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  Morris.日乘2018年10月

Morris.の日記です。読書控え、散策報告、友人知人の動向他雑多で す。新着/更新ページの告知もここでやります。
 
今 月の標語

その馬鹿義理

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2018/10/31(水)●日韓関係に暗雲(>_<)

7時起床。
今朝の血圧は152/75/97。35.9℃。
午前中は読書メモ(^_^;)
10時半に部屋を出て歩いて、六甲道へ。区役所に寄ってから灘図書館。「世界」11月号を流し読み。本号は「軍縮」特集。
帰りも歩いて、都賀川ベンチでしばらくくつろいでたが、3時過ぎに雲が厚くなって、夕方みたいになったので、早めに切り上げて、水道筋マルハチで買い物して4時半帰宅。
韓国大法院(最高裁)で元徴用工への賠償確定判決。新日鐵住金に一人あたり一億ウォンの支払いを命じた。2012年に大法院が「個人請求権は消滅していない」と審理を差し戻し、13年には高裁が賠償支払いの判決出してたから、昨日の大法院判決は予想されるものではあったのだが、それでも、これが日韓関係を険悪にすることは間違いないだろう。1965年の日韓基本条約の付随協約「日韓請求権協定」で賠償は日本が無償供与した3億ドルの中から韓国側が支払うことになってたはずだから、やはり今回の判決は、無理があるように思える。条約締結した朴正煕が、個人賠償をケチったのが今になって問題化したともいえる。こういったややこしい問題こそ、外交(特に寝技)を通じて、問題になる前に手当てしておく必要があったのではなかろうか。まあ日本の外交は、かなりレベル低そうだし特に裏工作は苦手みたいだ。
北朝鮮だってこれに便乗しそうだし(>_<)
日本シリーズ第四戦。ソフトバンクが4-1で連勝。これでソフトバンクの2勝1敗1分け。
今日の歩数は6293歩。


城ノ内3丁目飼い猫 

朝鮮朝顔 

酒屋前の恐竜 

みやこ忘れ 

蛾の特定は難しい(>_<) 

庚申薔薇 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  거꾸로(コックロ 逆に、さかさまに、反対に)    
나사[螺絲]를 거꾸로 돌리다(ナサルルコックロトルリダ ネジを逆さに回す)
거꾸로 뒤집히다(コックロティジッピダ どんでん返しになる ひっくりかえる)
짐이 거꾸로 되다 (チミコックロテダ 荷物がさかさまになる)
100에서 1까지 거꾸로 세다(ペケソイルッカジコックロセダ  百から一まで逆に数える)
逆立ちは「물구나무서기(ムルクナムソギ)」
물구나무서기를 하다(ムルグナムソギルルハダ 逆立ちをする)
도립[倒立]하다(トリプハダ 倒立する)

2018/10/30(火)●辺野古ゴリ押し
6時半起床。
今朝の血圧は189/84/81。36.0℃
浅風呂に入ろうとしたら、膝の擦り傷のため入れず、注水してぬるま湯にして浸かる。うーんやっぱり沁みる(>_<)
午前中の国会中継。吉川沙織(立憲民主党)はまともな質問するも、首相答弁は昨日と同じく白々しいというほかない。
昼から歩いて王子動物園へ。まぬうに挨拶してから、動物資料館図書室で、ヴィジュアル読書(世界一美しい野生猫の本など)と写真はがき数枚書く。
そのあと駐車場ベンチでミニギター&読書。でも、やっぱり日陰になると肌寒い。4時半帰宅。
筋書き通りではあるが、今日沖縄県の埋め立て承認撤回に対して、石井国交相は、処分の効力を一時停止することを決定。民意なんて、かけらも考慮してない。上京していた玉城デニー知事も怒りの会見だった。
日本シリーズ三戦め。ゲスト解説に金本が(@_@) 確かに広島OBだもんな(^_^;)
試合は6回裏デスパイネの3ランで8-3、今日はソフトバンクが楽勝ムード。と思った広島が」8回表阿部の満塁ホームランで一点差まで詰め寄ったが、結局8-9で広島は惜敗。それでも最後まで見せる試合だった。
今日の歩数は2291歩。


バラに似てるけど(^^;) 

今日のまぬう イーリス 

ペッキー 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  무뚝뚝하다(ムットゥクットゥクハダ 無愛想だ)
この形容詞は、大好きな歌手김혜연キムヘヨンの「아버지(アボジ 父さん)」に出てきて印象的だったのでしっかり覚えている。
日本語の「無愛想(ぶあいそう)」は「無」+「愛想」だから、韓国語の무뚝뚝하다も「無」+「뚝뚝하다」で、「뚝뚝하다」は「愛想が良い」みたいな意味なのかなと思ってたのだが「뚝뚝하다(ットゥクットゥクハダ)」だけで、無愛想という意味があるとのことだった。「무」は強調の接頭辞かもしれない。
뚝뚝한 대답[対答] (ットゥクットゥクハンテダプ 無愛想な[ぶっきらぼうな]返事)
「愛想」は「붙임성[性]プチムソンg」。「붙임(プチム)」は動詞「붙다(プッタ くっつく、付く」の名詞形。
・붙임성[性]이 없다(プチムソンgイオプタ 無愛想だ)
붙임성[性]이 있다(プチムソンgイイッタ 人付き合いがいい、愛想が良い)
面白い表現としては
목석[木石]같다(モクソクカッタ 木石のようだ 無愛想だ 真面目一方)
というのがある。
이씨스터즈(李シスターズ)の「목석[木石]같은 사나이 (モクソクカットゥンサナイ 木石のような男)」はMorris.の十八番である(^_^;)

【ときめくクラゲ図鑑】峯水亮写真・文 ★★★☆
2018/08/25 山と渓谷社
峯水亮 みねみずりょう 1970年大坂枚方市生れ。静岡県でダイビングガイドインストラクターに従事し、1997年フリーの写真家として独立し峯水写真事務所を設立。海外ロケを中心としたダイビング誌などの撮影。プライベートでは浮遊生物を中に撮影に取り組む。2015年には「日本クラゲ図鑑」(平凡社)を上梓。

"Book for discovery"の一冊。「ときめく図鑑」シリーズとして他に「多肉植物」「ラン」「御仏」「文房具」「和菓子」「縄文」「インコ」「微生物」「貝殻」「ヤマノボリ」「妖怪」「化石」「猫」「チョウ」「小鳥」「コケ」「カエル」などがあり、このうちの幾つかは機会があれば見たいとおもう。
昔からクラゲは好きだった。でもクラゲの生物学的生態などは全く無知で、埠頭で波に揺られるミズクラゲの、浮遊を見るだけで満足していた。しかし、こうやって漆黒の闇をバックにしたクラゲの写真見ると、すごい!!と思ってしまった。

本書に使用した写真のほとんどは、この本のために選び抜き撮り下ろした作品です。収録した種類については私が20年来出会ってきたクラゲの中でも、特に「このうつくしさを見てほしい」と感じたものや、生態のユニークなクラゲを私の独断で選びました。(はじめに)

クラゲ雑学をいくつか。

・クラゲの多くは「プランクトン」と呼ばれる生き物です。プランクトンとは「遊泳能力がない、もしくは、あっても弱く、水中で遊泳生活を送る生き物」

・クラゲは完全なる肉食動物です。動物性プランクトンや小魚、魚卵に加え、ほかのクラゲを丸呑みにすることもあります。

・クラゲの変身 代表的蜂虫網(ミズクラゲ、アカクラゲなど)を例に取ると、受精卵から「プラヌラ幼生」が水中を泳ぎ、付着して「ポリプ」となり無性生殖をしてどんどん増える。これが変態して横にくびれた「ストロビラ」になり、これが遊離して「エフィラとなり、これが幼クラゲとなり、いわゆるクラゲに。


Morris.がイメージするクラゲはほぼ蜂虫網に属しているようだ。あと、ヴィジュアル的にはヒドロ虫網の仲間がフォトジェニック(^_^;)だがあまりに小さいので、実際に見るのはむずかしそうだ。
本書掲載のクラゲの中でMorris.が気に入ったものをランダムに挙げておく。ネットで簡単に一覧表が見られるクラゲ図鑑も参照のこと。

ベニクラゲ(紅水母)
ヒメツリガネクラゲ(姫釣鐘水母)
ツヅミクラゲ(鼓水母)
カラカサクラゲ(唐傘水母)
アマクサクラゲ(天草水母)
オワンクラゲ(御椀水母)
カミクラゲ(髪水母)
ミズクラゲ(水水母)
アカクラゲ(赤水母)
ギンカクラゲ(銀貨水母)
カツオノエボシ(鰹の烏帽子)
ビゼンクラゲ(備前水母)
エチゼンクラゲ(越前水母)

・ポルトガルでは、水面に漂うクラゲの姿を見て「海の月」と呼びました。日本の『古事記』でクラゲを「海月」と書いているのは、ポルトガル語の「海の月」をそのまま日本語に訳したからだと言われています。


この解説はちょっとおかしい(すぎる)のではなかろうか? 半月、特に有明の空にうっすらと浮かんでる上弦や下弦の月を見て、クラゲを連想しないことのほうが難しいのでは? そして、何よりも「古事記」(7世紀)の時代に、ポルトガルなんて国あったのだろうか? あったとしても、そのころ交流があったとは思えない(^_^;)

ちなみに、韓国語では해파리(ヘパリ)。「(へ 海)」+「파리(パリ 蝿)」。うーん、クラゲを海の蝿と呼ぶのは、あんまりだと思う。

2018/10/29(月)●御影公会堂
7時起床。
今朝の血圧は171/70/77。35.8℃。
秋晴れの好天に誘われて、ちょっと自転車で遠出してみようと思う。去年改装して、時々トラックから見たりしてた、御影公会堂も覗いてみよう、ということで、昼過ぎ自転車で山手幹線を東に向かう。
石屋川の坂上って、2号線まで坂を降りる途中左手に見えた公会堂に気を取られて、自転車前輪が歩道と車道の段差に乗り上げて、転んでしまった(>_<) それほどスピード出てなくて打撲はほとんど無いが、ジーパンの右膝が敗れて、膝に結構大きな擦り傷、両手にも数箇所の擦り傷できてる。とりあえずティッシュとバンドエイドで応急処置して、公会堂さっと見物して、引き返すことにした。
御影公会堂は御影町公会堂として、地元酒蔵白鶴の加納治兵衛の寄付金によって、1933年5月に竣工したもの。設計は清水英二。清水は現在KIITOの名前で親しまれている神戸市立生糸検査所の設計者でもある。
1945年の空襲で被災したものの御影町には修復の財力がなく、1950年御影町が神戸市と合併した後、市によって修繕・改修を受けるものの、築後60年を経て老朽化が進み、神戸市は正面玄関部分だけ残して、大改修して嘉納治五郎記念館になることが決まり、95年元日の神戸新聞でも大きく報道されたのだが、その半月後に阪神大震災発生。一帯が全半壊した中、公会堂はほとんど被害なく、多くの被災者の避難場所として利用され活用され、記念館構想はたち消えになり、2016年から16億円投入して外観そのままにリニューアルして2017年4月10日にリニューアルオープンした、ということになる。(ウィキペディア記事をアレンジ) これは知らずにいた。神戸地震がなければ、今の公会堂は残ってなかったのかあ。
本当は今日は住吉川までいくつもりだったんだけど 3時過ぎ帰宅。テレビつけたら、国会中継で、代表質問。あの稲田明美が、長々と書いてもらった作文を呼んで、安倍総理はこれに短くおざなりに答えてた。そのあとの国民民主党の玉木代表の質問も、ほとんどまともに答えるつもりのない相手にはほとんど無駄である。
今日の歩数は4336歩。


今朝の屋上東方面 

美術館方面 

石屋川左岸の 

改装なった御影公会堂 

内部もキレイになってる 

特徴的丸窓(トイレから) 

面白い照明 

柱や階段は前の面影を 

留めている 

屋上の展望台(見張り台?) 

地下の食堂も健在 

「七福」の寄り目 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  렌즈를 끼다(レンジュルルッキダ コンタクトを付ける)
contact lens 日本ではコンタクトレンズと省略せずに用いる事が多い。略する時は「コンタクト」だろう。韓国語では後のlensだけで、コンタクトレンズを指すらしい。
끼다(ッキダ)は「はめる、挟」]を意味する動詞で、身につける意味で使うのは
장갑[掌匣]을 끼다(チャンガブルッキダ 手袋をはめる)
반지[斑指]를 끼다(パンチルルッキダ 指輪をはめる)    
안경[眼鏡]을 끼다(アンギョンウルッキダ メガネをかける)
あたりかな。
ちなみに「手錠をかける」は체우다(チェウダ)を使う。
수갑[手匣]을 체우다(スガブルチェウダ 手錠をかける)


2018/10/28(日)●広島先勝
7時起床。
今朝の血圧は190/99/69。35.8℃
朝の三点セット。
10時過ぎに部屋を出て、自転車でなぎさ公園へ。
海岸通りではマラソン大会やってた。かなりの数の参加者である。午前中がハーフマラソン、午後は30kmマラソン。
ハーバーウォークは往復で3kmだから、30kmだと10回往復する必要がある(^_^;) サランバン会メンバーの栗崎さんは、80km(100kmだったかも)マラソン(@_@)に参加して、完走したことがあるとのことだが、Morris.には想像もつかない。
2時過ぎにそのまま自転車で西に向かい、2号線経由で三宮図書館へ。
しばらく図書館でヴィジュアル読書(って、漫画読んでた(^_^;))してから、5時過ぎ帰宅。
今夜は広島が先制中押し追加点で5-1で先勝。
今日の歩数は5296歩。


海岸通りでマラソン大会 

光る雲 

喫茶マルナカ猫 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  건방지다(コンバンgジダ 生意気だ、横柄だ、頭が高い)    
ドラマや漫画などでよく出てくる。
건방진 새끼야 !(コンバンgチンセッキヤ 生意気な奴め!)
새끼(セッキ)はもともとは「犬っころ」だが罵倒語の定番。気のおけない間柄ならともかく、知らない相手には使わないほうが無難だと思う(^_^;)
거만[傲慢]하다(ゴマンハダ 傲慢だ、横柄だ、天狗になる)
당돌[唐突]하다(タンgドルハダ 生意気だ、大胆だ)
日本語の「唐突(とうとつ)」という意味ではつかわれないようだ。
1996年にヒットした韓国女性歌手서주경(ソジュギョンg)の「당돌한 여자(タンgドルハンヨジャ)」はなかなか調子の良いリズム歌謡である。もちろんタイトルは「大胆な女」という意味だろう。

2018/10/27(土)伊方原発再稼働●
7時起床。
今朝の血圧は190/99/69。35.8℃
朝から農心のインスタントピビン冷麺作って食べる。
今朝方、四国の伊方原発が1年ぶりに再稼働してしまった(>_<) これで日本で稼働してる原発は8基にもなる。いまのところすべて西日本の原発である。福島第一原発事故の廃炉作業が滞ってるのに、こうやってどんどん再稼働が続くのはおかしい。おかしいといえば、広島高裁が、運転差止め仮処分判決出しながら、裁判官が代わって全く逆の判決というのがおかしかった。散々使い回された「忖度」という言葉が頭に浮かぶ。三権分立が揺らいでいるのではないだろうか。
今日も昼から自転車で都賀川ベンチまで行ったのだが、風が強く、結構寒いくらいだった。そろそろ野外レッスンはおしまいかな。
5時帰宅。
広島-ソフトバンクの日本シリーズ緒戦は、延長に入り、結局12回までもつれ込み(おたがいチャンス作りながら)どちらも特典できず、今年から延長は12回までになったので、これで引き分け。終わったら11時10分過ぎてた。いやあ、これだけ熱心に野球中継見たのは、久しぶりである。両チーム合わせてピッチャー15人(^_^;) 野手もほとんど使い切った総力戦。心情的には広島に日本一になってほしい。
今日の歩数は4355歩。


朝からピビン冷麺 

八重桜(@_@) 

ダチュラ 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  천생연분[天生縁分]이다(チョンセンgヨンプニダ 赤い糸で結ばれている)
二人の相性が運命的に定まっているということ。
・우리 부부
[夫婦]는 천생연분[天生縁分]이에요.(ウリプブヌンチョンセンgヨンプニエヨ 私たち夫婦は天が定めた縁です。)

2018/10/26(金)宿酔の一日(>_<)●
8時起床。
今朝の血圧は176/75/87。35.4℃
昨日マルハチにトンチャン(めったにない)あったので、買って帰り、これをアテに飲み始めたのだが、ついつい酒が進んでしまい。気がついたら半分以上残ってたホワイトホース空っぽになってた。そのまま寝てしまったのだが、目がさめたらかなり宿酔気味。
それが、昼頃からどんどん気分悪くなってしまった。やっぱりウィスキーはきつい。
昼過ぎまで部屋ゴロして、3時過ぎにやっと起き出して、自転車で、三宮方面へ。途中生田川沿いの臥竜公園のベンチで、ミニギターやろうとしたものの、またまた宿酔再現(>_<)で、半分寝てた。三宮図書館までたどり着けず、そのまま引き返して5時過ぎ帰宅。
しばらく酒はやめることにする。
今週の「ア・ピース・オブ警句」は「ネットの文字はなぜ記憶にのこりにくいのか」というタイトルで、経団連会長室にはつい最近までコンピュータが無かったという枕から、

私は、経団連の会長のような立場の人間は、秋刀魚の裏表も分からない状態で執務させておくのが本人のためにも無難なのだと思っている。なんというのか、「象徴」的な地位の人間を、神輿の上に座らせて無力化することは、この国の組織人たちが長い歴史の中で学び得た知恵なのであって、最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである。

これも世が世なら「不経済」、ぢゃなかった「不敬罪」ものだが(^_^;) 現在まで続いてる本当の話だと思う。
その後音読と黙読の話になり、音読だと一分間に読める文字の量は300字までで、それではとても、情報過多の現代にはそぐわない(これは小田嶋の意見ではないが)ようだが、

文字から音読の要素を排除するということは、情感やニュアンスや音韻やリズムを消し去って、文章を純粋な「情報」に圧縮することでもある。(これは小田嶋の意見)

Morris.は「速読術」には興味がないが、本を読む速度は遅い方ではないと思っている。当然黙読しているわけだが、黙読でも「情感やニュアンスや音韻やリズム」が消えるとは思わない。(消えないと思いたい)
今日の歩数は4933歩。


ベランダから近くの工事現場 

屋上の空 

スキヤ猫ちーちゃn 

朝顔の蜜を吸う麝香揚羽 

朝顔の蕾 

臥竜公園 

[今日の韓国語単語from Kpedia]  뻔뻔스럽다(ッポンッポンスロプタ 図々しい、あつかましい)
この単語は、響きが面白かったので すぐに覚えた。
同じような意味で日本では「面の皮が厚い」というが、これとそっくりな表現が韓国語にもある。
얼굴이 두껍다(オルグリトゥッコプタ)」と
낯이 두껍다(ナチトゥッコプタ)」の2つで、どちらも直訳すると「顔(カオ)が厚い」である。
얼굴(オルグル 顔)と(ナッ カオ)の違いは、얼굴が一般的(肉体的)な顔で、は「面子、体面」といった抽象的な意味の「カオ」で、両者は普通きちんと使い分けられるが、この慣用句では両方が共通して使われる。
가죽
(カジュク 皮)をつけて、
낯가죽이 두껍다(ナッカジョギトゥッコプタ)ということもある。これなら全く日韓同じ慣用句といえる。
그 녀석 만큼 낯가죽이 두꺼운 녀석이 없어(クニョソクマンクムナッカジュギトゥッコウンニョドギオプソ あいつほど面の皮が厚いやつはいないね)

2018/10/25(木)ほぼ完治かな?(^_^;)●
6時半起床。
今朝の血圧は154/77/92。35.7℃
午前中に自転車で金沢病院へ。昨日受けられなかった検査、のはずが、今日は現時点での状況を話すだけ。まず順調に回復「らしい」との見立て(^_^;) いちおうこれで全快ということでいいのかと訊いたら、もうすこししてからちゃんと検査したいから、一ヶ月くらいしてから、ちゃんと検査しようとのこと、前回の診療では今日検査すると言ってたのに? CTスキャンはX線検査に比べるとかなり強い放射線使うから、期間を置きたいとのことのようでもある。仕事やっていいかどうか、訊いたら、やっぱり重いものを持つことはなるべく避けるように、だと。まあ、医者の立場からするとそう言うしか無いよな(^_^;) ただ生活の上ではほとんど痛みは感じない。
今日の診療は正味5分足らずだった。
今日も、病院すぐ横の都賀川ベンチで読書&ミニギター。1歳半の赤ちゃん連れの若いお母さんがしばらく隣りに座って聴いてくれた。
マルハチで買い物して3時帰宅。しばらく屋上で和んでから、5時に部屋に戻り、ほかのことしながらドラフト会議実況見る。根尾は中日、吉田は日ハム、小園は広島と、それぞれまあ良いチームが指名権獲得、藤原はロッテが当たりくじ引いた。阪神も巨人もくじ二回外してMorris.の知らない選手を一位指名。
昨日臨時国会開かれたが、冒頭演説で、「強い日本。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。」という問題発言+原敬の「常に民意の存するところを考察すべし」という言葉の引用など、おそ松極まる(^_^;)作文読んで、翌日は得意技の国外逃亡(夫婦で中国外遊)。なんてこったい、である。
今日の歩数は5420歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia]  틀에 박히다(トゥレバッキダ  型にはまる)
(トゥル 型 物の形を作るとき元になるもの)+(エ ~に)+ 박히다(バッキダ 박다(パクタ 差し込む、打ち込む)の受け身)
틀에 맞추다(トゥレマッチュダ 型にはめる)    
틀을 마련하다(トゥルルマリョンハダ 枠を作る)    
틀을 깨다(トゥルルッケダ 型を破る、枠を破く)

【知恵の悲しみの時代】長田弘★★★☆☆ 2006/10/23 みすず書房 初出「みすず」(2003-06)「もし本が蜂蜜の巣箱なら」と題して連載

昭和の戦争の時代を、「知恵の悲しみの時代」として、その時代に遺された本を通して書くこと。この本に取りあげたのは、戦争の時代を語る大きな物語ではと りあげられることのない本がほとんどですが、気もちの素となったのは、昭和の敗戦後すぐにでた世界古典文庫版で読んだ、グリボエードフの死に同時代人とし てプーシキンが寄せた言葉--「すぐれた人々は跡形もなくわれわれの許から消えてゆく。われわれは怠惰で無関心である。……」--でした。
この本に書きとどめたのは、戦争の時代の本流、増水、氾濫の記録ではなく、戦争の時代の見えない伏流水の記録です。この小さな本の試みが、「われわれの怠 惰と無関心」の先に、すでに「跡形もなくわれわれの許から消えて」ゆこうとしている一つの時代の遺した言葉と記憶を、いくらかでも鮮明によびもどすことが できれば、望外です。
この『知恵の悲しみの時代』に取りあげた本は、戦争の時代に「公刊された本」を原則として、とりあげた文章も、すべて戦争下に上梓された初出そのままにし、旧かな(漢字は新字体)はもとより、特異な用法や誤植もあえて元のままです。
昭和の戦争の時代は、なによりも言葉がためされた時代でした。(あとがき 2006年秋)


本書の紹介代わりに、「あとがき」の一部を先に引用しておく。大好きな詩人長田弘は、エッセイにも味のあるものが多いが、本書はかなり堅めの作物である。よくまあこんな本見つけてくるな、という驚きと、考察の深さ、真摯さには、敬服するしかない。

歴史には二つあります。「ファスト・ヒストリー」(手っ取り早い歴史)と、「スロー・ヒストリー」(ゆっくりと見えてくる歴史)です。
いまは「ファスト・ヒストリー」が、いたるところの世界を席巻しているように見えますが、「ファスト・ヒストリー」がもたらすのは結局、先入観と成り行きのストーリーです。けれども、わたしたちの日々をつくっているもの、つくってゆくものは、先入観と成り行きではけっして解けない「スロー・ヒストリー」」であり、「スロー・ヒストリー」」についてまず問われるべきことは、一人一人の日々にとって一番大切なのは何かという問いただしです。
歴史の主語は、どこまでも単一の「われわれ」によってではなく、本当は、あくまでも複数の「わたし」によって、いつのときも担われてきたのだということを考えます。言挙げの言葉が、時代のかたちを決するのではありません。それは、社会の器量という、日々のあり方を活々としたものにしてゆく、ブルーラル(他者のいる)アイデンティティの持し方、たもち方にょってさだまる。わたしはそう考えています。考えるとは二分法で考えない、ということです。二分法からはじめない。それは読むことのはじまりです。(2001年、アキの朝--プロローグ)


骨盤骨折で、2ヶ月間のスローライフを余儀なくされたMorris.には、天啓の言葉と思えた(^_^;) 二分法の危うさも。

透谷の死の年が、すなわちこの国の、以後1945年までつづく戦争に基づく時代のはじまりの年であり、戦争に基づく時代のはじまりだったこの年が、やがてこの国の教養主義、学歴主義の揺籃となる旧制高校のはじまりの年だったというのも少ながらず暗示的です。
日清戦争からはじまった戦争に基づく時代に、この国でエマソンの言葉が、それこそ「哲理の据付け」のための言葉として、どれほど切実に求められたかをよく伝えるのは、この国の昭和時代のアメリカ研究を主導した高木八尺が、昭和の戦争の敗戦直後に出した一冊の小さな本、R/W・エマソン『アメリカの学者』に付した序です。昭和22(1947)年11月3日という日付のある序。
「私は口に「アメリカン・スカラー」を講じつゝ、今にして思えば、実は日本の学者たるに値しない存在、言動を続けたのではなかつたか。自己内心の道理の至上命令に服し、一切を敢行する真の勇気を、少なくも私は欠いて居た。
「真理のために死すべき時に
人無事なるは、その破滅」
と云ふエマソンの声は、誠に私を慙愧に堪えざらしめる。」
50年におよんだこの国の戦争に基づく時代の終わりがもたらした「戦後」に至って、エマソンの言葉がただの「古典」になり、それまでずっとたもちつづけた切実さが失われ、透谷が見いだしたような同時代人としてのエマソンの姿がいつか見失われていったあたりに、昭和の「戦後」民主主義の落とし穴はあったと言うべきかもしれません。(1894年にはじまる)

1894年(明治27)は北村透谷が自殺した年であり、日清戦争の年である。確かに日本の戦争の時代のはじまりをこの年とすれば、1945年8月15日の敗戦までちょうど半世紀になる。

goverment of the people,by the people,for the people

リンカーンの名と、the peopleとうい言葉を切っても切り離せないものにしたのは、言うまでもなく、この言葉で終わるゲティスバーグでの演説です。
ゲティスバーグ演説の the peopleを、独歩はすでに「人民」とし、「人民の政治人民に由りて人民の為の政治」としていますが、その日本語の「人民」はもともとは孟子(尽心)からきたと言われます。
20世紀初めにはまだ孟子のいわゆる「タミ、クニタミ(『言海』)だった日本語の「人民」が1930年代にヨーロッパで「人民戦線」という考え方が広まってから。それからは「人民」は、「左翼」の政治的主体を表すもののように考えられるようになり、the peopleもまた、「人民」と「国民」と使い分けられるようになります。
「the people」という普遍を表す主語が、日本語にすると立場を示す主語、もしくは国籍をもつ主語になってしまう難しさと危うさ。にもかかわらず、リンカーンのゲティスバーグ演説の結びの言葉だけは、明治からずっと、「the people」という普遍の概念をこの国の人びとの記憶に刻む言葉になってきたことは確かです。(人びとを、人びとが、人びとのために)


「人民の人民による人民のための政治」というあまりに有名なリンカーンの言葉は、民主主義のわかりやすいスローガンみたいに使われている。確かに「the people」という英単語は日本語に訳しにくい。一番わかりやすいのは「ひとびと」だと思う。それが日本では「国民」という言葉に置き換えられやすい。「国民の国民による国民のための政治」となるとナショナリズムの権化とも見えてくる。

大日本雄弁会講談社編『交渉応対 座談術』が出たのは、昭和6(1931)年10月10日。続く時代に忘れられた本になり、「複白」という言葉もまた後々にのこることはなく、敗戦に終わった昭和の戦後にのこったのも変わらない「独白」の文化です。
ダイアローグというものをどのように考え、どのように担うかというところに、時代の水準はあらわれます。ひるがえって、「大は外交の折衝より小は一家の団欒に至る」まで、いまなお見失われているのは「複白」の思想です。(「複白」の思想(1931))


ダイアローグ(対話)を「独白」の対語として「複白」という言葉が作られたらしい。確かに定着してもおかしくない造語だが結局消えてしまった。確かに今の時代に対話は見失われている。

「或る国の文学はその国民の自叙伝と見られる」(斉藤勇「アメリカの国民性及び文学」1942有斐閣)
アメリカ人は「元気」だ。その「元気」のもとは「建国以来の伝統的精神」が育んできた自信だ。
その「元気な心」の表現として、斉藤は宗教や道徳の方面においてのピューリタニズム(清教的精神)、生活態度においてのフロンティア・マインド(開拓的精神)、処世の方針においてのイフィサンシー(能率)を挙げています。ただ、ピューリタニズムが最初に根を下ろしたニュー・イングランドでは極端に走って、何もかも「カルヴィン的神政(theocracy)の下に」おかれるようになり、「ニュー・イングランドの清教徒の血には、主我的考へ方が流れ込んでしまつた」
20世紀の第二次大戦後に限っても、地域を問わず、紛糾のなかに繰りかえされてきたのは、手を替え品を替えたセオクラシーの登場であり、横行です。
しかも厄介なことに、第二次大戦後、当のアメリカをゆるがしたのも新たなセオクラシーでした。1950年代に「赤狩り」となったマッカーシズムに、17世紀のニュー・イングランドの「カルヴィン的神政」を重ねたのは、「るつぼ」の劇作家アーサー・ミラーです。マッカーシズムというセオクラシーをみちびいたのは信念ではなく、むしろ「信念の欠如」だった。そういったのは、「マッカーシズム」という本を書いたジャーナリストのR・H・ロービアです。
世紀があらたまっても、セオクラシーの蠢きはやみません。21世紀になってすったもんだのあげく選出されたテキサス出の大統領の掲げる「戦争」」の政治のあり方を、「テキサス・セオクラシー」と頭韻をふんで名ざしたのは、著名なコラムニストのジミー・プレスリンです。セオクラシーが人びとのあいだにもたらすものは、社会の「元気」を削ぐ疑心暗鬼です。(デモクラシーの「元気」)


セオクラシーというのは初めて知った。
theocracy 1.神政、神権政治(神託による政治) 2.神権政治国家、神政国 3.(教皇政治など)聖職(僧職)政治(研究社「新英和大辞典 1960)
赤狩り(マッカーシズム)というセオクラシー(@_@) なるほど。

「手を拱いた姿は人が深思熟考するすがたであつた。これが人そのものの在り方、対境を超越した第一次的な不動不退の存在のしかたであつた。しかし手が人間存在の様態を示すものとすれば、手が同時に人であるとともに、その表現の手段や機能でなかけらばならぬ。」(『』橘覚勝 1943 創元社)
この国の昭和の戦争の時代にまっさきに失われていったのが「手を拱いて深思熟考する」ひとの姿であったこと。手の表現を通して語られるひとの在り方のさまざまをめぐる『手』の言葉は、さながら戦争の時代の現在のひとりの貼り方のさまざまをそのまま写し、現している言葉であるかのごとくです。
「国家総力戦体制の中で」、日常をささえる手のはたらきは等閑にされて、「心を固定させない」ということができなくなってゆくのが戦争社会です。『手』は徹頭徹尾、手について、というより手のはたらきについて語られた本ですが、手についてしか語られていないのに、あくまで語られているのは戦争であり、この本の影をなしているのは、日常の充実をつくる手の働きを失わせずにいない戦争の時代の影です。(失われた手(1943))


「手を拱く」。これはぜひとも「てをこまぬく」と訓んで欲しい。そしてこの深読みこそ長田弘の真骨頂である。

後から見ればまっさきに明らかなことが、そのときはまっさきに問題の外におかれるままになる。けれども、どのように問題の外に遠ざけられても、明らかな問題のまま、最後までのこります。ものとごを破局に至らしめるおおくは、しばしば、こうした問題の外にはなから遠ざけられるままになる、本当はまっさきに明らかだった問題です。
そのことをもっともはっきりとしめすのは戦争で、戦争ほど、声高に大義を語りつづけて、後になればまっさきに明らかな問題を、そのときはまっさきに問題の外に遠ざけてしまうものはありません。やみくもな破局に至ったこの国の昭和の戦争を最後まで悩ました問題も、本当はまっさきに明らかだった、しかし最後まであえて問題の外におかれた問題だったにちがいありません。樟脳の問題もたぶんその一つです。
週報』に樟脳の問題がとりあげられた昭和13年4月、その月の1日には、政府が勅令によっていっさいの物資を統制できるようになった国家総動員法が公布されています。このときまっさきに明らかだったことは、いきなり戦争の拡大に突っ走ったにもかかわらず、この国はその戦争を支えられる物資をもっていなかった事実です。戦争は物資の「極めて莫大な」濫費にほかなりませんが、このときこの国が直面したのは、樟脳一つとっても「先づ樟脳の製造原料に供し得る迄には大体、約三十年もかゝる」植林からはじめなければならない戦争です。(戦争に必要なもの(1943))


「週報」と「写真週報」は戦争中、政府が発行した週刊誌?である。「戦争と広告」(森正人)でこの媒体のことは知ったが、こういった細かい記事から矛盾を発見する視力にも感服する。

「芸術家とはつねに自らに耳を傾け、自分の聴くことを自分の隅っこで率直な心で書きつける熱心な労働者なのだ」という、ルイ・フィリップの『若き日の手紙』にある言葉を、二十四歳で死んだ詩人(森川義信は口癖にしていたと言われます。(鳶の翅、『魔の山』、欅の木)

森川欣信は、「荒地」の詩人鮎川信夫の詩に「M]」として出てくる戦死した詩人である。

草莽          吉田暁一郎

おくねんのかぜはあれたり
おくやまのさくらちりたり
たゝかひのきずいたみたり
たみぐさのいのりもえたり
つきのやどあほくゆれたり
つゆぬれてくにおもひたり
あめのしたまなことぢたり
あさやけのかぜながれたり

せんねんのこけいしにあり
せゝらぎのつきにほひあり
いわほくだけあしみづあり
いづみおとなくひかりあり(『辻詩集』) (忘れられたアンソロジー (1943))


戦時中の詩集は、現在ではほとんど顧みられることもない。取りあげられるとしても批判の論拠としてだろう。でも、こういった鎮魂の詩もあったのだ。

本としてのありようが、その本の読み方を問う。あるいは、本の読み方をゆたかにも、また貧しくも変えてゆく。本のありようには、気づかなけれが気づかないような、何でもない不思議が詰まっています。本は、そこにあるか、ないか、それだけです。ただそれだけにすぎないのに、ただそれだけのなかに、一冊の本のすべてがあるという本のあり方の、何でもない不思議。本というのは本のあり方のことであり、本は本のあり方そのものがメッセージなのだということです。
(何でもない不思議(1943))


「薔薇は薔薇は薔薇は薔薇……」というガートルード・スタインの詩の一節を思い出した(^_^;)

「まして誰が一人、グーテンベルヒの発明のおかげで、やくざな本が世間ぢゆう一ぱいになり、人間の言葉が劣等な混乱を招いたことに気づくだらうか? ギリシヤ人どもがあんなに美しい言葉を残したといふのも、彼等の時代には活版印刷術がなく、したがつて彼等は、猫も杓子もいつ何時でも本の著者になるといふことがなく、弁論が大事な政治生活であつたことにもよつて人と議論したり語り合つたりすることが多く、そのうちのすぐれた言葉、美しい議論、面白い話だけが口から口につたへられ、そのうちの優れたものだけが貴重な紙の上に書きとめられ、それらのうち最もすぐれたものだけが写しをとられ、それらのうち最もすぐれたものだけが今日まで伝はつて来たためではないか?(『空想家とシナリオ』中野重治 (1939))

「活版印刷」そのものが、消滅しつつある現在、ポスト・グーテンベルクの未来はどうなることやら。

スペイン市民戦争と第二次大戦の経験からジョージ・オーウェルが描きだしたパトリオティズムについての考え方を思い出させます。オーウェルはナショナリズムとパトリオティズムを峻別し、ナショナリズムを「自己欺瞞をふくむ権力願望」として退け、パトリオティズムはむしろナショナリズムと対立するもので、「特定の場所と特定の生活様式こそ世界一だと信じているが、それを他人にまで押しつけようとは考えないもの」だ、としました(「ナショナリズムについて」1945年)。
しかし近代というのは、オーウェルのいうパトリオティズムが国民主義としてのナショナリズムに回収されつづけてきた歴史です。(敗者のパトリオティズム(1944))


ナショナリズムと愛国主義の峻別。大韓民国の国歌「愛国歌」の一節
괴로우나 즐거우나 나라 사랑하세
苦しいときも嬉しいときも国を愛せ
が、パトリオティズムであることを信じたい。

ガリヴァ旅行記』が、どんな物語にもまして、すぐれてこの国の昭和の戦争/敗戦/戦後の経験を映し出す鏡となったという記憶を、1951年の原民喜、小沼丹による子どもたちへのガリヴァー物語はとどめています。(子どもたちのガリヴァー(1944))

いやあ、スウィフトの「ガリバー旅行記」は、子供向けのものも、全訳も読んだのだが、やっぱり凄いインパクトのある作品である。これを「昭和の戦争/敗戦/戦後の経験を映し出す鏡」と言うあたり、長田らしい。

近代欧州政治史』(岡義武 弘文堂書房 1945年11月)は、昭和の戦争の時代のこの国の日々に会って、学ばれるべきであったのに学ばれえなかった、そして、読まれるべきであったのに読まれえなかった歴史のテキストブックであると同時に、敗戦後のこの国の日々にあっては、まっさきに学ばれうべき、そして、読まれうべき歴史のテキスト・ブックとなるべきだった刺激的な本、と言っていいかもしれませんん。
この、アンシャン・レヂーム、フランス大革命、ナポレオンにはじまり、ウィーン会議、1848年の革命、イタリー及びドイツの統一、トルコ帝国の分解、オーストリー・ハンガリー聯合帝国の動揺をへて、第一次大戦の成立、ロシア革命、そして第二次大戦の勃発までを犀利にたどる『近代欧州政治史』にいう「政治」とは、戦争と憲法です。
戦争と憲法が「政治」におよぼすのは、まったくちがっていて、まったくおなじちからです。
戦争も憲法も、それはもともとは国のつくり方にほかならないためです。戦争によって国をつくってゆく。あるいは、憲法によって国をつくってゆく。歴史において、いずれの時代にあっても国というもののありようを決してきたのは、つねにその国の戦争に対する態度であり、その国の憲法に対する態度であるということ。
憲法は国と人びとの基本の法であると同時に、(モンテスキューが『法の精神』でまっさきに言い切ったような)「政治的な徳」の表現でならないだろうからです。モンテスキューは言います。
「この政治的な徳は共和政体を動かすバネなのであり、丁度、「名誉」が君主政を動かすバネであるのと同じである。だからこそ、私は祖国と平等への愛を「政治的徳」と呼んだ。私は新しい観念をもったのであり、そのためにどうしても新しい言葉を見出すか、さもなくば、古い言葉に新しい意味を与えるかしなければならなかった」(岩波文庫、1989年版)
昭和の戦争が敗戦に終わったとき、青空の下で、わたしたちもまた、(モンテスキューの言うように)新しい観念をもったのであり、そのためにどうしても新しい言葉を見出すか、さもなくば、古い言葉に新しい意味を与えるかしなければならなかったのだと、わたしにはそう思われます。そしてそれは、新しい日常のはじまりだった、と。(古い言葉に新しい意味を(1945))


戦争と憲法が国のつくり方、という視点は重要。

日常というもののもつ意味を深刻なものに変えたのは、二十世紀の戦争です。二十世紀になってからの戦争が歴史に刻むことになったのは、戦争がもはや戦場で戦われる戦闘ではなく、戦争そのものが人びとの日常そのものになり、戦争下ではどんな極限状況もごくあたりまえの日常にほかならなくなった無残な記憶です。そうした戦争のあり方が世界からうばったものは、日々のよろこびがそこにある平凡な日常の風景です。
戦争は、いまではおおくが、宣戦布告による国家間の、終わりをめざす戦いではなくなって、パニックによって激発する、終わりのない戦いになってしまっています。それだけにいまためされているのは、何をなすべきかでなく、何をなすべきでないかを言いうる、言葉のちからです。
何をなすべきかを語る言葉は、果敢な言葉。しばしば戦端をひらいてきた言葉です。何をなすべきでないかを語る言葉は、留保の言葉。戦争の終わりにつねにのこされてきた言葉です。
1945(昭和20)年、真夏の青空の下の敗戦で終わった、それまでの戦争を基とした時代の後に、この国はじぶんから戦争をしないことを選んで、留保する自由を選びました。しかし、忘れないようにしたいのは、それからずっと、みずから留保する自由を選びつづけてきた最初の理由が、いまに至るまで、この国の自律の最後の根拠になってきたし、なっている、という事実です。(2005年、春の朝--エピローグ)


「何をなすべきでないか」これまた、重い、重い、重い言葉だ。戦争、テロから、原発再稼働、辺野古基地、改憲……

2018/10/24(水)病院空振り(^_^;)●
6時半起床。
今朝の血圧は154/77/92。35.7℃
3年にわたりシリアで拘束されたジャーナリスト安田純平さんが解放されたというニュース。詳細はわからないが、ともかくも、後藤さんのような最悪の事態が避けられたことは喜ばしい。なによりも過熱取材や、バッシングは避けてもらいたい。
自転車で金沢病院へ。昼一番(午後2時)で検査受けるつもりだったのだが、午後は緊急手術が入って、どのくらい時間がかかるかわからないとのこと。
仕方ないので、ダイエーで缶チューハイ買って(^_^;) 都賀川沿いの指定席ベンチ(^_^;)でミニギター&読書。読書のBGMにはlパンミのゴールデン・アルバム。うーーん、やっぱりパンミの声にはMorris.を狂わせる何かがあるようだ。
4時半頃金沢病院受付で状況訊ねたら、かなり時間かかりそうとのことだったので、今日の検査は諦めて、明日以降にまた来ることにする。水道筋で買い物して5時帰宅。
今日の歩数は3295歩。


屋上北東方面の空 

ディプラデニア 

ハルシャギクに褄黒豹紋 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 집에서 빈둥거리다(チベソピンドゥンgコリダ 家でごろごろする)
(チプ 家)+에서(エソ で)+ 빈둥거리다(ピンドゥンgゴリダ 怠ける、ごろごろする)
とりあえず、今のMorris.の現在進行形(^_^;) を表現するのにぴったりの言い回しである。
類義語には
어슬렁거리다(オスルロンッコリダ ぶらぶらする、ふら付く、ぶらつく)
게으르다(ケウルダ 怠ける、怠惰だ)
などがある。

2018/10/23(火)二人ノレバン(^_^;)●
6時半起床。
今朝の血圧は180/77/61。36.0℃
例によって、昼まで読書。
今夜は大和くん主宰の長田歌居屋カラオケなので、ちょっと早めに長田に出る。
新長田駅出たら小雨降ってた(>_<)
新長田図書館まで行って、裏手の猫場でちょこっとデジカメ撮影。
水傘通公園の屋根のある四阿でしばらくミニギター。公園で遊んでた小学生が数人集まって、ミニギター触りたがったり、スピーカー持って走り回ったりと、いろいろ面白かった。途中暗くなってきたので、持参の楽譜ライトも使う。
新長田図書館で雨宿りして、7時に歌居屋へ。
今日も参加者は二人だけ(^_^;)
大和くんがKBSの人からもらったCDで、所有してるのとダブってるのがあったので、欲しければどうぞとのこと。ヒョンスクとヒョンチョルとパクサンチョルの3枚をいただく。新しい韓国歌謡CDなんて何年ぶりだろう。感謝ハムニダm(__)m
先月と同じく、一人二曲ずつ入れて交互に歌いまくる。Morris.は再燃したパンミの曲4曲連続。でも、本当に好きな曲はここのDAMには入ってない(>_<) その後はもらったばかりのCDの3人の持ち歌、練習中の「アモールパーティ」に挑戦、やっぱりまだ全然ダメ。そしたら大和くんが、僕も歌おうと模範歌唱を聴かせてくれた。ほぼ完璧である(@_@) 実はこの曲、来週のカラオケ教室の課題曲にしたので、特訓してたらしい。それにしてもこんな曲までマスターできるというのは素晴らしい。おしまいには十八番の石川さゆりまで歌ってくれた。ほとんどコンサートののりである。「一曲入魂」が彼のポリシーだと。心構えから違うな。
結局一人30曲くらいずつ歌ったことになる。例によって、カラオケリモコンの履歴画面をデジカメでメモしたので、全曲公開しておく(^_^;)
大和くん 
 
Morris.
椿娘/イミジャ
女の一生/イミジャ
痕跡/チェユナ
密会/チェユナ
ピナリ/シムスボン
失った情/キムスヒ
余情/チェジニ
初恋/チェジニ
情 情 情/ヒョンチョル
オッパは元気だ/ヒョンスク
本当に知らなかった/チェビョンゴル
憎い情愛しい情/ナミ
花びらの愛/チェソクチュン

アモールパーティ/キムヨンジャ
水銀灯/キムヨンジャ

情一つかけて/キムソンファン
恋人がいれば/ナムジン
オラボニ/クムチャンディ
私の愛 あなた/キムヨンイム
モンニジョ/ペティキム
愛は永遠に/ペティキム
ロマンス愛/カンミンジュ
テンボル/カンジン
人生は生放送/ソンデグヮン
妻の誕生日/ソンデグヮン
今は行かないで/キムスヒ
二度と泣いちゃダメ/キムスヒ
天城越え/石川さゆり
星降る京釜線/大川栄策 

 
来る秋には恋しよう/パンミ
私に会いに来て/パンミ
季節が二度変われば/パンミ
埒もない噂/パンミ
ファンジニ/パクサンチョル
チャオガ/パクサンチョル
幌馬車/ヒョンスク
チョンマルロ/ヒョンスク
嫌だ嫌だよ/ヒョンチョル
恋は蝶々/ヒョンチョル
十八歳スニ/ナフナ
Tears/ソチャンフィ
アモールパーティ/キムヨンジャ
失われた愛/チョヨンピル
無情列車/ナムインス
イッタイッタヨ/チャンユンジョン
サランア/チャンユンジョン
何メートル離れて/キムサンベ
ソウルソウルソウル/チョヨンピル
貴方無しではいられない/ペティキム
第三漢江橋/ヘウニ
愛のツイスト/ソルンド
ヘトゥルナル/ソンデグヮン
崔進士宅の三番娘/チョヨンナム
世間覗き眼鏡/シンシネ
追憶の貴方/チュヒョンミ
昨日のような別れ/チュヒョンミ
姓はキムよ/ムンヒオク
鏡も見ない女/テジナ
11時に店を出て、11:26発の電車に乗る。途中神戸駅で、よりちゃん(秋本嫁)が、列車に乗ってきた(@_@) 彼女と会うのも、数年ぶりである。短い間(灘駅まで)でも、ちょこっと話できて懐かしかった。
今日の歩数は3509歩。


新長田図書館裏猫 #1 

#2 

#3 

高速道路通気塔 

大和くんからCDのプレゼントm(__)m 

熱唱大和くん 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 기뻐서 어찌할줄 모르다(キッポソッジョリハルチュルモルダ 有頂天だ)
直訳すると「嬉しくてどうしていいかわからない」
으시대다(ウシデダ 高ぶる、有頂天になる、うぬぼれている *正しい綴りは으스대다(ウスデダ)だが으시대다の方がよく使われる)    
기고만장[気高万丈](キゴマンジャンg 有頂天 )    
우쭐대다(ウッチュルデダ)     有頂天になる、高ぶる、調子に乗る
우쭐거리다(ウッチュルコリダ 有頂天になる、背負ってる、高ぶる、偉そうに振る舞う)    
희열[喜悦]에 넘치다(ヒヨレノムチダ 有頂天になる、喜びに満ちている )    

2018/10/22(月)卓球愛ちゃんが現役引退●
6時半起床。
今朝の血圧は161/53/80。36.0℃
朝の三点セット。
昼過ぎ、冷蔵庫に残ってた缶ビール持って屋上に。
一旦部屋に戻り、自転車で王子動物園まで行き、まぬうに挨拶してから、ハンター邸前庭ベンチで読書。
その後、駐車場樹の下ベンチへ。
マルハチでホワイトホース買って5時帰宅。
卓球の福原愛が自分のブログで現役引退を発表したとのこと。Morris.は卓球とは縁がないが、それでも、5歳くらいからテレビに出てた泣き虫愛ちゃんの頃からずっと好感を持ってた。天才少女と騒がれてても、どうせ長続きはしないだろうと思いながら、何となくはらはらしながら、保護者目線で応援してたような気がする。タモリの「卓球根暗」発言などもあって、卓球は人気のないスポーツの代表みたいだった。それが今や卓球ブームと言わるようになった。ここに至るまでの日本卓球界への貢献度は計り知れない。
安倍政権の「70歳雇用」政策が話題になっている。年金支給時期を遅らせようというのが本音らしいが、Morris.のように70歳どころか、とにかく死ぬまで働くしかない者にとっては、まるで別世界の論議である(>_<)
今日の歩数は3443歩。


パクチー愛 

昼からビール 

今日のまぬう ペッキー 

今日のまぬう イーリス 

合歓木の莢果 

出目丸と波子 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 덜렁대다(トルロンgデダ そそっかしい)
덜렁덜렁하다(トルロンgトルロンgハダ そそっかしい)
덜렁대는 성격[性格](トルロンgデヌンソンgキョク そそっかしい性格)    
덜렁이(トルロンgイ そそっかし屋)
경솔[軽率]하다(キョンgソルハダ 軽率だ、浅はかだ)
그는 일은 잘 하지만 약간[若干] 경솔[軽率]하다.(クヌンイルンチャルハジマンヤッカンキョンgソルハダ 彼は仕事はできるが若干軽率だ。)

【ゴースト】中島京子 ★★★☆☆ 2017/08/30  朝日新聞出版 初出「小説トリッパー」2015-17

ゴースト(幽霊)にまつわる7篇の短編集。( )内は参考文献
第一話 原宿の家(「ガラスの靴・悪い仲間」安岡章太郎 「占領軍住宅の記録」小泉和子編)
第二話 ミシンの履歴(「ミシンと日本の近代」アンドルー・ゴードン)
第三話 きららの紙飛行機(「浮浪児の栄光」佐野美津男 「浮浪児1945」石井光太)
第四話 亡霊たち(「俘虜記・ミンドロ島ふたたび・靴の話」大岡昇平)
第五話 キャンプ(「満州難民」井上卓弥 「ベトナム難民少女の10年」トラン・ゴク・ラン
第六話 廃墟(「香港・濁水渓」邱永漢)
第七話 ゴーストライター


中島京子は今の女性作家では一番二番に好きかもしれない。最初に読んだ「小さいおうち」が大当たりで、その後、ほとんどの作品を読んだが、Morris.の好みに合うものと合わないものつまり、当たり外れが大きい。この短編集の中でも、好き嫌いが結構はっきり分かれたような気がする。
一番好きだったのが第二話のミシンの履歴。☆2つはこの作品に依る。

大通り沿いの古道具屋ウインドウに、そのミシンが現れたのは夏のことだった。秋が来て、街路樹の銀杏が葉を黄色に染め、実が酪酸の強いにおいを振りまき、やがてすっかり枯れ落ちて掃き清められてしまっても、ミシンはそこにあった。

これが冒頭の文章。「酪酸」なんてさりげなく使うところも何かかっこいい。

「こうなっちゃうと、なんだかよくわかんないんだよね」
と、笑った。
「わかんない?」
「ああ。ペンキがね、後から塗ってあるんだ。もともとの色や模様が隠れちゃってる。ハンドルも後付けで、どこの規格だかわかんない。おそらくこれだろう、と思われるのは、国産メーカーのパインって、いまの蛇の目ミシンだね。あそこが昭和の初めに作った100種30型ってい
足踏みミシンなんだけども」
「だけどこれ、足踏みミシンじゃないですね」
「うん。もう、こうなっちゃうと、何がなんだかね」
店主は目を細めた。


古道具屋の奥で見つけたちょっと得体の知れないミシン。これが、本作の主人公で「100・30」と呼ばれる。蛇の目ミシンの前身がパインだという雑学まで教えてもらった。

100・30が生まれ育ったのは、北多摩の小金井村だが、もうじゅうぶん、一人でもやっていけるとお墨付きをもらうと、すぐに同じ敷地内にあった洋裁学校に送られた。

早速主人公の出自から。

家庭内にあっては、ミシンは完全に女の所有物だった。男たちはこの大きな器械を前にして、お手上げだった。母や娘だけが扱える鉄製の什器。それを置きさえすれば、半畳は必要なその空間が、丸ごと女のものになる。
奇妙なことに、生産者兼消費者になることへの女たちの純粋な欲望を、後押ししたのは戦争だった。大陸で火の手が上がると、
「あなたには銃剣を、わたしにはミシンを」
という標語が、女たちの目を射抜いた。


これで物語の時代が明らかにされる。

しばらくして100・30は、洋裁学校から大日本婦人会による授産所へ払い下げられた。
一家の主が戦死したり、戦災で家財産を失ったりした女たちが無料で洋裁を学べる場所だった。
100・30は、芳田カメという名前の未亡人の家に借りられていった。


芳田カメは100・30を相当に酷使したらしい。

そして、あの運命の日がやってくる。
それはその年の4月14日未明のことだった。前日の9時頃には警報が発令されていて、カメはぐずる舅を担ぐようにして二人の子どもと一緒に防空壕に避難した。そのときカメが水に浸した布団のいち枚でも100・30にかけていれば、あのような苛酷な運命に晒されることもなかったかもしれない。
結局のところ、火事は一帯の全焼によって終息を見た。
100・30の体の木製部分の多くが炭と化した。
鉄というものの性質上、土に還ることはないけれども、最終的には岩のような、石のような、自然の風景の一変形に収まるかと思われた。


ここから主人公の受難が始まる。

俗にドンガラと呼ばれる100・30の胴体は、男に奪い去られた。
100・30は生きながら埋められたのである。


戦争中では、主人公の商品価値は無くなっていたのだ。

100・30の再出現した世界では、戦争が終わっていた。
「ねえ、あたし、これをもらうわ」
そう言って100・30を指した女は、ララ物資と思われるサイズの合わない様式のジャケットの下に履き古したもんぺという姿だったが、肩までの髪にはゆるいウェーブがかかっていて、うっすらと唇には紅を引き、どことなく垢抜けたところがあった。


戦後の闇市でのやり取りだろう。「ララ物資」(^_^;)

「あんた、大学の工学部を出たって言ってたじゃない。使えるようにしてよ」
それから昼間になると男は家を出て、なにやら探し回り、どこから調達したのか古いミシンの説明書や、外国語の本なども持ち込んで、しばらく腕組みをしてそれらを読んでいた。そしてまたむっくりと起き上がって出かけると、上野や浅草でガラクタにしか見えないミシン部品を手に入れてきた。
男はついに100・30に手をかけた。まずは、焦げた上に痛々しく切り離されたミシン台の名残の、斧で折り切られた板部分を、きちんとドライバーを使って取り外した。それから、女が悲鳴を上げるのもかまわずドンガラを解体した。ぞんざいな扱いを受けてきたせいで溜まっていた埃を、まずは、ぼろ布を使って丁寧に払った。それから男は自転車用の潤滑油と紙鑢で、部品一つ一つについてしまった錆を落とした。糸巻棒と失われた針板の一部は、男によって木の板で補強された。微妙に規格の違う内外釜、ボビンとボビンケースにも、丁寧に鑢がかけられた。
男は100・30を組み立てなおした。安定して立つようにと、木製の台座を作り、その上に載せてネジで固定した。ミシンヘッドの右横にあり、針棒を上下させるために回す、プーリーと呼ばれる丸い部位には、かき氷機についているようなハンドルを取り付けた。ヘッド本体は黒い塗装で、ところどころ剥げてきていたが、新しくついたハンドルは薄い緑色がかった銀色をしていた。
ずいぶん長いこと、糸巻棒に載ることのなかった上糸が載った。釜の中のボビンが回って下糸を巻き取った。男は腰にぶら下げていた手拭いを外し、押さえを上げてその手拭いを噛ませた。男は静かに押さえピンを下ろして手拭いを固定し、ふぅーっと息を吐いてから、ハンドルを回した。ゴトン、と嫌な音がして、針が進まなくなった。男は外国語の解説書と首っ引きで不具合の原因を探り、もう一度解体して、もう一度組み立てた。そんなことを何回か繰り返した。

100・30はこうして蘇生したのだ。

主人公を買った女が一緒に暮らしてた復員兵と美術係の男二人のうち、復員兵が主人公を苦労して再生させる場面。この描写が素晴らしい。花輪和一の傑作漫画「刑務所の中」の、作者のビストル再生の描写を思い出した。

女は出産ぎりぎりまでミシンを動かし続けたし、出産直後からミシンの前に座った。
縫い上げるもので稼ぎ出される金は、端から子どものミルク代に消え、次の子どもの出産費用になった。女は子どもたちのおむつや服を縫った。駆け回るようになった子どもがミシンに触らないようにと、撮影所の美術係に転職した父親が、日曜大工でミシンを覆う木箱を作った。


女は復員兵とは別れて、美術係との間に娘を出産する。

100・30が、もう一度日の目を見たのは、上の子どもが小学生になって、お母さんと同じようにミシンで縫物をしたいと言い出したからだ。
娘が母親の電動ミシンを使い始めるまでの数年間、100・30は、小さな彼女の遊び相手になった。


主人公の最後の輝き。

母親は生前、娘に言ったのだった。
「あたしが死んだら、あの押し入れにあるミシンを、いっしょにお墓に埋めてちょうだい。あれで、あんたたちを育てたんだから。片腕みたいなミシンなんだから」
それで、娘は100・30を引っ張り出して、遺言通りにしようと思ったのだが、美術係が埋まっている墓のある寺の住職が、いくらなんでもそんなでかいものは埋葬できないと言い張った。
そこで娘は、困った末にミシンの釜を抜いて骨壷に入れた。
だから、100・30には、針板の奥に釜がない。(第二話 ミシンの履歴)


娘が始末に困って古道具屋に遺品整理として払い下げたというところで最初に戻る。
〆の「だから……」は。漱石の坊っちゃんのラストに呼応している。というのは、Morris.の考えすぎかな?
Morris.が本作一押しなのは、そもそもミシン好き、というのが一番の理由なのかもしれない。やっぱりSINGERに代表されるクラシカルな足踏みミシンが一番好きだが、そんなもの置くスペースはない。部屋にあるのは、かなり古いbrotherの電動ミシンだが、これも、かなりガタがきて、実用にはかなり問題がある。水道筋のミシン屋で修理頼もうかと思いながら、手をつかねている。

九龍城の歴史を簡単に記すなら、19世紀の終わりに、イギリスが清朝から香港を99年の約束で租借したおり、九龍半島の新界地区にあった九龍城砦だけが例外として租借地から除外され清の飛び地となったが、最初にイギリスの圧力で清軍が排除され、のちに中国国民党が中華民国を打ち立てても、九龍城はどこの国の法も及ばない地帯として残された。ということになる。国共内戦や中華人民共和国樹立後、大陸からの移民がバラックを建設し、文化大革命後などにも移民は流入して、高層建築を建て、増築を繰り返し、複雑な構造の建築物を作り上げた。どの国の主権も及ばない中、住民は自治組織を作って管理にあたり、「東洋の魔窟」とも呼ばれたその活気ある風号住宅は、香港の中国への主権返還で取り壊しが決まるまで存在し続けた。
「ここを見ることができてよかった。誘ってくれてありがとう」
そう言うと、ファン・ジュンはにっこり笑った。


香港には行ったこともないが、九龍城にはそそられるものがあった。

「ここはとても古い学生寮でした。建設されたのは、1927年のことです。ここにはわたしの大叔父が暮らしていたことがあるのです。だから、一度見てみたいと考えていました。もうすぐ取り壊されてしまうと聞いて、今年が最後のチャンスかもしれないと思ったのです。でも、一人で来るのは少し怖かったので、あなたがいっしょに来てくれてよかった」
わたしたちが訪れた廃墟は、東京の中でもとくに教育機関の集まる文京地区の一角にあった。
1927年、昭和の年号でいえば、2年にあたるこの年、台湾人学生用の宿舎として、当時日本の植民地だった台湾の総督府関連の財団が、国有地を借り建設したのが、S寮と呼ばれるこの建物だった。敷地は約三千平方メートル、鉄筋三階建てに地下室がある。
ファン・ジュンの大叔父さんは、不運だった。優秀な成績で大学生になったその年に、日本は学生たちの徴兵猶予をやめて学徒出陣を決め、ほぼ同時期に台湾や朝鮮、満州などの植民地の学生たちに志願兵制度を作った。志願兵といっても、選択の余地はほぼ無く、志願しなければたいへん懲罰的な強制労働を課せられたと、のちになって、わたしは、邱永漢の自伝で読んだ。
結局、ファン・ジュンの大叔父さんは、ほかの寮生といっしょに兵隊に志願した。そして、インドネシアのボルネオ島に派兵されて戦死した。
日本は二年後敗戦を喫し、台湾は日本の植民地ではなくなった。台湾総督府そのものが消滅したので、国からこの土地を借り受けた主体である財団も消滅した。国や法が消滅しても、そこに入居している人間の営みは消滅しない。どこにも帰属を持たない学生寮は、それでも生き物のように機能し続けた。
「少し、九龍城のようです」
と、ファン・ジュンは言った。
所有者不在の建物は、法を超えて土地を占拠し続け、その後も台湾から東京にやってくる学生は伝手をたどってS寮に住み続けた。しだいに中国からの留学生も住むようになり、自治組織が作られて、寮の運営は続けられた。内戦に敗れた国民党の残党が海峡を渡って台湾に向かい、大陸に中華人民共和国が打ち立てられても、国や法と袂を分かった学生寮は、独自に存続した。
日本が寮の居住者に立ち退きを求めなかったのは、外交問題に発展するのを恐れたためだという。おそらく戦後まもなくは、それどころではなかったのだろう。1972年の日中共同声明で日本は中華人民共和国と国交を正常化、台湾と断交した。さかのぼれば台湾総督府の後ろ盾で建ったはずの学生寮の身分はますます宙に浮いたが、すべてはあるがままの状態で放置され、21世紀を迎える。

ファン・ジュンがまた泣き出すように思えてこの若い友人の横顔を見守っていたら、驚いたことに自分の眦から、ふいに熱いものが伝った。
「だいじょうぶですか?」
ファン・ジュンが、少し前にわたしが彼女にたずねたのと同じフレーズを発した。わたしは大急ぎで頬に手の平を這わせ、少し笑った。困ったときの、アジア人の笑いをしてみたのだ。わたしはほんとうに困っていたので。
それはわたしが泣いたのではなくて、なにかがわたしの中にそっと入り込んで涙を流させたかのようだった。わたしには無く理由はなかった。
それでも、まったくないわけではないような気もした。(第六話 廃墟 )


この作品は、作者と台湾の女性旅行作家が香港で出会い、いっしょに九龍城跡の公園に行き、東京にやってきた台湾作家と、取り壊される直前の台湾学生寮を訪れるという設定だが、エピソードの提示しかたがうまい。

てるみの問いかけに男は深くうなずき、なぜだか真っすぐ前を向いて答えた。
「人は誰しも心の中に闇を抱えている」
「闇?」
「そこには、ゴーストがつけ入る隙があるんだ」
「ゴーストがつけ入る隙?」
「闇というのはね、言ってみれば、恨みのようなものだ。報われなかった恨み、誤解された口惜しさ、押し込められたつらみ、われわれを排斥して大きな顔をしている者への妬み、いい気になっているやつらへの嫉(そね)み、そういった強い感情が、人を揺り動かす」


「代作屋?」
「ゴーストライターとか、ゴーストって言って、人の話を聞いて、その人が書いたみたいに記事を書いたり、本にまとめたりするんです。でもまだ、修行中です」
「そうか。それで、間違えたんだね」
「間違えた?」
「あの男だよ。さっきの着物の男はほんものの幽霊の話をしてたんだよ」
「ほんものの幽霊?」
「うん。あの男とか、あたしとかさ」
「ごめんなさい。ほんものの幽霊って?」
「死んでんのよ、あたしたち」
ほかにリアクションの取りようもなくて、てるみはへへっと笑った。

誰もが自叙伝を出すわけではないし、誰もが人に気にされる人生を送るわけではない。むしろなにも書かず、誰にも気にされずに一生を終わる人がほとんどなのだ。
「あんたは気づいてないけど、ゴーストはいっぱいいるのよ」
厚化粧の女は続けた。
「そこらじゅうにいるの。だけど、ゴーストはなんにもできない。死んだらおしまい。誰かに乗り移ったり、怨念をまき散らしたり、そんなことはできない。ただ、横にいて、思い出してもらうのを待ってる。あんたのつい隣で、待ってるんだよ」(第七話 ゴーストライター)

ゴーストライター見習いのてるみが編集長と深夜に訪れた酒場で、出会った男女ともに幽霊だったというお膳立て。ちょっと落語怪談みたいな感じだった。
つまり、Morris.はこの短編集では、第二話と第六話がお気に入りということになる。
他の作品もそれぞれ見どころはありそうだが、何となく肌に合わなかった。それでも、参考文献から、これだけの物語を紬ぎ出す作者の才能には、舌を巻くしかない。

2018/10/21(日)●芳美(パンミ)再聴
6時半起床。
今朝の血圧は181/87/82。36.0℃
8時過ぎまでベッドで読書。午前中は昨日の日記編集。デジカメ画像が30点(拡大画像入れると40点)もあると、それだけで時間食ってしまう。
昼から自転車で外に出て、山手幹線と西郷川の交わる広場の樹の下円形ベンチでミニギター。ここでやるのは初めてだったがそれなりにやりやすかった。ところが、この木に止ってる鳩が糞をするのが困りものである(>_<) 足先に糞がおちたのをしおに、切り上げて、マルハチで缶チューハイ買って、都賀川のいつもの定位置ベンチへ移動。ここで読書しながら、BGMとして今やリズムボックス専用になってるiPhoneに入ってた韓国女性歌手パンミのアルバムをブルートゥースでスピーカーに飛ばす。何か久しぶりにパンミ聴いて、まるで初めて聴くような衝撃を受けた。またしばらくパンミ漬けになりそうな気配。
水道筋で買い物して5時半帰宅。
今日の歩数は3255歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 쑥스럽다(ッスクスロプタ きまりが悪い)
쑥스럽잖아(ッスクスロプチャナ 照れるぜ)
사람들 앞에 나서기가 어쩐지 쑥스럽다(サラムンアペナソギガオッチョンジッスクスロプタ 人前に出るのがなんとなく気恥ずかしい)
묻는다고 이름을 대는 것도 쑥스럽지만(ムンヌンダゴイルムルデヌンゴットッスクスロプチマン 問われて名告るも烏滸がましいが)

2018/10/20(土)●相楽園菊花展
7時半起床。
今朝の血圧は175/78/79。35.6℃
秋晴れが続く。
今日から相楽園の菊花展が始まると風のうわさ(^_^;)に聞いたので、行ってみることに。
Googlemapで経路見たら、徒歩で45分(3.7km)、まあリハビリも兼ねて歩いていこう。
12:30に部屋を出て、相楽園に到着したのが13:30。ちょうど1時間かかったことになる。途中、デジカメスケッチ(^_^;)やったり、琴ノ緒町の工事現場(更地)でMorris.@Catographerモードになったりしたから、それほど遅かったわけでもない。
菊花展は今日から11月23日まで。花の種類にもよるが、満開見頃は10月末から11月はじめだろう。大輪の花は結構咲いてたが、懸崖や盆栽仕立てのものはほとんど花は見られなかった。特に菊花への思い入れはないのだが、風物詩として、ほぼ毎年訪れている。今日はオープニングの土曜日ということで、馬小屋で、ミュージックベルやコーラスなどの催しやってたので、ちょこっと冷やかす。
更に、隣の旧ハッサム邸も内部公開してたのでこちらも覗いてみる。王子動物園のハンター邸はおなじみだが、ハッサム邸の中に入るのは久しぶりである。とはいっても、特に代わり映えはしない(^_^;)。園内の日本庭園や中庭の菊花展示など見て3時前に園を出て、中央図書館まで足を伸ばすことにした。相楽園から中央図書館までは徒歩15分(1.2km)。トータルで5kmちょっと。これくらいなら、特に長距離でもないのだが、今日はちょっと右脚に違和感を覚えた。やっぱり完治はまだまだなのかな。来週金沢病院に検査してもらうことになってて、これが最後の検査になれば、と期待してたのだが、一抹の不安が。
図書館では、中庭で「猫びより」11月号を見る。今号は「平成の猫」特集で、相当力入ってて読み甲斐があった。たま駅長、はっちゃんなど話題になった有名猫紹介、4pにわたる平成猫年表、地域猫活動の歴史と紹介などなど…… 岩合光昭の猫写真の力が、ダントツで群を抜いているな。
フロアでも「平成30年回顧展」みたいなパネル展示やってて、A4用紙2枚に「流行語大賞」「ベストセラー」「レコード大賞」「アカデミー賞」などの一覧表無料配布していた。一番最後の行(平成30年欄)は空白になってて、各自書き込むようになってるあたり(^_^;)
三階で、倉庫資料一冊借り出し、開架の「リアルのゆくえ」というヴィジュアル本を見る。2年前に開かれた同タイトルの美術展の図録みたいなもので、高橋由一、岸田劉生に繋がる日本のリアリズム画家を一堂に集めた催しだったらしい。近畿では姫路市立美術館( 2017年9月23日〜11月5日)で開かれたとのこと。ああ、これは見ておきたかった。
16:30に図書館出て、JR神戸駅前自転車置場奥の高台で、ちょこっとミニギター、と思ったのだが10曲演らないうちに、暗くなって楽譜読めなくなった。即撤収(^_^;)
夜はBS朝日で、寅さん三作目を見るも、これはどうもイマイチだった。
今日の歩数は6952歩。


路上に目白が(>_<) 

直径5mmくらいの花 

旋盤での鉄屑 

大安亭入口北のタイル張りオーブン?

琴ノ緒町工事現場のカップル猫 

同じく 

朝鮮朝顔 

極楽鳥花 

相楽園 菊花展 

中庭の展示 

大輪の菊 

白菊 

馬小屋 

ムージックベルコンサート 

旧ハッサム亭 #1 

#2 

#3マントルピース 

#4  鏡で自撮り 

#5 階段周り 

ハッサム亭は重文(@_@) 

船館 

白松 

不思議な花 

こちらも不思議に可憐 

今日のヴィジュアル読書 

その2 

平成30年回顧展 

以前行ったタイレストラン 

トゥクトゥクも健在 

JR神戸駅上の月 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 보람이 있다(ポラミイッタ やり甲斐がある)
보람(ポラム やりがい、甲斐)は漢字語ではない固有語で、意味が好感を呼ぶことから、人名につわれることもある。ガールズバンドT-ara (ティアラ)の    メンバーの一人보람(ポラム)は本名が전보람(ジョンポラム)。
삶의 보람(サルメボラム 生きがい    
보람찬 하루를 보내다(ポラムチャンハルルポネダ     充実した一日を送る)

2018/10/19(金)●アモルパティ
6時半起床。
今朝の血圧は156/66/72。
昼前に自転車で王子公園駐車場樹の下ベンチに行ったら、いつのまにか、草原みたいだったのが見事に草刈りされて坊主頭みたいになってた。ちょっと悲しい。ここで、しばらく時間つぶして、ダイエーで缶チューハイ買って、都賀川指定ベンチで、ミニギター&読書。返却期限近づいてる、中島京子の短編集一冊読み終える。
水道筋マルハチでホワイトホース買って3時半帰宅。
缶ビール持って屋上へ(^_^;) いまさらだけど、キムヨンジャの「アモルパティ」の楽譜をネットで見つけたので、これを練習。途中6小節のブレイクがあって、何かやりにくい(>_<) もう少しYou Tube聴き込んで覚えなくては。
夜は、女子バレー、日本-アメリカ戦。これが5位、6位決定戦で、今回の大会の最終戦。隠れ女子バレーファン(>_<)のMorris.は、こっそり、今回のワールドカップもほとんどの試合テレビ観戦してたのだ(^_^;) 監督の中田久美を見るだけでもわくわくした。若手有望選手も登場して、それなりに健闘したと思う。中継も以前のようにジャニーズ若手グループの応援は無くなって、ちょっとはましだった。優勝のイタリアや中国、セルビア、ブラジルなどとは、まだまだレベルが違うようだ。
今日の歩数は4992歩。


樹の下ベンチ前の草原が(@_@) 

紅葉落ち葉 

錦鯉 

照光寺のクロ 

課題曲(^_^;) 

夕日が沈むのは西がきまり(^_^;)

[今日の韓国語単語from Kpedia] 족집게(チョクチプケ 毛抜)
毛抜きは、ピンポイントで毛を正確に引き抜くことから、秘密をよく当てる人のことにたとえられる。
족집게 같다(チョクチプケカッタ 秘密をよくあてる様子 *直訳すると「毛抜みたいだ」)
족집게 과외[課外] (チョクチプケクヮウェ 試験の山をずばりと当てる塾の課外授業)
족집게 장님(チュクチプケチャンgニム よく当たる盲目の占い師)

【本を読む】安野光雅 ★★★ 2016/12/10 山川出版社
「本が好き」というのを読んで、それなりに面白かったので、前作であるこれも読むことにしたのだが、ちょっと期待はずれだった。
本書で取りあげられた30冊ほどの本の一覧が巻末にあるが、Morris.が読んだことのある本(太字)と、気になる本だけ引いておく。
・シェイクスピア ヴェニスの商人
・福沢諭吉 福翁自伝
・夏目漱石 二百十日
・杉田玄白 蘭学事始
・ウィンバー アルプス登攀記
・ビアス 悪魔の辞典
・中江兆民 一年有半
・森鴎外 椋鳥通信
・モーム 人間の絆
・中勘助 銀の匙
・富岡多恵子 中勘助の恋
・中島敦 李陵・山月記
・リンドバーグ夫人 海からの贈物
・レオポール・ショヴォ 年を歴た鰐の話
・吉田満 戦艦大和ノ最期
・黒柳徹子 窓際のトットちゃん

昔、金貸しはキリスト教徒にはできなかったことで、主にユダヤ人の仕事だったという。それにしてもシャイロックの役は憎たらしげに演じる。これがユダヤ人というものの概念を、ある程度作りあげたのではないかという説があるが、ちょっと気の毒な気がする。(ヴェニスの商人)


たしかにヴェニスの商人のシャイロックが、ヨーロッパ全体のユダヤ人蔑視をかなり助長したことは疑いを得ない。少年少女文学全集で、これを読んだMorris.も、子供心に、ユダヤ人って嫌だなみたいな感想をもった気がする。

昨日 青春の幼年時代、成年の青春時代、老年の過去のすべて。
希望 欲望と期待とを丸めて一つにしたもの。
平和 国際関係について、二つの戦争の期間に介在するだまし合いの時期を指して言う。(悪魔の辞典)


高校生の頃、ビアスの辛辣な皮肉にはちょっと惹かれてた。文庫本の一冊を長いこと持ってたが、先日としろうに進呈した。

誰でも死ぬ。例外はない。死ぬのは後から来る人のために場所を空けておくことだ。場所だけではない。汚れていない水と、汚染されていない空気だ。外に何も残すものがなくてもこれだけは残しておきたい。(人間の絆)

モームはゴーギャンをモデルにした「月と6ペンス」しか読んでない。このところ翻訳小説はほとんど読んでない。(昨年のオースティンが例外)

ショヴォの存在がうたがわれ、ショヴォとは山本夏彦のペンネームだ、といって納得した。もし彼がありもせぬ人物をこしらえて書いたものだとすると、その暗喩、比喩ともに、現代イギリスの風刺かもしれぬとみんなが思いはじめた。
そうこうするうちに、堀内誠一がパリの古本屋でレオポール・ショヴォの実在をつきとめ、わたしも一度あったことのある、フランス文学者の出口裕弘の訳で福音館から世に出た。(年を歴た鰐の話)


この絵本は山本夏彦の訳が素晴らしかった。ような気がする(^_^;)

「この作品の初稿は、終戦の直後の直後。ほとんど一日を以て書かれた」という。
彼は奇跡的に重油の海から生還したのである。
米軍の側からは右翼的な本だとにらまれ、日本からは戦争批判の意図が含まれていると解釈がわかれ、本そのものは歓迎されたが、筆を進めた吉田満の一夜は、今となってはその誠意をわかる人は少なくなったかもしれない。(戦艦大和ノ最期)


先日読んだ石川達三の「生きている兵隊」とはまた別の意味の、戦争文学の名作だと思う。

『名作52 読む見る聴く』(朝日新聞社という本の中で見つけた安岡章太郎の詩「枯葉」の一部分を掲げる。

ああ想い出してくれ。
僕らがあいし合っていた頃の
あの幸福な日々を
あの頃は、いまと違って人生は美しく
太陽はもっと明るかった。

この詩を、わたくし流に今読むと、「あの頃」というのは、本と仲のよかった頃のことだ。(あとがき)


これを見て、あれれ?と思った。引用された詩文は、プレヴェール作、シャンソンのスタンダードナンバーでもある「枯葉」の一節に間違いない。安野もタイトルを「枯葉」と明記している。Morris.が訝しんだのは、「安岡章太郎の詩」という部分である。安岡の小説は一つも読んでいないし、彼がプレヴェールの詩を翻訳したかどうかも詳らかにしないが、博学の安野が、まさかこの詩を知らずに、安岡の作品だと思ったというのはどうも信じがたい。一種のトリックかとも思ったが、そうでもなさそうだ。本のタイトルからすると、安岡章太郎が「枯葉」を読んだり、聴いたりして紹介した、といったところだろう。そうだとしたら舌足らずだと思う。

2018/10/18(木)なぎさ公園●
6時半起床。
今朝の血圧は177/68/83。36.3℃
昼前部屋を出て自転車で、なぎさ公園へ。Morris.はこれまで、美術館裏手の遊歩道を「海岸通り」と認識していたが、実は「なぎさ公園」という名前だった。石のベンチで、ミニギターやってたら、中学生の集団が。寝屋川市から修学旅行で、昼食食べに来たらしい。中には、面白がって冷やかしに来る子もいた。ハングル少し読める女の子もいて、こちらがちょっとびっくり。 先生たちも好意的に見てくれて、移動時には多数が手を振ってくれた。
なぎさ公園の北側には「人と防災未来センター」がある。ここ数日話題になっているKYBの基準改竄ダンパーがこの建物にも使われてるとか。そもそもこのたいそうな建物不要論だったMorris.としては、どうでもいいこと(^_^;)なのだが、それにしても、改竄は企業も、官庁でも頻発している。信用を無くすことの意味の大きさをもう一度見直す必要がある。
その後、自転車で三宮方面に向かい、途中魚が海面をジャンプするのを眺めたりしながら、森本倉庫から三宮までの250mのウォーキング&自転車道路へ。途中の小公園でミニギター&読書。気がついたら5時だった(^_^;) ので、そのまま引き返すことにして、大安亭で買い物して6時帰宅。
今日の歩数は4966歩。


美術館裏のキャラクター 

タグボートに惹かれる艀 

寝屋川の中学生たちが 

今日のレッスン場 

人と防災未来センター(>_<) 

海鵜 

鰡(ぼら)かな 

ウォーキングコース 

ガラス戸の中の米屋の黒 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 묻지마 입사지원[入社志願](ムッチマイプサシウォン 無差別的な入社志願)
内定しても入社するつもりがないのに입사지원[入社志願]をすること。手当たり次第に入社志願書を送ることをいう。就職難の韓国で、職探しへの不安感などが反映された言葉だといえる。
묻지마(ムッチマ)とは묻다(ムッタ 尋ねる)、~지마(~ジマ~するな)で「聞くな、尋ねるな」を意味する言葉。「動機や理由を尋ねるな」という意味として、묻지 마 범죄[犯罪]ムッチマポムチェ 無差別に人を殺傷する行為)のようにも使われる。

【戦争と検閲 : 石川達三を読み直す】河原理子 ★★★☆☆☆
2015/06/26 岩波新書:新赤版 1552
河原理子 1961年東京生れ。東京大学文学部社会心理学科卒。朝日新聞社入社。「AERA」副編集長、編集委員などを努める。

私の書こうとする事はしばしば、時代の風潮にさからって行こうとするようなことになる。抵抗の文学と言えば立派にきこえるが、要するにいささか臍曲りである。「生きている兵隊」で筆禍を受けたのはむしろ私の宿命的なつまずきであった。しかし私は決して後悔はしなかった。処罰を受けても、やはり私にとっては書かなくてはならない作品であった。書いたことに万足感があった。(石川達三「経験的小説論」より)

昨日、紹介した「生きている兵隊」の作者石川達三が戦後になって回想している言葉だが、本書を読み始めて、いや、これは作品を先に読むべきだと思ったのだった。

日中戦争当時、新進気鋭の芥川賞作家だった達三は、総合雑誌『中央公論』の特派員として中国へ渡った。内地では「南京陥落」を提灯行列で祝っていた1937年の暮れのことである。年明けに上海や南京で日本兵らを取材、帰国して一気に書き上げた長編小説「生きている兵隊」は、『中央公論』1938年3月号の目玉になるはずだった。
雑誌の発売前夜、内務省により発売頒布禁止処分、いわゆる発禁処分にされた。
さらに、達三と、『中央公論』の編集長や発行人が警視庁の取り調べを受け、「安寧秩序を紊乱(ぶんらん)」したとして新聞紙法違反の罪で刑事裁判にかけられ、有罪判決を受けたのだ。
「筆禍」と当時は呼んだが、取り締まる側の分類によれば、思想事件のなかの「出版犯罪」。今日の観点からいえば言論弾圧事件である。(はじめに)


第一回芥川賞の受賞作が、「蒼氓」である。

本書の巻末に10pにわたって、新聞紙法、陸軍省令、海軍省令、外務省令が掲載されている。本文より小さい活字の二段組、カタカナ書きで、ちょっと挫けそうになったが、とにかく一通り目を通した。

勝っているのは秘密ではないが、負けているのは秘密なのだ。

法令の骨子はつまりは、この一事に尽きるかもしれない。

農村の疲弊も、戦時財政が生活を圧迫することも公知のことで、軍機とは言えない。そうした事柄の掲載を制限するのに「安寧」が使われていた。

「安寧」という言葉がそのように使われたというのは、Morris.にはすごく嫌な気分になった。韓国語のあいさつ、「アンニョン」が漢字で書くと「安寧」だからだ。

「生きている兵隊」は、強くて勇ましい日本兵の生態を如実に描くとともに、戦争に伴う罪悪、汚辱、非道をもえぐり出していた。戦争の本体は殺し合いであり、戦場に送り出しておきながら手をきれいにして帰ってこいなどと求める方が無理だ。しかし、日本兵だけはそのようなことはしないのだと言い張るのが、当時の軍部の態度であり宣伝だった。指導者は、戦争賛美の報道により「正戦あるいは聖戦」のイメージを国民に植え付ける懸命の努力をしていた。そんな情勢のなか、「生きている兵隊」は大胆といおうか無謀といおうか、戦場の風景を率直に描写したのである。軍部がだまって見すごすはずはない……。

「戦争の本体は殺し合い」このことは何度繰り返しても足りない。それを正直に取材してあれだけリアルに表現したのは、大胆、無謀以上のものだったかもしれない。これも作品を読んだから実感できることだ。

内地では商人だったり、教師や僧侶であった日本兵たちが、いかに変容していくかを達三は書こうとした。ブラジル移民を描いた出世作「蒼氓」とおなじような群像小説だといえる。違いは、戦争の方が過酷だということだろうか。人を殺し、奪い、火を放つ。あっという間に仲間も死ぬし、自分もそうなるかもしれない。生きていること自体が不確かなのだ。しかしとりあえず生きていて、動けるならば、また行軍しなければならない。

しかし達三は、中国人の側に心を寄せて書いてはいない。日本兵については、困難な進軍や、負傷して運ばれながら「もう少し撃たしてくれ」とうめく姿も描いている。
これは反戦小説ではなく戦争小説である。(第一章 筆禍に問われて)

筆者の言うとおり、「反戦小説ではなく戦争小説」だとMorris.も思った。


できるのは、内務省が著書を発禁にすることであり、裏返して言えば、すでに人口に膾炙した本であろうと「安寧秩序」をたてに発禁にすることができたのだ。
「安寧秩序」とは、ことほど左様に、融通無碍なものだった。ほかの法律で処罰することが難しいときでも、出版法や新聞紙法なら「ひっかける」ことができる。


「安寧秩序」で「ひっかける」わけか(^_^;)

『文藝春秋』が、同人誌と同じというわけにはいかなかっただろうし、ましてや第一回芥川賞として華々しく打ち出す作品が、万が一にもいちゃもんがつくものであってはならない、ということだったろうか。天皇機関説問題をめぐる軍部の圧力の強さなど、空気の変化も、当然、編集者は読んでいただろう。
簡単にいえば、自己規制であろう。しかし検閲とは、自己規制を促す装置なのだ。ここでいう自己規制は、自律とは違う。


これは同人誌ではほとんど伏せ字なしで発表された「蒼氓」が、芥川受賞作として文藝春秋に掲載されるに際して、伏せ字の措置がとられたことに関する意見である。
自律という言葉への認識が足りずにいた(>_<)
じりつ[自律]他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。「学問の--性」。(大辞林)
現今のマスコミは、「報道の自立性」に欠けているのではなかろうか。

新聞紙法について自分なりにたどってみて、知ったことは二つ。
一つは、検閲には長い道のりがあり、戦争になってからあわてても遅い、ということ。批判する自由を失っていたら、「自由を失っている」ということも言えなくなる。
二つ目。新聞紙法は実に便利に使われてきたということ。
新聞紙法の間口は広い。発禁になれば発行者は経済的な痛手を負う。さらに罪に問われば、刑務所に入らなくても、編集者や発行者、著者は十二分な打撃を受ける。法定刑が軽いことを甘く見てはいけないのだ。


これらの認識は正しいと思う。そして、やはり今現在の、報道機関の無力化は、「気づいてからあわてても遅い」状態になりつあるのではないか。
ここ数年の、憲法違反を疑わせるような違法法律(^_^;)の連発は、ボディブローのように、報道や、庶民をじわじわと締め付けていくかのようだ。

「戦時における言論統制について、官憲によるそれのみを考えることは、大きな間違いである。
言論の期間である新聞・雑誌の類が戦争を謳歌し、反対の意見や批判をまったく却けてしまう。そこに、官憲の統制の手が大きく動いていることは、もとよりである。だが、こうした態度のいく分かは、それらの新聞や雑誌のみずからの発意に出ていることを見遁すことはできない。そして、これには、新聞や雑誌の当事者の意図ということもあるが、今日の商業化された新聞・雑誌においては、読者たる一般の民衆の心理を反映し、それに迎合しているという点が、むしろ多いであろう。
かくて、民衆が反対の意見や批判を押し潰すのである。民衆が言論を統制するのである。」(大森義太郎「自由」1937年8月号掲載「戦争と言論統制」(大部分削除処分)より)


戦争中にこういった勇気ある発言(かなり削除されたとしても)がなされたことに、敬意を表したい。特に、民衆が言論を統制するといったあたりの鋭さ、これは、ポピュリズムにも通じるのだろう。

新聞紙法は、日露戦争後の1909年(明治42)5月6日に公布された。
明治時代の初めにつくられた新聞紙条例を改め、格上げしたものであり、明治・大正・昭和と印刷技術の向上や教育の普及とともに部数拡大していった新聞・雑誌の歴史は、この新聞紙条例、新聞紙法を抜きには語れない。

「1875(明治8)6月28日は、当時の言論人、新聞記者たちにとって魔の日々の始まりとなっった。讒謗律と新聞紙条例という二つの言論規制法が公布されたのである。」(毎日新聞社史)


権力は言論統制をするものである。それに屈しない、少なくとも気概を見せるのがジャーナリズムというものではないのか。

新聞紙条例は次第に整えられて、「法律の範囲内」における言論著作印行集会及び結社の自由を認めた大日本帝国憲法の発布を経て、日清・日露戦争を迎えた。
新聞・雑誌の統制は、次の段階に入った。明治憲法にもとづいて繰り出されたある裏技と、戦争が絡まりあって、新聞・雑誌の検閲体制がつくられていった。
明治憲法にもとづいて繰り出された裏技とは、緊急勅令のことである。議会の閉会中などに、天皇が議会にかけずに法律と同等の効力をもつ勅令を緊急に交付できる、という制度だ。


「緊急勅令」、これは、安倍政権の「緊急事態条項」に似ている。

朝鮮の東学党の乱をきっかけに清国が朝鮮に派兵し、日本も出兵すると決定したのが6月2日。5日に、大本営が設置された。のちに空虚な発表の代名詞のようになったが、大本営が設けられたのは、日清戦争からである。


大本営は、昭和の戦争のときに生まれたのだと思ってたのだが、日清戦争のときに誕生したのか。

1909年5月6日に公布された新聞紙法は、予審中の事件に関する事項の掲載禁止の規定をのこしたのみならず、検事に記事差し止めの権限をもたせ、また、裁判所による発行禁止規定は残したまま、内務大臣は告発がなくても(安寧秩序ヲ紊シ又ハ風俗ヲ害スル)と認めれば発売頒布を禁止し、必要な場合には差し押さえもできるようにした。(第二章 ✗✗(伏字「兵隊」)さ行きてくねえ)


宮武外骨は、この新聞紙法に敢然と立ち向かったのだな。すごすぎる。

検閲については、「一切の書面或は言葉に対する検閲に際しては最高司令官が特に承認した制限によってのみ取締まられる」と書かれ、よく読めば検閲全廃ではないことが察せられるのだが、全廃でなくとも、「ほとんどなくなる」だけでも、大ニュースだったろう。
現実には、検閲は「ほとんどなくなる」わけではなかった。
実施主体とやりとりが変わっただけで、新聞や出版物の検閲のみならず、郵便検閲や電話盗聴も実行された。右手で言論表現の自由を掲げながら、左手で連合国や占領政策に不都合な話は伏せていく二重基準である。


これは戦後、CHQによる検閲の話。

「それによれば伏せ字は絶対に許されず、削除のあとをとどめないように訂正するように念を押された」(木佐木日記)
✗✗や○○や空白を残すことを、GHQは許さなかった。新聞や出版物の検閲をしているということ自体が一般の人には伏せられていた。言論表現の自由を掲げているのだから、検閲の痕跡を紙面にのこしてはならないのだ。力の痕跡を残した戦前の検閲よりずっと巧妙な、"見えない検閲"だった。
だから私(たち)は作為が加えられていることに気づかず、さらさら読み飛ばしてしまう。
戦前よりはるかに巧妙なGHQ検閲から学ぶべきは、実施も伏せて、暴力の痕跡も残さない検閲の恐ろしさではないか。人々は検閲体験を共有することができなくなり、ただ、マインドコントロールされていく。


たしかに、伏せ字や削除があることは、読者に、言論弾圧がなされているだろうことを、明らかにする。その点占領軍のやり方はずる賢いというか、狡猾である。

「戦いの権化」は、GHQ/SCAPの民間検閲局(CCD)の事前検閲により「公表禁止」とされ、占領下では日の目を見ることがなかった。
「レニングラードの、アレキサンダー三世美術館に「戦いの権化」という題名の凄惨な絵が所蔵されている」という書き出しで始まるのだが、これは、現在ロシアのトレチャコフ美術館が所蔵する、従軍画家V・V・ヴェレシチャーギン(Vasily Vereshchagin)の作品のことだ。英訳タイトルはThe Apotheosis of War 1871。戦争賛美、だろうか。邦訳は何通りかあるようだが、ロシア語の題名を直訳すると、「戦争の礼賛」、あるいは「戦争の神格化」になるという。画家は日露戦争で死んだ。

「第二次世界大戦の惨禍をくぐりぬけてきた私たちにとっては、ヴエレスチャンギンが描いた「戦いの権化」などは、昔のお伽ばなしのように単純でお人好しの絵としか見えない。一発の原子爆弾が7万の住民を一瞬のうちに殺し去った、あの広島の焼土の荒寥たる報道写真の方が、ロシアの美術家の名画より7倍も10倍も凄惨な鬼気を描いているのである。」(石川達三「戦いの権化」『考える人』2014年冬号再録)


石川達三は、戦争中は軍部から、戦後は占領軍から、言論弾圧されたわけだ。

日本文藝家協会理事長となった達三は、1952年5月2日、破壊活動防止法案をめぐる衆議院法務委員会の公聴会で、反対意見を公述している。
「ことに破壊活動という言葉がございますが、この破壊という言葉は一体何を意味するのか。これはたとえば今皆さんのお考えと私の考え自体に、もはや食い違いがあると思います。……そうしてこういうふうな法律を作成すること自体が、私ども国民に対しては一つの破壊活動ではないか、私はそういう疑いを持ちます。
私どもが最後の頼みとするのは言論の自由であります。ところがこの法案は、私どもの最後の頼みであるところの言論の自由を抑圧しようとする性質を多分に持っておる。言論の自由について、議会は私どもより少しく軽くこの問題を見られておるのではないかというふうに私は考えます。……もしも言論の自由を失うならば、それは言論を失うだけではなくて、政治も腐って来るし法律も腐って来るし、あらゆるものがここから腐敗して来る。私はそういうふうに信じております。」( 議事録)


これも、最近の「共謀罪」とかいったヘボ法律に対する反論として、今でも通じる、まっとうな意見である。

秩序とはなんぞや、というのが、私の関心になった。
秩序は、「魔法の言葉」の一つだ。反対は、しにくい。考えの違う人たちが集まって社会をつくるとき、やはり何らかの秩序は必要だろう。ただ、それはぜったいのものなのか。
「安寧秩序紊乱」に問われた石川達三に心ひかれて、ついつい深入りしたのも、そんな躓きの石がきっかけだった。
「安寧秩序」がいかに広く、融通無碍に適用されてきたかは、自分で調べてみて、得心できた。まるで何でも入る袋のようである。この歴史適時実は肝に命じておかねばならないと思う。
秩序とは何か。
いくつかの国語辞典を引いてみたが、「正しい」といった説明がついたものがほとんどで、これには納得できなかった。正しいって?
白川静『常用字解 第二版』にたどりついて、やっと腑に落ちた。
秩とは、「つむ、順序よくつみあげる、ついず(順序をつける)」の意味であり、「順序をつけてつみあげることから、秩序(物事の正しい順序。きまり)のように用いる」とあった。
なるほど、つみあげる人によっても変わるのだ。なるほどそうであるならば、魔法の言葉にうっとりしたり、ぼんやりしたりするのではなく、自分の頭で考えていかなければならない。(第四章 敗戦と自由)


「秩序」という言葉にこだわるあたり、Morris.は何となく共感を覚えた。そして、白川静が出てくると、つい贔屓筋としては膝を叩きたくなる(^_^;)。 「自分の頭で考えていかなければならない」というのは、Morris.にもぐさっときた。

私たちは、やはり、過去を知り、そこから学ぶしかないのだと思う。簡単に転ばないために。(おわりに)

うーん、本書にはいろいろ教えられる事が多かったし、筆者の姿勢にも感心するところ多かった。拍手!

関連年表(ほんの一部)

1868 明治維新
1875 新聞紙条例と讒謗律を制定
1889 大日本帝国憲法 発布
1893 出版法 公布
1894-95 日清戦争
1904-05 日露戦争
1905 石川達三 秋田県平鹿郡横手町(今の横手市)で誕生
1909 新聞紙法 公布
1910 大逆事件
1912 大正元年
1914-18 陸軍省令、海軍省令、外務省令
1918-22 シベリア出兵
1918 7-8月 米騒動
1923 関東大震災
1925 治安維持法
1926 昭和元年
1927 金融恐慌
1930 達三 移民船に乗りブラジルへ行く
1931 9月 柳条湖事件 「満州事変」始まる
1935 達三「蒼氓」第一回芥川賞受賞 天皇機関説 国会で問題に
1936 二・二六事件
1937 7月7日夜-8日 盧溝橋事件、これを機に日中全面戦争へ。12月13日日本軍南京占領。12月29日、達三、中央公論社特派員として、上海、南京に向け出発
1938 2月18日国家総動員法案 閣議決定。達三の「生きてゐる兵隊」を掲載した「中央公論」3月号発禁。起訴、裁判、有罪判決。
1942 日本文学報国会 結成
1945 GHQ/SCAP「政治的・市民的及宗教的自由の制限解除に関する覚書。12月達三「いきていゐる兵隊」が河出書房から出版される
1946 達三「戦争の権化」、GHQ検閲で公表禁止に
1952 9月 サンフランシスコ講和条約、日米安保条約締結
1975-77 達三、日本ペンクラブ会場
1984 10月 秋田市立中央図書館明徳館に石川達三記念館デイkル
1985 1月31日 石川達三、都内で死去、79歳


2018/10/17(水)沖縄から目を逸らすなヽ(`Д´)ノ●
7時半起床。
今朝の血圧は162/75/78。36.0℃
午前中読書、昼から外出、というのがこのところの生活パターンになっている。今日は三宮方面へ。
臥竜公園で軽く流してから三宮図書館へ。テーブル席が空いてたのでここでしばらく読書。その後、広場隅の指定席でミニギター。4時半に店じまい(^_^;)して、また歩いて大安亭で買い物して5時半帰宅。
今日政府は辺野古への対抗措置をとった。これに対する玉城デニー知事のコメント
とにかくこれは読んでおいて欲しい。

普天間飛行場代替施設建設事業にかかる公有水面埋め立て承認の取り消しについて、本日、沖縄防衛局長が、国土交通大臣に対して、行政不服審査法に基づく審査請求及び執行停止申し立てを行ったとの報告を受けました。
私は、法的措置ではなく、対話によって解決策を求めていくことが重要と考えており、去る10月12日の安倍総理や菅官房長官との面談においても、直接、対話による解決を求めたところであります。
しかし、そのわずか5日後に対抗措置を講じた国の姿勢は、県知事選挙で改めて示された民意を踏みにじるものであり、到底認められるものではありません。
行政不服審査法は、国民(私人)の権利利益の簡易迅速な救済を図ることを目的とするものであります。
一方、公有水面埋立法の規定上、国と私人は明確に区別され、今回は国が行う埋め立てであることから、私人に対する「免許」ではなく「承認」の手続きがなされたものであります。
そのため、本件において、国が行政不服審査制度を用いることは、当該制度の趣旨をねじ曲げた、違法で、法治国家においてあるまじき行為と断じざるを得ません。
平成27年10月13日の前回の承認取り消しの際も、沖縄防衛局は、国の一行政機関であるにもかかわらず、自らを国民と同じ「私人」であると主張して審査請求及び執行停止申し立てを行い、国土交通大臣は、約2週間で執行停止決定を行いました。
しかしながら、行政不服審査法第25条第4項では、「重大な損害を避けるために緊急の必要があると認めるとき」が執行停止の要件とされております。
政府は、3年前の前回の承認取り消しに対しては、翌日には執行停止の申し立てを行っていますが、県が本年8月31日に行った承認取り消しから既に1カ月半以上が経過しており、「緊急の必要がある」とは到底認められません。
仮に、本件において国土交通大臣により執行停止決定がなされれば、内閣の内部における、自作自演の極めて不当な決定といわざるを得ません。
私は、安倍総理に対し、沖縄の声に真摯(しんし)に耳を傾け、安全保障の負担は全国で担うべき問題であり、民主主義の問題であるとの認識の下、早急に話し合いの場を設けていただきたいと訴えたところであり、引き続き、対話を求めてまいります。
国民の皆様におかれましては、これまで日本の安全保障のために大きな役割を果たしてきた沖縄県において、辺野古新基地建設反対の圧倒的な民意が示されたにもかかわらず、その民意に対する現在の政権の向き合い方があまりにも強権的であるという、この現実のあるがままを見ていただきたいと思います。
私は、辺野古に新基地はつくらせないという公約の実現に向けて、全身全霊で取り組んでまいります。
私はぶれることなく、多くの県民の負託を受けた知事として、しっかりとその思いに応えたいと思いますので、県民の皆様の御支援、御協力をよろしくお願い申し上げます。
平成30年10月17日
沖縄県知事 玉城 デニー


翁長知事の命をかけた戦いに、傍観者でしかなかった(いや傍観すらしてなかった)Morris.である。今度こそは、傍観ではなく、真摯に(この言葉、安倍某やその一味には使う資格なし)沖縄の動向を注視していきたい。
今日の歩数は6299歩。


オリーブの実 

スキヤ猫ちーちゃん 

同じく 

日暮通喫茶マルナカ猫 

旭変電所 

生田川上空の上弦の朧月 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 천조국[千兆國/天朝國](チョンジョグク 米国、アメリカ)
천조국には二つの漢字語がある。
①アメリカの防衛費が一千兆億ウォンという世界一の強大国超という意味の千兆国。
②軍事・政治や経済などアメリカに牛耳られている韓国(朝鮮)の状況を皮肉に表現した「天朝国」。
韓国ではアメリカを一般的に미국[美國](ミグク)と呼ぶ。

【生きている兵隊】石川達三 ★★★☆☆ 1966/03/05 「日本の文学56」 中央公論社 初出「中央公論」1938年発表するも、即日発売禁止) 1945年12月河出書房より発行

石川達三は、昭和12年12月25日、中央公論社特派員として、華中に派遣された。南京陥落は12月13日で、日本軍の入城式は、17日であった。石川は、上海、蘇州、南京を訪ね、再び上海に帰り、翌年1月下旬帰京した。「生きている兵隊」に着手したのは、2月1日であった。12日朝までかかり、330枚を完成した。「生きている兵隊」は、「中央公論」3月号に発表された。そのとき80枚ほど、伏字や削除にされたと、推定されている。だが掲載誌は、発行と同時に発禁処分となった。(荒正人解説より)

これを読むことにした理由は、明日わかると思う(^_^;)

戦場というところはあらゆる戦闘員をいつの間にか、同じ性格にしてしまい、同じ程度のことしか考えない、同じ要求しかもたないのにしてしまう不思議に強力な作用をもっているもののようであった。医学士近藤一等兵がそのインテリゼンスを失ったように、片山玄澄もまたその宗教を失ったもののようであった。……彼は僧衣を脱いで兵の服を着ると同時に、僧の心を失って兵の心に同化していたのであった。
しかしそれは必ずしも片山従軍僧の責任とは言えないものであった。平和な時には彼の宗教は国境を越えるだけのひろさをもっていた。戦時にあってそれができなくなったのは、宗教が無力になったというよりも、国境が越えがたく高いものになって来たのであった。


従軍僧片山が、敵の死体を供養する気になれないと述懐したことを受けての文章だが、戦場が人を変えるというのは疑いない事実だと思う。

南京へ、南京へ!
南京は敵の首都である。兵隊はそれが嬉しかった。常熟や無錫と違って南京を乗っとることは決定的な勝利を意味する。


南京を攻略すれば戦は終わるというのが、兵隊の共通意識だったのかもしれない。

まことに戦場にあっては、近藤一等兵がたびたび疑問を抱いているように、敵の命をごみ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をまったく軽蔑しているようであった。それは身を鴻毛の軽きに置くというほどはっきりした意識をもって自己にその観念を強制したものではなくて、敵を軽蔑しているあいだにいつのまにか我とわが命をも軽蔑する気になって行くもののようであった。彼らは自分の私的生涯ということをどこかに置き忘れ、自分の命と体との大切なことを考える力を失っていたとも言えよう。……そしてひとたび敵弾が彼らの肉体に穴をあけたとき、卒然として生きている自分を発見し死に直面している自分をさとるのである。

「敵の命はごみ屑」それが自分の命の軽視に転移する。

戦闘員と非戦闘員との区別がはっきりしないことがこういう惨事を避けがたいものにしたのである。……南京が近づくにつれて抗日思想はかなり行きわたっているものと見られ一層庶民に対する疑惑はふかめられることにもなった。
「これから以西は民間にも抗日思想が強いから、女子供にも油断してはならぬ。抵抗する者は庶民と雖も射殺して宜し」
軍の首脳部からこういう司令が伝達されたのは可奈目少尉事件の直後であった。


戦闘員でなくとも殺していいという司令、これはもう無差別殺戮へのGoサインである。

こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけにはいかない。最も簡単に処置をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも骨が折れてならない。「捕虜は捕らえたらその場で殺せ」それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。

「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓の教えを、裏返して敵の捕虜は問答無用で殺すというのが、日本の軍隊の常識となったらしい。

「姑娘がいたら俺だぞ」
「馬鹿、じゃんけんだ」


これはもちろん、戦地での強姦を指している。

城外の守備兵は地雷の掘りだしをやっていた。支那人の人夫を使ってやるのである。支那人はこわごわながら土を掘る。兵は遠くはなれて笑って見ているのだ。

ほとんど虐待である。

南京に残っていた住民はすべて避難民区域内に押しこめられた。その数は20万というが、正規兵も千人ぐらいはまぎれこんでいるらしい。

南京占領から半月後くらいの取材での情報として貴重である。

彼らは酒保へ寄って一本のビールを飲み、それから南部慰安所へ出かけて行った。百人ばかりの兵が二列に道に並んでわいわいと笑いあっている。露地の入口に鉄格子をして三人の支那人が立っている。そこの小窓が開いていて、切符売場である。
一、発売時間 日本時間 正午より六時
一、価額 桜花部 一円五十銭 但し軍票を用う
一、心得 各自望みの家屋に至り切符を交付し案内を待つ
彼らは窓口で切符を買い長い列の間に入って行った。一人が鉄格子の間から出て来ると次の一人を入れる。出て来た男はバンドを締め直しながら行列に向ってにやりと笑い、肩を振りふり帰って行く。それが「慰安」された表情であった。


慰安所の記述も具体的である。
以上の引用だけ見ても、この作品が発禁になったのは、当然といえるかもしれない。
それにしても、この作品だけでも、「南京虐殺は無かった」などという妄言への反証となることは明らかである。
石川達三は、ブラジル移民をテーマとした(自ら移民船でブラジルに行った)出世作「蒼氓」しか読んで無かったが、改めて、読んでみたいと思った。

2018/10/16(火)●方向音痴(>_<)

7時半起床。
今朝の血圧は160/74/86。36.5℃
午前中は読書と読書メモ。
昼から屋上。軽くミニギターやってて、何気なくiPhoneのコンパスで方位を確認。何をいまさら、なのだが、これまでいつも方角がきっちり分かってない気がしてたのだ。Morris.のアパートは変則的な形(不等辺多角形)してて、Googlemapで見ると鋭角部分が北を向いている。たしかにこれは方向掴みにくいと思う。これまで六甲山方面が北だと思いこんでたが、実は屋上から見ると、そちらはほぼ西だった(>_<)。 Morris.の方向音痴はかなりのものだと思うが、こうやって確認すると、これまで(10年近く)方向を錯覚してたというのは情けない。
そのあと、自転車で都賀川方面へ。ダイエーで缶チューハイ(ビターレモン)ロング缶買って、いつもの指定席ベンチへ。
一番古い歌本のおさらい(^_^;)  これ一冊で100曲以上あるから、これ一冊だけで充分かもしれない。
途中すぐそばで若い男性が筋力トレーニングしたり、子供たちがリズムに合わせてステップ踏んだり、アジョシが話しかけたりと、何となく楽しい時間を過ごして、マルハチで買い物して5時帰宅。
 サッカー日本-ウルグアイ戦見るともなく見ながらこの日記を書いてるのだが、とりあえず後半40分で日本が4-3でリードしている。結局そのまま日本勝利。勝ったのはいいとして、大迫、三浦のミスキックなど日本の凡ミスが目立ってた。解説者やアナウンサーが、日本選手のミスにほとんど触れないのは、一種の報道管制ではないかと思ってしまった。
今日の歩数は3238歩。


午後の屋上 

東 

西 

南 

北 

Googlemapで見る屋上

すごく小さな紋白蝶 

都賀川公園 

照光寺のクロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 영어[英語]마을(ヨンgオマウル 英語村)
영어[英語](ヨンgオ 英語)+마을(マウル 村)。英語教育のために作られた施設で、韓国各地に作られている。村内ではすべて英語だけで会話しなければならない。ソウル近郊では京畿道の파주[坡州](パジュ)市にある。

【方法序説】 デカルト 谷川多佳子訳 ★★★☆☆ 1997/07/16」岩波文庫:青(33)-613-1
René Descartes  Discours de la méthode 1637

先日読んだ安野光雅「本が好き」で、このデカルトの「方法序説」について「もっとも大切だと思う本をあげる。わたしはためらわずにいうが、この一冊を読んで共感をもっていただくならもう、ほかは読んでもらわなくてもいいほどである。」と書いてあって、Morris.は「そんなこと言われてもなあ(^_^;)」とコメントしたのだが、中央図書館の岩波文庫棚で、これを見つけてあまりの薄さ(本文はちょうど100p)で、これなら読めるかもしれないということで借りてきた。

「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための」方法序説

これが正式のタイトルらしい。

良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。


これが序説の冒頭の一文。
「良識」bon sens もともと「正しい分別」。「真偽を判断する能力」と定義され「理性」と同義。(*訳注)
なるほど。

わたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。
わたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、また全ての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。


「無害で有益」うーーん、謙虚というか、思わせぶりな惹句である。

これからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試練を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。
このように数年を費やして、世界という書物のなかで研究し、いくらかの経験を得ようと努めた後、ある日、わたし自身のうちでも研究し、とるべき道を選ぶために自分の精神の全力を傾けようと決心した。

「世界という書物」モンテーニュにこの発想が見られる。ガリレイは「自然という書物」が数学という文字で書かれていることを主張した。(*訳注)


Morris.が愛誦して止まない、長田弘の詩「世界は一冊の本」のルーツはこんなところにあったのか(@_@) しかし、西洋の哲学者や科学者は、この世界という本の読み方がひと味もふた味も違うなあ。

わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。しかしまだ、その本当の用途に気づいていなかった。数学が機械技術にしか役立っていないことを考え、数学の基礎はあれほど揺るぎなく堅固なのに、もっと高い学問が何もその上に築かれなかったのを以外に思った。(第一部)

デカルトの方法は、数学をモデルにとり、あらゆる学問に適用できる普遍性をめざすものであり、それゆえ自然学を数学に還元することも可能であった。これはまた、スコラ=アリストテレスの質的自然学の原理から切り離すことであった。(*訳注)


だんだんわからなくなってきた(>_<) それでなくても、Morris.は数学アレルギーの傾向にある。

半ば未開だったむかし、わずかずつ文明化してきて、犯罪や紛争がおこるたびにただ不都合に迫られて法律をつくってきた民族は、集まった最初から、だれか一人の賢明な立法者の定めた基本法を守ってきた民族ほどには、うまく統治されないだろう、と。同様に、唯一の神が掟を定めた真の宗教の在り方は、他のすべてと、比較にならぬほどよく秩序づけられているはずなのは確かである

戦後に生まれた日本国憲法のことを想起してしまった。

論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら次の4つの規則で十分だと信じた。

1.明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだ。注意深く速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明確かつ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断のなかに含めないこと。
2.検討する難問のひとつひとつを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
3.思考を順序にしたがって導くこと。もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、会談を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
4.すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。


箇条書きというのは、何となく説得力を感じさせるもので、これもMorris.はわかったような気になったものの、本当にわかたかどうかは、よくわからない(^_^;)

比例を個別的にいっそうよく考察するためには、これを線として想定すべきこと。線以上に判明にわたしの想像力や感覚に表象できるものはなかったからだ。しかし、それらの比例を記憶に保持し、多くを一度に捉えるためには、できるだけ短い、或る種の記号で示す必要があること。そしてこのようなやり方で、幾何学的解析と代数学とのあらゆる長所を借り、しかも一方の短所すべてをもう一方によって正せる、と。
このわずかの規則を厳密に守ったことで、以前たいへん難しいと思っていた多くの問題を説いてしまっただけでなく、しまいには、知らなかった問題さえも、どういうやり方でどこまで解けるかを決定できる、と思われたほどだ。
しかし、この方法でわたしがいちばん満足したのは、この方法によって、自分の理性を自分の力の及ぶかぎり最もよく用いているという確信を得たことだ。さらに、この方法を実践することによって、自分の精神が対象をいっそう明瞭かつ判明に把握する習慣をだんだんとつけてゆくのを感じたことだ。そしてこの方法を代数学の難問に用いたのと同じくらい、ほかの学問の難問にも有効にできると期待したことだ。(第二部)


ほとんど呪文のようにしか見えない(>_<) 幾何学的解析と代数学を武器に、あらゆる分野の難問解決に繋げるというデカルトの自信満々にはちょっと感動。

当座に備えて、一つの道徳を定めた。それは三つ四つの格率からなる。

第一の格率 わたしの国の法律と監修に従うこと。いちばん良識ある人たちの意見に従うのが最善と確信。
第二の格率 自分の行動において、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと。
第三の格率 運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけること。
最後に この道徳の結論として、わたしはいまやっているこの仕事をつづけていくのがいちばん良いと考えた。(第三部)


「格率」は大辞林によると
かくりつ[格率・格律][独 Maxime]行為や論理の原則・準則。また証明の必要がない自明の命題。公理。カントの用法では各人の採用する主観的な行為の規則を意味し、普遍妥当的な道徳律と区別される。
ますますわからなくなってしまう。何となく言い訳がましい言説のようにも見える。

わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する[ワレ惟ウ、故にワレ在リ Cogito ergo sum ]」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらることなく受け入れられる、と判断した。

そうそう、デカルトといえば、あまりにも有名すぎるこの箴言めいた定義である。すごくシンプルでわかりやすいとも思うし、それなのに本当のところよくわからなくなってくる言葉でもあるが、切れ味のいい決めセリフであることは間違いない。

どんな身体も無く、どんな世界も、自分のいるどんな場所も無いとは仮想できるが、だからといって、自分は存在しないとは仮想できない。反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。逆に、ただわたしが考えることをやめるだけで、仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、わたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる。
わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま存在するものにしている魂は、身体[物体]からまったく区別され、しかも身体[物体]より認識しやすく、たとえ身体[物体]が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変わりはない、と。

「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの命題において、わたしが真理を語っていると保証するものは、考えるためには存在しなければならないことを、わたしがきわめて明晰にわかっているという以外にまったく何もないことを認めたので、次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である、これを一般的な規則としてよい、ただし、わたしたちが判明に捉えるものが何かを見きわめるのには、いくらかの困難がある、と。(第四部)


これは、先の決めセリフの解説だろう。

学者たちのあいだで論争中の多くの問題について語ることがいま必要になってくる。わたしはこれらの学者たちといざこざを起こしたくないので、そうしたことは差し控え、ただ概括的にこれらの問題がどんなものかを述べるにとどめるほうがよいと思う。(第五部)

デカルトのし全額は、スコラ学者たちの信奉するアリストテレス自然学と抵触する点が多かった。特に地動説。(*訳注)

わたしが敬服する方々、しかも、わたし自身の理性がわたしの思想に及ぼす権威に劣らぬほどの権威をわたしの行動に及ぼす方々が、ある人によって少し前に発表された自然学の一意見を否認した、というのである。(第六部)

ローマ法王庁宗教裁判所で、ガリレイの『天文対話』がコペルニクスの地動説をとるとして否認されたこと。(*訳注)


第五部、第六部は、自分の考えを全て発表するのは今の時点では、危険であるという意識のもとに書かれたもので、とりあえずパスすることにした。

ルネ・デカルトは1596年にフランスのトゥーレーヌ州ラ・エ(現在はデカルトと呼ばれている)に生まれた。父はブルターニュのレンヌ高等法院評定官で、階層的には法服貴族であった。
思えばデカルトの生きた時代は、決して平穏なものではなかった。1633年のローマでのガリレイ断罪については本書第六部でも触れられているが、この時代に新しい科学や哲学は、旧来の学問や反宗教改革との険しい相克のなかにあり、激しい弾圧にもさらされていた。デカルトの生きていた間だけでも、1600年、宇宙の無限を構想したジョルダノ・ブルーノがローマで符焚殺され、1616年にはコペルニクスの書が法王庁の禁書目録に加えられる。1619年にはイタリアの哲学者ジュリオ・チェーザレ・ヴァニーニがドゥールーズで火刑に処せられる。1623年には詩人テオフィル・ド・ヴィヨーが、涜神のかどで欠席裁判で死刑を宣告され、翌1624年にはパリの高等法院がアリストテレスに反対する説をなしたジャン・ビトーらを追放刑に処し、しかも、世に受け入れられた古代の著作家(つまりアリストテレス=スコラ)に反する説をなすことを死をもって禁ずる旨の布告を出す……等々。
本書の一行一行に、そうした状況のなかで、何かを後世に残そうとする、デカルトの苦渋と深く強靭な意志とが感じられよう。


デカルトの生きた時代は17世紀、方法序説が刊行された1637年といえば、日本では天草で島原の乱が起こり、前年に鎖国令が出た時代である。何か西欧近代哲学というとわりと最近のことのように錯覚するが、デカルトは500年くらい前の時代の人だったのか、と、今更ながらびっくりしてしまった。

デカルト主義は近代合理思想の中心原理となっていった。
現在(1997年)、こうした基礎と出発点をもつ近代思想全般に対しては、見直しと批判の気運が高まっている。デカルト哲学を祖とする近代思想の超克や解体、あるいは脱構築が問題となり、さらには科学技術文明の弊害、たとえば環境問題や自然破壊、はては医療への不信、倫理の不在までも、デカルト主義をその思想基盤とする見方さえある。(解説 谷川多佳子)


Morris.が読んだ岩波文庫が出てから20年過ぎてるわけで、訳者が言うところの「近代思想の見直しと批判」が、結局は薄っぺらいものだったような気もする。
Morris.にしては珍しいジャンルの読書だったし、やっぱり(^_^;) ほとんど歯が立たなかったけど、何か新鮮な体験をしたような気になった。安野さんに感謝。ということにしておこう(^_^;)

2018/10/15(月)●阪神矢野新監督に
7時半起床。
今朝の血圧は150/61/60。35.9℃
朝の三点セット(洗濯は布巾のみ)
午前中は部屋で読書ノート。
午後は、原田の森ギャラリー前庭テーブルで読書とミニギター。ここは以前Morris.の指定席だったのだが、土曜日で割と人手が多い時に調子に乗ってミニギター派手に演ってしまい、お叱り受けたので自重してたのだが、月曜日は休館日だからいいだろう。
その後福祉センター横公園のベンチでくつろぐ。そのまま自転車で大安亭まで。魚屋のクロは時々会うのだが、今日は久しぶりに三毛がいた。この三毛は器量よしで随分前に良いショットを撮ったことを覚えていたので、チェックしたら、2015年3月5日だった。猫にとっての3年半は人間なら15年から20年近いかもしれない。この三毛もだいぶ年取ってる感じ。
ちょこっと買い物して5時半帰宅。
阪神新監督は矢野燿大に決定。まあ予想通り。矢野はきらいじゃないけど、金本と比べると色んな意味で地味だな。まあ捕手は監督に向いてるかもしれない。来シーズンは今シーズンより悪いことはないだろうから、のびのびやってほしい。
今日の臨時閣議で来年10月に消費税10%決定の発表。来年の参院選への影響をすくなくしようとの思惑だろう。
今日の歩数は4935歩。


松葉牡丹 

原田の森ギャラリー前庭 

今日の夕空

薪燃料のおふろやさん 

ひさびさ大安亭魚屋三毛 

ペコちゃんふりかけ(@_@) 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 고시[考試](コシテル 受験生向けの小さい宿泊できる自習室)
韓国の住居形態の一つ。고시원[考試院](コシウォン 学生個室) +호텔[hotel](ホテル)の合成語で、建物やフロアを2畳前後に仕切り各部屋にトイレとシャワーが設置されている。基本的なシステムは고시원と同じだが、トイレとシャワーが部屋に設置されている分、고시원よりも家賃が月額約20万ウォン前後高くなる。
韓国三大国家試験の고시[考試](コシ 国家試験)とは、
사법고시[司法考試](サボプゴシ、司法試験)、
행정고시
[行政考試](ヘンgジョンgコシ 5級公務員試験)、
외무고시
[外務考試](ウェムゴシ 外交官試験)。
合格になったら人生大成功だと言われるぐらいに장미빛 미래[未来](チャンgミッピッミレ バラ色の未来)が約束されている。
このような試験の塾がたくさん集まっている場所に고시텔も集まっている。安いため受験生ではない人もよく利用する。 そのとおりで、Morris.もここ数年、ソウルでは、こういった施設を利用し続けている。

2018/10/14(日)●読書三昧
5時半起床。
今朝の血圧は180/75/72。35.7℃
実は昨夜ベッドで読書して、そのまま朝まで起きてた(^_^;)
朝の三点セット。
昼から、王子動物園へ。まぬうに挨拶してから、資料館図書室で、猫の本などちょっと見て、写真絵葉書書いて、駐車場樹の下ベンチでミニギター&読書。3時頃一旦帰宅して、自転車で、都賀川方面に。ここでも軽くミニギターやってマルハチで買い物して5時半帰宅。
流石に今日は早く寝ることにしよう。
今日の歩数は4554歩。


今日のまぬう イーリス 

ペッキー 

ブラッシュの木 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 편애[偏愛]하다(ピョネハダ えこひいきする)
어모니는 막내를 편애하십니다(オモニヌンマンネルルピョネハシムニダ 母は末っ子を贔屓します)

2018/10/13(土)●屋上読書
9時半起床。
今朝の血圧は166/68/84。35.9℃
昨夜ちょっと飲み過ぎでいささか二日酔い気味。
昼まで部屋でゴロゴロして、昼からは屋上で、サマーベッド広げて夕方まで読書。何を読んでたかというと、石川達三の「生きている兵隊」(@_@)1時から読み始めて、5時前読了。
九電の「出力抑制」が今日実施されたらしい。

九州電力は12日、太陽光など再生可能エネルギーの発電事業者に一時的な発電停止を求める「出力抑制」を、13日に実施することを決めた。離島を除き、国内初の抑制に踏み切る。原発4基を再稼働させていることもあり、増える太陽光の電力を受け入れきれないと判断した。

原発の再稼働などしなくとも、充分電力は間に合うはずだ。北海道の「ブラックアウト」を、原発再稼働に利用しようという電力会社の動きには要注意。
夜は久しぶりに、タイ風オムレツ作ってみた。昨日ナンプラー買ってきたばかりだったので作る気になったのだ。ひき肉、玉葱、トマトなどの具にナンプラーたっぷりかけて、中華鍋で薄い卵焼き作って中押に具を置いて四方から重ねて真四角にするところがちょっと面白い。もちろんパクチー載せて出来上がり。2枚焼いたのだが、一枚目は具を入れ過ぎて敗れてしまった(>_<)
今日の歩数は150歩。


午後の屋上 

中華鍋で 

タイ風オムレツ(カイ・ヤーサイ) 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 번거롭다(ポンゴロプタ 煩わしい、複雑だ)    
번거로이(ポンゴロイ 煩わしく、厄介にも)    
번거로운 절차[節次](ポンゴロウン チョルチャ わずらわしい手続き)    
번거로우시겠지만(パンゴロウシゲッチマン    お手数ですが)
잡채는 만들기 번거로운 음식[飲食]이다(チャプチェヌンマンドゥルギポンギロウンウムシギダ チャプチェは作るのに手間がかかる料理です)

2018/10/12(金)●免許(原付(^^;))更新
8時起床。
今朝の血圧は173/65/81。35.8℃
朝の三点セット。
昼過ぎに部屋を出て、JRで元町、地下の阪神理容で散髪。その後警察署別館の免許更新センターへ。Morris.は車の免許もってないのだが、ずっと前に原付き免許だけ取ったことがあって、長いこと原付きにも乗っていないのだが、身分証明書代わりに使うため更新は続けて来た。今は、免許証返納で、代わりの証書も貰えるらしいが、何となくマイナンバーなどへの嫌悪感もあって、これはパスすることに。
1時前に窓口に行ったのだがすでに20人くらい来てた。午後1時半から30分間の講習。半分はビデオだったが、これがなかなかよく出来てた。三択のクイズなども使って飽きさせない。例えば、子どもの交通事故で、いちばん多いのは「飛び出し」と思いがちだが、実は交通規則を遵守してる状況での事故、つまり運転手側の不注意や交通違反での事故がいちばん多いという事実には、なるほど、と思った。
2時半頃に新しい免許証をもらったが、有効期限が「平成35年12月05日まで」となってる(@_@) おいおい、平成ってのは今年でおしまいぢゃなかったのかい。元号というのは、そもそも経年表記には不都合なものだ。こういった証明書や書類の日時は、西暦で統一してもらいたい。
その後、南京街に下りて、Morris.御用達の林商店で豆板醤、ナンプラーなど買い、三宮図書館に足を伸ばし、図書館前広場のMorris.指定席でミニギター。サイケデリックとボサノバが好きだという大砂くん(学生)が話しかけてきた。韓国のサイケデリックというのは想像できないが、ヘウニの「熱情」をボサノバ風に演奏したら、すごく喜んでくれた(^_^;)
その後ヤンシーくん、ケイさんという若いカップルが、すごく関心を示して、数曲演奏して記念写真も(^_^)/
けっこう冷え込んで来たので5時前に店じまいして、歩いて大安亭で買い物して6時半帰宅。
沖縄県知事玉城デニーと安倍総理の会談が行われたらしい。翁長元知事が当選してから、総理との会談に4ヶ月かかったことに比べると、かなり早かったが、これは、安倍政権が世間体を気にしての措置だろう。とにかく沖縄の問題を沖縄だけにせず、日本全体の問題として考えることが肝要である。
今日の歩数は7455歩。


三宮のパリビルがこんなに(>_<) 

不二家トートバッグ 

阪神元町地下有楽名店街 

兵庫県公館 

狂い咲き 

トベラの実 

神戸小学校跡地(明治17-平成2) 

派手な不動明王 

これは馬頭観音っぽい 

この椅子はほんまもんだろう 

「平成35年」?? 

ふくろうカフェのPR 

元町駅北側の一画 

ヤンシー&ケイと 

困った時の麻婆豆腐 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 꾸지람을 듣다(ックジラムルトゥッタ 叱られる)
꾸지람(ックジラム お叱り、お小言、おとがめ、叱責) +(ウル を)+듣다(トゥッタ 聞く)
꾸지람하다(ックジラムハダ 叱責する 叱る)    
꾸짖다(ックチッタ 叱る、とがめる、戒める)
꾸중하다(ックジュンgハダ叱る)    
질책[叱責]하다(チルチェカダ 叱責する、叱る、とがめる)    
나무라다(ナムラダ 叱る、責め立てる、たしなめる)    
야단치다(ヤダンチダ 叱りつける、叱る、怒る)

【アレの名前大百科】みうらじゅん監修 ★★★
  2010/10/05 PHP研究所
マイブームの命名者みうらじゅんによる、トリビア雑学辞典風な一冊。編集部からの持ち込み企画だと思う(^_^;)

文明というものは「どのアレ?」とか「どのアソコ?」と、いちいち聞き返さなくてもすむように細部にも名称をつけるところからはじまったのだと思う。(はじめに)

印象に残った「アレ」をいくつか拾っておく。

[クロージャー] 食パンの袋を閉じている切込みの入った小さなプラスチック片。bag clousure

これ、以前、ソウルのHachiさんから質問があって、ネットで調べたことを思い出した。こんなのって、今やネットで90%以上は調べられる時代になってしまった。

[ランドルト環] 視力検査に使われる「C」のような図形。

たしかにこれって、みんな知ってるものなのに、名前はほとんど誰も知らない。今日の免許証更新での視力検査でもこれが出てきた。

[カラザ] 卵を割ると黄身にくっついているヒモ状の白くて小さい塊。カラザは卵黄の上下について卵黄が殻にぶつかって割れるのを防ぐ役目。主成分は卵白と同じタンパク質でこれに栄養素シアル酸を含んでいるので、食感を気にせず食べるのがお勧め。

Morris.も卵を割って溶き入れるとき、この白い部分を取り除くことが多かった。そうか、栄養もあるんだったらこれから食べることにしよう。内側で殻の端と端の間に黄身を引っ張って保護するためのものだったのか。「殻座」という漢字がひらめいたが、間違いかな?
というわけで、早速ネット(Wikipedia)調べたら

カラザは日本語で「殻座」あるいは「殻鎖」と書かれることもあるが、実際はギリシア語由来の「chalaza」(χάλαζα : 霰の意)の音写であり、漢字での表記は当て字。

と、書いてあった(^_^;)

[鯨幕] 通夜や創始位の会場を囲む白黒の幕。

これは好きな言葉。

[木殺し] トンカチの金具の丸みを帯びている面。釘打ちではまず安定性のある平らの面で家、最後締め打ちで木殺しをつかうことで、凹み傷を作ることなく釘を深打ちできる。

なるほど。

[カラビナ] ハーケンとザイルを接続するための連結器具。一部が開閉できるリング状になっている。ドイツ語カラビナ(機関銃)ハーケン(鈎)。

これは最近日常的によく使うもので、名前も何度か聞いたこともあるのだが、すぐ忘れる。

[ひかがみ] 膝の後ろのくぼんでいるところ。漢字では「膕」

身体の隅々の名前も面白い。「盆の窪」とかね。

[スピン] 本のしおり紐。


spinはもともと「紡ぎ紐」。

[レンチキュラー] 「レンズ型の」という意味。角度によって見える絵が変わったり立体的に見えるアレ。右目用と左目用を交互に並べた上に微細なかまぼこ型のレンすを敷き詰める。

あの立体写真風のアレは、かなり昔からあったと思う。チープというかキッチュというイメージから抜けられない。

[ブリスターパック] 台紙に貼ったプラスチックの透明パッケージ。ブリスターは「水ぶくれ」

小物のパッケージに多用されてるものだが、たしかにこういうものの名称は聞いてもすぐ忘れる。

Morris.も以前、こういった、トリビアなものの名前を、採集したりもしてたことがあるが、インターネットの普及で、めげてしまった。

2018/10/11(木)●金本監督退陣(>_<)
7時半起床。
今朝の血圧は158/55/62。35.8℃
今朝のテレビは築地から移転した豊洲市場オープンの実況でもちきり、だったが、あれだけこじれまくって、2年経って、問題が解決したとも思えないのに、為し崩しの今回の移転。築地市場は二回しか行ったことないが、豊洲市場には行く気にもならない。
今日も朝から雨模様。午前中に傘さして、水道筋に出て、パクチーなど買って11時半帰宅。
午後は部屋ゴロ。
阪神金本監督辞任のニュース。今シーズン最下位決定というのが引き金になったのだろう。契約はまだ残ってるし、球団も続投でいいとしてたようだが、ここは金本の性格として、自ら退陣を決めたのだろう。監督のせいでなくても、結果がでなければしかたがない。来季の監督が誰になるか、ちょっと気になるところ。
今日の歩数は2395歩。


パクチー愛(^_^) 

これはちょっとやりすぎ(^_^;) 

ご苦労さんと言うしかない(^_^;) 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 꽁무니를 빼다(ッコンムニルルッペダ 尻込みする)
꽁무니(ッコンムニ 尻、しっぽ)+빼다(ッペダ 引く、取り除く、抜く)
이제 와서 꽁무니를 빼면 책임[責任]은 누가 지나요?(イジェワソッコンgムニルルッペミョンチェギムンヌガチナヨ? いまさら身を引けば責任はだれが取りますか?)

2018/10/10(水)●朝帰り 雨 病院
5時半起床。
結局昨夜は、梅田のジャンカラに泊まりになった。せっかくだから、とチャンユンジョン、チュヒョンミ、キムヘヨン、パンミなどの曲を27曲歌ってそのまま眠ってしまったらしい(>_<)
6時の電車で6時半帰宅。
冷凍うどん湯がいて焼きうどんに。
自転車で金沢病院に行こうと思ってたのだが、雨が降り出したので、傘さして歩いていく。
レントゲンとCTスキャン撮影。40日前の画像と比べるとヒビの部分は盛り上がってくっついてるようにも見えるのだが、断面図見るとまだヒビは骨の内部まで通ってる。担当の幸野先生が「ヒビというより骨折だね」とのお言葉(>_<) おいおい40日もたってからそんなこと言われてもなあ(;;) 結局、また半月後に来院して様子を見ることに。歩くのは構わないが、患部に強い力はかけないようにと言われる。保険の書類に病院の署名もらう。しかし、社会復帰がどんどん遅れそうだな。まあ、こればかりはじたばたしても始まらない。もうしばらくスローライフを楽しむ(^_^;)ことにしよう。
ついでに内科にも寄って、降圧剤処方箋もらい、薬局で薬と、書類にサインもらい、水道筋で野菜など買って1時半帰宅。
元横綱輪島の訃報。引退後花籠部屋の親方になったが、妹の借金のため年寄株を担保にしたことで相撲界追放されて、プロレスに転向、その後タレント活動もしたが、晩年は障害でいろいろ苦労したらしい。相撲界はゴタゴタ続きだが、輪島の悪口を言う力士はいないとか。「おじちゃんと呼んで慕っていた」という貴乃花も、現在の状況に複雑な思いだろう。
今日の歩数は2844歩。


昨夜の名残(^_^;) 

焼きうどん 

CTスキャン 

8月31日 

10月10日 

「骨折」になってる(@_@) 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 월급[月給]루팡(ウォルグプルパンg 月給泥棒)
월급[月給]+루팡(ルパン=怪盗ルパン)。仕事をあまりせずに給料だけもらっている社員のことをいう。월급[月給]도둑(ウォルグプトドク)という漢字語もある。
しかし、今日本で、直接的にこの言葉使うと「パワハラ」問題になりそう。

2018/10/09(火)●サランバン会

7時起床。
今朝の血圧は200/87/91。35.8℃。
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で、羽田空港に関連して、日米地位協定の矛盾を解説していた。今どき珍しい硬派な展開で見応えがあった。
昼は、インスタント棒ラーメンに昨日買ったパックの焼豚をふんだんに載せて特盛チャーシュー麺。
昼過ぎに部屋を出てJRで鶴橋に出る。今夜はサランバン会なので、それまでリハビリ兼ねて散策&ミニギター。桃谷公園でちょこっとやってから、コリアタウン東のいつもの公園へ。熊本天草出身の在日のアジョシが横に座って缶ビール飲みながら熱心に聴いてくれた。他にも数人のアジュマがこっそり聴いてた模様。
4時過ぎに店じまいして、洪ママの介護付き住宅ハートフルに。ママは一人でテレビ見てた。Morris.もしばらく一緒に水戸黄門など観てたら、歌麿会長と栗崎さんもやってきた。5時過ぎに3人で、疎開道路四つ角の「橋」という軽食喫茶へ。ここはサランバン会常連のキムヨンジャさんが先月から雇われママ?になってるらしい。6時閉店というのを無理言って入らせてもらう。ビールと豚生姜焼きで乾杯。こっそり(ウソ(^_^;))ミニギター披露。ちょっと遅れて榎本さんもやってくる。
7時に4人でサランバン会の会場「ジュン」に行ったら、メンバーは誰も来ていなかった。今日はそれぞれの事情で欠席が多く、結局集まったのは10人足らずだった。おかげでいつもより多く歌うことが出来た(^_^;) Morris.は課題曲「Tears」をなんとかおしまいまで、それほど外さずに歌えたのに満足。9時頃からメンバー以外の客で混んできたが、半分以上は顔なじみで、別に問題はなし。榎本ビールもいつものペースで飲みまくり、ちょこっとだけダンスも踊った(>_<)ような気もする。
11時過ぎに店を出て、いつもどおり榎本さんとJR環状線に乗り、榎本さん京橋で降りた後、大坂駅まで行くはずが、目が覚めたら鶴橋だった(@_@) あぢゃぢゃぢゃ、久しぶりの乗越し(環状線だから大坂には行くのだけど)。これが環状線の最終だったらしく、大阪駅に着いたのは午前1時前。当然神戸線の最終はとっくに出た後。
久しぶりの野宿、とも思ったのだが、大事を取って(^_^;) ヨドバシカメラ向かいのジャンカラへ。朝6時までで1500円。
今日の歩数は6209歩。




朝テレで地位協定解説 

特盛チャーシュー麺 

鶴橋美容学院ショーウィンドウ 

桃谷公園前三毛 

看板建築のような洗濯干し場」 

ヨシカワシロウアジョシと 

コリアタウンを農楽隊が 

同じく 

車内猫? 

ヨンジャさんの店「橋」で腹ごしらえ 

バケツ猫 

10月サランバン会 #1 

#2 

#3 

#4 

#5 

#6 

なぜかジャンカラ(@_@)?? 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 시치미를 떼다(シチミルルッテダ しらをきる)
시치미(シチミ)とは、昔、鷹狩で、鷹の管理のために鷹の尾羽根につけていた主人の名札のこと。その名札を自分の名前に付け替えて知らない振りをしたという行為が語源だと言われる。
떼다(ッテダ)は「離す」という動詞だが、これだけで「しらを切る、しらばくれる」といった意味を持つ。
日本の七味唐辛子は韓国でも시치미(シチミ)で通じるらしい。
類義語に오리발을 내밀다(オリバルルネミルダ ごまかす、しらを切る)がある。
直訳すると「アヒルの足を出す」。
닭 잡아먹고 오리발 내민다(タクチャバモッコオリバルネミンダ 他人の鶏を盗み食いしてアヒルの足を出す)に由来するとか。

2018/10/08(月)●リハビリで離宮公園満喫

7時半起床。
今朝の血圧は180/78/87。35.7℃
今日は秋晴れ。
11時前に部屋を出て、JR鷹取へ。久しぶりに須磨離宮公園を目指す。
鷹取駅の北側には2000年まで国鉄の車両工場(西日本旅客鉄道鷹取工場)があった。1995年の神戸地震の被害が甚大だったので100年の歴史を閉じた。現在のJR鷹取駅地下道にも工場の部品やレールなどが使われている。鉄柱の一部に「鐡道作業局 神戸工場製 明治三十一年」という浮き彫りがあるのに気づいた。
今日は月曜日だが祝日(体育の日)なので図書館開館してたので、須磨図書館に寄ってから、離宮公園に向かう。
鷹取駅から離宮公園までは2km足らずだし、公園内も普段なら30分もあれば一周できるのだが、やっぱり右足の不自由さもあってけっこう疲れる。
植物園の一番奥の小噴水公園、Morris.の定位置のパラソルテーブルは、別の人が座ってたので、いつもとは反対側のテーブルに。
途中数人連れのモデル撮影会あったり、椅子のすぐそばの花壇に紋白蝶がやってきて止まったり飛んだりしながらずーーっといたのも嬉しかった。4時頃テーブル片付けて、大噴水公園へ。薔薇も満開にはちょっと早いがそれでも充分鑑賞に耐える。ありとある花の中でもやはり薔薇は特別な花のようだ。Morris.もこの花の信奉者で、以前「薔薇祭」なんていう歌集(ったって25首だけど)をでっちあげたこともある。
事故以来いちばん長距離歩いたことになるだろう。一ヶ月くらいほとんど右足使わず(使えず)にいたから、ヒビの影響とは別に、かなり筋肉が弱ってしまってて、痛みではなく疲労感がある。以前と比べると、歩く速度は2/3以下で、小走りはまだ無理。明日のサランバン会でも、踊りは無理そう(^_^;)
明後日金沢病院で、何と言われるか、ちょっと気がかりでもある。
今日の歩数は8548歩。


餃子ラーメン 

鷹取駅北には鉄道工場があった 

横文字も(本当は柱は垂直) 

朝顔は秋の季語 

花梨の実 

篠懸の木 

バタフライガーデン新パネル 

最近減少傾向の紅蜆 

黄蝶 

ビルと海と船と淡路島 

ずっとMorris.の横にいた紋白蝶 

モデル撮影会も 

桜(@_@) 

なるほど 

見事なうろこ雲 

Play Girl 

白薔薇 

コンビネーション 

黄薔薇 

La Vie En Rose 

見る方は気楽だけど 

薔薇園の手入れは大変  

お約束の噴水公園 

芒 

馬車道 

カンナ 

夕焼け 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 장밋빛 인생[人生](チャンgミッピッインセンg 薔薇色の人生)
장밋빛(チャンgミッッピッ)は「장미[薔薇](チャンgミ バラ)」+「(サイシオッ=所有形を表すパッチム、英語の「's」みたいな感じ)」+「(ピッ 光)」。「(ピッ)」を「色彩」の意味で使うときは「빛깔(ピッカル)」という形にするのが普通だが、「장밋빛깔 인생(チャンgミッピッカルインセンg) 」では収まりが悪い。また、「[色](セク)」という漢字も普通に使われるので「장미색인생[薔薇色人生](チャンgミセクインセンg」でも通じるだろうが、「」の「光、輝き」が「薔薇色」に似つかわしい気がする。
장미빛 미래[未来](チャンgミッピッミレ バラ色の未来)
햇빛(ヘッピッ 日光、陽射し)    
별빛(ピョルピッ 星の光、星明かり)    
달빛(タルピッ 月の光、月光)    

2018/10/07(日)●戻り夏(>_<)●
7時半起床。
今朝の血圧は186/89/87。36,0℃
朝の三点セット。
昼過ぎに部屋を出て、リハビリを兼ねて歩いて三宮方面へ。
しかし、今日は暑い。戻り夏というのか、空の雲まで夏っぽかった。
春日野道のスキヤ猫ちーちゃんなど撮影して、生田川沿いの臥竜公園にたどり着く。右足の痛みはほとんど無いのだが、足を引きずる感じで、何となくだるい。とりあえずここで休憩。いつものベンチは詰まってたので、下のグラウンドのベンチに落ち着く。道を隔てた真向かいに直線を幾何学的に構成した素敵な教会が見える。前からこの建物はいいな、と思ってた。これは「在日大韓基督教神戸東部教会」つまり在日韓国人の教会らしい。特に今日は夕日が十字架のタワーに反射して実に神々しかった(^^;)
本当は三宮図書館まで足伸ばすつもりだったのだが、帰りがしんどいかもしれない(JRで帰ることもできるけど)ということで、そのまま引き返すことにした。大安亭で買い物して、6時半帰宅。
今日の歩数は5043歩。


真昼の屋上 

いいポスター 

常盤はぜ 

枯葉 

白蝶花に大和蜆 

雲も夏模様 

芙蓉 

筒井町の雉 

スキヤ猫ちーちゃん 

スキヤ裏猫 

褄黒豹紋 

仙人掌(サボテン) 

三宮クリーニング猫 

ここで「Tears」特訓(^_^;) 

韓国教会 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 복부인[福夫人](ポップイン 不動産投機をする夫人)
韓国では一般の主婦であっても、不動産投機を行うことが盛んである。なかでも熱心に不動産の購入を行って利ザヤを稼ごうとする主婦のことをいう。

2018/10/06(土)●一人ハングル講座(^_^;)
7時起床。
今朝の血圧は186/8987。35.8℃
朝のうちはけっこう強い雨だったが、昼からは上がりそう。
韓国を初めて訪れたのが88年。今年はMorris.の韓国歴?30年ということになる。その記念の年に韓国旅行行けなくってしまった(30年間で初めてかも)と思うと辛いものがある。楽しみを先延しにしたのだということに負け惜しみしておこう。
せめて韓国語の復習でもやっておこう。ここで、ほぼ毎日更新している「今日の韓国語」、一昨年の6月から始めて、とりあえずいまだに続いている。最初のうちはけっこう真面目に?ネタ拾ってて、2016年分はセンターのプリンタ-で小冊子に仕立てて、数人に配布したのだが、このところかなり手抜きになってる気がする。2017年分を一つのファイルにまとめて公開する(ついでに2016年分もこちらに)ことにした。330ほど(韓国旅行中はお休み)の項目のうち5つ以上重複してた(>_<) しかも、こうやって整理しながら、ほとんの項目を忘れてしまってることに感心(>_<)してしまった。それでも読み直せば記憶がよみがえってくるわけで、全く無駄になってるわけではない(と、思いたい)。韓国語に関心ある方や、学習者も、ここを覗いて、一つ二つでも役に立てば、と思う。
昨日も中央図書館で韓国語フレーズの本など借りて来たし、過去の参考書の再読も考えている。今や、韓国歌謡(だけに?)どっぷりのMorris.だが、韓国語への関心もそれなりに強かったはずなのだ。
午後2時頃から歩いて、王子公園駐車場ベンチへ。昨日中央図書館で借りてきた文庫本の読書がメイン。ミニギターもちょこっとやって5時半帰宅。
民法BSで「男はつらいよ」の第一回作品を見る。1969年の作品で、来年が寅さん50周年だとか。山田洋次監督はこれに合わせてこの昨日の第50回作品を製作中とのこと(@_@) 実はMorris.はこの第一回目は見たことはなかった。半世紀前の作品だが、何か非常に心動かされてしまった。
鹿嶋さんから絵葉書。見舞いと、先般の沖縄知事選挙に関するメディアの「無視、軽視」への憤りが印象に残った。台風情報やら、相撲界のごたごたや拘置所からの逃走犯人の破天荒ななどに報道番組(これ自体が減少傾向)の時間を費やして、沖縄知事選報道はほんとうに少なかった。明らかな政権へのおもねり(忖度)だと思う。それだけに、翁長知事の後継を標榜する玉城デニーの勝利は嬉しかったし、沖縄県民の民意が明らかになった。こういった政権とマスメディアの姿勢への批判と、「無関心」からの脱却。沖縄基地問題は決してローカルなものではない。そして報道メディア(特にTV)も、まっとうな報道番組を再開してもらいたい。
今日の歩数は1800歩。


オキザリス(酢漿) 

雲の動き速い 

観覧車 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 토장[土葬](トジャンg 土葬)
儒教の価値観では死体を損壊してはならないことや、「孝」の意識が強い韓国では、死者を화장[火葬](ファジャンg 火葬)にすることを嫌う傾向にある。土葬にする際は、棺桶に入れた遺体を埋葬し、うえに土を盛りそこに墓石をおく。韓国の장례식[葬礼式](チャンgネシク 葬式)は死後3日のうちに行うので「3日葬」ともよばれ、3日目に埋葬する(日本は四十九日法要で納骨する)。しかし、近年では韓国国内に墓地が増えすぎ、敷地がなくなってきたことから社会問題となり火葬にする動きが広まっている。

2018/10/05(金)●リハビリで中央図書館へ
7時起床。
今朝の血圧は157/71/75。36.0℃
朝風呂浴びて、10時過ぎ、部屋を出てJR神戸へ。
JR灘と阪急高架の交差点の骨董品店のシャッターが閉まってて、貼り紙が。閉店して、阪急北側に移転したとのこと。
隣の焼き鳥屋も閉店で、どうやらここにマンションが建つ気配。この骨董店の横には」、リサイクルスペースがあって、食器やら小物をいろいろ提供してもらったし、Morris.も時々提供したりしてた。そういう意味でもちょっと残念。
11時JR神戸着。今日は珍しくミニギター不携帯(^_^;) 中央図書館まで1.5kmほどあるので、ちゃんと歩けるかどうかちょっと心配だったのだ。
松葉杖2週間、ステッキ1週間の後は、ずっと移動は自転車中心で、ほとんど歩いてなかったから、これだけの距離を歩くのは久しぶりである。普通に歩くぶんには、ほとんど痛みはないのだが、やっぱり右足引きずるし、だるさを感じる。
猫場の宇治川公園経由で図書館到着。まだ改装工事は続いていたが、嬉しいことに一階の中庭の工事は終わって、入れるようになってた。ここで、雑誌や漫画を読む途中煉瓦塀の上に、猫が(^_^) 久しぶりにMorris.@Catographerモード。
3時過ぎに図書館出て、4時帰宅。
台風25号は、明朝釜山直撃するコースで、神戸方面には直接的影響は無さそう。ちょっと安心。
昨日やまうちさんからもらった缶ビール持って屋上へ(^_^;) 5時半までくつろいで、自転車でマルハチに買い物に行き、久しぶりにホワイトホース買う。
今日の歩数は3002歩。


近くの交差点の骨董品店 

ちょっと北の方に移転したらしい 

宇治川公園裏の駐車場猫 

宇治川公園猫 

金木犀の香る季節 

小さな枯葉かと思った(@_@) 

小学生の移動図書館見学 

中庭工事終わったらしい(^_^)/

図書館猫も(^_^) 

同じく(^_^) 

紋黄蝶 雌 

カラキシメジ? 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 욱일기[旭日旗](オギルギ 旭日旗)
日章旗(日の丸の旗)の中心から日光の筋が放射状に放たれている意匠の旗。中心から22.5度で開く16筋のもの(十六条旭日旗)がよく知られている。これは日本帝国陸軍旗として使われた。海軍では赤い円が少し左に寄ったものを使っていた。戦後も自衛隊旗として使われ続けている。日本の軍国主義を連想させるとして、韓国では忌避されることが多い。国際スポーツの大会における한일전[韓日戦](ハニルジョン 日韓戦)で日本人観客席にこれが掲げられると、しばしば論争のタネとなる。
最新ニュース。10月11日に韓国済州島で開かれる国際観艦式で、自衛隊旗である旭日旗を掲揚しないよう、韓国が日本に要請していた問題で、岩屋防衛相は、今日、海上自衛隊が観艦式に参加しないことを明らかにした。

【虚栄 vanity】久坂部羊 ★★★☆☆
2015/09/30 KADOKAWA
久坂部お得意の医学小説。
総理の一声で始まった国家的「G4」プロジェクト。「G」は「がん」の頭文字(>_<)、「4」はがんの4つの治療法(^_^;)
予算と主導権を巡る4つの治療法グループの争い、せめぎあい、駆け引き、中傷などを描いたものだが、Morris.としては、例によって久坂部のわかりやすい医学解説書として読んだ(^_^;)
本書を読んでる最中に、今年のノーベル医学生理学賞をがんの免疫治療薬オプジーボ開発に貢献した京大の本庶佑教授が受賞したというニュースがあって、ちょっと驚いた。今日の愛知県の大学での講演では、これからのがん治療は免疫療法が突出するようなことを言ってた(ビデオで一部だけ聞いたのだから確信は無いが)よなので、本作が、もう少し後で書かれることになってたら、かなり違ったものになったかもしれない。

「真がん・偽がん説」は、がんには命に関わる本物のがん、すなわち「真がん」と、放置しておいても大丈夫な「偽がん」の二種類があるというだいたんな仮説だ。岸上が一般向けに、「がん治療は患者を殺す」という本を書いて、一大センセーションを巻き起こしたのは、もう10年以上も前になる。
岸上の説でもっとも過激だったのは、外科医が手術で治したと思っている患者は、すべて「偽がん」なので、手術をしなくても死ななかったという主張である。
当然ながら、外科医たちは猛反発した。手柄を全否定されたのにも等しいからだ。しかし、どうの外科医も有効な反論ができなかった。すでに手術をしてしまった患者が、手術をしなければ死んでいたとは、説明できないからだ。
逆に、早期発見・早期治療が有効なら、なぜ早期がんで死ぬ患者がいるのかという疑問にも、外科医たちは答えられなかった。早期がんにも悪性度の強いものがあるというなら、それは取りも直さず、岸上のいう「真がん」であり、手術で助かった早期がんは、すべて「偽がん」だったと言われても否定できない。


この岸上というキャラは実在の近藤誠という医学者がモデルになっているらしい。巻末の参考文献に、近藤の著作が多数上げられている。
近藤誠著 「がんは切ればなおるのか」(1995)「患者よ、がんと闘うな」(1996)「抗がん剤は効かない」(2011)「がん放置療法のすすめ」(2012)「「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人」(2013)
そして、Morris.は、がんに関しては、この人の考え方に無条件に賛成したくなった(^_^;)

矢島塔子は取材ノートのページをめくり、各グループの分析をまとめた。

[内科グループ]
強み=抗がん剤は全身のがんに抗力を発揮する。
弱味=同時に全身の正常細胞にも副作用を及ぼす。分子標的薬は効くがんが限られる。
展望=分子標的薬のさらなる開発、"万能抗がん剤"の開発(可能なら)。

[外科グループ]
強み=手術でがんを取り除くことは患者の安心感が大きい。
弱み=目に見えないがんや、全身に広がったがんは切れない。手術による身体への負担、合併症による多臓器不全などの危険。
展望=がんの可視化で、全身に広がる前に手術する。手術支援ロボットなどにより、手術の負担を減らす。

[放射線グループ]
強み=切らずにピンポイントでがんを治療できる。全身に広がったがんも治療可能。
弱み=放射線に感受性のあるがんにしか効かない。正常細胞を障害する副作用がある(ただしピンポイント照射で軽減可能)。
展望=「粒子線治療」およぼ「BNCT」の実用化。

[免疫療法グループ]
強み=副作用がほとんどないこと。全身に広がったがんにも有効。
弱み=科学的に有効性が十分証明されていない。治療に時間がかかる。
展望=実績を積み重ね、治療の確立を目指す。


矢島は大手新聞の医学専門の記者だが、後半では自分もがんに罹り、小説でも大きな役を演じるのだが、彼女の取材という形で各グループの特徴が読者に提供される。

「わたしどもの身体には、日々、がん細胞が生れています。増殖する前にそれを排除するのが免疫システムです。免疫療法は、このシステムを増強することによって、がんを取り除こうとするものです。自然に備わったシステムを利用するのですから、副作用はほとんどありません。がんを攻撃する免疫細胞には「キラーT細胞」や「NK(ナチュラル・キラー)細胞」などがあり、免疫療法ではこれらの細胞の攻撃力を高めたり、ワクチンでがん細胞を認識させるこtのよって、治療効果を高めたりします。ほかにも「LAK療法」といって「リンフォカイン活性化キラー細胞」という強い攻撃性を持つリンパ球や、人工リンパ節の研究も進められています。これを使うと、細胞の活性化は一挙に百倍から千倍に上昇し、治験では一回の治療でがんが消えた例も報告されています」
「これまでの治療法は、どの科もがんを攻撃するものばかりでした。それは武力に訴える戦争のようなものです。同じたとえで言うなら、免疫療法は外交戦略です。もともと生体に備わったシステムを利用するのですから、副作用はほとんどありません」


本庶教授の今日の講演なを思い出す。

患者にすれば、どんな方法であれ、とにかくがんが治りさえすればい。一方、プロジェクトトG4の面々にとっては、何より自分たちの治療法で治すことが重要なようだった。ほかのグループの治療でがんが克服されても喜べない。それどころか、下手をすれば、自分のグループの治療が過去の遺物として、葬り去られる危険もあるのだ。

医学界での縄張り争いは熾烈らしい。

先のインタビューで、矢島という記者が岸上から聞いたという言葉が頭をよぎる。
--がんは自己だから克服されない。
がんが正常細胞から発生したのは周知の事実だ。多くの抗がん剤や放射線治療は、正常細胞も攻撃するから、副作用が問題になる。しかし、それはずっと前から言い古されていることだ。岸上が言ったのは、そんな単純なことではないはずだ。
がんは無秩序に増殖する。新生血管を作り、栄養を確保し、転移で新しい生存の場を獲得する。その戦略の巧みさは、あたかも自らの意志をもった高等生物であるかのようだ。だが、そう考えると、どうしても合点がいかないことがある。がんの増殖が、宿主を死に追いやってしまうことだ。それはがん自身の死をも意味する。繁栄が死につながる矛盾。がんとはただ単に狂った細胞なのか。
雪野に衝撃を与えたのは、岸上が言ったというもうひとつの言葉だった。
--がんは人類のためにある。
もし、そうだとしたら、がんの凶悪化は何を意味するのか。


これは雪野という久坂部の分身みたいな登場人物の感想。

矢島塔子は自棄(やけ)になって訊ねた。雪野はまるで無理な抜け道でも聞かれたかのように、首を揺らした。
「答えはありません。いつがんになってもいいような生き方をするしかないでしょうね。むずかしいかもしれませんが」
「雪野先生は、そういう生き方をされているのですか」
「それはそうです。だって、今は二人に一人ががんになり、三人に一人はがんで死ぬ時代ですよ。心の準備は当然、しておいたほうがいい」
矢島塔子は納得がいかなかった。がん家系のひとならこうすればいいという答えがほしかった。
「当てにならない希望と、つらいけれどほんとうのことと、どちらがいいですか。私は医者として、患者さんには誠実でありたいと思っています。聞こえのいい話でごまかすより、嫌がられても、ほんとうのことを話すほうが誠意があるでしょう」
「医者に質問するとき、あらかじめ自分の気に入る答えを期待するのはよくありません。どんな答えでも、受け入れる心の準備が必要です。いやな答えを聞きたくないなら、はじめから質問しなければいいのです。欧米では当たり前のことですよ」
日本人は甘えているというのか。たしかにそいういう一面はあるかもしれない。新聞の記事でも上層部は常に希望や明るさを前面に出したかる。でないと、読者に受け入れられないからだ。悪い事実は知りなくないというのなら、報道は半身をもがれたも同然だ。


医者に、自分の望む答えを期待するな、というのは、なるほどと思った。病気ではないが、今回の右腿打撲骨盤ひび割れの診療でも、最初全3週間くらいと言われ、3週間目に再診受けた時、もうこれくらいで治療終えてもいいのかと思い、そう言ったら、あっさり覆された(>_<)だけにね。

「厚労省の認可基準は、新薬を使った患者の二割に有効ならばOKという甘いものだ。逆に言えば、5人のうち4人に効かなくても認可されるんだぞ。その事実を明かさずに、さも公に効果が認められたように思わせる。さらには長期の延命効果などと言いながら、具体的な期間を言わない。実際はたった半年も延びない。分子標的薬の作用をわかりやすいイラストで説明して、さも副作用がないように見せかける。すべては虚栄だ。メディアは医学界の虚栄の片棒を担いでいるのだ」
そこまで言うと、岸上はふたたび発作に襲われたよに苦しげに咳き込んだ。

政府と医学の上層部での馴れ合い。それを見ないふりして報道するメディア。

「がんであれ、健康であれ、我々は所詮、余命を生きているにすぎない。患者は治療で一喜一憂するけど、がんが治ってもいずれは死ぬ。どうしてそう思えないんだろう」
「現実を知らないからよ。治らない患者がたくさんいて、平均寿命まで生きられない人もいっぱいいるのに、八十歳くらいまで生きて当然、みたいに思うんじゃない」
「病院であれだけ治らない患者を見てたら、がん患者は死ぬのが当たり前って思うよな」
「だから、今が大事なのよ。悔いのないように楽しまなきゃね」
西井はバスローブを脱ぎ、ふたたび男に身体をすり寄せた。男はわずかに後ずさりしながらも、淫らな笑いで応じる。


上司に不利な情報を別のグループに漏らした女性研究者と情報をもらった男性研究者の会話。「、我々は所詮、余命を生きているにすぎない」、Morris.の決まり文句がここにも出てた(>_<)

「がんの専門医としては、あまり非科学的なことも言いにくいでしょうな。私はもっと自由に発想しています。がん細胞は、明確な意図をもって凶悪化したのではないでしょうか」
「……といいますと」
「がん細胞は、もともとは自分の細胞です。それが自分を殺すような変異を起こすのは、一見、不合理のようでいて、実は合理的ではないかと思うのです」
意味がわからない。矢島塔子が雪野を見ると、彼も戸惑いを隠せずにいた。
岸上は確信を込めて語った。
「日本の超高齢社会のひずみと、進みすぎた医療の矛盾。寝たきり老人、施設での老人の飼い殺し、チューブと器械に生かされる尊厳のない命、そんな"悲惨な長生き"
を避けるため、無意識の恐怖が圧力を強めて、がんを凶悪化させたとは考えられませんか。がんは私たちの一部なのですから」

突然、吐露される、がん自律論(^_^;)

雪野はシートに身体を預けてあっけらかんと言った。
「結局は、岸上先生のいう通り、時代の限界なんですよ。今は医学が進んでいるから、何でもわかるはずだと考えている人が多いようですが、決してそんなことはない。実際はわからないことだらけです。何でもわかるように見せかけているのは、医学の虚栄ですよ」
--医学の虚栄……。
矢島塔子は胸の内でつぶやき、その言葉を反芻した。
ジャーナリストとして、時代の限界を超えられないのなら、せめて誠実な報道に徹しよう。自分の頭で考え、専門家の言葉も鵜呑みにせず、感情や思い入れに左右されず、ありのままを検証して。
報道が、"虚栄"に陥らないように。


これが物語の結びのフレーズである。タイトルでもある「虚栄」。たしかにこれは医学にも報道にも、研究にも、企業にも、生きとし生けるものの行為に結ぶつく誘惑なのだろう。

蛇足であるが、本書の登場人物の命名は、五行の法則に則したものになっている。

[内科グループ]田壮一郎、木満、雪野光一、沢康彦
[外科グループ]川泰司、小忠之、崎守
[放射線グループ]柳宏、田公造、梅川
[免疫療法グループ]江真佐子、吉典彦、西井圭子


塚本邦雄あたりだと、それぞれが更に複雑な意味を持つのだろうが、久坂部の場合は、単なる思いつきかお遊びなのだろう。でも記憶力低下著しいMorris.には、覚えやすくて嬉しかった(^_^;)

2018/10/04(木)●部屋ゴロ
7時起床。
今朝の血圧は195/95/62。35.8℃
沖縄の玉城デニー知事初登庁、職員だけでなく多くの県民が出迎えたのが印象的だった。沖縄はいま台風25号の暴風圏に入って防災で大変だが、これからの県政も激しい風雨が予想される。翁長知事の就任時と同じ「茨の道」という言葉を使い、対決姿勢を鮮明にしながらも、対話を希望している。何よりも「沖縄だけの問題」にしてはならないことは言うまでもない。
今日は一日雨模様で、自宅待機を決め込む(^_^;)
読書、ミニギター、leno坊で家庭内ノレバン。典型的部屋ゴロ生活。
ゆうがた山内さんが保険の書類持ってきてくれた。お見舞いの缶ビールも(^_^) ありがとうございますm(__)m
広島の福原さんから手紙。タイのアエログラム使用。これは、エアメールの封筒がそのまま便箋になってるもので、海外便だとちょっと割安なのだが、国内郵便だと通常料金の切手貼るしか無かったようだ。広島カープ優勝直後の頼りで、かなり高揚感にあふれていた。今年こそ日本一を実現して欲しい。阪神は4連敗でBクラス確定(>_<)
今日の歩数は0歩。

[今日の韓国語単語from Kpedia] 애교[愛嬌](エギョサル 涙袋)
(サル)は肉。
目の下のふくらみのこと。日本では「涙袋(なみだぶくろ)」と表現されている。ふっくらした涙袋があると、若く見えたり目が大きく見えたりする。 日本ではこの涙袋をメイクで作ったりもしてるらしい。韓国でも「愛嬌」というからには、それなりに人気あるのだろう。

【本が好き】安野光雅 ★★★
2017/07/30 山川出版社
安野さんは絵描きだが、文章もなかなか読ませるものがある。相当な読書家でもある。
本書は、印象に残った本をランダムにあげて、長短取り混ぜたコラムみたいな文章の寄せ集め。内容はともかく、Morris.の読書控えにどこか通じるところがあるような気がして、親近感を持ってしまった。
本書に出てくる主な本の一覧。(太字はMorris.が読んだことのある本)

・ファーブル「完訳ファーブル昆虫記
・武田百合子「犬が星見た--ロシア旅行」
・中村哲・澤地久枝「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る--アフガンとの約束」
・ショイルマン「絵本パパラギ--はじめて文明を見た南の島の酋長ツィアビが話したこと」
・デカルト「方法序説」
・橘南谿「東西遊記」
・ホワイト「科学と宗教の闘争」
・日高敏隆「人はどうして老いるのか 遺伝子のたくらみ」
・コロンブス「全航海の報告」
・堀田善衛「スペインの沈黙」
・ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
・デュマ「モンテ・クリスト伯
・大佛次郎「ドレフュス事件」
・カーン「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」
・小泉八雲「耳なし芳一
・芥川龍之介「羅生門・藪の中
・井伏鱒二「さざなみ軍記」
・司馬遼太郎「韓のくに紀行
・イザベラ・バード「完訳 日本奥地紀行」
・森まゆみ「子規の音」
・岡倉覚三「茶の本
・森鴎外「即興詩人
・菊池寛「父帰る」
・六代目三遊亭圓生「新版 寄席育ち」
・三木のり平「のり平のパーッといきましょう」
・半藤一利「B面昭和史」
・半藤一利「文士の遺言」
・志賀直哉「城の崎にて
・吉村昭「吉村昭自選作品集 別巻」
・堀内誠一「パリからの手紙」
・谷川俊太郎「よしなしうた
・大岡信「人類最古の文明の詩」


わたしは食べ物のことはあまりこだわらないが、人の書いたものにはひかれる。なかには外国で食べるものをいちいち写真に撮っている人がいる。文章はいいとして写真にまで撮るのは如何なものかと思う。(犬が星見た)

Morris.のように、日常生活の食事のデジカメ写真撮りまくってるなんてのは論外なんだろうな。でも、今はそういう人々の数は膨大なものだと思う。

もっとも大切だと思う本をあげる。わたしはためらわずにいうが、この一冊を読んで共感をもっていただくならもう、ほかは読んでもらわなくてもいいほどである。(方法序説)

そんな事言われてもなあ(^_^;)

ドイツ文学者の高橋義孝は「人間死ねばゴミになる」と朝日新聞に書いたため、どっと反論があったという。前著「本を読む」に書いた中江兆民の説がある。人間はだれでも、うまれたとたんに、死に向かって歩んでいる。不老長寿の薬があると信じた人もあろうが、はるはずがない。(人はどうして老いるのか)

本書より前に同じような「本を読む」というのも出てるのか、それも読んでみよう。中江兆民といえば、なだいなだの「TN君の伝記」はいい本だったな。「人間はだれでも、うまれたとたんに、死に向かって歩んでいる」というのは、Morris.の口癖「人は生まれた後は余生」というのと同じで、わりと平凡(ありきたり)な考えだったのかも。

黒澤明が「藪の中」の内容で作った映画に「羅生門」という題名をつけたのである。「藪の中」という題名では観客に訴えるものがないと思ったのかもしれない。(羅生門・藪の中)

これは知らずにいた。

なぜ私が本が好きで、人に本を薦めるかというと、自分の面白かった世界をみんなに知ってもらいたいだけなのだ。(あとがき)

これにもMorris.は同感を覚える。

2018/10/03(水)●全員お灸内閣
7時起床。
今朝の血圧は176/66/73。35.6℃
朝の三点セット。昼前に自転車で都賀川沿い公園のベンチでミニギター&読書。
明日から週末にかけて雨模様になりそう。
4時きたく。
昨日組閣したばかりの安倍「全員野球内閣」(>_<) 新入閣の芝山文科相が、早速失言。「「教育勅語を現代的にアレンジして道徳授業に使うことで検討に値する」などと記者会見でのたまったとのこと(@_@) 森本関連の幼稚園で園児たちが勅語を暗唱してて、安倍総理夫人がこれに感動したなんてことが、話題になってたが、そもそも教育勅語への認識が根本的に甘すぎる。
夕方も屋上に出たが、ちょっと肌寒い。
今日の歩数は3255歩。


チャーハン&玉子スープ 

都賀川沿いベンチ 

蠅捕蜘蛛 左はミニギターエンドピン 

水棲の蚊帳吊草? 

盛りを過ぎた彼岸花 

照光寺クロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 살아있네(サラインネ やるじゃん)
直訳すると「生きているね」
2012年の韓国映画범죄[犯罪]와의 전쟁[戦争](ポムチェワエチョンジェンg 犯罪との戦争)の台詞から流行語になった。「相変わらずやるじゃん」とか「いいね」という意味で使われる。

2018/10/02(火)●40日ぶり動物園
7時起床。
今朝の血圧は168/62/85。36.0℃
8時半からBS朝日の韓国ドラマ「適齢期惑惑ロマンス お父さんが変」の最終回見る。絵に描いたような大団円(^_^;)
これでしばらく韓国ドラマとはお別れになる。
一昨日、ブリッジ貼り直したミニギター、クランプ外して弦張ったのだが、やっぱり駄目だった(>_<) 周炫美のサイン入りギターだから捨てるわけにはいかない。オーナメントとして壁にかけておこう。
昼から自転車で王子公園。40日ぶりに王子動物園に入園。まぬうに挨拶して一回りしたのだが、坂道多いし、やっぱりまだちゃんと歩くことができない(^_^;) もう少しリハビリが必要なようだ。
駐車場樹の下ベンチで軽くミニギターやって4時帰宅。
ゆうパックで福津市の深町さんからお菓子と「感謝」葉書き配達される。遅まきながらのお見舞いらしい。こちらこそ感謝である。あちらのデパートIWATAYAの袋が懐かしかった。
安倍政権内閣改造。二階、菅、麻生、世耕、河野……が居残りでは、改造もなにもあったもんぢゃない。特に麻生なんか5回くらい辞めて当然だった。まあ安倍自体が任期延長だもんな。
フィリピン方面で台風25号が発生して、週末にまた日本方面に来そうな気配。台風好き?のMorris.でも、もいいかげんにして欲しくなる(>_<)
今日の歩数は2900歩。


赤のまんま(犬蓼) 

今日のまぬう ペッキー 

イーリス 

ペッキーのイラスト 

大山猫 

福津の深町さんからお見舞い品が 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 문어[文魚]발식[式] 배선[配線](ムノシクペソン タコ足配線)
문어[文魚](ムノ タコ)+(パル 脚)+[式](シク) 배선[配線](ペソン)。
문어[文魚]발식[式] 경영[経営](ムノパルシクキョンgヨンg タコ足経営)という語もある。

2018/10/01(月)●沖縄知事選\(^o^)/
8時起床。
今朝の血圧は185/74/89。35.8℃
昨夜は、テレビで台風情報見ながら、leno坊で沖縄知事選の選挙速報見てた。9時半頃に翁長知事の遺志を継いで辺野古基地に反対の玉城デニー候補の当選確実が出た\(^o^)/ 実は安倍政権の応援が半端でなかったので、かなり心配してたのだ。8万票もの大差で勝利したことは、沖縄の「民意」が改めて示されたという意味で、安倍政権が翁長知事に対して門前払い的ゴリ押しを続ければ、政権の崩壊に繋がると思いたい。
8時半から韓国ドラマ、これも明日が最終回。
トラック荷台から転落して坐骨にヒビが入ってから、昨日で一ヶ月になる。まあなんとか歩けるし痛みもほとんど意識しなくなった。そろそろ社会復帰を、と思うのだが、何しろいちおう肉体労働だけに、まだちょっと無理かな(^_^;)
台風一過の青空が広がってるのに誘われて、自転車で、生田川沿いの臥竜公園へ。ここも1ヶ月半ぶりである。今日は氷のペットボトルとビターレモン持参で、一杯やりながら一杯歌った(^_^;) この公園は、近所の小学生たちの遊び場で、小さな子ども連れたお母さんもやっきて、雰囲気がいい。
大安亭市場で買い物して、4時帰宅。
京大の本庶佑教授に今年のノーベル医学生理学賞を受賞したというニュース。この賞は日本人で5人目だとか。新しいタイプの癌免疫療法の開発で、ちょうど癌治療をテーマにした小説(「虚栄」久坂部羊)読んでる最中だったので、ちょっとびっくりした。
今日の歩数は3500歩?


沖縄知事選玉城デニー勝利\(^o^)/ 

ちーちゃん 

スキヤママと 

鋭いポーズ 

日暮通り猫 

自転車で臥竜公園に 

台風一過の青空 

電線鳩 

大安亭魚屋クロ 

[今日の韓国語単語from Kpedia] 코시안(コシアン 韓国人と東南アジア人のハーフ)
韓国人を意味する英語の'KOREAN'(코리안)と、アジア人を意味する'ASIAN'(아시안)の合成語で、韓国人と東南アジア人のハーフの子どものことを指す。韓国では農村における結婚問題から、東南アジアから花嫁を募集することが多いという事情がある。人身売買だという指摘もある。外国人嫁との国際結婚については習慣の違いが問題になるだけでなく家庭内暴力(DV)が起こることも多く、社会問題になっている。

【いま〈日本〉を考えるということ】木村草太編著 ★★★☆☆ 2016/06/30 河出書房新社 河出ブックス:095
木村草太 1980年生れ。首都大学法学系教授。専攻は憲法学。「憲法の急所」「キヨミズ准教授の法学入門」「憲法の想像力」「テレビが伝えない憲法の話」「集団的自衛権はなぜ違憲なのか」

大澤真幸(おおさわまさち) 1958年生れ。社会学博士。京都大学大学院教授などを歴任。「虚構の時代の果て」「自由という牢獄」「思考術」「<世界史>の哲学」

山本理顕(やまもとりけん) 1945年生れ。建築家。建築作品に埼玉県立大学、横化美術館。「新編 住居論」「権力の空間/空間の権力」

木村草太はおなじみだが、他の二人は名前も知らずにいた。いやいや、世の中にはすごい人がいるのだな、ということを教えられた。

「建築家と社会学者と憲法学者。何の関係もなさそうな異分野の三人が集まったところで、いったい何ができるって言うんだ?」そんな声が聴こえる気がする。
本書は、二部構成になっており、第一部は、シンポジウムの報告と討議のまとめを、第二部は、両先生と私が執筆した論文を掲載している。
私は、本書の特徴は「明るさ」にあると思う。
社会問題を前に、眉間にしわを寄せて難しい顔をしていると、何となく思慮深い、偉い人のような雰囲気を醸し出せる。他人に敬われたい人にとっては、そうした態度はかなり有効だ。しかし、それでは、社会にとっては何の役にも立たないだろう。
難しい社会問題に出会ったときに必要なのは、今ある課題を明晰に認識することだ。課題が明確になれば、解決のための方向性も明確になる。本書の各論考を読んでいただければ、あかるくすっきりした気分になれるはずだ。(はしがき 木村)


ざっとまあ、こんな構成である(^_^;)

「ヘゲモニー的記号」とは、細部を伴わない「神」のようなものだと理解できるのではないでしょうか。
たとえば民主主義も「ヘゲモニー的記号」です。民主主義の世界では、民主主義的でないことは悪いこととされますが、「民主主義とは何か」と問われると、具体的にはよくわからなかったりする。
最近、ヘゲモニー的記号として急浮上しつつあるのが、「緊急事態条項」であると私は思っています。
このところの論調では、「緊急事態」と誰かが認定したら、首相に命令権が集中する制度をつくることが緊急事態の対応だとされています。でも、「首相に命令権を集めると、緊急事態のときにどう役に立つのか」はほとんど議論されていないように思います。つまり、ヘゲモニー的記号になりつつあるのです。
緊急時にまず必要なのは、自治体の関係部署の連携や、十分な予算、事前の準備です。
日本で緊急事態対応を考えるための論点は、首相に強大な権限を集中させるというような大雑把な議論のレベルにはありません。(憲法は細部に宿る 木村)

「神は細部に宿る」というのはMorris.もよく使ってしまう言葉だが、もともとはミース・ファン・デル・ローエというモダニズム建築家が愛用した標語だとのこと。
つまり細部で建築の価値が評価されるという意味だったのだろう。
「ヘゲモニー的記号」というのは面白い。ヘゲモニーはドイツ語で「主導権、指導する立場(大辞林)」で、これが記号化すると、よくわからないのに、当たり前のように使われてしまう。


原爆を投下してしまった第二次大戦の後に、まさに人類の一部はそのような(理想主義的な)夢をみたのです。たとえば、国際連合もそうした夢の中から出てきた。今はうまくきのうしていないけれど、あの瞬間は、国際連合に対する非常に理想主義的な、人類的な賭けがありました。
その国連の理想が文字通り実現すれば、すべての国が交戦権を放棄して、国連軍、国際警察をつくることがありえたかもしれないし、核兵器を全面的に国際管理して、誰の所有でもなくす、ということもありえたかもしれない。
しかし、その一年半くらいの短い期間の後、冷戦が本格化し、国際連合は政治的駆け引きの場に変わってしまう。
しかし、ほんとうは、その夢以上の夢の痕跡が、現実の中で、すこしだけ痕跡をとどめているのです。どこにか。日本国憲法の九条こそ、それです。


安倍晋三の改憲野望は理想とは対極にあるものだろう。

世界中では集団的自衛権がうまく機能しなくて困っているのに、日本ではこれを導入するかどうかという周回遅れの議論をしている。世界では、この手の車は中古車として使えないなと話し合っているのに、日本では、深刻な不具合のある車を買うのか、買わないのか、みたいな話をみんなで議論しているようなものです。(現実をどう乗り越えるか 大澤)

周回遅れ!!(笑うに笑えない)(^_^;)

ここからしばらくは鼎談からの引用

木村 ポリス(古代都市国家)の住宅は私生活の場所であると同時に一方で参加する場所でした。ですから、住宅そのものが政治参加するような空間になっていない限り、共同体的空間との関係は成り立たないはずです。しかし、現代は住宅自体が共同体的空間に参加することを禁止するようにできています。鉄の扉を閉めたら隣で何をしていても、まったく関係なく住めます。まるで孤立させるかのように設計されています。


これは木村ではなく山本の持論だが、現代の住宅が外の世界を遮るデザインであるという視点は新鮮だった。

山本 19世紀にそうした住宅(労働者住宅)が発明されて、それ以降、その「循環する生命過程」を守ることが家族の役割であり、一方でその家族を守ることこそが、いかにも国家の政治的な役割であるかのように、国家の役割そのものが変質していきます。「循環する生命過程」に国家が介入することによって「繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命、長寿」(フーコー「性の歴史」)といった人間の生命そのものの調整や管理が国家の政治的役割になったという意味です。

「家族」と「個人」と「社会」の関係性を、もう一度考え直さなくては。

大澤 在特会風の過剰なナショナリズムは、国民や民族への愛の表現ではなく、本質的には「サヨクが嫌い」ということなんですね。サヨクやリベラルへの嫌悪が、裏返しのかたちで表出される。
「アイロニカルな没入」というのは、「なんちゃって」の構造です。皮肉な気持ちを持って対象や主題と距離をおきながら、けれどもそれにハマっているかのような行動と態度をとるわけです。たとえば、本当に国を愛しているわけじゃないけれど、愛国主義者として振る舞う。つまりそこには、アイロニーの部分と没入の部分の二つがあるのですが、そのうちのどちらが重要か、どちらに真実があるかっていうと、没入の部分のほうなんですね。いかに気持ちの上で距離を置いてるようにみえても、結局行動のレベルで没入していれば、没入の方が人間の世界を広く支配してしまうんです。
木村 本気にはしていないけど、とりあえずやっておこうかということの延長線上に、危険な没入があるということですね。地域社会が大事なのはわかっているけど、結局個人主義に進まざるを得ないよね、とみんな思ってるから今の住宅になっている。
安倍内閣を支持する人も、内閣がすごくいい政策やっていると思っているわけではない。
おそらく安倍首相本人ですら、集団的自衛権を本気で行使したいと思っているわけではない。でも、いまは、左翼に対抗するために、集団的自衛権は絶対に必要なんだというポーズを取らなければならないと考えている。


大澤の「アイロニカルな没入」というのが本書でいちばん印象に残った言葉だった。ネット右翼は「なんちゃって右翼」かあ。

山本 家族を信じてるからそれが壊れたら一人になると思っちゃうわけですよ。でも、本当のことを言えば、その人は様々な集団に属する可能性を持っているわけで、家族が壊れたからといって、たった一人になるわけではない。
だから、一人で生きている高齢者は、本当は様々な関係のなかで生きているはずです。家族も一つのコミュニティです。家族が壊れたら、違うコミュニティの可能性が待っているはずなんです。

太宰治の「家庭の幸福は諸悪の本」というフレーズが条件反射的に思い起こされた。

1933年はヒトラーが政権を取った年である。そして、すぐさま施行された法律が「遺伝病子孫予防法」であった。俗に言う「断種法」である。
その同じ年、建築家たちによる国際会議、CIAMの第四回会議が開かれ「アテネ憲章」が採択された。
ナチス政権による断種法と建築家たちによるアテネ憲章が同じ1933年だったというのは確かに偶然の一致でしかない。それでも、その当時健康な生活について考えるという、建築家たちの考え方は、国益としての「国民の健康」と同じ方向を向いていたことは確かである。


断種法の始まりはアメリカだったらしい。「健康」という「病気」(>_<)

プライバシーという言葉は、外側との関係を奪われている、隔離されている(privative、deprived)という意味を含んでいるのである。その外側の公共空間に参加する自由を奪われている、という意味である。そうした生活に幸福を感じるような、そうした私たちに対してアレントは極めて批判的だったのである。家族の内側の自由は逆に外側に対する不自由を意味しているからである。
こうした住宅に住み続けることによって、私たちはプライバシーこそが家族にとって、最も重要であるという考え方を身体化し、そして一方でその外側が官僚機構による管理空間であることを、「承認」しているのである。大澤真幸の言葉を借りれば、官僚機構そのものを「特権的な他者」として承認しているのである。


本書の三人はアレントをよく持ち出す。ハンナ・アレント(1906-75)はドイツ生まれのユダヤ人哲学者。全体主義を生み出す大衆社会の分析で知られているらしいが、Morris.は名前しか知らずにいた。プライバシー至上主義の欺瞞か。

今私たちが住んでいる「1住宅=1家族」システムの住宅はnLDKと言う記号で言い表すことが既に一般化されている。つまりプランニング(間取り)の記号化である。こうしたプランニングによる住宅形式の起源は、19世紀の工場労働者の住宅であった。様々な地方から出てきた様々な労働者たちは標準化され均一化されなければならなかった。そうでなくては労働者として使えない。そのためには家族の標準化は必須だったのである。

標準化=使いやすい。なるほど。

自主的に政治判断をすることができる中間集団がない。その中間集団に代わって、官僚機構の様々なセクション(部局)がその政治的判断の役割を担っている。つまり、官僚機構の中の一セクションが中間集団を偽装するわけである。日本の多くの中間集団は、いわば官製の中間集団になってしまっている。そのような国家である。いまの日本は細分化された官僚機構によって隅々まで官僚制的に統治された国家なのである。それは、"公"がそのまま"官"になっているような統治機構である。家族が基礎単位であることを理想とする国家像は、そのまま官僚制的統治を容認するような国家なのである。
自民党の作成した2012年改憲草案には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。(24条)」と新たな条項が書き加えられている。


ナンセンス!!

"私"と"公"とは相互関係なのである。"私"に対するその上位の集団が"公"である。それぞれを取り出して、単独でそれを定義することはできない。"私(Private)"とは何か、"公(Public)"とは何か、それぞれは単独にある概念ではなく、両者が一つのセットになっている対概念である。そのように考えるとしたら、確かに今の日本は"私"が家族であり、"公"が官である。最悪の"私"と"公"との関係である。
そして、確かに私たちはそうした空間に住んでいるのである。


最悪!!

江戸や京都の町には居住専用の住宅などなかった。あったとしてもそれは「仕舞屋(しもたや)」と呼ばれ「別宅や隠居宅、妾宅」など、既に商売から身を引いた人のための家だった。「仕舞屋」とは「店を仕舞うた人の家」という意味である。
「1住宅=1家族」はこうした町家から、表の「店」にあたる場所が消え失せて、単なる奥の茶の間や寝室だけが残った住宅である。「仕舞屋」である。つまり経済活動から排除されることによって成り立っている住宅である。決してコミュニティをつくらない住宅なのである。


「仕舞屋」という言葉をMorris.はちょっと理解不足で使ってた気がする。
しもうたや(仕舞うた家) 1.商家ではない、普通の家。しもたや。2.もと商家であって、その商売をやめた家。(大辞林)
Morris.は大辞林の1.の意味でのみ理解してた。

日本全体が地域の経済ではなくて、その場所の経済とは無関係な賃労働者のための空間として、標準化され均一化され、地域性そのものが失われ、当然基礎的政治空間も失われていったのである。私たちはそうした変化をむしろ進んで受け入れていった。地域ごとの特殊性は、古くさい過去の遺物だと考えたからである。日本の近代化のためにはむしろ障害になると多くの人たちは考えたのである。実は今でもそのように考える人の方が圧倒的多数派なのである。

地域における特殊性。これこそ宝ものだったのに。

今の日本は私たちが思うよりももっと遥かに強靭な官僚制社会になってしまっている。その大きな原因の一つが住宅である

この視点は忘れまい。

「内閣総理大臣である私は、いかなる事態にあっても国民の命を守る責任があります」(平成26年5月15日安倍総理大臣記者会見)。それが国民の生命に対する全権は統治者の側にある、という意味だとしたら、国民の生命の価値をセグメントするような政治空間はその先に待っているのではないか。(1933-2016 山本)


鋭い。

東日本大震災のあった年の翌年あたりから、つまり2012年頃より、マスメディアでは、日本人や日本文化が賞賛されていることを伝える言説が、いわゆる「日本ぼめ」が目立って増加してきた。
(20世紀末の)人気テレビ番組「ここがヘンだよ日本人」から「日本ぼめ」への転換を説明するメカニズムこそ、まさに、私が「アイロニカルな没入」と呼んだ態度だということだ。アイロニカルな没入において、
アイロニーの意識と没入の行動とのどちらに、その主体の「真実」があるのか。後者、行動の方である。「ここがヘンだよ」で、日本人自身が自分たちの行動ややり方を嘲笑しているとき、アイロニーの意識が全面に出ている。このとき、日本人は、自分自身に対して距離をおき、自分を相対化しているように見える。アイロニカルな没入とは、アイロニーの意識を持つ距離化自体が「没入」の態度に規定されているがために、当人には自覚されることなく、対象をつきはなす意識が消え去り、やがて本気に没入する態度へと--つまり「ベタ」にはまる態度へと--変容していくことである。
たとえば2016年の現在「ここがヘンだよ」のような番組を作れば、自虐的であるとして批判されるだろう。90年代の末期には、日本人たちは「ラーメン屋の行列」を、自分たちの従順な性質を反映する行動として、自ら揶揄しながら反省的に眺めていた。しかし、その15年後には、それは、自分たちのアイデンティティの核をなす美質へと転換したのだ。重要なことは、この変化は完全に連続的で、本人の中では断絶の意識が生じないということだ。


先の「アイロニカルな没入」の解説。

日本人は、アメリカの視点から自分を見ているのだ。つい最近まで、日本人は、自分が、アメリカから見て、東アジアの中で、最も良い国であり、また最も重要な国である、と確信していた。そのことが日本人の自尊心の源泉である。ところが、近年、アメリカは日本よりも中国を優先しているように--日本人の目には--見える。アメリカにとって、中国は日本よりも大事な国であり、アメリカは、外交的にも、日米関係よりも米中関係の方にプライオリティを置いている用に見えるのだ。喩えるならば、ずっとつきあっていた(つもりの)恋人が、最近、別の女に興味を持っているように見えるのだ。今日日本人が自信を失うのは、評価のための観点が、アメリカ合衆国にあるからである。もしアメリカという観点を媒介にしていなければ、中国が台頭してきても、日本はここまで激しく自信を喪失することはなかっただろう。

日本人は、敗戦の屈辱を、勝者アメリカを開放者・救済者と見なして受け入れることで乗り越え、回避した。しかし、このような構図は、アメリカが、日本に無条件の好意をもっていることを、つまり日本を愛していることを前提にする。しかし、そんな前提ははじめから成り立ってはいなかった。中国が台頭し、アメリカが中国に、日本に対する以上の関心を寄せる中で、日本は、このことに気づき始めて、焦りを感じている。そのことが、日本の自信喪失につながっている。(日本人の空威張り 大澤)


こうなると「敗北を抱きしめて」(ジョンダワー 1999)を読み返さねば。

現代の人々は、普遍性を持たないとても狭い領域にそれぞれ没入している。例えば、オタク的趣味への耽溺はその典型だし、原発、安保法制、TPPといった問題についても、それぞれの関心の濃淡は激しい。
大澤の分析によれば、オタク的趣味も、この余剰的可能性Xへの感覚を前提としている。オタクという現象は、「片方に普遍的なものへの関心」が隠れていて、それがアニメや鉄道や電話帳といった非常に特殊なものに反転して投影される現象だ。そうだとすれば、それぞれが得意な文化に没入する現代の状況に過度に悲観的になる必要はない。
「これに尽くされるものではない」というセンスこそ、未来との連帯を可能にするのだ。


韓国オタクのMorris.もちょっと救われるおことば(^_^;)

さて、山本理顕と大澤真幸の好奇心を引き受けた時、その先には何があるだろうか。私は、立憲主義、人権、法の支配といった普遍的な規範の復権ではないかと考えている。
立憲主義、人権、法の支配といった規範は、権威主義の押し付けであるかのように誤解している人も多いと思う。しかし、そうした規範は、本来は、官僚制的支配やアイロニカルな没入に陥るのを防ぐ装置として構築されてきたものだ。私はそのことを、憲法学者として強調しておきたいと思う。(地域社会圏と未来の他者--山本理顕と大澤真幸の好奇心を引き受ける 木村)


「アイロニカルな没入に陥るのを防ぐ装置」としての立憲主義、人権、法の支配。本書の総括である。

しばしば建築家の仕事は、「奇抜」「景観破壊」「不便」「非効率」「不経済」と批判される。しかし、そこに言う「景観」や「不便」等の理念は、どこまで確実な理念なのだろうか。しばしば、「景観破壊」を主張する者が示す代替案のイメージの貧困さには、辟易させられる。また、建築の「不便」が、コスト意識や十分な視野の広さなしに主張されることも多い。
建築は長い時間の中にあり、それを評価するには時間が必要である。<良き公共建築>を実現するためには、対象と時間をかけて誠実に向き合い、それを自由かつ柔軟に評価する思考が必要であろう。教条化された思考からの自由を確保する。公共建築において求められているのも、結局のところ、このような立憲主義の大原則である。(公共建築における創造と正統性--邑樂町建築家集団訴訟の示唆 木村)


引っ越し屋という商売柄、嫌悪し続けてきた、安藤忠雄建築についても、再考の余地があるのかな?

現在の日本では、国家権力が憲法を敵視し、その統制を免れようとする状況への対応が課題となっている。2015年夏には極めて強い違憲の疑いがかけられた安保法制が制定されたし、その後も、不合理な感情論に突き動かされ、権力の拘束を解くための改憲を訴える者が少なくない。
この状況に対し、憲法学は、まずは、理論的な解釈論や立憲主義の理念を解くことで対応する。
ただ、これらの論証は、あくまで相手が日本国憲法や立憲主義のゲームに参加することが前提である。ゲームへの参加自体を拒否し、外側からゲームを壊そうとする相手には、別の対応が必要である。
大澤真幸先生は、憲法や立憲主義を含む近代的な普遍原理に対するアイロニーの発生原因を鮮やかに分析している。また、第三者の審級の停止という魅力的な処方箋すら示してくれる。そういう意味で、大澤社会学は、第一級の憲法学理論でもある。
山本理顕先生は、地域コミュニティの重要性を認識しつつ、その中での強制や抑圧にも敏感だ。また、建築を現実に「作り上げてしまう」立場にいる徹底したリアリストでもある。だからこそ、先生の地域社会圏の理論や設計は、抑圧的でないコミュニティをいかに作るか、という点で、示唆するところが大きい。


ここでもイソップ寓話の狼と子羊を思い出さずにはいられない。理不尽、没義道、傍若無人な相手との対症療法は?

本書にかかわる一つひとつの作業は、巨大な知的興奮をもたらしてくれた。新しいことに挑戦することで、学問の初心を思い出すこともできた。(おわりに 木村)


Morris.も本書で、些少な知的興奮を享受させていただいた。


 

 

 














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