ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。
【2001年】 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【2000年】12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【1999年】12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月 【1998年】12月 11月
2001/12/31(月)●bye,bye,2001● |
Morris.のどーしよーもない垂れ流し日記を、定期的にお読みいただいたみなさまには、心より感謝申し上げます.しかし本当は、感謝より、申し訳ない気持ちが先に立ってしまいます.もうちょっと何とかならんのか、と、自分でもよく思うのですが、これもまた、来年から突然変わるということもないでしょう。
ともかくも、良い年をお迎えください.
2001/12/30(日)●おでんの準備● |
2001/12/29(土)●年末の中村うどん● |
2001/12/28(金)●「 丸高」は神戸一の和歌山ラーメンだ● |
2001/12/27(木)●何が「忍び」ぢゃあっ(怒)● |
【転生-リインカーネーション】田口ランディ ★★★☆☆ 絵本といってもいいだろう。JR神戸駅の本屋で見つけて、立ち読みして、とうとう読み通してしまった.10数編の長さもまちまちの掌編の集まりで、ある生命が、タイトルの通りさまざまな生き物に生まれ変わり死んでいくさまを、淡々と綴ってあるもので、人間であれ、虫であれ、犬であれ、それぞれの生が抵抗なく読み手に理解されるところがすごいと思う.ランディというのは、ネットのハンドル名で、たまたまチャットに参加していた一人が飼っていたアライグマの名前だとか。それはともかく、彼女の文体は、やはりネット文体が大きな影響を与えているようだ.これは先日1冊購入し、さりーちゃんの誕生プレゼントに進呈した。あまり本を読むタイプでないさりーちゃんなのに、当日読みながら泣かれてしまったのにはあわててしまった。
2001/12/26(水)●困発苦● |
2001/12/25(火)●異人館で仕事● |
【雪はことしも】別所真紀子 ★★★☆ タイトル作を含む5篇の短編が収められている。すべて、江戸の俳人と連歌(歌仙)をテーマにしている。芭蕉と越人の情愛を主題にしたタイトル作が一番良かった.[阿羅野」に収められている、芭蕉と越人の「深川の夜」一巻を中心に、二人の心の通い合いを、うまく物語に仕立てている.
その他の作品では、凡兆の妻羽紅、一茶がひそかに憧憬した花橋、連歌の師匠浜藻と、女性俳人を主人公にしたものが並んでいるし、特に最後の「浜藻歌仙留書」は、ほとんど歌仙の入門書みたいになっている。実は筆者は連句誌を主宰する、本職なのだった。夏目成美の「花鳥もおもへば夢の一字かな」を発句に巻かれた歌仙は、たぶんに筆者の創作だと思うが、これまたなかなか良く出来ている.途中で途切れているのが残念なくらいだ。
花鳥もおもへば夢の一字かな 成美
糸の如しも雨の青柳 浜藻
ゆく春を船頭唄のひびき来て 久蔵
笠の破れに不反古を貼る 長翠
西のかた有明月のうすうすと 節度
いとどは髭を打ちふるふなり 錦糸
早稲の香に神楽舞はせつつ 志鏡
嫁に染めたる江戸の紫 包嘉
忘られぬ井筒の君を垣間見て 助亭
書付消えて家を逐はるる 長翠
この後、実際に消えた書付の話から、身寄りのない姉妹をめぐる、推理仕立てに転じていくのだが、これはなくもがなだった。俳句好きな人にとっては、結構楽しめる1冊かもしれない.
2001/12/24(月)●Happy Birthday さりーちゃん● |
2001/12/23(日)●久留米に大砲あり● |
2001/12/22(土)●下関ラーメン?● |
2001/12/21(金)●高速に犬が● |
【浪花のいやしんぼ 語源自典】奥田継夫 ★★★☆ 「ボクちゃんの戦場」「いやしんぼ」などの作家であり、梅田に居酒屋「みーる亭」を開いている筆者が、大阪を中心にした食べ物を、徒然なるままに気ままに、自己流に語ったものを、大まかに五十音順に並べている.「事典、辞典」でなく、あくまで「自典」だから、信憑性にはあまり重きをおかず、面白かったらよかろうと、羽目を外したり、洒落のめしたり、でっちあげたりと、やりたい放題だが、酒の肴の本も出してる筆者だけに、酒の肴の超簡単レシピが多数散りばめられていて、それだけでも充分楽しめた.
天津甘栗が余ったら、カレーに入れると美味いとか、カレーの上にスライス玉葱輪切りをかけると美味いとか、カレーにのジャガイモは丸揚げしてから入れると美味いとか、自分の店で出すエジプトカレーの作り方とか、結構カレーには執心してるのも面白い.カボチャを入れるととろみと甘味とコクがます、とあるが、これは勘弁してもらいたい。
ヨーロッパや東南アジアもよく旅行してるらしく当地の食べ物の薀蓄もいろいろ並べてある.
語源の説明に、何故か「朝鮮古語」に由来すると言うのが頻出するが、これも、ちょっと???である。そもそも、本国でも古語の研究は確立されていないし、日本で、一部で流行ってる日本語を安易に朝鮮語と関係付ける方法は眉唾としか思えない。たとえば、食べ物の語源ではないが、「ブス」朝鮮語の「ブスダ=つぶす」に由来するという説などは、何だかな、としかいいようがない。「つぶす」という語にだって「ブス」という音は入ってるわけだしね(^o^)
もちろん、妥当な説、なるほど、と思う説も多数含まれているから、小さなところで揚げ足を取る必要もない.単なる美食エッセイよりは、有用性もあり、面白くてためになる本の一冊であることは間違いない.
やきぶたを簡単に作る方法三種というのを引用しておく.
A)30分茹でて、醤油(濃い口)に30分漬ける。
B)5分間、電子レンジでチンして、醤油に30分漬ける。
C)赤味噌を醤油と蜂蜜で溶いた中へ10分間くらい漬けてから、電子レンジでチンする。
盛り付けは、さっと茹でたモヤシの上にスライスした焼き豚を並べ、きざみ生ネギをパラパラふり、タレをさっとかける。
2001/12/20(木)●烏賊キムチ● |
2001/12/19(水)●hand-made マッコルリ● |
2001/12/18(火)●ヤ号作戦本格始動 か?● |
2001/12/17(月)●温室イチゴ● |
【辛くてオイシイ韓国】NHK出版編 ★★★☆ 「本書はNHKBSスペシャル「韓国
食の大図鑑」の韓国取材をもとにまとめたものです」と最終ページのおしまいに小さな文字で書かれているとおりで、本文も取材に関わった三人が分担している。カラー写真32pはなかなか美しいし、見開き2pで一つの記事になってる構成で、韓国の食のコラムとしても結構楽しめた。TV本にしては珍しく合格点を付けられる1冊だった。
キムチ、魚介類、塩辛、肉類、屋台メニュー、宮中料理、チャガルチ等の記事で、Morris.の知らなかったことも、いくらか書いてあった。
たとえば仲買人の資格を持っていないチャガルチアジュマが、競りでは仲買人を陰で操作していることとか、凍結と解凍とを繰り返して乾燥したファンテ(ボウダラ)料理の豊富さとか、ユッケジャンの名前の由来(ユッ(肉)+ケジャン(犬鍋))とか、あまり知られていない牛の部位の紹介などである。
サルチサル--肋骨の上にある肉
ヤンジホリサル--腰の肉
チマサル--腹の部分
チャドルペギ--脇の下の肉
トシサル--脾臓付近の肉
アロンサテ--股の部分の肉
トゥンコル--脊髄
おしまいのトゥンコルは、狂牛病の危険部位の一つだから、日本では先ず出す店はないだろう。
家庭でもできる「本格的な白菜キムチの漬け方」というのを、引用しておく。が、とてもこれはMorris.には、できそうにない。
[材料]
・白菜一株
・塩、白菜の重量の10%
・大根、半分から1本
・人参一本
・細ネギ一束
・ニンニク大一個
・ショウガ、ニンニクの半量
・玉葱1個
・リンゴ1個
・生イカ(刺し身用)一杯
・赤唐辛子粉適宜
・煮干しのエキス、100ml
・アミの塩辛、100-150g
・もち米の粉(上新粉)適宜
[白菜キムチの漬け方]
1.白菜の下拵え--塩漬け
白菜を縦四つ割にし、葉の間に塩を振り、しんなりしたらおもしをして水が上がるまでおく。特に根元の方にしっかりと塩をふる。外葉も捨てないで一緒に漬けるこうして6時間前後塩漬けしてから水で洗い、水切りと塩抜きをする。
2.のりを作る
もち米の粉または上新粉を水に溶かし、火にかけ、混ぜながらのり状に煮て冷ます。白菜一株に対し、のり50ml(大さじ山盛り3杯)くらいが適量。
3.具の下ごしらえ
・大根、人参は、せん切りにする。
・ニラ、細ネギは3cm長さに切る。
・ニンニク、ショウガ、玉葱、皮のままのリンゴを細かく切り、煮干しのエキスとともにミキサーにかける。コツは柔らかい物から順番に入れること。全体にピュレ状になるまで混ぜる。
・イカは足とワタを分けて、皮付きのまま開いて細かく切る。足は吸盤を取ってザク切りにする。
4.漬ける
1)大き目のボウルに大根と人参を入れ、赤唐辛子粉をまぶし、力強くもみながら色をつける。
2)下ごしらえで作ったピュレを加えてもむ。
3)のりを加えて混ぜる。
4)ニラ、細ネギ、イカを入れてさらに混ぜる.ここではあまり力を入れないのがコツ。
5)赤唐辛子粉を加える。
6)砂糖大さじ1杯半を加え、混ぜて味見をする。
7)塩漬けした白菜に、アミの塩辛を加えて混ぜる.味見をしながら塩味のバランスを確認。
8)白菜の葉と葉の間に具をはさむ。根元のほうに厚く、葉先には薄くはさむのがコツ。
9)根元に葉先を重ねるように二つ折りにして、具がこぼれないように外葉で包む.
10)漬け瓶の中に並べて入れ、上から押して間の空気を抜く。残った具の切れ端も隙間に詰め、具の残りを上からかける。空気に触れないよう、ふたやラップをかけておく。
11)漬けてから1,2週間して発酵が始まるのでそれ以降食べられる。冷蔵庫に入れれば3,4ヶ月間はおいしく食べられる。
2001/12/16(日)●鳰の海● |
2001/12/15(土)●雪景色● |
2001/12/14(金)●草津瞬間旅● |
2001/12/13(木)●mail from Yahoo● |
本日、NTT様からお客様の電話回線とYahoo! BBのADSL回線を接続するNTT電話局内工事(ジャンパー工事)を完了したとの報告がありましたので、お知らせいたします。
工事完了日 : 2001年 11月 4日
※Yahoo!ホームページのステータスへの反映には時間がかかる場合がございますので、予めご了承ください。
と書いてある。本日ってのが昨日だとしたら、工事完了から連絡まで1ヶ月半近くかかったことになる.これもかなりひどいと思うのだが、問題は、11月4日に工事終わってるとしたら、モデムが到着した時には、通じてたことになる。と、いうことは、やっぱりMorris.がモデムの接続などをまちがえているのだろうか??一度初めからやり直してみなくてはと思うものの、こういうときに限って時間の余裕が無い.今週は日曜まで仕事が入っている.
【マザーグースと日本人】鷲津名都江 ★★★☆☆☆ ロンドン大学に留学し、修士論文に「A
Comparative study of English and Jpananese Children's Play Songs--日英伝承遊び歌の比較研究」(1987)を提出した、本格的研究者である著者による、マザーグース研究啓蒙の書である。
Morris.は「マザーグース好き」を標榜してるのだが、本書の言うところの第二次マザーグース・ブームよりは以前から、竹友藻風の「英国童謡集」(1969)の対訳本を愛読していたものの、決定的になったのは中公文庫で出た「マザー・グースの唄」平野敬一に刺激されるところが大きかったと思う.その後、谷川俊太郎の翻訳(これも平野監修)で、大ブームになり、多くの詩人や文学者、翻訳家が競ってそれぞれのマザー・グース日本語版を出版した。1976年に角川文庫で復刻された北原白秋訳本を読み返したことga
思い出されるし、英国で一番の権威オーピー夫妻の「The Oxfored Nursery Rhyme Book」(1967)も入手して、乏しい知識を総動員して原詩の幾つかを楽しんだりもした。遡れば、小学生の頃、アリスとミステリーの中に効果的に挿入されたり、タイトルに用いられたマザーグースの数編に不思議な魅力を感じたことに始まるだろう。
本書から個人的回想にひたってしまうが、そのくらいには、マザーグースに思い入れがあるということだ.
本書は、マザーグースの定義から始まり、日本におけるその伝来と翻訳の歴史を、エポックごとに紹介している。更に、イラストや漫画、歌われたマザーグースまで、広く目配りを忘れない。
竹久夢二の翻案から、白秋、西条八十、土岐善麿、松原至大、藻風、の第一次ブームの総括、戦後復興の模様、そして先の平野本に始まる第二次ブームで、綺羅星の如く登場した清新な新訳を総覧している部分は、懐かしさを禁じえなかった.特に付表として巻末にある「第二次ブーム以降の主なマザーグース関連出版物一覧表」は、貴重な労作である。これを見ると、驚くほど多数の訳が同時代に出されたことがよくわかるし、未見の訳詩の中で是非、読んで見たくなるものもいくらか見つかった.Morris.が記憶に残っている訳者としては
谷川俊太郎、矢川澄子、寺山修司、岸田理生、岸田衿子、ひらいたかこ、ぱくきょんみ、和田誠、木島始
などで、これから読んで見たいのは、「マザー・グースのうたがきこえる」由良君美、「マラルメ先生のマザー・グース」長谷川四郎など。
漫画家では、萩尾望都、和田慎二、三原順、成田美名子、魔夜峰央、岡野史佳、由貴香織里などの作品中に出てくるマザーグースを取り上げて、成田美名子を持ち上げていた.
面白かったのは「日本人のマザーグース認識パターン」として
1.イギリス文化を具現化したもののひとつとして捉える。
2.英語圏の人たち(ネイティヴ)にかなり近い感覚での理解。
3.英語の子どもの(遊びの)歌、かわいい歌。
4.「不思議の国のアリス」との関連。
5.強烈な残酷さをもつ詩と受け取る。
6.ナンセンス詩としての受容。
の6パターンがを挙げられていたことで、第二次ブーム以前は、1,3,6,が主流、以後は2,4,5,の要素が強まっていると総括してある。Morris.自身は4,5,6の混合パターンだと思う.
現在、ブームはやや沈静した観があるが、マザーグースの世界は、ずいぶんと日本人にも馴染みのものとなっていることは間違いない.Morris.も、本書のおかげで、手持ちの白秋や藻風本を再読しようと言う気になった.
せっかくだから、マザーグースの大好きな一篇を。
行きたいところに行けるなら Oh, that I where I would be,
今ゐるところにゐないでせう Then wourd I be where I'm not.
今ゐるところから But where I am
出られなけりや there I must be.
行きたいところには And where I wourld be
行けないの I can not.
2001/12/12(水)●CILI HIJAU JERUK● |
【星の感触】薄井ゆうじ ★★★ テープから原稿を起こす仕事をしている僕は、身長2m60cmの男と知り合いになる。彼は役者志望で、売れっ子のニュースキャスターを恋人にしている。男は時々長い眠りにつき、そのたびに身長はどんどん伸び、とうとう8m60cmにまでなってしまう。普通の生活を望み、会社勤めもしてみるのだが、どうしても現実社会との折り合いがつかなくなり、破滅的に掻き消えてしまう.僕は男との付き合う中で、自分の仕事に疑問を感じる。スケールの違いが質の変化をもたらすことを描きながら、スケールに左右されない価値をついきゅうしようとした、というと、観念小説と誤解されそうだが、本書は、ユーモラスなファンタジー小説である。そして、作者自身が、小説を書こうと決心する動機を作品にしたものとも言える.男は夢で巨人だけの住む世界に行き恋と冒険を体験する。僕の住んでいる世界と巨人の国、どちらが現実なのかも判然としない.僕は男が、自分の影でないかと思い、それはやがて確信に変わる。よく出来た小説だとは思うのだが、この人の作品全般に言えることだが、読者サービスのつもりなのか、為にするギャグに鼻白む思いがするのと、作為が見えすぎるきらいがある。
2001/1/11(火)●W32.Badtrans.B@mm● |
2001/12/10(月)●お笑い三人組● |
2001/12/09(日)●メール禍● |
【本よみの虫干し】関川夏央 ★★★☆ 「日本の近代文学再読」と副題がある。朝日新聞と「図書」に連載された同題のコラムの集成で59冊の本が取り上げられている。「日本近代文学の名作話題作を、できるだけ現代人の視線から離れ、時代に即して読み直した日本近代文芸思想入門。」と見返しの惹句にある。
Morris.既読のものは33冊。どうやら半分超えるくらいだった。未読のもので、読んでみたくなったものは
・「美しき町」佐藤春夫・「流れる」幸田文・「ある明治人の記録」石光真人(編著)・「冬の鷹」吉村昭
くらいか。後書きから引く。
本など読まずに済めば、それに越したことはない。うかつでも生きていける世の中なら、うかつな気楽さに身を任せてもみたい。本は、人に考える種を与えて無為の時間を埋めてくれはするが、人を幸せにするわけではない。
だが日々の食物のように、つい本を求めてしまう因果な性分もある。そういう人に対しては、むろん強い自戒をこめて、ときに虫干しすべきは本ではない、本よみ自身だろう、といいたかったのである。
なるほどね。しかし、昭和初期の四季派などには厳しすぎるような気がする.たとえば立原道造詩集を取り上げた中の一文.
大正中期以降のとめどない大衆化の波に「知識人」や[文学者」は、日本ではなく、欧州をおもわせはするが結局どこでもない場所、つまり大衆のいない場所を想定して逃避し、自己防衛しようとした、昭和初年とはそんな時代であったといいたのである。
その気分は戦後にも受け継がれ、おもに流行歌のなかに息づいた。私は「ニュー・ミュージック」こそその嫡子だったと思う。
しかし、「知識人」も大衆の一変種となり、日本人全員が「高等(?)遊民」と化した現代では、「高原」は特権的空間ではない。ただの観光地である。となれば立原道造的叙情には、残念ながら、もはや果たすべき役割がないのは自明なのだった.
これは、時代に即しない、現代人の視線でしかないと思う.立原的抒情は結構好きなMorris.としては、弁護したくなった。でも、四季派がニュー・ミュージックだというのは、言いえて妙ではあるなあ。
2001/12/08(土)●真珠湾還暦● |
【オルガニスト】山之口洋 ★★★☆☆ 久しぶりに読み応えのあるエンターテインメントに当たった。98年のファンタジーノベル大賞受賞作で、文庫にするに当たってかなり手を入れたものらしい。
交通事故で半身不随になり、病院から行方をくらましたドイツの音楽大学生の天才オルガニストが、9年後、アルゼンチンで変名で復帰したらしいという情報を得た、親友が、彼を追ううちに、彼の恩師の変死、それにかかわる秘密が突然明らかになっていく。
パイプオルガンというほとんど未知の楽器の構造や製作過程に到るまでの詳細な描写、バッハを中心とするオルガン曲の解釈なども、素人離れしているし、文章もなかなかのものだ。特にうがった比喩が目に付く。
額の右上から鼻の付け根にかけて不思議なしわが斜めに一本走っている。粘土にへらで切り込んだような底知れぬしわで、それが表情を読めなくしていた。見慣れた文字に線が一本加わるだけで知らない文字に化けてしまうように。
履歴によると著者は1960生まれ、東大工学部卒、松下電器を経て明治大学講師、辞書作成にも携わった、とある。やはりただ者ではなさそうだ。
【ドングリの謎 拾って食べて考えた】盛口満 ★★★ どんぐりを知らない人はいないだろうが、さてどんぐりの定義となると十人十色なのではないだろうか?
「どんぐりの木の実」といっても、そもそも「どんぐりの木」という名の樹木は存在しない。各種の国語辞典を見ても記述は一定していない。共通しているのは「ブナ科」の一部の木の種子ということだ。ブナ科はクリ属、シイ属、ブナ属、コナラ属、マテバシイ属に分かれていて、ドングリはもともとコナラ属のクヌギ(大ナラ)の実をさしていたらしい。一般的にドングリの代表としては、クヌギ、コナラ、マテバシイあたりで、これらが属するコナラ属、マテバシイ属の樹木の実をどんぐりと総称していると言えそうだ。
[コナラ属]コナラ、ミズナラ、クヌギ、アベマキ、ナラガシワ、カシワ、アラカシ、アカガシ、シラカシ、ウラジロガシ、オキナワウラジロガシ、ツクバネガシ、ハナカガシ、イチイガシ、ウバメガシ
[マテバシイ属]マテバシイ、シリブカガシ
どんぐりでやじろべえや独楽や人形作って遊んだことはあるが、食べたことはない。著者が生物の教師をやってる学校の授業で、どんぐりを色々料理することが出てくる。マテバシイが一番渋味が無く食べやすいということだった。どんぐりを食べるというと、韓国の「トットリムック(どんぐりの粉で作った胡麻豆腐みたいな食べ物)」を思い出したが、本書にもその市販の粉が登場する。これはほとんどでん粉でいわば片栗粉に近いものらしい。
著者は子供の頃から自然収集好きで、長じてからもフィールドワークに魅せられ、ボルネオ、沖縄での自然観察を通して、ついに教師を辞めて沖縄での生活を始めることになってしまう。イラストもなかなかうまいし、これまでに数冊の著書を持っているので、今後はナチュラリストの道を進むのだろう。
2001/12/07(金)●ヤ号作戦挫折か?● |
2001/12/06(木)●ナースのお化粧● |
【橘三千代 上下】梓澤要 ★★☆☆ うーーーむ、Morris.が図書館に行くたびに「あ」の棚を探す癖がついたくらいに注目している梓澤の新作(2001/03刊)なのに、この評点というのはいささか、肩透かしである。
あがたいぬかいのたちばなのみちよ【県犬養橘三千代】?-733 奈良時代の女官。美努王の妻となり葛城王(橘諸兄)らを生み、藤原不比等に再嫁して光明子(光明皇后)rを産んだ。708年橘姓を賜り、藤原・橘両氏の繁栄のもとを築いた。(大辞林)
日本古代史にはうといMorris.は、橘三千代と言われてもぴんと来なかった.上下500ページを越す本書を読んで、どのような生涯を送ったかのアウトラインは掴むことが出来たし、当時の権力争い、社会状況についてもいくばくかの知識を得ることが出来た。しかし、Morris.は別に歴史の副読本を読みたかったわけではない。史実には沿いながら、空想の翼を広げて歴史ロマン(物語)を編み上げる作者の稀有な才能を期待したのに、またもや期待はずれだった。大作「遊部」でもややその冗長さと、想像力の萎縮に不満を覚えたが、本書はさらに物語としての魅力を欠いているようだ。上古を舞台にしている割に、台詞があまりに現代口語というのも気になるが、そんなことは大したことではない。
やはり主人公である三千代に魅力が無い、というのが決定的だろう。皇位継承にまつわる権謀術数も、身贔屓と思われるくらいに、主人公側にたち、言い訳、糊塗に終始している。作中人物それぞれの視野が狭いのだ。中途半端な女権拡張論みたいなものが匂わせてあるのも鼻白むしかない。
藤原氏の皇室閨閥を死守する中で、病弱の男子に代えて、女帝を続出するあたりは、先日の皇太子夫妻の女児出産で、あわてふためいている?今の皇室と重ね合わせてしまった。そういう意味ではタイムリーな読書と言えなくも無いが、そんなことより、読書の楽しみを味合わせてもらいたいものだ。次作に期待しよう.
2001/12/05(水)●李秉昌コレクション● |
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李秉昌(イビョンジャン) 博士胸像 |
この数十年、都市の台所から出る生ゴミの量はどんどん増えている。ぜいたくになったから、なのではナイ。無精になったうえに無知になったから、一品に仕立てられないのだ。
などという指摘も、そのとおりだと共感するし、
調理とは、そのままでは食べられないものを食べられるようにする行為である。動物たちは、そんなことはしない。食べられないものは食べない。頭数が増え過ぎると、天然の食糧の量に合わせて余分な個体数がしんだ。それで均衡が保たれた。
人類は、そのままでは毒だったり、渋すぎたりする木の実を、鍋を使って食べられるようにうした。食糧は何倍にも増えた。さらに人口が増え過ぎると、食物を確保するために栽培をはじめた。保存のきく穀物が主作物になったが、これは鍋なしには食べられない。
農耕は食べるための仕事である。動物たちが遊んでいるあいだも、人類は食べるために働きづめ。働いても一生、遊んでも一生。鍋の利用さえ思いつかなければ、どんなにラクな生涯が送れたかは、今となっては想像を絶して、とても実感などもてなくなってしまった。人類はそんな大不幸に甘んじてきたのである。
という、逆説的、しかし、説得力の有る人間論まで繰り広げている。
本書のさし絵は知久章となっている。知久章といえば「言葉のブティック」の著者で、確か「室内」に連載されている「建築用語漫歩」の矢田洋と同一人だったはずだ。矢田洋の本は、これまでにも割と良く読んでいつも感心させられていた。本書の奥付の著者紹介を見て、納得がいった。山口昌伴も、同一人で、他にも建築家丹羽小丸という変名もあるらしい。知久章(ちくしょう)、矢田洋(やだよう)、建築家丹羽小丸(建築家には困る)というのが語呂合わせだけに、山口昌伴こそが本名という可能性も高い。まんまとしてやられたという気がする。
2001/12/04(火)●ヴァーヴ時代のアニタオディ● |
【別冊太陽 おまけとふろく大図鑑】★★★★
太陽のムック「子どもの昭和史」シリーズの一冊で、99年2月発行当時本屋で立ち読みしたが、灘図書館にあったので改めて借りてみた。自他ともに認める「おまけ」好き、人生そのものを「おまけ」みたいなものと考えていて、「小さき物みな美し」の清少納言に共感を覚えるMorris.だから、こういった企画には弱いこと言うまでもない。
お菓子のおまけと、雑誌のふろくに大きく分かれていて、圧倒的に前半のおまけ部分が興味深かった。
雑誌のふろくも嫌いではないし、リアルタイムに手に入れた懐かしいふろくも少なくなかったが、グリコのおまけ1000点の迫力とでは勝負にならない。やはりグリコのおまけは「The
King of OMAKE」だと思う。先日の「お宝鑑定団」でも、昭和40年代のグリコおまけが出品され高値を付けていたが、あの小ささのなかで、バラエティ、材質、アイディアを活かし、デザイン的スタイルを確立しているのは素晴らしいと思う。
その他、懐かしのカバヤ文庫全目録は資料としても価値が有る。カバヤ文庫は昭和27年から29年に、カバヤキャラメルの景品として配布された児童読み物本シリーズで、今見ると粗悪な造本、やっつけの翻訳翻案だが、当時の貧しい出版事情からすると、お菓子のおまけに本が貰えるというのは、相当に魅力だった。実はMorris.も良く覚えていないが、このカバヤ文庫を数冊所持していたらしい。これに関しては証拠写真があるのだ。板の間で本を広げている幼いMorris.(5,6歳)の前に7冊の本が散らばっていて、辛うじて「断頭台の司令官」「謎の鉄仮面」「明玉夕玉」などのタイトルが読み取れる。前の二つは間違いなくカバヤ文庫だが、最後の「明玉夕玉」は、目録に見当たらないのでカバヤ文庫とは別物のようだ。
さらに、アトムシールや、鉄人28号ワッペン、狼少年ケンシールなどもそれぞれ懐かしかったし、企業マスコットでは、それこそ人気ナンバーワンの不二家のペコちゃんコレクションは垂涎ものが満載だったが、昭和25年に初登場の張り子のペコチャンの写真は衝撃だった。
例によって、ヴィジュアルものは点数が甘くなる傾向が有り、本書も同断だが、これは手元に置いておきたくなる一冊だった。
2001/12/03(月)●大盛り替え玉ふたたび● |
【おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒】江國滋 ★★★☆☆ 97年2月に食道癌で入院、手術後、骨に転移した癌で8月死亡した著者の闘病日記である。もう4年まえのことになるのか。まだ入院中に、闘病句が雑誌「俳句研究」に連載されたのをリアルタイムで読んで、強い印象を残した。句は句集「癌め」にまとめられ、これはすぐに読んだと思う。この闘病日記もでたことは知っていたが、読まずに済ましていた。
今回読んだのは文庫本で400頁、全部が自筆ではないし、病院関係者に気を遣っていくらか粉飾はされているようだが、充分究極の状態に置かれた患者の本音と肉声が聞こえる、得難い記録文といえる。
著者の「日本語八ツ当たり」「俳句とあそぶ法」などは面白く読んだ記憶があり、熱烈な阪神ファンと言うこともあって嫌いではないものの特に肩入れすることも無かった.端々にうかがわれる俗人臭がちょっと鼻につく感じもしたのだ。しかし、この闘病記は、その俗臭なくしてはこれほどリアルな印象を与え得なかったろう。わがまま、世間体、疑心暗鬼、不満、金の心配、情緒不安定、自惚れ、卑下、嫉妬、焦燥、さまざまな感情をもてあましながら、とにかくにも書き留め、それを糧に生きようという姿には、心打たれる.
"療養俳句の金字塔"といわれる石田波郷の『借命』に張り合って、巧拙はともかく、数だけでも凌駕してやろうという気になった。
こういったところを、稚気愛すべしと思うか、鼻白むか、さまざまだろうが、これに続けて
現実と相対する勇気がない上、何か考えはじめたら、どうしたって「死」に行きつく、それが怖いために、俳句を選んだというだけのことだと自覚している。
と、ちゃんと自己分析するだけの冷静さを見せている.
極限状況においこまれた者の記録を、安穏たる状態のMorris.が、一種の娯楽として読むというのは、考えてみると不思議な行為である.同情はしながらも、読者は他者の痛み、苦しみとは、測り知れない距離にある。誰の言葉だったか「人は他人の痛みならいくらでも我慢できる」というフレーズが思い出された.
・残寒やこの俺がこの俺が癌
・永き日や卑屈と感謝紙一重
・春の闇阿鼻叫喚の記憶あり
・永き日のわが身ひとつの置きどころ
・死の淵をのぞきし春の小旅かな
・再手術を告げられてゐて彼岸寒
・春遅く一挙手一投足不如意
・毎日が「以下同文」よ三月尽
・また夜が来て朝が来て花の雨
・涅槃西風「いい人だつた」といはれても
・葉桜となつても囚はれのわが身
・俺以外みんな仕合せ啄木忌
・余寒の夜考へてゐる銭のこと
・飽きることにも飽いてゐる日永かな
・惜春のまた傷ついてゐるこころ
・病床にはや夏場所の触れ太鼓
・梅雨冷えの奈落の底の底思ふ
・激痛は激痛として五月闇
・六月や生よりも死が近くなり
・あぢさゐやわが病巣も七変化
・一喜一憂の憂の字ばかりなり梅雨に入る
・河骨や骨まで癌に愛されて
・七夕やたつたひとつの願ひごと
・死に尊厳なぞといふものなし残暑
川柳に近いものもあるが、それはそれでよいのではないかと思う。
2001/12/02(日)●大名で大盛りに替え玉● |
2001/02/01(土)●あっというまに師走● |