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Morris.日乘2006年1月 
ここは、Morris.の日記です。読書記録、夢のメモ、宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語
猫の毛も刈りたい

Morris. personal calender

【2005年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
2006/01/31(火)●やきにく文化●

9時起床。朝から雨である。
昨日から例の「韓国歌手名鑑」の画像内に歌手名と曲名のハングル+意味をを日本語で追加する作業をしている。とりあえずあのページは日本人対象にしてるものだし、ハングル読めないビジターの方が多いことからすると、やっぱりハングルだけのデータは不親切に過ぎると思ったからだ。
月刊やきにくフリーソフトのJtrim使って、画像の空白部分に日本語を貼りこんで行くのだが、画像によっては、スペースがほとんど余ってないものもある。あまり細かく考えないことにした。タイトルの意味がはっきりしないものもいくらかあり、解るものから優先的に載せていった。それでもトータル250点近くあるので、相当時間がかかってしまった。行間が空いてなかったり、級数も小さめだし、見づらいところもあるが、とにかく、これで現在アップしてる270点は、いちおう日本語でも見ることができるようになったことになる。
東京のヒョンミさんから雑誌とプリントが郵送されてきた。雑誌は「月刊やきにく」最近号3冊、プリントはデジカメで料理撮影するヒントみたいなもののカラーコピーだった。「月刊やきにく」は焼肉専門店の業界誌みたいなもので、「全国焼肉協会」(何故か略称はYJ(^^;))が発行している。内容的には大して見るところも無いが、同じ焼肉屋でも地域や店舗に寄って出すメニューや内装も全く違う(あたりまえだが)のが面白い。
KBSアーカイブで開かれた音楽会見る。一昨日(1/29)が旧正だったので、いちおう正月特集、といっても、特番ではなく韓服着た歌手や子供たちが民謡や童謡を歌うくらいのものだった。あまりゲストもこれという歌手が出ない。おしまいにキムドヒャンとチョヨンナムが出て二人で、「Hound Dog」とナムジンの「ニムガハムケ」をアレンジして歌ったのが面白かったくらい。この二曲のコード進行+メロディが似ているということに初めて気がついた。
夕方灘図書館に行き、大回りしてJOSHINでDVD生ディスクなど買って6時過ぎ帰宅。
春待ちファミリーBAND部屋の去年のライブ活動日誌、サボってたので、ちゃかちゃかと追加しておいた。

2006/01/30(月)●Swing Girls●

8時半起床。どんよりとした空模様。
スウィングガール タイトル先日みっちゃんが貸してくれた「Swing Girls」見る。2004年矢口史靖監督作品で、東北高校の女生徒たちがひょんなことからジャズバンド作って大会に出場するという話で、「Water Boys」のぱくりである(^^;) 竹中直人が先生役で出てるところまで同じで、バンドの紅一点ならぬ男子生徒一人というのもWater Boysの裏返しである。とりあえず若い女の子がどたばたしながら楽器を初めて、ジャズの楽しさに捕らわれていく過程を描いていけば、それなりに楽しめるだろうというのはわかりやすい。Morris.もこういったシチュエーションは嫌いでないので、そこそこ楽しんでお終いまで見てしまった。58点ぢゃ(^^;) Girlsの中にMorris.好みの子がいなかったのが痛い。それでも見終わった後、手持ちのビッグバンドジャズのCDを聴きたくなった。あいにく、Morris.はジャズは女性ヴォーカル専門なので、デューク・エリントン、フレッチャー・ヘンダーソン、グレン・ミラーくらいしか手持ちがなかったが、こういうときはSTARdigioの430chあたりを適当に回しておけばそれらしいのがかかる。というわけで、久し振りにMorris.亭ジャズ喫茶ヴァージョンを楽しんだ。
ぐいぐい酒場に高山君の書き込みがあり、去年のMorris.の「ポンチャック&ハングル」講座の後日談というか、生徒の声があったので引用しておく。

先日、例の「クロスカルチャー」の最後の授業で、いか焼きの調理実習(大阪の下町文化を学ぶ)しながら一年間の授業のをみなで振り返っていました。「この一年で一番印象に残っている授業は?」の僕の問いに、ある女子生徒が、「やっぱり韓国語の先生やな」の答え。すると「俺、あの先生ニュースで見たで」と男子生徒(カラオケで「南行列車」を唄った子)。すかさず女子が「えー、やっぱり何かあの人やったん?」「ちゃあうて、何かのど自慢みたいなんででとったで」、「なーんや、でもあのアロハとか怪しかったやん」・・・とにかく生徒にはインパクトが強かったみたいです。ご報告まで。

女子生徒の「やっぱり」とか、「怪しかった」発言がちょっと耳に痛いが、ともかく印象に残ってたというのは喜ぶべきだろう。

【夢は荒れ地を】船戸与一 ★★★☆
 船戸のカンボジアを舞台にしたもので、2002年ごろ「週刊文春」に連載されたものらしいが、つい見落としていたようだ。いやあ、やっぱりこの人の海外取材を元にした作品は、実に楽しめる。
現役の自衛隊員が公休を取ってカンボジアに行き、元同僚の男を追う中で、現地のクメールの子供の学校を作ろうとする日本人や、クメール人ガイト、売春組織のベトナム人などと出会い、さまざまな経験の中でカンボジアのあまりにひどい現実を知らされる。
ストーリーも筆者が直接取材したとおぼしいカンボジアの辺境や、軍隊政府と、海外の援助依存体質、人種間の複雑な現況などを紹介している。いかに上っ面の情報しか知らずにいたのかと反省させられることも多かった。
たとえばこの国の火急の問題であるはずの地雷についての記述などに顕著である

現在政府はカンボジアには人口と同じ量の地雷が埋まっていると発表している。つまり、その数は一千万個以上だと。この地雷撤去のために世界の先進国から毎年三千万ドル以上の援助資金が集まって来る。そして、世界のジャーナリストたちは地雷のほとんどはクメール・ルージュが施設したように報じている。しかし、撤去される地雷の90%以上が旧ソ連製のものなのだ。そのことは地雷がベトナム軍かカンボジア人民党軍によって施設されたことを意味した。クメール・ルージュが埋めた地雷は中国製だったのだ。チアはそんなことは何も知らなかった。ひたすら新しい村の建設に励みつづけただけだ。チアにとってあの日本人はカンボジアでいま何が起きているのかを教えてくれる気丈な情報源の役割を果しているような気もする。
あの日本人はこうも言った。
国連カンボジア暫定陶磁器工UNTACがはいって以降、このクメールの地には地雷撤去のために世界各国からいくつものボランティア団体が押し寄せて来た。しかし、政府は次々とそれらを事実上撤退させ、政府直轄のカンボジア地雷撤去センターCMACと、地雷撤去にもっとも伝統と実績のあるボランティア団体ハロートラストのふたつの機関にその作業を委せた。
理由は明白で、外国から集まって来る地雷撤去援助資金をプノンペンの高級官僚たちが一手に握るために他ならない。現在、地雷撤去技術のある人間でもこのふたつの機関に属さない連中は眼の前に地雷が埋まっていることがわかっていたとしても勝手に撤去することは法律で禁じられている。違反者が逮捕された例もあるらしい。
政府にしてみれば、それは独占を乱す行為なのだ。クメールの地に多量の地雷が埋まっているという事実はいまや完全なビジネス源として機能している。それさえあれば毎年三千万ドル以上の援助資金が外国からはいって来るのだ。何の輸出品目も持たないカンボジアでこれが利権化するのは当然だった。地雷の早期撤去はこの利権の消滅を意味する。撤去作業が遅々として進まないのは政府のこういう思惑に基き、資金は潤沢にあるのに一年前に半年間撤去作業者への給料の遅配が行われたのも計算ずくだったのだ。それだけじゃない。外国からの資金援助の呼び水はひとえにカンボジアへの道場なのだ、そのためには年間4、50人の地雷による犠牲者が継続的に発生することが望ましい。


カンボジア地雷撤去センターCMACの職員に聞いたことがある。地雷はもっとも安価な兵器だ。地雷の製造コストは1個につき、ほぼ3ドル程度でしかない。だが、これを撤去するとなると、1個につき9百ドルばかりかかるらしい。
現在カンボジアで使われている地雷探知機はオーストラリア製かイギリス製だった。その輸入は政府によって制限されている。多額の撤去助成金を出している日本のものははいって来てない。武器輸出禁止という日本の法律に抵触するのだという。日本では地雷探知機も武器の一種にあたるらしい。


本来こういう情報は小説で知らされるのではなく、ルポや報道として提供されるべきものかもしれない。しかし、日本のマスコミで、こういった海外の国内状況が正しく報道される機会はほとんどないし、多くの日本人は望んでもいないのだろう。
もちろん本書では、こういった国家の犯罪的行為への告発は従で、あくまで物語の厚味をますための小道具でしかないのだが、船戸自身が、ルポとして発表するよりこうやって小説の中で知らせる方が、効果的だと思ってるのかもしれない。
小説としては、登場人物の行動が時としてあまりに急変したり、人間関係が図式的に過ぎたり、裏切り、密告、惨殺などがあまりに恣意的に扱われているのに疑問を覚えた。そう言った不満があっても、充分読みがいのある力作であることは間違いない。

2006/01/29(日)●きっこのブログ●

9時起床。良い天気である。それでも終日部屋でごろごろ(^^;)
昼は大阪女子マラソンを見るともなく見るも、面白くなかった。最近どうも、この女子マラソン、駅伝が面白みに欠ける。
午後、昨日の春待ちファミリーBANDビデオをDVDに編集しながら見る。やっぱりおしまいのフィッシングは圧巻である。
これも稲田さんからの紹介だが、「きっこのブログ」という日記がおもしろい。きっこさんは東京のフリーヘアデザイナーらしいが、とにかく、ニュースへの切り込みが鋭いし、とんでもない裏情報網を持ってるみたいだ。今は無き「噂の真相」を髣髴させるといっても過言ではない。おまけに文章もぶっ飛んでる上に、俳句が趣味とのことで、ネット句集も出してるし、新年には歳旦開きの三つ物(三つ揃えの三句)を披露するわ、花や生物歳時記の書評もあるわで、何かすっかり彼女の世界にはまってしまった。MAXのれいなちゃんフリークだったり、カラオケの十八番がaikoのカブトムシだったりとお茶目な面も持ってる。とにかくネット宇宙にはとんでもない人が住んでいるものである。
麦の贅沢
・ふりほどきたきことあまたダチュラ咲く きっこ(句集「マリアの月」より)

夜、青年(尾西君)がPC使わせて欲しいということで来訪。お土産にサントリーの「麦の贅沢」というのをくれた。ビールかと思ったのだが、ちょっと違う。発泡酒でもない、いわゆる「第三のビール」の仲間だろうか。リキュール類となっていて、原料はビール、スピリッツ(小麦)、炭酸ガスとある。良くわからん。要するに発泡酒と同じく、酒税の安いリキュール類ということで、消費者のふところに合わせた酒造会社苦肉の作品なんだろう。どうせ、また酒税法改正で、元の木阿弥になるような気もする。Morris.は実はあまりビールの味はわからないのだが、何となく「まがいもの」みたいな展開方法が好きになれない。缶のデザインなど一新して、ビールとは全く別の酒という形で展開するべきではないだろうか。

【隠された風景】福岡賢正 ★★★★ 副題は「死の現場を歩く」。2000年、毎日新聞西部版に連載されたもので、著者は毎日新聞の記者である。
ペットや浮浪犬猫の処理場をルポした「ペットの行方」、食肉加工場をルポした「肉をつくる」、自殺者の遺書による考察「遺書を読む」の三部構成だが、いずれも一般的には新聞でもタブーに近いテーマで、連載前には社内から危惧する声も出たらしいし、取材に応じてもらえず、かなり苦労もしたらしい。結果的には読者や取材対象からの反応も良かったらしい。

「死」はやさしいもの、かわいいもの、心地よいものを求める人々の価値観と真っ向から対立し、我々の日常生活に不安の影を落とす。そのため社会は「死」を徹底して見えない場所に隔離し、我々はそこから目をそらして生きている。
生き物は必ず死ぬ。
例外はない。
そしてだれかが死ぬからこそ、これから誕生する新しいいのちの生きる余地がその場所に生まれる。だれも死ななかったら、この世はたちまち生者であふれ、破裂してしまうだろう。動物が自らの「生」を糧にして食らい続けねばならないという自然界のルールも、その事態を回避するための巧妙なシステムと言えなくもない。
無数の「死」があるからこそ我々の「生」がある。そして人が自らの「生」を実感するのは、他者の「死」にふれた時である。その「死」と生活の場で身近にふれることができなくなったことが、「生」をかけがえのないものとして悲しむ契機を人々から奪ってしまったのではないか。
我々の「生」を支えている無数の峻厳なる「死」から目をそむけたまま唱えられる「いのちの大切さ」という言葉に、「うそつけ!」と悪態をつきたいような衝動に駆られて、私はこの企画を立て、取材にとりかかった。


さすがは新聞記者らしくわかりやすい文章だが、語られている内容は結構深い。

いずれも動物たちが処分されねばならなくなった原因は人間側にあって、動物たちにはない。それが分かっていて、当の人間社会を守るために処分しなければならない。
その心の痛みを、我々に代わって負っている人たちがいるということに、社会はもう少し自覚的であっていい。


普通ならこのくらいの表現まででとどめておくのだろうが、 実際にペットの処分業務に関わる人が、自分の仕事を「必要悪」と言うのを聞いて筆者は憤る。

不要犬や不要猫を処分する仕事は悪ではない。善である。

新聞記事でこうはっきり、書いたというだけでも大きな意味があるだろう。
食肉業者へのいわれの無い偏見についても同様である。

つまり、日々動物の肉を食しながら、「動物を殺すことは残酷でいけないことだ」と考え、その仕事をしている人たちに白い目を向ける。そんな漫画のようなことが今もまかり通っているのである。その傾向は「動物好き」を自認する人たちにことさら強い。肉を食べる者が、家畜を育てたり、屠畜して肉をつくる者から完全に分離されていて、そこから目をそらすkとができ、いのちをもらうことに伴う心の痛みを感じなくてすむ仕組みになっていることが、その戯画化された構図を支えている。

また自殺に対する日本人の意識的というしかない、無関心への告発も、中高年の一員であるMorris.は身につまされるものがあった。

警察庁が2001年に発表した「自殺の概要」によると、99年の自殺者は3万3048人、戦後統計を取り始めて以来最多だった。交通事故の死者は1万人弱だから、その3倍以上、実に16分にひとりが自ら生命を絶ったことになる。
空前の数の人々が自殺しているのに、奇妙なことに我々にはその実感も危機感も全くない。というのも大半の自殺が人々の目から隠されているからだ。
日本では自殺者とその家族への偏見が強く、のこされた子どもの就職や結婚への影響などを恐れて、遺族は死因を極力伏せようとする。メディアも、著名人やよほど耳目を引いた自殺以外は取り上げないから、大半の「普通の自殺」は人知れずひっそりと処理されていく。
その結果、空前の自殺者が出ているのに、人々はそれを実感できず対策を求める世論が形成されることもない。そうやって増えるに任されているのだ。偏見による隔離と隠蔽の結果放置されたハンセン病問題と全く同じ構図である。

経済的な理由のために一年間に自殺する人の数は、バブル崩壊後の「失われた十年」で5倍に増えたのである。
日本の完全失業率の推移と、この経済生活問題での自殺者数の増減とは見事に連動している。日本では不況で失業者が増えれば、そのままストレートに経済苦で自殺する人が激増するのである。倒産やリストラで個人が経済的な苦境に陥った時の社会的なクッションが不十分であるkとを、この事実は教えている。
現在、この国が推し進めている構造改革の基本理念は競争と自己責任だ。競争原理を導入し、民間の自助努力によって経済の活性化を図るというそれは、「痛み」を伴うと言われている。その「痛み」がどんなものか、ほとんどの自殺が隠されている今、人々は実感できていない。

自殺とは主に老・壮年期の人々の問題なのである。
この年代層の自殺の激増について、全国過労死ネットワーク事務局を勤める弁護士の川人博氏は『サラリーマンの自殺』(岩波ブックレット)の中で、今の日本全体に「中高年いじめ」とでもいうべき雰囲気が漂っていることを指摘し、そういった社会風潮が深いところで自殺者の心に影響を及ぼし、自分たちが社会から見放されているという絶望感を感じさせているのではないかと問いかけている。
自殺者が三万人を超える異常事態にもかかわらず、自殺予防のための施策が何ら検討されることもなく、そのことをメディアが全く問題にすらしていない現実が、その一番の証左だろう。なぜならそれは、病者や老人、経済競争の敗者が自殺することを、社会も我々メディアも容認しているということにほかならないからである。


メディアの内部の人間がこうやってメディアへの批判をすることは、個人の自己批判や反省より、大きな意味を持つと思うし。わかっていてもなかなかやれないことと思う。
著者のよって立つところは、突き詰めれば「ヒューマニズム」なのだろうが、この言葉の本質的な意味をもう一度考えてみたうえで、実践していく覚悟が必要不可欠ではなかろうか。

2006/01/28(土)●見事な輪踊り●

昼前に社長の車に便乗して原田中学校体育館へ。灘区PTCA研修会で春待ちファミリーBAND演奏。Morgan's Barは今北海道ツアー中なので、メンバー6人。1時半から露の団六の講演があって、春待ちの出番は3時から。150名ほどのPTA会員は、最初戸惑っていたみたいだが、社長のいじくりが効を奏して和み、ぶらんこ、ぞうさん、でしっかり場内と一体感を作り出し、ラストのフィッシングブルースでは、観衆全員参加で体育館一回りする人の輪を作って踊りまわった。最近、フィッシングで輪踊りというのはお約束みたいになってるが、これだけ見事な輪踊りはめったに見られないと思う(^o^)
春待ちのCDもすべてお世話になったサム・コーポレーションが来月で事務所&スタジオを引き払うことになったらしい。会社は社長が引き続き継続するとのことだが、もうあのスタジオで録音することも無くなるのかと思うと一抹の寂しさを覚える。


お決まりワシントン静止ポーズ

ぶらんこで、舞台会場が一つに

そしてフィニッシュ見事な輪踊り

【サイバラ茸3】西原理恵子 ★★★ 結局また読んでしまったさ。実は「サイバラ茸1」もあったのだが、これは大部分が「恨ミシュラン」だったから、それ以外を立ち読みで済ました。この3巻には「むいむい」「山ちゃん物語」「アジアパー伝」「たぬきランド1,2」が収められているが、結局なんとか作品として読むに耐えるのは「むいむい」のみ、最低シリーズ「アジアパー伝」(全体の半分近く占める)は鴨ちゃんへのバッシングのために書かれたみたいな気がするし、山ちゃん=たぬきシリーズも、山ちゃんへの恨みつらみがストレートに出すぎぢゃ。それでもついつい見てしまうのが、サイバラ菌(茸は菌類)の強力さなんだろうな。鴨ちゃん、山ちゃんの零落への道のりを容赦なく描き出すサイバラの度胸というか作家魂というか、その姿勢にはまたまた嘆息するしかない。

【小説家のメニュー】開高健 ★★★ 開高健の食い物関連の本はたいてい読んでたつもりだったのが、本書は何故か見落としていたようだ。90年に単行本化されているが、「ザ・ステイタス」に連載したものと書いてある。この雑誌は知らないが名前からして、いわゆるお金持向けの無料提供雑誌なのではないかと思ってしまった。12編のエッセーだから一年間連載したのだろう。
目次には
美味・珍味・奇味・怪味・媚味・魔味・幻味・幼味・妖味・天味
という味のついた熟語十個を十二行並べて、そのうちの二つか三つが太文字になっている。各章に登場する食べ物の味を示唆してるわけなのだろうが、ちょっと凝りすぎのきらいがあるな。
でも内容は流石としか言いようの無いものが多い。何と言っても、世界各地を渡り歩き、直に当地のキワものを食べてるという元手のかかった贅沢なエッセイ集といえるだろう。各章登場の食べ物とその味熟語を羅列しておく。

・ベトナムのねずみ[奇味 魔味]
・モスクワのアイスクリーム ベルギーのチョコレート[美味 天味]
・アマゾンのピラニア[奇味 魔味]
・サイゴンのドリアン モンキーバナナ ブラジルのパイナップル[媚味 妖味]
・山菜「珍味 媚味 天味]
・シューマイ ワンタン ギョーザ[美味 天味]
・ニューヨークのソフト・シェル・クラブ サイゴンのドロガニ[美味 妖味]
・スープ[幻味 妖味]
・フランスのムール貝 チリの生ウニのオムレツ 徳島撫養のニタリ貝[珍味 怪味 魔味]
・マツタケ[珍味 天味]
・フォークォック島のはたの清蒸[美味 幻味]
・水[幼味 妖味 天味]


開高健は美食家とはちょっと違うようだ。彼の場合、自分では作らないというのを信条にして、あくまで名手名品の分析と解釈に徹すると表明しているようなので、とりあえずそれらしいものを作ってみようとするMorris.とは対蹠的だと思う。

2006/01/27(金)●いよいよ引越しか?●

8時半起床。ちょっと寒さも緩んだかな。
韓国歌手名鑑にBoAやMAYAなどを追加して、Morris.のはてなブログ「ノレ番8090」の該当記事にリンクを張る。ざっと30件くらいである。
昼過ぎにこのまえ大家と一緒に来た不動産屋から電話。大家はMorris.の言う値下げには応じられないとのこと。ということは早急に引越しを考えねばならない。ちょうど今日、地震被害者への援助金終了連絡の書類が届いた。それによると、4月分家賃までは援助あるらしいが、やっぱり来月あたりに動くつもりで考えるべきだろう。
夕方灘図書館に行く。

【ダンボールハウス】長嶋千聡 ★★★☆☆ 著者が名古屋の中央大学在学中、卒論のために始めたダンボールハウス、いわゆるホームレスの人々の住居のレポートをまとめたもので、調査時期が2002年から2004年。つまり愛知万博の直前に公園からダンボールハウスが一挙に撤去されるまでの時期だけに、実に貴重な記録となった。
若人にしては、地道な調査態度も好感もてるし、住人との触れ合いや、克明なスケッチもなかなかがんばってる。
38件のダンボールハウスそれぞれの紹介があり、大まかな分類(小屋型、テント型、小屋型+テント型、寝袋型、キャンピングカー型、ロープ型、ツーバイフォー型、自然素材型、モノ構造体型、無脊椎型(建築以前)、価格、材料、特長、特徴、生活サイクル、細部の工夫、地域とのかかわりなども、丁寧に取材している。
ダンボールハウス見本調査の中で住人との交流も深まり、飲食をともにしたり、人生論を戦わしたり、付き合っていた女性を住人に取られたり(^^;)もしたらしいが、たんなるフィールドワークを超えたものになったようだ。

ぼくたちは、あたりまえのように働いて、稼いだお金と引き換えに好きな洋服を買ったり、車を買ったり、旅行したりする。「お金で買えないものはない」とまで言い切る人もいる。けれども彼らの場合は、お金にもまして、自由になる「時間」を所有しているという意識がはたらいているのではないかと思った。

割と平凡な感想だが、基本は外れていないと思う。Morris.もどちらかというとこの住人の考えにちかいところにいるのではなかろうか。
吾妻ひでおの「失踪日記」を読んだばかりなので、つい連想してしまうが、人は誰でも自由な時間を持ちたいという希望と、富を得て楽な暮らしをしたいという願いをあわせ持っているのだろう。どちらにしろ何かに「囚われ」るのが人間の宿命なのかもしれない。

ダンボールハウスは生きている。そして、ダンボールハウスに住まう人々もまた生きている。その様は、見る者によっては"生々しい"と映り、また"生き生きとしている"ようにも見える。住み続けるうちにヒトとダンボールハウスは、次第に重なり合い、やがて同化していく。昨日−今日−明日という一連の時間の流れの中で、ダンボールハウスは、衣服を身にまとうように住人を包み、刻一刻と変化し続けているのだ。ぼくは、ダンボールハウスを通して、「人間」と「家」との根源的なつながりを見たように思う。

2006/01/26(火)●居眠りMorris.●

としろうらと、昨日ヘルプに入った東灘、韓国向けピックアップ現場。
昼食はトンカツの長田園。ここはご飯食べ放題で、量は多いのだが、肝腎のトンカツときたらまずい上に衣の厚さは半端でないし、油が悪いのだろう、ちょっと胸やけする。Morris.はチキンカツ頼んだのだが同じようなもんだった。
5時まで目いっぱい梱包して何かえらく疲れてしまった。
夜はセンターの朝鮮語講座。最初からMorris.はふらふらで、先生から「疲れてますね」と言われるし、本当に途中で居眠りしてしまった(^^;) 授業の2時間がこんなに長く感じられたことはなかった。特に睡眠不足というわけでもないのに、どうしたのだろう。
島田和夫部屋スケジュール更新。

【青春の正体】みうらじゅん ★★ マイブームという流行語作ったり、「魅惑のフェロモンレコード」でMorris.を楽しませてくれたみうらの本なので読んだのだが、これがもう、壊滅的に面白くなかった。どうやら彼の若書きの復刻版らしい。
奥付にはたしかに書いてあったが、こういうものは出さないで欲しい。

2006/01/25(火)●初天神もよそ事に●

清水、溝渕君と3人で芦屋のピックアップ現場。
3時ごろ作業終わり、東灘の現場にヘルプに入る。
今日は京都北野天満宮で初天神やってたらしい。12月21日の東寺の終い弘法といい、初天神といい、昔は結構顔を出していたものだが、最近はとんと縁が無い。まあ、神戸から京都は結構遠いということもあるが、15年以上前くらいのほうが、気分的にも余裕があったのかもしれない。
昨日録画しておいた「山田風太郎」3回目を見る。またまた風太郎の「大ウソ」とか「歴史マジック」とかいった表層的な特徴を、さも大した発見みたいに解説する鹿島某の顔まで嫌いになってきた。橋本治とか、平岡正明とか、もうちょっとましな、面白い話してくれる人材は多数いるだろうに----(>_<)

【ちゃぶ台の昭和】小泉和子 ★★★☆ 河出書房新社のらんぷの本というヴィジュアル&カルチャー叢書の一冊である。著者は1933年生れの生活史研究所主宰で東京大田区の「昭和のくらし博物館」の館長でもある。本書はこの博物館の企画展をもとに再構成したものらしい。
「ちゃぶ台」がテーマだけに、昭和庶民の暮らし、特に家庭での食生活が中心に論じられ、戦前、戦中、戦後の家庭のメニューを紹介、また実際に当時のレシピ通りに料理を再現したものがページの半分近くを占めている。
戦前の家庭料理の代表として「焼き魚、煮魚」「たくわん漬、白菜漬」「味噌汁」「ほうれん草の胡麻よごし」「切り干し大根の煮物」「蕗、蕗の葉、いもがらの煮物」「竹輪煮」「五目煮豆」「そぼろ」など、今となっては却って「和食」として縁遠くなったメニューのように感じられるし、昭和初期の洋風家庭料理の代表、ライスカレー、ハンバーグなどは、現在の同じ名前のメニューとは似て非なるもののようでもある。
戦争中の代用食となると、流石に美味しそうというより、引いてしまいそうになるものが多いが、すいとん、ふかし芋あたりは懐かしさを誘うだろう。
戦前の定番おかずの中からちょっと気になった「鉄火味噌」のレシピを写しておく。

[鉄火味噌] ・材料 赤味噌200g、大豆1/2カップ、牛蒡小1〜2本、ごま油大さじ1〜2、砂糖90g、酒大さじ4、水大さじ4
1.牛蒡は皮をこそげとり、小口切りか笹がきにして水に放す。大豆は香ばしく煎っておく。
2.フライパンにごま油を熱して水切りした牛蒡と、炒り豆を炒める。
3.鍋に味噌、砂糖、酒、水をまぜあわせ、「2.」を加えてとろ火で木杓子で練りながら、なめ味噌のかたさになるまで煮つめる。


また「ちゃぶ台」の語源については、正確にはわからないとしながら、以下のような考察がなされている。

Morris.愛用のちゃぶ台ちゃぶ台は、また卓袱台(しっぽくだい)、飯台(はんだい)などとも呼ばれている。しかも卓袱台と書いてチャブダイとも読むし、茶袱台・茶部台、あるいは食机と書くなどさまざまである。
このうちシッポクダイ系統は、いうまでもなく卓袱料理からきた言葉であろうし、飯台は用途から名づけられたものであろう。ただし箱膳や飯櫃のことを飯台という地方もある。
ちゃぶ台の語源は次の三つが考えられる。
1.卓袱の南中国音説
卓袱をシッポクと呼ぶのは唐音であるが、福建省など中国南部の発音ではチャフとなる。
2.中国語の「吃飯]説
やはり福建省など南中国では、食事することを「吃飯」と書いてチャフンとかジャブンという。
3.米国化中国料理名「チョップスウイ」説
明治初期、開港地横浜や神戸などの外人相手の食べ物屋でチョプスウイを出したのでこういう店屋は「チャブ屋」と呼ばれた。このチャブ屋で使われた食卓がチャブ台になった。


今となってははっきりしたことはわからなくなってるようだ。いずれにしてもちゃぶ台が日本に登場するのは明治以降で、いわゆる文明開化の落とし子の一つであることはまちがいないだろう。それまでは日本人は銘銘膳を使っていた。ちゃぶ台が本格的に普及したのは大正から昭和初期になってからだ。Morris.幼少の頃からこのちゃぶ台には親しんでいたが、生家(佐賀県武雄市)ではたいてい飯台と読んでいたように記憶する。
ちゃぶ台は円形のものと四角形のものがあるが、Morris.はちゃぶ台といえばぜったい円形のものに固執する。現にMorris.亭も丸いちゃぶ台を愛用している。サイズは直径88.5cmで、これは中型のちゃぶ台の標準サイズらしい。円形の特長は何処に座っても卓の中心までの距離が同じで料理がとりやすい。座る人数に融通が利く。上座下座の区別がない。何となく和やかな雰囲気を醸し出す。(角が立たない(^^;))といったところだろうか。

22006/01/24(月)●画像にハングル●

昨日に引き続き今日も寒そうだ。部屋に篭ることにする。
例の「韓国歌手名鑑」に追加するため、手持ちのCDやテープ引っ張り出して、ジャケットの写真をスキャンして、サイズ変更してデータ用の画像ファイル作る。しかし、どうしても現在使ってるMorris.のHP作成ソフトはバージョンが古いためか、ハングルを打とうとすると「?????」になってしまう。それだけでなく、ハングルフォントで変換すると頻繁にソフトがクローズしてしまう(>_<) いちおう韓国歌手の名簿だから、最低歌手名くらいはハングルで打ちたいよなあ。結局以前デジカメ画像整理のためにダウンロードしたソフトを色々試してみて、Jtrimというフリーソフトでハングルを使うことが出来ることがわかった。フォントは、GulimCheという平凡なものしか使えないが、贅沢言ってはいられない。とりあえず、これでソフトを複数使って、歌手名はハングル表記することができた。今日は15人ほど追加した。ついでにカナダラの頭文字もスキャンを利用してロゴ作る。これも新しいHPソフトならハングルでも簡単にロゴ作成できるんだろうな。
昼過ぎに大家から電話があり、家賃の話し合いに不動産屋連れて来るとのこと。3月で地震全壊被害者向けの支援金が打ち切りになるため。不動産屋と大家のほかに娘まで一緒にやってきた。最近の相場からするとMorris.亭の家賃はかなり割高で、支援金のおかげでなんとかなってたところがある。近頃は賃貸物件余り気味で、インターネットや、店のパンフレット見るとかなり安いものが多いし、敷金不用のところもある。そのことを言ったら不動産屋が「そういうのはたいてい嘘っぱちですよ」というので、「お宅がそんなこというのはおかしいんじゃないの」と言ったら嫌な顔された。お互いの意見言って、後はあちらが月末までに考えてみる、と言うことで帰っていった。出るか住みつづけるか五分五分というところではないかと思う。
夕方灘図書館に行く。

【丸ごと 魚柄仁之助】★★★☆☆ 台所リストラ術とか、面白そうな料理の本などMorris.も結構楽しんで読ませてもらった。本書は彼のエピソード的自伝みたいな本である。
ギター弾いて、中古バイク屋、古道具屋、そして料理研究家などいろんなことを楽しげにやってるようだが、高校時代ギターの弦で左目を失明したというのは、初耳だった。
実家が福岡の食堂だったということもあって、文章も博多弁を多用して、結構読ませるし、明るく前向き怖いもの知らず、しっかりちゃっかりの一面もあって、たしかに、こういう生き方は方向として間違っていないと思う。
ドライヤーを改良した、ニクロム線でワインボトルからボトルネック専用機作ったり、三味線の棹を削ってペーパーナイフ作ったり、乾物利用の安上がりメニュー開発したり、それを本にしたり、講演してまわったりと、人生を楽しんで稼いでるさまが生き生きと描かれている。
56年生れだからちょうど50歳ということになるな。うーむ、いまさらながら生き方を学ばせて貰いたくなったぞ。
あとがきにあった魚柄流「関係作り」5条を写しておく。

1.とりあえず「笑う」
あたしゃ、アホと思われても一向にかまわんので、人と会うときにはほとんどヘーラヘーラしとります。
2.一度の出会い、ワンチャンスをひきずりまくる
「おもろい!!」と思ったが最後、トコトン付き合うとりますよ。
3.誘いにのるか、誘われるか?
誘い誘われたとき「そのうち、また」って答える人は、その段階で半分パーですわ。テンションのあがったときに行動をおこし、相手を誘い、また誘われ、互いに関係づくりをしてゆく。これを続けてきとります。
4.手紙を書く
電話だ、ファックスだの時代だからこそ、肉筆の手紙をいただいたときの嬉しさは格別ですもん。だったら他人にもそうしたいと思ってのことです。
5.約束は守る
約束を守れない人とは縁が薄くなっていきますが、こっちから約束をポイにしちゃうことだけは絶対にしないようこころがけとります。

2006/01/23(月)●カヴァーポップスOnce More●

STARdigio428chの60'sは今週も懐かしのカヴァーポップス2時間特集である。先週とのダブりもないし、なかなかマニアックなナンバーも含まれている。またまたタイトルと歌手を紹介しておこう。

・ビキニスタイルのお嬢さん/田代みどり
・メロンの気持ち/森山加代子
・夢みるシャンソン人形/中尾ミエ
・かわいい小鳥/ザ・ピーナッツ
・若草の恋/木の実ナナ
・ドミニク/ペギー葉山
・悲しきハート/弘田三枝子
・恋はみずいろ/森山良子
・日曜はダメよ/森サカエ
・渚のデイト/梓みちよ
・恋はボサノバ/金井克子
・花はどこへ行った/園まり
・いちごの片想い/ベニ・シスターズ
・のっぽのサリー/麻生京子
・ネイビー・ブルー/九重祐三子 ダニー飯田とパラダイスキング
・大人になりたい/後藤久美子
・ボビーに首ったけ/伊藤ゆかり
・五匹の仔豚とチャールストン/安村昌子
・ハートでキッス/伊藤アイコ
・星影で愛して/小野ヒロ子
・ミスター・ムーンライト/ザ・キューピッツ
・ファンキールックのお嬢さん/沢リリ子

・恋の片道切符/平尾正晃
・花咲く街角/飯田久彦
・悲しき願い/尾藤イサオ
・アイ・キャント・ストップ/クール・キャッツ
・ドント/清野太郎
・恋の1/2/鈴木やすし
・ロック・アラウンド・ザ・クロック/ダーク・ダックス
・赤い翼ロック/山下敬二郎
・遥かなるアラモ/坂本九 ダニー飯田とパラダイスキング
・三軍曹マーチ/紀本ヨシオ
・霧の中のジョニー/鹿内タカシ
・電話でキッス/フランツ・フリーデル
・大脱走マーチ/デューク・エイセス
・ラブ・ミー・テンダー/ほりまさゆき
・君に涙とほほえみを/布施明
・浮気なスー(悲しき恋の物語)/スリー・ファンキーズ
・恋はやせがまん/ダニー飯田とパラダイスキング
・ツイスト・フラ・ベイビー/藤木孝
・可愛いあの娘/清原タカシ
・悲恋のワルツ/フランク永井
・可愛いセニョリータ/目方誠
・G.I.ブルース/かまやつヒロシ
・ヘイ・ポーラ/田辺靖雄 九重祐三子


先週に比べると知ってる曲が少ない気がする。それにしてもこの頃の曲の短さとアレンジの単純さには、ほっとしてしまう。でもダーク・ダックスのロク・アラウンド・クロックなんてどうなるんだと思ったらなかなか上手いし、のっぽのサリー歌ってる麻生京子なんて初めて聴いたけどこれも結構乗ってる。かまやつのGIブルースなんかもご愛嬌だし、とにかくついつい流しっぱなしになってしまう。
オセロ 中島知子ノレ番8090に、イジヨンの「ナンサランウルアジンモルラ--私は愛をまだ知らない」をアップ。これは、未知の方からメールをもらい、この歌の歌詞を教えて欲しいとの以来があったので、ついでにこちらに記事としてアップしたのだ。つい先日も別の方からイジヨンに関するメールをもらったし、イジヨンのファンは結構根強いものがありそうだ。
徹子の部屋にオセロの中島知子が出るという連絡(^^;)があったのでとりあえず録画して見る。渋い和服姿で、両親が先生やってるという詩吟のさわりを聞かせたりしてくれた。あいかわらず徹子さんは、強引にマイペースで、中島は終始引き気味だった。でも、Morris.は今TVに出てるタレントの中では彼女がいちばん好きかもしれない。あの顔はMorris.の理想に近い。ような気がする。気の迷いだろうか(^^;)

【模倣犯 上下】宮部みゆき ★★★☆☆ 「週刊ボスト」に95年から99年にわたって(^^;)連載された長編(上下で1,400p超える)である。
若い男二人による、連続女性拉致殺人事件を中心に、犯罪を愉快がるというより一種の創作と感じる主犯男性がいちおうの主人公ということになる。、別事件で家族を殺され自責の念に苛まれる少年、事故死を機に冤罪に陥れられた犯人の元クラスメートとその家族、家庭記事専門だったのにいつの間にか事件に深入りしてしまう女性ライター、被害者の祖父、警察の一癖ありそうな面々等など、多数の重要脇役が多数登場して、それぞれが場面場面で主役クラスに扱われて、これだけの長丁場を退屈させず引っぱっていく力技には、この作者の並々ならぬ力量を感じさせるし、登場人物の描きわけも上手いと思う。
読者に先に真犯人を知らせて、それを知らない登場人物の動きを描くと言うアクロバチックな手法だが、前に読んだ「火車」のラストといい、どうも宮部はいわゆる「けれん」が好きなのだろう。
Morris.は長編好きだから、面白くさえあれば長いほどありがたいと思うタイプである。そういう意味でも本書は充分Morris.を楽しませてくれた。
犯罪における加害者と被害者への世間の対処、マスコミによる情報操作、結局は野次馬的見方になりがちな大衆、男女性差による犯罪への見え方の違い、幼児期の家庭環境の後世への影響等などの問題意識を盛り込んで、それぞれに登場人物の口からあるいは文章から説明させる。こういうところが多くの読者の共感を呼ぶのかもしれない。

「ルポを書いて、事件について解説するってことは、川のこっち側からもあっち側からも書くってことだ。どっちに肩入れしたって、まともなものは書けやせん。でしょう。だいいちあんた、誰があんたのルポを読むと思っていなさるね? あんたの書いた物に飛びついて、事件の詳しいところを知りたがる人たちは、事件には関係のない人たちばっかりだよ。そうだろ? あの事件が対岸の火事だから、詳しいことを知りたがるんだよ。あんんたはそういう人たちのために書いてるんだ。ほかの誰よりも、あんたがいちばんの野次馬だ。」

筆者自身が投影されているような女性ライターに、被害者の祖父が吐き出す台詞だが、本書の登場人物の中で、この老人が際立って超越した行動や発言をする。主犯への電話でもこんなふうである。

「あんたがこんな非道いことをして殺したのは、あんたのいう"大衆"とやらのなかの、取り替えのきく部品みたいなもんじゃなかった。どの人も、一人の立派な人間だった。その人たちを殺されて、傷ついて悲しんでる人たちもそうだ。みんあ一人一人の人間なんだ。そしてあんた自身だってそうだ。どうあがいたって、どんな偉そうな理屈をこねたって、あんただって一人の人間に過ぎん。歪んで、壊れて、大人になるまでに大事なものを何ひとつ掴むことができなかった哀れな人間に過ぎんよ。そうしてあんたは日本中の一人一人の人間の目には、そういうあんた自身の姿をさらしてるんだ。あんたをじっと見つめているのは、あんたが頭のなかでかんがえてる"大衆"なんてお人よしの代物じゃないよ。」
「あんたはさっき、自分のことを、誰もが忘れられない名前だって言ったな? そう言ったな? だが、それは違う。みんな忘れるよ。あんたのことなんか、みんな忘れちまう。ケチで、卑怯で、コソコソした嘘つきの人殺しのことなんざ、みんな忘れちまう。私らはそうやって、要らないことは忘れて生きてきたんだ。済んだことは忘れて生きてきたんだ。戦争のことだって、そうやって片づけて、忘れて生きてきたんだからな。だけども、あんたは忘れられないだろう。みんなが自分のことを忘れても、あんたは忘れられないだおる。そんで、なんでみんながあんたのことを忘れちまうのか、あんたなんか最初からこの世にいなかったみたいに忘れちまうのか、わからなくて悩むんだ。どうしてもわからなくて、悩むんだよ。それがあんたの受ける、いちばんの罰だ。」


なかなか迫力があるし、犯罪を独創的な創作物と思いたがってる主犯への告発にもなってるが、何かいまいち物足りない気がした。
タイトルが初めから気にかかっていて、結局残り100p足らずになってからトリックとして用いられたことにもちょっとひっかけられたようで、鼻白むおもいがしたし、犯罪の経過でのあまりの偶然の多さとご都合主義も、この小説の「嘘っぽさ」を感じさせる。登場人物の個々の細部を書き込んでいながら、肝腎の事件の展開に杜撰さがあるのでは、本末転倒というしかない。こうやってぶつくさ言いたくなるということからしても、やっぱりMorris.は宮部の小説の良い読者にはなれないんだろうな。

【カラオケを発明した男】大下英治 ★★ 
昭和15年大阪の十三近くで生れた井上大祐は、昭和45年に、8トラックのカートリッジに歌でなく曲だけを入れて、「8ジューク」と名づけた。これがカラオケの嚆矢といわれる。彼がそのとき特許を申請していれば後に莫大な特許料を取得できたに違いないが、結局は後の祭りになったらしい。彼はその後、カラオケリースメーカーでかなり奮闘したが、レーザーディスクに乗り遅れて、第一興商が業界トップになった後、カラオケとは縁を切ったが、平成十一年にアメリカの「タイム」誌が「二十世紀のアジアに影響を与えた日本人」という特集記事を企画した際に、6人の中に選ばれてしまった。その後、イグノーベル賞を受賞するなど、話題になったので、あらためてこういう本を出すことになったようだ。
筆者大下英治は美空ひばりや都はるみなどの歌手や政治家の評伝というか、一代記みたいなものをよく書いてる人で、これまでに2,3冊読んだが、いまひとつぴりっとしないと思っていたが、本書は、それら以上に(以下にというべきか)ひどい出来だった。ひばりなんかだと、芸能生活自体が華やかだったり、エピソードに困らないが、本書の主人公は色んな商売に首を突っ込んで、新しい会社作ったり、潰したり、小銭を稼いだり、借金を作ったりの繰り返しで、傍から見て、とりたてて面白い人生ではない。それを本書は、子供時代の回想をそのままだらだらと写したり、どうでもいいような商売のあれこれを細かく書いたり、一つの流れでなく、とりあえず伝聞事項と、カラオケ業界の動向、主人公の家庭の事情などなどをてんでんばらばらに羅列してるふうで、だらだらとページ数を稼いでいるという感じだった。カラオケ好きなMorris.なので、ついつい手に取ってしまったが、はっきり言って時間の無駄だった。

2006/01/22(日)●栃東優勝●

昨日と同じメンバーで、同じ現場。昨日がんばったこともあって、今日は午前中に作業終える。昼食は住吉の楓林のラーメン。一時に比べるとMorris.のラーメン熱は冷めてるし、ここのラーメンは白菜の入ったやや和風っぽいので、博多ラーメン好きのMorris.からすると問題外なのだが、結構この店のファンが多い。もともと楓林は芦屋が本店で、あちらの店にも良く行ったが、住吉に支店ができたとき主人もこちらに移り、それ以来、芦屋店の方は覿面に味が落ちたらしい。
1時前に倉庫に戻り、荷物積み替えして、1時過ぎには退出できた。灘図書館に寄り、3時前に帰宅。
大相撲初場所千秋楽で、優勝可能性あるのは1敗の栃東と2敗の白鵬だけで、白鵬が琴欧州に勝ち、結びで栃東が朝青龍に負けレば優勝決定戦というところだったが、結局栃東が勝って、3度目の優勝。朝青龍が右腕痛めてなかったら、もっと面白かったのだろうが、まあ、朝青龍も去年全場所優勝したところだから、このへんでひと休みというのも良いだろう。白鵬もモンゴル出身だが、最近の大相撲の外国人力士攻勢はとどまるところを知らない。これが大相撲人気低下の原因とする風説もあるが、Morris.は朝青龍のことがだんだん好きになってきていた。
ただ、優勝した栃東が、勝利インタビューの後、「来場所もがんばりますので、みなさん応援よろしくお願いしまーす」とえらく軽い口調で客に呼びかけてたのが、面白かった。

2006/01/21(土)●引越しの宴●

矢谷君、奥井さんと3人で、東灘のシンガポール向け荷物ピックアップの現場。二日取りだが、明日は日曜日なので、なるべく今日の内に進めておこうと5時まで作業。
今夜は昌美さんの新居引越し祝いの宴会。一旦帰宅して風呂入って、買い物してから行ったので、すでに姉の圭子さん、社長、伊藤一家、井山夫婦、中江君、矢谷君が来ていた。昌美さんの新居は2LDKで、ひとり住まいには広すぎると思うぞ(^^;) 何かやたら酒が多かった。Morris.は秘蔵のというか、アシナガさんからいただきものの貴腐ワイン持参で、ついに初賞味することができた。甘すぎるということで、みんなの評判はいまいちだったが、辛口好きなMorris.なのに、これは気に入ってしまい、結局半分以上Morris.が飲んでしまったことになる。
途中さりーちゃん、弥久保さん、こうちゃんが来て盛り上がる。11時に帰るつもりが、やっちゃんが来てまた話が盛り上がり、帰宅したら零時半過ぎていた。
今更だけど、昌美さんおめでとう\(^o^)/


昌美宅宴会風景その1

昌美宅宴会風景その2

昌美宅宴会風景その3

ビールは二十歳になってから、ね(^^;)

記念写真その1

記念写真その2
2006/01/20(金)●下町レトロ●

9時起床。
下町レトロ マップ神戸の下町、兵庫区、長田区を中心に地域探索&紹介活動をしているサイト「下町レトロに首っ丈の会」から、先日頼んでいた小パンフが送られてきた。
このサイトも昨年末に稲田さんから紹介してもらい、マップの注文だけメールしたものの料金の郵便為替を手に入れるのがついつい遅れてしまってたのだった。この会の活動などはサイト(デザインがとてもお洒落(^o^))を見てもらうとして、送られて来たパンフは細長い一枚ものを葉書サイズに折りたたんだ形で片面の下半分に細長い略地図、上半分に店や市場などの地図にマークされたスポットの小さな写真と解説が掲載されている。裏面は建物や看板、ヒト、銭湯など8つのテーマ別のカタログ風写真紹介である。両面カラー刷りだし、スペースの関係で写真も文字も小さいので、老眼のMorris.にはちょっと見にくいきらいがある。まあ、\200だから、こんなもんだろう(^^;)
ともかく、神戸と言うとファッションタウンとか、国際都市とか、異人館通りとかがクローズアップされがちだが、長田付近のひなびた風景はMorris.も元元好きなだけに、こういった活動にはエールを送りたい。以前長田を散策して日記に写真も載せたことがあったな、と思い、topページの自サイト検索かけたら、2004年10月6日と言うことがわかった。この会では、ときどき仲間で探索ツアーみたいなこともやってて、今月の28日の催しへのお誘いも同封してあった。この日は別用があるが、いつか機会があれば参加してみたいと思っている。

2006/01/18(水)●24000のキッス●

9時起床。洗濯しながら、朝風呂はいり、簡単に掃除。
昼から灘図書館に返却し、そのまま中央図書館に行くつもりだったが、ついつい灘図書館で読みたい本6冊も借りてしまったのでそのまま帰宅(^^;)
STARdigioたまには変わったチャンネル聞いてみようと適当に切り替えてた。懐かしいカヴァーポップスみたいなのがかかかった。なかなかレアな選曲である。428ch、60's Hitsチャンネルで、たいてい歌謡曲なのだが、これは面白い。ネットで曲目表をプリントしてみた。いやあ、これは本当に濃い。このチャンネルは4時間サイクルで、カバーポップスは前半2時間である。数えたら24時間で49曲である。1曲平均2分半足らずである。いいな、いいな。ほんとなら当然エアチェックするところだが、いかんせんMDが不調というのが痛い。記憶のためにもタイトルと歌手だけ写しておこう。

・可愛いベイビー/中尾ミエ
・月影のナポリ/森山加代子
・悲しき片想い/ザ・ピーナッツ
・砂に消えた涙/弘田三枝子
・ワンワン・ランデブー/安村昌子
・青空に両手を/槙みちる
・ロリポップ・リップス/渡辺順子
・サミーのマーチ/いしだあゆみ
・ラブランド(夢のスイートホーム)/沢リリ子
・17才よさようなら/槙村旬子
・悲しきゴスペル/ボニー井田
・恋のジェット・コースター/麻生京子
・太陽の下の18才/伊藤アイコ
・グッド・バイ・ジョー/園まり
・恋はスバヤク/青山ミチ
・スク・スク/西田佐知子
・クライ・クライ・クライ/ベニー・シスターズ
・ロミオ/丘優子
・悲しきクラウン/伊藤ゆかり
・ダンケ・シェーン/梓みちよ
・サンライト・ツイスト(ゴーカート・ツイスト)/木の実ナナ
・ベイビー・フェイス/田代みどり
・ミスター・ベースマン/九重祐三子、ダニ-飯田とパラダイスキング
・バケイション/金井克子

・シェリー/ダニ-飯田とパラダイスキング
・ステキなタイミング/坂本九
・ロッカ・フラ・ベイビー/佐々木功
・カレンダー・ガール/ミッキー・カーチス
・史上最大の作戦/ほりまさゆき
・ダイアナ/山下敬二郎
・24000のキッス/藤木孝
・涙の日記/スリー・ファンキーズ
・カチート/水原弘
・ハートブレーク・ホテル/小坂一也とワゴンマスターズ
・ロックを踊る宇宙人/清野太郎
・悲しきあしおと/佐野修、ダニー飯田とパラダイスキング
・プリーズ・プリーズ・ミー/クール・キャッツ
・ジェニ・ジェニ/鈴木やすし
・ルイジアナ・ママ/飯田久彦
・ヤング・ワン/紀本ヨシオ
・悲しきインディアン/平尾正晃
・ローハイド/小坂一也
・ダニー・ボーイ/高橋元太郎
・僕のマシュマロちゃん/森山浩二
・悲しき戦場/ケン・サンダース
・噂のあの娘/目方誠
・シュガー・シャック/倉光薫
・二人はステディ/田辺靖男&九重祐三子(マイ・カップル)


ね、なかなか凄いラインナップでしょ(^o^) でもMorris.は8割は知ってるぞ。
ところでこのなかの「24000のキッス」の歌詞はやっぱり変である。

一秒のキッスを 一日続ければ 2万4千

それは算数的に間違ってるぞ。
この曲はアドリアン・チェレンターノのヒット曲で、日本語歌詞は当然あの漣健児だと思う。もちろん彼は当然この計算違いはわかってやってるんだと思う。確信犯だね。
原題はイタリア語で「 Venti Quattro Milla Baci 」で、そのまま「24000のキス」ということになるらしい。一日24時間というところから安易にk命名したんだろう。
しかし、これだけのナンバーを続けて聞くとかなり頭の中がぱっぱらぱあになる(@ @)

2006/01/18(水)●韓国歌手名鑑●

9時起床。朝風呂使う。
昼前に井山君から電話で韓国人の名前と思うハングルが読めないのでファックスで送ると言われたが現在Morris.亭はファックス使えないので、どうしたものかと思い、結局電話でその形態?を説明して貰う。これはなかなか難しいが、パズルみたいで面白くもある。何とか読み方だけはわかったが生憎意味は不明。
六甲八幡神社厄除けのお参り午後、一念発起して、韓国歌手の一覧表みたいなものを作る。元ネタは韓国の古いCDROMの中に入ってたデータだが、これを一旦PCに落として、bmpファイルをjpgに変換してHTM形式のページ作り、それぞれの歌手名と代表曲名をカタカナで打ち込む。データが古いので最近の歌手は全く無いし、古い歌手でもMorris.の好きな歌手で出てこない歌手も多い。とりあえず、イパクサとキムヘヨンだけ追加してとりあえずアップした。
タイトル「韓国歌手名鑑」というのはやや誇大表示のきらいがあるが、画像データの中に、生年月日、デビュー曲、受賞経歴などがハングルで書かれているから、それだけでも充分役に立つと思う。現時点で約250名。今後、おいおい追加して充実させていこう。ほんとかな?(^^;)
夜は矢谷君宅で、DVDのディスク表面プリントしてもらう。ついでに、矢谷部屋を彼のPCにダウンロードして、直接本人が更新、アップできるようにした。これからはスケジュール更新がコンスタントにできるようになると思う。ほんとかな?(^^;)
矢谷君宅のすぐ前が八幡神社参道で、今夜はえらく夜店が出てる。ちょうど厄除けの日らしい。年明け春待ちファミリーBANDライブでこの神社は行ったのだが、今年は井山君がいなかったこともあって、恒例の御籤合戦もなく、御参りもして無かったので、別に厄年でもないがとりあえず並んで拝んで帰ってきた。

2006/01/17(火)●11年目●

5時起床。今日は神戸地震から11年目の記念日である。だから早起きしたと言うわけではない。彦根の現場だから、ちょっと早出だったのだ。
阪神、新在家駅に着いたらちょうど時計が5時47分を指していた。11年前もしここにいたら凄い光景を見ることになったろうな。当然即停電だろうからほとんど何も見えないままパニックになってた可能性が高い。神戸港沿いに歩く。いつもと全く変わりない風景である。
Morris.の地震当時のあれこれについては去年アップした罹災日記に詳しいので、まだ読んでない人は覗いてみといてください。
奥井さん、西根君と彦根の社宅2階からアメリカ向け荷物のピックアップ現場。幸い雪は残ってなくて助かった。
6時に倉庫着。帰ってから今朝録画しておいた教育TVの「人物伝」山田風太郎を見る。「大ウソが語る真実」というタイトルで毎週火曜日の22:25から4回放送とのこと。今朝は1回目の再放送があったので、今日2回分を一緒に見ることができた。コメンテータが鹿島茂でどうもこれはミスキャストのようでもある。一回目は司馬遼太郎との対比、二回目は史実との乖離、虚実人物を小説の中で対峙させる手法、特に明治波涛歌のなかの一葉をもでるにした短編の解析だったが、やはり作品を読む以上のことがあるわけでもない。晩年の風太郎の風貌を懐かしく見るにとどまった。いちおう録画予約しているので後2回も見ることにしよう。Morris.は風太郎は子供の頃から「忍法帖」シリーズ読んでたファンだが、小説はなかなか再読することはない。その点「人間臨終図巻」は折々つまみ読みしている。


ちょうど11年目の新在家駅

11年目朝の神戸港

晩年の山田風太郎

【MONEY マネー】清水義範 ★★★☆ 8編の犯罪を主題とした短編集で、それぞれのタイトルに、犯罪によって得られた\3,480から一千万円超すものまでヴァラエティ豊かな金額が明記してある。
犯罪も小学生の発明した?ネズミ講、主婦の万引きから、窃盗、現金輸送車殺人強盗までいろいろだが、作者お得意のサービス精神が横溢していて、なかなか読ませる成功作だと思う。特に最初と最後に同じ主人公が出てきて一つの話としてまとまるようになってるあたりの構成は上手い。
旅行会社の顧客名簿を手に入れた若者がこれを使ってオレオレ詐欺を企み、結果として1万円の小遣をせしめる話なんか、よくできた新作落語のようだし、知人の子供を誘拐して一緒に解決に持ち込み借金を帳消しにする親父の話も犯罪と言うよりおとし話めいている。
ただ、借金に追われる小企業経営者が、サラ金からウラ金に借金しておしまいに開きなおる話だけは、ちょっとアブナイなと思ったら、作者もそうおもったらしく、末尾に

(作者注・これはフィクションであり、実際にこんなやり方でうまくいくと思うのは、大変に危険です。闇金融にかかわって悩んでいる方は、弁護士に相談することをおすすめします)

と、注意書きがある。これも作品の一部なのか、それとも雑誌掲載時(「問題小説」連載)にはなくて、単行本になるときに付け加えられたのか知らないが、ここでMorris.は大笑いさせてもらった。

2006/01/16(月)●ちょびっと嬉しいお年玉●

9時起床。掃除洗濯風呂済ます。
切手セット4枚ゲット(^^;)昨日抽選があった年賀葉書の発表をネットで見る。お目当ては下二桁の切手セットだけど(^^;)今年は末尾「07」と「51」。調べたらそれぞれ2枚ずつあった。たいてい毎年1枚か2枚のあたりだからそれに比べると大当たりといえる。さっそく桜口の郵便局に行き交換。
STARdigio457chで1910フルーツガムカンパニー特集やってたので懐かしくなって、MDにエアチェックしながら聴く。いわゆる「バブルガムミュージック」という、楽しそうなサウンドだという記憶だけがあったのだが、今となっては、何か中途半端な音楽といった感じがする。それはともかくとして録音したMDを再生したら途中で変になってる。前からMorris.のマイクロコンポのMDは動作が不安定になり、勝手にプロテクトかかったりして、録音できないことがあったが、録音したものがこんなに変になるということは、いよいよお終いかな。まあこれまで録音したソースを聴くのは問題なさそうだが、こうなるとますますMP3携帯機器を買うときオンライン録音できるものにしなかったのが悔やまれる(>_<)
夜は久しぶりにぶんたさんからもらった韓国ドラマビデオ「BAD GIRLS」見直す。やっぱりソルミンの顔のアップ以外見どころ無し。
ノレバン8090に、Morris.の十八番「身土不二」をアップ。

【じつは、わたくし こういうものです】クラフト・エヴィング商會 坂本真典 ★★★★ 雑誌「太陽」2000年に連載されたものを中心に増補されたもので、18の不思議な仕事をする人を写真と短文とクラフトで紹介している。
月光密売人/秒針音楽師/果実勘定士/三色巻紙配達人/時間管理人/チョッキ食堂/沈黙先生/選択士/地暦測量士/白シャツ工房/バリトン・カフェ/冷水塔守/ひらめきランプ交換人/二代目・アイロン・マスター/コルク・レスキュー隊/警鐘人/哲学的白紙商/シチュー当番
それぞれをクラフト・エヴィング商會(以下商會)の吉田浩美、吉田篤弘の友人知人が演じ、扮して、かっちりした白黒写真に収まっているが、この写真だけでも独立した作品になっている。本書は素人が演じる不思議な人物写真集ということもできるだろう。もちろん商會らしい小間物、ラベル、ノートなどの逸品がこそっと配してあるし、御伽噺めいたそれぞれの仕事を紹介することばたちも実に丁寧に練られている。

神秘体験?
いえ、そうではないと思います。
土に種を植え、大事に育ててゆけば、最後に果実が実る。そしてまた果実は新しい種を宿す。そういう循環のなかに自分はいる。それを青い空の下で学んだということではないでしょうか。こう言うと、なんだか堅くるしく聞こえるかもしれませんが、もっと単純に「いいなぁ、嬉しいなぁ」と思ったんです。
くだものが好きです。植物はやさしいです。こんなにもやさしく生き、ときに結実し、やがて枯れてゆきます。
けれども、また芽生えてきます。最初に戻ってゆく。ふたたび新しい結実に向けてです。これは、すごいことです。やさしさの芯に、すさまじく強いやり方が隠されているのです。
葡萄を、オレンジを、林檎を、あるいは人知れぬ果実たちを数えながら、私はいつでも思ってきました。くだものというのは、文字通り「結実」であり、同時に「はじまり」でもあるんだなと。
いえ、果実を数えて歩くのは私だけの仕事、私ひとりでいいのです。ただ、私はそうして世界中のくだものを数えながら、このうちのいくつかが、さまざまなくだもの屋さんの店先に並ぶことを想像します。そして、そこにいつでも美しい色と季節があること。それらが繰り返し循環していること。しかも「おいしい!」ということ。そのことにふと
「いいなぁ、うれしいなぁ」
と、多くの人に感じていただけたら、と思っています。(果実勘定士)


なかなか詩的で哲学的ですてきな文章ではないか。それがナンセンスな仕事人の独白として開陳されてるところが、眼目である。
Morris.は商會の「雲をつかむような話」を初めて見てそのデザインワークとセンスと手際のよさに舌を巻いたものだが、本書はまた違った方向でヴィジュアル本の世界を作り出している。それにしてもやっぱりきちんとした白黒写真の世界はすばらしいっ。ここに登場した19人の仕事人にとって、本書は生涯の宝のアルバムになるだろうな。羨ましすぎるぞ。
「雲をつかむ話」でも、オリジナルのワインラベルの素晴らしさを褒めちぎったが、本書のあちこちにこそっと出て来るカードやラベルやカタログやタグなどのデザインは、本当にため息が出る。

【私が愛した金正日】落合信彦 ★★☆☆ 日本の民放TVが、金正日へのインタビューと北朝鮮の自由取材を許されるが、じつは国際的謀略だった---という、ドキュメント風のフィクションである。
Morris.は落合作品はほとんど読まないのだが、本書はタイトルに惹かれて借りてしまった。だが、後から思うと、これは、テリー伊藤の「お笑い北朝鮮」の副題と同じだな(^^;)
TV局のプロデューサ沢田が主人公で、彼は北朝鮮についてもかなり詳しく、金日成の出自や収容所の実情などについて突っ込んだ取材をするし、拉致被害者5人とのインタビューにも成功する。しかし、どうもこの取材全体に疑問を持ちつづける。帰国して放映直前に中国に潜んでいる金正日と相思相愛だった「喜び組」の女性との接触で恐ろしい秘密を手に入れるが、TV局社長はその発表を許さない。主人公は怒ってTV局を辞めるが、裏でちゃっかりCIAと取引したりする。そこで北朝鮮のとんでもない真実?が明らかになるのだが、ネタバレになるので止めておく。
かなり雑なストーリーだし、主人公と北朝鮮幹部らとのやりとりも、不自然すぎる。つまりは小説ではないんだろうな。それでは何なのかというと擬似フィクションとでも言うしかないだろう。
2006/01/15(日)●ミーハー的応援●

9時起床。女子駅伝など見るとも無く見る。スタートで出遅れながら、最後は独走で連続優勝した京都は強い。そのあと卓球女子シングルス見る。もちろん愛ちゃん見たさで(^^;)ところが愛ちゃんは午前の準決勝で敗退してた(>_<) うーーん、ダブルスでも負けちゃったしシングルも駄目かあ。中国まで行って頑張りながらなかなか実績が出ない。マスコミもMorris.も愛ちゃんだけに注目してるから、他の選手も、愛ちゃん相手となるとかなり力入れるんだろう。でもこれでMorris.のようにチャンネル切ったり、換えたりした人多いと思う。決勝戦に進んだ二選手に恨みはないんだけどね。当人たちにすればいい迷惑かもしれない。そもそもNHKがこれを中継するのも愛ちゃん人気におもねってたんじゃないかと思う。視聴率はまるで違うだろうからね。そういえば、トリノ冬五輪人気で、女子フィギュア観戦付き1週間パック旅行のチケット(77万円!!)はあっという間に売り切れたそうな。これも美姫ちゃん人気のおかげだろう。Morris.みたいなミーハーがこういった風潮を煽ってるんだろうけど、スポーツを「道」として考える人からすると面白くないだろう。
夕方灘図書館に行く。
ファピョンさんから久し振りにメールが入る。正月は仕事で九州に行ってたらしい。

【アフリカの蹄】帚木蓬生 ★★★☆☆ アパルトヘイト南アフリカ共和国の黒人貧民地区で絶滅したはずの天然痘が発生。心臓移植の研修でこの国に来た日本人医師が、黒人差別に憤り、診療所の助けをする中で、国家的陰謀に巻き込まれながら、抵抗を試みるという、正義の物語なので、下手すると勧善懲悪の陳腐な物語になりそうなところを、医者である筆者の専門知識と、力量で読み応えのある作品に仕上げている。反体制運動家ニールの妹パメラと恋仲になり、それをバネとして行動する主人公が、あまりにかっこよく書かれていて、ちょっと鼻白むが、これはやっかみというべきだろう。

「この国の経済が傾いたって、黒人たちの生活はもうこれ以上傾くことはない。大不況になって本当に困るのは白人連中だ。ベンツに乗っていたのをBMW、BMWに乗っていたやつはオペルに格下げせざるを得なくなる。ぜいたくに慣れ切ってしまうと、生活水準を落とすのは地獄の苦しみさ。白人たちはパニックになるよ。だから、あんたが国に帰ったら、声を大にしてみんなに言ってくれ。この国と取引するのは、丸々太った白ブタ共に上等な餌をやるようなものだと。俺たち黒人たちのことは心配しなくていい。どうせ俺たちは白ブタの残飯しか食べさせられていない家畜だ。良い餌が悪い餌に変わったところで、俺たちは何ともない、とね。却って白ブタが倒れたほうがいいんだ。」

ニールが主人公に投げる台詞である。Morris.はついつい黒人側に立ってこの文を読むのだが、日本人は当然白人側だったんだろう。
おしまいあたりで、パメラが主人公が日本から持ってきた文庫本の中から印つけた詩の一節が引用されている。

いや、私は憎まない。山の頂きに透きとおる陽射しが満ちているのに、どうして憎むことができよう。

いや、私は苦しまない。緑の野原に風のような音楽が流れているのに、どうして苦しむことができよう。

いや、私は泣かない。豊かな川に群れなす魚が跳ねるのに、どうして泣くことができよう。


これを英訳しながら主人公が言う。
「これは朝鮮の詩人が書いたものさ。日本が朝鮮半島の人々を弾圧していた時代に異を唱え、獄に繋がれたときに書かれた詩なんだ。作者は拷問を受けて死に、詩が残った。」
突然朝鮮の詩人が出てきたので驚いた。たぶん尹東柱だと思うが、はっきりしない。後で調べとこう。
そういえば、帚木蓬生の出世作は「三たびの海峡」だったから、朝鮮への関心は深かったんだな。
本書はTVドラマ化もされたらしいから、それなりに注目されたらしい。Morris.は帚木蓬生の作品はたいてい読んでるつもりでいたのにこれは見落としだった。

【アフリカの瞳】帚木蓬生 ★★★☆☆ 「アフリカの蹄」と舞台を同じにして、その12年後の物語らしい。主人公は同じだが、南アフリカ共和国はアパルトヘイトを引っくり返していちおう黒人政権の国となっているが、不幸は終わっていない。本書のテーマはエイズである。主人公はあのままアフリカに根を下ろし、パメラと結婚、子供もいる。そして、利益優先で価格を下げない製薬会社や、ほとんど無効な薬を使いつづける政府のやり方に反対する主人公は妻子を誘拐されるなどの脅迫を受ける。それをはね返し、国際医学会議で詳細を暴露していく。
本書は2004年刊だが、巻末に同じ著者の作の宣伝があり、その中に「アフリカの蹄」が出ていたので、あわてて一緒に借りてきたのだった。
主人公をはじめ、同じ登場人物が多数出てくるし、前作で子供だったのがすっかり一人前になっていたり、主人公はやや老いを感じたりという時間差も丁寧に書き込んである。
しかし、何といってもほぼリアルタイムでのアフリカの危機的状況をわかりやすく紹介しながら、植民地支配の傷跡と、いわゆる文明国の「援助」の無効ぶりを叫ぶ部分は迫力があった。

つまり植民地主義は、アフリカ人に自らが消費しない物を生産させ、生産しない物を消費するような仕組みを築いた。だから、独立によって植民地政府を駆逐したあとには、自分たちが消費するパンツもマッチも鍋も製造できない、石器時代のような国ができてしまったのだ。
他方、ヨーロッパの列強国は、アフリカ大陸で土地の分捕り合戦を繰り広げた。その挙句、植民地政府の消滅後に残ったのは、国境で寸断されたもざいく状のアフリカだった。アフリカの半数の国で、人口は一千万人に達していない。国と国とを結ぶ交通網のインフラ整備はほとんどなされず、一国の首都から隣国の首都に行くのに、直接移動するより、飛行機でロンドンやパリを経由したほうが早いという笑えない現実がある。
こうしたアフリカの現状に対して、世界各国からさし伸べられる援助は、おしなべて無益なものが多い。使い道のない大がかりな農機具は、いったん壊れると修理不可能だ。北欧のある国が大きな製靴工場を作ってやったが、そもそも現地では西洋風の靴など必要としないので、意味をなさない。
加えて、援助が被援助国の文化経済を破壊する加害者にもなっている。好例が食糧援助だろう。豊かな国にとっては、余った食糧を貯蔵するのにも金がいる。それよりも手っ取り早く、アフリカの貧困国に食糧援助したほうが得策になる。しかし、そうやって先進国から放出された余剰食糧がどういう帰結をもたらすか。飢えた国の自前の食糧生産を妨げ、さらに飢えを強めて援助依存の悪循環を生むだけだ。つまり小麦の援助が、現地の小麦生産を困難にするだけでなく、もともとアフリカにあった伝統的な主食をどこかに追いやってしまう。
こうした皮肉な弊害は食糧だけにとどまらない。中古の衣料品が大量に援助物資としてはいってくると、もうその国の伝統的な手製の織物はたちまちたちゆかなくなり、消えるしかない。
やみくもの援助は、被援助国の国民の食い物から着る物まですべてを模様替えして、再びもとの奴隷の国につき落とす。そうした実情を真に理解している先進国がどこにあるだろうか。おそらく無理解のまま、善意の援助が節操なく続けられている。


本書の各章には短い詞章が付けられている。どうやら黒人の歌から採られたものらしく、物語にふくらみをもたらし、効果的である。

1.あなたへの信頼 それが 私たちを強くするのです
2.あなたは私たちを見つめる 月の光となって
3.山の頂きで 谷底で 私はあなたを称えるでしょう
4.鳥が木々の間を飛びまわる 夏に挨拶をしながら
5.溢れ出る私の涙 大河になって谷を下れ
6.私は燃える 逃げ場もなく燃え尽きる
7.私たちの家はここにない 星のように遠い所にある
8.高い塀の向こうに肥沃な土地がある 汲めども尽きぬ井戸と かぐわしい花畑
9.そこに私たちはもう帰らない 父祖が死んだ土地だから
10.私たちに大地を 時を 石を 風を語って下さい
11.この静寂(しじま)のなかで 私たちは今こそ歌うべきだ
12.鳥も 兎も 風さえも どこに行くのか知っている しかし私たちはどこに行けばいいのか
13.聞かせて下さい あなたの声を
14.違うと言おう 違うと NOこそ私たちの言葉
15.死の谷を歩く 私は怖くない あなたがともにいるから
16.私たちは歩く 道の先にあなたが見えます
17.強く歌うには友がいる ひとりで歌う声はあなたに届かない
18.私たちには夢がある 私たちの眼を開かせ 世界を見つめさせる夢が
19.ともに種をまき 刈り入れよう 私たちの汗と血は未来に向かって流れる

こうやって並べるとそのままで見事な抵抗詩になっている。
そして主人公の若い仲間たちが新しい社会への希望を託して作った劇の終わりにおかれた歌は、本書のタイトルともなっているようだ。

アフリカには瞳がある
大きなどこまでも深い瞳だ
瞳はもう涙を流さない
涙は何年も前に涸れてしまった
涙の無い瞳でアフリカは見つめる
大地の緑を 大空の先を
人類の未来を

本書はいちおうのハッピーエンドだが、これからのアフリカのきびしい未来を確信させる終わり方でもある。帚木蓬生のヒューマニズムというか、真摯で善意に満ちた正義感みたいなものは、ともすれば教条的に陥り、彼の作品の厚味を損う原因にもなるのだが、とにかくこれだけの形として呈示されると、Morris.らしくもなく、頭が下がってしまう。
前作の末尾にあった「本作品に登場する、国家、人物、機関などはすべてフィクションです」という断り書きが、本書には省かれているのが、時代の移り変わりを伺わせる。

2006/01/14(土)●はらっぱ餅つき●

朝から雨。
社長に電話して、西宮のはらっぱ保育所まで一緒に行く。ここは毎年この時期にバザーや餅つきやってて、春待ちファミリーBANDがボランティアで野外演奏しているのだが、今回はメンバーの都合が悪くて、社長とみっちゃんの二人だけ。雨のため室内での演奏になったが、これがかえって良かったかもしれない。50人以上の子供たちと保護者がすしづめ状態でのりのり、社長は例によって買い物ビニール袋のキティちゃんや、瓶を使った芸で沸かしたあと、お祭り、ぞうさん、ピクニックなど子供と楽しむナンバーで盛り上がった。社長は一昨年くらいから神戸と淡路島のほとんどの保育所を一人で回ってるので、子供のつかみはばっちりである。
Morris.もことし始めてのつき立て餅の雑煮などいただいてよい気持ち。社長はその後淡路に直行らしい。
夜NHKのどじまんの裏話みたいな番組があった。毎年やってるのでこれまでにも何度か見たことがある。それなりに面白いのだが、あまりにもワンパタンでもある。韓国ノレチャランとは類似点もあるが、いちばんの違いは、出場者のサービス精神であると思う(^o^) Making of TOKYO Nore-Charangなんて番組作ってもらいたいものである。


はらっぱ餅つき

子供たちは真剣

二人でも大丈夫
2006/01/13(金)●内田樹マラソン●

10時起床。
今年最初のKBSノレチャランはソウル中区篇だった。ソウルの回は結構水準高いと期待したのだがそれほど面白くなかったが、最後にわれらがキヘヨンがチャイナスタイル衣装で新曲「オッチャナ」を歌った。ノレチャランのとりを取るのがすっかり似合う感じである。
午後は先日灘図書館で借りてきた内田樹の本読む。面白い。わかりやすい。読み終わって、もう一冊にかかる。さらにもう一冊と、何と一日三冊も読んでしまった。同じ著者のものを3冊も続けて読むのは珍しいが、それだけ面白かった、ともいえるし、引き込まれたわけだが、詳細は読書控えにゆずろう。

【「おじさん」的思考】内田樹 ★★★☆☆ 先日の日記でも書いたが「内田樹の研究室」というサイトを稲田さんに紹介してもらい、時々覗いていたのだが、灘図書館に行ったら3冊あったので借りてきた。本書は2002年4月版でそのうちでは一番古い。先のサイトのコラムにそのままアップしているものもあった。とりあえずディスプレイで読むのは疲れるから、これはこれで助かる。
著者は50年生れで現在神戸女学院大学の教授らしい。選考はフランス現代思想。レヴィナスという哲学者に入れ込んでいるとのことだが、コラムめいた短文の中にやたらMorris.には刺激的なフレーズが頻出する。引用の仕方が実に上手かったりする。

「武は不祥の器也」。これは老子の言葉である。
武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されている」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。(「護憲派」とは違う憲法擁護論)


これは、刑法199条殺人罪を引き合いにして、「人を殺してよい」条件規定していないところに着目して、憲法九条で「戦争をしてよい」条件を確定すべきでないと、しごくまっとうな意見を述べている。このあたりが、なんかうまいと思ってしまった。

それでもなお努めて私の嫌悪感のよってきたるところについて語るならば、それは、性的サービスを商品として売り買いすることが「お金の稼ぎ方」として本来的ではないと心のどこかで思っているからである。
本来「お金を稼ぐ」というのは、ある種のスキルを身につけ、その行使をつうじて、「顧客のレスペクト」と「適切な対価」を得るということである、と私は考えている。
人間的ファクターが充実している労働環境にいれば(「フレンドリーなクライアント」「公正な勤務考課のできる上梓」「有能な同僚」などなど)、私たちはかなり過酷な労働でも、相当の薄給でも、それを楽しむことができる。(だって、職場に行くのが楽しいんだから)
ふつうのひとはそのような「楽しい労働環境」を求めて、努力をする。
性的商品は、成り立ち方がその逆である。(売買春と自尊心の問題)

売春行為がスキルを必要とせず、レスペクトの反対の行為であるという。これもMorris.は共感をおぼえる。

私がインターネットであれこれと持説を論じたり、私生活について書いたりしているのを不思議に思ってか、「先生、あんなに自分のことをさらけだして、いいんですか?」とたずねた学生さんがいた。
あのね、私のホームページで「私」と言っているのは「ホームページ上の内田樹」なの。あれは私がつくった「キャラ」である。
あそこで私が「……した」と書いているのは、私が本当にしたことの何万分の一かを選択し、配列し直し、さまざまな嘘やほらをまじえてつくった「お話」なのである。
「私」はと語っている「私」は私の「多重人格のひとつ」にすぎない。(「私」は私の多重人格のひとつにすぎない)


上手い逃げ方だ。自己韜晦かもね(^^;)

人は幸福に生きるべきだ、と人は言う。私もそう思う。でも、たぶん「幸福」の定義が少し違う。そのつどつねいに「死に臨んで悔いがない」状態、それを私は「幸福」と呼びたいと思う。幸福な人とは、快楽とは「いつか終わる」ものだということを知っていて、だからこそ、「終わり」までのすべての瞬間をていねいに生きる人のことである、そう私は思う。だから「終わりですよ」と言われたら、「あ。そうですか。はいはい」というふうに気楽なリアクションができるのが「幸福な人」である。「終わり」を告げられてもじたばたと「やだやだ、もっと生きて、もっと快楽を窮め尽くしたい」と騒ぎ立てる人は、そのあと長く生き続けても、結局あまり幸福になることのできない人だと思う。
幸福な人は、自分が幸福なだけでなく、他人を幸福にする。だから、私はみんなに幸福になって欲しいと思う(なんだか武者小路実篤みたいになってしまった)。(「お先にどうぞ」という倫理的生き方)


間違いではないと思うのだが、ここまで悟ったようなことを、しらっと書くのは難しい。まあ、当人も「オメデタキ人」を持ち出して逃げは打ってるようだ。

明治が起業期で、昭和のはじめに世間知らずのまま夜郎自大的に事業を拡張、中年で倒産して路頭に迷い、一念発起でニッチビジネスを
で再起を果たし。いつのまにやら大金持ち。それを無意味に蕩尽し果てて、無一物の晩年、というのが近代日本の「人生」である。(老人国にむけてのロールモデル)


仰せのとおりの「日本庭国盛衰死」。

必要なのは「知識」ではなく「知性」である。
「知性」というのは、簡単に言えば「マッピング」する能力である。
「自分が何を知らないのか」を言うことができ、必要なデータとスキルが「どこにいって、どのような手順をふめば手に入るか」を知っている、というのが「知性」のはたらきである。
学校というのは、本来それだけを教えるべきなのである。(学校で学ぶべきただひとつのこと)


これは似たようなことをこれまで何度も聞いてきたような気がする。何度聞いても耳が痛むのはどうしてだろう。

子どもというのは(教育学者が夢見がちに語るような)「無垢な存在」ではない。
子どもの頭はみすぼらしい偏見と予断とトリヴィアルな知識であふれかえっており、子どもはそのゴミのような情報とスキルを命がけで守り抜こうとする。
ゴミ知識とゴミ・スキルを量的に拡大することを「学ぶこと」だと思っている限り、子どもは永遠に子どものままである。
「大人」というのは、「いろいろなことを知っていて、自分ひとりで、何でもできる」もののことではない。「自分がすでに知っていること、すでにできることには価値がなく、真に価値のあるものは外部から、他者から到来する」という「物語」を受け容れるもののことである。言い方を換えれば、「私は***ができる」とかたちで自己限定するのが「子ども」で、「私は***ができない」というかたちで自己限定するものが「大人」なのである。「大人」になるというのは、「私は大人ではない」という事実を直視するところから始まる。自分は外部から到来する知を媒介にしてしか、自分を位置づけることができないという不能の覚知を持つことから始まる。(「大人」になること−−漱石の場合)


これもMorris.には兎の逆立的(耳が痛い)言辞である。でも、とっくに「大人」になることは放棄している。

恋愛から悲劇が生れたのではなく、悲劇から恋愛が生れたのである。
人間は大事なことについては必ず原因と結果を逆にして記憶する。でも、それはしかたのないことだ。なぜなら「人間の欲望は[他者] の欲望」だからだ。(「大人」になること−−漱石の場合)


これはヘーゲルの受け売りであるらしいが、何か「詩」を感じてしまった。

【子どもは判ってくれない】内田樹 ★★★☆ 2003年10月刊。やはりこれもホームページからの再録が中心らしい。

「現在の実年齢」に8分の5を乗ずると、漱石や鴎外の時代の「精神年齢」が得られる、というのが私の計算式である。
その等式で計算すると、今の大学新入生は昔の十一歳。『たけくらべ』の美登利くらいの年である。なるほど。
かくいう私は、その計算式で言うと、三十二歳。『それから』の代助の年恰好である。なるほど、なるほど。(漢文がなくなる不幸)


ドッグイヤーではなくこういうのは、引き伸ばしイヤーとでも言うべきか。Morris.は人生五十年のつもりで生きてたから、こういった計算はしたくない。

私は自分のホームページに書いているものについては「コピーフリー」を宣言している。インターネット上に載った時点で、そのテクストはもはや私の所有を離れて、ある種の「公共性」の水準に帰属する、と考えているからである。(オリジナルとコピー)

これも、開き直りなんだろうね。彼の場合は私の所有を離れず、こうやって単行本になるわけだから。

論理的に思考できる人というのは、「手持ちのペーパーナイフは使えない」といういことが分ったあと、すぐに頭を切り替えて、手に入るすべての道具試してみることのできる人である。金ダワシでウロコを剥ぎ落とし、柳刃で身を削ぎ、とげ抜きで小骨を取り出し骨に当たって刃が通らなければ、カナヅチで出刃をぶん殴るような大業を繰り出すことさえ厭わないような、「縦横無尽、融通無碍」な道具の使い方ができる人を「論理的な人」というのである。
よく「論理的な人」を「理屈っぽい人」と勘違いすることがあるが、「理屈っぽい人」と「論理的な人」とはまったく違う。
「理屈っぽい人」は一つの包丁で全部料理をすませようとする人のことである。
「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のことである(レヴィ・ストロースはこれを「ブリコラージュ」と称した。(論理的な人と理屈っぽい人)


これもMorris.への直接的指導と受け止めよう(^^;)

書評においては、「その本の蔵しているいちばん豊かな可能性にピンポイントする」というのが私のポリシーである。
誤解している人が多いようだが、けなすのは簡単で、ほめるのはむずかしい。−−ほめるときには対象への適切な理解(と少なくとも書き手自身に承認されること)が必要である。(ヨイショと雅量)


なるべくこれからそうしよう。

「リストラ」というのは「替えの利く社員」を切り捨て、「替えの利かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人の担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば、逡巡なく捨てられる。
人間の市場価値は、この世に同じことのできる人間がn人いれば、n分の1になる。そういうものなのである。
だから、人間的な経緯というのは、「この人以外の誰もこの人が担っている社会的機能を代わって担うことができない」という大体不能性の相互承認の上にしか成り立たない。
だが、競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。
そのような社会で、個の多様性や一人びとりの「かけがえのなさ」への経緯がどうやって根づくだろうか。(ネオコンと愛国心)

「かけがえのない」ということばは、胡散臭いことでもある。

【街場のアメリカ論】内田樹 ★★★☆☆☆ 2005年10月刊だからかなり最近の作である。これは、ホームページでなく、大学での講座11回分をテープ起ししたものをもとに仕上げたもの、というので、期待しないで読んだのだが、いやいや、なかなかで、今日読んだ3冊の中ではこれがいちばん興味深かった。初めに専門外のアメリカを論じるから気が楽だし、素人だから無知は承知の上などと煙幕をはりつつ、アメリカの国家成立時から、思考方式、その異常さなどを、実に新鮮な視線から打ち据えている。
まえがきで、明治以降近代日本150年のアイデンティティが「アメリカにとってどういう国か」に取り憑かれ、アメリカを欲望してきたという仮説から、憲法九条と自衛隊のねじれた構造こそ、アメリカの呪いだというところからして、実に興味深い。

「親米は反米、反米は親米」。『マクベス』の魔女のように、アメリカは日本人が決してアメリカに対して「すっきり」した関係を取り結ぶことができないような呪いをかけたのである。(まえがき)

救いようのない結論というのがあるが、これはかなり強固なジレンマということだな。

どこの国でも、「食品」にかかわる運動は強い政治性を帯電します。「自然食」運動は例外なしに反近代、反都市、反資本主義、反市場主義的なメンタリティを惹きつけ、ある種の「大地信仰」にむすびつきます。その土地に生きる人間は、その土地で生育された固有の食物を、固有のレシピで食べるべきである。なぜなら、その土地に生きる人間が必要とするすべてのものは、その土地の自然な食物のうちに含まれているから……というものです。
これは使い方次第ではかなり危険な思想だとおもいます。(ファーストフード)


反射的にMorris.の十八番「シントブリ--身土不二」を思い出した。やばいかな(^^;)

アメリカのような国はアメリカ以前には存在しなかった。
アメリカは自分で自分を作り上げた。それと同じように、アメリカ合衆国は自分で自分を作り上げた国なのです。
このアメリカの「起源における完成」という異常事態についてはこれまで多くの賢者たちが洞察に富んだ答えを提供しています。
アメリカの統治システムは「ベネフィットを増やす」ことよりも「リスクをヘッジする」ことの方を優先しているわけです。人間をどう賢明で有徳に育てるかよりも人間の愚かしさがもたらす現実の災厄をどうやって最小化するかを気遣っているわけで。ここには成熟したというよりはむしろ老成した人間理解が感じられます。
それも当然で、アメリカの建国の父たちは、「アメリカが今よりよい国になる」ための制度を整備するより、「アメリカが今より悪い国にならない」ための制度を整備することに腐心したからです。だって、アメリカは理想の国をすでに達成した状態からスタートしたんですから。それ以後、その理想国家をどう「よく改善するか」ということは問題になりません。(アメリカの統治システム)

呪われた国家の誕生と発展というわけだね。

アメリカがナショナルアイデンティティを強化するという政略上の必要から、数少ない戦闘経験を過剰に物語化したこと、そのせいで戦争に対するアレルギーが押さえ込まれたこと、これは前提としてふまえておくべきでしょう。
アメリカ人が最多の戦死者を見たのは南北戦争、つまりアメリカ人同士の殺し合いにおいてです。このときの死者が62万人(ただし80%が病死)。第一次世界大戦のアメリカの死者は5万3千563人ですが、全世界での戦死者は千三百万人と言われています。第二次世界大戦のアメリカの戦死者は29万人、全世界の戦死者は測定不能ですが、7千万人ぐらいと言われています。
そうやってみると、アメリカは戦争はたくさんしているけれど、戦死者数が相対的には少ない国だということがわかります。第二次世界大戦における日本の戦死者は3百万人ですから、アメリカの十倍ということになります。
戦死者比では圧倒的にアメリカが少ないにもかかわらず、アメリカ人が第二次世界大戦について強い被害者意識を持っているのは、たぶん[ホロコースト]で6百万人のユダヤ人が死んだことが関係していると思います。「6百万人の同胞が死んだ」という深い被害者意識を抱いたユダヤ人たちはアメリカのメディアで一貫して大きな影響力を持っていました。ですから、アメリカ人の実感としては第二次世界大戦でのアメリカの戦死者は実数よりはに多く記憶されていると思います。
真珠湾攻撃と東京大空襲はどちらも空襲による一日の出来事です。ふつうのアメリカ市民に被害の規模について訊ねてみたら、たぶん同数かアメリカの被害の方が多いのでは、という答えが返ってくるでしょう。実際には真珠湾の死者は3千人、東京大空襲は被災者百万人、死者十万人です。
真珠湾攻撃を除けば、アメリカ領土への攻撃はなかったわけですから、太平洋戦争でアメリカの非戦闘員にはほとんど死者がいません。にもかかわらず(というのも変ですけれど)アメリカの戦況がほぼ確定した戦争末期に、なお原爆投下に踏み切ったのはアメリカ将兵の戦死者をこれ以上増やすことにアメリカの世論から強い不満があったからだと言われています。そして、二発の原爆で、太平洋戦争でのアメリカの全戦死者数より多い三十万人の日本人(そのほとんどは非戦闘員です)が殺されました。
このあたりの「計算の狂い」方がアメリカの戦争観の際だった特徴のような気がします。どの国も自分の受けた被害は過大評価し、他人に与えた被害は過小評価するものですが、アメリカはどうもその程度が尋常ではない。そこにはおそらく戦争によって生身の非戦闘員が殺傷され、都市が焼尽し、文明が壊滅するというリアルな事実を自分自身の国土の中では一度も経験したことがないという歴史的事実が関与しているようにおもわれます。(戦争経験の話)


内田は自称「ネオソフトナショナリスト」らしい。こういった戦争犠牲者を、数量化して呈示するやり方は、あまり「ネオ」とも「ソフト」とも思えない。Morris.はこの数字覚えていつか使おうと思って、引用しておいた。そういえば今日「ネオソフトマーガリン」買ってきた。

日本の弁護士の数は約2万人、アメリカはその50倍、百万人の弁護士がいます。訴訟件数は日本がおよそ年間42万件で、アメリカが千8百万件。弁護士の数が50倍で訴訟の数が約40倍だから、両者の数はほぼ正比例しているわけです。
でも、大きな違いがあります。判決率がアメリカではわずか3%で、日本は30%という点。つまり、アメリカでは97%の事件は実際に裁判所まで行かないでその前の段階で、和解や略式判決で終わります。

数字で比べるとわかりやすい。
とりあえず、内田本を3冊読んで。Morris.個人として、内田は、頭が良い。着眼点が面白い。発見がある。といったプラス評価と、ずるい。エリート意識。逃げが多い。といったマイナス評価が拮抗してる感じだった。ともかく面白かったのだから文句はない。

2006/01/12(木)●日和見スト●

今年初めての仕事(^^;)矢谷君ら4人で高槻から、堺と西宮に保管荷物配達の現場。堺も西宮も道が狭く、トラックが通りにくくて難儀した。
朝、現場に向かうトラックのラジオで英語一口メモみたいなコーナーで、Fence sitterを「日和見主義者」というのを紹介していた。sit on fenceで「日和見する、洞ヶ峠を決め込む」という意味になるらしい.Morris.はちょっと驚いてしまった。反射的にRolling Stonesのアルバム「Flowers」に収められている「Sittin' On A Fence」のことを思い出したからだった。結構この歌は好きで高校時代に口ずさんだりしてただけに、そんな意味があるなんて、えーーっ(@ @)である。しかし、考えてみればあの頃は(今も)英語の歌の歌詞なんてほとんど考えずに聞いたり歌ったりしてるもんな。

Since I was young, I've been verry hard to please,
And I don't know wrong from right,
But there is one thing I could never understand,
Some of the sick things that a girl does to a man,
So, I'm just sittin' on a fence ,you can say I got no sence,
Tryin' to make up my mind, realy is too hard a bind,
So I'm sittin' on a fence----(from"Sittin' On A Fence"by Mick Jagger& Keith Richard)


随分長いことMorris.は「僕は塀に座って」と思ってたわけだ。
倉庫到着は6時過ぎで、バスで三宮に出て、阪急で六甲に出て、センターの朝鮮語講座。講座も実に7週間ぶりである。今日は受講者4人しかいない(^^;) 教材もこれまでのニュースのシャド
ウイングではなく、韓国語ジャーナルの中の映画のワンシーンの台詞のやり取りだった。しかし先生との会話でも一向に理解ができない.英語にしろ韓国語にしろ、学んでる時間だけは長いのに身についたものの貧しさにはちょっとげんなりしてしまった。
島田和夫部屋今年最初の更新。年末に島田さんがMorris.宛てに送ったというスケジュールが届いてなかったようだ。

2006/01/11(水)●灘図書館のレイアウト●

9時起床。
昨晩録画しておいた韓国映画「ヨンプンヨンガ--恋風恋歌」を見る。タイトルから明治の大衆小説「魔風恋風」を思い出したがもちろん全く無関係である。映画の方はチャンドンゴンとコソヨンの単純な恋愛映画でMorris.は嫌いではないし、舞台が済州島、ヒロインが観光バスガイドということもあって、済州島観光案内映画みたいな気分で見終わった。お終いあたりのしつこいすれ違い連続はちょっと×。
韓流ブームで韓国ドラマや韓国映画の日本TVでの放映が多くなったことは嬉しいのだが、最近の放映では日本語吹き替えが多くなってるようで、これはMorris.には最悪である。できれば字幕、あるいは二ヶ国語放送にして貰いたいものだ。単に語学学習に寄与するからという理由でなく、作品自体を壊してしまうケースが多いからだ。本気で(というかマジメに)吹き替えで作品を生かそうとするなら、日本語訳、台詞がしっかりしてるのはもちろん、声優のかなりの練習が必要とされるはずだ。ひがめかもしれないが、どうもTV版はやっつけのものが多いような気がする。オリジナルの俳優とのイメージギャップ、声質の差が大きいことも多い。英語もそうだが、韓国語独特のいいまわしは再現不能だし、省略や適当なごまかしも多い。ような気がする。
午後から今年初めて灘図書館へ。しばらくテーブルで流し読みする。前から思っていたことだが、カウンター脇に置いてある検索用のPCの位置が返却台のすぐ横で、着席して検索する人と閲覧者が重なると通路が無くなってしまう。図書館のスペースが無くてというのなら理解できないこともないのだが、カウンタの前なんかあまり意味がないくらいだだっ広いスペースになっているのだから、どうにでもできそうだと思うのだが。こういうのは、直接図書館員に言うか、当初でもするべきなのだろうが、何となく言いそびれてしまう。個人の日記で書くことでは無いのかな(^^;) でも、ひょっとして図書館関係者の目に触れるという確率もゼロではないだろう。
以前、韓国旅行直前に中央図書館の本を返せなくなって、灘図書館に泣きついたところ、けんもほろろの対応を受けて、この日記でぶつくさ書いたことがあるが、去年から突然神戸市内の図書館の本ならどこの図書館にでも返却できるようになった。ということがある(といってもこれがMorris.の日記のおかげかどうかはわからない)ので、二匹目の泥鰌を駄目元で狙ってみたということにしておこう。


灘図書館、通路が塞がれた状態

カウンタ前の広々スペース

六甲道駅夕焼け

【古本道場】角田光代・岡崎武志 ★★★☆☆ 40代の古本達人に30代の女流作家が教えを請うという形式で、東京方面のナウい??古本屋を回り、そこで見つけた本や、古書店主、倉庫、古書市などの模様を紹介したりするもの。
最近、とんと古本屋、古本市などと縁遠くなりかけているMorris.だが、やはり親愛の情は無くしていないだけに、こういった本にはついつい目がいってしまう。
二人ともMorris.は未知の人だったが、角田は直木賞作家らしいし、岡崎は神保町ライターのニックネームを持つ古書関連のライターとのこと。本書をみるかぎりでは二人ともなかなか良い感じで、それぞれの他の著書も読んで見たくなった。
岡崎には「均一小僧」のあだ名もあるくらいで、百円均一棚から掘り出すのも好きらしい。このi一点においてだけMorris.と同じである。
神保町に始まり、代官山、渋谷、東京駅(地下街の八重洲古書館は要チェック)、銀座、早稲田、青山、田園調布、西荻窪、鎌倉と、ちょっと毛色の変わった地域やお洒落な地域もおりまぜながら、書き下ろしの神保町篇で終るという構成もすっきりして読みやすかった。
実は本書は発行社ポブラ社のウエブマガジンに連載されたもの。ネットと出版の融合もいろんなカタチで進んでいるようだな。
角田は早稲田出身らしいが学生時代を含めてあまり古本屋との付き合いは深くないらしく、ときどきえらくウブい言動があるが、性格というか感性が素直で実にすんなりと古本世界に溶け込み楽しんでいるところ(演出かもしれないが)に好感を覚えた。彼女が本書の中で購入した古本のなかからMorris.の印象に残ったもののタイトルと作者のみを挙げておく。

「女経」村松梢風
「ベトナム戦記」開高健
「ロング・グッドバイ」岸田理生
「ちいさいモモちゃん」松谷みよ子
「香具師の旅」田中小実昌
「四百字のデッサン」野美山暁治
「風浪の旅」檀一雄
「物語ソウル」中上健次・荒木経惟
「みほとけとの対話」岡部伊都子・五味義臣
「ことばの食卓」武田百合子・野中ユリ
「手しおにかけた私の料理」辰巳浜子
「巣鴨プリズン13号鉄扉」上坂冬子


角田のあとがきにある「本というものが、ただの消費物でない」という言葉をかみしめたくなった。

【呪の思想 神と人の間】白川静+梅原猛 ★★★☆ 二人の3回にわたる対談集である。いちおう梅原が白川に教えを請うということだったが、それでちょうど良かったのだろう。
1回目は二人の立命館大学での出会い、思い出、高橋和巳、漢字の話。2回目は孔子。3回目は「詩経」に篭められた「興」の精神。
Morris.は二人の著作の良い読者ではない。ただ白川の字書「字統」十数年にわたる枕頭の書(実際にベッドの枕もとに置いてある)で、ちょくちょく読ませてもらっている。漢字の起源である甲骨、金文の研究を基に、中国の研究を跳び越える業績を達成したとんでもない学者というイメージが強い。
梅原は何となく眉唾モノ、きわものという偏見を持っていて、今回の対談を読んでもその印象は拭えなかったが、面白そうなヒトであるとは前からの思いを強くした。
内容としては2回目の孔子が一番面白かった。白川は70年の学生運動の時期に「孔子伝」を著わしていて、その内容の革新的なことを強調されていたが、Morris.は読んでもいないのに、えらく耳馴染みのある気がしたのだが、ああ、これは酒見賢一の金字塔的傑作長編「陋巷に在り」の世界だということに思い当たった。そういえば、酒見は作品各巻に漢字一字のタイトルをつけ、冒頭にその漢字の解説を白川の字書から引用していた。Morris.は知らず知らずに、酒見を通して白川の孔子像を享受していたらしい。これは種明かしではなく、。呪や巫や礼や媚や儒など、お馴染みの漢字の世界で、しっかり通底していた、研究者と小説家の幸せな出会い、そして読者にとっても僥倖となったのに違いない。
対談としては、やはり梅原のややエキセントリックさが、白川の足を引っ張ってる感がするし、ちょくちょく対談にも口を挟む平凡社の編集子(たぶんあとがきを書いてる西川照子)の口ぶりが、邪魔な気もした。ところどころ挿入されている写真とそれに付随するコピーみたいな文の舌ったらずさも目障りだった。古漢字の図や古代中国の地図は別として、本書は活字のみの本にして欲しかった。
ところで白川発言中で(119p)に「手をこまねいて」という表記が出て、驚いてしまった。Morris.がことあるごとに文句つけてる「こまねく」だが、まさか専門家の白川がこんな間違いするわけなかろうし、対談だから記録ミスか校正ミスだろうと思った。でも念のため「字統」の「拱」の部をみたら、しっかり「こまねく」と訓読みしてあった(>_<) 確信犯だったらしい。最近は巷間の国語辞典でも「こまぬく、こまねく」両方を載せてるものが多いことからしても、いわゆる緩用訓みになってしまってるのだろう。しかし、白川には「こまぬく」を使って欲しいぞ。

2006/01/10(火)●今宮戎初詣●

9時起床。朝風呂。
2006年のおみくじKBSアーカイブで今年最初の開かれた音楽会見る。今回はカバー特集だったが、どうもいまいちMorris.向きでない。コヨーテが、ヘウニの「ヨルジョン−−熱情」とソウルファミリーの「イジェヌン−−今は」をカバーしたのはなかなか良かった。
今日は十日戎である。
Morris.はずっと初詣はこれに決めている。たいてい近場の西宮戎に行くのだが、今年はひさしぶりに大阪の今宮戎まで足を延ばすことにした。昨日、ますみちゃんからのメールで娘が福娘のバイトすると言ってたので、今宮の福娘でも拝みに行く気になったのだ。
JR環状線、新今宮で降りて新世界の方から回る。そういえば長いこと新世界行ってなかった。ジャンジャン横丁の店舗は軒並み改装したみたいに綺麗になってるし、戎さんの客が流れてるのか行列のできる店も多かった。通天閣は相変わらず(あたりまえ)だった。
参道は屋台で道幅半分くらいになってるが、いちおう平日の午後だからまだ人出はそれほどでなく、ちょうど良かった。途中にロボットファイティングの若者二人連れや、おっちゃんのマリオネット(ハッピ姿)などもいた。
それでも境内はそこそこ満員状態で、お目当ての福娘の前は笹持った参詣客でごった返しして、なかなかデジカメチャンスがない。まあ雰囲気だけ楽しめばそれで良いということにしておきたい。
Morris.は笹や飾りなど買う習慣は無く、御参りとおみくじだけの神社にとってはスカ客だが、Morris.なりの儀式だから悪く思わないで欲しい。
そして今年のおみくじ。「23番吉」だった。
「ともすれば 雲にかくれつあらはれつ ふじのみ山ぞ けふもたえせぬ---いろいろのわる雲が出ておおいなやますこともあるけれども かならず身をうごかしてはいけない。うごかさなければ大変よい。」
とある。うーーーむ。今年は本気で引越考えなければと思っていたのだが、これだけはっきり止められると、弱ってしまう。「〇住居 変るな」って書いてあるもんなあ(^^;)
参道の屋台など冷かして日本橋電器街に出て、DVDのディスクなど買い、また新開地経由で6時過ぎに帰宅。
島田さんからメールで、今年のスケジュールが更新されてないがどうなってるのか?とのこと。どうしたんだろう。年賀状以外は来てなかったと思うのだが。いちおう賀状など見直したが、島田さんからのスケジュール原稿は見当たらない。とりあえず再送して貰うことにした。島田さんファンの皆さん、すみません。もうしばらくお待ちくださいM(__)m


なにはなくとも通天閣

祭りのマリオネット

ロボットvs.獅子舞

戎神社参道沿いの町工場

空いてるほうだろう

大きな和傘の前が本殿

こちらは巫女さんぽい

客と笹が多すぎて近寄れない

こちらは高校アルバイトだろう

いまみや福娘会?会員なのか

年賀状のデザインみたい(^^;)

こうなると笹が憎い

【失踪日記】吾妻ひでお ★★★☆ 美少女マンガ家として?カルトな人気を持つ著者の身体を張ったというか、実際に失踪してホームレスやったり、配管工になったり、重度のアル中になり入院生活した話などをマンガに描いたものである。これも稲田さん経由。
Morris.はそれほど吾妻の作品は読んでないし、キャラも特に美少女とは思わない(嫌いじゃない(^^;))のだが、結構根強いファンがいるらしいし、SF作品は星新一がベスト5に選んだこともあるらしいから、なかなかの曲者らしい。Morris.も本書のマンガは読まされてしまった。かなりヘビーな体験をマンガ作品にするというのはかなりのテクニックがいるはずだ。
こうやって自分の非日常体験を漫画にするというと、すぐに花輪和一の「刑務所の中」を連想するが、吾妻はちょうど花輪と逆のベクトルで作品を仕上げてる感じがする。
当人が冒頭で「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています。 リアルだと描くの辛いし 暗くなるからね」と宣言して、有言実行している。花輪の場合は、リアリズムに徹しているもんな。それで暗くならないところがまたすごいけど(^^;)
吾妻は1950年北海道生れ。ほとんどMorris.と同世代だね。最初に師事した漫画家が板井れんたろうというのも懐かしい。
89年に最初の失踪して、92年に二度目の失踪、そして97年のアル中強制入院だから10年近い期間にわたり、その間に創作は続いているのだから、確かに漫画家という商売も因業なのだろう。秋田書店のチャンピオンで連載始めて仕事と編集者に追い詰められる漫画家のことは仄聞してるが、先日読んだアイドルインタビュ0を思い出してしまった。
巻末にとりみきとの対談があり、これがなかなか読ませるし、カバーの裏側にある「裏失踪日記」というインタビューもファンにとってはたまらないものだろう。

とり 描かれている内容は十分悲惨なのに、あんまりそういうふうに見えない。その微妙な距離の取り方が、読んでいてすごく面白くて。すごいぶっちゃけた話をしますと、往年のガロ系の漫画家の方で、一回[向こう側]に行って戻ってきた方々が、やはり何人かいらっしゃいますけど、そういう方々の作品って……やっぱりどこか、まだちょっとおかしいじゃないですか(笑)。またそれが面白さになってはいるんですけれど。吾妻さんの漫画は、視点が昔と変わらずクールなんですよね。そこは相変わらずというか、コントロールされてる感じ。自分を冷静に、ギャグの対象として見ている感じがあって。
吾妻 自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね。
とり 失踪してる最中も、そういうふうに客観的に見られてました?
吾妻 いやぁ、そんな考えるどころじゃなかった。(笑)。寒さとかはね、ほんとに死ぬかと思った(笑)。一週間眠れいないんだから。……失踪から帰ってきてから、これをネタにしようかなぁと思って、「寒くて死にそうだった」とかノートに書き出してたんだ。で翌朝見たら、そこに奥さんが「…こっちはもっと悲惨でした」って書き足してあった。
(一同爆笑)
吾妻 そりゃ家庭はぐちゃぐちゃですよ。だからこの原稿描いて、仕上げを奥さんに頼むときもすごいドキドキするんです。能天気に描いてあるから、また怒られるんじゃないかと思って(笑)
とり あー(笑)。……でも逆に、そういうのをギャグにしちゃわないで、パンツの中まで見せて、ドロドロとした部分もさらけ出したほうが凄いとかいわれがちじゃないですか。評論家とか実作者でも。「作家たるもの」みたいなね。僕はそれ、絶対に違うと思うんです。それを一旦ギャグにして出すという、その辛さ、芸として見せることのほうがいかに大変なことかと思うんですけれど。
吾妻 悲惨な状況でも、どっか自分を笑ってるんでしょうね。


うふふ。最後の台詞はMorris.も座有銘としていただきたいくらいいい台詞だね。

「裏失踪日記」のギャグマンガ創作活動のおそろしさみたいな部分を。

物描きはみんなそうだと思うんですけど、自己模倣をやってることに気がつくと限りなく落ち込んでくるんです。特にギャグマンガは、前と同じことをやってもウケないから。だから逆にマンネリを恐れない[永遠のパターン]を持っている人は強いですよね。そのマンネリがたまらなく気持ちいいっている読者もいるから。でも常に新しいギャグを考えようとすると、だんだんと精神が病んでくる。描いてて「あ、これ前にも描いた」って思い出す。そうすると描けなくなっちゃう。でも締め切りは来るから、「あー、もうイヤだー」ってなる。僕もそうだと思うんですけど、基本的にマジメすぎると追い込まれるんですよ。だからほんとは土木工事をやったほうが精神的にはずっと楽なんですけど、人間関係がそれはそれで難しいんですよねイヤな奴ばっかりいるから(笑)。そういう意味では、マンガ家はひとりでできるからラクかなと思ったら、ラクじゃない。内にこもっちゃうから、だんだん追い詰められていく。

そうだよなあ。漫画家の中でもギャグマンが家の生命は短い気がする。たしかにずっと残ってるギャグマンが家はマンネリを武器にしてるし。しかし本書を読んで、Morris.も吾妻の他の作品を読みたくなった。まず狙うべきはやはり本書タイトルが本歌取りしてる「不条理日記」あたりかな。

【文明開化の写真師】 小平豊 ★★ タイトルを見てまず、連想するのは上野彦馬だろう。もう一人なら下岡蓮杖あたりだろうか。本書のサブタイトルには「片岡如松物語」という、未知の名前がある。この人は、下岡蓮杖の弟子である横山松三郎から、写真技術を学んだ栃木の写真師らしい。
評伝と思って読み始めたら、突然日光東照宮に大鳥圭介がなだれこんで、宮の事務官であった主人公とのやりとりが、まるで講談みたいで驚いた。途中からは評伝らしくなったりもするのだが、どうも文章と、話のつなぎがぎくしゃくして読みにくいことこの上ない。
途中で著者紹介を見たら、「栃木市生れで、本書の主人公写真師と二代目の写真撮影に生命をかける姿に深く感動し、本著を書く。」とある。そさらに「これまで、ハワイ王朝ロマンを描く」だと。よくわからん。発行所も栃木県だし、どうやらこれは、栃木ローカルものということはわかった。別にローカルが悪いというわけではないのだが、やたら、本筋と無関係な話が出てくるのには閉口させられる。
主人公が写真場をかまえた栃木ではなく、宇都宮がどうして栃木県の県庁所在地になったかという、経緯などを教えられたから、それなりに読んだ甲斐はあるのかな(^^;)
当時の湿板写真や乾板写真の数葉も、時代を写してるという以上の価値を認め得なかった。明治43年8月の大洪水を撮影しようと大病を押して被災地を写し、それがもとで早世した二代目武の行動もよく理解できなかったが、父である主人公の撮影した遺影(デスマスク)だけは、異常に美しかったのが印象に残っている。ヘンな本だった。

2006/01/09(月)●逼塞の日々●

8時起床。でも、ずっとベッドでごろごろ読書。BGMはhappyFM。11時からの「テジナショーショーショー」は久し振りにテジナ本人が登場。お正月休みだったのかと思ったら、何とテジナのお母さんが昨年暮れに亡くなって、それで昨日までアナウンサーにピンチヒッター頼んでたらしい。明るさが売り物の番組も今日は何となくしんみりした歌が多かったような気がする。
午後は野洲-鹿児島実業の高校サッカー優勝戦。これはすごく面白い試合だった。前半先制した野洲、後半追いついた鹿実、延長後半8分過ぎの野洲の決勝ゴールは絵に描いたような美しいパス展開でのゴール。滋賀県が初優勝というのもすごいが、本当に高校サッカーとは思えないパス回しに感心した。鹿実は連覇を狙いながら一歩及ばなかったが、フィジカルの強さと果敢な攻撃は見どころがあった。両校を称えたい。
午後4時25分からの関西TVの新番組「噂のポロリン!」(毎週月曜16:25〜16:54)に大西ユカリちゃんが司会として登場という情報を稲田さんからもらったのでこれも見る。ユカリちゃんとアイドルマニアのマー君もレギュラー出演。昭和ブームを当てこんでの懐かしのお菓子やら、ファッションを話題にして、おしまいにユカリちゃんと新世界の歌を一曲流すという、トーク番組だが、この微妙な時間帯と30分というのが中途半端だと思う。ユカリちゃんもTV初司会だけに、何とか話題になって欲しいとは思うものの、結構きびしいかもしれない。レコード大賞ではアルバム「昭和残唱」が企画賞に輝くなど順風満帆、芸能界でのステイタスはいちおう確立したと言えるだろう。
今日は成人の日で、各地で成人式が開かれ、益体もない騒ぎ起こしたりしてたようだが、いいかげんこの式は廃止すべきではなかろうか。それといつも思うことだが、成人の日は1月15日のままにしておいてもらいたいぞ。明日が十日戎、ということは今日が宵宮。成人の日と戎さんが重なるというのはしっくり来ないものがある。
ますみちゃんの娘は近くの戎神社で福娘のバイトするそうな。これはいい感じである。Morris.も今年は今宮戎まで足を延ばして福娘見物(^^;)でもしようかな。TVではどこかの成人式場で凧揚げしてた。成人の日と凧揚げは相性が良いとアシナガさんが書いてたが、きっとそれと関係があるのだろう。
最近、これまた稲田さんに教えてもらった「内田樹の研究室」サイトを良く覗いている。彼の著作はまだ1冊も読んでないが、彼のブログは読みでがある。掲示板でも引用したのだが、12月30日のブログ「亡国のイージスを見る」で、Beatlesの「All you need is love」を使ったラストのフレーズにしびれてからである。

「国を守る」ということを多くの人は「憎悪」や「怨恨」や「競争」といったネガティヴな感情に動機づけられたふるまいだと考えている。
現に国防の喫緊であることを語る論客はほとんどの場合「怒声」を挙げて自説を開陳する。
愛国心や国防について声高に語る日本人を私が信用しないのは、彼らの多くが戦略的思考を欠いているからであるが、理由はもう一つある。
ジョン・レノンは言った。
All you need is love
これを「愛こそはすべて」と訳した人がいるけれど、それは違う。
「君に欠けているのはね、愛だよ、愛」


それ以来、一日ごとくらいに覗いてるのだが、1月5日のブログで、橋本治の発言に言及して次の文章があった。

1948年生まれと1950年生まれのあいだには、ある種の世代論的落差があったのである。だが、いかなる落差であろうか?興味深い論件である。

橋本は48年生れで、内田は50年生まれらしい。もちろんこれに強く反応したのはMorris.が49年生れだからでもあるが、要は大学入学の時期が68年と70年では大きな意味の違いを持ってることを言いたかったらしい。その前後の論については、直接ブログを見てもらいたい。
しかし、インターネットはゴミの山であると言われながら、こういったゴミどころか市販の単行本の水準を凌駕するような内容のサイトがあることも事実である。内田は現在神戸女学院の先生やってるらしいし、著書も多く出してる他に合気道、剣道、居合の有段者、麻雀好きのようで、そのうえこんな充実したサイトまで展開してるのはすごい。

【素晴らしい自然を写す】竹内敏信 ★★★ 89年の発行というだけで、「35ミリ風景写真マニュアル」という副題無しでもデジカメ本じゃないことはわかるだろう。特に参考書という意味でなく、ただあまりに綺麗な写真が多かったので借りてきた。横長本で見開きの片面に1枚の写真、対面に解説やポイント、データなどが書かれている。50点ほどの写真(うち15点ほどは白黒)どれもが、「作家意識のある綺麗な写真」だった。

掲載の作品はすべて、ノートリミング、フルフレームである。35ミリ判の撮影は厳密なフレーミングが基本。従って後からトリミングするような撮影姿勢では、作品そのものが甘くなる。

と、あとがきにある。これはMorris.ももろ手を上げて賛成である。デジカメだって同じだと思う。ところで、Morris.のいまどき200万画素の愛機がどうも年末あたりから問題発生だ。2年足らずで4台壊れた(した??)前科を持つ機種だけに、次回は機種変更すべきなんだろうな。悩むところである。

【元アイドル!】古田豪 ★★★ 「アクションカメラ」「Chuッ スペシャル」に連載された22本のインタビューを並べたもので、著者の肩書きには「女の話をじっくり聞きだす」とある。

杉浦幸/矢部美穂/いとうまい子/細川ふみえ/大沢逸美/安原麗子/吉井怜/生稲晃子/新田恵利/岩井小百合/伊藤つかさ/中村真由/大西結花/我妻佳代/胡桃沢ひろこ/宍戸留美/嘉門洋子/藤岡麻美/八木小織/緒方かな子/花島優子/杉田かおる

Morris.は結構アイドル好きな方と思ってたのだが、以上の半分は名前も知らないし、好きだった娘はゼロに近い。おニャン子クラブ、少女隊、乙女塾とかグループの一員だったり、ミスマガジンなどでデビューした子などで、まあ、Morris.の好きだった頃のアイドルよりはかなり若い世代が中心なんだろう。
それはともかく、アイドルというのは、なりたい子は星の数ほどいて、何とかデビューできても生き残りは熾烈な争いの上、給料は驚くくらい少なくて、衣装も何もかも自前で、売れ出したら商売でこき使われ、人気が落ちたらヌード写真集だされて、お払い箱なんてケースが多いんだろうな、と思ったが、たしかにその通りで、半数くらいはそれに心身の病気に襲われるわ、男には騙されるわというケースも多い。それでもアイドルになれた子というのは、それなりのオーラがあるし、それらの逆境をバネに、力強く生き延びてたりもするし、何か説明できない魅力があるんだろうな。

2006/01/08(日)●祭りの後の●

11時矢谷君の畳部屋で起床。あーあ、やっぱり潰れてたか。
ごそごそと起きだしてこっそり帰宅。正午過ぎてる。
風呂に入って、2時から高校ラグビー見るも早稲田のワンサイドゲームで、あっさり優勝。関東学院大学は同志社戦の突破力まるで見せ場なし、いいとこなしで、今年の早稲田は下馬表通りの強さである。社会人との決戦でもいい試合やってくれるのではないかと思う。
一昨日KBSから送られてきた2枚ぐみCDのことを「ノレ番Morris.8090」にアップ。
まだ酔いが冷めないでいる(>_<)

2006/01/07(土)●矢谷家新年会+祝賀会●

10時起床。朝風呂に入り、昼から高校サッカー準決勝2試合をTV観戦、鹿児島実業と野洲高が決勝進出を決めた。同じ時間帯に高校ラグビー決勝戦もやってたので、途中チャンネル変えて見るのに忙しかった。ラグビーは伏見工業が優勝。
今夜は矢谷君宅で新年会兼なおちゃんの司法試験合格祝いの宴。
なおちゃん、福井君を始め、ヒアカムママや、由利さん、飯島ちゃん、吉口さん、飯島ちゃん、えりちゃん、青木夫妻、山口夫妻、伊藤君、竹中さんと総勢15名の大人数。
なおちゃんは、九州の田舎に戻って毎年勉強に専念、8年目にして難関の司法試験をパスして、できれば関西の事務所で仕事始めたいとのこと。えらいもんであるな(@ @) あらためて、なおちゃん、おめでとう\(^o^)/
九州の勇造さんに頼んで送ってもらった、地鶏と馬刺し、寿司やらタコやら、ピータンやら、お終いには水炊きまで出て、料理も豪華、酒も飲み放題で、盛り上がった。矢谷君らが田植えを手伝った和歌山の新米で造ったおにぎりも美味しかった。後半は懐かしのLPレコードかけまくりで、山口さんノリノリ。お約束通り、Morris.は飲み潰れ、気が付いたら矢谷宅お泊りになってた(@ @)矢谷君ありがとう&すんませんm(__)m
宴の模様はデジカメ画像に譲りたい(^^;)


新年+なおちゃんおめでとう、
乾杯!!

日向の生地鶏。これだけでも充分なくらい美味かった


そして熊本の馬刺し。
手前が極上肉、奥が上肉

馬刺しのタテガミ(上)と中肉

宴会点景その1

宴会点景その2

矢谷君らが田植えした新米でおにぎり

宴会点景その3

水炊き鍋まで

何故かピータンが

魅惑の?3ショット

恒例記念写真
2006/01/06(金)●KBSから賞品到着●

世間的にはすでに正月は終わった頃だと思う。Morris.的にはぐずぐずと部屋でごろごろごろ生活が続いている。
小倉の福田君から年賀状代りの読書控えが届く。Morris.の賀状へのカウンターみたいなもので、昨年読んだ本のタイトルと著者名が自筆で書かれている。読書冊数は108冊ということで、辛うじてMorris.の読んだ冊数が勝っている。たしか去年は彼の方が多かったと思うので、いずれにしろお互い読書量は減りつつあるんだろうな。地名や民俗学関連の本をよく読んでいるようだ。Morris.が読んだものは10冊ちょっとくらいかな。かなり傾向は違うと思うが、1割ダブってるというのはそこそこ多い方かもしれない。
午後に国際郵便小包が来る。韓国の郵パックみたいなダンボールの箱で「ウチェグクテクペ--郵逓局宅配」と書いてある。送り主はKBSで、昨年の韓国歌謡コンクール、ユニーク賞の賞品である。これまでの2回は年内に到着したので、ちょっと遅いなと心待ちにしていたのだ。箱を開けるとに2枚組のオムニバスCD「ヒャンギロウン チュオク--芳しい追憶」と、KBSのロゴ入り包装紙にくるまれた包みが入ってた。たぶんこちらが入賞賞品で、CDは応募者全員への記念品だと思う。これまでは腕時計や匙箸セットなどだったが今回はかなりかさばってる。期待しながら開封したら「恋のソナタ」という日本語タイトルの6枚組DVDだった。これは見覚えあるぞ。「ヨンガ--恋歌」というタイトルのミュージック・ビデオクリップを集めたもので、たしか巻田さんも持ってる奴と思う。韓国のクリップの特徴はそれぞれがドラマ仕立てになってるのが多いことだ。ポンチャック・アジョシのMorris.にはいまいちフィットしないが、チェジウがすごく色っぽい高校教師やってるユスンジョンの「NANANA」や、パクジユンものも2曲あるし、イスヨン、チョソンモ、BIG MAMAなどもあって、この前ソウルで買おうか迷ったものの荷物にもなると買わなかったもので、買わなくて良かった(^o^)


「郵逓局宅配」便の箱

お洒落なKBS包装紙

手前がCD後がDVD6本組

【沖縄論】小林よしのり ★★☆ 新ゴーマニズム宣言シリーズで、これは2004年から2005年にかけて「SAPIO」に連載したものらしいが、400p近い分厚さで、ともかくも小林の健筆ぶりだけはいつもながら感心せざるを得ない。しかし本書はいまいちインパクトに欠ける。それなりに沖縄の歴史や政治、米軍との軋轢など勉強しながら書いてるとは思うが、どうも付け焼刃みたいな感じが拭えないのだ。Morris.も沖縄に詳しいわけでなく、一度も行ったことすらないのだが、何か違うよな、と思ってしまった。
数年前から若い秘書に交代してから、ゴー宣面白くなくなったような気がする。前のカナモリは存在感があったし、キャラとしても立っていた。別にゴー宣の応援するつもりもないが、秘書交代は戦略的に失敗だったと思う。

【沖縄上手な旅ごはん】さとなお ★★★ 「うまひゃひゃさぬきうどん」でお馴染みのさとなおさんの本だが、やはり沖縄に行ったことのないMorris.には、ぴんと来なかった。第一本書はもともとJTA(日本トラストオーシャン航空)の旅サイトに連載したもので、アゴ足+稿料付きで、そのぶん、ヨイショが多すぎる。たしかにグルメで筆は立つし、ユーモアもあり、ディープな店や食材への果敢な挑戦もありなのだが、いかんせん、どこか隔靴掻痒の気分がするのだ。
その代わりというわけでもないが、ウニや豆腐の項での薀蓄には、目からウロコの思いをさせてもらった。

ウニは昆布などの海藻を食べて生きている。でもって、食べる海藻により、ウニの味が変わるらしいのだ!
ウニの身とは、ウニの卵である。黄色とかオレンジ色しているウニの身。これは生殖巣の部分。つまり卵の部分である。つまりメスなら卵巣、オスなら精巣。卵巣か精巣かは見た目ではまず区別できない。目かくしで食べ比べても味はほとんど変わらないという。
ウニは放っておくとすぐ型くずれして溶けてしまう。だから「ミョウバン」を使って型くずれを抑えているのだった!

ニガリを入れると豆乳の中にふわふわ固形物が浮いてくるが、もちろんまだ(あの売っている豆腐みたいに)四角くない。これを四角い型に流し込んで固めるといわゆる四角い「豆腐」になる。ちなみに型に流し込んだままのものを「絹ごし豆腐」と呼び、これに重しをして水切りしたのが「木綿豆腐」である。知ってました? 別に絹で漉すとか木綿で漉すとかの違いではなく、単なる口当たりのなめらかさで呼び分けているのである。同じ大きさなら、固形分の多い「木綿豆腐」のほうが栄養は豊富なわけですね。ふむふむ。
型に流し込む前の状態、つまりカタチが定まっていないフワフワのものを、大和では「おぼろ豆腐」とか「汲み豆腐」とか呼ぶ(ざるに取ると「ざる豆腐」)。これを沖縄では「ゆし豆腐」と呼ぶ。

ふむふむ、絹ごしと木綿の違いがそういうことだとは知らなかった。それよりも、ふわふわの「おぼろ豆腐」こそ、Morris.の好物の韓国料理「スンドゥブチゲ」の「スンドゥブ」に違いない。是非「おぼろ豆腐」を手にいれて本式のスンドゥブチゲ作ってみよう。
そのほか、泡盛の原料がタイ米というのは常識らしいが、Morris.は知らずにいた。

みなさんご存知の通り、泡盛はタイ米から造る。タイ米に、酸が強いために雑菌が混ざりにくいといわれる黒麹菌を使い(南国だから雑菌が混ざりにくいのは大事)、醗酵させ蒸留したお酒なのである。日本米に黄麹菌を使う日本酒とは成り立ちからして違う。
ただ意外と勘違いされているが、このタイ米は沖縄産ではない。すべてタイから輸入したタイ米から作っている。「A1スーパー」という品種の新米を一括輸入して、それを47酒造所で分け分けして使っているらしいのだ。


いやいやこうやって引用するとなかなかに有用な本ではないか、と思いつつ、沖縄との距離はどんどん遠ざかっていく気にさせられる。沖縄はMorris.にとって、体感的には、ソウルの10倍くらい遠いところにあるぞ。

2006/01/05(木)●口惜しいPK負け●

やっぱり昨日は酔いつぶれてホットカーペットで死んでいた(^^;)
10時過ぎに起き出す。それほど宿酔ではなさそうだ。
昼から高校サッカー見る。朝高は先制したものの後半同点にされてそのまま引き分け。PK戦は避けて欲しいと思ってたが、最初にGKがシュートして止められるわ、3人目は枠の外、4人目も外しておしまい。あーあ、勝てそうだったのに。残念。

【獅子たちの曳光】赤瀬川準 ★★★★ 「西鉄ライオンズ銘銘伝」と副題にあるとおり伝説の西鉄黄金期の監督選手一人一人にインタビューして、1冊にまとめたものである。もともとは89年から90年に雑誌「Number」に連載されたものを、91年に単行本化し、それに1章を加えて95年に文庫本として出されたもの。こんな本が10年以上前に出ていたとは知らなかった。先日仰木彬が亡くなったとき、稲田さんがこの本のことを教えてくれたのだ。そして結局稲田さんに貸してもらい、年末年始かけてちょびちょびと楽しませて貰った。いっぺんに読むのがもったいなかったのだ。
Morris.は九州佐賀県の生れで、ちょうど小学校時代が昭和30年代始め西鉄の黄金時代と重なるから、当然西鉄ファンだった。稲尾が何故か一度だけ小学校を訪れたことがあり、そのとき運動場で子供たちにもみくちゃにされながら細い目で微笑んでいた顔は忘れられない。
とりあえずラインアップを写しておこう。
・仰木彬--谷落しされた仔獅子
・豊田泰光--疾走する暴れん坊
・和田博実--強気の韋駄天キャッチャー
・滝内弥瑞生--いぶし銀のユーティリティ・プレイヤー
・稲尾和久--ダイヤモンドの守護神
・関口清治--磊落な兄獅子、不動の五番
・藤本哲男--オールラウンドの野球人
・河村英文--黄金時代の序曲を奏したエース
・河野昭修--不屈の万能内野手
・三原脩--自発性を引き出した教育者
・大下弘--「超凡人になるべく努力せん」
・中西太--花は咲きどき咲かせどき

こうやって選手の名前書くだけでも、わくわくしてくる。これにプロローグ、エピローグ、長嶋、中西との対談までの実に充実した一冊だった。
赤瀬川準は野球小説書いてる人だということは知りながら、これまで読まずにいたが、野球への造詣はもちろん、インタビューの中身も文章もなみなみならぬ腕前である。
西鉄球団の成り立ちについても著者は簡潔にまとめてくれている。

昭和25年、プロ野球がニリーグ制になってスタートした年にはまだライオンズは生れていない。福岡をフンチャイズとして、セントラル・リーグでは西日本パイレーツが、パシフィック・リーグでは西鉄クリッパーズがそれぞれ名乗りをあげた。---2シーズン目、パイレーツとクリッパーズは合併してパシフィック・リーグに属し、名称を西鉄ライオンズと改め、ここに「獅子」が呱呱の声をあげたのだった。

パイレーツやクリッパーズという名前はかすかに記憶にあるようだが、その2チームが合併して西鉄になったとは知らなかった。例のNとLを組み合わせたマークが、豊田と三原監督の共同制作になるものだったとか、中西は2シーズン目の昭和28年から6年の間に三冠王に今一歩というシーズンが4回もあったとか、いろいろ美味しいエピソードも満載されているが、野球ファンとして、管理野球では味わえない、あの頃の西鉄の野球の魅力を分析し尽くしているところが本書の真価だろう。
いろいろ引用したいところだが、ここは、三原脩自身が名づけた「遠心力野球」の定義(まさに詩である)を引くにとどめる。

選手は惑星である。それぞれが軌道を持ち、その上を走ってゆく。この惑星、気ままで時に軌道を踏みはずそうとする。そのとき発散するエネルギーは強大だ。遠心力野球とは、それを利用して力を極限まで発揮させる。私が西鉄時代に選手を掌握したやり方である。(三原脩著「風雲の軌跡」より)

2006/01/04(水)●かるたにトランプ●

8時半起床。今日はMorris.亭の新年会。と、いってもムックさん、巻田さん、そらさん、443さんの4人だけのこじんまりとしたもので、4人ともてんでんばらばらなのに、ほとんど同じ時間に到着。さっそく飲み会(^^;) 年末から毎日煮込んでたおでんはほとんど真っ黒状態。斉藤さん提供の焼豚、443さんの缶詰コルベンイなど肴に、KBSのアーカイブやDVD見たりする。ムックさんはギター抱えて自慢の喉を披露、Morris.も伴奏してもらい何曲か歌い、家庭内カラオケやろうとしたら、ムックさんはここで帰ることになった。そのあと、Morris.秘蔵の「りぼん」付録トランプ(陸奥A子、小椋冬実、太刀掛秀子)、川上澄生トランプ、瀬川康男犬棒かるたなどを楽しむ。結局Morris.はお約束どおり潰れてしまったらしい。


足掛2年超熟成おでん

斉藤さん提供の焼豚、これは絶品

恒例記念写真

これは陸奥A子トランプ

川上澄生トランプ

瀬川康男犬棒かるた
2006/01/03(火)●朝高ベスト8へ●

9時半起床。幸い宿酔ではない。
天気良さそうだが、今日も寝正月に徹することにする。
BUNちゃんの傑作年賀状録画しておいた高校サッカー見る。大晦日に歴史的初勝利を納めた朝高、2回戦の相手は岐阜。すごい大雨荒れ模様という大変な天候の中、朝高はえらく調子がいい。大晦日には2千人いた応援団も昨日は2百人ちょっとと、えらい減りようだったが、そんなことはものかわ、前半2ゴール、後半1ゴールの快勝。今日の3回戦は強豪国見だった。天気は回復したものの10mを超える強風で、またまた大変な気象状況の中で朝高頑張る。前半風下を0-0で折り返した時点でかなり朝高有利という感じがした。そして後半33分にリャンテヨンがGKが弾いたボールをゴール。これを守りきって、ベスト8進出である。明後日の滋賀野洲高戦も見逃せない。
KBS年末の「歌謡大賞」をアーカイブで鑑賞。3部構成3時間の特番で、メインはK-POPSというのはわかりきってるが、MAYAがイスンチョルの「少女時代」と、あの「独島は我が領土」を歌ったのは面白かった。トロット界からは、ソンデグヮン、ソルンド、テジナ、キムヘヨン、チャンユンジョン、イジャヨン、ヒョンスクの7人。このうちキムヘヨン以外の6人とも、東京ノレチャランのゲストではないか。大賞はキムジョングッの「サランスロゥオ」だったが、感激のあまりほとんど歌えてなかった。
昨日新年会で会ったBUNちゃんの年賀状が今日届いた。一昨年秋本君宅新年会でBUNちゃんの賀状見せてもらい、あまりに感動したので、BUNちゃんに催促してたのだ。いやあ、今年の賀状も超傑作+力作で、家族の仲のよさがにじみ出ている。本当の「初笑い」させてもらった。あまりに素晴らしいので、ここで紹介させてもらおう。

2006/01/02(月)●社長宅新年会●

9時起床。ちょっとぐずついた空模様である。
昼から同志社-関東学院のラグビー見る。大雨の中で荒れ模様の試合だったが同志社じわじわ押され気味。途中で社長宅へ。今日は恒例の社長宅新年会。午後1時スタートのはずなのに集まりがあまり良くない。伊藤君ところは弦が熱出してパス、その他、島田さん、由利さん、井山君なども欠席で、結局、堀姉妹、中江君、BUNちゃん、弥久保さん、こうちゃん、社長、さりーちゃん、ひろこにMorris.の参加者10人という比較的こじんまりした会になった。
Red Dogsのベースの弥久保さんは初参加だったが、手土産の超豪華な霜降りローストビーフはまさに垂涎の的。でっかいブリのチャンチャン焼など美味しい料理と酒も揃ってたのでもっと大勢来てもらいたかった。ちょっともったいなかったかな。ひろこが去年7月にスタッフとして参加したつま恋のap bankコンサートのDVDを持ち出して、結局これを繰り返し見ることに。主宰者のミスチル、井上陽水、Chara、スガシカオなど大物アーチスト総出演の豪華ライブだったが、Morris.とはほとんど無縁な世界だった。
10時半にお開きで、中江君と一緒に部屋に戻り、そのまま寝るつもりが、中江君がレーヴに行こうというので付き合う。1時過ぎまでいて、Morris.は体力の限界で一人帰宅。録画しておいた高校サッカー、大阪朝鮮高校対岐阜は明日見ることに(^^;)


弥久保さん提供霜降りローストビーフ

中江君独壇場

恒例記念写真
2006/01/01(日)●寝正月●

ホットカーペットで目を覚ましたら6時過ぎてた(^^;) 新年のスタートとしては何とも情けない。
ベッドで寝なおすつもりだったが、神戸の夜明けが7時くらいだとTVで言ってたので、折角だから初日の出見てから寝ることにした。と、いってもいちおうMorris.亭から望む初日の出南向きのベランダから東の方はマンションが並んでいて、ビルのすきまからいまいち冴えない感じの日の出だった。
昼前くらいにまたおきだして、昨日録画しておいた紅白を見る。今年はNHKは起死回生のつもりだったらしく、司会のみのもんたの民放番組ネタ垂れ流しもOKだったらしい。結構がんばってたと思うが、かつてのオーラはとりもどすべくもない。
年賀状も去年より減ってる感じ。TVで今年の年賀状は8.7%減少と言ってた。これってすごい減りかただと思う。この割合で減っていくと単純計算だと12年後には年賀状は消滅するってことにならないか!?
天皇賞サッカー、浦和レッズが清水エスパルスを2-0で降して優勝。セレッソが残ってたらもう少し熱心に応援したかもしれないが、これではあまり面白くは無い。
夜もだらだらと、おでん食べながら、TV見るともなく見る。実に見事な寝正月だった(^^;)


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