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Morris.2012年読書控
Morris.は2012年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点

読書録top 2011年   2010年 2009年 2008年 2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年 1999年

セル色の意味 イチ押し(^o^) おすすめ(^。^) 普 通 とほほ(+_+)

2012076
【月がとっても青いから 】久世光彦  
2012075
【終末処分】野坂昭如  
2012074
【流跡】朝吹真理子  
2012073
【きことわ】朝吹真理子  
2012072
【失われた近代建築 2.文化施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信  
2012071
【きみの友だち】重松清  
2012070
【ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ】金井美恵子  
2012069
【マリアビートル】伊坂幸太郎  
2012068
【失われた近代建築 1.都市施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信  
2012067
【お父やんとオジさん】伊集院静  
2012066
【空飛ぶ広報室】有川浩  
2012065
【苺をつぶしながら】田辺聖子  
2012065
【私的生活】田辺聖子  
2012065
【言い寄る】田辺聖子  
2012064
【ROCK'NROLL SWINDLE】嶽本野ばら  
2012063
【蛍川】宮本輝  
2012062
【シブイ】開高健  
2012061
【チュウは忠臣蔵のチュ】田中啓文  
2012060
【写真がもっと好きになる 写真を撮る編】菅原一剛  
2012059
【ことわざの論理】外山滋彦  
2012058
【獅子真鍮の虫】田中啓文  
2012058
【辛い飴】田中啓文  
2012058
【落下する緑】田中啓文  
2012057
【こなもん屋馬子】田中啓文  
2012056
【木村充揮自伝】 
2012055
【俳句はかく解しかく味う】高浜虚子  
2012054
【どんぐりのりぼん】田辺聖子  
2012053
【これなら作れる男のごはん】大原照子  
2012052
【マイク・ハマーへ伝言】矢作俊彦  
2012051
【真夜中へもう一歩】矢作俊彦  
2012050
【中村とうようの収集百珍】 
2012049
【忘れられた日本人】宮本常一  
2012048
【アンリ・カルティエ=ブレッソン】クレマン・シェルー 遠藤ゆかり訳  
2012047
【空気の研究】 山本七平 
2012046
【リンゴォ・キッドの休日】矢作俊彦  
2012045
【モルフェウスの領域】海堂尊  
2012044
【放射能のタブー】副島隆彦編著  
2012043
【楡家の人々】北杜夫  
2012042
【怪優伝】佐野眞一  
2012041
【昭和変々】山本夏彦|久世光彦  
2012040
【宮本常一の写真に読む失われた昭和】佐野眞一 
2012039
【「1905年」の彼ら】関川夏央  
2012038
【バイバイ・フォギーデイ】熊谷達也  
2012037
【フクシマ元年】豊田直巳  
2012036
【京都洋館ウォッチング】井上章一  
2012035
【京都|大阪|神戸 [名建築]ガイドマップ】円満寺洋介  
2012034
【シューマンの指】奥泉光  
2012033
【韓流ブームの源流】高祐ニ  
2012032
【明日の風】梁石日  
2012031
【巨怪伝】佐野眞一  
2012030
【オー!ファーザー】伊坂幸太郎  
2012029
【ロックンロール七部作】古川日出男 
2012028
【採集栽培 趣味の野草】前田曙山 
2012027
【持ち重りする薔薇の花】丸谷才一 
2012026
【幕末の歴史】半藤一利  
2012025
【吾輩ハ猫デアル】夏目漱石 
2012024
【だれが「本」を殺すのか】 佐野眞一 
2012023
【昭和史 1926-1945】半藤一利 
2012022
【東京番外地】森達也 
2012021
【韓国語学習Q&A200】韓国語ジャーナル編集部 
2012020
【馬たちよ、それでも光は無垢で】古川日出男 
2012019
【ソルハ】帚木蓬生 
2012018
【雲のカタログ】村井昭夫・鵜山義晃 
2012017
【日本のゴミ】佐野眞一 
2012016
【大地の牙】船戸与一 
2012015
【目と耳と足を鍛える技術】佐野眞一 
2012014
【日本のいちばん長い夏】半藤一利 
2012013
【ゴーゴーAi】海堂尊 
2012013
【死因不明社会】海堂尊 
2012012
【詩ふたつ】長田弘 グスタフ・クリムト 
2012011
【世界屠畜紀行】内澤詢子 
2012010
【エネルギー進化論】飯田哲也 
2012009
【写真を仕事で…】WINDY Co.編著 
2012008
【重力ピエロ】伊坂幸太郎 
2012007
【アヒルと鴨のコインロッカー】伊坂幸太郎 
2012006
【PRIDE】石田衣良 
2012005
【三題噺 示現流幽霊】愛川晶 
2012005

【道具屋殺人事件】愛川晶 
2012005
【うまや怪談】愛川晶 
2012004
【原発報道とメディア】 武田徹 
2012003
【SOSの猿】伊坂幸太郎 
2012002
【それってどうなの主義】斎藤美奈子  
2012001
【極北クレイマー】海堂尊  
2012001
【ブラックペアン】海堂尊  
 2012001
【イノセント・ゲリラの祝祭】海堂尊
 2012001
【ジェネラル・ルージュの凱旋】海堂尊
2012001
【ナイチンゲールの沈黙】海堂尊  
 2012001
【チーム・バチスタの栄光】海堂尊

2012076

【月がとっても青いから】久世光彦 ★★★☆☆「マイ・ラスト・ソング」シリーズの3冊目である。Morris.はこのての本は好きなので、たぶん本書が出たころ(2001年)読んだと思う。このシリーズは5冊出ている。

その心情は詠嘆でなく叫びである。それも、投げやりを通り越して自暴自棄に近い。誰でもが、しみじみ飲む酒にするところを、星野哲郎の酒はヤケ酒なのだ。こんなアナーキーな三番を書いた作詞家は、いままで一人もいない。そして極め付けが「箸を持つ手が重くなる」という最期の一行である。こんなリアルでアナーキーな感覚を、歌謡曲の世界に持ち込んだ星野哲郎という人を、私は怖くなってしまうのだ。これは名作小説の、選びに選び抜かれた最後の一行である。悲しいでもないし、無力感に襲われたでもない。明日が見えないでもなく、死にたいでもない。「箸を持つ手が重くなる」のである。女なんて、恋なんて--そして人生なんて、二本の箸ほどのものである。昨日まで器用に扱ってきたつもりのその箸が、なぜにどうして、こんなに重いのだろう。「女の宿」は、たった二本の割り箸を取り落とすか、持ち直すかの瀬戸際の歌なのだ。たかが--と軽く見くびっていたものに痛烈にしっぺ返しをされた、驚きの歌なのだ。それが星野哲郎の、無惨の青春だったのだろう。私はこの歌を、奇跡のように一粒だけ彼の胸から零れ落ちた、二度と還ることのない青春の歌だと思っている。(「おんなの宿」)

私は、いつまで「マイ・ラスト・ソング」を書きつづけるのだろう。人が文章を書いたり、絵を描いたり、あるいは歌を歌ったりするテーマが、いつも、「歳月」であるならば、「マイ・ラスト・ソング」は、その歳月の終わりである。いろんなことがあり過ぎた人生を、苦しい息の下で一つに括ろうとしたって、理屈は面倒だし、整理しようにも、体力も気力もないから疲れてしまう。やはり歌あたりがいちばん手ごろである。その一曲を選び、そのメロディを想いながら目を閉じれば--そのとき人は、誰もが誇り高くいられるのではなかろうか。--歌は私たちの、最後の矜持である。(歳月)


久世はTVドラマの演出で名を売ったが、50になって文筆業に転身した。きっかけは女性問題だったらしいが、結果としては良かったのかもしれない。と、言いながらMorris.は彼の小説はほとんど読んでいない。エッセイやコラムめいたもの、そしていちばん好きなのがこのラストソングシリーズである。
これだけ歌詞についての薀蓄を傾けるのなら、自分でも作詞してるのではないかと勘ぐって、調べたら、何と香西かおりの「無言坂」がそうだった。市川睦月という別名使ってたので気づかずにいたらしい。これは伊集院静が伊達歩名義で「ギンギラギンにさりげなく」の作詞をしたというのに似ている。
久世は2006年70歳で世を去っている。この葬儀で弔辞を読んだのが小林亜星と伊集院静だったらしい。

あの町も この町も 雨模様
どこへ行く はぐれ犬 ひとり
慰めも 言い訳も いらないわ
答えなら すぐにでも 出せる
こんな つらい恋
口を閉ざして 貝になる
許したい 許せない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂

帰りたい 帰れない ここは無言坂
許したい 許せない 雨の迷い坂
ここは無言坂 (「無言坂」)


2012075

【終末処分】野坂昭如 ★★★☆☆ 1978年(昭和53)「小説現代」に3回連載されたもので、内容が原発やごみ処理に関したものだったこともあってか、2012年8月に初めて単行本化されたもので、「大量生産、大量消費に終わりが来る時」という、現時点での気持ちを書き足している。
原発黎明期のエリートを主人公に、原子力ムラの構造、政財界とのつながりを、かなりの取材で得た材料をもとに暴露しようとしたもののようだが、作品としては、尻切れトンボになっている。うがった見方をすれば、34年前にこのような主題を扱った作品を発表することへの、出版社の自主規制があったのかもしれない。

農地改革が、農民の心を荒廃させたと同じ筆法であるいは都市生活者の気持を、妙に歪めたのは、戦災ともいえる。戦前、都市計画の多くは借家だった、家族が増えれば引っ越しする、気分転換に住いを移す、自由気ままに動けるのが、町に暮す者の特権であり、土地に執着を持たなかった。
これを変えたのが、焼野原の風景だった、何もかも無くなって、残ったのは土地だけ、頼むべきはこれしかないと、心に刻みこまれたのではないか、土地を所有し、自らの砦を築き上げることが、人生の目的となる、首尾よく果せば、家だけが自分のもの、公共の環境は、お上が整備して当然、すべて要求だけする。借家の頃は、仮住まい同士、家も借りものなら、道路も公園も借りもの、同じレベルで考えた。だから、互いに譲り合い協調して、向こう三軒両隣り、また町内単位で、暮しの知恵を出し合い、奉仕した、戦後自作農が土地を殺したように、持家の連中は、都市を窒息させつつある。清掃工場に対する反対など、その典型だろう。


これが書かれた8年後(1986)に始まった日本のバブル経済こそ、こういった土地至上主義が生み出した幻覚だったのかもしれない。前にも書いたが、土地の私有はあってはならないと思う。国有という意味ではなく、仮にその土地に居させてもらってる、という感謝のこころ。売買してはならないもののひとつである。

「なってないですよ、ミュンヘンじゃ一日千トンの焼却炉から最大十二万五千キロワットの発電を起している、もっとも、ゴミだけにたよってるんじゃないらしいけど。東京では一万一千トン以上の能力がある、単純に計算して百万キロワット以上出来ないのは、電力会社が独占事業だからです、電気事業法にしばられている。それに売電契約を交すと、いかなるトラブルがあっても売電料を確保する義務を負わされる、また発電設備についてもうるさい制約がある、要するに枝葉末節にこだわってみすみすエネルギーを捨てているわけです」楠本がメモをみながら説明した、

ゴミの有効活用という視点も正しいが、何よりも日本の電気事業そのものの矛盾(独占的利潤循環システム)をついている点が重要だと思う。

白血病はあらわれなかったが、今度は、必ず原爆で死ぬと、予感がまつろいついた、「臆病なのね、原爆ならみんな一緒に死ねるでしょ、でも平和日本にその可能性は少ないじゃないの。高畑さんが原子力やってるときいた時、ようやく可能性が出て来たと思ったの。だけど反対なんだものね」塚本、高畑の体に手を巻きつかせ、「死の灰の運び屋ですって自己紹介した時、素敵だったわ、私、何も知らないから、死の灰を、花咲爺さんみたいに、ぱっぱとふりまいて歩く姿を、思い浮かべちゃって」高畑も、原爆で死ぬ自分を、昭和二十年代にはよく考えた、当時とくらべて、その可能性はさらに大きくなっているのだが、もはや想像力は働きにくい。
「不真面目っていった方がいいのかもね、原発がいけないっていうんならさ、どこか一つぶっとばしちゃうか、プルトニウムとか何とかを、とび散らさせりゃいいのよ」「反対してる連中はみんな心の中で思ってるね、どこかで、早く事故が起ってくれないか、でなきゃ気がつかないって」


33年後(2011)に、福島で3つの原発が「ぶっとんで」しまった。しかし、結局原発御用政府は頬かむりしようとしているというわけか(>_<)

原発の運営は、一応電力会社、その電力会社を牛耳るのは国家。圧倒的に強い、何でも出来る力を持つ。この関わりが危ないことは歴史が示している。原発そのものの仕組みに疑問を抱く専門家もいることはいた。原発推進の構造を見張る必要があると、当初、懸念の声も上がった。これが絡めとられていった前提には、世間の無関心さがある。
原発立地以外の地域に暮らす人間にとって、電気の恩恵は有り難いものだった。だがしばらくすれば、水や空気のように、あってあたり前のこととなる。かつて受けた原爆の傷は覚えていても、原発となれば科学や技術の恩恵とみなし、深く考えない。誰かがきちんと管理していると思い込んでいる。
一度便利なものに慣れると手放さないのが人間の常。
一方、技術者、学者はどうか。本来技術者は原発賛否から無縁、遠く離れた存在である。技術者は常に客観的立場にいて、専門家の目で物事を見る。それがいつの間にか原発側に立っている。いったん関われば、そこにある種の信仰のようなものが芽生える。後戻りが出来ないシロモノだけに、前へ進むしかないのだ。
原発の孕む危険性という、大きなテーマより、目先の出来事にとらわれてしまう。そもそも日本には原子力の専門家は一人もいなかったに等しい。
アメリカの言うままを信じた。それでも各分野から、優れた視点を持って、原発推進に歯止めをかける人物も現われた。だがその人たちは食えなくなった。次第に喋る機会が失われ、出版物の広告も出来ない。どこからか圧力がかかる。
マスメディアは広告で成り立っている。電力会社はスポンサーの一つ。いつまでも原発反対ののろしを上げているわけにもいかない。


そして、あの大事故が起きた後の現在でも、全くこのまま、このとおりである。救いがたいなあ。
以上までの引用は1978年発表の本文で、これから以下の引用は単行本化された時に追加されたものである。

一体何故狭い島国にこんなにたくさんの原発が必要なのか。原発ありきで進められた政治、原発に生きる人々、また、原発の恩恵をあたり前に受けてきた社会、原発を止めては困る仕組みがそれぞれにある。

東日本大震災は、ぼくらが目覚めるいい機会だった。原発について考え、反対の声も高まった。だがやはりどこか他人事。
電気の恩恵を存分に享受しながら、原発は嫌だという。天災は天災と片付け、原発事故も、不幸な事故として片付けようとしている。
ぼくらの足元といえば、明日にも溶け出す氷の如き危なっかしい有様。これでさえ、誰かがどうにかしてくれると思い込んでいる。


2012074

【流跡】朝吹真理子 ★★★ 先ごろ初めて読んだ「きことわ」で少し興味を覚えて、もう一冊読んでみた。こちらが先に出ていて、たぶんデビュー作になるのかな。100頁ほどの短いものの割に、なかなか読み終えるのに時間がかかってしまった。
やっぱり言葉の実験みたいな作品で、やっぱり時間というものの曖昧模糊さをテーマの一つにしているようだ。
特異な文体はそのままで、これが魅力と言えないこともないが、最初に読んだ時と比べるとインパクトに欠ける。ひらがな多用、擬態語過剰、狂言綺語の突出あたりも、何となく鼻白む気もした。こういった文章なら、いっそ旧仮名遣いでの表記が似つかわしいのではなかろうかと思ったが、若い読者のことを考える無理な注文かもね。

ひらくととじるの間が失われている。百年か百日か百時間、ほんの百万秒分の一を本のなかで過したのかもわからない。しかしなにも書かれていなかった気がする。光にさらしてパラフィン紙ごしに装丁を確かめる。そこの書かれてある題名も著者名も販売元の印字もISBNコードもひかひか反射してよく見えない。いったい誰の本だったか。もう何日も何日も、同じ本を目が追う。追うばかりで一文字も読んでいない。本をひらく。印刷された文字が糸水のようにつながり意味をなしてゆくはずだというのに、扉、見返し、奥村、花切れまでつけて一冊の本としての表情をみせているようでいて、明朝体9ポイント、余白をとった紙片のなかにおさまるきめ細やかな活字が意味あるふりをして。あるいは文字の集積であるかのように装って、記述されたことが本をひらくたびどこかに逃げ去っているんだろうか。

タイトルが「流跡」ということからして、書かれた言葉、物語を水の流れに喩えているわけだろう。書くことの根源を問うのは、倉橋由美子や金井美恵子に顕著だった(Morris.がそのあたりしか読んでないだけかもしれないが)傾向が、朝吹が彼女らの正当な裔なのかどうかははっきりしない。

海中にいるというのでもなく月や木星、綺羅星だのが空に散っている。

これは「綺羅星」の使い方への疑問として挙げただけである。誤用とまでは言えないとしても、ちょっと変だと思う。新潮社の校正がこれを看過しているということは、これもまた「慣用 緩用」になりつつあるのかな。

こうして起伏のない日常が過ぎる。単調、というのはなにもいけないことではない。むしろ単調はときに幸福であるにちがいない。こうして過ぎてゆけばいい。

しらっと、嘘を書くのは、小説家の特権でもあろうが、Morris.も時々こんな口をききたくなる気持ちになることは否めない。持続はしないんだけどね。このところのMorris.の日常が単調に過ぎるのでひっかかってしまった。

この煙突というのは、自分でつくりだしているのだから夢と同じようにあらゆるイメージがまぜこぜになって相即してできているのだろうと考えながら、それは古代遺跡の円柱にもみえるし、すべすべしながら隠蔽したようなみょうに明るい白さもあって、どこかでみかけた清掃工場かなにかの煙突なんだろうか、あるいはテレビでみた発電所や製錬所、それとも母方の親戚が死んだときにみた、実利一辺倒の荼毘所のもまた似たようなものだったか、それとも大好きだった銭湯の高高とした煙突。どれも遠い記憶で定かではない。それとも本か何かで読んだり挿絵でみたりした煙突なんだろうか。いくつもの記憶がまぜこぜになった架空のものをみている。幻を眼がみてしまうというより、そうした幻をみる眼そのものをこの意識がつくりだしているのかもしれない。

煙突好きのMorris.なので、つい引用してしまった(^_^;)が、別に作者が煙突好きというわけではなかった(>_<)Morris.は何故煙突好きなのだろう? 雲が好きなのに通じるのだろうし、天に向かう方向性に惹かれるのかもしれない。

実人生、というのがそら言のように響く。習慣として読書をしているだけで、ほんとうの意味で読んでいるのではなかった。

こういう物言いをされて、いや自分はそうではない、と言えるほどの神経の持主はそうそういないだろうな(^_^;) しかし「ほんとうの意味で読んでいる」というのが、そもそも胡散臭いぞ。

はれ。ひやらひやら。さまざまの大金魚、和金、琉金、獅子頭、出目、らんちゅう、しろがちあかがちの桜錦、素赤、黒斑、更紗、キャリコにシルク、白銀、黄金、乳白色の鱗紋様、緋鮒も混じって総出で踊る。腹がなみうつ。雨滴はいっそうはげしくなる。なかには頬袋に酒をためてへべれけになったの。煙にぐるぐるまかれてのびたの、肉塊のぶつぶつした額に豆絞の手ぬぐいをのせたひときわ太ったやつがそれを踏み越えてえごえご踊る。ひれがゆらぐ。あまたの、幾百、千にとどくほどの大金魚が、ひっきりなしにロータリーに集い来て、湯気をたちのぼらせつややかにほたほた笑っている。陽の射すなか、雨滴を浴びて破顔している。皆背をかたぶかせ、ぱくぱく口を開いて、大円陣で、はれ、ぐるぐるまわるごとに、はれ、白煙も、はれ、雨も、どんどん濃かになってゆく。

これは幻想の煙突の周りに漂いはじめた幻想の金魚たちの乱舞場面で、本作のなかでいちばん楽しげだったのだが、「えごえご踊る」というのがわからなかった。

えごえご(副)1.太っていて、肉がだぶつくさま。また、太っているため動作が鈍いさま。のそのそ 2.おぼつかない足取りで歩くさま。よちよち(大辞林)

たしかに「えごえご」踊ってるのは「太った」金魚になってるが、この「太」という字が本書では「太」の下の点がカタカナの「ン(二水?)」になっている。これはMorris.の手持ちの辞書では見当たらなかった。典拠やわざわざ使った理由を知りたいものである。

ひとやひとでないものが文字というかたちを帯び、他の文字を誘引し、きりなく交いあい、二文字、三文字とつづけられ、文節をなし、文字列の増殖は止まない。確かにこの指で入力した文字が液晶画面にうかびあがると、まるでゆくりなく出遭ったことばとして、いつのまにか書かれていたものとして目に触れてくる。光の接触に網膜がしみながら、キーボードと身体がほとんど同化し、背を屈め、画面に顔を近づかせ、脈打つように書きつづけてゆく。ひとやひとでないものたちが、行きつ戻りつ、迂回と途絶をくりかえし、時には踏み外し、ことばのなかで転びながらうごきつづける。その一挙手一投足が間断なく書かれる。しかし、いくら精確に書こうとつとめ執拗に書きしるされたとしても、書かれたものは書かれなかったものの影でしかなく、いつまでも書き尽くすことはできない。……結局一頁として読みすすめられないまま、と消すようにして書かれはじめた何百列が糸水となってながながとつたい、ようやく、いよいよ、最終段落の最終行の最終文字に近づいてゆく。

最終行の最終文字列できつく縢(かが)ったはずの指示記号が一瞬震え、ぽたりと画面の奥に落ちて消えた。それを境にして、うつしだされていたはずの文字がほどけて溶けて、画面はひたすら博士のがらんどうとなる。キーボードの隙間から書かれたものが流れる決勝となってあてどなくなだれ、四方にひろがってゆく。書くことがひとたびも終わらない。ふたたびひとやひとでないもののものおもいやひしめきの微温がつらつらつづきはじめる。文字がとどまるいことをさけ、書き終わることから逃げてゆく。ひたすら押し流れてゆこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ---


二十代の著者だから、ワープロ原稿は当然だろうし、ワープロでしか書けないタイプの文体のようにも思えるし、その生成から消滅までを、言葉で描くというのは至難の業で、それなりに何となく納得できるような収斂(後の引用が、本書の最終部分)ぶりだが、成功しているとはいいがたい。
つまりは、「方丈記」冒頭の名文句の変奏でしかないようで、その演奏ぶりにいささかの芸がある。といったところだろうか。
次作(次次作か)を読む気になるかどうか、微妙なところである。


2012073

【きことわ】朝吹真理子 ★★★☆☆ タイトルは二人の主人公の名「貴子(きこ)」と「永遠子(とわこ)」を組み合わせたものである。葉山の別荘に夏の間だけ一緒に暮らした二人の女の子が、25年後に再会して、過去と現在とをないまぜに回顧するといった趣の実験小説のようだ。
金井美恵子とのトークショーを見て、ちょっと作者に興味を覚えて読んで見ることにしたのだが、なかなかに見所があった。

永遠子が髪の毛から指を離そうとすると、貴子の髪が指の付け根にからんだ。
このあいだの夢でもこんがらがっていたことを永遠子は思い返しながら目を細める。むかしとおなじことをしている。春子が貴子の髪をとかそうとすると、貴子は永遠子に結ってほしいとせがんだ。春子が今度は永遠子の髪をとかそうとすると、貴子は永遠子の髪は自分がすると言って、春子のてからブラシをうばう。永遠子はいつも貴子の髪をとかしては結い、貴子もまた永遠子の髪にふれた。貴子が髪をとかすと、きまって永遠子の髪にブラシがからがる。からんだ髪をほぐそうとして指を髪の毛にさしいれると貴子の指にも髪がからまり、春子はどうしてそんなにふたりともからがるのかとふしぎそうにしていた。


二人の髪が絡まってしまうシーンは、本作を象徴してるようだ。「からがる=絡がるというあまり馴染みのない言葉につい立ち止まってしまった。これを始め、意識的に雅語や古語や死語を多々使用(試用)している。古典への回帰ではなく、再生の意志なのだろう。

貴子は幾冊かの本をひらくが、つぎからつぎに読んでいたはずの物語は、いったいどこにすりぬけていったのか。貴子はこの家で読んだ、自分の顔よりもおおきな赤黒いなめし革の装幀本に書かれてあった物語のことをふと思い起こした。あれはいったい誰が書いたのか。むかしは、書いたひとのいないものだとして本を読んでいた。しかしその書かれたものはいったいどういう筋のものだったのか、一文字の記憶も思い出せない。二階をさがしまわったが、それだけはみあたらなかった。その本を開くと、いつもうすぼこりが立ちあがった。それが日差しに散るのをしばしばながめてから文字に目をおとしていた。いまはただ、ほこりの立った瞬間のことだけを記憶している。

このあたりはもろ金井美恵子風である。

一口に三分といっても、カップラーメンを待つ、風がふきすさぶ早朝に電車を待つといった三分間はながく感じられる。公衆電話の三分十円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは三分もあればじゅうぶんすぎる。時間というのは、疾く過ぎてゆくようであり、また遅延しつづけるようでもあり、いつも同じ尺でながれてゆかない。二階で整理していた本に、宇宙のおおまかなところは三分でできたというタイトルの本があったことを貴子は永遠子に言った。

時間の観念で遊ぶのも本書の特徴のひとつだが、カップラーメンやウルトラマンといった俗語を使って読者を揺さぶるあたり、結構、あざといのかもしれない。

「ねえ、これ壊れてない?」と、永遠子はいつまでも白砂を落としつづける砂時計をみる。貴子は携帯をみる。
「あと何秒?」
「あと一分」
「まだ?」
「まだ」
「そう。こうしているうち百年と経つようよ」


それにしても砂時計のあの形状は絶妙というしかない。最後の台詞の「百年と」の「と」がまさに砂時計の括れを連想させる。

目の前を、母親のすがたが過(よ)ぎる。当時、九歳になったばかりだった娘も母親の享年を超えてゆく。貴子は同い年となった母親の面影をみとめた。どうして死んだのかという埒もないことばが頭をもたげる。死人のことはいくらでも思い出せる。たしかめようがないからなのかもしれなかった。貴子は、自分が母親に会えないのは、母親にみられている夢の人だからではないかと思った。母親が起きている間貴子は眠り、貴子が起きている間母親は貴子の夢をみている。自分は夢にみられた人なのだから、夢をいつまでもみないのではないかと、それこそ夢のようなことを、とぎれとぎれの意識のなかで思っていた。明日に差し障るだろうから目をつむる。それでも目は眠りにつかず眠りと眠りの間を漂っていた。

こういったウロボロス的イメージの転がし方も作者の得意技のようだ。

「雨の日の白湯はやっぱり甘い」
珈琲も紅茶も雨の日のほうがまろやかな味になると春子は言っていた。
「なぜだろう」
永遠子が首をひねる。水道局が塩素の量を調節するからだと春子は貴子に説明していた。永遠子は貴子の白湯をひとくち飲むが違いはわからなかった。貴子は、ふだんから白湯を飲まないとわからないと思うとすこし誇らしげに言って、ふたたびマグカップに唇をつける。


擬科学的講釈と、瑣末な感覚の特権化、もったいぶった振舞が作品の隠し味になっているようだ。

髪を乾かしながら、ベランダをみると、新月に近い月がでている。月というより、薄曇りの空に亀裂が走っているようにみえる。裂け目からまた大百足がでてきたら嫌だなと昨昼のことを思い起こしてから、さっきみた月はたしか満月であったはずだと思う。しかし、いまみている月をただ月としてみていればそれでよいのかもしれないと貴子は思った。

細い月を空の亀裂と見るのは、Morris.にも既視感を覚えた。月の満ち欠けは太古から永遠に繰り返されていて、そのいずれの瞬間においても月は気高いものであるよということか。
ひさしぶりに、若い作家の純文学を読ませてもらったようで、何か嬉しかった。この文体は貴重だと思うぞ。もう少し読んでみよう。


2012072

【失われた近代建築 2.文化施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信 ★★★☆☆ 先日読んで(観て)感動したので早速続編も借りてきたのだが、結局今朝、ベッドで一気に読み終えた。。
邸宅・集合住宅15件、学校・病院・教会18件、公共施設・産業施設・駅舎11件、倶楽部建築・娯楽施設・ホテル16件の計60件。やはりサムネイル風のリスト(48件)も付いてる。前編と比べるとちょっと評点が低いが、やっぱりお上と民間の格差なのだろう。写真の数が前より少ない感じもあった。

住宅については国ごとの差が目立ち、共通性を基本にしながら、風土や歴史的事情に応じて多様な展開を見せている。そうした多様なスタイルが、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなどからバラバラに入ってきて、日本の洋風住宅のスタイルは成立している。オモチャ箱を引っくり返したような状態はいなめないのだが、あえて二つだけスタイルを覚えるとしたら、私は、「チューダー」と「スパニッシュ」をすすめたい。戦前の日本人に好まれたらしく、数も多いし、特徴もわかりやすいからだ。(藤森)

スパニッシュというのは一見してわかる。春日野会病院(旧池長孟別邸)などでおなじみである。名前に反して、このスタイルはアメリカから伝えられたものらしい。
チューダーはイギリス様式で、その例として取り上げられてた「室屋藤七邸」こそ、須磨離宮公園の向かいにあったあの重厚な洋館だった。ヴォーリズ建築事務所の設計で、昭和9年(1934)竣工、平成19年(2007)解体となっている。残念ながら本書の写真は外側だけで、内装などは一切うかがうことができない。木と煉瓦を半分ずつ使った「ハーフチンバー」らしい。
印象的だったものを挙げておくと。

・同潤会アパートパートメント 東京都渋谷区代官山、神宮町
・東洋英和女学院本館 東京都港区六本木
・成田図書館書庫 千葉県成田市田町
・日本赤十字社本社 東京都港区芝公園
・神戸中山手カトリック教会 神戸市中央区中山手通
・国鉄国府津機関区車庫 神奈川県小田原市国府津
・阪急梅田駅 大阪市北区角田町


東洋英和学院は阿川佐和子の母校で、ヴォーリズ設計の校舎保存のため彼女が藤森に相談しに来たという経緯が書かれていた。確か阿川の本でもこのことを読んだ覚えがあった。結局解体されてしまったが、藤森がヴォーリズへ建築に物足りなさを表明しているのが興味深かった。

阿川さんから、シンポジウムの席上、どうして藤森さんはヴォーリズのよさを素直にほめられないんですかと問い詰められ、答えに給したことがあるが、表現とはそういうものだろう。良く出来ているだけでは物足りないのだ。心に深く響くには、そこに、無理というか、問いかけというか、未到の夢というか、何か実現していない質が欠かせないのだ。あるいは、まだ誰も試みていないデザインとか、試みとか、そういう先駆性でもいい。
ヴォーリズはスパニッシュにせよチューダーにせよ、教科書通りにこなしてみせた。歴史主義様式をこととした同時代の渡辺節や、長野宇平治は中條精一郎や武田五一のように、チャレンジする気迫やそれ故の欠けが、感じられないのだ。
住んだり、使ったりすると、愛着の湧くデザインの質にはちがいないのだが。(藤森)


Morris.なんか、住みやすくて、使いがってがよくて、愛着が湧けばそれでいいんじゃないのかい、と思うのだが、これは「お子ちゃま思考」なのかな?

この少し古い近い過去が問題なのである。
それらの建物を見ると懐かしさを覚える。田舎の学校の古い木造校舎を見て幼い頃の自分を思い出すのと、どこか似た感覚であるそう感じるのは、古くてもせいぜいが曾祖父さんの時代、明治以降の建物であって、けっしてそれ以前ではない。国宝の法隆寺や姫路城は誰でもが素晴らしいと感じるが、懐かしいという人はいない。そして今までは、懐かしいというと、かなり年配の人の感情と思われてきたものが、少し様子が違ってきた。最近では若い人が、少し前のことをやたら懐かしがったりするのである。(増田) 


Morris.もすでに年配の懐かしがりやということになってしまったのだろうが、若年層に、こういったちょっと古い建物への愛情が普及するというのは良いことだと思いたい。


2012071

【きみの友だち】重松清 ★★★☆☆ 十歳の時の交通事故で松葉杖無しで歩けなくなった少女恵美が、クラスで孤立してしまう中で、身体が弱くてたびたび入院を繰り返す由香と心を通じ合わせるが、由香は中学三年を終えることなく旅立ってしまう。
恵美とそのクラス仲間や、弟ブンとその仲間たちを毎回「きみ」という呼びかけで主人公にした小さな物語10編を集めて、ひとまとまりの長編小説に仕上げたもの。
最近、こういった形の作品はよく見かける。
ひと昔前の新聞小説なんか、ほとんど毎日山場を作るために、やや不自然になったり、異常に矢鱈波瀾万丈だったりしたものだが、月刊誌なら、毎回ある程度のページ数が提供されるからそれほど不自然にならずに長編だって連載できるのだろうけど、やはり読者に、毎月ひとつの物語を読み終えたという満足感を与え、なおかつ、長編好きな読者(Morris.もどちらかというとそう)にも、単行本化したときには、長編作品としてアピール出来るということなのだろう。
本書はその点、語り手(書き手)が実は、物語の終わりで登場人物全てと関わったことがわかるようになるというあたりも含めて、なかなかに「巧い」。
子ども世界での人間関係のさまざまな問題、仲間はずれ、いじめ、軋轢などをテーマに扱いながら、読み手を飽きさせないストーリーテリングも手馴れている。おしまいあたりでは、ついMorris.は涙ぐんでしまったさ(^_^;)
これは、最近図書館でもコーナー作ってる「YAコーナー」にも置いて欲しい作品だと思う。

ベッドに入ったきみは、何度も寝返りを打った。
「五」という数字が頭の片隅から離れない。小学五年生のときに仲良くなって、中学三年生が終わるまぎわに、たぶん、別れる。五年間の「五」。実際には丸五年には満たないけれど、とにかく「五」で計算する。計算したい、と思う。
いまは十五歳だから、五年間は三分の一にあたる。人生の三分の一を由香ちゃんと一緒に過ごしてきた。すごい。家族以外ではいちばん長い付き合いということになる。
でも、二十歳になって振り返ると、由香ちゃんのいた日々は四分の一になってしまう。三十歳になると六分の一。四十歳だと八分の一。五十歳だと十分の一。六十歳、七十歳……平均寿命は八十歳を越えているから。そこまで生きると、由香ちゃんのいた日々は十六分の一以下の、ほんとうにわずかな、ごく短い期間にすぎない。


中3の恵美が、無二の親友由香の死が避けられないとなった時点での感慨である。物語と直接関係ないのだが、Morris.もずいぶん前によく似たことを考えてたことを思い出した。
三十過ぎた頃だと思う。何となく一日一日が過ぎるのが速くなりつつあるという感じがして、理由をでっちあげてみた。それは年令によって「人生(今日まで生きてきた日々)」における「一日」の占めるパーセンテージが違うということだ。
新生児にとって生まれた一日はまるまる人生の100%、それが生後100日目の嬰児にとっては10%、三歳児は1%以下、当時のMorris.だと0.1%以下ということになる。六十をとうに越えた現在なら、ざっと0.04%ぢゃ(^_^;) あっという間に毎日が過ぎていくわけだ。
まあ十五歳の子が考えるくらいのことだから、Morris.が一人で思いついたとしても、特別な発想でもないのだろうが、この時間の捉え方は何となくずっとMorris.の中に根付いているような気がする。

恵美のことばをいくつか引いておく。

「わたしは、一緒にいなくても淋しくない相手のこと、友だちって思うけど」

「わたしは『みんな』って嫌いだから。『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対に」

「あのね、うつむいてから顔を上げるでしょ、その瞬間って、結構笑顔になってるの。なにも考えずにパッと顔を上げたとき、ほんとに、笑顔が浮かんでるわけ」
うつむくと自然に息苦しくなって、顔を上げたときに空気を胸に送り込もうとする。そのときに少しでも多くの息を吸うために頬がゆるみ、笑顔になる。
「だから、笑いたいときには、うつむけばいいわけ。自分の影を相手にして、かげふみしてればいいんだよ。そのうちに息が苦しくなって、顔をあげたくなるから」


2012070

【ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ】金井美恵子 ★★★★まず、腰巻の惹句を引いておこう。

物語(テールズ)とドレスと映画と記憶と夢に祝福された言葉の宇宙
そして、至福の小説がはじまる
"読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)"に満ちた前代未聞の小説!
五年ぶりの長編小説


リキ入りまくりぢゃあっ(^_^;) それにしても「"読む快楽(よろこび)・書く快楽(おののき)"」というのはかっこ良すぎると思ったら、これはあとがきのタイトルだった。とりあえず5年ぶりの長編小説となると読まないわけにはいかない。
最近は、金井といえば毒舌と下世話な(失礼)目白シリーズ作品やエッセイが人気を博しているようだが、本作は彼女のもうひとつの主題である小説のための小説(メタ小説)的な要素が色濃く出ているようで、Morris.は読み通すのにえらく時間がかかってしまった。読みづらいとか、ではなくて、何か一気に読むことを拒絶する何かがあって、結局読み始めてから読了するまでに1ヶ月半くらい過ぎてしまった。そして、それがこの本を読むのには相応しかったような気がする。
タイトルは、「ケーキの一切れ(楽々と出来ることという意味を併せ持つ)」+「書き直し(ホーソンの短編酒のタイトル)」で、「本書は意味的には「楽々と出来る語り直し」という、あざといタイトルを持っています」とあとがきにある。
21の掌篇から成り、それぞれが微妙に絡まり合いながら、変奏を繰り返し、それらが収斂するのではなく、きめ細かく紡がれた織物のように広がりをもった豊穣な物語世界として定着されている。そのことは以下の一節からも読み取れる。

ほとんどの物語のなかで語られることに決っている試練や冒険や戦い--冒険だらけの7つの航海や、髪の毛が蛇で出来ている女の怪物、迷宮の奥にひそんでいる半牛半人の怪物、嵐や、巨人や、人喰い鬼、人喰い人種や、野蛮な土人やライオンや奴隷商人や人買いや海賊や悪い王様の軍隊といったもの、解けなければ殺される謎々や、人間を動物に変えてしまう魔女や、難破、漂流、無人島での孤独な生活、ポルトガルやチリでの大地震、理不尽な迫害、宗教裁判、モーロ人の囚われ人、夜襲、累々と横たわる屍体、流される血と英雄的行為、仲間の裏切りと裏切り者のむごたらしい死、中世の城での、あるいは西部の町や牧場での血糖、悪者から逃れて隠れひそむ洞穴、湿った洞穴の中のサソリや毒蛇や毒グモ、悪賢しこく残忍な敵、囚われの美女と誘惑する美しい魔女、法師を守って旅する猿、美しい少女に変装する美少年と美少年に変装する美しい少女、忠実な馬と忠実な犬の助けと、その崇高な死、脱出と逃走、そして故郷への帰還--のいっさいがないままに、アキノスケはトコヨの国の王に命じられて島の総督となって二十三年間島をおさめるのだが、賢明で忠実な補佐役の部下がいるので仕事は少しも難しくなく、島は健康によいおだやかな気候と豊かに肥えた地味に恵まれ、住民はひどく善良でささいな犯罪をおかす者とてなく、悲しみや嘆きや怒りの小さな影のさすこともないのだ。美しい島の華美な宮殿の前の広場には緑色のすべすべした輝く石で見事に彫られた龍王が人工の池の中央にある島にいて口から水を噴き出し(王国の繁栄を保証しているように)、総督夫妻には七人の子供が次々と生まれ、子供たちはみんな丈夫ですくすくと育ち、さまざまな楽しい小さな出来事が積み重なるばかり、と、私はつぎはぎ細工の布を集めて縫うように語る。心地良い退屈さ。

ありとある物語のさまざまな要素を、玩具箱をひっくり返すように展示しながら、「心地良い、退屈さ」で覆ってしまう、これが金井流の「洒落」なのかもしれない。

田舎町の雑貨店の娘は、町に立ち寄った美男の実業家と知りあい恋に落ち、田舎者で嫉妬深い婚約者を捨て、家出同然にシンシナティの河船の上で船長のもと、二人きりで結婚式を挙げようとするのだが、婚約者に邪魔され、やっと船つき場にやって来ると、船はすでに出航した後で、船上で娘を待ちつづけていた青年実業家は、ぎりぎりになって彼女が自分への愛に賭けることをやめたのだと考え深い傷心のままニューヨークへと向い、やがて娘も青年を忘られぬままニューヨークへ出て、お針子として苦労し、もともと才能があったせいでファッション・デザイナーとして成功するのだが、五年後、娘はすでに結婚して妻子のある実業家と出あい、初めて出会った時よりもさらに激しく深くお互いが愛しあっていることを知り、ヒロイン(アイリーン・ダンのもマーガレット・サラヴァンのも、スーザン・ヘイワードのも見たけれど、もちろん、アイリーン・ダンが一番いいと伯母は言う)は、日の当る表通りの正式な夫人としてではなく、裏街の愛人として彼を愛しつづける決心をするのだったが、大きな底知れぬ深い水のような眼を持った美しい若い不幸な娘や女たちの話は、布の上を滑るように走る針の銀色の瞬くような輝きと共に語られる。

これはアメリカ映画「裏町 Back Street」への言及である。といっても、ネットで調べてわかったことだ。女優の名前で検索すれば何のことはなかった(^_^;) 古い順に並べると

アイリーン・ダン版(1932) 監督 ジョン・M・スタール 脚色 グラディス・レーマン 台詞 リン・スターリング
マーガレット・サラヴァン版(1941)監督 ロバート・スティーヴンソン 脚色 ブルース・マニング フェリックス・ジャクソン
スーザン・ヘイワード版(1961) 監督 デイヴィッド・ミラー 脚本 エリノア・グリフィン ウィリアム・ルドウィグ


で、原作はすべてファニー・ハースト。美恵子さんは、名うての映画通であるし、こうやって名指しするくらいだから、当然すべて観てるはずだ。
Morris.は作品名すらしらなかったのだが、それぞれのあらすじを見比べたら、それぞれかなりのバリエーションが施されているようだった。つまり「書き直し」の見本例としてぴったりの映画だったのだろう。いやこのプロット自体が本書のプロットに重なっている、ひょっとすると本書そのものがこの映画のバリエーションでもあるということなのかもしれない。彼女にしてみれば自家薬籠中の小道具といった感じなのだろう。

中国料理のメニューでは、萌やしは銀芽と書くのだと母は言い、あんたのパパはそれを銀の牙だって読み間違えたまま思い込んで、中国人の言葉の感性にひどく感激していたものだった、シートンの白い牙より凄い大きな犬が出てきそうじゃないか、って言って、と笑う。
薄茶色のごしゃごしゃした糸クズのような根と頭のさきについている双葉になりそこなった豆の皮のカスがついたままでは、萌やしなんて、咽喉や奥歯に糸クズみたいに伸びた根がひっからまるだけのいやな臭いのする下司で貧乏くさい食物だけれど、それをきれいに取り除けば、つやつやと輝く銀の芽という言葉で賞賛される料理になるのだと、根も頭も一度だって取ったことのないあんたのパパはいつも言っていた


もやしのことを「萌やし」と書くことも知らなかった(>_<) Morris.はけっこうもやし好きで良く使うのだが、根と葉を取ることはまず無い。もやし料理では韓国のコンナムルクッパ(もやし雑炊)が一番好きだ。「シートンの白い牙」にはちょっとひっかかった。「白い牙」といえばジャック・ロンドンではないのか、まあ、これは父の言葉だから、彼がそう思い込んでたということでよしとしよう。

洋裁室から聞えて来るミシンの回転する音で、どんな布地(きれ)を縫っているのかわかる。薄い夏物の木綿を真っすぐ縫っている時は、水道の蛇口をいっぱいにひねって流れ出した水が流しに弾ね返って排水口に吸い込まれて行くような音をたてるし、薄い木綿でも袖付けや襟といった曲線や小さな尖った角のある所を縫っている時には、布地をゆっくり手で針の下に送り込むからミシンはトントンと小刻みにゆっくり回転するし、もっと厚い布地が重なっているのを縫うときには、ミシンはふとざおの三味線がじょうるりの節のように、テテデン、テテデン、テテデン、と鳴り、薄い布地の尖った衿先にミシンの針を落しているときには、「おんなていきん」の「せいろくの三味線」ほどではないけれど、最後の縫いどまりで針を上げると、ツトンツトンツトンツトン、ジャン、という音をミシンがたてるのだけれど、お前さんの小っちゃな爪をハサミでつまむ時は、小指からチンツン、チンツン、人差指の爪はすこし大きいから、ハサミをテンと入れてテンツン、親指はもっと大きくて爪も他の指より固いから、テンテン、ト、ジャンでしめることになるので、これは「きよもと」と、祖母は言い、

ミシンの縫い音を三味線に例えるというのも結構面白いが、その擬音表現もなかなかに懇切で笑わせてくれる。ここらあたりは谷崎の影響があるのかもしれない。

この今わたしが見ている月は、はじめて見る月であり、同時にこれを見るのは今が最後なのだ、という考えが浮んだ。それから、そう考えてこの今の瞬間が、他の多くのことと同じように忘れ去られてしまうだろうと考えて無性に悲しくなった。それとも、いつかこの今の瞬間、今こうして見ている月と、この道と、風と、こうして今わたしの感じているすべての感覚を思い出すことがあるだろうか。この今の瞬間から、瞬間ごとに遠ざかっているのだという思いが私を苦しめた。時間というものが止ることなく流れつづけて、すべてのことを取り返しようもなく過去のものにしてしまうという思いが、歩く足の一歩一歩を重くした。

月と時間で、つい稲垣足穂を連想したのだが、まるで違ってた(>_<) この部分はこの作品の「肝」かもしれないし、瑕瑾かもしれないな。

「艶のある毛足の長い柔らかな黒い毛皮が取り巻いている白い首筋は、なめらかな円柱の形をしていて、床屋でうぶ毛をあたってもらったばかりらしく、鋭く薄い剃刀の刃できれいな二つのくさび形に整えられた襟足は、そこに舌の先で軽く触れると、微かな金属の味がしたかもしれない。ひんやりと冷たく、舌の先きのざらざら荒れた味蕾の粒の一つ一つに、ひんやりと冷たく微かなヒリヒリする苦味のある金属の味がひろがり、なめらかな首筋の皮膚はくすぐったがるように少しばかりふるえて小波のような興奮ののために小さく泡立ち、彼女は艶やかな光沢の柔らかな黒い毛皮のなかに顎を埋めるようにうつむくので皮膚の表面が粒立った頚椎を浮びあがらせて水平になり、左腕に持っていた柔らかなキッド革の四角いハンドバッグを右腕に持ちかえ、手袋をはめていない手で、厚手のかたく粗いツウィード地のコートの袖をつかむ。

バロッキー&トリビアリズミックな解剖的記述。そして、美しい。画面全体にピントの合った(合いすぎた)写真を見せられているような気になる。もちろんモノクロね。
本書の表紙と扉に使われているのもモノクロ写真で、これは岡上淑子が1950年代にこしらえたフォトコラージュである。エルンストを知らずに、エルンスト風のコラージュを日本の若い女性がやってたというのも驚きだが、その質の高さ(美しさと深さ)には圧倒されるばかりだ。Morris.は表紙より扉のロングドレスの貴婦人が右手に人の手らしきものたちをさり気なく抱えている作品が一押し。今ならコンピュー上でコラージュなんか簡単にできそうだし、縮小も変形も自由自在だからいくらでも完璧に近づけそうだが、やはり鋏と糊での手作業というのが、作品にリアル感を与えているようだ。

不摂生をすれば覿面、熱が出ることはわかっているのに夜ふかしをして本を読んだりするからだ、そもそも、「絶対」は付かないまでも「安静」というのは本なんか読まずに(本を読むのは頭だけではなく、体中の細胞を使うことなのだ、と母親は主張する)休んでいることなのだから、じっとしているのが退屈だって我慢しなければしかたがないのだ、と母と伯母が言い、それに、「安静」にしている時は「想像力」をつかえばいいのだし、「本」のなかに登場する人物のほとんどは「本」を読んで「学問」というより「想像力」を培うというかやしなうのだけれど、それは本人にとって必ずしもいい事ばかりではなくて、滑稽なことの方が多いかもしれないし、時にはそれだけではなく不幸のもとになるかもしれない「想像力」と伯母は言って笑う。

いかにも金井らしい読書論である。目と頭だけでなく全細胞を使って本を読む。そりゃあ、疲れるわな。でもそれが出来ない輩は美恵子さんに読者として認めてもらえないにちがいない。

<わたし>か、あるいは、誰かの舌が--柔らかく粒立っている--<わたし>か、あるいは誰かの貝殻骨の窪みに溜った汗を舐め取り、複数の夢の水となって、汗と唾液がまじりあい、身体の内部から分泌する液体と精液がまりじあう。そして、無数の誰でもない者となる。

これが最終節である。ああ、この作品は「形而上下諸刃の剣」的ポルノグラフィだったのか、と思い当たった。


2012069

【マリアビートル】伊坂幸太郎 ★★★☆ 東北新幹線の中で繰り広げられる、殺し屋、裏稼業連中ドタバタ殺人劇。ロードムービー仕立てというのかもしれない。「グラスホッパー」という作品(Morris.は未読)の後日譚みたいなものらしい。
蜜柑と檸檬という二人組の殺し屋、不運の星の下に生まれた七尾、中学生なのに病的に知恵の働く王子。
Morris.はこの王子の出てくる場面ばかりが印象に残った。

「担任教師の名前や個性とかはどうでもいい。個人的な信念や使命感だって、みんな似たり寄ったりだ。人の個性や考え方なんて、なんだかんだ言っても、結局はいくつかのパターンもだいたい決まっている。教師も結局は、こうすればこう動く、こうやって接すればこう反応する、って、チャート式みたいなものだから、メカニカルに動く装置と同じだ。装置に固有名詞なんていらない」
あまりに無邪気に、自分のことを味方だと信じている教師が哀れに思え、一度、ヒントを与えたことがあった。読書感想文の提出の際、読んだばかりの、ルワンダの虐殺に関する本について書いた時だ。王子は小説よりも、世界情勢について書かれた本や歴史についての資料を読むほうが好きだった。小学生がそのような本を読むことが、教師には信じがたいらしく、尊敬の念すら浮かべて、早熟ねえ、と感心していた。おそらく、と王子は思う。自分に何か特別な才能があるとすれば、それは、本を読解する力に秀でていたことだろう。本を読み、内容を噛み砕くことで、語彙が増え、知識が増え、いっそう、読解力が増した。本を読むことは、人の感情や抽象的な概念を言語化する力に繋がり、複雑な、客観的な思考を可能にした。
どうして虐殺のような出来事が起きるのか、王子には簡単に理解できた。人間は、物事を直感で判断するからだ。しかも、その直感は、周囲の人間たちから大きな影響を受ける。
人間は同調する生き物なのだ。
それを踏まえれば、虐殺が止まらないどころか、推進されていくメカニズムも理解できた。彼らは、自分の判断ではなく、普段の判断こそが正しい、と信じ、それに従っていたに違いなかった。

「大事なのは、『信じさせる側』に自分が回ることなんだ」王子は言いながら、こんなことを説明しても、木村には永遠に理解は出来ないだろうな、と思った。「それに、国を動かしているのは政治家じゃないよ。政治家以外の力、官僚や企業の代表とかね、そういう人たちの思惑が社会を動かしてるんだ。ただ、そういう人たちはテレビに出てこない。普通の人たちは、テレビや新聞に出てくる政治家の顔や態度しか目にしない。後ろにいる人たちにとってはつごうがいいんだ」

「殺人を許したら、国家がこまるんだよ」
「国家、ですか」王子は、抽象的な話に移りそうな予感で、顔をしかめる・
「たとえば、自分は明日、誰かに殺されるかもしれない、となったら、人間は経済活動に従事できない。そもそも、所有権を保護しなくては経済は成り立たないんだ。そうだろう? 自分で買ったものが自分の物と保証されないんだったら、誰もお金を使わない。そもそもお金だって、自分の物と言えなくなってしまう。そして、『命』は自分の所有しているもっとも重要な物だ。そう考えれば、まずは、命を保護しなくては、少なくとも命を保護するふりをしなくては、経済活動が止まってしまうんだ。だからね。国家が禁止事項を作ったんだよ。殺人禁止のルールは、そのひとつだ、重要なものの一つ。そう考えれば、戦争と死刑が許される理由も簡単だ。それは国家の都合で、行われるものだからだよ。国家が、問題なし、と認めたものだけが許される。そこに倫理は関係ない」


伊坂作品にはこれでもかといったくらいのひねりが詰め込まれているが、この王子のようなとことん厭なキャラクタまでつっこむのは、勘弁してもらいたいと思うMorris.である。でも、前作「グラスホッパー」も読むんだろうな(^_^;)


2012068

【失われた近代建築 1.都市施設編】写真:増田彰久 文:藤森照信 ★★★★明治から昭和初期の西洋建築を撮り続けて来た増田彰久の写真に建築探偵藤森が解説つけたもので、25X26cmの変形版150p、1.都市施設編としてオフィスビル17件、金融22件、官公庁13件の計52件。付録にその他の失われた名建築148件もサムネイル風に紹介されている。
本書に掲載されているものはすべて、もうこの世から無くなっているわけだから、この写真集などで見るしかない。しかし、もし現存していて、その建物にまみえたとしても、この写真ほどに見ることは難しいだろう。そのくらいの写真が揃っている。それでも、あとがきの最後に置かれた写真家の言葉は、

建築は現存していないとダメである。取り壊されると記憶からも消え去ることになる。

確かにそうなんだよな。取り壊すのは簡単(簡単ではないか)だけど、一度取り壊されたものは永遠に無くなってしまう。
藤森の解説もコラムみたいな短いものだが、さすがに寸鉄人を刺す要所を抑えた文章である。
取り上げられた建物の半分以上は東京のものだが、一番印象的だったのが神戸の「三井銀行神戸支店」というのは、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちにさせられた。
解説の藤森は「忘れられない建物である」と書き出している。少し引いておこう。

一歩近づくとエンタシスの柱がグイとふくらみ、二歩近づくとググイ、柱は歩数に合わせてふくらみ、一方、イオニア式の渦巻きはその分、ふくらんだ柱の上端を締めつける。まるで石の柱が、生きもののように見えた。
以降、まるでつきものでも落ちたように、西洋館のスタイルが、鮮やかに目に映るようになる。この建物が私の目を開いてくれた。
設計者は第二世代の長野宇平治。
今にして思えば、この列柱だからこそ目のウロコを落としてくれた。瀬戸内海の北木島産御影石の一本石、それも11メートルの一本石六本はこれが最初で最後の産出。
もしこれが、一本石でなければ、たとえば三菱銀行のように継いだものであったら、その味わいに気づかなかったかもしれない。もしこれが、長野宇平治でなく師の辰野金吾のデザインだったら、通り過ぎたかもしれない。
長野は、辰野の下で十六年間、日銀の仕事についた。そして、辰野のような浅い理解でヨーロッパ歴史主義に接してはいけないと思い定め、ヨーロッパから高価な原典、たとえばルネッサンス期のパラディオの原本やピラネージの原本を取り寄せ、懸命に学んだ。その懸命さが、渡辺節にくらべ細部の造形をやや濃い目の味にしているのだが、その懸命さが、濃さが忘却の時間を超えて私の目に映ったのだと思う。
なお、阪神/淡路大震災のおり、倒壊し、一本石はバラバラに割れてしまった。その味わいは今やこの写真の中にしかない。


「失われた近代建築 1.」ああ、確かにこの建物はMorris.も記憶にある。たしかに素晴らしい柱だったなあ。本書の表紙は、この石柱の基部が並んだ写真が使われている。これもまた素晴らしい。
今更、並べ立ててもしようがないのだろうが、Morris.の印象深かった建物をランダムに挙げておく。

・大阪ビルディング東京分館一号館「大ビル一号」
・シェル石油横浜事務所
・東京朝日新聞社
・心斎橋そごう百貨店
・大同生命本社ビル「大同生命ビルディング」
・大阪市庁舎
・千葉監獄(房舎)
・鹿児島監獄
・豊多摩監獄
・小菅刑務所(炊事場および工作棟)


監獄が4件も入ってる(紹介されてるすべてぢゃ(^_^;))のはご愛嬌だが、「大同生命ビルディング」は、建物ではなく内部の、マーブル造りの螺旋階段の色と曲線の美しさに心奪われてしまったのだ。大阪市西区江戸堀1-2という住所は、つい先日出会った日本基督教団大阪教会のすぐ近所ではないか。近くで見つけた小さな4階建ての雑居ビルといい、このあたりは、かなりレトロビル密集地だったらしい。
増田の写真といえば「写真な建築」の感動は今でも忘れられない。Morris.が日記で結構建物の画像を紹介するのもその影響(と言っては笑止千万だろうが)だと思う。本書の続編「2.文化施設編」はもちろん、他の二人の共作本も是非拝観(^_^;)したい。


2012067

【お父やんとオジさん】伊集院静 ★★★☆ この作家の名前はよく見かけてはいたものの、何となく手に取ることがなかった。Morris.と同世代で西原の漫画に時々出てくるので、ギャンブル好きなんだろうくらいのイメージしかなかった。
在日朝鮮人で、「ギンギラギンにさりげなく」の作詞家で、夏目雅子の夫だったというのも知らずにいた。図書館で短編を立ち読みしたことはあるかもしれないが、初めてまともに読んだのがこの600Pを超える長編である。2007年から09年「小説原題」に連載されたもので雑誌発表時は「ボクのおじさん」というタイトルだったらしい。
伊集院自身のモデル小説ということは間違い無いと思うのだが、タイトルを見ると「父と叔父」が対等のようだし、連載時のタイトルだと
叔父がメインのように思える。しかし読んでしまうと、これは完全に父がメインの物語だと思う。
序章に、東京オリンピックの随行議員として、突然現れてすぐ去っていった「おじさん」は、長男(作者がモデル)にとって、すごく立派な人物のように思われた。そのとき父とは将来の進路などでぶつかり合い、父は他所に妾を持つなど反発を覚えていたため、余計におじさんを理想化したのかもしれない。その後間もなくおじさんは早世してしまう。
全体で十一章あり、三章で朝鮮戦争の始まりになる。おじさんは北朝鮮軍に徴発され、途中で逃亡して三千浦の実家に逃げ帰るが村の人々は自分の子供が殺されたのはおじさんの密告のせいだと思い、帰ってきたら有無をいわさず殺すつもりだった。おじさんは鶏小屋の下に穴を掘って底に身を潜める。
朝鮮戦争は半島をローラーで押しつぶすように両軍が南北をズダボロに侵略しあって一進一退の泥沼化してしまう。おじさんの状況は切羽詰まってることを知らされた父さんは、弟であるおじさんを心配する母さんの願いを聞くため、偽装船を仕立てて密航しておじさんを助けようとする。結局は大変な危険をおかして、おじさんをソウルに連れていき何とか韓国軍に入隊させ、単身帰国する。8章から11章まではこの命がけの救出作戦に割かれている。
おじさんはほとんど一方的に父さんに助けられるばかり。それなのに、青臭い理想主義で父さんに反論したりもする。

「君はどうして私が日本に渡ったのかと訊きましたね。それは簡単な理由ですよ。……生きるためです。それ以外の理由は何もありません。君の父上も、あの塩田の組仲間の人も皆同じはずです。生きるために新しい世界が必要だったからです」
「人間は生き手入れはそれでいいんですか。そこに希望がなくてもですか」
「私はそう信じています。生きていれば希望は見つかるものだと信じています」
「他所者と虐げられてもですか」
「吾郎君、別に他所者でなくとも人間は弱い者を虐げるものですよ。強く生きていればそんなことは平気なはずです」
「義兄さんは強い人ですね」
「強いのではなく、そうなるしか生きて行けないのだと思います。男であれ女であれ、国を出て新しい土地で生きて行くにはそうならざるをえないでしょう。あなたのお父さんも若い時は皆が頼り、慕う方だったではありませんか。吾郎君にはお父さんのその血が流れています」
「…………」
今度は吾郎が黙り込んだ。


朝鮮戦争の推移や日本の(特に在日の)状況などがなかなかリアルに描かれているが、後半の父さんの活躍部分が長すぎて、ちょっとテーマが散漫になってるような気がした。その行動もあまりにご偶然と都合主義で処理されてる感が拭えない。


2012066

【空飛ぶ広報室】有川浩 ★★☆☆ 「阪急電車」の映画化ですっかり人気作家になった有川作品だが、本作は防衛庁広報室から持ちかけれられた話ことをきっかけに誕生したものとのこと(あとがき)。結果としてかなりPR色の濃い作品になっている。本当は2011年に出すはずだったのを、東日本震災による松島基地被害を書き足すため書きおろしを加えて2012年夏に出された。
不慮の事故でP免になった若い戦闘機パイロット(主人公)が広報に配属され、アンチ自衛隊の女性TVディレクタを担当する中で、世間の自衛隊の反発や無知にめげず、広報活動を通じて成長していく(^_^;)という、青春小説みたいな味付けもなされてる。変にミーハーで上に強い室長、昇格を自ら拒んで広報に生きがいを感じている指導教官、「女」の弱みをみせないためおっさん化した女性報道隊員、民間広報に出向したこともあるベテラン上官など、わかりやすいキャラも取り揃えて、学園ドラマみたいなところもあるし、つまりはゲームのキャラみたいな面々である。
発端主人公のP免からして、実にわかりやすい悲劇だし、テレビ局女性は筆者をモデルにしたキャラまるわかりだし、広報のテクニックは、参考資料に阿ってるところ大きいような気もした。

何の気なしの口調だったが、聞いた片山のほうは目の前で猫だましを食らったかのようだった。
それは片山が民間と自衛隊の風土の違いにもがきながら一年過ごして、ようやく理解した真理だった。それも漠然と体感したに過ぎず、まだ明確には言語化されていない。


これは文体見本としてあげたのだが、全体に有川作品は、こういったいかにも物のわかったような上から口ぶりが多い。Morris.はどうもここらあたりが鼻につく。登場人物は最初に提示されたキャラ通りの行動をとることが決められているようだし、ストーリーは起承転結順守のステロタイプだし。
本文中「しばたたいた」はきちんと使ってるのに「規則だからと手をこまねいていることは絶対にできない」(444p)というのは確信犯かもしれないが、あくまでMorris.にとっては減点対象である(^_^;)
先日テレビのクイズ番組の解答に「手をこまねく」というボードが出たのには頭にきたが、そのくらい、「こまねく」に侵食されているということだろう。しかしMorris.は、「抜く」という動詞の複合語である「こまぬく」を「こまねく」というのは、「追い抜く」を「おいねく」、「つらぬく」を「つらねく」、「栓抜き」を「栓ねき」というのに等しい、と思うぞ。
「阪急電車」読んだ時は手放しで賞賛(あくまでエンターテインメントとして)したMorris.だが、数冊読んで、やはりその底の浅さと似非規範主義みたいなものに、嫌気がさしてきたらしい。たしかに読ませる技術に長けてることは認めざるを得ないけど。


2012065

【言い寄る】【私的生活】【苺をつぶしながら】田辺聖子 ★★★☆ これは昭和49年から67年に書かれた田辺の中期の代表的三部作らしい。イラストレターの乃梨子が、好きな男は親友に取られ、金持ちの息子と結ばれて神戸高台の豪奢なマンション暮らしをしながら結局別れてしまう。「言い寄る」が結婚前、「私的生活」が結婚生活、「苺をつぶしながら」が離婚後で、それぞれの悲喜交交を、楽しさ、面白さ優位に展開している。かなりアレンジされてはいるが、乃梨子には田辺の実生活が反映されていることは間違いない。例によって小説の筋より、寄り道みたいに書かれている、乃梨子のモノローグの部分が眼目だろう。

大阪ではツトメ人とショウバイ人とは別の人種、ということになっている。これは職業上の区別でなく、性格上の分類なのである。だから直営業の商売人でも、ほんとの商売人でない人もある。つまり性格上のツトメ人というのは、ゆうずうがきかず四角四面(スクエア)で、理屈の多い、几帳面すぎる人、ショウバイ人といわれる性格は、円転滑脱で、伸縮がきき、話がわかり、茶目っけがあり、そのくせ、いつのまにか言い分を通すというような、老巧なかけひきの人間関係を得意とする、そんな感じのものである。

大阪生まれということもあって、骨の髄からの大阪人らしく、こんな人種論(^_^;)にもそれがよく現れていると思う。そしてやっぱりショウバイ人贔屓ということも。

このハワイアン音楽という「土人の音楽」は、野性の中のもっともいいものが凝縮されてると思う。首狩り、襲撃、だましうちなどの歌が「土人の音楽」にはつきものなのに、これは心をそそのかす。武装解除の歌である。
飽食した人間の歌である。
その音色や旋律には、人の心を放恣に流れとろけさせてしまう、抗いがたい力がある。
これは目をつぶって玩味して聞く音楽ではない。
目を開けていて、そのくせ、何も見ていないとき、何かほかのことを考えるそぞろ心で聞くとき、最高に打ってつけの美しい音楽である。(言い寄る)


ハワイアン=土人というのも時代を感じさせるが、ハワイアン音楽を武装解除の歌というのは何となく実感されるが、Morris.のハワイアン音楽の知識といえば、日本のアロハハワイアンズとか、マヒナスターズ(^_^;)くらいである。田辺が聴いてるのも、同じようなものだったろう。好きになった男がギターで参加してるハワイアンバンドという設定だしね。

そうして美人でもなかったが、でも魅力のあるのは自分で知っていた(そんなこと知っていない女の子がいるかしら!)。でもなぜか、私は、私の魅力をみとめる男をバカにする傾向があった。私の魅力ををみとめてくれるのだから、だいじにしてやればいいのに、(フフン、この阿呆が)という調子で見くだしてしまう。

この部分は何となく、人ごとではないような気になってしまった。ずいぶん以前のことだがMorris.も自分の良さを認めてくれる人を馬鹿にとまでは言わずとも軽視する傾向があったと反省しきりである。もったいないことをしたもんだ。

昔、寝たことがあるというだけで、なれなれしくするような男は屑である。與謝野晶子の歌にも、「男きて狎れがほに寄る日を思ひ恋することはものうくなりぬ」というのがある。

「僕は六甲が好きですね。この山は陰気くさくないから。たいてい、日本の山はお墓とか神社とか会って、なんとか上人がひらいたりして、神々しかったり、陰気だったりするけど、ここは外人がみつけて開いたから、日本はじめてのゴルフ場とかね、ハイキングコースとか、どだい、あっけらかんとして陽気でええですな」(私的生活)

これは乃梨子の言ではないが、六甲が好きという発言には、悪い気がしないということで引いてしまった。

私、この前、新聞で、最近のブリジット・バルドーのインタビューを読んでいたら、とてもドキンとして、まるで私のことをいっているような文句にぶつかっちゃった。
「人生で一番美しいもの、それは人生だわ。本当に人生なのよ。それを自覚する必要があるんだわ。人生はいろんなことに役立ってる、とりわけ、生きているということに気がつくのに役だっているんだわ。
私は、毎朝目が覚めると、生まれ変っているの。一日だって同じような日はないわ。もしそうでなかったら、私は生きていないだろうし、機械みたいな存在にすぎない。私の毎日は、私に吹いてくる風のようなものなんだわ」(苺をつぶしながら)


BB(べべ)といって、分かる人は若くはないだろう。バルドーといえば、フランスのセックスシンボル的女優で、熱心な動物愛護運動家ということで有名だが、田辺はよほど彼女の言葉が気に入ってるらしく、あちこちで引用している。上の内容なんか、フランス人大多数の考えのようにも思えるのだが、田辺が共感することで、その読者もそんな気にさせられるのかもしれない。


2012064

【ROCK'NROLL SWINDLE】嶽本野ばら ★★★ 「正しいパンク・バンドの作り方」というのが副題。

この物語は基本的にノンフィクションです。しかし、面白くするためにデフォルメをしたり、小説としての都合上、フィクションも多少、混ざっています。

あとがき、というより、但し書きみたいなところに書かれていたが、要するに自分自身をモデルにした一種の私小説と言えなくもない(^_^;)
ふと思いついてパンクバンド結成して、ギターとヴォーカルをやることに決めた野ばらが、知りあいのミュージシャン数名を集めて、全く弾いたこともないギター買って、個人レッスン受けるなどおちゃらけ気味かつ真剣にバンドにハマる過程の描写が続く。

そもそも僕は歌が上手くありません。というか、見事に音痴です。音域も広くないです。リズム感も人並みだと思います。ですが、それらはヴォイストレーニングを受ければ直せるものであるし、経験次第で矯正可能です。ヴォーカリストとして不利だとしても、大きな問題ではないのです。されど、声質だけは骨格や喉や鼻など器官の構造が複合的に絡み合った結果に因る産物なので、根本的に改造するが適いません。ビブラートを掛けるくらいは訓練で出来ますが、それで強烈に際立った声にするには、やはり元来の声質がずばぬけたものでなくてはならない。いいポン酢を使えば、安いお肉でも美味しく食べられるけれど、その味には限界があり、いいお肉でこそいいポン酢の魅力を最大限に引き出せるのと同じ道理です。優れたヴォーカリストの声は、人の鼓膜を不思議な振動で揺らし、脳内でとびきりの麻薬物質を製造します。そんな声をもったヴォーカリストは非常に稀なのですが、本来、フロントでヴォーカルをとるからには、そこまでの特殊な声を持っていなければならないのです。ブルースをハスキーに歌う為の声が欲しく、わざと大酒を飲み、喉を潰す努力したというシンガーが、よくいるではないですか。されど、つまらない声は、どうやったたってつまらない。

このヴォーカルに関する記述には、Morris.も大いに共感を覚えてしまった。ちょっと悲しいけど、そうなんだよなあ。ポン酢と肉との比較は上手いと思う。

センスがあることと才能、資質があることとは、違う。センスがなくたって、才能や資質を持ち合わせていれば、音楽や文芸に限らず、クリエイターとして素晴らしい作品がアウトプット出来ます。例えば、不世出の歌声を持つディーバと呼ばれしBjork。セルフプロデュースとはいえ彼女の『Post』や『Hmogenic』はテクノの大御所、LFOのマーク・ベルの協力なくして独特の妖しい浮遊感がデなかっただろうし、『Vespertine』もやはり、ディープ・ハウスの奇才、マシュー・ハーバートのプログラミングがあってこそ、Bjorkの世界観を活かすことが可能だったのです。ですからいくらその声が唯一無二のものであるとはいえ、自分の声のみで作ってみようと、つい、調子に乗ってしまい、冒険を企てた『Medulla』はビミョー、それ以降、彼女のアルバムはどんどんと、差し障りのないものになっています。

ここらあたりも、野ばらの言うことはよくわかる。しかし、結局は決め付けだよな。Morris.は音楽は、基本的に「好み」至上主義(当たり前か)である。

急ごしらえでどうにか、この段階までたどり着いたことよなぁ。少し早い感傷に浸ってしまいましたが、あら、何と、次のリハは中止、DRAWERSは活動の停滞を余儀なくされてしまいました。
はい……。僕が……。こともあろうに、大麻不法所持。逮捕されたが原因でした。


わははははは(^_^)/ そういえばそんな事件があったよな。ある意味、この事件への弁明というか、開き直りというか、そういった意味合いも本書には込められているのかもしれない。
本書には、件のバンドのファーストライブを録画したDVDが付録についてた。いちおう視聴してみたけど、内容には触れないことにしておく。


2012063

【蛍川】宮本輝 ★★★ 芥川賞の「蛍川」と、太宰賞の「泥の河」のニ作が併載されている。これに「道頓堀川」を加えて「川の三部作」とされているらしく、ちくま文庫にはこの三作が収録されてたがMorris.は、二作だけで半分の厚さしか無い角川文庫版を借りてきた。どうもMorris.はこの作家にはあまり食指が動かなかったのだ。
先日下の古本屋で店主とお客さんが宮本輝の話ししてて、「泥の河」が好きだということで盛り上がってたので、Morris.もこの作品は読んでみようかと思ったのだった(^_^;)
どちらも1977年(昭和52)「文芸展望」に発表。宮本は30歳で、この2作がデビュー作ということになるようだから、作家としての出発はそれほど早くも遅くもないのだろう。

「泥の河」は、大阪の堂島川と土佐堀川が合わさる安治川に、橋が三つ架かった場所、藁や板切れや、腐った果実が浮いているその川の岸で食堂をいとなむ家の少年と家族。さらにその川にうかんだ舟で軀をひさぐ母のもとでくらす姉弟の交友を通じて、子供の眼にうつる大人たちの世界と、泥々した川の風物と異臭をつたえて、気味の悪い芸を見せる作品である。

「蛍川」は、「雪」「桜」「蛍」の三章に分れているが、同一主人公の少年の眼にうつった大人の世界である。舞台は大阪ではなく、日本海辺の富山市である。少年は中学三年生である。ここでも級友たちとの交友が描かれるが、思春期の生ぐさい感じがよく出ていて、とりわけ父重竜の死後、年も下だった母千代が、北陸の鼠いろの空の下でけだるくくらす風姿が、作者の眼のゆきとどいた描写で、どきっとするほどとらえられて生々しい。


以上は文庫版の水上勉の解説からの引用である(^_^;) 褒めてるのかけなしてるのかよくわからないが、そのあとの方でも「宮本輝の描く世界は奇妙な暗い一幅の絵だ」と書いてる。
Morris.はそれほどの暗さは感じず、登場人物たちの「もどかしさ」に「歯がゆさ」を感じてしまった。感性のちがいなのかもしれないし、Morris.の読解力不足なのかもしれないが、やっぱり敬遠したい作家ということになるのだろう。
前作では巨大なお化け鯉、後作では膨大な蛍の群が物語を象徴するものとして登場する。どちらもエロチックなのだが、このエロチシズムもMorris.の好みとは違うなあ(^_^;)


2012062

【シブイ】開高健 ★★☆80年代後半に発行された「バッカス」という雑誌に掲載された酒や遊びのエッセイで、単行本は90年5月に出ている。開高は89年12月に亡くなってるからこれは遺作というか、没後、他社の手によって出されたもののようだ。。
開高の食い物のエッセイは「最後の晩餐」に代表されるだろうが、なかなかに豪快で面白いのだが、本書は何となく書き捨てみたいな感じが否めなかった。露悪趣味も鼻につくし、ホラ話も、どこか臭みがある。発表媒体に阿ったのか、文章自体が安っぽくなってしまっている。
実は、これ先日読んだ長友啓典の装幀の本でベタボメしてあったのを、図書館で見かけてつい借りてきたのだが失敗だった。表紙に中川一政の魚の絵、本文カットと装幀は黒田征太郎だが、どちらもMorris.にはピンとこない。

砂絵というものがあった。サラサラの砂を色で染めたのが分けて置いてあり、それを手でつかんで板やら盆の上にサラサラーッと落としていく。それで白い海岸に青い松林とか、富士山とか、いろいろ描き出すんである。そしてパッとふるうとすべてが消えてしまう。そのときに、「あると思うのも夢、幻、ないと思うのも夢、幻」というふうなことをブツブツ口上を述べながらやる。これははなはだエレガントであった。これもどこかえ消えてしまった。(大道無門)

砂絵は全世界的に行われているらしいが、ネパール・チベットの砂絵マンダラが印象深い。精密なマンダラを砂で描き、これを一瞬のうちに消滅させるところが、何ともいえない。砂時計にしろ細かい砂粒というものには無限を感じさせる何かが宿っているような気がする。

・砂一顆内部に孕む微小宇宙核心で病む一輪の薔薇 歌集『薔薇祭』


2012061

【チュウは忠臣蔵のチュ】田中啓文 ★★☆☆ このタイトルはブラッドベリの傑作短篇集「ウは宇宙船のウ(R is for Rocket)、スはスペースのス(S is for Space)」のパロディである。
内容は星の数ほどある忠臣蔵外伝、それも多分にスラプスチックなコメディで、連続講談形式にしたところが、味噌なのだろうが、いまいちだった。
フリージャズサックス奏者を主人公にしたシリーズが面白かったので続編借りようと思ったのが、貸出中で、他の本をパラパラと見たら、ひとつはスプラッタでMorris.の趣味とはほど遠かったので、こちらにしたのだが、期待はずれである。
内蔵助を戯画化して、水戸黄門やら、芭蕉まで引っ張りだしたり、死んだはずの多数が生きていたとはお富さん、みたいな、けれんも、上滑りしてるようだ。
他に落語家を主人公とした連作もあるなど、そちら方面の趣味も広そうだが、先のジャズメン連作にとどめておこう。
アシモフ名作のタイトルをパロった「銀河帝国の弘法も筆の誤り」というのも、こうなるとあまり期待できそうにないな(^_^;)


2012060

【写真がもっと好きになる。 写真を撮る編。】菅原一剛 ★★★★ 写真家である作者が、16人の敬愛する写真家を紹介したもので、A5版より小ぶりながら、写真印刷が綺麗で、見開きや全ページいっぱいサイズで掲載された作品のいくつかには魅了されてしまった。上の評点の★の数はヴィジュアル点に多くを負っている。とは言え、本文も、情緒に流れすぎの感はあるものの小洒落ているし、実作家ならではの鋭い視点からの評釈も多い。写真家ごとに2、3冊の写真集や解説書などの資料をピックアプするなど、サービス精神にもあふれている。

紹介された16人のラインアップ。人名・見出し・Morris.の好み度(Aから5段階)の順。

1.ロバート・キャパ人間を好きになること、そして、それを相手に伝えること。B
2.アンリ・カルティエ=ブレッソン 生涯追い続けた、"ピクチャー・ストーリー"。 A
3.ダイアン・アーバス これ程に真っ直ぐな写真って、あるだろうか。 B
4.ウイリアム・エグルストン エグルストンの写真は"大切な普通で満ちている"。 C
5.ウジェーヌ・アジュ アジュの撮るパリの写真の中には、きっと、たくさんの思いが詰まっている。 A
6.マヌエル・アルバレス・ブラーヴォ 南米独特のあたたかい光と、そこに写し出されたあたたかい人柄。 C
7.フェリックス・ナダール 誰にでも、その人の中に風景がある。 A
8.土門拳 時間をかけて見る。 時間をかけて考える。 時間をかけて感じる。 B
9.田淵行男 山を遠ざかって山を眺める季節。 山を離れて山を想う季節。 B
10.アルフレッド・スティーグリッツ 原題写真の父が遺した、妻の写真と、空の写真。 A
11.エドワード・ウェストン すべてのものごとはつながっている。 そのことを教えてくれる"もっとも写真的な写真"。 B
12.岩宮武二 知的な眼差しで写し出された、"日本の美学"。B
13.ロバート・メイプルソープ 光と闇の間にさまよう美意識。 A
14.ヨゼフ・スデク "日常"を静かに見続けた、プラハの詩人。 A
15.小島一郎 北国の風景の中にある、あたたかなモノクロームの世界。B
16.ロバート・フランク 進化を続けるフォトグラファーズ・フォトグラファー。B


いやいや、この16人はすべて超Aクラスの写真家であり、作品の質の高さは承知の上であくまで個人的な好みでのランクである。
1/3くらいは初めて知る作家だったが、14.ヨゼフ・スデク作品は機会があればじっくり見たくなった。
実は、この本は「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツから生まれた、いわゆるネット本らしい。
該当サイトではまず、50回にわたって写真の楽しみ方ワークショップがあり、その後本書の元となった「写真を観る編」が逐次アップされてらしい。そのうち10回分はまだ見ることが出来る。
筆者は大阪芸大で岩宮武二に師事したとのことだが、ネットでいくつかの作品を見た限りでは、6.マヌエル・アルバレス・フラーヴォの写真に共通点を感じた。


2012059

【ことわざの論理】外山滋彦 ★★★☆☆ 外山は日本語論や俳句論など多くの著作があり、Morris.は「古典論」というのが印象に残っている。
本書は人口に膾炙したことわざをネタにして、筆に任せて気楽に書いたエッセイみたいなものだが、やっぱり面白かった。昭和54年(1979)発行だから、現在の世相とはかなり乖離した部分も目に付くが、2010年には新版が出てるようだ。

だれしも、自分の使っていることばが正しいと思っている。それと違ったことばづかいに出会うと、本能的に相手がけしからん間違いをしているように感じる。これは、個人にかぎらない。社会全体でも同じことだ。そこから、ことばによる埠頭な軽蔑ということもおこる。
ことわざは、俳句ほどではないが、省略的である。意味を使う人に委ねている。充分にはっきりしないところがある。使う側で、それを適当に補充しないといけない。言いかえると、自分に引き寄せて、すこし曲げて使うことができるようになっている。だからこそ、ことわざが日常多くの人に愛用されるのである。ある程度の拡大解釈ができる。曲解も多めに見られる。あまり厳格に意味が限定されていては、ことわざに気持ちを托すことが難しい。(情は人のためならず)

ことわざの曖昧さというか、複数の解釈を逆手にとって生き延びるしたたかさもことわざの面白さの一つだろう。作者は若者が「情けは人のためにならない」という珍解釈から、元々の意味「人に情けをかけることが、つまりは我が身のためになる」にも異議を唱えていた。

一見矛盾することばを結びつけて、一面の真理を伝えるのを修辞学でオキシモロンという。日本語では撞着語法と呼ばれる。たとえばこういうのがある。
 公然の秘密
 まけるがかち
 ありがためいわく
秘密は周知でないからこそ秘密と言える。みんなが知っていたら秘密でも何でもないはず。ところが、秘密だというから余計に好奇心をそそる。またたく間に広がってしまい、しらぬものもないが、建前はあくまで秘密となっている。そういうことがよくおこる。
オキシモロンには論理の飛躍がある。そのすき間を飛びこえられない人には、何のことを言っているのかわからないだろうし、逆に飛びこえられる人には何とも言えぬおもしろさを感じさせる。(急がばまわれ)


このオキシモロン(オクシモロンoxymoron)という言葉も、ずっと以前にこの人から教わったような気がする。ギリシャ語のoxys(鋭い、賢い)とmoron(鈍い、愚かな)の合成語で、「欠点のないのが欠点」とか「凍った炎」とか「残酷な優しさ」とか、結構Morris.好みの用法である。

桃太郎の話は決して荒唐無稽なつくりごとではないのである。
まず、川から流れてきたというのは「よそ」の部族から流れてきたということである。いずれ素性はさだかでない。
桃はモモである。人間にもモモという部分がある。モモから生まれたモモタロウというのを耳できけば、オナカから生まれたと同じことになる。
こういう解釈をすると、桃太郎伝説は、はじめのところで近親同族結婚を戒める優生学的教訓がある。そして、それだけではない。その次には、派閥の政治学を教えているのである。
サルとキジとイヌは、同じ地方にいる三つの部族。互いに仲が悪い。
そこへ桃太郎という英雄があらわれた。サルとキジとイヌにそれぞれ個別にキビダンゴを与えた。
つまり、封建体制を確立して、群雄割拠の混乱をおさめたということになる。桃太郎はサル、キジ、イヌとそれぞれ主従の関係を結ぶことによって、間接的に三部族相互間の葛藤にケリをつけた。派閥をまとめて大勢力にしたかったら、桃太郎の政治学を学ばなくてはならない。
これでいい気になっているようであれば、桃太郎はしょせん二流政治家にとどまる。いつなんどき、いまは同じ主人をいただくサル、キジ、イヌが連合して桃太郎おろしをするかしれない。いつクーデターがおこるかわからない。そんなことがあっては困る。そこで桃太郎先生は仮想敵国鬼が島を考え出した。内輪もめをしてみろ、鬼が島の鬼にやられてしまう。そうならないうちにこちらから攻撃をかけよう……。こうして内にうっせきするエネルギーを外へ向けて発散させる。あっぱれな大政治家的感覚である。これだけの器量があれば現代においてもりっぱに天下をとることができる。
まあ、ざっとこういうのが大人のための桃太郎伝説の解釈である。(娘は棚に上げ嫁は掃きだめからもらえ)


実は図書館でこの部分を立ち読みして、借りる気になったのった(^_^;) 桃太郎が腿から生まれたのなら当たり前であるし、桃を取り上げたのが婆さんで、余所者の嫁入り奨励の話というのはわかりやすい。鬼が島が仮想敵国というのもなかなかの着眼である。

七五調はこわい。かなり無理なことでも、調子がいいから、するりと頭に入ってしまいかねないからである。(話半分腹八分)

さらりと、七五調への告発するあたりも大したものである。

成功者の子孫がいつまでも栄えつづけていては社会的な不公平? である。栄えたものが亡びる。貧しいものが努力して栄達を得るが、それも束の間のことで、その孫が没落してまた元の木阿弥にしてくれる。上がったり下がったり。天下これ公平なり。(売り家と唐様で書く三代目)

西洋では一族の栄枯盛衰を水車に喩えると書いてあったが、韓国歌謡にも水車(ムルバンア)が良く出てくる。

ことわざはどうも"三"が好きらしい。注意してみると、同じ"三"がふた色に使われていることがわかる。"米糠三合持ったら養子に行くな"や"三つ児の魂百まで"では、三は"すこし"という小さい数の代表として使われている。三合でもあればとはすこしでもあればの意味である。ところが"阿呆の三杯汁"や"仏の顔も三度"では逆になる。
同じ"三"が、ときには多いことになり、ときにはまた、すくない意味になる。
古くは"三"が特別な数と感じられていたらしい。
一度だけしかないことは偶発であるかもしれない。二度同じことがおこると、オヤと思うであろうが、それでもなお、特別な意味はない。それでも、いくらかは、注意をひかれているのであろう。
 二度あることは三度ある
ということわざがあるように、三度がおこるのを予期している。そして、三度くりかえされると、それは二度より一回多いというだけではなくなる。まったく新しい意味をおびるようになる。つまり、様式として確率するのである。パターンになる。儀式的意味を担うにいたる。そうして、"三"という数がどこか神秘めいた聯想を引きずることになる。(三つ児の魂百まで)


ピタゴラスの昔から「3」という数字にはたしかに、他の数とは違ったオーラがあるような気がする。三権分立、三位一体、三角関係(^_^;)……外山はお伽話などでの「三回繰り返す」行為の重要さに言及しているが、Morris.は以前「聖プリズミスト」というタイトルの川原泉試論をものしたことがあった。

さきの戦争で多くの将兵が莞爾として死についた。無念であったであろう。平和ないまの世に、国のために命をすてた人たちのことを軽々しく口にすることは慎まなくてはならないが、死ねと教えられていなければ、死なずに捕虜になって生きた人もすくなくなかっったのではないか。ときどきそんなことを考える。
ことわざは普段着の知恵というわけだ。生活のぬくもりがある。
われわれは戦前、戦中に教育を受けた世代は学校でことわざのことを一度も習わなかった。国語の教科書にも故事は出てきたが、ことわざはない。
日本語のリズムはことわざの中に脈々として生きつづけている。それを下世話なものとしてバカにしてきた人間は本当に賢かったのであろうか。(三十六計逃げるに如かず)


「故事成語」と「ことわざ」は似て非なるものであることを再確認させてくれた。ことわざはなんたって「言葉の技」の最たるものだもんね。

第二次世界大戦が終って、戦争裁判が行われた。国際法の範囲においての裁判は当然である。これは交戦中にもすでに存在した法律にもとづくのだから不遡源の建前から見ても正当である。
じっさいにはしかし、戦勝国が集まって敗戦国をこらしめるといった性格が戦争裁判にはあった。負けた国はその不当性を難ずることができない。"力は正義"(Might is right.)である。"勝てば官軍負ければ賊"をこれほど大規模に見せてくれることはめったにあるものではない。
正義とか、法というものは、たしかに存在する。それは平時のときのこと、いざという異常時になると、超法的論理がまかり通る。"勝てば官軍……"もそれである。人間はそれを肯定し、疑うことなくそれを論理と信じるようにできている。日本人が戦争裁判について戦勝国を非難することはできない。日本が戦勝国になっていたら、同じことをしなかったという保証はないからである。
ひょっとすると、力の裏付けがなくては、正義はあり得ないのかもしれない。逆に、力があれば正義でないものまでも正義にされてしまう。それを看破していることわざは心にくいとも言える。(勝てば官軍 負ければ賊)


東京裁判についてこれは実に的を射た寸評といえる。力がなければ正義も不正義になってしまうというわけだ。


2012058

【落下する緑】【辛い飴】【獅子真鍮の虫】田中啓文 ★★★ 先に読んだ「こなもん屋馬子」見つけた棚に同じ作者の作品が結構並んでていて、この「永見緋太郎の事件簿」シリーズ3冊が面白そうだったので借りてきた。。サックスプレイヤー永見がジャズミュージシャン世界の中で起きる事件を解決していく推理連作だが、作品ごとに付録としてジャズアルバム紹介欄があって、これがなかなか面白そうだったので借りてきた。作者もサックスやってるらしく、ジャズの奏法や歴史の薀蓄も唸らせるものがあった。
とりあえず、永見の演奏するサックスの擬音。

ぶぎゃっ、ききききぃーっ、くぶわっ、ぼけけもけけ……
ききゅっ、くきぁかーっ、けけけけけ……(揺れる黄色)

ひぎゃおろ……ろろ……げぶる……
うききき……きゃおっ……くけう……る……
ぼきゃ、ぶきゃ、ぶっきょおおおおお……
くいひーっ……くがあああああっ(遊泳する青)


実際にプレイしてるから、こういった擬音も、説得力がある。かな?
こちらは他のプレイヤーが永見の楽器を演奏する場面。

「いいか、ヒタロ、ジャズのソロと譜面に描かれている演奏との違いは、即興であるかないか、それだけだ。ジャズだからといっていって、ムダな音を吹きまくって、そのなかから、いいものを見つけだす……ゴミの山からダイヤを探すような、そんなことではいけない。聴き手には、最初から最後までダイヤをみせてやるべきだ」
そう言うと、ダージリンは永見の楽器を借り、その場で吹いてみせた。さすがに凄まじいテクニックだ。めまぐるしい指使いで吹きまくりながら、ダージリンはいちいち解説を加えていく、
「タラルレロレロルデベラリロ……ここはツーファイブのパッセージ……リラロリリラリドペルデロ……ここは代理コード……リラロリリラリツダラバツデロ……ここは四度上で同じフレーズを対比させた……ドバピドバピドバピルレ……ここは半音でスーパーインポーズ……ルピラパパリラルレロリラ……ここはコード通りのフレーズ……ベルベラベルベロブリッブリッブリリリ……ここは客の注意を喚起するためのポイリズミックなフレーズ……」
永見は呆然としてダージリンの「演奏兼解説」を見つめている。(甘い土)


筒井康隆の怪作「バブリング創世記」を彷彿させるものがあるが、作者は筒井の愛読者でもあるらしい。引用中に脱字ある可能性高いが、校正はパスぢゃ。

結局ジャズって「人間を聴く」ものであって、最高のメンバーによる最高の演奏だけがすべてではなく、メンバーひとりひとりの様々な局面を反映するからこそおもしろいのだろうなあ。

こういった「私的ジャズ論」が、彼処に顔を出す。特に尖鋭な見地は少ない。Morris.はもう少しひねった音楽与太話のほうが好きだ。

今でこそ、音量が小さい、演奏が難しい、あたたかみのある音がハードな演奏に向いていない…ということでサックスにその地位をゆずった感のあるクラリネットだが、かつてはジャズ楽器の王様として君臨していた時代があった。要するにスゥイング時代のことである。なかでもベニー・グッドマンのスタイルは洗練の極みで、黒人の演奏する粗野な「ジャズ」とは一線を画した「スウィング」という別種の音楽であると考えられていたのである。私はグッドマンの演奏が嫌いではない。安定した美しい音色、軽いノリ、驚異的なテクニック、洒落た編曲、小粋なフレーズ、黒人白人混合のサイドメンを率いるリーダーシップ……どれをとっても一級品だ。しかし、やはり彼のグループというのは、テディ・ウィルソン、ジーン・クルーパ、ライオネル・ハンプトンといったサイドの演奏者を聴く喜びの割合が大きいかもね。(レコ評「Carnegie Hall Jazz Concert/Benny Goodman)

ベニー・グッドマンのレコード評。ほとんどコラムだが、Morris.にはこれが一番おもしろかった。特に最近お気に入りのTHE BIGOOD!のいくちゃんのことがあるので、クラリネットの話には耳をそばだてたくなる。「安定した美しい音色、軽いノリ、驚異的なテクニック、洒落た編曲、小粋なフレーズ」うーーむ、今度パクって使わせてもらうことにしよう(^_^;)

高音は高音らしくきらきらと輝き、低音は低音らしく深みがあり、八分音符も十六分音符もくっきりと粒だち、技術的にも完璧だが、なによりアドリブソロがすべて「歌」になっている。即興演奏だというのが信じられないほど、身体のなかから「歌心」があふれている。(レコ評「The Beginning and theEnd/Cliford Brown」)

これもなかなかに上手い褒め言葉だね。クリフォード・ブラウンといえば、ヘレン・メリルをサポートしたアルバムが有名で、Morris.も持ってるくらいだが、歌ばかり聴いてた(^_^;) 今度聴き直してみよう。
いちおうミステリー作品なのだけど、トリックとか動機とか、現実的ではない、というより、奇想天外、トンデモ本チックなモノが多かった。それがこの作者の持ち味なのかもしれないけどね。「銀河帝国の弘法も筆の誤り」なんて題名の作品出してるみたいだし。
面白ければ何でもOKである。この作家もう少し読んでみよう。


2012057

【こなもん屋馬子】田中啓文 ★★★☆☆ タイトルに釣られて手にとって、立ち読みしたら面白そうなので借りてきた。大阪のあちこちに存在するらしい「馬子屋」というこなもんの店を舞台に繰り広げられる「豚玉のジョー」「たこ焼きのジュン」「おうどんのリュウ」「焼きそばのケン」「マルゲリータのジンペイ」「豚まんのコーザブロー」「ラーメンの喝瑛」の7篇で、タイトル見ればだいたいわかるだろうけど、順にお好み焼き、たこ焼き、うどん、焼きそば、ピザ、豚まん、ラーメンをテーマに、その薀蓄まで語られる。
店をやってるのは曾我廼家馬子という大阪のおばんと、イルカという少女。話の初めと終わりは、意識的に全作ほぼ同じシチュエーションになっている。これも作者の遊びなのだろう。
「こなもん」は「粉モン」で小麦粉を使った料理の総称を指す大阪弁であることくらい、知らないものはいないはず、と思ってるのは、やっぱり関西人だけのようだ。
最初の作品で店のメニューには「お好み焼き・焼きそば・たこ焼き・明石焼き・イカ焼き・ホルモン焼きうどん・チヂミ・うどん・ラーメン・ソーメン・麸・豚まん・餃子・ピザ・スパゲティ」とあり、さらに「ただしモンジャと広島風お好みは死んでも作らん。死にたかったら注文してみ」と書いてある(^_^;)
Morris.はラーメン以降のメニューはこなもんから外れるような気がするが、そのへんは色々と意見の分かれるところであろう。

この店はアタリかな? と私が見当をつける条件はいくつかある。それを列記しよう。
1.店構えがきれいではないこと。
2.メニューがシンプルで安いこと。
3.店主はただのおっちゃんかおばちゃんがいい。
4.店員は多くてもひとりぐらいがいい。できれば家族や近所の暇なおばちゃんをパートに雇っている程度がちょうどいい。
5.焼いてくれる店がいい。
6.マヨネーズは、できれば「いりますか」とたずねてくれるほうがいい。マヨネーズは糸のように細くお好み焼きの表面を飾るよりも、まんなかにどっぷりと載せてくれる方が好きだ。(豚タマのジョー)


この店の選び方基準はほぼ妥当だと思う。Morris.も今風なチェーン店で、店員がユニフォーム着てるような店は苦手だし、自分で焼くのは遠慮したい。六甲道の「たけうち」はまだやってるだろうか? 無性に食べたくなった。

「ええか、イルカ。あての焼き方、よう見てえよ。まずは鉄板をよう焼いて、油をゝ。たっぷり引かなあかんけど、あんまりダボダボにしたら油っぽうなりすぎるで。そこへ、タネを入れる。茹でたタコを入れる。紅ショウガと天かすをちょっとだけ入れる。すぐにキリで掻き回す。これぐらいになったら、ちょっと横にする。まえも言うたやろ。完全にひっくり返したらあかんで。この程度の傾きにするほうが、なかに穴があいて、食べたときの食感がええねん。
こんな感じになったらひっくり返すんや。あとは、クルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクルクル…手を休めんようにひたすら回転させる。ジャーン、これでできあがりや。熱々のうちにソースを塗って、青のり、カツブシ……ほら、うまそうやろ。はよ、食いや。」
「あのなあ、イルカ。たこ焼きゆうのは不思議なもんやで。もともとはただの水で溶いたメリケン粉やのに、この穴の開いた鉄板の上でクルクル回してるうちに、皮は皮、中身は中身に変わっていく。しまいには、外側はカリカリに、内側はトロトロに分かれてしまう。魔法みたいなもんやけど、そこが技術ちゅうやつや。あんたが焼いたのはな。どこ食べても一緒やろ。たこ焼きゆうのは、カリッとしたところ、トロトロしたところ、空洞、タコ…ひとつの小さなボールのなかにいろんな部分があるからおいしく感じるんやで」(たこ焼きのジュン)


このたこ焼きレシピは、そのまま通用すると思う。水道筋の「タナカ」のおばちゃんもほぼこれに近い焼方してた。

はあ、えー
うどんの種類を句によめばよー
はあー、どすこーい、どすこい
はあー、日本全国広しといえど
うどんのない土地ありませぬ
生醤油かけるは讃岐うどん
細くて冷たい稲庭うどん
氷見のうどん細くてうまい
ふにゃふにゃしてるは伊勢うどん
ひもかわ、水沢、おきりこみ
武蔵野、加須は関東の雄
うまいもんだよ、かぼちゃのほうとう
味噌で煮込んだ名古屋のうどん
ごぼ天載せたる博多うどん
ひっぱり伸ばすは五島のうどん
なかでもうまいは大阪のおうどん
コシは弱いが作る姉さんの
腰は強うて
よーうほほほい
はあー、粘り腰
はー、どすこーい、どすこい(おうどんのリュウ)


これは相撲甚句ということになっているが、作者の自作だとしたら、全国のうどんを要領よくまとめた手際は褒めてつかわす。

「わかりました。ラーメンのバリエーションは無数にある。麺の材料も、かん水を入れたもの、入れないもの、かわりに卵を使ったもの、ほうれん草やイカ墨や胡麻や唐辛子などいろいろなものを練りこんだもの、米粉を混ぜたもの、果てはコンニャクで作ったものまである。麺の形も、細麺、中細麺、中太麺、太麺、極太麺、ちぢれ麺、ストレート麺、平打ち麺。ゆで方もハリガネから柔らか系までバラバラだ。スープも、タレと出汁を混ぜるものとそうでないものがあるし、出汁の材料も、豚骨、鶏ガラ、モミジ、牛骨、牛肉、豚肉などの動物系、鰹節、鯖節、昆布、煮干し、エビ、アゴ、アワビといった乾物・魚介系、煎り大豆、シイタケ、タマネギ、長ネギ、ショウガ、ニンニク、セロリ、白菜などの香味野菜系……無数に存在する。甘さを出すためにリンゴなどの果物や氷砂糖を入れることもある。牛乳を入れたり、トマトスープやコンソメスープ、フカヒレスープ、カレースープを使う場合もある。かつては大量に化学調味料を入れるのがあたりまえだった。仕上げもおなじみの背脂チャッチャやらラード、バターを落とすだけでなく、あんかけにしたり、卵とじにしたり、チーズフォンデやグラタン状にする店もある。味付けも、塩ラーメン、しょう油ラーメン、味噌ラーメン……。もちろんトッピングもチャーシュー、メンマ、ネギ、ナルトはもちろん、キクラゲ、高菜、ショウガ、ゆで卵、ノリ、炒め野菜、キムチ、タマネギ、ほうれん草、もやし、キャベツ、ニラ、白菜、豚肉、ホルモン、ミンチ、アサリや牡蠣などの貝類、ワカメなどの海藻、エビやカニ、タコにイカ、鮭、コーン、カマボコ、チクワ、おでん、タクアン……ありとあらゆるものが使われ、つけ麺や冷やしラーメン、担々麺、台湾ラーメン、チャンポン、焼きラーメン、油そば、サンマーメン、タンメン、ワンタンメン…などもラーメンとどこがちがうのかと言われれば答えられない。そして、今日この瞬間にも、新しいラーメンが日本のどこか、世界のどこかで生まれているかもしれない。麺もスープも味付けも具も食べ方もなにもかもまるでちがうものを、ひとつの言葉でくくることは不可能だ。つまり……」
「つまり?」
馬子と山伏が同時に復唱した。
「つまり、ラーメンというものは……『ない』のです!」
私は、あらん限りの力を声に込めて、そう言い放った。(ラーメン喝瑛)


「博多ラーメン」というものは厳然として「ある」と思うのだが、関西では名前だけということが多い。
Morris.のおすすめは、神戸なら東部市場近くの「一生懸麺(虎と龍系列?)」、京都なら木屋町三条の「長浜ラーメン みよし」。


2012056

【木村充揮自伝】★★★ 今年の5月に出た憂歌団のボーカル木村くんの自伝である。
Morris.にとっても憂歌団は特別なバンドだったし、これまで知らずにいたバンドの活動ぶりを知ることもできて興味深かった。
憂歌団が4人になったのが1974年、1998年休眠に入るまでの24年間が実質的なバンドとしての活動期ということになる。
その後メンバーはソロ、別バンド、ユニット、レコーディングなど個別の活動をしていた。
木村くんはユニークなソロ歌手として、アルバム発表やライブに精力的に活動している。

今、ぼくは『オリジナルって、いったい何やろうなあ?』と思う。
『昔の曲にも立派な曲がいっぱいあるし、それを歌うこともぼくのオリジナルとちがうかなあ』とも思う。
考えてみれば、憂歌団は戦前のカントリー・ブルースをコピーすることから始まり、やがて自分たちのブルースを作るようになった。そして、その後、少しだけどジャズのスタンダードに日本語をつけて、自分たちのものとして歌い、演奏するようにもなった。
何が何でもオリジナル、と考えるのは著作権で儲けようとする音楽業界人的な考え方であり、ただの歌い手であるぼくはそうは思わない。
誰の作った歌であれ、いい歌はいい歌だ。それが僕の思いであり、僕の考えだ。
『いっぱいある昔の立派な曲を、おれらはいくらでも歌えるし、いくらでもプレイできるねん』そんな思いが強い。

この考え方にはMorris.も大いに賛意を呈したい。
本書のおしまいにおかれた文章。

内田といっしょにやることになったのは、内田が電話をくれたからだ。
花岡、島田も呼んでくれたら、ぼくは行く。
花岡も島田もぼくのライブに「呼んでくれや」と言っているし、ぼくも二人に「呼んでくれや」と言っている。
もし、4にんでやれるなら、やりたいとぼくは思う。
ただし、それが昔の憂歌団の再現ならやりたくない。
4人集まって昔のことをやるのではなく、「今、いっしょに遊ぼうや」という気持だ。
バンドのなまえなんかどうでもいい。メンバーの名前もどうでもいい。内田と島田と花岡と木村のアホな4人でまた遊ぼう。
ぼくは昔の憂歌団の再現はやりたくないと思うが、けっして昔の憂歌団の曲をやりたくないと思っているわけではない。「今、遊ぼう」という気持があれば、そんなことはどうでもいいことだからだ。
そんなノリで新しい曲も作れたらいいなあと思う。
……とぼくは思うけど、どうなるかなあ。


4人で演る機会が永久にうしなわれてしまったいまとなっては、読むのが辛かった。


2012055

【俳句はかく解しかく味う】高浜虚子 ★★★☆☆ 原著は大正7(1918)年4月、新潮社から刊行され、昭和2年に新潮文庫化、戦後昭和28年には角川文庫に加えられて愛読されたものらしい。Morris.が読んだのは昭和64年の岩波文庫版で12刷となっていた。
古今の句80句ほどを例示して簡単な評釈を記すという形式で、長さも自由で、短いものなら4,5行、長いものだと4,5pである。
芭蕉、蕪村、一茶の句はまとめて多く引用されているし、子規を始めとする当時のホトトギス作家の作品もいくつか選ばれている。解釈自体も要を得て簡であり、初心者にも得心のいく、心憎いものであるが、俳句コラムとしても実に面白いものが多くあった。

●あれ聞けと時雨くる夜の鐘の声 其角
其角という男はそんな判らぬ句を作って得意であった男だと言ってしまって差支ないのであるが、それでいて判らぬながらも何処やら面白いという句が相当にあるところは、やはり其角の偉いところである。それは其角の頭に起って来た或る感じを、彼は殆ど文字に頓着なしに--意味に頓着なしに--今一つ言えば世人がそれをどう解するかという事に頓着なしに--感じそのままを現わそうとして、そういう句を作ったものとも解する事が出来るのである。我らに或る感じがある。どうかしてその感じを現わしたいと思って、折節素処にある楽器に手を触れる。四絃一時に音を発して、丁度その作者の感じをその音によって現わし得たというような場合が随分ある。其角の句を先ずそういう風に解したらよかろう。意味は何処やらぼんやりして判らぬところがあるけれども、しかし其角の感じはよく現われておるというような傾があるのである。

奇面人を驚かす体の其角などは、虚子にとっては、苦手、というか、嫌いなタイプだったようで、上記の文も褒めているのかけなしているのかよくわからないのだが、その「才」は見過ごせないという、忸怩たる思いが現れているようだ。このあとに凡兆の
・渡りかけて藻の花のぞく流れかな
の評では、この句の素直さと観察の妙を称揚して「其角の句などとは大変な相違である」と、言挙げしている。Morris.は其角などは(^_^;) かなり好きな俳人のひとりであるだけに、虚子のこういったものいいが、前から鼻についていたような気がする。

●行春や選者を怨む歌の主 蕪村
歌の主、即ち作者が選者を怨むというようなところには、やさしいみやびたところがある。それが暮春の情とよく調和するところから、この蕪村の句は出来たのである。お岩が伊右衛門を怨むとか、ハムレットが叔父を怨むとかいうのは、物凄かったり気味悪かったりする大分深刻な怨みであって、それは秋の暮とでもいう心持にふさわしいであろうが、この選者を怨む歌の主の怨みはそれほど深刻ではなくって、何処かに一点の艶っ気を存しておる。其処が暮春の怨みに相当するのである。こういう事が事実と季題との調和問題となるのである。俳句の季題というものは、そういう点に意を用いて適当な人事に配合するのである。

蕪村の句に四谷怪談やハムレットを出すあたりが、配合の妙(^_^;)なのだろうか。この評文には可笑しみがある。

●元日や草の戸ごしの麦畑 召波
さて「元日や」というのは、唯元日という事を現わすためにいうたので、この「や」の字には別に意味はない。俳句では、昔からこのような文字を切字といっている。この切字という事について、やかましい事をいう月並俳人もあるが、別にやかましくいう必要はない。これを俗言に喩えていうと、我らが話しをする時に、きっと「何々です」とか「何々だ」とか「何々した」とかいう、この「です」「だ」「した」などいう文字がないと、話につづまりがぬかぬ。また我らが文章を作るにも「たり」「ぬ」「けり」等の文字で一節々々の結びをつける。俳句の切字というのも、これと同様のもので、元来俳句は十七字でまとまっている文章の一節のようなものであるから、同じく意味のつづまる処がなければならぬ。即ち自然に切字というものが必要になって来る。切字はかかる自然的のものであるから、その中にも、文章と同じく「たり」「ぬ」「けり」等の文字もある。が、最も多く用いられてちょっと普通の文章と異っているのは、「や」「かな」の二つの切字であるしかしこれも決してむずかしい意味があるのではない。「元日や」というのは、唯「元日」といったばかりでもよいが、「や」という字をここに置くため「元日」という感じを深く人の頭に起さすようになる。たとえば普通の談話の時でも「元日にこうこう」というより「元日にねこうこう」という方が、人の頭に「元日」という感じを深く呼び起すことになる。「ね」という字に意味のない如く「や」という字にも意味はない。しかし俳句にて「や」という場合は、極めて広いので、大概な場合を「や」の字一字で間に合わしてしまう。それは元来十七字という短文字の詩であるから、努めて文字を節略せねばならぬ。その文字のうちでも、動詞、関係詞、形容詞、副詞等をつとめて節略する。「や」という字の如きは、この点において最も便宜な字で、例えば「春風や」という場合の如き「春風の吹くや」「春風の吹く日や」「春風の吹いて長閑なる様や」という如く、だんだん春風に伴う形容動作等が、この「や」の字一字に対して聯想されて来るように出来ている。何も「や」の字一字にさほど沢山の意味があるわけではないが、動詞や形容詞のあるべきを略して、名詞の次ぎに直ぐ「や」を置く事が、昔からの習わしになっているので、自然と「や」という一字に一種の特別な意味があるようになって来たのである。即ち俳句の文法の上に、こういう約束が成立っているのである。「元日や」も同様で、「今日は元日であるよ」「心地良い静かな元日よ」というような心持が「元日や」という五文字の内につづめられているのである。これは独り「や」の字ばかりの働きではなく、無論「元日」という文字に伴う聯想も多いのであるが、「元日の草の戸ごしの」というのと、「元日や草の戸ごしの」というのと、元日という感じを人の頭に起こす力の上に強弱がある。「元日や」という方が「元日」という感じをしっかりと人の頭に起こす。これは「や」の字の働きといわねばならぬ。
ついでに月並的の俳句と、文学的の句との区別をちょっと説明してみよう。
要するに月並は、或景色を面白いと感じても、その面白い景色を面白がるのである。たとえば、三日見ぬうちに莟であった桜が、もう満開になってしまった。というだけでは満足しないで、「世の中は三日見ぬ間に桜かな」といわねば承知せぬ。即ち桜のまたたくうちに咲くという事を世の中の事にたとえ、世の転変は皆かくの如きものであるといわねば、面白くないように心得ているのである。暁になって湯婆がさめた、といういような場合には、何となく淋しく哀れなような心地がして詩情が動くものである。その暁になったから湯婆がさめた、とそのままにいえば、趣味のある文学的の句になるのであるに、月並家はそれでは不承知なので、「夢よりは先へさめたる湯婆かな」といってとくとくとしているのである。ただ早くさめたというだけでは面白くない、夢よりさきにさめたといって始めて面白いというのは湯婆のさめたことには趣味がないが、夢よりさきにさめたと理屈をいうところに趣味があるということになる。


評釈から敷衍して、切字や月並句の解説に脱線?してる部分で、Morris.はこの部分が一番興味深かった。
切字については、これまでにもいくらか解説を読んだこともあるが、この「や」論は、おおどかで卑属的なのに、Morris.にはすとんと納得がいった。
月並に関する言説は別の意味で面白かった。Morris.は10年くらい前に突然俳句らしきものをひねくりまわしていたことがある。酔った勢いで、ほとんどルール無視の句を「ぐいぐい俳句」と名付けて、ひとり悦に入ってたのだが、今思うとまさに「月並」を目指していたような気がする。
結局400句くらいひねったところで自然消滅してしまった(>_<)のだが、いちおうそのときものした句をを「ぐいぐい俳壇」としてまとめている。久しぶりにその中の秋の句(何故か200句もある)を読み返してみたら、バカバカしくて面白かった。
一番バカバカしくておかしかったのは

・果物の句だもの林檎梨葡萄 Morris.

こうなると月並がどうのこうのという以前の作だね\(^o^)/
しかし、虚子のぐねぐねした文体は、一種の「悪文」のたぐいではないかと思う。それでいて、人を逸らさないところは「ヘタウマ」文体なのかもしれない。
本書に引用された句の中からいくつか引用しておく。

・易水にねぶか流るゝ寒さかな 蕪村
・牡丹伐つて気の衰へし夕べかな 蕪村
・年ひとつ老いゆく宵の化粧かな 几董
・上行くと下来る雲や秋の空 凡兆
・行く春やあまり短き返り事 水巴
・花火尽きて美人は酒に身投げこむ 几董
・近江路や何処まで春の水辺なる 月居
・春の水山無き国を流れけり 蕪村
・あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉
・蔓草や蔓の先なる秋の風 太祇
・鶯や餅に糞する縁の先 芭蕉
・ひいき目に見てさへ寒いそぶりかな 一茶
・雛店に彷彿として鞠かな 召波


2012054

【どんぐりのりぼん】田辺聖子 ★★★☆ 昭和59年から60年に 「家の光」に連載され、61年(1986)に単行本化されている。Morris.が読んだのは2002年24刷となっているから、かなりのロングセラー作品なのだろう。
阪神間の蛍川市役所の広報部に務める藤井五月が友人の結婚式で知り合った兵庫の田舎夢野町の青年栗本健太二人のラブコメディである。
庶民的を旨とする田辺らしく、気取ろうとしてもベタベタになるあたりが、大阪だけでなく、多くの読者の共感を呼ぶのだろう。たとえば、洋食屋「大正軒」の場面。

タエのオムライスはぽってりともりあがっていい匂いがし、私のコロッケは外側はきつね色にカラッと揚り、中身は熱いホワイトソースにカニ入り、このやわらかいクリームがとろっと流れるさまは何ともいえない。栗本のミンチテキ鉄皿の上でジュージューとまだ焼け爆ぜ、心をおどらせるような匂いの肉汁が流れ出ていた。三人ともいっとき、ものもいわずに食べた。

おふくろが好きだという「夫婦心中」を、栗本がドライブしながら歌い出すところ。

音痴に、結婚式のクラスみたいな、上・中・下、あるいは松・竹・梅というランクがあるとすれば、中の下くらい、竹と梅のあやういあいだ、といえようか。
物凄い音痴というのではないが……このへんの音痴が一番困るのだ。物凄い音痴の上クラス・松クラスならいっそ珍重すべきゲテモノで、(よくもまあここまで……)と造化の妙に感心するが、栗本のは、音程がはずれそうではずれぬような、はずれないようではずれてる、まちがってはいないけど、どっかおかしい! というような歌なのだ。
もし私がこの歌を知らなければ、
(フーン。そういう歌なのかァ)
と思ったかもしれないが、私もカラオケの店で聞いたことがあるから、どっかおかしい、とわかるのだ。伴奏がないと歌いにくいのはたしかだけれども、それにしても栗本はいい気持ちで歌っているのに、それが、はずれたようなはずれないような微妙にきわどいところなので、私は笑い出すのを怺えて、お腹が痛くなったという次第。


これはMorris.のことを書かれてるような気になってしまった(^_^;)
どこまでも面白おかしく二人の恋が進展するかと思ったら、最後に突然、栗本の田舎が山崩れの大災害に見舞われる。五十戸が泥海に飲まれ、ほとんど村が喪失した状態になる。
災害の数日後に、支援に現地に赴こうという五月に父の反論。

「いかん。殺気立ってる被災地へ、何とかなるやろで出かけてはいかん。身内なら別、他人が行っては向うはありがた迷惑や。気を使わせてはいかん。集団で被災したんやから、皆で何とかやってるはずです。今日びのこと、飢えて死ぬこともあれへん。出しゃばるのではありません」

これは、神戸地震の罹災者として納得できる意見だし。先般の東北震災においても同様だろう。
五月が家も何も失った栗本との結婚を決意する結末は、いかにも作り物めいているが、現実生活での田辺とカモカのおっちゃんのことを思えば、田辺自身の真情を先取りしていたとも言えるのだろう。


2012053

【これなら作れる男のごはん】大原照子 ★★★☆☆ 岩波アクティブ新書の一冊である。
独身男性や単身赴任向け、それも初心者向けの入門書ということになるらしい。
えらそうに言うが(^_^;)Morris.は一人暮らしのベテランで自炊40年を誇る。今さら入門書なんてチャンチャラおかしい。
と、思っていたのだが、基本(と、手抜き)をおろそかにしてるということを思い知らされた。

男の料理10原則
1.失敗を恐れない
2.道具や調味料に凝らない 「あれば便利」より「なければ困る」ものだけに
3.材料はなるべくその日に買う
4.作りおきをしない
5.手間のかかることはしない この本では「揚げる」料理はしない
6.キッチンを離れるときは火を止める
7.使ったものはすぐに洗う 料理は、作る→洗う→ふく→しまう、で完了するもの
8.栄養にこだわりすぎない
9.飲みながら料理をしない
10.毎日作ろうと思わない


わかってるつもりでできてないことも多い。上の10原則のなかにも見直すことが多々ある。
簡単メニューが80ほど紹介されてるが、タレやドレッシングの簡単なレシピは速攻で利用できそうだ。
これを読んで、料理用に日本酒を買ってしまった(^_^;)

[刺身サラダ丼のタレ]練りわさび 酒小さじ2 醤油大さじ1 サラダ油小さじ1
[鶏香味焼きのタレ]酒大さじ3 醤油大さじ1 にんにく1片2つ切り カレー粉小さじ1/2
[手羽先つけ焼きのタレ]酒大さじ1.5 醤油小さじ2 生姜摺りおろし小さじ1
[蒟蒻の辛子味噌]味噌大さじ2 砂糖小さじ1 マスタード小さじ2
[ブロッコリー辛子マヨネーズ]マヨネーズ大さじ2 マスタード小さじ1 牛乳少々混ぜてとろりとのばし、摺胡麻少々を上にふる
[ドレッシングA]塩・胡椒少々 レモン汁or酢小さじ2 サラダ油大さじ2
[ドレッシングB]塩小さじ1/4 胡椒少々 マスタード小さじ1/2 リンゴ酢小さじ2 サラダ油大さじ2
[ドレッシングC] 摺胡麻5g 砂糖小さじ1 酢小さじ2 醤油小さじ2 サラダ油大さじ2
[コールスロードレッシング]マヨネーズ大さじ1.5 レモン汁or酢小さじ1/2 塩少々 サラダ油大さじ1
[フレンチドレッシングの基本]ボウルに酢大さじ2を入れ、塩小さじ1/3、砂糖少々を混ぜる。サラダ油大さじ4を少しずつ混ぜながら加える。


ついでに、冷凍ご飯を利用した、お粥と豆ご飯の簡単レシピをメモしておく。

[レンジお粥]解凍したご飯を中型の丼に入れ、熱湯をひたひたに注ぎ、箸でほぐし、ラップをかぶせてレンジ1分20秒。春菊、温泉卵を載せ、塩少々をふる。山椒をぱらりと散らす。
[豆バターご飯]耐熱容器に解凍したご飯とグリンピースを入れ、塩少々をふりバター小さじ2を載せ、ラップしてレンジで1分加熱。混ぜる。


2012052

【マイク・ハマーへ伝言】矢作俊彦 ★★☆☆ 1978年光文社刊。
怪物パトカー(V8300馬力)に仲間を殺された男たちの復讐劇。「華麗なカーアクションが鮮やか」と評判。」な「長編サスペンス小説」らしい(^_^;)
タイトルを解説しておくと、マイク・ハマーは5人の男たちの中の大男で、伝言というのは、死んだ男からの彼あてのメモでフランス語で「Bete flont du taureau de combat… 闘牛の額のような愚劣さ」と書いてあるもので、黄色いキャデラックに乗った美女から他の男達に手渡されたものである。
舞台背景は横浜を中心とした関東地方、時代設定は1974年(昭和49)の夏から秋。特定できるのは長嶋の引退試合のテレビ中継の場面が出てくるからだ。
かなり地域的な差別表現が出てくる。例えば川崎駅周辺の描写。

ダさい街だ。工場と工場の間にひらけた歓楽街だからだろうか。雪駄にすててこで歩くのがぴったり似合いだ。胃の辺りがきりきり痛むほど、不愉快な色をした街だ。しかし、うすらでかい工場は本牧にだってあったじゃないか。なるほど、それでこの二、三年、ヨコハマが田舎くさくなって来たのかもしれない。"農村が歳を包囲する"って言ったのは誰だったろう。どっかの革命家だ。校門に立っていた左翼(ひだり)の看板で見たんだった。文化的になるってのは、都会が田舎者であふれかえることなんだろうか。しかし--待てよ、アカがそんな気のきいたことを言うかな。

たかだか236pのこの本を読むのに、えらく手こずってしまった。トラックの助手席で、ちょこちょこと読んでたこともあるが、本書の一番の眼目である、車の薀蓄に、運転もできないMorris.がまるでついていけなかったこともある。
文章的にも、矢作のあの比喩の切れ味が見られなかった。前に読んだ「リンゴォ・キッドの休日」と同じ年に出た作品なのに何でこんなに違うのかと思うくらいに、楽しめなかった。
「あいつ、こいつ」を、「あ奴、こ奴」と表記するのには最後まで馴染めなかった。ついつい、「あやつ、こやつ」と読んでしまいそうになる(^_^;)


2012051

【真夜中へもう一歩】矢作俊彦 ★★★☆1985年光文社刊の二村刑事シリーズの第二作。でも原型は1977年にミステリ・マガジンに連載されたものをかなりの時間をおいて完成されたものらしい。
江口寿史のイラスト表紙の男女のイラストがちょっと気になったが、江口寿史だった(@_@) 一見、当時の江口の画風とは違う大人のタッチである。自身が漫画も描いてた矢作だけに、きっちり注文を付けたのだろうけど、渋いなあ。
例によって、独特の比喩まみれの文章に目を惹かれる。

・屍体遺棄なんていうのは殺人犯の耳飾りさ。殺人罪とワン・セットでなけりゃたいしたことはない。
・東京湾に、獅子が口笛を吹いているようなかたちで突き出た横浜の中区
・室内を出歯亀するためにあるような昔気質の鍵穴
・私は石鹸の空箱が北風にさらわれて行くみたいな勢いで本部を飛び出した。
・虫の声がおしよせてきた。空気が冷たくなり、夜が遠くなった。中点の月が、まるで囁きかけてくるみたいだった。
・接吻は熱く長かった。押しつけられた躰はどこか不自然でブラジル製のオルゴールのようにぎごちなく、心とは正反対のことを躰がしてしまう病いを思わせた。医者の言葉では逆作動形成と言うのだ。


そして横浜の描写も矢作ならではのものである。

・私は日本大通りを歩いた。気の早い銀杏は、もう黄ばみはじめる訓練をしていた。上空で枝が騒いだ。静かだ。ネギ坊主のような税関のタワーに背を向け、私は広い通りを歩いた。裁判所、地検、日銀支所、見るからに重そうな、土地の値段を高さでカヴァーする必要がなかった時代に建てられたビルが両脇に並び、大通りの空を、よけいに巨きく見せている。
・世界の港町がそうであるように、ここはただの殺風景な港町にすぎない。鋼鉄のかたまりが沈みもせずに海に泛くという現代科学の驚異を、ドブ臭い思いをセずに堪能したいのなら、神戸へ行くといい。神戸は美しい港だ。ドブ河の匂いを深呼吸してよろこぶような鼻まがりは、私一人で沢山ではないか。
私は橋を渡り、保税地域へ入った。
貨物線が縦横に走り、それに沿ってプラタナスの並木が連々と続いていた。一面氾がる石畳に、大正期にはもっともモダーンだといわれた尖塔のある赤煉瓦造りの倉庫が建っていた。モザイク壁の公衆便所があり、日本中どこへ行ってもみられなくなってしまった石の丸屋根を乗せた交番がある。アール・ヌーボー風の手すりがついたヴェランダが見える。第四バースの倉庫だ。風見鶏が海の風にくるくる回っている。どこからか、バナナの発酵する匂いが漂って来る。街並みがすぐそこでふっつりと途切れる。突然、海だ。

神戸のことを褒めてるようで、単に横浜への刺身のツマでしかない(^_^;) 
そして、精神病院に関する、週刊誌記者の口を借りての告発。

・「君はまるで、学芸欄のゲーテだな。ときどき顔を出してさわりだけ言うんだ」
「光栄だね。長すぎる新聞記事ほど、品のないものはねェ」
「そんなことを言わず、もう少しさわりじゃないところも聞かせろよ」
・「精神病院の収入は、大きく分けて、3つある。公費とクスリとその他さ。ベッド数従業員の水増し、死亡者の申告漏れ。薬屋からリベートをもらう、治験と称して患者の体で新薬のモニターをする。精神病の薬ばかりじゃないぜ。しんでもかまわないんだよ。精神病院の場合、死はたいした問題じゃないんだ。公費入院の患者は、病院の固定資産だ。すべて、先入観のなせる技さ。普通の病院なら病気は治すのが至上目的だ。しかし精神病院は、閉じこめておけば一応の役を果たしたことになる。対手は『キチガイ』なんだ。
これは、アメリカの例だけどね、凄いのを一つだけ聞かせとこう。アリゾナの精神病院が5年にわたって人体を自動車会社に売ってたのさ。自動車の安全ベルトの開発用にね。人形(ダミー)より精巧だし、金もかからない。実験用人体を、自動車と一緒にぶっこわしてデータをとってたわけだ。国際Gメンの捜査から明るみにでたのさ。
入ったら二度とでてこない。公費に、薬にその他、屍体になってからもカネになる。脳、肝臓、腎臓、心臓、それを大学へ送る。見返りは当然ある。金ってやつは、一カ所にたくさん集まると、身動きするきっかけを手前で欲しがるもんだ」

大学の解剖用屍体紛失と、謎の美女、インテリヤクザ、屈折した医学生と友人、と二村のからみなどのストーリーはすべて措く(^_^;) 矢作の作品を読むと、Morris.はストーリーなんか舞台背景にしか見えなくなるきらいがある。


2012050

【中村とうようの収集百珍】★★★★ 「ニューミュージックマガジン」の中村とうようが、趣味で集めた様々なものから百種を選び、カラー写真とコラムで作り上げたヴィジュアル本である。名うての収集家だったらしいが、レコード屋楽器など専門の音楽関係以外に、意外なジャンルの収集物も交えて、実に見応えのある「とうよう博物館カタログ」(本名は中村東洋なのだが漢字で書くと誤解が生じる)ということができるだろう。
LPレコードとCDの中間くらいの正方形の判型で、1Pを三分割した自身のレイアウトにかなり苦労したみたいだ。収集物にもコラムの出来もかなりのばらつきがあるが、面白さの打率はかなり高いと思う。苦しみながら楽しんだ跡がみてとれる。
レコード一つとっても、いわゆるSP盤でもめったにみかけない片面録音盤とか、エジソンの蝋管レコード、ビートルズのインドで発売されたSP盤などの珍品稀覯品を揃えているし、演奏しないのに楽器のコレクションもちょっとしたものだ。

アコーディオン/アセン/アフガニスタン楽器/モハメッド・アブドゥル=ワハーブ/アフリカ楽器/ヌスラット・ファーテー・アリー・ハーン/ハリス・アレクシーウ/ヴォン・コ/ウード/江差追分/SPレコード/トーマス・エディソン/絵葉書/ハムザ・エルディーン/演説レコード/親指ピアノ/オルゴール/楽譜/掛け軸/片面盤/楽器図鑑/カナガ面/カラオ/エリゼッチ・カルドーゾ/川上澄生/川田義雄(晴久)/ギター/切手/キハーダ/キャブ・キャロウェイ/フェラ・クティ/クロンチョン/スリム・ゲイラード/月琴/ゴスペル・ソング/コラ/紙腔琴/写真/出張録音/進駐軍ソング/眞臘観音/エルフィ・スカエシ/スタックス・レコード/砂絵/千社札/象さん/タイ絵画/タイコ/ダマル/ヨルゴス・ダラーラス/蓄音機/チローロ/DVD/テレサ・テン/唐三彩/常磐津林中/トーキング・ドラム/ドーナツ盤/ヒュー・トレイシー/「南京豆うり」/ニーニャ・デ・ロス・ペイネス/野口久光/バラフォン/「ラ・パローマ」/ハワイ音楽/半自動楽器/ピグミー/ザ・ビートルズ/琵琶/ティト・ブエンテ/ブズーキ/プヌ・マスク/パティ・ペイジ/ペジョン・エル・アフロカーン/ベティ・ブープ/豊年斎梅坊主/ポスター/ポパイ/ライトニン・ホプキンス/マチート/ビリー・マレイ/マンドリン/マントルピース/美空ひばり/三波春夫/ゼキ・ミュレン/カルメン・ミランダ/ムーンドッグ/木製フルート/弓ハープ/立体写真/蝋管蓄音機/ハリー・ドーダー/アマリア・ロドリゲス/アルセニオ・ロドリゲス/アラン・ローマックス/ロンドン絵入り新聞/若松若太夫/和本/ユッスー・ンドゥール

太字になってる項目は、面白かったり、Morris.も大好きだったりしたものである。
例によって、ランダムにピックアップしておく。

アコーディオンはぼくの大好きな楽器だ。名手が弾けば極めて雄弁な、表現力に富む楽器である。それは演奏者の体に密着する楽器であることと深く関係してるのではないだろうか。ギターだって体に抱きかかえるが、アコーディオンは重いから全身で支える。しかも心臓の上に乗って、鼓動とジカに共振する。奏者の肺といっしょに息をする。どうしたって、引く人の気持がそのまま演奏に出てしまうのではあるまいか。(アコーディオン)

かなり強引な論の持って行き方で、どんな楽器だってそれぞれ特長があり、「名手が弾けば極めて雄弁な、表現力に富む」ことは云うを俟たない(^_^;) それでもMorris.は中村のこういった我田引水ぶりは嫌いではない。
アコーディオンは、持ち運び出来る鍵盤楽器で、結構音量もあるので、手軽にしてゴージャスな(^_^;)伴奏楽器として最強のものかもしれない。古い韓国の歌謡曲でもアコーディオンの活躍する曲は多かった。特に、Morris.ご贔屓のパクシチュンが活躍してた時代の歌謡曲、中でもポルカスタイルの曲には欠かせない楽器だった。鍵盤楽器には全く手が出ないMorris.としては、憧れの楽器でもある。PCのキーボードなら、そこそこ早打ちできるんだけどね(^_^;)

すべての楽器のなかで最高の楽器、それは、ウードである。
間違いなく断言できるのは、ヨーロッパのリュートがウードのパクリだということ。アラビア語の冠詞をつければエル・ウード、それがそのままリュートとなった。名称はそのままだが、楽器は改悪された。ウードにはフレットがないのにリュートにはフレットを付けた点だ。アラブ音楽は半音の半音つまり四分音を使うから、フレットなんかジャマになる。西洋音楽はそこまで複雑じゃないからフレットを付けてしまった。胴もウードほど深くないから、音色も貧弱だ。
そのリュートがギターなどを生み出したとされ、いまの楽器学では「リュート属」なんて言葉を使う。なんと、ギターも三味線もリュート属なのだ。こんなことってありますか。ウードの私生児でしかないリュートが大威張りするなんて身の程知らずもはなはだしい。リュート属なんて言葉はヨーロッパ至上主義の極致である。オレは絶対に使わない。(ウード)


ぎゃはははははははは(笑) 我田引水濫発というか、強引もここまで来ればブラヴォー!! である。半音の弁別すら心もとないMorris.としてはフレットの無い楽器は生涯やらない(やれない)だろうと思う。

英語でサム・ピアノ、それを訳して日本語では親指ピアノと言っているが、アフリカ生まれの楽器である。アフリカでの呼び名は地域によって違うようで、西アフリカではサンサ(ただしこの言葉が生まれたのはコンゴだとも言う)、コンゴではリケンベ、ジンバブウェではンビーラ、タンザニアではイリンバほか、さまざまに呼ばれている。東南部アフリカでは木琴と同じようにマリンバと呼ぶ地域もあり、商品化したものをカリンバというのは、同じ語源から出たと思われる。(親指ピアノ)

楽器に関しての名前の薀蓄の一端を伺わせる。Morris.もおもちゃの親指ピアノなら過去にいくつか持ってたこともあるのだが、すべて誰かにプレゼントしてしまって今はない。この記事見てまたひとつ欲しくなった。

見出しに、シートミュージック(sheet music)という英語を掲げたが、これは1枚刷りの楽譜、つまり二つ折り4ページの紙(菊倍判のタテ30.4センチが標準?)の内側に1曲だけを印刷した楽譜、わが国では「ピース」という呼び方をされてきたもののことだ。これに対してページのある本の形に何曲かを掲載したのはフォリオ(folio)と呼ぶ。(楽譜)

出張録音。こんな言葉は多くの読者には無縁だろう、明治時代の日本音楽に関心を持つ方を除いて。これは日本にまだ録音スタジオが存在せず、しかし蓄音機というものは販売され始めていたハザマの時期に、欧米のレコード会社が録音機と録音技師を日本に派遣し、そこで録った音を持ち帰ってレコードに作り、製品を日本に輸出した、その録音を呼ぶ名称なのだ。こうして日本録音で外国プレス、という特殊な形が成立した。(出張録音)

朴燦鎬さんの「韓国歌謡史」で知ったことだが、戦前、戦中に朝鮮半島の歌手が西宮のスタジオで録音して作ったレコードを、半島で販売したことが書かれていたが、これも一種の「出張録音」ではないかと思ってしまった。

テレサとひばりの天才少女ぶりは微妙に違っていたように思う。ひばりには子供らしからぬ器用さがあって、そのためにときにはコマッシャクレた感じを与えた。テレサにはそれがない。…天才少女だったひばりは、その後、円熟しながら退廃して行った。ひばりに比べてテレサは、最後まで歌に瑞々しさを失わなかった。ひばりとの比較でそう思うだけではない。アメリカやヨーロッパの大歌手の誰をとってみても、デビューから30年ものあいだ、艶を失わず生気も衰えずに歌い続けられた人というと、誰がいるだろう。(テレサ・テン)

テレサは42歳で亡くなったのだから、他の歌手と比べるのは無理があるかも知れない。テレサとひばりを無理に比較する必要も無いのではなかろうか。Morris.にとってはテレサはやっぱりかけがえのない「日本歌謡歌手」だったというしかない。

「ラ・パローマ」は19世紀の中ごろスペインで作られた。作曲者セバスティアーン・イラディエールは、そのころスペインの植民地だったキューバにしばらく住み、そこで流行していたアバネーラというダンス音楽が気に入って、帰国後そのリズムを使って「ラ・パローマ」を書いた。ビゼーが歌劇『カルメン』に使ったいわゆる「ハバネラ」も実はイソラディールが作ったもうひとつのアバネーラの曲を借用したものだった。
アバネーラはアメリカでは「セントルイス/ブルース」の一部分を成し、アルゼンティンに伝わってタンゴと化し、ギリシャのシルトースという踊りのリズムもこれとそっくりだし、日本のエンカでは「別れの一本杉」など船村徹のタンゴ調は実際にはアバネーラ調なのだ。パキスタンの古い映画主題歌にアバネーラのリズムがはっきり刻まれていたりする例は多い。だからぼくはアバネーラこそ最初のワールド・ミュージックだ、と唱えている。(「ラ・パローマ」)

タンゴの原泉がキューバにあったということはちょっとした驚きだった。アバネーラ=ハバネラなのか。船村徹のタンゴ調が実はアバネーラ調といわれても、Morris.はあのての曲調がタンゴ調だと思い込んでいるわけだから、なんとも言えない。

アメリカン・コミックのキャラで圧倒的に好きなのがベティちゃんだ。ぼくが住む多摩地区はキティの城下町の感あり、多摩センター駅周辺はキティの看板だらけだが、あの情緒発達に及ぼす悪影響を、教育評論家は放置していいのか。その反対にベティちゃんは表情ゆたか、色気たっぷり。
ベティはポパイとともにマックス・フライシャーの作品。キティも嫌いだがぼくはディズニーも大嫌い。アニメはベティとポパイに限る!(ベティ・ブープ)

ベティ好きはMorris.も同じくである。ポパイも悪くない。キティもディズニーも大嫌いというのにも共感を覚える。

彼女の最高の名唱はコロムビアJL41の「上海」だ。ドリス・デイのカヴァーであり、1953年、彼女が16歳になったばかりの録音。
ヘンに作意が目立ち、イヤらしくなったハシリが1952年の「リンゴ追分」で、かつてはあの無理な津軽なまりのセリフが悪かったと思っていたが、いや、それだけではなく、過度に自己陶酔する悪癖があの曲で既に始まっていたのだと思う。
歌謡曲のオリジナル作品ではコロムビアA-2750「港町十三番地」が、最後の秀作で、これが57年のとき。
20歳を超えてからのひばりは、どんどんクサ味を増し、聞くに耐えない醜作の連続となった。(美空ひばり)


テレサの項ではひばりについて「円熟しながら退廃して行った」と書いてたが、こちらでは「聞くに耐えない醜作」とまで、けちょんけちょんである。これもMorris.は半分賛成といったところかな。
「上海」と「港町十三番地」は、Morris.も熱愛するナンバーなので、これは嬉しかった。
評点の★一つは楽器などのカラー写真に負っている。
ネットで調べたら、中村とうようは2011年7月21日に79歳で亡くなっている。


2012049


【忘れられた日本人】宮本常一 ★★★☆☆
 1960年未来社から発行された。半世紀前、宮本常一(1907-1981)53歳時の著作である。宮本の死後1984年に岩波文庫化され、Morris.が読んだのは文庫版2007年5月第55刷となっている。
雑誌「民話」に連載された主に西日本を中心とした各地の老人からの聞き書きがメインとなっている。
宮本は「無字社会」の記録を重点的に独自の民俗学を実践したことで知られるが、本書の終わりに「無字」ではない「文字を持つ伝承者」として田中梅治翁と高木誠一翁の二人を取り上げていて、Morris.にはこれが印象的だった。

ちょうど、明治大正の時代を前向きになって時代とともにあるいた村をそのまま凝集して一人の人間に仕立てあげた、と言ったような人であった。『粒々辛苦』の付記に、「戸数七百、人口現在三千六百、耕作田地三百四十町歩余、畑地七十二町歩、山林五千七百町、土地所有者ノ最平均シタ村デアツテ、図抜ケタ大地主モナク、一町歩内外ノ自作農ト小作農ノモノ多ク、純小作ト云フモノハ一戸モ居ナイ、米作ヲ専業トシ副業トシテ冬期ノ炭焼産牛木材ノ搬出腐女子ノ麻紡等、海ヘハ南ヘ十里、北ヘモ十里余ニシテ夏期鮮魚ヲ得ルに難キモ、一の屠場アリテ之ヲ補ひ、米ハ食フニ余ツテ余剰ヲ売リ、雑穀蔬菜等、自給自足、木材薪炭材ハ殆ト無尽蔵ト云フベク、一ノ中川中央ヲ貫流シ支川多クシテ灌漑ニ不便ナク、山低クシテ大風大雨等ノ憂少ク、一ノ産土神郷社八幡神社ノ総氏子敬神思想ニ富ミ、宗教ハ真宗一派ノミニテ五カ寺ヲ有シ、信仰最厚ク殆ト理想郷ト言ツテモヨカラウ」としるしているが、もとは決して理想郷ではなかった。貧富の差もあり、借財を持つ農家もすくなくなかったし、水田は湿田が多くかつ各戸の耕地は方々に散財し、労力の割に生産のあがらぬところであった。そうしたむらをすこしでもよくしようとして明治三十六年頃から耕地整理の実施に狂奔し、また借財整理のための信用組合設立にも苦労したのである。そしてとにかく周囲の村から見ればうらやまれるような村にもなり、周囲もまたここに学ぶようになった。
とにかくみんながほこりをもって働けるような村をつくらなければならない。翁はそういいう村をつくろうとし、その理想に近いものを実現したと信じていた。「自然ノ美ニ親シミツヽ自分ノ土地ヲ耕シツヽ、国民ノ大切ノ食料ヲ作ツテヤル、コンナ面白ク愉快ナ仕事ガ外ニナニガアルカ。年ガ年中降ツテモ照ツテモ野良仕事ト云フケレドモ、百姓程余裕ノ多イ仕事ガ外ニ何ガアルカ、一旦苗代ニ種ヲ蒔イタラ植付迄ノ約二ヶ月ハ温泉旅行、御本山参リ、サテハ親戚訪問出来得ルノハ百姓デハナイカ、植付ヲ終ツテ朝草ヲ刈リ牛ヲ飼ツタラ昼寝ヲユツクリ出来得ルノハ百姓デハナイカ、秋収穫ヲ終ヘ、籾ヲ櫃ニ納メ炉辺ニ榾ヲ燃ヤシツツ藁細工ニ草履ノニ三足モ作ツテ其日ヲ送リ、又仏寺ニ参詣シテ作リ自慢ヲ戦ハシツヽ、殆ド三ヶ月ノ呑気暮シノ出来ルノハ百姓デナケレバ真似ノ出来ナイコトデハナイカ」としるしているのは、やせ我慢でも何でもなく、そういう村をつくりあげて来たものの自信にみちたほこりからであった。そういう社会に存在するもろもろの生活の姿を書きとめ、また伝承していく事は意義のある事であり、伝承だけでなく、親から子へとその生活がうけつがれ発展していくものでなければならぬと考えた。(文字をもつ伝承者 (一) 田中梅治翁)


「百姓讃歌」というか、「原始的ユートピア幻想」みたいなものいいだが、農耕民族の末裔であるMorris.には、憧れに似た感情を抑えることが出来なかった。
民俗学というのが実はMorris.にはよくわからない。高名なところでは柳田国男、南方熊楠、折口信夫などの名前が浮かぶ(柳田以外は民俗学者ではないような気もするけど(^_^;)。どちらにしろ、Morris.はどうも民俗学と相性が悪い(無い?)のかもしれない。


2012048

【アンリ・カルティエ=ブレッソン】クレマン・シェルー 伊藤俊治監修 遠藤ゆかり訳 ★★★★ 「20世紀最大の写真家」との謳い文句がある(^_^;) たしかに「決定的瞬間」という写真集(フランス語原題は「Image à la sauvette 逃げ去る映像」はMorris.でも名前くらい知ってるし、数葉の写真は記憶に鮮明に残っている。
その写真集の序文が本書に紹介されていた。その中の構図に関する部分が印象的だったので引いておく。

ひとつのテーマがその力強さを完全に発揮するためには、形の関係が厳密に定められなければならない。被写体との関連でカメラを空間のなかに位置づけなければならず、そこから構図という大きな領域がはじまる。私にとって写真とは、現実の中に面と線と色価のリズムを認識することである。テーマを切りとるのは目で、カメラの仕事は目が決定したものをフィルムの上に刻印するだけである。絵画のように、写真はただ一度で全体を見られてしまう。構図は、目に見える要素を有機的に結びつけ、同時に連携させたものである。根拠なくつくられるものではなく、必然性があり、内容と形を切りはなすことはできない。写真には、瞬間的な線の作用という新しい造詣術がある。われわれは動きのなか、一種の生命の予感のなかで仕事をする。写真は動きのなかで、生き生きとしたバランスをとらえる必要がある。
われわれの目は、たえず測定し、評価しなければならない。ひざをわずかにまげて遠近を変えたり、頭をほんの1ミリメートルうごかすだけで線を一致させたりするが、それは反射的な速度で行われるので、幸いなことに「芸術写真」を撮ろうという努力が避けられる。構図は、シャッターボタンを押すのとほぼ同時に出来上がる。カメラを被写体から多少とも遠い位置に置いたとき、写真家は細部を思い描くが、そのとき細部を自分のものにしている場合もあれば、細部に振り回されている場合もある。満足できずにその場から動かず、なにかが起きるのを待っていると、なにも起きずに1枚も写真が撮れないこともあれば、たとえば誰かが通りかかって、ファインダーを通してそのあとを追い、待って、待って……、シャッターを切り、なにか獲物を袋に入れたかのような気持ちで立ち去ることもある。あとで写真の上に、平均比やそのほかの図形を描いてみると良い。シャッターを切ったあの瞬間にそれらがなければその写真には個性も生気もなくなってしまう。幾何学的に正確な軌跡を、本能的に固定したことに気づくはずだ。構図は、われわれがたえず気を配っていなければならないもののひとつである。しかし、撮影の瞬間の構図は直感的なものでしかない。なぜなら、われわれの相手は関係性だからである。黄金分割の関係を適用するための写真家のコンパスは、自分自身の目のなかにしかない。すりガラスに図表を彫ったものが店で売られる日が来ないことを、私は願っている。テーマを表現する上で、カメラのサイズを選択することも重要な役割をはたしている。たとえば、各辺の長さが等しい正方形は静的な傾向がある。正方形の絵画がほとんどないのは、そのためである。すぐれた写真を多少ともカットすれば、縦横の比は必然的に破壊される。また、撮影時の弱い構図が、暗室で引きのばしのときネガをトリミングしたことで再構成され、救われる例はめったにない。ビジョンの完全さが、そこにはもうないからである。また、「カメラ・アングル」という言葉を良く耳にするが、実際に存在するアングルは、構図における幾何学的アングルだけである。これだけが価値のあるアングルで、わざと奇妙な効果を出すために腹ばいになったりして得るアングルは本物ではない。(略)
私にとって写真とは、ほんの一瞬のうちに、一方で事実の意味を、もう一方でわれわれの目に映ったこの事実の精密な構成を、同時に認識することである。
生きていくなかで、われわれは自己を発見すると同時に、外の世界も発見する。世界はわれわれを形成することができる。この内と外の2つの世界の間で、バランスが保たれなければならない。たえず会話を行なうことで、ふたつの世界はひとつになり、このひとつになった世界を、われわれは伝えていく必要がある。
しかし、これは写真の内容だけにかかわる問題だが、私にとって内容は形式と切りはなすことができない。形式によって、私は厳格な造形的構成を理解する。その構成によって、われわれだけの概念と感情が具体的に伝達される。写真において、この目に見える構成は、まさしく造形的リズムの自然な感情にふさわしいものである。(『決定的瞬間』の序文)


Morris.もずっと「写真は構図」と思いこんでただけに、我が意を得たり、であるが、いや、これまでに何かの引用などでこの言葉を目にして、影響されていたのかもしれない。
ブレッソン自身の格言めいた言葉の中からもピックアップしておく。

・時は過ぎ去り、流れていく。われわれの死だけが、時間に追いつくことができる。写真は永遠のなかで、目もくらむような一瞬をとらえるギロチンの刃だ。
・不意をつかれた目に決定権がある。
・写真はとらえられるやいなや、過去のなかに入る。それが人生……
・私が愛着を抱いている写真は、2分間以上人が見ることのできる写真だ。
・私は「段取りがつけれらた」写真や「演出された」写真に対して、非常に悪い感情を持っている。
・物事をよく見るためには、耳も聞こえず口もきけない人間になることを学ぶ必要があるかもしれない。
・撮ることは集中力や感受性、造形感覚が同時に必要とされる。そして世界に意味を与えようとすればカメラが切り取るものと己とを一体化させる必要がある。撮ることは事実と、事実に意味を与える視覚言語の構造を同時に認識することにほかならない。つまり自己の知と眼と心とを一直線上に置くことなのだ。


本書は新書をちょっと幅広くしたくらいの比較的ちいさなサイズ(B6変形型)だから、掲載写真もそれほど大きくはない。それでも評点の大部分はその写真に負っている。ほとんどが白黒写真で、やっぱり白黒写真の底力というか、魅力を再確認した。今度図書館で彼の写真集をチェックしよう。
2007年には東京国立美術館で企画展が開かれたらしい。一度はオリジナルプリントを拝見したいものだ。


2012047

【空気の研究】 山本七平 ★★★ イザヤ・ベンダサン名義で「日本人とユダヤ人」を出したのが1970年、この「空気の研究」が1977年、ざっと35年から40年前のベストセラーである。ベストセラーはなるべく読まない、というのがMorris.のスタンスだったので、この2冊も読まずじまいでいた。
つい最近読んだ本の中に「空気の研究」の引用があって、そこだけが印象深かったので、オリジナルを読んでみたくなった。中央図書館で検索したら文庫本は貸出中だったので、書庫の蔵書を借りだすことになった。
表題作の他に「水=通常性の研究」「日本的根本主義について」が収められている。手っ取り早く「あとがき」から引く。

「空気支配」の歴史は、いつごろから始まったのであろうか? もちろんその根は臨在感的把握そのものにあったのだが、猛威を振い出したのはおそらく近代化進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には「空気」に支配されることを「恥」とする一面があったと思われる。「いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは……」といった言葉に表れているように、人間とは「空気」に支配されてはならない存在であっても「いまの空気では仕方がない」といってよい存在ではなかったはずである。ところが昭和期に入るとともに「空気」の拘束力はしだいに強くなり、いつしか「その場の空気」「あの時代の空気」を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った。

ひところ若い世代中心に流行った「KY(空気が読めない)」という言葉に、Morris.は何か違和感を感じていた。それへのアンチテーゼとして、山本七平の論調は今でも有効だと思う。

私は二十年ぐらい前に、千谷利三教授の実験用原子炉導入の必要を説いた論文を校正したことがある。先日その控が出てきたので、何気なく読んでいて驚いたことは、「実験用原子炉は原爆とは関係ない」ことを、同教授は、まことに一心不乱、何やら痛ましい気もするほどの全力投球で、実に必死になって強調している。今ではその必死さが異常に見えるが、これは、「原子」と名がついたものは何でも拒否する強烈な「空気」であったことを、逆に証明しているであろう。 

原発に関連する話題がとりあげられていたので、引用したのだが、昨今の原発是非論議にも、考えられさせる(逆説的にでも)事例でもあるようだ。

福沢諭吉--どうも彼を目の敵にするような結果になるが、彼だけでなく、あらゆる意味の明治的啓蒙家--が行なったことは、下手なガンの手術と同じで「切除的否定」で「ないこと」にしたものが、逆に、あらゆる面に転移する結果になってしまった。さらに悪いことに、戦後もう一度、おなじような啓蒙的再手術をやっている。そのため、科学上の決定までが空気支配の呪縛をうけ、自由は封じられ、科学的根拠は無視され、全ては常に「超法規」的にまた「超科学根拠」的に決定される事になってしまった。

明治啓蒙主義は大正、昭和から、平成まで生き延びているといえるだろう。新書、ノウハウ本、生き方本等など。実はMorris.も、結構この啓蒙主義には汚染(^_^;)されてきた。のではなかろうか。

「天皇制」とは何かを短く定義すれば、「偶像的対象への臨在感的把握に基づく感情移入によって生ずる空的支配体制」となろう。天皇制とは空気の支配なのである。従って、空気の支配をそのままにした天皇制批判や空気に支配された天皇制批判は、その批判自体が天皇制の基盤だという意味で、はじめからナンセンスである。

一見、卓見のように見えるが、どこかにごまかしがありそうだ。山本の文体というか、論議のたてかたに、「詭弁」を感じてしまう。Morris.は発売当時、たぶん立ち読みくらいしたと思うのだが、結局読まなかったのはそれを感じたためだと思う。さらにいえば山本の文章にも、何かしっくりこないものがある。図書館の棚でも山本七平と山本夏彦の著作は並んでいることが多く、この二人の文章の格差が際立ったということもある。

ユダヤ人は神だけを絶対視するが故に、神の名を口にすることを禁じた。その他の言葉は、すべて相対化される。いわばどのように絶対化しているように見える言葉でも相対化されうるし、相対化されねばならない。いわば、人間が口にする言葉には「絶対」といえる言葉は皆無なのであって、人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。そうしないと、人は、言葉を支配できす、逆に、言葉に支配されて自由を失い、そのためその言葉が把握できなくなってしまうからである。

宗教と政治と経済に関しては(他にも多々あるが)お手上げのMorris.だが、宗教を持ち出しながらのこの言葉論にも、胡散臭さを感じてしまう。

多数決原理の基本は、人間それ自体を対立概念で把握し、各人のうちなる対立という「質」を、「数」という量にして表現するという決定方法にすぎない。日本には「多数が正しいとは限らない「」などという言葉があるが、この言葉自体が、多数決原理への無知からきたものであろう。正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、元来、多数決原理の対象ではなく、多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法だからである。

うーーむ、「多数決」。さすがに「多数決=民主主義」という短絡思考はおかしいと思うようになったが、Morris.の小学校時代には、そのように習った覚えがある。「多数決は相対化された命題の決定にだけ使える方法」--いやいや、そんな単純なものでもなさそうだ。
確かにいろいろ考えさせてくれる著作ではありそうだが、読後感としては、Morris.との相性は決して良いとはいえなさそうだ。


2012046

【リンゴォ・キッドの休日】矢作俊彦 ★★★☆☆ Morris.は矢作の熱心なファンではないのだが、一目おいてる作家の一人ではある。
2005年発行の文庫版解説に「二村栄爾シリーズの輝かしい第一作」と書いてあった。これが発表されたのが1978年、第二作「真夜中へもう一歩」が85年、第三作「ロング・グッドバイ」が2004年。Morris.は最後の第三作を2006年に読んだ。その時

本書は日本のハードボイルドとしては破格の、スケールは大きく、表現は緻密な、稀に見る秀作だと勝手に断定しておきたい。こうなると前二作も是非読まねば、と思ってしまった。

と、書いたのだが、6年たって、やっとこの「輝かしい第一作」をよむことができたことになる。
35年前の作品だけに、古びてるところもあるが、今読んでも充分楽しめる作品だった。「陽のあたる大通り」という中編が併載されている。
タイトル作は映画「駅馬車」の登場人物、後者はジャズソング「On the Sunny-side of the Street」からの命名である。
矢作の作品読むときは、ストーリーを追うより、ディテールを愉しむにしくはない。
気障を絵に描いたような(矢作はダディ・グース名で漫画描いてた時期がある)比喩まみれの文章。

バスがマフラーから油くさい熱風をふきちらして去った。空気がしんと冴えわたる。夜はつめたく、かわいていた。私は、光の綿菓子のように見えている単車の群れを目指して、坂を下って行った。

暴走族を「光の綿菓子」に喩えるあたり(^_^;)

「連中の目的は、公安部にゆさぶりをかけることなんだ。金大中事件を覚えているだろう。彼が、東京からソウルへ密輸されたとき、旧軍内務班出身の警備公安の大物が力を貸したって話だ。裏には韓国政府とひっついた日本の財閥もいた。話だけでニュースにはならない。これからも、なりゃしねェ。今度の一件はニュースになりやすいってわけさ。手頃な大きさだ。何せ、奴らは、ゆさぶりをかけるだけでいいんだから。そのための暴露だ。何を暴かせたい?!」

金大中事件はこの作品発表5年前に起こっている。まだ余韻が強く残っていたことを伺わせる。しかし「密輸」とはね(^_^;)

国鉄逗子駅の近くから、京浜急行逗子線に沿い、六浦へ抜けるまで、課長に電話をかけようかどうしようか迷っていた。道が細すぎ、そのくせ車の流れが結構あって、電話ボックスのそばに駐められそうにない。六浦から金沢八景の裏手まで出ると道幅がひろがったが、そのときはもう、電話など頭になかった。

あの頃は電話というものは、ざっとこんなものだった。携帯電話の登場はミステリーの世界を大きく変えてしまった、と思う。

その女がセイブルミンクの半コートを煌らせてバーに現れたとき、私は思わず天井を見あげた。彼女を正面から捉える数百キロのライトが、何処かにあるような気がしたのだった。海岸通りのロールス・ロイスそっくりに、彼女は立っていた。立っている処は、レストランから海べりのバーへ下る階段の踊場にすぎなかったが、彼女がそこを、女王陛下の観兵台のように見せていた。映画女優に、揃って彼女のような才能があったなら、大道具のスタッフは一人残らず職を失う。
彼女は、それだけ真顔で言いきると、ふいに笑い出した。金庫から飛び出して来た新品の札束みたいな笑いだった。


女優との出会い場面。なかなかこうは書けないよなあ。矢作は「女」も描ける。これは強みである。

けっこう長い文面だった。共通の友人の消息や、私の電話と住所を、私の学校の野球部OBから聞いたことなどが、とりとめもなく続いていた。私には、妙に冗長だった。長すぎることが、気にかかった。『長すぎる手紙は信用するな』と言ったのは、誰だったろう。いつだって人は、他人の長話に厭な思いをさせられて来た。そのために、三分間で切れる電話を発明した奴もいる。発明したのは男だ。女ではあるまい。

誰かの引用なのか、それとも矢作の独創なのか。どちらにしろ、これは名言だと思う。
その他、ランダムに、矢作節をいくらか並べておこう。

・嗄れ声が羽の欠けたベンチレーターみたいな渋み声に変わり、

・うららかな陽よりに、昔がぷんと匂うような通りだった。

・撃たれたのは下腹部だ。何分かは生きて、その間に人が一生かかって味わうべき刺激を、いっぺんに満喫したのに違いない。

・ボール紙のようなパンにセロハンみたいなハムを挟んだサンドウィッチ

・「こっちこそ名前を聞きたいな。出来れば、短い名だと助かる。[しかし]とか、[実は]とか、[ところで]とか付かない名だ」

・「あばよ、ちばよ、さよならよぉだ(アウツ・オブ・サイト・サテライト)」

・女子供には弱いが、ほうれんそうを食べるとにわかに強くなる男を描いた漫画映画だ。

・アメリカザリガニほどの言葉数で喩えれば、彼女の生業が"女給"だったことに変りない。

・彼の声には、退職間近になって、はじめて不正乗車をみつけた国鉄の改札係り員みたいな響きがあった。

実は、本編中には、連合赤軍事件や、LSD、その他、世相や事件を織り込んで、独自の視点での言説も散りばめられているのだが、それらに関しての物言いはMorris.の任では無さそうということで控え置かせてもらう。
ヒーローは大学時代キャッチャーやってたという設定になっているが、この名前はどうしても沢村栄治を連想させる。当人が巨人ファンらしいところもその証左になりそうだ。
それはともかく、こうなると、二村シリーズで唯一未読の「真夜中へもう一歩」を、どうしても読まずばなるまい。


2012045

【モルフェウスの領域】海堂尊 ★★★ バチスタ作家(^_^;)海堂もの読むのは久しぶりである。9歳で人工冬眠させられた少年が5年目に蘇生するが、5年間介護?にあたった女性が、少年に入れ上げて無償の愛を捧げる、その内容はネタバレになるから書かないが、この二人を、お馴染み東城大医学部の連中がいじくり回すというストーリー(海堂ファンには顰蹙まちがいなし)。
この冬眠装置(コールドスリープ)開発者や、官僚能力全開の上司、少年と同い年のこまっしゃくれた女の子など、脇役陣それぞれ個性あるキャラクタ登場だが、やはりお馴染みキャラたちの、お馴染み行動が、ファンにはたまらないのだろうな。少年もすでに幾つかの作品に登場してて、どうも年齢が合わなかったりしてたのだが、この冬眠というのは、その救済として使われているふしもある。相変わらずなかなかのケレンであるな。
Morris.は海堂作品は、純粋に良質の時間つぶしとして愛飲してるのだが、人気が高くて、なかなか図書館では新作がまわってこない傾向がある。
本書でも、異常に高能力同士のゲームみたいなやりとりが頻出して、その「高能力」らしさを演出するための作者の努力(趣味?)がこぼれる部分が面白かった。
それと、過剰装飾的表現の椀飯振舞。ほんの一部を。

「日本人の特性として同質性に親和性が高い点が挙げられる。裏返せばこれは、異質なものに対する過度の攻撃性である。こうした閉鎖社会における異質分子への攻撃性は、『イジメ』と表現される。」

ひょっとしたら人間とは、時空を超えたふたつの言葉を結びつけるための小さな溶鉱炉に過ぎないのかもしれない。

この瞬間、モルフェウスの海馬は保存され、空間における質量保存の法則に従い、涼子の感情は息を引き取った。かくの如く、この世界は一瞬の生死が交錯する綾織りの中で奏でられる、美しい旋律の破片からできている。


しかし、こういったのも、海堂一流のギャグなのかもしれない。


2012044

【放射能のタブー】副島隆彦編著 ★★★ どうもこの副島という人物には前から胡散臭さを感じていた。トンデモ本の代表とされる「人類の月着陸は無かったろう論」なんてのを出してるし、研究社の英和辞典へのイチャモン本出したこともある。
本書はついタイトルに釣られて読むことにしたのだが、副島とその弟子?たちの雑多な文章の寄せ集めで、中には作文以前の水準のものまで含まれているし、あまり面白いとも思えなかった。
総帥?副島の文章にして、こんなふうである。

がんに罹って死ぬ人、当然死ぬ。がんは自然死の一種だ。病原菌や毒の問題ではない。放射能が病原菌や毒物ではないのと同じことだ。ここはよーく考えてわかってほしい。放射能とは熱量であってジュールで測る。生物は必ず死ななければいけない。だから、がんは人間が死ぬ、死ねるための病気である。過剰な人命尊重はいまや人類にとっての害毒である。巨大な欺瞞である。そんなことも皆そろそろわかっている。人間が死ねなくなったら一体どうするのだ。「120歳まで生きよう」運動みたいなことを言っている者は愚劣だ。本当に救いようのない愚か者たちだと思う。"長生き病"の患者たちだ。どうせ歯や目が先にダメになる。自然にさっさと70歳、80歳ぐらいで死ぬのがマシだと、私は本気で思う。過剰に生きて、病気で苦しんで老々介護で周りに迷惑をかけて、いいことなど何もない。なぜそんなこともわからないのか。アメリカが敗戦後の日本に教えて植えつけた過剰な人命尊重こそが問題なのである。これも計画的な国民洗脳である。(副島隆彦「放射能のタブー」)

かなりのものである(^_^;) 思っててもなかなかこうは書けないよな。でも、Morris.も心のなかでは同じようなことを考えてるのかもしれない。これは小林よしのりのゴーマニズム宣言に通じるものがある。
本書のMorris.の評点がそこそこなのは、「"コンセンサス"ではなく"空気"に支配されてきた、日本の原発推進派と反原発教信者たち」という長ったらしいタイトルの中田安彦の記事のおかげである。

なにより、合理的な議論による"コンセンサス"ではなく、"空気"に支配された状況は、実は別の視点で危険なのだ。その"空気"に基づく、宗教的情熱(反原発とか、反放射能)がなんらかの意図によって作為的にコントロールされてしまうきけんせいがあるということだ。
例えば、原発事故直後に、計画停電=節電という善意で塗り固められた、実際は国家統制政策があった。実際は計画停電なんてやらなくても電力は足りていた。今ではこの計画停電は国民に原発電力の必要性を身体で解らせるためだったともっぱらの評価である。
官僚たちは原子力災害を起こした東京電力の責任も問わず、原子力政策の検証も責任も追求することなく、焼け太りする。「3・11前は原発の推進をストップできる"空気"ではなかった」と言い訳するのだろう。そして、民衆の不安という「心のスキマ」をお埋めしましょうと言わんばかりに新しい法律を作る。そして細かな基準を官僚の裁量で決める。その基準の是非については国会で議論されないで役所の内部で勝手に「省令」という手続き規定によって決まるのである。
その背後には「省あって国なし」と言わんばかりの醜い省益(利権)をめぐる官僚たちの争いがある。どうせ、原発事故の影響でなんらかの病気が急増した場合、今度は厚生労働省が利権を拡大するべく、住民置き去りの法律を次々に立法し、わかりにくい基準をワンサカつくることだろう。そこに医療業界が群がる構図になっている。そうやっていつも国民は官僚が創りだす"空気"に負けてきた。
山本七平が生きていれば、21世紀の日本人が、ある一時期には「温暖化対策」を絶対視し、次の瞬間には「放射能への恐怖」を絶対視し、少したって「再生可能エネルギー」を絶対視するというこの有様を見てどのように思うだろうか。自分の主張が今もって妥当性をもつことに満足するかもしれないが、成長できない日本人に失望もしたことだろう。"コンセンサス"は万能でもないし、すべてが解決するわけではないが、"空気"に支配されることよりはマシである。
私たちが、原発というエネルギーから卒業するには、"空気"の支配圏(=石頭ともいう)を抜け出し、原発のコスト、放射能のリスクについても客観的に議論するべきである。そうして、最終的には議論を踏まえたうえで「国民投票」という多数決コンセンサス形成の試みを実行するしかない。民主主義の手続きを無視すると「官僚による国家統制」がすぐに顔を出す。気をつけよう。(中田安彦)

これは山本七平の「空気の研究」(1977)に全面的に依存した論らしいのだが、妙に説得力があった。Morris.は、「日本人とユダヤ人」すら読まずにすましてきたのだが、これはもしかしたら大きな失策だったのかもしれない。


2012043

【楡家の人々】北杜夫 ★★★★ えらくまた懐かしい作品の再読である。
このところ、どんどんMorris.の読書量が減少してることは何度か書いてきた。理由は多岐にわたる(^_^;)が、Morris.の場合ホームページ開設以来毎年読書控えを公開してるので証拠は明白である。

2011年 72冊
2010年 43冊
2009年 94冊
2008年 96冊
2007年 152冊
2006年 142冊
2005年 129冊
2004年 124冊
2003年 119冊
2002年 152冊
2001年 216冊
2000年 162冊
1999年 172冊

チェック漏れもあるだろうし、シリーズものや複数巻もあるから、実際はもう少し多いかもしれない。最近は、読んでもあまりにつまらなかったり印象に残らなかったもの(Morris.の手に負えなかったものも(^_^;))は省略する傾向にある。
以前は200冊以上の年があったり、100冊以上を維持してたのが、4年前から二桁になってる。
読書家というほどの冊数ではないし、読んだ冊数と享受した感動や喜びがそのまま比例するわけでないことは百も承知だが、それでもまあ一般的に言えば割とよく本を読む方ということにはなるだろう。
小学生の頃から本好きだった。一番読んだのは、やはり高校大学時代だろう。当時のメモは一部しか残ってないが、多い年には300冊くらい読んでたようでもある。
で、学生時代に読んだ本の記憶というのはほとんど闇の中状態であるのだが、同時代の小説作品というと反射的に名前が出てくるのが北杜夫の「楡家の人々」と、遠藤周作の「沈黙」である。お気に入りの作家は倉橋由美子を始めとして他にもいたはずだが、作品名となるとこの二冊が際立っている。
その内の一冊、Morris.若き日の読書を代表すると思われる作品を再読することにしたのに、深い意味は無い。
灘図書館にあった新潮日本文学61が北杜夫の巻に「楡家の人々」が収められていた。年譜によると「楡家の人々」の発行は1964年となっている。ああ、東京オリンピックの年だったのか、と、Morris.と同世代の人間は思うだろう。
Morris.は15歳。高校に入ったばかりの頃である。本書が出てすぐ読んだかどうかははっきりしないが、とりあえず高校の時に読んだのはまちがいないだろう。
40数年ぶりに再読したのだが、ストーリーはほとんど忘れていた。北杜夫の家系をモデルとした(かなりアレンジしてあるが)楡一族三代の歴史小説で、舞台となる楡脳病院の設立者楡基一郎のとぼけた大物ぶりから、その長女龍子の婿養子徹吉(モデルは斎藤茂吉)、その次男周二(モデルは北杜夫)、女性陣はしっかりものの基一郎の妻ひさ、美人で自由恋愛で家を出て早死する次女の聖子、みそっかすで奔放で憎めないというか、一番魅力的なキャラクタ三女の桃子、龍子の娘で聖子似の藍子など錚々たるメンバーである。
やや世間一般から浮き上がった、エキセントリックな人物の多い楡一族が、大きな歴史の波に飲み込まれながら、それぞれのやり方で生きて(死んで)いく有様を描写しながら、時代そのものを浮き彫りにしていく。
そして、本作品では関東大震災と太平洋戦争が抜きん出て大きな柱になっている。

まずは関東大震災時に、基一郎が別荘から東京の自分の病院に戻ろうとする場面。

そこをまた暗いうちに発った。そんな時刻なのに東京方面へ急ぐ人たちが大勢いた。すでに朝鮮人暴動の流言がとびかわしており、線路の上を十人二十人と隊伍を組んで歩いた。基一郎ははじめからびっこをひいて遅れがちになる。誠吉自身にしても慣れぬ地下足袋のため足一面に豆ができ、それがつぶれて大層痛い。しかし何処からか現われるかも知れぬ朝鮮人のほうが遥かに恐ろしい。彼らは武器を持っているとう噂であった。

関東大震災時の朝鮮人虐殺には政府、警察によるデマゴーグ操作があったとされるが、当時の日本人全体にこういったデマを信じさせる(生じさせる?)空気が醸成されていたのも間違いないことだろう。
震災では被害を食い止めた脳病院が、その数年後の火災で消失した焼跡の描写。

焼跡には、菊科の雑草がおびただしく群生していた。草花に趣味をもつ書生の言によれば、ヒメジョオンという舶来の雑草で、鉄道草とも明治草とも呼ばれるそうである。鉄道草は春、こまかく柔らかい形をとって一面に萌えだした。だがやがて、他の雑草をすべて圧倒する旺盛な繁殖力を示し、今ではアカザのように強い雑草まで隅の方へ追いやってしまった。夏が近づくと人の背ほどまでのび、柔らかかった葉も大きく乾いて情緒のないものになってきた。そして中心が黄の白い小さな花瓣をつけはじめ、そうした風情のない花と葉が一面におい茂っているさまは焼跡の無秩序をひときわどぎつく露にしているようでもあった。

北杜夫の博物趣味の一端が伺えると思って引用したのだが、昭和はじめのヒメジョオンは、昭和40年代のセイタカアワダチソウの先駆け的存在だったとみえる。
そして日本がいよいよ戦争にどっぷり浸かってしまう紀元二千六百年(昭和15年 1940)。

朝日新聞社は毎年元旦の紙上にその年の計画を発表するのを常としたが、「紀元二千六百年本社の新事業」というのは次のようなものであった。修練橿原道場を奉献、全国官幣社に国運隆昌祈願、奉納武道大会、日本体操大会、日本文化史展覧会…。長らく人気の的であった横山隆一の「フクチャン」は「ススメ、フクチャン」と改題され、アララギ派の歌人斎藤茂吉は次のような歌を寄せた。「あめの下ひとつなるこころ大きかも二千年(ふたちとせ)足り六百(むつもも)の年」「もろごゑに呼ばはむとするもの何ぞ東亜細亜のこのあかつきに」

父親である斎藤茂吉のこういう歌をさらりと引用する当たりが、北杜夫らしいというべきか。
藍子が結婚しようと思っていた、兄の友人城木の日米開戦直前の思い。

日本をとりかこむ世界情勢は、日と共に変化し、ひしぎあい、切迫しつつあった。軍医学校の内部でも、必然的に或る重苦しい空気が醸しだされていた。いずれは何かが起る。戦争をやるかやらないかの問題ではない。いつかは、どこかで新しい解決法をとらざるを得ない立場に日本は追いこまれているのだ。やるより方法がないのだ。城木も当然そう感じたが、心の一方では、まさかという気持が理屈よりも根強くはびこっていた。なかんずくアメリカと事をかまえるなどとは、いくらなんでも、まさか。

城木は空母瑞鶴に乗り込み真珠湾作戦にも参加する。この前後の手記は何かネタがあるのだろうが、生々しく興味深かった。
その城木がラバウルに着任した時の覚書。

当時のラバウルにはまだ戦爆連合の大編隊の空襲は少なかった。そこは地獄の相を呈している最前線に比べればなんといっても後衛の大基地で、将校たちは木の葉を電燈の傘にした雅趣豊かともいえる宿舎でゆっくりとビールを飲むこともでき、兵卒も主に朝鮮や沖縄出の女たちのたむろするごく殺風景な慰安所の前で、便所を待つ人々のように行列を作ることもできた。

そして軍国少年でもあった周二の戦争末期の死生観。

死は稀有のこと、例外のことに属しているといってよかった。ようやくのことで一人の人間が死ぬと、多くの生きた人間たちが集まって死者を悼み、花を飾り、読経をする。死がそれだけ驚異に値するものであり、生者をおびやかし、慄然とさせるだけの重みを有しているからだ。しかし現在は違う。死は日常茶飯事のことであり、取るに足らぬおびただしい小石ほどそこらにころがっているものなのだ。もしかすると、基本的な生の涯に死があるという考えが、そもそもの誤りであり欺瞞なのではあるまいか。死が根本であり土台であり、生がその上に薄くかぶさっているというのが真相なのではないか。また同時に、爆弾の破片が死をもたらすというのももっともらしい欺瞞だ。それは単なるきっかけ、触媒にすぎぬ。その無味乾燥な破片によって、死がその地底の王国から開放され蘇ってくるのだ。生は仮の姿であり、死が本来の姿なのだ。たまたま戦争という偶発事によって、それまで怠惰にたれこめていた引幕が開かれ、死はようやく暗い陰の領土から足を踏み出し、おおっぴらな天日の下、白昼の中にまで歩みを進めるようになったまでだ。--こんなふうに周二の思考は混乱したものであったが、ともあれ彼の感覚はこの偏頗な思考を諾い、それが一貫しておらず混沌としていればいるほど、その考えを胸に叩きこみ嘉納したのである。

この部分を書いた時の北杜夫は30代半ばである。周二のモデルが若き日の自分だとしても、やはりこれは執筆当時の作者の率直な思いなのではなかろうか。

一体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かに笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮してゆく人間とは何なのか? 語るに足らぬつまらぬもの、それとももっと重みのある無視することの出来ぬ存在なのであろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計は進んでゆく。もっともいろいろな時計がある。五分おきにとまってしまう時計や、やたらとせわしく進んでしまう時計、一年に三十秒しか狂わぬ時計がある。嘗ての楡病院の時計台の時計のそれのように、人為的に無理矢理五分ずつ針を動かされてしまう時計もある。しかし機械にすぎぬ時計を離れて、「時」とは一体何なのか? それは測り知れぬ巨大な円周を描いて回帰するものであろうか? それとも先へ先へと一直線に進み、永遠の中へ、無限の彼方へと消え去ってゆくものであろうか?
だが、そもそもそんなことはわかりはしない問題なのだ。一体誰がそんなことを考えよう? 少なくとも楡家に住む人間が、楡脳病科病院に関係する者すべてが、どうしてそんなことに頭を患わせる必要がある? なにはともあれ時は移ろってゆく。


こういった「時間」感覚が、この長大な作品を書く動機となったのだろうが、北が学生時代から傾倒していたトーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」の影響を、逸することはできないだろう。
Morris.も北の影響で、トーマス・マンはかなり読んだ。ような気がする(^_^;)
ただ、Morris.は北といえば「どくとるマンボウ」シリーズ」の方が先だったと思う。最初の「どくとるマンボウ航海記」が昭和35年で、Morris.が一番ハマった「どくとるマンボウ昆虫記」(Morris.も小中学の一時期昆虫少年だったこともあってこの本にはシビれてしまった)がその翌年、「楡家」はその3年後に単行本化されてるから、あのどくとるマンボウが、こんなすごい長編小説を書いたのか(@_@)ということでインパクトが大きかったのではなかろうか。
借りてきた本には「航海記」も収録されていたが、やはりMorris.としては「昆虫記」こそ再読したくなってしまった。


2012042

【怪優伝】佐野眞一 ★★★☆  「三國連太郎・死ぬまで演じつづけること」という副題。
三國自身が選んだ10本の作品を、佐野が2010年10月下旬に4日間にわたり三國宅を訪れDVDを一緒に見ながらインタビューしたものをまとめたもの、というちょっと異色な本である。選ばれた作品は以下のとおり。(製作年順、数字は本書でとりあげられた順番)

3.「本日休診」1952 渋谷実監督 
4.「ビルマの竪琴」1956 市川崑監督 
5.「異母兄弟」1957 家城巳代治監督 
6.「夜の鼓」 1958 今井正監督 
1.「飢餓海峡」 1965 内田吐夢監督 
2.「にっぽん泥棒物語」 1965 山本薩夫監督
7.「襤褸の旗」 1974 吉村公三郎監督
8.「復讐するは我にあり」 1979今村昌平監督
9.「利休」 1989 勅使河原宏監督
10.「息子」 1991 山田洋次監督


恥ずかしながら、Morris.は一つも見てない(>_<) もしかしたら2,3本はテレビなどで見たかもしれないが記憶に残っていないようだ。もともとMorris.は日本映画はあまり見なかったし、三國連太郎という俳優もほとんど名前知ってるだけくらいだった。
近年「釣りバカ日誌」にスーさん(老社長)役で出てたのが目立ってたなというくらいである。
梁石日と三國との対談「風狂を生きる」を読んで、三國という役者の特殊さと魅力に遅まきながら気づいたので、本書も読む気になった。もちろんこのところ佐野眞一を読み続けてるのでその流れでもある。
読んだ後で言っても始まらないが、本書での佐野の紹介ぶりは、ポイントを掴んで、きっちりストーリーを詳解している。つまり「ネタバレ」オンパレードで、まだ見てないMorris.がこれを読んだ後で、DVDなりで作品を見るとしたら、もう先入観なしには見られないだろうということになる。そのくらい佐野は、映画の筋などは周知のものという立場で突き進んでいる。

満州で人には言えない辛酸を嘗め尽くした内田吐夢が、"怪優"の三國連太郎にからむバイプレイヤーに、コメディアンあがりの伴淳と、言い出したらテコでも動かない頑固者の左幸子を起用した。その"総力戦"によって、戦後に生きたすべての日本人の琴線にふれてくる傑作映画が誕生した。
東京オリンピックの翌年、まだかすかに日本の貧しさの記憶が残る昭和四十(1965)年に製作された記念碑的傑作の「飢餓海峡」は、先祖成長の裏側にべっとりとはりついた、日本人が隠しても隠しきれない愛憎のドラマである。
われわれがこの映画の公開後46年経ったいまも衝撃を受けるのは、そのことを不意打ちされるように教えられるからだけではない。
これ以降この作品ほど感動する映画がつくられてこなかったこの国の文化的不毛と、分厚く覆う閉塞感にも気づかされて、いまさらながら愕然とするからである。(「飢餓海峡」)


佐野にとって「飢餓海峡」という作品が一番印象深いのだろう。監督の内田吐夢が満映出身で、そもそも佐野が日本映画にはまったのが東映ヤクザ映画=満映の残党に端を発することからしても分かりやすい。Morris.は水上勉の原作はリアルタイムで読んだことを思い出した。社会派推理小説という印象くらいしかのこってないが(^_^;)

--これは松川事件がテーマになっているわけですが、この役づくりにあたって広津和郎さんの「松川事件」などの資料をお読みになったんですか。
三國 現場へ行きました。
--松川事件の現場ですか。
三國 はい。
--福島県ですね。
三國 あのころは僕も、いまより辛抱がよかったものだから、撮影が始まる前に、事件のモデルになった現場に10日なり20日なり住んで、現場の雰囲気みたいなもののを吸収して、役づくりをした記憶があります。それからクランクインした。
--三國さんの台詞がきちんと福島訛りになっています。
三國 方言は難しいですね。僕は大阪には長くいたんで、関西弁はわりと自信があるんですが、東北弁は難しいですね。いわゆるズーズー弁でやるとわざとらしくなる。秋田訛りと青森訛りではまったく違います。九州でも長崎弁と博多弁では違います。沖縄の訛りも難しいですね。だから、沖縄に三ヶ月いたこともあります。(「にっぽん泥棒物語」)


役にのめり込む度合いが、尋常でないということが良く分かる。方言がどのくらい細分化されているものかを忘れていた。長崎弁と博多弁の違いの指摘は、佐賀生まれのMorris.には説得力があった。

このシーンでは、三國に殴られた有馬稲子が、なかなか起きてこなくなってスタッフ一同、大騒ぎになったことがあったという。
--有馬稲子はなぜ起きてこなかったんですか。
三國 気絶しちゃったんです(笑)
--ええっ。気絶!本気で殴る三國さんもすごいですが、気絶する有馬稲子もすごい。最近の女優に爪のアカでも煎じて飲ませたやりたい話ですね。
三國 加減しているつもりなんですけど、やっぱり当たるんですね、本番のときに。有馬くんの顔は紫色に腫れ上がってしまいましてね。あわてて冷やして白粉を塗ってどうにかごまかしながら撮影したんです。
--有馬稲子からあとで恨まれませんでしたか?
三國 恨まれました(笑)(「夜の鼓」)


映画や芝居の中のリアリズム、というのが、どうもMorris.には苦手である。女優を本気で殴る三國にも、それを賞賛する佐野にも、辟易する。役者バカという言葉があり、得てして褒め言葉だったりするのだが、虚構である作品に、生身を直接投入剃る必要はないのではなかろうか。観るものにリアルに見えるように演技することが、プロの技術だと思いたい。

三國連太郎が田中正造に、西田敏行がその田中正造を崇拝する反対運動の若手リーダーに扮する。その二人が後年「釣りバカ」シリーズでコンビを組んで笑わせる芝居をしていることを思うと、うたた今昔の感慨にうたれる。
--このシーンで三國さんは土を本当に食べていますね。
三國 はい
--共演者の西田敏行がまさか本当に土を食べるとは思わなかった、こんなとんでもない役者が日本にいるとは思わなかった、そうどこかに書いていましたね。あの場面をよく観ると、土を食べる三國さんを見た西田敏行が目をまん丸にして真顔で驚いています。あれは、アドリブでやったんですか。
三國 本番でやっちゃったんです。
--ということは台本にはなかった?
三國 ええ、書いてありませんでした。あれ、成田の農家の馬小屋の前ですからね。だから馬糞を食べちゃった。
--馬糞の味がしましたか。
三國 いや、もう忘れました。とにかく本番だったから食べちゃったんです。
--でも素晴らしいですよ。こんな映画、もう二度と作れないでしょうね。
三國 作れないでしょうね。あんな野暮な映画(笑)。(「襤褸の旗」)


この作品は成田空港反対闘争を下敷きにしたものだとのこと。田中正造の迫真の演技というのは、見たい気もするが、実際に土を食べるというのも、先のリアル演技とは別の意味で食えない演技のように思える。
映画見ながらのインタビューを挟んで、前後に佐野の解説めいた文章(インタビューも)がある。そこから少し引用しておく。

三國にインタビューして強く感じたのは、荒削りな役柄からはかんがえられないような内面の繊細さである。剛直な外見と脆い内面。それを併せ持ったことが、三國連太郎という役者の比類なき才能であり、最大の財産だったといえる。
観客というものは銀幕の中の俳優に強さの魅力を求める一方、それ以上に弱さを覗きこみたい衝動を抱えた厄介な生き物である。三國はそのことを知り抜いていたからこそ、日本映画界を代表する個性派俳優になれたのだろうし、ここまで長持ちする役者になれたのだろう。

三國 才能のあるなしは別として、親鸞のような生きざまが、人間の生きざまの象徴ではないかと思うんです。
--もう少し、具体的におっしゃって下さい。
三國 はい。現世の欲望に苦しみ、のたうちまわりながら、それでも回れ右しないで前に進む以外、この世に生きていく方法はないのではないでしょうか。
--回れ右しても始まらないと。
三國 はい、敗北しようとなにしようと、とにかく前を向いて歩く。人間にはそれ以外に生きる方法がないのでhないでしょうか。というふうな、思い上がった考えをしているのですが……。


結局、Morris.はこれから三國の映画を見ることにはならないだろうな。
三國といえば、太地喜和子との激しい恋のことが思い出されるが、たっった一ヶ月で別れたとあったのは、ちょっと意外だった。彼女の作品なら機会があればまた見たい気がする。


2012041

【昭和変々】山本夏彦|久世光彦 ★★★ 昭和の写真とコラムのセット、「室内」連載の山本夏彦(大正4生)と「清流」連載の久世光彦(昭和10生)を合体させたもので、特に何ということはないのだが、すでに昭和の生き残り世代となったMorris.には懐かしい写真と文章であることは間違いない(^_^;)

金田一と啄木の仲は金田一が結婚してもなお続いた。新居に来ては借金して帰った。決して返らぬ金だから新婦は啄木を疫病神のように嫌った。金田一は悲しんだ。
私は真の友情はないと思うものだが、ここにはそれに近いものがある。(「下宿屋」山本)


石川啄木の歌はつい口ずさみたくなる調べがあって、日本で一番親しまれている歌人なのかもしれないが、その借金癖を知るほどに、ちょっとお付き合い出来かねると思ってしまう。しかし、金田一京介の献身的な啄木への喜捨が友情かというと、ちょっと疑問がある。Morris.は啄木は、「雲は天才である」という小説のタイトルのみに天才を感じた。

ミシンはたいてい縁側に置いてあった。どこの家でもそうだった。日当たりがいいところの方が、手元が明るいからなのだろうが、あれは、近所の人に、ミシンがあることを見せびらかしたかったのではないかと思う。それくらいミシンは、近代的な姿だったし、軽快な近代の音がした。
せかせかと足で踏むのは下手な証拠だった。自動の回転に任せて、ときどき踏んでやるのがコツだった。停止させないで、ときにスピードを緩め、細かい箇所を通過して、またスピードを上げる技術は、見ていて気持ちがよかった。シンガーが一番上等なことは、子供でも知っていた。(「足踏みミシン」久世)


Morris.生家にも足踏みミシンがあった。Morris.が踏むとどうしても途中で逆回りしたことを思い出す(^_^;) それはともかく電動で良いから小さくて強力なミシン欲しい。

昭和のはじめごろを舞台にした、向田邦子さんの小説やシナリオには、柱時計がよく出てくる。向田さんは、母親がお嫁にきたときに持ってきた時計は、ある朝ふと止まったというだけで、ホームドラマの一回分を見事に書く人だった。ある家庭の上に流れた時の移ろいを重ねてみるのに、茶の間の少し高いところから、家族たちを眺めている柱時計は、向田さんにとって格好の家具だったが、それだけではなく、あの人はあの音が好きだったのである。特に、ボーン、ボーンと鳴りだすほんの少し前の、ジリジリと発条(ゼンマイ)がほどける音が好きだとよう言っていた。(「柱時計」久世)

Morris.は電池式の目覚ましでもベルのなる直前のある種の気配を感じることがある。

南方熊楠の植物誌にこんな一節がある--[紀州田辺で、小児梔子の花を萼および心と引き放ち、花の中孔に細き箸を串(つらぬ)き、口にて吹けば快く廻るを見て娯しむ。よりてこの花を水車と呼ぶ。花弁の配列捻旋してあたかも人造風車のごとく、風に逢えばたちまち廻る。……]
一度やってみようと思いながら、その度に忘れ、ふと気がつくと梔子の季節はいつも終わっている。(「風車」久世)


いや、これはMorris.も一度やってみたい。

汽車にあって電車にないのは[未練]である。このまま行こうか戻ろうか。発車のベルが鳴っても、まだ間に合うのが汽車だった。ちあきなおみの「喝采」には[動きはじめた汽車に/一人飛び乗った]というフレーズがある。ドアが電動ではないから、未練を断ち切って飛び乗ることもできたし、思い直して飛び降りることもできた。
汽車が電車になって、歌の別れはつまらなくなった。(「汽車」久世)

最初の一節はなかなかに見事である。


2012040

【宮本常一の写真に読む 失われた昭和】佐野眞一 ★★★☆☆ 宮本常一が残した10万点の写真の中から200枚を選び、「村里の暮らし」「島と海」「街角」「ジャーナリストの視線」の4章に大別して佐野の「解読」を付したものである。
佐野は宮本に傾倒することは相当なものらしく、97年には宮本テーマの「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているし、その後も宮本関連著作は多く、本書もその一冊ということになる。
Morris.は宮本民俗学というものを何となく敬遠してきたきらいがある。先の「旅する巨人」も未読であるし、宮本の写真も、それなりに時代を写した記録写真という印象しか持てずにいた。
本書の写真を見た後でも、それほどの変化はない。
しかし「おわりに その写真をどう読むか」という佐野の後書きは、すごいと思った。一部を引用しようとしたのだが、結局全文引用するしかないということになった(^_^;)

日本人の「読む力」の減退が、最近しきりといわれている。
「読む力」の衰えが、活字離れを引き起こし、ひいては出版不況を招く遠因ともなっている。「読む力」というイディオムはそうした文脈で使われることが多い。だが、私の見方は少し違う。
「読む」という行為は何も活字だけに向けられたものではない。人間は相手の気持ちも「読む」し、あたりの気配も「読む」。将棋を指すときは、何手先まで「読む」し、風景や写真もまた「読む」対象である。第六感を働かせて、危険を事前に察知する能力も「読む」力と密接不離の関係にある。
「読む力」とは、人間の身体の全領域にわたるこれらの能力のすべてを指している。それが本当に衰えているとするなら、活字離れや出版不況どころの騒ぎではない由々しき大問題である。
「読む力」というものを少しむつかしく定義すれば、人間であれ、事物であれ、自分と向き合うべき対象との距離を測り、その関係性の間合いのなかに、自分の「立ち位置」を正確にポジショニングしていく能力だと言える。つまり、歴史に規定された自分という存在が、その時空間の奈辺にあるかを感じとる能力のことである。
すぐれた写真は、それを自ずから喚起する力を内在的に備えている。それを見る者は、自分がどういう時代に生き、その時代とどう向き合ってきたのか、鋭く問われることになる。その写真を見ることによって、自分と世界との間に横たわる目に見えない等高線を感じとり、自分がその等高線のグラデーションのどのあたりに存在しているかを、いやおうなしに実感することになる。
宮本の写真は、一見、懐かしい世界だけを写しとっているように見える。しかし、その写真は、見る者の身体能力のすべてを稼働させなければ本当に読み解くことはできない。一本の流木から相互扶助の精神を読みとり、杉皮が干してあるだけの山村風景から山林労働の全過程を読みとることはできない。
「あるくみるきく」精神から生まれた宮本の写真には、キーボードをたたくだけで、瞬時に「解」が出るインターネットとは対極の世界が広がっている。そこには、歩くことでしか見えてこない「小文字」の世界が、ゆったりと流れるアナログの時間の「しわ」とともにゆるぎなく定着されている。宮本の写真は、われわれがどこから来て、どこに行くかを静かに問うている。
「記憶されたものだけが記録にとどめられる」
宮本が晩年語った言葉だが、宮本の写真から伝わってくるのは、それを反転させた言葉である。
「記録されたものしか記憶にとどめられない」
宮本の写真の底には、高度経済成長期前後の日本人の記憶と記録がおびただしく堆積されている。


Morris.がいまいち、宮本の写真を「読め」ずにいるのは、「見る者の身体能力のすべてを稼働」できずにいるからなのだろう(>_<)おしまいに宮本本人のことばを、孫引きしておく。これまた含蓄ありまくりのことばぢゃあ。こうなったら佐野の「旅する巨人」と、宮本の「忘れられた日本人」は、必読だな。

いったい進歩というのは何であろうか。(中略)失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえむかわしめつつあるのではないかと思うことがある。(『民俗学の旅』-講談社学術文庫)


2012039

【「1905年」の彼ら】関川夏央 ★★★ 「「現代」の発端を生きた12人の文学者」という副題がある。
1905年(明治38)というのは、日露戦争のまっただ中である。

その日(5月27日)の午後、対馬海峡東方で行われた日本海軍聯合艦隊とロシア海軍バルチック艦隊の海戦は、日本にとって亡国か興国かの瀬戸際の戦いだった。日本人はこぞって、文字通り「固唾をのんだ」。この国民的一体感の共有こそ、国民国家完成の瞬間だった。
1905年は、まだ明治38年でありながら、大正・昭和時代の発端した年、あるいは「現代」のはじまった年として記憶される。


当時の文芸家12人のこの1905年の状況と、その最晩年と死を対照させた論考、ということになるのだろう。とりあげられたのは以下の12人。

森鴎外 1862-1922 熱血と冷眼を併せ持って生死した人
津田梅子 1864-1929 日本語が得意ではなかった武士の娘
幸田露伴 1867-1947 その代表作としての「娘」
夏目漱石 1967-1916 最後まで「現代」をえがきつづけた不滅の作家
島崎藤村 1872-1943 他を擬勢にしても実らせたかった「事業」
国木田独歩 1871-1908グラフ雑誌を創刊したダンディな敏腕編集者
高村光太郎 1883-1956 日本への愛憎に揺れた大きな足の男
与謝野晶子 1878-1942 意志的明治女学生の行動と文学
永井荷風 1879-1959 世界を股にかけた「自分探し」と陋巷探訪
野上弥生子 1885-1985 「森」に育てられた近代女性
石川啄木 1886-1911「天才」をやめて急成長した青年


関川はMorris.と同い年で、80年代後半に韓国を取り上げ、漫画「坊ちゃんの時代」の原作者として注目を集め、同時代史としての昭和関連、日本近代文学の解説などで進境著しいところを見せて、共感を覚え、評価できる作家のひとりである。
しかし、本書はやや期待はずれだった。特に晩年と死の模様を描いた部分は、Morris.枕頭の書である山田風太郎「人間臨終図巻」という先行作があり、本書紹介の12名すべてが臨終図巻にも掲載されている。死の場面自体に大差はないのだろうが、やはり、風太郎の透徹した表現に馴染んできただけに、見劣りがするのは否めない。
細部では興味深い部分が無かったわけではない。
たとえば、以下の様な記述。

智恵子の精神の変調は、もっぱら福島二本松の彼女の生家長沼家の血脈と、生家没落の衝撃によるものと理解されている。しかし私は、「愛というイデオロギー」に殉じようとした高度な緊張感と、そのためにもたらされたアトリエ内部の「冷ややかな暗さ」を、智恵子変調の原因に加えたい誘惑にかられる。「愛」が日常を脱して純粋化、観念化されるとき、「愛」は一種の凶器となる。そしてそれは、痛ましい犠牲をもたらさずにはいないのである。(高村光太郎)

こうやって引用すると、ちょっと気恥ずかしいものがあるなあ(^_^;) 


2012038

【バイバイ・フォギーデイ】熊谷達也 ★★★ 函館の高校生女子生徒会長の岬と、幼馴染でパンクバンドのギタリスト亮輔のカップルを中心に、文化祭を盛り上げるという、青春小説仕立てだが、憲法九条改正是か非かを問う国民選挙を絡めた啓蒙的色合いの濃い作品である。
熊谷は「ウエンカムイの爪」などの自然冒険小説で注目していたが、徐々に芸域を広げ、時代物や青春物や音楽物などの作品を出している。Morris.はどちらかというと初期の作品に愛着深いが、本作はそれなりに面白かった。
函館という街への思い入れも深いものがあるようで、ヒロインの口を借りて、市勢問題を解説したりもしている。

江戸末期、函館港の開港とともに、函館山山麓を中心に、いまでいう西部地区から発展が始まった函館は、東側へくびれた形をしている砂嘴の方へ、さらにその先へと、街がどんどん広がっていった。事実、函館駅のあるあたりが、最も砂嘴が狭まっている場所なのだが、ここに鉄道が通ると、港が近いこともあって、函館駅周辺は海運と陸運の拠点として本格的に栄えていくことになった。
そこまではよいのだが、そのうち人口が増えだして、街そのものが手狭になってきた。と思ったら、うまい具合に、街の外には渡島半島へと続く原野が広がっているではないですか。しかも、駒ケ岳が隣にそびえる大沼の手前くらいまでは、ほぼ平坦なん大地が扇状に広がっている。ようするに未開の土地が山のようにあり、いくらでも町を広げていくことが可能だった。
加えて函館市民の潜在意識には、海面すれすれの砂嘴はそのうち海に沈むかもしれない、という不安があるように思う。
その結果どうなったかというと、特に戦後の核家族化が進んでくると、安い土地を求めて、新たな住宅地がどんどん内陸側に増殖し始めた。当然ながらそれを追うようにして、人が集まる場所も移動していくことになる。
実際、いまの函館で最も賑わっている繁華街は、函館駅しゅうへんではなく五稜郭界隈だ。いや、最近では、事実上最も人があつまるようになっているのは、その向こうにある産業道路沿いだ。新興住宅地が近いこともあって、大きな駐車場を持つスーパーマーケットや家電量販店、ホームセンターなどの大型店が、これでもか、というくらいたくさん並んでいる。


肝腎の憲法改正の国民選挙(これはフィクションだが)の内容も、実際に論議されている改正案を流用してるようだ。現行条文と改正案を引用しておく。

(現行条文)
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(改正案)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 我が国の平和と独立を守り、国民の安全を目的とした、自衛のための組織として、自衛軍を保持する。
3 前項の自衛軍の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
4 自衛軍は、第二項の任務を遂行するための活動のほか、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調して行われる活動に参加することができる。
5 日本国民は、第二項の自衛軍に参加を強要されない。


最初は改正やむを得ずと考えていた主人公たちは、改正案の第四項への疑問からいろいろ考えを深め、そもそも九条本文のみをのこして、第二項を削除するという、もう一つの改正案にたどり着く。
そこにいたるまでの紆余曲折、インターネット書き込みでのバトル、亮太の父(海上保安庁)の船が某国の魚雷で撃沈される事件などが絡みあうのだが、やや強引に作り上げた感じもする。
ちなみにタイトルは、亮輔作詞作曲のバンドの曲名で、憲法九条の解釈が霧や靄がかかったみたいな感じだったものを国民選挙で視界良好にするというものらしい。歌詞も掲載されてたが、これは引用を控えておく(^_^;)


2012037

【フクシマ元年】豊田直巳 ★★★★ 震災の翌日車で福島に車で取材に向かい、その後も取材を重ねたフォトジャーナリストの、震災一年後の報告書である。
冒頭16Pのカラー写真があり、あとは本文と、モノクロ写真で構成されている。
震災直後の情報混乱と苛立ち、政府と東電の隠蔽合戦、取材、撮影への後ろめたさ、それでも取材することでしか自分の役割を果たせないとの自覚。個々の被害者との接触を通じて浮かび上がるさまざまな問題。抑制されながらも端々に滲みだす怒りと後悔。真摯で誠実なジャーナリストの姿勢が読者にも伝わってくる一冊である。
写真も文章以上に著者の気持ちを伝えてくれる。

私たちは、「唯一の被爆国」と自ら喧伝し続けた日本政府の下に生きてきた。「ヒロシマ、ナガサキ」を知らない日本人はほとんどいないはずだ。「放射能」という言葉も、日本人の誰もが知っている言葉かもしれない。しかし、その知識は何によってもたらされたのか、問うたことのある日本人は少なかったにちがいない。「放射能は危ないもの」と言いつつ、それは、「でも、原子力発電は安全」という神話と一体だったのではないか。それは、マスメディアを通して刷り込まれてきたことではなかったか。

そのときに必要だったのは「支援体制」ではなく、なによりも避難だったのだ。しかし政府はそれを隠した。その最たるもののひとつがSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)事件だろう。そのときは私もまた、福島の人々と同じように、闇の向こうで行われていた情報の隠蔽を知らなかった。そして、後になって放射能汚染予想の地図が公表されたときには、しなくてもすむはずの大量の被曝をさせられた人々を私は取材することになる。五月になって、情報隠しは「市民に不安を与え、パニックが起きるのを恐れたため」(細野豪志首相補佐官=当時)と加害の当事者となった政府によって「正当化」された。

「がんばろう福島っていう言葉が一番嫌い。これ以上、もっと頑張らなくっちゃいけないの? 私たち」。別れ際に三歳の娘を背負った芳賀幸子さんが、思い出したように語った言葉だ。

東日本大震災、そして原発震災から一年になる今、振り返って思う。私たちは、自分たちが暮らす日本に対してこれほど懐疑的な眼差しを向けたことはなかったのではないか。東京電力や政府発表に対してはもとより、マスメディアが流布する言説やインターネットの情報に対しても、私たちは批判的に接するようになった。さらにそれらに批判的な眼差しを向ける自分自身に対してすらも疑い深くなっているのではないか。
「私たちは何を信じたらいのですか」と、取材の現場で、講演で訪れた会場で、何十回となく質問された。原発震災という未曽有の苦しみと、放射能という巨大な負の遺産を背負って生きていかなかければならない私たちは、苦難のなかで身につけさせられた疑り深さを、光明へのせめてものてがかりにするしかあるまい。
ヒロシマ、ナガサキからチェルノブイリへ、そしてイラク戦争へと過ちを繰り返し続けた私たちの過去は、「安全神話」信仰の歴史と重なる。だからこそ現在進行形で続くフクシマの経験から、もう二度と「安全神話]信仰は許されないことを私たちは学ぶべきだろう。それでなければ海岸線に放置された行方不明者という名の死者、子供たちという総称で呼ばれるヒバクシャに申し訳が立たないと私は思っている。そして今後も私は、より疑り深くなった私を抱えながらフクシマに向き合っていくしかない。


これらの言葉に、いろいろ付け加える必要は無さそうだし、その資格もない。
こういった本を読むことが、何もしない(できない)自分への免罪符になるなどとゆめにも思わないが、教えられることは多い。無知は罪なのだから、まずは、知ることから始めるしかあるまい。


2012036

【京都洋館ウォッチング】井上章一 ★★★☆ 新潮社「とんぼの本」シリーズの一冊である、ということだけで、おおまかなところは分かるだろう。お手軽なヴィジュアルガイドである。
著者のテイストを全面に出して、いくらかひねった解説もあるが、おおむね京都の主だった洋風
建築を網羅してあるので、Morris.には有用だった。
同志社、京都大学、龍谷大学の建物はじっくり見たくなったし、旧二条駅舎を移築した梅小路蒸気機関車館には、ぜひ足を運びたい。
三条通りの郵便局、旧日銀などのレトロ大型ビル群の東にある1928ビルのことが印象的だった。

三条通には、界隈景観整備地区にくみこまれた一画がある。戦前期のレトロな洋館をたもってきた地区が、それにあたる。三乗御幸町の1928ビルも、その東端あたりにたっている。
もともとは、大阪毎日新聞社京都支局のビルとして、たてられた。武田五一の設計で、1928年にできている。これをとりこわす話がでた時に、現代建築家若林広幸が買いとりをもうしでた。今は若林がオーナーになった複合施設として、この建築は生きのこっている。
ビルの再利用にあたり、若林はそのあちこちに修繕の手をほどこした。外壁もぬりなおしている。それをとがめるむきが、建築界の一部になくはない。武田先生の作品を、若林はないがしろにした。そんな声が、とりわけ武田を師と仰ぐ京大関係者から、ひびいてくる。
しかし、教大もその同窓会も、この武田作品を買いとることはできなかったのだ。レトロ建築の保存をもとめる建築学会も、彼らの要望をみのらせることは、あまりない。たいてい、腰巻保存やフンドシ保存におわっている。そのことを思うと、京大の関係者でもない若林の努力は、とうとばれるべきだろう。


「腰巻保存やフンドシ保存」(^_^;)とは言い得て妙だね。でもそれでも完全に無くしてしまうよりはマシだと思う。


2012035

【京都|大阪|神戸 [名建築]ガイドマップ】円満寺洋介 ★★★★ 先の「京都洋館ウォッチング」とほぼ同時期2011年秋)の発行である。
こちらは、三都の名建築を50のルート別に紹介。実践的なガイドブックである。
詳細なルートマップとほとんどカタログ風に並べられた小さな写真とキャプションくらいの解説で、ほぼ600近い建築物が紹介されている。
Morris.が見たり知ってたりするものは、神戸で80%、大阪で60%、京都で40%くらいだった。
先日甲子園球場の帰り、今津小学校の六角堂見物したり、昨日大倉山で伊藤博文銅像台座など見たのも、本書にインスパイアされたのだ。
筆者はビルの補修などをやってるそうで、それに関連した意見も見られるが、例の神戸裁判所の変てこりんな保存?に関して以下のように書いてあった。

いつ見てもなんともいえない気持ちになる。なぜこうなってしまったのか。屋根がなくなってバランスが失われているとわたしは思う。かわいそうだと思わなかったのだろうか。

やっぱりMorris.だけでは無かったんだね(^_^;)。
それにしても、この50コースはよくできている。これさえあれば、効率良く、見落としもなく、三都の主だった建築を見物することができる。買ってもいいかと思ってしまった。
ただコースに外れた建物たちは除外されているわけで、身近なところでは御影公会堂や甲南漬の建物などは載ってない。しかし趣味の建物巡りは、偶然の出会いというのが、大きな楽しみでもあるし、スタンプラリーみたいなことにはしたくないな(^_^;)


2012034

【シューマンの指】奥泉光 ★★★☆☆ 久しぶりの奥泉の新作、といっても2010年7月の発行だからすでに2年前の作品である。なかなか図書館では見当たらなかったのだ。予約が多く入ってたのだろう。そのくらいに彼の作品が人気を博しているというのは、ちょっと意外でもあり嬉しくもある。
タイトルからしてシューマンの音楽が大きな意味を持ってることは予想されたが、読後のMorris.の感想は、奥泉のシューマン讃歌だった(^_^;)
ストーリーは、過去の殺人事件と、指を無くしたピアニストの30年後の復活とそれに関わる語り手(手記として)と事件の真相を明らかにするというもので、それなりに凝った造りではあったのだが、推理小説としては二流ではないかと思ってしまった。
しかし本書の腰帯の惹句にはいささか鼻白むものがあった(>_<)

シューマンの音楽は、甘美で、鮮烈で、豊かで、そして、血なまぐさい。

これはまあよしとするとして、

ラスト20ページに待ち受ける、未体験の衝撃と恍惚--。

おいおい、これは反則じゃないのかい? こんなこと先に提示されたら、読者はずっと、そこに何があるのかを気にしながら読まざるを得なくなるではなかろうか? しかもその結果ががいささかの拍子抜け、と来た日には(@_@)
Morris.はこの作品を小説としてより、シューマン論(讃)、クラシック音楽論として読んだ。
たとえば次のような一節。

音楽は、とりわけ西洋のいわゆる古典音楽は、一つの建築物であり、それ自身小宇宙をなすものであるけれど、不可逆性を有するところに建物との違いがある。音楽は全体を一遍に受け取ることはできず、時間の中で順番に聴かれるしかない。物語もきっと同じだろう。順々に、根気よく語っていかねばならないのだろう。

時間芸術としての音楽、しかし一度覚えられた音楽は自由に思い出され全体としても理解、鑑賞することも可能だろう。
そして奥泉のクラシック音楽の造詣の深さはそこかしこに披露されている。たとえば、シューマンに代表されるロマン派音楽についてはこんな感じ。

ロマン派音楽の特徴の一つはその物語性にある。これはオペラに起源を持つので、その意味では、バロックこそが最も物語的だといいうるし、古典派にも当然ながら物語性は色濃く刻印されている。だが、ロマン派以前の音楽が、どこかで神話の輝きを帯びた叙事詩的な性格を備えていたのに対して、ロマン派は、近代文学と同様、個人の感情や内面の葛藤を物語の軸に据えるところに特色がある。だからこそロマン派音楽は、演奏者や聴き手の「感情移入」を容易に許す。物語が感情を揺さぶり、心から溢れ出す感情が物語を産み出す--。その果てしのない循環の中で人は音楽と戯れる。

主人公のピアニストの口を借りての、奥泉自身の音楽宇宙観の吐露。

「シューマンがピアノを弾く--シューマンは即興演奏が好きだったみたいだけれど--そのとき、シューマンは実際に出ている音、つまりピアノから出ている音だけじゃなくて、もっとたくさんの音を聴いている、というか演奏している。極端にいうと、宇宙全体の音を聴いて、それを演奏している、そういう意味でいうと、ピアノから出る音は大したものじゃない。だからシューマンは指が駄目になったとき、そんなに悲しまなかった。だって、ピアノを弾く弾かないに関係なく、音楽はそこにあるんだからね」

そして、シューマンの個々の作品への実況中継的で文学的な詳解部分は本書の眼目で、これも数カ所で長文にわたって開陳されてる。Morris.なんかこれを読むだけで、ついその曲を聴いてるような気にさせられたし、本物を聴いてみたくもなった。
ここでは「《幻想曲ハ長調》Op.17° 第二楽章」のほんの一部を型見本として引くにとどめる。

大きくて厚い響き、もうこれが限界だろうと思えるほどの厚味と幅のある響きの塊。その先にはしかし、さらに大きな響きの岩塊が待ち受けていて、空間を圧倒して埋め尽くすのだ。
完璧な技術といえば、どうしても即物的で冷淡な演奏を想ってしまう。だが、いま聴こえてくる音楽に、人間的--の言葉はふさわしいとは思えないけれど、健康的な人の体温が、明朗でまろやかな知性の暖かみが溢れていることに、私は感情を揺さぶられた。知らず涙が出た。
的確に描出される音の輪郭と、目眩のするほどの多様な色彩感とスリリングなリズムの交代、そうして、それら全部を緊密な構図のなかに収める意志力と集中力。憧憬、夢想、悲嘆、怒り、憂鬱、微笑、歓喜、諧謔、冷笑、恋情、あらゆる人間の感情を凝縮しながら、ときに軽々とそこから飛び離れて、天空を飛翔する精神の羽撃き。
決して短くない第二楽章は、鼻の奥を熱く潤ませ、おおおう、おおおう、とセイウチのような驚嘆の叫びを頭の中に響かせ私の前で、ほとんど一瞬のうちに過ぎ去って、最後のE♭の和音、ベートーヴェン以来の伝統である、英雄の勝利の宣言である和音が高らかに打ち鳴らされた。


ピアノ演奏の細部に関しては、著者の旧友のピアニスト(椎野伸一)から助言を得たとのこと。
Morris.はあまりにも音楽論に偏った読み方をしたのかもしれないが、小説としても充分合格点は付けられるものだと思う。
ただ、「長い睫毛をしばたき」(221p)という誤用表現があって、これでちょっと減点対象になってしまったようだ(^_^;)


2012033

【韓流ブームの源流】高祐ニ ★★★ 「神戸に足跡を残した韓国・朝鮮人芸術家たち」と副題にある。
伝説的舞踏家崔承喜、在日歌手小畑実と金永吉(永田絃次郎)、女優文藝峰を中心に、戦前の日本での朝鮮人芸術家の活動を、当時の新聞記事や、記録からまとめたもの。第四章の「ザッツ・エンターテイメント」は著者の実兄高東元の執筆だが、Morris.にはこの部分が一番関心をひいた。オーケーレコードを設立した李哲に関する記事があったからだ。朴燦鎬さんの「韓国歌謡史」に言及している部分もあった。「木浦の涙」を歌ったイナニョンを朝日商会の主人が李哲に引きあわせたというエピソードに関して

「韓国歌謡史」に登場する朝日商会とは、前後の脈絡からしてアサヒ蓄音器商会のことかおと思われる。アサヒは東京-大阪間の名古屋に本社があり、その間を往復する芸能人に立ち寄ってもらい、レコーディングするというユニークな方法を採用していた会社である。また東京でメジャーヒットが生まれると生産が追いつかないため、名古屋で製造して西日本方面へ輸送するという、下請的な業務も行なっていた。つまりアサヒは東京と大阪の中間にあって他のレコード会社やその専属歌手とのつながりの深いレコード会社だったのである。

などと書いてある。
またMorris.が一番好きな韓国の作曲家パクシチュンについての言及もあった。

朴少年は相当器用だったのであろう、巡業しながら見よう見まねでマンドリンやヴァイオリンを演奏し、クラリネットも手がけていくようになった。また、古賀政男の登場でギターが流行すると練習して覚えた。幼い頃、父の膝に座り名唱や風流人たちとともに妓生らの奏でる伽倻琴を聴き長鼓
のリズムに合わせておどっていたという家庭環境が、彼の音楽に対する素地となっていた。彼の才能は旅回りで、一挙に花を咲かせた感がある。朴順東はすでに青年に達していた。その手腕を買われて朝鮮の常設映画館の楽士としてスカウトされたが、性に合わなかったのであろう、ドイツ人の力自慢の女性が自動車を持ち上げるような外国魔術団のヴァイオリン奏者として引き抜かれ、再び満州への巡業の生活に戻ってしまう。そして当時の満州国の首都である新京で日本人の旅回り一座に加わって大阪にやってきたのである。
その頃、大阪では吉本興業と手を組んだ裵亀子歌劇団が活躍していた。彼女たちの活躍を知って朴青年は入団を申し入れたが、女性だけの劇団であるため断られてしまったのである。やがて裵歌劇団は帰国してしまったが、「韓流ブーム」が続くと見込んだ吉本興業は神戸の千代座で朝鮮の芸能人を集めて「アリラン歌劇団」を結成し、そこに巡業に来ていた朴順東も誘われたのである。メンバーのひとりであった映画監督の洪開明が彼に「いつも春」という意味の「是春」というペンネームをつけた。こうして「韓国の古賀政男」と称された朴是春」が誕生したのである。ソウルに戻った朴是春はオーケーに入社し、当時無名でやはり李哲にスカウトされた17歳の姜文秀の歌を作曲した。「哀愁の小夜曲」である。姜少年は南仁樹と名乗り、44歳で亡くなるまで千曲以上を歌い、「歌謡皇帝」の称号を得るほどになった。


目新しいことはないのだが、コンパクトに作曲家朴是春誕生の経緯がまとめられているので引用しておいた。

高祐ニの記事の中では、本書のテーマから離れるが、北朝鮮体制への批判的言説が印象に残った。

マルクス・レーニン主義にとってはそもそも世襲制といった封建主義的な残滓は、徹底精算・廃絶されるべきものであった。にもかかわらず北朝鮮では至上命題として遂行され、現代における王朝体制がいまだに継続されようとしている。こうした現状から考えると、北朝鮮は資本主義でもなければ共産主義でもない。100年前に滅び去った李氏朝鮮の封建制度が現代に蘇ったと考えれば理解が早いのかもしれない。

これにはMorris.も同感である。

北朝鮮では日本から帰国した在日同胞は、資本主義の空気を吸った「雑菌」と呼ばれ人間扱いされなかった。

この事実が、1950年代から80年代までの北朝鮮帰還事業当時(特に前期)に明らかにされていたら、と切実に思ってしまう。社会党や朝日新聞に代表される、政治、マスコミの責任は大きすぎると思うぞ。


2012032

【明日の風】梁石日 ★★★ 「血と骨」に代表される彼の父と息子の物語である。もう充分だろうというくらい手を変え品を変え読まされてきたが、本書は子供の視点から書き始められているのが新味と言えなくもない。
変名だが、金時鐘や金石範などとの交友や文学運動なども、久しぶりに読むと、懐かしさを感じる。
それにしてもこんな「父」がいたら、たまったもんじゃないだろうな。ほとんど怪物である。それもあの時代ならばこそ存在できた存在だったのかもしれない。
そして「息子」である作者もそれなりにしたたかである。世間を見る目が虚無的でもある。

このところ在日コリアンの間に金貸しが流行っていた。小金持ちは月に、五分、六分の利息で金を化していた。三分の利息は良心的であると言われていた。金のやりくりをするため、在日コリアンの間で頼母子講が盛んになり、頼母子講で落とした金を今度は高利で貸していた。猫も杓子も金貸しであった。一万円の金を借りるときも必ず利息を要求された。しかし、頼母子講の親が破綻すると連鎖反応を起こして子も破綻する。そして人間関係は崩壊するのだった。
金の前で人は無力だった。金の前で人は人間性を問われる。金は富であり、力であり、野心と野望であり、権力であり、邪悪な心であり、魔物であり、印刷物であり、希望であり、憎しみであり、悲しみであり、愛の証であり、幸福と不幸の裏表であり、堕落と退廃であり、快楽であり、偽善と虚栄であり、犯罪の源であり、何ごとも先だつものは金であり、金で換えないものないが、心は買えないという二律背反であり、資本主義と社会主義であり、なになに主義のなになに社会であり、無限級数的な欲望の果てに行きつくところは<空無>であり、あの世もこの世も、仏の道も地獄の沙汰も金次第である。父はこのことを熟知していた。


2012031

【巨怪伝】佐野眞一 ★★★★☆ 読まねば、と思いながらなかなか果たせず、5月にやっと中央図書館の書庫から借りだしたものの、半分くらい読んだところで韓国に出かけ、帰国してからまた借りに行ったら貸出中で、やっと先日書庫から借りだして読み終えた。
平成6年(1994)の発行だが、佐野は本書に取り掛かってから書き終えるまで足掛け9年かけたとのこと。まさに渾身の力作である。
正力の名前とそのワンマンぶりなどは仄聞していたが、あらためて彼のやってきたことを知ると、まさに「巨怪」という言葉は言い得て妙である。
本書の要約すら、今のMorris.には手に余るようなので(^_^;)とりあえず、あとがきの一部を引用しておく。


この本は、"庶民"というものが、いかにして"大衆"というものに変貌したのか、ということが、大きなモチーフとなっている。そのモチーフをさぐる上で、正力松太郎ほど恰好な人物はいなかった。
原発導入という国家的テーマから、プロ野球の興行、プロレスの街頭テレビ中継という卑属なテーマにまで関わり、最後は、"展覧試合"という、天皇と大衆を結びつける"国民創生"のゲームすら実現してしまった正力松太郎は、日本を大衆社会に嚮導した化身的人物だった。
その人物を解剖することは、そのまま、日本を大衆社会に導いたそもそもの淵源に遡るたびに重なった。
その意味で、日本が大衆社会に突入する大正年間に、正力が警視庁の大幹部として、民衆の取り締まりに辣腕をふるったことは、きわめて興味ぶかい。その後、正力は読売新聞に乗り込み、戦後は、わが国初の民放テレビ局を創設してメディアを支配していくことになるが、正力にとってのメディアと、それを武器にした興行は、民衆の暴発を未然にかわす予備拘束の別名にほかならなかった。
この仕事を通じて改めて実感したもう一つのことは、第一次世界大戦後の"戦勝国"気分に浮かれた大正年間の日本と、いまの日本とが驚くほど酷似していることだった。
国際連盟の理事国となり、"一等国"の成金ブームに浮かれた大正期の日本は、空洞の経済大国でしかないのに、国際連合の安保常任理事国入りを狙う現在の日本と、奇妙なほど重なりあっている。また、一時的には、和平ムードを醸成することになった大正10年のワシントン軍縮条約は、東西冷戦構造の終焉が招いた現在の状況と相通ずる面をもっている。これほど似た状況にある以上、大正期のエポックを画し、江戸を東京に変えた関東大震災クラスの大地震が、近々、きっと来るに違いない。執筆中、そんな物騒な考えに、しばしば襲われた。
正力松太郎は、大衆が、歴史の表舞台に初めて顔を出すロシア革命勃発前夜に、民衆を弾圧する側のエースとして登場してきた男だった。それから七十年、そのロシア帝国が崩壊するという世界史的大激変に至りながら、正力が、いまだわれわれの生活に向け強力な磁力を放射しているように見えるのは、たぶん、この歴史的状況の近似性のためだろう。
本書では、その近似性を、正力松太郎という人並み外れた我執の持ち主と、その嫉妬心によって歴史の闇に埋葬されてしまった人々との複雑な人間関係と、情念のドラマを、百年あまりの歴史を通して描いたつもりである。
日本近現代史の闇に垂らされた重力の塊のような正力よりも、その正力によって影絵の世界に送り込まれた人々のほうが、歴史の正当な継承者だということを知ったのは、この仕事から得た最大の収穫だった。
生者が死者によって精彩を与えられているように、歴史のなか正史に頌徳された人物の光輝は、そこから排除された人物の濃密さによってこそ齎されている。


正力の出発が警察権力中枢、それも関東大震災を契機とした取り締まりと弾圧だったということは見落とせない。関東大震災と言えば甘粕正彦による大杉栄家族殺害事件のことが思い浮かぶが、朝鮮人虐殺に正力が深く関わっていたことは知らずにいた。

悪質なデマからくる朝鮮人虐殺は、もはや政府として座視しえないような事態にまで広がっていた。9月7日、政府はようやく重い腰をあげ、「流言浮説ヲ為シタル者ハ、十年以下ノ懲役若シクハ禁錮又ハ三千円以下ノ罰金ニ処ス」」という、いわゆる流言浮説取締令を交付した。
治安維持令とも呼ばれるこの緊急勅令は、一見すると、9月1日以降、流言蜚語を伝搬するままにまかせた政府当局が、自らの反省を込めて発令したかのようにみえる。しかし歴史学者の今井誠一が『歴史の真実--関東大震災と朝鮮人虐殺』のなかで述べているように、この勅令は一面、<逆に流言、迫害、虐殺の真相を糺明して政府や軍部を批判するいっっさいの言論報道を抑えつける>
という目的ももっていた。震災のどさくさにまぎれて出されたこの勅命は、それから二年後の大正14年に施行され、日本共産党など社会主義運動を弾圧する上で最強の武器となった、悪名高い治安維持法の先駆け的法令だった。
9月2日の戒厳令発布によって、新聞各社は治安に関する記事の掲載を一切禁止されていた。7日の勅令は言論報道機関の自由をさらに拘束することになった。当時ラジオ局はまだ開設されておらず、庶民と社会を結ぶメディアは新聞しかなかった。新聞の言論統制は、庶民のパニック状態を一層加速させ、それがまた流言をますます拡大させていった。
9月5日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ」という通達を出した。さらに11日には、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」という命令が発せられた。
この通牒には、暴動の首謀者を、今や虚報ということが明らかになった朝鮮人から、社会主義者にすりかえることで自らの治安対策の失敗を糊塗し、あわせて朝鮮人虐殺の責任を、直接手をかけた軍隊、警察、自警団から、彼ら朝鮮人を裏からあおって暴動を画策した可能性のある社会主義者たちに転嫁させようとする意図が隠されていた。


Morris.にとって正力といえば、読売巨人軍と「天覧試合」だった。Morris.もあの試合のテレビ画面は、記憶に鮮烈に刻み込まれている。本書もプロローグとして、この試合の記録から始められている。
しかし、日本プロ野球創設に関しても、正力の怪物ぶりは際立っていたようだ。


大リーグ来日の人気沸騰に味をしめ、読売新聞の部数拡大と興行収入だけをあてこんだ、この"正力野球"に比べ、彼ら4人が練りあげたプランには、プロ野球に対するワールドワイドな夢と、堅実な経営方針が盛り込まれていた。結局、彼らのプランは、夢の部分をことごとく削ぎ落とされ、"正力プロ野球"に実利部分だけを収奪される結果となった。
正力と正力の"影武者"と称される人々がとり結んだこの関係は、プロ野球だけに限らなかった。戦後のテレビ導入にあたっても、正力は、この新しいメディアに託した"影武者"の夢とは無関係に、実利という果実だけをむさぼり食った。
ここに現れているのは、人間は夢なしに生きてゆくことはできないが、夢だけで生きてゆくこともできない、という人間世界の宿業の構図である。
正力と、"影武者"たちとの関係は、夢をもった者たちはその夢を実現できず、夢をもたなかった者だけがその夢を実現する、という皮肉な関係だった。しかも実現されたその夢は、いつも形骸化された夢、夢の抜け殻ともいうべきものだった。


そして原子力との関わりである。まさに今、その存在の是非が問われている原発導入に正力(と影武者)の果たした役割の大きさ、それ以上にアメリカのしたたかさを、今一度確認する必要がありそうだ。

正力を"原子力の父"と呼ばせる仕掛け人となったのは、原子力予算を成立させた手柄を手土産に正力に近づいた仲宗根でもなければ、その中曽根の監視役を仰せつかり、その結果、中曽根と刎頚の仲となる渡辺でもなかった。"正力テレビ"の導入で目ざましい活躍をした柴田秀利こそ、正力を、"原子力の父"に仕立てあげた本当の陰の仕掛人だった。
「日本には昔から"毒は毒をもって制する"という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与える他はない」この一言に、アメリカ人の瞳が輝いた。
「よろしい、それでいこう」というと、柴田の肩をたたき、身体を抱きしめた。
アイゼンハワーの"アトムズ・フォー・ピース"演説からわずか三ヶ月あまり後の第五福竜丸の被曝は、アメリカに深刻な打撃をもたらしていた。ダレス国務長官は、被曝の事実を糊塗するため、ビキニ患者は放射能によるものでなく、"血清肝炎"によるものだと決めつけ、彼らは"スパイ"の可能性もあるとさえいった。その上でダレスは、「日本人は"原子力アレルギー"にかかっている」と結論づけた。
しかし、そんなダレス発言を信じる日本人は一人もいなかった。アメリカは原子力のへいわりようという美名の裏で、核兵器の生産に狂奔しているという見方が世論の大勢を占め、原水禁運動は反米闘争の様相を呈しはじめていた。
アメリカ政府と同様、柴田も危機感をつのらせていた講和まもない日本にあってアメリカを深刻な状況に追いこむことは、せっかく走りはじめた日本繁栄への道をとざし、反米共産革命の口実をあたえることにもなる、というのが柴田の考えだった。柴田はダレスのように、第五福竜丸の乗組員が"スパイ"だとも、"血清肝炎"で死んだとも思わなかったが、それだけにこの事態を深刻に受けとめていた。


それにしても佐野眞一の取材力と粘り腰、筆力には感服するしか無い。
巻末の年譜(15p)、参考文献(23p)、人名索引(21p)を見るだけでも、半端ではない、執念みたいなものを感じてしまう。
本書が、神戸市立図書館の中では、中央図書館と須磨の2館にしか所蔵されていない、というのは、あまりにも貧弱だと思う。


2012030

【オー!ファーザー】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 2006年から2007年にかけて複数の地方新聞に連載されたもので2010年に単行本化されている。伊坂は「ゴールデンスランバー」「モダンタイムス」などを始めとして、いまMorris.が一番楽しめるエンターテインメント作家だとおもっている。
本作は、4人の父親を持つ高校生由紀夫を主人公として、漫画テイストの濃い娯楽作品だが、いかにも伊坂らしい洒落て含蓄のある会話が全編に散りばめられている。


「人間は、恥をかくのが苦手なんだ」フォークを置いた悟が静かに述べる。「恥をかくと、むっとするようにできている」
「できている?」由紀夫は鸚鵡返しに言った。
「恥をかく、ということは、自分の弱さが晒されたことになる。そうだろ? だから、反射的に、むっとなる。自分を強くみせなくてはならないからだ」
「動物的に?」由紀夫は訊く。
「そうだ。知識や論理ではなくて、動物的な反応として、恥をかかされるとむっとなる。この間読んだ本には、室町時代の金閣寺の僧が、他の酔った僧に笑われて、殺傷沙汰になったと書いてあった。僧侶であっても、他人に笑われると、かっとするわけだ」
「室町時代も今も変わらないってこと?」由紀夫は言ってから、そりゃ変わらないか、とも思う。
「人間の動力の一つは、自己顕示欲だ」と悟は言った。


Morris.も以前「笑わせる」ことと「笑われる」ことの決定的な違いについて考察(偉そうに(^_^;))したことがあるのだが、単なる受動と使役の差以上のものを感じる。それが「自己顕示欲」と結論付けられるとちょっと鼻白むけどね。

昔から悟は、「試験で良い点数が取れるのと、頭の良さは一致しない。ただ、まったく別物でもない」とよく言った。「物事の本質をぱっとつかむのは本当に大事なことでそれは試験問題を解くのと似ているかもしれない。一方で、試験は苦手でも、頭がいい人間はたくさんいるけどな」
「頭の良さっていったい何だろう」
「まあ、まずは、発想力というか、柔軟な考えができる人だろうな」
「たとえば、どんな風に?」
「人間っていうのは、抽象的な問題が苦手なんだ。抽象的な質問から逃げたくなる。そこで逃げずに自分に分かるように問題を受け入れて、大雑把にでも解読しようとするのは大事なことだ」
「その説明がすでに抽象的だよ」
「たとえば、『人間の電力は何ワットですか?』という問題が出たら、どうする」
「人の電力? 分かるわけないよ。実験でもする?」
「ほら、そうやってすぐに降参するともったいない。厳密な計算はいらないんだ。まず人間は食事を取り、それを出力する。出力するエネルギーが電力だとすると、取り入れた食事の量がそれとニアリーイコールってわけだ。人間が一日に摂取するカロリーはだいたい2500カロリー」
「そうなの」
「だいたいな。大雑把に、だ。で、1カロリーは4×10の三乗ジュールだから、それをかける。ワットってのは、毎秒分のジュールだから、それを一日の秒数で割ってやれば、答えが出る」
「一日って何秒?」
「おおよそ、10の五乗秒」


何だか分かるような分かるような、ありがたいような騙されているような説明だが、結局のところ、Morris.は数字が出てくると何がなんだかわからなくなってしまう(>_<) それとは別にMorris.は決定的に方向感覚が欠けていて、最近日増しにその欠度?が高くなっているようだ。これが頭の良さ(悪さ?)とどうつながるかはっきりしないが、ある意味Morris.は発想力が柔軟ではなくて軟弱なのかもしれない(>_<)

「ふと不安に襲われた。この子が将来、学校に通うようになって、何者かに苛められるようなことはないか」
「どの親もそうだろうね、きっと」
「だろうな。苛めの理由は無数にあるはずだ。非があるならまだしも、非がない、という理由で苛められる可能性もある。汚い、と苛められ、一方では、綺麗で鼻につく、という場合もある」
「それで他の三人に何を質問したわけ?」
「『由紀夫が将来、苛められっ子になるのと、苛めっ子になるのと、どちらを選ばなければならないとしたら、どちらにするか』」
なるほど、と由紀夫は言う。耳にした直後は、とても簡単な質問に思えたが、少し考えると、難しい選択だ、と気づいた。「みんな、何て?」
「三人とも一瞬悩んでな、で、答えたんだ。『苛めっ子だ』」
「だろうね。『苛められっ子になる』と願うのは、色んな意味で、酷だよ」
「俺も同感だ。親なら、みんなそのはずだ。子供が虐げられてよしとする親はいない。ただ、そこでつくづく思ったんだ」
「「何を」
「苛め、ってものは絶対になくならない」
「どういうこと」
「うまくは言えないんだがな、たとえば、ある時、世界中の誰もが、自分の子供に対して、『他人を苛めるくらいなら、苛められる側に立ちなさい』と教えることができたなら、今の世の中の陰鬱な問題はずいぶん解決できる気がするんだ。そういう考え方の人間だらけになったら、な。ところがどうだ、現実的には誰もそんなことはしない。『苛めっ子になれ』と全員が願うほかない。被害者よりは、加害者にだ。ようするに結局は、自分たちが悲劇に遭わなければ良い、と全員が思っている状態なわけだ」悟は説明した。
「当然のことだと思うよ」
「俺もそう思う。ただ、温暖化も苛めも、戦争だって、そりゃ、永久になくならないはずだ、と改めて思っただけだ」
「それなら、せめて俺だけでも、被害者になるよ」と由紀夫は言った。実際に被害者になるようなことは、絶対にない、と高をくくっているからこそできる発言でもあった。


このところ大津の苛め自殺事件で、全国的に議論が喧しくなっているが、あまり参考にならない悲観的見解だね(^_^;)


2012029

【ロックンロール七部作】古川日出男 ★★★☆☆☆ 2004年から2005年にかけてスバルに掲載された七つの短編を併せて一つの長編にしたもの、というか、著者は最初から長編として構想したと補記に書いている。発表時のタイトルと舞台になった大陸、主な登場人物、その章の象徴となる曲名を列記する。

一部「ロックンロール第一部」アフリカ大陸 曇天・操縦士・末っ子・戦争の犬 曲名は『希望』
二部「青のロックンロール」北米大陸 鰐じじい・一セント・二セント・三セント…・一ドル一セント 曲名は『自立』
三部「ロックンロール鉄道(レイル)」ユーラシア大陸 赤いエルビス・血のしたたる熊・怒りのチョウザメ・箱入り娘・無限の忍耐力・卵 曲名は『鷹揚』
四部「泣き言ばかり言ってんなよ」オーストラリア大陸 ディンゴ・トラッキー・殺し屋・1925年の穴 曲名は『無垢』
五部「マザー、ロックンロール」インド亜大陸 緑っぽい緑・監督・脚本家・壺な感じ・猫・甘露 曲名は『覚醒』
六部「ロックンロール十段」南米大陸 武闘派の王子様・武闘派の王・幸運な亀 曲名は『解放』
七部「白のロックンロール(ペンギンたちはロックンロールを歌う」南極大陸 小さな太陽・優秀ガール曲名は『贖罪』
「ロックンロール第〇部」煩い号(船の名前) 彼女・彼


登場人物はほとんどが上記にあるような仇名めいたものになっていて、文中太字になっている。そのほか派手なページノンブルを章ごとに変えたり、カットというより染みや汚れみたいなものをページに散らばらせたり装釘面でもかなり実験的だが、本文はそれ以上に実験的で、寓話的、アクロバチック、SF的、混乱、跳躍、捻り、ホラ話、トリビア、雑学、記録の羅列だったり、似非哲学、似非宗教的だったり、なんでもぶち込みながら、それでいて著者が言いたいことが鋭く突き刺さってくるという代物で、正直Morris.には歯がたたないところも多かったが充分に楽しめた。おしまいの第〇部(これは書き下ろし兼あとがきみたいなもの)の「彼女」のモノローグが、著者による改題みたいなものなので引いておく。

これは贖罪なの。戦争の世紀であった二十世紀の。あの世紀のための。あたしたちが歩み去った世紀よ、死ぬな、ロールしろ、とあたしはいうの。
戦争の世紀の代わりに、あれはロックンロールの世紀だった、と言うの。
あたしは断言するの。
そのように決断して、彼女は語った。彼女は、二十世紀のちょうど真ん中の発明品であるロックンロールを題材に、凍りついている彼に語った。七つの物語。無節操で猥雑な、でも真摯な、ロックンロールの七つの航海。いやこれは第〇部だから、彼女はこれから語るのだ、と言おう。洋上に生まれて、いまも洋上の人間であることを運命づけられている彼女だからこそ、彼女は(その彼女とはあたしのことだ。正真正銘、二十世紀最後の「記念碑ベイビー」の、このあたしだ。そう、あたしなの!)ロックンロールの七部作を生む。


いやあ、これだけの筆力、想像力、創造力、構想力などの力業を持つ作家は久しぶりである。姫野カオルコ以来の逸物かもしれない。

ブルース、それは口承の芸術だった。ほんの数ドルのギャラ、ほんの数ドル数セントのギャラで、連日連夜、稼いで演奏旅行をつづけられるだけの心構えは、何か。そのデカ鼻のブルースマンの言には重みがあった。流しのミュージシャンとして生きのびてきただけに、ひと言ひと言が数トン級だった。他人の演奏法は、歌唱法は、ひたすら盗め!見て学べ! 教えてもらえるなんて、夢を見るんじゃねえ!
自分のブルースを持たないやつは、本物のブルースは持てねえぞ!
そして言う。ブルース、それは悪魔の音楽だ、と。(第二部)


これは割りと良く耳にするブルース談義だけど、このたたみかけはかなりにわかってると思わせるものがある。

革命! この言葉は大袈裟ではない。なにしろ、そこには表明されている--南極大陸は平和的、すなわち非軍事的に利用する。南極大陸では核実験をしない、そこには核廃棄物を投棄しない。南極大陸では科学的研究は自由! だから研究者も観測結果も自由に交換! そして、そのために。
条約の有効期限内における(とりあえず三十年間と試験的に設定された)領土権の主張、その主張の支持、その主張の否認はいっさい停止される。
南極大陸を、どこの国のものでもない場所/土地/大地と認める。
ここを無国籍に。
そのように条約は決定したのだ(当然、これは最高に凄いことだった。もう最高の最ッ高に。最高の二乗とか三乗じゃなくって909乗ぐらい。とかって、あたしはとことん強調しちゃう)。もちろん承認されるには隠された理由があった。しかし、これは単純。まず軍事活動の禁止が謳われていれば、冷戦下のこの時代、二つの超大国--米ソがともに安心できた。つづいて非核兵器地帯もはっきり書き記されている。これも米ソをほっとさせた。ようするに、だったらそれでいいじゃん、となったのだ。領土権を主張しているイギリス、ニュジーランド、オーストラリア、フランス、ノルウェー、チリ、アルゼンチンの七ヶ国には、停止(フリーズ)してもらって、すこしばかり我慢してもらって、ね?
だって冷凍(フリーズ)の大陸なんだから。(第七部)


そして、南極大陸の特殊状況成立のややオーバーな解説も、おしまいのサブい(^_^;)ギャグを含めて、ロックンロールっぽくてうまい、と思った。
とにかく、しばらく古川日出男、読み続けることにしよう。


2012028

【採集栽培 趣味の野草】前田曙山 ★★★☆☆☆ 大正7年(1918)実業之日本社 数年前の六甲学生青年センターの古本市で手に入れた。というか、稲田さんが発見して、Morris.の好みではなかろうかと、取りおいてくれたものだ。ハードカバー375pで、表紙には型押しの龍胆の花をあしらった、なかなか良さ気な本なのだが、本棚に置いたままそのままになっていて、やっと最近になって読み終えた。
趣味の野草著者名は未知だったが、ネットで調べたら、硯友社の小説家で、映画化されたものが60篇もあるというからかなりの売れっ子だったらしい。先日中央図書館の書庫にあるものを2冊見せてもらったが、一冊は禁帯出、もう一冊はボロボロで落丁甚だしかったので読むのは諦めた。明治文学全集中「硯友社文学集」に「蝗うり」という短編が収められていたが、これも最初の数ページ立ち読みして借りるのは断念した(^_^;)
自然派小説の台頭で、作家に見切りをつけた後は専ら、園芸に関する著作に専念したらしく、高山植物叢書、園芸叢書など多数を編著している。本書はその中の一冊で、タイトルにあるように「趣味で採集栽培」する人のための入門書のようだが、昔とった杵柄で、美文調の解説はかなりのものである。
前説に30pほど、園芸論?が開陳されているが、その中に染井吉野のことが書かれていて、興味深かったので文体見本を兼ねて引用しておく。


園芸品の著るしき例は、米国のバアバンク翁で有る。翁は其独特の秘法を凝して、植物の変品を作つて居る。三辨にして一辨の長さ一尺有餘の百合や、家畜飼糧たらしむべき無刺覇王樹(とげなしさぼてん)、茄子の根に生る馬鈴薯の如き奇々妙々のものを作り出した。是等は園芸の技巧の極端で有るが、吾人に最も卑近の例は、上野向島の櫻である、春四月艶陽の候、駘蕩たる軟風に孕まされて、三日見ぬ間の春を矜る紅の霞は、山櫻の如く、嫩葉と共に出ずして、花のみ先立ちて微笑み、柯枝悉く爛漫の色に封ぜられる、此美しき櫻こそは、染井吉野の名を命ぜられたる園芸上の変品で有る。
伝へ言ふ所によると、大島櫻を母として作り出したといふが、其技術者は都下染井の戸花伊藤某なる者で、此老郭駝(たくだ)が数年の苦心を以て数千本の新品を作り出し、之を売出すに際して、吉野の櫻と称して鬻いだ。
当時交通の途未だ開けざれば、吉野の花の美をのみ聞いて、未だ其春を知らざる江戸の人士は、此花の妙なる色香に幻惑し、吉野の櫻は此の如く美なるものかと、我も人も此老郭駝の猾手段に乗ぜらるゝを知らず、争つて此新品を贖ひ、庭園に栽培すると、偶ま関東一帯の地味気候が、此品種に適したので、忽ちにして大木となり、江戸の天地は光輝やく迄に咲き匂つた。爾来偽吉野は関東の地に蔓延し、従来の山櫻の如きは、忽ち片隅に壓伏せられるに至つた。明治になつて学者間で、此吉野櫻なるものが、吉野山の櫻と誤つを虞れ、特に染井の二字を冠するに至つた。吉野山の櫻は反つて普通の山櫻であるから面白い。
此の如く人為を加へられたる植物を、凡て園芸植物と言ふので有る。(前説「園芸植物とは何ぞや」より)


これを見ると花見の代名詞となっている染井吉野が明治、それも後年に品種改良されたものということがよく分かる。
本編は春夏秋冬別に250種ほどの草花が紹介されている。長短いろいろで内容もかなりばらつきがあるが、美文に加えて、詩歌俳句などもふんだんに引用されている。
なぜか冬の部に収められている「大犬陰嚢(おおいぬのふぐり)」の項を全文引用する。


おほいぬふぐり --玄蓼科-- Veronica Buxbaumi,Ten.
和名 大犬睾丸
苟くも斯学者とも有る者が、此の如き名を優しき植物に命じるといふのは、没常識の甚だしきと、美的感念の無い事を証明するもので有る。悪口も次第に因つては、自己の品性が忖度されるではないか。
単に犬の睾丸といふ草は、昔から有る、漢名婆婆納といふもので、其和名は俗称が其儘に傳はつたのだから、致し方も無い。然るに大犬の方は、西洋から渡来して、野生になつた帰化植物で有るから、新機に和名を附したものとすると、実に侮辱を極めたものである。
畢竟此名の起りは、花後の實が扁圓で、縦に一道を有し、二個相接して居る為に、如何はしい方へ考へを馳せて此名を与へて了つた。
凡て青い眼鏡をかけると、神羅万象皆青く見る。二つ並んで其様な形なればとて、可惜花に下がかりの名を附けることは有るまい、己を以て人を忖度し、甲羅に似せて穴を掘るとも、願わくは白と黒とを区別されたい。
此草名こそは不幸にしてげひんながら、草の形も花の姿も極めて優しく麗はしい。鮮藍色にして大いさ僅かに三分程の直径で、四出の鐘形にして、葉液よりも、梢頭よりも咲き出で、草茎の長さは一尺ばかり、葉は大なるものにて長さ四五分、縁辺に鋸歯が有る。
天地凍て附くばかりの寒い頃に、葉を繁らせる程で有るから、葉と葉は重なり合ひ、蔓は全く見えぬ迄に密生する工合は、宛も高山植物の状態で有る。只花が太陽の光線を受けねば咲き得られないのと、触れば直ぐ散り落ちるやうに脆いのは缺點であらう。然し鉢に収めて鉢こぼれの美観を描く時、其草の名にさへ思ひ到らなければ正月の床を飾るに凱切する。
此外同じ帰化植物に、立ちいぬふぐりと命名されたものがある。愈々出でて愚の骨頂で、一言馬鹿と罵るより外言ふべき所を知らない。
昔の本草学者は、流石に今のやうに没趣味な浅ましい人々ではなかつた。奇なる名称を附するにしても、蚤の衾、雀の槍、十二一重、虎の尾、深山鶉、水千鳥、雉の尾、夫々美化した名称を用ゐて居るでは無いか。今の科学者の或者は、其頭脳の無味乾燥にして、普通の知識に欠ける事は、此の一つを以て証明される。


ぎゃははは(^_^)///半分以上はその名前と命名者への罵倒に終始している。此の草花への愛着が嵩じてのことのようだ。結構可愛いところがあるな。Morris.はこの名前ともどもに此の花には愛着を覚えているのだが、当時は「ふぐり」という言葉が普通に使われていて、あまりに直接的に思われたのかもしれない。たしかに「犬のキンタマ」と言う名前だったら、Morris.もちょっと引いてしまいそうだ(^_^;) そういえば、Morris.の田舎には「イノキンタン」という堤(溜池)があって、子供時代のMorris.は当然これを「犬のキンタマ」と思い込んでいたが、もともとは「犬切谷」だったのではなかろうか。
しかし、本書の筆法はMorris.部屋の「Botanical Garden」に酷似してるのではなかろうか?もちろん本書のほうがうんと先に書かれたのだが、Morris.がこれを読んでたわけもなく、偶然の一致にちがいない。つまりは、博物学趣味と文学趣味の混じった風合いの雑文というのは、江戸の俳文、随筆、いや、平安の枕草子あたりから培養された「和魂」なのかもしれない。


2012027

【持ち重りする薔薇の花】丸谷才一 ★★★ 丸谷の最新作だと思う。2011年「新潮」10月号に発表、直後に単行本化されたらしい。85歳の作品ということになる。
経団連の会長も務めた知的な八十代の財界人がパトロンである日本人クヮルテットとの思い出話を、六十代の親しい編集者に語る物語という筋立てで、それなりに面白く読めたし、旧仮名遣いで、手慣れた文体は読んでいて気持ちが良かった。
しかし、小説としてはやや大雑把で、Morris.は、あちこちに散りばめられた文化や藝術に関する薀蓄を楽しませてもらった。特に本書の主要である弦楽四重奏についてのそれには感心させられた。


「すばらしいクヮルテットですね。これなら梶井さんがパトロンになっても恰好がつきます」と褒めるのは、いい気分だった。事実つややかに光る楽器を手にした若者たちは様子がよくて立派だし、彼らの音楽は、亡びゆく宮廷社会の社交と遊びごころの形見でありながらしかも迫り来る市民社会の分業の記念碑である不思議な儀式の優雅と洗練と生命力をきれいに示してゐる。第一ヴァイオリンとチェロの華奢で達者なもつれあひとせめぎあひは、たしかに評判になるだけある聴きごたへ充分なものだったし、それを支へ補ふ内声部の二つの楽器、とりわけヴィオラの演奏は絶妙で、
「ヴィオラのいいクヮルテットはいいっていふのは本当ですね」とジャーナリストは実業家に何度も、休憩のあと、後期のヴェートーヴェンの作品にしたたか感銘を受けて疲れ果てた恍惚状態にひたりながらも口にした。
四人で一つの楽器を鳴らすといふよく言はれるレトリックをやすやすと実現してゐる。この若さで大したものだ。第一に、これは日本の学校教育とジュリアードの訓練の成果だらうけれど、とにかく技術がすぐれてゐて、機能的にレベルが高い。それに、合ふと言つても機械的に合ふのではなくていはば人間的に合つてゐることの自然な結果だらう。第二に西洋のクラシック音楽、とりわけドイツ系の音楽に特有の観念的な厚ぼつたさをしつかりと身につけてゐる。第三に、近代日本の藝術や文章は一般に何か洗練を欠いてゐて、とかく泥くさい感じ、野暮つたい感じになりがちなのだが、その弊をすつきりとまぬがれてゐて、洒落つ気があり、粋である。この三条件の共存がブルー・フジ・クヮルテットの成功の理由ではないか。

「クラシック音楽の一方の端にあるのがオペラだとすれば、、もう一方の端にあるのが弦楽四重奏だつて気がする」と言つたら、誰かが、
「リートとかピアノ・ソナタとかぢやなくて?」
「うん、それよりもむしろクヮルテット。理由はうまく言へないけど、そんな気がする。素人の暴論だな」と言つたら小山内君が、
「いや、暴論ぢやありませんよ。いいですね、そのオペラ対クヮルテットの説」
「同感」と厨川君も褒めてくれた。あれは嬉しかつたな。これはね、合せるといふ機能を音楽の大事なものと見るなら、一番基本のところに弦楽四重奏が来るのは納得がゆくことなんですよ。同族楽器四つで必要最低限を、うまい具合に、きれいに、しかも充分に押へてますからね」


つまりは、丸谷お得意の「面白くてためになる」コラムやエッセイに通じるものがある、というより、そのまんまである。まあ、八十代半ばで、こういったものを自由闊達に書けるということ自体、なかなかのものである。


2012026

【幕末の歴史】半藤一利 ★★★☆ 語り下ろし歴史シリーズの一冊である。Morris.は「あの戦争と日本人」「昭和史戦後編」「昭和史戦前編」の順で読んだことになる。図らずも歴史は今の時間からさかのぼって学べ、という持論にほぼ沿ったかたちになった。
東京生まれの著者だが、実家は長岡藩で、明治維新や官軍には昔からの反感を持っていたらしい。本書は基本的にその視点で幕末と明治維新を語ったもので、そういう意味では、教科書的歴史とは一味違った面白さがある。

明治はいまの日本をつくりあげた母胎なのである、という近代化論にはいささか疑問をもちつづけています。そりゃ、封建時代からは脱皮して文明社会への参入という地殻変動はあったでしょうが、太政官政府の政令によって国民はどれほどの忍耐を強いられたことか。たとえば、農民は新政府によって租税をお米でなく現金で納めよ、と強引に命じられます。そうしないと、太政官政府は国家予算が組めなかったからです。いちいち国民を苦しめた政策をあげればキリがありません。そして十年たっても、いちばん肝心の「つぎの国家」への骨格はできていません。主に行われてきたのは権力闘争なんです。
なるほど、そこには西郷さんという反近代主義者の巨人がいました。革命の総帥でもありました。しかし、新しい時代はもうその存在を要求しなかったのですね。


まあ、歴史は「勝者の記録」だから、どうしても、敗者は賊軍となるのだが、たしかに、敗者にも三分以上の理はありそうだ。
それにしても、徳川慶喜というのは本当に歯がゆい将軍だったようだ。著者は勝海舟贔屓で、さかんに勝と西郷の江戸無血開城を過剰評価してるきらいがある。


ちなみに宮武外骨さんの『府藩県制史』という本の表↓を見ますと、県名と県庁所在地のな前が違うところが17県ありまして、そのうち実に14県が「朝敵藩」なんです。一方で、これも賊軍ではなかったかなと思われるのに、県名と県庁所在地が同じであるのが6県。これは日和見か、西軍への帰順が早かった県です。とにかく西軍に抵抗した藩はみな差別され、有無をいわさず県名がつけられた、それをやったのが井上馨ということです。日本の国はスタートからして賊軍藩が差別されていたのです。

熊本藩(曖昧藩)--白河県と改称、再県の熊本県は9年2月 熊本市(県庁所在地 以下同)
松江藩(朝敵藩)--島根県と改称、それが現存 松江市
姫路藩(朝敵藩)--飾磨県と改称、9年8月に兵庫県と合併 神戸市
松山藩(朝敵藩)--石鉄県と改称、6年2月愛媛県と改称 松山市
宇和島藩(曖昧藩)--神山県と改称、石鉄県と合せ愛媛県 松山市
高松藩(朝敵藩)--香川県と改称、再三廃合復県、現存 高松市
徳島藩(曖昧藩)--名東県と改称、再置の徳島県は13年3月 徳島市
桑名藩(朝敵藩)--津県を廃して三重郡四日市の三重県 津市
名古屋藩(徳川家)--愛知県と改称、それが現存 名古屋市
水戸藩(徳川家)--茨城県と改称、それが現存 水戸市
金沢藩(曖昧藩)--石川県と改称、それが現存 金沢市
富山藩(徳川家)--新川県と改称、最置の富山県は16年5月 富山市
小田原藩(朝敵藩)--足柄県と改称、9年4月廃止、神奈川県 横浜市
川越藩(朝敵藩)--入間県と改称、6年6月廃止、熊谷県 →廃
岩槻藩(曖昧藩)--埼玉県と改称、それが現存 浦和市
佐倉藩(朝敵藩)--印旛県と改称、6年6月廃止、千葉県 千葉市
土浦藩(曖昧藩)--新治県と改称、8年5月廃止、茨城県に 水戸市
松本藩(朝敵藩)--筑摩県と改称、9年8月廃止、長野県 長野市
高崎藩(朝敵藩)--群馬県都改称、それが現存 前橋市
仙台藩(朝敵藩)--宮城県と改称、それが現存 仙台市
盛岡藩(朝敵藩)--岩手県と改称、それが現存 盛岡市
米沢藩(朝敵藩)--置賜県と改称、9年8月山形県に合併 山形市


前から、県名と県庁所在地が違う県が多くあることに疑問を感じてた。Morris.は九州出身で、福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎鹿児島すべてが県名と県庁所在地が一致しているからとくに気になったのかもしれない。
しかし、外骨の一覧表を見て、何となく納得するところがあった。
先般の大震災のはるか以前から、東北というのは、いろいろな意味で疎外、迫害されてきた地域だったのだという思いを新たにした。
著者はもともと文藝春秋のえらいさんだから、基本姿勢が、やや保守反動的なのはやむをえまい。苗字からして半藤的だもんね(^_^;)


2012025

【吾輩ハ猫デアル】夏目漱石 ★★★☆☆☆ 昨年末に灘図書館で、「猫」の復刻版(上中下)を借りて、今年の正月の初読書にするつもりで、袋綴じの上巻をペーパーナイフでページを切りながら読み終えて、継続借り出しするつもりだったのに、予約が入ってるということで中途半端になってしまってた。その後、なぜか灘図書館の本棚にはこの三冊本は戻ってこない(^_^;)
ふと思い出して、部屋の押入れにこれの袖珍版があったことを思い出して、引っ張り出し、繁忙期のトラックの中で読了した。
この袖珍版は初版が明治44年(1911)大倉書店発行でMorris.の持ってるのは大正10年(1921)5月発行の574版(@_@)となっている。当時は改版が頻繁に行われたとはいえ、なかなかのベストセラーだったことは間違いない。
「猫」を読むのはこれで4、5回目だと思う。ストーリーは有って無きがごときものだが、語り手の猫を始めとして、飼い主の苦沙弥先生、美学者迷亭、理学士寒月、新体詩人東風などの、浮世離れした登場人物の繰り広げる脱線につぐ脱線の、世間、文学、美学、哲学、物理学など薀蓄を散りばめた会話、皮肉でユーモアの効いた戯画めいた描写と、独特の写生文は読者を楽しませて飽きさせない。
どこでもいいのだが、吾輩が初めて洗湯を見に行った時の場面を引いて文体見本としておく。

横町を左へ折れると向ふに高いとよ竹の様なものが屹立して先から薄い烟を吐いて居る。是即ち洗湯である。吾輩はそつと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とか云ふがあれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬半分に囃し立てる繰り言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲ふにきまつて居る。紳士養成法の第二巻第一章の五ページにさう出て居るさうだ。其次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとある位だ。吾輩は二十世紀の猫だから此位の教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割つて八寸位にしたのが山の様に積んであつて、其隣には石炭が岡の様に盛つてある。なぜ松薪が山の様で、石炭が岡の様かと聴く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、只一寸山と岡を使ひ分けた丈である。人間も米を食つたり、鳥を食つたり、肴を食つたり、獣を食つたり色々の悪もの食ひをしつくした揚句遂に石炭まで食ふ様に堕落したのは不憫である。行き当りを見ると一間程の入口が明け放しになつて、中を覗くとがんがらがんのがあんと物静かである。其向側で何か頻りに人間の声がする。所詮洗湯は此声の発する邊に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あひを通り抜けて左へ廻つて、前進すると右手に硝子窓があつて、其そとに丸い小桶が三角形即ちピラミツドの如く積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だらうと、窃かに小桶諸君の意を諒とした。小桶の南側は四五尺の間板が余つて、恰も吾輩を迎ふるものゝ如く見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるにはお誂への上等である。よろしいと云ひながらひらりと身を躍らすと所詮洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついて居る。天下に何が面白いと云つて、未だ食はざるものを食ひ、未だ見ざるものを見る程の愉快はない。諸君もうちの主人の如く一週三度位、この洗湯界に三十分乃至四十分を暮すならいいゝが、もし吾輩の如く風呂と云ふものを見た事がないなら、早く見るがいゝ。親の死目に逢はなくてもいゝから、是丈は是非見物するがいゝ。世界広しといへどもこんな奇観は又とあるまい。

まだまだ続くのだが、これくらいにしておこう。
「猫」は漱石の処女作とも言えるものだが、これを「ホトトギス」に連載したのが38歳、享年50だから、作家生活はたかだか12年である。この短い期間で日本最大の国民作家と呼ばれる作品をものしたのだから大したものである。でもMorris.は小説の半分くらいしか読んでないし、それほど心酔したわけでもなかった。読み返す程に愛読してるのは「猫」以外には彼の俳句くらいで、Morris.は彼の俳句は結構好きで愛読した覚えがある。一時期やってた「ぐいぐい俳句」には漱石の影響があったようにも思う。
今回「猫」を読み返して、驚いたのは第六話の中ほど(333p)に「拱いて」と書いて「こまね(いて)」とルビをふてあったことだ(@_@) おいおい、それはないだろう。でもまあ、漱石は独特の当て字が多いことでも有名だから、あまり表記に目くじらたてることもないのかな。しかしながら釈然としなかったのだが、第八話の前半(423p)に同じく「拱いて」に「こまぬ(いて)」とルビが振ってあったのでちょっと安堵した(^_^;)


袖珍版「吾輩ハ猫デアル」 

333p 

423p 

2012024

【だれが「本」を殺すのか】 佐野眞一 ★★★☆☆元は 「プレジデント」誌に1999年から2000年にかけて連載された二百枚くらいを、千枚近くまで加筆して2001年に単行本として発売されたものである。
このところ佐野眞一にはまっているのだが、本書もなかなかに読み応えがあった。

1.書店 2.流通 3.版元 4.地方出版 5.編集者 6.図書館 7.書評 8.電子出版
の8章仕立てで、それぞれに佐野らしい精力的で突っ込んだインタビューと、本との関わりとこだわりに関しては一家言ある著者らしい渾身のルポになっている。ただ、おしまいの電子出版は、本書発刊後の現在までの12年間に劇的に変化してるし、Amazonを始めとするネットによる書籍流通の普及を思うと、すでにして古くなった気がした。「日本のゴミ」(93年刊行、97年文庫化)が古さを感じさせないどころか、なおその存在価値を高めているのに比べるとかなり見劣りがする(^_^;) とは言え、Morris.に裨益するところは大いにあった。

「平凡社の給料は出版業界で一番というだけではなく、他の業界と比べても図抜けて高かった。当時、世界大百科事典がめちゃくちゃ売れていて、役員たちはお札を刷ってるようなもんだ、なんて豪語してました。われわれの給料は高すぎるから下げろ、なんて運動を組合がするわけもありませんから、給料は上がる一方で、そのぬるま湯的体質にみんなつかってしまった。組合活動といっても結局は既得権擁護運動なんです。これは平凡社だけでなく、中公や岩波にしても同じです。自戒もこめていうんですが、戦後の組合が流した害悪は非常に大きかったと思います」
1940年体制をひきずった出版流通システムに加え、左翼運動を装いながら、その実労働貴族のモノ取り主義でしかない組合運動が横行する。そしてちょっとでも批判がましい声が出ようものなら、われわれは出版文化に寄与する良書をつくってるんだ、と夜郎自大にふんぞり返る。いやはや、とタメ息をつくしかないが、良書信仰にこり固まった、いわゆる名門出版社といわれる版元ほど、出版文化の砦を守れという口あたりのいいスローガンをいいたてて、出版流通の40年体制と労使対立の55年体制を結果的に温存し続けた。別角度からいえば、左翼労働運動が出版流通の40年体制を補完したともいえる。
読書力というものがもしあるとすればと仮定しての話だが、大塚は読書力のバロメーターを岩波の本との関係だけではかろうとしている。ここで語らなければならないのは、読者の変質ではなく、版元がその読者にどれだけ届く本を提供できたかどうかである。ここには文化の変容が被害者的に語られていても、それににじり寄る企業の努力は語られていない。東大法学部の学生が岩波新書を読まなくなったのは、単につまらない本だったからだけなのかもしれない。(版元)


いわゆる出版社神話みたいなものがあったのは事実である。大学神話に似たようなものであるが、「面白くてためになる」講談社だけでなく、「難しくてためになりそう」な岩波、平凡社なども、結局は知識の権威に補強された儲け主義を謳歌したということなのだろうな。

ここに紹介したようなしたたかな戦略としなやかな感性をあわせもった編集はむしろ例外的存在であることを、私自身がよく知っているからである。企画ひとつ立てられないくせに、横柄な態度だけは一人前の編集者がいかに多いことか。彼らが日本の出版界をどれだけ毒しているかを知らないのは、当の本人たちだけである。彼らは再販制と委託制という手厚い保護政策のなかで、人もうらやむような高禄を食んでいることに無自覚すぎる。彼らは読者の財布のヒモを開かせるのがどんなに難しい仕事かということに思いを馳せたことがあるのだろうか。ときどき、彼らには世間というものがないのだろうか、と怪しむことがある。
編集者に必要なことは、A地点からB地点にいかに早く到着できるかではない。それより、その道筋にどんな花が咲いているか、人びとはどんな身なりをしているかといった世情を観察できるかである。学校秀才がダメなのは、優秀さだけを競い合っているからである。
われわれは歴史に残る何人かの名編集者を知っている。明治末期から大正にかけて、当時の総理大臣の二倍の月給をもらって「中央公論」の編集長をつとめた滝田樗陰は、黒塗りの人力車を乗り回して、無名の作家の発掘に全精力を傾けた。島崎藤村、志賀直哉、芥川龍之介、永井荷風、谷崎潤一郎らは、ほとんど樗陰によって発掘あるいは育成されたといってよい。
「文藝春秋」を国民雑誌といわれるまでにのしあげた池島信平、「週刊朝日」を百万部雑誌に仕立てあげた扇谷正造、「暮しの手帖」で一世を風靡した花森安治……
21世紀を見ずに瞑目した新潮社元重役の斎藤十一は、小林秀雄、大岡昇平、太宰治、井伏鱒二らの文学派から、松本清張、五味康祐、柴田錬三郎、山口瞳、山崎豊子らの大衆作家に至るまで世にデビューさせるとともに、出版社雑誌初の週刊誌「週刊新潮」をつくった人物としてしられている。(編集者)


「編集者」というものに憧れた時期があった。こうやって、ずらずらと超一流の編集者の名前が並べられると思わずほぉーーっ!!と唸ってしまう。
こういった綺羅星のような名編集者と対照的な「ダメ編集者」が星の数ほどいることも、何となく納得できる。ある意味Morris.もそのダメ編集者的な作業をやっているのかもしれない。

「借りてきた本で読んだ知識は借り物の知識に過ぎぬ。それを返してしまったら、その途端に、その知見も本と一緒に図書館に返してしまうことになるのである」という林望の意見には賛成できかねた。
本当のことをいえば、私は利用者サービスに心をくだく南千住図書館のような図書館より、厖大な蔵書をただつっけんどんに並べただけの気むずかしそうな図書館の方が好きである。私は蔵書の森に迷い込み、うろうろしながらワンダーランドの感覚を体験することこそ、本当の図書館の醍醐味ではないかと思っている。目的の本を探しながら、ふと隣にある本に目がいって、思わぬ発見をすることも珍しいことではない。インターネットなどのデジタル情報でピンポイント的に図書を検索することを好まないのも、同じ理由による。
そんな私好みの図書館は東大や早稲田などの大学図書館しかないと思っていたが、東大阪市にある大阪府立中央図書館を訪ねて、大いに認識を新たにさせられた。同館は大阪府立中之島図書館の旧蔵書七十万冊と、天王寺にあった旧夕陽丘図書館の旧蔵書六十万冊を合わせた百三十万冊の陣容で、1996年5月にオープンした新しい図書館である。(図書館)

図書館至上主義のMorris.としても、林某(^_^;)の意見には異議申立てしておこう。この人の本も何冊か図書館で借りて読んだのだが、だんだん嫌いになっていったことを思い出した。
Morris.もあまりにサービス精神に富んだ図書館より、八幡の藪知らずみたいな図書館が好みに合ってるようだ。そういう意味でも、この東大阪の府立中央図書館は、一度訪れなくてはなるまい。

私がある本を書評する場合、その本が誰かに薦めるに値する本かどうかを最低限の基準としている。もってまわった表現で自分の芸をいやらしくひけらかしたり、身辺雑記をチラつかせることが書評の極意だと勘違いしている輩が、日本の書評界にはまだあとをたたないようだが、簡潔にその本の内容を紹介し、その本を読んでくださいと愚直に薦めるのが書評の王道だと思っている。(書評)

Morris.日乘の読書控え(これ自体がそう)にも、これまでには、そういったいやらしいところも多々あったようだ。
「愚直に薦めるのが書評の王道」という言葉は肝に銘じておこう。
Morris.の読書控えには、これまで悪口が多すぎたようだ。偉そうに星印の採点までして、低評価本のこきおろしに力みすぎるきらいがあった。
今後はつまらなかった本のメモは極力パスして、すごさ、面白さ、楽しさ、驚き、感動、発見などをメインに紹介する、読書界の淀川長治を目指したい(^_^;)
本書中「拱く」と書いて「こまねく」とルビを振ってるのが2ヶ所(98p,439p)あった。表記に関してもかなり厳格な基準をに則っているはずの佐野のことだから、これは確信犯ではないかと思われる。これによって評価の☆ひとつ減らしてしまった。←これでは淀川長治の道には程遠いね(^_^;)


2012023

【昭和史 1926-1945】半藤一利 ★★★☆☆ 歴史探偵を自称する半藤の語り下ろし昭和史で、先に戦後篇と「あの戦争」を読んで、この戦前、戦中篇を読みたいと思いながら、なかなか読む機会を得ずにいたのだが、先日六甲学生センターの古本市でこの文庫版を見つけたので\100で買ってきた(^_^)
「昭和史」と銘打ってあるが、ほとんどすべてが「あの戦争」の歴史である。
半藤は文藝春秋の編集長、取締役を務めたことから推測できるが、どちらかと言うと保守的で、天皇擁護の精神に溢れているようでもあるが、それなりに公平で常識的な歴史観を披露している。と思う。
語り下ろしというか、歴史講談(漫談的部分も)みたいな語り口が一般受けしたのだろうし、たしかにわかりやすい。その分とりとめのないところもある。

それにしても、政府や軍部の「見れども見えず」は情けないかぎりです。が、こうやって昭和史を見ていくと、万事に情けなくなるばかりなんですね。どうも昭和の日本人は、とくに十年代の日本人は、世界そして日本の動きがシカと見えていなかったのじゃないか。そう思わざるをえない。つまり時代の渦中にいる人間というものは、まったく時代の実像を理解できないのではないか、という嘆きでもあるのです。とくに一市民としては、疾風怒濤にあっては、現実に適応して一所懸命に生きていくだけで、国家が戦争へ戦争へと坂道を転げ落ちているなんて、ほとんどの人は思ってもいなかった。
これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそうなんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによってかわろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。ですから、歴史を学んで歴史を見る目を磨け、というわけなんですな。いや、これは駄弁に過ぎたようであります。


こういった調子である(^_^;) 自分が生きている現実の歴史は見えにくい、ということは、その通りだと思う。数十年してわかったとしてもその時には、その数十年後の現在が見えずにいるわけだから、歴史というか人間の生というものは、逃げ水を追いかけているいたちごっこのようなものなのかも知れない。

昭和16年7月2日の第一回御前会議において、日本は何を決めたのか。それが重大事です。
「帝国は大東亜共栄圏を建設し……支那事変処理に邁進し、自存自衛の基礎を確立するため、南方進出の歩をすすめ、また情勢の推移に応じ、北方問題を解決す」
簡単にいいますと、日中戦争の処理はどんどん進めていく、自存自衛の基礎を固めるために南方に進出し、同時にドイツの攻撃によって生じる情勢如何によっては北方の、ソビエトの問題も解決する--要するに、松岡外相の強硬な主張に乗っかりながら南へは進出する、北も都合によってはやろうじゃないか、というのです。そして肝腎なのは次です。
「本目的達成のため対英米戦を持せず」
国家として戦争決意を公式なものとした、運命的な決定であったと思います。
ただし、この頃、アメリカは日本の外交暗号の解読に成功していました。アメリが外交暗号を解読しはじめたのは前年の昭和15年10月頃といわれています。なんと、日本の害務省が使う九七式欧文印字機とそっくり同じような暗号変換器を8台もつくって解読に励んでいたのに、日本政府はそれに全然、気づいていませんでした。


情報が筒抜けになっていて、それに全く気づかずに、戦争やってた日本という事実には唖然とするしかないし、まさにアホ丸出しである。

昭和17年6月5日、日本の空母四隻対アメリカの空母三隻の戦いとなったミッドウェー海戦はアメリカの奇襲攻撃を受けて、日本の四隻が全滅し搭乗員の多数が戦死、一方アメリカ軍は一隻を失っただけという、日本には想像もしなかった大敗を喫します。
ミッドウェー海戦になぜ負けたのか。日本海軍は勝ちに驕り、うぬぼれのぼせ、敵の航空母艦など出て来ないと思い込んでいたのです。ですから待ち伏せされてているなどとつゆ思わず、はじめから魚雷など放り出して陸上爆弾にしていたのが実情だと思います。
しかしこの大敗は一切公表されませんでした、というより「米航空母艦エンタープライズ型一隻及びホーネット型一隻撃沈、彼我上空において撃墜せる飛行機約120機。我方損害、航空母艦一隻喪失、同一隻大破、巡洋艦一隻大破、未帰還飛行機35機」というのが大本営の発表です。国民はまさか大打撃を受けたとは思わず、意気消沈した山本長官が以後、やる気を失ったなど誰も知りません。「ミッドウェーでも勝ったんだってなあ」なんて会話をしながら湧いていたのです。


日本はアメリカに騙され、日本国民は日本政府に騙されるという構図は、愚行の輪と言うべきかも知れない。そしてやはりこの構図は今も健在なようでもある(^_^;)

硫黄島の戦闘が続けられている間にヨーロッパ戦線のドイツ空襲で大活躍したカーチス・ルメイ中将がマリアナ方面の指揮官に赴任してきました。この人がすぐに考えたのが、夜間低空飛行による焼夷弾攻撃でした。
「日本の家屋は木と紙だ。焼夷弾で十分に効果が上げられる」
アメリカは「日本の民家は軍需工場とおなじだ、みんなそこで機械をガチャンコとやっているから、いわゆる民衆ではなく戦士であって、無差別攻撃にはならない」と弁明をしていますが、それはどうでしょうか。そりゃ少数の家内工場はあったと思いますが、ほとんどは普通のしもた屋でしたから、正真正銘の無差別攻撃だったと私などは思いますが。そのカーチス・ルメイはのちに大将となり、日本政府はこの方に戦後、勲一等の勲章を差し上げました。日本はなんとまあ、度量のある心の広い国であることよと当時、あきれつつ感服したものです。


この前読んだ森達也の本にも出てきたが、このルメイという男は許せないと思う。原爆投下は言うまでもなく、アメリカの空襲はすべて無差別攻撃であり、人道にもとる行為だった。とはいえ、ベトナム、イランイラク攻撃と、アメリカの行動パタンはいつまでも変わりそうにない。

よく「歴史に学べ」といわれます。たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへんな教訓を投げかけてくれます。反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。同じような過ちを繰り返させまいということが学べるわけです。ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。その意志がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。

これは正直な感慨なんだろうなあ。
結びに置かれた「5つの教訓」↓も、日本人は結局は後手後手にまわってしまうだろうことが目にみえるようだ。

1.国民的熱狂をつくっていはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。三国同盟
2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない。
3.日本型のタコツボ社会における少集団主義の弊害。参謀本部と軍令部。
4.国際社会のなかの日本の位置づけを客観的に把握していなかった。ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという常識を、日本人はまったく理解していなかった。
5.何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想。その場その場のごまかし的な方策で処理する。時間的空間的な広い意味での大局観がほとんど不在であったというのが、昭和史を通しての日本人のあり方でした。


政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか
そして、その結果まずくいった時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史というだけでなく、現代の教訓でもあるようです。


これもまた、現在の日本の政治家、財界、官僚たちの常套手段であること、言うにやおよぶ、であるな(>_<)
本書を読んで、反省、寒心、怒り、悲憤、梗概したところで、結局は元の木阿弥だろう、と、思わざるを得ない。それでも本書を読んでよかったと思うのは、一種のカタルシスを味わえたからだろうか(^_^;)


2012022

【東京番外地】森達也 ★★★★ 森達也といえば「放送禁止歌」ですっかりシビレたのだが、それ以後の作はほとんど見ないでいた。オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー映画「A」「続A」で高い評価を受けたことなど仄聞するものの、それきりだった。
本書は2005年から06年にかけて新潮社「波」に連載されたもので、担当編集者の土屋眞哉と東京の「番外地」をルポして回るという企画である。土屋は森のTVドキュメント「放送禁止歌」放映後に森をインタビューして、森に「放送禁止歌」を執筆させた功労者らしい。
十五カ所のルポが収められていて、目次は見出しと住所のみの表示だが、その場所や施設名と住所一覧に変更しておく。

1.東京拘置所 葛飾区小菅一丁目
2.歌舞伎町 新宿区歌舞伎町一丁目
3.東京ジャーミー(モスク) 渋谷区大山町一番地
4.観音前交番身元不明相談所 台東区浅草二丁目
5.松沢病院 世田谷区上北沢二丁目
6.皇居 千代田区千代田一番地
7.東京地裁 千代田区霞が関一丁目
8.山谷 台東区清川二丁目
9.東京タワー 港区芝公園四丁目
10.東京都慰霊堂 墨田区横網二丁目
11.靖国神社 台東区上野公園九番地
12.中央卸売市場食肉市場(芝浦と場) 港区港南二丁目
13.後楽園ホール 文京区後楽一丁目
14.東京入国管理局 港区港南五丁目
15.多磨霊園 府中市多磨町四丁目


例えば最初の東京拘置所の章は「第一弾 要塞へと変貌する「終末の小部屋」--葛飾区小菅一丁目」となっている。

名称がいまだに定まらないその最も大きな理由は、おそらく僕らが、この施設から何となく目をそむけているからだ。明確な忌避の意識はない。でも直視しない。無自覚に不可視の次領域に置いている。だから死刑囚が、刑務所でなく拘置所に収容されていることすら、僕らの大多数は知らない。刑場がこの拘置所の地下に設置されていることもしらない。最新式の空調システムやセキュリティが完備された窓のない密閉空間で、彼ら死刑囚は残された時間を過ごし、法務大臣が決済の判子を押したときその生涯を終える。その瞬間も僕らは知らない。(第1章)

一般市民が「何となく目をそむけている」場所や施設や世界を直視しなおそうというのが、本書のスタンスだろう。死刑囚は死刑執行されるまでは未決囚扱いで、刑務所に行くことはない、なんて、全く初めて知らされた。本書にはそういった(日常生活にはあまり役に立たないだろうけど)有用な知識も満載されている。

阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件を契機にして日本社会に芽吹いた危機管理意識は、その後もずっと、この社会を内側から揺さぶり続け、少しずつ変えていった。見知らぬ他者への不安と恐怖は社会に拡散しながら飽和し、その帰結として犯罪を取り締まる各種法は改正され、厳罰化が進み、様々な形で警備は強化され、危機管理評論家なる肩書きがもてはやされ、警備会社や防犯グッズの会社は、我が世の春を迎えている。
もちろん危険な環境よりは安全なほうがよい。危機管理も大切だ。ただしあまりに直情的な安全への志向は副作用をもたらす。視野が狭窄するからだ。治安に対しての疑心暗鬼が慢性化し、敵がいない状態が逆に不安を煽り、自ら敵を作り出す。すべての戦争はこうして始まる。だから他国からすれば侵略でも、自国にとっては大義ある自衛のつもりなのだ。今のアメリカの話ではない。かつてこの国もそうだった。
体内の免疫細胞による過剰なセキュリティが発動し、本来は害などないスギ花粉を敵と勘違いすることで、花粉症は発現する。要するに誤爆による副作用だ。近年、この症状が増殖する背景には、杉ばかりを植えてきた戦後の植林政策の過ちに加え、社会の清潔度が上昇して雑菌が減ったことで、敵を失った免疫細胞が暴走しやすくなったとの説もある。これはまさしく冷戦後のアメリカだ。
最初は自衛だった。だから大義はあった。でもいつからか、他者を攻撃していることに気づかなくなる。そしてすべてが終わってから、屍が累々と横たわる焼け野原で、どうしてこんなことになったのだろう? と、空を仰ぐ。歴史はずっとそんなことの繰り返しだ。(第2章)

厳罰化といえば、いまだにMorris.には理解出来ないままの「裁判員制度」が思い浮かぶ。2004年に制度は成立したが、最初の公判は2009年になってからだ。この制度にたいする、森の意見を聴きたいものである。
戦争へのこのシンプルな卓見にも共感を禁じ得ない。

宗教の重要な機能は、輪廻転生や極楽浄土など、死後の世界を担保することにある。死後を担保されることで、人は与えられたこの生を安らかに、あるいは前向きに過ごすことができる。
ところがこの構造は、時として死と生の価値を等価にしたり、さらには倒置する場合がある。与えられた生をまっとうするために不可欠の宗教は、皮肉なことに死への垣根を引き下げてしまうのだ。だからこそほとんどの宗教は、自殺を固く禁じている。
ただし、仏教は少し違う。釈迦が死後の世界については一切言及しなかったことは、周知の通りだ。でもそれでは布教ができない。なぜなら死後の世界を担保することは、宗教最大の現世利益なのだから。(第3章)


「担保」ということばは、借金の保証などでよく使われるのだが、「死後を担保」という使い方には意表をつかれた。「大辞林」には
1.債務不履行の際に債務の弁済を確保する手段として、あらかじめ債権者に提供しておくもの。質権・抵当権などの物的担保と保証人などの人的担保がある。
2.抵当。かた。しちぐさ。
3.保証すること。また保証人。

とあるが、単に保証という意味で使われているのだろうか?
釈迦が死後の世界について一切言及しなかった、というのも、Morris.には「周知」どころではなく、意外だった。

かつて「放送禁止歌」をテーマとしてドキュメンタリーを作ったとき、人は無限の自由に耐えられないのだとつくづく実感した。放送禁止歌は言ってみれば、「禁忌の共同幻想」だ。ここから先は危険だとの表示は、ここから内側は安全だとの意味と同義でもある。その表示を目にして、やっと人は安心する。多少の制限がないと逆に不安になる。同様に人は、安全であることにも耐えられない。どこかに危険があるはずだと思いたくなる。この曖昧な不安に具体的なレッテルを貼ることが出来れば、人はもっと安心する。つまり仮想的だ。冷戦の頃は、ソ連や中国が、最近では、オウムに始まって北朝鮮の脅威、アルカイダのテロリストなどが、この仮想敵のレッテルに使われる。
このレッテルに、一部の在日外国人や精神障害者、凶悪な少年たちが、「内なる仮想的」として嵌め込まれた。このダイナミズムが一旦発動すれば、客観的なデータになど、人はもう興味を示さない。危険を煽る方が部数や視聴率は上昇するから、メディアもこの傾向に加担する。こうして彼らは危険だとの思い込みが、法を変え、システムを変え、意識を変える。つまり彼ら危険な因子を、選別し、排除し、不可視の領域に押し込めて、それで安心を得ようとする。
言葉には意味が憑依する。言い換えはすなわち、蓄積された意味の更新だ。だからこの社会に精神障害者への「妄想」が存在するかぎり、定期的に更新は行われる。問題は言葉ではない。社会が抱く偏見であり、偏見を持つがゆえにうっすらと生じる後ろめたさだ。
何が異常で何が正常なのか、その絶対的な基準など実はない。多数派が正しいとの基準にすがるしかない。だからこそ精神医療の現場は、多数派の利益を保護することを理由に、治療よりも排除、つまり隔離が優先された。筐体内部の秩序や安寧に大きな価値を置く日本型社会では、この傾向がより強く現れることがは必然だった。(第5章)


日露戦争の昔から新聞、マスコミにとって、戦争は大ネタであり、部数を伸ばす打出の小槌だったようだ。いや、戦争そのものを呼び寄せるための鉦や太鼓だったのかもしれない。
差別語のいいかえなど、全くのナンセンスだということは、Morris.も一時口を酸っぱくなるほど言い立てたものだが、最近はもう、言うのをやめてしまった。気持ちは変わらないんだけどね。

カーチス・エマーソン・ルメイの指示のもとに、東京大空襲の作戦は練り上げられ、実践された。
第2次大戦後にルメイは空軍中将に昇格し、キューバ危機勃発時にはキューバ空爆をケネディ大統領に提案し、結果としては却下される。ベトナムにおける北爆でも、ルメイは推進者として大きな役割を果たしている。要するに戦争屋だ。
昭和39年、ルメイは来日した。日本の航空自衛隊開設の際に戦術指導などで貢献したとして、日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されたからだ。
戦時における指導者を極悪人と糾弾して戦後処理の一環にすることについて、基本的に僕は馴染めない。戦争は一部の邪な指導者によって国民が騙されたから起きるのではなく、その国の民意や世相も含めての全体の構造によって起きると考えるからだ。善と悪の二項対立を続けるかぎり、過剰な自衛意識と報復の構造によって起きると考えるからだ。でもよりによって東京を焦土にした張本人に勲章を授与したことについては、やっぱり唖然として言葉を失う。記憶中枢に重大な欠陥があるとしか思えない。
「語り継いでいきた」というフレーズばかりが語り継がれ、「語り継がれるべきこと」はいつのまにか色褪せて消失する。
語り継ぐべきことは被虐だけではない。加虐についても僕たちは忘れてはいけない。これほどの惨事となった東京大空襲で米軍が投下した爆弾の総量は、日本軍が中国戦線で繰り返してきた重慶爆撃における全投下量の10%でしかないとの試算もある。(第10章)


原爆投下はもちろん、東京を始めとするアメリカの空襲は、無差別爆撃、凶悪犯罪の極みである。広島で14万人、長崎で7万人、東京大空襲一日だけで10万人。全国では50万人近くが殺されたことになる。死を、その数だけで言挙げするわけにはいかないが、先般の東北複合震災での死者が2万人ということを思い合わせても、空襲での被害の規模はとてつもないものだった。もちろん日本が加害者となった凶悪犯罪のことも忘れる訳にはいかない。
「日本人の記憶中枢の重大な欠陥」というのは、それでなくとも、このところの記憶力の衰え著しいMorris.には耳の痛い言葉である。

時おり思う。何世紀も昔からこれほどに人の行き来や文化の伝搬があったのに、なぜ中国と朝鮮半島と日本は言語が違うのだろう。世界全部とは言わない。でも、せめてこの三つが同じ言語なら、アジアの歴史や現在の安全保障問題は、ずいぶん違っていただろう。
一昔まえよりも、「日本人が日本人をとても好きになりつつある」ことは確かだと思う。好きになることは別に悪いことではない。でも人は誰かを突出して好きになるときは、往々にしてその誰か以外の人に関心を失う傾向がある。あるいはその相手の意向は無視して、独善的に愛を押し付けたくなることがある。
言葉は固着する。でも例外もある。最近で言えばその筆頭は「日米同盟」。今では誰もが当たり前のように使うこの言葉だけど、日本とアメリカとのあいだに定められた軍事的な結びつきを示す言葉はかつて、「日米安保」だった。正式名称は日米安全保障条約。英語では、the Japan-US Security Treaty。やっぱり条約を示すTreatyだ。同盟を示すallianceなる言葉はどこにもない。
でもここ数年で、日本国内では日米同盟が当たり前の言葉になった。その背景には、大きくて強い共同体に帰属したいとの意識が滲んでいる。今では朝日新聞の社説ですら普通に使う。こうして言葉は固着しながら変遷する。時代の欲望を鏡のよに反射しながら、貧困な言語体系が統治管理社会を促進することを予言したのはジョージ・オーウェルだけど、まさしく最近の日本語は、語彙が急速に貧困化しつつある。(第14章)


確かに漢字文化圏の日韓中なのに、まるで体系の違う言語を使っているというのは、不思議なことと言えるかもしれない。しかし、韓国語を少し齧っているMorris.にとっては、日本語と似ていて違う韓国語の存在は、無くてはならないもののようにも覚える。中国語は全く歯がたたないけど(^_^;)
「日本語の語彙が貧困化しつつある」というのは一面の真理でしか無いと思うぞ。語彙の貧しい日本人が増えてきたという意味なのだろうけど、日本語の世界そのものは健在である。と、思いたい。

死と生の狭間の領域で、宗教の要素を一切排除することなど不可能だ。ありうるとしたら、あらゆる宗教の許容と混在。たぶんそれしかないはずだ。(第15章)

宗教とMorris.は無縁物であることにしておきたい。どちらかというと阪神狂、ぢゃなかった、「汎神教」に近い立場だと思う。
佐野眞一の再発見(^_^;) このかた、「ノンフィクションは小説よりも生成り」をキャッチフレーズに、読書傾向がそちら方面に流れているが、森達也の作品も、これから少しチェックしてみよう。


2012021

【韓国語学習Q&A200】韓国語ジャーナル編集部 ★★★☆☆アルク発行の韓国語学習誌に寄せられた疑問に対する回答をまとめたもので、学習方法、発音、話し言葉、書き言葉、文法、語彙など多方面にわたって韓国語学習者が迷ったり間違えたりしやすい事例を明快に説明してある。
「韓国語の勉強初めてからどのくらいになりますか?」と訊かれると「3年以上」と答えることにしてきた(^_^;)。ウソではないが、じつはMorris.は88年の初訪韓で初めて韓国語に接したわけだから、それからすでに20年以上閲したことになる。それで、いまだに初級から中級に進めずにいる(>_<)というのは、何かが間違っているのだろう。
最初の3年間はそれなりに熱心に勉強したように思うのだが、そのあとはかなりサボってしまった。
韓国への興味は増しこそすれ衰えることはないのだが、言葉の方は、旅行したり、カラオケ歌うのに不自由しなければそれでいい、と安易なところで妥協したのが敗因だろう。
その後も間歇的に、勉強する気になったりもしたが、どうも長続きしない。最近では2年かけて小学館の「日韓辞典」通読したのが特筆に値するくらいか。とはいっても、これも単に流し読みしただけで、どのくらい身についたかというと疑問である。
インターネットでは無料の翻訳サイト使えば、おおまかな韓国サイトの記事も判読できるし、iPhoneの韓国語辞書は充分実用に耐える。
参考書も韓流ブームのおかげもあって、かなり充実したラインアップになってるようだ。本書も、その一環であるのだろう。
知らなかったこと、役立ちそうなことなど個々に挙げていけばきりがないが、印象にのこったものをいくらか引いておく。

・日本語の抑揚が「文節」ごとに下がるのに対し、韓国語の抑揚は上がる。日本人が韓国語を韓国語らしいリズムで話すためには、意識的に分節を上がり調子にしゃべって、リズムを取る必要がある。この練習には、ドラマのセリフなどの音声を聴きながら、そのスピードに合わせてセリフの音調をそっくり真似することを繰り返す。

2004年頃キムスジョン先生の講座でシャドウイングという学習法をしばらく学んだが、これこそこの音調を真似するためのものだったのか、と今頃になって納得した。でも、当時は単語聴き取りに集中してたきらいがある(^_^;)

・日本人にとって「ㄴ,ㅇ,ㅁ」を含む鼻音のパッチムをきちんと発音することはむずかしい。韓国語の「산」の発音は日本語の「さん」と同じで「ㄴ」は「ん」にあたると言われるが、厳密に言うと少し違う。日本語の「さん」は一般に、「さ」も「ん」もそれぞれ一拍(1モーラ)で、合計二拍(2モーラ)分に数えられるのに対して、韓国語の「산」は1音節なので日本語で言う1モーラ分の長さしかない。つまり「산」のつもりで「さん」というときは「さ」一拍分の長さの中で「ん」まで言ってしまわねばならないのだが、習慣的に「ん」が一拍分の長さを必要とするため、「ん」の音が出きらず、あいまいになってしまいがち。日本人の「안녕하네요」は「アニョハセヨ」に聞こえたりする。「ㄴ」「ㅇ」パッチム=「ン」の部分がほとんど発音されないので、韓国語らしくなくなってしまう。
この対応策としては、1音節の後半で減衰してしまう息の量を意識的に増やす必要がある。具体的に言えば「산」のとき、「ㅅ」より「ㄴ」を大きめに発音し、かつ、鼻に響くのを確かめるように息を若干伸ばす。鼻音をまさに鼻の音として発音するわけだ。「심」の「ㅅ」と「ㅁ」、「상」の「ㅅ」と「ㅇ」も同様。これを繰り返す過程を通じて「ㄴ,ㅇ,ㅁ」の言い分けも自然と出来るようになり、言えるようになれば聞き分けもできるようになるはずだ。


Morris.の発音難点の一つがこの鼻音パッチムの区別である。理屈がわかったから正しい発音が出来るというものではないのだが、こういった丁寧な解説を読むと、もしかしたら、自分にも出来るのではなかろうかという淡い希望が生まれてくる。ような気がする(^_^;)

・-(으)로서と -(으)로써は文字と発音が似ている上にそれぞれの「서」「써」が省略されることがあるため区別が難しい。
-(으)로서は「~として」の意味で、身分、資格を表す。
-(으)로써は「~でもって」「~で」の意味で、手段を表す。

・괜찮다 は 공영(空然)하다(無駄な、むなしい)を語源として以下のように成り立っている。
공연하다 →괜하다(無駄な、つまらない)→ 괜하지아니하다(無駄でない、つまらなくない、悪くない=かまわない、大丈夫だ) 괜치 않다→ 괜찮다
このほか、그렇다 の「 ㅎ」も、 그러하다 が縮約されたものである。

・韓国語での記号の読み方
ピリオド「.」­=마침표 マチムピョ
疑問符「?」=물음표 ムルムピョ
感嘆符「!」=느낌표 ヌキムピョ
コンマ「,」=반점 パンチョム
中点、中黒「・」=가운뎃표 カウンデッピョ
三点リーダー「…」=줄임표 チュリムピョ
スラッシュ「/」=빗금 ピックム
括弧「( )」­=괄호 カルホ
矢印「→」=화살표 ファサルピョ
アットマーク「@」=골뱅이표 コルベンイ
ドット「.」=점 チョム
アスタリスク「*」=별표 ピョルピョ
ダブルクォート「” ”」­=큰 따옴표 クンタオムピョ
シングルクォート「’’」=작은 따옴표 チャグンタオムピョ
プラス「+」=플러스 プロス、더하기 トハギ
マイナス「-」=마이너스 マイノス、빼기 ペギ
掛ける「×」=곱하기 コッパギ
割る「÷」=나누기 ナヌギ
イコール「=」=이퀄 イークォル、같음표 カトゥムピョ
マル「○」=トングラミ
バツ「×」=가세표 カセピョ、엑스표 エクスピョ
パーセント「%」=퍼센트 ポセントゥ、프로 プロ
シャープ「#」=우믈정자표 ウムルジョンジャピョ
ト音記号=ノプンウムチャリ 높은음자리-표

知ってるものと知らないもの半々くらいかな。「@」のコルベンイは「かたつむり」の意味で、これはなかなかの命名だと思う。「*」のピョルピョは星印、「#」は井戸の「井」印、矢印はそのまま、「×」はアルファベットの「Xエックス」印。韓国では「○×テスト」は「OX(オーエックス)テスト」という。


2012020

【馬たちよ、それでも光は無垢で】古川日出男 ★★★☆☆ 昨日三宮南のみなとのもり公園(復興記念公園)で東北震災一周年Loveフェス3.11を覗いた後、三宮図書館で書架から何気なく手にとったのがこの本だった。2011年7月の発行である。
福島県郡山出身の著者は取材中の京都で震災の報を知る。そしてしばらくの神隠し的時間を過ごし、一ヶ月後にこれを書き始める。

この文章を起筆したのは2011年の4月11日だ。十枚ほど書き進めて、すると、福島県の浜通り地方で余震があった。最大震度は6弱。
巨きな余震があるたびに、私は推敲する。
余震が、私に何かを許さない。「徹底的に推敲しろ」との声がする。


以前に書いた「聖家族」という長編が東北六県が封鎖、封印されることを主題としたもので、本書はその主人公と著者の並走という形で今回の震災の現場を虚実の被膜の隙間から垣間見るという体裁をとっている。

しかし、おかしいだろうと私は思う。福島第一原発は東京電力の所有(もの)だった。そこは福島県内で、東北電力の管轄のはずだった。東北電力の領土だったと言ってよい。これは、おかしいだろう。
円がある。同心円だ。なおかつFukushimaは鎖され出している。円から人々は逐われて、しかし県外というのは虚構に思える。福島県外に真実、逃れられるというのは。

家畜というものを自然淘汰ではなく、人間淘汰、すなわち、人間との契約によって品種として成立させられたものと規定した上で
、馬の存在感の大きさを論じる部分は圧倒的に面白かった。

馬の価値、それは"乗る家畜"としての側面にあった。
しかも馬は世界史のエンジンだった。
馬が駆動したんだ、世界史を、もちろん日本史もここには包含される。
戦争というものの形態を馬が変えたんだ。民族間の戦闘。馬の価値、それは"乗る家畜"としての側面にあった。
馬以前にも戦争は「ある」と考えるのが順当だ、古来あらゆる地域で戦争はあって、しかし"乗る家畜"の登場はその様相をただちに劇変させた。まずは最初期の段階をイメージするといい、一方的に馬を知り、馬を持っている民族あるいは国家があって、するとこうした歴s上の"馬先進国"は容易に勝利する側、征服者となる。それを頭に想い描いてみるといい。馬は、比類のない軍事力だった。いわば先史時代の最終兵器だったろうし、実際には火器の出現までそうだった。その速度が、攻め込むスピードが違う、機動性には優れすぎている、しかも馬上から射られる弓があった。

俺はあんたがわすれないように、あるいはあんたも含めた俺たち全員が騙されないように、]言う。いいか? リアルさを謳う時代劇を信じるな。合戦シーンを目玉にした映画を、"武将たち"のドラマを信じるな。
嘘っぱちだぞ。
出演する馬のサイズが違いすぎる。
わかるだろ? 大型馬はいなかったんだ。なの武士たちは、競走馬のサラブレッドかサラブレッドも同然の馬体のやつに跨って、戦場を駆けている。
あのスケールは全部、嘘だ。贋物だ。なのに一人として疑う消費者は、いない。


これはたしかに、時代劇作成側には、イタイ指摘かもしれない。

ところで大熊町までが、当時相馬藩領だったよ。ここが相馬市の領地の最南端だったよ。この大熊町には、いま現在何が立ってるかな。
何が築かれたかな。
20世紀でもいいし昭和でもいい、どんな築城史がはじまったのかな。
さあ、あんたは答えるだろう。「原子力発電所だ」って。1970年の、昭和45年の11月にその試運転は開始されたんだって。それが福島県の、原子炉。名実ともに1号機。「それから築城はひたすら続くんだ」ってあんたは引き取るだろう。

ナコソ、は夷よ来る勿れ、の意味だとも言われる。これまた一説では。茨城と福島の県境には多重の局面で定説がないのだ。ただし、この付近に古来境界線(と認識される漠たる領域9があり、たとえばそれが常陸国と陸奥国の境であって、すなわち関東圏と東北権はここで画然と断たれた、截然と分かれたのだと考えても間違いはない。夷よ来る勿れ。このフレーズを二重に翻訳すれば、「東北の人間よ、お前たち先住民よ、こちらに来るな」となる。
悲しいフレーズだ。


130pほどの中編とさえいえない作品だが、かなりこの作家の本質を露呈したもののように思われた。降って湧いたような事態へのうろたえと、たかぶりがあったのだろう。美奈子さんの書評で名前だけは覚えていながら、何となく敬遠していたいた作家だが、以前の作品を読んでみようという気にさせられてしまった。


2012019

【ソルハ】帚木蓬生 ★★★ 「ソルハ」とはアフガニスタン・ダリ語で「平和」という意味である。1996年タリバンが首都カブールを制圧した時小学生だった少女ビビの物語。少年少女向けに書かれたものである。タリバンといえば、バーミヤンの石仏破壊のニュースが思い出される。というか、それしか知らないと言っていいくらいである。アフガニスタン問題があるということは知っているにとどまっていた。

「2001年3月11日は、タリバンがおろかな行為をした日として、全世界の心ある人々に記憶されるだろう。タリバンはイスラム諸国はもちろん、キリスト教国や仏教国、ヒンズー教国といった宗教の垣根を越えた国際的な保存の声を無視した。」この日タリバンは、大量の火薬で二体の石仏を破壊し、ロケット弾までも撃ちこんだ。こうして千四百年以上もの間、アフガニスタンの大地を見つめつづけてきた一対の石仏は、永遠にこの世から姿を消した。」

作品の中で新聞記事として紹介されている部分だが、東北大震災の10年前の同じ日の事件だった(日にちに関しては多少異説あり)ということに、ちょっと驚かされた。その半年後の9月11日にアメリカでの同時多発テロ。アメリカの報復としてのアフガニスタン空爆。物語はタリバンがカブールから逃げ出して、希望が見えた2002年で終わっているのだが、現実はいまだに厳しいようだ。
1987年生まれのビビが9歳のときカブールはタリバンに占領され、女性は外出も教育も禁止されてしまう。しかし母や近隣の人から勉強に励むビビは算数や語学を通じて、いろんなことを身に付けていく。母親の死、父の逮捕、弟の反タリバン軍への入隊などさまざまな困難に巻き込まれながら、未来を信じる生き方が感動的に描かれている。ということになるのだろうが、Morris.は何となくもどかしさを感じてしまった。読者対象を年少者にしたため、筆の運びが鈍ってるように思えたのだ。登場人物があまりにも作り物めいてしまっている。作者の善意は疑いないところだが、物足りなさを感じてしまった。
付録の「アフガニスタンという国」は、簡単なこの国の歴史で、これだけ読んでも、大国のエゴによってもみくちゃにされた国の悲哀と理不尽さに、言葉を無くしてしまった。

みなさんは、アフガニスタンについては耳にしたことがありますね。毎日のようにテレビや新聞が話題にします。でもたぶん、くわしいことは知らないはずです。大人も同じです。ためしに、お父さんかお母さんに聞いてみてごらんなさい。困った顔をするのではないでしょうか。中には、アフガニスタンなど、よその国について知って、何になるか、と怒る親もいるかもしれません。
関心を持たないまま、勉強もせずに大人になった人は多いものです。ぼくは無関心と無知は大きな罪だと考えています。


これに続いて、アフガニスタンの歴史が説明されるのだが、それは各自で学んでもらいたい。Morris.は、この批判がそのまま、日本人すべてに当てはまるように思えた。たとえば、原発、沖縄、政治、経済、社会のことどもに関してである。
大きな罪を、それと知らずに犯し続けてきたのではないか、そんな気持ちにさせられてしまった。


2012018

【雲のカタログ】村井昭夫・鵜山義晃 ★★★☆☆ 「空がわかる全種分類図鑑」という副題を見ただけで期待してしまった。
Morris.が雲好きであることは自他ともに認めるところである。と、思う(^_^;) フォト蔵にアップしている空と雲アルバムを見てもらえばある程度納得してもらえるだろう。
ところが雲の名前や知識に関しては、いつまでたっても初心者の域を抜け出せずにいる。これまで、図鑑、写真集、解説など10冊以上読んだはずだが、なかなか身につかないままである。
「ちがくのとも」というサイトの「十種雲形」の表はよく出来てて、ときどき参照してるが、これにも限度があった。
本書は、十種雲形に飛行機雲を加えるなど意欲的だし、虹、幻日、彩雲などの大気光象も充実している。分類法や、見分け方のコツなどもきちんと解説してあるし、コラムで放射状雲が遠近法効果でそう見えるだけとか、雲の撮影は露出+0.3EVにするべき(Morris.はマイナスにしてた(^_^;))とか、役立ちネタもいろいろあった。
何と言っても、十種雲形を種、変種、副変種に細分化してほぼ百種に大分類し、それぞれに必要にして充分なサイズのカラー写真と簡にして要を得た解説が掲載されている。

はじめにおかれている基本解説の中の「雲ができるのはなぜ?」の部分。

雲は、空気が何らかの原因で上空へ持ち上げられたときにできます。それには空気の2つの特性が関係しています。
性質①空気が何らかの原因で上昇すると、周囲の気圧が下がると同時にふくらんで約0.5℃~1℃/100mの割合で温度が下がる(断熱膨張という)。
性質②空気は温度が下がるにつれて、中に水分を多く含むことができなくなる。
つまり、空気が上昇すると温度が下がり、水分が凝結して雲ができるというわけです。
空気が上昇するのには
①空気が山などにぶつかる
②地表が暖められる
③暖気と寒気がぶつかる
の3つの大きな原因の他、上空に寒冷な空気が流れこむことで下層の暖かい空気が急激に上昇したり、地表近くの空気の流れ同士がぶつかって行き場が無くなって上昇する(収束という)など多くの要因が挙げられます。


このように、噛み砕いた解説は実にわかりやすい(^_^)
5年ほど前に仕事中に見かけた真上の空に出現した虹が「環天頂アーク」ということも初めて知った。これは太陽高度が32°以下の時にしか現れないから、早朝や夕方に巻層雲が空を覆っているときに出現の可能性があるらしい。
太陽や月の暈に「ハロ」というあまり馴染みのない用語が使われている。

太陽あるいは月の光が雲中の六角柱状の氷晶によって曲げられて、太陽・月を中心とした円形の光の輪ができる現象の総称。
視半径が22°のハロ(内暈という)がもっともよく見られるが、ごくまれに9°・18°・20°・35°・46°などの異なった視半径のものが見られることがあり、雲の観察者によってはこのレアなハロを発見することが大きなよろこびになる。


などと、ちょっとオタクっぽい知識もあったりする。ちなみに、こういった暈や雲の大きさを簡単に測る目測方法として、腕をいっぱいに伸ばして、
人指指一本立てると2°
グーのこぶしが10°
手のひらをいっぱいに開いた両端が20°

というのは、空を見るときの簡易メジャーとして有効利用できそうだ。

街中で車を運転しているときに信号待ちでふと空を見ると、素晴らしい雲や大樹現象を見つけるときがあります。写真を撮るために車を止めようとするのですが、どこへ行っても見あげれば電線だらけ。電線のないところを探しているうちに、素晴らしい現象がきえてしまうということをこれまで何度経験したことか。

確かにこの電柱、電線というのは、雲に限らず、建物や風景を撮影するときに無茶苦茶邪魔な存在である。


2012017

【日本のゴミ】佐野眞一 ★★★★ 今回Morris.が読んだのは1997年に文庫化された版だが、元は93年講談社から刊行されている。更に大元は「モノ・マガジン」90年から91年に連載されたものをベースにその他のルポを合わせたものとある。
ざっと20年前に書かれたゴミをめぐるノンフィクションである。昭和時代が終わり、平成が始まった時期ということになる。
一般的に、こういった本は「生モノ」で、数年後にはほとんどが賞味期限切れになってしまうものだ。しかし、現時点で読んだMorris.は、実に生々しく、心にしみた。
全体は「…の終わり」と題された12章とプロローグ、エピローグ、あとがき、そして文庫版のためのあとがきが付されている。

1.「自動車の終わり」
2.「ファッションの終わり」
3.「OAの終わり」
4.「紙の終わり」
5.「電池の終わり」
6.「ビルの終わり」
7.「水の終わり」
8.「医療の終わり」
9.「食の終わり」
10.「器の終わり」
11.「核の終わり」
12.「生きものの終わり」

ヘンリー・フォードは、大量生産方式の導入によって20年足らずの間に、T型フォードを1500万台以上売った資本主義の先駆的経営者である。
それから約70年、日本資本主義はフォードの時代をはるかに突き抜け、爛熟から次の段階に移行する大きな曲がり角にさしかっている。
日本資本主義の精華ともいうべき自動車産業の栄光は、いま、バブル崩壊と円高不況による消費の冷え込みだけではなく、廃車という川下から吹く風にも、ゆらぎはじめている。(第1章)

ファッション洪水に代表される"暖衣飽食"の時代とは、一面では「飽食」といいながら、一面では欲望が欲望をさらにかきたて、とどまるところを知らない無間地獄の別名であろう。今日の「飽食」とは"満ち足りた"ということではなく、無限の欲求不満をひとびとにもたらす要因となっている。
兄弟が多かった時代、"お下がり"という言葉がどこの家庭でもふつうに使われていた。年下の者は、年長者が着た"お古"をもらい下げて着るのがあたりまえだった。だが、子供の数が平均二人を大きく切った"少子時代"のいま、そんな言葉は完全に死語となった。いまファッションメーカーはどこも、頭のてっぺんから足の爪先までフルコーディネートした子供用ファッションの売り込みに躍起となっている。
古着から人の翳が消え、ファッションという"物神"がこれに取って代わった。
ボロのうずたかい山は、消費に翻弄される世紀末日本人そのものの姿でもあろう。(第2章)

重く、大きく、有害物質が含まれ、リサイクルもきかない。こうした粗大ゴミは東京都を例にとれば、一般家庭から収集した分だけでも、80年5万7千トン、85年6万6千トン、91年7万トンと大量に暈を増している。
壊そうにも壊れず、燃やそうにも燃やせない、逆説としての文明の利器。われわれはいつの間にかこうした製品に取り囲まれ、処分しようにもできない状況にじわじわとおいつめられている。
粗大ゴミという言葉は、家でゴロゴロしている亭主の蔑称として、よく使われている。氾濫する一方の粗大ゴミをみていると、高齢化社会のなかで確実に進行する定年退職者への白眼視や棄老現象がダブってみえてくるような気がする。カツラや養毛剤のコマーシャルが洪水のように流され、死ぬまで若くあれ、死ぬまでハゲるなかれ、と絶叫する社会は、永遠に若づくりしなければ世間から疎んぜられる、息苦しい社会の同義語でもあろう。現代ニッポンにおいては、若さだけが賞揚され、老いはひたすら忌避される。まだ充分に使える製品を容赦なく廃棄していく社会の有りさまは、老いという理由だけで社会システムから排除していこうとする社会構造と、どこか通底していないだろうか。
コンピュータなどのOAは、メーカーの間断なきリニューアルと経済的理由からの解体業者の撤退で、まだ使えるまま廃棄され、TVなどの家電製品は、飽和点に達した市場経済や自治体とメーカーの処理責任の押し付け合いにより、日増しに粗大ゴミ化されている。にもかかわらず技術は商品の付加価値をつけるためにだけ注がれ、その商品が廃棄された時の処理困難性は依然想像力の埒外におかれている。(第3章)

一年間に首都圏の1世帯あたりに配布される新聞折り込みは、次のような推移をたどっている。。
89年=4527枚 90年=4899枚 91年=5164枚
こうした厖大な量の折り込みチラシに関して、新聞社は一貫して発言をしていない。ゴミ問題のキャンペーンでも、チラシ問題には一切ふれられていない。新聞社のこうした偏頗な対応は、チラシ問題に手をつければ、販売店の経営基盤、ひいては新聞社自身の経営基盤が危うくなることを、本能的に察知しているところからきたのであろう。
かつて古紙は資源ゴミと呼ばれ、宝クジを景品につけてまで集められた。しかしわれわれは、そうした状況をはるかに突き抜け、紙そのものをゴミ化する社会を選択しようとしている。
紙はいま、再生資源から廃棄ゴミに向かい、なだれを打って崩壊しつつある。再生もされぬまま、都市の水際にうずたかく滞留する巨大な古紙のボタ山は、その選択の末路を示す最初の予兆であろう。(第4章)

ニッカド電池の材料は、その名からもわかるようにニッケルとカドミウムである。イタイイタイ病の原因として知られるカドミウムが猛毒性を持つ重金属であることは、今さら言うまでもあるまい。
問題なのは、かたちだけでもいちおうの回収システムが敷かれた乾電池と違って、家庭用ニッカド電池にはそうした回収システムがまったくといっていいほど整備されていないことである。
こうした回収システムの不備と企業責任を問うように、町田市の荒地に野積みされた乾電池の山は、イトムカ鉱山と水俣を通底する歴史の闇からたちのぼる瘴気のような水銀蒸気を、今日ももうもうと吹き上げている(第5章)

生産活動の裏側に廃棄という現実がある。こうした構図のなかで暮らしている以上、処分場が求められてゆくのは当然の帰結であろう。が、新宿副都心の超高層ビルを睥睨するばかりに、威容をさらす都庁の新庁舎や、鋼鉄とガラスでできた現代彫刻のようなインテリジェントビルの姿をみるにつけ、そんな理屈だけでは納得できない思いがわいてくる。その光景の裾野には、首都圏のビル群とはおよそかけ離れた廃棄現場の荒涼たる風景が広がる。経済社会の光と影などというきれいごとのたとえでは埋めがたい、落差と矛盾を感じざるをえないのである。(第6章)

口臭を気にする人がいるから口臭防止剤が売れるのではない、口臭防止剤なる新商品が売り出されたから口臭を気にする人が出てきた、という皮肉なマーケティング分析を持ち出すまでもなく、これら潔癖症候群的商品のヒットには"不潔"という一語の下にみぐるしいもの、汚いものを目の前から追いやりさえすればひと安心する、この国の人々の性向がよく投影されている。
水と安全はタダだと思っている、という例の有名な言葉を持ち出すまでもなく、われわれ日本人は、水を無尽蔵の資源と考えてきたフシが強い。また、ひとたび水に流してしまえば、あとは野となれ山となれと一切責任をとらない精神風土のなかで育ってきたわれわれ日本人には、トイレで流した水が再び循環して、水道の蛇口から流れてくるという思考回路が、恐ろしく欠落している。
一度握った権限は絶対に手放そうとしないのが、官僚の通弊である水資源開発と同様、浄化槽、下水道もまた建設官僚の支配下に治められ、河川水質の悪化、新たな水資源の開発という悪しき循環システムが確立されることになるのである。
水は生命の源泉ともいうべきものである。その水を、本来の循環に戻すことができないとするならば、水もまた、ほかの商品同様、使い捨ての運命をたどることになろう。いつでもどこでも蛇口をひねれば水があふれ、レバーを押せば汚物が流れ去る。それは、われわれの文明の勝利ではなく、ひょっとすると、敗北への第一歩なのかもしれない。
水はいま、文字通り、終末と再生の水際に立たされている。(第7章)

医療廃棄物と院内感染は、医薬品メーカーと病院の暗部を行き来するコインの裏表のようなものである。
ある産廃業者によれば、注射針を含めた医療廃棄物を、途上国に"輸出"サービスする薬品メーカーの話も出はじめてきたという。
モノが終末の姿をさらけ出して打ち寄せられる消費の水際は、東京湾の埋立地だけにあるわけではない。われわれ日本人は、国内での売血を禁じられた血漿剤メーカーが、アメリカのスラム地区から血液を買い取って輸入した暗い過去を持っている。これがわが国にエイズをもたらした最初のきっかけだったことは専門家の間では常識となっている。
血液ばかりではない。世界中の非難をあびながら、低賃金で現地の労働者を雇い、熱帯雨林を乱伐しているのも、また日本の企業である。日本経済の波打ち際としての世界最貧地区。そこは日本資本主義の荒波に、内部をえぐられるほどに洗われ続けている。(第8章)

高度成長の高波とともに都市養豚業者が近郊へ追放され、この動きと呼応するように、残飯から配合飼料へと切り替わる。日本列島を襲った高度成長という高波は、養豚業者たちを都市住民の目にふれない場所に隔離していくと同時に、残飯という貴重なエサを一挙に生ゴミという名の存在に変える高波でもあった。いうなれば高度成長とは、臭いものは遠くへ押しやって事なかれとしていく一方、使い捨てを是とする、社会意識構造上の大変革だったといえる。高度成長を母体とするその排除と使い捨ての意識はますます強化され、そのみえない圧力は、残飯養豚業者を次々と転廃業させる大きな要因ともなった。
神経症的なまでの"賞味期限"へのこだわりは、本来その表示の必要のない保存食品にまで及び、食品廃棄になおいっそうの拍車をかけている。かつてデパート内の老舗などで行われていた売れ残り食品の社員販売や割引販売は、ブランドイメージを保持するとの理由から、大半の店が、丸ごと捨てる方式に切り替えた。
飽食の時代といい、グルメブームという。だが、そういわれる状況を冷静に眺めれば、まさに捨てることによって成立する。いや捨てることによってしか成立しない一種、倒錯的世界でしかないことがわかるだろう。われわれは、捨てられたモノの多寡によって豊かさを実感する、未曽有の社会に生きている。(第9章)

"紙オムツ"と表示されているものの、これは、吸水部分に石油からつくられるポリマーという素材を使い、表面材にもポリプロピレンの不繊布を使うなど、れっきとしたプラスチック製品なのである。
ポリエチレンテレフタレートからつくられ、1.5リットルイリのコーラや天然水などの容器として最近多用されている通称PETボトルの生産量は、91年14億8200万本(1.5リットル換算)にのぼった。清涼飲料中に占めるPET製品の比率は、容量換算で約20%に達している。一升瓶をはじめリターナブルびんの低落傾向は前にも述べたが、PETボトルはそれにかわるワンウェイ容器として急浮上してきている。
びん、カン、PETボトル、そして紙容器。メーカー内部からわきあがった使い捨て容器の氾濫は、合理的に使い回しされてきた容器循環サイクルの堰を絶ち切って、高速資本主義経済にいっそうの拍車をかけている。(第10章)

原発の増設にのみ邁進し、そこから発生する核のゴミについてはなんら手だてをしてこなかったわが国の原子力政策は、よく「トイレなきマンションづくり」という言葉でたとえられる。日本に初めて商業用原子炉の火がともってから約30年、ようやくその「トイレ」が、満州帰りの再入植者を札束ですでに追い出していたこの地(六ヶ所村)に建設された。
ゴミの最終処分地は、いずれも都会の大消費地とは隔絶された辺陬の地につくられているが、ゴミのなかのゴミともいうべき核のゴミ処分場が、本州の最北端のさいはての地に建設されたことは、わが国の消費と廃棄の構造を物語って、あまりにも象徴的である。
廃棄物を含めた各問題を"国家"に託して先送りしているのは、官僚や電力業界ばかりではない。北海道の幌延町や青森県の六ヶ所村を遠く離れた大都市で、放恣な電化生活を送っているわれわれ一人一人もまた、"国家"のうしろに隠れ、核問題に対し知らぬ顔を決め込んでいるともいえるだろう。
核のゴミをみつめる視線には、ゴミ問題一般に向けるまなざしが収斂されている。
核のゴミ問題を地域問題とかたづけるのは、こうした核の越境性を考えただけでも、無謀な議論といえるだろう。その議論は、間違いであるばかりか、"国家"との共犯関係に知らず知らず組み敷かれた人々が、ゴミのなかのゴミともいうべき核のゴミに、取り返しのつかない逆襲をくらわされることも意味しているからである。(第11章)

私は動物と人間の死を一緒にするつもりはないし、その終末処理施設を同一視するつもりもない。ここでいいたいのはむしろ、これらの終末処理施設に向けられた視線の近似性についてである。
行政側はこれらの施設をなるべくめにつかないところに持っていこうと苦慮し、付近住民は終末施設と聞いただけで、反射的に異を唱える。こうした構図は、われわれがゴミおよびゴミ処理施設に向ける視線とひどく似ている。
有機物の死を死体と呼ぶならば、ゴミとは無機物の死さといえる。われわれはなるべくそれらから目をそむけ、遠くへ遠くへ押しやろうとしている。
40年代には10人のうち9人までが自宅で息をひきとっていたのに対し、それから約50年後の90年代には10人のうち8人近くが病院で息をひきとっているのである。いまでは自宅で死亡した場合、なにをおいてもまず警察が検死にやって来る。病院で死ぬほかない社会への移行は、そのまま、死を遮眼させる社会への移行でもあろう。
無機物の死としてのゴミも、そしてそれを処理する施設もまた同じである。全世界的環境破壊から地球を守れ、などという、それ自体は誰にも論駁しようのない正しく美しく大きい論陣を押し立てる反対運動陣営の中には、ゴミ処分場は必要という総論には一応賛成しておいて、しかし自分の隣にはきてほしくない、と各論反対の立場にするりと身をかわしてしまう手合いが少くない。
いま問われているのは、ゴミを遠くみえないところへ押しやって事足れりとすることではなく、それらと折り合いをつけながら、共存する社会システムを構築することであろう。
体温あるものの死も、体温なきものの死も、ひとしなみ隠蔽しようとする排除の論理の横行は、無責任と差別の意識を助長するだけであろう。(第12章)


掟破りの大量引用のみになってしまった。本当は、本書を直接手にとって読んでもらいたいという気持ちでいっぱいなのだが、今これを入手するのはかなり難しそうだ。神戸市図書館蔵書検索で調べたら、文庫版が灘図書館と外大図書館、単行本が垂水図書館とたった3冊しか無い。大倉山の中央図書館にもない、というのは、ちょっとショックだった。
最近佐野眞一を再発見(^_^;)したMorris.だからこそ、灘図書館の文庫棚で本書に出会えたのだが、こういった本こそ、全図書館に常備してしかるべきだろう。
繰り返すが、20年前の本である。20年といえば半端ではない時間だ。この半端でない時間で、日本のゴミの現況は、いくらかでも改善されただろうか。少なくともゴミの総量は増えていることは間違いないだろう。現在ならインターネットで、かなりの情報が容易に得られるはずだ。
東北津波地震、そして福島原発震災という未曾有の災害を被った今こそ、本書の発言の重みは増していると思う。
震災瓦礫の受け入れが、地域住民の反対で、一向に進捗しない現況をみるにつけても、その感を強くする。


2012016

【大地の牙】船戸与一 ★★★ 「満洲国演義6」である。この大作も6冊目で2500pを超えたと思うが、やっと西暦1938(昭和13 皇紀2598 民国27 建徳5)ノモンハンの前年である。このまま昭和20年敗戦、満洲国滅亡まで続くのだろうが、後何冊になるのかな。Morris.はいい加減前の物語を忘れかけてた(^_^;)
敷島四兄弟は、エリート外交官太郎は法匪となり中国人の妾作るわ、奔放不羈で馬賊にまでなった次郎は上海で請負殺し屋、強面の三郎はバリバリの憲兵大尉、主義と女から逃げ出した軟弱者四郎は兄のお陰で満映に潜り込む、と4人それぞれ大活躍とは言いがたい動きである。時代に巻き込まれているということかもしれないし、満州とその時代こそが主人公で、兄弟はその狂言回しだということはわかるのだが、もう少ししゃきっとして欲しい気がする。次郎には特にね。
ノモンハンをどう捉えるか期待していたのだが、ちょっと肩透かしだったかな。
資料や新聞記事などの引用はまだ我慢するが、未来を知ってる作者が、登場人物の口を借りてその後の進展を語らせるというやり口が多すぎる。これはご都合主義と同類で、話を面白くする分にはかまわないと思うのだが、それも限度があると思う。
この作品がどうなるのかわからないが、Morris.は安彦良和の漫画「虹色のトロツキー」こそ、満州をテーマにした作品の中では最高のものだと思う。船戸作品は、その規模においてはすでに漫画を凌駕しているかも知れないがそのドラマ性、面白さ、魅力の点では及ばないようだ。


2012015

【目と耳と足を鍛える技術】佐野眞一 ★★★☆☆ ジュニア向けのちくまプリマー新書の一冊で「初心者からプロまで約立つノンフィクション入門」と副題がある。2008年西日本新聞に連載したものを元にしているとのことだから、特に子供向けというものではなかったのだろう。最近彼の作品をよく読んでたから、見覚えのある文章が多かった。

私はその言葉の名付け親のどこかしらうさんくさいイメージも手伝って、「団塊の時代」という言葉は嫌いである。私流にこの言葉を"小文字"で定義しなおせば、「団塊の世代」とは、日本の貧しさを知る最後の世代であり、日本が豊かになっていくことを最初に実感した世代ということになる。

Morris.も佐野もこの「団塊の世代」であり、Morris.もこの言葉にはあまり良い感じは持てないでいるのだが、ついつい使ってしまう。たしかこの言葉は堺屋太一が1970年頃に命名したんだったよな。嫌な言葉でも人口に膾炙すると取り消すことは困難になってしまう。それまではベビーブーマー(>_<)だったから、どっちもどっちか。

正力は善悪の価値基準をはるかに超えた怪物だった。彼は警視庁時代、関東大震災下の朝鮮人虐殺に深く関与している。そうした面だけを取り上げれば、正力は悪魔的人物である。だが、人間には"アクの魅力"というものがある。そうした視点から人物を描いてきた私から言わせると、渡辺氏は正力に比べると"チンピラ"にしか見えない。

渡辺恒雄=チンピラとはっきり書けるというのもすごいよな。ともかく、正力をテーマにした「巨怪伝」は、是非読まなくては。

世界史にも例がない1960年代の高度経済成長とは、敗戦によって失われた満州を国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか。日本はそれを実現するため、沖縄を基地としてアメリカに差し出して防衛問題を一任し、経済発展に一意専心できたからこそ、敗戦からわずか約二十年で世界第二位の経済大国になる手がかりをつかめたのではないか。

これは満州もの、沖縄ものを読んだからおなじみの仮説だが、これにはちょっと疑問がある。

私もお定まりのように学生運動に参加したが、自治会を牛耳る幹部たちの"左翼小児病的体質"についていけず、学生運動から意識的に足を遠ざけるようになった。間もなく内ゲバの季節が始まり、私は学生運動と決別した。
私の目に映った学生運動のリーダーたちは、空疎でイデオロギッシュな装飾をほどこした言葉をもてあそび、問題をことさら声高に叫んで周囲を煙に巻く連中ばかりだった。私はいまでも「美しく、大きく、誰にも反論できない」言説に出会うと、いつも眉にツバをつけることにしている。熱弁には疑念の目を向け、沈黙には耳を傾ける。今振り返れば、それが学生運動から得た最大の収穫だった。


Morris.は学生運動とははじめから縁遠かった。ノンポリというのもひとつのセクトだったといえばいえるのかもしれないけど(^_^;)

場合によってはプライバシー侵害で訴えられるかも知れない。それをいつも覚悟し、悩み続けることが、物書きの最低の条件であり、プライドだと私は思っている。そもそも物を書くということは、多かれ少なかれ、誰かを傷つける行為である。それを自覚し、引き受ける覚悟がなければ、物書きなどやめた方がいい。匿名で書けば、書いた責任が免れるという発想には、精神の弛緩しか感じない。それだけで物書き失格である。

匿名の発言というのは、したくない方だが、それでも、物書きにはなれないと再確認した。
巻末に「私が推薦するノンフィクション百冊」を列記してある。「古典」「社会」「事件」「戦争・戦記」「評伝・自伝・人物論」文化・芸術・芸能」の分野別にの紹介で、品切れや絶版のものも多いが、そこは古書店、図書館を利用するようにとのこと(^_^;)
つい先日メモした「世界屠畜紀行」や、ファーブル昆虫記、ヘディンの「さまよえる湖」関川夏央「海峡を越えたホームラン」、金子光晴「マレー蘭印紀行」、ツワイクの「ジョセフ・フーシェ」などが入ってるのは懐かしくも嬉しかった。
いちおう気になるもののタイトルと著者だけを写しておく。

「氷川清話」勝海舟
「遠野物語」柳田国男
「忘れられた日本人」宮本常一
「原発ジプシー」堀江邦夫
「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん
「ナマコの眼」鶴見良行
「国家の罠」佐藤優
「苦海浄土」石牟礼道子
「異形の王権」網野善彦


聞き覚えある本を挙げたのだが、これまで読まずにいたのだから、これからも読まない確率の方が高そうだな(^_^;)
それより、本書は佐野のこれまでの作品紹介みたいなものだから、Morris.としてはまだ読んでない佐野本の中から次に何を読むかの読書案内として役に立ちそうだった。
「巨怪伝」「旅する巨人」「日本のゴミ」「だれが「本」を殺すのか」「てっぺん野郎」の5冊チェックである。


2012014

【日本のいちばん長い夏】半藤一利 ★★★☆ 昭和40(1965)文藝春秋から出た「日本のいちばん長い日」は発表当時かなり話題になったから、たぶんMorris.も目を通したと思う。1967年には東宝が映画化して、それも見たようなきがする。
タイトルはノルマンディー作戦をテーマにしたコーネリアス・ライアンの「The Longest Day-史上最大の作戦」のもじりだろう。
Morris.はずっとこの原作は大宅壮一だと思い込んでいた。ところが、実は当時文藝春秋編集部にいた半藤一利の作だったということを最近になって知った。
この本のキモは昭和38(1963)6月に東京「なだ万」に終戦の生き証人28名を集めて5時間にわたって開かれた大座談会で、その模様は文藝春秋8月号に掲載(吉田茂と町村金吾は誌上参加)された。
これだけは、もう一度読み直したいと思っていたら、2007に文春新書「日本のいちばん長い夏」として出ていた。
最近半藤一利の歴史語り下ろしシリーズを読んで関心もってたので、改めて目を通すことにした。個人の回想録は数多くのものが残されているが、こうした大勢が一堂に会して意見を交換した記録というのはそう多くはないだろう。実に貴重な記録といえる。

会田雄次、荒尾興功、有馬頼義、池田純久、池部良、今村均、入江相政、上山春平、江上波夫、大岡昇平、扇谷正造、岡部冬彦、岡本季正、楠政子、酒巻和男、迫水久常、佐藤尚武、志賀義雄、篠田英之助、鈴木一、館野守男、徳川夢声、富岡貞俊、南部伸清、町村金吾、松本俊一、吉武信、ルイス/ブッシュ、司会半藤一利

新書版に当たってこの座談会について半藤一利と松本健一の対談が収められている。その中から

半藤 記事は「文藝春秋」昭和38年8月号に掲載したのですが、企画としては、ポツダム宣言が公布されたあたりから終戦までのあいだにいったいなにが起きたのか--とにかくそのときの当事者を全員集めて話を聞こうというもくろみでした。そりゃもう無茶苦茶に大変な仕事でしたが、いまはやっておいてよかったと思っています。
松本 たしかに貴重な証言集ですものね。しかも出席者も網羅的に集めておられますね。軍部や政府の中枢にいた人と、外地で戦争に携わっていた人と、獄中にいた人と、庶民と。
半藤 言われてみるとたしかにそうですね。このメンバーを見ると、本当に私の趣味で集めておりますね(笑) それに何よりも「文藝春秋」が得意芸としている現場主義で。


こういった歴史の証人の記録というのは、まさにタイミングが重要である。というか、後になってやろうとしてもそれは不可能だということだ。
神戸震災にしろ、今回の東北地震津波原発事故にしろ、当事者を集めてこうした座談会みたいなものの記録を遺しておくことも必要なのではなかろうか。


2012013

【死因不明社会】【ゴーゴーAi】海堂尊★★★☆ 遅ればせながら海堂尊にはまってしまったMorris.だが、「チーム・バチスタの栄光」(2006)は当時図書館で見かけて、サッカーチームの追っかけ本くらいに思って、手にとってみようともしなかった(^_^;) 結果的に認知が5年ほど遅れてしまったのだ。
今年になって、一挙に10冊ほど読んで、すっかり海堂ワールドの虜になりながら、小説の中に出てくる「Ai(Autopsy Imaging 死亡時画像病理診断)」も、現実のものでなく、作者の思いつきだと思ってたくらい(^_^;)だった。ところが、この概念そのものを病理医師である筆者が1999年に思いつき(^_^;)その普及に向けて尽力続けていたことをあとで知った。
その啓蒙書として講談社ブルーバックス「死因不明社会」(2007)、そして「ゴーゴーAi」(2010)が出され、やっとMorris.もその経緯を知ることになったわけだった。
X線(レントゲン)の発展形態としてのCTスキャンやMRIを、患者の病理診断に使うだけでなく、死体に施すことで、死因解明や解剖の実施の決定に役立てようとしようというわけで、実際には施設のある病院や医師は、すでに実施してはいたことなのだが、これはあくまで診療ではなく、検査という意味合いが強い上に、公的な医療費としては認められず、ほとんどが医者の持ち出しか、生体に実施したものとして扱われてきたらしい。
この2冊は、医学的診療方法の解説であるとともに、その発展と妨害を克明に記録したもので、ふつう、こういうのはMorris.ははじめから読む気を無くすのだが、そこが海堂の海堂たるところで、めちゃくちゃ面白くわかりやすく読めるものに仕上げている。
「死因不明社会」では、小説の主人公の白鳥が解説者となって言いたい放題やってくれてる。そもそも海堂作品の面白さの大半が、白鳥の傍若無人、抱腹絶倒の超論理に拠るところ大きかったわけで、そういう意味ではこれはMorris.には小説以上に面白かった。
「ゴーゴーAi」は、Ai普及活動とそれを抑えつけようとしたり、取り込んだりしようとする法医学者、司法、官僚、警察などとのわたりあいを、新聞記事やネットメール、図表、書類などを駆使して時間軸に合わせて、報告書に仕上げている。
東大の深山教授から実際に訴訟起こされ法廷闘争までやったことについても、ドラマチックに描いてあり、これまた小説より面白かった。
ご丁寧にあとがきで、本書のプロットまで公開してある。手抜きを承知で、それを引用しておく。

1.病理医で元外科医の私は、治療効果判定をきちんと行おうとしてAiを思いつく。
2.画像診断医は死体診断に対応せず、解剖補助の観点から病理学会でAiを展開した。
3.筑波メディカルセンター病院・塩谷清司先生と出会いAi学会を立ち上げ、専門書を出版した。
4.千葉大に世界初のAiセンターができた。
5.モデル事業が立ち上がるとAiは病理学会上層部から無視され、企画が頓挫した。
6.アカデミズムに見切りをつけ、最終手段として小説世界からゲリラ戦を敢行した。
7.小説、映画、ドラマ等の露出でAiの認知が広まり、逆行的に学術界で理解が進んだ。
8.法医学っかい、病理学会上層部がAiは解剖の代替にならぬ、というキャンペーンを始めた。
9.解剖関連学会上層部と厚生労働省がAiの過小評価情報を流し、その防戦に追われた。
10.日本医師会のサポートともに各地にAiセンターが自発的に立ち上がり始めた。
11.一般財団法人・Ai情報センターが銀座に創設された。
12.モデル事業が業績、実績の両面から失敗に終わった。
13.厚生労働省にAi検討会が立ち上がり、正式にAiの概算要求がされた。
14.日本医学放射線学会と日本放射線擬似界がAi研修会と認定医制度を構築した。


いやあ、実に手際の良いまとめ方である。こういった文書の処理能力の高さと、速筆(もっぱらの噂)ぶりからして、海堂の才能は大したものだと思う。小説読んでても、その水際だった話の運び方、比喩の巧みさと豊穣さに驚かされたが、実社会での事務能力にも相当に長けているようだ。まさに文武両道(実際大学時代は剣道部で三段とか)だな。
本書に目立つ大向う批判の手法や我田引水ぶりは、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」に通じるものがあるような気がしたが、これは批難ではない。読者サービスだろう(^_^;)
生きている人間より死体の検査の方が鮮明な画像が得られることは、素人考えでも自明だし、技術の進歩で、どんどん精密精確な情報が得られるようになっていくだろうから、CT、MRI、それに続く検査機器によって、解剖無しでも死因の大部分が明確になるというのも現実みを帯びてくる。まあ死んだ当人にとっては、それも、どうでも良いことかもしれないけどね(^_^;)


2012012

【詩ふたつ】長田弘 グスタフ・クリムト ★★★☆☆ 2009年に妻を亡くした詩人の追悼の詩を、クリムトの花と樹木の風景画で飾った詩画集である。
内容は長田らしく、わかりやすく、美しく、悲しく、深い。そしてクリムトの絵は、これまでMorris.の全く知らなかったタイプの作品ということに驚かされ、しかもこの詩作品に見事に融け合い、調和して素晴らしかった。
あとがきの言葉がそのまま、詩のようだった。

人という文字が、線ふたつからなるひとつの文字であるように、この世の誰の一日も、一人のものである、ただひとつきりの時間ではありません。一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。(あとがき)


本書は落合恵子のクレヨンハウスから出されている。帯に記された、彼女のことばもみずみずしくて良かった。

母を見送った季節が、まもなくやって来る。喪失の悲しみをいやすことはできないし、その必要もないと考えるわたしがいる。
なぜならそれは、まるごとの、そのひとを愛したあかしであるのだから。
悲しみさえもいとおしい。
けれども、どうしようもなくこころが疼くとき、長田弘さんの、この二つの「絆」の詩を声にだして読む。
人生に余分なものは何ひとつない、と。(落合恵子)


収められているのは「花を持って、会いにゆく」「人生は森のなかの一日」の二編だけ。ある意味究極の詩集と言えるかもしれない。ふたつということが大きな意味をもつのだろう。

生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。(「花を持って、会いにゆく」より)

沈黙は、
森を充たす
空気のことばだ。

森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。

人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。(「人生は森のなかの一日」より)


かけがえのないものへの招魂を、死と詩と志の三位一体でさりげなく祷ろうとしているのだろうか。


2012011

【世界屠畜紀行】内澤詢子 ★★★★ この本実はずいぶん前に読んですっかり感心して、きちんと紹介しなくてはと思いながら、貸出期限過ぎたので返却してそのままになってたのを再び借りてきた。
2007年解放出版社から発行、著者は67年生の女性イラストルポライターで、世界をまたに、屠畜場のほか、図書館、トイレ、製本などの現場(関連在るような無いような分野(^_^;))を取材してまわっているとのこと。
本書もイラスト満載である。ロットリングで描いたような細い線のイラストはすごく上手いというのではないが、きちんと細部や重要な部分がわかるように描かれているし、屠畜の姿や作業している人間の表情が何か楽しげで、いい味を出しているし、文章は真摯で的確で実にしっかりしているうえに、感情が横溢している。ただものではない。
取材地は、韓国のカラクトン、マジャンドンの食肉市場、犬肉関連、バリ島の豚の丸焼きと生贄牛、エジプトのラクダ、羊、チェコの家庭での屠畜、モンゴル遊牧と屠畜、インドの犠牲祭、デリーの大屠畜場、アメリカテキサスの食肉工場、そして、日本では芝浦の豚屠畜と内蔵市場、沖縄の山羊、豚…と、広範囲、多岐にわたっている。
個々の記事も充実しまくっているし、屠畜業への差別問題と、生きものを食べるという「原罪」的疑問への言及もあるが、基本的に屠畜が好き、というスタンスを持つ著者によってしか書き得なかった本であることは間違いないし。本書の特長もそこに起因する。
とにかく、これは是非読んでもらいたい一冊である。大きな図書館にはあると思うし、2011年には角川から文庫版が出たので、入手しやすくなったと思う。

本書で私は「屠殺」ということばはなるべく使わずに、「屠畜」という馴染みの少ないことばを使っている。生きた動物を肉にするには、当然殺すという工程が含まれるのだけど、殺すということばにつきまとうネガティブなイメージが好きでなかったことと、これから読んでいただければわかるように、なによりも殺すところは工程のほんのはじめの一部分でしかない。そこからさまざまな過程があって、やっと肉となる。そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだ、ということをわかってもらいたくて「屠畜」ということばを使っているんである。ちなみに、このことばの由来は案外古く、明治期の専門書にはすでに登場している。これを機会に「屠畜」ということばが広まればいいな、とも思っている。(まえがき)

タイトルに「屠畜」ということばを使うことの説明だが、じつは韓国では「屠殺」より「屠畜」という言葉のほうが普通に使われているらしい。本書を書き終えた後にそのことを知ったと書いてあった。

トサルジャン(屠殺場)ということばにどういうイメージがあるかと何人かに聴いたところ、古い、設備の整っていないところ、衛生的でないところ、ヤミでやっているところ、という答えが返ってきた。一方トチュクジャン(屠畜場)は、衛生的、合法、近代的というイメージなのだそうだ。確かに安先生の日本のと畜場法由来説にほぼ合致する。(終章)

本書では、日本はもとより芝浦の屠畜場で働く人々が具体的にどのような差別を受けてきたかの記述は最小限にとどめている。差別を受けた側の立場に成り代わって被差別の歴史をくわしく書くよりも、まず屠畜という仕事のおもしろさをイラスト入りで視覚に訴えるように伝えることで、多くの人が持つ忌避感を少しでも軽減したかった。
僭越ながらそれができる人間は日本にそう多くはいまい。イラストが描けるとか、長期取材や海外取材が出来る(どっちも私より上手な人はたくさんいます)とか、そういうことではない。屠畜という営みを心から、多分当事者以外ではだれよりも愛しているからだ。
差別があろうがなかろうが、日本だろうが海外だろうが、屠畜の現場に出くわせば、スケッチブックとカメラを取り出して(日本ではスケッチだけだけど)いそいそと記録するくらい、好きなのだ。いくら本を読んで「かわいそうかも」と思ったところで、現場に立てばそんな気持ちは一瞬でふっ飛んで作業に見入ってしまうくらい好きなのだ。(あとがき)


2012010

【エネルギー進化論】飯田哲也 ★★★ 京大原子核工学を出て神鋼の原子力部門などに勤め、現在はISEP(環境エネルギー政策研究所)所長。自然エネルギー、脱原発で著作もある人らしいが、ちくま新書から出た本書は、3/11福島原発事故を受けて出されたものだろう。矢谷くんが貸してくれた。

序章「自然エネルギー懐疑派への反論」
1.「福島後のエネルギー」
2.「自然エネルギーの歴史」
3.「失われた10年」
4.「地域から始まった革命」
5.「日本の地域からのチャレンジ」
6.「これからの日本のエネルギーシフト」


知らないことも多く、いろいろ教えられたが、「なぜ日本では自然エネルギーが普及しないのか」と副題のある3章が一番面白かった。いや、面白いというのは語弊があるかもしれない。日本のエネルギー政策、原発至上主義、電力会社と、政治・金融界の癒着、欺瞞と隠蔽体質……唯一の原爆被被爆国で地震大国である日本が何故に原発だらけになったかなどは、別書でも読んでわかっていることだが、見るたびに読むたびに呆れかえってしまう。

日本では、10の電力会社が、電気事情連合会(電事連)という業界団体を通じて、政策の利害調整を緻密に図っています。
さまざまな課題が、各社内での上下関係によって合意形成をしながら、横のつながりで調整をし、組織の上層へあげていくという、江戸幕府の幕藩体制のごとき洗練されたプロセスによって、電事連の利害調整は巧妙に図られているのです。
10の電力会社は、各社の地盤の政治家に、あるいは電事連や経団連を通じて、自民党のエネルギー政策に強い影響を及ぼします。他方、電力総連や電機労連などの労働組合は、民主党のエネルギー政策に強い影響を及ぼします。その結果、国会のエネルギー政策は、二大政党の両側で電力会社の強い影響かに置かれている上に、おおむね道州単位で存在する電力会社が各地域でガリバー的な企業であるために、各地の経済団体のトップは軒並み電力会社が占めて、地域社会にもきわめて強い影響力を発揮します。こうして電力会社による「エネルギー政治の独占」も手にしている構造が出来上がっています。


これに日本的な官僚の天下りの群れがタダ乗りしているわけで、今回の天災+人災をきっかけに根本的、徹底的な改革を為すべきなのだが、すでに、権益側からの彌縫策が進展してるような気がするのは、Morris.だけだろうか。
上の引用の中で、電力会社のやり方を「洗練されたプロセス」と表現しているが、これはちょっと違うんじゃないかいと思ってしまった。褒め言葉みたいだから嫌な気分がしたということもあるが、もともと「洗練」には「優雅で品位がある」といったニュアンスがあると思うぞ。


2012009

【写真を仕事で…】WINDY Co.編著 ★★☆☆正しくは「仕事で写真に関わる多くの人へ。写真を仕事で使うための基本と実践手帖」という長々しいタイトルである。毎日コミュニケーションズというところから出てるから、毎日新聞関連の本だろう。オールカラーで、いかにも雑誌の特集記事をまとめたみたいな感じだが、一つでも役にたつことがあれば儲けもので、借りてきた。
デジカメ一眼+Photoshop利用者向けらしく、コンデジ専門のMorris.には無縁な部分が多かったし、撮影のヒントや注意も、どちらかというと初心者向けのようだ。まあ復習という意味で、たまにこういうのを読むのも悪くはないだろう。

・建物の記録は望遠で被写体を歪ませずに撮る。35mm換算で50mm以上。推奨は70~80mm。
・部屋などを撮るときは人間の目の高さかそれよりちょっと高めから。
・建物写真は水平、垂直を正確に。
・透明な被写体は逆光で透かして撮影。
・女性はプラスに露出補正して肌を明るく。
・ホワイトバランス、灰色の紙が効果的なことも。
・切り抜き用商品は透明容器の上に載せて撮影すると底の部分まで光が回り込んで影が出ない。


このくらいかな。
最初に書いてあった

写真には、「かっこいい写真」と「わかる写真」の二つの方向性があります。

というのは、わかりやすく書こうとしたための筆の走り(転び?)かもしれないが、あんまりではないかと鼻白んでしまった(^_^;)


2012008

【重力ピエロ】伊坂幸太郎 ★★★ レイプで生まれた弟の実父への復讐物語、というとえらくおどろおどろしそうだが、そこは伊坂らしく灰汁抜きしている。放火事件と現場近くに残された壁の落書きを巡って、遺伝子関係会社に勤める兄と、癌で入院している父の推理遊戯、哲学的風(^_^;)の推理ゲーム、ガンジーや芥川龍之介の言葉も色々出てくるし、そういった切れっ端がだんだん繋がって物語を形作っていくところはなかなかスリリングでもあるのだけど、どこか、騙されてるような気持ちが残ってしまう。

「人間は様々なことで、進化、発達をシてきただろ。科学も機会もね。先人の教えや成果を学んで、それをさらに発展させてきた。でもね、芸術は違う、エッシャーはそう言ったんだよ」
「芸術がどう違うんだ」
「どんな時代でも、想像力というのは先人から引き継ぐものじゃなくて、毎回毎回、芸術家が必死になって搾り出さなくてはいけないってことだよ。だから、芸術は進化するものではないんだ」
「分かるような、分からないような、だな」


Morris.にはこの作品への感想こそがそのまま「分かるような、分からないような」ものだった。


2012007

【アヒルと鴨のコインロッカー】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ これは伊坂作品の中でもかなり面白い方だと思った。現在の物語と2年前の物語を交互に展開する「カットバック形式」(というらしい)の作品で、Morris.は苦手なはずだが、この作品ではその必然性が理解できたし、トリックの鍵にもなってた。
登場人物がそれぞれ個性的で見どころがあるし、ある種のプラトニック恋愛小説と言えなくもなかった。小道具は広辞苑、ブータン、ペット殺し、エイズ、ディランなどだが、ブータンには一度行ってみたくなってしまった。

ひとつ発見をした。ディランの声は、普段はのどかに聞こえるけれど、悪事を起こした人間にとっては、罪を責めたててくるようにしか聞こえない、ということだ。すべてお見通しだぞ、と懇々と説教をされているような気がする。

「ブータン人は何ケ国語も喋れるんだぜ。ゾンカ語はもとより、ネパール語を喋るちいきもある。それ以外に書く地方で方言もある。しかも、英語は幼稚園からやっている。生活の中には複数の言葉が、ごく普通にあるんだ。俺たちとはまるで違う。言葉を学ぶことに関して、専門家なんだよ」
「アクセントが重要なんだ。アクセントがずれると日本語は不自然になる。外国人の話す日本語は、決定的にそこが違う。

わたしは人差し指を立てる。「楽しく生きるには二つだけのことを守ればいいんだから。車のクラクションを鳴らさないことと、細かいことを気にしないこと。それだけ」これは日頃から、ドルジにも言っていることだった。


2012006

【PRIDE】石田衣良 ★★★ 「池袋ウエストゲートパーク」シリーズ10作目(^_^;)である。最初の頃は石田の文体と洒落た言い回しには大いに感心したものだ。今でも、やっぱり上手いとは思うが、だんだん飽きてきたようでもある。
携帯電話ネタの「データBOXの蜘蛛」、自転車ネタの「鬼子母神ランダウン」、マイナーアイドルネタの「北口アイドル・アンダーグラウンド」、レイプネタの「PRIDE」4篇が収められている。
「オッカムのかみそり」「法令線」「ファスティングダイエット」などMorris.の知らない言葉も出て来たのでそのつどネットで調べてなるほどと思ったりもした。


2012005

【うまや怪談】【道具屋殺人事件】【三題噺 示現流幽霊】愛川晶 ★★★ 落語ミステリーシリーズの1作、3作、4作である。「ねずみととらとねこ」「うまや怪談」「宮戸川四丁目」「道具屋殺人事件」「らくだのサゲ」「勘定板の亀吉」 「多賀谷」「三題噺 示現流幽霊」「鍋屋敷の怪」「特別編「過去)」と10篇。前に読んだ2作目とあわせて13篇を読んだわけだが、これもだんだん飽きてきた(^_^;)著者(福島出身)はこの4冊で打ち止めにするつもりだったらしいが、東北大震災が起きたので、続編を出したいとかあとがきに書いてあった。
雑誌発表するごとに登場人物や人間関係の説明を繰り返しているが、単行本にまとめるさいには整理して欲しかった。
作品に出てくる落語そのものは懐かしかったりもするのだが、これも、あまりに初歩的なところまで、したり顔で解説されると鼻白んでしまう。自作の創作落語を小説の中で発表するという、大胆な作もあったが、これはあまり感心できなかった。
ストーリーとは無関係だが、

この間、テレビを見ておりましたら、食事中……、ま、早い話が、餌ぁ食ってる最中に、飼い猫が人間の言葉を喋るってんです。それをビデオに撮って、テレビ局に送ってきた。『マグロ、ウマイ』と、はっきり言うんだそうです。(「ねずみととらとねこ」)

というのは、これは、王子動物園前の仏壇屋の愛猫チャチャのことに違いないと思う。本書ではそのあと「黒猫」となってたが、チャチャは名前の通り茶色の愛嬌猫だった。昨年惜しまれながら死んでしまったけどね。


2012004

【原発報道とメディア】 武田徹 ★★★ 東北大震災に関する本は何となく見るのが辛くて読まずにいたのだが、先日の佐野眞一のルポを読んで、やはり見過ごすわけにはいかんなと、とりあえず借りてきた一冊である。
メディア論やジャーナリズムを大学でも教えてる人らしいが、以前書いた「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」という本が、震災後増補版で出て評判になっている。
本書でも色々教えられる所は多かった。

「安全」や「安心」を実現目標として高く掲げる社会は排他的になる。気心の知れた者同士だけで生きることこそ「安全」なのだと信じ、よそ者を排除したり、仲間うちで足並みを揃えない人を排撃することで「安心」を得ようとする。そんな社会は実は「安全」とは言い難く、むしろ危険だ。そして「安心」よりも、癒されることのない「不安」に満ちる。寛容性を失い、ひとたび他者の挙動に不信感を覚え始めると、それを排除してもまた他の異物が目に付く「不安」のスパイラルから逃られなくなる。

原発はいつか悲惨な事故を起こしかねないものだったにもかかわらず、そんな原発を私たちは受け入れてきた。
受け入れた? そんな選択をしたつもりはないと言うのは原子力反対派に留まるまい。しかし原発は民主主義国家としての日本であくまでも民主主義的に選ばれている。国民の多数が選んで国政に送り出した政治家が原発を選んだ。それが嫌だったら、事後的にその政治家を、あるいは彼(女)を擁する政党を政権から追い落とし、原発を拒否することもできただろう。だが、そうした選択は一貫してなされなかった。原発が政治的な争点になることも滅多になかった。自由民主党から民主党への政権交代に湧いた2009年も、両党はともに原発推進を政策としていたので、原発に関してはなにも変わらなかった。


かなり耳の痛い言説であるが、否定できないのが悲しい。

思えば、ゼロリスク(=絶対安全)を求めてゼロトレランス(=徹底的不寛容)に至る傾向は今に始まったものではない。明日なにが起きてもおかしくない不確実な暮らしは、たとえば定職を得られずにいたフリーターやニートにとっては以前から日常的だったし、リスクを嫌う安全志向の社会の中で不審者とみなされて予防的に排除されることも、彼らは経験済みだろう。
原発事故はパンドラの箱を開き、未来を著しく不透明にする不確実性を広くばらまき、結果として以前から日本社会が宿していた歪みを水面上に浮上させたのに過ぎないのだ。パンドラの箱の底に希望が残っているとしたら、それは不確実性を社会的に引き受けつつ、それぞれの事情に応じて個々人が(被曝だけに限らない様々な)リスクを最小化して生きられるような共生の技術を、今度こそ私たちが確立できるか否かにかかっているのではないか。

これもご説ごもっともなのだが、突然出てくる「私たち」というのがどうもよくわからない。

ディーバー・システムとは情報管制側が見せたい現実を生成(=パッケージング)し、視聴者を覆い尽くしてしまう方法だったとも言えるだろう。
ディーバーは湾岸戦争の報道管制を扱ったNHKの番組で「なぜあなたの開発した手法が功を奏したのか」と尋ねられ、「それはテレビが娯楽のメディアだったからです」と満面に笑みを浮かべて応えた。
湾岸戦争の、そしてイラク戦争の報道番組を制作していたスタッフはまさか自分たちが作っている番組が娯楽だと評されることは予想していなかっただろう。実際、人の生死がかかる戦争報道に娯楽の形容はあまりのように思う。
しかしディーバーが言いたかったのは、それが笑いや慰めを求める番組だということではなかったのだろう。視聴者が求めているのは情報の刺激、つまり斬新さ、奇抜さ、常識が通用しない断絶性を担う情報であり、刺激に触れたいという欲求に駆られてメディアと繋がろうとしている。実際の戦争はもちろんご免だが、戦争にまつわる情報はその刺激性において求められ、それは娯楽番組で奇抜さや常識が通用しない断絶性で情報が求められるのと実は変わらない。


湾岸戦争時の、アメリカ提供の爆撃映像のことはよく覚えている。油まみれの海鳥もね。テレビも娯楽、新聞も娯楽、Morris.の評価基準も「面白ければそれでよい」だもんね(^_^;) 次は騙されまいと思うのだが、敵はプロ集団だから、また新しい手法で攻めてくるだろう。「すべてを疑え」(ローマのテレンティウスの言葉-マルクスの好きだった言葉として有名)という姿勢で生き抜くのもきついけど、せめて「眉唾」の視点を無くさぬようにしたい。
著者がアカデミックなためか、やたら外国人学者の引用やカタカナ専門用語が頻出するのがMorris.には目障りだった。グーグルやツイッターの特長と限界についての意見も参考にはなったものの、どこか物足りない。当人は「詩」が好きで「詩」を通じて言葉への怖れを感じたなんて表明してる割に、本書の文章は読みづらかった。散文は苦手ってことだろうか?(^_^;)


2012003

【SOSの猿】伊坂幸太郎 ★★★☆ 「ひきこもり青年の「悪魔祓い」を頼まれた男と、一瞬にして三百億円の損失を出した株誤発注事故の原因を調査する男。そして、斉天大聖・孫悟空--救いの物語をつくるのは、彼ら」って、これは帯に書かれてた文章だが、伊坂の作品はストーリーを簡単に要約しにくいことが多い。断片的なエピソードが、あちこちでバッティングして、おしまいで一つのものがたりを形作る事が多い。
本書の登場人物に孫悟空が出てくるように(タイトルにもある)「西遊記」が下敷きになっている。

「西遊記ってね、作者がはっきりしないのよ。三蔵法師が天竺にお経を取りに行く史実を元にはしてるんだけど、いろんなテキストがあってね、それを寄せ集めて、組み立てたのが西遊記だ、って聞いたことがあるわ。ってことは、西遊記自体が、いろんな人間が持っている、普遍的な物語を収集したものってことよね?」

というコーラスグループの雁子の台詞が、本作品の見取り図のようでもある。

「つまり、恥ずかしさは、『見放される』という思いと結びついているのではないでしょうか。失敗をしたことを誰かに気づかれ、自分の脳力を低く見積られる。その結果、自分が仲間から見放されるのではないか、そう恐怖するのかもしれません。原始時代に、集団でマンモスを狩っていた頃からそうだったのではないでしょうか。失敗をした者は、役立たずとみなされ、分前に預かれない。だから」
「だから?」
「言い訳をするんです。失敗を認めず、自分が役立つ存在だと主張し、もっと言えば、自分の強さを見せたくなるんですよ。恥ずかしさが、怒りの感情に繋がるんですよ。少し前から耳にする、『キレる若者』というのもそれに近いメカニズムだと思います。思春期の若者は、恥をかくことを極端に恐れます。もちろん、大人だってそうですが、十代の若者は、『仲間の面前で恥をかく場面』が大人よりも多いのです。大人のほうが、恥ずかしさの処理に慣れていると言ってもいいかもしれません。大人のほうが、『この程度では見放されない』と分かっているわけです」
「そういうものですか」
「それに、若者は、大人に比べると自分に期待をしています」
「自分に期待ですか」
「自分はもっと良い人間であるはずだ。もっと強い人間であるはずだ。何でもできるはずだ。若者には、自分にそう期待する力と無邪気さ、権利があります。ただ、大人になればなるほど、期待は失望に変わります。自分がどういった人間であるのか把握もできるわけです」

「コンステレーションという言葉を聞いたことがありますか、」とわたしは、遠藤次郎に訊ねた。「もともとは星座の意味らしいのですが、日本語だと『布置(ふち)』とも言います。ばらばらに存在している星が、遠くから眺めると獅子や白鳥に見えますよね。それと同じように、偶然と思われる事柄も、離れて大きな視点から眺めると、何か大きな意味がある。そういった、巡り合わせのことを指すんです。『意味のある偶然』と呼んでもいいかもしれません」


これらの、ストーリーとは無関係な知識(雑学?)がMorris.の好みに合うのかもしれない。「猫」で始めるつもりだった2012年の読書生活は、海堂尊と伊坂幸太郎でスタートということにしよう。


2012002

【それってどうなの主義】斎藤美奈子 ★★★☆ 敬愛する美奈子さんの本だが、見落としてて新長田図書館で見かけたので迷わず借りてきた。
90年末から2007年にかけて雑誌や新聞等に寄稿したコラムの集成みたいなものである。タイトルはまえがき「それってどうなの主義宣言」によると

「それってどうなの主義」とはすなわち、違和感を違和感のまま呑み込まず、外に向かって、内に向かって表明する主義。言い出しにくい雰囲気に風穴を開け、小さな変革を期待する主義の事なのです。「それってどうなの」に大声は似合いません。小さな声でぼそぼそと、が効果的。ではみなさん、小さな声で唱和してみましょう。
それってどうなの?


まずは「癒やし」と「感動」という、Morris.の苦手なアイテムをばっさり斬ってくれた一節から。

90年代。バブルの崩壊で(笑)の余裕を失い、「おもしろがる」ことにも疲れた人々が求めたのは、まず癒やし、次に感動である。癒やしが心の平穏なら、感動は心の刺激である。よって「癒やし」と「感動」はワンセットだ。(「感動させたい症候群)朝日新聞2001/11/21)

小泉の「感動したー」発言を思い出してしまった(>_<)

グルメブーム以降、何でも生で食べる癖がつき、川魚まで釣りたてを刺し身で食べるのが旨いといいだす人もいる始末。川魚の生食はやめたほうがいいと思いますよ。どんなに釣りたてで新鮮でも、魚に鱗はつきもの、淡水魚に寄生虫はつきものだ。
川魚は生で食べても、まな板には抗菌を求める、このアンバランス! O-157事件自体、そういう警戒心が薄れたことが、原因のひとつだったのではないか。
抗菌という概念は、有害無害にかかわらず、異質物をあらかじめ排除する思想である。
人間の身体なんて、もともと雑菌だらけなのである。多少のバイ菌ごときでガタガタ騒ぐんじゃねえよ、と「ばいきんまん」のような気持ちで私は考えるのである。(「抗菌グッズなんかいらない」新潟日報1998/11/12)


これもMorris.は頷くばかりである。抗菌まな板なんてのはかえって胡散臭く感じるもんなあ。おしまいの開き直りぶりには惚れ惚れするぜい(^_^)

頭ではわかっていても、「巻」原発、「東海村」の事故、といわれると、非常に狭い地域の話、周辺地域には「隣町」や「対岸」の話に思えてくる。今度の事故でも東海村、東海村と連呼されたおかげで、「東海村の事故」のイメージが補強されてしまった。
できるだけ小さな範囲に限定した名前をつけたがる--もしかしてこれは「地名のトリック」というものではないか。天災の時は「伊勢湾」台風とか、「阪神淡路」大地震とか、広い範囲をカバーする名前になるのに。
そうなのだ。一般の「地名のトリック」は逆なのだ。三多摩のはずれにあっても「東京支社」というがごとし。みんなメジャーな地名を名のりたがる。ところが原子力関連施設だけは逆で、わざと狭い地域に限定されたマイナーな地方を名のりたがるのだ。
原発のちもとあるいは原発阻止闘争を闘っている方々に提案したい。運動の一環として呼び方をあえて変えてみたらどうだろう。巻原発ではなく新潟原発、東海村原子力関連施設ではなく茨城原子力関連施設、六ケ所村核再処理施設ではなく青森核再処理施設。そう呼べば私のようなトンチンカンは減り、当事者意識をもつ行政区や住民が少しは増えるにちがいない。(「地名のトリック」世界1999/12)


美奈子さんは新潟生まれということで、ここに出てくる「巻」原発は、反対派市民と市長の奮闘(30年がかりの住民闘争の勝利)で2003年に東北電力が原発断念したとのこと。巻町は新潟に隣接していて、2005年には新潟市と合併したから、もし原発できてたら本当に「新潟原発」になってたわけだ。今回のフクシマ原発事故を思うと、まさに危機一髪だったことがよくわかる。

戦中の人々にとっての「総力戦体制」は現代の「地球環境保護」同様、是非を検討する余地もないほどの大前提、絶対的な社会正義として君臨していた。何も考えていなくても、いや考えていないからこそ、前提にはだれも疑いの目をむけず、総論不在のまま各論としての倹約や贅沢廃止運動や勤労奉仕が自己目的化し、一人歩きしはじめたのではなかったか。
この際だからいっちゃうが、リサイクルだダイオキシンだ地球温暖化だと活発に活動している団体に、国防婦人会に通じるノリがまったくないと断言できる? 識者がひとりひとりの意識改革をいい、市民は善意の奉仕活動に励み、何もしない怠け者でさえ後ろめたさを感じる。国じゅうが同じお題目を唱える構図が、まさに総力戦。
環境保護問題を考えずに暮らすことは、もう不可能だろう。が、個別の案件がこの先どう展開するか、いまは未知の部分も少なくない。それが先進諸国のエゴイズムと結託して第三世界を抑圧しているのは事実だし、今後、環境と人権が対立するような事態が生じた場合、環境保護の名のもとに人権の剥奪が進まないという保証もない。(「総力戦とエコロジー」世界2000/03)


こういった柔軟な視点が美奈子さんの特長だね。戦後生まれのMorris.(^_^;)でも、戦時中の総力戦体制が、全て軍部の責任だったとは思えない。何事も大きなうねりの中にいると全体の動きには気づかないものである。
「木を見て森を見ず」ということわざもあったな。


2012001

【チーム・バチスタの栄光】【ナイチンゲールの沈黙】【ジェネラル・ルージュの凱旋】【イノセント・ゲリラの祝祭】【ブラックペアン】【極北クレイマー】海堂尊 ★★★☆☆ 今年の読書は漱石の「猫」から始めるつもりだったのだが上巻読み終えたところで一時中止を余儀なくされてしまった(>_<)ので、何か他のものをとおもっていたところで、海堂尊にはまってしまった。
出世作というかデビュー作の「チーム・バチスタ」が「このミステリーがすごい」大賞取ったのが2005年だから、すでに6年経ってる。なんで今さらと思われるかもしれないが、Morris.にはよくありがちなことである。
現職の医師で作家という例は珍しくもないが、これだけ面白い作家は初めてだった。
立て続けに6冊読んでしまった。架空の桜宮市の東城大学医学部を舞台にしたシリーズがメインで、登場人物もかなり重なり合っているのだが、それぞれのキャラが立ちまくってるし、ついつい肩入れしてしまう。
AI(Autopsy imaging)という死亡画像処理システムが登場して、これもドラマの小道具かと思ったが、筆者は実際にこのシステムの提唱者で実務者でもあったこともちょっとした驚きだった。
とりあえず、この作家にはまったとの報告にとどめる。


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