ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
Mark Murphyの[My favorite things]
John Coltrane talkin',Miles and Gil blowin'
Mulligan's walkin',Hilo's hilo-ing
Ray Charles, B.C. an' Garner with strings
These are a few of my favorite things
Anita in motion and Peggy Lee groovin'
And I like the notion how Canonbole's moving
Dave,Jon,Annie when Monteret swings
These are a few of my favorite things
Memories of Billie ,the soul and the heartache
Sessions at daybreak in which I can partake
Old Earnie Wilkins he sure gives you wings
These are a few of my favorite things
When some square boots, when the blues come
When I'm feelin bad
I simply remember my favorite things
And then I don't feel so bad
ジョン・コルトレイン、マイルス・デイビス、ギル・エバンス、ロニー・マリガン、ハイローズ、レイ・チャールズ、B.C.(ベティー・カーター?)、エロル・ガーナー、アニタ・オディ、ペギー・リー、キャノンボール・アダレイ、デイヴ・ランバート、ジョン・ヘンドリックス、アニイ・ロス、ビリー・ホリデイ、アーニー・ウィルキンス、と、16人も出てくる(^○^)
神戸駅からJRで帰宅。
夜は近所の「通」で、伊藤君、さりーちゃん、堀姉妹と飲む。
【死もまた愉し】結城昌治 ★★★
ミステリー作家で、俳句もよくした著者が、死の前年(1995)にラジオ番組のために語りおろしたもので、後半に彼の句集二つも併載されている。
少年時代に海軍に志願し、戦後は結核にかかり、胸郭成形手術で背部の肋骨すべてを取りさり、死を身近に感じざるを得ない一生を送った著者が、図らずも70歳近くまで生きて来て、生と死のことを、淡々と語っている。つい先日読んだ生島治郎の半自伝小説と、重なる部分もあり、両者のニュアンスの差異みたいなところ(人間関係)も別の意味で興味深かった。
結核療養所で、石田波郷、福永武彦と出会ったことが、著者の生涯を決定付けたことは間違いないだろう。「俳句は遊び」と言いながら、波郷仕込みの句風は格調高いものがある。
・耀きて驟雨に落つる蝶見たり
・風船のまぎれむ雲もなかりけり
・緑陰に置かれて空の乳母車
・降る雪や余生といふもやすからず
・來し方の見わたすかぎりおぼろかな
・花あんず母と旅せし記憶なく
・ぼうふらも生きるいとなみ死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ疲れ金魚を憎みけり
・秋風や逢ひたきひとはみな故人
・いわし雲どこへゆくにも手ぶらにて
・夕虹や夢はかなはぬままがよし
・いくたびも死にそこなひしゆかたかな
【お笑い 外務省機密情報】テリー伊藤 ★★★
「お笑い北朝鮮」(1993)で、抱腹絶倒させてくれたテリーのお笑いシリーズの97年に出たもの。本書の前に「お笑い
大蔵省機密情報」が出ているので、その続編なのだろうが、そちらはまだ読んでない。
北朝鮮ほどのインパクトはなかったが、それでも、この人のおちゃらけぶりは、なかなかにしたたかでもある。ペルーの大使館人質事件で、はからずも露わになった、日本の外交官の海外での常軌を逸した暮らしぶりを始め、その特権意識、怠慢、調子の良さ、閨閥、利権と、それに寄生するもろもろの企業や人たちのことを徹底的に皮肉っている。そこそこ毒のあるユーモアもたっぷりで、面白かった。
大使は、当地では天皇陛下というのも、たぶん本当の事だろう。
それにしても、官僚って、ほんっとにいい商売だと思ってしまった。
2001/01/30(火)●残り物てっちゃん鍋●
昨夜は、始め炒めものにするつもりで買ってたテッチャンと、豆腐、大根、人參、白葱、キムチ、タシダ、コチュジャンなどぶち込んで、一人「てっちゃん鍋」をこしらえた。食べるちょっと前に大根の葉を菊菜代わりに散らしてみる。うーーん、すっごく美味しい(^○^)
冷蔵庫の整理にもなるし、これはなかなかいいメニューだ。
ネタ元のはっきりしてる夢。ジャズ好きのおじさんと車に乗って、Morris.が録音した120分テープを聞いている。なかなかいい選曲だねと褒められて、これはSTARdigioの443chかをエアチェックしたのだと自慢。ところがテープ取り出す時絡まってしまい、やっぱり120分テープは問題ありますね、っていうオチ。いっしょに事務所へ行きそこのステレオでまたジャズをきいていろいろ蘊蓄を伺ったりしていた。スリープタイマーかけ忘れてたらしく、朝目を覚ましたら、443chが流れっぱなしになっていた。
ぐいぐい酒場に、久しぶりに吉美ちゃんの、書込みがあったが、内容は「My
favourite things」の歌詞を教えて欲しいとの依頼。娘二人が気に入ってるので、教えたいためらしい。手持ちの楽譜には載っていない。Morris.もこの曲好きなんだけど、一押しは、コルトレーンのソプラノサックスのテイクだし(^_^;)
【熾天使の夏】笠井潔 ★★★ 20年以上草稿のままお蔵入りになってた、著者の処女作ともいえる作品。「バイバイエンジェル」(1979)でデビューして今日まで、難解かつ挑戦的なミステリーを書き続けている笠井の作品は、長いほど面白いと思っているMorris.だが、本書は350枚ほどで、流石に文章も生硬、ストーリー展開もややギクシャクとしているものの、笠井の資質(良くも悪くも)が生で出ていて、面白かった。
全共闘〜地下活動者になった主人公が、爆破テロに関わり、それとは別に「完璧な自殺」を図る中で、死と性、世界の存在意義などを直観する、精神小説でもあるが、冒頭の思想のあがき、あるいは虚無の暴力のようなモノローグからして、非凡なところを見せている。
暗黒の宇宙空間は絶対零度、太陽の表面温度は六千度だという。生命とは惨めなほどに脆い壊れやすい存在だ。温度という条件ひとつを想定しても、極限から極限に至る無限階梯の、きわめて小さな領域でしか生存を維持することができない。絶対零度と六千度のあいだで、生命が存在可能である温度帯は、今にも切れそうに張りつめた細い糸に過ぎない。生命とは宇宙のきまぐれがほんの一瞬だけ形あらしめているもの、ようするに偶然の産物なのだ。人間は自らが無意味で卑小な存在であることを明晰に意識しなければならない。その無意味さ、その卑小さにおいて、蛞蝓と人間とのあいだにどんな違いがあるといえるだろう。もちろん、どんな違いもありはしない。もし違うとすれば、自身の無意味、自身の卑小を自覚しない蛞蝓にたいして、人間はそれを意識しうるという点においてだけだ。
漠然となら、類似した感覚を抱く若者も多かったろうが、これほど明確に提示できてるのは凄い。
また、活動家としての付き合いの中で、一般の交友関係を
君が友達や仲間と呼んでいる、曖昧な人間関係ほど厭わしく愚劣なものはないと感じるからだ。繕われた表情の背後で行われる陰湿な探りあい、安酒の肴に過ぎない苦労話や身の上話、大仰に肩を叩き合う一夜限りの意気投合、汗ばんだ皮膚を押しつけあうような愚痴と自己憐憫の交換。馴れ合いの暇潰しに似た空疎な議論---。
ここには、著者の自己批判も混じっているかもしれないが、これでは実も蓋もない、と思いながら、否定できないものもある。
陰謀家、爆破寸前の少年、純真な女性活動家との交わりの中で、70年代の内ゲバ、暴力、拷問などが、苦さとともに描写されていく中間部は、あまり読みたくない気になってしまった。後半、主人公が死を賭してルーレットの勝負をする中で、真の生存を悟り、賭けに負けて金を失った代わりに、実存意識を得るというところが、本書のハイライトなのだが、ここも、今読むと、安易に過ぎるかもしれない。ランボーの一節「永遠−海に交わる太陽」のイメージを援用して、
死の顎(あぎと)に捉えられ、死を眼前とした瞬間にのみ、生はこのようにも激しい燃焼を見せるのだ。一瞬が永遠である真実の時間を生きた者だけが、耐えがたい眩暈の輝きのなかで死を迎えることができる。生きるためには、まず死ななければならない。死の永遠が一瞬に転化する今、生の瞬間が永遠に変貌する今。渇望し続けたリアルな現在が、ここにある。眩いきらめきに充ちて果てもなく回転するこの世界が現在だ。この現在一瞬一瞬が永遠だ。穏やかな安らぎに充ち、この一種を永遠として生きている。駆け抜ける瞬間のすべてが宝石のきらめきで魂を奪う。
と、意識の開放を描写している。これは、ランボーというより、バタイユに影響されているように思える。
20年前の作品、ゆえに、タイトルを変更(原題は「夏の凶器」)以外は手を加えなかったという、著者の言葉を信ずるならば、確かに本書は、発表される時期を20年間待って、時機を得て世に出たものと言うこともできるだろう。Morris.は笠井と同世代で、あの時期も、そろそろ「歴史」として客観的に見ることができそうだということを、本書を通して確認できたような気がする。
2001/01/29(月)●KOBE・ひと写真展●
昨夜のフクイーズライブは、ゲストの女性弾き語りはMorris.の趣味でなかったし、矢谷智克欠席で、ちょっと盛り上がりに欠けた。ヒアカムのカウンタに、まきちゃんの娘ひなちゃんのポラロイド写真があった。小さすぎるのでよく解らないが、まきちゃんに似ている、ような気がする。
バイオレンスな夢。喧騒の街にいる。数人のグループの一員として移動中、途中別のグループと出遭い、メンバーの交換が行われるが、その直後、相手グループの中にいた、アラブゲリラ(^_^;)が、突然自動小銃を乱射し始める。Morris.はビルの隙間に逃げ込む。しばらくじっとしていたが、下校してきた女の子にもう安全だといわれて家にかくまってもらう事にする。乗り捨ててあった軽自動車を運転して、駅前の本部?に戻ることにする。途中にとしろうがいて街をスケッチしていたので、同乗させて本部に向うが、道を間違ったのか、到着できない。
9時ごろ、イパクサから電話。留守電に入れてあった挨拶の感謝と、昨日「MBCスペシャル」を見たと言ったら、びっくりしていた。流石に忙しいらしく、ほとんど空き時間が無さそうな気配だった。日本での公演の予定などないのかと聞いたが、SONY次第だとのこと。あしやん、うり丸さん、百濟大王によろしく。と、いつものように頼まれたのだが、このところ誰とも会ってないなあ。
STARdigio今週はあまりぱっとしない(>_<) 442chの女性ブルース特集もちょっと期待外れだった。443chのジャズボーカルは2時間通してスタンダード特集で、BGMとしてはいいが特に残しておくほどでもない。が、思い直して堀妹用に120分テープに収録する。他はスガシカオ、アニタオディくらいかな。
サンボ部屋に歌集『玉石集』をアップ。これはサンボ通信第7号(1988年5月発刊)の巻頭歌集だ。これで、80年代の歌集は、後一つを残すのみとなった。それにしても久しぶりに読みなおしたら、その「破調」ぶりに、呆れてしまった。字余りが多いし、ほとんど歌の体をなしてないものまである。多分に意識的なものだと思うが、今見るとちょっと恥ずかしい。テーマが宝石という、Morris.らしからぬものだっただけに、気負い過ぎたのだろうか。
午後、元町に出て、大丸でやってる立木義浩の「KOBE・ひと」写真展を覗く。只券もらってたし、ウォッシュボードの小野さんが写ってるのを知ったので見るきになったもの。写真は割と平凡だったが、会場前のビデオで、ちょうど小野さんの撮影の模様が流されているところだったので、ちょっと得したような気になった。南京街の林商店で少しだけ食材買って帰宅。
【自決】飯尾憲士 ★★★☆☆ 2年ほど前に「静かなる自裁」読んで以来だが、初出は雑誌「スバル」(1982年6月号)に一挙掲載されて、8月には単行本化されている。著者自身が所属していた陸軍士官学校の直属長官上原重太郎大尉が、終戦時の軍部クーデタに関連して、森近衛師団長惨殺事件に関わり、8月19日に自決した事件が、後の週刊誌の記事などで、歪曲されている事を知り、その事実を明らかにするため、関係者から丹念に事情聴取して、真実に迫っていく、ルポルタージュ、ドキュメント小説なのだが、著者が、長官に親炙していたこともあり、当人も巻き込まれる可能性が高い集団の事実の洗い出しであるだけに、異常な空気が漂って来るような作品だ。いわば戦前の悪夢を掘り起こすという、ためらいを抱きながら、証人の一人一人と真剣に渡合い、資料も丹念に読み込んで、確証を得るまでの推理と実証の手続きが周到かつ鮮やかで、久々にぞくぞくする感じを受けた。約1年で、これだけの取材と編集をこなすだけでも、驚くべきだが、著者の周到な再構成の手際にも溜息が出る。著者の粘り強い性格も、尋常ではない。
戦争時士官候補生だった事を、表に出さずにいた著者が、ことの真相を明らかにしたいがために身分を明らかにして、当時の同期生や上官に接触することだけでも大変なことだろうに、よくぞここまでという聞き込みが出来たのも、誠意が認められたためだろう。
こういう作品は、この著者で無ければ成立しない性格のもので、何よりも、上官への真の意味での供養になったことと思われる。戦争、軍部、陸士教育などへの批判、反発を抱きながら、抑制を効かせ、テーマを凝縮させているのも、本書の価値を高めている。
作中何度も「おざなりにされている」という言い回しが出てくる。きっと著者は「おざなり」というのが、許せない性格なのだろうな。
戦後半世紀を過ぎ、戦争を知らぬ日本人が大半を占める時代になった。Morris.は戦記物は嫌いだし、戦略論なども興味はないのだが、本書を読んで、戦争の時代と、その時代を生きた人々のことについては、もう少しよく知る事が必要なのではないか、と考えさせられてしまった。
2001/01/28(日)●MBCスペシャルパクサ特番●
鳥とカメラの夢。突然新発売のカメラを手に入れる。これがオートマチックのくせにえらく大きくて重い。5kgくらいあるんじゃないだろうか。アルミ合金みたいな素材で全面銀色の20cmくらいの立方体。Morris.はマニュアル見なくても全機能を把握している。特徴はピントなどがファインダーを覗いてる人間のイメージ通りに変化してくれること。つまり、テレパシーみたいに自由に映像を作り上げる事が出来るらしい。突然場面は変わって、どこかの庭にいて、隣にいた若者から庭を飛び回ってる鳥の名前を聞かれる。雀より小さな極彩色の鳥で「ああ、あれは○○だよ」と答えたあと、無造作にその鳥を捕まえて羽を毟り、脚と嘴と内蔵を取って、擂り鉢でミンチにしてすり身団子を作った。どんな味だったか、残念ながら食べるところは夢になかった(^_^;)
7時に起きたがベッドに入ったまま、400ch(STARdigioのd-NAVI STATION)を聽く。これは他のチャンネルと違って、一般放送みたいに曜日ごとの番組があり、日曜朝8時から2時間「日曜寄席」というのがあるのに気づいたので聽いてみようと思ったのだ。今日は2代目志ん生の「二階ぞめき」や、志ん朝の「文吉元結」などやってた。2時間たっぷりの落語番組というのは今では貴重かもしれない。時々聽いてみることにしよう。
今日は正午から大阪女子マラソンがあるので、午前中に灘図書館に行き、食糧買い出しして帰宅したらちょっと正午回っていた。あわててTVつけてマラソン見るが、そうだ1時からの韓国のどじまんを裏録しなくてはと、KNTVに切り替えたら、突然「イパクサ」という単語が耳に入ってきた。インタビューされた外人がそう言ってるようなのだが、続いてソウル大学生がやっぱり、イパクサが面白い、と言ってる。「MBCスペシャル」という毎週日曜日正午から50分間やっている番組だが、これは、イパクサ特集ではないかと、とりあえず録画始める。おお、パクサが出てきた。ぶつ切れだけど、12月の大学路のコンサートや、日本でのライブの模様などがどんどん流れる。評論家やファンクラブ会長の話、インターネットのHPなどが紹介される。本当に若者に人気があることを確認できた。しかし、最初の15分を見損なったのは残念だった。これは再放送ないようだ(>_<)
マラソンの方は、マラソンデビューの渋井陽子が、20km独走で優勝の快挙。初マラソンとしての世界記録とか、すごい、すごい。
この後、伊藤君と奈緒ちゃんが来てTV見ながら飲み、夜はヒアカムでフクイーズ見に行く予定。
【播磨ものがたり】池内紀 ★★★ 姫路生まれの著者が、省みる事のなかった故郷を舞台に、紀行風の創作を、姫路市文化振興財団発行の季刊誌「BanCul」に20回連載したもの。著者本人と、博学の民族学者、酒井抱一専攻の女子の院生、の3人が、2,3人で播州の各地を回り、研究の取材をしたり、ぶらりと徘徊したり、夢か現かの感想を記したり、ちょっと不思議な作品だった。Morris.は池内の文章の上手さにはかねがね感嘆していた。特に翻訳や、評論、紀行、エッセイなどのかっちりして、無駄のない、達意の文章は、一時Morris.の理想形だったくらいだ。乾いたユーモア、抑制のきいた蘊蓄、すべてがお手本のように思えた。ただ、彼が時々書く小説には、ちょっと違うんではないかい、という感じを受けた。本書は、小説臭さを感じさせないし、得意の紀行文の要素も強いためか、比較的、気持ち良く読了した。表紙と、各篇ごとに著者撮影の写真(モノクロ)が一葉ずつ挿入されていて、素人にしてはなかなかのものだが、とりわけ裏表紙の浜辺で釣り人をシルエットのように写した一葉は、すばらしい。海岸線が放物線状になり左方に開けているのだが、岸辺の波と沖の光の質感が見事に捕らえられているし、全体が緻密な銅版画のような雰囲気を醸し出している。
本文でなく写真ばかり褒めるのは、悪いかな。ちょっとだけ文体見本を
外光の変化につれて大天守閣の白い壁が微妙に色合いを変えていく。それとも眺めている自分の眼差しが、感情の起伏につれて、たえず、われ知らず、変わっていっているのだろうか。
「やがて百年がたち、まもなく千年がたつだろう・・・」
園田友子はふと思い出した。はたして、だれの詩であったものか、詩人は呟くようにしてうたっていた。こと上もなく正しいと信じた行いのあとに、二度とは地上に下りてこないだろうあの星へまで、悔恨にも似た一筋の水脈をのこして去っていった者たちのこと。
雲が流れて地上に大きな影が走った。とたんにひんやりとした風がおこって、パラパラと松葉が落ちてきた。どこかで鳥の啼き声がする。
園田友子は啼き声をまねて、外国語の練習でもするように唇をとがらせていってみた。
「ジェ・トゥ・エー・ジェ・トゥ・エー」
綴りにすると、Jai tueといったふうになる。フランス語では「ワタシハ人ヲ殺シタ」の意味。
ところで、中途半端に引用してある詩編は、誰の作品だろう? 聞き覚えがあるような気はするのだが、出てこない。ご存知の方は、Morris.まで、乞連絡。
2001/01/27(土)●パクサから新年メッセージ●
一面霧に蓋われている夢。とにかく深い霧で足元さえ定かではない。その中をMorris.は別に不安もなく前に進んでいる。時々人と出会って挨拶したり話したりもするのだが、姿は霧に隠れて見えない。一定の間隔で明るくなったり暗くなったりする。急な坂道を登りきり、霧が晴れたと思ったら目が覚めた。
奥井、高平さんらと西宮のピックアップ。朝から雨で、ロケーションが良くなかったので、積み込みがはかどらない。2時ごろやっと雨が上がる。高平さんの車で部屋まで送ってもらう。留守電に、イパクサから、新年の挨拶が入っていた。
「イパクサムニダ。セヘエポンマーニパドゥシプショ(繰り返し)」これで全部(^○^)何時もと違って、ゆっくり目のメッセージ。やっぱり韓国は旧正月がメインだから、今ごろ挨拶するんだな。とりあえず嬉しい。
2001/01/26(金)●ベトコンラーメン●
朝4時半の目覚ましで起きたので夢を思い出す暇がなかった(^_^;)
西根君に迎えに来てもらい、岡崎へシンガポールからの荷物配達〜名古屋からタイ向け荷物のピックアップ。
昼食に名古屋の「ベトコンラーメン」食べる。いちおうチェーン店らしい。麺は割りと細めで、どぎついくらい辛いスープにニンニクの大きな塊が5,6個入っていて、ニラモヤシ炒めがどさっと載せてある。いわゆるスタミナラーメンなのだろうが、Morris.は×である。それにしてもこのネーミングは??
メニューに「ベストコンディションメニュー」と書いてあるから、これの省略形と言いたいのだろうが、普通に考えれば、ベトコンと言うのは、おだやかではない。それとも最近の若者はベトコンなんて知らないのだろうか?老婆心までに大辞林から引用しておく。
ベトコン(Vietcong)ベトナム戦争中、南ベトナムの武装共産ゲリラに対する、南ベトナム政府およびアメリカ側の呼称。また、南ベトナム解放戦線の通称としても用いられた。
まさか「ベトナム戦争」も知らないなんてことはないだろうな(^_^;)
先日作ったグリーンカレー。あまり美味しいので終らせるのもったいなくて、ルーや具やココナツミルクなど追加して引っ張ってる。今夜はソーメンにかけることにした。これはタイでも普通にやってる。ただ日本のそうめんを温麺として使うとぬめりがあるし、水でしごいたものに熱いカレールーかけてもすぐ冷たくなるので、これを電子レンジで1分くらい過熱してみたら、大成功(^○^)だった。
【浪漫疾風録】生島治郎 ★★★ 日本のハードボイルド作家の草分けとも目される(らしい)著者の作品は、彼の再婚にまつわる半ノンフィクション「片翼だけの天使」?くらいしか読んでない。で、本書も著者が早川書房の編集に潜り込み、退社して作家を目指すまでの半自叙伝なのだった。当時の早川書房のEQMMの編集長が詩人田村隆一だったことくらいは知っていたが、都筑道夫、福島正美、常磐新平、それに生島と、まるで作家養成所の態をなしていたことには驚かされた。編集の仕事を通じての原稿依頼や、業界同士の付き合いで多くの作家--江戸川乱歩、高木彬光、開高健、佐藤春夫、吉行淳之介、陳舜臣、星新一、佐野洋、水上勉、田中小実昌、中原弓彦、結城昌治等々と交流する場面での彼等のスナップショット的描写は興味深いものがある。
この作品の中で、登場人物はほとんど実名なのに、当の生島自身は越路玄一郎と言う変名になっていて、違和感を覚えるが、これはあとがきで、「私小説にしたくなかったし、自分を客観的に小説の中で動かすため」と言い訳している。
編集者から作家への転身は、今でも割と多いケースだが、そういった中にあまりMorris好みの作家は見当たらないようだ。
2001/01/25(木)●ウイルスチェックポイント●
どこかの店でたむろしてる夢。小谷君が何かの豆の莢を剥こうとして手間取っている。Morris.がやると上手くいったので、どんどん豆剥き作業。みっちゃんが印刷したチラシを山のように持って来てばら撒いている。Morris.は公衆から社長に電話するが何度やってもちゃんとダイヤル出来ない。直接社長宅に向う途中、山寺の境内がすべてコンクリートで塗り固めれている。これはひどい、というと伊藤君が仕方ないと言う。空を見ると濃い緑色に薄い斑雲がかかり、格子縞模様になっていて、凄く美しく冷え冷えと感じた。
今日は朝からしとしとと雨が降り続いている。トースト、紅茶に昨日のグリーンカレーで昼食。
メールで紹介されたHPや掲示板を開くと、時々エラー表示が出たり、ひどい時にはそのままフリーズしたりしてしまう。特にJAVAや特殊なプラグイン使ってる場合に起こるようだが、すでにMorris.のシステム環境が、現在のネット環境についていけなくなってる証拠なのかもしれない。
ちょっと前にmyzkさんの掲示板でウイルス感染の話題が取りざたされていて、その中で最近の具体例と、自己チェックポイントが4点ほど公開されていた。Morris.も恐る恐るチェックしたが、この4点に関しては問題無しだった。感染経路は圧倒的に、ネットの添付メールらしいが、知らない人からの添付メールは論外として、最近は送り主の知らぬところでウイルスが転送されることもあるので、とにかく、添付メールは、絶対に双方確認できるもの以外は開くべきではない。しかも、一見txtファイルを装った実行ファイルもあるらしいから、油断がならない。
せっかくだから、件のウイルスチェックポイントを、引用しておく。
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▼「C:\WINDOWS」に「notepad.exe」と「notepad.com」が2つある。「notepad.exe」(いわゆるメモ帳)しかなくて、ファイルサイズが
52KBなら問題なしです。
▼「C:\WINDOWS\SYSTEM」に「wininit.exe」がある。注:「C:\WINDOWS」にある「wininit.exe」ではありません)これはMS-DOSプロンプトからでないと削除できません。
▼「C:\WINDOWS\SYSTEM」または「C:\WINDOWS」に「dnetc.exe」とか「dnetc.ini」がある。(注:これ自体はウイルスではありません)
▼ルート「C:」に「network.vbs」がある。
以上、全てウイルスに感染されてます。
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本当は、ウイルスチェックソフトなり、対応ソフトを使って、日々自己防衛するのが、いいとは思うのだが、Morris.は、そういったソフトは、一切使っていない(^_^;)
【花の下にて春死なむ】北森鴻 ★★★ 6編の短編が収められていて、連作ではないが、登場人物も交錯しながら、複数回登場するし、「香菜里屋」というビールバーとマスターは全作品に出てくるから、店のマスターを探偵役とする連作短編と言えない事もないが、それにしては短編ごとの力点がばらばらだ。それでもとりあえず面白かったのだから、言う事はない。タイトル作では、山頭火を髣髴させる自由律俳句の老作家の死と、故郷喪失の謎を30代の女性ライターが追うというもので、挿入された俳句も、著者が作ったとあり、なかなか器用なところを見せている。ミステリーとしてはそのトリックや解明方法が、まだるっこかったり、現実ばなれし過ぎたりして、何だかなと思わせるのだが、別にミステリーを読みたいわけでないので、2作目にして(Morris.にとって)この作家のものを、しばらく読み続けてみようと思ってしまった。
短編で、それぞれ雑誌に掲載されたからと言う事はわかるのだが、店やマスターの紹介などが、同じ文章で何度も繰返されたり、話の導入が画一だったり、必ず一品以上出てくる料理が、いかにも借り物っぽかったり、会話が不自然だったりと、まあ、文句はあるのだが、なんとなくMorris.との相性は悪くなさそうだ。
【凶笑面 蓮杖那智フィールドファイル1】北森鴻
★★★ と、言う訳で同じ作家のものが続くのだが、本書は2000年発行で、これまで読んだ中では最近の作だ。5編の短編が収められていて、これは、女性民俗学者の助教授が探偵役を果たす、連作シリーズで、タイトルからすると、まだまだ続けるつもりらしい。惹句に「最新の民俗学を大胆に取り入れ、日本人の根源を容赦なく抉り出す。本邦初、本格民俗学ミステリー」とある(^_^;)民俗学をテイストに使った作品は過去にいくらもあるだろうが、これだけ大仰に冠したシリーズは初めてかもしれない。面白いところに目を付けたものだ。Morris.は民俗学は、敬して遠ざける立場だが、興味や関心は人並みにはある。本書のヒーローは齢30前後の冷徹な美女で、頭脳明晰、学会では異端と見なされながら一目置かれると言う、まあ、こういう筋立てではありそうなキャラクターだし、彼女のワトソン役を務め、物語の進行係りにもなる助手の内藤を配した、オーソドックスな舞台設定。
しかし「狐罠」から数年後の作品なのに、ずいぶん文章も読みやすくなってるし、余裕まで見えるのはなかなかのものだ。本書にも、ビールバー「香菜里屋」や、他の作品の登場人物が、しばしば登場する。つまり著者は、自分なりの疑似社会を仮設して、そのなかで、さまざまの物語を生起させようとしているらしい。これも、アイデアとしては面白い。本書の中で繰り広げられる民俗学の講釈は、期待外れとは言わぬまでも、やはりまだ、借り物と言う感じは否めなかった。著者はそれなりに関心もあり、勉強もしてることは分かるのだが、パッチワークでしかないようだ。でもこの作家はまだまだ、楽しませてくれそうな予感がする。
2001/01/24(水)●ゴーヤ瓶詰●
九州での中学生時代の夢。九州の家に団体の客があって3階の大広間で宴会の用意。父が料理作りMorris.が運び物することになったのだが、階段が閉鎖されていて、台所にある狭い階段を使う。迷路をたどるようにして宴会場に着くと、そこはほとんど屠殺場状態。父はパニック状態に陥っていて、Morris.は使命感にかられて、取材に大童、メモしたり、写真撮ったりするが、客からコップ渡されて無理矢理飲まされる。初めて飲むビールは苦いが、断りきれず飲むうちに意識が無くなっていった。ような気がする。
昨日忘れていた手帳受け取りに三宮図書館に出る。星電社でCD-R買った後、南京街の林商店でココナツミルクとナンプラー買ったら、春節祭のサービスだと、瓶詰めの「苦瓜」を呉れた。中国製で、ラベルの写真で見てもゴーヤであることは間違いないが、賞味期限2年と印刷してあり、製造日期のところに、871224とスタンプ押してあった。ひょっとして13年物なのだろうか(@_@)ちょっとこわい(^_^;)
久しぶりにグリーンカレーに挑戦。
8時からKNTVで「歌謡コンサート」見ようと、前もってチェックしたら7時25分から「オールスターコンサート」と言うのをやることになってる。正月特集とあるから、今年の正月番組を、旧正月に合わせて放映するのだろう。こうやって変則番組やる時に必ずと言っていいほど番組ガイド画面に情報がないのは困る。明らかに手抜きだぞ。
番組は歌手、タレント、ギャグメンなどが歌うというもので、番組の間電話で人気投票してリアルタイムで得票が動くのが新機軸らしい。
【狐罠】北森鴻 ★★★ Morris.にとっては初めての著者だが、贋物をテーマにしたものらしいので借りてきた。どうも、Morris.はこのてのテーマには目がない。
骨董屋どうしの騙し合いの話だが、主人公が30歳くらいの女性で、欲のための贋作でなく、意地で始めた贋作作りが、結局は30年も昔の因縁劇に巻き込まれていたという展開で、すご腕の贋作者、在日韓国人富豪の末裔、大英博物館、日本の博物館のキュレータ、凸凹警察コンビ、女性カメラマンなど、登場人物も書き分けてあり、保険を裏手に取った詐欺の手口や、贋作専門の材料屋、古色とつけるテクニックなど、それなりに面白かった。
陶器、ガラス、漆器の贋作、骨董界の手管などに関する蘊蓄は、通俗書からのダイジェストが多くて、ちょっと物足りないし、贋作の動機や、事件の展開が甘い、キャラクタが立ってないなど、弱点も多かったりなどと、欠点も多いが、暇つぶしに読むには充分だった。
2001/01/23(火)●マルセ太郎の死●
草千里の夢。大きな袋を担いで、だだっ広い草原を歩きながら、ああ、ここが草千里だと思う。宿の窓から外を覗くと、断崖絶壁で遥か下に海がある。窓の外に出っ張りがあり、桟敷席みたいになっている。ここで食事するのだが、手すりにおいた丼を、2度まで落してしまう。危うく自分も落ちそうになりほうほうの体で部屋に転がり込む。バスで都庁にむかう途中革命が起こったと言うニュースが入る。Morris.は車内で隣の男の足を踏み、えらく怒られてしまった。
午後、灘図書館から三宮図書館と回り、阪急で六甲に戻り、久しぶりにセンターに寄る。稻田、鹿嶋、中野、山本さんがいて、お茶飲んでしばらくだべる。稻田さんから商品券いただく。帰りにさっそく商品券で、米やキムチなど買い6時半帰宅。三宮図書館から留守電が入っていて、手帳を忘れているとの事。全く気づいていなかった(@_@)
夕方から雨になり、同時に冷え込んできた。
在日の芸人、マルセ太郎の死を知る。パントマイムから出発して、最近は映画を一人で演じる独得の芸をやってた。去年新開地で公演があったのに、都合で見られなかったのが悔やまれる。合掌
【幸田露伴のために】篠田一士 ★★★☆
このところずーっと気にかかってる幸田露伴なのだが、手強そうなので、予習を兼ねて借りてきた。63年から83年の間に雑誌や新聞、単行本解説などをまとめたもの。著者は露伴を「ヨーロッパを必要としない、近代日本文学者の中で希有の存在」だと規定している。つまり自然主義に代表される近代日本文学はほとんどすべてがヨーロッパの影響なくしては成り立たなかったという論法である。
露伴の恐るべき教養、知識は、日本、支邦、印度の仏教などに依るというのは、その通りだが、科学知識は西洋のものも広く学んでいる事も忘れてはならないだろう。
露伴が現在、ほとんど無視されている状況なのも、漢文脈の文体と、空間的広がりを主体として、時間的物語の流れの希薄さが、日本文学の流れと乖離しているとの指摘も、一応は首肯できる。
露伴と漱石が同い年生まれというのは、にわかに信じがたい気がする。漱石が「猫」でデビューした明治38年(1905)、露伴は新聞連載中の「天うつ浪」を未完のまま放棄して、以後長い事小説を書かなくなった。つまり、文学史から見ると、露伴から漱石へバトンタッチされた形になる。漱石の小説家としての活動期間は12年足らずで49歳で死んだが、露伴はその後30年生きて、世間からはあまり注目されない中で「芭蕉七部集評釈」「連環記」「幻談」「蝸牛庵聯話」などを完成させた。
本書のおかげで、露伴のアウトラインを知る事が出来たし、その重要性もわかったが、やっぱり、現物を読まねばならないことも分かってしまった。
本書に引用してあった、露伴の随筆「潮待ち草」の中から一部を孫引きしておこう。
世に酒を飲むを極めて健康に害あるやうに思ひて非常にむづかしく論ずる人あり。わらふべし。智者大師の言に、身あるは即ち病なり、とあり。身体ある以上は病もあるべし、生れたる咎には死することもあるべし。其の本をいへば酒の為にはあらず。聚楽の第の成りし時、奢るもの久しからずと貼札して嘲りしものありしに、秀吉笑つて、奢らざるものも久しからずと云ひしといふ。豪傑の一語鉄鏃鉄的を貫くといふべし。酒を飲む者も病を得、酒を飲まざる者も病を得、伊達の薄着も風邪をひき、野暮の厚着も風邪をひくなり。−−中略−−道理は正しくとも人情に遠きことは好き結果をば齎さぬなり。ただに凡根凡機の人を強ひて酒を断たしむること難きのみならず、おのれもまた強ひて酒を断たんとはすべからず。
2001/01/22(月)●ピチカート・ハングンマル●
昨日は飲み過ぎたため、どんな夢だったか覚えていない。ただ、眠りの中で延々と交響曲が鳴り続けていたような気がするのだが、これも、BGMのタイマーをかけ忘れて、実際にショスタコービッチやベートーベンのシンフォニーがなり続けていたのだろうと思う。
昼までベッドで、ひたすら逃避的読書(>_<)
今週のSTARdigioは久々の当たり週で、Morris.好みのアーチストが目白押しだ(^。^)。
408chピチカート・ファイブ、410ch森高千里、411ch甲斐バンド、423ch松本伊代、427ch一人GS、429ch荒井英一、430ch石原裕次郎、坂本冬美、437chエラ・フィッツジェラルド、456chTree
Dog Night、457chDire Straits、427chバティー・ホリー、428chB.B.King等々。とりあえず、408ch,456ch、427chをエアチェックする。
バディー・ホリーは、ロカビリーの典型みたいな歌手で、日本ではあまりヒット曲はないが、彼と、エディ・コクラン、ジーン・ビンセントの3人の歌を一緒に入れたテープを一時期聞き込んでたことがあるので、懐かしかった。しかしロカビリーナンバーって1曲が短い。1時間で27曲、ということは平均2分ちょい、中には1分半てのもある。タイトルだってそれに合わせて?か単純なこと。Peggy
Sue,Maybe baby,Everyday,Oh boy,Fool's paradise,It's so easy,Reminiscing,Look
at me,Tell me how,Ready Teddy,Listen to me---ってな調子だ。
ピチカート・ファイブは2時間特集だった。「パーフェクト・ワールド」という曲の中に女性による韓国語の台詞が入っていて驚いた。冒頭は私の設えた生活で暮らすのはどうでしょう、途中では韓国の自動車がどうのこうのと言ってるようだがほとんど聞き取れない(>_<)情けない。
【大相撲こてんごてん】半藤一利 ★★★
相撲に関する言葉を五十音順に並べ、その来歴や、語源、個人的四方山話を書き記したもの。Morris.は決して相撲ファンではないが、角界独得の用語にはかねがね関心があった。著者は「漱石先生
大いに笑う」という著作で、漱石の初期の俳句を取り上げていて、これが、Morris.のぐい句の始まりになったという、因縁もあって、好感を持っていた。著者は五十一代横綱玉の海が大の贔屓だったらしく、随所に贔屓の引き倒しが見られるがそれもまた、微笑ましかったりする。
織田信長が、相撲好きで、土俵を作ったのも彼ではなかろうかという説など、興味深い記事満載だった。
「一富士、二鷹、三ナスビ」という初夢の縁起は「日本三大仇討ち」からきている。すなわち富士の裾野の曽我兄弟を筆頭に、鷹の羽のぶっちがいを紋とする浅野家の家中におこった元禄忠臣蔵、それと伊賀上野の荒木又衛門の三十六人斬り。これを「一に富士、二に鷹の羽のぶっちがい、三に名をなす伊賀の上野」と江戸の人は歌った。で、「名をなす」が「なすび」になったんだそうな。
木村家は軍配を持つ右手のにぎりこぶしを上に掌が下になるように構える、これを陰という。式守家は反対で、にぎりこぶしを下に掌が上になる、これを陽という。
土俵は、ぐると描いた円が「天」を表わし、それをとりかこむ四角が「地」を意味する。その上で取り組む力士−−かくて「天地人」がそこにできあがる。つまりここには一つの宇宙の万物がある。聖なる世界があるのである。
ところでちゃんこ鍋だが、煮食いとちりがあるのはご存知のとおり。煮食いには鶏肉を使い、ちりには白身の魚を使うのがほぼきまりとか。しかも白身の魚といっても鱈はいけないらしい。アラがいちばん歓迎される。というのは昔のはなしで、いまはそんなことはいっていられない。
貧乏神−−相撲番付で十両の筆頭力士
・雲を抜く力見せけり時鳥 稻妻雷五郎
・うす暗き角力太鼓や隅田川 一茶
・月のみか雨に相撲もなかりけり 芭蕉
・夕霧や伏見の角力ちりぢりに 蕪村
・相撲とりならぶや秋の唐錦 嵐雪
・嵐雪かその唐にしき角力見ん 白雄
・相撲取の屈託顔や午の雨 漱石
・夏場所やもとよりわざのすくひなげ 万太郎
・土付きし角力の肩の残暑かな 句仏
・大関にならで老いぬる角力かな 子規
・負すもふ食事日頃に十倍す 大江丸
・はね太鼓両国橋に風かほる 一利
【大穴】団鬼六 ★★★ 昭和32年に書かれた作者(当時26歳)の2作目に当たる小説で、出版社の事情で、ホテルに缶詰にされ3日間で書きなぐったものという。いわゆるSMもので名をあげることなど考えもしない時期のもので、相場でひと山当てようと言う大学生を主人公にした、ピカレスクロマンで、それを、角川春樹事務書が、2000年に新たに刊行したものだ。
学生のくせに、大金を小豆相場に張って、失敗し、その後博打と会社乗っ取りに絡んだ株の買い占めで、大金をつかむというストーリーは、ありそうなもので、主人公を始め、下級生の子分みたいな暗い男や、落ちぶれた株やとその娘、やまっけのある芸者上がりの女実業家などの性格描写も、筋の展開も荒っぽいし、強引な符合もあるのだが、ぐいぐいと最後まで読まされてしまった。不思議な小説である。
−−安いところで買って高いところで売り抜ける。高いところで売って安いところで利喰いする−−相場に勝利を得るためには、ただこれだけを間違いなくやればいいのである。だが、これだけのことが仲々むつかしい。奇妙なことに買えば相場は下がり、あわてて売りに転ずると今度は上がり出し、半泣きになってまた買いに戻ると、次にはせせら笑うように相場は下がり出したりするものである。売った買ったするたびに店側に取られる手数料も馬鹿にならない。このようにチグハグなことばかりつづくと、しまいには神経がやられてしまい、何が何だかわからなくなり、狐つきみたいな目つきになってしまうものだ。相場とは、このように得体の知れぬ不気味なものなのである。
【ページをめくる指】金井美恵子 ★★☆☆
雑誌「母の友」に連載された絵本エッセイ24編をまとめたもの。うち5編が「ピーターラビットの絵本」に割かれているのを始め、大半が動物が主人公だったり、重要な脇役として出てくるのも金井美恵子の作為がうかがわれる。3回にわたってモーリス・センダックを取り上げ、後期の不気味とさえいえる作品「ミリー」「まどのそとのそのまたむこう」を「逸脱」と規定する視点にはMorris.も深く頷いてしまった。センダックの最良の部分は「あなはほるものおっこちるとこ」の、単純、陽気な世界にあると常々思っていたからだ。
また、気になる画家バルビュスが、10歳の頃に書いた「MITSOU-ミツ」という猫の絵本(言葉のない40枚の絵)は、是非手にとって読んでみたくなった。
バージニア・リーバートンの「小さいおうち」「せいめいのれきし」を「大きなテーマ性と巧みな技術を、小気味よく魅力的に見せる良く出来た絵本であり、名作と呼ぶのにふさわしいものではあるのだろうが、ブロードウエーで大あたりしたミュージカルをMGMで映画化したような、大作主義的退屈さと感動巨編につきもののうんざりする調子を感じる」と切り捨てている部分などは、彼女の本領発揮だ。
絵本を選ぶのは楽しい行為ではあるのだが、実は読み手の方こそが絵本に選ばれているのかもしれない。本書のここかしこに金井美恵子一流の毒や、皮肉、を読み取る事が出来て、それはそれで面白いと認めながらも、絵本論は(たとえそれが、読み巧者のものであっても)不要なものなのではないのか、そんなことを思ってしまった。
それとは別に、Morris.の偏愛する金井の「新古典女流おしゃべり体」ともいうべき、読点先送りして句点のみで連綿と繋いでいく息の長い文体が、このエッセイでも生かされているのが可笑しかった。
豚肉の薄切りのなかにうさぎの肉を混ぜ込んで売る、という悪い評判の肉屋があったり、朝には刈ってきた草のエサをやったうさこちゃんが夕飯の食卓の鍋の中でグツグツにえていた、という戦後の食糧事情のトラウマになりかねない経験を見聞きしている者にとっては、「うさぎ」が食肉であり、毛皮でもあって、アンゴラうさぎだったらセーターに編み込まれるということは常識なのだけれど、今日では、幼稚園や小学校で情操教育用にペットとして飼育されている「うさぎ」が、何者かによって、面白半分に殺されたという事件が新聞に報道されることがあり、それはたとえば、「いじめ」や、ホームレスを襲撃する少年たちの心理と同じに、きわめて現代的な問題としてジャーナリスティックに伝えられr、ピーターラビットの絵は、若い母親向けの愛らしい育児日記の表紙を飾ったり、マヨネーズのびんにプリントされたりして、家庭的な安らかさと豊かさと、野菜がヘルシーであることのシンボルとなり、私たちとうさぎとの関係は、それを殺して「食べる」ことから切り離されたままで、弱者としての愛らしい幼児というイメージにおさまってしまいつつあるようだ。
以上が、一つの文であり、本書中で、特に長い文と言うわけでもない。金井だからこそ、この調子でも読めるのだが、一般庶民は眞似すべきではないだろうと思う。
2001/01/21(日)●社会人ラグビー神鋼優勝(^○^)●
六甲学生青年センターにいる夢。事務室でお茶飲みながら、飛田さんと工作。ボール紙で作った星型の小道具のぎざぎざを別のボール紙で塞いで円形のものにする作業。やってもやっても、星型がどんどん追加されて、溜まる一方でMorris.はその星に埋もれてしまった。
9時半に部屋を出て、バスで中央図書館に行き、1時前帰宅。駅伝やってたのでそれを見て、つい、韓国のどじまん見るの忘れてしまった。
2時からはラグビー、神鋼vsトヨタ戦をTV観戦。神鋼は前半22-7でリードしたものの、やはり後半はトヨタに押され気味で、結局29-26で辛勝した。
途中で伊藤君来る。ついでに初場所千秋楽見て(決定戦で貴乃花優勝)、1969年日活の「幌馬車は行く」という、赤木圭一郎主演の怪作まで見てしまう。
冷蔵庫の残り物で、キムチチゲ、それにうどんも入れて食べる。
だらだらとTV見て、飲んで、伊藤君は11時半頃帰る。
KNTVの「開かれた音樂会」今日は、中国特集?らしく、中国人歌手が、韓国歌謡や民謠など歌っている。
2001/01/20(土)●雨の大寒●
またまたパーティの夢。そこでMorris.は、料理を担当してて、東坡肉とアップルパイ作ってた。会場で抽選が行われSONY提供の電化製品が続々登場。Morris.は携帯電話が当たったはずなのに現品が無い。アパートに帰ると、大掛かりな改装工事中で、東南アジア系の職人が漆喰で色んなところを塗り替えている。Morris.の部屋には、職人の息子が二人いて、青洟を垂らしながら、机やら本棚やらをかき回している。止めろと言いたいのに声が出ない。うーーん、やっぱり悪夢ぢゃ。
朝、5時20分くらいの地震で一度目を覚まして、また寢る。8時半起床。
今日は大寒。朝からずっと雨が降り続いていた。KNTVの「主婦スター誕生」にキムヘヨンがゲスト出演して「唯一の人」を歌った。割と地味目な黒のツーピースだったが、元気そうで安心した。
午後、矢谷君焼酎持って遊びに来る。東坡肉、ガイヤーンなどをあてにしばらく飲んでだべる。
光州のハンナちゃんから、小包届く。キムスヒのニューアルバム「Pathos」と、写真の奇麗な韓国料理の本。誕生祝に送るつもりが遅れてしまったとのメモがあった。感謝。さっそく聴いてみる。ラテン系歌謡曲といった感じで、Morris.としてはもう少しムードのある曲の方が好きなのだが、キムスヒのハスキーボイスはいつ聴いても素晴らしい。
【どうしやうもない私 わが山頭火伝】岩川隆 ★★★☆
一時山頭火がブームになった時、ぱらぱらとその句集を見た記憶はあるし、人口に膾炙した数句は覚えているのだが、なんとなく、肌が合わない気がして、そのままになっていた。ひょんなことから、本書の著者が気にかかって、彼の競馬関係の本を借りようと思ったのだが、三宮図書館には無くて、こちらを借りて来てしまった。
既刊の山頭火伝は、俳人や、彼の信奉者の書いたものばかりで、実像とかけ離れていることから、著者が距離をおいて、山頭火伝を書き始めたとの事だが、付かず離れずのほどよい距離を置いて、手際よく伝記事項を書き進めながら、それに並行して山頭火への、共感と、嫌悪を率直に吐露する文章を書き綴っている。読むほどに、気が滅入ってきた。山頭火の弱さ、ずるさ、矮小さ、いやらしさ、俗気−−−といった、いやな性格が多かれ少なかれ自分の中にもあることに気づかされるからだ。存在が周囲の恩情によってのみ支えられているくせに、口でだけ感謝を述べて、自力ではなにもしない、まったくもって「どうしようもない」存在なのだった。特に酒に関するだらしなさは、全く他人事でないと暗澹たる気分になる。
岩川自身が同様の感想を漏らしている。
私が山頭火のことを思うとうっとうしくなるのは、よくよく考えると、どうも私自身が山頭火によく似ただらしなさや生活無能の本性を宿しており、あたかも近親憎悪のような、伝染をおそれるような恐怖感があって、それがときに嫌悪の情や敬遠の気持ちを抱かせるらいし。
数ヶ月前から急に俳句を捻り始めたMorris.だから、全く関心が無い訳ではなかったが、山頭火のいわゆる、口語自由律俳句は、Morris.とは無縁のものだと改めて思った。
荻原井泉水を中心とする「層雲」の仲間との交流が中心となってるので、自ずと引用されてる句も、自由律のものが多い。確かに、作品には、思わず笑いをさそうもの、ほろりとさせるもの、なるほどと合點がいくもの、詩としてすぐれたものなどがあることは否定しないのだが、どうもそりが合わない。
江戸後期の乞食俳人井月や、若くして亡くなった朱鱗堂、尾崎放哉などと比較すると、山頭火の「どうしようもなさ」は、際立っている。しかし結果的に彼の作品が、評価されているのも、その「どうしようもない」人間が残した句だからこそ、という面もありそうだ。
死によって山頭火の人間臭い悩みは消滅し、あとには多くのひとたちに愛される、わかりやすい、自然に没入した人間の名句が残った。もって瞑すべしである。
という、本書あとがきにある一節が妥当なところだろう。
それにしても、先に読んだ「天涯茫茫」といい、本書といい、著者の評伝は、資料を適切に取捨選択し、読ませる作品に仕上げる手腕には、感心しながら、読む方は鬱々として楽しめない、というのは、困った傾向ではある。
つまりは山頭火の句や呟きや文は、生臭い生の世界に迷える小羊の、凡愚の、亡者の、俗人の救いを求めて得られない、甘えと感傷のことばといってよかった。これは、とりもなおさず、私ども凡人みなの呷きでもある。
散々、山頭火嫌いと書いてきたのだが、それでも彼の句には、忘れがたい魅力を持っているものがある。有名過ぎる句も混じっているが、いくらか引用しておく。
分け入っても分け入っても青い山
うしろ姿のしぐれてゆくか
しぐるるや死なないでいる
鉄鉢の中へも霰
やつぱり一人がよろしい雑草
やつぱり一人はさみしい枯草
空へ若竹の悩みなし
洗へば大根いよいよ白し
いちにち物いはず波音
どうしやうもないわたしが歩いている
2001/01/19(金)●何だこれは?? CARSHOP BABY●
今日はオフのはずだったので、ゆっくり朝寝を楽しんでいたら、突然電話で、急遽昨日の現場へ行くことになる。おかげで、見てたはずの夢が思い出せない。トラックで迎えに来てもらい、矢谷、西根君と3人で、三田から、実家の山東町へ家具の配達。この時期だから雪は必至だろうし、タイヤチェーン準備して行ったのだが、道路は全く大丈夫でちょっと拍子抜け。まあ、山や、周りの風景は銀世界で美しかったので、充分満足したのだが、今日のトピックは別にある。
9号線で三田から山東町に向う途中、福知山と夜久野町の境付近で、長浜ラーメン「一番」という店で昼食をとった。ここのラーメンはいちおう博多ラーメンで、まずまずだったのだが、食後、そのとなりの建物を見て驚いた。L字型2階建てで店名は大きく「CARSHOP
BABY」とある。向って右端がタワーになって屋上にはスクラップになりかけの乗用車があり、その下のショウウインドウには、怪しいマネキンが飾られている。あまりに異様なので、恐いもの見たさで、3人とも店内をうかがう。中はおっそろしく広く、その広さいっぱいに、商品がびっちり並べられている。カー用品もあるにはあるのだが、それ以外の細々したものが、どっかんどっかんと迫ってくるようで、Morris.はとりあえず引いてしまったよ(^_^;)
バッタ屋みたいでもあるし、流行の百均ショップにも似ているが、そのおどろおどろしさと来たら「ここは日本ではありえない」という、Morris.の悪夢の世界と通底するものを感じてしまった。ああ、びっくりした。
結局仕事はあっさり終って、4時半に倉庫着。
帰ってから今朝の夢を思い出した。Morris.の生まれた武雄温泉が舞台でMorris.は小学校高学年から中学生くらいという設定。当時うちに下宿していた二つ年上の西山たーちゃん、一つ上の旅館花月の息子ジョーちゃんの3人で、大人にかくれて悪巧みしてるというもの。何をしようとしたのか判然としないが、たーちゃんがMorris.に、世間と旨くやっていくためのありがたい説教してくれた。そして3人で行動を起そうというところで電話のベルが鳴ったとおぼしい。
今夜は、久々に東坡肉仕込んでみる。今回はポークジャーキーにならないように注意しなくては。
8時から「歌謡舞台」見ようとKNTVつけたら、しょうもないドラマやってる。うーーん、ほんとに、最近のKNTVのいいかげんさには腹が立つ。
【末法眼蔵】藤原新也 ★★★ 朝日新聞読書欄に連載されたもので、写真集や映像を主題にした書籍の書評コラムで、それぞれ、取り上げられた書物を著者自身が背景を替えて撮影した白黒写真を付しているのが、風変わりというか目新しい。しかし200頁くらいの本で、コラムと写真が見開きになってるから、1点当たり4ページといっても、文章量はあまりに少なすぎる。写真を見てくれといいたい訳だろうが、その写真というのが、該当本の表紙であったり、開いた一部であったり、ひどい時には、破られたり、水かけられたり、くしゃくしゃになったり、と、虐げられているのが、本好きのMorris.には耐えられなかった。
一世代前の海外放浪者のバイブルともなった、一連の、写真と紀行渾然一体となった作品群と比べるのは、見当違いかもしれないが、ちょっと期待外れだった。写真と文章を同位に並列するスタイルが、著者の血肉となっているにしても、これは安易すぎる。海外放浪から「東京漂流」への流れは瞠目ものだったが、その後の身辺エッセイやら、タレント批評、さらにこの書評への動きには違和感を覚える。
著者が只者でないことは間違いなく、本書の視点や切り口(もちろん、写真にも)に、煌くものを感じるしそれなりに評価は出来るのだが、それでも、これは、はっきり言って手抜きではないかと思う。
写真というのは、そこに作者が写っていないのに、作者自身の内面を人前にさらけ出してしまう不思議なメディアである。かりにある人の旅の写真を見ると、その人がどのような気分でそこに立っていたのか、あるいはどの程度の思想で世界を眺めていたのかという、込み入ったところまで読み取れてしまう。
という一節などは、そうである場合もそうでない場合もあると思うのだが、これを藤原新也が書いたら、嫌味になってしまうんじゃないかなあ。
2001/01/18(木)●肉団子の夜●
サッカー合宿?の夢。日本の高校の一部屋を借りて数人のメンバー(社長、秋本はいたが、春待ちファミリーBANDで合宿というわけではない)と、有名な外国人コーチに指導を受ける。コーチ個人宅の広い芝生(庭で飼われている白熊が走り回っている)で練習、Morris.がとんでもないミスキックしたため練習中止となる(;_;)
お詫びがてらコーチを訪ねると、もう一つの芝生に案内される、ここには周囲に穴がいっぱいあって、複数種類の熊(白熊、月の輪、ヒグマ)が飼われている。コーチが熊と記念写真を撮ろうと言い出しメンバーと熊を呼ぶも、一頭も出て来なかった。宿所に戻ると、隣の机に古い岩波文庫があった。昭和4年の日付と、持ち主名(山之辺某)の書き付け。タイトルだけ知っていて読んでないものだったが、覚えていない。社長が遅れて汗だくになって帰って来た。練習で傷んだ鉄管を叩いて修理してたとのこと。
矢谷ら総勢5人で、三田の現場。イギリス向けと実家への荷物ピックアップ。
J-Mallで食材買って帰り、餃子と肉団子作り。
未知の人から文字化けのメールが届いていた。
2001/01/17(水)●アリスの前座??●
吹きっさらしのベンチで誰かを待ってる夢。あしやんが来て今日の催し?は段取りが悪いと愚痴を言う。会場?の店のマスターが開店祝のクジを作っている2枚引いていちまいハズレ、一枚当たるが賞品は名前も知らないスコッチだったので、ハズレ券だけ返す。一人来ては出て行き、入れ替わりに誰か来ることの繰り返し、これでは話にならないと外に出ると、二人連れの女子高校生、一人は丸坊主だった。
今日は阪神淡路震災6周年で、神戸のあちこちで追悼集会などが行われている。春待ちファミリーBANDがメリケンパークでの集会のゲストで呼ばれているので、午後2時に現地集合。
サンTVの生中継で、アリスや鳳蘭などのゲストも出る大掛かりな催しだったが、春待ちファミリーBANDは、放送の始まる前15分間の前座だった。昨日ほどではないがやっぱり寒い。
終ってから、いやま、伊藤君と「万坊」で飲み、そのままMorris.部屋で飲んで、二人は10時過ぎに帰る。
【百年分を一時間で】山本夏彦 ★★★☆
自身が出版してる雑誌「室内」に連載されている、問答コラム?を集成したもの。社主山本に、女性社員が黒子として話しをうかがい、インタビューとしてまとめた体をとっているが、結局は山本が全面校訂していると思う。内容は、これまで出した本の中に書いてある事とほとんど変わらないが、二人の掛け合いの間のおもしろさで、どんどん読まされてしまう。本書は2冊目らしいが、1冊目も読まねばと思う。タイトルは20世紀のあれこれを簡単に瞥見してみようという意味らしい。
山本は、古狸である。煮ても焼いても食えぬくせに、人を煙に巻き手玉にとってしまう。かくいうMorris.も相当彼の術中にはまり込んでいるようだ。「世はいかさま」なんてキャッチフレーズを嫌みなく本気で言えるとなると、すでに人徳のようにさえ思われてくる。社会主義を論じるのに「社会主義には正義がある。資本主義には正義がない。大正デモクラシーにあきたりない全国の学生が、正義になびいたのはもっともです。」と、あっけらかんと、本質を突く。
スポーツ、芸能のスキャンダルを好んで載せるマスコミは批判されるが、それを好んで読む読者がいるからそうなるのであって「マスコミとお客はぐるである」と喝破する、などなど、山本流春秋の筆法は、何度繰返しても飽きさせるところが無い。まさに、言葉の手品使いだと思う。
2001/01/16(火)●無茶苦茶寒い●
夢で電機売り場にいた。CASIOデジカメのパンフが平積みしてあり、すごく良さそうなので、商品を見せてもらう。緑色のプラスチック製の携帯電話みたいな奴。デザインというかキャラクターが、サンリオのケロケロケロッピーである。頭に半円形のつまみが付いていて、これを折り曲げると脚になって、画面が見やすくなると店員が説明する。使えば使うほどこれは電子手帳に違いない。買おうか買うまいか迷って結局買わなかった。ような気がする。いつの間にか砦の中にいる。BGM?に「Green
leaves of Summer」が流れていたので、ここは日本なのだけど、アラモ砦なのだという事が分かる。何物かが襲い掛かってくることは確実なのだが、砦の中では、二十一世紀より長十郎が美味いとか、ラフランセは×だとか、梨の話題で盛り上がっていた。
今日は朝から殘材引き取り、トランクルーム搬入、通関、コンテナ詰め、荷物のピックアップと、細々した業務のてんこ盛りだった。しかもあいかわらず無茶苦茶寒いっ(>_<)
明日が神戸震災6周年ということで、NHKも民放も軒並み、震災関連特集ばかりやっている。見たいわけではないが、つい目が行ってしまう。
【植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代】小林信彦
★★★ 名作「日本の喜劇人」(1972)を書いた小林信彦が、その20年後に出したもの。植木、寛美二人の取り合わせは意外な感じを受けるが、小林は、二人の共通点として「戦中派後期生まれ、心情の持ち主である事。超メジャーな存在なのに、一部のマニア向けのおかしさをもっていて、それが魅力の核となっていること。真骨頂は生の舞台にあること」を挙げている。本書は「日本の喜劇人」とちがって、小林自身が関わった部分に力点がおかれているため、客観的な批評になっていない感じを受ける。
とは言うものの、Morris.が、TVや映画でしかしらない二人(寛美にいたっては、映像もほとんど無知)の生のエピソードや、人気の出初めから絶頂期、凋落を的確に捉える手腕は流石のものである。
Morris.は個人的に植木等のファンなのだが、その大部分は彼の歌に負っている。クレイジーキャッツの全盛期に中高校時代を送った割には、悲しいほど番組を見ていない。釣り逃がした魚が大きいという諺を改めて味わわされてしまった。
タイトルはダブルキャストだが、副題に「その時代」とあるとおり、60年後半から70年半ばまでの、喜劇人の寸評には、目を引くものが多い。特に森重久弥、渥美清の二人の、本質を突いた部分は出色で、いっそ、この二人を独立させて4部構成にしたらもっと面白かったかもしれない。
2001/01/15(月)●釜山の底力●
昨夜は2時ごろ伊藤君が部屋に来て、駅伝見てから(兵庫県初優勝(^。^))一緒に鶴橋に出て、奈緒ちゃんの部屋でラグビー見る。前半楽勝かと思われた神鋼だったが、後半はサントリーに一方的に攻め込まれ、40分で逆転トライ。万事休すと思ったら、インジュアリータイムに神鋼の劇的逆転トライという、まさに絵に描いたような逆転劇。勝ってよかったというより、勝ったのが信じられない試合、前半、ミラーの2回の独走トライがものを言った。そのあと、3人で、久しぶりに「福ちゃん」に、Morris.はここのコムタンが大好きで、今回はまだ食べてないユッケジャンを食べようと勇んでいったのに、ユッケジャンは売り切れ、さらにコムタンも無いというのでほとんど泣きそうになった(;_;)でも、二人が頼んだサムギョプサル(豚ばら肉厚切りを胡麻油、葱、テンジャン、にんにくと一緒にチシャで巻いて食べる)は美味しかったし、初めてのメニュー、鉄板焼き(四角く浅い鍋に牛肉、野菜を出汁と一緒に煮込む)もいかにも本場の味付けで、おしまいにご飯入れておじやみたいにした奴なんか、濃厚で絶品だと思ったのだが、Morris.だけがその直後に、腹痛とひどい下痢になってしまった(>_<)。
まだ8時前というのに、あえなくギブアップで、帰宅する羽目に。帰って正露丸飲んだら収まったから大したことはなかったらしい。
夢で、Morris.が3人いて、それぞれが、好きな時代の夢を選べるということになっていた。で、結局3人目の選んだ夢を見たらしいのだが、1970年代であるということしか覚えていない。普通に部屋にいるのだが、今は70年代だという事だけははっきりわかっていて、そのくせTVはカラーだし、神戸にいることもはっきりしていた。
久しぶりに矢谷、西根君らと長田区から、フランクフルト行き荷物のピックアップ。昼は奥井さんも一緒に板宿の「よど」でそばを食べる。Morris.はここは始めてだったが、白っぽい麺だが、出汁もしっかりしていて美味しかった。3時過ぎに倉庫に戻る。
帰りゆうさんに送ってもらいがてら、近くの宮岸酒屋のぐい飲みに連れていってもらう。ここも本当に久しぶり。地震前はもうちょっと西の方にあって、こちらには何度か行ったことがあるのだが、こちらに移ってからは初めて。でも、顔ぶれはあまり変わっていない。ほとんど町内会のノリだ。常連のいすずベーカリーの大将から、ガーリックベーコンブレッドなどお土産に頂いてしまった。ラッキー(^○^)
昨日駅伝見ながら、裏で録画してた韓国のどじまんのビデオ見る。今回は釜山西区篇で、ひさびさに、笑った、笑った。先週の年度末特集なんか目じゃないくらい充実している。さすが、さすが。釜山のパワーを改めて再認識した。
【とんちんかん道具館】朝日新聞日曜版編集部編
★★☆☆ 98〜99年朝日新聞に連載された63のコラムをまとめたもの。執筆者は30人ほどもいる。タイトルに「とんちんかん」とあったので、Morris.は、トンデモ道具、オモシロ道具、ビックリ道具などが出てくるのかと思ったが、案外、まともなものばかりだった。
「頓珍漢」という語は大辞林には
とんちんかん【頓珍漢】(名・形動)[鍛冶屋の相槌の音から来た語。いつも交互に打たれてそろわないことから]1.物事のつじつまが合わないこと。行き違ったりちぐはぐしたりすること。また、そのさま。「−な会話」2.とんまな行動をすること。またその人。
とある。
これを是とするなら本書は看板に偽りあるということになるが、目くじらをたてるほどのこともないだろう。要は日曜の紙面の埋め草だし、何がしかの暇つぶしになればいいといった程度のものだろうから。そして、Morris.はこういった暇つぶしの雑文は割と好きなのだった。当然こういう本だから、むらがあるのは当然だが、重複して取り上げられている「携帯電話」(執筆者は違う)のコラムなど見ると、2年前と現在とのギャップに唖然とならざるを得ない。やはり、こういうのはリアルタイムで読み捨てるべきものらしい。
しかし、中でひとつだけ「左利き用ハサミ」の項だけは印象に残った。一般に左利き用の道具は、論理的には右利き用を鏡返しにすればOKと思われがちだが、ハサミの場合そういう製品を作っても左利きの人には使いこなせないという。
ハサミはお互いの刃が強く固定される方向に力を入れなければならない。右用ハサミの使い方に慣れた左利きの人にとっては、鏡像構造の左用ハサミでは、刃の離れる方向に力が入ってしまい、刃が緩んで切れなくなる。だから右用の刃に左用のハンドルを付けて、左利き用としたというのだ。子供用は、右用に感化されていないから鏡映しスタイルである。納得!
これは経験論者にとっては、我が意を得たりの例証になるかもしれないが、Morris.はただただ、うーん、面白いなあで、終ってしまう。
2001/01/14●コードネームは「幽霊」●
夢でJRに乗って三宮に行くつもりが、降りたら西脇駅だったので慌てて乗りなおす。金平糖の突起の事を考えていて乗り過ごしたのだと、誰かに向って言い訳する。2歳と6歳くらいの男の子連れの母親と車に乗り、坂の下の角にある平屋に行く。そこには香介がいて、床に羽を毟られた、チキンが美しく並べられていたので、写真撮ろうとシャッター切るもフラッシュが光るだけで、フィルムが作動しない。諦めて机の上のアルミ合金のチャチなオブジェ(鳥か動物)を素手でバラバラにしてしまう。
今日は14日で、以前は西日本ではこの日までを松の内としていたらしい。明日の鏡開きは全国ほぼ共通らしいが、年毎に正月という意識が希薄になっていくような気がする。
昨日も自動録画されていたハングル講座で、韓国映画「ユリョン=幽霊」の紹介をしていた。韓国で極秘に作られた原子力潜水艦が、最初の航行中、艦内でクーデターが起こり、日米に追われながら、日本に核ミサイルの狙いを定める−−−うーーむ、これってほとんど「沈黙の艦隊」のパクリではないか(@_@)ちなみに「幽霊」というのは原潜のコードネーム(^_^;)
お年玉年賀状の抽選やってる。去年までは1月15日だったのが、例のハッピーマンデイとかの影響でで日曜日なったんだろう。切手セット3枚当たった。鈴木、小谷、信長さん、ありがとう(^。^)
昨日、ひさしぶりに手紙を書いてる中で「なにせうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ」という有名な一節を引用した。Morris.はこれを梁塵秘抄にあるものと、思い込んでいたのだが、文字遣いのチェックしとこうと、テキストを引っ張り出して、該当句を探したが見つからない。これは、梁塵秘抄でなく、閑吟集ではないかと思い当たった。その通りだったのだが、ほとんど、お題目のように愛唱している句の出典を誤解していたというのは、あまりに情けない。歌いぶりも、時代も、違うのに。おかげで、数年ぶりに梁塵秘抄と閑吟集の珠玉の数編にまみえることが出来たわけだけどね。
常に戀するは、空には織女(たなばた)流星(ながれぼし)、野辺には山鳥秋は鹿、流れの君達(きうだち)冬は鴛鴦。(梁塵秘抄334)
世の中はちろりに過る、ちろりちろり。(閑吟集49)
水に降る雪しろふはいはじ、きえきゆるとも。(閑吟集248)
むらあやでこもひよこたま。(閑吟集273)
今日は京都女子駅伝と、神鋼のラグビーがある。往時の神鋼と比べるのは酷だが、とにかく今日は勝って欲しい。
【殘酷人生論】池田晶子 ★★☆☆ 【考える日々】池田晶子
★★☆ 灘図書館の哲学コーナーに2冊並んで目を引いた。このコーナーで女性名は珍しいし、両方に載ってる著者近影がなかなか美人だし、ぱらぱらと見たら何かえらく威勢がよさそうなので、ついつられて借りてきた。「60年生、慶大卒、専門用語によらない哲学実践の表現を開拓する」とある。両書とも雑誌に連載したコラムやエッセイ中心で、彼女の「哲学する=ものを考える」というスタンスだけはよくわかった。そのコラム「私」「死」「神」「わかる」など、大まかな概念に分けて並べているのが前者、社会問題や事件をネタにしている後者という違いはあるが、内容はほとんど同じようなものだ。
彼女の場合、俳句でいう「根元俳句」みたいな志向があって、見たいものしか見ないらしく、それがMorris.には「威勢がいい」ように見えたらしい。
このところ日記に夢の事ばかり書いてるMorris.には「夢を見ない眠りほどの幸福は人生にはない。死もまたそうであれば」というソクラテスの言葉の引用が、一番印象に残った。
「専門用語を使わずに哲学を語」る見本をあげる。
最初の項で私は、「わかる」の文法に「わかろう」はない、「わかる」は意志することはできないと述べた。しかし、本当言うと、わからないものをわかることができるのは、じつは、「わかろう」という不断の意志でしかないのである。「わかろう」という意志のない人に、「わかる」ことは決してないのである。
ところで「わかろう」という意志、これは何か。言うまでもない、優しさである。わからないものをわかろう、自分ではない他人をわかろう、この想像的努力のまたの名は、ほかでもない、愛である。愛のない人にはわからない、愛のない人が、わかっている以上のことをわかることはあり得ない。なぜなら、最初から、わかる気がないからあである。わかる気のない人に、なぜわかるわけがあるか。愛していないものを、なぜわかる気になれるか。(「殘酷人生論」140p)
かなりの悪文に見えるの(^_^;).言いたい事は「わかる」ような気がするのだけど。
ついでにもう一冊の方から、これは比較的妥当な意見を引いておく。
道徳と倫理の違いとは、単純明解、強制と自由との違いである。「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「したくないからしない」、これが倫理である。「罰せられるからしない」、これは道徳であり、「嫌だからしない」、これが倫理である。ここには天地の相違がある。「教育」が不可能だと、私が言うゆえんである。道徳は、外的規範によって強制できるが、倫理は、内的自由によって欲求されるしかないからである。
しかし、なんて回りくどい文章なんだろう。
2001/01/13(土)●アイコンの好き嫌い●
昨日は帰ってから、ついまた飲んでしまい、昼まで酔いが残っていた。こういう日は夢を見ても覚えていない事が多い。
この冬いちばんの寒波襲来とかで、裏日本や北の方では雪が振りまくっているらしい。神戸は曇ってたが、夜になって霙交じりの雨になった。
午後、大学ラグビー決勝をTVで見るも、法政の力不足が目立ち、関東学院の圧勝で終わる。あまり面白くはなかった。掲示板ぐいぐい酒場の過去ログを整理する。最初の100番くらいまではファイルとして残してなかったのと、例のサーバー夜逃げ事件で、一旦途切れているが、大部分は保存できている。あまり大きなファイルにすると扱いにくいので、アイコン付きの最初の掲示板は50件ずつ、アイコンなしの現在のものは200件単位くらいでまとめる。こうやって見直すと、最初の部屋のアイコンは、実にすっきりして美しい。今回移転を考えていたところのアイコンは、やっぱり趣味に合わない。現在の掲示板をそのまま使っておく事に決め、「仮店舗」の看板を外す事にした。
【シェエラザード 上下】浅田次郎 ★★★☆ 「蒼穹の昴」「朕妃の井戸」と続けて読んで、結構面白かったので、これも上下揃っていたのでついでに借りてきた。金塊をつんだまま沈んだ徴用客船「彌勒丸」を巡る、現代と近過去の冒険物語で、前半は1章毎に現代と昭和20年のストーリーが交代して描かれているが、その繋ぎの上手さには感心した。捕虜への糧食、衣類などをナホトカで積み、台湾、香港など連合国の捕虜収容所を巡回して、最終地シンガポールで、日本への帰国民を載せて戻るはずが、軍上層部の決定で、航路に入っていない上海に金塊を運ぶ命令を受け、その結果、2千人もの人命を無くす結果を呼ぶ。これを現代になって、引き上げようと画策する生存者と、責任者、それに巻き込まれる30代の男女、戦争末期には、夢のような豪華客船(徴用で病院船になっているが)の装備や習慣を、ロマンチックに飾り立てながら、話はどんどん御都合主義で進められる。著者は隠された財宝とか、膨大な量の金塊とかの話が好きらしく、名作「きんぴか」や、「日輪の遺産」も同工だが、本書では、財宝を引き上げる根回しが終るところで筆を止めてるところがちょっと変わっている。新聞連載だったらしいので、その弊害としての細切れの寄せ集めといった部分が目についたりするが、やはり浅田のストーリーテリングの才能は認めざるを得ない。短編は今も読む気がしないが、長編は、また読んでみよう。ただ、いつも出てくる安手のヒューマニズムは、物語を御伽噺にするための調味料なのだろうが、どうもあまりに安直だと思ってしまう。
2001/01/12(金)●読書録ページ立ち上げ●
今日の夢は285番という通しナンバーがついていた。春待ちで何かやったあと、Morris.はトラックの後ろにはみでている鉄パイプにしがみついて帰宅。みかちゃんが、マットレスみたいな肉を吊り下げて炙り、これが溶けて流れ出し配水管に詰まってしまい、棒のようなもので押し込む。佐藤が差し入れたアイスクリームを食べ損ない、みんなから、この夢はなかった事にしようと言われてしまう。
ひまにまかせて、Morris.の読書控えを整理して、独立した「Morris.の読書録」部屋を立ち上げる。去年(160冊)、と一昨年(165冊)に分けて、全部にターゲット打って、タイトル総覧にページ内リンク張った(ああ、疲れた(^_^;))ので、使い勝手は良くなったと思う。
午後、伊藤君来て、夜は一緒に「陶人」へ。井山と昌美さんも来る。今日は特製燒豚が出色だった。4人でアビョーンにはしごして、タクシーで1時半帰宅。
【珍妃の井戸】浅田次郎 ★★★ さっそく借りて、一気に読み終えた。やっぱり面白かった。「蒼穹の昴」を先に読んでて良かった。光緒帝最愛の珍妃殺害の謎を、英独日魯の貴族外交官が、関係者の訊問によって解明しようとするが、証人の証言がことごとく食い違うという、「薮の中」パターン。前作の登場人物がほとんどそのまま揃い踏みで、キャラクターによっては前作とかなり変容してるものもあったし、光緒帝が狂ってしまうというラストは、ちょっと頂けなかったが、それなりに読ませる作品となっていた。
200101/11(木)●市立図書館検索システム強化●
韓国の友人ヤンジェインのアパートにいる夢。家族と一緒に飲食して出たゴミを分別させられる。ガラス瓶などを始末しようとするとそれは「トギルまで捨てに行かねば」と言われる。韓国語で「トギル」は「独逸」なので、驚いたが、そうではなくて近くの地名(ヘファ洞の近くだという)とのこと、ついていくとそこは大きな川岸で、大勢の人が自分の陣地?を作り、そこから川に瓶などをどんどん投げ込んでいた。中に一人髭を生やした将軍の格好をした老人がいて、えらく威張ってMorris.たちに命令する。帰り道ジェインの挿し歯が抜ける。帰り道遠くから除夜の鐘が聞えた。
中央図書館に行ったらロビーで「小林正典写真展」をやってた。震災がらみのもので、写真家は難民や飢餓の子供等の写真を写し続けている人らしい。95年から数年間の神戸の写真は、見たくないのに、つい見てしまう。展示会に合わせて大量購入したらしい一連の本の貸出もしていたので、長田に住む在日詩人の本を一冊借りる。
神戸市立図書館の検索システム(OPAC)も本格的に機能し始めたらしい。以前の試用版よりはうんと使いやすくなっていて、館内で貸し出し中かどうかも分かるらしい。しかも、外部からもアクセス可能で、今後は自宅にいながらにして、本のあるなしを知る事が出来る。これはなかなか画期的な事だ。i-mode版もあるらしいから、携帶保持者は更に有利になる。
アドレスは
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/070/welcome.html
帰って試してみたが、まあまあ使えそうだ。のろいのは、Morris.の環境のせいなのかもしれない。「立原えりか」で検索したら138件がピックアップされた。川原泉はただ一冊。そのかわり何故か、表紙の画像に内容解説付。「事象の地平」で、北図書館の蔵書とある。建前としては灘図書館なり最寄りの図書館に申し込めば取り寄せてくれるらしい。
2001/01/10(水)●掲示板管理モード●
夢で知り合いの雑技団が公演しているの見ている。団員が何か仕掛けを使って10mほどの高みにしつらえた座まで飛び上がるのにびっくりする。頼まれたチケットを5枚捌いたMorris.は、打ち上げの焼肉宴会にも参加するのだが、屠殺場みたいな状態で、肉塊がごろごろ転がっているし、肉を焼く煙と脂のためか、みんな身体全体にサランラップまきつけててMorris.もそうさせられる。BGMで「コルモッキル」という韓国の曲がかかり、隣にいた井山から誰の曲かと訊かれて「シンジョンヒョンの曲だ」と自信たっぷりに(本当は新村ブルースというバンドの曲)答えていた。芝生でバレーボールで遊んでいて、ボールが大きなプールに落ちてしまい、上着を脱いで泳いで取りにいくと、男の子が続いてプールに入って来る。ボールを浮き袋にさせて男の子としばらく泳いだあと、プールの水を抜いてしまう。管理人が来て叱られた上罰金までとられてしまった(すごく安かった)。
昨日は夜になっても雨が降り続いたので、西宮に行くのは止めた。
ししゃも文庫の鈴さんにメールで掲示板の管理機能が仕えない事を相談したら、折り返しメールで、管理機能使えるように変更したとの事。こんなことなら、もっと早めに相談しとけば良かった。さらに、アイコンなども使える別の掲示板の使用も可能とか。そちらの方がサーバーの動きが速いともきいたので、覗いてみたが、作成スタッフが違うらしく、現在のぐいぐい酒場の壁紙が無いし、アイコンも元祖ぐいぐいのものと比べると可愛さに欠ける気がして、どうしようか迷っている。ともかく、今の仮店舗でも、削除や設定変更などの管理は出来るようになったのでこのままでもいいか?とも思うし。
今日は午後から中央図書館に行き、そのまま夜は十日戎に詣でる予定。
夕方6時前に阪神西宮戎神社到着。ちょっと早目なので人込もさほどではなく、さっさと参拝すまし、おみくじも吉札引き当て、恒例の大鮪も見て、雅楽演奏と踊りなど見物して、帰り道商店街の古本屋で、泡坂妻夫の「家紋の話」を格安で手に入れる。
2001年Morris.のおみくじ(西宮戎神社)
第十五番 大吉 よしあしをおもふは人のひがごころ神によしあしなしとおもへよ
[喜び事]あるべし [ねがひ事]かなふべし [商人]賣よし
[病人]全快すべし [失せ物]いづべし [縁組]旅行さはりなし [方角]東南の方よし。このみくじにあたる人は如何なる事にあふともあまり心を勞し身を苦しむべからず信心だいいちとせよ。
結構いい卦だが「[縁組]旅行さはりなし」というのはよくわからない。御籤歌を見るかぎり、大吉の中では「梅」クラスにちがいない(^_^;)
新在家山神山人で久しぶりにラーメン食べる。立って待つほど流行っている。スープは前より濃い目で美味くなってる。麺は固麺頼んだのでこれもまあ合格だ。
今年からKNTV水曜午後8時からは「歌謡コンサート」になったようだ。今日の番組が119回となってるから、向こうでは2年くらい前からやってるのだろう。「歌謡舞台」がもろ懐メロ中心なのに対してこちらは、現在の演歌歌謡番組なので、45分というのがちょっと物足りないとはいえ、Morris.には嬉しい。今日はキムスヒ、チュヒョンミ特集で、キムスヒが持ち歌の他に、「ジュリアにハートブレイク」やキムヒョンシクの「ネサランネギョテ」など歌っている。これはいい。キムスヒは心配していた交通事故の後遺症も無かったようで、年末年始は色んな番組に顔を出していた。
【されど君は微笑む】北方謙三 ★★☆☆ 日本のハードボイルドの人気作家で、時代小説も書いてる事は知ってたし、隨分以前に2,3冊読んだような気もする。本書は年末に図書館の新着コーナーにあったのを考え無しに借りたのだが、「約束の街」というシリーズの6冊目らしい。ファンなら登場人物に親しみ持ったり、それぞれのエピソードを知ってて面白く思うのかもしれないが、Morris.には登場人物が思い入れよろしく昔話始めるのについていけなかった。著者の趣味でもあるのだろうが、ヨット、クルーザーなど船の整備や操縦の蘊蓄を語る部分も多く、Morris.にはちんぷんかんぷん。枯れたり、円熟したり、悟ったり、真っ盛りだったりする「男」がぞろぞろ出て来る、シニカルなヒロイズムの讚歌も、Morris.とは無縁のもので、まあ、その、無いものねだりではないが、まさに本の中でしか味わえない(味わいたくない?)暴力、苦痛、絶望---などの疑似体験をするには、なかなかよく出来てはいる。しかし、もうしばらくは、このてのものを読むのはやめておこう。
2001/01/09(火)●降りみ降らずみ●
夢で、江戸の黄表紙作家が作品の番付作ってる最中の集りに混じっている。左右で優劣を競う形態で、主導してるのは山東京伝らしい。左勝ち組には上から「江戸生艶気樺焼」「金々先生栄花夢」などがならび、右負け組には喜三二や全交の作が並んでいた。Morris.の作品(^_^;)も評定に上がり、何とか勝ち組になりますようにと気を揉んだが、結局番付に載ることすらなかったようだ。それを自分とそっくりの息子を連れた井上ひさしが眺めているのに気づく。井上ひさしは「WAKUWAKU
WACHER」というロゴの入ったトレーナーを着ていた。いつのまにかマラソンが始まり、30kmで棄権したはずの選手がズルをしてゴールしたため罰として処刑され、肉のかたまりとなってぶら下がっているのを、特に異常な事とも思わず眺めていた。
今日は一日、降りみ降らずみの肌寒い天候で、夜西宮の十日戎宵宮に行こうか、行くまいか迷っているところ。ここ、10年以上、Morris.の初詣は十日戎と決めていて、たいてい西宮の戎神社に行ってる。大阪の今宮戎には、2,3回、柳原には1回だけ行ったことがある。
【蒼穹の昴 上下】浅田次郎 ★★★☆
この2冊本が出たのは94年で、当時はまだ浅田のファンだったので、読みたいと思いながら図書館で揃ってるのに当らず、そのうちしょうも無い短編読んで、見切りつけた形になってたのだが、年末に揃って並んでいたので借りて来た。さすが名作「きんぴら」の作者だと思わせるところもあり、長編約800頁を飽きずに読み通すことができた。
清朝末期、西太后の時代を舞台にした伝奇色を加味した歴史冒険ドラマである。自らの手で宦官になり西太后に仕える李春雲と、同郷の郷氏の息子で首位で進士になり光緒帝に仕える梁文秀の二人の主人公の出世譚を軸に、清の六代乾隆帝に溯る皇室の秘密、イタリアの万能画家、神懸かりの女占い師、租界に集る日米欧のジャーナリストたち、勤皇の志士群像、伊藤博文、李鴻章、袁世凱等歴史上の有名人も多数登場し、サービス精神にあふれている。浅田はなかなか物語るのがうまく、本作はスケールの大きな講談みたいになっている。その分、キャラクターは画一的で、善悪、優劣に分れ過ぎだし、お約束の御都合主義のてんこ盛だし、とって附けたような歴史付会や故事付けも多いし、説明のためにあつらえた台詞にも行き過ぎが見られる。小説だから、いくら嘘を書いてもかまわないが、あまりに見え透いた嘘だと読む方はしらけてしまう。しかし、まあこのくらいの作品なら、充分エンターテインメントとして楽しめる。続編(というより派生作品)の「珍妃の井戸」も読んでみることにしよう。
2001/01/08(水)●何で今日が成人の日なのだ●
貂か川獺か鼬かミンクか何か判然としないが、とにかく毛並の美しい獣が三頭が並んで横たわっている。死んでるみたいだが触るとまだ暖かい。Morris.も並んで横になるとMorris.も同じような毛皮に覆われている。だから寒いのに寒くないんだ(^_^;)と納得する。空には星が見えるから夜らしいのに周りはうすぼんやりとした光に包まれている。Morris.は死んでしまって夢を見てるのだということが分かる。隣の3頭も同じ時刻に死んだ誰かなのだろう。寒いけど毛皮のおかげで寒くなくてよかったと、何度も繰り返し自分を納得させるというような夢だった。
今日は成人の日らしいが、どうもこの祝日を移動させるというのには抵抗がある。「ハッピーマンデー」とか言うらしいが、姑息な感じがする。春分の日とか、イースターみたいなもともとの移動祝祭日はかまわないのだけど。
で、今日もすごく寒そうなので、ついつい部屋でごろごろして、TVで高校サッカー見たり、本読んだりしてごろごろしてた。食事も冷蔵庫の在庫整理を兼ねて、ごった煮やら、炒め物や、闇汁まがいのもので済ます。
昨日の春待ちファミリーBANDのTV出演のレポートをバンド日誌部屋に更新。
2001/01/07(日)●秋本家で新年会●
夢の中で、中国か何処かよく分からないが学者達の論戦の最中にいて、一人が「KO」という色について自分の意見を主張している。彼の意見によるとこの色は焦げ茶色で、これは男色でも女色でもない特別の色だという。Morris.は、どうもこの色は江戸時代の流行色で、どっちかというと男色だと思ったが色名を特定できないので発言しなかった。その後別の色のことで様々な物議が醸されていたようだが具体的な色の記憶はない。目が覚めてから、手持ちの本で該当する色を探したが茶色系で「KO」という発音の色名は見つからなかった、色合いで一番似ていたのは「トープ」だった。topeとはフランス語で土龍のことを言うらしい。しかし何でまたこんな色が??と考えてるとき、ふと目の前のシステム手帳がまさにその色だということに気が付いた。
昨日、見損なったと嘆いていた、教育TVハングル講座が、偶然(^○^)自動録画されていたことを発見。さっそく見たのだが、イパクサのライブの模様が2分ほど写った。素人の映像なのかいまいち映りが悪かったが、NHKで全国に放映された価値は大きいと思う。バック演奏がキムスイルさんかどうか気になったが、これも映像が悪くて確認不能。
10時55分から10ch「晴れるヤ夢街道」録画しながら見る。春待ちファミリーBANDの出番は約5分。「ワシントン」と「女房が消えた」の2曲のダイジェストと掛け合いなど思ったより長く写り、滿足。12時からはKNTV韓国のどじまん決勝大会を2時間にわたって見、2時からは高校サッカー決勝戦と、今日は朝からTV漬けだった。花園は雨と雪がひどく気温も低かったので、選手等には可哀相なコンディションだった。佐賀工業は前半キックで3点取ったものの、伏見の堅い守りにはばまれノートライ、後半の伏見の3トライで、3-21と完敗。ちょっと残念だったが、健闘を称えたい。
秋本家で宴会との連絡入ったので、3時半に家を出る。途中雪がひどくなる。サティで酒買って、秋本の家に行こうとしたが、曲り道を間違えて雪の中30分以上迷ってしまった。結局4時半過ぎに到着。秋本一家(4人)と、伊藤、堀姉妹、奈緒ちゃん、えっちゃん、吉口、と、年末からお馴染みのメンバーだった。ロプスター、タコサラダ、筑前煮、ローストチキン、ハマチ、煮豚、スバゲティ2種、雑魚飯等々、依子さんのパーティ料理大盤振る舞いですっかり滿腹。子供等はMorris.持参の「ちびくろ」の駅スパートやソリティアで遊んでいた。遅れてきた井山も交えて、結構夜遅くまで飲んで騒いで、井山の運転する車に便乗して11時前に帰宅。
【存在の堪えられない軽さ】ミラン・クンデラ
千野栄一訳 ★★★★ 以前からタイトルに惹かれながら、読めずにいた。冒頭からニーチェの永劫回帰云々とあるので、七面倒臭いのではないかと敬遠していたのだった。
思い切って借りて来て良かった。哲学的な考察や、錯綜した構成、状況や時間、舞台の交錯(Morris.はけっこうこれが苦手)といった要素も含めて、実に素晴らしい作品だった。
哲学や思想や倫理や歴史や心理分析、メタ小説的技巧、その他もろもろの背景も、複数のそして結局は一つの愛の物語に収斂されていくための大道具、小道具であり、つまるところこれは実に稀に見るピュアなラブストーリー、あるいは神話の再構成なのだった。しかもこの単純なテーマをおびただしいエピソードで多数の角度から照射しながら、読者の視点を錯乱させつつ最終的に美しい物語と納得させる著者の技量は凄い。Morris.は読書中、複数の物語をそれぞれ独立して楽しみ、読了後には素晴らしい1册を読んだという充足感を味わった。
彼(パルメニデース=紀元前5世紀のギリシャ哲学者)は全世界が二つの極に二分されていると見た。光−闇、細かさ−粗さ、暖かさ−寒さ、存在−不存在。この対立の一方の極はパルメニデースにとって肯定的なものであり、一方は否定的なものである。このように肯定と否定の極に分けることはわれわれには子供っぽいくらい単純にみえる。ただ一つの例外を除いて。軽さと重さとでは、どちらが肯定的なのであろうか?
パルメニデースは答えた。軽さが肯定的で、重さが否定的だと。
本当かどうか? それが問題だ。確かなことはただ一つ、重さ−軽さという対立はあらゆる対立の中でもっともミステリアスで、もっとも多義的だということである。
Einmal ist Keinmal(アインマル イスト カインマル=一度は数のうちに入らない)と、トマーシュはドイツの諺をつぶやく。一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ。人がただ一つの人生を生きうるとすれば、それはまったく生きなかったようなものなのである。
人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられらずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのであろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた? 復讐された? いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく存在の耐えられない軽さであった。
悲しみは形体であり、幸福は内容であった。幸福が悲しみの空間をも滿たした。
クンデラはチェコの人で、プラハの春以後、政治的理由でフランスに移りそこで作家活動をしているという。本作品のなかにもチェコの重苦しい政治状況の反映を見ることが出来る。Morris.は何故か彼をこれまで、南米の作家と錯覚していた。
2001/01/06(土)●果連ちゃん(生後3日)●
昨夜の井山あきのり誕生ライブは、満員の盛況で、井山は例のミラーボールみたいな衣装にサングラスというスタイルで、彼の音楽一代記と称して、アリスやチューリップ、ビートルズやビリージョエル、憂歌団など、中学高校時代に影響受けたアーティストの曲からスタート。社長がゲストとして「オーダーリン」を熱唱。相変わらずピアノの早弾きは見事、見事、アコーディオンを駆使したハウスレントブギ時代のナンバーから、現在一番入れ込んでいるニューオリンズスタイルの特集、さらには「のんすけ」からアンコールの「相撲取りブギ」まで、2時間近く(半分はおしゃべり)のワンマンショーだった。MORGAN'S
BARの時のMCはこのところ、滑りがちだが、この時の喋りは実に軽妙で笑わせてくれた。どっちかというとスナック芸特集というきらいもあったので、元来井山の得意な土俵ということになるのだろう。しかし井山のピアノは確かに凄いと思う。
11時過ぎに帰宅したが途中、粉雪が舞っていた。
今日は矢谷らと六甲アイランド、アンタンテで開梱、家具組み立て作業。いちおう今年の仕事初め。
昨日が小寒で、そのせいなのか、ぐっと冷え込んでいる。とうとう暖房入れることにした。今夜はキムチチゲにしよう。
西根君のところは、1月3日に初めての赤ちゃんが誕生したそうだ。女の子で名前は「西根果連」。「かれん」というのはいかにも今風だが、この漢字はめずらしい。「日本果実連合組合の略称みたいだ」と言ったら叱られてしまった(^_^;)ともあれ
西根果連ちゃん、誕生おめでとう\(^○^)/
ぐいぐい酒場に、今朝のNHK教育TVハングル講座でイパクサ紹介のコーナーがあったと言う、myzkさんの書き込みがあった。ありゃりゃ(>_<)
これは見ときたかったなあ。うーーん、そうだ、来週木曜日の夜中に再放送あるはずなので、これを見逃がさないようにしなくては。
今夜のKNTV「開かれた音樂会」は年末特集で、ミネギョンや、ソンデグァンなどが出てたが、後半に韓国ロック界の大御所、ゴッドアボジとも言うべきシンジョンヒョンが登場して、「アルムダウンカンサン−美しい山河」と「ミイン−美人」の二曲を歌った。もとからおっさん顔だったのが、すっかり、いい爺さんになってしまってて、それでも歌とギターは、もおかっこいいの一言。歌ってる途中でマイクなおしたりする仕種が余裕綽々。改めて韓国ロックパワーの底力を堪能させてもらった。特に「アルムダウンカンサン」は超のつく名曲だ。
【天涯茫茫】岩川隆 ★★★ 初めて読む著者の作。明治から大正にかけて日本の貧困社会を、直接取材して新聞雑誌に寄稿、「日本の下層社会」を著わした横山源之助の傳記的小説だが、こちらも初耳の名前である。天涯茫茫というのは横山のペンネームの一つだが、確かにそれが似つかわしい一生を送ったようだ。
北陸魚津に私生児として生れた横山は、上京して法律を学ぶが、思うにまかせず、当時台頭していた社会運動に刺激されて貧民を知ることから始めねばとの考えで、貧民窟に住み込んで様々な暮らしぶりを観察する。その間に二葉亭四迷、内田魯安らと出会い、毎日新聞記者となり、地方の女工の窮状をルポして記事を書き認められ、大阪、北陸の各地工場を回るが、結局新聞記者の限界を感じ退社してさらに貧民の実態を細かに調べて、「貧民問題の權威」と目されるまでになるが、当人もほとんど貧しい生活、身なりに甘んじていた。後半生は生きるために売文稼業に近い境遇になったが、その苦しい生活の中で、故郷の家族を養い、さらに地方の身売り娘を助け出したり、樋口一葉に不器用な恋心を燃やしたりと、大変な生涯を送った。
著者は横山を、客観的に見つめながら、彼をフィルターにして明治の下層社会を炙り出そうとしているのかもしれない。小説として面白いとは言い難いのだが、資料を読み込んだ上で、慎重に選んだ上で再構成する技量は並みの物では無い。
明治の貧乏というものがどのくらいひどかったかを知ることが出来ただけでも読んだ甲斐はあった。しかし、どうせこれだけ時間かけて読むのなら、より興味深い内容のものを読みたいとぶつくさ言うのはMorris.の「貧乏性」のなせるわざなのだろうか。
2001/01/05(金)●今夜は井山誕生Live●
昨日はきよみさんの忠告に従って休肝日にしたせいか(^_^;)またまたえらくややこしい夢を見た。荒廃した大広間で、としろうや子どもたちと百人一首で遊んでいて、ばらばらになった歌留多を集めていたら、怪しい雲行きになり子どもたちを隣家の花園に避難させる。化物軍団がやって来て、てんやわんやするが、これも5時半までの茶番であることがMorris.には何故かわかっているので、あまり怖くない。化物が去り、残されていた漫画本の中に哲学的で印象深い作品があって、作者紹介を見たら実は在日の作家だった。すっかり感動してこの作家に連絡をとらなくてはというところで目が覚めた。
今朝は大失敗。正月のゴミ収集の初日が5日だと思い込んでて、溜まってたゴミを3袋抱えて出てみたら、全くゴミは置いてなくて看板見たら、昨日が初日だったらしい。次は月曜日だから10日間ゴミ出しできないことになってしまった(>_<)
読書と高校サッカー&ラグビー観戦。ラグビーで応援している佐賀工業は、準決勝で草津と大接戦、31-31で引き分け、抽選で決勝戦進出を果たした。ついてるな。
今夜はヒアカムで井山あきのり誕生会??があるらしい。伊藤君と堀さんと一緒に行くことにする。
葉書でスケジュールが送られてきたので島田和夫部屋を更新
【老子】奥平卓訳 ★★★ 中国の古典などは正月に相応しいかと思って年末に借りてきた。徳間書店の「中国の思想」シリーズの一冊だが、何故老子にしたかというと、これが一番短そうだったのと、なんとなく道教には親しみを感じていたからだ。老子は中国春秋戦国時代の楚の思想家で、唯一残ってる著作「老子道徳経」2册のことも、一般に老子と呼ばれる。老子自体の来歴も不明で、一人の著作ではなく時代を経て色々改訂付加変容されたものであるらしい。それでも漢代にはほぼ現行の体裁にまとまっているのだから、かなり古い思想であることは間違いない。
本書は老子の研究書ではない。どちらかというと通俗解説書。あるいは平明現代語訳といった感が強い。原書が漢字で訳五千字を81章に分けているから1章平均60字前後という短さで、それだけ内容が凝縮されて、解釈の違いも多い。本書ではとりあえず老子の雰囲気を知ることができればそれでいいという、超入門書に位置づけられるだろう。
・上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず、衆人のにくむところにおる。故に道に近し。(最高の善とは水のごときものをいう。水は万物を助けて育てながらも自己を主張せず、誰しも嫌う低きへ低きへとくだる。だから、「道」に似ているといってよい。)
・曲なれば全。枉なれば直。窪なれば盈。敝なれば新。少なれば得。多なれば惑。ここをもって聖人は一を抱き天下の式となる。(欠けているから、完全になる。まがっているから、まっすぐになる。うつろだから、滿ちる。古いから、新しくなる。少なければ得。多ければ失う。これが自然の法則である。この法則を体得した聖人は、自己を主張せずに「道」にのっとることによっておのずと天下の規範となる。
・反は道の動なり。弱は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず。(つねに対立する状態を含み、対立する状態へと転じようとする。それが「道」の運動法則である。つねに消極を守ることによって、限りない積極に通ずる。それが「道」の作用の形式である。万物をその根元に溯っていけば「有」すなわち物一般に到達する。その「有」のさらに根元となるのは、「無」というより表現しようのないある物である。それが本体としての「道」である。
・大白は辱のごとし。広徳は足らざるがごとし。建徳はかりそめなるがごとし。質真は
かわるがごとし。大方は隅なし。大器は晩成す。大音は希声なり。大象は無形なり。(真の白さは汚れて見え、広大な徳は欠けているように見え、堅固な徳はその場限りに見え、変わらぬ徳はうつろいやすく見える。またとなく大きい四角は角が見えず、またとなく大きい器は完全な器とは見えず、またとなく大きい音は耳に聞えず、またとなく大きい形は判別できない。)
・信言は美ならず、美言は信ならず。善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博からず、博き者は知らず。(真実を語ることばは飾り気がない。飾ったことばは真実を語らない。行いが正しい者の口は雄弁ではない。雄弁なものは行いが正しくない。真の知者はもの知りではない。もの知りは真の知者ではない。)
おしまいの引用は、特にMorris.には耳の痛いことばである。
「大器晩成」のこういう解釈も初耳である。
しかし、どうもこの「道」の思想は、胡散臭さが付き纏う。そこが魅力といえば魅力なのだろうけど---(^_^;)
2001/01/04(木)●正月疲れ●
昨夜はえらく複雑な夢だった。アンケート調査の結果を見たら、ソウルの杉山さんらしい人がトーキングヘッド以外は聞きたくないとか、毎日3P楽しみたいとか記入してるし、秋本はバイト募集広告出してるし、社長は女の名前だけをずらずら書いてる。そのあとリサイクル製品の背負子(大きな桶みたいなやつ)を持ってきてMorris.に背負わせようとするのだが、これが、重い、背負いにくい、臭いですっかり閉口した。駄菓子屋で女の子に飴をねだられたり、高架下商店街を冷やかして回ったり、女学校の体育館前で社長と待ちあわせして、立ちん坊したり、と、筋も何もないのだが、目を覚ましたら昼前で、えらく疲れていた。
デジタル年賀状にもちらっと書いてますが、ぐいぐい俳壇12月号と、2000年読書控えをアップしているので、お閑なおりにご覧ください。読書控えは異常に重い(テキストのみで300KB以上)ので、ダウンしてから見てください。
信長さんから母上が昨年暮れ95歳で亡くなったことを知らせるメールが届いた。数年前にアルツハイマー症状が出て、そのリハビリのため編み物を始めたと聞いて、Morris.も毛糸を買って、長いマフラーを編んでもらったことがある。そのマフラーは現在でも使い続けているが、もう編みなおしては貰えなくなってしまった。
謹んでご冥福を祈りたい。
【バンコク発カオサン通りに吹く熱風】花田一彦 ★★ タイのバックパッカーの溜まり場カオサンについては、昨年読んだ新井克弥の本が、カオサンの変化をビビッドに活写しながら、学究的な考察を披瀝して面白かったが、本書はそれとは対極的な内容だった。簡単に言えば、風俗と、安宿街でのチンケないざこざ、観光客とタイ人とのだましあい、ついでに卑近な旅の情報やバンコクこぼれ話みたいなものを、だらだらと書き連ねた感じで、あまり得るところが無い。別にMorris.は聖人君子ではないし、風俗関係の記事だって、面白いものは面白いと評価するのだが、本書はそちらの方もいかにも不徹底なのだった。
【マガジン青春譜】猪瀬直樹 ★★☆☆☆ 「ミカドの肖像」で話題になった著者による、雑誌創生期のドキュメンタリーで、文壇が雑誌の台頭によって変化していく樣を、川端康成、大宅壮一、菊池寛などを中心に、ルポルタージュ手法で綴っている。例によって参考文書の数だけで圧倒させられるが、そのわりに何を書きたかったのがよくわからない作になってしまっているようだ。資料に振り回されたというか、資料の取捨選択に難がありすぎる。川端、大宅らの家庭の事情や、交友関係も不要な部分まで詳細に書いたかと思えば、菊池寛の行動などはえらく大雑把に書いたり、焦点がぼけている。脇役の芥川、今東光などの小さなエピソードの方が面白かったり、当時ベストセラーになった島田清次郎の「地上」、賀川豊彦の「死線を越えて」の、創作過程や、二人の生き方の対照などは初めて知ることが多く、読んで良かったと思う。つまりは、こうやって群像を描いたために主役が不在になったのが敗因なのかもしれない。ある一時代の、特殊な世界の雰囲気を味わわせることには成功しているようだ。やはり、誰でもいいが、著者が一番関心を持つ人物を柱にして欲しかった。
2001/01/03(水)●TVスポーツ漬け●
10時半起床。伊藤君が泊って、もう起きていた。朝からカレー食べて、ぼーっと箱根駅伝見る。そのあとライスボウル見始めたが面白くないので、高校ラグビー、佐賀工業vs.仰星にチャンネルを代える。これが接戦の末佐賀工が逃げ切った試合で面白かった。伊藤君は帰り、風呂に入って夜は高校バスケット女子やら、クラブサッカーやら、一日ずっとTVスポーツ観戦に終始した。パーフェクTVのスポーツチャンネルの一部がノースクランブル放送になっていたためでもある。しかし、TV見ながらも、ずっと飲んでいたのでいつ寝たか覚えていない。
2001/01/02(火)●初夢うつつ●
6時半起床。伊藤、栗山はまだ寢ている。
21世紀の初夢は、大方のご想像通り、飲み会やってる夢で、どこまで夢なのかうつつなのか判然としなかった(^_^;)
すっかりサボっていた、デジタル年賀状を整理してアップ。
初風呂を使って、冷凍してた鶏めしと、玉子スープで朝食。二人は昼頃帰っていった。
部屋の掃除して、駅伝、ラグビーなど見る。
高山一家が来るというのでずっと待っていたが一向に来ない。結局5時過ぎにやって来て、タイカレーなど出して夕方から社長宅で開かれていた新年会にいっしょに行く。
社長一家(4人)、さなえちゃん・さぶちゃん夫婦、さなえちゃんの妹母娘(4人)、砂田夫妻、堀姉妹、香介、伊藤、井山、奈緒ちゃん、えっちゃん、吉口、高山一家(4人)にMorris.を加えて25名と言う大宴会状態。2歳から小中高、専門学校までの子どもたちは全員女の子で、いかにも正月らしく華やいでいた。やっちゃんが子供等の髪を切ったり、メーキャップしたりで大活躍、かなちゃん(高山長女小4)はオレンジ色の着物着せてもらったりして大喜び。10時過ぎまで飲み食い騒いで、そのあと「平野屋」に流れる。このあたりからMorris.の記憶は無くなっている(@_@)
2001/01/01(月)●どたばたと年が明けた●
昨夜は恒例の初詣ライブ。秋本と青年が欠席で、田辺君が来た。約1時間演奏して、後は井山主催のおみくじ合戦。Morris.は「中中」で、負けてしまった。屋台でビール飲んで、井山、伊藤、奈緒ちゃん、立原、栗山の6人でモリス亭へ。おでんを当てにひとしきり飲む。
朝は10時過ぎに起床。みんなでお雑煮作ってくれてた。さりーちゃんのおせちをあけて、新年会?
途中社長も寄り、テレビ見ながらまた飲んで、気づいたら夜になっていた。
伊藤、栗山は連泊。
と、いうわけで2001年もなしくずしに明けてしまいました。Morris.の2001年デジタル版年賀状をアップしておきます。お手数ですが画面上でご覧ください。
本年もよろしくm(__)m