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Morris.日乘2006年12月 
Morris.の日記です。読書記録、宴会散策報告、友人知人の動向他雑多です。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。  
今月の標語
うっ! 獣(うつ・けもの)
Morris. personal calender

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【2005年】 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月

2006/12/31(土)●大晦日カラオケ●

8時起床。適当に台所回り掃除して、11時過ぎに元町に出て阪神理容で散髪。
さりーちゃんのおせち料理1時にムックさんと待ち合わせ、吉野家の牛丼'(2年半ぶり)で腹ごしらえして三宮駅前のジャンカラへ。今年最後の韓国歌謡カラオケ大会(^o^)
今日はDAMでなくUGAの部屋に。UGAは初めてだったがユンジョンちゃんの新曲「イッタイッタヨ」が入ってたのに、その前の「コンカッチ」が入ってないのは片手落ちである。それでも音はDAMよりいいように思う。2時間の予約では足らず1時間追加して、二人して全く休みなしに韓国歌謡だけを歌いまくった。ムックさんの韓国歌謡レパートリーの増加と進境は著しい。
5時過ぎに帰宅して、そのまま仮眠。目が醒めたら11時で、あわてて六甲道へ向かう。春待ち恒例のカウントダウン、演奏行進、六甲八幡神社でのHAPPY NEW YEAR LLIVE 今年は秋本、伊藤、尾西君欠席。
それでも例年にまして観客は多く、フィニッシュのフィッシングブルースは大いに盛りあがった。
さりーちゃんから今年もお節料理の重箱戴く。今年は引越したので無いものと思ってただけに嬉しかった。社長の妹貞子さんと息子のぴろぴろも久し振りにやって来てて、光園くんと4人でレーヴへ行く。ママはすっかり酔いがまわってごきげんさんだった。新春祝いに大関の金箔入りをふるまってもらう。
2時半くらいまで飲んだあと、光園君と二人で、北野のHappy Lauraへ。ムックさんが夜っぴて飲んでるというのでお相伴。ここでみんなでさりーちゃんのお節料理いただく。本当に美味しかった(^o^)さりーちゃん、ありがとうm(__)m


カラオケ中毒の二人

八幡神社でワシントン

いつもにましての観客

ごきげんママ

社長妹と2ショット

縁起物金箔入り清酒
2006/12/30(土)●朝からアッサ!●

9時半起床。とりあえず洗濯と昨日の日記打って、掃除しなくてはと、キムヘヨンの「アッサ!超特急」などかけてやる気を喚起したものの、、ついごろごろしてしまう(^^;)
おでんの仕込み昼から大安亭と水道筋に買出しに出て、おでんの仕込み。何となくMorris.亭では正月におでん作るという習慣になっていて、今年は手狭な部屋に移転したし、ほとんど唯一のお客さんであるムックさんは正月3日から訪韓するので、別におでん用意する必要も無いようなものなのだが、作って困るものでもないので作ることにした。知るひとぞ知るMorris.のおでんといえば、蒟蒻フリークのMorris.なのでおでんの蒟蒻係数は異常に高い。今回もいちおう2種類の蒟蒻計6袋調達。大根と蒟蒻はいちおう別鍋で下茹でしておく。出汁は昆布と牛スジである。本当は鶏ガラも併用するのだが今回は省略。おでんは一日目はいまいちだが味見してみる。まあまあである。
大掃除をすべきなのだろうが、今年は手抜きで普通の掃除でお茶をにごす。
夜は今年から一日早くなったレコード大賞を見るとも無く見る。ほとんど興味ない歌手ばかりである。大賞は氷川君が「一剣」で初受賞。良かった、ということにしておこう。

【李箱作品集成】崔真碩 編訳 ★★★☆
 先月山根さんの講演で六甲学生青年センターに行ったとき、隣の朝鮮語講座クラスで、李箱の作品を集めた日本で最初の選集である本書を配布していた。何でも神戸大学文学部とと韓国語文学翻訳院の肝煎りで読書感想文コンテストを企画してて、感想文を書くことを条件に本書を配布しているとのことだった。Morris.は頼まれなくても(^^;) このMorris.日乘で読んだ本の感想文書いてるのだが、強制されて書くのは嫌だなと思い、そのときは遠慮することにした。荷物になるし、本棚のスペースも無いということだったのだが、応募要項みたら2等賞の賞品が韓国旅行券だった。うーーん、これは駄目元でもチャレンジしとくべきだったかな、と思い、後日研究室に電話して、神大文学部朴先生研究室まで貰いに行った。
締め切りは12月10日で、2,3日前にメールで応募すました。とりあえずこの本無料でもらえたということだけでも、損はない(^^;) うまくいけば韓国旅行券、佳作の図書券5千円でも貰えればラッキーと思った。
ところが、応募した直後に応募要綱を見直したら「対照作品:「李箱文学集成」に収録された小説作品に限る」とあった。なんてこったい、Morris.の応募作品は小説でなく、随筆をメインにした感想文(エッセイ)だった(>_<) あいかわらずのドジぶりである。
当然ながら、入選者の連絡にはMorris.の名はなかった。小説を対象にしたものを応募したとしても入選はおぼつかなかっただろう。なにしろMorris.は李箱の小説にはあまり惹かれなかったものね。
李箱といえば前衛詩人というイメージが強かったのだが、本書を読んで、彼のアウトラインを知ることができたのは、ありがたかった。
今さらという気もするが、せっかくだからMorris.の応募作品を、引用しておく。結構長いけど、悪しからず(^^;)

---------引用ここから----------
「李箱の異相」 (エッセイ) Morris.

李箱という名前は、89年に韓国語をかじり始めたころから気になっていた。
彼の作品を最初に意識したのは『朝鮮・言葉・人間』(長璋吉 1989)所収「李箱の児孩」に紹介された『烏瞰図』の「詩第一号」である。他にも数編の詩が引用されていたが李箱といえば長い間この詩だけが記憶に残っていた。フォルマリズムの典型といえそうな、繰り返しと奇抜さが目を引き、理解とは別次元で、その「難解さ」が一目でわかる作品ということと、京城の下町を疾走する13人の子供の不吉なイメージが余程印象的だったのだろう。
ペンネームが、日本人から「李さん」と呼ばれたことに由来するという「神話」もまことしやかに伝えられていたが、これは彼の本名が金姓であることからしても疑わしい。同じ発音の「異常(イーサン)」にかけたものと言うのが通説らしいが、そもそも「箱」という文字を名前に使用するというのも、李箱のやや異常な嗜好の発露だろう。
韓国の詩や韓国文学には冥い方なのだが、彼の名前を冠した「李箱文学賞」が、韓国ではかなり権威のある文学賞と言うことは知っている。また、15年ほど前に爆発的にヒットした歴史童謡?「韓国を輝かす百人の偉人たち」の中に「ナルチャックナイサン 飛ぼうよ李箱」と歌われていたことはよく覚えている。神々、王君、将軍、政治家、学者などがひしめく百人の偉人中に入選する詩人は、他に金笠(キムサッカッ)がいるのみだから、その知名度の高さは推して知るべしである。

しかし、なかなか彼の作品に接する機会は得られずにいたのだが、このたび、ハードカバー400p近い大部の「李箱作品集成」(作品社 2006)が天から降ってくるという僥倖に恵まれた。内容は朝鮮語で書かれた短編小説と随筆の日本語訳合せて20編、雑誌『朝鮮と建築』に発表された日本語で書かれた詩と巻頭言のすべてで、作品だけでも300pを超える。これに編訳者である崔真碩氏の長めの解説、李箱の生涯年譜、作品年譜も付されている。この作品集によって、これまで気がかりでありながら、手がかりをつかめずにいたBLACK-BOXの内部を覗き見ることができるのではないかと、期待がふくらんだ。

年譜、解説、日本語詩、巻頭言、小説、随筆の順に読み進めたが、やはり詩は歯が立たなかった。いくつかの作に、北園克衛の詩集『白のアルバム』(1929)を連想したのだが、この詩集だって、ほとんど理解できていない。

人形たちと私 私はさびしがらない
人形たちと私 私はかなしがらない
人形たちと私 私ははづかしくない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人魚たちとあなたたち あなたたちはさびしいのです
人魚たちとあなたたち あなたたちはかなしいのです
人魚たちとあなたたち あなたたちははづかしいです(北園克衛「薔薇の3時」部分)


こういったスタイルが李箱の詩作品にも投影されているように見えるが、これとて類語反復という、技法としては単純なもので、当時のモダニズム詩人たちの常套手段といえなくもない。李箱は日本の『詩と詩論』と後続の『文学』という詩誌に深い関心を寄せていたそうだから、彼らの作品から当時のモダニズムの詩法を学んだのはまず間違いないだろう。自動記述、繰り返しと変奏、数字・記号の羅列、無作為な言葉のパッチワークなど、模倣しやすい技法であるだけに、作品として成立しえるかどうかは、結局本人の「詩質」にかかっている。そういう意味で、李箱の作品は、建築を学び、絵心もあっただけに、語彙の取捨選択、構成などにおいて出色の出来といえるだろうし、直観的に読者に訴える力を持っていることでは、日本詩人の類似作の水準を凌駕していると思う。しかし、李箱の詩作品の真の理解にはほど遠いとの感を禁じえない。

年譜によると李箱は京城高工建築科を卒業して1929年から朝鮮総督府の建築課に勤務したとある。『朝鮮と建築』巻頭言に3度もモホリ=ナギの名前が出てくるから、李箱は当時先端的なバウハウス系の建築理論に惹かれていたようだ。その彼があのルネサンス様式の重厚な朝鮮総督府の、まだま新しい建物(1925竣工)に建築家として勤務したというのも歴史の皮肉な偶然を感じる。
『朝鮮と建築』誌表紙公募に入選した李箱のデザインにはロシア構成主義の影響が見られるようだが、これも日本経由の可能性が高い。李箱の詩やデザインの源泉は当時の日本のモダニズムに依拠するものだとしても、それが単なる模倣でなく、個性と感性に溢れた独特な作品世界に昇華しようとしたところに注目したい。

小説は、まずそのトーンの「暗さ」に参ってしまった。
代表作とされる「翼」からして、どうも苦手なタイプの作品である。妻の「ひも」というより扶養家族のような、精神衰弱気味の主人公が、妻にアスピリンと偽って睡眠薬のアダリンを連日飲まされていたことに気づいた後、「アスピリン、アダリン、アスピリン、アダリン、マルクス、マルサス、マドロス、アスピリン、アダリン。」と、つぶやく中に、マルクスの名をさりげなく混ぜ込ませてるのは意図的なものだろうか。この小説は1936年発表である。朝鮮語で書かれたものだから、日本側の検閲には引っかかりにくかったのかもしれないが、李箱が東京で不逞朝鮮人として逮捕された理由の一つにでもならなかっただろうか、などと、今さら余計な心配をしてしまった。
しかしこの作品を読んで、先の「韓国を輝かす百人の偉人たち」の歌詞に得心がいった。
主人公が三越百貨店の屋上で正午のサイレンを聞いて、これからの身の処し方を思い、突然脇の下の失われた翼を思い出し、「もう一度だけ飛んでみようよ。」と心の中で絶叫するラストシーンからの引用だったわけだ。この作品が国民的に李箱の代表作として認知されている証拠だろう。
この飛翔が自殺願望でなく、李箱自身の新生へのマニフェストだとしても、やはりその後の彼のあまりに短い生を思うと、希望より絶望を感じざるを得ない。

肉体がふにゃふにゃになるくらい疲労したときにだけ、精神は銀貨のように澄み渡る。ニコチンが僕の回虫腹に染みこむと、頭の中に決まって白紙が準備される。その上に僕はウィットとパラドックスを碁の布石みたいに並べるんだ。これはまさに恐るべき常識の病である。

「翼」の前文にある、李箱の「我が創作法」だが、ウィットとパラドックスに飾られながら、彼の生き方と彼の作品の本質が率直に記されているようだ。李箱の一生が「疲労」の中にあったことは年譜からも思い測ることができるが、疲労が精神を研ぎ澄ませることも事実である。「疲労ほどの快感はない」という意味の逆説的フレーズが金子光晴の詩にあったと記憶するが、李箱の場合は慢性的疲労が彼の作品の通奏低音として流れているようだ。

同類の暗さを湛えてはいるものの「逢別記」末尾の、女が歌う唱歌には心揺さぶられた。

「騙されても夢うつつ 騙しても夢うつつ ゆらゆらとゆらめく儚きこの世 陰鬱な心に火を点けてしまえ 云々

最後の「云々」はない方が良いと思うが、この響きには、あの「恨(ハン)」の、凄絶ながらはかなくやるせない「美」が宿っているようだ。
それと「失花」の冒頭、「ひとに/秘密がないとういうことは、財産のないようにまずしくむなしいことである」というフレーズにも注目したい。類似した表現は、他の作品にも散見する。「秘密」は韜晦という形で彼の全作品を覆っている。

そうして、あまり期待もせずに、最後に読むことにした随筆に意外なパンチを食らわされた。
ここにこそ李箱の最良の「詩」心が凝縮されているのではないかとすら思ってしまった。

随筆として収められている9篇のうち数編はコラム以下の短さである。
「EPIGRAM」と「十九世紀式」は自身の三角関係に関する報告、「美しき朝鮮語」はアンケート回答、「幸福」はショートショート、「失楽園」は散文詩連作ということもできそうで、純然たる随筆雑記は4編くらいだろうか。
「山村余情」(1935)と「倦怠」(1937)は、書かれた時期と場所は違うが、どちらも1935年8月の平安南道成川訪問を題材にしている。編訳者の解説にもあるように、両者は文体といい、語彙といい、雰囲気といい、際立って対照的である。
とりわけ、最初に置かれた「山村余情−−成川紀行中の幾節」に心惹かれた。
たしかに、ここには25歳李箱の、モダンボーイぶりを髣髴させる外来語や新語の語彙が溢れかえっている。多分に意識的なものだろうし、日本によって半強制的にもたらされた京城(ソウル)の近代文明と、古い朝鮮時代そのままの前近代的田舎との対比を強調するための小道具ともいえるだろう。しかし、ここで留意すべきは、それらの外来語/新語の、用いられ方/形容のされ方である。

パラマウント会社の商標のような出で立ちの都会少女が出てくる夢
セシル・B・デミルの映画のように華麗で贅沢な黄金色
あらゆる芸術の上に君臨する第八芸術の勝利
頭がそのままカメラとなり、疲れたダブルレンズで
フラッシュバックで流れる淡い哀愁
孤独なファンに送る断腸のスチール
スクリーンが夕暮れの中で見せるバイオグラフィーの予め準備された表情


野外で催された村の映画会を描写している場面もあるためか、映画に関する用語の多さが目立つ。
「パラマウント会社の商標」といえば、あのマッキンレー山を中心に22個の☆がまわりを取り囲む意匠である。もしかしたらコロンビアの商標(少女というより自由の女神だが)との「故意の?」取り違えかも知れない。
またセシル・B・デミル監督の作品といえばこの時期なら「十戒」「キングオブキングス」「暴君ネロ」といった歴史スペクタル中心である。「華麗で贅沢」という形容からは、初期のサイレント時代の作品群が連想されるが、ここでは「スパルタ人のように訓練されたミツバチ」が胡瓜の花に止まっている情景に続く文脈におかれているから、やはり史劇ものと見るべきだろう。
モダニズム芸術に映画の占める位置は小さくないし、李箱も京城の団成社あたりで洋画を観る機会も多かったと思われるが、ここでの映画関連用語の多用は、あくまで、パレットの絵の具、トランプの手札みたいなものとして利用されているように思われる。これらを含むモダン用語群は京城の風景の中に置かれるのとはひと味もふた味も違う、特殊効果の役割を果している。

センシュアルな季節の興奮がこのコサック観兵式をよりいっそう豪華に
キムチの清新な味覚が目薬スマイルを連想させ
ハトロン紙色の皮膚から青菜の匂い


並んだトウモロコシをコサック兵と見なし、キムチの味からモダンな目薬を連想し、青菜の匂いのする村の娘の肌をハトロン紙に例える、才気走った比喩と形容の巧みさは憎たらしいというか、ちょっと嫌味さえ感じられるほどだが、こういった言葉の用法に、当時の李箱の行き場のない精神のはけ口を見てとることもできよう。

蓄音機の前で首をかしげている北極ペンギン

映画を見にやってきて庭の莚に座り込む村人をペンギンに見立てるこの部分を、編訳者は「都会人」の視点から「田舎の住民」を差別した表現と見ているが、ここに蔑視があるとしたら、李箱自身の自己嫌悪、あるいは近親憎悪的な感情ではなかったかと思われる。南半球にしか生息しないペンギンにわざわざ「北極」を冠するのも李箱お得意の苦味混じりのウィットとパラドックスに違いない。
この随筆の4年前の「興行物天使−−或る後日譚として−−」(『烏瞰図』、『朝鮮と建築』1931)という作品に、[北極]」[蓄音機]「ペンギン」という3つの単語が用いられている。先行作では、ヲンナ(狂女)が堕胎してトランクに死胎を入れる場面や、北極星を見るという場面があり、整形外科医に引き裂かれたヲンナの目が北極に邂逅し、ヲンナの持ち運ぶトランクは蓄音機となり、蓄音機は赤い鬼青い鬼を呼び集める。鬼はペンギンである。さらにペンギンは水腫になるのだが、こういったイメージを先の比喩表現に敷衍すれば、単純に田舎と田舎の住人への蔑視と見るのはあまりに皮相的ではないだろうか。

しかし、この随筆の見どころは透徹した自然観察と、その独特な描写、文章表現技術にある。

月も出ない晦日の真っ暗な夜には、八峰山も人が寝床に入るように暗闇の中へと完全にいなくなってしまいます。

星がじつに都会よりも倍もたくさん出ます。あまりに静かなので、星の運行する様子が聞こえるようです。

このような自然への瑞々しい詩心こそ、アクロバティックな表現の奇矯さ、デカダン、頽廃を超えて、李箱が今もなお国民的に愛されている理由なのではないかと思いたい。

朝陽に苛まれて庭がばさつけば、私はその音で眠りから醒めます。一日という「荷」が庭に満ち溢れたなか、真っ赤なトンボが病菌のように活動します。消さずに寝た石油ランプには火が点いたままで、消失した夜の痕跡が古いチョッキのボタンのように残っています。
昨夜を呼び起こすヨビリンです。

「山村余情」には、李箱の田舎への蔑視ではなく、憧憬と愛情が、ややひねくれた形で表現されているのではないか。この「皮肉っぽさ、ねじれ」が、李箱のモダニストとしてのぎりぎりの見栄だったのかもしれない。

年譜1916年の「李箱が自分を理解してくれるたった一人の人間であるといった妹の玉姫が生れる」という記述がずっと気にかかっている。李箱の謎解きのキーワードになるのではないかという予感に捕われたのだが、作品集成にはこの妹に関連する記述は見つからなかった。これは今後の課題ということにしておこう。

結局、李箱というBlack−Boxは、依然として掴み所のない宇宙として存在し続けているが、このたび作品集成を数回読み返すことで、その箱のおぼろげな輪郭だけは体感することができた。それだけでも望外の喜びであるが、彼の作品の中に潜んでいる謎は逆に深まったかもしれない。それがつまりは李箱文学の魅力ということになるのだろう。

作品集成に刺激されて、長璋吉、金素雲、川村湊らの著作を再読したり、新たに読んだり、李箱の友人朴泰遠の「川辺の風景」まで通読して、韓国文学への関心が急速に高まるという思わぬ余得があったことにも感謝したい。

以上です。(イサンイムニダ)

---------引用ここまで-----------

李箱の随筆が気に入ったというだけの、まとまりのない感想文だね。特に課題とずれてたから、というわけでもなく、そのまま審査されても、落選したんだろうな(^^;)

2006/12/29(金)●仕事納めてライブで朝帰り●

今朝のツイン煙突今朝は神鋼のツイン煙突、勢いよく煙を吹き上げていた。かなり長期間休止した後、半月くらい前に再び煙を吐き出したのだが、その後も煙は出たり出なかったりしてた。出てるときでも、以前と比べるといまいち元気がなかったのだが、今日の煙は完全復活である(^^;)
体調は相変わらずだが、ともかくも今日で仕事納めである。昨日からの現場の模様からすると、きっと夜までかかるのではないかと危惧していたが、オーナーが昨夜かなりがんばって整理してくれてたのと、どかっとヘルプも入ったので4時前には何とか格好がついた(^^;) でもフィリピン人のメイドが何とスペイン送りの衣類をどっさり洗濯中で、乾燥するまで出せないという(>_<) 仕方なく西根君と二人で現場居残り。しかし乾燥機というのは思ったより時間がかかる。1時間が過ぎて、事務所からは次次にまだかまだかコールの嵐。でも、乾かないうちは梱包させて貰えない。結局現場出たのは6時前だった(@ @) まあこのくらいまでかかるつもりでいたのだから、予定通りといえばそうなのだが、倉庫で待ってる連中は、待ちきれずに歳暮のビールなど飲み始めてて、到着した頃はホロ酔い気分のメンバーも数人いた。みんなで超特急で荷物降ろし、バン詰めして、今年最後のミーティングなどやって、要約解放されたのが8時前。
西根君に三宮まで送ってもらい、ハンター坂を登って、Happy Lauraへ。今夜はここで年忘れライブがあって、ムックさんのバンドStarting Overも出演する。仕事に追われて、ずっと会えずにいたムックさんと年内にあっておきたかった。ムックさんは宇治のおっしょはんと正月3日から訪韓するとのこと。Morris.としては正月休みを利用してムックさんと、遊びまくろうと思ってただけに、これはちょっと残念でもある。
Morris.はHappy Lauraは3回目だが、かなり酔ってムックさんに連れられて行ったから、今日は予想通り散々迷ってしまい、店に着いたのは9時過ぎてた。今日のライブは6組以上出演する7時から10時半までの長時間ライブだったので、ひょっとしてムックさんら先に演奏してるんじゃないかと心配してたが、幸いまだだった。
横浜から来たコスプレギャル(お姉さん?)や、懐かしの関西ブルースをカバーする黄昏横丁など数バンドを見ることができた。でも、やっぱりMorris.のお目当てはStarting Over。実はドラマーのAkiちゃんはこの店の店長を勤めていたのだが、来年留学のため、今年一杯で辞任することになってて、彼女のドラムを見るのもこれが最後かもしれないということで、今日は絶対に外せなかったのだ。実際に渡米するのは4月過ぎで、3月末にほんとうnサヨナラ公演やるらしいが、それはともかく、Morris.は例によって、ミニ三脚駆使してデジカメ撮りまくり。
演奏後にメンバーといっしょに、打上げというか、飲んでだべる。店の常連が勝手にギター弾き語り始めたりして、ムックさんもMorris.のリクエストでジョンの「You got to hide your love away」歌ってくれるわで、ついつい長っ尻してしまい、気づいたら午前零時半。すでに終電には間に合わない。こうなったら一緒だと、ビール追加してしばらく歓談して1時半頃店を出る。タクシー使おうかとも思ったが、ムックさんは歩いて帰るというので、Morris.も負けずに歩くことにした。ちょっと寒かったが、坂の多い神戸も東西は平坦だから、大したこともなく午前2時半頃部屋にたどり着く。そういえば阪急高架下沿いの道で、山田ほおぼうさんにすれ違った。今夜は鉄人マーケットで今年最後のウタカイがあったので、ちょっとバツが悪かったが、また来年から時間が合えば覗きに行こう。


黄昏横丁

コスプレクイーン?!

Starting Over

Akiちゃんの雄姿

ムックさん

記念写真
2006/12/28(木)●ごっつい現場(@ @)●

西根君ら7人で鴨子ケ原スペイン人宅の二日取りピックアップ現場。いや、中に入って目を剥いた。地下、一階、二階の3階に15近い部屋があり、家具が大きい、矢鱈装飾品が多い、直径1mを超えるパエリア鍋が多数壁にかかっている。兵馬俑の兵隊やら三彩の陶器の馬像やら、自在鈎やら、木製4枚屏風やらとにかく大変な現場だった。これは4日取りの現場だよな、と思う。玄関にあった薬箪笥は100kgを超える重さだし、秋本君が梱包してた座卓は2m×1.8m以上ある。まるでダブルベッドだ。Morris.は相変わらず過労と腹痛で冴えないまま、じたばた梱包作業に専念。それでも5時までみっちり梱包やって、やっぱりほとんどへろへろになった。西根君らは残業するとのことだったので、秋本君にトラックで倉庫まで送ってもらい、そそくさと帰る。昨日までの暖かさとは打って変わって、えらく寒い。明日はもっと冷えるらしい。いちおう仕事は明日まで。夜は北野のHappy Lauraで年忘れライブがあり、ムックさんも出演するので、これに行くつもりではいるのだが、行けるのだろうか(^^;)

【嘘つきアーニャの真っ赤な真実】米原万里 ★★★ 2001年刊で、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。ギリシャ人のリッツア、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカの3人の同級生との15年ぶりの出会いを描いたドキュメントである。彼女がチェコのロシア語学校で一緒に学んだ3人の少女たちの変貌とそれぞれの国の政治事情、それぞれの女性の生き方への著者の感慨や共感や反撥が綯い交ぜになっている。
勉強嫌いだったリッツアが医師として活躍していたり、愛国家のアーニャが英国人と結婚してイギリスで暮らしていたり、絵描きになってるはずのヤースナ(ヤスミンカ)が、外交部で通訳をやってたり、と意外な現実に驚きもするのだが、音信不通だった昔の友を異国の地で探し回り、やっと再会できたときの喜びの場面はいずれも感動的である。この体験が後に長編小説「オリガ・モリソヴナの反語法」に結実したのだろう。まだ彼女の著作の半分くらいしか読んでいないが、このロシア語学校の回想は、何度も何度も繰り返し描かれている。使いまわしとも、ワンパタンともいえそうだが、圧倒的印象深さと、思い入れの強さ、特異な環境での体験が、著者のかけがえのない記憶として刻み込まれたのだろう。
共産主義者の父の影響もあってか、東ヨーロッパの共産主義国家の政治的状況もきちんと把握している。チャウシェスク政権の高官として貴族的生活をしていたアーニャの家族が、チャウシェスク失墜、殺害後も、特権階級として贅沢三昧の暮らしをしていることへの疑問が、批判に変わり、それでも友人のアーニャに直接言えないもどかしさがあったり、ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領まで歴任した父を持つヤースナが平均的な暮らしをしていることへの共感を吐露したりしている。島国日本とちがって、複雑に国境が入り組んだ東ヨーロッパの民族問題の複雑さは、Morris.の想像を超えるものがある。

2006/12/27(水)●あと二日(^^;)●

昨日と同じメンバーで同じ現場。昼前に作業終了。
昼食は本山の「小麦の稔り」でおにぎりうどん定食。この店も久し振りだが、夏は冷うどんなのに、冬は熱いうどんになるようだ。ここの麺は暖かいだしで食べても結構腰があって美味しかった。
午後は住吉川沿いの高級マンションのシンガポール向け引越し荷物ピックアップの現場のヘルプ。矢谷君も現場復帰してた。注射でかなり回復したようだが、今でも鎮痛剤飲まないとやってられないみたいだ。
Morris.は今日も残業パスさせてもらう。今夜は大阪ミナミの羊串焼き店で巻田さんらの忘年会オフやってるはずなのに、結局Morris.は涙をのんでパスである。
明日明後日はまた大掛かりな現場が入ってるらしい。今年はあと二日で仕事終了だが、はたしてMorris.は最後までもつだろうか? もったとしても、その後寝込むのではないかと、ちょっと心配である。

【不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か】米原万里 ★★★☆☆ 94年刊の本書は彼女の著書としてはかなり初期のもので、出世作と言っていいのかもしれない。もっとも、Morris.は彼女のファンとしては奥手というか、彼女が亡くなった後で読み始めたファンである。かせたにさんのブログで彼女の名を散見して、いつか読もうと思いながらほったらかしにしてるうちに、彼女の訃報が届き、あわてて読み始めて、ついつい深みにはまりかけている。
日本でも有数のロシア語通訳としてのキャリアを生かした、翻訳を通じてのエッセイ集だが、教えられることの多い一冊だった。
通訳=売春婦論という前書きの中で、通訳を変圧器に例えるところから、うまいなあ、と思ってしまった。「Translater」と「Transformer」は確かに類似した単語ではあるけどね。
翻訳に限らず、ことばそのものへの深い洞察、そしてMorris.がいつも気にかかっていた差別語の言い換えに関しても、気持ち良いくらいの自論を展開してくれている。

例えば、「かたわ」→「身体障害者」→「身体の不自由な方」と進んできた言い換え、現在二番目までが禁句で、このままいくと、三番目もまもなく禁句になるはずだ。
コトバを禁じても、そのコトバによって表現されたことを禁ずることは、不可能であるということに尽きる。概念は、その本質として、必ず表現されることを求める。「かたわ」に蔑視をこめて使っていた人間が蔑視を残したままにしていくら「身体障害者」とか「身体の不自由な方」とか言い換えても、蔑視はそのまま言い換えられるコトバに継承されていくだけ。
ちょうど悪性の病原菌が、あるキャリアから別なキャリアに伝染したての潜伏期間には、病状は顕在化しないものの、そのうち必ず頭をもたげてくるようなもの。安直な言い換えは、症状の顕在化した患者を治療せずにどんどん見捨てるくせに、根本のところの病原菌を退治することには不熱心なものだから、やたら感染者を増やすばかりのヤブ医者に似ていなくもない。


この言い換え以外にも、禁忌事項への抑えがたい人間の意識集中や、「罪深い」単語を禁止するとイモヅル式にその単語に連なる罪のない単語まで禁止されるといった指摘もあるが、差別語を差別する差別語排斥論者を絶対差別したいMorris.としては、まず、この言い換えなんてのは撤廃して貰いたい。

Morris.が昨年センターの朝鮮語講座ですごく効果があったと思う「シャドーイング」に関する、プロの通訳としての意見も興味深かった。

通訳者養成という観点から見ると、シャドーイングは功よりも罪のほうが大きいのではないかと。
ただし通訳者に必要とされる別な技能、すなわち正確で美しい発音やイントネーション、自然で無理のない文型や表現を身につけるためには、やはりシャドーイングは捨てがたいトレーニング方法である。日本語であれ、英語である、ロシア語であれ、その国の標準語のてほんたるべく訓練されたアナウンサーの発話に、耳や口を慣れ親しませていく有効な方法であることだけは間違いない。
だからシャドーイングの教材として、間違った発音やイントネーション、誤った構文や言葉遣いのスピーチなどを取り入れることは、絶対に避けなくてはいけない。


ふーん、なるほど。韓国語の「発音の不自由な人」であるMorris.は、やはりこの訓練は有効なのに違いない。でも、そうなるとシャドーイングの面白さ?はかなり軽減しそうな気もする。
彼女が学んだチェコのソ連大使館付属学校でのロシ語の授業と、日本の学校での「国語」の授業との違いは、確かに日本の義務教育の国語教育の本質的問題を浮彫りにしているようだ。大雑把にかいつまんでおく。

1教材はダイジェストやリライトされてない文豪達の実作品をそのまま使用.
2.詩や散文の古典的名作の暗誦
.3.教科書の朗読の後、内容の要旨を要求。自分の読む速度と理解する速度のシンクロ。
4.作文は自由に書くのでなく、模範的文学作品を分析してコンテを作らせ、それに沿って書き上げる。


おしまいの作文指導には、疑問点が無いでもないが、ともかく、自国の文学作品を徹底的に叩き込むことと、理解するための学習法と言う点では日本の国語学習とは雲泥の差がありそうだ。
しかし、彼女の本には、こういった堅いめの内容ばかりでなく、いや、軟らかめというか、ギャグや落し話やお笑いエピソードなどの方が多いくらいである。
だからこそファンも多いのだろうが、Morris.も遅まきながら彼女のファンとしてこれからもしばらく読みつづけてみよう。

2006/12/26(火)●帰れコール(^^;)●

溝渕、浅海君と3人で西宮名次町の米人宅の二日取りピックアップ現場の初日。えらく整理の行き届いた家で、作業はスムーズに進む。昼から雨になった。昼食食べにMorris.一人で苦楽園方面に向かったが思ったより遠く、雨も本降りになったのでコンビニの弁当(>_<)
お腹の調子は昨日よりはましな気もするが、差し込むような圧迫感は続いている。5時過ぎに倉庫に戻り、荷降ろしするつもりが、先に作業してた清水君がMorris.の疲労困憊ぶりを見て、「もう今日は帰った方がいいのでは」というご託宣。バイトなど人数多く残ってたので、残業はパスさせてもらう。やっぱり風邪なのだろうか。
部屋にもどっても、何もする気にならない。NHKのど自慢の面白場面特集みたいな番組があったので、つい見てしまう。面白といってもそこは日本ののどじまん、韓国ノレチャランと比べると上品である。
いかん、だんだんだるくなってきた。今日は早めに寝ることにする。

2006/12/25(月)●のだめ最終回!(@ @)●

3時10分起床。西根君、浅海君と名古屋の隣の日進市の現場。疲労はともかく、今日はなんかお腹がシクシク痛む(>_<) 昨夜キムチチゲ食べ過ぎたせいだろうか?それにしてはこの痛みは変である。ともかくお腹冷さないようにトレーナ-着込んで出発。現場には8時到着。荷物が見積もりよりかなり少なかったので昼前に作業終了。
千疋屋のポークチャップ帰り道岩崎城近くの「鶴亀堂」で豚骨ラーメン。ここは今年の4月5日に矢谷君と行った店である。名古屋方面にはまれな美味しい博多ラーメンの店である。もっとも、Morris.が日付など覚えてるわけがない。Morris.部屋トップページの自ページ検索で調べたのだ。なかなか商売繁盛で、Morris.はお腹の調子が悪いのにも拘らず、つい替え玉してしまった。これが良くなかったらしい。ちょっと治まってた腹痛が再発。帰り道の渋滞もあって、かなり厳しい戦い(^^;)を強いられてしまった。吐き気などないので、大流行のノロウイルスではないと思うのだが、かなりバテ気味だけに、ちょっと心配でもある。
夕食作る元気もないので、千疋屋へ。今日の定食はトマトコンソメスープとポークチャップ定食。えらく混んでた。お腹の調子がこんなだけに大丈夫か、と思いながら、やっぱり美味しくて残らずいただく。
今日は「のだめカンタービレ」最終回。おいおい、もう終わってしまうのかい、である。本当に久しぶりに毎週待ちかねて見るTVドラマだったのにい(>_<) で、今夜は10分延長で、のだめの実家、大川市でのハチャメチャ&感動ラブシーンあり、クリスマスコンサート、ベートーベン第七交響曲たっぷり披露ありとしっかりフィナーレを派手に飾ってくれた。来週からMorris.は何を楽しみに生きていけばいいのか? というほどでもないが、とにかくもMorris.にとっては実に画期的なドラマだった。たぶん半年後、遅くとも1年以内に続編があることを確信している。来年には映画化もあるそうだが、何よりも、まず、原作の漫画を読まなくては。

2006/12/24(日)●真冬のサマーベッド●

8時起床。11日ぶりの休みである。猛烈社員なら何のことも無いのだろうが、Morris.の日頃の労働状況からするとこれはかなり極限に近い。洗濯機かけて屋上に上がる。実は先日ロハで手に入れたキャンプ用のサマーベッドがあって、これを屋上に常備することにしたのだ。全くの新品なので、もしかしたら誰かが持ち出すかもしれないが、そのときはそれまでである。せっかくだから記念写真も撮っておいた(^o^)
昼前から年賀状作業。例年ならもう投函してる頃なのだが、今年はとてもその余裕は無かった。デザインはここ数年ずっと同じで、今年読んだ本のタイトルだけをコピーペーストするのに時間がかかるくらいで、ほぼ1時間で完成。これをほとんど骨董品の白黒レザープリンタでプリントアウトして、小さなスタンプ捺して、その後宛名書き。Morris.の悪筆からすると、宛名もソフト任せで印刷すれば良いようなものだが、これだけは自筆にすることにしている。正月早々ひどい字を見せられるのは迷惑かもしれないが、これも年に一度のお約束と言うことで我慢して貰いたい。
宛名書き終えた頃に有馬記念レースが始まる。久し振りの怪物ディープインパクトの引退レースということもあって、競馬には無関心のMorris.も見る気になってた。結果はぶっちぎりのディープ一人舞台。いやあ、大したものである。
JRで六甲道に出て灘図書館に行き、とんぼがえり。のつもりが、うっかり快速に乗ってしまったので三宮で折り返し。6時過ぎのJR灘駅は不思議に美しかった。まもなく消滅すると思うから特にそう感じたのかもしれないが、取り壊すのは惜しいぞ。
アシナガさんからもらったお茶「玉露白折」を飲んでみた。これは本当に美味しい。もともとMorris.は茎茶は好きだったが、これは茎茶を主体に玉露と抹茶を配合したもので、それぞれの旨みがうまいこと調和してるようだ。紅茶大好きのMorris.だが、しばらくはこちらを楽しむことになりそうだ。
明日も3時起きで名古屋行きである(>_<)


冬のサマーベッドwithミニギター

夜の灘駅

玉露白折茶
2006/12/23(土)●名古屋−安城−豊田●

3:45a.m.高橋から見下ろす作業風景3時起床(>_<) 何でこんな早く起きなきゃならないんだと、愚痴りながら洗顔して出勤。途中高橋の下のJR線路で、夜間路線工事やってた。夜間照明の中溶接作業や螺旋の点検など、きっと彼らは深夜から作業してたのだろうと思うと、Morris.のこのところのオーバーワークもそれほどのことではないような気になった。でもやっぱりしんどい(>_<)
奥井さんと高平さんと一緒に名古屋の倉庫に7時過ぎ到着。Morris.はとしろうと一緒に安城の現場に行き、その後、奥井さんらが担当する豊田の現場で合流という予定。しかし、安城の現場の開始時刻は10時半(@ @) これなら、5時起床でも間に合ったんでないかい、とちょっと不満。
作業自体は順調に済み1時過ぎには安城を出て豊田の現場近くの「いやし屋」という店で醤油ラーメン。この店は漬け麺が専門らしいが、Morris.はどうもこのラーメンの漬け麺は苦手である。醤油ラーメンの方はチャンポンみたいな太麺には閉口したがスープはそこそこ美味しかった。でもラーメンにカマボコ入れるのはやめて欲しい。豊田の現場もちょうど終了したところで、早めに出立できた。5時半過ぎに倉庫に戻って、荷降ろしと、材料積み。
7時前帰宅。冷蔵庫のあまりもので焼き飯作って、日記やメールの返信などしようと思ったが、結局何もしないまま就寝。明日12日ぶりの休みになったが、明後日はまたも名古屋で3時起床(>_<) 今年は忘年会まだ一度も無しである。27日は大阪ミナミで、広島から来るぶんたさんを迎えての巻田さんらのオフ忘年会が予定されているのだが、この調子だとちょっと無理だろうなあ(>_<)

【THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ】矢作俊彦 ★★★☆☆ 2004年発行のハードボイルド長編である。帯には「『リンゴォ・キッドの休日』(78年)、『真夜中へもう一歩』(85年)に続く、二村永爾の最新作!!」と書いてある。前の2作は読んでないが、7年、9年のスパンでの連作というのはなかなかのものである。
彼の作品では「あ・じゃぱ!」に強烈な印象を受けたのだが、このタイトルをMorris.はずっと「あ・じゃぱん」と思ってた。先日図書館で見たら最後の文字は「!」と「ん」が合成されたもので、Morris.が「あ・じゃぱん」と思い込んだのもむべなるかなである。ちなみにさっき、ネットで検索したら、「あ・じゃぱ!」「あ・じゃぱん」「あ・じゃぱ!ん」という表記が入り混じっていた。
先日読んだ「悲劇週間」が、PCを駆使してチャンドラーの「長いお別れ THE LONG GOODBYE」のハイパーサンプリング再構成したものだという、著者自身のコメントが出てることを後で知ったのだが、こちらは、タイトルがそのまま同作品のパロディになっている。
中年の警部が飲んだくれの日系米人と懇意になり、彼が引き起こした事件に巻き込まれ、警部を解任されて、それでも事件に深くかかわり、台湾のマフィアや、ベトナム生れの天才女流バイオリニストの養母失踪を追う中で、先の米人の事件につながり、日米の裏取引なども関連してやたらスケールの大きな事件の一端に触れてしまうなど、お膳立ても良く出来た作品だと思う。残念だったのは、Morris.が多忙のなかで、細切れに読み進めたため、スピード感が味わえなかったし、途中で中断したためストーリーがよく把握できなかったり(おいおい(^^;))したことだった。
その代わり、という、細部のおっそろしくモノマニアックな描写や、遊び、薀蓄、スタイリッシュなギャグの応酬などを楽しむことが出来た。
たとえば、バイオリニストの養母のマンション近くの割烹料理屋の娘のどうでもよさそうな発言

「−−そう言えば、お酒だの肉だのえらさら持ってらしたわ」

の中の「えらさら」という語など、初めて見た。意味はおおよそ見当がつくが、辞書やネット検索でも見つからなかった。たぶん方言なのだろうが、こういったことばをわざわざ使うあたりにも矢作のこだわりを垣間見ることができるようだ。
Morris.はハードボイルドとはあまり縁がなく、チャンドラーの件の作品すら読んだかどうか記憶に無いくらいなのだが、本書は日本のハードボイルドとしては破格の、スケールは大きく、表現は緻密な、稀に見る秀作だと勝手に断定しておきたい。こうなると前二作も是非読まねば、と思ってしまった。

2006/12/22(金)●冬至の蜜柑●

溝渕君、オーガスタと3人で昨日の現場の続き。台所の下の引き出しの奥に一万円札五枚発見。きっとこれはへそくりに違いない(^^;) 奥さんにわたそうと思ったが、あいにく友だちの家に出かけて留守。しかたなく旦那に渡したが、どうもこれは失敗だったかもしれない。昼食は今日もよりあい向洋、鶏の唐揚げで美味しかった。
アシナガさんからの戴きもの3時に作業終了して、キムチ冷蔵庫を御影の別の韓国人宅に配達、5時に倉庫に戻り、コンテナ詰めして、帰り道マルハチで海鼠など買って帰宅。
今日は冬至である。冬至といえば、南瓜食べたり、柚子湯に入るというのが一般的だが、Morris.はあまり南瓜好きでないし、柚子を風呂に浮かべるなんてもったいないことは出来そうに無い。冬至の海鼠というのがあるかどうか知らないが、Morris.は海鼠ならいつ食べても美味しいと思う。
アシナガさんから宅急便が届く。中身は蜜柑、うどん、きしめん、スパニッシュピーナッツ、小豆菓子、玉露白折茶という豪華大盤振舞である。お歳暮かクリスマスプレゼントみたいだが、きっとこれはKBS日本語放送の韓国歌謡コンクールの応援への返礼だと思う。Morris.は今年は落選(>_<)だったが、アシナガさんはユニーク賞に入選。でも今日の宅急便の方がユニーク賞の商品より充実してるような気がするぞ。結果的にMorris.は得したのかもしれない(^o^)/
アシナガさん、ありがとおーーーっ!!m(__)m
夕食はお好み焼きに再挑戦。なかなか美味しかったのだが、ちょっと焼きが足りなかったのか夜中に下痢(>_<) 明日は三時起きだっただけにちと辛かった。

【看板建築】藤森照信 文、増田彰久 写真 ★★★ 「看板建築」という言葉は耳に馴染んでいたし、神戸、大阪の下町商店街で良く目にする建物だと思っていたのだが、本書を読んでそれが誤解だったらしいことを知らされた。そもそも「看板建築」の命名者が藤森自身だったとういことすら知らずにいた。

さて、この看板建築の四文字がいつこの世にはばかり出てきたかというと、日付まではっきりしていて、昭和50年10月11日で、場所は東京は大岡山の東京工業大学の一室だった。
なぜ、その日にその場所ではばかり出てしまったかというと、責任はひとえに私にある。僕は、当時27歳の学生で、堀勇良といっしょに東京建築探偵団の活動に熱中していて、その探偵活動の過程でたまたま出会った一群の建築形式に名を与えようと思いたち、堀勇良と無い智恵を絞ってあの四文字を考え出し、忘れもしない13年前の10月11日の日本建築学会大会の席上で発表してしまったのだ。

大正12年の大震災から昭和3年の区画整理完成まで、こうした出来事があった後、はじめて人々は自分の店を本格的に建てることになる。
そして、看板建築が誕生する。
もし、看板建築誕生までの、すべての人々が加わらざるをえなかった5年間の都市計画ドラマがなかったなら、おそらくわが看板建築もあそこまでは盛り上がらなかったにちがいない。


要するに看板建築は昭和3,4年ごろの東京で、関東大震災後の復興期の建築パターンとして登場したものらしい。

看板建築は、洋風デザインをベースにしながら、しかし、洋風だけでは満たされない下町の商店主や職人たちの心の底にたまる江戸の記憶を呼びさまし、形を与えたのだった。
そして、これ以後、東京の街の建物に江戸の記憶が現われることはない。看板建築がその最後の炎であった。

藤森によると看板建築はほとんど東日本のみの特異な建築様式で、西日本にはないと断定している。と、するとMorris.がこれまで看板建築だと思ってたのはなんだったんだろう。「擬看板建築」? それとも、「看板」ということばに惑わされて、看板が目立つ建物や、建物の前面が看板めいた造りのものをそう思い込んでいたのかもしれない。まあ、擬看板建築だってそれなりに面白いので、Morris.もこれから街中で見つけたら紹介していきたい。
本書の出版が1988年。すでに20年近くがすぎている。たぶん、本書に掲載されている看板建築の半分以上が地上から消滅していると思う。いや、ほとんど壊滅状態かもしれないな。
看板建築とは直接関係無いが、何気なく使ってた「しもたや」という言葉の語源がわかったのがありがたかった。

造りは商店でありながら実際にはただの住宅になっている建物を[仕舞屋(しもうたや−しもたや)]という。

2006/12/21(木)●1年3ヶ月ぶりの●

かなり大きくなった仔猫溝渕君ら5人で六甲アイランド韓国人宅の二日取りのピックアップ現場。Morris.は例によって台所周りの梱包中心に作業したが、それでもかなり身体へろへろになってるようだ。
ふれあい向洋の今日の定食、鯖の竜田揚げは何か、いまいち。
午後も4時半まで梱包作業、倉庫に戻ってコンテナ詰して、ふらふらになった。予定表では、土曜も名古屋行きに変わっている(>_<) 大丈夫だろうか?
帰宅したら、島田さんからスケジュールと、ポスター、特記事項の変更などが送られてきてたが、何とか、島田部屋スケジュールだけ更新。さらに吉美ちゃんから、「うりちぷぱんちゃん」の原稿がメールで届いてた。実に1年3ヶ月ぶりの更新(^^;)である。コンビニで「チャプチェパイ」という商品を見つけて、ずっと前に亡くなった父のことを思い出したという、回顧的記事である。
この前の健康診断の結果が来た。問題の血圧は最高150、最低83になっている。これは8回ほど計った中の一番低い値である。それでも高血圧には違いないが、成徳小学校の福祉センターでの計測はこんなもんではなかったからなあ(^^;) いちおう6ヶ月間様子見て再検査を勧めてあった。その他、心臓、肝臓、腎臓、貧血などはまあ正常みたいだし、糖尿病でもないようだ。ただ「脂質代謝」のTchの値?が229mg/dlで要注意となっていた。血液のコレステロール関連らしいがよくわからない。しかし、現時点の問題は労働過剰による過労であることは間違いない。

2006/12/20(水)●亀の目に涙●

今朝の屋上から朝はちょっと早起きして洗濯。朝焼けが綺麗だったので、ひさしぶりに屋上に上がって空を見る。
今日は一日倉庫作業。昼間西根君と三井倉庫引取りと中央市場付近の永井商店に傘釘取りに行き、「大八」で鉄火巻+天カスうどんのセット。ここは倉庫が鷹取にあった頃は良く行ってたが、久し振りである。うどんより鉄火巻にインパクトがある(^^;)
午後も倉庫作業。予定表見たら明日から29日まで休み無しで仕事入ってる模様(>_<) 14日から休み無しで来てるからこのままだと16日間連投ということになるぞ、いくらなんでも身体が持ちそうにない。どこかで休みを入れなくては。
今夜は亀田興毅の因縁のタイトル防衛戦があったのでつい見てしまう。先に弟が前座でインドネシアの元チャンピオンを1回37秒でKO勝ちしてさかんに兄貴を徴発。前回のタイトル戦では明らかに劣勢だったのにチャンピオンになったことで、いろいろバッシングも受けたようだが、今日の試合はド派手なサンタ衣装での登場とは裏腹に、足を使った堅実なボクシングスタイルに変身、終始亀田ペースで判定ながら完勝と言えるだろう。勝利インタビューでもワルぶっていたのに、親父のことを話しながら涙ボロボロになってしまった。いかにも浪花の人情喜劇そのままである。まあ、これでTV局もひと安心だろう。
そのあとフィギュアスケートエキジビションを見るともなく見る。浅田真央はエキジビションでも転倒してた(^^;) キムヨナは浅田と同じ16歳とはとても思えない。ともかく今年はトリノの荒川静香の金メダルのおかげもあってフィギュアスケートの注目度が一挙に上昇したことだけは間違いない。Morris.はしぶとく安藤美姫ちゃんを応援したい。

2006/12/19(火)●石灰沈着性腱板炎●

今朝は神鋼のツイン煙突勢いよく煙を吐いていた。やっぱりMorris.は煙の出ている煙突は好きである。
矢谷君らと六甲アイランド高層住宅の韓国人宅のピックアップ。二日取り現場の二日目で、昨日かなりパック進んでいた。ところが矢谷君が昨日突然肩に激痛が走って、病院に行ったら「肩関節石灰沈着性腱板炎」と言われたらしい。ネットで検索したら、それほど悪性の病気では無さそうだが、痛みは半端でなさそう。それでも今日の現場だけはチーフなので無理して出て来てた。こんなときに限って、石の寝台なんてとんでもない荷物があったりする(>_<) 2m×1.6mほどの石板で、倉庫から二人ヘルプに来てもらって6人がかりでなんとかトラックに運んだ。150kgくらいあったのではなかろうか。これはピアノ運送に頼むべきだったかもしれない。
昼食は「ふれ合い向洋」の定食。根菜とつくねの煮付け。えらく待たされたが、それだけのことはあった。やっぱりここの献立は丁寧な家庭料理といったところで家庭の味と無縁のMorris.にはありがたい存在である。
作業終了は5時半過ぎで、これから倉庫でコンテナ詰め、と思ったところコンテナが間に合わなくて荷物トラックに積みおき。
Morris.亭の裏道(こっちが大通りだけど)の山側に「COZY COT」という美容院があっていつもはあまり気にしてなかったのだが、今日の帰り道、やけにお洒落に見えた。ペンキ塗りの木のドアと何気なく置かれた多数の植木鉢がポイントだろう。


朝日と煙突

やっぱり煙は好き(^o^)

美容院COZY COT

【棟梁たちの西洋館】増田彰久 ★★★ 建築探偵藤森照信とよくつるんで写真を担当しているので名前は知ってたが、日本の西洋館の建築写真家としてはかなりの人らしい。本書はいわゆる「擬洋風建築」のアルバム本みたいなもので、役所・病院、学校、ホテル、宗教施設、邸宅の分野別に、約30件の建築物を紹介している。Morris.もこういった和洋折衷の建物の面白さはよくわかる気がするのだが、こうやってずらずらずらっと並べられるとちょっと食傷気味になってしまう。確かに写真は見事で綺麗なのだけど、カラーになるとかなり安っぽさが際立つ気がする。この人の白黒の建築写真は真実素晴らしいだけにちょっともったいないと思った。もっとも一般向けの写真本でいまどき白黒では売れないだろうことは良くわかるから、無理な注文だろうなあ。
エンゼルと龍が同居している長野県松本市の開智学校は機会があれば一度拝観(^^;)したいものである。
こういった建物とは、見知らぬ町で偶然出会うというのが一番望ましいのだが、そうそうそんな機会はありそうにないので、ガイドブックに頼ることになるのだろう。

2006/12/18(月)●ただいま●

大掃除後の千疋屋6時半起床。今日は中区のアメリカ向け荷物ピックアップのヘルプ。秋本、清水、溝渕君が先に来てて、さらにバイト3人入って、今日も計9人という大人数。3階建ての家だったので各階分担して作業。Morris.は2楷の台所。昼食はcoco一番のカレーでちょっとがっくりだったが作業は二日取りの現場なのに午後2時半にはほとんどやれる部分は片付いて、Morris.らは先に神戸に戻ることに。結局倉庫に着いたのが6時。
久し振りに千疋屋へ。月曜日恒例の粕汁とポーク串焼で、Morris.はまたまた粕汁お代りしてもらう。千疋屋は昨日大掃除したとのことで、大将は普段使わない筋肉使ったので痛い痛いと言ってた。そういえば、調理場の壁もちょっと綺麗になってる。記念にデジカメ撮っておくことにした。
今夜も「のだめ」見る。のだめはコンクール最終予選のペトルーシュカの途中で今日の料理のテーマに始まるインプロビゼーションで失格。でも千秋は彼女と一緒にヨーロッパに行こうと言うし、RSオーケストラのクリスマス公演は千秋の日本でのラストプレイになり、来週の放映日と公演の日12/25がぴったり一致するという趣向もMorris.の思ったとおり。

2006/12/17(日)●バルサまさかの敗戦(>_<)●

時半起床。昨日の現場。今日は神戸から奥井さんら4人、名古屋の丸山君に、バイト二人も入って合計10人(^o^)。これだけ人数入ると作業も進む。
昼食は昨日の河さきで、天麩羅定食。いや、これが\700というのは犯罪(^o^)である。魚3種、海老、野菜3種に椎茸までついて、ネタは新鮮、揚げ具合もばっちりである。高平さんが頼んだカレイの煮付も滅茶美味しそうだった。煮魚定食は\650である。ああ、こんなことならMorris.も昨日こちらにしとけば良かった。別の客の注文してた刺身定食(\700)だって、刺身だけで居酒屋で頼んだら\1,000以上しそうなものだったし、ほんっとにこの店は名東区に行ったら要注意である。
結局3日取りの現場だったのに、二日目の午後3時には作業完了。でも、今夜も名古屋泊まりで明日は、別の名古屋の現場のヘルプに入って、午後に神戸に戻ることになった。これでゆっくりホテルでサッカー観戦できる(^o^)
小川さんが今夜こそ飲みに行こうと言うので、5時半に金山駅前で待ち合わせることにして、Morris.はそれまで駅周辺の散策を楽しむことにする。金山駅の繁華街はほとんど駅の回りだけでちょっと歩くと下町の風情がある。公園に白黒猫発見、イリコでご機嫌取りしたがあまり懐いてくれない。そのあと東南アジア風の仏塔が見えたので大回りしてたどり着いたら、例の大谷派の本願寺別院だった。これはこれでなかなか趣があるのでデジカメ撮影しておきたかったところ、残念(>_<) 次回に期待である。
5時半に二人と会って、土間土間へ。さすがに今日は席はあったものの、それでも回りは忘年会の2団体予約ですぐ満席になった。どちらも女性だけの団体だった(^o^) でも、かなりうるさかった。
生ビールに焼き鳥、ニラ餃子、野菜チップなどでいい具合ほろ酔いで、7時に店を出て、コンビニでビールとあて買ってホテルに戻りサッカー観戦に備える。せっかくだから西根君と小川さんも呼んでMorris.の部屋のベッドに腰掛けて一緒に観ることにした。
前半からブラジルのデフェンスが堅くてバルサの動きが封じ込められる試合展開。ロナウジーニョも3人がかりで止められながらも流石の球捌きを見せてはくれるものの決定打が出ない。
後半も同じような展開で、残り15分というところで、ブラジルのアドリアーノが完全にゴール前抜け出して値千金のゴール。結局これを守りきってブラジルインテルナシオの勝利。ああ、バルサの大ファンになった途端の意外な敗戦はちょっとショックだった。でも、前にも書いたとおり、レベルの高いチーム同士の試合は実に見応えがあるし楽しい。

2006/12/16(土)●サブデジカメ死滅(>_<)●

時起床。西根君、小川さんと3人で名古屋名東区文教台アメリカ人宅の3日取りピックアップ現場。他に矢谷君ら二人が今日だけヘルプに入り、Morris.ら3人は名古屋2泊するので、明日のクラブサッカーはホテルで観戦できそう。
ところが、仕事のときに携帯しているデジカメが完全にアウトになってることに途中で気づいた。前からちょっとおかしかったのだが、昨日倉庫の作業中に落花したのが直接の原因らしい。これで今回の名古屋の画像は無し(>_<)ということになる。
昼食は近所の「河さき」という居酒屋の昼定食。ここは\650から\700で6種類くらいの定食があり、Morris.は焼魚定食(\650)頼む。多分鯖だと思ったのだが出てきたのは秋刀魚だった。それはそれで美味しかったのだが、矢谷君のカキフライ定食(\700)、小川さんの天麩羅定食(\700)はいかにも豪華で美味しそうだった。これはちょっと注文失敗である。明日は天麩羅、明後日はカキフライにしようと堅く決心。
矢谷君らは荷物を積んで午後2時に神戸に戻る。わしらは午後5時まで作業やって、6時過ぎに金山ホテル着。近くの手打ちうどん「大黒」が珍しく営業してるみたいだったので、Morris.は是非一度行きたいと思ったのだが、小川さんが、飲みに行こうというので、3人で、金山駅前の安酒場で飲もうと思ったのだが、「土間土間」「つぼ八」「贔屓屋」「串家」と4軒たて続けに予約満員で断られてしまった(>_<) たしかに忘年会シーズンである。結局大回りして長浜ラーメン「まき」で「夏期サービス」(^o^)の「ビール大瓶+餃子セット」とラーメン頼む。Morris.はここのラーメンは大好きだからこれはこれで良かったが、こんなことなら「大黒」行きたかった。7時にホテルに戻り、日本有線大賞とロシアでのフィギュアスケートを交互に見る。女子のショートプログラムでは浅田真央と安藤美姫が1,2位を取ったが、実はこれは半日前の録画で、結果的にはフリーでは不振で、韓国のキムヨナがまたも逆転優勝したらしい。

2006/12/14(木)●ロナウジーニョ!!●

雨は降ってないが今にも降りそうな空模様。でもやっぱり神鋼の巨大ツイン煙突からは高々と煙が立ち昇っている。
西根君ら6人で堺、石津町のアメリカ向荷物のピックアップ。Morris.は航空便を重さ量りながら梱包。
結局飯抜きで1時過ぎまでかけて作業終了。現場は仁徳天皇陵の近くで、何となく古えの雰囲気が漂う町区だった。
昼食は、岸和田まで戻って「味の時計台」という札幌ラーメンチェーン店。Morris.はあまり札幌系は好きでないので、あまり期待もしなかったが、まあ、不味くはなかった、といった程度。
夜はクラブサッカー、バルセロナ・クラブアメリカ戦。ロナウジーニョ人気で盛り上がってたが横浜はかなりの雨。前半2点入れたバルセロナは余裕のゲーム運び、ロナウジーニョの芸術的パス連続、後半ロナウジーニョのゴールで勝負あった(^^;)その後もジーニョやりたいほうだい。特に自分でゴールできるボールを後のデコにわたしてゴールを呼び込むわ、ロスタイムでのゴール枠直撃のミドルシュート、雨を忘れた観客のスタンディングオベーションもむべなるかなの楽しいゲームだった。それにしてもあれだけ注目され、騒がれてる中での期待を軽く超える活躍ぶりは本当にスーパーである。雨の中でダイレクトパスをいとも簡単に続けるメンバー全体の能力の高さもすごいが、それとは別にバルセロナというチームカラーに強烈な魅力を覚えた。17日の決勝も楽しみである。


半年ぶりの煙

堺石津公園の枯葉

石津公園の野良猫

【日本の花】柳宗民 ★★ ちくまのカラー新書の一冊。著者はあの柳宗悦の四男で、育種花園を経営して、園芸に詳しいようだ。「雑草ノオト」など読んだ覚えがある。本書は春夏秋冬それぞれ12種の草花や花木のコラムにカラーイラストを添えたもので、園芸関連の新聞か週刊誌に一年間毎週連載したもののような気もするが、掲載誌などは明記されてない。
植物名は各コラムのタイトルにはひらがなで、本文ではカタカナで記載されている。せめてタイトルには漢字名も併記してもらいたかった。ラテン語学名はタイトル下とイラスト中にご丁寧にダブって記載してあるだけに嫌な気がした。そのくせ本文では所々で漢字名議論を展開している。
内容は植物こぼれ話に園芸関連の記事を重ねた体のもので、「ハマナシ」を「ハマナス」と呼ぶのは間違いでこれは森重久弥の「知床旅情」の影響が大きいとか、日本の菫で一番匂いが強いのはヒゴスミレだとか、小ネタはあるが、全体としては退屈なものが多い。何か文章がくどいのと、あまりにしょうもない駄洒落が多いのには辟易させられる。

アヤメという言葉は古くは、菖蒲湯に使うサトイモ科のショウブ(白菖)のことであったて、いわゆるアヤメは、葉がショウブに似て、花が美しいところからハナアヤメと云われていたという。これがつまって単にアヤメと呼ぶようになったらしい。ショウブにとっては己の看板を盗られたようなものだ。ハナショウブの方は、葉がショウブに似て、花が美しいためにこの名を付けられたものだが、これも花を略して単にショウブと呼ぶ。本物のショウブは二重に看板を盗られたようなものでさそ恨んでいることだろう。

ね、くどいでしょ。いやくどいというより単なる悪文というべきかも。植物に変に感情移入して「恨んでいることだろう」なんていう表現もやたら出てきてこれも鬱陶しい。
イラストは相田あずみという人が描いてるのだが、出来不出来が極端である。Morris.は表紙の菫のイラストに惹かれて本書を手にした。そのくらいこの菫はなかなか美しいボタニカルアートといえる。ところが、ツバキの絵なんかこれはもうほとんど醜悪に近い(>_<)。 この人は草花が得意で花木はにがてなのかもしれない。アヤメ、イチハツ、ハナショウブなどアヤメ科のイラストは揃って素敵なのに、ボケ、モクセイ、サザンカなどはかなりひどい。それにこれはイラストレイターの責任ではないが、イラストに添えられた和名が、イラストと違ってるときがある。(「キンモクセイ」のイラストに「モクセイ」など)

「ムクゲの語源は木槿の日本読みが転化したのだそうだが」とあるのは、多分「大言海」の語源説からの転用だろうが、「日本読み」というのは理解できない。「大言海」には「音読み」とある。
しかし、Morris.はこれは韓国語ムグンファ(無窮花)の漢字の音読みから来ているのではないかと思う。「木槿」の音読みは「もっきん」でこれが「むくげ」になるとは考えにくい。そのてん「無窮花」は「むきゅうか」、「花」は「華」に通じるから、これを「げ」と読んだら「むきゅうげ」 かなり「むくげ」に近づくんぢゃないかい(^^;) 神戸学生青年センターの朝鮮研究団体「むくげの会」のご意見も聞いてみたいところである(^^;)

2006/12/13(水)●チビギター入手(^o^)●

8時起床。雨である。
昼前にリードマンから電話でチビギター入荷の連絡。雨が止んだら取りにいくと答える。
午後はまたKBSのアーカイブ番組チェック。イジヨンを超えるものはない(^^;)
早速ステッカーで自己主張夕方雨が止んだので三宮に出て三宮図書館に寄り、リードマンへ。9月の韓国旅行時にムックさんがミニギター持参して、道端や飲み屋で演奏しまくってたのを見てMorris.も欲しくなった。先に帰国するムックさんからそのギター借りてMorris.も拙いながらポンチャック流しの真似ごとやってるうちにもう手放せなくなって、帰ってからリードマンに買いに行ったら同じ色のモデルが品切れで、入荷は11月末と言われてしまった。ムックさんに無理言って、入荷するまでムックさんのミニギター借りつづけることにした。ところが、入荷が遅れに遅れて、やっと今日どこか余所の店から回ってきたらしい。ということで、2ヶ月遅れの入手である。ムックさんの6絃がびびってたので、修理のためリードマンに預けたので、Morris.としては新規購入というより、入れ替えという感じだが、とりあえずこれで正真正銘自分のものになったというのは嬉しい。来年の訪韓時は必携であるな(^^;) 内部のラベルにちびくろのステッカー貼って自己主張→(^o^)
クラブチームサッカーブラジルとエジプトの試合は、動きの速さとテクニックでなかなか面白い試合だった。結果は2-1でブラジルの勝ち。17歳と19歳のゴールで、ブラジルの選手層の厚さを見せつけた。ブラジルから世界各国に出て行くサッカー選手は年間800人だとか(@ @)

【生活文化陶磁器】海剛陶磁美術館 ★★★☆ 韓国利川市にある海剛陶磁美術館の「学術叢書第18冊 生活と文化の詰まった陶磁器」と銘打たれた美麗なカラー写真集である。たぶん同タイトルの展示会を開きそのときのカタログとして製作されたものだろう。
Morris.がここを訪れたのは2004年2月で、このとき受付いた大川さんとパクさんという女性二人といろいろ話して、名刺も置いてきたので、それで送られてきたのだと思う。一部に日本語と英語の訳も付されていて、日本語訳が大川久美子、英訳がパクスギョンとなっている。苗字が同じだから受付の女性二人が翻訳担当者と思われる。
陶磁器のカタログというのは、一般的に言って余り面白くない。いくら名品揃いだといっても、陶磁器は地肌の色合いとテクスチャが生命だし、どうしても写真では表面的で、個々の差異がはっきりしない。どれも似たように見えて退屈するのだ。
ところが本カタログは、飲料容器・飲食容器・運搬容器・貯蔵容器・閨房容器・舎廊房容器・建築部材・各種道具・祭礼用器・副葬用器の10分野に区分して、幅広い陶磁器の世界を紹介しているため、普段あまり目にしない面白い陶磁器が掲載されていて、飽きることなく楽しむことが出来た。
70点が取上げられているが、印刷の精度、撮影の技術も高く、巻末の解説(韓国語のみ)も、簡潔で解りやすかった。
陶製の朝鮮将棋の駒や、棒計りのおもし、簾の下に吊るす碍子みたいな陶塊、菓子餅に模様を付けるスタンプ、陶製の薬研、日時計、煙管など、遊びや日曜の道具などが興味深かった。
また祭礼用器の白磁の星型の両耳が付いた碗は、紅茶碗として欲しいくらいのものだったし、裏に「茶 仰」の銘の入った白磁碗も日用の湯呑茶碗に使いたい気がした。
海剛美術館の主宰者である柳光烈(海剛二世)は青磁専門の作家だが、Morris.は朝鮮の陶磁器では粉青沙器(特に魚模様)一押しだったが、ここ数年はどんどん白磁に惹かれている。本カタログでも白磁の鉢やぐい飲みなどにはつい溜息がでてしまった。別に高価な名品など要らないが(欲しくても手に入る心配はない(^^;))が、こんど訪韓したら、ガラクタ屋や蚤の市でも冷かして手ごろな白磁の碗を買いたくなってしまった。
ところでこのカタログの最初のページは真っ白で、点字が印されている。なかなかデザイン的には斬新で感心したのだが、盲目の人がこのカタログの内容を味わうことは不可能だろうから、ちょっと真意を測りかねるところでもある。
海剛陶磁美術館のHPはhttp://www.haegang.org/である。所蔵の陶磁器100点以上の画像を見ることができる。

2006/12/12(火)●17年ぶりのイジヨン●

8時起床。雨である。
昼までベッドで読書。
午後、KBSアーカイブ「コンサート7080」先週の番組を見る。なんと最愛のイジヨンが初っ端から登場である。先日のオリンピック公演でのコンサートで帰韓していたイジヨンをKBSがほっとかなかったのだろう。しかもコンサートと同じ4曲全てを歌い、間に10分近いインタビューもあるという破格の扱い。何度も繰り返し見たさ(^^;) うーーん、17年ぶりのTV出演とのことで、イジヨンももう30代後半である。Morris.が好きになったのが、ちょうど高校を卒業したばかりだったから、たしかに面変わりしてないというと嘘になるけど、面影は残ってるし、美貌は決して衰えてはいない。声だってほとんどあの頃と変わってないし、ブランクの長さの割に歌も鑑賞に耐えるぞ。ああ、良かった(^o^) 今月2日のコンサートは、在韓日本人ききさんがMorris.の分までチケット確保して誘われたのだが、諸般の事情で涙を飲んでただけに、今回の番組はありがたかった。これは是非「ノレ番Morris.8090」に記事をアップしなくては。
雨も上がったので自転車で六甲道まででて銀行、灘図書館回り、社長宅にDVD配達して(^^;)5時半帰宅。そういえばMorris.お気に入りの神鋼の巨大ツイン煙突が久し振りに煙を吐いてたようだ。曇空で撮影向きでなかったが、半年ぶりくらいではなかろうか? たしか公害基準を満たしていないか何かで使用を控えていたと思う。何らかの対策を施して使えるようになったのだと思う。青空に煙突の煙がたなびくのは、なかなか絵になるだけに、Morris.としては嬉しいのだけど、やはり空気汚染とか有害物質が含まれてるとかなると、単純に喜べないようでもある。


17年ぶりのイジヨン

その理由が私には痛みだったの

やっぱり実物に会いたかった(^^;)

【レオナルドのユダ】服部まゆみ ★★★★ レオナルド・ダ・ヴィンチをテーマに書くとなると、なまなかな手腕ではものにならないことは自明だろう。しかし本書は実に丹念にレオナルド関連著作と、15世紀末から16世紀の史実や人間関係を調べ、レオナルドの弟子や、当時の著述家などを交互に語り手に擬しながらストーリーを進めるというややもすると煩雑になりやすい構成をとっているのに、物語進行に乱れがなく可読性の高い、それでいて当時の空気すら感じさせるような描写、登場人物の性格や容姿の書き分けなど並々ならぬ手腕を見せている。
さらに、モナリザの秘密にも関する大胆な仮説まで立てている。(ネタバレになるので省略) そういった芸術ミステリーの要素もある、実に中身の濃い作品である。
万能人レオナルドの芸術論、人間哲学なども端々にちりばめられているし、著者本人のそれが投影されているようにも思われる。登場するルネッサンスの至高の絵画作品への憧憬と賞賛ぶりも、玄人(銅版画作家)ならではの洞察に裏打ちされているし、人間という存在と人間の創造の価値をとことん重要視する、レオナルドの姿勢への共感が熱っぽく語られている部分は、小説を読んでいることを忘れさせられたりもした。
タイプは違うが、辻邦生の出来の良い方の作品に通じる世界観を感じてしまった。
自然の描写も念が入っている。貴族の坊やとその従者の少年とレオナルドの最初の出会いの時期のアッダ川上流の風景。

逆巻く水の飛沫、渦巻き、流れ落ちる水、上流に行くほどアッダの流れは激しく、風景も荒々しくなり、平坦な緑の野に変わって褐色の岩と崖が目につくようになる。緑はより深く、鳥の数も増えた。川には青鷺、白鶺鴒、山鴫、林には灰色鶲、鶫、小綬鶏、四十雀、末黒虫喰、小百舌…鳴き声だけで師匠は鳥の名前を挙げ、見つけると僕らに示す。小麦畑が真っ赤な罌粟で覆われるようになると川向こうの田園にも行った。燕が滑空し、黒歌鳥が美しく囀り、雀が騒ぎ、負けじと椋鳥の大群がりゃーりゃーと空を横切る。蝶や虻や蝿、干し草の乾いた香りと夏草の強烈な匂いに土の匂い、それらに路上の牛糞の臭いが混じり合い噎せるような熱気が僕らを包む。

鳥だけでも14種類が登場ししかもそれがすべて漢字表記というのもMorris.の好みにかなう。においのJ表現でも「香り」「匂い」「臭い」を使い分けるなど著者の文章美学をうかがうことができる。途中の「変わって」は「代わって」の誤植かもしれないが(^^;)
いずれにしても、彼女の作品はこれまで外れがない。もう少し読みつづけていこう。

2006/12/11(月)●韓国-メキシコ●

7時半起床。まだ昨日の貞洞劇場の踊りのイメージが残っている。
餌につられて(^^;)11月の成徳祭りと9日の伊丹の春待ちファミリーBANDビデオをDVDに落す。今年の読書控えの整理。今年は本当に読書冊数の落ち込みはかなりのものかと思ってたが、現時点で130冊くらいはあったから、それほどのことはなかった。いつも書くことだが何冊読んだかより、内容が大事なのは言うまでも無いが、それでもやっぱりあまり極端に冊数が減るのは考え物である。
午後は自転車で大安亭に買出し。途中また大日商店街を通るも猫は見当たらず、商店街越えた駐車場の中に白黒猫発見。警戒心強そうなので、奥の手のイリコを使っておびき出すも、イリコくわえてすぐ奥に引っ込んでしまった。
今夜はサッカートヨタカップで韓国の全北とメキシコのクラブアメリカのゲーム。なかなか好試合だったが、後半メキシコがゴール前で数人がごちゃまぜになった中で身体ごとゴールに突っ込んで先制。そのままメキシコが勝った。Morris.としては韓国とバルセロナのゲームを楽しみにしてただけにちょっと残念。
「のだめカンタービレ」9回目で、千秋は飛行機に乗れるようになり、のだめはコンクールに挑戦、来週か再来週にクリスマスコンサートと、放映のタイミングを合わせるあたりも芸が細かい。

【川辺の風景】朴泰遠 牧瀬暁子訳 ★★★☆
 1910年生れの朴泰遠は日本留学してモダニスト作家として注目を集め、朝鮮戦争時に越北して86年に死亡。本書は36年から37年に文芸誌『朝光』に連載されたもので50章もあるが、特に全体のストーリーというものはなく、清渓川の川辺の洗濯場のアジュマたちの噂話に始まり、床屋の小僧の人間観察、貧しい人々の暮らしを実に丁寧に描いた「世態小説」とも呼ばれているが、この9月の韓国旅行で一番印象的だった清渓川の昔の風景をじっくり味わえるという意味で、Morris.には格別の思いがあった。
今やソウルの一番の観光スポットといえそうな清渓川だが、もともとはソウルの下水に近い存在で、半ばスラムめいた一帯だったようだ。
朴泰遠は「九人会」のメンバーで李箱とも友だち付合いと言う関連でこの小説を読むことになったのだが、そういうこととは関係無しに、この小説世界にどっぷり浸かってしまった。
好色な小金持ちと妾とその若い燕の騙しあい、田舎からソウルに連れ出されて売り飛ばされるところを幸運にも侠気ある女給の姐さんに助けられる娘、その弟との感激的出会い、ほとんど唯一幸せな結婚生活を送る漢方薬店の息子夫婦、カタギの家に嫁いだものの旦那の浮気と姑の嫁いじめにあいとうとう母のもとに逃げ帰った女給ハナコ、玉突きのサービス係りの男女子供たちの個性ある描写、等など、いつまでも読みつづけていたい作品だった。著者自身も続編を書く意志はあったらしいのだが、時代がそれを許さなかったというのは、残念である。
長璋吉がこの作品を高く評価していて、本当なら彼の翻訳で読めただろうが、彼の早世によって実現しなかった。本書の訳者は彼の弟子筋らしい。
清渓川はこの小説が書かれた後も、中流以下のソウルの暮らしに密着した存在だったが、戦後朴正熙時代に蓋をされて道路となりその上には高架の高速道路まで走ることになった。それが、数年前に復旧工事が始まり、高架道路は撤去、新しく、小奇麗な清流として復活し、意匠をこらした散策道路になってしまった。いかにも人工的観光的河川なのだが、それなりに良く出来ているし、市民もすっかり馴染んでいる。長璋吉がこれを見たらどう思ったろうか、などとつい思ってしまった。

2006/12/10(日)●貞洞劇場公演(^o^)●

1時起床(>_<) 何てこったい(@ @) 昨夜、そらさんからもらったトングレ茶でいいちこ割ったのがあまりに美味しくてついつい飲みすぎてしまったらしい。
今日は午後1時にJR神戸駅でそらさんと待ち合わせだったのにいっ(>_<) あわてて電話して、ともかくもばたばたと起き出して神戸文化ホールへ向かう。
午後2時から「民団兵庫県本部創団60周年記念式典」が開かれるのだ。Morris.の目的は2部の特別公演「貞洞劇場」である。何とか時間前にそらさんと合流できて、前から5列目くらいのかなり好位置の席を確保。
スライド上映から一部の記念式典、来賓の祝辞などはそれほど面白くもないのだが、そこはそれ、何たって在日日本人のMorris.がロハで韓国伝統芸能最高水準公演を観させていただけるのだから、文句など言えた義理ではない。たとえ進行が遅れに遅れ(1時間半の遅延)たとしてもね(^^;)
そうして、5時半から始まった貞洞劇団の公演は筆舌に尽くしがたいくらい良かった。カヤグム、テグンなどの伝統管弦楽器合奏に始まり、艶やかな扇の舞、とんでもない技能の冴えを見せるサムルノリ、管弦楽器と打楽器と舞踏の共演、すべてが夢の中の世界みたいだった。Morris.は途中で、辛抱堪らず、一番前の来賓席が空いてるのをいいことに、デジカメ三脚で座り込んで撮りまくった。もちろん音も動きも無しでは、魅力の百分の一もわからないだろうが、ともかく、その美しさの欠片だけでも味わってもらいたい。ともかく舞踊団の舞姫たちの美貌だけは記録できてると思う(^^;)
1時間ちょっとの公演の後、抽選会(当然外れたけど)にも時間をとられて、ホール出たのは7時過ぎだったけど、大満足。
これも、そらさんのつてが無ければ、公演あることすら知らずにいたわけで、素晴らしい機会を提供してくれたそらさんと民団兵庫県本部に大感謝であるm(__)m


文化ホール入口

文化ホールの刺繍幕は素晴らしい

伝統管弦楽演奏から

バックの絵も豪華

とにかく綺麗

サムルと管弦楽の合奏

チャングの妙技

扇の舞は華である

言葉もない

決めのポーズ

やっぱりサムルノリ最高

超ロングリボンの輪

衣装も動きも顔も(^o^)

夢のような舞い

カーテンコール

【最勝王】服部真澄 ★★☆☆ かなり肩入れしてた著者の前作「海国記」に読む前から違和感を覚えて見送りしてたところに、新作が出てたので読むことにした。これまた時代物というので、ちょっと二の足を踏みそうになったが、空海の物語ということで、それなりに期待もあった。
しかし、読後感は×である。
そもそも空海の人格そのものが、曖昧である。二人の主人公の合体という荒唐無稽さが物語を空疎化してるし、肝腎の中国での修行は完全にすっ飛ばしてあり、さらに帰国後は、天皇の後継ぎ問題や遷都に余計なページ数を費やしている。何よりも、空海という存在を余りにも卑小に表現してるのは論外である。
司馬遼太郎の「空海の風景」と比べるのは失礼かもしれないが、両者の差は月と鼈というしかない。「龍の契り」「鷲の驕り」でMorris.を狂喜させた著者のあまりの凋落ぶりは、やはり、舞台選択の間違いだと思う。是非軌道修正して、本領発揮を願う。
文中Morris.が唾棄してやまない「手をこまねいて」表現があったのも本書への嫌悪感を補強したようだ。

【知に働けば蔵が建つ】内田樹 ★★★ 2004年から2005年にかけての著者のブログを適宜編集者が取捨選択して一冊にまとめた、著者お得意のお手軽本らしい。タイトルからして安易であるが、著者の名前が「樹 たつる」という(これまで知らずにいた)ことから命名されてるようでもある。
大まかに5章に分かたれて入るが、もともとが日々の雑録的なブログの抄録だけにとりたててテーマがあるわけでもなさそうだ。Morris.もときどき彼のブログを除いてるので、何割かは見覚えあった。
アメリカの極東政策を「日中韓」の緊張状態維持でまかなっていこうとするもの、という著者の持論は、わかりやすいと言えばわかりやすい。

CJK(中国、日本、韓国)が友好的なブロックを形成したら、まっさきにCがJKに要請するのは「在留米軍基地の撤収」に決まっている。
JKが口を揃えて、アメリカに向かって「どうも長々お世話になりました。あとはうちらでなんとかしますから、もう出ていってくださって結構です」というのはアメリカ国務省が想像しうる最悪のシナリオである。その瞬間にペリー来航以来のアメリカのアジア戦略が水泡に帰すことになる。そうなっては太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争で非業の死を遂げたアメリカの若者たちにどう申し開きができようか。
だから、北朝鮮にはできたらずっとこの不安定な政情のままでいてほし。それがアメリカの「本音」である。
私がアメリカ国務省の小役人なら、毎日神にそう祈るであろう。
万一北朝鮮がクラッシュしてしまった場合、次善の策は日本政府が対応に手間取って、さっぱり実効的な半島への援助ができずにいるうちに、中国韓国から「日本はああだからもうあてにするのはやめようぜ」と言われて「はみご」になり、「ブロック」構想ははかなく潰える…というものである。
だから「ポスト小泉」には、朝鮮半島の危機に対してきわめて非協力的な態度を貫くKに違いないアジア外交に対するセンスのない政治家が最も望ましい。
というわけで、私がアメリカ国務省の小役人なら、「安倍晋三」に有り金を賭けることになる。
さいわい『文藝春秋』を読むと、日本の「各界の著名人」たちはこぞって安倍晋三を「次の総理に」と期待しているようなので、アメリカの極東戦略は、朝鮮半島に不測の事態が起きても「日本は何もしない」という形で担保されているのである。


この文章が何時書かれたか知らないが(調べりゃ分かるんだろうけど(^^;)) 現時点で事態はアメリカ国務省の小役人の思惑とおりに進行していることになる。ここらあたりの著者の近未来予測能力はなかなかのもののようだ。(もちろん、本書が出た時点で結果は分かってるから、当り予想の文を選択したとも言えるが)
以上の考察の元になったという、トーブ(Lawrence Taub)の「Konfucio コンフューシオ(儒教圏)」という極東近未来予測が面白かった。トーブによるときっかけは10年以内(早ければ3年以内)にも起きる北朝鮮のクラッシュであるとした上で、その後の半島安定のために中国、日本、韓国が緊密な協力体制をとり、それをもとに、儒教思想と漢字文化を共有する三カ国のブロックが形成されるというものである。

『コンフューシオ』は日本、中国圏、両朝鮮を含む。中国圏とは中国、台湾、香港、マカオを集中的に支持する。これらはいずれ統一中国に編成されるだろう。両朝鮮は南北朝鮮を指す。これもまた遠からず一国(コリア、あるいはコリョ)に統一される。これら諸国に共通する儒教的伝統の影響下で、これらの国々は他のどの国やブロックよりも働くことに夢中であり、働くことに同一化しており、働くことに嗜癖している。(…)彼らは賃金や労働の対価よりも、労働することそれ自体に関心があるのである。(…)日本、中国圏、両朝鮮はブロック形成が容易である。ブロックが円滑に機能するために必要な多くの特質を共有しているからである。同一地域にあり、宗教的、歴史的、言語的、人種的などもろもろの共通点を有しており、それが彼らを他の諸国、諸地域からへだてている。

たしかに、興味深い見解ではある。しかも、これが日本人でも、中国人でも、韓国/朝鮮人でもない、西洋人(たぶん)の言説であることが、一種の客観性を保証しているようにも見える。しかし、これは見方によれば、かの「大東亜共栄圏」に酷似しているのではなかろうか(^^;)

内田樹は当人が「ソフトネオナショナリスト」と自称してるくらいで、彼の言説の端々にどこかMorris.とは相容れない匂いを嗅ぐことが多い。聞くべきところ、読ませるところ多いのだが、どうも胡散臭いというか、引っかかるのだ。これは、あの「たまらんおっさん」山本夏彦のミニチュア版後継者なのではなかろうか、と、ふとそう思ってしまった。褒めすぎだろうか?

2006/12/09(土)●伊丹障害者フェス●

8時起床。小雨の中、JR住吉駅で社長らと待ち合わせて車2台で伊丹アイ愛センターへ。今日はここで「伊丹市障害者フェスティバル」の催しで、春待ちファミリーBANDは1時15から1時間演奏予定。今日はMorgan's Barの二人が欠席でメンバー6人。ワシントンに始まり、ぞうさん、ぶらんこ、雨雨、おまつり、そしていちおうクリスマス会という意味で「赤鼻のトナカイ」、そして福祉関連の作品として「みんな外へ出ようよ」フィニッシュはおきまりのフィッシング。
途中社長が缶でつくった打楽器を子供らに配って、みんな舞台の前で踊りまわる。当然最後のフィッシングでは延々と、輪踊りが続いた。
3時前に会場を出て、途中阪神芦屋駅前で降ろして貰う。西村珈琲店2Fでそらさんと待ち合わせ。そらさんは、事務所移転や新しい著書の取材執筆などで多忙ということもあって、5月26日の「朝までノレバン」以来実に半年以上のご無沙汰だった。来年1月に発刊予定の韓国本のゲラが出来たのでMorris.にもいちおう校正して欲しいとのことだった。Morris.としては彼女の新作をいちはやく読めるというだけでも嬉しい(^o^) そらさんはとりあえずこの店でざっと目を通すだけでもいいかとの心づもりだったらしいが、さすがに120pを越す分量だとちょっと無理だということで、とりあえず今日はMorris.が持ち帰り校正済まして明日返却することにした。しかも明日は、神戸文化ホールで民団60周年記念行事があって、これも一緒に観ることができることになった。ラッキー(^o^)である。
さらにそらさんはいろいろ気遣ってか、韓国海苔や烏賊キムチや「サルビア」というヘテ製菓の韓国ポッキーや韓法薬草やトゥングルレなどもらってしまった。トゥングルレはアマドコロ(甘野老)という百合科の植物の根茎で、日本ではあまりお馴染みがないが、韓国では煎じてお茶にして結構ポピュラーである。Morris.も京東市場などで何度か見かけたものの買わずにいたのだが、これを機会に雪平鍋で煎じて飲んでみる。おお、結構いけるではないか。ふと思いついてアールグレイの代わりにこれでいいちこを割ってみることを思いついた(^o^) 結果は悪くない。いや、かなりいけるぞ。何か身体に良さそうな気がする。よし、これからしばらくこれでいってみよう。ムックさん、期待しといてね(^^;)


おなじみワシントン

おなじみフィッシングブルース

そらさんからの現物支給(^o^)^)
2006/12/08(金)●とんぼり観光●

7時半起床。
海剛美術館のカタログ韓国からエアメールで書籍小包がが送られてきた。海剛陶磁美術館からで、中には美麗なカラー写真集が入っていた。「生活と文化の詰まった陶磁器展」のカタログみたいだ。海剛陶磁美術館は、2004年2月の韓国旅行で、利川を訪れたとき立ち寄った私立美術館で、青磁作家柳光烈(海剛二世)の作品を中心に展示してあったことを思い出した。Morris.は青磁はどちらかというと苦手な方なので、それほど熱心に見たわけではないのだが、受付の女性二人(韓国人朴さんと日本人大川さん)といろいろ話して、名刺も渡したから、きっとその縁で送られてきたのだろう。陶磁器のカタログはそれほど面白くないことが多いので、あまり期待できないと思ったのだが、これはいわゆる芸術品中心ではなく生活陶器ということで、なかなか興味深い内容だった。後で別枠で紹介しよう。
今夜は心斎橋で、9月の韓国旅行のおしまい頃に南漢城登山道で出会った二人と待ち合わせ。城南市に住んでる、朴社長(女性)と日本人社員のたんじさんで、5泊4日のツアーの最終日とのこと。7時に道頓堀で待ち合わせのはずが、ツアーの進行が遅れて結局8時前になってしまった。待ち時間に道頓堀をふらふらする。川べりの工事が東側に移り、何となく中途半端なたたずまいである。戎橋際の松竹座の建物はあまり気にかけてなかったが、良く見るとなかなか立派な建物である。日本最初の洋式劇場として1923年(大正12)創建ののち映画館として長く使用されたが、1994年前面のみ残して新築されたものらしい。いわゆるルネッサンス様式のファサードはいかにも豪華な洋風建築のイメージである。一種の看板建築といえるだろうが、Morris.みたいな表面的建築好きにはこれで充分かもしれない(^^;)
朴社長らと再会して、とりあえず、グリコのネオンやかに道楽の看板前で記念写真。そのあと元禄寿司で腹ごしらえして、法善寺横町など回って、当然の如くカラオケへ(^o^) ジャンカラは満員だったので隣の店へ。Morris.は連続ちゃんだが、最初から飛ばす飛ばす。朴社長は都はるみや小林幸子など日本演歌で対抗。おしまいはポンチャックディスコメドレー(^o^)そしてフィニッシュは「南行列車」やっぱり1時間では物足りない。
10時半にツアーの他のメンバーと待ち合わせて難波から地下鉄で天王寺まででて、お開き。彼らは日根野駅前のホテルに泊まり明朝帰国するらしい。
しかしツアーというのは大変である。今朝豊橋を出発して、奈良の東大寺、京都の金閣寺、大阪城という、とんでもないコースである(@ @)
零時半帰宅。


大阪松竹座

戎橋でツアーメンバーと一緒に

かに道楽看板前
2006/12/07(木)●雨に歌えば●

昨夜はアジア大会サッカー、日本−北朝鮮戦を夜中の2時までかけて、見たのだが、1-2で北朝鮮に破れてこれで日本はアジア大会は、おしまい。パスミス、凡ミス、意味の無い反則だらけで、あまりにお粗末なチームという印象が強かった。
7時半起床。
部屋の掃除して、マルハチに買い物に出て。風呂つかう。
昼前にムックさん来る。冷凍しておいたパンダのホルモンチゲに野菜など入れて出す。やっぱり美味しい。
しばらく部屋で家庭内ノレバンやって、3時過ぎに部屋を出て、雨の中、三宮のジャンカラへ。
今日は平日昼間の一番安い時間帯で2時間歌いまくる。Morris.はパンミ、イウナ、イジヨン、キムヘリム、キムスヒなど好きな女性歌手専門。ムックさんはソルンド、チャンユンジョンから知ってる限りの韓国歌謡。それでもほぼ半分歌ったから、かなりのレパートリーの充実である。
これで一人\600かからないといのはいかにも安すぎる。
今日は珍しく二人ともそれほど酔わずに別れることができた。
6時前帰宅。何もしたくない。


パンダのホルモンチゲ

三宮ジャンカラ415号室のムックさん

灰皿シンバル(^o^)
2006/12/06(水)●月齢カレンダー●

7時半起床。
ADSLのあまりのスピード劣化に堪りかねて、ルータを取り外して、Yahooのモデムから直接higashi4号に接続したら、普通のスピードに戻った(@ @) これだとノレバン98号ではインターネットできない。それでもいちおうKBSやMBCのアーカイブを見ることができるというだけで嬉しい。MBC歌謡ベストのまだ見てなかった分を見たり、歌謡舞台、ノレチャランなども見て、結局今日もほとんど一日韓国歌謡漬けだった。
月齢カレンダー九州の深町さんから、来年のカレンダー送られてきた。10cm四方位の小さなものだが「月齢カレンダー」で、毎日の月の満ち欠けが分かるし、新暦と旧暦も併載されている。昨日インターネットの「月齢カレンダー」使ったばかりなので、偶然に驚く。満月必ずしも旧暦15日ではないことに改めて気づいた。
このカレンダーには毎月小さなコラムが付いてるが、これがまたなかなか面白い。いくつか引用しておこう。

・月は地球の1/4と、衛星にしては大きいので惑星だったものが、地球の引力に捕らえられて衛星となったという説がある
・満月の頃の手術は出血多量になりやすいので避けた方が無難
・兵庫県警調査によると月の引力が弱くなる上弦、下弦の前後に「うっかり交通事故」が増えるとのこと
・歯の治療を受けるのは月が欠けはじめる時期がよい
・月が満ちてゆく時期は栄養素を取り込みやすいので太りやすくなる
・月が欠けてゆく時期は地中にエネルギーが満ちてゆくため長期保存用の作物の収穫はこの時期に
・月が欠けてゆく間に洗濯、掃除をすると汚れが落ちやすい
・新しい服を満月の日に洗濯すると長持ちしない


潮の満ち干が月の引力によるのは確かだから、以上の豆知識もあながち見当外れでは無いのかも知れない。

2006/12/05(火)●アシナガさんおめでとう\(^o^)/●

昨夜も「のだめカンタービレ」楽しく見てしまった。ストーリーなんか結構いいかげんだし、ギャグもB級だし、特にのだめ役の娘も好きなタイプでもないのに、ずっと見てる(真剣に)のは、やっぱりTVドラマでクラシックを前面に出して、成功してるのにびっくりしてるのだと思う。
矢谷君らと六甲アイランド高層住宅のアメリカからの引越し荷物の配達。
昼は寄合向洋でイカ大根里芋人参炊き合わせの定食。
帰り道高橋から望む月は今夜も美しかった。昨日が満月かと思ったが今日の月もほぼ円形である。「月齢カレンダー」見たら、やっぱり今日が満月だった。
また最近Morris.亭のADSLの速度が超スローになってるのだが、KBS日本語放送を無理して聴く。実は恒例の韓国歌謡コンクールの発表を12月5日と思い込んでいたのだ。ところが、12月1日が開局記念日でその日に放送されてたらしい。当日の放送はアーカイブで聴くことができた。今年はMorris.はちょっと渋めのキムハンネ「ネガ」で応募したのだが、あえなく落選。3年連続入賞はならなかった。「ネガ」というタイトルからしてヤバいとは思ってたけどね(^^;)
その代わり?初挑戦のアシナガさんが、ヤンヒウンの「ハンゲリョン」それもアカペラで歌って見事入賞。審査委員長のシンさんが「ヤンヒウンの声とそっくりですねえ、びっくりしました」ということで「ビックリ賞」である。素晴らしい!!アシナガさんにこの曲の歌詞(振り仮名つき)など提供して応援してただけに、嬉しかった。Morris.も来年は賑やかな歌で再入賞を狙いたい。


余りものポテトサラダ

寄合向洋の烏賊大根煮つけ

高橋から望む満月

【日本の近代建築 上下】藤森照信 ★★★★ 岩波新書2冊セットで、上−−幕末・明治篇、下−−大正・昭和篇となっている。著者は赤瀬川原平や南伸坊らと一緒に路上観察同好会やったり、「建築探偵」を自称して不思議な建物を紹介したりして、いろいろ楽しそうなことやってるのは知っていたが、こんなに正統的で網羅的な日本の建築の啓蒙書を13年も前に出してたとは迂闊にも知らずにいた。本当にもったいないことをしてたことになる。
たとえば北野の異人館などが、東回りで来日したヴェランダコロニアル建築、北大の時計塔などが西回りで来日した下見板コロニアルという簡潔な指摘だけでも目からウロコだった。
擬洋風建築だけでも、木骨石造系擬洋風、漆喰系擬洋風、下見板系擬洋風に分けられるとか、日本の最初の本格的西洋建築が歴史主義で、魅力的なコンドル先生の指導のもと日本の西洋建築家が育ったとか、大正期にア−ルヌーヴォーの流れが入り、これが後にモダンデザインに繋がるとか、アメリカの鉄骨造と鉄筋コンクリートの二つが鬩ぎあっていたが、関東大震災でアメリカの設計事務所の手抜きで鉄骨造のビルが倒壊したため、その後の日本の高層建築は鉄筋コンクリート主流になったとか、木造住宅でも震災の後は防火のため表面をモルタルや銅板で覆うことが奨励されてこれが看板建築を生んだとか、考現学の今和次郎らがバラック装飾社を興して先駆的な建築を試みたとか、モダニズムが世界を席巻したのはライトでもコルビジェでもなく、ミースがその源泉であるとか、とにかく、目からウロコの項目が目白押しである。それも単に建築史の羅列ではなく、興味深いエピソード満載だし、該博な知識と確かな批評眼に裏打ちされた忌憚無い評価あり、ユーモアとウイットに溢れた読者サービスありながら、隅々にまで目配りされた記述、達意の文章と相俟って、申し分ない「面白くてためになる」一冊(2冊だけど(^^;))となっている。
たとえば「文明開化」を彼なりに総括した一文。

日本の近代のとば口には、"文明開化"と呼ばれる一風変った一時期があった。同じ四文字のスローガンでも"殖産興業"や"富国強兵"とちがってどこか深刻さに欠けるというか、お祭り的というか、世相や風俗や生活文化を中心とした国民的な気分の運動で、やみくもに西洋風を取り込んだ。黒い雨傘を日傘にさして羽織袴に革靴をはくとか、ヘンな英語の看板を出すとか、洋風建築に賽銭を上げるといった皮相な風俗現象もあれば、ミルクを飲み牛ナベをつつき、窓にガラスをはめたり天井からランプを吊るすような生活改善もあった。表現の領域では絵画が活発で、高橋由一が初めての油絵具で見よう見まねのリアリズムを手探りし、小林清親や井上安治は伝統的とも西洋風ともつかないタッチで江戸から東京へと移ろいゆく街の光景を写しとった。清親は、海運橋際の第一国立銀行の激しい和洋折衷ぶりを雪景色で消し去っておだやかな異国情緒の中に写し取り、一方由一は、山形の県庁前通りをひき込まれるような共感を持って濃密に写している。
こうした文明開化の四文字で括られるさまざまな動きは、明治十年代後半になると本格的なヨーロッパ派の登場によって無知な現象として笑われ、さらに国粋派からは恥とされ、やがて消えてゆく。
なつかしさと親しみと少々の気恥ずかしさを持って改めてこの時期を振り返るなら、文明開化とは、江戸は終った、しかし新時代の正体は誰にも分からない、そんんだ真空状態の中で普通の人々が見た夢のようなものだった。ヨーロッパでも日本でもなく、また両方を継ぎ足すのでもなく、何か別の世界を人々は夢見たのだと思う。


たったこれだけの文章からでも著者が単なる建築馬鹿ではなく、社会、芸術全般への理解があり、見識をもち、それを表現する能力に長けていることが知られる。
日本人西洋建築家が登場した時期のヨーロッパ建築様式の概括部分などは、たかだか2ページでヨーロッパ2千年の建築の変遷を見事に要約しきっている。長いけど引用しておく。

ヨーロッパの歴史様式は、クラシック系とゴシック系の二つに大別される。
クラシック系は、ギリシア神殿に象徴されるギリシア様式にはじまりローマ様式に受け継がれ、中世の基督教時代に一時途絶えた後、ルネッサンス様式として復活し、バロック様式へと続く。その後は、フランスの場合、ロココ、ルイ16世式、帝制式−グリクリヴァイヴァル、第2帝制式−ネオバロック−と連なって19世紀末にいたる。イギリスの場合はやや異なり、ルネッサンス−エザベサン、ジャコビアン−、バロック、パラディアニズム、ネオクラシシズム、グリークリヴァイヴァル、ネオルネッサンス、と続いて19世紀末にいたる。
ゴシック系は、中世のキリスト教会のロマネスク様式に始まり、ゴシックへ続き、ルネッサンス時代にクラシック系にとって代わられ、フランスの場合はその後もクラシック系の隆盛の影に隠れてなかなか陽の目を見ないが、イギリスの場合はすでにコンドルのところで述べたように19世紀半ばにヴィクトリアンゴシックとして華ばなしく復活する。
もし様式の変化が全ヨーロッパ共通ならば理解しやすいのだが、そうはいかない。
まず時間差の問題があり、たとえばイタリアで始まったルネッサンスがアルプスの北やドーヴァー海峡を越えるには時間がかかり、届いたところで現地のゴシックと混じってしまい、折衷的なイギリスのエリザベサン、ジャコビアンやドイツのルネッサンスを産み落し、正確に伝わるのはその後になる。時間差のほか、フランスのロココとイギリスのヴィクトリアンゴシックのように、相手方に共通する例の見当たらない様式もある。
さらに、スタイルとは別に、スタイルが変っても変らないその国固有の屋根の作り方とか好まれる材料もある。たとえば、赤煉瓦はイギリスやオランダやドイツで、石はフランスやイタリアで好まれる。国民的好みは屋根に典型的に現われ、クラシック系の場合、イギリスやイタリアは屋根を見せたがらないのに、フランスやドイツは大きな屋根を誇りとしそのためにマンサード屋根を使うが、同じマンサードでも傾向がちがい、フランスは肩がなだらかにカーブしたマンサードを、ドイツは肩の張った直線のマンサードを好む。日本人建築家の作でいうと、京都帝室博物館(明治28)がフランスの、帝国ホテル(明治24)がドイツのマンサードの好例である。こうした無数の部分が組み合わされて全体のお国ぶりとなり、同じクラシック系の様式でも、地味なイギリス、華やぐフランス、武張ったドイツといった印象の違いが生れる。
全ヨーロッパに共通した流れを縦糸とし、各国の好みや誤解を横糸とし、ある国のある時期の主流のちがいが決まる。
ギリシアからバロックまでは、時間差はあるもののどの国もおおよそ共通に推移し、また、基本的に一時代一様式だから分かりやすいが、バロック以降は多様化がはじまり19世紀に入ると事態は錯綜する。国ごとの好みが国民様式確立のかけ声によって前面に押し出される一方、歴史学、考古学の発達によってエジプトやギリシアはむろん近過去のスタイルまで発掘され再評価されるようになり、いくつものリヴァイヴァル様式やネオのついた様式が短期間に興亡を繰り返し、様式のタンスの引き出しを下から上まで一度に引き出してぶちまげたような状態に立ちいたる。
日本が国を開き欧米と向きあったのは、幸か不幸かその最中にほかならない。


こういった時期に学んだ日本建築家の先達に関して「一番うまいのは妻木頼黄と山口半六、中間が片山東態で、辰野金吾は上手とはいえない。」という著者の端的な評価もある。こういった断定は余程の自信なくしては言えないだろう。最高評価を受けた山口半六の兵庫県庁は、戦災でかなり傷んだものの、修復されて現在は兵庫県公館として現存している。Morris.も何度か訪れて気に入ってただけに嬉しい記述だった。

現代建築の元となるモダンデザインがアールヌーヴォーに始まり劇的変化を遂げているという部分も興味深かった。

まず、世紀末にアールヌーヴォーという植物にインスピレーションを得たデザインが口火を切り、続いて10年代にキュビズムや初期の表現派の鉱物結晶化が起き、20年代に入ると、デ・スティル、ピューリズム、バウハウスなどの白と直角の幾何学の段階に達し、さらにミースの数式のような抽象性にいたる。
植物→鉱物→幾何学→数式
と、変化は次第に層を深めているのであう。

世紀末、ついに行き詰まった建築家たちは、過去や異国といった外に救いを求めることをやめ、自分の内側を見つめはじめ、人間の感受性そのものの中を掘りはじめた。そして最初に見えたのが植物的な感覚の層で、以下、自然界をたどるように、鉱物感覚の層、数学感覚の層、と掘り進んで底を打った。アールヌーヴォーにはじまりミースに終ったのは、おそらくそういうことだった。
物質の究極が原子にあるように、建築の究極は均質空間にある。戦後、モダニズムが世界を席巻する過程で、どこにでも現われたのはコルビジェでもライトでもなくミースの影響だった。20世紀を象徴する戦後の超高層ビルは、例外なくミースの均質で透明な表現の延長上にある。
建築の究極の単位である均質空間の力を解き放ったといういう意味で、ミースの作品は建築史上の原子爆弾である。


最後の一行は、爆発的だね(^^;) 
Morris.が建築における門外漢であり、あまりにも無知なために本書に過剰評価してるのかもしれないが、門外漢にこれだけ感動を与える啓蒙書を提供してくれる著者への感情は紛れも無い心底からの感謝である。

2006/12/04(月)●まぬー日和●

それほど飲んだわけではないのだが、やっぱり昨日の宴会疲れで、今朝は10時起床。何かえらく寒そうだ。ついついそのままベッドでゴロゴロ。
午後自転車で王子動物園へ。久し振りにまぬーにお目見え。今日は一番高いところでなく中間くらいの岩の上にお坐りしてた。そして嬉しいことに本当に久し振りに下に降りてきてくれた。Morris.がデジカメで撮りまくったことは言うまでも無い。それなりにお気に入りのショットも何枚か撮影できて、まぬーが気に入ったらしい女子高生二人とも話して、この部屋のアドレス教えておいた。本気で「まぬーファンクラブ」作りたくなってきたぞ(^^;)
今日はまぬーだけで充分と思いながら、帰り道の水槽で落ち葉の中を泳ぐアシカなども撮ってみる。
自転車で動物園に来たのは、そのまま大安亭まで買出しに出ることにしたからだ。途中大日商店街で、この前の黒チビ猫見つけたのでまたまた撮影。今日は三脚使って手ブレを防いだが、相変わらず人懐っこすぎて、やたらカメラに近づくわ、爪で引っかいたり軽く噛み付いたりするものだからなかなか巧く撮れない。その後空き地で、これまた以前よさそうに思えたデブ猫がいたので、これも撮影。こちらは結構警戒心強そうだったが、持参のいりこのおかげで近くまで寄ってくれたのだが、いかんせん、この猫のぼんやりした色合いはピントが合わせにくいらしく、後で見たらほとんどピンボケ状態。
大安亭で買い物しての帰り道、えらく月が綺麗だった。ほぼ満月だと思う。寒いほど月が美しく見えるのはどうしてだろう。やっぱり空気が澄むのかな。
今夜も「のだめカンタービレ」録画しながら見るつもり。


岩の中段に居るまぬー

久し振りに地面に降りてきた

ナイスショット(^o^)

たまには大山猫

たまにはヤマアラシ

たまには象もね(^^;)

枯葉の中を泳ぐアシカ

黒チビもだいぶ大きくなった

ピント合わせ難い(>_<)

2006/12/03(日)●春待ち30年パニックの宴●

8時起床。今日は昼間に新開地で、春待ちファミリーBAND演奏もあるのだが、ビデオ撮影はお休み。
午後2時前にビール、ワイン、パンなど買って、成徳小学校内の成徳福祉センターへ。喫茶「春待ち疲れBAND」あったら30周年パニックの宴が3時から開かれるのでちょっと早めに行って準備など手伝うつもりだったが、まだ誰も来ていない。先に井山君、そしてちょっと遅れて社長。氷やネギなど買い物に行き、戻ってきたら小谷君、みっちゃんらが来ていて、一緒に準備。
ぼちぼち客も増えて、結局30数人が入れ替わり立ち替わりしたようだ。センターには台所があって、社長は鍋など持ち込んで、釜揚げ素麺,うどんなど作ってくれた。昌美さんがお洒落なオムレツやホットウィンナなど、自宅で調理して持って来てくれたのには感激。
春待ちファミリーBANDメンバーは、秋本君尾西君が欠席、タイから帰省中の浜田や、えっちゃん母子、高山・吉美夫婦、満園君、中山など、ひさしぶりの懐かしい面々に出会えて嬉しかった。後はさりーちゃん、圭子&昌美の堀姉妹、さりーちゃん、奈緒ちゃん母子、矢谷君、えりちゃんなどの常連組と、春待ちファンが数組といったところ。飲み物食べ物は持ち寄りということで、学校の内輪宴会みたいなノリ。井山君のギター弾き語り(^^;)に始まって、松尾君、T&T、社長などが適当に演奏披露。Morris.は飲むのと食べるのとデジカメ撮影で大童だった。
ところで、この福祉センターには大型の血圧計があった。当然Morris.はこの前の健康診断のことがあるので測ってみた。やっぱり高いぞ(>_<) 最初から最高値が200近い。何度かやってみたが190以下ということはない。みっちゃんやら香介、社長、高山君なども強引に測ってみたが、みんな140から130前後である。Morris.の血圧がたしかに常人とは桁違いに高いことがはっきりしたようだ。これはやっぱり一度病院に行って相談すべきだろう。
7時半にお開き。そのまま5,6人でレーヴへ。島田さんが来ていたので、久し振りに話す。Morris.はビール3杯だけで店を出る。帰宅は11時半だから優秀な方(^^;)だろう。
それにしても楽しい宴会だったあ。


成徳小学校近所の猫

社長開会の辞

トップは井山君のギター弾き語り

もちろん本業のピアノも

釜揚げ素麺作る社長

今日の敢闘賞(^o^)

宴会点景その1

宴会点景その2

松尾君弾き語り

三人娘

宴会点景その3

宴会点景その4

さりーちゃんと2ショtットその1

さりーちゃんと2ショットその2

やっちゃんもこんな頃が(^^;)

おなじみの母子

小記念写真

宴会点景その5

T&T

行き倒れも

社長とその仲間

高齢、いや恒例記念写真

この数値はちょっとね(^^;)

レーヴにて
2006/12/02(土)●舎廊房 サランバン●

昨夜はうたたねして、目が醒めたのが夜中の2時。ちょうどカタール、ドーハのアジア大会開会式やってた。Morris.はあまり開会式なんて興味ないのだが、えらく派手な式なので、ついつい最後まで見てしまった(^^;) とにかく、オリンピック並みの金がかかっているらしい。アストラーゼとかいう、天球儀みたいなのが象徴として使われていた。
そうして結局起きたのが昼過ぎだった。
午後ファピョンさんから電話で、久し振りに今里のカラオケステージ「ひろこ」に行こうとのこと。長いことご無沙汰してるもんなあ。ひさしぶりにけいこママと一緒に歌えるぞ、と、楽しみにして7時に店を訪ねたらドアに「本日は貸切」の貼紙(>_<) がっくし。
ファピョンさんに電話したら鶴橋の「じゅん」に変更。で、7時半に「じゅん」に到着、結構混んでて、リクエストは日本の歌ばっかし。すぐ来ると言ってたファピョンさんはなかなか来ないし、電話しても通じない。いいかげん嫌気がさして、出ようかと思ったところにファピョンさんが男女二人伴ってくる。「じゅん」では歌えそうに無いから、場所を変えようということになる。Morris.としては余計な出費になってしまうが、仕方が無い。カラオケボックスにでも行くつもりだったが、名物ハルモニのいる「サランバン」へ。ここも1年半ぶりくらいである。ファピョンさんの連れは、以前延辺香で一緒だった隠岐の富永さんと、北海道出身のA嬢。サランバンには他の客は2名だけで、どちらも韓国歌謡歌うので、ほっとする。10時半まで歌いまくってお開き。せっかくだからと他の客も一緒に記念写真撮影。
明日は春待ちパニックなので、あまり飲まないですました。


サランバンのハルモニ

店内全てがディープコリア

ほかの客も一緒に記念写真
2006/12/01(木)●ン十年ぶり健康診断●

清水君ら5人で北野の韓国人宅シンガポール向けピックアップ現場。数年前のデリバリ現場も入ったので、Morris.のこと覚えていてくれた。
今日は午後1時から灘の神鋼病院で健康診断があるので、昼食時間にJRで灘駅に出て検診せんたーへ。実はMorris.は前に健康診断受けたのがいつだったか記憶に無い。そのくらい健康診断とは無縁だったわけだ。少なくとも20年ぶり以上だと思う。まあ、今日の検診もかなり簡略なものだったが、それでも、検尿、採血、血圧、心電図、胸部レントゲンなどMorris.にしては新鮮な体験である。問題は血圧検査で、何と1回目は上が192というとんでもない数値を示したので、検査員がちょっと驚いて何度も検査繰り返した。普通平均は130くらいらしい。結局6回計った中で一番低い160台を記入してくれたが、Morris.がかなり高血圧であることは間違いない。健康ということにはほとんど無関心のMorris.なので、高血圧が何で悪いのかよくわからないので、さっきインターネットで検索したら、脳卒中、心筋梗塞になりやすいらしい。たぶん数十年ずっと高血圧でいきてきたのだろうから、これはMorris.の個性だということにしておこう。(^^;)
元町に戻り、中山手3丁目の「萬聚楼」という中華屋で昼食。サービスメニュー中の「酢豚風ランチ」というのを注文。これがまためちゃ美味。どこが酢豚「風」なのかわからない。とにかく見事な酢豚で、とろみのついた玉子スープもえらく美味しいし、これで\680は超得。絶対また来なくては。
2時半に現場に戻り、台所の梱包に専念。結構手間取って作業終了は5時半。倉庫に戻ってバン詰めなどして帰宅したら7時半すぎてた。
清水君が親知らず抜くというのでかなり痛い目をしたようだ。その話題の中で親知らずの語源について、荻野君が「親も知らないうちに生えて来るから、親知らず」だという。博識の矢谷君もこれに同調するので、Morris.はちょっと驚いてしまった。親が死ぬ頃に生える歯だから親知らずというのだと覚えていたからだ。調べるまでもなくこちらが正解なのだが、平均寿命が延びた現代では、たしかに親知らずが生える頃に死ぬ親は少ないといえるだろう。ことわざや慣用句で、すっかり誤解が定着してる例、「情は人のためならず」が「情は人のためにならない」、「気のおけない」が「気心の知れない、油断ができない」などと間違って通用してるのと同類だろう。


神鋼病院健診センター

万聚楼

酢豚風?定食

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