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Morris.日乘2014年3月 


Morris.の日記です。読書控え、宴会、散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


 

今月の標語

安倍叫喚

【2014年】  2月 1月
【2013年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月  2月 1月

2014/03/31(月)●何とかもって弥生盡●

6時起床。
今朝の血圧は214/99/73。
ABCラジオ[おはようパーソナリティ」、アシスタントが今日から変わるとのことだったので、聴いてみたのだが、11代目アシスタンは吉田詩織。以前「眠り姫」と呼ばれてた番組のスタッフで昨年出産した新米ママという謳い文句。Morris.は9代目の秋吉英美がお気に入りだった。彼女が出産で番組降りて、ああ、これでこの番組おしまいかな、と思ったところ、10代目が女子大生の久野愛で、これまた、何となく気に入って、神戸スタジアムでの公開放送に参加したりもした(^_^;)
今度の眠り姫は、どうもピンと来ないのだが、しばらく様子見ることにしよう。
ちょっと早めに自転車で摩耶埠頭へ。いつもの埠頭には船はみあたらなくて西側に回ったらとっと小さめの黒い船がいた。船首に見覚えのある文字が書かれている。あれはタイ語ではないか。帰ってネットで調べたらやっぱり船籍はタイだった。TMN PROGRESS
船籍国: Thailand
Type: General Cargo
総トン数: 7760
全長 x 巾: 113.2m x 19.4m
建造年: 1997

昨日と同じメンバーで、尼崎、阪急武庫之荘駅前のマンション、タイ向け(^_^;)荷物ピックアップ現場。
駅前の桜並木はほぼ満開(@_@)である。本当に桜って、突然咲いてしまうなあ。
3時に作業終了。倉庫作業5時半までやって、6時半帰宅。
タモリの「笑っていいとも」は今日で最終回だったらしい。夜にその特番やってたので、とりあえず流してたが、番組終了の事情はよく知らないが(このところあの番組ほとんど見ていない)が、タモリの「老い」が痛々しかった。KBS歌謡舞台1367回は"3월 신청곡3月リクエスト" これは定番というか、芸のない特集(ともいえないか)でもあるのだが、歌謡舞台そのものが、とりあえず懐メロ名曲の垂れ流し\(^o^)/だからこれでいいいのだ。

1) 물새 한 마리水鳥一羽/하춘화ハチュナ
2) 용두산 엘레지龍頭山エレジー/김용임キムヨンイム
3) 삼팔선의 봄38度線の春/홍원빈ホンウォンビン
4) 꽃밭에서花畑で/서지오ソジオ
5) 성은 김이요姓はキムよ&청실홍실青糸紅糸/문희옥ムンヒオク&홍준보ホンジュンボ
6) 잡지 마探さないで/문연주ムンヨンジュ
7) 아주까리 등불アジュカリ灯籠/송해ソンヘ
8) 수덕사의 여승修特寺の尼僧/정정아チョンジョンア
9) 사랑도 모르면서愛も知らずに/류기진リュギジン
10) 눈물의 연평도涙の延坪島/이효정イヒョジョン
11) 무슨 사랑どのような愛/유지나ユジナ
12) 립스틱 짙게 바르고口紅濃く塗って/왕소연ワンソヨン
13) 한 오백 년恨五百年/정수빈チョンスビン
14) 가슴 아프게カスマプゲ/영암ヨンアム
15) 터미널ターミナル/윤수일ユンスイル


ゲスト陣もMorris.好みはユジナとムンヒオクくらいである。ノレチャラン司会のソンヘさんの登場が多いのは嬉しい。10.の「涙の延坪島」は、数年前の北朝鮮の砲撃で、犠牲者が出たあの延坪島だが、 今日も北朝鮮が国境線越える海域に砲撃して、延坪島とペンニョンドノの住民が一時避難したというニュースが流れていた。ペンニョンドといえば、この島でのノレチャラン公開録画見るために、インチョンから高速フェリーで4時間以上かけて出かけたことを思い出す。
3月も今日で終わりだが、12日から今日まで、正味20日間休みなしだった。これはレコードかもしれない。明日は20日ぶりの休みである。その後も一週間くらいは忙しそうだが、その後はまたヒマになりそうだ(^_^;)。
今日の歩数は3066歩。


TMN PROGRESS 

阪急武庫川駅前桜並木 

同じく 
2014/03/30(日)●春の嵐●

5時起床。
今朝の血圧は160/84/76。
朝から雨なので、歩いて摩耶倉庫へ。
溝渕くん、奥井さんと昨日の徳島現場。
出発した途端に雨風が激しくなり。明石大橋は50km規制。横風が強くて空っぽのトラックは揺れる揺れる(^_^;)淡路島走ってる
走ってる間は、ほとんど豪雨で、現場での積み込みはどうなることかと心配になったのだが、現場到着時にはやや小降りになり、昼前には雲間から太陽が時々顔を出すくらいに(^_^)。その後も雨降ったり止んだりの落ち着かない天候だったが、積み込みには全く支障なし。
昼過ぎに作業終了。淡路SAで遅めの昼食、3時前倉庫到着。積み下ろし、明日の用意などして、4時前に開放(^_^) マルハチで買い物して5時頃帰宅。この時間帯に帰宅するのも一週間ぶりである。
阪神-巨人デイゲームは、3-12で阪神ボロ負け(>_<) しかも3回阪神の守備で、福留と西岡が衝突して、西岡は脳震盪でで動けず、結局救急車をグランドに呼んで病院へ搬送という大変な事態になったらしい。散々である(>_<) ともかくも大事に至らないことを願いたい。
今日の歩数は4922歩。


風雨に霞む明石海峡大橋 

帰りは回復基調 

摩耶埠頭の夕空 

同じくアップ 

西郷川畔の春景色 

灘トンネル工事で半分以上撤去(>_<) 

【苦海浄土】石牟礼道子 ★★★★ 2004/07/15講談社文庫(新装版) 単行本1968年。

公害問題を捉えた高名な著作として発表とじからその存在は知っていたものの、ついつい読まずに済ましてきた。
先日読んだ「「彗星的思考」に、本書について一章を割いて論じてあり、これは読まなくては、と思いを新たにして、灘図書館にあった10年前の新装文庫本を借りて、読んで、圧倒されてしまった。


湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった。(山中九平少年)

この文章一つで、不知火海の平和な時代の豊かさを存分に表現している、その筆力はただものではない。

――海ばたにおるもんが、漁師が、おかしゅうしてめしのなんの食わるるか。わが獲ったぞんぶんの魚で一日三合の焼酎を毎日のむ。人間栄華はいろいろあるが、漁師の栄華は、こるがほかにあるめえが……。
なんばいうか。水俣病のなんの。そげんした病気は先祖代々きいたこともなか。俺が体は、今どきの軍隊のごつ、ゴミもクズもと兵隊とるときとちごうた頃に、えらばれていくさに行って、善功労賞もろうてきた体ぞ。医者のどんのなんの見苦しゅうしてかからるるか。
水俣病、水俣病ち、世話やくな。こん年になって、医者どんにみせたことのなか体が、今々はやりの、聞いたこともなか見苦しか病気になってたまるかい。水俣病とは、栄養のたらんもんがかかる病気ちゅうじゃなかか。おるがごつ、海のぶえん(無塩)の魚ば、朝に晩に食うて栄華しよるもんが、なにが水俣病か――。


明治20年(1887)生れ、80歳で水俣病で亡くなった仙助老人の独白である。熊本弁(天草弁?)は、佐賀弁と共通点があり、何となくMorris.は懐かしさを覚える。これらの独白も、もちろん、実際の独白でなく著者に寄って換骨奪胎された恨みの浄瑠璃節であるらしい。

水俣病の死者たちの大部分が、紀元二世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生き残っているではないか。呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記憶しているならば、僻村といえども、われわれの風土やそこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうかも知れぬが、私の故郷にいまだに立ち迷っている死靈や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ。
見苦しいという彼の言葉は、水俣病事件への、この事件を創り出し、隠蔽し、無視し、忘れ去らせようとし、忘れつつある側が負わねばならぬ道義を、そちらの側が棄て去ってかえりみない道義を、そのことによって死につつある無名の人間が、背負って放ったひとことであった。(死旗)


石牟礼道子の呪術性、原始宗教的文体には、毀誉褒貶あるようだが、やはりこの本は、この呪術めいた精神無しでは成立し得ない。

32年4月組織された熊本大学医学を部を中心とする文部省科学研究所水俣病総合研究班が、34年7月、中間発表として、本病の原因と考えられるのは「水俣湾でとれる魚介類にふくまれるある種の有機水銀が有力である」と発表、浄化装置なしに、種々の有毒物質をふくむ汚水を流出する、新日窒水俣肥料工場による湾内の汚染を指摘したが、このことは必至的に、不知火海全域の、漁民生活の逼迫を招いたのである。(舟の墓場)

底辺の漁民たちを襲った「奇病」が、その漁民たちの生活を脅かすとの認識で、病気のことを隠蔽しようとしたり、工場側は躍起になって責任回避に努め、行政は見て見ぬふりをした構図。これはそれ以前も以後も繰り返されてきた、弱肉強食世界の顕現でもある。

水俣とはいかなる所か。
九州、熊本県最南端。不知火海をへだてて天草、島原をのぞみ、明治世代にいわせれば、東京、博多、熊本などと下ってくる中央文化のお下がりよりも、直結的に島原長崎を通じ、古えより支那大陸南方および南蛮文化の影響を受けた土地柄であるという。
鹿児島県に隣接し、天気予報をきくには、鹿児島地方、熊本地方、人吉地方をきいて折衷せねばならない。薩摩入国が厳酷であること鳴りひびいていた幕藩体制の頃も、薩摩藩境の農商民たちは、ひそかに間道を共有し、かなり自由に出入し、商いを交わし婚姻を結び、信教の自由をとり交した形跡がある。(昭和34年11月2日)

水俣人である石牟礼が、誇りを持って語る我が郷土の紹介である。その郷土を襲った理不尽さへの怒り憤りははかりしれないものがあったのだろう。

現在では同地方にほとんど猫の姿を見ないということである。住民の言によれば、踊りを踊ったり走りまわったりして、ついには海にとびこんでしまうという、はなはだ興味深い症状を呈すのである。われわれが調査をはじめたころには、同地方にはかかる猫はおろか、健康な猫もほとんど見当たらなかったが、保健所の厚意により、生後一年くらいの猫を一頭観察することができた。
その猫は動作が緩慢で横にゆれるような失調性の歩行をする。階段をおりる時に脚を踏みはずしたがが、これはおそらく目がみえないことも原因の一つと考えられた。魚を鼻先に持ってゆくと、付近を嗅ぎまわるので嗅覚の存在することはわかる。更にいれた食餌をあたえた場合、皿に噛みつくという状態もみられた。発作時以外に鳴くこともなく、耳も聞えないようで、耳のそばで手をたたいても反応がない。
発作があらわれると、猫は特有な姿勢となる。すなわち魚を探しまわっていた場合はたち止り、すわっていた場合は立ち上り、右また左の後脚をあげる。同時に流涎が著名で、咀嚼運動が見られることもある。その後でちょっとよろめいて、発作の頓挫することもあるが、ついで他側の後脚で地面を軽くけるような運動をする。前脚は固定したまま後脚で地面を蹴るため、人間の逆立ちと同様、体が浮き上がるようになる。二、三回倒立運動があって、痙攣が全身におよぶと、猫は横倒しになり、四肢をばたつかせる。右側に倒れたら左脚は強直性、右側は間代性の痙攣をおこしたこともあったが、また反対側に倒れて痙攣中二、三回、体を反転することもあった。
全身痙攣は約30秒ないし一分つづき、ついで猫は起きあがり、付近を走りまわる。この場合走りだしたら止まることを知らず、狭い部屋では、壁にぶつかって向きを変えて走り、反対側の壁に突進する、といった状態で、水俣地方で水に飛びこんだといわれるのは、おそらくこのような状態であったと思われる。この運動は非常に激烈で、手では制止しえないほどであった。一分ぐらいでこの走り回り運動がすむと、異様な奇声を発しながら、あたりを無差別に歩きまわる。この時の歩き方もやはり失調性である。
このとき流涎の著明なこともあった。30秒歩きまわった末、放心したようにすわりこむ。以上のような発作の全経過は約5分であった。本例は観察一日で、不慮の水死を遂げた。(熊本医学会雑誌(昭和32年1月)「猫における観察」抄録*原文カタカナ)


魚を主食のように食べた漁民とともに、その地の猫たちに、まず奇病は蔓延した。上記その症状の写生文である。猫好きのMorris.でなくとも、読むに耐えない記述であるが、人の症状記述に代えて引用しておいた。

海の水も流れよる。ふじ壺じゃの、いそぎんちゃくじゃの、海松じゃの、水のそろそろと流れゆく先ざきに、いっぱい花をつけてゆれよるるよ。
わけても魚どんがうつくしか。いそぎんちゃくは菊の花の満開のごたる。海松は海の中の崖のとっかかりに、枝ぶりのよかとの段々をつくっとる。
ひじきは雪やなぎの花の枝のごとしとる。藻は竹の林のごたる。
海の底の景色も陸の上とおんなじに、春も秋も夏も冬もあっとばい。うちゃ、きっと海の底には竜宮のあるとおもうとる。夢んごてうつくしかもね。海に飽くちゅうこた、決してなかりよった。(五月)

大正3年(1914)生れ坂上ゆきは夫婦で船に乗り漁を生業とした。その楽しかった時代の回想は、石牟礼の翻訳によって芸術を超えたものになっていると思う。

いかなる死といえども、ものいわぬ死者、あるいはその死体はすでに没個性的な資料である、とわたくしは想おうとしていた。死の瞬間から死者はオブジェに、自然に土にかえるために、急速な営みをはじめているはずであった。病理学的解剖は、さらに死者にとって、その死が意志的に行なうひときわ苛烈な解体である。その解体に立ち合うことは、わたくしにとって水俣病の死者たちとの対話を試みるための儀式であり、死者たちの通路に一歩たちいることにほかならないのである。(もう一ぺん人間に)

水俣病死者の解剖を見学した時の記事である。人間は生れてから死ぬまでの存在であるという、思い切り。そう思いきれない彼女の心のもつれを感じずにいられない。

あねさん、わしゃ酔いくろうてしまいやしたばい。ひさしぶりに焼酎の甘うござした。よか気持ちになった。わしゃお上から生活保護ばいただきますばって、わしゃまだ気張って沖に出てゆくとですけん、わが働いた銭で買うとでござすけん。わしゃ大威張りで焼酎呑むとでござす。こるがあるために生きとる世の中でござす。
なあ、あねえさん。
水俣病は、びんぼ漁師がなる。つまりはその日の米も食いきらん、栄養失調の者どもがなると、世間でいうて、わしゃほんに肩身の狭うござす。
あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。
これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。(海石)


昭和30年生れの杢太郎少年の祖父の回想。恨み節というにはあまりに切ない。

昭和10年11月、三菱が朝鮮総督府の権限下にあった長津江の水利権を放棄するやいなや、これを獲得した野口遵が、長津江水田株式会社の営業開始をするに当たり、その水利権をあたえた朝鮮総督陸軍大将宇垣一成は、これを祝して京城の総督室から京城放送を通して
、祝辞をのべる。
朝鮮咸鏡南道咸興郡雲田面湖南里、という海辺の部落が消失したことはたしかである。数々の湖南里の里が朝鮮でうしなわれ、そこにいた人びとの民族的呪詛が死に替わり死に替わりして生きつづけていることをわたくしは数多く知っている。この国の炭鉱や、強制収容所やヒロシマやナガサキなどで。この列島の骨の、結節点の病いの中に。そのような病いはまた、生まれてくるわたくしの年月の中にある。
自分の海辺にいて、わたくしはただ、指を折って数えているのだ。ひとり、ふたり、さんにん、よにん、四人死んだ五人死んだ六人死んだ、42人死んだと。(わが故郷と「会社」の歴史)


チッソの戦前からの来歴。朝鮮半島での業績拡大。そして敗戦による本土撤退、その地が水俣だった、ということになる。

「水俣病ばこげんなるまでつつき出して、大ごとになってきた。会社が潰るるぞ。水俣は黄昏の闇ぞ、水俣病患者どころか」
仕事も手につかない心で市民たちは角々や辻々や、テレビの前で論議しあっている。水俣病患者の百十一名と水俣市民四万五千とどちらが大事か、という言い回しが野火のように拡がり、今や大合唱となりつつあった。なんとそれは市民たちにとって、この上ない思いつきであったことだろう。それこそがこの地域社会のクチコミというものだった。マスコミの関心の集中度とそれはくっきり反比例していた。水俣病に関する限り、どのような高度な論理も識者の意見も、この地域社会にはいりこむ余地はない。(いのちの契約書)


昭和43年、チッソの企業責任が明確にされそうな時期の、水俣市民の動向は、34年暴動直後の水俣市民の感情の繰り返しのようだったとの指摘。これを「衆愚」と嗤うのは簡単だが、自分が当事者となった時、この空気に飲まれないという保証はないとも言える。

――意識の故郷であれ、実在の故郷であれ、今日この国の棄民政策の刻印を受けて潜在スクラップ化している部分を持たない都市、農漁村があるであろうか。このような意識のネガを風土の水に漬けながら、心情の出郷を遂げざるを得なかった者たちにとって、故郷とは、もはやあの出奔した切ない未来である。
地方に出てゆく者と、居ながらにして出郷を遂げざるを得ないものとの等距離に身を置きあうことができれば、わたくしたちは故郷を再び媒体にして、民衆の心情とともに、おぼろげな抽象世界である未来を、共有できそうにおもう。その密度の中に彼らの唄があり、私たちの詩(ポエム)もあろうというものだ。そこで私たちの作業を記録主義とよぶことにする……と私は現代の記録を出すについて書いている。未完のこの書の経緯を、いくばくかはそれで伝えているようにおもう。(あとがき)


ハイマートロストなどという言葉を持ち出すまでもなく、日本人にとって故郷とは喪失する他ない存在なのかもしれない。
Morris.は「苦海浄土」を、ついつい文学的に読みすぎてしまったのだろうか。見たい部分だけを見て、後は目を閉じてしまったのに違いない。

本書の原型「海と空のあいだに」を連載した「熊本風土記」の編集者渡辺京二の解説と、医者として水俣病に深く関わった原田正純の「水俣病の五十年」にも裨益されるところ多かった。

この世界に一人でも餓えている者がいるあいだは自分は幸福にはなれない、というリゴリズムである。この文をそういうふうに読むかぎり、つまり悲惨な患者の絶望を忘れ去ることはできないという良心の発動と読むかぎり、『苦海浄土』の世界を理解する途はひらけない。そうではなくて、彼女はこの時釜鶴松に文字どおり乗り移られたのである。
石牟礼氏が患者とその家族たちとともに立っている場所は、この世の生存の構造とどうしてもてきごうすることのできなくなった人間、いわば人外の境に追放された人間の領域であり、一度そういう位相に置かれた人間は幻想の小島にむけてあてどもない船出を試みるしか、ほかにすることもないといってよい。人びとはなぜ、「ゆき女聞き書」や「天の魚」における海上生活者の描写が、きわめて幻想的であることに気づかぬのであろう。このような美しさは、けっして現実そのものの美しさではなく、現実から拒まれた人間が必然的に幻想せざるをえぬ美しさにほかならない。「わたくしの生きている世界は極限的にせまい」と彼女は書く。『苦海浄土』1篇を支配しているのは、この世から追放されたものの、破滅と滅亡へ向って落下して行く、めくるめくような墜落の感覚といってよい。(解説「石牟礼道子の世界」渡辺京二)


この渡辺の解説を先に読んでしまったMorris.は、これに影響されて、ついつい本書を文学的に読んだのかもしれない。冒頭のテーぜは「世界に一人でも不幸な人がいる間は、私は幸福ではあり得ない」という」宮澤賢治の言葉の変形だろうが、Morris.は以前から、この言葉には違和感を覚えていた。

患者の状態は、目を覆いたくなるようであった。しかし、チッソも行政も「原因不明」を理由になんら有効な対策を立てなかった。実際、不明だったのは原因物質であって、原因が魚介類であることは、すぐに明らかになっていたのである。それだけでチッソや行政が対策を立てるには十分であったはずである。
これはたとえば、仕出弁当が原因で食中毒がおこり、重大な危険があるのに、弁当の中の何が原因化分からないからといって売り続けるようなものであった。
水俣病発見以来、急性激症の患者が減少したのは、チッソや行政が有効な対策を行ったからではなく、恐ろしくなって住民が魚介類を食べるのを止めたからである。しかし、そのため、水俣病は非典型化、慢性化してかえって見えにくくなってしまった。
人が死に、不治の病にばたばた倒れているときに、警察・検察もまったく動かなかった。それどころか、工場廃水の停止を求めて押しかけた漁民たちを逮捕して、裁判にかけた。多くの漁民たちが有罪判決を受けた。その陰でチッソはさらに生産を増大し、相変らずメチル水銀をたれ流した。そのために水俣湾内の魚介類の水銀地は生産停止まで減少することはなかった。

それにしても、曲りなりにも政府が解決策を提示したのは、なんと水俣病の正式発見から四十年も経ってからである。時間がかかりすぎた。胎児性患者もすでに四十歳をこえた。被害者たちは高齢化して次々と死亡していった。被害者たちは死ぬまで被害者であるのに対して企業の幹部や官僚は次々と交代していった。
彼らは、裁判で控訴して問題を先送りしておけばよかった。また、審議会や専門委員会などいわゆる専門家たちに下駄を預けて時間をかせいだり、国に都合のよいような答申を出させたりして(委員を選ぶのは官僚であるから)引き伸ばすこともできた。こういった構造は水俣病に限らず他の公害、薬害などにみられた。したがって、構造を変革しない限り悲劇は繰り返しおこり、被害は拡大し、被害者の救済は遅れ、不十分なものとなる。
あのとき、人が傷つき、狂い、死んでいるとき、世論(国民)もまた、豊かさと便利さ(経済発展)を選択したのではなかったか。その意味ではわたしたちにも責任がないとはいえない。被害者だけにそのツケを負わせてはならない。「負の遺産」として国民全体が受け止めなければ、被害者は救われない。(解説「水俣病の五十年」原田正純)

後になって振り返ると、なんという愚かなことをしたものか、と、呆れるしかないのだが、渦中では、それがわからない(わかろうとしない、故意に目をそらす、隠蔽する)ということが多い。水俣病の悲劇を繰り返すまい、と、口で言うより、この愚かさを、現実の問題(たとえば原発行政)解決のためのステップとして活用すべきだろう。

2014/03/29(土)●四国徳島片田舎●

5時半起床。
今朝の血圧は160/84/76。
溝渕、浅海くんと3人で、四国徳島板野郡のアメリカ人の現場2日どりの初日。
家具も小物も山ほどあって、Morris.は朝からちゃかちゃかと梱包。このところ、仕分けができてなかったり、ゴミの山だったりして、作業がはかどらなかったのだが、今日はいくらでも梱包するものがあって、結構ワーキングハイ状態(^_^;) というか、やっぱり身体はボロボロ状態だけどね。
昼は客が手製のサンドイッチ作ってくれた。好意には感謝、だが、あまりにも少なくて、これで午後の作業はちょっとつらかった。
何しろ田舎で、近所には食堂なんて無いし、トラックには荷物積み上げてたので、移動するのも面倒なので、空腹の午後作業。
4時に作業終了、家具を3点ほど、県内の息子宅に配達ということになってたのだが、この家具が、階段降りない(>_<) 窓枠とって吊り下げることになり、これがまたきちきちで、えらく手間がかかってしまった。
結局倉庫到着は7時過ぎ。積み下ろしなすまして帰宅は9時前。明日も同じ現場で、しかも天気予報は雨(>_<) 辛い戦いになりそうだ。
阪神はデイゲームで5-3で初勝利あげたらしい\(^o^)/ 明日もデイゲームで中継見ることはできそうにない。
今日の歩数は4003歩。


今日の現場 

巨きなサボテン 

土筆

仏の座の群生 

菜の花畑 

町工場 

2014/03/28(金)●阪神開幕ボロ敗け(>_<)●

6時起床。
今朝の血圧は164/71/74。
矢谷くん、奥井さんと、午前は大阪住之江区の中国人宅の現場。昨日からの2日取りで、今日は、昨日の取り残しと、荒ゴミピックアップ。このゴミの量が半端じゃなかった(^_^;) 12時過ぎに作業終了。
午後の現場は4時からということだったので一旦倉庫に戻り荷物おろそうかと思ったのだが、阪神渋滞で諦める。
東淀川区の現場は予定より荷物多くて、積めるのか? と心配になったが、奥井さんのがんばりで、どうにかこうにか6時に積み終えた。トラックパンパン状態。
今日はプロ野球開幕である。トラックのラジオで東京ドームの阪神-巨人戦聞く。大和のタイムリーで阪神が一点先制したところで倉庫に到着。荷降ろしバン詰めなどして倉庫出たのが8時過ぎ。
iPhoneのradikoで野球中継聴きながら帰ることにしたのだが、何と5回裏に巨人が6点入れて4-10になってた(>_<) 先発能見は5回で10失点。リリーフの都留も巨人の外人に連続ホームランで2点追加され、開幕緒戦はボロ敗け発進ということになった(>_<)
疲労は限界状態のまま、何とか動いている。帰路の自転車のペダルの重さが、如実に疲れを感じさせる。
明日、明後日は5時起きで、徳島方面現場である。
今日の歩数は6284歩。

2014/03/27(木)●枚方から長岡京●

5時半起床。
今朝の血圧は188/79/83。
荻野くんと二人、枚方開田のアメリカ向け航空便と保管荷物ピックアップ現場。一階が大阪王将のあるマンションで、最初、昼食抜きで1時過ぎくらいに作業終える計画だったが、結構荷物が多くて一時過ぎに一階の王将で昼食。今日は唐揚げ唐揚げがサービスで餃子付きで680円。これは質量ともに満足。
結局3時過ぎ作業終了。その後長岡京に残材引取。5時半倉庫着。今日は比較的マイペースで梱包できたし、一息つけた、と思ったのだが、倉庫作業の残業で、しっかりパテてしまった(>_<)、
そろそろ限界かもしれない。
今日の歩数は5312歩。


早桜と巻雲 

今日のtwin煙突 

香港船籍のばら積み船 

摩耶埠頭朝景 

お昼はここで(^_^) 

現場のテラスから 
2014/03/26(水)●雨の豊中●

6時起床。
今朝の血圧は168/60/78。
昨日から予報されてたことだが、朝からの雨の中、傘さして摩耶倉庫へ。
西根くんら3人で、豊中服部緑地の中国向け荷物と保管引取、2日取り現場の初日。今日の現場も、ほとんど準備ができてなくて、なかなか作業捗らず(>_<)
今日も午後から溝渕くんらがヘルプに入って、それでも作業終了は5時半。7時前に倉庫を出て、バスで三宮に。うっかりしてて、24日が期限切れの3冊を期限延長するのを忘れてたのだった(>_<)。三宮図書館に付いたのが7時半で、あと30分、と思ったが、いやいや、三宮図書館だけは平日午後9時まで開館してた(^_^)
ダイエーで食糧買い込んで9時帰宅。
今日の歩数は4992歩。

2014/03/25(火)●高槻あたり●

5時半起床。
今朝の血圧は180/88/63。
矢谷くんら3人で、高槻駅付近のバンコク向け荷物と保管のピックアップ現場。
3階建てマンションの2階だったが、とんでもなくロケーションが悪くて、午前中Morris.は、路上駐車してるトラックの荷台で家具梱包。やるほどに、作業スペースが狭くなるし、2階から家具降ろしたり何やかやと面倒くさい。
午後から二人ヘルプに入ったが、なかなか作業捗らず、何とか作業終了したのが6時前。これで、倉庫に戻って積み下ろし作業やったら、パンクだな、と思ったが、今バイトの若い衆が残ってちゃかちゃかと作業やってくれたので助かった。
8時前に倉庫出て、今日もなか卯夕食(^_^;) 8時半帰宅。
個々数日、仕事がややハードで、残業もありかなり疲労が蓄積している。3月残り6日。何とか乗り切れるだろうか。
今日の歩数は6357歩。


今朝の摩耶埠頭 

高槻マンホール蓋(卯の花は市花) 

白木蓮 

2014/03/24(月)●疲労梱包●

6時起床。
今朝の血圧は162/70/68。
西根くんら3人で梅田の高層マンション28階の中国向け船便ピックアップ現場。一昨日の守山現場ほどではないが、やっぱり仕分けができてなくて、なかなか大変だった。
Morris.は9時半から4時半まで昼休み除いてずーーっと小物梱包。事情で家具類は持っていけないので、小物ばかりの梱包で、これではなかなかはかが行かない。
5時前にやっと作業終了。帰ってから倉庫でバン詰め、積み荷のことを思うとちょっとめげてたが、6時過ぎなのに、6人以上が居残りで待っててくれて、超特急で作業終了。
今夜は部屋で自炊する元気もなく、なか卯で親子丼ですましたが、これはいまいちだった(>_<) なか卯のメニューから牛丼が無くなったのはいたい。
7時前帰宅。
広島のふくはらさんからはがきが来てて、彼女が時々使う、密着型葉書で、剥がすと便箋一枚になるはずが、片方にビニールコーティングがくっついたまま剥げかけてしまった。あわててカッターの刃で開きなおして事なきを得た(^_^;)ふくはらさんは、フェリーで松山温泉に行くのが癖になっているらしい。
KBS「歌謡舞台1366回」今回のテーマは"봄나들이行楽の春"(^_^;) どうも最近の歌謡舞台はこういった、割りと大雑把な特集で推移している。まあ、名曲オンパレードで。きらいじゃないけどね。 ただMorris.イチオシの歌手の出演が少ないのがちょっと淋しい。

1) 아리랑 낭랑アリラン朗々/현숙ヒョンスク
2) 비 내리는 고모령雨降る顧母嶺/현철ヒョンチョル
3) 무정 열차無情列車/임종수イムジョンス
4) 안동역에서安東駅にて/진성チンソン
5) 이별의 플랫폼別れのプラットフォーム/박일준パギルジュン
6) 흑산도 아가씨黒山島娘/이혜리イヘリ
7) 서귀포를 아시나요西帰浦を知ってますか?/금잔디クムジャンディ
8) 울릉도 트위스트鬱陵島ツイスト/우연이ウヨニ
9) 안개 낀 장충단 공원濃霧の奨忠壇公園/배일호ペイロ
10) 덕수궁 돌담길徳寿宮石垣道/신유シニュ
11) 럭키 서울ラッキーソウル/배금성ペグムソン
12) 울고 넘는 박달재泣いて越える朴達峠/김성환キムサンファン
13) 꽃마차花馬車/이자연イジャヨン
14) 소양강 처녀昭陽江乙女/최서희チェソフィ
15) 길道/설운도ソルンド

プログラムには記載されていないが、途中に過去のビデオが2本挿入された。一本は93年の歌謡舞台で、ヒョンインが「ソウル夜曲」を歌ってる場面。この曲はMorris.好みのタンゴだが、このビデオでは珍しく3番までフルコーラス歌った。これは貴重な映像だと思う。Morris.の持ってる楽譜にも歌詞は2番までしか載ってないもんね。タイトルにある「夜曲」は「セレナーデ」「ノクターン」ではなく、「エレジー」らしいということも、3番の歌詞でわかった。もう一本は、作詞家半夜月が歌手として歌ってる白黒映像で、これはワンコーラスだけだったが、楽団を指揮してるのが作曲家パクシチュンというのが嬉しかった。かなりのオーバーアクション(^_^)
今日の歩数は5283歩。


今朝の摩耶埠頭

今日の現場 

現場から淀川方面を 

【木に学べ 法隆寺・薬師寺の美】西岡常一 ★★★☆ 1988/03/01 小学館。初出「BE-PAL」
法隆寺の宮大工棟梁として名高い著者の語りおろし。
職人話は、それぞれに薀蓄があって面白いものだが、この人クラスになると、職人の総本山みたいなものだろうな。
法隆寺・薬師寺見学の指南書としても読める。千年過ぎた檜への讃仰ぶりなど、何か微笑ましくなってくる。

わたしら一宮大工にとりますと、木ゆうたらヒノキですがな。
ヒノキという木があったから、法隆寺が千三百年たった今も残ってるんです。
ヒノキのええとこはね、第一番に樹齢が長いということです。法隆寺の伽藍の材料がだいたい千年か千三百年ぐらいで伐採されて材料になってるんですわ。


穴をうがたせても、ピカッと光るような人と、じゃぎじゃぎの穴しか掘れないひともいます。器用、不器用というのがあるんです。初め器用な人はどんどん前へ進んでいくんですが、本当のものをつかまないうちに進んでしまうこともあるわけです。だけれども不器用な人は、とことんやらないと得心ができない。こんな人が大器晩成ですな。頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。わたしは小学校のころは、絵も上手だったし、手工もよかったです。でもどちらかというと鈍感な方でした。
そんなんでしたが、当時棟梁だったおじいさんが、びっちり仕込んでくれたんです。とにかく厳しかったです。
歩くのは大股で歩かず、小股で忙しくあるけともいわれました。大股になるとのんびりになるんですな。小股でちゃっちゃ、ちゃっちゃと歩くといつも気が張っているということでしょうな。


【報道写真家】桑原史成 ★★☆☆ 1989.09/20 岩波新書。
水俣の写真集でその名を知ったのだが、韓国、ベトナムなどを舞台とした取材活動も行ってきたらしい。
新書の粗い小さな写真で評価するのは失礼かもしれないが、何となくMorris.は彼の写真は苦手なタイプという印象を受けた。

2014/03/23(日)●和歌山方面●

6時半起床。
今朝の血圧は197/83/71。
浅海くん、清水くんと3人で、先週日曜日にプレパックに入った石屋川のイギリス向け船便ピックアップ現場。
後日の国内引越し荷物との仕分けができてなくて、なかなか作業はかどらない。
昼食はひさしぶりに石屋川「もっこす」のラーメン。たまに食べると美味しいが、かなりの脂っこさで、喉が渇きそう。
2時過ぎに溝渕くんらがヘルプに来てくれて4時に作業終了。
倉庫でコンテナ詰めすまして5時半帰宅。
結局鶴龍が14勝1敗で初優勝。横綱昇進もほぼ確実だろう。これで朝青龍から4代連続モンゴル出身の横綱ということになりそう。解説の北の富士がこのことを露骨にボヤいていたが、これも日本の肉体労働海外依存体質の表われだから仕方ないともいえるだろう(^_^;)
今日の歩数は6399歩。


今朝の砂場猫 

今朝の倉庫猫 

岩屋の黄昏黒 
2014/03/22(土)●和歌山方面●

5時半起床。
今朝の血圧は217/95/66。
3日ほどぐずついたり荒れたりの天候が続いたけど、今日は移動性高気圧の影響で青空が広がり、綿雲が浮かんでる。朝の気温は低めだが、これは昼になると暖かくなりそう。まさに「行楽日和」だね。でも、Morris.は農繁期(^_^;)
溝渕くんと二人で、午前は和歌山駅前マンションのシンガポール向け船便ピックアップ、午後は吹田の上海向け航空便ピックアップの二本立て。
朝は紀の川SAで休憩。もう燕が巣作りを始めていた。昼食は岸和田SAでカツ丼。
2時過ぎに作業終了。倉庫で荷降ろしして、帰りコーナンに寄って、作業着、やカッターサックなど買って5時半帰宅。
相撲はやってることは知ってたけど、見るのも何となく久しぶり、もう14日目で、全勝と思ってた白鵬は昨日琴奨菊に敗れて一敗を喫したうえに右指を負傷したらしい。そして、今日は同じ一敗の鶴龍との対決。やはり右手をかばった白鵬を降した鶴龍ただ一人の一敗で明日勝てば優勝+横綱昇進ほぼ決定とか。そういえば、昨日から選抜孤高野球始まってるのもニュースで聞いて、そうかと思ったくらい。
今日の歩数は5303歩。


紀の川SAでは燕が 

これも紀の川SAから 

岸和田SAの空 

2014/03/21(金)●栗東は吹雪(^_^;)●

吹雪(@_@)5時半起床。
今朝の血圧は168/61/91。
浅海くんら4人で17日に船便取りに行った守山現場の保管荷物ピックアップ。
三連休初日ということもあってか、名神大渋滞。定刻15分遅れで現場到着(>_<)
昼食は道の駅「アグリの郷栗東」で定食。その後コンビニで駐車場で休憩してたら、突然雪が降りだした(^_^;) それも結構な吹雪である。今日は春分の日だが、それとは関係なしに、朝から雨が降ったり、晴れたりと猫の目のように変る天候だった。朝は桂川に虹がかかってたし……
思ったより荷物が多くて、4時半作業終了。
倉庫に付いたのが6時過ぎで、7時半帰宅。さすがに疲れた。
今日の歩数は4199歩。

【迷い猫あずかってます】金井美恵子 ★★★ 1993/06/20 新潮社
金井姉妹の愛猫となるトラ雉の「トラー」との出会いからその親バカ的な愛育ぶりを、描いた一冊。

【猫の一年】金井美恵子 ★★★☆☆ 2011/01/14 文藝春秋
猫としては異例の長寿17年の生涯を終えたトラーのことを書いた一冊かと思って先の「迷い猫……」とせっとで読むつもりだったが、こちらは、突発的に熱中したサッカーへのいちゃもんがメインになってた。でも、Morris.は、彼女のサッカー話にはついていけず、ほぼ飛ばし読みしてしまった。サッカー以外の日常雑録部分には見るべきものが多かった。

たった30年かそこら前の、まだそれがバブルだったと言われなかった時代、吉本隆明は日本経済の急成長を支えた力の秘密は終身雇用制という制度にあるのだと言っていたのだが。その頃すでに、実は終身雇用制は親族会社と同じくらい古めかしい制度だと言われていて、アメリカ的雇用システムの実力主義のそれがなければ世界の資本主義競争に生き残れない、といった調子で日本でも喧伝された企業の実力社員たちの「ヘッド・ハンティング」というものがあり、その裏返しが使い捨て派遣社員の労働ということだったわけである。自由主義者で「ガメツイ」女性社長の存在が一斉を風靡した感じだった派遣会社のうたい文句は、自由に選べる労働といった調子のものだったけれど、すぐさま、それは「格差社会」という「流行語」にとって代わられた。

特に美恵子さんの卓見というわけではないが、こういったダイジェストひとつ見ても、彼女の手練れぶりがよく分かる。

歌のタイトルは、なぜかまた忘れてしまったのだが、一緒に暮らしていたらしい女が出て行く、という歌で、私は流行していた当時から、「居眠りしてる間に出て行ってくれ」だとばかり思っていて、チョット、チョット、まだジジイという年でもあるまいし、と思って呆れ果てていたのだったが、今回、「寝たふりしてる間に」であったことが判明して、われながら自分の記憶の馬鹿馬鹿しさに噴出してしまった。私はジュリーを、デビュー以来ずっと「イモ」だと思っていたのだった。あっ、歌のタイトルは「勝手にしやがれ」だったことを今、思い出した。ほんと、イモである。(百年の孤独)

延々とジュリーの悪口を書き連ねている文章の末尾だが、Morris.が「寝たふりしてる間に」と打とうとしたら、Google日本語変換はどうしても「寝たふり」とは変換せず、何度やっても「ネタ振り」になってしまうのだった(^_^;)

『ボートの三人男』はミラーの批評的エッセイを読んでからずっと後に、丸谷才一訳の中公文庫で読んだけれど、丸谷才一が近代文学の成立するための条件として挙げる、「成熟した市民社会」というものが実にギマン的で幼児的自己中心的なものであるかがよくわからグロテスクなものであった。

「ボートの三人男」は読んだはずだが、内容はほとんど覚えていない。しかし、丸谷の愛する成熟した市民社会をここまで貶める発言も美恵子さんならではだろうな。

日本のテレビを中心にしてその支持者が女性たちと考えられている「男性スター」は、なぜか田村正和と沢田研二だけでなく、系列(ライン)として木村拓哉につらなるイモ系が好まれるのではあるまいか。彼らをイモ系と呼ぶのは、メディア上のイメージとして女性に絶対的支持を受ける甘い美貌(イケメン)でおしゃれ(ソフィスティケート)な存在として定着していることになっているのにもかかわらず、全然そうは見えない、端的に言って滑稽には見えるけど、と思う人間が多い、という理由による。

これもジュリーバッシングの一環だろうが、イモ系というかなり強力な罵倒語の連発には、ちょっと鼻白むところがあった。

(エルヴィスファンで)私が思い浮かべるのは、深沢七郎の傑作短編『東京のプリンスたち』である。
レッド・パージの記憶も生々しい冷戦時代のアメリカで保守派から、見た目の甘ったるいベビーフェイスの野卑さとあからさまに性交的な腰づかいと音楽の「黒っぽさ」が、アメリカの道徳を堕落させるための共産主義者(アカ)の陰謀とも言われたエルヴィスを、下町の、今時の言い方では、いかにも偏差値の低そうな高校に通うプリンスたちは、口うるさい先公や頭がいかれているとしか思えない母親(チャンバー)や女の友達や、セックスや、面倒くさい恋愛の筋のある訳のわからない映画や、勝ち負けのある野球などと違って、「破裂しそうなリズムに合せて、思いきりの声をだしてエルヴィスが歌っているのを聞いていると、頭の中がカラッポになってすっきり」して「手や足がこきざみにゆれて、押さえつけられたような手や足の力がぬけて軽くなる」まるで清潔なオナニーのような最高のミュージックとして好きなのだ。


エルヴィス=清潔なオナニー(^_^;) そういえば、カラオケ=オナニー説を唱えてたのは、青木光恵だったかな。カラオケ好きのMorris.も含めて、全世界には少なくとも数億のオナニストがいることになりそうだ。

何回も重ねられた白人的顔への整形手術で細くなった鼻の白いマイケル・ジャクソンを見ると、当然、バンポ王子を思い出してしまったのだが、若いアメリカ黒人にとって、ドリトル先生と言えば、最初からエディ・マーフィーなのだし、アメリカの公共図書館にはバンポ王子の登場する『ドリトル先生アフリカゆき』はないのだから、「白くなる願望」を持つ者として語られた黒人のことなど、彼等は知らないのだろう。

マイケル・ジャクソンとバンポ王子。言われてみればその通りだが、こういうのを「当然」のごとく連想するのは常人には難い。アメリカでは「ドリトル先生アフリカゆき」が差別的作品として図書館から排斥されているというのもしらなかった。シリーズの最高傑作なのに、ね。

考えてみれば「可愛いおばあさん」という存在は普通名詞ではなく、可愛い自分を指している固有名詞的用法だったのかもしれない。高野文子の『絶対安全剃刀』には、自分を小さな、大きなリボンを頭につけた女の子だと思っている認知症の老女が登場し、私はこれを大島弓子の、人間の女の子だと思っている猫の登場する『綿の国星』に対する批判として読んだものだったが、考えてみれば、「可愛いおばあさんになりたい」という言説への痛烈な皮肉として、高野文子のマンガは描かれたのだろうと考えるべきだろう。

高野文子の「田辺のつる」は衝撃的な作品だったが、これを「綿の国星」のチビ猫への批判という捉え方もMorris.には衝撃的だった。それを、さらに「可愛いおばあさんになりたい」への皮肉にまで敷衍するのは行き過ぎではないだろうか。
Morris.は「星の王子さま」も年を経れば「星のおじさま」に、さらには「星のおじいさま」になる、などと与太を飛ばしてたことを思い出した。

2014/03/20(木)●忙中歓有●

6時起床。
今朝の血圧は180/77/74。
小雨の中自転車で摩耶倉庫へ。
荻野君ら3人で、箕面の台湾向け航空便と、j保管荷物のピックアップ。
6時帰宅。
急いで風呂浴びて、JR新長田に出て「歌居屋」で朴昌利さん主催のカラオケ会。毎月開催されてるのだが、Morris.は久しぶりの参加。
いつも10人近く集まるのに、今日は飛田さん、堀内さん山根さんむくげの会3人組だけで、20人くらい入れそうな広い部屋に5人と、ちょっと異常な状態。その後、二人参加したが、合計7人。それでもMorris.はこのところの過剰労働の疲れを癒やすひと時をすごすことができて楽しかった。
清酒「神鷹」の江井ヶ嶋酒造のモルトウイスキー「あかし」なんてのを朴さんが提供してくれたので、味見させてもらう。ちょっと焼酎テイストで、これはこれで美味しかった。
明日も仕事があるので。10時に店を出て、10時半帰宅。
今日の歩数は5822歩。


異常に広い部屋(^_^;)

むくげの会三人組 

地ウィスキー「あかし」 
2014/03/19(水)●明石方面●

6時起床。
今朝の血圧は178/94/78。
矢谷くんら4人で、西明石駅前マンションのシンガポール向け航空便と保管荷物ピックアップ現場。
3時半作業終了。帰り道が渋滞で倉庫に付いたのが5時前。
6時半帰宅。
今日で仕事連続8日目。Morris.としては完全に働き過ぎであるが、まだ何とかもってる(^_^;) 結構軽い仕事優先で回してもらってるからかもしれない。しかし、予定表では今月いっぱいは休みなし(>_<)。 うーん、後12日か。とにかく、無理はしないということで、行くとこまで行ってみよう。
今日の歩数は4209歩。

【旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三】佐野眞一 ★★★☆☆1996年に文藝春秋社から発行されているが、今回Morris.が読んだのは2009年に文庫化されたものである。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落してしまう。その見落されたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分もその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」渋沢のことばは宮本の心に強くしみとおった。(3章 渋沢家の方へ)

この報告(「対馬にて」)が文章の形ではじめて発表されるのは、それから9年後の昭和34年のことである。安保闘争前夜に発表されたこの報告を最初にとりあげて絶賛したのは、工作者と称し、土着の革命路線を目指していた評論家の谷川雁だった。宮本と左翼人生とのかかわりは後述するが、宮本は一方からは極左のアナキストとみられ、他方からは国粋主義者とみられる奇妙な存在だった。(13章 対馬にて)

宮本と親交の深かった作家の高田宏は、宮本の風貌を評して、土と海のにおいがする顔だといった。
昭和29年にはじめて会い、そのご、宮本と一緒に全国を歩いた民俗写真家の芳賀日出男にはこんな思い出がある。
「長崎に行ったときのことです。汽車が長崎駅に着くと、『宮本先生歓迎』という幟が立っている。ところが出迎えの人は、鳥打ち帽にヨレヨレの国民服を着た宮本先生が当の本人だと誰も気づかない。『宮本常一はワシじゃ』といっても、なかなか信用してもらえなかった。調査にいっても、はじめは都会からうすぎたないジジイがやってきたという顔をされる。ところが宮本さんと話しているうち、相手の目がランランと輝き、最期は必ず『あんたの話は本当のことを言っている。学者先生とは違う。今晩はどうしてもうちに泊まっていってくれんか』ということになる。宮本先生との旅はそんなことの連続でした」(13章 対馬にて)


谷川健一は宮本と、その民俗学をこう評価付けた。「宮本民俗学は、日本人の霊魂や神に関心の無かった柳田や折口とは明らかに異質のものです。けれどそれは決してマイナスという意味ではありません。ひたすら庶民の生活に目を向けたところに、宮本民俗学の醇乎たる世界があります。それは学問的な意味だけではなく、宮本さん自身が美しい日本じでした」(14章 土佐源氏の謎)

この評伝を書きおえてあらためて思うのは、この列島にもかつては、誇るべき日本人、美しい日本人がいたという、ある意味できわめて単純な事実である。名誉や栄達を一切望まず、黙々と日本列島のすみずみまで歩いた宮本常一も、豪邸を物納して平然と"ニコ没"生活に甘んじた渋沢敬三も、宝石のような輝きをもっている。
それにもまして、まだ庶民という言い方が通用していた時代にこの国に生きてきた人々の語る言葉と、自他へのふるまいは、日本列島がかろうじてすこやかさを保っていたことを物語るように、実につましく美しい。
日本人はついこの間まで、経済成長こそ事故の拡大と信じて疑わず、ひた走りに走ってきた。だが、バブル経済の崩壊で元も子もなくし、日本人の胸にはいま、虚ろな空洞だけが広がっている。それだけに二人が歩いた日本の村々の急速な解体と、大衆と呼ばれるようになった庶民の嗜みの目をおおいたくなるような劣化に思いをいたすとき、いまも、ふいに胸をえぐられるような思いにとらわれてならない。(あとがき)


本文庫の親本を刊行した平成8(1996)年当時、宮本常一はいわば、知る人ぞ知る民俗学者に過ぎなかった。皮肉にも、宮本の代表作の『忘れられた日本人』の領域扱いされる人物だったのである。
それが12年経って、宮本といえば、日本の村という村、島という島を歩き尽くし、そこに生きる人びとの暮らしを正確に記録した比類なき民俗学者だということは、ほぼ人口に膾炙した。
くちはばったいことを承知で言わせてもらえば、12年前に発表した拙書が、宮本常一の存在に人びとの関心を向けさせ、宮本常一再発見の端緒になったのではないかと、ひそかに自負している。
不透明さだけが増し、先行きがまったく見えない現在の日本社会は、恐ろしいほどの閉塞感に包まれている。派遣社員ばかりか正社員まで平然と首切りし、毎年三万人の自殺者が出るこの国は、完全に社会の底が抜けてしまった。
そんないま、日本列島の津々浦々に生きる名もなき庶民の生活を記録し、明るく励まして歩いた宮本の生涯は、宝石のような輝きを帯びてこないだろうか。そして宮本が残したおびただしい著作と写真は、滾滾と湧き出る源泉のように、われわれにあらためて生きる勇気を与えていないだろうか。(文庫版あとがき)

2014/03/18(火)●西宮方面●

6時起床。
今朝の血圧は173/86/65。
菜の花花壇摩耶埠頭入り口の西郷川沿いに先週から菜の花の花壇が登場。1月から咲いてる寒桜と併せていかにも春景色だが、やっぱり桜は4月の染井吉野、菜の花は花壇でなくて畑であってほしい。なんていうのもMorris.がすっかりノスタル爺いになってしまったせいだろうか。
荻野くんら5人で西宮の急坂の途中にあるマンション、以前船便とった現場の保管とローカルピックアップ現場。あの日も雨だったが、今日も朝から降ったり止んだりである。まあ、担ぎは若いバイト二人にまかせて、Morris.は椅子やらタンスやら洗濯機やらの家具梱包
昼から雨も上がって、3時半作業終了。
帰りマルハチによって6時帰宅。
まるこめさんの掲示板で、「魚眼キャップレンズ」の話題が出ていた。オリンパスのミラーレス一眼レフカメラのキャップ代わりにもなる薄型魚眼らしい。もともとの一眼レフカメラ持ってないMorris.には無縁の話題だが、一時Morris.はお手軽魚眼さつえいに夢中になってた事がある。古いSONYハンディカム用の魚眼レンズを、コンパクトデジカメの前に置いて撮るという原始的なやり方だったが、結構面白くて病みつきになってた。10年前の韓国旅日記なんか、タイトルが「FISH-EYED SEOUL」だったもんね\(^o^)/ そういえばこのところとんと使ってなかったな。今使ってる機種のレンズサイズとの相性がよくなかったこともあるが、たまには遊びたいな、と、と思ったが、肝腎の魚眼レンズが行方不明になってる(>_<) 無くしたわけではなくて、どこかに紛れ込んでるのだと思う。
今日の歩数は3094歩。

2014/03/17(月)●守山方面●

5時半起床。
今朝の血圧は185/85/70。
今朝は晴れてるのにいくらか霞んでるみたいで、twin煙突の下から昇る朝日も夢幻のようだった。煙突から立ちのぼる煙もいい感じで以前なら、高橋からベストショットを撮ることができたのに、例のマンモスマンションが立ちはだかってしまった(>_<) かえすがえすも残念だが、もうどうしようもない。摩耶埠頭の海面越しに見るtwin煙突もそれなりに風情があるけど、やっぱりね。
浅海くんら3人で、守山市の上海向け船便ピックアップ現場。後日、トランクルームと国内移動もあるので、ある程度トランクルームの梱包もやらせてもらうという話だったのだが、どうも話が食い違ってたようで、今日できるのは船便だけで、昼前に作業終了。
帰り道近江富士三上山のすぐ近くを通ったのだが、えらく霞んでいる。中国からのPM2.5の影響かと思ったが、ネットで見たら、今日の滋賀県の濃度はそれほどでもないとのこと。単なる春霞なのか。
昼は丸亀製麺で冷たいぶっかけ。3時倉庫着。5時半帰宅。
福岡の友人からモネの絵葉書。睡蓮シリーズの一作だが、印象派の画風というのは、今のMorris.には相容れないもののようだ。
KBSの歌謡舞台136回"추억의 가요제思い出の歌謡祭" というタイトル。
1) 무인도無人島/장미화チャンミファ
2) 홍콩 아가씨香港娘/금사향クムサヒャン
3) 빨간 구두 아가씨赤い靴の少女/남일해ナムイルヘ
4) 정 정 정情 情 情/한영주ハンヨンジュ
5) 무조건無条件/박상철パクサンチョル
6) 저 꽃 속에 찬란한 빛이花中に華麗な光が/권성희クォンソンヒ
7) 열애熱愛/조항조チョハンジョ
8) 소녀와 가로등少女と街路灯/진미령チンミリョン
9) 곡예사의 첫사랑軽業師の初恋/강민주カンミンジュ
10) 애수의 소야곡哀愁の小夜曲/김상진キムサンジン
11) 파도波濤/노영국ノヨングク
12) 목포의 눈물木浦の涙/문연주ムンヨンジュ
13) 신라의 달밤新羅の月夜/현당ヒョンダン
14) 바람에 흔들리고 비에 젖어도風に揺れ雨に濡れても/최진희チェジニ

韓国では一昔前は大学歌謡祭が盛んで、これからプロ歌手になるというケースも多かった。トロットの歌謡祭ならMorris.には、釜山松島の「ヒョンイン歌謡祭」が近しいのだが、各都市、名歌手出身地ではそれぞれの歌謡祭があるのだろう。
今日の曲目は色々な歌謡祭(コンクール)の入賞曲が中心らしい。5.のパクサンチョルは、全国ノレチャラン優勝したことがデビューに繋がったということで招ばれたのだろう。
10.から13.は歌手名を冠した歌謡祭のあるナムインス、ペホ、イナニョン、ヒョンインの代表曲である。
8.の「少女と街路灯」は、夭折の天才シンガーライター、チャンドクの作品である。兄のチャンヒョンとのデュエットアルバムにも収められているが、このバージョンで、チャンドクは歌詞を台詞のように囁いている。これはまた、なかなかに味わい深かった。
おしまいにチェジニが歌った曲は、隠れた名曲と言えるだろう。実にスケールの大きな、途中からイタリアのカンツォーネ風の唱法になる、チェジニしては珍しい歌である。そういえば、サランバン会で増田さんがこの歌を歌って、ちょっとびっくりしたことを思い出した。
今日の歩数は4002歩。


高橋からのtwin煙突 

摩耶埠頭からtwin煙突 

霞んでる三上山 

2014/03/16(日)●まぬう大接近(@_@)(?_?)●

7時起床。
今朝の血圧は168/83/84。
今日は石屋川近くのイギリス向けj船便ピックアップ4人現場で、トラック1台には3人しか乗れないのでMorris.は、自転車で現場直行。
出掛けに、SBS「挑戦千曲」のオープニングだけ見て、チャンユンジョンが司会やってることだけ確認。
今日の現場は、数回に分けてのピックアップで次回は来週ということで、なかなか作業がはかどらない。
昼は、すぐちかくの御影公会堂食堂に。恒例のオムライスセット(850円) とりたてて美味いものでもないのだが、この雰囲気だけでまた来たくなる。
今日できる荷物が制限されるため、2時半作業終了。Morris.はこれで開放(^_^) 3時帰宅。
即着替えて王子動物園へ。例の黒ジャガーの子供たちは人気が高く、人垣ができていた。今日は親といっしょで、比べると確かに小さいことがわかる。
そのあとまぬうのところに行ったら、二匹がえらく接近してる。最近雌雄の距離がかなり接近していたが、今日はまさに同じ線上で、すれ違ってた。うーーん、これはひょっとするとひょっとするかも??
資料館図書室でカラスの本の続き読もうと思ったのだが、新着図書で面白そうなのがあったのでそちらを先に読む。
ザ・ワイルドライフ・フォト 10人の巨匠傑作選
嫌われ者たちのララバイ ヘビ、トカゲ、ヤモリ 松橋利光
寄生蟲図鑑 ふしぎなせかいの住人たち
インターメディアテク 東京大学学術標本コレクション
それぞれ見どころの多い充実ぶりだった。おしまいの東大コレクションは、昨年仕事で上京した時に東京駅横のコレクションを偶然見る事が出来て感動してしまっただけに、そのカタログみたいな一冊にはのめり込んでしまった。
しかし今日のヴィジュアル読書には続きがあって、それが
うちは精肉店 写真と文 本橋成一
これはいちおう、子供向けの絵本(写真集)らしいが、年齢に関わらず読んでもらいたい一冊である。
5時に動物園出て、古本屋「ワールドエンズガーデンで、看板猫ぶんちゃんデジカメ撮影して5時半帰宅。
今日は仕事早終わりで、その後何となく楽しい時間を過ごせて良かった。
今日の歩数は4519歩。


今朝のチャンユンジョン 

お昼は御影公会堂食堂 

地下食堂入口 

結局オムライスセット 

黒ジャガー一家 

おお、まぬう大接近 

ショウハナジログエノン 

輪尾狐猿 

今日のヴィジュアル読書 

これはお薦め 

今日のぶんちゃん 

バスケットぶんちゃん 

2014/03/15(土)●近場で仕事●

6時半起床。
今朝の血圧は193/94/78。
朝海くんらと3人で、午前中は若菜通のイギリス向け船便荷物ピックアップ。階段三階でちょっと大変かと思ったが、若いバイトの子がほとんど一人で運んでくれて、ちょうどお昼に作業終了。
寄り目猫と白二匹お昼は垂水区の丸亀製麺でカレーうどん。
塩屋の外人宅に航空便の配達済まして3時前に倉庫着。ちゃかちゃかと荷降ろし、明日の準備済まして、4時帰宅。
図書館の本一冊期限オーバーしてたので、JRで六甲道に出て灘図書館に寄って、しばらくくつろいで(^_^;) 帰りは歩いて、マルハチでちょこっと買い物して、7時帰宅。
BSジャパンで寅さん22作「噂の寅次郎」(1978)やってる。マドンナ役は大原麗子。彼女はこの年渡瀬恒彦と離婚しているが、この映画でも離婚した女性という役柄である。その後の彼女の人生行路を連想して悲しさを感じてしまう。
今日の歩数は6049歩。

2014/03/14(金)●加古川あたり●

6時半起床。
今朝の血圧は183/74/70。
矢谷くんと二人で、加古川の中国広州向け航空便ピックアップ。その後、同じ加古川の国内配達。
午後は垂水のインドネシア向け船便ピックアップ。現場は10階だったが、エレベーターは11階にしか止まらないので、一階分階段。これは何となくめげる。まあ、今日はそれほど荷物多くなかったから良かったけど。
このところ習慣になってる小田嶋隆のアピースオブ警句。今週は「3月の横断幕の向こうに」というタイトルで、浦和スタジアムの「JAPANES ONLY」の横断幕に関するコラムがアップされており、主旨も、分析も、攻め方も切れ味の良いものだったが、その締めくくりにある本の紹介があった。

差別的な横断幕がスタジアムに掲げられた同じ3月8日の夕方、さる知り合いから、一冊の本が届けられた。
九月、東京の路上で』というのがその書籍のタイトルだ。
1923年の9月、関東大震災の混乱の中、東京をはじめとする各地で展開された、朝鮮人虐殺の記録を追ったノンフィクションだ。これを見ると、虐殺に加担した人々は、必ずしも差別意識に凝り固まった残酷なならず者ではない。
一般の、市井に暮らす、普段は温厚な市民が、被害者意識と正義の感情と集団のもたらす熱狂に駆られて、隣人を虐殺したということが、子供たちの作文や、警察署の資料や、生き残った人たちの証言から、浮かび上がってくる。
今回の事案に心を動かされた人は、ぜひ読んでみてほしい。
横断幕の向こう側に広がっている風景を、垣間見ることができるはずだ。


前から関東大震災時の朝鮮人虐殺事件には関心持っているMorris.としては、ぜひ読んでみたくなる一冊だが、今日トラックの中で、矢谷くんがこの本のことを話題にした。東京の知り合いが小さな出版業やっててそこで出した本ということだった。何か不思議な偶然を感じた。
今日の歩数は4822歩。


今朝のtwin煙突 

加古川方面の空 

メカニックなタンク車 
2014/03/13(木)●大津あたり●

6時起床。
今朝の血圧は201/99/78。
朝から雨。
傘さして歩いて間や倉庫へ。
高橋を上ったら、ずっと天幕に覆われていた線路沿いの大型マンションの一部が顕わになっていた。これで高橋からの景観は全く駄目になってしまった。Morris.としてはここからみるTwin煙突が一番好きだったのに(;;)
浅海くんら3人で、大津瀬田唐橋の上海向け荷物ピックアップ現場。
ずっと雨がやまない(>_<)
昼は近くの王将で中華丼大盛り。質量共に満足だった(^_^;)
3時半作業終了。
5時倉庫着。
このところ3ヶ月近く異常な農閑期だったが、やっと、というか、突然農繁期になりそうだ。去年は農繁期にバテてミスを連発したことがあったので、今年は週一くらいは休みを入れて何とか乗り切っていこうと思う。
今日の歩数は5299歩。


高橋のマンションが姿を現した(>_<) 

彩色地蔵さん 

夜桜? 

【日本人の知らない日本語2、3】蛇蔵&海野凪子 ★★★☆ 2010/02/19(2) 2012/03/09(3) メディアファクトリー。
以前第一巻を図書館で立ち読みして、いたく感心した覚えがある。続編2冊があったので息抜きに(^_^;)借りてきた。現役ばりばりの日本語教師凪子(ペンネーム)さんと漫画の蛇蔵さん(女性)のタッグで、世界各国から来た日本語学習者たちの、疑問や間違いをネタに、楽しくおかし過ぎる学習漫画になっている。
凪子さんは、本職でも相当に優秀な先生だと思われる。実際の日本語学習者にとっては参考になるところ多いだろうし、日本人にも目からうろこの話満載である。Morris.としては、小ネタ拾いに徹することにしたい。

・一般的なおみくじの順番
悪い            ←縁起→          良い     
大凶<凶<末吉<(半吉)<吉<小吉<中吉<大吉


これって、確かにわかりそうでわからないところがある。「吉」より「小吉」の方が上というのも意外だった。歌舞伎や絵草紙の評判記に出てくる「上吉」とか「大々上吉」なんてのは、おみくじには無いのだろうか?

・日本では「右」と「左」で最初の書き方が違います。「右」は「ノ」→「―」→「ロ」。「左」は「―」→「ノ」→「エ」。中国では両方横線から書くらしい。

これも知らずにいたが、浅海くんは知ってた。彼はブラジル生まれで、漢字は来日してから公文式のテキストで勉強してたからな。「必」の筆順も結構間違えやすいということはMorris.も知ってたが、この左右の違いはいまいちぴんと来ない。Morris.は、漢字の筆順はどうでもいい、と思っている。

・外国人にわかりやすい日本語
1.「です」「ます」で話す
2.漢語ではなく和語を使う
3.過度な敬語を使わない
4.文章は短く
5.外国人が日本語で話しかけたら日本語で答える
6.(おまけ)「外国人が日本人に逃げられない話し方」=いきなり話しかけず頭に「え~っとね」をつけるだけ!!


これは韓国語にも援用できそうぢゃ。

・記号などの名称
々=おどり字
ヶ=漢字(个)の略字。「个」は中国語で数える時に使う
*=アステリクス、※=米印
#=ナンバー、似てるので「シャープ」とも呼ばれるが、シャープは横線が右上がり「♯」。
∞=インフィニティ、無限大
/=スラッシュ、斜線
( )=パーレン、丸かっこ
&=アンバサンド、アンド


これも知ってそうで結構難しい。@(アットマーク)は韓国ではタルペンイ(かたつむり)と呼ぶ。

2014/03/12(水)●粉浜あたり、●

5時半起床。
今朝の血圧は167/86/104。
久々摩耶埠頭。
矢谷くんら3人で、大阪住之江区粉浜のシンガポール向けピックアップ現場。
現場はかなり入り組んだ路地の中にあって、何とかトラック入り込んだものの、別の車が通るたびに、移動しなければならず、矢谷くんは10数回トラック移動することになった。。
2時作業終了。3時倉庫着。
摩耶埠頭に朱色のバラ積み船が停泊してたのでデジカメ撮影。
JUBILANT SKY
船籍国: Panama
Type: Bulk Carrier
IMO: 9296779
総トン数: 29739
載貨重量トン: 52307
全長 x 巾: 180m x 32m
建造年: 2004

この神戸埠頭停泊のばら積み船やコンテナ船は大部分がつい最近建造のものがメインである。神戸埠頭では新造船の装備や何かの作業をしているようだ。
今日の歩数は3004歩。


お洒落なラジオ 

JUBILANT SKY

タグボートに牽かれた艀も通る 
2014/03/11(火)●東日本震災三年●

7時起床。
今朝の血圧は178/86/81。
雲ひとつなく晴れ上がっている。
東日本震災から3年目。神戸震災の3年目と比べると、復興の遅れというより、無策が目立つ。なんと言っても福島原発の事故原因の詳細すら明らかにされず、放射能汚水垂れ流し状態にある中での原発再稼働への舵取りが腹立たしい。
10時半部屋を出てJRで大阪へ。
駅地下で拡声器使ってる。なんだろうと覗きに行ったら、大阪市長選に立候補しているマック赤坂の演説だった。橋下市長の個人的事情の再選挙で、ほとんど無意味なもので、各政党は候補者出さず、マック赤坂も泡沫候補でしかないのだろうが、植木等の音曲など流して、楽しそうに演説すると、かなり酒の入ったおっちゃんが踊りだすという、なんとなく浮世離れした選挙戦?風景だった。Morris.が大阪市民だったら、今回は彼に一票投じそうだ。
地下鉄で西長堀、大阪市立中央図書館。例によって、写真集閲覧。
大阪の図書館は月曜休館ではないことを初めて知った(@_@) やや変則的な木曜休館らしい。
5時過ぎに桃谷の洪ママ介護マンションに見舞いに行く。歌麿会長が先に来ていた。ママは顔色もよく元気そうだった。ただ、食が細くて、ガリガリなので、もう少し無理してでも食べるべきだろうな。
会長と一緒に6時過ぎにサランバン会会場「ジュン」へ、まだ誰も来てない(^_^;)
榎本さん、丸本さん、増田さんなどぼちぼち集まるも、何となく気勢が上がらない。8時過ぎに、やっと韓国女性陣がやってきて盛り上がった(^_^;)一年ぶりに米倉さんも来場。大きな手術をして、全快したとのこと。前より元気そうだった。これは朗報。
例によって榎本さんのビール攻勢。何となく当たり前みたいに飲ませてもらっているが、ふるまい酒は特別なことであることを忘れてはなるまい。ともかくも感謝m(__)m
10時半に店を出て、零時前帰宅。
今日の歩数は2590歩。


大阪市長候補マック赤坂踊る演説 

三色菫 

鶴橋路地黒 

桃谷白トラ 

空地の三毛 

サランバン会 

歌麿会長好調 

レパートリー増加の榎本さん 

両手に団子? 右は久々の米倉さん
2014/03/10(月)●古本市設営●

7時起床。
今朝の血圧は150/87/86。
9時前に六甲学生青年センターへ。恒例の古本市会場設営のお手伝いである。
朝は雲ひとつない青空が広がってたが、昼から曇って雪まで降りだした。午前中は本棚の組み立て。棚二本が新規に入ってたが、これは本棚というより、倉庫のスチール棚で、やたらネジが多くて大変だった。丈夫だとは思うが、これはもう分解しないほうが良いと思う(^_^;)
昼はパク君行きつけの定食屋に行く。何故か古本設営時にはパクくんと昼食というのが定番になっている。生まれて初めてチキンカツ丼というのを頼んだのだが、これがえらく美味しかった。
午後は、例によってのダンボールカートンでの本棚作り。みかん箱のリサイクルで、5年位前からずっと追加しながらの使い回し。飛田さんの発案であるが、Morris.はこれの専任作業スタッフ(^_^;)になってしまっている。8本ほど造る。あとしばらく本棚整理。5時半までセンターにいて、6時帰宅。
明日で東日本震災3周年。テレビ、新聞などでは、しきりに特集やってて、安部総理は被害地訪問、復興の誓い発言で、人気取りに余念がないが、原発再稼働まっしぐら&福島中間貯蔵場(二枚舌)、集団自衛権(憲法曲解)、公営放送私物化、財政癒着(同舟)、でっちあげ秘密法、靖国参拝……とやりたい放題だが、小田嶋隆のピースオブ警句でも取り上げられてた石破幹事長発言も、相当なものである。
KBS歌謡舞台1364回"신춘야곡新春夜曲" という、あまりよくわからない特集である。夜曲らしいのは「ソウル夜曲」と「水銀灯」くらいか。まあ、この番組の特集タイトルは、「とりあえずつけてみました」タイプが多い(^_^;)。
1) 가는 봄 오는 봄行く春来る春/김부자キムプジャ
2) 청춘을 돌려다오青春を返して+ 고장 난 벽시계故障した掛時計/현철ヒョンチョル
3) 보슬비 오는 거리霧雨の町/조성희チョソンヒ
4) 서울야곡ソウル夜曲/박일준パギルチュン
5) 아빠의 청춘パパの青春/남보원ナムボウォン*
6) 두메산골奥地/최영철チョヨンチョル
7) 수은등水銀灯+개나리 처녀連翹乙女+청춘의 꿈青春の夢/김연자キムヨンジャ
8) 꽃바람 여인花風の女/조승구チョスング
9) 과거는 흘러갔다過去は流れた/여운ヨウン
10) 아담과 이브처럼アダムとイブのように/나진기ナチンギ
11) 찔레꽃野茨/송란ソンラン
12) 봄날은 간다春の日は過ぎゆく+청춘 고백青春告白+나침반羅針盤/설운도ソルンド
13) 사랑은 무죄愛は無罪/염수연ヨムスヨン
14) 유리벽 사랑硝子壁の愛/박진도パクチンド
15) 미사의 노래ミサの歌/이우서イウソ
16) 꿈이여 다시 한 번夢よもう一度/안다성アンダソン

今日の歩数は8120歩。


阪急線路際のウルトラメン 

篠原南町の白黒 

手前がMorris.作みかん箱本棚 

【日本辺境論】内田樹 ★★★☆ 2009/11/20 新潮新書。
Morris.は以前、結構内田樹ファンだった。発想が新鮮で、テーマもMorris.の興味・関心の向くところと重なってたし、語り口が巧みで面白かった。でも、何冊か読んでるうちにだんだん、飽きる、というより、胡散臭さを感じるようになって、読むのもやめた。先日読んだ「「日本人論」再考」の年表の最後に本書が記されていたので、つい読むことにしたのだった。
本書は結構ベストセラーにもなったようだ。基本的にMorris.はベストセラーは読まないのだが、前に養老孟司のベストセラー「バカの壁」を読んで、反省しきり(面白くない+理解できない)だったことがある。本書もほぼ同じような読後感だった。「バカ壁」も新潮新書で、、養老孟司と内田は親しい上に、本書でも一部は彼からの受け売りであると明言している。
で、ひさしぶりに、内田本を読んだわけだが、やっぱり、売れ筋の語り口で、そのくせ、鬼面人を驚かすたぐいの口上も多く、以下のような、故事成語、擬古文的表現が目についた。

奇中実をとらえ怪中真を掬して自ら資す/明治書生の風儀を蘇生させたい/弊履を棄つる/満目これ荒涼惨として生物を見ず/中原に鹿を逐う

やや難解な見慣れぬ漢字熟語も多い。

話頭/感懐/召命/宥和的/背馳/弁疏/繋縛/合従連衡/喫緊/視野狭窄/掣肘/共軛/海容/帰趨的/秋霜烈日/大悟解脱/階梯/把持/横超/直入/見性/石火之機/住地煩悩/卒啄之機

カタカナ語は、元から使い放題だったが、これは当人の中では自明ということなのだろう。

アクロバシー/スキーム/コロラリー/ブリコルールbricoleur/パラダイム/リテラシー/コロキアル/キャッチアップ/ネゴシエーション/プラクティカル/ソリューション/アポリア

こういったややペダンティックな文体癖は、いくらかMorris.にもその傾向無きにしもあらずだが、とりあえず反省の気持ちにさせられる、という意味では反面教師になった。

「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、何となく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。本当の文化はどこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう」(梅棹忠夫『文明の生態史観』1967)


梅棹忠夫、何か懐かしい名前である。67年といえばMorris.は高校生くらいか。当時読んだような気もするのだが、やっぱり中身はまるで覚えてないな。

日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません(あら、いきなり結論を書いてしまいました)。すぐれた日本文化論は必ずこの「回帰性」に言及しています。数列性と言ってもいい。項そのものには意味がなくて、項と項の関係に意味がある。制度や文物そのものに意味があるのではなくて、ある制度や文物が別のより新しいものに取って代わられるときの変化の仕方に意味がある。より性格に言えば、「変化の仕方が変化しない」というところに意味がある。

これが結論かい。日本人には進歩がないということか(^_^;) 

小泉内閣時代に推進された「構造改革・規制緩和」というのは、意地の悪い言い方をすれば、アメリカの企業が日本市場で自由に経済活動ができ、利潤を吸い上げられるシステムを整備するということでした。

こういう物言いに、最初の頃Morris.は惹かれたのだろう。月並俳句みたいである。

外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくか、「専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。」そのような人間のことを私は本書ではこれ以降「辺境人」と呼ぼうと思います。

Morris.のことは「偏狭人」とでも呼んでくれ。

もし、「日本が諸国民に卓越している」というのがほんとうなら、これまでどの国のどの国民も思いついたことがないような種類の、真にオリジナルな、そして同時に真に普遍的な、国際社会の行く末をあかあかと照らし出すようなプログラムが日本人によって提言されていていいはずです。でも、この「世界に冠絶する」日本のナショナリストたちが提言しているのは「他の国が『こんなこと』をしているのだから、うちも対抗上同じことをすべきである」という提言だけです。
本来のナショナリズムは余を以ては代え難い自国の唯一無二性を高く、誇らしげに語るはずであるのに、わが国のナショナリストたちは、「自国が世界標準」にキャッチアップすることの喫緊である旨を言い立てている。


そういえば、内田はひところ「ネオナショナリスト」と呼ばれたことがあったような(今でもそうかも)気がする。「キャッチアップ」は「遅れに追いつく」みたいな意味らしい。
結局Morris.は、本書の結論や考察には、あまり感銘を受けなかったが、以下のような小ネタがなかなか面白かったので、貶してる割に評点が甘くなったきらいがある。

日本の「国民文学」は、諸外国語にほとんど翻訳されていない。ある意味翻訳されない(翻訳不能?)文学こそが「国民文学」ではないのか」という決めつけは、面白かった。
3点しか翻訳されていない司馬遼太郎、藤沢周平、池波正太郎、吉行淳之介、島尾敏雄、安岡章太郎、小島信夫、思想家においても、吉本隆明、江藤淳、埴谷雄高、谷川雁、村上一郎、平岡正明……
韓国でも発売とほとんど時を同じくして翻訳されてる村上春樹などは「国民文学」ではないということか。それには賛意を表したい。

時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。五歳の子どもにとっては一年は人生の20%の時間です。五十歳の大人にとっては2%にしか過ぎません。だから、子どもにとって主観的時間はゆっくり流れます。

これは前からのMorris.の持論(と思ってたこと)で、その後色んな人が似たようなことを書いてるのにお目にかかったが、これもその、一例として引いただけ。Morris.はどちらかというと、年取ると時間の流れが速くなるの方に力点おいてたのだけど。

フランスの書店では「MANGA」というコーナーがあります。
日本のマンガは文字は縦書き、頁は右から左へ進みます。欧米の漫画は文字は横書き、頁は左から右です。(以前は)マンガは「裏焼き」され、欧米使用の読み方で読めるように改作されていました。
それが今では、マンガだけは、欧米でも、日本で読むのと同じ製本、同じコマ割りで読めるようになった。欧米の若い読者たちがマンガをオリジナルの味わいで読むことができるように、彼らのリテラシーそのものを書き換えたのです。


そうそう、欧米ではないが、韓国で日本のマンガの韓国版は以前は文字は横書きで左から右に開く形式になってた。だから絵は裏返しになってたので、野球場面ではバッターが三塁に走ることになってた。現在再読中の韓国語版「動物のお医者さん」もそうである。それが、最近では日本と同じく左から右に開く、つまり日本と同じ形態になっている。ハングルは縦書、横書き自由だから、最初から日本と同じにもできたにちがいない。韓国オリジナルの漫画が現在どちらになってるのかはっきりしない。今度チェックしてみよう。

『土佐日記』で紀貫之は「をんな」の真似をして女性語を使ってみたのではありません。「をんな」の真似をして女性語を使って「をとこ」の真似をして日記を書いたのです。二つのフェイクが入っている。生活言語を使わないはずの人間が、あえて生活言語を使って、外来の公用語で書くべき種類のテクストを書く。コロキアルな言語を外来の言語形式の中に流し込む、あるいはコロキアルな言語の上に外来の概念や述語を「載せる」。それが日本語の正しいとは言わないまでも、もっとも効果的な運用法になった。

このような、ひねった解釈というのも、Morris.が内田を面白く思った部分だろう。「コロキアル」は「口語対、日常会話」といった意味らしい。ちなみにこの反対が「「リテラシー」らしい。前文で「生活言語」「公用語」とあるのが、このニ語に対応しているわけだが、こういった筆法がだんだん鼻について来たというわけだ。

2014/03/09(日)●参考書一冊終了●

7時起床。
今朝の血圧は178/90/71。
SBSの「挑戦千曲」今日も元気に妊婦チャンユンジョン元気に司会。今日は大御所ヒョンチョルがゲスト。他の出演者もどんどんヒョンチョルの歌を歌ってた(^_^;)
12月に買った「韓国語重要文型100 中級」何とかおしまいの100まで辿り着いた。3ヶ月ちょっとでほぼ予定通り。ひととおり音読したといったところで、成果の方は??である。例文が多いのは良かったのだが、解説は思ったほど親切ではなかったきらいがある。上級篇は保留ということで。次は新長田図書館の棚からセレクトしてみよう。
KBSノレチャランは京畿道九里市篇。お目当てのゲストは出なかったが、出演者が概ね元気が良かった。
午後はTVでラグビー日本選手権決勝東芝-パナソニック戦見る。前半東芝が14-10でリード、後半シーソーゲームを制したのはパナソニック、30-21で東芝を降し、4年ぶり、三洋電機からパナソニックに名前変わってから最初の優勝ということになった。しかし、知ってる選手ひとりもいないということでは、応援するにもしようがない(^_^;)
その後、自転車で三宮図書館へ。館内で石川文洋の写真絵本?「死んだらいけない」(2004 日本経済新聞社)立ち読み。ジュニア向けだが、シンプルで感動的だった。反戦だけでなく命の大切さを押しつけるのでなく、感じさせる、写真と文章である。
帰り大安亭でちょこっと買い物して6時帰宅。
石牟礼道子の「苦海浄土」読んだことから、You Tubeで水俣病関連のTV番組何本か見る。東日本震災、特に福島原発事故と、水俣病事件への企業、行政の対応姿勢が重なって見えてくる。
今日の歩数は2002歩。


「挑戦千曲」チャンユンジョン元気そう 

ヒョンチョルとチャンユンジョン 

春日野道の白雉 

大安亭の黒 

フワ白黒 

白雉 

別黒 

ハチワレ白雉 

旭通の雉 
2014/03/08(土)●黒ジャガー赤ちゃん●

7時起床。
今朝の血圧は171/95/75。
ピーター・バラカンのウイークエンドサンシャイン、久しぶりにゆっくりベッドで聴いた。2曲めにリッキーリージョーンズの「Chuck E.'s In Love」、3曲めにビリーホリデイの「I'm Pulling Through」がかかり、おお、いい感じと思ったのだが、その後はパコ・デ・ルシアとジャコ・パストリアスのフラメンコ特集で、ちょっと盛り下がってしまった。フラメンコって、凄い!!とは思うのだけど、あまり聴きたいとは思わない。
ぐいぐい酒場に稲田さんから、王子動物園で、昨年生まれた黒ジャガー赤ちゃんの一般公開お知らせ情報があった。動物園はMorris.の庭園くらいに思ってるMorris.なのに、こういった情報にはややうとい(^_^;) まぬうと資料館がメインだしね。稲田さんの情報によると午後3時から30分だけの時間限定公開らしい。
王子動物園のホームページ見たら以下のニュースがあった。

王子動物園では、2013年11月26日(火)にジャガーの赤ちゃんが2頭誕生しました。当園でのジャガー誕生は1993年(平成5年)以来20年ぶりです。父親「アトス」と母親「ローラ」との間に生まれた赤ちゃんはオスとメスで、ともに両親と同じ黒い体色をしています。(通常ジャガーの体色は黄色に黒い斑模様がある)現在母親のローラは2頭の育児を行い、赤ちゃんは順調に成長しています。 ローラが育児に専念できるよう、当分の間は母子ともに非公開といたします。

ちょっと早めに行って、まぬう見に行く。その前に鳥舎で孔雀が羽を広げていた。デジカメ構えたら、手前の白孔雀まで羽広げる(^_^)/ そのあとまぬうんとこに行ったら、このところの定位置取り。
3時前にジャガーのところに行ったら、50人位が待ち構えていた。飼育係が、首をつまんで登場(^_^;)。どっちが雄でどっちが雌かはわからない。成獣よりはだいぶ小さいけど、見た目はそのままで、もう赤ちゃんという感じではなかった。人が多くて、なかなか撮影しにくかったが、適当に写して、資料館の図書室で、この前から読んでる「カラスの教科書」の続き。
4時過ぎに退出して、水道筋回って5時半帰宅。
テレビつけたら阪神-日ハムのオープン戦終わりがけだった。5-6で阪神敗けてしまったが、オスンファンの登板見られたのが良かった、ということにしておこう(^_^;)
の歩数は4258歩。


孔雀の競演 

白孔雀 

孔雀 

今日のまぬう 

黒ジャガー赤ちゃん特別公開 

飼育係につままれて登場 

雄雌の双子 

どちらかな? 

今日のヴィジュアル読書 

こちらはカラスの本 

水道筋の鯖トラ 

ハチ雉 

【つながる図書館】猪谷千香 ★★★☆ 2014/01/10 ちくま新書。
公共図書館はいま、無料貸本屋から脱して、地域を支える情報拠点としての施設にシフトし、町づくりの中核に図書館を据える自治体も登場している。……変わりつつある図書館の最前線へ出かけてみよう。いざ、図書館へ!(カバー袖の惹句)

Morris.にとって図書館とは必要不可欠の公共機関であることは言うまでもない。やや過剰利用ともいわれそう(^_^;)だが。Morris.の読書生活の90%以上は確実に図書館に負っている。
図書館そのものへの関心も平均よりは高いはずだが、何となく図書館関連の本は読まずにいた。本書は6章に分かれているがその第5章が「武雄図書館」と「伊万里市民図書館」が選んだ道」でボリュームが全体の1/3くらいあったのに気を引かれたのだ。武雄はMorris.の出生地だし、伊万里も同じ佐賀県である。武雄図書館のリニューアルは全国的ニュースになった。TSUTAYAとスターバックスが入った全く新しいコンセプトの図書館というのがその目玉として取り上げられたような記憶がある。Morris.の知っている武雄図書館は小学校の脇の坂の上にあったこじんまりした2階建てのものだった。小学生から高校時代まで通いつめたものだが、子供心にも蔵書数も内容もいまいちだった。まあ、それなりにお世話になったわけだけどね。
Morris.が武雄を離れてから、公会堂横に移転したことくらいは知ってたけど、武雄そのものと縁遠くなってしまったから、足を運んだことはあってもほとんど記憶にはない。
それが突然(2013年4月リニューアルオープン)話題になったので驚かされた。
伊万里市民図書館は1995年開館で、もちろん行ったこともないが、図書館業界?では高い評価を受けているらしい。館内には「図書館の自由に関する宣言」と共に「伊万里市民図書館設置条例」が掲げてあるとのこと。

第一条 伊万里市は、すべての市民の知的事由を確保し、文化的かつ民主的な地方自治の発展を促すため、自由で公平な資料と情報を提供する生涯学習の拠点として、伊万里市民図書館を設置する。

伊万里市民図書館のスタンスは戦後の新しい図書館のオーソドックスな姿勢に、市民への貢献を加味したもののようだ。
新しい武雄市図書館の方針はこれとはかなり対照的である。公式ガイドブックが「たけお散歩」と題され、設立ドキュメントのタイトルが「図書館が街を創る」ということからもわかるように、図書館を町づくり運動の一環として捉えているようだ。もともと武雄は温泉町でいちおう観光地だから、この姿勢も分からないではないのだが、Morris.としては何となく違和感をおぼえてしまう。
ただ、本書の中の以下の記述は寝耳に水だった(@_@)

武雄市は、幕末の佐賀藩の優れた科学技術を示すコレクションがあることで知られている。
武雄鍋島家の第28代領主、茂義(1800~62)は、幕末、領内で蘭学を進取し、近代化事業を進めた。茂義の主導のもと、近代ヨーロッパの自然、人文科学の知識が詰まった蘭書や、天球儀や地球儀など多様な文物が武雄にもたらされている。


そんなことがあったのか。灯台下暗しというか、まったく知らずにいたし、学校でも教えてくれなかった(忘れてるのかも)ような気がする。
新しい武雄図書館については、以下の部分にほぼ同感である。

今、武雄市図書館は確かに新しいだろう。しかし、CCCは企業として当たり前の行動だが、全国の図書館に運営を広げる方針だ。もしも、あちこちに「TSUTAYA図書館」ができてしまえば、武雄市図書館の集客力は減っていくだろう。早ければ数年以内にそれは起きてしまうかもしれない。

本書のはじめに書かれている、図書館=「無料貸本屋」からの脱却としての多角化、多様化、情報拠点化が求められていることは、分からないでもないのだが、Morris.は基本的に「無料貸本屋としての図書館」のヘビーな利用者の域を脱せずにいるのだろう(^_^;)

2014/03/07(金)●日本人論論●

7時起床。
今朝の血圧は188/104/79。
昨日からえらく冷え込んでいる。
朝の3点セット。
昼のニュースは例の偽聾作曲家佐村河内の記者会見というので、延々とやってたが、何を言っても言い訳にしか見えない。最初から二人の共同作業としておいたら何の問題も無かったのだろう(全聾疑惑はともかく)。
夕方水道筋方面に出て1時間位で帰宅した以外は先日読んだ日本人論の読書メモ↓でほとんど一日終わってしまった(^_^;)
今日の歩数は2501歩。

【「日本人論」再考】船曳建夫 ★★★☆☆ 2010/04/12 講談社学術文庫
2007年に読んだ関川夏央の「「坂の上の雲」と日本人」の中に本書からの引用があり、読まねば、と明記してたのにすっかり忘れてしまってて、先日目について、遅まきながら借りてきた。学術文庫版は2010年はっこうだが、元本は2003年NHK出版から単行本として出ている。それ以前にNHK人間講座(2002)として企画されたものだったらしい。
これでもかというくらい、多数発表されている「日本人論」論とでもいうもので、斎藤美奈子さんの名著「文章読本さん江」によく似たスタンスの本だった。
「文章読本」も「日本人論」もMorris.も結構たくさん読んでて、その総ざらいになるという意味でも興味深かったようだ。
本書のおしまいに関連年表があり、取り上げた主な著書とその発表時が一覧できるようになっていたので、約めて先に引用しておく。

「日本人論」関連年表
1867(慶応3) 大政奉還。王政復古の大号令
1868(明治元) 戊辰戦争。五箇条の御誓文
1887(明治20) ピエル・ロチ「お菊さん」(邦訳1915)
1889(明治22) 大日本帝国憲法発布
1894(明治27) 日清戦争(~95) 内村鑑三「代表的日本人」。志賀重昂「日本風景論
1899(明治32) 新渡戸稲造「武士道」
1904(明治37) 日露戦争(~05) 岡倉天心「日本の覚醒」
1905(明治38) ポーツマス条約。第二次日韓協約
1906(明治39) 岡倉天心「茶の本」。夏漱石「坊っちゃん」「草枕」を雑誌に発表
1908(明治41) 漱石「三四郎」連載
1909(明治42) 漱石「それから」連載
1910(明治43) 大逆事件。韓国併合。漱石「門」連載。柳田国男「遠野物語」
1914(大正3) 第一次世界大戦(~18) 漱石「」連載
1923(大正12) 関東大震災
1930(昭和5) 金解禁。昭和恐慌(~32) 九鬼周造「「いき」の構造
1931(昭和6) 満州事変
1935(昭和10) 和辻哲郎「風土」
1936(昭和11) 二・二六事件。ブルーノ・タウト「日本文化私観」
1937(昭和12) 日中戦争始まる。横光利一「旅愁」連載開始(~46)
1941(昭和16) 太平洋戦争(~45)
1942(昭和17) 座談会「近代の超克」
1945(昭和20) 敗戦
1946(昭和21) ルース・ベネディクト「菊と刀」(邦訳48)
1957(昭和32) 梅棹貞夫「文明の生態史観序説」
1960(昭和35) 宮本常一「忘れられた日本人
1964(昭和39) 東京オリンピック
1965(昭和40) 尾高邦雄「日本の経営」
1967(昭和42) 中根千枝「タテ社会の人間関係」。作田啓一「恥の文化再考」
1971(昭和46) 土居健郎「「甘え」の構造」。イザヤ・ベンダサン「日本人とユダヤ人
1978(昭和53) 日中平和条約調印。エドワード・サイード「オリエンタリズム」(邦訳86)
1979(昭和54) 第二次石油ショック。エズラ・ヴォーゲル「ジャパン アズ ナンバーワン」(邦訳同年)
1986(昭和61) 司馬遼太郎「この国のかたち」連載開始(~96)
1987(昭和62) ハルミ・ベフ「イデオロギーとしての日本文化論」
1990(平成2) 東西ドイツ統一。青木保「「日本文化論」の変容」
1992(平成4) 阿部謹也「西洋中世の愛と人格――「世間」論序説」
1994(平成6) カレル・ヴァン・ウォルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」
1995(平成7) 阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件。阿部謹也「「世間」とは何か」。岸田秀「母親幻想」
1996(平成8) 永六輔「職人」
1997(平成9) アーサー・ゴールデン「さゆり」(邦訳99)。アラン・マクファーレン「イギリスと日本――マルサスの罠から近代への跳躍」(邦訳2001)
1999(平成11) ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」(邦訳2001)
2001(平成13) アメリカ同時多発テロ。阿部謹也「学問と「世間」」。土居健郎「続「甘え」の構造」
2007(平成19) 船曳建夫「右であれ左であれ、わが祖国日本」
2009(平成21) 内田樹「日本辺境論」


もちろんこれ以外にも山ほど類書はあるのだろうが、このくらいで充分だろう。太字はMorris.既読の本である。
鳴かぬならのホトトギスの句合わせで有名な三人の武将を日本主義の三類型に当てはめて、明治の三人に対照させる部分が面白かった。

信長-「国際日本」-新渡戸稲造
秀吉-「大日本」-福沢諭吉
家康-「小日本」-夏目漱石

この日本モデルはじつはその後の明治以後の日本にも三つの流れとしてみられる。植民地として他の帝国主義国家に捕食されないように図体を大きくしようと計った日本は「大日本」を目指した。しかし、そうした大日本が国策のモデルであった明治以降の80年の歴史の中でも、大正時代の国際連盟への参加後の一時期は「国際日本」モデルにも焦点は合わされていた。また「小日本」の議論も常に存在して、有名なのは戦前すでに「植民地」を手放すことを主張した石橋湛山の主張である。そして、戦後の日本は明らかに「国際日本」をモデルとして取った。それはまた経済「大国日本」に変質していくのだが。


「鎖国」は対外的な外交政策であったが、それがその内に招来したのは、外からの疫病の襲来も少なく、飢饉も小規模で、戦争は全く見られない、人口論的には奇跡とも思える驚くべき、循環型の、持続可能な社会であった。
(農業文明段階の)繁栄がゆえに必ず起こる急速な人口増加に食料の生産が追いつかず、その人口過剰は、人類の三代敵ともいうべき「戦争と飢饉と疫病」によって減少させられるしかなく、文明はそれによって衰弱するという宿命的サイクルを繰り返してきた。
江戸期に作り上げられた生活社会は日本の歴史の中でも傑作の一つであろう。何しろ、農業文明の段階で戦争もなく、同時期の世界の諸社会と比べて大きな飢饉も疫病もない「平和」を、2世紀以上も維持したのだから。この時期の日本社会は『裸の島』に見られるように、可耕地はすべて耕すことに始まって、何でも無駄にせず食べ、食べたあとの排泄物も肥料とし、そして「女」の労働力と「ケア」に多く依存しつつ、粒々辛苦して成り立った「持続可能な循環型社会」であった。これを作り上げ維持する過程で、多くの日本人論に取り上げられるような「工夫」、「世間」、「甘え」といった現在にまで続くさまざまな「日本的行動」の原型を生み出したと、私は考える。


江戸時代がある意味でエコロジカルな社会構造だったという説は、結構耳にする。確かに「鎖国」がもし無かったら、日本という国が存続したかどうかさえわからないところがある。

北方諸民族に関する、最上徳内、間宮林蔵、近藤重蔵らの残した資料には、規模は小さいのだが、古典的な帝国、例えば中国やローマがその周辺の民族について書き記したものと同じ視点がある。異なるものへの好奇心と、その前提になっている相手を低く劣ったものとみなすことである。

これが、明治になって、西欧から逆に劣ったものと見なされたことが、日本人に余計にショックを与えたという文脈に続く。

仮説は次のようである。「日本人論」とは、近代の中に生きる日本人のアイデンティティの不安を、日本人とは何かを説明することで取り除こうとする性格を持つ。不安を持つのは、日本が近代の中で、特殊な歴史的存在であること、すなわち、「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であった、ということに由来する。その、日本がいわゆる「西洋」近代に対して外部のものであることは歴史的な規定であり、時間をさかのぼっては変えることはできないから、不安は、繰り返しやって来る。よって、「不安」が高まるときには、その不安の個別性に添って説明する「日本人論」が書かれる。しかし、このアイデンティティの不安は根元的で、解消されないものだから、常に新たな「不安」が生まれ、そのつど新たな「日本人論」がベストセラーとなる。なお、この「不安」とは、決して、「日本」が危機となったときにだけ増大するのではなく、国運が好調のときもまた、その「成功」に確信が持てないため「不安」が生まれる。それゆえ、国力が低まったときも高まったときも、不安とそれに対する日本人論が現れることになる。

この仮説が本書のレジュメみたいなものであり、その後はこの仮説を個々の日本人論で実証するという形になる。

日本人論の多くの書き手が、「外国」、多くの場合「留学」を一つの契機として執筆を行う。これは枚挙にいとまがない。雑駁に、日本人論とは、日本の知識人が外国に行って、ある種の壁にぶち当たったとき、自己のアイデンティティを安定させるために書くのだ、と言えるほどである。(第一章「日本人論」が必要であった理由)

著者もその中の一人であるらしい。

「留学」と長期滞在(「洋行」)が明治以来の日本のエリートとインテリに与えた影響、そして男女のジェンダーによる外国体験の違いは、あまり語られずに、かつあまり論じられてこなかった、長く深い「日本人的」トラウマなのかもしれない。(第十一章 これまでに日本人論が果たした役割)

いまでこそ、「植民地主義」とえいば、19世紀から20世紀にかけてその時期の主要国が犯した「悪」として語られるのが常識だが、少なくとも当時において、それはあるプラスの「価値」を持ったものとして考えられていた。いま、それはやはり「開発・援助」という名に変わって、若者を引きつけている、といえば分かりやすいだろうか。その欧米における「植民・開拓」の考えには、キリスト教の、全人類への「布教」という精神が核となっていることは疑いがない。札幌農学校で内村、新渡戸の二人がキリスト者となったのは、たまたま教授陣が個人的にキリスト教徒であった、ということだけではなく、農学校での、北海道開拓からのちの日本の植民地主義による、台湾、満州の開拓までを見据えた教育のバックボーンとして、「キリスト教」があったことが大きい。(第二章「富国強兵」--日清・日露の高揚期)

明治時代の北海道農学校が東大と肩を並べるエリート養成機関だったということは、押さえておく必要がありそうだな。

大正時代、その比較的に自由主義的な社会状況で、日本人を論ずるとなると、外国と比較することで天皇を中心とする日本を「相対化」することになる。しかし、そうした作業は、一方で不敬罪にふれ、他方で、右翼からの攻撃を招くことになる。

と、いうことで、大正時代は「日本人論」不毛の時代だったらしい。

『「いき」の構造』が持つ文体と分析手続きの生真面目さは、読んでいると、これはひょっとして戯文、あるいはパロディとしての日本文化論なのか、と疑問が湧くほどである。

半分当たっていると思う。

『「いき」の構造』は多くの人々に実際に読まれることはなかったかが、古典となることでその特異な題名で世に知られ、日本的なるものは分析しうる「構造」を持ちうる、というメッセージを発し続けているのだ。九鬼は、意識して背を向けている西洋から、そうした「方法」を受け取っている。

いや、Morris.も読んだからというわけではないが、この本は結構読まれているように思うぞ。

『旅愁』(横光利一)の妓生の発言である。西洋から帰ってきた日本人が神戸を見てみすぼらしさに泣くのに対し、神戸から半島に戻った朝鮮人がそれに憧れる、ということ。そして、それは、現代日本史が世界史である、といったときの「世界」が「ヨーロッパ」であり、ヨーロッパ以外がそこにはふくまれていない、ということによっても、裏側から照らしだされる。中国で中国人と戦っていたときにはそれを「世界史」とは見ずに、アメリカ人と戦っているときには世界史となる、という錯覚。この錯覚を「日本人論」の中に気づくこと、そこに、「日本人論」の難問から抜け出る道がある。(第三章 「近代の孤児」--昭和のだらだら坂)

世界史と日本史の乖離は、Morris.にも結構長いことあった。これを一掃してくれたのが、松岡正剛の
「情報の歴史」だった。

ルース・ベネディクトは、戦争が始まったのちアメリカ政府から敵国を知るために、日本に関する研究を委託されたので、日本に行ったことがないままこの本を書くことになった。彼女は現地調査の代わりに、アメリカ在住の日本育ちの人々と日本の捕虜からの聞き取り調査を行い、種々の日本に関する文献、日本語による出版物、日本映画等々から得た資料を、文化人類学の文化館の差異の比較法と、ある文化や社会の中のさまざまな行動は全体の体系の中で連関し合っている、という機能主義理論のもとに分析し、書き上げた。
この本の存在を知っているだけで、読んでいない人には、菊とは天皇家の菊の紋章であると考えられたりしているようであるが、本書中で実際にふれられるのはその菊とは違う。それは日本人が、平和な「菊作りに秘術を尽」くす人々でありながら、「しかしまた」、「刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」人々でもある、という表現において出てくる。
『菊と刀』とは、ベネディクトが発見した、日本人の「しかしまた」という、一見相容れないようなものが共存する様子を表現する題名なのである。


「菊と刀」は読んだはずだが、それでも、菊=天皇だと思っていた(>_<)

私には、八月十五日という日が、なぜか一年の真ん中だという気がする。真夏の中心、一年のエネルギーの頂上、その正午に昭和天皇はラジオで、戦争が終わったことを告げる。そのことによって、「戦」
天皇による真夏の正午のラジオ放送は、まさに「生の福音」であった。この肉声による放送によって、奇妙なことに、「戦争を始めた天皇」が「戦争を終わらせた天皇」に一変する。
まさにその終戦の詔書に見られるレトリック、文章における論理のずらし方には注意すべきものがある。
この放送が素晴らしい効果を持ったのは、先ず第一に、ラジオを通してであれ、それが天皇の肉声であったこと、第二に、呼びかけが「爾臣民」であったこと、この二点が重要である。
天皇の放送の後に、じつは、アナウンサーが詔書を要約、解説をしたという事実があるのだが、終戦の詔勅のラジオ放送に関する人々の「思い出話」に、私はそのことを読んだことも聞いたこともない。天皇の肉声に昂奮して、次のアナウンサーの声などどうでもよかったのではないだろうか。ルーズベルトやヒトラーには大分遅れたが、日本では、この天皇によるラジオ放送が、メディアを高次に使いこなした歴史上最初のプロパガンダだったと言えよう。
天皇を中心とする同心円上の構造の中で、一般の日本人は、先に述べた天皇を取り巻く人たち、「臣」である「一級臣民」に対して、「民」である「二級の臣民」として外側の円環の中にいたのだ。その二級の人々が突然、ラジオによる「玉音」で、臣を飛び越えて「爾臣民」と呼びかけられ、「無辜(の民)」として「殺傷」「惨害」を受けていることを天皇に同情されたのだ。ここに、二級の臣民は敗戦によって、初めて天皇と直接つながる「臣民」となり、逆説的に、天皇制は存亡の危機を迎えたときに、初めて日本人すべてをsubject(臣民)とする体制を取ることができたのだ。
かくして、『菊と刀』で描かれた臣と民は、天皇のラジオ放送により「臣民」なり、「民主主義を約束する権威主義的な支配という逆説」、すなわちマッカーサーと天皇という権威によって臣民に平和憲法が与えられた。ダワーは、そのとき日本人はただそれを戴くのではなく、「抱きしめて」自らの民主主義とした、と考える。しかし、その新しい憲法の中では、人々は、peopleの訳語、「国民」と呼ばれたのである。
政治は社会における価値と理念を現実化する協同的な生存の技である。その政治にある一つの条件、「天皇」が所与のものとして、議論の対象にならずに最初から入っているとしたら、それは合理的におかしい。それがおかしくないのは、その政治のもとにある人々が、最初から自らを「臣民」と考えているときだけなのである。(第四章 臣民--昭和憲法による民主主義的臣民)


本書ではこの天皇玉音放送の解釈が一番印象に残った。8月15日が一年のど真ん中というのも、共感を覚える。

戦後の日本人論を読んできて、奇妙なことに気がつく、漱石の人気である。
こうした事情には、漱石が広く読まれているために、その文章を例証に使うことが効果的である、ということがあるだろう。しかし、おそらくより大きな理由は、日本人の生き方が50年いや一世紀経ったいまでも、未だに漱石が描写したものとそう変わっていない、ということであろうか。
ここで私が指摘したいのは-漱石で分かる「日本人」もいれば、漱石ではもう分からなくなっている「日本人」も現在の日本には、いるはずだ、ということだ。
「日本人論用の日本人」というステレオタイプを作り出していないだろうか。
ドロップアウトした人物を描いた漱石の小説が、彼の死後も次第に国民文学として広く読まれたのは、そうしたある種の「アンチ・ヒーロー」である登場人物に対する、読者の「共感」」によってであったろう。


たしかに、漱石が国民文学としてここまで大きな位置を占め続けている理由の1つではあるだろう。

「臣民」」というモデルも、ただ皇室に対する「受動的」な態度表明につながるとは考えていない。たとえば、2001年以降の「小泉人気」といったものの中に、敗戦後のマッカーサーに対すると似た、なにしろ思い切ってやってくれ、という「能動的な受動性」、別の言葉で言えばある種のポピュリズムの中に、臣民モデルは現れる、と考えている。むしろ、この長期不況の現在、政界、経済界を挙げて、喚起しようとして盛り上がらないのは、国家利益に向かって行動を起こそうとする「国民」モデルの方ではなおいだろうか。臣民的なるものの統治されやすい性質と、国民的なるものから生まれる献身、努力との組み合わせによって戦前の富国強兵と戦後の経済復興・大国化を成し遂げてきた日本が、いま立ち止まっているのはその二つの組み合わせが、もはや効かなくなっているからであろう。(第五章 国民--明治憲法による天皇の国民)

「能動的な受動性」なかなか言い得て妙であるし、小泉人気に連動するものだろうし、「積極的平和主義」などという安倍語録に通ずるものでもありそうだ。

世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。(阿部謹也「世間とは何か」)

阿部謹也の「世間」関連本も読まなくては、な。

私たちの市民活動や、「社会」を変えていこうとする運動には、私たちが社会ではなく世間の中で生きていることから来る、」解決困難な性格があるのだ――こうした問題点を、別の角度から、阿部の論考以前に分析したのが中根千枝の『タテ社会の人間関係』だ、と考えることができよう。
中根の論ずる「タテ社会」が「ヨコ社会」と対比されていること、そしてその対比されているヨコ社会の典型が西欧ではなくインドであることをどのくらいの人が知っているだろうか。
『タテ社会の人間関係』には「単一社会の理論」という副題が付いている。「単一民族」とは違う。民族のように擬似的な「血縁」やら、観念的な「価値」で結びついているのではなく、あくまで構成原理がその集団の核心にある。その「単一社会」では場によって集団に所属するために、その場を離れればその集団の帰属を失う。具体的に不在が続けば自分の「席」がなくなるのだ。
社会的安全の見地からは、ある集団に身も心も捧げ、一蓮托生という態度で生きることはリスクがある。日本は、そのリスクをともなう賭にある程度勝って、同質性の高さをアドヴァンテージとしたタテ社会を作ってきたというのが、現状である。(第六章 「市民」-タテ社会と世間)


「タテ社会の人間関係」も読んだはずなのに、記憶の彼方(>_<)だ。

サラリーマンの持つ長所、仕事への意欲、工夫の熱心さ、組織への忠誠は、すべてその短所、仕事以外の価値の貧困、技術が全体にもたらす意味への無自覚、組織への犠牲を招きかねないことは机上の議論でも見て取れる。--近代が成立するに当たって練り上げられた、自由、平等、博愛、寛容といった価値には、すべてそれに張りつくようにして、放埒、強制、無秩序が、そして誰の誰に対する価値づけかといった難問、ディレンマが存在する。(第九章 サムライとサラリーマン--文と武の男たち)

エネルギー不滅の法則みたいなものか? 

山本七平『日本人とユダヤ人』で、日本を論じるのに持ってくる対比物が、西欧の啓蒙的理性でもなく、マルクス主義的なイデオロギーでもなく、全く次元の違うユダヤ思想というところで、日本的な論壇の常識などを無化しようとしたのである。(第十章 「人間」--すべてを取り去って残るもの)

イザヤ・ベンダサン名義で発表したのも、常識無化のためだったのだろうか?

(戦後の)60年近い年月は、日本にとって浮沈の激しいものであった。敗戦直後の、もう立ち上がれないのでは、というあきらめから始まり、次第に経済の面で自信を取り戻し、昭和30年代以降は思いもかけないような繁栄に半信半疑となり、それでも石油ショックなどの困難を乗り切り、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン アズ ナンバーワン』が1979年にアメリカで出たときは、誰もまだナンバーワンなどとは、とうてい本気にはしていなかったものの、その10年後には、それは現実であるかのように思いこむこととなった。そして、暗転直下、バブル崩壊・マネー敗戦がやって来て、失われた10年は20年になるのか、というのが現在である。--日本人論がしばしばベストセラーになるにはこうした社会変動と、国際情勢の中の日本の位置の変化があったのだ。こうしてジャンルとして存在する「日本人論」を、ハルミ・ベフは日本人にとっての「大衆消費財」と呼んだのだ。

身も蓋もない、そして結構的を射た総括だね。

私には、たとえば現代モスリム社会の「原理運動」も、私たちが苦しんできた「日本アイデンティティ」の不安の問題と、同じ根を持っていると思われる。すなわち、近代化の過程でモスリムの新たな歴史的アイデンティティを構築しようとする運動であり、そこには「不安」があるのだ。

モスリムはMorris.には未知の穴である。

臣民はまだ生きている、と言ったら驚かれるであろうか。
私は近代の天皇制は昭和天皇までの120年間が一区切りだと考えている。昭和天皇は、明治憲法下に天皇となって、昭和20年の敗戦の後、新しい憲法で再定義された。しかし、その昭和天皇の戦後の40年は、明治憲法の立憲君主制にあった統帥権などのシステム上の欠陥が取り去られて、彼にとっても好ましい状態での「君主」としての時間であった。彼にとって戦後の40年は、敗戦をむしろ逆利用して、天皇家が日本のシステムの中に重要な位置を保持し続ける可能性を確実なものにした、明治、大正、昭和の三代による仕上げの時期となった。


したたかだなあ。いやこれには黒幕が存在するに違いない。

何かしてくれる国家についての国家論は盛んであり、そこに臣民意識も現れるが、国家主権といった国際政治における主体の問題としての国家とそれを動かす国民の議論ではない。国債、年金、道路といった、「生活環境のインフラ」としての国家に関心があるのだ。
近い将来、たとえば改憲の論議のときなどに、日本の市民運動の「市民」が、同時にいかなる国民としてあるのかをはっきりさせなければならなくなるであろう。そして、「世間」はそのときどのような変異を遂げるのかは興味深い。
職人という生き方は、未だに日本社会で、日本人にとって価値ある理念型、もっと強く言えば理想型である。日本経済が沈んでいるいま、この職人的なることへの高い評価は、産業のもの作りと関連してさらに強まっている。
「人間」のモデルと理念は今日、未だに強い価値を持っている。超越的な世界を信仰しないときには、生き続けるだけが価値であり、そこにおいては、いまこの世に生きている「人間」であることはあらゆる判断の基準となるのだ。これは、すべてを失ったときに、そこから回復すればよい、という予め防衛ラインとして機能する。第二次世界大戦後の日本の復興には、臣民民主主義の秩序とともに、何を失ってもこの「人間」ラインから始めることに、何のためらいも強い喪失感も持たずにすむ、という強さとして働いた。戦後、それぞれにとっての最下点にいた人々は、確かな覚悟で、「人間」のラインを自分たちの出発点としていた。


「国民」よりも「市民」よりも「人間」をベースにするしか道はないのかもしれない。少なくともMorris.は、それしかなさそうだ。

この第三世代、バブル崩壊以降、およびこれからの数十年の日本を担う世代は、戦後の日本人がそうれあれかしと望んだ人々である、ととらえている。親から自由を与えられ、個性を伸ばせといわれ、勉強だけではなく、音楽やスポーツなどの「文化的」な能力も持っている彼ら。人が人の上に立つことを嫌い、男女が平等であることを受け入れることのできる彼ら。そして、平和ということがいかいによいことか、争いと摩擦は極力避けなければならないと思っている彼ら。これからの日本人はそうした理念の体現者である。彼らに戦後の夢は叶えられている。
しかし、若い彼らが、自由ということをある条件の制約との緊張の裡にあると理解せずに、好きなことをして生きていくことが自由における個性の発揮であると信じたとしても、人の上に立つ責任は取らないことを平等の理念で正当化しても、「平和」ということを個人的なレベルで実現させるために、他人との関係や摩擦をできるだけ少なくすることで臨むとしても、それは彼らが育てられ、教えられたように振る舞っているのだ、と考えれば不思議はない。(第十二章 これからの日本人と日本人論)


この部分が関川の本で引用されてて印象深かった部分だ。論じられているのは、現代の若者らしいが、Morris.は自分のことを言われてるような気になってた。

「日本人」は、国家に積分されていくのではなく、個人に微分されつつあるのである。(あとがき)

微分、積分はMorris.には理解不能の概念である。(>_<) 普通の言葉で言い換えてほしい。

これまで日本は、「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であるがため、近代化に成功しても失敗しても、自らの正当性を疑い、アイデンティティの不安を説明する「日本人論」を必要としてきた。そして現在は、西洋近代化の成功者としてそのアイデンティティは確立してきたものの、その立ち位置をアジアの中で取ろうとしたとき、別の違和感を感じるようになっている、と考えるのだ。

日本人論は、日本の近代化には安定剤としての役割を果していた必要なものであった。それは、応援歌としてであれ、鎮魂歌としてであれ、つまるところ、ナショナリズムをサポートするものとして歌われてきた。それが歌われなくなるとは、日本人がどう変わる、といったことだけではなく、世界的に見て、近代における「ナショナリズム」自体が変容してゆくことにかかっている。(学術文庫版へのあとがき)


どうも、著者自身が、投げ遣りモードになってる疑いを禁じ得ない(^_^;)
これまでにMorris.が、結構熱心に読んだ一分野だったかもしれない「日本人論」の納得いく総括ということにはならなかったが、ある程度整理がついたような気もする。先の年表の中から読まねばと思うものもいくつかあった。

2014/03/06(木)●コッピ(鼻血)(>_<)●

7時起床。
今朝の血圧は161/63/67。
朝の3点セット。
10時に部屋を出て、JRで大阪に出る。駅構内の「Book Studio」という本屋冷やかす。小規模の店で、場所柄女性、ビジネス、雑誌に特化した品揃えだったが、旅の本の特集コーナーがちょっとおもしろかった。
ヨドバシカメラで、PC冷やかすも、全体的に価格高騰気味に見えるのは、Morris.の懐具合のせいだけでは無さそうだ。やっぱりネットで、格安品探す方が早そうだ。三階のトイレに座ってる時突然鼻血が(@_@) このところMorris.にしては朝の血圧は低いめだったのに? 一般に血圧高いと鼻血は出やすいのかもしれないが、Morris.はあまり鼻血は出ない方だったけど。いちおう要注意。トイレットペーパー丸めて鼻の穴突っ込んで2,3分したら出血は止まった。
堂島方面から川にそってふらふらと中之島方面へ。休憩を兼ねて中之島図書館に行ったら、工事中で前面に天幕かかってた。一般利用は出来そうだったので入館したが、上階の一般閲覧室は閉鎖だった。その代わり踊り場で図書館回顧展みたいなのやってたのでしばらく見物。一階の新聞室で、大阪名建築の本など見て、退出。また西天満方面散策して、4時頃のJRで5時前帰宅。
この日記見ればまるわかりだろうが、3月になっても、仕事ひでりはやや異常なほどである。月末は連続して予定あるとのことだが、このままだと、5月の韓国旅行にも赤信号が灯りそうぢゃ(>_<) PCも買い替え期限?が迫ってるしなあ。
昨夜のNHK歴史秘話は、前の日曜美術館アートシーンで紹介された歌麿の大作肉筆浮世絵「深川の雪」の謎解き番組だった。録画したものを見たのだが、「品川の月」「吉原の花」「深川の雪」の順で、かなり時間を於いて製作されたというのが意外だった。
「品川の月」の絵の中に四方赤良の狂句
てる月の鏡をぬいて 樽まくら 雪もこんこん 花もさけさけ
が描かれてあり、これが「雪月花」主題だから、最初から三部作を描くことを寿いでいるらしいという説明(^_^;) 歌麿も「筆の綾丸」の名で狂歌やってたし、三部作のパトロン栃木の豪商前の善兵衛(通用亭徳成)も狂歌仲間だったらしい。やっぱり狂歌は四方赤良(蜀山人/大田南畝/寝惚先生)にとどめをさす。
今日の歩数は9966歩。


グランドフロント大阪吹抜け 

最後の空地 

蔦の絡まる(^_^;) 

中之島図書館階段 

同じくドーム 

回顧展やってた 

Royalタイプライター 

中の島公会堂 

難波橋の獅子 

鵜(う) 

壱岐の紙鳶(いかのぼり) 

風車 

スポーツ小説や警察小説で、なかなか読ませる(時間つぶしになる)ということで堂場瞬一を結構読んでる。導入や設定は実に巧いのだが、終盤であぢゃぢゃー、となることが多い。

【ヒート】堂場瞬一 ★★★☆ 2011/11/25 実業之日本社。
県知事の強い意向によるマラソン世界記録を目的とする新大会の、運営・コース担当県職員、記録を狙える選手、ペースメイカーを依頼された選手などの行動を通して、陸上競技の本質を穿つ問題作。とでも言えそうだが、スポーツのトリビュート薀蓄を目一杯満載して、読者を楽しませるエンターテインメント作品である。作者の意図は概ね成功していると思う。野球にしろ、マラソンにしろ、スポーツ小説は、ストーリー展開は作者が好き放題に勝負を支配できるという意味で、お手軽なものになりやすい。ギャンブル小説が典型的だが、丁半のどちらの目が出るかは作者の思惑次第だもんね。

【天国の罠】堂場瞬一 ★★★☆ 2002/09/30 徳間書店。
ジャーナリスト広瀬が引退した政治家の伝記を書く条件として、娘の行方を探すことになり、全国を追いかけるが、どろどろした因縁の謎が明らかになる。私立探偵というものが存在しにくい日本だからこそ、こうして別の職種の人間が探偵めいたことをやらされるのだろうが、それにしても、本作も、始まりと終わりのギャップの大きさに鼻白んでしまう。

「自分の人生のことぐらい、自分でよく分っとるつもりだが」
「そうでもないんですよ。自叙伝を書くっていうのは、自分で知らない自分を見つける作業でもあるんですから。そうでなかったら、ただの宣伝になっちまうでしょう」


ここらあたりのやりとりは、ハーボイルドっぽいんだけどね。

昔、公共事業の問題に首を突っこみかけた時のことを思い出す。テーマはあまりに大きく、会うべき相手は無数にいた。結局取材は中途半端なままで棚上げされ、記事になることはなかったのだが、その時私は、日本という国は、誰かが得をするという目論見がない限り何も始まらないのだ、ということを実感した。誰かとは主に、地方も含めた政界であり、経済界である。そして、使い古された表現だが、利権の構造を象徴するのが道路なのだ。こういう問題を取材すればするほど、地方利権の代表である政治家の顔が歪んで見えるようになる。

「利権」まみれの日本、言い古された表現ではあるが、これは何度でも言い続けるしかないのだろう。

【いつか白球は海へ】堂場瞬一
 ★★★
 2004/04/10 集英社。
【蒼い猟犬】堂場瞬一 ★★☆☆ 2011/04/15 幻冬舎
【ラスト・コード】堂場瞬一 ★★☆☆2012/07/25 中央公論社。

2014/03/05(水)●乙女菫?●

7時起床。
今朝の血圧は156/80/73。
朝から雨模様。
部屋でごろごろ(^_^;) 韓国語おさらい+「太平歌」の練習。
午後、雨も上がったので、上野通から城の下方面の坂道散歩。城の下の溝に沿って白い菫が群れ咲いていた。かなり大きめの花で、距の部分だけが薄紫でとても綺麗である。帰ってネットで調べたら「オトメスミレ」ではないかと思われる。タチツボスミレの白花種らしい。これまであまり見た記憶がないが、たぶん庭草として栽培してるのだろう。
鹿児島の知人からちょっと嬉しいプレゼントが届く(^_^)
夜は日本-ニュージーランドのサッカー。前半20分までに日本が4点先制、前半は4-1で折り返しという、ちょっと意外な展開。後半はトーンダウンして、結局4-2で逃げ切ったものの物足りなさが目立ったゲームだった。そのまま女子サッカー日本ーアメリカ戦(於ポルトガル)実況とのことだったが、こちらは見る気をなくした。
今日の歩数は5142歩。


昼餉 

お洒落な花穂の蕾 

テニスコート夕陽 

寺梅 

乙女菫 

枯草 

城の下坂の上から 

見下す黒猫 

いい感じ 

【たのしい編集】和田文夫、大西美穂 ★★★ 2014/01/10 ガイア・オペレーションズ
編集に従事してた著者が「編集」「DTP」「校正」「装幀」「未来」などに分けて記したコラムみたいなものだった。Morris.自身が、編集とは無縁の衆生になってしまってることを再認識させられてしまったような気がした。

ゴーゴリ『外套』の書き出しのを落語調で翻訳したものが紹介されていたのが面白かった。(前者は普通文訳)

或る省の或る局に……併し何局とはっきり言わない方がいいだろう。おしなべて官房とか聯隊とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。(平井肇訳 岩波文庫)

えー、あるお役所での話でございます……。まあ、ここんところはそれがどこのお役所であるのかは申し上げないほうがよろしいでしょうな。なにしろ、省庁にしろ、連隊にしろ、官庁にしろ、ひとことで申しまして、お役人ってえ人ほどこの世で気のみじかい人はございませんから、きょうびどんな人でも、ご自分が侮辱されるってえと、すぐさま自分のお仲間までが侮辱されたと受け取っちまう。(浦雅春訳 光文社古典新訳文庫)


「校正」で間違えやすい例の一覧表があり、Morris.も間違えそうなのをいくらか引いておく。

濡れ手で泡☓ 濡れ手で粟○
指を食わえる☓ 指を銜える○
現状快復☓ 原状回復○
シュミレーション☓ シミュレーション○
ファーストフード☓ ファストフード○
豪雨の恐れ☓ 豪雨の虞
大元の考えは☓ 大本の考えは○
異和感がある☓ 違和感がある○
着陸体制が整う☓ 着陸体勢/態勢が整う○
出席者に配布する☓ 出席者に配付する○
責任を追求する☓ 責任を追及する○


本を読むという行為は、いったい何を意味しているのか。なにかの知識を増やすためか、現実の暮らしを改善するためか、当面するさまざまな問題を解決するためか。つらい人生を忘れさせてくれる一服の清涼剤なのか。

えらく薄っぺらい羅列だが、Morris.の最近の読書傾向もこれに準じてるようでもあり、ちょこっと身につまされた。意味なんかいらないんだけどね(^_^;)

2014/03/04(火)●クリミア戦争(@_@)(>_<)●

7時起床。
今朝の血圧は168/98/66。
午前中は読書。
午後はミニギター(^_^;) 左手の調子は回復基調である。
ウクライナ南部のクリミア半島にロシア軍が入り、ほぼ掌握したらしい。新政権が欧米寄りで、ロシアとしては、軍事的要衝であるクリミア半島を確保したいということもあるだろうし、半島にロシア人が多く親ロシア色が強いということもありそうだ。しかし、これで、冷戦復活なんてことにならなければいいのだけど。クリミアという名前を聞くと反射的に「クリミア戦争」を思い出すが、内容はほとんど記憶の彼方だった。19世紀半ばの戦いで、ナイチンゲールが活躍(^_^;)したらしい。
中国ではウイグル族によるテロ(政府発表)が起きてるし、民族問題は一筋縄ではいかない。
午後は散歩兼ねて、歩いて学生センターまで出かける。飛田さんは不在だったが、以前朝鮮語講座で一緒に学んだ尹英順さんのポジャギ展やってた。
久しぶりに口笛文庫冷やかして、灘図書館寄って、6時前帰宅。
今日の歩数は5615歩。


水道筋北駐車場雉猫 

同じく白雉 

倉石通の寄り目雉 

同じく白 

ぽっちゃり梅 

地蔵堂内の大きな石仏 

六甲八幡神社の黒雉 

阪急電鉄六甲変電所 

尹英順ポジャギ展 

神戸雲内教会 

口笛文庫 

灘温泉前の三毛 

【雁(がん)】森林太郎 ★★★ 大正4年5月15日 籾山書店。
森林太郎はもちろん鴎外のことである。灘図書館にほるぷの名著復刻シリーズでこれがあったので、雰囲気を楽しめそうだと借りてきた。大きめの総ルビ活字は嬉しい。
「舞姫」と「雁」は鴎外の中ではポピュラーな短編だから、Morris.も高校の頃(中学かも)に読んだのは間違いないが、ほとんど覚えてなかった。ほぼ100年前の作品である。
高利貸の妾お玉と、東大生岡田との出会いとすれ違い?を、同窓で同じ下宿に住むぼくが35年後に回想として綴った物語という形をとっている。
お玉の身の上などは、岡田がドイツに去った後、語り手のぼくがお玉と相識となって知ることになったと、最後に書かれている。
タイトルの雁は、なかなか出てこないが、岡田の投石が偶然に命中して、もう一人の学生と3人で持ち帰り、酒の肴になってしまうのだが、非常に暗示的なタイトルである。
暗示的といえば、作品そのものがなかなかに凝った造りなのだが、それが鼻につかないあたりが、鴎外の膂力だろう。

白木綿の兵児帯に、小倉袴を穿いた学生の買物は、大抵極まってゐる。所謂「羊羹」と「金平糖」とである。羊羹と云ふのは焼芋、金平糖と云ふのははじけ豆であつたと云ふことも、文明史上の参考に書き残して置く価値があるかも知れない。

こういった小ネタを披露しながら、この買物をする小使いの一人が、高利貸になってお玉の旦那になったりするわけだ。

店は仲町の南側の「たしがらや」であつた。「たしがらや倒さに読めばやらかした」と、何者かの言ひ出した、珍しい屋号の此店には、金字を印刷した、赤い紙袋に入れた、歯磨を売つてゐた。まだ練歯磨なんぞの舶来してゐなかつたその頃、上等のざら附かない製品は、牡丹の香のする、岸田の花王散と、このたしがらやの歯磨とであつた。

これも先と同様だが、どうでもいいようなことも、このような文体で綴られると、つい、ほほーっと思ってしまうね(^_^;)

一体支那小説はどれでもさうだが、中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思ふと、約束したやうに怪しからん事が書いてある。

鴎外の漢文の素養は言うを俟たないだろうが、この小説で「金瓶梅」は小道具以上の意味を持っているようだ。

一体女は何事におらず決心するまでには気の毒な程迷つて、とつおいつする癖に、既に決心したとなると、男のやうに左顧右眄しないで、oeilleres(オヨイエエル 馬の目覆い)を装はれた馬のやうに、向うばかり見て猛進するものである。思慮のある男には疑懼を懐かしむる程の障碍物が前途に横たはつてゐても、女はそれを屑(ものくづ)ともしない。それでどうかすると男の敢てせぬ事を敢てして、おもひの外に成功することもある。

これはお玉の乾坤一擲の行動を解説してるのだが、物語では「おもひの外に失敗」してしまうところが味噌である。

一本の釘から大事件が生ずるやうに、青魚(さば)の煮肴が上條の夕食の饌に上つたために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまつた。そればかりでは無い。しかしそれより以上のことは雁と云ふ物語の範囲外にある。
僕は今此物語を書いてしまつて、指を折つて数へて見ると、もう其時から三十五年を経過してゐる。物語の一半は、親しく岡田に交つてゐて見たのだが、他の一半は岡田が去つた後に、図らずもお玉と双識になつて聞いたのである。譬へば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一の映像として視るやうに、前に見た事と後に聞いた事とを照らし合せて作つたのが此物語である。


短編といえなくもないくらいの小品だが、実に巧い小説である。これまでに2回映画化、6回TVドラマ化されているらしい。高峰秀子、芥川比呂志、宇野重吉出演の最初の映画(1953)は機会があれば見てみたいものである。

2014/03/03(月)●カラス本●

7時起床。
今朝の血圧は173/81/65。
ABCラジオの「おはようパーソナリティ」時々聴いてるのだが、アシスタントの久野愛(くのめぐみ)が3月いっぱいで卒業(降板)すると言ってた。3年間のアシスタント活動ということになる。何となく気に入って2010/05/04のスタジアム神戸での公開放送を見に行ったこともある。彼女の前のアシスタント秋吉英美が10年間も勤めてこれまた好感度大だったが出産で降板だった。この番組は基本的に阪神が勝った翌日の番組を聴くことが多いのだが、今年の阪神はどうだろう?
カラス関係書国会中継流してたらまた籾井会長登場。相変わらずの厚顔ぶり(>_<) 
午後王子動物園。まぬうは岩の上と中で対峙したまま動かない。
動物資料館図書室でのヴィジュアル読書、といっても、そろそろ目ぼしい本が払底し始めている(^_^;) 前から気になってた「カラスの教科書」(松原始)を読むことにした。同じ棚にあったカラス関係の本ぱらぱら見てたら「カラスのお宅拝見!」(宮崎学)というのがあって、これはすごかった。「北は北海道から南は九州まで、日本全国を旅しながら30年以上かけて撮影したカラスの巣。その中から100巣に簡単なデータとコメントをつけて紹介。巣をのぞき見することで、それぞれの地域社会や人間模様が見えてくる。」と書いてあったが、カラスの巣はたいてい地上10m以上くらいの木の枝に造られていて、そこまで登るだけでも大変なのにきっちり卵や雛のいる巣を撮影して、サイズや素材などきっちり記録しているのには恐れいった。
水道筋に回ってマルハチで買い物して4時帰宅。
久しぶりに、1時間ほどミニギターおさらい。実は左手の中指の付け根いまだに後遺症(>_<)なのだった。梱包作業や日常生活にはほとんど支障ないのだが、どうもギターは思うようにならない。鈍痛というかだるさが残る。
今夜のTVタックルは「日韓関係はどうなるSP」というので、流し見してたが、中身は薄かった。
KBS1363회 가요무대歌謡舞台 공사창립 41주년公社設立41周年"1973년 히트곡 퍼레이드1973年ヒット曲パレード“
韓国のKBSは1973年に設立なのか??、えらく遅かったんだな、と思ってネットで調べたら、
前身は日本統治時代に設立された社団法人朝鮮放送協会(発足当時は社団法人京城放送局。1927年2月16日開局、呼出符号(コールサイン)はJODK)。1945年の解放以降は、名称をソウル中央放送局(呼出符号はHLKA)に変更され、大韓民国建国時に国営化された。1961年10月15日に地上波テレビ放送が開始され、1973年3月3日に現行の公営放送となった.。(Wikipedia)
とあった。公社になったのが73年ということだな。きっちり今日3月3日が記念日だからこの企画やる気になったのだろう。

1) 그대여 변치 마오君よ変わらずに/문주란ムンジュラン(ナムジン)
2) 공항의 이별空港の別れ/문주란ムンジュラン(ムンジュラン)
3) 그 얼굴에 햇살을その顔に陽射を/이용복イヨンボク
4) 감나무골柿の木里/홍원빈オンウォンビン(ナフナ)
5) 어쩌나どうしよう/김상희キムサンヒ(キムサンヒ)
6) 옥경이オッキョンイ/태진아テジナ
7) 러브레터ラブレター/주현미チュヒョンミ
8) 세월이 약이겠지요時間薬/송대관ソンデグヮン
9) 당신의 마음あなたの心/김용임キムヨンイム(パンジュヨン)
10) 이별離別/문희옥ムンヒオク(ペティキム)
11) 낭주골 처녀ナンジュ娘/김륜희キムリュンヒ(4月と5月)
12) 그건 너それはあなた/오승근オスングン(イジャンヒ)
13) 말 전해 다오ことば伝えて/유미ユミ(チャンミリ)
14) 꽃 이야기花物語/문정선ムンジョンソン(ムンジョンソン)


14曲の内11曲が1973年のヒット曲らしい、( )内はオリジナル歌手。6.(1989)7.(2000)8.(1971)の3曲は73年の曲ではないが、これは公開録画観客へのファンサービスなのだろう。10.「イビョル」はこの年最大のヒット曲だろう。ペティキムは昨年引退した。73年といえば金大中拉致事件の起きた年でもある。たまにはこうやって、ある年の曲だけを流すというのも面白いかもしれない。
今日の歩数は3116歩。


今日のまぬう 

ボブキャット 

カンガルー 

ハンター邸 

今日の空 

海驢 
2014/03/02(日)●歌麿大作発見?●

7時起床。
今朝の血圧は192/95/60。
SBS「挑戦千曲」やっぱり今日もチャンユンジョンは司会で登場。かなりお腹も膨らんでるみたいだが、こうなると、どこまでやってくれるか見届けたい。
歌麿「深川の雪」日曜美術館の後半のアートシーン冒頭で「歌麿の最高傑作発見のニュース」ということで、昭和23年に公開以来行方不明になっていた喜多川歌麿の「深川の雪」という大判肉筆浮世絵が発見されて、修復を終えたという話題。もともと「雪月花」3部作として描かれ、「吉原の花」「品川の月」はアメリカの美術館が収蔵してるらしい。2m☓3.5mくらいの大きさで、浮世絵では破格の大きさと言えるだろう。でも、これが歌麿の最高傑作と言うのは、ちょっと引っかかる。NHKでは5日の歴史ヒストリアでこの三部作の特集番組やるそうで、ニュースというより、前もって準備しておいてタイミング見計らっての発表だったみたいだ。ネットで調べたら、「吉原の花」は昨年高精細複製画を作って展示会開いたという記事がが有ったし、どうやら三部作絡みでの話題作りのようでもある。Morris.としては「吉原の花」の派手で艶やかで一番の出来のように思える。それでも、浮世絵は肉筆より版画の方が好みぢゃ。
小田嶋隆の「ア・ピース オブ警句」でNHK籾井会長批判があった。送り込んだ元の責任も問わねばならないだろうが、とりあえずあの会長は即刻排除すべきだと思うぞ。
午後、自転車で三宮図書館へ。
帰り大安亭で買物、大日商店街の中華屋で手製えびせん買って6時帰宅。
今日の歩数は1055歩。


「挑戦千曲」チャンユンジョン 

かなりお腹出てきたような(^_^;) 

大安亭黒 

同じく黒長毛 

同じく雉白☓2 

その1 

その2 

旭通白黒 

モノクロぶんちゃん 
2014/03/01(土)●桂銀淑リバイバル●

7時起床。
今朝の血圧は158/84/71。
朝の3点セット。
今日3月1日は、1919年朝鮮半島で3・1独立運動が起きた記念日で、「三一節 サミルチョル」と称して公休日となっている。
ちょっと前から噂を聞いてたのだが、あの桂銀淑が韓国で32年ぶりに新曲発表して舞台出演したらしい。ネットで検索してみた。1月27日の「YTNテレビNEWS in SALAM」で15分にわたってインタビュー受けている。これと前後して1月26日のKBS「コンサート7080」に出演し新曲「ジュムン 呪文」「歌って踊って」などを歌い、同じKBS「開かれた音楽会」でも「待っている女心」を歌ったようだ。
桂銀淑は75年にCFモデルとしてデビュー、80年「歌って踊って」で歌手デビュー、82年に日本に渡り85年「大阪暮色」で日本デビュー。紅白歌合戦7年連続出場するなど日本演歌の女王的存在になっていたのだが、2007年覚せい剤で逮捕され、それ以後、芸能活動休止してた。Morris.はあのハスキーボイスにはしびれっぱなしだったから、韓国でのカムバックは嬉しい。新曲は中村泰士作曲で、韓国語、日本語、英語の三ヶ国語版を発売するとのこと。ということは、日本でも発売するのかな?
KBSが力入れてる気配だから、全国ノレチャラン、そして歌謡舞台への出演も近々あるかもしれない。これは楽しみである。
午後はラグビー選手権準決勝神戸製鋼vs.パナソニックをテレビ観戦。平尾がいた頃は神鋼応援で花園まで出かけたりしたものだが、最近はほとんど見ることもなくなってた。神鋼が準決勝まで勝ち残ってるのも知らずに居たので驚きをもって応援したのだが、ほとんどいいところなしで5-46のボロ敗けだった(>_<)
夜はBSジャパンで寅さんシリーズ20作目を見る。幼さの残る大竹しのぶが懐かしかった。
てなわけで、今日は、一歩も部屋を出ず、ごろごろごろごろの一日だった。
今日の歩数は0歩。

【彗星的思考】平井玄 ★★★☆ 2013/11/25 平凡社。
2011/03/11以降のアンダーグラウンド的市民活動を通じて、さまざまの考察をランダムに綴ったもの。タイトルの「彗星」は「ほうき星」に「蜂起」を重ねたもののようである(^_^;)

たった今も地球を駆けめぐるこの動きの背後にある「経済危機」の姿は奇妙である。実に締まりがない。明らかに「1929年の世界恐慌」とは違うだろう。ルーズヴェルトもヒトラーも、スターリンも、その小さな戯画しか現れてこない。誰もそれを終わらせようとしてはいないのである。
それも当然だ。むしろ新自由主義にとって「世界恐慌」は常態であり必要条件なのである。「貧富の差の拡大」は政策的失敗ではない。その成功である。「恐慌は資本主義を活性化する」と宇野弘蔵は言ったが、産業資本主義の時代のように生産設備や労働力を一新するだけではない。「危機を永久に先送りする」というより、いまやそれはヘッジファンドのように「運用」されている。29年の恐慌が生んだ「修正資本主義」の終わりを経験した結果が「新自由主義」だからだ。(序「半径1キロからの「惑星蜂起」)


「鉄の女」がイギリス首相になって34年。この国でも、サッチャーリズムを和風にアレンジした日経連による労務支配ガイド「新時代の日本的経営」から18年。それを実行した小泉政権からも12年が過ぎた。その間に「リーマン・ショック」や「原発震災」に揺さぶられて、「市場原理主義」から「新福祉社会」へ曖昧に移行し、そして曖昧に失敗していく。気がつくと「敵」のいない「格差社会」という言葉は吹き飛んでいた。「貧困」や「破綻」を資源として大量に必要とする上層が確実に存在している。そういう大きな「敵」が公然と姿を現したからだ。
「格差社会」が博打うちの理想郷なのは古来より知られたこと。資本の世界の住人たちは「絶対的階級社会」もしくは「カースト社会」という、すばらしく明快な世界像を打ち出したのである。(彗星的思考)


新自由主義、ニューリベラリズム、ネオリベラリズム、グローバリズム……?? 一向に理解できないものの、騙されたという確信めいたものがある。

極論すれば「脱原発」とは代替エネルギーの問題ではない。軍事問題である。原爆が「軍事的核兵器」なら原発は「経済的核兵器」である。だからこそ、福島では戒厳令に近い情報統制が布かれ、迷彩を施した米日軍人員が全面的に動員される。インテリジェンス機関が動いたのも間違いない。そう考えるとはっきりするだろう。原発労働者たちはいわば強制的に徴用された「兵士」であり、東北東部や関東全域における陸海空域を通じた住民たちの被曝とは、非戦闘員への長期にわたる緩慢な壊滅攻撃の実践演習を意味することになる。(群衆科学)

脱原発運動は反戦運動ということか。まあ、Morris.は原発も戦争もどちらも断固反対だから、理屈抜きということで……(^_^;)

読む者は彼(平岡正明)の言葉にこそ硬質なアブストラクト・ジャズを感じていた。『ジャズ宣言』に結晶している日本語の硬直を砕くドリルのような鑿岩力は、60年代後半の都会に溢れ返っていた青少年の肉体感覚に触れえた数少ない言葉だった。原理主義化した親左翼の原語はまどろこしかった。概念の重さが邪魔でしょうがない。――その平岡の強烈な「敵」として谷川雁がいた。師匠だったからこそ後の敵対性も強烈だったけど、ものすごい影響下にあって、初期平岡正明のリアルでアブストラクトな言葉には筑豊の坑口でうそぶく雁の評論を東京の路面近くで一挙に濃縮した感がある。
後世代の学究たちは、平岡正明の音楽論を単に妄想的な語り物=騙り物として片づけがちである。だがそれが辻の語りだとしても、浪曲師たちの節回し以上に下民たちのうらぶれた心根を鼓舞し、アジアの死地へと誘ったものはないことを思い出すべきである。貧民窟の住人たちが酔い痴れたこの語りの妖しさ、その情動の回路を学者たちは探求の対象にできるのか? 意匠を変えたその回路は今も閉じられていいない。そういう危うさを帯びた声の没入こそ学知を知識の集積以上の何ものかにするだろう。(竹内好と谷川雁、そして平岡正明)


Morris.も二十代から三十代にかけて平岡正明の文体には魅せられていたものだ。本書も平岡の名前があったので読むことにしたみたいなところもあるが、谷川雁は畏敬するにとどまっている。竹中労と平岡らのアナーキーな活動にノスタルジーを感じる自分に一抹の寂しさを覚える。

孫aは彼の祖父である元「満州国」国務院実業部総務次長、元東條内閣商工大臣、元A級戦争犯罪人、1960年の元内閣総理大臣を「祖父k」(岸信介)と呼びたい。つまり、祖父kが60年安保闘争を乗り切って高度経済成長のレールを敷き、4年後に引き継いだ「大伯父s」(佐藤栄作)がそのコースを走り抜いた、という「一族の物語」の再現を夢見ている。
これが経済回復をむりやりに引き起こして、原発再稼働に進み、祖父kがついに実現できなかった「憲法改定」を果たす、という孫aに取り憑いた「夢の語り」である。(彗星的思考)


岸信介、佐藤栄作、安倍晋三の一族について語るのに、わざわざ変てこな記号表記する必要があるのかどうかわからないが、先日読んだ「満州と自民党」からの引用もあり、取り立てて新味は無かった。

そもそも明治国家こそが「日英同盟」で餌づけされて育てられた「アジアの番犬」ではないのか? 思い上がって「狂犬」と化した飼い犬の大暴れを飼い主たちが抑え込み、アメリカが下取りして放り込んだ小屋が「日米同盟」である。

安保が日米同盟といつの間にか変貌させられている事実は、ヒロポンが覚醒剤と呼ばれるようになったのと同様なものだろうか(^_^;)
石牟礼道子「苦海浄土」に触れた部分があって、ああ今度こそ読んでおかねばと思ってしまった。


 

 

 


                         
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