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Morris.日乘2007年5月 
Morris.の日記です。読書記録、宴会散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語
直き そうしよう
Morris. personal calender

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2007/05/31(木)●騒音対策?●

6時起床。と、いっても午前中はベッドでごろごろ(^^;)
ふくはらさんからの手紙にまぬうのことが書いてあった。彼女はMorris.が送った2枚の写真絵葉書で絶対別の個体だと確信していたらしい。Morris.の観察眼の非力が証明されたみたいなものかもしれないが、まさか動物園で交代制取ってるなんて思わないもんなあ。
午後自転車で大安亭まで食糧買出し。
夕方はうはら祭りのビデオ流し撮りをPCに取り込む。メインステージの音量が大きすぎて、フォークコーナーの演奏を妨害しまくっている。以前は逆のことがあって、祭り参加を辞退するよう匂わされたりしてるらしいから、あまり大きな声では言えないが、今回のビデオはちょっとひどすぎる。Morris.のビデオもかなり広角レンズ使ってステージに近寄ってるんだけどあれではあまり効果がない。
阪神は今日も何とかふんばって6-3で西武に連勝。今年から交流戦が2連戦ずつ2回になったので、取りこぼしが心配である。阪神の場合はそれ以前の問題山積みだけどね(^^;)

【冬至祭】清水義範 ★★★☆☆ TVプロデューサーとして充実した仕事を任されている40代の男が中学生の息子の不登校を機会に仕事を辞め、地元の秋田県で兄がやってた家業の納豆作りを引き継ぐという、ちょっと出来すぎたストーリーである。清水のパスティーシュものはいささか鼻に付いてきたし、さいばらとコンビのお勉強シリーズもいまいち、名古屋方面の歴史ものも中途半端だし、青春小説は何冊も読む気にはならないし、ギャグものもMorris.とはセンスが合わないし−−−と、悪口言いながら結構よく読んでるなあ(^^;) 「蕎麦ときしめん」を超えるものはなかなか書けないだろうとしても、この人の創作力とジャンルの広さ器用さを認めるにはやぶさかではない。そして最近小説以外の教育論や若者論には共感を覚えていたこともあって、この不登校の子供を持つ親の煩悶と思い切った取り組みをテーマにした本書は読み応えがあった。
もちろん重いテーマではあるし、現代日本の教育への図式的批判もあったが、教育大学出身で塾の講師の経験もある専門家ならではの鋭い意見も多かったし、母親が出産で仕事を辞め、子供に過剰な期待を抱くことになる過程なども細かく描写している。カウンセラーとのやりとりもリアルだし、TV局の人間関係、番組作りや取材の現場作業もフィクションとは思えないくらいしっかり書き込まれている。
プチ家出をして渋谷で夜を過ごす中学生少女たちの取材の中での主人公の呟きには共感を覚えた。

携帯を持たせてあるから心配はないんですと、娘が家出をしても親は平気でいられるのだ。一晩帰ってこなくても、携帯があるから大丈夫だと思っていましたと言う親。
近頃そういう事件がやけに多いのではないだろうか。
それはまるで、携帯電話という名の子捨て装置ではないか。
携帯を持たされ、そのように育てられ、この子たちには帰る家がないのだ。帰りたくないのだろう。その家にはおそらく家族の愛による結びつきがないのだ。
この子たちを自分の目で見てよかった、と戸田は思った。。自分の目で見なければ、狂った時代の生んだ愚かなできそこないの若者たち、というような捉え方をしてしまうのだ。
この子たちはでいそこないではなく、可哀そうな家なき子だ。


確かに携帯電話は子供を放任している親にとっての免罪符になってる一面がある。
田舎での納豆の家内工業で子供が自信をとりもどし立ち直っていくあたりはややイージーに過ぎるものの、これはこの手の物語に希望を与えるための方便だろう。ハッピーエンドではないのだが、なかなか感動的な作品になっていることは間違いない。複数の地方紙に連載されたものということで、小さなヤマ場を多用する必要もあったろうが、このくらいスムーズに読ませる長編に仕上がってるということだけでも、作者を再評価したい。
ただ本書でも「手をこまねいて」表現が頻出する。今や「こまねいて」は堂々と市民権を得ているのだろうか?でも、Morris.はこれには断固異議を唱えたい。

【コリア打令】平井久志 ★★★☆ 先日六甲道の古本市場で\105で買ったビジネス社の選書で、時間つぶしになればいいというくらいのつもりだったが、意外と有意義な一冊だった。
著者は52年生まれで、共同通信社に入社後83年に延世語学堂で韓国語学び、韓国、中国の駐在を繰り返して、現在は同社のソウル支局長。韓国人女性と結婚し二人の子供がいるとのことで、かなりの韓国通であることは間違いない。
2005年の発行だからちょっと前の韓国事情ということになるが、Morris.がこれまでほとんど触れることのなかった、韓国社会の経済事情、労働問題、社会問題について、いろいろ情報を得るところ多かった。IMF危機ショックの大きさと後遺症、貧富の格差拡大、、ネットテロ、少子化、サムスンの光と影、見た目重視社会、離婚の増加、娼婦街の変化、整形美容、キロギアッパの悲劇、爆弾酒、映画「トンマクコル」−−−等などに、いかにも新聞記者らしい視点からの説明、紹介がなされている。
Morris.は韓国おたくを標榜しながら、歌謡、路地裏、料理、市場、観光などに偏っているため、本書で取り上げられた社会問題や事件にはあまり関心を持たずにいた。もしかしたら故意に目を逸らしていたのかもしれない。そういった反省の意味もあって、いちおう熟読しようとしたのだが、どうも読みづらい。韓国のメディアからの引用も多く、それは良いとしても大量の数字データをずらずらと漢数字で羅列しているので見にくいことこの上なかった。こういうデータこそ表やグラフにしてくれたらすっきりするだろうに。文章も繰り返しやすっ飛びが多く、今回の引用は、直接引用でなく、Morris.が適当にダイジェストしたものである。了解願いたい。

97年末から98年のIMF危機で韓国では大量解雇の風が起こり、韓国人の好きな鱈に引っ掛けた流行語が生まれた。
早期退職のことを「名誉退職」略して「名退 ミョンテ(スケトウダラ)」、次に退職金もなくそのまま解雇される「生の退職 センテ(生の鱈)」、さらには突然の首切り「ファンダンハン退職」を「ファンテ(干し鱈)」と呼んだ。
また2003年頃からの流行語には「四五定 サオジョン(沙悟浄)=45定年の意)、「五六盗 オリュクト(五六島)=会社に56歳まで居座る盗人野郎」、「六二五 ユギオ(朝鮮戦争)=六十歳代になっても組織に居残っている五賊)、「三八線 サンパルソン(38度線)=38歳で早期退職)、「二殆白 イテペク(李太白)=二十歳代の殆どはペクス(失業者)という意」などがある。それだけ失業、退職、解雇などが深刻な社会問題になっているということだろう。
IMF危機の際は韓国全体が危機に直面していたが、今は解雇などの危機が個別に襲ってくる。みんなが不幸なら人間は耐えられるのだが、自分だけが不幸なことに絶えるのは難しいのが人の世の常である。

韓国ではインターネット利用者のことを「ネチズン」と呼び、ネチズンの心を一般の民衆の心を「ミンシム」というのに対して「ネッシム」と呼ぶ。この「ネッシム」はネットマニアというべき上位1%の意見が全体の35%の意見にまで肥大化して評価される危険性を内包した仮想空間といえる。「ミンシム」は「ネッシム」とは別物だが影響は受ける。今後はネット上の大衆情報操作の可能性もあり見過ごせない。

キムチ冷蔵庫は精密な温度制御装置で温度を一定に保ち、一般の冷蔵庫のように直接冷却するのではなく、対流式冷却で食品全体を一定の温度で保存する。キムチ冷蔵庫が95年に登場した直後の97年からのIMF危機の中で98年の販売量が前年比3倍以上に伸びたということでも、いかに人気商品だったかが解る。

韓国の学生運動には二つの大きな系列がある。一つは主流派のNL派「民族解放民衆民主主義革命(National Liberation People's Democratic Revolution)で、この派の理論は1980年代中盤からでたのもので、韓国は帝国主義によって支配を受ける植民地で、韓国社会の矛盾は韓国の民衆と帝国主義勢力とその追随者との間の矛盾と捉え、民衆が主体になる。革命を起こし、帝国主義やその追随者を追い出し、民主主義政権を打ちたてようというもので、北朝鮮の主体思想の影響も受け、具体的には反米自主化、反ファッショ民主化、祖国統一を具体的目標にしている。
もう一つはPD派「民衆民主主義革命(People's Democratic Revolution)」で、韓国社会の性格を新植民地国家独占資本主義と既定し、労働者と資本家の対立を基本とする伝統的な社会主義理論の影響が強く、韓国民衆と、帝国主義やファシズムとの闘争を基本とする。


2005年の映画「ウエルカムトゥ トンマクコル」は朝鮮戦争をファンタジックに描いた作品で、戦争の最中、江原道山中に米軍機が墜落し何とか脱出したパイロットと、同じ頃江原道で迷った韓国軍兵士二人と北朝鮮人民軍兵士3人も、外部で戦争をしてることさえしらないのんびりした田舎村「トンマクコル」にたどりつき、いつか心を通わせるというものらしい。この映画は機会があればDVDででも見たいと思う。
本書では著者は自分の韓国人の妻のことを、すべて「愚妻」と表記しているが、これは絶対に止めて欲しかった。

2007/05/30(水)●Catographer●

7時半起床。結構な雨が降っている。
昼間でごろごろ。昼過ぎには晴れてきた。
昨夜録画しておいたアニメ版「のだめ」見る。本当に漫画そのままなので、特に無理して見る必要は無さそうだ。
韓国歌謡の楽譜持ってファミリーマートに行き拡大コピー。レパートリー拡充作戦である(^^;) 飛田さんのオカリナ用に民謡も数曲含めておいた。
3時に自転車で六甲道へ向かう。今日はいつもと違うコースを取る。JR路線沿いで都賀川ではちょっと回り道で橋を渡るが、これまでのうちで最短距離かもしれない。灘区の地図でチェックしたら300mくらい近いようだ。
途中下河原町の線路沿いで白黒猫と白猫発見。見てくれはちょっと貧相だが、地域猫らしく逃げまわることもなさそうだ。久し振りにじっくりデジカメ撮影ということにした。塀の下から線路側に入っていったが、これも隙間から撮影。持参のいりこの威力もあって(^^;)、結構色んなポーズで撮らしてもらった。
灘図書館は先日の館内整理で、いくらかレイアウト変更してた。帰ってきた本の棚が前の平台から普通の書棚になってるのは、すぐ後ろの検索用PCとの隙間がちょっと広がったので良かったと思う。新聞回覧が別室に移されてソファ席が無くなり、ちょっと新聞は読みにくくなったようだ。
帰りも同じコースで帰宅。JRの操車場の中に雉猫がいたが、ちょっと遠くて撮りにくかった。
今夜は阪神−西武。何とか4連敗は免れたようだ。


下河原町路地

紫陽花と白黒猫

白猫コンポジション

JR保線区の塀から手を伸ばす

塀の向こう側

いかにもノラ顔

これも塀の内側から

門番猫?

鉄道猫



【ニャンちゃって漫画 平凡キング】室井滋 ★★☆☆ 7年ほど前にトラ猫「チビ」を飼うようになってから、猫マニアになり、近所のノラ猫を次々と飼い始め、多いときには9匹もいたようだ。彼らの写真に台詞を書き込んだいわゆる猫漫画とエッセイを交えた写真絵本みたいなものである。
彼女はいわゆるマイケルみたいな柄の猫がお好みのようで、写真を見てもマイケルに良く似た猫が多い。何かあるとすぐ病院に連れて行くし、チビは尿路症候群で手術も受けている。保険の無い動物の治療や手術はかなり高額だと思う。女優業やエッセイなどで金に困っていないからこそできることなのだろう。
飼い猫の写真は、警戒心のないペットの日常の姿を近距離でスキンシップしながら撮影できるから、色んな表情を仕草を記録できるし、ネットなどで定期的に発表していくうちに、読者に馴染み感を与えるだろうし、はっちゃんみたいなスターになる可能性も高い。飼い主が著者のように知名度が高くファンもいれば、尚のこと関心を集める要因にもなるだろう。
Morris.も猫好きでも飼うつもりも余裕もないわけだが、それでも、こうやって多数の猫を飼うのは大変だろうと思う。近所の猫の保護や里親探しなどにも熱心なようで、単なる猫好きよりは社会的意識も高いと思う。

2007/05/29(火)●商品撮影Again●

朝から夕方まで、先週の玩具の輸出品の残りの数量チェックと撮影。先週のデジカメ画像をPCに取り込んだら、一部順序が入れ替わってたとのこと、おまけにファイル名がカメラ内部の連番でなく、001からの新しい番号になってたとか。慣れてないカメラはこういうときに困る。たぶん撮影中数枚消去したのでそのメモリのすきまに新しい画像が入れ替わったらしい。
昼食は磯上通りの「日の出屋食堂」で、マグロのスキ身とコロッケ、烏賊の天麩羅。客も満員状態でちょっと待たされたが、やっぱり美味しい。
帰り道、パンダストリートの酒屋の立ち飲みにぷらっと入り、ビール飲んだが、いまいち馴染めなかった(^^;)

2007/05/28(月)●阪神かなり重症(>_<)●

7時半起床。まだ酒が残ってる気分(^^;)
一日読書の日ということにした。これまで読了しながら感想書くひまが無かったこともあってえらく貯まっていた。一挙に片づけておく。
今日も阪神打線は全くダメ。ロッテにまたも10点以上取られてる。どうにもこうにも、かなりの重症のようである。

【さらば長き眠り】原ォ ★★★★ 著者の長編第3作で、Morris.が知ってる限りでは、彼は長編4作と短編集1冊しか書いてないから、これで彼の小説は全て読み終えたことになる。
私立探偵沢崎を主人公とするハードボイルドだが、執筆に5年かけただけのことはある。重厚な作だった。八百長事件に巻き込まれた元高校球児の依頼から、次々に広がる事件の波紋とともに、只者ではない浮浪者、新興能宗家の秘密、例に寄って、暴力団幹部、因縁の警部など、主要登場人物から脇役までの一人一人を実に懇切丁寧に描ききってるし沢崎の元パートナー渡辺のことも巧みに織り込まれてあり、原ォワールド愛好家にはたまらない作品となっている。それにしても、原ォの遅れて来たファンであるMorris.としても、これから何を読めばいいのかいと嘆くしかない状態になってしまった。

「やめてよ! わたしがそのことでどんなにつらい思いをしたか……」
「つらい思いをしても、あなたは依頼人と違って、彼女のために何の行動も起こさないし、むしろ彼の邪魔をしているだけだ」
「だって、彰君やわたしが何かをしたところで、11年もむかしのことをどうやって調べられると言うのよ」
「彼やあなたにはできなくても、私にはあの事件の真相を覆い隠している[何か]を捜し出せるかもしれない。それを引き剥がして、その下に何があるか見つけることができるかも知れない」
「フン、きっとできるでしょうね、高い料金を取って。どうぞ、おやんなさいよ。でもそんなことをしても死んだ夕季は帰ってこないわ」
「そんな陳腐な決まり文句をどこで憶えてきたんです。確かに死んだ人間は二度と帰ってこないだろう。だが、それは死ぬということがどういうことかを知っている者が口にすることだ。あなたには人間が死ぬということがどういうことか、解っていない」
「じゃア、あなたには解っているというの? 人間が死ぬというのは一体どういうことなのよ」
「一つだけはっきりしていることがある。人は死ねば、生き残った人間の想い出の中でしか生きられなくなる。親しい友人や家族やあるいはほかの誰かが、あいつは自殺したんだろうと勝手に納得してしまったとしても、それに一言の抗弁もできなくなるということだ」


自殺したとされる依頼人の姉の死について、姉の友人だった女性との会話だが、なかなかこうリアルには書けないと思う。
また、逮捕現場を描きながら、

雨は相変わらずの状態で降り続けており、三つの回転灯の光線が雨滴に反射してきらきら光っていた。通りかかった二人の通行人の顔にも赤い光が反射して、彼らが今まさに野次馬という別の生き物に変身するところを見ることができた。”他人(ひと)の不幸”という[見世物]で、階段の上の男がどんな役割をしているのか見極めようとするように彼らは立ち止まってこちらを見上げた。

と、「一般市民」の「野次馬」への変身をさらりと描くところなんかも本当に上手い。
本書が上梓された1995年という年代を感じさせる、ヤクザと満身創痍の沢崎の携帯電話に関連するやりとりも興味深かった。

相良がベンツの後部ドアに近づいた。橋爪が相良を制して、自分でドアを開け、上半身を車内に入れて、携帯電話を取り出した。
私は橋爪がどんな嫌がらせをし、どんな悪態をつくか愉しみに待った。彼は何も言わなかった。いきなり、4,5メートルの距離から携帯電話を私めがけて抛った。いつのことだったか忘れたが、この男の弾丸摘出の直後の身体に、私が札束を叩き返したときの仕返しのつもりだろう。私は身体のあちこちで痛みが炸裂するのに耐えながら、必死で携帯電話を受け止めた。彼らの電話など落として壊してしまえばいいものを、なぜ激痛を味わってまでダイレクトト・キャッチしなければならないのか、自分でも理解できなかった。
橋爪は苦痛に耐えている私を見て、満足そうに笑った。
「"外線"のボタンを押しな。おまえのような貧乏人は携帯電話なんか使うのは初めてだろう」


95年という年は神戸の住民にとっては忘れられない年だが、本書はあの震災直後に発行されている。Morris.が原ォを知らずにいたのは、このタイミングが原因だったのかもしれない。あの地震の後、急激な勢いで携帯電話が普及したこともあわせて思い出した。

私は彼の背中に訊いた。「甲子園の準々決勝で、あの電話がかかっていなかったら、勝っていたか」
魚住はドア口のところで振り返って答えた。「勝てはしなかったでしょうが、9回で7点も取られはしなかったでしょう」
「だが、八百長はしていない?」
彼は少し考えて答えた。「していません」
私はデスクの引き出しの一つから、藤崎スポーツ店で買った硬球の野球ボールを取り出した。
「おれからの餞別だ」
私が力一杯に投げたボールを、魚住彰は瞬き一つせず無造作に素手で掴んだ。彼は微笑し、ボールをポケットに入れてちょっと頭を下げた。

依頼人と沢崎の別れの場面だがこれもおたがい、かっこ良いよなあ。
原ォの新作を心より待望してやまない。

【ミステリオーソ】原ォ ★★★☆☆ 原ォの小説皆読んだので、こんな随筆集みたいなものまで読むことになった。ちょうど三作目の長編「さらば長き眠り」の数ヵ月後に出版されている。「映画とジャズと小説と」という副題のとおり、それらに関した雑文が集められているが、彼の自伝的要素も強いし、沢崎に作者を間接的に語らせる2作と、渡辺を主人公とする未発表作も併載されているということで、興味津々の一冊となった。
彼の好みというのははっきりしていて、ジャズならマイルス・デイビス、セロニアス・モンク、バド・パウエル、デューク・エリントン、クラシックはモーツアルト一人、映画俳優なら、ハンフリー・ボガード、ジャン・ギャバン、映画作品は「太陽がいっぱい」と「狼は天使の匂い」、日本映画なら黒沢明、仏像?なら興福寺の阿修羅像、小説はバルザック、ドストエフスキー、山本周五郎、結城昌治、囲碁なら大竹英雄、そして、ハードボイルドなら当然チャンドラー、マクドナルド、シムノンといったところ。実にわかりやすいが、Morris.とはかなり好みが違う。それでも、こういったはっきりした人の文章は面白い。

私は生演奏というものをあまりに課題に評価しないことにしている。生演奏は音がよいというのはほとんど嘘で、大きな会場や野外のジャズ・フェスティバルなどは実は惨憺たる音響であるのが普通だ。念入りに作られたかつてのレコードのほうが遥かに優れている。もっとも、音楽というのは必ずしも、優れた演奏や優れた音響だけを目的にしているわけではない。有名音楽家や愛好する音楽家を目の前にする興奮や感動、演奏ミスをも含めたその場の独特の雰囲気、それに聴き手の側の勝手な条件も加わる。たとえば嫌いな上司が連れていってくれたフランク・シナトラの高額のディナー・ショーより、彼氏と一緒にタダ券で聴いたさだ・まさしのコンサートのほうが忘れられないコンサートになっても、一向に構わないのである。音楽鑑賞とはそういうものである。

再生装置の優劣もあるから一概には言えないだろうが、少なくとも私が持っているCDとステレオ・レコードとモノラル・レコードの三種を聴き較べると、モノラル盤が最も微細で豊かな音質と迫力ある音量をもち、ステレオ盤は左右の音が違うだけで、実質的にはモノラルより質量ともに減少し、CDに至っては陰翳もなく肌理もない、フィルターを通したコピーを聴いてるような感じである。もちろん音が澄んでいて雑音が少ないことを競うなら、その逆の順になるのだが、音楽の中のどこまでが雑音でどこからが楽音だと、一体誰が決めるのか? 手軽な操作と便利な機能で聴けるという点ではCDの独擅場だが、音楽を聴くということさえ近頃ではそんなに忙しい行為になってしまったことが不思議だ。
もし、澄み切った雑音のない音が美しいと言うのなら、実は音楽は少しも美しいものではないのではないかと思う。音楽を手軽に聴くことを評価する向きもあるが、要するに手軽な音楽を聴いているだけのことだ。ボタン一つで、無菌室から流れ出る音を、衛生的な聴覚で聴く……。それも結構だが、音楽を聴くという行為は、むしろすすんで黴菌に感染して高い熱を出すようなことだた、私は信じている。


いくらでもツッコミは可能だろうが、こういったスタイルを持っているということは羨ましくもある。
結城昌治の「暗い落日」の文庫解説きのなかで、結城自身の文章を踏まえながら自己の創作信条を語る部分もなかなかのものだった。

著者(結城昌治)はチャンドラーとロス・マクドナルドの作品の方法を例にとって、"一人称一視点"でストーリーを展開させていく書き方をミステリ(著者は推理小説という言葉を使う)の制約あるいはルール上、もっとも"フェアプレイ"にかなった書き方だと評価して、採用したと語っている。すなわち一人称一視点なら「真相を伏せておくために書きたいこともかけぬなどという嘆言はいらない」し、「わたし」が「知らないことは書けないという当たり前の論理に立つ」ことができる,と言うのである。それに続いて、著者の有名なミステリ論である「推理小説を読む愉しさは、作中人物といっしょになって事件の現場をあらため、容疑者や証人たちの話を聞き、あるいは珍しい地方の風物に接し新しい知識をあつめ、そしてさまざまの人生に立ち会いながら事件の真相を推理してゆく過程にあると言えるだろう。だが、もっと本質的なことは、踏みならされた現実を掘り起こして新しい現実を発見することであり、そして掘り起こされた現実が新しい光の下に照らし出されたとき、それ以前の現実が崩れてその価値が変わってしまうところに、推理小説本来の面白さkがあるのではないだろうか」が導き出されている。執筆から17年後の今日でも揺るぎない小説の方法論である。
私は当時の(あるいは今日なおと言えるかも知れないが)ミステリ界の制約あるいはルールについての論議を反映しているかのような"フェアプレイ"についての主張にはささやかな疑問を抱いている。一人称一視点がフェアであるということには飛躍があるし、そもそもミステリに"フェアプレイ"があるということには飛躍があるということ自体信用できないのである。フェアな駄作を列挙することは容易であり、アンフェアな傑作さえも少なくないからである。読者はつねに面白く欺かれたいのではあるまいか。著者も「もちろん推理小説として出来がわるかったら理窟ばかりこねても仕様がない」述べているが、幸いに『暗い落日』がそのような懸念の必要のない作品となったことは、ここで明言することができる。


こうなると該当作品を読みたくもなるのだが、押さえておきたいのは「読者はつねに面白く欺かされたい」というところにある。Morris.の読書控えの採点はほとんどこれに尽きるもんね(^^;)

【アメリカ第二次南北戦争】佐藤賢一 ★★☆☆ 近未来モノで、アメリカが合衆国と連合国に分かれて内戦状態になり、そこに日本人記者や義勇兵、フランス人間諜がからみ、朝鮮半島は統一され、国連本部は日本に移ってと、最初の「お話」がえらく面白そうだったので読み始めたのだが、あまりに雑な筋立てだった。発表誌が「小説宝石」ということで、おおよその見当がつこうというものだが、主人公とイタリア系女性の恋愛沙汰(この女性がカラテの達人だったり)、フランス間諜のあまりの御都合主義ぶり、結局出来の悪いドタバタ喜劇を読まされた観が否めない。
アメリカの建国神話ともいうべきメイフラワーのピルグリム・ファーザーズとオウム真理教との類似性から、アメリカが成功したオウム真理教であるという説は面白かったが、これも著者のオリジナルではなさそうだ。
「手を拱いて」にわざわざ「こまねいて」とのルビがあった(8p)のもMorris.の嫌悪感を誘ったのだろう。

【タルドンネ 月の町】岩井志麻子 ★★☆☆ 完全にタイトルに惹かれて手に取った。彼女の作品は以前インドネシアかどこかの男を愛人にする著者自身をモデルにした作品で読む気を無くしたのに、このタイトルは反則である。「タル」は月、「トンネ」は町で、当然舞台も韓国というのは看板に偽りなしだったのだが、主人公は21名を殺しまくった殺人鬼、それを捕まえる刑事、さらにこの事件を小説化しようとする日本の女性作家(もちろん著者)の愛人のホテルマンの3人の男がタルドンネ出身というだけのことで、内容は執拗なほどの殺戮、バラバラ殺人、セックス、人肉嗜好、近親相姦−−−やっぱり読むんじゃなかった(>_<)

【暁の密使】北森鴻 ★★★ 明治時代中期、「西蔵大蔵経」を求めて中国大陸に渡った東本願寺大谷派僧能海寛を主人公にした歴史小説、と思ったら、実は日英露などの謀略の中で翻弄されるという、国際事件小説だった。
ダライ・ラマの手先の原地人や、阿片密売の中国人、外務省から派遣された工作員、シベリア鉄道の開通を睨んで暗躍する英国商人、日清、日露戦争の裏舞台など、当時の事件てんこ盛りで、作者も収拾が付かなくなった模様である。この人はギャグやら実録モノやらと矢鱈手を広げすぎてるようだが、やはり、骨董シリーズ、民俗学シリーズに集中願いたい。

【デジタル 写真の学校】キット タケナガ ★★★★ デジカメ時代(と言っていいだろう)になってざっと5年くらいになるだろうか? Morris.はコンパクトデジカメ歴は結構古いほうだが、デジカメの入門書にはいいかげんうんざりしてた。ネットの撮影術サイトの方がずっと先を走ってる感じだったし、画像も大きく綺麗だった。それがここ数年前からやっとそれなりに見どころのあるデジカメ撮影の本をぼちぼち見受けるようになった。デジカメ一眼レフの普及がきっかけとなったのだろうが、Morris.はコンパクトデジカメに固執している。
本書は東京写真学園の編集で、実に実践的に出来ている。テキスト担当のキット タケナガは1948年生れとなってるからMorris.と同世代で共通するものがあるのかもしれない。お散歩ネットというアマチュア写真集団のメンバーの作品がふんだんに使われていて、それらがいかにものびのびしてるのがまた良い。それもまるまる1ページ三方断ち切りとか2ページ見開きの贅沢な使い方で好感がもてる。
要するに相性が良かったということになるのだろう。ぐだぐだ言うより型見本を紹介しておこう。

・流し撮りするときのコツは、カメラで被写体を追うという意識を捨て、上半身全体で追うようにすることだ。カメラは動かさないで、腰を中心にして上半身全体を回転させるようにする。また、シャッターを切った瞬間から上半身を回し始めるのではなく、被写体の動きに合わせて上半身をまず回しはじめ、その途中でシャッターを切るようにするといい。流し撮りというと高等テクニックのように思われているが、実際にやってみると、初心者でも意外に難しくないテクニックである。

ね、懇切丁寧でわかりやすいでしょ(^o^)

・ファインダー中央部の測光エリアの部分だけで露出を測る方式をスポット測光と呼ぶ。画面全体にはいろいろな反射率の物体が存在しているわけだが、それらのほとんどは無視して中央部だけを測るわけだ。したがって、自分が一番正確に見た目の描写をしたいと思う部分をファインダー中央部に置いて測れば、求める露出が得られることになる。人物の肌色の描写に神経を使うポートレート撮影などでは重宝する方式だ。
普段は中央部重点平均測光、画面の中にいろいろな反射率のものが混在して露出補正幅に迷いが出るようなときはすぽっと測光を併用するとう使い方が現実的だろう。いずれにせよ、自分が使い慣れた測光方式を早く会得することが寛容で、その他の測光方式は補助的につかうぐらいの割り切り方も必要だ。

こういった割り切り方というのが大事なところだろう。Morris.はスポット測光中心で行こうと思う。

・基本的には、デジカメ撮影はアンダー気味に露出補正を考えるほうが失敗の確率は少なくなる。

これは、まあ常識というか、白飛びは救いようがないもんね。

・手ブレ対策の裏ワザ−−ひとつは呼吸法。ぶらしたくない一心で呼吸を止めるのは逆効果だ。呼吸を止めると空気を求めて体は震える。これを自然の摂理という。深呼吸を2,3回、深く息を吸って静かに吐き出す。その吐き出している」途中で静かにシャッターを切るのだ。ここで息を止めてはいけない。

これまで読んだ写真の本ではたいていシャッター切るときは息を止めると書いてあったから、これはちょっと驚きである。うーーん、どちらがいいんだろう。

・「日の丸」「串刺し」「腹切り」を称して構図の三悪という。

・花の接写の注意事項
1.綺麗な花を見つける。
2.背景(ヌケ)を選ぶ。暗い背景なら、思い切って露出をマイナスに補正して、背景を黒く落とすと花が浮き立って見える。
3.どうしても画面に余計なものが入ってしまうときは前ボケを利用して隠す。
4.花の位置は、花が開いてる方向の空間を広く取るのが基本。
5.花の色が変色したり濁ったりしないように、ホワイトバランスには十分な注意を払う。
6.接写の場合は、レンズの影が花に落ちないように注意する。順光より逆光の方が綺麗な色が出るが、その場合は露出があまりアンダーにならないように。
7.ピント位置は蘂が基本。
.8接写するときの被写界深度は極端に浅くなる。ほんの1mmの狂いでボケてしまう。慎重にピントを合わせることはもちろん、風などで揺れる場合や、やむなく手持ちで撮るようなときは数撃ち打法で何枚も撮影しておくべし。
.9背景に黒い紙をおくなどして背景を整理する。小さなレフ板や手鏡なども効果的
.10.花に水滴を散らすための霧吹きや、花びらに付着した花粉やゴミを取り除くための筆を携行する。

2007/05/27(日)●曝睡(>_<)●

5時起床(>_<) 始発電車で目がさめたら三宮駅。あわてて乗りなおして部屋に着いたのが9時前。当然曝睡。いちおう2時ごろ目がさめてラジオで野球聞いたが、阪神はロッテに信じられないほどのボロ負け(2-14)である。これで交流戦はいまのところ1勝4敗(>_<) 借金増える一方である。

2007/05/26(土)●かるぱっちょvs.サランバン●

8時半起床。いい天気である。JRで大阪に出て、地下鉄御堂筋線西田辺駅下車。ここから万代池公園まで歩く。今日の帝塚山音楽祭に(有)かるぱっちょが出演するのでそれを見るのが目的。プログラムによると、出番は11時半からだったので近くを散歩。路面電車が走ってる通りで家族がバザーやってて、海苔と大葉を使ったおにぎり\50とある。これがめちゃうまい。椅子に座り込んで自販機で買った缶ビール片手に談笑。昼前からいい気分である。
今日のえりたんのコスプレは白と赤の巫女さん装束である。Morris.は一番前の席に陣取ってデジカメ撮りまくり(^^;) いやあやっぱりえりたんは可愛いぞ。
演奏終ってから、みんなといっしょに例のバザーに行き、おにぎり食べまくり。いったん会場にもどり、またまたしばし歓談して別れる。
電車道にそって天王寺まで歩く。
6月9日(土)のイルボンさん来阪「さらんばん〜朝までカラオケ大会」のこともあって、今夜はさらんばんに行くことに決めてた。6時前に店に着いたら、客はアジュマ二人だけで、話に熱中してたので、ほとんどMorris.の独擅場。結局11時の閉店まで飲み続け歌いつづけていたようだ。環状線に乗ったところまでは覚えているのだが、気がついたら梅田阪急百貨店の前で寝てた(^^;) この季節でもアロハ一枚はちょっと寒かった。


家族でバザー

めちゃ美味、めちゃ安おにぎり

おにぎりの製作者と

(有)かるぱっちょのステージ

えりたんは巫女装束

いいね、いいね(^o^)

楽屋でポーズ

にやけてるMorris.(^^;)

お決まりの記念撮影

2007/05/25(金)●商品撮影?●

朝から雨(>_<) 
矢谷君ら4人で大阪瓦屋町のニュージーランド向け玩具商品の引き取り。道が狭くてトラックを現場のちょっと前にしか停められず、軽自動車での横持ち。荷物は90個ほどで梱包済みだったので、それでも昼前に作業終了。昼食は深江の東市場の漫々亭でチャンポン(^o^) 相変わらず美味しかったけどちょっとスープの味が薄かった気がする。
午後は倉庫で、引き取った荷物の整理。引越し荷物ではなく業務荷物のため、箱ごとに品物の数と写真が必要とのことで、当然(^^;)Morris.@Catographerはデジカメ撮影係。結局全体の1/3くらいしか進行しなかったが100枚以上撮影して、結構疲れた。撮影は嫌いじゃないけど、ガンダムの人形やら姫路城の模型とか、機関車トーマスとかばかりなのでいいかげん厭きるということもある。
夕方になってやっと雨も上がった。久し振りに千疋屋で夕食。今日はオムレツのクリームソースかけで美味しかった。大将とおかみさんはゴールデンウイークの休みを利用して1週間ほど上海に行ってたらしい。大将がえらく嬉しそうに思い出話してくれた。団体旅行でなく、現地に詳しい知人と一緒に行ったためいろいろ自由行動がとれて、好きな食堂回りもできて楽しかったようだ。
今夜は天満の「玉一」で巻田さんらのオフがあったのだが、鉄人マーケットのウタカイがあったので、パス。
今日はMorris.は「チョップル」と「ヌンムレブルース」歌った(^^;) 11時半帰宅。


千疋屋のオムレツ

豪華なアマリリス

ウタカイの矢谷君

2007/05/24(木)●馴染み猫●

6時半起床。朝風呂。ムックさんお誘いのメールしたが、バイクで岡山方面ということで、アウト。
「のだめ」のアニメを留守録してたことを思い出して見てみる。Morris.にはめずらしくちゃんと予約出来てたようだ。lesson17とあったので、もう4ヶ月近く前に始まってたらしい(>_<) 原作漫画と照らし合わせたら漫画のlesson38と39の内容だった。1回に漫画の2回分くらいずつ当ててるようだ。今回は千秋が自前のオーケストラでブラームスの練習するところからで、驚くほど原作に忠実である。普通漫画原作でもアニメになると絵柄が激変することが多いのだが、この作品は原作そっくりで、ほとんど構図まで踏襲(トレース?)しているし、台詞もモノローグも90%は原作そのままである。こういうのも珍しいが、ある意味原作漫画がきっちりシナリオチックに完成されてるのかもしれない。とりあえず予約録画は続けておく。
昼過ぎ、自転車で三宮方面に向かう。大日商店街のイシワキ米穀店に、先日の黒白猫のプリントを手渡す。おっちゃんはえらく喜んでくれた。そのまま日暮通りでこの前の黒白猫見つけたのでまたデジカメ撮影してたら若い夫婦がやってきて餌をやり始めた。最近、このあたりに引越してこの黒白猫が人懐こいのでついつい餌やるようになったとのこと。うーん、この猫は餌には不自由しないようだ。それも、この地域がきっと地域猫に寛容なおかげだと思うぞ。
三宮図書館で4冊貸し出ししようとしたら「現在9冊借りてることになってます」と言われた。昨日灘図書館が休館だったので返却ポストに入れたのだが、まだそれがチェックできてなかったらしい。まあ、そのことを話したら借りることはできた。
帰り道春日野道の勉強堂冷かして、\800の百人一首見つけたので買おうかどうかずいぶん迷ったが買わずにおいた。正月に百人一首やれるような部屋じゃないしね、それにモノがいまいちだったということもある。そのかわり?百円均一の棚にいしかわじゅんの「ちゃんどらの逆襲」があったのでつい買ってしまった。これも原ォ効果なのだろうか(^^;) 双葉社1987年初版である。読み終えたら稲田さんに贈呈しよう。


イシカワ米穀店の雉猫

相変わらず傍若無人の黒白

でもきっちりサポーターが(^^;)

【ちゃんどらの逆襲】いしかわじゅん ★★★★ 日記にも書いてる通り、今日春日野道の勉強堂の百円均一で掘り出してきたものだ。87年双葉社初版ということはもう20年も前の作品ということになる。さらに「ちゃんどら」オリジナルは1981年頃ビッグコミックスピリットに連載されていたわけで、すでに漫画としてはオールドウエーブというか、過去の作品にちがいない。Morris.はいしかわじゅんの愛読者とはとても言えないし、作品の半分も読んでないと思う。でも、どことなく気になる漫画家であることはまちがいないし、本書も以前読んだことあるかもしれないのだが、あらためていしかわギャグに大笑いしてしまった。
主人公ちゃんどらは息子ロビオを亡くした夢野博士が息子に似せて作ったロボットだが、あまりにもぶさいくなので博士はチリ紙交換に出してしまい、ロボットはグレて探偵ちゃんどらとなった。わけで、この命名は当然ハードボイルドの始祖であるチャンドラーに由来する。
漫画の方はハードボイルドというよりはスクランブルエッグみたいなギャグだらけであるが、このギャグのセンスに、いまどきの若者はきっとついていけないだろうな。つまり、Morris.はいまだに20年前のギャグセンスから抜け出せずにいる証拠となるのかもしれない。

2007/05/23(水)●万歳自転車男●

7時起床。最近撮りためてたデジカメ画像をいくらか選んで、桜口のロッコーアートにネットで注文。
六甲道万歳自転車男自転車で桜口に出向いてロッコーアートでプリント受け取ろうとしたらまだ出来てないとのこと。ふつう平日だと1時間以内、早いときには注文して10分足らずで出来上がりのメールが来るのだが、今日はえらくたてこんでたらしい。とりあえず図書館で時間潰そうと灘図書館に寄ったら今日から館内整理で休みだと。先日三宮図書館でも同じめにあったばかりで、用心しなくてはと思いつつも、この前東灘図書館に行ったときつい、あちらの休館日と灘図書館の休館日をまちがえて覚えてたらしい(^^;) しかたないので銀行に寄って、Orange Thriftyを冷かし何と\100のウエストバッグ買う。
六甲道駅前で、噂の「万歳自転車男」見かけたのでデジカメにおさめようとしたが、あっという間に通り過ぎたので後姿を小さく捉えるにとどまった。彼はたしか新聞配達員でMorris.もこれまで何度か見かけたことはあるが、調子の良いときは両手万歳したまま歌ったり叫んだりしている。
まだ時間余ったので、ロッコーアート向いの古本市場冷かす。いまどきはやりの雑本、漫画の大量安売り店で「古本屋」とは別の存在だと思うのでMorris.はめったにこのての店には入らないのだが、百円均一コーナーにはハードカバーのちょっと前のベストセラーなどがずらずらと並んでいた。ここでも百円の韓国関連の新書を買う。やっと4時半になったのでプリント受取り、近くの業務スーパーで食糧買出し。ついでに赤飯用の「ささげ豆」125gパックを買う。ささげ豆だって食糧ではないかと思われそうだが、これには別の思惑があった。先日読んだ「写真を撮る」(竹村嘉夫)の中に出てくる「ビーンズバッグ」を作ろうと思ったのだった。

三脚の使用をおっくうがるなといいたいところだが、わたしも横着さからあまり使ってはいない。三脚のかわりに、ポケットにもはいるテーブル三脚を使うことや、柵や立木などを利用したビーンズ・バッグの活用も考えてみよう。
ビーンズ・バッグという手作りアクセサリーは、布袋に豆をつめて[枕]のようにしたものだ。わたしもふくめて、ごく一部の人たちの間では、昔から愛用されていものだが、聞いたことも見たこともない人が多いはずだ。−−ときとばあいによっては三脚以上の効果も期待できるアクセサリーだから、ぜひとも自作をすすめたいと思う。


カメラを固定しながら振動を吸収するという仕組みで、アイスノンみたいな流動体でなく、豆粒を使うところがミソである。この本で紹介してあったのは一眼レフ用のかなり大きなものだったが、Morris.の愛機コンパクトデジカメならお手玉サイズで間に合うだろう。ミシンがあれば簡単だが、ここは以前作ってた小袋を流用することにした。豆のパックのまま布袋に押し込んで二つ折りにしたら10×8cmくらいのサイズになった。Morris.のデジカメは横幅8cmくらいだからちょうど良い。重さも130gならそれほど持ち運びの負担にはならないだろう。早速試してみる。higashi4号の今日の日記の下書き画面から50cmくらい離れた壁面を利用して撮影。シャッタースピードは1/5秒。下の画像で見比べて欲しい(画像はかなり拡大してある)。結果は上々のようだ。最近の機種には初めから「手ぶれ防止機能」付いてるものが多いから、必要ないかもしれないが、Morris.は嬉しかった(^o^)
夜は屋上に缶ビールと携帯ラジオと本持ちこんで野球聴戦(^^;) 昨日は好投の福原見殺しで惜敗したが、今日は下柳+三守護神で何とか3-1で逃げ切り。それにしても阪神打線は、残塁多すぎ。それに交流戦用のビジターユニフォームというのは、あれは何ぢゃ(>_<) コシノヒロコ?のデザインとか言ってたが、あれは即刻禁止してもらいたい。


Morris.お手製ビーンズバッグ

直接壁面にカメラ固定

ビーンズバッグ使用
2007/05/22(火)●糸蜻蛉観察日記●

7時起床。昨日に負けずめちゃ良い天気である。とりあえず朝風呂。
ご飯炊いて紫蘇の葉刻んで混ぜて海苔で巻いてお握りつくり、これを持って王子動物園詣で。今日はまぬうはオスのようだが、岩の上でお寝み。
内部公開やってないので人気の無い旧ハンター邸前でおにぎり食べる。
池の睡蓮が純白の美しい花を咲かせていた。良く見ると睡蓮の葉に糸蜻蛉がとまったり、雌雄が繋がって産卵活動したりしてる。胸と尻尾の先が青く胴体は黒っぽい。帰って昆虫エクスプローラで検索したら「黒糸蜻蛉」らしい。今日はこの糸蜻蛉を接写することにした。何しろ小さい蜻蛉で胴体も細いのでなかなかピントが合わせ難い。マニュアルでほぼ距離を決めて撮ることにした。とりあえず6倍望遠はこういうとき助かる。池の両端を行ったり来たりして順光と逆光の両方で撮影。途中銀ヤンマが飛来したが、糸蜻蛉と比較すると超巨大蜻蛉という感じがした。葉っぱの端で産卵するのが普通だが、睡蓮の蕾にとまっての産卵などは結構絵になると思った。しかし良く見ると、オスが蕾に止まるとメスはほとんど水中に沈んでしまってる(>_<) 辛うじて頭だけは出ているようだが,大丈夫かあ、と声をかけそうになる。何でわざわざこんなことをしてるんだろう?
新曲「オブバ」のユンジョン衣装その後またまぬうを覗いたら、久し振りに地面に降りてゴロゴロしてた。あわててまた撮影しようとしたが、数枚撮ったところで岩に登ってしまった。それでも今日は結構楽しいポーズが撮れたので、まぬうスライドショーに追加しておこう。
その後Morris.専用読書車両(^^;)で、葉書書いたり、読書したりして5時帰宅。金のかからない一日だった(^^;)
恵比須コステロさんの紹介でチャンユンジョンの新曲「オブバ」の動画を見ることができたが、彼女の衣装がまるで赤ちゃん服である。タイトル「オブバ」自体が赤ちゃんの「喃語−ばぶばぶ語」のことらしい。前作「トイッタイッタヨ」がちょっとリズム歌謡路線で、Morris.はちょっと不満だったが、この新曲はデビュー曲にして超ド級ヒット曲「オモナ」路線に戻ったと言っていいのだろうか? 赤ちゃんが「オモナ」というつもりで「オブバ」と言ってるような気もするし、ともかくあの衣装にはちと異議ありだ。グラビアなどででは自慢の脚線美を必要以上に露出してお色気ふりまいてるユンジョンちゃんのベビードールファッションで、韓国の男たちを悩殺する作戦なのだろうか。しばらく静観したい。
島田和夫部屋スケジュール更新。島田さんは先月引越したらしい。と、いっても前の住所から200mくらいの近場とのこと。


睡蓮とハンター邸

睡蓮は神々しい

良く見ると糸蜻蛉が!

恋の季節らしい

糸蜻蛉のヤゴの抜け殻

これは燕(^^;)

蕾で産卵

こちらはオーソドックス

孤独もまた良し

今日のまぬう

ひさしぶりに接写できた

舌なめずり
2007/05/21(月)●ムックハッピーローラバースデイ●

7時起床。めちゃ良い天気である。洗濯、朝風呂、掃除3点セット。
今日はムックさん誕生日なのでヒマなら昼間どこかぷらぷらしようかとメールしたら、今夜北野のハッピーローラで誕生ライブやるとのこと。
夕方ふらっと歩いて三宮方面に向かう。大日商店街の米穀店の黒白猫デジカメで撮影してたら店のおっちゃんが出て来た。この店では別に雉猫も飼ってるみたいだし、地域猫らしいのも多い。ともかく猫にとっては住みやすい地域には違いない。
地図帳でチェックしたら、Morris.亭から三宮駅までは直線距離にすると正味2kmあるかないかである。だからプラプラ歩いても30分ちょっとで三宮駅に到着できるところをMorris.はたっぷり1時間かけてしまう(^^;)
ローラに到着したのが6時半。ムックさんはまだ来てなかったし、ライブは7時過ぎからとのことだった。奈良や大阪から女性シンガーがわざわざ出向いてるのに、時間過ぎてもムックさんは現われないし連絡も無い。かなり会場内は不穏な雰囲気。司会進行役のスコッチさんはパニクってた。Morris.はきっとムックさんのことだから昼から祝い酒飲んで潰れてるに違いないと思った。でも真相は車で神戸に戻る途中名神のトンネル内の以上渋滞があり、身動きできない、電話が通じないという情況だったらしい。
ゲスト女性二人の他、ローラ常連やムックさんの友達のライブが続いて、ムックさんの演奏。バックに以前いっしょにバンドやってたトウナイさん、そして最近一緒にやってるアキさんと一緒にやったあと、常連のメンバーとのビートルズメドレー、と、いかにもムックさんの誕生祝いらしいライブだった。
ムックさん。HAPPY BIRTHDEAY!!


Rose-Yellowish

米屋の白黒猫

米屋のおっちゃんと

これでいっぱいいっぱい

あおいたちばなさん

デミさん

アキさん&ムックさん

ムックさんアップ

ローラ前で記念撮影
2007/05/20(日)●ひさびさ仕事も半ドン●

実に10日ぶりの仕事、西根、溝渕君と西宮のイタリア向け荷物のピックアップ。といっても、昨日船便はほとんど取ってて、今日はトランクルーム保管荷物がち中心だったし、大して残ってなかったので昼前に作業終了。倉庫に戻って荷降しなど済まして何と1時半には帰宅(^^;)
2時からの阪神−横浜戦を屋上に携帯ラジオと缶ビールと本持参でゆっくり楽しむことが出来た。昨日もデイゲームで6-0で快勝したらしいが、今日は1-0のまま、残塁の山でやきもきさせられたが、中村が6回までゼロ封、あとは、久保田、ウィリアムズ、藤川の三枚看板での完封リレー。これで3連敗の後の3連勝で、借金も3に戻した。来週からは交流戦である。贅沢は言わないから交流戦終了時に5割を希望したい。


たぶん赤花夕化粧

摩耶埠頭昼景

Rosepink

葦簾黒猫

パラソルペチュニア

阪神何とか3連勝(^^;)

【はじめての言語学】黒田龍之助 ★★★☆ 「外国語の水曜日」の著者による言語学の入門書ということで手に取った。やっぱりこの人の本は面白くてためになるMorris.好みである。
小見出しだけでも興味津々だった。
・語源研究が言語学なのではない
・言語学にとって言語とは何か
・音を考えるときの基本は音韻
・言語学では≪単語≫がない
・≪ウラル・アルタイル語族≫なんてない
・ピジンとクレオール

特に「ウラル・アルタイ語族」なんてないという指摘には意表を突かれたが、これはもうほとんど「常識」だったらしい。

たとえばアルタイ諸語というのがある。諸語というのは、語族の関係がいまいち証明できていない言語のグループである。トルコ語やウズベク語、モンゴル語などがこの中に入る。これらの言語には、明らかに、似ていて親戚だろうというのもあるが、一方でははっきりしないものもある。だから慎重に考えて諸語と呼んでいるのだ。
ところが、これらの言語は絶対に関係があると主張する人もいる。こういう人はトルコ語やモンゴル語をまとめて≪アルタイ語族≫と呼ぶ。言語学の世界ではふつうこれはみとめられていない。こういう説を唱えるのは危険度1である。
次にこの《アルタイ語族》はウラル語族と密接な関係があるという説。二つを合わせて《ウラル・アルタイ語族》と呼ぼうという。これで危険度2。
さらに日本語もこの《ウラル・アルタイ語族》だという説。ほかにも韓国・朝鮮語まで含めて、みんな家族の一員だという。これで危険度3。
最後に《ウラル・アルタイ語族》はインド・ヨーロッパ語族やその他の語族とともに大語族を形成する。世界の言語はみな一つの源から分かれたのだ。人類みな兄弟。ここまでくると神話である。危険度無限大。
かなり不確かな説なのに、この危険度3ぐらいまでは、今でもときどき耳にする。第二次世界大戦前にこういう説が流行ったのだが、それがいまだに続いているのだ。


言われてみれば納得するしかないのだが、Morris.はこれまでずっとこの《ウラル・アルタイ語族》の存在を何となく信じてて、日本語も韓国語もその中に含まれているんだろうと漠然と思ってた。危険度3だったわけだ(^^;)
その他「日本語の起源はこれだ」という説が十年に一遍くらい出て来るが言語学者はあまりの馬鹿らしさに無視を決め込んでいるらしい。日本語−インドのタミル語との関連を主張した国語学の御大もその例に漏れないようだ。

言語学で言うアルファベットとは、基本的に一つの音に一つの文字をあてる形式がアルファベットだ。つまり音と文字がだいたい一対一だったら、ギリシア文字だろうがキリル文字だろうが、みんなアルファベットなのである。それに対して英語やイタリア語で使われるのはラテン文字という。しかし日常ではそうでない使い方をしている。ラテン文字だけがアルファベットであると信じている人が、語学教師にさえいる。

音がひっくり返ってしまう現象、「新」はもともとはあらたし」だったはずだが、いつの頃からか「あたらし」になった。ほかにも「あきばはら」が「あきはばら」、「さんざか」が「さざんか」なんて例もある。こういうのを音位変換、またはメタテーゼという。

そうか「ヘコリプター」は「メタテーゼ」だったのか(^^;)

方言はさまざまな価値観を伴って語られることが多かった。衒学ではその点について判断しないということを強調しておく。方言はヴァラエティである。さまざまな変種が多いことは豊かなことだ。否定的に扱ってはいけない。

2007/05/19(土)●うはら祭り2007●

8時版起床。何とか天気は悪く無さそうだ。ほっ。
10時前に部屋を出て住吉公園へ。すでに社長、矢谷、伊藤、神田君が来てテント内のPAなど準備してた。今年は北向きのステージでなく入口方面西側を向いて演奏するらしい。結果的には芝生と西側両方から見られるような形になってこれは良かったと思う。
もともと春待ちファミリーBAND主体でやってきた、このうはら祭りフォークコーナーも、3年ほど前からはほとんど矢谷君が仕切るようになった。去年まではかなり神経使ってしんどそうだったが、今回はすべてがスムーズに進行してたような気がする。
例に寄って、矢谷君のユニット、春待ちファミリーBANDのユニットに、知り合いのミュージシャンが気楽に交代で演奏するという形。今年は西明石のmaima関連と、和歌山のひこさん、カズー関連がメインである。
Morris.にとってこのうはら祭りは同窓会みたいなもので、私的な風物詩として楽しみにしている。今回もえっちゃん母子、松下さん、光園君、秋月、谷尻さん、演奏には間に合わなかったけど岸和田のノボルさんととよさんなどひさしぶりの顔とまみえることができて嬉しかった。嬉しかったといえば、このところうはら祭りではメンバーが揃わず演奏のなかった春待ちファミリーBANDが、井山君と青年以外が集結して春待ちナンバーの演奏が出来たことだった(^o^)やっぱり春待ちファミリーBANDはこうやって野外で観客と一緒に遊びながら演奏するのが一番似合ってる。
フォークコーナーと名乗っているものの、演奏ジャンルはロック、ブルース、ポピュラー系も多く、それぞれの演奏やミュージシャンのことにも触れるべきだろうが、Morris.はビデオとデジカメ撮影で消耗したので、下の画像とキャプションに譲る事にする(^o^)
カズーから、和歌山で有機農業で作った大根もらった。ありがとうm(__)m
打上げは恒例の「平野」で、定員大幅オーバーの大盛況だった。つまらぬことで長いこと仲たがいしてたひこさんと、和解できたのも良かった(^^;)。また、8月に六甲道で、懐かしいバンドのライブをやろうという話が持ち上がり、のぼるさん関連のバンド中心に、社長の春待ちカレー付きライブを8月の日曜の昼間にやることが決定したのもGood News\(^o^)/
frickerのサイトを利用して、うはら祭りのスライドショーを作った。期間限定(今月いっぱいくらい)なので、早めに見ておいてください。


初っ端はT&T風来ミックス

にこにこバンド(^o^)

ぞうさんのお尻

えっちゃんとこの兄弟

ノガミ君?

Folk Singer Akimototakashi

スカイフィッシュ

魚眼なT&T

豪華バック付きのmaimaママ

カズーと松尾君の息もぴったり

気持ち良さそうである

絃も一人歩きがさまになってきた

ひこさんの八代亜紀ナンバー

絃のハーレム

プカプカ

久々うはら祭の春待ちファミリーBAND

もちろんこれはフィッシングブルース

きっと明日はいいことあるさ(^o^)

路傍のピアニカ弾き

フィナーレは社長のロケンロー

ピクニック気分

セルフタイマー2秒はちときつい

打上げ平野はパンク状態

カズーからもらった無農薬大根
2007/05/18(金)●チャンナラ●

「明朗少女成功記」のチャンナラ8時版起床。どんよりと曇っている。明日は東灘うはら祭り(住吉公園)だが、天気が心配である。
「明朗少女成功記」第3話を見る。メイキャップで突然美人になったヤンスン(チャンナラ)にギテは戸惑いながら、虚勢を張る。詐欺師の両親はギテ宅に侵入して見つかり、追い出される。田舎から出てきたハルモニは意地悪娘の無免許運転車の前に飛び出し、病院へ。3話にしてこの展開は忙しい。そしてやっぱり方言丸出しのチャンナラはMorris.のツボを見事につかんでしまったようだ。このころのチャンナラは卓球の愛ちゃんをうんと可愛くした感じがする。
[天国の階段」は、ジョンソへの角膜移植のためにテファがドナー登録して、自殺するというとんでもない展開。最終回は見たくない気がするぞ。
今日から甲子園の横浜戦。6回終って4-0だから今日はまずまず安心だろう(^^;)横浜戦の後はパリーグとの交流戦である。少しでも借金を減らしておいてもらいたい。

【わたしの詩歌】文藝春秋編 ★★★☆ 作家や研究家など46人が、青春時代に愛誦したり心に残ったりした詩歌を紹介してコラム風に感想を記したお手軽アンソロジーで、当然玉石混淆である。澤地久枝と米原万里がネクラソフ、水木楊と南伸坊が李白、久世光彦と鴨下信一が久保田万太郎、阿刀田高と小田島雄志が中原中也、蔭山英男と齊藤孝が宮澤賢治など重複する詩人もけっこうあったし、井上章一の「六甲おろし」、最相葉月のあがた森魚、岸田秀の「ゴンドラの唄」などちょっとひねったものもあった。
なかでも笑わせてもらったのはねじめ正一紹介のサトウハチローの長嶋茂雄賛歌?だった。

長嶋茂雄選手を讃える詩 サトウハチロー

疲れきった時
どうしても筆が進まなくなった時
いらいらした時
すべてのものがいやになった時
ボクはいつでも
長嶋茂雄のことを思い浮かべる
長嶋茂雄はやっているのだ
長嶋茂雄はいつでもやっているのだ
どんな時でも
自分できりぬけ
自分でコンディションをととのえ
晴れやかな顔をして
微笑さえたたえて
グランドを走りまわっているのだ
ボクは長嶋茂雄のその姿に拍手をおくる
と同時に
「えらい奴だなァ」と心から想う
ひとにはやさしく
おのれにはきびしく
長嶋茂雄はこれなのだ
我が家でのんきそうに
愛児達とたわむれている時でも
長嶋茂雄は
いつでもからだのことを考えている
天気のいい日には青空に語りかけ
雨の日には
天からおりてくる細い糸に手をふり
自分をととのえているのだ
出来るかぎり立派に
長嶋茂雄はそれだけを思っている
その他のことは何も思わない
ボクは長嶋茂雄を心の底から愛している
自分をきたえあげて行く
長嶋茂雄のその日その日に
ボクは深く深く 頭をさげる

こんな詩を書いてたとは全く知らなかったな。うーーん、サトウハチロー恐るべし、である(^^;)
その他では、やはり短歌や俳句などの定型作品にしっくりくるものが多かった。関川夏央の葛原妙子、森まゆみの吉井勇、久世光彦の万太郎からいくつか引いておく。

・出口なき死海の水は輝きて蒸発のくるしみを宿命とせり 葛原妙子
・晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて 葛原妙子
・カルキの香けさしるくたつ秋の水に一房の葡萄わがしづめたり 葛原妙子
・他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水 葛原妙子
・噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ 葛原妙子
・伯林の恋のたよりを書きおこす インキも薄くなりにけるかも 吉井勇
・柳橋これや柳の精ならぬ うつくしき子のつれなかりけり 吉井勇
・ややありてふたたびもとの闇となる 花火に似たる恋とおもひぬ 吉井勇
・冬の灯のいきなりつきしあかるさよ 久保田万太郎
・うすもののみえすく嘘をつきにけり 久保田万太郎
・走馬灯いのちを賭けてまはりけり 久保田万太郎


岸田秀の口語自由詩小便説というのも、二番煎じらしいが初めて見たMorris.は、大いに笑わせてもらった。

かつてわたしは、定型詩を、悲しみを抑えても目頭ににじんでくる乙女の涙、口語自由詩を、寝たきりボケ老人の垂れ流しの小便に譬えたことがあるが、涙と小便は化学成分としてはほとんど同じであり、同じく身体から出てくる液体ではあっても、どのような形で出てくるかによってその意味が大いに異なるように、定型詩と口語自由詩とは、思いなり情緒なりを言語で表現するという点では同じであり、同じく詩と称しているけれども、それを読む人が受け取る感動は大いに異なるのである。
およそ、人間の感情や欲望は抑えられることによって、高まり、洗練され、微妙になり、濃やかになってゆく。生じた途端すぐ表現され、満足されれば、それこそ寝たきりのボケ老人の垂れ流しの小便よろしく、何の面白味もない無内容なものにならざるを得ない。いや、そもそも感情や欲望として形成されない。われわれが抱く思いや情緒も、詩に表現しようという場合、定型という枠をはめられ、束縛されて、そのため、ダラダラとその場で安易に表現することを許されないことによって、豊かになり、それが詩にこめられる。そして、その詩を読む人の同じく抑えられた思いや情緒に訴えることができ、共鳴と共感を惹き起こすのである。


岸田自身は当人曰く「挫折した新体詩人」であり、いまや心理学者として一家をなしてるだけに、言いたい放題だね(^o^) しかしここには一面の真理が含まれているようでもある。さらに岸田は現在に新体詩の伝統を引き継いでいるものに歌謡曲の詞があるとして、「ゴンドラの唄」をネタに我田引水的解説を開陳している。これもMorris.呵呵大笑である(^o^)

この歌(「ゴンドラの唄」)は、女が乙女である期間、女が色気とか性的魅力とかを発揮できる期間は非常に短いから、ゆっくり構えている余裕はなく、大急ぎで男と恋を楽しまないと手遅れになってしまうという普遍的真理を表明している。実にわかりやすい。この歌はまた、わたしが性的唯幻論で主張している説、すなわち、女の色気とか性的魅力とかは、本能に基づくものではなく、本能が壊れて自然に女を求めることのない人間の男をして人為的に女を求めさせるために作られた文化的産物であるとうい説を裏づけている。さらにこの歌は、女もまた自然に男を求めることはないので、このようのせかせて女を慌てさせ、男を早く掴まえないとダメですよと、女を脅迫して男を求めさせようとしているのである。これはまさに男女関係の真理を語っている詩である。そして、この真理は、永遠の愛とかのある種のロマンティックな恋愛幻想に反するため、あまりおおっぴらに語られず隠されているので、まさに抑えられた真理であり、だからこそ、それを語った詩は優れた詩なのである。

ぎゃははははは(^o^) 岸田に座布団3枚!!

【カオズ】梁石日 ★★★ 豪快な在日二人組の仕事と女と事件を描いたもので、梁石日の最近のものの中では比較的面白く読めた。主人公が岡惚れする色っぽいジャズシンガー、相棒の巨漢の愛人オカマのタマゴなどのキャラが立ってるし、中国人マフィアや台湾人のヤク商いに悪徳刑事がからむわ、新興宗教巡回で子供を産もうとするタマゴのコミカルにして泣かせる執念もあり(意外とこれがテーマかも)、とにかく最後まで一気に読んでしまった。相変わらずザツなところも多いし、成り行き任せで書き進めた部分が多すぎるようだが、それもタイトルに合ってるといえなくもない。

【東京カウボーイ】矢作俊彦 ★★☆☆ 92年発行の矢作の比較的初期のハードボイルド作ということでちょっと期待して読んだのだが結果は×。
2部構成で一部はベトナム生まれの傑(ジェイ)を主人公にした連作5篇、2部はテーマもばらばらの短篇5篇。10篇の短編集ということにもなり、Morris.は矢作は長編しか認めてないから、当然の結果ということになるのかもしれない。

2007/05/17(木)●ママチャリポタリング●

8時起床。いい天気である。午前中5月までの読書禄の整理する。例年に増してムラとばらつきのある読書生活である。
昼過ぎに自転車で山手幹線を東へ向かう。六甲道越えて石屋川の坂を上って、途中弓弦羽神社に寄る。思ったより大きな神社で、隣りには香雪美術館がある。この神社の手水石桶の脇に「手水のつかいかた」という看板があって、このイラストが小さな女の子のイラストで、なかなかインパクトがあった。2時前に目的地の東灘図書館に到着。ざっと片道6kmといったところだが、ママチャリだとけっこう時間がかかる。これを思うと毎日センターから鶴甲団地まで自転車で往復してる飛田さんはやっぱりすごいと思う。図書館の横に時計草の生垣がありあの独特な花が咲いていた。
5時帰宅。
阪神は今日は倉敷のマスカット球場で広島と対戦。どこでやっても駄目なものは駄目でまたまたの敗戦(>_<)今シーズンは広島が鬼門のようだ。


弓弦羽神社の手水看板

桐の花

インパクトある時計草の花
2007/05/16(水)●昼カラから元町散策●

7時起床。洗濯,朝風呂、掃除。
ムックさんにメールで昼カラに誘う。
ちょっと早めに部屋を出て三宮図書館へ。先日中央図書館で借り損ねた本を借りるため。部屋で神戸図書館のOPAC検索で件の本が三宮図書館にあることを確認してから出かけたわけだが、なんと三宮図書館は今日から館内整理で休館だと(>_<) ふーーっ、どうしてもこの本とは相性が悪いというか、呪われてる(^^;)のではなかろうか。がっくり。サンパル3FのMANYO冷かして外に出たら昌美さんとばったり。彼女は大阪勤務だと思ってただけにちょっとびっくり。今年からまた神戸勤務になってたらしい。
正午に三宮駅北側の凸凹広場でムックさんと待ち合わせ。ずいぶんひさしぶりだったし、ムックさんは現在就職活動中で髪も切ったとのことだったので、どれくらい変身したのかと興味津々だったが、大したことはなかった。第一旭で腹ごしらえして例によって例の如くジャンカラ三宮店へ。2時間予約で415号室へ。この二人なら、何も考えずに歌いまくることができる(^^;) それにしてもムックさんの精進ぶりというか、韓国歌謡レパートリーの増加ぶりは目を見張るものがある。お得意のソルンドナンバーだけでも10曲近いし、「アパート」「ナメンヨルチャ」「テジョンブルース」などのスタンダードナンバーも着々とマスターしてるし、Morris.と交互に2時間歌ってもまるでネタ切れにならない。少なくとも30曲以上は持ち歌があるとみた。Morris.はこのところすっかりはまっている「皇帝のために」や台詞の多い難曲「キリマンジャロの豹」、パンミの「チュジョハジマラヨ」、ユンボキの「ヨロブン」など、ちょっと難しめの曲に挑んだが結果はいまだしである。
3時に歌い収めてムックさんと別れ、南京街の林商店でタイカレールーやココナツミルクなど仕入れ、元町旧居留地あたりを流して北上。小洒落たブチックやスナックが点在するブロックをふらふらしてたら、ROKKOMANNのちょっと西側のビル2Fに「ザックバランな古本屋トンカ書店」というのを見つけた。古い芸能雑誌やら写真集やら漫画やら雑多な品揃えだし、本ばかりでなく、古い文具やら靴やらシャツやらも置いてある。1年半ほど前に開店したとのこと。初回の記念に何か1冊買おうと思って物色したがこれというのが見つからなくて愚図愚図してたが、結局虎と龍柄の青いアロハを買うことにした。
5時半帰宅。今日も米子球場で阪神−広島戦やってたが雨の中阪神は良いところなし。やめとけば良かったのに。これで今シーズン阪神は広島に緒戦から一度も勝てずの7連敗である(>_<)


ひさびさのムックさん

韓国歌謡レパートリー倍増

河南工藝社

大丸の孔雀レリーフ

旧大阪商船

神戸郵船ビル入口

郵船ビル全景

神戸住友ビル

トンカ書店入口

トンカ書店内部

本以外のガラクタたち

靴やアロハも。Morris.は中央の青を購入
2007/05/15(火)●逼塞の日●

バリの装飾カヌー昨夜久し振りに「いいちこ 20℃」900ml買って、アールグレー割りしたら、これがまたやっぱり美味しくて、本読みながらついつい、ついつい過ごして、結局一晩で空けてしまった(^^;) これはMorris.の許容量を大幅に越えたようで、目がさめたら昼前で、頭はぼーっとしている。昼風呂入っても、ぴりっとしない。
今日は一日ベッドで過ごすはめに。
図書館で借りた本を片っ端から読みまくる。でも当たりはなし(>_<)
米子での阪神ー広島戦。下柳の失投、エラー、犠打連続失敗など早々と4点取られ、阪神は残塁の山の拙攻で、不甲斐ない負け試合。金本の本塁打が一縷の望みになった。

【びっくり館の殺人】綾辻行人 ★★★ このところ「かつて子どもだったあたなたと少年少女のための」ミステリーランドシリーズ講談社)を読見つづけてるが綾辻を読むのは久し振りだ。彼の「館シリーズ」の一冊ということにもなる。びっくり箱だらけの舘から「びっくり舘」という名前はあんまりだと思うが、さすがにちゃんと読ませる作品だった。
たぶん芦屋の六麓荘(兵庫県A**市六花町となってる)が舞台ということで土地鑑があるだけに親しみが湧いた。死んだ孫娘の似姿の人形で腹話術芝居する老人と病弱な男の子が住んでるこの舘での殺人事件に、小学生の男女が巻き込まれるという筋立てもいかにも綾辻っぽいし、密室のトリックもそれなりに体裁を整えている。やっぱりこの作家は手錬れである。事件後の阪神大震災もうまく利用してるし、殺人事件真相の開陳も自然で上手い。10年後の再訪と余韻をもたせた〆も味がある。と、褒めっぱなしみたいだが、ミステリ自体の質はけして高くない。どうしてもお子ちゃま向けという感じがするのはシリーズの制約ともいえるが、物足りないというのが正直な感想である。

【魔王城殺人事件】歌野晶午 ★★☆ 同じくミステリーランドシリーズで、そもそもこの作家を読もうと思ったのはこのシリーズに名を連ねていたからだった。そして本作は駄作だった(>_<) 東京郊外の新興住宅地に戦前からある妖しい洋館、というのは綾辻の館シリーズに似てなくもないが、庭にある4つの部屋からなる不思議な小屋のトリックもあまりにおそまつだし、小学5年生5人の「探偵団」も腰砕けの上にメンバーそれぞれの魅力に乏しい。メンバーのいとこが刑事で、殺人事件捜査の内幕を子どもらに教えるというのも変だし、デジカメトリックにはちょこっと気を引かれたがやっぱり不自然に過ぎる。
ストーリーと全く無関係なことだが、刑事と子どもたちの会話がひっかかった。

「『小さな名探偵』って、ぼくたちのこと?」
おっちゃんが自分の顔を指差した。
「お気に召さないかな?」
「その形容詞に、見下す気持ちがこめられてるんだよなあ。」
KAZがぶつくさ文句を言った。
「『小さな』は、形容詞じゃなくて形容動詞。」
タキゾノキヨミがツッコミを入れた。


Morris.は一瞬これはタキゾノが間違ってるんじゃないかと思ってしまった。形容動詞といえば、「〜だ」で終る品詞というイメージが強かったからだ。そもそもこの形容動詞というのは、日本語に特有なもので、英語や韓国語だとすべて形容詞になってしまう気がする。
大辞林で調べたら、おお、形容動詞になってるぞ。

ちいさな・ちひさな【小さな】(形動)[形容動詞「ちひさなり」の連体詞から]現代語では、連体形「ちいさな」の形だけが用いられる。小さいさま。「--箱」「規模の−−会社」[「ちいさな」を連体詞とする説もあるが、この語は「手の小さな人」などのように、述語としてのはたらきをもっている点が、一般の連体詞とは異なっている)

なるほど。「ちひさなり」かあ。形容動詞は現代語では「〜だ」「〜です」の終止形だけど、文語では「〜なり」「〜たり」の終止形だった。Morris.はいちおう国文科出てたはずだが、文法は当時から苦手だったもんね(>_<)

【必勝小咄のテクニック】米原万里 ★★☆☆ 集英社の出版案内「青春と読書」に1年間連載したもので、小咄の集成ではなく、ジョークの構造を分析分類して、オチをつけるテクニックを伝授する。なんて惹句に書いてある。当然Morris.はマユツバだと思ったね。
笑いやユーモアを論じて面白い作なんてめったにお目にかかれないし、そもそもMorris.は、この小咄というのがそれほど好きじゃない。たまによく出来た咄を読んだり聞いたりすると関心はするものの、それだけである。
本書は、著者の自作小咄なんてのもあるし、練習問題(>_<)なんてのまで付いてるが、どれもいまいちだった。彼女お得意の下ネタがMorris.好みではなかったし(Morris.が「下ネタ」自体がきらいだというのでなくて)、小泉批判が小咄の形で頻出するのも今となっては何だかなあであった。

小咄(噺、話)、笑い話、ジョーク、アネクドート、ショートショート……名前はいろいろだが本質は同じ。短くて笑わせてくれる話を指す。だから本書では十把一絡げに小咄と呼ぶことにする。

冒頭のこの乱暴な一文だけで、ページを閉じるべきだったかもしれないな。

2007/05/14(月)●Morris.の新しい読書室(車両)●

9時起床。
洗濯機かけながら朝風呂。
先日山根さんがむくげMLで紹介していた「韓国人の好きな歌謡曲100曲」をちょっと手直しして「ノレ番Morris.8090」にアップ。このところ他人のふんどしで相撲を取りすぎだが、実際韓国歌謡に関心有る人にとっては貴重な順位表だと思うので、容赦願いたい。
昼過ぎからぷらぷらとMorris.庭園(王子動物園)に。まぬうは今日は雄みたいだったが、例の如く岩場の一番上で動かなかった。
今日は珍しくサル類の檻を覗いてみる。人間に似ているぶんだけサル類は苦手であるな。その後リスと小鳥の庭に行ったら工事中でリスは一匹もいなくなってた。
カワウソの水中遊泳を撮ろうとしたが失敗(^^;)。動物とこどもの国の隅っこにある、SLの客車に入って持参した本を読む。うーむ、汽車の旅をしながら本読んでる気分で悪くない。ときどき子供が乱入したり、山羊まで入ってきたりするがこれもご愛嬌。特に一番後ろの食堂車風の丸椅子とカウンターの席は読書に最適である。今度は飲み物食い物持参でゆっくりくつろぐことにしたい。ここはMorris.の読書室に指定する(^^;)
4時半帰宅。自転車で買い物に出る。敏馬神社経由で、山田電機まで行き、安いラジオを物色。これから夏に向けて、屋上で寝転んでビールでも飲みながらナイターを聞きたいと思ったのだ。バーゲンのマルチチャンネルの機種があったので店員に頼んだらすでに売り切れだった(>_<) 仕方ないのでAMだけの一番安いのを買う。Panasonicで税込み\980だった。
そのあと大安亭の業務スーパーで食料買出し。7時半帰宅。
ひさしぶりにKBSアーカイブで昨日放送のノレチャラン見る。済州島のウド(牛島)からの録画だった。ウドはイパクサ夫人の弟が食堂をやってるということで、済州島旅行のときちょっとだけ立ち寄ったことがある。今度機会があれば是非一日がかりでゆっくり見物したいと思った。出演者はここぞとばかりに済州島サトゥリ(方言)を披露していた。もちろんKBSからの要請だろうが、まるっきりわからない(^^;)


お寝みまぬう

キングペンギンアーップ

オランウータンの土下座?

ガラパゴスを懐かしむ?イグアナ

Morris.御用達読書室(^^;)

山羊も入ってくる

仏壇猫チャチャ

島文ビルの車の飾り

お洒落な敏馬神社の敷石
2007/05/13(日)●風に吹かれて●

9時起床。
今日はハーバーランドでつかちゃんが出るのと、須磨の風二日目なので、両方いっぺんに見ることにする。11時過ぎにハーバーランドスペースシアター。つかちゃんの出番は3番目だった。らみさん母子とmaimaママが応援に来てた。かなり多数のバンドやダンスチームが出演するので持ち時間が少なかったけど、Morris.はデジカメ三脚に付けて会場あちこち動き回って激写(^^;)おかげで何点か満足できるのが撮れた。
とりあえず腹ごしらえしなくてはと、大倉山の「山神山人」でラーメン定食。ちょうどラッシュ時で大谷店長も忙しそうだった。日曜日のお昼で空いてたら問題だが、とりあえず外で待ってる客がいるくらいだった。
借りたいほんがあったので中央図書館に寄り、3冊借りて須磨駅へ。晴天でまだ須磨の海も綺麗な方だろう。ウインドサーフィンやモーターボートが点在している。心地よい風が吹いている。ふらふらとコンサート会場へ。いつもよりちょっと客の数は少ないような気もする。基本的にこのコンサートはレゲエ中心で、Morris.はちょっとのれないところもあるが、こうやって海辺でゴロゴロしながら音楽聴くというのも悪くない。秋本君、昌美さん、由利さん、飯島ちゃん、それに佐用町から淵上夫人、あけみさんなど数人が来ていた。島田さんらの出番はたぶんトリらしいので、早くても7時過ぎらしい。今日はここでゆっくりして、島田さんら見てから帰ろうと思っていたのだが、図書館から借りた本をチェックしたら間違えて違う本を借りてきたことに気づく。今日は日曜日だから中央図書館も6時までだ。とりあえず、中央図書館に引き返して、また須磨までもどろうと思う。中央図書館に着いたのが5時半で、間違って借りた本返して、必要な本を借りようと行ったら、目的の本は誰かが借りていた(>_<) さっきはあったはずなのに、と思うと、がっくりモードである。これで気落ちしたせいもあって、そのまま帰宅することにした。

Morris.部屋開いたらカウンタ230000だった。とりあえずきり番ではある。
昨日も書いたが、frikckerのスライドショー、やっぱり無料使用者は、新しくアップした画像から200点しか表示されないようだ。現在新しく去年9月の韓国旅行の画像150点ほどあっぷしたため、まぬうスライドショーでは18点、猫スライドショーは9点くらいしか見えないし、夜桜スライドショーは完全に見られなくなっている。困ったものである。とりあえずしばらくこの韓国旅行スライドショーを見ておいてください。近々韓国画像削除して、またまぬうや猫のスライドショー復活させるつもり。
阪神−ヤクルト戦。8-4で阪神4連勝。よしよし(^^;)


波止場音横丁ステージ

歩くミラーボール(^^;)

応援団と記念撮影」

これなら泳げそう

速いっ!!

須磨の風ステージ
2007/05/12(土)●ぐるめの会●

9時起床。
ちょっとのどの調子がおかしい。今夜はセンターむくげのぐるめの会のあとカラオケにも行く予定なのだが大丈夫だろうか?
GyaOで韓国ドラマ。「天国の階段」20話は、凄い展開になってた。ジョンソは全盲になったままクォンサンウと結婚、ユリは過去の轢き逃げで警察に逮捕、ユリの母の狂乱演技は見ものだった。でもこれって全22話となってるから、あと2回残ってるぞ。何があるんだろう? 先週から配信が始まったチャンナラの「明朗少女成功記」これは5年ほど前のドラマだが、田舎育ちの少女が詐欺師の両親の尻拭いでソウルの富豪宅に家政婦として入り富豪息子といがみ合いながら恋におちる(のだろうと思う)ラブコメである。Morris.はチャンナラというと「可愛いだけの娘」というイメージが強かったが、このドラマのチャンナラは方言丸出しの田舎娘で、態度も実に男らしい(^o^) しっかりMorris.ははまってしまったようだ。しかしこの方言どの地方なんだろう。ソウルに近いみたいだから京畿道、江原道、忠清道(これが有力)のどれかだと思うけど、とにかくこのドラマの「つかみ」は、わざとらしいくらいのチャンナラの方言にあるとみたね。このドラマは全16話だから夏いっぱい楽しめそう(^o^)
夕方JRで六甲道に出て、灘図書館に寄り、生協北の「Omoni」へ。元町高架下の店と同じ系列らしいが、この店は初めて。店のオモニもすっかりハルモニになってた(^o^) 今日の参加者は全部で11人。信長夫妻が来てたので、久し振りに旧交を温めることが出来た。またたか子さんからは小さなペコちゃん人形のプレゼントがあった。今月のMorris.日乘のタイトル写真とほとんど同じ大きさで、いちおうビニール袋の包装が未開封というところが値打ちとのこと、ほんとかな(^^;)まあ、せっかくだからしばらくそのままにしておこう。ともあれ、信長さんありがとうm(__)m
料理は、チャプチェ、チヂミ、ナクチフェ(蛸刺身)。チャンジャ、チョッパル(豚足)、テグタン(鱈鍋)といったところ。途中他の客がいなくなったところで、ハルモニの了解を得て、先日練習した飛田さんのオカリナとMorris.のミニギターによる器楽合奏の余興。飛田さん十八番の「アチミスル 朝露」を大過なく演奏したら大受け(^o^) アンコール(^^;)で「愛の迷路」、「アリラン」、「イムジン河」とレパートリー4曲全部披露。ついでに韓国演歌メドレーなどやってけっこうな盛り上がりとなった。9時にお開きとなり、山根さん、堀内さん、深田さんとMorris.の4人は予定通り駅前のカラオケボックスへ向かう。
宴会ですでにノレバンモードに入ってたわしらは速攻で飛ばす飛ばす。「オモナ」から、「ナメンヨルチャ」「ソウルテジョン…」「鳳仙花恋情」「木浦の涙」「ラグヨ」「カスバの女」「チョップルチャンチ」「チャンチャンチャン」「釜山港へ帰れ」「シンサドンクサラム」−−−と留まるところ知らずである。Morris.は最近お気に入りのホンスチョル「皇帝のために」をはじめてカラオケで歌えたので満足。最後はシンジュンヒョンの「ミイン 美人」を絶叫して完全に喉潰したね(>_<) 
「コレサニャン」をバックに記念写真撮ってお開き。いや、カラオケは4人くらいがベストの人数かもしれない。なかなか充実の一夜だった。カラオケは山根さんにおごってもらった(^o^) 山根さん感謝ハムニダあm(__)m


ぐるめの会全景

オモニもすっかりハルモニに(^^;)

チャプチェ

チヂミ

ナクチフェ

チョッパル

テグタン

余興開始

いいんでないかい(^^;)

カスマプゲ合唱

今日もらったペコちゃん(左)

Omoni前で記念撮影

熱唱する山根さん

熱唱する深田さん

お開き記念撮影

【女王様と私】歌野晶午 ★★☆☆ 44歳のおたくがモデルの小学生に翻弄されながら殺人事件に巻き込まれるという、いかにものストーリーで、途中でMorris.は読むのをやめようかと思いながら最後まで読まされてしまった。結局はおたくの妄想の世界を中心に、読者を引っかき回す手法はMorris.には目新しくも思えたが、後味は良くない。それでも、この作家はどこかひきつけるものをもっているようだ、もう1,2冊読んでみよう。

2007/05/11(金)●ヘヨンの日(^^;)●

9時起床。
ひさしぶりにFlickrのスライドショーで遊んでみようと、去年の韓国旅行のデジタル画像をいっぺんに200点以上アップして、結果を見ようとしたら、英文でなにやら掲示が出る。そうか一回に200点以上アップしてはいけないのかと思った。ところが、その時点でTAGをチェックしたら猫や夜桜やまぬうのタグが見えない。チェックしたらやっぱりそれぞれのスライドショーを見ようとすると「該当写真ありません」の表示。過去の画像は勝手に消えてしまったのか、おいおいそれはないだろうと、韓国旅行の画像全て消去してみたら、元通りになってた。
つまり無料使用だと、新しい画像200点しか表示できないらしい。過去にアップした画像は消えるわけではないが、スライドショーなどで見ることができないということになる。がぁーーん、すでに先の3つのスライドショーで180点以上になってるから、おいおい追加したり、さまざまなスライドショーを作っていくというのは無理なのかな(^^;) ちょっとがっかりである。
Morris.蔵キムヘヨンCD東京のイルボンさんが、サイトの引越しされたようだ。もともと映像や音源データの多いサイトだったが、今度はさらに大容量のサーバーへの移行とのこと。掲示板を覗いたらさっそくカラオケに行って歌った自分の歌の音源データをどばどばとアップされてた(^^;) ナムジンが多いのはわかるが、何とわれらがキムヘヨンのレパートリーを歌ってる。それも「ユイルハンサラム ただ一人の人」という変化球である。これにはちょっと意表を突かれたね。ヘヨンのカラオケナンバーといえば何といっても「ソウルテジョンテグプサン」または「カンクンナムジャ」あたりが定番だと思うが、ユイルハンサラムは、Morris.のレパートリーに入ってないぞ(@ @) これではいけない(何がぢゃ(^^;))ということで、CDケースからヘヨンCD引っ張り出して「ユイルハンサラム」を繰り返し聴き直す。悪い曲じゃないんだけど、やっぱりMorris.はポンチャックディスコメドレーの女王として華々しくわしらの前に登場した当時のインパクトが忘れられない。手持ちのヘヨンCDを床に並べたら24枚あった。自分で買ったのは半分くらいかな。後はヘヨン嬢本人か、ソパンソク社長からプレゼントしてもらったものだ(自慢モード(^^;))。ジャケットに自筆のサイン入りのものも混じっている(同前(^^;)) 幻のファーストアルバムから始めて、片っ端から聴くことにした。24枚のアルバムといっても、曲目がかぶってるものも多い。ポンチャックディスコメドレーはとにかくヒット曲をハイテンポハイテンションで切れ目なしに連続演奏するから、オリジナル中心では無理である。
それにしてもひさしぶりにヘヨンディスコワールドに浸れて嬉しかった。
今夜の阪神は神宮のヤクルト戦、林、金本の連続本塁打、投手陣のふんばりもあって5-3で勝った。連敗の後の連勝(^^;)である。

【"日本離れ"できない韓国】黒田勝弘 ★★★☆ 去年読んだ文春新書「韓国人の歴史観」(2002)の続編みたいなものである。前作のときにも「サンケイ色が濃くなってる」と書いたが、本書もそのカラーはますます濃くなっているようだ。しかし、本書はMorris.に共感させる部分が多かった。これは黒田側の変化というより、Morris.の意識が黒田よりになったということなのだろうか?
1945年8月15日の日本の敗戦、朝鮮の「光復」直後の歴史的推移が、日韓(この際北朝鮮はおくとして)の、特に韓国側の心理状態を呪縛してることはいくら強調してもし過ぎることはないと思う。

韓国(朝鮮)が自力で自らの解放を勝ちとれなかったということは、彼らにとっては憤懣やるかたないことだ。日本との歴史においては、日本に支配されたこともさることながら、その支配から自力で脱出できなかったという鬱憤の方が実はもっと大きいのだ。
今に続く反日というか、日本に対する"恨み節"に似た感情はそこに起因する。自力で日本を追い出し解放・独立を実現しておれば、あるいは日本との独立戦争で日本を打ち負かし勝利していれば、いつまでもぐずぐずと反日をいいつのることはなかっただろう。勝者が打ち負かした相手、つまりは敗者に対し恨みを言う必要は無いからだ。日韓関係が今なおどこかすっきりしないのは、このことが尾を引いているからだ。


筆者も書いているが、歴史に「もし」は許されないとして、朝鮮半島にとってあの8月15日の迎え方が、ほんのちょっとでも違っていれば、これほどにこじれまくることは無かったのにと、思わずにいられない。

韓国では鬱憤を晴らすことを「ハン(恨)プリ」という。「プリ」は「解く」を意味する。だから、靖国神社反対も一種の「歴史的ハンプリ」といっていいい。それは「ハン」というのが韓国人においては他者に対する単なる恨みつらみではなくて、「自ら果たせなかった望みや夢の挫折い対するやるせない心情」であり「満たされない思いの塊みたいなもの」という解説にビタリあてはまる。

「はん 恨」は朝鮮文化を読み解くキーワードであることは間違いないと思うが、靖国神社反対までもが鬱憤晴らしというのはちょっと疑問がある。でもハンプリとしての「反日」はたしかにネタとして無尽蔵だと思うぞ(^^;)

満州は"新天地"として多くの日本人を惹きつけたように、朝鮮(韓国)人たちも夢と希望を抱いて満州に渡った。「歌謡舞台」で最も多く歌われてきた「野いばら(ジルレコッ)」は、満州の地から朝鮮半島の故郷を懐かしむ歌だ。あるいは「感激時代」や「大地の港」などは満蒙開拓の歌といっていい。いずれも満州国が建設された1930年代から40年代初めにかけてのヒット曲だ。とくに明るく軽快な「感激時代」は、その題名もあって、多くの韓国人は日本から解放された喜びをうたった解放直後の歌だと、錯覚、誤解しているほどだ。
あるいは、渡し舟で国境の河を越えてゆく恋しい人への思いを歌った「涙に濡れた豆満江」は、懐メロ演歌の定番中の定番だが、この、「恋しい人」とは満州の地に逃れる独立運動家だというのが近年の解釈だ。


満州の一部は、現在の中国の延辺朝鮮人自治区と重なるし興味を惹かれる。「野イバラ」「雨に濡れた豆満江」はともかく、「感激時代」までもが満蒙開拓に関わる歌だと言うのは知らなかった。

朴正熙の「ニ・二六事件」への関心とは、少壮軍人のクーデターによる政権掌握の方法だけではない。事件の背後にあった農村の疲弊など社会的不条理の解決のための、国家社会的な新体制に夜国民総動員による新しい国づくりの発想、といったこともあったのではないだろうか。
ひょっとして朴正熙は金日成以上に革命児だったかもしれない。その最大の業績としては、農村、農民を「セマウル(新しい村)運動」に動員し、組織化することによって明るく住みよく一変させるなど、国民に「ハミンテンダ(なせばなる)」のスローガンでヤル気を出させたこと、つまり国民の意識改革に成功したことが挙げられれる。

日本人拉致事件の背景には、日本ジャーナリズム、ひいては日本社会の"北朝鮮タブー"があったのだ。このタブーは近年、日本人拉致事件が明るみに出るにおよんでほとんど崩れたが、ではなぜ、このタブーが日本社会に生まれたのか。
それは、日本の戦後社会における対朝鮮贖罪意識と社会主義幻想のせいである。
筆者(黒田)は1964年にジャーナリズムの世界に入ったが、このことは経験的にはっきりいえる。今でいえば、いわゆる[自虐史観」の影響は「朝鮮」をめぐって最もきわだっていた。
そして北朝鮮をめぐっては、この贖罪意識に社会主義幻想が加わった。戦後日本における社会主義思想は、とくに知識人やマスコミに強かった。政治的にはソ連や中国など共産主義国家が偶像視され、日本でも社会党や共産党の基盤は強かった。その結果、「日本帝国主義(軍国主義)と果敢に戦った抗日独立闘争の英雄・金日成」と、彼が率いる社会主義・北朝鮮もまた偶像視された。
後に[地獄への送還」として問題になるが、1959年に始まったっ在日朝鮮人の北朝鮮帰還も、日本のマスコミでは資本主義から社会主義への歴史的な「栄光への脱出」であり、帰還船は「人道の船」だった。筆者もまたその片棒をかついだ記者のひとりだった。


こういった率直な告白が筆者への信頼を深めるのだが、それにしても、日本のマスコミにはこれらの事実を知りながら、知らぬふりを決め込んでいる傾向が強い。

韓国における日本の歴史教科諸問題にからむ執拗な記述修正要求など、日本の教科書制度を考えれば内政干渉にひとしい。また盧武鉉大統領は2006年の「三・一独立運動記念日」の演説で、間接的ながら日本の憲法改正問題にまで触れて日本を非難し、日本側から内政干渉ではないかとの批判を浴びた。
しかし韓国側は過去を理由に、日本に対しては国境意識は弱い。だから「内政干渉」といった意識はない。つまり韓国は「日本離れ」ができていないのである。これは政府や外交問題に限らず、多くの韓国人が日常的にそうなのだ。
たとえば、韓国人の頼みごとの多さには驚く。彼らはもともと地縁、人縁に生きる人たちだから頼みごとが多いということは分る。しかし外国人である日本人のわれわれに対する、あのなれなれしい頼みごとはどうしたことだろう。外国メディアであるわれわれの事務所へのよろず持ち込み話の多さは何だろう。筆者(黒田)の韓国生活体験においても、彼らは日本、日本人に対する外国意識つまり国境意識が実に弱いのだ。あれもわれわれにとっては「植民地支配のツケ」に違いない。


つまるところ、日本も韓国も「外交」そのものができていないということになるのだろうな。
日韓国交正常化交渉の補償問題で、個人補償を提案した日本政府に対して、韓国側は政府による一括受取りを主張し、結果的にはこれが経済的発展の基盤となったことを踏まえた上で、

この選択が正しかったっことは、韓国のその後の目覚しい経済発展が物語っている。もしあの時、五億ドルを個人補償として個人補償として国民に少しずつバラまいていたとすれば、いったいどうなっただろう。おそらく何も残らなかったに違いない。
請求権資金は何に使われたか。『白書』を見ると、農林・水産・鉱工業・科学技術開発・社会間接資本……とあらゆる分野にとうにゅうされたことが記されている。−−まさに韓国の経済、社会発展のためのあらゆるインフラ事業に使われたのだ。
そのうち象徴的なプロジェクトといえば、今や世界最大級の製鉄企業に発展している浦項製鉄(現POSCO)、今なお韓国の陸上輸送の最大動脈である京釜高速道路、そしてソウル首都圏を水害から守る韓国最大の昭陽江ダムといったところがビッグスリーだろうか。あるいは1974年に韓国で初めて開通した、ソウル地下鉄一号線もまたそうである。
ところがこうした事実が韓国社会ではほとんど知られていない。いや、知らされていない。もちろん『白書』の存在さえまったくといっていいほど知られていない。
「日本隠し」とはこうしたことを言う。浦項製鉄や京釜高速道路を知らない韓国人はいない。昭陽江ダムまたヒット演歌「昭陽江乙女ソヤンガンチョニョ」で知られるように、風光明媚な観光地にもなっていて韓国の国民にはおなじみだ。しかしそこに「日本の償い」が入っていることを知っている国民はほとんどいない。いや意図的に知らされてこなかったのだ。


植民地時代に「日本はいいこともした」発言が、韓国側の条件反射的猛反対を招くのと同じく、このような物言いが韓国側の反発を買うことは想像に難くない。しかし、事実を知り、伝えることは必要だろう。

ソウルの中心街の風景は、今や中世と現代はあっても近代が見当たらない。近代の風景の多くは日本統治がもたらしたものだったから、日本支配=近代が消されつつあるのだ。解放から五十年後の朝鮮総督府ビルの撤去は、その象徴だった。

個人的に愛着のあった旧総督府が、無能な大統領の人気取りのために撤去されたことには今でも残念に思っている。しかしこれに関しては日本人の言うべきことではないのだろう。

韓国の"反日"には韓国側の事情が存在することがあらためてわかった。韓国側に事情があるとすれば、これは日本側の努力だけで改善、解消するものではないということになる。したがって韓国の"反日"にはじたばたせず、韓国側の事情が変わるのを待つしかないのだ。

このあとがきの中の一節が筆者の結論というのはちょっと拍子抜けだが、内心共感も覚える(^^;)

韓国人たちにとって日本は特別な感情を持つ特別な国だが、日本人にとっても韓国はやはり普通の外国ではない。近代以降、日本が世界で最も強く影響を与えた特別な外国なのだ。そして筆者は四半世紀にわたる韓国での生活体験から、韓国人は世界で最も"反日"であるとともに最も"親日"だと思っている。

2007/05/10(木)●Like The Cat's Eye●

ちょっと早出で、西根君ら3人で京都堀川今出川の台湾向荷物引取りの現場。ローカル業者と同じ日の作業になったため、ちょっと大変だったが、休憩、食事抜きで1時過ぎに作業終了。ふーっ、疲れた。昼前から雨が降ったり止んだりしてたが、作業の後突然の雷雨もあったし、突然晴れ上がったり、突風が吹いたりと目まぐるしく変化する天候。昼食は「悟空」という店でラーメン。ここのスープは鶏がらだしで、かなり濃厚。Morris.は豚骨に勝るラーメンは無いのだが、これはこれで頑張ってると思う。
すぐ近くの、高平さんの配達現場のヘルプ。組み立て本棚や家具が多く、結構手間取り、5時作業終了。マンション6Fの通路から虹が見えた。
今夜の阪神は金本の2ランで先制、初めて?内野守った林のファインプレーもあり、リリーフ陣もふんばり、藤川は昨日の屈辱を払拭して、何とか10連敗は阻止した。はーーっ(@ @) 脱力感である。


今朝の猫その1

今朝の猫その2

今朝の猫その3

悟空ラーメン

京都の虹

キーウィサラダ
2007/05/09(水)●近所のトマソン●

早出、和歌山の現場。で6時半に倉庫に行ったら秋本,、浅海君ら4人がドアの前に座り込んでる。またも事務所の鍵のトラブルらしい。西根君が予定より早く来てくれたので事無きを得た。
現場は和歌山市北出島のIT企業の事務所機器をフィリピンに送るというもの。Morris.は朝からCRTモニター10個を梱包した(^^;) 道が狭くトラック停めにくいのでコンビニ弁当(>_<)。せっかく和歌山まで行ったんだから和歌山ラーメン食べたかったのに。
現場付近は結構文化住宅が多く、とくに2階建て20戸の物件はなかなかの代物だった。
4時に倉庫に戻り、明日の用意してちょっと早めに帰宅できた。帰り道、これまで見逃していた不思議な鉄階段を観察。階段といっても、民家の横の塀の途中から下の溝の上にかかってる1mくらいのちんけなもので、錆びてるし溝に触れる部分は接合部分が剥がれている。もちろん人の利用に耐えるものではないし、それ以上にちゃんと接合していたとしてこの階段でどこにも登れそうにない。赤瀬川原平が流行らせたナンセンスな「トマソン」の仲間だろう。
昨日散々苦労してmp3ファイルの切り出しソフトを試したのだが、窓の杜サイトで昨日インストールしたソフトの簡単な説明ページがあり、そのとおりやったら何とか前後のいらない部分を切り取ることができた。考えてみると、音源ファイルの加工(初歩的な)はwin98時代以来だもんな(^^;)
阪神−巨人、今日は阪神奮起して3-0と先行、ひさしぶりに楽な試合かと思ったらあっさりひっくり返されている(>_<)
後半葛城の初本塁打で勝ち越したものの、頼みの藤川が8回同点にされ9回には5-6と引っくり返されてしまったよ(>_<) そして巨人の「抑えの上原」にあっさり〆られてしまった。これで阪神は昨日の「泣きっ面にハチ連敗」からついに「窮連敗」(>_<)


座り込み(^^;)

年期の入った文化の窓側

典型的文化「丸新荘」

何のための階段なのか?

斜め前から

裏側から

【無限連鎖】楡周平 ★★★☆ 9.11同時多発テロからあまり時を置かずして発表された、テロの続編を主題にしたシミュレーション小説といえるかもしれない。
全米の流通の要所60箇所を同時に爆発させ、アメリカ経済ひいては資本主義の経済を麻痺させようという作戦。普通ならこれを如何にして防ぐかというのが主題になるのを、本書ではこれを見事に成功させ、さらに、次は日本の巨大タンカーをシージャックして東京湾を石油まみれにするという作戦。これだけ書くといかにも作り話だが、筆者はこれに政治経済的薀蓄と、それぞれの立場の主要登場人物数名のディテールを丁寧に書き込んで、小説に厚みを加えている。そして物語の進行につれて場面や登場人物の場面転換を巧みに演出して読者を飽きさせない。なかなかの手錬れだと思う。

本当にアメリカに打撃を与えようとしたら、知恵を働かさなければならない。敵対行為をとった人間たちが国家という枠にとらわれないものであったとしたら、連中は振り上げた拳のもっていきどころに困るに決まっている。
自分たちの生活がとてつもなく不自由になったにもかかわらず、派手な報復に打って出ることもできないとなれば、あのカウボーイ気取りのペシミスト連中にとっては我慢がならないだろう。大統領の権威は失墜し、国は大混乱に陥ることになる。
そのためには何も数千人もの人間を殺す必要はない。あの豊かな生活を支えているのは何か。それを考え、破壊してやればいいだけの話だ。
人間というのは不思議なもので、当たり前のことが当たり前でなくなる、つまり一昔前ならば当然だった不自由に立ち返ることすら不平を唱えるものなのだ。

大きな仕事はみなそうだが、メンバーのそれぞれが与えられた任務を百パーセント確実にこなせば、おのずと成功するものと決まっている。全ての人間が全体像を知っている必要などない。特に大きい仕事は、全体を知るものが少なければ少ないほどいい。そのためには一市民として、特に反米の言をあげつらうことなく、平凡な日常生活を送らなければならない。

物語の始めに出てくるテロ側の男の独白だが、これだけでも本書のタッチとトーンを知ることができるだろう。
エンターテインメントは読者を楽しませてさえくれればすべて良しとMorris.は思ってるわけで、そういう意味では本書は合格点である。特に後半の石油タンカー「あらびあ丸」の乗組員、特に船長である日本人の描写は圧倒的で、彼の人生論みたいなものまで開陳されてるし、終盤の死闘は感動的でさえある。
タイトルには不満がある。本書を数ページ読んで「無限連鎖」というタイトルを思うと、おのずと本書の流れが想像できてしまう。もうすこしひねるか、象徴的なタイトルにすべきだったろう。
アメリカ軍事力と日本の依存体質をことさら強調するかのような、デッドエンドは、ストーリーとしては成功だったかもしれないが、冒険ものお約束の数秒の時間差での決着のつけ方それも登場人物を死に押しやるそれは、作者の匙加減で決められるわけだ。つまりは作者こそが登場人物殺害の「犯人」であることはいうまでもない。後味の悪さよりインパクトを優先したのだろうと思うが、個人的には感心しない。

世界に君臨する大国という看板は、単にそれが軍事力に裏付けられたもので、アメリカ人がそれに相応しい資質を持った国民であるということと同義語ではない。何しろ、アメリカ人の六割は、一歩たりとも国を出ることなく生涯を終えるのだ。他人の国を蹂躙し、自分たちの行為の全てが正しいものと信じて疑わないのは、そうした田舎者の集団で国家が形成されているのも要因の一つだ。

こういった類のアメリカ批判のカラーが随所に見られ、つい、Morris.も拍手したくなるのだが、これも、どちらかというと著者本人の意見ではなく借り物っぽく見えるのは、Morris.のひが目かもしれない。
もう少し星印多くしても良いくらいの作品だとも思うが、本書にはMorris.の嫌いな「手をこまねいて」(403p、452p)、「目をしばたかせる」(481p)が出てきたし、ページ数は忘れたが「上へ下への」(当然これは「上を下への」が正しい)という表現もあった。これらの「誤用」(と言い切ってしまおう)が、採点の辛さに影響してるのだろう。

2007/05/08(火)●橋の懐しカレー●

9時起床。
昨日飛田さんと器楽合奏した一曲だけ携帯mp3プレイヤーで録音したのだが、おしまい部分にノイズが入ってる。ここだけカットしたいなと思い、朝からネット検索や窓の杜などでフリーソフト「MP3Cutter」「AudioEditor」「SoundEngine」等々探してインストールして試してみたがどうも上手くいかない(>_<) めんどくさくなって中止。
昼過ぎ自転車で、高橋経由で六甲道に向かう。2号線、西灘小学校向いの「橋」のカレーの暖簾につい目が行ってしまった。ここのカレーはたしか以前naddistで紹介してあったのを読んでて、一度行かねばと思ってたのだった。11時から午後1時半までの時間限定である。ぎりぎり滑り込みセーフという感じ。もともとカウンターだけの居酒屋で昼間のカレーはバイトみたいなものらしいが、何となくMorris.の食指をリモートコントロールする妖しさがあった。
ママというよりおばちゃんひとりで、のんびり壁のTV見てたがこのカラー画面の色が凄かった(^^;) メニューには「カレーライス \600」「ABカレー\800」「勝カレー \800」などと書いてある。とりあえず普通のカレーライス注文したけど「ABカレー」というのが気になっておばちゃんに訊ねたら、恥ずかしそうに「エビカレーです」とのこと(^o^) わっはっはっは、そういうことか。となると「勝カレー」訊くまでもないわな。
大鍋から目の前の小ぶりの鍋に移して煮つめられていたほとんど黒に近いカレーは、Morris.が予想していたタイプの濃厚カレーだった。うーーん、凄い凄い。ふた昔くらい前まではこのタイプのカレーはところどころでお目にかかることがあった。最近では、去年の9月7日、西天満のカレー専門店「ランプハウス」のカレーがこのタイプに近かったが、色は褐色だったしインパクトもなかった。それにひきかえこの「橋」のカレーはインパクト強かった。野菜や肉なんかほとんど原型をとどめてないし、とろみも適度、香りというより刺激臭といいたくなるくらいだし、辛さはそれほどでもないが、味は濃厚&芳醇(ちょっとこれは褒めすぎかも(^^;))うーーん、このタイプのカレーはたまに食べたくなるぞ。そして、遠い記憶が甦ってきた。Morris.が神戸に来たばかりの頃(今から30年くらい前)。大倉山東側の急傾斜の坂にアクロバチックに建てられた恐ろしいアパートに住んでいて、自転車で新開地に行ったとき、偶然入った「銀」という店のカレー。あそこのカレーこそ、このタイプのカレーの最高峰だったのではないかという気がする。地震より前にとっくに無くなってしまった幻の店だから、どれだけ褒めてもいちゃもんつけられる心配がないということもあるけど、本当にあの「銀」のカレーはとんでもない味だったと思う。当時でたしか千円くらいという価格設定からも、その高級ぶりがしのばれる。この店は後々春待ち社長も好きだったということがわかって、しばしば話題になった。
灘区役所に寄って、ダイソー冷かして鍋掴みとマナイタ磨き買い、灘図書館回って、戻る途中警官に不審尋問(>_<) Morris.の自転車はコーナン御影店(もう無い)で買った安物のママチャリだが、ほとんど壊れる寸前で、以前盗難にあって数ヵ月後に警察から拾得物扱いでもどってきたこともあり、一見ゴミチャリのようなものである。これでMorris.がふらふら運転してると、何となく妖しいと思われるのだろうか? これまでに警官に呼び止められたのは5回以上あるぞ(>_<) この際、飛田さんにならって、ちょっと良い自転車に買い換えたい気がした。でも、その前に買わねばならぬものが複数あるので優先順位は低いだろうなあ(>_<)
今日から甲子園の阪神-巨人戦。し・か・し 今日も現在7回で0-7という惨憺たるありさまである(>_<) 結果は「泣きっ面にハチ連敗」(>_<)


「橋」のカレー暖簾

黒光りしてるカレーライス

昼のメニュー(^^;)
2007/05/07(月)●オカリナとミニギターの夕べ(^^;)●

9時起床。昨夜録画してた「ローズマリー」最終回見る。結局奥さんは最後まで自宅で夫と子供たちとともに暮らして、クリスマスの後生命を終える。このあたりは韓国ドラマならではの、これでもか、の感動盛り上げ場面の連続だった。ペドゥナは結局中途半端なままになってしまう。Morris.としては、もう一ひねりして欲しかった。でも、これで毎週の楽しみの一つが無くなってしまった。
夕方阪急で六甲に出てブックファースト冷かす。写真コーナーは、テーマ別写真集があふれていた。「猫」や「風景」、「雲」「花」などのほかに「廃墟」「工場」「ダム」「一本道」などテーマを特化した写真集がブームらしい。
7時から六甲学生青年センターのスタジオで、飛田さんと合奏練習(^^;) 今や「自転車男」の飛田さんだが、実はちょっと前から趣味でオカリナも始めて、かなりはまってるようだ。彼のブログのタイトルが「ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ」だもんね(^^;) レパートリーもそこそこあるとのことで、先日センターに寄ったときその話題になり、どうせなら一度Morris.のミニギター伴奏で何曲か練習してみようかというとになったのだった。Morris.はオカリナに関してはほとんど無知だが、C管、F管など数種があり、同じキーでもオクターブ高いものや低いものがあったりするとか。今日は黒いC管とオクターブ高い赤いC管の2本を使うことにした。
最初にオーソドックスな黒のC管で始めたのだがチューニングでまずつまずく。Eの音がかなり高いのだ。チューナーでチェックしたら450Hz近い。飛田さんの話によるとオカリナは温度や吹きかたで音程が変化するらしい。とりあえずギターも450Hzでチューニングする。今日の課題曲は朝鮮民謡「アリラン」、フォークの「アチミスル 朝露」「イムジン河」、トロット「サランエミロ 愛の迷路」の4曲。1曲やり終わるごとにオカリナの音程が微妙に変化するのでMorris.はチューニングしながら伴奏してるみたいだった(^^;) 途中で高音の赤いオカリナを試してみる。お、これは割りと音程が440Hzに近いし、音色も澄んで気持ち良い。後はこちらで練習してみる。1時間ほどでこの4曲は何とかこなせるようになった。
その後、Morris.持参のボロボロの「日本童謡集」(寺山修司篇)から、適当に遊んでみる。飛田さんは、知ってる曲でオカリナの音域に合えばちょっと練習したらすぐに吹けるようだ。いやいやなかなかのものである。「ゴンドラの唄」「椰子の実」などは即レパートリーになりそうだった。小学校の「器楽合奏」といったなつかしい雰囲気で2時間弱の練習終了。思ったよりずっと楽しかったあ(^o^)/ これは、ビールで乾杯せねばと、ひさしぶりに餃子の「aa」まで行ったら定休日(>_<) 六甲口に新しくできた韓国料理店「きてや」に入ってみる。豚足、チゲ、などアテにしばらく歓談。今日は飛田さんのおごり、おごちそうさまでしたあm(__)m
まだ10時ちょっとだったので、ひさびさに「レーヴ」へ。ちょうど先日BSで放映されたフォークの達人のヴィデオが映ってた。ママはあいかわらず元気で飲みまくってた(^^;) 
零時前に帰宅途中、パンスト(灘駅前パンダストリート)のこみちのパン屋「かて」が、今月24日(木)で店じまいとの貼紙。日曜と木曜だけ小さな屋台でホームメイドのパンを売ってる女の子の店で、一度買ったらなかなか美味しくて、その後何度か買ってただけにちょっとがっかり、したのだが、良く読んでみると、すぐ近くにパン工房をオープンするとのことだった。めでたい話である(^o^) 良かった、良かった。


C管オカリナ(赤は高音用)

スタジオ練習風景(^^;)

「かて」からの告知

【日本の公安警察】青木理 ★★★☆ 去年読んだ「北朝鮮に潜入せよ」が良かったので本書も読みたいと思いながら果たせずにいたら、先日センターの古本市で見つけた。2000年1月発行の講談社新書だから、ちょっと現状からは隔たってしまったかもしれないが、やっぱりこの人はちゃんとしたジャーナリストだと再認識した。

自自公という不可思議な絶対与党体制が成立して以降、為政者たちが長らく望んできた監視と管理のシステム強化作業が着実に進められてきた。盗聴法、改正住基法、が相次いで成立し、破壊活動防止法の改正、さらには憲法改正までが視野に入りつつある。いずれも国家機能強化を図るための一種の治安法の整備作業と言ってよいであろう。

前書きからの引用で「自自公」という言葉に時の移ろいを感じたりもするのだが、7年前に書かれたこの一文は7年後の情況をそのまま言いあてているようだ。いや実情はこの予測よりさらに悪化の度合が高まっているかもしれない。

治安機関をテーマの一つに取材を続けてきた経験則から言えば、実は「対応策」なるものは単なる名目に過ぎず、国家機能の強化事態が目的なのではないのか、そう感じることすら往々にしてあった。なのに治安機関の姿は一向に見えないまま、その機能強化システムばかりが組み上がっていく−−短視的とも思える「対応策」を易々と容認する前に、我々はまず、知らねばならない。公安警察を中心とする日本の治安機関が何をなし、何をなさなかったのか。治安を名目としてどのような活動を繰り広げてきたのか、繰り広げようとしているのか。

学生時代からノンポリだったMorris.などは、こういった真摯な意見を見て見ぬふりをしてきたようだ。
本書は8章に分かたれ、内容は、公安の組織、公安の前身ともいえる戦前の特高から戦後公安誕生までの歴史、活動内容、事件簿、オウム・革マルとの攻防、公安警察と公安庁の軋轢、監視社会への警告など。
警察機構そのものへの知識が皆無なMorris.にとっては、いまいち理解しがたい部分も多かったが、刑事警察と公安警察の捜査法の違いは「新宿鮫」で頻繁に出てたので解りやすかった(^^;)

有名な言葉がある。
「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅ぶ」
警視庁捜査一課あんどで刑事として長く勤務した鍬本實敏は著書『警視庁刑事』の中で、公安警察についてこう語っている。「刑事部と違って、(略)泥棒なんて単なる物と物の移動に過ぎない、一人や二人殺したからって、そんなものがなんだ、おれたちは国家を背負っているんだ、とそんな意識でしょう。刑事なんか馬鹿だと思っている」

特高警察と同様、戦後公安警察の拡大を正当化したのは、結局のところ徹底した「体制の擁護者」としての組織性癖だった。戦争遂行を大義として猛威をふるった治安機構は、水脈の維持を図るため、占領下になると一転して時にはGHQの一部とすら結託し講和後は為政者の描く治安像を死守するため、わずかの期間に一挙に態勢整備を成し遂げたのである。

亀井静香が公安の裏理事だったというのには驚かされた。また現在民主党党首、基法制定当時自由党党首だった小沢一郎発言も、肝に銘じておこう。

「(改正住民基本台帳法)政府は国防、安全保障、治安の問題では使えないと説明しているが、そこに使わないで何のためにやるんだ。当たり前じゃないか。(盗聴法も)総背番号制の話もそうだが、国家的な危機管理という考え方が根底にあって、初めて成り立つんだ」「正面から『治安維持のために必要』『プライバシーを守るための厳重な乱用禁止規定を設ける』とか言えばすむのに、こてんぱんにやられるから(政府は)絶対にそうは言わない」

あとがきで「巨象の背中を撫でただけに過ぎない−−」といささか諦めを含んだ言葉を書き付けているように、たしかに公安の壁は厚く、あまりにも巨大なそんざいかもしれない。そのことをおしえてくれただけでも本書の意味はあるだろう。しかし、やはりもどかしさは残る。著者の結びのことばを引いておく。

監視と管理の装置は着実に強化され、公安警察、公安調査庁などを始めとする治安機関は相変わらず閉鎖された壁の向こうで密やかに活動を続ける。時には大きなミスを犯し、時には堰を切ったように猛然と、活発に…。

2007/05/06(金)●韓国ノレバンベスト30●

9時半起床。雨が降ってる。かなり寝汗をかいてたようだ。これは風邪の治りかけかもしれないが、相変わらず鼻はぐしゅぐしゅしてる。
昼からGyaOで「パリの恋人」最終回を見る。ハピーエンドではあったけどちょっと予想とは違って、ヒーローとヒロインは2年ほど別れてくらし、パリで運命の巡りあいを再び繰り返すという、持って回ったフィナーレだったが、おかげで見逃してた初回の出会いの場面などを見ることが出来て良かったかもしれない。
今日は雨で甲子園野球中止。良かった、というしかない(^^;)
むくげのMLに山根さんが、KBSのHPでラジオリスナーからのノレバン愛唱曲BEST30が発表されてるという書き込みがあったので早速覗いてみた。1位がナメンヨルチャというのは、当然かもしれないがやっぱり嬉しかった。せっかくだからこれをネタにずっとほったらかしてたはてな日記の「ノレ番Morris.8090」5ヶ月ぶりに更新(^^;)

【写真を撮る】竹村嘉夫 ★★★☆☆ 昭和57年(1982)発行の講談社現代新書。元町「つの笛」の階段の百円均一で見つけたもの。著者は顕微鏡写真などの日本での権威らしいし、本書は20冊目の著書と書いてある。何しろ25年前の本だからまだ、巷にはデジカメの影も無かった時代である。当然35mm一眼レフとコンパクトカメラ中心の写真入門書であるが、何となく心惹かれるところがあり、デジカメ撮影にも参考になる部分が多いような気がした。そして期待は裏切られなかったと思う。
第一章の冒頭部分に懐かしい名前を発見したのも嬉しかった。

いまでこそ、一眼レフ時代にふさわしく[接写]は日常茶飯事のようになったが、40年ほど前に出た吉川速男さんの『近接撮影』という本が、接写の本の第一号らしい。その吉川速男さんがアマチュアの指導に活躍していた頃、小型シネマやスライドの集まりがあった。仲間のスライドを鑑賞したり、自分のスライドも映写してもらったり、たしか毎月一回の例会を楽しみにしていたのを思い出す…

おお、吉川速男といえば、Morris.の愛蔵本の一冊『小型カメラの第一歩』の著者ではないか。これは昭和7年(1932)だから、今から75年前のものだ。Morris.にとって写真の本はこれしかないと思っていた。それだけに竹村氏が吉川速男と接点があったということで親しみが増した。
もうひとり「動物写真家岩合徳光さん」という聞き覚えのある名前が出て来た。先日Morris.が買った「ネコを撮る」の作家ではないかと確認したらこちらは岩合光昭だった。しかし、滅多に無さそうな苗字と名前にも「光」という文字が入ってて、両者が動物写真家ということは、もしかしたら親子なのではなかろうか。と、ネット検索したらやっぱりそうだった。しかも父の徳光さんは今年の2月に91歳で亡くなった由、本当に居ながらにして、かんたんにこんな情報がわかってしまう時代になったんだな。後20年もしたらどうなってるんだろう?
閑話休題、本書は4章に分かたれている。

1.写真への道(写真への取り組み方と価値評価私論)
2.何のためのカメラなのか(撮影機材の選び方)
3.写しながら考えよう(カメラ以外のソフトウエアテクニック)
4.写真を撮る(入門レベルでの撮影技術)
附録 写真の本の紹介


フィルムカメラのための説明なのに、デジカメでも役に立つ情報が多いのにはびっくりさせられた。いや、最近のデジカメ専門の本では省略されている部部にこそ写真の要諦が詰まってる気がしたのだ。

「写真」のための最低条件
1.実用的レベルでピントがあっていること。サービス判で25cm、大伸ばしで1mはなれてピンボケが感じられないこと
2.露出はラチチュード(許容範囲、寛容度)の範囲内であること
3.カラー写真では「それらしい」色が出ていること。実物そのままは難しい
4.白黒写真では、白から黒までの諧調があること、真っ黒い部分のないプリントは露出不足、現像不足、引き伸ばしの失敗などのいずれかである

これなんか当たり前のことのようで、特に4,なんかはMorris.にとっては目からウロコの思いがした。デジカメで白黒映像撮ることは可能なのにこれまでやってこなかったことを反省する。白黒はフィルムでなくてはならないと思い込んできたが、この4.を肝に銘じて挑戦してみたい。

・フォトコンテストを例にとって、岡見璋さんがいっておられることは、撮影者の[写真を撮る]意図−−その画面で何をいいたいのか、何を訴えたいのか、なにがあなたにシャッターを押させたか−−が一目でわかる写真を撮れ、ということである。
岡見さんの上達のための手段をかいつまんで紹介すると「まず、いつもカメラを身体から離さず、心にひっかかるものがあればシャッターを切る。乱射乱撃、手あたりしだいに写す。こういう訓練を続けてカメラを身体の一部にしてしまう。撮影したものはベタ焼きをつくり、ルーペを片手に、穴のあくほど眺めつづけて研究する。このベタ焼きの徹底検討の効果を上げるためには、撮影のときに絞り、シャッタースピード、天候などの技術的データをメモしておくことだ」とおっしゃる。

このように、先達カメラマンの著作の中から適宜引用されて、それがまた本書の魅力ともなっている。上の指摘のうち、ベタ焼きチェックはデジカメの場合PCの液晶画面で拡大表示でチェックが出来るし、撮影データもカメラ附録のソフトで取り込み整理したら勝手にデータは読み込まれている。ただ、Morris.はこれまでそのデータを見ようともしなかった、これからは時々チェックすることにしよう。
AE(自動露出 Auto Exposure)、AF(自動焦点 Auto Forcus)、TTL(Through The Lens)測光、くらいは知っていたが、EEという言葉を最近聞かないなと思ってたら、

露出の自動化への先鞭をつけたのが[EE]。レンズの絞りが被写体の明るさに応じて自動的(電気的)に変えられるということから、Electric Eye(EE)と呼ばれた。はじめてカメラに組み込まれ市販されたのは1959〜60年くらいである。


と、あった。Morris.の古い記憶にあるカメラにはたいていこの「EE」が冠せられていた。そして、

EEとAEは、ことばと内容とは違っても、露出の自動化という意味では同じである。バカチョンカメラの発想は、当時のカメラメーカーの思惑をひっくりかえし、現在では高級機にまでもちこまれているわけだ。

よっく、わかりましただ。でも、本書にはこの「バカチョンカメラ」ということばが頻出するぞ(^^;)
さらにこのAEの説明のなかでMorris.の愛機デジカメの「TV」と「AV」モードが、以下のカメラタイプに対応することがわかった。

・シャッター優先AEカメラ(TV) カメラブレの無いようシャッター速度を決めれば、露出は絞りが対応してくれる。標準レンズのときは1/125、望遠レンズなら1/500秒を目安にしよう。
・絞り優先AEカメラ(AV) はじめに写しやすい絞りを決めそれに対応して電子シャッターでスピードをコントロールする。背景をぼかしたい、手前から遠景までのピントを合わせたい、なとというハイテクニック向き

これも主題とはずれるがピンホールカメラの写角は孔のある紙の厚さで自由に可変という記述にも興味を覚えた。

ピンホールの孔径は大きいほど、露出時間は短くてよいかわりにシャープさはそこなわれる。カメラボデー(ボール箱)の厚さで、写角は自由に決められ、超広角(ボール箱の薄いとき)にしても像の歪曲も無い。たとえばキャビネ判印画紙の空き箱と、0.2mm径のピンホールでとった高層ビルの写真は、35mm判に換算して20ミリ相当という超広角になる。昼間の野外撮影で10秒という露出時間はかかるけれども、写真レンズはなくても工夫次第では、すばらしい写真は撮れるものだ。

・絞り8などというつきなみな写し方はやめよう。シャッタースピードは最高の1/1000か1/500にセットしてそれに合う絞りを決めよう。カメラブレはほとんどなくなるはずだから、いままでのあなたの写真よりはシャープに写るかもしれないのだ。

・曇り日などのコントラストの小さい条件になると、写真にはコントラストがつかず、いわゆるねむい(軟調な)写真になってしまうことが多い

・手ブレを防ぐというか、なくすためには、まず体を楽な姿勢で安定させ、カメラは顔につけて、しっかりホールドすることである。構えた腕に力が入ってはいけないそして、スムーズなシャッターの押し方に慣れることが大切なのである。

・生半可な写真の技術があると、写すときのフレー民具をいい加減にして、引伸ばしのときにトリミングすればいいやということにもなりかねないが、こういう横着な考え方は、写真上達への道から遠ざかる、ことにもつながってくると思う。
シャッターを押す前に、ほんのちょっとだけ、カメラの向きを上下させるか、左右に動かす、ということは誰にでもできる。わかっていることが、無意識のうちにできるようになれば、いわゆる[写真がうまい]といわれるのである。

この、フレーミングは本当に大事なことだと思う。

・記録写真を撮るときに守らなければいけない基本条件のひとつが、フレーミングに関しては必要なものだけを写し、いらないものは画面に写しこまない、ということである。この心構えは写そうとする被写体に対しての内容的な突っこみを深くする、という大きな問題にもつながってくるのである。

・−−(「決定的瞬間」とは)−−意識とビジョンが一つになり、内容と形式がそこに合致した瞬間をいうのであるが、これが得られるのは直観以外にはない。この直観は常に知性によってつちかわれ、絶えず他の芸術にふれることで豊かになる−−と教えてくれるのが、金丸重嶺さんがのこしてくださった『写真芸術』という本である。写真を知性と創造による映像表現と考える人には必読の名著といえるだろう。

・前田真三さんの写真集『出会いの瞬間』はわたしの持っている大好きな写真集のいっさつである。そのなかからシャッターチャンスに亜KN連下アドバイスを引用させていただくと、
−−日本の自然は四季折々に多彩な意匠を見せてくれると共に、年毎に微妙に変化し−−風景写真というと静止した自然のshサインを考えがちだが、たとえ動いている状態が目に見えなくとも刻々に変化しているのが自然であり風景である。−−一見静止している風景は出会った瞬間でないとその美しさが全く見えなくなってしまうことがしばしばある。−−
もちろん、前田さんの写真にあるような場所に居合わせたとしても、こういう写真は誰にでも撮れるというものではない。的確なシャッターチャンスを選択し、フィルムに定着される映像を見極められる能力−−つまり、カメラアイ+表現技術といえる−−があってこそ、すぐれた写真が撮れるのだ。

・あなたが、もし本格的にライティングの勉強をしようとお考えなら、はじめのうちはカラー写真はおあずけにし、黒白写真に取り組むことをすすめたい。太陽を背に受ける、バカチョンカメラ的な順光撮影もやめよう。カメラの斜め前に太陽がくる[半逆光撮影]にトライしてみてはいかが。カラーに馴れていれば、色でごまかされた写真しか撮れないから、黒白写真に切りかえた当初は、なんでこんなものにシャッターを押したのか、という写真を撮ってしまうものだ。黒白でライティングが判ってからカラー写真を写せば、その写真のレベルはずいぶんと高くなっているはずである。

ますます、黒白写真を撮りたくなってきたぞ(^^;)

・記念写真というのは、個人的というか主観性の強い写真である。撮る人、撮られる人(や物など)、当事者の満足感が第一である。動きまわる子供の表情などを例にとっても、ピンとの甘さなどより、表情の可愛さが優先されるものである。フレーミングやライティングのテクニックがいくら立派に仕上がっていても、写された人に喜ばれないような写真では、本来の意味は失われてしまうのだ。

えらく引用だらけの紹介になってしまったが、それだけMorris.に響く内容が多かったということだ。最初に書いたとおり、フィルムカメラでもデジカメでも、撮影の心と目標は同じなのだろう。本書のラスト数行を引用しておしまいにしよう。

・言葉を知っていて、文字はかけても、それだけでは[文章]にならないのである。シャッターを押せば写真名h撮れるだろうが、シャッター以前に何を考え、その写真でどういう意思表示をするのか、ということをしっかり頭のなかでかんがえておかないと、[読める写真]も[語れる写真]も写すことはできないのである。

2007/05/05(金)●宮川君送別会●

6時起床。昨夜は風薬のせいか早く寝たので、早起きしたみたいだ。今夜は三宮で宮川君の送別会があるので、大事をとって、午前中ベッドにデジカメとマニュアルを持ち込んで、読み直した。
先日「つの笛」で100円で買った古い写真の本と、河野朝子「撮れルンです!」にひととおり目を通したところで、マニュアルを読み返したら、何となく理解が深まったような気がする。実際色々操作してみると、これまで知らなかった機能もかなりあることがわかったが、大して実用的でないことの方が多い。それより、絞り固定、シャッタースピード固定の意味や利用法、ISO設定で手ブレを防ぐ方法などがうまく活用できればいいし、これまでほとんど使ってなかった,特殊シーン効果も場合によっては有効かもしれない。でも、結局使わないんだろうな(^^;)
午後は甲子園の阪神−広島戦。またまた負けてしまった。これでゴールデンウィーク7連敗。阪神7連敗は5年ぶりらしい。
5時半に部屋を出て三宮、サンパル冷かして定刻7時ちょうどにジャンカラ三宮店と同じビルの「からす」に行ったら、10人が既に出席して乾杯待ってる状態だった。今日の主役宮川君は今月10日からカナダに留学するとのこと。バイトに来たのは一年足らずだが、こうやって現場の皆から送別会してもらえるというのは人徳というものだろう。ひさびさに宴会らしい宴会で、風邪気味のMorris.は自重してビールだけにしたので、それほど酔わずにすんだようだ。浅海、溝渕、前田、宮川君などがビール早飲み競争やったが、これは圧倒的に溝淵君の勝利。コップ3杯のビール飲み干すのに6秒ちょっとである。しかも3回以上挑戦してた(^^;) 後から3人増えて今日は総勢14人。もちろん店の前で記念撮影。宮川君の彼方での活躍を祈ろう(^^;)


今日の主役

会場魚眼図

会場の一画

早飲み大会

あんたが一番

Four ever

ヤバい双子

主役と幹事

お約束記念写真
2007/05/04(金)●孔雀競演●

6時起床。ゴミ出しして午前中はまたベッドで読書。いくらなんでも、寝たきりはつらいので、軽く散歩に王子動物園に出る、ゴールデンウイークだけにすごい人出である。まぬうは今日もメスで、やっぱり岩の上でじっとしてた。動物資料館内の図書室はがらすきだった。ここで一休み。世界大百科事典のマヌルネコの項をチェック。どうでも良いことだが、マヌルネコの次の項目が画家の「マネ」、その次が「招き猫」だった(^^;)これまでみた動物図鑑などの説明に比べても一番わかりやすかったので引用しておく。

マヌルネコ Pallas's cat;Felis manul 体毛が長く美しい野生ネコ。イランからカシミール、チベット、中国西部、モンゴル、シベリア東南部に分布、体長50-65cm、尾長21-31cm、体重2.5-3.5kg、体はがんじょうで四肢が太く短い。耳は短く丸く、頭部の側方につく。上あごの前臼歯は普通のネコよりも一対少なく、歯は28本しかない。体色は変化に富むが、多くは背面は黄灰色または赤褐色を帯びた灰色、頬には2本の暗色線があり、その間は白色。後半身に赤褐色または横帯があり腹面は灰色、尾には暗色の細い輪状斑があり先端は黒い。岩石の多い、砂漠や平原、川原、山地の森林に単独で住む。夜行性でナキウサギやノネズミなどの小型哺乳類、ジリス、ユキウサギ、鳥類などを食べる。岩穴、岩の割れ目、他の動物が捨てた穴などを巣とする。繁殖習性などはほとんど知られず、シベリアでは4〜5月に1産4-6子を生むといわれる。寿命は飼育下で8年以上。

ここで、ちょっと気になるのは「飼育下での寿命8年以上」というところで、王子公園のまぬう(マヌルネコ)はオスが1999年4月7日生まれ、メスが2000年生まれだから、オスはすでに8歳越えてる。「8年以上」というところが微妙だけど、それほど若くはないということになるよなあ。
孔雀の檻の前に人だかりが出来てたので覗いたら、珍しく孔雀が羽根を広げていた。さらにすぐ隣りでは白孔雀も負けずと羽根を広げた。
昨日まで阪神のことはわざと書かずに来たのだが、今日から甲子園での広島戦である。前半投手陣総崩れで二つの押し出しなどもあって0-7のワンサイドゲーム、6回にやっと打線が燃えて5-7と2点差に追い上げたのに久保田があえなく捕まって7回にすぐ4点を献上。終ってみれば5-11の完敗。これで阪神は不甲斐ない6連敗(>_<)である。
夕方自転車で水道筋に出て、風邪薬と食糧買出し。途中飼い猫らしい雉猫を子供たちがかまっていたので、デジカメ撮影。


今日のまぬう(メス)

羽根を広げた孔雀

負けずに羽根開く白孔雀

乙女のような薔薇

猫と少女

複雑な振り向き方

【ステーションの奥の奥】山口雅也 ★★★ 講談社の「ミステリーランド」シリーズの一冊で、前に読んだ森博嗣の「探偵伯爵と僕」と同じく、ハードカバーに大き目の活字漢字には総ルビという、いかにも昔の少年小説シリーズの装丁を意識したもので、Morris.などは大いに懐かしさを感じるシリーズなのだが、内容的にはどうも中途半端なものが多いような気がする。本書は東京駅の建て替えを前にステーションホテルに叔父さんと泊りがけで自由研究に出かけた小学生の少年が、殺人事件に巻き込まれて、その後もかなり意外な展開を見せる、それなりに面白いストーリーなのだが、途中から叔父さんがヴァンパイアだったり、輸血パックで生き延びてるヴァンパイアの組織が出てきたりと、どうも荒唐無稽&安易な結末になって期待はずれだった。磯良一という人の表紙絵や挿画、贅沢な装丁は洒落てて期待を誘うだけに残念である。

【さらば愛しき女よ】レイモンド・チャンドラー 清水俊二訳 ★★☆☆
 何で今ごろこんなのを読んだかというと、原ォを読んだからに他ならない。ほんとは「長いお別れ」を読みたかったのだが見当たらなかっただけだ。
本作は原作が1940、本書文庫初版が1976だから、かなりの骨董品という気がする。たぶん高校時代か、その直後くらいに読んだのではないかと思うが、どうもMorris.はハードボイルドにははまらなかったようだ。
本作の主人公マーロウが依頼者を殺してしまったことを異常に後悔するあたりは原ォの主人公が踏襲していることがわかった。
短文の積み重ねと小洒落た(当時は)比喩の頻出という当時のハードボイルドの特徴も嫌というほど見せつけてくれる。

私は椅子に座って、タバコをくわえ、火を点けないで、唇の間に転がした。その男は痩せて、背が高く、鋼鉄の棒のように姿勢がよかった。いままでに見たこともないような美しい白髪だった。絹のガーゼを通したようだった。皮膚は薔薇の花びらのように生き生きとしていた。三十五歳とも見えるし、六十五歳とも見えた。バリモワのような見事な横顔から、髪がまっすぐうしろになでつけてあった。眉毛は壁や床や天井と同じように真っ黒だった.夢遊病者の眼のように深さのしれない眼が、かつて読んだことのある井戸の話を思い出させた。それは九百年前の古城にある井戸で、石を投げ入れても、いつまでも水の音が聞こえないのだった。諦めて、帰ろうとすると、はるか遠くの井戸の底でかすかな水の音がする、そういう井戸だった。
彼の眼はそのように深かった。そして、また、その眼には表情もなく、魂もなかった。ライオンが人間を引き裂くところを見ても、少しも変らない眼だった。人間がまぶたを切られ、暑い太陽の中で叫んでいるのを見ることができる眼だった。
ダブル・ブレストの地味な服を着ていたが、画家がデザインをしたようにからだに合っていた。

こんな調子である(^^;) すごいといえばすごいけど、やりすぎでもあるなあ。パロディが出てくるのも当然だ。それにしてもこの訳もかなりのものである。後半に「しょうずくの実(「しょうずく」には傍点)」という単語が続けて出る場面があって、何だろうと、辞書を引いたら「小豆寇(草冠が付く)=カルダモン」だった(^^;)これは、わかるまい。

【兵庫のなかの朝鮮】 ★★★☆ 2001年に明石書店から出たこの本は、「兵庫県在日外国人教育研究協議会」「兵庫朝鮮関係研究会」「むくげの会」という3つの団体が中心になって編纂されたものである。阪神、神戸・淡路、東播磨、西播磨、但馬・丹波、全域の6部に分けて、それぞれの地域の朝鮮関連の史跡や名称、事件現場などを写真や図版を合わせて細かく紹介、「歩いて知る朝鮮と日本の歴史」と副題にあるとおり、実際に歩いて史跡巡りができるように、すべて地図も併載してある。Morris.亭の近辺では「敏馬神社と新羅使」の記事がある。
Morris.はこの当時学生青年センターの朝鮮語講座に通ってたから、当然話題にもなっただろうし、読んでしかるべきだったろうに、こんなに遅まきというのはちと情ない。
むくげの会からの執筆者は、寺岡洋、佐々木道雄、堀内稔、飛田雄一の4名でそれぞれ得意分野を担当しているが、特に寺岡さんは古代遺跡、古墳、山城などに関して専門的な研究成果を踏まえて大活躍だった。
飛田さんあhあとがきも書いていて、そこで本書の規格は2000年4月に亡くなった金英達氏の発案だったということを知った。彼とも朝鮮語講座では席を同じうしたこともある。改めて彼の冥福を祈りたい。

2007/05/03(木)●風邪かも●

屋上で拾った落ち葉昨日も体調不良で、飲みすぎのせいかと思ってたのだが、どうも鼻がぐしゅぐしゅするし、喉の調子も悪い。
熱はそれほどなさそうだが、これはひょっとして風邪かもしれない。
昼からしばらく屋上で日光浴しながら読書。どうもこれが逆効果だったらしい(>_<) 
夕方からベッドにもどり、吉美ちゃんから借りたままになってる「のだめ」17巻いっきに読み直した。一部飛ばし読みしたとはいうもののたっぷり半日かかってしまった。
なぜかBGMはイパクサ(^^;) これもたまに聴くと効くような気がする。
買い物に出る元気もなく昼食はキムチラーメン、夕食は近所のファミマで牛乳とサンドイッチ買って済ます。

【のだめカンタービレ 1-17】二ノ宮知子 ★★★★ 最近とんと少女漫画に縁のないMorris.はこの漫画のことは全く知らずにいた。2001年から連載が始まり結構話題にもなり人気も出てたらしい。Morris.との接近遭遇は、昨年TVドラマ化されたからだ。ロックミュージックや歌手を主題にしたドラマは珍しくも無いが、クラシック音楽を主題に、それもかなり本格的に扱うドラマはめったに見られない、おまけにヒロインのだめ(野田恵)がユニークでコミカルということもあって、すかりドラマにはまってしまった。さらにドラマの中のクラシック演奏がこれまたちゃんと聴ける水準だし、選曲も良いのに感心した。フィナーレのクリスマスコンサートの場面がちょうど12月25日放映という時間合わせも上手くて、ひさびさにドラマびたりになっていた。
ドラマの終了後、原作の漫画みたい、みたいと思っていたら、吉美ちゃんが15巻まで貸してくれた。さっそく読み通して、今度は漫画にもはまってしまった。その後、16巻、17巻巻も購入して、精読。いつか感想をまとめなくてはと思いながらついつい書きそびれてて、やっと今日風邪で半分寝込んだのを幸い?一気読みしたので、感想らしきものを書くことにする。
17巻まででちょうど連載100回分になるらしい。テレビドラマ化されたのは、日本での活躍が住んで、ヒロインのだめとヒーロー千秋が渡欧する前まで、第9巻の50話くらいまでで、Morris.としては続編もドラマ化して欲しいと思ったのだが、漫画を読むと、二人はパリを中心にヨーロッパあちこちを飛び回るし演奏も海外オーケストラが多く、これをTVドラマ化するのは日本のTV局ではかなり無理があるかもしれないと思った。
原作漫画家二ノ宮知子に関してもMorris.は全く無知だが、絵はまあ普通だろう。ヒロインのだめはときどきえらく可愛くなることもあるが普段は十人並以下に描かれている。脇役の重要な女の子は総じて綺麗だが、意地悪そうな女性出演者が多い。男は美形と面白形に二分されているが、欧米人と日本人の描きわけはあまり上手くない。主要人物であるドイツの指揮者シュトレーゼマンをドラマでは竹中直人が演じていて、おいおい、と思ったのだが、漫画でもそのまま日本人みたいなドイツ人として描かれていた。
特筆すべきはオーケストラをはじめとする楽器演奏部分が漫画の主要を占めるだけに、これらの絵はめちゃくちゃ水準高い。コピーや写真トレースも利用してるみたいだが、それは別にして、演奏部分の描写と迫力はこれまで漫画でみたことがないくらい素晴らしい。きっとクラシックオタクなのに違いない。裏軒の親父や日本人指揮者片平、オーボエ奏者黒木など、初登場とその後では全く別のキャラクタとして描かれてる人物も多い。
のだめが溺愛してるアニメ「ぷりごろた」は、はじめ既製の作品かと思ったがこれも二ノ宮の創作らしい。このアニメのフランス版でのだめがフランス語をマスターするなんて場面もあって、なかなか重要な役割を果している。音楽学校の実態やクラシックコンクールの細かいこともなかなか良く取材してるらしいし、のだめ自身のモデルも現存するらしい。パリでの取材提供者も数人いて、現地取材もこなしてるようだし、ギャグのセンスも悪くない。
しかしこういうことをだらだら書いてもちっとも本質には迫れない。一言で言えばこの作品は、本邦初のクラシック音楽の世界を紹介しながら笑わせるというMorris.の好きな「面白くてためになる(なりそう)」コミカルクラシック音楽啓蒙漫画である。実際にこの作品を契機にクラシックのCDを買ったという知人がいるし、のだめオーケストラ(^^;)名義のCDも数枚発売されて結構売れてるらしい。「動物のお医者さん」がハスキーブームを生み、日本には向かないハスキー犬が一時的に日本中に蔓延してその後捨てられたりしたことに似ていなくもないが、こちらは、クラシックブームだから、実害は少ないだろう。
千秋のデビューコンサートのポスターや、音楽雑誌のグラビアのデザインなどはそのままポスターとして完成してるし、デザイン的センスは悪くない。のだめの家族が典型的庶民派、千秋の家族が典型的音楽一家という対照設定もストーリーのお約束でわかりやすいし、二ノ宮は只者でないことが知れる。
ストーリー展開では先のキャラクタ容貌の変貌とおなじく、時々ヘボ筋にはまることが多いようだ。特に前半14-15話のコントラバスの女の子の挿話などは断固カットすべきだと思う。古い少女漫画に良くある筋の焼き直しでしかないし、本筋とは無関係だし、面白くも無い。
海外篇での音楽仲間のキャラクタの中でも中国人の男女二人はいまいち邪魔っけだし、実在するらしい日本人画家も要らないと思う。
今後の展開もあるだろうから、この時点で不用意なことを言うのは早とちりかもしれない。兎にも角にもドラマ、漫画ともはまってしまったのだから、楽しい時間を過ごさせて貰った礼を言うにとどめるべきなのだろう。
唐突だが今日また「リンダリンダリンダ」のDVDを見直した。やっぱりペドゥナは良いなあ。こうなったら、ドラマでも映画でもいいから、韓国版「のだめ」いや、ペドゥナ版「のだめ」を見てみたい気がする。今好きなもの同士の合体ロボである。想像するだけでもわくわくしてしまう(^^;)

2007/05/02(日)●ヴィジュアル漬●

10時起床。身体全体が凝りまくっている(^^;) やっぱりカラオケで踊りつづけるのはほどほどにしとかナイト(^^;)
今日は部屋で静養に勤めよう。ということで、GyaOで韓国ドラマ2本「パリの恋人」「天国の階段」見て、さらに「子猫をお願い」を見直す。やっぱりペドゥナは素敵だし、あのコルモッキル部落は絶対訪れたい。そしてかせたにさんが指摘した在韓中国人の捉えかたの甘さというのはいまいちMorris.には把握できなかった。これまでにペドゥナの映画4本見たが、一番好きなのは「リンダリンダリンダ」の留学生役かもしれない。サンTVで毎週見てる「ローズマリー」のペドゥナも悪くはないけど、役柄がちょっと暗過ぎる。

【湊川新開地ガイドブック】 井上明彦+曙団 ★★★★ タイトルはガイドブックだが、内容はそれを凌駕した、素敵なヴィジュアル本だった。もともと新開地は好きな地域だったし、母の本籍は菊水町で、祖母から戦前の新開地の思い出を良く聞かされたので、親近感と憧れに似たものを覚えていた。最近は地元住人のムックさんとのからみで、いぜんにもまして足を運ぶ機会も増えてきた。そんなMorris.には格好の一冊である。
もともと神戸アートビレッジの発案で、2003年1月から3月のにかけて「新開地アートブックプロジェクト=曙団」が地質調査(フィールドワーク)を行いその成果を1冊にまとめたもので、歴史考証もしっかりしていて、年表だけでも素晴らしい上に、貴重なそして何とも懐かしく楽しい写真満載、さらに新開地昭和10年ごろの復元地図あり、土手めぐり、看板コレクション、マッチコレクション、新旧住民へのリレーインタビュー、4pで新開地早わかりの漫画、新開地メニュー等々、124pとは思えない充実ぶり。オールカラーで\2,400はけっして高くないと思う。
Morris.も先日この本を片手にビリケンさんを祀ってある松尾稲荷神社とその脇の稲荷市場から湊川公園までふらふらと探訪して歩いた。いやあ、新開地自体これまでMorris.が見過ごしていた見どころがたくさんあることに気づかされた。もちろん二次元スタイルの松野文具店のことも、聚楽館のことも、湊川温泉のことも、福原のことも、神戸タワーのこともしっかり記載されている。
もともと新開地の通りは旧湊川天井川の川筋だった。1896年の湊川氾濫、その翌年から9年をかけての大規模な湊川付け替え改修工事が行われ、1905年旧湊川の堤防が切り崩されて埋め立てられ「湊川新開地」が誕生したわけだ。1901年に竣工した「湊川隧道」は今でも旧ルートの一部区間が保存されていて、年に何回か一般公開もあるとのこと。是非これも機会を捉えて見物したいものだ。

2007/05/01(日)●アリランノレバン●

さすがにジンのストレートは効くなあ(^^;)
今朝も午前中かなり酔いはのこってたが、宿酔ではない。やっぱりボンベイサファイアだけのことはある。(何のこっちゃ!?)
4時半に部屋を出て、JR大阪駅で下車。今夜は鶴橋の新しいカラオケを開拓することにした。その前に大阪駅地下街の中古カメラ屋で先日見かけた小型三脚を買おうと思ったのだが、方向音痴のMorris.は結局見つけきれずだった(>_<)
今夜行った店は疎開道路の東側にある雑居ビルの3Fで名前はストレートに「アリラン」である。ゴールデンウイークの7時というのに客はまだ一人もいなかった。カウンターにはママとチイママといった感じの女性二人で、ともかくビール頼んで、早速歌い始める。ここは通信カラオケらしく「さらんばん」よりは新式だが、あの液晶画面の使いやすいリモコンではなかった。そのかわり曲目表には、歌手別の欄があったので良しとしよう。8時過ぎくらいからだんだん客も増えて、一番多いときは14,5人になった。客のほとんどは在日らしく、別のグループの二人の女性はすごく上手かった。Morris.は例に寄って、他人の歌のときは踊りまくってたから、結構疲れた。11時過ぎに店を出て、帰宅したら午前零時半だった。たまには変わった店で歌うのも楽しいものである(^^;)


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