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Morris.2016年読書控
Morris.は2016年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点
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2014年 2015年









2016117
【手紙、栞を添えて】辻邦生 水村美苗
2016116
【世界から戦争がなくならない本当の理由】池上彰
2016115
【詩のなぐさめ】池澤夏樹
2016114
【ガスビル食堂物語】大阪ガス
2016113
【四人組がいた。】高村薫
2016112
【近所の犬】姫野カオルコ
2016111
【考えるとはどういうことか】外山滋比古
2016110
【俺のロック・ステディ】花村萬月
2016109
【ウエストサイドソウル(西方之魂)】花村萬月
2016108
【ロック・オブ・モーゼス】花村萬月
2016107
【朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ】金時鐘
2016106
【ブンブン堂のグレちゃん 大阪古本屋バイト日記】グレゴリ青山
2016105
【ゴッド・ブレイス物語】花村萬月
2016104
【出ふるさと記】池内紀
2016103
【街角図鑑】三土たつお編
2016102
【犬死一番の謎】松村美香
2016101
【ロロ・ジョングランの歌声】松村美香
2016100
【無情】李光洙(イグヮンス)
2016099
【作家のへその緒】池内紀
2016098
【鄭義信戯曲集】鄭義信
2016097
【戦争】大岡昇平
2016096
【癖のある随筆】 長沼弘毅
2016095
【酒のみのうた-續・和漢の散歩】 長沼弘毅
2016094
【池上彰のやさしい経済学 1.しくみがわかる】池上彰
2016093
【池上彰のやさしい経済学 2.ニュースがわかる】池上彰
2016092
【チャンキ】森達也
2016091
【ハーモニー】伊藤計劃
2016090
【読書は格闘技】瀧本哲史
2016089
【新潮文庫 20世紀の百冊】関川夏央
2016088
【外骨みたいに生きてみたい-反骨にして楽天なり-】砂古口早苗
2016087
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない」】戸井十月
2016086
【日本ジャズの誕生】瀬川昌久+大谷能生
2016085
【池上彰の これが「世界を動かすパワー」だ!】 池上彰
2016084
【ヨーンじいちゃん】ペーター=ヘルトリング
2016083
【明日は昨日の風が吹く】橋本治
2016082
【カラスの補習授業】松原始
2016081
【幸福のモト 人生のモト】水木しげる
2016080
【日韓歴史認識問題とは何か】木村幹
2016079
【ときめき昆虫学】メレ山メレ子
2016078
【ブギの女王・笠置シヅ子】砂古口早苗
2016077
【反国家のちから】鎌田慧
2016076
【キッチン・ルール 台所の法則】 小林カツ代
2016075
【おしゃべりなタンザニア】木村映子
2016074
【暴走する自衛隊】纐纈厚
2016073
【図説 アール・デコ建築】吉田鋼市
2016072
【日本のアール・デコ建築入門】吉田鋼市
2016071
【日本のアール・デコの建築家】吉田鋼市
2016070
【サランヘヨ】黛まどか
2016069
【マスコミの大問題】池上彰・森達也
2016068
【無地のネクタイ】 丸谷才一
2016067
【普天間・辺野古 歪められた20年】宮城大蔵 渡辺豪
2016066
【黄金の時】堂場瞬一
2016065
【パスティス 大人のアリスト三月兎のお茶会】中島京子
2016064
【戦う民意】翁長雄志
2016063
【女ざかり】丸谷才一
2016062
【カメムシ】野澤雅美
2016061
【挨拶はたいへんだ】丸谷才一
2016060
【メディアと自民党】西田亮介
2016059
【野生動物カメラマン】岩合光昭
2016058
【沖縄 本土メディアが伝えない真実】古木杜恵
2016057
【韓国呪術と反日】但馬オサム
2016056
【東京プリズン】赤坂真理
2016055
【人間・この劇的なるもの】福田恆存
2016054
【情報】九島伸一
2016053
【引擎 : Engine】矢作俊彦
2016052
【フィルム・ノワール 黒色影片】矢作俊彦
2016051
【森崎和江】内田聖子
2016050
【ソウルでいただきます!】浜井幸子
2016049
【岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ】
2016048
【本についての詩集】長田弘選
2016047
【新・戦争論】池上彰・佐藤優
2016046
【検証 安倍イズム】柿崎明二
2016045
【ナンシー関の小耳にはさもう100】ナンシー関
2016044
【老前整理】坂岡洋子
2016043
【文学講義録 これが漱石だ。】佐藤泰正
2016042
【2015年安保から2016年選挙へ】「世界」別冊
2016041
【Sの継承】堂場瞬一
2016040
【ねこに未来はない】長田弘
2016039
【青い種子は太陽のなかにある】寺山修司
2016038
【沙漠に日が落ちて : 二村定一伝】毛利真人
2016037
【踊る昭和歌謡】輪島裕介
2016036
【石垣りん詩集】 伊藤比呂美編
2016035
【キャパの十字架】沢木耕太郎
2016034
【都会の雑草、発見と楽しみ方】稲垣栄洋
2016033
【リベラル再生の基軸】寺島実郎
2016032
【新編 身近な樹木ウォッチング】
2016031
【バックストリート】逢坂剛
2016030
【首折り男のための協奏曲】伊坂幸太郎
2016029
【お勝手太平記】金井美恵子
2016028
【雑草の成功戦略】稲垣栄洋
2016027
【文章読本】向井敏
2016026
【悪医】久坂部羊
2016025
【沖縄 何が起きているのか】「世界」臨時増刊
2016024
【死に支度】瀬戸内寂聴
2016023
【ジョーカー・ゲーム】柳広司
2016022
【ダブル・ジョーカー】柳広司
2016021
【新世界】柳広司
2016020
【贋作『坊っちゃん』殺人事件】柳広司
2016019
【戦争を通すな】鈴木邦男☓福島みずほ
2016018
【虐殺器官】伊藤計劃
2016017
【戦後70年史 1945-2015】色川大吉
2016016
【山口百恵は菩薩である】平岡正明
2016015
【グレイ】堂場瞬一
2016014
【談志絶唱 昭和の歌謡曲】立川談志
2016013
【庭木・花木】川原田邦彦
2016012
【「暮しの手帖」とわたし】大橋鎮子
2016011
【花森安治の青春】馬場マコト
2016010
【時代との対話】寺島実郎対談集
2016009
【深海のアトム】服部真澄
2016008
【さらば、ヘイト本】大泉実成
2016007
【疾走】重松清
2016006
【東京アンダーワールド】ロバート・ホワイティング
2016005
【従軍歌謡慰問団】馬場マコ
2016004
【日本流行歌変遷史】菊池清麿
2016003
【一分ノ一】井上ひさし
2016002
【絶望という抵抗】辺見庸 佐高信
2016001
【評伝古賀政男】菊池清麿




2016117
【手紙、栞を添えて】辻邦生 水村美苗 ★★★☆☆ 1998/03/01 朝日新聞社 初出朝日新聞読書欄1996-97
二人の往復書簡、といっても、毎週土曜日に新聞紙上に掲載されることを前提に書かれたものだから、一種の対話集みたいなものかもしれない。辻邦生は1925(大正14)年東京生れで1999(平成11)年没だから晩年の作品?ということになる。連載中も一度入院して中断という事態もあったらしい。

文学とは、もちろん実人生ではないということです。それだけではない。文学が実人生ではないというところにこそ、文学の本質があるということです。
言葉の機能とは、今、目の前にないものを目の前に描き出すことです。それは、見ていながらも見えていないものを描き出すことでもある。でも言葉がそのうような機能を存分に発揮できるのは、その言葉によって、今ここにある現実が寸毫も変わらない時なのです。今ここにある現実が寸毫も変わらないからこそ、その言葉を読む人間にとって、初めて、自分の現実とは別の現実を存分に生きることが可能になる。だからこそ文学とは、その最高形態では、人間にとって自分では見ることのできない自分の「死」というものに直面させるのにちがいない。実際、よい文学というものは本当に不思議なものです。それがどんなにおもしろおかしくとも、私たちの人生が無限の中の一瞬でしかないのを、教えてくれる。そうお思いになりませんか。
文学を面白く読めるというのは、「幸福」を知るということと同じです。
お手紙の中で引用したスタンダールの言葉をもう一度引用します。To the happy few.「少数の幸福な人たちのために」
文学--それは、少数の幸福な精神との結びつきにほかなりません。(水村美苗 プロローグ 最後の手紙)


これは往復書簡連載が終わってからの水村の手紙で「まえがき」として置かれている。」この時、水村はイタリアのフィレンツエで生活していたようだ。いささか鼻白む「文学」への信仰告白めいたものいいだが、それをやって様になる作品を書いたという自信もあるのだろう。

日本の風土に欠けていたのは何なのでしょうか。一言でいえば「幸福」の観念--無償の歓びの感覚でしょう。あるいは「生きる」という単純なことに向き合う無垢な姿勢といっていいかもしれません。幸福とは過ぎ去るものであり、幸福であるためには、たえず幸福であるように生きなければなりません。所有物でなくなるという意味で幸福は過ぎ去るのではなく、幸福とはもともと生きることによって私たちが作ってゆくものなのです。生きることを喜ぶ気持ちがなければ幸福も何もありません。
明治以来、この単純なことが見失われています。おそらく明治国家の「西洋に追いつけ、追いこせ」」も原因の一つなのでしょう。『浮雲』の文三にとって幸福は西洋からくるものでした。その恋愛もひたすら虚栄的です。(辻邦生)

辻の幸福論も彼の作品でしばしば強調されるもので、Morris.はこれも嫌いではなかったのだが、年取るとともにちょっと違和感をおぼえるようになった。

西洋的な存在の典型として、自己超越と神の必然性を、ある明晰な清朗感をもって思索した哲学者スピノザのことが思い浮かびます。
彼は著作『エチカ』の中で、哲学というより幾何学のような、公理と証明で全存在の本質を解明してゆきます。屋根裏部屋で、レンズ磨きをしながら、清貧に徹した孤独な生活をします。スピノザは彼の属するユダヤ教の教義に疑いを表明したため、破門されました。しかし、彼が社会から離れて暮らしたのは、決して人間嫌いからでも、世をすねたからでもありません。それは人間精神と全存在を永遠の相の下に眺めるためでした。真理に近づくのがよろこびだったからです。(辻邦生)


スピノザという名前も「エチカ」という作品名も、レンズ磨きで哲学者という職業も、いずれもなんとなく魅惑的に聞こえる。

真理を照らしだす「死」の視点。それは文学にのみ許された「時」の円環構造の別名です。私たち人間はいずれは死ぬのを知っている。でも前へ前へと流れるこの現実の時間を、「死」の刻印が押されたものとして、たゆまず意識することはできない。
まれにおとずれる叡智の瞬間を除けば「死」は、いつも、いつか先のことでしかないからです。ところが文学は、そのような現実の時間には支配されない。最後にくるべき「死」から出発し、そこから遡って「生」を見る視点--「死」の視点に終止することができる。一行目から、刻一刻、「死」を書きこむことができるのです。
それにしても「時」というものの根源的な残酷。それは人が年をとるという残酷ではなく、人が年をとるということを、永遠に自分のこととしては、認識できない残酷ではないでしょうか。(水村美苗)


これは最近読み直した福田恆存の「人間・この劇的なるもの」に通ずるものがある。「時」の残酷さが、自分のこととしては認識できないということだというのもいささか理に落ちた気がする。

芸術は「進歩」しない。洋の東西を問わず、古典の専門家にすれば、これほどあたりまえのことはないでしょう。でも私たちは、この紀元前五世紀に書かれた悲劇のあまりに完璧なのに、呆然とせざるをえない。ああ、二千五百年前人間はすでに何たる高みに達していたことか。驚きと畏れの念が胸をみたすにちがいありません。(水村美苗)

これは全面的に賛成する。

言葉とはただ情報を伝達するものではなく、喜びや悲しみを盛った器なのです。たとえば私は水村さんからお便りを頂きますが、それは、生きていることのときめき以外の何ものでもありません。(辻邦生)


いかにも辻らしいものいいである。
万年文学青年と万年文学少女の洗練された恋愛書簡集といった趣すらある一冊だったが、中で取り上げられた作品の一覧を挙げておく。太字はMorris.がこれまでに読んだ本、そして青字は今後読んでみたいと思う本である

水村美苗「続明暗」
水村美苗「私小説 from left to right」
辻邦生「西行花伝」
ディケンズ「デイビッド・コパフィールド」
吉川英治「宮本武蔵」
J・スピリ「アルプスの少女ハイジ
オルコット「若草物語」
夏目漱石「坊っちゃん」
グレアム・グリーン「失われた幼年時代」
シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア」
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」
二葉亭四迷「浮雲」
国木田独歩「忘れ得ぬ人々」
スピノザ「エチカ」
スタンダール「赤と黒」
スタンダール「パルムの僧院」
樋口一葉「にごりえ・たけくらべ」
ディケンズ「大いなる遺産」
フローベール「ボヴァリー夫人」
中勘助「銀の匙」
バルザック「書簡集」
谷崎潤一郎「細雪」
谷崎潤一郎「春琴抄」

永井荷風「断腸亭日記」
ヘンリー・ミラー全集
ジョルジュ・サンド「愛の妖精」
トルストイ「アンナ・カレーニナ」
ドストエフスキー「罪と罰」
ゴーゴリ「外套」
ドストエフスキー「貧しき人々」
ドストエフスキー「悪霊」
ドストエフスキー「死の家の記録」
ドストエフスキー「地下室の手記」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
トーマス・マン「ブッデンブローク家の人びと」
プルースト「失われた時を求めて」
リルケ「マルテの手記」
トルストイ「イワンのばか」

チェーホフ「中二階のある家」
幸田文「父・こんなこと」
幸田文「幸田文対話」

ラディゲ「ドルジェ伯の舞踏会」
太宰治「津軽」
ジョージ・ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」
ジョージ・ギッシング「南イタリア周遊記」
ゲーテ「イタリア紀行」
ルソー「孤独な散歩者の夢想」
ソポクレス「オイディプス王」
アリストテレス「詩学」
ダンテ「神曲」
ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」
森鴎外「渋江抽斎」
ショーロホフ「静かなドン」
紫式部「源氏物語」
ボルヘス「伝奇集」
菅原孝標女「更級日記」
魯迅「阿Q正伝・狂人日記」
カルペンティエル「バロック協奏曲」
カルペンティエル「失われた足跡」
オースティン「高慢と偏見」




2016116
【世界から戦争がなくならない本当の理由】池上彰 ★★★☆☆ 2015/08/10 祥伝社
「戦後70年の教訓」と副題があり、つまり2015年8月15日に合わせた発行なのだろう。
理由はどうでもいい。やはり「戦争」のことを真剣に考えざるを得ないのは厳然たる事実である。
明日8月6日は広島原爆記念日。
広島平和公園のあの碑文に関して池上はこう書く。

原爆死没者慰霊碑に刻まれた「主語」のない曖昧な碑文は、その(戦争の総括の不在)象徴のようにも感じられます。日本人は、過去に誰がどんな「過ち」を犯したかという責任の所在をはっきりさせず、戦争とまともに向き合うことを避けながら、この70年間を過ごしてきたように思えてなりません。そうだとすれ ば、ふと気づいた時には、また同じ過ちを繰り返しているおそれがあるのではないでしょうか。(序章)


Morris.もそう思う。あの碑文を読むたびに、感じる釈然としない思い。

「日本人の皆さんは、アメリカからあんなにひどい目に遭わされたのに、ア メリカ人を許しているでしょう。それがたいせつなのです」(ダライ・ラマ) たしかに、いまの日本人の対米感情を見れば、私たちがアメリカを許したように感じられるでしょう。でも、殆どの日本人は、アメリカを「許した」とさえ思っていない。むしろ、軍国主義だった日本を民主化してくれたことに感謝しているようにさえ見受けられます。
序章の冒頭で紹介した原爆死没者慰霊碑の碑文も、このあたりの心理と関係があるのではないでしょうか。アメリカを憎む気持ちがないから、原爆投下もはっきりと「アメリカの過ち」と書かず、主語のない曖昧な表現になるのだと思います。

「怒るべきときに怒らずにしまった」といえるかもしれない。

そもそもアメリカの主導した日本の戦後改革は、単なる善意によるものでは ありません。基本的には日本人のためではなく、アメリカの国益のためにやったことです。憲法9条で戦力の保持を禁じたのも、「日本を戦争のない平和な国に したい」からではなく「二度と自分たちに歯向かってこない国にしたい」というのが本音でした。

日本人の多くは、そのことに気づいていたと思う。そして自分でそれに目隠しをしたのだろう。

60年の安保闘争は、実のところ「安保反対」が主眼ではありません。岸首相の強権的な政治手法への反発がその根底にありました。だから、騒動の責任をとって岸首相が退陣すると、「政治の季節」は終わりました。
無念だったのは、岸信介でしょう。彼が本当になしとげたかったのは、自主憲法制定です。安保条約を改定した後は、それに着手したかった。しかし退陣を余儀なくされ、そこには手が届きませんでした。自民党も、その後は本気で改憲に取り組もうとはしませんでした。経済的な繁栄のおかげで、安全保障問題があまり 浮上しなかったせいもあるでしょう。岸退陣からおよそ藩政期が過ぎ、経済成長が終わったところで、今度は安倍首相が祖父のやり残した改憲に挑戦しようとし ているわけです。


当時11歳だったMorris.も新聞やラジオで「アンポハンタイ」という掛け声だけは記憶に残っている。意味は全く理解できてなかった(^_^;)

まず、日本人の歴史観は東京裁判を認めるかどうかで大きく異なります。両 者の考え方の溝は、なかなか埋まりません。また、「改憲か護憲か」をめぐる与野党のねじれや、軍隊なのか何なのかよくわからない自衛隊の曖昧さなども、戦 後処理を他人任せにした結果です。憲法も自衛隊も、ある意味ではアメリカの都合で押しつけられました。要するに、日本に主体性がなかったから、いろいろな ことがギクシャクしているのです。そういう戦後日本の歪みが集約されているのが、沖縄の基地問題なのかもしれません。

やっぱり池上は話の持って行き方がうまい。辛い話なんだけどね。

戦後日本の安全保障はアメリカに振り回されてきました。日本を「二度と戦争のできない国」にするために憲法9条を与えながら、自分たちの都合で(軍隊ではない軍隊」を作らせ、さらには集団的自衛権の行使も可能にして「戦争のできる国」に戻そうとしているようにも見えます。
いちばん問題なのは、そうやってアメリカに振り回されているうちに、日本がますます物事を主体的に決められなくなっていることではないでしょうか。
日本は重要な決定を下すときに「外圧」を利用する傾向があります。国内から反発を受けても、「こうしないとアメリカが黙っていないから仕方がない」という形で説得しようとするのです。


「災いを転じて福となす」べきだったのに、できなさそう(>_<) 事大主義という言葉を思い出してしまった。

戦争中の日本軍は、「戦力の逐次投入」という失敗によって必要以上に損害を大きくしてしまうことがありました。ガダルカナル島の戦い(1942)やインパール作戦(1944)が有名です。米軍との戦闘が不利になるとテコ入れが必要になるのですが、一度に思い切った増員をしないので、すぐに全滅してしま う。そこでまた少し部隊を送り込むと、それもまた全滅。それを何度も繰り返しているうちに、大変な数の戦死者を出してしまうのです。
そんな苦い経験をしているのに、いまだに日本は戦力を逐次投入するクセがヌケません。たとえば、東日本大震災で発生した原発事故への対応がそうでした。


それも、これも、責任を取らない、取らせないため、というのが原因ではなかろうか。

現在も、日本人の考え方は基本的に変わっていないのではないでしょうか。 仕事で何かミスが起きたとき、日本人は「心がけがなっていない」「技術や経験が不足している」といった具合に、個人に原因を求めがちです。誰がやってもミスの起こりにくいシステムを作ろうとはあまり考えません。
そういうことも含めて反省して初めて、過去の戦争を総括したことになるのだと私は思います。「過ちを繰り返しません」と言うなら、その過ちを生んだ思考法や行動パターンなども含める必要がある。そうしなければ、「誰が総理大臣をやっても戦争をしない国」を作ることはできないのではないでしょうか。(第1章 日本は本当に「平和」なのか? 「平和国家」の光と影)


「精神論」という奴だな。歴史と過ちは繰り返すものと相場は決まっている。

(冷戦終了後)アメリカでは、それまでミサイル防衛などの研究に携わって いた物理学者や数学者が大量に仕事を失いました。その優秀な頭脳の受け皿になったのが、金融界です。もともと金融工学は、優秀な科学者を集めて原爆を製造 したマンハッタン計画から派生したとも言われていますから、両者は相性がよいのでしょう。
彼らの手によって、金融派生商品の価格づけに関わるブラック・ショールズ方程式など複雑な理論を駆使したシステムが作られ、きわめてスケールの大きいマネーゲームが展開されるようになりました。その結果、2008年には投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻し、それを引き金に世界的な金融恐慌が続発したのです。(第3章 東西冷戦 実は今まで続いていた)


マネーゲーム。ゲーム=ウォーなんだろう。金融工学の生みの親がマンハッタン計画というのは、ちょっとびっくりしたが、人工衛星もロケットもインターネットもGPSもドローンもホッチキスも軍事産業の申し子だということは、何度も教えられたことだった。

報道規制をすれば「きれいな戦争」はいくらでも作れる。
1992年から95年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、アメリカのPR会社がボスニア・ヘルツェゴビナ共和国側に協力して巧みな情報操作を行っていました。
その実態を描いたのが、NHKのディレクター高木徹氏の『ドキュメント戦争広告代理店~情報操作とボスニア紛争』という本です。
70年前の戦争でも、日本人の多くは「撤退」を「転進」と言い換えるようなメディアの報道を信じて、「日本が負けるわけはない」と思い込んでいました。勝てると信じる人が多ければ、戦争中の新聞や現在のFOXニュースのように、受け手の気分が良くなるような報道にばかり喜んでいると、私たちは現実を見失ってしまうおそれがあるのです。(第4章 戦争のプロパガンダ 報道は真実を伝えているのか)


このPR会社はルーダー・フィン社らしい。集団自衛権による自衛隊の武力行動が発生したら、当然のように電通などが暗躍するに違いない。

アルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』、フランスが負けたためにドイツ語しかおしえられなくなるアルザス地方の学校で、最後の「フランス語の授業」が行われるお話です。私も小学校のころにこれを読み、深く感動しました。
でも大人になってから調べてみると、あの地方は最初からフランス領だったわけではありません。要するに、ドイツもフランスも、どっちもどっちの話。それを知ったときは、「小学生時代のあの感動は何だったんだ」と空しい気持ちになりました。(第5章 ヨーロッパに潜む「新冷戦」)


「最後の授業」はMorris.も講談社の少年少女文学全集で何度も読みなおした。そして、これがフランスとフランス語への憧憬にまで繋がったことを思い出す。これも情報操作だったのかも。

冷戦終結後の世界は、イデオロギーの対立に代わって、宗教の違いによる対立が目立つようになりました。
1948年の第一次中東戦争から1973年の第四次中東戦争まで、四度にわたって大規模な戦争が起きました。冷戦終結からおよそ四半世紀が過ぎた現在も、パレスチナでの紛争は続いています。
事の発端は、言うまでもなく、1948年にパレスチナの地にイスラエルが建国されたことでした。

すべては黒幕イギリスの「三枚舌外交」から起きた悪夢。

中東問題はあまりに根が深いため、双方の人々が心から納得できる形での解決はなかなか難しいということでしょう。
キリスト教とイスラム教は相容れないものですから、潜在的には嫌悪感を抱いていたとは思いますが、それが紛争などの形で具体的に顕在化したのは、あの土地から石油が産出されるようになってからでしょう。(第6章 終わることのない「中東」宗教対立)


イギリスの「三枚舌外交」ヽ(`Д´)ノ 外交に限らず、政治そのものが二枚舌、三枚舌が当たり前の世界なのか。しかしそれによって不利益を受けた側からすれば、たまったもんじゃない。

ポル・ポト政権がとりわけ強く敵視したのは、知識人でした。読み書きのできる者はもちろん、メガネをかけているだけで「知識人」と見なされて殺されたほど。その根底には、「原始共産制」とも言うべき思想がありました。
ポル・ポト政権の政策は、実に極端なものです。貨幣は廃止され、宗教は禁止。そのため寺院は破壊されました。さらに、学校や病院も廃止になり、国民はみんな共同農場に所属させられます。家族も解体され、全員が黒い農民服を着て一緒に食事をする。子どもたちは5歳か6歳で親から引き離されました。
そうやって農場で働く国民に、教育や知識など必要ありません。「肉体労働がすべての基本」です。その思想を徹底して知識人を抹殺し、教育も行わなかったために、カンボジアには読み書きのできる国民がほとんどいなくなってしまいました。しかし専門知識がなかったため、肝心の農業もうまく行かず、カンボジアで は飢饉も広がります。
ポル・ポトは反ベトナムの姿勢を強めました。国民の間に政府への不満が高まってきたときは、外に敵を作るのが権力者の情動です。昔から何度もベトナムの侵略を受けてきたカンボジア国民は、もともと反ベトナム意識を持っていますからそれを利用しない手はありません。
ベトナムは自国内に逃げ込んだカンボジア難民に救援をもとめられたという体裁をとって、反撃しました。かつてポル・ポトの幹部だったヘン・サムリンを議長とする「カンプチア救国民族統一戦線」を組織し、それを先頭に立ててカンボジアに侵攻したのです、1979年1月のことでした。
ポル・ポト政権はわずか2週間で崩壊し、ヘン・サムリン政権が樹立されました。このとき世界は初めて、ポル・ポト政権下のカンボジアで何が起きていたのかを知り、愕然とします。3年8ヶ月の間に粛清や飢餓によってポル・ポト政権の犠牲になった人々の数は、100万人とも300万人とも言われています。人 口わずか600万人の国でそれだけの犠牲者が出たのですから、この世の地獄としか言いようがありません。
文化大革命が始まる時期に中国にいたことのあるポル・ポトは、毛沢東の影響を受けていました。そこで、「共産主義とはこういうものだ」と思い込んだのでしょう。中国で毛沢東がやろうとしたことをカンボジアで極端に推し進めたのが、ポル・ポト政権です。
しかし、成功例に学ぶならともかく、毛沢東路線は中国で大失敗に終わっています。中国は、経済でアメリカやイギリスを追い越すべく、1958年から1960年にかけて「大躍進政策」という農業と工業の大増産政策を実施しましたが、社会は大混乱に陥り、2000万人とも5000万人ともいわれる餓死者を出してしまいます。毛沢東が事故批判をしたのは、生涯でこのときただ一度だけでした。
その後、いったん国家主席を辞任した毛沢東が権力復帰を画策して起こしたのが、文化大革命が失敗に終わった後の中国にいた。にもかかわらず毛沢東の真似をしたのは、大躍進政策の実態が極秘にされていたからでしょう。
情報がないのでは、人間は歴史に学ぶことができません。
過去に何が起きたかを正しく知らなければ、人間は反省することができません。戦後の世界は多くの国々が過ちを繰り返してきましたが、その中でもポル・ポト政権の犯した過ちは最大級のものだったといえるでしょう。(第7章 日本人が知らないアフリカ、アジアでの「代理戦争」)


ポル・ポト政権のことについては、関心持ちながら今ひとつよく分からずにいたので、かなり長めの引用となってしまった。毛沢東主義のエピゴーネンだったのか。中国共産政治への池上の総括(一刀両断)も、すごい。
情報なくしては歴史には学べない。その通りなのだが、権力は情報を隠す。

(戦後の)日本国内も決して戦争と無縁だったわけではありません。
たとえば沖縄は、アメリカの統治下にあった時代から現在にいたるまで、ずっと米軍基地の問題を抱えています。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、米軍は沖縄の基地から戦場へ向かって行きました。日米同盟によって、日本はアメリカの世界戦略に組み込まれています。冷戦下では「西側」の一員として一定の役割を果たしましたし、冷戦終結後も湾岸戦争やイラク戦争で米軍を支援しました。
その意味では、日本にも世界にも「戦後」などなかったのではないかと言いたくもなります。太古の昔に武器を手にして以来、人類社会はずっと「戦中」だという言い方もできるでしょう。


人間の歴史はずっと「戦中」(>_<) 戦後の日本が実は日米同盟に引きずられて戦争に参加していたという事実。

ヒトラーの演説に拍手喝采を送った国民の支持がなければ、ナチス政権は誕生しませんでした。本当に怖いのは異常な独裁者ではなく、それを支える国民の熱狂なのです。

「ヒトラー」という名前を「安倍晋三」に置き換えておこう。そのような日本国民の熱狂が発現するとは思いたくもないが、悪夢の予感も消しきれない。

二度と戦争を起こさないために国際連合を設立したにもかかわらず、そこで中心的な役割を果たすべき「連合国」のアメリカとソ連が、どれだけ多くの国際紛争を起こしてきたでしょうか。
そう考えると、これは人類社会全体の問題だと言わざるを得ません。このまま戦争という同じ過ちを繰り返していけば、いつかまた第2次大戦を上回る規模の大戦争が起きないとも限らないでしょう。未来に何が起きるかは、常に不透明です。平和な世界を築くためには、バックミラーをよく磨き上げて、そこに映る過去 を冷静かつ謙虚に見直し、明確で具体的な教訓を得なければいけません。
私たちがなすべきは、単に「過ちは繰り返しません」と約束することではない。どうすれば過ちを繰り返さなくなるのかを、バックミラーを見ながら一生懸命に考え続けることなのではないでしょうか。(第8章 バックミラーに見える歴史から学ぶこと)


国際連合がもっともっともっと大きな力を持つべきなのではないか?

戦争の教訓が、次の悲劇を生む。実に皮肉なことでした。
人間はなんと愚かな存在であることか。現代史を振り返ることで、冷酷な現実に向き合うことになります。
日本に関していえば、過去の戦争の教訓から、戦後70年、自衛隊は一人の戦死者を出すこともなく、自衛隊員が他国の兵士を殺害することもなく、平和に暮らすことができました。これは誇ってよいことです。
その一方、あの戦争をどう総括するかをめぐっては、国内でも意見が対立し、周辺国家との摩擦も絶えません。
戦争と戦後の歴史から、私たちは何を学ぶことができるのか。そして、戦後が「戦前」へと転化することがないようにするにはどうしたらいいのか。それを考える一助になれば、こんなにうれしいことはありません。(あとがき)


うーん。総理大臣直接選挙制にして池上彰を総理にしたい。



2016115
【詩のなぐさめ】池澤夏樹 ★★★☆ 2015/11/25 岩波書店 初出「図書」2012-14
Morris.は池澤の良い読者ではない。あまり作品も読んでない。でも、最近河出書房新社から出ている「日本文学全集」は彼の個人編集で、これまでの文学全集とはひと色もふた色も違うセレクションと冒険味あふれる編集方針には、喝采を贈りたい。
本書は岩波の社誌に連載されたもので、彼の詩作品は全く知らないが、それなりに突っ込んだ、そして先の日本文学全集と同様、かなり面白い視点からの論点を楽しむことができる。発表媒体にあわせて、岩波文庫所収の作品を取り上げているが、岩波文庫の力を改めて思い知らされたりもした。

蕪村と芭蕉は平和な時の人である。
俳句、発句、歌仙、連歌、更に遡って歌合わせ、どれも乱世には向かない。余裕がなければ遊戯の境地には身をおけない。芭蕉はなかなか苦難の旅をしたけれどそれらは自ら引き受けたものだった。


こういった、ややひねった解釈(^_^;)/。

春の星こんなに人が死んだのか 照井翠
春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな 蕪村
もう何処に立ちても見ゆる春の海 翠
箱を出るかほわすれめや雛ニ対 蕪村
津波引き女雛ばかりとなりにけり 翠
ほとゝぎす待つや都のそらだのめ 蕪村
ほととぎす最後は空があるお前 翠
狩衣の袖のうら這ふほたる哉 蕪村
初蛍やうやく逢ひに来てくれた 翠
廃屋の影そのままに移る月 翠
月天心貧しき町を通りけり 蕪村
御所柿にたのまれがほのかがし哉 蕪村
柿ばかり灯れる村となりにけり 翠


照井翠(1962-)は、岩手県花巻出身の俳人。東日本震災の後、震災の色の濃い句集「龍宮」を上梓。以上の照井の句はその中のものと思われる。しかしこれと蕪村の句を並べるだけで、色んな事を考えさせてくれる。これも、先の文学全集に通ずる物があるような気がする。

谷川俊太郎はぼくが詩人になることを邪魔した。たくさんの若い人が詩人になることを邪魔した。だってこんなにうまく書けないもの。これが詩だとしたら自分が書くものは何なのか?
むずかしい言葉を使わず、漢字くさい漢字を捨てて、つまり目より耳を大事にして、教養より感覚に頼って、人々の日々の思いの中から言葉で残すべきものを選び出して(なぜならば人の思いは無数にあって全部は書ききれないから)、精錬の過程を経て紙の上に文字として定着する。詩集を開いた人が声に出して読めるように。
ぼくたちはみんな谷川俊太郎を模範として生きてきたと思う。人生のことではない。ぼくは彼の私生活など何も知らない。世間を前にして立っている自分の姿をさまざまな言葉で語って、世間に負けていないと確かめる。


これって「褒め殺し」ではないかい?

今、彼(中野重治)のような詩人は日本にはいない。それは戦闘の必要がなくなったからではなく、戦うべき相手が分散して、偽装して、見えにくくなったからではないだろうか。あるいは自分の一部が実は敵ということだって考えられる。世界は民主化し、金融化し、暴力の隠蔽がうまくなり、色が派手になり、Facebook化し、テロ化し、この国について言えば右へ傾きつつある。いや、もう右も左もないのか。中野がいたらなんと言うか。


中野重治を道具に使って現代世相を憂うなんてのも、ちょっとアクロバチックである。
でも、その矛先に挙げられるもろもろは、的を射ていると思う。

金素雲の「朝鮮童謡選」に愉快な詩がある--

前の小屋も トング トング
背戸の小屋も トング トング
搗いたは 米よ
炊いたは 飯よ
食べたは たのしみ
垂れたは 野糞。

おいしい話を読んでいって、最後の脱糞で脱力する。スカトロジーの威力だ(「トング トング」は杵の音)


この文庫本は以前持ってたが、いまは手元にない。紹介されてる童謡もうろ覚えだったが、たしかに日本語で見事な韻を踏んだ金素雲の手腕と食べ物が糞に変身する面白さからスカトロジーを連想するのは間違いではないが、韓国語の「糞」が「똥(トング)」であること、つまり杵を搗く擬音「통통(トングトング)」との音の類似を見逃してるようだ。これがわからないと、面白さも半減する。똥は濃音 통は激音で厳密に言うと違う発音なのだが、Morris.にはきちんと聞き分ける自信はない(^_^;)

18世紀までを見れば、ヨーロッパ文学はドン・キホーテ、ガルガンチュア、ガリヴァー、などなど成熟した大人が主役を担う話が主流だった。若い未熟な者の煩悶などそもそも書くに価するテーマではなかった。
そちらの方が文学の本道ではなかったのか、と言ったのが「ヨオロッパの世紀末」を書いた吉田健一。それを受けて青春文学・自然主義私小説に背を向け、若者を主人公としながら大人の小説である「笹まくら」を書いたのが丸谷才一。そのおかげで日本の文学は青春の呪縛から開放された。成果はここ20年の芥川賞を見ればわかるだろう。
ヨーロッパではジョイストプルーストが文学を本来の姿に戻した。ガルシア=マルケスは青春とは無縁である。アメリカ文学だけが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なんて言って未だ青春に悶々としている。清教徒のイノセンスは始末が悪い。
で、青春と青年はどうなったか? 三浦雅士が言うとおりこの言葉は1968年を境に使われなくなった。青年実業家というのは金持ちで老人でない者。だから女優のお相手候補になる。
若者は成熟など目指さず、煩悶することもなく、ネオテニーを体現してヤンキーかオタクかのどちらかになっている。


これこそ、先の文学全集の偏向ぶりの弁明である。吉田健一は、くだんの文学全集ではまるまる一巻をあたえられている。丸谷は石川淳、辻邦生と3人で一巻だが、Morris.も持ってる「新々百人一首」(抄録)も万葉集、百人一首とともに収められている。
これまで純文学の正統派から、もう一つの文学水脈を評価したいのだろう。そして、池澤自身もその系列に伍する決意の表れかもしれない。
池澤の実父が福永武彦だったということは長いこと知らずにいた。そう言われてみれば、通じるところもありそうだ。



2016114
【ガスビル食堂物語】大阪ガス ★★★☆ 2004/06/01KBI出版
先日大阪ガスビル見学の後おみやげに貰った一冊。
2001年から2003年にかけて10冊作られたリーフレット「ガスビル食堂物語」の合本みたいなものである。
ガスビルの歴史、紹介、エピソードなどを貴重な写真とともに収め、ガスビルゆかりの著名人(朝比奈高し、淀川長治、ドナルド・キーン、森繁久彌、藤本義一等)の思いでエッセイ、橋爪紳也による総括でまとめた、ちょっとしたガスビル百科事典である。
何しろガスビルが戦前の本館と戦後の北館が合体したものということすら知らずにいたもんな。

1930(昭和5) ガスビル地鎮祭
1933(昭和8) 3/17竣工、3/29ガスビル食堂開業、5/20大阪地下鉄開業(梅田-心斎橋間)
1936(昭和11)地下一階グリル新設
1937(昭和12)5・11御堂筋完成
1941(昭和16)太平洋戦争勃発
1942(昭和17)金属供出(屋上ネオン塔、階段手摺等)
1943(昭和18)金属供出(エレベーター二階、エスカレーター等)
1944(昭和19)本館外装をコールタールで迷彩
1945(昭和20)3/13-4大阪大空襲、七階料理講習室、八階食堂一部罹災)、8/15終戦、10/4進駐軍が二階講演場と六階以上等を接収
1949(昭和24)本館外装タイル迷彩塗装を洗浄
1952(昭和27)5/22進駐軍接収解除、12/1ガスビル食堂営業再開
1964(昭和39)ガスビル北館地鎮祭
1965(昭和40)二階講演場廃止
1966(昭和41)北館竣工
1970(昭和45)大阪万博
1979(昭和54)料理講習室七階から一階へ移設
1995(平成7)阪神・淡路大震災
2001(平成13)9/25大阪ガス本社ビルとしてISO14001の認証取得
2002(平成14)12/6登録有形文化財として文化審議会が文科省答申
2003(平成15)3/17ガスビル竣工70周年、3/18ガスビルが登録有形文化財に登録される






2016113
【四人組がいた。】高村薫
★★★☆ 2014/08/10 文藝春秋 初出「オール讀物」2008-14
「あの」高村薫のユーモア小説(@_@)ということで、おそるおそる(^_^;)読み始めたのだが、始めのうちは、どうにも馴染めなかった。途中からところどころクスリとさせられるところも出てきて、おしまいあたりの、子だぬきのアイドルグループTNB48の解散公演の場面では楽しませてもらった。

おいおい、一緒に寝るんじゃない。そいつは馬じゃない。その昔、放射能汚染でゴジラ並みに巨大化した田んぼのタニシの子孫だ。いや、正確には日本のタニシでさえない。外来種のスクミリンゴガイ、通称ジャンボタニシのほうだから、もっとたちが悪い。いや、たちがわるいどころか、すでにエイリアン化しているかもしれない。(四人組タニシと遊ぶ)

これは前に田舎の田んぼで見つけた大きなタニシのことを思い出したので、引いておいた。つい先日デレビでの解説番組見たばかりだった。

「まあね」五歳児たちは応じ、タバコの代わりにポッキーを齧りながら、「だいたいさぁ--」言いだすのだ。「四つ足もイルカやクジラも、生まれてすぐに歩いたり泳いだりするのに、人間だけ一年もオムツ付きで転がっているなんて、おかしくない? しかも、百年近く生きるといっても終わりのほうはまたオムツ付きなんだ。笑っちゃうよね。考えるだけでも面倒だし、意味不明だし、ぼくらとしてはどうせならもっとほかの生き物になりたかったけど、パパやママが言うには、人間をやっているのが一番楽なんだって。あんたたち、どう思う?」(四人組危うし!)

これは地球外からやってきた異生物が、人間の形態をとるという、SFではおなじみの話だが、結局インフルエンザで消滅するというのは、恐竜絶滅伝説のパロディだろう。

この子沢山の一族は、48匹の子ダヌキどもにはご当地ユニットのTNB48(田んぼ48)を結成させて、いまではけっこう売れて稼いでいるのだと元村長らは納得する。
「だから初めに、あたしらはあまり賛成しなかったのに。そもそも可愛い女の子を48人も揃えて、わざわざエロ親爺を喜ばせてどうするのさ。そんなものを商売にするギョーカイ自体、ろくなものじゃないのは分かりきった話じゃないか」キクエ小母さんが珍しく正論を吐く。
再びサビに入ったときだった。四人組が計画し、事前にポンポコたちと打ち合わせをして決めていた当夜の最大の目玉が、二千人と二百匹と六羽とテレビカメラの前で披露されることとなった。ステージに三列に並んだポンポコたちは一斉にくるりと後ろを向き、お尻を振った次の瞬間、ボム! 煙とともにポンポコたちの姿は跡形もなく、代わりにそこにいたのは48匹の子ダヌキたちだったのだ。
そして、そのままかわいい子ダヌキたちがラストまで歌い続け、バックでは40人のジジババたちが入れ歯を鳴らし、骨を鳴らして、腰よ砕けよとばかりに激しく踊り狂ったのだが、これが伝説にならないわけがない。(四人組、伝説になる)


これが子だぬきアイドルグループのフィナーレだけど引用するとそれほど面白くもない(^_^;) まあ、ここに盛ってくるまでのドタバタがおもしろかったんだけどね。


2016112
【近所の犬】姫野カオルコ ★★★ 2014/09/20 幻冬舎
「昭和の犬」で直木賞受賞した後の多忙の中で書かれた一冊。受賞作が「自伝的要素の強い小説、本書は「私小説」だとしている。

子供時代に飼っていた犬と、最近になって近所の犬を「犬見」した体験をメインにエッセイ風に綴った小説。「昭和の犬」もそうだったが、猫好きMorris.にはいまいちだった(^_^;)
子供の頃に飼ってたシャアという猫と、受賞後にオール読物の写真撮影で出会った三毛猫のエピソードもあるのだが、添え物という感は拭えない。
作品ごとに文体や筆法を変えるのが彼女の得意技らしいが、二つの犬の物語には違和感を覚えた。
「ハルカエイティ」と「リアルシンデレラ」のどちらかに直木賞を取ってほしかった。


2016111
【考えるとはどういうことか】外山滋比古 ★★★☆☆ 2013/01/31 集英社
外山滋比古 1923年愛知県生れ。英文学者、評論家、エッセイスト

編集者相手に自由に自分の考え方を開陳した「語り下ろし」(本人はちょっと違うと言ってるけど)本。この人のものはいくらか読んでるし、「古典論」には大いに共感を覚えた。が、読んでがっくり、というものもあった。
本書は、これまでの彼のもろもろの独創を、噛み砕いてわかりやすく、簡潔にまとめたものとして評価できる。

不用意に知識をふやしていけば、知識メタボリック症候群の病状を呈するおそれもあります。これまでの知識万能思想はそのことを故意に見落としていたのです。ふえすぎた知識は捨てなくてはならない。(まえがき)

「知識メタボリック」(^_^;)

"A rolling ston gathers no moss"ということわざは、もともとイギリスで生まれました。彼らにとって、苔は財産や社会的信用といった良いものです。つまり「転がる石」のような人間は成功しない。
このことわざが後にアメリカに渡ったとき、その意味は正反対で使われました。アメリカ人は、苔を悪いものだと考えます。常にピカピカと輝きを放つ「転がる石」はのぞましい。
ローリング・ストーンズはイギリス出身ですが、アメリカで人気を獲得して大成功しました。イギリスでは「根無し草の風来坊」といったニュアンスになりますが、新しい文化を暗示します。一方のアメリカでは、常に「転がる石」のように新鮮な音楽を作り続けるというイメージになるのでこれも悪くない。ひとつの言葉に相反する意味を込めて成功させたという点で、球面思考的な知恵のあるネーミングだといえるのではないでしょうか。


ことわざの多義性というのはよくわかる。ストーンズのバンド名はマディー・ウォーターズの曲名に由来するというのが定説だが、こういった戦略的命名説というのも何か嬉しい。

国と国との外交にも球面思考が欠かせません。いわゆる「ナショナリズム」は平面思考の典型です。自分の国のことは自分たちがいちばんよく知っていると考え、異質な見方には反対する。ひとつの国のナショナリズムと隣の国のナショナリズムは決して両立しません。そして対立して戦争が起きるのです。
宗教にも似たような面があることはいうまでもないでしょう。世界各地で発生する紛争は、必ずといっていいほど何らかの形で宗教的な対立が絡んでいます。本来は人間社会の平和に貢献すべき宗教が戦争の原因になるのは、自分たち以外の価値観を認めようとせず、平面思考で凝り固まっているからにほかなりません。(第一章 平面思考から球面思考へ)

ナショナリズムをこれだけわかりやすく説明してくれたことに感謝。

もともと、知識と経験は相性がよくありません。そのままでは結びつかない、相性の悪い知識と経験を化合させるのに必要な触媒は何でしょうか。それは、人間の思考力にほかなりません。別々に存在している知識と経験に創造的な思考を加えることで、新しい価値を生み出す。私はそれを「触媒思考」と呼んでいます。(第二章 触媒思考)

いまの日本では「井戸塀」政治家をほとんど知りません。かりにいたとしても、あまり多くの票を集められないのが実情ではないでしょうか。社会全体が豊かになったことで私益を優先する有権者がふえ、公益を大事にする政治家には投票しなくなったのです。
そうなると、政治の世界は私益と私益の対立に左右されるばかりで、公益は少しも高まりません。そして、公益が損なわれれば国や地方そのものが衰退し、やがては有権者ひとりひとりの生活にもマイナスが生じます。そこまで見通すことの出来ない有権者の投票行動は、賢明なものとはいえないでしょう。判断力が浅いのです。
また、いま多くの民主主義国家財政が危機的状況に陥っているのも、有権者が公益よりも私益を優先して投票しているからにほかなりません。税金をあまり払わず、逆に社会保障や生活保護などの公的扶助による恩恵を受けている人々が私益を追求するため、財政支出をふやす政策が支持されるのです。


私益と公益。政治家も有権者も私益で動く。たしかにその傾向にあるようだ。

多数意見に従うのが大原則である以上、この流れを食い止めるのは容易ではありません。ここが、民主主義にとって最大のアキレス腱です。
マスメディアでは、民主主義の悪口をいう人がほとんどいません。民主主義の問題点をしてきしただけで、まるで独裁政治や専制政治を求めているかのように誤解され、ひんしゅくを買うからです。
この問題をタブー視して見て見ぬふりを続けているかぎり、有権者の判断力は高まりません。民主主義にも欠点があることをきちんと指摘し、有権者の自覚を促すことが大事でしょう。(第三章 選択の判断力)


この頃の安倍政権のやり方を見ていると、民主主義の欠点ばかりが目につく。

俳句のような短詩型を完成させた日本は、こと曖昧に関しては間違いなく最先進国です。きわめて洗練された高度な受容力をもっているのですから、曖昧を恥じたりする必要はまったくありません。むしろ胸を張るくらいでちょうどいいでしょう。
いまは経済活動が国境を越えてグローバル化しつつありますが、そういう時代だからこそ、各国のローカルな文化の価値が増すといえるでしょう。(第四章 曖昧の美学)


曖昧を肯定的に捉えるというのは、Morris.には甘い誘惑である(^_^;)

古典的な哲学書の翻訳が難解なのは、その内容のせいばかりではありません。その内容を支えている論理がうまく翻訳できていないから、本来なら簡単に理解できるはずの文章までわかりにくくなってしまうのです。
そういう難解な翻訳を読んで日本の知識人たちは、「これが理解できないのは自分の頭が悪いせいだ」とひそかに恥じていたのです。それだけではありません。その難解さにこそ価値があるように思い込み、自分たちが日本語で文章を書くときにも、いわゆる翻訳調の小難しい言葉遣いをするようになったのです。


難しいのが偉いみたいな考え方が日本の文学にも哲学にも大きな影を落としてきたことは間違いないだろう。そしてMorris.もこの影響下にあった。(今もあるかも)

翻訳の難しさは、取りも直さず外交の難しさにほかなりません。それぞれの民族には言語の数だけ論理があり、それをうまく交換し合わなければまともな外交は成り立たない。
平和な世界を築くためには、どの民族の論理にもそれぞれに価値があることを知り、お互いの文化を尊敬する姿勢を持たなければいけません。そのためにも、まず民族論理学の確立が求められるのです。(第五章 民族論理学)


翻訳と外交。やたら外遊づいている安倍首相だが、どちらの才にも恵まれてないのは確実だろう。

料理という言葉は、もともとは「理(ことわり)」を「料(はかる)考える」というのが原義でした。わが国に渡来して食べ物や調理する意味になりました。「調理」だって「理をととのえしらべる」の意です。
野菜、魚、肉など料理の材料を作るのが一般的な生産であるとするなら、それを切ったり、煮たり、焼いたりする加工は二次的製造ということになります。
新しいものをつくり出すのを「創造」というなら、料理は二次的創造ということになります。
音楽には作曲という一次的創造があります。奏者はそれを音楽化するのですが、これは再現というべきで、真の芸術的創造と見ることに疑問があります。それに対して、指揮者は楽譜を解釈し、奏者のハーモニーをつくり出す点で二次的創造を行なっていると考えることができます。
二次的創造の力は、古典というものによってもっともよく表れます。二次的創造を経ないで古典になったものはないといってよいでしょう。


これは前に読んだ「古典論」で感心したところだ。

初めて著作権法が制定されたのはイギリスで、1709年のことです。二次的創造者、エディターという言葉が初めて使われたのは1712年です。
わが国では著作権という考えのない状態で明治を迎えました。明治20年代に外国に倣って著作権条約に加盟したものの、著作権の何たるかを知るものはごくすくなく、外国の版権のある本を無断で翻訳出版して、海賊出版国の汚名を受けることになりました。


著作権に関しては、基本的には著者、作曲家などの権利を守ることは必要だと思うが、今の日本のJASRACのように、あまりに厳しすぎる(歌詞の一節の引用に印税を課す)のではないかと思う。前にも書いたが、たとえば、俳句など、作品まるごと引用しても、印税を要求されたなどということは聞いたことが無い。
歌も詩も全くのオリジナル作品というのはないわけで、そういう意味では全ての創作は外山が言うところの「二次的創造」になるのかもしれない。

一次的創造に対して二次的創造が存在し、それが独自の価値を持つという考え方が欠落しています。映画監督、オーケストラの指揮者などにおいて独自の成果を上げつつあるのを考えて、活字文化における二次的創造についての先駆的研究がないのは残念です。
編集論というと、ベストセラーを出したとか、名著を書かせたといった技術的側面が主となりがちですが、エディターシップは理念的に受け手と送り手のよりよき結合を目指すものだと考えます。(第六章 二次的創造)


外山自身は二次的創造としてエディター(編集者)を意識しているようだが、音楽で言うと編曲者のポジションだろうか。

取り上げた問題はいろいろで、これまでの仕事の吟味もあれば、ごく最近になって思いついた新しいテーマもあります。いずれも、ほかの人の本などからの直接的影響、つまり、借りもののないことが特色といえば特色だと考えます。(あとがき)

かなりの自信の表れである。


2016110
【俺のロック・ステディ】花村萬月 ★★★☆☆2009/07/22 集英社新書:0503F
花村のロック小説でも散々講釈たれてたけど、本書では思い切り自身の音楽観を吐き出している。当たるも八卦当たらぬも八卦であるが、とりあえず面白かった(^_^)

ブルースとは俳句である。五七五ではないが、きっちりと枠が決まっているのだ。ブルースの基本フォーマットに12小節ということがあげられる。しかもAABというかたち--12小節中、おなじ歌詞を4小節、それを二度繰り返し(AA)、ラストの4小節(B)で決め科白(ぜりふ)的歌詞を歌いあげる。

言ったもんがちである(^_^;)が、ちょこっとだけ短歌と俳句に触れた経験からすると、ブルースは短歌の方に親和性が強いと思う。

ペンタトニック(pentatonic)を直訳すると5つの主音ということになる。スケールは音階という意味です。つまり5つの音からなる音階で、いわゆるドレミファの七音階(メジャースケール)から四度と七度、つまりファとシの音を取り除いたものがメジャーペンタトニックスケールで、同様にマイナーのペンタトニックスケールもある。
マイナーペンタトニックは偶然ではあるが、ブルースの音階とほぼおなじ音の配列であるからで、さらに言ってしまえばマイナーペンタトニックは日本の民謡と同じ音階であり、メジャーペンタトニックは日本の童謡の音階である。
さて--。日本の民謡、たとえばソーラン節とブルーストでは、つかっている音がおなじであるにもかかわらず、全くニュアンスが違う。そう、リズムアクセントが違う。リズムのアクセントの位置を頭にもってくると、とたんにソーラン節になってしまうし、チックタックの「タ」にアクセントをつけると、ブルースやロックのノリになるというわけだ。


以前買って結局手付かずの「ペンタトニックの強化書」もう一回トライしてみよう。

J・J・ケイルも外せない。ミュージシャンズ・ミュージシャンとでもいうべき人で、エリック・クラプトンやマーク・ノップラーといった人たちは、少なくともボーカルスタイルにおいて露骨にJ・Jの影響を受けている。けれど本人は前面に出てくる気がない。いつも後ろのほうでボソボソ唄って、さっさと引きさがるのだが、じつは場をさらっているというタイプだ。俺は二十代前半に人妻と日本中を放浪したことがあり、そのときに彼女からJ・Jを教えられた。いま聴くと追憶も絡んで甘酸っぱい気分になるが、J・J・ケイルの囁くような、呟くようなボーカルは夜の匂いがする。エルモア・ジェイムスのように生ギターに無理やりくっつけたマイクで拾う歪んだトーンも夜の香りだ。ディラン同様、シンプルとはなにかということをあらためて教えてくれる。

ここらあたりは、彼の音楽小説の一部みたいに思える。

デジタルはデジタルで新たな表現的価値をもっているのである。強弁すれば、濁りのなさ--だ。ノスタルジア派は、この濁りのなさが寂しいのだろう。気持ちはわかる。わかるけれど、アナログオーディオの時代は、SNがどーたらと、信号対雑音比の低減に血眼になっていたのではございませぬか?
いまや俺はプレーヤーにCDをセットすることさえしない。CDコンポはお払い箱である。つまりパソコンの中に取り込んで、それを2.1チャンネルのスピーカーで再生するのだ。ネットで得体の知れないメーカーの格安2.1チャンネルシステムを買い込み、どうせ俺の耳なんて低音に関してはすぐにバカになってしまうので、そのサブ・ウーファーだけを用い、そこから手持ちのヤマハのスピーカーにつなげて、いっちょあがり。
MP3は音が悪い? はいはい、ごもっともでございます。でも、音楽のデジタル化の最大の功績は、オーディオマニアという音楽とは無関係なデータ至上主義者を駆逐したことにある。そのその昔、俺はノイズだらけのトランジスタラジオに耳を近づけてFENに耳を傾けていた。音源もへったくれもない音に夢中だった。いくらよい再生装置があったって、感受性がアレならば意味がない


ほぼ全面的に同感である。

毀誉褒貶あるけれど、ローリング・ストーンズは、その盗癖も含めてロックの混沌を体現していて、たいそう好ましい。好ましいが、本来金銭を得るべきクリエイターのところにではなく、ローリング・ストーンズのところに金が向かってしまうのは、他人事ながら釈然としないので、俺も混沌としてしまう。

ぎゃはは(笑)

和音の扱いにおいて鍵盤楽器に優るものはなく、その数学的、いや、せいぜいが算数程度の複雑さを理解してしまえば、ぐっと愉しみの幅が拡がる。実際に弾けなくてもかまわないから、鍵盤に触れ、ルートの音に三度を重ねて--といったことを実践してみるといいね。視覚で和音の理屈を知るということなんだけれど。まさに目から鱗! ぜひとも楽器屋で遊んでみてください。

これも小説に何度も出てきた。たしかにおもちゃでも鍵盤あったらいいな。

人間というものは難儀なことに表現がクリア、つまりノイズに類するものがなければいいのかというと、そうでもないらしく、例えば歌声であってもジョー・コッカーやイアン・ロイドやロッド・スチュワートや森進一や広沢虎造の嗄れ声に心を揺さぶられるわけで、同様にスピーカーから飛びだしてくる音も多少は濁っているくらいのほうが心に沁みるということらしい。

ハスキーボイスならなんでも許してしまうMorris.なので、この説にも賛成。

明らかにしておかなければならないのは、音を歪ませたのはクラプトンのオリジナルではなく、黒人ブルースミュージシャンの十八番であったという事実。ハウンド・ドッグ・テイラーが、音を歪ませたくてスピーカーに剃刀で切れ込みをいれていたとか、要は、ギターでもって酒で灼いた喉から放たれる嗄れ声のような音を出したかったのだろう。

レコードで音圧をあげるには片面にせいぜい15分くらいしか録音できないという制約があったのだが、CD になってその呪縛から逃れたということだ。

これは初耳だった。

メジャーセブンス、というと大仰だけど、なんのことはない、ドレミファソラシドのシの音のことです。このシの音、ブルースには基本的に登場しないのです。ブルースではこのシの音が半音下がったフラットセブンスを用います。
ただしブルースでは絶対にメジャーセブンスの音がつかえないかというと、そんなことはない。経過音として用いると、もう身悶えするくらいに恰好いいわけだ。メジャーセブンスづかいが巧みなギタリストはハードロックではレズリー・ウエスト。ブルースではマイケル・ブル-ムフィールド。日本人のロックギタリストではチャーがすばらしい!


「メジャーセブンスを経過音に」これもまた彼のロック小説のお約束リフである。

偉そうにしていたって人間なんて17歳くらいにできあがってしまったものをずっと引きずって生きていくわけだ。17歳以降に身につくものは知識と処世だけと言い切ってしまおう

Morris.が17歳だったのは1966年、ベトナム戦争、文化大革命、そういった世界情勢とは絶縁状態で、ラジオから流れるストーンズに痺れてたことくらいしか記憶にない。ほとんど何も身についてなかったし、今に至るまで処世にはまことにもって不得手である。

ロックでいう前衛は、本質的な難解さや哲学とは無縁だ。哲学的ハッタリはあるけれど、それはインテリコンプレックスを刺激するための安仕掛け、徹頭徹尾、聴き手を突き放すのではなく、難解な音ぶったその先に、大概がわかりやすく印象的なメロディを用意して大向う受けを狙っている。つまりプログレは演奏時間に制約のないポップスの一ジャンルにすぎないとすると非常にスッキリする。
凡百のプログレッシブロックバンドよりもドアーズのほうが本質的にプログレッシブであることは強調しておきたい。


ドアーズも好きだったなあ。

音楽性には問題があるが、文学性のある者はフォークへ。
音楽性しかない者はロックへ。
こんな安易な括りで結論としてしまうのも気が引けるが、日本のロックにおける文学性の欠如は如何ともしがたい。
文学性とはなにも高踏的なものに宿るのではない。難しい言葉を遣って抽象を語ればよいというものでもない。要はセンスだ。それなのに、辞書から適当に難しい言葉を引っぱってきて一丁あがりといったあまりに陳腐な客を舐めた遣り口は、許せない。それと同時にそれをしてしまう者の小賢しさが悲しい。バカにつける薬はない--とはよく言ったものである。ロックはポップという名の所詮は大衆音楽である。歌詞を抜きには語れないのだ。
リスナーの胸を打つ言葉とは、選び抜かれた正統な言葉である。作詞時点で抽象を排除しようという意図さえ泛ばぬのであれば、その者は詩人失格以前に頭が足りないということになる。ところが演奏技術があると、なんとなく許容されてCDが発売されてしまうというわけだ。
チープなのやただ単にダサいのは許されるのだ。逆にそれがポップの条件かもしれない。だが、小賢しいのは許せない。この世界で最悪にダサいことは、小賢しいことだ。小賢しいロック。悲しすぎる……。作詞の才能のない者は、いちど、徹底的に歌謡曲の詞の構造を勉強するしかないだろう。言語を舐めるな。しかと心に留めおくように。


ここに出てくる「センス」は「ウエストサイドソウル」中の科白「感性とか言いよって、自分の才能のなさをごまかす」の「感性」とはべつものなのだろうか?
歌謡曲の歌詞を見直すというのは一つの方法と思う。

三上寛はフォークだろうか。土俗的側面を取りあげればそのままFolkだが『ひらく夢などあるじゃなし』というアルバムの音はあくまでもロックだろう。ともあれ三上寛の、とりわけ初期作品はロック好きを自認するならば、教養として絶対に聴いておかねばなりません。歌詞が凄い、歌が巧い(小節が素敵)。

ああ、三上寛も懐かしい。

「音楽は語られる言語と多くの共通面を持っている」(平凡社『世界大百科事典』音楽の項より)という一説は示唆的だ。ペンタトニックの五音音階の5つの音は、器楽的な要求からではなく、声楽的な要求から発生した。ブルース、そしてロックのリードギターを学ぶ時真っ先に登場するのがこの五音音階だ。器楽演奏のためにある面では機械的、数学的に発達してきた西洋音楽のドレミファを差し置いて、本質的に不安定であり、曖昧さのある人の声が原点である五音音階を基礎、そして主体にもってくるのがブルースであり、ロックである。声は肉体から放たれるものであり、その声はほとんどの場合、語られる言語をともなう。

「身土不二」という言葉を思い出した。

ロックとは詩情である。
冷たい、あたたかい、尖っている、硬直している、弛緩している、遣る瀬ない、腹立たしい、切ない、愉しい、苛立たしい、いとおしい--際限ないからやめるが、ロックはとりわけ詩情を多くもっている音楽だ。
この世の中は、テクニックだけで詩情の欠片もないものがあふれかえっている。世渡り上手があなたに醒めた眼差しをなげかける。つまらん拘りなんか棄ててしまえよ--。けれど、あなたは、詩情に囚われてしまっている。いまさらテクニックで生きることなどできそうにない。あなたは、生きるのが、下手なのだ。
だからといって虚無的になるのは、自己愛まみれの間抜けの作法だ。俺はこの文章でさんざんビートルズを貶してきたが、<I'LL be back>が流れれば、途端に詩情に取りこまれて、俯き加減ではあるが、しばしの幸福を味わっているのだ。合点のいかぬ人生だが、音楽があるじゃないか。ロックがあるじゃないか。--まったく建設的だ。恥ずかしいかぎりだ。
死んではならぬ。生きねばならぬ。死ねば詩情が断ち切られる。ゆえに私たちは生きねばならぬ。ロックとは命である。


音楽を言葉で語るということになると際限がなくなるか、言葉を失うかのどちらかだろう。
ロックは○○である。○○の中に何を入れてもかまわない(^_^;)


2016109
【ウエストサイドソウル(西方之魂)】花村萬月★★★☆ 2010/10/10 講談社
花村の音楽(ロック?)小説3冊続けて読んでみたが、デビュー時の「ゴッドブレイス物語」も、最近作の「ロックオブモーゼス」も、見事なくらいに同工異曲である(^_^;)

「努力て、意味ないて。これは、幸多の受け売りや。努力したかて、誰もが百メートルを9秒台で走れるわけやない」
「当たり前やんか」
「その当たり前がなかなか通じへんのが、表現の世界に群がる有象無象やて。明確な数字であらわされるわけやなかいから、どうしても感性とか言いよって、自分の才能のなさをごまかすわけや。あるいは技術ばかり磨いて、音楽機械に成りさがる」


今や100mを20秒で走る自信のないMorris.には、きついお言葉ぢゃ。でも、感性は大事だと思うぞ。音楽機械に成り上がりたい(^_^;)

沖縄で目立つのは大挙して押し寄せる観光客のレンタカーの『わ』ナンバーと、アメリカ軍属の『Y』ナンバーだ。
『わ』ナンバーはともかく、『Y』ナンバーは当て逃げなど当然といったところ、事故を起こせば自分が悪くても即座に治外法権の基地内に逃げ込んでしまうので、あまり近づくなと幸多から命じられていた。
『Y』ナンバーは車庫証明もいらないし、日本の保険も関係ないしで、無保険の車だらけでもあるという。だから事故を起こしても、なんの補償もしてもらえず、しかも相手はあっさり本国に帰ってしまって、泣き寝入りということだ。


花村はかなり沖縄に思い入れがあるようだ。エンタ作品でもこうやってアメリカの地位協定の理不尽さに突っ込むあたりは評価しておこう。

「クラシック音楽のクラシックという言葉の語源だけど」
「語源」
「そう。語源を辿ると、納税する人っていう意味になるの。そこから転じて模範的とか生真面目とか、そういう意味になったわけ


「トロのような脂身はな、冷凍しても味が変わらへんねん。赤身は、あかんぞ。冷凍したら灼けてもうて商品にならん。脂がないぶん、細胞が壊れてまう、いう こっちゃ。そやし仕入れがほんに難しい。しかもええ赤身、血の渋みが程良い赤身は決して安もんでもない。生もの商売、ロスを考えたら、あまったら棄てるし かない赤身よりもトロや。つまり、あれこれ能書きたれてお客さんにトロを有り難がらせるのんは江戸前の鮨屋の策略や」
「霜降りかて本来は草食っとる牛をつないで運動させんとトウモロコシとかのカロリーの高い配合飼料ばかり食わせば、たいした苦労もなく霜降ってしまうん や。自分が太ること考えれば、わかるやろ。運動せんで横になって油っぽいスナックばかり食っとれば、じき霜降り人間できあがりや」


こういった雑学ネタも。

音楽では、正確な音を出せることが第一条件だが、基準の正確な音を踏まえた上で、巧みにはずせることが重要だ---と光一はブルースを聴き狂って悟っていた。
演歌もそうだ。美空ひばりの音のはずし方の巧みさは超越的だ。リヒテルに夢中になっているときに、幸多から美空ひばりを聴いてみろと言われたのだ。
どうやらクラシックでは長二度の全音と短二度の半音、つまり譜面に書き表すことのできる範囲内で演奏が完結してしまうようだが、ブルースはさらに半音を細分化して四分の半音まで意識しないと演奏ができない。
ところが美空ひばりときたら、ドとレの間を意識して八つくらいにわけて歌っているようだ。天才だ。超越的な耳の持ち主なのだ。


ひばりを褒めておけば間違いなし、といった安易なところが見えるが、音のはずし方というか、融通無碍さでは確かに他の追随を許さないところがあった。


2016108
【ロック・オブ・モーゼス】花村萬月★★★ 2015/06/30 KADOKAWA 初出「デジタル野生時代」2014「文芸カドカワ:2015

ジャズミュージシャンは本来のブルースの感覚やリズムに加えて。ドビュッシーやシェーンベルクといったある時代においては先鋭的であったクラシックの音楽からたくさんのアイデアを盗んでいるという。ドビュッシーの交響詩を聴いて、瞼の裏に海が見えた! と感動したジャズミュジシャンがいるそうだ。
印象主義というのだろうか。ドビュッシーあたりからはじまった長調、短調があえて不明瞭にされた音楽、それまでクラシック音楽では禁忌的だった連続五度や連続八度の使用、さらには不協和音の多用--。
ブルースを母に生まれたジャズは、ありとあらゆるジャンルから貪欲に吸収してどんどん背丈を伸ばしてきたが、とりわけクラシック音楽という異ジャンルから新たな血を得て高度な音楽世界を創りあげてきたのだ。
それらがさらにソフィ
スティケートされたかたちで、やがて大衆音楽に降りてきて一般化するとも教わった。

花村萬月は自分でもかなりギター弾いてるようだが、結構講釈好きとみえる。でもなんとなく孫引き知識っぽい。

「そうやね。たしかに音痴の人は耳が悪い」
「耳が悪いと、音を相対化できひん。合ってるのか、外れてるのか、わからんわけやん。つまり音楽をやるのにいちばん重要なのは、当然ながら耳や。自分の声が外れてることがわかるからこそ修正が利くわけやろ。だんだん精緻になってくわけや。近似値じゃなくて、ぴったり合わせられるようになって、ようやく音楽の基礎ができたたいうことやで。ぴったり合わせられるようになってから、初めてうまく外すこともできるようになるわけやし。ミュージシャン志望いうてもな、ほとんどが最初っから外れてて、いくら練習しても外れっぱなし。それに気付きもせえへん論外な奴ばかりやわ。もちろん夢を見るのは自由やけどな」


これはMorris.にはウサギノサカダチ(>_<)


2016107
【朝鮮と日本に生きる 済州島から猪飼野へ】金時鐘 ★★★☆ 2015/02/20 岩波新書:新赤版 1532 初出「図書」2011-14

日本帝国の植民地統治から開放されたはずの朝鮮は、解放早々米ソの分割占領下に置かれ、一種の条件付き独立案、朝鮮人自身の臨時政府を樹立はするが、これを5年間にかぎって四大国(米・英・中・ソ)の信託統治のもとに置くという「信託統治案」が、解放の年の12月末、米ソの間で合意されていました。それが47年の8月12日、済州島では島民によるゼネストが鎮圧された直後にあたりますが、ようやく再開された第二次米ソ共同委員会がまたしても決裂に陥り、「信託統治案」は反故に帰してしまったのでした。「四・三事件」の惨劇はまさしく、「この「信託統治」の具体化に向けた米ソの話し合いが決裂し、便宜的な分割占領が恒久的な南北分割へとむかう中で起こった悲劇」(文京洙)でありました。

「冷戦」のボトルネックの位置に朝鮮半島が位置していた。

4月3日、山部隊が襲ったのは警察支所と右翼団体事務所、要人の居宅であり、警察支所は島内24支署のうち11支署に及んでいました。蜂起の日の犠牲者だけを取り出しますと次のようになります。
■警察 死亡4人、負傷6人、行方不明2人
■右翼など民間人 死亡8人、負傷19人
■山部隊(武装隊) 死亡2人、逮捕1人
よもやこの程度の抗争が、何万人もの犠牲者を出す呼び水になろうとは、南労党関係者にとどまらず島民の誰にとっても、想像すらつかなかったことでありました。


「四・三事件」と呼ばれるその4月3日の被害と、その後の被害のあまりの落差。

いま思い出しても拳を振りたくなるほど残念でならないことですが、「四・三蜂起事件」が無残きわまる惨劇に陥らないだけの手がかりが、実は山部隊司令官の金達三と金益烈中佐が率いる第九連帯との間で、話し合いの形で取り交わされていたのです。

ディーン軍政長官は朴珍景中佐の赴任に対し、水原第11連隊の大兵力を「我が国の独立を妨害する済州島暴動事件を鎮圧するためには、済州島30万を犠牲にしてもかまわない」」と就任辞で述べた朴珍景連隊長の指揮下に配属させました。それに増派されてきた討伐特高警察隊が協同して動くという、これは暴動鎮圧というより徹底した根絶やし作戦の戦争遂行でした。

アメリカは自分の手を汚さずにすむように、同じ朝鮮人(右翼、日帝の協力者、警察など)を利用した。

とかく人生は短いと言われますが、その日その日を際限なくつないできている一生は、本当に雑多に長いものです。自分の来し方を顧みて、しんそこそのように思います。さらけだしたくない過去、というより思い起こすまいと努めて閉ざしてきた記憶の数々を、八十路も半ばを越した者が殊更のように回想しているのですから、それはそのまま埋もれた記憶と改めて向き合っているということであります

金時鐘の余りにも深い悔恨。

私は小野十三郎先生のおかげで人のつながりの恵みもまた、大きくこうむりました。先生が始められた大阪文学学校で私も60年代の初めごろから、チューターや講師を受け持ってきていますが、多くの文学仲間たちと朝鮮、日本の境界を超えて交わることができました。なかでも文学の発光体のような三人の友人、しなやかな論理性と巧まざる筆法で読者を虜にしてきた、文芸評論家の松原新一氏と、名人芸の文章力としか言いようがない作家の川崎彰彦氏。そして底知れぬ知識を蓄えている、詩人で評論家で、ドイツ思想専攻の大学人である細見和之さん。

この連載を機に私はどのような関わりから「四・三事件」の渦中に巻き込まれ、私はどのような状況下で動いていたのか。"共産暴徒"のはしくれの一人であった私が、明かしうる事実はどの程度のものか、を改めて見つめ直すことに注力しました。今更ながら、植民地統治の業の深さに歯がみしました。反共の大義を殺戮の暴挙で実証した中心勢力はすべて、植民地統治下で名を成し、その下で成長を遂げた親日派の人たちであり、その勢力を全的に支えたアメリカの、赫々たる民主主義でした。
具体的にはまだまだ明かせないことをかかえている私ですが、四・三事件の負い目をこれからも背負っていきつづけねばならない者として、私はなおなお己に深く言い聞かせています。
記憶せよ、和合せよと。(あとがき)



2016106
【ブンブン堂のグレちゃん 大阪古本屋バイト日記】グレゴリ青山★★★☆☆ 2007/06/01 イースト・プレス 初出 「彷書月刊」2003-07
グレゴリ青山 1966年京都生。高卒後夜間のデザイン専門学校に通いつつ古本屋でバイトする。その後、中国に旅行したのをきっかけに、バイトをしながら旅行を繰り返す。1996年「旅のグ」(旅行人)でデビュー。

Morris.好みのグレゴリ青山が80年代後半に古本屋(阪急古書の街?)でバイトしたのは知らずにいたが、本書は、そのバイトから20年後にこういった作品を「彷書月刊」に連載してたというのもちょっとした驚きだった。
彼女のバイト時期にはMorris.は神戸に移ってたが、けっこう古本屋は冷やかして回ってたから、彼女と出会ってた可能性は高い。だからどうということもないのだが、あの時代はまだ古本屋は存在感が大きかった。
そういう意味で本書の漫画は当時の空気を実にうまく定着している。
また多くのコラム(古本屋紹介、自分の好きな作家や挿絵画家)、デザイン学校時代の作品、最初の中国旅からの葉書、海外旅行で見つけた各国の古本屋、そして2本の付録漫画(内田百閒と古書入札会)もあって、これらがまた素敵に面白かった。
見返しカラー写真で掲載されてる40軒ほどの大阪の古本屋の実際の棚の本の背表紙見るだけでも興味尽きないものがある。木々高太郎「睡り人形」に15万円の値札が付いてるあたり、バブル時代を反映してるようだ。
テーマに即して、多くの本が登場して、これが結構Morris.の好みと共通しているものが多かった。一部を引用しておく。

「ビリチスの唄」ピエール・ルイス 生田耕作訳 奢灞都(サバト)館
「真珠郎」横溝正史 角川文庫
「聞書 アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは」嵐寛寿郎 竹中労 白河書房
「現代商業美術全集」 アルス
「現代猟奇尖端図鑑」新潮社
「百怪、我ガ腸ニ入ル」竹中英太郎記念館
「大衆文学図誌」八木昇 人物往来社
「別冊太陽 探偵怪奇のモダニズム」平凡社
「船の本」柳原良平 至誠堂
「王様の背中」内田百閒 旺文社文庫
「香りの時間」中井英夫 大和書房
「ゲンセンカン主人」つげ義春 双葉社
「小村雪岱画譜」龍生閣


生田耕作はバイト先の古本屋の得意客だったらしく、本書にも数回登場する。竹中労の父竹中英太郎への傾倒はかなりのもので、甲府の記念館を訪れて熱意あふれる取材をしている。


2016105
【ゴッド・ブレイス物語】花村萬月 ★★★ 1990/02/25 集英社 初出「小説すばる」89年冬季号
著者のデビュー作のロックバンド小説。騙されて京都のクラブでホステスやることになったバンドリーダー朝子とクラブオーナー元ヤクザとの絡み、バンドメンバーそれぞれの音楽への思いとやり方、様々な愛の形……それなりに面白かった。

ブルースやジャズ、そしてロックをやる以上、誰でも突き当たる問題を、初めて真剣に考えたような気がする。
結論は……日本人同士から始めようということ。あたしたちはなんのためにことばを持っているのか、ということ。
日本語で演奏しよう。日本語で唄おう。これまでは英語、正確にはアメリカ語でやってきたあたしたちにとって、大きな方向転換になる。


ロックを英語でやるか日本語でやるか、たしかに大きな問題である。まあ、ほとんど韓国歌謡しか歌わないMorris.にはあまり関係ないか(^_^;)


2016104
【出ふるさと記】池内紀 ★★★ 2008/04/25 新潮社 初出「新潮」2004-07
先日読んだ「作家のへその緖」と同じ連載の先行作品らしい。
高見順、金子光晴、安部公房、永井荷風、牧野信一、坂口安吾、尾崎翠、中島敦、寺山修司、尾崎放哉、田中小実昌、深沢七郎の12人。
例によって、ユニークな視点が目立つ。

永らく国鉄には「チッキ」とよばれる制度があった。乗車券をもっていれば、一定量の小荷物を同じ列車の貨物車輌で運び、指定の駅で下ろして駅留めにしておける。さしあたり必要な品々を柳行李につめて駅へ運び、自分は小さな手荷物をかかえ、切符を握りしめてゆられていく。近代日本のエネルギー源になった膨大な数の上京組は、「チッキ」という制度の庇護のもとに、生活具と同行の旅をした。(彷徨 尾崎翠)

もちろんとっくにこの制度は廃止になって、国鉄もJRに変わってしまったのだが、Morris.は生涯一度だけこれを利用したことがある。高校卒業して、小倉の大学に行った時のことである。

「音戸の瀬戸」は伝説によると、平清盛が沈む太陽を金の扇で招き返して、一日にして掘りあげたけたという。それほど狭いが深度があって大型船でも抜けられる。不穏の事態になれば封鎖して鉄壁の守りを固めることもできるだろう。
明治19年(1886)5月。勅令をもって広島県安芸郡呉港に海軍鎮守府設置の旨が告示された。3年後に完成。それは大日本帝国憲法が発布された年でもある。明治23年(1890)4月、明治天皇を迎えて海軍呉鎮守府開庁式挙行。これは帝国議会の開会ともかさなっている。坂のまちはそのまま「坂の上の雲」であって、息せき切って近代化へと駆け出した大日本帝国のミニチュアというものだった。(うろつき 田中小実昌)


田中小実昌が生まれたのが呉の高台にあった非常に私的なキリスト教教会で、牧師である父親がユニークだったという話の、導入としての呉の紹介だが、「坂の上の雲」を持ってくるのは巧いと思った。

本書中一番おもしろかったのは、俳人尾崎放哉のくだりだった。
平成8年(1996)、俳人萩原井泉水の鎌倉の住居の物置小屋で数個の紙袋が見つかった。紙袋の中には尾崎放哉の投句が入っていた。
その中の一句

口あけぬ蜆淋しや

俳誌の約束で、師は弟子の作を添削する。ムダを省いて、不足をつけ加える。それをしてもかまわない。添削されたからといってオリジナルの価値はかわらない。
見つかった句稿からわかるのだが、井泉水は「淋しや」を「死んでゐる」と直して「層雲」に掲載した。

口あけぬ蜆死んでゐる

とたんに淡い叙情句が厳しい死の造形になった。死場所を求めて放浪し、首尾よくそこに行き着いた男がいる。すでに末期の目で生きており、願うところはただ一つ、この世からのあざやかな雲隠れ。そんな人物の心象風景をめぐり、一つ年上の師が友情あふれる助太刀をした。わが国の文芸史のなかで、とびきり意味深い添削に違いない。
ついでながら放哉の死が1926年、井泉水の死は半世紀のちの1976年、それからきっかり20年後の1996年に眠っていた句稿があらわれた。これまたたのしい文芸のかくれんぼというものだ。

実に含蓄のある話だが、元の句と添削されたものとは、やっぱり全く別の句のように思える。たしかに元の句は駄句とまではいわないが、凡句だろう。添削された句も名句に生まれ変わったのかと問われればそれはない、と思う。でもまあ、師にして三つ年上の友人だった井泉水の、放哉への友情の発露といわれれば、それはそれでちょっといい話ではあるな。
両句の冒頭の「口」は「□(四角形)」ではなくて「くち」である。明朝体なら間違うことはないが、ゴシックだとほとんど区別がつかない。為念。

もう一つ文学の世界できわめて珍しい現象がある。この八十年あまり前に世を去った人の句が、現代のコマーシャルにピッタリ収まるということだ。
こんなよい月を一人で見て寝る
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
島の小娘にお給仕されてゐる
酔のさめかけの星が出てゐる
一人分の米白々と洗ひあげたる
笑ふ時の前歯がはえて来たは
-----------------
それぞれの放哉俳句に写真や映像を組み合わせると、絶妙なコピー(広告文)になる。
「こんなよい月」は不動産広告に使えるだろう。念願のマイホームを手に入れたおとうさんが、幸せそうに浴衣姿でねそべっている。窓べに夜空と、まん丸いお月さま。
「いつしかついて来た犬」と「島の小娘」は、旅行パンフレットにどうだろう。「第二の人生」とやらを迎えた中高年の旅。浜辺に佇んで遠くを見つめている年配者。のら犬が横から見上げている。旅のパンフレットでは、なぜか若い女性がカスリの着物をきていたりするが、島の宿には、そんな娘がよく似合う。写真に添えられたのが「島の小娘にお給仕されてゐる」。名うてのコピーライターが歯ぎしりしてくやしがるような名コピーではなかろうか。
酔のさめかけと星の句は日本酒キャンペーンにいいだろう。「一人分の米白々と」は農林水産省のスローガン「日本のおコメを食べましょう」に使える。「笑ふ時」は孫を抱き上げた祖父といっしょに生命保険の広告にいける。
どうしてこんな不思議が起きるのか。島の庵に行きついて窮死した人の作が、物量のあふれ返った時代のコマーシャリズムにぴったり。4かぎりなくゼロに近づいた人の吐息が、現代人のひそかな願望と夢を、そっと小声で伝えている。(雲隠れ 尾崎放哉)


これはいかにも池内らしい論の持って行き方で、ちょっとアクロバチックでもあるし、たしかに、今風コピーとして使えそうだ。しかしこのコピーに誘惑されそうな対象へを、ちょっと揶揄するかのような筆致が池内節というべきかも。


2016103
【街角図鑑】三土たつお編 ★★★☆  20166/04/30 実業之日本社
街角の様々な設置物件への愛着と好奇心に溢れた多くの仲間やマニアが寄ってたかって出来上がった、主に都会の探索ガイドみたいな一冊。ネット時代ならではの情報収集と、実際に歩き回って発見したレアもの、それぞれのきちんとした構造紹介など。すべてカラー写真で楽しめる。
取り上げたものの中には、日常当たり前に目にしながら、名前さえ知らないものも多かった。

・パイロン(カラーコーン、三角コーン、ロードコーン)
・ガイドポスト(視線誘導標)
・防護柵(ガードレール、ガードパイプ、横断防止柵、鉄柵)
・車止め(ボラード、チェーンポール、バリカー、チェーンスタンド)
・段差スロープ(セフティスロープ、段差プレート)
・タイヤ止め(パーキングブロック、カーストッパー)
・境界標(境界石、境界杭、境界鋲、プレート)基準点、水準点、明示杭
・単管バリケード(パイプバリケード、ケロガード、うさガード、MAスタンド、A.Jスタンド)
・舗装
・縁石・排水溝(側溝、境界ブロック)
・マンホール蓋
・井戸ポンプ(手押しポンプ、ドラゴン号、サンタイガーポンプ、共柄ポンプ、大黒号
・路上園芸
・のぼりベース(ポールスタンド、ポール台)のぼり旗(桃太郎旗)
----------------------------------------------------------------------------
・電柱
・信号機
・街路灯
・カーブミラー
・回収ボックス
・郵便ポスト
・雰囲気五線譜--看板などに描かれているいい加減な楽譜
・装飾テント
・透かしブロック
・外壁
・送水口(連結送水管送水口)採水口、消火栓
・シャッター
・擬木
・擁壁(石垣、蛇擁(じゃかご))
・消波ブロック(テトラポット、メガロック、シーロック、合掌ブロック、エックスブロック)


Morris.が日頃愛好してやまないマンホール蓋についても
直径-一般的なマンホール蓋は直径60cm、用途によって30cm、90cm、120cmの蓋もある
素材-ダクタイル鋳鉄(FCD)、ネズミ鋳鉄(FC)、鉄筋コンクリート、プラスチック等
重さ-下水道用60cmの鉄蓋で約40kg。
種類-下水道、上水道、ガス、電気、通信、消防水利、測量系、汎用蓋、
といった、即物的なデータとともに

マンホール蓋は常に相反する働きを求められてきた。しっかり閉じてガタつかず、しかし開けたいときはすんなり開くように。雨に濡れても車も人も滑らず、しかしタイヤを削らず、転んで手をついても怪我しないように。重量を減らして、しかし、強度は増すように。
そんな要望に必死に応え、マンホール蓋は進化してきた。しかし、ガタつかなくてもすべららなくても通行人に褒めてもらえることはない。一方、蓋が割れたり滑ったり、ゲリラ豪雨で蓋が吹き飛んだりすると注目と非難の的となる。マンホール蓋は人に意識されないのが一番よい状態なのだ。なんて不憫なのだろうか。
いまは非常にいい時代だ。技術の粋を集めた最新型の蓋はもちろん、明治のものと思われる古蓋まで各時代の蓋が路上にある。現存する進化図を鑑賞し、蓋の頑張りに拍手を贈ろう。


こういった、なかなかにうがったコメントがあったりもする。

電柱ひとつとってみても、足元から、電柱直接柱の太さと高さが記されているに始まり、電力会社の柱番号、交通標識、街路灯、広告があり、電線も一番上の高圧線、低圧線、通信線、スパイラルハンガー、クロージャー、腕金、柱上変圧器、開閉器……等々仔細に紹介されている。
他にも「回収ボックス」はゴミ箱ではなく、資源リサイクルを体現した存在だとか、透かしブロックのデザインとサイズ(横39cm、縦19cm)が目地を入れてちょうど40☓20になるとか、いろいろ面白くてためになる?大ネタ小ネタ満載の一冊である。


2016102
【犬死一番の謎】松村美香 ★★★ 2005/09/07 郁朋社
先日読んだ「ロロ・ジョングランの歌声」が読み応えがあったので、同じ作家のこの作品を読んだ。いささか期待はずれだった。かなり以前に書かれたものらしい。
生き残った特攻隊員の「大死一番」の書の「大」の字の右肩に点を加えて「犬」にしたものを見た女性記者がその裏側を取材する中で、様々な人間模様が明らかになるという、歴史ミステリーらしいが、伏線や細部の設定がいまいちリアリティに欠けるような気がした。

知覧から沖縄までは650キロある。隼戦闘機で2時間、九七戦闘機で2時間の空路だった。250キロもの爆弾を搭載したこの「自殺機」は、沖縄海域に忍び寄るアメリカ艦隊に向け、もろとも体当りすることを任務とした。自爆という究極の戦術は、アメリカ兵たちを驚愕させた。そして、沖縄の空に舞う小さな戦闘機を、「カミカゼ」と呼んだのである。
米軍側のその後の記録によると、カミカゼの戦果は少なからずあったようだ。自殺機がいつ襲いかかってくるかと40日間も不安な日々を送ったためノイローゼになった指揮官が何人もいたらしい。


特攻は自爆テロに直接つながる。

戦闘機のディスプレイも気の利いた演出を加えてあり、露天に晒されていた頃のあのもの悲しい沈黙はなかった。黄ばんで端の丸まった生写真はなく、複写して同じサイズに引き延ばされた若者たちの笑顔が、パネルに加工されて行儀良く壁を飾っていた。
「過去が、過去として歴史になったというより、見せ物になったような気がするんです。……考えすぎでしょうか」


リニューアルされた特攻記念館を見ての主人公の感想だが、これと類似した事例は多数見つかるだろう。フィルターというかオブラートに包まれて事実が薄められる傾向。日本の報道で死体や血の流れる絵は使われないという「自主規制」にも通じるのでは。

「でも、君のお父さんは、時代の先を見ていたんだと思うよ」
「どういうことですか?」
「あの頃は右肩上がりの成長が続いていて、誰も疑問になんて思っていなかった。少なくとも、大多数の人間が、がむしゃらに働くことだけを価値だと信じていた。特攻で死んだ若者が突っ走ったのと同様の、狂信的な価値が存在していたのだと思う」


高度成長期の日本人の姿を特攻隊員に直結させるのは行き過ぎのような気もするが、たしかに一種の集団ヒステリーの傾向はあったかもしれない。

「特に、特攻っていうテーマは今でもタブーが多いんだから、元特攻隊員の無残な怪死なんて、軍人会から難癖つけられるに決まってるだろ。戦後半世紀とはいえ、まだ戦争体験者は健在なんだぞ」

戦後半世紀という本書の舞台設定ならたしかにまだ相当ス健在だった戦争体験者も、20年後の今日では激減している。あと20年経てばほぼ消滅ということになる。戦争を知らない子供がそのまま大人になり老人になり死んでいくということが、いかに稀有なことなのか、もう一度考えてみなくては。



2016101
【ロロ・ジョングランの歌声】松村美香 ★★★☆  2009/03/05 ダイヤモンド社

東ティモールで殉死した従兄・稔の後を追い記者になった藤堂菜々美は、中部ジャワ地震の被災地取材の機会を得る。……女性記者の仕事と恋、ODAをめぐる政治と経済を描きながら、経済格差が存在する世界で個人はいかに生きるべきかを問う意欲作。(腰巻き文一部)

著者は国際開発コンサルタントとして、カンボジア、インドネシア、モンゴル、ザンビア、パレスチナなどの開発調査に参加している。兼業作家らしい。本作は第一回城山三郎経済小説大賞受賞作。

「政治紛争の場合は、人道的だと言っても、いつの間にか一方の勢力に加担していることがあるわ」
「それは、結果的にはそうかもしれませんけど……人道的支援は必要ですよね」
NGOの活動に賛同したつもりだったが、思いがけない返事が返って来た。
「どうかしらね。だいたい、可哀想だから支援しようなんて、傲慢以外の何ものでもないかもしれないわ」
レイコの目は、誰も見ていない。目の前にいる菜々美を相手に話しているとは思えなかった。
「結局は自己満足よ。本当は何の解決にもなっていない。正義だ善意だなんて言ったけど、結局は自己陶酔に過ぎないかもしれない」
「……」
「眼の前の気の毒な人に手を差し伸べて、その時は温かな気持ちになれるけど、でも、構造的な問題は何一つ解決されないことも多いのよ」
「でも、向かい合ったその人は感謝するはずですよね」
「感謝ね。……そんなものを求めている限り、所詮、偽善者なのよ」
「そ、そんなこと、ないと思います」
菜々美はとっさに否定したが、レイコは冷笑するかのように唇をゆがめた。
「人間ってね、心の中の邪悪な感情を打ち明ければ『ほら、やっぱり』と納得するけど、善意の心を打ち明けても『ウソに決まってる』と疑われるのよ」


なかなかに鋭い指摘。

新聞社を母体とするCLUEは、出版社系の雑誌よりは多少硬めで斜に構えたところがあった。時代にそぐわず廃刊となった社会派週刊誌の編集者が、バブル期に乗じて再起を図るために創刊したようなところがある。社会に媚び、公告に媚びていることをシニカルに受け止め、儲けを意識しながら、新聞記者ならではの記事を創刊したざっしにぶつけた。学生運動時代の記者たちは、巷の話題に敏感に反応しつつ、少しだけインテリ風の批判精神を主張した。見ようによっては中途半端な後は雑誌だった。時代に妥協はしているが、芯は反骨精神だ、というのが編集者たちのポーズだったが、周囲はむしろ、硬派ぶっているが時代に媚びた雑誌だと言って陰口を叩いた。たぶんどちらも真実で、結局は、それが現実の姿だった。

この「CLUE」という雑誌は「Aera」がモデルだろうな。そう思って読むと、実に的確な評言だと思う(^_^;)

今では誰もがものを書く時代である。読むことよりも、書くことの方を好む人も多い。それぞれが主張し、一人ひとりがいっぱしの評論家となって、社会、経済、政治だけでなく、メディアそのものを批判的な論調で攻め立てる。「権力との戦い」と銘打った批判的精神は、新聞記者や評論家の特権ではなくなり、むしろメディア権力という巨塔が市民の批判対象となっている。編集者はブログの書き込みに右往左往し、アンケート調査をして大衆におもねって記事を書くばかりの表現者は、時代の先端を行くリーダーとしての役割よりも、大衆の空気を読み取る代弁者としての能力を求められるようになってしまった。
「要するに、かつて記者にはもっと特権意識があったってことですか?」
昔話を懐かしそうに語り、現在の状況を嘆く梶尾デスクに、菜々美は素っ気なく訊いた。


こういったメディアへの視点も共感を覚える。

感情を感情のままに書けば、それは三流雑誌の薄っぺらな自己主張にすぎない。だが、内容によっては、文章の順番を工夫するだけでも読者の心を誘導することができる。ちょっとした接続詞で、事実関係の中に筆者の心w描くことができる。そのコツを菜々美は習得しつつあった。でも、それはむしろ、エッセーを書くワザに近かった。

文章術に関しても一家言を持っている。

1990年代、日本は円高の影響もあって世界地のODA供与国になる。政府はODAへの資金貸与を検討し始め、草の根無償資金協力として、その活動を取り込んでいく。阪神淡路大震災をきっかけに国民のボランティア意識は国内にも向けられるようになり、1998年にNPO法案が施行される。
21世紀に入り、再び振り子が大きく反対側に振れる。「日本はお人好し過ぎる」という苛立ちが生まれ、国益を無視したODAはあり得ないという声が上がる。長引く不況で、ODA不要論も大きくなる。1991年以来10年間世界一を保っていた日本のODA拠出額は減り続け、2007年、遂に五位に転落。一方で自衛隊による国際貢献が本格化していく。
こうして概観してみると、国際協力やボランティア事業は政治や経済を映す鏡のようである。政府にとっては重要な外交戦略であり、世界史の中にこそ存在する。菜々美はふと戦争と国際協力の関係を思った。やはり、これは双子なのだろうか。車の両輪……あるいは、ジキル博士とハイド氏のような、人間の裏表なのだろうか。
人は破壊し、人は創造する。
壊さなければ復興はない。


本職のコンサルタント業では、ODA との関わりも深いだけに、裏表を知り尽くしてるようだ。
そして最後の決め文句は、決まりすぎくらいに決まってる。
この人の作品、もう少し読んでみよう。


2016100
【無情】李光洙(イグヮンス) 波多野節子訳 ★★ 2005/11/18 平凡社 初出「毎日申報」1917年1月~6月
昨年読んだ「李光洙(イ・グヮンス)韓国近代文学の祖と「親日」の烙印」の著者が翻訳したもので、あらすじ紹介だけみると、とても読む気にはなれないと思ったものの、何故か気になって読むことにした。
新聞に連載されたのが1917年、ほぼ1世紀前の作品である。1910年に日韓併合が行われ植民地支配下におかれた朝鮮で、当時唯一の朝鮮語新聞の連載ということからも、朝鮮人の関心は高かったと思う。しかし併合直後の日本の半島支配は武断政治と呼ばれる強圧的なものだった。そんな中で朝鮮人による朝鮮語の小説は、検閲も厳しかったものと思われる。

月花はしだいに世を悲観するようになった。唐詩を教えながら、よく月花は英采をぎゅっと抱きしめて涙を流し、
「英采や、お前も私も、どうしてこんな朝鮮にうまれたのかしらねえ」

と言った。

英采というのがヒロインであり、この後、とんでもない運命に巻き込まれていくわけだ。

大同江岸辺でペソン中学の生徒が歌っていた。

夜明けの光が湧きあがる 陽が昇る
地上の万物が 喜び勇んで踊りだす
天下の人が夢見ているとき 私だけが目覚め
天を仰いで 悲しき歌を歌うのだ


(ペソン中学の咸校長が)話す内容は、朝鮮人も他民族と同じように、古い殻を脱ぎ捨てて新しい文明を取り入れるべきであること、現在の朝鮮人は怠惰で無気力なので、豊かな新しい民族に鳴るためには何としても新しい精神と勇気が必要であること、そしてそれには教育が一番だから息子や娘たちには絶対に新教育を受けさせるべきだということだった。
「諸君の祖先は決して諸君のように心が腐っておりませんでしたし、諸君のように怠惰で無気力でもありませんでした。平壌城の石垣を積みあげた我らが祖先の気性は雄大であり、乙密台と浮碧楼を築いた我らが祖先の志は壮大でありました」


どうもこのペソン中学校長の意見は頭でっかちというか、大時代的でもある。

人間の生命もけっして一つの義務や一つの道徳律のために存在しているのではない。人間の生命は、人生の全義務および宇宙に対する全義務のために存在しているのだ。それゆえ、忠とか孝とか貞節とか名誉などは、人間の生命の中心ではない。そもそも、人間の生命が忠や孝のために在るのではない。忠や孝が人間の生命は、忠・孝・貞節・名誉などのあらゆる要素でなりたっているのだ。あたかも、大宇宙の生命が北極星や天狼星(シリウス)や太陽に存するのではなく、北極星と天狼星と太陽とその他大小の星たちと地上のすべての微生物までも含んだすべての物質でなりたっているのと同様、人間の生命もまた忠、孝、貞節、名誉などすべての要素でなりたっているのである。

これが、著者の偽らざる心情なのだろう。そして、これもまた大時代的というしかない。

これが彼らの人生観なのだ。人間の社会に起こるあらゆる悲劇を、前世の因縁だ、人の力ではどうにもならぬことだと言って、ちょっと泣いてからすぐに涙をふいてあきらめる。彼らにとっては、いつまでも涙を流すのは愚か者のやることであり、ちょっと泣いてすぐに涙をふいてしまうのが正しいことなのだ。だから、彼らはすべての責任を「前世の因縁」と「八字(パルチャ)」になすりつけて、決して人間のせいにはしない。だから彼らにとっては、特に善い人間もいなければ悪い人間もいない。誰もがみんな前世の因縁と八字にしたがって生きているのだ。「そうだ! これが朝鮮人の人生観なのだ」

パルチャというのは、避けて通れない辛い運命だが、これは現代でも根強く残っている。

亭植は、朝鮮で最高の進歩思想を持った先覚者だと自負している。だから謙遜しているかに見える彼の心には、朝鮮社会に対する誇示と驕慢がある。彼は西洋哲学も読んだし、西洋文学も読んだ。彼はルソーの『懺悔録』と『エミール』を訓み、シェークスピアの『ハムレット』とゲーテの『ファウスト』とクロポトキンの『麺麭の略奪』を読んだ。彼は新刊雑誌に出る政治論と文学論を読み、日本の雑誌の懸賞小説で一度賞も受けた。彼はタゴールの名をしっており、エレン・ケイ女史の伝記を読んだ。そして宇宙について考え、人生についても考えた。自分には自分の人生観があり、宇宙観、宗教観、芸術館があり、教育に対しても一家言あると自負している。二千万もの人びとのなかで、自分の言葉と意志をわかる者はほとんどいないのだという、先覚者の寂莫と悲哀を覚える。そして、自分の言葉を理解できそうな友人を指折り数えてみるが、十本まで行かない。この十指に満たぬ者たちが朝鮮人のなかで新文明を理解している先覚者であり、全朝鮮人を教え導く者なのだ。

主人公、亭植こそ、著者の分身である。当人は本気なのだろうが、このエリート意識は、読んでる方が恥ずかしくなる。

汽車が南大門に到着した。まだ暗くなりきっていはいないが、あちこちに明るい電灯が点いている。電車の音、人力車の音、これらすべての音を合わせた「都会の音」と、広いプラットフォームに響く下駄の音が一緒になって、いままで静かな自然のなかにいた人間の耳にはひどく騒々しく聞こえる。「都会の音」、それは「文明の音」だ。その音が騒がしければ騒がしいほど、その国は発展しているのだ。車輪の音、蒸気と電気機関車の音、ハンマーの音、こうした音すべてが合体して初めて燦爛たる文明が生まれる。じつに、現代文明は音の文明である。ソウルはまだ音が不足している。鐘路や南大門に立ってお互いの話し声が聞こえないくらいに、文明の音は騒々しくなるべきなのだ。しかし哀れなことにソウルの都に住む三十万余りの白衣の人びと(朝鮮人のこと。朝鮮民族をさして白衣民族と呼んだ)は、この音の意味を知らないし、この音と関係もない。彼らはこの音を聞くべきであり、聞いて喜ぶようになるべきであり、ついにはこの音を自分の手で作り出せるようにならねばならない。(104)

近代文明論がこの程度である。

外面の愛は浅い。それゆえたちまち冷める。精神的愛は深い。だから長続きする。外面だけを愛する愛は動物の愛であり、精神だけを愛する愛は鬼神の愛だ。肉体と精神が合一した愛こそ、あたかも宇宙のごとく広く、海のごとく深く、春の日のごとく調和して無窮の愛となるのだ。世の人が口には出さないものの心のなかで夜も昼も求めているのは、こんな愛である。しかし、こんな愛は宝物と同じで、千人に一人、十年百年に一人も得られない愛である。それで女は春香を羨み、男は李道令を羨む。自分たちが実際にはそんな愛を味わうことができないから、小説や演劇や詩で見て、喜び、笑い、泣くのである。朝鮮では天地開闢以来、ただ春香と李道令の愛があるのみだ。誰もが春香になろうとし、李道令になろうとしたが、近寄ることすらできなかった。朝鮮の凶悪な結婚制度はこの数百年のあいだに、人の胸のなかにある天から授かった愛の種を完全に枯らしてしまったのだ。友善もその犠牲者の一人である。(110)

これって本気で書いてるのだろうか?だんだん馬鹿馬鹿しくなってきた。

炳郁(ヒョンウク)はハンカチで英采の涙をふいてやりながら、
「泣かないで。世の中が幸福をくれないなんてことが、あるもんですか。くれなきゃ、よこせって言うのよ。それでもよこさなきゃ、無理やりに奪いとるのよ。奪ってもよこさないようなら、せめて仕返しするのよ。それに、考えてもご覧なさい。あなたみたいに悲しい目に遭っている人が、この世であなただけだと思うの。とくにこの国は、そんな可哀相な人が山ほどいるはずよ。だったら私たちは、このいけない社会制度を変えて、せめて子孫だけでも幸せに暮らせるようにしてやらなくっちゃ。私たちがやらなくて誰がやるっていうの。それなのに、あなたが自分の苦労に負けて死んでしまったら、それは子孫に対する責任の放棄よ。だからね、できるだけ長生きして、できるだけいっぱい働きましょうよ。さあ。泣いていないで、苺でも食べましょう」

笑うしかない。苺でも食べようか。

僕は、朝鮮の進むべき道を明確に知っていると思っていた。朝鮮人が抱くべき理想と教育者がもつべき理想を、確実に把握したと思っていた。しかしこれも畢竟、子供の考えに過ぎない。僕はまだ朝鮮の過去を知らず、現在を知らない。朝鮮の過去を知ろうとすれば、まず歴史を見る目を養い、朝鮮の歴史を詳しく研究する必要がある。朝鮮の現在を知ろうとすれば、まず現在の文明を理解し、世界の大勢をみきわめ、社会と文明を理解するだけの眼識を養ったのちに、朝鮮の現状を緻密に研究せねばならない。朝鮮の進むべき方向を知るのは、その過去と現在を十分に理解したあとのことだ。(115)

頭でっかち、それもかなりに救いようがない。

彼らの顔を見ると知恵の片鱗も感じられない。誰もが愚かで無感覚に見える。彼らは取るに足らない農業知識だけを頼りに、ひたすら地面を掘る。神様が何年間かそっとしておいてくれればちっぽけな米俵も少しは貯まるだろうが、一度洪水が起きれば何もかも洗い流されてしまう。だから彼らは永久に現在より富むことはなく、貧しくなっていく一方だ。そして身体はしだいに弱くなり、頭はしだいに愚かになる。このまま放っておけば、最後には北海道の「アイヌ」と変わらぬ種族になってしまうだろう。
彼らに力を与えなくてはならない。知識を与えなくてはならない。そして、生活の根拠を固めてやらねばならない。
「科学! 科学!」
旅館に戻って腰をおろした亭植は、一人で大きな声を出した。


「アイヌ」蔑視まで出てきた(@_@)

最後に話すべきことは、亭植一行が釜山で船に乗ったあと、朝鮮全体が大いに変わったということだ。教育においても、経済においても、文学・言論においても、あらゆる文明思想の普及においても、すべての面で長足の進歩をとげた。とりわけ祝うべきは商工業の発達であって、京城を筆頭に各大都市に石炭の煙が流れ、ハンマーの音が聞こえぬ場所はない。近年極度に衰えていた朝鮮の商業も、しだいに振興していくであろう。
暗い世の中がいつまでも暗いはずはないし、無情なはずがない。我らは我らの力で世の中を明るくし、情を有らしめ、楽しうし、豊かにし、堅固にしていくのだ。楽しいを笑いと万歳(マンセー)の歓声のなかで、過去の世界の喪を弔する「無情」を終えよう。完 (126)


疲れた(>_<)


2016099
【作家のへその緒】池内紀 ★★★ 2011/05/30  新潮社 初出「新潮」2008-10
池内紀らしい、ちょっとひねりの利いた作家論、というか点描みたいなものである。

「路地の多い--というのはつまりは貧乏人の多い町であった」(織田作之助「木の都」)(織田作之助--夜店めぐり)

Morris.の「路地好き」もつまるところは、貧しい暮しへの共感、懐かしさ、憧憬(^_^;)みたいなものによるのかもしれない。

「蘆刈」は大阪でいう「関東者(かんともん)」にのみ書けた小説だろ。急遽うつってきた人間であって、だからこそ淀川の中洲が、あえかな小説の舞台になった。もともとの大阪人には、淀川は単なる勤勉な大河である。上水道、下水道、さらに水運を言ってに担っている。人口五百万にあまる大都市圏の水を一つの川がそっくりまかなっているのは、世界的にも珍しいことなのだ。
それほど生活に欠かせない水の帯なのに、なにやらはっきりしない川である。そもそも水源からしてよくわからない。地図によってまちまちで、琵琶湖から流れ出る淀川がある一方で、木津川と宇治川が合流してようやく淀川になったとするものもある。河口もいたってあいまいで、大阪湾に走りこむのはよどがわではなく神崎川だったり安治川だったり尻無川だったりで、新淀川といった正体不明の川もまじっている。


淀川の茫洋として曖昧なところをわかりやすく紹介している。淀川は「澱んでいる」のが特徴で「澱川」とも書かれたらしい。

谷崎潤一郎は変わり種だった。ほんのしばらく京都にいたが、その後はずっと阪急沿線の夙川、翠ヶ丘、岡本といったあたり。それぞれ西宮市、芦屋市、神戸市東灘区と行政的にはべつべつだが、地形的には東西に隣合っていてある特有の性格を帯びている。
ひとことでいえば阪神間の山手(やまのて)である。大阪商人は剤を築くと、この辺りに屋敷をかまえた。あるいは別邸をもった。帯状にのびる阪神間にあって、さらに細い帯状をつくり「恵まれた資産家」といわれる人々の小世界があった。(谷崎潤一郎--乳首憧憬)


関東大震災で関西に避難してきた作家も多かったようだが、谷崎のように、そのまま棲みついてしまったものは少なかったろう。

(「美しき町」は)大正8年(191)の作である。あきらかに時代が色濃く影を落としていた。小説にはイギリスのモダニスト、ウイリアム・モリスのユートピア小説「何処にもない処(ところ)からの便り」が出てくるが、モリスの影響もあっただろう。前年の大正7年、武者小路実篤が「新しき村」の構想を発表、実現のために九州・日向に土地の下見をした。「美しき町」発表と同じ年に、新宮の山林王の息子、西村伊作が「楽しき住家」を発表、理想の家づくりにとりかかった。山本鼎の農民美術運動がはじまるのもこのころからである。信州・上田に農民美術研究所をつくり、これを拠点として全国に農美講習会をひろげていった。東北・花巻では宮沢賢治の羅須地人協会が発足。賀川豊彦が神戸にセツルメントを解説した。それはやがて東京・本所に移された。賀川豊彦は「人間殿堂の建築」をよびかけ、町の設計に合わせ、そこの住人が身につけるコール天の背広やズボンまでもデザインした。(佐藤春夫--水辺の風景)

佐藤春夫の「美しき町」は色んなところで、その紹介がされてて、現物は読んでないのに、既読したような気になっている。大正ロマン、大正デモクラシー、大正モダンの中にウィリアム・モリスの影響もあったということか。しかし、モリスを「モダニスト」と定義するのには、ちょっと異論あり。

三好達治の抒情詩は、ひときわ厳しい調練を受け、ムダを一切省いたところで規律正しく直立している。ちょうど士官学校卒業生の記念写真のように、形容詞が白手袋をつけ、きちんと膝にのせている。動詞が顎を引き、スックと背すじをのばしている。比喩が30度の角度をとって、ズボンのスジを軽く撫でている。詩行が整然とした集中のなかで、じっと読者を見つめている。(三好達治--軍人精神)

なかなか凝りに凝った詩型論。これは処女詩集「測量船」へのオマージュでもある。戦時下での戦争詩の過激さのため避難するむきもあるが、詩人だって人間だもの。

【D・トランプ 破廉恥な履歴書】ジョン・オドンネル, ジェームズ・ラザフォード  植山周一郎訳  ★★ 2016/04/15 飛鳥新社 1992年「経営者失格--トランプ帝国はなぜ崩壊したのか」の新装版
ジョン・オドンネル トランプ・プラザの専務として1987年2月、トランプ社に入社。1990年4月にトランプ・プラザの最高経営責任者の地位を辞任するまでの3年間、ドナルド・トランプの側近として働く。

カジノのオーナーと支配人のいざこざ話。元が四半世紀前の暴露本みたいなもので、それを今回の大統領選挙選にあわせてあわてて再販したもので、読む必要もないと思いながら、まあ、自伝よりはましかと思って読んだ。内容も文章もかなりにひどいものだった。


2016098
【鄭義信戯曲集】鄭義信 ★★★ 2013/05/29 リトルモア
鄭義信チョンウィシン 1957年姫路市出身。83年黒テント入団、87年劇団梁山泊の旗揚げn参加。96年退団。「焼肉ドラゴン」で鶴屋南北戯曲賞など5つの賞を受賞。

「在日三部作」とでもいいたくなるような三作が収められている。

 「たとえば野に咲く花のように」(2007)朝鮮戦争勃発直後、港町のダンスホールにて。大戦の傷の癒えない男と女、特需に違和感を抱く若き在日朝鮮人、再び戦火に身を投じる男、待つ女……。
焼肉ドラゴン」(2008)高度成長経済成長期、朝鮮人集落のホルモン屋にて。故郷を遠く離れた日本で懸命に働く父、奪われた腕、やっと築いた家族、根強い差別、「発展」の大義のもとに家族をおびやかす行政……。
パーマ屋スミレ」(2012)ふたつの戯曲の間、60年代、九州の炭鉱にて。厳しい労働環境、壊れていく炭鉱夫たち、薄い保障終わりのない争議、閉山……。

英順 これで一生、会われんわけやない……。
静花 ……。
哲男 社会主義建設に貢献したら、その褒美で日本にも帰って来れますわ。
信吉 北がそれだけすばらしい国やったら、なんで総連の連中は、もろ手を上げて、帰らんのや。「地上の楽園」ちゅうのは、誇大広告にもほどがあるやろ。
哲男 最後なんやから、心よう送り出せんのか、おのれは……。
信吉 結局、わしら、「在日」……北に利用されるだけや。
哲男 そら、韓国かておんなじこっちゃ。6年前の日韓会談で結ばれた在日韓国人の地位協定(日韓法的地位協定)がも少ししっかりしてたら……朴正煕は日本から金引き出すことばっかりで、これっぽっちも「在日」のこと、考えとらんかった……「在日」は外交交渉のための単なる手駒や……「地位協定」のおかげで、「在日」にきっぱり、はっきり、三十八度線が引かれよったんや……。(焼肉ドラゴン)

帰国事業に関する上の対話は、ちょっと図式的過ぎるが、「なんで総連の連中は、もろ手を上げて、帰らんのや」は、本心だろう。
差別や貧しさや恨みや愛や在日の暮しを象徴的に描きながら、笑いと懐かしさでくるんだような作品。それなりに面白かったけど、何か物足りなかったというのが正直なところ。
まあ、こういうのは舞台見なくてはどうしようもないか。


2016097
【戦争】大岡昇平 ★★★ 2007/07/18 岩波現代文庫:社会:155 1970年大光社より刊行、1978年九藝出版より再刊

1970年の夏、私の北富士の山小屋へ、大光社の佐藤嘉尚、納家正和両君が来てくれて、毎日5時間ずつ、三日間しゃべり、それを整理したものです。(あとがき)

45年前の「語りおろし」ということになる。今でこそ語り下ろしというスタイルは、よく目にするが、当時はそれほど多くなかったのではと思う。実は大岡昇平は、気になりながらほとんど読まずにきた作家である。
本書は中央図書館の岩波文庫棚で偶然見かけてタイトルが気になって手に取った。

第一章 その前のこと
第二章 太平洋戦争勃発
第三章 ミンドロ島
第四章 俘虜体験
第五章 戦争とは


「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」などと直接重なる第二章から第四章より、作家以前の第一章とおしまいの「戦争とは」が印象的だった。

愛国心っていうのは、ま、古い言葉でね、国が何かということがわかんなくなっちゃった今日は、あいまいになっちゃった概念ですが、人間が自分一人のことだけ考えればいいんだというエゴイズム、これは、ま、悪い意味に使われる言葉でしょう。結局、愛国心ってのは、なんだか個人のエゴイズムを超越するんで、なんか美しくて、いいことのようなイリュージョンが生まれるんだが、結局自分の国土さえうまくいけばいいというんですから、エゴイズムには変わりはない。それは愛国心にかられて、ほかの国へいって悪いことをする人間の場合を考えればわかります。(愛国心とは)

個人のエゴイズムを超えたように見えて、その実、自国のエゴイズムだという指摘は正鵠を射ている。

戦争というのはいつでも、なかなかきそうな気はしないんですよね。人間は心情的には常に平和的なんだから。しかし国家は心情でうごいているのではない。戦争が起きた時にはもう間に合わないわけだ。強行採決につぐ強行採決、なんにも議会には計らないで、重大な外交、内政問題をどんどん休会中に決めてしまう今の政府のやり方を見てると、いつどういうことが行われるかわからない。権力はいつも忍び足でやってくるんです。

これはまさに、現時点での問題提起でもある。

歴史は決して繰り返さないと思ってますが、一度大きな軍事予算を組んでしまうと、拡大した設備は使わないと損になりますから、どんどんふくれ上がっていくでしょう。226の時、軍事予算を出ししぶった高橋是清が殺されたんだけど、その次の蔵相が軍部の要求をのんで予算を大きくしたら、そのまま戦争へ突っこんでしまった。どっちにしても、ぼくはそういう戦争になる経過を見てきた人間として、兵士として、戦争の体験を持つ人間として、戦争がいかに不幸なことであるかを、いつまでも語りたいと思っています。(戦争と文学)

われわれは昔から「なんとかなるだろう」といたかをくくる癖がある。実際それで戦後29年、なんとかやってきたのだが、この順応性の底にあるのは、自分一人なんとかなりさえすれば、他人はどうなってもいいというエゴイズムである。(あとがき)

これもMorris.には耳の痛い忠言である。


2016096
【癖のある随筆】 長沼弘毅 ★★★ 1958/04/25 六興出版
著者略歴 東京帝大卒、元大蔵次官、現在、公正取引委員会委員長、中央労働委員会委員、国民年金制度委員会委員、医療保障審議会委員、随筆、ひとりごと(昭31)和漢の散歩(昭和31)酒のみのうた(昭32) 翻訳・ナイル河上の殺人(昭30)謎の凶器(昭32)そのほか著書多数

略歴にもある「和漢の散歩」は、ずっと以前古本屋で手に入れて、折に触れて読み返していた。シャーロキアンとして知られていたと思うが、実はばりばりのエリートだったんだな。偶然中央図書館で、「和漢の散歩」の続編があることをしり、同じ著者の随筆も一緒に借りてきた。

ぼくは、日ごろ血圧が高く、200ぐらいあるのがふつうなのだが、診断を受けたときは、115に下がっていた。なにか心臓に異変があつたに違いない。(スイスのお医者さん 1957・10)

図書館で、斜め読みして、この部分が目についたので借りる気になったのだった(^_^;)
血圧200がふつう、という人がいることに、同好の士みたいな感じがした。

「白鼻」とはいわないが、「鼻白む」という。おどおどするとか、はずかしがるとか、照れるとかいう意味であろう。(鼻のはなし1956・1)

Morris.は「鼻白む」を、白けるという意味で使ってたので、手持ちの辞書見たら、新潮社版では「気おくれした顔をする」とだけあった。これはMorris.が間違ってたのかと思って、大辞林みたら「きまり悪そうな顔をする」より先に「批判を受けたり気勢をそがれたりして、気分を害する。また興ざめする」と、あったので「白ける」でも間違いではなかったようだ。ただこの訓みは「はなじろむ」で、「はなじらむ」ではなかった(^_^;)

仮名を多く使うことの原因のひとつに、ぼくの無学ということを、教えておかねば、ならない。例をあげよう。ぼくは、いまだに「聞く」「聴く」の区別がわからない。さらにまた、耳で「きく」場合だけでなく、ひとにものを質問する場合に、これらの二字を使ってよいものかどうかも、わからない。(よく「訊く」などと書かれている)別の例をあげれば、「就く」「着く」「著く」などの区別もまことにむずかしい。「因る」「由る」「依る」「拠る」「椅る」を、はつきり書きわけられるひとが、なん人いるであろう。
例をあげれば、限りがないが、「止める」は「とめる」か「やめる」か? 「癒す」」は、「直す」と同じように使われているが、「いやす」ではないのか。「まわる」「まわす」など、「回」「廻」のどちらが正しいのか。ひとを訪問するとき、「訪」が、ふつうに使われているが、「尋ねる」とするのは誤りなのであろうか。「おもな」は、「重な」がほんとう(?)らしいが、俗には、「主な」と書かれていることが多い。「目」と「眼」の区別は、どこにあるのか。「私」は、「わたくし」だが、「わたし」と読まれたらどうするのか。「風邪」は、「ふうじゃ」であつて、この二字で、「かぜ」と読ませるのは、間違いであるという。しからば、「風」の一字でよいのか。自然現象の「かぜ」と間違われてしまいはせぬか。
以上、疑問百出である。こうなると、到底、ぼくらのようなものの手には負えない。したがつて、自然、仮名を多くなるのだが……(仮名と漢字 1957・9)


この正直さには好感を覚えた。Morris.もどの漢字使えばよいか迷うことがあるが、それでもたいていその中の一番ふさわしそうな漢字を使うことが多かったが、あっさりひらがなというのはストレス解消になるかもしれない。「おもな」が元は「重な」というのは初耳だった。

ぼくはぼくなりに、ごく手近かなところからはじめることとした。それは、大げさにいえば、比較文学的な渉猟である。芭蕉は「古池や」や「閑かさや岩にしみ入る」で、静中動を点じ、抜群の手法を示した。しかし、陶淵明は、すでに早く「蘆を結んで人境にあり しかも車馬の喧しき無し」で、「喧中の幽」をとらえている。蕪村の名句「菜の花や月は東に日は西に」の手法は、すでに柿本人麻呂の試みたものであり、くだつて、杜甫、李白、陸放翁にも類似の作がある。
かくして、ぼくの「問題」は、どうやら出典探しに移るようである。(出典への郷愁 1957・4)


「和漢の散歩」の生まれた事情の説明のようだ。

酒を飲んでうまいのは、躰のなかに、前に飲んだアルコオル分が、もつとも少なくなつているときなのでズルズルべつたりにアルコオル分が躰のなかにある上に、また飲むといつたことは、あまり感心せん、というのである。こういう考え方からすると、宿酔を催すほど、多量に飲んだり、それを紛らすために迎い酒したりするのは、一番いやなものになるわけである。(父の酒 1938・5)

これは著者の父の持論だったらしい。しかし、アルコールが残っていない時の酒が一番美味しいというのは、??である。



2016095
【酒のみのうた-續・和漢の散歩】 長沼弘毅 ★★★ 1957/12/05 自由國民社

こちらが「和漢の散歩」の続編で、期待したのだが、かなりの期待はずれだった。どちらかと言うと漢詩の引用が多く、Morris.には漢詩は敷居が高い。というか、相性が悪いようだ。
いちおう、目についた和歌と俳句を引用しておく。

今の世に楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも吾はなりなむ
いけるもの つひにも死ぬるものにあれば 今あるほどはたのしくをあらな 大伴旅人

まづまづとゆづろふ程に杯のうちにもちれる花ざくらかな
今日は今日 あらむ限りはのみ暮し 明日のうれひは あすぞ愁へむ 大熊言道

大熊言道は江戸時代後期の歌人。

凩よ世に拾はれぬみなし栗
猿のよる酒家きはめて櫻かな
名月や居酒のまんと頬かぶり
詩あきんど年を貪る酒債権(さかて)かな
酒を妻妻を妾の花見かな 其角

其角は面白い(^_^)

をりからや梅の花さへ咲き垂れて白雪を待つその白雪を
津の国の伊丹の里ゆはるばる白雪来たるその酒来たる
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに 若山牧水

この「白雪」は伊丹の清酒の銘柄である。

餅食らふ詩人うとまし神の春 几董

秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者 蕪村

いつも来る
この酒肆(さかみせ)のかなしさよ
ゆふ日 赤赤と 酒に射し入る 啄木

酒一斗 しばし壺中の月見かな 蝉鼠

枯薔薇落つるひびきにおどろきぬ夜半の酒場のしづかなる時
さびしさは夜半の酒ごと  われとわが寒き影にも杯はさせ 吉井勇

菊の酒にちからある日の雨寒し 白雄

木のもとに積るおちばをかきつめて露あたたむる秋の杯 藤原良経

拾はれぬ栗の見事よ大きさよ 一茶



2016094
【池上彰のやさしい経済学 1.しくみがわかる】池上彰 ★★★☆ 2012/03/23 日本経済出版社
2011年夏に京都造形芸術大学で客員教授として行った一般教養の集中講義「経済学」(テレビ東京やBSジャパンで放映)を書籍化したもの。

経済学というのは金儲けのための学問ではないんですね。皆さんの生活にとってたいへん身近なものなのです。何かと言いますと、資源の最適配分を考える学問なのです。

大言海によると
経済 国を経(はか)り、世を済(すく)ふ。1.国家を経営し、世民を救済すること。治国の術。政治の方。2.此の語、今、専ら、財貨を経済するに用いられ、理財の意とす、其条を見よ
理財 1.金銭の用いを取り締まること。有利なる結果を得るやう、財貨を整理すること。 2.[英語 Economy.の訳語]人生死活の維持、発達を目的とする財貨に関する計画

池上の解説とはかなり違っている。

何かを選択したということは、その代わり何かを捨てているのです。その捨てているもの、これを「機会費用」と言います。何かを選択することによって、別の貴重なチャンス、すなわち「機会」を捨てている、その費用を払っている、こういう考え方もできるのです。

「エネルギー不滅の法則」みたいだな。

GDP(Gross Domestic Product)=“国内”総生産
GNP(Gross National Product)=“国民”総生産

なぜGDPが使われるようになったのか。かつてほとんどの日本企業は、国内で生産活動をしていました。だから日本企業や日本人が稼いだものを計算していれば、それが国全体の豊かさと同じだということで、GNPが使われていました。ところが日本の企業はどんどん海外に進出、そうなると日本企業の生産全部をそのままけいさんしていると、日本企業の生産全部をそのまま計算していると、日本企業の外国工場で働いている外国人の生産が、日本国内の生産として計算されてしまう。その一方で、海外の企業が日本に進出してきて、日本でいろいろなものを生産する。そこで日本人が雇用される。海外の企業で働いても、日本jんの生産です。だから国内で生産されているものをけいさんしようということになりました。こうして現在はGDPが国の経済の豊かさを示すものとして使われています。


よくわかりました。すぐわ忘れるだろうけど(^_^;)

お金というのは共同幻想なんです

これはわかりやすい。

「生産物が最大の価値を持つように産業を運営するのは自分自身の利得のためなのである。そうすることによって彼は他の多くの場合と同じく、見えざる手に導かれ、自分では意図していなかった一目的を促進することになる」(アダム・スミス)
市場=マーケットも個々人が利益を求めて利己的に行動しても、見えざる手によって導かれ、結果として経済がうまく回っていくということです。需要と供給のバランスはおのずと調整される。これを見えざる手に導かれるごとくうまくいくんだよと表現したのです。


「見えざる手」というと、神の意志みたいなイメージを持ちやすいが、予定調和みたいなものか。

経済学は時代の処方箋である。
経済学は試行錯誤の繰り返しです。

流動性の罠 利子率を下げても企業投資が増えず、中央銀行の金融緩和政策が効かなくなる状態のこと。2008年にノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンがバブル後の日本経済について「流動性の罠に陥っている」と分析した。
いまのままでは先行きが不安で将来に展望がないから、みんなお金を使おうとしないのです。いくら金利が低くても、お金を借りて新しく何かをしようとは考えません。ケインズの時代にはそのようなことはなかったので、「理論的にその可能性がある」とだけ指摘していました。
バブルのとき、日本の企業は金儲けのために大量の土地を買った。バブルがはじけ、土地の値段がおおあ幅に下がって企業は大損をし、企業自体が存続することに汲々として新しい事業を始めることができないような深刻な状態がずっと続いていました。その間、日本の経済はすっかり元気がなくなり、新しい産業や技術が生まれなくなったのです。


バブルの解説を読むと、なるほどと思うのだが、バブルの中にいるときは全く見えてなかった。

ミルトン・フリードマン(1912-2006)「新自由主義の旗手」の「こんなものいらない」14項目
1.農産物の買い取り保証価格制度
2.輸入関税または輸出制限
3.家賃統制、物価・賃金統制
4.最低賃金制度や価格上限統制
5.現行の社会保障制度
6.事業や職業に関する免許制度
7.営利目的の郵便事業の禁止
8.公営の有料道路
9.商品やサービスの産出規制
10.産業や銀行に対する詳細な規制
11.通信や放送に関する規制
12.公営住宅および住宅建設の補助金
13.平時の徴兵制
14.国立公園

フリードマンの新自由主義を高く評価する声があり一方で、これは強い立場、有能な人の論理であって、弱者には成り立たない理屈ではないのかおいう批判があることも事実だということです。


やっぱりMorris.はアンチ新自由主義である。

比較優位 自国で生産性の高いものの生産に特化し、ほかのものは他国から輸入することで、より多くのものを得ることができるという考え方。この考えによって、19世紀以降、国際貿易が活発となった。

GATT(General Agreement on Tariffs and Trade) 関税及び貿易に関する一般協定。1948年発足。輸入品にかかる関税や輸出入規制などの貿易障壁を多国間の交渉によって取り除き、自由貿易を堅持することを目的とする。日本は1955年に加盟。

ウルグアイ・ラウンド 1986年、南米ウルグアイで始まったGATTによる8回目の多角的貿易交渉のこと。金融や投資、情報や通信、知的所有権、サービスなど、新しい分野にもGATTの原則が適用されることになった。

2007年に日本とチリがEPA(経済連携協定)結んだ結果、日本でチリのワインが安く入るようになった。チリは銅の産出が世界一位です。日本はチリとEPAを結ぶことによって、重要な鉱物資源である銅を安定して輸入できるという大きなメリットを得ています。一方チリにとってもまた、特産品のサーモンやワインの日本への輸出に関税がかからなくなり、輸出量が大幅に増加しました。


本書で一番納得した箇所(^_^;)


2016093
【池上彰のやさしい経済学 2.ニュースがわかる】池上彰★★★ 2012/04/13 日本経済出版社

デフレとは持続的な物価下落。
デフレ・スパイラル 物価の下落と景気の悪化が同時進行する状態のこと。


デフレは螺旋状なのか。

合成の誤謬 個人が合理的な行動をとっても多くの人が同じ行動をとることによって、全体としては悪い事態になること。

インフレには二種類ある。需要が増えて、ものの値段が上がっていくことを「ディマンド・ブル・インフレ」、一方、コストが上がることによってものの値段が「コスト・プッシュ・インフレ」と言います。

デノミ デノミネーションの略称。通貨の呼称単位を切り下げること。インフレによって商品の金額表示の桁数が増えすぎた場合に実施される


世界のバブルの例では、1630年代のオランダのチューリップバブルというのが有名です。当時オランダで、きれいな花を咲かせるチューリップが大変人気になり、球根の値段が高騰しました。球根にそれだけの価値があるとみんなが思っているから買うわけですが、結局きれいな花を見るだけのことです。ある日突然、なんでこんなに高いんだろうとみんなが思うんですね。そしてチューリップの球根は大暴落。借金をしてたくさん買い集めていた人たちは破産してしまったのです。

こんなネタ部分だけはよくわかる。

バブルはほぼ何処の国でも約30年ごとに起きています。ということは、日本は1990年にバブルがはじけていますから、あと、7,8年もするとまたバブルが起きるかもしれません。
バブルで大損をした人たちはもう二度と手をだしません。しかし人間というのは、痛い目に遭った経験をした人がいなくなると、また同じようなことを繰り返してしまうものなのです。


ブレトンウッズ体制(1945~1971.8) IMF、世界銀行、GATTを中心とした国際経済体制。1ドル=360円の固定相場制が続いた。
スミソニアン体制(1971.12~1973) ニクソンショック後、ワシントンのスミソニアン博物館で先進10カ国蔵相会議で合意された新通貨体制。このとき1ドル=308円に引き上げられた。
そして1973年に変動相場制に移行。


1ドル360円というのはMorris.の中には染み付いているようだ。
やさしい経済学2冊読んでも、結局ほとんど歯が立たなかった(>_<)


2016092
【チャンキ】森達也 ★★★☆☆ 2015/10/30 新潮社 初出「小説新潮」2013-2015
2033年の日本を舞台にした近未来小説。
人口減少問題を、寓意的に描いたもので、主人公は18歳の高校生。

そもそもこの国における自殺の人口比は、先進国では例外的なほどに高かった。ところが20年ほど前に何かのスイッチが入ったかのように、さらに急激に増加し始めた。世をはかなんだりおいつめられたりしたうえでの自殺ではない。死ぬ理由などまったくないはずの人が、唐突に自らの命を絶ってしまう事例が急増した。遺書はない。直前まで大笑いしていた。結婚が決まったばかりだった。
その後も自殺する人は増えつづけて、5年ほど前には一日当たり八千人を超える人が、自ら命を絶っていた。年間でおよそ三百万人。この時期における広島県の人口とほぼ同じ数字だ。あるいはモンゴルの総人口。21世紀初頭におけるこの国のガンによる死亡者数のほぼ十倍であり、交通事故者の六百倍だ。最近は一日あたり六千人前後が平均だ。ピーク時に比べれば少し減った。その理由は明らかだ。分母である人口が減少したからだ。タナトスの確率はほとんど変わっていない。


この現象が「タナトス」と呼ばれているというところで、つい笑ってしまった。

『タナトス前夜』は、タナトスが蔓延する直前の日本について書かれたノンフィクションだ。東北地方で大きな地震が起きて津波に襲われて福島の原発がメルトダウンし、このときの政権を担っていた民主党は次の選挙で惨敗して自民党が圧勝した。記者時代に著者は被災地を何度も取材し、原発にも足を運んでいる。この年のレコード大賞はAKB48。ポール・マッカートニーが来日して東京ドームでコンサートを行った。やがて辞退することになるけれど、2020年の東京オリンピック開催が決まったのもこの時期だ。

2020東京オリンピックがご破算になるという設定には嬉しくなった。

とても不思議な国です。日本史の矢部は口癖のようにこれを言う。鎖国をして男は丁髷を結って女は歯を黒く染めていた時代が終わってからまだ200年も過ぎていないのに、開国後にはあっというまに自他共に認めるアジアの盟主となり、アメリカやヨーロッパを相手に戦争を起こし、同盟国のドイツやイタリアが降伏しても戦いをやめず、結局は東京が焼け野原となって、さらには世界で初めて、そして今のところは最後に、核兵器を投下された国となりました。ところが戦後から数年で経済は驚異的な復興を示し、遂にはドイツを抜いてGDP世界二位を達成します。ところが同時期に発覚した水俣病が世界的な問題になります。食物連鎖によって拡大した環境汚染が原因となった人類史上最初の病気であり、公害の原点と言われています。世界で唯一の核兵器被爆国でありながら、原子力発電所を一時は54基も保有して、結局は致命的な事故を起こし、世界のエネルギー政策に大きな影響を与えたこともあります。54基ですよ。世界第三位。こんなに小さくて地震が多い国なのに。どう考えても普通じゃない。極端すぎます。要するにこの国はいつも、一斉傾斜して一つの方向に突き進み、そして大きな失敗を犯すことをくりかえしてきました。しかも必ず少しだけ先にいる。だから他国にとってこの国の失敗は、意味ある反面教師となる。それがこの国に与えられた役割かもしれないと時おり思います。

早口日本近現代史(^_^;)

「人間原理については以前に本で読んだ記憶があります」
梨恵子が言った。「ドーキンスだったと思います。」
「リチャード・ドーキンスですか。それはすばらしい。ただし彼はこれこそが一種の信仰ではないかとおもいたくなるほどに徹底した無神論者です。人間原理についても否定的な記述しかしていない。なぜなら人間原理は、この宇宙はある意図を持って形成されたとの仮説に繋がります。これをインテリジェント・デザインといいます。つまり知性がこの世界を創造したとのかんがえです」
「……つまり神ということですね」
梨恵子が言った。いえいえというようにヨシモトは首を横に振る。
「神とはいいません。意図です。あるいは意思。こうしたいとの方向付けです」


人間原理。聞いたことはあるが中身は知らずにいた。Wikipedia見た限りでは胡散臭そう。

かつてテレビは斜陽産業と言われていた。特にネットが広まり始めた21世紀初頭、若年層を中心にテレビ離れが急激に進行した。でもその後にタナトスが現れて蔓延する過程と並行して、テレビはその地位を取り戻した。受像機の主流はパソコンに移ったけれど、人々はテレビなしではいられなくなった。ただし娯楽番組がほとんどだ。いわゆるスタジオバラエティやグルメ番組。ただ笑うだけ。ただ消費するだけ。後にはなにも残らない。なにも深まらない。スポーツや芸能を別にして、報道と教養番組は、地上波テレビからほぼ消えた。

ややステレオタイプの現在のメディアへの批判。

「歴史家だとなぜ気づくことができたのですか」
梨恵子が訊いた。「ポル・ポトは原始共産制を理想にしていました」とソニーは言う。
「差別のない完全に平等な社会です。そのために学校や会社を閉鎖しました。貧富の差をなくすために貨幣経済も否定しました。そして都市に住む多くの人を地方へと強制的に移住させて農業に従事させました。ポル・ポトは毛沢東を尊敬していました。でもこの少し前に中国で文化大革命があって、やっぱり多くの人が殺されました。その犠牲者の数は何千万人とも言われています。父はそれを知っていました。だから気づいたのだと思います。文化大革命だけではありません。ナチスドイツのホロコーストもあります。その少し前にはアルメニアの虐殺もありました。クメール・ルージュの時代の少し前には、インドネシアで共産党員が百万人以上殺害されたと言われています。これはクメール・ルージュ時代のあとですが、ルワンダでもたった三ヶ月のあいだに百万人近い国民が同じ国民に殺されています。ボスニアヘルツェゴビナで紛争が起きたときは、スレプレニツァで虐殺が起きました。歴史をしっかりと知れば、そんんな状況が特に珍しくないことはすぐにわかります。時として人は人を殺します。理不尽に。大量に。意味もなく。」
「虐殺はカンボジアやドイツだけで起きたわけではありません。世界中で起きています。カンボジア人もドイツ人も中国人もインドネシア人もルワンダ人も、その端的な例を示しただけなのです。だからこそ過ちを検証して展示する。すべてが終わってから百万人が虐殺されたと言ったり書いたりすることは簡単だけど、一人ひとりの命がどのように蹂躙され、迫害され、消去されたかを、私たちは知らなければならない。その苦しみや痛みを、想像しなくてはならない。虐殺の被害者だけではなく、加害者についても同様です。なぜこんなことが起きたのか。なぜこれほど残虐な行為に耽ることができたのか。そのときに何を思っていたのか。あるいは思っていなかったのか。加害者の気持ちはなかなかわからない。わかりたくない。でも被害者も加害者もわたしたちの隣人です。私たち自身です。そのときの気持ちが明確にわからなくても、知ることは大切です。知って考える。見て思う。答えは出ないかもしれない。でも考えることが重要です。人は変わります。どのような存在にもなります。アメリカ人も日本人もカンボジア人もドイツ人も中国人も同じです」


歴史から学ぶためにもこれらの悲惨な事実を広く知ることが必要である。しかしほとんど知らされてこなかった。Morris.もその状況に甘んじていた。

日本人は礼儀正しいのよ。マドンナが授業中に言っていたことを思い出した。本当ならもっとパニックになっていいはずの状況になっても、決して冷静さを失わない。それは確かに美徳。今だって世界は賞賛しているわ。国と民族が消える瀬戸際なのに、とても倫理的で礼節を失わない。でもそれは倫理や道徳とは違うのよね。集団に馴染みやすいのよ。その結果としてかどうかわからないけれど、私たちはとても忘れっぽい。適応する力がとても強いとの見方もできるけれど、現実から目をそむける傾向が強いのだと指摘する人もいるわ。

これは実に的確な自己批判だと思う。現実逃避はMorris.の得意技でもあった。

「アポトーシスはギリシャ語で枯葉が落ちるという意味です」
「枯葉が落ちる。それは樹木のために葉の細胞が自死するわけですな。つまり全体のために個が死ぬわけです」
「老化のメカニズムは、特にアポトーシスの意味は生体にとって大きい。私たち多細胞生物の身体の細胞は、ほぼ日常的に癌化するリスクを抱えています。しかし日常的に発生する癌化した細胞の多くは、アポトーシスによって除去されています。ところが時おり癌細胞をとりこぼす。つまりアポトーシスが追いつかない場合がある。癌化した細胞は條件さえ整えば無限に増殖する。こうして生体がダメージを受ける。あるいは存続できなくなる。わかりますか。発生の段階だけではなく、日々の営みを維持するうえでも、アポトーシスはとても重要な機能です」
「その癌細胞は私たちのことですか」
「いえいえ。これはアポトーシスの話です」
「喩えに聞こえます。癌化しかけたからこそ、あわてて大規模なアポトーシスが発動したと解釈したくなる」


かなりのブラックジョークである。

「死なない人はいない。みんな死ぬ。自分がいつ死ぬかは誰にもわからない。それはタナトスが始まる前から同じ」
「楽しいことばかりに反応しないでね。積み重ねるのよ。たしなみを持つこと。人を愛して愛されること。誰かを恨まないこと。感謝の気持ちを忘れないこと」
「当たり前のことばかりだ」
チャンキは言った。標語にしてトイレの壁に貼りたいくらいだ。そうつづけようとしたとき、
「そうよ。当たり前のことばかり」と梨恵子は言った。「それを持続すること。そしてこの先に何が起きても……」
梨恵子は黙り込む。何かを考えている。言葉を探しているのだろうか。その表情を見たい。キスをしたい。ひとつになりたい。
でも抱きしめる梨恵子の身体は氷のように冷たい。すぐ近くでカラスが啼いた。あのカラスだろうか。やがて梨恵子は静かに言った。
「世界を否定しないこと」

やや唐突な結論であり、実効性に欠けるのではないかと思ってしまった。
しかし、この小説は、昨日紹介した、伊藤計劃の「ハーモニー」にかなり影響を受けているのではないかと思う。


2016091
【ハーモニー】伊藤計劃 ★★★★ 2010/12/15 ハヤカワ文庫 2008年12月単行本発行
34歳で早世した伊藤計劃の二つ目の、そして最後の長編である。デビュー長編「虐殺器官」が印象的だったので、是非読みたいと思っていた。

『ハーモニー』の舞台は、一言でいうならば「誰も病気で死ぬことがない世界」である。ひとびとはある年齢になると自分の体にWatchMeというソフトウェアを入れ、体内の恒常性を常時監視する。WatchMeはメディケア=ネーション、その個々の「政府(ガバメント)」の代わりに、この時代には世界は「生府(ヴァイガメント)」によって統治されている。「生府」が唯一最大の是とするのは「生命主義(生命至上主義)」、すなわち社会の成員全員が、自分の/他人の健康を最大限に尊重することである。「生府」は、WatchMeとメディケアによって、この地球に一種のユートピアを実現しつつある……。三人の少女が登場する。霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアン。物語の始まりにおいて、まだWatchMeをカラダに入れる前の年齢である彼女たちは、怜悧な頭脳を持ちながら現今の社会のありように強固な疑念を抱くミァハの主導により、自死を試みる……少女たちのもくろみはミァハ以外の2人はあえなく失敗する。それから更に13年後、霧慧トァンは、WHOの螺旋観察事務局の上級監察官となっている。ある日世界中で同日同時刻に6582人もの人が同時に自殺するという大事件が起こる。零下堂キアンもトァンの目の前で自殺する。事件の背後に、すでにこの世にはいない筈の御冷ミァハの影が見え隠れし始める……。(佐々木敦の「解説」から一部リライト(^_^;))

<大災禍(ザ・メイルストロム)>の真っ最中、アメリカのならず者から核を買い入れ、ここに景気よく落とした北アフリカ諸国共同体も、いまは多くの国家と同様、学ぶべき歴史の一幕でしかない。すべての独立戦争が「テロリズム」という語でひとくくりにされていた時代の、ほんの一幕だ。

独立のための運動は、支配者側、体制側から見れば反乱、紊乱、戦闘行為は「テロリズム」とレッテルを貼られる。その逆の攻撃、空爆は鎮圧行為として正当化される。

わたしたちは皆、世界に自分を人質として晒しているんだね。
そんな風に答えたらミァハがにっこりと笑う。そうだよトァン、そのとおり。わたしはミァハの期待に応えられたような気がして、少しばかり心が宙に浮き上がった。そうなんだよ。トァンの言うとおり。わたしたちは互いに互いのこと、自分自身の詳細な情報を知らせることで、下手なことができなくなるようにしてるんだ。この社会はね、自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っているんだよ。


「抑止力」という言葉の気持ち悪さを思い出した。

人間は成長する。人間は老いる。人間は病気にかかる。人間は死ぬ。自然には本来、善も悪もないんだ。すべてが変化するから。すべてがいつかは滅び去るから。それがいままで「善」がこの世界を覆い尽くすのを食い止めてきた。善の力で人間が傲慢になるのをぎりぎりのところで防いできた。けれど、いまやWatchMeと医療分子のおかげで、病気や通常の老いは駆逐されつつある。「健康」って価値観がすべてを蹂躙しようとしている。それってどういうことだと思う? この世界が「善」に覆い尽くされることなんだよ。
これほど、人間が生きるということそのものを人質に取った善は、これまでにはひとつだってなかった。
民主主義以降、人々を律するものは、王様みたいに上から抑えつけるんじゃなくて、人々のなかに移っていった。みんなが自分で自分を律することになっていったんだよ。
みんなひとりひとりのなかにあるものが敵だった場合、わたしたちはどうすればいいの。
いまの生命主義っていうのは、その極限で、同時に成れの果てでもあるんだ。


健康至上主義。健康のためなら死んでもいい、ってか(^_^;)

これほど人が、自らの内にある規則にがんじがらめになった時代ははじめてです。これほど明文化されていない決まりが増えたのは人類史上初めてです。
誰も本音を言うことができません。わたしたちはひとりひとりが社会にとって重要なリソースだという教育を、子供の頃から受けています。この身体は自分ひとりのものでなく、社会みんなの財産なのだ、公共的身体なのだ、と言われます。


ここらあたりはオーウエルの系譜。

「ひとりは皆のために、皆はひとりのために」(アレクサンドル・デュマ「三銃士」)

生協のキャッチフレーズのルーツが「三銃士」にあったとは(@_@)

「人間の意志というのは、様々な報酬系が競うまさにその状態全部を指す。それは双曲線割引という一種不合理な指向性に基づいて生成される。しかし重要なのは、これら報酬系の相互干渉が、フィードバックを伴う再帰的構造を取るということだ。選択の結果によって、報酬系は絶えざる変化と修正に晒されている。結果が報酬系に影響を与え、報酬系が結果をもたらすループを描いているんだ。だから、選択時における少しのずれがどんどん増幅され、そのカオスは周期的に倍加していく。人間の意志が安定せず、合理的でなく、予測がつきにくいこともある理由はそれだ。わかるかね」

わかりかねる(^_^;) のだが、こういったいかにも学術論文的ペダントリーは嫌いじゃない。

「我々は調和のとれた意志を人間の脳に設定することを目的とし、その技術とシステムを『ハーモニー・プログラム』と呼んだ。我々がミァハのような子供に施した一連の実験は、ハーモニーの限界検証試験だったんだ」

これがタイトルの因って来たるところだろう。ちなみにハルモニは韓国語で「婆さん」。

「権力が掌握してるのは、いまや生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間。死は存在のもっとも秘密の点。もっともプライベートな点」
「誰かの言葉、それ」
「ミシェル・フーコー」


いいね、ペダントリ-止め。

進化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元過ぎれば不要になる。その場その場で必要になった遺伝子の集合。人間のゲノムは場当たりの継ぎ接ぎで出来ている。進化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。人間は、いやすべての生き物は膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々人類が獲得した意識なるこの奇妙な形質を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあろう。倫理は、神聖さは、すべて状況への適応として脳が獲得したに過ぎない継ぎ接ぎの一部だ。悲しみも、喜びも、すべて「ある環境で」においてのみ、生きるために必要だったから、生存に寄与したから存在しているだけだ。喜びという感情がどういう環境で必要だったのかは判らない。悲しみという、そうしたそれぞれの想いがいかなる環境で必要だったのかはわからない。


原理主義的進化論。

かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。
かつては宗教が、わたしがわたしであることを保証していたのだろう。すべては神が用意されたものなのだから、人間がそれに口を差し挟む必要はない。けれど、宗教のそのような機能は今日では完全に失われてしまった。喜怒哀楽、脳で起こるすべての現象が、その時々で人類が置かれた環境において、生存上有利になる特性だったから付加されてきた「だけだ」ということになれば、多くの倫理はその絶対的な根拠を失う。絶対的であることを止めた倫理-相対的な倫理-は脆い。歴史がそれを証明している。

そこで汎神論≒無神論(宗教的アナーキズム)の復活というのはどうだろう?

「幾つかの生府のWatchMe制御系には、バックドアが開けてある。わたしたちのためにね。それを使ってたくさんの人々の死への欲動(タナトス)に対し、双曲線的に高い価値評価を生成してやるのは簡単だった」

ヴァーチャル・リアリズム的天国ツアーへの招待である。

「あなたは思ったのね。この世界に人々がなじめず死んでいくのなら--」
「そ、人間であることをやめたほうがいい。というより、意識であることをやめたほうがいい。自然が生み出した継ぎ接ぎの機能に過ぎない意識であることを、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。『わたし』とか意識とか環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、ハーモニーを目指したこの社会に、本物のハーモニーが訪れる」


この作品が著者の最晩年のものと思うと、やはり何か暗合めいたものを感じてしまう。


2016090
【読書は格闘技】瀧本哲史 ★★★☆ 2016/04/30 集英社 初出「小説すばる」2014-2016
瀧本哲史 京都大学産官学連携本部イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門客員教授。エンジェル投資家。東京大学法学部卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルティング業に従事したのち独立。著書に「武器としての決断思考」「僕は君たちに武器を配りたい」「戦略がすべて」など

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく」ショーペンハウエル
あるテーマについて、全く異なるアプローチの本を二冊紹介し、それを批判的に比較検討するという形態で話を進めていこうというものだ。(イントロダクション)


初めて読む著者だが著書のタイトルに「武器」や「戦略」、「格闘技」などという単語を使うのは良い趣味とは思えないが、本書はけっこう刺激的だった。

人生の中で、ただ一つ殆どどのような時にでも役に立つ最強の武器があるとしたら、それは何だろうか。私は、それは「他者を味方につける方法」だと思う。

この一文見ただけで著者の立ち位置がわかる。

「天国へ行くのに最もう有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」マキアヴェリ

本書のあちこちにとりあげた本からの引用があり、つい孫引きしたくなるものも多かった。

書店には、成功した人物が書いた、多くの読者を対象にしたやや自慢話風の「天国のような話」が今日も並んでいる。しかし、本当に天国に行く方法を知りたいのであれば、地獄を見た人達の明日の生活をかけた、いわば、血と汗で書かれた書籍を読むべきなのではないだろうか。

それをこういったふうにアレンジするというのが著者のやりかたのようだ。

「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン )の主張はきわめてシンプルである。「インターネットを通じて、世界中の市場が一つに繋がり、先進国も新興国も同じ土俵で競争するようになると、社会の運営の仕方、個人の生き方を見直す必要があるだろう」というものである。
もちろん、「フラット化する世界」が成り立つ前提には、「英語」という共通基盤の存在が無視できない。そうすると逆に、日本語コミュニティ内の「フラット化する日本」という問題の立て方もできるだろう。


グローバリゼーションにおける「英語」の不可欠さを逆手に取るという発想は面白い。

雑誌には鉄板のテーマというものがある。雑誌の特集テーマを決めるのは編集長の最も重要な仕事だが、これならある程度の反響が期待できるというテーマがある。例えばそれは、女性誌における恋愛特集であったり、ボーナス時期前のマネー特集などである。そして、ビジネス誌の鉄板テーマとなると「時間管理術」ということになる。

こういった筆法も特徴的だが、そこで他人の言葉を引用するあたり。

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」アラン・ケイ

オーウエルの「1984」をとりあげた章(ラウンド)では、ストーリー紹介があり、このまとめ方などはなかなか手慣れたものである。

1950年代に核戦争が勃発したこの世界は1984年現在、オセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの大国に分割統治されている。
主人公のウィンストン・スミスはオセアニア国ロンドンの「真理省」という政府機関で働いている。この「真理省」の仕事は、いわゆる真理を追求するものではなく、過去の歴史を政府の都合の良いように改ざんするという何ともひにくなものだ。オセアニア国では、完全な管理国家が完成しており、日常生活は「テレスクリーン」という双方向テレビで監視され、思想、言語、食料から結婚にいたるまで全てが国家によって管理されている。三ヶ国の間では常に小競り合い的な戦争が続いているので、この戦争に打ち勝つために、こうした国家統制は正当化されている。そもそも、三ヶ国の争いのなかで、オセアニア国はミサイル攻撃を受けているが、何とか生き残っているという「事実」すらテレスクリーン経由の情報であるから、どこまで本当なのかは究極的にはわからない……(「1984年」オーウェルの要約の一部)


フランシス・ベーコンというと、一番有名な格言は、「知は力なり」であり、また、観察から一般論を見いだす方法論である。経験主義、帰納法の元祖としても知られている。

「知は力なり」の出所がベーコンというのは知らずにいた。何となくギリシャ哲学あたりからきたものと思ってたのだ。

科学の究極の姿というのはどのようなものであろうか。それは突き詰めていけば、神が行ったとされることを人間ができるようになるということなのではないかと私は考えている。

考えるのは勝手だが、Morris.はそうでないと思う。

現代は、「正義」にとって、受難の時代と言えるだろう。というのも、全ての人が受け入れ、その実現のために皆がまとまるといった正義は見いだしがたいからだ。むしろ「正義」は考え方が違う人々が自らの信じる「正義」を振りかざし合った結果、争いが生じ、それが行き着く先はテロ、戦争であるという文脈で語られる。価値観が多様化している現代において、「正義」を積極的に口にする者は他の価値観を認めない原理主義者のなかに多くみられるため、結果的に「正義」は「風評被害」にあっている。

「正義」とか「真理」とかは使う人によって全く違ったものになる。「正義が風評被害にあっている」というのもどこか違うのではなかろうか。福島原発事故に関連してよく使われる「風評被害」ということばには、何か胡散臭さを感じている。

そもそも、所得再分配を行うのは現代的な国家の役割であると説明されるが、これ自体「現代的国家」の定義に結論が含まれているある種の同義反復である。なぜなら、突き詰めると国家の存在自体あまり理由はなく、ただ、憲法がそこにあるから国家があるに過ぎないのである。国家の存在理由の説明として、社会契約論というものがある。これは国民がある時点で国家建設を行う契約をしたという理論だが、歴史的事実として、そうした契約を行ったと言える国家はきわめて少ない。結局我々が空気のように受け入れている国家、そして、それが実現しているはずの正義、所得再分配といったものは、ただ存在しているだけで、その理論的根拠は曖昧なものだ。

著者はディベートに関心があり、実践もしているらしい。上のような曖昧理論で人を煙に巻いたり、揚げ足とったりするのが得意なのだろう。

ゲーム理論では、完全に状況が不確実なときにとるべき最も合理的な行動は、最悪のシナリオになったときでも自分の取り分がその中では最大になるという意思決定を行うべきだと教える。これを「マキシミン原理」と呼ぶ。

「最小国家」以外、国家として存在を正当化できず、また、この「最小国家」は各人が自己の選択に従って自由に生きることができるという点で、究極の「ユートピア」だと主張する。一般にこうした自由意志を最優先させる思想をリバタリアニズム(リベラルと混同しかねないがむしろ相容れない思想である)といい、ノージックはその草分けと考えられている。無政府状態(アナーキー)から出発して国家が生まれ、それがユートピアであるということから、「アナーキー・国家・ユートピア」というタイトルになっているのだ。

ゲーム理論とかオバタリアンをこうやってわかりやすく定義してあるのはありがたい。

「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」魯迅「故郷」


これって高村光太郎の「道程」と同工異曲ではないか。「道程」は1914年2月9日の日付があり、魯迅の「故郷」は1921年雑誌「新青年」(中華民国の)に発表されたもの。「故郷」は日本の中学三年生の教科書(5社すべて)に採用(竹内好訳)されているらしい。著者は魯迅のこの文章が好きでたまらないと書いてあるが、陳腐にしか思えないMorris.は鈍感なのだろうか。
読書を格闘技的に読むというやり方は、Morris.向きではないということがわかった一冊だった。


2016089
【新潮文庫 20世紀の百冊】関川夏央 ★★★ 2009/04/20 新潮新書
20世紀最後の年に新潮社が1年1冊を割り当てて「20世紀の100冊」の文庫を選定してセールスを行い、関川がその全てに書いた読書案内文をまとめたもの。各年の出来事一覧と、作品内容解説を合わせて見開きに収めてある。Morris.は枕頭の書である「情報の歴史」年表を参照しながら、2000年から後ろ向きに読んで行った。

1980年代まで、「自主・自立・自衛」という標語とともに北朝鮮の人気は、日本であr程度高かった。それが90年代からは不可解で不気味な国と印象され、やがて異常な国、狂暴な国、理由不分明な飢餓に苦しむ国とみなされるに至った。
しかし、北朝鮮は建国以来何もかわらないのである。かわったのは日本社会なのである。「よく知りもしない外国に日本の理想を託す」という「戦後的感性」の悪癖は、北朝鮮の原理と実情の解明を長く怠ったからこそ維持された。いかにもうかつ、いかにも不用意な時代の空気であった。(「「よど号」亡命者たちの秘密工作」高沢皓司 1998)


北朝鮮に関する名著「退屈な迷宮」の著者らしい一刀両断ぶりである(^^;) 帰国事業当時の日本の新聞の論調を思い出す。わからないものをわかったふり(それこそ誤解の典型)する悪癖は日本人の宿痾かもしれない。

国家とは何か、独立とは何か、その実証の緻密さだけでも法学部のテキストに使われて妥当な『吉里吉里人』だが、実はそれにとどまらず、農政と農業の懸隔、東北地方と吉里吉里語(日本語東北方言)の歴史的地位、エネルギー政策からエコロジーまで、現代日本のありとあらゆる課題そのものを主人公とした「全体小説」だった。(「吉里吉里人」井上ひさし1981)

確かに吉里吉里人はパワーがあった。井上ひさしの饒舌が懐かしい。

ヘミングウェイは世界の最強国となったアメリカを嫌ってパリに移り住み、「哲学的意味がある放蕩」に日を送ったが、それは結局アメリカ式消費主義の実践にすぎなかった。彼はあくまでもアメリカ人であり、アメリカ人の作家であった。(「日はまた昇る」ヘミングウェイ1926)

ヘミングウェイの文体がハードボイルドの先達であるという説があるが、関川は本書の別の箇所(「精神分析入門」フロイド1916)で、精神分析の流行がハードボイルドを生み出したのではと言ってる。Morris.は心理学は敬遠したい。

先般、文庫解説を集めたハードか-2冊を出した関川。それらはなかなかに読み甲斐があったが、本書の案内文はあまりに短かく、物足りなかった。ただ、20世紀の百年間を短期間に遡行することが出来たのは良かったと思う。


2016088
【外骨みたいに生きてみたい-反骨にして楽天なり-】砂古口早苗 ★★★☆☆ 2007/03/15 現代書館
先日読んだ笠置シヅ子伝が面白かったので、これも読むことにした。笠置シヅ子も宮武外骨もMorris.が畏敬の念を抱いている存在である。

「人心騒乱の時には、一種の変態心理者があって、何等の根拠なき妄誕無稽の事を言い触らせて喜んだり、又何かの為めにする所があって、捏造虚構の事を吹聴したりするものであるが、今回の大変事に際しては、それが最も多く行われた、後の訓戒となるべき奇言珍説を続載する」とし、第一冊にはすでに
「井戸へ毒薬を投げ入れる 朝鮮人が井に毒薬を投げ込むというウソも盛んに行われ、市内各所へ注意すべしと貼紙した者もあり、浅草寺境内の井へ頗る美貌の朝鮮女が毒を投げ入れようとして捕われたなどのウソもあった」とある。
第六冊では「自警団員、在郷軍人等を誤らしめて置きながら、其罪のみを問わねばならぬ事に成ったのは、官僚軍閥の大失態であったと断言する」「此朝鮮人の狂暴という事は神奈川県警察部が本元らしいとの説がある、また陸軍大尉某の談として或人から著者への報告に『当時流言飛語盛んに行われ、これが取締をなすべき当局さえ狼狽した滑稽談がある、それは船橋の無線電信所が発した救護信号に「只朝鮮人の一団五六百名隊を為して当所を襲撃すべく進発しつつあり宜しく救護を頼む」とあったなどは、今に物笑いの種に成って居る云々」との事、後世までの話料であろう」(外骨「震災画報」)
大正期のさまざまな大衆運動の高揚は、当然ながら政府に危機感を与えた。労働運動、部落解放運動、婦人運動、また朝鮮民族独立運動もその一つだろう。そんな時に発生した大震災は、無法者の暴動鎮圧という名目で、当局による運動への弾圧にすり替わった。外骨のジャーナリストとしての直感は正しかった。この混乱で、亀戸所管内では軍隊によって10名の労働運動指導者が殺された。また無政府主義者の大杉栄と伊藤野枝ら3名が憲兵の手で虐殺され、古井戸に投げ込まれた。幸徳秋水ら社会主義者弾圧の大逆事件では曲がりなりにも裁判が開かれたが、大震災の混乱に便乗して"戒厳令"が布かれると実質的に軍が実験を握り、裁判など必要とせずに彼らを抹殺できたのである。
やがて震災二年後の1925年には、悪法と名高い治安維持法が成立した。

関東大震災時の朝鮮人虐殺は日本歴史の汚点であるが、リアルタイムでこのような批判(事実を報道)できた外骨のジャーナリスト精神は、凄いと思う。

私が初めて手に入れた『滑稽新聞』は第116号(1906年)で、そのキュートな鯉幟の表紙絵を書いたのは墨池亭黒坊だった。中身よりもまず表紙絵に惹かれたの。大胆にして繊細、且つポップ。
黒坊の入社について外骨は、第115号(1906年5月)にこう記している。
「(略)次に今一休氏は遊ぶ事に多忙な人であるから、今般同氏の補助として墨池亭黒坊という人に入社して貰った、此人も中々画才がある、等号の『蟹と穴』の蟹にハートの草を挟ましてあるなどは、チョット凡人には出来ない意匠だ、などとアマリ塩の辛い手前味噌をこね過ぎてもイケナイから止めて置こう」
その黒坊を、いとも簡単に「前野春亭しか考えられない」と言った人がいた。尊那骨茶さんである。彼が黒坊が上方の歌川派浮世絵師・前野春亭(本名、一廣)であると私に教えてくれた。


確かに「滑稽新聞」はヴィジュアル面でも突出してた。中でも黒坊のイラストは飛んでた。

外骨は「自尊私言 昭和期の六無斎」(19369)と題してこう書き遺した。
我に財産なし(国家の蔵品を私有物と見るのみ)
我に子孫なし(愛撫の新聞雑誌を世に存せしむ)
我に学識なし(幾万の刊行物を以て永久教授す)
我に余年なし(さりながら生命は無窮のツモリ)
我に墳墓なし(明治文庫を精神的埋葬所と見よ)
我に頭髪なし(神経チャビンと罵る者あり)
いいなあ。何も持たないことが、なんと豊かであることか(実は何もないと言いつつ、全部持っていると自慢しているのだ、頭髪以外は)。ここで明記しているように外骨の精神的埋葬所は東大明治新聞雑誌文庫であり、魂はここに眠っている。
外骨を知る旅は、私にとって近現代史を学ぶ旅でもあった。明治なんてつい昨日のことのように感じられ、過去が現在を鮮明にし、未来をも予感させた。歴史の連続性・普遍性に気づかされ、人は皆時代の個であることも教えられた。時代を見据えて独自の価値観やエスプリ表現の面白さを伝え、既存のイデオロギーや組織に納まらない稀有な自由人・ジャーナリストとして生き抜いた外骨。いつの世も"優しいタカ派 "という新手のナショナリズム・情緒的な国家主義が人々の不安んにつけ込むチャンスを狙っている。だからこそ自分の頭で考えろというメッセージを送り続けた"怒るハト派"外骨。頭はクールで心はホット、シリアスな時代の陥穽に何度も直面しながら、その生涯に悲惨さがない。野暮なコドモに粋な大人の文化が理解できないように、わからん人にはわからんが、分かる人にはわかる。
私には外骨と同じ遺伝子を持つ血が流れていることになるが、"骨"はない。一日中ボケーッとして、ひねもすのたりのたり瀬戸内海に一匹だけ浮かんでいる海月みたいな軟骨楽天人生を、これからも生きるのだろう。そんな私でも、せめて物事の本質を見る目は磨きたいと思う。今度生まれ変わったら、好奇心と想像力を武器にして、外骨みたいに生きてみたい。


これが本書の締めくくりの言葉である。外骨評伝としては、吉野孝雄と赤瀬川原平の二冊を先に読んでいて、内容の充実では吉野、面白さでは赤瀬川の方が勝っていると思ったのだが、本文のあとにある「あとがき」には著者の現代日本の状況に対する悲憤慷慨と叱咤激励が横溢して、Morris.は非常に参考になった。

今、私たちは日々、洪水のような情報を得ることができる。メディア産業は百花繚乱・多種多様のような錯覚に陥っているが、メディアそのものはむしろ衰退しているのではないか。

これが書かれたのが10年近く前であることに注意。事態はどんどんどんどん悪くなっていってる。

外骨は生涯おびただしい書物を出版して活字の世界に生きながら、言葉として文学的ではなかった。外骨は言文一致を生み出した近代文学の流行には飛びついていないのである。外骨の文章は死ぬまで男性的な漢文調の文語体だった。
一生和服で通したように表面では日本的でありながら、実はスコブル日本人離れしている。
外骨の言葉は時代という鏡を反映し、表現者としての頼もしい唯一の武器となって鍛えられていく。
だから外骨の言葉は告発・罵倒型ジャーナリストとして、いつも過激で露骨でストレートで素直で正直で根源的だ。多くの日本人が大好きな、情緒的で抽象的で比喩的な物言いではない。外骨にとって言葉は、絵や活字やパフォーマンスと同じ、表現の重要な武器だ。差別用語や罵倒用語をあえて使ったのも、差別の実態を隠したくなかったことと、言葉の力を殺したくなかったからだ。あたりさわりのない言葉に言い換えると、言葉の魂は死んでしまう。


筆が立つのではなく、筆が疾走(暴走?)する。外骨のスピード感がたまらない。

時代の振り子は変革という名目でいつも一方へと大きく偏りながら動く。今や世界はテロや暴力を対処療法的に閉じ込めようとする排他的な厳罰化・グローバル化の力に押され、寛容でリベラルな意見はどうも旗色が悪い。気がつけばいつのまにかみんな骨抜きにされて、そう簡単には外骨や熊楠みたいに生きられなくなってしまった。

今の私たちには敵の正体さえよくわからない。平和という言葉が色褪せ、反体制、批判精神なんていう言葉も、ほとんど死語だ。「人権」なんて口にすると「人権屋」と攻撃されかねないし、自由や解放や平等なんて、まるで誰もそれを望んでさいえいないかのようだ。もはや闘うべき敵は外にあるのではなく、私たち自身なのだろう。
「今こそ日本は核保有国になってアジアの覇権国になるべきだ」
などと口にするヒステリックな政治家はいつの時代にもいる。それはまるで、外に仮想敵国を想定してことさら糾弾し、国内問題を隠蔽するナショナリズムに似ている。そんな誤った民族的矜持に多くの国民が同調するとは思われないが、たしかに日本は強力な"自衛軍"を持ち、処分に困っている余剰のプルトニウムをいつでも利用できる原発大国であり、まぎれもなく軍事大国なのだ。だから、今さら核論議を封じるのも時間の問題かもしれない。タブーの嫌いな外骨なら、きっぱりとこう言うだろう。
日本が自分で核を持つことも、アメリカの傘の下で非核三原則の「持ち込ませず」を黙認することも、どちらも容認できない。米ソ冷戦時代に日本が平和ボケと揶揄されたのは、「戦争は最大の福祉、最大の経済行為」というアメリカの戦争中毒と表裏一体だったのだ。「目的は手段を正当化する」というような戦争の大儀など、この外骨には通用しない。もはや核に抑止力はない。日本の安全を保証するものは日本国憲法と非核三原則を名実共に厳守することだ。集団的自衛権を認めるという選択もありえない。日本は非戦・非核主義を理念として掲げ、アジアとの経済的・文化的共生構想を積極的に打ち出すこと。それが必ず国益、いや国民益につながる。非軍事と民主主義の追求、それ以外に核軍縮に向かう日本と世界の平和に通じる道はない、と。


外骨に名を借りて自論を披瀝してるのだが、それが10年後にどうなったか?現況を見るに 暗澹たる思いである。

もしも近い将来、日本がなんらかの大儀を掲げながら実態としては非人道的で環境破壊につながりかねない"国家権力"を行使しようとするとき、リアルタイムで反対するメディアはあるだろうか。権力の不正・横暴・専横・堕落・放恣・怠慢に一矢を報い、私たちの無知・無関心・偏見を覚醒させてくれる快傑黒頭巾や鞍馬天狗や月光仮面みたいなジャーナリストはもうどこにもいないのか……なんて考えるのは、悲しきかなそこは凡人の弱さ。絶対的に強いヒーロ-を求めるのはもうやめよう。もはや一人では無理、「みんなで外骨」すれば怖くないのだ。個人であれ組織であれ、個として独立したジャーナリスト集団、もしくはネットワーク。むしろ今はこのほうが、一人のカリスマ的な外骨よりいいかもしれない。

「他力本願」では駄目だってことだな。

私自身はかつて吹き荒れていた全共闘運動に身を投じたことはないが(逃げ足の早い野次馬見学連だった)、外骨の楽天性はかつての学生運動用語(?)の「連帯を求めて孤立を恐れず」「一点突破、全面展開」に、ちょっと似ている。情熱的だが頭でっかちと言われる団塊世代の私の背中で、ジャーナリズムの廃頽をこのまま黙って眺めているつもりか! と外骨が怒っているような気がする。

これはそのままMorris.にも当てはまる(著者とMorris.は同い年)。著者がMorris.の気持ちを代弁してくれてるように思えたのだが、こういう考え方こそ「他力本願」なのかもしれない(^_^;)


2016087
植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない」】戸井十月 ★★★ 2007/12/25 小学館 初出「週刊ポスト」2007年1月-11月

植木等 1926年三重県伊勢出身。57年にクレージーキャッツに参加。2007年3月27日呼吸不全のため永眠。享年八十。
戸井十月 1948年東京都生まれ
著者が最晩年の植木等にインタビューして構成したもの。

「横浜の、モカンボってジャズクラブで毎晩演っていた時、時々くるGIで、いつもぐでんぐでんに酔っ払って寝ているんだけど、時々起きてピアノ弾く奴がいたのね。このピアノが、なんともビックリするくらいうまいわけ。
そしたら秋吉敏子が、"植木さん、あれ、ハンプトン・ホースよ"って。"誰? それ?"って訊いたら、"アメリカで凄く有名なピアニストじゃない!"って呆れられたよ」
「ハンプトン・ホースってのは、話にならないくらいピアノがうまいのね。で、一緒にやりましたよ。彼が演る曲はこっちも知っていたし、こっちが演る曲は彼が合わせてくれる。むこうは凄いミュージシャンなんだけど、自分勝手に、いきなり知らない曲を弾くとか、難しい曲を弾くとか、そういう失礼なことは一度もなかった。酔っぱらいだけど、きちんとルールを守る紳士的な男でね。だから、楽しかったな。店全体がスウィングしてね。あー、ジャズやっててよかったって思った夜だったね」


秋吉敏子の名前が突然出てくるあたり、当時の植木は、しっかりミュージシャンやってたんだ。

植木等が「クレージーキャッツ」に参加したのが、昭和32年(1957年)の3月。さらに同年9月には、「ハッピーフリーナンス」から安田伸が移ってきて、6人のクレージーな猫たちが顔を揃えた。担当とメンバーは以下の通り。
リーダー、ドラム担当 ハナ肇(本名 野々山定夫)
ギター、ヴォーカル担当 植木等(本名 同じ)
トロンボーン担当 谷啓(本名 渡部泰雄)
ベース担当 犬塚弘(本名 犬塚弘(ひろむ))
ピアノ担当 石橋エータロー(本名 石橋瑛市)
テナーサックス、クラリネット担当 安田伸(本名 安田秀峰)
この頃、三波春夫が「チャンチキおけさ」を、浜村美智子が「バナナボート」を、丸山明宏が「メケメケ」を歌い、浅草では、破壊的で時にシュールなギャグをマシンガンのようにぶっ放す「脱線トリオ」が爆発的な人気を博していた。「お笑い界のジェームゥ・ディーン」と呼ばれた八波むと志、「オシャマンベ!」の由利徹、「ハヤシもあるでよ」の南利明の三人である。

クレージーキャッツの全盛期、Morris.は小中学生だったから、彼らの面白さの本質は理解できずにいたのだと思う。それでも植木のヒット曲の歌詞の一部(わかっちゃいるけどやめられない、そのうちなんとかなるだろう、はいそれまでよ等々)はMorris.の経典みたいになってる。

「六方拝」とは何か?
「六方というのは、東西南北天地のことね。この六方を拝み、感謝する気持ちをもって生きなさいってことなわけ。
東を向いて拝む時は自分の両親に対してね、自分の両親にも両親がいて、その両親にもまた両親がいるわけだから、つまりご先祖様を敬い、拝みなさいってこと。西は、自分の家族。自分に働く意欲をもたらしてくれた女房や子供に感謝する。南は、自分にとって"師匠""先生"というべき人に向かって感謝する。読み書きそろばんから始まって、博打から女の道までね。人生のあれこれを教えてくれた先生やら先輩やらに感謝して拝む。北は自分の友ね。友人、知己、すべてに感謝する。そして天地は自然。太陽が当たるのも風が吹くのも、雨が降るのも種から芽が出るのも、これ全て大自然の恵み。だから、天地に向かって感謝する。
お釈迦様のというよりは親父の教えという感じがしてね。いい加減な親父だったけど、これだけはちゃんと教えてくれたなー、と」

植木の父は破天荒な仏僧だったらしい。この六方拝は、仏教というより民間信仰っぽい。両親、家族、師、友、自然への感謝。Morris.には欠けてるものが多いが、感謝の念だけは忘れてはならないと思う。


2016086
【日本ジャズの誕生】瀬川昌久+大谷能生 ★★★
2009/01/08 青土社
1924生まれの瀬川と1972年生まれの大谷の対談、というより、瀬川へのインタビューみたいな一冊。

瀬川 野川香文さんの『軽音楽とそのレコード』というのが三省堂から出たんです(昭和13年)。これは不朽の名著。野川さんの偉いところは、ハワイアンからスイート・バンドから、ぜんぶ聴いているのね。その本にはエリントンからキャブ・キャロウェイからガイ・ロンバードまで入っているし、イギリスのダンスバンドのこともじつに詳しく書いてある。全部聴いて、で「アメリカの黒人音楽が本物だ」かれ彼は言っていたわけ

戦前の日本のジャズ畑はかなり裾野が広かったようだ。

瀬川 ディック・ミネが出てくる、昭和9年ですけど、あのころは、湘南に夏泳ぎに行くと、スピーカーから流れるのがディック・ミネの歌ばっかり(笑)。銀座のスピーカーでは川畑文子の「三日月娘」が、いやというほど流れたそうです。その点で、日本の歌謡曲文化と西欧のダンス音楽文化は大衆の耳に抵抗なく入ってきた。


ディック・ミネと川畑文子。この二人には凄く惹かれるものがある。

大谷 コロムビアでアレンジがすごいのは、服部良一さんと並んで仁木他喜雄さんですね。
瀬川 仁木さんんはすごいですよ。仁木さんは戦後、越路吹雪の初期の専属アレンジャーだったんですが、残念ながら早くなくなっちゃったの。

☆仁木他喜雄 1901-58。作/編曲。横浜のバンド屋「睦先」でドラムを学び、ハタノ・オーケストラ、日本交響学協会を経て、大正15年、新響創設時にティンパニー奏者として参加。コロムビアの作・編曲家として活躍。


仁木他喜雄というのは、初めて知った。服部良一と並ぶというだけで興味津々である。

大谷 アメリカのポピュラーソングのスタイルを、日本でも昭和15年ぐらいには完全に取り込み終わってますね。しかも幅があって、ポール・ホワイトマン流のオーケストレーションから、そのちょっと前のディキシー調、シカゴ・ジャズ調、それにフレッチャー・ヘンダーソンのセクションとか、アメリカの「ジャズ」の、もうどこからでもアレンジが引き出せるような域に達していますね。
瀬川 日本のスイング・エイジは昭和16年が最高峰だったんですよ。その年の12月8日の日米開戦でだめになるんだけど、昭和16年の1年間はすごんですよ。アメリカの曲がまだ自由にできたから、コロムビア・オーケストラなんかでもどんどん演奏した。アメリカと戦争に入る直前の軽音楽大会では、「イン・ザ・ムード」とか「タキシード・ジャンクション」--グレン・ミラーもやってるんです。それから「ワン・オ・クロック・ジャンプ」「ジャンピング・アット・ウッドサイド」。カウント・ベイシー、グレン・ミラー、ベニー・グッドマン。
大谷 当時の最先端ですね。もちろんエリントンなんかも……
瀬川 もうやってますね。昭和10年頃から、「ソリチュード」とかやってますね。でも、「テイク・ジ・Aトレイン」は入ってないな。あれは1941年だから。


日米開戦がなければ、せめてもう少し遅れてたら、日本のジャズ界は最先端まで行けたかもしれなかった?

瀬川 古賀政男さんとか、万城目正さんのものは、今日の演歌に通ずるものがあると思います。ただ戦前の歌謡曲は、もっとポピュラーな感じがありました。

ド演歌は戦前にはなかったのかな?

瀬川 ジャズに対する弾圧が昭和19年の初めに起こります。サックスを2本以上使っちゃいえkないと、楽器にミュートをはめちゃいけないとか……その意味で、けしからんのは堀内敬三ですよ。堀内敬三が戦争中に、音楽の大政翼賛会みたいなのをつくって、その長になって禁止令を出した。彼はどうやれば音楽がジャズになるかをわかっているんで、何しろ昭和3年にジャズソングを初めてラジオで放送し、レコードを出したパイオニアですからね。

これは面白かった。堀内敬三は「音楽之友社」の創設者であるが、Morris.はフォスターの歌曲や「青空」「アラビアの歌」の訳詞者として親しみを感じていたが、こんな一面があったとはね。

瀬川 中村とうようさんんは、小畑実の「星影の小径」はビング・クロスビー以来のクルーナーの日本最高だと、つねに言っておられるんだけど、そういう意見をわかる人が少なくなっちゃった。戦前までは、モダンなポピュラー音楽そのものがジャズだったんだけど、戦後、タンゴが好きな者、シャンソンが好きな音、ハワイアンが好きな者、ジャズでもスイングが好きな者、モダンジャズが好きな者、ディキシーが好きな者というふうに分かれてきちゃう。私はそれが残念で。

「星影の小径」はちあきなおみによるカバーが素晴らしかったので、改めて見直したが、中村とうようがそんなことを言ってたことは知らずにいた。

大谷 戦後、芸能の主体が「歌手」に移ったとき、というか、美空ひばりがビッグバンド・サウンドのアレンジを採用しなかったことが、後続に大きな影響を与えたのかな、とも思います。笠置シヅ子の「買い物ブギー」を訊くと、いまでもすごく新鮮なアレンジだと思うんですが、美空ひばりの歌はすばらしいのにアレンジ的には戦前に戻っている。


美空ひばりのジャズ・スタンダードナンバーのアルバムはMorris.も大好きである。たしかにひばりのシングルヒット曲には、ビッグバンドサウンドは見当たらない。

大谷 歌とダンスは、音楽文化の大事な両輪だと思うんですが、今の日本では、歌とダンスがばらばらになってますよね。歌手はみんな踊りますけど、ダンス・ステップっていうものが今は歌から生まれることはないし、ダンス・フロアも、二極分化している。
瀬川 戦後のバラード、平野愛子さんの「港が見える丘」は、ほんとにチークダンスには絶好なんです。江利チエミが総和27年に歌った「チャタヌギ・シューシャインボーイ」はジルバ。そういうものがいまはない。


韓国では今でも、歌と踊りは一体化してるところがありそうに見えるのだが、二人の「ダンス」とはかなり違うな(^_^;)

大谷 ジャズはジャズ喫茶で真面目に、修行のように聴くものだ、という意見ばかりが目立つようになり、基本的に、それは今でも変わっていないように思います。もう少し広い視野で「ジャズ」を捉える、そういっ
たきっかけに、この本が役立てばと思っています。

これには共感を覚えた。

本書の大谷氏との対談を通じて、共通の認識に達したもう一つの点は、戦前日本のジャズないし軽音楽が欧米の技術水準に比肩する粋に達していただけでなく、日本独自の魅力的な特性を有するポピュラー・ミュージックを生み出していた、という事実である。
昭和16年(1941)のジャズ・バンドは、すでにアメリカのスイング時代のヒット曲の楽譜を入手して、その大半を演奏していた。
コロムビア・オーケストラや谷口又士楽団、笠置シヅ子と中沢寿士楽団などは、軽音楽大会で演奏していた。ただこれらのアメリカの曲は、日本のバンドがレコーディングする機会はなかったので、その音源を聴くことは出来ない。
今回の対談で私が一番嬉しく感じたのは、今まで私が最高のサウンドと思ってきたレコードを、大谷氏も高く評価してくれたことである。特に仁木他喜雄と杉井幸一のアレンジを賞賛されたのは、我が意を得た思いである。(瀬川昌久あとがき)



2016085
【池上彰の これが「世界を動かすパワー」だ!】 池上彰 ★★★ 2016/05/15 文藝春秋 初出「週刊文春」2015~2016連載「池上彰のそこからですか!?」

ベストセラー評論家ナンバーワンの池上彰。もともと子供ニュース出身だけに、無知な大衆(Morris.も含む)相手に、手取り足取り教え方は堂にいったものである。本書は初出タイトルからして、基礎の基礎からという姿勢が強調されているようだ。
とりあえず、目次(日本の章は小目次まで)を紹介しておく。

1.アメリカ トランプか、ヒラリーか? 世界を揺るがすパワーゲーム
2.EU "女帝"メルケルはEU崩壊を防げるか?
3.中東 ISのちからを「地政学」から考える
4.ロシア 逆らう者は許さない"皇帝"プーチン
5.中国 習近平は大人の国にできるのか
6.日本 祖父・岸信介に並びたい? 安倍首相の動機
・忖度、忖度、そして忖度……--自民党の放送局介入
・普天間移設巡り国と県が衝突--首相が大人の対応をしていれば……
・軽減税率と新聞業界--消費税10%へのホンネ
・次々と「内閣改造」をする理由--「一億総活躍」担当大臣まで作る!?
・最近の政治家は劣化したのか?--暴言とスキャンダル続出する理由
・「矢」なのか「的」なのか--アベノミクス「新・3本の矢」への疑問
・マイナス金利の衝撃--強烈な特効薬と副作用
[戦後70年]
①安倍談話のジレンマ--引き継ぐが「侵略」とは言いたくない
②そもそも日本は謝罪したのか?--アメリカ国民は評価、中韓は……
③「ポツダム宣言読んでいない」発言--「間違った戦争」かどうか
④「南京大虐殺」とは何か--ユネスコ世界記憶遺産となったが
[安保法制]
①安保条約の実質改定だ--自衛隊の役割が変わった
②「砂川判決」とは何か--集団的自衛権と憲法を読み解く
③自衛隊員の身分はどうなる?--捕まったら捕虜に?


たしかに全世界を網羅、「今現在」の問題点を上手にセレクトして、上手に料理(解説)してる。発表媒体に合わせて?抑えるところは手心加えてる(=忖度)ところも見受けられるが、これももまあ彼の賢さの発露なのだろう。
文体&レシピ見本として一節引用。

サウジアラビアはアラブ人なのに対してイランはペルシャ人。伝統的な対抗意識が働きます。とりわけサウジアラビアは、このところの石油価格の低迷で、財政状態が急激に悪化。さらに隣国イエメンのスンニ派政権を支援するために軍隊を派遣したところ、戦費がうなぎ上りに増加。戦士する兵士も急増し、国内に不安が広がっています。国庫収入を確保するために、ガソリン価格を値上げするなど、国民の不満を買っています。そういうときには、国外に「敵」を作り出せば、国内は団結する。独裁国家の定番ですね。しかもイランと一触即発という危機になれば、石油の価格も上がり、一息つけるのではないか。そう考えると、その点ではイランの利害とも一致します。つまり、両国の関係が緊張すると、それは両国にとって経済的にプラスになる。こんな構図でもあるのです。
しかし、こんな状態がエスカレートしtら、「第五次中東戦争」に発展しかねません。両国の間にあるホルムズ海峡は、日本に向かうタンカーの通り道。戦争になれば、日本にとって「存立危機事態」なってしまうかもしれないのです。


2016084
【ヨーンじいちゃん】ペーター=ヘルトリング 上田真而子訳 ★★★ 1985年7月 偕成社 ALTER JOHN by Peter Hartling 1981
ペーター=ヘルトリング 1933年ドイツに生まれる。新聞や雑誌の記者を経て、小説を書き始め、現在ドイツで最も人気のある作家の一人。社会問題をテーマにした児童文学を書いて注目されている。

ケストナーが好きで日本語に訳されてる作品はほとんど読んだと思うが、それ以外、ドイツの児童文学は読んでない。それより何より、翻訳作品読むのが久しぶりである。
家を新しく購入したのをきっかけに、母の父を呼んで一緒に暮らすことにした4人家族の話で、偏屈でユニークな老人との衝突と愛情が不思議な文体で描かれている

「インディゴ。」ヨーンじいちゃんはつぶやいた。「インディゴちゅうのがどういうもんか,おまえにゃあわからんだろうな。」
「インドと関係がある?」
「たぶんな。インディアンともかんけいがあるかもしれん--。インディゴちゅうのがどういうもんか、わかるか? あらゆる色の中で、えちばんうつくしい色だぞ。藍だ! 空の青と海の青をいっしょにした青、ふかーいゆめと、やすらかなねむりのような青、インディゴ! いまは化学染料のインディゴしかないが、わしらの時代にゃまだクネーテリヒからとった自然のインディゴがあった。クネーテリヒちゅうのはタデの一種でな、だれもほんとうにはせんのじゃが、大昔は魔女がつかった草だ。ほんとだぞ、ヤーコプ。わしはな、インディゴ染めの名人じゃった。あっちこっちから特別注文があってな。ブリンのヤーン=ナヴラティルというと、いーめいじゃった! 化学染料ででも、わしはだれよりもきれえな色をだしたもんだよ。」


爺さんは染色の職人だったらしい。このインディゴ藍の表現は素晴らしいと思った。クネーテリヒはタデの一種ということだから、日本の藍蓼に通じるところがあるのだろう。ズボン(この言葉も死語か?)といえばジーンズしか持ってないMorris.だけにインディゴへの愛着(藍着??)も一入である

「そうとも、わしは牢屋にぶちこまれたことがあるんじゃ。
1944年のことだ。
おまえらも知っとるように、あのころヒトラーが権力をにぎっておった。わしのいたブリンでもな。そんだもんで、チェコ人は苦労しとった。ドイツ人よりも苦労しとった。ヒトラーは解放してやったと称したし、そう思っておったものもおおぜいおる。じゃが、わしはそう思わなんだ。わしはヒトラーに反対じゃった。ヒトラーのひきるナチに反対じゃった。あいつらは人間を殺した。おおぜい殺した。ユダヤ人を狩りたてて殺害した。あいつらは、じぶんたちは特別の優秀な人種で、ユダヤ人やロシア人やポーランド人は、あいつらのことばでいえば下等人種、なんの値うちもない人種だと信じておったからな。わしは、その下等人種の人たち何人かに、ちっとばかり力を貸してやった。ちっとばかり、な。そのちっとが、わしを逮捕して刑をいいわたす理由には十分じゃったわけだ。判決は、三十年の重禁固刑。んのっ、ちっとばかりみじかくてすんだよ。
一年後、わしはこんどはほんとうに解放してもろうた。ソ連兵にな。ええかね、おまえら、もうけっして生きて出ることはないと思うとる牢屋の中では、<ちっと>というのはなかなか重い。あの中で、ちっとばかり人間でいられるものは、たいしたもんじゃ。わしなんでよく<ちっと>というか、これでわかったろうが。え? もちろん、くせだ。それに、わしがブリン出だからでもある。ちっとということばでたくさんのことがいえるからでもある。」


爺さんの生まれ育ったブリン(ブリュン)はチェコ二番目に大きな都市。ここで爺さん若かりし頃の反ナチ行為がさりげなく語られる。「ちっと」というのがキーワードになってる。
ストーリーとしては特に起伏が有るわけではないが、抑えた筆致が不思議な雰囲気を醸し出している。他の作品も読んでみよう。


2016083
【明日は昨日の風が吹く】橋本治 ★★★☆☆ 2009/09/30 集英社
「ああでもなくこうでもなく」インデックス版

「広告批評」1997年1月号から2009年4月号まで連載、書き下ろされた時評「ああでもなくこうでもなく」を編集し直したもの。「広告批評」は2009年4月号が終刊になり、出版元マドラ出版は解散。

世界からテロをなくすということは、武装を強化するということなんだろうか? 違うでしょ? 武器を捨てても生きて行ける道はあるってことを、身をもって示すことでしょ?それが憲法第九条を持つ「日本の常識」なんだよなー。感動してしまうよなー。日本人の一人一人が、ガンジーであることを前提としてるんだからな-。冗談じゃなくて、私は本気でこう言ってます。
「あなたの死はあなたの責任」で、「あなたのすることはあなたの責任」なのだ。最高じゃない。
「国際協力のための自衛隊の海外派遣」とか、バカみたいなことを言っている人間もいる。そんなことが出来るのか? それをすることになんの意味があるんだ? ちゃんとしたことも言えないくせに、武力の協力だけは出来るなんてことが、果たしてまともでありえるのか?(1997年5月)


20年前はこういった物言いも比較的気楽に出来てたのだった(^_^;)

日本には、歴然と軍隊がある。この「軍隊」は、自衛隊のことじゃありません。アメリカ軍のことです。日本の駐留するアメリカ軍を「日本の軍隊」と思わないのは、これが「他国の軍隊だから」じゃないと思う。日本人が「軍隊の指揮権・統制」ということを忘れてしまった結果で、アメリカ軍が日本政府コントロールの外にいるからです。私はそう思います。

これは大事な指摘である。

軍隊に対して臆病で、「文民統制」をする度胸が持てない日本の政治家は、軍隊じゃない自衛隊を統制することばかり考えて、軍隊である米軍をコントロールすることを忘れている。その発想がない。「それは他国の軍隊だ」という頭だけで、「自国に存在する軍隊をコントロールする」という、「文民統制」の発想を忘れ去っている。日本の基地問題の悲劇性は、そもまず、そういう日本政府の頭の中にある。
日米安全保障条約というものがありながら、日本政府の考え方は、ほとんど軍隊の指揮官(=アメリカ大統領)に反映されていない--それはつまり、「文民統制がないから軍部の暴走が起こる」なんですね。
ところが、ほとんどの日本人が、日米安全保障条約と、それに付随して日本国内に存在する米軍基地の問題をそういう観点から考えない。「文民統制=シビリアン・コントロール」を理解しないということは、日本人の大多数が、「軍隊に対して、言えば通る、言ったら通らなければならない」という大原則があることを理解していないということなんですね。だからこそ、「再軍備」という、とんでもない短絡に至る。(1999年5、6月)


橋本は本質を捉えていたのだと思う。

日本人の多くは、あの東海村の事故が起こっても、まだ、「原発は必要」という容認をしているらしいけど、それもまた「無知」ですね。議論は、「原発は安全かどうか」じゃなくて、「たとえ安全であったとしても、今の日本人に、それを操作する能力があるのかどうか」に傾くべきで、私には、「今の日本人にその能力はない」としか思えませんね。
原発なんかやめて、「右肩上がりの電力需要の増加」という神話も考え直すべきなんじゃないんでしょうか。「原子力より人力の意味を見直すべきだ」という、私の考え方に変わりはないですけどね。(1999年10月)


正論、というしかない。

日本人に零細は合っているのである。日本中が零細企業と個人商店ばかりになってしまって、日本人がそれに慣れたら、外国の大資本は太刀打ちできない。日本人が国際競争力で勝つことが出来る道は、もうこれだけであると、私は信じている。
屋台も露天も朝市も、実は、その土地に固有の文化形態の一つなのだから、脱資本主義の代表は「屋台街」かもしれないのである。(1999年10月)


凄い発送の転換(^_^;)

文化という権利を、その善し悪しの分からない人間に叩き売った結果、文化そのものが根こそぎ消滅してしまう。それを消滅させるのは、別に女子高校生だけじゃない。カラオケでエンカを歌うのが好きな、歌が下手なくせに自己主張ばかりが好きな、人のいいオジサンやオバサンだって、エンカというジャンルを消滅させてしまう。
私はエンカなどという言葉がそもそも好きではなくて、エンカというものは、いたって日本的な「今日曲・流行歌」という巨大ジャンルの中に派生した一マイナージャンルだとしか思っていないから、そんなもんなくなったってかまわない。それは、都会に憧れて、文化というのがわからないままに巨大な箱物文化を生み出してしまう、地方の没落と同じ種類のものだとしか思っていない。(1999年11月)


この点においてのみ、Morris.は橋本に異議を唱えたい(^_^;)

多くの日本人は、「日本の外交官には対外的な交渉能力がない」ということをふしぎがっていないことになる。
語学は出来るが交渉能力はない」になったら、それは単なる通訳ではないか。「外国語が出来る人はえらい」という変な信仰を、日本人はさっさと捨てるべきだ。(2002年2月)


その通り、外国語が出来ることがそのまま素晴らしいわけではない。でもやっぱり母国語以外の言葉を自由に操れる人はすごいと思う。

1980年代以降の日本の失敗には、「官僚の介入」が大きく関わっているような気がする。「第3セクターの破綻」に代表される、地方自治体の赤字財政の根源は、それじゃないのかと。
詐欺師というものは、おそらく「劇場」を作るものだ。外から見ると、「あんなダサいもの」と思っていても、中へ入ると、うっかり「感動した」になってしまう。(2002年9月)


小泉政権へのリアルタイムでの鋭い批判だね。

文化を考えない経済は、たやすく文化を滅ぼす。そして、それをした経済には、「文化を滅ぼした」という自覚がない。「日本の地方都市がどこも似たようなものになってしまった」というのは、この典型例である。
文化を滅ぼさない方法は、「ここはちがうところだから、手を出すのはやめよう」という、「異質なものへの尊重」である。それをやらないと、手を出した者の滅亡になる。そんなにむずかしいことでもないとは思うのだけれども。(2003年4月)


今の日本の風景の面白みのなさは、たしかにこういった文化レス政策の産物だと思う。

人生で勝ち負けがあるのなら、その基準はたった一つ--「生き方が中途半端だった」だけが「負け」である。だから、そこをはずした「勝ち・負け」は、全部、遊び半分の冗談である。自嘲の暇もなければ、その批判への拒絶もあり得ない。それをすれば中途半端に堕すだけだから。(2004年8月)

「勝ち組 負け組」という、蛇蝎すべき物言いへの橋本なりの否定だろう。

私が「安倍晋三には関心がない」と言うのは、あまりにも言うことが空々しくて、しかもきっぱりと断定してしまっているからだ。断定が先で、先に断定されてしまっているから、その後の「説明」が続かない。「説明」抜きで、当人の中では「結論の決定」が成り立っている。である以上、「断定の後の説明」」はあってもなくてもいい。だから「説明にならない説明」が罷り通っている。

第一次安倍内閣時の感想だが、第二次があるとは思ってなかったのだろう。安倍のやり方はまるで変わっていない。

人は、文章で説得されるかもしれないが、しかし、それを「我がもの」として実感するのは、「行間を共有する」があってのことである。読み手を「そこ」に追い込むような行間を設定することによって、文章というものは成り立つと、私は思っていて、阿久悠氏の歌詞は、その設定が見事だった。つまり「その時代」まで、日本人は「なにかを共有する」ということが可能だったのだ。
「阿久悠の時代」は1980年代の前半までで、それは阿久悠が不振に陥ったのではなくて、日本人が「各自バラバラ」になにかを求め始めた時代の到来のせいだと思う。(2007年8月)

お見事!!

「生産現場、製造現場への労働者派遣」というのは、そもそも「正規採用をすれば金がかかるし、首を切るのにもめんどうなことになるから、そこのところの面倒をなくして、企業側が知らん顔をするためのシステム」でしかないのだから、この存在を前提にして話を進めることは、「企業側の知らん顔」を当然の前提とすることになって、「派遣切りをして何が悪い」というところにしか行きつかない。だからそれは、法的に認められていなかった--それを1999年に法改正をして認めてしまったのが間違いだから、「さっさと改めて元に戻してしまえ」にしかならない。

なかなか元に戻らない、どころか、事態は悪い方に激化しているようだ(>_<)

この金融危機というのは、日米貿易戦争に負けたアメリカが「金融ミサイルで世界を再制覇してやる」と思った結果のものではないかと私は思っていて、「物作りと商売では負けたが、そのバックにある金融では勝てる」という勝負に出たアメリカが「国際競争力」というものを、実体経済からはずれたもっとややこしいことにしてしまったことが、全ての元凶だろうと思っている。つまり、「金融危機」で全世界的な経済危機の不況になったということは、「国際競争力」という呪縛がほどけたことにしかならないのではないかということである。(2009年2月)

経済のことはよくわからないながら、この橋本の仮説はわかりやすい。

橋本さんは、「未来が未知であった時点」に想像的に遡行し、「それから後に起きたこと」を一時的に記憶から「抜く」そして、そのリアルタイムの生活実感を内側から経験することができる。そういう人にしか「歴史的リアリティ」というものは再現できない。私はそう思う。
橋本さんはそういう点ではたぶんいつも自身の「同類」を探しているのだと思う。自分の知らないことを自分自身に向かって説明することに長けた書き手。
橋本さんは「説明する人」である。「主張する人」ではない。批評家は「主張する人」の(あるいは隠され、あるいは露出している)「主張」を取り出して、それについて語るのが仕事である。だから、「説明する人」については語る手がかりがないのである。
私が書いているのは「橋本治論」ではない。私は私に向かって説明しているのである。なぜ私は橋本修を読むことを止められないのか、その理由を自分に向かって説明しているのである。(内田樹「説明する人--橋本治」)


橋本も上手いが、内田も上手い。


2016082
【カラスの補習授業】松原始 イラスト・植木ななせ★★★☆ 2015/12/20 雷鳥社
前作「カラスの教科書」が、面白かったので、この続編も読まねばと思った。

朝礼での伝達事項-カラスって何でしたっけ?
1時間目 歴史の時間-カラスの系統学
2時間目 カタチの時間-カラスの形態と運動
3時間目 感覚の時間-嗅覚編、視覚編、聴覚編
4時間目 脳トレの時間-カラスの知能
5時間目 地理の時間-ヨーロッパのカラス科たち
6時間目 社会Ⅰの時間-カラスの配偶システム、営巣場所と営巣行動、ねぐら、集団と社会
7時間目 社会Ⅱの時間-被害防除に関する多少は真面目な話
実習 野外実習の時間-鴉屋京の町を走ること


[ネコ目]ねこめ、ではない。以前の言い方だと食肉目。最近、「その分類群を代表する動物名をつける」という方針でネコ目になっているが、こういう書き方をするとネコが基本で他はそこから派生したように見えるから何だかヤだ。食肉目の方が目全体の特徴を言い表してて便利だと思うんだがなあ。

分類学で「ねこもく」という「もく(目)」が使われているというのは初耳だった。たしかに「食肉目」のほうがいいと思う。
これだと犬は「ネコ目イヌ科」ということになるしね。

「見た目には区別できないが遺伝的に違う集団」というものが見つかっている。例えば関西と関東のメダカは見た目には同じに見えるが、遺伝的にやや異なる。生物の進化の結果を混乱させてしまうので、たとえ同種でも産地の違う生き物をむやみに野外に放してはいけません。

これは前読んだメレ山メレ子のホタルの話に通ずるものがある。

フルスペックの最高級機より、機能を絞った廉価版の方が使えるとか、安いので十分といった例は、家電製品やパソコン選びでも経験することがあるだろう。進化に必要なのは個体の性能や強さではなく、「結果として、より多く子孫が残ること」だけである。個体の性能は子孫を残す方法の一つにすぎない。

単機能製品のほうが複合機能製品より好き、というか、複合機能の場合一つの機能がだめになった時、もう片方の機能だけのために使い続けるのが何となく釈然としない。

カラスの親鳥が巣で眠ることはほとんどない。あったとしても卵や雛を抱くついでである。
鳥の巣というのは、卵や雛を入れておくためのベビーベッドみたいなものである。雛が巣立ってしまえばもう使うことはない。
ではねぐらではどうやって眠っているのか? もちろん、枝に止まったままである。ウマだって普通は立ったまま寝るのだから、「横にならなきゃ眠れない」とは限らない。鳥の場合、脚を曲げて体重をかけると指が折り込まれる構造になっているので、寝ている間に力が抜けて落下する、ということもない。


なるほど。

さえずりとは、求愛や縄張り宣言のために用いられる音声のことだ。鳥の「さえずり」は非常に複雑なものだが、これは生得的な行動と学習が組み合わさった結果である。
ジュウシマツの「歌」はいくつかのフレーズが組み合わさっており、フレーズはチャンクからなる。チャンクはいくつかの音素で出来ている。単音を組み合わせてメロディを作り、Aメロ、Bメロ、サビ、Bメロで歌になる、というようなものだ。
ジュウシマツは雛の時に親鳥の声を聞いて、お手本とすべき歌を記憶する。そして、自分が歌えるようになると、小声でグジュグジュと練習を始める。日本語ではこの状態を「ぐぜり」とか「ぐぜり鳴き」と呼んでいる。この未完成の歌を記憶の中のお手本と比較し、また練習して、だんだんうまくなる。こうして歌ができあがることをクリスタライズ(結晶化)と呼ぶ。


小鳥のさえずりにこれだけの努力が求められるとは、ちょっと意外だった。そう言えば鴬合わせというのがあったな。谷崎の「春琴抄」にこの鴬合わせに関する超絶技巧的部分があった。

カラスの知能について「霊長類並みに進歩している!」といった解釈をするのは、間違いとは言えないにせよ、必ずしも正しくない。霊長類の知能が唯一絶対の到達点などではないからである(このような見方はしばしば、「人間は最高度に進化した万物の霊長である」という世界観を引きずっている)。また、カラスの行動を無条件に霊長類と同様に解釈するのも、必ずしも正しくない。鳥類は2億年近く前に恐竜の一部から生じた動物であり、我々哺乳類は古生代に栄えた単弓類から進化した動物である。我々と鳥のご先祖が枝分かれしたポイント、つまり共通祖先まで遡ると、下手をすると3億年ばかり前の、サンショウウオの親戚みたいな両生類に行き着いてしまう。

「人間至上主義」とでもいうべき、この思い上がりは時々見直す必要があるだろう。

生物学は差異と多様性を楽しむ学問でもある。変異と制約と地質学的な時間が絡み合った果てに呆れるほどの多様性を獲得した生物。
そもそも科学とは人の「知りたい」という欲求を満たすものだったはずだ。「暗記なんか無駄だよね」などとスカしたことを嘯くのは、逃げである。山ほど覚えて、山ほど考えればいい。「覚えなくてもいい」などと悟るのは、まだまだ早い。この世は知らないことや面白いことに満ちているのだし、未知なる面白い事がある限り、人は退屈しなくてすむのである。例えばカラスとかな。


こういった思考法が本書の著者の長所だと思う。


2016081
【幸福のモト 人生のモト】水木しげる ★★★ 2016/06/17 PHP
2015年に93歳で亡くなった水木のあちこちに書き散らかした短文を集めたもので、2000年に「怪しい楽園」として出されたものから抜粋、再編集した出し殻みたいなものだが、ときどき水木の軽い文章を読み返したくなる。

猫とか、つげ義春とか、ニューギニアの森の人たち、といった、高度ななまけ生活をいつも僕は夢みていた。とにかく、僕の一生は意に反して、がむしゃらに働くいっしょうになってしまったから、よけいに憧れるのかもしれない。

この灰色の文明社会、幼稚園からシケンに追われ、一生安らぎのない文明社会、はげしい競争して勝ったって幸福になれるわけでもない文明は、さまざまなものを作るが、それは人間にとって、必ずしも必要でないものなのだ。ただ生活を複雑にするだけのものだ。便利になったからって人間は幸福になれるものではない。僕はなにか世界の大半を占める文明というものが、知らず知らずのあいだに世界を地獄にしているのではないかと思う。

「パパラギ」的思想だな。

高木春山などは、陸地で手をたたくと花をひらくという海の花にほれて図鑑を作っているうちに、江戸にある自分の家が倒産していたという、奇妙な喜びに情熱を捧げた奇人だ。すなわちそういう博物画に一生をささげた普通でない人々をみて大いに恐れ入り、改めてそれを紹介したアラマタを見直した。

東京を発って、神戸で一泊したところ、その安宿を「20万円でどないだす」と言う。いくらボロ宿でも、20万円は安すぎるんじゃないかと問うと、別に100万円の借金があるんだkが、それを肩代わりして、月賦でいいから払い、頭金の形で20万円だという。ちょうどリンタク売り払って得た10万得あることだし、田舎の親父に10万円たしてもらってアパート業でもすればいいと考えて、その安宿を買うことにした。
アパートは、神戸の兵庫区水木通りにあったから、平凡に「水木荘」と命名した。これが、やがて「武良茂」のペンネーム「水木しげる」のモトになるのである。

新開地南の水木通りに水木しげるがしばらく住んでたと、としろうが言ってたが、これがその顛末らしい。

僕はいっそ、日露戦争あたりで敗けていれば良かったと思う。
幸運がつづきすぎて、"勝った"のが一番まずかった。

"不戦への道"の第一歩は勲章を廃止することからはじめるべきではないだろうか。"僕は勲章大好きヨ"というお方はアブナイ。

その通り。勲章好きにろくな奴はいない。ついでにオリンピックの金銀銅メダルも廃止したらいいと思う。

睡眠は健康のモトであり、幸福のモトだと、僕は信じている。眠りを制限するほど、バカなことはない。南方に住む僕の友人たちは、たっぷり寝ている。それだけで人生は幸福なのだ。なにはなくとも……。



2016080
【日韓歴史認識問題とは何か】木村幹 ★★★☆☆☆ 2014/10/20 ミネルヴァ書房 初出「究(ミネルヴァ書房PR誌)2011-14
「歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム」という副題が掲げられている。

80年代以降の歴史教科書問題、そして90年代以降の「従軍慰安婦」問題などが起こり続ける背景に は何があるのか。本書では、日韓両国の政治過程を丹念に辿り、両国のナショナリズムが高まる中で両国のエリート統治が機能不全に陥り、「期待」と「失望」を繰り返してしまう構造を解明する。(カバー袖より)

重要なのは、日韓間の歴史認識問題を理解するためには、これを冷静に分析し、今日の状況に至った原因を明らかにすることである。問題の原因が分からなければ解決方法や対処方法が見つかるはずもない。そして原因をみつけるためにはきちんとした手続きによる客観的な分析が必要だ。(はじめに)

しごくまっとうな考え方である。しかし、日韓問題では、こうしたまっとうな論の進め方がなかなかできない。というディレンマを乗り越えるための誠実な態度だと思 う。
目次を写しておく。

序章 歴史認識問題をめぐる不思議な状況
第一章 歴史認識問題を考えるための理論的枠組み
第二章 歴史認識問題の三要因(世代交代・国際関係の変化・経済政策と冷戦の終焉)
第三章 日韓歴史教科書問題
第四章 転換期としての80年代
第五章 従軍慰安婦問題
第六章 「失われた20年」の中の歴史認識問題
終章 日韓歴史問題をどうするか

「歴史」とは、どこまで行っても、我々が自身の価値観に基づき、特定の歴史的事実を選び出し、作り上げた恣意的な存在にしか過ぎない。にもかかわらず、我々は 時に、自らの作り上げた「歴史」を動かすことの出来ない、客観的かつ中立的な存在であると錯覚することがある。
個々の歴史的事実の「確からしさ」を、「歴史」そのものの「確からしさ」と錯覚しがちである。我々が抱える「歴史」に関する議論の問題の一つは、まさにここに 存在する、といっても過言ではない。(第一章)


歴史もまた幻想なのかもしれない。

「親日派」と呼ばれた植民地期の日本支配に協力した韓国人の処遇をめぐる問題は、多くの韓国人に とってその処罰の範囲いかんでは、いつ自らに直接火の粉が降りかかっても不思議ではない問題だった。見方によっては「国内にいた者はすべて親日派だ」と言われても仕方ない状況がそこにはあった。

「親日派」が韓国では最大級の罵倒語になっていることが、大きな問題だと思う。

1950年代から60年代の日韓両国は共に、太平洋戦争以前の支配層の一部が、再び社会の中枢部に 返り咲いてゆく時期に当たっていた。

日本の戦後に関してはこのところ、ある程度わかってきたような気がするが、韓国でも似たような状況があったのか。

従軍慰安婦問題の展開過程が、当初、「隠された歴史の真実を発掘する」形で行われたことである。つまりこの時期(80-90年代)になると、植民地支配期の状況をめぐる研究や運動は、その実態を人々が知らないことを前提に行われるようになっていたわけであ る。

この「空白」があまりにも大きかったとも言える。

従軍慰安婦をも包含するシンポジウムが韓国で最初に行われたのは1988年であった。
1988年における国際社会では、未だ冷戦が続いており、韓国の政治的・経済的影響力は今日とは比べ物にならないほど小さかった。
ソウル五輪に先立つ二つの五輪が、東西冷戦の下、ボイコット騒ぎに見舞われていた--80年のモスクワ五輪は、ソ連のアフガニスタン侵攻に対するアメリカなど 西側諸国のボイコットにより片肺大会に終わり、その報復として、ソ連など東側諸国もまた、4年後に行われたアメリカのロサンゼルスでの大会をボイコットした。 当時の五輪はその存在意義さえ疑問に思われる状況にあった。


それでもソウルオリンピックは、成功裡に終わった。Morris.が最初に訪韓したのがこの年である。

当時の韓国にとって、隣国でありバブル景気に沸く日本はその(観光客誘致)最も重要なターゲットで あり、活発な宣伝活動が展開された。結果として、この時期、韓国を訪れる日本人の数は劇的に増加した。
「キーセン観光」への反発は、日本への反発となり、それは過去の日本による植民地支配批判と結びついた。
従軍慰安婦問題は、韓国の女性達による、植民地支配批判運動と女性の権利向上運動、そして民主化運動の三重のシンボル的地位を獲得していくことになる。


「キーセン観光」が日本への反発となることは理解できるが、その裏にそんな日本人観光客も外貨獲得のために、歓迎したという二律背反が、慰安婦問題という格好の問 題として、クローズアップされたわけだ。

以前は地理的に近い所にあるからこそ重要だった近隣諸国との関係は、今や、遠隔諸国との関係のより 早い速度での進展により、相対化されようとしている。そして、日韓関係もこのような大きな流れの中にある。かつては密接であった日韓両国互いの存在は、グロー バル化の中で否応なく相対化される危機に晒されているのである。(第2章)

少なくともMorris.の韓国往来は、グローバル化とは、永遠に無縁だろうな。

従軍慰安婦とは、資本主義とその一類型である帝国主義により「歪曲された」韓国社会の早い時期の犠 牲者に他ならず、この問題を放置することは、すなわち「現在」を生きる女性の問題から目をそむけることでもある、というのがその理解である。だからこそ、民主 化運動に立ち上がる女性たちは、従軍慰安婦にも関心を持つべきであり、また、持つのが当然なのだ、と主張されることになる。

こういったパタンは、ありがちではあるが、加害者と目される国の一員としての対応は非常に難しい。

ここで日韓両国の政治的エリートは同じ選択を行った。つまり、彼らは共に「既存の政治的エリートと はスタイルを異にし、所属政党とは無関係の個人的人気を有する政治家を自らのリーダーとして起用」することになったのである。言うまでもなく、この結果として 登場するのが、小泉純一郎と盧武鉉という、21世紀初頭の日韓両国の政治的リーダーということになる。
こうして出現した新たなるリーダーが挑戦した「タブー」の中にナショナリスティックなものもまた数多く含まれていたことだった。つまり、それは小泉純一郎に とっては靖国神社参拝であり、盧武鉉にとっては国内外の「古い歴史認識」への挑戦であり、また陳水扁にとっては「台湾独立」の主張だった。こうして北東アジア においては、これらのポピュリスティックなリーダーの出現が、各国のナショナリズムを刺激するという共通の現象が生まれることになる。


同じ時期に似たような指導者が出現するというのは、時代の要請なのだろうか。そして、Morris.は、この二人に、当初は期待してたのだ(^_^;)

日本では、小泉辞任以後、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、とわずか六年の間に6人もの総理大臣 が、誕生まもなく支持率を急速に低下させ、一年前後で辞任するという異常な状況が出現した。
議院内閣制をとる日本では、首相の支持率が一定以下、より正確には与党の支持率に近い水準まで低下すると、次期選挙における悪影響を懸念して、与党内における 首相の求心力が急速に失われる。だからこそ、この水準に達すると与党が自ら首相を交代させるわけである。


今となってはこの頃が懐かしい気さえしてしまう。まさかこの交代制メンバーの一人が、10年後に返り咲いて、独裁者じみた政権を作ろうとは……

韓流ブームという現象が日韓両国、とりわけ日本人の韓国に対する認識を進展させ、その結果、両国に 存在する歴史認識をめぐる問題にも好影響が及ぶであろう、という楽観的な「期待」があちこちで語られた。
だが、その後の事態の展開は、このような「期待」とは大きく異なるものであった。
日本人の韓国に対する意識は、20002年のサッカーワールドカップの日韓共催頃をピークとして、むしろ悪化していくことになった。

確かにMorris.もとことん楽観視してたあ。

李明博は就任当時から日韓関係の重要性を強調し、一部で懸念された2010年の韓国併合百周年も巧 みに乗り切ることに成功した。鳩山の「東アジア共同体構想」は対象とされた中韓両国政府の無関心から空振りに終わったものの、それでもしばらくの間、日韓両国 の間には比較的安定した状態がもたらされた。

李明博はソウル市長時代の清渓川再生事業で株を上げ、工事中から注目してたMorris.は、これまた大いに期待したのだが……

2012年に至るまでの間に、日韓両国においては、二つの関係改善に向けての「期待」が失われて いった。すなわち、活発な交流により関係が改善するという「期待」と、政権交代により互いに好意的な政権が生まれさえすれば両国関係は自ら好転するという「期 待」である。「期待」の喪失は、同時に、日韓両国間における関係改善のシナリオの消滅であり、結果、2012年以後の両国関係はより深刻なデッドロック状態へ と帰着した。状況は、2012年末の第二期安倍政権と13年2月の朴槿恵政権の成立によっても好転しなかった。それどころか朴槿恵政権は政権出帆の当初から、 従軍慰安婦問題等の歴史認識において日本に対して強硬姿勢を取ることを明言することとなり、2013年には日韓両国は首脳会談すらできない状況に追い込まれ た。(第6章)

Morris.の期待なんて、結局、あまりにも、甘ちゃんだったということになる。

今日の両国の世論において、日韓関係はもやは重要ではない、という声が頻繁に聞かれるようになって いることである。背景には経済のグローバル化や東アジアの安全保障上の環境変化があり、だからこそ一般の人もエリートも、以前のように真剣に日韓関係のために 動かなくなっている。さらに悪いことに、このような変化は、本質的に基本的には不可逆的なものである。だからこそ、日韓両国にとってお互いが、安全保障や経済 面で、あるいは社会面で、必要不可欠な重要性をもっていた「古き良き時代」は絶対に戻ってこない。
互いの影響力が落ちているのだから、一方的に何かを求めても、相手側にはこれに応じる積極的なインセンティブが見つからない。だとすれば我々が行わなければな らないことは明白である。自らの要求が省みられないことの原因が、相手側が自らを重要でないと考えていることにあるのなら、行うべきは自らの重要性を相手側に 今一度理解させ、我々と協力するインセンティブを再構築することである。
そしてここで考えなければならないことがある。それは、そもそも我々日本人は、これまで韓国や中国等、周辺国に対して、自らの重要性をきちんと説明してきたの か、ということである。
長年「アジア唯一の経済大国」としての地位を占めてきたわが国は、長らくその地位に胡座をかき、「彼ら」に対する「我々」の重要性を積極的に説明することを 怠ってきた。

なかなかに辛口で、しかも妥当性のある総括である。

日韓の歴史認識問題が問うているもの。それは我々がこの世界においてどのような重要性を有する存在 なのか、ということなのかもしれない。(終章)

いやあ、勉強になりました。m(__)m
あとがきによると、一時仕事しすぎて、心身ともに疲れ、休養を兼ねての海外での客員教授の時期に、出版社のPR雑誌に、軽く連載をとたのまれて書いたものらしい が、むずかしい問題を、Morris.にも何とかついていけるくらいに易しく解説したテキストになっている。
著者とは、今は昔のパソコン通信時代の仲間だった。仲間うちから、これだけ優れた研究者が出たことは、ちょっと自慢したくなる。
巻末の戦後史年表も実に本書の問題点を浮き彫りにする労作である。

日韓歴史認識問題関係年表

1905(明治38) 1/28日本政府、閣議にて竹島領有の意思を「再認識」 11/17第二次日韓条約
1910(43) 8/29韓国併合条約
1945(昭和20) 8/15終戦の詔勅 9/2大日本帝国の降伏文書調印式 9・11第一次戦犯指定 9/11朝鮮半島南半にてアメリカ軍による軍政懐紙 11/19第二次戦犯指定 12/2第三次戦犯指定 12/25神道指令。靖国神社、宗教法人に
1946(21) A級戦犯28名確定 5/3極東軍事裁判懐紙
1948(23) 5/3日本国憲法施行 8/15大韓民国建国。初代大統領は李承晩 11/12極東軍事裁判判決言い渡し終了
1951(26) 9/8日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)調印 10/30第一次日韓会談開始
1952(27) 1/18韓国政府、「平和線」(通称李承晩ライン)設置
1953(28) 4/20「独島義勇守備隊」、竹島に上陸 10/6第三次日韓会談、久保田貫一郎首席代表の発言をめぐり紛糾
1956(31) 4月慶尚北道鬱陵警察署が竹島に警察官を常駐させる
1959(34)3/28国立・千鳥ヶ淵戦没者墓苑竣工
1960(35) 4/19韓国にて「四月革命」勃発、李承晩政権退陣へ
1961(36) 5/16朴正煕等による軍事クーデタ
1962(37) 11/12金・大平メモ作成される
1965(40) 6/12家永三郎、第一次教科書訴訟を提訴 6/22日韓基本条約締結
1967(42) 6/23家永三郎、第二次教科書訴訟を提訴
1971(46) 10/25 中華民国、国際連合での代表権を喪失
1972(47) 2/21ニクソン米大統領、訪中 9/29日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
1973(48) 1/27ベトナム平和協定 8/8金大中拉致事件
1974(49) 8/15文世光による朴正煕暗殺未遂事件
1975(50) 4/30サイゴン陥落、南ベトナム崩壊 8/15三木武夫首相、初めて終戦記念日に靖国神社参拝
1978(53) 8/12日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 10/17靖国神社、A級戦犯を合祀
1979(54) 1/1米中国交正常化 10/26朴正煕大統領暗殺 12/12粛軍クーデタ、全斗煥等軍内主導権掌握
1980(55) 5/17全斗煥等事実上のクーデタにより政権掌握 5/16光州事件
1981(56) 8/20日韓外相会談、韓国政府日本側に60億ドルの借款を要求
1982(57) 4/8日本最高裁、第二次教科書訴訟に対して、破棄差戻し判決(家永敗訴) 6/26日本メディアが教科書検定結果について大きく報道 7/20中国『人民日報』、教科書問題で日本政府に対する公式批判懐紙 10/30「日本を守る国民会議」、新たなる教科書作成を宣言
1983(58) 1/1『朝鮮日報』、「克日の道は日本を知ることだ」というスローガンの下、連載開始 1/11中曽根康弘首相、日本首相として靖国神社を公式参拝
1986(61) 7/7『新編日本史』検定最終通過
1987(62) 6/29盧泰愚民主主義党党首による民主化宣言
1988(63) 9/17ソウル五輪開幕。この頃、「キーセン観光」批判頂点に
1990(平成2) 1/4尹貞玉『ハンギョレ新聞』に「挺身隊 怨念の足跡取材記」連載開始 11/16韓国挺身隊対策問題協議会結成 12/18日本政府、慰安婦問題に対する政府の「関与」を否定
1991(3) 1/9日韓首脳会談(海部俊樹・盧泰愚) 8/14金学順、元慰安婦としてはじめて実名カミングアウト 12/6加藤紘一官房長官「政府が関与したという資料は見つかっていない」と発言
1992(4) 1/8在ソウル日本大使館前における「水曜会」が初めて開催される 1/11『朝日新聞』、慰安婦に関する「軍の関与」報道 1/13第一次加藤談話 1/16日韓首脳会談(宮沢喜一・盧泰愚 1/21韓国政府、慰安婦問題に対して初めて「追加の補償等」を公式に求める 7/6第二次加藤談話
1993(5) 6/16宮沢内閣不信任案可決、自民党分裂へ 8/4河野談話
1994(6) 12/24橋本龍太郎通産大臣、「(アジア諸国を)相手に侵略戦争を起こそうとしたか」は「微妙な定義上の問題だ」と発言
1995(7)6/5渡辺美智雄元副総理「併合条約は円満裡につくられた国際的条約である」と発言 6/14五十嵐広三官房長官、日本政府「女性のためのアジア平和友好基金」(仮称)の設置を説明 7/19「女性のためのアジア平和国民基金」発足 8/15村山談話 10/5村山富市首相「韓国併合条約は当時の国際関係等の歴史的時事情の中で法的に有効に締結され、実施された」と発言 11/14金泳三大統領、中韓首脳会談にて「日本の悪い癖を叩きなおしてやる」という表現で日本を非難
1996(8) 2/6国際連合人権委員会にラディカ・マクラスワミが報告書提出 8/1「女性の為のアジア平和国民基金」、フィリピンでの「償い金事業」開始
1997(9) 1/30「新しい教科書をつくる会」設立総会 12/27韓国政府、IMFに対して救済金融を申請
1998(10) 10/1日韓パートナーシップ宣言
2001(13) 4/5扶桑社版『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』が検定意見箇所を修正し、検定に合格 4/26小泉純一郎首相就任 11/3第三回日韓併合再検討シンポジウム
2002(14) 5/31FIFAワールドカップ日韓共催大会開始 9/30「女性のためのアジア平和国民基金」、「償い金」事業終了
2004(16) 4/3「ヨン様」こと裵勇俊初来日。この頃、韓流ブームがピークに
2005(17) 1/17盧武鉉政権、日韓基本条約関連韓国外交文書を公開。以後、従軍慰安婦問題、サハリン在留韓国人問題、韓国人被爆者問題、を日韓基本条約の枠外として法的責任を追求 する方針が定まる 2/22島根県議会「竹島の日」を制定 7/26山野車輪『マンガ嫌韓流』発売
2006(18) 4/19日本政府が竹島近海に測量船派遣を計画。盧武鉉大統領が「同海域に測量船が入った場合は韓国側の船をぶつけて破壊するよう指示」8/15小泉純一郎首相、靖国神社 を参拝
2007(19) 3/31「女性のためのアジア平和国民基金」解散
2010(22) 8/29韓国併合百周年
2011(13) 8/30韓国憲法裁判所、従軍慰安婦問題の現状を「政府の不作為による違憲状態」と認定 12/24在ソウル日本大使館前に「少女像」設置される
2012(14) 5/24韓国最高裁、日韓基本条約にて個人の請求権は消滅していない、として判決を差し戻し 8/10李明博大統領、竹島上陸
2013(25) 3/1朴槿恵大統領、三一記念式典にて、日本の植民地支配を激しく非難 8/5「帝国の慰安婦」朴裕河発売 12/26安倍晋三首相、靖国神社を参拝
2014(26) 6/16元従軍慰安婦9人が「帝国の慰安婦」名誉毀損として出版差止め、損害賠償の訴え 11/30「帝国の慰安婦」日本語版発売
2015(27) 11/18ソウル地検朴裕河を在宅起訴
2016(28) 1/13ソウル東部地裁朴裕河に賠償を命じる、朴は控訴



2016079
【ときめき昆虫学】メレ山メレ子★★★★  2014/04/14 イースト・プレス
メレ山メレ子 1983年、大分県別府市生れの会社員。2006年からブログで旅行記を書きはじめる。
やがて旅先で出会う虫の魅力に目ざめ、虫に関する連載や寄稿を行うように。2012年からは昆虫研究者やアーティストが集う新感覚昆虫イベント「昆虫大学」の企 画・運営を手がける。虫と虫にまつわる人の魅力を、今後も探していきたいと思っている。ムネアカオオアリの家族とゲンゴロウ2匹と暮らす。

今年いちばんのめっけものかも知れない。面白くてためになるだけでなく、新しいタイプの名文家でもある。妙齢の女性で虫好き度は異常なほど、しかも行動力があり、 人脈造りに長けていて、活動範囲が広い。現代版「虫めずる姫君」の称号を謹呈しよう。

九州育ちのわたしには、東北の春は眩しすぎる。冬の長い国では、よくしなる枝を極限まで引き絞り、 もうこれ以上どうにもならないところで手を放したときの反動を思わせる勢いで、バチバチと植物が萌えだす。いや燃えだす。新緑が炎のようなテンションだ。(2 ハチ すべて春のしわざ)

文体見本として引用した。

造網性のクモが網から外され、棒の上にとまらされて同族と戦うというのは、人間でいうとオフィスで 内勤していたUFOによって緑の光で吸い上げられ、気がついたら火星でタコ型宇宙人から「星々に火星ゴルフ会員権を売り込んできてクダサイ。トップ営業になる までは地球に帰れマセン」と言われるくらいハードモードだ。想像しただけで死にたくなるが、そんな状況でベストを尽くすクモの王将たちに、分類群を超えた尊敬 の気持ちが湧きあがる。
クモをむりやり戦わせるクモ相撲は一見残酷な行事とうつるかもしれないが、「クモに狂う」ひと月は、関わる人の自然観を確実に一歩深いものにしている。この不 思議な生きものと、人の蜜月が長く続きますように。(4.クモ 神秘の網にからめとられた「クモ狂い」たち)


文体見本その2である。


 
生息地 大きさ 観察時期 光り方 飛び方 
ヘイケボタル  水田、湿地 10~12mm  7~8月 1~2秒おき 曲線的 
ゲンジボタル  流れのある川 13~17mm  6月 4秒おき(東日本)
2秒おき(西日本)
直線的

 ホタルの親ははかない妖精のイメージだが、幼虫は見た目が悪いわくさいわ肉食だわで、 かなりのモンスター感がある。アイドルのなりふりかまわない下積み時代を見た気がするが、本人たちはどの瞬間も全力で生きているだけなので、別に何かを我慢し ているつもりはないだろう。

「ホタルの里」をスローガンにした町おこしの結果、ホタル養殖池や水路をつくるために元々あった生 きものの住みかを潰したり、観光客が押し寄せて肝心のホタルが減ったため、あわててよその地域のホタル移入したりと、皮肉な結果になっている地域もあるよう だ。……「今年ホタルが見られるならあとの環境がどうなってもいい」というのならまだしも、人と自然の共生、里山、生物多様性といったキーワードを掲げるのな らば、生物学的に何が正しいのかをくり返し問いかけることを怠ってはならない。(5. ホタル 愛され虫の甘い罠)

こうやって昆虫学的雑学ネタもあり、自然環境学からの提言ありと、ただものではない。

ダンゴムシ(団子虫) 等脚目(ワラジムシ目)に属する「昆虫でない虫」。7対14本の脚で器用に動きまわり、落ち葉や動物の死骸を食べて土に返す分解者としての役割を果たす。刺激を受けると丸 くなって身を守ることから、ダンゴムシの名がついた。

ダンゴムシが昆虫でないくらいはわかるが、ワラジムシ目だったのか。

答えが決まっている問題集しか解かない通常授業よりも、自由研究に図画工作、読書感想文といった創 作度の高い課題が多い夏休みのほうがよほど面倒だ。そもそも長い休みを与えておきながら、無限に時間を食う宿題をわんさか出すとはどれだけ陰湿なのだろう。自 由研究というのは、やるかどうかも含めて自由だから楽しいのだ。そう、今やっているように……。(7.ダンゴムシ はじめての虫のお友達)

ここらあたりも、思わず拍手したくなる。

「モテてモテて困る」、略してMMK。昭和の流行語かと思っていたが、実は旧海軍で使われていた俗 語だという。

処々にこういった親父(を喜ばせる)ギャグネタなど挟んだり、

メレ子「先生、飛んでいるところを撮りたいです!」
尾園さん「飛翔写真はね~、もう慣れるしかないです。カメラをAF+MFにして、水辺の草などにピンを合わせて、トンボがフレームインしたら撮る。でもピント が合ったように見えてからだと遅いんですね~。なので目はファインダーに合わせずに周囲を見張っていて、フレームインして次の瞬間ピントが合いそう! と思ったらー、撮る」
メ「先生、わたしは今、水の上を歩く方法を訊いたら『右足が沈む前に左足を出すんだよ』と言われたときの顔をしています」(8.トンボ 水辺の恋のから騒ぎ)


会話の妙を展開したり

『イモムシハンドブック』安田守写真 文一総合出版。通称「イモハン」。チョウ・ガ類のイモムシを美しい白バックの写真で撮影し、虫屋界にとどまらず空前のイモムシブームを巻きおこしたポケット図鑑。(9.ガ 灯の下の貴婦人)

Morris.もつい見たくなるような好著紹介とか

死体でなく瀕死というところがポイントで、意を決して片づけようとするとジジジジジッと大声で鳴い て暴れまわる。この現象は巷では「セミ爆弾」「セミファイナル」と呼ばれ、ひどく恐れられれている。(10.セミ 真夏のホラー)

ダジャレも多く

近鉄奈良駅で電車を降りると、そこには春日山原始林を背に、国内最大の国宝凝集地帯が広がってい る。興福寺、奈良国立博物館、東大寺、春日大社、元興寺、新薬師寺……これらがすべて徒歩圏内にあるなんて信じられない。仏像アレルギーまたは国宝アレルギー の人間がさまよえば、1日で泡を吹いて死んでしまうのではないだろうか。(15.コガネムシ 「黄金虫」は金持ちか?)

独特の視点からの名所案内もありの

長野県にある飯田市美術博物館。ここで学芸員の四方圭一郎さんによる企画展「なんでもかんでもカタ ツムリ!」展が行われていた。博多の博物館ならば「なんでんかんでんデンデン虫」という規格名になっていたと思われる。(16.カタツムリ おっとり型の生きる知恵)

方言ギャグもありの

なんと今のドイツでは昆虫採集が基本的に禁止されているらしい。環境への意識は高いのだろうが、ア マチュアに支えられている日本の昆虫界の様子を少しでも知っていれば、ずいぶん妙な状況に思える。(18.ダニ よちよち歩きのチーズ職人)

ダニの記念碑見に、ドイツの片田舎まで足を運んだり

ゴキブリは世界に約4000種いるが、ほとんどは森の朽ち木の下などに生息しており、人家に出没し て「不快害虫」「衛生害虫」と呼ばれているのはほんの数種。生存戦略がかぶったための不幸な出会いという側面もなくはない。とにかく、生活圏にいきなり出てく るのがよくないのだ。街で見とれてしまうようなすてきな異性でも、夜中に「来ちゃった」とベランダを登ってきたら突き落としたい。(20.ゴキブリ 害虫と書いて戦友(とも)と読む)

そんな彼女なのにゴキブリは苦手で、それの正当化にこんな小理屈こねくったり

虫の魅力をペットのかわいらしさや人の情動にやたらと翻案することは、正しく自然や生態系を見る目 を曇らせる危険があります(そんな動物番組は巷にあふれています)。そのため、虫を愛でたり虫に心を見たりするときには、自分に都合のいい世界観にこの小さな 生きものを沿わせるのではなく、あくまで向き合う人の不出来な心を映すものという意識でのぞみました。
自然科学すべてに言えることでしょうが、知られていないことを知る・知ろうとする過程にロマンがあります。どんな生きものも、知れば必ず好きになれる。知った と思ったことも、あっという間にくつがえる。くつがえった瞬間にこそ「ときめき」がある。ことことを教えてくれた虫たちに、あらためてお礼を言いたいと思いま す。(おわりに)


謙虚に「虫」への敬意を開陳したり、と、とにかくMorris.はすっかり彼女のファンになってしまい、いっぺんに読むのが勿体無くて、毎日一章ずつ読んだ。
いわゆるブログ本ということで、「メレンゲが腐るほど恋したい」とい うブログの主宰者なのだが、いやもう、こんな人種が棲息しているブログの森というのは、本当に八幡の藪知らずである。


2016078
【ブギの女王・笠置シヅ子】砂古口早苗 ★★★☆☆ 2010/10 現代書館
砂古口早苗 1949年香川県善通寺市生れ。ノンフィクションライター。新聞・雑誌にルポやエッセーの寄稿記事多数。最近は宮武外骨研究者としても活躍。母方の曽祖父が外骨と従兄弟に あたる。

笠置シヅ子はずっと前に秋本くんがLP買って、それをカセットテープにダビングしてよく聴いたが、今はもう行方不明である。

本書は2007年から8年にかけて、「心ズキズキワクワクああしんど 笠置シヅ子でブギウギ」のタイトルで朝日新聞香川版に連載された記事をもとに、さらに内容を深め、新たにかきおろしたものである。(あとがき)

私を含めて多くの人は、戦後の"ブギの女王"以降の笠置シヅ子しか知らないが、その前に"スヰングの女王"だったことを知る人は少ない。言い換えれば、ジャ ズ・スウィングとブギ、この二つのリズムと女王の称号は別々のものではなく、連なったもの、連続したものと考えたほうがいい。

虚脱状態というのは堕落への不可欠な引導であり、堕落しきること以外に「人間を救う便利な近道はない」と坂口は書く。日本も日本人も「正しく堕ちる道を堕ちき ることが必要」であり「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」とする『堕落論』とは、まさに痛烈な皮肉としての日本人 の"懺悔と再生の書"だったのだ。だが、人や国家が「堕ちきる」とはいったいどういうことなのだろう。弱く愚かな人間は結局はまた、"処女"という名の清廉潔 白な理想を刺殺し、"武士道"とやらを編み出して死や暴力を美化し、"天皇"という覇権主義の傀儡をまたしても担ぎ出さずにはいられない、と坂口は言っている ように私には思える。
一部の日本人はあの戦争に負けてからも、いつもどこかで仕返しをしたい、いつか勝ってやろうと思っていたのではないか。勝つなんて、できっこないのに。いった い何に、なんのために勝つつもりなんだろう。勝ってどうするんだろう。戦時中、なべや釜を鉄砲の弾にして、女たちにも竹槍を持たせて駆り立て、国の暴走を誰に も止められなかったように、人間はいつになっても戦争という破壊力を美しいと感じ、運命や天皇に従順であることの幻影に、とり憑かれたいのだろうか。正しく" 堕落"することをしないで、破滅への道を選ぶのだろうか--、安吾はそう言っているような気がする。


服部と笠置の思いがその時代と日本人の心に通じ、渦のように一つになった。服部の「心がうきうきす るものを 平和の叫び 世界へひびく歌」という思いを笠置が受け止めて「歌い、踊り、吼え、叫んで客席と一体化した熱気」となった「東京ブギウギ」は日本中津々浦々に響き渡った。それはまるで 「平和の叫び」そのものだった。ちょうどこの年(1947)の春、日本国憲法が発布されたばかりで、平和を謳う憲法と「東京ブギウギ」は、同じ年に生まれた。
憲法とブギの女王--、敗戦後の輝かしい二つの象徴だ。日本国憲法と「東京ブギウギ」は、奇しくも同じ1947年に誕生した。荒廃の中で戦争との決別を明 記した憲法と、夏の花火のように登場した歌姫・笠置シヅ子は、まるで占領下時代の民主化がもたらした双子の兄妹のようにも思える。


服部良一と笠置シヅ子のコンビは最強だった。「東京ブギウギ」と「昭和憲法」が同じ年の産物としてもこれで「双子の兄妹」というのはちょっと(^_^;)

差別の実態を隠し、黙認したまま単なる"言葉狩り"でよしとすることこそ不適切で居心地の悪い社会 だと私は思う。自主規制で萎縮するレコード会社や放送局などのメディアの姿勢、それは今も続いているような気がしてならない。

これは「買い物ブギ」のおしまいに出てくる「わしゃツンボで聞こえまへん、あたしゃメクラで見えまへん」に関する文章だが、森達也の「放送禁止歌」に触発されたの かもしれない。それにしても、メディアの萎縮はどんどん悪い方に進んでいるようだ。

1946年に国会で憲法改正が論議されたとき、共産党の野坂参三は「自衛戦争は正しい戦争」である として"戦争放棄"に反対し、なんと吉田茂は「正当防衛を認めることそれ自体が有害」と反論した(数年後にアメリカから再軍備を要求されて警察予備隊を作った が)。驚くことにこの時期、左翼は"平和憲法"に反対していたのだ。左翼のみならず右翼も多くの国民も、戦争や天皇制、アメリカに対する感情など、自分たちが 再建する国家についての感情が、厳しい生活難の中でねじれ、渦巻いていた時代だったことがよくわかる。

笠置シヅ子の本で、こういった文章が出てくるのが面白い。たしかにあの時代、もっと正面から、憲法にむきあうべきだったのかもしれない。

笠置に対抗してビクターからデビューした暁テル子(1921~62)だ。「テリー」の愛称を持つ彼 女は十代でSSK(松竹少女歌劇団、後のSKD)に入り、敗戦後は当時GHQに接収されたアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となって活躍。
一時、古川ロッパ一座に入る。48年には大映専属女優になり数々の映画に出演。49年ビクター専属になり、"ビクターのブギ歌手"として売り出す。しかしなん といっても彼女を有名にしたのはその2年後の「ミネソタの卵売り」と「東京シューシャインボーイ」だろう。ちょっと不安定な音程も愛嬌で、チャーミングでコケ ティッシュな彼女にはさすが浅草生まれの粋な雰囲気があり、強烈な大坂弁の笠置とは違う都会的な雰囲気があった。

暁テル子、懐かしい。Morris.はなぜか「ミネソタの卵売り」を時々歌う。

笠置の歌の中で私が最も好きな歌は、デビュー曲の「ラッパと娘」(1939 服部良一作詞作曲)である。戦前和製ジャズの名曲で、笠置がジャズ歌手だったことを証明している。
「ラッパと娘」で笠置は「日本のマーサ・レイ」と言われて注目を浴び、評論家から絶賛され、服部の薫陶に報いることができた。ブギの女王と呼ばれるようになっ た戦後の黄金時代よりも、もしかしたらスヰングの女王と呼ばれたこの時代が笠置にとってはるかに輝かしいものだったに違いない。戦後、服部がブギブームの裏で スランプに陥ったとき、笠置はスランプを師とともにして他の作曲家を求めることはしなかったし、やがてあっさり歌手を辞めると、以後決して歌うことなく、懐メ ロブームにもかたくなにカムバックしなかった。
スターは、"時代の子"であり、移り行く時代とともに消えいく運命であることを知っていたから、彼女はスターの座に未練はなかった。スターを取り巻く華やかさ や傲慢さにおぼれず、"虚"を演じる芸人として、"実"を生きる生活者として、精一杯生き抜くこと。それを笠置は"芸人のレジスタンス"と表現した。そして" ブギの女王"から"けったいなおばちゃん"への変身。本当に強い人とはこういう人のことをいうのだ。


マーサ・レイはチャップリンの「殺人狂時代(1947)」のヒロインで戦前は舞台、映画で、喜劇人と競演を重ね、戦時中は慰問に飛び回った有名な女性だったらし い。

昭和の流行歌王・服部良一とブギの女王笠置シヅ子、この師弟関係はさまざまな意味でとても興味深 い。二人は一時代を築いた名コンビであり、他をもって代えがたいパートナーだった。互いの性格も私生活もすべて知りながら、どんなときも二人だけの音楽を作る という目的を失わなかった。ドラマティックでドラスティック、クリエイティブでビジネスライク。浪花節的で江戸っ子的。二人の間を結ぶ糸には、恋人とか夫婦を 超越した、単なる愛しさとか憎らしさという言葉では説明がつかない、言わばつかず離れず、危うさや反発・嫉妬といったものさえ突き抜けた感情が流れていたに違 いない。慣れ合いになることなく常に緊張感を忘れなかったからこそ、互いにかけがえのない相手としての敬愛の念、ゆるぎない信頼を持ち続けることができたので ある。笠置が自分の歌の限界を感じ、どのように着地させるかという芸に対する価値観が服部とは違っていたにせよ、創造の苦しみも成功の喜びも分かち合ったこの 二人は、出会ってから笠置の死までの47年間「男女の師弟関係」というものを貫いたきわめて稀有な関係だった。

「戦前からジャズを歌う"敵性歌手"だった笠置シヅ子を、戦後"ブギの女王"というスターにしたの は進駐軍である」という考え方があるが、半分は当たっているが半分は間違っている。理由は、笠置シヅ子がジャズやブギを歌う一見アメリカナイズされた歌手では あっても、実体は極めて日本的な文化・風土から生まれた表現者だったからだ。
ブギの女王として黄金時代にあった笠置シヅ子が米兵たち外国人の人気をさらったのは、笠置の歌うジャズやブギがアメリカナイズされているというより、逆に日本 的だったからともいえる。服部良一はこう書いている。
「他の歌手とは全然発声法が違うので、外国の発声法のどれにも当てはまらない。それはアメリカ式でさえないのである。まあ強いて言えば、笠置シヅ子は日本式の 発声をもつジャズ・シンガーということになるが、日本式といっても、地声の良さを巧みに捉えての作り声(鴬歌手といわれる人のそれ)ではなく、自然の声でよく ジャズのリズムとニュアンスを醸し出している」(『映画ファン』1948年5月号)

服部による笠置シヅ子評である。日本的というところが重要だろう。

1951年の座談会で出席者の石川欣一が「笠置さんのような小さい人が舞台では大きく見える。芸の 力ですね」と言うと、笠置はすかさずこう答えた。「ハイヒールの力です(笑声)」

お約束ギャグ、かもしれないが、やっぱり可笑しい。


2016077
【反国家のちから】鎌田慧 ★★★☆ 2015/02/26 七つ森書館

沖縄に対する、本土政府の蔑視、侮辱、差別、いじめ、暴力、侵略を無関心によって支持しているの は、わたしたちである。
もっとも矛盾に苦しむ沖縄が、苦しんできたが故に、戦争反対、平和闘争の最先端にたつことになった。基地と原発は、命をカネに変える産業である。この不条理か らの脱却の道が明らかになって、いま、わたしたちを励ましている。(序章 沖縄と国家)


「命をカネに変える」産業は他にもありそうだが、ともかくも、この二つにはNOを表明しておきたい。

「労働者派遣法」は、企業が儲かるためにだけ、労働者が真面目に働いても生活できない屈辱を与え、 いまや三人にひとりの非正規雇用をつくりだした。きわめて非人道的な措置である。
資本家の野放図を規制する法律を「岩盤」と規定して、ドリルで穴をあける快感を語っている安倍首相、その理論的主柱である産業競争力会議の竹中平蔵慶応大学教 授は、労働者派遣会社の取締会長を務めて恥じるところがない。


小泉政権に始まる(もっと前からあったのだろうが)構造改革の実体が、このようなものであったことを、知らずにいたことは慙愧に堪えない。

メルトダウンという過酷事故が発生して4年たってなお、福島原発は事故継続中である。高濃度の放射 能をふくんだ汚染水は海に漏れつづけ、炉心の核燃料棒がどこへいったのか、それさえ把握できていない。
にもかかわらず、安倍内閣と電力会社は再稼働のチャンスを狙っている。戦争と原発、このいのちに深く関わる問題を、意識的に粗略に扱うところに、安倍政権の本 質があわられている。


「福島は完全にコントロールされている」と、世界に対して大嘘をついた安倍晋三だもんな。

武器輸出は、憲法九条のもと、「武器輸出三原則」によって、厳しく制限されてきた。抜け道は、あら たに制定した「防衛装備移転三原則」である。「武器」が「防衛装備」、「輸出」が「移転」、ひとを小バカにした官僚用語である。

無理が通れば道理が引っ込むか(>_<)

農地解放、漁村の民主化、労働者の団結権、教育委員会の設置などの教育改革、財閥解体、独占禁止 法、女性解放、そのすべての戦後改革を、安倍政権は執拗に攻め立てている。攻撃されているのは、わたしたち、戦後生まれのものが、信じてきた理想社会である。
60年安保闘争時と現在のちがいは、「連合」結成のあと、政治闘争を担う労組の衰退である。そして学生運動の壊滅、その間を繋いで運動を担っているのが、女性 と老人たちの市民運動である。


「うさぎの逆立ち」的発言である。←ミミガイタイ(^_^;)

この映画(「ショック・ドクトリン」)の特徴は、これらの軍事行動が、のちにノーベル経済学賞を受 賞する、ミルトン・フリードマンの経済理論に依っている、と主張する大胆さにある。新自由主義・市場原理主義が、経済戦争ばかりか、公営企業の破壊と民営化を 加速させ、人心の荒廃をもたらし、恐怖政治と戦争待望論を引き出す。

新自由主義とは強者のためだけのものらしい。

日本について考えた場合、すでに、国鉄民営化や郵政民営化によって、公共事業から多くの労働者が排 除され、権利が極端に狭められた。これによって、民間企業でも非正規動労者が全雇用者の3分の1を占めるに至った。(第一章 戦争と国家)

中曽根-小泉の思う壺、である。

この地震列島の海岸線に、自然界と相容れない、人間の力では制御しきれない原発を、無責任に林立さ せた政治家たちと官僚、国家から保護され過ぎて傲慢経営を恥じることのない東電、関電などの経営者たち、さらには御用学者や御用文化人の責任追及はこれからで ある。

原子力ムラ、軍産政共同体、東京オリンピックムラ……と、利権共同体のタネは尽きない。こういうところに集まるのは、責任などということはまるで頭に無い輩ばかり である。

民間大企業の労組は、自分たち正社員の生活を優先させるあまり、社会的な問題に無関心に過ごしてい る。平和と脱原発をもとめる運動を支えている、自治労、中小労組などとの劃然としたちがいを示している。脱原発と平和を願う広範なひとびとと、原子力産 業の市場拡大と核軍事化によって利益を得たい政権側との対立の根は深い

新しいカースト?

『真相 日本の枯れ葉剤--日米同盟が隠した化学兵器の正体』(原田和明、五月書房)は「枯葉剤」をテーマに据えながら、日本に配置されていた米軍の核兵器、化学兵器、生物兵器と 日本の軍需産業との隠された関係を暴きだしている。枯葉剤にまつわる隠蔽の手法が、フクシマ原発事故の隠蔽工作とアメリカの策動ともつながっている。
大牟田の三井化学で枯葉剤が生産されていた、と国会で暴露したのが、「爆弾男」と呼ばれ、与党に恐れられていた、福岡県選出の楢崎弥之助議員だった。
枯葉剤はベトナムの地と兵士に多大な打撃を与えたのだが、ナパーム弾(焼夷弾)と併用すれば、枯葉剤からさらに大量のダイオキシンをはっせいさせることができ る。こうしてベトナムでは、ナパーム弾とダイオキシンによる「焦熱地獄」がつくりだされた。そのナパーム弾の92%は、日本製だった。楢崎議員は日本の自衛隊 は6000発のナパーム弾をもっていた、と中曽根康弘防衛長官を追求していた。(第二章 原子力と国家)


楢崎弥之助、懐かしいなあ。本当に今ああいった政治家が現れてほしい。


2016076
【キッチン・ルール 台所の法則】 小林カツ代 画・川口澄子 ★★★☆ 2005/12/10 朝日出版社
Morris.の好きだった庶民派の料理研究家小林カツ代の標語集みたいなものである。ほのぼの系のイラスト付きで絵本ぽい造りになっている。

小林カツ代 1937(昭和12)大阪生まれ。2005年8月にくも膜下出血を発症。2014年1月23日死去。享年78。

本書の発行が著者発病の4ヶ月後ということから、出版社が一種の応援みたいな意味で企画したのかもしれない。それはともかく、Morris.にも有用な標語満載 だった。いくつか引用する。

・エプロンをつけたままトイレに行かない。

・刃物を人に渡すときは、手渡してはダメ。必ず台の上に置いて渡す。

・料理はリズムが大事です。ゆっくりとでもいいから、トン、トン、トンとリズムがよくなるように心がける。

・オリーブオイル、はちみつ、ねりごま、いずれも冷やすと固く使いづらくなります。冷蔵庫には入れないように。

・お椀はぜひ木製を。木は熱を通さないのでアツアツでも手で持てる。

・料理の付け合せ。和食はメインおかずの手前。洋食は向こう側に盛りつける。

・尾頭つきの魚はまず上の身を食べ、骨をはずして下の身を食べる。決して裏返して食べない。

・食事中、もぐもぐしながらしゃべると口の中が見えて下品、空っぽになってからしゃべる。

・同じ少々でも、塩・砂糖・胡椒では量が違う。塩は三本指でつまむ、胡椒はひと振り、砂糖はスプーンの先でちょっとだけ。

・卵料理の火加減。玉子焼きは中から弱。オムレツは強めの火で。ゆでたまごは中火。目玉焼きは弱火。

・鶏肉は皮から、魚は身から先に焼く。

・揚げ物に使う油の量はたっぷりでなくともカラリと揚がる。2~3cmあれば充分。材料の表面が空気に触れる機会が多いほど水分が蒸発してカラリとしたおいし い揚げ物になる。

・きのこは切ってから洗うと味が落ちる。洗ってから切る。見た感じきれいなきのこは洗わなくてもよいくらい。

・ふきんは清潔が一番、毎日必ず無香料の石鹸で洗いお日さまに干す。食器をふくふきんは5枚、台ふきんは2枚ほしい。

・包丁は使ったらすぐ洗い、水気をふく。さらに乾いた布でしっかりひとふき。濡れたままだと切れ味が悪くなる。


料理にはリズムが必要など確かにその通りと思った。言われてみて改めて納得である。


2016075
【おしゃべりなタンザニア】木村映子 ★★★☆☆ 1995/06/10 東京新聞出版局
初出、東京新聞・中日新聞に1990-93年にかけて「タンザニア徒然草」のタイトルで連載。
木村映子 大阪市生れ。帝塚山学院で幼稚園から高校まで学び、早稲田大学に進む。生来、語学好き。1977年から1年間ケニアにスワヒリ語留学。タンザニアの小説の面白さにひかれ、 OL生活の後、1983年、再びアフリカに渡り、ダルエサラーム大学大学院に留学、以来、同地でスワヒリ文学の研究を続ける

先日三宮図書館前広場で知り合ったパスカルくんの母国タンザニアのことを知りたいとおもったところ、本書に出会ったので読むことにした。四半世紀前のものだから、 現状とはかなり(全くといっていいかもしれない)変わってると思うが、興味深いエピソード満載で、楽しく読むことが出来た。原稿用紙2枚のコラムで、さまざまな人 間模様、言い伝え、民間医療、遺跡、自然公園なども精力的に紹介している。
著者がスワヒリ語の小説研究家だけに、言葉に関する話題が多いのも嬉しかった。

タンザニア連合共和国 アフリカの赤道のやや南方に位置し、インド洋を望む。面積は日本の約2.5倍の94万5000平方km、人口約2600万人。キリマンジャロの国、野生の王国 として知られるが、国民の識字率は約80%、120の民族間に対立はなく、アフリカで最も平和な国である。ルワンダ内紛の調停役も務め、多くの難民を抱える。 第一次大戦前はドイツ領、ついで英委任統治領。1961年に独立し、のちザンジバルと合併、共同体的(ウジャマー)社会主義路線を歩む。しかし80年代半ばに 経済を自由化、92年に複数政党制に移行、95年秋、総選挙が行われる。主な輸出品はコーヒー、綿。日本の最重点経済援助国で援助額は年額85億円にのぼる。正 式の首都はドドマ。政府機能は、まだダルエサラームにある。在留邦人255人(93年現在)

人間賛歌--私のアフリカ観を一言で言い当てた。強烈に愛し合い、巧妙にだましあう。アフリカとい えば雄大な自然のみに目を奪われがちである。しかし、それにもまして広い大地の上に繰り広げられる人間模様。ぬるま湯のようなやさしさや温室のような穏やかさ ではない。日本では想像もつかない熾烈な舞台で、悲劇も喜劇も時に命がけで、時にあっけらかんと演じられるのだ。
スワヒリ語で書かれた当地の人気探偵小説はこう始まる。「世界とは人間のことだ。人間こそが世界である。世界情勢とは、ほかならぬ人間の日々の営為のことなの だ。だからこそ、世界には想像もつかない事件が起こる。ほら、今もすぐそこで世界がカメレオンのように色を変えだした……」


スワヒリ語の探偵小説、というだけでエキゾチシズムの香りたっぷり。著者の訳文も魅力的。

ンゴロンゴロの自然保護区の巨大なクレーターは、東京二十三区よりほんの一回り小さいだけ。何度来 ても、その広大さに感慨を新たにする。今回は高さ600mの外輪山に雲がかかり、すっぽり包み込まれた景観から大江健三郎氏の「治療室」を連想した。

「ンゴロンゴロン」という名前はクイズ番組で聞いた覚えがある。3つの大きなクレーターがあるらしい。タンザニアは多くの自然公園があり、Morris.のアフリ カというイメージそのままの国らしい。

ダルエスからインド洋沿いを北へ75km行ったところに、バガモヨというかつて奴隷の積出し港とし て栄えた町がある。「バガ・モヨ」はスワヒリ語で「心を・残す」。身体は海を渡って売られても、心はアフリカ大陸に残す。そんなアフリカ人の悲痛な叫びが町名 になった。

「奴隷の積み出し港」アフリカの黒人は人間として扱われなかったのだ(>_<) 暗黒大陸とも呼ばれていた。

一本一本姿の違うたたずまいのあやしさと、幹の中が空洞で樹齢がつかめない謎から、バオバブは妖怪 のすみかと言い伝えられている。
"十人十色"は、当地では"どの妖怪にも好みのバオバブ"ということわざになる。


バオバブといえば「星の王子さま」を連想する。どう見ても現実のものと思えない形をしている。しかもそれぞれが個性的というのがすごい。

やがて日本人の友人も私の病気を聞きつけ、見舞いに来てくれた。日本語で病状を説明しようとしたと たん、涙があふれ出て止まらない。スワヒリ語だけでもう何年も暮らしてきたのだ。それなのに母国語というのはこれほど優しく、懐かしいものだったのか。
人間にとって母国語の持つ意味を、衰弱した体が教えてくれた。当地の人も英語化の波に負けず、スワヒリ語を誇りとし、大切に愛し育ててほしいものだ。


スワヒリ語にもちょっと興味を覚えた

現在ではタンザニアでも時計が時を告げるが、それでもスワヒリ時間が使われている。一日が生活時間 (昼間)と休息時間(夜間)に分けられ、朝の7時が一日の始まりで、スワヒリ時間の1時である。そして夜の7時が夜の始まりの1時である。
小学生が初めて時計の読み方を習うとき、時計の短針の反対の時間(3時なら9時)を言いなさい、と教わる。
なんだかややこしく、私もはじめはとまどったが、6時間ずらして言えばいいと頭に刻み込んだ。そして、それは時差を修正した日本時間と同じなのだ。


この時間体系も面白い。

西田正規著「定住革命」によれば、棒や石の破壊力を手に入れた人類は、これをやみくもに使わないよ う声をかけあった。それが言語の発声につながったのではないかという。あいさつは出会いの緊張を解くために必要とされた最初の言語なのだ。
この国では百二十余の民族が、長い独自の文化を失わずに平和に共存している。共存のために、あいさつ言葉が発達し、洗練を極めた。言語生活が豊かになったの は、当然のことである。現在でも"お前の人生はお前の口"ことば上手こそが身を助く、と幼いころから教え込む。


「定住革命」86年出版で中央図書館が所蔵しているらしいので機会があったら読んでみたい。

スワヒリ語人口は東アフリカ一帯で数千万人。方言もさまざま。その広がりは象にたとえられ、方言は 象の肩であり、足であり、尾であるといわれる。多少の違いより象であることの重要さ、つまりアフリカ人独自の言語による共通性、統一性を優先しようというわけ だ。標準スワヒリ語はザンジバル方言である。響きは美しく、言いまわしは絶妙で、象の体なら、自在に動く鼻といったところ
この島の印象は、まず猫が多いことである。


インド洋に浮かぶザンジバル島はタンザニアの一部ではあるが独自の文化を持っているらしい。猫が多いというだけで贔屓になってしまう。しかしこの島のスワヒリ語を 象の鼻に喩えるあたりは筆者の面目躍如だろう。
韓国一辺倒のMorris.ではあるが、南米やアフリカという未知の世界のことも覗いてみたくなってきた。


2016074
【暴走する自衛隊】纐纈厚 ★★★☆ 2016/02/10 ちくま新書
纐纈厚(こうけつあつし) 1951岐阜県生れ。政軍関係史・総力戦体制史・植民地官僚制研究など専攻。現代のアジア関係論や安全保障論などでも果敢に言論活動を続ける。『文民統制』『侵略戦争』 『集団的自衛権容認の深層』

安倍首相が「我が軍」と呼んではばからない(>_<)自衛隊。たしかに軍隊であることは否定できない。Morris.の世代は自衛隊アレルギーみたい なものがあって、ついつい目をそむけてきた傾向がある。

集団的自衛権は、自衛権発動の三要件のうち、「日本に対する急迫不正の侵害があること」を満たさな いから、政府見解において違憲とされてきた。安倍政権は「存立危機事態」なる曖昧な用語を編み出し、強引にハードルを飛び越えた。一政府の憲法解釈で容認に踏 み切ったことは、立憲主義および法治国家からの明らかな逸脱である。国家権力は憲法の枠内においてのみ行使されるもの、と考えるのは当然のことであろう。
近年においては集団的自衛権の解釈、海外派兵の禁止原則、武器輸出三原則、非核三原則など歴代の内閣が「政治了解」してきた憲法規範が、次々と反故にされてい く現状にある。法治国家としての形が崩れ、まるで人治国家の様相さえ見せ始めている。近代国家とは、憲法規範をふまえてこそ成立する契約社会である。憲法の勝 手な読み替えで自らが意図する方向に引っ張っていこうとするのは、民主主義国家としての体をなしていない、と批判されてもしかたないであろう。

正論である。しかるにその正論を踏みにじる安倍政権は驚くべき鈍感力と傲慢さを併せ持っているのだろう。

同法案の審議の折に盛んに持ちだされた「抑止力」強化の説明は本当だろうか。抑止力とは、実は判定 不可能な力である。抑止力の強化が、逆に危険を助長することは歴史が示してきた通りである。抑止力強化論が、軍拡の連鎖に繋がってきた歴史を私たちは知ってい る。その歴史の教訓を無視するかのような決議に暗澹たる思いを抱く。軍事による抑止力の強化では、本来の安全も平和も守れない。必要なことは緊張緩和のため に、「平和力」を創り出していく知恵と行動である。
アメリカに追随し、"仮想敵国"に対峙することが、本当の平和を創り出すことになるとは信じ難い。緊張が高まるほど、武力による平和維持の危うさが明らかとな る。緊張緩和のためには、徹底した軍備管理と軍備縮小の道筋を探し出すことである。

「抑止力」より「平和力」諸手を挙げて賛成!!

1950 6/25朝鮮戦争(~53/727休戦協定)勃発 7/7朝鮮派遣の国連軍創設 7/8マッカーサー、警察予備隊創設(7万5000人)と海上保安庁800人増員を指令
1951 9/8サンフランシスコ平和条約締結
1952 10/15警察予備隊を改編して保安隊が編成
1954 6/2防衛庁設置法と自衛隊法成立 7/1陸・海・空自衛隊発足

朝鮮戦争が自衛隊の母であり、アメリカが父である。

2013年現在の自衛隊員数は陸・海・空を合計して法律定員が24万7172人、現員が22万 5712人、予備自衛官役4万7900人。日本の防衛関係費は2014年歳出予算で4兆8848億円、恩給関係費を加えると5兆3291億円となり、世界の軍 事費で6位前後となる。
今や世界屈指の力を持つに至った自衛隊が、集団的自衛権行使を可能とさせる安保法制成立以後、一体どのような動きをすることになるか。日本の外交防衛政策の大 きな舵切りが行われるなか、過剰なまでの自衛隊への期待が膨らむ一方で、正面整備の面でもまた権限の面でも飛躍的な力を発揮する体制を整えつつある自衛隊を誰 が、どのような根拠に従って統制するのかが、これまで以上に重要な課題となっている。


現役自衛隊員22万人、年間予算5兆円。これだけでも覚えておこう。

本書は、安保法制成率以後、自衛隊自体と自衛隊を取り巻く環境の変化を視野に入れつつ、自衛隊統制 の現状を探り、文民統制(シビリアン・コントロール)が現実に機能しているのかを考えてみようとするものである。(序章 自衛隊の立ち位置)

文民統制という言葉もよく理解していなかった。文民とは軍人でないもの。日本には軍隊は無いことになっているので、軍人もいないということになる (>_<)

文民統制とは、民主主義国家にあって政治と軍事との関係を規定する場合、政治が軍事より優越し、軍 事は政治の下位に位置づけることを原則とする制度あるいは思想である。それゆえ文民が武官を統制する意味で文民統制(シビリアン・コントロール)と呼ばれる。 文民統制は、また文民優越(シビリアン・シュレマシー)とも表現される。
一方、文官統制とは、文民統制を具体的な制度のなかで実効性を発揮するために案出された、いわば日本型文民統制と称して良いものである。具体的には、総理大臣 の命令を受けて自衛隊を運用する防衛大臣を防衛官僚である文官(背広組)が補佐し、防衛大臣と自衛隊との間のクッション役を担い、自衛隊(制服組)の暴走を抑 制する役割を果たそうとする制度である。言い換えれば、日本の文民統制とは防衛官僚(文官)による自衛隊統制を示しており、それは日本の再軍備となった警察予 備隊創設当時から、保安隊を挟んで、自衛隊創設に至る現在まで続いてきたものである。(第2章 防衛省設置法の改正問題)


自衛隊の統制は極めて困難な課題であり、何よりも一体誰が自衛隊を統制してきたのかが、実は曖昧なままなのである。


シビリアン・コントロールを直ちに文民(=非軍人)による統制(=文民統制)とする邦訳からは、そ この含意された歴史経緯や本来的な意味を把握することは困難でもある。それでルイス・スミスのように「民主的な文民統制」か、それとほとんど同義語だが、より 徹底した民主主義による軍事統制という意味をこめて「民主統制」(democratic control)の用語がシビリアン・コントロールの訳語として、より相応しいのではないかと考える。文民統制の形骸化は同時に民主主義の形骸化ということになる。

民主主義の基本原理は、自由・自治・自立であり、動員・管理・統制を組織原理とする軍とは本来ならば相容れない関係にある。その相容れない関係を承知のうえ で、それでもあえて良好な関係を築くための方法として、シビリアン・コントロールは採用するしかない制度だと私は考えている。(第3章 文民統制の原点)


いよいよわからなくなってきた(^_^;) シビリアンコントロール=文民統制と訳したところに無理があったようだ。

戦後の再軍備と軌を一にして導入された日本の文民統制は、その本来の役割期待から大きく逸脱し、全 く装いを新たにしたものに改編されようとしている。要するに、文民統制とはとても呼べない中身にされようとしているのである。それを制服組幹部や、これを支持 する政治家たちが「見直し」や「改革」と言うのである。

これはよく分かる。

確認しておくべきは日本の文民統制が文官統制という実態を踏むことによって、言うならば「軍隊からの安全」を確保したい、とする姿勢が防衛官僚に留まらず、広 く国民意識や世論のなかで熟成されてきたことも確かである。それが腫れ物に触れるような感覚で、軍事がある種のトラウマとなり、その歴史体験が文民統制あるい は文官統制と称しようが、必要不可欠な制度だとされてきたと見てよい。


Morris.世代の自衛隊アレルギーも、つまりは、こういった流れに棹さすことになってたのかも(^_^;)

戦後日本の政治家が特に池田勇人内閣以降における経済成長第一主義のなかで、防衛問題について意図 的に無関心を装い、真剣に向き合わず、それを文官である防衛官僚に一任して来たことも指摘して置かなければならない。
政治家は防衛問題あるいは軍事問題について深い知識を獲得しようとしなかったし、むしろ忌避することに懸命でもあった。それは国民意識および世論においても同 様であった。かつての戦争体験から軍事への拒否感が先行するあまり、防衛問題や軍事問題への関わりを持とうとしなかったことも、逆に防衛官僚への依存体質を身 につける結果となった。
また、平和憲法を堅持することで平和が加担される、とする期待感が防衛問題への接近にブレーキをかけたきたのではないかと思われる。


わしらの世代だけの思いではなかったらしい(>_<)

文民統制の問題を背広組と制服組との対抗関係の延長線上に捉えるのは、木を見て森を見ない議論とい える。肝心なことは、成熟した民主主義社会における軍隊の役割をどのように位置づけるのか、という根本的な命題にどう応えていくのか、である。(第4章 戦後日本の文民統制)

日本では最初から軍事に関わる一切を全く想定していないこともあって、国会に防衛問題を取り扱う常 任委員会が長らく設置されなかったことなど、肝心要の場において文民統制を制度的に支える体制は長らく未整備の状態が続いた。

実際のところ、文民政治家たちは防衛問題が選挙で票にならないとわかるや、防衛問題に関心を示さなくなり、防衛問題についての正確な情報分析や学習への努力 を簡単に放棄してしまう傾向にある。

日本の文民統制は、軍隊を統制する方法を明記しなかった現行憲法の穴を埋めるために案出された、言うならば苦肉の策であり、それ自体が実は矛盾に満ちた不完全 な制度である。


「苦肉の策」「矛盾に満ちた」「不完全な」制度(>_<)

自衛隊側の理屈では、そもそも現行憲法には軍隊の存在を全く想定しておらず、自衛隊に関わる条文が 一切不在である以上、そのような憲法に忠誠を誓うことはナンセンス(無意味)だとしたのである。

田母神氏が主張する歪んだ歴史館は、自衛隊高級幹部の間では、半ば公然化あるいは常態化していると思わざるを得ない。制服組幹部の歴史教育課程において、相変 わらず侵略戦争を否定し、<大東亜戦争肯定論>が展開されていることは、由々しき問題である。


だんだん背筋が冷えてくる。

警察予備隊創設は、吉田茂首相の周りに集まった元海軍大将で元駐米大使の野村吉三郎や、元海軍少 将・海軍事務局長の保科善四郎らの旧海軍軍人によって秘密裏に組織された海上警備隊創設準備委員会、通称「Y委員会」の手によって進められた。彼らが再軍備 を、旧軍の再建の一環と位置づけたことは言うまでもない。その再生に吉田茂は、事実上手を貸したのである。

餅屋は餅屋、とはいうものの……

安倍政権が強行した集団的自衛権行使や国家安全保障会議設置など、自衛隊の部隊や制服組の出番が一 層増大する現実にあるとき、自衛隊の暴走を組む制度が充分に機能しないのは、文字通り民主主義の危機である。(第6章 背広組と制服組の攻防)

危機怪怪(>_<)

国家の安全確保には多様な手段や知恵が編み出されるべきだが、最初から軍事に依存する着想が露骨で あることである。軍が安全確保にどれだけ貢献したのかを歴史の中に教訓として見出そうとするとき、むしろ軍が私たちの自由と安全にとって、大きな脅威であった ことを確認しておくべきである。このような軍事再優先の着想自体、安全と自由を論ずるうえで、私たちを思考停止状態に追い込むものである。
我が国では憲法九条の縛りから、軍事力保有の是非論や政治体制の軍事化や右傾化については盛んに議論する一方で、自衛隊の統制や管理、あるいは防衛政策や自衛 隊運用の方向性といった点については、議論らしい議論を積み上げて来なかったように思われる。
結局、自衛隊が民主主義社会と共存するためには、市民社会がその存在を容認し、自衛隊側も同時に民主主義のルールに従うべき合理的な根拠を充分に理解すべきで ある。自衛隊だけに限定されることではないが、どれほどの高度な組織と人材とを有した専門職能集団とはいえ、民主主義社会の原理や規範に抵触することは許され ないのであり、自衛隊も民主主義社会の規範に則った組織として自己革新することが求められているのである。


ほとんど無理を承知の絵に描いた餅を示されたような気になった。

文民統制とは、単に政治が軍事を統制するという単純なことではない。実は現代の政治そのものが内包 する軍事の問題、言い換えれば政治が軍事力を用いて、政治目的を達成しようとする危険性をどう防ぐのか、という問題と向き合うことなのである。つまり、文民統 制とは政治機構内における軍事権力の配分をめぐる問題である。
民主主義を基本原理とする政治機構のあらゆる部門において、自衛隊を統制する役割自体が設定されているはずである。しかし、それが自衛隊の存在の曖昧さも手 伝って充分に明文化されていないこと、そして圧倒的な与党議会となっている現状ゆえに国会による民主的統制は形骸化されていく一方である。


これまた何度読んでも理解に至らない。「政治機構内における軍事権力の配分」??

軍事主義の相対化と広義の安全保障体制、あえて言えば軍事的手段によらない安全保障体制と安全意識 の確立を目指すという視座をどこまで市民意識として共有できるかが問われているのである。

こういう言い方なら理解できるような気もするが、これも別の意味で難しい結論である。

第二の視点として、国民の間に根強い軍事アレルギーも手伝って、国防問題を正面から論じる政治文化 が育たなかったことである。つまり、特に戦前期における国防思想の徹底追求と国民動員システムのため、戦後になっても軍事=国防のイメージを払拭できずにい る。言い換えれば、軍事を語ることが同時に国防思想に収斂されてしまうのではないかという恐れから解放されていないということである。それがために、戦後日本 人は平和を口にしても軍事については、あえて口をつぐんできたのである。(第7章 防衛議論の進め方)

これは実によく分かる。軍事=国防という思い込みの強さを乗り越えないかぎり、平和力は発揮できない。

2015年3月20日、参議委員予算委員会の場で安倍首相は日米共同作戦に関する質問に答えるなか で、本来ならば「自衛隊は……」と言うべきところを、思わず「わが軍は……」と発言して問題化した。
自衛隊を"軍"と表現することは、直ちに憲法九条第二項の「戦力不保持」の条項に抵触するからである。


自民党の憲法草案では、はっきり「国防軍」と明記してあるらしいし……

私は自衛隊という武装組織が民主主義社会のなかで、文字通り、民主主義の規範や原則に則ることが最 重要であると考えている。
文民統制について語ることは、自衛隊という武力組織を抱え込んでしまった私たちの安全と自由を、どのように確保していくのか、という重大な問題について考える ことになるのである。


自衛隊関連年表から一部抜粋。

1957 8/6日米安全保障委員会発足
1960 1/19新安保条約署名
1962 11/1防衛施設庁発足
1970 10/20第一回防衛白書「日本の防衛」発表 6/23日米安保条約自動継続
1994 春「K半島事態対処計画」作成
1999 6/30周辺事態法施行
2001 10/29テロ対策特措法制定
2003 条法保全本部(保全隊)設立
2004 6/18国民保護法公布
2006 3月総合幕僚監部設置
2009 6/3防衛参事官の廃止、防衛大臣補佐官を新設
2015 5/14安倍晋三内閣、集団的自衛権の行使容認を含む「平和安全法制」(安保関連法案)閣議決定 7/15「安保関連法案」衆議院強行採決 9/19「安保関連法案」参議院強行採決

新書だし哲学書でも科学関連でもないのに、これだけ理解できないとは思わなかった(^_^;)
本書でも指摘されてる通り、軍事、自衛隊をきちんと知ろうとしなかったことのツケの支払いは大きすぎるものになるかもしれない。今後はきちんと向き合わねば。
それにしても、本書の著者の名前は、Morris.には「高血圧死」と聞こえるぞ(>_<)


2016073
【図説 アール・デコ建築】吉田鋼市 ★★★☆ 2010/10/30 河出書房新社 ふくろうの本
「グローバル・モダンの力と誇り」という副題。
吉田鋼市 1947年姫路市生れ。京大大学院建築学専攻、工学博士。「日本のアール・デコ建築入門」「アール・デコ建築」

前からアール・デコ建築には惹かれるものがあると思ってたが、この古田鋼市という人の本がかたまってあったので、一挙に読むことにした。

アール・デコは、1910年第から30年代にかけてさかんに用いられた造形のスタイルである。
アール・デコには、モダニズムの無装飾とは違って、なにがしかの装飾的付加がある。簡単にいってしまえば、モダニズムとクラシックの中間的なものだともいえ る。


簡単に整理しすぎて、かえってわかりにくくなりそうだ(^_^;) 1910年から20年ほどの間に流行した建築装飾スタイルの総称ということになるのだろうか。
まずは主な装飾の種類と名称を。

刳形(モールディング)-- 繰形ともかく。面から突出してつくった帯状の装飾。アール・デコの刳形は矩形か四半円形のどちらかで単純明快
持ち送り(プラケット)--壁などの垂直面から水平に突き出して、上に ある庇や出窓などを支える部材。腕木ともいう。アール・デコは単純に板状に突き出すことが多い
柱型(ピラスター)--壁面につくられた柱状のもので、なにかを支える という柱としての構造的な働きはなく、壁面を分節するための飾り。付け柱ともいう
溝彫り(フルーティング)--柱や柱形につけられた縦溝。一つ一つの溝 をフルートといい、その溝を付けることをフルーティングというう。アール・デコでは日本の胡麻柄刳りに似た凸面になるものも多い。
蛇腹(コーニス)--壁面の最上部や、上下の階を分ける部分などにつけ る水平の溝。その断面は通常は複雑な刳形をもつので、蛇腹と呼ばれる。最上部につけられるのが軒蛇腹、中韓につけられるのが胴蛇腹であるが、英語ではどちらも コーニス。機能的には庇であるが、視覚的には壁を分節する働きも持つ
歯型装飾(デンティル)--コーニスの下などにつけられる直方体の突出 物が連続する装飾。歯の形に似ているので、この名がついた。もともとは木造の垂木鼻を表現したものであろう
スパンドレル--上下の窓などの開口部にある壁の部分。窓間壁。アー ル・デコではしばしばレリーフがつけられる
グッタエ--もともとは、ドリス式の建物に使われた円錐台形の突起飾 り。木栓もしくは釘をかたどったものとされる。露玉とも訳され、円錐台や涙状の垂れ飾りとして使われる
テラコッタ--外壁に使われる陶器製品。「焼いた土」というイタリア語 に由来。タイルのような造形の単なる被覆材であるだけではなく、複雑な造形作品であることが多い
スクラッチタイル--表面に、ひっかいた(スクラッチ)ような浅い並行 の溝があるタイル。溝は粘土を整形後、櫛引きしてつくる。褐色の素焼きであることが多い。震災後の日本の建物にさかんに使われた
青海波(スケール・オーナメント/インプリケーション)--海の波のう ねりをかたどった日本の文様。扇型を重ねた形になる。アール・デコでは、これがさかんに使われる。その際、波の円弧が直線の八角形になることもある


うーん、やっぱりこれは、写真なりイラストなりが無いと理解し難い(>_<)

アール・ヌーヴォーの造形は曲線的・有機的・非幾何学的・非対称・平面的であり、アール・デコの造 形は直線的・無機的・幾何学的・対照的・立体的ということになる。

アール・ヌーヴォーよりアール・デコの方が建築には向いてる、と言えるかもしれないな。


2016072
【日本のアール・デコ建築入門】吉田鋼市 ★★★☆ 2014/03/10 王国社

本書と次の本は姉妹編みたいなものである。

日本のアール・デコ建築を推進した要素として、様式建築からの脱皮、フランスからの流入、ライトの 影響、和風要素の付加の4つの点をあげたいと思う。したがって、帝冠様式とも呼ばれている和風を加味した建物も、アール・デコとしてとらえている。味わい深い かキッチュかはさておいて、それらはアール・デコの日本的方言、つまりはジャパン・デコなのである。(はじめに)

あの「帝冠様式」までアール・デコと言われると、流石に違和感を覚える。前の本と一部重なるものもあるが、装飾の種類と用語の追加。

アーキトレーヴ--エンタブレチュアのいちばん下の水平部材で、梁に相 当する。台輪と訳することも。
アンテフィクサ--屋根の軒先につけられた装飾部材。丸瓦の鼻を隠すた めの部材で、その図柄にはパルメット模様が用いられることが多い。
エッチングガラス--表面を薬品で腐食させて模様をつくったガラス。耐 酸性の被膜で覆われた部分以外を強酸で腐食させてつくる。
エンタブレチュア--柱の上に載る水平の架構材の総称。下から上へアー キトレーヴ、フリーズ、コーニスの3部分に分けられる。エンタプラチュアとも。
キャンティレバー--片持ち梁。一端のみで支えられ、他端が自由な梁。 カンティレバーとも。
グッタエ--露玉と訳される。円錐台形の突出物で、釘の頭を表現したも のと考えられている。通常はトリグリル--開口部を覆う格子状のもの。通常は金属製であるが、木製のこともある
コーニス--壁面の最上部、もしくは各階を区切る水平帯。その位置に よって軒蛇腹とか胴蛇腹と訳される。本来は古典建築のエンタブレチュアの一部を指すことばであるが、それに限らず幅広く用いられる。
スクラッチタイル--表面に浅い平行線のあるタイル。スクラッチは 「引っ掻く」という意味で、櫛引きしたものが多いが、型枠によって溝をつくったものもある。英語ではscratched tile。
スパンドレル--上下にある窓などの開口部分の間の壁の部分をいう。も ともとはアーチの開口部分と水平材の間の三角部分を指していた。
テラコッタ--粘土で造形した素焼きの外装材。タイルのような平たい板 ではなく、より複雑かつ装飾的な形をした陶器材として用いられる。もとはイタリア語で「焼いた土」の意味。テラカッタとも。
トリグリフ--ドリス式のフリーズにある縦長溝のある部分。桁もしくは 小梁の鼻の部分の名残りともされる。名前の意味は三条の溝ということで、トリグリュフォスとも、トライグリフとも。
パラペット--棕櫚(シュロ)の葉に似た扇型に開いた形の文様。ほとん どすべての植物文様の原型ともされる。
メアンダー--直線が直角に折れ曲がりながらも連続してつくられる装 飾。雷文ともグリーク・フレットとも。卍崩しもラーメン鉢の模様もこの一種。



2016071
【日本のアール・デコの建築家】吉田鋼市 ★★★ 2016/01/30 王国社

「渡辺仁から村野藤吾まで」と副題にある。取り上げられている建築家は副題の二人に加えて、宗兵蔵/鈴木禎次/武田五一/木下益治郎/国枝博/ウィリアム・メレ ル・ヴォーリズ/中村順平/遠藤新/本間乙彦/高橋貞太郎/清水栄二の計13人である。ヴォリーズ以外はあまり知らない(^_^;)
第一「アール・デコ建築」というのが、いまいちイメージがはっきりしない。東京の庭園美術館(旧飛鳥宮邸)が有名だが、細部の意匠がアール・デコっぽいとは思うも のの全体像がつかめずにいる。
本書では神戸と関連深い清水栄二を集中的に読んだ。御影公会堂や生糸検査所(KIITO)でお馴染みである。

清水栄二(1895-1964)は1895(明治28)現在の神戸市灘区にある武庫郡六甲村の土木 建築業を営む家に生まれた。東大を卒業して、大阪の建築関係の会社に入り、後に神戸市の初代営繕課長となる。課長を務めるかたわら、自宅に「癸亥社」という設 計事務所を設ける。
神戸市時代の代表作としてあげられるのが、神戸市立生糸検査所(1927)。アール・デコではあるが、そのアール・デコ的な感じは、中央部分に限られている。
帝国信栄ビル(1923)はいまもそのまま同じ会社の建物として使われている。旧・駒ケ林町公会堂(1924)はシンプルでモダンな建物。壁の一部に、正方形 に縦横斜めの線が入ったユニオンフラッグ柄のレリーフが見られ、コーニスの下にジグザグの模様も見られる。旧・高島邸(1930)は玄関右の天井付きの照明器 具、内部の華麗な鉄細工につけられた照明器具、同様な木製の縁飾り、階段の親柱などアール・デコが横溢。もっとも、外観はパラボラアーチ型の階段室が目立つの で、やや表現主義風。
御影公会堂(1933)は角地にある印象的な外観をもつ彼の代表作であるが、それほどアール・デコ的な感覚に溢れているわけではない。柱形がコーニスを突き抜 けて終わる部分の造形や、各階の円窓、現左側の受付窓口などに成熟したアール・デコが見られる。旧・魚崎町役場(1937)もアール・デコ感覚は中央部分に集 中している。とりわけ頂部の造形は非常に濃密で、コーニスの唐草文様風のやや有機的にすぎる帯模様はぐるっとまわって背後にまで及んでいる。



2016070
【サランヘヨ】黛まどか ★★☆☆ 2003/04/04 実業之日本社
2001~2年読売新聞(夕刊)に連載された「韓国俳句寄稿」を改題、加筆したもの。
5回に分けて、釜山からソウルまで500kmを徒歩で北上するという試みにはちょっと興味をそそられた。

釜山~慶州(2001/08/21~29)
慶州~安東(2001/11/28~12/05)
安東~水安堡(2002/04/17~22)
水安堡~利川(2002/07/24~30)
利川~ソウル(2002/10/25~30)


Morris.の韓国の旅と時期が重なってないかチェックしたが、2001年は一度も出かけず、20002年には2度行ってるがが、どちらも本書とはずれていた。
合計36日間ということは、1日平均14kmくらいになる。Morris.も韓国に行けば一日平均10km以上は歩いてると思うから、その気になれば、Morris.も歩けるかもしれない。さすがに実行はしないだろうけど、韓国の田舎を目的なしに歩くのは、ときどきやってみたくなる。長距離コースなら、釜山-木浦というのが魅力的だ。海沿いに歩いて行けるというのが良さそう。直線距離で300km弱だから、道路(脇道)歩けば400km超えるだろう。次回の韓国行きでは、短いコースを考えてみよう。
ちょうど日韓ワールドカップ前後の時期で、韓流ブームの芽生えの時期に当たるようで、本書でもそのことに、度々言及されている。
おしまいにユンソナとの対談も収められていて、当時の雰囲気を思い出した。
さすがに当人は口に出さずにいるが、芭蕉の「奥の細道」のひそみに倣った行為だろう。57篇のコラム記事ごとにタイトル代わりの自作句が掲載されている。

雨の日は雨に開ける木槿かな
豊年の風にふくらむチマチョゴリ
パンソリの路地に漏れくる十三夜
マッコリに涼しく月の上がりけり
草引いて子はイルボンにゐると言ふ


初回から5作目までの引用だが、韓国風物を入れてそれに季語もあるから、ほとんど看板惹句みたいになってしまっている。

のうぜんの門(かど)に置かれし椅子二つ
ふらここに韓国晴れといふべかり

あまり印象に残る句は見当たらなかった。強いて選んだのがこの二句。先の句は実際、韓国の田舎や下町に行くと、家の前や、通りのあちこちにこうやって椅子がおいてあることを懐かしく思い出した。後の句はは、韓国のブランコ(クネ)の紐のとんでもない長さ、その結果、往復するのにえらく時間がかかり、その悠長さと青空の対比を面白く感じたというところか。
韓国を歩くというところは、評価したい。


2016069
【マスコミの大問題】池上彰・森達也 ★★★☆☆ 2015/09/25 現代書館
7月の参院選後、マスメディアの報道偏向というか、自主規制というか、萎縮というか、放棄の姿勢目に余るものがある。特に、今はオリンピックの最中ということもあって、テレビはほとんどスポーツ専門チャンネルの様相を呈している。
しかし、このマスコミの異常事態はもうかなり前から問題視されていた。
1年ほど前のこの二人の対談は、実に読み応えがあった。

池上彰 広島に落とされた原爆はウラン型(砲弾型)です。ウラン型は臨界量に達するウランを爆弾内で2つに分けて、少し離しておけば普通に保管できるという構造です。それを合体させた瞬間に臨界状態になり、核爆発が起こることがわかっていたから、広島型の原爆は実験しなくても、いきなり落としても爆発するとわかっていました。
長崎に落とされた原爆はプルトニウム型(爆縮型)で、プルトニウムはウランのように一定量を集めておくと、それだけで中性子がどんどん出て、徐々に臨界になっていくので、投下時に巨大な爆発が起きないんです。それを防ぐためにはどうするか。プルトニウムを大変細かく小分けにして、それを百万分の1秒程度の誤差内で、一瞬で一カ所に集めて巨大な爆発が起きるように設計されました。それには極めて高度な技術が必要なので、ニューメキシコで実験をやったんです。

今年の広島平和の集いで原爆被爆者が2つの原爆の違いと「実験」の意味が大きかったことを指摘していたが、こういった基本的な事実もほとんど教えられずにきた。やはりなにごとも事実を知ることから始めなくては。

森達也 池上さんはニュースをわかりやすく解説する仕事をしている。当然、おわかりになっていると思うけど、<わかりやすく伝える・解説する>ことは、一面でとても危険なことです。
池上 そうです。実は、ものすごく危険なことなんです。
複雑なことを、ただ「単純化する」というのは、絶対にだめです。わかりやすくしようとして、うっかりどこかで単純化したりすると本来のニュアンスと違ってしまうということを、私は常に恐れています。


この対談の雰囲気がよく表れている。ふたりとも実に真摯である。

池上 それこそ戦前の日本社会も、誰が命令したのでもないのに、みんなが「空気を読んで」いるうちに、社会が変な方向に動いていった。最近の日本でもまた、それが起きているのかなという感じがします。そこはものすごくいやぁな感じです。

「空気を読む」というのは「責任の回避」つまり無責任ってことだろうな。

放送法には実は逆の役割がある。三条や四条です。「何人からも干渉され、又は規律されることがない」と明記されています。少なくとも権力からの圧力に対しては、充分に盾になるはずです。
ところが放送法をちらつかせられて萎縮している。要するに大前提として、メディアがあまりにも情けないんです。
池上 そのことについて、安倍首相自身が言っていますね。私が何か言ったということで、それで萎縮するということがあるとすれば、それはマスコミの側が情けないと。国会でそう言われた。安倍さんの言うとおりです。これはメディアのほうこそ本当に情けなかった。この程度のことで萎縮するのは、メディアとしてやっぱり情けないことですよね。それを政府側の安倍さんに言われるとは、二重に情けなかったですよね。
ここまで言われたなら反駁すればいいのに、そういう気配は全然ないですよね。
池上 そもそも政治家は圧力をかけるのです。何処の党派だろうが、自分に都合のいいことを主張してきますが、マスコミはそれをはねのけなければいけない。あるいは、もっと上手に対応しないといけません。


本当になさけない(>_<) 情けなやの鐘がなる、である。

池上 歴史をきちっと学習していないというか、検証するということがまったくないわけです。現に今も国会議員に「あれは自衛戦争で、侵略戦争じゃなかった」と言う人がいるのだから。
特に20世紀以降、純粋な意味での侵略戦争など存在しません。すべての戦争は防衛戦争です。自衛の意識が導火線になって、結果的には抑止力だったはずの軍事力を使いながら他国を侵略します。防衛か侵略かなどの議論をいまだに続けていることこそが、救いようがないほどに浅い歴史観の現れです。


「自衛、防衛」という名の軍事行為も、そのまま戦争の始まりでしかない。

マスコミが(太平洋戦争を)煽った理由は、國民が喜ぶからです。マーケット(国民)の支持がなければ、メディアは煽りません。結果としては国民が煽られることを望んだのです。煽り煽られという相互関係が前提です。
池上 メディアが視聴者や読者を増やすのは戦争報道です。
日本だけじゃない。メディアと戦争はずっと蜜月です。


オリンピックだって擬似戦争と言えなくもない。

池上 今、メディアではさかんに「国益、国益」と言うでしょ。
メディアは国益を意識し始めたらおしまいなのです。事実を伝えることがメディアの役割です。「国益に反する」というのは、そのときの政府が何かやろうとしていることが、うまくいかなくなることです。政府は自分がやることに支障が出れば、「国益に反する」と言うに決まっている。メディアは「国益に反するから、その報道はやめろ」と言われたときに、従うのではなく、事実を伝えるということは、長い目で見れば、結果的に国益に資するということを肝に銘じなければいけません。嘘を言ったり、知り得たことを隠したりしてはいけないということです。それがジャーナリズムのあり方です。「国益に反する」という言葉を安易に使うことは危険なことだと、私は思います。


その通り。「国益」=権力の利益でしかない。

日本ではジャーナリズムよりも企業の論理が前面に出てきている……要するにジャーナリズムの原理よりも競争原理なのです。

ジャーナリズムは日本には根付いていない。

2014年末の衆院選挙のとき、各テレビ局に対して自民党は、出演者の発言回数や時間、テーマ選びや資料映像の使い方などにおいて、「公平中立、公正」を求めるシートを配布しました。中立なコメンテーターを選ぶなど不可能です。結果としては選挙の報道量が通常の3分の1にヘリました。この国のメディアは、本来なら起動するはずの反発があまりに弱い。
池上 メディアが政府の顔色を窺うようになってはお話になりません。


お話にならない(>_<)

オウムによって刺激された危機意識が国外にまで溢れだして仮想敵国を見つけ、失いかけた自信と反転した嫌悪や憎悪が湧き上がり、そうした流れの中で今、安倍首相は戦後レジームを変えようと提言した。その最大の要素は改憲です。
戦後レジームとはアメリカ占領下における従属のはずです。ところが安倍首相が標榜する改憲はアメリカの意向であり、安全保障関連法の変革の約束はアメリカ議会で大きく拍手されました。現政権の動きは明らかに戦後レジームの強化です。


森はオウムの信者のドキュメンタリ作品で知られているが、オウムをニュートラルの立場で論じる者は、犯罪者扱いされた(ひどいバッシング)ことを思い出す。
今、イスラム国がこれと同じような対象とされているのではなかろうか。

オウムによる地下鉄サリン事件以降、他者への不安と恐怖を強く刺激された日本社会は、急激な集団化を起こします。なぜなら一人が怖くなったからです。多くの人との結びつきをより強く実感したくなる。9・11以降のアメリカが示すように、この現象は世界共通です。不安と恐怖を刺激された副作用の一つが体感治安の悪化です。実際には治安状態はとてもよくなっているのに、見えない敵への不安におびえる。だから厳罰化も始まります。

「体感恐怖」が事実を見えなくしている。

メディアもネットもこんなに発達した。ところが見ないものは見ない。知らないことは知らない。市場原理で情報が淘汰されるからです。世界にはいろんな悲劇があるのに、メディアが進化することによって、不可視な領域が逆に増えている。森羅万象があたかもネット上にあって、検索すれば必ずヒットするような気分になってしまっているから、逆に不可視な領域に対して意識が薄くなっている。そういう危惧をを僕は今、すごく持っています。

森羅万象がネットの中にあるという錯覚。これぞまさしく"バーチャルリアリティ"の最たるものではないか。

特に政権との関係において、最近は整合性のない報道が多すぎます。沖縄の基地問題よりも川崎の中1殺害事件のほうがずっと大きく扱われている状況は、やはり正常ではない。例えば安倍首相の「わが軍」発言は少し前ならば、辞職を提議されてもおかしくない問題発言です。でもこの発言についてのニュースの扱いはとても小さい。
池上 まったくもってそのとおりです。自衛隊は軍隊じゃないということになっているんですから、驚くべき発言です。
このニュースをメディアがほとんど問題視しない理由は、「わが軍」発言に国民が問題意識を持っていないということです。だから、改めて思う。メディアが劣化しているとすれば、それはこの国の国民が劣化しているということです。


価値感の作為的偽装。それに安々と騙されるのはやはりわしらが劣化しているということか(^_^;)

*反知性主義 『アメリカの反知性主義』(R・ホーフスタッッター著)で著者は、反知性主義を「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑」と定義づけている。反知性主義とは無知や非知性を意味するものでも、学歴についての反発でもなく、自分が共感せず興味を持たないことは知る意味を認めないという態度であり、自分と異なる知性や価値観・生き方に対する攻撃的な態度などを意味する

本書下段の注釈(最近の流行り+スペース稼ぎ)に人名や用語の解説がある。その中でこの「反知性主義」の説明には虚を突かれた。用語を理解せずに使うと、どこまで行ってもわけがわからなくなる。

池上 私が変に影響力を持って、特定のテーマについて「これはこうだよね」と言ったら、みんなが、「うん、そのとおりだよね」と動くのは健全なことではないなと思っています。よく私に、「これはどう考えたらいいんでしょうか?」と社会問題などへの意見を訊いてくる人がいます。でも私は「人に頼っちゃいけません。あなたが自分で考えてください」と答えています。私は、みんなが自分の頭で考えるための材料は提供するけれど、こうすべきだといったことは言うべきではないと自分では思っています。

池上の偉い(ずるい?)ところは、こういった物言いにあるのかもしれない。正論過ぎるくらいの正論ではあるんだけどね。自分の意見はそれとしてきちんと表明しておくこともだいじなのではないか。

最近の政治情勢を見ると、第二次安倍政権の成立以降、メディアの側に忖度のムードが広がって要るように思えます。政権は決して剥き出しの弾圧などはしません。それほど乱暴ではありません。もっと洗練されています。メディアの側が自分から"お利口さん"になってしまって、権力者の意向を忖度。自主規制が広がっていく。これこそが問題なのです。ここにも「空気」を読む人たちがいます。(あとがき 池上彰)

アベノミクスは上手く行ってないようだが、安倍のメディアミックスはとんでもない成功を収めつつあるのでは(>_<)


2016068
【無地のネクタイ】 丸谷才一 ★★★ 2013/02/15 岩波書店
没後の落ち穂拾い的エッセイ集。これは岩波の広報誌に連載されたものらしい。

たとへばロンドン、パリ、ボンの電線地中化は100%、ベルリンは99.2%、東京二十三区は3.1%、世田谷区は0.23%などと示されると、話がはつきりする。さんざん海外に旅行しながらこの対比に気づかず、気づいても気がつかないふりをしつづけた日本人全体の態度を改めて反省したくなる。

電信柱が日本の風景(特に町並み)を駄目にしているというのは、Morris.もずっと前から不満だった。この文は、新しく開発された六本木ヒルズ付近では電柱がないというところから始まっている。まあ半世紀くらいは電柱生き残りそうだ。

もともとあのスベカラクはむづかしい生れ育ちです。サ変の動詞スに推量の助動詞ベシの補助活用ベカリがついてスベカリができ、そしてこのスベカリのク語法がスベカラクだなんて文法学者は言ふ(ク語法で現代語に残つてゐるのは、「言はく」「恐らく」「老いらく」など)。この言葉は漢文で「須」を訓読するために強引にこしらへたもので、スベカラク……スベシとか、スベカラク……セヨとかの形になる。

これも、多くの識者が指摘するところ。スベカラクとスベテの混同みたいなものだろう。ともかくも、これを「全て」の意味で使うと、お叱りを受けることになっている。その点、Morris.が糾弾してやまない「手をこまねく」は、今や正しい用法である「手をこまぬく」を圧倒する勢いである(>_<)


2016067
【普天間・辺野古 歪められた20年】宮城大蔵 渡辺豪 ★★★☆☆ 2016/04/20 集英社新書
宮城大蔵 1968生れ。上智大教授(国際政治史・日本外交)
渡辺豪 1968生れ。毎日新聞、沖縄タイムズ記者

辺野古新基地建設問題を20年前から現在まで、詳細に解説した一冊である。日本政府の沖縄政策の身勝手さと、県民の悲劇がこれでもかというくらいよく分かる。とともに、いかに本土の人間が、沖縄への構造的差別に加担してきたかを思い知らされる。

普天間基地移設と辺野古新基地建設を巡り、政府と沖縄県の対立が深刻化している。そもそも長年の過重な基地負担を軽減し、沖縄と"本土"の紐帯を取り戻すための「返還合意」が、なぜ民意を踏みにじる辺野古新基地建設の強行に転じてしまったのか。
「普天間返還」を引き出した橋本首相の「トップダウン」はほんとうか? 突如浮上した「海上基地」の謎。「最低でも県外」を葬った「65海里」の出所は? 不可解さに覆われた「普天間・辺野古20年」の実装に迫る。(袖書き)


沖縄に関しては「そもそも」論から始めるべきだ。

本書の「歪められた」というタイトルにはさまざまな意味が込められている。一義的には、普天間返還合意当初、「代替施設」として想定されていた「ヘリポート」が、海上施設案を経て、普天間基地にはない港湾設備も付帯する長さ1800mの滑走路二本からなる巨大な「現行案」へと変貌を遂げた(歪められた)のはいかなる理由によるのか、という問題提起である。
この謎解きは、1995年9月の沖縄の米海兵隊員らによる少女暴行事件に端を発する沖縄県民の憤りに接し、「沖縄の負担軽減」の目玉として日米合意したはずの普天間返還が、辺野古の海を埋め立てる「移設」問題へとすり替えられ、沖縄の民意を切り捨てでも何が何でも「新規地建設」を強行する、という明らかに倒錯した現政権のスタンスはいかにして醸成されたのか、という現在進行中の政治問題に直結する。
普天間・辺野古問題をめぐっては、露骨な利益誘導で民意の分断を図る政治手法や、米海兵隊の「抑止力」をめぐる虚構が流布されることによって本質が歪められた結果、沖縄と日本本土の関係そのものが歪められた、といってもいい状況が生じている。このことは、沖縄県と政府という行政機関の軋轢にとどまらない、日本社会の分裂の危機に連なる要素をはらんでいる、との強い懸念が本書の底意にはある。(はじめに 渡辺)


本書発刊後に、元海兵隊員による、女性強姦殺人事件が起こり、参院選直後の辺野古工事再開反対運動、東村高江地区のヘリパッド建設阻止座り込みなどに対する、過剰なほどの本土からの機動隊による排除が、現在進行形である。

今日、在日米軍専用地の74%が沖縄に集中していることが知られるが、1952年時点では9割近く本土に存在していた。それが1960年には本土の基地の割合は50%にまで低下する。海兵隊を沖縄に移駐した理由についてアメリカの海兵隊史専門家は、土地の賃貸料など沖縄の「コスト」が安く抑えられていたことと並んで、米陸上兵力が日本国民から「占領軍」と見られないように「日本の一般市民から部隊を"隔離"すること。そのためには日本本土より沖縄の方がやりやすいのは明らかでした」と語る。結果としてそれは功を奏したというべきであろう日本本土の多くの国民にとって、米軍基地問題は身近なものではなくなっていった。
本土とは異なり、日本国憲法の効力が及ばず米軍が実験を握る沖縄での基地拡張は、「銃剣とブルドーザー」と言われた力ずくの強制接収を厭わないものであった。


返還以前の沖縄は、日本国憲法の効力が及ばなかった。それを日米政府は最大限に利用したということだ。そして、返還から45年近く経つというのに、やってることは変わらない。

北米局審議官であった田中均は、1996年3月上旬、キャンベルなどアメリカ関係者とヘリコプターに同乗して上空から普天間を視察し、市街地に囲まれた普天間基地の危険性を目の当たりにしたことを「一番決定的だった出来事」に挙げる。一方でこのとき同乗したアメリカ側関係者は、日本側当局担当者が自分たちと同じように普天間の状況に驚き、同じ国内でありながら沖縄になじみのないことに驚いた。田中はキャンベルに対して、沖縄には外務省の研修旅行で「25年前に一度、訪れたことがあるだけだ」と「告白」したという。
少女暴行事件以前の沖縄基地問題の位置づけを象徴するような日米関係者による普天間視察の一場面であった。


ここにも沖縄をアンタッチャブル(不可触賤民)化しようとする視線が垣間見える。

ガイドライン見直しは小渕政権下でガイドライン関連法として成立する一方、普天間返還については「代替施設」が当初のヘリポートから海上施設、そして埋め立てへと膨張・変容し、暗礁に乗り上げる。アメリカ側から見れば普天間返還は実施しないまま、「条件」であった日本側における有事対応の体制強化は着実に進んだ。「普天間返還」というカードを切ることによって、日本側から引き出せるものは最大限得たという図式とも見える。(第1章 橋本龍太郎の「賭け」と「代償」)

したたかなアメリカの外交力というべきか、日本の外交能力の無さというべきか。結局皺寄せは沖縄に一極集中する、というわけか。

2004年8月13日の午後2時過ぎ、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプタ-墜落。乗務員3人が負傷する一方、夏休み期間中で学生や職員、周辺住民に負傷者は出なかった。
この墜落事故は、本土ではさほど重大事故とは受け止められなかった。
このヘリ事故は、世界的な米軍再編の動きとも絡んで、結果的に稲嶺が掲げていた条件(15年期限、軍民共用空港)を政府が一方的に破棄して辺野古に恒久的な基地を建設する契機として利用されることになった。


「禍いを転じて私腹を肥やす」ヽ(`Д´)ノ

守屋防衛事務次官が小泉官邸の厚い信頼を背景に、普天間問題をめぐる対米交渉や沖縄基地政策の主導権を掌握する状況が生まれていた。
小泉政府から見れば、難航の末にこぎ着けた「沿岸案」の日米合意を今さら動かすことはできず、また、名護市を含む北部地域に10年間で総額100億円という振興策が投入される一方、辺野古への移設は停滞するばかりという状況に地元への不信感を募らせていた。それが従来のような「沖縄の声を聞く」という柔軟路線と決別し、「力で抑えなければだめだ」という判断につながった面もあろう。
その典型が、この局面において「沖縄の戦後を終わらせる」と口癖のように唱えた守屋防衛事務次官っであった。守屋がその後、防衛装備に関わる収賄罪で実刑を受けた後に記した回顧録は、いささか陰謀論めいた沖縄への不信感で彩られているが、その叙述は意に沿わない名護市や地元業者を排除するためには地元の地区レベルへも浸透を図り、「邪魔者は徹底的に排除する」とされた守屋の「世界観」が反映されたものだといえよう。(第2章小泉純一郎政権下の「普天間」)


まさに悪代官の現代版。

普天間代替施設の「県外移設」は実のところ、鳩山にとって年来の持論であった。
鳩山は最終的に徳之島(鹿児島県)への移設に期待をかけるが、「陸上とヘリ部隊の一体的訓練の必要性から(米軍内部の基準で)沖縄から65マイル以上離れていては候補地にならないと言われたことが決定的でした」
しかし後日、米軍内部にそのような「基準」は存在しないことが明らかになっている。
鳩山によれば、アメリカ側に問い合わせた結果だとして外務省からこの「基準」の存在を知らされ、徳之島を断念したのだという。
「アメリカの直接的な圧力がどこまであったかということよりも、普天間の話に関してはアメリカの意向を忖度した日本の官僚がうごめいて、アメリカの意向に沿うように政治を仕向けていいったように思えてならないのです」
何より決定的だったのは、鳩山政権中枢がこの問題にまったくといっていいほど統一感を欠いたことであった。首相が「県外」を連呼する足元で、「嘉手納統合案」から「現行案」回帰へと突進した岡田外相。5月の大型連休は普天間問題で八方ふさがりに陥った鳩山政権の正念場であったが、11人の閣僚が海外出張に出かけた。
結果として、「最低でも県外」に限らず、鳩山が掲げたさまざまな「理想論」そのものが「馬鹿げたこと」だと見なされるような風潮を蔓延させることになったのが、鳩山そして鳩山政権が残した最大の「負の遺産」となった観がある。しかし鳩山政権への評価とない交ぜになって、「最低でも県外」を「馬鹿げたことだ」と一蹴する風潮は、あくまで日本本土の話であったことに留意しなくてはならない。戦略や政治力の欠如によって混乱を招いたことは別として、鳩山がこだわった「最低でも県外」、すなわち普天間の「代替移設」がなぜ沖縄での「新基地建設」という形にしかならないのか、という疑問は沖縄では至極当然のこととして受け止められた。それを一蹴する本土との「温度差」は、やがて沖縄に対する「差別」だと論じられるようになった。


鳩山の「少なくとも県外」。今さらではあるが、これを「初志貫徹」してもらいたかった。

沖縄振興計画が2011年末で期限切れとなるため、期限切れ後の新しい振興計画について沖縄県はそれまでの内閣主導に代わって県主体で策定することを求めており、国との予算折衝が大詰めを迎えていた。政府は当初見込み2600億円を土壇場で前年度比636億円増の2937億円まで増額し、そのうち沖縄県が強く望んだ、従来のひも付きではない一括交付金は5倍増という「大盤振る舞い」であった。政権側には、仲井真が辺野古移設で態度を軟化させることへの期待があったのは明らかであった。(第3章 鳩山由紀夫政権と「最低でも県外)

政府にとって仲井真知事というのは、扱いやすい「駒」だったということだろう。

鳩山首相が本土に移設先を探した際、名前が挙がっただけで各地で例外なく強い反対運動がわき起こったことは、沖縄にとっては、「米軍基地は沖縄においておけばいい」という本土の「本音」がまざまざと可視化されたものであった。また「最低でも県外」への逆風は、アメリカ側との対話や交渉を試みることもなしに「日米同盟に傷がつく」という論理で沖縄の犠牲を一顧だにしない本土メディア、そして世論の姿が露骨なまでに示されたという意味でも衝撃的であった。
自民党の安倍晋三総裁は普天間について、衆院選挙期間中は具体的言及を封印していたが12月26日に第二次安倍政権が発足する直前の段階で辺野古移設を明言した。その際、安倍は「民主党の迷走で、沖縄の皆さんの気持ちが裏切られた」と強調したが、県民の怒りの本旨は鳩山政権の迷走ぶりにあるのではなく、辺野古回帰の過程で「沖縄差別」というべき状況が可視化されたことに由来していたというべきであろう。


自民も民主も同じ穴の狢だった(>_<) アメリカ臣下的日本官僚の既得権護持の活動も臭う。

選挙公約では「県外移設」を掲げることを黙認しておきながら、当選すれば公約を撤回させるという自民党の手法は、有権者の民意を切り捨てる行為だと言われてもやむを得ない。また、離党覚悟で「県外移設」の公約を貫こうとする議員も皆無であった。

政治家の二枚舌、三枚舌は今に始まったことではない。とはいうものの、あまりにも…… あまりといえば、甘利元経産相の秘書二人が、再び不起訴処分になったというニュースが流れている(>_<) あれだけの証拠があってもこの体たらく。狼の論理だね。

仲井真の埋め立て承認によって、沖縄県が行政の権限を駆使して辺野古移設に歯止めをかける最大のカードは失われた。一方、県議会の辞職要求決議文でも指摘されたように、仲井真が埋め立て承認に際して県民感情を裏切る形になっったことが、やがて「あらゆる手段を使っても辺野古に新しい基地はつくらせない」とする翁長知事を誕生させることになる。
翁長の知事選当選を受けた政府方針について、菅官房長官は翌17日、「辺野古移設が唯一の解決策と一貫している。粛々と進めていきたい」と一顧だにしない姿勢を示した。(第4章 「粛々と実行を」--安倍晋三政権)


菅官房長官の「粛々と」発言は、上から目線の典型だったな。

長年にわたる沖縄の過重な基地の負担を軽減するために、最も危険な普天間基地を返還する。その「決断」がなぜ、辺野古への新基地建設強行へと転じてしまったのか。「そもそも県内に新たな基地をつくろうとしたのが間違いだった。(ジェラルド・カーティス発言 2015年12月)」という発言は、この「歪められた20年」の歪みの本質を突いている。
本来の「返還」を外れて「新基地建設」に膨張した主要因は、我が物顔で過ごせる居心地のよい沖縄に、日本側の負担で新しく高機能な「新基地」を欲した米海兵隊や、海兵隊との同居を嫌う米空軍の組織利益にあると見るのが妥当であろう。それに異議を唱えることなく「国策」として遂行しようとする日本政府に対し、「もらえるものはもらいますよ」とばかりに便乗したのが、利権を求める一部の業界関係者であったという図式である。
第二次安倍政権の方針は、沖縄にいかに強い抵抗と異議申し立てがあったとしても、それを無視し、あらゆる手段を動員してでも返還合意当初とはおよそ異なるこの「新基地建設」を強行するものとなっている。基地にまつわる沖縄の長年の苦しみを何とか軽減しようとした、20年前の「原点」とは、まったく逆を向いているかのようである。


この「そもそも」論こそ、反対運動の拠って立つところにすべきではなかろうか。

鳩山は外務・防衛官僚のサボタージュや、それを後押しした一部メディアによって「最低でも県外」が阻まれたと回顧するが、岡田外相はじめ政権幹部が結束を欠いたこと、問題解決の期限を首相自らが設定して進退きわまったことなど、「政治による統制」を可能にするだけの足腰や手法を持ち合わせていなかったことに最大の問題があった。本格的な対米交渉の前に自滅したというのが実相であろう。


この批判は当たっているというしかない(^_^;)

この20年間を振り返ってみれば、「辺野古新基地」なしの普天間問題解決が、むしろ日米安保体制を中長期的に安定させるという翁長知事が示唆するような観点は、日本政府首脳にはきわめて希薄であった。

そういいう意味でも、翁長支持を表明する本土の民が増えることは無意味ではないだろう。

後世、「なぜあのような愚策を」と指弾されることが避けがたい辺野古での「現行案」に対するあまりに近視眼的な執着から離れ、「辺野古新基地なき普天間問題の解決」を実現できるか否か。それは日本が21世紀中葉に向けて、前途を切り開くに足るだけの「政治」を持つことができるか否か、その「試金石」なのである。(終章 「歪められた20年」)

後世はともかく、今、何をするべきかぢゃ。

県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦や27年に及ぶ米軍統治を経て「復帰」した沖縄と本土との紐帯は、多くの努力と営為の積み重ねによって築かれ、培われてきたものであった。その紐帯が今日、計画の必然性すら疑わしい米海兵隊の一基地建設のために、大きくねじれようとしている。(おわりに 宮城大蔵)

この正当な意見がなぜ本土では、まともに取り上げられないのか。

しかし、こうやって沖縄問題関連書を読むほどに自己嫌悪に陥ることになる(>_<)

巻末に付された20年の年表のうち、2013年末以降の部分を引用しておく。

2013年
12月27日 仲井真知事が埋め立て申請を承認
2014年
1月19日 名護市長選で辺野古移設反対の稲嶺進氏が再選。移設推進の自民党推薦候補を破る
8月18日 沖縄防衛局が辺野古の海底ボーリング調査を開始。本格的な海上作業は埋め立て承認後初めて
11月16日 県知事選で新基地建設阻止を掲げる新人の翁長雄志氏が、辺野古推進の仲井真氏を破り当選
2015年
2月16日 翁長知事が沖縄防衛局に海底面の現状変更停止などを指示
3月12日 沖縄防衛局が辺野古の海底ボーリング調査を再開。前年9月以来
3月23日 翁長知事が岩礁破砕許可条件に基づき、沖縄防衛局へ海底面の全ての作業に対し停止指示
3月24日 沖縄防衛局が翁長知事の指示を違法として、無効を求める震災請求書と執行停止申立書を林芳正農林水産相に提出
3月30日 林農水相が、翁長知事による停止指示の効力を一時的に止めることを決定
4月27日 日米が安全保障協議委員会(2プラス2)の共同文書を発表。辺野古が唯一の解決策と再確認
5月17日 新基地建設断念を求める県民大会に3万5000人(主催者発表)が参加、翁長知事も出席
5月27日~6月5日 翁長知事が訪米し、米政府関係者らへの辺野古新基地建設反対を訴える
7月16日 埋め立て承認の法的手続きを検証する第三者委員会が「瑕疵あり」とした勧告書を翁長知事に報告
8月10日~9月9日 国と県が集中協議する、溝は埋まらず。すべての作業を中断
9月21日 翁長知事がスイスの国連人権理事会で基地の過重負担を訴える
10月13日 翁長知事が埋め立て承認取り消しを沖縄防衛局に通知
10月27日 国交相が知事の取り消し処分の効力の一時停止を決定し、代執行の手続き開始を表明
10月29日 沖縄防衛局が本体工事に着手と発表
11月17日 国が代執行訴訟を福岡高裁那覇支部に提起
12月2日 代執行訴訟の第一回口頭弁論で翁長知事が意見陳述
12月25日 沖縄県が国に「埋め立て承認取り消しの執行停止」決定の取り消しを求める抗告訴訟を那覇地裁に提起
2016年
1月24日 宜野湾市長選で自公推薦の現職・佐喜間淳氏が、翁長県政与党支援の新人・志村恵一郎氏を破り再選
2月1日 沖縄県の審査申し出を却下した国地方係争処理委員会の決定を不服として、沖縄県が国を福岡高裁那覇支部に提訴
3月4日 代執行訴訟で国と沖縄の和解成立



2016066
【黄金の時】堂場瞬一 ★★★ 2015/06/10 文藝春秋
「父と子」不器用な三世代の男たちを、「野球」を通して描いた感動の物語というのが惹句。
"Searching for his youth lost"という英語の副題のほうが洒落ている。

売れっ子作家本谷要が、作家になることを反対されて音信不通となった父の訃報を知り、遺品整理の中で、父が1963年にマイナーリーグ。サクラメント。ゴールドハンターズで一時的に野球に打ち込んでいたらしいことを知り、小説の主題になるかと渡米して当時の新聞記者や選手たちを訪ねて、真相に迫る、という、いかにも作りものめいたストーリー。野球プレイや心理面の細かい描写は堂場の野球小説の特徴で、魅力でもあるのだろうが、ここでもいかにもの作為が鼻につく。
ハイライトとなる最後の試合運びなど、漫画でもここまではやらないのではと思うくらいの、大サービスぶり(^_^;)

途絶した親子関係とはまったく関係なく、好奇心が自然に湧き上がってくるのを感じた。作家の好奇心というのは、状況や己の感情には関係ない。溢れてきたら抑えることはできないのだ。

どうも作家の文章とは思えないな(^_^;)


2016065
【パスティス 大人のアリスト三月兎のお茶会】中島京子 ★★★ 2014/11/10 筑摩書房。

pastis(パスティス) アニスほか、リコリス、フェンネルなどのハーブで香りづけされたリキュール。1840年頃フランスで大ブームとなったアブサンが幻覚症状を起こすとして1915年に製造禁止となったため、その代用品として作られた。一説によると、アブサンに「似せて(se pastiser)つくる」という意味だそうで、つまりは、パスティーシュである。

長短いろいろの13篇の名作パロディを集めたもの。パスティーシュというと、清水義範が自分のことを「パスティーシュ作家」と呼んでたので覚えた言葉だが、気取らずにパロディと言えば良いのにと思ってた。
中島京子はデビュー作「FUTON」が田山花袋の「布団」を下敷きにしたものだったし、出世作「小さいおうち」も同題の絵本を大きな小道具(^_^;)に使って成功したものだったから、もともとこういった作品傾向があるのだろう。太宰治、吉川英治、夏目漱石、森鴎外、森鴎外など日本の文豪作品、日本昔話やアンデルセン童話や、コナン・ドイル、水滸伝、映画「キングコング」から、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の坪内逍遥訳という変わり種まで、多種多様で、それなりに上手いなと思うものもあったが、全体としてはあまり楽しめなかった。初出は、新聞雑誌に発表したものと、「Webちくま」連載のもの半々くらいらしい。
焦げ茶色のインクで印刷してあり、、作品によって、字体やレイアウトを変えてみたりという手の込んだ装丁も、Morris.は違和感を覚えるだけだった。個人的には、この人は長編向きではないかと思う。


2016064
【戦う民意】翁長雄志 ★★★☆☆ 2015/12/15 ㈱KADOKAWA
翁長雄志 1950年、那覇市生れ。2000年那覇市長に当選、四期務める。2014年10月沖縄県知事に立候補し当選。前知事が行った辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消し、政府と本格的に対決する姿勢を打ち出した。

辺野古移設で国と県が対立し、知事が埋め立て承認取り消しを沖縄防衛局に通知し防衛局長が本体工事に着手と発表したのが10月29日、12月25日に沖縄県が「埋め立て承認取り消しの執行停止」決定の取り消しを求める抗告訴訟を出す直前の発刊である。

小選挙区において全有権者の25%の得票率で75%の議席を獲得した安倍政権による「多数決とい独裁主義」が横行すれば、一地方の民意はないがしろにされます。
「辺野古から、沖縄から日本を変える」ことは、単に日本政府と対立するということではありません。基地問題を解決しなければ、日本が世界に飛躍できない。沖縄の民意を尊重せずして日本の自立はない。沖縄のためになることは日本のためになり、さらには世界のためになる。私はそう信じています。
沖縄が日本とアジア、日本と世界の架け橋となる役割を存分に発揮していく--。(はじめに)


多数決と民主主義の間の矛盾を限りなく増幅しているのが安倍政権ではないか。選挙に勝てば「国民の信任を得た」と、まるで全権を委任されたかのような発言を繰り返すくせに、沖縄の選挙結果は見て見ぬふりを押し通す。話し合いすらしようとしないのは、犯罪と言える。

日本人には潔癖性があり、やさしさ、美しさもあります。しかし、物事が前進して行くと、ブレーキがかからないままぐんぐん前に進むようなところがあります。それが世の中の流れとなって、もしも戦前のように大きな奔流になれば、それ以後はもう止めることはできません。
地方が直面する問題についても同様です。切迫したギリギリの状況で日常から非日常に変わった場合、国が本気でコントロールをし始めたら、特定秘密保護法などの壁に阻まれてマスコミも市民も国のチェックはできなくなるでしょう。(第2章 この国を問う)


翁長は根っこのところで日本人と沖縄人はやはり別ものだと感じ取っているのだろう。イデオロギーよりアイデンティティという立場もこれに依拠しているようだ。

保革でその政治的な方向性や中身が違っていても、沖縄ではどこかで共有するものがあるはずです。それを私は「アイデンティティー」という言葉に集約しました。

沖縄の自己決定権、地方自治、自然環境を守ることは当然ですが、このままでは日米両政府が日本の安全保障のあり方、日本とアジア・世界との関係を十全に考えることがないのではないかという危惧があるのです。
辺野古について再考することが、日米関係と日米安保体制を問い直し、さらには米中関係、日中関係、尖閣問題というさまざまな課題を整理し改善していくことにつながると私は確信しています。私はその意味において、まず基地問題に取り組むのです。


「辺野古オンリー」を前面に出し、選択肢を無くした上で、無理やりそれを押し付けるやり方は、そもそもからして間違っている。

海兵隊は沖縄の駐留米軍の64%を占めていますが、現在は19000人しかいません。常駐する隊員数は限られています。いったん有事があれば、本国から大舞台が投入されるわけですから、日本政府のいう抑止力とか地理的優位性といった主張はほとんど説得力がありません。

「抑止力」という言葉に、不信を感じてしまう。

「私は、日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。
沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。
沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。沖縄は日本国土の0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の73.8%が存在しています。
戦後70年間、いまだ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。
このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。
自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。
私はあらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。
今日はこのような説明の場がいただけたことを感謝しております。ありがとうございました。」(2015/09/12 スイスジュネーブでの、国連人権理事会演説)(第3章 品格ある安保体制を)


たった2分間しか時間を与えられず、それだけにシンプルかつ明確な表明となっている。「あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟」という言葉が、安倍政権を刺激して、それが過剰なほどの実力行使に繋がったことは想像に難くない。

沖縄は450年に及ぶ琉球王朝の時代があり、首里城を中心に中国や日本、アジアの国々と交易を進めました。アジアの架け橋、あるいは日本と中国、東南アジアの貿易の中心になることを掲げて、大交易時代を謳歌したのです。
しかし、1609年、琉球は薩摩藩からの侵攻を受けて以降、苦難の道を進みます。
明治政府の誕生とともに、琉球は1879年に日本国に武力で併合されて沖縄県となりました。いわゆる「琉球処分」です。琉球の帰属先をめぐって日本と中国の交渉が難航しましたが、結局、日清戦争によって琉球は日本の領土となります。
それからは皇民化政策によって、沖縄の言葉であるうちなーぐちを使うと厳罰に処せられ、標準語教育などを通じて日本国国民になるよう強いられました。
そして太平洋戦争末期、住民を戦闘に巻き込んだ唯一の地上戦となった沖縄戦で、すさまじい砲艦射撃と地上砲弾によって、10万人を超える沖縄県民を含め日本軍、米軍合わせて20万人以上が犠牲となりました。
終戦直後は産業も何もないため、生きるか死ぬかというきわめて深刻な状況にありました。そこに米軍が入ってきて、DDTで消毒されたり、収容所で食糧を与えられたりして、救世主が現れたという思いさえ抱きました。しかしそれもひと時のことでした。


こういう言葉を聴くたびに、やはり沖縄は独立すべきでは、という思いにとらわれてしまう。

治外法権のような過酷な圧政下でも、沖縄は米国民政府と闘って人権と自治権を獲得してきました。
沖縄の民主主義は、本土のように連合国最高司令官マッカーサーの時代に与えられた自治や人権の中で発想するものではありません。その意味で、民主主義や自治の精神が沖縄県民には身体深く根付いています。粘り強い闘いのDNAが今日も沖縄には生きているのです。


復帰運動の中で差別は続きました。戦後世代でさえ東京で下宿を探すと、「琉球人・朝鮮人はお断り」と拒否された体験をしています。

差別の根の深さは測り知れないものがありそうだ。

沖縄のフォーク歌手佐渡山豊さんの「ドゥ チュイム ニィ」(独り言)の一節にこんな歌詞があります。
「唐ぬ世から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 アメリカ世からまた大和ぬ世 ひるまさ変わゆるくぬ沖縄(奇妙に変わるこの沖縄)」沖縄は歴史上、日米中3ヶ国に支配された地域です。


いい歌である、聴くのが辛くなるところも合わせて……

鳩山政権は具体的な代替案を打ち出せずに、最終的にはアメリカに押し切られる形で、移設先を元の「辺野古周辺」とする日米共同声明を発表しました。
鳩山由紀夫氏が公約破棄の理由について「日米合意の重さ」「在沖米軍の抑止力」について口にした時に、「ああ、この人たちは沖縄問題をまったく理解していなかったのだな」と愕然としました。
本土では鳩山さんが、できもしない県外移設を提案したことに怒りましたが、沖縄はその県外移設を取り下げたことを怒った。ここに本土と沖縄の乖離があります。
私は鳩山さんの純粋な気持ちは信じたいと思います。しかし、政治は決断力と実行力、そして結果です。


鳩山バッシングと、情報操作で、鳩山の首相としての評価は地に落ちた観があるが、Morris.は決してそうは思わない。繰り返しても詮ないこととだが、あの時の撤回を自爆覚悟で撤回してくれていたら(^_^;)と切に思う。

戦後、日本はどの国とも戦争をせず、戦死者を一人も出さずに来ることができました。そして高度経済成長を謳歌して、豊かな暮らしを築いてきました。しかし、それを陰で支えてきたのは沖縄であるという事実を、政府も日本国民も完全に無視し、忘れ去っています。
多くの沖縄県民が米軍に殺されたり犯されたりしながら泣き寝入りしてきました。そういう中で日本の国が守られている。中央にいては知ることのできない生々しい現実が、安全保障の最前線にはあるのです。(第4章 苦難の歩み、希望への道)


「人身御供」という言葉を連想する(>_<)

私は2014年11月の知事選挙で2つのスローガンを掲げました。
一つは「日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきものである」。そして二つめは「米軍基地は沖縄経済の最大の阻害要因である」でした。
沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉があります。「一度会えば皆兄弟」という意味です。
あるいは「ゆいまーる」という言葉があります。「ゆい(結い、協同)」+「まーる(順番)」の意で、順番に労力を交換する助け合いの仕組みです。(第5章 アジアへ、世界へ)


こういう本を読んで、それで沖縄に対する理解が深まった、などという思い上がりは許されない。
今現在も、沖縄で、理不尽な行為が横行している。
手をこまぬいている限り、Morris.は沖縄に断罪されているのだ。



2016063
【女ざかり】丸谷才一 ★★★☆☆ 1993/01/10 文藝春秋
先日読んだ丸谷の「挨拶はたいへんだ」の中に、本書の授賞式の挨拶があったので、読む気になった。しかしこれだってもう23年前の本か。

美しい女主人公・南弓子は、大新聞の論説委員。書いたコラムがもとで政府から圧力がかかり、論説委員を追われそうになる。弓子は、恋人の大学教授、友人、 家族を総動員して反撃に出るが、はたして功を奏するか。大新聞と政府と女性論説委員の攻防をつぶさに描き、騒然たる話題を呼んだベストセラー。

手抜きでネットのあらすじ紹介文で済ませておく(^_^;) ベストセラーだったのね(@_@)
新聞と政界のつながりや、弓子の恋人で哲学者豊崎と弓子の娘の彼氏日本史学者渋家の言説が面白かった。これらはたいてい丸谷自身の意見と思って間違いないだろう。

「どうも天皇論といふのはむづかしくてね。国王崇拝といふ古代的感情がなぜ現代でも生きてゐるかといふと、大衆の自己愛の投影として非常につごうのいいのは天皇で、だから崇拝されるといふことになる。つまり自己崇拝。何しろ日本の天皇はほかの国の国王や女王と違つてひどく無限定的で朦朧としてゐるから、いくらでも美化されるわけだ。しかし一方、さういふ性格のものである天皇が、実際の歴史を動かしてゆく局面もないわけぢやないし……」
と後半はつぶやくやうに渋川が言つた


こんなものいいが、丸谷の保守性の現れと取られるのだろう。
この後は哲学者豊崎の発言。

「冷血漢のことを『あんなやつ人間ぢやない』といふでせう。あれは倫理的に立派な人間だけが人間だといふ考へ方で、価値的。でも、どんなに悪逆無道な犯罪者でも、霊長目のヒト上科のヒト科に属する動物なら人間である。ライオンでもゴキブリでもない。これが範疇的」

「君がいつか言つてたでせう。町内のお祭のときの供へ物を神様はどう思つて受取るのかといふ、伯母さんの意見。趣味の悪い贈り物だなあ、でもまあいいや、と思つて、神様が我慢して受取るといふ話。ぼくはあれに非常に感心してね。……あのあとで思つたんだけど、伯母さんの考へた神様の反応の仕方は、日本文化の二大特徴ですね。寛容と趣味性。神道の根本はそれだったんぢやないか。寛容といふのは、悪く言へばいいかげんで、きびしくつき詰めない。相手の立場をできるだけ認める。対立を避ける。同一共同体のなかではね。すくなくとも自分ではそのつもりでゐる。そして趣味性といふのは、要するに美的だということね。神道で清さを尊ぶのだつて、倫理性でも衛生思想でもなく、美的なものでせう。そのほうがきれいで、気持いいから。そしてこの美的趣味性は、色ごのみの思想に通じると思ふ」
「色好みつて?」
「本居宣長は日本思想をもののあはれに要約したけれど、それを折口信夫はもつとはつきりさせて、色ごのみと言つた
エロチックな要素を主にした美的趣味性、これが平安朝の帰属の一番大事にしたものだつたし、実は日本人の一貫した主題だつた、といふんだね。光源氏なんて男はこれで生きてゐたし、日本人はその生き方を昔からずつと敬愛しつづけた。意地の悪い言ひ方をすれば、それ以外にも何もなかつた。」

論説委員がすこし別の方角のことを言つた。
「西洋の神様は正義とか愛とか、話がはつきりしてゐるのに、日本の神様はさうぢやありませんね」
「本当は何かあるんだらうけど、薄味なんだな」
「薄味の分だけ様子がいい」
「様子がいい……」
哲学者は考へて、
「なるほど。薄味で様子のいい神々が、大衆の献げる変な供物に辟易しながら、しかしまあ怒らないわけだね」
「寛容だから?」
「それもあるし、悪趣味で迷惑な贈り物にも誠意がこもつてること、知つてるから。それなりに相手を喜ばせようとしてること、わかるもの」
「誠意に感動して?」
「さう、感動する……のだらうな。その誠意がつまりマナで、呪力がある」
「ふーん」
と弓子は唸つて、
「でも、それで神様が願ひをかなへてくれるわけぢやないでせう?」
「さうはゆかない……場合が多い。人生には不幸がみちてゐる」
「さうなのね」


しかし困るなあ、おれは変なものを供へられた神様だ、と思つた。そのとき、あ、神様としての自分、と心のなかでつぶやき、そこから人間と神といふ組合せを軸にして思考が動きはじめる。ゆるやかな速度で、ときどき急に速くなつて。
まづ、人間が神を気取つてものを言はうとするとき、日常性および日常的な表現から脱出して聖なるものに近づくために、それは詩の形を取る。神々の託宣は詩だし、人間が神に訴へようとするときも詩の形で書くし、その名残と言つてもいいかもしれない、詩人が詩を書くのは人間がアマチュアの神になつて書くものだし……詩は神を気取る人間のもの、そして散文は普通の人間のもの。前者は古代的で、後者は近代的。
それと同じやうに、商品として物を売買するのは近代的行為で、人間的。一方、物を贈るのは古代的行為で呪術的で、人間が神を演じてゐる。言ふまでもなく贈り物は好意の客観的相関物であるが、しかしこの重要な位相を見のがしてはならない。神に供へ物をするとき、供へる側の人間も威儀を正して擬似的な神にならうとするし、中世の武将に侍が八朔の礼を行ふとき、武将は神になぞらへられ侍のほうもおのづから神に近づく。この双方が神に扮し神を演じ神になるのが、贈与といふ、儀式による契約の基本のところで、これによつて関係が聖化され、更新され、再認識される。
これがとりわけ鮮明なのは恋人同士の関係だ。その二人は恋愛といふ非日常的な次元にあるため、男神と女神を演じてゐる。男が花屋で買ふ花束は商品だが、それを女に渡すときたちまち供物になる。日本では古代から中世にかけて、和歌の形で男が女に言ひ寄り、そして女も和歌で答へたが、これは神だから詩といふのと、贈り物(返礼)だから詩といふものと、二重になつた形。
しかし人間は神ではない。アマチュアの神にすぎない。アマチュアの神のなかにも上手下手があるし、上手だつてときどきしくじる。



2016062
【カメムシ】野澤雅美 ★★☆
2016/03/15 農山漁村文化協会
「おもしろ生態と上手なつきあい方」という副題というか、そういったシリーズらしい。
他にはモグラ、ナメグジ、アブラムシ、カイガラムシ、カラス、ハクビシン・アライグマなどが刊行されている。
Morris.は小学4年から中学2年までの4年間昆虫少年だった。特に専門的なものでなく、蝶・蛾、甲虫、蜻蛉、飛蝗、蟻……と何でもありだった。しかし、この亀虫は地味で臭いということから敬遠してた(採集はした)と思う。
筆者はMorris.と同世代で中学時代から50年にわたってカメムシに関心を持ち調査・研究に勤しんだ人らしい。

・亀虫は不完全変態(卵→幼虫(4-5齢)→成虫)

・江崎紋黄角亀虫(エサキモンキツノカメムシ)は背中にハートマークがある

・黄斑亀虫(キマダラカメムシ)20mmを超える大型亀虫で、近年関東にまで分布を広げている、外来亀虫。桜の木に多く見られる

・昆虫は地球上で最も繁栄した動物で、世界で百万種を超える。日本では3万種前後、日本産亀虫は3200種。


亀虫は大きく分けて7つのグループ(下目)に分けられその下に50を超える科に分類されている

1.首長亀虫類ー原始的グループ。
2.木槿亀虫類ームクゲカメムシ科、ノミカメムシ科
3.太鼓打類ー水性亀虫。タイコウチ科、コオイムシ科、ミズムシ科
4.アメンボ類ー水に適応し陸上にも生活する両生亀虫。グンバイムシ科、アメンボ科
5.水際亀虫類ー水辺・海岸、湿地に棲息する。ミズギワカメムシ科、サンゴカメムシ科
5.床虱類ートコジラミはいわゆる南京虫である。グンバイムシ科、トコジラミ科、サシガメ科
6.亀虫類ーいわゆるカメムシの代表、25科がある。ヒラタカメムシ科、ヒゲナガカメムシ科、チビカメムシ科、イトカメムシ科、ヘリカメムシ科、ツノヘリカメムシ科、ホシカメムシ科、マルカメムシ科、ノコギリカメムシ科、キンカメムシ科、カメムシ科……


と、まあ、これまでほとんど知らなかった亀虫知識をいくらかは、仕入れることはできたものの、これで亀虫ファンになるということにはまず、ならないだろう(^_^;)


2016061
【挨拶はたいへんだ】丸谷才一 ★★★ 2001/06/01 朝日新聞社
授賞式や結婚式や葬儀や何やかやでの挨拶を集めて一冊の本にするというのは朝日新聞の編集者のアイディアだったらしい。本書は2冊め。丸谷は挨拶の名手とされてるようだが、必ず前もって原稿をつくり、それを手元に置いて、時々見ながら挨拶するのが常だったとのこと。
挨拶だから、ほとんどが褒め言葉だが、そこは丸谷だけにかなり凝ったものが多く、いろいろ勉強にもなったが、やっぱりヨイショだな、と思ったりもした。
内容見本も兼ねて、一番短いものを引用しておく。もちろんこれも原稿書いたそうな。

立派な賞をいただいて喜んでいます。大江健三郎さんから褒められるのも、いい気持でした。そこで嬉しさのあまり、現代日本文学と短編小説について論じつづ けること三十分か一時間、挨拶の仕方なんて本を書いた奴だけあるなあ、と感心させたいのは山々ですが、でも、今日はもう、スピーチにはすつかり堪能なさつ たことでせう。これでよします。
本当にありがたうございました。(「十四番目に」川端康成文学賞贈呈式での受賞者挨拶 1988/06/24 ホテルオークラ)


これを見ても分かる通り、丸谷はかたくなに旧かな遣いを実践している。その中で、いろいろ工夫も凝らしているようだ。巻末にこの丸谷流表記法の懇切丁寧な解説があった。

本書の表記法について
a
1.漢字は当用漢字とか音訓表とかにこだはらないで使ふ。
2.字体は原則として新字。ただし新字のうちひどく気に入らないもののときは正字。例。昼→晝。尽→盡。蔵→藏。証→證。
b
1.仮名づかひは歴史的仮名づかひ。例。会ふ。をかしい。あぢさゐ。
2.従つて促音・拗音はちいさくしない。例。あつさり。キヤツキヤツ。
3.ただし片仮名の外来語の場合は促音・拗音を小さくする。例。ヨーロッパ。カチューシャ。
4.歴史的仮名づかひのうち、特に誤りやすいもの。例。「あるいは」(アルヒハとしない)。
c
1.ただし字音の仮名づかいひは、原則として現代仮名づかひに従ふ。例。怪鳥(カイチョウ←クワイテウ)。草稿(ソウコウ←サウカウ)。
2.しかし「嬉しさう」などの「さう」(相)、「花のやう」の「やう(様)は、字音であるが、もはや大和ことばも同然と考へて、「さう」「やう」と書く。(相似はソウジ、「模様」はモヨウ)。
3.熟語のせいでの促音は漢字の原音を尊ぶ。例。学校(ガクコウ←ガツコウ)。牧歌(ボクカ←ボツカ)。
4.チヂ、ツヅの促音は漢字の原音を、ヂヅを認める。例。地獄(ヂゴク←ジゴク)。連中(レンヂユウ←レンジユウ)。僧都(ソウヅ←ソウズ)。従つて微塵(ミジン←ミヂン)。
5.字音の仮名づかひのうち、特に誤りやすいもの。「--のせい」(セヰとしない。「所為」字音ソイの転だから)。
d
1.送り仮名は送り過ぎないやうにする。例。当ル←当タル。受付←受け付け。


おおむねMorris.にも納得できる私家版表記法だ。でもさすがにこれにならって、表記法変える気にはならない(^_^;)


2016060
【メディアと自民党】西田亮介 ★★★☆ 2015/10/25 角川新書
西田亮介 1983年京都生まれ。東京工業大学マネジメントセンター准教授

前から安倍首相のメディアの使い方には関心があったので、このタイトルに飛びついた(^_^;)
いささか、隔靴掻痒の物足りなさも感じたが、それなりに教えられることも多かった。

日本の有権者は歴史的に見て、政治を理性的に扱う、あるいはエビデンス(証拠、根拠)にもとづいて政局を分析的に扱うための道具立てを持てずにいるという課題も抱えている。
冷戦終了後の日本は多くの国民が関心を持つことができる共通の危機や政治的な争点の所在も不透明になっている。
憲法や安保法制のあり方など、国の成り立ちに関係するがゆえに、本来もっと国民の関心が高まって有権者によるコミットメントが示されてもよい問題でさえ、そもそも問題の所在を正確に理解することが難しくなっている。
メディアにとっての政治は、収益源となるコンテンツの、定期的にイベントが行わるがゆえの安定した「素材」でもある。メディア内の、特ダネを自社だけが掲載できない「特オチ」を極端に恐れる日本のメディアの形式的な競争関係と、その競争関係を長期的に安定させる記者クラブや番記者制度が支えてきた。


もともと日本のマスコミは排外主義の傾向にあったと思う。保身的というべきか。

本書ではまず自民党からみたメディアとの関係性の変容を、次にメディア自体の環境変化を検討する。戦後の自民党とメディアの関係を確認し、なかでも、現在の両者の関係を規定することになった小泉内閣の時代の変化に注目する。小泉内閣での過剰ともいえるメディア戦略は、現在の自民党の礎になっている。

小泉の劇場型政治こそが、メディア対策の典型だったのだろう。

日本政治は、長くメディアに「注文」をつけてきたし、メディアもまた政治と密な「信頼関係」を作りながら、取材を進めてきた伝統がある。
だが、この前提が、とくにメディアの側にあまり自覚されないままに損なわれている。小選挙区の導入により、「政治」は次の選挙に必死になり、長期の展望を持てなくなっている。2000年代以後の派閥政治の終焉や、メディア環境の変化や、政治へのマーケティング技術の導入によるメディアの相対的な弱体化も影響している。
それらに乗じて、政治の側が、より短期的な視野と動機のもとで、メディアに対して影響力を積極的に行使しようとしている。(はじめに メディアを圧倒する自民党)


マスコミは余裕こいて、ガチンコ勝負など考えてなかった、ということだな。そして気がついたら政治側が圧倒しようとしている。

「慣れ親しみの時代」2000年以前
「移行と試行錯誤の時代」2000年以後
「対立・コントロール期」第二次安倍内閣以後


これが筆者の、時代区分だが、やはりMorris.としてはおしまいの時期が気になる

批評家江藤淳は『閉ざされた言語空間』(1989)で、戦後の平和主義を主張する言説や自然派文学が、検閲という人為的な介入のなかで、戦後の平和主義を主張する日本社会の無自覚さに激しくいらだってみせた。
だが、その構造と無自覚さは現在も存続している。


江藤淳と言えば、Morris.は「成熟と喪失」という評論に打ちのめされた記憶があり、その反動で彼の著者は避けて通ってきた。しかしこれは読みなおすべきかも。

2000年代にかけて、政治は不安定さを増した。同時にメディア環境はインターネットの普及に伴って、じわじわと勢力図を変えつつあった。このような変化は、「政治」が、政策についての長い展望や、長期間にメディアとの信頼関係を構築するよりも、短期間での確実な「成果」を求めるように変化するインセンティブとなった。選挙の当落にもっともシビアな変化を受ける政治から、変化の舵を切り始めたともいえる。それが移行と試行錯誤の時代のはじまりである。(第1章 「慣れ親しみ」だった政治とメディア)

小選挙区が諸悪の素、なのかもしれない。

2001年に、小泉純一郎が第87代内閣総理大臣に就任した。「自民党をぶっ壊す」をキャッチフレーズに、のちに「ワンフレーズ・ポリティクス」」「劇場型政治」などと呼ばれる、新しい政治像を描いてみせた。「サプライズ人事」で2003年には当時49歳と日本の国会議員としては若手にあたる安倍晋三を自民党幹事長に抜擢している。小泉政治は、あとから振り返ってみても確かに伝統的な自民党の型を破壊したといえる。

小泉-安倍ライン。あとから振り返ってみると当時のMorris.は今以上に政治無関心だった。

第二次安倍内閣にて、官房副長官に就任した世耕弘成は、国会議員になる前にはNTTの広報部門で働いていた。第一次安倍内閣の挫折後、再び安倍を政治の表舞台にたたせるために一役買ったとされる。世耕は200年代の自民党のメディア戦略の進化を主導した人物である。

この男には要注意。

2005年1月に自民党はPRを専門にするプラップジャパンと契約している。代表の矢島尚が挙げるのが、メディア・トレーニングである。矢島によれば、印象形成は、トレーニングによって、かなり改善できるものだという。
安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業省によるNHKの番組制作過程への介入疑惑が持ち上がった際には、メディアで質問に答える前に、自らの主張を入れるようプラップジャパンからアドバイスを受けたという。この手法についても、第二次、第三次安倍内閣では頻繁に見られているものである。(第2章 自民党改革に端を発する新・広報戦略)


こうしたノウハウばかりに習熟してるようだ。

「B層」マーケティング。「B層」とは小泉内閣の支持基盤であるとされ、「(政治について)具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」という有権者を侮蔑するともとれる表現を用いていた点がメディアや野党の追求に火をつけることになった。

恥ずかしながら、Morris.もこのB層だったかもしれない。北朝鮮訪問を過大評価してた。

注目すべきは、プラップジャパンのアドバイスを受けながら、テレビの討論番組の出演者のコントロールを開始していることである。郵政選挙に際しては野党から政策通の出演者が出てくることがわかった場合には、自民党からも政策通の出演者を選定するなどの対応をしはじめた。
コミュニケーション戦略チームに広報関係者を集約し、一元化する体制を内製化して作ったからこそ、従来別々に動いていたメディア戦略と広報手法に一貫性と戦略性が生まれたのである。(第3章広報が徹底された郵政選挙)


電通も一口噛んでることはまちがいない。

民主党から最初の総理大臣に就任したのは鳩山由紀夫だった。鳩山の総理就任後、2009年10月26日の第173回国会における所信表明演説の原稿を、劇作家平田オリザと松井孝治が記したことはよく知られている。(第4章 郵政選挙後、メディア戦略は軽視された)


これは知らなかった。

筆者が「対立・コントロール」と書くとき、非金銭的で、つまりは不適切な予算の利用以外の手法で、政治がメディアの自発的服従--メディアが政治の「意図」を忖度し、自ら政治の意向に従おうとする状態を念頭に置いている。

忖度で自主規制にもっていく、すごい遠隔操作ぢゃ。

第2次安倍政権以降、小泉内閣や第1次安倍内閣での経験を踏まえ、強気で押し切るだけではなく、調整をかけているように見える。メディア・パワーを最適にコントロールするべく、硬軟の手法を取り交ぜながら、絶妙にハンドリングしているように見える。

ぐやじいがその通りぢゃあ(;;)。

政治は本質的に動員の動機を持っている。そこで自民党が向ったのがメディアの自発的服従を促す戦略と手法ということになる。事実として、番組内容を検討し、首相が出演するテレビ番組が選ばれている。従来、首相によるメディア選抜を防ぐ目的で、各局順番に出演することが内閣記者会と首相側で取り決められていたが、「慣例にとらわれず単独インタビューに応じたい」と首相側が要望を出し、内閣記者会はメディアの選別や会見の制限をしないよう求めた上でルール変更を認めた。
これが最先端の、つまり2010年代の「対立・コントロール期」における、自民党のメディア戦略と広報手法であるというのが筆者の見立てであり、仮説である。


この仮説はあたっていると思う。

2012年夏頃には電通から、自民党の案件に関する提案を作りたいという打診が合ったという証言があった。
ある常務がこの分野の開拓を指示したようである。巨大な市場であり、檜舞台でもある米大統領選挙における、インターネットやソーシャルメディアの活用を参考に、将来の成長を期待した投資だったのである。(第5章 自民党のネット戦略)


本命登場だね。

メディアはメディア環境と政治の変化に対して、あまりに旧態依然としている。変化を嫌うあまり、じりじりと批評性と影響力を失っている。

これくらいのことはわかってるだろうに。

ネットは「メジャーで、マイナー」なメディアであり、それが日本のインターネットの社会的認知の特徴といえる。
人々はオールドメディアの情報を、たまたまネットで見ているにすぎない。換言すれば、こうしたメディア視聴の習慣が大きく変わらない限り/変えない限り、ネットが日本の社会や政治に対する影響は限定的なものであり続けてしまう、ともいえる。(第6章 メジャーでマイナーなネットメディア)


ネット情報には権威がないということか。

2015年4月17日に自民党がNHKとテレビ朝日に対する聴取を行った。両者が呼び出された事情は、NHKの場合はやらせ疑惑、テレビ朝日は、「報道ステーション」内で、当時のコメンテーターで、反原発、反安倍内閣を主張していた元経産省の官僚である古賀茂明が、「I am not ABE」と書かれたフリップを持ち込み、コメンテーター降板の理由を政治からの圧力によるものだと番組で主張したことによる。
先のNHKへの介入の問題のように、時にメディアと政治の緊張関係に対し、司法による解決が行われることもあるだろう。だが、あくまで政治に直接影響を与える機会は選挙である。2016年の参院選まで国政選挙は実施されないだろう。しかもそれまで有権者がこの問題の詳細を記憶しているとは、あまり期待できない。その意味でも、今回の聴取は、実に巧妙な「政治のメディア戦略」といえる。


その国政選挙が間近に迫った今、この巧妙な政治のメディア戦略のことを思い出そう。

「コンプライアンスは法令遵守という意味であるが、これに過剰に意識するあまりか、テレビ局では「クレームが来ないような番組をつくろう」ということになっているらしい。
今はインターネットを使って、クレームがコーポレート管理部門などに届くようになっているから、結局、テレビ局全体を挙げての大騒ぎになってしまうこともある。そのため、番組スタッフは「なるべくクレームの来ない番組にしよう」と萎縮してしまい、無難な番組ばかりつくるようになる。テレビがだんだん面白くなくなっていく理由はその辺にもある」(田原総一朗発言「取材は「闘い」、政府とジャーナリストの思惑は相反するものだ」)(第7章 縮小するマスメディアとジャーナリズム)


田原もたまにはまともなことを言っているではないか(@_@)

メディアと政治の、ゲームのルールが変わりつつある。それが対立・コントロールの関係において政治の側が、よりメディアを短期的かつ積極的に、自らのプロモーションに活用しようとしている局面では、新しいゲームに習熟しないと従来のような政治に対する緊張感は持ちえない。


ゲームはMorris.も苦手ぢゃ(>_<)

雑誌は今や存続の危機になり、ジャーナリストが生計を立てられるだけの原稿料、取材費を以前のように支払える雑誌は数えるほどしかない。そもそも雑誌を購入するという習慣自体が若年世代からは失われていこうとしている。新聞もうかうかしてはいられない。部数をじわじわと減らし、読者は高齢化している。


若年層は、そもそも読もうとしていない。

ネットは時にアイディアの力が投入資金の差異を凌駕するが、政党のなかでネットにもっとも適応しようという姿勢を見せているのは、野党ではなくやはり自民党であった。

うーん(>_<)

戦争中に、国民の自発的な戦意を増進するために、印象操作やプロパガンダが行われた。
現代政治において、国家による非合法活動の存在それ自体は、公安活動を中心に完全に排除されないとはいえ、少なくとも顕在化することは許されない。明らかな非合法活動は、民主主義国家においては、その政治的基盤を確実に掘り崩す


とはいえ、非合法は日常的に行われているだろう。

現在の教育の過程において、政治の状況や、平たくいえば、政局を理解するための実質的な道具立ては、ほとんど用意されていないままである。
歴史は第二次世界大戦までが中心で、政治経済は、三権分立などの原理原則の理解、現代社会は、大まかにいえば、人権問題や環境問題を主題別に扱うことになる。
その結果、現在の政治状況、とりわけ政局の意味を理解するためのフレームワークを醸成する機会は、初等・中等教育はいうに及ばず、法学や政治学を除くと高等教育でさえほとんど見当たらないままである。いや、成人や社会人教育においても同様である。
主権者教育が活発なイギリスでさえ、それらが機能不全に陥っているようだ。多くの教師たちが、批判とバイアスを恐れて、政治トピックに踏み込まないことが原因だという。(おわりに 政治とジャーナリズムと有権者)


わしらの時代だけではなく、現在でもこういった教育は続いているのか。これも保守政治家の陰謀か。

小泉内閣のもとで党と政府の要職を経験し、第一次安倍内閣の失敗を乗り越えて復活した現在の安倍内閣は、政治技術に、そしてメディア技術に長けている。メディアの統制や、世論を刺激するポイントも巧みなもので、数多のスキャンダルや失敗もうまくかわしてきた。
野党が分裂し、軒並み支持率を下げていることや、ライバル不在の党内状況も現政権の強気な姿勢の源泉となっている。


安倍首相の悪運の強さは、祖父譲りなのだろうか? 何しろA級戦犯から日本の総理になった「妖怪」だもんな。

安保法案への賛否で分かれた二つの陣営による有権者の好印象の奪い合いは、2016年夏の参院選を見越して、安保法案が成立した後も続いている。
「説明不足」は必ずしも政権だけに向けられた言葉ではない。国民が賛否を表明する上での理解が不足していたとすれば、それは情報を届けるメディアもまた省みるべきことでもあるだろう。
「情」が先行する現在の世の中において、いかに「理」の政治を取り戻すか。そして、「理」の政治情報のプラットフォームとなるのは
マスメディアなのか、それともネットメディアなのか。いずれにせよ、政治の伝え方への新たな試行錯誤が求められている。(あとがき)

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」(「草枕」夏目漱石)
この「住みにくい」世の中を少しでも住みやすくするために、何をなすべきか。青臭いと言われようと、もう一度考えなおすときではないかと思う。


2016059
【野生動物カメラマン】岩合光昭 ★★★☆ 2015/12/22 集英社新書ヴィジュアル版
日本一の猫写真家(^_^;)として有名な岩合さんの、フォトエッセイで、世界中での野生動物撮影の苦心話やエピソード満載。渾身の傑作写真もカラーで数多く紹介されている。

岩合光昭 1950年、東京都生まれ。動物写真家。19歳の時、同じく動物写真家だった父・岩合徳光氏の助手として訪れたガラパゴス諸島で動物写真家になることを決意。以来40年以上にわたり、地球上のあらゆる場所で動物を撮り続けている。

今更紹介する必要もないだろうが、彼の本業は野生動物写真家である。

ぼくはできるだけ近づきたい。這いつくばって、低くカメラを構えて、より大きく見えるアングルで写真を撮りたい。上から見下ろして撮ると、動物というのはおもしろくないからです。


これは猫の撮影にもそのまま使える。Morris.もできるだけローアングルで撮ることにしている。

ライオンの狩りでも何でも6時間以上、ときには12時間も見続けていることはザラにあります。そのために双眼鏡は目にやさしいものを愛用しています。よく「どうしてそんなに値のはる双眼鏡を使うんだ?」と聞かれますが、安価なものだと目が痛くなって疲れてしまうのです。(ライオンに見る「家族の肖像」)

猫でも本当の野良猫だと、きちんと写そうとすると、30分くらい待つ必要があるかもしれないが、12時間となるともう普通の人には出来ないだろう。

それまでのぼくは、たとえば「ライオンの狩りを撮ろう」とか、撮りたいテーマを決めて、自分で一生懸命プランを練って、撮影に臨んでいました。
車が故障した翌日、アカシアの木の葉を食べるマサイキリンに遭遇しました。そのキリンの姿が、ことに首の線が非常ん美しく、車を止めてもらってしばらく眺めていました。カメラは故障した車の中に置いてきて持っていなかったのですが、そのときに、こう思いました。
「ああ、そうか。ぼくはこういう写真を撮ればいいんだ」と。
次の日から、ぼくは「その日、そのときに出会った動物たちを見て、撮りたいと思ったものを撮っていく」というふうに、考え方を切り替えました。自分の思いを押し出さず、どんな写真を撮るかは相手しだいと思うようになったのです。


こういうことを言えるのは、筆舌に尽くしがたい実績あってのことだろう。

人間優位に考えて「けっこう頭がいいんだな」とか「へぇ、こんなこともできるのか」というふうに、比較してものを言う。そこから「動物に学ぶ」という発想が出てくるのではないでしょうか。そうではなくて、シンプルに「相手を知りたい」と思う気持ちで動物たちと対峙したいと、ぼくはいつも考えています。

生類平等論だな。

いまの日本人、とくに都会に住む人を見ると、雨が降ると行動が制限されるからか、あまり雨を好まないようです。雨の恵みがあって豊かな自然がある、作物が実るとわかっていても、どうしても雨雲を見ながら「今日は天気が悪くなりそうだな」というふうな捉え方をします。
天気予報でも日常会話でも、「あいにくの雨」という表現が当たり前のように使われています。もしぼくが気象予報士だったら「みなさん、今日はすばらしい雨が降りますよ」と言いたいところです。
本当は、都会でも建物から一歩外に出ると、風が吹いているし、においも漂っている。それなのに感じようとしない、自分のなかで自然をシャットアウトしているところがあるのではないかと思います。(涙が出るほど美しいチータ)


確かに雨の恩恵を受けながら、雨天=悪天と決めつけるのは短絡的である。
ちょうど梅雨どきで、毎日のように雨模様だが、ちょっと意識改革してみよう。

クジラだけではなく、動物のたくましく美しい姿の基本は腰にある、とぼくは思っています。ネコだって、ジャンプするときは腰をぐーっと入れて、パーンと跳びます。腰が鍛えられているから、背筋もピンと伸びる。猫背のネコも、たとえばメスの様子をうかがうときなど、真剣なときは猫背になりません。
人間も同じです。
ぼくは写真を撮るときはいつも被写体のどこか一点に注目してシャッターを切っています。(クジラは腰の入れ方がいい)


これも参考になる。


2016058
【沖縄 本土メディアが伝えない真実】古木杜恵 ★★★☆ 2015/08/17 イースト・プレス
著者は1948長崎県生まれのノンフィクションライターで「ダカーポ」や「世界」などに寄稿しているらしい。
沖縄の新聞「オキナワタイムス」「琉球新報」の記者への取材から、その立場や意見特殊状況などを紹介している。

本土復帰直後の1972年10月、米国が在沖縄海兵隊の撤退を提示、日本政府が撤退を慰留していたことがオーストラリアの公文書で明らかになった。さらに少女暴行事件が起きた1995年にも在沖縄海兵隊の撤退を米国が提示したが、またしても日本政府が断ったことが当時のウォルター・モンデール駐日大使のインタビューで明らかになっている。こうした事実を本土メディアはいっさい報道しない。
沖縄に基地を置くのは抑止力という軍事技術上の問題ではなく、沖縄に置くのはいいが本土はかかわりたくないという意識が透けて見える。(はじめに)


沖縄の基地に固執しているのはアメリカではなく日本政府だという事実。
本書の初めに佐野眞一との対談がおかれている。佐野の沖縄に関する本は、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」と「僕の島は戦場だった」を読んでいる。特に後者には大いに蒙を啓かれた記憶がある。

古木 沖縄の知事が日本政府を越えて米国に直訴しなければならない状況は、いかに県政が米軍基地の問題に忙殺されてきたかということです。しかし、米国に行けば日本政府の問題と言われ、日本政府に訴えれば国の専権事項である外交問題として片づけられる。そこにこそ日米の狭間に立って振り回されてきた沖縄の知事の厳しさがあり、行きづまりもあったのではないでしょうか。

もちろんこれは、両国政府が結託した猿芝居である。

佐野 (1995年の少女暴行事件時に)日本の本土から被害者の少女に同情する手紙は一通も来なかったというんです。そういうものなんですね。安倍総理は論外としても、いまの菅義偉官房長官や日本国民自体の沖縄に対する態度は、なっちゃないと思います。
古木 そうですね。沖縄の基地問題の底流には、日本人の意識的か無意識的かはともかく、沖縄の痛みを見て見ぬふりをしてきた他人事の論理があると思います。

今回の女性殺害事件でも、状況はほとんど変わっていない。

古木 基地被害に苦しめられてきた沖縄人は、米軍基地という痛みを県外の人に押しつけるのは心苦しい。沖縄の言葉を借りれば「ちむぐりさん」と言うのでしょうか。ところが2009年の政権交代で誕生した当時の鳩山総理が、普天間は少なくとも県外、国外に移設すると言った。沖縄県民はびっくりした。ちむぐりさんで県外移設はなかなか主張できなかった。


鳩山発言はインパクトあったことは間違いない。問題は、その後の撤回発言だが、鳩山の無能を責めるだけで、頬被りして、自分の権益を死守した輩のことを見逃すべきではないだろう。沖縄県民に「県外」という選択肢を認識させたというだけでも大きな意味があったと思う。今更ではあるが、鳩山には発言死守して欲しかった。

佐野 (寺島実郎との対談で)翁長さんが「20~30年前の沖縄は中国を睨んで極東の要石でしたが、沖縄は中国に近すぎて、いままさにミサイルが飛んできたら普天間は吹っ飛んでしまう。沖縄にいるアメリカ人のことを心配していて、もし中国との関係がもっとややこしくなってきたら、いつの日か突然、沖縄から出ていくのではないかとまで私は思うのですが」と発言しているんですね。
古木 同感です。在日米軍再編の協議からそういうことは言われていました。いわゆる本土の沖縄化です。中国のミサイルの開発技術が向上し、一カ所に基地が集中しているとリスクが大きい。卵をひとつのかごに入れておくと、すべて割れるリスクが増すという「かごの卵」論です。だから在日米軍が日本全土を巡回しながら自衛隊と一体化していく。それがいまの安保法制の動きでしょう。全体としては、そういう流れのなかにあると思うんです。


「在日米軍が日本全土を巡回しながら自衛隊と一体化していく。」(>_<)

古木 沖縄が独立するかしないかはともかく、仮に沖縄が独立したら、尖閣は琉球国の領土になる。そうすると日台中で領有権争いをしている尖閣問題は、琉球国が緩衝地帯になるのではないかという論議もありますね。
佐野 けれども、それは非常に難しいでしょうね。
古木 理想としてはそうあってほしいところです。
佐野 でも世界史的に考えて、戦争が終わって70年も占領された地域というのはほかにありますか。
古木 ないと思います。


沖縄独立論には心情的に賛成してしまう。

佐野 沖縄慰霊の日(6月23日)に安倍総理が「バカ野郎、帰れ」と言われた。あれはすごかった。あんなのは初めてだ。鳩山、梶山静六、小渕、それから山中貞則(自民党衆議院議員)らは沖縄に対して過剰なサービスをしていたとはおもうけれども、沖縄は日本の犠牲になったという思いをそれぞれ抱えていた。しかし、2015年の夏、安倍総理には小指の先ほどもそんな気持ちはないと思います。(佐野眞一との対談(2015/07/07収録))

安倍への非難は肯んじるが、佐野もどこか沖縄への偏見をもってる気がする。

沖縄は自由に使える--本土復帰41年を経たいまも日米両政府の認識は変わらない。米軍や米軍属による事件や事故はその延長線上で起こる。
沖縄は植民地か!
構造的差別はいつまで続くのか!
日本は主権国家と言えるのか!
日本政府はこうした沖縄の声に耳を傾けるどころか、「主権回復」を祝う式典の開催を強行したのである。


1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約=日本の主権回復と主張されて、沖縄、奄美の人々が反撥するのは当然と言える。それを知りながら強行したのが2013年の安倍内閣だった。

前政権の野田佳彦総理は2012年9月、沖縄県知事と県議会、41市町村の長と議会議長の県民総意の反対を押し切り、欠陥機オスプレイ12機を普天間飛行場に強行配備した。さらに12機の追加配備、そして嘉手納飛行場への配備計画も浮上している。しかも日米の合意で可能な限り避けるとされた住宅密集地での飛行が常態化。改善を求める沖縄側の声に対し、日本政府は具体的な言及を避け、「重く受け止める」「違反にあたらない」などとしている。(第1章 軍事記者が見た「本土vs.沖縄」20年史)

野田佳彦の失政はこちらにも及んでいたのか。

「仲井真氏は、「沖縄は金で転ぶ」という安倍政権による印象操作に手を貸し、オール沖縄の世論を割る役割を演じた。安倍首相の高笑いが聞こえるようだ。政権に従う側とあらがう側をいがみ合わせて力をそぎ、権力側の思惑通りの展開にする。沖縄の知事が、「植民地統治」の核心である「分断統治」に加担してしまう責任はあまりに重い」(松元剛 2013/12/27) (第2章 「辺野古受け入れ」の不都合な真実)


この発言の松本剛記者は、本書全般に登場する。というか、本書の真の作者といえるかもしれない。
それにしても仲井真元知事は、末代に汚点を遺したというしかない。

安倍政権は仲井真前知事の埋め立て承認にすがりついて辺野古の海上工事をしているその一方で、安倍総理をはじめ、沖縄の基地負担軽減担当大臣である管官房長官、中谷防衛大臣ら基地問題を担う主要閣僚の誰ひとりとして知事選で圧勝した翁長知事と会談しようとしなかった。
政府の立場に立てば、新基地建設反対の立場を鮮明にしている翁長知事に政治的アピールの場を与えたくない。沖縄の民意の正統性を主張され、全国の世論を味方にされる懸念もある。


いずれにしても、安倍、菅コンビの翁長知事への態度は、常軌を逸している。

2015年の新たな五点セット
1.安倍政権の知事との面談拒否
2.海上保安庁や警察による人権侵害をともなう過剰な警備
3.巨大ブロックの投入など強引な作業によるサンゴ礁の環境破壊
4.在沖海兵隊司令官の暴言「辺野古反対運動は共産党からお金をもらっている」
5.在沖海兵隊幹部による誤解に満ちた沖縄蔑視発言、抗議活動の陣頭指揮をとる沖縄平和運動センターの山城博治議長を狙い撃ちした米軍による逮捕
これらに政権与党議員の勉強会での妄言・暴言を加えると「新・六点セット」と言っていいだろう。


こういった不祥事が毎年のように繰り返されて来たわけだ。

政府は辺野古に基地を建設しなければ普天間飛行場は固定化すると繰り返す。みずから土地を奪っておいて、世界一危険になったから、老朽化したから、危険性の除去のために新たな基地を提供せよ、いやなら居座る、開き直ると言っているに等しい。

盗っ人猛々しい、とはこのことである。


2016057
【韓国呪術と反日】但馬オサム ★★★☆ 2015/01/22 青林堂

但馬オサム 1962東京生。フリージャーナリスト。SM関連雑誌から出発。得意分野は映画、犯罪、フェティシズム、猫。

タイトルと、出版社(青林堂はいぜんの「ガロ」時代と違って最近は嫌韓本を多く出している)からして、トンデモ本だろうと思った。たしかに、偏見や我田引水や露骨な表現は散見するものの、見るべきところも多かった。

私は、慰安婦問題は、すっきりした形で解決することはないと断言します。いわゆる慰安婦がキャンプ・フォロワー(追軍売春婦)でしかないという決定的証拠が出てきても、韓国はそれを認めることはないでしょう。
慰安婦問題ほど、韓国人の"寝取られ"コンプレックスを刺激してやまないイシューはないのですから、ゆえに韓国がこの屈折した快感を放棄することはないと思うのです。
韓国は歴史問題等でサディスティックに日本を非難することで同時にマゾヒスティックな感情も満足させている。両者は正比例の関係にあるといっていいと思います。日本に対してサディスティックをむき出しにすればするほど、彼らのマゾヒズム的快感が増幅されるのです。一方、日本は韓国の非難にマゾヒスティックに頭を垂れるほど、サディストである自分を自覚していくというわけになります。


もともとがSM雑誌のライターだけに、こういった観点になるのだろうが、一面の真理をついてるようでもある。

韓国人の人間関係を構成する特徴として、よく取り上げられるのが、ウリとナムという概念です。本来「われわれ」を意味する「ウリ」ですが、この場合は「内輪」というふうに訳すとわかりやすいかもしれません。自分を中心に家族、血族、本貫、地縁、友人、学閥とさまざまな「ウリ」が構成されます。その外側がナムです。てっとりばやく翻訳すれば、ナム=「赤の他人」ですが、ニュアンス的にはもっと排外的ない響きがあります。
韓国人は「情の民族」を自認し、「日本人は情が薄い」などといいますが、この場合の「情」は、同化の度合いを意味します。「情が薄い」とはすなわち、同化能力が弱いということです。

メダカや鰯といった群を形成する小動物は個体としての意志とは別に群としての意志を持つとされ、これを"群魂(グループソウル)"といいます。この仮説を韓国人に当てはめると容易に理解できるというのも面白いところです。つまり、韓国人にとって、この群魂にあたるのがウリ意識ということになります。(第1章「反日のエロス」)

ウリとナムを取り上げて、ナムを排外的と論じるあたりは、きちんと勉強してるようだ。
ウリを群魂に例えるあたりもね。

李朝時代の伝統的階級は上から王族、両班、中民、常民、奴婢で、この他、階級制度の外に置かれる白丁(被差別民)がいました。日本の士農工商が、階級というより職業区分の傾向が強かったのに比べ、朝鮮の階級制度はどちらかといえばインドにおけるカーストに近いものがあるように思えます。
また地域差別--とりわけ全羅南道や済州島出身者に対するそれや障害者に対する偏見など韓国社会における差別の根はとても深いのです。差別の種が多ければ多いほど、生じる「恨」も多種多様ということになります。歴史上、周辺大国のさまざまな干渉を受け続けていたことも「恨」文化の醸造に大きな影響を及ぼしていることは確かでしょう。とりわけ、文化的に弟(格下)と見なしていた日本に支配された屈辱は彼らの中に深い「恨」のリゾームを張り巡らせることになったと想像できます。


韓国人の差別意識は日本人と同じくらいに、ひょっとしたら日本人より強い(あるいはストレート)かもしれない。たしかに日本による植民地化への「恨」は、よりによって格下の日本に征服されたということで強化されたというのは説得力がある。

日本人には「恨」に類似する精神文化は育ちませんでした。その代わりに、培われたのは「諦念」、つまり諦めの心です。「失ったものはいくら嘆いても返ってはこない。そう思って諦めよう」。涙を拭いて、一から出直そう、無くしたものは一生懸命働いてまた築けばいいではないか、というのが日本人に染み付いた「諦」の考え方です。

日本人の諦めの良さは、もともと草食系だったことと関連があるように思える。

日本人の諦念は仏教の無常観と密接な関係にあります。「無情」と「無常」は似て非なる言葉であり、無常はその字の通り、「常ではない」、世の中に変化しないものなど存在しない、という意味の言葉です。「形あるものいつかは滅す」「朝の紅顔、夕べの白骨」という言葉にも象徴されています。
一方、「恨」は、儒教的な色彩の濃い概念です。
私なりに「恨」というものを解釈するならば、ずばり、それは「のたうち回る心」です。


この「恨」の定義は、違うと思う。儒教的というなら、本家の中国にも「恨」があるはずだろうに、そうは思えない。

NHKから民放各社、大手雑誌にスポーツ新聞、あらゆるメディアを総動員した翼賛・韓流ブーム。大韓民国の国策機関である国家ブランド委員会と「オリンピックから選挙までプロデュースする」といわれた日本の大手広告代理店の合作であったことは今では、いや、ブームの絶頂期ですら囁かれていたことでした。

あの「韓流ブーム」を請け負ったのが電通だったとは。うかつにも知らずにいた。言われてみれば、そのとおりだな。

「日本女性がメロメロになるカッコイイ韓国人」と「日本人に搾取され、奴隷のように扱われた韓国人」
。前者を好ましい韓国、優れた韓国、強い韓国、誇らしい韓国という意味でストロング・コリア(SK)、後者を不幸な韓国、踏みにじられた韓国、惨めな韓国、恨みの韓国という意味でチキン・コリア(CK)とこの本では仮称します。
韓国は、SKとCKをコインの裏表に、時に日本に対する無言の圧力の材料とし、時に国内のナショナリズムの高揚に巧みに利用してきた経緯があります。
アメリカ各地に韓国が建立をもくろむ慰安婦象や記念碑は、まさしくCKの極みなのですが、これを恥辱の上塗りと考えないところが、実に彼らしいところといえます。つまり、日本相手にはCKもまた有力な武器になるということです。


これもなかなか説得力あり。

拉致問題の解決どころか、その周知さえ遅らせてきたのが、国内外の韓国朝鮮勢力の被害者絶対論だったのです。拉致問題がまだ拉致疑惑と言われていた時代、家族会や救う会による地道な活動を、「差別だ」「右翼の捏造だ」と騒ぎ建て妨害し、これを報道しようとしていたマスメディアを萎縮させてきたのは、総連や民団の自称・強制連行で日本にやって来た、キラー被害者やアブドーラ・ザ被害者、あるいは旧社会党などの同調者でした。(第2章 「のたうちまわる愛」)

この辺になると、かなり偏見が露骨。

ソウルのような大都市でも、一歩裏道に入ると坐堂の印である「卍」の看板を自然に目にすることができます。「卍」の印は都市生活と冥界をつなぐ、"どこでもドア"といっていいでしょう。

Morris.はこの「卍」を仏教のマークと思ってたのだが、坐堂だったのか。こういう部分はMorris.の蒙を啓いてくれてありがたお4。

戦後坐堂文化は、朴正煕軍事政権下の迷信撲滅政策で二度目の打撃を受けますが、これがまた新興キリスト教カルトを活性化させるきっかけとなりました。この時期誕生した代表的なカルト教では、世界基督教統一心霊協会(統一教会)やキリスト教福音宣教会(摂理)、チョヨンギ牧師の汝矣島純福音教会、故ハヨンジョ牧師のオンヌリ教会などがこの時期に誕生しています。
坐堂のクッでは、チャンゴなどの楽器がトランスの誘導に使われますが、韓国教会ではオルガンやドラムスがこれに替わります。ためしにYou Tubeで「crazy korean churuch」あるいは「crazy koreann christitians」を検索してみてください。


たしかに統一教会はカルト的だが、これをキリスト教と呼ぶのは間違ってると思う。

日本で、なぜキリスト教がひろまらなかったか。答えは簡単です。日本人が一神教のようなトップダウン型の宗教を必要としなかっただけです。そこが、韓国との大きな違いだと思います。それでいて、一般的な日本人は「キリスト教的なもの」が決して嫌いではありません。クリスチャンでもないのにクリスマスを祝い、結婚式を教会で挙げたりするのが、何よりの証拠でしょう。最近ではコマーシャリズムに乗ってハロウィンまで定着しそうな勢いです。むしろ、私に言わせれば、日本人はキリスト教をロマンチックに考え過ぎだと思います。本来が侵略の宗教なのです。西欧の植民地主義とキリスト教の布教は常にセットの関係にありました。南米のインディオをジェノサイドしたのはヨーロッパの宣教師だったではありませんか。

これも一種の偏見だろうが、Morris.は結構共感を覚えてしまった。

ソウルの日本大使館前に設置され、また韓国政府がグレンデール市をはじめ、全米に設置を画策する少女慰安婦像ですが、あれをstatue(彫像)と英訳するのは間違いで、土俗信仰的な崇拝物、一種のtotem(呪像)と認識するのがより本質に近いというのが私の意見です。

「少女慰安婦象」についてはMorris.なりの意見があるのだが、それはもう一冊の本(帝国の慰安婦」の読書メモで書くことにする。

韓国人は何事も白黒つけたがります。正と邪、善と悪、上と下という、徹底した二元論に立っているのです。その意味では曖昧を許しません。この二元論に、一神教的な懲罰思想が加わった結果、現代韓国知識人の思考はますます硬直し、不寛容で他罰的な対日観が形成されました。(第3章 「愛と呪いの国」)

二元論、これは韓国人に限ったことではあるまい。

安重根が独立運動の義士、英雄と奉られるのは実は光復後のことですが、それにしても過大過ぎる評価といえます。
戦後、韓国で「日本人も尊敬している安重根」→「罪深い日本人さえ安重根の正論を認めざるをえなかった」→「安重根の行動は正義に違いない」という論法の飛躍があったということは充分考えられます。そしていつしか安重根は「東洋平和を願って悪の日帝と戦った韓民族が誇る英雄」、伊藤博文は「アジア侵略を目論む日本帝国主義の首魁」といった、およそ正反対の評価に変質してしまったのでした。

これはかなりのこじつけである。安重根の行為についてはMorris.はそれほど評価していない。

閔妃は夫である朝鮮王・高宗を尻目に、国を私物化し閔一族の栄達のみを願ってひたすら国庫を両扉して朝鮮を亡国へ導いた傾城の愚女でした。まさに天下の悪女につきました。
ところが、80年代以降、韓国ではこの閔妃に関して「誇り高く慈悲深い国母」、「日帝の飢狼によって殺害された悲劇の王妃」というそれまでとはおよそ正反対の評価が起こっているのです。近年、閔妃映像作品で登場するたびにイメージ・ロンダリング(印象の浄化)がなされていきました。韓国では「閔妃」という呼び名を嫌い「明成皇后」を正式呼称にしようという動きが起こりましたが、○○皇后というの諡号(高貴な人に死後贈られる名前)ですから、生前の閔妃に「明成皇后さま」と呼びかけるのはおかしなことです。


最近の韓国での閔妃のイメージチェンジは、ちょっと異常だと思う。いろんな歴史書見ても、閔妃のやったことは褒められたものではない。だからといって、虐殺という行為はゆるされるべきではない。

韓国では2005年、悪名高い親日法(正式名称・観日反民族行為者財産の帰属に関する特別法)が施行されました。「日本帝国主義の殖民当地に協力し、わが民族を弾圧した反民族行為者が、その当時、蓄財した財産を国家の所有とすることで、正義を具現し、民族精気を打ち立てることを目的とする」(第1条)
いうまでもなく、近代法原則の遡及法の禁止、連座制の禁止に抵触します。


この法律にはMorris.も大きな違和感を覚えていた。「親日」という言葉が、極めつけの罵倒語であるということ自体が大きな問題である。

植民地経営の老舗、大英帝国は分断統治という手法を得意としてきました。たとえば、マレー半島を植民地にしたとき、イギリス人がじかに統治せず、インド人や華僑を入植させ、彼らにマレー人を支配させたのです。この統治法の巧みなところは、被支配者であるマレー人の怨嗟がイギリス本国に向かわず、直接の支配層であるインド人や華僑に向かうということでした。(第4章 「反日韓国は日本が作った」)

ここらあたりは、他の本からの受け売りっぽいが、たしかにイギリスの植民地政策は東インド会社の時期から水際立っていた。

何ごとも原因があって結果があるのです。言葉にすれば当たり前に聞こえるこの理屈を人類で最初に発見したのがお釈迦さまでした。唯物観を標榜するはずの左翼の学者や評論家の先生方も、なぜか日韓関係に関してはこの理屈を忘れ、ひたすら情念や感傷で歴史を語ろうとするのが不思議でなりません。しかしまた、その情念の部分を見逃してしまえば、日韓関係という倒錯した国家関係を読み解くこともできないのも事実です。本書は、日韓関係の情念の部分にむしろ徹底的にこだわった本といえます。(あとがき)

日韓関係が「倒錯」した関係というのは当たらずといえども遠からず(^_^;)であろう。だが、倒錯の責任は日本の方にあるのではなかろうか。
読み終えてみればやはり一種のトンデモ本ではあったが、それなりに刺激的でもあった。


2016056
【東京プリズン】赤坂真理 ★★★☆☆ 2012/09/10 河出書房新社
発売当時、かなり話題になったらしいのだが、Morris.は全く知らずにいた。これも先日読んだ「人間・この劇的なるもの」と同じく中島岳志推薦本ということで読む気になった。
1980年アメリカの地方高校に留学した少女マリが、ディベートの一環として擬似東京裁判の再現に役割を振られ、現実と幻を往来しながら、その本質を自分なりに理解していく。20年後の自分に電話したりもする。

東京裁判というのは、子供が見てもおかしな裁判で、「戦争をしただけで平和に対して罪がある、と、戦争の勝者が言える」というおかしな論理に基づいていた。あまりに素朴に変なので、変だと指摘するこっちが変に思えてくるような、そんな論理だった。

正しくは「極東国際軍事裁判 The International Military Tribunal for the Far East」。普通の意味での裁判ではないことは、明らかだが、日本ではある意味禁忌とされたようでもある。

アメリカの歴史は戦争の歴史ではないかと思えてくるくらい、アメリカは間断なく戦争とそれに類することをしてきたことがわかる。イギリスからの独立戦争、南北戦争、メキシコとの戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、キューバ危機、ヴェトナム戦争……。そのアメリカに太平洋戦争でこてんぱんに負けた日本では、それ以降戦争を考えるのもタブーといわんばかりになって、私はそういう教育を今まで受けてきた。でもそのかわり、受験戦争や交通戦争、企業戦士、など、日本ではいろんなことが戦争の名で語られて、そのことには疑問を持つ人がいないかのようだった。


アメリカに劣らず日本人も戦争好きだったのではないか。江戸時代は鎖国と徳川幕府の幕藩体制で、例外的な戦争のない時代を実現したが、明治維新からは軍国主義。
そして1945年以降は、アメリカの庇護下で、直接戦闘には加わらなかったにしろ、金や基地や資材を提供してきた。そしていよいよ……

"I'll let you go back to your study"(まあ、このへんで、君を君の勉強に帰してあげるよ)
アメリカ人のこういう言い回しも、私には笑っちゃうほど面白い。でも笑ったところで相手には伝えにくい。外国にいたり外国語が不十分だったりするときに感じるフラストレーションとは、つまるところ、こういう小さなことを伝えられないことだ。
本当に相手に気を遣っているのか自分が切り上げたいのか、わからないけれど、相手の都合のかたちにして、自分が引くといやり方言い方--切り上げるときにこういう決まり文句が存在することは、面倒で、同時に楽だ。


外国語を通じて、彼我の差異を思い知らされることは多い。筆者は海外留学経験があるのだろうか。経験無しで書いてるとしたらすごい。

……ヴェトナム戦争は 呼ばれる 名誉なき戦争
……「『通常の戦争』の兵士だったら、どんなによかったろう」
……「僕は思った。こんな待ち伏せや落とし穴に怯える毎日じゃなく、ヒロイックな戦闘がある戦争を望んでいた。けれどここはノーマンディでもゲティスバーグでもなく、」
……「なんのために戦っているかさえわからなかった」
……「この戦争の別の汚名を 『泥まみれの戦争(ザ・マディ・ウォー)』」
……しかしこの戦争が、一方で、兵士たちの快適さを追求した戦争だということは、あまり知られていない。
それはペンタゴンが 奇妙な"砂糖とスパイス(シュガー・アンド・スパイス)"を加えた戦争だった。
その"砂糖"がRTD ローテーション・ツアー・デイト と呼ばれる制度、
……RTDは、兵士の□□を一年と定める。それまでの戦争は、目的を果たすか□□□か死ぬまで 終われなかったが、ヴェトナムでは一年で兵士は帰れた。そして予定は カンパニー単位でなく 個人単位で 組まれていた。
……それは兵士の最新ストレス研究の産物だった。
……スパイスは、R&R(レスト・アンド・レクリエーション)
……R&Rは、5日間与えられるフリーの戦闘休暇である。
兵士たちは、十都市から好きな場所を選べた。東京、マニラ、シンガポール、クアラルンプール、バンコク、香港、タイペイ、那覇、シドニー、ホノルル。香港などでは□□□のピークで一年につきR&Rの□□はワンハンドレッド・ミリオン・ダラーズ。
……戦争は、死の恐怖そのものである。にもかかわらず、その周りには、アメリカからそっくり空輸されたような光景。
……兵士たちは、二重の非日常を生きていた。


「飴と鞭」を極端まで推し進めたやり方。これは今でも米軍では継承されているのだろう。

後方に戻れば仲間と冷えたビールで乾杯、ってか。食糧や最低限の薬さえなく死んでいった前線(フロント)の日本兵との、なんというちがいだろう。
つまりは、ヴェトナム戦争とは、アメリカが幾多の戦争の経験と研究から得た、最新ピカピカの合理性を投入してみた戦争である。
にもかかわらず、ヴェトナムは、アメリカがそれまで戦ってきたどんな敵ともちがったらしい。


米軍兵士は日本兵を異物としか見られなかったに違いない。

「これ」を考えると思考停止になる、というツボがある。おそらく私だけでなく、日本人全体にそのツボがある。そこに触れられるとフリーズしてしまう。日本の中学校では、近現代史に触れることは暗黙の、公然とした、タブーだった。事実は載せないわけにいかないので教科書には載っている、けれど誰もがそのことにおいては申し合わせたように足並みをそろえ、カリキュラムは卑弥呼から始めて明治維新あたりで時間切れになるようになっている。この連携は、見事というよりほかなかった。
発せられる強いメッセージはたったひとつ、それは考えてはいけない問題だ、ということ。特に子供や学生が。まして、問うてはいけなかった。なぜ考えてはいけないのか、ということも。
私たち子供がなぜそれを訊かなかったかというと、訊くと大人が困ると思ったからだ。
天皇の戦争責任。何かがそこにある気がする。


筆者は1964年生まれ。小説の舞台1980年で、その年16歳ということから、ヒロインは筆者がモデルだろう。Morris.より15歳ほど年下だが、Morris.も「日本史」授業には彼女と同じことを思ってた。これは共通概念だった。

「ここヴェトナムにもフランスの傀儡政権があったし、日本も中国で。……おい何を驚いた顔してるんだよ。マンチューリを知らないのか」
「しかし俺は日本人をその点においては尊敬しないでもない」
「なんの話?」
「満州って国さ。国って一から建てられちゃうんだ、ってのは大発明じゃないだろうか。その点はもう少し誇ってもいいと思うんだがな。イスラエルの建国はあれをまねしたんじゃないかと思うほどだ」


「満州」には、Morris.はちょっと複雑な思いを持っている。「虹色のトロツキー」に触発されたところが大きいけど(^_^;) 船戸与一が最後に挑んだのが9巻にわたる「満州国演義」だった。物語としてはいろいろ言いたいこともあるが、ともかくも死ぬ前に完結できてよかった。イスラエル建国が満州の真似ねえ?

「俺たちはひとつになったんだ。祖国統一、みたいにね」
美しいほうの顔が私にウィンクした。
「お前が特別無知なわけじゃないってんなら俺たちには、日本人というものに同情する」
「同情なんて要らない。私たちは復興した。もう戦争の傷跡なんてない! 世界第二位の経済大国なのよ!」私はヒステリックに叫んでいた。自分がそんなことを考えていたことに驚きながら。
「そうだな、やはり感服と言ったほうがいいな、なんたってひとつの民族がそれほど歴史を忘れて生きていけるとは!」
「仕方ないわ、勝てなかったのは、圧倒的な物量の差の前には」
「物量」は、仕方のなさを説明するにはいちばんいい。誰だって、5が1より大きな数字であると知っている、というような意味で。それはあきらめやすい。あきらめやすい、とは気持ちを切り替えやすいということだ。ああ、そうか、だから日本人はなんでも数字に置き換えるようになったのか。数字が大きいほうが勝ちなのか。それが価値なのか。軍国主義の看板をおろして、経済戦争に集中した。平和の名のもとに。価値が経済に一本化されたのか。


ベトナムで1981年に生まれた下半身が繋がった結合双生児グエン・ベトとグエン・ドクの兄弟(いわゆる「ベトちゃんドクちゃん」)は日保ののマスコミでも話題になってた。原因は米軍が大量に散布した枯れ葉剤が原因と言われている。
本書に登場する双子はヒロインの幻想の中の存在だが、大きな役割を担わされている。

『真珠湾がなぜそんなに卑劣と言われるのか、何十年もの間、恥を知れみたいに言われ続けるのか、その意味がわかりません。あなたたちは合理的な民とされているけれど、この件の怒り方はどこか、生理的だ。原爆を二発も落としておいて始まりの瑣末なことを言い続けているみたいに、我々からは思える』。


あの戦争でアメリカ本土は一度も爆撃受けてない(風船爆弾(^_^;)を別にすれば)。それだけにハワイへの奇襲を過剰に取り上げるきらいがある。マッカーサーの捨て台詞「Remember Pearl Hourber」が、とりわけ、効果的だったということもあるけど。
これに対して、原爆投下、日本全土への空襲は、日本人はあまりに過小に受け止めていない。

「『平和にたいする罪』を犯した者が、A……ランクAの戦犯なのよね?」
「クラスA」
「クラスA、が、いちばん罪が重いのよね?」
「そんなことはない。ABCは種別であって、罪の重さじゃない」
ええっ! と私は声に出さずに驚いた。私の国では、今でも、A級戦犯というのがいちばん重い罪だと信じられている。それは私に限ったことじゃない。スポーツの大事な国際試合で負けたりすると、いちばん致命的なことをした人が"A級戦犯"とメディアに呼ばれて叩かれたりスル。なんて恥ずかしいことを言ってたんだろう。
「A,B,Cのクラス分けはニュレンバーグ裁判の形式をそっくり引き継いだものだ」
「第二次世界大戦後にナチスを裁いた国際軍事裁判があった場所。東京裁判はそれをベースにしている。クラスBの『通例の戦争犯罪』が、捕虜の虐待であるとか、民間人の殺傷であるとか。クラスCの『人道に対する犯罪』はホロコーストに向けられたもので、日本には対応するものがなかった」


東京裁判の戦犯のA級、B,C級のイメージは、Morris.もずっと誤解していた。井上ひさしの本で初めて知ったのではないだろうか。原語はクラスなのだろうが、たしかに「ランク」という評価基準だと思ってたのだ。

「ゲティスバーグがどうかした?」
「そう、あのときアメリカは、アメリカ合衆国軍、通称北軍は……神話をつくった。神話が、ぜひとも必要だった。それがあの有名な『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府(ガヴァメント)』。人びとには新しい神話が必要なのよ。こういうとき、そう、人がたくさんたくさん、死んだようなとき、たくさん殺したとき、あるいはたくさん殺すために、そしてそのためにたくさんの同胞も傷つき死んだとき。『ピープルの、ピープルによる、ピープルのための、政府』、民主主義は、「そのために」人が戦って死んだじゃない、あまりにたくさんの人が「死んだから」、創られた。そして人びと(ピープル)はまとまった。そしてそういう神話は人びと(ピープル)の中から出てこなければ、ピープルが腹の底から望んだ神話でなければ、生き延びないし、人びとも生きられないのよ……死んでしまう。死んでしまう、私たちは死んでしまう、日本人は。神話がない。アメリカのくれた神話はいいものではあったけど、それでは長くは生き延びられない、私たちはそのとき、どうするの? 私たちは死者に何をしたんだろう。私たちは死者の上に住んでいるのに、死んだ人にどんな栄誉を与えられた? もう戦争は繰り返しませんと呪文みたいに言うこと? あれが「過ち」だったと言うこと? では「過ち」のために死んだ人はどうなるの? 死んだ人が徹底的に無意味だ。あんなにたくさんの、死んだ人たちはどうなるの?」


これは日本の憲法の喩え。

-- Sear! Sear!  Why have you abandoned us?
さらに離れると、日本語で意味が来るようになり、
「大君! 我らが大君!」
「なにゆえ我らを見捨てたもうたのか?」


これは三島由紀夫「憂国」のパロディかもしれない。

1983年アメリカ資本のテーマパークがオープンして、すべてが変わった。そのテーマパーク、東京ディズニーランドは、日本の遊園地の概念を永遠に変えてしまった。ある意味、日本の遊園地を、高度経済成長期の親子や恋人たちが出かけた遊園地というものを、葬り去った遊興施設だった。そして日本のかつての多くの遊園地が今はただゆっくりと廃墟になるのを待っている。ただ一時代の渇望を満たし、やがて時代と人に遅れて見捨てられる、炭鉱や、巨大団地のように、高速のインターチェンジに寄り添ったラブホテルのように。

アメリカ文化による、日本文化の駆逐ということだな。そうか「東京」ディズニーランドは83年に開園したのか。ディズニーが戦争中にプロバガンダ映画作ったことは知られているが、いわゆるディズニー動画こそ、アメリカプロバガンダにほかならない。ディズニー死んだ後もシステムは残り、今もなお日本はその傘下にあるらしい。

そこはきつい潮のにおいがした。
そして何とも言えない有機臭がした。土や、金属、石油の匂いも。それらがどっと、塊のように押し寄せてきた。
周囲には泥や油や糞尿や生ゴミかつて家だったもの、などなど、およそ人の営みすべての蓋を開けたような光景が、灰色の粥のようなものと混ぜ合わされて横たわっていた。なんとも言えない臭いは、花の強い香気の中で、鼻腔の奥に貼りつく油膜のようだった。


災害や空襲の現場にある臭い。映像や画像だけでは絶対に知りえない。

大君。
私がそう呼ばれることも知っているが、私は王ではない。
私が世界を回しているのではない。世界は回る。世界は、回ることをそれ自身知っている。自ずから然(あ)る。ただ、回るには、中心が必要なのだ。そこへ入ること。それが我が系譜に綿々と続いた役目なのだと私は理解した。
ここが器。
中心の中核。私は器であり水である。杯であり血である。実体であり鏡である。


「大君」は、ヒロインに憑依した日本の天皇であり、それ以前からの精神の血脈みたいなものである。

<侵略戦争>は英語の文献では<war of aggression>だった。この言葉には<先に手を出した方が悪い>という意味合いがあると、アンソニーに習った。だから真珠湾攻撃があんなにねちねち言われ続けるのかとも
思ったが今感じるのはそうではなかった。
私は卒然と気づく。
歴史用語が、私たちに手渡された時点で翻訳語であり、いろんな意味が落とされたり別の意味をおびてしまったりしている。


「日本国憲法を原案(英文)から考える」(内田芳邦)という興味深い文章を見つけた。

どうしてこんな短期間で、私もわからなかった本質を知りえたのか。外から見るからなのか外国語で見るからなのか。<明治維新>だって言われればたしかに<レストレーション>であって、<王政復古の大号令>というのがあったけれど、そのことと明治維新はうまく繋がっていなかった。言われれば明らかにそれは<復古>なのだけれど、私はなんとなく<革命>だというふうに思ってきていて、<レストレーション>と言われるとびっくりしてしまう。英語の方が本質を掴んでいる。<維新>と呼んだことでわからなくしていたことだって、私たちには多かったのだ。漢字は日本人にとって、一種のブラックボックスになっている。わかった気になるだけで、本当はわかっていない。
私の母国語はすでに中国語という外国語を含んだ翻訳文だった! 「漢字」と書くことで出所が明らかすぎるほど明らかに示されているにもかかわらず、それが見えなくなっている。


restoration 1.復帰、復職、復位 2.(制度などの)復興、再興 ;(領土・状態などの)回復、復活、復旧 3.修復、修補、校訂 4.復元 5.回復、本復、全治 6.返還、還付 7.[神学]万民救済 8.王政復古(研究社 新英和大辞典)
維新 [維(これ)新(あらたなり)の意] 1.すべてのことが改められて、すっかり新しくなること 2.明治維新のこと(大辞林)

天皇の有名な「人間宣言」と呼ばれるもの、あれはよく読んでみると、「私は人間だ」などとは一言も言っていない。天皇は天皇自身の根拠を、あれでもこれでもないと、否定形ばかりの回りくどい言い方で、自分は神ではないと否定している「らしい」だけで、あとは戦争で国土や人心が荒れて嘆かわしいなどと、他人事のように戦争直後の国の様子を嘆いている。

私の国の人たちは、戦争が終わって、女のようにふるまったのではないかと。男も女も、男を迎える女のように、占領軍を歓迎した。多少の葛藤はあったとしても、相手に対して表現せず、抵抗も見せなかった。それどころか、占領軍を気持よくするためのことが、公にも個人レベルでも行われ、じじつ、日本人は占領軍と仲良くやった。まれに見る仲むつまじい占領だったのではないか。
この感じは今でも続いていて、国内に在る米軍基地だって、基地をめぐる政府の態度だって、そうだ。米軍のためには、<思いやり予算>ってものまであるのは、ついこの間、日本から送られてきた新聞のすみのほうに書かれていて知った。いったいなによそれ。誰にも聞いたことがない。もちろん中学で習ったこともない。私が中三だった1979年には280億円。日本の学校で学んでも、知らされたとは思えない。なぜなら……なぜなら大人たちがそれを恥じていたからでしょ?


「思いやり予算」とは、1978年、当時の防衛庁長官金丸信が決めた「法的根拠のない」負担に対して便宜的につけられた名前である。それから40年。この予算はいまだに、そして今からも、支払われ続けている。

天皇の何たるかを問うたなら、自分の立つ場所がなくなる感覚に襲われるだろうと。そしてこれが、私の国の大人が天皇を語ってはいけないことにしてそれを決して問わなかった理由であった気がする。「天皇が日本の象徴である」と口にするのは簡単なのだが、その意味を私たちの誰も本当には実感しておらず、本当にそれを問うたら、日本とは何かを問わなければならない。

けれど天皇が神だと言ったのも、もともと天皇自身ではないのだ。
だったら軍事裁判が軍部や政治家を罰するのは理にかなっている。神であるというのが、うまくできた嘘の広告であったなら、その広告の作り手を罰するのは。
天皇に宛てたつもりが、いつの間にか行き先が変わる。こういうすりかえのブラックボックスのような機能そのものが天皇をめぐって在る。彼らがつくった天皇制とは、そういううまいシステムでもあった。軍部や政治家はそれを利用していた。いわば彼らは最初から、天皇をシステム論的に使っていた。


男というシンボルのもとに結束せねばならなかった時代。すなわち「戦争」の時代。軍神は男の神でなければならなかったのだ。
ことは、天皇制よりも大きい気がした。
「その神は偽物(フォーニー)だったと君は言っているのか?」
「神は……神は全部偽物じゃないですか? フィクションでしょう、もともと? 天皇だろうとキリストだろうと。ちがいは神として語られた歴史が長いか短いか。ラジオやテレビがあったかなかったか」
その瞬間、そこここから痛いほどのブーイングが飛んだ。
驚いた。この物質文明のアメリカの人びとが、生身の大工の息子だったとほぼ認められている、イエス・キリストという人を本当の本気で神だと信じているのだった。一人の生身の人間の神性を信じているという点で、彼らと戦前の日本人の間にどれほどのちがいがあるのか。むろん、大きなちがいという事もできる。


このブーイングで、ここが、アメリカの高校のディベートの場だという現実に返る。

「俺たちは、植民地の甘い汁を吸った現地人の子だ。どんな植民地にも、俺たちの祖先のような奴らがいた。それを憎んで、俺たちは投獄した。自らを」
植民地の甘い汁を吸った現地人。なぜか日本には戦後、そんなひとばかりができた気がする。なぜなのかは、本当にうまく言えない。
「解放してほしい。おまえ自身を」
「解放してほしい。罪人たちを」
双子が両方とも話すのは、やはりめずらしいことで、私は彼らをまじまじと見てしまった。
ひとつ、わかったことがある。
英霊とは、忘れられた人びと、そして忘「れた」人びと。だったら、日本人全員、私も例外でなく、そうじゃないだろうか。


米軍は占領にあたって、日本人に敵意が低いと見てとると、戦闘体験のある者を本国へ引き揚げさせ、戦闘体験のない者たちを新たに日本へ送るという、人員の入れ替えを行ったという。日本人を憎む理由を持たない者たちには、日本人も憎しみを抱きにくいから。時々アメリカは、良くも悪くも感心するしかないことをする。ヴェトナム戦争のRTDやR&Rといい、この措置といい。


イギリスの植民地政策とは一味ちがうやり方のようだ。唯物論からくる合理主義?

「人は神を必要とする。人は神を利用する。でなければ人など大量に殺せない。私の神は特別で、私のほうが彼より神の愛を多く受けている、そう思わなければ。私が神の話をするのは、『神の名のもとに戦争をする』という愚を人類が繰り返すからです。神の名のもとに戦争をするのは最悪だ。人が、人を殺すということに対して持ちうる歯止めを、なくしてしまう。しかし戦争の規模が大きくなるほど、人は人以上の何かを持ちださなければまとまれないことを知ってしまった。神の名においてでなければ、奴らはちがう神を信じている、誤った神を信じているという理由でなければ、あなた方は原子爆弾を、同じ「人の子」の上に落とせたのですか? 同じ人の子を、何万人も、一瞬にして蒸発させられたのでしょうか? 同じ人の子なのです、同じ人の子なのです、ちがう神の子なのではない。みな神の子なのです」

私は虚無からは何も生まれないと思ってきた。しかし、もし虚空を中心に円を描けるのなら、私は自分が抱えてきた虚無感を受け容れられるのではないか。私は実体であり、同時に透明な意識として、純粋に驚いていた。虚無がそういうものであるなら、私は虚無感に苦しむ必要がもうないのだ。
私は話しているが、それは「私」ではなく、私は聴いているがそれが私なのでもなく、私はそのいずれでもあるし、"私"というのは今まで生きたすべての瞬間の私であり、おそらくは、すべての転生の私なのだ。


私が屈したとしても、私は人民(ピープル)であり、私は一人ではなく、私の魂は不滅なのです。
『私たちは負けてもいい』とは言いません。でも、負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負だったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。私は人民(ピープル)であり、一人ではありません。人民は負けることはありません。一人が負けても、すべてが負けることはないからです。だから、独りでも私は、退きません。


前半から中盤までは面白かったのに、おしまいへんの、怒涛のような天皇抽象論(擁護論?)にはついていけなくなった(>_<)


2016055
【人間・この劇的なるもの】福田恆存 ★★★☆ 1960/08/20 新潮文庫 初出1961年6月

報道ステーションのコメンテーターやってた中島岳志が我が枕頭の書と言ってたので、読む気になったのだ。もしかしたら、70年代くらいに読んだかもしれない。福田恆存は「私の國語教室」が印象的、というより、ほとんど信奉者だった(^_^;) でも、その後、言動がかなり保守寄りになったことから、遠ざかったようだ。
中島岳志も保守派を表明しているが、現在日本の学者を、保守だ、革新だと色分けするのはあまり意味をなさないのではなかろうか、保守である革新であれ、聞く価値があると思えば聞き、読む価値があると思えば読むべきだ。評価はその後すればよい。

私たちの社会生活が複雑になればなるほど、私たちは自分で自分の役を選びとることができない。またそれを最後まで演じきって、去って行くこともできない。未来はただ現在を中断するためにだけやってくるのだ。が、私たちは、現在の中断でしかない未来を欲してはいない。そんなものは未来ではないからだ。私たちの欲する未来は、現在の完全燃焼であり、それによる現在の消滅であり、さらに、その消滅によって、新しき現在に脱出することである。

完全燃焼(^_^;) 普通それは生命の消失(焼失?)ではなかろうか。

自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のままに生きることを欲していないし、それに堪えられもしないのである。
舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなければならぬのである。堪えがたいことだ、と青年はいう。自己の自然のままにふるまい、個性を伸張せしめること、それが大事だという。が、かれらはめいめいの個性を自然のままに生かしているのだろうか。かららはたんに「青春の個性」というありきたりの役割を演じているのではないか。
個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。他はいっさい生理的なものだ。
私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起っているということだ。
生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。私たちは二重に生きている。役者が舞台のうえで、つねにそうであるように。


うーーん、宗教書みたいだ。

劇的に生きたいというのは、自分の生涯を、あるいは、その一定の期間を、一個の芸術作品に仕たてあげたいということにほかならぬ。この欲望がなければ、芸術などというものは存在しなかったであろう。
人間はただ生きることを欲しているのではない。生の豊かさを欲しているのでもない。ひとは生きる。同時にそれを味わうこと、それを欲している。現実の生活とは別の次元に、意識の生活があるのだ。それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。(一)


なかなかのトンデモ本である。

純粋な意識の真の緊張感を呼び起こすもの、それが私のいう演戯である。自分を他人に見せるための演技ではない。自分が自他を明確に見るための演戯である。

演技と演戯の違いは、と大辞林みたら

演戯 ①演劇に同じ ②演技に同じ

とあった(>_<) まあ、福田の自論なのだろう。

演戯者にとっては、未来は、知っていて同時に知らぬものである。演戯者には、すべては見えない。過去と未来とから切り放たれた現在だけが、過去・現在・未来という全体の象徴として存在しているだけだ。
私たちは全体を見ると同時に、部分としての限界を守らなければならない。あるいは、部分を部分として明確にとらえることによって、そのなかに全体を実感しなければならない。
私たちが個人の全体性を回復する唯一の道は、自分が部分にすぎぬことを覚悟し、意識的に部分としての自己を味わいつくすこと、その味わいの過程において、全体感が象徴的に甦る。
私たち日本人は、自我のうちに自分と他人という二つの要素しか見ていない。
しかし、自我は自分と他人という相対的平面のほかに、その両者を含めて、自他を超えた絶対の世界とかかわりをもっているのである。
私のいう演戯とは、絶対的なものに迫って、自我の枠を見いだすことだ。自我に行きつくための運動の振幅が演戯を形成する。なんとかして絶対的なものを見いだそうとすること、それが演戯なのだ。ちょうど画家が素描において、一本の正確な線を求めるために、何本も不正確な線をひかねばならぬように。(二)


つまり福田は求道者なのだろう。

悲劇的な人物をまねたいという衝動を、作者の心に、あるいは役者や見物に起させるのは、その行為が「立派な、あるいは典型的な、そして完璧なる行為」であるからだ。それが悲劇であり、破局と死とに終わることを、私たちは一向いとわない。
いや、むしろ死い至る過程であるからこそ、それは私たちに愛されてきたといえる。
死だけは、つねに偶然の手にゆだねねばならず、これを必然化する手だては自殺をおいて他にない。
人間にとって唯一の不可能事である。が、悲劇の主人公は、私たちに代って、それをやってくれる。そして、かれらの死がことごとく自殺に似ているのは、この不可避なるものに向って、みずから歩み寄るかのごとき一糸みだれぬ行為の統一性のためにほかならぬ。イエスの生涯がひとびとに愛されてきたのもそのためである。


キリスト教のことは詳しくないのだが、イエスの生涯は「ひとびとに愛され」ているのだろうか?

マクベスは世間の誤解を恐れているのではない。かれははじめから誤解されるようななにものももっていない。かれが恐れているのは、むしろ世間の正解である。自分の正体を見やぶられることが恐しいのだ。他人の眼に見える外面的な行為以外に自己はないというのは、自分の眼にすら見えぬ自己を恃むハムレットにとって、生活信条であった。が、マクベスにとって、それは生きかたではなく、かれ自身の現実であった。たしかにマクベスには、王冠や地位や権力、またそれを獲得し維持するための行為以外に、自己は完全に空虚である。

Macbethという名前の中に安倍の名前が含まれているのは、何かを暗示しているのではなかろうか(^_^;)
これほど見事な、安倍批判が半世紀以上も前になされていたとは(@_@)

ストイシズムはアレクサンダー大王の東方諸国征服を背景として生れたものである。野蛮人たちは、まず自己を正当化してかからねばならなかったのだ。ストイックたちは人間の平等を説き、ギリシア人と野蛮人、主人と奴隷、その他いっさいの階級的差別を否定した。が、その心底にあるものは、現実のすべてを自己にとって不利なものと見なし、自分の手で自分を守らねばならぬと観じた孤独者の不信である。自分が自分を認める以外、どこにも生きるよすがは求められぬのだ。シェイクスピア劇の主人公たちが置かれた環境がまさにそれであり、これこそギリシア劇ともフランス古典劇と異なるものである。
ストイックたちはギリシアの神々の支配する宿命を拒否した。が、宇宙理性もまた一種の宿命論に堕する。
偶然の一環であり、ひとつの断片にすぎぬ個人が、全体の必然性を選び司るという論理的矛盾、それを避けるためには、克己と禁欲しかなかったのである。(四)


Morris.にも、どこかストイックな面があると思う。単に金がないというだけでなく(それも大きいよういんだけど)、子供の頃から何か、ストイシズムには惹かれていた。

今日におけるほど、自由ということばが、安易に用いられている時代はない。現在では自由とはたんに逃避というほどの意味に用いられているにすぎぬようだ。それは私たちにとってもろもろの「いやなこと」からの逃避を意味する。労働、奉仕、義務、約束、秩序、規則、伝統、過去、家族、他人、等々からの逃避、、それを私たちは自由と呼んでいる。
労働が強制的でなく、自発的にのみ存在した時代があったろうか。また未来において、ありうるだろうか。義務や規則は、本質的に個人の犠牲を要求しないであろうか。のみならず、ひとびとは、家族や他人の重圧から解き放たれて、なにを求めているのか。また、なにを得たのか。
おそらく、ひとびとはなにも得はしなかった。のみならず、なにを求めてもいはしなかった。自由の名において、ひとびとは、求めていたのではなくて、逃げていただけのことである。しいていえば、自由そのものを求めていたのである。なにかをしたいための自由ではなく、なにかをしないための自由を。


フロムの「自由からの逃走」は1941年に書かれているから、これを福田が知らなかったとは思いにくいが、この「自由」論はMorris.には、結構きつく迫ってきた。

ストイックやエピキュリアンが目指した倫理的最高価値としての自由とは、もちろん、権威、他人、現実などの、自己以外の存在の変改や抹消を意味しはしなかった。
したがって、かれらはつねに現実のなかにあった。今日の自由人は現実に捉えられぬ用心を怠らぬが、かれらは平気で現実のわなのなかにあった。捉えられぬことに心を使うよりは、捉われぬことに心を用いたのである。ふたたび皮肉をいえば、それは「負けるが勝ち」の処世術に道を通じている。ストイシズムは、文化に疎外された田舎者ないしは奴隷の哲学であり、エピキュリアニズムは、力に負けた都会的文化人の哲学である。


あぢゃぢゃ、ストイシズムは「田舎者ないし奴隷の哲学」だと。たしかにMorris.は田舎者だけど、奴隷とまで言われる覚えはないぞ。都会人はエピキュリアンだとなると、Morris.もストイックから楽天家への転換を試みるべきかも

自由ということ、そのことにまちがいがあるのではないか。自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はそう考える。自由によって、ひとはけっして幸福になりえない。自由というようなものが、ひとたび人の心を領するようになると、かれは際限もなくその道を歩みはじめる。自由を内に求めれば、かれは孤独になる。それを外に求めれば、特権階級への昇格を目ざさざるをえない。だから奴隷の思想というのだ。奴隷は孤独であるか、特権の奪取をもくろむか、つねにその二つのうち、いずれかの道を選ぶ。

え、結局自由も奴隷の思想なのか(>_<)

現代の自由思想は孤独を嫌う。正義は、つねに全体を離脱した個人の側にある。同時に、正義だけではどうにもならぬことを、ひとびとは知っている。個人は数において全体に劣る。それを恐れる結果、現代のあらゆる自由思想は、離脱した個人の頭数をそろえることに熱中する。頭数さえそろえば、離脱者側に全体という神がのりうつる。ひとびとはそう計算している。
自由の原理は私たちに快楽をもたらすかもしれぬが、けっして幸福をもたらさぬ。信頼の原理は私たちに苦痛を与えるかもしれぬが、私たちはそのさなかにおいてさえ生の充実感を受けとることができる。(五)


「自由」に対して「信頼」というのがいまいちわからない。どちらも錯覚なのかも。

多くの個人主義者は全体主義を憎む。が、論理的にそれに抗しえない。当然なのである。全体主義は個人主義の帰結であり、その延長線上にあるもとしか、私には思えぬ。
個人主義にせよ、全体主義にせよ、その原理は、人間が人間を支配しうるということである。この原理のもとには、全体は存在しえぬ。全体の本質はつねに未知のものとして、私たちのうえに覆いかぶさっていなければならぬ。(六)


ちょっと待て、全体主義が個人主義の帰結というのは、あまりに表層的発言ではなかろうか。

私たちは小さな花を通じて、季節のうちに、自然のうちに、全体のうちに復帰しうるのを喜んでいるのである。私たちの祖先は、泉や若芽に神が宿るのを見た。ミスティシズ(神秘主義)ムというのは、元来、それほどの意味にすぎない。
対象を路傍の花にかぎれば、それは逃避にしかならぬ。が、自然のみを対象とすることも、今日では、すでに逃避である。天災と戦おうとする科学は、私たちの自然にたいする支配欲の現れかもしれぬが、その裏で、もし私たちが自然との調和だけを心がけるとしたなら、やはりそれは逃避であろう。同様に、階級や戦争の悪を根絶しようとする試みも、私たちのあいだにあっては、容易に逃避に転化しうるのだ。
そればかりではない。個人が個人の手で、あるいは人間が人間の手で、全体を調整しようとすれば、自分が勝ち、相手を滅ぼすしか道はない。生命の貴重や平和を口にしようと、それが当然の帰結なのである。なぜなら、生がそれ自身によってのみ全体を構成しうるとすれば、それはあらゆる名目のもとに自己を正当化し、その極限においては、他人の死をも、自己正当化のために利用せずにはすまなくなるであろうから。(七)


これはかなりひねくれた思想だと思う。

個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。必然性というものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。個人の脱落や敗北は、全体の必然性を証明するためにのみ正当化される。敗北しながら、自己の必然性を正当化する浪漫派の歌は、所詮、ひかれものの小唄にすぎぬ。全体の勝利を信じなければ、個人としての私たちは、安んじて脱落することさえできないのだ。


どんどん病的になっていく。

私たちがいかに知的に開化しているとしても、肉体の生理的必然から、まったく自由でありうるわけはない。私たちは、日々、死を欲している。もちろん、新しくよみがえるために。シェイクスピア劇においては、一日の終りにおとずれる仮死としての眠りが、いかにくりかえし讃えられていることか。当時の人たちは、私たちが、生を慾求すると同時に、そのためには、いかに死を望んでいるかを、よく知っていたのだ。生が、そして個人が、死や仮死を必要としないほど強いものと錯覚しているのだ。そして、その錯覚が、じつは私たちの生を弱めていることに気づかずにいる。

結局本書は、非常に特殊なシェイクスピア論であり、つまりは、福田独特の演劇論なのだろう。死を欲するというのはいわゆる「タナトス」なのかもしれないが、現代人(1960年頃の)の「錯覚」は半世紀後の、今の日本人にはあてはまらないのでは? 60年代に比べると生への自信(錯覚だとしても)を喪失しているような気がする。

ヒューマニストたちは、死をたんに生にたいする脅威と考える。同時に、生を楯にあらゆることを正当化しようとする。かれらにとって、単純に生は善であり、死は悪である。
生の終りに死を位置づけえぬいかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであろう。死において生の完結を考えぬ思想は、所詮、浅薄な個人主義に終るのだ。中世を暗黒時代と呼び、ルネサンスを生の讃歌と規定する通俗的な史観や、封建時代に死臭をかぎつけ、現代に生のいぶきを感じる過った人間観はすべて個人主義的なヒューマニズムの所産にほかならない。
生はかならず死によってのみ正当化される。個人は、全体を、それが自己を滅ぼすものであるがゆえに認めなければならない。それが劇というものだ。そして、それが人間の生きかたなのである。人間はつねにそういうふうに生きてきたし、今後もそういうふうに生きつづけるであろう。(八)


21世紀の日本は、「生善説」が建前になってしまった時代といえるかもしれない。あまりにも「劇的に過ぎる」福田のドラマツルギーは、いささか、今の日本人には「劇薬」なのかもしれない。少なくともMorris.は服用をこばみたいたぐいのもののように思われた。
読み始める前の意気込みに比して、批判的というか、馴染めなかったわけだが、それはそれでかまわないだろう。少なくともマクベスを論じた一文だけでも読んだ甲斐があった。
本書はタイトルが「劇的」ということもあってか(^_^;)、比較的名前は知られている。しかし今やほとんど読まれていないのだろう。神戸の市立図書館に もこの文庫本が中央に一冊あるだけだった。もう一冊中央の蔵書である彼の著作集の中に収められてるようだが、これを合わせても二冊である。



2016054
【情報】九島伸一 ★★★☆☆☆ 2015/11/10 幻冬舎
いやあ、この本、読み終えるのにえらく時間かかった。とりあえず目次。

第1章 データ、情報、知識、知恵
第2章 量、質、時間、空間
第3章 検索、入力、処理、出力
第4章 変化、共有、発信、プロパガンダ
第5章 正確さ、事実、正しさ、真実
第6章 ある、ない、リアル、バーチャル
第7章 情報戦争、メディア、情報商品、図書館

国家という枠組みで物事を捉える人たちにとっては、情報は国家のためのもの。国民のものではない。国家は、国内ではプロパガンダを行い、国外では情報戦争を闘う。国内での敵はプロパガンダに対抗する人たちであり、国外での敵は同じ情報戦争を闘う同業者である。(情報の捉え方)


クールであるな。

山本七平が書いたように「日本での最終的決定者は人ではなく『空気』だ」というのであれば、論理などというものはいらなくなり、また、「情報とはなにか」などということを考える必要もない。「『空気』対『情報』は、『空気』の勝ち」というのが日本なのだとしたら、日本では情報は必要ない。(疑問)

さらにクール(^_^;)

小平さち子は「メディア・リテラシーとは、メディアにアクセスする能力、メディアコンテンツの異なる側面を理解して、クリティカルに評価でき、さまざまな文脈においてコミュニケーションができる能力である」と書く。さらに、「メディア・リテラシーはメディアがいかに自分たちの物の見方や信念にフィルターをかけているか、個人の選択に影響を与えているかに対する認識を高めるのに役立つはずである」と続ける。(情報リテラシーは身につくのだろうか)

「リテラシー」という言葉は、何度もチェックしながら一向に身につかない。大辞林には「読み書き能力。転じて、ある分野に関する知識」と、そっけない。上記の説明読んで、またまた混乱しそうだ。

人は、厳しい現実のなかでこそ、理想のなかの真実を必要とするものなのではないか。厳しい現実のなかの真実にとらわれすぎて、もっと大切なことを見過ごしているのではないか。
国の長は、国の理想を話さなけらばならない。国の理想は戦争をすることではなく、平和を目指すことだということを、示し続けなければならない。国の長はまた、国民の幸福を願い、国に関わるすべての人々を幸せにしなければならない。国民を戦争に駆り出して死なせるなどは、もつてのほかだ。
でも国の長は、国の理想を話す代わりに国の現実を話し、危機を煽る。隣国がどれだけひどいか、理不尽かということを、メディアを使って訴える。共に歩む代わりに、競い、争う。隣国と話し合うことはせず、話し合いができないのは隣国のせいだという。現場の真実ばかりに目を向ければ、待っているのは対立だけ。理想のなかの真実に目を向け、和解を目指すことはできないのだろうか。(理想のなかにある真実)


突然こんな正統的な政治的な話が出てくるのも本書の魅力の一つである。

データ:意味のない事象。ビット、数字、文字などで表される。
情報:集められ、整理されたデータ。伝えられ、利用される。
知識:消化され理解された情報。集団で共有される。
知恵:広く受け入れられた知識。人類で共有される。(私なりの答え)


この定義は重要。

集団の知識や社会の知識が置き換えられても、個人の知識が置き換えられるとは限らない。私たちの多くは、若い時に得た知識にしがみつき、社会の変化から取り残されるのだが、それは必ずしも悪いことではない。個人の知識には陳腐化するという宿命がある。(社会科学的な事実と知識)

納得である。

真実という虚構は、人間の集団幻想のような色彩を持つ。集団幻想のような色彩を持てば、集団の教えは、すべてが真実になる。「真実とは、その程度のものだ」と思ったほうがいいのかもしれない。(真実という虚構と知恵)


「真実の探求」もそんなもんか、と思えば、ちょっと気が軽くなる。

やって見せることもなく、考えたことを信じさせるという芸当をやってのけるのが、哲学や宗教だ。
ロバー・ノージックが書いているように、考えたことを論理的に説明し、人に信じ込ませるのが哲学者なのであって、哲学者にとっては自分の考えを自分が信じているかどうかは問題ではない。(考えるということ)


哲学者はあまり友達にしたくない。

人は「信じる」もののために想像を超えたことをする。信じるということは、一番人間らしいことであり、その強さは時に恐ろしい結果を生む。
論理的でないからといって、人が信じていることを軽んじたり否定したりしてはいけない。信じないところからは知恵は生まれてこない。
知恵を生み出すなどということは一部の人たちにしか縁がないが、知恵はみんなのものであり、みんなのためにある。知恵には、生活を豊かにしたり争いを防いだりといった不思議な力があるが、誰でもが知恵を働かせられるわけではない。(信じるということ)


ここらあたりは、ちょっと哲学っぽくないか?

財力の差がそのまま情報を扱う道具の差になり、知識の蓄積の差が情報の価値を決めるようになってきた。同じ情報が手に入っても、情報に鈍感な人たちは、情報を価値のないものにし、情報に重きを置く人たちだけが、情報を価値あるものにする。
情報から大きな恩恵を受ける人たちと、情報からなんの恩恵も受けない人たちとの差は、とても大きなものになってしまった。
でも、茨木のり子が示す通り、情報から大きな恩恵を受けていると思い込んでいる人たちの多くは、実は情報に振り回されているだけで、なんの恩恵もうけてはいない。(情報についての幻想)


情報格差もどんどん拡大しているのだろう。そして錯覚も。

戦争ひとつとっても、全時代的な国家の戦略はもはや通用しない。国家が相手にするのは、もう国民だけではないのだ。嘘でも本当でもいいから、とにかく世界中の人たちを納得させなければなにもできない。
可視化が進み、大統領や首相の演説を本人が用意しているなどと思う人は、もうひとりもいない。
密約とか機密文書とかいった隠し事も、知られることを前提にしてしか存在できない。そんな新しい環境のなかで、組織防衛を目的としたビュロクラシー(官僚制度)が生み出す嘘は、国家にとって大きなリスクとなる。(国家と情報)


官僚の保身が獅子身中の虫になっているということか。他人ごとではなさそうだ。

ひとりのパキスタン少女をプロパガンダに利用して、PR会社が利益を得る。挙げ句の果て、少女はノーベル賞を受賞し、PR会社はさらに大きな利益を得る。
マララという少女のことも、エデルマンというPR会社のことも、そしてPR会社の活動内容も、あっという間に世界中に広まってしまう。(さまざまな変化)


マララという少女にはMorris.も最初の頃から胡散臭さを感じていた。

戦略があったわけもなく、強い願望があったわけでもないのに、夢のような道具を次から次へと与えられ、その結果データは溢れ、人は時間をなくし、情報は意味を失う。それが今起きている変化なのだ。(増え続けるデータ)

耳かきで海の水を掬ってる感じ。

保存について忘れてはならないこと、それは短く言えば、「保存する時には、すべてを一括して」ということだ。(データの寿命と保存)

ダイジェスト版は不要ということ。つまりここで、Morris.が本の一部を引用してるのも、無駄なことなのかもしれない。

正確な数を知ることなど、できるはずがない。統計が正しいということも、絶対にない。
一番ずるいのが、偏見や先入観を利用した数字のでっち上げだ。統計の専門家は、「どう質問すれば、どういう答えがかえってくるか」とか、「集まった情報をどう処理すれば、どのように見せることができるか」を熟知している。
どうするのか、なにが解決策なのか。そういうことを考える時に、実は統計や数字はあまり役に立たない。統計や数字は、なにも考えない人たちを説得するための道具であって、本質的なものではない。(内容の正確さ)


統計は嘘をつく、というか、操作でどうにでもなるということだろう。メディアがやたら乱用するアンケートだって、似たところがある。

野球とかキリスト教系の大学とかが、統治戦略の一部なのだということは、誰もが知っている。
警視庁刑務部長を懲戒免職になった男が新聞社の社長になっても、「買収なのだから」といって誰も文句を言わない。戦時中、大政翼賛会総務や内閣情報局参与としてマスメディアを監視したその男が、戦後CIAに協力し、テレビ放送網の社長になってプロレスやディズニーなどを広めても、やはり何も言わない。
野球の普及が統治戦略の一部とすれば、CIAの協力者がプロ野球で一番人気の在る球団の「オーナー」になろうと、元駐米大使が日本野球機構の「コミッショナー」になろうと、おかしいことはなにもない。(専門性の高い情報)


もちろん正力松太郎のことである。「巨怪伝」(佐野眞一)に詳しい。

菅沼光弘が2006年に外国特派員協会で行った講演で「やくざ組織の60%が同和、20%が韓国系の在日、10%が北朝鮮系の在日、残りが中国人と同和でない日本人」とか、「今の右翼・民族派団体は、資金的関係によりほとんどすべて100%と言っていいほどバックグラウンドはやくざ」という指摘は、一部の人たちにとっては常識でも、ほとんどの人たちにはフレッシュな情報だった。(フレッシュな情報)


知る人ぞ知る情報は、知らない人は知らない情報。

日本に法の支配が確立し、民主主義国家ができてから、もうずいぶん経つ。国民の多くが民主主義国家に生まれた。それなのに、国民は相も変わらず人の支配のメンタリティーを持ち続けている。国家は国民のためにあるという基本すら理解せず、国民は国家のためにあるとか、社員は会社のためにあるとか、会社は株主のためにあるなどと本気で思っている人が多すぎる。
日本の原子力安全の元締めである原子力安全委員会が、東電福島の深刻な事故が判明してから10日経っても一度も記者会見をせず、委員長が首相と現地訪問したこと、職員を現地対策センターに派遣したことなどを委員会のウェブサイトで宣伝することはあっても、国民に向けての情報発信はゼロ。国民の目にはなにも見えてこない。
政治家や官僚、そして企業の幹部などが、国民のため、市民のため、社員のためという意識を持っていれば、情報はもっとタイムリーに出てきただろう。時には、特に緊急時には、情報は社会の鏡になる。(タイムリーな情報)


うん、うん、その通り。

グーグル・マップス・コーディネーツが出てきた時に、イヤーな感じを持った人は少なくないだろう。あなたのチーム・メンバーがどこにいて、なにをしているのかが、地図上でたちどころにわかる。次にしなければならないことを誰にさせるか、誰が良く働いているのか、地図を見ているだけでわかるという。
人員の配置や作業の指示の効率化など管理者から見て便利なものも、従業員から見れば24時間見張られることに繋がる締め付けの道具でしかない。
日本は接客に優れているというけれど、裏を返せば、低賃金でそれだけのサービスの提供を当然のこととして求められているわけで、素直に喜ぶわけにはいかない。
部下の画面を監視したり、部下の居場所を地図上で監視するのが管理者の仕事だという。そんな管理者のいる会社に将来はない。そして、そんな会社が当たり前のようにたくさんある社会が、良い社会なわけがない。(役に立つ情報)


中国に工場を作った日本会社の、社長か会長が、工場全てを監視できるシステム網を作り、これで作業の効率化が画期的に上がったと自慢してるテレビ番組を思い出した。

人道援助の仕事には、すぐに忘れ去られるという宿命が付きまとう。何日のあいだは、世界中の人たちの目が注がれるが、2ヶ月もすれば、その災害のことを話題にする人は、ひとりもいなくなる。災害についてサステイナブルな考え方をする人はほとんどいない。
「かわいそうに」という感情を身に纏ってしまった情報は、どこまでもあやふやだ。事実を伝えるよりも、感情を伝え、被災者のことを伝えずに、セレブリティーのことを伝える。情報はどこまでも偏り続け、利益のために利用され、貪り尽くされる。(あやふやな情報)


今回の熊本地震でも同様のことが起きている。

森巣博は「ヒトは、現実よりも信じたいことのほうを信じる」、「メディアに誘導され、神話を信じるやつがバカなのだ」、「リスクを冒さないことが最大のリスクとなる」などなど、好き勝手に書く。ただそれはなぜか不思議なほど人に好かれる文章なのだ。
「軍事情報が日本で機密事項に属するのは、他でもない自国民の眼を覆うためなのだ」というようなことも、他の人が書けば間違いなく問題になる。それは森巣博はやすやすと文章にする。(好かれる情報)


トリックスターってやつかな。

藤井青銅の「日本人はなぜ破局への道をたどるのか」によると78年周期で日本の歴史は繰り返すという。
明治維新から敗戦までの78年と、敗戦後から今日までの日本。共に、スタートから10年後あたりで大勢が固まり、20年後あたりに経済発展を迎え、30年後あたりに社会不安が起こり、45年後に改元し、60年後あたりに株価大暴落が起こっている。だとすれば、私たちを待っているのは、戦争と敗戦。「非論理的な情報」は時として「論理的な情報」よりも説得力を持つ。なぜかはわからない。(非論理的な情報)


数字のトリック。

東日本大震災のあとには、「がんばろう」が叫ばれ、その後、「寄り添う」、「つながる」、「忘れない」というような言葉が溢れた。そのひとつひとつにどうこう言う気はないけれど、JR東日本の「つなげよう日本」の評判が良かったとか、ANAの「心をひとつに、がんばろうニッポン」は優れたコピーだとか聞くと広告代理店に操られる情報への嫌悪感が湧いてくる。(見かけの良い情報)


同感。

図書館に行って本を借りたり、本屋に行って本を買ったりすれば知識が増えると思っている人がいる。でもそれは、まったくの誤解だ。同様に、インターネットで検索を続けたり、人のつぶやきを追っかけたりしていれば知識が増えると思っている人もいる。それもまったくの考え違いだ。
知識は、本を読みさえすれば仕入れることができるようなものではない。インターネット上でクリックしていれば得られるものでものない。自分で考えなければ、そして理解がなければ、知識を得ることはできない。(知識とはなにか)


兎の逆立ち。

知識というと、頭で考えただけのものだと思う人がいるが、それは少し違う。体の動きを伴う経験、五感のすべてをつかうような経験を通して得た知識は、体に染みつき、すぐに消えたりはしない。
知識の断片がいくらたくさんあっても、それはなんの意味も持たない。知識の断片が繋がることで、初めて意味を持つのだ。(知識と体験)


言うは易し行うは難しぢゃ。

日本の歴史は、外国のものを受け入れようとする側と、それに反対する側との対立という側面を持つ6世紀には、大陸の文化を受け入れようとする側と、それに反対する側との対立があったが、それは今に至るまで続いている。
大陸から長いあいだにわたってやって来た漢字で表される言葉には、さまざまな時代の、そしてさまざまな地域のものが混じっている。遠くインドやペルシャなどから来た言葉もあれば、日本で使われてきた言葉に漢字を当てはめてものもある。その結果、日本の漢字で表される言葉には、いろいろな読み方があることになった。そればかりでなく、ひとつひとつの言葉にはいろいろな意味が込められていて、しかも限りなく曖昧だ。
明治時代になると、西欧の言葉が、時に翻訳され、時にカタカナになって、日本のなかに大量に入りこんできた。翻訳は正確さを書き、カタカナは元の発音を失い、それでも西欧の考えを表す言葉の数々が社会のなかに定着していった。
どんなに明確な意味を持った言葉でも、日本語のなかに入った途端、その明確さを失ってしまう。そのさまは、「一神教の神が、日本に来た途端、神々のなかに加えられ、ワン・オブ・ゼムになってしまう」というのに似ている。(もう一度、知恵とはなにか)


日本語の漢字の訓みの多さが曖昧さに繋がるというのは一面で当たっていると思う。
甘利元大臣に関連して小田嶋隆が指摘してた「説明責任」と「Accountability」の関係を想起した。説明不十分ということだ。

白洲正子が「木」について書いた文章。「一番面倒だったのは、木の名前である。それは読んでくださればわかると思うが、例えば栃の木は橡とも書くが、橡はツルバミとも訓み、その場合は櫟(くぬぎ)の古名で、櫟はまたイチイとも訓むのである。いうまでもなく、それは名前が先にあったところへ漢字を当てたからで、牧野博士の植物図鑑が平仮名で通してあるのはその混乱をさけるためであった……木の名ひとつをとってみても、実にあいまいで、雲をつかむようなところに日本語の難しさがあり、大げさにいえば日本の文化の特徴があると知った」ありとあらゆることについて、ただひとつの答えを与えることはできないのだ。すべてが曖昧のまま、それが日本の文化なのだ。(日本では、知恵とはなにかという問いに、答えることはできない)

先の引用を補完する文章である。

子供や老人を見張ることができるということは、誰を見張るのも簡単だということ。「私たちはみんな、もうすでに見張られている」と考えたほうがよさそうだ。
でも私たちは、ジョージ・オーウェルが『1984』のなかで描いた全体主義的な、そして管理主義的な社会を生きているわけではない。もっとずっと複雑な情報社会を生きているのだ。それがどんな社会なのかは、誰にも見えない。面白いことに、権力者にも見えない。(見つかる情報)


「1984」が書かれたのが1949年で、オーウェルは35年後を舞台にしたのだが、その舞台から32年が過ぎたことになる。ずっと複雑な情報社会になってしまったのも、むべなるかな、である。

考えてもみてほしい。盗用を防ぐといっておいて、盗用を助長する。儲かればそれもいいというのか。コンピューター・ウィルスを防ぐといっておいて、コンピューター・ウィルスを撒き散らす。書いたわけでも作ったわけでもないのに著作権を買取り、芸術を楽しむ人からカネを脅し取る。ビジネスとはそういうものだと平気な顔をしているMBAたちを、私は呪う。(情報の盗用)

マッチポンプというのは死語なのだろうか? ウイルスソフト会社への疑念を拭えない。自社で開発してるとまでは言わないが、新しいウイルスの登場が、会社の利益に直結してる構造は間違いなく存在している。

世界中の人たちが情報に能動的に接するようになっていくなかで、多くの日本人はなぜか、情報に対し、どんどん受け身になってきている。テリー伊藤は、「日本人が『わかりやすいもの』ばかりを求めるようになったからだ」と説明する。親切に説明してくれるものは理解し、高く評価もするけれど、説明がないものを自分の想像力や努力で理解しようとしなくなっているのだという。(知らないことばかり)

テレビ番組が、こんなになってしまったのも、この傾向に迎合したためなのか、それとも、テレビがこういった傾向を助長したのだろうか。

それにしても、内容を知らずに意見を言う人の多いこと。『我が闘争』のなかに書いてあることはどれも悪い情報。『種の起源』のなかに書いてあることはどれも正しい情報。ほとんどの人が、そう信じている。そう信じているといっても、その情報に触れた人は少ない。本を読んだ人は、ほとんどいない。
オスプレイの配備に賛成する人も反対する人も、オスプレイの性能とか、配備の目的とか、情報戦のなかでのオスプレイの役割などを知らないし、知ろうともしない。それでも、賛成し、反対する。私たちは、幸か不幸か、実にいいかげんにできている。(承認されていない情報)


戦時中、日本の公安(当時は特高か)は共産主義の本を熱心に読んでたと、聞いたことがある。これがミイラ取りがミイラになったこともあったかもしれないが、知らずに批判するというのは、命中率の低いギャンブルだと思う。

「責任を持って情報を選択する」というのは、権威にとって都合の悪い情報を切り捨てること。「責任を持って情報を編集する」というのは、プロパガンダを作成するということ。そんなことは、もうバレバレなのだ。(認可された情報)

バレバレなのに、開き直っている相手には、力技なり搦め手なりで情報を得る努力が必要だろう。

宗教的な国では、すべての事柄がイエスかノーかになってしまう。自分たちが正義で相手方が悪。そんな国から出てくる情報が、相対的であったり、多元的であったり、多様性を認めるものであるわけがない。
二分法というのは恐ろしいものだ。そして物事を二分法でしか考えられない人たちは、二分法そのものよりも、もっと恐ろしい。(宗教的な国でプロセスされる情報)


極右と極左が似てくるなんてのも、そこらあたりに起因するのかも。

綺麗は汚い、汚いは綺麗--「マクベス」
Fair is foul, and foul is fair.


「把握し、監視する」などという恐ろしいことを、無意識で、仕事として、簡単にしてしまう人がいる。そんなふうに思っただけで、私はすでにテロリストになっている。(管理される情報)


監視はテロリズム!!

「ウェブリオ(Weblio)類語辞典」は、面白い。
ウェブリオのサイトは、広告が増えたせいもあって、以前に比べて劣化している印象を与える。広告収入などが増えたせいもあって、以前に比べて劣化している印象を与える。
グーグルに「間違い」がなかったら、そしてグーグルのページが真っ白でなく、広告ばかりだったら、グーグルはあれほどまでに成長しなかったろう。(説明という情報)


そういえば、ペンギンブック版の「ロジェのシソーラス ROGET'S THESAURUS」長いこと手にとってなかった。昔は結構参照してたのに。 老眼で辞書引く事自体が減少したということもあるし、ネットで検索することが多くなったためでもある。
たしかにグーグルのトップページのシンプルさは素晴らしい。

「いつかは死ぬのだから」ということに思い至れば、そして「大事なものなど、なにもない」と考えることができるなら、なんでも捨てることが、そして消し去ることが、できるだろう。要は、考え方次第ということなのかもしれない。(保存の仕方)

先日読んだ「老前整理」の主題もこれだった。

レトリックに長けた魅力ある個人に率いられたポピュリズムほど、危険なものはない。指導者たちが、正しいと信じている方向に進むのではなく、マスコミの扇動に煽られた人々が、大した考えもなく向かおうとする方向に進んでいけば、一体何が起こるのか。それは歴史を見れば明らかではないか。
とにかく、ポピュリズムは危ない。ところが、ここ数年、ポピュリズムよりもっとずっと危険なものが現れてきた。ポピュラリズムという。支持率の変化を解析し、支持率が下がらないような政策判断をしていくというものだ。
ツイッターへのフィードやフェイスブックのポスティングを監視し、みんなのブログやサイトのページを読みあさり、みんなの動向を探り続ける。そんなことは人間にはできないから、コンピューター・システムにやらせる。
個人のレベルでも、社会のレベルでも、レトリックを操る人たちが成功を収めていく。そういう現実がある。好ましく思おうと思うまいと、すべての真実はレトリックの前では非力だ。(空っぽのレトリック)


これこそ安倍晋三のやりかたなのではなかろうか。レトリックというトリックに引っかからないようにしなくては。

明治時代に西欧に範を求め、なんでもかんでも持ち込んで、慌てて翻訳をした。その弊害は大きく、言葉という言葉がその意味を失い、哲学のようなものは限りなく難しいものになり、科学はわけのわからないものになり、文学は身の回りのことばかりになってしまった。(明治時代の負の遺産)


ネット検索したら「明治翻訳語のおもしろさ」というPDFファイルがあったが、つい「明治翻訳語のおそろしさ」と誤読してしまった(^_^;)

浦部法穂が、「ヒューマン・ライツ(human rights)と「人権」との違いを上手に書いている。
英語の「ライト(right)」という言葉には、「権利」の他、「正しい」、「右」などの意味がある。
西周が「ヒューマン・ライツ」を「人権」と訳してから、もう150年近くになる。翻訳語、すぐに、福沢諭吉に誤訳だと言われたにもかかわらず、他に良い言葉が見つからなかったこともあって、「人権」が使われ続けた。そして今、浦部法穂が書いている通り、私たちの「人権」からは、正しいという感じがつたわってこない。(ヒューマン・ライツと人権)


これだけ重要な言葉が、これだけ曖昧なままで今日まで使われているということこそ「おそろしさ」の一例だろう。

ダルメシュ・シャーがウェブサイトの上手な作り方を、箇条書きにした。どれも当たり前のような気がするが、基本的なことを考える人は意外と少ない。
ウェブサイトに来た人にとって、なにか良いことがあるのか? 誰のためのものか? どう動くのか? なぜ他のサイトではだめなのか? 値段はどれくらい? 試すことはできるか? サイトをやっているのは誰なのか? どこにいるのか? 連絡はつくのか? 質問はどうしたらいいか? というようなことを真剣に考え、チェックし、少しでも良いサイトにしようと努力すれば、必ず報われる。(ウェブサイトの上手な作り方)


Morris.部屋はほとんど報われない(^_^;) いや、報われようという考えに乏しい。最初はそうではなかったのだろうが、17年も経って、忘れてしまった(^_^;)

大事な情報は発信しないに限る。(発信しない情報)

金言。

日本では、中国のセンサーシップや韓国でのジャーナリストへの圧力などを盛んに報道するけれど、日本のセルフ・センサーのことはまず書かない。
知ってるけど書けない。書いても握りつぶされる。気に障る記事を書けば、会社員なら暇な部署に回され、フリーなら仕事が来なくなる。それで、政治家や大会社を批判することは誰もしなくなる。政府が検閲したわけでもない。誰かが圧力をかけたわけでもない。それなのに、書き手の側が、誰が頼んだわけでもないのに、勝手に読者に知らせないようという判断をする。(きれいごと)


センサーシップ(censorship) は検閲である。セルフセンサーは自主規制ということになる。日本のマスコミではこの傾向が目に余る(いや、目には見えないからこそ危ない)ほどになっている。ネットでなら回避できるかもしれないが、こちらはこちらで百鬼夜行状態である。

人も集団を作って生活する動物であり、集団のなかでは自然に役割分担をしている。リードする役割を担う人はごく少数で、大多数はリードされる役割を担っている。働く人も、働かない人よりずっと多い。
リードされる役割の人たちが、自分たちの過ちを認めることはない。社会に大きなダメージがもたらされ、自分たちの選択が間違っているということが明らかになると、それまでの権力を批判したり、「だまされた」と言ったりして立場を大きく転換させ、次の権力を支持する。(役割分担)


毎日のように目にする光景である。

権力に対抗する人たちにとって、言葉は武器であり、表現の自由は拠り所である。当然ながら、権力は言葉を恐れ、言論の自由には条件をつけ、制限を行う。「社会に悪い影響を与えるから」、「人道的見地から」、「プライバシーに関わるから」、「風評被害を防ぐために」、「国家の存亡に関わるから」などなど、理由はなんとでもなる。(表現の自由)


イソップ寓話に出てくる狼の主張。

選挙絶対主義とか多数絶対主義は、民主主義とはまったく違うという基本的な理解がないのがかなしい。
白石理は「人権の関することは、多数決できめてはならない」とも言う。たとえひとりのことであっても、その人の人権が侵されるようなことを政治が行ってはならない。そういう原則を無視してはいけないというのだ。
よく「ヒトラー政府の暴力的なやり方」が問題にされるが、国民が、民衆が振るった暴力は、政府の暴力の比ではなかった。みんなと違う意見を言うことの難しさは、言った本人にしかわからない。友人と思っていた人たちが、全員敵に回る。その恐ろしさを味わってでも、言わなければならないことを言う。そういう人にしか、社会を救うことはできない。(言わなければならないこと)


これまた「おそろしきもの」である。

A4、A3といった国際的な紙のアスペクト比(aspect ratio)も、B4,B3といった日本独自の紙のアスペクト比も、共に白銀比と呼ばれる「ルート2(1.414……)対1)になっている。半分にしても同じ比率、そのまた半分にしても同じ比率ということで、世界中の多くの場所で美しい比例の形として好まれてきた。
黄金比は、「Φ(1.618……)対1」で、これもまた世界中で使われてきたとされている。
35mm判フィルムカメラの画面のアスペクト比は「3対2(36mm☓24mm)だが、これはまたレンズ交換式のデジタル一眼レフのアスペクト比でもあり、iPhoneのディスプレーのアスペクト比でもある。
多くのデジタルコンパクトカメラのアスペクト比は、「4対3」。そしてスーパー16mmのアスペクト比は、「5対3」。ハイビジョンテレビのアスペクト比は、「16対9」で、デジタルカメラのイメージセンサーのサイズ規格の一つであるAPS-Hサイズのアスペクト比も、「16対9」。
アスペクト比の・ようなものは、人間が決めてきたこと。そして、人間が決めてきたことは、社会科学で言うところの事実だということになる。ただその意味合いはあくまで限定的。つまり「そう決めてきた」ということに対して「事実だ」と言うのであって、自然科学で言うところの事実とは大きく異なる。(縦と横)


これは雑学ネタとしても面白かった。

公平な報道などあり得ないとすれば、選挙予測は、誘導なのではないだろうか。
ウェード・メレディスは、26種類もの認知バイアスのことを書いている。願望とか、先入観とか、直感とか、恐怖とかが、論理的な思考を妨げ、非論理的な情報など、なんの意味も持たない。
バンドワゴン効果(勝ち馬に乗れ)、
リスキーシフト(赤信号みんなで渡れば怖くない)、
感情バイアス(不快な事実は認めたくない)、
アンカー効果(印象は基準により変化する)、
確証バイアス(都合の良い真実しか見ない)、
自己奉仕バイアス(成功は自分の力、失敗は他人のせい)、
認知的不協和(もう聞きたくないから黙れ!)、
コンコルド効果(今やめたらこれまでの投資が無駄になる)、
プロスペクト理論(堅実性を選ぶか、カケに出るか)、
フレーミング効果(表現が変われば印象も変わる)、
バーナム効果(占いはなぜ当たるのか)、
ハロー効果(後光がさす)、
あと知恵バイアス(俺は最初からわかっていたよ)、
観察者効果(見られていることを意識してしまう)、
といった具合だ。(選挙の予測)


たしかに報道は誘導でもあるだろう。だからこそ、一方にだけ偏った報道ではなく、多岐にわたった複数の報道が必要になる。

内戦は、国家には都合が悪いものだから、敵をテロリストと呼び、真剣に戦う。実際、内戦の数も、戦死者の数も、増え続けている。

内戦(civil war)。アメリカの南北戦争は典型的な内戦だった。

そもそもこの国にいるのは、騙されるように教育された国民だ。騙されないわけがない。テレビや新聞の言うことは無条件に信じ、効くはずのない健康食品を買い込み、振込み詐欺の餌食になる。そんな人たちは、騙されて当たり前だ。
権威に弱い人たちは、進んで騙されるなかで、権威の側が思ってもいなかったような過激な「空気」を作り出し、時には大きな力を持ち、時代を変えてしまったりする。
権威や権力は、自分たちに都合の悪い情報を、「風評被害」だとか「信頼の置けない情報」などという不思議な言葉を使ってもみ消そうとする。(騙されること)


このあたりは、えらく悲観論になってる。当たってるけどね(^_^;)

国家とか権力といったものを否定し、個人の自由を大切にする社会、個人の自主的結合を重んじる社会を実現しようとする考え方に立てば、ゴシップこそが武器になる。東日本大震災の時に、権力を持つ人たちが「都合の悪い情報」を「風評被害」と名付けたのは記憶に新しい。権力を持つ人たちにとって、ゴシップは限りなく都合の悪い存在なのだ。(ゴシップという情報)

「噂の真相」が懐かしい。

数字信仰の強い日本では、統計が、「ごまかし」、「意見誘導」、「イメージ作り」といったものの強力な道具になってきた。役所が統計を「プロパガンダの道具」にしたり、会社が統計を「売上を伸ばすための道具」にしたりという悲しい現実があった。
政府の出す統計は、お産の過程で死んだ赤ん坊や生まれてすぐ死んだ赤ん坊を統計にいれないことで、日本の寿命が世界一だという。失業率も、主婦を除いたり、月に1回でも働いたことのあるフリーターを除いたりして、実際よりもずっと低く見せる。そしてこれはファラシーでないという。(統計に基づく情報)


先般の伊勢志摩サミットでの、リーマンショック前の状況に類似した状況を説明するためのグラフもあまりに見え透いたごまかしだったな。「ファラシー fallacy 誤謬」。

人権も民主主義も、いま流行のヒューマニズムにしても、キリスト教のなかから出てきた価値なのだ。キリスト教のなにかを知らない私たちに、理解しろというほうがおかしい。「そんな価値、押し付けないでください」と言ってはいけないのだろうか。
戦後日本に侵攻・駐留し、日本のために作ってくれた平和憲法の中核が民主主義と人権だったのは偶然ではない。イラクに侵攻・駐留した時も、まず人権大臣なるものを任命した。民主主義と人権はアメリカ合衆国の政策であり道具なのだ。敗戦から70年。いつまで民主主義と人権をありがたがっているのだろう。(与えられた価値)


お題目だもの。

アグノスティック(不可知論者)のリストには、知った名前がたくさん並ぶ。
サミュエル・ベケット、アルベール・カミュ、トーマス・カーライル、フランツ・カフカ、ウラジーミル・ナボコフ、マルセル・プルースト、アレクサンドル・プーシキン、ジョン・スタインベック、スタンダール、マーク・トウェイン、エミール・ゾラ、ビル・ゲイツ、庵野秀明、ヘンリー・フォンダ、ジルベルト・ジル、デイヴ・マシューズ、ブライアン・メイ、ブラッド・ピット、フランツ・シューベルト、スティング、孔子、釈迦、ノーム・チョムスキー、デモクリトス、エピクロス、イマヌエル・カント、トマス・ヘンリー・ハクスリー、ロバート・インガーソル、バートランド・ラッセル、ラファエル・ナダル(アグノスティックのDNA)


つまり筆者も不可知論者の側に立っていることの表明なのだろう。Morris.もそうかも。

情報の流れ方が以前とはまったく違ってしまった。プロのカメラマンは、スポーツ中継など、予めわかっていることの撮影に特化するようになり、災害の映像は普通の人が撮るようになった。映像は編集されるものという常識は、もう通用しない。
災害の映像をインターネット上にアップロードした人たちは、その対価を要求しない。多くの情報が無料でシェアされるなか、プロの人たちの生活が脅かされていく。
文章にも似たようなことが起きている。文章が人の目に触れるには、翻訳、校正、編集など、さまざまなプロセスを通り抜ける必要があった。それが今では、映像と同じように、そのままの状態で世界中の人たちに届いてしまう。(不都合な情報)


情報価値のインフレーションともいえる。メモリーのインフレーションと連動しているはず。

情報は「正確かどうか」で判断されるはずなのに、いつの間にか「正しいかどうか」で判断するようになり、好み、好き嫌い、直感、感受性といったものが情報を位置付けてしまうのだ。
このエステティック(美学)の作用は、日本人には特に大きく作用する。曖昧な空気に包まれた時、その空気だけを頑なに信じ、それ以外を認めようとしない。自分が何を信じているのかも良くわからず、そのためもあって、認めたくないものへの排撃は苛烈を極める。
明治維新の後の仏教への排撃や、戦前の反国家主義への排撃のような上意下達の苛烈さを知るにつけ悲しくなるが、反対勢力が行った排撃も同様に苛烈だったことをも忘れてはならない。(エステティックと真実)


「正確/不正確」と「正しい/正しくない」との違いをきちんと押さえておかないといけないようだ。たしかにMorris.は「好み、好き嫌い、直感、感受性」に支配されやすい傾向にある。そしてこういうのをエステティックという言葉でくくるというのには、ちょっと驚かされた。
迂闊にもMorris.は、今日までエステティック(aesthetic)を「全身美容」としか受け止めていなかった。もともと「美学、審美眼」といった抽象的な語とは思わなかった。

子供の頃からテストに慣らされ、「正解」などというものに毒されてきた優等生たちにとって、二者択一ほど心地のよいものはないだろう。そんな人たちは、自分たちのことを優秀だと考えることはあっても、自分のどこが優秀なのだろうとは考えない。
少しでも考えることを知っていれば、自分のどこが優秀で、自分のどこが優秀でないのかは、簡単にわかるだろう。そして少しでも考えることを知っている人は、二者択一などという安っぽいトリックに騙されたりはしないだろう。(二者択一という単純化)


二者択一とか二元論というのは、まず最初に芽生える思考にちがいない。それだけプリミティブでもあるし、未熟ということでもあるのだろう。Morris.もともすれば二者択一で動いてしまいそうだ。人でもものでも、全体をランク付けするのでなく、それぞれの美点欠点を多岐にわたって評価すべきなのでは。

地球も、自然も、私たちが思っているよりはるかに強い。私たちがこの地球から、この自然のなかから、いなくなったあとでも、きっと長いあいだ、したたかに生きていく。
私たちが壊しているのは、他でもない、私たち自身なのだ。(人間のエゴ)


汎神論に繋がる考え方?

情報がないというのも困るが、膨大な情報に振り回されるのもたまらない。面白いことに、情報がなかった頃も、情報が溢れかえる今も、新聞やテレビは本当のことは言わない。インターネットが出現してから、情報は管理できなくなった。それでもまだ、情報を管理しようとする人たちがいる。そして信じられないことに、今でもまだ、新聞やテレビの言うことを信じている人達がいる。(なにを信じるか)

筆者から見ればMorris.は未開人に過ぎない。

テレビが出てきて、演劇も、映画も、ラジオも、もう終りだといわれた。多くが淘汰されたのは確かだが、すべてが終りはしなかった。インターネットが出てきて、本屋も、CDショップも、図書館も、新聞も、雑誌も、テレビも、小売業も、仲介業も、もうなにもかもが終りだといわれた。でも、すべてが終わるわけではない。スーパーが進出したから商店街が寂れ、高速道路ができたから街道が寂れたというのに似て、変化の犠牲者たちは変化を呪う。
どの変化もゆっくりしたものに見えるけれど、どの変化も思いのほか速く、気が付けば置いていかれている。
どうでもいいは、ちょっと考えれば、これでいいになる。赤塚不二夫を見習い、「これでいいのだ」といって笑っていれば、どうにかなるのだ。(どうにでも取れる情報)


おいおい、ここで開き直りかい(^_^;) きらいじゃないけど。

「自己責任」という言葉は大嫌いだが、ペテン師たちからそんな言葉を投げつけられないためにも、自分の責任において自分で考える癖をつけておいたほうがいい。心から、そう思う。(慣れてしまって)

他者から押し付けられる責任はいやだけど、自分の責任において自分で考える癖。これが大事。

差別に鈍感であることは、差別することとなんの変わりもない。「自分たち」という範疇に入る人たちが差別されることには異常に敏感で、「よその人たち」を差別していることには思い至らないという人が多すぎる。
女性や部落出身の人たちはもちろん、身体障害者も、やくざも外国人も、そして落ちこぼれもニートもホームレスも社会に引き込み、それぞれの能力を最大限に発揮してもらい、コンペティティブでしかも明るい社会を築こう。そんな考えに賛成する人は、ひとりもいませんか?(差別を見つめる)


「鈍感は罪」これも「無知の罪」の一種ということだろう。コンペティティブ(compettive) 競争的。

1965年の33億から2015年の72億へと増え続けた。災害も、人口増加を抑制する力は、もちろんない。
疫病も、戦争も、災害も、人口増加を抑制することができないとすれば、人は、その種が滅びる日まで、ずっと増え続けることになる。どんな終わりが待っているのか、とても興味深いが、私はそれを知る前に死ぬ。
人の数は、多くならないほうがいい。しかしそれは、この社会では言ってはならないことのように見える。
神谷美恵子は、
人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在しているひとも、大きな立場からみたら存在理由があるにちがいない。自分の眼に自分の存在の意味が感じられないひと、他人の眼にもみとめられないようなひとでも、私たちと同じ生をうけた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙のなかで、人類の存在とはそれほど重大なものであろうか。人類を万物の中心と考え、生物のなかでの「霊長」と考えることからしてすでに滑稽な思い上がりではなかろうか。
と、言った。
傍から見たら、きっと滑稽なことに違いないが、私たちは至極真面目に、自分たちが作り出したものに縛られ続ける。
その枠から外れた情報は、人道とか博愛とか科学とか人権とか自由とか愛とかの聖域に触れる情報は、というかそういうことを正義とする社会に楯突くような情報は、間違った情報、危険な情報とされてしまう。これはどうにもならない。(口にしてはいけない情報)


神谷の意見はやはり汎神論ちっくだが、何かの本でちょこっと出てきたインテリジェント・デザインにもつながる考え方のような気もする。
「自然淘汰」は人間が人間に対して言ってはならない言葉なのだろう。

「監視カメラについて、どう思うか」と聞かれても、「なにもやましいことをしていないので、撮影されても構わない」と答える人がほとんどだという。「監視カメラのおかげで犯人が捕まるのは、本当に有り難いことだ」という考えらしい。
自分にとっては「やましいこと」でなくても、集団にとっては「けしからんこと」だったり、社会にとっては「いけないこと」だったり、国家にとっては「犯罪」だったりということは、いくらでもある。そういうことに考えが及ばないのはなぜだろう。
いつの間にか監視社会が出来上がり、それをおかしいと思う人がいないばかりか、それを有り難がるのだから、わけがわからない。権力を持つ人たちを、そんなに信用して、いいのだろうか。(やましいことがないならば)


監視カメラ(Surveillance camera)の増加は目を見張るものがある。携帯電話のGPSだって、一種の監視カメラだし、その大元になっている人工衛星そのものが地球規模の監視カメラということになるだろう。

情報は永遠ではない。情報は消える。アーカイブをとっておこうが、なにをしようが、どんなに大事な情報もいつかはなくなる。人が死ねば、その人が持っていた知識や経験もなくなる。人がひとりもいなくなれば、すべての情報は消える。そう考えてはじめて、情報は私たちの頭脳があることで存在しているということに気付く。(限りある限りない時間)


HDDだってクラウドだって、いつの日か雲散霧消する日が来ることは間違いのないことだろう。メメント・モリ。これに尽きる。

理解をしていない人たちが、理解したつもりになって、または理解したふりをして、説明したり、議論したり、決断を下したりというのは、滑稽以外のなにものでもないが、それがまかり通る。
原子力エネルギーのことがわかる政治家などひとりもいない。それなのに、よってたかって「安全だ」とか「安全でない」とか言い合う。
過去の過ちは、すべて水に流す。水に流せないと思った時には、隠す。隠しきれなくなったら何人かで横並びになり「すみませんでした」と頭を下げ、減給などを発表する。責任を取っているようでいて、なんの責任も取っていない。罪悪感を覚えないばかりか、なにも覚えていない。「鈍感でなければ生きてはいけない」と、自己防衛のために鈍感になっているわけではない。ただ鈍感なだけなのだ。
石川淳、加藤周一などの文化人は、自分で見たことのないものについては話したり書いたりしないという原則を貫いた。
今は情報の環境も変わり、権威主義も薄れてきているから、本物を見なければなどと言う人も少なくなってきた。メディア信仰も薄れ、メディアが嘘をついても誰も驚かない。政府が間違ったことを発表しても、誰も不思議には思わない。事実も真実も、間違いも嘘も、膨大な情報のなかに埋もれている。(なにもわからない)


時々、こうやって具体的な反核アピールが出てきたりするのも面白い。ここで石川淳が出てきたのも嬉しかった。

さまざまな団体や個人が、メディスン・ホイール(Medicine Wheel)について考察し発表してきた。
恥ずかしいことに、私はそのまやかしを信じ、信じるだけでなく考えを膨らませてしまった。(まやかしのメディスン・ホイール)


メディスン・ホイール(medicine whheel)「聖なる輪」「生命の輪」「魔法の輪」といった意味で、形としては丸に十字、島津氏の家紋みたいなものである。アメリカ・インディアン(今はネイティヴ・アメリカン)をはじめ 世界各地に存在しているらしい。五行思想みたいなもので、森羅万象をこれで説明できるとか。Morris.はこういうのはどうもピンとこない。

みんながあると思っているおかげで成り立っているものもある。権力などは、その最たるものだろう。(あると思えばある)

権力夢幻論。

考えてみれば、私たちに民主主義をはじめとする価値やモラルを供給し続けてきたのは、キリスト教を信じてきた西欧の人たち。その西欧の人たちが見続けてきた世界は、聖書から読み取れる世界ではなく、教会の権威づけが大きく施されて出来上がった世界なのだ。
自由、平和、民主主義、人権といった価値やモラルを私たちに与えてきた人たちは、権威づけに慣れており、その効果をよく知っていると考えたほうがいい。(権威は有り難がる気持ちが作り出す)


突然ナショナリズムに目覚めたのか?

バーチャル化が進んでいるのは、ゲームや映画といったエンターテインメントの分野だけではない。例えば軍事。従軍している兵士たちにとって、なにがリアルかは、とてもわかりにくい。訓練を受ける時に目にするのは、リアルに限りなく近いバーチャル。だから、実際の場面でも、なんの違和感も覚えない。
金融にしても同じ。金融化などというが、要は実態からかけ離れたところでマネーゲームが行われるようになったということで、本質はバーチャル化である。
プログラミングがオブジェクト・オリエンテッドになったことは、古典力学から量子力学への発想の転換以上の大きな変化だった。
マスメディアのジャーナリストたちから伝えられるニュースは、リアルの匂いがしていた。ところが、過去10年でマスメディアはバーチャル化し、世論というバーチャルなものを作り上げ、それをリアルなものとして押し付けるというファンクションを持つようになった。
「架空」の類語を探してみると、仮想の、空想の、想像上の、作り事の、非現実の、理想の、夢の、幻想の、異空間の、あり得ない、でっち上げの、にせの、うその、でたらめな、偽造の、ありもしない、虚構の、ありもしない、虚構の、虚偽の、見せかけの、実体のない、装った、偽装した、幻想的な、観念的な非現実的な、空想的な、荒唐無稽な、などなど、どれもリアルでない、バーチャルな、しかもフェークな感じがする。
でも、バーチャルのなかには、リアルよりはるかに多くの真実がある。
バーチャルなことをネガティブに捉えず、リアルなことを疑ってかかる。そうしていけば、リアルはバーチャルに、バーチャルはリアルに、限りなく近づいていく。(バーチャルの真実)


前世紀(20世紀)半ば過ぎまで、映画やTVドラマのタイトルは、大道具、小道具使い手作り感の強いもので、時間も手間も金もかけて腕によりをかけたものだったのに、世紀後半、CGが登場すると、あっというまにタイトルは見た目は派手で目眩ましのCGに席巻されてしまった。あれがヴァーチャル文化台頭の先駆けだったのかもしれない。
しかし上記引用で大事なところは、世論=バーチャル≒リアルという視点だろう。

粉飾決算と税金逃れのために、タックスヘイブンに設立されたSPE(Special Purpose Entitiy:特定目的事業体)を経由した複雑な取引を行い「借入金」を「価格リスクからの負債」とすることで、債務を少なく店、営業活動からのキャッシュフローを多く見せ、財務状況を実際より良いと思わせる。それを実態がないという意味でバーチャルと呼んだりする。バーチャル経済と呼ばれるもののほとんどが、なにからなにまでリアルだというのはとても面白いことだ。リアルのことを、他のリアルなことのように見せたり、他のリアルのこととして処理したりするのは、リアルであってバーチャルではない。(バーチャル経済)

タックスヘイブン、一見バーチャルのようで実はリアルな金の動きという。例のパナマ文書で、日本でもいっとき話題になったものの、報道はすっかり忘れたかのよう(^_^;)

選挙ではどんな画像が、そしてどんな映像が選挙民の目に触れるかということが、当落を左右する。それを知っている候補者たちは、コンピューター・グラフィックを利用してより好かれる外見を作り出し、当選へ突き進む。計算され修正された画像や映像は私たちの脳を強く刺激し、私たちは大した考えもなく投票所に向かう。
誰かに好かれたいと思ったら、その人の顔写真と自分の顔写真をモーフィングすればいい。顔の類似度は、私たちにとって、結構大きな意味を持つようだ。(現実のように見えるバーチャルな情報)


参院選を一ヶ月後に控えた今日このごろ。今度こそはCGや情報操作などに惑わされず、投票してもらいたい。

木本(KIMOTO)のディラッド(DILAD)という透過型スクリーンが、すごい。ディラッドは、木本のプロジェクター用背面投影型スクリーンで、「前方拡散」を意味するらしい。(透過型スクリーン)

これは単にネタとして興味を感じたのだが、Morris.亭では使用難しそう。

ニューヨークを拠点に活動しているマルコ・テンペストのオーグメンテッド・リアリティーを使った手品が素晴らしい。(オーグメンテッド・リアリティーを使った手品)


これまた、ネタだけど、凄い人がいるものである。

15年戦争の最中に、同盟通信社という国策通信社を組織し、極東全域をカバーする大規模無線情報システムを構築しようとしたのだから、当時の日本には情報の大事さを理解できる人間がたくさんいたに違いない。同盟通信社のことを軍事国家の宣伝機関だといってネガティブに捉える人が多いが、当時の状況を考えればそのような通信社を組織するのは極めて妥当なことだったといえる。戦後に占領軍がそれを共同通信と時事通信に分割するなどして弱体化したのも、また、妥当というしかない。
わかっているのは、日本人が情報に対してあまりカネをかけようとしないということだ。それだけではない。日本人は、情報戦略を持たない。そもそも興味がない。つまり、日本人は、それが国家であっても、企業であっても、学術機関であっても、情報には重きをおかない。そのせいで、それぞれの戦闘や競争に勝つことはあっても、正当に評価されることはなかったし、今もない。それでも、情報に重きを置かず、カネも払わない。
中国はもう世界中でローカルに、そしてグローバルに発信できる能力を持っている。B29に竹槍で立ち向かおうとした国民だから、精神論で勝てると思うのだろうが、精神論で勝てるほど情報戦は甘くない。(宣伝力)

日本人に情報戦はできない、という、説得力ある結論(^_^;)

アメリカの国務省が政権を変えたいと考えている国々、例えばスーダン、イラン、サウジアラビア、エジプト、ウクライナ、ベラルーシ、ベネズエラ、タイというような場所で活動する若者たちを支援する。民主主義とか人権とか言ってみたところで、アメリカの企業の売り上げに貢献しない政府を弱体化させようという狙いは明らかで、若者の活動を支援することでその狙いを達成してしまうところがすごい。(インターネットでしか目にすることのない情報)

冷戦時代に情報戦を繰り広げ、敵失みたいな形にしろ勝利を得たアメリカだから、こういった情報後進国を自分の意のままに操るのはお手のもの。情報戦駄目出しされた日本は、71年にわたって属国状態というのも、已矣哉(やんぬるかな)ぢゃあ(>_<)

戦略を練っても、それが根底から覆されてしまうということは、よくある。最強のサイバー・セキュリティ・チームを作っても、発想の違う攻撃に対しては無力だったりもする。「想定外でした」という言い訳は、「想定できることに対して、なにもしませんでした」と言っているにすぎない。(実戦)

「想定外」という言葉は、完全に「負」のイメージを負わされたと思う。今や言い訳にもならない。

情報を流す側は、自分たちに都合のいい情報しか、流そうとしない。情報を受ける側のことを慮って情報を流す人など、どこにもいない。
戦争の当事国は、自分たちに都合の良い情報しか流さない。正確な情報を流す義務もない。少しでも正確な情報を求めて、当事者とは比較的関係の薄い、直接の利害関係のないメディアに頼ろうとしても、そこから流れてくる情報は当事者からの受け売りばかり。
政治家は選挙の前に、守れるわけのない約束を並べ立てる。でも当選後に、約束したことを実行する義務はない。当選後にどんな行動を取るのかまでは知ることができないから、とりあえず「良さそうな候補」に票を入れようと、候補者のポスターを見る。なんとも空しい。
与えられた情報を信じないこと。それしかない。(謀略)


それでは、どうするか、それが問題だ。個々人で考えよう。

中国が軍事的に脅威だという。北朝鮮も脅威だという。日本も韓国も脅威だという。インターネットの前に座って、例えばストックホルム国際平和研究所(SIRRI)のサイトにでも行って、世界の現実をデータから見てみれば、そんなのはみんな嘘だということが、すぐにわかる。脅威なのは、守ってくれているはずの「アメリカ合衆国」ただ一か国なのだ。
老人の多くが、テレビの前で穏やかな時間を過ごしている。これもまた至極まともなのだろう。でも僕は、テレビをぼーっと見つめる老人にはならない。僕は危険な老人になりたい。(テレビがつまらない1)


強烈なカウンタパンチだね(^_^) って、笑ってはいられない。

日本に限っていえば、「公立図書館は。入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」という図書館法17条の拡大解釈のせいと、自分のところは文化的だと見せたい各自治体や次の選挙を気にする地方議員のおかげとで、図書館は「無料貸本屋」であり続けている。(ビジネス・モデル)

おしまいの「図書館」では、Morris.にはちょっと肯定できない意見も散見した。それにしても、「無料貸本屋」というのは偏見だと思う。

佐賀県武雄市は、武雄市図書館の指定管理者にCCCを選び、運営を委託している。目的はズバリ、図書館の経費削減とサービス向上。委託してから閉館日はなくなり、開館時間も大幅に長くなった。
CCCや市の言うことは、いいことばかりだ。委託費は年1億1000万円で、従来の運営費よりも1000万円少ない。スタ雨は16人、書店などを含めると約50人で、全員がCCCの社員かアルバイト。市の職員は一人もイないという。
問題は、図書館のことをなにも知らない市長とか社長とかが、図書館を食い物にするという、その寂しさと悲しさだ。(図書館アウトソーシング)


これには全く同感である。

九島伸一 1925年東京生まれう。三井造船勤務を経て、IBM勤務の後、1982年から2012年まで、国連において、データ、情報、知識に関わる仕事に従事。5ヶ国語に精通し、独自の情報ソースを持っている。

巻末に10pを超える人名索引(ざっと400人(@_@))が付されている。
それにしても、Morris.としても異常な量の引用になったが、それだけ、共感し、教えられ、考えさせられる「情報」満載だったということになる。

しかし、このメモ取り終えてから知ったのだが、九島氏のウエブサイトに本書の詳細が驚くほど多彩な形式で掲載されていた。400人の人名索引を中心にしたリンク集もあり、これだけで数日はかかるだろう。オープンソースという言葉を思い出した。情報に関心ある方は是非一度覗いてみてもらいたい。つまり、以上までのMorris.メモはほとんど徒労に過ぎなかったということになる(>_<) 自爆である。
著者は、この「情報」に続いて、「知識」、「知恵」についての考察を刊行予定らしい。楽しみでもあるが、ちょっと怖くもある。


2016053
【引擎 : Engine】矢作俊彦 ★★★☆ 2011/05/30 新潮社
トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」と大藪春彦に触発されて書いた作品らしい(^_^;)
「エンジン」というコードネームの女性殺し屋を追う刑事片瀬游ニの物語だが、例によって、ストトーリーより、細部の凝りまくった文章に蠱惑されてしまった。
セックス描写も矢作にかかると散文詩みたいだ。

彼は反転し、押し倒し、脚を高く抱え上げた。膝を曲げ、腿を腹に押しつけ、まるで一冊の本のように彼女を二つに開いた。自分を栞代わりに、そこへ挟み込んだ。
本が彼を締め上げた。それは彼女の一部だった。しかし全体でもあった。
彼は激しく上り詰めた。しろい頁がはらわたを食いちぎり、割れ目から自分がどっと流れ出した。
やがて舌が口の中で朽ちた水道のような音をたて、女も静かになった。誰もいない午後の食卓で、紅茶が冷えていくみたいな具合だった。


最近の右翼は、けちな強請りタカリか経済事犯でしかメディアを賑わさない。まして飯島耕範はそうした街宣車右翼や経済右翼とは一線を画す筋金入りだ。刑事畑を一貫して歩いてきた游ニには無縁な存在だった。
飯島耕範は、関東軍の青年将校として敗戦を迎え、ソ連軍に抑留されることもなく、満州から復員した。戦時下の速成将校で、まだ二十三歳だった。
焼け跡の東京で放蕩無頼を繰り返すうち、戦後右翼の巨魁窪谷般彌に目をかけられ、最初から後継者として遇された。関東郡参謀部付の連絡将校であったころは甘粕正彦に可愛がられたとあるから、何らかの因縁があったのかもしれない。窪谷は大川周明の懐刀、K機関のボスとして、日中戦争下の上海でその名を轟かせ、日本軍の暗い闇の部分に君臨した。戦後は宙に浮いた機密軍事資金を背景に、戦後史を裏から彩った。保守合同で暗躍し、日本政界の首根っこを抑えると、日米安保改定、沖縄返還、ドルの自由化、日中国交回復と、歴史的事件の背景には彼の名が常に見え隠れした。アメリカ情報局との強い関わりも、しばしば取り沙汰された。
その窪谷の傍らに、飯島耕範は戦後一貫して控えていた。1984年に窪谷が死ぬと、もはや彼に並ぶ者はなかった。
飯島は1025年、昭和とともに生まれ、昭和を生きてきた。自ら昭和八十七歳と自称していた。
時代のせいもあるだろうが、飯島には目を引くエピソードがあまりない。疑獄事件や与党の派閥抗争に、しばしばその名が登場するが、窪谷に比べると見劣りする。
彼が首魁を引き継いだころ、イデオロギーの時代は終わろうとしていた。ベルリンの壁が落ち、東西冷戦が終結したのは、窪谷が死んでわずか五年後のことだ。
その数年後には暴対法が施行され、戦後政治と組織暴力の「幸福な関係」に幕が降ろされた。
それでも隠然とした力を誇り、各種団体の役員や顧問に名を連ね、企業犯罪の背後に見え隠れしていることに疑いはない。
ことに2000年サミットの沖縄開催や、SACO--沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会の発足から普天間基地返還提案に至る一連の出来事では陰にとどまらず、時には姿をさらして尽力したようだ。
そのときのことを飯島本人は、
『軍人として、満州に民間人をのこしてきたという悔いがあり、沖縄の方たちのこととなると、到底普通ではいられなくなる』と語っていた。
別のメディアではこうも言っている。
『中国が覇権国家として台頭する限り、沖縄こそ日本の生命線、真の要石だ」
どちらが本音か。本人にはどちらも本音なのだろう。


飯島耕範というのは児玉誉士夫のことだろう。飯島耕範のモデルが誰なのかよくわからないが、ともかくも戦後の裏世界をこれだけ説得力をもって描けるのも矢作の膂力というべきだろう。

「核技術者? イランに売ったのか」
ムーシカは返事をしなかった。「連中とは、その後も連絡があった。本物は難しくても、セカンドラインなら苦もなく造れる。一部の部品はわざと韓国でこしらえた。日本製の部品も使っている。しかし、多くは、アメリカ製だ。イラクで鹵獲された武器をばらして流用している。そこがミソなんだ」
「そんなものから核爆弾が作れるのか」
「核爆弾?」センターミラーの中で、ムーシカの目が面白そうに細められた。「セカンドラインと言っただろう。核爆弾なんて面倒なもの、こっちの方で願い下げだ。第一あんな安い金で取引きできるものか。あれは核爆弾なんかじゃない。汚い爆弾(ダーティボム)だ。いわゆる放射能兵器ってやつさ。爆弾ではなく爆発によって、--つまり普通の泥漿(スラリー)爆薬で効果的に放射性物質を撒き散らし、広範囲に深刻な核汚染を引き起こす。爆薬にはガラス繊維とアルミ粉末を添加して、さらに弾体にちょっとした仕掛けを施した。これで半径5キロの地域を長期間にわたって人の近寄れない、言葉通りのブラックホールにかえられるはずだ。原発の暴走なんかとは桁が違う。初めから核汚染を目的に設計されているんだからな。こいつをもう少し西の高台で爆発させてみろ。普天間と瑞慶覧、それに嘉手納の大半が三十年、うまくすれば半世紀以上使い物にならなくなる。大したもんだろう。

沖縄嘉手納基地を、このダーティボムで放射能まみれにするという作戦。核兵器ではなくとも、簡単に放射能汚染地域を作ることは可能なのだろう。日本全国に散らばる原発はそのまま、とんでもなく危険な自爆武器(>_<)であることを再確認した。


2016052
【フィルム・ノワール 黒色影片】矢作俊彦 ★★★☆☆ 2014/11/25 新潮社 初出「新潮」2010-12

フィルムノワールとは、映画のジャンルではない。あたかも他にフィルム・グレイやフィルム・オフホワイトというようなものがあって、それと対置されているかのように存在する、ただ"黒(ノワール)"なフィルムのことなのである。 ポール・シュレイダー

これは、巻頭に置かれたエピグラム風の引用だが、一般に「フィルムノワール」といえば、1940-50年代のアメリカ犯罪映画を指すようだ。その他にフレンチ・フィルムノワールと香港ノワールがあり、日本でも60年代にフィルムノワール的作品が数本作られたらしい。(、Wikipedia参照(^_^;))
本作は主要舞台が香港で、当然香港ノワールが大きく取り上げられているが、満映に関わった日本の監督が香港で撮ったとされる問題作品のフィルムを巡って、二村という元刑事が、監督の娘の女優から依頼を受けて香港に飛び、そこでの映画ちっくな冒険譚が繰り広げられるのだが、やたら、登場人物が多いし、シーンの転換も目まぐるしすぎて、なかなかMorris.には付いていけないところも多かった。
しかし、本書に満載されている、映画、酒、自動車、銃器、ファッション、邸宅、中華料理……などに関する矢作の薀蓄を傾けた贅を凝らした文章見るだけで充分楽しませてもらった。人物描写などの直喩(~のような、~みたいな、~らしいなど直接的比喩)も非凡である。

保土ヶ谷バイパスが国道16号線と合流した先で、東名高速のインターチェンジを取り囲んだラブホテルの一群が、アラモの砦のように文明から孤立していた。
そこを過ぎると、道の両側から緑が消え失せ、本当の"郊外"が始まった。洗剤の箱をそのまま巨きくしたような量販店とパチンコ屋、スキーロッジのようなレストラン、その隙間をまちまちと埋めつくす町工場と資材置き場とアパート、どんな旅回り一座の書割より薄っぺらな風景のことだ。


のっけから、人物以外の直喩になってしまったが、「アラモの砦のように」「洗剤の箱をそのまま巨きくしたような」「どんな旅回り一座の書割より薄っぺらな」などの、直喩は書けそうで書けない。

「何のコマーシャルなんですか?」隣りにいたスタッフに尋ねた。
「カイロですよ。ピラミッドとも紫のバラとも関係ない」彼はそこで、もの悲しげに目線を下げた。
「使い捨てのカイロです」


これは、本書にいやというほど出てくる映画ネタの一つだが、ネタ元「カイロの紫の薔薇」は、Morris.が見た数少ないウディ・アレン監督の映画の一つで、ミア・ファローが映画のヒーローに恋して、銀幕の中に入っていき、ウクレレ弾く場面などを懐かしく思い出したので、つい引用してしまった。

ロールスロイスが動き出した。あまりに大きいので、車ではなく道路が後ろに向って動いているように見えた。

ね、なかなかのもんでしょ(^o^)

世界中の観光客が行き交い、品定めをしていた。「わーっ、メッサ香港!」日本語が聞こえた。若い女がモノグラム柄の"ルイ・ヴィトン真品ワールドカップ公式球"を抱え、電話で自分を撮っていた。店の親爺が何やら怒鳴った。仲間の女たちが笑った。「観光客の特権ってやつ?」
何が観光だ。写真や動画で見たものと同じ風景、同じ食べ物があることをただ確かめ、目で見もせずに写真に撮ることが、今では観光のすべてなのだ。


「観光客」への辛辣な批判だが、おしまいの写真のところは、Morris.にはちょっと「兎の逆立ち(ミミガイタイ)」発言だった。

「二村さん。あのブルースブラザー、どうやって追い払ったの?」
「大したことはない。君と魚釣島を交換しただけさ」
ダイナは目を輝かせ、本当に笑い出した。
「すてき」という声が耳のすぐ近くで聞こえ、頬にキスが飛んだ。「今まで貰ったギャラの中で一番だよ」


こんな美女とのやり取りも無数に出てくる。

タクシーは動き出した。彼女がドアを閉める大きな音は、シェーンを呼ぶ子供の声のようにアスファルトの荒野に透明に響き渡った。

芸が細かい。

「何を飲んでいるんですか」
「ラスティネイル」彼はオールドファッションドグラスを差し上げ、氷を鳴らすと、舌打ちでデュエットした。「甘い酒だと思っているだろう。本当は違うんだ。スカッチに、その半量のドランビュイ。他にはなにも入れない。しかし、入れて掻き回すだけじゃラスティネイルにはならないんだ」
私は同じものを注文した。「錆び釘(ラスティネイル)って、時代後れとでも訳すんですか」
銀幕の殺し屋は、照星にたかった邪魔臭い蝿でも見るように、私を睨んだ。
中国人のバーテンダーは、英国製のスパイ映画に出てくる科学者がロンドンを消失させる新兵器を組み立てるような自負と緊張をもって酒をステアした。
「アルコールは映画に似ているな。闇をつくるために必要な無尽蔵の光」」錠は言って、グラスを空にした。
すかさず二杯目が登場した。
「1パーセントの真実を99パーセントの嘘で語るんだ。そのためには金が要る。原爆がつくれるほどの金」彼は言葉を続け、酒を口へ反動。「世界中どこの独裁者も、映画と原爆と女が大好きだろう。これは決して無縁じゃねえ」
「他人の代わりに見ず知らずの人生を生きる代償ですか」
「いや、ギャラだけじゃないんだ。あらゆる嘘が金を必要とする。青いバラを育てるのと同じだ」


実は本書には、宍戸錠本人が登場する。それもただの脇役ではなく助演クラスの役どころである。
宍戸錠は日本のノワール的作品に出演しているようだし、ニックネーム「エースの錠」が、ストーリーに大きく関わっている。表紙にもそれらしい人物が描かれてる。もうひとりは赤木圭一郎のようでもある。もしかしたら、二村は赤木の役どころなのかもしれない。

「銃犯罪ユニットの連中はカンボジア人だと睨んでいる。ポル・ポト政権に育てられたクメール・ルージュの精鋭。秘密警察や処刑人とは違う、ある種の「趣味人」。つまり完璧な殺し屋だとさ。それが本当なら皮肉な話じゃないか。原始共産主義を目指した社会が、消費行動としての人殺しを生んだんだ」

他の本に、クメール・ルージュのことが出てきたので、ちょっと目を惹いた。

彼はハンカチを出すと、犬を食う人間を目撃した植民地官僚のように口許を抑え、怒りと恐れを同時にそっと覆った

この官僚は、イギリス人だろうか、それとも日本人だろうか? 舞台が香港だけにイギリス人か。

「ええ、お姉さんがいることは。--苦労されたようよ。アルバイトと奨学金だけで大学を出られたと聞いたわ。学生時代、ある劇団の座頭に見初められて板に乗るようになったんですって。蜷川のシェークスピアにも出たというから、そこそこ行ってたんじゃないかしら。でも、結局はちゃんと就職されて中国に戻ってしまったの」

ちょうどこのページ読んでるときに、蜷川の訃報を知ったので、メモとして引いておく。

「それ、要するにペーパーカンパニーじゃないんですか」
彼は目で笑い、声をひそめた。「ものは言いようだよ。この町じゃ立派な会社だ。日本人は香港をタックスヘイブンなんて呼ぶが、おれらに言わせりゃ国際金融センターだ。それと同じだよ」


これまた、同じ頃、パナマ文書、タックスヘイブン問題が表沙汰になったことの心覚えに。

「大陸から逃げて来られたんですか」
「ああ。大躍進政策の失敗で、食うに困って逃げてきたんだ。知ってるかね、大躍進?」
「共産党の失敗で数千万人が餓死したんでしょう?」
目を逸らし、今度は口を歪めた。「三年で英米の経済に追いつけって、--というよりゃ毛沢東の大号令だ。」鉄もないのにあちこちに鉄工所おっ建てて、種も苗もないのに森まで潰して畑を増やして、米どころか木の根っ子も口に入らなくなってよ。--毛沢東様が自己批判せざるを得ないほど酷かったわけよ」


この話も、ポル・ポトの話が出てきたのと同じ本に出てきた。

再びエレベータのドアが開くと、目の前に背の低い中国人がメスジャケットを着て立っていた。
「お待ち申しておりました」彼はドイツ製の蝶番のようにきちんと一礼した。


秀逸な直喩の一つ。

「誰をかばっているんです? どうして、あんなところへ出かけていったんだ」
彼女は私の声を、ジェームズ・スチュアートが吹き鳴らすトロンボーンのように聞き流した。


これは「グレン・ミラー物語」だね(^_^;)

アリアーヌはいきなり立ち上がると私を残し、まるで白貂(オコジョ)のストールをまとったノーマ・デズモンドのように威風堂々と階段を上り始めた。

これは「サンセット大通り」でのグロリア・スワンソンの役名らしい。(ネット調べ(^_^;))
こうやって、今や、ネットで検索すれば、たいがいのことはわかるようになっている。10年くらい前にはちょっと考えられない状況だ。作中、二村もスマートフォンやPCを多用している。以前、携帯電話の普及によって推理小説は「携帯以前と以後」に大きな変革を余儀なくされると誰かが書いたのを見て、大いに納得したものだが、推理小説にかぎらず、映画もドラマも、全ての創作が、情報機器日進月歩に伍して変化していくことになるのだろうな。

小声で、しかも早口の広東語だったが、怒っていることは分かった。ついでに彼が、中国本土の警察を"阿Qども"と呼んでいることも。

阿Qども(@_@)//

「そうか。君はツィ・バンタムが好きだったのか。--だからやつらの強請に一枚かんだのか」
「昔のことよ。あの女が現れるずっと前、ちょっとの間--」
「ずっとがちょっと、ちょっとがずっとに聞こえたよ」


これまた、芸の細かさが……

「いいのかね?」
声に振り向くと、セーラー服を着た年寄りの乗員がこっちに汚れた歯を見せ、笑っていた。「もうひと押し。香港女は三回押さないと」
「いいんだ」私は首を振った。「出てったフェリーと女は、追いかけないようにしている。追えば必ず溺れるからね」


こういった映画風の決め台詞も多数。

そばだつ本棚の先の先で、猫を抱いて眠るにはぴったりなソファの端から真っ白い口髭をたくわえた老人がピョンと腰を上げた。高山寺のカエルのようにガニマタで、そのくせ足が長く、シルクのドレスシャツに小紋のボウタイをきりっと締め上げ、鼈甲縁の眼鏡をかけていた。半纏みたいな生地と仕立てのジャケットにストーンウォッシュのジーンズ、--観光ガイドで一山あてた留学生崩れといった出で立ちだ。

これまた凝りに凝った人物描写。

「どれほどバカな夢でも、夢は捨てちゃいけないんです。百万本の映画が百万回繰り返し教えている。映画のいいところは、そこだけだ。何しろ、人生は夢と同じものからできてるそうだから」

ほんの脇役にもこれくらいの台詞を吐かせるあたり。

「手を貸してくれない、二村さん。ここから降りたいわ」
「その前に、どうやってそこへ上ったか教えてほしいな」
「決まってるでしょ。--ジャンプカット」
言うなり、いきなり飛び下りてきた。それを危うく抱き留めた。


映画用語の使い方も堂に入ってる。
やっぱり矢作は、ニクい作家である。


2016051
【森崎和江】内田聖子★★★ 2015/12/20 言視舎
森崎和江と言えば、「からゆきさん」や「まっくら 女坑夫からの聞き書き」など底辺の女性をテーマにしたノンフィクション作家として知られているし、谷川雁、上野英信らと文芸誌「サークル村」を刊行。特に谷川雁とは恋愛関係にもあったことで知られるが、Morris.としては、Morris.の本名に酷似してるということで、なんとなく他人と思えない(^_^;)気がする。年齢的にはMorris.の母の一つ上である。
本書の筆者は、谷川雁が主催するラボ・パーティに参加して、森崎和江のことを知ったらしい。全体に、遠慮(森崎にも谷川雁にも)があるような気がする。読んでいて隔靴掻痒の思いがした。

ずっと後になって森崎は、自分の植民地体験を客観視したくて『からゆきさん』を書いた、と語っている。みずからの幼魂にきざんだ疑問を解く手がかりとして。『からゆきさん』でおキミと綾を追うことは、日本のアジア侵略が、異国で春をひさぐ彼女たちにいかに深い傷を負わしてきたか、それを描くことでもある。
森崎は、日本の植民地であった朝鮮で十七歳まで育っている。それは朝鮮の真綿でくるむようなもので、オモニ(おかあさん)の生活を知らず、ことばも知らず、ただただ一方的にその肌ざわりや香りを知り、負ぶってもらって髪の毛を唇につけ、昔話をしてもらい、眠らせてもらったのである。人格形成のほぼ成長期間を、まるごと黙ってくれた朝鮮への思いを忘れることはできない。自分という人間の基本的な感覚や嗜好はすべて、朝鮮の人びとや風土からもらったのであった。
森崎は、みずからの植民地体験と、自分が「日本人」であることが結びつかずにもがき苦しんだ。そして長い年月の末、ゆきついたのは自分自身のことではなくて、それとはまったく対照的な「からゆき」を書くことであった。


朝鮮生まれということは知っていたが、「からゆきさん」が植民地体験にそれほど密接に繋がるものとは思わずにいた。

朝鮮半島から奉天付近にかけて占領地がひろがると、「からゆき」の誘拐密航はどっと増えた。営利にめざとい業者は、占領地へなだれこむように娘たちを送ったのである。紙面には「韓国へ密航」という文字が多くみられるようになった。その前に朝鮮は国号を韓国とあらためていた(明治30年)

森崎和江は昨今の朝鮮人慰安婦問題について、どうおもってるのだろう?

日露戦争に勝利した日本は、日韓協約をむすび、一方で男たちによる公娼制をもますます盛んにしていった。当然のごとく遊郭が設置され、「居留地の一遇を区画し、名義は芸妓として内地よりぞくぞくと娼妓またはその類の女を輸入し、公娼を営ませ、検梅し」た。それにつれて、飲食店や小料理屋をかねた私娼窟が増えたのはいうまでもなく、日本軍隊が帰国する京城や仁川には、公娼私娼の家々が軒をならべた。1910年(明治43)8月22日、日韓併合がなると、それに呼応するように、関釜連絡船は「からゆき」で満ちた。(第一章 からゆきさん)

日清、日露の戦役は朝鮮半島を巡ってのものだったことを忘れるべきではない。

谷川家の秀才ぞろいは地元でも有名だったらしい。兄は民俗学者で『太陽』の編集長でもあった谷川健一、弟は東洋史学者の谷川道雄、その下の弟は日本エディタースクールの創立者となった谷川公彦である。

谷川健一が雁の兄ということも初めて知った(@_@)

森崎の叔父森崎実は満州新聞社の支社長をしていたが、敗戦とともにソビエト軍によって中央アジアに抑留され、数年後に帰国、銀座近くにある広告会社の本社に入った。その後、TV開局とともにビデオリサーチの創設者となる。

森崎和江の係累にも、こういった満州帰りの人がいたということか。


2016050
【ソウルでいただきます!】浜井幸子 ★★★☆ 2010/06/30 徳間書店
筆者は1966年神戸市生まれで、中国の穀物文化に関心を持ち、中国留学もしている中国おたくらしいが、1999年に韓国に初めて行って、当地の大衆料理とハンジュンマクにはまって、この本を出すことにしたらしい。
自分で撮った料理のカラー写真満載でコメントも臨場感にあふれたもので、熱意が伝わってくる。高級料理でなく、軽食堂、定食、チゲ、クッパプ、焼魚定食、各種麺類、パンチャンなどなど、庶民的料理中心なのもMorris.向きである。
特に彼女のおすすめであるカンジャンケジャンでは、ごちそうで豪華な「チンミシクタン(珍味食堂)」と、家庭料理風の「ワンカルビ」の両方を紹介。Morris.としてはアヒョンイドン阿峴ニ洞)のワンカルビに行ってみたい。
カルグクスでは、なんと10軒以上をずらずらと並べて紹介。だしもいりこだし、鶏だし、牛骨だし、あさりだし、鱈昆布だしなどきっちり書いてある。Morris.行きつけの南大門市場のカルグクス通りはいりこだし。たしかにそうだったと思う。
これはMorris.とはあまり縁がなさそうだが、城東区マジャンドン(馬場洞)は畜産市場があって、焼き肉通りがあるとか。市場見物だけでも行ってみる価値がありそう。
Morris.もよく利用するプンシクチェーン「キムパチョングク(海苔巻天国)のメニューの日本語訳があって、海苔を内側に巻いたいわゆる「海苔巻かず」をヌードキムパというのは、最近知ったばかりだった。


2016049
【岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ】 ★★★☆ 2015/0130 平凡社
2015年1月24日から3月31日まで世田谷文学館で開かれたタイトルと同名の展覧会図録として作成されたもの。B5判400p近い大冊で、岡崎作品、発言はもちろん、詳細な年譜、作品目録など充実している。20人以上の友人知人の文章も収められている。
Morris.は岡崎作品の良い読者とはいえない。というか、「ヘルタースケルター」の印象が強烈過ぎて、他の作品が霞んでたきらいもある。
63年生まれで、96年交通事故で活動休止のままである。つまり20年間新作の発表はないのに、こうやって大掛かりな展覧会が開かれる漫画家というのは、稀有な存在である。

「少女まんが」にたどり着けなかった少女まんが家たちが「彼女たち」で、だから岡崎が作中人物に、岩館真理子に一生ついて行こうと思った、と語らせたのはどうにも切ない。岩館真理子は多分、岡崎たちがたどり着きたいと願い、拒まれた場所の象徴のようなものだ。むろん、それは「少女まんが」という制度のことではない。(大塚英志)

岩館真理子、懐かしいっ。少女漫画の王道と言えそうな、岩館真理子をニューウエーブ(当時)の岡崎が信奉してたというのは、意外だったし、何か嬉しかった。。

スターのほうが「みなさん」について意見を言うと、「みなさん」はとても嫌がる。例えばスターが「みなさんって、権力とか学歴に弱いですよね。『有名大学教授』とか肩書がついている人が言うことは、何でも信じちゃうし」とか言うと、「みなさん」は煙ったがる。「うるさいなあ。そろそろ別の若いスターに乗り換えようかな」と。
お笑いのスターたちも、先週の視聴率はどうっだた、などとスタッフと一緒に「みなさん」の動向をいつも気にしているのに、「みなさん」をネタにはしない。「みなさん」の話は、禁句。
その時代のスターの歌詞は、その時代の「みなさん」のレベル以上のものにはならない。それは、「みなさん」が書くものだから。
『ヘルタースケルター』で、当時のスターである岡崎京子は、露骨に、禁句である「みなさん」の話、マーケティングの話をしている。
マーケティングできる(売れる)体。マーケティングできる(売れる)発言や、雰囲気や、政治性。
それらを持って生まれた人や、りりこのように、人工的に作る人。(小沢健二)

岡本は小沢健二のファンだったらしいが、小沢のこの意見は、実にまっとうである。

女性作家の多さを特徴とする戦後日本マンガの中でも岡崎京子は、とりわけ80~90年大の時代感をもっとも果敢に表現してきた。ヌケのある開放的な描線と、輪郭線から微妙にズレたスクリーントーン。すべてのものが相対化され、いなされる彼女の絵とコマつなぎには、この世を、人生を軽く見る他ない時代意識のリズム感が否応なく刻まれていたように思う。
一歩はフツーの女の子が、フツーに消費文化の担い手でありうる「喜び」を軽やかに語り、やがて「不安」な日常の苛立ちを描き始めても、深刻な主題を絶妙な軽さですくいあげていった。その足跡は見事というしかない。
前を向いて絶望する勇気。
これが岡崎京子の凄さだし、また彼女を含む多くの、80年代以降の女性マンガ家たちのひそかな特徴だったのではないかと、私には思えてならない。(夏目房之介)


日本漫画評論の大御所(^_^;)の評価である。

正直ゆって私は混乱している。何たってほぼ生まれて初めて「戦時中」を行きてしまっているのだから。物語でもなく理念でもなく反省でもない「本物の戦争」。それ、に対して距離感がつかめないでいて困っている。困っちゃっているのよ、私はさ、今。
砂漠で戦争が始まりTVにはそれが映る。
それをTVショウとして湾岸の花火、物見遊山の観光客と「しゃれこむ」気にはなれないし、村祭りのように方寄せ合う「反戦運動」にはゲロ出そうだし、軍事評論家の床屋談義にはもううんざりだし。
そして私がこの数週間の「戦時中」に感じたのはヒステリックに平和を叫ぶ声の集団がたやすく「管理」の方向に向かうことの恐怖でありオソロシサである。それに対する個人的、個体的な長期戦には体力つけなくちゃね、と思うのであった。「死ぬのはイタイからや」という身体的な反応としての「反戦思想」はあるけど、世の中死ぬより悪いことも、ある。(「宝島」1991年3月9日号、JICC出版局)


湾岸戦争当時の、岡崎自身の発言である。とどめの一言が効いている。

この世では
何でも起こりうる
何でも起こりうるんだわ
きっと

どんな
ひどいことも
どんな
うつくしいことも(「pink」)


本書(カタログだけど)を見て、あらためて岡崎作品を読もうという気にはならなかった。たしかに、魅力的な絵柄だし、台詞もインパクトありすぎだが、どこか、Morris.の好みではないということを再確認した。その意味でも、読んでよかったというべきだろう。


2016048
【本についての詩集】長田弘選 ★★★☆ 2002/11/08 みすず書房
巻頭に序詩として長田の「世界は一冊の本」が置かれている。何度読んでもこの詩は素晴らしい。
その後90篇ほどの詩が収められている。

本に就いての詩集であり、本に蹤いての詩集であり、本に着いての詩集であり、本に憑いての詩集であり、本に即いての詩集であり、このような本についての詩集は、おそらく初めてであるかもしれません。
本というものはそれぞれに、「その本」という固有名を、本質としてもっています。その意味で、本についての詩は固有名についての詩であり、著された本の名、著した人の名は、「その本」の名、あるいは「その人」の名が表す、あるいは表してしまう、あるいは表さずにはいない、固有の物語、固有の体系、固有の世界を、言葉の先に指さしています。
本によって語られる「私」を語る。そのことによって、「私」の知らない「私」を知る。本を読むというのは、「私」が本を読むのではなく、ほんとうは、本に「私」が読まれることです。本は言葉でできている鏡だからです。その鏡をのぞく誰もが問いかけるのは、たぶんおなじ文句です。--鏡よ、鏡、この世でまだ信じられる言葉は何?
「二十世紀以後の詩」の詞華集(アンソロジー)をつくりたいと、ずっと思ってきました。詩を必要とし、言葉を軽んぜず、なお本を愛する人びとに、今、この一冊を献じます。(「二十世紀以後の詩」の光景)


ほとんど馴染みのない詩だったし、これで20世紀以後の詞華集というのはちょっと無理がありそうだった。まあ、アンソロジーは取捨選択のたまものだから、落ちこぼれたもののほうが圧倒的に多いわけだけど。
詩というより、風刺の効いたアフォリズムのような芥川作品を引くにとどめる。

レニン第三    芥川龍之介

誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。

誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を軽蔑した君だ。

誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。

君は僕等の東洋が生んだ
草花の匂のする電氣機関車だ。



2016047
【新・戦争論】池上彰・佐藤優 ★★★☆ 2014/11/20 文春新書1000
「僕らのインテリジェンスの磨き方」と副題にある。今や社会政治評論で売れっ子の二大巨頭の対談ということになる。偶然かもしれないが、文春新書の1000冊目というのも、文春側から敬意の表れ(お追従(^_^;))ではないかと思ってしまった(^_^;)

領土・民族・資源紛争、金融危機、テロ、感染症……これから確実にやってくるサバイバルの時代を生き抜くためのインテリジェンスを伝授する。

というのが袖にあるキャッチコピーだが、これはいささか誇大広告ではなかろうか(^_^;)

ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わったとき、私たちは、「これで新しい世界がやってくる」と期待しました。確かに東西冷戦に代わる「新しい世界」がやってきました。しかしそれは、チェチェン扮装であり、湾岸戦争であり、旧ユーゴスラビアの内戦であり、アメリカ同時多発テロであり、アフガニスタン、イラク両国への米軍の攻撃であり……と期待とは似ても似つかないグロテスクな「戦争の世紀」になってしまったかのようにも見えます。
この世紀をどう読み解くか。それは本書の主題です。(池上によるまえがきより)


21世紀が「戦争の世紀」というのは、残念ながら、その通りになりそうな気配である。敗戦後、「平和憲法」によって、直接的戦争とは距離をおいてきた日本も、安倍政権によってえらいことになっているのは、承知のとおりである。「戦争というな、人殺しと言え」という美輪明宏の叫びを、今一度思い起こそう。

佐藤優 誰でもわかるように、21世紀の戦争においては、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を区別して対応するのは、そもそも無理なのです。集団的自衛権と個別的自衛権の神学論争はやめて、単に「自衛権」という形で国家安全保障基本法を組み立てればよい。そのとき、「侵略戦争は絶対にやらない」として、憲法9条を、パリ不戦条約のようなものに徐々にずらしていく。ところが、安倍総理にとっては、結局は、おじいさんに対する思いが一番になり、「集団的自衛権」という言葉ばかりが独り歩きしました。
池上彰 やはり、政治家の二世、三世には、「心の問題」というのがあるのですね。
佐藤 どうも今の日本は世界からズレている。ズレた日本国に暮らすわれわれ日本人は、あらゆる力を使って生きのびなければなりません。とりわけ情報力、分析力といったインテリジェンス能力が個人にとっても重要になってきます。(序章 日本は世界とズレている)


「個別的」「集団的」と分ける意味がないという佐藤の意見に賛成、だが、佐藤にはどうも胡散臭さがつきまとう。

佐藤 二・二六事件の青年将校たちにとっての本格的な戦争は、1905年に終結した日露戦争が最後だった。その後の第一次大戦は、基本的には関係ない戦争で、満州事変も大きな戦争ではない。すると、1905年から1939年のノモンハン事件までの34年もの間、日本は近代戦をやっていなかったことになりますが、近代戦をやらない軍隊は単なる官僚組織ですから、評価基準になるのは、東条英機が長けていた記憶力や文書作成能力。今は、あの34年間の平和な時代とのアナロジーで考えられるのではないでしょうか。

佐藤 本当に相手をつぶすのなら、一人一人殺さなければならない。空爆など何の意味もありません。けれども、アメリカはきめ細かい人殺しが下手ですからね。
池上 具体的なターゲットを確実に狙うためには、やはり地上部隊が必要ですよ。

過激に走る佐藤に影響されてか、普段は穏健派の池上も、際どいことを言ってしまってる(^_^;)

池上 新しい戦争では、新たなプレイヤーも登場しています。それが民間軍事会社です。国の正規軍ではなく、かといって、その土地の単なる民兵集団でもありません。老舗では、イギリスの「リスク・コントロール社」があります。
民間軍事会社はアメリカにもあり、派手にやっているのが、「アカデミ(旧・ブラックウォーターUSA)」です。イラクやアフガニスタンへ派兵され、人を殺すことに喜びを覚えてしまったアドレナリン中毒のようなのが、アメリカに帰ってくると、刺激がなくて物足りない。そういう人を高給で雇うと、喜んでまた戦場に行くわけです。(第1章 地球は危険に満ちている)


これも新自由主義の民営化の一つだろう。

佐藤 今の世界の普遍的な宗教は拝金教です。一万円札をつくる原価は22円でしかないのに、なぜ1万円分の商品やサービスを買えるのかと言えば、そこに貨幣の本質としての宗教的効果があるからです。一万円札が一万円札として機能するのは、ただただ、人びとがそれに「1万円の価値がある」と信じているからです。
池上 単なる紙切れがなぜお金になるのかと言えば、「みんながお金だと思っているから」という共同幻想以上の根拠はありません。ご利益があると思って信じれば宗教になるのと同じです。
佐藤 もう一つは、今の世界にはびこっているのは、ナショナリズムという宗教です。


拝金教とナショナリズム。それらは20世紀の遺物だと思いたかったのだけど……

佐藤 国際法上の国家として承認されるための要件は、第一に、当該領域の実効支配が確立していること、第二に、国際法を守る意思があることです。その意味で、「国家ではない国家」がたくさん出現しているのが、今の世界の特徴です。(第2章 まず民族と宗教を勉強しよう)

佐藤 ナショナリズムには、大きく分けると血統的ナショナリズムと領域的ナショナリズムの二つがあります。ロシア人の場合は、本来、土地にこだわる領域的ナショナリズムです。ドイツのような血統的ナショナリズムではない。ところが、クリミアでは、血統的ナショナリズムが強く出た稀なケースと言えると思います。とはいえ、プーチンは、「ロシア帝国の復活」など決して目論んではいません。ウクライナを抱え込もうとも思っていない。
池上 ウクライナを抱え込めば、その先の国境線で西側と直接接することになってしまいますからね。

佐藤 そもそもイギリスは、ネーション・ステートではありません。国名自体が、「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」でしょう。国の名前のどこにも民族の要素がない。同君連合(複数の君主国の君主が同一人物である体制)です。つまり帝国として、うまくナショナリズムを躱して来た国なのです。

佐藤 いま起きている問題は、すべて克服したはずの古い民族問題です。自分たちの民族は一つの政治単位をもたないといけない、文化的に共通な人々は政治単位をもたなければいけないという国民国家神話の復活です。ポストモダンの時代においてそんなものはもう機能不全になった、現にEUができたではないかとは言っても、実際には、姿を隠して眠っていたナショナリズムがまた噴き出しているのです。(第3章 歴史で読み解く欧州の闇)

池上 今イスラエルが最も恐れているのは、隣国ヨルダンの王制が崩壊することでしょう。イスラエルと国交を結んでいるのは、アラブではヨルダンとエジプトだけですから。
佐藤 ヨルダンは国王暗殺があったら崩壊します。後継者がきちんと育っていないから。サウジアラビアが「サウド家のアラビア」であるのと同様、ここは「ハシム家のヨルダン」です。中東情勢で一番怖いのが、預言者ムハマドの出身部族のクライシュ族につながっているところのハシム家のヨルダン。もし今、テロでアブドゥラ国王が殺されたら、この国は本当にカオスになります。「実は『イスラム国』が狙っているのはそれだ」というのが、私の「アラブじゃない中東某国」の友達の見方でした。(第4章 「イスラム国」で中東大混乱)


ここらあたり、グローバルな視野を持つ2人の対話は説得力がある。

佐藤 安倍政権は非常に近い視野しかもっていません。単細胞という批判もありますが、私に言わせれば、半細胞です(笑)。北朝鮮から拉致被害者を取り返せば、内閣支持率が上がるだろうと考えている。安倍政権の日朝交渉は、それ以上でもそれ以下でもないと思うのです。

今や、北朝鮮拉致問題は安倍政権のアキレス腱になってるのかもしれない。

佐藤 外交当局は期待値下げオペレーションをやるものなのです。落語の「手遅れ医者」と同じです。始めに手遅れと言っておけば、うまく治ったときは名医ということになる。一方で、期待値下げオペレーションをやりすぎると、まったく進展がないと思われてしまい、その結果、国民が当該外交條件にまったく関心を示さなくなる。北方領土交渉がそうだけれど、この辺の匙加減は難しい。

佐藤 拉致についても、もう構図はできている、と私は見ています。金正日、首領さま、党中央の深い信頼を裏切って党内に深く侵入したスパイ、つまり裏切者の張成沢一味が拉致事件の中心であり、インチキな報告をしたのもこの一味であった。では責任はどうするかといえば、全員処刑した、というシナリオになります。
池上 お父さんを騙したとんでもないやつがいるんだという話ですね。金正日のときだって、拉致を勝手にやっていたやつらがいた、その連中はすべて処分した、いってました。

池上 2009年、日本と韓国は安全保障上の関係強化のための軍事協定を結ぶ方向で協議をすすめていましたが、調印のわずか一時間前に韓国がキャンセルしました。中国から「日本と新たな軍事協定を結ぶな」と脅されたのです。朝鮮戦争では、多くの韓国人が中国軍によって殺されています。本来なら中国に謝罪要求や責任追及をしてもいいはずですが、中国に対してはそんな感情を抱いていない。これが韓国の「事大主義(小が大に仕える)」ですね。韓国は、歴史上、長い間、中国に「事大」し、中国の臣となることで生き延びてきましたから、今も大国・中国の懐に抱かれているのが、心地よいのでしょう。(第5章 日本人が気づかない朝鮮問題)


これは初耳だったが、「事大主義」の意味が、Morris.がこれまで思ってたのとちょっと食い違ってる気がした。辞書で調べてみる

事大主義 ①勢力の強い者に対して自己保身を図る態度・傾向。朝鮮史では李朝のとった対中国従属政策をいう。②全体に対する見通しもなく瑣末なことを誇大に騒ぎ立てる態度。
事大党 朝鮮李朝末期において、自主独立を主張する開化派(独立党)に対し、清に従属することで李朝国家の存続を図った保守派。日清戦争での清の敗北後解体。(大辞林)


Morris.は②の意味でしか使ってなかったようだ。しかし、①は、わざわざ「朝鮮李朝の政策」と辞書にまで書かれるくらい有名なことだったらしい。

佐藤 ウイグルは、ナショナリズムの要素とイスラム主義の要素の両方が噴出して、かなり深刻な事態です。根本的な対応がしようがないために対症療法の積み重ねとなり、悪循環に陥っています。
池上 地理的に見てもウイグルの背後には、イスラム世界が延々と広がっています。ましてトルコ系です。周囲のウズベキスタンやトルクメニスタンなど、「~スタン」というのは、みんなトルコ系のイスラム教徒の国です。そのネットワークからいろんな情報も入ってくるとなると、これは、制圧するといっても容易なことではありません。
佐藤 まさにウイグルに関しては「東トルキスタン」という概念で見たほうがいいですね。
今は誰も注目してはいませんが、イスラム主義は、今後、中国国内のイスラム教徒である回族のネットワークにつながる可能性があります。「自分たちは漢族に弾圧されている、これは宗教弾圧だ」と回族が思うようになると、世界のイスラム主義につながってくるかもしれない。そうなると、フィリピン南部のミンダナオからモロッコまで続く「イスラム・ベルト」の問題になります。そのとき地政上の要所となるのがウイグルです。
池上 中国にとっては、尖閣諸島より、よほどウイグル問題のほうが大事なのですね。(第6章 中国から尖閣を守る方法)


ウイグルを「東トルキスタン」と見る視点、こういうのはすごく参考になる。

池上 「2050年問題」とは、建国以来、圧倒的に優位だった白人が、人口数として少数派に転ずるのではないか、という問題ですね。
ヒスパニック(アメリカに住むスペイン語を母語とする中南米出身者やその子孫)、今は「ラティーノ」と呼ぶことになっていますが、そのラティーノは、大きな政府主義、民主党支持者が多いので、共和党が選挙に勝てなくなるという問題があります。
佐藤 アメリカにおける統治のしくみが大きく変化せざるをえなくなります。民主主義というツールは実効力を失っていくでしょう。そして今の日本と同様に、正統性が不明瞭な諮問会議のようなしくみがアメリカでも増えてきて、だんだん影響力をもってくるのではないでしょうか。民主主義を迂回する一つの方法です。世界の構造がいま変わりつつあるなかで、民主主義を錦の御旗として掲げてきたアメリカですら、そうした迂回術を受け入れざるを得なくなるのではないでしょうか。(第7章 弱いオバマと分裂するアメリカ)


「民主主義」は本質的に日本人には相容れない思想なのかもしれない(>_<)

池上 日本は、軍事大国にはならないというのであれば、その分、インテリジェンス機関をつくって、きちんと機能させなければなりません。
佐藤 賛成です。ただし、インテリジェンス機関をつくることと特定秘密保護法は、実はあまり関係ありません。あれは、官僚が政治家から情報を隠すための法律ですから。


そうだったのか(@_@)

池上 どの国でも、スパイの情報源の98%から99%は、実は公開情報なのですね。それなら私にだってできる、というのが私の基本姿勢です。
公開譲歩の基本は、まず新聞やインターネットです。
佐藤 インターネットで重要なのは、マニアックなものよりも、むしろ公式筋のウェブサイト、ホームページです。ここにある基礎データが重要なのです。
池上 新聞で言えば、国際面のベタ記事みたいなものですね。

1.公開情報だけで世界はわかる
2.情報は「信頼できる人」から
3.重要記事は即、破る
4.情報は母国語でとれ
5.スケジュールからメモまで「一冊の大学ノート」で(第8章 池上・佐藤流情報術5ヶ条)


この第8章ではタイトルに「5ヶ条」としながら、特に箇条書きになってなかったので、Morris.なりに整理してみたのだが、あまりMorris.の役には立たなさそうだった。

池上 歴史を改めて勉強することが必要ですね。学生時代は、歴史を何のために勉強しているのかまったく理解できなかったし、全然おもしろくなかった。今になって、歴史を読むと「ああ、歴史は繰り返す」と思います。その通りには繰り返さないけど、何か同じようなことが起こる。マルクスの有名な言葉がありますよね。
佐藤 「ヘーゲルは歴史は繰り返すと言ったが、そのとき一言付け加えるのを忘れていた。一回目は悲劇として、二回目は喜劇として」。
池上 まさにそれなんだろうと思います。
佐藤 「今後、第三次世界大戦が起こりうるのか? 起こるとしたらどんな形の戦争が考えられるのか?」という問いかけも出てくるでしょうが、それに対しては、「そういうことはあってはならない」という立場で、私は全力を尽くしたい。(終章 なぜ戦争論が必要か)


この言葉はうろ覚えで聴いたことがあったが、マルクスだったのか。
おしまいで佐藤が、戦争を避けるために全力を尽くしたいなどと、殊勝なことを言ってるが、どうも信用できない。


2016046
【検証 安倍イズム】柿崎明二 ★★★ 2015/10/20 岩波新書
「--胎動する新国家主義」という副題。筆者は1961年秋田生まれで、共同通信論説委員。

「美しく誇りある」父のような国家が、国民一人ひとりを子のように指導し、守っていく--。異次元緩和や賃上げ税制など経済政策から教育、憲法改正、安全保障法制まで、安倍流国家介入型政治に通底するのは「国家の善意」でえある。その思考と意思を、国会審議や諮問会議議事録など「首相自身の言葉」から探る。(袖のキャッチコピー)

つまり安倍のアナクロニズムを検証するってことか。

国家が、先頭に立って関係者、あるいは国民を目指す目的に導こうとする一連の手法を「国家先導主義」と名付ける。(序章 国家性善説から国家先導主義へ)

全体主義の変種である。

「女性の活躍」政策は「当事者である助成による経済政策の観点からの提言」を受けた形になっている。これは賃上げが経済財政諮問委員会議の場で本来、消極的なはずの経営者側の議員から提案されたのと同じ構造だ。
この「ミクロ的には不利益を被る可能性もある当事者からの、マクロの視点からの提案・提言」を政策の出発点とする手法が、本来、政府が介入することを抑制してきた分野に直接的に関わっていく安倍内閣の基本となっている。
そして、そのメインの舞台は首相を議長とする経済財政諮問会議、産業競争力会議、それを統括する日本経済再生本部である。


憲法解釈変更で、搦め手で攻める手法。

政権交代時、重要事項の引き継ぎなどのため、各省庁の事務次官ら首脳部が、次の首相や政権幹部となる野党党首や幹部と接触することは、国政に停滞を起こさないためにもあってしかるべきだ。2009年に民主党が政権を獲得した際、この引き継ぎがほとんどなされなかったことがその後の混乱、迷走の要因の一つと見られている。
しかし、今回の場合は異例中の異例であろう。事実上の首相「内定者」とはいえ、野党党首が衆院選の前から最重要政策をめぐって、法によって独立が保障されているはずの日本銀行と駆け引きを展開し、首相就任直前に野党党首ながら実質的な協議を行い、政策を変更させているのである。(第一章 始まっている国家先導)


第2次安倍内閣組閣前に日銀との裏交渉があったことを論じているのだが、安倍感覚ではこんなこと何とも思わないのだろう。

安倍が脱却を目指す戦後レジームとは、より突き詰めれば、「占領レジーム」なのだろう。「主権を奪われ、日本が日本人以外のものだった」期間に制定、施行されたものは、内容以前の問題として認めがたいのだ。

「内容以前」なのである(>_<)

2014年6月下旬の記者会見で、安倍は「行政権は内閣に属する」と規定している憲法65条を論拠に、「行政権を執行するために憲法を適正に解釈していくことは当然のことだ」と強調している。安倍にとっては総理大臣が憲法解釈の変更をするのはむしろ望ましい姿なのだろう。

こういう人を二度も総理にしてしまったことは、悲劇なのか喜劇なのか。どちらにしても心寒くなる。

2013年5月8日、参院予算委員会で、侵略を定義した国連総会決議があるとの指摘に対して「学会的に明確な定義がなされたかということについてはそうではないということにおいて申し上げてイたわけでございます」と反論している。
過去に首相や官房長官が示した歴史認識のキーワードについて、政府答弁書で「定義が定まっていない」「明確な根拠がない」などとして断定させないようにしたり、間接的にひていしたりする手法は、安倍内閣に特徴的である。主に野党議員が提出する質問主意書を逆利用している形だ。


屁理屈でしかないのだが、それを恥じる感覚も欠如している。

安倍が戦後50年の村山談話の換骨奪胎を図るのは、太平洋戦争を「侵略」と見ていないだけでなく、そう認定されることにたえられないからではないか。ここで指摘しておかなければならいのは祖父、岸信介元首相の存在である。
安倍は、太平洋戦争を、世界制覇を狙った「侵略戦争」とみなし、A級戦犯たちがそれを共同謀議したとする東京裁判にも疑義を呈している。

本書には「換骨奪胎」ということばが多く使われているが、ちょっと違和感を覚える。

換骨奪胎 (骨を取り換え胎児を取って自分のものとする意)古人の詩文の内容などをそのまま用いながら、しかも独自の作ちょすること。転じて、語句などを少し変えて、自分の作とすること。(大辞林)

安倍の戦後70年談話の場合、換骨奪胎というより、援用に過ぎない。それも多分にこすからい悪意に充ちた援用である。

アメリカにしてみれば、自分たちが構想、構築した戦後秩序や日本の戦後体制に対する挑戦と映るのだ。太平洋戦争は「侵略戦争」とは言い切れない、という自らの歴史認識を表明すれば、現在の同盟国であるアメリカの歴史認識に対する異議を唱えることにつながりかねない。ここに安倍が抱えるジレンマがある。
そのジレンマの根源は日本が歩んだ歴史の中にある。追い込まれたとはいえ無謀な戦争を仕掛け、敗北必至の戦況に陥っても終結に動かず、追い詰められて無条件降伏。終戦後は7年弱にわたる占領、東京裁判による戦争責任追及を受忍しただけでなく、新たな憲法制定の主導権も譲り、独立に当たってはその相手と片務的な旧日米安全保障条約を結び、防衛を委ねるというきわめて歪んだ歩みである。
戦後、歪みを誰よりも明確に自覚しながら受け入れた当時の日本の指導者の苦悩と覚悟は想像を絶するものがある。あえて黙認しているのはアメリカの懸念を呼ぶからだけではない。歪んだ歩みの延長線上に今日の日本があるからだ。歪みを無理に正そうとすると、様々なきしみを呼ぶことになる。


ひずみ、ゆがみ、ジレンマ、きしみ、たしかに日本の戦後の歩みには、こういった形容がどうしてもつきまとってしまう。

戦後50年の村山談話や「慰安婦」に関する河野談話を引き継ぐと言いながら、国会答弁や政府答弁書で換骨奪胎を図るという安倍のやり方は、「本当は何を考えているのか」という疑念を生む。場合によってはあからさまな二枚舌にも見える。(第二章 何を「取り戻す」のか)

換骨奪胎(>_<) 二枚舌に見えるのではなく、二枚舌そのものである。

選挙独裁を作り出す機能を果たすのが、1996年の衆院選から実施に移された小選挙区制度である。一小選挙区から火取りしか当選させないこの制度では、相手より一票多ければ勝利を手にし、戦っている相手を全員落選させることができる。小選挙区制はもともと、ある程度、選挙独裁を想定した制度なのだ。(第三章 「国家」とは何か)

小選挙区制度は考えものぢゃ。

日本に駐留する外国の軍隊、つまり米軍のことだ。あえて「駐留」「外国の軍隊」という言葉を使うのは、在日米軍が多くの国民にとって所与のものとなっており、在日米軍という言葉を使うと客観視できなくなるからだ。
かつて在日米軍の撤退を求めていたのは民族派、そして右翼だった。しかし、今、それを求めている人々は左翼、反体制派と呼ばれる。ここにこそ戦後日本の最大の歪みが見て取れる。


これは実にまっとうな指摘である。そう、基地問題=在日米軍問題なのだ。戦争に敗けて、70年過ぎてもいまだに在日米軍がいるという事態は尋常ではないということを、まず自覚せねば。

不平等条約であった旧安保条約において日本の全土基地化・基地の自由使用を保障した第一条の「極東条項」およびそれを具現化する日米行政協定は、それぞれ現安全保障条約の第六条、日米地位協定に引き継がれているが、安倍はこれについてほとんど発言していない。

都合の悪いことは見えない、聞かない、知らんふりである。

「国家が国民生活に関わる問題の解決に取り組む→国家の取り組みは国民のためである→国民もその取り組みに協力、支援するべきだ」という「反転の三段論法」、「国民のため」から「国家のため」に反転するのだ。

昔からMorris.は「三段論法」という手法に馴染めない。何かまやかしがあるとしか思えないのだ。

日本は、官民問わず、相手の意向を必要以上にくみ取って、それに反しない行動をとる「過剰忖度」の社会と言われる。それが、仲間など「ヨコ」の関係に動く場合は美徳となりうるが、その相手が指導者という「タテ」の関係の場合、自己規制したり、指導者の意向に沿わない行動をとる者を批判するようになったりする。それが国家の指導者や機関であれば、その傾向はさらに強まる。つまり、国家が直接関わる効果は大きいが、弊害も大きくなる可能性をはらんでいるのだ。
かつて日本において、国家に非協力的な人物を「非国民」と呼び、事実上の社会的な制裁を科したことがある。そしてそれは国家の直接的な強制による現象ではなく、「国家のため」を重視した一部の国民が率先して行った行為であったことを思い起こすべきであろう。(終章 国家先導主義の行方)


「忖度」という言葉にちょっと過剰反応してしまった(^_^;) うーん、たしかに、「空気」なんてのも一種の忖度によって醸しだされるものかもしれない。実はMorris.も「過剰忖度」人間だったのかもしれない。
今のマスコミの自己規制なども、強いられた過剰忖度のように見えてくる。

安倍晋三首相は国家主義、全体主義を目指しているわけではないだろう。しかし、その思考、手法がいずれそんな事態を招来する可能性があることを指摘した。また、日本の国民の中に潜む、国家のお出ましを期待する心性がその要因であることも示した。さらに今、情報公開制度は形骸化する中、特定秘密保護法が施行され、マイナンバー制も始まった。情報をめぐる国家と国民の非対称性はかつてなく強まっている。かつてのような強制的な形ではない、新しい形で国家主義が胎動しつつあるように感じる。(おわりに 新しい国家主義)

「親方日の丸」という言葉はつまりは、日本国家まかせという甘えなのだろう。実際の「1984年」から、もう30年以上過ぎてしまったが、オーウェルの予言を遥かに超えるオートマチックな管理社会が現出する恐怖が現実のものになりつつあるのではないか。


2016045
【ナンシー関の小耳にはさもう100】ナンシー関 ★★★★ 2003/06/30 朝日文庫
タイトルには「ザ・ベリー・ベスト・オブ」が冠されている。「小耳にはさもう」は1993年からほぼ10年間週刊朝日に連載されてた。そして、2002年6月12日の急逝。当然「小耳にはさもう」も休載になった。
本書は一周忌の記念出版みたいなものだろう。
この文庫版が出てから、13年が過ぎたことになる。単行本で大半は読んだと思うのだが、今あらためて読んで、やはり彼女の凄さが身にしみた。
テレビネタという、一番賞味期限の短い話題をテーマにしながら、現在読んでも、この水準を超えるものがないと思わせるのは、信じがたいことだが、レヴェルが違いすぎるということだろう。
たとえば高嶋政伸の芸風?の本質を衝いた発言。

つねづね思っていたことであるが、高嶋弟の顔の表情による「演技」はすごい。まさに「過剰」な表現をしばしば見せる。それを私は「顔面ぬいぐるみ演技」と名づけてみたい。「顔面ぬいぐるみ演技」とは何か。たとえば、懐かしいところでは、「ケロヨン」などのぬいぐるみ人形劇の、あのぬいぐるみたちの一連の動きが「ぬいぐるみ演技」である。分厚いぬいぐるみを通して、そのぬいぐるみの感情を表現するには、生身の人間の時と同じ方法ではいかんせん伝わらない。顔の表情は動かないし、ぬいぐるみで指先の演技なんかされてもわからない。そこでぬいぐるみは、デフォルメによって記号化された演技パターンを使って感情を表す。
「怒った」ぬいぐるみは腰に手を当てて、その怒りの対象となるぬいぐるみを指差しながら、「プンプン」とでも言うようにアゴをしゃくる。もしくは両手を拳にして顔の両側に持っていき前後に動かしてもいい。「恥ずかしい」は両手で顔を覆い体を少しひねりながらヒザを曲げる。「くやしい」時は、本当にどんどんと地団太を踏む。ぬいぐるみ演技は、セリフに対するあて振りのようなものといえる。
で、高嶋政伸は彼の演技がそうなのだ。「びっくり」した時は文字通り目をまん丸くし、「怒った」ら眉をつり上げ、「がっかり」したら眉を八の字にして口をとがらす。「くやしい」時は本当に前歯で下唇を噛みしめたりする。まさに記号的な表情群である。「くやしさに唇を噛みしめる」という心情を、本当に唇を噛んで表現するのは、「小躍りするほどうれしい」気持ちを表現するのに本当に躍ってしまうのと同じだ。それはコントだろう。
それでまた、この高嶋政伸という人は、表情による顔の変形率がすごい。口の大きさなどどこまで広がるかと思うくらい。眉毛の角度も激変する。何よりも顔の輪郭まで変形することさえあるのだ。ほかにも「記号的演技」でお茶を濁している俳優は多いと思うが、高嶋はその「スケールの大きさ」ゆえ、ぬいぐるみにまでみえてしまうわけだ。(93・11・30)


ほぼ3分の2くらい引用してしまったが(^_^;) 文体見本ということで、よろしく(>_<)
「顔面至上主義者」ナンシーからこれだけの思いを寄せられたことは、高嶋政伸にとってとんでもない栄誉かもしれない。

・明石家さんまがトークの天才であると認知されたことでいちばんおおきいのは、さんまが天才であるということではなく、さんまがやっているタイプのトーク形式が本流(のひとつ)であることが認知されたというほうにあると思う。(96・9・28)

20年近く前の発言ということを思えば感慨ひとしおである。

・私は水前寺清子の結婚式中継を録画したビデオを保存してある。録画した時以来一度も堪能していないし、この先堪能する機会は一生訪れないかもしれないが、「いつでもチータの結婚式を見られる」という事実は人生にとって何らかの後ろ盾になるように思う。何の、かはわからない。(96・10・10)

いやあ、この話芸(^_^;)もすばらしい。たしかに見ることはないだろうけど、いつでも見られるということが後ろ盾\(^o^)/になる存在はある。

・武田鉄矢が人気者であると思うたび、私は日本という国が嫌になる。武田鉄矢を受け入れるというのが日本人の国民性だとするなら、私は日本人をやめたいと思う。
武田鉄矢には、人を辟易させる過剰さがあるからだ。(94・3・10)


偏愛の反対は「偏嫌」ということになるのかな。ここまで嫌われたら、これはこれで名誉かも。

・デーブ・スペクターがなぜ嫌かを語ると、定番の「外国人タレント批判」と同じになってしまう危険がある。しかし、定番の文句タレですませてはデーブ・スペクターの思うツボだと思うのである。
本当は悪人の偽善者と、本当も悪人の偽悪者ではどちらが嫌かといえば後者である。偽善は本来「悪人」の策だが、偽悪は「善人」が装うから「偽」悪なのだ。悪人の偽悪は二重の偽りだ。手が込んでいる(94・3・7)


デーブの嫌い方の理屈っぽさに、ナンシーの思考方式が集約されてると思うのは、考えすぎだろうか。

・世の中バカになってるとすれば、そのバカを誘発しているものの中に、「橋田壽賀子的なもの」が入ってると思うのだ。
セリフの長さで知られる橋田ドラマ。いまや、この長ゼリフは売り物というか「さすが橋田作品」みたいなとらえられ方をされているけど、どう考えたって「欠点」だと思う。全部セリフで伝える(そのうえナレーションまである)ってのは技術的にも低いんじゃないのか。全部しゃべってしまう、これが相似点かもしれない。あと、「ファミリー」という概念の下世話さ。持ちつ持たれつ、ということのゆるさ加減が似てると思う。(99・1・6)


橋田作品というのはほとんど見た覚えもないし、見ようとも思わないが、売り物となってる「長セリフ」を「欠点」と切り捨てる気っぷの良さ、度胸は素晴らしい。というか、本質が「見えてしまう」ということだろう。

・薬丸は、20年後にみのもんたになるね。それほどの男だよ。
「はなまるマーケット」という番組で、薬丸の「平常」は1ミリたりとも変形していない。同じパーセンテージの塩水をいくら足してもそのパーセンテージが変わらないように、「はなまる」の薬丸は同じ濃さなんだろうと思う。そんな薬丸は、そのうちどんな濃さの塩水と一緒にされても、なぜか自分の濃さにしてしまう、みのもんたの域にたどり着くのだ。(99・4・22)


「はなまるマーケット」2014年に終わってたようだ。ナンシーはみのもんたにある種の執着があって、Morris.はそれほどのもんかい?とちょっと違和感覚えてたのだが、薬丸とは芸風かなり違うと思える。芸風を塩分の濃度にたとえるあたりが、ナンシーらしいところ。
それにしても、早すぎたナンシーの死を惜しむ気持ちは未だに続いている。ナンシーの死以降、テレビの世界はどんどん凋落してる気もする。


2016044
【老前整理】坂岡洋子 ★★★★ 2011/01/31 徳間書店
「捨てれば心も暮しも軽くなる」というのがキャッチコピー。最近はやりの「断捨離」、「捨てる技術」などと同じ主旨の本だと思う。Morris.も何冊か類書を読んで、その時はそれなりに、やろうと思ったものの、結局は前と変わらないままである。
本書は、あまり押し付けがましくなくて、シンプルで判りやすい一冊だった。Morris.の現状に即した本だったといえるかもしれない。

片付けには、気力・体力・判断力が欠かせない。
年をとればとるほど、捨てるという決断がしにくくなる--。


当たり前のことを言っているがここを押さえておかないと次に進めない。

少し時間的なゆとりをもって、不要なモノを処分して、スペースというスキマと心のゆとりを取り戻す。

一気呵成にやろうと思わずに、少しずつを継続するというやり方。これを実践することだ。

減らすとは、判断すること。
判断の中には自分にとって何が大切で、自分はどうしたいのか、までが含まれます。
狭いところに倍の分量を入れる方法ではなく、減らしていく。


隙間家具とか、狭いところに効率的に並べて収納するなどとは考えずに、とにかく、物を減らして空間を増やすということ。

片付けられない理由チェックリスト
□どこかで現状でもかまわないと思っている
□片付け方がわからない
□体調不良(更年期、その他)
□エネルギーが低下している
□まだ使えるから捨てるのはもったいない
□捨てると後悔しそうなので、とりあえずとっておく
□忙しくて時間がないから、決断を先延ばしにしている
□めんどうくさい
□私には無理だと思う
□片付けてもどうせ元に戻る


Morris.の場合「めんどうくさい」というのが一番だった(>_<)

片付け準備基準
1.いま、役に立っているモノは捨てない
2.思い入れのあるモノは捨てない
3.役にも立っておらず、思い入れもないモノは捨てる
4.()年以上着てない洋服は捨てる
5.()年以上使っていない日用品は捨てる
6.使えるモノは使う


実に判りやすいし的確な基準だと思う。

過去の自分といまの自分を切り分けて、いまの自分を客観的に見られてこそ可能になる。人間関係の整理からダイエットまで、老前整理にともなうテーマは、じつは根本的な部分で共通しているのです。
それは単にモノを取捨選択するというテクニックではなく、どう生きるかということ。大げさに言えば人生のテーマでもあるのです。

こんな大風呂敷も、よろしいのではないかと(^_^;)

一人の個人ができることは限られます。
使い捨てできない良いモノを厳選して買うか、余計なモノは持たないか。そのどちらかではないでしょうか?


どちらかではなく、どちらも大事なことだろう。

ひとつのモノを粗末にしないで大事に長く使い、いくつも買い込んだりしないということ。

京都工芸繊維大学名誉教授秋田宗平先生は私にとっては「二つの道に迷ったら、困難な方を選べ」ということを教えてくださった、人生の師でもある方でした。

秋田先生のことは知らないが、この言葉には、感じるところがあった。
本書を読んで、すでに、Morris.は、衣類をゴミ袋二つ処分した。また食器も、少しずつ処分続けてる。こちらは、近所の交差点の骨董店横の棚に置いておけば、欲しい人が持っていく。Morris.はどちらかというと、置いてあるものを頂く立場が多かったが、これからは極力、出す側に回ることにする。
今日木曜日は燃えないゴミの日だったので、押し入れのケーブルや過去のPC関連のごちゃごちゃを大部分処分した。
毎日何か一つでも捨てることを習慣づけよう。


2016043
【文学講義録 これが漱石だ。】佐藤泰正 ★★★☆ 2010/01/30 桜の森通信社
水村美苗の「続明暗」をきっかけに、漱石を再読しようと思いながら結局挫折してるが、それに関連して漱石論をいくつか読んだ。その中の一冊である。

最初は猫の伝記だから『猫伝』。そうすると、虚子が冒頭の「吾輩は猫である」、これが面白いからこれをそのまま題にしたらいいと言って、そうなったんです。この「吾輩」ということばがせいこうしました。だからこの当時、「吾輩も猫である」とか、「吾輩は犬である」とか、真似したものが一杯だけど、「吾輩」は『猫』の専売特許ではないんです。
「吾輩」は面白い語りであると同時に、実はもうひとりの自分を舞台にのっけて、もうひとりの自分がそれを批評している。そういう眼が生きてくる。


「猫伝」というタイトルだったら、これほど一般に広まらなかったかもしれない。タイトルは大事だね。高浜虚子は、いまいち好きになれなのだが、この一事だけで評点が上がった。

今でこそ新しい文学として、モダニズムとか、或はポストモダンとか、メタフィクションなど、フィクションの底を踏み破っていったものなどと言ってる。そうすると実はローレンス・スターンが書いた『トリストラム・シャンディ』について明治30年(1897)、30歳の時に書いた評論がある。このなかで、頭もしっぽもない、なまこのようなものだと言って、実にこの作品を見事に解明しています。
小説とは何かということをとことんつかんで出発したのは、実は明治38年、日露戦争後の漱石だと考えているのですが。(第一章 吾輩は猫である)


スターンの「トリストラム・シャンディ」は丸谷才一が称揚してたので、読もうとしたがあまりの長さととりとめの無さで途中でやめてしまった。小品「センチメンタル・ジャーニー」は新潮文庫を買って読んだが、「なまこのような」という漱石の評はたしかに特徴を捉えている。

漱石の眼は、『趣味の遺伝』でも非常に痛切なロマンティシズムがある。と同時に一方では、時代を見る非常に冷めた眼がある。やっぱり根本は、批評的な精神ですね。それが見事に生きているのが『趣味の遺伝』です。これを『猫』と並行して書いたんですからすごい。
『漾虚集』に収められている『一夜』は小説というのをとことん相対化している。漱石はあの時代の中で、物語を喰い破って小説を表し、さらには小説そのものを喰い破っているんです。
メタフィクションていうのは、その語り手なり筆者なりが楽屋裏を明かしてみせる。小説の中で小説を批評する。漱石はもう既にそれをやっちゃっている。(第二章 漾虚集)

漱石の創作の期間は驚くほど短いのだが、その中でもやはり初期の作品に惹かれるものが多い。

山嵐はどこに帰ったか、会津です。会津とは、維新の戦いで敗れたんです。山嵐は会津っぽ。坊っちゃんは旗本の血筋。清も旗本の血筋。そうするとこれは佐幕派ですよ。そしてエリートの赤シャツなどに代表されるものは佐幕派を倒した維新の政府の薩長連合。そういう藩閥派のエリートに対する江戸っ子漱石の思いが込められているという論もあります。

「坊っちゃん」にそういった穿った説があるというのも面白い。

『坊っちゃん』で言いたかったことは、作品に声を聞く。その底に響く<うた>を聞くということです。『坊っちゃん』の中にどういう<うた>があるか。清への想い、それから周りの腹黒い連中に対する鬱屈したものがほとばしるような形で書かれているということです。(第三章 坊っちゃん)

<うた>とはロマンのことだろうか。それとも情? 漱石の作品のなかにある<うた>が人の心をつかみ、彼を国民作家としたのかもしれない。

グレン・グールドが、たまたまある人から貰った英訳の『草枕』を読んで圧倒されるんです。これが終生の本になる。これを二十世紀最高の小説と言って、枕頭の書とした。
ある人は『草枕』を読むと、これは文学だけれども、まるでグレン・グールドが書いた小説、彼が小説を書いたとすれば、こういうものになるんじゃないか。一つの曲のなかにポリフォニックな、多声的なものをつかんだ。だから彼が小説を書けば、一人の主人公、一人の語り手の中にひしめく、声のひしめきっていうか、それをポリフォニックにやる。だから、自分は英訳で読んでまるで、これはグレン・グールドが書いた小説かと思ったという。

画工の語り手の意識はいわば、何かものを映す鏡みたいなもんですね。人格的な統一なんてないんですよ。きちっとした説明も、纏まった考えもなにもないわけです。こういった語り手が、もうまったく矛盾した問題をそのままに語っていく、この流れが『草枕』です。

こんなのは、ほとんど床屋政談みたいなレベルの話の持って行き方だね。話としては面白いけど。

那美さんって何か。画工は、<開化した楊柳観音>っていうんです。ただ楊柳観音とだけ言えば日本的な美女、伝統的な美女ですよ。しかし開化したという時、文明開化の影響をもろに被った美女だってことです。
漱石が描いてゆくヒロインたちの原型ともいえるものです。漱石の女性を理解しようと思ったらまず、那美さんをしっかり理解すればよいい、これが原点なんだという所があります。
那美さんのモデルは前田卓子といって、父親は前田案山子という政治家。その別荘が小天温泉で、作中の那古井の温泉の舞台。父親は自由民権説を唱え、明治23年、第一回の衆議院議員でもあったんです。卓子は次女で、妹(槌子)はあの宮崎滔天と恋愛結婚をしており、前田一家は中国革命支援運動にかかわっている。

『草枕』の語り手は人間です。しかもその人間が人格的な統一なんて全くない、言わば<解体した存在>として語っている。これは痛烈な実験で、これがはっきり形をとって来るのは、後の新感覚派、さらには石川淳や太宰あたりになってからでしょう。
グレン・グールドは<非人情>に惹かれたんですねぇ。アラン・ターニーさんは何と訳しているか、<デタッチメント>、これに対して<コミットメント>とは何か。これは義理人情の世界。(第四章 草枕)


この章を読んで、草枕を読もうとしたのだが、これまた数節で挫折してしまった(>_<)

どういうふうに書いたかといえば、主人公がずーっとやったことを思い出しながら語っているんだから、意識が流れていくだけです。物語の発展はないんです。だからこの小説は、山も何もない、趣向もないわけだから、当時の反響ゼロですね。むしろ評価されたのはずーっと後の戦後。今から20年くらい前でしょうか。戦後「内向の文学」と言われた文学の中で<意識の流れ>ってものが中心となる。その<意識の流れ小説>の元祖、始まりが『坑夫』じゃないか。

戦後の文学評論で<意識の流れ>小説というのが一時流行ったことがあるが、これはもう、はなから読む気になれない。

『夢十夜』は漱石の原点です。漱石のロマンチシズムや、人生の不条理に対する思いやさまざまなものがある。だから『夢十夜』は漱石の文学に分け入っていく登山口であり、これを薄めれば,いろんな飲みものになる。濃液のようなものと言われています。(第七章 坑夫・夢十夜)

『夢十夜』は、漱石作品の中でも特異な作品である。散文詩といえるかもしれない。だからといって、これが漱石のエキスでこれを希釈して他の作品になるとは思えない。

写生文の特色は低徊趣味にあると漱石は言っています。ある一つのことがおもしろければ、その場面、その人物の動きをゆっくり楽しみながら書いていく。低回ですね。それから物語をどんどん進めていくのが推移趣味。小説っていうのは低徊趣味と推移趣味の二つが絡んでいく。漱石はそれが小説だと言っている。(第八章 三四郎)

一瞬「徘徊趣味」と勘違いして、なるほどと思ったのだが、「低徊」は大辞林によると「行きつ戻りつ」することらしい。まあ、徘徊と大差はないか。その後に「低徊趣味」という項目があって「俗世間のわずらわしさを避けて、余裕をもって世間や人生を眺めようとする態度。初期の夏目漱石が唱えた文学的態度」と書いてあった(^_^;) 辞書に載るくらい有名なことだったらしい。
「推移主義」という項目は大辞林にはなかった。

漱石の文学ってのは戦後文学です。日露戦争のやがて終わる頃から『猫』が始まります。
漱石は代助を通して、戦後の時代の中で、若い世代の人たちの考え方が、その価値観が、どういうふうに変わったか。そこにはっきりと切り込んでいる。(第九章 それから)


漱石作品を戦後文学(アプレゲール)と言われると一瞬びっくりするが、たしかに、日露戦争の直後の作品だと言われるとそのとおりというしかない。リアルタイムの現代文学がアバンゲールと呼ばれることのないことを祈りたい。

漱石の面白さは遠心的志向と急進的志向、両方があるということなのです。これは彼が新聞小説の作家になったからですね。文学を読む人だけが相手だったらもっと書き方があったでしょう。だけどそうはいかないから遠心的と求心的と。つまり新聞小説をどう書いたらいいかっていうのが、彼の工夫のしどころだった。(第十ニ章 彼岸過迄)

新聞小説というと、大衆小説の典型みたいだが、たしかに毎日毎回、読者を飽きさせずに興味をつなぎとめるために、山場の連続というのが必須になるだろう。締め切りが毎日あるというのは、考え方によっては大変な事態だと思う。器が中身を規定するという部分もあるらしい。

フランスのロラン・バルトあたりのテクスト論がありましたが、私は一貫して作家と作品を切り離すことはできない。そうかと言って作家がどういう伝記的な事実や体験があったから、すぐにそれが作品にどう結びつくかということもおかしい。だから作品の中に作家を入れ込むんじゃあなくて、作家という存在と作品という存在を串刺しにして読むということを、一貫して言い続けて来た。作品を徹底的に読むという。でもそこでは終わらない。徹底的に読むと、その向こうに否応なく作家の影、作家の声というものが聞こえてくる。(第十四章 こゝろ)

作家と作品を串刺しにして論じる(^_^;) これが筆者の持論らしい。このあたりもかなり大雑把な論じ方だね。

人間ってのは頭だけで生きてるんじゃない。精神だけで生きてるんじゃない。精神と肉体が合一したものとして生きている。それが身体論的な発想です。
そうすると、これはまさに漱石的主題ではないか。
自分が実体的存在ではなく関係的存在だということ。人間存在が有限性、相対性、それを根源の心理として受け入れて、知の本質的な限界の自覚から出発するというのは、実は『道草』の主題がそうじゃないのか。(第十五章 道草)


これは『道草』というタイトルから演繹されたものではなかろうか。

水村美苗さんんは、『續明暗』という作品を書いている。あと百回分『明暗』の続編を書きますね。
水村さんは怒って、私は『續明暗』を書いたのに、大岡さんも、それから江藤淳さんも、みんな『明暗』を論じた人が一言も触れていない。どういうことですか。駄目だっていうことですか。無視するんですか。無視するほど駄目だと言うんなら自分が書いてみろといいたいですといった啖呵を切りましたね。私どもの梅光の講演に来てね、ああ、水村さん勇ましいなあと思ったです。(第十六章 明暗)


これは初めて知ったが、「水村版明暗」はなかなかの力作だったと思う。発表時はそれなりに話題を呼んだようなのだが、今や単行本は絶版、文庫版では現代仮名遣いになってる、ということからして、水村氏の怒りはもっともだろう。

佐藤泰正 1917年 山口県生まれ
山口県生まれ。豊浦中学4年修了、旧制早稲田大学第一高等学院を経て、早稲田大学文学部卒。文学博士(早稲田大学)。梅光女学院大学教授を長く務め、副学長、学長を歴任。磯田光一を講師に迎えたり、詩人の北川透を客員教授に迎えるなどして、西日本における日本近代文学研究の拠点を作り、1977年より梅光女学院大学公開講座を行い毎年論集を刊行している。2001年改組により梅光学院大学教授。中原中也賞選考委員も務める。「佐藤泰正著作集」全12巻がある。


本書は、筆者が一般市民を対象に定期的に行った、公開講座を元にしている。だからこんな論法になったのかと納得がいくが、漱石論というより、漱石を巡る雑談という感じが強い。
実はMorris.は小倉での学生時代、彼の出張講義をうけたことがある。日本文学とキリスト教との関連主題だったと思うが、内容はほとんど覚えていないが、文学への真摯な姿勢を持った研究家という印象が残っている。
Wikipediaによると、2015年11月30日逝去、享年九十八、とあった。合掌


2016042
【2015年安保から2016年選挙へ】「世界」別冊 ★★★  2016/04/01 岩波書店
「政治を市民の手に」と副題にある。弁護士、学者、市民や学生らの自主的反対運動から、野党協力を推進して2016年の選挙を戦おうという主旨で編集された一冊らしい。
対談や個人発言など20本の記事が収められている。志位和夫と小沢一郎の対談や青木理のジャーナリズム批判、岡田憲治の主権者論などそれなりに興味を引くものもあったが、デモや抗議活動の経過報告めいたものにはちょっとしらけさせられるところもあった。
小林節のたった4pの記事が一番印象深かった。安倍政権が「傲慢で危険な政権」であり、戦争法は戦略的にも愚かな法律だとして、政権交代のための野党共闘(選挙協力)のための具体的な方法を示している。

今回図らずも、安倍暴政の前で少数派の非力に悔しい思いを噛み締めながら、憲法の勝ちを再認識するという共通の土俵に立てたことを奇貨として、野党各党は、あらためて虚心坦懐に向かい合ってみるべきだろう。
とにかく、政治の目的は、それぞれが個性を持っている主権者国民の幸福を増進していくことで、そのためには、自由と豊かさと平和が不可欠なことに異論はあるまい。そして、それが、現行憲法を誠実に実効化していく政治であることも、異論はあるまい。だから、立憲政治の回復という大義のもとに野党五党はひとつにまとまることができるし、そうあるべきなのである。

1.主権者国民の多様な声に素直に耳を傾ける。言論の自由を守る政治を行う。
2.有害無益な戦争法を廃止する。
3.アベノミクスが破綻した今、消費増税は凍結する。
4.国主導の押し付けがましい「地方創成」ではなく、地方の自主性を重視する。
5.日本に不利益なTPPは、非承認で、再交渉を行う。

このあたりでなら、今の野党は合意できるのではなかろうか。
そうして、野党が真に心をひとつにして選挙戦を戦えば、今の政治に不安感と絶望感を抱いている多数の国民が棄権せずに投票所へ足を運び、政権交代が実現するはずである。(「立憲政治の回復と野党共闘」小林節)


いささか楽観的に過ぎると言えなくもないが、事を起こそうと思えば悲観的より楽観的意見のほうが望ましいだろう。日米安保体制そのものの見直し(基地問題、地位協定)、3・11を契機とする原発再稼働批判なども盛り込むべきかとも思うが、闘いはシンプルを旨とすべきということだろう。いずれにしても、来るべき選挙は、何をおいても投票所へ足を運ぼう。


2016041
【Sの継承】堂場瞬一 ★★★☆ 2013/08/25 中央公論社
60年安保時代に、毒ガスによるクーデターを計画しながら未遂に終わった研究者が、その継承者として選んだのが引きこもり気味のネットおたく。太平洋戦争での日本陸軍の研究、オウムのサリン事件などを参考にしたものだが、たしかに、毒ガスというのは、使い方によれば、とんでもなく効果的な(怖い)武器となることを再確認させてくれた。

つくづく、こういうことに向いていないお国柄なのだ、と思う。権力を手にするのはごく一部の人間。そして他の大多数の人間は、陰で文句を言いながらも、唯々諾々とその決定に従う。そして全ては、間違った方向へ進んでしまうのだ--為政者が馬鹿であるが故に。最大の問題は、その為政者を簡単に取り替える方法がないことだ。

これは、原色総理の秘書らしき人物の述懐だが、あまりにもナイーブな表現である(^_^;)

官僚が政治家とはまったく異質な存在であるのも事実だ。政治家は継続しないが--世襲は継続ではない--官僚の仕事は人が替わっても永遠に続く。この国の方針を決め、動かしてきたのは、政治家ではなく官僚なのだ。近代日本は、イギリスの議会制民主主義とドイツの官僚主義を二本柱として受け入れたが、長く影響力を維持してきたのは官僚主義である。

本書のクーデタの理念?は、政治家を無くして官僚に誠治をまかせる、というこれまた、あまりに短絡的ご意見である。

「世界が今、核の力に抑えつけられているのは、アメリカが実際に日本に対して原爆を使ったからだ。あれで世界各国とも、手を縛られた」
「仰る通りです」国重は右手を拳に固めた。あれほど非人道的、かつ無慈悲な軍事作戦は、世界史上に類を見ない。百年先の世界史の教科書では、ナチスの蛮行と並べて記載--非難されるべき出来事だ。


これは登場人物の一人の60年代の意見だが、原爆投下という既成事実が「核の傘」を担保したという、一面の真実ではあるが、半世紀後の今日、原爆投下がナチスの蛮行と並べて記載されるという状況からは程遠い。

理想に絶望した若者が権力によって逮捕されたり、自殺に追い込まれたりするような社会……この背景に何があるのか探り、変えていかなければならないのではないか。
変える。一気に。最も効果的な手段で。


その効果的な手段が毒ガスというわけか(>_<)

ツイッターやSNSなどで情報はどんどん拡散しているし、掲示板でも「国会前に集合」と盛り上がっている連中がいるが、それが本気かどうかは読めない。
これが本当になったら、騒動は収拾できないほとに拡大する。
何とかしたい。こんなガキに好きなようにやられて、手をこまねいて見ているしかないのは、警察官としても、古くからITの世界にかかわって生きてきた人間としても、身悶えするほど悔しい。


ネットオタク警官の独白だが、ここでも単純化が際立つ。「手をこまねいて」表現が、頻発するのも、Morris.をげんなりさせる。

今の日本では、学校の中に明確な階層がある。上位に来るのは、面白い奴、運動ができる奴。「勉強ができる」という要素は重視されない。そういう階層に斜めから切りこんでくるのが、人を苛めることに生き甲斐を見いだすタイプのクソ野郎どもだ。そいつらは、クラスの人気者には絶対に手を出さない。俺のように友だちが少ない奴、勉強だけしているような大人しい奴をターゲットにする。

「いじめ」の一つの側面をうがっているが、やっぱりどこか偏向しているようだ。

「S号作成マニュアル」は、一見してやばい代物だった。化学は苦手だが、簡単な前文を読むと、毒ガスの製造法を記した物だと分かる。おいおい--すぐに事情が呑みこめた。これって、半年前に起きた毒ガス事件の資料じゃないか? しかも第三者が作ったものではなく、おそらく当事者。
森本は、他に夜勤の人間がいないのをいいことに、長い間二つのファイルを眺めていた。やがて意を決して、自分のパソコンに落としこむ。
こいつは、残しておかなければならないのではないか? しばらく考えた末、別のストレージサービスにアップロードした。こちらは「永久保存」」を謳っている。たとえ俺が死んでも、ウエブ上で永遠に生き続け、また誰かの目に触れる……。


ネットに一度発信された情報は、即座に伝播し、完全に消し去ることは不可能に近い。膨大な情報の量に埋もれてしまいがちだが、検索エンジンの進化によって、大凡の情報はリアルタイムに安価に入手できる。しかし、これもまた一つの次元での出来事だろうし10年後には全く新しい状況になってるかもしれない、いや、その可能性のほうが高いだろう。
本書は最初のクーデタ計画あたりは面白かったのだが、だんだん、チャチな展開になっていく。堂場作品はスポーツものにしろ、警察ものにしろ、この傾向が多いようだ。


2016040
【ねこに未来はない】長田弘 ★★★ 1975/10/30 角川文庫

これはずい分前に読んだ。タイトルが印象的で、わすられずにいた。長新太のカットも懐かしかった。先日六甲学生青年センターの古本市会場設営の時、手に入れたもの。若き詩人が新婚当時飼ってた4匹の猫の思い出話みたいなものだが、70年代当時の空気が感じられた。

「ねこには未来がないのよ」
「え? ねこがどうしたって?」
「やっぱり知らなかったのね。わたしもさっき新聞の随筆欄で読んだばかりなんだけど--脳医学のえらい先生がこんなことを書いていたのよ。ねこには未来というものがない、なぜなら、ねこには未来を知覚する能力がないから、って」
「ねこには未来がない?」
「つまりわたしたちが未来を感じることができるのは、このおでこの裏っ側にある前頭葉という組織のはたらきによってなんですって。ところが、ねこにはもともとこの前頭葉という組織そのものがないんですって」
「どうして」
「どうしてって--ほら、よくいうじゃないの、ねこの額って。そうよ猫の額があんまりせますぎたんで、神さまが前頭葉をパッキングする余地がきっとなかったのね」

Morris.はずっと信じこんできたのだが、これは俗説で、小さいながら猫にも前頭葉はあるらしい(^_^;)


2016039
【青い種子は太陽のなかにある】寺山修司 ★★★ 2015/04/30 KADOKAWA
1963年、関東労音が企画・上演した作品の自筆原稿で、2013年舞台監督田中好道の遺品のなかから発見されたもの。もちろん単行本未刊行である。浮浪者のためのアパート建設を巡って、工事中死亡した朝鮮人と、若い男女の恋と告発、政治不信をミュージカル風に仕立てた作品ということになるだろう。
労音がらみということで、かなりに図式的社会批判が盛り込まれ、ちょっと鼻白むところもあるし、若書き(寺山27歳)の稚拙さも目立つが、ふんだんに置かれた挿入歌の歌詞は、何か懐かしさを感じさせるものがあった。ラングストン・ヒューズの詩句を引用してるし、全体にブルースっぽい。浅川マキの歌を思い出した。

ところできみは、アンデルセンの「はだかの王様」って童話知ってるだろう……賢治君。
あの童話のいちばん終りで、勇気をもって「王さま裸だ」って叫んだ子の後日譚について私は考えたことがあるんだが、あの子はきっと死刑にされたんではないだろうかね。


政治家早瀬鶴吉と青年賢治のやりとりの一節だが、子どもが「勇気をもって」発言したわけではなかろうし、寓話ということを別にしても、この後日譚にはちょっと意表を疲れた。言われてみればその通りだもんな。

本文中には、乞食、人夫、浮浪者、莫迦でもチヨンでも、ルンペン、おかま、うすノロ、三国人、狂人ほか、現代では使用すべきではない差別語、並びに今日の人権擁護の見地に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代的背景を考え合わせ、また著者が故人であるという事情に鑑み、原文のままといたしました。

こういった編集部注は、最近よく見られるが、わざわざ該当語句を列記するあたりは、何か意思を感じるのは、Morris.の気の廻し過ぎだろうか。
Morris.は寺山修司の戯曲にはあまり馴染みがない。やはり彼の短歌にこそMorris.にとっての寺山修司の魅力が集約されてると思う。

さらば夏の光よ、祖国朝鮮よ、屋根にのぼりても海見えず
砂に書きし朝鮮哀歌春の波が消し終るまで見つめていたり
歌ひとつ覚えるたびに星ひとつ熟れて灯れるわが空をもつ
一本の樹を世界としそのなかへきみと腕組みゆかんか 夜は
一人死ねば一つ小唄が殖えるのみサボテン唸り咲きてよき町
アスピリンの空箱裏に書きためて人生処方詩集と謂ふか
人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
わが胸を夏蝶ひとつ抜けゆくは言葉のごとし失いし日の
空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る


ついつい、手元の角川文庫「寺山修司青春歌集」を読み通してしまった(^_^;) 何十回目かの再々読である。「祖国朝鮮」などとあっても、寺山が在日朝鮮人であったわけではない。為念。



2016038
【沙漠に日が落ちて : 二村定一伝】毛利真人 ★★★ 講談社 2012/01/25 講談社
以前読んだ「ニッポン・スイングタイム」が破格の面白さで、期待して読んだのだが、どうも、この二村定一はMorris.の好みからちょっとずれてるようだった。
タイトルはもちろん彼のヒット曲「アラビアの唄」の冒頭のフレーズから付けられたもので、たしかにこの曲はインパクトあった。

戦前のひところ、昭和初期には二村定一は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。歌をとおして、まさに一時代(エポック)を作りあげたのだ。しかし、その存在は、激動の時代を生き抜いて偉大なエンターテイナーとなるにしては、時代にくっつきすぎていた。
この男が発散していた華やかさと享楽、流線型と退廃と悲哀は、つかのまの平和とモダンと物質文明が栄えた時代の発露そのものであったが、ドライフラワーのように脆いのだ。二村定一は戦前という名の船の舳先に突っ立って岸をはなれ、しずしずと時代に沈んでいった。(はじめに)


著者自身が初めから、二村の存在を戦前とともに消えたものと規定せざるを得ないくらいだものなあ。

昭和3年(1928)2月23日JOAKラジオ放送「ジャズの時間」で、二村定一が歌った7曲中「アラビアの唄 Sing me Songs of Araby」がたいへんな評判を産んだ。
<アラビアの唄>はMGM映画<受難者>の主題歌として作られた。作詞作曲したのは1910年代からヒットメーカーとして活躍していた、フレッド・フィッシャーである。非西洋的な五音音階を多用した、オリエンタルなメロディである。
この唄がことさらに流行したのには堀内敬三の訳した夢幻的な歌詞もおおいに影響している。

砂漠に日が落ちて夜となる頃
恋人よ、懐かしい唄を歌はうよ
あの淋しい調べに
今日も涙流さう
恋人よ、アラビアの
唄を歌はうよ


たしかに堀内敬三という人が日本に西洋音楽を普及させた功績の大きさは計り知れない。浅田飴のオーナーの息子として生れ、大正時代にマサチューセッツ工科大学に留学、戦前「音楽の友」を創刊、東京音楽大学の学長も勤め、NHKの「音楽の泉」「話の泉」などで一般にも親しまれていた。

定一は飛び抜けて明るい声質なのでごまかされがちだが、この明るい声は哀しみと表裏一体の声なのである。隠し味のように悲哀がにじみ出る独特の歌唱を、彼はクルーナーという手法を借りて表出したのであった。(第三章 ジャズ・エイジの寵児)

マイクの登場から生れたこの唱法は、声量のないMorris.には興味津々なのだが、・マイクといえば、カラオケくらいしか縁のないMorris.だから、興味本位でしかない(^_^;)

百万円拾ったら
女学校建ててぼく先生
月謝は少しも取りません
綺麗な娘さん募集して
毎日恋愛 エロ講義
裸ダンスを教えます
面白いですね(<百萬円> ヒコーキ 昭和7年6月)


この歌が「探偵ナイトスクープ」で取り上げられて、若者の間で、二村定一の知名度が上がったとか。たしかにこれはユニークというか脳天気というか、なかなかおもしろい。

胸を合わせてステップ踏めば
触れる乳房に血は血で躍る
サロメ娘の白裸の腕に
ぷんと鼻突く女の香り
ほんまに悩ましエロ模様(<ほんに悩ましエロ模様>タイヘイ 昭和6年)

女が欲しい
女! 女!
女はホラ 浮気者でも女は美しいです、綺麗です
今度生まれたら女護島
どんな苦労も厭いません
お金もいらぬ 女が欲しい(<女! 女! 女! >タイヘイ 昭和6年)

胸の乳房に夜更けてそっと
キッスした人知っててよ
アーラ
「いけないわようぅ」
アラアラアーラ
知っててよ (<キッスOK>タイヘイ 昭和6年)

いずれも関西圏で勢力を誇ったタイヘイレコードの製品である。関西弁で「えげつない唄歌わしよるなあ」というところの剥き出しな欲望をあらわにしたエロ小唄群であるが、こうした発禁すれすれのレコードは正規のレコード店、楽器店ではなく露天の夜店で流通していた。(第四章 エノケンとべーちゃん)


このタイヘイレコードというのは、大阪のレコード会社として聞き覚えがあった。しかし、レコードみせでなく、露天で流通というのが笑わせる。韓国のマンモスなどのポンチャックテープも、売り場は露天やリヤカー屋台だったのと共通点がある。

忘れ去られていた二村定一がふたたびよみがえったのは、彼を遠くからずっと見つめつづけていた色川武大の手による随筆や小説によってであった。いま現在、知る人ぞ知る二村定一の人となりは、「砂漠に陽は落ちて」「流行歌手の鼻祖-二村定一のこと-」「あちゃらかlぱいッ」「アラビアの唄」などの諸作で確立されたものである。

色川武大(阿佐田哲也)もいろいろ間口が広く、交友関係も独特のものがある。代表作「麻雀放浪記」は麻雀に縁のないMorris.でも読んだくらいのものだが、彼の交遊録も読んでみたい。


2016037
【踊る昭和歌謡】輪島裕介 ★★★☆ 2015/02/10 NHK出版
副題に「リズムからみる大衆音楽」とある。日本歌謡曲のリズムに注目して論じた歌謡論で、8章が立てられているが、Morris.は第四章「「国産」ニューリズム・ドドンパ顛末記」というのがあったので読む気になった。

近代以前に「音楽」の語が全くなかったわけではないが、歌舞伎の鳴り物のうち雅楽を模したものを指す、というようにきわめて限定的な用法しかなく、基本的には明治以降に輸入概念として定着したと考えてよい。付言すれば、「音楽」という言葉自体には「音を楽しむ」という意味はない。音は声、楽は楽器を指す。(第一章 ダンスホールとジャズの戦前戦後)

日本語で「音楽」という言葉には「音を楽しむ」という意味がないというのは、ちょっとショックだった。Morris.はずっと、音楽といえば音を楽しむことと信じこんでいたからだ。
しかし、「大言海」見たら。

おんがく 音楽 [禮記 、楽器編「審聲以知音、審音以知楽] 楽(がく)ノ条ノ(一)ヲ見ヨ

とあった、で、楽の項を見たら

がく 楽 (一)ウタマヒ、アソビ。楽器ヲ用ヰテ、調ニ合セテ、音ヲ発シ、人ノ心ヲ楽シマシムルモノ。歌、舞、コレニ伴ふ。音楽、神楽、雅楽、俗曲等、古今、雅俗、種種ナリ。西洋音楽ノ楽モアリ。各条ニ注ス

まあ、楽器を使って人の心を楽しませるということだから、Morris.の思い込みでもかまわない、ということにしておこう(^_^;)

1956年9月のペレス・プラードの日本公演は一ヶ月に及び、地方公演も多く行っている。両国国際スタジアム(旧国技館)での三日間の「サヨナラ公演」では、当時人気絶頂のひばり、チエミ、いづみの三人娘が日替わりで前座を務めており、当時のプラードの人気と歌謡界の舶来志向をともにうかがわせる。(第三章 マンボ・ブームとニューリズム時代の幕開け)

たしかに「マンボ・ブーム」というのは覚えている。小学校低学年だったMorris.も家の電蓄(^_^;)で、ペレス・プラードのSP盤を聴いた覚えがたしかにある。

ドドンパは謎に満ちている。1960(昭和35)年に「国産ラテン・リズム」として忽然と現れたドドンパは、翌1961年にかけてブームを巻き起こし、気になる爪痕をあちこちに残しながら、やがてその出現と同様、忽然と消えていった。

月光仮面みたい(笑)

大映では勝新太郎主演で時代劇「ドドンパ水滸伝」(1961)が制作されている。これに先立つ「花くらべたぬき道中」(大映)で雷蔵と勝新は「ボンパッパー、ボボンパー」という、ドドンパを思わせる呑気な歌を歌っている。音楽担当は、マンボ・ブーム時にラテン楽団「アフロ・クバーノ」を率いており、そのご作曲家に転身した浜口庫之助だ。

浜口庫之助といえば、ライトな歌謡曲の作曲家だと思ってたが、根っこはラテン・ミュージックだったのか。

「ドドンパ」はフィリピンから中華圏に広がった「オフ・ビート・チャチャ」の日本版と考えることができる。

先づドドンパの「パ」に当る小節2拍目をボンゴが1打します。次で代コンガがコンガの皮をこすって出すツゥーンという音を一拍目に入れます。次にドドンパのドドンの部分になる第4拍目を第3コンガが、「パ」の部分を強調する為にタンバリンが、それからこれはドドンパのリズムがプラードのロカンボとも又フィリピンのオフビートでもなく、これが日本生れのドドンパであると主張するかのように「パ」と「ドドン」の間の第3拍目に三連音のリズムをきざみます。次いでマラカス、ティンバル等が小節を8つにきざみ、最後にドラムスがシンバルで4ビートをきざみながら参加することによって完全にドドンパのリズムが誕生したわけです。(LP「ドドンパ誕生」1961テイチクの解説)

ともあれ、その新リズムにあわせてラテンのスタンダードを演奏して楽しんでいたが、メンバーの一人が「オフ・ビート・チャチャチャでは、名前がむずかしすぎるわな、新しい名前をつけようやないか」と言い出した。それに対して、アイ・ジョージが「ドドンパ」という名前を思いついたという。

アイ・ジョージ説にしたがえば、ドドンパはその後、関西を中心に人気を高め、徐々に関東にも広がってゆき、翌1961年1月に渡辺マリ「東京ドドンパ娘」がビクターから発売される。その大ヒットがきっかけとなって、ドドンパの「起源」が取り沙汰されるようになり、ビクターと、アイ・ジョージが所属するテイチクとの間で論争が起こったという。

筆者がドドンパを最初に強く意識したのはサンディーのアルバム『パシフィカ』(1992)に収められた「東京ドドンパ娘」のカヴァーだった。これをプロデュースしたのはもちろん、当時の夫、久保田麻琴。そして彼はかつて夕焼け楽団時代にアルバム『サンセット・ギャング』(1973)で飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」をカヴァーしているのだ。この演奏自体はリトル・フィートやオールマン・ブラザーズ・バンドなにするものぞ、といわんばかりの最高にアーシーでグルーヴィなものだが、筆者には引っかかるところがある。なにが問題かというと、実は1962年に飯田久彦がカヴァーした際の歌詞には、「スクスク・ドドンパ・チャチャチャ、踊ろうよロックンロール」というくだりがある。その部分が夕焼け楽団ヴァージョンではなんと、「スクスク、ルンバにチャチャチャ」と歌われているのだ。
1970年代の日本のロックでは「ドドンパ」という音のドメスティックな響きは避けられなければいけなかったのか。大袈裟に言えば、この「ドドンパ」の欠落は、英語圏ロック中心の歴史の遠近法のなかで、日本におけるラテン系ニューリズムの系譜が周縁化され忘却されていった過程を象徴的に示しているのかもしれない。(第四章「国産」ニューリズム・ドドンパ顛末記)

ドドンパについて、いろんなことが分かって、この本を読んだ甲斐があった。
韓国の女性歌手ヘウニのヒット曲に済州島民謡をタイトルにした「カムスガン」という曲があって、この歌の楽譜に「DODOMPA」と表記されている。作曲した吉屋潤は、日本での活躍も多かったので、当時このリズムを吸収して作品化したものと思われる。

ファッツ(太っちょ)・ドミノの名前をもじったチャビー(ぽっちゃり)・チェッカー(ゲームの名前)というモノマネのうまい黒人青年の歌「ツイスト」(1960)と、「足でタバコをもみ消しながら、シャワーの後に下半身を拭くように動く」踊りは大流行する。

ツイスト・ブームというのも懐かしい。このツイストは韓国歌謡界では、今でも根強い人気があり、「チャンユンジョンツイスト」はMorris.の十八番(^_^;)だし、ソルンドは自作のツイストナンバーを毎年のように発表してる。

フランス・パリの「ウィスキー・ア・ゴーゴー」は、第二次世界大戦後すぐに「レコード図書館」といった意味で「ディスコテック」を名乗った最初のナイトクラブだが、ここが1960年代初頭、フランスにツイストを持ち込み、流行を巻き起こす。
ヨーロッパでの「レコード踊る」文化は、最新のアメリカ音楽を演奏できるバンドもそれを雇う費用も場所もない、という制約から生まれたものといえるが、これがアメリカに逆輸入され、さらに世界的に広がってゆく。ディスコテック、つまりディスコは70年代以降鑑賞音楽に転じたロックの覇権に抗して、「踊る音楽」の牙城を守ることになる。


楽団なしで、ダンスミュージックを楽しめる時代が、ディスコを産んだというのは判りやすい。安くて美味しいダンスホールの登場ということだろう。

1962年、美空ひばりとの結婚直前の小林旭は、ニューヨークの「ペパーミント・ラウンジ」でツイストを仕入れてきた。「アキラでツイスト」も「ペパーミント・ツイスト」のカヴァーも、いつも通り、あの「無意識過剰」(小林信彦)の痛快なアキラ節で歌っている

日本のリズム歌謡で小林旭の存在を忘れることはできない。

個人的には、六・八コンビによるジェリー藤尾の「インディアン・ツイスト」が和製ツイストの最高傑作だ。
植木等の「ハイそれまでよ」も「テナコト言われてソノ気になって」以降のアップテンポになる部分がツイストだ。(第五章 ツイスト上陸!( 「ダンス狂時代」)


「インディアンツイスト」は著者が褒めるほどのものではなさそうだが、植木等のアレがツイストというのは目からうろこだった。

一般的に言えば、ある時期に「オシャレ」だったサウンドは、別の時代にはとてつもなく、「ダサく」なる。その典型例はサム・テーラーのテナーサックス(いわゆる「むせび泣く」音色)や「ムード歌謡」だろう。「なぜ21世紀前後の日本であんなにボサノヴァが流行ったのか、なぜあれがオシャレとみなされたのか」が検証される日もそんなに遠くはないかもしれない。

音楽に限らず、流行りすたりは世の常だろう。歴史は繰り返すということか。


2016036
【石垣りん詩集】 伊藤比呂美編 ★★★ 2015/11/17 岩波文庫
彼女の詩は、これまで結構読んできたし、好きな作品も多い。本書の袖には未発表詩や単行本未収録作品を含むとあったので、読む気になったのだが、ちょっと期待は裏切られた。Morris.の好きな詩篇たちは、あらためて読んでも感動を新たにするのだが、本書で初めて見て、心を揺さぶる詩はほとんど見つからなかった。
もしかしたら、伊藤比呂美のセレクトが問題なのかもしれない。解説もいまいちピンと来なかったしな(^_^;)
東京オリンピック前夜の1963年、北海道の地方紙に掲載された、単行本未収録に一編だけを引いておく。

猫がなく

ゆきずりに猫を愛撫した。
小雨が煙るように降る
夜の十時
人気ない小路で猫を呼び
猫をひきよせ
お前もさみしかろう
と語りかけた
猫はついてきた
けれど門口までくると
家に上げるわけにはゆかない
それには理由がある
(いつだって
そういう時には理由があるのだ)
どこかで誰かが
百まんべんも聞いた言葉
私はかけこんで戸を立てる
拒絶された猫が
しばらくないて泣きやまない
ガリガリ爪をたてて
なきながらひっかく
さっきのやさしさ
あれは何だったのか
教えて下さい (「十勝毎日」1963年11月11日)



2016035
【キャパの十字架】沢木耕太郎 ★★★ 2013/02/15 文藝春秋  初出「文藝春秋」2013年1月号
ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」(1963)は戦争写真のなかで世界で一番有名なものだろう。
この写真に関しては、発表当時から疑惑があったらしい。いかにもヤラセっぽいし、実際の戦闘場面だとしたら、撮影者の位置が不自然だし、頭を撃たれたことになっているが、被弾したとは思えないとか……
1996年に被写体の割り出し(セロ・ムリアーノで戦死したアルコイ守備隊員)が確定したとして、いちおうの決着がついたことになった。
しかし2009年に、バスク大学のススペレギ教授が、セロ・ムリアーノから50km以上離れたエスペホであることを、写真の山の稜線から確定して、またこの写真に関する新しい視点が示された。
沢木は、スペインを訪れ、ススペレギ教授と会見し、エスペホも数回訪れて、撮影地を特定、当時の写真掲載雑誌や書籍を追い求め、同時期の他の写真を精細に調査して、あの写真は、演技であり、撮影は恋人でもあったゲルダ・タロウがローライフレックスで撮影したものと結論付ける。
この企画はNHKとタイアップしたもので、「推理ドキュメント 運命の一枚~"戦場"写真最大の謎に挑む~」のタイトルで本書の発売とほぼ同時(2013/02/03放映)に放映されている。
「深夜特急」時代は、バックパッカー的な貧乏旅行やってた沢木も、今や大御所になって、テレビ局、出版社の肝いりで、ヨーロッパ、アメリカと取材に回り、田中長徳から当時のカメラを借りたり、逢坂剛に紹介してもらったスペイン通訳嬢と同行取材したり、本書に掲載するためMAGNUM日本からキャパの写真の提供を受けたりしている。MAGNUMは結構著作権にシビアなようだから、これだけの写真を使用できたとのも、NHKと文藝春秋の助力あってのことだろう。と、多方面にわたってなかなか贅沢な状況で執筆取材できたようだ。贅沢といえば、本書造本もハードカバーで本文用紙も写真を多用するためということで真っ白の上質紙を使用している。
「崩れ落ちる兵士」は最初、フランスの「ヴュ」誌にもう一枚の「倒れた兵士」と並べて掲載され、その後単独で「Life」に掲載されて、これが世界的名声を産んだきっかけになる。
もちろん本書にも複数回紹介されているが、ニ誌の該当ページを上下に並べた88pでは両誌の誌名が逆になっている。写真の細部や角度など細かく調べたことを強調してる作だけに、こんなイージーミスはちょっといただけないな(^_^;)。
本書で沢木が、新たな所見として主張するのは、「崩れ落ちる兵士」とほぼおなじ時刻の写真が2枚存在していて、もう一枚の「突撃する兵士」がキャパがライカで撮影したもの、高名な「崩れ落ちる兵士」は隣りにいたゲルダ・タロウがローライフレックスで撮影したもの。兵士は撃たれたのではなく、斜面で滑って転んだところだった。キャパとゲルダがエスペホにいた間、この地で戦闘は行われていなかったから、撮影は演習、そして演技だったということだろう。
傾聴に値するところもあれば、ちょっとご都合主義的なところもあるが、ともかくも、これだけの「読み物に」まとめ上げる膂力には感心せざるを得ない。
キャパの自伝「ちょっとピンぼけ」は、筑摩の世界ノンフィクション全集で読んだ覚えがある。たぶん高校生の頃で、内容はほとんど覚えてないが、秀逸なタイトルだけは忘れずにいた。ゲルダのことはあまり出てこなかったと思う。
ゲルダは「崩れ落ちる兵士」を撮った(沢木説によると)翌年、単独で撮影取材の帰りに飛び乗ったオープンカーと戦車の衝突で死んでしまった。
ゲルダの死が「崩れ落ちる兵士」の写真をキャパのものにした、とは、はっきり書いてないが、それを「キャパの十字架」と捉えるところが本書タイトルの由来だろう。沢木は内心忸怩たるキャパが第2次大戦ノルマンディー作戦に随行して実際の戦闘の最中に撮影した「波の中の兵士」が、その免罪符になったのではないか結論付ける。この収拾の付け方にはちょっと疑問を感じた。

「波の中の兵士」は、ネガが損なわれていることで状況があいまいになり、かえって迫力が増すことになった。粒子の粗さとわずかなブレが、写真にダイナミックな動きと緊迫感を与えているのだ。もし画像がぼやけておらず、兵士の様子が細部まではっきり写っていたら、この写真がこれほどの迫力や臨場感を持つことができたかどうかわからない。その意味では、ここでも「崩れ落ちる兵士」とほとんど同じことが起きていたのだ。偶然が写真に思わぬ力を与えているという奇跡が。
しかし、「波の上の兵士」に「崩れ落ちる兵士」と決定的に異なる点があったとすれば、なによりそこが「本当の戦場」であり、撮り手の背後には無数の「敵」がいたということだったろう。
たぶん、あの「波の中の兵士」という疑いようもない傑作が撮れたとき、キャパはようやく「崩れ落ちる兵士」の呪縛から解き放たれることになったのだろう。「崩れ落ちる兵士」の呪縛、つまりキャパの十字架から。


まあ、これが沢木の筆法だろう。ノンフィクションと銘打ちながらフィクショナルな作品に仕上げずにはいられないとみえる。「事実は小説より奇なり」を具現化することにかけては、希代の名手というべきか。
本書は、いささか、「針小棒大、我田引水、羊頭狗肉、慇懃無礼」なところが目立つ。
最後に白状しておくと、Morris.は、そもそも「崩れ落ちる兵士」には、それほど感銘を受けたことはない。あちこちで見かけるから、お馴染みの写真、一種のアイコンにはなってたけどね。
手元に「芸術新潮」1995年1月号「20世紀を決定した「眼」」という特別号がある。350点ほどの写真が収められていて、キャパの写真も4pにわたって掲載されている。「崩れ落ちる兵士」(1936)「波の中の兵士」「Dデイから数日後の海軍基地」「嘲笑にさらされるドイツ協力者の母娘」(1944)、「最後の一枚」(1954/05/25)の五葉である。
「最後の一枚」はカラー見開き、インドシナ戦争への従軍で、ベトナムの草原を散らばって進む兵士の後ろ姿を、戦車から広角撮影したもので、これを撮った直後にこの写真にも写っている土手に登ろうとして地雷に触れて死亡したとのこと。ほぼ30年間の写真家生活で10年おきにエポックとなる写真を撮ったキャパに何かいたましいものを感じる。


2016034
【都会の雑草、発見と楽しみ方】稲垣栄洋 ★★★☆ 2012/08/30 朝日新書
先日読んだ「雑草の成功戦略」がそこそこ面白かったので、続けて読むことにした。
前作と重なる部分も多かったが、それなりにMorris.には有益な小ネタも多かった。
東京・名古屋・大阪を雑草から考察する「第三章 三都の雑草歴史物語」に期待したのだが、ちょっと期待はずれだった。

「雑草とは、いまだその価値を見出されていない植物である」ラルフ・ワルド・エマーソン

うむ、名言である。

自称「みちくさ研究家」である。
草を食うのは馬である。馬に乗って出掛けるときに、馬が道ばたに生えている草を食べながら歩いていくので、なかなか進まない。これが「道草を食う」である。


基本的に道草を食うのが草食動物であるというのは、その通りぢゃ(^_^;)

雑草の「雑」には「多様」という意味があるが、「草」という言葉自体も「多様」という意味を含んでいる。さまざまものがあることを「草種(くさぐさ)」という。草はそもそも多様な存在としてとらえられてきたのである。

前著では「ダイナシティ」などと横文字で説明してたことを思い出した。雑草=多様性。

生態学では、ニッチというのは、「生態的地位」という意味で、本来はある生物種が生息する環境を意味する言葉である。
そして、雑草と呼ばれる植物は、予測不能な環境をニッチとして選んだのである。
じつは畑というのは、雑草にとって過酷な環境なのである。いつ耕されるかわからないし、いつ抜かれるかわからない。そういう條件を克服した雑草だけが、「畑の雑草」となることができるのである。

雑草は弱い植物で、その弱さを様々な方法でカバーして「世にはびこ」っていく存在というのが著者の持論である。

日本では、タンポポは春の野原の風物詩として好まれるが、芝生の庭が自慢のアメリカでは、タンポポはもっとも嫌われる雑草である。ロゼットは、冬越しだけでなく、草むしりや草刈りにも強い形である。さらにタンポポはロゼットの下に長くて太いゴボウのような根っこを伸ばしている。(第一章 「雑草」とは、どんな植物なのか)

甲斐伸枝さんの絵本『雑草のくらし』(福音館書店)は5年間の空き地の雑草の変化を観察し続けた秀作である。この絵本を見ると、空き地の雑草の種類がダイナミックに移り変わっていく様子がよくわかるだろう。このような移り変わりの変化を「遷移」という。もし、除草剤が撒かれたり、草刈りがおこなわれたり、草刈りがおこなわれたりすると、ネジが巻き戻されるように、遷移の進行が元に戻る。

この絵本はずっと以前に見た覚えがある。再読してみよう。

雑草の種にとって、鉄道は都合のよい移動手段となっている。駅のホームを通過電車が通ると、意外と強い風が吹き抜けていく。この風に乗って、種はより遠くまで飛ばされていくのである。

汽車は風媒花にとって、毎日風を供給してくれる存在でもあったのか。

ハルジオンとヒメジョオンはよく似ているが、ハルジオンはつぼみが垂れ下がってうつむくのに対して、ヒメジョオンは上を向いている点で区別ができる。
ヒメジョオンは北アメリカ原産の外来雑草で、明治時代に日本にやってきた。明治維新のころに見られるようになったことから「御維新草」と呼ばれている。そして、鉄道が敷かれるようになると、線路沿いに、ヒメジョオンは各地へ広がっていった。そのためヒメジョオンは「鉄道草」の別名がある。
一方、ハルジオンはヒメジョオンと同じ北アメリカ原産であるが、少し遅れて大正時代に日本にやってきた。そしてヒメジョオンと同じように線路に沿って分布を広げているが、関西でふつうに見られるようになったのは、昭和の終わりごろだから、伝搬するスピードはあまり早くない。


この二つの類似点と相違点は前から何度も教えられながら、いまだに区別出来ずにいる。とりあえずヒメジョオンのほうが強いと、おぼえておこう。

雑草は予測不能な環境を生息地とする植物である。この予測不能な事態は、生態学では「撹乱(かくらん)」という言葉で表現されている。
さまざまな撹乱要因が存在する、河原という場所は雑草の宝庫である。

河原は常に撹乱がおこり、その回復がワンパタンということだろう。

河原に跋扈する三大つる性雑草はクズ、ヒルガオ、アレチウリ。

アレチウリは要チェック。

草原に生きる草食動物たちは、さまざまな工夫で、イネ科の葉を栄養にすることに成功した。たとえば、ウシやヒツジの仲間は四つの胃で、微生物に分解させることによって繊維を分解して栄養分を吸収する。また、ウマやウサギの仲間は、発達した盲腸で微生物が繊維を分解し、栄養分を吸収するのである。こうして草原は、成長点に強い(成長点が低い位置にある?)イネ科の植物と、そのイネ科の植物を食べる草食動物を発達させた。

反芻動物の発生原因がイネ科植物の葉を食物にしたため、というのは、意外な説だった。

ペンペン草というのはナズナの別名である。しかし実際には、屋根の上に生えるのは、ペンペン草ではなく、キク科の雑草である。キク科の雑草は綿毛で種を飛ばすので、屋根の上にも種を運ぶことができるが、ナズナの種子は空を飛ぶことができないので、屋根にはたどりつけないのだ。

ペンペン草というのは、三味線草という異名からの連想だろうけど、そうか、屋根の上の生えるのは風媒花か。

東京湾のゴミ埋立地(夢の島)では、意外な植物が雑草化して、群生しているらしい。その植物は、カボチャである。生ゴミといっしょに持ち込まれたカボチャの種が、芽を出して、生い茂っているというのである。(第二章 通勤経路のみちくさ散歩)


野生化したカボチャは、時々見かける。

江戸時代には園芸、品種改良ブームで、サクラや、ツツジ、ツバキ、キク、アサガオ、ハナショウブなど、さまざまな植物で珍奇な品種が次々に作出された。
江戸時代の園芸書には、「黒花」、「青花」、「紅花」など、色変わりの品種や、斑入りのタンポポなど、変わり種のタンポポがあったという。タンポポは一本の茎に一つの花が咲くだけだが、一本の茎に幾つもの花が咲く「枝打ち」と呼ばれる品種まであったらしい。

変わり咲タンポポといのは初耳だった。以下、小ネタを羅列しておく。

葵と聞くと、花の美しいタチアオイやトロロアオイなどのアオイ科の植物を連想する。しかし、徳川家の葵の紋の植物のモチーフは、アオイ科のタチアオイではなく、ウマノスズクサ科のフタバアオイである。

日本の家紋によく使われる十大紋は「鷹の羽、橘、柏、沢瀉、茗荷、桐、蔦、木瓜、方喰(かたばみ)」であるとされている。(第三章 三都の雑草歴史物語)

ヤマトシジミの幼虫は、都会の道ばたのわずかな土に生えるカタバミを餌にしている。そのため、翠の少ない都会でも暮らすことができるのである。花の少ない都会では、成虫のチョウもカタバミの花の密を吸っている。ヤマトシジミは都会に生きるカタバミのおかげで、都市で生きていくことができるのである。

ヨモギの葉の裏が白く見えるのは、毛が密生しているためである。この毛を顕微鏡で見ると、一本の毛が途中から二つに分かれている。これは、アルファベットのTのような構造になっているので「T字毛(テイーじもう)」と呼ばれている。こうして毛の数を増やして絡ませることによって、葉の裏の気孔から水分が出ていってしまうのを防いでいるのである。さらにこの毛はロウを含んでいて、水分を逃さない。ちなみに、この葉の裏の毛を集めたものが、お灸に使うもぐさである。お灸がロウソクのように時間をかけてじっくりと燃えることができるのも、もぐさがロウを含んでいるためなのである。

スズメノカタビラは代表的なコスモポリタン雑草の一つである。その起源地はヨーロッパであるとされているが、定かではない。あまりに古い時代から世界中に広がってしまったので、いまとなっては、どこが起源地なのかわからないのである。

ハキダメギクは、南アメリカ原産の外来雑草である。命名者は牧野富太郎。日本で最初に発見された場所が東京・世田谷のゴミ捨て場だったころから、「掃き溜め菊」と名づけられた。

カモガヤも、牧場を抜け出した牧草の一つである。牧草では「オーチャードグラス」というしゃれた名前である。穂の形がニワトリの足のように見えるので、「コックスフットグラス」とも呼ばれている。ところが、コック(ニワトリ)をダック(カモ)と聞き間違えられ、カモガヤと名づけられてしまったのである。
カモガヤのほかにも、イタリアンライグラスはネズミムギ、ペレニアルライグラスやケンタッキーブルーグラス、トールフェスクと呼ばれる牧草は、それぞれホソムギ、ナガハグザ、オニウシノケグサと呼ばれて雑草化している。

ツメクサは「爪草」である。とがった葉が鳥の爪のように見えることから名づけられた。コケのように見えても、ツメクサはナデシコ科の植物である。


やっぱりMorris.は植物なら雑草、猫なら野良猫(地域猫含む)が一番好きという意味で、この人の本はまた読んでみよう。


2016033
【リベラル再生の基軸】寺島実郎 ★★★☆☆ 2014/01/17 岩波書店 初出「世界」2011~13 「能力のレッスンⅣ」である。

宮沢喜一は、「リベラリズムの主軸は一億一心の対極にある」といい、多様性の尊重という意思を貫いていた。
新しいリベラルの五つの基軸
1.対外関係の再設計-日米同盟の進化を求めて
2.グローバリズムの中での公正な分配の実現
3.平和国家精神の再起動-憲法九条の実体化
4.原子力再考-リベラル必ずしも反原発ではない視座の可能性
5.代議制民主主義の鍛え直し-議員定数の削除(2013・4)


安倍政権の思いつき政策「一億総活躍」 。「一億一心」「一億火の玉」「一億総懺悔」……この「一億」のついたスローガンには碌なものがない上に、全体主義が色濃く染み付いている気がする。東京オリンピック絡みの「オール日本」というのもこれに繋がりそう。
多様性=ダイバーシティということを最近知ったが、わざわざ外来語使う必要はないよな。やぶにらみではなく複数の視点で考えるということは重要だろう。
日米同盟一本やりでは、当のアメリカからも愛想つかされそうだし、反原発をお題目にするのではなく、多角的に再検討すべきだろう。

3・11以後の喪失感を受けて、「絆」や「連帯」が叫ばれた。だが、絆や連帯が叫ばねばならないほど国民の意識は「個」に拡散し、連帯が困難な時代を思わせる状況になっているといえる。
ネットによる擬似紐帯は、問題を増幅はできても解決できない時代なのだ。
ワーキングプア(200万以下の収入で働く人)は労働人口6272万人の34%、2165万人(2011年)、これ以外に日本には働いていない人が6000万人以上存在しているのであるから、「一億総中流幻想」はとっくに崩壊しているのである。その中で、労働組合員はいつの間にか「中流の上」に鎮座する存在となり、自らの既得権の防衛にしか目が向かわないという本音が埋め込まれつつある。(2013・8)


総評とか総連とか、あまり親近感は持てなかったが、今となっては懐かしくすらある。今あるのは御用組合というか、選良意識の強い利己主義の集団になってしまってる。

きわめつけは、「集団的自衛権使用容認」への動きである。憲法改正には手間取ると察すると、安倍政権は、集団的自衛権容認に慎重な内閣法制局長官を替え、首相の私的諮問機関「安保法制懇」に容認に積極的な「有識者」を並べ、解釈改憲を可能にする布陣を進めつつある。憲法九条の制約を拒否して「アメリカと一緒に戦争ができる国に日本を変えたいという試みである。
日本の右傾化を図るメッセージの底流に存在するのは、「近代史において日本だけが悪かったわけではない」という歴史意識であり、「アメリカを頼りにアジアに向き合う」という「親米ナショナリズム」の矮小で屈折した心理である。21世紀のアジアをリードする熱い情熱とビジョンに裏付けられた自己主張ではない。近隣との相互理解・交流への踏み込みなしに21世紀への希望など存在しない。中国の脅威を日米同盟を中核とする「自由と繁栄の弧」で封じ込めようとする安倍外交の姿勢は冷戦イデオロギー外交を一歩も出ていない。(2013・11)


2年前の言説であるが、すでに集団的自衛権は強行採決され、安倍暴政は続いている。

福島原発事故の議論において、微妙に避けられてきた論点がある。本当のことが議論されていないとさえいえる。それは福島原発を製造したGE社の製造責任である。福島のMARK-I原発はGE社が「フルターンキー・ベース」で全面的に製造責任を負って建設したプロジェクトであった。2年前、トヨタ車の事故を受け社長までが議会の公聴会で証言を余儀なくされた米国の現実を考えれば、当然、震災・津波対応など構造上の欠陥がなかったのか、製造者としての判断を確認するべきである。
あえて踏み込むならば、「日米原子力共同体」という構造を正視する勇気を奮い起こさねばならない。(2013・12)


そうそう、その通りである。GEとならんで、東芝、日立にも責任の所在をはっきりさせなくては。

山口二郎 自民党は半世紀もの長い間権力を持ち、基本的には巨大な利益分配マシンとして、官僚と共生してきた政党です。いわば、理念を持たない変幻自在さが政党としての生命力の源泉だった。しかし、そのモデルはもう崩壊し、まさに「失われた20年」がたったわけです。
寺島 (2011年5月の)ウィキリークスの日米間公電を検証してみると、日本の外交および防衛官僚、メディア関係者も含め、いわゆる自称「国際派」の一群が訳知り顔に、民主党政権はどうせ長続きしないのだから、ほどほどに相手にしたほうがいいとか、グアムへの米軍基地移転経費をできるだけ日本側に持たせるためのアドバイスを一生懸命している構図が鮮明に見えてきます。要するに、この国の官僚およびメディア関係者、広い意味で「知」の世界に生きているはずの人間が、戦前だったらゾルゲのようなスパイ事件になりうる役割を平気で果たしていたことが明らかになりました。

本書には対談が2本収められている。山口二郎は政治学者で民主党特に小沢一郎のブレーンとしても知られる人らしい。それだけに自民への反発心も強いようだ。
日本政財界の「アメリカ族」のやり方は「売国奴」である。


寺島 かつてであれば、ある知的レベルの人が「ばかもの」と言えば引っ込んだ連中が、繰り返し鉄面皮にも登場してくる。そのような「政治好き人間」が、風の吹いている方向に向かって動き、その風によって当選するチルドレンが右に左にさまようことで、国民の政治に対する失望感がさらに深まるという悪循環の中に入っているのではないでしょうか。

笠井潔の言ってた「反知性主義」ってやつだな。

寺島 私に言わせれば、アベノミクスというのは「現代版ええじゃないか運動」には他ならない。幕末のような混乱期に入ると、思考回路を遮断して「ええじゃないか」ととにかく踊り狂う。日本人というのは、これほどお粗末な人間だったのか。真価が問われています。
山口 いまの日本には困難と向き合うことに疲れ、根拠がなくても明るいことを考えたいという気分が横溢しています。株高・円安大歓迎といった態度は、その反映でしょう。3・11の前後だけは、現状は、原発は、福島はいまどうなっているのかという情報が多少は出てきました。しかし、基本は忘却です。忘れたい、消し去りたい。昨年出た赤坂真理さんの『東京プリズン』という小説がとても印象的でした。あれだけの戦争を「無かったこと」にしてきた戦後の日本人のメンタリティをテーマにしていますが、3・11やマネー資本主義の行き詰まり、あるいは日本社会の持続可能性の危機といった大きな問題は、もう考えたくないのです。


あまりにつらい状況に陥ると「考えることを放棄する」という、態度をとりたくなるなあ。Morris.にはよくわかる。根拠がなくても明るく。無理して陽気を演じるのも疲れる。お粗末と言われても、返す言葉も無い(^_^;)

山口 私には原発そのものの是非について議論する能力はないのですが、政策として考えた場合、日本の原子力発電、廃棄物処理、核燃料サイクルはまさに太平洋戦争の焼き直しです。不可能な目標を設定して大本営発表を繰り返して、およそ達成できない目標のために延々といろいろな資源を無駄遣いしていく。そして矛盾を特定の地方に押し付ける。戦争の時は沖縄、今度は青森・福島。

全くその通り。すでにNHKは大本営発表やってるし。核燃料サイクルでは、13年前に廃止案が出て頓挫した経緯が明らかになったばかり。

山口 脱原発と言うのだったら自民党政権だけは絶対つくってはいけないのです。政治に希望を取り戻すと同時に、50歩と100歩の違いをわきまえて、50歩でとどまることを大いに評価する発想がないと、世の中は変わらない。(2013・5)

自民党がそのまま「原子力村命」だから、つまりは、そういうことになる。

寺島 今は「一億保守化」と称されるほど、保守化が進んでいる政治状況だと言われています。民主党の敗北に見られるように、時代の空気が安倍政権に引っ張られているように見えるからです。しかしあえて言えば真正の保守とはずいぶん距離があり、ありていにいえばプチナショナリズムに新自由主義が相乗りしてるような混在状況です。文化伝統に重きを置き、人間を重心の低いところから見つめて、ある価値を守りぬこうとする本来の保守からすると、プチナショナリズムとマネーゲーム資本主義に近いような、競争主義・市場主義の人たちが入り込んで、むしろ価値の紊乱を招いているように見えます。
中島岳志 安倍政権は様々な点で保守と相容れないものです。そもそも保守は安定性を重視します。安定(スタビリティ)がないと社会の持続可能性(サステナビリティ)が生まれてきません。安倍政権が志向するのは小さな政府、自己責任・競争型の政府です。しかもアベノミクスの金融政策は設計主義的で、インフレターゲットはインフレ率をコントロールできるという発想です。こういう人間観に保守は立ちません。
寺島 誤解を恐れず言うならば、私は近代主義者です。近代が生み出した科学技術と民主主義に真剣に向き合うべきだと考える存在だからです。日本において、戦後民主主義はあくまでマッカーサーから与えられた民主主義であり、民主主義を作り上げてきた手ごたえやアイデンティティを持った人はいないし、民主主義を作ってきた責任感と愛着を持っている人は少ない。科学技術の部分では「和魂洋才」という都合のよい言葉を思いつき「洋の才」だけは取り入れたけれども、日本人はもう少し近代に対して誠実でなければならないというのが私の本音です。


寺島は実は正統保守主義者で、そういう人から見ると、今の安倍政権は反則としか見えないのだろう。

中島 インドは日本の立場を理解していたということで、そこからパール判事が利用されてきたのです。パールは日本が正しかったとはまったく言っていません。あえて言えば日米同罪論です。南京虐殺も事実認定しています。そして、同時にアメリカの原爆投下についても問題視しています。インドは日本に対し免罪してくれたと右派は言いますが、そんなことはない。パールの理論は「A級戦犯の経時的無罪」であって、大東亜戦争を聖戦視するような「日本無罪論」ではありえない。

何度でも言う。アメリカがやった、原爆投下、無差別空襲は国家的犯罪である。

中島 日本人が弱いのは、日本とどこかの国の関係ばかりを見ているからです。アジア間関係が全く見えていません。集団的自衛権については、国内問題として今進んでいるのは解釈改憲です。解釈改憲と憲法改正では解釈改憲の方が危ないと思います。解釈改憲は内閣法制局が主導権を握っています。最高裁は憲法判断をしません。内閣法制局長官は内閣が任命します。そこで憲法の解釈が変わると言うことは、実質上の憲法改正が内閣の内部で自己完結してしまうということです。民主制においては、われわれが主権を行使できるのは立法府に対してのみです。行政府だけで解釈が替えられてしまうと立憲主義が崩壊するのです。デモクラシーそのものの問題なのです。
寺島 私が言い続けてきたのは、常識に還ろうということです。常識とは、一つの独立国に外国の軍隊が駐留しているということは、過渡的な状況としてはありえても、長期的には不自然だということです。そのことに気づかず、国家や独立を語る資格を失っているのです。


日本では立憲主義は瀕死状態である。この対談の2年後に、まさに恐るべき事態が発生してしまった。それをわかりやすくまとめた発言があったので引用しておく。

-------------------引用ここから--------------------------

憲法解釈変更を一日で決めていた内閣法制局
2015年9月28日 天木 直人


今度の安保法案の強行採決のプロセスは、あらゆる意味で法の支配を否定した暴挙であったが、またひとつ驚くべき事実が毎日新聞のスクープで明らかになった。
きょう9月28日の毎日新聞が一面トップで大スクープ記事を掲載した。
すなわち、昨年7月に安倍首相が集団的自衛権行使容認を解釈改憲で行おうとした際に、内閣官房の国家安全保障局からその合憲性(違憲性)の審査を求められた内閣法制局の憲法解釈を担当している第一部担当参事官が、わずか一日で「意見はない」と電話で答えていたというのだ。
しかも、その結論に至る内閣法制局の内部議論を示す文書が一切残っていないという。
驚くべき内閣法制局の責任放棄だ。
私もまだ現役の外務官僚だったころ、何度も内閣法制局と仕事をしてきたが、こんなことは考えられないことだ。
しかし、その担当参事官を責めるのは酷だ。
これは内閣法制局長官の決定事項だったからだ。
これを要するに、今度の集団的自衛権の行使容認と、それを法律にした安保法は、安倍首相と外務官僚(谷内正太郎NSC事務局長、小松一郎内閣法制局長官ら)が、この国の法の支配をハイジャックして実現したものだったということだ。
そしてそれを可能にしたのが人事である。
人一倍強い官僚の出世欲を巧みについた恣意的人事により、すべてを従わせる。
出世欲に負けた官僚が、公僕意識をかなぐり捨てて黒を白と言いくるめる。
これが安倍政権の現実である。
深刻なことは、それが外交・安全保障の分野に限らず、あらゆる政策分野で横行していることだ
日本という国は、8年前に首相の座を放り投げて敵前逃亡し、その時点で政治家失格だった安倍晋三という一人の男を甘やかし、総理にまでさせて、ここまで壊されてしまったということだ。
しかも、それを倒す者が誰ひとり出てこないまま、さらなる横暴を許している。
なんという政治の体たらくであろう。
われわれ国民はどうすることもできない。
すべては政治家という特権を与えられながら、何もできない政治家の責任である。
私が既存の政党、政治家ではもはやどうすることもできないと考える理由がここにある(了)

-------------------引用ここまで--------------------------

中島 トポスとは、自分が存在することに意味を持った場所です。保守の持つ世界観は有機体論です。あらゆるものがつながっていて、それぞれに役割がある。保守が重要視するのは役割原理です。私は福田恆存の『人間、この劇的なるもの』を座右の書としています。何らかの役割を演じながら生き、その役割を演じ味わうことで人生は動いている。重要なのはその役割を演じることだというのです。現代社会は役割のある場所=トポスを奪っているのです。(2013/11/01)


この中島発言は、Morris.にはかなり応えた。福田の本も読んでみよう。トポスレスMorris.からの脱却。

気になることがある。関東大震災からわずか14年後の1973年盧溝橋で日中両軍が衝突、日中戦争が始まり、41年の真珠湾攻撃へつながる。関東大震災前年の1922年にはワシントン海軍軍縮条約が結ばれ、「国際協調」と「大正デモクラシー」と言われた時代が存在した。それが軍靴の音に押し潰されていく転機となったのが大震災だったといえる。
無力感と不安の中で醸成されるのは力への誘惑である。即時的同一化というやつで、「がんばろうニッポン」的なキャンペーンの繰り返しと「この際、救国大連立制で」などという動きに救いを求めているうちに、思いもかけぬ方向に向かう可能性があることを肝に銘じなければならない。ファシズムは不安を土壌に登場するのである。(2011・5)

「いつか来た道」を思う現代人は多いだろう。最後の一文を肝に銘じよう。

「脱・原発」を語る人は善良で人道的価値に溢れる人が多い。しかし、ムラの中で善意を確認しあっているだけではムラを取り巻く壮烈な力学には立ち向かえない。原発について核の議論と一線を画したくなる気持も理解できるが、原爆の登場からの歴史を再考してもわかるごとく、核と原発はどこまでも表裏一体なのである。
私は多くの「脱・原発」の論調に「非武装中立論」にも通じる虚弱さを感じる。敗戦国日本で、深い省察に立ち「二度と戦争に巻き込まれたくない」との思いで「非武装中立」を希求した人たちが存在したことも理解できる。しかし峻厳な国際環境の中で瞬く間に空虚な理想論にさせられていった。求められるのは重層で逞しい構想力なのである。(2012・6)


寺島は「反原発」「脱原発」への疑問を呈する。核と原発は一体であると理解しながら、核の危険を過小評価してるようなのが気になる。
「絶対平和」への否定的立場も同様である。

北東アジアには北朝鮮のような「冷戦孤児」ともいえる危険な国が存在し、我々も力の論理の誘惑に引き込まれがちだが、冷静にみれば北朝鮮の脅威は冷戦時代の脅威とは質的に異なる。つまり、背後に「社会主義革命」を支持する勢力が存在した時代とは異なり、北朝鮮が本気で南進すれば、自らの存続自体が否定される結末に至ることは明らかである。周辺国・関係国が現状の固定化を潜在的には期待する中での「恫喝ゲーム」であり、「簡単には戦争のできない時代」における地域紛争なのである。(2011・2)

寺島は北朝鮮を軽視する癖がありそうだ。「冷戦孤児」という造語はうまいと思うが、大国に利用されながら利用する北朝鮮のやり方は、侮れないとも思う。

この(9・11から)10年の米国の消耗はあまりにも悲惨である。2011年8月16日現在、アフガニスタンとイラクで6153人の米国の兵士が死んだ。この数は、9・11での犠牲者数2982人の倍を上回るものとなった。無論、米国人の死者だけではない。9・11後のアフガン攻撃、イラク戦争によるイラクとアフガンにおける戦闘・テロによる死者は、どんなに少ない推計でも20万人を超す。
不幸にして小泉政権化の日本は、「対米協力」を本音とする「国際協力」という建前で、イラクにまで自衛隊を送るという選択をした。この選択が日本の中東外交の汚点となったことは、既に歴史が証明している。(2011・10)


死者の数ではない、とはいうものの、やはり数の重みというものもある。日々の空爆で奪われる人名の数は、空恐ろしいものがある。

米中関係は単純ではない。歴史の教訓は日米関係は常に米中関係によって翻弄されてきたことを教える。アジア太平洋戦争の敗戦も、米国への敗戦ではなく、米国と中国の連携による敗戦だったことを見失ってはならない。松本重治が言い続けたごとく「日米関係は米中関係である」という認識は今日むしろ重みを増しているとさえいえる。(2012・2)

「太平洋戦争」という名前に惑わされて、日本はアメリカに敗けたと思いがちだ。特にマッカーサー司令官による占領を経験しただけにそのイメージは強烈だった。米国と中国の連携に敗けたという視点は持てずにいた。しかしあの戦争時と現在とは、また別のパタンだと思う。

救世主的情熱に支えられた「ネーションビルディング」(国つくり)という価値押し付けこそがマッカーサーの戦後日本に向き合う本音であった。ここに米国が内在させる「抑圧的寛容」が生み出される土壌がある。自分が圧倒的優位にあるという意識が生み出す寛大さ。つまり、進駐軍でやってきた米国人の「日本の子供たちに粉ミルクを」という思いやりにも通ずるものだが、それが、ひとたび自分を凌駕するかもしれないと認識したり、敵対してくるかもしれないという状況に直面すると嫉妬心と敵愾心の塊となって偏狭な抑圧者に反転するという性向である。(2012・5)

一見博愛主義に見えるが、傲慢さと差別主義が内在してたということか。国家でなく、個人レベルでもありそうな事例でもあるな。
寺島本人は、時々TBS「サンデーモーニング」で見る機会がある。


2016032
【新編 身近な樹木ウォッチング】 ★★★☆ 2001/06/27 淡交社
「新版」とあるが、1990年に発行されたものを全面改訂したものらしい。著者や編者の名前は無く、奥付の上の方に「企画・編集 株式会社 雅麗」と記してある。
「まず基本170種を覚えよう」というのが副題というか、きゃっちフレーズだろう。このところ、樹木の名を覚えたいtと、数冊の類書を見てるが、これは今まで見た中では一番とっつきやすかった。

・まず街路樹を覚えよう
・春の花木
・主要高木をマスターする
・葉で見分けるポイント
・春から夏の花木
・秋の木の実と紅葉
・植物園・公園を活用する
・野山にでかけよう
・冬の樹木観察


おおまかに以上のように区分け、見開きで数種の樹木を一括りにして紹介。学問的というより、わかりやすさ重視の方針のようだ。

・ニレやケヤキ、エノキやムクノキなど、ニレ科の樹木に共通しているのは、葉がきわめてザラザラしていること。
・長さ20cm以上の大きな単葉を持つ樹木は、都会では、プラタナス、トチノキ、アオギリ、キリ、ホオノキくらいなmのである。
・新芽・幼葉が赤い樹木はカナメモチ、オオバベニガシワ、アカメガシワなど。
・葉柄に翼がついたユズやカラタチ


こういった、ちょっとした知識も、それなりに役に立つ

[単葉のかたちによる検索]
・三角形--ナンキンハゼ、シラカバ
・菱型--マンサク
・円型--ハクウンボク、オオバベニガシワ
・ハート型--クワ、ハナズオウ、イイギリ、アカメガシワ、ボダイジュ、カツラ
・扇型--イチョウ
・卵型--ソメイヨシノ、サンシュユ、クスノキ、マサキ、ブナ
・逆卵型--モクレン、トベラ、サンゴジュ、カシワ、コナラ、リョウブ
・楕円形--サルスベリ、ミズキ、ツバキ
・長楕円形--タイサンボク、ホオノキ、タラヨウ、アオキ
・楕円形(葉先が尾状)--ケヤキ、シイ、ムラサキシキブ
・細長い--シダレヤナギ、ヤマモモ、シラカシ、クヌギ、キョウチクトウ、ビワ
・線状・針型--スギ、カヤ、マツ、ヒマラヤスギ、カラマツ、モミ、ツガ
・鱗状--ヒノキ、カイヅカイブキ

[分裂葉の数による検索]
・3裂--タイワンフウ、トウカエデ、ハナノキ
・3~5裂--モミジバフウ、アオギリ、イチジク、ヤブサンザシ
・5~7裂--プラタナス、イロハモミジ
・7~9裂--ハリギリ、ヤツデ

[複葉の形による検索]
・3出複葉--カクレミノ、ミツバツツジ、ボタン、カラタチ、ハギ
・5出複葉--アケビ、ムベ
・多出掌状複葉--トチノキ
・奇数羽状複葉--エンジュ、ニセアカシア、トネリコ、シンジュ、キハダ、ヒイラギナンテン、ヌルデ、フジ、ハゼノキ、バラ、ナナカマド
・偶数羽状複葉--ムクロジ
・2回奇数羽状複葉--センダン、エニシダ、ナンテン
・2回偶数羽状複葉--サイカチ、ネムノキ


樹木の場合、やっぱり、葉の形や付き方で見分けるのがポイントのようだ。ヴィジュアルなしではピンとこないかもしれないが、それぞれの代表種を把握するだけでも参考になりそう。
首都圏の読者を意識した編集らしく、東京並木道・街路樹マップとか、東京植物園ガイドとか、東京近郊ガイドが多いのが、ちょっと関西在住のMorris.には残念だった。


2016031
【バックストリート】逢坂剛 ★★☆☆ 2013/06/25 毎日新聞社 初出「サンデー毎日」2011-13
「イベリアシリーズ」7冊を読み終えて、もうこの人のものは、いいかと思ってたのだが、装丁がイベリアシリーズと同じで、表紙にフラメンコの絵があったので、スペイン絡みのものかとつい手にとった。
岡坂神策シリーズの一冊らしい。主人公は、現代調査研究所所長という肩書で、著述業もやっていて、著者自身を投影した部分が大きいらしい。
フラメンコの店で出会った踊り子たちとのやりとりから始まり、ひとしきりフラメンコ談義があったと思ったら、突然ドイツ新ロマン派の薀蓄になったり、卵子提供をめぐる裏取引、過激派の破壊活動を調査する公安がからんだり、実にとりとめのない物語だった。発表媒体に合わせてなのか、東京のグルメガイドみたいな部分があったり、中年主人公がやたら持てたりと、どうでもいいサービス過剰も目についた。

唯一の長編小説『ミハエル・コールハースの運命』は、復讐の念に凝り固まった馬喰の生涯を、ほとんど心理描写なしに行動だけで描き出し、すさまじい迫力を生む。
事実のみを、畳みかけて叙述するそのスタイルは、20世紀になってダシール・ハメットが、『マルタの鷹』や『ガラスの鍵』で取り入れた手法と、相通じるものがあるような気がする。
もしかすると、クライストは表現様式、技法としてのハードボイルドの創始者、といっていいかもしれない。


日本ではあまり馴染みのないクライストを、紹介しながら、ハードボイルドに強引につなげるあたり、いかにも自慢ぽいが、本書の文体はまるで、その反対である。

原稿を仕上げるのに、わたしはとうに生産が終了したワープロを、いまだに使用している。
それを、編集者の手元に届けるためには、ちょっとした手順が必要になる。
フロッピに保存した原稿を、パソコンに搭載した専用ソフトで、ワードないしテキスト文書に変換する。
変換した文書を、ハードディスクに記憶させたあと、メールに添付して先方に送るのだ。
手間はかかるが、ほかに方法がない。
日本語入力に関する限り、パソコン用のソフトはワープロに、遠く及ばない。返還能力も処理機能も、いちじるしく劣る。
キーボード自体が、日本語入力を前提に作られたものではないから、使い勝手が悪いのだ。
パソコン用の、フロッピ読み込み返還用のソフトも、市場から姿を消しつつある。
要するに、ワープロの命運はすでに尽きており、わたしのような使い方も所詮は、一時しのぎにすぎない。
まさに、風前のともしびといってよい。


これは、絶対作者のことだろうと、ネットで検索したら、本書出版当時の対談(2013年4月23日)で、こんなこと言ってた。

小説を書くには、40年近く、SHARPの「書院」を使っています。これはいちばん最後に売り出されたビジネス用の、130万円ぐらいした機械を、20年以上前に3台まとめて買いました。画面がそのままA4になっている大きいやつが3台に、もっと小さいやつが2台。これだけあれば一生大丈夫だろうというぐらい買いだめして、貸倉庫に預けたりしています。
 パソコンというのは日本語を打つようにはできていないんです。あれはアルファベットの26文字しかない、向こうの人たちが作ったおもちゃみたいなものですから、私はあまり信頼しておりません。字を書くにはワープロでないとダメですね。


Morris.が最初にワープロ買ったのが1979年だから、それより5,6年前からワープロ使ってたということになるのだろう。パソコン導入が92年だから、Morris.のワープロ専用機時代は12年間だったということになる。最初がCASIOで、後はSONYのプロデュースシリーズ(たぶん4台くらい買い換えた)。それにしても、20年以上前の130万円の「書院」を3台買うというのは、どう考えても無謀な買い物だったと思う。
まだ「書院」使い続けてるのだろうか。SHARPの台湾身売りには複雑な思いを抱いてるに違いない。


2016030
【首折り男のための協奏曲】伊坂幸太郎 ★★★ 2014・01・30新潮社
2008年から2012年に複数の雑誌に掲載された7つの短編に手を加えて、ゆるい関連のあるオムニバス短編に仕立てたもの。

「感情に任せて、攻撃を仕掛けるよりも、落ち着いて冷静に考えるほうが人間らしいです」
「人間らしい、か」黒澤はその言葉の意味を噛み砕くようにゆっくりと口にした。「いや、人間も動物と同じだろう。冷静に論理的に行動するばかりではない。ローレンツが引用した、『軍旗がひるがえると、理性がラッパを鳴らす』というウクライナの諺は、動物にも人間にも当てはまる」
ラッパ? それ、どういうことですか」
「熱狂こそが、攻撃性を生み出す。そして一番、熱狂を生み出すために簡単なのは」黒澤は表情を崩さず、言う。「敵を作ることだ。俺たちはこのままではやばいぜ、このままだとやられてしまうぞ、と恐怖を煽る。怒りは一過性だが、恐怖は継続する。恐怖に立ち向かうために、熱狂が生まれる。さらに言えば、敵自体はいなくてもいいんだ。ローレンツも言っている。架空の敵を用意して、旗を振れば、理性がラッパを鳴らす。そういう仕組みだ」(「人間らしく」)


伊坂作品ではよくあるパタン。ある本を読み込んでそれを本文の中で利用するのだが、これは『攻撃--悪の自然誌』コンラート・ローレンツ著 日高敏隆・久保和彦訳(みすず書房)からのもの。ローレンツは「ソロモンの指環」しか読んでないが、動物行動学という学問を知らしめた先駆者である。「攻撃を生み出すのが恐怖」というのは、ローレンツが言い出したのかはっきりしないが、一つの真理であるな。

「いや、俺は歴史とかは全然詳しくなくて」
「物書きのくせにか」
「そうだ」
「どうせ、おまえはあれだろう、パソコンで原稿をかいているんだろうから、自分が書けないような感じを、作品でしれっと使ってるんだろう」
認めざるを得なかった。自分の本をめくってみれば、私が書けない漢字がぎっしり詰まっている。(「相談役の話」)


書ける漢字と読める(見て理解できる)漢字の差があるのは当たり前だ、と、思いたい。

わたしは釈明を試みる。私は恋人一筋のつもりだったのだが、その彼女がよりによって自分の誕生日に別の男とピアノコンサートに行く予定を入れていた。不憫に思った友人の井上が、開催する予定のあった合コンに誘ってくれたのだ、と早口で説明する。それに対する江川美鈴の返事はもっともなものではあった。「彼女がたった一日、男友達と遊びに行っただけで、合コンに行くとは常人の理解を超えている。妻が妊娠しているから浮気をしてもいいと主張することよりも、ひどい」

これは、最近不倫で議員辞職した宮崎某のことを思い出させたので……(^_^;)

合コン時におけるおしぼりサイン(男性用?)
食事中さりげなく、手を拭い、丁寧に筒状にして、それを置く際の向きが、「狙っている」女性を指し示す。途中で自分の目標が変わった場合にも随時、それを表現できる。
どの女性も好みでない時は綺麗に畳んでその場に置く。
複数の女性が好みの場合、おしぼりをくしゃくしゃに置く。

なるほど、っても、女性は女性で違った対応策を講じてくるんじゃなかろうか。

「人間の身体は上から下へ行くほど、原始的になっていくのだ」と、知り合いの男が言っていたのを思い出した。脳から顔面、首から胸、そして内蔵、生殖器と位置が下るほどに理性がなくなり、動物的な回路で動いていくのだ、と。そう考えればわたしの感じているこの怒りは、論理的な、理屈じみたものではなく、動物的な、言ってしまえば純粋なものを起源としているのではないだろうか。

形而上学とか形而下とかいう言葉は、今やほとんど死語になったような気配だが、Morris.若かりし頃は結構、あちこちで幅を利かせていた。

「同情してほしくて、加藤さんのところに来たわけじゃないんですよ」泣くのを堪えた小学生のような表情で、彼女は言った。「こんなの大したことじゃないって分かってるんですよねえ」
「うんうん」
「ほら、こうしている今だって、どこかで急病の人がいたり、危篤の人がいたり、もっと言っちゃえば、どこかの国とかで飢えとか寒さとかで震えている子供とかいるじゃないですか」彼女は店の外を指差し、そちらの方向にまるどこかの国があるのを知っているかのような仕草を見せた。
「中東のほうとか、いろんな爆弾とか落ちて、子供が死んだりしてるじゃないですか」
急に、中東で死ぬ子供の話をされてもわたしは戸惑うばかりだったが、彼女の言わんとするところは分かった。「でも、それとこれとは違うんだと思う」わたしは言わずにはいられない。「あなたはつらいと感じたんだし、それと、どこかで苦しんでいる別の人のつらさを比べて、泣くのを我慢する必要はないでしょ。つらいと思ったのは本当なんだから。わたしたちは、誰かがどこかで大変な目に遭っていても、目の前の生活で一喜一憂していくしかないんだよ。良くも悪くも、誰もが自分の人生を、大事に、頑張って生きるしかないんだから。だって、わたしなんて、どこかで戦争してようがそんなの気にもしないで、ここでプリンを食べて、挙句の果てに、そのプリンを食べ残してたりしてるのよ」
途中から自分でも何が言いたいのか分からなくなった。彼女もそう感じたのか吹き出した。
「加藤さん、いいこと言ってるようでいて、実は訳分かんないですよ」(「合コンの話」)


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮澤賢治「農民芸術論綱要」)という阿呆リズムへのアンチテーゼだね、これは。

特定の主人公や設定で統一した短編集とは少し違いますし、短編ごとに趣向が異なっているからか、綺麗に並んだ作品集というよりは、謎の工芸品ができあがったような感触があり、こういう読み心地の本はあまりないのではないか、と感じています。(追記)


なんとなく言い訳みたいに聞こえるのだけど。これは伊坂作品の中では、中の下クラスかも。



2016029
【お勝手太平記】金井美恵子 ★★★☆☆ 2014/09/30 文藝春秋 初出「別冊文藝春秋」2012-13

70代の老嬢アキコさんが複数の友人に出した書簡集という形をとった美恵子さんの言いたい放題ともいえる。

今は、ボケのことを認知症って言いますけれど、これだってヘンな言葉づかいですよ。だって、何かを認知できないのがボケなのよ。

こういった素朴な疑問(^_^;)を率直に言うのも、本書の楽しいところのひとつだろう。

同級生のお舅さん(なんかさ、この字って、鼠に似てるわよね)

これもね(^_^)

そう言えば、『ノルウェイの森』という有名な小説があったわね。とっても幼稚な、若い男の子が夢精をするような青春ポルノ小説ですよ。

そして、これも。村上春樹、どうしても読めないMorris.だが、美恵子さんがこういうからには(こう言ってるのはアキコさんで、彼女は読んだということになるわけだが)、別に読まないでいいんだと、納得してしまう。

私は、俳句も短歌も、ほぼ興味ないのも同然なのですが、多少は、ひねった(フン、下品た言葉づかいですよね)ことのあるKによると、「草の花」は秋の季語なんだそうな。春だって草に花は咲くんじゃない? ペンペン草とかね。
『草の葉』はぞっとするノーテンキな男性中心主義者のホイットマンの詩集で、「草の根」は市民運動よね。「若い根っこの会」は昔のテレビドラマの『若者たち』に関係あるのかしら?

「K 」というのは、アキコさんの配偶者で弁護士か何か法曹界の仕事やってるみたい。アキコさん60歳代で結婚した模様。
ホイットマンも彼女にかかると形無しだな\(^o^)/

雑巾なんて縫わないほうがいいのよ。
幸田文だって、沢村貞子だって家事評論家の吉沢久子だって(他にも、その手の暮らしのし方の知恵を教えてくれる類いの、ズイヒツを書く女性なら、誰でも)、雑巾は使い古しのタオルを四つに折って拭く面を変えながら、一枚だけ使って干す、ってかいてるわよ。
一枚のタオルですから、すぐにかわくでしょ。重ねた布を縫い合わせた雑巾は、乾燥するのが遅いから、その分、雑菌が繁殖しやすいってことは常識よ。君、雑巾を縫い給うことなかれ、です。

これは「暮しの手帖」的、暮らしの知恵である。Morris.も前から雑巾縫うのはやめてたし、韓国の垢擦りタオルみたいなのを使ってるけど。

最近とみに単語や固有名詞の出てこない傾向が強まっている(私も、ですけどね。そのせいで手紙を書くのに時間がかかったりするのよ)ものだから、ドイツの作家の反戦小説で第一次世界大戦が舞台の、ハリウッド映画にもなってる、とじれったがるので、その小説だか映画と「軍靴磨き」は、まあね、関係ありそうだけど、ヘミングウェイの『武器よさらば』とかチャップリンの『担え銃』とかルノワールの『大いなる幻影』とか、いろいろ名前あげたんですけど、ほら、その小説家は、バーグマンとシャルル・ボワイエのでた映画の原作も書いてるよというので、『ガス燈』の? と言うと、いやいや、そうじゃなくて、こっちは第二次大戦ものですよ、と、じれったがり、私まで焦っちゃって、ハンフリー・ボガートじゃないのね、なんて言ったものだから、違いますよ、そんな『カサブランカ』なんかじゃないと怒り出す始末で、とやっと、遅目のお昼を食べている最中にレマルクの名前が浮かびあがり『西部戦線異状なし』にたどりついたものだから、その時はホッとした嬉しさのあまり、お互いにニッコリと顔を見合わせてテーブル越しに手を伸ばして握手まで下のですけど、そうなのよ、ご想像通り、元々はなんのためにこの名前を思い出す必要があったのかを思い出すのに、さらにまた時間がかかったのでした。
kはやっと『西部戦線異状なし』を思い出し、それと同時にバーグマンとボワイエの共演作は『凱旋門』だということも思い出したんですけど、なにしろ、兵士が戦地で軍靴を磨く、ということが、男の言ってみればおしゃれの基本という、ロマンチックというか、マッチョおセンチな考えへの反撥から『西部戦線異状なし』を思い出したというのがきっかけでした。
ほんとにねえ。年を取るってさ、思わぬ面倒なことがあるってことです。

あまりに短い引用ばかりで、本書の手紙の雰囲気がまるで伝えられなかったので、ここを引用しておく。全体にこういった感じで、だらだら、ふらふらと、とりとめもなくとめどなく続いていくのだ。「単語や固有名詞の出てこない傾向」は、まさに同慶の至り(^_^;)ぢゃ。

あなたの贈ってくださったバラは、大きく大きくいく重もの花弁を広げて、まるでボタンかシャクヤクのように咲き誇って、ベティ・ブープのマンガ映画でベティさんのバック・コーラスを歌うバラたちのように陽気に見事に咲いてから、散りました。


薔薇の形容にベティさんを投入するあたり、いかにもである。

南伸坊が俳句を作るとは知りませんでした。
そりゃあ、もちろん、俳句なんて上手下手はともかく、誰にだって作れるわけですけど、あなたが書いてきてくれた伸坊の俳句が、私たちのコオロギと縫い物議論の決着点だわね。

こおろぎの なにかいうらし それぞれに

まさしくそうでしたものね。


「ねこはい2013/7 青林工藝舎」という南伸坊の句画集からの引用。才人伸坊の面目躍如といったところだろうか。「吾輩は猫である」のひねりかと思ったが、本人が猫になりきってひねった句ということからのタイトルらしい。「議論の決着」というのは、蟋蟀の鳴き声の聴きなしで「肩刺せ、綴れ刺せ」をめぐってああだこうだと、いろんなやりとりがあったことを受けている。引用句はMorris.にはいまいちぴんとこない。

雑誌の著名文化人アンケートなんかでね、時々、「私の嫌いな言葉」とかさ「使いたくない言葉」なんての、やるじゃないの。
そういう時に、今頃、事新しいかのように「生きざま」なんて答える文化人がいてさ、これって、もう何十年も前から、ある種の著述家たちに毛嫌いされて滅多に眼にすることのなくなった、いわば死語化した言葉だと思うのに、まだ例にあげる人がいる、ということは、テレビのレポーターとかスポーツ・芸能新聞の老人ライターさんなんかで、使う人がいるのかも。


これは中桐雅夫の詩集『会社の人事』にあったぞ。ネットでチェックしたら(^_^;)

  何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、
 言い出した奴の息の根をとめてやりたい、
 知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、
 悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ!(「嫌なことば」 中桐雅夫 第一連)

だった。この詩集は以前持っていて、何かのおりに、いまは亡き武雄の熊さんに進呈したと記憶してるのだが、どうだろう。

私たちの人生って、なんて平凡で平板なんだろうって、満足のためいきと共にですけれど。非凡とまでは、もち、いわないけど、多少大変だったりしたアレコレがあったって、私たちが喋ったり話したりしていると、それがみんな平凡でありふれたものに、みるみる変化して行くじゃありませんか。不思議ね。

これは「あとがきにかえて」と但し書きのある美恵子さんへの手紙(作中人物から作者に宛てた手紙という、手の込んだ仕掛け)の一節だが、本文中の最後の手紙にあたるマリコ宛て手紙の結びにほぼ同じ形で提示されている。「不思議ね」って、その不思議さを美恵子さんは書き続けているんじゃないですか、と、思わずツッコミ入れたくなる。

とっくに見抜いていらっしゃるように、書く楽しみのために図々しくも勝手に凄く理想的な読者を設定して書いたのが、私の手紙なんですから。

ここでも種明かしされてるが、今や美恵子さんは融通無碍の境地に到達してて、饒舌も辛辣も閑話休題も何でも許される世界の住人である。

美恵子さんが『待つこと、忘れること?』でお書きになっていた「神話のシジフォスの苦役に比せられる」あの家事

これって掃除のことらしい(^_^;) あの本読んだはずだけど、この秀逸な比喩は覚えてなかった。

おしまいに本書に出てくる内外の映画70本ほどの一覧が付してあるが、Morris.が見たのは一割くらいだった。
本書はアキコさんの手紙のみで構成されて、それでも、相手からの返信の要約や、うわさ話めいた話題から、人間関係やそれぞれの事情、事件や、病気のことなども察せられるように構成されている(そして、それこそが、本書の眼目かもしれない)のだが、Morris.は、もう、初めからそんなことは放棄してしまい、ひたすら、美恵子節とでもいうべき、あの「至高のだらだら文」を楽しむことに専念した。結果、充分に楽しめたことは間違いない。
一方的な手紙で物語を紡ぎだした傑作書簡小説といえば「あしながおじさん」だけど、本書の場合はマリコ、佐藤絵真、下沢みどり、後藤弥生、杉田、中野勉、由紀と7人もの相手への手紙で構成されている。一番多く、長いのもマリコ宛で、メインはアキコとマリコの関係かもしれない。Morris.はマリコが以前作って、のちのちまで話題となったちらし寿司がたびたび話題に上りながら最後まで、公開されなかったことが心残りである。



2016028
【雑草の成功戦略】稲垣栄洋 ★★★☆ 2002/03/25 NTT出版
筆者は1968年静岡生れ、雑草生態学専門で、農水省に入った後下野し、静岡県農業試験場に勤務の傍ら、自然観察会や野外体験活動の始動にあたってるらしい。
本書は雑草の生き方を、通じて植物学的処世術としてまとめたもの。というより、ちょっと切り口を変えた、雑草入門みたいな本だった。

雑草の生育型
1.直立型(多数)
2.匍匐型(シバ、シロツメグサ)
3.分枝型(ハコベ、オオイヌノフグリ)
4.叢生型(稲科)


これだけでも弁別、検索のときに役に立ちそう。

エスケープ雑草(園芸植物の雑草化したもの)--ハルシオン、マツヨイグサ、ベンケイソウ、フランスギク、ヒルザキツキミソウ、カタバミの仲間、クレオメ……

その逆に雑草と思われてたものが園芸植物になった例として、ヒナゲシはヨーロッパではトウモロコシ畑の雑草だったが、美学者のラスキンがこの花の美しさを称揚したことから、庭園で愛育されるようになったという、ネタも書いてあった。たしかに日本でもヒナゲシは結構あちこちに自生してる。虞美人草という漢名とは対照的な軽みのある花だ。

雑草が生きる最終目的は、種子を残すことである。この目的を達成し、雑草が成功を果たすためのポイントが二つある。それは「量」と「スピード」である。それぞれ「多産性」「早産性」という言葉で表現されている。
多産性は文字通り種子の多さである。ほとんどの雑草は万の単位で種子を生産することができる。ナズナで4万粒、ヒメムカシヨモギは82万粒もの種子を生産した記録がある。
早産性では、夏雑草の多くは芽生えから20~40日で種子を生産する能力を持っている。
「早くて量が多い」では、定食屋のキャッチフレーズのように聞こえるかもしれない。しかしそれは、逆境の中で雑草が悟った確かな成功へのキーワードなのである。


雑草を定食屋のメニューに喩えるあたりに、筆者の苦労がしのばれるところ。本書では、やたら、諺や格言を引用して、人生論に持ち込もうとする傾向がある。それが面白かったりもするけどね。根が真面目なんだろう。

ロゼットの茎はごく短くほとんどないように見える。その短い茎に密についた葉っぱを、地面にぴったりとつけている。外気に当たる面積は葉っぱのみ、それも表側だけである。つまり、外気に当たる面積は最低限にしている。そして、平身低頭の姿勢で吹きすさぶ寒風をやり過ごすのである。
ロゼットの下には地上の葉っぱからは想像もできないような太い根っこが地面の奥へと伸びているのである。力いっぱい広げた葉に受けた太陽エネルギーを、せっせと自分の根っこに蓄えているのだ。


蒲公英などが冬の間、地べたにしがみついてるあのスタイルになんとなく心惹かれるものがあって、それが、薔薇(ROSE)に擬せられてRosettaと呼ばれることを知って、ますます親しみを感じてた。さらに上記のように合理的な理由あってのことだと知って、なるほどと納得した。

●有るだけの力で地球を抱擁す薔薇状の葉は花より優し 『薔薇祭』

雑草は次世代の種子にばらばらな特性を持たせる。つまり「多様性(ダイバーシティ)が大きいこと」価値を見出しているのである。
人間の世界では、限られた狭い価値観で良し悪しを区別しがちである。その狭い価値観を植物に対して押しつけたものが作物である。より収量が多い、よりおいしいなど特定の基準で優れたものだけを選び出し、その形質ができるだけ均一になるように選抜淘汰をし続けてきた。まさに選りすぐりのエリートたちである。しかし、限られた基準で選ばれた個性の弱い集団は、環境の変化に極端に弱い。たとえば、ある病気に弱いという欠点があると、育てられているすべての株が同じ欠点を持つから、あっという間に全滅してしまうことが起こりうる。

ダイバーシティ(diversity)という言葉の意味を知らずにいた。ということは、おいといて(^_^;)、人間の価値観を植物に押しつけたものが作物である、というのは、そのとおりだな。人間に都合よく変形させられた作物、その典型が、遺伝子組み換え品種なんだろう。均質なものは、打撃に弱い。

雑草学者で著名なベーカー(Baker,H.G.)は、植物が雑草として成功するための特性=「雑草性(weediness)」を「理想的な雑草の特徴」として次の12の項目にまとめている。

1.種子に休眠性を持ち、発芽に必要な環境要求が多要因で複雑である
2.発芽が不斉一で、埋土種子の寿命が長い
3.栄養成長が速く、速やかに開花にいたることができる
4.生育可能な限り、長期にわたって種子生産する
5.自家和合性であるが、絶対的な自殖性ではない
6.他家受粉の場合、風媒かあるいは虫媒であっても昆虫を特定しない
7.好適環境下においては種子を多産する
8.不良環境下でも幾らかの種子を生産することができる
9.近距離、遠距離への巧妙な種子散布機能を持つ
10.多年生である場合、切断された栄養器官からの強勢な繁殖力と再生力を持つ
11.多年生である場合、人間の撹乱より深い土中に休眠芽を持つ
12.種間競争を有利にするための特有の仕組みを持つ


雑草をweedというのは、「Weeds never die 憎まれっ子世にはばかる」という諺で、知ってたが、雑草性(weediness)という言葉は初めて知った。
ベーカーさんの12項目は、本書のタイトルを集約したものといえよう。いや筆者は先にこれを知って、本書を書こうと思ったのかもしれない。
たしかに人間の生活に援用できる項目もあるといえばありそうだ。

雑草とは「望まれないところに生える植物である」と定義されている。雑草とは正確には特定の植物の種類を指すのではなく、あくまでも人の主観が決めるものなのだ。つまり、雑草とは人間が雑草扱いしてはじめて雑草となるのである。


いろいろ考えさせられる雑草の定義である。韓国の国民歌手ナフナに自作自演の「
잡초チャプチョ 雑草」という歌がある。
아무도 찾지않는 바람부는 언덕에 誰も訪ねない風吹く丘の
이름모를 잡초야
名前も知らない雑草よ
한송이 꽃이라면  향기라도 있을텐데
一茎の花にも香りはあるというのに
이것저것 아무것도 없는 잡초라네
そこかしこで何も持たずに生きている

발이라도 있으면은 님 찾아갈텐데
足があるならあなたを探しに行くのに
손이라도 있으면은 님 부를텐데
腕があるならあなたを差し招けるのに
腕があるならあなたを差し招けるのに
이것저것 아무것도 가진게 없어
何にもないので私は
아무것도 가진게 없네 行くあてもないのよ


2016027
【文章読本】向井敏 ★★★ 1988/11/15 文藝春秋
海子さんが自分のブログでこの本のことを取り上げてたので、ちょっと懐かしく思って、再読することにした。そう、多分この本は出版当時に読んだはずだ。当然のことながら(^_^;)ほとんど記憶に無い。
著者については、書評家として有名で、開高健の仲間で鑽仰者であることくらいの認識しかない。
本書が出たのが88年だから30年近く経ったことになる。ネットで調べたら向井は2002年に亡くなっている享年72。

着眼が新鮮であること。文意が明確であること。展開にとどこおりがないこと。人目を楽しませる彩りに富んでいること。人を動かす力を蔵していること。文章が備えるべき美徳は数えあげていけばきりもないが、そのすべてに君臨するものがあるとすれば、それは晴朗で快いという徳であろう。(名文の条件)


これは大いに賛同。しかし、「明るく心地よい」を「君臨」させるあたりが、筆者の資質といえるかも。

明晰だが不愉快という文章はあっても、曖昧だが快いという文章はない。それはただもう愚かしいだけだ。

これには異論あり。曖昧だけど(だからこそ)不思議な魅力のある文章があるような気がする/しないでもない。←こういった結辞こそ曖昧の素。

これは断言してもいいと思うのだが、野間宏にしろ大江健三郎にしろ、その思考の構造はずいぶんと粗雑なはずだ。少なくとも、繊細さからは遠い。その証拠の一つに、ふつうの文章感覚の持主であれば気はずかしくてとても口にできないような、大仰で脅迫的な言葉を平然と使うということがある。野間宏の場合でいえば、「創造」、「文学創造」、「近代の終焉」、「人類滅亡の危機」、「歴史的状況」、「深淵」など、大江健三郎の場合だと、「創造」、「根源的」、「全体的」、「表現者」、あるいは「社会・世界・宇宙」。大げさで、不粋で、誤解を招きやすく、めったなことでは使う気になれない言葉だというのに、この二人の文章にはそれがのべつ出てくる。(明晰と曖昧)

あの時代は、どちらかというと言論の場では左高右低の傾向があったと思う。そのなかで向井は左派への嫌悪感を露わにしているようだ。あげつらわれてる言葉も、それほど大げさでもないようだし、断言されてもなあ(^_^;)

星新一は無重力の文体とでも呼んでみたいような、不思議な文体をもつ作家である。その文章はまるで重さというものを感じさせない。そして、いつも磨きたてたばかりのガラスのように透明で、濁りや曇りをしらない。この人はいったいどうやってそういう文体を手に入れたのだろう。もっとも、これは発しても答のえられることのない問いなので、もって生まれた文章感覚と数知れぬ試行錯誤のすえに成ったものとでもいっておくしかないのだが。(文体とは何か)

星新一の文章の軽みとユニークさは認めるとして、それを説明した上記引用は、星の文章とは対照的な、いかにももってまわった悪文ではなかろうか。

司馬遷は生き恥さらした男である。(武田泰淳「司馬遷」)
日本史のなかでも「室町期」の二百年ほど、乱れに乱れて、そのくせふしぎに豊穣な文化を産んだ時代はない。(山崎正和「室町期」)
現代は思想家よりも思想仲買人の方が幅を利かせてゐる世の中である。(林達夫「思想の運命」)
鴎外六十歳、一世を蓋ふ大家として、その文学的生涯の最後に、「霞亭生涯の末一年」に至つて初めて流血の文字を成した。(石川淳「北條霞亭」)

こうした極めを付けた一句、平たくいえば殺し文句は、文章の魅力をかもしだすうえでしばしばめざましい効果を発揮する。


石川淳の森鴎外論は持ってたので引っ張りだして該当箇所を確認した。Morris.には殺し文句とは思えなかった。というより、よくわからなかったというのが、正直なところ。

しかし、殺し文句にかけて海内無双の名手といえば、これはもう知れたこと、小林秀雄である。この人の生涯を評して、批評の可能性の追求だの、認識の魔との格闘だの、なにかと凝った言葉が選ばれがちだが、人を悩殺し、驚倒させ、感服させる名文句を工夫することに明け暮れたといったほうがいっそ実態に近いかもしれない。
あるいは鋭利、あるいは華麗、あるいは剛毅、あるいは軽妙、あるいは重厚、さまざまに意匠をこらした殺し文句を次から次へと繰りだしてくる。

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。(小林秀雄「當麻」)

世阿弥が『風姿花伝』に記した「花」の概念を解いて得た言葉だというのだが、『風姿花伝』にどんなに眼をこらしてもこういう解は出てきはしない。少なくとも、そのために必要な論証を小林秀雄はまったく講じていない。世阿弥の言葉の解釈であるかのように装ってみせているけれども、これは解釈などというものではない。「様々なる意匠」以来、批評とは作品をダシにして自分の夢を語ることだというのが小林秀雄の批評の一貫した信念だった。(殺し文句の功罪)

「海内無双」などという大層な言葉を引っ張り出して小林秀雄を持ち上げてるのかと思えば、つまりは、中身のなさを、キャッチフレーズでカバーするという、究極の悪口ではないか(^_^;)

司馬遼太郎はまた、しばしば漢語に和語のルビを振ったり、漢語を和語風に読みかえて用いる。「情報(はなし)」、「姿(なり)」、「中国(から)」、「船長(ふなおさ)」、「張三李四(ねこもしゃくしも)」、「意味(こころ)」とか「騒(さえ)ぐ」、「破顔(わら)う」といったふうに。これも口語化された感文脈という文体に沿っての工夫なのであろう。(文章の気品)

こういった当て読みとか宛て語はMorris.の好みなので、引用しておいた。

海老沢は正統的な散文を書く。彼はこみいつた事情を、それについてまつたく知らない相手に、詳しく、わかりやすく、そしてすばやく伝達することができる。彼の叙述は明晰で、彼の描写は鮮明である。彼はずいぶんややこしい事柄を、もたもたした口調にならずに、こともなげに伝へてくれる。それは沈着冷静な斥候将校の書く報告文のやうに、簡にして要を得てゐる。海老沢の文体は、テキパキと小気味がよく、伝達力に富む。彼は輪郭をきれいに取つて、あつさりと色を塗る。読者はそれによつて事情を知り、状況を把握することができる。彼が散文の基本をよく心得てゐるといふのはおほよそさういふことだつた。(丸谷才一 「ただ栄光のために」海老沢泰久解説)

海老沢泰久といえばMorris.は「美味礼賛」が印象的だったが、これが出たのは1992年。本書刊行時にはまだ出てなかったということになる。向井は過去の「文章読本」の中では丸谷才一のものだけには一目置いているようだ。何と本書のあとがきにも丸谷読本からの引用があった。

現代日本においては、伝統的な日本語と欧文脈との折り合ひをつける技術がとりあへず要求されていゐるわけだが、それが最も上手なのはどうやら小説家であつたらしい。宗教家でも政治家でもなかつた。学者でも批評家でもなかつた。歴史家でも詩人でもなかつた。小説家がいちばんの名文家なのである。当然のことだ。われわれの文体、つまり口語体なるものを創造したのは小説家だつたし、それを育てあげたのもまた小説家なのだから。
彼らは小説それ自体よりもむしろ一国の文体の創造といふ点で成功した。その證據には、小説家の文体を借りて政治家は演説したり手紙を書いたりし、新聞記者は記事を書き、宗教家は聖書を訳すのである。医学も裁判も、この文体がなければ成立しないだらう。明治維新以後の小説家たちの最高の業績は、近代日本に対して口語体を提供したことであつた。日本はこれによつて存続することができたのである。ひよつとすると、これほど一文明に対して貢献した小説家たちは世界文学史においてめずらしいのではなからうか。(丸谷才一「文章読本」)


意見や主張、あるいは分析や解釈のための文章にくらべて、ものごとの様子を説明したり、情報を伝えたりする文章は軽くあしらわれがちだが、文章作法からいえば、説明文や情報文をきちんと書く、読んですぐ理解できるように効率よく書くといいうことのほうがむしろ基本である。

正論ではあるが、その基本については何も教えてくれない。

こんなばかばかしい文章(福本和夫「「方向転換」と「資本の現実的運動」」)がありがたがられたのも、福本和夫がマルクス主義文献の知識にかけては群を抜いていたせいだったというが、いかに知識があろうと、この程度の文章しか書けないようでは、思考能力のほうはずいぶんお粗末な人だったというしかない。もっとも、福本和夫ほどではなくても、一般に日本の左翼の文章は今も昔もこの手の粗雑で幼稚なのがきわめて多いのだが。(文章の効率)

左派への厳しい目と前に書いたが、戦前のマルクス主義者への罵倒はなかなかのものである。

頼山陽が唐詩の起承転結の要領を教えるためにしばしば例に引いたとつたえられるこの俗謡。

大阪本町紅屋の娘
姉は十六妹は十五
諸国大名は弓矢で殺す
紅屋の娘は眼で殺す(起承転結のすすめ)


内容はほとんど忘れてたはずだが、この俗謡のことは、すぐ思い出した。

この本はもともと、『文章の秘密』の仮題で書きはじめたのだが、当初から『文章読本』の題を意識していて、書きすすむうちにそれがしだいに重みをまし、ほかの題を考慮する余裕がなくなってしまったらしい。惚れたあげくに世間のならわしをどうでもよくなった恋奴のようなもので、だから『文章読本』の題を選んだのは、いわば駆け落ちである。(あとがき)

たしかに「文章の秘密」はかなり酷いタイトルだ(^_^;) だから「文章読本」にした、てか。
ともかく、本書は、小説家以外が書いた「文章読本」ということで、それなりの話題になったらしい。
こうやって再読してみると、時代色が感じられる。
しかし、世の「文章読本」は、奇しくも向井が亡くなった2002年に出た斎藤美奈子の「文章読本さん江」で、息の根を止められた。たぶん向井は美奈子さんのこの本は目にしなかったと思うが、それでよかったのだろう。



2016026
【悪医】久坂部羊 ★★★☆ 2013/11/30 朝日新聞出版
若い外科医師森川が、再発した末期癌患者小仲に余命三ヶ月を告げ、納得出来ない小仲は別の医療施設を転々としながら、ついにホスピスにたどり着く。森川は小仲のことを気にかけながら日々の医療に追われる。最後に二人は偶然の接点を持つが、医者と患者の意識のスレ違いなど現役医師でなくては書けない作品だと思う。

実際、抗癌剤は一般の人が思うよりはるかに効かない。分子標的薬で乳癌の特効薬のようにもてはやされるハーセプチンでも、遺伝子的に有効なタイプは乳癌全体の約3分の1で、そのタイプの約半分に効果を発するに過ぎない。すなわち、6人に1人しか効かないということだ。それで特効薬といえるのだろうか。
さらに森川が疑問に思うのは、「抗癌剤では癌は治らない」という事実を、ほとんどの医師がくちにしないことだ。
しかし、大半の患者は、抗癌剤は癌を治すための治療だと思っているだろう。治らないとわかって薬を飲む人はいない。この誤解を放置しているのは、ある種の詐欺ではないか。


患者にしてみれば、こう言われては実も蓋もないだろう。大方わかっていながらも、信じられないというか、知らぬふりをせざるを得ないのだろう。

たしかにもっと若くて難病に苦しむ人もいるだろう。生まれつきの病気や、障害のある人もいる。理不尽な別れを強いられる人、不条理な悲劇に突き落とされる人もいるにちがいない。
「逆に、意味を求めすぎて苦しむ人もいます。わたしもそうでしたが、ここで患者さんを見ていると、ふと思うんです。人生の意味って何だろうって。自分で勝手に決めてるだけじゃないでしょうか」
「何?」
「あ、気に障ったら許してください。わたしが言いたいのは、人生の意味なんか考えなくても、立派な人はたくさんいるし、普通の人も立派だし、そもそも意味のない人生なんてないということです」
何かが見えかけている。もつれた糸の向こうに、大事な何かが。
小仲は険しい表情で考えた。
これまで自分はずっと、人生には意味が必要だと思ってきた。裏を返せば、意味のない人生は価値がないと決めつけていたということだ。
そうだろうか。
自分は何か立派なことや、社会のためになる人生しか認めてこなかったのではないか。ふつうの人や、弱い立場の人を無意識に否定していた。
なんという傲慢。度し難いエリート主義だ。自分がもっとも忌避してきたものを、おれは知らずに求めてきたのか。
「梅野先生。おれはどうやら、くだらないことで悩んでいたようだな。話せてよかったよ。ありがとう」


ホスピスの梅野先生と小仲との会話。人生論というより、一種の諦観なのだろうけど、なんとなく身につまされてしまった。

「おれは……、もう死ぬ。それはわかってる。最後に……、先生に、言いたいのは、患者を、突き放さないでほしい、ということ、だ。患者は……いきなり死に直面させられ、うろたえてる。患者の哀しみと、恐怖を、少しだけでも、わかってほしい。
そんなもの、当然だとか……、思わないでほしい。
希望を、絶たないで、ほしいんだ。
希望は、患者なりの、心の準備、なんだから
死を控えた患者の肉体的な苦しみを、医師はよく知っている。その必死さが、途切れがちの声ににじむ。苦しげな呼吸を押して、精いっぱいの思いを伝えようとする患者の声に、医師は息を呑んだ。
「……患者の希望は、病気が治る、ということだけじゃない。医者が、見離さないで、いてくれることが、励みになる。そしたら、勇気が出るんだ……。死ぬ、勇気が。
もの事には、何でも、ふたつの面が、ある。医者の側からだけ、……見ないでほしい。
命を縮める治療でも……、いい面が、あるんだ。
やるだけやって……、……力を尽くしたって、思える。
だから、おれは……時間を、無駄にしたとは……、思ってない。
これで、納得して人生を……、終えられる。
……先生、覚えてるかい。
時間を、有意義に、使えって……。
……おれは、その通り、有意義に、すごしたんだ。
だから……、ありがとう」

テレビで森川の発言を聴いた小仲が、死ぬ直前にテープに録音したメッセージである。これはまあ、一種のハッピーエンド=デッドエンドということになるのだろう。


2016025
【沖縄 何が起きているのか】「世界」臨時増刊no.868 ★★★☆☆ 2015/04/01 岩波書店
一時期、岩波書店に対して批判的に見る傾向が強くなってた。岩波新書の内容が変にライト感覚になったり、いわゆる「岩波文化人」のマンネリズムみたいなものが鼻についてきたためだ。
しかし、東日本震災以降、そして安倍政権登場後の、右傾化、富国強兵政策政策への批判メディアとして、季刊雑誌「世界」を再評価せざるを得なくなった(^_^;) それなのに、この「沖縄増刊」のことは迂闊にも知らずにいた。中央図書館のバックナンバーの棚で見つけて借り出し、少しずつ味読して、やっと全ページ読み終えた。

住宅密集地に存在する普天間基地の撤去という喫緊の課題は、名護市・辺野古への移設が「唯一の解決策」という言辞のもと、いつしか最新鋭米軍基地の新規建設事業へと転じた。安倍政権は、「負担軽減」の表看板をかなぐり捨て、それとは真逆の道、沖縄の軍事拠点へと走り始めた。
沖縄県民の意志は繰り返し示されている。昨年(2014)おこなわれた名護市長選、同市議選、沖縄県知事選、衆議院選、そのすべてにおいて、新基地建設を拒む民意は明確に示された。戦争tにつながる一切を拒否する「オール沖縄」という新たな「島ぐるみ運動」が現れた。ただ、集団的自衛権の行使容認など軍事路線をひた走る安倍政権は、その意志を「粛々と」無視し、基地建設を強行しようとしている。抗う民意は、警察や海上保安庁によって暴力的に制圧されている。その異常事態は、本土ではまだまだ伝えられていない。(表紙裏の巻頭言より)


これが書かれてからほぼ1年が経ち、状況は好転どころか、ますます悪化しているようだ。宜野湾市長選挙で自民の推す現職市長が当選し、政権はかさにかかって辺野古新基地建設を進めている。

基地依存経済がなぜ生まれたか、また、沖縄で製造業が育たなかったことには構造的制約があるわけです。復帰前まではドル経済で、基地にいた人たちの給与水準が高く、それだけ基地が機能していた。米軍はサトウキビだけをつくっていればいいと、他に産業をつくらせないで、基地で稼いだドルでよそから全部、物を買わせた。だからサービス産業が肥大していき、その構造は復帰した後もずっと続くのです。
本土復帰してからは財政依存です。日本政府が交付金と補助金で特別交付金という仕組みを作って、またそれをありがたがって受け続ける。

絵に描いたような「構造支配」である。

産業構造がなぜこれだけいびつになったかには裏があって、日本政府自身が総合事務局、今の内閣府、かつての開発庁を通して沖縄をコントロールしているのです。建設業界の歴史を調べてわかったのは、日本政府が沖縄に第二次産業が育たないようにしていたということです。(照屋義実)

沖縄政策=国家犯罪、ということは明確である。

2009年9月に誕生した民主党・鳩山政権は普天間飛行場の県外移設を主張したが、あえなく半年で方針転換を強いられた。沖縄県民に怒りと失望感が高まる中、2011年には沖縄人の尊厳を踏みにじる暴言や、対米従属の呪縛にとらわれた外務・防衛官僚が暗躍する様が露骨に見て取れた。今に連なる動きである。
「方便発言」が報じられた後、国会での論戦や在京大手メディアの報道の大勢は、失言、放言の類いとみなし、鳩山氏個人の資質問題に矮小化した。民主党内の主導権争いと絡めて、またも普天間問題が「政争の具」と化してしまった。(松本剛)


傍目八目的発言を承知のうえで、何度も繰り返すのだが、鳩山が「県外移設」を最後まで固持してくれてたら、状況はかなり変わってたろうに、と思う。アメリカ・官僚・党内部の三面攻撃にやられてしまった(>_<)

安倍政権の行動には、安全保障上の効果の有無にかかわらず、兵士や国民が国のために戦い死ぬことを良しとするような国家主義も見え隠れする。そうした古いタイプの国家主義が、自由で民主的な日本の国家イメージを掘り崩してしまう危険性もある。つまり、日本自身が、自由民主主義を基礎とする現在の国際秩序にとってのリスク要因となる懸念すらあるといえるのである。
日本の安全保障政策という観点から見るとき、優先されるべきなのは、日中全面戦争事態に備えるべく軍事能力を高めることではなく、尖閣諸島における偶発的な衝突が全面化しないように細心の注意を払うことであり、同地域における海上保安庁の活動が安定的に展開できるよう配慮することである。


安倍晋三の「古色蒼然」たる国家主義体質を「容認」しているような、今の日本のおかしさ。
軍事増強による抑止力は、完全にベクトルが間違っている。

沖縄の基地の必要性は軍事的合理性に由来するものではなく、むしろ日本政府の政治的判断によるものである。軍事的にみる場合、中国の軍事能力の向上、とりわけミサイルの命中精度の向上によって、沖縄の米軍基地の脆弱性が高まりつつある。
それにもかかわらず、辺野古に海兵隊の基地を新設し、軍事能力の向上を図ろうとするのは、いわば貴重な資金や貴重な環境を無駄遣いすることにほかならない。(遠藤誠治)


前世紀の遺物とも言える海兵隊が、沖縄に駐留している事自体、大いなる矛盾だが、沖縄を攻撃して獲得したのは海兵隊であるという思い込みがあるのだろう。

世界最強の米軍を「専守防衛」の戦力に限定された自衛隊が守るのは常識的に見て珍妙な構図というほかない。見方を変えれば、自衛隊は米軍のガードマン役という下働きをさせられているのだ。

米国にとって、日本の自衛隊は民間軍事会社の肩代わりということか。

日米安全保障条約には米国による日本防衛義務が明記されるとともに、日本による米軍への基地提供義務があり、これにより条約は対等なものとなっている。日本と米国は五分と五分の関係であるはずなのに、日本政府が卑屈な態度を撮り続けるのは、敗戦国意識を持ち続けているからだろうか。それとも、米国を無視して中国との国交正常化位を進めた田中角栄首相が「米国発」ロッキード事件で失脚したことが見せしめの役割を果たしているのだろうか。

ここらあたりのことは孫崎亨「戦後史の正体」に詳しく解説してあった。

中国との関係悪化を修復することなく、中国を警戒する人々の心理を巧みに利用した軍拡が進む。政府は沖縄への自衛隊配備を急ぐ理由や、どこまで強化するのか全体像を語らない。米軍基地については米国任せである。(半田滋)

利用できるものはとことん利用、つごうの悪いことは知らんぷり、基地は親方星条旗、てか(>_<)

60年代後半から70年代にかけて、ベトナム戦争に疲れた米国は、海外基地の見直し、いわゆる「米軍再編」に着手した。誠治、財政、軍事的理由によって、米海兵隊の本国撤退が検討された。
ところが、この動きに日本の防衛庁が待ったをかけた。アジア地域の安保には機動力に富む海兵隊の沖縄中流が不可欠だ、と主張したのだ。
米側はそんな日本側の態度に目を付けた。東京の米大使館はワシントンに、海兵隊駐留は対日政策のテコに利用できる、と打電している。
日本は安心(保険)を買うため、米国が本国撤退を考えた海兵隊を沖縄に引き留めた。駐留経費の巨額負担も引き受けた。その額はNATO(北大西洋条約機構)の米軍受け入れ国が出す経費負担合計の約二倍にもなる。そして日本の米軍基地には、国内法が及ばない治外法権が与えられている。この保険は果たして、無理のない買い物(安保政策)なのだろうか。保険のかけ方に別の形態はないのだろうか。(屋良朝博)


なんという弱腰、なんというおバカぶり、なんという卑屈外交……

安倍政府は歴代政府と同様、海兵隊は日本の防衛に不可欠であり、普天間の移転先は辺野古以外にないと言いはってきた。しかしこの二つの前提ともに根拠はないと、専門家は明言してきた。(ガバン・マコーマック)

「そもそも」の前提に根拠なし。

石原慎太郎東京都知事(当時)が東京都による尖閣列島買い上げを主張したのは、ヘリテージ財団のシンポジウムだった。財団アジア研究センターの上級研究員クリングナー氏は「米海兵隊の沖縄駐留がなぜ太平洋の平和と安全保障にとって重要か 10の理由」という論文で、辺野古の基地建設で沖縄を説得するために「尖閣問題」を利用するよう、米国、日本政府に提言した。(高嶺朝一)


石原慎太郎のあの軽率な行為は「売国奴」というレッテル貼られてもしかたがない。それが米国機関の使嗾だとしたらなおさらである。

日本は民主主義国家であり法治主義国家のはずである。だが沖縄から見ると、安倍政権はきわめて強権的で独裁的な政権に映る。その姿は本土の多くの人たちには見えていないかもしれないが、本土でもそれが見えるようになったときにはもう遅過ぎる。なぜならば沖縄は、戦後日本の民主主義の危機を知らせるカナリアであり、沖縄の民主主義の息が詰まるときは、日本の民主主義の息の根が止まるときだからである。(桜井国俊)

本土から見ても充分以上に「きわめて強権的で独裁的」に見える、と思うのだけど、ということは、もう手遅れってことかい?
うーん、あまりに悲観的なことは言わないでもらいたい。あたってるだけに、つらい(^_^;)

基地は経済発展の阻害要因であるだけではなく、自治体の財施力向上の阻害要因でもある。沖縄は基地に依存しているのではない。経済発展と財政力向上の機会を奪う基地によって寄生されているというべきではないだろうか。(川瀬光義)

基地が寄生している沖縄、という指摘はぐさりときた。
翁長知事の「甘えているのは沖縄か、日本か?」を、わしらは今こそ真摯に受け止めねばならない。
こうやって、「ねばならない」と書いて、それですましては、これまでと同じことの繰り返しでしかない。
まずは現状を知ること。沖縄タイムスに無料会員制度があるので、それを活用することから出発しよう。


2016024
【死に支度】瀬戸内寂聴 ★★★ 2014/10/30 講談社 初出「群像」2013-14
1922年生れだから、とっくに九十歳越えてる瀬戸内である。本書は小説とは言い条、本人の身辺雑記+点鬼簿みたいなものである。それでもこの年でこれだけ書けるというのはすごいことだろう。
彼女の初期の女傑伝の数冊は傑作だと思うが、出家してからの作品は全く読んでなかった。本書をふと手にとったのはタイトルに惹かれたからかもしれない。88歳時の転倒から歩行不自由になり、移動は車椅子だが、以前にましての活躍ぶりには恐れ入るしかない。

固有名詞が出てこなくなったのは、もう十年も前からである。そこだけ記憶の糸がきれて、どうしてもつながらない。人と話していて、ふっと口をつぐんでしまう。
はじめは人の名前が思い出せなかったのが、いつの間にか、あれほど好きだった植物の名前さえ、ぱしっと記憶の糸が切れて空々漠々、どうしても名前が出てこない。寂庵にいつの間にか種が飛んできて野生に増えていいた私の好きな花の名が、きれいさっぱり記憶から消えてしまった。目の前にその花の群生を見ながら名が出て来ない。人にそれを知られるのが業腹なので、話題をそこへ持っていかないようにしている。それでも自分の頭の中では、常にその消えてしまった花の名を追い求めている。


これは身につまされた。Morris.も植物名を忘れると落ち込むことが多い。しかしこれを書いた時点で瀬戸内は91歳、十年前なら81歳。Morris.の固有名詞忘却症は4,5年前くらいから顕著になった。つまり60歳からとして、瀬戸内より20年早い発症ぢゃ(>_<) 「死に支度」はMorris.にこそ必要なのかもしれない。


2016023
【ジョーカー・ゲーム】柳広司 ★★★☆ 2008/08/31 角川書店
腰巻きに伊坂幸太郎が賞賛の言葉を書いてたので読む気になった。大日本帝国陸軍で秘密裏に作られたスパイ組織D機関の活躍を描いた連作短編集。この組織を一人で作り上げた結城中佐が超人過ぎで、ちょっとやり過ぎと思った。
「ジョーカー・ゲーム」「幽霊(ゴースト)」「ロビンソン」「魔都」「XX(ダブル・クロス)」の5作が収められている。

「死は常に世間の人々の最大の関心事だ。平時において誰かが死ねば、必ず周囲の関心を集め、必ず警察が動き出す。"見えない存在"であるべきスパイにとって、正体を暴かれる--否、単に周囲の関心を集めた時点で、任務の失敗を意味している」
それゆえスパイにとって<死>は最もさけるべき事態であり、一方で、それこそが日本陸軍の中でD機関が忌み嫌われている理由でもあった。敵を殺し、あるいは自らしぬことを前提とした軍隊組織の中で、スパイという存在は、所詮、箱の中に間違って紛れ込んだ腐ったリンゴ--周囲を腐らせる異物に過ぎないのだ。(ロビンソン)



2016022
【ダブル・ジョーカー】柳広司 ★★★☆ 2009/08/31 角川書店
「ジーカーゲーム」の続編で「ダブル・ジョーカー」「蝿の王」「仏印作戦」「棺」「ブラックバード」の5作収録。「笑わし隊」をテーマにした「蝿の王」が印象的だった。

夏に始まった"世界大戦"は、しかし、当事者の誰もが数ヶ月か、遅くともその年の内には終わるだろうと予想していた。前線では、国家の都合で敵味方に分かれて戦うことになった兵士たちが、苦笑まじりに「仕方がない。でも、クリスマスは一緒に祝うとしよう」そう言って別れる場面があちこちで見られたほどだ。
戦争は、だが、半年では終わらなかった。
開戦から一年が経ち、二年を過ぎてなの、この戦争がどういう形で終わるのか、誰にも予測がつかなかった。戦禍は徒に拡大した。毒ガス、戦車、機関銃、潜水艦、航空爆撃機といった恐るべき新兵器が次々に投入され、戦場では犠牲者の数だけが増え続けた。何人にも先が見えない状況の中、各国は競って諜報機関を設立し、優秀なスパイの育成にやっきになった。(棺)



2016021
【新世界】柳広司
★★★☆☆ 2003/07/30 新潮社
原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーが書いた小説原稿を翻訳したという設定だが、先のスパイ小説より、こちらのほうが読みでがあった。

ナチスはアウシュビッツで、数百万のユダヤ人をシャワーと偽って死のガス室に送りこみ、もしくは、"死よりもひどい"強制労働に従事させていたのだ。
どうやら全体主義というやつは、個々の人間から責任の観念と、善悪の区別をも奪い去ってしまうものらしい。

「近代戦争がなぜ市民をまきこむようになったのか」ロバートが低い声でしゃべっていた。「皮肉にも、国家や戦争といったものが国民のものとなったからだ、近代以前、まだ国家が王のものであった頃は、一般市民は国家同士の戦争とは無縁の存在だった。隣国に攻め入った敵の軍隊は、少なくとも戦略的な意味をもっては、市民を戦闘に巻き込むことはなかった。そんなことは全然意味がなかったのだ。王は民などいくら殺されても平気だった。王はむしろ自らの軍隊の消耗をこそ恐れていた。民ではなく、軍隊が消耗した時、国家の主権者たる王ははじめて戦争終結を決意したのだ。
ところが今では戦争は国民がはじめ、そして自分たちが充分に殺されて、もうたくさんだと言ってやめる。民主主義、あるいは国民国家という建前のもとでは、戦争は国民一人一人に責任がある。『誤った戦争を始めた国民は、みずからの命をもってその罪を贖わなければならない。この戦争においては敵の全人口が適正な軍事目標なのだ』。グローヴス将軍はそう言って--そして、彼に説得された私たちもまた--ヒロシマへの原爆投下を正当化した」

--熱線、衝撃波、放射能障害……。すべては想像力の範疇を超えている。これまでの人類の歴史は、想像力がつねに現実に先立つものであった。だが、原爆の誕生は人間の想像力を無効にしてしまった。何十万という人間を殺すことが、今ではいとも無造作にやってのけられる。この領域では、われわれの想像力や感覚能力--花を美しく感じ、子供を愛しく思う心--を拠りどころにした制御力など、もはや効力をもっていはいない。いまやわれわれは自身よりも小さなそんざいだ。なぜなら、われわれは自分自身で行ったことを想像することができないのだから。ユートピア主義者とは、心に思い描いたことを実際に作り出せない人間のことを言う。だが、我々は逆に、実際に自分たちが作り出しているものを心に思い描くことさえできないのだ……。
一万フィートの高さまで立ちのぼる煮えたぎった黒い雲、糖蜜でできたお菓子の町のように溶けてゆく一つの都市、"千の太陽よりも眩しい光"が焼き尽くしたヒロシマのうめき声……。決して存在してはならぬ黙示録的厄災を前にして、人間は二つの道のいずれかを選ぶしかない。
恐ろしい二者択一。狂うか、殺すか、二つにひとつ。




2016020
【贋作『坊っちゃん』殺人事件】柳広司 ★★★ 2001/10/01 朝日新聞社
漱石作品のパロディはいくらでも出てくるみたいだが、本書は「坊っちゃん」の後日談というかたちで、自殺した赤シャツの真相究明に、坊っちゃんが山嵐と一緒に松山にもどり、坊っちゃんの松山での騒ぎが、実は、民権派と社会主義者との争いだったことを、原典(漱石の「坊っちゃん」ね)を、曲解して全く別の物語に変身させるという、凝った作りだったが、ひねりすぎて、面白みに欠けたようだ。
漱石文体模写も努力は見られるが、物足りなかった。


2016019
【戦争を通すな】鈴木邦男☓福島みずほ ★★★ 2015/09/20 七つ森書館
右翼一水会の鈴木と社民党の福島の対談というのは、ちょっと異色だが、鈴木はこのところ孫崎亨や内田樹などとの共著をだすなど、結構クロスオーバー的活動が目立っている。
タイトルは、例の戦争法案を通過させるなという意味だと思うが、発行日の前日に自民の強行採決が行われた(>_<)というのが皮肉でもある。

福島 積極的平和主義というのは、ノルウェーの国際政治学者ヨハン・ガルトゥングさんが提唱した概念で、本来の意味は、戦争をなくすために、そのずっと手前の段階で、戦争に繋がる貧困や紛争をなくそう、積極的に平和を創ろうというものです。
(安倍政権は)集団的自衛権の行使に近づけて定義づけています。積極的平和主義といいながら、実は積極的戦争主義なのですよね。戦争が平和で、平和が戦争で、ジョージ・オーウェル『1984年』の世界です。
積極的平和主義といって、積極的戦争主義。放射能はアンダーコントロールといいながら、汚染水はだだ漏れ。女性を活用といいながら、女性を使い捨ての派遣法改悪。瑞穂の国を守るといって、TPP(Trans-Pacific Partnership 環太平洋連携協定)に参加。沖縄のみなさんに丁寧に寄り添って説明をするといいながら、新基地建設の工事を強行……
鈴木 ひどい現実を覆い隠すために、違う言葉をつかっているんですね。
福島 だから、戦争法案という言葉を削除せよ、と自民党から要求されるということは、言葉を奪われることなんですよ。
かつても、戦争するときには、戦争とはいいませでした。満州事変といって、日中戦争といわなかった。次に戦争するときは、事態っていうんですよ。


ここでもオーウェルが出てくるか(^_^) 「積極的平和主義」はもともとメイドインノルウェイというのは初耳だったが、安倍がいう「積極的平和主義」は「攻撃的平和主義」だと、Morris.はずっと言い続けてたもんだ。

鈴木 いま三島由紀夫が生きていたら、憲法改正には反対すると思いますよ。このままでは自衛隊はアメリカの傭兵になってしまいますし、三島のいうところの「魂なき武器庫」になってしまいますから。アメリカと一緒になって、アメリカのやる戦争に参加せざるを得ない。「自衛」ではなくなる。日本人を守るという基本的な魂がなくなる。なんだか、憲法改正さえすれば日本は自主的な国家になるという幻想をもっているんですよね。


日本の自衛隊の役割がアメリカの傭兵=下請けになるという現実。これをしっかり押さえとかなくては。

福島 安倍総理は、憲法というのは国家権力を縛るためのものではないとし、立憲主義とは、「王権が絶対権力をもっていた時代の主流的考え方」と説明しました。しかしそれは誤っています。憲法学者の99.9%は、憲法とは国家権力を縛るものだと考えています。
安倍総理は、天賦人権論には立たない憲法の価値観をもっていて、日本国憲法から脱却して、憲法ではないものに則った社会をつくろうとしています。


ここ数日の国会での安倍総理の憲法暴言は、ほとんど狂信的レベルに近づいているようだ。

鈴木 僕は、どんなに理想的で立派な自主憲法をつくっても、自由がなかったら生きていけない、国民のために憲法があるのであって、憲法のために国民が従って生きるわけではないので、自由のない憲法よりは、自由がある押し付け憲法でいいと思いますけどね。
福島 私は押し付けられたとは思っていないです。憲法24条では、家族のなかの故人の尊厳が定められていますが、個人の尊厳とあるのは24条だけです。


国連憲章を下敷きにしたものだから、押し付けと思わなくてもいいのではないかと……

鈴木 僕は、鳩山由紀夫さんが普天間基地の移設について、「最低でも県外」といったのは正論だと思います。
福島 最初は最低でも県外、といっていたけど、それが難しくなり、鳩山内閣は辺野古に新基地を作ると閣議決定したんですよね。でも私は、沖縄の人たちのことを裏切ることはできないと思ったので、署名をしなかった。それでよかったと思います。
「5月末までに決める」とか期限を区切らずに、息長く取り組んで行けばよかったのです。句切れといったのは外務省です。県外・国外、あるいはもう新基地は造らないということも含めて、取り組んでいけばよかったのです。地道に水面下で何年もかけてアメリカと交渉するぐらいの胆力としぶとさが必要だった。チーム鳩山をつくって、外務大臣から防衛大臣まで一致してうごくというかたちにしてやるべきでした。

確かに、あそこがポイントだったよなあ。署名しなかった福島、えらいぞ。

福島 国会周辺でのさまざまな活動や、政府を批判する言論活動は、民主主義の健全な作用です。寡占化された権力を一部の人間がもっているのでは、不健全です。そいういう人たちは上から目線になり、国家と自分を同一視してしまいがちです。だから、「お国のために」というのは、「私のために」ってことなんですよね。
鈴木 そうですね。うまい言い換えですね。自分のためにやってくれというより、お国のためにやってくれというほうが、みんなが一生懸命やってくれるわけですから。たぶん安倍さんたちはそうですね。

つい、加川良の歌を思い出した。

命はひとつ 人生は一回
だから 命を捨てないようにネ
御国のためなのと 言われるとネ
青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい (教訓 1 加川良)


福島 中国の鼓腹撃壌--政治なんてなくても、みんながたらふく食べていける--が夢ではあるけれども、政治を必要としている人は歴然といます。
鈴木 一般の人はみんな、自分のことで忙しいから、憲法や政治について考えたりしなくていい、そのために政治家を選んでいるという考えもありますよね。国民が全部のことをしらなくてはならず、テレビの討論番組もちゃんと欠かさずみなくてはならないとなったら、それだけで一日がおわってしまうのでは……

「鼓腹撃壌」という熟語をMorris.は、字面に引かれて何か戦に関するものだと誤解してた。太古の聖天子堯帝が、市井を視察したとき、老人が食に足りて腹鼓をうち、地面を叩いてリズムをとりながら(一説に木独楽遊びしながら)、暮らしを楽しみ天子の存在など気にかけるひつようもないと歌ってるのを見て、自分の政治がうまくいってると安心したという故事に拠るものだったらしい。
それはともかく、ここ数日国会中継ばかり見てたMorris.も、政治のことなど気にかけなくてもいいと思えるようになればいいと思ってしまった。

対談本というのは、割りと安易に造られるものが多い気がするし、本書も例外ではなさそうだが、それなりに言いたいことがストレートに伝わってきた。読む方も気楽だもんね。



2016018
【虐殺器官】伊藤計劃 ★★★☆☆☆ 2007/06/25 早川書房
笠井潔が対談などで積極的に評価してたことから読む気になった。
伊藤は1974年生れの2009年没。2007年の本書がデビュー作だから活躍時期は2年前後ということになる。
9・11以後のテロ化世界を極化させた近未来のディストピア小説ということになるのかな。
なかなかに刺激的な作品であり、オーウェルの「1985年」のハイテク版といえるかもしれない。
Morris.にとっては、久しぶりのSF読書体験となった。本書は「HAYAKAWA SF SERIES J-COLLECTION」の一冊である。早川書房は「SFマガジン」の版元であり、日本SFの総本山といってもいい。Morris.も40年ほど前はどっぷり日米のSFにはまっていた。それがいつの間にか、縁遠くなり、このシリーズの既刊リストを見ても名前に見覚えのある著者は二、三人しかいない。

戦闘前に行われるカウンセリングと脳医学的処置によって、ぼくらは自分の感情や倫理を戦闘用にコンフィグする。そうすることでぼくたちは、任務と自分の倫理を器用に切り離すことができる。オーウェルなら二重思考(ダブルシンク)と呼んだかもしれないそれを、テクノロジーが可能にしてくれたというわけだ。

本文でもしっかりオーウェルの名が出てくる。

ぼくらが撃ち出されていく闇も、そんな地獄の一部だった。
それは悲惨であると同時に少なからず祝祭的でもあるだろう。
ヒエロニムス・ボッシュの描く地獄絵が、どこか楽しげであるのと同じ意味で。

ボッシュの絵をこういうふうに引用するあたりにも教養がこぼれている。

ユダヤ人虐殺はなかった、人類は月へ着陸していなかった、エルビスは生きている。
その種の与太話がときおり盛んに議論されるのは、歴史というものが本質的な意味で存在しないことの証左に他ならない。湾岸戦争は起こらなかった、とものすごいことを言ったのは、ポストモダンの聖人であるところのボードビリヤールだったっけ。
歴史とは勝者の歴史、という言い方もあるが、それもまた異なる。
世界で勝者となることと、歴史で勝者となることは、往々にして別なこともあるのだ。


ポストモダンとかボードビリヤールなども、教養の一部。歴史へのひねった考察もなかなかのものである。

赤十字や武装解除にあたる国連とNGOの連中の警備だけでなく、現地の武装勢力と実際に交戦し制圧する戦争遂行業務も、彼女の舞台をはじめとする民間軍事請負業者に委託している」
人々の血まみれの戦いを、戦争業務という言葉は嘲笑っているかのようで、そこではこのぼくもまた笑われている。戦争を遂行する業務、ということば。戦争が単なる仕事であるということ。予測も統御も可能な「作業」であるということ。
ハドソン研究所のハーマン・カーンは、熱核戦争を分析してレポートということばの連なりに定着させていくことを「思考し得ぬものを思考する」と言ったのだが、これなどはほとんどウィトゲンシュタインだ。

ウィトゲンシュタインは名前には聞き覚えがあったが、手抜きでウィキペディア見たら、ウィーン生れの哲学者で「初期の著作である『論理哲学論考』に含まれる「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という命題は、一般にも有名な言葉の一つである」とあった。

「世界は最近になるまで、ソマリアを徹底的に忘れ去り、その飛散から目を背けてきたのです」
世間の関心から「こぼれた」地域。ネットの海ヘ発信しても、あふれる波音のなか、その悲鳴はあまりにか細すぎ、誰の耳にも届かない。


アフリカ西海岸のソマリアも名前しか知らずにいたが、これもかなりに悲惨な歴史のある古い国のようだ。

ウィリアムズはぼくと同じ特殊部隊員であり、武装勢力の有象無象の兵士たちのなかから暗殺目標を見つけ出す「ウォーリーを探せ」を、長いあいだつづけてきた人間だ。人探しは人殺しと同じくらいお手の物

「ウィリーを探せ」を持ってくるあたりが、いかにも、である。「人探し」と「人殺し」は、字面からも異常に類似している。

カフカは「変身」をドイツ語で書いた。この国(チェコスロバキア)にはいまだ三つの言葉が残っている。公用語はチェコ語だが、ただでさえ、外国人がチェコ語を聴き取るのは難しい。そのうえドイツ語やスロバキア語まで入ってくるとなれば、なおさらだ。
「確かに、チェコ語を習得するのは他の言語に比べてすこし難しいと言えるかもしれませんね」
ルツィア・シュクロウプは説明しながら、ぼくに紅茶を差し出した。
「チェコ語は基本的にロシア語やクロアチア語と同じ、スラヴ語圏に属しますが、そのスラヴ語の特徴である、それぞれの単語の、置かれた状況による語形変化のバリエーションが極端です。二百以上の語形変化を見せる単語もありますよ」

主人公のぼくが広告会社員に偽装して、標的のジョン・ポールと関係のある女性に生徒として接触している時の会話だが、言語への考察の深さが本書の特徴の一つである。

「英語はいまや覇権言語ですからね」
そう言ってルツィアは笑ったが、不思議と腹は立たなかった。外国にいてアメリカの覇権云々されることほどうんざりするものはないのだが。
「そんなことはない。ウェブでいちばん勤勉に日記を書いているのは、日本人ですよ。その量といったら、あの国の国民はリアルで抑圧された感情を、ウェブに開放してるんじゃないかと思うくらいに」


英語=覇権語。水村美苗の言説を思い出した。日本人のウェブ上での日記の氾濫。Morris.もそういった日本人のひとりである。

「言語が人間の現実を形成する--エスキモーは雪を20通りの名詞で形容する、ってあれのことですか」
「昔懐かしいサビア=ウォーフの話ね、あれは一種の都市伝説に近いわね。話が伝わるたびに単語の数は増えていった。ボアズが最初にその話に触れたときは、4つだった。ウォーフが書いた論文では7つになって、そのあと雑誌やラジオ、テレビで触れられるたびに、イヌイットが持つと『言われる』雪を表す語根の数は増えていったの。けれど、実際に調べてみると1ダースもないというのが本当のところ」
知らなかった。そういう話はあまりにも有名な一行知識(トリビア)と化していて、気の利いた会話のなかで使いたがる気取り屋たちがいる。


こういった小ネタも、嬉しい。Morris.もずっとこの都市伝説にひっかかってた。

たしかに機能としての言語は驚くべき精妙さを備えてはいるものの、人工筋肉や神経系が旅客機の翼に用いられるいまだって、腎臓や肝臓のフィルタリング機能は小型化できていない。精妙さでは似たようなものだ。完璧な人工器官はまだ遠い。内臓がまだまだ神秘を秘めているというのに、ことばだけがどうして神から与えられた人間唯一の神秘だといえるだろう。
ぼくがぼくを認識すること。ぼくが「他人」と話すためにことばを用いること。それは進化の過程で必然的にもたらされた器官にすぎない。ぼくの肉体の一部である、自我という器官、言語という器官に。


ここらあたりから徐々に、本書のタイトルの依って来る所以と禍々しさが浮かび上がってくる。

「かつてあなたがたのアメリカは、世界に自由と民主主義を輸出していたじゃないですか。あれは立派な啓蒙だ」
「皮肉を言われるとは思わなかったな」
「アメリカ人がそう意識しているかどうかにかかわらず、現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的とも言える戦争です」
ぼくはこの男の会話のなめらかさに呆気にとられた。ルーシャスは本当に、このクラブのオーナーというだけの人物なのだろうか、ぼくはそう正直に訊いてしまう。
ルーシャスは笑って
「エリック・ホッファは港湾労働者でしたよ。あなたの好きなフランツ・カフカは小役人だった。職業に貴賎なし、と言いますが、同時に思索は職業を選ばないのです」

啓蒙的な戦争というのにも、びっくりさせられたが、突然、エリック・ホッファの名が出てきたのにも驚いた。先日としろうがホッファの「波止場日記」を読んでたからだ。アメリカの放浪哲学者らしい。

「人間は地獄に堕ちるようにはできていない。わたしたち大半の人間は良き行いをするために生まれているの。人間の基本仕様は、地獄モードなんかじゃない。いいえ、人間だけじゃないわ。生物の複雑性は、必然的に利他行為をとる傾向にあるの」
「人は、選択することができるもの。過去とか、遺伝子とか、どんな選考条件があったとしても。人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければいけないことを選べるからなのよ」

先にも出てきたチェコ語を教える女性の台詞。本作品に出てくる数少ない女性の登場人物。もう一人は主人公の死んだ母だが、この女性原理ともいえる「性善説」は、本書の「救い」でもある。

「虐殺には、文法があるということだ」
ぼくにはその意味がわからなかった。
ジョン・ポールもそれを察して説明を続け、
「どの国の、どんな政治状況の、どんな構造の言語であれ、虐殺には共通する深層文法があるということが、そのデータから浮かび上がってきたんだよ。虐殺が起こる少し前から、新聞の記事に、ラジオやテレビの放送に、出版される小説に、そのパターンはちらつきはじめる。言語の違いによらない深層の文法だから、そのことばを享受するきみたち自身にはそれが見えない。言語学者でないかぎりは」
虐殺の文法。それが語られるということは、その国でやがて起きる大量殺戮の予兆。


ここで、タイトルの意味が明確になってくる。

「黒人奴隷たちの第一世代の言語はビジン英語と呼ばれる。