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Morris.日乘2006年2月 
ここは、Morris.の日記です。読書記録、夢のメモ、宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
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冷害中の冷害

Morris. personal calender

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2006/02/28(火)●やっぱ歌謡舞台●

8時半起床。昨日、今日と何か冷え冷えしている。明日から3月というのに、いや、3月を前にして2月が意地を張ってるのかもしれない。昨日からずーっと、KBSアーカイブの歌謡番組を見倒してた。Concert7080、ノレチャラン、Music Bank、そして歌謡舞台。でも、結局Morris.は歌謡舞台で決まりである。それは、ノレチャランは楽しいけど、しょせん素人がメインで、その点歌謡舞台は全曲プロのトロット歌手出ずっぱりだもんね。おまけに全曲歌詞が出るし、ときどきは昔の秘蔵ビデオ流れたりもするし。
先週と今週の分続けてみたら、さすがに満腹(^^;)してしまった。我らがキムヘヨン嬢は懐かしい「ナヌンイルゴプサリ」歌ってくれるし、ユンジョンちゃんは無謀にもシムスボンの「ミゥオヨ」歌って、ボロボロだったし(でも可愛いっ)、久し振りに出演のキムスヒは「ナンポドンブルース」歌った。
他にもイミジャが「トンベクアガシ」歌うビデオ流れたし、イミベが「アマダミア」で大人の魅力魅せつけてくれたし、ハンソギョンは「ナンナンシッパルセ」で元気だしで、しっかり楽しめた。単にMorris.のオヤジ度が上がってるに過ぎないとしても、かまいはしない。
ノレ番Morris.8090に、双子姉妹歌手トゥティの「300ウォン」を更新。
今夜は日本−ボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦見る。みぞれ混じりの悪コンディションのなか、前半ロスタイム、コーナーキックを高原がヘッディングで決めて1-0で折り返し。後半PKで同点、更に逆転されて、これで終わりかと思ったら、試合終了直前中田のヘッドでドロー。結果以上にこの試合は日本健闘だと思う。


我らがキムヘヨン

可愛いユンジョンちゃん

何時までも変らないキムスヒ

【流行歌(はやりうた) 西條八十物語】吉川潮 ★★★★ 西條八十の伝記的小説といえば、最近斎藤憐の「ジャズで踊ってリキュルで更けて」を読んだが、本書の方が本格的で読み応えがあった。Morris.の八十への思いは斎藤本の感想に書いたので繰り返さないことにする。
著者の父は八十の妻晴子の長唄の師匠という縁もあり、著者の「潮」という名も八十が名付け親らしい。以前都々逸の三亀松、浪曲の虎造の一代記みたいな作品を読んだ覚えがあるが、それらとは段違いに本書はリキも入ってるし、内容もしっかりしてる。あとがきに「私はこの小説を書くために作家になったのだ」とあるくらいだものなあ(^^;)
それはともかく、日本希代の大作詞家である八十の作品が所狭しと引用されてるだけで、Morris.はいい気分にさせられてしまった。
時代時代にほんとうにびっくりするくらいのヒット作をものにしている八十だが、そのこぼれ話を拾うだけでも楽しい。
たとえば、「同期の桜」が、もともと「少女倶楽部」昭和13年2月号に掲載された次の歌だったというのには驚かされた。

二輪の桜

君と僕とは二輪のさくら、
積んだ土嚢の陰に咲く、
どうせ花なら散らなきゃならぬ
見事散りましょ、皇国(くに)のため

君と僕とは二輪のさくら、
同じ部隊の枝に咲く、
もとは兄でも弟でもないが、
なぜか気が合うて忘られぬ。

君と僕とは二輪のさくら、
共に皇国(みくに)のために咲く、
昼は並んで、夜は抱き合うて、
弾丸(たま)の衾で結ぶ夢。

君と僕とは二輪のさくら、
別れ別れに散らうとも、
花の都の靖国神社、
春の梢で咲いて会ふ。


まあ、もともと軍歌っぽい内容ではあるが、一年後にキングがこれを歌にしたいと言ってきて、ちょっと手直しして「戦友の歌」というタイトルにしたのだが、吹き込み時に、海軍兵学校の帖佐裕(人間魚雷第一期訓練生となる)が「君と僕とは、では軟弱な感じがする、海軍なら貴様と俺だ」と思い、それに、どうせなら同期生の連帯感を高めるように「二輪の桜」でなく「同期の桜」。「部隊」でなく「兵学校」のほうがいいや、と勝手に歌詞を変えたらしい。こうなると、ほとんど共作に近い。
また昭和6年に八十が「アリラン」を訳して小林千代子が歌ってヒットしたとある。これも初耳だった。

アリラン

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン越えて ゆくところ
咲けよ花よ わたしと
涙おちた 峠に


一番しか引用してないのが残念だ。これは機会があれば全連を見たい、いや、音源があれば聴いてみたいところである。
八十は晩年、日本著作権協会の会長に担ぎ出されて、かなり強引に活動したらしい。

ボードレールの死期近く、自分の生涯の収入を考えてみたら、たった1万6千フラン弱だった。人はこれを清貧と呼ぶが、八十に言わせれば冗談ではない。およそ貧乏は汚いもので、清貧などという言葉は、資本家が芸術家から搾取するための言い訳に過ぎない。芸術家だって人間らしい生活をする権利がある。そのための著作権協会と考えている。

ここまでいうと我田引水だが、八十の通俗性というか、正直さが表われている様でもある。
本書は6章に分けてそれぞれ「東京行進曲」「かなりあ」「同期の桜」「青い山脈」「王将」「銀座の柳」と八十の代表曲をタイトルに使っているが、たしかに、どの一曲だけでも歴史に残る作ばかりである。本書全体のタイトルにあえて「はやりうた」を持ってきたのも、肯けるし、平野甲賀の装丁も見事である。前にも書いたが、西條八十という詩人があえて、庶民、大衆の好む流行歌の歌詞を書いてくれたということに、日本国民はいくら感謝しても足らないくらいであると思う。
昭和45年8月12日眠るが如く誰にも知られず息を引き取った八十だが、遺作となったのが朝日新聞5月1日掲載の戯作めいた詩というのが、皮肉にも、悲しくも、いかにも八十らしくも思われる。

おお現代

たった一度の敗戦のために
「日の丸」の国旗も
「君が代」の国家も
サムライ精神も
「降るアメリカに袖は濡らさじ」と詠った
一遊女の心意気も、みんな忘れ、
うまれの国の仮名づかいまで満足に書けなくなった
オッチョコチョイの大和民族。

とぼとぼと歩く生き残りの老人の胸には
大陸に、南海に花と散ったあの若人たちの
勇ましい面影が、空虚な万歳の声が、
今も閃めき、鳴りわたり、遠くに消える。

それを嘲るように笑っている
壁の、毒々しいパリまねびの白粉の広告、
その下にうず高く積まれた
色気ちがいの教科書、週刊雑誌。

Quo Vadis? おお現代!

【4TEEN フォーティーン】石田衣良 ★★★ 14歳の中学同級生4人を主人公にした連作短編集。8篇がおさめられている。金持だが難病にかかってるナオト、貧しくて食欲の塊のダイ、秀才のジュン、語り手でもあるぼくテツロー。月島に住む彼らの、日常と非日常のあわいに生じるさまざまの事件に、いまどきの少年のスタイルで対応していく、少年小説なのだが、あいかわらずこの作者のクールで小じゃれた文体に引き付けられながら、それはないよな、という、ギャップも感じながら読みとおした。
カバー折り返しにあった60年生れという著者の顔写真が、いかにもという感じで好感をおぼえた。広告会社勤務、コピーライターとして活躍とあり、なるほど、と納得。
文体見本を一節、引用しておこう。

ジュンがひと声かけて、映画のセットのような勝どき橋をぼくたちはわたった。なんだってそうだけど、ものごとの始まりにはなにか不思議なエネルギーがある。そういうのはだいたい期待はずれに終わることが多いのだけど、それでもつぎになにかを始めるときにはまた同じときめきを感じるのだ。
その朝、隅田川は青く、海風は背中に心地よく、空は眩しく曇って、都心は朝もやでかすんでいた。ぼくたち四人が長い坂道を駆けおりたとき、口々に意味不明の叫び声をあげていたのはとても自然なことなんだ。

何か爽やかさと、親しさと、新しさを感じさせる、わかりやすい文章である。

2006/02/27(月)●騒音の中で(^^;)●

8時半起床。南側のマンション工事が佳境に入ってるようだが、今日から隣部屋(空室)の内装工事が始まるということで、両側からえらいうるさいことになってしまった。隣は1週間くらいとのことだが、今日は壁に穴開けてるらしく時々びっくりするような音がする。
夜は徳山−ナバーロのタイトルマッチがあって、何とか判定勝利したが、とりあえず、これでタイトル返上表明とか。引退ならすっきり引退すべきだろう。
韓国ことわざシリーズ更新。

【縮図・インコ道理教】大西巨人 ★★★ タイトルを見れば「オウム真理教」を捩ってることは分かるだろうが、著者のもともと意味する原題は「「皇国」の縮図・インコ道理教」であったと最後に書かれている。

「皇国」すなわち天皇制国家は、神道系であり、インコ道理教は仏教系である。神道系と仏教系との相違ならびに規模の大小の差異はあれ、両者はいずれも宗教団体・無差別大量殺人組織であり、前者の頭首は、天皇にほかならず、後者の頭首は、深山秘陰にほかならぬ。
かくて、「宗教団体インコ道理教は、「皇国」日本の縮図である。」という命題と、「宗教団体インコ道理教にたいする国家権力の出方を、人が[近親憎悪]なる言葉で理会する。」という命題とは、いかにも彼此照応する。

つまり本書は小説の形をとった(まるで小説らしくないが)天皇制批判の書であるわけだ。
著者自身をモデルにした小説家大圃宋席と、その担当編集者、友人、喫茶店主人などの、哲学、社会学論議の継ぎはぎみたいな構成である。

本篇はむろん「仮構作品(ワーク・オブ・フィクション)」の「独立小宇宙」であるが、現実の「オウム真理教事件」ないし、「地下鉄サリン事件」を、作者は、作者の文学創造方法としては極めて例外的に、言わば「借景」として用いている。

しかし、Morris.は、その借景から逸脱した、一葉の小説の体言止終始などから演繹される、文体論の披瀝などが印象的だった。

私は、一葉のたとえば「不憫やお新が心の内。」や泉鏡花のたとえば「行方知れず、上野の鐘。」やのごとき名詞止めになる効果的な結びを見返すにつけても、[われわれの口語体(言文一致体)は「雅文(文語体)の中に何か貴重な物を置き捨てにして来てしまったのではなかろうか(われれの口語体(言文一致体)は「雅文(文語体)」の美点・積極面をずいぶん不十分にしか摂取・継承しなかったのではあるまいか)。]という疑いと恐れとを痛感する。


また「近親憎悪」という言葉が、一般の辞書には収められていず、Cain Complexという心理学用語が出所ではなかろうか、とか、天皇制が三千年ないし千数百年もの長期間存続してきたことが、賛成論の支柱になっていることに対して、ライ病や被差別部落への長期にわたる差別意識無知の存続と比較することで、その無意味さを証明するなど、細部の論の面白さ(奇抜にして鋭い)を楽しませて貰った。
それにしても、大西巨人というのは、何者なのだろう? 神聖喜劇をはじめ彼の小説はほとんど読んでいるが、未だにその正体どころか、一部でさえつかめずにいるような気がする。

【墓石の伝説】逢坂剛 ★★☆☆ 表紙には西部劇のガンマンらしい絵が描かれてたので、ちょっと引いてしまった。逢坂剛のウエスタンものでは一度えらい目にあったことがあるからだ。
しかし本書は、大御所の老監督が、畢生の西部劇を撮ろうと考えるという、現代日本を舞台にしたものだったので、安心した。語り手でもある中年の男性、ガンマニアの映画評論家、西部開拓時代の研究家、民放TVの女性ディレクタ、監督の姪の広告社員などを配して、映画の舞台となるワイアットアープの「OK牧場の決闘」の現場ロケ。西部劇映画の薀蓄話満載で、ファンなら見逃せないだろうが、門外漢のMorris.には、どうもノレなかった。現実に出版されているワイアットアープ伝へのよりかかりが強すぎるのと、その引用みたいな部分の退屈さには、げんなりしてしまった。
著者の癖というか、趣味なのだろうが、語学についてのこだわりも、これだけ毎回やられると嫌気がさしてくるし、図式的な文明論も、いいかげんにしてほしい。老監督と地元米人郷土史家との会話。

「日本人の視点と、われわれの視点の間にどんな違いがある、というのかね」
「視点というより、考え方や感じ方の違いといった方が、いいのかもしれません。アメリカはもともと、大西洋を越えて移住したヨーロッパ人が、先住民と戦いながら切り開いてきた、新しい国ですね。法のないところでは、自分で自分自身や家族を守るしか、すべがない。要するに、みずからが法にならざるをえない。言い方を変えれば、自分の進路に立ち塞がるものはすべて、敵として排除しなければ生き残れない、ということです。西部開拓時代には、それが暗黙の了解事項でした。フロンティアの消滅が宣言されてから、百年以上たった今もアメリカには、その精神が残っている。アメリカがしばしば[世界の警察]と呼ばれるのは、いまだに西部開拓時代の辺境の保安官意識が抜けないからです。アメリカがビンラディンやフセインを目の敵にし、イラクや北朝鮮をならず者国家と呼んで敵視したのは、いわばアープ兄弟がカウボーイ組と対決する姿勢と、基本的に変わりがありません」


逢坂は国際舞台で活躍する日本人の動きを描くのは上手いし、ストーリングテリングの才能もあるのだから、もっと読者を楽しませる物語に仕立てて欲しいと思う。思わせぶりに登場しながらとりたてて必要のない登場人物が多すぎるのも興味を減じる原因だろう。

【おっとりと論じよう】丸谷才一対談集 ★★☆☆ 
丸谷才一は対談の名手として知られていて、Morris.もこれまでにかなり読んでいると思う。たしかに面白いものもあったが、対談だから、相手によっては、まるでかみ合わなかったり、ヨイショが入ったり、いまいちなものも多かった。本書はハズレの方だった。大岡信、岡野弘彦と桜を歌った詩句歌をもちよって誉めあうもの、山崎正和との漱石&明治論、井上ひさしとの日本語論、鹿島茂、三浦雅士と3人で選ぶ「日本美100」なんてのもあったが、いずれも、何だかなあ、だった。
Morris.もベスト10とか選びモノは嫌いな方ではないから、最後の「日本美100」というのには興味を覚えたのだが、選ばれたのがこんな感じである。このとりとめのなさを見ればどういったものかおおよそわかるだろう。

1.源氏物語 紫式部
2.平家物語
2.奥の細道
2.歌舞伎 仮名手本忠臣蔵
5.新古今集
5.鳥獣戯画 鳥羽僧正
7.源氏物語絵巻
7.姫路城
9.富士山
10.能 井筒 世阿弥
10.東京皇居付近
10.花火 両国川開き


この調子で百位まで続くのだが、こういうのを「おっとり」なんていうのなら、いらないね。
唯一、鳥居民、井上ひさしとの鼎談で、鳥居の労作「昭和二十年」という著書のことを知ることができたのが収穫といえるかもしれない。

2006/02/26(日)●ラグビー日本一●

昼前起床。しっかり酔いは残ってるが宿酔ではない。
午後はラグビー日本選手権NEC−東芝府中戦を見る。秩父宮ラグビー場大雨だったが、歴史に残る名勝負だった。攻めの東芝、守りのNECで、どちらも譲らず。結果は6-6ノートライで両チーム優勝だった。ふつうこんな少得点でトライもないゲームだったら面白くないと思いがちだが、今日のゲームだけは違った。本当に見甲斐のある100分間だった。特に後半ロスタイム5分の攻防のすさまじかったことと言ったらなかった。本当に両チーム優勝という結果に大満足である。

2006/02/25(土)●ちあきなおみ伝説●

8時半起床。yahooTVの番組欄を見てて「歌伝説 ちあきなおみの世界」というのを見つけた。NHKのBS番組の地上波放送らしいから、見る人はとっくに見ているのだろうが、Morris.亭はBS見られないし、これは見逃すまいと、録画しながら見た。1時間半の番組で、このての番組にありがちな、関係者インタビュー、細切れカット、ナレーションの大被りがほとんどなく、曲を数コーラスからフルコーラスたっぷり流してくれて、実に見甲斐のあるよい番組だった。1992年、夫の死を契機に、ぷっつり芸能活動を停止して録音もしていないちあきへの「ラブコール」という感じのつくりも嬉しかった。まあ、こういう番組作るということ自体をちあきが断らなかったという意味でも、何か近い将来彼女の姿にまみえることができるのではないかという期待を抱かせる。
紅白や加山勇三ショーなど、ほとんどNHKのビデオ映像だが、彼女はけっこうNHKに出るタイプだったから、デビュー当時から活動停止寸前までコンスタントに映像残っているようだ。昭和45年紅白の「四つのお願い」の映像ときたら、画像にスリットが入り、音もボロボロである。どうやらこの頃からカラー放送が始まり、技術的に問題があって保存状態がわるかったのだろうと思うのだが、よくまあ、こんな映像を流すもんだと逆に感心してしまった。また昭和44年「雨に濡れた慕情」でデビューしたときのキャッチフレーズが「ハスキーボイン」だったというのには笑わされた(^^;) でもとにかく日本の歌手の中では一番ドラマティックな歌い手だけに、また彼女の姿を見たいというのは本心である。
夜は矢谷宅で、海鮮パーティ。今回は豊岡のリュウジさんの肝いりの牡蠣と魚、矢谷君が淡路島で仕入れて来た地鶏やアナゴなどとメニュー盛りだくさんで、いつもに増して参加者も多かった。リュウジさんのほか、社長、竹田君、福井君、青木さん、伊藤一家、リュウジ同級生のツネオ&ナナ夫婦、女性陣はヒアカムママと常連客二人、えりちゃん、クレママまで参加して総勢17名(^^;) 刺身から始まって、メインの牡蠣の大きさと量にはみんなもびっくり状態。Morris.はそれほど牡蠣は好みでないので、最後の淡路地鶏のつくねの鍋が最高だった。
途中、宮崎の勇造さんから送られてきたライブビデオを見る。地元のライブハウスでの演奏だが、勇造さんがボーカルとギター、そしてドラムは小学一年生の勇造さんの長男、龍生君。これが、もう無茶苦茶上手くて、みんな感心するやら呆れるやらで騒然となった。直後に勇造さんに電話して全員でひとしきり感想を話した。冗談抜きで、銭払って聴けるレベルである。
Morris.もしっかり飲んで食って大満足。12時過ぎに退去したと思うのだが、どうやって帰宅したかは覚えていない(^^;)


5歳のちあきなおみ

ちょっと卓球の愛ちゃん似

矢谷宅海鮮パーティ開始

はたはたとカレイ

蛸、カンパチ、アジ、ヒラメ(縁側付)

淡路の穴子

トロ箱入りの牡蠣

これはたしかにすごい(^^;)

絃と母

天才少年ドラマー鑑賞

淡路地鶏ツクネ鍋

恒例の記念写真
2006/02/24(金)●驚きの金●

6時起床。女子フィギュアスケート6人の演技が始まるところだった。美姫ちゃんはその中に入ってもいなかった(>_<)
昨日3位だった荒川がかなりの高得点で演技を終わり、最後のロシア選手が転倒した時点で荒川金メダル決定。今回の冬季オリンピックは、日本メダル無しで、そのほうがいっそ、せいせいすると思ってたのに、まさかの女子フィギュアでの金メダル。でも、やっぱり嬉しかった(^^;)
小川さんと六甲アイランドドイツ人の航空便ピックアップ。昼前に作業終了。昼食はふれあい向洋で豆腐コロッケランチ。
午後は倉庫作業やバンの解体。5時過ぎ帰宅。
夜は昨日の藤麺のうどん食べる。大根おろし、生姜、レモンでぶっかけ冷しうどん。なかなか美味しい。

【毎日かあさん カニ母篇】西原理恵子 ★★★ 毎日新聞に連載されてる西原のカラー家族漫画。いかにもサイバラらしいおおざっぱなタイトルである。内容的にも作風も名作「ぼくんち」の流れだが、私漫画だけに、生臭いところも多いし、育児漫画に堕したところも見え隠れするのだが、ところどころに出てくるサイバラ風味にはついつい、Morris.は甘くなってしまう。
それにしても、サイバラ描く、おおざっぱな風景の緑は美しい。

2006/02/23(木)●やる気の藤麺●

結局昨夜、Morris.部屋は繋がったのだが、その後、ページ更新しようとしたら、FTPソフトが「接続できません」とはねられてしまった(^^;) いろいろやっても埒があかないので、またまたひらちゃんにメール。結局あちらが、FTPサーバをアップするのを忘れていた(>_<)という凡ミスだったらしく、連絡後スグに更新できた。
21日の朝7時から22日の午後10時くらいまでだから、たかだか一日半くらいの中断だったが、それなりに問合せのメールや書き込みもあったし、このまま半月でも不通状態が続いたらMorris.部屋そのものが消失してしまいかねない気もした。ネットのサイトなんて、ほんとうにあっけなく完全消滅するものだということを疑似体験できたような気もする。
四国香川の藤井製麺所から郵便物が来て、中にはMorris.のお気に入り半生うどん一袋が入っていた。ここは、ときどき、カタログと注文表を送ってくるのだが、見本なんて送ってきたのははじめてである。年間購入企画キャンペーンらしいが、なかなかやる気だね。とりあえず、ひさしぶりにこの讃岐うどんを部屋で食べられるのはありがたい。
六甲八幡町「口笛文庫」店内今日のhappyFMのテジナの番組で、珍しく、チョンヨンノクの「夕焼け」とイソニの「ナハンサンクデルル」がかかった。どちらもMorris.の古い愛唱曲だし、テジナのトロット中心の番組でかかりそうもない曲だったので、ちょっと新鮮な驚きだった。ちょうど前の日、jauさんとイソニのことを掲示板で話題にしたところだったので、つい、イソニの手持ちのアルバムを聴き直したりした。やっぱりイソニといえば「Jエゲ」に代表される、ファーストアルバムが抜群だろう。声量と歌唱力では当時最高峰の歌い手だったと思う。Morris.は、最初の韓国旅行で、全く知らずにバチもんのテープ買って、帰国してからすっかりはまってた時期がある。
センターの授業の前に最近openした「口笛文庫」を冷かす。八幡町の交番の東南がわのビルの1Fにあり、新古本漫画専門店隆盛の時代風潮とは逆行するような、昔風の古本屋である。本棚は壁際だけで、店内の大部分は低い棚と平台展示。そして、古い雑誌や古い絵本、まるでMorris.の愛蔵本の書棚みたいな風情である。いまどきこんな品揃えなんてちょっと信じられないし、これでやっていけるのだろうかと、ちょっと心配になるくらいだが、好感度大である。今日は時間がなかったけど、今度またゆっくり見に行こう。
今日の授業はは信長さんも出席で生徒6人。久し振りに全員シャドウイングやったが、やっぱりむずかしい。これは続けなくては意味が無いだろう。

2006/02/22(水)●ぽかぽか陽気●

今朝もMorris.部屋つながらない。ひらちゃんところからメールがきてたが、今ひとつ要領を得ない。どうもひらちゃんは不在らしい。
朝のTVニュースでは、フィギュアスケートショートで、美姫ちゃんは不本意な成績だったみたいだ。ビデオ見たら、転んではいないけど、手を付きそうになってた。これで上位入賞はほとんど無理だろう。こうなったら何が何でも4回転だけは成功させて欲しいな。
昨日途中までやってた、韓国歌謡カナ楽譜仕上げて、ムックさんに郵送する。音源はMDが不調なので、カセットテープである(>_<)。テープ余ったので、B面には、我らがキムヘヨン嬢のポンチャックディスコの最高峰「アッサ!超特急第2集」を入れる。録音しながらついつい聴き惚れてしまったよ(^^;)
文化会館に電話したら、魚眼レンズ拾得物で保管してあるとのこと\(^o^)/ ああ、良かった。まあ、あそこに忘れたのは間違いないところだったし、普通の人にとっては使い途のないものだから、届けてある可能性が高いとは思ってたが、万一捨てられたりしてたら最悪だった。昼から中央図書館に行くついでに(今日の場合は逆かも)文化センターに寄り、守衛室で、首尾よくレンズ奪還(^o^)。中央図書館で長めに時間過ごしてから、山手幹線ふらふらと歩いて元町からJRに乗ることにした。前にトラックの窓から立看見かけたトアロードの万華鏡博物館?に寄りたいと思ったのだ。
今日は何か暖かくて、マフラーなんか要らないくらいだった。
途中歯医者の前の花壇に酢漿草(かたばみ)の白いつぼみがあり、これがまたMorris.の好きな漏斗状になっていたので、三脚出して接写を試みる。白い花というのは本当にむずかしい。また石蕗(つわぶき)の綿帽子や、中山手界隈の飼い犬などもデジカメに収める。
そしてお目当ての万華鏡博物館?にたどり着いたのだが、何かごちゃごちゃした普通の土産店風である。店の前に2匹の雑種犬がいたのでこれもデジカメで写してたら、中から店主らしいヒゲのおっさんが不機嫌そうに出てきて、文句を言う。犬が可愛いので撮影したのだと言ったら、店に断りもなしに写すなと、にべもない。そんなきつく言うこともないだろうと思ったが気を取り直して店に入ろうとしたら、店は5時で閉めるからと入店を拒まれる。携帯見たら5時5分前だったので、とりあえずどんな万華鏡があるのかだけでも知りたいから5分くらいいいだろう、といったら「お客さんはアヤシそうだから入らないでください」と、きたもんだ(@ @) おいおい、客商売していてそれはないだろう。たとえそう思ったとしても、口に出す言葉ではないと思うぞ。外にいた年配の女性客がヒゲ男に「この人はあやしくなんかないじゃないですか」と言ってくれたのが救いだった。もちろん、あっさり立ち去ったさ。そんな店はこっちがお断りである。馬鹿馬鹿しくて怒る気にもならないが、気分はよくないわな。
そしてトアロード降りていったら西側に「いとう工房」という小さな店がありショウウィンドに小さな人形が動いてた。なかなか精巧な手作で面白そうなので、中に入る。3坪くらいの小さな店で、奥の机で若い男性が工作みたいなことをやってた。彼が工房長兼作家の伊東幸司さんだった。2年前くらいから店を出してるとのこと。モータ−やゼンマイにカムや糸を使って動きのある人形を製作している。オルゴール仕掛けたり、電灯が点いたり、小さなガラス球が複雑に絡まったレールを転げおちていくオブジェなど様々な作品があって、見ていて飽きない。デザイン的に東南アジア風かなと思ったのだが、当人はアフリカの民藝からインスパイアされたところが大きいようなことを言ってた。人形と通じる油絵も描いてるようで壁に飾られている。人形は注文制作で、Morris.には手が出ないくらいの値が付けてあったが、アートであるし、製作の時間や手間を考えるとやむをえないところだろう。3月17日から六甲のオルゴール館「ホールオブホールズ」で個展を開くらしい。案内状を送ると言ってくれたし、店内も作品も自由に撮影して良いといわれて、親切な対応と併せて、さきほどの失礼な親父との落差に、脱力してしまったよ(^^;)
5時過ぎに帰宅。まだMorris.部屋は繋がらないが、ひらちゃんからメールが来てて、今夜にでもorcalandの事態に対応するとのこと。まあこれで解決は時間の問題だろう。ちょっとほっとする。
今夜は日本−インドのサッカーを見る。あきらかに格下のチーム相手に前半は相手のミスからみの小野の1点しか取れず、後半にやっとエンジンかかって結果6-0の圧勝だった。久保も2ゴールあげたし、巻の活躍も目立ったが、日本のパスミスも多かった。Morris.はチベット系のバイチンという選手に目を奪われてた。
サッカー終わってネット接続したらMorris.部屋繋がってた(^o^) ひらちゃん、ごくろうさまm(__)m


かたばみの白いつぼみ

つわぶきの綿帽子

露地の守り犬

米屋の番犬たち

万華鏡博物館?

犬には罪はない

いとう工房全景、魚眼あってよかった(^^;)

自信作と伊東工房長

レトロ&デコラティブなバス
2006/02/21(火)●Morris.部屋不通●

8時半起床。朝からMorris.部屋が繋がらない(>_<) orcalandはひらちゃんが中心になってやってるサーバーで、これまでにも何度かメンテナンスなどで連絡無しに繋がらなかったり、設定が変ってこちらの設定を変えなくてはならなかったりしたこともあるので、そう心配することもないだろう。とりあえず、ひらちゃんにメールで問合せだけはしておいた。何人かからメールで繋がらないとの連絡が入る。
朝風呂つかい、昼から区役所に行き、そのまま灘図書館へ。最近気になってるのだが、灘図書館の語学コーナーの韓国語関連の本がえらく少なくなってる。韓流で貸し出しが増えてるというのでもなさそうだ。去年一昨年に比べても格段に減ってしまってる。中国語やもちろん英語はずらっと並んでるだけに目立つ。
今日になって気がついたのだが、デジカメで良く利用していた魚眼レンズが行方不明である(>_<) どうしたんだろう。先週朝鮮民族音楽見に行ったとき写したのが最後だから、文化ホールに置き忘れてきた可能性が高い。あれがないとお得意の180度撮影が出来ない(>_<)。
Morris.部屋はあいかわらず繋がらない。仕方ないので、「パソコンテレビGyaO(ギャオ)」というのを見ることにする。これははてな日記で紹介してあったもので、USENがやってる無料アーカイブサイトらしい。韓国のドラマがあったので、歌手ピが主演してる「サンドゥ 学校へ行こう」というのを見たがどうも暗いし面白くないので途中でパス。もう一つの「白雪姫 ペクソルコンジュ」の2話を見る。真ん丸眼鏡のヨンヒ(キムジョンファ)が恋人と上手く行くように張り切って、ドジを繰り返すというどたばたコメディらしい。しょうもないとは思いながら、こちらはまだ退屈しのぎにはなりそうだ。現在5話まで公開中で2日ごとに1話ずつ更新するらしい。すでに1話は消滅していた。全画面表示でなく右サイドに広告めいた画面があるし、15分ごとにCMも入る。韓国のTVだと途中にCMははいらないのだが、これはまあ仕方ないだろう。画質はKBSのアーカイブに比べると格段に良い。
夜はムックさん用の楽譜つくり。今日の深夜から、女子フィギュアスケート始まるらしいが、このまま日本はメダルゼロになる確率がけっこうありそうだ。美姫ちゃんにはがんばってほしいけど、一時のオーラは感じられない。練習でも4回転は成功してないそうだが、こうなったら駄目もとでもいいからトライしてもらいたい。

【日韓「禁断の歴史」】金完燮キムワンソプ ★★☆☆☆ 韓国人の著者が2002年から03年にかけてSAPIOに連載した「日韓「禁断のテーマ」を斬る!」に加筆再構成したものである。

日本が一日も早く国際的な孤立主義から抜け出し、普通の軍隊を保有する普通の国家として再生する日、東アジアは日本を中心に団結し、安定するようになると私は信じています。そのような状況においてのみ世界は、米国、欧州、東アジアという3機軸が互いに協力し牽制し合う望ましい構図の下に平和と繁栄を謳歌することとなるでしょう。今のようにどの国家も米国を牽制できない状態は人類の未来のために決して望ましくないと思います。

これは前書きの一部だが、まずもって韓国人がこういった発言するというのが驚きである。いかにもSAPIO向きの言説であるが、本書の中にはさらに驚くような発言が目白押しである。一言で言えば乱暴な言説だが、ところどころに、目からウロコの意見があったりもする。
四章に分たれていて、一章では植民地時代の日本擁護+伊藤博文賞賛、二章では北朝鮮へ日韓の対照的姿勢への言及、三章では韓国の反日教育批判、四章では日中韓による東アジア共栄圏構想。おまけみたいに石原慎太郎との対談がついている。
これだけでも、著者がどんな人物なのか知っておきたくなる。巻末の紹介によると、著者は63年光州生れで、高校時代光州事件に関連して逮捕、投獄され、その後、ソウル大で物理学を学び、雑誌記者を経てフリーランサーになり、2002年韓国で発禁処分の「親日派のための弁明」を日本で出版。本書はその続編みたいなものらしい。

(韓国の)若い世代は統一を望んでおらず、「我々の願いは統一」という歌はいまや単なるスローガンに過ぎない。

これはMorris.もうすうす感じていたことだが、韓国人がこうはっきり言うとなると、おお、と思ってしまう。

北朝鮮のような飢餓状態はアフリカにもある。それなら北朝鮮とアフリカは同じなのか? 私はアフリカの飢餓国に食糧と医療支援をすることについて懐疑的だ。体系的な統治がなく、人道主義という名の下に食糧と医療サービスだけを提供したなら、アフリカの人口は果てしなく増え続けるだろう。現在アフリカの飢餓は人口を一定水準に維持しながら生態系を保全する役割を結果的に果たしている。北朝鮮の場合はこれとは違い、周辺国である韓国と日本は富裕な資本主義国家として2000万人の北朝鮮住民に食糧程度は十分に提供できる力があり、またそうする意志ももっている。

ね、なかなかナイーブで正直といおうか、こういった物言いが著者の特徴である。
このところ日本人の注目の的となっている北朝鮮拉致問題に関しては、いわゆる「拉致被害者」だけでなく、帰国事業で悲惨な状況に置かれた「元・在日朝鮮/韓国人」も拉致被害者と同じだという彼の意見は正論だと思う。

強制的に連れ去られた日本人とその家族が拉致の被害者であることは疑いようのない事実だが、北送事業で北朝鮮に送られた人々も、そこから出ることが許されない監禁同様の生活を強いられている点で拉致同様の境遇に置かれている。もちろん「北朝鮮入り」は本人の意思だが、朝鮮総連のみならず朝日新聞なども北朝鮮を「地上の楽園」と喧伝して送り出した当時の状況を思えば、メディアぐるみの拉致といっても過言ではない。
そして北朝鮮は、彼らを帰さないばかりか、彼らを人質として日本に残った家族たちからおびただしい金品を巻き上げてきた。犠牲者の規模と年月、さらに依然として省みられない現状こそ痛ましい。


そうだ、そのとおりである。こういった意見は在日の側からは頻繁にあげられるが、韓国人がはっきりいうのは珍しい。

1987年の大韓航空機爆破事件は北朝鮮政府の指令により、金賢姫らが実行したこととして知られているが、韓国ではまったく違った見方もある。個人的にも、この事件は政権を維持しようという韓国の軍事政権と米国の合作劇だったとう疑いを捨てきれない。
韓国社会の386世代(200年当時30代で1980年代に学生だった1960年代生れ)なら、こうした認識はほとんど常識ではないかと思われる。

386世代というのが、懐かしかった。たしかに著者は386世代だし、あの事件が韓国国内で、北朝鮮でなく自国の政府と米国の合作と見る人が多いというのも驚きである。

西大門刑務所跡地のそばに立つ独立門は、日韓併合前に建てられた。このフランスの凱旋門に似た建造物を独立記念館では列強からの独立を高らかに宣言するために建てられたものと説明しているが事実は全く異なる。当時朝貢関係にあった宗主国清国に対する独立を謳いあげるために建設されたのが歴史的事実だ。しかし、韓国民は日本を含む列強からの独立のための門であると学校で教えられて育つのである。

この独立門についてはいつも気になりながら、何となくはっきりしなかったので、これですっきりした。こうやって部分的に引用すると、いろいろ教えられるところのある本のようでもあるが、全体を覆うのは、小林よしのりの「戦争論」にも通底する一種の我田引水史観である。
自分の都合の良い資料だけを大きくとりあげ、大雑把な推論と、粗雑な仮説の組み合わせで自説を正当化しようとする姿勢。それでも、一般的な親韓論の弱点を攻撃するくらいの力は有しているわけで、どうも困った状況であるということを再確認するためには、読んでおいて損のない本であるといえなくもない。

2006/02/20(月)●Concert7080●

8時半起床。風邪はほとんど自覚症状無し。でも外は朝から雨なので一日部屋で過ごすことにする。
昨日、shunshunさんに教えてもらったKBS土曜深夜の歌謡番組「Concert7080 コンソツ チルコンパルコン」をアーカイブで見る。Morris.は全く知らずにいたが、すでに1,000回近く続いてるKBSの名物番組だったらしい(>_<) 先週の回は、ソユソク、イジェヨンが出ていた。ソユソクはMorris.の十八番のひとつ「ホルロアリラン」を歌ってる歌手だが、何故か彼のオリジナルをまともに聴く機会が少ない。期待したのだが今日も歌ってくれなかった。
Morris.亭酢玉子専用グラスイジェヨンは90年の「誘惑」のヒットで知っていたのだが、この番組ではワイキキブラザーズとかいうミュージカルの衣装で出てきて紹介されるまで気づかずにいた。15年ぶりの「誘惑」はとんでもなく良かったので、ついCD引っ張り出して聴きなおしたりして、ノレ番8090に記事をアップしてしまった。
そのまま「開かれた音楽会」見たら、ユンジョンちゃんが出てて、先に「コッ」続いて「オモナ」を歌った。この前のノレチャランの時に比べたら「コッ」もだいぶ様になってたが、やっぱり「オモナ」に移ったときはほっとしてリラックスしてた。最後にイウナが出て「ポムピ」「トリキジマ」を歌った。やっぱり上手い。しつこく「Concert7080」の先々週回も見てしまう。こちらはディクファミリーとイウナで、イウナは「キョウルチャンミ」「パムチャ」「トリキジマ」で、こちらのステージでは、すごいアクションつきだった(^^;) しかしこの番組、今まで見ずに来たというのはいかにももったいない。
前につかちゃんから教えてもらった酢玉子。とりあえず第2弾が出来たので、風邪に効くかどうか分からないが飲んでおく。前から冷凍庫にあった、ニワトリを象ったグラスに入れたら、なかなかお洒落で、すごく美味しそうに見えるが、当然マ・ズ・イッ(>_<)
稲田さんから茨木のり子訃報が入る。新聞のサイトみたら、一人暮らしで誰も知らない間にひっそりと亡くなっていた由。享年79。彼女は結構好きな詩人で、自サイト検索かけたら22件ヒットしたから、少なくとも10回以上は言及したり引用したりしたんだろうな。詩人は死んでも作品は残る。


「誘惑」のイジェヨン

「花」のチャンユンジョン

「トリキジマ」のイウナ

【ニッポン泥棒】大沢在昌 ★★★☆☆ 彼には珍しくインターネットに隠されたシミュレーションソフト「ヒミコ」を主題にしたSFっぽい長編。中年、というより初老の元商社マンの男性が突然ソフトのカギに選ばれたことを知り、もう一人のカギになった40代の女性、ソフトを作ったハッカー、CIAやらNAS、公安、元過激派老人たちが虚々実々の駆け引きをしたり、拉致されたりしていく、冒険小説だが、主人公が年の割りにしたたかで、やたら社会論、日本人論などを論じたりして、これは中高年向けの少年小説(^^;)ではないか、と、思ったら、実は産経新聞に連載されたものだった。きっちり大沢が掲載媒体の要望に応じたものだったというわけだ。それにしても、そういった条件をクリアした上で、充分以上に560pを退屈させずに読ませるところは、流石である。
奥付の紹介欄に「日本のエンターテインメント小説界の牽引車的存在である」とあるのも、あながち嘘ではないと思うぞ。
問題のシミュレーションソフトがもともと世界の秘密情報をハッキングして作り上げたもので、その情報価値+各国のVIPをイレーズしてその後のシミュレーション予想で、簡単に言えばテロ優先順位を決めることができるというものだ、ソフトを起動する二人のカギがどのように作動するかというあたりに作者の苦労があるにしろ、どうしても漫画チックにしか感じられるのは、そもそもの舞台設定上の限界かもしれない。
例によって、大沢の語り/騙りを楽しむのが一番正しい享受のしかただろう。

海賊版やコピー商品がこれほど問題化した最大の理由は、奇妙な話だが、製品の精巧さにあるのだろう。かつてのコピー商品は、作りが粗雑で、すぐ故障したり、明らかにコピーと知れる安っぽさが露見していた。しかし現在のものはちがう。たとえば、映画や音楽のコピーは、技術の進歩で、オリジナルと極端な差異を認めない。腕時計やバッグなどのコピーも、簡単には故障せず、長期間の使用が可能となっている。そのことが、オリジナルブランドの正規商品を圧迫し、それに不況が拍車をかけているのだ。

お互い、今の日本に不満を持っている、主人公ともう一人のキーである女性の会話、

「尾津さんは、尾津さんの世代の人たちは、決して使えないような人間ではありません」
尾津が見つめると、佐藤かおるは言葉を続けた。
「わたしは仕事がら、いろいろな世代の人たちを見ています。今、むしろ使えないと思うのは、尾津さんより若い世代の人たちです。バブルの時代に浮かれて、会社の舵とりをあやまった人たち」
「それは我々の世代にもいる」
「でもあの人たちは、学生時代、ほとんど勉強もせず、デモだ、学生集会だと浮かれていた。なのに世の中が景気のよかったおかげで就職に苦労することもなく、企業に入り、さらにバブルで浮かれたんです。そして今はただしょんぼりしているだけ。それより若い人たちはもっと駄目。自分の身の周りの幸せさえつづけばいいと思っている。みんな、腐っている。芯のある人がぜんぜんいない」


まるで「いまどきの若いもんは」談義みたいだが、40代の女性に仮託してこういう物言いをするあたりが、大沢の商売上手なところでもある。
そして主人公と、ソフトを奪おうとするアメリカ側の手先となった日本人との会話

「アメリカ人の欠点は、自らと同じ形の繁栄を他の国に押しつけたがることにある。だがそれは、アメリカで発達した商業資本主義の価値観を背景においたものでしかない。敗戦後、もちろん日本もそれに染まり、アメリカに追いつこうと、私の年代の日本人は努力してきた。私たちにとってアメリカは憧れの国であり、その判断に誤りはないと、繁栄を見るにつけ信じこんできた」
「それが現在の繁栄を生んだ。まちがっているというのかね」
「まちがってはいないだろう。おおまかな部分では。しかし過去の五十年間と、これからの五十年間では、人やモノが移動するスピード、情報が伝わる早さがあまりにちがいすぎる。すべての場所のすべての人間が均一化されることを望んでいるわけではなく、しかも望んでいない人間たちには、望まない結果がどのようなものであるか、はっきりと認識できる時代だ。行く手に待ちうけているのがいかなる世界なのか、テレビやインターネットで見通せてしまう。当然、反発は強くなるだろう。我々にはそれが見えていなかった。だからこそもがいたし、努力もできた。見えることが必ずしも全員にとって幸福とは限らない」
「その意見には反対しない。だが平和についてはどうなんだ? 独裁者の出現を未然に防ぎ、それによって戦争を回避できるとしたら? それこそ平和に伴う犠牲というものじゃないか」
「歴史は計算通りには動かない」
「初歩的な反論はやめたまえ。その言葉をすべてに適用するな、あらゆる情報機関も外交努力も無意味になるぞ」


このあたりの図式的すぎる会話も、小説の筋としてならそれなり読まされてしまう。いつも書くがこういったあたりが、ファンは好きなのだろう。

東南アジアでかつて日本の商社が進めた、数々の"国家事業"を、尾津は思いおこしていた。
利権とは、簡単にいえば、税金の使いみちだ。なぜなら、国家には税金という収入がある。これは決してなくならず、担保として全国民をおさえているに等しい。さらにその国の税収が不足であれば、"融資"の道を商社マンはつけてきた。"融資"とはすなわち、別の国家による対外援助で、この場合はもちろん日本だ。日本から、"国家事業"を進行中の外国に経済援助をおこなう。それには、日本政府の合意が不可欠だ。これをとりつけるのも、利権があってこそだ。
日本の国民から吸いあげた税金が、援助として外国に流れる。その国で、政府から事業を受注した民間企業はその国の政府と日本政府の両方に、投下された金の一部を還流させる。日本政府への韓流を橋渡しするのが、対外援助を演出した商社の役目だ。
すべての国家事業が、民間企業ではなく、国家の企業に依託されるなら、そうした利権は発生しない。だから、民間企業の存在しない社会主義国家に商社は長いこと目をくれなかった。


これも同前である。特に本書は産経新聞読者層をターゲットにしているだけに、こういった視点での薀蓄というか、サービスは効果的だろう。
そして繰り返すが、こういったことをクリアしながらともかくも、読ませるブツを作り上げる大沢の力量には、参った、というしかない。

2006/02/19(日)●パッチギとラグビー●

8時半起床。鼻水はちょっとましになってるが、背中が痛む。これも風邪の症状なのだろうか??
インフルエンザではないと思うが、用心にこしたことはない。今日は完全休養日とすることにした。
以前巻田さんから貸してもらったDVDで「パッチギ」を見直す。キネマ旬報の日本映画1位に選ばれたり改めて評価が高まった感じだが、去年の1月にハーバーランドのシネカノンでこれを見たときの感動を新たにした。年のせいで涙腺が緩くなってるせいか何度も涙ぐんでしまったよ。詳しいことは去年の1月26日の日記を見てもらうことにしよう(^^;) 真木よう子が一番いいという思いは今でもかわらないぞ。
午後はラグビー準決勝の2試合。早稲田-東芝府中は、0-43で東芝の圧勝に終わった。早稲田はトヨタ戦とは逆にマイボールラインアップを支配できず、体力、気力、スピード全ての面で圧倒されてた。NEC-三洋は、行き詰まるような接戦で後半ロスタイムで1点差。結局NECが22-16で競り勝ったが、実に見応えのある良い試合だった。

【パッチギ! 対談篇】李鳳宇 四方田犬彦 ★★★ 1998年に出た「先に抜け、撃つのは俺だ」という対談の再版に、2004年製作映画「パッチギ!」の後日談みたいな2005年の対談を加えたもので、ちょっとキワ物めいたところもある。
李鳳宇はシネカノンの代表だが、Morris.は95年9月に開かれた 「おおさかコリア映画祭」 とその後の親睦パーティで彼と会っている。しかしこのときはアンソンギが主賓だったので、どうしてもアンソンギに釘付けになって李鳳宇の印象は薄かった。
それはともかく、98年の対談に出てくる挿話のいくつかは、実際に映画「パッチギ」の中に直接、間接的に登場するし、パッチギの朝鮮高級学校の雰囲気がリアルなのも、李鳳宇と友人たちの学生生活を下敷きにしているからというのはよく分かった。
98年の対談も、Morris.はどこかで読んだような気がする。それでも「パッチギ」のことを思い出しながら充分楽しく読ませてもらった。
ただ対談相手の四方田の発言は、今読むと何となくピントがぼけがちで、ついついMorris.は李鳳宇発言だけをきっちり読むという結果になったようだ。
喧嘩の話や、映画の話、母が金を積んで北朝鮮に帰った弟に会いに行った話など、面白い話や、考えさせる話も多いが、朝鮮総連に深く関わっていた李の父が、韓国のエリートである甥が来日したとき総連幹部に会わせて、その結果甥は韓国で逮捕され、李の父が親類中から非難されていたたまれなかったというエピソードは胸に痛かった。

 74年です。親父には兄弟が3人いたんですね。二人死んじゃって、弟が今済州島にいます。それで死んだ長男に息子がいまして、親父からすれば甥っ子ですね。その子がすごいエリートで、ソウル大学を出て、韓国電力に就職したんです。韓国電力の課長をやっていて、研修のため半年間日本に滞在していたんですよ。大阪万博のあと。
四方田 そりゃエリートだ。
 すごいエリートで。ドイツ語、日本語ペラペラで。その彼が日本に来て…。
四方田 当然叔父さんのところに挨拶に来るよな。
 ええ、挨拶するじゃないですか。もちろん。韓国から来たっていっても…。
四方田 親戚だからね。
 そのときに、親父が……これは親父のミスかもしれないんだけど……朝鮮総連の幹部が「会わせてくれ」っていったんです。甥っ子は韓国のエリートでいろんなことを知っているから、親父もすごく躊躇して、「危ないかな」と思ったんだけど、とりあえず紹介して…。
四方田 韓国から来たらまずいんじゃない、それ。
 会わせたんです。もちろん家で。甥がわが家に来たときに、たまたま友人が来てるからっていうんで会わせた。会ったのはその一回だけなんです。家で。俺もいましたから。それで甥は韓国に帰ったんです。そうしたら一月後に「東亜日報」の一面に出たんです。トップ記事になって−−「韓国電力の課長がスパイ容疑で捕まった」。
四方田 そうか、朴政権でも一番悪い時期だったしね。
 それで、鳳永っていうんですけどね−−僕らの世代はみんな「鳳」がつくんですよ−−鳳永はとにかく親戚の中でもエリート中のエリートだったんです。一家の期待を担って。それが捕まって懲役十年って刑が下されて。親父は落ち込んじゃってね。もちろん親戚中から非難されるし、韓国からすごい電話が来て、「おまえは家族を売ったのか」「なんということをしてくれたんだ」。親父泣いてましたけどね。そんなつもりなかったし。そういうときも総連は何も助けてくれなかった。
四方田 ひでえ話しだね。
 政治っていうのはこういうことなのかって、親父はそれで徹底的に……。甥は三年ぐらいで出てきました。恩赦があってでたんです。出たあと、大学の先生に迎えられて、それで、去年すい臓がんで死んだんですけど。
四方田 学者になった。
 博士号を取って物理学の先生になったんだけど、でも、死ぬまで、一回もうちには連絡してこなかったですね。奥さんの実家が学者一族で、彼を一切李家とは結びつかないようガードしてました。死ぬまで。親父からしたら非常に暗い過去で、その話はもう触れて欲しくないという…ショックだったんじゃないですか。

2006/02/18(土)●久々の快勝●

昨日は帰ってからついつい残りの焼酎飲んで夜更かししたため、完全な宿酔(>_<) 目がさめたらお昼過ぎてた。その後も頭が痛くてごろごろしてた。
おまけに、昨日ホットカーペットで寝てしまってたらしく、ちょっと風邪気味のようでもある。ヤバい。
夜は7時から日本−フィンランドのサッカー見る。前半は攻めきれなかった日本だが、後半は久保のゴールで先制、小笠原の超ロング山なりシュートが上手くGKの頭の上を越して2点目あげるなど、前のアメリカ戦とはうってかわって、リズムも良く、快勝した。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【反自殺クラブ】石田衣良 ★★★☆☆ この前読んだ「アキハバラ@DEEP」がなかなか面白かったので、同じ著者のものを読む気になった。「池袋ウエストゲートパークX」とあり、同じシリーズの5作目らしい。池袋の果物屋の息子で、コラムニストで揉め事解決人を主人公にした連作短編のシリーズらしく、本書には「スカウトマンズ・ブルース」「伝説の星」「死に至る玩具」「反自殺クラブ」の5編が収められている。そしてどれも、いちおう読ませる作品揃いだった。文章もかなり上手い、というか、自分の文体を意識してる書き手であることが見てとれる。主人公がコラムニストであるという設定を効かしてか、小洒落たアイコンカットで細かく章分けして、まるでそういったコラムが並んで小説になってるといった工夫もこらされている。

この春のおれのマイブームといえば、なんといっても俳句だった。中学の夏休みの宿題で無理やりつくらされてから、いい思い出などひとつもなかったのだが、本屋で手にした一冊の近代俳句集でガツンと後頭部をやられてしまったのだ。だいたい俳人の名が、みなGボーイズみたいで、カッコいい。三鬼とか、亜浪とか、水巴とかね。男っぽいのでは、不死男、不器男、赤黄男なんて男の中の男の三連発もいる。間違ってもマコトなんて間の抜けた名前ではないのだ。
おれが読んだ感じでは、どんな俳人でも文句なしの名句は十句あっても二十はなかった。だが、その十句を得るために、さして見返りのない俳句の道に一生をかけなければいけない。おれのコラム書きといっしょだった。どこに読者がいるのかわからないし、たいした金にもならないのだ。
だが、俳人たちのなげやりだかまじめだかよくわからない真剣な軽さが、なんだかおれにはおもしろかった。イメージや表現は、十七文字に爆発的に圧縮されて、抜群の冴えを見せている。きっと来シーズンには、びしっとクールな近代俳句の技を、おれのコラムでパクってみせるから、数すくないおれのコラムのファンは期待していてくれ。


まるで小説とは無関係な、こういったけっこう読ませるフレーズをさりげなく挿入するあたりは、なかなかのものである。
ストーリーは、風俗嬢のスカウトやってるやさ男や、一発屋の中年ロックシンガー、人気人形にからむ中国女性の訴え、自殺サイトの首謀者を追う若者など、バラエティに富んでいるし、主人公の性格設定もよく出来ている。好きな音楽がクラシックで作品ごとにそれなりの曲が使われているという趣向もなかなか面白い。社会問題意識みたいなものも表現しようとしているみたいなのだが、決して深入りはしない。よく言えばクール、悪く言えば傍観者的立場の作品だ。でもまあ、最近のエンターテインメント作品としては悪くないと思う。

2006/02/17(金)●秘密作戦始動(^o^)●

10時半起床。ムックさんから電話で今日の午後は時間空いてるというので、あわてて、朝風呂つかう。麦焼酎と真露のポケット瓶などお土産に持ってきてくれたムックさんと、早速、秘密作戦(^^;)の第一歩である、楽譜作りと曲選び。これは例の韓国音楽サイトのおかげで、ハングルの歌詞が簡単に入手できることからちゃかちゃかと進行。で、結局後は、飲んで歌っての宴会モードとなった(^^;)
最近の得意メニューのアンかけ焼きソバも気に入って貰えたようだし、これでムックさんの韓国歌謡レパートリーも激増するのは間違いなしである。
ムックさんは6時から新開地で練習あるというし、Morris.も昨日授業でチケットもらった「朝鮮音楽の夕べ」を聴くため、大倉山の神戸文化ホールへ。
一部は神戸朝鮮高校吹奏楽団の演奏。そして二部は金剛山歌劇団民族管弦楽団の公演で、開演直前に入場したのに最前列が空いていたので一番前で見ることが出来た。とはいっても、いいかげん酔いの回ってたMorris.は途中でうとうとしたりしてたみたいだ。
やっぱりMorris.は歌があったほうが楽しい。それでも、伽耶琴(カヤグム)、コムンゴ、ソヘグムなどの弦楽器や、さまざまな笛の演奏などは滅多に見る機会がないだけに興味深かった。


ノレバン98号で熱唱中

神戸朝高ブラスパンド演奏

ピリ、チョッテなどの管楽器群

これはソヘグム(小奚琴)

これはカヤグム(伽耶琴)

これはコムンゴ(玄琴)
2006/02/16(木)●担架は外来語??●

矢谷君らと、昨日の現場。クライアントが早く終わらして欲しいみたいだったので、昼食抜きで2時過ぎまでかかって作業終了。遅めの昼食は今日も扇矢。カツ丼セット。これは、この店の定番みたいなもので、ずっと以前は扇矢といえば、99%がこれを頼んでいた。ダイエット中のMorris.にはちょっと多いめだが、小ぶりのうどんついて、\750はやはりお値打ちメニューだろう。
帰りは小川さんに阪急六甲まで送ってもらう。5時半に着いてしまった。授業は7時からなのでちょっと早すぎる。昼食が遅かったので夕食食べる気にもならない。今日は先生の都合で、9時半までの授業だった。信長さんは今日も欠席で、受講者5人。このままだと4月からはどうなるか分からない。授業の中で、トゥルコッという単語が出てきて、担架のことだが、Morris.が「たんか」と訳したら先生が、それは外来語でしょうと言われた。どうやら先生は「タンカ」は日本語でなく、英語か何か別の外国語と思っていたらしい。ちなみに辞書で調べたら、担架は英語でstrecher(litter,handbrrowとも)言うらしい。
夜遅くに韓国風おじや作って食べる。

2006/02/15(水)●鉄人歌塊の記事●

矢谷君らと、篠原町の現場。今日は春先みたいに暖かい。
鉄人歌会の記事日経夕刊2/15昼は「扇矢」の扇丼。あんかけの中華丼を和風にした感じで、ときどきこれを無性に食べたくなる。
今日の日経夕刊地方版「夕悠関西」欄に、王子公園阪急高架下の鉄人マーケットの歌塊のことがとりあげられていた。「歌い継ぐ関西フォーク」という見出しで、団塊の世代で今もフォークを歌いつづけている人のレポートといった切り口だが、写真の右隅にきっちり矢谷君の顔も写っていた(^o^)。→
六甲学生青年センター恒例の古本市は今年も3月15日から5月15日までロビーで開かれる。この古本市の売り上げは六甲奨学基金として留学生のために使われるので、ぜひご協力ください。3月1日から3月30日の間には古本を集めているので、家庭で眠っている本をセンターまでお送りください。また古本市のボランティアも募集しています。詳しいことはセンターのHPを見てください。

2006/02/14(火)●手づくり楽譜●

8時半起床。
いい天気だが天気予報では夕方から雨になるらしい。
Teacup掲示板は相変わらず繋がりにくいことが多い。ぐいぐい酒場は一時の賑わいは一段落したようだ。掲示板というのは、個人HPでは日記と並ぶポピュラーなコンテンツだが、これをうまく(自分に都合よく(^^;))管理・運営するのは難しい。書き込みゼロの日が続くのも淋しいし、パンクするほどの書き込みがあると対応に追いつかなくなってしまう。あなたまかせ、というところもあるしね。
Morris.の掲示板「ぐいぐい酒場」は韓国関連の話題が多い割りには、過激な反韓国、反朝鮮方面からの嫌がらせもほとんどなく、いわゆる掲示板荒らしにも会わずに済んでいるのは、Morris.自身が政治的話題は極力避けることにしてるのと、Morris.部屋自体の認知度が低いこともあるのだろうが、ありがたい。ネット交際や商売関連の書き込みも滅多にない方だろう。それでもときどき、何だかなあと思う書き込みをもらうこともある。必ずしも書き手に悪意がなくても、掲示板の雰囲気にそぐわない場合もある。掲示板は告知、紹介、情報公開などもあるだろうが、その場の中での「call and responce」という基本が分かっていない人への対応は悩みのタネである。そういうときのMorris.の対応姿勢は基本的に「無視・黙殺」である。パソ通時代に苦い経験をしてるので、インターネット上での論争、討論などの不毛な行為は絶対繰り返したくはないのだ。何を書いてるのか良くわからなくなってきたので、このへんで止めておく。
今日はバレンタインデイらしい。この日と縁が無くなって半世紀が過ぎた(^^;)が、深夜に某つかちゃんからe-mailのカードが届いた。年賀状、クリスマスカード、バースデイカードなどと同様に、バレンタインカードも相当数がe-mailでやり取りされているのだろう。甘いもの天敵(とりわけ、チョコとアンコ)のMorris.だし、今はダイエット中ということもあって、生チョコよりはありがたいということにしておこう。でも、つかちゃん、ありがとね(^^;)
ムックさんと、今度韓国行ったら韓国歌謡の流しをやろう、と、冗談で言ってたのだが、ムックさんはやる気まんまんらしいので、Morris.も何なりと誠意を見せなくては、と、例の韓国の音楽サイトから、歌詞をダウンして、加工し、これにカタカナでルビ振って、プリントアウトし、それに歌本のコードを色鉛筆で書き込む作業をする。これまで歌詞はキーボードでハングル打ってたのが、これだと楽ちんである。しかし、何となくズルをしてるような気にもなる。今日はためしに3曲ほど作ってみたが、カタカナで発音を表すというのはやっぱり隔靴掻痒である。あれだけ韓国に入れ込んでるムックさんだから、是非一日も早くハングルを読めるようになって欲しいものである。

【外国語の水曜日】黒田龍之助 ★★★★☆ ロシア語の専門家で理科系の大学で第二外国語の教授をしている著者が、特定の言葉に限らず、さまざまな外国語の学習という面から、言語学者の立場で論じたもの。というと、えらく難しそうな感じがするが副題に「学習法としての言語学入門」とあるように、学生や一般人が、新しい外国語を学ぶときの問題点や、ポイント、を実にわかりやすく、それでいてツボをはずさない名調子で論じている親しみやすく、ためになる一冊だった。
著者が実際に学生と一緒に韓国語の集中講義を体験したレポートや、副題のタイトル名で行った講義録+生徒のテスト解答、お薦め外国語学習本の紹介、外国人に日本語を教える技術、学習の秘訣中の秘訣(^^;)などなど、盛りだくさんの内容で、Morris.はすっかりこの本に「洗脳」されたような気がするぞ(錯覚だというのはわかってるけどね) 何といっても著者が外国語学ぶことは苦しみではなく、楽しみであるということを強調しているところが、Morris.には嬉しかった。紙の上だけの研究でなく、実践のなかで身についた納得できる卓説であることが良くわかる仕組みになっている。
とにかく、ここはチェックしておかねばというところだらけで、引用がいつもにまして大量になるが、勘弁してもらいたい。ああ、韓国語学び始める前に読んでおくべきだったあ(>_<) って、本書が出たのは2000年だ。

わたしは楽しい雰囲気がなければ語学の学習は絶対にできないと信じている。授業中も学生に言う。楽しい授業にしようよ。恐怖をもってしても語学はうまくならない。先生に厳しく脅されれば勉強する気になるだろうか? だったら学習者の背中にトカレフを突き付けてあげてもいい。でもそんなことしたってダメなことは誰にでも想像がつく。では、どうすれば楽しい授業になるのか。それにはどうしたって、学生の協力が必要だ。先生が一人で頑張ったって、それだけでは無理である。授業は教師と学生の両方で作って行くものだ。もちろん、知識は先生が提供する。では、学生は? それぞれが受講者の気持ちになって考えて欲しい。(愛と駄洒落のハングルレッスン)

いちおうMorris.もセンターで朝鮮語講座を受けている身だが、これを読んで反省しきりである(^^;) 何ができるか、今からでも考えてみよう。

ことばはコミュニケーションの手段。ただし情報を伝えるだけがすべてではないことは、世界のあらゆる言語でことば遊びがあることからも分かる。そう、ことばを楽しむということからすべてが始まるんだと、私は信じている。(愛と駄洒落のハングルレッスン)

このことばに、120%の賛意を表明しておきたい(^o^)

外国語の会話を勉強するのは結構なことである。しかし道を教えてあげられるようになったところで、外国語能力が一定のレベルに達したわけではない。道案内を外国語学習と結びつけないほうがよいだろう。
ということは、ことばができなくたって、困っている外国人を助けてあげることができるはずである。でしょ?(どうして道を教えたがるのか?)

教科書は一定のスピードをもって進めるように心がけたい。途中で分からなくなったら、また戻って復習すればいいのである。「三課を完璧にしてからでなければ、四課に進めない」と思いつめていると、いつまでたっても同じところでつまずき、そのうちに学習そのものがいやになってしまう。三課で分からなかったことも、五課になって分かるときもある。ある程度の「いい加減さ」も必要なのである(これには自信がある)。(独学に限界はあるのか?)

どうも「文法」という語は評判が悪いが、それは誤解だ。文法とはマニュアルである。本来なら例文を山ほど覚えるところを、効率的にまとめてあるのだから、嫌うどころか有り難く感謝しなくてはならない。
外国語の実力は総合的なものである。読めるけれども話せないというのは本来おかしい。こういった総合的な能力は、部門別に測定するものではないだろう。
さらに「聞き取りはダメだけれど、会話は得意」という人がいたら、それはもうまったくどうかしている! 会話は相手があってこそ成立するもの。一方的にしゃべりまくるのではなく、ちゃんと受け答えになっていなければ、いくら単語をたくさん使っても、文法が正しくても、そもそもダメである。外国語の会話という特別な世界はない。会話は会話である。(「文法」よりも「会話」が好き)


「読めるけど話せない」という状態は、実際問題としてMorris.は一時それに近い状態だったので、ちょっと異論があるが、後半の「聞き取り出来なくて会話無し」というのは、身にしみてわかる。

発音をよくするのには、歌が大変に効果的であるということだ。
まず、歌はただ文章を丸暗記するよりも覚えやすくて楽しい。さらに音符に合わせて音節が切ってあるので、音節の切り方の法則も「母音間の一つの子音と語頭の二つの子音は後の母音につくが、母音間の二つの子音は異なる音節に属し……」などという難しい規則を覚えなくても自然に体得できる。(「分かる発音」と「うまい発音」)

おお!!まさに「我が意を得たり」発言ではないか。これがあったから本書の評点が高くなった。わけではないし、これまでにも何度か聞いたり自分で言ったりもしてるのだが、こういったきちんとした本に書いてあると、嬉しくなってしまう。

日常会話をナメテはいけない。日常会話はある意味では会話能力の総決算、最高段階なのである。知識がしっかりあれば、語彙が限定されている専門分野での会話のほうがむしろ楽なのだ。(「日常会話」という幻想)

これもMorris.が最近思い当たったことである。そうだよね、「日常会話ができればよい」なんて言うのは百年早かった(>_<)

この考え方(比較言語学)に従って、一つのことばが分かれていって生まれた諸言語のグループを「語族」という。また、はっきりと証明することはできないがおそらくは語族同様の関係があったと考えられるものを「諸語」という。
以下に、語族、諸語の例を挙げる。(語派とは語族の下位区分である)。

インド・ヨーロッパ語族
 ゲルマン語派:英語、ドイツ語、スウェーデン語……
 ロマンス語派:フランス語、スペイン語、イタリア語……
 スラヴ語派:ロシア語、ポーランド語、ブルガリア語……
 イラン語派:ペルシャ語、クルド語……
 インド語派:ヒンディー語、ウルドゥー語、ネパール語……
ウラル語族:フィンランド語、ハンガリー語……
アルタイ語族:トルコ語、モンゴル語……
アフロ・アジア語族(セム・ハム語族):アラビア語、ヘブライ語……
モン・クメール語族:カンボジア語、ヴェトナム語……
シナ・チベット語族:中国語、タイ語、チベット語……
オーストロネシア語族:インドネシア語、タガログ語……


これは「世界の言語」という章からの引用だが、「語族」に関しては前から関心ありながら、いまいち分からずにいたので一覧表を引用せずにいられなかった。日本語も韓国語もこの表に入ってないが、要するにはっきりしてないってことだ(>_<) 日本でも朝鮮半島でも古い資料は漢文で書かれていることが研究を難しくしているらしい。

言語学における「言語」とは何か?
1.二重文節性(double articulation) すべての言語にはメッセージを伝えるためのまとまり(=文)がある。このまとまりは意味を持っている単位、いわゆる単語に必ず分けることができる。さらにその単語は、音の単位に分けることができる。このように二段階にわたって分けることができるので、これを二重文節という。ただし、この意味の単位も音の単位も、どのように分けるのかは言語ごとに決まっている。あらゆる言語にはこの音の並べ方の規則と単語の並べ方の規則がある。そしてその限りある規則を駆使することによって、ほとんど無限の文を作り出すことができるのである。
2.恣意性(arbitrariness) 表現と内容の結びつきには必然性がまったくない。すなわち恣意的であるということだ。
3.線条性(linearity) 言語は時間の流れに沿って一定の順番でメッセージを伝えるということである。書きことばでも文字を順に追うことによってメッセージを受けるわけだから、やはり線条性があるわけだ。
4.その他いろいろ 過去や未来を語ることができる、老若男女でも同じ基準で話すことができる。嘘をつくことができるなどなど(記号論)


こういうのを、アカデミックというのかな。結局良く分からないのだが、こうやって写していると勉強してる気分になってしまう(^^;)。

声の上がり下がりなどのことを音調またはトーンという。この音調によって意味が変わってくることがあることは、日本語でも経験があるだろう。その中でもすべての意味単位が一定の高・低などの制約を受けている場合にはこれをとくに声調といい、このような特徴を持つ言語を声調言語という。中国では四つ(四声)、タイ語では五つ、ヴェトナム語では北部で六つ、中・南部で五つ、広東語ではなんと九つもある。
ある言語においてある部分を目立たせて意味の区別をしたり、その言語特有の音パターンを示したりするものをアクセントという。その中でも日本語は音の高低(pitch)によるアクセントを用い、英語などのは息の強さという強勢(stress)によってアクセントを示している。
この区別がしっかりとできていないと、外国語学習において障害となる。日本人が英語の音を学習するとき、強勢の代わりに声を高くして発音しているといつまでたっても英語らしい音にはならない。

どうせ外国人なんだから完璧は無理。でも相手に分かってもらえなければ何にもならない。そのときに何を押さえるべきかということを、音韻論から学ぶことができるのである。(音韻論)

がぁ〜〜〜〜〜ん!!これはMorris.には目からウロコというか、耳からモロコの指摘だった。そうか、日本語のアクセントはピッチで英語のアクセントはストレスだったんだ。言われてみればなるほどなんだけど、言われなければ分からないことだと思うぞ。1億2千万人の日本人英語学習者はまず、これを肝に銘じておかねばならなかったのだ。(って、知らぬはMorris.ひとりだったりして(>_<))

文字の困難は、言語習得のごく初期に克服されるものだ。どんな文字だって誰でも必ず覚えられる。しかしその習得にはある程度時間がかかる。韓国語のように非常に明快で論理的な文字体系でも、字を見てすぐに認識できるようになるには慣れが必要だ。それどころか馴染みのある文字を基本としている言語を学ぶときだって、初めはとまどう。どの言語の文字にもそれぞれの約束事があるのだから、その「字面」に馴れるためには一定の時間が必要なのである。(文字論)

ハングルだって覚えるのはそれなりの努力と慣れが必要というのは、同感だが、やはり「漢字」は別格だと思うな(>_<)

大まかな類型的言語分類
1.孤立語 語形が変化することなく、語順や語彙によって文法的な関係を示す。中国語などが代表例
2.膠着語 助詞や助動詞を付加することによって文法的な関係を示す。日本語やトルコ語などが代表例
3.屈折語 名詞や動詞の一部が変化することによって文法的な関係を示す。いつでも同じ要素を付加するわけではないところが膠着語と違うところ。ロシア語やラテン語などが代表例
4.抱合語 スワヒリ語のように、一単語が一文章のようなタイプ
 *ただし、すべての言語はこの四つのうちのどれか一つに当てはまるというのではなく、多くの場合二つ三つのタイプを兼ねている。(文法論)

ふむふむ、日本語が膠着語というのは知ってたが、当然韓国語も膠着語だよな。それに動詞の変化はあるから屈折語でもあるし、孤立語だって含まれてるだろうから、この分類はそれぞれのタイプの割合で考えるべきなのだろうか。

ピジンとは土着の言語と新たに入ってきた言語との混成語だが、その体系にはある規則性が備わっており、一定の社会において共通に用いられている。多くの場合は商売のために必要なコミュニケーションの補助的手段として成立したものと考えられる。この「ピジン」という名は、もともと広東語と英語が混ざり合ってできた商業語を"business English"と呼んでいたのが、"pidgin"というように変わったのだろうと想像されている。
この「ピジン」を使いつづけていると、この言語を生まれながら母語として使う世代が現われてくる。このような状態になったとき、この混成語は「クレオール」という。(社会言語学)


ここは、単純にMorris.の雑学的好奇心を満足させてくれた部分。

一つだけよくない教科書の特徴をあげておう。それは習うより慣れろ、外国語の発想を身につけよ、というようなことを強調しているタイプの教科書だ。すでに子供時代が過ぎてしまったわたしたちにとって、母語を学習したときのように外国語を身につけることはできない。またその言語が話されている環境にいるとも限らないから、馴れるのはなかなか難しいことだ。そして、なんといっても外国人なんだから、そう簡単に外国語の発想が身につくはずもない。そういうできるはずもないことを謳っている教科書は、文法をきちんと書くことのできない、インチキな人が作った場合が多いのである。

(*¨)(*・・)(¨*)(・・*)ウンウン←by つかちゃん(^^;) そうそう、語学コーナーに行ったら、こういう類の本が、やたら多いよなあ。インチキ参考書。こういった本は撲滅して欲しいものだが、こういうのに騙される入門者は後を絶たない。せめて「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が適用されないことを祈りたい。
いやあ、最初に断ったけど、やっぱり引用しまくってしまった。それだけ、Morris.の金銭に、ぢゃなかった、琴線に触れるところの多い、内容の濃い本だったということだ。とどめの一発引用で、フィニッシュにしよう。
「外国語学習にとって最も大切なこと」という章にあった標語に近い言葉である。ご丁寧に一部ゴシック太字になっている。
そのお言葉とは、

外国語学習者にとって最も大切なこと、それはやめないことである。

がっはっはっはっは(笑)(笑)(笑)。というわけで、長めの読書感想(でなくて講義録だね)を終えるm(__)m

2006/02/13(月)●大安亭あたり●

8時半起床。
朝風呂つかい、部屋掃除。
昼から自転車で春日野道に向かう。特に用はないのだが、ダイエットを兼ねて大安亭商店街あたりを散策することにしたのだった。
脇浜子安地蔵の中にあるビリケンさんに挨拶したら、紙の短冊に「ピリケンさんです。お参りください」と書いてあった。
古本勉強堂に寄るも見るものなし。自転車を置いて、大安亭へ。平日なのに結構賑わっている。いつの間にかアーケードの中に業務スーパーが出来てる。ちょっと覗いたら、このところ桜口店では見当たらない韓国キムチがあったのでつい買ってしまった。大安亭には朝鮮食材やキムチの店も数店あるのだから、わざわざそんなもん買うこともないと思ったけどね。
たまにはこうやって日本の市場も観光気分で見物するのも悪くない。そのまま北側のひなびた商店街も流す。豆腐屋やら、しもた屋風のわけのわからない店やら、露地やらをチェック。
その後、自転車で阪急の高架沿いの鉄工場など冷かしながら王子公園まで行く。そのあと大回りして大石のコーナンで作業用品や歯磨きなど買いちょうど6時に帰宅。
結局自転車でふらふらしただけで、ほとんど運動にはならなかったが、仕方ない。
長いこと全く手を加えてなかった、リンクページを作り直す。リンクというより、Morris.のブックマークページに近い。以前のようにそれぞれのページの説明や紹介もカットして、とにかく、該当ページに跳ぶためのページに徹することにした。そっけないと思われるかもしれないが、前よりはましだと思う(^^;)


脇浜地蔵堂のビリケンさん

大安亭市場北入口

なかなか賑わっている

何となく親しみ覚える秋本商店

チープ・シック(^^;) 現在閉店中

立入禁止の休憩場

存在感ある高架下鉄工所

物干し台は羨ましい

王子公園近くの鉄工所
2006/02/12●寒中月見●

10時半起床。
前に録画しておいた韓国映画「リベラ・メ」を見る。吹替えだから見るのやめようと思ったのだが、ムックさんが推奨してたので見る気になった。最初から見たら、画面に「字幕」と書いてある。あれれ、でも、字幕なんか出ないようだし、ためしに音声切り替えしたら韓国語になった。どうやらこれは二ヶ国語放送だったらしい。ヤフーのTV番組表には何の表記もなかったから、てっきり吹替えだけと思い込んでいたらしい。「ボディガード」のチャスンウォンが準主役で出てたが、これがドラマとは打って変わっての暗い役でがっかりした。火災の場面などをCGなしスタントマン無しで、迫力満点に再現したというのが売りらしいが、Morris.はそういうのにはほとんど関心ないので、作品としては苦手な部類に入る。とりあえず韓国語で見たので、細部がわからないところもあるのだろうが、台詞は少ないし、アクションと焔が主役みたいな映画だったから、日本語吹替えで見直す必要もないと思う。
六甲道駅から見上げる旧暦1月15日の月2時からラグビー 早大−トヨタ戦を見る。これが歴史に残るくらいの名勝負だった。前半早稲田のドライビングモールのトライ、曽我部の切り込みトライもすごかったし、後半のインターセプトの応酬、そしてロスタイムでのトヨタの猛攻に耐えた早大の4点差の勝利。学生同士のゲームでは破格の強さだったが、社会人チームにも互角以上の力を発揮した今年の早稲田は本当に強い。準決勝は東芝だが、こうなったら一番上を掴んで欲しい。久し振りにラグビーで興奮させて貰ったよ。
今日は旧暦1月15日である。韓国ではテボルムと言って、古来月見をする日となっている。
日本では月見は秋のもので、風流を主眼としたものだが、韓国の場合は一種の占いみたいな意味合いが強いらしい。農家では月の色、高低、大小などを見てその歳の豊作、凶作を占い、月に願いをかけることになってたらしい。今はまあ形式的なものになってるだろうが、家では五穀飯など食べるようだ。夕方六甲道駅で見た月は真円ではなく左下がちょこっと欠けてるみたいだった。本当の満月は明日らしい。
昨日につづいて、例の韓国音楽サイトからネタを拾ってノレ番Morris.8090を更新。タイトルは「韓国人の好きなポップソング200+α!!」
西宮の大森さんから宅急便到来。奄美の黒糖焼酎「煌きの島」だった。「これでも飲んでいい気持ちなってください」とのメモがあった(^o^)
大森さん、ありがとうm(__)m

2006/02/11(土)●統一COREAチーム●

8時半起床。
今日からトリノの冬季オリンピック始まったようで、TVでは開幕式の録画やってた。それこそ見るともなく見てた。
韓国と北朝鮮の統一チーム入場。これはオリンピックで何度か見たが、冬季では初めてらしい。それはともかく統一国名が「KOREA」でなく「COREA」になってることに気づいた。コレアというのはもともと高麗に基くものだから、アルファベットの発音ならKOREAだろうとCOREAだろうと大差ないが、一般的にはKOREAのほうが普通に使われてる気がする。今回は国名はイタリア語で表記のためCOREAになったらしい。日本もJAPANでなくGIAPPONEになったため、ドイツに続いての入場ということになった。イタリアの会場で、ドイツ、日本が並ぶと、第二次大戦の日独伊三国同盟を連想してしまった。
開会式自体は特に面白いものではない。数百人のボランティアが人文字ならぬスキージャンプ選手の「人絵」を作って頑張ってたが、これが北朝鮮ならもっと上手くやったのではなかろうか(^^;) 聖火リレーのラスト走者が誰になるか、えらく持って回った演出(ったって、単にランナーが周回したりするだけ)はいいかげん鼻についたが、点火の仕掛けで焔の列が高速ドミノ倒しみたいに広がったところだけは、綺麗だと思った。
その後、日本選手のインタビュー場面などが続いてたが、Morris.は美姫ちゃんの笑顔だけしか見てなかったな(^^;)。オリンピックも、結局本当に見たいのは女子フィギュア、それも美姫ちゃんが4回転するかに集約されそうだ。
11時からhappyFMのテジナショショショを聞く。今週のベスト40では、キムヘヨンの「オッチョナ」が5位に上がっていた。びっくりしたのは双子のトゥッティの新曲「300ウォン」が2位だったことだ。ユンジョンちゃんは1位をキープしてるけど、まさかあのトゥッティが2位とはね。
午後はサンフランシスコでの日本−アメリカのサッカー見る。試合始めは日本のペースだったがすぐにムードは一変、完全にアメリカ主導のゲームとなり、前半0-2、後半になってすぐに0-3になり、終盤に1点、ロスタイムで1点返して2-3の負け。得点差以上の惨敗だったと思う。GK川口はそれなりに頑張って好セーブもいくつかあった。小野も久保もほとんど仕事させてもらえなかった。日本のパスミスとスピード不足、そしてやっぱり決定力不足という持ち味(^^;)は治ってない。見どころは2点目をMorris.が好きな中澤が鋭い足さばきで入れたことくらいだった。
イルボンさんの掲示板の書き込みで、韓国の「2000mp3検索エンジン」というサイトが紹介されていた。すごいデータ量である。歌手名や曲名で検索出来る。ほとんどの曲の歌詞も見ることが出来るし、音源やミュージックビデオもあるみたいだが、Morris.のPC環境では再現できなかった。最近は、韓国でも著作権の管理が厳しくなっているから、こういったサイトが今後どうなるかは予断を許さない。
ヒット曲のランクも充実していて、ちゃんと「成人歌謡=トロット歌謡」の50位までのランク表があった。しかもよく見ると200位まであるらしい。とりあえずざっと目を通したが、後半の方はそこそこ古い曲も入ってる。とにかくこの50位までを、ハングルでカット&ペーストして、日本語の訳をつけて、ノレ番8090で紹介することにした。トロットの順位変動はのんびりしてるから、季節に1回ずつくらいの割で紹介していこうかと思っている。

【在日ふたつの「祖国」への思い】姜尚中 ★★☆☆ 新書200p足らずの本なのに、えらく読むのに時間がかかってしまった。50年生れの政治学者で、よく名前は聞くのだが、これまで著書を読んだことがなかった。本書は朝鮮総督府が置かれた1905年からちょうど100年目にあたる2005年にあたって、在日二世の学者がこの百年を総括し、さらにこれからの南北統一の道ならびに、日本と、韓国・北朝鮮との未来を考える主旨で書かれたものらしい。対象は日本人と在日三世のようだが、過去の歴史の解説や分析は見るものがあったが、近未来の展望というか統一試論の部分は肩透かしだった。

壊滅的な敗北に打ちのめされた国家が、誰も予想しなかったような有数の経済力をもつ大国として甦り、過酷な植民地支配から解き放たれた「開放民族」がなぜ分断と内戦の茨の道を歩まなければならなかったのか。この目も眩むような格差こそ、劣等と半島の百年の始まりに勝るとも劣らない断絶を刻印した逆説だった。
朝鮮半島の人々の心の中に澱のように沈んだ日本に対するわだかまりの感情は、こうした敗北と開放の逆説に由来する半世紀の歴史に向けられているのである。


本書に限らず、在日朝鮮人/韓国人が、日本の現代史を顧みるときの根本にあるのが、この「逆説」への恨みつらみだろう。
日本人の一員であるMorris.には、頭では理解しても、体感することは難しい。
半世紀の、日本の南北国家への態度や評価の逆転、米中ソの思惑に翻弄された半島の悲劇、平和の名のもとに保身と経済発展を遂げた日本への疑問など、著者の歴史を見つめる目は、間違ってはいないと思うのだが、どうにも読み進めるのが難儀だった。面白くなければ、読みつづけるのをやめたらいいようなものなのに、それもできない、という複雑な気持ちにとらわれたのも事実である。
はっきり言ってしまえば、文章がまずいのではなかろうか。
最終章に、朝鮮戦争開始直前の丸山真男の言葉を引いている。

「政治的な底辺の広がりによって、下から支えられたところのナショナリズムが、上からの官僚的な国家主義によって吸収されてしまうことになると、国民を国民として内面から把握するところの思想というものは最早ない訳であります。したがって国民思想は一方には個人的内面性に媒介されないところの国家主義と、他方には全く政治的な、つまり星や花を詠い、感覚的本能的生活の開放に向かうところの個人主義という二者に分裂して相互に無媒介に並存する様になるのであります」(丸山真男「明治国家の思想」)

この悪文としかいいようのない丸山のことば(この短い文章の中に「ところの」が4回も出てくる(>_<))を、引用して現代の状況に対応させようとする「センスの悪さ」が、本書全体を読みにくくしている原因なのではなかろうか。 内容的には見るものがある、とも思えるのだが、文章があまりにもいただけない(>_<)Morris.はそう思ってしまったよ。そして、姜尚中の本書にも、全く同じような感想を抱かずにはいられなかったのだ。
先に本書を読むのに難儀したと書いたが、この、感想を書くのにもえらく時間がかかった。というか、打っては削除し、打っては削除しての連続だった。結果的にここにある5倍くらいを削除したと思う。内容よりも、文章でケチをつけるのも、そういったMorris.の苛立ちの表れかもしれない。
巻末に資料として、年表や条約本文、南北交流の年次変化の表などがあるのだが、とくにこの表ときたら、素人がPCで作ったようなちんけなもので、実に見にくく、不様である。こういった連続的数量変化は、グラフにでもするなり、表を使うとしても、ちっとはましな作り方はあるだろうに。ここまでナンセンスなデザインは、読者を馬鹿にしてるのか、喧嘩売ってるのか、と思いたくなってしまった。

2006/02/10(金)●肥満注意報●

一日、倉庫と通関作業。昼は矢谷君とR-2の「藤平」でラーメン。久し振りだがやっぱりここのは、安定して美味しいと思う。
午後、航空便の重さを量ったあと、ちょっと思いついて体重計ったら何と59kgある!!ちょっとびっくりである。作業服着たままだから、3kgくらい割引しても56kg。Morris.は、学生時代から30年間以上ほとんど体重53kg前後を維持してきた。特に意識してそうしてきたとかでなく、それが当たり前だったのだ。これまで記憶してる中で一番の増加時で56kgだったと思う。部屋の体重計はずっと前に壊れてそれから体重量るのは、銭湯に行くときくらいだったのが、このところ、銭湯にも行ってないので、体重計ること自体が久し振りだった。
ちょっと太ったのかなという気はしてた。何せ、今年の年末から正月はみごとに、寝正月を実践したし、その後も仕事ひでりで、部屋でごろごろごろごろしてることが、多かったのと、業務スーパーの「えびミックス」にはまってしまった(>_<)のが大きいと思う。もともとMorris.は甘いものが天敵で、間食も滅多にしなかったのに、このえびミックスは、これまでに100袋くらいは消費してると思う。うーーむ、この歳からの肥満は危険かもしれないな。第一今持ってるジーンズがはけなくなるのは困る。自重しよう。
KBSアーカイブのノレチャラン見る。ソウル南の安山市篇で、初っ端にユンジョンちゃんが登場、「コッ−花」を歌った。生でこの歌を歌うのを見るのは初めてだったが、かなり下手だったぞ(^^;) 爆発的ヒットの「オモナ」と次の「チャンチャラ」は、ノリが良くてメロディもリズムも単純そのものだったのに比べて、3弾目のこの曲は、結構難しいところがありそうだ。バックで一弦や琴などの民族楽器が使用されていた。その他「サランエパッチュル−愛の投げ縄」のキムヨンイムもゲストに出てたし、トリはトロットの女王チュヒョンミが「チョンマルチョアンネ」歌ったし、最優秀賞は、パクチュフィの「チャギヤ」歌ったりで、最近の韓国トロットの隆盛、特に女性歌手の活躍ぶりを実感することができた。

2006/02/09(木)●気だるい授業●

矢谷君ら4人で、北野のドイツ向け荷物のピックアップ。ちょうど正午に終了。昼食は近くの「燕京」のランチ。今日は酢豚だった。ここの玉子スープは本当に美味しい。
午後は同じ現場の大阪の実家の荷物で、こちらは少ないとのことだったので、矢谷君と二人で行ったら、どっさりあって(>_<) 清水、溝渕君に応援に来て貰って、やっと5時に作業終了。
今夜は朝鮮語講座だが、先生の都合で8時開始だった。信長さんは旦那の正義さんが風邪のため欠席。Morris.はニュースのシャドウイングが気に入ってたのに、ここ数回は、映画の台詞や会話の一部を切り取ったもの、それも「韓国語ジャーナル」の記事の流用で、Morris.はすっかりやる気を無くしていた。前回の授業で居眠りしてしまったのは、疲れもあったが、興味を無くしてたのが原因の一つだろう。
来週からはまたニュースに戻るとのことで、ほっとしたのだが、先生は、これからもいろいろな教材で目先を変えてやっていくつもりらしい。5年ほど講座止めてて、このシャドウイングの授業のおかげで、聴き取り能力がアップして、韓国TVやラジオ番組がよくわかるようになった(前よりは(^^;))し、韓国歌謡の歌詞の聞き取りもいくらかできるようになったような気がするので、しばらくこのシャドウイングを継続するためにも講座に通おうと思ってたのだ。
21時からTVTV大阪で韓国映画「リベラ・メ」があったので録画しておいたが、やっぱり日本語吹き替え(>_<)で、見る気が失せる。

2006/02/08(水)●酢卵●

8時半起床。天気はいいが相変わらず寒そうである。
10時過ぎに郵便局に行き、ゆうパックでDVD発送。一番小さいサイズだから、基本料\600、郵便局に持ち込めば¥100引きで、さらに一年以内の同じあて先に送る場合は\50割引になるので、\450で済んだ。これはたしかに安い。例の宅急便が訴訟起こした郵便局の過剰サービスのひとつなのかもしれないが、消費者はどうしても少しでも安い方に流れるだろうな。
押入れの中のテープなど整理してたら芳恵の86年コンサートが出てきたのでついつい見てしまう。「最愛」が出た頃だが、もちろん原盤はカラーだったはずだが、何故かMorris.のテープは白黒で録画されている(>_<) これはこれで味があってよろしい。コンサートの後にTV番組出演のカットが10点以上ありついついこれも見てしまった。さらに芳恵がOL役で出てるドラマまで入ってた。相手役が萩原流行というのがおかしい(^^;)
午後はつかちゃんから教えてもらった「酢卵」を作る。2月はじめにコップに卵と酢を入れて1週間ほど冷蔵庫に寝かしておいたのだ。昨日見たら、殻はほとんど酢に溶けて全体がゆで卵みたいにぷわぷわになってる。水面(酢面?)にはかなりアクが出ている。このアクをとって、卵をつぶし、泡立て器で攪拌し、茶漉しや布巾などで漉して一回に20gほどずつ飲むと、血液がさらさらになるらしい。後でネットで調べたら
http://www.amamifp.co.jp/s_tukurikata.htm
烏骨鳥の卵で作るのが本式で、せめて有精卵で、と書いてあった(^^;)。とりあえず試しだからかまうまい。しかし、作る前から不味そうな気配。つかちゃんも「まづいっ!!」と言ってたが、どんなものだろう。しかしあの殻は完全に酢に溶けてしまい薄皮だけが残るというのは感動的でもある。酢に溶けた殻のカルシウムが酢卵の大きな効能の元らしい。メジャーカップに移して小さな泡だて器で攪拌したあと、布巾を捜したがMorris.亭には漉すのに使えるような綺麗な布巾は見当たらなかったので、珈琲用のペーパーフィルタをコップに被せて輪ゴムで止めで代用することにした。これだと何かきちんと漉せるような気がする。10分ほどで漉し終えた。見た目は黄色くて普通の卵をかき混ぜたものと変わらない。折角だから、冷凍庫で凍らせておいたショットグラスに注いで、おもむろに飲んでみた。む、ま・ず・い(>_<) でも、前もってまずい、まずいと思い込んでたから、それほどでもなかったかな。これがほんとに身体にいいかどうかわからないし、習慣的に続けるのが大事といわれたが、たぶんMorris.のことだから、三日坊主になる可能性が高いと思う(^^;)


冷蔵庫から出したところ

殻は完全に溶けて薄皮のみ

メジャーカップに移す

思い切り泡だて器で攪拌

紙ドリップフィルタで漉す

はい、出来上がり。ま・ず・いっ!!

【誤読日記】斎藤美奈子 ★★ Morris.いち押しの斎藤美奈子さんの本だから、大喜びで借りてきたのだが、★ニつというだけで、Morris.の期待をどれくらい裏切ったかわかるだろう。週刊朝日とアエラに連載されたものらしいが、とにかく面白くなかった(>_<)
どうしたんだろう。とりあげられた本はタレント本やらベストセラーやら文芸書やら170冊くらいを適当に集めてあるが、いつもの美奈子さんの切れ味がなりをひそめている。そりゃあ美奈子さんのことだから、ポイントの抽出や紹介の仕方はそれなりにツボを押さえてるようだし、作者へのおちょくり、文体模写などのサービスもなくもないのだが、Morris.はどうしてものめりこめなかった。コラムみたいなスペースの狭さが美奈子さんには手枷足枷になったのかもしれない。うーーん、Morris.はちょっと悲しいぞ。彼女は今や売れっこで、忙しすぎるのかもしれない。あの「文章読本さん江」の感激をもう一度味あわせてもらいたい、というのがMorris.の偽らざる魂の叫びである。
つい4,5年前の発表時の世相や事件を紹介してる部分が多いので、今読むと一番「旬が過ぎた」感じに思えるので損してるところがあるとも思った。

2006/02/07(火)●茶碗掲示板飽和状態?●

西根君と神戸平野にローカル配達。午後は倉庫作業。どこかの荷物で不要のノートパソコンがあるというのでいちおう通電してみたが、持ち主が、HDD取っ払ってたうえ、OSも削除してたのでこれは使いものになるまいと諦める。
夜は矢谷君宅で、DVD盤面印刷を頼む。これで、やっと大森さんへのDVD発送がかたづくことになる。
昨日くらいからぐいぐい酒場(Morris.掲示板)がえらく賑わってる。といっても、一日12件ほどの書き込みだが、ふだんは1日1,2件だから、ちょっとびっくりする。Morris.は掲示板では、いろいろ苦い目にあってるが、このTeacup版になってからはそれほど問題は起きていない。はじめは、一度に閲覧できるのが十発言までだったが、今は30件見られるようになっているから、日に12件くらいなら充分対応できる。
それは良かったのだが、夜遅くなってから、Teacupへの接続がえらく遅くなってしまい、とうとう繋がらなくなってしまった。回線状態がどうのこうのという断りの画面が出る。まあMorris.掲示板の賑わいのせいではあるまいが、最近はブログや掲示板でもどんどん画像貼り付けOKみたいだし、ネット人口も増えてるだろうから、ラッシュ時間にやり取りされる情報量はとんでもないものなんだろうな。

2006/02/06(月)●あんかけ焼きソバ●

8時半起床。何か冷え冷えとしている。外は小雨模様。いかにも冬という感じがする。
焼き蕎麦Morris.風あんかけ某メーリングリストに、センターで顔なじみの山根さんが、happyFMのテジナショーショーショーの先週土曜日の恒例ベスト40全曲の一覧表を掲載されていた。Morris.もこの番組は最近すっかりはまってるし、土曜日に在宅のときはチェックしてるのだが、こうやって一覧にするというのは思いつかなかった。そういえば、先週はキムスヒのナメンヨルチャが20位くらいに入ってたし、ナフナの古い曲が2曲もランクインしてたので、驚いてたが、先週旧正月で帰省した人たちが懐メロを多くリクエストした結果だったらしい。山根さんはLP時代からの韓国歌謡マニア(ひょっとしたらSP盤からかも)ということは知っていたが、こういった几帳面さは、Morris.に欠けてるところだろうな。ここ2ヶ月くらいチャンユンジョンの「コッ」が一位を連続してる。キムヘヨンの新曲「オッチャナ」は6位と健闘中。双子のトゥッティの新曲「300ウォン」というのも面白い。
最近良く作ってるメニューに、焼きソバがある。安上がりということもあるが、ちょっと癖になってるようでもある。工夫としては干ししいたけとその漬け汁に片栗粉まぜてアンカケにすることと、野菜、肉、イカなど炒めるときに酢を加えるところくらいかな。出来上がってから五味香をちょこっと振りかけるがポイントだが、かけすぎると結構悲惨なことになる(>_<)

【三たびの海峡】帚木蓬生 ★★★☆☆ 帚木の出世作と言えるだろう。92年刊だから、15年前の作品か。たぶん、Morris.はその頃読んだと思っていたのだが、どうも記憶が曖昧だったので借りてきた。ストーリーは知ってるような気もするが、初めて読むようでもある。これは、95年に映画化されているので、それをTVで見たのではないかと思う。
戦争中に、朝鮮半島から九州のN市(直方だろう)の炭坑に父の代わりに徴用された若い主人公が、過酷な労働と日本人主任と朝鮮人労務担当の暴力に苛まれ、逃亡、終戦直後に自分の子を身ごもった日本人女性と故郷へ戻り、男子を設けるが周囲の目は厳しい。結果的に母子は日本へ戻り、主人公は釜山で新たな人生を始め、事業的には成功をおさめる。そして50年後に、炭坑で無くなった朝鮮人の亡霊たちに呼び戻されるように三度目の海峡をわたり、息子と感動の対面。N市の市長になっている日本人主任と、帰化して土建屋として成功をおさめていた朝鮮人労務担当に積年の恨みを果す、というストーリーだけを記すと、単純すぎるが、著者ならではのヒューマニズムが、綿密な細部の描写とあいまって心に突き刺さってくる、感動的作品になっている。

誰かが言った。人は自分よりも不運な人間に出会うと、自分の幸福を信じて無条件に安心するものらしい。

これは主人公が徴用されて日本に向かう船の中で、足枷をつけられて奴隷のような状態で炭坑へ送られる人の群れを見ての感想だが、実は自分たちも同じく炭坑へ運ばれていることを知らないからの感想だったことが、後でわかる。

そして50年後三回目に海峡を越えて、日本の若い女性を見ての主人公の感慨。

この国はドイツとともに戦争に敗れ去ったくせに、ドイツのように分断されなかった。あたかもその身代わりであるかのように私の祖国が南北分裂の運命を背負わされた。35年におよぶ植民地支配と半世紀の分断国家という具合に、八十余年にわたって私の国は日本によって踏みにじられてきたといっても過言ではない。しかもこの不幸はまだ終わっておらず、私自身はもう祖国統一の日をみることはできない。
ドイツが事あるごとに自らの非を悔い改め、絶えず歴史を掘り返しているのとは対照的に、日本は自分の行為に目をつぶり、他国を蹂躙した足跡を忘却で埋めようとしている。韓民族に[退歩した劣等民族]という烙印を捺し、武力侵害と経済的搾取を用意周到に進めていった日本。統監府や朝鮮総督府を根城にして、民族の抵抗に暴圧を加え続けた日本。三千年の歴史だけでなく、固有の言葉と文字を奪い取り、父祖代々の姓名までも改変させた日本。そうした過去の日本を等身大で思い描くことのできる日本人が、はたして何人いるのか。もっと具体的に言えば、1895年に軍隊と暴徒を送り、当時の皇后であった閔中殿を殺害した歴史的事実や、対韓侵略の立役者であった伊藤博文をハルピン駅頭で射殺した安重根義士が、民族の英雄として尊敬されている事実を、どれだけの日本人が知っているだろうか。
[水に流す]という表現は朝鮮語にもあるが、少なくともこれは害を被った側が発する言葉で、加害者は口にすべきではない。

「自虐史観」などという面妖な言葉で歴史を故意に歪めようとする言説が最近大手を振って横行しているが、そう言った妄言に真っ向から対立する感想である。どちらが妥当性を有しているかは自明だろう。この物語のどれほどが事実に基づいたものかは詳らかにしないが、あの時代の真実が本書にはきっちり描かれているということは間違いないと思う。

ところで、本書の内容とは全く関係ないことだが、

汗を流し、一厘のヒゲも残さず剃り上げた顔にローションを塗り

という表現があった。ヒゲは「一厘」と表現するものだろうか?「厘」といえば、何割何分何厘といった単位の一つだろう。「一分の隙も無い」といった表現に通じるのだろうか。ここでは「ヒゲ」が対象であることに鑑みて、いっそ、もう一桁下げて「一毛」を使うのがぴったりのような気もするのだが(^^;)

2006/02/05(日)●ひさびさノレバン●

8時半起床。今日は待ちに待った(^^;)ノレバンDay。
11時半に元町駅で、林、スーミー夫妻とムックさんと待ち合わせ。まずは腹ごしらえと高架下のすーぷ房へ。Morris.は定番のスンドゥブチゲ、ムックさんらはすじスープ、それにチヂミや韓国風肉ジャガなどいただく。しかしこの店はビールと日本酒はあるのにソジュやマッコリがないのがちょっと残念だったし、昼食時でえらく客が押しかけて、立って待ってる状態だったので、ちょっと選択を誤ったかもしれない。安いし、スープの味がしっかりしてるから、混むのはしかたないけどね。
その後は本日のメインエベント「ノレバン」で、Morris.はジャンカラに行くつもりで前日ネットで三宮元町付近のジャンカラの地図までプリントアウトしてたのに、入ったのは元町駅前のRAP★STARとかいう激安の店。ここはずっと以前酔っ払ってムックさんと行った店だったらしい。昼間は3時間で7百円台という安さ。ジャンカラは日曜の昼間は1時間\380だから、それに比べてもかなり安い。当然最初から韓国歌謡でぶっ飛ばす。Morris.はユンボキのヨロブン、ムックさんはソルンドの「マウミウルチョケソ」林スーミー夫妻はキムスヒナンバーで歌い始め。まあ、Morris.のレパートリーの多さ(自慢できるのはこれだけ)は周知として、ムックさんもかなりレパートリー増やしてるし、林さんはキムスヒならすべて歌えるのではないかというくらいの勢い。スーミーさんはさすがに後半は英語の曲も取り混ぜということになったが、「日本語の歌を歌わないカラオケ大会」という所期の目的はクリアした。ただ、この店は安いだけにいまいち韓国歌謡の揃えが貧弱である。キムヘヨンは「アボジ」1曲しかないというのは言語道断だし、ユンジョンちゃんは「オモナ」だけ、ソンデガンの「ユヘンガ」も、「サランヘソミアネ」もない。まあ歌う曲には不自由しないから3時間はあっという間に過ぎてしまい。Morris.は延長するか別の店に行こうかという意欲まんまんだったが、流石にお三方はお疲れのようだったので、今日はこれで切り上げることにした。
その後元町エビスで軽くやってお開きにするつもりだったのだが、ムックさんのバンドの女性ドラマーアキちゃんが店長している北野のライブバー「HAPPY LAURA」に押しかけることになった。
LAURAは思ったより広くて、古い喫茶店の内装をそのまま流用したちょっとレトロな感じで、ちゃんとしたステージがあり、ボクサーのアグリ、ビーグルのビーちゃんの2匹の愛犬が、店内を闊歩してるのが、面白かった。
今日もフリーセッションみたいな感じで、林さん、ムックさんに、知り合いのドラムと、アキちゃんがベースに入っての特設ユニット(^^;)の演奏を楽しむことができた。それにしても4件はしごというのは最近珍しいことだった。Morris.としてはちょっと歌い足りなかったきらいもあるが、次回はジャンカラのDAMあたりで発散したい。


元町高架下「すーぷ房」

すじスープ、美味しい(^o^)

得意の魚眼

カラオケでハイポーズ

元町エビス

北野「HAPPY LAURA」看板

左からアキ、林、ムックさん

なかなか良いショットだと思う

愛犬アグリ
2006/02/04(土)●御影CATS●

8時半起床。冷え込んではいるが、雪が降った気配は無い。
冷蔵庫の牛乳パック1/3ほど残ってるのに昨日が賞味期限になってたので、久し振りにチャイを作る。たまに飲むと美味しいものである。
ぐいぐい酒場のつかちゃんの書き込みにハングルの勉強したいと書いてあったので、検索でハングル入門のサイト探したら、「ハングル入門の入門」というページがあった。
作者は日本人で、80年代に留学したらしいが、この解説が実にすばらしい。19章(各章は短い)にわたって、ハングルの紹介と読み方、発音の変化、注意事項などが、丁寧かつ的確に書かれている。韓国語歴十ン年のはずなのに、いまだに基礎の発音ができてないMorris.にとっても非常に勉強になるページだった。発音を文章で説明するというのは、隔靴掻痒になりがちで、なかなかに難しいことだ。それをこれだけ手際良くこなせるというのは、相当の実力と理解力がなくては出来ないことだと思う。
初心者のひっかかりやすいところは繰り返して説明したり、カタカナ表記でも似た音の区別がつくように工夫している。できるだけ専門用語を使わずこなれた言葉で説明してる姿勢も見逃せないし、ハングルの歴史や誤解への解説も心憎いものがある。Morris.はついつい、最初から最後まで熟読してしまったよ。すばらしい。もちろん、つかちゃんにも紹介しておいたけど、もし、韓国語に関心を持ちながら始められずにいる人がいたら、まず、ここを見ることを推奨したい。ハングルは、16世紀に作られた音素文字なので、日本語のひらがななんかと比べ物にならないくらい合理的で覚えやすいので、まずは、意味はわからなくてもハングルを読めるようになるということから始めるというのは正解だと思う。自分の名前だって書けるしね(^^;)
午後は自転車で阪神御影の長崎屋まで行く。駅前に野良猫がいて、駅前のたこ焼き屋台のおばちゃんが餌をやっていた。キジトラと黒猫で、デジカメで撮影したのだが、警戒心が強くなかなかいいショットは撮れない。でも、溝の敷石の穴から出入りするところなどを撮ることができた。また近くの自販機の並んでる商店内部にトラ猫がいて、これは飼い猫っぽかった。阪神タイガーズの手押し車の横に座ったところを一枚撮る。
夕方帰宅したら名古屋のアシナガさんから郵便物が届いていた。「月刊 京都」1月号と中日新聞の記事のコピー、雑誌付録の神保町古書店ポケットガイドが入っていた。雑誌は京都のモダン建築特集で、Morris.がこういった建物が好きなのを知ったアシナガさんの好意である。新聞記事コピーは、先日Morris.もマップを注文した長田の「下町レトロに首っ丈の会」の紹介や、池田満寿夫展の記事があった。
たしかに京都は古い舎利仏閣神社など日本家屋のイメージが強いが、たしかに明治、大正、昭和初期の古い西洋建築も多く、空襲にも会わなかったから、日本で一番当時の建物が残っている町なのかもしれない。特集記事の中には地図も多数載っているので、機会があったらこの雑誌を携行して京都洋風建築巡りなんてできたら愉しそうだ。アシナガさんありがとうM(__)m


久し振りにチャイ作り

阪神御影駅前の野良猫

これがほんとのトラ猫?(^o^)
2006/02/03(金)●ソルミンニュース●

4時半起床。矢谷君、奥井さんと豊田の中国向けピックアップ現場。3歳くらいの女の子と4歳くらいの男の子がいて、オモチャのブランコやらジャングルジャムの分解するときにまつわりついて、仕事進まないこと(^^;) 昼前に名古屋の丸山君が来て、Morris.は刈谷の別現場に拉致される(>_<) こちらも中国向けのピックアップ。中国人夫婦だったが、驚くほど日本語が達者である。
ソルミン写真集から中国人は全般に外国語習得の才に長けているような気がする。中国語が、母音も子音も多くの種類があり、四声もあるなど、複雑なので、他の外国語を学ぶときも優位に立てるのではないかと思う。日本語なんて母音の数、たった5つだもんな(^^;)子音だって世界的にみたらうんと少ないほうだと思う。日本人が英語使うときまごつきやすい「R」と「L」の使い分けだって、日本語には「らりるれれ」系のひとつしかないから使い分けが難しいのだと思う。
それはともかく、5時前に作業終了。矢谷君らに迎えに来て貰い、帰りは伊勢湾道−名阪経由で神戸に戻る。3時間かからなかった。
ぷりんすさんからの情報だが、ソルミン(パクソルミ)がちょっとセクシーな写真集をネット公開するという記事が朝鮮日報日本語ページに出ていたとのこと。そういえば,日本での活動始めるというニュースの後、しばらくソルミンの噂聞いてなかったので、さっそく件のページ見たら2枚組の写真→とともに記事が出てた。さらに記事中のパクソルミをクリックしたら、ソルミン関連の記事一覧が出て、そこには3年間付き合ってたチソンとの恋の破局なんていうニュースまであった。うーーむ、この朝鮮日報日本語版ページはブックマークしておかなくては。

2006/02/02(木)●中央図書館初詣(^^;)●

今日は久し振りに良い天気である。
昼から元町に出て、南京街でシャンタン買う。南京街は2月5日まで春節祭で賑わってはいたが、平日だけにたいした事はない。
阪神理容でいつもの髪型にカットしてもらい、歩いて中央図書館へ。考えてみると中央図書館久し振りである。今年初めてだ(^^;)
去年から、神戸市内の図書館の本ならどの図書館に返却してもOKになったので、中央図書館で借りた本も灘図書館で返してしまい、ついついそのまま中央図書館と縁遠くなってしまう傾向がにある。だから今年は灘図書館一館だけしか利用していないのだが、それでも1月の読書量は30冊近い。去年が130冊とちょっと落ち込み気味だったので、今年はそれを上回ることは間違いないと思う。
帰りに体育館横の「山神山人」に寄り、ラーメン定食食べる。大谷店長もいて、久し振りにちょこっと話することが出来た。「山神山人」はお今神戸を中心に6店舗ほどあるらしいが、Morris.はこの大倉山店が一番美味しいと思う。
6時過ぎに帰宅して勝手に録画されてた(^^;)「こだわり人物伝山田風太郎」の最終回「この世は無用の渦」を見る。風太郎の生死観みたいなもので、Morris.座右の書である「人間臨終図巻」もちらっと出てきたが、本当に上っ面だけ。結局4回の講座?で残ったものは限りなくゼロに近かった。風太郎の「虚無」をこう言う形で番組上で具現したのか、と、理解することにした(^^;)

【写楽・考】北森鴻 ★★★☆ 蓮杖那智フィールドファイルVである、Morris.はこのシリーズはお気に入りで、もちろん前の2冊も読んでるし、別旗師シリーズで蓮杖那智が登場するものも読んでる。
ヒロインが超美人で、頭脳明晰で、異能な民俗学教授というだけでMorris.の弱いところを直撃するだけでなく、事件毎にやたらペダンチックな民俗学的薀蓄やら仮説などが出てきて、良くわからないながら凄そうだという気にさせられる。「面白くてためになる」というのがMorris.の一番好きなファクターだから、そういう意味でもこのシリーズは見逃せない。もっとも、その学問的内容とか薀蓄が本当に中身のあるものかどうかは疑問というより、たぶん装飾みたいなもので、つまりMorris.は研究のシミュレーションを楽しませてもらっているに過ぎないのかもしれない。いわば「ヴァーチャル民俗学」かも(^^;)
型見本をちょこっと引用しておく。

民俗学は答えのない学問である。研究者の数だけアプローチが存在するし、説は説としてぎろんされることはあっても、その先に着地点はない。明らかな誤りがないかぎり、研究者の立てた学説は、別の研究者に引き継がれ、変質し、そしてまた違った説を生みだしてゆく。その点のみを抽出するなら、式直男が発表した「仮想民俗学序説」もまた、ひとつの成果として受け入れられるべきものであろう。
−−−だがこれは……あまりに危険すぎる。那智先生が生み出す奇想以上に!
民俗学とは、残された事象について考察を行うことを基本としている。民話・伝承しかり、古文書、祭祀、習俗、古民具、あらゆる事象から過去へとその根元に向かって旅する学問と言い換えても良い。自らの日常生活を問い、どのような経緯を経て現在に到ったのかを、己の言葉で考察するという基本は、厳然として存在する。
だがアプローチはそれだけではない、と式直男は説く。そして解く。
残された事象そのものを根元とし、そこから仮想の手法と論理的思考方法どぉ用いてまったく新しい進化の道筋を立てることは可能ではないか。たとえば、と「マレビト」を彼は取り上げ論じている。
ある学者は、異界との境界線を越えてやってくる彼らこそは、内部社会の秩序を維持するための装置であると説く。内部の秩序を維持するためには常に外部を意識し、比較対照することが、必要なのだと。だが、それはひとつの説であって事実ではない。もしも「マレビト」について別の進化と変化の過程(ファクター)を与えてやることが可能ならば、全く別の社会を想定することができるのではないか。そこから現代のフィールドワークに結びつけ、まったく違った系統のマレビト形成を可能にした集団を割り出す。


ね、なかなか説得力あるような良くわからないような説でしょ(^^;)
本書には「憑代忌」「湖底祀」「棄神祭」「写楽・考」の4編の短編が収められているが、100p近い表題作が一番だろう。
登場人物はお馴染みの面々で、旗師シリーズの宇佐美陶子も出てくる。自分のシリーズの主人公をクロスオーバーで別シリーズに出演させるというのが北森のお得意みたいで、これは愛読者へのサービスでもあり読者層を広げる作戦のようでもある。
海運業で財を成した富豪の末裔で地方洋館に住む独身の主人が失踪、残された遺産と古文書からとんでもない絵画のことが浮かび上がってくる。というところで、当然読者はタイトルにある「写楽」にまつわる話になると思うのだが、読み終わってみると、これは「看板に偽りありすぎ」だった。初出タイトルは「黒絵師」だったらしい。これもあまり良いタイトルではないが、単行本のものよりは納得できる。何でこんなタイトルにしたのだろう。「写楽」という名があれば、とりあえず手に取って見ようと思う多くの潜在的写楽ファンへの商魂だとしたら、あまりにあざといと思うぞ。

【勉強ができなくても恥ずかしくない 2.3.】橋本治 ★★
 去年第一部を読んで、あまりのつまらなさに半分投げ出したのだが、3部作ということだったので、とりあえず全部読んでから評価しようと書いたはずだが、この2部「やっちまえ!の巻」、3部「それからの巻」まで読み通して、結局時間の無駄だったということがわかった。字間のひろい新書100pちょっとが3冊だから、全体でも普通の単行本1冊分くらいの量だろうが、これをわざわざ3冊にしたということもよくわからない。
著者をモデルにしたとおぼしい、少年の小中高時代を描いたものであるが、どうも、こども問題への啓蒙的作品にしようという思惑が透けて見えるし、その思惑がほとんど機能していないというのが情けない。「橋本治ともあろうものが」というのが、橋本ファンのMorris.の不満の全てである。

2006/02/01(水)●四天王+1●

今日も雨模様である。
昨日送られてきたヒョンミさんにお礼のメール出したらその返信が来て「あの雑誌などは去年送ったはずなのに、今ごろメールの連絡入るということは、長期不在でもしてたのですか」と書いてあった。まだ残っていた封筒見たらたしかに消印は12月23日になっている??郵便局でまぎれていたのだろうか。不可解である。
KBSアーカイブで29日のノレチャランと30日の歌謡舞台見る。どちらもいちおう旧正特集ではあるが時間延長とかはなかった。
「歌謡舞台」はトロット四天王(ヒョンチョル、ソンデグヮン、ソルンド、テジナ)揃い踏みというか、完全に4人のワンマンショー??だったが、お正月らしく途中に4人が時代風の韓服を着て、コミカルな寸劇をやった。一昔前の歌謡番組ではよくこういった歌手の扮するコントめいた寸劇があって、Morris.はこれが好きだったのに、最近はめっきり減って淋しいと思ってただけに嬉しかった。「崔進士宅の三番娘 チェジンサテクセッチェッタル」という有名な歌をそのままストーリーにしたもので、この三番目の娘役にチャンユンジョンちゃんが登場。もちろんチマチョゴリ姿で、これがなかなか可愛かった。テジナが父親役で、後の3人が娘を嫁に欲しいといって婿選びのどたばたが繰り広げられるという趣向。結局射止めたのがヒョンチョルで、えらく浮かれていたのが印象的だった。


左から、ソルンド、ヒョンチョル、ソンデグヮン、テジナ 「トロット四天王」

「チェジンサ テゲ セッチェッタル」のコミックドラマの一場面

ユンジョンちゃんのチョゴリ姿(^o^) 後は嬉しそうなヒョンチョル
 

そのあと、ハチュナの芸能生活45周年ワンマンショーの番組も見たが、彼女はちびっこ歌手としてデビューしたからまだ五十歳ちょっと越えたところくらいだと思うが、思い切りの厚化粧もあってせいぜい三十代くらいにしか見えない。それでも、ソテジワアイドルの「ナンアラヨ」やキムゴンモの「ピンゲ」、そしてチャンユンジョンの「オモナ」などを歌ったのは、ちょっと無理があったな(^^;) 
ノレ番Morris.8090に、例の韓国歌手名鑑の紹介をアップした。しばらくこれはほっておくことになるだろう。
「きっこのブログ」は結構あちこちで話題になっているらしい。新聞、雑誌などでも取り上げられてるらしいし、ネット上では超有名人扱いである。検索でいろいろ読んでみたが、当然の如く毀誉褒貶。いちようにその情報網と文章力は認めているようだった。
Morris.は、彼女の俳句関係のページを読んで、あらためて感心してしまった。ネットで句会したり、添削したり、排話書いたり、チャットで作りまくったりもしてるらしい。ますますただものではない。彼女の横山きっこ名義の句集から、いくつか引いておく。

瞬きに風の生まれる聖五月
麦秋や鳥を追ひたる鳥の影
どの猫も影は黒猫鉄線花
かき氷さくりと恋の終はりけり
秋の蝶螺旋に落ちて来たりけり
立冬やケーキ鋭き角持ちて
ぼろぼろのあたしはここよゆりかもめ(句集「マリアの月」より)
淡月の淡きうさぎと淡き臼
菜の花のなかへ遊びに行つたきり
たましひもからだもひとつ水中花(句集「満月へハイヒール」より)
かつて海でありし銀座よ柳絮とぶ
ふらここのきしみも夢のつづきかな
青鷺の翼をひろげゐて飛ばず
しあはせな裸足ふしあはせな裸足
少女まで三十秒の霜柱(句集「東京タワー」より)


【アキハバラ@DEEP】石田衣良 ★★★☆☆ 若い病気のおたくたちが、AIにより自己成長する検索エンジンを開発するが、それをネットビジネス会社に強奪され、それをとりかえすためにさまざまな作戦をたて、最後には実力行使で会社に突入するという、近未来SFというか、ゲーム小説みたいなものだが、思ったより文章もしっかりしてるし、ストーリーも楽しめた。
主人公の若者たちの役割分担がはっきりしているし、紅一点のパワフル美少女も出てくるし、PC、ソフト、ネット、ブログ、検索エンジンなどの薀蓄めいた部分も面白かった。

ぼくたちの会社は利益を制限しよう。おおきくなるのも、有名になるのもやめよう。ちいさなまま自分たちが満足のいく暮らしができて、ぼくたちの同類を手助けしてあげられるくらいのぎりぎりの利益で満足しよう。大企業がでかいダイヤモンドなら、ぼくたちはそれを構成する炭素分子の素粒子の、そのまたかけらのクォークだ。パンくずひとつあればひと冬暮らせる羽虫みたいなものだ。一生懸命でもなく、死ぬほどがんばることもなく、ゆるゆると生き延びる。もし会社がうまくいかなくなったら、すぐに休眠させる。

という、主人公たちの出発時の姿勢(これはすぐ駄目になるのだが)にも好感をおぼえた。

作者の分身と思えるページ(あだ名)のネット文章論?も、それなりに納得させられる。

いい文章とそうではない文章を見分ける方法があるはずだとぼくは考えた。
言葉を紙に固定されたものではなく、もう一段まえの状態から考えなおすんだ。言葉の謎を解く鍵は、言葉が生まれる場所にあった。そこでは言葉という存在は、人間の意識がただの表音記号で固定されたものへと還元される。意識というのはほんの数秒から数十秒しか続かない心の動きなんだ。集中力なんて簡単にいうけど、高度な集中力はほんの一瞬しか続かない。そこでぼくは、いい文章とはその人の心の動きをなるべくいきいきと再現した文章なのではないかと、単純に考えるようになった。
ぼくたちの意識は、なにか主題を選び、立ちどまり、連想する。のろのろと動くかと思えば、稲妻のように正反対に跳躍し、はるか先方を予想する。同じところをぐるぐるまわり、深く潜ったり、その場に縛られて円を描くだけだったりする。ためらいやだらしなさ、それにあるとき突然やってくる発見や至福のとき。立派でも正しくなくても、美しくなくてもいい。心のおもてを流れる電磁パズルのような生のきらめきを表現すること。心の弾みをいきいきと紙のうえに映すこと。ぼくにとって素晴らしい文章を計る基準は、そこにおかれることになった。


ここから、天才プログラマのイズム(あだ名)はAI検索エンジンのアイデアを実体化していくのだが、ただの文章論としても考えさせられるものがある。そしてイズムの作ったAI検索エンジン(クルーク)プロトタイプの4つの「人格(パーソナリティ)」は

最初の4人の名前は、跳ねるもの(ジャンパー)、ぐるぐるまわるもの(ラウンダー)、反対するもの(オポーザー)、となりに住むもの(ネイバー)と呼ばれていた。
例えばサーチエンジンの使用者が、「白」というキーワードで詮索をかけたとする。ジャンパーは白いシャツや船の帆から積乱雲に跳び、ラウンダーは分光器をとおした白い光りの波長を調べ、網膜の光感受性や脳の色覚路へ「白」の概念を拡大していく。オポーザーは正反対の「黒」にワープし、光りのない状態と黒の使用例をサーチし、ネイバーは淡い灰色やベージュ、白に隣接する色へと検索のフィールドを移動していく。そうして「白」について考えをラディカルに広げながら、意味を有する可能性のある情報を世界中の数百万というサイトから収集するのだ。


とにかく、こうやって始まった新しい検索エンジンを巡っての攻防戦は、ゲーム的に進行していくのだが、後半になって、どんどん尻すぼみになっていく。これは作者の力量不足というより、こういったゲーム的小説の必然的弱点だと思う。会話や作戦そのものも、あまりに図式的なところが鼻につくし、登場人物のキャラがパタン化され過ぎてたりというところもあるが、それなりに健闘した作品だと評価したい。
ただ強度の吃音症であるページの台詞が、吃音の原則とかけはなれているのが気になってしょうがなかった。語頭の歯擦音や破裂音に多く現われる吃音が、語尾や母音の部分で多出したり、複数音節の繰り返しなどは、あまりに不自然であると思う。


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