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Morris.日乘2013年12月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語

秘密をダッコちゃん(>_<)

【2013年】 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月
【2012年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月 1月

2013/12/31(火)●暖かい大晦日●

8時起床。
今朝の血圧は216/81/82。
今年最後のゴミ出し。大晦日が火曜日(ゴミの日)というのは何となく嬉しい。
朝の3点セット。
年越しそば2013年最後の日もぐうたらと過ごす。ほんとなら、ミニギターで遊びたいところだけど、例の突き指からずっと左手中指の痛みが引かず鈍痛が続いている(>_<) これは結構深刻かもしれない。
午後は飲みながら読書控えの編集。
紅白始まるのに合わせて年越しそば。紅白見ながら読書控えのリンク作業(これが意外と難航(>_<))。司会の綾瀬はるかのあまりのひどさ(噛む、忘れる、泣く(>_<))に唖然としてしまった(^_^;)出演歌手の2/3は馴染みない連中、わけのわからないギャル軍団多数。全体的にひとりひとりの出番の時間が短い。これは途中に「あまちゃんスペシャル」をぶちこんだためで、ほとんど「あまちゃん」のための紅白だったような印象。まあ、綾瀬ともども、NHKの自局番組の慰労会という意味もあるのだろう。
11時過ぎに部屋を出て六甲道に。春待ち初詣六甲八幡神社。去年は社長の都合で取りやめになって、今年もやらないのかと思ってたが、数日前にやっぱり行くことにしようと社長から連絡があった。今夜はえらく暖かったのに、やってきたメンバーは社長、小谷、松尾くんの3人だけ。小谷くんの高校時代の友人夫婦がバンジョーと腹話術人形(タックン)持って参戦してくれた。八幡神社境内はそこそこの人出。ワシントンから始めたが、参詣の若者(かなり酔ってる)の集団が、踊りながら大騒ぎして乱入してきた。ぶらんこ、ぞうさん、フィッシングなどやったが、ほとんど、若者の馬鹿騒ぎの渦に飲み込まれた感じ(^_^;) たまにはこんなのもありかもしれないが、やっぱり、春待ちらしい演奏を聴きたかった。
今夜は夜通し列車動いてるとのことだったので、1時頃六甲道駅に戻ったが、30分待ちだったので、ふらふら歩いて帰る。途中小雨が降ってきた。初日の出は拝めそうになさそうだ。
1時半帰宅。
今日の歩数は2604歩。


午前零時出発

こじんまりと演奏開始 

若者に大受け 

2013/12/30(月)●早くも寝正月モード(^_^;)●

10時起床。
今朝の血圧は179/89/72。
はっきり言えば二日酔いである(>_<)
午前中はベッドで、東灘図書館で借りた「ディープ・コリア」読む。これは2013年版であるが、初版と再販にちょこっとだけ記事を追加したもので、ほとんど既読なわけだが、二日酔いでこれを読むとますます頭がぱっぱらぱーになってしまう。
テレビチャンネルつけたら何か「あまちゃん」の総集編みたいなのを延々とやってて、Morris.はこれをBGMに「ディープ・コリア」を読み続けてしまった(^_^;) やっぱり初版部分が最高である。やっと4時頃ベッドを降りて、しつこくおでんと金平あてに酒飲み始める。これはもう、すでにして寝正月モードである。
10時からはこれを書きながら、KBS歌謡舞台年末特集「トロット大祝祭」見ている。何とチャンユンジョンは司会として出演してた\(^o^)/ どうせなら一曲歌ってくれたらいいのに。1時間50分の延長番組でほとんど去年と同じ出演陣。男性歌手は四天王にパクサンチョル、ペイロ、チョハンジョ。女性陣はキムヘヨン、ヒョンスク、イジャヨン、チェユナ、ハチュナ、キムヨンイム、ウィンクといったたころ。「愛のバッテリー」のホンジニョンが出ることは例の応援ブログで知ってたが、ブログ主も書いてたように、今年はチャンユンジョンの代わりという感じが強い。歌謡舞台の顔というべきチュヒョンミと、最近はほとんど皆勤賞状態(^_^;)のキムヨンジャが出てなかったのはちょっと寂しかった。例によってKBSableの画像は時々ほとんどモザイク状態になったりもしたが、とりあえず全編見ることが出来て良かった。
今日の歩数は0歩。


2013トロット大祝祭  

チャンユンジョンがが司会(^_^) 

キムヘヨン&ホンジニョン
2013/12/29(日)●忘年会その5(with高山)●

8時半起床。
今朝の血圧は212/89/72。
うっかりして今日が日曜というのを忘れててSBS「挑戦千曲」見逃してしまった(>_<) もしかしたらチャンユンジョンの司会は今日が最後だったのかもしれないと思うと残念である。明日のKBS歌謡舞台年末特集(トロット大祝祭)にも彼女の名前は無かった(>_<) 
今夜は珍しく高山くんが来るというので、年越し用を兼ねて、おでんと金平牛蒡作ることにした。
昼に自転車で大安亭市場に行き、例の八百屋でチャロの籠覗いたら野良の白雉が寝ていた。ここで大根、牛蒡、人参など買い、鶏屋で胸肉と鶏ガラ、前に黒猫の写真撮った魚屋で海鼠、業務スーパーでおでんの具ドサッと買い、帰り道大日商店街の中華屋で自家製のえびせん(一袋百円)も買って2時前帰宅。
まずはおでんの出汁つくり。寸胴鍋に昆布と鶏ガラいれて火をつける。牛蒡は大きいのを2本ささがき、人参は千切り、菎蒻はサイコロ、鶏胸肉は乱切りにして中華鍋で唐辛子4本ほど刻んで油になじました後材料全てぶち込んで炒める。酒と胡麻と味醂加えて、おでんの出汁も入れて、しゃかしゃかと中華鍋でひっくり返して醤油垂らして出来上がり。
菎蒻と大根は先に湯通ししておく。寸胴の出汁半分ほどおお鍋に移して、大根、菎蒻、牛スジ、練り物入れて醤油垂らして、後は弱火でしっくり火を通せば出来上がり。
6時に高山くん奈良の葛城市の「梅の宿」という一升瓶持ってやってきた。吉美ちゃんからの韓国海苔と、安彦良和の「王道の狗」4巻も持参。実は吉美ちゃんのオモニが心臓病で入院してて、退屈しのぎに韓国ドラマや歌謡のビデオを借りたいというのが高山くんの主要目的だったらしいが、せっかくだから二人忘年会ということにしたのだった。
狭いコタツで、おでん、きんぴら、海鼠などあてに、日本酒を酌み交わす。途中で昨日見つけたYou Tubeの78年紅白の動画を開いたら思いの外懐かしがってくれたので、これを見ながら飲みまくる。結局Morris.はこの動画見終わる前にコタツで寝てしまったらしい(>_<) まあ良い忘年会だったということにしておこう(^_^;)。高山くん、すまんm(__)m
今日の歩数は2990歩。


大安亭八百屋猫(実は野良の方) 

おでんと金平牛蒡 

コタツトップで78紅白楽しむ高山くん 
2013/12/28(土)●仕事納&図書館納●

6時半起床。
今朝の血圧は183/95/74。
昨日と同じメンバーで同じ現場。
ちょうどお昼に作業終了。
昨日の港湾食堂はいやだったので、なか卯で牛丼(^_^;)
荷降ろしして、2時半には倉庫出る。今年最後の仕事だから「仕事納め」ということになるのだが、最近の仕事ひでりだと「納め」というのとはちょっと違うような気もする。帰りにケーズ電機に寄って、LEDの探照灯買う。
今年は年末、春待ち六甲八幡神社初詣行進&境内ライブやるということになったので、その照明用である。一昨年持っていった簡易ランタンでは光量不足でちょっと悲しかったので、今回はLEDで照らすことにしたのだ。
そういうわけで、大晦日都合のつく方は初詣を兼ねて六甲八幡神社(阪急六甲駅すぐ南)の境内においでください。境内の東側あたりでこっそり?やってます。行進にも参加しようという方は、23:45くらいに旧「春待ち疲れBAND」前(六甲商店街の北口生協前)に集まって、カウントダウンしたあと、一緒に八幡神社まで賑やかに行進しましょう。
4時帰宅。
掃除などは明日にまわして、JRで六甲道に出て灘図書館へ。神戸市の図書館は明日から正月休みである。どうせ寝正月になるだろうから、その間のストックを借りておかねばと思ったのだった。
ついでにまつやで酒いくらか買って、8時帰宅。高山くんから電話で、ちょっと別用もあって、明日の夜Morris.亭に飲みに来るとのこと。
先日の春待ちパニックでの演奏「神戸シティブルース」をYou Tubeにアップしようとしたら、何かの拍子で「昭和53年(1978)紅白歌合戦」の動画に切り替わってしまった(@_@) おぉぉぉぉっ---あまりに懐かしくてついつい見入ってしまった。司会とか出場歌手とか曲名とかはこちらで(^_^) ただこn動画は2時間しかなくて、一番見たかった島倉千代子の「りんどう峠」と、トリの山口百恵「「プレイバックPart2」が見られなかったのが残念無念。
三日後の紅白もたぶん見るとは思うのだけど、知ってる歌手のパーセンテージがまるで違うぞ。
78年といえば、Morris.が奈良から神戸に移った年である。Morris.二十代最後の年でもあった。
これはもう、今夜から飲まざるをえない(>_<)
今日の歩数は3184歩。


六甲山上空の雲 

倉庫猫(チビクロ) 

倉庫猫(白ちょい黒) 

屋上から北側 

同じく南東方面 

あの頃の紅白ったら(;;) 

2013/12/27(金)●いろはのことども●

6時半起床。
今朝の血圧は222/90/80。
自転車で摩耶倉庫に。
浅海くん、としろうと神戸HATマンション11階のタイ向け航空便と保管荷物2日取りピックアップ現場初日。
昼は港湾食堂。Morris.はうどん定食(500円)のつもりだったのだが、チケットを買いそこねたのか、おばちゃんが間違えたのか、サービス定食8値段は同じ)になってしまった。ご飯と、味噌汁、そしてどこか得体の知れない薄い肉片(@_@) それほど硬くは無いのだけど、噛んでもしゃぶっても、ほとんど味がしない。何かちょっと悲しくなってしまった。
3時半作業終了即倉庫着。帰り強風が吹いて、自転車が前に進みにくいくらいだった。その代わり、夕空が美しかった。久しぶりに神鋼のTwin煙突から煙が立ち上っていた。
今年も残り少なくなって、テレビでは今年のニュース総ざらい、といっても、ほとんど安倍政権がらみである。
愛読している小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」では「吉例オリジナルいろは歌留多2013」なんてのを発表していた。何でもこれで3回目とのこと。いろは48文字だから、Morris.の「今月の標語」の4年間分を一挙に作成するみたいなものだ。そういう意味では、ご苦労様(@_@)と思ってしまう。幾つか引いておく。

【い】犬も歩けばヴォードヴィリアン
【ろ】論よりショコたん
【ち】ちりも積もれば山本太郎
【れ】歴史は切り返す
【ひ】人の無理してわが無理直せ


コメント読めばわかりやすいのだが、【い】は、最近のTV事情(芸人の氾濫)、【ろ】は中川翔子、【ち】は参院選である。
Morris.も以前歌集「色端唄」なんて作ったことがあったなあ(--遠い目(^_^;)。
今日の歩数は2599歩。


Twin煙突 

摩耶埠頭夕景 

同じく 

2013/12/26(木)●映画「白磁の人」●

9時起床。
今朝の血圧は174/90/69。
朝から雨。
映画「道 白磁の人」ちょっと熱っぽいような気もするが、大したことは無さそうだ。
いちおう大事を取って?午前中はベッドで読書。
午後は、DVDで映画「道 白磁の人」を見ることにする。ちょっと前に入手したのだが、何となくばたばたしてて、ゆっくり見る気になれなかったのだ。このところちょっと浅川巧づいてるので、楽しみにしてた。
原作も読んでるし、この映画制作責任者の本も読んだ。
浅川巧役の吉沢悠が、Morris.のイメージとあまりにギャップが大きすぎて、ちょっとびっくりしたが、後半は真ん丸眼鏡かけて本人の雰囲気に近づいた。
巧林業試験場の朝鮮人職員チョンリム(青林)との交友を通じて、日朝の関係を浮彫りにしようとする意図が強すぎて、Morris.が期待した、朝鮮陶磁器や民芸の美とその発見の部分があまり映像に出てこないのが期待はずれだった。出演者の8割が韓国人であり、日韓の親善、歴史的認識再確認を大きなテーマとして作られたものらしくそれが、作品として消化されてない感じがした。
戦前の朝鮮のセットは興味深かったし、三一運動の場面などは感動的でもあったが、浅川兄弟の朝鮮美術への取り組み(窯跡巡り)の描写が殆どなかったのは物足りなかった。小説自体もかなり事実との乖離が大きかったが、この映画脚本は、さらにアレンジが多くて、やはり、Morris.は、浅川巧本人の足跡を、彼の著作などから追ってみたい気持ちが強まった。
今日の歩数は0歩。

2013/12/25(水)●MAYAKANスライドショー●

8時半起床。
今朝の血圧は210/96/72。
朝風呂入ったのだけど、まだ温まってなくて、ちょっとえらいことになりかけた。
昼からJR住吉に出て、東灘図書館へ。最初は開館日に行って大混雑だったが、今日はがらがら。というか、この図書館は地域図書館で一番敷地面積広いというのが自慢で、その割に本は無くて、やたら椅子席が多いのだ。めったに来ないだろうから、今日はとりあえず端から端まで本棚を巡回。三宮図書館もそうだけど、何となく本棚が空き空きである。結局4冊借りたけど、もうしばらく行くこともないだろう。やっぱり大倉山中央図書館の休館は痛い(>_<)
5時半帰宅。
12月4日に訪れてデジカメ撮りまくった、摩耶観光ホテルの画像を60点ほど選んで、フォト藏のアルバムにアップ。実はもっと早くアップするつもりだったのだが、フォト藏の「新しいアルバム」機能が働かなかったのだ。今日何とかアップできるようになった。スライドショーでも見られる。これは是非フルスクリーンモードで見てもらいたい。
朝風呂でちょっと風邪引きかけてるようだ。何となく寒気がする。
今日は早めに寝ることにしよう。
今日の歩数は2034歩。

2013/12/24(火)●宛名書き●

8時起床。
今朝の血圧は185/90/73。
午前中はベッドから出られず(^_^;) 読書。
今日は動けないので(^_^;)年賀状の宛名書きでもやることにしよう。その前に印刷である。Morris.亭にはカラープリンタは無くて、コニカミノルタの低価格白黒レーザプリンタしか無いので、当然年賀状も単色である。Morris.の年賀状はここ10年位、同じスタイルなので、デザイン考える必要はほとんどない。ただ、宛名だけは手書きにしてるので、これはちょっと時間がかかる。宛名印刷ソフトでプリントしたほうが、郵便局側としてはありがたいのだろうけど(Morris.は悪筆(>_<))、これだけは習慣で仕方がない。
ついでに、去年、一昨年の年賀状で、住所録の整理したりして結構手間取った。
今夜はクリスマスイブだから、近所の教会のでも冷やかそうかと思ったが、結局面倒くさくなって中止。
冷蔵庫の残り物で、キムチ雑炊。一歩も部屋を出なかった。
自衛隊が、スーダンの韓国軍に銃弾一万発を供給したとのニュース。明らかに憲法違反である。安倍政権のキナ臭さがどんどん露骨になっていく。沖縄基地問題も、「札束で頬をひっぱたく」やり方」全開のようだ。それもこれも選挙の結果であるということを再確認するしかない。
今日の歩数は0歩。
「小さいおうち」ですっかりはまってしまった、中島京子。とにかく目についたものを片っぱしから読んでたのだが、Morris.の好みに合うものと合わないものがはっきりしているようだ。感想やメモ無しのものもあるが、これまで読んだ中島作品を総ざらえしておく。

【エ/ン/ジ/ン】中島京子 ★★★☆☆☆ 2009/02/28 角川書店。70年代に行方不明になった父を探そうとするミライ。手がかりは「エンジン」「ゴリ」という綽名だけ。ミライの母が経営していた幼稚園に通っていた隆一が捜索を手伝うことになるが、次々に出てくる意外な事実。ベトナム戦争、学生運動といった時代の波にミライの父が翻弄されていたことを感じさせるところで終わる。

「ロシアの文豪の小説に、そんな話が出てくる。人は理想を追い求めると、実際の人間の愚かしさに堪えられなくなってくるんだろう」

トルストイ? ドストエフスキー? 調べたけどわからなかった。調べ方が悪いのかも。

「そういうことのすべてって、誰かを傷つけたり、傷つけられたりすること?」
彼はわたしの質問をしょっちゅうはぐらかし、そのかわりに別の話を語り始めるのだ。
「きみの友だちの営業マンは、<厭人ゴリ>の家で『ブロードウェイのダニー・ローズ』を見たんだったよね?」
「ダニー・ローズは芸人のマネージャーなんだろう? 抱えてるのは、アルコールに溺れてるとか、目が不自由とか、何かトラブルを抱えてる人達で、みんなろくな仕事がない」


この映画も見てみたくなった。

【FUTON】中島京子 ★★★☆☆ 2003/05/30 講談社。これが彼女の出世作らしい。田山花袋の「蒲団」を研究するアメリカ人デイブの「蒲団の打ち直し」というパロディじみた小説を挟み込んで、日本娘エミとの付き合い、東京下町のエミの父や祖父との絡み合いなどを通して、日本文学のおかしさを軽妙に浮き上がらせてくれる。Morris.も「蒲団」は読んでないが、本作を読んで、もう読む必要がないと思ってしまった(^_^;)

後楽園まではそう遠くはないのだった。いつ訪れても東京の街の、スペースの使い方には驚かされる。道路との接点ぎりぎりまで使って建てようとするものだから、この街の建物はおしなべて独特の歪みを持たされている。小さなブロックに詰め込むように建てられた家々が、それぞれちゃんと玄関を所有するために、個々の道はいやが上にも細くなり、くねる。そんな路地裏に迷いこむのが、デイブは昔から好きだった。

こういった下町の描写も、ちょっと日本人離れしている。海外生活の経験がモノを言うのだろう

「『蒲団』という小説は、明治四十年に発表されてから今日に至るまで、一度も、モデル問題と切り離して論じられることのなかった、不幸な小説であると私は考えております。
この小説は、世に生まれ出てからおよそ百年の間ずっと、作家の身辺を包み隠さず書いた小説であるか否か、という一点においてばかり評価されてきました。平野謙による、日本文学史上燦然と輝く「日本自然主義文学の祖」という指摘も、すべてこの流れに沿ったものであります。
(中村光夫の『風俗小説論』で)中村は、『蒲団』を、この主人公が滑稽であり、作者がその滑稽さを認識していない稚拙な小説であると指摘した上で、暴露趣味的な日本の自然主義小説、私小説への流れを作った作品と位置づけています。
『蒲団』というテクストに遭遇する読者が持つ「滑稽」という感覚、この無様な主人公を笑いたくなり、自分はここまでみっともなくはないよといい放ちたくなる感覚は、そのテクストが「読者の視点」を許容する懐の深さを持たない限り、起こらない現象なのです。むしろ、読者が主人公の心的世界に入り込んで行くことなど潔く撥ね付けて、読者をその世界で完全に自由にする力を持っている、それこそがこの小説が他の明治文学と決定的に違うことを評価されるべき点であり、花袋が若き日に耽読した近世文学の穢土諧謔の伝統と、ドン・キホーテを祖に持つ小説を融合させて日本に近代文学をもたらした小説として、新しく日本文学史上に銘記される作品であることを決定的にするものなのであります」


これはもちろんデイブの口を借りて、作者の意見の披瀝だろうが、こちらは彼女が文芸関係出版社の編集畑出身ということにも関係あるのだろう。意表をついて面白く、かつ、納得させられる意見である。

「僕は芸術家じゃないけど、信じてることがある。すべての芸術作品は、それ自体が意思を持っている。アーティストが題材を選ぶんじゃなくて、作品が意思を持ってそれを形にするアーティストを選ぶんです。同じ時代に似たような作品が出ることがあるのは、時代の意思を複数のアーティストが読み取るからでしょう。時代や街や歴史、自然や災害。物言わぬ意思が、それを言葉や絵や音楽や建築物やそんな、目に見える形に表現してくれる人間を探すんです。あなたはトウキョウに選ばれた」

これとほとんど同じような意見をどこかで読んだ覚えがある。「選ばれし者の恍惚と不安」、といえば太宰治(ネタ元はヴェルレーヌ)だけど、これは一種の芸術至上主義なのかもしれない。

【イトウの恋】中島京子 ★★★☆☆2005/03/05 講談社。明治初期に日本を訪れた英国人女性イザベラ・L ・バード「日本奥地紀行」をタネ本にしたフィクション。通訳として雇われた伊藤鶴吉の手記を祖父の遺品の中から発見した中学教師が、その謎(終結部の不在)追求するなかで、伊藤の孫娘と思われる漫画原作者と関わりを持つ。伊藤のイザベラへの仄かな愛と劣等感を、「奥地紀行」に沿って細密に描写しながら、おもいがけない「真実」に筆を運ぶ、その手際には感服のほかなかった。「小さいおうち」「FUTON」など、過去の作品をネタに新たなものがたりを 創作するというのもこの作家の得意技のようだ。

【ハブテトルハブテトラン】中島京子 ★★★☆☆ 2008/12/22 ポプラ社。「asta*」(ポプラ社PR誌)2007-08年連載。
広島県松永市(今は福山市)を舞台にした良質の少年小説。いやあこの人は素晴らしい\(^o^)/ 児童小説としては前に読んだ「エルニーニョ」もそんな感じだったが、ファンタジックな色合いが濃かった。本作はもっと現実的で、それでいて、ロマンがある。この人にはどんどんこんなタイプの作品を書いて欲しい。これまでになかったタイプの児童文学作家としても期待できそうだ。
「ハブテトル」とは備後弁で「すねる、ふてくされる」の意味。

【花桃実桃】中島京子 ★★★☆ 2012/02/25 中央公論社。古いアパートを相続した女性が、自分も大家として居住しながら、アパートのユニークな住人たちとのさまざまな事件?を通して、新しい生活観を持つようになる。

「うちのアパート、花桃館ていうんだけど、桃にもいろいろあってねえ。花桃はきれいだけど実がつかないのね。つかないわけじゃないけど、小さくて、美味しくないの。美味しい桃が成るのは別の花なの。人間もおんなじで、いろんな人がいて、実が小さい人もいるじゃない? でもねえ。どっちがどうって話じゃないと思うのよ。花や実だけじゃなくてね、ジャガイモみたいに、重要なのは地下茎って人も、きっと人間の中にもいるわよ」
「花も実も地下茎もってわけいにはいかないとしたら、自分たちにとって大事なものが花か実か地下茎か、それともそれ以外の何かなのか、見極めて」


これがタイトルの説明だが、ちょっと造り過ぎのきらいもあるなあ。

「花村さんが毎日楽しそうなのは、大家さんの仕事が気に入ってるからだってことは、店で話を聞いてもわかるからね。東京に残りたい気持ちもわかったんだ」
「よくわかったね、そんなこと。私だって最近気がついたのに」
「うん。バーテンダーは本来、人生最後の相談人だからね」
「人生最後の相談人?」
「バーテンダーの名前の由来は、バーのテンダーなんだ。テンダーは優しいって意味でね、人の涙を自分の涙と感じる能力から来る言葉だそうだ。自殺を考える人が人生最後に立ち寄るのがバーで、そういう人に旨い酒を出すのがバーテンダー」
「うまくすれば自殺を思いとどまる人もいるってこと?」
「本来はね」
「知らなかった」
「まあ、あんまりぺらぺらしゃべることでもないから」
そう言うと尾木くんは冷凍庫から白い霜のついたジンの瓶を取り出した。


こういった小洒落た薀蓄も、そういえば、この作者の得意技のひとつだった。

【平成大家族】中島京子 ★★★☆☆ 2008/02/10 集英社。これはもう、文句なく楽しめる「ホームドラマ」である。いろんな事情で、四世代が同居する緋田家、痴呆症あり、引きこもりあり、子供には子供の悩みありで、大変なのだが、それを作者一流のエスプリで味付けして読者を存分に楽しませてくれる。

「戦後の日本人が敷設してきたレールが、ここ十年ほどで一気にがたがたになってしまった。お子さんたちはみな、明日の定かではない日々を生きざるを得なくなりました。そのくせレールにしがみついた者が勝ちで、外れた者が負けだと、負けるのは負ける者の責任だと、身も蓋もない論理がまかり通る。ふざけた話ではありませんか。奥さんまでもがそんなものの犠牲になって、自分の生き方や子育てを責める必要はないのです。理念なき資本主義を垂れ流すように推奨し、ケインズも知らない若造が国会議員だという。どう考えても間違っていますよ。奥さんの悩みはひとりで抱え込むべきことではないのです。日本人すべてが分かち合うべき課題です」
ケインズ……? 口ごもりつつ仰ぎ見ると白髪紳士は、目を閉じてうんむとうなずいてみせた。こういう立派なことは、大学で教えてらした方じゃないとなかなか言えることではないわ、と、春子はすっかり敬服の念に打たれた。


こういった調子で、世の中のことをざっくり分からせてくれる? ような気にさせてくれる。

「我が家のすったもんだがお笑い喜劇というのは、なんだか納得できませんわ」
横から春子が口を挟んだ。
「いやいや、喜劇はお笑いでくだらないもの、悲劇は深刻で重々しいもの、と考えるのがそもそも間違っていますよ、奥さん。物語が結婚で終わったからといって、その先がめでたしめでたしであると信じている人は今日、どこの世界に行ってもいないでしょう。人の死は悼むべきものですが、個人にとっては安らぎをもたらすこともあります。結局のところ、人生を喜劇と見るか悲劇と見るかは、エンディングをどう語るかの差でしかないということです」
煙に巻くような言葉を残して、川島先生は帰っていき、あの男も口から生まれたようだね、と揶揄して龍太郎は友人を見送った。


漱石の「猫」に通じる、融通無碍なところがこの作品にはある。

【女中譚】中島京子
 ★★★☆
2009/08/30 朝日新聞出版。初出「小説トリッパー」2007-08。「小さいおうち」の姉妹編みたいなものらしい。それなりに面白かった。

【均ちゃんの失踪】中島京子 ★★★ 2006/11/10 講談社。初出「小説現代」2005-06。掴みどころのない均ちゃんが行方不明になり、元妻、恋人、愛人の3人がなぜか寄り合って、ああだこうだと、言い合う。不思議な味わいの小説だった。

何が腹立つといって、東京生まれ東京育ちの薫には、関西弁が気に入らないのだっった。関西弁はすべてを、演歌の世界にしてしまう。自分と均ちゃんは、いきのいいティーンの読むポップな雑誌を通じて知り合ったのだし、いまは二十一世紀なのだし連れそう、だの、ヨメ、だの、やわやわやわやわした言語そのものが、均ちゃんをとてつもなく古臭い男に見せてしまうではないか。しかし、この元妻にとって、均ちゃんとは、平気で演歌ワールドを生きられるような男なのか。

【東京観光】中島京子★★☆☆ 2011/08/10 集英社。

【さようなら、コタツ】中島京子 ★★☆☆ 2005/05/19 マガジンハウス

【桐畑家の縁談】中島京子
 ★★☆☆
 2007/03/22 マガジンハウス

【TOUR1989】中島京子 ★★☆☆ 2006/05/30 集英社。「迷子つきツアー」「リフレッシュ休暇」「テディ・リーを探して」「吉田超人」

【眺望絶佳】中島京子
 ★★☆☆
 2012/01/31 角川書店。初出「デジタル野性時代」2011。

2013/12/23(月)●忘年会その4(春待ちパニック)●

8時起床。
今朝の血圧は175/86/80。
今日は昼から、六甲道南の八幡会館で、久しぶりの春待ちパニックがある。
会場設営の手伝いでもしようかとさわむら社長に電話したら、すでに会場で矢谷くんと二人で機材搬入など済んでるとのこと。11時に部屋を出て、やまやで日本酒(「立山」)と鮭トバなど買って11時半に会場へ。
社長持参の年期ものの万国旗やイルミネーションで飾り付け済ました頃から、三々五々仲間がやって来た。中江くんもMorris.と同じ「立山」持参でちょっとびっくり。広島から彦さんが夫婦で参加、淡路島から治井くん、松尾夫妻、堀姉妹もご馳走いっぱい持参、小谷家からは昔懐かしいお櫃に入ったバラ寿司、神田家から大鍋いっぱいのおでん等など、持ち込み料理いっぱい。酒は日本酒中心で飲み放題。2時過ぎからライブ演奏が始まり、懐かしいナンバー頻出で、実に楽しい時間を過ごすことが出来た。
You Tubeに「ワシントンはアメリカの首都&駄菓子屋」をアップしておく。
神戸地震前はライブ喫茶「春待ち疲れBAND」で毎年年マグ恒例行事として大騒ぎしてた春待ちパニック。地震で店が無くなってしまった後も、会場を借りながらいろいろやってたが、ここ数年はやらなくなってしまった。本当にひさしぶりの集いで、嬉しかった。地震が無ければ、春待ち疲れBAND創立37周年ということになる。みんな年も取るわけであるなあ(^_^;) 今日ばかりは「年」を忘れて楽しんだ。会館の取り決めで6時に閉会。当然のごとくMorris.は飲んで飲んでほとんど潰れかけてた。
本当は今夜は長田でのカラオケ会もあったのだが、この状態では参加は無理(^_^;) 前もって参加は難しいと連絡しておいた。
とりあえず、何とか帰宅して、爆睡。
今日の歩数は1846歩。


宴会開始 

乾杯!! 

同じく

懐かしいお櫃 

中身はバラ寿司 

生春巻 

変り稲荷 

神田家特製おでん 

一升瓶が4本も

宴もたけなわ

シアワセ(^_^) 

広島から彦夫妻 

神田くん 

田辺くんの遺影 

淡路から治井くん 

風来 

ひさびさ春待ちファミリーBAND 

同じく 

秋本くん 

みっちゃん、社長と 

記念写真 
2013/12/22(日土)●忘年会その3(森本硝子会館)●

8時起床。
今朝の血圧は170/87/68。
コタツトップで「挑戦千曲」。今日のチャンユンジョンは肩まで髪垂らしてた。この番組の司会いつまでやるのだろう。もしかしたら今日でしばらく見納めかもしれない。
今夜は6時過ぎから新開地の森本硝子会館で恒例のクリスマスの集いがあるというので、ムックさんの言うとおり6時半頃行ったら、都合で7時半からになったとのこと。時間つぶしで、新開地から湊川公園、さらに東山商店街付近を散策。パチンコ店前では可愛い雉猫に出会えたし、東山商店街から夢野あたりでレトロな美容室を見つけた。
7時半過ぎに戻ったらみんな集まっていた。
この会館は森本硝子社長が半分趣味で作ったスペースで、家業に合わせて硝子をふんだんに使ったちょっと変わった空間である。アコースティクでも、不思議な音響効果があって、Morris.は気に入ってる。
最初はミユ&ゴロという男女デュオにイラストレーターのよひなさんが加わった3人での演奏。よひなさんの四角い箱型のlパーカッションが珍しかった。後で訊いたらLP社の「ラップトップコンガ」という製品で1万円しないとのこと。ちょっと気を惹かれたが、Morris.にはミニジュンベがあるからまあよしとしよう。
その後はムックさんと飲み友達の演奏。ビートルズナンバー+オリジナルで、やっぱりMorris.は「港町」が一番好きだな。しばらく飲み食いと歓談を楽しんで10時半退出。11時帰宅。ビール、ワインはムックさん提供。感謝m(__)m。
今日の歩数は2052歩。


「挑戦千曲」チャンユンジョン 

新開地パチンコ店前の雉 

同じく 

夢野リリー美容室 

不知火橋 

ミユ&ゴロ&よひな 

素敵な硝子空間 
 

ムック&Friends  

生ギターで「港町」  

サンタ照明 

森本社長と合唱 

ピアノ弾き語り「イマジン」 
2013/12/21(土)●長びく左中指痛(>_<)●

7時起床。
今朝の血圧は206/104/68。
8時半のJRで大阪に出て36番地下鉄門真南駅行きののバスで、今日の現場近くの安田で下車。ちょうどやってきた角田くんのトラックに拾われる。考えてみると、大阪でバスに乗るのは久しぶりである。大阪市は結構広くて、市バスは200円均一だから、たまにはこれを医療するのも面白いかもと思った。
午前中は10時に航空便配達、午後は交野市のオランダ向け荷物ピックアップである。
それで、10時丁度に現場のインタホン鳴らしたが応答なし。電話もつながらない。家の前の道は狭いので、とりあえずトラックは広い道路で駐車。Morris.は家の前でお客さんが来るのを待つことにした。小雨も降って来たし、結構寒い。隣の家のおばちゃんが出てきて、寒いのにごくろうなことだと声をかけて、隣の人は在宅のはずだが、というので、もういちどインターホン鳴らしたら、寝ぼけ声で返答が会った(>_<) 配達はと開梱は30分で終了。
交野市の現場は3時のの約束だったが、電話して1時からの作業。こちらも2時半前に作業終了。角田くんはその後、芦屋の現場のヘルプに入るとのことだったが、Morris.は3時過ぎに芦屋駅前で降ろしてもらう。
芦屋大丸地下で、キャベツ買って4時前帰宅。
ミニギター弾いてみるがどうもいまいちである。先月末に突き指した左手の中指の痛みがなかなかおさまらない。日常生活、タイピング、梱包作業などは不自由なくこなせるのだが、ギターのコード押さえるのがちょっと辛いところがある。最近ミニギター弾こうとして短時間でやめてしまうのもそのためである。中指と人差し指の付け根の中間部を押さえると痛むので、このあたりの筋がおかしくなってるのかもしれない。一度病院で視てもらうべきだろうか。どうせレントゲン撮って湿布薬くれるくらいだと思うのだけど……
夜9時から、KBS2TVで「2013KBS演芸大賞」やってるのを、コタツトップ(hpノート)で見るともなく流す。KBS自局の番組の慰労会みたいな気もする。特別賞の発表者としてチャンユンジョン夫婦が登場したのには驚いたが、旦那がKBSのアナウンサーだから驚くことはなかったか。
28日にはやはりKBS2TVで「KBS歌謡大賞」がある。以前はこれが韓国歌謡の大決算という感じで、見たくてたまらない番組だったが、このところずっとK-POP専門になってMorris.には無縁の番組になっている。それよりも歌謡舞台の年末「トロット大祝祭」こそが、Morris.のための(^_^;)プログラムだと思う。今年は12月30日の放映だと思う。このビデオは欲しい。
今日の歩数は3002歩。


鶴見区の白鷺 

芦屋駅南のビル破壊現場 

チャンユンジョン夫婦(^_^;) 

【はじめてわかる国語】清水義範 え・西原理恵子 ★★★☆☆ 2002/12/16 講談社。
このシリーズは、リアルタイムで数冊読んだ覚えがある。この国語篇は見落としてたようだ。10年遅れて読んでみると、一味違った面白さ(旬が過ぎた話題や、見当外れ)もあった。「補習」と題して、高島俊男、斎藤美奈子との対談二本が掲載されてるのも、思わぬ喜びだった。(対談自体はちょっと期待はずれだったけどね(^_^;))

国語の試験というのは、ひどく特殊なルールのもとで作られており、そのルールを見抜いている子には答えられるが、そうでない子には手も足も出ないものである。あてずっぽうに答えて、あっていたり、間違っていたりするばかりだ。私が『国語入試問題必勝法』という短編小説でからかいたかったのはそういう点である。まともに考えてもいい点はとれない。出題者の作戦を見抜き、罠にはまらないように、トリックの裏をかけばいい点がとれる、という冗談というか、皮肉を書いたものだ。

「国語入試問題必勝法」は「そばときしめん」とともに、清水の初期の「傑作」だと思う。Morris.もいちおう国語教師の免状は持っていたはずだが、万一国語教師になってたら、かなりひねった(ひねくれた)国語問題を作成して多くの子供たちを苦しめた可能性が高い。ならなくてよかったと思う。

一番いいのはルビを振って漢字で出してあげることだ。ルビがあれば中学生、高校生にも教育になる。正解すなわちルビが横にあれば知識になっていく。みんなが読めるようにやさしく書く、ではなく、みんなが読めるように教育していく考え方があっていい

「ルビの復活」これはMorris.の心底からの願いである。戦前の新聞雑誌、小説の類はほとんどが総ルビだった。読みを知ってる漢字はルビを無視して読めばいいし、読めない漢字もルビがあれば知らず知らずに身についていく。新聞社がルビ付活字を廃止したことは慙愧に堪えない。

私は、漢語は漢字で書いて、むずかしければルビを振ればいいと、原則的には思っているのだ。つまり、音で読む言葉だ。

当然、賛成である。

私には、話すことの教育で、まずきっちりとやってもらいたいと思うことがある。それは、口をしっかりと開けて、はっきりと、明瞭に声を出すことの教育だ。口のなかでもごもご言わない。小さな声でずるずるしゃべらない。意味を理解して、適切に区切る。てにをはを省略せず、意味が伝わるようにしゃべる。近頃の子供には、まずそこからの指導が必要だと思うのだ。

これは、Morris.への教育的指導と受け止めたい。韓国語学習にも通じるものだと思う。間違ってなくても小さな声では伝わらない。

挨拶の意味ですが、挨というのは(おす)という意味で、拶は(せまる)こと。つまり挨拶というのは(押し合う)という意味なんですな、もともとは。それでもってこれは、禅宗の僧が、問答によって門下の僧の悟りの深さをためすことをいう言葉だったんです。

これは前に何度も聞いた覚えがあるのだけど、すぐ忘れるので、メモしておく。

今年(2002年)の2月に、斎藤美奈子氏の『文章読本さん江』というメガトン級の爆弾本が出てしまった。これはおそるべき名著で、この本が出てしまった後には、もう、『文章読本』はタメになりますなあ、なんていうのん気なことは言ってられない、言ってるとバカに見えるぐらいの破壊力を持った本なのだ。

Morris.もこの「文章読本さん江」で、美奈子さんフリークになってしまった。

サイバラのマンガの底力は、彼女が世の男どものやることに、なーにを言ってんだかこのオヤジは、という角度からの蹴りを入れるところにある。男的知恵誇り文化の中で、私がえらそうにウンチクをたれると、わかんねえよシミズ、と突っ込みを入れてくるのがサイバラの値打ちなのだ。

この学習シリーズも、西原理恵子の名前に惹かれて読んだという覚えがある。

これ(谷崎『文章読本』)を読んで以来、私は文章に興味を持ち、この作家はこういう文章か、この人はこうか、学術論文ってこういう文章であることが多いな、素人の新聞への投書は必ずこんなふうだな、などということを気にかけるようになった。それを面白がるところから、私のパスティーシュ(文体模倣)という作風が生まれている。
結局私は、谷崎の『文章読本』を読んで、書かれている主張に感動したのではなく、そこにある文章のうまさに感動したのだ。うまさと言っては語弊があるかもしれないが、わかりやすさに脱帽したのである。そして、他人に自分の思考を伝えようと思うのなら、このように意味がよくわかり、濁りなく伝わる文章をかきたいものだ、と感じたのである。文章の目的は、ひとに正確に伝達することである。その意味で、気取った文章や、もってまわった文章や、説明不足の文章はよくないんだ、と私は思った。


清水の作風が谷崎「文章読本」から多くを得ているというのは、思いがけなかった。「意味がよくわかり、濁りなく伝わる文章」「正確に伝達する」「気取った文章や、もってまわった文章や、説明不足の文章はよくない」これは、Morris.も信奉すべき教えである。

清水 要するに明治から今まで振り返ってきても、作文教育はあっち行ったりこっち行ったりしてよれよれであると。この国の人は、文章をどう書いたらほめられるのか、よくわかっておらんわけですよ。
斎藤 そう思います。
清水 だから、そういう本が求められる。みんなほめられたくってしょうがない。文章でほめられるということは、大変名誉なことという錯覚があるんです。本当は違うんだよね。内容でほめられたいわけでね。なのにこの国は、文章をほめられればおりこうなんですよ。
斎藤 名文家というのが、非常に地位が高い。たくさん本を読んでいる人がほめられたら、教養人が増えるのにそうじゃなくて、上手に書ける人がほめられるということで、読まずに書きたい人ばかりが増えていくというおかしな感じがありますね。


「内容より文章を褒めたがられる」傾向は、もしかしたら、Morris.にもあるかもしれない。もともと「内容は無いよう」な文章が多いけどね(^_^;)

英語を日本の第二公用語にしようという意見には反対だ。日本中で日本語が通じて、何不自由なくやっているのに、何を血迷ってそんなことを言い出したものやら、と思う。ある国が、いくつもの公用語を持っているというのは、とえても大変であり、どちらかと言えばそれは不幸なことなのだ。その国の中に違う言語がいっぱいあって話が通じないので、英語も公用語になっていたりする。もしくは、イギリスの植民地になっていた時代が長いので、英語も公用語のひとつになっているとか。
そいういう事実のない日本で、どうして英語を公用語にしなきゃいけないのか。日本はアメリカの植民地みたいなものだから、なんて言ってはいけませんぞ。断じてそんなことはないのだから。
小学生に英語を教えることばかりに熱心になり、国語の授業がおろそかになったら、元も子もなくなりますよ。

安倍政権の「英語力の強化」などは、ほとんどこの「第二公用語論」に」即したもののように思われる。10年前に書かれた反対論であり、Morris.も諸手を握りしめて反対したい。

2013/12/20(金 )●ユンジョンコンサートDVD●

現場ベランダから7時起床。
今朝の血圧は190/94/71。
JRで三宮に出て、市役所近くの高層マンション28階のピックアップ現場。別業者のヘルプで、秋本くんといっしょ。
昼飯抜きで、2時前作業終了。
三宮図書館に寄って、4時帰宅。
明日も同じ業者のヘルプで大阪鶴見区現場直行予定。
夜は、最近手に入れた、チャンユンジョンの、2006年と08年コンサートDVD鑑賞(^_^)
「オモナ」の爆発的人気でデビューしたのが2003年。06年のコンサートは「コッ(花)コンサート」08年は「チョッサラン(初恋)コンサート」と銘打たれている。どちらもその当時の彼女のヒット曲名である。この後2010年?の「ツイストコンサート」のヴィデオもあって、これはMorris.も持ってたのだけど、去年からディスクが行方不明になってる(>_<)昨年2012年には世宗文化会館でのコンサートやったから、もしかしたらこれのDVDも出てるかもしれない。来年出産を控えて、しばらく芸能活動休止になりそうだから、しばらくはこれらのコンサートDVDやYou Tubeで渇を癒やすことになりそうだ。
今日の歩数は2058歩。

2013/12/19(木)●メモ作業●

8時半起床。
今朝の血圧は175/92/79。
昼から歩いて六甲道へ。
区役所、銀行、灘図書館まわって、歩いて帰ろうとしたら雨がふりだしたので、宮前スーパーで買い物してJRで6時帰宅。
今日は殆どの時間を、下記の「反原発の思想史」の引用とメモに費やしてしまった。
なんてこったい(>_<)である。
今日の歩数は3644歩。


水道筋裏駐車場の白雉 

照光寺のクロ 

同じく 

冬咲桜? 

六甲道の空 

蝉ではない(^_^;) 蛾である

【反原発の思想史】すが(糸圭)秀実 ★★★☆☆ 2012/02/25 筑摩書房。
金井美恵子のエッセイに繰り返し出てきたので、読まねばと思い、借りてきたのだが、これまた読み終えるのに手こずってしまった。すが秀実はMorris.と同じ年生まれであるが、頭の出来は相当にちがってるようだ。
本書は、Morris.にとって裨益する所も多かったが、「痛い」本でもあった(>_<)

日本の反原発運動は、毛沢東理論の「誤読」による近代科学批判が大きな転機となった。それが「1968年」を媒介にニューエイジ・サイエンスやエコロジーと結びつき、工作舎や「宝島文化」を背景にしたサブカルチャーの浸透によって次第に大衆的な基盤をもつようになったのである。複雑に交差する反核運動や「原子力の平和利用」などの論点から戦後の思想と運動を俯瞰し、「後退りしながら未来へ進む」道筋を考える。(カバー袖裏の惹句)

この「要約」は間違いじゃないのだが、これだけ読んで判る人はどのくらいいるのだろうか?

ロシア革命の指導者レーニンは、「共産主義はソヴェト権力+全国の電化である」という高名な言葉を残した。悪名高い「生産力理論」である。もちろん、レーニンは核兵器も原発も知らなかったのだが――。
生産力理論は、「福島」以降も――中国やヴェトナムなど旧社会主義国を含めた――資本主義のなかに健在である。なおも原発を推進しようとする勢力は、原発がなければエネルギーが不足する、GDPが落ちると、繰り返し資本主義の危機を煽ることで、それを正当化しているからである。それは、安価な労働力を保有する旧第三世界諸国への原発輸出として実現されていくだろう。もちろん、旧第三世界諸国も、原発の建設を積極的に推進しようとしている。


本書が書かれた時点ではまだ民主党政権だったのだが、安倍政権はまさにこの通りのことを推進しているな。

ソ連は、アメリカを徹底的に模倣することで、アメリカ=資本主義をのりこえ、解体しようとする。そのことの担保が原子力なのだ。その意味で、原子力は資本主義の内部に埋め込まれてはいても、その体制を解体する「外部」と捉えられていると言ってよい。「原子力の平和利用」は1954年のソ連邦オブニンスク原発運転開始に始まる。「平和利用」においては、ソ連が先んじていたのである。

「米ソ冷戦状況」ということばが、何か懐かしさを感じさせる。Morris.が西暦年号を意識したのが1957年で、この年にソ連がスプートニク打ち上げに成功したのだった。

三島由紀夫が、原爆投下による「終末」によって、それを「私の文学の唯一の母体」(「私の中のヒロシマ--原爆の日によせて」1967年)としたことは、その『美しい星』や『豊饒の海』に徴しても明らかである。三島由紀夫は、1960年代のサブカルチャーに親和的な作家でもあった。

三島とサブカルチャーとの相性の良さは、Morris.にも感じられていた。

「核」や「原発」がもたらす終末意識の間隙には毛沢東(あるいは、ゲバラ)という存在が、亡霊のように徘徊している。そして、そのことが今にいたる大衆的な反原発運動を、基底でゆるやかに規定しつづけていると言ったら、穿ちすぎなのだろうか。

穿ち過ぎ以前に、わかりにくすぎる(>_<)

中ソ対立とは、第三世界に対する中ソのヘゲモニー闘争でもあった。しかし、ソ連の平和共存路線は、ソ連が資本主義の最先進国アメリカと生産力で覇を競うことが主要なベクトルであるのだから、古典的なマルクス主義の「先進国革命論」の一ヴァリエーションであり、まず自国の生産力の増強をめざすという意味で、一国革命論的であった。第三世界の問題は、戦略上では二次的三次的な位置にとどまる。これに対して、そもそも中国革命が中後進国の革命であったことにも規定されて、中国の革命路線では、第三世界革命が重要な位置を占めるのである。

もちろん、毛沢東中国や第三世界が原発を否定したわけではない。それは、「福島」以降の先進資本主義諸国において、「脱原発」、「減原発」が世論を形づくりつつある今日、中国やヴェトナムをはじめとする旧第三世界諸国が原発推進を鮮明に打ち出しているところからも、明らかであろう。その意味で、毛沢東中国に、反原発の論理を読むことは、美しい「誤解」である。しかし、この誤解がなければ、先進資本主義諸国において、反原発の思想的潮流は形成しえなかったはずなのである。もちろん、日本においてもそうであった。

何ともややこしい論理であるが、なるほどと思えるところもある。大島弓子のバナナブレッドのプディングに出てくる「数珠つなぎ理論」のようでもある。

日本共産党が脱原発へと舵を切ったのは、「福島」以後、それも浜岡原発の停止も決まった後である。戦後の共産党は自然科学者の党員、シンパサイザーを数多く抱えていた。科学の進歩が平和と民主主義に寄与すると見なされたからである。共産党は原子力の平和利用自体については一貫して賛成しており、その立場は、原子力開発が軍事目的に流用されることに反対するという、中曽根らに札束で頬を叩かれて続けてきた、1954年以来の科学者のものを出なかったのである。原子力の平和利用へのノスタルジーは、共産党や、その傘下の運動団体においては、いまだにくすぶっている様子である。

反核と反原発は共存してなかったのか。共産党シンパだった手塚治虫の産みだしたヒーローの名前が「アトム」だったもんな。

日本は「戦後」の平和と民主主義を一国的に享受していたといえる。そのことは平和と民主主義を擁護する社共においても、世界革命という戦略を掲げながら、日本こそが革命の突破口であり「主体」であると僭称する新左翼においても変わらない。それは自民族中心主義に過ぎず、深層において一国主義なのである。しかし、いまだ「戦後」ではないことが、華青闘告発と入管闘争で明らかにされてしまったのだ。

確かにこういった物言いは、全共闘的である。ノンポリだったMorris.に偉そうなことは言えないことだけど。

チェルノブイリ以降、この度の「福島」まで、日本の反原発運動で忘れられているのが、この「戦後」批判という契機にほかならない。原発は危険だから反対するという論理は、容易に自民族中心的な一国平和主義におちいる。その時、それは、安全性に配慮すれば、原発もやむをえないとか、旧第三世界には輸出しようという、もう一つの一国平和主義の無自覚な介入を許すばかりなのである。

これは理解できる。そして今も状況は同じであるということだな。

「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げた大阪万博の開会式では、関西電力の「万博に原子の灯を」のキャッチフレーズのもと、敦賀1号機から送られた電気によって、灯がともされた。岡本太郎の「太陽の塔」は、これに呼応するモニュメントだったことは火を見るより明らかである。岡本太郎は、原子力エネルギーを美学的に称揚する美術家であった。……岡本は、1970年当時の「左翼系」文学者・芸術家の常識と同じく、反核=原子力平和利用推進派だったに過ぎない。

この部分を、金井美恵子のエッセイで知って、衝撃と深い共感を覚えた。それが本書を読む契機になったわけだ。

輪島裕介は、美空ひばりに代表される「艶歌」に込められている「日本人の心」なるものが、いわゆる「捏造された伝統」(ホブズボウム)であり、その捏造に与って力のあった者として、『美空ひばり』の竹中労や『海峡物語』の五木寛之など、1960年代から70年代のサブカルチャーを規定したイデオローグの名前をあげている。
彼らは、それまで俗悪とされていた艶歌が、実は「民衆的『下層』」の表現だとして、それを積極的に称揚した。しかし、竹中や五木の名前とともに「日本人の心」を捏造した者としては、彼らの発言と時期的にも相即する、「日本のナショナリズム」の吉本隆明をあげなければならない。……日本近代における軍歌や俗謡のなかに「大衆の原像」を見出すことで、その価値転倒をはかったものである。


わしらの世代としては、吉本の名は良くも悪くも大きな存在だったような気がする。そうか、吉本が「捏造」したのか(^_^;)

おそらく、「阻害」は克服されない。「阻害」は、人間の「手」が歩行の手段という「自然」から開放=阻害され、技術が手の代補であり、原発もその技術の連鎖の果てに出現したものである限り、まぬがれることができないものなのだ。原発だけが特権的に危険なわけではなく、プロメテウスが神から盗んで人間に与えたという火が、すでに「危険」なのである。
それゆえ、農業が危険であれば、自動車も飛行機も危険だろう。それらは、結局、リスクの多寡に還元されてしまう。反原発の思想は、そのことを踏まえて出発しなければならない。

そうだ、文化も文明も技術も道具も機械も、思想も哲学も芸術も宗教も「危険」な玩具ぢゃ。

現在、「原子力ムラ」に住む学者への場当たり的な批判は聞かれても、彼らを存在せしめた産学協同への批判は皆無である。世論は、相変わらず大学・研究所や資本に産学協同の拡大を求めるばかりである。広重徹らの科学批判が提起した問題など、今や一顧だにされない。もとより産学協同と無縁な、「純粋な」学問など存在しえない。それは自然科学系に限らない、全ての「学問」について言える。しかし、それは不断に問いなおされなければならないのである。

現在、新たな「核拡散」問題が生じていることは周知のとおりであり、反原発運動のなかで、逆に、核兵器が不問に付されている。

これはMorris.もおかしいと思っていた。シリアの化学兵器が問題にされた時、普通の兵器は問題じゃないのかと思ったことにも通じる。

日本の原発政策を推進したのは、正力松太郎や中曽根康弘にも増して、電源三法を成立させ、「日本列島改造」を展開した田中角栄であった。原発が地方の過疎地域に建設されていったことは周知の事実である。その地域は原発を受け入れ、それに骨がらみになることによって、「日本列島改造」の余得に予ることができた。そうしなければ、「過疎」の加速度的進行は避けられないというのが「民意」であったからである。しかし、ロッキード事件における田中逮捕は、「アメリカの資源の傘から脱して、新たな利権網とともに、独自の資源政策を追求した」田中に、「多国籍企業の側から打撃が加えられた」ことを意味する。

正力、中曽根より田中角栄の列島改造こそが原発推進に大きな力となった、というのは、言われてみればそのとおりである。

野坂昭如には原発を扱った小説を集めた短篇集『乱離骨灰鬼胎草(らんりこっぱいおにばらみ)」(1984)がある。1983年に田中角栄の当時の選挙区である新潟三区から衆院選に立候補(次点落選)している。野坂は野坂なりに田中的「戦後」政治への批判を展開したと言える。

野坂の小説は長いこと読まなくなってしまってた。この短篇集は読んでみたくなった。

今日の反(脱)原発の主流が、ウルリッヒ・ベックの言うリスク社会=危険社会以上のものではないことは言うまでもない。原発はリスクが計算不可能なほどに高いから廃止に向かうべきだ、という議論である。しかしリスク論は、原発のリスクは計算可能であり、推進すべきだという論理へと容易に反転する。それは同時に、第三世界には安全な原発を輸出しようという議論にも向かう。

資本主義批判としての反原発。この視点こそ、今日もっとも必要なものにほかならない。そうでないとすれば、反原発の論調は、せいぜい「安全な」クリーン・エネルギーというベンチャー・ビジネスに回収されていくだけだろう。そして、ベンチャーこそ、本質的に新自由主義的なものである……津村喬の反原発論のアクチュアルな政治的核心は、「安全」という統治テクノロジーの批判にいたったところにあるのだ。先進資本主義国の「安全」は、第三世界の「犠牲」によって担保されているというのが、津村の前提である。

確かに、Morris.の「反原発」のスタンスも「安全なエネルギー」でしかなかった。

「本当の自分」を探して「自由な活動」をおこなう主体とは、新自由主義的な起業家=起業家的主体以外ではない。80年代に「フリーター」なる存在がリクルート社によって命名された時、それは「自分探し」のために就職を控える個人企業的な「自由な主体」として称揚されたのである。……アメリカ帰りの江藤淳の『成熟と喪失』(1967)が導入してポピュラーな成功を収め、今なお社会学者主義を陰に陽に規定しているそれは、アメリカ的「自由主義」と親和的なのだ。

ここらあたりが、Morris.にとって「痛い」と感じる部分である。Morris.はフリーターの走りだったようでもあるし、江藤の著作には強い影響を受けたものである。

マルクスが、すでに言っていたように、資本主義を批判しうる「主体」が醸成されるのは、資本主義の内部においてでしかない。マルクスは、資本主義の高度化の延長上に共産主義社会を展望したわけだが、そのような「生産力理論」の限界が見えたのも、「68年」だった。反原発運動を含むエコロジー主義の登場は、その指標である。しかし、そのエコロジー的「主体」が、また、資本主義に依存しているというパラドックスが生じているのだ。ここに、冷戦体制崩壊以降の対抗運動が、もはや資本主義や権力の問題を不問に付すという傾向が生じるゆえんもある。

ニューエイジは宗教学者の島薗進が言うミドル・クラスの穏健な個人主義ばかりではなく、(あるいはオウムもそうであったように)過激なコミューン主義も浸透しているのである。それはアナキズムが個人主義的な自由主義を標榜したりする融通無碍な思想であることと同様だろう。アナキズムは、穏健でもあれば過激でもありうる。ニューエイジはアナキズムときわめて親近的である。

アナーキズムへの微妙な思いがMorris.にはある。もしかしたら、その融通無碍なところに侵食されたのだろうか。

笠井潔がニューエイジ的な作家・評論家であることは、それほど認識されていなかった。しかし彼の活動において、ニューエイジは本質的なものであったと推定される。笠井のニューエイジは、そのロマン主義的性格から、終末論や千年王国への親近感としても表現される。
笠井のニューエイジ的思考は、セカイ系と呼ばれるライトノベルやアニメを称揚する近年の評論活動にまで及んでいるだろう。笠井自身は、「西海岸」のニューエイジの一部がそうであったように、『国会民営化論』(1995)を書いて新自由主義(アナルコ・キャピタリズム)へと展開していくのである。これも巨大な資本の運動に連動することにほかならない。


笠井潔もMorris.は結構愛読していた。こういう風に分析されると、ちょっとあれれ??と思ってしまう。

1944年に谷川徹三が「今日の心がまへ」と題した講演で、宮澤賢治を求道者詩人と位置づけ、賞賛した。これは、その後の宮沢賢治の「国民的」名声に決定的な意味を持っている。谷川は「雨ニモマケズ」を「明治以降の日本人が作った凡ゆる詩の中で、最高の詩だと思ってゐます」と述べた。国策的にその自己犠牲の精神を賞賛された詩が、戦後は、その文脈が忘れられた。宮澤賢治が、日蓮宗系の愛国主義的な宗教団体である、田中智学の国柱会の熱心な会員であったことも、それほど問われなかった。

金井美恵子エッセイで、岡本太郎ともう一人、この宮澤賢治のことが気になってた。

宮澤賢治が確定的なテクストを残したリアリズム文学者であったら、その「国民化」はなされなかっただろう。それは、モダニズムを通過した特異な童話作家・詩人であり、ニューエイジ的なエコロジストであり、そのユートピア的コミューン主義も、夭折によって美しく「挫折」したからこそ、「国民的」に受容されえたのである。それらは、すべて一種の「挫折」であったという意味でもファンタジーなのだから、「国民」は、安んじて宮澤賢治のイメージを愛惜するだけである。宮澤賢治の「国民」化がミドルクラスのロハス的気分以上のものでないゆえんである。

ブームと言えそうな宮澤賢治人気のなかで、Morris.はどうしても違和感を覚えていた。だからこういったネガティブな論調にはついつい同調したくなってしまう。

ヌーヴェル・クリティック内の一流派である主題論的批評(テマティスム)は、科学哲学者でもあったガストン・バシュラールの物質的想像力論を先達として、ジャン=ピエール・リシャールや初期のバルトらによって導入された。バルトの『ラシーヌ論』、バシュラール『水と夢』、リシャール『マラルメの創造的宇宙』などが、その代表的なものとして知られる。
1990年代の日本では、テマティスムは批評の手法としては誰もが手軽に使えるほどに世俗化しており、文学批評の領域では忌避される傾向にさえあった。


バシュラールの「水と夢」には、懐かさを禁じ得なかった。難しかったけど何か美しかった(^_^;)という記憶がある。再読してみたくなった。ああいう方法を「テマティスム」というのははじめて知った。今では時代遅れらしいけどね(^_^;)

「大正期」の文学・芸術・思想は、一般に「大正デモクラシー」、「大正教養主義」、「大正モダニズム」、「大正アナキズム」などとして論じられているが、それらを含みつつ、それを「大正生命主義(命名 鈴木貞美)」と呼んでみることは、本書にとっても示唆的である。鈴木によれば、それは「日露戦争後から関東大震災に至る時代の思想・文化状況において、『生命』の語が氾濫し、『生命』という言葉がその時代のスーパーコンセプトとなった」ことと定義される。

今、Morris.が注目している、浅川巧や、柳宗悦などがこの大正精神の顕現者である。「生命主義」? うーーむ。

宮澤賢治が羅須地人協会設立に先立って書いた「農民芸術概論綱要」が、ウィリアム・モリスに深く示唆を受けていることはしられている。「農民芸術概論綱要」には、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」という言葉が読まれるように、それはまた、見田宗介や高木仁三郎が分析した意味で、きわめてニューエイジ的に解しうる生命主義である。

アナキズムは--とりわけ、クロポトキン主義は--「右翼」において継承されていたのである。右翼によって継承されたクロポトキン主義は、いわゆる「昭和維新」運動(丸山真男学派の用語では「超国家主義運動」)の中で開花し、実際に、青年将校たちのクーデター未遂事件として知られる、5・15事件(1933)や2・26事件(1936)の有力な背景となっていた。
昭和維新運動においては、「社稷」は謎語・呪文のように唱えられた。「青年日本の歌(昭和維新の歌)」の一節に、「財閥富を誇れども/社稷を思ふ心なし」とある。作詞・作曲は、5・15事件に参加した海軍青年将校で、戦後も右翼の大物としてあった三上卓である。
ニューエイジとは、言ってみれば、「社稷」のマルチカルチュラリズムであり、それを一つの社稷に特化すれば、「超国家主義」ともなる。それは大東亜戦争を遂行する「国民的」心性の中に浸透していった。戦後、中国文学者の竹内好が「大東亜戦争の二重性」と言って、侵略戦争とは異なったその肯定面を掬い上げようとしたことがある。それは、このクロポトキン主義的な「社稷」主義の側面だったと、明確に言うべきだろう。


「社稷 しゃしょく」は「社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)」ひいては「国家」を表す語で、著者はこれに「コミューン」とルビを振って使っている。「マルチカルチュラリズム」は「多文化主義」のことらしい。アナーキズムは左翼、右翼とはまた違った範疇の思想のようだ。

「昭和維新運動」とは、何とニューエイジ的な運動だろう。宮澤賢治の文学と思想が、正確にこのサイクルの中にあることは言うまでもないだろう。それは、農村コミューンを構想し、日蓮宗国柱会に入信し、宇宙と個人の無媒介な合一を夢見た。いや、そのことゆえに、1970年代から1980年代のニューエイジ的思考に称揚された。

「大逆」事件で天皇暗殺を本気で企てていた管野スガは、日本のペロフスカヤと見なされた。……「大逆」事件の後、夏目漱石が主宰する「東京朝日新聞」文芸欄に、ペロフスカヤをモデルにしたオスカー・ワイルドの戯曲「革命婦人」が連載された……菅野とペロフスカヤの、テロリズムの意図は異なっていたと言うべきだろう。菅野は、天皇が神ではなく人間であることを証明しようとして、テロによって血を流させようとしたと、遺書「死出の道艸」で記している。いわば、超越性を否定するテロリズムである。これに対してペロフスカヤは、スラブ的超越性を回復するためのテロリズムであった。
菅野スガをペロフスカヤに、ひそかにすり替えるこの行為において、天皇制への批判は封印された。それを目論んだ者が夏目漱石であったことは、確認しておかなければならない。


こういった形での漱石批判ははじめてだが、かなりにアクロバチックなやり方だと思う。

テロリズムと親和的たらざるをえないアナキズムは、現在では、クロポトキンの『相互扶助論』に依拠したレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』において明確に表現されている。……もはや、能動的なテロリズムが不可能に思える今日、震災等の「自然災害」というテロのみが、人民の基底に今なお存在している「社稷(コミューン)」的なものを露呈させ、一瞬ではあってもユートピアを可能にしてくれる、というわけである(江戸家猫八百)。ソルニットにおいても、そのユートピアを阻害するのは、官僚エリートであり政治家である。

神戸震災の現場でも、たしかにこういった「擬似コミューン」が生成されたことは忘れられない。しかし、ユートピアを消滅させたのは「時間」だったような気がする。

問題は、「万世一系」によって、明治憲法がヘーゲル的=ヨーロッパ近代的な国家理性の無時間性を表現しているということなのである。それゆえ、社稷=市民社会が国家と対で捉えられる時、国家に対する抵抗や反逆としてあらわれる終末論的ユートピア主義は、国家の無時間性のなかに吸収されるほかない。つまり「ガス抜き」であり、国家は、社稷=市民社会による終末論的反逆、革命存在の可能性を前提とした反革命存在の可能性を前提とした反革命のフィードバック装置なのである。そのような事情は、戦後憲法においても変わっていない。

大事なことを言ってるようにも思えるのだが(^_^;) 理解には至らない(>_<) 

管理社会とは「人間から『誤り』を奪ってしまう」社会なのである。このような視点も、反核声明的な終末論に対する批判として有益であり、「安全」イデオロギーに対向するものである。終末は「誤り」によってもたらされ、安全とは最終的に「誤り」を認めないことによって可能になるものだからだ。

これは解りやすい(^_^;)

「宝島文化」を日本化されたアメリカ文化と見なすべきである。「宝島」本誌の若い読者は、そこで清志郎やブルーハーツの反原発メッセージに触れ、別冊宝島やフォアビギナーズに依拠して「理論武装」をはかった。それらが相互に齟齬をきたしていようとも、である。「宝島」というブランド名はそのようなものの総体であり、「何でもアリ」のアメリカ的日本文化という意味を担うべく転変していったと言える。

これもMorris.には身につまされる発言である。

そのような経済的余裕こそ、女性たちを全国各地の運動におもむかせることを可能にする。決して否定的にのみ言うわけではないが、暇と金がなければ「市民」運動などやっていられないのだ。

身も蓋もないのだが、反論できない。

従来の反原発運動が、基本的に冷戦体制と「平和共存」の枠内のものであったことは、繰り返し指摘してきた。社会党の反原発の論理が「ソ連を利する」ものであったことも、共産党の論理が「原子力の平和利用」でしかなかったことも、そのためである。新左翼の反原発運動が、地域住民闘争として、社会党の左ウイングでしかありえなかったことも、同様である。親左翼のなかで、もっとも可能性を秘め、政治的にもリアリティを持っていた毛沢東主義も、70年代以降の中国におけるその失墜によって、「政治的な」有効性を次第に喪失していった。
同様に、ベ平連運動は、それにコミットした、「市民」たちの主観的な思惑をこえて、「ソ連を利する」ものであった。


簡にして要を得た結論である。しかし、こういう論法は嫌われるだろうなあ。

「ゴーマニズム宣言」は、当初は薬害エイズ問題や部落問題にコミットしていたが、幾つかの契機を経てへて(主要にはオウム事件である)、1990年代半ばには完全に新保守主義化していった。「宝島文化」と同じ軌跡をたどっているわけである。

そういえば、Morris.がすが秀実の名前を知ったのも、「ゴー宣」でだった。

旧第三世界というマーケットへの原発輸出は、欧米や日本の巨大資本にとって、十分過ぎるメリットを、いまだ有している。TPP等、アメリカや中国を中心とする経済ブロックのなかで、原発を推進する国と「脱原発依存」の国の分業が達成されるかもしれない。それは、日本国内での「脱原発依存」を主張する政治家が、同時に、旧第三世界への原発輸出に積極的な理由と相互補完的である。国家資本主義的なブロック経済と新自由主義は相互補完的に混淆する。これは、たとえば日本における米軍基地を沖縄に押し付ける構造と同じだろう。

反原発輸出問題から、沖縄の基地問題にまで敷衍するあたりは、なかなかのものである。

福島第一原発から撒き散らされた放射性降下物への対応の問題と、原発問題は、峻別して考えられるべきである。前者が必須喫緊の課題であることはもちろんだが、同時に後者の問題が今や問われなければならないのである。原発とは日本の問題でさえなく、世界資本主義の問題であり、とりわけ旧第三世界において鋭く問われているということなのだ。福島第一原発事故被災者には酷な言い方かもしれないが、それを福島の、東北の、日本の問題だと集約することは、「広島」や「長崎」をもって反核を日本の特権と見なした「戦後」の反戦平和運動の轍を踏むことなのである。

この、いちおうの「結論」には、重みを感じる。
とにかく、本書をひと通り読んで(読み返して)、共感したり、印象に残ったり、わからないながら気になった部分を引用しながら、理解には程遠いMorris.である。時々読み返して考えてみよう(^_^;)

2013/12/18(水)●年越し米(^_^)/●

7時半起床。
今朝の血圧は212/109/69。
朝から雨。ということで、今日は一日パジャマモード。
午前中はベッドで読書。
午後は年間読書控えの編集。何と今年はすでに190冊読んでる(@_@) もっとも感想メモ無しのものもあるので、読書控えは160冊前後ということになるだろう。
竹馬の友(^_^;)の馬場茂くんから、武雄市橘町産の「さがびより」5kgが送られてきた。お歳暮というより、Morris.の年越し兵糧援助ということだろう。ちょうど米が切れてたところだったので、早速炊いていただく。おお、本当にお米が立ってる\(^o^)/ まさに銀シャリであるな。美味い美味い(^_^)(^_^)
ばばしゃん、ありがとうm(__)m 
名古屋のえむあいさんからも秘密資料(^_^;)のプレゼント到着。こちらもこれからのお楽しみの素である。感謝ハムニダm(__)m
気温とふところ具合は急降下だが、気分はぽかぽかである。
今日の歩数は0歩。


橘産「さがびより」 

横から 

上から 

【朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯】高崎宗司 ★★★☆☆ 2002/08/01 草風館。
1982年に発行されたものを98年に増補版、2002年にこの増補三版が出されている。著者は浅川巧の研究家というより顕彰者というべきかもしれない。
先に読んだ岩波文庫の「朝鮮民芸論集」も高崎編だった。それでも、先に浅川巧本人の文章のいくらかを読んで置いてよかった。

朝鮮総督府は、山林保護の名のもとに、朝鮮民衆の山林利用を厳しく制限した。朝鮮人は、生活に必要な材木をこれまで自由に無主空山で得ていたが、それらが国有地とされてからは、立ち入れば逮捕されるようになったのである。
巧は、幼苗が仕事であったから、植物の種を採集するために、朝鮮各地を旅行した。彼はいやおうなく朝鮮民衆の暮らしぶりを見聞きした。そして、ときには朝鮮総督府や日本人に対する怨嗟の声を聞いた。


1922~23年の浅川巧の日記を兄浅川伯教から譲られ愛蔵していたソウルの金成鎮が、96年「浅川巧全集」刊行を期に日記を高根町に寄贈することとなった。その時の覚書に「過酷な日本帝国主義の植民政策の下、しいたげられた被圧迫民族に対して、温情を注ぐことさえも日本の官憲ににらまれる事であった時代に、韓国人を心から愛して下さった巧先生は、泥池に咲き出た一輪の白蓮と申すべきである。」と書かれている。
本書には、その日記からの引用がいくらかあって、これが一番興味深かった。

山上から眺めると景福宮内の新築庁舎(朝鮮総督府庁舎)など実に馬鹿らしくて腹が立つ。白岳や勤政殿や慶会楼や光化門の間に無理強情に割り込んで座り混んでゐる処はいかにもづうづうしい。然もそれ等の建物の調和を破つていかにも意地悪く見える。白岳の山のある間永久に日本人の恥をさらしてゐる様にも見える。朝鮮神社も永久に日鮮両民族の融和を計る根本の力を有してゐないばかりか、これから又問題の的にもなることであらう。

Morris.には「韓国中央博物館」として馴染みの深い、あの西洋建築への罵倒である(^_^;) しかし1922年(大正11)頃に、こんなこと書けるのも日記ならではだろうな。この日記から80年後に、結果としてあの建物は[永久に日本人の恥をさら」すことは無くなったけどね。

朝鮮の工芸品にも改良の余地は沢山あると思ふ。然し朝鮮在来の手法を廃めて直ちに日本式の手法を採用することは改良ではなく破壊である。木工でも焼物でも日本式のものとの味をよく考へて見るがいゝ。霄壌の差である。

「霄壌(しょうじょう)の差」というのは「天と地の差」らしい。考えてみれば、日本の焼物も元をたどれば、秀吉の軍によって日本に拉致された朝鮮陶工が中心になって発展させたものであるし、日本の木工品にも見るべきところはあるわけで、「天と地の差」というのうは、ちょっと贔屓の引き倒しではないかいと思う。それくらい朝鮮に肩入れしてたということか。

日本は大東京を誇り軍備を花(鼻?)にかけ万世一系を自慢することは少し謹しむべきだと思ふ。
「君が金鵄勲章を貰つて凱旋する時、僕は非戦論者の故を以て監獄に居るであらう。これだけは僕の本音だ。


浅川巧の非戦論とか、博愛の精神は、キリスト教の影響も大きいだろうが、大正時代精神の発露のような気もする。

美術館の計画が具体的になつてから満一年だが、その間にぼつぼつ持ち込んだものが実に二十「チゲ」と荷車一台あつた。僕の部屋も荷を出したらすきすきして淋しくなつた。僕の四五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋しさを自ら慰めるあめには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かつて身近に置く様にした。

高崎も書いているが、自分の蒐集物のほとんど全てを美術館(柳宗悦、兄伯教らと協力して設立した「朝鮮民族美術館」)に提供した上で、お気に入りのいくつかだけを「預か」るという姿勢には、言葉を無くす。

道へ出ると美しく着飾つた子供達が嬉々として往来してゐる。朝鮮人の子供の美しさは又格別だ。何となく神秘の美しさがある。今日は何となく朝鮮の天下の様の気がする。この美しい天使の様の人達の幸福を自分達の行為が何処かで何時か妨げてゐたら神様どうあ赦して下さい。俺の心には朝鮮民族が明瞭に示された。彼等は恵まれてゐる民族であることも感じられた。

こういった文章を読むと、どんどん、浅川巧を好きにならずにはいられなくなる。
巧の勤務した林業研究院方面にも一度足を運びたいという気持ちが強まってたのだが、本書に掲載された略地図を見たら、巧が住んでた旧官舎は清涼里の北方、洪陵と世宗大王記念館のすぐ裏側に位置している。今年の韓国旅行中にMorris.は世宗大王記念館を訪れ、その後慶熙大学に廻ったのだが、その途中見かけた「科学研究院」というのが、どうも「林業研究院」だったらしい(@_@)

途中、中央に池を配した円形公園があった。科学研究院の付属施設らしいが守衛のアジョシに頼んでしばらくここで休憩兼ねてミニギター。守衛アジョシと、掃除のアジュマが喜んでくれた。(2013/05/15Morris.日乘)

ひょっとしたらMorris.は、浅川巧ゆかりの場所で韓国歌謡歌ったのかもしれない(^_^;)

著者の巧まざる筆が、浅川巧を遠まきにして、「浅川巧さんという人は朝鮮人から神様のように慕われていたようですね」とか、浅川巧は「朝鮮人以上に朝鮮の心が分かっていた」とか、気楽に賛美している日本人たち(その中にはある意味で柳もふくまれる)のある種のいやらしさを浮かびあがらせていることを、指摘せざるをえない。これらの言辞は、期せずして朝鮮人をおとしめていることによって、浅川巧の本意にも反しているのである。苦渋の末に創造された浅川巧の魅力的な生き方にぶらさがって、安直に免罪符や日本人としての「救い」を手に入れるわけにはいかないのである。この意味で、いっそう思いを致すべきは、浅川巧がそこに至るまでの苦悩のプロセスであろう。(梶村秀樹 朝日ジャーナル 1982年9月10日号)

本書の初版発行時の、書評の一部である。こういった、やや批判的な文章を増補版に引用するあたりにも、高崎の公明正大さが表れている。もちろんいちおう反論も掲載している。

そのとおりである。しかし大事なことは、巧を日本帝国主義の手先であったとして切り捨てることではない。なぜなら、あの時代の朝鮮支配について、日本政府の共犯者であるという責任から免れられる日本人は、ただの一人として存在しえなかったからである。そして、その矛盾の中にキラリと光るものの正体を見極めることこそが大切なことだからである。

Morris.のようなにわか浅川巧ファンも、これらの批判や分析は常に心に留めおきながら浅川巧の足跡を辿って行きたい。

2013/12/17(火)●ひさびさ仕事(^_^;)●

6時起床。
今朝の血圧は199/102/76。
昨夜はコタツトップでKBSableのストリーミングの調子が良かったので、粗い画質ながら全画面表示で歌謡舞台見ることが出来た。"인생 쌍곡선人生双曲線" というテーマ。「双曲線」というのが良く解らないが、「人生色々」ということだろう。
1) 가는 세월 行く年月/김도향 キムドヒャン
2) 꿈은 사라지고 夢消え去りて/문주란 ムンジュラン
3) 하숙생 下宿生/설운도 ソルンド
4) 과거를 묻지 마세요 過去は訊かないで/최유나 チェユナ
5) 과거는 흘러갔다 過去は流れた/오승근 オスングン
6) 울어라 기타 줄 ギターよむせび泣け/이효정 イヒョジョン
7) 불효자는 웁니다 不孝者は泣く/하춘화 ハチュナ
8) 인생 人生/김성환 キムソンファン
9) 부초 같은 인생 浮草人生/김용임 キムヨンイム
10) 울긴 왜 울어 なんで泣く/강진 カンジン
11) 한 오백 년 恨五百年/유지나 ユジナ
12) 황금의 눈 黄金の眼/문주란 ムンジュラン
13) 청춘을 돌려다오 青春よ帰れ/박상철 パクサンチョル
14) 쥐구멍에도 볕들 날 있다 鼠穴にも陽が射す日が来る/남보원 ナムボウォン
15) 여자의 일생 女の一生/정하나 チョンハナ
16) 바보처럼 살았군요 馬鹿みたいに生きてきたよ/김도향 キムドヒャン
17) 이별의 종착역 別れの終着駅/하춘화 ハチュナ.설운도 ソルンド

半分くらいは知ってる曲だったが、愛唱歌(太字)は少なかった。圧巻は11.のユジナ。うーーん、やっぱり、今現在彼女は一番旬の歌手かもしれない。16はMorris.の主題歌(^_^;)みたいなものだが、昨夜のキムドヒャンはあまりに崩しすぎた歌い方だった。
自転車で麻耶倉庫へ。埠頭に珍しい空色(セルリアン・ブルー?)の船影が見えたので、足を伸ばす。埠頭の西側にしてはかなり大きなばら積み船である。例によって、ネットで調べる。
RIO CHOPAIMO: 9644550
Name: RIO CHOAPA
Type: BULK CARRIER
GRT: 29218 t
Size: 182m X 32m
Summer DWT: 50633 t
Build: 2012
船籍国: PANAMA

奥井さん、荻野くんと3人で、吹田の中国向け船便ピックアップ現場。旦那はすでに中国に行ってて、中国人の奥さんだけだったが、日本語が充分通じたので特に問題はなし。現場は三階で、マンションにエレベータはあるのだが、えらく遠回りになるので階段降ろし(>_<)。昼休み抜きで2時近くまでかかって作業終了。久しぶりに荷物担いだので肩が痛くなった。
深江の東市場まで戻り、オリーブキッチンでチキンカツ定食。
4時前に倉庫に戻り、荷降ろしして、4時半に倉庫出る。もう一度今朝の船見に行ったら、もういなかった。これもネットで見たら、昼のうちに住吉浜に移動したらしい。
やっと年賀はがき入手。矢谷くんの友人竹田くんが郵便局に勤めてるので、年賀はがきは矢谷くん経由で購入することにしているのだが、このところずっと会う機会が無くて遅れてしまった。
今日の歩数は3944歩。

2013/12/16(月)●韓国語発音矯正作戦●

8音声翻訳結果(>_<)時半起床。音声翻訳
今朝の血圧は165/95/88。
NHKの韓国語講座はほとんど観てないのだが、とりあえず自動録画だけはしておいて、暇つぶしに時々見ることがある。先週9日の分を見たら、途中で釜山カムチョン(甘川)を訪ねるスキっトをやってた。例の山の斜面沿いの住宅密集地だが、これでまた観光地としての知名度が上がりそうだ。
ついでに毎日少しずつ読み進めている「重要韓国語文型100 中級編」。現在14文型目だから、ほぼ一日一文型のペースで進んでいる。
先日iPhoneにダウンロードした、NAVER辞書にあった、音声翻訳機能に挑戦することにした。画面に二つあるうちの左側マイクをクリックして韓国語で発音すれば日本語に、右側マイクで日本語で発音すれば韓国語になる。はずだったのだけど(^_^;)
とりあえず、今日の文型の例文にあったものを韓国語で読み上げてみたら、以下のように読み上げられてしまった(@_@)

旅行用の夏症、禁止、ジンイッ、威喝、たり、こと、イェチュクク、する科学者、が、多いです。

なんぢゃ、これは???(@_@)である。もともとの例文は、

来年の夏頃、大きな地震があるだろうと予測する科学者が多いです。
내년 여름쯤 큰 지진이 있을 거라고 예축하는 과학자가 많습니다.


「夏」と「科学者が多いです」以外は全て違ってるではないか。Morris.の韓国語の発音があまりよくないことはわかってるつもりだったが、いくらなんでもこれはひどすぎる。まあ、何度か再挑戦したら、ところどころは正解になるのだが、全文一発での翻訳はできなかった(;;)
試しに、日本語で読み上げて韓国語に訳するパタンも試してみたが、こちらもなかなか全部正解というのはかなり難しい。ということで、Morris.は、韓国語だけでなく、日本語の発音もかなり怪しいということが証明されたということになる(>_<) 
ひとまず、これから、文型テキストのレッスン時に、短い例文をこのiPhone翻訳機で読み上げて、発音練習の一助とすることにしよう。
その前に、文章ではなく、単語一つずつで訓練することも必要だろう。
「国会議員 국회 의원 クッケウィウォン」というのを試しにやってみたが、これがまた、何回やってもうまく行かなかった。そもそも、日本語で「コッカイギイン」と読み上げてもなかなか「国会議員」と認証してもらえない。やっと出てきた正解の韓国語発音を聞きながら何度も真似して発音して、やっとのことで認識してもらえた(^_^;) うーーん、これは役に立つかもしれない。
昼過ぎに王子動物園をちょこちょこと冷やかす。珍しく猛獣コーナーに行ったら、黒豹が高いところに座っていた。たいてい落ち着きなく動きまわって撮影しにくかった奴なのでチャンスと、アップで撮影。
動物園は早めに切り上げて、国体道路沿いに歩いて、大安亭方面に。途中「トランク」というこじんまりしたお手軽骨董屋冷やかす。「渡辺麸屋」の前の歩道に四角い竹籠が積み上げてあり、その中に、マッシュルームみたいな生麩がいっぱい入っていた。
例の猫好き八百屋で撮影させてもらい、食料買い出しして4時半帰宅。
今日の歩数は3441歩。


TV韓国講座にカムチョンが 

相変わらず人見知りのクロ

ササゴイの食事 

ライオン 

Jaguar 

黒ジャガー 

海驢 

今日のまぬう 女性上位
 

羊 

気易い骨董店 

生麩 

シャッター商店街(大日通) 

大安亭八百屋猫 

同じく 

高架下 

【別海から来た女】佐野眞一 ★★★☆ 2012/05/25 講談社
「木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判」」という副題がある。裁判前のルポと、裁判の傍聴記の二部に分かれている。

第一部は、木嶋の故郷の別海町の関係者を訪ね回ってロードムービー風に書いた。
第二部の傍聴記は、
徹底的に散文精神にこだわって、裁判で明らかになった事実だけを冷静に伝えるようにした。


読後感でいうと、あまり「冷静」ではいられなかった佐野の姿が垣間見られて、興味深かった。
こういった、殺人事件のルポなどはめったに読もうと思わないのだが、佐野眞一の名前につられてしまった。例の「橋下 ハシシタ」ルポ問題で、その後の彼の動向が気になってたこともあるしね。

木嶋佳苗事件は、ネット犯罪の典型と言われる。たしかにこの事件は、デジタルセカイの到来と密接にからんでいる。
デジタル世界とはひと言で言ってしまえば、」すべての価値を等価にするフラットな社会のことである。いささか文学的な表現をするなら、これまで世界をよくも悪くも階層化し、秩序づけてきた「等高線」を消失させた社会だと言える。
木嶋佳苗と交際することになったのは、地縁、血縁といったアナログ世界から外れ、佳苗が紡ぎだしたデジタル圏内に引き寄せられた男たちばかりである。
木嶋佳苗事件について世間があれほど沸騰したのはなぜか。
これまでのアナログ世界にとってかわるデジタル社会の急速な到来が、というよりデジタル化の恐ろしいほどの蔓延が、人びとに強い不安感をもたらし、その集団的無意識が、木嶋佳苗に対するバッシング報道となって昇華したのではないか。私にはそう思えてならない。


木嶋はまるで“仕事”のようにメールやブログを書いている。だが、いざ、婚活サイトで知り合った相手と対面すると、ほとんど会話らしい会話をしていない。
技術の急速な進歩によって恩恵を受けていた者が、手痛いしっぺ返しを食らうのは、何も原発事故ばかりではない。情報伝達技術の進歩も時として、こうした犯罪を生む。
インターネットが木嶋佳苗のような犯罪者を生んだなどと短絡的なことは言わない。だが、私たちは、万人を発信者に変えたインターネット社会の到来をもう少し懐疑の目で見た方がいい。


考えてみればMorris.も“仕事”のようにメールやブログを書いていると、言えなくもなさそうだ(>_<)
インターネットへの際限の無い依存の危険性は、常に危険意識を忘れずにいなくては。いや、すでにして、手遅れなのかも。

首都圏連続不審死事件はもっぱら木嶋佳苗という超弩級の女犯罪者の事件として扱われている。だが私はむしろ、木嶋に殺され、金をだまし取られ、冒瀆され、手玉に取られた情けない男たちの群像劇としてこの事件を描きたかった。それはこの事件を悲劇でなく、喜劇として描くということと同じである。悲劇より喜劇の方がずっと真実に近く、お涙頂戴の悲劇より格段に恐ろしい。

ここらあたりの「佐野眞一節」は健在だね。ちょっと安心。である。

2013/12/15(日)●PC禍再び(>_<)●

7時半起床。
今朝の血圧は165/85/78。
「挑戦千曲」。チャン・ユンジョンの司会が見られるのも後何回くらいだろう。今日のユンジョンちゃんは髪を後ろで二つ団子にしたみたいな髪型で、えらくハイテンションだった。妊娠初期の症状なのだろうか。
先日はHPノートがちょっと変調来したが、今日は擬似デスクトップのちびくろ2号が、ちょっとおかしくなった。デスクトップのアイコンクリックしたら複数のアイコンが選択されてしまう。うっかりそこでダブルクリックしたら、複数のソフトがいっぺんに開いたり、デスクトップ上にショートカットアイコン作ったりする。(>_<)
再起動してみたが、どうもうまくいかないので、完全に電源落として、しばらくして立ち上げたら、とりあえずは、普通に動いている。DEL坊がイカれて、早急に新機導入と思ってたのに、結局このちびくろ2号=擬似デスクトップで、一年近く持たせてきたことになる。いくらなんでもそろそろ年貢の納め時なのかもしれない。
今日は、何するでもなく、読書とメモと、ビデオで、部屋に引きこもってた。
土曜日の深夜に録画してた「忘れられた引揚者 終戦・北朝鮮で何が?」を見る。敗戦以後、北朝鮮にいた日本人の帰国が大幅に遅れて多くの日本人が悲惨な目に会い、多くの犠牲者も出たことの真相と回想を織り交ぜたルポで、国家のエゴと政治的綱引きに翻弄される庶民の悲劇を、思い知らされた。ブラジルや満蒙移民政策も、在日朝鮮人問題も、北鮮帰国事業も、根っこは同じものだろう。これはむくげMLで波戸さんから情報もらった。
今日の歩数は0歩。

【朝鮮民芸論集】浅川巧 ★★★☆ 2003/07/16 岩波文庫 
このところ、浅川巧への関心が高まって、伝記小説、その映画化に携わった人の本、解説書などを読んでるのだが、新長田図書館でこの文庫見つけた。巧の主な著書といえば「朝鮮の膳」と「朝鮮陶磁名考」の二冊らしいが、この文庫本には「朝鮮の膳」全編と、窯跡めぐりなどの短文、紀行文10篇余りが掲載されている。機会があれば遺稿となった「朝鮮陶磁名考」も読んでみたい。

正しき工芸品とはどんなものかというと、これには種々の定義もあり方面を異にした様々の議論もあると思うが、以上の結果から最も簡単な標準の一つを挙げれば、工芸品真偽の鑑別は使われてよくなるか悪くなるかの点で判然すると思う。……一方は使用する日数に比例してその品位を増し、使用者から次第に愛されて行くのに、一方は使われる月日の経つとともに廃頽に近づいて行くべき哀れな運命を持って生れて来ている。然るに朝鮮の膳は醇美端正の姿を有ちながらよく吾人の日常生活に親しく仕え、年と共に雅味を増すのだから正しき工芸の代表とも称すべきである。
一体器物の美しさは長い間の使用手入によって完成されることは前からしばしば繰り返して述べて来たが、その長い間の使用中にはとかく破損の厄を蒙る機会も多い訳で、当初数の多かった器物でも長年月の使用に堪え、破壊の厄を遁れ、研き上げられて現存する品は、実に尊敬すべき貴重品といわなくてはならぬ。


柳宗悦の「民芸論」に通ずる、というか、柳の民芸論が浅川兄弟との付き合いの中で醸成されたものと言えるのかもしれない。使う程に味が出て良くなっていく日用品の対極にあるのが、今で言うならいわゆる「100円ショップ」に並んでいるもろもろの使い捨て商品ということになるのだろう。

筆者はしばしば老練な匠人らの仕事場を訪ずれその熟達した手先きの働きを飽かずに見守って時の移るを知らないことがある。そこには特別な器具も複雑な設計もなくして仕事は淀みなくすらすらと進捗する。急ぎもしないが躊躇がなく自信のある運びである。その長煙管を嚼んだ白鬚の間から思い出したように時々煙を吐きつつ無念のうちに工作される。そこには少しの無理もないように見られ、実に平和な姿である。
何仕事でも終生倦まずに働き通せたらその人は幸福だと思う。人類全体もその人からお陰を蒙ることが多いであろう。けだし資本の向うを張る労働でなくて資本があってもそれに自由にされない仕事、またなくても勝手に仕遂げられる仕事でなくては人間に平安を来たらさないであろう。
現在の機械工業において職工は年寄れば廃人同様になる。これは職工ばかりでなく現社会のあらゆる階級において見る現象であって、人は仕事の興味を終生つづけることが出来ない約束が出来ている。然るに従来の匠人らは幸福に仕事をしたように思える。

職人への信頼と愛情あふれる、良い文章である。ここには原始的社会主義思考も感じられる。

普通に見る模様の種類は、鳥、蝶、魚、蝙蝠、鶴、梅、竹、芭蕉、草龍(唐草)、不老草(霊芝)、蓮花、蓮葉、菊花、牡丹、百合、柘榴、草花、卍、太極、双喜(喜喜)、唐寿福、完字、雷文、木瓜渦、雲、眼象、紗綾形、輪違、菱型等であり、いずれも寿福康寧を象徴するものが主とされている。以上はあるいは線彫、あるいは陽刻、あるいは透彫等の方法で極めて穏かに使いこなされ、自然に生れたもののような調子で刻みつけられてある。

朝鮮工芸に頻用される文様の羅列が嬉しかったので引用しておいた。これは木製の膳の縁や脚の飾り彫りへの言及だが、陶磁器の模様にも通じる。

ブレイクはいった「馬鹿者もその痴行を固持すれば賢者になれる」と。疲れた朝鮮よ、他人の真似をするより、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日が来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。(「朝鮮の膳」)

朝鮮と朝鮮人へのエールであり、一般の日本人が言うと鼻白むところだが、巧が言うと心からそう思ってるんだろうなと思ってしまう。

朝鮮の人達が古雅、堅牢、至便なそれらの型を捨てたことは非常な損失と考えられ心から惜しく思う。在来の古い型には寸法、体裁、実用等いずれの点から考えてもそのままの姿で直ちに役立ちかつ美しさに感心させられるものが少なくない。良き物の生れない世は砂漠の如く淋しい。(「朝鮮の棚と箪笥類について」)

機械工業による画一的大量生産製品への嫌悪感が、マニュファクチュアルな「民芸、工芸」品至上主義に肩入れすることになるのだろう。

これこそ朝鮮の味だという感じはこの三島が代表します。無造作のようで何処かに細心の処があり纏まらないようで落ち着きを失わず、放胆でありながら安定さと温味を傷けない、華やかでないが沈んでもいない。一体高麗青磁の系統のものは贅沢な形、強い線、華やかな模様を有っているが高台に安定さの欠けているものが多いのに三島手の特に南方のものには岩の上に建てられた家のような高台を持ったものが多いのです。
三島は仏教の盛な時かまたは仏教の余炎で焼かれたもの、白磁は仏教の熱が冷えて儒教の道に依って作られたのだと。直覚的にこんなことを思うのです。


「三島、三島手」は朝鮮ではプンチョンサギ(粉青沙器)と呼ばれる陶磁器、いや、これは逆で、粉青沙器を日本人がこのように呼び慣わしたもの。Morris.は朝鮮陶磁器の中では、この粉青沙器を偏愛してきただけに、この部分にはとりわけ共感をおぼえた。

夜は毎夜焼物のことで議論が沸騰します。中尾さんは科学者だから何時も論鋒が科学的です。小森さんは実際家だから方法論が多いのです。そこで家兄は何時も鑑賞的態度に出るのですから三人三様力瘤の入れ処が違うのでなかなか話しが乾ません。僕は大概黙って聴手になっていましたが愉快でした。
その夜はまた面事業事務所の温突で話に花が咲きました。話題はこの辺に理想郷を創設し昔のように窯業を興すということから産業、教育などまで理想的に計画しようというのでそれにはそれからそれへ枝葉がついて夢のように拡がりました。(「窯跡めぐりの旅を終えて」)


釉薬がどうの、陶土がどうの、技術がどうの、美学的にどうのと、侃々諤々の談義には口は出さないものの、それが焼物のことなら「愉快」がる、という巧のスタンスが好ましいものに映る。どうも、巧という人物は、回りの人々を知らず知らずに惹きつけるタイプらしい。

医者が陶器の煙管を口にして磁器の薬研から薬を盛ってくれ、大工が焼物の墨壺を持って木取をしている様を想像して、その頃の人達の平和な生活を思う。昔の花嫁らはクラブ白粉の代りに分院沙器の白粉壺や紅皿を持って嫁いだ。その壺や皿は年寄るまで愛用され朝な夕なに彼の女らのよき友となりまた更に孫娘の嫁道具うちに加えられ、そして常に軟き掌で磨き上げられ今日に到ったものである。(「分院窯跡考」)

このように穏やかな朝鮮の平和な生活とその中の陶磁器の関わりあいを牧歌的に思いながら、朝鮮の山々を略奪して、薪取り(窯業には必須作業)を禁止する、日本総督府政策への批判もあちこちに散見する。
こうなると、いよいよ映画「白磁の人」を観たくなるし、浅川兄弟を特集した「芸術新潮」(1997年5月号)にも目を通さねば、という気になった。

2013/12/14(土)●冬の薔薇●

9時半起床。
今朝の血圧は194/91/92
朝の3点セット。
今日も寒そうだけど、天気はいいので、昼前に部屋を出てJRで鷹取へ。須磨図書館経由で離宮公園に。寒さと強風でミニギターは無し。
クリスマス企画で、今週と来週の土日は午後7時まで営業。5時からはキャンドルイルミネーションももあるらしい。9月に来た時は薔薇はほとんど枯れていたが、今日はそれなりに咲いてた。薔薇自体は四季を通じて咲かせるように技術が進化してるのかもしれない。
「冬の薔薇といえば、韓国女性歌手イウンハ(李銀河)の「キョウルチャンミ」を思い出す。これはバラードの名曲である。You Tubeには複数の動画があっぷされていて、何とチョンヨンノクのカバーまであった。先日えむあいさんとも話したのだが、このYou Tubeを始めとする、ネットのフリー動画サイトというのは、とんでもないメディアだと思う。音源サイトも同様で、韓国ではCDの売上は日本どころではないくらい落ち込んでるとか。
植物園の温室ではポインセチア展やってたけれど、これはあまり興味が沸かない。それでも中は暖かいので上段のテーブルセットで一休み兼ねて読書。ふと脇を見たら外遊回廊に続く通りに白いダチュラの大きな株があって、これはすごく美しかった。
4時に離宮公園出て、ふらふらと須磨寺方面へ。
猫撮りしたりしながら、須磨寺もお馴染みだけど、ひと通りまわって。JR須磨駅に戻る途中、マンションの出窓に猫発見。部屋の照明のシルエットになってて、これは、と思って撮影。
JRで三宮に戻り、三宮図書館でくつろいで、ダイエーで買い物して8時半帰宅。
今日の歩数は8328歩。


昼の屋上 

離宮公園噴水虹 

冬の薔薇シリーズ #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

#9 

白のダチュラ 

同じく 

キャンドルの準備 

高台の噴水 

拾月桜 

潮見台から 

公園前の白黒 

片野邸 

上野邸 

須磨寺全景 

松月 

Twin Cats 

同じく 

千手観音 

三重塔 

児童の慰霊碑 

薬師三尊レリーフ 

シベリヤ満蒙戦没者慰霊碑 

心惹かれる雲 

逃げられた(^_^;) 

シルエット猫 

同じく 

2013/12/13(金)●네이버 사전 韓国版NAVER辞書●

7時半起床。
今朝の血圧は186/85/79。
今日も昼近くまでベッドで読書。
never辞書韓国版午後は読書メモ。
夕方散歩&買物に水道筋に出て5時半帰宅。
まもなくサービス終了になるNAVER韓国辞書の代わりをネットで探してたら、NAVER韓国語辞書が終了!なら、NAVER辞書(네이버사전)はどう?というページを見つけた。何とNEVER本家の韓国版があって、これはこれからもサービス使えるらしい。あせってインストール。百科事典や国語辞典(韓韓辭典)、その他、英語、日本語、中国語、ロシア語、フランス語……と、とんでもない総合辞典らしい。Morris.としては、何はともかく、韓日・日韓辭典として使えるかどうかが一番の気がかりだったのだが、何とか使えそうである。これは本当に嬉しい情報だった。
そしてこの情報を掲載してた「風の音」さんのブログ「風の吹くまま気の向くまま。~韓国語勉強中」というのが、これまた充実しまくりの内容だった。 かなりのベテラン学習者と思ったのだが、3年前に韓国語学習とブログ始めた時が18歳で、現在21歳とのこと(@_@)。それでもう韓検準二級受験(合格予定(^_^;)だと。うーーん。Morris.は彼の3倍以上年食ってるのに万年初級(>_<) 根本的に才能と姿勢と努力が違うようだ。その上嬉しい事に韓国トロットの大ファンとのこと\(^o^)/ ブログの中に20曲以上韓国トロット紹介のページが有りそのうち2/3はMorris.のレパートリーでもある。むくげの会の新鋭大和くんといい、この風の音さんといい、世間にはトロット好きな若者が健在ということで、心強さを感じた。これはリンク集に入れておかなくては。
今日の歩数は1891歩。


観葉植物(^_^;) 

水草(^_^;) 

照光寺のクロ 


2013/12/12(木)●周炫美談義●

7時起床。
今朝の血圧は202/145/79。
10時前の電車で鶴橋に行き、名古屋のえむあいさんと落ち合う。チュヒョンミファンつながりで、今や日本ファンクラブ会長である。
とりあえず、積もる話をということで、喫茶店に。最初、以前サランバンの店だった「マウム」に行ったのだがここは木曜定休だったので、「喫茶ヘバラギ」で、モーニングサービス頼んで、さっそくチュヒョンミ中心の話題で盛り上がる。えむあいさんは、今月23日ソウルハイアットホテルでの、チュヒョンミディナーショーに行くとのこと。ほとんどこの数年毎年のように行ってるそうで、これは羨ましい。
その後コリアタウンに足を伸ばして、桃谷の下町経由でまた鶴橋市場に戻り、一昨日も行った「テガ 大家」で昼食、と思ったらまたここも店閉まってて、、すぐ近くの「福ちゃん」に入り、Morris.はコリコムタン、えむあいさんはソルロンタン。この店はずっと前は結構よく行ったのだが、一時閉店してて、最近また再開店したようだ。他に客はいなくて店のアジュマ3人が、しきりに韓国で会話してたので、わしらも韓国語でちょこちょこと話しかける。その後も鶴橋市場回って、えむあいさんとは3時にお別れ。
今日は結構寒いので、Morris.も環状線で大阪に戻り、駅の屋上から北部の再開発地(ほぼ更地になっているを鳥瞰。その後六甲道に戻り、灘図書館冷やかして、帰りは水道筋で買い物して6時帰宅。
チャン・ユンジョンに関して嬉しいような悲しいようなニュース。来年6月出産予定というのは目出度いんだけど、芸能活動はしばらく休止ということになりそう。あの毎週楽しみにしてた「挑戦千曲」の司会も今月で見納めになりそうで、これは悲しい。再来年の復帰を待ちたい。
今日の歩数は7819歩。


Lサイズのマネキン(^_^;) 

鶴橋市場 

コリアタウン&平野運河 

「福ちゃん」でコムタン 

JR大阪駅北再開発中 

JR六甲道前ツリー 

2013/12/11(水)●春待ち同窓会?!!●

8時半起床。
今朝の血圧は184/87/85。
HP-note Blue午前中はベッドで読書。
午後はコタツトップで、読書メモの打ち込み。してたのだけど、HPノートのディスプレイが突然青色に(>_<) よくわからないのだが、10分後にWindowXPが立ち上がったのだが、保存してなかったので、3時間分くらいのメモは消滅してた(;;) もしかしたら内蔵HDメモリーがほとんど残ってなかったのでこれが原因かと、画像ファイルなど消去してゴミ箱も空にして、今度はまめにセーブしながらやってたら、またブルー画面に(>_<) 今度は強制リセットしてWindow立ち上げたが、これでは、コタツトップ赤信号であるな。
そんなこんなで、結局今日は部屋を一歩も出ず。
明日は名古屋のえむあいさんが大阪にバス旅行に来て昼間3時間ほど自由行動らしいので、鶴橋で会うことになった。
今日の歩数は0歩。

2013/12/10(火)●忘年会その2(サランバン会)●

7時半起床。
今朝の血圧は197/100/67
今夜はサランバン忘年会なので、早めに出て西長堀の大阪市立中央図書館覗くことにする。
11時の電車に乗って芦屋で新快速に乗り換えるとき、ホームから六甲山に低い虹が出てるを発見。とりあえずデジカメ撮影して視界が狭かったので、電車の窓から広く写そうと思ったのだが、電車が走り出したら消えてしまった(@_@)
11時40分図書館到着。
やっぱり、まず、地階の写真集コーナー。とにかくここはよく揃っている。一列四段の棚が合計11もある。おおまかに一段に50冊位あるから、ざっと2千冊はあるという勘定になる。とりあえず今日は「か行」の棚を片っぱしからチェック。写真集は平均して重いので、立ち読みは結構疲れる(^_^;)
気に入ったものはテーブルまで持って行って全部見る。印象に残ったのは「ラブ&ピース」(鴨志田穣)、「東京貧乏宇宙」、「東京ポートレイト」(鬼海弘雄)、「illumination」(かせ(糸+戸)屋良太郎)、「小島一郎写真集 東北」、「RETROSPECTIVE TWO」(MICHAEL KENNA)」それに数種類の廃墟写真などだった。しかし、なんと言っても嬉しかったのはアンリ・ブレッソンの「SCRAPBOOK」があったことだ。大型の豪華本で、紙質も印刷も素晴らしかった。もちろん、昨日もね(^_^;) こんな贅沢な写真集は手を洗ってから見るべきだろう
2時に図書館出て近所の散策。久しぶりにレトロな細野ビルヂングを再訪。2010年12月28日に仕事の昼休みに発見?して、覗いて、ビル主の細野さんと話して、特別に社長室も見せてもらった。今日も細野さんいたけど、すぐ銀行に行かねばということで、挨拶だけ。それでもこのビルはMorris.の好みである。
3時に地下鉄で鶴橋に出て歩いて桃谷駅へ。今日はここで歌麿会長と待ち合わせて、洪ママの見舞いに行くことになってた。サランバンの古い常連の三宅さんも京都からママの見舞いにやって来てた。
洪ママは見るたびに元気になってる感じだ。歌麿会長が持ってきた韓国カラオケDVDに合わせて、民謡を口ずさんでたくらいなので、来年中には、車椅子でのサランバン会参加も夢では無さそうである。
三宅さんは用があるので早めに帰ることになり、会長と二人「テガ 大家」で食事。5時半過ぎてて時間がないので、スンドゥブ定食。これがなかなか美味しかった(^_^) 会長おご馳走さまでしたm(__)m 隣の席に釜山アジュマ二人がいたので、釜山ゆかりの歌など一緒に歌う。
6時半サランバン会会場「ジュン」到着。中山、高森、榎本さんが先に来ていた。今日は比較的参加少なくて十人ちょっとだった。今日こそは、酒に呑まれないようにと思ったのだが、結局またまた榎本さんのビール攻撃(^_^;)11時過ぎに店を出て、何とか環状線から神戸線に乗り換えたものの。目が覚めたら三宮である(>_<) 当然、上りは最終出た後で、歩いて帰ることに。まあ、この距離はいつも歩いてるので大したことはない。2時前帰宅。
今日の歩数は8675歩。


六甲山に虹(芦屋駅ホーム) 

今日のベスト3 

MICHAEL KENNAの作品 

階段壁のデザイン 

吹き抜けドーム 

大阪市立中央図書館全景 

久々細のビルヂング 

一階フロア 

別の入口 

和光寺の不動明王 

三宅さんと洪ママ 

「大家」のヅンドゥブチゲ 

サランバン忘年会 

歌って 

踊って 

リラックス 

帰り道鶴橋猫 

その2 
2013/12/09(月)●アンナの失敗●

7時起床。
今朝の血圧は175/71/72。
朝の3点セット。
ホンジニョン応援ブログで時々紹介されてるバラエティ番組「アンナの失敗」というのを、You Tubeで覗いてみる。舞台は小さな会社。ホンジニョンは女事務員役。社長と男性社員二人相手にドジを連発する。15分番組で、いちおう話の流れはあるもののその中で30のギャグ、ということはだいたい30秒で一つのギャグということになる。言葉全く必要なしで笑えるのが1/3、Morris.程度の語学力でわかるのが1/3、残り1/3は見直したらわかるのと、、最後までわからない物半々くらい、ということで、少しは韓国語の勉強になるかもしれない(^_^;) ホンジニョンはどつかれたり殴られたりつっこまれたりで、かなりシモネタ系(トイレ、よだれ、鼻糞……)も多い。完全におバカなバラドル扱いである。
昼前、王子動物園。まぬう雌はあいかわらず岩の上で睥睨してたが、雄は地面の隅でいじけていた。どうもこのところ、雄の影が薄い。
資料館図書室で、読書。
その後、六甲山麓歩こうと思ったが、雨ふりそうな気配になったので、マルハチで買い物して4時前帰宅。
ついついYou Tubeで「アンナの失敗」見てしまう。朝から10本ほど見たことになる。もう充分である(^_^;)
今日の歩数は3214歩。


昼の屋上南側 

今日のまぬう雌 

今日のまぬう雄 

縞馬 

羚羊 

象舎 

水道筋駐車場猫 

実は3匹いた 

城内通黒 
2013/12/08(日)●騙し絵的窓●

7時半起床。
今朝の血圧は205/99/76。
風呂入ってSBS「挑戦千曲」見る。ノレチャラン司会のソンヘさんがゲスト出演。当然のごとく優勝である。5曲くらい歌ったのかな。
NEVER辞書サービス停止の告知昨日からiPhoneのアプリ(Google検索やapp storeなど)使ってる途中で突然メニュー画面に戻ってしまう症状が出て困ってた。ネットで検索したら「メモリが足りないのでは?」という回答が主だった。Morris.のiPhoneは32GBメモリで2/3ぐらいは残ってるはずだ。色々やってもらちがあかない。ふと思いついて、一端電源を切って再起動したら、何の事無く元にもどった(^_^;)。実はMorris.が一番よく使ってたiPhoneアプリと言えるNAVERの辞書サービスが今月18日で終了との告知があった(>_<) ここの韓国語辭典はそこそこ語彙も多く使い勝手が良かっただけに大きな痛手である。それで何か他の良い辞書アプリがないか探していて、アプリ中断症状に見舞われてちょっとパニック状態になったのだった。ネットで見てもNAVERに代わるアプリは見当たらない。小学館の有料版だと3900円もするらしいし(>_<) とりあえず、韓国語エキサイト翻訳アプリはインストールしたけど、辞書としては使いづらい(;;) 誰か無料(あるいは安価で)で使える韓国語辞書アプリ知ってたら教えて欲しい。
午前中はiPhoneに振り回されてしまい、昼から外出するつもりだったが、未練たらしくKBSab.eでノレチャラン開いたら、なんとか途切れず視聴できそうだったのでついつい見てしまう。ひどい画面だけど、最初のゲストがキムヘヨンだったためでももある(^_^)/。今日の放送は京畿道坡州市(パジュシ)篇。この町は出版会社を集中的に集めて、新しく建設した新興都市らしい。ここでもソンヘさん、小学生の民謡少女が出てくると、2曲続けて歌ってしまう、さらに、ハーモニカ持って登場した出演者に伴奏させてしっかりワンコーラス歌い切る(^_^;) と、今日だけで8曲近くソンヘさんの歌聴かされたことになる。まあ、元気なことが一番だから良いことだとしよう。
2時半に部屋を出てJRで新長田図書館に。先日読んだ白磁の人・浅川巧の本が新長田図書館にあることがわかったからだ。
前にも書いたことだが、この新長田図書館は韓国関係の本が充実している。浅川巧紹介本と、彼自身の著作を借りる事ができた。
その後は久しぶりに長田港方面散策しようかと思ってたのだが、図書館でいろいろ拾い読みしてて4時過ぎてしまったので、北側から兵庫駅まで歩くことに。
途中「会陽変電所」という看板を見つける。Morris.は旭変電所を始めとして、結構この変電所や水道局関係の建物に関心があるので、どんなのか気になったが、広い扉には小さな隙間しかなくて夕暮れで薄暗くなってることもあって、いまいちよく見えないが、何となく洒落たデザインのように思える。側面に回って、ちょっと離れたところから塀越しに撮影したのだが、何と望遠で撮影したら、正面にいっぱいある窓はすべて、ペンキで描かれているものだった(@_@) やられた~っ!!と思ったけど、これはこれでお茶目で好きかな。
結局ふらふらと長田神社に回ってから、神戸駅まで歩いて、7時前帰宅。
今日12月8日といえば、73年前に真珠湾攻撃、つまり太平洋戦争(日米戦争)の開戦日(アメリカ暦では12月9日)である。それに合わせてということもあったのか、昨日の深夜火野葦平のドキュメントが放映された。その録画(波戸さんから情報あり)ものを見る。北九州で5年間学生生活を送り、その間、若松や高塔山には結構足を運び、火野葦平にも親近感を持っていた。映画化された「花と龍」の原作者であり、玉井組の組長の息子で任侠的なイメージが強かったのだが、このドキュメントで、認識を新たにした。一兵士として赴いた中国で芥川受賞の知らせを受け、一躍人気作家となるが、従軍作家として利用され、戦後は罪の意識にも苛まれたようだ。昭和30年(1960)53歳で没後13回忌に公式に自殺だったことが家族から公開される。遺書に「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さやうなら」とあったとか。遺作「革命前後」ということと思い合わせると、時代に使嗾された死だったような気もする。
今日の歩数は7364歩。


「挑戦千曲」ソンヘさんゲスト 

民謡少女と2曲合唱 

ハーモニカ伴奏でも一曲 

蔦の葉も実も枯れて 

丘の上の給水塔? 

村野工高の猫 

今宵の月(長田神社) 

この変電所は初めて 

窓は全てペイント(^_^;) 
2013/12/07(土)●Home-work●

7時起床。
今朝の血圧は212/103/84。
昨夜あれだけビール飲んだのに血圧が高い。普通酒飲むと血管が広がるから血圧は下がるものなのに?
二日酔いでもないのだけど、今日はどこにも出る気なし。
朝のピーター・バラカン番組もリクエスト特集で、あまりこれといった曲もなし。
昼前から、今年の読書記録の整理。まあ、これは来年の年賀状の下準備という意味もあるのだけど。去年まで毎年のように読書量減ってきてたのが、今年は突然増量気配、しかも、やたら引用が多くて、えらく手間がかかってしまった。今日現在でざっと150冊超えてるようだ。今年もまだ20日ちょっと残ってるから、ひょっとすると去年の倍くらい読んだことになるかもしれない。結局、コピー&ペーストするだけで午後一杯かかってしまった。ホームページ作成ソフトが、一つのファイルの文字量が増えると極端に作業スピード落ちるため、しゃかしゃか作業が進まないということもあるし、BGVの歌謡舞台などで、好みの歌手や曲が流れるとついつい、見てしまうことも原因の一つだろう。
昨年ソウルで録画を見た「コンサート7080 チェベクホとチュヒョンミ特集」なんか、ずっと見続けてたものなあ。
その他の時間は、先日中央図書館で借りたヴィジュアル本、三宮図書館で借りた「芸術新潮 ブリューゲル特集」などを、これまた韓国歌謡流しながら、ぼんやり読書してた。
今日の歩数は0歩。


【紙上のモダニズム】構成・文 川畑直道 ★★★☆☆ 2003/12/25 六曜社。
「1920-30年代 日本のグラフィックデザイン」と副題にある。その20年間に日本で制作されたポスター、装幀、カットなどをオールカラーで紹介した
A5版のビジュアル本である。
目次と、注目される作家、作品を引いておく。

下村秀次郎作1.プロローグ 1900-10年代の印刷図案--橋口五葉・竹久夢二・杉浦非水
2,美人画から商業美術へ 近代デザイン運動の黎明--ポスター(酒ビール・資生堂・スモカ・演劇)
3.視覚の革命 前衛美術・プロレタリア運動--映画ポスター、「戦旗」「ナップ」表紙
4.乱立する個性 モダンデザインの諸相--広告マッチラベル、多田北烏・河野鷹思・水島良成・奥山儀八郎・原弘・恩地孝四郎・
5.伝統と近代の融合 対外宣伝に見る"日本的なるもの"--「TRAVEL in Japan」(原弘)・「NIPPON」(山名文夫)

付録:日本グラフィック・デザイン年表 1920-30年代


付録の年表は50P超える詳細なものである。本書の資料はすべて特殊製紙株式会社所蔵のコレクションで、その中核をなすのが当事者でもあった原弘のコレクションということらしい。
杉浦非水、山名文夫などはおなじみだったが、2.に掲載されてた下村秀治郎のポスター用の創作図案が特に印象に残った。

【道・白磁の人】小澤龍一 ★★★☆☆ 2012/06/15 合同出版。
著者は「白磁の人」映画製作委員会事務局長となっている。浅川兄弟の故郷山梨県北杜市の教育者で、兄弟の後輩に当たるらしい。
本書前半は兄弟の生涯のアウトライン、後半は映画製作の経緯ということで、ありがちな、映画製作の宣伝めいた代物かと思ったのだが、誠実な人柄の著者が、製作に向けての努力と、度重なる障害を乗り越えて完成にこぎつけるまでの感動的な記録だった。著者の歴史認識、社会運動意識等々には、教えられるところ多かった。

当時(日露戦争に勝利した1905年)の欧米列強の視点で振り返れば、日露戦争でロシアを支持したのは仏独であり、日本を支持したのが英米であった。日露戦争といっても戦地のほとんどが半島とその領海で行われ、日本は欧米列強の植民地支配の代理戦争を演じていたとも言える。そのいずれもが朝鮮の地を狙っており、迷惑なのは戦火に逃げまどい、他民族に支配される朝鮮民衆である。

日露戦争が、代理戦争というのは前にも聴いた覚えがある。その戦場の大部分が朝鮮半島とその領海という視点が抜け落ちていた。

朝鮮では、古くから山林は「無主公山」とされ、誰もが自由にオンドルで燃やす薪を山から切り出していた。また、山に火を放ち、焼畑農業を行うことが常態化していた。「火田民」と呼ばれる農民たちは、田畑を切り開くために次々と山に火を放っていた。当時はまあ「治山治水」「植林行政」という概念が発達していなかったのだ。
1911年に公布された、朝鮮総督府による土地調査事業だった。朝鮮臣民の自主申告によって土地所有権を明確化することが大義名分として掲げられたが、住民には複雑な申告手続きはハードルが高く、結果として、多くの山林や農地が「所有者なし」とされ、ほとんどの無主公山が「国有化」された。近代的土地所有観念が浸透していない朝鮮で、一方的にしかも日本語で布告するという暴政だった。朝鮮総督府が国有地として没収した土地は、朝鮮全土の40%を占めたという。
取り上げた山林・農地は、売りに出され、日本の資本家によって買い占められた。山林の立木は伐採され、各地に日本人経営の製材所が乱立して、その材木は日本に運び出された.。
土地を失った膨大な数の民衆が都会に出て、流浪の民となり、満州や沿海州を北上し、北樺太にまで移り住んだ。また一部の人たちが日本に渡る。在日朝鮮人の第一世代の源流である。


土地調査事業という名称とは裏腹に、「日帝」による土地分捕り作戦だったわけだ。これが在日朝鮮人の第一世代となったという事実は忘れてはなるまい。

「何かのためにしやうと思って結束した集団は個性をはづかしめる」(1922/08/27の浅川巧の日記)

浅川巧が信仰していたキリスト教機関への疑念である。これは宗教とは関係なしに同様なことになりがちであろう。

「無政府主義」はアナーキズムとも呼ばれ、国家権力などいっさいの権威を否定し、個人の自由な合意のみを基板とする社会をめざすものだ。マルクス主義のような階級史観や組織論は希薄で、ユートピアを求める文人好みの思想といえる。

アナーキズムが文人好み(^_^;) という視点には、ちょっと共感してしまった。

直木賞作家の井出孫六氏は、「国を越えた日本人」で浅川巧を取り上げている。

この本も神戸市図書館には無いようだ。

アメリカの市場原理を安易に取り入れた日本政府は、暴走する金融経済にブレーキを用意するどころか切り捨てた。その波が、この映画製作にも押し寄せていたとは……そこまで洞察する力がなければ、市民と地方行政が手を組む映画、その実現さえ困難なのだろうか?
「市場原理は経済の万能薬」「聖域なき構造改革」、そんな言葉が叫ばれていたのは記憶に新しい。あの時代、郵政民有化法案が、まるで特急列車が通過するようなスピードで国会を通過した。その事態に反対の狼煙も上がらないほど、国民の危機感はマヒしていたのだ。
それ以来、日本は金融政策だけでなく、福祉・教育・文化の領域にまで、アメリカが主導する市場原理主義を安易に導入してきた。教育や文化に「費用対効果」を組み込むのは、人心を荒ませるだけである。人心が荒めば無縁社会が無限化する。


「白磁の人」の映画化に、小泉政権の「新自由主義」もどき制作が影を落としてたとのこと。単にコマーシャル、町おこしみたいな気分でこの映画を作ろうとしたわけではなかったことの表明でもある。

浅川巧が黄泉に旅立つ最期のひと言が、「私には責任がある」であった。
この責任とは、人間として生まれてきた責任である。民衆を超え、性別を超え、目の前にある差別を! 目の前にある暴力を! 目の前にある破壊を! 憎しみあう人間のおぞましさを! 人間として、どの地においても正さねばならない責任であり、憎しみの連鎖を断ち切る責任である。国境という人為的断絶を生み出した人類の仕業を贖罪し、他民族が他民族を侵した過ちを反省し、歴史を真摯に見直すことこそが浅川巧が自覚した「責任」である。
さらに浅川巧にとっては、朝鮮民衆の生活用具に込められた民衆の情味を記録し、保存する責任があった。


筆者自身に、文人的アナーキズム好みが垣間見られる。

思い返せば、浅川伯教・巧の人生は、大洪水や関東大震災と重なり、その災害からの復興が彼等を鍛え、さらなる実践行動へと駆り立てていった。
浅川兄弟は韓半島のポジションから世界を広く眺め、朝鮮民衆が生み出した「用の美」をもって植民地支配と対峙し、国家間の争いには勝利者はないことを理論と実践で示した。武器による一時的な勝利は、自らを滅ぼす道程に過ぎない本質を改めて理解しなければならない。


浅川兄弟に自己の理想主義を仮託したような文章である。しかし、理想主義は得てしてユートピア思想になってしまいがちである。

小説「白磁の人」映画化実現への道のりは、私に貴重な学びの場を用意してくれた。人生の集大成にあたり貴重な体験を用意してくれたjことに感謝している。

この映画も機会があればみてみたい。
今年5月の韓国旅行では忘憂里の浅川巧の墓にお詣りに行ったことを思い出す。

【白磁の人】江宮隆之 ★★★ 1994/05/20 河出書房新社。浅川巧を主人公にした伝記的フィクションである。それまで日本での知名度は低かった浅川兄弟を知らしめるに貢献したらしい。
あまりにも、綺麗事で作られた物語という感想を否みえない。

あとがきに、朝鮮と日本陶磁器の関わりをまとめた文章があったので、適宜省略して引いておく

1.古墳時代から平安時代の須恵器が、日本化して瀬戸、常滑、備前など地方に展開して中世窯業の元となる。轆轤、登り窯。
2.中世、室町期の茶の湯の流行。李朝の雑器を珍重。井戸、粉引、三島。
3.豊臣秀吉の朝鮮侵攻で、半島から陶工を大量に連れ帰り、結果的に半島の陶磁器を衰退させ、日本の焼き物業振興。
4.李朝白磁の美への再認識。浅川伯教、巧兄弟、柳宗悦。民芸運動。


(浅川巧の)生き方は地味で本当は小説の素材にはなりにくいのではないか、と危惧したこともあったが、巧があの時代に朝鮮で生きたことを描くだけで意味があるのではないか、思いつつ書いた。(あとがき)

2013/12/06(金)●忘年会その1●

8時起床。
今朝の血圧は183/96/66。
今夜は三宮でクラウンの忘年会があるので、ついでに散髪もしとこうと思う。
4時前に部屋を出て、歩いて(^_^;)元町まで出て、阪神理容で散髪。今日のおっちゃんはちょっと愛想悪くて、何度も顎を引くよう嫌味いわれたりもしたが、まあ10分足らずのことであるから辛抱しよう。阪神理容の特長は安い、速い、無愛想だもんね。
忘年会は7時なのでそれまで三宮図書館で時間潰そうと思ってたのだが、大丸前は大混雑。そうか、昨日からルミナリエ始まったんだ、と思い出して、せっかくだから入り口だけでも、デジカメ撮影しとこうと思った。入り口付近はかなりの人混みだったが、点灯は6時とのこと。まだ5時半前である。しかたなく待つことにする。結局人が多いので5時45分に点灯。こういうのはじわーっと明るくなりそうなものだけど、ルミナリエの照明はは瞬間的に点灯するからあっけない気もする。去年も見たし、そう変わり映えするものでもないので、予定通り、入り口付近を数点だけ撮影して、三宮にもどり、イシバシ楽器をひやかしたら、KORGの「BEAT BOY」という超小型のリズムマシンがあった。携帯電話を一回り大きくしたくらいで、100種類のリズム、チューナー内蔵、録音機能付きという、Morris.が前から欲しがってたタイプである。6千円ちょっとということで、一瞬買いそうになったが、とりあえずどんなものか、ネットでチェックしてからということにする。←これは正解だったようだ。
7時丁度に忘年会会場「神蔵屋」に。20人ほどが勢揃いしてた。2時間飲み放題(注文は1時間半)ということだったが、結構飲み物の種類には制限ありそう。まあ、Morris.は外ではビールに決めてるから問題なし。問題は出てくる料理で、「地鶏と鮮魚」と謳ってるのに、焼鳥は見るからに不味そう(一口食べてやめた)だし、刺し身は見た目はまずまずだったが、味の方は☓で、もう、Morris.はひたすらビールを飲みまくった。浅海くんとふたりでピッチャー5、6本は空けたと思う(^_^;)
なんとか、つぶれずに9時半帰宅。
今日の歩数は8520歩。


旭変電所 

朝日通の猫 #1 

#2 

#3 

元町大丸前 

ショーウィンドウ 

ルミナリエ点灯を待つ人々 

点灯直前・直後 

お約束画面 

三宮センター街 

忘年会 

記念撮影 

2013/12/05(木)●秘密保護法強行採決(>_<)●

7時半起床。
今朝の血圧は172/73/86。
朝の3点セット。
ほとんど午前中いっぱいかけて、昨日の日記(というより画像)編集作業。
実は昨夜は水道筋で買ったスルメイカ2杯を刺し身にして日本酒飲んだのでほとんど作業出来ず、100点超える画像、特に拡大画像と小画像とのリンクは手作業なので、これが40点近くともなるとかなりの手間だった。これだけ画像が多い日というのは韓国旅行中でもめったにない。
昼は昨日のイカのゲソで焼きソバ作る。麺よりイカが多いくらい(^_^;)だったが、なかなか美味しかった。

午後は散歩がてら、コーナンから水道筋方面回り、4時半帰宅したら、参院で秘密保護法、与党の強行採決されてた(>_<) まあ、昨日の時点でほとんど予想されてたけど、これは日本の「冬の時代」の始まりかも知れない。
また某所より、先週12月2日の歌謡舞台のDVDが送られてきた。最近PCでのKBS視聴が難しくなってるだけにありがたい。12月2日の1351回歌謡舞台は"겨울의 길목 冬の街角“ というテーマだったらしい。何かあまりにも今日の気分に棹さすような企画である(^_^;) でもありがとうm(__)m←某氏

1) 눈이 내리네 雪が降る/チェジニ&キムヨンジャ
2) 빨간 선인장 紅いサボテン/キムサンヒ
3) 눈이 내리는데 雪が降るのに/カンミンジュ
4) 첫눈 내린 거리 初雪の街/キムミンジョン
5) 카페에서 カフェにて/チェジニ
6) 커피 한 잔 珈琲一杯/チャンユンジョン
7) 다방의 푸른 꿈 茶房の蒼い夢/キムヨンジャ
8) 번지 없는 주막 番地の無い酒幕/ペグムソン
9) 고향 아줌마 故郷のおばさん/パクチョンシク
10) 충청도 아줌마 忠清道おばさん/현당
11) 모정의 세월 慕情の月日/ペグムソン.パクチョンシク.ヒョンダン
12) 부모 父母/イヘリ
13) 내 인생 후회는 없지만 人生に悔いは無けれど/キムクッカン
14) 내가 난생 처음 여자가 되던 날 私が初めて女性になった日/チンミリョン
15) 빙점 氷点/キムヨンビン
16) 고향설 故郷の雪/ヒョンチョル


1.の「雪が降る」はアダモの曲である。これは韓国でもヒットした。チェジニがカペノレ風にお洒落に歌い始めたのに、キムヨンジャはド演歌スタイルで歌い、チェジニもそれにつられて二人でコブシ回してた(^_^;) 5.「カペエソ カフェにて」はチェジニの持ち歌の中ではMorris.は一番好きな曲である。そして6.のチャンユンジョンの「珈琲一杯」はシンジョンヒョン作品でポルシュトジュ(Pearl Sisters)。簡単そうで難しい曲である。7.は「木浦の涙」のイナニョンの曲で、途中「セントルイスブルース」のメロディの出てくるジャズっぽい曲だが、これまたキムヨンジャはド演歌で歌いきった。12.は今年Morris.がすっかり気に入ってレパートリーにしてる曲だが、このところ、よく歌謡舞台で歌われてる。もちろんMorris.のせいではなく、映画「全国ノレチャラン」のおかげだろう。14.はさだまさしの「親父の一番長い日」(よくは知らないけど)みたいな曲である。DVDプレイヤー買い替えて正解だったと思う。今のところ全くフリーズなどは起きていない。
今日の歩数は8829歩。


ゲソ焼きソバ 

最低モニュメント(JR灘駅前) 

敏馬神社のお洒落な飛び石 

逃げられた 

飛行機雲 

コーナン横の白雉 

都賀川の鶺鴒 

今日からルミナリエ(これは水道筋(^_^;) 

12/2歌謡舞台のチャンユンジョン 


2013/12/04(水)●MAYA-KAN●

7時起床。
今朝の血圧は179/83/60。
朝風呂、掃除。
サンドイッチ作りながらTVで国会中継、秘密保護法案、こんなもん強引に通したら末代までの恥だろう。
11時に部屋を出てふらふらと神戸高校から摩耶ケーブル駅経由、丸山公園、徳川道通って、今日の目的地「MAYAKAN」へ、先日中江くんと有馬温泉まで行って、結構歩くのには自信がついたので、これくらいは軽い、と思ったのだが、このルートは結構傾斜がきつくて、途中で何度かへばりそうになった。
中江くんからもらった山渓の「六甲山特集」の付録地図だと、一時間コースらしいが、ざっと一時間半くらいで「MAYAKAN」到着。「MAYAKAN」とは摩耶観光ホテルのことである。

現在は廃業し、そのアールデコ風のユニークな建築は廃墟となっており、内部は経年劣化による損傷が激しく危険であるため、完全に立入禁止となっている。(Wikipedia)

と、いうわけで、本当は入ってはならない場所なので、あまり大っぴらに名前を出すのを控えたのだった。Morris.は20年以上前に一度ここを訪れたことがある。たしか春待ちの連中と一緒だったと思う。当時は立入禁止ではなかったと思う。あまり時間もなくて、それほど記憶にも残っていない。昨今の廃墟ブームで、ときどきその画像を見て、なんかすごいなあ、と思ったりしてた。立入禁止とはいっても、こうやって入って撮影してるようだし、マニアの間では「廃墟ファン永遠のあこがれ」(^_^;)なんて声もあがってるらしい。これは一度行ってみなくては、と思った次第である。
で、その結果は、下の画像を見てもらうしかない(^_^;)
2時間くらいいたのかな。テラスでサンドイッチ食べて、デジカメ撮りまくり。Morris.は廃墟マニアではないけど、これはマニアにはたまらん聖地だろうということは理解できた。
本当は、今日は摩耶別山の天上寺まで行こうと思ってたのだが、MAYAKANでお腹いっぱいになったので、そのまま下山することにした。
帰り道は上野道。このルートはなだらかで、楽々である。帰り水道筋で買い物して、5時帰宅。
いやあ、なかなか楽しかったなあ(^_^)
今日の歩数は16472歩。


神戸高校 

蛾 

まや霊園の石仏 

丸山公園下の猫 

同じく 

砂防ダム 

サーチライト? 

やっと辿り着いたMAYAKAN 

20年ぶりくらいか 

石段 

破れ窓 

黒い扉 

一階フロア 

同じく 

窓 

浴槽 

浴槽 

ドーム窓 

神秘的階段 

窓から紅葉 

シャンデリア 

厨房 

冷蔵庫 

その上の発動機? 

外の石段 

ここも厨房 

ビール瓶 

このカーブが特徴 

テラス 

ホール? 

サンルーム? 

テラスから紅葉 

大ホールへの階段 

大ホール 

舞台奥には壁画?が 

舞台から 

これがエントランス? 

テラス  

配電盤  

西側 

滅びの美学 

外壁 

MAYAKAN全景 

芸術的に傷んだ鏡 

ここはちょっと怖かった 

こわごわ覗く大ホール 

屋上への階段 

外枠しか残ってない(^_^;) 

これが屋上 

台風で倒れた煙突 

長居は無用 

墜落したタイヤ 

シャンデリア 

金庫 

窓の留金 

扇風機ではない 

三角木枠 

スカッとさわやか 

ペプシもあるよ 

灰色の…… 

かき氷器のある部屋 

来訪者の忘れ物 

?? 

天井芸術  

窓紅葉  

壊れた電話機  

お洒落な照明 

侵入する植物 

ここにも鏡が  

緑の階段  

同じく  

同じく  

窓紅葉  

一番好きかも(^_^;)  

廊下  

窓  

大黒柱  

地下のボイラー?  

Good Design!!  

テラスから  

Twin煙突  

基本はアールデコ  

如雨露  

墜ちたシャンデリア  

さよならMAYAKAN  

ロープウエイ駅から  

上野道出口付近  
2013/12/03(火)●死の讃美●

6時半起床。
今朝の血圧は168/75/82。
ゴミ出しして、しばらくベッドで読書。
遅めの朝風呂済まして、自転車で三宮に出て、銀行、三宮図書館。
帰り、大安亭で買物。例の八百屋で、飼い猫のチャロと野良雉が一緒に餌もらってた。
3時半帰宅。
左手の腫れはかなり引いたようだが、ミニギター挽くのはまだちょっと辛い、というわけで、またまたノレバン98号で遊ぶ。途中でノレバン98号フリーズ(>_<) でも再起動したら普通に動いた。ノレバン98号の韓国カラオケCDは、日本ではWin.98でしか動かないので、ノレバン98号がアウトになったら、なんとか98機さがすか、それともWin98を再インストールするか迫られることになるだろう。
死の讃美のチャン・ミヒ久しぶりに韓国映画「死の讃美」見ることにする。3時間という長尺ものだが、Morris.はこれはもう10回以上見ていると思う。初めソウルの場末の映画館で見て、また見たいと思ってたら韓国の友人から2本組のVHSテープが送られてきたので、嬉しくてこれを何度も見なおしたのだ。その後名古屋の朴燦鎬さんに頼んでDVDに落としてもらった。今回は当然DVDで見たのだ。DVDプレイヤー新調したから、安心して見られる。
もちろん韓国版だから字幕はない。日本ロケも多く、結構日本語の台詞もあって、ストーリーはだいたいわかってるし、音楽映画なので、それだけでも楽しめる。やっぱり「鳳仙花」の場面が最高である。あとで、この場面見たいと思ってもVHSテープだと大変だったが、DVDだと簡単に何度でも見られるのがありがたかった。
夜は亀田兄弟がらみのボクシングやってたので、見るともなく見てたが、亀田大毅とソリスの統一戦タイトルマッチのはずが、対戦相手のソリスが減量失敗でWBAチャンピオンを剥奪されるという、オソマな事態で、それでも試合だけはやるというへんてこなことになってしまってた。
今日の歩数は3190歩。


大安亭八百屋猫 

旭変電所前雉白 

銀杏 

2013/12/02(月)●元気なキングペンギン●

7時半起床。
今朝の血圧は185/81/70。
朝の3点セット。
左手の痛み、少しは収まったが、まだミニギターは辛そうなので、ノレバン98号でしばらく遊ぶ。
昼過ぎ王子動物園に。まぬうは相変わらず上と下で睨み合い? 
動物資料館図書室で写真絵葉書でも書こうと思ってたのだけど、何とボールペンが詰まって文字が書けない(>_<)
仕方ないので、動物の写真集など閲覧して、外にでる。資料館前はペンギンエリアで、王子動物園にはペンギンは2種類だけで、小型のマゼランペンギンはいっぱいいるが、大型のキングペンギンは一匹だけ。以前は2匹いたのだけど、昨年か一昨年に片方が死んでしまい、一匹になってしまった方は何となく寂しそうだった。隔離室でも、たいていじっとしてた。時々マゼランペンギンと同じ広場に出ても、あまり動かない。ところが、今日ははじめから歩きまわっている。羽を広げたり、首を曲げて嘴で背中やお腹の毛づくろいしたり、池に入って泳ぎまわったりと、いやに元気である。気温が下がって故郷の環境に似てきたので嬉しいのかもしれない。とにかく良かった(^_^;)
4時半に部屋に戻ってから、散歩がてら水道筋に買物に。照光寺の黒は見当たらず、裏の市場の方にいた(^_^)
マルハチで安い豚肉の塊と小大豆もやし買って、残ってた白菜キムチ大量に混ぜて豚キムチで、晩酌。なかなか豪快で美味しい。(って、飲み食いしながらこれを打ってる(^_^;))
ネット時代になって、もうその存在意義が消失したのではないかと思われる「現代用語のクソ知識」選の新語・流行語大賞、今年の大賞には「じぇじぇじぇ」「倍返し」「お・も・て・な・し」「今でしょ!」が選ばれたとか。大賞が4個というのは異例らしい。この流行語大賞は1984年に始まった。詳しいことはこちらを見てもらうとして、どうもこの企画は途中から迷走してるのではないかと思ってしまった。流行語でも新語でもないものが多すぎるし、そもそも、流行り言葉を審査員が序列付ける事自体がナンセンスではなかろうか。
今日の歩数は6065歩。


動物園前の人見知りクロ 

今日のまぬう雌 

今日のまぬう雄 

動物園内の効用 

キングペンギンとマゼランペンギン達 

活発なキングペンギン 

泳ぐの見るのも久しぶり 

プルプルプルッ 

照光寺クロ 

【昭和の女優】伊良湖序 ★★★ 2012/03/29 PHP研究所。「今も愛され続ける美神たち」という副題で、昭和の女優9人(原節子、田中絹代、京マチ子、淡島千景、岸恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、倍賞千恵子、岩下志麻)を採り上げ、末尾に香川京子のインタビューが掲載されている。
著者は1949鳥取県生れ、神戸新聞学芸部でコラムを担当。神戸震災後「神戸100年映画祭」のプロデューサー。
矢谷くんがこの本もってたので、ちょこっと拾い読み(浅丘ルリ子)したら面白そうだったので、読むことにした。矢谷くんは著者と個人的に親交があるらしい。
本書とは直接関係ないがと、昭和が64年だったことを改めて確認し、Morris.がちょうど「昭和」と同じ時間を生きてしまったことに気付いた。
新聞記者時代に直接取材したり、目にしたりした女優も多く、評価も客観的で、Morris.にも納得できるものが多かったが、ちょっと上品というか、気配りが多すぎる気もしたし、各論のおしまいの総括的取りまとめ方が、ワンパターンで、これは記者時代のコラムの癖なのだろう。
結果、最初に読んだ浅丘ルリ子の部分が一番面白かったということになる。デビュー時オーディションでの中原淳一とのエピソードに触れてなかったのがちょっと物足りなかった。

先月あたり、暇つぶしに読んでた作家の一人に鳥飼否宇があって、博物学知識が豊富で、薀蓄披露場面も多く、Morris.好みみたいだったので読み始めた。どれも平均点は取れるのだが、どこか肌合いが合わないところがありそうで、結局6冊読んだところで止まったしまった。感想抜きで、タイトルだけメモしておく。

【物の怪】鳥飼否宇 ★★★ 2011/09/06 講談社。「眼の池」「天の狗」「洞(うつお)の鬼」3篇収録

「桃太郎の家来って、猿と犬と雉のこと?」
「うん、なぜ鬼退治に行くのにそんな連中を連れて行ったのだろう。サルやイヌはまだしも、キジなんて到底戦力になりそうにないだろう? どうせならクマやネコでも連れて行ったほうがいい」
「そりゃそうだけど、おとぎ話に深い意味なんてあるの?」
「十二支を方位に当てはめた時、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)が鬼門である艮(うしとら)とは逆の方角にいる動物だったからだよ」(洞の鬼)


これが作者の私見なら、なかなかのものだと思ったのだけど、Wikipediaで見たら、江戸時代からあった説らしい。

【痙攣的】鳥飼否宇 ★★☆☆ 2005/04/25 光文社

【このどしゃぶりに日向小町は】★★★ 2010/01/25 早川書房

【本格的】鳥飼否宇 ★★★ 2003/09/18 原書房

【中空】鳥飼否宇 ★★★ 2001/05/30 角川書店

【異界】鳥飼否宇 ★★★ 2007/06/30 角川書店

2013/12/01(日)●しつこく中央図書館(^_^;)●

7時起床。
今朝の血圧は195/88/64。
左手の突き指、昨夜よりかなり痛む(>_<) 三本のうち中指の付け根を中心に手の甲がかなり腫れ出している。ワープロは打てるが、一番下から2段めのX,CV,のキーを打つのがちょっとつらい。特に「C」を打つ度に痛みが走る。中指に一番ダメージがあるためだろう。
8時からSBSの「挑戦千曲」。今日はコタツトップのHPノートで見る。久しぶりにユンジョンちゃんはポニーテイルである。何か嬉しい。今日のゲストもほとんど知らなかったが、キムドヒョン&ユンジの歌手コンビ対男女ギャグコンビの対決が面白かった。男性ギャグメンが「セサンウンヨジギョン」をタコ踊りしながら歌ったのが特に印象に残った。うーーん、あの歌はああいうふうに歌うのか、と、感心しきり。
今日の日曜美術館は写真家植田正治」の特集。独特の演出写真は前から知ってたし、それなりに面白いとは思ってた。特に砂浜の家族写真は好きだった。土門拳に代表されるリアリズム全盛の時代には演出のある写真は徹底的に非難され、植田もリアリスティック風な写真撮りながら、実は結構演出しまくってたとか(^_^;) 70年代以降は、ふたたび演出を表に出した作風に戻ったようで、わざとらしさも極まれば芸になるのだろうか。Morris.もたまには真似してみよう。
昼まで読書メモ打って、午後2時過ぎJRで神戸駅に出て中央図書館へ。今年最後の開館日ということで、結局、未練がましく出かけることにしたのだ。5冊返却して、2冊だけ借りる。どちらもビジュアル本である。日曜日は6時までなので、5時過ぎには図書館を出る。
元町アーケードを歩いて三宮に向かう。海文堂はあっという間にドラッグストアに変身してすでに営業していた(>_<) 商品と棚を入れ替えるだけで、ほとんど改装も必要無かったのだろう。元町アーケードだけでも薬屋は5軒以上あったと思う。そんなに薬屋はぎょうさん必要なものなのか? それともそんなに儲かるのか? 
観月サザエ南京街に回ったら雨がふりだした。林商店でシャンタン、グリンカレーペースト、粒胡椒など買い、ジュンク堂3階で、散々迷った末、「身につく! 重要韓国語文型100 中級編」を買う。これは初級、中級、上級の3冊がシリーズで出てるのだけど、とりあえず中級ということにしておいた。最近ほとんど韓国語勉強なんてやってなかったので、忘れないためにも、この本を毎日1文型ずつやっていけば、3ヶ月ちょっとでひととおりこなせることになる。予定通りやり終えて気に入ったら、次は上級編を買うことにしよう。
7時半帰宅。テレビで実写版サザエさんやってた。もちろんサザエさん演じるのは観月ありさ。ストーリーはどうしょうもないけど、観月のサザエさんは、はまり役だと思う。
その後、福島原発汚染水番組。とにかく、こんなとんでもなく馬鹿げたどうしようもないほどに恐ろしいシステムは、この世から無くしてしまわねば、と、改めて思った。
今日の歩数は8405歩。


ポニーテイルのチャンユンジョン 

蛾(^_^;) 

体育館前の薔薇 

今度こそしばらくお別れ 

図書館猫とも 

海文堂その後(>_<) 

雨の南京街 

京劇の西遊記? 

今日の買物と腫れた左手(;;) 

【小さいもの、大きいこと 目白雑録5】金井美恵子 ★★★☆☆ 2013/09/30 朝日新聞出版。「一冊の本」2011年6月号~2013年5月号。
金井美恵子の雑録は目につくたびに読んでたはずだが、4と5は未読だった。この5は、時期的に東日本震災直後から2年間ということで、大部分が震災絡み、殊に原発問題が中心に置かれている。彼女ならではの視点はぶれないものの、震災そのものの衝撃の大きさから、いささか八つ当たり気味(やり場のない苛立たしさ)の気配あり。

昭和6年に病床で書かれた「雨ニモマケズ」は、詩というよりは病床の詩人の書いた日蓮信仰についての信仰告白のようなものだろう。……4月5日の紙面には囲みで「雨ニモマケズ」の全文が大きく載っていて、改めて読めば、この宗教的禁欲がファシズムと同根の戦前の日蓮主義的内容を、被災者に向けて朗読するというのは、気が狂っているとしか私には思えない。ジョン・ダワーのように、まるで設立された当時のフランチェスコ修道会の規則でもあるかのようないわばファナティックな信仰告白の「雨ニモマケズ」をボランティアの若者の献身的精神に結びつけるのも、常軌を逸していかにも非現実的だし、戦後の日本史はともかく、戦前の宗教とファシズムの歴史に無知なのだろうとしか思えないではないか。(2011年10月)

宮沢賢治にはMorris.は、どうしても付いて行けないものを感じていた。「雨ニモマケズ」は詩ではない。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」などと同様に、あまりにも空想的理想主義でしかなく、これらを震災の被害者へのメッセージとして掲げる脳天気さには、疑問を覚える。

今日でも「1960年代に青春を送った者は、たとえどんなに意見が対立していてもウッドストックのことを思い出せば心がひとつになれる」(川本三郎)といったロマンチックで心地よい言説(うそ)が平然と書かれたりもする史上最大規模と称された音楽祭であり、「全部族のインディアン」によるアルカトラズ島占拠という事件は当時も今も日本で知る者は多くはないだろう。(2012年1月)

ここらの毒舌は健在であるな(^_^) マンハッタンの「アルカトラズ島占拠事件」というのは初耳だった。

3月11日の東日本大地震の破壊された町を見て、9・11のニューヨークのビルの瓦礫を思いおこすジャーナリストはいても、不思議なことに‘10年のハイチの大地震で31万人以上の人たちが死に、’04年の大津波の被害をもたらしたスマトラ島沖地震では22万人以上の死者がいたことを思い出さない者たちにとって、白人に抵抗した一介のインディアンの戦士の名が、9・11のテロの首謀者だとされるウサマ・ビンラディン殺害計画の暗号名として、ようするにビンラディンと同一視されていたことなどに、そう心を動かされることもないだろう。それ以前に、ジェロニモという名に何らかの反応を示すほどの記憶を持っていはいない年齢の者たちが現在のジャーナリズムの現場で記事を書いているということでもあるだろう。(2012年2月)

3・11と9・11を安易に比較するのは、やはり多くの日本人の目線が好悪は別としてアメリカ偏重であることの証明だろう。

単純で読みやすい「文学的」メロドラマ文体で書かれた円地の小説を読了するため息の出るような困難さは、私にとって、村上春樹のポルノまがいの幼稚な青春小説を読む困難と疲労感に似ていたと言えるだろう。(2012年3月)

円地文子と村上春樹を並べてのこの毒舌には笑わせてもらった。Morris.はどっちもほとんど読んでないけどね。

岡井隆「わが告白—コンフェシオン」
大歌人八十三歳の時の歌である。正直なところ、この歌は、たとえば朝日歌壇の選に漏れるのではないかと不安になる。
・昼はまたソーセージかなって思ってたら人形時計が踊りはじめた

・原子力は魔女ではないが彼女とは疲れる(運命とたたかふみたいに)(2012年5月)


岡井隆といえば、塚本邦雄、寺山修司とともに前衛歌人三羽烏の一人して名をなし、Morris.も畏敬の念をもっていた歌人だったが、今や宮廷歌人(宮内省の歌会始めの選者?)になり、文学的にも精神的にも老残を晒しているとは知らずにいた。
「原子力と魔女」といえば、即座に次の歌を思い出す。

・原子炉の火ともしごろに魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは 『鵞卵亭』

『鵞卵亭』は好きな歌集でもあったのだが、この歌はMorris.のミニコミ「サンボ通信」11号(1988/11/25)に掲載したコラム「機嫌堂歌児誉美4」で採り上げられたことでよく覚えていた。機嫌堂とは小倉の学生時代同級だった福田博である。同じ原子炉と魔女を使って、同一人物が40年後にあんな腰折れの焼き直しの歌を詠むとはねえ(@_@)

‘11年4月27日、朝日新聞文芸時評の、小気味良いガサツさが「文学」にカジュアルな印象を与えて好評だった批評(?)の書き手である斎藤美奈子は、「文学者の戦争責任が取りざたされた時期」があったのだから、「ならば、「文学者の原発責任」だって発生しよう。安全神話に加担した責任。スルーした責任」と書くのだったが、もちろん、だからといって、むろん本気で責任を追求するわけではない。そう書いてみるだけだ。

Morris.好みの美奈子さんも、金井にかかるとこの調子である(^_^;) まあ、Morris.はふたりとも好きだから…… 仲良く喧嘩してもらいたいものである。

焼け跡の商店で和気あいあいと身を寄せあうように焚火を囲んで住民やボランティアの助けあいについて語る人々を映し出すテレビの中継画面の中で、取材に現地を訪れていた映画監督大島渚は、焚火の反映を顔に受けて、というより、怒りで顔を紅潮させて、一歩この道の裏に入れば強姦された女性たちが何人もいるんですよ、盗みだっていくらだってありますよ、私は神戸の人たちから話をききました、なんでそういうことを隠すんだ、と叫んでいたのだったが、そうした発言は「御法度」とばかり東京からやって来て震災にショックを受けて頭が一時的におかしくなった、性交場面が売りのポルノ映画監督の言動とでもいったように無視されたのだった。

神戸震災時にこんなやりとりがあったとは知らずにいた。当時はMorris.も渦中の人だったから、そんな余裕はなかったけどね。

反核の壁画の作者である岡本太郎については、「人類の進歩と調和」のスローガンと関西電力による「万博に原子の灯を」のキャッチフレーズのもとで開催された‘70年の大阪万博のシンボル的存在、巨大で幼稚な(そして図々しい自己愛の)「太陽の塔」を、万博会場全体コンセプトを作った丹下健三への反骨的芸術家の抵抗的反論と見る無邪気きわまりない視点もあるらしいが、「太陽の塔は原発翼賛・推進のモニュメントなのである」大阪万博以降は、政府・電力会社・学会による、原子力の平和利用がいかに正しいかのプロパガンダの歴史だった。」(すが秀実)

この「すが(糸篇に圭)秀実」に金井はかなり共感をおぼえているようだ。何度も紹介されてる「反原発の思想史」は読まねば。

福島在住の詩人和合亮一の震災直後からツイッターで発表されつづけた詩について、川上未映子は「たとえば相田みつを的」なのだという。むろん、普通の言語的センスを持った読者にとって、「相田みつを的なことば」は、文句なしに最低レベルの「ジャンクワード」と言うべきものである。(2012年12月)

相田みつを的なことば=最低レベルのジャンクワード\(^o^)/ぎゃはははは(^_^)(^_^;) 

「9・11は日本からは遠く、2003年3月20日のイラク開戦はもっと遠かった。だが2011年3月11日は日本で起こった。3・11は我々の日付になった。何かが完全に終わり、まったく違う日々が始まる。正直に言えば、ぼくは今の事態に対して言うべき言葉を持たない。……自分の中にいろいろな言葉がきょらいするけれど、その大半は敢えて発語するに及ばないものだ。それは最初の段階でわかった。ぼくは「なじらない」と「あおらない」を当面の方針とした。……今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってきた。反原発と行っても自家発電だけで暮らすことを実行した者はいなかった」(池澤夏樹‘11/04/05「終わりと始まり」)
「なじらない」と「あおらない」という二つの言葉は、あえて漢字で表記されずに使用されることで、和語の持つ柔らか(そう)な響きを帯びて、4月5日の紙面にある種の穏やかで強靭な抒情性による知的な力を保証しているようにも見える。

終わりと始まり (抄) ヴィスワヴァ・シンボルスカ 沼野充義訳

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

(池澤は)「十年がかりの復興の日々が始まる」に続けて前記の詩を引用し、「そういう春だ」という短く簡潔で印象的な一行で連載コラムをしめくくる。シンボルスカの詩のつづきのように――。(2013年2月)

金井としては、最大限の褒め言葉だね。

2011年が岡本太郎の生誕百年だったことと原発の「バクハツ」が結びついてしまったことを一回目に書いて二年がたち、安部首相は憲法改正と原発を外国に売る商売にやっきとなっていて、24回目の連載を終えていた6月6日の「天声人語」には、成長戦略第3弾スピーチの中で、首相が岡本太郎のテレビCMでのコピー「芸術は爆発だ!」を引用したという記述が載っていたのでした。
スティーヴン・キング原作の「ランゴリアーズ」というTVドラマ。尊大で支配的な権力者である父と祖父から子供のころおどしとしてきかされていた貪欲な怪物。安部首相の「ランゴリアーズ」は、祖父と大伯父の時代から追従してきたアメリカの意向との矛盾をそのまま受けつぎながらの日本主義なのですから、「改憲」ということになります。


本書の始まりが赤瀬川原平の「原発はバクハツだ」という、シニカルなパロディだったことを思い合わすと、安倍発言が、いかにも浅墓なパロディもどきに見えてしまう。言うまでもなく、安倍の祖父は岸信介、大伯父は佐藤栄作である。

「毛を謹(つつし)んで貌(かたち)を失う」という言葉があります。解説には「絵を描くときに、一本一本の毛をていねいに描きすぎて、かえって全体の形が似ていないものになる意」とあり、この成語の意味は「小さなもの(末)にかかわって、大きなもの(根本)を忘れるたとえ。」とあるのでした。このたまたま発見した言葉は、まさしく私の文章の本質を衝く言葉ではないかと思えたのでした。(あとがきにかえて)

「どんどんカタチを失って下さいまし」と、謹んで金井美恵子さんにお願いしたい。


 

 

 


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