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Morris.日乘2013年10月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語

無条件☆幸福

【2013年】 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月
【2012年】 
12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月  5月 4月 3月 2月 1月

2013/10/31(木)●いまさらトンマッコル(^_^;)●

6時半起床。
今朝の血圧は178/86/67。
久しぶりにノレバン98号で遊ぶ。録音もしてみようとしたのだが、ICレコーダのライン入力が壊れてるため、本体マイクでの録音ということになると、レベル調整が難しくて、何度かやってみたが、音が割れたり、バランス取れなかったりで結局断念。
午後は、先日TSUTAYAで借りた2本のDVDのうちのもう一本、実はこちらが本命だった「トンマッコルへようこそ」を見る。2005年の韓国映画で、公開当時から好評で見なくては思いながらついつい見逃してしまってた。やっと見終えたが、期待通りというしかない。
朝鮮戦争真っ最中の1950年、江原道の浮世離れした平和な村トンマッコルに、墜落して命拾いした米空軍大尉、韓国軍脱走の二人、北朝鮮軍の3人がやってきたことから起きる混乱と、歩み寄り、平和の象徴のような知恵遅れの少女へのほのかな思慕を持つ北朝鮮軍の少年、村人との交流、農作業を通じて戦争の虚しさと、日常生活の大事さを思い知らされる、軍人たち。空軍大尉の救助と、補給路確保のために、米空軍がトンマッコルを空襲することを知り、生命を賭した作戦を実行する。メルヘンタッチとリアルな戦闘場面の組み合わせ。ところどころでコミカルな場面も加えて飽きさせないつくりになっている。ただ、Morris.は年取るにつれて、ヴァイオレンスな映像見るのが苦痛になってきているので、やっぱりこの映画でもそういう場面は目をそむけたくなった。数年前この映画のロケ地(平昌)近くで全国のど自慢があったので、見に行ったことがある。のど自慢の出場者の中には、この映画に村人役として出演した者もいたようだ。
日本シリーズ第5戦は、実に手に汗握る試合だった。今日も2点先制した楽天だったが、6回からリリーフの則本がまたも村田にソロホームラン、1点差の9回裏一死1,3塁で村田をピッチャーゴロに仕留めたものの捕球できずに同点になり、延長に。
10回表先頭打者の則本を西村が四球で歩かせ、藤田には死球、これを銀次がタイムリー、ジョーンズの内野ゴロで2点勝ち越し。結局4-2で楽天が王手で明後日仙台での第6戦。となると、ここは田中将大で必勝を期すだろう。にわか楽天ファンになって良かったと思える試合だった。
今日の歩数は250歩。


蛾の仲間(^_^;) 

夜のJR灘駅 

おしゃれな近所の美容院 

【僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記録】佐野眞一 ★★★☆ 2013/05/20 集英社。週刊朝日の橋下関連記事(週刊誌スタッフ等との共同執筆)が、橋下側のいちゃもんから連載中止となり、何となくすっきりしない立場になってた佐野眞一の最新作ということになると思う。初出は集英社の季刊誌「kotoba」に2012年と2013年に掲載されたものらしい。
沖縄といえば同じ著者の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を4年前に読んだ記憶がある。600pを超える大作だったが、Morris.にはいまいちの感が強かった。
本書は、沖縄戦を中心に、戦争孤児、集団自決の生き残りなどへのインタビューを中心にしたもので、前作とはかなり雰囲気が違う。
Morris.が余りに沖縄事情に無知なこともあって、本書でも目からうろこのさまざまのことを教えてもらった。
たとえば、沖縄戦で生き残った遺族住民への補償である「援護法」の遺族給与金の受給資格が、死んだ家族が「軍への協力者」という形歪められているという事実。

佐野 「援護法」で最も重要なポイントは、その適用者が"戦闘参加者"として靖国に合祀されるという"栄誉"だけでなく、遺族給与金という実質的な"利益"も得ていることです。沖縄戦で"英霊"になった人の遺族はいくらくらいもらっているんですか。4万円くらいですか?
石原(昌家) いえいえ、これがすごいんです。年度によって違いますが、ここ何十年前からは、年間一律でおよそ196万円
佐野 一人頭ですか?
石原 ええ、だから慶良間諸島で家族のうち4人が自決した場合は、196万円かける4人で、800万円近くになります。
佐野 それはバカになりませんね。
石原 ええ、バカになりません。だから僕は、産業らしい産業がない沖縄で大きな収入になったのは、軍用地料と遺族年金だと言ってきたんです。
佐野 つまり、金でがんじがらめにされている。これじゃ靖国合祀を取り消せという声が大きくならないわけです。石原さんが旧江厚生省の役人は物凄く頭がいいと言った理由が、やっとわかりました。
石原 頭がいいというより、ずる賢い。国というのは、本当に赤子の手をひねるように国民を手玉にとるんです。

このマニュアルは、厚生省が1957年7月に作成したもので、そこには以下の"作業"に参加した者が「戦闘参加者」と認定されると規定している。
1.義勇隊(各町村ごとに調整) 2.直接戦闘 3.弾薬・食料・患者等の輸送 4.陣地構築 5.炊事・救護等雑役 6.食料供出 7.四散部隊への協力 8.壕の提供 9.職域関係(県庁職員報道) 10.区(村)長としての協力 11.海上脱出者の刳船輸送 12.特殊技術者(鍛冶工) 13.馬糧蒐集 14.飛行場破壊 15.集団自決 16.道案内 17.遊撃戦協力 18.スパイ嫌疑による斬殺 19.漁労勤務 20.勤労奉仕作業
沖縄戦でこれらの"作業"に従事した民間人まで、「戦闘参加者」と認定されることになった。
軍の命令で「集団自決」した民間人まで、「戦闘参加者」として靖国に合祀される"栄誉"ばかりか、「援護法」によって経済的利益を補償される。このアメとムチを使い分けたグロテスクさにこそ、沖縄戦の本質がある。


前作の資料収集に役立てた沖縄の古本屋の紹介をしながら、沖縄が日本とは別の宇宙であると断言するところは興味深かった。

こんな魅力的な古本屋は、東京・神田の古書店や、東北や関西じゅうの古本屋を探しても、絶対に見つからない。それは「BOOKSじのん」の棚に並んでいる本が、お互いに呼応し合って、沖縄という宇宙を構成しているからである。いくら日本じゅうの古本が集まっている神田でも、日本という宇宙を構成しているわけではない。
これは別に茨城県の古本屋に入って宇宙を感じることはまずない。それは茨城が日本の一パーツにすぎないからである。
これに対して沖縄は、日本の一パーツなどではなく、れっきとしたかつての琉球王国である。王国とはすなわち宇宙である。どんな瑣末な事象にも琉球の宇宙世界が宿っている。
ここで白状すれば『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』は「BOOKSじのん」の棚に刺激されて書いた。


沖縄戦体験者は今に至るまで生々しい記憶と痛みを持っているのに、島全体として沖縄戦の記憶が風化していることへの警鐘。原因は戦争を語りにくくしている土壌にあるとのことだが、これは、やはり基地料と遺族補償を憎みながらも、それらに経済的ににがんじがらめにされている沖縄の構造によるものだろう。体験者はすでに一番若い者が70歳を超えている。確かに時間は残されていない。

蟻塚(亮二)氏は会うなり、「砕かれた心 沖縄戦と精神障害」という『沖縄タイムス』に寄稿した記事と、表紙に「沖縄戦と精神保健」と書かれた12ページのレジュメをくれた。
『沖縄タイムス』の記事には、沖縄戦を体験した人たちは高齢化しているが、彼らの記憶はいまだ生々しい、にもかかわらず戦争の記憶が風化しているのは、戦争を語る土壌と世論が保守化しているからだという主旨が述べられている。
その主張は、沖縄を長年取材してきた私に非常に強い説得力をもって迫ってきた。


琉球新報で2004年7月から2005年9月まで14回にわたって断続的に連載された『沖縄戦新聞』という特集記事に沿って経時的に論じられた第三章から、Morris.なりにピックアップして、沖縄戦の略年表を作ってみた。

1944/07/07 サイパン没落。
1944/08/22 学童疎開船の対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没。学童775人が犠牲に。
1944/10/10 10・10空襲。米軍1369機の艦載機を投入。那覇市の9割が焼失、668人死亡、768人負傷。
1944/12/04 軍が北部疎開要求。
1945/02/10 北部へ10万人疎開。
1945/03/26 慶良間に米軍上陸、沖縄戦始まる。座間味島(234人)、慶留間島(53人)の集団自決。
1945/03/27 米軍の一部渡嘉敷島に上陸
1945/03/28 渡嘉敷島で集団自決。人口1500人のうち329人が犠牲に。
1945/04/01 沖縄本島上陸作戦の第一歩。上陸部隊だけで18万3千人。
1945/04/06 戦艦大和山口県徳山から出港。翌7日午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬沖で撃沈。第二艦隊戦死者は3721人。
1945/04/16 飛行場占領目的に米軍、伊江島上陸。住民集団自決。日本側の死者は軍関係2千人、民間千5百人。
1945/05/05 日本軍の総攻撃失敗。日本兵約5千人が戦死。
1945/05/27 日本軍第32軍、首里司令部を放棄
1945/05/31 米軍、首里総攻撃。首里城に星条旗ひるがえる。
1945/06/23 午前4時30分、第32軍司令官・牛島満自決。沖縄戦終結。
1945/07/03 福岡に沖縄県臨時県庁。


実戦は45年3月末からほぼ三ヶ月である。この短い期間で日本側の死者18万8136人、これに対してアメリカ軍の死者・行方不明者は1万2520人である。数字がすべてはないが、この差を見るだけで、どのような戦いであったかおおよその見当はつくだろう。
日本人の死者の内訳は
・県外出身日本兵戦死者6万5908人
・沖縄県出身軍人・軍属2万8228人
・戦闘参加者(戦傷病者戦没者遺族等援護法との関係で日本軍に協力して死亡した準軍属と認定された人数)5万5246人
・一般住民3万8754人(推定)
*(cf.Wikipedia)


基地の島沖縄で、米軍関係の犯罪が起きる度に、問題となる「日米地位協定」。日本政府もマスコミも及び腰、いや隠蔽に汲々としているかのようだ。

(『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛)を読んで、沖縄を訪ねる度に募ってくる根本的疑問が氷解したような気がした。私が沖縄に抱く疑問とは、沖縄は本当に日本なのかという根源的な思いである。
疑問はそれだけにとどまらない。沖縄のオスプレイ配備問題に指一本触れられない日本は、本当に独立した主権国家なのか。
この本を読むと、沖縄は日本の「植民地」であり、日本は「宗主国」アメリカの「属国」だということがはっきりとわかる。

「合衆国軍隊[米軍]の構成員は、旅券[パスポート]および査証[ビザ]に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員および軍属ならびにそれらの家族は、外国人の登録および管理に関する日本国の法令の適用から除外される」(日米地位協定第九条第二項)

米軍関係者は何のチェックも受けずに日本の米軍基地に到着し、そのままフェンスの外に出て行くことがでいる。そしてフェンス外でどんな不行跡を働こうと、基地内に逃げ込めば、もう罪は問われない。
これでは明治時代の不平等条約となんら変わらないではないか。

そして、集団自決の生き残りへのインタビューとその自決の中身への言及。これは読むのが辛い部分だった。

『渡嘉敷村史 資料編』には、集団自決の地獄絵図を目撃して『ニューヨーク・タイムズ』の記者に語った米軍第7師団の兵士の生々しい証言が紹介されている。

<「人間とは思えない声と手りゅう弾の爆発が続いた。ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると、『オーマイガットド』何ということだろう、そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供たちの泣き声だけだった。そこには200人ほどの人がいた。そのうち、およそ150人が死亡、死亡者の中に6人の日本兵がいた。……われわれは死体を踏んで歩かざるを得ないほどだった。およそ40人は手りゅう弾で死んだのであろう。周囲には、不発弾が散乱していたし、胸に手りゅう弾をかかえて死んでいる者もいた。木の根元には、首を絞められ死んでいる一家族が毛布に包まれ転がっていた。母親と思われる35歳ぐらいの女性は、紐の端を自分の首に巻き、両手を背中でぎゅっと握りしめ、前かがみになって死んでいた。」>

『渡嘉敷村史』は、この『ニューヨーク・タイムズ』の記事を引用したあと、次のように続けている。

<一般に「集団自決」と言われているが、実態は親が子を殺し、子が年老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺すといった親族殺しあいの集団虐殺の場面であった。誰が命令したかということも重要なことであるが、いくら狂気の時代とはいえ、「なぜ、肉親同士の殺しあいができたのか」という、自らへの問いかけが必要であろう。乳幼児が自決をすることはできないはずである。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪過ノ汚名ヲ残スコトナカレ」という『戦陣訓』できたえられれた皇軍の「玉砕」と、老幼婦女子の「虐殺」とを同列に考えることはできないであろう>

本書には、集団自決で、自分の母を石で殺したという生き残った息子へのインタビューもあるが、これはもう引用できない。
佐野眞一に望みたいことは、なるだけ近いうちに、ぜひ「橋下本」を出してもらいたいということである。

2013/10/30(水)●やわに見守る(^_^)●

7時起床。
今朝の血圧は201/102/69。
午前中読書。
昼から歩いて六甲道へ。
途中河原町道沿いに子供二人の像があり、下に

手をつなぐ河原の街の栄ゆるをやわに見守る六甲の峰

という短歌みたいなものが刻まれていた。後半の「やわに見守る」というのが最初わからなかった。「わ」の文字が判読しにくかったこともあるが、わかったあとでも「やわに」というのがぴんとこなかったのだ。「柔(やわ)に」の意味だろう。神戸弁なのかな?
銀行と灘図書館に寄って、帰りは都賀川河畔のベンチでミニギターで「雨降る顧母嶺」歌ってたら、幼い二人の娘連れのお母さんが話しかけてきた。曲調が演歌で、歌詞が韓国語なので、日本の歌を韓国語に訳して歌ってるのかと思ったとのこと。子供らがえらく喜んでたのが嬉しかった。
マルハチで買い物して6時帰宅。
日本シリーズ第4戦、楽天が3点先制で、連勝かと思ったのだが、終わってみれば6-5で巨人の勝ち。まあ、これで2勝2敗になったから、優勝決定は東北に持ち越されたことになった。こうなったら、最終戦田中で楽天初の日本一というのもありそうだ。
川上哲治が28日に亡くなってたとのこと。享年九十三。
今日の歩数は6274歩。


5階で内装工事  

シャクガの仲間かな?
 

黄蝶 

江崎紋黄角亀虫 

これも亀虫の仲間 

シロトラ 

雉 

赤唐辛子 

こちらは黒 

七地蔵? 

国有鉄道通信 

秋明菊に花虻 

やわに見守る 

白雉 

バイク白雉 

手造り 

大角豆(ささげ)系? 

寿司屋の飼猫 

寿司屋シロ 

照光寺のクロ 

同じく 


2013/10/29(火)●空気人形再見●


7時起床。
今朝の血圧は192/94/80。
PC画面昨夜の1346回KBS歌謡舞台は"남강의 추억 진주 南江の追憶晋州“ という地方公演特別企画で1時間半の特集だった。最近はKBSテレビの高画質ストリーミングは視聴が困難なので、KBSableの粗い小さな画面(ほとんどサムネイルサイズ(>_<))で見ることになった。晋州は2006年9月に一度だけ行ったことがある。釜山からバスで1時間くらいの近さだが、その日は生憎雨模様で、あまり見物も出来なかった。歌謡舞台の会場の晋州城には行ったはずだが、この町は豊臣秀吉の文禄の役(壬辰倭乱(イムジンウェラン)1593年)で全滅させられた土地で、日本人向きとは言いがたいところでもある(^_^;)
それはともかく、今回の舞台は豪華出演陣と45曲というとんでもない曲数に圧倒されてしまった。とりあえず、キムヘヨンとチャンユンジョンでMorris.は舞い上がり(^_^) これにキムヨンジャ、ユジナ、ムンヒオク、キムヨンイムだから、もう言うことなし。男性陣は、ヒョンチョル、ペイロ、ソルンドと、これもまあ悪くはないけどね。

1) 진주라 천리 길チンジュラチョルリキル 晋州(チンジュ)千里の道/김연자キムヨンジャ
2) 나그네 설움ナグネソルム 旅人の悲しみ/현철ヒョンチョル
3) 경상도 아가씨キョンサンドアガシ 慶尚道娘/김혜연キムヘヨン
4) 번지 없는 주막ボンチオムヌンチュマク 番地のない酒場/배일호ペイロ
5) 산장의 여인サンジャンエヨイン 山荘の女/문희옥ムンヒオク
6) 고향에 찾아와도コヒャンエチャジャワド 故郷訪ねても/배금성ペグムソン
7) 내 나이가 어때서ネナイガオッテソ 年齢が何だって/오승근オスングン
8) 왔구나 왔어ワックナワッソ 来たのね/장윤정チャンユンジョン
9) 뿐이고プニゴ ……だけだ/박구윤パククユン
10) 무슨 사랑ムスンサラン どんな恋/유지나ユジナ
11) 유리벽 사랑ユリビョクサラン ガラス窓の恋/박진도パクチンド
12) 반달 손톱パンダルソントプ 爪半月/문희옥ムンヒオク
13) 황성옛터ファンサンエット 荒城の跡/설운도ソルンド
14) 울리는 경부선ウルリヌンキョブソン 涙の京釜線/문연주ムンヨンジュ
15) 청춘고백チョンチュンコベク 青春告白/오승근オスングン
16) 꼬집힌 풋사랑コチッピンプッサラン恋にお灸を/김용임キムヨンイム
17) 추억의 소야곡チュオゲソヤゴク 追憶の小夜曲/유지나ユジナ
18) 무정열차ムジョンヨルチャ 無情列車/홍원빈ホンウォンビン
19) 맨발로 뛰어라メンパルロトゥィオラ裸足で走れ /남일해ナムイルヘ
20) 10분 내로シップンネロ 10分以内に/김연자キムヨンジャ
21) 벌 나비 꽃나비ポルナビコンナビ 野に蝶花に蝶/배금성ペグムソン
22) 최고다 당신チェゴダタンシン貴方が最高/김혜연キムヘヨン
23) 오뚝이 인생オットゥギインセン 飛抜き人生 /배일호ペイロ
24) 좋은 임チョウニム 好い人/정수빈チョンスビン
25) 노들강변ノドゥルカンビョン ノドル川辺/유지나ユジナ
26) 태평가テピョンガ 太平歌/김용임キムヨンイム
27) 늴리리야ニルリリヤ/문연주ムンヨンジュ
28) 풍년가プンニョンガ 豊年歌/정수빈チョンスビン
29) 노랫가락 차차차ノレカラクチャチャチャ お囃子CHACHACHA/김연자キムヨンジャ
30) 오동동타령オドンドンタリョン オドンドン打令 /장윤정チャンユンジョン
31) 고향 역コヒャンヨク 故郷駅/현철ヒョンチョル
32) 물방아 도는 내력ムルバンアトゥヌンネリョク 水車の廻る理由/서지오ソジオ
33) 고향의 그림자コヒャンエクリムジャ 故郷の影/배일호ペイロ
34) 야간열차ヤガンヨルチャ 夜間列車/박진도パクチンド
35) 처녀 뱃사공チョニョペッサゴン 娘船頭/김혜연キムヘヨン
36) 무조건ムジョッコン 無条件/박구윤パククヨン
37) 짝사랑チャクサラン 片思い/설운도ソルンド
38) 대지의 항구テジエハング 大地の港/전출연자総出演者
39) 고장 난 벽시계コジャンナンビョクシゲ 壊れた掛時計/현철ヒョンチョル
40) 부초 같은 인생プチョガトゥンインセン 浮草人生/김용임キムヨンイム
41) 남자의 인생ナムジャエインセン 男の人生/홍원빈ホンウォンビン
42) 웃으며 삽시다ウスミョサプシダ/문연주ムンヨンジュ
43) 돌리도トルリド 返して/서지오ソジオ
44) 다시 한 번만タシハンボンマン もう一回だけ/설운도ソルンド
45) 가요무대의 노래カヨムデエノレ 歌謡舞台の歌/전 출연자総出演者


晋州出身の歌手ナムインス、作曲家イジェホの曲を続けたり、それなりにご当地ムードも加えながら人気歌手の怒涛のメドレーだった。
TSUTAYAで借りたペドゥナの「空気人形」見直す。昨日は最後のスプラッタシーンにちょっとショックを受けて「見なければ良かった」などと書いてしまったが、やっぱり見るべき作品だった。空気人形(ダッチワイフ)が心を持って動き出すという、いかにも作りものめいた話である、いやはじめから寓話として作られている。原作は業田良家の漫画とのことだが、途中引用される吉野弘の詩「生命は」こそが、この映画の原作ではないかと錯覚するくらいだった。吉野弘は好きな詩人で、当然この詩も前に読んでたはずだが、あまり記憶に無かった。この映画を見たあとに読み返したら、実に鮮明に理解できるような気になった。

生命は           吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


映像美、伏線、カメラワーク、遊び等々、監督の手管にも目を瞠るものがある。しかし、なんと言ってもすべてがペドゥナの魅力に集約される(^_^) ペドゥナってあんなに脚細かったかな。2009年公開当時にすごく見ようか見るまいか迷って、結局見逃していたのだが、あの時見なくて正解だったかもしれない。(理由は秘密(^_^;)
結局今日は曇天ということもあって、部屋を出ずじまい。
夜は東京ドームの巨人-楽天戦。杉内が2回に4点取られて勝負あり。楽天が勝って2勝1敗。
今日の歩数は0歩。

2013/10/28(月)●骨折り損の(^_^;)●

7時起床。
今朝の血圧は203/95/70。
快晴である。
朝の3点セット。
9時半に部屋を出て王子動物園へ。
途中の駐車場にここらを根城にしている野良アメショーが、車の屋根の上で寝てたので、ついついMorris.@Catographerモード(^_^;) しかし、こいつはどんどんふてぶてしくなってるぞ(^_^;) 50cmくらいまで近寄っても、逃げるどころか、片目をちょこっと開けてそれっきりである。しかし寄る年波なのか、かなり毛並みが粗れている。
寄る年波といえば、まぬう雄もかなりのものであるな。今日はガラス壁の一番手前でじーっとしてたが、背中の毛はほとんど悲惨といっていい状態である。雌は毛並みふさふさだけど、相変わらず、岩場の一番上でじっとしてる。
珍しく駝鳥やカンガルーのいる一番上のコーナーまで行ったら、頭の上を浅葱斑がふわふわと飛んでいった。撮影出来なかったけど、もしかしたら、また戻ってくるかもしれない、と思って、ここのベンチでミニギターおさらいしながら、待つ。結局2時間近く歌いながら待ったけど(^_^;) 来なかった(>_<)
そのあと、資料館図書室で時間つぶして、2時帰宅。
自転車で金沢病院へ。降圧剤もらって、マルハチで買い物して、TSUTAYAで会員登録。ほとんど20年ぶりである(^_^;) DVD2本借りる。
帰ってから、借りてきた2本のDVDの一本「空気人形」見る。日本映画だけど、韓国女優ペ・ドゥナ主演。前から見たい見たいと思いながら、見ずじまいだった。で、やっと見終えた感想としては、見ない方が良かったかも(^_^;) 
今日の歩数は11344歩。


野良アメショーが車の屋根に 

同じく 

フラミンゴ 

今日のまぬう 雌 

今日のまぬう 雄 

大蟻食い 

ハンター邸裏から 

駝鳥 

カンガルー 
2013/10/27(日)●猫日和●

6時半起床。
今朝の血圧は225/114/61。
浅海くんら4人で昨日と同じ芦屋の現場。
朝、現場近くで、黒と三毛を見かけたので、ちょこっとMorris.@Catographerモード。黒が烏にちょっかい出してたので面白い場面になるかと思ったが、睨み合いに終わった(^_^;)
昼食抜きで昼過ぎ作業終了。
倉庫作業済まして、3時前帰宅(^_^)
シャワー浴びて、自転車で、王子公園脇の児童会館で神戸市長選挙投票。
一階「ワールドデンズ・ガーデン」昨日新聞で見た「海文堂回顧展」を冷やかす。いちおう一周年記念企画になってる。ああ、もう一年になるのか。ちびだった看板猫ぶんちゃんももう一歳越えて子猫ぢゃなくなったけど、やっぱり今でも可愛いぞ。
回顧展と言っても、海文堂の小さな写真パネル(閉店前の限定写真集から)とネット、口コミで募った10人ほどの海文堂で買った本とコメントで、いずれも、本箱のあちこちにさりげなく置かれている。こんなところで古本屋なんかやっていけるのだろうかと、心配してたけど、なかなかアイデア豊富で、出版社、本屋、新聞記者、ライター、写真家などとの連携も密で、Morris.のイメージしていた古本屋とは次元の違う、新しい形での展開を図っているようだ。
今夜は楽天田中、巨人菅野の先発で、力の入った投手戦である。7回、8回と楽天が1点ずつ取って、ちょっと油断したのか田中が橋本にソロホームラン浴びて、、結果2-1でで楽天の勝利。にわか楽天ファンのMorris.には満足なゲームだった。
今日の歩数は3855歩。


ホシヒメホウジャク再び 

逃げ出す砂場猫 

芦屋の黒&三毛 

烏vs.黒 

上品な三毛 

クールな黒 

草亀虫 

近所の白 

一階古本屋 

海文堂ブックカバー 

看板猫ぶんちゃん 

後ろ姿 


2013/10/26(土)●久々仕事●

6時起床。
今朝の血圧は183/107/79。
久々の仕事。ちょっと早めに倉庫に着いたので誰も来てなくて、摩耶埠頭に回ったら中くらいの船が入湾するところだったので撮影。SKY GLORYと英語ととハングルで書いてある。韓国籍なのだろう。ネットで調べたらやっぱりそうだった。5千トンクラスの貨物船だった。先日まで停泊してた8万トンクラスのコンテナ船と比べたらかなり小さいけど、このくらいの方が見る方は楽(^_^;)かもしれない。
船舶種別: General cargo
建造年: 2010
全長 x 巾: 101 m X 18 m
総トン数: 5534, 載貨重量トン: 6459 t
速力レコード(最大/平均): 36.4 / 11.6 knots
船籍国: Korea [KR]


浅海くんら5人で芦屋のバンコク向けと、保管荷物ピックアップ現場二日取りの初日。台所、食器中心梱包。
昼休み、食堂で神戸新聞見たら、神戸版に一階の古本屋「ワールドエンズ・ガーデン」で海文堂回顧展やるとの雉が出ていた。
4時前倉庫着。帰りマルハチで買い物して5時半帰宅。
仙台での日本シリーズ緒戦。楽天則本、巨人内海の先発。5回で巨人1点リードの展開(>_<) 村田のソロホームランで巨人が2点差にした後、松井稼頭央の大飛球を亀井がファインプレーで防ぎ、終わってみれば0-2で楽天完封敗け。明日の田中で敗けたらおしまいだろうな(^_^;)
今日の歩数は2945歩。


SKY  GLORY 

海文堂回顧展 

シナノスイート 

【ことばから誤解が生れる】飯間浩明 ★★ 2011/05/10 中公新書。
間違えやすい日本語みたいな本は、たまに手を出すのだが、本書は、はっきり言ってつまらなかった。
三省堂国語辞典の編集やってる人らしいが、面白みに欠ける。唯一Morris.の目を引いたのは、以下の部分。

手をこまねく 1.何もせずに傍観している……40.1%
         2.準備して待ち構える……45.6%(「国語に関する世論調査 2008)

たとえば、「理想の結婚相手が現れるのを、手をこまねいて(本来は「手をこまぬいて」)待っていてはいけない」と言われた人が、「準備して待ち構えていてはいけない」と、まったく逆の意味に受け取るおそれが大きい、ということです。


毎年同じようなことを取り上げてる世論調査の「手をこまねく」の誤用だが、後の文章を見ると、いちおう「本来は手をこまぬいて」と書いてあるから、こまぬくの方が正しいことは知らないではないようだが、何となく面白く無い。

【メフィストフェレスの定理】奥泉光 ★★☆☆ 2013/07/13 幻戯書房。地獄シェイクスピア三部作との副題で、「リヤの三人娘 1995」「マクベス裁判 1996」「無限遠点 2012」の三作の戯曲集である。
江戸薫主宰の東京シェイクスピアカンパニーのために書き下ろされたものらしい。
Morris.は奥泉の名前見ただけで中身も見ずに借りてきたのだが、これは期待はずれだった。リヤ王、マクベス、ロミオとジュリエットという有名悲劇を、パロディ喜劇に仕立てたものだが、どこか滑りまくってる気がした。

【昆虫の集まる花ハンドブック】 田中肇★★★☆ 2009/04/16 文一総合出版刊 趣味の図鑑も、いろいろ手を変え品を変えて多様化しているが、この出版社のハンドブックシリーズはヴァラエティに富んだラインアップである。

「サクラハンドブック」「イモムシハンドブック」「樹皮ハンドブック」「紅葉ハンドブック」「カエデ識別ハンドブック」「昆虫の食草・食樹ハンドブック」「イネ科ハンドブック」「雑草の芽生えハンドブック」「繭ハンドブック」「照葉樹ハンドブック」「足型足跡ハンドブック」「シダハンドブック」「冬芽ハンドブック」「虫こぶハンドブック」「野鳥と木の実ハンドブック」「カエルハンドブック」「冬虫夏草ハンドブック」「野草のロゼットハンドブック」「どんぐりハンドブック」「野鳥の羽ハンドブック」「サンゴ礁のエビハンドブック」「海辺で拾える貝ハンドブック」「美味しい木の実ハンドブック」「酒米ハンドブック」「虫の卵ハンドブック」スミレハンドブック」「朽ち木にあつまる虫ハンドブック」「海辺の漂着物ハンドブック」「海鳥識別ハンドブック」「シギチドリ類ハンドブック」「カモハンドブック」「身近な妖怪ハンドブック」「コウモリ識別ハンドブック」「カモメ識別ハンドブック」「土の中の小さな生き物ハンドブック」「淡水産エビ・カニハンドブック」「アリハンドブック」「クワガタムシハンドブック」「…………

ストレートなものから、ちょっとひねったものまで、いろいろだが、どれも100p足らずの小型本で、たしかに形態に便利で、観察時に持ち歩くに適している。
本書も140種くらいの花が紹介されているが、花の形態を、昆虫の給蜜法で以下の7つのアイコンに分類している。これはなかなかユニークだと思った。もちろん2つ以上が混交したり、どちらとも言えないものも多いけどね。

[花型のアイコン]
・独立-放射相称形で餌(蜜や花粉)は露出しているか浅く隠し、まばらに咲き、花間の移動には羽を使う必要がある。
・集合-餌は露出しているか浅く隠し、小さい花が密集して花間を歩行で移動できる。
・ブラシ-蜜は浅く、花が密集して雄しべ雌しべを長く突き出す。
・長管-蜜は細長い筒の底にあり、吸うには細長い口が必要。
・下向き-放射相称形で、下向きに咲く。
・はい込み-左右相称形で筒型、花の奥に蜜があり、頭や身体を入れて吸う。
・操作-左右相称形で、蜜や花粉は花びらを動かさないと採れない。

2013/10/25(金)●三日酔(>_<)(>_<)●

6時起床。
今朝の血圧は223/112/89。
酔が残ってるのではないだろうが、頭も身体も重い。
外は激しい雨が降り続いているし、この際また部屋でごろごろすることに(^_^;)
台風27号はのろのろと太平洋南を進んでいるが関西に直接の影響はあまりなさそう。
今日の歩数は0歩。

2013/10/24(木)●二日酔(>_<)●

9時起床。
ここはどこ?状態。心身ともにボロボロである。
若木夫妻に合わせる顔もなく10時過ぎに退散。
JRで梅田に出て、すき家で牛丼食べて、12時前帰宅。
後は爆睡。
今日の歩数は2940歩。


含羞草? 

敷島湯煙突 
源ヶ橋温泉 
2013/10/23(水)●お見舞・宴会・ジャンカラ・沈没(>_<)●

7時起床。
今朝の血圧は242/122/75(@_@) これはあんまりなので、薬飲んで1時間後に図ったら160くらいまで下がってた。
朝から雨だが、1時過ぎに部屋を出て環状線桃谷駅で、若木夫妻と待ち合わせて、洪ママの介護付き住宅にお見舞い。歌麿会長は先に来ていた。洪ママは訪れる毎に表情が明るくなり、左脚も少しは動くようになってる。今日は3時から整体師がリハビリにやってきて、30分ほど施術を見学(^_^;) 
そのあと会長に連れられて鶴橋の「テガ 大家」で宴会。テジコギとビールとマッコリですっかり良い気分になり、雨にも拘わらず持参のミニギター引っ張りだして飲みまくり歌いまくり。後でソンジャさんやら知り合いも混じってMorris.は完全に出来上がったようなのだが、この後、若木宅に泊まることになったらしく、寺田町駅前のジャンカラに行き、ここで無料の焼酎飲みまくってほとんど意識不明状態。なんとか若木宅まで辿り着いたもらしいが、泥酔して嘔きまくったり、醜態を晒してしまったようだ。
ほんとうに若木夫妻。ごめんなさいm(__)mでしたあ(>_<)
今日の歩数は5033歩。


洪ママ  

記念写真 

歩行訓練 

鶴橋本通の雉 

韓国食堂テガ 

ミンドゥルレ(たんぽぽ) 

店内風景 

Morris.はミニギターでご機嫌 

 

2013/10/22(火)●免許更新&県公館●

7時起床。
今朝の血圧は195/110/75。
昼からJR三宮に出て、三宮図書館寄ってから、中山手の警察別館に免許更新手続き。以前は明石の試験場まで行かねばらなかった。実は、Morris.はこれが結構楽しみだったりもしていた。明石散歩にたこ焼き食べたりしてたからだ。
今回も明石まで足を運ぼうかとも思ったのだが、手軽さには負けてしまう(^_^;)
Morris.は車の運転は出来ない。免許証と言っても原付きだし、その原付にも10年以上乗ってないし、これから乗るつもりもない。だから免許証無くてもかまわないようなものだけど、写真付きの身分証明書として必要なのだ。まあ、パスポートで代用できないこともないけど、何となくパスポートは使いにくい。
原付きにも乗ってないわけだから、違反も何も無く、いわゆるゴールドカードなわけだから、30分の講習と視力検査、写真撮影くらいで1時間足らずで更新完了。
すぐ近くの兵庫県公館をひやかして、その庭のベンチでしばらくミニギター。もしかしたらやめろと言われるかもしれないと思ったけど、そんなことはなかった。
この公館はもともと兵庫県庁として明治35(1902)に建てられたものだが、神戸空襲で外壁一部以外はすべて消失したから、現在の建物は戦後の復元である。それにしてもなかなか良い建物だと思う。
その後ふらふらと三宮に戻り、ダイエーで缶酎ハイ買って、また例の三宮図書館とサンパルの間の広場でミニギターと思ったら、席がなくて、大安亭方面に歩く。途中生田川公園で、一杯やりながらミニギター。
7時帰宅。
今日の歩数は6016歩。


Morris.郵便受にホシヒメホウジャク 

免許講習 

県公館 

同じく 

 

張子の虎 

Morris.好み 

シャンデリア 

官立神戸工業学校

電髪 

精密模型 

この外壁の一部は明治製 

県公館

同じく 

同じく 

ゆうえん肛門科 

旭通りの白灰 

大安商店街 
2013/10/21(月)●ニーチェの倣び●

7時起床。
今朝の血圧は195/94/79。
何か春みたいなポコピカ陽気である(^_^;)
自転車で海岸通まで下りて、ふらふらと三宮方面に向かう。途中対岸の小船を流し撮り(^_^;)
そのまま三宮から元町駅まで行ったところで、不意に髪を切ろうと思い立った。10年ぶりくらいに地下の「阪神理容」の自動券売機でで850円(^_^;)のチケット買って、椅子に座る。平日の昼下がりであまり混んでないが、メンバーはほとんど10年前と変わりない。今日のおっちゃんも見覚えがある。「どうするんや?」「ばっさり切ってよ」「どのくらい?」「前は5cmくらい、後ろは刈り上げね」「よっしゃ」というわけで、10分足らずで終了。前から見るとそれほど変わらないが、後ろはほぼ消滅(^_^;)/
40年以上前(@_@)に作ったうたを思い出した。

萬物烏賊墨(セピア)に染みて秋失神のニ-チェの倣(まね)び髪を斬る 『初期歌片』

そこまで大上段に構えて散髪したわけじゃないんだけどね。
そのまま元町高架下を自転車押して歩く。「神戸ビエンナーレ」とかの催しで、あちこちの高架下の空きスペースに若者の作品の展示やってた。以前日曜美術館で紹介してたのを覚えてたので、王子動物園をテーマにした作品を見たかったのだ。高架下は結構天井高いし、アーチ状の枠組みがいい雰囲気なので、こういった作品展示にはお誂え向きだと思う。
またふらふらと自転車で、途中買い物したりして6時帰宅。
楽天-ロッテ戦。シーソーゲームで面白かったし、最後は田中将大までつぎ込んで、8-5で楽天が勝ち、日本シリーズに駒を進めた。にわか楽天ファンのMorris.だから、嬉しくないこともないけど、やはりどこか虚しさを覚える。
今日の歩数は1001歩。


あんかけ焼きそば 

神戸震災記念ビル 

海岸通の船たち #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

#7 

#8 

三宮グランドビル前遺物? 

久々阪神理容 

元町高架下美術 

シャッターアート 

作品より石壁が素敵 

レトロミシン 

宇治川商店街 

先日製作中だった壁画 

【八月のフルート奏者】笹井宏之歌集 ★★★☆ 2013/08/01 書肆侃侃房。
1982年8月1日、佐賀県有田に生まれ、2005年ネット歌壇の新人賞を受賞、2008年第一歌集「ひとさらい」を出し、これから、という2009年1月24日に25歳で夭折した歌人の第三歌集。没後2011年に第二歌集「てんとろり」と、セレクト歌集「えーえんとくちから」が発行されているから、独立した歌集としては4冊目ともいえるし、第一歌集は第二歌集と同じ装幀で再発行されているから5冊目となるのかもしれないが、Morris.はこの5冊すべてを所持している。すべて学生時代から家族ぐるみで親交深い彼の母からの厚意で贈られてきたものだ。
収められた395首中251首は佐賀新聞読者文芸欄に掲載されたもので、残りも投稿歌や草稿である。第一第二歌集とは傾向を異にする作品であり、内容も家族やふるさとをテーマにしたものが多い。
ついついMorris.はそれらの歌に目が行ってしまう。

八月のフルート奏者夢に出てきんさるとは珍しか三回忌やったねタケ子ばあちゃん
三回忌独りに慣れたという祖父の遠くを見やる話の切れ間 -2004
床にあれど母は母なり咳き込みつつ子の幸せを語りて眠る
今は亡き祖母の歌いし南天の実は啄まれようやくの春
父親は酔いつつ星を二つ三つ下げて帰りき風冷たき日 -2005
割り箸は母の口紅あかあかと付けしままサーモンを挟めリ
木の間より漏れくる光 祖父はそう、このやうに笑ふ人であった
冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちゃんいつもうたひよつたろ -2006
ひろゆき、と平仮名めきて呼ぶときの祖母の瞳のいつくしき黒
目病みせし日々の窓辺を昇る陽をうつくしとだけ祖母は言ひけり
吾を産みし人のとなりに吾を生せし人は座りぬ コスモスに風
我が家といふ大き生きもの起きいでてまづ父親を吐き出しにけり -2007
わが父の眉毛のやうな雲浮かび郷里はゑまふ素振りを見せぬ
親子丼親子でたのむゆふぐれはただ訳もなく笑ひあふなり
菊の束かかへてあゆむときのまを小道に祖母の影立ちたまふ
葉桜を愛でてゆく母がほんとりと少女を生きるひとときがある
天山に未だ大熊の歩みゐるころの小さき祖父を思ひぬ -2008


最初の歌に出てくる「タケ子ばあちゃん」は武雄に住んでいた母方の祖母、2002年11月24日に亡くなっている。この葬儀にはMorris.も神戸から駆けつけ参列した。
葬儀の後、精進落としの宴会で、当時二十歳だった宏之くんに声をかけたら「さっきまでご愁傷さまとか言いよったばってん、もうみんな忘れたごと浮かれよっとばいね」と、怒りではなく、呆れたというか、諦めを含んだ口ぶりでそうつぶやいたことを思い出した。それれから2年後に彼は歌を詠みはじめたということになる。祖母の死が直接のきっかけとなったかどうかは知らないが、かなりショックを受けていたのだろう、と、今になって思う。
二番目の歌に出てくる祖父とMorris.はえらく仲が良かった。もちろん同い歳の息子(小中高から大学まで同じ(^_^;))と親友だったのが始まりだが、何かと気が合って、関西に出てからも、帰省するたびに一緒に出かけたり、浜松の息子宅訪問の帰りに神戸に寄って泊まったりしてた。名前の省略形で「熊さん」と呼んでたから、最後の歌の「小さき祖父=小熊」が、前の大熊と対になっているという楽屋落ちが見えてきたりもする。
夭折の後ネットで話題になったり、NHKや新聞、雑誌などで取り上げられたりして、彼の歌の人気が高まっていった。
ライトヴァースに近い新感覚の作品群はMorris.の好みとは微妙に違っていたが、面白い発想、鋭い観察、言葉遊びなどの要素を持つ歌も多くあって、普遍的な共感を呼ぶ作品だと思っていた。
この第三歌集の作品は、途中から文語、旧仮名遣(厳密ではないが)になっていて、これはMorris.には逆に読みやすかった。

八月のフルート奏者きらきらと独り真昼の野を歩みをり -2006

表題にも使われているこの歌は、佐賀新聞には選ばれなかった歌らしい。この歌集が出て、佐賀新聞文芸欄の選者は臍を噬む思いをしているかもしれない。まあセレクトに落ちこぼれはつきものだけどね。あるいは、だからこそ、この歌集が出た意義があるということにもなるだろう。

あはれあはれ安倍晋三のほほ肉のごとき夕雲水面に消ゆ -2007 

これは作品の質とか何かではなく、安倍晋三の名が出てきたことに驚いたのだ。この歌は2007年10月の作らしい。2007年9月26日に安倍は90代総理を辞職している。だから、このうたは一種の社会風刺ネタと言えなくもない。この安倍が5年後にリバイバルして96代総理に就任するとは、誰も想像もしなかっただろう。「あはれあはれ」なのは、今の国民の側であるが(^_^;)

---* と蜘蛛たれてきて寒がりな振り子時計を演じはじめぬ -2007

このうたは横書きでは体をなさない(>_<) 「---(原文は破線でなく実線)」が蜘蛛の糸、「*」が蜘蛛自身の象形となっている。これはなかなか面白いが、朗読するときは困っていしまいそうでもある。彼は携帯電話やネット中心の生活だったらしいから、いわゆるフェースマークなども身近なものとして使ってただろう。そんなところからこれを思いついたのかもしれない。後半にもう少し工夫があれば良かったのだけど、残念。

母の死もおとうとの死もなき五月、修司の手より渡さるる蝶 -2008

彼が寺山修司を読んでた、というのは、不思議ではないが、作品にまで名を出すということにちょっと意外な気もした。「われに五月を」は修司の最初の作品集のタイトルでもあり、修司自身も五月に没しているが、その修司の手ずからわたされる「蝶」とは、何なのだろう? 「夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」の屍の蝶か、「わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の」の「言葉」に仮託された蝶なのか、それとも……。こればかりはわからないな(^_^;) 修司には「眼帯に死蝶かくして山河越ゆ」という句もあった。
もっとも、笹井宏之のうたに寺山修司の影響はあまり感じられない。「意外」といったのには、そのへんの経緯がある。

ふるさとは唄そのものであるゆゑに今宵も我はうたはれてをり -2007

本歌集ではこのうたが一番好きかな。説明もいらない平易な歌いぶりで乾いた感傷が、いかにも彼らしいと思った。

笹井宏之が生前開いたブログ「些細」は、現在も名義そのままに存続している。物故者のホームページを、親族、友人などが記念として消さずに残しておくということは結構あるようだが、「些細」は実父が積極的に更新を続けている。日々の写真や記録に過去の作品を配し、ファンとの交友、出版案内、マスコミに取り上げられた記事の紹介……これは先に逝った息子と遺された家族との繋がりが現在進行形で持続記録されているという稀有なケースである。
裏返しにみれば、「親に先立つ不孝」をはたらいた息子が、亡くなってから親孝行を続けているという不思議な形態と言えるのかもしれない。

2013/10/20(日)●石鼓文●

6時起床。
今朝の血圧は198/94/77。
8時前、つい習慣で韓国TVライブページ開こうとしたら、告知通りサイトはサイトは消滅していた。でも、Morris.のコピーページからSBS接続成功(^_^)
「挑戦千曲」今日のチャンヤンジョンは髪そのまま方に垂らしたワンレングスに黒地に小柄のミニワンピース。今日のゲストも知らない顔ばかり、と思ってたら」アジュマの名前がシンシネと聞いてちょっとびっくり(@_@) 韓国ポンチャックアルバムの中で絶対ベスト10に入る傑作「ポンチャンネ」のシンシネではないか。実に久しぶりである。でも、今日はいまいちノリが悪かったような気がする。
昼からのKBSノレチャランも視聴してみる。例の中国サイトなのですぐフリーズするかと思ったらとりあえず順調に見えている(^_^) 忠清南道のケリョン市篇。ケリョンというのは聞き覚えのない地名である。手持ちの地図帳で探したが見当たらない。ネットで調べたら、2003年にノンサン(論山)市から独立して新しく市になったとのこと。韓国の軍隊の本部がここに集まっていて、特別の市になってるということらしい。
パ・リーグのファイナルシリーズ、今日の楽天-ロッテ戦は雨で中止(>_<)
3時前雨が上がったので、原田の森ギャラリー覗く。飛雲点という書道展が開かれていて、東館一階で特別展として会員所蔵の中国の古い拓本や日本の古筆名品が展示されていると聞いたからだ。
去年もほぼ同じような展示があったのだが、今回はその中の篆字をしっかり見ておきたかった。会場には北魏、後漢、北周、、唐などの名品が勢ぞろい、日本勢は池大雅、富岡鉄斎、、中林梧竹などの作品が並んでいたが、Morris.は中国戦国時代の石鼓文拓本三点に釘付けになってた。甲骨文字が初めなのだろうが、Morris.は篆書には特別の思い入れ展示されていたものは現存最古の刻石からの拓本で、現物は北京の故宮博物院にあるものとか。がある。
ついでに本展も覗いてみたけど、こちらは前衛的というか、Morris.の理解範囲を越えるものがが多くて、ちょっと引いてしまった。
そのまま歩いて水道筋で買い物して5時帰宅。
若木夫妻に電話して、今週中に一緒に洪ママの見舞いに行こうとの相談。とりあえず23日を仮押さえ。今月のサランバン会の彼我仕事で、見舞いに行けなかったので、農閑期の今週こそ行かねば、と思ってたのだ。
今日の歩数は19447歩。


CMのチャンユンジョン 

ワンレンユンジョンちゃん 

シンシネ 

忠清南道鶏龍市ノレチャラン 

層雲に煙る六甲山 

花弁露 

金木犀蕾 

中国戦国時代石鼓文#1 

#2 

#3 

「マヨい、の中で」神澤知

柑橘類(^_^;) 

おなじみ野良アメショー 

同じく 

韓国的(@_@) 
2013/10/19(土)●ひさびさ福井&勇三●

6時起床。
今朝の血圧は216/108/82。
ご飯炊いて、昨日のグリンカレー。やっぱり一晩置くとかなり美味しくなる(^_^)
午前中は松岡正剛の「千夜千冊」のチェック。現在は千五百冊を超えてるが、今日はとりあえず千冊の中から、これから読んでみたいと思う本をピックアップしてみた。もともとMorris.はこのサイトでは、これまで読んだ本や関心ある作家の本を松岡正剛がどう読み解いているのか、本文記事を拾い読みしてた。今回もピックアップするつもりで、ついつい本文に引きこまれ、さらにサイト内リンクであちこち跳びまわったりして、ちょっと疲れてしまった。それにしても凄い人であるなあ。以前もこのサイトをきっかけに読んだ本というのも10冊以上はあるし、既読本を入れると百冊くらいは読んだことになる。今日はとりあえず30冊ほどセレkuトしてみた。半分くらいは読めるかな? 翻訳物は極力避けてる。

日本は俳句の国か/加藤, 郁乎
やくざと日本人/猪野健治
お月さまいくつ/金関丈夫
J-POP進化論/佐藤良明
アリランの誕生/宮塚利雄
外は、良寛。/松岡正剛
クラゲの正体/坂田明
文体練習/レイモン・クノー
アート・キッチュ・ジャパネスク/井上章一
キムチとお新香/金両基
虫の惑星/ハワード・エヴァンズ
反骨の系譜/青地晨
綺想の饗宴/高山宏
アジアのなかの日本/飯塚浩二
ネコはどうしてわがままか/日高敏隆
歌謡曲は、死なない。/ 貴地久好・高橋秀樹
古語拾遺/斎部広成
乾電池あそび/実野恒久
三絃の誘惑/樋口覚
記憶の茂み/斎藤史
パンソリ/申在孝
伊東忠太動物園/伊東忠太・藤森照信・増田彰久
貝のミラクル/奥谷喬司編
雑談の夜明け/西脇順三郎
樹木学/ピーター・トーマス
童謡咄/立川談志
空の思想史/立川武蔵
この国のなくしもの/野坂昭如
かくれ里/白洲正子
誤植読本/高橋輝次編著


おしまいの「誤植読本」の本文記事で松岡正剛は自著作での誤字誤植の気恥ずかしさに触れていたが、今日目を通した本文記事の中に2つ3つ間違いを見かけた。印刷物でなく、ネットのデジタル情報はいつでも簡単に訂正できるという利点があるから、さっさと訂正しておいてもらいたい。まあ、Morris.部屋の場合は、誤植の百貨店みたいなもの(>_<)で、気づいてもおおまかに意味が通れば放ったらかしにしてる傾向あるけどね(^_^;) 「千夜千冊」みたいなメジャーで読者も多い場だからこその苦言ということにしてもらいたい。
午後2時から楽天-ロッテ戦TV観戦。昨日から楽天ファンのMorris.(^_^;)なので、今日の勝利に満足。
夜は三宮「GREAT BLUE」で福井くんらの「MTV'80」ライブ。
出演メンバーは春野由利vo. 福井武史vo. 井山あきのりpf. エロへこさんbs. 長濱剛生g. 前田勇造ds.で、井山君以外とはほんとうに久しぶりの再開である。前に由利さんの誕生日記念に、このメンバーで「クイーン特集」やって大受けだった(別用があって行けなかった(;;))ので、今回は80年代のROCK名曲特集とのこと。Morris.はせいぜい70年代までで、80年代はほとんど知らないのだけで、まあ、このメンバーなら何をやっても面白いにちがいない。勇三はわざわざ宮崎からやってきたとのこと。春待ち社長や、ヒアカムママなども来てたが、遅がけのMorris.と入れ違いで挨拶するだけになってしまった。
ほぼ満員で、Morris.は一番前の堀姉妹のテーブルに椅子持って行って割り込んだが、ここからだと、あまりにステージに近くて全体どころか福井くんの顔だけでいっぱいになるので(^_^;) 動画撮影はパス。おしまいに福井くんがフレディ・マーキュリーに扮してクイーンナンバーを数曲披露してくれたのが嬉しかった。
今日の歩数は1948歩。


今朝のタイカレー 

ドラマー?弦 

客席 

ひさびさ福井君 

ノリノリプレイ 

ダンボールベース(^_^;) 

ひさびさ勇三 

フ・クイーン

ステージ全景 

【評伝 ナンシー関】横田増生 ★★★☆ 2012/06/30 朝日新聞出版社。
ナンシー没後10年を記念して上梓された彼女の評伝。「心に一人のナンシーを」というサブタイトルは、大月隆寛の言葉らしい。筆者は、生前のナンシーと面識は無かったらしいし、感覚的にもナンシーとは畑違いのタイプのようだが、かなりきちんと、調査、取材、整理が行き届いてて、Morris.の知らなかったいろんなことが書かれてあり興味深かった。
文中でインタビューした著名人は、宮部みゆき、土屋敏男、小田嶋隆、山藤章二、えのきどいちろう、イタバシマサヒロ、いとうせいこう、萩原健太、押切伸一、白木理恵、山下マヌー、敷島、鈴木慶一、大月隆寛、松尾貴史、川勝正幸、高橋洋二、みうらじゅん……と多岐にわたっている。
巻末にあったナンシーの年譜をはしょって引いておく。

消しゴム版画1962 7月7日、青森市で「関ガラス店」を営む父・英一、母・節の長女として誕生。本名、関直美
1979 17歳のときはじめて消しゴムで作品を彫る
1981 高校卒業後上京
1982 法政大学第二文学部日本文学科入学
1985 「ホットドッグプレス」で仕事、ナンシー関(いとうせいこう命名)の名でデビュー
1986 消しゴム版画家を名乗る
1988 「ミュージック・マガジン」表紙イラスト担当(3年間)
1989 友人を訪ねニューヨーク一人旅
1991 初単行本「ナンシー関の顔面手帖」
1992 「何様のつもり」
1993 「小耳にはさもう」(週刊朝日連載開始) 「テレビ消灯時間」(週刊文春連載開始)
1994 デーブ・スペクターとの論争
1995 個人事務所設立
1996 パルコ、ロフトで個展
1997 六本木クラブで個展
1998 自動車免許個人教習開始
2000 「小さなスナック」(リリー・フランキーと対談)
2001 自動車免許取得
2002 6月12日永眠 享年三十九


四十歳を待たずに亡くなったというのは夭折にちがいないし、彼女が存分に活躍したのは10年ちょっとだったのかあ。ある意味ぎゅぎゅっと凝縮された10年間だったんだろうな。彼女が死んでからのテレビ番組の低落傾向は相当なものである。
94年のデーブ・スペクターとの論争というのは、知らずにいたが、以下のようなものだったらしい。

「こんな最悪の罵倒を受けたんだから、僕も彼女のことを『とんでもない〇〇のくせに!』と罵ってやろうと思ったら周囲から止められてしまった。善悪という目に見えないことは断定してもいいのに『〇〇』というような写真を見れば誰にでもわかる事実はなぜか口にしちゃいけないらしいね。
彼女はタレントが嫌いだし、文化人が嫌いだ。コメディアンが嫌いで、司会者が嫌いで、新人が嫌いで、ベテランが嫌い。他人はみんな嫌いで、自分自身のことも嫌いに違いない。愛しているのは、自分より太った女性だけなんだ。こうして彼女は手当たり次第に罵ることで何かの復讐を続けている」(「週刊文春1994/03/31)

「私がタレントを見る価値基準は『おもしろい』か『おもしろくないか』かの一点のみだ。私はあなた(デーブを指す)を『おもしろくない』と非難したのだ。
それにしても、なんで『みんなでセラピー代を要求しようか』とか『今度の件で芸能界の何人かの人に、ナンシー関についてどう思うか聞いたら、みんな困ったように笑ってた』とか、主語を『我々』にしたがるのか。一人で怒ればいいじゃん。テレビに出てるときもいつもそうだけど、何をオドオドしているのだ。『TVに出てくる人を片っぱしから罵っている醜い深海魚のような人生』『彼女は手当たり次第に罵ることで何かの復讐を続けている』か。
結局、『(こうゆう原稿を書くことを)ヤメロ』と言いたいらしいが、これは私の生業(なりわい)である。聞く耳持たん。それと、あなたには『片っぱしから罵ってる』ようにしか読めないかもしれないけど、それじゃあお金はもらえないのである。自分で言いたくは無いが、『芸』なのである、コレも。あとさ、落とし込みみたいなとこに『太ってる』ばっかり持ってこられてもねえ。私も昨日や今日急に太ったワケでもないし、ま、ちゃんと読んでから怒ることだ」(「週刊朝日」1994/04/08)

いまさらながら、デーブ・スペクターますます嫌いになってしまったよ。
それにしても、早死にの原因に肥満と過労が大きな要因を占めていたのは間違いないだろうから、ちゃんとしたマネージャーをつけるべきだったんだろうな。3年かけて自動車免許取得なんてやめておくべきだったろう。と、これも、言わずもがなのことである。
ナンシーの単行本は、図書館で目につくかぎり即借りて楽しませてもらった。本当は雑誌の連載などで、リアルタイムに楽しむ性質のもののはずなのに、後で読んでも面白いというのがすごいところだろう。それから10ね以上たって読みなおしても古びないというのは、とんでもないことである。彼女の没後に古本屋で最初の単行本「顔面手帖」を見つけてこれだけは購入、時々読み返してはナンシーの才能を愛惜した。
本書では、ナンシーの評価として、TVコラムに重点をおいている。たしかに、あの、読みの深さとストレートで辛辣な批判(愛情の裏返しと思う)とけれん満載なのに可読性の高い文体はは、かけがえのないものであった。それでもMorris.はやっぱり消しゴム版画の魅力に引っ張られてた部分が大きい。本書にはナンシーの消しゴム版画作品が見開きの左片隅に100点以上再録(これはナンシーの妹の協力によるもの)されてて、やっぱりこれ見るだけでMorris.は嬉しくなってしまう。本書の評点の半分はこれに依るところ大である(^_^;)

2013/10/18(金)●ひさびさタイカレー●

7時起床。
今朝の血圧は198/104/68。
何となく9時から国会中継を見る。代表質問は公明、みんな、共産、民主、自民と続いたが、隔靴掻痒としかいいようがない。安倍総理側はまともに答える気もなさそうだった。質問内容は共産だけがまだしもまともな感じがした。民主党のニシムラという女性議員の質問は原稿の読み間違い(「衷心から-あいしんから」「二千二億円-二千二円」「待つ-もつ」など)や、トチリが多すぎて呆れてしまった。民主党には人材が払底してるということなのだろうか。Morris.が国会中継見るのはめったにないのだが、夜のニュースのダイジェストが、どれほどのダイジェストかということがわかる。
午後自転車で大安亭に買い物に行ったら八百屋に香菜(パクチー、コリアンダー)があったので、思わず買って、今夜はタイカレー作ることにした。茄子と筍と獅子頭と鶏肉買って4時帰宅。カレーペースト、ココナツミルクパウダはまだ残ってたので、さっそくとりかかる。ペーストがあれば、タイカレーは普通のカレーより手軽かもしれない。袋茸は無かったので干椎茸で転用(^_^;)。1時間たらずで完成。冷凍庫にご飯あると思ってたのに無かった(>_<)ので、とりあえずビーフンでいただく。まずまずの味。明日になったらもうちょっと美味しくなると思う。明日はご飯で食べることにしよう。
ファイナルシリーズ、広島は初回に先制したもののあっさり逆転されて3連敗してしまい、巨人日本シリーズ出場決定(>_<) Morris.は今日から楽天ファンになる。その楽天は、延長までもつれたものの結局敗けてしまい、あとニ勝のまま。
今日の歩数は830歩。


パクチー(香菜)好き(^_^) 

寸胴でちゃっちゃと煮込む 

とりあえずビーフンで 
2013/10/17(木)●十三夜●

7時起床。
今朝の血圧は144/79/69。
朝の3点セット。
10時半に部屋を出て、王子動物園-原田の森ギャラリー-日の香公園-大安亭-三宮図書館-KIITO-三宮と回って6時帰宅。
大安亭ではこれまで見かけなかった雰囲気のある雉の飼い猫がいたのでしばらくMorris.@Catographerモード。
三宮図書館では外大図書館にしかない本を予約しようとしたのだが、受付の女性が、当館で購入したいので、しばらくお待ちくださいとのこと。
KIITOではEARTH MANUAL PROJEKT展というのをやってた。
広島は0-3で連敗。
今宵は十三夜だが、ちょっと曇りがちで、ずっと朧月だったが、雲の隙間からこっそり(^_^;)撮影。

●月と月緑の星の繼子とて他日は知らず秋二日のみ 歌集『秋曲』

今日の歩数は6501歩。


今日のまぬう 雄 

今日のまぬう雌 

いちおう2ショット 

アザラシ 

大日商店街の黒 

同じく白黒 

日の香公園の 

大安亭の雉 

同じく 

同じく

同じく 

石榴 

日暮れ通りのの親子 

別の白黒 

KIITOの防災展 

資料館 

階段 

階段の柱 

入り口 

税関の空 

KIITO 

肋雲 

三宮笑い地蔵 

十三夜 

2013/10/16(水)●農閑期●

6時半起床。
今朝の血圧は226/114/88。
午前中は曇ってたがだんだん晴れ上がってきた。風はまだ強い。
自転車で六甲道に出て、区役所と灘図書館まわり、帰りは水道筋で買い物して3時帰宅。
以前ソウルのキキさんからもらった90年前半のアイドル番組「「楽しい土曜日」を見直す。イジヨン、キムワンソン、ミンヘギョン、イサンウン、ヤンスギョン……当時の女性アイドルたちはやっぱり懐かしい。この番組には珍しく若いチュヒョンミもも出てきて永東橋と新沙洞をメドレーで歌った。途中渋い男性グループが出てきて、ボーカルの顔に見覚えがある。「コンサート7080」の司会者ペチョルスではないか。そうか、彼は、ソンゴルメのリーダーだったのか。というか、Morris.はペチョルスが学生時代に結成した「ファルチュロ 滑走路」が頭にあったので、意外に感じたのだが、ネットで調べたらファルチュロは78年大学歌謡祭で大賞受賞後、翌年ソンゴルメ名でデビューしたとあった。
今日からセリーグファイナルシリーズ、第一戦、しっかり広島応援している。5回で広島が2-1と辛うじてリードしてる。しかし、結局逆転されて、巨人の先勝。ハンデの一勝があるから、巨人は後ニ勝で勝ち抜けである。
週末の仕事がキャンセルになり、10月後半はまたまた農閑期になりそうだ。
今日の歩数は2311歩。


神の木通の白雉 

畑原市場の黒 

阪急王子公園駅前の雲 

【楽園への道】バルガス=リョサ 田村さと子訳 ★★★☆☆2008/11/10 河出書房新社。原作2003年。めったに翻訳物は読まないMorris.なのだが、画家ポール・ゴーギャンとその祖母で女性解放家フローラ/トリスタンをとりあげてるということで、つい手にとってしまった。
このところ、広告界やらフリーライター出身のライトノヴェルを読み飛ばしてたMorris.には、重厚で内容の濃いヘビーノヴェルがずっしり応えた。日本の作品で言うと森鴎外の史伝ものの読後感に似たものがあった。
22章のこの作品は章ごとに交代でフローラとゴーギャンの晩年の行動が通時的に記されている。訳者の解説が簡にして要を得てるので引いておく。

『楽園の道』では構成として対位法が用いられている。奇数省章では1844年4月以降のフローラの仏蘭西巡礼の旅と、その行き先で彼女が回想する過去が重なって語られ、偶数章ではゴーギャンがタヒチに渡ってからの生活と絵画が描かれる様子、タヒチに渡る前の回想や友人たちとの会話から過去が浮かび上がる係止が取られているが、互いに譲り合うことはない。主従のない物語を並置し、交差して重ね合わせる構成レベルでの対位法は、フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法であり、ニが一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法である。
本作品では、意識や会話レベルでの連続性は保たれており、バルガス=リョサとおぼしき全知の語り手が話を展開させながら、フローラやゴーギャンに二人称で語りかけるところに特徴がある。また物語の展開をスムーズに運ぶために直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられているが、これはすでに多くの研究科から指摘されているように、彼が傾倒している騎士道小説の語りの手法を取り入れたものである。


バルガス=リョサ自身が歴史小説について述べている部分を孫引きしておく。

歴史的事実と歴史的人物という原材料を持ちながら小説を書くことはとても面白い。そのまま書くのではなくて、まったく自在に書くのだ。私はこの原材料を探すことに熱中してしまう。その過程で思想や人物や状況がトランポリンのように浮かんでくる。
作家が詳細な調査をするのは真実を見つけるためではなくて、なぜそうしなければならないかを認識しながら嘘を着くためである。作家とはウサギを猫に変えて見せる手品師であり、この魔法の結果、もっともらしく感動させるものとなる。そして創作したものが、最終的に歴史をしのいで、集団の想像力の世界を支配することができるのだ。

これは日本でも時々蒸し返される「歴史そのままと歴史離れ」論議を軽く超越した次元での小説観だね。「真実をみつける」ぢゃなくて「嘘を書く」ぎゃはは\(^o^)/

二十五日目にメキシカン号はカーボ・ヴェルデ諸島のブライア港に錨を下ろした。
ブライアの白人と混血の住民はみな、黒人を捕まえ、売買することで生計を立てていた。このポルトガルの植民地では人身売買が唯一の産業だった。メキシカン号の船底を補修するのにかかった十日間に、この土地でフローラが見聞きしたことすべてが、そして知り合った人間すべてが、彼女の胸に同情や驚愕、怒り、恐怖の感情をかきたてた。背が高く中年太りのどっしりとしたミルクコーヒー色の産婆、ワットリン未亡人のことをおまえはけっして忘れることはないだろう。その家は彼女が崇拝するナポレオンと帝国の将軍たちを描いた銅版画で埋めつくされていたが、彼女はおまえにチョコレートとケーキをご馳走してくれたあとで、居間においてある、他所では絶対に見られないというすごい置物、ホルマリンを満たした水葬の中で漂っている、二体の黒人の胎児を見せてくれた。(9 航海)


人身売買が唯一の産業というのもものすごい。ポルトガル人が植民に入ったブラジルでも初期の頃は、このような状況だったのだろうか。


本の作者はトルコ人の芸術家であり哲学者で神学者でもあるマーニ・ヴェリビー=ズンブル=ザーディで、その随筆の中には彼の三分野の天分が編み込まれていた。彼によると、色彩とは自然界の色というよりも、もっと奥に秘められているもの、かつ主観的なものを表現するものである。それは人間の感受性や信念や想像性の表れである。色彩に対する評価とその使い方で、ひとつの時代の精神性を転覆することができる。人間の中に住む天使と悪魔を。ゆえに、本物の画家は自然界を前にして目にしたものの再現--緑の森、青い空、灰色の海、白い雲といったような--にとらわれてはいけない。画家の義務は色彩を自分の内部の必要性、あるいは単に個人的な気まぐれに従って使うことだ。黒い太陽、太陽のような月、青い馬、エメラルド色の波、緑の雲。(20 ヒヴァ・オアの呪術師)

印象派のテーゼがトルコ人によって語られているというのが、寓意的である。

乗り越えられない相違によって明確に区別され、分けられたもの--男と女、雄と雌、ペニスとヴァギナ。愛と欲望の分野における不明瞭さは信仰の分野と同じく、野蛮人悪徳のしるしであり、文明にとっては食人習慣と同じように下劣なものなのだ。男-女、女-男は、父なる神がソドムとゴモラに対して行なったように、根絶しなければならない異常性だった。残り少なくなったこの島のかわいそうなマフーたち! 偽善的な植民者や植民地行政府の行政官たちは、家庭での料理人や洗濯係、子守や万人としての評判に目を付けて、彼らを探し出して家事手伝いとして雇った。だが、宗教と対立しないように、女のように身を飾ることや装うことを禁止した。マフーたちは見つけられるのをとても恐れながらも、頭に花を絡ませ、手首にはブレスレット、踝にはアンクレットをはめて、女の子のように身を飾って、しばしそのような装いを大胆に見せびらかしていたが、そのとき彼らは自分たちがひとつの文明の最期の喘ぎであるとは思ってもいなかっただろう。自分のうちに持っているすべてのもの--願望と夢--を受け止める原始人たちの、健康で天真爛漫で自由な生き方はもう絶えてしまうのだ。『ヒヴァ・オアの呪術師』はひとつの墓碑だよ、コケ。(20 ヒヴァ・オアの呪術師)

「第三の性」。この問題は、Morris.の手には負えないのだが、百年後の現在、世界ではこのジェンダーの人権が認められつつあるようだ。

「鬼」の子供がスキップしながら、輪の中の仲間たちに何を訊ねているか、そのたびごとに、何と繰り返しながら追い返されているかをコケは察知した。
「ここは楽園ですか」
「いいえ、お嬢さん、ここではありません。次の過度へ行って訊いてください」
「楽園遊びをしているのですね、シスター」と背が高くほっそりとした、大きな襞のある修道女服に半ば埋まったような修道女に訊ねてみた。
「あなたが決して辿りつけない場所ですよ」小さな手で握りこぶしを作ると、ポールに向かってちょうど悪魔祓いのようにかざしながら修道女は答えた。「向こうへ行ってください。この子たちに近づかないで」(22 薔薇色の馬)

この遊びが、タイトルになってるわけで、つまり「楽園」というなのユートピア(無何有郷)物語ということの象徴なのだろう。
ラテンアメリカ文学は一時ブームみたいになったが、Morris.はボルヘス(アルゼンチン)、マルケス(コロンビア)くらいしか思いつかない(^_^;)
リョサはペルーで、フジモリと大統領を争ったくらいの政治的意識の高い作家のようだ。代表作には「緑の家」が挙げられるが、これもかなり入り組んだ構造の作品らしいので、しばらく様子見ることにする(^_^;)

2013/10/15(火)●雨風蟄居●

8時起床。
今朝の血圧は193/79/68。
ターちゃんの韓国歌日記」にソウルのHachiさんのことを2回に亘って取り上げてあった。そういえば、先月2週間の歌謡研究取材旅行に出かける前に、メールでHachiさんの連絡先の問い合わせがあった。ターちゃんは、以前ソウルに住んでた時にHachiさんとは面識ががあったらしいということは聞いていたが、今回の記事では直接インタビューして要領よくまとめられている。ただ、紹介されてたHachiさんのブログが最近全く更新されてないのが残念なところである。
台風26号というトンデモなく強風圏の広い(東西1500km(@_@))が太平洋岸を北上した影響で、神戸も朝から雨風が強かったので、これをいいことに、いちにちパジャマで(^_^;)部屋でごろごろ。
午後のニュースはアンパンマンのやなせたかしが二日前に亡くなったということで持ちきりだった。享年94。前日まで元気だったということだから、世の爺さん婆さんにとっては羨ましいような死に方ということになるのだろう。
つい最近の映像も流されたが、山ハラボジ(校長先生)によく似てる。
やなせたかしといえば「手のひらに太陽を」という不思議な歌(^_^;)を思い出すのだが、雑誌「詩とメルヘン」の編集長を30年間も勤めたというだけで、ちょっと勘弁してね、である。
今日の歩数は0歩。

【雲のかたち 立体的観察図鑑】村井昭夫 ★★★★ 2013/07/25 草思社。Morris.がかなり雲好きなことは、Morris.日乘の読者なら周知のことと思う。なんたって毎週のように、雲のショットが載ってるもんね。石川啄木は「雲は天才である」という作品(読んでないけど(^_^;)を出したということだけで大きく評価している。
その割に十種雲形すらきちんと把握してるとは言いがたい(>_<) これまでに、何冊か雲の図鑑めいた本も読み、写真集で溜息ついたりしてきたが、本書は、「立体的観察」とうたってるとおり、地上から眺める雲ではなく、空中からの観察を主とした本である。つまり、飛行機の窓からコンパクトデジカメで撮影した画像が中心になっている。
このところ、Morris.は韓国行きはパンスタフェリーばっかりになって、飛行機にはながいこと乗ってないが、以前ソウルまでの短い飛行時間は、ほとんど空(雲)の観察、鑑賞にあてていた。だからかなり早めに空港に行って景色の良い窓際の席を頼んでたものだ。
雲の3D画像
本書の特長のひとつに26組の3D写真が掲載されていることだ。Morris.得意の平行法なので、思う存分その立体感を楽しむことが出来た。またまたステレオカメラが欲しくなってしまったぞ。右の画像クリックしてお試しあれ→
たしかに雲の理解には3次元で捉える視点は有効だと思う。
まずは基本的に雲のできる高さの復習から。

1.下層雲(高度数十m~2000m) 層雲・積雲・層積雲
2.中層雲(高度2000m~7000m) 高層雲・高積雲・乱層雲
3.上層雲(高度500m~12000m) 巻雲・巻積雲・巻層雲
*積乱雲=上下広範囲に広がる

通常飛行機(旅客機)の運行高度は10000~12000mだから、ほぼ上層雲の上付近をとぶことになり、おおまかな雲の群を見下ろすことができる。さらに離陸、着陸時には途中の高さを体験することもできるから、まさに雲の観覧に最適といえよう。
大気圏は地表からほぼ800kmだが、雲や雨・雷・虹など身近な気象現象はすべて地表から15000mまでの対流圏で起きている。

「K-H(ケルヴィン・ヘルムホルツ)不安定波」という名前が出てきて、たしか寺田寅彦の雲の随筆にあったことを懐かしく思い出した。

おしまいに「飛行機から雲を楽しむために」というコラムがある。ここからランダムに引いておこう。

・翼より前の窓際の席の確保。
・飛行ルート、季節、時刻を考えて左右どちらの窓にするか作戦を立てる。
・黒っぽい服装--窓への映り込みを軽減
・窓を拭くタオル持参
・サングラスを準備
・雲は白く輝度が高いので基本的に露出は+補正、もちろん臨機応変に
・一眼レフカメラは使用を控える、


しかしなんと言っても、外側の窓の汚れが一番の難物であるらしい(^_^;) バスなら外側から自分の座席の窓を拭くことも不可能ではないが、飛行機だと完全におてあげだものね。
たまには、飛行機に乗りたくなってしまった。

2013/10/14(月)●銭湯展と歌居屋●

7時起床。
今朝の血圧は191/109/78。
午後から阪神で尼崎に出る。
20日まで旧尼崎警察署で日本銭湯王国展が開かれている。
尾西くんがスタッフとして入ってるし、今日は4時から春待ち社長のミニライブもあるとのこと。
実はMorris.はそれほど銭湯好きというわけではない。嫌いでもないけどね。今回は旧警察署の建物、特に、地階の留置所見学ができるというのがお目当てだったのだ。
本当は整理券もらって時間待ちしなくてはならなかったのだが、そこはスタッフ尾西くんのおかげで、社長、矢谷くんと3人で案内してもらえた。耐震のため壁の一部を取り払って金枠はまっていたが、独房や天井などは以前のままで、結構楽しめた。
社長と矢谷くんの演奏は中くらいの元講堂だったが、ここの天井と全体の佇まいがいい感じだった。お客さんもそこそこで和やかに終了。
しばらく付近を散策してから5時半の電車で元町に出る。今夜は7時半から新長田の「歌居屋」で、飛田さんらとのカラオケ会である。と思ったら、元町駅の改札口で飛田さんとばったり出会う。
いっしょに長田のアスタの地下の店へ。山根さん、堀内さん、原さん、今日の主催者朴昌利さんと集まったところで、一番奥の結構広い部屋に。テーブルの上には焼酎とウィスキーとマッコリの瓶が(@_@)。朴昌利さんはこの店の店長と懇意で、酒の持ち込みOKだとか。その後だるま森&えりこさんという若いカップルも参入。この店は結構料理も出るらしく、チヂミや皿うどんやサラダなどで、しっかりお腹もくちくなった。
この部屋はDAMで、UGAやJOY-SOUNDよりはましだけど、トロット新曲はあまり入ってない。
この前のサランバン会のぼろぼろの二の舞いにならぬよう、今日はお馴染み曲と懐メロ中心でぶっ飛ばすことにした。本当は7時から9時まで2時間の予定だったのに、これも朴昌利さんの顔で、10時半過ぎまで飲み続け、歌い続け。追加料金も朴さんがかぶってくれたみたいだ。
11時半帰宅。今日は喉がぼろぼろになった(^_^;)
今日の歩数は6488歩。


煉瓦倉庫 

同じく 

旧尼崎警察署 

日本銭湯王国展 

ペンキ絵 

階段 

留置場 

トイレ 

覗き窓 

緑の鉄骨は耐震補強材 

アート写真(^_^;) 

階段 

中将湯看板 

清涼飲料たち 

カラン 

灘区の温泉 

脱衣籠 

洗面器 

扉 

窓から 

講堂で社長&矢谷 

同じく 

矢谷くん 

シロ 

旧尼崎警察署 

門柱の石兎が面白い 

たそがれ煉瓦倉庫 

桜井神社の石仏 

琴城ヒノデアメ本舗 

下水蓋 

本興寺 

同じく 

カラオケ風景#1 

#2 

#3

#4 

2013/10/13(日)●桧山有終の美●

7時起床。
今朝の血圧は183/92/79。
8時からいつもの「挑戦千曲」見ようと、韓国TVライブサイト開いたら「ありがとうございました サイト閉鎖まで、あと1日14時間」という表示が(@_@)
なんでもSBS視聴ページにクレームが付いたらしく、15日午前零時を以て、このサイト閉鎖することになったとか(>_<) Morris.の韓国TV生活?はほとんどこのサイトに依存してたから、これはえらいことである(>_<)
ともかくもSBSとMBCの直リンクを保存。問題はKBSで、これはこのサイトでも高画質チャンネルは接続不可になってたから、以前のKBSab.leの汚い小さな画像を見るしかない。
とりあえず、「挑戦千曲」、今日のチャンユンジョンは白いブラウスに黒いミニスカートヘアスタイルも久しぶりのポニーテールで、やっぱりこれが一番似合ってると思う。でも、何となくライブサイトのことが気になって、集中できなかった。
2時からの阪神-広島戦。西岡が先頭打者ホームランで先制したものの其後7回まで無安打、メッセンジャーは5回まで無得点で抑えたものの、6回2点取られて交代した後毎回得点されて、5点差で迎えた9回裏、二死無走者からマートンが出塁、代打桧山が2ランホームラン。でも結局4-7の完敗。これで阪神の今シーズンは終了。桧山は最終打席を本塁打で飾ったということになる。今日甲子園に行った阪神ファンは、桧山の有終の美を見たということだけで納得するしかないだろう。昨日今日の戦いぶり見れば、まぐれで巨人とファイナル対戦しても勝負にはならなかったろう。シーズン後半から盛り上がった広島のほうがまだしも勢いがある。こうなったら、これからしばらくMorris.は広島を応援することにしたい。
夕方水道筋に買い物に出て、6時帰宅。
You Tubeで先日の歌謡舞台ドイツ特集第二部を見る。出演する歌手のメンバーは前回(一部)と同じだけど、やっぱり豪華出演陣だけに見応えがあった。チュヒョンミの「椿娘」と「雨降る永東橋」、キムヨンジャの「スウンドゥン 水銀灯」、チャンサイクの「チルレッコッ」は圧巻だった。
今日の歩数は782歩。


あぢゃぢゃあー(>_<) 

今日の「挑戦千曲」 

桧山最終打席本塁打 

【エルニーニョ】中島京子 ★★★☆☆☆ 2010/122/09 講談社。「小さいおうち」で直木賞受賞後第一作ということになるらしい。
女子大生だった小森瑛(てる)は暴力をふるう恋人から逃げ出して南の町で灰色の男に追われる混血少年ニノと出会い、二人で不思議な逃避行に出る。童話のような寓話のような幻想小説のような、それでいてリアリティのある素敵な作品だった。これはもう、彼女の作品、どんどん読み続けるしかないね。
逃避行の途中に出会う人々と彼らが語るエピソードがそれぞれに含蓄あって面白く、それが本筋と程よくからみ合っていい味を出してる。
たとえばアコーディオン弾き語りのおばちゃんの語る「森のくまさん」の新解釈。

『森のくまさん』ねえ、全部、あたしに起こったことなのよ。あら、もちろん、歌が出来たほうが先よ。だけどある日あたし森の中でくまさんに会ってねえ。それで全部わかっちゃったの。この歌の正体が。
あたしは15年間ある男と暮らしていて、つまりそれはあたしの夫だったんだけれど、その男のために何度も妊娠して何度も中絶と流産を繰り返さなきゃならなかった。……あたしの場合、森は新宿の雑居ビルで、くまさんは警備員のおじさん。くまさんが言ったのよ。『お逃げなさい』って。あれはそういう歌なのよ。
くまさんは「俺がおまえを食べちゃう前に逃げろ」って言ってるんじゃないのよ。お嬢さんにはすでに、逃げる理由があるの。人には、どうしたって逃げなくちゃならないときがある。けれどそれは自分ではわからないものなの。永遠にそこに留まるか、生きるのを諦めるかどちらかしか選択肢がないと思い込んでいる人には、くまさんが必要なのよ。
『ところが、後から、くまさんがついてくる』
そしてくまさんがついてきたの。
あたしたちはいっしょに暮らした。
ええそうよ。結婚したのよ、あたしたち。いうやリングじゃないわね。指輪よ、結婚指輪。ハッピーエンドでしょう?
もうずいぶん前の話しよ。
あたしのくまさん、去年の夏に死んじゃったの。だって、みんな昔々のお話だもの。
でもね、あたしはあれからずっと歌ってるの。くまさんに会ってから、ずうっと歌ってるの。
『あら、くまさん。ありがとう。お礼に、歌いましょう』
そう。お礼に歌っているの。


瑛が子守商店街の昔ながらの砂糖屋の手伝いすることになった時、砂糖卸営業栗畑さんの砂糖談義。

「粗目はつくだ煮、上白糖と混ぜて餡子を作る。グラニュー糖は赤ん坊の栄養に、中白は煮物、三温糖も煮物にコクが出る。黒砂糖は羊羹に使う。上白糖に混ぜるんだが、風味があるんでね。風味はアクから出るんだが、これがミネラルを含むから食べると美人になるんだ」
「ニューギニアからインドに伝わったサトウキビは、紀元前327年にアレキサンダー大王の遠征によって初めてヨーロッパ人の知るところとなった。『甘い葦』がインドにあると、お伽話のように伝えられた。けれどもヨーロッパ人によく砂糖が知られるようになるには、イスラム教の時代を待たなければならない。サトウキビはコーランととmに西へ西へともたらされ、北アフリカを越えてスペインにまで栽培法が伝わったという。そのころになると、砂糖はインドからヨーロッパに輸入され、薬として珍重された。遠い、遠い異国の不思議な食べ物だと思われていたはずの砂糖が、大きく変わるのが大航海時代だ。暖かい南米の地ブラジルを手に入れたポルトガルは、熱帯ジャングルを開拓するサトウキビ農場経営に乗り出した。過酷な労働に従事したのは、アフリカ大陸から連れて来られた奴隷たちだった。」

ノジュカー(野宿専門家)鯨谷くんの七夕伝説の変容。

「あの七夕伝説は中国から伝わってきた話なんだけど、奄美大島ではそれが日本の各地で語られてる羽衣伝説といっしょになっちゃってるんだって。天女の羽衣を隠したおかげでその天女と結婚した男がいて、ある日羽衣を発見した妻が天に昇ってしまい、夫はおいかけたんだけれども、結局いっしょにはなれずに、天帝が一年に一度の逢瀬を決めてしまうんだ。七夕伝説と羽衣伝説がまぜこぜになってるのは、日本では奄美と沖縄くらいだけど、中国の一部とか、他の東南アジアの国なんかでは、見られる現象らしい。世界中の人が、空を見上げては物語を作っていて、それが海を渡ったり、陸を走ったりしているうちに、交じり合うんだ。おもしろいと思わない? みんな、『星と伝説』っていう子供用の本に書いてあることなんだけどさ」

[エルニーニョ・南方振動]概説

昔から、クリスマスが近づくと、ペルー沖の漁師たちはカタクチイワシ漁をお休みして農作業補助に出かけたものだった。ふだんなら、洋上を吹く貿易風が、赤道上で温められた海水を太平洋西部に吹き寄せる代わりに、太平洋東部に湧き上がる冷たい水が、プランクトンをよく育て、カタクチイワカタクチイワシを呼び寄せる。ところがイエス・キリストの誕生日ごろだけ、頼りの貿易風が弱まって、暖かい海水が東部にも留まって海の温度を上げてしまうものだから、漁には不向きになるのだった。
季節になぞらえて、漁師たちはその奇妙な海水温の上昇を、幼子イエス=男の子=エルニーニョ、と呼んだ。エルニーニョは一方で、乾燥地帯に恵みの雨を降らせるので、漁師たちは海に出る代わりに畑に出て、漁の不足を補ったという。
エルニーニョがもたらす海水温の変化は、その海域の大気の温度も変化させる。すると気圧が変化して大気の流れを変えてしまい、天候をも変えてしまう。エルニーニョは、こうして世界中に波及する。この大気と気圧の変動は、もともとはエルニーニョとは別物として観測されていて、「南方振動」と呼ばれている。
研究が進むと、エルニーニョと南方振動には密接な関係があることがわかって、「エルニーニョ・南方振動(ENSO)」という言葉も生まれた。
エルニーニョに対して、ラニーニャ(女の子)と呼ばれるのは、太平洋東部赤道近くの海水温が、エルニーニョとは逆に低くなる現象のことを言い、エルニーニョとラニーニャは交互にやってくる。一般に、エルニーニョが来る夏は、極東の日本は冷夏、ラニーニャが来れば猛暑と言われている。


これらの小ネタ風の点描は、微妙に文体を違えてあるし、それぞれ独立して楽しめる。また物語の展開にふくらみをもたらす役割を持っている。
瑛とニノが出あった町の子守商店街というのも、ありそうでなさそうな、一種のユートピアみたいなもので、瑛がこの商店街に戻り、成長したニノを待つという、明るさを感じさせるエンディングも、読者をほっとさせるし、実に上手いと思う。。

あの夏、瑛は大学に退学届を出して、石松砂糖販売に居を移した。
栗畑さんは砂糖をかついで店にやってきて、あれこれ瑛に教えてくれる。大学の講義よりよほどおもしろいと言ったら、栗畑さんはものすごく嬉しそうに笑った。
観光バスが到着し、手に手に買い物袋を下げた客が狭い商店街いっぱいに広がるようにして歩いてくる。瑛は短い髪の毛をあちこちピンで留めて、営業用のスマイルを作る。さあ、みなさん、ここが"昔ながらのお砂糖屋さんですよ"と、中年女性が声を上げる。
「あらまあ、こんなに若いお嬢さんが」
客の一人が言う。
瑛はにっこり笑う。
「私が"昔ながらのお砂糖屋さんですよ"の看板娘です」


この終結部にかぎらず、全体に彼女の文体は品があって、気持ち良い。もうしばらく読み続けることにしよう。

2013/10/12(土)●ひさびさ春待ち●

6時起床。
今朝の血圧は200/95/79。
昨夜は急に冷え込んだのに窓開けっ放しで寝てたので、ちょっと喉をやられたみたいだ(>_<)。
午前中は部屋でゴロゴロ。
昼から甲子園のの阪神-広島戦途中まで見て(4回1-1)、JR六甲道へ。
「たそがれの六甲道ファミリー劇場」2回めの催しで、4時から5時半まで、春待ちファミリーBANDの演奏、6時から野外映画会。
最初に矢谷、伊藤くんのT&Tの演奏、続いて、淡路島から来た治井くんの「ストリートオブ六甲。そして春待ちファミリーBANDは今日は社長、小谷、松尾、尾西、伊藤君の4人に勝木さんが加わっての5人編成。ワシントン、雨雨、ぞうさん、オマツリ、フィッシンブルースなどお馴染みの曲で、社長がを子どもたち引き連れて広場をぐるっと廻るパフォーマンスで終了。それにしても、春待ちファミリーBAND見るのは今年初めてということになるのかな。
今回は情宣不足ということもあって、見知った顔は少なかった、西田さんと佐藤さんがMorris.日乘の告知見て来てくれたくらいか。社長はこの催しに毎年参加して、以前の東灘なんでも祭りのフォークコーナーみたいなものにしようという心づもりでいるらしい。12月29日は、ひさびさの春待ちパニックも予定しているとか。
打ち上げは、堀姉妹、伊藤一家、秋月、松尾、治井くんらで、パニエビルの「とんぐ」という店。後から、社長、矢谷くんも参加、Morris.はひたすら生ビールに専念(^_^;)
10時半帰宅。
阪神は1-8で惨敗したらしい(>_<)
今日の歩数は1680歩。


T&T 夏の坂道

治井くん ストリートオフ六甲

春待ち ワシントンはアメリカの首都 

みんなでぶらんこ 

オマツリ 

打ち上げ「とんぐ」 

同じく 

テンガロンハットの弦 

JR六甲道駅ホームの伊藤一家 
2013/10/11(金)●西明石方面●

6時起床。
今朝の血圧は197/94/87。
溝渕くんら4人で西明石のアメリカ向け荷物ピックアップ現場。
昼は「男ラーメン ちぇりー亭」。ここは太麺で、Morris.の好みの対極にあるラーメンだが、若い衆にはえらく人気があるようだ。
5時帰宅。
民放番組で、多岐川裕美が、ブラジルに住む百歳の日本人女性を訪ねるという企画、サンパウロ郊外のおばあちゃんへの、多岐川の質問は「噴飯もの」だった。しかし、日本人のブラジル(移民、日系人)への、興味、関心、知識の平均は、多岐川レベルなのだろうな。と、にわかブラジルフリーク?Morris.は、しらけていた。でも、半年前くらいまでは、Morris.も似たようなものだった。
深夜、サッカー、日本-セルビア国際マッチが始まった。明日から農閑期(^_^;)になったので、ついつい見てしまうことに。
今日の歩数は3847歩。

【南米富源大観】難波勝治 ★★★☆ 大正12年(1923) 大連大阪屋號書店刊 
著者は「遼東新報主筆」という肩書になっている。大正10年から11年にかけての世界漫遊中、5ヶ月余り滞在したブラジルの旅の記録であるが、日本植民地の調査、探訪、移民、政財界人士との交流録、開発状況、問題点、個人的展望などを記したものである。
「南米富源大観」「伯剌西爾行脚」「南阿巡覧日記」の三部に分かたれているが、最後の「南阿巡覧日記」は帰りの航路を南阿弗利加周りにして、ケープタウンに12日ほど寄港した時の記録で、50pほどの付録みたいなものである。
特別稀覯本というわけでもないが、一般的に目に触れること少ない一冊であり、当時の日本ブラジル移民の実情を、ジャーナリスト視線で観察、分析、考察したものとしては類書が少なく、少ない興味を惹く所多いので、ついつい過剰なくらいの引用になってしまった。本書は旧仮名遣、漢字は総ルビだが、引用に際してはルビは普通に読めないものだけ( )に付し、他は省略した。旧漢字も適宜現行のものに代えている。

熱帯地の常態として伯剌西爾には黄熱もあるマラリヤもある、しかし前者はアマゾン流域並びに北部海岸の湿地に限られ、中南部には全く跡を絶つた、マラリヤの如きも中部の未開地にはあるが決して懼れるに足らぬ、首都リオ・デ・ジャネイロの如き最初は瘴癘の巣窟と称せられて居たが、今は一人の患者もなく百万の大衆が楽園として生に安んじて居る、私は足一たび南米の地を踏んで以来、日本の人口調節は
伯剌西爾を除いて、世界の何処にも適当の場所を発見し得られぬといふ確信を得た、而して此確信を同胞に伝へるのは国民としての義務だと思ふて居る。(Ⅰ南米は楽天地)


これが筆者の基本姿勢であり、現在から見ると、あまりに楽観主義に傾いている気もするが、「遼東新報」も満州への植民に棹さす性格のものだったろうから、ブラジルへの言及も国策に即したものとならざるを得なかったのだろう。

ブラジルに移住せんとする外国人は六十歳以下の者は総て許可せらる、但し伝染病に罹れる者、不正品の取扱者、犯罪者、白痴瘋癲、乞食、浮浪者、狂人及び疾病者は此限りではない、尤も六十歳以上の者若くは労働に適せざる者といへども、家族に伴はれ若くは先住の家族と同居せんとする者は、その家族中に少くとも一病人毎に一人、六十歳以上の老人なれば二人まで、一人宛の保護者ある場合のみ入国を許可する。(Ⅰ簡単な入国法)

ほとんど誰でもが移民になれるという感じを受ける。しかし本書が出されたと同じ年にブラジルでは「黒人移民禁止、黄色人種移民制限」目的のレース法案が提出される。

日本人の通有性として兎角成功を急ぎ過ぎ、他の南欧移民の如く辛抱強く耕地に居づかぬ、此原因の中には移民会社の罪もあつて、ブラジル事情を知らぬ内地の募集員が、樹に餅のなるやうな話をして廻つた結果が、移民を失望させたこと夥しい、俟た従来奴隷を使用し馴れたる耕主等が、日本人を理解せずして専制的に使役した欠点もある。(Ⅰ移民と独立農)

当時の日本人移民は「出稼ぎ」のつもりで、短期間に多額の収入を見込んでいたのに、まるで期待はずれの現地の状況に置かれた移民たちを生み出した原因が、移民会社側にあることは、理解されていたようだ。

ブラジルには黄白の色に基く人種的反感こそ薄けれ、天主教の信条から出立した一夫一婦の観念が非常に強烈である、且つチュウトン民族の冷静な打算的なのに比すれば拉丁(ラテン)人種は感情的で、一たび嫌だとなると極端に馳せ易い、此辺は敏感な日本人との共通点であるが、其れだけ謙抑して其国の良風美俗に適応せねばならぬと思ふ、家族移民を奨励しなかつた為の悪い殷鑑は北米加州にある、後で写真結婚などを鼓吹して見たが却て藪蛇に了つた、ブラジル政府は家族移民を希望して居り私も之を主張したい、殊に珈琲園労働や半独立農といふやうな、勤倹を以って最初の基礎を作らねばならぬ活動には、夫婦眷族の共稼ぎが千金万金にも換難い資本であり慰藉である。(Ⅰ移民の注意点)

家族ぐるみの移住は、ブラジル移住の基本条件みたいなものだったはずだ。筆者の本意は、独身者の移住者が、収入を売春に浪費し、現地の顰蹙を買うことを避けたいというところだろう。

ブラジルが如何に未墾の大域を包容して居ればとて、苟くも運輸交通の便利な場所は、大抵民有地となつて相応の価格を有する、無償で払下げられるやうな官有地は、よし夫が肥沃の処女地であつても、其処には何等かの欠陥あることを思はねばならぬ、当時は一町歩五十ミルも支払へば、便利な民有地を買入れる事が出来たのを、無償といいふ目前の美名に釣り込まれて、不便な地域に経営を始め、植民地内の測量費、道路、精米所等に多額の費用を支出した為め、代価を支払ふて買取つた民有地よりも、失費の多い経営に手を染めて、徒に入植者の非難をますやうな破目に陥つた事は、眼識ある会社当局者も既に承認して居る、私は後章に於て私が親しく各方面から聴取した事柄を叙説するが、前以て此点だけは会社の失敗であつた事を明言して置く、(Ⅰ 失敗点と功績)

ただより高いものはないということである。これはブラジル移民にとっては正しすぎるくらい正しいことわざだと思う。昭和初年からの渡航費無料に釣られた移民たちの多くも、現地でこのことを嫌というほど思い知らされたに違いない。

日本農民は多くの美点と長所を有して居る、併し堅忍不抜の意志は伊太利人トルコ人に劣り、不断の研究心は独仏人の遥か後(しりへ)にあると評せられて居る、此等は畢竟国民に世界的気分の教養がなかつたこと、移民を指導開発すべき人物の少ない為めであると思はれる、又語学研究は今一層盛んに奨励されねばなるまい、ブラジル語に精通した日本人が多く居ないのは、語原の相違が甚だしい為でもあるが、語学といふ者に対してペダンチツクな見方許りして、其が自己の意志力量を表明する実際的知識である事を考へて居ない、之は私が屡逢着した多数邦人の謬想で、一面言葉さへ出来れば遊んで暮せるといつたやうな、半可通の青年をも二三見受けた。(Ⅰ興味ある造林)

苟くも、外国で仕事をしようとするならば、その国の言葉を使えることは必要最低条件だと、思うのだが、それをほとんど無視したのが日本人移民の特徴だったと思う。

日伯両国の貿易は其距離の遠隔なる点より、単に日本の商品を輸入し、若しくは同国の原料を取寄せるには不利益である、現に戦時中五百萬圓を超過した急激な貿易額は、今や一転して百二三十萬圓に低減して居る、これは決して一時の現象でなく、地理的関係に起因する自然の帰結である、此意味から私は農業経営が、ブラジルに於ける日本人の最も有利とする所であり、且つ若商工業の利益を占めんと欲せば専門家或ひは技術労働者を移植して、ブラジルの原料を加工し、之を同国内の市場に売捌くか、若しくは他国に輸出するに在ると信ずる。現にリオ市及び聖保羅(サンパウロ)市の日本品輸入商は甚だ不況なるに反し、家具製造者や工場従事員は、独立的にも労働的にも漸次成功の域に向かひつゝある、ブラジルの富源は未開拓の他国人の来り取るに任せて居る、日本が自ら生活をせんがために、自国の製産物を海外に搬出し、他国の財貨を吸収することのみ考ふる時代は過ぎ去つた、進んで資本と労力とを富源の廣且大なる地域に扶植し、其處に新なる天地を開拓して、自他共に余計に均霑(きんてん)すべき世界的政策を国是とせねばならぬ、(Ⅰ 新国是の樹立)

こういった、視点はいかにも新聞主筆らしいといえるかもしれないし、大局的には正しいと思う。

世界に散在する多数の日本人も、今後追々国語の分らぬのが増加する事であらう、之は海外発展上止むなき帰結ではあるが、母国で訓育された民族の長所だけは失はせたくないと、坂元君に囁いた、バオルウに着いたのは午後九時、其處には副領事多良間鐵輔氏、外務省書記生古蹟冨彌君、聖州時報社主香山六郎君等が態々出迎へてくれた。(Ⅱ 別れを告げて)

これまで読んできた、ブラジル移民関連小説や、解説本にしばしば登場する人名が出てくると、おお、と思ってしまう。香山六郎などは、北杜夫の作品ではかなり大きく取り上げられていたが、本書では名前だけという感じで物足りない。

上塚周平氏は大の日本主義者で、常にブラジルの一角に日本的文化を根づよく植付けねばならぬと主張し、自ら奉ずる極めて簡素、専心植民の発展を図って居る、過去四年間物質的には何等得る所なかつたが、氏統率の下に約三百家族の邦人が数千町歩の土地を所有し、約百五十万本の珈琲を栽培して居る……日本移民の将来に関する氏の理想を聞いた、「人間には物質欲がある、名誉欲もある、併し此等の欲念を超脱した或る信念の上に立たねば、真に植民の前途に貢献することは六かしい、私は財産もない学識もない一個の木強漢である、近来健康を害して居るから長命することも覚束なからう、併し私は日本人として、純日本人の平和郷を建設せねばならぬと切望してゐる、日本で水田が国民の愛郷心を繋いで居るやうに、ブラジルの此の方面では珈琲園が強い安定力を植民に與へる、併し珈琲の一作にのみ依頼してゐることは必ずしも得策ではない、他に各種の農作を試みて、行く行く之を工業化せしめねばならぬ、私は此見地から一芸ある者の親友となつて、其の長所を助成する事に努め、かつ自から出来得るだけの研究をして居る」と語つて、繊維植物の試培や養蚕の奨励や青年会の組織やに就き、氏の経験と薀蓄とを詳しく物語つて、(Ⅱ上塚君の功業)

「移民の父」とまで言われた上塚周平とも親しく話し、かなり好意的な取り上げ方をしている。

翌年(大正5年 1916)5月パラナ方面から群を成して、此方面に襲来した飛蝗は、僅か一両日間に平野耕地の総ゆる農作物を喰尽した、南米の蝗虫が如何に猛烈無残な暴虐者であるかは他国人の到底想像だに及ばざる所である……既にマラリヤの猖獗に苦しめられ、更に飛蝗の暴威に襲はれた平野氏と其耕地とは、幾んど策の出づる所を知らなかつた、若し此間に当時の聖保羅仲裁総領事松村貞夫氏の侠骨がなたつたら多血多感の平野氏は悶死したかも知れぬ、総領事は能く前後の事情を了解し、平野氏の人物に信頼して居た、二百七十九哩の鉄路を駆け付けて男泣きに哀訴した氏の手に総領事の私財十コントス(当時の換算約六千五百圓)は渡された……目前幾十家族の生に関する責任感は、犇々と平野氏の胸を襲ひ、時に失望して自暴的にあほつた火酒(ピンガ)は其肉と血とを減した、大正八年丗四歳で耕地の陋屋に夭死した平野氏は、聞く者をして暗然涙を禁ずる能はざらしめた(Ⅱ 疫病後の蝗害)

高名な平野運平は筆者がブラジルを訪れる3年前に没していたが、マラリヤ、蝗害のことは強く印象に残っていたようだ。松村総領事の私費の提供のことも、小説でも大きなエピソードとして出てきた。

奥地深く分け入つて奮闘してゐる農民の有様を見ると、母国の政治家や宗教家が、切実に考へて遣らねばならぬ社会問題が随分ある、それは巨萬の資本を要する問題でなく又多数者の手を煩はす事件でもない、上来私は屡々各植民地に指導者の少い事を説いた、農民の智識を啓発すべき専門家や、孤独な生活を慰撫すべき精神家の必要は勿論、家族の不幸に際して一時の助力を與へ得る社会的機関がない、若し家族の或者を失ふた場合、子供の世話や、同胞間に起つた悶着の仲裁やを、高所に立つて局外から援助し得る献身的人物があつて、其人物の事業を補足し得る手段を講じたならば、其植民の発達と安定とに及ぼす利益は如何程であらう、単に収穫時だけ子女を預け得る、育児ホーム様の場所があつただけでも、前のニ実例の場合に非常な貢献をなし得るであらう、海外発展の奨励は独り金銭上の事のみでなく、学者も宗教家も教育家も挙つて発奮考慮すべき問題である。(Ⅱ移民保護の要)

指導者不足(^_^;) それを「高所に立つて局外から援助し得る献身的人物」に頼ろうとするのは虫が良すぎる気がする。農繁期に育児ホームというのは間違ってはいないが、精神主義至上主義、そんな時代だったのかもしれない。

(ヴァイヴェン植民地の)梅瓣小学校に隈元勇熊君を訪ふて、実学に重きを置いた其の教育振を面白く感じた、隈元君の意見によれば、風土慣習言語を異にする海外に於て、母国の伝説や国文学の注入に努力するのは労多く益が少い、寧ろ数の観念手工業等の如き、キャテゴリカルな智識を培養するに如かぬといふて居る(Ⅱ 綻び初し梅瓣)

隈元先生の実学志向は、当時では少数派だったんだろうな。キャテゴリカルというのがよくわからない。「範疇に属する」(研究者英和辞典)?? いわゆる「部門別の」とか「科目の」とかいった意味かなあ?

青年で思ひ出すのは聖保羅市のヴアガブンドである、ヴアガブンドは英語のヴアガボンドで、何処にも多い浪人の集団が、コンデを中心として裏棚生活を営んで居る、併し満鮮地方と異つて殺伐の気風はなく、妻帯者が多いだけに放縦無頼の徒も少いやうである、ブラジル名物の富籤を買込んで一攫千金の夢を追ひ、食へなくなれば日傭稼ぎに出て行く、北米のスクール・ボーイと酷似して居る、斯うし生活は動(やや)もすれば家庭に風波を起し易いが、結局妻子も漸次化せられて、其日暮しの呑気者となるのが多い(Ⅱヴアガブンド)

満鮮地方のヴアガブンドというのは「大陸浪人」を指しているのだろう。それがブラジルだと「其日暮しの呑気者」になるというのが、面白かった。

ニ回堀口公使の招筵を受けて、公使夫人の形骸に接したが、仏語の素養のない身は何時も挨拶を交す位で意見を述べる機会が無かつた、その代り話好きの公使から夫人の分も、令嬢の分も乃至はは在留邦人全体の分も謹んで拝聴した、一寸見には仏蘭西贔屓の欧化主義者と思はれる公使の隠し芸は、漢詩と狂歌であつて、書信の多くも毛筆の走り書きを頂戴した、之が学生時代柔道二段の猛者であつたとは何うしても思はれぬが、衣服の着やうは洒々落々たる風格を存して居る(Ⅱ 異郷のつどひ)

この堀口公使とは、堀口大學の父堀口九萬一のことだろう。最初の夫人と死別した後ベルギーで白人女性と結婚したから、筆者が公使夫人とは会話できなかったということだろう。
堀口九萬一の名を覚えていたのは、矢作俊彦の「悲劇週間」、そして松岡正剛が千夜千冊の「月下の一群」の項で以下のように触れていたからだ。

大學については越後長岡生まれであること、外交官だった父親の九萬一のこと、日本のダダ・シュルレアリスム運動に与えた偉大な影響などにもふれる必要があるが、ぼくは外交官及領事官試験の第1回合格者で、まだ補官時代の閔妃暗殺事件では、朝鮮の大院君に日本側からの決起を促した張本人でもある堀口九萬一の動向に関心をもってきた。

十五六世紀の西班牙人と葡萄牙人が、如何に世界に雄飛したかは青史に明かである、併し南米を見て始めて彼等の蒔いた文化の深広なことが判つた、其後彼らの本国は一等国の沽券を失つて、世界の競争場裡に力を角する資格はないが、彼らの祖先が上陸した草昧の広域には、其子孫に由つて新しい文化が栄江て居る、縦ひ今後各国の移民が四集して、英独仏伊と其系統を複雑ならしめても、曾て偉大なりし民族の努力と其痕跡とは、美なる川に山に自然と共に不朽であらう、そして其處には何時か大和撫子の、立交り匂ひ出づべき運命の閃きがある。(Ⅱ さらば伯國よ)

第Ⅱ部結びの一節である。別離の念で、いささか感傷的になりながら、南米の宗主国であった西葡の過去の栄光を偲び、その文化の痕跡は不朽だと賞揚している。第二次大戦前もそうだが、21世紀の現在も、ポルトガルはいささかマイナーな地位に甘んじている感無きにしもあらずだが、ブラジルでポルトガル語が使われているだけで、ポルトガルの過去の威光を感じてしまう。
とは言うものの、「新世界」の虚名のもとに、西欧諸国の餌食となった南米大陸の歴史は、とんでもない理不尽なものだったということだけは、忘れてはならない事実である。

2013/10/10(木)●山歩き●

6時起床。
今朝の血圧は198/88/75。
JR灘駅南口から、坂バスに乗って摩耶ケーブル下へ。坂バスは港観光バスが運行している、小さなバスで、韓国のマウルバスみたいなものである。初めて乗った。
摩耶ケーブル+ロープウエイで金星台まで上がろうかと思ったが、いちおう今日は山歩きするつもりなので、上野道経由で摩耶山頂を目指す。今日も蒸し暑くて、ちょっと歩いたらすごい汗である。途中の展望台で一服を兼ねて、ミニギター。このところちょっと慢性疲労なので、無理はやめて、結局そのまま引き返すことに(^_^;) 
マルハチで買い物して5時半帰宅。
今日の歩数は8048歩。
[告知]
明後日10月12日(土)午後4時から、JR六甲道駅南の公園六甲道南公園(JR神戸線「六甲道駅」下車、南へ徒歩4分・灘区役所西側)で「第二回たそがれの六甲ファミリー劇場」の催し(音楽と野外映画上映)があります。
これに、久しぶりに春待ちファミリーBANDが出演します。出番は4時から5時半くらいの間です。
お近くの方は是非見に来てください。
Morris.も見に行きます。


東雲 

坂バス 

褄黒豹紋 

坂バス内部 

摩耶ケーブル 

白雉 

シリアゲムシ 

ここから山路 

神戸一望 

アラカシ?のどんぐり 

蛹抜け殻 

白木槿 

2013/10/09(水)●半日図書館詰め●

8時半起床。
今朝の血圧は195/79/81。
明け方かなりひどい雨が降った。日本海を進む台風24号の影響だろうか。
午前中には天気回復し、またえらく蒸し暑い。
午後は中央図書館に行き、延滞してた図書返却。このところ、延滞が多い。
一階と三階を行ったり来たりして、写真集、画集、その他立ち読みしたり、座り読みしたりで、結局8時の閉館まで居続けてしまった。
今日の歩数は4710歩。

2013/10/08(火)●カラオケぼろぼろ(>_<)●

5時起床。
今朝の血圧は204/94/70。
トラック2台で昨日と同じ岡山の現場。
昨日かなり作業進めたので、今日は割りと早めに作業終わったが、疲れが取れない。
帰りはブルーラインの一本松道の駅で昼食と休憩。ここには結構猫が生息しているようだ。今日は上の展望台で、灰色と縞のちょっと変わった柄の猫一匹と、駐車場近くの階段に兄弟らしい2匹がいた。
4時過ぎ倉庫着。
5時半帰宅、シャワー浴びて、JRで鶴橋へ。今夜はサランバン会である。会場「ジュン」に着いたのが7時過ぎ。7,8人が先に来ていた。会のメンバー以外にも数人の客が来ていた。例によって榎本さんからビール攻撃(^_^;)。で、Morris.は民謡風の「マンブソク 望夫石」を歌うことにしたのだが、最初から音が取れない(>_<) その後も、どうも調子が出ない。常連のお客さんからは「もっと元気を出して」と言われるし、とにかく散々だった。このところの疲労が原因のひとつかもしれないが、月に一度の楽しみの場がこれではあまりに情けない(>_<)
最終で零時半帰宅。
今日の歩数は4003歩。


龍野辺り 

牛窓町方面 

? 

アベマキのどんぐり 

薄茶猫 

人懐こい 

白下蛍蛾 

鼠島 

凹面レリーフ 

万葉集の歌碑 

ここにも秋桜 

黄櫨(はぜ)の実 

石段の兄弟?猫 

夜の鶴橋猫 

歌麿会長 

丸本旦那と西さん 

榎本さん栗崎さん 

団欒 

2013/10/07(月)●岡山あたり●

5時起床。
今朝の血圧は209/90/68。
矢谷、荻野くんと3人で、岡山のアメリカ向け荷物ピックアップ二日取り現場初日。古い社宅で階段三階というのがちとしんどかった。
昨日にまして暑い一日だった。
6時過ぎ倉庫着。7時半帰宅。
KBS歌謡舞台、今夜は「木浦音楽祭」で1時間半の特番らしい。
出演は女性陣がヒョンスク、チェユナ、イヘリ、キムスヒ、ウヨニ、アンダミ、男性陣はテジナ、チョハンジョ、パクヒョンビン、ユンハンギなどで、豪華といえば豪華だけど、Morris.としてはいまいちだったかな。民謡の少女歌手ソンソヒと、男性オペラ歌手が「ペンノレ 船唄を競演したり、ローカルな舞踊もあったりと趣向を凝らしてはいたけどね。おしまいは、木浦出身のナムジンのワンマンショーみたいになってた(^_^;) 
今日の歩数は5832歩。


ひさびさ砂場猫 

高橋から見えなくなったTwin煙突 

今日の空 


2013/10/06(日)●祝!! 森羅万象2000話●

今日の雲6時半起床。
今朝の血圧は195/89/79。
浅海くん、としろうと3人で、西宮今津の韓国向け荷物ピックアップ。
それほど荷物(航空便と船便)は多くなかったのだが、何となくやりにくい現場で、3時に作業終了した時にはえらく疲れてしまった。
今日はちょっとだけ夏が戻ってきたような陽気。
秋の空というより初夏を思わせるような雲が浮かんでいた。
5時半帰宅。
しつこく「ウリチプ」6話まで見てしまった。
明日明後日は連日岡山現場(>_<) 明後日の夜はサランバン会だが、間に合うだろうか?
あべさんのブログ「森羅万象」は今回記事数が2000話に達したとのこと。これを記念して「自然と文化」という記事に、自身の撮影した厳選画像30点ほどを一挙掲載されていた。いやあ素晴らしい。これは、ぜひ多くの方々に見てもらいたい。見ないと後悔するぞ(^_^;) 記事の方は、「山口県の文化財」という雑誌に寄稿されたものらしい。なかなかに含蓄ある内容で彼の姿勢がよく解る好文である。あべさんの行動範囲の広さはかなりのものだし、写真の腕もプロ級である。
あべさん、2000話おめでとうございます\(^o^)/ これからも、Morris.を始め、自然や文化に関心ある者たちを楽しませてください。
今日の歩数は4036歩。

【天の方舟】服部真澄 ★★★ 2011.07/07 講談社刊 「小説現代」2009-11連載。京大農学部卒業の女性七波が、開発コンサルタントに入社して、世界各地の地域開発プロジェクトプラグラムを立ち上げるなかで、ODA、JAICA、ゼネコンとの間での濡れ手で粟の利権にどっぷり浸かっていく姿を1988年から2010年までの22年の編年体(飛び飛びだけど)で描いた作品。

海外に軸を置いた自分の仕事が、国内の"営業活動"のタマを生み出すためのテコになっている。国内を仕切る営業本部長にさえ、出来ない技であった。
国内の仕事を首尾よく受注するためには、軍資金がいる。
それをどこから捻り出すかは、各社の腕の見せ所であるが、ことに『名栗建設』の場合は、ほぼ海外事業から抜いている。
戦前から開発コンサルタントの『日本五本木コンサルタンツ』と組み、海外のプロジェクトを手がけてきた。それを下敷きに、戦後賠償としてのインフラ造りに関わり、いまの途上国家支援に至るまで、連綿と、海外諸国での施工を受注してきた。
長年のあいだに、相手国政府を巻き込み、コンサルと点を取り合って、ODA事業を受注するシステムもできている。
諸国で捻り出せる金の巨きさと、あまりの容易さに、当初は驚いたが、いまは麻痺している。なかでも、ODAという名の支援金は、もっともいい食い物なのだ。


発展途上国支援という名目での援助や借款といったものに、漠然とした疑惑を感じていた。戦前からの癒着構造が、現在までしぶとく継続しているというのは事実なのだろう。満州国設立の立役者でA級戦犯になりながら、その後総理となり日米同盟の裏で暗躍して、今はその孫が総理として、日本の右傾化に邁進してることを思うと、政財界の利権の温床が戦前から太いラインで生き延びているのも、この国では何の不思議もないことかもしれない。

枯葉剤に含まれるダイオキシンには発ガン性があり、奇形を誘発する種類であったという。ベトちゃんドクちゃんのみならず、ベトナムではその頃、奇形の子らが死産を含め数多く生まれた。
「化学兵器の規制が強まったのも、あれ以来よね」
「そこなんですけど、枯葉剤は化学兵器として使われたんじゃないんですよ」
「どういうこと?」
ちょっと戸惑った。
「あれはゲリラたちに生物的なダメージを与えるために使われたんじゃないです。マングローブをただ枯らすために撒かれたんです」
すぐには意味がとれなかった。
「マングローブを枯らすって……、何のために?」
「わかりきってるじゃないですか。鬱蒼とした森が、ゲリラ勢力の隠れ蓑になってたからです」
「……あ」
自分の愚かさに気づいて、七波は唸った。
ゲリラたちは、密林に潜んで闘った。軍サイドは彼らを見つけ出すために、何とマングローブを一掃しようとしたのだ。


ベトナム戦争でアメリカの撒いた「枯葉剤」が、そもそもマングローブを枯らすためのものだった、というのは、確かにちょっとした驚きでもあり、言われてみればそうだったのか(@_@)と思うしかない。Morris.も、このレベルの事実さえ認識できずにいたわけだ。

「政治とカネ」と皆がよく口にする。だが、そのカネの流れをいま、身を以て知っているものは少ない。
国際支援のために費やされる金は、グッド・マネーである。人の命を救い、健全な生活環境を整えるために社会を流れてゆく。金は輝く。人は皆、そう思うからこそ、徴収されている税の一部を善き流れに託されても嫌とはいわない。
しかし、現実にはどうだろう?
支援を目的とした金が、めぐりめぐってゆくあいだに薄汚れ、醜悪になり、ついには阿鼻叫喚の惨劇を生み、血を吸い寄せた。金は変成してゆく。
バッド・マネーと呼ぶほかない金の濁流を七波は泳ぎ、いまは自分でも思いがけない潮に攫われ、高みに押し上げられている。


それなりに面白かったけど、何か食い足りない気もした。ヒロインを始め、登場人物が精彩を欠くし、おしまいで、ヒロインが世間を騒がせるために、狂言殺人の告白したり、ベトナムでの手抜き工事事故の死体の一部を日本に持ち帰るなど、非現実的な展開になるあたりも、それはないだろうと思ってしまった。
この人はデビュー作「龍の契り」と次作「鷲の驕り」があまりに面白すぎたためか、後の作品はどれも期待外れに見えてしまう。

2013/10/05(土)●膳所あたり●

5時半起床。
今朝の血圧は175/73//83。
矢谷くんら5人で、大津膳所の上海行き航空便と保管荷物ピックアップ現場。
昼は近くの美富士食堂へ。知らずに入ったのだが、ここはテレビ番組にやたら紹介されてる名物食堂だったらしい。何が名物かというと、その量が半端じゃないということらしい。Morris.はカツカレー(730円)頼んだのだけど、大きめのカツが2枚載ってる、ご飯山盛り、カレーは皿から溢れて下の金盆にこぼれてる(^_^;) 隣席の客のかつ丼なんか横から見るとほとんどかき氷みたいに山盛りになってる。だれかが注文したオムライスも特大である。
カツカレー、味はまあ普通だが、とにかく何とか食べ終わった。我ながらよくぞ完食したものだ、というくらいの量だった。
京阪膳所本町駅のすぐ前で、近くには膳所高校がある。膳所商店街という看板もあったが、どうみても商店街には見えない。
食堂隣に達磨山清徳院という浄土宗のお寺があり、石仏が多くあり、興味深かった。
3時作業終了、4時半倉庫を出て、5時帰宅。
今日は夕食はいらない(^_^;)
今夜の甲子園阪神ー巨人戦は桧山スタメン出場。試合は藤浪が3点取られて不利な展開だったが、8回裏、上岡の3ランで同点、この回3つ目のエラーで逆転、そのまま阪神の勝利。試合後、桧山の引退セレモニー。こういった引き際ができるというのも、幸せな野球人生だったということになるだろう。お疲れ様。
今日の歩数は3922歩。


美富士食堂 

店内 

とんでもないカツカレー 

オムライスもデカい 

達磨山清徳院 

境内の石仏 

同じく 

石仏堂 

堂の内部 

供養塔 

膳所商店街 

膳所神社 

左大臣? 

右大臣? 

京阪膳所本町 


2013/10/04(金)●岡崎方面●

4時半起床。
今朝の血圧は179/79/81。
阪神はなんとか昨日で二位確定(^_^;)
矢谷くんと岡崎の天津向け荷物ピックアップ現場。名古屋から一人ヘルプで、昼過ぎ作業終了。
土山SAのつくね丼で昼食、4時倉庫到着。
マルハチで買い物して5時半帰宅。
阪神-ヤクルト戦。メッセンジャーがバレンティンに60号ホームラン打たれた(^_^;) 試合は2-2で延長12回まで進んでいる。この試合は宮本の引退試合だったらしい。
今日の歩数は4272歩。


新名神の朝空 

新名神の橋 

空 

大豆畑 

A'Bridge 

A'Bridge2 

A'Bridge3 

空 

空 

【小さいおうち】中島京子 ★★★☆☆☆ 2010/05/30 文藝春秋刊 沼部さんのブログで岩波子どもの本シリーズの記事の中に出ことがきっかけで、本作品を読んだのだが、なかなかの好作品だった。
明治生まれの東北出身女性が東京郊外の「小さな家」の女中となり、女主人との深い交流と、その後の変遷を、80過ぎてから綴った回顧録風な形式をとっている。
大正、昭和初期の小金持ちの暮らしと、女主人の密かな不倫? 戦時、戦後の混乱。そして語り部女性の女主人への秘められた愛。
語り部女性の没後、回顧録を読んだ甥の次男が、最後の章で、「小さな家」の謎解きをするくだりは、ちょっとした手品を見せられるような気がした。
もちろん、本書のタイトルも「小さな家」もあの名作絵本に触発されたものだが、以下の年代的事実を踏まえて、この素敵な虚構を思いついたのだろう。表紙のイラストも色濃くその影響(パロディ?)を受けている。

バージニア・リー・バートンが、絵本『The Little House』を出版したのは、1942年のことで、ちょうど太平洋戦争の始まった翌年にあたる。
日本で石井桃子訳の『ちいさいおうち』の初版が出たのは、それから20年も経った、1954年のことだ。イタクラ・ショージの書斎に残っていたのは、英語の原書で、見つかった当時はかなり読み込まれていた上に、おそらくは彼自身による、背表紙の修復がなされていたという。

このイタクラ・ショージというカルト漫画家こそ、女主人の不倫?の相手であり、彼自身が紙芝居スタイルの「小さいおうち」という作品を描いて秘匿していた。16枚の紙芝居そのものが、バートン作『The Little House』のヴァリエーションであり、その背景の社会変動が日本のそれに入れ替えられているところや、イタクラの漫画作品のストーリー紹介など、それだけでもひとつの物語になりそうである。
かなり贅沢かつ、品の良い、娯楽作品と言える。こんなのを読むのもひさしぶりである。姫野カオルコの「はるかエイティ」に通じるものがある。

(板倉さんは、奥様のことが、お好きなんですわ)
それだけ言うと、どうしたことだろう。急に頭のほうに血が上ってきて、ふわっと立ちくらみのようなものを覚えて、気がついたらわたしは応接間のテーブルに突っ伏して泣いていて、睦子さんのごつごつした手に、背中を撫でられているのだった。
「要するに、こういうことだわ」
睦子さんは、おっしゃった。
「好きになっちゃ、いけない人を好きになってるのよ」
「ええ、そうなんですわ」
と、わたしは答えた。
もちろん、奥様と板倉さんのことを考えていたのだ。
ところが睦子さんは、とても奇妙な話をした。何かひどく、ずれているようなずれていないような、変な感覚がいまでも残って忘れられない。
いったい何故、あの午後に睦子さんがあんなことを話したのか、わたしは今でもわからない。
「女学生のころ、とてもきれいだったのよ。時子さん、そりゃ、あんなきれいなお嬢さん、いなかったわ。みんな好きになっちゃうのよ。そういう時代だったんだもの。中でも一人、毎日手紙を書いて、登下校のときもつきまとって、ひどく本気になったのがいたの。学業も手につかず、翌年転校して、ようやっと卒業して女子大学へ行ったのはいいけれど、時子さんの最初の結婚が決まったときも、酔っ払って自暴自棄になって、騒ぎを起こしたわ。罪ねえ、きれいな女って」


この後に吉屋信子「黒薔薇」の一節が引用され、女性同士の愛への言及がなされるのだが、そのあたりの話の持って行き方も、実に雰囲気を感じさせるものがある。この作家はとんでもない逸物かもしれない。物語の〆のフレーズも見事である。

僕はけっして正しい答えを見つけられない。
僕はいつも、聞かなかった問いの答えばかりを探している。


この人の本をもう少し読んでみよう。

2013/10/03(木)●ふみの日?●

7時起床。
今朝の血圧は175/95/84。
このところ、テレビでもGyaOでも、韓国ドラマ見なくなっている。まあ、無理してみることもないのだが、久しぶりに、手元にDVDのある「ウリチプ 我が家」というのを見直すことにした。2001年MBSドラマで20話ある。これはパクソルミが出演してるというので、巻田さんがプレゼントしてくれたのだ。今、パクソルミと言っても、知らない人が多いだろうけど、「冬のソナタ」のオチェリン役といえば、思い出す人も結構いるかもしれない。チェジウ扮するヒロインユジンの同級生で、ペヨンジュンに横恋慕する悪役だったけど、Morris.はすっかりこの悪役に魅せられていたのだった(^_^;)。「我が家族」は「冬のソナタ」の一年前のドラマである。パクソルミは一家の娘の一人で大学の生物学講師という硬い役で、いまいちドラマでは目立たないし、眼鏡かけてその美貌を損なってる感じだった。どちらかというと兄弟の方がメインのようだが、それなりにMorris.は熱心に見た。いつも言うことだが、名実ともにホームレス(家庭とは無縁)なMorris.だけに、こういったファミリードラマには、無い物ねだりみたいな感情を喚起されるのかもれない。
で、今日は3話まで見たのだが、3話の初めに警備会社勤務の父が、ひとり暮らしの老婆の前で、「プモ 父母」を歌うシーンがあった。この歌は映画「全国ノレチャラン」をきっかけに、Morris.のレパートリーにもなっている曲だが、まさか、このドラマで出てきたとは全く記憶になかった。まあ、この父親の歌唱は、かなり酷いものだったから、歌の良さに気づかなかったのだろう。
昼から自転車で水道筋に行き、マルハチ前に自転車置いて、ちょこちょこ散歩。
5時帰宅。
広島のふくはらさんからの手紙と、鹿嶋さんから汽船の絵葉書が届いていた。ふくはらさんの手紙はいつも、おしゃれな便箋だし、なんと言ってもあの描き文字に(文章にも(^_^;))は心がほっこりしてしまう。いまどき、手書きで便箋三枚の手紙なんて、貴重品である(^_^;)
船の絵葉書は大阪商船「うすりい丸」で、9月末元町海文堂閉店の日に行って買ってきたものらしい。ああ、そうだ、結局あれから海文堂行けずじまいだった(>_<) 閉店が決まってから、どうのこうの言ってもしかたのないことだけど、残念、悲しい、口惜しい、虚しい、もったいない……いろんな気持ちが渦巻く。鹿嶋さんのお祖父さんは船長さんで大阪商船にも勤務されてたとのこと。吹田のますみちゃんも、商船会社関係で、船関連業の家族はどこかおっとりしたところがあるような気がする。(サンプル少なすぎだけど)
秋といえば、紅茶でも飲みながら、たまには、遠い友達に手紙でも書こうなんて気分になったものである。Morris.の場合はあまりの悪筆のため、手描きの手紙は、受け取った方の迷惑間違いなし(>_<)だが、ワープロ普及後は、結構手紙は書いて(打って)たものである。手紙をモチーフにした歌集『消息』なんてのもあった(^_^;) 久しぶりに読み返したら、なかなか上出来の作品のように思えた。(老化現象かも)
今夜のナイター、阪神-横浜戦、ラジオ(ABC)つけたら中継やってない。雨で中止になったのかと思ったがやってるようだ。毎日放送で中継やってることがわかったので、こちらで聞きながらこの日記を打っている。今日阪神が勝つか広島が負けるとセリーグの2位確定。4回で5-1と阪神リードしてるし、広島は5回で3-5と負けてるから、どうにか今日中に2位確定濃厚。それにしても、まさかここまで追い込まれるとはね(^_^;)
明日は4時起きで、岡崎現場。
今日の歩数は4208歩。


今日の屋上からの北空 

照光寺の黒 

狐の剃刀? 

ふくはらさんからの便り 

海文堂の絵葉書 

秋映(長野)ときおう(青森) 

2013/10/02(水)●島田和夫一周忌ライブ●

6時起床。
今朝の血圧は210/92/83。
矢谷くんと須磨のタイ向け荷物ピックアップ。量はそれほど多くなかったが、リミットがシビアで、1時前作業終了。
昼は久しぶりに中央市場近くの「大八」で鉄火巻定食食べようと思ったが、売り切れ(>_<) 残念。親子丼にする。
一旦倉庫に戻り、三宮に航空便配達。
5時半帰宅。
シャワー浴びて、三宮へ。
今日は島田和夫さんの一周期にあたる。チキンジョージで「あれから一年 島田和夫が居る場所」という、追悼ライブがあるので、見に行くことにしたのだった。
この催しは増田俊郎がやろうと呼びかけたもので、島田さんと一緒にバンドやセッションやってたミュージシャン20人くらいが出演。島田さんの音楽的交友の広さと、広く愛されていたことを今更ながら思い知らされた。
演奏前には舞台後ろに、生前の島田さんの映像、憂歌団演奏や、インタビューなども流され、懐かしかった。
楽屋では、思い出話と酒で盛り上がっていたらしく、有山淳二なんか、ステージでもほとんど、酔っぱらってた。久しぶりに見るいやまくんは、あちこちのバンドで引っ張りだされて、一番出番が多かったかもしれない。「飲んべですけべ」のボーカルでも、盛り上げていた。TWINSの小竹兄弟、東ともみ、田中晴之などとのFour Acesの演奏(今日は6人)が一番良かった。飛び入り参加の木村充揮、やっぱり情に厚い男である。
フィナーレは、大塚まさじの「アイ・シャル・ビー・リリースト」。4時間近い長丁場だったしちょっと高かった(チャージ入れて4500円)けど、やっぱり行ってよかった。
午前零時前帰宅。
今日の歩数は3200歩。


酢漿(かたばみ) 

育英高校憩い場 

紫式部 

給水塔 

摩耶埠頭の空 

コンテナ船MOL COMPETENCE 

夕空 

夕空2 

チキンジョージ 

島田和夫遺影 

いやまあきのり、東ともみ 

のりのりいやま 

天野SHO、ロメルアマド 

遊神 

大塚まさじ、有山淳二 

木村充揮、小竹兄弟 

提灯 

フィナーレ 

2013/10/01(火)●夏のような●

6時起床。
今朝の血圧は199/88/71。
昨夜のKBS歌謡舞台は9月のリクエストで、特に見たかったわけでもないのだが、例のリアルタイムライブの部屋で、KBSの受信方法の新しいやり方が紹介されてて、これだと、高画質とまでは言えないまでも、なんとか見るに耐える映像が割りと安定して視聴できる(^_^)。 これは朗報だと思う。
昼前に部屋を出て、JR灘南の旧線路跡道通って三宮へ。夏が戻ってきたような暑さである。春日野道の西山記念館は建物は完全に無くなって基礎だけになっていた。
三宮図書館に寄って、ダイエー地下で125円の缶チューハイ買って、サンパル前広場で、飲みながらミニギター弾いてたら、センターの古本市ボランティアで顔なじみの波戸さんがやってきた。彼も缶ビール持ってる(^_^;) しばらく世間話。
帰りはJRで5時帰宅。
今日の歩数は6004歩。


赤い実 

西山記念館跡 

烏瓜? 

アベリアで蜜を吸う熊ん
蜂 

背後霊はカエル? 

波戸さんと遭遇 
2013/09/30(月)●こねこのぴっち異聞●

6時半起床。
今朝の血圧は194/94/73。
矢谷くんと住吉のマンションへ、ベルギーからの荷物配達現場。
開梱が多くて正午に作業終了。
昼は深江の東市場のオリーブキッチンのサービスランチ(今日はソースチキンカツ(^_^))
三井倉庫に積み込みに行き、今日の仕事終了。5時半帰宅。
沼部真一さんのブログ「私たちは20世紀に生まれた」で、岩波子供の本シリーズの記事が連載されていて、そこにMorris.の大好きだった絵本「こねこのぴっち」に関する興味津々の物語が展開されていた。いやもう、これは詳細を読んでもらうしかない。
できれば9月21日最初の記事から続けて読んで欲しい。
第一回配本が1953年12月(6冊同時配本でトップバッターは「ちびくろさんぼ」\(^o^)/」)で、「こねこのぴっち」は54年12月の第四回配本に入っている。Morris.は4,5歳だから、もしかしたらそのどれかは初版で手に入れたかもしれないし、少しあとで入手したのかもしれないが。「さんぼ」、「ぴっち」ともう一冊「はなのすきなうし」(これも第四回配本)、この三冊が幼少時Morris.の愛読書ベストスリーだった。いやあ、あの頃の岩波はたいしたものだったなあ(^_^;)と今さらながら思う。
夜はBS朝日で、美空ひばり特番に見入ってしまった。昭和63年伝説の不死鳥コンサートのドキュメント。ステージ映像もたっぷりの2時間番組で、これは見甲斐があった。正真正銘の歌の女帝だね。ああ、一度でも生ステージを見ておきたかった。
今日の歩数は4036歩。


今日の空(深江) 

今日の空と海(神戸港) 

白無窮花 

【サンバの国に演歌は流れる】細川周平 ★★★☆☆ 1995/09/25 中公新書 早速借りてきた、ったって、18年前の発行である。著者は1955大阪生。東大理学部卒で、東京芸大で博士号取得。音楽学専攻。なかなかアカデミックな人物らしい。
ブラジル日系移民の音楽の歴史を、演芸会の時代(1908~1845年)、のど自慢の時代(1945~1980年)、カラオケの時代(1980年~現在)の三つの時期に大別して、それぞれの時代の特徴やシステム、「歌の場」の変遷を通して、ブラジル日系社会の特殊性を浮彫りにしたものだが、Morris.にとっては、歌、いや、音楽そのものへの興味深い考察で、実に面白くてためになる一冊だった。

移民は徴兵延期願という日本男子にとっては屈辱的な書類を提出し、十分に後ろめたさを感じていた。祖国の危機に際して何もできなかったという後ろめたさは、日本に対して何かの形で忠誠のしるしを見せたい、というあせりを発火し、戦後の勝ち組の極端な日本崇拝に転じた。モノであれ、歌であれ、日本とは想像力によってしか一体感を感じられなかったということが、移民のメンタリティにとって重要だ。この想像力による故郷との一体感のことをふつう望郷と呼ぶ。国家主義的な望郷は日系社会の心情的な絆となった。(演芸会の時代)

日本から一番離れた地で帰るに帰られなくなった日本移民が国家を恨むのではなく、極端な日本崇拝に転じたというのは、皮肉を通り越して悲惨でもある。「故郷は遠くに在りて思うもの(®室生犀星)」にしても、ブラジルは遠すぎる(^_^;)

なぜ浪花節は根強かったのかについて1958年、『サンパウロ新聞』が分析している。それによると日系人の精神構造は故郷を追われた浮草ぐらしという「出稼ぎ移民根性」と、明日は明日の風が吹くという楽観的な「大陸的気質」とが合わさってできている。浪花節(や流行歌)が本国以上に残るのは、「棄民」であるという共通の運命の絆が親分子分、一宿一飯の恩義というような相互扶助の連帯意識を生み、「オイ兄弟、元気を出せ」と肩をたたきあうメンタリティが濃いからだという(9月6日付)。日系社会の保守的な意識をよくついた自己分析だ。浪花節はこのような慰め合いに最もふさわしいテーマを用意してくれる。辛苦や犠牲や敗残が涙によって美化されるからだ。(演芸会の時代)

ある意味、日本では、Morris.の年代くらいまでが、最後に浪花節を聴いた世代ということになるだろう。確かにあの世界は保守的というより形式主義の権化みたいなものだった。涙によって美化されるというのは、浪花節に限ったものではないけどね。

音楽コンテストには二種類あり、ひとつは結果が非常に重要であるもの(強い競争原理)、もうひとつは大勢の歌手が一堂に会する口実としてむしろ重要であるもの(弱い競争原理)である。のど自慢やレコード大賞は前者の代表であり、紅白歌合戦は後者である。ブラジルでいえば、リオのカルナバルは前者であり、バイーアやレイフェのカルナバルは後者である。
のど自慢は強い競争原理がはたらく娯楽であり、審査という政治性を帯びた場だった。(のど自慢の時代)


韓国で言えば「「挑戦主婦歌謡」は前者であり、「挑戦千曲」は後者である(^_^;) 韓国ののど自慢(ノレチャラン)は、両者の混交である。

(日系人の)のど自慢は歌唱欲求を満たすと同時に歌に対する苛立ちを生むことにもなった。のど自慢文化にとって演芸会をわかせる飛び入りは例外に属し、パフォーマンス形態からすれば価値の低いものだった。審査員のいないところで歌ってもしかたがないと考えるようになった。歌は遊びではなく勝負になって初めて本気でやってみる価値が生まれた。(のど自慢の時代)

プロの歌謡界が存在しないブラジル日系社会では、のど自慢が、その代替物となっていたらしい。

祭りを日々喚起させるような陽気なリズムは世界の大衆音楽ではしょっちゅう使われている。近代日本は祭りのリズムを祭りから外には出さない方向に進んだ。せいぜい演歌の中で御神火太鼓や博多まつりの乱れ打ちが引用されるだけで、阿波踊りや神田囃子に新しい歌詞がついたり、電気楽器でバンドがやるような工夫はなかった。上々颱風のようなグループがそれに挑んでいるが、国民的な認知を得るにはいたっていない。伝統は伝統、現代は現代というわけで、音階についてはヨナ抜き音階のような和洋折衷が発案されたのに、リズムについてはだいたい西洋の拍節リズムを受け入れただけだった。
カラオケは伴奏つきの歌に大きな価値をおき、しかもその伴奏が生伴奏では実現しにくい文化のなかでとくに有利に機能する。ブラジル人の間でカラオケ人気が続かなかった理由のひとつは、国民の大半にはギターや打楽器伴奏で十分だからだ。(カラオケの時代)


たしかにこれは重要な指摘である。

合唱という文化は個人と集団についての考えかたと深く係わっている。西洋語から「個人」という訳語を作るのに福沢諭吉はさんざん苦労したが、西洋と接触して一世紀半近くたっても、やはりこの言葉が日本の社会に馴染んでいるとは思えない。「個人主義」といえば「利己主義」という悪い意味によく取られる。建前として「個人の自由」を尊重するようになって半世紀たったが、現実には集団の安全が優先される。
日本は集団主義といわれるのになぜ合唱が伝統にならなかったのか。これは宿題にしておく。(カラオケの時代)


個人より集団が優先される、というくだりは、日本国憲法前文の問題点を想起させる。本音と建前と言い換えられるのかもしれない。宿題への答えとしては、日本の集団主義が典型的ヒエラルキーの上意下達構造だったから、というのではどうだろう。

のど自慢離れはそのまま日本離れを意味した。日本の流行歌を聴いたり歌ったりして育った概して日本的な価値観を持たされた若者が、のど自慢文化から離脱するのにはかなりの動機づけが必要だった。このようにのど自慢は、そして現在ではカラオケは民族性を強く担っている。レパートリーが保守的なのは、歌の場が文化の防衛装置として機能しているからだ。(カラオケの時代)

明快でわかりやすい結論である(^_^;) 

1.あばれ太鼓 2.さよなら 3.それは恋 4.海の祈り 5.望郷じょんがら 6.群青 7.花の時愛の時 8.恋人よ 9.魂(こころ) 10.母恋鴉 11.千年の古都 11.乾杯 13.無法松の一生 14.乱れ髪 15.暖簾 15.俺の出番はきっと来る 17.川 17.兄弟船 17.日本海 20.男船 20.祭 20.昴 (ABRAC歌謡大会1986~94)の歌われた曲総合順位)

ほぼ20年前の時代のリストだが、それでもおおまかな傾向は見てとれる。Morris.の知ってる曲は半分くらいしかないけど。

カラオケというテクノロジーは、歌の場の伝承に限りない貢献をはたしてきた。今やカラオケを離れて日本の歌の文化を伝えることはできない。ブラジルではこの強力無比な装置によって日本の歌は救われた。だが同時にその先に行くこと、ほかの道を行くことは阻まれた。民族の徴はカラオケの歌や大会組織によって表現されたが、それから外れて生きていく道は塞がれた。この意味で人を歌わせる機械は歌わせない機械ともなりうる。カラオケは日系人にとっても、そしてたぶん日本人にとって両刃の剣なのだ。(カラオケの時代)

この結論もまた、Morris.にもかなり納得できるし、耳の痛い言説でもある。

日本人になろうとするブラジル生まれのマルシアとブラジル人になろうとする日本生まれブラジル育ちのボサノヴァ歌手小野リサと比べても良い。奇しくも同じ年にデビューした二人、どちらも演歌やボサノヴァの正統を極めようとして、自分の生い立ちに由来する混ぜ物をしりぞける。演歌がブラジルがかったり、ボサノヴァが日本臭かったりすれば、彼女らの賭は負けなのだ。二人に共通の枠組みがないこと、おれもまたジャンルや流派の制約のきびしい日本の音楽文化をよくあらわしている。ボサノヴァはブラジルの音楽だが、それをブラジル人の通りにやらないと気がすまないのは日本の価値観だ。手本はあくまで「よそ=本場」にあり、それと区別がつかなくなるまで努力を重ねる。日本人のいわゆる「本物志向」は文化的上昇志向に裏打ちされている。明治以来の「追いつけ追いこせ」気質とは、このようなカメレオン的倫理、「本国」からみた正統性を獲得する努力のことで、単に経済や技術だけでなく、外国音楽の受容をも強く条件付けていいる。日本人はそれを「器用」といって礼賛したり、「小器用」といって批判したりする。どちらでもよいが、日本の近代文化を模倣だと悪くいう西洋の人々は、この正統性、純粋性に対する希求を理解していない。しかし彼らに創造(というよりもモデルの再生産)の過程で、自分の出自を隠すことがどんなに高く評価されるのかを納得させることはむずかしい。これは生きること、音楽をやることの根本的な価値に関わることだからだ。
日本の価値観からすると、何でも自分流に作り直してしまうブラジル文化は理解できない。(あとがき)


実は本書の中で一番おもしろかったのが「あとがき」のこの部分だった(^_^;) 

小林旭の商業的な失敗作「アキラでボッサ・ノヴァ」は「日本」を意識せずに日本化していて、日本人-60年代の-でなければ思いつかないような奇想に満ちている。
創作者は当時アメリカで流行ったブラジル風リズムの名前をラテンっぽい曲につけてみただけで、本場に対抗させようというような野心はなかった。「アキラでサンバ」でもよかったのだ。歌謡曲はある時期まで土着の強烈なエネルギーをもち、どんな素材でも気楽に混ぜて笑っていられる包容力とユーモアのあるジャンルだったのだ。小野リサの音楽はブラジルに「追いついた」ところで終わってしまう。しかし小林旭の意図なきユーモアははるかに日本の大衆音楽の根元に近く、またそのぶん先を見つめていた。ただ本物志向のベクトルからあまりに外れていたため、際物扱いされてしまっただけだ。「追いつけ」気質が日本の近代の特徴であるならば、この曲は好事家向けの珍品というよりは近代を突き抜け、別の「反時代的な」大衆音楽の方向を暗示していた。(あとがき)


「アキラでボッサ・ノヴァ」(@_@) これはタイトルすら知らずにいた。(こちらで聴ける-三曲目)。ぎゃははは(^_^)(^_^)やっぱりこれは「アキラでサンバ」ぢゃ(^_^;) たしかに小林旭の60年代の一連の楽曲には、国籍不明というか、何でもありというか、面白くて何ぼというか、破茶目茶というか、豪快に突き抜けたものがあった。彼の映画に頻出する「ギター抱えた一人旅」のマイトガイの姿は、もしかしたらMorris.にとっての究極の夢の姿なのかもしれない(^_^;)



 

 

 


 
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