Morris.日乘2002年2月
Morris.日乘(i-mode版)  

ここは、Morris.の日記です。読書記録(★=20点、☆=5点、これはあくまでMorris.の独断、気紛れ、いい加減です)、オフ宴会の報告、友人知人の動向など、気まぐれに書き付けるつもりです。新着/更新ページの告知もここでやります。下線引いてある部分はリンクしているので、クリックすれば、直行できます。


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2002/02/28(木)●スキャナー復活●
昨日からの雨が降りつづけている。
済州島四・三事件に関する本を読み終えたところに、久しぶりにファピョンさんから電話があった。何か暗合めいたものを感じる。娘さんが志望の短大英文学部に合格した知らせと、近況報告。不景気の中、仕事に私事にいろいろ忙しいらしい。PCでのハングル処理と韓国人との通信などが話題になる。
午後、スキャンの設定をいろいろいじりまくる。起動しようとすると「他のアプリケーションにより、パラレルポートが使用中です」と警告されてフリーズしてしまう。リセットして再起動すると、20回に1回くらい、1枚だけスキャン出来ることがあるが、その後はまた駄目で、Morris.はキャノンのサイトで、新しいドライバをダウンして再インストールしたり、プリンタポート(LPT)のプロパティをああでもないこうでもないと、変更しまくっていたのだが、スキャナーのマニュアル読み直して、もしかしたらプリンタの設定の方に問題があるのかも、と、プリンタのプロパティの「双方向サポートを有効にする」のチェックを外したら、見事、スキャナー使えるようになった。しかし、デスクトップでスキャナー使えるようになるまで半年もかかったことになる。その間は、ちびくろでスキャンして、データを家庭内LANで、デスクトップに送っていたのだった。窮すればなんとやらで、ちびくろのパンクのおかげで、本気で設定変更することになったのだから、ちびくろの死(^_^;)も無駄ではなかったとおもいたい。ちびくろといえば、ヤフーオークイションで同機種が2万5千円で出ていたので、初めて入札したのだが、あっという間に3万5千円超えてしまったので、諦めた。
夕方サムに録音の様子をうかがいにいく。エノケンの「歌は廻る」の歌詞はまだ見つからないらしい。とりあえず、エノケンメドレーのインストパート、小谷君のマンドリンの録音中だった。その後、伊藤君のタブベースの2小節のメロディ入れ。これが、ぎりぎりの音程で、半音下がりというもので、なかなかうまく行かない。結局、後日再トライということになった。
帰りに社長、井山、伊藤君とお好み焼き「たけうち」へ。Morris.はイカ玉、伊藤君は豚玉、井山、社長はスジ豚。この店は、熟練したおばちゃんが、一枚一枚丁寧に焼き上げるので、時間がかかるが、すごく美味しい。
2月27日の神戸新聞に、社長の記事 が載った。見出しは「園児のアイドル澤村さん」である(^o^) 神戸市内保育所81カ所を巡回して、今月CD「おもちゃばこ」を発売したことや、ナフシャでのモーニングライブなどが紹介されている。

【なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学】金石範・金時鐘 ★★★★
 済州島出身の作家と詩人、「鴉の死」「火山島」などで、済州島事件をテーマに書きつづけた金石範と、事件に直接かかわり日本に逃亡して事件に関してはほとんど口をつぐんできた金時鐘との対談を中心に、文京洙の概説、関係者の証言、詳細な年譜などで、構成された非常に重い読後感を与えた一冊だった。
光州事件なら、まだしも人口に膾炙しているし、韓国国内での論及も少なくないが、済州島の四・三事件となると、ほとんど知られていない。Morris.も、簗石日の本ではじめて知ったくらいだ。朝鮮戦争直前の時期に始まったこの事件は、韓国では、「共産暴動」として片付けらてきたが、短期間に3万から6万ものが、虐殺された事実だけからも、簡単に見過ごすことのできる事件ではないことが想像される。これまで、知らされてこなかったことの理由は、本書を読んである程度理解できたが、表ざたになりにくい事情自体に、問題の根の深さがあるということもわかった。
四・三事件という名称は、1948年4月3日の済州島武装蜂起に由来するが、47年3月1日の済州邑で独立運動記念集会後のデモに軍政警察が発砲し、十数名の死傷者を出した日に始まり、54年9月21日漢拏山に布かれた禁足令が加除されるまでの6年間にわたる長期の事件だった。その間に朝鮮戦争が勃発している。
済州島という孤島が、「アカの根城」とみなされ、アメリカ軍の後押しで、韓国警察と、北朝鮮から南下した反共グループによって、壊滅的弾圧を受け、始めは島民の支持を受けて、優勢だった抵抗勢力が次第に追い詰められ、ほとんどが虐殺されるばかりか、一般の村人たちも、協力者として集団処刑されるという悲劇が、長期間継続した裏には、米ソの綱引きと、南北分割体勢を前提とした、外交の駆け引き、「反共」を旗印にした大韓民国の国威昂揚としてのデモンストレーションの意味もあったようだ。
この事件に限らず、朝鮮半島の戦後の混乱のすべてが、日本の植民地支配の影響/遺恨/悪縁を引きずっていることはいうまでもない。在日問題ももちろんその延長縁上にある。

本書の編集に関った唯一の日本人関正則の編集後記の一部

日本の植民地支配と米ソの冷戦に身を引き裂かれ、終にいずれの国家にも帰属することなく、統一朝鮮に祖国を幻視しつつ、「日本語」ぶんがくにディアスポラとしての自らの歴史と思想を構成した二人の文学者。その対談の中で通奏低音のように響いているのは、こうした逆説と不条理に身をねじるように搾り出される、「不在」と、「在日」「離脱」と「残留」とのねじれた意味の問いかもしれない。植民地支配から「解放」されたはずの人びとが、なぜ解放された祖国で生きることができず、植民者の国家で、しかも再び差別の下に生き延びなければならなかったのか。植民地を解放したはずの「解放軍」は、なぜ植民地支配の同盟者と結託し、解放された人びとを殺戮したのか。戦後の「ねじれ」をいうならば、日本の戦後の内部ではなく、まさにこうした朝鮮半島と日本列島のはざまにこそ、それは指摘されるべきだったのではないだろうか。

これこそ、在日朝鮮/韓国人の本音の代弁だろう。

金時鐘  四・三事件というのは、アメリカのいう正義とか自由とかの本質を明かす歴史的事件でもあるんですよね。第二次世界大戦以後のね、米ソの二大超大国が角突き合わせる中で、アメリカ軍と民衆の側がね。限られた地域で衝突したのは済州島しかないんですよね。それもひと月やふた月のことじゃなくて、実質二年近くもかけてね。これはもうそのまま、アメリカの戦後政策というのかな、うちの国をめぐっての戦後処理、これは日本も含まれますが、「反共」という「大儀」のためには手段を選ばないアメリカの、残忍な体質をもっとも露呈した事件だとおもいますね。それに日本とのしがらみもアメリカの占領政策とからんで四・三事件をより残酷なものにしている。ぼくたちは当然、帝国主義日本の植民地統治から解放された戦勝国に準ずる国民であったにもかかわらず、国を分割されたり、思想信条を規制されたり、拘束されたり閉じ込められたりね。民族受難を強いられたのは戦争犯罪国の日本ではなくて、ぼくたち朝鮮人のほうなんだよな。

金石範  日本語は善戦、鞭と脅迫によって覚えさせられたものだ。それは戦後一旦、否定されたはずのものだった。ところが今度は、日本にやって来て再び日本語を使って詩を書くとなった時、時鐘にとっての日本語の意味は、心理的にもずっとおった人間とは違う要素をもってくるんじゃないかと思う。そこに見えるのが論理性である。私の言う論理性というのは、意志の力だ。時鐘の詩は意志だ。意志は必ず論理性を持っている。構想的な力です。

金時鐘  ぼくは、在日の関係では自分が主人公になってはならないんです。たとえウリマル(母国語)の蓄えが浅かろうと、日本で生まれ育った朝鮮人たちが、在日を生きる主人公ですよ。「在日を生きる」というのは、そういうことを言っているんだ。あれはぼくが言い出した言葉です。
そうして自分の言葉とは何かを必死で考えるようになりました。ぼくは「在日朝鮮人語としての日本語」というい言い方をしています。在日の古い世代の使っているのは「日本語」ではないんです。「在日朝鮮人語」としての日本語なんです。そういうことが表現の世界で復権できれば、という思いを「在日を生きる」中で考えたりしてきている。それで世に受けない生活ばかりやってきているわけです。

二人の在日文学者の著作を今一度読まねばならぬと、いう気になった。

2002/02/27(水)●ポンデギファミリーBAND●
としろう、溝渕君と宝塚のタイ向け荷物のピックアップ。昼食抜きで1時半までぶっ通しで作業を終え、帰り道「黒兵衛」で大盛りラーメン。後は倉庫作業.
夕方から雨が降り出した。
昨日から、ハングルで検索できるので嬉しくて、あちこち見て廻っているが、センターのHPでも紹介してある、HanMirの「 日本ウエッブ旅行 」というページでは、URLアドレスを打ち込むと、日本語のページも韓国語で表示される。つまりネット上の簡易日韓翻訳ソフトだ。Morris.部屋で試してみたが、うまく行ったり行かなかったり、いろいろ制約があるようだが、想像以上に翻訳の精度は高い。昔使ってた高電社のi・ソウルという翻訳ソフト(これは韓日だったが)なんか、ほとんど実用にならなくて、ほとんどお笑いのタネにしていたものだが、それに比べると、このネット翻訳は素晴らしい。たとえば、昨日の日記などは、そのまま韓国語ページとして使えそうなくらい。もちろん固有名詞や、Morris.の変則的言葉遣いなどは、訂正が必要だ.芳恵が「パンヘ」ありさが「イッソハム」となっている。前者は音読み、後者は「あり(在り)+さ(名詞形語尾)」と解釈したものらしい。
他では春待ちファミリーBANDが「ポムテギペミルリBAND」となる。「ポム(春)テギ(待機)」と訳されたのだが、これはMorris.の天敵である。ポンデギ(蚕の幼虫の煮付け)と音が似ているので、勘弁してもらいたい。
ケータイアドレスをマイナーチェンジして、初めての迷惑メールが来た。ゴキブリと同じで、一匹いたら後はぞろぞろ出てくるような、嫌な予感がする。
矢谷部屋 に、スケジュールと、ライブ日記を更新。矢谷君は最近FMVbiblo(ノートPC)を買ったらしい。ちびくろの後継機種だ。ちょっとうらやましいぞ。

2002/02/26(火)●芳恵vs.ありさ●
昼から久しぶりに学生青年センターに顔を出す。稲田さんと会うのも1ヶ月ぶりだったが、鹿嶋さんは山登りで休みだった。トイレの工事が長引いていて、来週までは仮設トイレとのこと。その他、台所が白いペンキで塗り替えてあったり、会議室をフローリングにしたりと、マイナーチェンジがはかられていた。山本、中野さんらとコーヒーを飲みながらしばらくだべる。大阪万博公園内の民俗学博物館で3/21から7/16まで開かれる特別展「ソウルスタイル/李さん一家の素顔のくらし」のチラシがあり面白そうだと見ていたら、招待券までもらってしまった。韓国の李さん一家のアパートを丸ごと会場に再現するという企画で、3/23には、李さん一家がゲストで来場してフォーラムまであるらしい。ワールドカップに会わせての企画らしく、韓国では「東京スタイル」と題して、例のキョンボックンの民俗博物館で日本の家族の生活環境を丸ごとパックして展示するらしい。
センターの恒例となった六甲奨学金のための古本市が今年も3月から5月にかけて開かれる。古本寄贈の郵送、持ち込み受付は3/1から3/31の一ヶ月間。送料は自己負担となるが、蔵書の整理と、海外からの留学生への援助を兼ねて、不要の本を提供してあげようという方は協力ください.詳しいことはこちら。 www.hyogo-iic.ne.jp/~rokko/
八朔をお土産にもらって4時前帰宅。今日は15:49から柏原芳恵主演の2時間ドラマ「津軽海峡−殺しの双曲線」(1987)があるので急いで帰ったのだ。リモコンの故障のため留守録できないとこういうとき不便だ。しかも昨日から始まった「ナースのお仕事」(1996)の再放送と完全に時間が重なってる。どっちを見るか、となるとやっぱり芳恵ということになるのだが、2時間ドラマを録画しながら、途中裏番組に切り替えて観月ありさを見て、再び芳恵にもどり、見逃した部分は後でビデオで見ることにした。芳恵('65生)とありさ('76生)の実際の年齢差は11歳だが、今日の映像だと、22歳の芳恵と20歳のありさの対決??ということになる。古いドラマ、特に推理ものを今見ると、携帯電話とE-MAIL普及の前と後とでは、すっかりドラマの展開が変わったことがわかる。
島田和夫部屋 のスケジュールを追加.

2002/02/25(月)●ハングル入力●
韓国旅行から帰ってから、ずっとハングルでメール出したり、韓国サイトを検索したりしたいと思いながらなかなかうまく行かずにいた。現在使っているOS、win.2000はマルチリンガルをうたい文句にしているのだから、韓国語が使えるはずで、OSをインストールするときに韓国語IMEを指定しておけばOKと聞いたのだが、Morris.のデスクトップには前もってwin.2000が入っていた。韓国のPC房で日本語を使う時にダウンロードした「JAMONDO」の韓国語版「KOMONDO」は、win2000では使えなかったし、ハングル工房の掲示板で見つけたWINXP用のIMEKORをダウンして解凍したが、これはOFFICEXP専用らしい。すっかり困っているところに、またまたうり丸さんからのメールで、大阪外大のサイト内のwin2000のglobalIME導入解説を教えてもらい、そのページの指示に従って首尾よくハングル入力環境を実現することが出来た。これだとIMEの切り替えで、日本語、韓国語、英語混在文書を作成できるし、IEを開くとおなじみの地球マークがタスクバーに出現する。
さっそく、ホットメールで、ハンナちゃんと、ミンヒさんにハングルでメールを送ったのだが、ハングルを打てるということと、韓国語を打てるということは、次元の違うことを思い知らされてしまった。そもそも韓国語を忘れかけているのに、単語の綴りとなると、基本中の基本単語さえおぼつかない。そのうえ日本語キーボードにはハングルの表示もないし、2ボル式(左手で子音、右手で母音を打つ韓国で普通の打鍵法)がちゃんと身についてないのでタイプミスだらけだ。それでも、これで韓国サイトの検索ができるようになったのは大きい。さっそくチャンサイクのサイトを見に行ったら、結構ライブのスケジュールが紹介されていた。3/31のコンサートは無理でも、次回は彼のライブも旅のスケジュールに組み込んでおこう。
午後4時半から関西TVで「ナースのおしごと」の再放送が始まった。一番最初のシリーズで、朝倉いずみはかなり若い。録画するつもりはないが、家にいるときは見ることにしよう。

【陋巷に在り12.聖の巻】酒見賢一 ★★☆☆☆ 小説新潮に長期連載されている作品で、Morris.は雑誌は読まないし、単行本も図書館に出るまで待つので、本巻も雑誌購読者より1年以上遅れて読んでることになる。それはまあいいのだが、これだけの長編を1年に1冊か2冊かのペースで読むというのが、だんだんMorris.には苦痛になってきたらしい。特に筆者が遅筆というわけではないのだし、物語は粛然と進行しているわけだが、Morris.の方がだんだんじれて来たのだろうか。孔子の弟子顔回を主人公とした奇譚なのだが、従来の歴史小説にはなかった呪術、巫術の哲学的考察と、端正な筆捌きに惚れこんでいたのだったが、本巻に到って突然読むのが苦痛になってしまった。ストーリーが孔子と顔回の故郷尼丘の壊滅、成城を巡る不毛の争いといった、重苦しい場面が多かったせいもあるのだろうが、できることなら全巻完結したものを一気に読みたいものだ。特に本書の一つの柱である、術者と巫者の争い、戦闘の場面が、他の哲学的部分とかけ離れて、そこだけが、TVゲームめいて安っぽく浮き上がるのが目に付く。著者のサービスなのかもしれないが、Morris.は、好きではない.

【音楽少年誕生物語】畑中良輔 ★★★ 大正11年(1922)生れの現役最長老バリトンの自伝的小説と、帯にあるが小説とは言いがたい。功なり名遂げた音楽家の回想記ということになるのだろう。「音楽之友」に連載中のうち東京音楽学校(現東京芸大)に入学するまでの分をまとめたもので、これから続編も出される予定らしい。
実は本書は、ひょんなことから、著者から進呈されたものである。話せば長くなるので詳しいことはMorris.日記を読んでもらうことにして、こういった献呈本は、義理で読むことが多いのだが、本書はなかなか面白くて一気に読み通した。著者は若い時に文学少年であったというだけあって「書く」ことに関してもいちおうの水準をクリアしているし、戦前の時代の記録としても価値があると思う。しかし、それよりも著者の少年としての観察、感想のみずみずしさが、本書の魅力だと思う。門司で生まれて、受験のため上京する少年の何でもみてやろうの好奇心が、半世紀以上を経て蘇った感がある。

2002/02/24(日)●エクセルファイルバトル●
昨夜はSHAGGYに行ったので、ユカリちゃんのラジオは録音しておいた。韓国旅行と武生行きがあったので、ほぼ1ヶ月ぶりだ。あいかわらず喋りは絶好調で、選曲も秀逸、おまけに番組の最後では、未発表曲「横浜S・O・S」をカラオケでその場で披露するという出血サービスぶり。やってくれるなあ。3月10日の難波キャバレ「サン」ーライブのチケットは、即日完売だったらしいし、彼女の盛り上がりはすごいものがある。こうなるとなおさら行きたかったなあ、と思ってたらうさこちゃんから追加チケットおさえたという連絡が入り、行けることになったラッキー!!感謝
宅急便で、きよみさんから坂角のえび煎餅「ゆかり」が送られて来た。先日昌美さんからもらったこれがあまり美味しかったので日記で絶賛したのをみて、気遣っていただいたらしい。申し訳ないとは思いつつも笑みが止まらない。感謝。
CDROMでもらったこたに君の「神奈川ツアー日記 」昨日アップしたのだが、IEでは画像が全く見えないことに気付く。またまたローカルリンクかと思ったが、今回は、エクセルブックのファイルをそのままHTMLファイルに変換した時インラインモードのファイルになっていて、画像の詳細モードファイルを消したのと、Morris.部屋のファイル構成が合っていなかったようで、本当のところよくわからないが、ともかく、エクセルのHTML変換は、どちらかと言うと、数表などをHTMLファイル内で扱う時には便利だが、文章+画像の、今回のような内容には不向きなようだ。Morris.がネスケのおまけのコンポーザーでHTMLファイルを作成管理しているのも制約になっているらしい。とりあえず、4ページ分を1ページにまとめて、画像も内部リンクさせてアップしたら、今度はIEでも画像は見えるものの、記事の文が一部読めなかったり画像周りにタグが表示されたりで、へこんでしまった。ちょっと疲れたので、一時放棄したが、あまりに見苦しいので、結局エクセルファイルからテキストだけ抜き出して整形して、初めからプレーンなページを作り直して、再々アップした。ああ、疲れた。
今日は、春待ちファミリーBANDアルバムの歌詞打ち込みと、エクセルとの格闘で終わってしまった感じだ。エノケンの「歌は廻る」の歌詞がなかなか見つからない。

2002/02/23(土)●「祝婚歌」余燼●
先日ネットを通じて詩集「祝婚歌」を譲って、お礼をいただいたことを書いたが、今日また藤沢市のSさんから書籍2冊が送られてきた。
詩集を求められていた畑中良輔氏自身の、今年上梓されたばかりの著作である。
声楽家,音楽評論家としての氏なら、門外漢のMorris.でも名前くらいは知っていたはずなのに、直接の依頼主Sさんのメールでその名を見たときは、迂闊にも気付かずにいたのだった。
いただいた2冊は詩集「超える影に」と、自伝的小説「音楽少年物語」で、扉には献呈署名が入っている。
旧制中学の昭和12年頃から春山行夫に傾倒し、北園克衛、西脇順三郎、滝口修造を愛読して前衛短歌雑誌にも投稿するなど、当時としてはなかなかのモダンボーイだったらしい.もちろん、詩は専門ではなく、80歳になっての第一詩集というのも記念出版といった趣だが、声楽家だけに、曲をつけられた作品が多いようだ。件の「祝婚歌」と一脈通じるものがある。昭和22年中田喜直によって作曲された「四季の歌」から一編を引いておく。

春の歌 畑中良輔

お前の頬に春が寄切る
うすいろの風よ
かなたの森よ
お前たちの歌に流れるものよ

あどけない小鳥たち
梢のかげで
ながれのほとりで
遠いふるさとを眺めるのは----

おまえのうれいか
わたしの嘆きか
春はだまって寄切ってゆく
お前の頬に

自伝の方も、面白そうだ。後でゆっくり読むことにしよう。しかし、ネットでのこのような出会いは日常生活での出会いとは一味違った感じがする。まだMorris.が慣れていないからなのだろうか。
夜は元町シャギーで、元祖春待ちのライブがあったので見に行く。今日はビデオ撮影無しで、もっぱらただの観客となっていた。
社長、中川、小谷、神田、田辺の5人で、演奏する曲もほとんど固定しているし、演奏技術は上がっているのだろうが基本のスタイルは20年来変わらない。こうなると、ずっとこれを押し通すことにこそ意義があるのかもしれない。対バンの名古屋からきたニコラス&ニコライは、ウクレレとバイオリンという異色のデュオで、なかなか達者で面白かった.帰りは社長の車で送ってもらう。
小谷君から、1月の横浜ジャグバンド祭とその前後の神奈川ツアーの、レポートをCDROMでもらう。最新版エクセルで作ったものらしい。Morris.のエクセルは95なので開けるかどうか心配だったが、帰ってやってみたらとりあえず開くことが出来た。ところが、HTMLに変換したら見ることは出来るが,Morris.のネスケでは編集が出来ない。内容としては手を加えることも無いようなので、そのままアップすることにした。小谷君から「うろ覚えなので、細かいところでは思い違いなどあるかもしれない」というコメントをいれるように頼まれていたのだが、まあ、いいだろう。春待ちファミリーBAND部屋に「 神奈川ツアー2002年1月 」と言う名でアップしておく。

2002/02/22(金)●旅日記に問題続出●
昨日アップした韓国日記だが、数々の不備が明らかになった.
まず表示されない写真が多数ある。おしまいの付録「韓国小ネタ図鑑」などは、全部の画像が×印表示になっていたらしい.その他、リンクが繋がらない。レイアウトが崩れるなどなど、実に情けない状態だった。
さらには、あまりのファイルのでかさのために、ダウンするのに5分以上かかったという声もあり、やっぱりこれは、分割すべきだったかなと、反省しきりである.ADSL導入で、ついついサイズに鈍感になっているようだ。
画像が見えない件は、うり丸さんからメールで、画像のリンクがローカルリンクになってると連絡があった。なんのことはない、自分のHDのアドレスが画像リンクの頭にくっついていた。自分のマシンで開いたから見えていたのだが、外部からは見えるわけがない.理由がわからず、付録は、別ページに独立させたりしたが、相変わらず馬鹿なことばかりやっている.数ヶ月前からネスケ6でhtmlページを編集しているのだが、ネスケ4より、使いにくい部分もある。
今日も一日部屋に隠棲状態で、試行錯誤していた。夕方社長が、ちょっと寄った以外は全く人との接触もなし。BGMはイパクサと「追憶」(韓国懐メロCDセット)で韓国モードに入っていた。
冬季オリンピックは、もともと関心も低く、TVもほとんど見ていなかったのだが、審判の不審な判定続出で、史上最低のオリンピックになることは確実なようだ.ネットで韓国の新聞を見ると、スピードスケートの失格判定には、国をあげて怒り狂っているようだ。それにしてもこれを機会に成績を見たら、韓国はなかなか好成績をあげていたようだなあ。日本は無残としかいいようがない.ロシアも不服が爆発してボイコットすると発言していたが、あの国は、モスクワオリンピックの怨恨も残っているのだろう。
社長の「おもちゃばこ」発売記念ライブの詳細をCD紹介のページ にアップ.島田和夫部屋 にスケジュールを追加.

2002/02/21(木)●やっと 韓国旅日記 アップ●
今日は一日、部屋に自主的に缶詰になって、韓国旅行記にかかりきりだった.ちびくろのパンクで、スキャナー使えないと言うのが結構ネックになってたし、途中、画像のリンクがおかしくなって貼り付けやり直したり、いろいろあったが、何とか夕方に出来上がった.
写真画像は何と120枚を超えた。さっきチェックしたら2.6MBある。これも、ADSL導入の後遺症なのかもしれない.
ダイヤルアップ環境でこれを見ようとするとかなりしんどいと思う.とりあえず、 画像なしのページも 作っておいた.
これだけ大きいページは初めてだ.。数ページに分割すべきなのかもしれないが、Morris.は、一つの記事は一ページというのが好みにあう。ネスケとIEではかなり見え方の差異もあるようだが、まあ、どちらでも見ることは出来るだろう.
これで、今回のMorris.の韓国旅行が本当に終わったという気になった、.乾杯(^o^)!!

2002/02/20(水)●春待ち録音順調●
昨日は雨水で、そろそろ春の気配を感じると言う節季だが、一時雪が降るなど、かなり寒い一日だった.昨夜の半月(上弦)は、薄雲の中に貼り付けられたようで、異常な美しさだった。
8時半起床。今日はスカパー無料サービスデーなので、KNTVを見たが、やっぱり面白くない.韓国では旅館でずっとTV見ていて飽きなかったのに。これはやっぱり、KNTVのCMのつまらなさと長さ、内容が同じ傾向のドラマの繰返しで、やっぱり解約しておいて正解だった。
昼から、サムに春待ちファミリーBAND録音の見物。2時にサムに行ったら、「トレインソング」のいやま君のピアノ録音の最中だった.平日と言うこともあって、社長、秋本、みつお、伊藤の5人。本当は夕方には小谷君も加わるはずだったが、秋本くんが昨日からひどい風邪にかかって、大変そうだったし、社長も途中で用事があるので、今日は早めに録音やめて、これまでに録音済みの分を聴かせてもらった。韓国旅行もあったので、録音現場に来るのは一ヶ月ぶりだが、現在ほぼ半分くらい録音できている.全く知らない曲はないのだが、最近やってなかった曲や、新曲もあって、なかなか聞き応えがあった。手直し必要な部分もあるが、いやあ、思った以上に楽しいアルバムになりそうな予感がする。早ければ4月中、遅くとも5月にはリリース予定。早くも期待が高まる。帰りはみっちゃんの車で三宮まで送ってもらい、サンパルの巨大古本屋「MANYO」を冷やかす.とにかく広すぎるので、疲れる。これといった収穫はなかった。一冊だけ面白そうな美術館のカタログがあったのだが、ビニールの袋に入っていたので中を見ることが出来なかった.ちょっと心残りだ.

【天門】石川淳 ★★★★ 84,5年に「昴」に連載されていたものらしいが、Morris.は全く知らずにいた.もともと石川淳は、何となく敬遠していたのが、一昨年「鷹」を読んで感心して、しばらく読み漁ったものの、またしばらく遠ざかっていた。本書は中央図書館でなんとなく手にとったものだが、非常に面白かった.
幼い時偶然に最愛の祖母を殺したという原罪を負う男が、虚無的に暮らしていたのを、海運業主に見込まれて、海外育英会の顧問を引き受けたことから、海外特にアジアへの関心を深めていく。男は幼馴染の女性の愛で、原罪から救われたいと思いながら、別の愛人との関係も続けていく。地域も時代も漠然と曖昧にしながら、個々のディテールは実に緻密だったりする、石川淳特有の幻術的文章に、いつのまにか虜にされてしまった。
本書はどちらかと言うと彼の娯楽性の強い作品に属すると思うのだが、それでもやはり巧いとおもわずにはいられない。性行為の描写など、何も書かずに理解させるという、至難の業を披露してくれるし、ご都合主義的人間の連環も、優れた将棋さしの駒の詰手とか、熟練した画家の絵の具の配合の妙といったものと同様に、思われた。多数の登場人物それぞれを、祝着させる大団円は本書が御伽噺仕立てであることを、示唆している。つまりこれは、現代(当時)の浮世草子、裏返しの好色一代男といえるだろう。ラストで男が貨物船でアジアに赴くところも一代男の末尾に対応している.
高踏的であり、虚無的であり、現実的であり、空想的でもあり--とさまざまなスタイルを「物語り」に収斂させる手際は見事であるというしかない。文体は前から感心しっぱなしで、言葉の選び方もさすがとうなるところが多いが、なぜか「高見の見物」という表記が出てきてちょっと驚いた.意識的なのか、それともケアレスミスなのだろうか。重箱の隅をつつくと言われれば、そのとおりなのだが。
本書では、性格の違う男たちにそれぞれの恋愛観を開陳させている。なかなかにうがった言い回しもあって、その部分だけでも、面白かった.

「---ただそのとき湯殿さんのおつしやつたには、なまけものには恋愛はできない、男は蟻だ、蟻のすることを見習つてその智慧を取れと、かうでございました。蟻は仕へる主人もないのに,夏のうちに食をそなへて、かりいれのとき糧にこまらない。男は女のためにつとめて、恋愛のあぶない橋をわたつても、そこに精神上の糧をもとめるといふ意味のやうにきこえましたけれど、よくわかりませんでしたわ。男はほんとに蟻でせうか。」
「それは女次第で蟻にもなりきりぎりすにもなるでせうよ」
東吉が投げるやうにいつた。
「恋のために死ぬやつがゐる。おれは死ぬものとは考へない。生きるためにこそ恋ではないか。一回きりのいのちだ。いのちに油をそそぐ。火をつける。はつきり目をみひらいて、恋に燃えきつてこそ、生きがひがある。そのこころは女のひとにも通ずるだらうな。」

韓国から戻って最初に読んだ本がこれだったと言うのも、不思議な因縁を感じた。発表された時代のアジア志向への雰囲気が、Morris.の目を韓国に向けさせることになったのだろうからと、今さらながら思われるからだ.しかし、それから15年を経て、Morris.のアジア/韓国への関心も、最初の思惑とはかなり変化してしまったような気がして、ちょっと寂しくなった.
主人公の旅立ちの台詞が、まぶしく響く.

東吉はふりしく光をあびて、たけ高く波止場に立つた。
「海のかなたにいつも月夜の都市があり田園がある。たれもおれを知らない。こつちも向うをしらない。そこがおれの逃遁(のがれ)の邑(まち)だ。おれは突然この世にうまれたにひとしい。」
出発の時刻が迫つた。船はくろぐろと月に照つた。

2002/02/19(火)●韓国語IME●

昨夜飲みすぎで、起きるのが辛かった.
としろう、市川、荻野君と六甲アイランドの展示会の韓国家具引取りと、配達。配達先が7件もあるのに、梱包や廃材処理に手間取り、事務所に戻ってきたら7時過ぎてた。
今回の韓国旅行で出会ったミンヒちゃんから、時々メールが来るようになった.hotmail使って、日本語とハングルの混在が出来ている。Morris.も、何とか、ハングルでメール打ちたいのだが、なかなかうまく行かない.
komonndo(global IME 韓国語)をインストールしようとしても、win.2000では駄目表示が出るし、XPで使えるらしい、imekorもうまくいかない。それどころか以前買ったKoreanwriterも使えないでいる。win200とハングルの相性は良くないのだろうか.まあ、例によってMorris.の無知の成せるわざという可能性が高い.

2002/02/18(月)●今日は社長の誕生日●
8時半起床。韓国旅行日記の整理をするも、なかなかはかどらない。
午後食糧買い出しに出る.
先日詩集「祝婚歌」を送った、藤沢市のSさんから、礼状と、図書券が届いた.嬉しいような、ちょっと申し訳ないような気がする.
今夜は、社長宅で、社長誕祝いの宴会。でも7時に行ったら、昌美さんしか来ていなかった,えっちゃんは風邪で休み、遅れて彫り姉、社長,いやま、秋本、伊藤君は春待ちファミリーBANDの3rd.アルバムの録音で8時半過ぎ到着、サムコーポレーションの山本さんも参加.
昌美さんからバレンタインチョコレート代わりに愛知県轄竓p総本舗の海老せんべい「ゆかり」をもらった。あとでこれを食べたのだが、いやあ、これは、とんでもなく美味い。感動してしまった.

2002/02/17(日)●雪かき●
7時起床。ホテルの朝食食べて、高平さんと合流して現場へ。先に実家への荷物を運ぶことにしたが、これが結構多くて、しかも実家の離れの2階への階段が狭くて急で、かなり苦労した.
昼食はつる庵で、おろしそば再挑戦。今日の麺は昨日とは別の店かと思うくらい、こしがあって美味しかった.
午後から、海外向け荷物の積み込み。ところが、大型冷蔵庫がドアから出ない。泣く泣く梱包を外して、どうにかこうにか外に出して、再び梱包すると言う仕儀になってしまった。また屋上には雪が積もったままだったので、物干し台を降ろすのに、シャベルを借りて雪かきしなくてはならなかった。雪かきなんて、本当に何十年ぶりだろう。積み終えて帰る頃になって、雨が降り出した。明日からは雪になりそうとの予報。実にいいタイミングだった。帰りは、高平さんに、部屋まで送ってもらう。

2002/02/16(土)●文化財の幼稚園●
早朝、奥井さんに迎えに来てもらい、武生の現場へ。去年11月に第一便を取りに行った、マレーシア向けの荷物の後便の現場。今日二人で梱包して、明日高平さんに来てもらい、3人で搬出と、残りの荷物を実家に搬入すると言う段取り。9時に現場についたら、思ったより整理がついていた。昼食は武生でのお約束「つる庵」のおろしそば。今日のは何だか平凡な味だった。奥井さんの話によると、おろしそばは大根の辛味が命で冬は、どうしても甘くなるけいこうがあるとのことだが、それだけではない。
午後の作業も順調に進んで、早めに切り上げて、4時には武生IC近くの定宿ホテルにチェックイン。せっかくだからホテルの自転車借りて、武生の町の散策に出かけることにした。
武生は小さな町ながら、古くからの城下町でいわゆる歴史的町並みが多く残っている。特に京町一帯は、寺社も多く、市も力をいれているらしく、道路はすべて石畳に舗装してある。この町をふらふら歩いていたら「引接寺(いんじょうじ)」という天台宗の大きな寺があり、表に石仏の寺という看板があったので、覗いて見た。たしかに境内のあちこちに大小の石仏があり、最近のものらしいが、堂に入った丈六の石造りの大仏まであった.ただ、石質が、脆そうで摂理があって、あまり感心するものはなかった。それより寺に隣接している、「丈生幼稚園」と言う付属幼稚園の建物に目を奪われた。不思議な2階建て木造の西洋館なのだが、屋根の中央に火の見櫓みたいな木造の塔が突き出ている。外観は空色と白のペンキで塗られて、モダンな感じだが、建物の真正面には、最近めったに見ることのなくなった、二宮金次郎の像が建っている。あまり気になったので、子ども連れで、来ていたおじさんに訊ねたら、昔の警察だったらしいとのことだった。
後で、ネットで検索したら、この建物は明治32年に建設された、旧福井県本部庁舎が大正13年現在地に移築されたもので、武生市登録文化財第一号に指定されている事がわかった.
この 丈生幼稚園のホームページ もあった。ここで建物の画像を見ることができる.
お寺の方もそれなりに由緒のある寺で、清の李鴻章が来日した時の宿舎になったそうだし、山門の龍の彫り物は左甚五郎作という言い伝えまであるそうだが後者は眉唾だろう(^_^;)
6時にホテルに戻り、同じ経営の居酒屋で奥井さんと食事を兼ねて飲む。そのあと、これまた同じ経営の漫画喫茶で、渡辺多恵子の「はじめちゃんが一番」を15巻まで読み通した。と,行っても11月に来た時6巻まで読んでたから、今日は残りの9冊を読んだと言うことになる。「ファミリー」には一時はまっていたこともある、彼女の作品は、その後短編をいくつか読んだだけで、縁遠くなっていた。「はじめちゃん---」も数年前のものなのに、つい読まずにいた。アイドルグループとしてデビューした五つ子とその姉(はじめ)が、芸能界を舞台に、騒動を巻き起こすと言う、スラプスティックコメディ(作者の言)だが、あいかわらず性善説志向のヒューマニズムあふれる、オムニバス形式の連作で、全体のストーリーもいちおう首尾一貫して、なかなかエンターテインメントとしても楽しめた。けっこう台詞の多い漫画なので、部屋に戻ったら12時近かった..
今夜は、ヒアカムで、矢谷君のライブがあったし、社長宅で宴会もあったらしいが、福井県にいたのでは,いかんともしがたかった。

2002/02/15(金)●網の縁●

藤沢市のSさんという未知の方からメールが来た。以前読書控えで紹介した 北山冬一郎の詩集「祝婚歌」 を譲って欲しいと言う内容のものだった.長年探していた本だとだけしか書いてなかったので、詳細を知らせて欲しいとメールしたら、折り返しメールがあった。それによると、80歳になる恩師が、ずっとこの詩集に執心されていて、是非もう一度手にしたいと繰り返されていたそうだ。Sさんは国会図書館まで探して見つからずにいたところ、インターネット検索で、Morris.の日記がヒットしたそうだ。Morris.にとっては未知の詩人だが、歌曲の作詞家としてもそれなりに認められている詩人だったらしい.文面にSさんの誠意が感じられたので、今日郵送した.この詩集は、小さなもので、大胆な装丁がこの上なく気に入っていたのだが、先方は内容に深く愛着を憶えていられるらしかったから、Morris.が持っているよりは、詩集自身も喜ぶだろうと思ったのだった.以前、愛蔵本欄で取りあげた 「小型カメラの第一歩」 と言う、戦前の本に関して、著者のお孫さんからメールをいただいたことがあったが、こういう形での出会いがあるというのは、インターネットの利点の一つだろう。
今日は、未練たらしく、ちびくろをフロッピーからDOSで起動して、チェックして、データの一部でも取り出せないかと、やってみたのだが、HDのC:ドライブを全く認識しない。ということは、ほぼ復旧もデータもアウトということなんだろうなあ。
*明日は早出で、武生に一泊の仕事なので、二日ほど、更新もメール送受信も掲示板アクセスもできません。了解願います.

2002/02/14(木) ●チャリンコ盗られてた●

昨日の深夜、インチョン国際空港から神戸に戻ってきた。天気もよくて、寒かったけど風邪もひかなかったが、おしまいになって、下痢になってしまい、ちょっと辛かった.
昨夜は2時くらいまで、メール見たり、荷物の整理などで2時過ぎまで起きてた.
今朝は8時半起床。午前中はぐずぐずと韓国でもらったり買ったりしたCD聞いてた。昼過ぎに三宮に出て、サンチカで開催されている古本市を覗く。今日が初日だけに人も多く、そこそこ面白そうなのもあったが、ぐっと我慢して買わずにすます。そのあと地下鉄で中央図書館に行き、帰りは神戸駅から、戻る。部屋の前で、自転車が見当たらないのに気付く。隣家の良く似た奴があったので昨日は気付かなかったのだ.後の簡錠だけで、チェーン錠をしていなかったのが、敗因?かとも思うが、日本人の道徳観念も地に落ちてるなあ。ちなみに自転車は韓国語ではチャジョンゴと言う。チャリンコというのが、これから来たのかどうかはしらないが、よく似ている.
社長から電話があったほかは、今日は何もよそとの連絡はなし。韓国の旅日記も片付けなくてはと思うのだが、実は今回の旅行4日目に持参していたちびくろが、フリーズしてしまい。日記がほとんど打てていないのだ.。5日目以降はとりあえず、メモとPC房でちょこちょこと打ったりしたからまだしも、4日目までは、しこしことちびくろに打ち込んでいると安心していたから、あまり記憶も定かではない.これ以上いろいろ書いても、言い訳としかおもわれないだろうから、なるべく早めにでっちあげることにしよう。
旅行前に福井君が送ってきた昨年のビートルズライブの写真を2枚フ クイーズ日記部屋 に貼り付けておく。それにしても5枚も送ってきたのにどれもこれもいまいちの写真ではある。


1月29日から2月13日までの 韓国旅行中の日記はこちら をごらんください。




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