念。棚に残ってた古い香辛料(クミン、丁子、シナモン、八角、カルダモン等々)いっぱいいれてしまった。うーーーん、やっぱり美味しい。でも、かなり辛いっ!!
今日の歩数は2107歩。

弦月会記念展 

「操車場の朝」渡辺成裕 

「関西学院の庭」杉本亀久雄 

「モンマルトル」黒田保 

前庭テーブルで写真絵葉書 

春日野道スキヤ雉 

大安亭八百屋白雉 

大安亭黒 

大安亭雉 

鈴生り銀杏 

寸胴鍋のタイカレー 

一見和風(^_^;) 

【文人たちの俳句】 坂口昌弘★★★ 2014/08/01 本阿弥書店。初出 月刊「俳壇」2012年~13。
小説家、歌人、芸能人など、俳句を本業としない著名人の句を紹介したもの。とりあげられたのは以下の24人。

夏目漱石、寺田寅彦、永井荷風、竹久夢二、平塚らいてう、初代・中村吉右衛門、久保田万太郎、佐藤春夫、吉屋信子、宮沢賢治、三好達治、五所平之助、大久保橙青、松本清張、檀一雄、木下夕爾、安東次男、瀬戸内寂聴、山中智恵子、結城昌治、吉村昭、藤沢周平、渥美清、小沢昭一、江國滋、寺山修司、松本幸四郎

こういった本は、一種の選句集みたいなものだから、結局印象に残った句を紹介することになる。
漱石、万太郎のように、好きな作品を数多く残してる作者もいるが、とりあえず一人一句という条件で引いておく。

化学とは花火を造る術ならん 漱石
老子虚無を海鼠と語る魚の棚 寅彦
ほろび行く国の日永や藤の花 荷風
颱風の去つて玄界灘の月 吉右衛門
冬籠つひに一人は一人かな 万太郎
春愁に秋思に老を忘れたる 春夫
初暦知らぬ月日は美しく 信子
海の藍柘榴日に日に割るるのみ 達治
白魚のいのちの如く灯のともり 平之助
光あり神の手すがし秋の空 一雄
あかあかと花芯のいのち白牡丹 寂聴
乞食こそ神の隠り身葛の花 智恵子
夕虹や夢はかなはぬままがよし 昌治
原発を拒みつづけて枯野なる 変哲(小沢昭一)
神の春とふとふたらりたらりらふ 幸四郎
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹 修司

引用だけというのも申し訳ないので、修二の五月鷹の項にある、著者の俳句観が窺える一節を。

(塚本邦雄は)鷹は父性の象徴ともいう。しかし、鷹に父の姿を特定すれば俳句のよさが消えてしまう。鷹が鷹であるからこそ俳句が詩となりえる。批評的解釈はポエジーを殺してしまう。
「五月の鷹」のイメージは、修司自身の詩魂の象徴であり、亡き父の魂であり、読む人の心を投影する鷹のイメージであった。優れた詩歌のイメージは、何か一つの解釈にはおさまらないものを秘めている。詩歌の解釈は作者の心よりもむしろ読者・評者の心を語るものである。


これだけで著者の見識を伺うことができるだろう。

2014/09/20(土)●再発ユンジョン熱(^_^;)●
7時起床。
今朝の血圧は190/93/77。
You Tubeで「チャンユンジョン10周年記念世宗文化会館コンサート」 を見つけた。韓国MBSが2013年イガツ4日に放映したもので、前の年のコンサートの特番である。一部はちょこちょこ見た覚えがあるが、この動画は画面も綺麗で、しっかり最後まで見入ってしまった。やっぱりMorris.はチャンユンジョンが一番好きらしい(^_^;)
この世宗文化会館は、光化門にある、韓国で一番権威のある劇場で、ここでコンサート開くのは、歌手の最大の夢らしい。チャンユンジョンもそのことをえらく強調してた。ヒット曲は網羅した上に、イミジャの「島の先生」からキムゴンモの「チャルモッテンマンナム」までカバー。アンコールで「オモナ」というのはお約束(^_^;)
そういえば、チュヒョンミは先週この会場で30周年記念コンサートやったはずだ。
昼から自転車で、ナフコ、コーナン冷やかす。実は5年近く愛用してたホーローケトルを空焚きしてしまった(>_<)ので、買い換えようと思ったのだ。でも、Morris.が好きなタイプのものは見つからなかった。
灘図書館に回り、「芸術新潮」のヒエロニムス・ボス特集を見る。ルネサンス期のオランダの画家で、「悦楽の園」に代表される、魅力的すぎる魑魅魍魎の世界は、一度見たら忘れられない強烈な印象を残す。ボスはオランダ語読みで、ドイツ語ではボッスという発音になるらしいが、Morris.は「ボッシュ」でないとピンと来ない。
現存する真作20点を詳しく紹介してあり、以前のブリューゲル特集に勝るとも劣らない好企画だった。「奇想の画家」というと、日本では若冲、国芳などが取り上げられるが、ボッシュの世界は、次元が違う。「悦楽の園」だけでも本物を見たいところだがスペインはあまりにも遠い(>_<)
6時帰宅。
BSジャパンで寅さんシリーズ最終48作「寅次郎紅の花」見る。この時の渥美清はほとんど動き回る場面がない。そのくらい病状は悪化していたらしい。
震災直後の神戸が舞台の一つとなっているので、それも感慨深かったが、もう一つの舞台が奄美大島で、30年近く前一度だけ訪れた与論島の風光を思い出して懐かしかった。
今日の歩数は2142歩。

チャンユンジョン10周年ライブ 

原田中学運動会 

六甲道夕空 

【これが原発だ カメラがとらえた被爆者】樋口健二 ★★★☆☆ 1991/07/19 岩波ジュニア新書。
反公害・反原発情報写真家の児童向けの貴重な一冊である。
子ども向けだからといって決して手抜きではない、しっかりした内容である。

原発は、近代科学技術の結晶などともちあげられ、あたかもコンピューターのみで動いているかのような錯覚を国民にあたえ、今日にいたっています。しかし、現実には、生身の人間たちが、重装備の服装にみをかためて、数百種におよぶ原発内作業をおこなっているのです。それは、ボロぞうきんで床についた放射性物質(放射能)をふきとる放射能除染作業にはじまり、ひび割れしたパイプの補修、放射能ヘドロのかい出し、さらに放射性廃棄物などのドラム缶づめ、放射能に汚染された作業服の選択、配電盤や配線の点検・補修、パイプにつまったごみそうじなどです。これらの作業をする人たちはほとんどが下請け労働者です。もちろん正規の社員も原発内に入りますが、下請労働者の比率は94~96%となっています。この人たちが、放射能をあびながら原発を支えているわけです。(原発を動かすということ)

比較するのもおこがましいが、つい、先日読んだ豊田有恒のトンデモ本のことが頭に浮かぶ。豊田は底辺の下請労働者と日常的な被曝のことなど想像すらしなかったのだろうな。しかし、Morris.だって、このことに関してはほとんど無知だったんだ(>_<)

1960年代にはじまった高度経済成長は、日本の社会と人の心を一変させました。表の繁栄の裏に、かならず裏の苦悩・悲惨が存在します。しかし、他人の苦しみを感じる心を捨て去った多くの人たちは、その裏の部分を見ようとはしません。そして表の部分にいっそう協力することによって、裏の苦しみを拡大していくのです。(原発を動かすということ)

「他人の痛みはいくらでも我慢できる」ということかも。しかし、樋口の言葉には、事実を見据えた者だけのとてつもない重みがある。

若かったので意気ごんで四日市に出かけ、さあこれから徹底的に取材をはじめようとした矢先に、出鼻をくじかれたのです。これを機会に、私は写真家である前にまず人間でなければいけない、という取材の原点ともいうべきものを認識させられ、そしてマスコミの集中するときは取材をやめようという不文律のようなものをみずからつくりました。

栴檀は双葉より芳しというか、その出発時から肝が座っている。「取材の原点」「マスコミの集中するときはやめる」これもなかなか言えることではない。

広島県竹原市忠海町の沖あい3kmの波静かな瀬戸内海に浮かぶ周囲4kmの小島、大久野島で、1929年から第二次大戦の敗戦にいたる45年までの17年間、"大日本帝国"は、毒ガスの製造と使用を禁止するジュネーブ国際条約を破り、極秘のうちに大量の毒ガスをつくっていたのです。
お決まりの「お国のため」という大義名分によって、13歳から15歳位までは動員学徒として、16歳から20歳くらいまでは徴用工あるいは女子挺身隊として、また国防婦人会のほか臨時工や人夫として多くの人たちが毒ガスづくりとは一言も知らされないまま、危険極まりない作業に従事させられていたのです。一部の上層部や職長以外ほとんどの人が作業の内容を知らないのは、半生記をへたいまの原発でも似たような構図であるといえましょう。人間に害がおよぶことがわかっていても、それをかくし通そうとする体質はなんら変わらないということです。毒ガスづくりは当時国家の最高機密で、そのために島を地図から消してしまったくらいですから、労働者たちに伝えるはずはありませんでした。(毒ガスをつくった島)

この毒ガス島のことも樋口の写真集見るまでまったく知らずにいた。
広島が軍事の一大拠点だったことは知っていたが、人間魚雷回天の他に毒ガス兵器まで作っていたとはね。

私は四日市の問題をふりかえってみて、四日市公害は石油エネルギー産業がひきおこしたということに遅ればせながら気づいたのです。そして、日本のエネルギーの軸は石炭から石油へと移行し、つぎは原子力エネルギーという経済構造がうかびあがっててきました。(石炭から石油へ)

産業革命の行き着く先が原発だったというなら、とんだ茶番である。

被爆者や下請労働者の家を訪ねればかんたんに取材ができるわけではありません。むしろ門前払いをくらうのがあたりまえでした。私の取材対象は、隠し撮りや盗み撮りができるようなものではないからです。相手からじっくりと話を聞き、写真を撮らせてもらわなければなりません。それだけに責任も重く、忍耐力も要求されます。(若狭の農村を歩く)

気が遠くなるような根気のいる取材、それを支えるのは樋口の使命感みたいなものだろう。

村居さんはフィルムバッジがポケットからよく落ちるので、ポケット線量計一本だけをもて作業に入りました。被曝量はゼロで入域しましたが、作業終了後、外に出てポケット線量計を見ると2ミリシーベルトまでの表示を超えて、針がふりきれてしまい、見えなくなっていました。
そこで大騒ぎになり、日本原電の車で、指定病院であった木村病院へ運び込まれます。そこでいちおうの検査を受けたのですが、木村院長は「異常なし」としごくかんたんに診断を下しました。放射線被曝については長い時間をかけて追跡調査が必要だというのに、あきれた話です。
その後、敦賀市議会と国会の場で村居さんの被曝問題がとりあげられるや、日本電源と組んだビル代行は態度を一変させて、村居さん宅を訪ね、白紙の小切手に「好きなだけ数字を書いてくれ」といったといいます。被曝事故の事実がないのなら、一円たりとも金など支払う理由はないのではないでしょうか。(線量計の針がふりきれた)

資料をもって帰宅した梅田さんは、裁判を決意して動き出します。すると、どこでキャッチしたのか、原発側は鋭い反応をしめします。
まず暴力団を使った脅迫電話が一家をおびやかし、奥さんがノイローゼ気味になったころを見はからって、直接仕事をまわしていた井上工業(ひ孫受け)社長と日立プラント社員の二人が梅田氏を訪ねてきました。「これからも仕事をつづけてほしいし、体が心配なら精密検査をしてもらいましょう」といって、強引に九州大学医学部附属病院の放射線科に連れて行き、「異常なし」のカルテを書かせたのです。
カルテを手にした日立プラントと井上工業は、もう一つ手の込んだ方法をとり、だめ押しをします。仕事の支度金という名目で「前払金106万円を二度にわたって銀行にふりこむ」という約束をし被曝事故に決着をつけたのです。
裁判をおこそうとして金の力でつぶされたケースを、私は二例しか取材していませんが、これらは氷山の一角にすぎないのかもしれません。(つぶされた裁判への動き)


取材撮影と並行して、こういった理不尽な事実を公に報らしめることが、樋口の使命感なのかもしれない。それにしても原発側のなりふりかまわぬ隠蔽作業には唖然とするしかない。

彼(浪江町の山田三良)は地元の工業高校を卒業して東芝に入社しました。大会社ですから両親も喜んだことでしょう。14年も前のことですから、東京電力の原発内勤務とあれば、未来への夢を託して一生懸命に働いたと想像されます。その原発内部で、彼は電気関係の配電盤のとりつけや補修・点検にたずさわっていて、被曝したのです。
私が取材した、原発ブラブラ病となって働けずにいる人や死亡した労働者の多くは、この線量(年間50ミリシーベルト)以下の人ばかりでした。そのうえ、内部被曝線量を知る人はだれ一人いません。これでは、病気になったところでなんの手がかりもつかめないのです。それどころか完全犯罪の成り立つゆえんがここにあるといってもよいでしょう。(農村の若者の被曝死)


被曝隠しの完全犯罪(>_<) 未必の故意ではなく、確信犯だね。

「この地元では、蒸気発生器周辺の作業には人は集まらんですよ。細管の検査は放射能にまみれます。だから全国からきた労働者がやるんです。もし、私もそんなところで作業するようになったらやめます」。(地元の現場監督談)
1991年2月9日、その蒸気発生器の細管破断事故が美浜原発2号機で発生しました。それを直すのは下請労働者たちであることを忘れないでほしいものです。(蒸気発生器周辺の作業はしない)


孫受け、ひ孫受けと下請けの下層に行くほど、被曝危険度も高まっていく。

降りそそぐ太陽がまぶしいばかりに輝く。はしゃぎまわる子どもたち。小麦色に焼かれた健康そのものの若者たちの肌。ここ水晶浜の水は、その地名のもつイメージにたがわぬ透明度だ。
沖に目を向けると、ほんの目と鼻の先に関西電力美浜原発の原子炉が3基見える。そこに原発があっても、美しい水晶浜の風景は平和そのものだ--。
しかし、原発が海に流しだす毎秒70トンもの温排水は、微量とはいえ放射性物質をふくんでいます。原発を推進する人びとは「少量だからなんの心配もない」とくりかえしていますが、運転中はまちがいなく放射性物質が排出されています。それも十数年にわたって海に流れでてしまっているのです。工場排水がどのような結果をおぼしてきたか、各地の公害の例を思い出してほしいと思います。(海水浴と原発)


この原発間近での海水浴シーンの写真は早川タダノリのパロディ(模倣)写真で知ったのだが、ブラックユーモアの極致といえるかもしれない。

私はあくまでも労働者の視点に立ち、原発を見つめようとしています。原発側では、都合のよい場所だけを見せ、安全性を誇張したいと考えるにちがいありません。私と原発側の意図がちがうわけだから、やがて日本原電の職員は、安全管理面を撮らせてほしいといった私を裏切り者と思うだろう、それもしかたないと、そのとき覚悟を決めたのです。
私は、カメラ二台とストロボ、それにカラーフィルムとモノクロフィルムを5本ずつ用意して待機していました。さあ入域というときになって、目の前に突然一通の誓約書がしめされました。もちこみカメラ一台、カラー、モノクロどちらかフィルム1本、写した写真を発表するところ、会社が写してよいといったところ(約10ヶ所)だけを撮ること、などが書きこまれていました。主任に抗議をすると、「いやなら見学を打ちきります」とにべもなくいうのです。
こうして会社のカメラに35ミリレンズをつけてもらい、ストロボも用意されました。レンズ部分をのぞいて、すべてビニールにつつまれています。原発内部の放射能汚染がひどいことを、ビニールづつみに感じ、緊張感が体をつらぬきました。
電気が不足するから、無資源国だから、原発が必要だと人々はいいます。しかし、そういう人も一度でも原発内の放射能うずまく労働現場に立ってみたら、ほんとうに原発が必要なのかと疑問がわくことでしょう。目先の豊かさにどっぷりとつかり、経済だけを再優先させて、人間をどこかにおいてきてしまったことに気づくでしょう。(敦賀原発撮影 19977/07/14)


奇跡的ともいえる、77年の敦賀原発内部撮影ドキュメントは本書のハイライトでもあるが、想像以上に困難な撮影だったことがよくわかる。
それにしても、このような本こそ、一人でも多くの人に読んでもらいたいものである。
そして、本書がジュニア新書という若い世代向けに出版されたということも、大きな意義があると思う。
ところでMorris.は、本書を中央図書館3階で書庫から出してもらった。一階の開架には無かったのだ。そして神戸市立図書館全館でも4館にしか置かれていない。Morris.が読んだ中央図書館の書庫、新長田図書館の児童書コーナー、北図書館のYAコーナー、兵庫図書館の一般図書、と、置かれているコーナーもばらばらである。これではなかなか人目に触れることも少ないだろう。
本書の10年前に出された「闇に消される原発被曝者」も読みたいと思ったのだが、これは神戸の図書館には一冊も無かった(>_<) (外大図書館にはあるようだが)
ここには、何か作為的なものがあるのではないか、などと勘ぐりたくもなってくる。

2014/09/19(金)●不要キー無効化作戦●
8時起床。
今朝の血圧は205/80/67。
朝の3点セット。
leno坊(現在使ってるノートPC)買ったのが4月19日だったから、ちょうど今日で5ヶ月目ということになる。
買った時から使い勝手が悪いと思ったのがキーボードの配列。大型ノートなのでテンキーがついてるのは仕方がないとして、一般キーとテンキーが均一に並んでいて、エンターキーの右横にテンキーの7と4がならんでいて、入力時にエンターキー打ったつもりで頻繁にこの数字キー(特に4)打ってしまい、イラッとすることが多かった。またバックスペースキーの右隣りはナンバーロックキーで、これは文章には直接関わらないが、打つごとにテンキーオン・オフが切り替わることになる。
とにかく鬱陶しくて、何とかしなくてはと思いながら、今日までほったらかしてた。キー配列変更するソフト使うことも考えはしたのだが、前にXPで使ってたChangeKeyというフリーソフトはWin7とXPしか使えないと書いてあったので諦めてた。
で今日は、ネットで探した「Key Tweak」というのをダウンロードしようとしたのだが、こいつがとんでもないやつで、本体ソフトがどこにいったかわからなくなった上、今どき使いたくもないブラウザ(オペラ)やら、あのやくたいもない迷惑ネットガイド「HAO」やら何やかや一緒くたにダウンロードされて、これを消すのに往生した(^_^;)
結局ダメ元でと、Change Keyダウンロードしたら、使えた(^_^;) こんなことならはじめからこれを使うんだった。ということで、先の三つのキーを無効。ついでにCapsLockキーも無効に。とりあえずこれでしばらく使ってみることにする。
スコットランドの独立するしないの住民投票。結果として200万票と160万票で独立見送りになったようだ。なんとなくホッとした気持ち。
夕方水道筋買い物出ただけ。後はほとんど部屋でごろごろの一日だった。
今日の歩数は2921歩。

こんな状態で使ってた(^_^;) 

"changekey"で無効に 

ほとんどボロ屑(>_<) 

3日前と同じ構図 

米屋のペルシャ種 

オクラ 

【日本の原発技術が世界を変える】豊田有恒 ☆☆ 2010/12/10 祥伝社新書。
福島第一原発事故の3ヶ月前に発売されたもの。
豊田は日本SFの古株作家でもあるので、Morris.も何冊か読んだはずだが、あまり印象には残っていない。
韓国にも関心があるらしく、最近はやたら「反韓国」本を出してたようだが、読む気にならずにいた。
それと平行して本書のような「親原発」本が出てることも、知らないではなかったが、これまた読む気になれずにいた。
このところ、原発関連本を読み漁っていることもあって、たまには「トンデモ本」にも目を通しておこうかというつもりで本書を手にとった。
「世界一安全な原発を造れる国はどこか!?」という表紙カバー袖の惹句。

わが国の原発技術が世界最高の水準にあることを、多くの日本人が知らない。……世界中で原発の新規建設が進み、各国が売り込みに攻勢をかけている。安全性が劣るとされる中国も、安さを武器に輸出を目指す。だからこそ、世界一安全な原発を世界に広めることが、この上ない世界貢献の道だと、著者は力説する。

だもんね(>_<)\(^o^)/

原子力ルネッサンスの世界的なトレンドに、日本が乗り遅れてはならない。いや、せっかく世界最高の技術を持っているのだから、むしろ積極的に活用すべきである。さもないと宝の持ち腐れに終わりかねない。(まえがき)

すでに腐りきってるぞ。

ぼくは1980年代から、日本の原発を回り始め、現在稼働している立地点と建設予定地のすべてと、関連施設のほとんどを取材した。(まえがき)

要するに「原発オタク」ということか。

そもそも非核三原則が、きわめて不合理なものである。<造らず、持たず>は、日本の意思で決められることだから、いいとしよう。だ<持ち込ませず>は、性質の異なる条件である。<持ち込ませず>を貫くためには、日本側も、寄港するアメリカ艦船を臨検して、核を積んでいないかどうか、確認しなければならなくなる。そんなことをすれば、アメリカと戦争になるだろう。(序章)

論の持って行き方が、短絡的である。

日本の原発反対派が考えた傑作のコピーがある。「原発は、トイレのないマンション」というもので、あちこちで目にした。反対派には、コピーライターとしての才能のある人材が揃っているらしい。たしかにアジテーションの文句としては、傑作だろうが、事実とは異なる。トイレ(核の再処理工場)を造れないわけではないが、意地悪な大家のカーターさんが造らせてくれなかったのである。(序章)

造れないわけではないではないではないか(^_^;)

青森県六ケ所村の核施設でも、使用済み核燃料のガラス固定化処理が、予定どおりには進んでいない。このあたりも、反対派を勢いづかせている点なのだが、拙速を避けて、遅れを取り戻そうとしているだけで、方法が無いわけではない。……必ずや解決できるであろう。(第五章)

で、そのトイレ造りの状況がこんなありさまで、それでも「必ずや解決できるであろう」という脳天気ぶり。

日本のような技術力もあり、経済力もある国が、核武装をまったく検討すらしないということは、国際常識からしても、ありえない。(序章)

非常識なことを自分で証明している。

かの有名なH・T氏と対談する機会があった。ベストセラーの原発本を書いた人である。この人は、一種の教祖でなければ、相当な役者だと感じた。H・T氏の著書は読んでいるので、ぼくも感じたのだが、反対という結論が既定の事実としてあり、センセーショナルに煽りたて、強引な結論に持っていこうとしているため、杜撰なところが少なくない。ぼくも、本を読んだ時点では、たいしたことはないと思った。しかし、本人に会って、印象が違った。一種の危機感をおぼえたのである。(第一章)

何で広瀬隆だけイニシアル表記するんぢゃ?? 強引な点でも杜撰な点でも豊田の方が格上だと思うぞ。

ドイツの例では、冷却水を国際河川であるライン川に流したところ、河の水温が上がってしまい、下流のオランダンの流域で希少種の魚が絶滅しかけ、国際問題になったことがある。日本の原発の場合、冷却水を流す先は広い海だから、こういった問題は生じないが……
放水口でせいぜい7度ほど高い水は、一部では問題を起こしたことがある。(第一章)


海は広いぞ大きいぞ、だから問題は生じないだと。「せいぜい7度」だと。

中学の親しかった同級生に、奇妙な偶然で原発と関わりあうことになる二人の男がいた。一人は高木仁三郎、惜しくも物故したが、原発反対派の大立者になった。もう一人は堤富男、資源エネルギー庁長官など要職を歴任し、ついには事務方のトップ、通産事務次官に上りつめた人物である、。中学時代、高木の家にも、堤の家にも遊びに行った仲である。
高木の反対論の主旨は、プルトニウムの毒性に着目することである。……その意味で高木の主張は、為にするものではなく、傾聴に値する。
ぼくは、無条件推進派ではない。むしろ批判派だと自負している。(第二章)


高木仁三郎と同級生だったことを自慢気に吹聴してどうしようというのか。自負しているというのは自ずと負けているということかな。

原発も、故障、事故から、自由ではない。ただ、マスコミ報道が、予備知識の不足のためか、意図的にセンセーショナルに描くためか、見当違いなことが少なくない。
2004年8月9日、関西電力の美浜発電所で、蒸気配管の破断事故が起こり、5名の作業員が命を落とした。これも原発事故として、大々的に報道されたが、加圧水炉では、タービン建屋のほうは、ふつうの火力発電と同じだ。破断した配管系は、ずっと点検から漏れていたというのだが、もし、沸騰水炉なら、放射能管理区域だから、こんな杜撰なことは起こらなかったろう。
2007年7月16日、新潟県中越沖地震が発生し、柏崎刈羽原発も、被害を受けた。報道では、燃えている変圧器の映像ばかり繰り返し流された。しかし、変圧器は、原発に限らず、どんな発電所にもある。想定をはるかに上回る震度の地震だったから、変圧器がショートして燃えるくらいの被害は起こりうる。また、放射能漏れも、大々的に報じられたが、これは燃料貯蔵プールの水が溢れだしたものだ。核燃料は、プールに容れてある。バケツに水を入れて、左右に揺さぶってみる。みつは、チャポンチャポンと跳ねて、縁から跳び出す。想定以上の地震だったため、跳ねた水が、プールの縁から、跳びだしたのだ。燃料が容れてあるから、水も多少の放射線を帯びているが、ほとんど影響のない程度だった。(第三章)

よくもまあ、こんなことを書けるものである。

故朴正煕大統領は、原発に力をいれ、韓国が<漢江の奇跡>と呼ばれる高度成長を開始する以前に、電力の整備を図り、釜山の近くの古里(コリ)を手始めに、月城(ウォルソン)、霊光(ヨングァン)など、多くの発電所の建設を命じる先見を示した。
李明博大統領は、現代建設社長だったころ、韓国にある20基の原発のうち、12基を自ら手がけたことがあり、原発の工事について知りぬいている。

この韓国の二人の大統領と原発の関わりは、知らずにいた。

1978年1月、シアロンハリス原発1号機が着工して以来、アメリカでは、原発は1基も建設されていない。実に32年の空白ができあがっている。初期に建 設された原発は、老朽化が目立っている。今や、原発大国アメリカは、100基を超える老朽原発の養老院と化しているのである。(第四章)


これは、唯一まともな意見かもしれない。日本だって似たようなものだけどね。

日本が武器を輸出しないことで、平和に寄与するなんらかの成果が得られたのか、ふりかえって検証すべきだろう。PR不足もあって、非核三原則にしろ、武器輸出三原則にしろ、日本が掲げた高邁な理想が戦争を阻止しえたとか、あるいは平和に貢献できたとかなんらかの国際的な影響力を及ぼしたという証拠は皆無である。原子力の平和利用に関しても、日本だけが、手を縛ったような状態で、国益を損なっていいものだろうか。
日本もいわば贅沢病のような核アレルギーに浸っているときではない。国内の置き換え、増設はもとより、積極的に海外市場に打って出る姿勢で臨むべきだろう。(第五章)


もうほとんど、右翼親父の床屋談義に近い。

誤解と偏見を取り除いたうえで、政官民の協力で、世界最高の水準にある日本の原子力を、世界に広めていく努力をすべきである。さもないと、価格競争力だけを武器として、安全性に乏しい原発が世界中に建設される事態になり、第二、第三のチェルノブイリ事故が起こりかねない。
被爆国である日本こそ、安全な原発を世界に広める崇高な使命感と責務を抱くべきなのである。(あとがき)


脱力するしかない(^_^;)
福島第一原発事故後のインタビューでも、豊田は本書の主張を変える必要はないと、のたまっているとか(@_@)(>_<)

2014/09/18(木)●グリコ記念館●
8時起床。
今朝の血圧は183/79/86。
朝風呂浴びて、10時半に部屋を出て、JR灘駅に向かう途中、桜並木で箱型クレーン使っての剪定作業。作業員から声がかかって見上げたら斉藤さんだった。何故か丸坊主に鳴ってた(@_@)。
塚本駅で下車。久しぶりに淀川散歩でもしようと思ったのだ。
塚本駅構内に「道頓堀グリコネオン展」のポスターがあった。会場の江崎記念館は塚本駅から歩いて15分とのことだったので、行ってみることにした。途中からビルの上の看板が見えたのですくわかった。要するにグリコの本社の中に作られた記念館である。
創業者江崎利一は佐賀県出身で、なんとなく郷土の誇り(^_^;)みたいなイメージもあった。
グリコのあのランナーキャラクタの変遷と、パッケージがずらりと並んで、これだけでも見応え充分。
歴代CMモデルのポスターや、テレビCMの放映、キャンペーン景品陳列などなど盛りだくさん。
何と言ってもあのグリコのおまけ勢揃いが圧巻である。ひとつひとつはちゃちなのだけど、これだけ集まるとすごいエネルギーを発散している。特に集めていたわけではないが、懐かしさ一入である。
そして、今回の特別展道頓堀ネオン5代の縮小モデル展示も楽しめた。1/20から1/30の精巧な模型で、それぞれの特徴がよく分かる。

初代(昭和10年~18年)高さ33mという度肝を抜く大ネオンでミナミの名物だったが、昭和18年、鉄材供出のため解体。
2代目(昭和30年~38年)初代の土台を利用して、高さ21.7m。キャラクタがかなりイメージチェンジ
3代目(昭和38年~47年)高さ18mの噴水ネオン塔。
4代目(昭和47年~平成8年)高さ17m。大阪を代表する定番に。隣接ビル改装に伴い撤去。
5代目(平成10年~)高さ20m。2003年(㍻年)「大阪指定景観形成物」に指定。


こんなことやあんなことは、記念館のホームページで、詳しく見る事ができるから、Morris.みたいに釈迦力になってデジカメ撮影する必要もないようなものだが、そこは、わかっちゃいるけどやめられない(^_^;)。
すっかり堪能してから、ふらふらと淀川に向かう。途中3匹の猫にも出会えた。
淀川はいつもと変わらず、あまり人もいなかったし川べりで、ミニギター弾いてても、風が強くて肌寒いほどで、早々に切り上げ。
橋を歩いてわたって、梅田方面に。ヨドバシカメラをちょこっと冷やかす。
5時帰宅。
今日の歩数は7211歩。

街路樹剪定=斉藤さん 

塚本駅でこのポスター 

見事なフェニックス 

グリコ本社 

江崎記念館 

展示場は2F 

グリコキャラクタ変遷 

大正11年(1922) 

昭和3年(1928) 

色違い 

柄違い 

大釜 

新聞広告原稿 

おもちゃランド 

グリコのおまけ総覧 

昭和初期 

かなり精巧な初期オモチャ 

戦中戦後 

このへんからMorris.の時代 

ここらあたりが最高潮? 

最近のはちょっと(^_^;) 

ネオン初代から5代目まで(左から) 

初代 

展示場風景 

江崎社長の部屋 

これはキャンペーン景品 

正ちゃん型自動販売機 

本社近所のトラ 

線路脇の朝顔 

鳳仙花の種子 

塚本駅近くの雉 

灰色飼猫 

淀川堤の彼岸花 

ここでひと弾き

梅田方面 

橋の中程から 

魚が (鯔?) 

鵜 

済生会病院 

【動物農場】ジョージ・オーウェル 高畠文夫訳 ★★★☆ 1972/07/30 角川文庫。©1945
「1984年」の先行作品とも言われる「動物農場」は、イギリスの農場で、豚を中心とした動物たちが、農園主を追い出して、動物による自治を始めるという寓話形式を取っている。これもMorris.は学生時代に読んだと思うのだが、覚えていない。
スターリンによるソ連の独裁国家をストレートに批判した作品とされている。

物語の人物や事件を、実在の人物や国々や具体的事件に対応させてみると次のようになる。
メイジャー爺さん(豚)→レーニン、ナポレオン(豚)→スターリン、スノーボール(豚)→トロツキー、ナポレオンが手なずけた9匹の猛犬→国家秘密警察(ゲー・ペー・ウー)、また、ボクサー(馬)→はチェフスキーやその他、羊たち→青年共産主義同盟、ジョーンズ氏→ロシア皇帝、フォックスウッドのピルキントン氏→イギリス、ピンチフィールドのフレデリック氏→ドイツ。次に事件の対応を見ると、スノーボールの逃亡→トロツキーの亡命、風車の建設→産業5ヶ年計画、ピンチフィールドのフレデリックとの商取引→独・ソ不可侵条約、ピルキントンとナポレオンのトランプ・ゲーム→テヘラン会談ということになるであろう。(解説)

トロツキーをモデルにしたスノーボールが一番魅力的に描かれているような気がした。トロツキーに関してはほとんど何も知らない(安彦良和「虹色のトロツキー」は愛読したけど(^_^;))Morris.だが、なんとなくトロツキーが魅力的に感じられるのは何故だろう。


「人間と動物は共通の利害をになっている、とか、人間の繁栄こそ、とりもなおさず、動物の繁栄である、とかいった説に、けっして耳をかしてはなりません。それは、ことごとく欺瞞なのです。人間というものは、自分以外のいかなる動物の利益も、ぜったいにはかることはないのです。したがって、闘いのために、われわれ動物たちの間に、完璧な統一と、完璧な大同団結を結成しなげればならない。すべての人間は敵である。すべての動物は同志である」

発端となったメージャー爺さんの演説の一部である。

「イギリスのけだものたち」

イギリス、アイルランド、
万国のけだものたちよ
きけ、輝く未来の
嬉しいわが知らせを。

暴虐人間の破滅のときが
やがてやってくるよ。
イギリスのみのりの野辺が
けだものばかりになるときが。

鼻輪は鼻から、引き具は背から
消えてしまうよ、その日には。
はみも、拍車も、永久(とわ)に錆び、
むごい鞭(しもと)の音も絶える。

想像もできないほどの富が
われらのものになるよ、その日には。
小麦に大麦、麦に干し草、
クローバーに豆にトウジシャなどが。

イギリスの野らは輝き、
水はさらに澄みわたるよ、その日には。
風もさやかにふきわたる、
自由解放のその日には。

その日の前に死ぬかもしれぬが、
その日のために準備をするのだ。
雌牛も馬もガチョウも七面鳥も、
自由のためにはげむのだ。

イギリス、アイルランド、
万国のけだものたちよ、
ひろめよ、輝く未来の、
楽しいわが知らせを。


メージャー爺さんが夢のなかで思い出した歌で、動物農場のテーマソングのように愛唱されるが、後にはナポレオンによって禁止されてしまう。これも「インター」のパロディだろう。

七戒

1.いやしくも二本の脚で歩くものは、すべて敵である。
2.いやしくも四本の脚で歩くもの、もしくは翼をもっているものは、すべて見方である。
3.およそ動物たるものは、衣服を身につけないこと。
4.およそ動物たるものは、ベッドで眠らないこと。
5.およそ動物たるものは、酒を飲まないこと。
6.およそ動物たるものは、他の動物を殺害しないこと。
7.すべての動物は平等である。

スノーボールは、「七戒」は、実際上、ちぢめて「四本脚はよい、二本脚はわるい」というたったひとつの格言にすることができるのだ。と宣言した。彼の言い分によると、この格言のなかに動物主義の根本原理が含まれている。だれでも、その意味を充分にかみしめさえすれば、人間の影響を受けないはずである、というのだった。はじめ、鳥たちが意義をとなえた。というのは、彼らも二本脚のような気がしたからだった。しかし、スノーボールは、そうではないことを証明してやった。
「いいか、同志よ、鳥の翼は、だ」と彼は力説した。「前に進むための器官であって、道具として使うための器官ではない。したがって、それは脚とみなすべきものである。人間のはっきりした特徴は、あの『手』で、これが、ありとあらゆる悪いことをしでかす道具なのだ」

人間の「手」が諸悪の根源というのは、armsが「武器」を意味することからも、想像がつく。

「この人は死んでいる」と、ボクサーは気の毒そうにいった。「こちらは、殺すつもりなんかちっともなかったのに。わしは、自分が蹄鉄をつけているのを忘れていたんだ。わざとしたじゃない、といくら言い訳をしたって、誰も信じてくれないだろうなあ!」
「めそめそするな同志よ!」さっきの傷から、まだ血をしたたらせながら、スノーボールが叫んだ。「戦争は戦争だ。良い人間はただひとつ、死んだ人間だ」


これはインディアン戦争でのアメリカのシェリダン将軍の「良いインディアンとは、死んだインディアンのことだ」発言のパロディである。
寓話苦手のMorris.だが、本書はそれなりに楽しめた。スノーボールの逆襲が無かったのが、ちょっと物足りなかったかな。

2014/09/17(水)●散髪●
7時起床。
今朝の血圧は208/94/68。
昼から中央図書館へ。
大倉山公園でミニギターレッスンしたりして、5時半図書館出て、南京町林商店で食材買って、元町阪神理容で散髪。
三宮図書館前広場でしばらくミニギター(^_^;)
9時帰宅。
今日の歩数は7501歩。

馬 

オオチャバネセセリ 

豊穣 

中央体育館前 

白いブラッシの木 

大倉山夕景 

【福島原発でいま起きている本当のこと】 浅川凌 ★★★☆☆ 2011/09/15 宝島社。
100p足らずのブックレットみたいな、宝島社お得意の簡便情宣シリーズの一冊である。
筆者は原発メーカー技術者から、福島第一原発をはじめ各地の原発のメンテナンスに指導員として関わったことのある人らしい。

世間に流れる「無関心」は、東電をはじめ電力会社が得意中の得意とする情報操作のたまものです。もっと言えば、一種の「洗脳」です。
原子力発電というものを外の世界から隔離し、「内」と「外」が互いに無関心な状態にする--それが、今回の大事故の原因だとも言えるのです。そして、そうした状態を生み出した電力会社を頂点とする巨大な利権集団「原子力村」の体質、やり方は、未曾有の事故を経験したいまも少しも変わっていません。
「興味本位」でかまいません。あなたの、その「興味」こそ、「原子力村」が仕掛けようとしている「無関心という罠」を破り、危機と隣り合わせの日々を変える力となるのですから。(はじめに)


目次からめぼしい見出しを拾っておく。

・現場の作業員は金で買えて取替えの利く「部品」
・「注水」は「冷却」にあらず
・汚染水処理の偏重報道は世間の目を欺くため
・放出の「元栓」はいまだ開きっぱなし
・「ベント不成功」の寒~い言い訳
・「安全」より「利益優先」!? 遅れに遅れた海水注入
・死亡事故、死因はいつも「心筋梗塞」
・原子力はハイテクではない。人力の作業がほとんど!
・素人がメンテする原発
・自ら進化を阻む原子力村。原発ロボットが活躍しない理由
・受け継がれる隠蔽ノウハウ
・チェック機能ゼロ! 検査員は素人
・発表は「やったこと」だけ、「予測」「対策」がない情報公開は無意味
・東電社員は「高見の見物」
・普通なら、まず疑う配管破断


福島第一事故から半年の時点という条件を踏まえて見ておく必要があるが、妥当な意見が多いと思う。

事故の原因をすべて「想定外の津波」にするべく、やっきになっています。それをなっとくさせるため、「メルトダウン、メルトスルー」という、最悪すぎて、むしろ公表することで免罪符に生るような事象を持ち出してきたのです。
(これによって隠したいことは)「地震」による配管破断と「原発の老朽化」。
注目が集まっている福島第一の地震による被害を認めると、老朽化した原発が地震で被害を受け、大事故を起こす可能性があることが証明されてしまう。
そうなれば、常に地震の危機にさらされている全国各地にある原発も止めなければならず、膨大な利権が吹っ飛ぶからです。(地震の被害を認めない東電と政府)

2006年始が原発2号機運転差止め訴訟で当時の金沢地裁井戸謙一裁判長は「電力会社の想定を超えた地震動によって原発事故が起こり、住民が被曝をする具体的可能性がある」として、運転差止めを命じ、その具体的可能性として、明確に「外部電源の喪失、非常用電源の喪失」を挙げた。しかし北陸電力の上告で、最高裁では住民の逆転敗訴。(「全電源喪失」を危惧した金沢地裁裁判長)

作業員は、アラームメーター、フィルムパッチ、線量計という線量を測る装備一式を低線量の場所に置いて作業に入るよう、命じられます。こうすれば、実際はどんなに線量を浴びても、装備に記録される線量は、低線量。その日の作業が終わって原発を出る時にチェックされても、「問題なし」というわけです。(トラブル時の被曝管理の杜撰)

「予測も対策も発表せず、やったことのみを発表する」--この方法は国民を欺くのには効果があります。やったことは事実なのですから、ウソをついている、隠蔽しているという批判から免れることができますし、発表があるたびに、「前に進んでいるんだ」という錯覚に陥るからです。実際は前に進んでいるのか、現状維持のためなのか、その前には、どんなリスクがあるのか、「東電しか分からない」ままなのですが……(発表は「やったこと」だけ、「予測」「対策」がない情報公開は無意味)

きちんとしたシミュレーションを発表せず、「計画停電」で危機感を煽り、チェックされる側である電力会社が作った「ストレステスト」で「お墨付き」を与えようとする電力会社・政府のやり方は「電気という人質を取っている」とでも言わんばかり。まさに恫喝です。
何をすべきか。それは原発の短き未来を、利権で結ばれた閉鎖的な「原子力村」のしアヒから解き放つこと。
「原子力村解体」の第一歩を切れるのは、いまも危機が進行している福島第一からです。そして、その一歩を作り出すのは国民の「監視の目」です。(あとがき)

なかなか、まっとうな意見が多かった。
2014/09/16(火)●真夏日●
7時起床。
今朝の血圧は192/93/69。
午前中はベッドで読書(^_^;) どうも農閑期の生活パタンになってしまったようだ。
午後も王子動物園から水道筋一周りして5時帰宅。
まぬう、雌は元気に歩き回ってたが、雄は岩場の中央で、うずくまっていた。微かに動いてはいるようだけど、大丈夫か?
今日は久しぶりに日中30℃超えて真夏日になった。とはいえ、それほど暑苦しさは感じなかった。確実に秋に入っている。
ソウル俳句会の山口禮子さんから、会の句集(19集)が出来たので送ろうかとのメールがきた。句会会員である微ニ入ルソウルの杉山さんがソウルにいた頃は会うたびに一冊頂いたものだが、去年関東に戻られてからは縁が無くなったものと思っていた。山口さんは昨年句集『半島』を上梓され、Morris.も一冊頂いて味読したことを思い出す。
会の句集の件は、郵送費がもったいないこともあって、遠慮することにして、その代わり、山口さんの今年の自薦十句だけ、メールで送るようお願いしたら、早速送られてきた。

    凪ぎて海藍一枚の春隣
    乾きつつかさりと傾ぐ栄螺かな
    だまし絵の春昼無題てふ主張
    咲きけぶるミモザ聖母子像白し
    来し方や小満の夕去りつ方
    一匹のわがものがほに蚊遣焚く
    横顔のもう一方の貌砧打つ
    初雪を手に受くさやうならの後
    捨つるべきもの前にして去年今年
    侘助の咲き放題に母の家  -- 山口禮子


韓国色の濃い句が無いのが、ちょっと残念だった。まあ砧打つというのは、今や日本では見られないから、韓国風景といえるかもしれない。また、韓国では初雪の日にデートすると幸せになれるといわれてて、デートのラッシュ状態になると聞いたことがあるから、それを受けた句かもしれない。凪いだ海を「藍一枚」と。表現するあたりは流石である。作品としては「砧打つ」の句が一番かな。個人的には「去年今年」の句に共感を覚える。身につまされるというべきか。おしまいの句は、葛飾の実家の句かもしれない。侘助は茶花にもなる小さな椿だ。
せっかくだから、杉山さんの今年の自薦十句も彼のサイトからコピーしておこう(^_^;)

    類人猿スマホ人類日の盛
    踏みはづすことなき女踊かな
    遠き日の渦巻く記憶野分立つ
    郊外型書店無月に発光す
    秋澄むや大井川たる鉄橋音
    稲架とばりつくづく吾は農家の子
    秋深む目ぢから&つけまつげ
    芭蕉忌や小澤實のうすわらひ
    雪富士を背にランドセル跳ね来たり
    良いニウス悪いニウスの四日かな --杉山杉久(さんきう)


うーーーん、Morris.にはほとんど理解不能ぢゃ(>_<) 印象に残ったのは郊外型書店とニウスの句。やっぱりMorris.は、俳句とは別世界の人となっているようだ。
今日の歩数は3588歩。

今日のまぬう 雌 

2ショット? 

今日のまぬう 雄(^_^;) 

子河馬 

フンボルトペンギン 

菫の種 

水道筋駐車場トリオ #1 

#2 

#3 

【原発事故はなぜくりかえすのか】高木仁三郎 ★★★☆ 2000/12/20 岩波新書。
日本の反原発運動の第一人者というべき著者は本書刊行の直前2000年10月8日に癌で62歳の生涯を終えている。本書は遺作ということになる。

(1999年9月30日のJCO臨界事故から)一年ばかり経ってみると、忘れっぽい日本人はまた、すでにそういう問題は忘れようとしてしまっているかに思えます。この状況が私には非常に怖い。提起された問題は、戦後の日本の原子力のあり方の総体を、根本から問い直すような問題ではなかったのか。
今度の省庁再編のなかで科学技術庁が文部科学省に統合され、縮小されてしまいます。その時、これまで科学技術庁の管轄下で生じていたようなJCOや「もんじゅ」などの「核燃料サイクル開発機構」(旧動燃)の問題は、全部精算されてしまうのではないでしょうか。新しい経済産業省の下で、原子力推進の行政が進行し、過去のことなどあまり問題にならなくなっていしまうのではないかと危惧せざるを得ません。(はじめに)


「忘れっぽい」のはいつまでたってもなおらんのかなあ(^_^;) Morris.なんか、どんどんひどくなってる気もするし(>_<)

原子力と文化というと、日本原子力文化振興財団という団体がすぐに思い出されます。日本原子力文化振興財団は何をやっているかというと、原子力に関する宣伝普及です。たとえば、「ウラン燃料のペレット一個からはトラック一台文の石油に相当するエネルギーが生産されます」というような宣伝を新聞に掲載してみたり、「石油がなくなって、さあ大変、真っ暗になってしまう。しかし原子力発電をやれば大丈夫」みたいな宣伝もする。(原子力文化)

なんてったって「原発ユートピア日本」(©早川タダノリ)だもんね。

情報公開をめぐっては1992,3年のころに、ちょうど「あかつき丸」がプルトニウムをフランスから運んできたり、95年、97年に海外からガラス固化体の返還廃棄物が返ってくる、そういうことについて情報があまりに少ないので、私は政府にいろいろな情報の公開を細かいスペック(仕様)を含めて求めたのですけれども、情報が出てこない。出てこない主要な理由は核拡散防止の理由ではなくて、商業機密なのです。(自己点検のなさ)

福島第一原発事故でも、東電がマニュアル出さなかった理由がこの「商業機密」だった。

私が若いころ、日本原子力事業という会社に入って痛感した現場の状況というのは、議論なし、批判なし、思想なし、だったと言えるでしょう。
日本の原子力開発は、1954年に当時青年議員だった中曽根康弘氏が頑張って、だれもよくわからなかった原子力予算というのを通して、強引に原子力研究が始まったという、それ自身非常に不幸な歴史を持つのです。あるいは、非常に非文化的な歴史を持つとも言えるのですけれども、55年から日本の原子力産業がいわば上からつくられました。(原子力産業の状況)


まさに阿呆陀羅経の無い無い尽くしだね。戯論無し、批判無し、思想無し、なんたって反省というものが薬にしたくても無いヽ(`Д´)ノ

たとえば、原子炉事故というと、炉心が冷却に失敗して加熱して溶け崩れるメルトダウン(炉心溶融)をだれしも考えます。しかし、そういうことについて、会社の中で公式に議論した経験は、少なくとも私は一度もありません。そのこと自体、恐ろしい話ですけれども、ある種のタブーになっていたのでしょう。(議論なし、思想なし)

タブー(>_<)(@_@)(;;)(^_^;)

だいたい原子力村というのは、お互いに相手の悪口を言わない仲良しグループで、外部に対する議論には閉鎖的で秘密主義敵、しかも独善的、という傾向があります。
日本の会社にわりとよくあるパターンかもしれませんが、何か会社の経営サイドのほうの思惑だけがあって、技術的な基盤がそれに伴わない。それから、あとは日本企業の特徴で、企業の中で人が徹底した議論をやらない、争わない、家族主義的なぬるま湯の中につかっているとい、そういう体質の中で原子力産業が形成されていったというのが私の実感です。(原子力村の形成)


それもあるだろうけど、やっぱり一番は、莫大な利権を守るための運命共同体だというところではなかろうか。

原子力には明治以来百数十年の富国強兵の歴史が反映しており、国が技術立国的な政策をとって自由化工業に力点を置いて巨大財閥を中心に産業を育て、それを富国強兵に使ってきたのと同じことを、縮図的に原子力でやろうとしたと言えるでしょう。いかにもそれは中曽根康弘というひとの好みでもあったような気がします。そういう意味では日本の富国強兵の歴史のある種の縮図的なものが戦後の原子力で再現されていて、それが現在破綻の危機に瀕していることと、この間他の分野でもいろいろな破綻が生じていることが時を同じくしているのは、必ずしも偶然の一致ではないのではないかと感じます。(マイ・カントリー)

中曽根+正力-角栄-安倍ラインは、まさに富国強兵推進隊である。

調査には、厳しいチェックを行い徹底して究明する自己検証型の調査と、これ以上ひどいことにはならなかったということを立証したいがための防衛型の調査と、二通りの調査があります。
しかし、自己検証型の事故調査というのは、なかなか行われていません。それは、前章で述べた公共性のなさとも関係しています。自分たちの作ったシステムを本当に公的な責任において調べているかどうか、自分たちのかかわった技術の公的性格、普遍的性格というものをどこまで徹底して究明する義務があると考えているか、この公的という視点がなければ真の検証はできないでしょう。(自己検証型と防衛型)


暖簾に腕押し、糠に釘、原発坊主に爆弾飴ぢゃ。

原子力の分野でも、『原子力白書』にアカウンタビリティーという言葉が登場するようになりました。アカウンタビリティーというのは、政府は普通「説明責任」と訳すようですが、原子力の場合にはご丁寧にもただの説明責任ではなくて、「分かりやすく説明をする責任」というような訳し方がなされました。
アカウンタビリティーというのは、むしろレスポンシビリティーという言葉に近い語感を持った言葉です。ですから、説明ということに力点があるのではなく、責任ということに力点があります。
そもそもアカウンタビリティーは、いつも自分のやっていることが公的に説明できるというようなプロセスを踏んでいない限りは、成り立ちようがないでしょう。委員会をつくる場合に、こういう人選なら政府に都合の悪い結論は出ないだろうといういうようなことを密室であらかじめ打ち合わせ、そこから人が選ばれて、委員会が構成される。こういうプロセスはきちんと説明しようとしても説明できない。だから、アカウンタブルではあり得ません。そもそもアカウンタブルでないことをやっていいるのですから、アカウンタビリティーなどと言っても、「わかりやすく説明をする責任」というように逃げてしまって、理科の先生が理科の授業をするのにわかりやすい言葉を使って生徒に説明する、そういう責任が政府のお役人にもあるんですというような言い方をする。これは私には国民を愚弄する言葉だとしか思えません。本来の意味でのアカウンタビリティーが、日本の政府にはまったく欠如しているのです。(アカウンタビリティー)


そのとおり。日本国民は愚弄され続けている。

ずっと私の中で気になっているのは、日本における大企業の共同プロジェクトのあり方です。いつも、典型的な寄せ集めになっていて、有機的な統一がとれていません。そこに事故が待っているという例は、おそらく無数にあるような気がするのです。
実際日本では、大きなプロジェクトにおいては、三井、三菱、東芝といった原子力の系列全体に少しずつ仕事がまわるように、国策的に割りふられることが多いのですが、そのようなプロジェクトは多くの場合、思わぬ欠陥を露呈したり、また一社でやるよりコストが割高になりがちなのです。(寄せ集め技術の危険性)


プロジェクトに一貫性がないということか。もんじゅのナトリウム漏れ事故でも似たような問題があったみたいだし……

1973年関電美浜原発第一号炉で起きた事故があります。このときは炉心バッフル板というところにすき間が空いて、そこから一時冷却水が激しく噴出し、燃料棒の折損が起こりました。しかし、三菱重工と関西電力のごく一部の幹部の人たtが内密に処理をして済ませてしまい、事故の存在は外部には隠されたのです。これが内部告発によて国会で問題になり、ようやく真相が明らかになりましたが事故発生からすでに3年を経過したあとであって、電気事業法にいう報告徴収義務の期限3年を超えて時効が成立しているとされ、立件さえされずに済んでしまいました。
1981年には、敦賀の日本原電の敦賀原子力発電において、放射性廃液が一般排水路に漏れて海の汚染につながるという、これまた非常にショッキングな事故がありました。この事故も自主的には公表されず、後日の内部告発によってわかったのです。(隠蔽の時代)

内部告発も、秘密保護法が施行されると、なかなかできなくなるのでは、と、不安が広がる。

安全システムも、危機状態のときにモーターなどを使って人為的で動的な介入をして安全を確保するようなことをやると、モーターが動かないときはどうするのかという問題が必ずでてきますから、そうではなくて、危機状態になったら必ず、たとえばもっと強力な自然の法則、重力の法則が働いて、それによって制御棒がそうにゅうされるというような、そういった本来的な安全性が働くような形のシステムであったほうがよいということです。そのようにパッシブなセーフティのほうが望ましいのではないでしょうか。(技術の極致)

このような、パッシブなセーフティが実現されていれば、福島第一でも力を発揮したにちがいないのだが、それ以前のところで、堰き止められていたということになるだろう。しかし、それも後の祭りである。
高木仁三郎(たかぎじんざぶろう)の本、もう少し読んでみよう。

2014/09/15(月)●渚にて●
6時半起床。
今朝の血圧は192/93/69。
午前中は例によって部屋でゴロゴロ。
昼から歩いて海岸通り(ハーバーウォーク)まで下って、海を見ながらミニギター。今日は3曲めから4カポにして、ずっとこれで通す。ここだと多少大声出してもかまわない。かなり喉が枯れてしまった。
ヤマダ電機ひやかす。実はMorris.のでデジカメ(Canon PowerShot SX28HS)がいまいち調子が悪くなってきたので、そろそろ後継機を、と思ったのだった。仕事中に使ってる同系機が、ほとんど仕様不可に近いので、現在のものを仕事用に回せばよい。ちょっと食指をそそるのがあったが、今日のところは見送り。結局同じ系列に落ち着くんだろうな。
5時帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1385回は"가을의 노래秋の歌“特集(^_^;)
 
 1) 코스모스 피어있는 길コスモス咲く道/김상희キムサンヒ
 2) 구월의 노래9月の歌/최진희チェジニ
 3) 석류의 계절石榴の季節/문주란ムンジュラン
 4) 짝사랑片思い/송란ソンラン
 5) 백마야 울지마라白馬よ泣くな/명국환ミョングッカン
 6) 능금빛 순정林檎色の純情/진성チンソン
 7) 서산에 지는 달아西山に上る月/리나박リナバク
 8) 구름 나그네雲の旅人/송대관ソンデグヮン
 9) 가을을 남기고 간 사랑秋を残して去った愛/최진희チェジニ
 10) 고향역故郷駅/조승구チョスング
 11) 가을이 오기 전에秋が来る前に/문주란ムンジュラン
 12) 가을 편지秋の手紙/추가열チュガヨル
 13) 그 사람 이름은 잊었지만その人の名は忘れたけど/박건パッコン
 14) 들국화野菊/염수연ヨムスヨン
 15) 올 가을엔 사랑할거야今年の秋には恋しよう/서주경ソジュギョン
 16) 갈대의 순정芒の純情/박일남パクイルナム


特筆する曲や歌手はほとんどないな(>_<) 1曲目はキムサンヒ自身のオリジナル。6/8拍子の童謡っぽいメロディで、Morris.も以前よく歌ってた。15曲目はMorris.が大好きな歌手パンミのヒット曲だ。うーーん、この歌は胸キュンである。Morris.が持ってるシムスボンのゴールデンアルバムにも入っていて何故かジャケットにはシムスボン作詞作曲と書いてある。本当は作詞は、キムヘヨンの育ての親Toop Music のソパンソク社長、作曲はシムミギョンである。

今日の歩数は4121歩。

緑の菊 

くろがねもち? 

褄黒豹紋 雄 

珊瑚樹 

海岸通りの空 

入海 

【オーデュボンの祈り】伊坂幸太郎 ★★★☆ 2000/12/20 新潮社。
第五回新潮ミステリー倶楽部賞の受賞作で、伊坂のデビュー作ということになるのだろう。
仙台近くの小さな島での寓話的な物語で、伊坂らしい屈折した登場人物がぞろぞろ出てくるので、ちょっと読みにくかったけど、端々に興味深いエピソードがちりばめられていて、それなりに面白かった。エピソードというのが、ブッキッシュな知識からの受け売りで、カオス論、オーデュボンの描く旅行鳩、歌う生物学、群集心理、パラドックス……こういった雑学めいたところはMorris.好みだったりもする。この後の伊坂作品のプロトタイプみたいなのも散見して、これも楽しめるところ。

「小説の中で事件が起きるんだ。人が殺されたりして。で、その名探偵が最後に事件を解決する。犯人は誰それだと言うんだ」
「当たっているのか、それは」
「というよりも彼が決定した犯人が犯人になるんだ。ただ、彼は犯罪そのものが起きるのをふせぐことはできない」
小山田は少し黙ってから、「優午と似ているな」
「僕もそう思ったんだ」
犯罪を止めることはできない。しかし真相は指摘できる。僕がその探偵本人であったら、こう叫ぶだろう。
「何の茶番なのだ」と。自分はいったい誰を救うのだろうか、と頭を掻きむしる。
「優午は重荷だったんだな」と小山田は言った。
名探偵は神様に近い存在だ、と静香は言った。馬鹿みたいだ、と。
彼らは小説上の世界より一つ上のレベルにいる作者や読者を救う多面存在している。決して同じ世界の人間たちを救済するわけではない。


仙台でコンビニを襲って捕まり、途中で島に逃れて来た語り手の伊藤と、島の警官小山田の会話で、優午というのは、島に立っていたカカシ、静香は伊藤の元恋人である。この小説の中の名探偵のパラドキシカルな定義は、分かりやすく面白く、多くのミステリーファンの中に漠然と潜んでいた矛盾を突いたものといえるだろう。ミステリーコンペ応募作で、こういった戯論を挟み込む辺りが、いかにも伊坂らしくていいな。

奥泉光が選考委員の一人で、その選評から引く。

そもそも小説とは、それが何であるかを名指しできない何かなのであり、「これは一体何なんだろう?」と思わせるものこそが最も小説の理想に近いといえる。『オーデュボンの祈り』が小説らしいとは、簡潔に言えば、そのような意味である。選考会の場では、作品のあまりの馬鹿馬鹿しさが各選考委員から指摘された。僕も指摘した。だって、言葉を喋るカカシがいて、何故喋るのかといえば、頭部に巣くう虫が脳のシナプスみたいな働きをしているなんて説明されても、困るじゃないですか。けれども、この作品について議論するとき、選考委員全員が笑っていたのであり、一番いきいきとしていた。これは、つまり、面白いということである。

さすがだね(^_^)  選評で自分の小説論を披露する辺り。比較という意味で、桐野夏生の選評からも引用。

ファンタジックな設定に対し、冷酷ともいえる人物たち、警句や比喩の多用。あたかも、その場しのぎのような想像力の枝葉があちこちに伸び、いつの間にか読み進んでしまう。確かにオリジナリティは一番である。だが、様々な小説的企みが窺えるのに比して、失礼ながら、あまりにも表現が拙いということもこの作品の奇妙さのひとつではある。素っ気なさと繰り返しが目立つ文章。「寸止め」。これは手法と言えるものではなく、練り込みも推敲も足りないせいだと思われる。

桐野という人の作品は未読だが、まるで小説が読めない人なのではないかと思ってしまった。それ以前にかなりの悪文でもある。

2014/09/14(日)●趙博歌い語り●
7時起床。
今朝の血圧は177/83/78。
日曜美術館は染色工芸家芹沢(芹澤銈介)特集。民芸運動の中でも人気の高い作家で、シンプルで力強い作品はたしかに、インパクトあり、デザイン的にもすごいんだろうけど、Morris.はそれほど関心が無かった。今日の番組でも、多くの作品が紹介されたが、やっぱりぴんとこなかった。
KBS全国ノレチャランはテジョン(大田)篇。ソンヘさんは相変わらず元気いっぱい。
昼から自転車で阪急六甲学生センターへ。
「在日外国人人権セミナー」でパギやん(趙博)がライブ&トークショーするというので見に行くことにしたのだ。ヘイトスピーチへの反対運動という位置づけだったらしいが、結局パギやんの好き勝手ライブ(^_^;)みたいなものになった。
Morris.はパギやんは、西成の応援ライブ、ワンコリアフェスティバルなどで数回見たことはあるが、きちんと聴くのははじめてみたいなものだ。伴奏の春間げんは、大巻ちまきちゃんとのユニットでお馴染みだが、ピアノ、アコーディオン、パーカッションを駆使して、なかなか見事なパフォーマンス見せてくれた。
日韓併合百年に合わせて作った「百年節」は力作だったし、衣装変えての「新版阿呆陀羅経」は圧巻だった。そしてプク(太鼓)の叩き語りの「ヨイトマケのうた」これもいい味出してたし、エンディングで「エンヤコラ」にピアノでアリランメロディをかぶせるお遊びが素敵だった。
トークでも、パギやんの勉強ぶりが伺えたし、古賀政男が伽耶琴のリズムに影響されたという薀蓄はともかく、服部良一が全国のアリランの採譜を通じて自己の作曲を確立したという初めて聞く新(珍?)説等含めて、結構楽しめた。加納実紀代という女性誌研究家の本のことも紹介してもらい興味を覚えた。
求める会の部屋に稲田さんがいたので、ちょこっとだけだけど話しできたのが嬉しかった。
灘図書館に寄って、5時半帰宅。
アジア大会、サッカー日本-クウェート戦。ほとんど高校サッカーみたいなレベルの試合。4-1で日本勝ったけど、それにしても観客の少ないこと(^_^;)
今日の歩数は2514歩。

趙博 

春間げん 

新板阿呆陀羅経 

ミニ木魚 

太鼓で「ヨイトマケの歌) 

「核々死か慈か」 

2014/09/13(土)●蚊害(^_^;)●
7時起床。
今朝の血圧は184/72/82。
良い天気だが、午前中はベッドで読書。
王子公園運動場(^_^;)では葺合高校の体育祭やってた。
Morris.はその横の岩だらけの公演でミニギター練習。ここはあまり人来ないし、杉(落羽松)の林の中にあるので、気持ちが良い。ただ、まだ蚊が多い(>_<)  代々木公園ならちょっとこわいところだが、こちらではまだデング熱発生のニュースは無い。
夜は寅さんシリーズ47作目の「拝啓 車寅次郎殿)(1974)をBSJAPANで見る。おしまいから2作目で、この時渥美清は肝臓癌が肺にまで移転して、出演出来る状態では無かったらしい。マドンナがかたせ梨乃、甥の満男(会社員になってる)の恋人が牧瀬里穂というのも時代だなあ。30年前か。舞台の長浜というのは、琵琶湖の北岸で、まだ行ったことがないが、良い所のようだ。
今日の歩数は3423歩。

アメリカ花水木の実 

紅い木の実(^_^;) 

岩壁登り 

ラクウショウ(落羽松)

次回はここで演ろう 

赤い若葉 

空 

黄色い若葉 

ミニ薔薇 

藪枯しと青筋揚羽 

夕顔 

ソフトクリーム? 

ダチュラ 

黄花に黄蝶 

早くも彼岸花 

ビル取り壊し工事 

同じく 

今日のまぬう 雄(ウソ(^_^;)) 

えらく人懐こい 

すりすり 

お馴染みも 


2014/09/12(金)●水道筋で一杯●
6時起床。
今朝の血圧は183/87/77。
朝の3点セット。
一昨日作った麻婆豆腐の残りで麻婆丼。
午前中は久しぶりに韓国語学習↓。
昼過ぎ、王子動物園に行き、一番北側のカンガルーヤード上のベンチでミニギター。動物園飼育員アジョシが興味深そうに見つめる。彼は樫の枝を肩に背負っている。伐採かと訊いたら、これはキリンの餌だとのこと(@_@)
3時に動物園出て、原田の森ギャラリーの前庭へ。Morris.部屋愛読者(^_^;)のイヨンファさんと待ち合わせ。センターの飛田さんつながりで、一度六甲で3人で飲んで以来である。Morris.日記で「在日朝鮮学生美術展」の記事みて、これを覗いてみようという気になって、Morris.に連絡があったのだった。美術展見て、すぐ向かいの神戸文学館の久坂葉子展ひやかしてから、水道筋へ。途中阪急王子公園駅前で、松蔭の女高生3人に声をかけられる。マイクとビデオカメラセットして、何か制服に関する街頭インタビューみたいなものをやってるらしい。Morris.は松蔭の制服がどんなものかかも知らないでいたが、当人たちが着てるのがその夏服ということで、可もなし不可もなしと思ったが、なかなか良いんじゃなかろうか、と無難に答える。ヨンファさんは結構制服には詳しいらしくいろいろ受け答えしてた。
初め正宗に行こうとしたが、ヨンファさんが、いまいちのようだったので「船越」に久しぶりに行ったのだが、どうも以前と比べると味が落ちてる(>_<) 串カツの具は悪くないのだが、コロモがへたってる感じ。適当に飲み食いして、近くの高田屋に場所替え。都合二時間弱、世間話というか、政治と阪神の愚痴(^_^;)などやって、お開き。
マルハチで買い物して8時前帰宅。
文学館で見た久坂葉子のことがちょっと気になって、ネットみたら、青空文庫に「久坂葉子の誕生と死」という小文があった。当人の文章である。彼女の名前は富士正晴の「贋久坂葉子伝」(読んでないけど(^_^;))で記憶にあったが、まったく未知に等しい。この小文がMorris.にとっては初めて読むものということになった。日付が昭和27年11月となっている。手抜きでWikipediaから略歴を引く。

久坂 葉子(くさか ようこ、1931年3月27日 - 1952年12月31日)は、日本の小説家。本名、川崎澄子(かわさき すみこ)。神戸川崎財閥を興した川崎正蔵の曾孫にあたる。
兵庫県神戸市生まれ。相愛女子専門学校(後の相愛女子大学)中退。島尾敏雄の紹介で、1949年、雑誌『VIKING』に参加し、富士正晴の指導を受けた。『落ちてゆく世界』の改作『ドミノのお告げ』は1950年の芥川賞候補となる。4度の自殺未遂。『幾度目かの最期』を書き上げた後、1952年の大晦日に阪急六甲駅で鉄道自殺を遂げた。(Wikipediaより)


先の小文は死の一ヶ月前に書かれたことになるから遺書というべきものかもしれない。飾りのない率直な若気の至り(^_^;)みたいな文章だが、それなりに面白かった。21歳没は、樋口一葉より3年も早いことになるな。気が向いたら、目をとおしてみようか。
今日の歩数は3933歩。

麻婆丼最終回 

昼の屋上北側の空 

カンムリヅル 

今日のまぬう 雄 

今日のまぬう 雌 

大山猫 

ボブキャット 

縞馬 

キリンの餌に樫の木 

カンガルー 

ハンター亭裏の胡桃の実 

萩 

「金魚」喜多村恵子 

朝鮮学生美術展でヨンファさん 

松蔭制服取材隊 

【韓国語の数と数え方】梁永美
★★★☆2013/12/25 国際語学社。
久しぶりの韓国語参考書である。
これはタイトル通り、数字と数え方に特化した参考書で、こういった分化が見られるのも、最近の韓国語熱の高まりによるものだろう。
初級、中級、上級別に25章に分かたれている。初級は基礎の基礎、上級は数字の入ったことわざや慣用句、四字熟語など付録みたいなもので、メインは中級部分だろうがとりたてて意味は無い。
いつまでたっても中級以前のMorris.でも、数の基本くらいはなんとかマスターしてる(はず)ので、本書は後ろから順に一通り読み終えた。
思った以上によく出来た参考書だった。
韓国語にも日本語と同じように、数字は漢字語と固有語があり、この使い分けがちょっとややこしかったりする。例えば「60」は漢字読みだと「육십 ユクシプ」固有語では「예순イェスン」となる。60年なら漢字読みで「육십년 ユクシムニョン」 年齢で六十歳なら「예순 살イェスンサル」となるわけだ。Morris.の場合何歳ですか?と問われたら「イェスンタソッサリエヨ 」と答えなければならない。どうもこの固有数字が覚えられなかったMorris.はあっさり「49年生れです사십년 생 이에요 サシプクニョンセンイエヨ 」と答えることにしてた。これなら固有語なしで一生使える(^_^;)
いろいろ教えられることが多かったが、とりあえず、マスターしてなかった数の計算(+-×÷)と、助数詞のいくつかを引用しておく。

+ 足し算は 덧셈 トッセム2+3=5 이 더하기 삼은 오 イ  トハギ サムン オ
- 引き算は 뺄셈 ペルセム6-4=2 육 뻭이 사는 이 ユク ペギ サヌン イ
× 掛け算は 곱셈 コプセム 7×8=56 칙 곱하기 팔은 오십육  チル コッパギ パルン オシムニュク
÷ 割り算は 나눗셈 ナヌッセム 육 나누기 이 6÷3=2 ユク ナヌギ サムン イ

[助数詞]
-개 個 一般的な助数詞 가방 세개 カバン三個
-면  名 人数 학생 야섯 명 学生3人
-분 人様 人数(丁寧) 손님 야섯 분 お客6名様
-장 枚 紙、手紙、切手、切符、新聞、シャツ、Tシャツ 우표 한 장 切手一枚
-병 本(瓶) ビール、ジュース、酒 맥주 세 병  ビール3本
-잔 杯 (コップに入った)飲み物 술 한 잔 酒一杯
-권 冊(巻) 本、雑誌 사전 한 권 辞書一冊
-마리 匹、頭 動物 고양이 두 마리 猫二匹
-송이 束 花、葡萄(房) 장미 한 송이 薔薇一輪
-벌 着 衣服(背広、スーツ) 한복 두 벌 韓服2着
-켤레 足(対) 靴、靴下、手袋 구두 한 켤레靴一足
-대 台  乗り物、電気製品 자동차 두대 自動車2台
-번 回 経験した回数 다시 한번 もう一回
-가지 種類 소원 세 가지 願い3つ
-갑 箱(匣) タバコ 담배 한 갑 タバコ一箱
-포기 株 白菜 김치 수무 포기 キムチ20株
-통 筒 スイカ 수박 한 통 スイカ一玉
-편 篇 映画、演劇 영화 세 편 映画3本
-그릇 膳 料理 정식 한 그릇  定食一膳
-접시 皿 料理 회 한 접시 刺し身一皿
-그루 本 樹木 감나무 세 그루 柿の木3本
-채 軒 家 집 세 채 家三軒
-걸음 歩 한 걸음 一歩
-가락  筋 실 한 가락糸一本
-자루 本 연필 한 자루鉛筆一本
-방  発 방귀 한 방おなら一発
-줄기  筋 시내 한 줄기 小川一本
-사발 膳 밥 한 사벌 ご飯一膳
-자 字 글씨 내 자四文字
-알 錠 알약 두 알丸薬二錠
-폭  幅 서와 한 폭 書画一幅
-모  丁 두부 한 모 豆腐一丁

・ひとかたまりを単位として数える助数詞
-봉지 袋
-바구니 籠
-상자 箱
-다스 ダース
-단 束
-두름 イシモチ10尾☓2連
-보루 カートン(boardから)
-손 ひとつかみ
-쌍 対
-졔 包(剤)
-축 イカ20杯
-톳 海苔100枚
-판 卵30個パッケージ

他の辞書からも幾つか追加しておいた。探せばまだまだありそうだ。考えてみれば、日本でもものの数え方だけの本は結構数多く出ている。ここらあたりからも日本語と韓国語の類似性がうかがえそうだ。

2014/09/11(木)●阪神TKO(>_<)●
6時起床。
今朝の血圧は204/92/56。
夜明けは良い天気で、どこか出かけようと思ったのだが9時頃から突然の雷雨。昨日から北海道では大雨で被害も出そうなくらい。とにかく今年は大雨が多すぎる。
昼には雨も上がったので、自転車で中央図書館まで行くことにした。先日25分で行けたから、今日は40分くらいかけてのんびりペース。
神戸は南北は急な坂だが、東西はほとんど平坦だから、ママチャリでも充分である。
中央図書館3階書庫から、樋口健二の「報道写真集成」出してもらい、ベンチでゆっくり見る。借りようかと思ったのだが、あまりに重そうなのであきらめたのだ。四日市公害から、原発取材まで、日本中の公害や乱開発の現場を撮り回った力作ぞろいである。書架からもう一冊「写真の本質 スティーブン・ショアー」というのも見る。これはまた別の意味で興味深かった。
5時半に図書館出て、6時過ぎ帰宅。
阪神-巨人最終戦。先発能見が初回、三連続四死球で満塁にしたあと連打で4点とられて、ほとんどこれで勝負あり。今日も負けたか6連敗(>_<) ということで、今シーズン、阪神にはタオル投げる。
今夜のABCテレビ報道ステーションで、慰安婦問題を総力特集。これはなかなかリキが入ってた。
ちょうど今日朝日新聞社長が謝罪会見開いたというタイミング。これは「事故4日後の15日に福島第一原発所員の9割が吉田所長の待機命令に違反して第二原発に撤退した」という記事(2014/05/20朝刊)が誤報だったという謝罪がメインだが、これに付随して、慰安婦問題のきっかけとなった32年前の吉田清治発言の見直し記事(全面否定)と、これに係る池上彰連載記事差し止め問題も絡んでの謝罪もあった。
番組のスタンスは、吉田清治発言は全否定、しかし、強制行為は無かったとは言えないというあたりで、まあ、これがテレビとしてはぎりぎりのところだろう。しかし原発問題にしろ、集団的自衛権問題にしろ、今回の慰安婦問題にしろ、古舘一郎はなかなかの健闘ぶりである。
今日の歩数は3020歩。

朝の雷雨 

楠木町の飼猫 

もう一匹の飼猫 

苔むした樹(皀莢サイカチ?) 

昭和13年神戸土石流水害 

今日のヴィジュアル読書 

ヴィジュアル読書その2 

江戸の朝顔 

椅子の下のぶんちゃん 

【「愛国」の技法】早川タダノリ★★★ 2014/01/19 合同出版。
戦時中の雑誌記事や広告(プロバガンダ)で、日本帝国のトンデモ情報をからかいながら、批判していくという、著者お得意のパタンらしい。
でも、結局は著者はこういったのが「好き」なんだろうな、と思う。
前作「神国日本のトンデモ決戦生活」に比べると、見開きで完結、説明文もコラムみたいなものだし、カラーページも少なく、ちょっと物足りない気がした。
取り上げられた記事・広告に特に惹かれるものが無かったからだろう。
唯一「写真週報 第255号」(昭和18年)の裏表紙の東海銀行の広告「カツタメニチョキン」というのに笑わされた。米英の国旗にハサミを入れるイラストで、「貯金」とはさみで「チョッキン」をかけたものである。早川はこれには否定的評価しかしていない。

正直なところ面白くもなんともありません。敵への憎しみを表現するのにあまりにも陳腐な表現でうんざりしますが、文部科学省の現行「学習指導要領」(2008 施行)で教育された頭であれば、「尊重されるべき他国の国旗を冒涜してやったぜ!」と喜ぶことができるようになるのですね。陳腐な憎悪のメッセージも伝わりやすくなるわけです。

たしかにこのダジャレが優れているとはMorris.も思わないのだが、この素朴な切り絵風イラストと、極太不器用なレタリングはいい味出してると思う。何か30年代ロシア絵本に通じるような、というのは褒めすぎだろうけどね。

2014/09/10(水)●屈辱の5連敗(>_<)●
8時半起床。
今朝の血圧は167/79/88。
宿酔ではないけどやっぱりなんとなくだるい。
昨夜の阪神-巨人戦。メッセンジャーが4回もたずに2-8の惨敗だったらしい(>_<)
サッカー日本-ベネズエラ戦は2-2の引き分けだったらしい。ビデオで見ると、武藤、柴崎という若手がゴール決めながら、PKとGKミスの2失点で引き分けになったらしい。
昼から大安亭に自転車で買い物に行くついでに、原田の森ギャラリーの「朝鮮学生美術展」覗く。これは毎年開催されて、全国を巡回しているもので、とりあえあず見ることにしている。ずっと以前い出品されてた素敵な絵本のことが思い出される。あれ以来特別心動かされる作品には出会えていないが、今回とりあえず以下の3点が印象に残った。

・「絶叫」神戸朝高3年 オセラン 写真と機械部品廃品のコラージュ
・「搾取するものとされるもの」神奈川朝中高 中級部3年 チェジェホ 太陽の塔を写真コラージュで表現したもの
・「朝・日チョゴリイラストプロジェクト」 東京朝中高 高級部1年ハンユヒャン


最後の作品は、旗布印刷6点の幟で、文化祭の企画趣旨に賛同した日本人が原案、朝鮮人学生が下絵起こしした作品で、実際に文化祭で使われたらしい。典型的なアニメ風イラストでMorris.好みではないのだが、そのまま商品化できそうな水準の高さを評価した。
途中ちょこっとだけMorris.@Catographerモードしながら、大安亭で買い物済まして4時半帰宅。
夜は久しぶりに麻婆豆腐。
阪神-巨人戦。岩田が踏ん張って6回まで虎の子の1点を守っていたが7回井端ソロホームランで同点に追いつかれ(>_<) 8回にはリリーフ福原が1点献上して逆転。9回表一死三塁で登場したオスンファンも犠牲フライで加点され、9回裏マチソンに手もなく捻られての連敗。これで中日戦から5連敗(>_<) これはもう赤信号。明日負けたらタオル投げるしかないな。
今日の歩数は2988歩。

「絶叫」オセラン 

「搾取するものとされるもの」チェジェホ 

朝・日チョゴリイラストプロジェクト 

菖蒲のような豆粒花 

大日商店街外れの黒 

春日野道スキヤ通りの雉 

同じく 

同じく 

大安亭八百屋白黒 

同じく 

八百屋白茶(飼猫) 

大安亭白雉 

【妻が椎茸だったころ】中島京子 ★★★ 2013/11/22 講談社。
「リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い」「ラフレシアナ」「妻が椎茸だったころ」「蔵篠猿宿パラサイト」「パクビシンを飼う」の5篇が収められている。
作風としてはブラックユーモアというか、ずいぶん前に「奇妙な味の小説」というシリーズがあって、そういったたぐいのものかもしれないが、成功しているとはいいがたい。
彼女の作品読むのはひさしぶり。どちらかというと、期待はずれだった。彼女の作品はMorris.にとって当たり外れが多い。まあ文章力のある作者だけに、読んで損したという気にはならない。

私は昼に、冷蔵庫を整理するために野菜のチャプチェを作った。チャプチェは韓国料理で、春雨と野菜を使った炒めものだ。ほんの少しでも豚肉が入るとおいしい。今日はたけのこ、黄ニラ、椎茸、人参、モヤシ、キャベツが入った。毎回、入るものが違う。黄ニラだけは、この料理を作るためにこっそり買ったのだ。黄ニラは高い。黄ニラとか香菜(シャンツァイ)とかふくろ茸みたいなものは、主婦が一人で食べる昼ごはんの中に入るのは珍しい。思い切って買わなきゃ入らない。でも、黄ニラが入ると炒めものはおいしいし、色味もきれいなのだ。

小説のなかで料理レシピが出てくると、つい、身を乗り出してしまうMorris.なのだが(^_^;) このチャプチェも長いこと作ってない。この後作り方が10行ほど続くのだが、割愛。

「沼は人里から少し離れておりまして、冬の間は薄氷がかかるのですが、雪解けといともに水ぬるむ春が訪れて、そうなりますともともと開けて日当たりのいい場所ですから、私たちはむくむくと体の奥から生命の力が満ちてくるのを感じます。すでに葉は大きく沼にたゆたっておりまして、少し大きな欠伸をすりょうな気持ちで体をのばしますと、沼の向こうに楢の木が二本伸びて立っているのが見えました。とにかく水のきれいな沼ですから、朝陽が上るともう空の様子を逐一鏡のように映し出します。ですから、葉と葉の間は水色の空と白い雲を映して、風が吹けば私たちは空とともに陽光を浴びて揺れるのです。暖かい日が続くと、さすがに待ちきれなくなって、私たちのほうでもどうにか小さな花をつけるのが夏の初めくらいです。それは睡蓮などにくらべたたら地味な花ですけれど、あれがふっくらと蕾を膨らませて、朝、ほこりと開くときん、えもいわれぬ艶やかで誇らしい感じは、なかなか忘れられるものではありません。花の季節が終わると、とうとう新芽が出てまいりますが、自分の体がこう、つるっつるっと分裂していく。あのなにげないようで相当に強い、寒天質ん粘膜に護られて、ぷるるるるんと澄んだ水の中に生まれ出るときの感覚は、そうですねえ、年甲斐もなく妙な言葉を使うようですが、恍惚、といったものに近かったと思います。ただ、水の表面でたゆたう、たゆらう日々。あれが私の人生で最も幸福な瞬間でした」
そう語る間に、杉山女史の手は小さなパットや小皿と漆の器を行ったり来たりして、散らし寿司をおいしそうに彩っていた。(妻が椎茸だったころ)

女性料理研究家が、自分がじゅんさいだった頃の思い出話をするくだり。やっぱりこの文章などを見ると、彼女の文才がわかる。

男は女子大生二人にほとんど相槌すら打たせずに、滔々とラヴクラフトの『宇宙からの色』のあらすじを語り始めた。アーカムという村に隕石が落下する。大学教授が調べたにもかかわらず焼失してしまったかに見えた隕石だったが、それ以来農夫ネイハムは異様な体験を重ねる。畑の作物はすべてだめになり、近隣の植物は妙な色を見せて(火)がやきだし、動物や昆虫に奇形が現れる。ネイハムの妻ナビ-は発行し、家畜は死に絶える。(蔵篠猿宿パラサイト)

中島京子とラヴクラフトの取り合わせにちょっと意外を感じたのだった。ラヴクラフトは興味を覚えながらほとんど読めずにいる作家の一人だが、この「宇宙の色」と言う作品は読んでみたくなった。

2014/09/09(火)●サランバン会●
5時半起床。
今朝の血圧は196/87/61。
矢谷くんと京都市伏見区の中国からの引越し荷物搬入現場。大した量で無かったので、全部開梱しても11時半に作業終了。
今朝は錦織の全米オープンテニス決勝戦。ベスト8に進出してからの二本マスコミ報道の過熱ぶりはやや異常だった。テレビ中継は以前からWOWWOWが独占中継だったから、民放は指を加えてるだけだった。NHKが突然WAWWAOWに大枚はたいて、午後にカット無し録画放映権を獲得したというのがニュースで流れたが、その直後に錦織ストレート負け(>_<)というニュースが流れる。NHKにとっては、なんとも情けない結果となったようだ。
Morris.はテニスにはまるで関心がなくて、今回の大会も「全英オープン」と勘違いしてたくらいだった。
2020年東京オリンピックが決定してからというもの、マスコミのスポーツ報道がおかしくなっている。マスコミ側からすれば、当然なのかもしれないが、オリンピックが「国策」と化している感は拭えない。9月19日から韓国インチョンで開かれるアジア大会も、今からその加熱報道ぶりが想像できる。要するに「カネの生る木」ということだろう。
昼は神戸東部市場オリーブで豚しゃぶカレーソースのサービスランチ(670円)。
2時前に倉庫に戻り、倉庫作業。
5時帰宅。
明日からは農閑期に入るようだ。
急いでシャワー浴びてJRで鶴橋へ。今夜はサランバン会でいつもなら、会に行く前に洪ママの見舞いに行くのだが、今日は仕事のためパス。
会場に行く道すがら、鶴橋アーケードのデジカメ撮影。先日読んだ藤田綾子の大阪「「鶴橋」物語」にこのアーケードの紹介があったから。改めてチェックしたのだ。確かに古いタイプのアーケードが多い。途中奈緒ちゃんと出会う。阪神話もこのところの不甲斐なさのため盛り上がらず(^_^;)
7時前にサランバン会場「ジュン」到着。歌麿会長、榎本さんなどアジョシ数名が屯してた(^_^;)
今日は集まり悪いのかと思ったが7時半頃からどんどん参加者増えて(特に女性陣)いつもどおりの盛況だった。
Morris.は例によっての榎本さんのビール攻勢にどんどんメートルが上がってしまった。でも、先月決心した通り10時までということで、-Phoneの目覚まし10時に設定しておいたので、これに促されて10時店を出る。これが功を奏したようで、零時過ぎ(^_^;)無事帰宅。
今日の歩数は4022歩。

鶴橋アーケード#1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

サランバン点景#1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

2014/09/08(月)●中秋の名月●
6時起床。
今朝の血圧は188/84/62。
昨夜のKBS「コンサート7080」久しぶりに見た。秋夕特集で、大物ゲストが出るのではないかと思ったからだ。
江原道ウォンジュ(原州)での出張公演で、ミンヘギョンとシムスボンがゲスト出演。シムスボンはちょこちょこ見てたが、ミンヘギョンは久しぶりで懐かしかった。もう50過ぎてるはずだが、相変わらず綺麗だったし、「私の人生は私のもの」は名曲だと改めて思った。シムスボンはレベルが違う(^_^;)
午前中はベッドで読書。
昼から、王子動物園へ。
資料館図書室で、南方熊楠関連のヴィジュアル読書。といっても、資料は3冊。熊楠お手製の粘菌図鑑、太陽の熊楠特集。そして水木しげるの漫画「猫楠」。結局水木の漫画読むだけで1時間以上かかった。これは以前に一度読んだことがあるが、やっぱりすごい(水木も熊楠も)(@_@)
資料館の屋上庭園でしばらくミニギター。
5時帰宅。
今夜のKBS歌謡舞台1384回は "추석특집 秋夕特集-지상 최대의 쇼- 地上最大のショー"という大層なタイトルで30分延長の特番である。しかし、歌より、踊りやサーカス(^_^;) など取り混ぜてのバラエティショーみたいで、Morris.の趣味ではなさそう。キムヘヨンとヒョンスクが出てるのが嬉しいくらいか。この二人は結構一緒の舞台に出てるようだ。プロダクションの系列が同じなのかな。と、思ったら、キムヘヨン違いだった(>_<)  Morris.の好きなのは「김햬 」。今日出演したのは「김혜 」でまったくの別人だった(^_^;)

 1) 싱싱싱 sing sing sing/KBS예술단KBS芸術団 평양민속예술단平壌民俗芸術団
 2) 아리조나 카우보이アリゾナカウボーイ/명국환ミョンクッカン
 3) 경상도 청년慶尚道青年 /김상희キムサンヒ
 4) 홍콩 아가씨香港娘/금사향クムサヒャン
 5) 빨간 구두 아가씨赤い靴の少女/남일해ナムイルヘ
 6) Diana    Oh! Carol    What'd I say/쟈니리ジャニーリー 정원チョンウォン
 7) 배뱅이굿ペペンイクッ     늴리리야ニルリリヤ    군밤타령焼栗打令     타향살이他郷暮し     꿈에 본 내 고향夢見る故郷/남보원ナムボウォン
 8) 오빠는 잘 있단다兄さんはうまくやってる   신토불이身土不二   당신 만나길 잘했어貴方に会えばうまくいく    늦기 전에手遅れになる前に/현숙ヒョンスク 배일호  ペイロ
 9) 서커스サーカス/동춘서커스단東春サーカス団
 10) 팔베개腕枕/김상희キムサンヒ
 11) 사모곡思母曲/태진아テジナ
 12) 엄마는 그래도 되는 줄   알았습니다母はまだ大丈夫だと/김영민キムヨンミン
 13) 불효자는 웁니다不孝者は泣く/김혜영キムヘヨン
 14) 처녀 총각処女独身/평양민속예술단平壌芸術団
 15) 오늘 같은 밤今日みたいな夜    밤이면 밤마다夜は夜ごとに/KBS예술단 KBS芸術団
 16) 휘파람口笛/평양민속예술단 平壌芸術団
 17) 물레방아 도는데水車が回るね/오재미オジェミ
 18) 잘했군 잘했어よくやったよくやった/하춘화ハチュナ 오재미オジェミ
 19) 날 버린 남자私を捨てた男/하춘화ハチュナ


今日の歩数は3033歩。

ミンヘギョン「私の人生は私のもの」 

シムスボン「男は船女は港」 

鶏の象 

鈎爪陸龜 

プレイリードッグ 

ボブキャット 

今日のまぬう 雄 

今日のまぬう 雌 

熊 

河馬 

胡桃の実 

今日の空 

ペンギン観覧席 

今日のヴィジュアル本 

熊楠が描いた猫 

狗尾草(えのころぐさ) 

ひさびさぶんちゃん 

中秋の名月 

【原発崩壊】樋口健二★★★☆☆☆ 2011/08/15 合同出版。
樋口は1937年生の報道写真家。60年代四日市公害写真を始め、多くの告発写真を発表。70年代から原発現場の写真撮影、作業員の被曝実態を明らかにしてきた。本書は1973年から2011年にわたる、原発関連写真集である。
本書のことは最近注目している早川タダノリのブログで知った。
「売れない写真家になるには」(八月書館 1983)という著作があるように、コマーシャリズムに背を向けた姿勢を貫いている。
福島第血原発事故をきっかけに発刊されたのだろうが、内容は、「3・11」以前の写真が9割を占める。事故以来、有名無名を問わず、原発関連写真集が多数発行されていて、それはそれで意味のあることだろうが、樋口の写真集はそれらとは一線を画するものだ。巻頭の6点だけがカラー、それ以外は全てモノクロである。

1.崩れゆく風景
2.原発被爆者
3.原発下請け労働者
4.反原発のたたかい
5.恐怖の核燃料輸送と使用済み核燃料
6.東海村JCO臨界事故
7. 福島第一原発、崩壊


2.3.の原発被爆者一人ひとりへの深いつながりあってこその写真は、とんでもない重さをもっているし、インタビューで得た貴重な証言も添えられている。
このところ、福島第血原発事故関連書物を読みあさっているMorris.だが、事故の推移や原因、原子力ムラの内幕、中曽根、正力に始まる日本原発行政の歴史などに目を奪われて、底辺労働者の悲惨な実情を見過ごしていた。この写真集には胸を突かれた。
6.の臨界事故取材で樋口自身も被爆し、福島現場には入れない線量に達しながら、それでも取材を試みるなど、その報道写真家魂には頭がさがる。
各章の末尾にある短文にも、樋口の姿勢と視点の確かさと理解の深さが刻まれている。

1970年代に入ると、日本列島の中でも過疎化が激しい場所が選定され、各地に原発が立ち並んでいく。東電福島第一原発1号機が営業運転に入ったのは、奇しくも1971年3月のことだった。当時の政界を牛耳った田中角栄元首相も推進者としてあげておきたい。世界一の原発サイトの柏崎刈羽原発をつくった田中は、東電と組んで原発も増設させた一人である。(誰が原発を推進してきたのか)

日本列島改造論(1972)計画の中には当然原発増設も含まれていたんだよな。

原発の宿命は、人間の手作業なくして一日たりとも動かないところにある。労働者たちは原発内作業で日常的に被曝し、放射線被曝特有の症状やがん、白血病で日々苦しんできた。原発で働き、放射線被曝の因果関係を問う裁判に訴えても、国策事業のもとでは司法は国家の手先となり、司法の独立性すら保てない状況だった。病気になっても闇から闇へと葬られてきたのが、原発管理社会の歴史なのだ。(原発被曝労働者)


この労働者被曝のことはほとんどマスコミには取り上げられない。東電は病症と原発の因果関係を一切認めず、子飼いの医師に都合の良い診断書を書かせてすましていたとのこと。水俣病の窒素と附属病院のことを連想する。

原発の労働形態は、電力会社→元請け(財閥系=三井、三菱、日立)→下請け(これより未組織労働者)→孫請け→ひ孫請け→親方(人出し業、暴力団含む)→日雇い労働者(農漁民、被差別部落泯、元炭鉱労働者、大都市寄せ場、失業者など)というピラミッド構造をなしている。この下請け多重構造の労働形態は石炭産業時代から引き継がれてきた。それぞれの要素は複雑に絡み合い、上から下へと賃金のピンハネがあり、二重の差別構造を形成している。
つまり、社会的弱者を徹底的に使役し、病気になればボロ雑巾のように捨ててきたのである。原発の本質はここにある。私は150人近い被曝労働者から証言を得てきたのだが、いざ雑誌や本に発表する段になると、「兄弟」や「親戚」が原発で働いているからと公表を拒否され掲載を断念せざるを得なかったことも多々あったことを、ここで付け加えておこう。原発管理者会の暗黒部はこうしたかなしい現実によって、なかなか表面化しなかったのである。


石炭産業時代から引き継がれてきたということは、戦前からの持ち越しということになるのだろう。これが底辺労働者の実情なのか。

六ケ所村ウラン濃縮工場は1992年に激しい阻止行動を押し切って、本格創業に入った。また、海外に依存していた高レベル放射性廃棄物(プルトニウム)管理事業が日本でも許可され、2007年11月には使用済み核燃料が搬入される予定であった。しかし、トラブル続きで計画通りには進んでいない。もともと原発が寿命を迎えたときの解決策も、高レベル核廃棄物をどうするかも考えずに始めた原子力行政である。英・仏に依存していた高レベル核廃棄物処理は、もはやどこにも受け容れられる状況にはない。難問に直面するたびに矛盾を過疎地に押し付ける無策ぶりを露呈してきたのだ。六ケ所村はまだに、巨大開発計画頓挫後の最後の砦といっていい。(六ケ所村の暗い未来)


核のゴミ処理問題は、深刻すぎる問題であり、途中で「降りる」ことが出来ないという意味でも悪魔の罠にはまったみたいな気になってしまう。

津波が押し寄せる前に、原発内のパイプや土中のパイプはめちゃくちゃに破壊されていたと思われる。冷却装置がことごとく働かず、ついに水素爆発やメルトダウンんまで発展した。さらに政府も東電も正確な情報を隠蔽し、終始、嘘で固めた発表を行って、後の事態をさらに悪化させるという犯罪的行為を行ったのである。(福島第一原発事故は想定外ではない)

私が原発の写真集を出版したいと思うようになったのは、原発棄民の悲劇をとりあげ発表することで、それまで信じ込まれてきた「原発安全神話」にノーを突きつけたかったからだ。
1997年に敦賀原発内部の撮影が初めて成功したとき、原発労働者たちが口々に語っていた「宇宙人・雨中服」が意味するものを理解することができた。これで本当に被曝労働者の実態を知らせることができると思ったものだ。
原発の本質はなんといっても、弱者(下請労働者を犠牲(放射線被曝)にしなければならないということである。それを国家ぐるみで「絶対に安全だ」「核の平和利用だ」「CO2をださないクリーンエネルギーだ」「コストがかからない」「資源のない国においては夢のエネルギーだ」などと理屈を並べ、そして極めつけには「安全神話」を押しつけ、国民を洗脳してきたのがこの40数年の原発の歴史である。
本書は闇の彼方に葬り去られた被爆者に対する鎮魂の書でもある。(あとがき)


97年の原発内部の写真というのが冒頭のカラー写真である。
隠蔽構造があり、見ようとしない人たちがいて、弱者は存在しないことになってしまっていた。
これらの言説も、体を張って困難な撮影を敢行してきた人にして言えることである。
もちろん、写真集を、こういった文章の引用だけで紹介できるわけもない。
ともかく「写真」を直視してもらいたい。

2014/09/07(日)●中日に3連敗(>_<)●
6時起床。
今朝の血圧は192/87/68。
朝の3点セット。
比較的良い天気なのに、出かける気分にならない。全身鈍痛といった感じである。
というわけで、部屋でごろごろ。
KBSの全国ノレチャラン、忠清北道のケサングン(槐山郡)篇。録画は前にやってるのだろうが、明日がチュソク(秋夕=旧盆)ということもあって、韓服の出場者が多く、ユジナの「スリラン」「コチュ」「チントベギ」などが歌われてた。最初のゲストがキムヘヨンというのも嬉しかった。
2時から屋上で、iPhoneで阪神-中日中継聞きながら、ミニギター&缶チューハイ。しかし、今日も阪神打線は音無しで0-2の完封負け(>_<) これで中日に3連敗。明後日から巨人、広島と連戦が続くが、下手したら来週中にギブアップになるかもしれない。
沖縄附近で台風14号発生。本州には直接の影響はなさそうだが、8月7日発生の台風13号からちょうど一ヶ月ぶりの発生。7月から9月の台風シーズンの間に一ヶ月も台風発生が無かったというのは1957年以来57年ぶり、8月の台風発生数が一個というのは、統計開始以来初めてのことらしい。やっぱり、このところの気候は尋常ではないな。
今日の歩数は904歩。

【1984年】 ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳★★★☆☆  1975/03/15 早川書房。©1949
これは、たぶん学生時代に読んだはずだ。当時は日本SF文学(^_^;)の台頭期で、Morris.もそれなりのSFファンで、「SFマガジン」も結構読んでた。この作品は早川の世界SF全集第10巻に収められて1968年刊行である。この全集は画期的なものだった。今回再読した単行本はこの全集版の7年後に刊行されたもので、巻末に全集のラインアップがあり、懐かしさを禁じ得なかった。でも、当時Morris.が好きだったのは、ハインライン、ブラッドベリ、アシモフ、クラークというばりばりの正統派四天王、それに異色のスタージョン、ヴォクト、バラードあたりで、オーウェルみたいな作品は、ちょっとSFとは違うなと思った記憶がある。
原著は1949年(Morris.の生年)刊行だが、脱稿したのが1948年で、タイトルはこの末尾二桁をひっくり返したものらしい。
「オセアニア国」という超全体主義国家を風刺的に描いたディストピア小説で、スターリニズムのソ連をモデルとした作品ということくらいは、一般常識になってるくらいに高名な作品である。

テレスクリーンは同時に受信し、発信する装置だ。ウィンストンがどんな声を発しても、聞きとれないほどのささやき以外はすべて、このテレスクリーンに捕捉されてしまう。しかも、金属板の視界内に留まっている限り、声も行動もキャッチされるのである。もちろん自分がいつ監視されているのか、それを察知する方便とてなかった。思想警察が個々の電送線に差し込み(プラグ)を入れて盗聴する回数や方法はただ憶測してみるしかなかった。だれも彼も常に監視されているのだと考えてさしつかえなかった。

監視社会の象徴である「テレスクリーン」。現在の日本がすでにして擬似監視社会になりつつあることは間違いないだろう。
特に都市部では防犯カメラの名目で、怖ろしいほどの監視カメラが24時間稼働している。最近の警察による、犯人特定の大部分がこのカメラ映像によって行われていることがその証左でもある。

プロレタリア文学や音楽、演劇、一般的な娯楽を管轄する独立した一連の部局があった。ここではスポーツ、犯罪、星占い、センセーショナルな安っぽい小説しか掲載していないような赤新聞、エロ映画や作詩機(ヴァシイフィケーター)という名で知られる特殊な万華鏡に似たまったく機械的な方法によって作曲させるセンチメンタルな流行歌などが製作されてきた。新語法(ニュースピーク)でポルノ課(セクト)と呼ばれる独立の一課さえあった。

大衆文化の作られ方を皮肉っている部分だが、特に作詩機で作られる流行歌から、Morris.にはほとんど弁別不可能な、昨今のJ-POP楽曲を連想してしまった。

彼は以前にも幾度かいぶかったように、自分は精神異常者ではないかと思ってもみた。こうした精神異常者は多分、一人だけの少数派にすぎないであろう。昔は地球が太陽の周囲を回転すると信ずることは狂人の徴候であった。今日では過去が不可変と信ずるのは狂人の徴候だ。自分はそれを信ずる"唯一の人間"かも知れない、だとすれば、自分は狂人だということになってしまう。しかし自分が狂人だという思いは、それほど彼を深刻に苦しめはしなかった。むしろ自分もまた間違っているのではないかということの方が恐ろしかった。

「1984年」は初め「ヨーロッパ最後の人間」というタイトルだったらしい。この部分によるものだろうか。

オセアニア国を統治する「偉大な兄弟」がスターリンをモデルにしたのに対して、トロツキーに擬せられたゴールドスタインの著書「少数独裁制集産主義(オリガーキカル・コレクティヴィズム)の理論と実際」から、かなり長い引用がある。

戦争が文字通り継続性を持つに至れば、戦争はまた危険なものでは無くなってしまう。戦争状態が続いていれば軍事的な必要といったものは不要だ。技術開発も中止できるし、最も明確な諸事実を否定するなり、無視することも可能である。我々が既に見て来たように科学的と呼ばれる研究は依然として戦争目的のために行われているが、然しいずれも本質的には一種の白昼夢であり、たとえば研究結果が実を結ばなくても重大問題ではない。能率というものは、それが例え軍事的な能率であれ、最早必要ではないのだ。オセアニアで能率的なのは思想警察だけである。三超大国とも征服できぬ国家であるが故に、実際にはそれぞれ外部から切り離された小宇宙であり、その内部では殆ど如何なる思想の悪用も安全に実施できる訳だ。……真の恒久平和は恒久戦争と同じだというkとに相成るだろう。このことは--党員の大多数が皮相な意味でしか理解していなが--実は党の掲げる「戦争は平和である」というスローガンの持つ隠された意味なのである。

「永久革命論」(読んでないけど)のうらがえしみたいなものだろうね。オセアニア国の三大スローガンが
戦争は平和である War is Peace
自由は屈従であるFree is Slavery
無知は力である Igunorance is Strength

であり、ゴールドスタインの著書はこのスローガンをそのままタイトルにした三章からなっている。これは両者に通底するものを暗示(明示?)している。

上層の目的は現状維持であり、中層の目的は上層と入れ代わることである。下層の目的は、もし彼等に目的ありとすれば、あらゆる差別を撤廃し、あらゆる人間が平等となる社会を造り出すことが目的の筈だ。
過去において社会を身分制度で形成する必要性というのは、とりわけ上層集団に固有な持論だった。中層集団は権力奪取のために戦う限りにおいては常に自由、正義、友愛と言った類いの言葉を口にした。過去においては中層集団は平等tの旗印の下に革命を行ない、次いで古い権力が転覆されるや否や、新しい専制政治を樹立したのであった。
然し1900年頃からそれ以降に出現した社会主義の各変形では、自由と平等の確立という目的はいよいよ公然と放棄されて行った。今世紀の中期頃に登場した新たな運動、即ちオセアニアのイングソック、ユーラシアのネオ・ボルシェヴィズム、イースタシアの俗称"死の崇拝"には非自由と不平等を恒久化する意識的な目的があった。


「イングソック」は「IngSoc=Ingish Socialism イギリスの社会主義」からの造語であり、ユーラシアはソ連、イースタシアは中国の共産主義を暗喩している。「非自由と不平等」権力はこれによって存立してるわけだ。

古来のあらゆる専制政治は生ぬるく、非能率的であった。その理由の一部は過去において如何なる政府も、市民を間断なき監視下に置く力を持たなかったというkとにある。……技術進歩が同一セットによる同時受信・発信を可能ならしめると、遂に或いは少なくとも要注意に値する市民は警察当局による1日24時間の監視下に置くことができるし、他の全チャンネルを塞いで政府の宣伝だけを聴かせることも出来るのだ。国家の意志に対して完全な服従を強制するばかりか、あらゆる問題に対して完全な意見一致を強制する可能性まで、今や初めて存在するにいたった。

これはかなり図式的だが、すでに、これより格段に巧妙な監視装置が開発されているに違いない。

二重思考(ダブルシンク)とは一つの精神が同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方共受け容れられる能力のことをいう。党の知識人達は、如何なる方向に己れの記憶を変造せねばならぬか熟知している。従って己れが現実をごまかしていることは承知の上だ。ところが二重思考を行使することにより、彼は現実が侵されておらぬと己れを納得させるのである。

オセアニアが推進している「ニュースピーク」という言語改革では、単語数の激減化が図られながら、いくつかの重要な新語が作られる。「二重思考」はその中でも重要な観念を持つ造語で、オセアニアでは、人は意識的に欺瞞を行いながら、誠実にそれを信じることであり、信じながら嘘をつき、不都合になった事実は直ちに忘れ去る。これが自然にできることにより、国は維持され得る。
つまり歴史の流れを堰き止めるための思考といえる。これによってオセアニア国は現状を維持できている。うーーん、よくわからんが、自分で脱出口に鍵をかけてしまうようなことなのか。

我々を統治する四官庁の名称すら、意識的に実際とは正反対の名を掲げることで一種の厚かましさを誇示する。平和省は戦争、真理省は虚構、愛情省は拷問、豊富省は飢餓を所管事項としている。

日本の与党が「自由民主党」を名乗っているようなものだろう(^_^;)

党は権力のために権力を求めたのでなくて、大多数のためにそうしただけにすぎないこと、民衆は弱く、卑屈な人種であって自由に耐えられないし、真実を直視しえないから、彼らよりも強力な集団によって支配し、組織的にだまされねばならないこと、人間にとっての選択は自由か幸福であり、その大多数にとっては幸福が遥かにましなこと、党は弱者にとって永遠の保護者であり、善をもたらすために悪を行ない、他者のために自己の幸福を犠牲にする献身的な一派であるということだ。

日本の民衆はこういったシステムを「親方日の丸」と表現してきた(^_^;)?

およそこの世に、権力を放棄する心算で権力を獲得する者はいないと思う。権力は一つの手段ではない、れっきとした一つの目的なのだ。何も革命を守るために独裁制を確立する者はいない、独裁制を確立するたにこそ革命を起こすものなのだ。迫害の目的はそれ自体にある。拷問の目的は拷問にある。

極論であり、真理でもある。「目的それ自体論」(^_^;)

一例だけ挙げてみよう。freeという単語は、依然としてニュースピークの中に留用されていたが、それは例えば「この犬はシラミから自由(フリー)である」とか「この畑は雑草から自由である」とかいったようなしようほんだけが許された。古い意味での"政治的に自由"とか"知的に自由"といったような使用法は許されなかった。なぜなら政治的自由、知的自由はもはや概念としてさえ存在しなかったし、従ってそのような使用法は不必要だったからである。

付録につけてあるニュースピーク読本から、自由を解説している一文である。フロムの自由論を先取りしている??「逃走からの自由」(^_^;)\(^o^)/

オーウェルが本書を著した40年代後半は東西冷戦が顕になり、イギリスでも労働党が与党になった時期であり、本作品も、イギリスの国家社会主義への期待と不安を下敷きにしているとも考えられる。
しかし、作品に描かれた、超全体主義のシュールな強烈さとリアルさのため、さまざまな受け取られ方をされてしまったようでもある。
先に告白すれば、40年ぶりに再読しても、Morris.には理解できない部分が多かった。でも、やはり、この作品には、何かとてつもなく大きな問題を孕んでいるようだし、問題解決のためのヒントが隠されているようでもある。
最近新訳が出たらしいので、機会があればそちらも読んでみようかと思っている。

2014/09/06(土)●安くしてほしいもの●
7時起床。
今朝の血圧は200/97/72。
昨日と同じ現場に、JRと六甲ライナー乗り継いで現場直行。交通費は事務所から出るわけだけど、JR灘から六甲アイランドまで片道430円(JR灘-住吉 180円、ライナー住吉-アイランド北口 250円)というのは、高すぎるぞ。iPhoneで見たら、距離は5.3kmしかないのに。 ポートライナーやモノレールのような簡便鉄道(>_<)が割高というのが大きな原因だろうが、そもそも、日本の交通料金の高さそのものが問題だと思う。大体元国鉄のJRが、民営より割高というのもおかしいと思うが、そもそもの料金設定が高過ぎるのではなかろうか。もちろん民営会社は経営上の問題があるだろうが、そこは公共機関という意味で国家の保護があってしかるべきだろう。そして、やはり国鉄民営化というのが、最大の諸悪の元だと思ってしまう。
現場、荷物は昨日3/4以上搬入済ましてたから、今日のは開梱と家具の組立て中心だったのだが、この組み立て家具というのが厄介なものが多く、おまけに部品が見つからなかったり、あっても足りなかったりで、結構たいへんだった。結局5時まで作業で、何とか格好つけて終了。
帰り住吉のコーヨーで買い物し6時帰宅。
ラジオつけたら阪神-中日戦もう8回で2-3。3時試合開始だったらしい。でも直後に福原がワイルドビッチなどであっというまに2-7に(>_<) 今日先発の藤浪hでこれで4連敗である。
昨日はサッカー、日本-ウルグアイ戦やったらしいが、日本0-2であっさり負けたらしい。テニスの錦織が全英オープンで決勝進出したとか。やっぱりスポーツはリアルタイムで試合見ないことには、面白くも何ともないな。
今日の歩数は4033歩。

【死の淵を見た男】門田隆将 ★★ 2012/12/04 PHP。
「吉田昌郎と福島第一原発の500日」という副題がある。福島第一原発事所長吉田昌郎を中心に、現場側からの視点で描いたノンフィクション。現場の技術者や応援の自衛隊員、東電、政府関係者などにも取材しているようだが、なんとなく読む前から、胡散臭さを感じてしまった。これは発行元がPHPということと、著者紹介で、戦争モノの著作が多かったことによる。

明日の見えない太平洋戦争末期、飛行技術の習得や特攻訓練の厳しい現場となった跡地に立つ原子力発電所で起こった悲劇--絶望と暗闇の中で原子炉建屋のすぐ隣の中央制御室にとどまった男たちの姿を想像した時、私は「運命」という言葉を思い浮かべた。
本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人たちの物語である。(はじめに)

福島第一原発が陸軍の航空訓練基地「磐城陸軍飛行場」の跡地に建てられたということを踏まえての発言だが、この筆致を見れば、その後の展開も想像がつきそうだ。
菅首相への露骨な非難、斑目委員長擁護発言、現場作業員への賛辞等々、最初からシナリオに沿って創作された安での熱血感動物語に見えてしまった。

私は、取材をつづけながら、この原発事故がさまざまな面で多くの教訓を後世に与えたことをあらためて痛感した。それは、単に原子力の世界だけの教訓にとどまらず、さまざまな分野に共通する警句であると思う。(おわりに)

結論が「教訓」、それも「原子力にとどまらず」だもんね(^_^;) 原発事故をこれからの「教訓」にしようというのは、まだ分らないでもないが、「原発事故が警句であると思う」というのは言葉の意味を取りちがえているとしか思えない。ちなみに「大辞林」を引いておく。

けいく【警句】奇抜な表現で、たくみに鋭く真理を述べた短い言葉。アフォリズム

*もしかしたらこれは「警告」と間違えたのかもしれない、と後で思いついた。まあ、どうでもいいけどね(^_^;)

2014/09/05(金)●六甲アイランド●
6時半起床。
今朝の血圧は173/74/72。
浅海くんら8人(@_@)で、六甲アイランド高層マンション23階中国人宅への引越し荷物配達、開梱作業の初日。
半端でない大荷物。
午前中に8割くらい部屋に淹れて、開梱+家具組み立て作業。
4時半、今日の作業終了。
6時過ぎ帰宅。
阪神は今日から中日三連戦。49歳の山本昌にしてやられた(>_<) 0-6の完敗ぢゃ(;;) 救いは巨人も負けて、マジックが消えたこと。
今日の歩数は4003歩。

【レベル7 福島原発事故、隠された真実】東京新聞原発事故取材班 ★★★☆☆ 2012/03/11 幻冬舎。
東京新聞は、名古屋中日新聞東京本社発行の日刊紙で、東京中心の地方紙(^^;)であるが、全国紙的性格も持っているらしい。
東電福島第一原発事故報道では、全社体制で対応した。2011年5月から35回にわたって連載された記事を単行本化したのが本書である。先に読んだ朝日新聞「プロメテウスの罠」の単行本化と似ているが、こちらは事故直後の一週間だけでなく、その後の経過、問題点にまで触れられて、時間的、にかなり広範囲をカバーしている。
巻末には13頁にわたる主要参考文献が記されている。佐野眞一の「巨怪伝」など、Morris.が読んだ本が5冊程あったし、これから読まねばと思う本もそのくらいあった。

1.福島原発の一週間
2.汚染水との闘い
3.想定外への分岐点
4.「国策」推進の蔭で
5.安全神話の源流
6.X年の廃炉


1,はこれまで読んだ内容と重なる部分が多く、事故後一週間ほどのアウトラインは何となくつかめたような気がする。
2.と3.が本書では一番興味深かった。
3.4.もこれまで読んだ本と重なってたが、知らないこともいくつかあった。
6.のこれからの処理の大変さにちょっと気が重くなった。

「2号機が厳しい状況であり、今後ますます事態が厳しくなる場合には福島第二原発への退避もあり得ると考えている」
14日夜に副社長の武藤を通じて吉田の意向を聞いた社長の清水は翌15日未明、経産省の海江田や保安院長の寺坂に相次いで電話して、こう伝える。原子炉の制御に必要な人間は残らざるを得ない。清水は後にそう認識していたと説明しているが、海江田や寺坂には言わなかった。当然のように「全員撤退」と受け止めた海江田は、斑目や枝の、福山、細野、寺田らと官邸5階の首相応接室で協議する。
「総理の意向を確認したほうがよい」と指示を仰ぐことを決める。
菅は少し間を置いて、きっぱりと言う。
「撤退なんかあり得ない。そんなことをしてどうするんだ。(第一部)


東電が「退避」を匂わせて、菅首相が「ありえない」とした経緯が比較的客観的に取材されている。と思う。

東日本大震災が起きて以来、米国は原子力の専門家を大量に日本に送り込んだ。3月15日までにエネルギー省から34人、同16日までに原子力規制委員会(NRC)から11人が相次いで来日。海兵隊からは「化学、生物、放射能、核又は高性能爆弾に係る検知・識別、除染、医療支援等の専門部隊」(CBIRF)の約150人が派遣される。
政府と東電は結局、28日の日米競技で、米側が提案した水棺を受け入れる。原子力規制委員長のグレゴリー・ヤツコが来日した、まさにその日だった。


事故直後にこれだけ多数の米人専門家が来日してたとは知らなかった。

工程表の目玉だった水棺は、わずか一ヶ月で断念に追い込まれる。首相補佐官の細野は5月17日の記者会見で「別の方法を選択した方がいいと判断した」と延べ、事実上の中止を表明した。
米側に促されるまま、政府主導で見切り発車した水棺。大量注水で漏れた量は6千トン以上に上り、かえって汚染水を増やす結果となった。


結果論を軽々しく非難すべきではないだろうが、日本政府がついつい米側のプランを採用してしまったための失敗といえるだろう。

福島第一原発の事故直後、フランスのアレバ(原子力複合企業体 国策企業)が動いた。
「日本のパートナーに『支援できます』って伝えるんだ」
東日本大震災から一夜明けた3月12日、パリのアレバ本社から、日本法人社長のレピー・オトベールに指示が飛ぶ。オトベールは早速、東電に電話をかけ「支援を準備している」と伝える。防護服やマスクなど、復旧に必要な物資を無償で提供した。
フランスにとって原発そのものや、原発の技術は「輸出品」であり、事故はビジネスの好機である。同時に、事故を早期に収束させることで、世界の原発不信を封じる必要もあった。


もんじゅ、六ケ所村の核サイクルとは切っても切れない関係の、フランスの核企業。「事故はビジネスの好機」(>_<) うーーん、

5月12日の記者会見で、東電原子力・立地本部長代理の松本純一は、1号機の炉心溶融をようやく認める。それまでは「『溶融』という言葉は人によってイメージが異なるため、当社としては『炉心の損傷』ということで用語を統一している」などと説明していた。
1号機では地震発生から東電の解析で15時間後、保安院の解析では5時間後に、溶けた核燃料が原子炉の底を突き破って格納容器の底に落ちるメルトスルーが起きている。
2,3号機も最初の4日間でメルトダウンが起きていた。
高濃度に水が汚染された源は、そうした核燃料だった。(第二部)


「メルトダウン」という言葉を「絶対に」使おうとしなかった東電。「炉心溶融」=「メルトダウン」ということさえ知らぬ人が多いと思ったのか。その「炉心溶融」すら「炉心の損傷」と言い換えてたんだ(^_^;)

1896(明治29)の明治三陸地震は、国が1884年に全国で地震の震度観測を始めてから初めて経験した、海底を震源とする大地震だった。
2003年阿部勝征は潮位計で測った津波の高さや震源からの距離をもとに計算する。「津波マグニチュード」を考案。2003年の研究でも、この方式で明治三陸地震に迫る。結果はM9.0。東日本大震災と同規模だった。
2009年8月には、経済産業省総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会で、委員から貞観地震を考慮すべきだと意見が出たのを請け、原子力安全・保安院の担当者が、福島第一・第二両原発の津波評価と対策の現状を説明するよう求めた。吉田の部下は、貞観津波の波高の試算などを説明する意向を吉田に伝える。だが、吉田は「波高の試算結果については、保安院から明示的に説明を求められるまでは説明不要」と指示した。
事実上の隠蔽だった。その後、保安院が貞観地震の波高の試算結果を説明するよう求めたため、貞観地震については報告される。だが、より波高が高かった明治三陸地震での試算はふせられた。
一年半後、保安院はようやく試算の存在を知り、東電に説明を求める。
保安院を訪れた東電の社員は、A4版わずか一枚の資料を手に試算結果を伝えた。最大15.7メートルもの波高を聞き、保安院の担当者は、状況次第で何らかの指示をすることもある--と口頭で伝えた。
説明の日は3月7日。東日本大震災の4日前だった。
試算の存在が顕在化するのは震災後の8月になる。試算が公表された直後の8月24日、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「福島沖は過去に地震がない。試算は現実的ではなく、津波対策が必要になるような合理的な内容でなかった」と釈明した。現実の津波の高さとほぼ一致していたことは「偶然だ」と言い切った。

自分らに都合の悪い資料は見て見ぬふりをするというのは、東電(他の電力会社も)の、体質というより本質だね。吉田所長が事実上隠蔽の張本人だったということも、他でも、聞いたような気がする。

1986年4月のチェルノブイリ原発事故を受けて、5月16日開かれた参院の科学技術特別委員会で答弁にタッタ科学技術庁原子力安全局長の辻栄一は「ソ連の事故が起こったからといって、急に慌てふためいて安全の確認をやるという筋合いのものではなかろう」と答弁し、余裕を見せた。
同年10月の参院産業・資源エネルギーに関する調査会に参考人として出席した原子力工学者で東大名誉教授の大島恵一は、現時点から振り返ると傲慢とおもえるほどの自身を示した。
「チェルノブイリの事故で安全規制の議論が高まっているが、日本の原子炉の安全性は、世界で最もと言っていいほどの高い水準にある。技術は完全に確立している。我が国だけ非常にいい炉を持っているのではなく、国際強力で世界の原子炉野安全性を保つ必要がある」
事故が起きたからといって国内の規制を強化する必要はなく、むしろ日本の技術を輸出すれば事故は防げるという論法である。
まさに「安全神話」だった。


福島原発事故が無ければ、今でも、このような態度をつづけていただろうということだ。

今回の事故現場で、運転員はぶっつけ本番の操作を迫られた。暗闇と高い放射線量に阻まれて何度も失敗を繰り返し、その間に炉心溶融はどんどんと進んだ。苦闘の挙げ句、1号機の当直長らがひどく被曝する。

現場の努力と奮闘を認めるのはやぶさかではないが、美談にすべきではないね。そんなことになった理由と、そうならないようにできなかったことへの批判を。

2009年4月開かれた原子力防災相委員会に提出された素案(地震や津波など自然災害と原発事故が同時発生する「複合災害」に備え、マニュアルをつくろうというもの)。
素案は福島第一原発事故のような事態が起きる可能性を的確に予測していた。それなのになぜ、複合災害の対策は進まなかったのか。
地方自治体側は、一方的に責任を押しつけられたと受け取り反発。
他の省庁も反発。
議論は暗礁に乗り上げ、撤回を余儀なくされる。(第三部)


こういったことは何度もあったのだろう。提出した保安院も、実践するというより、ある意味アリバイ作りという気持があったのではなかろうか。

「迷惑料」が効いたのか、福島原発事故後、真っ先に原子力政策の推進を求めたのは安全に最も不安を持つはずの立地自治体だった。
東京、東北の両電力から計157億円もの寄付を受けている青森県東通村の村長越前靖夫は2012年初め、経済産業省や東電本店を訪れ、定期検査中の東通原発の早期再稼働などを直接求めた。
日本原子力発電敦賀原発などを抱える福井県敦賀市長の河瀬一治や、九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町長の岸本英雄も、事故後の早い団塊から再稼働の必要性を訴えた。周辺の自治体が不安を強めているのとは、対照的な動きだった。
寄付も交付金も最終的には電気料金に転嫁される。消費者が負担し、電力会社の懐は傷まない仕組みである。(第四部)


立地自治体というより、その首長の思惑ではないのか。

福島第一原発の廃炉。それは間違いなく、前例のない難事業となる。
炉心が溶融したり、建屋が爆発で吹き飛んだりした炉が4つ、使用済み核燃料は3408体ある。汚染されたがれきは、これまでに回収されたものだけでコンテナ900個分にも上っている。
原子炉を解体する段になると、今度は溶け落ちた核燃料と制御棒など炉内の構造物かが交ざった「核のゴミ」との闘いが始まる。それぞれが、がれきとは桁違いの放射能にまみれ、現行法がそうていしていない廃棄物である。
さらにこの廃棄物には、事故当初、緊急に注入された海水による塩分が含まれている。錆びや腐食を生むため、これまで高レベル放射性廃棄物の保管に使ってきた容器はそのままでは使えない。超長期にわたり、放射性物質が漏れないようにする新たな容器の開発が必要になる。
最終的に原子炉を解体するのは順調に行っても30~40年後のことである。(第六部)

わしらが生きてる間に、廃炉が完了することなどあり得ない。「後は野となれ山となれ」では済まされないことなのに……
それでも、原発続けるのか?

1959年9月社団法人日本原子力産業会議が出した小冊子に原発に関する13んの問答が掲載されている。その第6問。
問 原子力発電所が放射能をまき散らすような事故をおこすことが考えられますか。またその時にはどんな対策が考えられていますか
答 原子炉は原子爆弾とは本質的に異って、決して爆発するというような事故のないのが特徴ですから、爆発して放射能をまき散らすような事故は絶対におこりません」


まさに「原発ユートピア日本」の世界である。

1979年に米スリーマイル島原発の事故が起き、86年に旧ソ連チェルノブイリ原発事故が起きた。日本でも99年に茨城県東海村でJCO臨海被曝事故が起きた。そのたびに国内外で原発の安全規制を見直す動きが出て、実際に見直しが行われた。それなのに日本では見直しのたびに中途半端で終わり、政府も電力会社も安全対策を究めることはなかった。最大の失敗例は、地震や津波の影響を考慮の外に置いて、全交流電源を長時間失う事態に備えようとしなかった原子力安全委員会のワーキンググループ報告書(93年)である。
こうした声がなぜ届かなかったのか。いわゆる「原子力ムラ」にその理由を見出すこともできるだろう。政策決定に深くかかわる審議会や原子力委員会の委員は、一般的に所管する省庁の事務方が決める。時の政権や省の方針が原子力推進である以上、反対派の委員が多数をしめることなどあり得ない。つまり、構造的に「大きな流れ」ができていて、それに逆らう意見はガス抜き程度に扱われやすい。
多くの場合、立地自治体は金の力でコントロールされた。電力会社の寄付金しかり、エネルギー対策特別会計からの政府の補助金しかり。自治体財政がそれに依存するようになると抜け出すのは難しく、新規立地の困難さと相まって、一つの地域に多くの原発が建てられることになる。福島県の浜通りには、福島第一原発の6基と福島第二原発の4基の計10基が集中している。このうち並んで立っている福島第一原発の4基がすべて爆発などで破壊された。
集中立地の危険性に考えが至らなかったことと同時に、金という人々の倫理観を揺さぶる手法で問題を解決してきたことの是非は問われれるべきである。


これが東京新聞の結論みたいなものだろう。

脱原発を唱えるだけなら簡単だが、実現するには複雑な方程式を解かなくてはならないのである。そのためにまず必要なことは、政府や電力会社による徹底的な情報公開である。(あとがき)

本書を読んで「東京新聞」という新聞のまっとうさを知ることが出来た。関西ではあまり見る機会がないが、これからは、ネット版を時々覗いてみようと思う。

2014/09/04(木)●茗荷の味わい●
8時半起床。
今朝の血圧は168/84/67。
今日も朝から雨。8月からとにかく、雨の多い天候である。
結局、今日も、部屋でごろごろ。久しぶりにノレバン98号で古い曲を歌ってみるも、すぐにやめる。
夕方雨の止みまに買い物兼ねて水道筋方面散歩。茗荷が安くで出てたのでつい買ってしまう。茗荷は「食べるともの忘れする」という俗言があって、迷信とは思いながら敬遠してた、わけではなく、もともとが刺し身のツマや副菜的な存在で、無くても済む存在だから、買う必要を感じなかったとも言える。
で、今日買った茗荷は、素麺にまるまる一個スライスしてのっけることになった。ただ、今日はマルハチにゲソ天が無くて、野菜のかき揚げで代用したのが失敗で、結果的にはあまり美味しい素麺ではなくなってしまった(>_<)
某所からKBS歌謡舞台のDVDが到着。先月18日の作曲家ナムグギン特集だと思って、大喜びで、早速再生したら今週の回「わが心の歌」のだった。ちょっと肩透かし(^_^;)。でも、戴き物に文句つけるのは間違っている。leno坊のストリーミングで観るのとはちがって綺麗な映像というのが嬉しい。キムスヒの「熱いさよなら」を何度か観る。キムスヒは年齢不詳(1956年説、1953説あり)だが、いつまでたっても変わらない。あのちょっと意地悪そうな目つきと、癖のあるハスキーボイスには、Morris.は一時虜になってた。またぞろ「断弦 タンヒョン」を聴きたくなった。
阪神、昨日は山口に手もなくひねられてしまった。今夜の相手は三浦。シーソーゲームの様相だったが、何とか5-3で9回まで持ってきて、オスンファンが三人で抑え、何とかDeNA戦勝ち越しで終えた。でも、この結果巨人にマジック22が点灯することになった。
今日の歩数は2081歩。

水道筋の雉 

野葡萄の実 

脚長蜂 

カンナ 

駐車場の雉 

駐車場の茶雉 

駐車場のお馴染み 

茗荷どっさり素麺 

キムスヒ 


2014/09/03(水)●ひさびさ須磨離宮公園●
8時起床。
今朝の血圧は186/90/79。
曇り空だけど雨は降らないという天気予報。
午後から久しぶりに須磨離宮公園に行くことにした。
JR鷹取下車。いつもは須磨図書館に立ち寄るのだが、今制限いっぱい借りだしてるので、パス。
高架下天井川公園に寝泊まりしてる馴染みのおっちゃんに挨拶。公園は先日の台風で傾いた公園の樹木を排除する作業中だった。
ちょっと離れたベンチで、近くのコンビニで買ってきたワンカップで乾杯。
結局離宮公園に着いたのが2時半過ぎ。当然植物園口(東出入口)から入場。夏休みも終わり、秋の薔薇の盛り前ということもあって、ほとんど入園者はいない(^_^;)
いつもの小洋式庭園を独り占めして、ミニギター。先日歌謡舞台で気になった「曲芸師の恋」の楽譜があったので練習するが、結構難しかった。
4時半に退園して、裏回りで鷹取駅へ。途中数匹の猫に出会う。駅北側にマルハチがあったので、ここで食糧買い出しして、6時半帰宅。
秋本くんからメールで、中央市場の後藤さんの訃報を知らされる。30年位前Morris.が石屋川に住んでた頃からの、春待ち常連で、よく一緒に飲んだものだ。落ち着きがあって穏やかな人柄で、Morris.の方が4つほど年上なのだが、何となく先輩みたいに思えたものだ。春待ち社長宅や、Morris.の部屋で鍋などやるときは、いつも、魚や肉など差し入れしてもらったことを思い出す。
地震の前くらいから何となく縁遠くなってしまってたが、またいつか飲む機会もあるかと思っていた。癌で7月半ばに亡くなり、8月末に四十九日も済ませたとのこと。享年六十一。冥福を祈りたい。合掌。
今日の歩数は9330歩。

白式部 

紫式部 

天井側公園伐採 

朴の実 

胡蝶蘭 

パフィオペディルム 

シンビジウム 

イランイランノキ 

ミニバラ 

マチルダ 

ラヴィアンローズ 

芒 

女郎花 

離宮公園エントランス 

栃の実 

戸政町の白雉 

戸政町の雉 

大田町の白 

大田町の白黒 

大田町の雉 

同じく 

【検証 福島原発事故 官邸の100時間】木村英昭 ★★★☆ 2012/08/07 岩波書店。
朝日新聞で2012年1月から2月にかけて35回連載された「官邸の5日間」を元に単行本化したもの。この連載は「プロメテウスの罠」シリーズの6回目に当たるらしい。
木村は朝日新聞記者である。
巻末に33pに及ぶ5日間の事故時系列表があり、これだけでもかなり読み応えがあった。つい先日菅直人の同時期を回想した新書読んでて良かった。ほぼ重なる時期と舞台で、あちらは官邸側(というか、最高責任者)、こちらは取材側からの記録である。基本的に実名取材をタテマエにしている。同じ出来事が視点の差でまるで違ったものに見えたり、補完しあったりして、なかなか興味深かった。
5日間を5章として、以下の様なタイトルが付けてある。

3月11日(金) 原発異変
3月12日(土) 原発爆発
3月13日(日) 原発暗転
3月14日(月) 原発溶融
3月15日(火) 原発放棄


これはなかなか上手い。さすがは新聞記者である。ポイント摘出で分かりやすい(^_^)

初動時にその機能を果たせなかったオフサイトセンターに代わって、事故の情報収集と対応を迫られたのが官邸だった。官邸がオフサイトセンターになってしまった。
ここがボタンの掛け違いの端緒になった。
官邸は情報過疎に叩きこまれた。その官邸を支える官僚組織は、実はその組織自体が機能不全を起こしていた。官邸中枢の取った策は後手に回った。というよりも、原発で次々と発生する事象が官邸の打つ手打つ手の先を走っていった方がいいだろう。(プロローグ)


これは菅直人の回想とほとんどシンクロしている。

野田内閣は政府や国会の事故調査委員会の最終報告も出ていない中で、原発再稼働に舵を切った。「電力が不足する」「経済活動が停滞する」といた切っ先を国民に突きつけながら。ムラの住民たちは、綻びを取り繕い、再び私たちの前から醜悪な正体を隠そうとしているかのようだ。安全論やコスト論、電力需給論の視点から論争を挑んでも結局は跳ね返されるだろう。原発を無くすか、継続するかは製作の問題ではなく、国家統治のありようを変えるのか、変えないのかにまで触れかねない問題だと思うからだ。
ムラの反撃が始まった。そう感じている。(プロローグ)


今、思っても、あの時点での野田総理の「収束宣言」は????だった。結局はムラに籠絡されてたということか。
しかし、五輪招致イベントでの安倍総理の「福島原発は完全にコントロール」という大嘘には負けるかも(^_^;)

本書は一人のジャーナリストがてくてくと足で稼いだ事故調査検証報告書である。論評や推断は排する。ファクトで構築する。(プロローグ)

そうであって欲しかったのだけど……

危機的なプラントの制御を実質的に放棄するのかどうかが本質なのだ。あまつさえ、本部機能まで引き揚げて、現場にいた人間をどこかに逃がしてしまおうとしていたのだ。プラントの制御にお手上げになってしまったのならば、「全員」ではなかろうが、「一時的」だろうが、ましてや「退避」という単語を使おうが、それは原発を放棄することである。東電は暴れる原発を前に、制御を諦めて放棄しようとしていた。
これが取材を通じて浮かび上がる真実だ。重ねて言う。この原発放棄事件はこれからの原発の稼働を東電が任う資格があるのかどうかを問う。極めて重要な論点だ。(第五章 原発放棄)


東電が福島第一から撤退/退避/移動などと言葉を変えながら、手を引こうとしたことはつまりは「放棄」だという糾弾で、これが本書の眼目らしい。
東電が「原発」を放棄するわけもつもりもないと思うのだけどね。

原発事故対応の最高責任者は内閣総理大臣である。その首相の座にあった菅には、一切の責任を背負う義務がある。それは言を俟たない。
責任には、まず事故を起こさない責任、そして事故が起こってしまった場合にそれを拡大しない責任、起こしてしまった事故に対して住民に補償する責任--の大きくは3つがある。これは「水俣病の医師」として知られる原田正純さんから教わった教訓だ。これらの責任は果たされているだろうか。水俣病を巡る専門家たちの立ち振る舞いを間近で見てきた原田さんが口を酸っぱくして指弾してきたのが専門家の責任だった。翻って<3・11>では、官邸にいた原子力の専門家は事故対応でまったく役に立たなかった。次に何をすればいいのか、それについての適切な助言は無かった。結果を見れば明らかだろう。「安全神話」の布教に熱心だった専門家たちはどうだろうか。「権威」をまとってきた専門家たちからは、未だにその責任の処し方についての自省の声は私の耳には届かない。
最高責任者である菅の責任を問うてもなお、今回の事故では、その根底に対応に当たるべき保安院、文科省、原子力安全委員会といった原子力関連の官僚組織の機能不全が横たわっていたことを見逃す訳にはいかない。そして専門家の責任だ。方針を決定すべき政治家に、適切で十分な情報を与えず、右往左往して口を噤んだのは、事故対応の中心的な役割を担うはずだった原子力にかんけいする官僚と専門家たちだった。巻の目の前から姿を消した者もいた。彼らの詳しい所作は本書でこれまでに記してきた通りだ。しかし、いつもそうだが、その官僚と専門家たちは、政治家の背後に回り、責任の一切を政治家に押し付ける傾向が顕著だ。(第五章 原発放棄)

厚顔無恥の諸先生方に反省を期待することが間違ってるのではなかろうか。
また「立ち振舞」は今では慣用として寛されてるようだが、やはり「立ち居振る舞い」を使って欲しい。

しかし、沈黙は罪だ。時間の流れにファクトを押し流し、検証を不可能にするからだ。責任の放棄に等しいとさえ思っている。
ファクトを積み上げて真実を浮き彫りにする作業で肝を成したものjは、本書では実名での証言だった。この作業は取材の種類を問わず、根気のいる作業だ。今回の取材でもそうだった。ただ、ジャーナリストなら当たり前の作業だ。「一年生記者」でもやっている作業を繰り返しただけだ。(エピローグに代えて)


実名報道と、実名での証言とは直接関係ないが、どちらも、報道の信頼性という意味では重要な意味を持つ。各章末尾に証言者の名前を注記してあり、この努力は認めるが、注だけで40pもあると、読了するのに往生してしまう。

2014/09/02(火)●中央図書館まで25分●
8時起床。
今朝の血圧は163/72/66。
久しぶりの晴天だけど、昼まで部屋でごろごろ。
2時過ぎにやっと部屋を出て、自転車で中央図書館まで出かける。いつもは三宮図書館寄ったりしてのんびり行くのだが、今日は最短距離(春日野道から加納町交差点経由で下山手通り)コース。これだとちょうど5kmくらいである。
中央図書館中庭で、ヴィジュアル本閲覧。マッチラベルやらの寄せ集め本や、写真集、漫画等など、どうもいまいちだった。
3階で調べものしてたら、先日長田の憲法集会でいっしょになった垂水地区労の門永さんと出会い、ちょこっと話しする。
5時10分に図書館出て、帰りも自転車で(あたりまえだけど)直帰。5時35分帰宅。おお、25分しかかからなかった。Morris.はママチャリだけど、いちおう変速もついてる。ざっと時速20kmということになるな。これなら、JRで神戸まで出て歩くのとほとんど時間的には変わらないと思う。
今日から甲子園はDeNA3連戦の緒戦、メッセンジャーが初回乱調(連続押出も(>_<))で3点取られ、元阪神の久保にきりきり舞いさせられてる(;;) 2-3で迎えた9回裏。一死満塁で今成がタイムリーヒット。同点ランナーは問題ないが、二人目のマートン本塁でアウトかと思いきや、セーフのジャッジ。キャッチャーの追いタッチだったらしい(^_^;) 微妙な判定で、試合後中畑監督が激昂して退場になるおまけ付きだったが、ともかくも逆転勝ち\(^o^)/ メッセンジャー勝投手にはなれなかったが、外人投手としてはバッキーの200奪三振を抜く201個めの三振奪取で50年ぶりの記録更新(^_^)ロードのあと連続負け越ししてたが、9月の緒戦が、こんな劇的な勝ち星で、これからの戦いに期待もてそうだ。
今日の歩数は2983歩。

【神国日本のトンデモ決戦生活】早川タダノリ★★★☆☆ 2010/08/15 合同出版。
「広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか」と副題にある。
先に読んだ「原発ユートピア日本」が良かったので、早速これも読むことにした。やっぱりヴィジュアル本で、半分は写真だが、ちょっと小型(A5版)で、2pごとにカラーで半分は白黒というのが、ちょっと残念だった。でも著者の本領はこの戦前戦中の雑誌記事やプロバガンダにあるらしい。批判の舌鋒も鋭い中にユーモア(ブラック系も)ありで、結構楽しめた。
それにしても、こういった資料蒐集は好きでやってるとしても、相当費用がかかるだろうな。

戦時下の日本における大衆向け出版物のほとんどすべての内容は、戦意高揚ノタメノプロパガンダとしての正確を持たされ、直接・関節に帝国政府の指導の下にあったといっても過言ではありません。
この本では、「神は細部に宿り……神国日本は紙くず系古本に宿る」という信念にもとづいて、「太平洋戦争」前後に、当時の雑誌・広告・チラシの類が、読者に浸透させようとしていた意識・感性・道徳・思想の一端を標本化することを目指しました。(はじめに)

1.神々しき靖国の社--靖国神社
2.日本よい国--少国民への指導
3.称えよ八紘一宇--侵略地へのまなざし
4.勝ち抜く決戦生活--銃後の生活、戦時動員
5.すべては勝利のために--国民総動員運動、戦意高揚イデオロギー
6.言霊の戦争--神がかり的言説

「死の連鎖装置」としての靖国神社の機能がみごとに描き出されている。靖国がある限り、この連鎖は止まることがない。戦争をやった人や、これから戦争をやりたい人やまだ戦争中だと思っている人たちにとって、靖国神社の存在が嬉しくてたまらないワケである。


靖国神社を「死の連鎖装置」と定義づけるあたりに、著者のセンスが感じられる。自民党には、戦争やりたい人や戦争中と思っている人がわんさかいそうだし、靖国フリークの議員密度も高そうだ。

サクラガサクト、オカアサマガ、ヤスクニジンジャニツレテイッテクダサイマス……サクラガサイタラ、オトウサマニ、オメニカカレルノヲタノシミニシテヲリマス……サクラノサクマデ、サヤウナラ(昭和19年度靖国英霊に捧げる文コンクール優等賞 南雲恭子(小1))

小学1年生の作文で、引用したのは後半。前半には、戦死した父の仇を取るために自分が戦場に赴くといったいかにもの部分もあるが、おしまいの「サクラノサクマデ、サヤウナラ」は頭韻踏んでの七五調だ。これは「傑作」だと思う。こういった傑作も、戦意高揚に利用されたのだと思うとかなしい。

問 見知らぬ人から国家の秘密に関するやうな事を聞かれた場合どうしますか。
答 見知らぬ人から一寸不審と思はれることを尋ねられた場合、決して正しい答をしないで、すぐ附近の交番なり人に知らせます。(少国民の常識 昭和18)
--そもそも子どものくせに「国家の秘密」を知っているのあならば「防諜」といってもすでにザル抜けではないか。それはともかく「決して正しい答をしない」には笑った。なんと費用のかからない防諜対策であることか。


いかにもお粗末な問答であり、早川の条件反射的突っ込みもわかりやすい。

「八紘一宇」という言葉は、『日本書紀』の神武天皇のくだりに出てくる「八紘(あめのした)を掩ひて宇(いえ)と為(せ)む」を元にして、狂信的国粋主義者であった国柱会の田中智学が明治36年に造語したもの。「支那事変」勃発をうけて第一次近衛内閣が開始した「国民精神総動員」運動において、「八紘一宇」は大日本帝国としての公式イデオロギーとして公認されるにいたったのである。

田中智学の国柱会といえば、石原莞爾や宮沢賢治も会員だったということで記憶していた。「世界はひとつの家」で、その「家」というのが「天皇家」ということか。

戦時下出版史もしくは出版弾圧史に必ず出てくる男で、情報局情報官・鈴木庫三という人物がいる。検閲と用紙統制によって出版社の首根っこをおさえて出版・マスコミ統制を牛耳李大変な権勢を誇った。

映画やドラマに出てくる典型的にイヤなタイプだな。しかし、こんなタイプは当然、現在でもうようよいるんだろうな。虎の威を借る狐、権力の走狗、腰巾着…………

作家の宇野千代女史は、若い頃に編集者として『スタイル』という伝説的な女性雑誌をやっていた。戦時統制の折り『スタイル』は『女性生活』とタイトルを変え、昭和19年はじめまで存続した。

昭和19年2月号の表紙写真があるが、実に素敵なデザインである。宇野千代恐るべし。

『主婦の友』(昭和19年12月号)の特集は「これが敵だ!野獣民族アメリカ」。興味深い記事内容は後に紹介するとして、それ以上にスゴイのが、総52頁のうち21頁にわたって
 アメリカ人をぶち殺せ
 アメリカ人を生かしておくな
 アメリカ兵をぶち殺せ
 アメリカ兵を生かして置くな
という4パターンのスローガンが刷り込まれていることだ。
戦時史研究家・高崎隆治氏によれば、この『主婦の友』昭和19年12月号は古書店でもきわめて入手が難しいという。氏は、敗戦時に主婦の友社が戦犯追求から逃れるために回収・焼却したのではないかと推測している。

パラパラ漫画ではないが、見開きの左頁上にこういった標語並べてサブリミナル効果でも狙ったのだろうか(^_^;)

貪婪にも、己がより多くの肉を喰らい、よりよき着物を着、よりよき家に住み、より淫乱に耽けらんがために、……非人道の限りを尽くして日本の首を締め続けて……

働ける男は奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使ふのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまふ。かくして日本人の血を絶やしてしまへ……日本の子供は不具にするに限る。目を抉ったり……片腕や片脚を切り取つたり、ありとあらゆる形の不具を作るのだ。

誰の発言なのかをひとつも書いていないのに、当時の人は信じたのだろうか……と思う人は、まだまだ修行が足りない。実はわが帝国軍帯が中国でやったことのアレンジだから、当時はリアリティを持って受け取られたのです。
戦争に民衆を動員する最後の精神的武器は、「敵への恐怖」をくりかえし叩き込むことだった。これによって、サイパンや沖縄などで、多くの女性たちが米軍への投稿を恐れて自ら命を絶った悲劇を思うとき、こんな記事を書き散らした匿名筆者への怒りが腹の底からこみ上げてくる。


こちらが特集記事の内容(>_<)である。いやいや、Morris.は修行が足りなかった(^_^;) この突っ込みこそ早川の本領発揮だろう。怒るところをわきまえている。

このような世論誘導的な"仕掛け"や時局迎合的な姿勢は、なにも当時に限ったことではなく、現在においても巨大メディア産業や広告代理店などによって繰り返されていると言わざるを得ません。まさに「スペクタクル社会」に生きる私たちにとって、いまだ総動員体制は終わっていないということをひしひしと感じます。だからこそ戦時下のこれらの言説をすみずみまで観察し、検討を加え、評価を下してゆく作業を続ける必要があると思います。(あとがき)

批判的に分析しながらこういったものを見る視点こそが大事だということだな。しかし、言うは易く行なうは難しぢゃ。

2014/09/01(月)●防災の日●
8時起床。
今朝の血圧は235/94/56。
昨日の低血圧(Morris.としては)と打って変わっての高血圧(>_<)
朝から雨、けっこう本降り。
今日から9月で季節は秋。そして今日は防災の日。
これは大正末期の関東大震災の発生日がその起源である。この時の死者は10万人を超すという、ちょっと異常な数だが、大半は地震の後の火事で亡くなったようだ。この中には、悪質な流言デマから過度に警戒した民衆や自警団によって虐殺された朝鮮人数千名が含まれている。さらに、これを機会に共産党、無政府主義者の取り締まりが行われ、大杉栄、伊藤野枝夫妻と甥が甘粕正彦憲兵大尉が惨殺されたりもした。
ネットで参照した災害年表から、関東大震災以降の日本の主な災害と死者/不明数をピックアップしてみた。

1923/09/01(大正12)関東大震災 死者10万5千人
1925/05/23(大正14)但馬地震 死者428人
1927/3/07(昭和2)北丹後地震 死者2925人
1930/11/26(昭和5) 北伊豆地震 死者272人
1933/03/03(昭和8) 三陸沖地震津波 死者3064人
1934/09/21(昭和9) 函館市大火 死者215人
1934/09/20(昭和9) 室戸台風 死者/不明3036人
1935/06/30(昭和10) 西日本大雨 死者/不明156人
1935/09/26(昭和10) 台風(群馬) 死者/不明377人
1938/07/05(昭和13) 梅雨前線(兵庫) 死者/不明925

1938/10/14(昭和13) 南九州台風 死者/不明467人
1942/08/28(昭和17) 台風(西日本 特に山口) 死者/不明1158人
1943/07/25(昭和18) 台風(九州 近畿) 死者/不明240人
1943/09/20(昭和18) 台風(特に島根) 死者/不明970人
1943/09/10(昭和18) 鳥取地震 死者1083人
1944/12/07(昭和19) 東南海地震 死者1251人
1945/01/13(昭和20) 三河地震 死者2306人
1945/09/17(昭和20) 枕崎台風 死者/不明3756人
1946/12/21(昭和21) 南海地震 死者1330人
1947/09/15(昭和22) カスリーン台風(東北以北) 死者/不明1930人
1948/06/28(昭和23) 福井地震 死者3769人(5390人)
1948/09/12(昭和23) 秋雨前線大雨(九州北部) 死者/不明247人
1952/03/04(昭和27) 十勝沖地震 死者33人
1957/07/28(昭和32) 諫早豪雨 死者/不明992人
1958/09/28(昭和33) 狩野川台風(近畿 静岡) 死者/不明1269人
1959/09/27(昭和34) 伊勢湾台風 死者/不明5098人
1960/05/23(昭和35) チリ地震津波 津波襲来死者142人
1964/07/19(昭和39)  「昭和39年7月山陰北陸豪雨」 死者/不明128人
1967/07/10(昭和42) 「昭和42年7月豪雨」死者/不明371人
1967/08/26(昭和42)  「羽越豪雨」死者/不明146人
1968/05/16(昭和43)  「1968年十勝沖地震」三陸沖。死者52人
1983/05/26(昭和58)  「日本海中部地震」秋田県沖。死者104人(うち津波100人)
1991/06/03(平成3) 天草普賢岳火砕流 死者/不明43人
1993/07/12(平成5)  「北海道南西沖地震」北海道南西沖。死者202人
1993/08/01-07(平成5) 九州南部「平成5年8月豪雨」死者/不明79人
1995/01/17(平成16) 兵庫県南部地震/阪神・淡路大震災 死者6434人
2004/10/18-21(平成16)  台風23号 死者/不明99人
2006/01 -03(平成18) 「平成18年豪雪」死者/不明152人
2006/07 -10(平成18) 「平成18年7月豪雨」等死者91人
2010/06 - 09(平成22) 「酷暑・大雨」死者271人
2011/03/11(平成23) 東日本大震災 死者/不明1万9225人
2014/08/20(平成26) 広島土砂災害 死者/不明74人

もちろん太平洋戦争中、主要都市空襲、広島・長崎の原爆投下により50万人以上の死者が出たことは忘れてはならない。
午後、雨の止みまに、ちょこっと王子動物園へ。まぬうの雄の体毛が白くなったのは前に報告したが、今日見たら背中から尻尾にかけてえらく毛羽立っている。何となく気がかりである。
資料館の図書室で、写真絵葉書でも書こうかと思ったが、新着図書が数冊入ってたのでしばらくヴィジュアル読書。「世界で一番美しい極楽鳥」、「世界で一番美しい昆虫図鑑」などというのがあったが、これは期待はずれだった。この「世界で一番美しい……」というのは、数年前から一種の流行りになってるが、玉石混交のようだ。
4時半帰宅。
今夜のKBS1383回歌謡舞台は "내 마음의 노래わが心の歌“ という、これまたわかったような判らない特集である。
 
1) 청춘가青春歌/송소희ソンソヒ
 2) 외나무다리一本橋/이택림イテクリム
 3) 남원의 애수南原の哀愁/문희옥ムンヒオク
 4) 덕수궁 돌담길徳寿宮の石垣道/임채무イムチェム
 5) 당신은 모르실거야貴方は知らないでしょう/임수정イムスジョン
 6) 가라지毒麦/조항조チョハンジョ
 7) 내 하나의 사람은 가고私だけの人が去って/김용임キムヨンイム
 8) 단장의 미아리 고개断腸のミアリ峠/최영완チェヨンワン
 9) 뜨거운 안녕熱いさよなら/김수희キムスヒ
 10) 둥지塒(ねぐら)/김수찬キムスチャン
 11) 하룻밤 풋사랑一晩熱愛/문연주ムンヨンジュ
 12) 바다가 육지라면海が陸地なら/정하나チョンハナ
 13) 꿈속의 사랑夢の中の愛/박윤경パクユンギョン
 14) 곡예사의 첫사랑曲芸師の初恋/이효정イヒョジョン
 15) 꿈꾸는 백마강夢見る白馬江/윤수일ユンスイル


あまりMorris.お気に入りの歌手も出ないし、特に聴きたいという曲も無し。キムスヒが久しぶりでちょっと嬉しかったかな。14の「曲芸師の初恋」という曲は聞き覚えあったし、アップとスローが交互に出てくる面白い曲で、すっかり気に入った。オリジナルは70年代末のパクキョンエという女性歌手だった。うーん、これは練習してみようかな。
今日の歩数は2320歩。

 

螽斯(きりぎりす) 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

えらく毛羽立っている 

きのこ(^_^;) 

河馬親子 

フタトガリコヤガ幼虫  

蕾(^_^;) 

今日のヴィジュアル読書 

アシカの食事 

うーん満腹 

【調べて楽しむ 葉っぱ博物館】写真 亀田龍吉 文 多田多恵子 ★★★☆☆ 2003/09/10 山と渓谷社。
「身近な実とタネハンドブック」ですっかりファンになってしまった多田多恵子本。2冊目は葉っぱ図鑑。類書はこれまでに数多く出てると思うのだが、そこはやはり多田さんならではの特長いっぱい魅力満載の本づくりである。
山渓の「森の休日」というシリーズの3冊目らしいが、Morris.愛用の「野に咲く花」(山渓ハンディ図鑑1)を思い出した。
まず.26☓21cmというゆったりした判型が良い。
そして何よりも写真(亀田龍吉)が素晴らしい。単なる自然写真でなく、図鑑の図版を超える出来栄えである。たとえば「照り葉」と呼ばれる光沢のある葉のその光沢を完璧に捉えている。ついでにこの光沢を生み出す成分をクチクラということは知ってたが、これは「キューティクル」のことだという説明もあった。さらに、その写真のレイアウトは超絶技巧というくらいの見事さである。風草やスゲなどの糸状の葉をもつ植物を数種類重ねあわせて、それぞれを際だたせる技法、これはPCなしには実現できなかったのだろうと思う。簡単に言えば、切り抜きした画像を、レイヤーで重ね合わせるのだが、ちょっと前ならその操作の跡形が見えたり、不自然だったりしたものだ。
しかも、この写真家は図鑑的だけでなく環境内の樹木、葉っぱなどの撮影も達者で、冒頭見開きのカツラの逆光波並の写真には思わずため息が出た。
もちろん、葉っぱの基本的部分名称、互生、対生、輪生などの葉っぱの付き方、ロゼット、綿毛、照り葉など、基本的なポイントは押さえた上で、遊び心も忘れないでいる。
たとえば刺(トゲ)の起源を説明するページではタイトルが「トゲトゲしいにも意味がある!?」(^_^;) これは、先に読んだ本のキャッチコピーの先行作品といえるかもしれない。
また「くるくる巻きつく魔法の鞭」タイトルの巻きひげページでは

学生時代、私は植物形態学で、巻きひげを調べました。面白かった! 似て見えても、もとは葉だったり茎だったり……。そして不思議に思いました。植物は目も見えないのに、何でどうやって巻きつくの? 巻きひげはエチレンガスを出していて、その濃度の微妙な変化で物の存在を知るらしいですよ。すごいよね!?

と、さりげなく、自分の専門分野を披露しながら、ワクワク感を出すあたり。
紅葉の代表であるカエデ類は8ページにわたってその色どりと形を楽しめる構成になっている。
うーん、もうしばらくこの人の本読んでみよう。


 

 

 
















                         
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