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Morris.日乘2014年11月



Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いて ある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今 月の標語
           
さよなら産革又来て死核

【2014年】 10月  9月 8月  7月    6月  5月 4 月  3 月  2 月 1月
【2013年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/11/30(日)●相楽園あたり●
8時半起床。
今朝の血圧は167/84/63。
日曜美術館では、スイスの画家ホドラーの特集。アルプスや湖の風景、数人の行進場面の絵を思い出すが、あまり強い印象はない。上野の近代美術館で日本では40年ぶりの回顧展やってるらしい。その後兵庫県立美術館に来るらしい。先週他特集してたキリコなら、まだ見たい気がするが、ホドラーはパスぢゃ(^_^;)
昼前に自転車で中央図書館に向かう。途中、相楽園に立ち寄ったが、菊花展が終わり、何か閑散としていた。
中央図書館で4冊借りて、自転車でぷらぷらしようと思ってたのだが、雲行きが怪しくなったので、大安亭周りで4時前帰宅。
BS民放で東海大-筑波大のバスケット決勝やってたので、ついつい見てしまった。3連覇を狙う東海大筑波大が10点差で快勝して61回ぶりの優勝。日本のバスケットと言えばプロリーグ二つということで、国際試合出場停止が問題となっているが、中継では見事にこの件に触れなかった。
今日の歩数は4777歩。

加納町駐車場猫 

選手交代(^_^;) 

北野モスレム 

黄葉(旧北野小学校) 

蘇鉄越し色付く山(相楽園) 

ハッサム亭と厩舎 

紅葉(船屋形) 

白松 

記念撮影 

【原発の倫理学】古賀茂明
★★★ 2013/11/28 講談社。
2012年1月から配信開始された「古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン」の中から、原発問題、電力問題に関する記事をセレクトしたものである。
この手のソースの宿命として、リアルタイムで読まないと、実感しにくい一面がある。発行からさらに一年経ってるということで、何となく手遅れ(>_<)発言に見えたりもする。
内容的には、岩波「世界」特集記事、テレビゲストでの発言でおおまかに知ってる事が多かった。それだけ古賀が、事故直後からぶれずに自分の意見を発信し続けたことの証拠になるのかもしれない。古賀自身も前書きで

2年近く前に書いたことが、今でもそのまま使えるという現実は、私にとっては、とても苦痛なことです。自分の無力さを再確認させられるからです。

と、断りを入れ、

私とはまた違った形で、読者の原発に関するこれまでの様々な思いや考察を整理していうための一つのベンチマークとして活用していただけるのではないか

ということで、紙メディアでの刊行の理由付けにしている。
先に読んだ「世界」特集の古賀の記事が本書のエッセンスみたいなものだったので、何となく二番煎じみたいに感じてしまった。

東電は日本でも有数の調達企業だ。関連会社や取引先から膨大な商品、サービスを買っている。そのコストはすべて電力料金に乗せることができる(いわゆる総括原価方式)ので、一円でも安く買おうというインセンティブが働かない。納入業者から見ると、とてもおいしい商売をさせてくれる会社なのだ。だから、ほとんどの企業は東電に頭が上がらない。
単に「いつもお世話になってます」と頭を下げればよいというだけならいいのだが、実際には関連会社だけではなく取引先にも東電OBが、言わば天下りのような形で再就職したりしている。その数がどれくらいになるのか見当もつかないが、その膨大な利権の構造が、東電国有化によって経産省に転がり込んでくるわけだ。(2012/01/20)

ひところ流行った「おいしい生活」って奴だね。

日本では廃炉の技術が未確立だが、欧米では既にこの技術は確立されている。なぜかと言うと、欧米は、過去において、科学的・技術的な知見の高まりに応じて、毎年のように原発の安全基準を見直し、しかも既存の原発にもそれを適用してきた(バックフィット)。その結果、当初の予定よりも早く廃炉にせざるをえない原発が多数生じたので、早くから本格的な廃炉が実施されてきたのだ。
彼らによれば、廃炉はもはやそんなに難しいものではないという。しかし、日本ではいあmだ廃炉の技術が確立されていない。そして、いま多くの原発が廃炉になる現実に直面している。そこで提案だが、廃炉の際は必ず海外の企業を入れて公開入札をすればよいのではないだろうか。日経新聞によれば、廃炉費用は、米国では日本の半分だという。このまま40年使い続ける原発であっても、いずれは廃炉になる。その費用は、結局消費者に回ってくるのだから、2倍も高いコストのままつけ回しされてはたまらない。(2013/06/14)


日本の原発ではこの「バックフィット」が無いというのがそもそも問題ぢゃ。廃炉に膨大な金がかかる事自体、原発のデメリットであるのだが、既に作られてしまった原発は廃炉するしかないわけで、その費用を出来るだけ押さえるために欧米に委託するというのは理にかなってると思うのだけど、実現可能性は低いと思う。

東電は、汚染水の海洋流出がほぼ確実だということを示すデータをかなり早い段階から持っていいたにもかかわらず、それを認めたくないので、いろいろな理由をつけて公表を遅らせてきた。
その発表を参議院選挙翌日まで延ばしたことが問題視されている。
マスコミは大騒ぎをしているわけだが、遮水壁を作ったら汚染水が溢れ始めたということは、遮水壁を作る前は、溜まるはずの水がどこかへ行っていたということだ。どこに行ったのかと言えば、もちろん海しかない。
つまり、何のことはない、もっと前から汚染水は海に流れていたというのは、どんなに鈍感な人間でもわかるはずだ。(2013/08/09)


日本には昔から「水に流す」という慣用句があった(>_<)

安部総理は2013年9月7日、ブエノスアイレスのIOC総会で、東京電力福島第一原子力発電所の汚染水問題について、
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています」
「東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことあhありません」
「汚染水の影響は、完全にブロックされています」
と大見得を切った。世界中が注目する中で、これほどの嘘がまかり通ったことがあるだろうか。
これから起きるのは、最初の嘘を守るため、汚染が出ないようなところを選んでの調査、様々な情報の隠蔽、発表先送り、情報歪曲などである。どうしても、総理が嘘をついたことは認めたくない。だから、少しくらい嘘をつくのは止むを得ないという悪魔のささやきが関係者を「嘘の連鎖」の道に引き込んでいくのだ。
私は、2011年4月に、経産省や当時の民主党政権の幹部宛に東電の破綻処理と発送電分離を含む電力システム改革の必要性を訴えた。おそらく日本の中で一番早い提案だったと思う。
民主党政権は当初その案に前向きだったが、結局、経産省と東電を頂点とする原子力ムラとメガバンクの強力な圧力の下に、「破綻させない」という方針に転換してしまった。
東電は損害賠償さえ自分で支払えない会社だ。普通の企業なら当然、破綻処理だ。その辞典で破綻処理しておけばよかったのだが、そうならなかった。
その後、「破綻させない」という方針が原因で事故処理は滞った。債務超過を避けるために、問題があっても隠し、負債計上を避けるために具体的な対策は先送りされた。さらに、対策の内容も安上がりの中途半端なものにとどめられた。


あの安倍総理の「国際的法螺発言」から一週間後の記事である。とにかく、あの発言は「国辱」ものだと思うのだが、マスコミも野党も、きちんと取り上げることをしていない。オリンピックという「国策」のためなら何を言っても許されるのだろうか。
本書が出てから1年経った今、

2014/11/29(土)●深田池あたり●
7時起床。
今朝の血圧は204/95/67。
7時20分からピーターバラカン番組。今日はボブ・ディランの特集。海賊版の11集と、6枚組のボックス発売に合わせた特集。
阪急御影に出て、深田池から広南病院方面に歩く。住吉山手のマンションへの配達現場。途中もイヤホンでボブ・ディラン聴いてた。バンドのメンバーとのセッションや、お遊びめいた録音中心で、他のアーチストのカバーや、自分の新曲や旧作の別バージョンなど。Morris.はボブ・ディランとはいまいち相性がよくない。声の魅力、サウンドの魅力があると思うのだが、やっぱり彼の歌は歌詞がわからないと駄目なんじゃないかと思う。今日聴いた中では「アイ・シャル・ビー・リリースト」の別バージョンが懐かしかったかも。この曲は「男らしいってわかるかい……」という邦訳で、日本でもよく歌われてた。
朝のうちは強い雨でどうなることかと思ったが、作業開始時刻には止んだので一安心。
特に大きな家具もなく、昼過ぎに作業終了。
昼食抜きで、紙ゴミ廃棄して、としろうと二人、六甲アイランドの倉庫で作業して、3時前帰宅。
洗濯、掃除すまして、ちょっと仮眠したつもりが、目が覚めたら9時だった(@_@) こんなことはめずらしい。
男子フィギュアスケート中継も終わってたが、羽生はフリーでも不振で、何とか4位にとどまって、ファイナル出場権を得たらしい。
明日打ち上げ予定されてたはやぶさ2号は、明後日に打ち上げ延長された模様。
8chで」「池上彰緊急SPよくわからない中国のナゾ」というのをやってる。観光から、経済、軍事に渡って、いかにも池上らしい切り口で、ソフトに中国の危険を啓蒙してるようだ。
今日の歩数は4227歩。

雨の深田池 

黄葉 

柊の実 


2014/11/28(金)●日本橋あたり●
6時起床。
今朝の血圧は
奥井さんと浪速区日本橋のアメリカ向け航空便ピックアップ。
細い5階建てのビルで一階が店で、2階から上が自宅。エレベータ無しということで、ちょっとビビったが、大部分の荷物が2階の置いてあったので助かった(^_^;)
昼は回転すし「倉」で昼食。
午後は久しぶりに税関で通関。今日は麻薬犬も参加。不審物は見つからなかった。もっとも、麻薬なんか出てきた日には、大変なことになる。
4時半に倉庫上がり5時すぎ帰宅。
今夜はフィギュアスケートNHK杯男子ショートプログラム。中国大会で怪我した羽生の登場が注目が集まる。いきなり四回転後に転倒、その後もお手つきもあり、ショート5位。やっぱり怪我の影響は大きいのだと思う。
今日の歩数は4861歩。

黄葉 

ナミハグモ? 

背高泡立草綿毛 

【吸血鬼と精神分析】 笠井潔 ★★★☆ 2011/10/20 光文社。初出「ジャーロ」2003~08
「矢吹駆」シリーズ第6作、2007年12月のパリを舞台に、全身の血を抜かれる連続殺人事件。当然のごとく「吸血鬼事件」として世間を騒がせることになる。
例によって語り手ともなるナディア・モガールとその父モガール警視がこの事件に関わり、日本青年矢吹駆がこの事件の網を解きほぐす、という、いつものパタンである。
本作では特に精神分析と現象学に関する、おびただしい論議?が挟まれて700pという長編の大きなパーツを占めている。
Morris.は心理学、精神分析には一種のアンビバレンツがあるので、読みたくもあり読みたくも無し、というところだったが、これを避けては本書は読めないので、ともかくも読んでしまった(^_^;)

どんな哲学史の教科書にも近代哲学はデカルト的懐疑からはじまると記されている。方法的懐疑を徹底化した果てにデカルトは「いま、あらゆる対象の実在を疑いつつある私」としてのコギトを発見したわけだが、現象学者は少し違った方向で考える。
赤という知覚は間違いで本当は緑なのかもしれない、このように疑うことも一般的には可能だろう。しかし「赤い」という知覚直観は直接的かつ明証的で不可疑なのだ。赤というデータと緑というデータを比較照合して、緑のものを赤いと錯覚したにすぎないと考えるのは事後的かつ経験的な観点だが、たったいま体験しつつある「赤い」という知覚直観は超越論的だ。
認識論を中心とした近代哲学が真と見なすのは主観と客観の一致だ。「赤い」という主観と「赤いもの」という客観が一致するとき「赤い」は真実となる。
客観的な対象は経験的にしか認識できない、ようするに確実なものとしては存在しえない。従って、主観と客観の一致や認識の真理性を問うことにも本当の意味はない。現象学は認識論的な真に興味をもたないのだ。
真は不可疑でなければならないが、不可疑でないような経験的認識は存在しえない。他方、真であるともないともいえないが、たとえば「赤い」という直観を私は疑うことができない。真だからでなく不可疑だから私は「赤い」と確信する。このようにして現象学は真理性をめぐる認識論の隘路から逃れ出た。認識が真であるかどうかに本当の問題はない。私がものごとを真であるかどうかに本当の問題はない、私がものごとを真であると確信しうる不思議さこそが問題なのだ。
事件の支点に当たる事象を見出しその意味を直観すること。経験的に与えられる無限の情報から重要な項を選別し、得られた本質直観を導きの糸に項と項を論理整合的で首尾一貫したものとして配列すれば、かならず事件の真相に達しうる……。こんなふうにカケルの現象学的推理法を要約できる。

早速だが、笠井潔節炸裂(^_^;)。よくわからないけど、何故か引き込まれてしまう。赤や緑の色の認識に関しては、Morris.は昔から、他人と自分の色の認識が同一であるとは信じられないでいる。直観で赤を確信すると言われたらそれまでだけどね。
現象学的推理法は要約されてもよくわからない(>_<)

「どうして人間だけが言葉を使うのかしら」
「どんな生物も生存に必要な情報環境、比喩的には意味の世界を織りあげている。たとえばアメーバの情報環境には色も音もなく明るい暗いという光度の差だけが存在する。アメーバと同じことで、チンパンジーのように人間とよく似た動物であろうと、不可解なものは環境世界に原理的に存在しえないんだ。理解できないものは知覚されない、従って存在しないから」
「でも猫は好奇心が旺盛だけど」
「仔猫が糸玉を追い廻すのは捕食対象と錯覚するから、本能に織りこまれているものと類似しているからだ。本当に理解できないものは猫の世界に存在しない。言い換えれば動物の世界は生存に必要か不必要かを基準とする意味の連鎖で完全に閉じられていて、外部に開いた無の深淵とは無縁なんだ」

笠井はあまり猫好きでないのだろうか?

現象学は世界を世界の意味に還元し、たったいまの私の意識から出発しなければならないとする。意識の底に無意識の領域を想定するフロイト理論は、現象学的な発想と根本的に相容れない。

わからんながらに、フロイトより現象学の方に惹かれる。

作中人物のイワンが構想している劇詩の主人公が大審問官だ。イワンは弟のアレクセイに構想中の劇詩を物語る。……セビリアでは異端者を燃やす焔が無数に吹きあがり断末魔の悲鳴が途絶えることはない。ある夜、この町にキリストが降臨する。主として最後のん審判を行うため第二の降臨ではなく、かつて死海地方にあらわれたのと同じ浮浪者のようにみすぼらしい風体で。一目で正体を見抜いた大審問官はキリストを捕らえ夜の獄舎で語りはじめる。もう自分は神を信じていない、おまえが期待したのと違って自由に耐えられるほど人は強くないからだと。
神を信じる自由と信じない自由が与えられ、しかも信じる側の皿には不幸と苦難が不吉な錘のように重々しく載せられている。こんな条件では大多数の者が信じない側に追いやられてしまう。しかも神は弱くてだらしのない不信者を峻厳に裁くというのだ。
弱い仔羊たちは心からカトリック教会を信じているが、しかし教会は神を信じていない。神なしでキリストなしで人々を幸福にできるシステムを築いてきたのに、どうしていまごろになって地上に戻ってきたのかと大審問官はキリストを詰問する。
呪われた秘密を知らないから信者たちも幸福に生きることができる。虚偽も苦悩も教会と大審問官が抱え込んで必死に耐えてきた。キリストよ、私が背負っている重荷がわかるか、それもこれもおまえが人間には耐えられそうにない難題を地上に残し、自分だけ天上に立ち去ったからではないか、いまさら出てきてくれては困るのだ……。
大審問官の圧倒的な弁証にキリストは一言も口を挟もうとしない。なにひとつ反論することなく、語り終えた大審問官に接吻して夜の巷に消えていく。


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の場面は有名だが、Morris.は読んでいない。この一節で、つい、読んだような気分になってしまう。これは罪なのだろうか。

「保身のため面従腹背の道を選んだヨブは、自分より弱い存在に残忍な神として君臨するようになるというのね。だからヨブは破滅を賭けても神に抵抗しなければならなかったと」
「抵抗するだけでは充分とはいえない」
暴力的脅迫に負けてしまえば自尊心が傷つくだろう。自由であることを自分から否定するけっかになるからだ。自尊心を、ひいては自由である自分を守るためにこそ暴力に最後まで抵抗しなければならない。
しかし、カケルによれば暴力に抵抗するのは自尊心のためであってはならない。自分が拷問者や抑圧者の同類にならないためだ。拷問に屈した者はかならず拷問者になる。拷問者に転落してしまう運命を拒絶するため、あえて人は拷問に耐えなければならない。どのような不幸にも苦難にも……。
そうかもしれない。しかし拷問に、肉体の苦痛に耐えられない弱い人間はどうすればいいのか、不幸でも受難でも同じことだ。

ここらあたりは、遠藤周作の「沈黙」を連想させる。弱者には弱者の信仰の形がある。

「鏡のなかに自分を見出した幼児は鏡像という他者の欲求を欲求せざるをえない、乳を求めるのは鏡像としての自己なのだから。こうして欲求は欲望という新たな水準にずれこんでいく。鏡像的他者の欲望である限り欲望はけして満たされることがない。欠如を欠如で、空虚を空虚で埋めようとする虚しい試みが欲望を定義する。他者の欲望の対象を自分も欲望してしまうだけでなく、自身が他者の欲望の対象となることを欲望するのもまた、欲望が他者の欲望であることの必然的な帰結だ。
隣家の芝生が自分の庭の芝生より綺麗に見えるように、隣の客が注文した皿のほうが自分の皿より美味しそうに感じられてしまうように、人間には他人の欲望を欲望してしまうところがある。隣家の住人も隣席の客も同じように思っていることには気づかないで。こうした倒錯が深まると、他者の欲望の対象になりたいという欲望が人間に取り憑くようになる。簡単にいえば他者に求められたい愛されたいという欲望だが、これは人気者になりたい、有名になりたい、評価されたいという一般性の水準にまで拡張されていく。こうした二重の意味で人間の欲望とは他者の欲望なのだ。

けっこう俗っぽい通念をやたら難しそうに理論展開している。こういうのって、結構好きである。欲望が他者の欲望それも二重になってるなんてのも、Morris.好みの展開ぢゃ。

「民衆(ナロード)という暗い混沌の底に神は棲まっているとテロリストたちは信じた。しかも自分たち帝政ロシアの特権的学生は、民衆から切り離され神を見失った屑(デシエ)にすぎない。道徳的マゾヒスムに憑かれ破滅をめざして突進したテロリストたちは、死の欲動をはらんだ大文字の他者Aの前に立つ絶対的快楽を求めていたんだろう」


ソビエト社会主義(マルクス-レーニン主義)への怨念めいた思いがここに捻れた形で表明されているようだ。
以上、本書のストーリーとはほとんど無関係の引用に終始してしまった。Morris.が笠井本読むときのパターンになってしまっている。

2014/11/27(木)●小春日和●
6時起床。
今朝の血圧は183/88/76。
溝渕くんと午前中は三島郡水無瀬の上海向け航空便ピックアップ、午後は大坂福島区の上海向け航空便、船便ピックアップ。
今日は春を思わせるぽかぽか陽気。いわゆる小春日和である。金井美恵子に「小春日和(インディアンサマー)」という作品があったことを思い出した。若い娘と伯母さんらの楽しい作品だったな。ストーリーはおぼえていないが、いかにも小春日和というイメージだけが残っている。
4時半過ぎに倉庫を出て、摩耶埠頭に停泊してる船を見に行く。SKY GLORYという5千トンクラスの貨物船でハングルが書かれてることから分かる通り韓国籍である。
マルハチで買い物して5時半帰宅。
薬が効いたのか咳と鼻水は止まったが、何となくだるいというか熱っぽい感じがして体温はかったら35.5℃??平熱以下ではないか。もしかして体温計の電池が切れかけてるのかな。それとも低体温症??どうもこのところ、体調が変である。
今日の歩数は4033歩。

摩耶埠頭夕景 

韓国籍船 SKY GLORY 

空には三日月 

水平線 

ハーバーウォーク方面 

夕焼け 

2014/11/26(水)●クロック●
6時起床。
今朝の血圧は182/95/79。
荻野くんら3人で和歌山市の海外荷物の配達。現場は3階建ハイツの2階。午後1時作業終了。
3時半倉庫着。
別現場の処分品にタイのすり鉢「クロック」があったので、とりあえずいただき(^_^)
一昔前、ちょっとだけタイ料理のマイブーム時期があって、そのころはこのクロックが欲しかった。木製(クロックマイ)と石製(クロックヒン)があって、木製はソムタム(タイ風サラダ)用、石製は更新料の摺り合わせ用である。実はインド製の小さめの白い石のすり鉢買ったことがあったが、これは小さすぎてほとんど実用にならなかった。
今日手に入れたのは黒っぽい石製で、高さ8cm、内径10cm、外形14cmあるから、いわゆるレギュラーサイズだと思う。これでなにするかというと、とりあえず唐辛子、ニンニク、生姜などの擂り潰しくらいかな(^_^;) まあ、あるだけでも悪くはない。
BSフジで午後8時から2時間番組プライムニュース「総選挙の論点、エネルギー政策」に、あの吉岡斉さんが出演してたので、これは見逃せない。もう一人のゲストは田中伸男 IEA前事務局長。この人は東大教授だが、この期に及んでの原発推進御用学者らしい。偏見もって見てるからかもしれないが、いかにも胡散臭い発言のように思えた。大げさなジェスチャーも鼻につく。おしまいには「統合型高速炉」のPRに(>_<) これは吉岡に軽く一蹴されてた。
動く吉岡斉(^_^;)見るのは2回め(以前You Tubeで見た)だが、いかにも好々爺な細い目のおじさんで、しゃべり方もちょっとぼそぼそ系なのだが、発言自体は、著書と同じく、理路整然である。番組側の意向に添うという感じでかなりソフトな進行だったし、二人の討論ではなく、あくまで司会者の質問に答える形式で、物足りない面もあったが、それなりに内容のある番組だった。でも、これ見てる人はそんな多くないだろうな。ましてこれを今度の選挙に活かそうと思う人はさらに少ないかも。
番組のおしまいに二人に「私の提言」を提示せよというTVらしいお約束。田中は「嵐の中のエネルギー戦略」という、まるで曖昧模糊な呪文(^_^;)を提示、吉岡は「経産省主導の政策決定の仕組み廃止」という、ど真ん中ストライク直球提言だった。
さらに視聴者からのメール(どうもやらせっぽい)に対しては田中にだけ答えさせて、吉岡はスルー。これに吉岡が「あまりにひどいねえ」とぼやいたところで番組終了(>_<)
今日の歩数は3588歩。

今朝の高橋猫 

紀の川SAから 

転がり込んできたクロック 

2014/11/25(火)●雨上りカラオケ●
8時半 起床。
今朝の血圧は182/95/79。
朝から雨である(>_<)
今夜は長田のカラオケ会なので、午後は長田港方面の猫場散策でもしようと考えていたのだがパス。
目の調子もあまり良くないが、雨で病院に行くのもパス。
夕方まで部屋でごろごろ。
6時半に部屋を出て風邪薬買って、7時過ぎ長田「歌居屋」へ。前回は狭い部屋に10人以上ぎっしりという感じだったが、今日はいまいち集まりが悪くて、常連5人のみ。
Morris.は風邪気味なので押さえ気味で始めたが。薬の効果か、咳も治まったので、好きな女性歌手の曲10曲くらい歌ったかな。
10時過ぎ店を出て10時半帰宅。
今日の歩数は2508歩。

辛ラーメン 

長田カラオケ風景その1 

その2 

2014/11/24(月)●布引貯水池あたり●
6時半起床。
今朝の血圧は198/104/66。
目の方はちょっとましになったが、今度は、鼻がぐずぐずして、咳が出る。風邪の初期徴候かもしれない。
昨日部屋に篭もりきりだったから、きょうはちょっと歩こうと、王子動物園から新神戸方面へ。布引の滝、貯水池から、神戸ロープウエイ風の駅、ハーブ園まで辿り着き、ほぼ同じコースを歩いて6時前帰宅。
かなり歩いたつもりだったが、歩数計の目盛は2万歩に程遠かった。考えようによっては、部屋からハーブ園まで歩いても一万歩足らずということになる。
登山道には布引を歌枕とした和歌の歌碑が数多く建てられているが、その中から一首。

山人の衣なるらし白妙の 月に晒せる布引のたき 藤原良経

特に紅葉狩りというつもりもなかったのだが、やっぱりこの時期は紅葉に目が行ってしまう。
帰りの貯水池では、翡翠がいて、ちょっと遠かったけど、新機の30倍ズーム(デジタルで60倍に)のおかげで、何とか撮影出来た\(^o^)/ トリミング無しでこの大きさというのが画期的である。Morris.は鳥撮りが苦手で、初めからパス状態なのだが、翡翠は木の枝の先に留まって獲物狙って静止してる時間が長いので撮りやすい。今日は見事に魚を捕食するところも見ることが出来た。ラッキー。とはいっても所詮コンデジ望遠の粗い画像でしかないけど、うれしいので数点貼り付けておく。
今夜のKBS歌謡舞台1395回は"11월 신청곡11月リクエスト“

1) 오래오래 살아주세요長生きしてね/김용임キムヨンイム
2) 찔레꽃野茨/김연자キムヨンジャ
3) 애정이 꽃피던 시절愛花咲く時代/이혜리イヘリ
4) 돌려줄 수 없나요取り返せないの/조경수チョキョンス
5) 숨어 우는 바람 소리忍び泣く風の音/우연이ウヨニ
6) 몇 미터 앞에 두고何メートル前で/김상배キムサンベ
7) 안동역에서安東駅で/진성チンソン
8) 백마강白馬江/정정아チョンジョンア
9) 굳세어라 금순아頑張れクムスナ/류기진リュギジン
10) 동창생同窓生/문연주ムンヨンジュ
11) 임의 향기貴方の香り/배금성ペグムソン
12) 뜨거운 안녕熱いさよなら/쟈니리ジャニーリー
13) 빛과 그림자光と影/권성희クォンソンヒ
14) 사랑은 기차를 타고愛は汽車に乗って/이지민イジミン
15) 임은 먼 곳에貴方は遠い処に/강민주カンミンジュ
16) 그 겨울의 찻집その冬の茶店で/테너(テナー) 류정필ユジョンピル
17) 수은등水銀灯/김연자キムヨンジャ


7.はここ数年のトロットの二大ヒット曲の一つである。(もう一曲は「ネナイガオッテソ})
12.以降はバラードの名曲を並べた感じだが、14.はマージョリーノエルの「そよ風に乗って」のカバーだった(@_@) 60年代はイタリアのカンツォーネと並んでフランスの軽快な歌謡(イエイエ)日本でも人気があった。この曲は弘田三枝子がカバーしてたかな。 16.はチョヨンピルのオリジナルだが、今日はクラシック畑のテナー歌手の歌唱。たしかにこれは歌曲みたいな格調のある曲だからこれはこれで聴き応えがあった。
おしまいの水銀灯はキムヨンジャの来日前のヒット曲で、今でもやはりキムヨンジャの代表曲といえばこれになる。でもキムヨンジャ、韓国での活動再会して良かったと思う。表情が明るい(^_^)
今日の歩数は17483歩。

王子動物園の公孫樹 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

王子動物園の紅葉 

駝鳥 若雛 

フラミンゴ 若雛 

王子公園の楓 

蔦 

藤原良経の歌碑 

布引の滝 

紅葉 

蛾(メイガの仲間か?) 

猿の葛羅橋 

ロープウエイ 

紅葉 

山笑う 

布引貯水池 

川鵜 

貯水池 

紅葉 

紅葉 

ガラス温室 

Morris.亭あたり 

白い花 

スパイスの部屋 

アンチック料理台 

紅葉越しロープウエイ 

黄葉 

神戸夢風船 

翡翠 

出撃 

戦果有り 

しつこく翡翠 

さらにしつこく 

夕紅葉 

砂子(いさご)橋 


2014/11/23(日)●長野地震●
6時起床。
今朝の血圧は189/93/79。
昨夜テレビで地震速報が流れてちょっと驚いたが、長野で震度6弱ということだった。しばらく速報見てたが、幸い死者は出なかった模様。もちろん怪我した人や建物、道路などの被害は出てるわけだから支援は早急にやって欲しい。まあ、選挙前だから安倍陣営もスタンドプレイのチャンスと支援に力入るだろう。
日曜美術館はキリコ特集
芸術の秋ならぬ、やや「芸術の飽き」状態のMorris.で、見たい画家もあまりいないが、このキリコは近場で展示会あれば見に行きたい画家の一人である。でも今回の展示会は東京汐留のパナソニックホールだけの開催のようだ、残念。やっぱり「通りの神秘と憂愁」(1914)が最高傑作だと思う。こういったスタイルは「形而上絵画」と呼ばれていたらしい(^_^;)キリコはギリシア生まれのイタリア人で、ドイツ、フランス、イタリアと移り住み、1978年90歳で亡くなっているから、結構長生きしたんだ。晩年は若い頃の作品を自分でコピーしてたということで悪評を呼んだが、番組ではこれをアンディ・ウォホールなどの複製芸術につながるものとして評価してて、これには意表を衝かれた。
久しぶりにKBSノレチャラン見る。全羅南道ムアン(務安)篇。ソンヘさん元気そうだったが、今日はあまり自分では歌わなかった。トリのゲストはキムスヒだった。
大相撲千秋楽は白鵬が鶴龍を破って大鵬に並ぶ32回めの優勝。立派すぎる成績だが、対抗馬がいないのも事実だろうな。
結局今日は一歩も部屋から出ずじまい(^_^;) 勤労感謝の日(ほとんど勤労してないけど)ということにしておこう。
今日の歩数は0歩。

【賑やかな天地 上下】宮本輝 ★★★☆ 2005/09/30 中央公論社 読売新聞2004-05。

大きな災厄が起こったとする。
そのときの悲嘆、絶望、憤怒、慟哭というものは、未来を断ち切ってしまうかに思われる。
だが、その大きな悲しみが、5年後10年後、20年後に、思いもよらない幸福や人間的成長や福徳へと転換されていったとき、私たちは過去の不幸の意味について改めて深く思いを傾けるであろう。(あとがき)


物語の発端が神戸震災の場面だから、その10年後をきっかけにした作品なのかもしれない。来年1月で20年目という時期に読むことになったわけだが、月日の流れに驚くとともに、やはり記憶も風化しつつあることを実感せざるを得なかった。宮本自身も罹災者だったはずだから、そのことを感じながら書いたものと思われる。

それは、命というものの本体が、いったいどこから来て、どこへ消えていくのかという、およそ答えなど出そうにない疑問であった。
この自分もいまは生きているから「命」があるということになるのだが、もしあのとき車とぶつかって死んでいたら、「命」はどこへ行ってしまうのであろう……。
そもそも「命」とは何なのか。現象的に生きているものにだけしか「命」は存在しないのだろうか……。
風ん「命」はないのか。雲に「命」はないのか。雨に「命」はないのか。
人間の目には見えない事柄が多すぎる。あまりにも多すぎる。ただそれらは見えないにすぎず、じつは存在しているのだ。「命」というものもそうなのではないだろうか……。


主人公聖司の独白で、本書のテーマの一つが「命」論らしいが、いかにもナイーブな捉え方だと思ってしまった。

「乳酸菌ちゅうのはな、とにかくどこにでもおるんや。口のなかにもいてるし、胃とか腸とかにもいてるし、空気中にもいてる。それでやな、乳酸菌ちゅうやつは、炭水化物をエネルギーにして増殖して、乳酸をぎょうさん作り出しよる。この乳酸が野菜とか乳とか飯とかのPH(ペーハー)を低下させよる」
「ペーハーて何や?」
「ペーハーが高いちゅうことはその物質のアルカリ度が強いことで、ペーハーが低いっちゅうのは酸性度が強いっちゅうことやねん。食中毒を起こす菌や腐敗菌なんかの有毒微生物のほとんどは酸性の強いところでは増殖でけへんのや。つまり乳酸菌が活発に生きてる場所は、有害菌にとっては生きにくいところやということになるんや。さらにやなァ、菌という微生物の世界には<拮抗作用>っちゅう揺るぎないメカニズムがあってやなァ……」
「拮抗作用て何や?」
「ひらたく言えば、数の多いほうがカツという非常にわかりやすい原則やな。ある環境下で、乳酸菌のほうが多かったら、少々手強い腐敗菌とか有害菌が入って来ても、乳酸菌がよってたかって殺してしまうんや」

米や麦や大豆や乳や魚や肉などを発酵させ醸造させるさまざまな微生物がこの地球にいなかったら、人間の生活は味気ないものになっていたkとおであろう。
酢も酒も、チーズも、生ハムやヨーグルトも、味噌も漬物も、微生物の働きなくしては存在しないのだ。


もう一つのテーマが、聖司が手がけることになった発酵食品の不思議さとありがたさで、これはいろいろ参考になったし、興味深かった。乳酸菌のことも、こうやって大阪弁で軟らかく解説されると、すっかりわかったようなきにさせられる(^_^;)

「うん、千夜一夜物語や。どんな場面やったか忘れたけどなァ、王さまに毎晩おもしろい物語を聞かせてる聡明な女に、ある男が意地悪な質問を浴びせかけるんや。その質問のなかに『不治の病とは何か』っちゅうのがあった。女は即座に答えるんや」
と桐原は目を閉じたまま言った。
「どんな答えやねん?」
「悪い性格、って……。俺はその問い答とだけを妙にはっきりと覚えてるんや。そうかァ、悪い性格っちゅうのは、不治の病なんかァって、しばらく感動しとったなァ」

意外とこんな小ネタが印象深い。アラビアンナイトのどのあたりに出てくるかネットで調べたが、はっきりしなかった。ただ「不治の病は悪い性格」の対句として「剣より鋭いものは人の舌」が出てくるという記事が引っかかった。これも詳細はわからない。

仕事をするかぎりは、いっさい手抜きをせず、仕事とはかくあるべきだというものを為さなければならない。
それは報酬とは無関係なのだ。いかに少ない報酬であろうとも、それが自分の仕事であるかぎり、決して手を抜いてはならない。仕事とはそうであらねばならない……。


こんな仕事の教訓めいた小ネタもあって、読売新聞読者層には受けそうでもあるな。

「機転が利く利かんちゅうのは、生まれつきのもんやな。訓練して身につくもんやないっちゅうことが、俺にはようわかった」

これは、Morris.の「兎の逆立ち(耳ガ痛イ)語録」に入れとかねば(>_<)。

書物が大切にされない時代になってもう久しい。
自分の知人のなかには、一冊五、六百円の文庫本すら、書店で買わずに古書店で捜したり、図書館で借りる者がいる。そのような人は、自分の予想を超えて多いことを知り、聖司は驚いたものだった。
聖司の持つ図書館の概念は、書店ではみつけることの難しい専門書や全集や、いまや絶版となった名著を市民が読めるようにするところであり、好きな本を自由に手にできない青少年たちに優れた書物と出逢えるようにするところ、なのである。


これも、Morris.には、ちょっときつい発言である。この図書館観がそのまま宮本の本心かどうかははっきりしないが、作家としては「タダ読みはやめて」という気になるのも理解できなくもないけどね。もちろん、Morris.の図書館観とは、かなり違っている。

ふいに聖司の脳裡に「ぼくは、雨あがりの、薄曇りの空の下の、濡れた鉄橋のように生きている」という詩の一節が浮かんだ。誰の詩なのか知らないまま、いつのころからか、聖司はその一節が好きになっていたのだ。

これはネットで中原中也の最初の詩集「山羊の歌」の最後の作品「いのちの声」からの引用ということはすぐ突き止められた。以前ならこれ調べるのは大変な労力を要したことと思われる。見つけきれない可能性が高かったかもね。引用と原文はちょっと違ってたので、一節だけ引用しておく。

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇った空の下の鉄鏡のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂寞だ。(中原中也 「いのちの声」)


新聞小説の常として、一回ごとの山場と興味を次回につなぐ構成にするためのわざとらしさも目立つのだが、娯楽として読む側からすれば退屈しなくていいから好都合かもしれない。Morris.はこれまで宮本作品はあまり相性がよくないと思ってたが、こういったライトな傾向の作品は楽しめることがわかったので、しばらく読み続けてみよう。当然、図書館利用ということになるから、宮本からすれば不肖の読者ということになるんだけどね。

2014/11/22(土)●眼精疲労(>_<)●
6時起床。
今朝の血圧は198/98/87。
どうもここ最近ずっと、目が疲れてる。前にも時々そんなこともあったけど、今回はえらく長引いてる。読書とPCのやり過ぎかもしれない。休み明けたら眼科に行ってみよう。
昼前部屋を出て三宮方面に。途中薬屋で目薬買ってさしてみたが、その場しのぎと言った感じだな。
三宮図書館でしばらく時間つぶして、大安亭経由で5時半帰宅。
夜は追悼番組で民放BSでまた「駅 station」やってるをついみてしまう。先月11日にやってるのを見て、ちょっと懐かしかったが、それからちょうど一ヶ月で高倉健亡くなったということになる。地デジでは「南極物語」やってるようだけど、Morris.は駅を二回見るほうがましだと思った。まあ、こんな定番映画、レンタル百円でいつでも見られるわけなんだろうけどね。
今日の歩数は1224歩。

まだ青い木通(あけび)? 

大安亭八百屋猫 

八百屋猫3匹 

旭通り黒白 

椅子持ち上げオブジェ 

大安亭駐車場のシロ虎 

【メディア・リテラシーの現在】 池田理知子 編著 ★★★ 2013/05/30 ナカニシヤ出版。
3.11を契機として、メディアと公害/環境問題を根本的に見なおそうという、問題意識を提起するためのテキストといった感じの一冊。
章によって書き手が違うので、ばらつきがあるし、横組みというのは何となく読むのに疲れる。(考えてみれば、この日記だって横組みだけど)

「原発震災」でより明らかになったように、「公害」は、加害/被害の関係--もちろんこの関係も複雑であるということはいうまでもない--をあいまいにしかねない「環境問題」という言葉で代替する事はできない。いつのまにか「公害」が死語になり、「環境問題」という言葉に置き換わってしまった現状を解明するのもこの本のなすべきことであり、改めて「公害」の意味を問い直す必要性がある……(まえがき)

そういえば、たしかに、この頃「公害」という言葉を耳にすることが少なくなった。水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの時代は公害追放キャペーンなどという言葉がよく聞かれた。しかし、福島第一原発の事故が公害の最たるものであることは間違いない。「公害」を死語にしてはなるまい。

「公害から環境問題へ」というスローガンの背後には、負の側面があることを押さえておく必要がある。また、こうした流れを新自由主義という枠組みのなかにおいて考えることが必要であり、これまでメディアがその問題を積極的に追求してきたかというと疑問である。

「新自由主義」イヤな言葉である。

「島国で広域的な汚染を感ずる機会が少ないことから、身のまわりの公害と地球環境の悪化が別々のこととして受け取られていること」(宇井純)ともそれは関連しているに違いない。つまり「公害=ローカル/環境問題=グローバル」といった二分法からいまだに脱却できていないことが、ここに示されている

うーーん、ローカルな環境問題も、グローバルな公害もあるのではなかろうか?

福島第一原発事故後、「風評被害」という言葉がひとり歩きをしている。「風評被害」にまけないよう、福島県産の農畜産物を買って被災地を支援しようという動きが広まっている。しかし、そうした動きを後押しするようなメディア報道に乗せられてしまっていいのだろうか。むしろ私たちがやらなければならないのは、何が「風評」で、何が「実害」なのかを見極めることではないだろうか。(第1章 公害/環境問題とメディアの接点)

こういった、まっとうな意見を言い出しにくくさせているメディア報道。たしかにあったな。

皮肉な見方をすれば、過剰とも思えた津波の報道は、東電や政府が好んで用いた「想定外の津波による電源喪失が引き起こした事故」という説明を結果的に補足するものだったともいえるだろう。

これにも同感。でも、リアルタイムでは、なかなか感応できないことだった。

メディアが、非日常的な出来事を私たちの生活空間の「外部」に押しやることで、「日常」を確認し、修復する「装置」として機能する。
すでにカッコのものとして語られ始めている東日本大震災ののイメージ、それは、地震や津波による甚大な被害を乗り越えて、今の私たちがいる、という感覚を植え付けることにつながる。そして、それは同時に、現在進行形のっ問題、今も汚染物質を廃棄し続けている原発の状況も背景に押しる働きをしている。メディアはまた、すぐれて忘却の装置でもある。
逆説的だが、メディアは、その沈黙故にかえって饒舌に何かを語ることがある。(第2章 メディア・リテラシー再考)

おしまいのフレーズが効いてるね。現今のNHKニュースなんか、大事なことを見事にスルーしてる。

作られることのなかった沖縄の原子力発電所が示すのは、実体としての原子力発電所の存否を超えて、メディアのなかに浮上する「原子力」が単なるエネルギー源の名称にとどまらず、それによって喚起される欲望、そしてその欲望が達成されることへの「期待」と、達成されなくなることへの「不安」をつくり出すことで、私たちの思考を呪縛することだったといってもいいだろう。そしてそれは福島原発の過酷事故を経験した今も私たちを呪縛し続けているのかもしれない。(第6章 メディアとしての原子力/メディアのなかの原子力)

沖縄に米軍のための原発作る動きがあり、結局できなかったが、その推進力が沖縄の現状維持に貢献(^_^;)したことなどは、ちょっと意表を突かれた。

日本の公害問題を考えるうえで欠かせない視点の一つが、エネルギー政策との関連である。国が推し進めてきた近代化政策によって、次々と「負の遺産」がもたらされたのだが、その中の一つに、長崎県の端島(軍艦島)にある三菱の炭鉱で就労していた中国・朝鮮人労働者の強制連行とその被曝問題がある。しかし、2009年の上陸解禁以来、6万人もの観光客が訪れる観光地となったこの島に、そうした負の部分があることを知る人はそれほど多くはない。
彼らのなかには、長崎市で被曝したものもいる。羽島から長崎市にある造船所に地黄になって被爆した者や、原爆が落とされて数日後に長崎市内での清掃作業を命じられたたために入市被曝した者である。
端島に行く唯一の手段である「軍艦島ツアー」では、中国・朝鮮人労働者たちの実態には一切触れないのだという。(コラム「軍艦島/漢国島と世界遺産」)

このコラムは興味深かった。軍艦島、機会があれば一度行きたいと思ってたが、こんなツアーではしょうがないね。

2014/11/21(金)●ネリネ●
6時半起床。
今朝の血圧は185/89/89。
ホテルのサービス朝食。
10時に現場到着。
午前中ちょこちょことすまして、正午過ぎ出発。書類の待ち時間に、近くの駐車場で雉猫2匹撮影出来たのが嬉しかった。
奥屋PAで昼食。ここのトイレの花瓶にピンクの彼岸花に似た花が活けてあり、すごく綺麗だった。ネリネの仲間らしい。もちろんヒガンバナ科である。南アフリカ原産種。最近の洋花は、アフリカ渡来のものが多いようだ。
帰路えらく渋滞してて、結局、湊川神社前で降ろしてもらい、JR神戸駅から5時半帰宅。
6時から安倍首相の解散会見。「アベノミニクス解散」などとのたまってたが、憲法問題、原発問題、災害復興問題、基地問題……には、全く触れなかった。あの大震災+人災の後始末のことなど考えてもいないのだろう。何たって、ブエノスアイレスで、あれだけの国際的な大嘘ついた人だものな。
今日の歩数は2002歩。

朝ホテルの窓から 

同じく 

駐車場猫その1

その2 

奥屋PAトイレの花瓶 

砕石場 


2014/11/20(木)●広島現場岩国泊●
3時起床。
今朝の血圧は186/93/89。
4時過ぎにJR灘駅南口で拾ってもらい、総勢7人で広島市吉島町のインド人の中国向け荷物ピックアップ現場。すぐ近くに広島刑務所があった。
泊まりがけ2日取り現場だが、なぜか広島市内のビジネスホテルは満杯で、何と岩国の辺鄙なところにある亀の井ホテル泊ということになった(^_^;) 壁のような建物で、250室くらいありそうだ。ホテル裏が海辺の下水処理場で、その先に工場地帯が望める。散歩しても面白みないので、線路側の集落方面を歩いたら、大きな岩に注連縄した「堅石大明神」という祠があり、この岩の下に猫が二匹鳴いてた。
夕食はホテル一階の居酒屋。ほとんどビールでお腹を膨らます(^_^;)
早めに部屋に戻って、テレビ見ながら寝てしまったらしい。夜中に起きて、寝直す。
今日の歩数は3033歩。

広島川の夕景 

安芸の宮島 

はるかに岩国工場地帯 

ホテルの裏は下水処理場 

岩国のマンホール蓋 

夜の海 

一文字公園から 

堅石大明神 

大明神猫たち 



2014/11/19(水)●荒田町あたり●
6時起床。
今朝の血圧は200/114/69。
午前中の民放TVはすべて高倉健特集(^_^;) おかげで?解散総選挙関連ニュースはほとんど影を潜める状態。まあ、放送局の対応はこんなもんだろうけどね。安倍政権は、選挙の人気とりで国民栄誉賞なんてのも考えてるかもsりえない。
昼前に部屋を出て、JRで神戸に出て、中央図書館。
2時半に図書館出て、ぷらぷらと荒田町から東山市場方面散策。
神戸大学病院の階段に、かわいい白雉がいたので、Morris.@Catographerモード。荒田町でも白猫がいたけど、やっぱり、これから寒くなると、猫も炬燵で丸くなる傾向になるだろう。
4時半帰宅。
広島のふくはらさんから来信。昔台湾で買ったという豚のイラストの便箋セット。「"正點"新聞社 熱門 排行榜 」などと書いてあるが何のことか全くわからない(^_^;) Google翻訳にペーストしたら「"時間厳守"通信社 プレスエージェンシー トップランク」と翻訳された。やっぱりよくわからない(>_<) 韓国語知らない人にはハングル文字はちんぷんかんぷんだろうが、中国語は漢字だけについ、気になってしまう。
明日は3時起きで、広島泊まりがけの現場なので、早く寝ることにしよう。明日、明後日の日記は遅れることになる。
今日の歩数は8777歩。

十一面観音石仏 

大学病院の白雉 

同じく 

岩窟地蔵 

荒田町の白 

同じく 

放置自転車 

ダチュラ 

欅紅葉 

【繚乱】黒川博行 ★★★ 2012/11/20 毎日新聞社。初出「サンデー毎日」2009-2012
元マル暴刑事の堀内信也都)伊達誠一のコンビが、競売屋の調査員という仮の姿で、大阪を舞台に立ちまわるピカレスクロマンといったところ。もちろん、ひたすらエンターテインメントとして読み、充分楽しませもらえた。本筋より、警察とパチンコ業界との関係、警察組織の天下り構造のなどが、わかりやすくしょうかいしてあり興味深かった。

財団法人・保安電子通信技術協会--。パチンコ機、パチスロ機の試験と検査を行う全国唯一の指定検査機関で、東京に本部があり、会長には代々、警察庁長官や警視総監が就いている。職員の3分の1は警察出身者だと、堀内は聞いたことがある。

「堀やん、パチンコのプリペイドカードいうのは、そもそもどういうもんなんや」
「20年ほど前、三菱商事と住友商事とNTTデータ通信が東京と大阪に設立したカード会社が最初やろ。二社の初代会長は元警察庁刑事局長と元関東管区警察局長やなかったかな」
「それはなんや、警察官僚の天下り会社かい」
「CR機や。警察庁は保通協をとおしてプリペイドカード対応のCR機を認可する一方、そのほかのパチンコ台はなんだかんだと因縁をつけて認可せんかった。ホールオーナーはしかたなしにCR機を導入して、警察利権はめちゃくちゃ肥大した」


もともとパチンコ屋は儲かるようにできてるわけで、そこに警察がピンハネに入ったということだろう。結局客の財布がどんどん軽くなるだけだろうに、何でこんなに世間に蔓延してるのか、Morris.には理解できないところである。ギャンブルというものが、そういうものなんだろうけどね。

伊達が警務課云々を口にしたのは公然たる天下り斡旋マニュアルが存在するからだ。その規定は府警の警察官ならみんな知っている--。
大阪府警では警部以上の勧奨退職者に対して警務課が再就職を斡旋する。警部は年収600万円以上、警視は年収800万円以上を基準とし、その天下り先は金融、ゼネコン、流通などの一部上場企業や警察の外郭団体、または府、市の関連企業、第三セクターが主となっている。
天下りの目的は--、府警側としては、上級幹部に勇退させて後進に役職を与え、組織の活性化を図る。地位と立場、収入を確保できる職場に幹部を送り込み、警察力の強化と情報収集を図る。また企業側としては、元警察幹部の現職時代の地位、階級を利用として府警とのパイプ役とさせる。右翼、総会屋対策、労働問題、人物調査等に利用する。元警察幹部の紹介で現役警察官を無料のガードマンとして使用できる。警察官は上命下従が徹底しているため、かつての上司の命令にも盲従する習性があり、企業側はOB個人の実務能力にではなく、府警に対する影響力に高額の給与と立場(総務部長、渉外部長、専務理事など)を与えるのである。
また、警部補以下の勧奨退職者は総務部厚生課職員相談室が担当し、その再就職先は現場労働が主で、収入は上級幹部の半分ほどになるが、刑事、警備経験者は優遇される--。


「天下り斡旋マニュアル」(@_@) 薄々はそうぞうしてたけど、こうやってきっちり紹介されると鼻白むしかない。

署の幹部が異動したときの餞別はもちろんのこと、武道始めや歓送迎会、コルフコンペやボウリング大会といったレクリエーションにも、営業担当は呼びつけられてビール券や商品を差し入れていた。そこまで金をたかられても、葬儀を一回すれば百万、二百万の売上にはなる。葬儀社の利益率は6割から7割だとみられているから、少々の差し入れなど痛くも痒くもない。つまるところ、葬儀は警察の利権であり、警察署は葬儀社にとっての利権なのだ。警察は葬儀社を介在させて事故や事件を食い物にしているといっても過言ではない--。

これって、原子力村の構造に類似している。つまりは、日本の権力の癒着構造というのは、金太郎飴みたいなものかもしれない。

2014/11/18(火)●安倍のーまる解散●
6時起床。
今朝の血圧は197/101/77。
何となく肌寒い。
午前中は炬燵でゴロゴロ。
高倉健が10日に亡くなっていたというニュース。享年八十三。ヤクザ映画の中では断突にかっこ良かったと思うが、それほどヤクザ映画に入れ込んでたわけでもない。最近民放BSでみた「駅」が印象に残ってるくらいだ。
午後、王子動物園。やっぱり寒い。
4時帰宅。また部屋でごろごろ。
安部首相記者会見で、解散発表。消費税10%実施を一年半伸ばして次は、何があっても実施すると強調していた。記者の質問にもまともに答えず、ピント外れの発言ばかり、しかし、これもシナリオ通りなのかもしれない。ともかくも12月14日の総選挙決定。何も出来ないが、安倍おろしの声だけでもあげ続けたい。
日米野球。ほとんど消化試合モード。大谷もいまいちだった。
今日の歩数は2934歩。

フラミンゴ雛 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

鰐 

蛇 

イグアナ 

ショウガラゴ 

猿の腰掛 

河馬池前の小さな木の花 

桜落葉 

ハンター邸 

海星校舎上の聖母(60倍ズーム(^_^;) 

【イチエフ・クライシス】「世界」臨時増刊号 ★★★★ 2014/01/01 岩波書店。
雑誌「世界」は名前こそお馴染みだが、ほとんど目を通すことはなかった。この増刊号も、中央図書館の雑誌の棚で偶然目にしたのだが、いやあ、これはリアルタイムで読むべき一冊だった。三部に分かれてざっと25本ほどの記事が掲載されているが、まずは表紙裏の主旨宣言。

「状況は、コントロールされている」
2013年9月7日、安倍晋三首相はブエノスアイレスにおけるオリンピック招致最終プレゼンテーションで、世界中に向けて公言した。
しかし、にわかに浮上した汚染水問題は、現時点が、イチエフの「廃炉に向けての第一歩」などではなく、原発事故と必死で闘っている状況であることをあらわにした。原発事故は収束していない光線量の現場では、作業員の方々が懸命の収束作業を続けている。4号機からの燃料棒取り出し作業が始まったが、安全に遂行できるのか、世界中が一挙手一投足をかたずを呑んで見守っている。
3.11から3年近くが経つが、いまだ原発事故被災者15万人が福島県内外で避難民となっている。避難所から仮設住宅、災害復興住宅へと度重なる引っ越しを余儀なくされ、「原発関連死」も跡を絶たない。明日に希望の三枝ない日々。精神的苦痛は増し、PTSDを患う人も増えている。
そのようななか、なしくずしの再稼働と原発輸出に突き進むことなど、あってはならないはすだ。11月11日に安部首相は、事故対策は「国がしっかりと前面に出る」と、東電任せにしてきた対応を転換する方針を示したが、これは「国費を投入して東電を守る」という高らかな表明でもある。「モンスターシステム」(電気料金という無限に生み出されるカネを基にした集金・集票・メディア操作システム)はゆるがず、「原子力ムラ」はしたたかに生き残りを図っている。
いまこそ、真の事故収束と人々の復興、原子力政策の転換に向け、知恵を集めるべき時だ。(表紙裏のメッセージ)


安部首相のあの国際舞台での大嘘への異議申立てから、脱原発に逆行する政府の姿勢への憤りが窺える。原子力ムラを「モンスターシステム」と名づけたのは、本書にも登場する若杉烈だが、言い得て妙である。

言葉の上で、「福島原発事故から学んで、世界最高レベルの安全性を確保する」「安全が確認された原発は稼働する」としているが、実態はヨーロッパと比較しても過酷事故対策ははなはだ不十分で、再稼働とか原発の輸出を口にすること自体が「原発の安全神話の再構築」である。同時に、東京電力はもとより各電力会社とも、原発を運転する技術力と管理能力があるかどうか疑わしい。(「安全に核燃料を取り出していくために」後藤政志)

「安全」という言葉を、もう一度再確認する必要があるね。

あんぜん[安全]安ラカニシテ全キコト。少シモ障リノ無キコト。(大言海)

東電や政府の対策は、地下水の流入が根本問題であるように説明しているが、これは嘘である。地下水は、問題の困難性を増幅させる副次的要素にすぎない。本質は、溶け落ちたと言われる燃料デブリの存在状態、それに即した冷却作業の実態に関わることである。
問題の根源は、1~3号機を中心に、いまだに膨大な量の熱を発している溶融燃料の塊が、その存在状態も不明のまま、三つの原子炉内に現存していること自体にある。これらは数十年以上にわたって崩壊熱を出し続ける。その間冷却をつづけなければならない。その限りにおいて、同時に高濃度の汚染水が生成される。このことは、誰にも変えることはできない。(「天然の恵みの場・世界三大漁場はいかに汚染されたか」湯浅一郎)


事故の本質から目をそらせることにばかり汲々とする原子力ムラに事故処理を任せること自体、国家的犯罪ではないかと思ってしまう。

産業規模が大きくなるとともに、各機能が分業化され、作業者の意識の外部化と分団が行なわれているからである。一人の労働者あるいは技術者の立場からすると、自分の持ち場以外の機能が他人事になってしまい、一貫したPDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルが保持できなくなっている。その上に、被曝労働現場では滞在期間を制限されて、作業分担範囲が細切れに分断されてしまう。それは作業者に統合的な達成感や充実感をもたらすことができず、奴隷労働と同じ精神状態に追い込む。このことは、現場作業員も技術管理や開発・工夫を目指す技術者にもあてはまる。さらに経営問題が絡んで、指示の発信者が東電本社組織や政府といった遠隔の組織になってしまうと、計画から実行、チェック、修正といった、PDCAサイクルが機能せず、作業プロセス全体を統合的に視野に収めている人がどこにもいないという結果になる。
こういう環境であれば、技術を有していてよそで重宝される技能労働者は原発に来なくなり、若く経験の浅い労働者などが一本釣りでかき集められる結果になるのも頷ける。だからこそ多層下請構造になり、最終的にリスクは個人負担になるのであろう。(「被曝現場の労働疎外」筒井哲郎)


現場作業員の問題は、これまでほとんど取り上げられずに来たが、事故後の復旧作業が、それまでより過酷、危険になることは言うまでもない。自主的に働こうという人材(特に技術者)は払底し、ますます多重下請けが幅をきかすことになるだろう。廃炉の道がこうした現場労働者の被曝なしにはありえないことを思う時、やはり原発という存在そのものに疑問を覚えずにいられない。

責任を明らかにするということは、再び同じような事故がどこかで起きることを防ぐためにも必要なのです。このまま誰も事故の責任を取らずに進んでいいくようであれば、この国はまた同じような過ちを犯してしまうでしょう。少数の人間の警鐘は無視し、あるいは弾圧してしまい、コストを優先して「安全神話」を作り上げて対策を甘くし、実際に事故が起きてからは被害を少なく見積もり、被害は拡大していき、被害者への救済は行わないという状態が繰り返されていく気がしてなりません。
(「原発事故の責任はまだ問われていない」武藤類子)

「責任者出て来ない」状況は、未だに継続中である(>_<)

福島では「除染ナショナリズム」とでも呼ぶべき現象が生じている。まず「除染ありき」との主張が力を持ち、避難を希望する人々が周縁化され、排除されようとしているのだ。その背景にあるのは利権化しつつある除染ビジネスへの期待、そして汚染された郷土を回復し、住民の帰還を果たしたいという「地域ナショナリズム」である。
現状では、除染プロジェクトは自公政権による公共事業拡大化路線の一翼を担わされ、事業費をふくらませる土木工事まがいのものに成り下がってしまった。ガンマカメラで汚染エリアを可視化することもなく、やみくもに土を剥ぎ取り、樹木を伐採するだけの単純で、非効率な一律除染がはびこっている。
一刻も早く事業を進め、被災住民の帰還を実現させようという国と東電のあり方がそうしたアリバイ証明的な除染のさらなる横行を後押ししている。その背景にあるのは、事態の早期収拾を図り、原発事故の責任を矮小化したいという国や東電の願望である。(「ルポ 汚染迷走」姜誠)


火事場泥棒的な除染作業の公共事業化。公害問題でも、国や企業は、隠蔽、責任転嫁を図ってきた。同じ構図が原発関連で起こらないわけはない(^_^;)

筆者は、国費投入には二つの前提が不可欠だと考えている。第一の前提は、事実上経営破綻している東電の法的整理を行うことである。すなわち、減資と債権カットにより株主と債権者に負担を求め、東電の資産をはき出させる事が必要だ。しかしそれでも、事故収束や廃炉、賠償、除染の費用を賄いきれないなら、国費投入は避けられない。その場合、第二の前提として、事故被害に関する国の責任を認めそれに基づく負担だという点を明確にすべきである。福島の事故について、国が真摯に反省をするならば、拙速な原発再稼働などはできないはずだ。
震災の発生から三度目の冬を迎えた。時間の経過とともに、原発事故の「風化」「忘却」がますます進んでいる。本稿で述べた東電救済の拡大も、その流れのなかにある。しかし、肝心の事故収束は先が見通せず、被害はいまも継続中である。この事実こそが「風化」「忘却」の防波堤となるはずだ。(「東電の賠償負担免除は許されない」除本理史)


ごもっとも、な意見である。しかし、日本ではごもっともなことがなかなか行なわれない。「風化」「忘却」はできるわけがない、はずなのに……

破綻とは、企業が払うべきものを払えなくなったということです。
東京電力は、早くから、被災者への損害賠償を自力で払うことができないことを自ら認め、政府に支援を求めました。実は、遅くともこの時点で東京電力は破綻していると認定されるべきでした。しかし実際には、それよりもかなり早い段階で、経産省は、東電を破綻させないという方針を決定しています。逆に言えば、破綻させないと決まっていたから、東電は、堂々と「自力では支払いできません」と言えたのです。普通の企業が「支払いできません」と言ったら、直ちに取り付け騒ぎが起きたでしょう。
では、なぜ経産省は「東電を破綻させない」と決めたのでしょうか。
その最大の理由は、経産省の中に破綻企業の再生についての正しい知識と経験を有している幹部がほとんどいなかったことです。そのため経産省幹部はほとんどパニックに陥ってしまい、愚かにも銀行と東電の脅しに乗って、破綻させないと決めてしまったのです。その脅しとは「破綻させたら、電力が止まる」「金融(社債)市場不安が起きる」というものでした。大企業が破綻するとき必ずその企業と銀行が脅しに使う常套手段です。
もう一つの理由が、経産省と東電、そして銀行をはじめとする金融機関との癒着です。東電には、経産省から歴代の資源エネルギー庁長官級の幹部が天下りを続けて来ました。経産省にとっては最重要天下りポストです。銀行や保険会社の天下りポストも、次官級の幹部にとって最高の待遇が約束されたポストです。現に
当時の資源エネルギー庁長官の細野哲弘氏は、退官して一年経たないうちにみずほコーポレート銀行に天下りしています。
破綻処理をしてもしなくても、事故処理にかかる費用は同じです。最後は国民負担が必要となるのも確実です。しかし「被災者のためならしかない」、ほとんどの人がそう思っているでしょう。消費増税には強い反対がありましたが、復興増税には大きな反対はありませんでした。被災者のためだったらしかたないという、国民の同情心、公共心の現れです。安倍政権は、その善意を利用して、「国が前面に出る」と言いました、しかし、今のままでは、被災者以外の人のために税金が使われてしまいます。
いま私たちは、政府に対して、2つのことを求めなければなりません。
第一に、国費を投入するなら、それを最小化することです。
第二に、「責任と負担の原則」を明らかにすることです。破綻処理の際の負担の順位は
①破綻企業自身(東電) ②株主 ③債権者 ④電力需要家 ⑤一般国民
の順にするべきです。
東電の破綻処理はどうすれば実現するのでしょうか。原子力ムラと銀行は自民党を支配し、経産省も天下りなどを通じてこれらと癒着しています。政権がやる気が無いのだから、あとは、国民世論で政権を動かすしかありません。マスコミの情報提供がきわめて重要になってきます。
さらに、電力会社や銀行と癒着した経産省が電力事業を所管していることが、諸悪の根源になっています。原子力安全行政と同様、電力規制の権限を経産省から奪い、独立の三条委員会または、公正取引委員会の所管とすべきです。
東電の破綻問題は他の電力会社にとっても重要です。今後、使えなくなる原発の廃炉コストが大きな負担になりますが、それを経産省は、前述の通りインチキな会計処理で電力料金に上乗せしようとしています。しかし、東電が破綻して、銀行の債権カットができることを国民が知れば、東電以外の電力会社に対しても、電力料金に上乗せする前にまず破綻処理しろという声が出るのは必至です。それで他者も東電の破綻処理には反対するようになったのです。安倍政権は、こうした電力会社の意向にも十分に応えようとしているのです。
「国が前面に出ます」「私が最終責任者です」「汚染水の影響は完全にブロックされています」と、「正義の味方」「国民の守護神」を気取って大見得を切っています。(これらの)安倍政権の言葉は極めつけの「詐術」だということに私たち国民は気づかなければなりません。黙っていては、事態はますます既得権者の都合のよい方向に向かって進んでしまいます。「責任を取るべき者に負担を」「国民負担は最小限に」と私たち国民は、もっと大きな声を上げなければなりません。(「東電は破綻処理をしなくてはならない」古賀茂明)


本書の中でも、古賀茂明の意見は、白眉といえる。一番わかり易かったし、共感できるところも多かった。論旨明解にして、やるべきことをはっきり主張している。国民が「大きな声」を出す絶好の機会が、間近に迫っている。このチャンスを無駄にしてはならない。

あの事故は、津波事故でもなければ電源喪失事故でもありません。津波は背景となる条件で、電源喪失は引き金にすぎません。むしろその本質は、「冷却材の喪失事故」だということです。
原発の安全性は、「止める」「冷やす」「閉じ込める」ことで成り立っています。しかし、福島事故の際には、「止める」ことには成功しましたが、「冷やす」ことに失敗して自動的に「閉じ込める」ことにも失敗し、放射性物質を大量に飛散させて大惨事を引き起こしてしまいました。それこそが福島の事故の教訓です。ですから、事故の原因を津波や電源喪失に帰することは、問題の矮小化であり、防潮堤やバッテリーの二重化だけでは不十分だと言わざるをえません。
日本の規制委員会のメンバーには、住民の立場を代弁する人が一人も入っていません。いざというときに避難誘導するための自治体行政に明るい人も入っていません。私は規制委員会の人事が失敗であると繰り返し述べてきましたが、ほとんど報道すらしてもらえないというジレンマがあります。機械や設備がいくら優秀でも、判断をする人が間違いを犯した場合には、事故は起きるのです。
作業員の方々は、五次、六次など多重下請け構造でピンはねされ、報酬はきわめて少ない。また防護服を着ての作業は、夏は暑く冬は寒い、まさに地獄です。作業員の過酷な労働環境を放置して顧みない企業に原発を安全に運転できるとは思えません。劣悪な労働条件で働かせつつ、命を危険にさらして業務にあたれと命じても、安全なサイトの管理がなされるとは到底思えないからです。
隠蔽体質を改め、反省をしなければ同じことを繰り返すでしょう。その象徴が東電によるメルトダウンの隠蔽です。3月11日の夕方の段階で、かなり正確な進展予測が行なわれていました。12日未明には、燃料棒の中にしかない放射性物質を建屋外で検出していましたので、メルトダウンしていることは専門家ならばわかっていたはずです。……にもかかわらず、東電は5月15日まで隠し続けました。組織的に誰がどう指示した結果、メルトダウンの事実が隠蔽されつづけたのかを明らかにしなければ、また都合の悪いことを隠すでしょう。反省の証として、まずは明らかにしてほしいということです。(「ご都合主義の規制基準では原発立地住民の信頼はえられません」泉田裕彦・新潟県知事 インタビュー)

元福島県知事佐藤栄佐久の本を読んで、その意気に感じたものだが、現職の新潟県知事もそれに勝るとも劣らない。川内原発の再稼働を積極的に進める鹿児島県知事に二人の爪の垢でも煎じて飲ませたいものである。
事故の本質把握といい、規制委員会の人選への疑義といい、現場労働者の過酷な現状認識といい、東電と国の隠蔽体質への憤りといい、原発立地県の長としてこういった視点は常識の裡だろうが、それのかけらすらない首長が多すぎる。

日本の電気料金は独占企業である代わりに国の規制を受けていますが、その内容は総括原価方式といって、事業にかかる経費に一定の報酬率を乗じた額を消費者から自動的に回収できる仕組みになっています。競争がないのでその発注経費を相場の二割高に設定し、ここから5%を電力会社自身が主導する業界団体に預託させるといったことも可能です。この潤沢なカネを使って政治献金し、メディアを操作していく。大勢の政治家がこの集金システムをあてにして動くわけで、電力会社はいわば国の政策に拒否権を持つようになったのです。
当時総理補佐官だったある人は、再稼働の圧力も原発推進の圧力も同時にかかってる中で、本当に大事なのは脱原発だと、最終的にこれをとるのが精一杯だし、そのためにみんなで一致しなくちゃいけないのに、仲間割れしてどうするんだよという気持だったと言ってました。即ゼロにこだわる人たちからすれば、山本太郎しか支持できる候補はいないということかもしれませんが、結果として脱原発の中でも再稼働容認と即ゼロとで仲間割れを起こしたことが安倍政権を生んだという現実を、もっと反省すべきだとは思いますね。(「利権のモンスター・システムが日本を蝕む」若杉冽 『原発ホワイトアウト』著者に聞く)


若杉は現役の官僚で匿名で「原発ホワイトアウト」というフィクションを書いた。「原子力ムラ=モンスターシステム」というのは実に当を射ている。前回参院選時の「反・脱 仲間割れ」批判は、理屈ではわかるのだけど、ちょっと異論もある。

地震などの大きなリスクと現地住民の反対などの矛盾を抱えながらも、両国の国策として強力に支えられながら進められる日本の原発輸出。国内で未曾有の事故を起こした日本が、なぜ海外に「わが国の原発は安全です」と原発を輸出できるのか。そこには、「原子力ムラ」を特別に保護する法律の存在があった。
1961年に成立した原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)は損害賠償の内容を定めている被害者保護の法律のように思えるが、この原賠法が守ろうとしているのは被害者ではなく、むしろ原子力産業だ。
現に、2011年3月に起きた東電福島第一原子力発電所事故後も依然として、原子力産業は利益を上げ、代償を払っているのは私達市民だ。被害者が公正かつ迅速な代償を受けていない一方で、原子力産業は事故の責任を回避し続けている。(「なぜ原子炉メーカーの責任が問われなければならないか」佐藤潤一・鈴木かずえ)

筆者二人はグリーンピース関係者。「原賠法」は「電源三法」以上に強大な力を発揮する天下の悪法のようだな。

本間 1990年代初頭のことですが、原発をめぐる原子力資料情報室の高木仁三郎さんの理路整然とした話に、原子力ムラの連中なんか全く太刀打ちできなかったのです。なのにその後20年間どんどん原発は建ち、もんじゅも一兆円以上注ぎ込んで1回も動いていないようなものが結局は建ってしまった。一応戦後の日本は独裁政権ではなかったわけで、だったら洗脳を果たせる力を持っていたのは一体誰なのか。望んでやっていたとは思わないけれども、結局は広告がその役割を果たしてしまったのではないでしょうか。
本間 秘密保護法の秘密指定の範囲には、原発の情報も当然入ります。原発に文句言うやつはしょっ引かれるという可能性もある。
マエキタ パンドラの箱は開いてしまった。ドイツは、敗戦の経緯をきちんと検証して民主主義を積み上げ、自分たちの主権を取り戻した。一方、日本ではしだいに主体や主権が希薄になっていって、自分たちの意思、国民の意思ではない法律が知らないうちにできていく。原発もその一つで、国民が望んでいたというよりは、横を向いて気がつかないうちにできてしまった。国民には見えないような空白をつくり、54基も原発を建ててきた。活断層も地下水も、そこに人が目を向けようとすると慌てて煙幕を張る。それが原発広告や安全神話でした。
本間 これ(原子力PA方策の考え方 1991)がPR的には非常によくできているのです。国民には「繰り返し広報が必要」「電力消費量のピーク時は必要性広報の絶好機」、メディアには「原子力に好意的な文化人を常に抱える」「テレビディレクターに知恵を注入」「単発ドラマを政策・放映」などまた、常に「エネルギーの3分の1は原子力」を必ず入れること、いやでも頭に残っていく、と言っています。
この指針に基づいて、とにかく根切りもほとんどなかったと聞いていますから、代理店やメディアにとっても神様のようなクライアントなんですよ。そして、この根幹にあるのは「停電は困るが、原子力はいやだ、という虫のいいことをいっているのが、大衆である」という姿勢です。
本間 いまだに今回の事故の恐怖がわかっていない国民が半数ぐらいはいるのではないでしょうか。物がぶち壊れてグチャグチャになれば誰が見たってわかりますが、原発の場合、確かに福島第一原発は破壊されたけれど、避難している人たちは生きているので、深刻度の度合いにおいて恐怖が伝わり切っていない感じはします。そこをうまく利用されているのではないか。
マエキタ 私は政治が壊れていると思いました。民意の反映という、当然あるはずのもの、あるとおもわれていたもおのが接続されていない。だから投票率も低いし、原発はいやなのに経済と倫理がごっちゃになっています。本来、政治とは倫理のことなんですよ。経済のことは経済がやればいいので、政治は経済では解決できない問題を解決しなければならない。なのに、経済のために政治があるという本末転倒が起きている。(いまなお懲りない原発プロパガンダ」本間龍・マエキタミヤコ)

元博報堂と電通社員で、高木仁三郎の原子力資料情報室にも関わりのあった二人の対話。
原発プロパガンダについては、早川タダノリの「原発ユートピア」などでおなじみだが、福島原発事故の後も、敵は「生き残り」を賭けて、より巧妙なプロパガンダを展開しようとしている。油断召めさるな。
244pの雑誌を読み通すのに、ずいぶん時間を要した。引用もいつも以上に多いけど、これは記事の数が多いのだからしかたがない。ここ数年、文庫や新書の質の低下などを理由に、さんざん岩波の悪口を書いてきた気がするが、この特集雑誌は貴重な一冊である。読んではいないが(^_^;)「世界」という雑誌を続けていることも合わせて、やはりさすが岩波の感を新たにした。これからは偏見を改めることにする。これまでのこと、すまんm(__)m

2014/11/17(月)●銀泥●
6時起床。
今朝の血圧は181/93/86。
JR三宮に出て、磯上通の高層マンション現場に直行。
27階のアメリカ向け船便ピックアップ現場。
昼は近所の「小燕京」のランチ(880円)。ここのスープ(コーンポタージュ)が癖になる。中華とはちょっと違う。
3時作業終了で解放してもらう(^_^) 元町方面に歩き、元町駅地下の阪神利用で散髪。
そのままぷらぷらと三宮から大安亭経由で5時帰宅。
途中楓みたいな濃い緑の葉で裏側が真っ白というちょっと変わった木に出会う。帰ってネットで調べたら銀泥という柳科の樹木で、白楊、裏白箱柳とも呼ばれるらしい。しかし「銀泥」というのはなかなかいい命名である。裏側は産毛が密生していて、銀色に見える。
昨日の沖縄知事選の投票率は64.13%。前回より3%上回ったとか。選挙はせめてこれくらいとうひょうしてもらいたいものだ、投票率50%以下の選挙は無効にすべきかもしれない。当選した翁長氏は現役那覇市長だったから、同日に行なわれた那覇市長選でも前の副市長城間幹子氏が、辺野古容認の候補の倍近くの差で当選。辺野古のある名護市長稲嶺氏も辺野古基地移転反対だから、これで、沖縄は知事、県庁所在地市長、該当市の市長ともに、反対を表明している。もともとこれが、沖縄の総意だったのを、仲井真前知事の突然の裏切りで、政府に付け入らせる要因を作ったわけだ。
「ポスト噂の深層」岡留安則の昨日の日記の一節。

沖縄県知事選での敗北を察知した安倍政権は、メディア対策や世論操作を意識する形で、解散総選挙をぶち上げた。安倍総理は外遊中であったが、総理の承諾な くして解散総選挙への動きは不可能である。女性閣僚二人の辞任や政治とカネのスキャンダルが噴出した安倍政権としては、今のうちに総選挙に踏み切れば、長 期政権への仕切り直しが可能と判断したものと思われる。月曜日に帰国する安倍総理は、公明党幹部との会談を予定しており、そこで正式に解散のプログラムが 決められるはずだ。もはやアベノミクスの失敗は明らかであり、原発再稼働、消費税増税問題など課題は山積み。外交も失政だらけ。この際、沖縄県知事選の敗 北感を薄める効果も狙えるという判断なのだろう。しかし、安倍政権の支持率がこれ以上高まるとも思えない状況だけに安倍総理として大博打をうつ奇策のつも りなのだろうが、国民はそう甘くないということは沖縄県知事選でも明示されたはずだ。年末の大博打に対しても「NO!」を突きつけるチャンス到来である。

知事選勝利で、ちょっと気が大きくなってるきらい無きにしもあらずだが、解散年末総選挙があるとしたら、これをチャンスにすべきだろう。経済のみでなく、原発再開の是非と福島復興問題、、集団自衛権・秘密保護法・基地問題、これらをはっきり問うべき選挙と位置づけて、とにかく、投票することちゃ。
今夜のKBS歌謡舞台1394回は"열정과 애수의 노래情熱と哀愁の歌“という、ちょっとわかりにくい(^_^;)企画。でも結構好きな歌、好きな歌手が多かった。何と言ってもチャンユンジョン出産後2度めの登場というのが見逃せない。

1) 울고 넘는 박달재泣いて越えるパクタル峠/조영남チョヨンナ
2) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/설운도ソルンド
3) 섬마을 선생님島の村の先生/장윤정チャンユンジョン
4) 선창波止場/김국환キムククッカン
5) 남자는 배 여자는 항구男は船女は港/홍진영ホンジニョン
6) 한오백년恨五百年/유지나ユジナ
7) 봉선화 연정鳳仙花女人/현철ヒョンチョル
8) 어떻게 말할까何と言おうか/장미화チャンミファ
9) 그대여 변치 마오君よ変わらずに/김수찬キムスジャン
10) 오빠는 잘 있단다兄さん元気で/현숙ヒョンスク
11) 홍도야 울지 마라紅島よ泣くな,물방아 도는 내력水車の回る訳,잘 있거라 부산항おさらば釜山港/조영남チョヨンナム
12) 대전 블루스大田ブルース/태진아テジナ
13) 흔적痕跡/최유나チェユナ
14) 내 삶을 눈물로 채워도人生を涙で満たしても/조항조チョハンジョ
15) 영등포의 밤永登浦の夜/홍원빈ホンウォンビン
16) 연인들의 이야기恋人たちの話/임수정イムスジョン
17) 무너진 사랑탑壊れた愛の塔/배일호ペイロ
18) 장밋빛 스카프バラ色のスカーフ, 별이 빛나는 밤에星降る夜に/윤항기ユンハンギ


1.「パクタルチェ 朴達峠」は忠清道にある峠の名前で、Morris.も一度通り過ぎたことがある。この歌は1948年パクチェフンが歌った典型的なトロットで、愛唱歌ベスト10などで、いつも上位を占めている。でも、Morris.はこの歌ちょっと苦手である。
2.ナムインスの代表曲で、前奏や間奏、節回しなどが、何となく古賀政男を連想させる。
3.数あるイミジャのヒット曲の中で一番親しまれてる曲。チャンユンジョンも前からこの曲相性していて、アルバムにも収録。
4.1941年発表でオリジナル歌手はコウンボン。タイトル「ソンチャン船艙」は、船をしまっておく倉庫とか、積み込みを行う地区という意味だが、普通「港」と訳されている。この歌は昨年急に好きになった曲。
5.シムスボンのヒット曲。もちろん作詞作曲も彼女。愛のバッテリーのホンジニョンにはピッタリの曲かもしれない。
6.チョヨンピルの熱唱で有名だが、朝鮮民謡の佳曲。ユジナ版もこれまでに何度も聴いた。
7.88年の歌謡大賞受賞曲。ヒョンチョルの代表作でもあるが、Morris.としては、作曲家パクヒョンジンの出世作として忘れられない曲である。
9.ナムジンのヒット曲。
11.今日はチョヨンナムがえらく優遇されてる。3曲メドレーの中ではおしまい「おさらば釜山港」が一番好き。シャッフル調のウキウキするリズム、オリジナルはペクヤソン(白夜城)。
12.女性歌手イジョンヘの曲だが、チョヨンピルやナムジンなど男性歌手に合ってると思う。Morris.もよく歌う曲。
15.あまり良く知らない曲だが、永登浦は好きな町なので、何とかマスターしたい。
17.ナムインスの名曲だが、ちょっとスローで歌うと味わいが増すような気がする。新羅の都慶州の仏国寺にある石塔がモデル。
18.ユンハンギは古手のシンガーソングライター、この二曲もオリジナル。妹のユンボッキにもヒット曲を提供してた。「ヨロブン」が一番有名かも。
今日の歩数は5003歩。


「小燕京」 

このスープが美味しい 

ウェディングドレス専門店 

新クレセントビル 

神戸朝日ホール 

神戸大丸 

元町駅交番 

神戸新聞ビル 

銀泥(ぎんどろ) 

2014/11/16(日)●沖縄知事選挙●
7時起床。
今朝の血圧は191/94/76。
デジカメ新機使い始めて10日経つが、いまいいち使い切れていない。とりあえず「綺麗に」は撮れるのだが、Morris.の思うようには撮れない。前機が思い通りに撮れてたとは言い切れないのだが、ときどきは思い通りに撮れてたような気がする。ただ、撮った時点ですごく「綺麗に」撮れたように感じたのは、新機のディスプレイが、前機のディスプレイより解像力が高くなってるためだということがわかった。灘図書館まで歩いて行く間、接写テストで、いろいろ小さな花を撮ったのだが、これまたピントが決まらない(>_<)。途中挫折。
6時帰宅。
日米野球4戦目、先発藤浪は4点取られる。結果1-6でやっとアメリカ初勝利。
沖縄知事選は、辺野古反対の翁長雄志(おながたけし)が当選。前に反対を表明して出馬しながら昨年末容認に寝返った現職仲井真を破っての勝利。当然の結果かもしれないが、良かった。
今日の歩数は6641歩。

今朝のサンドイッチ 

薊罌粟(あざみげし) 

木槿 

姫柊(ひめひいらぎ) 

柊の花 

常磐櫨(ときわはぜ) 

アスター 

赤い木の実 

微妙な色の木の実 

狗鬼灯(いぬほおずき) 

枇杷の花 

六甲道夕景 


2014/11/15(土)●炬燵で朔太郎●
6時起床。
今朝の血圧は188/101/64。
朝の3点セット。
何となく寒いので、炬燵セット。といっても、単に布団かけて、電源コードつなぐだけ。
で、結局今日はほとんど炬燵の中(^_^;)
定番の蜜柑食べながら、目の前の本棚から無作為に手にとったのが創元社の現代日本詩人全集4巻。この巻には山村暮鳥、萩原朔太郎、日夏耿之介、福士幸次郎の4人が収められている。今日はこれまでちゃんと読んでなかった「氷島」(1932)を、声に出して読んでみることにした。序文にそうしろと書いてあったからだ(^_^;)。何か不思議な感じだった。

晩秋       萩原朔太郎

汽車は高架を走り行き
思ひは陽ざしの影をさまよふ。
静かに心を顧みて
満たさるなきに驚けり。
巷に秋の夕日散り
舗道に車馬は行き交へども
わが人生は有りや無しや。
煤煙くもる裏街の
貧しき家の窓にさへ
斑黄葵(むらさきあほひ)の花は咲きたり。


この詩などはわざわざ「-朗吟のために-」と付されている。
声を出して読むのは黙読とは全く違う体験であることを再確認した。
日米野球、第三戦は則本が5回までパーフェクトに抑え、リリーフ陣も無安打で、結局日本が4-0の完封リレー勝利、それもノーヒットノーランということで、メジャーリーグの面目丸つぶれ。5試合で3連勝だから、これで日本勝ち越し決定。「日本礼賛」者が調子付きそうだ。
今日の歩数は2867歩。

今日の屋上 

?? 

今日から炬燵モード 

【戦争はなぜ起こるか】A・J・P・テイラー 古藤晃訳 ★★☆
1982/0815 新評論。HOW WARS BEGIN 1977 A.J.P.Taylor
伊坂幸太郎の「PK」の参考文献に名前があったので、中央図書館三階で書庫から出してもらったのだが、どうもわかりにくい本だった。1977年にBBCテレビで放映された連続歴史講座を書物化したものを、訳出したものだが、この訳がかなりひどいのではないかと思われる。「冷戦」をテーマにした章の一節。

アメリカの軍事戦略家たちは1920年代半ばに何を発見したのだろうか。それは「赤」の国が--実際には大英帝国のことだったのだが--全アメリカ産業に打撃を与えるべく、八百万人からなる軍隊で「白」い国、つまり、合州国に侵入すべく準備を進めているというのであった。
マルクス主義はもともと大英博物館で生み出されたものであるにもかかわらず、マルクス主義は完璧なまでに首尾一貫した経済理論体系であるが、今や悪い意味で使われている。そして、マルクス主義はもともと大英博物館で生み出されたものであるにもかかわらず、マルクス主義者ならばイギリス人にあらず、といったように思われている。マルクス主義ほど完全にイギリス人にあらず、といいたように思われている。マルクス主義ほど完全にイギリス的な理論体系はないのであるが、昨今人びとはこうは考えない。


ね、かなりひどいでしょ。主旨は面白うそうなんだけどね。

全般的に見て、「偉人」を一人も生み出さなかったという意味において、我われは戦後かなりうまくやってきたと言えるであろう。「偉人」は戦時には目ざましい活躍をするしか欠かせない存在なのかもしれない。しかし彼らは、平時にあっては危険きわまりない存在でしかない。たとえば、ナポレオンしかり、「偉人」たちは戦争を製造してきたのである。今のところ世界には平凡な二流政治家しかいないようだから、世界征服をもくろんだりはすまい。

ここにある「偉人」というのは「英雄」とすべきではなかろうか。


2014/11/14(金)●京都階段●
5時半起床。
今朝の血圧は196/107/68。
矢谷くんら5人で、京都西大路のフィンランド向け荷物ピックアップ現場。でも、階段5階(>_<)
とりあえず梱包材料上げるので疲れた。Morris.亭も階段4階で、毎日昇り降りしてるわけだが(^_^;) やっぱり5階はワンランク上である。ピックアップは階段下ろしだからまだましである。配達だったら、へたばってるところ。
昼はお客さんが「若新」の弁当出前とってくれた。さすがにコンビニ弁当とはひと味もふた味も違う(^_^) 牛蒡の穴子巻きなんかもう絶品。でも、今日みたいなハードワークの昼飯としてはちょっと食い足りなかった(^_^;)
4時作業終了。5時半倉庫着。ちゃかちゃかと荷降ろしして6時半帰宅。
日米野球、第二戦。8-4で日本連勝(@_@)
6chではサッカー日本-ホンジュラスやってた。こちらも日本が5-0でリードしてる。その後も加点して6-0の完封勝ち(^_^;)
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」今週は最近の「日本礼賛」番組や書籍の増加を、安倍政権絡みで危惧している。やや及び腰ながら、空気を読んでの「同調」への不安を

メディアが国民感情に媚びへつらい、国民がメディアのアジテーションに乗っかり、政治家が世論の動向に同調し、軍隊が過剰適応を繰り返し、官僚が自分たち の職場を防衛することに集中した結果、ああいう戦争が起こってしまった。かように、「同調」から始まるドミノ倒しは、うちの国では、油断のならない結果を 引き起こす。

というくだりは、Morris.も同感である。先の日米野球の日本チーム名が「侍ジャパン」なんてのも、にわか愛国モードの一環かもしれない。サッカーの国際試合も前から日本礼賛中継だったもんね。2020の東京オリンピックを梃子にして、オールジャパンとか、強いニッポンとかいった、メディアのアジテーションに一層拍車がかかるだろう。このままだと、ナチスのベルリン・オリンピックみたいになりかねない。オリンピックが福島原発事故の目隠しになろうとしている。
今日の歩数は6804歩。
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