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Morris.2017年読書控
Morris.は2017年にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点
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【澁澤龍彦玉手匣(エクラン)】澁澤龍彦 【時間】堀田善衞 【老人一年生】副島隆彦
【歌川国芳 猫づくし】風野真知雄 【在日朝鮮人 歴史と現在】水野直樹 文京洙 【私のとっておきソウル】おいしいしごと 編著 【私にとっての憲法】岩波書 店編集部編著
【中高年登山 トラブル防止小事典】堀川虎男編著 【むし学】青木淳一 【その日本語、ヨロシイですか?】井上孝夫 【ファミレス】重松清
【火星に住むつもりかい? LIFE ON MARS?】伊坂幸太郎 【ニッポン沈没】斎藤美奈子 【永続敗戦論--戦後日本の核心】白井聡 【蛮政の秋】堂場瞬一
【ディストピア・ジャパン】響堂雪乃 【正しい目玉焼きの作り方】 イラスト 森下えみこ 【解】堂場瞬一 【韓国「反日街道」をゆく】前川仁之
【韓国がわかる60の風景】 林史樹 【昭和歌謡ポップスアルバムガイド1959-1979】監修 馬飼野元宏 【街場の憂国会議】内田樹編 【彼女に関する十二章】中島京子
【テロルとゴジラ】笠井潔 【観光コースではない韓国】小林慶ニ 【即興ラプソディ】山下洋輔 【神の手 上・下】久坂部羊
【愛と暴力の戦後とその後】赤坂真理
【日本詩歌思出草】渡辺京二
【漢字雑談】高島俊男 【アイネクライネナハトムジーク】伊坂幸太郎
【京都「トカイナカ」暮らし】グレゴリ青山 【国家の暴走】 古賀茂明 【赤頭巾ちゃん気をつけて】庄司薫 【心に刻み 石に刻む】 飛田雄一
【オイコノミア】NHK Eテレ「オイコミア」制作班+又吉直樹 【動植物の漢字がわかる本】加納喜光 【実さえ花さえ】朝井まかて 【オールド・テロリストOLD TERRORIST】村上龍
【「対日工作」の内幕】時任兼作 【反社会品】久坂部羊 【文庫解説ワンダーランド】斎藤美奈子 【憲法改正とは何だろうか】高見勝利
【トコトンやさしい橋の本】依田照彦 【ビビビ・ビ・パップ】奥泉光 【無地のネクタイ】 丸谷才一
【歌集 人の道、死ぬと町】斉藤斎藤
【生えている場所でわかる植物の名前図鑑】金田一 【長いお別れ】中島京子 【1★9★3★7 イクミナ】辺見庸 【上を向いて歌おう】永六輔
【ちゃんちゃら】 朝井まかて 【イモムシハンドブック】安田守 【古本屋ツアー・イン・京阪神】小山力也 【民意と政治の断絶はなぜ起きた】塩原俊彦
【文学者たちの大逆事件と韓国併合】髙澤秀次 【おとなのねこまんま】ねこまんま地位向上委員会編 【ステップ】重松清 【警察(サツ)回りの夏】堂場瞬一
【韓国ポップのアルケオロジー 1960-70年代】シンヒョンジュン(申鉉準)ほか著 【七十歳死亡法案、可決】垣谷美雨 【避難所】 垣谷美雨 【幸田文しつけ帖】幸田文 青木たま編
【戦争の悲劇】 版画 フランシスコ・デ・ゴヤ 【獣眼】大沢在昌 【ジャーナリスト 後藤健二】栗本一紀 【デタラメが世界を動かしている】小浜逸郎
【Korean Drama phrases 韓国語ドラマフレーズ】古田富建 【文章読本X】小谷野敦 【鴉の死】金石範 【戦争と平和 : 「報道写真」が伝えたかった日本】白山真理, 小原真史
【れるられる】最相葉月 【私小説 : from left to right】 水村美苗 【帝国の慰安婦】朴裕河(パクユハ) 【自負と偏見】オースティン



【澁澤龍彦玉手匣(エクラン)】澁澤龍彦 東雅夫編 ★★★ 2017/07/27 新潮社
澁澤の作品の中から、エピグラムめいた、短文を抜き出したもの。
以下の二つのエピソードにMorris.との共通部分を感じた。

方向音痴という言葉はおかしい。こんな日本語があるものか。方向痴でいいじゃないか。私はこれを採用することにしよう。(方向痴)

その通りである。「方向痴」でいい。Morris.もこの「方向痴」に関しては、相当の重症である。

それはメリー・ミルクという登録商標で、罐のレッテルに、エプロンをかけた女の子が片手に籠をかかえている姿が描かれている。籠のなかにメリー・ミルクの罐がある。もちろん、この籠のなかのミルクの罐のレッテルにも、同じ女の子が同じ籠をかかえ、その籠のなかに同じメリー・ミルクの罐がはいってる絵が描かれているわけで、以下同様であり、どこまで行ってもキリがない。二枚の鏡を向き合わせたように、イメージはどこまでも小さくなるばかりで、無限に繰り返されるのだ。(メリーさん)

Morris.もこの明治の粉ミルクは愛用してたし、この無限反復のイメージには強烈な印象がある。



【時間】堀田善衞 ★★★☆☆ 1970/12/30 新潮文庫 初出「世界」1953-54

日中戦争の初期、日本軍占領下の南京を舞台に、一人の中国人インテリが、権力の重圧のもと、血なまぐさい大虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿を、その手記の形で描く。人間の運命が異常酷烈な試練をうけ、営みのいっさいが日常的な安定を失った戦時における人間存在の根本問題を鋭く追求して、戦後文学の潮流を象徴する力作長編小説。(裏表紙 キャッチコピー)

『時間』(堀田善衞)は雑誌「世界」で、サンフランシスコ講和条約が発効した翌年にあたる1953年11月号から1955年1月号まで連載された。
物語『時間』の黙殺と忘却は、わたしにとって、南京の虐殺をながれた「時間」そのものの無視にもみえてならない。忘却と無視とは人間のまったく作為なき身ぶりではない。無意識的にせよ意識的にせよ、記憶と忘却は、憶えるべきものと忘れるべきものとに政治的に選択され、そうするようになにものかにうながされている。かつてたしかに在った時間を、じつはなかったというのが、いま流行っている。在ったことをなかったといい、無理やり消した時間の穴うめをするがごとく、なかったことを在ったという「芸」が、中世のあやしい魔術のように、人気をあつめているようだ。在ったことをなかったといいつのる集団は、在ったことを在ったと主張する者らを「敵」とみなし、「国賊」という下卑た古語でののしるまでに増長している。(「1937(イクミナ)」 辺見庸)

堀田善衞は「若き日の詩人たちの肖像」「美しきもの見し人は」「方丈記私記」三冊が強く印象に残っているが、この「時間」はタイトルさえ知らずにいた。辺見庸の「1937」で、この作品の存在を知り、半年ほど前、中央図書館の書庫から借り出して読了したのだが、かなり応えてしまい、メモだけとって、そのままになっていた。感想やコメントなども書かねば、と思いながら、今に至る。事件から80年目に当たる今月にあえて、コメントなしで、メモのみ公開しておくことにする。

手記は1937年11月30日から始まる。

南京は完全に包囲されている。敵はすでに鎮江、丹陽、句容、赤山湖、秣陵関などの、南京終焉の邑々を占領し、昨二日は空襲があった。軍は続々として前線より後退し来り、市内を通過し、いずれへとも知れず重い足を引きずってゆく。敗戦、である。市内の人口は、五十万とも云い百万とも云う。人或はその差の甚しさに驚くかもしれぬ、常時人口は七十万くらいのものであるが、いまは市を出てゆくものと、何の希望があってか、入ってくるものとの両者ともに甚しい数に上り、確実なことは誰にもわからないのだ。(12月3日)

国民政府が民国十七年四月(1928年)に南京を特別市として首府を置いたときは、たった十七万しか人口のない(一地方都市で)--まったくの未完成首都なのだ。官衙、学校、銀行、外国公館を除いたら、要するに三流どころの一地方都市にすぎない。
彼等は恐らく失望するであろう。そして首都を落としても決して戦争が止みはしないことを知って二重に失望するであろう。
この城市の一切が、わたしにはなにか不吉と思えてならなくなった。しかも、こういう心的状態こそが最も災殃を招きやすい状態であると承知していても、どうにもならぬ。(12月7日)


午後四時頃、あたりがくらくなりかけた頃、突然、突風のように蒋主席夫婦が飛行機で脱出したという噂が襲ってきた。
東北(満州)華北は早く日軍に占領され、人々は上下ともに奴隷と化し、いまわれわれは明日を知らぬ囲城のなかで怖れおののいている、政府は漢口に逃れ、わが兄はこの家と財産の死守を命ずる。砲声だけではなく、既に連続する銃声を聞くにいたった。首領にうち捨てられた現在、敵軍が、「次第次第に」、われわれの支配者の地位につきつつあるのだ。(12月8日)


わたしも、すべての人々ではないが、非常に多くの人々と同じく、日軍の占領を既に予期し、その隷下で生きるための心の工夫をしているのである。
現在のこの異常な状況を、極限的な、例外的な状況とのみ眺めることの許されないことは明らかである。むしろこの異常さこそが、われわれの時代の日常性というものなのかもしれない。日常性という言葉は、例えて云えば、すぐに「平和な日常」という状態を思わせ、帝力我に何かあらんや、といったことばを思い出させるが、このことばの裏に、もしかして権力を規制しようとする民衆の真面目な努力がひそんでいるとしたら、これは平和な日常などという甘い空想とは余程隔たった、異常な状況がそこに存する筈である。日常と異常を無理に区分けしても、そこからは何物も出て来はしない。わたしとしても、精神を立てて生きるために、必死のというのが誇大にすぎるなら、異常な努力をしているのである。
わたしは既にある種の確信をもっている(しかし期待では断じて無い)--日軍はこの沈黙の人に満ちてしかも人気もない城市に入って来てどんなことを惹き起すか、について……。
……いつまでこんな日記を書いていられるか、わからぬ、明日はもう書けなくなるかもしれない。しかし、それが出来るあいだは、地下室の、この無電機を前にした机に向って書きつづけるつもりである。無電機を移動させねばならなくなったら、このノートもいっしょに移動する。
これを書くについて、わたしの心掛けていることは、ただ一つである。それは、事を戦争の話術、文学小説の話術で語らぬこと、ということだ。(12月9日)


日軍は既に南京城を完全に包囲している。
湯山、雨花台に於て激戦展開中。
牛耳山にてもまた
将軍山一帯のベトン・トーチカ陣も日軍飛行機の爆撃により、大半壊滅せる模様。
朱盤山一帯は、人血のため艸木の色朱殷に転ぜしとい云う。積屍丘を成せしとも云う。
日軍は俘虜を悉く殺す。刀にて乱斫するため、路に満ちたる僵屍は、つねに傷痕体に偏し、と云う。恐らくこれは、屡々斫られて然らしめられるのであろう、一人の致す所ではなかろう、と。
また云う、日軍麒麟門に殺到、中華門もまた危し、と。

いまわれわれは、死を通して生を見ている、とは、あるいは云えることであるかもしれない。
われわれは、あらゆる事物、風景を、死という透明なガラスを通して見ている。

美がもしかかる危機的な状況に於てしか認識されないものだとしたら、わたしは美を、むしろ憎悪したい。美の実態は、しかし、生やさしいものではない。要するに美しいどころのものではないかもしれぬ……。普仏戦争で、プロシア軍がパリー市を包囲していたとき、パリーの文人たちがはげしい唯美的な思想に憑かれていたという話をPがしたことがあった。それはまたわたしに次のようなドイツの詩人プラーテンの詩句を思い出させる。

美わしきもの見し人は
はや死の手にぞわたされつ
世のいそしみにかなわねば

かなわねば、ではなくて、いまわたしたちは世のいそしみをもぎ取られてしまっているのである。戦争の気圏内では、実に様々なものがその覆いを剥ぎとられて生な実体を露出するようである。こんな唯美的なものまでがあるとは、予想もしなかったことであった。
わたしが、これを認めながらも、なおかつこのような美意識にはげしく反撥するのは、根本的には美というものには、人間を、或は生活を絶した何かがあり、従って美にはつねに絶望的な何者かが投影しているからでもあろうか。自然は、自然美は意志された美ではない。自然は非意志的なものであり、言い換えれば絶望的なものである、死はこの自然の律法に従うことを意味する、この絶望的な律法に従うときに美が見えてくるとすれば……。(12月10日)

昨夜半、一時半頃、門の低い鉄扉を乱打する音がしたので、急いで懐中電灯を手にとび出した。
--はじまったぞ、あの音が「開始」の合図だ。

午前十一時、たまたま通りかかった一隊の兵士に聞くと、興中門及び下関(シャカン)の停車場に通じる挹江門は、ひらいているにはいるが、日軍の飛行機が執拗に襲いかかり、肆まに屠戮を行い場所によっては流血は踝を没するという。また渡江中に舟をやられて溺死するもの数知れずという。だから戻って来たのだ、と。何百人という人が死んでいる。
何百人という人が死んでいるーーしかし何という無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段とないうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある…。
窓から見るに、民間の炊煙は断絶し、煙を出しているものは、外国の公館に限る。
午前十一時、落城の近きを漢口に報告。(12月11日)


手記はこの日から空白があり、次は翌1938年5月10日から始まる。ここまでが第一部ということになるのだろう。

半年経った。
わたしはわたしの家へ遷った。
が、いまわたしはわたしの家の主人ではない。
わたしは、わたしの家を占拠している日軍将校の、下僕兼門番兼料理人である。

あれはたしか、去年、三七年の十二月十三日の午後だった。城の内外ともに集団的戦闘が終始したのは。
それから約三週間にわたる、殺、掠、姦--、

驚いたことに、またいくらか失望もしたのだが、組織的な市街戦は、全然「行われなかった」。
十日夜半、中華門が突破され、日軍が城内に「殺到」し、十三日午前三時に中山門が突破されてからというものは、市内では如何なる組織的抵抗も「なされなかった」のだ。
城内にいた兵で、指揮官を失い、或は撤退しそこなったものは、武器を地に置き、難民区に入ってしまったのだ。

破壊され倒壊した小さな廟の庭に、妙な、黒いものが見えた。よく見ると、鼎が一基、在るのだ。
立体物が静止して立っているのにj必要な最小限、三本の太い足、鼎は、古人が宇宙を模してつくったものという。
二つの屍を炭として宇宙が熱せられている。かげろうのように人の血と脂が湯気となって天に立ち昇ってゆく。あたかもこの瞬間の、世界に於ける南京を象徴するかの如くに。
われわれは、歴史上のあらゆる事件がそうであるように、いまこの南京という鼎が立ち昇らせている湯気の意味を徹底的に知ることは出来ないであろう。しかし、われわれは意志すれば、その意味を知るための質問者として、対話者の一方であることは出来るのである。
瓦礫の只中に三本足で、揺ぎなく力に満ちて存在し、あらゆるエネルギーを一点に凝縮して沸々と沸き立たせているもの、それが人工になるものであるからには、あの鼎のなかには、それが創造されて以来、創造者自身の歓喜も遺恨も、悉くが鋳込まれている。時間を横にも縦にも腹中に収め、両の腕を差し上げていた、どこかに獰猛な獣のような柔軟さをもうかがわせながら…。
人工になる物はすべてはかないという妄念は葬らるべきだ。黒い鼎一箇は、紫金山と優に相対しうる。

十三日夜八時頃、諜者の一人Kが来て、南京に入城した敵軍の最高司令官は、松井石根(いわね)と朝香宮なる皇族との二人である、本拠を国民政府大楼に置くらしい、と報告し来る。(1938年5月10日夜半)


人間の時間、歴史の時間が濃度を増し、流れを速めて、他の国の異質な時間が侵入衝突して来て、瞬時に愛する者たちとの永訣を強いる…。
わたしもまた、いつかは時間に運ばれ、時間に撃たれてもういちど死ぬのだが、神の愛がもしあるならば、ねがわくはわたしの冥府は、岩石色の岩石に、処々、紫金の鉱石の光るところ、天国でも地獄でもどちらでもいい、そんな風な、微光のなかの大理石的世界であってほしい。(6月1日)

とにかく戦争が起ったのだ、だから、日本だけを除いて、既に全世界の新聞がNanking RapeとかMASSACREとかという風に、固有名詞化して、日本軍の南京暴行残虐事件として報道している、あの一切の人間的規範を踏みにじった、嗜虐症的な行為が起ったのも仕方がないそれは不可能だったのだ、などといううしろ向きの予言者のような人人が、現に出て来ているのだ、決して予言者の云うことなど信じてはならぬ。予言者というものは、本質的には卑怯者なのだ。うしろ向きの予言者は、民衆のなかにも多々いる。それらのある人は
『われわれは惰弱で、うろうろぶらぶらしていたからこそ、こんなことが起ったのだ』
などと云う。彼らは最悪なもののみを信じ、理性的な希望というものを決して信じないのだ。こういう宿命論者が民衆のなかに絶えない以上、戦争はなくならず、いかなる平和も決して平和ではない。彼らは、戦争が起り、つづいて最悪の事態が起ると、何となくほっとするのだ。満足し、幸福にさえなるのだ。彼らは自分の弱さに甘え、感動して喜んでいるのだ。戦争は、宿命論的な感情をもっとも深く満足させる。平和とは戦争がないという消極的な事柄であるよりも、むしろ、奴隷的な宿命論や、破滅的な人生に屈従せぬということなのだ。
彼ら、彼ら、と、いまわたしは複数で書いて来た。けれども、主としてわたしの念頭にあったのは、伯父のことなのだ。

安全地帯内で、あの伯父に会ったとき、伯父は、先ほど云ったことをくりかえし、いちばん後に、こんなことになったのも、もとはと云えば、わが国の青年層が堕落し腐敗したせいだ、とつけ加えた。青年の堕落を鞭うつ声が上がりはじめたら、若者よ、大人たちは戦争の準備をはじめているのだ、と思って間違いはない。(6月2日)


内外ともに激烈な変動が起っている。政府は重慶に移転。財政窮乏のため、官吏軍人は減棒された。空軍と兵卒のみを据え置き、他は三割から六割の減棒である。ということは、各人がそれだけを不正規な方法で補うということである。

「実際、われわれはこの南京で相当なことをやった」
桐野はテーブルの下から上海の租界で出ている英米系の新聞や、ニューヨーク・タイムズやマンチェスター・ガーディヤンなどの新聞の束を取り出し、どさりとわたしの足許へ投げ出した。
どれにも写真とRAPE、MASSACRE、NANKINGなどの大文字が刻みつけてある。


「事故があったとしてもーーいや、事実ありましたし、それによってあなたの御家族は不幸な目に遭われましたが、しかし、あなた方自身の歴史にも、太平天国その他の残虐事件があります、いくつも、ね」
口実をさがすためにしか歴史を学ばないのか。後向きの姿勢で歴史を勉強する。ここにも後向きの予言者。
「とにかく、われわれの国の総力を傾けてアジアの責任をとろうとしているのです」
責任--つまりその内実は、強圧、説得、賄賂、すなわち、テロ、宣伝、買収。ここには低声で語られる脅迫。

南京城は、城壁に囲まれた一つの熱風炉であって、そこでは人間の血も精液も、涙も汗も要するに人間が外部に吐き出し得る一切のものがどろどろに熱せられ溶け混りあい漂い、その上に、怒りや嘆きや悲しみやの濃いガスがかかり、このどろどろは家をも人をも溺没させ、いまにも城壁を越して溶岩のように長江へと溢れ出てゆこうとする――薄闇にそんなまぼろしが浮ぶ。(8月5日)

毎時毎分、わたしは黒々としたニヒリズムと無限定な希望とのあいだを、往復去来しているということになろう。希望の方は、希望する義務があると確信するから、だから漸くにして待ち得ているのである。『にもかかわらず』というのがわたしの口に出来るたった一つのことばだろう。しかし、そうは云っても、わたしはわたしがペシミストであるとは決して思っていない。希望は、ニヒリズムと同じほどに、担うに重い荷物なのだ。われわれは死ぬまでこの荷物を担ってゆく義務がある、とそう思っているのだ。云い換えれば、希望にも堪えてゆかねばならないということだ。

人が生死をかけた戦っているとき、人間とは何ぞや、などという議論は、要するに世迷言としか聞こえない。--生きている人間は、死んでしまった者や瀕死の人間に比べたら、まことに無慙なものだ、わたしはこの手で、あの、まだ息絶えぬ人をクリークに放り込んだのだ。
(わたしは、わたしの言っていることが何なのか、それを知りたい)


自分自身と闘うことのなかからしか、敵との闘いのきびしい必然性は、見出されえない、これが抵抗の原理原則だ。この原理原則にはずれた闘いは、すべて罪、罪悪である。漠愁を殺し、その腹のなかの子を殺し、英武を殺し楊妙音を犯し、南京だけで数万の人間を凌辱した人間達は、彼等自身との闘いを、その意志を悉く放棄した人間達であった。

彼等の東亜解放というスローガン、それはそれでよろしい、しかしそれがどんなにきびしい理想であるかがわかったときには、彼等は身を引くだろう、千三ツ星諸氏に担いきれるものではない。解放は、必ずや人民全体の認識と、人間のなりたちの、つまり質的変化をともなう。彼等の軍組織とその秩序は、そしてわれわれのそれにしても然りであるが、この質の変化には堪え得ないだろう。日常見ているだけでも、彼等の指揮官の多くは、責任を負いたがらぬ、無政府主義的(アナーキー)な官僚気質十分である。われわれのそれもまた。将校の階級が国際的なものであるように、官僚気質も万国に普遍なものだ。

朝食のサーヴィスをしながら、、大尉が一九三一年九月十八日、柳条溝での鉄路爆破事件のことを話すのを聞く。驚くべきことに、彼はあの事件が日軍が自ら手を下して爆破したものであることを知らない。中国軍がやったのだ、と思い込んでいる。日本人以外の、全世界の人々がしっていることを、彼は知らない。してみれば、南京暴行事件をも、一般の日本人は知らないのかもしれない。闘わぬ限り、われわれは「真実」をすらも守れず、それを歴史家に告げることも出来なくなるのだ。

「いえ、たいへんな意志が要るってことは、わかってるの、だけど、いま従兄さん、たいへんな意志のいる、何だって云った?」
「仕事、って云ったかな」
「ええ、現場にいなければ、病気がよくなることが、わたしの仕事にはならないように思うの。仕事がなかったら、上海なんかへ行ったら、むしろ、かえって幻視や幻聴のなかで生きるようになるように思うの」
「ふーむ」
「いまね、この窓から庭の樹を見ていて、そんなこと考えたのよ。樹木ってね、とても智慧がある、とそんなに思ったの。樹木はどんなに傷をうけても、現場を動けないでしょう、逃げもかくれも出来ないわね。その場にいるより仕方がないでしょう。樹木はね、どんなひどい目に遭っても、その場で一生懸命待っているのよ、一生懸命根を働かして」
「そうか、根を働かして、か」
「わたしだって、自分が強姦された現場にいるのは、いや。だけど本当になおりたいなら、その場で徹底してゆくより法がないんじゃないかしら」
苦しみのその只中で癒えよ。彼女にとって、その「現場で」ということは、傷に膏薬をはるというようなことではなくて、自分自身の、完全な内発性によって、動物が自ら傷を嘗めてなおすようにして、秋冬が春を生むようにしてなおろうということなのだ。それを「仕事」にしようというのだ。(9月18日)


わたしは病院へ見舞いに行った。病室の前まで来ると、刃物屋の青年と楊が激論していた。声が高い、わたしは中へとび込んだ。
二人は、重慶へ行くべきか、延安へ行くべきか、と論じていたのだ。青年は当然延安へ、楊は正統政府のある重慶へという主張である。双方とも、おたがいの真意を諒解しているらしいのだが、青春に特有の形式論がまだ事のあいだにはさまっていた。青年は必死であった。
わたしは黙っていた。重慶でわたしの兄は、司法官の地位を悪用してとうとう逮捕されたのだが、これも黙っておいた。彼らは自ら選ぶべきだ。そこから、(同じくわたしにとっても)成熟という劇と運命がはじまる。納付が脱落したり蹴爪ずいたりしたら収穫をあげることが出来なくなる。救いがあるかないか、それは知らぬ。が、収穫のそれのように、人生は何度でも発見される。(10月3日)


「この『時間』という小説は主人公が中国人のインテリ、西洋へも行ったことのあるようなインテリ、1927年ごろの国民革命のとき上海暴動のころにうろうろしたこともあるという人になってる。それが日本の情報将校の下男になり、しかも同じ家の地下室に無電機を持っていて占領下の南京の状況を報告するという、メロドラマとしてならば非常にいい位置に置いたわけよ。逆にね、通俗小説にするには、--日本にはあんまりそういう通俗小説はないけど、外国にはこういう位置を設定したものがたくさんある。メロドラマへの誘惑の強いところに置いて、しかもメロドラマへの傾きを一切防止する、歯止めをかけちゃうという、--そういう書割のなかに置いて、メロドラマへの誘惑の一杯あるなかで、メロドラマと逆な方向、--ということは、哲学をやろうとしたというかね……」
「思弁的であるかもしれないけれども、観念の言葉で考え抜くということが、『小説』のなかでどの程度までやれるものかという、いってみればエッセイや形而上学の言葉で小説を書くということ、そういうこともひとつやってみたかったことはあるね」(解説の佐々木基一との対談中の堀田の発言)


【老人一年生】副島隆彦 ★★★ 2017/05/30 幻冬舎新書457
副島隆彦 1953年福岡生まれ。「日本属国論」アメリカ政治研究を柱に日本が採るべき自立の国家戦略を提起。
「老いるとはどういうことか」と副題にある。

私はまだ64歳だ。だから前期高齢者だ。75歳から後を、後期高齢者と言う。だから、もう私は初期の老人であり、「老人一年生」である。

64歳で一年生なら、Morris.はすでに老人二年生くらいにはなってるのだろう(^_^;)

私がこの原稿を書こうと思った理由は、「老人は痛いのだ」「老人というのは、あちこち痛いということなのだ」ということを、何と若い人たちは分かってくれない、という、「大きな秘密」を明らかにするためだ。

Morris.は幸い、今のところそれほどの痛みのある持病は出てない。ただ老眼は進んでいて、若い頃(と言っても40くらいの頃)、小さな文字でプリン トしたものを、30歳以上年上の知人に送って、読みづらいと何度も言われながら、意に介さなかったことを思い出した。今さらながら申し訳ないことをしたと 思う。

人は他人のことを、そんなに同情したり、憐れんだりする生き物ではないということがよく分かった。(まえがき)

そうそう、他人の痛みは、いくらでも我慢できる(^_^;)

毎日生きているだけで、病床で激しい痛みや中くらいの痛みがずっと続くのはたまらな い。……それでふっとある日、横柱にロープみたいな紐をかけて、首を吊って死んでいく。私は、それは正しい人生の終わり方だと思う。それを家族も含めて周 りの人は誰も非難しない。よく死んでくれました、と感謝している。自殺する人の半分は病気の痛みの苦しみで死ぬのだ。このことを政府も発表したがらない。

すごい開き直り様である(@_@) 的ラズト言エド遠カラズ、といったところかも。

老人病のことを、20年前くらいから「生活習慣病」と呼ぶようになった。これはやめてもらいたい。老人病でいいじゃないか。もう少し前は「成人病」とも言った。老人になったら病気になる。

これは大いに共感を覚える。言い換えはいい加減にやめようではないか。

動物は、自分の足が利かなくなって動けなくなったら、そこでうずくまって死んでいく。地力 で餌を取れなくなったら動物は死ぬ。これが自然の掟であり、自然な動物の死に方である。大事なことだと私は思う。人間も動物の一種なのだ。だから、自分で 食事ができなくなったら、そのまま死なせるべきである。

これには消極的に賛成しておきたい。

殆どの病気は一生ものだ。自分の体を医者に丸投げせずに、病気と向き合いながら、その時その時、自分自身で対処していくしかない。自分の体と自分の病気は自分自身のものなのだから。(第一章 老人は痛い、だから老人なのだ)

著者は、全般的にこういう物言いをしたがる人なんだろうな。

医者たちは、自分たちがこれまでに学会(あるいは学界)として承認して行ってきた治療法や手術が間違っていた、と後になってから分かっても責任を取るということをしない。「医学は進歩する」という言い訳で、上手に逃げてしまう。(第四章 痛みをとるのがいい医者だ)

これはごもっともだと思う。

ほとんどの腰痛は、骨や神経の病気ではなくてその周りの筋肉の痛みである。脊椎の手術は簡単にはやってはいけない。危険だ。(第六章 いい鍼灸師、マッサージ師は少ない)

腰痛もMorris.は無縁だが、五十肩や、膝、肘の痛みは経験した。たしかに筋肉の痛みだったと思う。
小倉の福田くんが、この人の本を結構読んでることで、名前だけは知ってたが、読むのは初めてである。専門分野以外、というか、全くの素人としての言いたい放題で、それでもそれなりに面白かった。



【歌川国芳 猫づくし】風野真知雄 ★★★ 2014/03/25 文藝春秋
風野真知雄 1951年福島生れ。立教大学法学部卒業。雑誌記者を経て、作家となる。93年「黒牛と妖怪」でデビュー

国芳は嫌いじゃないし、表紙にもその猫の絵があしらってあったのに釣られて読むことにした。晩年の国芳を主人公にした7篇が収められている。馴染みの浮世絵師も多数登場するし、猫も必ず出てくるしで、時間つぶしにはなった。北斎の娘お栄も出てくるのだが、あまり好意的には取り上げてなく、杉浦日向子「百日紅」ですっかりお栄贔屓になったMorris.としてはちょっとおもしろくなかった。

飯どきに、あるいはふっと息を抜いて安らぐときに、いつも膝の上にやって来た小さな生きもの。あの手触り。あの身体の柔らかさ。そして、どんな女もかなわない、あの「にゃぁーん」という甘えた声……。それは犬だってけなげで可愛い。鳥もなついてくれる。だが、猫にはかなわない。
たぶんすべての人間にとってあてはまることではないだろう。だが、ある種の人間にとって、猫という生きものは格別なのだ。
猫がいなくなったときの寂しさは愛猫家でなければわかりはしない。猫といっしょに自分の膝までなくなってしまったような心持ちがするのだ。猫がいなくなると、猫に置いていかれた気持ちになるのだ。


「自分の膝までなくなってしまったような心持ち」という表現は、うまい、と思った。



【在日朝鮮人 歴史と現在】水野直樹 文京洙 ★★★☆☆☆  2015/01/20 岩波新書(新赤版)1528
水野直樹 1950年生れ。朝鮮近代史、東アジア関係史。「創氏改名」「図録 植民地朝鮮に生きる」
文京洙 1950年生れ。政治学、韓国現代史。「韓国現代史」「在日朝鮮人問題の起源」

第一章 定着化と二世の誕生ーー在日朝鮮人世界の形成(水野)
第二章 協和会体制と戦争動員(水野)
第三章 戦後在日朝鮮人社会の形成(文)
第四章 二世たちの模索(文)
終章 グローバル化のなかの在日朝鮮人(文)


巻末35pにわたって、詳細な索引、年譜、参考文献が紹介されて、在日朝鮮人のハンドブックとしても利用できそうな内容である。

1923(大正12)年9月1日関東大震災時の朝鮮人虐殺。
殺された朝鮮人の数は司法省の発表では233名。朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造の調査では2711名とされるが、朝鮮人留学生らが「罹災同胞慰問団」の名目で行なった調査では6415名とい数字があげられている。
当時の新聞などでは「不逞鮮人」という用語が使われていた。日本(天皇)から恩恵を施されているにもかかわらず、反抗するけしからぬ奴らという意味をこめた言葉である。
朝鮮人の虐殺に直接手を下したのは、多くの場合、自警団であったが、これは震災に際して在郷軍人を中心とする地域住民が自発的に組織したものである。在郷軍人らの中には、三一独立運動の鎮圧やシベリア出兵、間島出兵(1920(大正9)年10月に独立軍の拠点となっていた間島(現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州)に日本軍が出兵して朝鮮人の集落を襲い、数千名を虐殺した)などの経験を通じて植民地支配に抵抗する朝鮮人の存在を知った者、あるいは同僚から話を聞いた者も多かった。そのような歴史的経験が生み出した意識や記憶が虐殺の背景にあったと考えられる。(第一章)

このような明らかな事実を「無かったこと」にしようとする人々がいることには、憤りを禁じ得ない。先般、小池都知事が犠牲者の追悼を省略したやり方など、同根である。

1934(昭和9)の閣議決定によって、在日朝鮮人の管理・統制、日本社会への同化が大きな課題として掲げられた後、それを実行する団体として協和会が各府県に組織されていった。1939(昭和14)には、財団法人中央協和会が設けられ、理事長に関屋貞三郎(もと朝鮮総督府学務局長、貴族院議員)のほか、理事・評議員に総督府官僚経験者や内務省・厚生省次官などが就いた。協和会は財団法人でありながら、当局の在日朝鮮人対策を主管する組織となったのである。
実際の活動は特高警察の指導下に行われた。補導員となった朝鮮人は当局に協力する一方で、朝鮮人側の要望を当局に伝え、生活を守る役割を果たす場合もあったが、解放後には親日活動・戦争協力を批判され、それが左右対立を深めることとなった。戦時期の協和会は、在日朝鮮人コミュニティに大きな分断をもたらしたのである。
協和会は日中戦争勃発後の総動員体制の下で在日朝鮮人を「皇民化」し、戦争に動員するための活動を展開した。
1940(昭和15)には協和会会員章が発行され、約45万名に配布された。会員章を持たない朝鮮人は雇用しないとされるなど、強制労働の現場から逃亡した者の捜索にも利用された。
前年の人口数などから、45年8月時点で200万人ないし210万人の朝鮮人が内地に居住していたと考えられている。韓国併合の頃の数千人から35年間で200万人に達する朝鮮人が日本に居住するようになった最大の原因は、日本による朝鮮植民地支配にあったといわねばならない。(第二章)


朝鮮人を使って朝鮮人を管理させる。同族の対立を利用するやり方。隣組制度や、連帯責任など、軍隊式監視組織に通じるものがある。

46年10月3日には建青(朝鮮建国促進青年同盟)・建同(新朝鮮建国同盟)は合同して在日本朝鮮居留民団(48年8月の大韓民国居留民団となり、94年から在日本朝鮮居留民団と改称)を結成し朝連に対抗した。朝連は建青・建同の結成直後から、これを「反動分子」として攻撃し、朝連の若手行動隊を動員して殲滅にかかった。
旧植民地出身者の参政権停止(1945)と外国人登録令の制定(1947)は、日本の戦後改革の幅と深さを考えるうえできわめて象徴的だったといえる。この時期にはドラスティックな改革を主導してきた占領政策の枠組も経済復興や自立を重視した「安定」の方向にその力点が移りつつあった。一方で、46年に始まる天皇の「巡幸」は47年にも精力的に続けられ、昭和天皇は全国の行く先々で国民の大歓迎を受ける。<人間>となった天皇を国民のシンボルとして、平和と民主主義、あるいは貧困からの脱出といった戦後的価値理念を宿した、新しい「日本国民」が誕生しようとしていた。参政権の停止や外登令は、そういう新たな国民形成の過程において「国民」の意義を狭め、在日朝鮮人を民主主義とか人権といった戦後的価値の及ばない死角へと追いやった。


新しいナショナリズムの誕生と、その鬼子である在日朝鮮人という構図。

朝鮮戦争中の過激な反戦運動は、共産党と在日朝鮮人を日本社会のなかで絶望的なまでに孤立させた。共産党は52年10月に実施された総選挙では49年選挙で獲得していた30の議席をすべて失い、翌年4月の総選挙でも辛うじて一議席を獲得したにすぎなかった。孤立感や徒労感が漂うなかで共産党や民戦内部でそれまでの闘争方式を「一揆主義」や「冒険主義」と批判する声が高まっていった。

戦後の日本共産党の「ヘボ筋」は、まことにもって、笑ってすまされないものがある。

1959年2月13日、日本政府はいわゆる「閣議了解」」(在日朝鮮人中北朝鮮帰還希望者の取り扱いに関する閣議了解)を発表する。
「閣議了解」を前後して一斉に在日朝鮮人の帰国問題を報道し始めた新聞各紙も日本の対応は人道的に当然の措置であり、抑留中の日本人漁民の送還を拒否する韓国政府こそ「人質外交」であり「非人道」的と非難した。この論調は「産経」「読売」「朝日」など各紙に共通していた。そういう世論の追い風もあって、帰国運動は一大高揚期を迎え――61年までわずか二年余りで、7万5千人が帰国した。資本主義国から社会主義国への、20世紀の歴史の中では希有の民族の大移動であった。
在日朝鮮人の歴史の中でも最大規模の運動といえる帰国運動が、北朝鮮の指令や総連のプロパガンダだけで実現しうるものではない。言うまでもなく、多くの在日朝鮮人が日本での生活に見きりをつけ祖国に夢を託した背景には、なんといってもすくいがたいほどの貧困や差別があった。(第三章)

帰国事業を先導(扇動)した、新聞などの報道機関の「罪」はとんでもなく大きい。そのことを反省してるとも思えない。

1960年4月、韓国で未曽有の不正選挙に端を発する学生・市民の抗議行動(四月革命)によって建国以来12年に及んだ李承晩政権が倒れた。
だが61年5月16日、韓国の中堅将校らを中心とする軍事クーデターがあり、四月革命以後の短い「ソウルの春」に終止符が打たれた。クーデターの一撃で政治の実権を掌握した朴正煕ら軍部は、野党・学生・教員労組などの民主化運動や統一運動の参加者を手当たり次第に拘束した。逮捕者の中には民団幹部で四月革命に渡韓して「民族日報」を創刊したチョヨンスもいた。


この朴正煕の娘が朴槿恵。彼女もある意味、歴史に翻弄された人物といえるかもしれない。

「法的地位協定」にみられる日本政府の本音は、東アジアの冷戦政策の遂行上、韓国籍保持者に限って「永住権」を付与するが、その中身はできるだけ限定したい、というものにほかならなかった。「朝日新聞」も、「子孫の代まで永住を保障するとすれば、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題を抱え込むことに」(65年3月31日社説)なると書いた。日本側のこうした同化主義は、韓国側の在日に対する「棄民政策」と表裏の関係にあった。

「地位協定」というと、つい「日米地位協定」が思い浮かぶが、つまりは不平等条約ってことなんだろうな。

帰国運動の成功が、皮肉にも、総連の大衆的基盤を掘り崩し、その後の総連組織の下降を決定づけていたのである。帰国事業は68年~70年の中断を挟んで84年まで続き、最終的には、日本人妻やその子など日本国籍保持者の6839人を含めて9万3340人が日本を去った。(第四章)

光復後の南北分断といい、朝鮮戦争といい、この帰国事業といい、どうしてここまで悪い方向に突き進んでしまったのだろう。何か呪われてるのか?

かつての猪飼野を含む現在の生野区の韓国・朝鮮籍保持者の人口は3万人余り(生野区全体の20%余り)、その80%以上を済州島出身者が占めている。(終章)

在日の数は生田区で3万人くらいなのか。もっと多いと思ってた。

韓国旅行終わってから、最初に読んだのがこれというのはちょっとハード(^^;)だったかもしれない。
在日朝鮮人だけでなく、朝鮮半島がどれだけ、日本、米ソ、中国に翻弄されてきたか、これまでも断片的には関係書で見てきたが、本書で大筋を改めて把握できたような気がする。
それにしても、「恨(ハン)」と「八字(パルチャ)」と「打令(タリョン)」といった言葉があまりに在日の歴史に深く刻み込まれていることに複雑な気持ちにさせられた。

【私のとっておきソウル】おいしいしごと 編著 ★★★★ 2009/06/01 東京地図出版㈱
「韓国通のあの人が教える」と副題にあるように、韓国に詳しい20数人の一押しスポットを紹介したガイドブック。編者による、「ソウルさんぽ」や「「市場のある風景」という市場を中心としたコラム記事もあって、Morris.にとって実践的に有用な一冊だった。
実は、これ今回の韓国の旅の直前に三宮図書館で見つけて、つい借りてしまい、そのまま韓国まで持っていった(^_^;) 神戸市立図書館の借り出し期間は2週間だが、ネットで再延長すれば合計4週間は借りられることになる。今回の旅が一ヶ月足らずだから、延長すれば数日の延滞で済むだろうと思ったのだった。で、ソウルで延長しようとしたのだが、何と他に一冊借りてた本があって、こちらはすでに延滞になってた(>_<) いっさつでも延滞があれば、延長は出来ない。ということで、結局本書は2週間以上延滞ということになってしまった。申し訳ない事になったが、予約は入ってなかったのが救いだった。
寄稿者の中には、NHKハングル講座で馴染みだったあべちゃん(阿部美穂子)、韓食に詳しい八田靖史、ボクサーの徳山昌守、「冬のソナタ」の主題歌歌ったRyuなど、知ってる人もいたが、大半は知らない人だった。それぞれ個性的で面白いものが多かった。写真は韓国のBaoBab Studioという写真家集団のものが多く、これがまた、モロMorris.好みのショットが多く、今回の旅のデジカメ撮影の参考にもさせてもらった。
150p足らずで、写真が2/3を占め、文章も余白の多いレイアウトだから、文章量は文庫本で30-40p分くらいだろう。結局旅の間に数回読み返してしまった。
市場では
カンジャンシジャン(広蔵市場)
カラクトンシジャン(加楽洞農水産物総合市場)
マジャンシジャン(馬場畜産物市場)
キョンドンシジャン(京東市場)
チュンブシジャン(中部市場)
ナンデムンシジャン(南大門市場)
トンデムンシジャン(東大門市場)
チョノシジャン(千戸市場)
ソウルプンムルシジャン(ソウル風物市場)
モレネシジャン(モレネ市場)

の10ヶ所の市場が紹介されていた。モランシジャン(牡丹市場)が無いのがちょっと残念だが、このうち馬場畜産市場、千戸市場、モレネ市場はこれまで訪れたことがなく、本書のお陰で初めて行くことができて、それぞれに味わい深い市場だった。感謝!であるm(__)m

【私にとっての憲法】岩波書 店編集部編著 ★★★☆☆☆ 2017/04/21 岩波書店

施行から70年。私たちはこの憲法をどれだけ使いこなし、その理念を自分たちのものにすることがで きたのか。自身の憲法体験、自らの憲法観、憲法を活用す るためのヒント、改憲をはじめとする憲法論議への提言、憲法をめぐる深い洞察等々、さまざまなジャンルで活躍する53人の発言。巻末には日本国憲法全文を 収録。(袖書き)

53人中Morris.が名前を知ってる人は20人ちょっと。それはともかく、これだけ多くの人の憲法にたいする持論を読むのは、得難い読書体験になった。

「その他の戦力」としての自衛隊の存在が違憲であることは明らかである。自衛隊はすべての武器を放 棄し、国民が求めている災害救助隊として改変されなければならない。(色川大吉「元海軍校区隊員として、歴史家として」)

首相が改憲を呼びかけるのは、おかしなことだ。「改憲」を求める権利は、国民のみにある。憲法は本来、国民主権を保証するものだからだ。彼はこれまでに 「私は立法府の長」という失言もしている。与党多数の自惚れからでもあろうが、そもそも「三権分立を理解していない」のではないかとも疑われた。
国の権力が、立法権・行政権・司法権の3つにわかれているのは、三権が互いに抑制し合い、均衡を保つことによって、権力の行き過ぎを防ぐためである。つまりそ れは、憲法を正常に機能させるための仕組みだ。
ところが安倍首相は2014年2月「憲法は権力を縛るものというのは王政時代の古い考えだ」という旨の発言を行なった。そして2015年8月、現憲法に抵触す る安保法制をゴリおしで成立させた。(坂手洋二「国民の自由と俳優の自由」)

日本国憲法は復帰運動のスローガンの真ん中に住むところを得て、人びとの幻想を吸引していく。憧れを外化しなければ生きていけないかのように「日本」や 「祖国」とともに「憲法」に何物かを仮託する。逆説的な言い方になるが、日本国憲法は、ここ沖縄においては米軍の剥き出しの占領下でもっとも純粋に輝き夢 見られた。
日本国憲法の際立った理念をなす象徴天皇と戦争の放棄や軍事力の不保持は、沖縄の軍事要塞化によってはじめて可能となった。「排除のシステム」 でもあったのだ。このことは、サンフランシスコ条約と同時に結ばれた日米安保条約によって構造化されていく。サンフランシスコ講和条約第三条の法的"マ ヌーバー"は「天皇メッセージ」の"擬制"の制度化だった。(中里効「「われら」の内と外の結界で」)

私たちは、憲法学者石川健治が「非立憲」政権によるクーデター」と名付けた解釈改憲による集団的]自衛権承認という危機に直面している。
今日の憲法危機に対処するため明治憲法の危機とのふたつの類似性に留意する必要がある。ひとつは既成事実の積み重ねによる漸次的な立憲主義否定の傾向であ る。明治憲法の危機は明確な転換点を示すことなく意識されにくい形で進行した。日本国憲法の危機もテロ対策特措法、イラク復興支援特措法などという形で海 外派兵を繰り返した上で集団的自衛権承認に至った。今後海外での武力行使が実行されると、それが報復を生み、それによる軍事的対立の激化が内外の擬制を増 大させ、その結果国内の排外主義とそれを利用した権力支配の強化を招く。これでは敗戦前の危機のくりかえしになる。もうひとつの類似性は立憲主義を否定す るために愛国主義に向けて道徳的・心理的要素を動員する点にある。教育基本法の改正、道徳教育の教科化、日の丸・君が代強制など教育面での愛国心育成と、 その方向でのメディアの動員という面では、戦前の国体教育と国家動員方の恐ろしさが思い出される。(石田雄(たけし)「ふたつの憲法危機を体験して)

沖縄の式典で首相がヤジられたことを報じた海外ニュースに対し、日本のテレビ局はヤジの音量を下げ、目立たないようにする。もはや習慣となった「自粛・忖度・ 自己規制」がそこにはあります。
そうした自己規制は、政権与党からの直接・間接の圧力に加えて、メディア組織内部からの圧力のせいでもあります。首相と「メシ友」になっているトップから の圧力や、政権からのリーク記事が欲しい政治部や経済部の記者からの圧力。でも、これは個々の記者に意気地がないというだけの問題ではありません。日 本国憲法が保証しているはずのジャーナリストの良心の自由を守るような制度が、メディア内部で整っていないことが問題の根本にあります。
もちろん排他的で横並びの記者クラブ制度の弊害もあります。(永井愛「学校、職場、そして報道の現場で、いま」)

自衛隊がアメリカの戦争に参加する傍ら、憲法九条の文言が一字一句書き換えられていないからといって、いったい何を誇るというのであろう。繰り返すが、主権者 が権力者を縛る道具として活用しない限り、憲法の条文など、単なるスローガンか美辞麗句にしかすぎない。
だから僕は皆さんに強く提案したいのだ。憲法を活用することを。私たち主催者の「武器」として使うことを。(想田和弘「憲法は「スローガン」ではなく、「武 器」である)

儒教と神道は国家祭祀と密接に関わっている。国家祭祀に国民国家の統合の核を見出そうとしたのが水戸学と尊王攘夷運動であり、とりわけ会沢正志斎の『新 論』であった。明治維新はこの理念にそって祭政一致や皇道興隆を掲げた国づくりを始動させた。(島薗進「信教の自由、政教分離をどう捉えるか?」)

戦後平和な暮らしを続けられたのは、憲法9条「戦争放棄」のおかげだと真顔で言うひとがいる。平和憲法なるものがオルタナティブ・ファクト(もう一つの真実) に成り下がっている現実を、見ようとしない。だからそんなふうに言えるのよ。
憲法には確かに、「戦争の放棄、戦力の不保持」が高らかに記載されている。しかしその裏で世界八位の軍事力をもつ自衛隊を有し、セーフティネット代わりに日本 にある米軍基地の74%を狭い沖縄に集中させているという欺瞞の構図。それこそ我らが平和憲法の実態だ。
沖縄の民は選挙を通じて「基地をなくしたい」と何回も意思表示している。地方自治とは民主主義を支える柱であり、欧米では基本的人権と考えられているそう な。それなのに、国の強権をもって沖縄の民意や人権を平気で踏みにじってきた歴代内閣。ていうことは、政府自ら、憲法違反し続けているってことなのに。 (田中美津「この子は一目で私がわかったんだよ」)

第二次安倍政権以降の憲法破壊政治は、これまでの九条をを本丸とした憲法改正論とは異なる側面を、いや、九条改正の掛け声の下に隠されてきた権力者たちの本心 を臆面もなく露わにし始めた。その本心とは、個人の尊厳に対する敵意である。
少し歴史を紐解けば、戦後7年の占領期を経た直後から、九条を中心に憲法改正を唱えてきた権力者たちは、極端な個人主義、家族の危機という理由で、ニ四条 も破壊しようとしてきた。九条とニ四条が戦後の日本政治において共に危機に晒されてきた事実は、記憶に留めておくべきだ。なぜなら、そこに<国家は個人の 諸権利を守る道具にすぎない>という立憲主義に対抗する、<個人、そしてその個人を育む家族は、国家の繁栄のために存在する>という国家主義が表れている からである。(岡野八代「記憶と政治、尊厳と憲法」)

この平和を願う心ってのがクセモノでもあるんだな。平和がほしいから敵を攻めるし、正義を振りかざして戦をしかける。人間の業はいつになってもキリがな い……。(PANTA「憲法に責任を押しつける前に」)

連立与党のなりふり構わぬ解釈変更と違憲立法への批判に対し、逆に政府を擁護する者たちの口からはいつも同じロジックが示された。「選挙に何度も勝ち民主的に 選ばれた議員が決めたことを否定するのは、民主主義の否定ではないか?」と。
これに反論するのに、政治学徒としてはさほどの困難ではない。民主的な選挙を通じて得た政治権力は、「その手続き的正当性のみでは担保されない」で終了であ る。民主的な選挙でとてつもなく暗愚なる政治家が選ばれることは、デモクラシーの想定内事態だからだ。
では暗愚なる者たちの暴走を制御するのは何か? 教科書には「だから憲法があるのだ」とある。憲法とは「この世には投票で決めて良い事と悪い事がある」という楔を打ってくれるものだと。
選挙で勝った「民主的な政府」が、選挙という制度を作る以前の「人々」によって作られた憲法によって縛られる。そして、それが選挙で行わる民主的な政治を 守る。こういう風に憲法を教わる日本人は沢山はいない。長いこと憲法教育を憲法学者に丸投げしてきたため、憲法ができて70年を経て、やっと我々は憲法の 中に政治を発見したのである。(岡田憲治「憲法と「政治」び発見])

「改憲/護憲」問題は、長らく私にとって、取り組み難い問題であった。……この問題設定は、疑似問題ではないかと感じていたのである。
そのように感じてきた理由を明瞭に自覚し、同時に憲法をめぐる真の問題は何であるのかを自分なりに把握できたきっかけは、矢部宏治氏の『日本はなせ、「基 地」と「原発」をとめられないのか』(2014)に出会ったことだった。同著における憲法問題へのスタンスは、長谷川正安に代表される「二つの法体系]論 に依拠している。「二つの法体系」論とは、戦後日本の法秩序は、表面的には憲法を最高権威としているが、実質においては日米安保条約(そしてそれに付随す る公然および秘密の協定)が憲法に優越するものとして構成されている。と捉える見方である。二つの法体系が矛盾しない限りでは問題は顕在化しないが、矛盾 が発生したときには、この構造が露わになる。要するにこの二重構造がある限り、日本国憲法にどれほど立派なことが書いてあったとしてもそこにさしたる意味 はなく、また、憲法を改めようが護ろうがさしたる意味はない。
この現実を長年最も痛切に実感してきたのは、沖縄の人々であろう。米軍基地の存在から派生する様々な人権蹂躙的事態は、「二つの法体系」のうちどちらが本 当の最高法規であるかをこの上なく明瞭に教えてくれるからである。だが、安倍晋三政権に代表されれる日本の支配層が対米従属へのさらなる傾斜を強めるなか で、「二つの法体系」は本土でもその姿をはっきりと現すに至っており、2015年の新安保法制をめぐる政治過程はまさにそのきっかけとなった。集団的自衛権の行使を容認す る憲法解釈の変更とこの変更に基づいた立法は、内閣法制局の人事に首相が露骨に手を突っ込むことで、また憲法学者のほぼ全員の反対を押し 切ることで強行された。
その際の錦の御旗は「日米安保体制のさらなる強化」であり、首相がアメリカ議会で法案の成立を早々に宣言したことが、その露骨さを際立たせた。この「二つ の法体系」を維持することで自らの当地権力を支えているのと全く同じ政治勢力が、この構造に手を付ける気など毛頭ないまま、「自主憲法制定」を怒号している 状況は喜劇的と言い表すほかない。(白井聡「どのようにして「自らのもの」として持つのか」)

憲法学者にとっては、憲法の固有の意味と近代立憲主義というのは、「いろは」に属する初歩的な話でしょうが、後者だけが憲法なのだと、あまり自明のことのよう にかたるべきではないのではないでしょうか? 歴史性をすっ飛ばして、プリミティヴな発想に飛躍するというのは、憲法論議に限らない、現代の一つの特徴です。
そこにポジティヴに評価し得る何かがあるのは事実でしょうが、これまで積み上げてきたものを台無しにする懸念もあります。それを単に「反知性主義」と揶揄し てみたところで、対立を煽るだけで、却って逆効果かもしれません。
極端なナショナリズムが勃興する今日のような時代には、欧米近代の立憲主義の歴史を別段、踏まえることなく、むしろ、憲法は国の実質として、個々の国が好 き勝手に定めて結構じゃないかという考えも発生するでしょう。どこまでその独自性が可能なのかと、当然考えられるはずですが。典型的なのが、個人の権利に 対して抑圧的で、国家主義的な自民党の憲法草案です。しかし、固有の意味としては無限の"独自性"が許されようが、その上で、近代立憲主義を自己実現しよ うとする規定を内包した憲法を維持しているということにこそ、積極的な政治的意味を見出すべきではないでしょうか。
「新しい」憲法を、「独立国」として今、制定しようとする人たちは、しばしばそれだけでなく、大日本帝国憲法への回帰さえ唱えていますが、どうしてあれこそが 「日本」と言えるのか、非常に奇妙です。
財政的にも逼迫し、個人のアイデンティティの拠り所としても弱体化していく国家は、その独占的な役割として、安全保障(軍事の独占)や徴税権に固執してゆ く。その危機感から反動化して、個人の監視が強化され、国家権力が前面に出てくるというのが、現状です。本当は、福祉こそ、国家が最後まで担うべき領域だ と思いますが。そうした国家に、自己を仮託する愛国主義の循環現象も目立ってきています。左翼にとっても、国家権力は、かつてのような否定の対象ではな く、その機能の健全化をこそ考えなければならなくなっています。(平野啓一郎「多様性の器としての憲法」)

日本は敗北によって、新憲法体制と民主主義を獲得した。本来は、1945年8月に起きた政治的変革の主体となるべきだった民衆側に、「革命への転化」と いった意識が欠けていた。そのことは、憲法や民主主義への無自覚を生み、政治に対する世論が熱することもなく、またリーダーも不在という状況を招いてい る。
こうした状況のなかで、安易な改憲論議が起きていることに危惧を覚える。戦前、国家のために国民が存在していた時代を経験した私は、日本国憲法こそ、21 世紀の世界各国の人民にとって、導きの一つとなるべきだと考える。この憲法をもち続けてきたことに、日本国民はもっと自信と誇りをもつべきではないか。 (原寿雄「未来へ向けた人民のための導きの星として」)

私が強調したいのは、ナショナリズムが戦争を招きやすいからといって直ちに憲法を改正し、自衛戦力の保持を明文化すべきだという考えは短絡的だということ である。憲法九条は、一切の武力の放棄を理想としつつ、自衛行動を必要とする現実が存続する限りにおいて解釈上自衛行動を認める弾力性を持っている。理想 と現実を見事に調和する卓抜な規定と言わざるをえない。一時的な現実に対応するために理想を捨てるのはあまりにも惜しい。
改めて言う。憲法九条は、人類の歴史の今後の流れを先取りし、国際社会における国のあり方を明示した。まことに先進的な存在と見るべきだろう。これを無視して はならない。(西原春夫「無視してはならない憲法九条の世界史的意義」)

ここ十年ほど、憲法改正というきわめて重大なことが、風説と気分に流されながら大声で叫ばれている。いまこの国を覆っているこの底知れない軽薄さに慄然として いる。長生きしてはいけなかった。
そもそも憲法は権力者の勝手な無軌道な行動に正当性を与えるために制定されているわけではない。権力者が誤断で危ない橋を渡るのを制御するための足かせとして 制定されている。
第九条を廃絶するということは、軍隊をつくって「人の喧嘩を買って出る権利」「いつでも、誰とでも、したいと思ったら戦争をする権利」(内田樹氏の言葉) をもちたいということである。焼け跡でほんとうに沢山の、人間ではなく炭殻となった焼死体をみたわたくしは、死ぬまでその主張には与しない。(半藤一利 「第九条のこと」)

日本国以内では、自衛隊=災害救助のイメージが強いからだろう。日本人が思う「日本」より、外から見る「日本」はもっと軍事的だ。平和の国を標榜しなが ら米軍の後方支援をする。アルジャジーラのつけたタイトル(『平和主義者の戦争』)はまさに言い得て妙というものだ。その後、世界のトップニュースになっ た武器輸出三原則緩和のニュースは自衛隊のイメージ映像とともに流れ、安保法案の強行採決は「平和主義から軍国主義へ」「平和主義を棄てた日本」という見 出しで世界に流された。
憲法は、「日本がどうあるべきか」という国の理念を示すものだ。「戦争をしない」という誓いは何よりも尊い。けれど、その誓いは、けっして自己満足で済ま せてはならない。いま日本は「戦争をしない国」から「戦争を止める国」へと一歩踏み出すときに来ているのではないか。尊い誓いを現実の国債世界で実践して いくためにも、資金だけではなく非政府の人道支援者多く輩出する「人道支援の先進国」を目指すべきだと思う。(高遠菜穂子「"護憲"はゴールじゃない」)

私にとっての憲法は、何がなんでも護り抜くものではなく、時代の変化に反応して、変わるべき時には変えて然るべきものです。
ただし変えてはならない点は、ただひとつ、ワイマール憲法下、非常事態宣言を恒久化し世界大戦に突き進んだヒトラーや、暴走した日本の軍部の轍だけは踏ま ないように、「国民主権」を普遍的価値として断固維持することです。(佐藤芳之「「この国の依って立つところ」を皆で考える」)

(憲法)改正は国会だけで出来るものではない。憲法第九十六条には、国民に賛否を問うことが求められており、過半数の支持を支えなければならないとされてい る。この国民投票というハードルゆえに、改憲勢力は、直ちに改憲へと進みえないのが現状である。
それゆえ安倍内閣は、改憲せずに、自衛隊が海外で、武力を行使することを可能にし、憲法第九条の空洞化をはかった。そして、最後の仕上げとして、いつ憲法改正 の発議に踏み切ろうかと、国民世論の動向を注視しているのである。
国民世論は、ある意味では不安定で、時に外国との摩擦、紛争で大きく変わる。
歴史は、民主主義国家が陰謀国家であるかもしれないことを示している。それゆえに尖閣列島をめぐる紛争が懸念されるのである。(伊東光晴「憲法9条の心は明治 にもあった」)

2014年7月に安倍内閣は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。どうやら安倍政権下ではこの閣議というのが、国の規範的審理の決定機関となったようだ。
この安倍政権は、就任早々、日銀総裁の首をすげ替えて金融政策の慣例的な自立性を無効にし、NHK会長にも息のかかった人物を据え、内閣法制局長官まで慣例を 被って外務省出身者に変え、金融、メディア、法制のチェック体制を掌中に収めたがそれだけでなく、最高判事の選任にまで手をつっこんでいることが最近 知られるようになった。
当人は安保法制審議の国会審議にいらだって「(憲法解釈の)最高責任者は私だ」と訳の分からぬことを言い、後には「私は立法府の長」とさえ言った。それは 彼が自国の政治制度について無理解であることを示してもいるが、二度の衆院選と参院選で絶対多数の議席を確保し、どんな法律も通せる以上、行政府の長であ る自分が立法府も意のままにできるという「事実」を公言したにすぎない。そして沖縄関連訴訟に顕著なように、今では事実上、司法もほぼ「コントロール下」 に置いている。
おそらく安倍政権は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定したときから、憲法は無視すればよい、それがあっても事実上反故にできると気づいた(あるいは確信 した)のである。行政権力にはそれが可能だと。それ以来、憲法はあってなきがごとく、労働に関する立法も、家族に関する立法も、共謀罪も、どうみても憲法 との整合性を疑われる法律を次々に作ろうとしている(それを規制するはずの内閣法制局は、ある元最高裁判事に言わせれば「いまは亡い」)。
2014年7月、それ以来、安倍政権はアメのように溶けてしまった憲法を尻目に日本を引っかき回している。これこそが立憲国家のメルトダウンとも言うべき 事態だろう。そのメルトダウンを隠し、首相官邸という名の「免震管理棟」のなかで、この政権はあらゆることを閣議決定で決めている。
誰がこんな「緊急事態」を収拾できるのか、それがいま問われている。言うまでもなく、それは「主権者」である。(西谷修「立憲国家のメルトダウン」)

いまの憲法はアメリカの押しつけだから自分たちでつくらなければならないということなのでしょうか。歴史を見ればわかるように、いまの憲法は押しつけられ て、そのままそうですかと言ってつくったわけではなく、日本側もその時の有識者が集まって相当論議をしたうえで、この憲法で行こうということになったわけ で、当初にアメリカの押しつけがあろうとなかろうと、日本にとって良いものであるならば別に変える必要はないというべきでしょう。
この前のカジノ法案と同じように、とにかく絶好の機会>とばかりに急いでやろうという理由がわからない。それは、民主主義国家としてあるまじき発想、議 論と いうべきでしょう。これは今の日本の象徴的な政治の運営の仕方であると思います。民主主義の仮面をかぶった独裁政治に近いとも言えます。選挙で勝ちさえす れば、もう何を議論しようと、どんな質問をしようと、国民は全く不在。これは与党だけでなく、野党もそうです。どうせ三分の二の議席で決まってしまうのだ から、と与野党ともに質疑は非常に中途半端な形で終わっています。……口では、「熟議を重ね、国民の納得を得るように努めたい」という歯の浮くような形式 的な答えをしながら、実質的には強行採決を重ねています。それをまた国民が黙って見ている。メディアも徹底的に追求しない。なぜ、こういうことを質問しよ うとしないのか、この質問にどう答えたのか。追求すべき材料はたくさんあるにもかかわらず、野党から出てこない。中身のない審議で法案が可決されていく。 こんな国民をばかにした話はないと思います。こういう、今のままの民主主義の仮面をかぶった独裁政治をやりながら、憲法改正なんかされたら、何をされるか わからない。
いまは、憲法の改正を議論する時期ではないと思います。本当にやろうと思うなら、まず今の憲法のどこが問題なのかをきちんと議論すべきでしょう。そして憲法の 基本的な三原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)は絶対変えては行けないと思います。
今までのように憲法9条の下、攻撃的な武器は持たない、専守防衛という原則のもとで日本の防衛を進めて何が問題なのか。現実に合わないというけれど、現実 に合わせる解釈を吉田茂首相以来何十年とやってきています。それで、何が問題なのかが不明確です。そういうことについてどうしてもっと国会で議論しないの かと思います。
憲法を改正する前に日本をどういう国にしたいのか。「美しい国」というような抽象的な話でなく、その理念を具体的に安倍さんは語るべきでしょう。(丹羽宇一郎 「いまは憲法改正を議論する時期ではない」)

私の憲法観は、まず「平和憲法」ではないという点にある。この憲法は、いってみれば非軍事憲法である。第九条はどのように読んでも非軍事憲法としての特質 を意味していて、その点では人類史の上できわめて貴重である。この非軍事憲法を平和憲法に格上げするには、まず私たちがそれだけの努力と時間とエネルギー を必要とするはずである。(保阪正康「歴史の上に立ち、憲法の精神を活かす」)

いくつかのインタビューで「憲法改正をどう思いますか?」と問われ「日本人は「押し付け安保」とは言わないくせに「押し付け憲法」と言いますよね。日本国 憲法を捨てるなら沖縄人に下さい、私たちはそれを持って独立しますから(もちろん九条からのスタートです)」と回答したことがあるが、沖縄人にとって日本 国憲法とは、沖縄人の政治的地位に直結するテーマだと思う。
現在の日本の沖縄をめぐる政治や日本国憲法改正という議論は、沖縄人の私たちが新たな未来を踏み出す背中を押すものであるのかもしれない。(親川志奈子「沖縄 人(ウチナーンチュ)の私の日本国憲法」)

【中高年登山 トラブル防止小事典】堀川虎男編著 ★★★ 1999/05/20 大月書店
いまさら登山に挑戦するつもりはないのだが、せっかくリュックも新しくなったので、軽い山歩きくらいならいいかな、韓国人は登山大好きだから、今度の訪韓でも、で きれば、山歩きもしてみたい。そういう時の準備として?、本書を借りてきた。

・ストレッチ--はずみをつけずに、ゆっくりのばして、20~30秒間そのまま。呼吸は止めない。

これは、準備運動よりストレッチを勧めるとの文章の一部。Morris.は準備体操もストレッチもほとんどやったことがない。「はずみをつけない」というのが大事 みたいだ。

・山道はフラット・フィット(ベタ足)で歩く。

これはできそうでできなさそう(^_^;)だ。

・つま先が曲がりすぎない靴を→軽登山靴

Morris.の持ってる靴は皆落第(>_<) 普段はビーサンだもんな。

・大または疲れる、ひざを上げる感じで

これはできそう。

・斜面を歩く時、カニの横ばいは危険、体は進行方向、山足(壁側の足)は進行方向、谷足(谷川の 足)谷川に向けること。

これは理にかなっている。でも、そういった危険なところは極力避けよう。Morris.のばやい、リュックにミニギター持参だし。

・はしごはてすりをつかまず、横木をつかんで登る。

これは日常的にも心しておこう。

・必要なものはすべて持ち、よけいなものは何ひとつもたない。装備の原則。

言うはやすく、行うは難し、である。なるべくその方針で。

・ザック(リュック)のパッキング(詰め方)--重いものを上に、軽いものを下に。

これは、前から知ってたような気がする。

・登山中は禁酒が原則

ラジャー(^_^;)



【むし学】青木淳一 ★★★☆☆ 2011/09/20 東海大学出版会
青木淳一1953年京都生まれ。1963年東大大学院生物系研究科、農学博士。1965年国立科学博物館動物研究部研究官。「ダニの話」「きみのそばにダニがいる」「自然の中の宝探し」
ササラダニ類の分類学的研究の業績により日本動物学会賞、南方熊楠賞。定年退官後は、昔日のホソカタムシ類(甲虫)の研究を再開。

Morris.は小学校時代から中学2年まで「昆虫少年」だった。今でも虫は好きだが、どちらかというと、植物と猫に力点は移動してるが(^_^;)
本書の著者は、ササラダニ専門の研究家(分類学)である。ダニは昆虫ではないが、ムシの一種ではある。

本書のタイトルを『むし学』としたのは昆虫以外の虫も含ませたという理由もある。日本ではEntomologyを昆虫学と翻訳しているが、「虫学」と訳すほうが正しい。なぜならEntomologyには昆虫のほかに、クモ、ダニ、サソリ、ムカデなど昆虫でない虫の研究も含まれているからである。(まえがき)

なるほど、納得である。本書の章立てと簡単な内容を列記しておく。

第一章 虫入門 虫の名前 虫の仲間
第二章 虫の生態 虫の移動・分散 受精
第三章 人間と虫 都市の虫 家の中の虫 害虫と益虫
第四章 昆虫採集 採集と標本 標本の種類 子どもの虫採り 大人の虫採り
第五集 虫学者になるための心得
第六章 虫学者列伝
第七章 海外虫紀行 ハワイ・ボルネオ・台湾・雲南・タイ・ニューギニア


Morris.には第一章が断然興味深かった。

・虫と蟲 蟲は虫の略字と思われているが、どちらも本字で、虫はもともとマムシをあらわす象形文字。蟲は今の私たちが使っている虫とほぼ同じ。日本爬蟲類学会という名前の学会があるが、わざわざ難しい蟲の字を使っているが、爬虫類と書かなければいけない。そうしないと、ヘビ、トカゲの仲間は入ってこない。

これは目からウロコだった。蟲の方が、いかにも権威ありそうに見えるものね。

・足の数で虫を分類
6本 昆虫類(チョウ、ハエ、ハチ、アリ、セミ、トンポ、コガネムシ、ゴキブリ)
8本 クモ、サソリ、カニムシ、ザトウムシ、ダニ
14本 ワラジムシ、ダンゴムシ
18本 エダヒゲムシ
24本 コムカデ
30本 ゲジゲジ、イシムカデ
42~46本 オオムカデ
22~100本 ヤスデ
62~174本 ジムカデ


この分類法?はわかりやすい。

・虫の漢字名テスト(Morris.が読めなかったものだけ列挙)
浮塵子(ウンカ) 螽斯(キリギリス) 壁蝨(ダニ) 蚣(ムカデ) 龍虱(ゲンゴロウ) 石蚕(トビケラ) 蠹虫(キクイムシ) 馬陸(ヤスデ) 鼠姑(ワラジムシ) 螻蛄(ケラ) 椿象(カメムシ) 細腰蜂(ジガバチ) 吉丁虫(タマムシ) 小灰蝶(シジミチョウ)


虫の漢字なら、たいていのものは読めると自負してたのだが、思った以上に読めないものがあった(>_<)

・動物の名前をカタカナ書きにしようとする委員会の席で、私は猛反対したのであるが押し切られてしまった。まことに残念至極である。

これには全くMorris.の思いと同じである。しかも、著者はこの委員会に参加したというのだから、もうひと押し奮闘してもらいたかったところ。

・虫のなかま
1.昆虫のなかま 昆虫綱 Insecta 全生物種数140万種のうちの80~100万種をこのなかまで占める。1989年現在日本の昆虫類は30146種。ずば抜けて多いのが甲虫目(9869種)、蝿目(5352種)、蝶目(5245種)、亀虫目(2796種)など
2.クモ・ダニのなかま 蛛(ちゅう)形綱 Arachnida クモ、ダニ、サソリ、サソリモドキ、カニムシ、ザトウムシ、ヤイトムシ、コヨリムシなど。ダニとクモを合わせると世界で8万種くらい、日本だけでもクモが1000種、ダニが2000種ほどしられている。
3.ワラジムシ。ダンゴムシのなかま 甲殻類 Crustyacea・等脚目 Isopoda 陸に上がった甲殻類の代表。触覚がニ対あるのが特徴。
4.ムカデのなかま ムカデ綱 Chiopoda イシムカデ、ジムカデ、オオムカデ、ゲジ(通称ゲジゲジ)
5.ヤスデのなかま ヤスデ綱 Dilopoda ムカデに似ているが全く別の動物群。タマヤスデ、フサヤスデ、ヒメヤスデ


このような、基本知識だけでもMorris.には、初めて知ることだった。

・清潔なゴキブリ
人家に侵入してくるのは、ヤマトゴキブリ、クロゴキブリ、チャバネゴキブリ、イエゴキブリの4種のみ。昔は、くみ取り便所の中を歩いた不潔な足で人間の食物の上を這うので、不潔な虫として嫌われたは、水洗トイレが普及した現在のゴキブリは清潔である。1cm四方の最近数を数えてみると、ゴキブリの背中よりもヒトの手のひらのほうがずっと細菌数が多いそうである。


人は外見が大事、というが、ゴキブリもあの見かけが、もうちょっとスッキリしてれば、これほど嫌われずにいただろうにと思う。



【その日本語、ヨロシイですか?】井上孝夫 ★★★ 2014/01/15 新潮社
井上孝夫ー1954年神奈川県生れ。新潮社校閲部・部長。東大原語学科卒。ブログ「言語のある生活」
http://polyglotreader.blog109.fc2.com/

基本的な辞典(事典)類として6冊が挙げられていて、ここに「大言海」と「大辞典」があったのが嬉しかった。これはMorris.の蔵書でもあるのだった(^_^)。

例えば、動植物名(和名)を漢字表記したい時、現在の辞書類・図鑑類にはカタカナ表記しか載っていないことが殆どですが、『大辞典』などには漢字表記がちゃんと出ている。

間違えやすい同音異義語の実例
☓濡れ手で泡 ◯濡れ手で粟
☓加熱気味の報道  ◯過熱気味の報道
☓うるさ方 ◯うるさ型
☓盛りたてる ◯守り立てる
☓現状回復 ◯原状回復

うーん、これらは間違えそう。

・キャプションというものが、写真や図版の、[見てもわからない]部分を補足説明するものだ、ということが忘れ去られています。

このMorris.日乘のデジカメ画像にもいちおうすべてキャプションを付しているが、その大半が「見ればわかる」部分を説明するものが多いようだ(^_^;)


【ファミレス】重松清 ★★★☆ 2013/07/22 日本経済新聞社 初出日本経済新聞夕刊 2012年2月2日2013年3月30日

「ファミリーレストラ」ンと「ファミリーレス」をかけたタイトル。50歳の中学校教師宮本を主人公に、家庭の危機をユーモラスに江描いた作品。宮本の趣味が料理ということで、様々な手抜き料理が出て来るのも興味深かった。
新聞小説だけに、ここかしこで盛り上げようとのし掛けが見え見えでちょっとうっとうしいところもあったが、全体としては楽しめた。今年映画化されたらしい。

「わたし、夫婦って、人生のパートナーだと思うんですよ。生活のパートナーじゃないんです」
「人生」と「生活」の違いを、ひなたちゃんは、こんな風に説明した。
「『生活』はお金がないと大変です。でも、お金がなくても幸せな『人生』はたくさんあります。わたしは、たかが『生活』ごときに『人生』が負けちゃダメだと思うんです。
コージはそれを理解していなかった。だから赤ちゃんができたと知ると、音楽を捨ててまっとうに働こうとして、すなわち「生活」を優先してしまって、逆に愛想をつかされてしまったのだ。


「人生」と「生活」。うーーん。ひなたちゃんはなかなかに鋭い。

足し算の思想--ニッポンのオヤジたちの大半はその思想の信奉者だ、とエリカ先生は言った。
「要するに、なにかが増えることで幸せを実感するわけ。言い換えれば、幸せに生きるっていうのは、なにかを増やすことだと考える思想」
たとえば、と挙げていったのは、自宅の部屋数や床面積、預金通帳の残高、部下の数、年収、マイカーの排気量……そして、もちろん、家族も。


エリカ先生というのはひなたちゃんの母で料理の専門家という設定だが、これは日本の60年、70年代の高度成長時代への皮肉だろう。

酸辣湯(サンラータン)で春雨、というのはどうだ。あれこれ具は入れずに、長ネギと溶き卵、シイタケぐらいにしておけば腹にももたれないだろう。
中華スープの素に、醤油に、砂糖に、酢に、酒に、胡椒に、ごま油に片栗粉に……と必要な材料を頭の中で諳んじていたら、ふと、冷蔵庫のドアポケットに立つ中華ドレッシングが目に入った。
無茶をやってみた。「もう野菜なんて要らねえよ、バーカ。春雨もメンドくせーしっ、卵もマジ邪魔っスから」と中学生のように毒づきながら、粉末の中華スープの素をお湯に溶き、そこに中華ドレッシングを大さじで三杯足して、胡椒で味を整えてから、片栗粉でとろみをつけた。
それだけで、酸辣湯が--。
できた。


これは、Morris.もやってみた(^_^) 中華ドレッシングなしで(^_^;) もちろん中華スープの素は創味シャンタン。こういった小ネタはありがたい。

<わたしたちがまだ二十代の前半だった頃、「おいしい生活」という糸井重里さんがつくった名作コピーがありましたね。あの時代は、なぜか「おいしい」の意味が「お得」や「ラッキー」と似たようなものになっていましたが、いまなら、それが間違っていたことがわかります。「おいしい」というのは、「幸せ」の一番根っこにある言葉ではありませんか? ご飯がおいしいこと、食卓を囲んだらごはんがいっそうおいしくなる相手がそばにいること、おなかがきちんと空いて、「いただきまーす」をワクワクした顔で言えて、「ごちそさまでしたー」を満ち足りた顔で言えること……それが幸せの基本中の基本、食事で言うなら、お茶碗によそった炊きたての白いご飯のようなものなんだと、わたしはいま、五十歳を超えてやっとわかったのです>

これは宮本の友人の妻の置き手紙だが、糸井重里の「おいしい生活」というのは、「名コピー」ではなく、「迷コピー」だったのだと、今のMorris.は思うけどね。多くの人を迷わせてしまったという意味で(>_<) 告白すると、Morris.もこれに騙された(迷わされた)一人だった(>_<)

【火星に住むつもりかい? LIFE ON MARS?】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 2015/02/20 光文社
新・治安維持法とも言うべき「共謀罪」をパロったみたいな作品。「平和警察」が、注意人物を拘束して、尋問(拷問)の末、自白させ、公開処刑するという恐怖の近未来。ジョージ・オーウェルの「1985年」の日本版とも言える。
主人公の台詞に、見るべきものが多かった

薬師寺警視長の顔が曇る。「正義の味方、という呼び方はどうなんだ。だとしたら、我々が悪だとでも言うのか」
「とんでもないですよ。世の中には、悪なんて存在しません。全部が、正義と言ってもいいくらいで。害虫という虫が存在しないのと同じですよ。虫自身からすれば、自分自身は益虫です。ただ、薬師寺さん、平和警視長が危ういのは、一般市民のことをアリのようにしか見ていないことですかね」
「虫けら扱いなどしていない」
「本当ですか? 薬師寺さん、平和警察の捜査員がタクシー運転手を間違って殺しちゃった話、聞きましたよ」真壁鴻一郎は少し挑戦的な声を出した。「しかも、目撃者二人、殺しちゃったんですよね? やるなあ。どこかに捨てたとか」
その話が何を指しているのか、私にもすぐわかる。
平和警察の捜査員が深夜にタクシーに乗車した際、運転手と口論になり、発作的に殺してしまったのだ。しかも、そこに居合わせた男二人が目撃したため、捜査員はその二人についても撃って殺害してしまった。すぐに薬師寺警視長に連絡が入り、駆け付けた時には、捜査員はすでに目撃者の一人の死体を海に沈めたところだったという。
「薬師寺さんは、それで、タクシー運転手が危険人物だった、ということにしたんですよね?
 射殺したのは、平和警察の操作中で、適切だった、と」
「真壁、おまえはあいかわらず、ひねくれた考え方をするんだな。そのまま受け止められないのか。タクシーの運転手が危険人物で、捜査員は身を守るために発砲した」
「でも、そういう話を聞いたんですよ。タクシー運転手は危険人物だったことにされ、目撃者の死体はこっそり処分されたって」
「死体をこっそり? 誰がどうやって出来る」
真壁鴻一郎はそこで唇を少し尖らすようにして、肩をすくめる。「そんなこと、平和警察なら余裕でできるじゃないですか」
薬師寺警視長は答えない。かわりに、横にいる刑事部長が明らかにうろたえ、挙動不審者よろしく、視線を泳がせていた。
「刑事部長がその死体の処分をするだとか、すでに処分しただとか、そういう話も聞きましたよ。ねえ」真壁鴻一郎が気軽に問うものだから、刑事部長は、「ええ、まあ」と素直に答え楚王になった。慌てて、「いいえ、そんな」と否定した。


秘密保護法と共謀罪が極端化すれば、こんな事態になりかねない。この部分は本作の重要な伏線にもなっている。

「君よりもっと強い相手が出てきた時に問題が解決できないからだよ。外交を、戦争でしか解決できないような国は、最悪だろ。教師が暴力で生徒を従わせたり、親が子どもに鉄拳制裁をしたり、そういったものも同様に、意味がない。相手が成長したら、効果がなくなるからだ。ようするにね、自分よりも武力を持った敵が出てきた時点で、、戦う術がなくなるわけだ。だから、結局は、武力を使わずにどうやって、相手を牽制するか、それが大事なわけで、やるぞやるぞ、と見せかけて相手を威圧するならまだしも、本当に手を出したらおしまいだ。もっとうまくやりなよ」
多田はむっとし、何か言いたげに口をもごもごさせている。
「でも君たちも妙な関係だね」私(ニ瓶=平和警察の刑事)は言った。
「妙な?」多田が眉をひそめる。
「だって、佐藤君は多田君にいじめられた。暴力を振るわれて。なのに、今こうして二人で仲良く、やってくるなんて」
佐藤誠人は顔をしかめ、「いや、別に、仲良くは」と言う。やはり無理やり連れて来られた部分はあるのだろう。そう思うと多田が自ら、「俺が無理やり引っ張ってきたんだよ」と乱暴に答えた。
「あ、でも」佐藤誠人が続けた。「今はこうですけど、昔から知り合いではあったんです」
「ほう」
「一緒に遊んでくれて」佐藤誠人の口ぶりは、弁解や媚びなどではなく、少年時代を懐かしむような雰囲気だった。
多田は当惑を浮かべ、少し恥ずかしそうに佐藤誠人を見た。
真壁鴻一郎は、「仲良くやりなよ。短い人生、少しでも縁があるなら」と穏やかに言った。

どうしても、今の北朝鮮とアメリカの関係を連想してしまう。

こんなでたらめを。と思った。こんなでたらめを、みな、本気で信じているのだろうか、と。
が、一方で、理由も理解できた。
彼らからすれば、真実がどうであるかは関係がないのだ。必要なのは、「自分たちにとって都合のいい情報が、真実として扱われる」ことだ。
平和警察の薬師寺警視長は、その豪腕ゆえに恐れられ、警戒されていた。組織の中では、疎んじている人間も多い。薬師寺警視長が落ちぶれるためであるなら、少々、無理のある主張にも同調する。

「自分たちにとって都合のいい情報が、真実として扱われる」今日の加計学園幹部と今治市議会のやりとりなどが、まさにその典型かもしれない。

平和警察に睨まれた人物とは、つまり、危険人物に他ならない。中世の魔女狩りでは、魔女だと疑われた人間は、拷問によって死ぬか、もしくは魔女だと自白して処刑されるかのどちらかしか選択肢がなかった。
薬師寺警視長は果たして、平和警察の取り調べに耐えられるのだろうか。

そういえば、先般森友学園疑惑で安倍首相がこの「魔女狩り」という言葉を連発していたな。

「ただ、何がどう変わろうと、別に、世の中が正しい状態になrわけじゃないけどね」
「そうなんですか?」
「振り子が行ったり来たりするように、いつだって前の時代の反動が起きて、あっちへ行ったり、こっちへ来たりを繰り返すだけだよ」
「どうすればいいんですかね」久慈洋介のその疑問は、自らの犯した罪に対し、自分はこのままで良いのかどうか、という思いから出た。
「どうすることもできないよ。振り子の揺れを真ん中で止めることはできないからね。大事なのは、行ったり来たりのバランスだよ。偏ってきたら、別方向に戻さなくてはいけない。正しさなんてものは、どこにもない。スピードが出過ぎたらブレーキをかける、少し緩めてやる。その程度だ」

これって、伊坂の本音なのだろう。

鏡に映る、妻の遺影を眺める。
まだ自分は生きている。そのことの実感がうまくつかめなかった。
さらに忘れてはならないことがある。自分もいつか必ず死ぬ、そのことだ。しかも、どうやって死ぬのかは、よほどのことがない限り、選べない。
理容チェアの客は、「どうにもならないよ」とさらに言う。「世の中は良くなったりしないんだから。それが嫌なら、火星にでも行って、住むしかない」と口元を緩めるだけだった。


作品、終わり部分での、タイトルの由来になる発言、前半にも、類似する発言もあったが、こういうさりげない技巧は、伊坂の上手いところである。

タイトルから宇宙ものの話だと思われた方がいたら、申し訳ありません。自分でもどうにもできない恐ろしいニュースを目にし、落ち込んだ時、デヴィッド・ボウイの名曲「LIFE ON MARS?」を聴くことがあります。この曲名の和訳は、この本のタイトルのような意味だと(調べもせず)勝手に思い込んでいたのですが、実際には、「火星に生物が?」という意味だと知り、恥ずかしくなった思い出があります。

覚え書きめいた後書きでの、エピソードだが、これも一つの技巧に見えてしまうのは、Morris.の僻目だろうか。

【ニッポン沈没】斎藤美奈子 ★★★☆ 2015/1020 筑摩書房 初出 筑摩書房PR誌「ちくま」2010-15
内容的には「月夜にランタン」の続編ということで、毎月何らかのテーマを知るための3冊の本(主に新書)を紹介するという、書評と時評をないまぜにしたもの。間に東日本大震災と第二次安倍内閣-秘密保護法・戦争法成立を挟んでいるだけに、内容はそれらを軸としたものになっている。
「激震前夜」「原発震災」「安倍復活」「言論沈没」という四部構成のタイトルにそれがよく表れている。

地域の活性化というと、とかく私たちは葉っぱビジネスのような「一発逆転」を夢見る。町の再生と聞くと、電線を地下に埋めるとか壁を黒に統一するとかいった、住み心地より景観優先の、伝統的建造物群保存地区みたいな街並みを連想する。だけどそれって「客の目」なのよ。
日本はいつからこんなことに……と嘆く時代はもう終わった。次の手を本気で考えないと、マジでやばい時期に私たちは来ているのかもしれない。(2010.08 「地方の再生」って言うけどさ)


住んでる人無視の地域活性化、ありがちだ。

多くの観光客はそもそも文化財に興味がない。彼らの旅の目的は温泉と食べ物と土産物屋で、文化や歴史はどうでもいいのだ。そんな歴史離れ。文化財離れを逆転させる唯一の切り札が世界遺産だとしたら、自治体が目の色を帰るのも理解はできるが、根本的な解決にはならない。だいたい世界遺産バブルがはじけた後はどうするのさ。(2010.10 「切り札は世界遺産」の愚)

世界遺産もどうでもいいものが多いが、ミシュランガイドみいなものだろう。希少価値という言葉がある通り、数が多くなればなるほどそれぞれの価値は低下する気がする。「記憶遺産」なんてのは更にナンセンス。

NHKが憂える「無縁社会」とは、ヨーロッパ型の社会福祉が未整備なことのつけ、単身世帯が増えているのに制度が家族中心で組み立てられていることから来る政策の歪みにほかならない。NHK取材班のようにいたずらに嘆いたところで、何の解決にもならないのだ。
無縁社会の対極に位置するのは有縁社会だが、村落共同体(地縁)や「家」(血縁)に代表されるかつての有縁社会は、個人を縛り、事由を奪う。人々は地方から都市へ流れて、企業などの職場を中心とした社縁や、PTAなど子どもの学校を介した新しい縁をつくった。が、地縁・血縁はもちろん、社縁もいまや完全に崩壊した。
ひとりで生き続けたということは、徹底して自由に生きたということである。


最後の一行は、Morris.の心に沁みた。自由って不自由でもあるけど(^_^;)

それを孤独とみなすか自由とみなすかは、人による。選択肢は二つ。孤独死に陥らないために、あくまでも縁を大切にした生き方をするか、孤独に死ぬことを覚悟して、ひとりで自由に生きることを択ぶか。(覚悟さえ決まれば、恐れるものはない)のである。
ひとりで生きる覚悟を他人に求めるのは、社会保障制度の遅れを正当化し、「自己責任」にすべてを帰する新自由主義的社会の方便に使われる可能性もないとはいえない。しかし、<私たちは死ぬまで生きればいい>という島田裕巳の提言はいっそ爽快だ。実際、すでに「ひとりで死ぬ覚悟」胸に秘めている高齢者も少なくないのではないか。そう考えると、NHKがいう「無縁社会の恐怖」は、幸せなご家庭で育ったスタッフの貧しい発想、あまりに単純な死生観に基いているとしか思えないのだ。(2011.04 よけいなお世話の「無縁社会」)


Morris.もよく「死ぬまで生きるしかない」と言ってた。「いつ死んでもかまわない、けど、今日はパスね(^_^;)」とも。

事故発生以来、政府、東電、経産省の原子力安全・保安院、原子力安全委員会、さらに「専門家」と称する御用学者の面々は、大気中や海中に放出された放射性物質の値を示しつつ「ただちに人体への影響が出ることはありません」という楽観的な情報を流し続けている。週刊誌では論調が分かれるが(安全に疑問符を付けているのは「週刊現代」「週刊文春」「週刊朝日」。政府や東電並みに寝ぼけているのは「週刊新潮」「週刊ポスト」)、朝日。読売、毎日の三大紙をはじめとする大手新聞や、NHKと民放を含むテレビは「大本営発表」をくり返すだけである。
彼らは「福島第一原発以外の原発は安全です」「日本の放射能は安全なのです」と永遠に主張し続ける気だろうか。仮に事故が収束に向かっても、日本はとんでもないツケを払わせられるはずである。責任を曖昧にしてはいけない。だれが何をいっているか、現在進行形でしっかりみとどけよう。(2011.05 事故は予見されていた)

原発事故発生から2ヶ月後の意見ということを勘案しておく必要があるが、すでにあの時点でマスコミの「大本営発表」報道を指摘してるのは美奈子さんらしい。

そうだった。日本はもう「唯一の被爆国」ではなく、地球に対する「加爆国」なのだ。(2011.12 震災後を語る人びと②脱原発篇)

これまた重要な指摘。

保守系政治家の立場から日本の過剰な対米追従路線を批判した小林興起『裏切る政治』は、この不可解な事態を「裏切りのシステム」と呼び、原因として四つの要素をあげる。
1.1994年に導入された小選挙区制と政党助成金制度(「公認」と「金」に縛られた政治家が政権トップに異を唱えられなくなった)。
2.日本の政治家や官僚に特有の忖度(反米的とみなされた外務官僚は干される)。
3.マスコミの不勉強(記者クラブに縛られたメディアは官僚のいいなりで、反米的な記者は干される)。
4.官邸(首相)の権限肥大化。
<いまの日本にとって深刻なのは、このシステムの下では、首相1人の首根っこさえ押さえてしまえば、どんな政策でも意のままに通せてしまうということ、かつ首根っこを押さえる勢力が実際にいることである。/その勢力とは、もちろんアメリカである>。はあ、そういうことね。

宮武外骨が日本の敗戦直後に出した本に「アメリカ様」というのがある。ペリー来日時の川柳「「武具馬具屋 アメリカ様と そっと言い」を流用したものだが、未だに日本政府や官僚にこの精神が居座り続けているようだ。

倒れない帝国がないということは、ローマ帝国、オスマン帝国、大英帝国、そして90年台のソ連崩壊でも立証済みだ。番長もろとも沈むのか、自国が浮上する道を探るのか。もうひとつ大きい視点で考えると、現在の日本がますますバカに思えてくる。(2013.05 日本の対米追従はいつまで続く)

朝の来ない夜は無い、ということは夜の来ない昼も無いわけで、アメリカ様もそろそろガタが来はじめてる。

現在の国際常識では、管理売春はすべて「性奴隷」である。「慰安婦は公娼だった」などと主張したところで何の足しにもならず、まして戦前の日本の公娼制度は、他国とは比較にならないほど「性奴隷」度が高かった。日本の公娼制度の特徴は、女性を「郭」に閉じ込め行動の自由を奪う点にあった。多くは前借金に縛られ、事実上、廃業の自由はなかった。それを「必要悪」として日本の政府は容認していたのである。(2013.07 慰安婦問題と日本の名誉)

「必要悪」という言葉は、Morris.は使いたくない。

第二次安倍晋三政権は、第一次安倍政権(2006年9月~07年9月)の文字通りの「つづき」である。福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦という5人の総理大臣の時代を経て、日本は7年前に(私の感覚では最悪の時代に)逆戻りしたかのようである。改憲、歴史認識の見直し、教育再生といった「安倍の趣味」としか思える懸案に加え、政府与党は再分配より景気対策を優先し、TPPへの参加を急ぎ、沖縄の米軍基地を固定化させ、原発の維持と輸出に余念がない。まるで政権交代も東日本大震災も福島大地原発の事故もなかったみたいだ。

安倍=最悪。この文章が書かれてから4年経った今なおその安倍政権が続いているという不幸。

民主党は「悪」というより「愚」なのだ。
この3年3ヶ月で私たちが学んだのは、民主党の政策実現能力の低さもさることながら、従来の国家の方針と異なる道に踏み出そうとすると、官僚組織は全力でたたきつぶしにかかり、財界やメディアは露骨に牙をむくという事実である。民主党の政策の多くは頓挫したが、政策自体は悪くなかった。逆にいえば、自民党は野党になってもなお「体制」だったのだ。(2013.08 民主党政権、自爆への軌跡)


民主党自爆について、後から何を言っても、喧嘩過ぎての棒乳切だが、ここにも「アメリカ様」の影が見え隠れする。

単に「嫌いなものを嫌いと言う」のが「ヘイト・スピーチ」じゃないのである。その意味で「憎悪表現」より「差別扇動」のほうが訳語としては相応しいと師岡康子はいい、<ヘイト・スピーチの用語の形成と日本への流入語の議論と定義、法規制をめぐる議論から見ると、セクシャル・ハラスメントとの共通点が多い>とも述べている。(2014.05 ヘイト・スピーチの意味、 わかってる?)

ヘイトスピーチという言葉一つとってみても、新しい言葉は誤解されやすい。

「女工哀史」の時代から資本主義は「ブラック」に決まってんだよ、
ブラック企業を特徴づける悪辣な労務管理の方法として、今野晴貴があげるのは「選別」と「使い捨て」である。
「選別」とは、就職戦線が買い手市場なのをよいことに、詐欺に近い手口で新入社員を大量に採用し、あの手この手で「使える人間」だけを残し、残りは大量に解雇すること。
一方、「使い捨て」とは、文字通り、若い社員を倒れる寸前まで使い尽くすこと。
若い人材の使いつぶしは、一方では若者たちから結婚や出産や子育ての機会を奪い、他方では消費者サービスの劣化につながる。「キャリア教育」や「就活支援」などの名で行われる教育現場就職対策も現状補完的で、逆にブラック企業をのさばらせているという。つまり「会社を3年で辞める若者たち」を「我慢が足りない」と見ていた大人たちは何もわかっていなかったのだ。(2014.10 跋扈する妖怪、ブラック企業)


Morris.も何もわかっていなかった(>_<) 「資本主義」そのものが「ブラック」なものであるという言葉は、目からウロコである。

資本主義の終焉は、じつは1970年代からはじまっていた。
資本主義は必ず「周辺」をひつようとするため、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必要が生じる。
<そもそも、グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業なのであって、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導くなどといった表層的な言説に惑わされてはいけないのです>と水野は言う。金融ビッグバンも、労働の規制緩和も、TPPも、アベノミクスの三本の矢も、その意味では誤った政策というしかない。グローバリゼーションとは雇用者と資本家を切り離して、資本家にのみ利益が集中するシステムであり、<21世紀の「空間革命」たるグローバリゼーションの帰結とは、中間層を没落させる成長にほかなりません>。
そしてさらに恐ろしい予言が続く。<国境の内側で格差を広げることも厭わない「資本のための存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないからです>。
そ-か。だから民主主義もヤバイ感じになっていたのか!
重商主義、自由貿易主義、帝国主義、植民地主義、グローバリゼーションと、形を変えながら資本主義は延命してきたが、資本主義とは少数の人間が利益を独占するシステムで、すべての人を幸せにはできない。(2014.11 資本主義が崩壊する日が来る
!?)


「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫)からの引用を見ると、これは読まねば、と思った。

経済的にも精神的にも疲弊した女性たちはやむなくセックスワークに行き着くが、注意すべきはそれが<路上のセーフティネット>の役目を果たしていることなのだ。
何も持たずに家を出てきた少女がもとめるものは<補導などに怯えずゆっくり寝ることができる「宿泊場所」、その宿泊や食事を確保するための「現金と仕事」、現金を得るためのツールとして不可欠な「携帯電話」、そして「隣に居てくれる誰か」だ。ここに、家出少女らがセックスワークへ吸収されていく理由がある。彼女らの欲しい物のほとんどを、行政や福祉は与えてくらい。だが実はセックスワークは、彼女らの求めるものを彼女らの肌触りがいい形で、提供してくれる>のだ。(2015/01 悲惨過ぎる!「貧困女子」の現実)

いまとなっては茶番としか思えぬ2014年12月14日の解散総選挙を経て、あまりめでたくもない2015年が幕を開けた。
昨年来、日本を覆っている「空気」をひと言でいうならば、無力感、閉塞感、ないしねっとりとした重圧感、かな。あやしげな歴史認識と排外主義的ナショナリズムの蔓延。集団的自衛権を容認する閣議決定や、特定秘密保護法の施行に象徴される、やりたい放題の政府与党。自由な報道姿勢の後退とメディアの自主規制。富裕層と低所得層に二極化した社会。福島第一原発の事故などなかったかのように、東京オリンピック決定に浮かれつつ、原発の再稼働と輸出に意欲を燃やす永田町と霞が関。3・11直後の日本のほうが、まだしも風通しがよかった気さえする。


美奈子さんにしてはえらく愚痴っぽくなっている。それだけ時代閉塞の現状は重症ということになるのだろう。
Morris.にもその気分は伝染しそうだ(>_<)



【永続敗戦論--戦後日本の核心】白井聡 ★★★★ 2013/03/27 太田出版 初出「atプラス」2012年8月
もっと早くに読んでおくべきだった。ともかくも、今日という日に本書の紹介するというのは意味のあることだと思う。

「私らは侮辱のなかに生きている」(中野重治「春さきの風」昭和3(1928)ナップ機関誌)

福島原発後に大江健三郎がこの中野重治の一節を引用したことから、

「侮辱」の内容をひとつひとつ書いてゆけばキリがないが、東京電力という会社がいまだに存在している、ということを挙げないわけにはいかない。

これって、たしかに原発事故における一番の問題点だと思うぞ。

<日本的無責任>あるいは<無責任の体系>といった言葉は、口に出してしまえばシンプルである。だが、われわれはその「無責任」の深淵を見た。
われわれのうちの多くが、「あの戦争」に突っ込んでいったかつての日本の姿に現在を重ね合わせてみたことだろう。大言壮語、「不都合な真実」の隠蔽、根拠なき楽観、自己保身、阿諛追従、批判的合理的精神の欠如、権威と「空気」への盲従、そして何よりも、他者に対して平然と究極の犠牲を強要しておきながらその落とし前をつけない、いや正確には、落とし前をつけなければならないという感覚がそもそも不在である、というメンタリティ……。これらはいまから約70年前、300万人にのぼる国民の生命を奪った、しかもそれは、権力を持つ者たち個人の資質に帰せられる問題ではなかった。つまり、偶然的なものではなかった。戦争終結後、丸山眞男は、東京裁判において「別にそれをのぞんだわけではなくどちらかというと内心反対していたのだが、何となく戦争に入っていかざるを得なくなったのだ」としか証言できない戦争指導者たちの言動を見ながら、満身の怒りをもって「「体制」そのもののデカダンス」を指摘した。原発事故以後、私は、とうの昔に読んで知っているはずの日本ファシズム分析を読み返して、それが恐ろしいまでの現実感を伴って迫ってくることを認めないわけにはいかなかった。


戦争指導者の精神が、脈々と現在の体制に根付いているということ。

戦略的重要性から冷戦の真の最前線として位置づけられたのが沖縄であり、ゆえにかの地では暴力的支配が返還以前はもちろん返還後も日常的に横行してきた。日本の本土から見ると沖縄のあり方は特殊で例外的なものに映るが、東アジアの親米諸国一般という観点からすれば、日本の本土こそ特殊であり、沖縄のケースこそ一般性を体現するものにほかならない。

アジアの親米国としては特殊な日本本土、そして特殊ではない沖縄、つまり日本は沖縄を戦争末期に本土決戦の代替物とした上、戦後は人身御供として米国に差し出したのだ。

東アジア政治史研究者のブルース・カミングスは、「朝鮮半島がすべて共産化したと仮定した場合には、日本の戦後民主主義が生きつづけられたかどうかも疑わしい」と述べているが、これこそ、われわれが見ないで済ませようとしてきた(そして、沖縄にだけは直視させてきた)事柄にほかならない。そして、われわれがそれを見ようとしようがしまいが、一般的な権力構造は現実に存在する。ゆえに、日本の政治が「デモクラシーごっこ」の領分を超えるかのごとき動きを見せたとき、一般的な権力の布置がいかなるものであるのかが、あらためて周知されたのである。

日本の民主主義が「ごっこ」でしかありえないのが、この72年間の真相。

加藤典洋の『敗戦後論』は、激変する戦後日本社会のなかで「敗戦」を決して忘れようとしなかった大岡昇平を高く評価している。日本人にとっての第二次大戦を描き出した金字塔的作品である『俘虜記』と『レイテ戦記』の著者は、戦時中捕虜となったことを理由に芸術院会員への推挽を拒否した。当時、大岡は次のように語った。
--私の経歴には、戦時中捕虜になったという恥ずべき汚点があります。当時は、国は"戦え""捕虜にはなるな"といっていたんですから、そんな私が芸術院会員になって国からお金をもらったり、天皇の前に出るなど、恥しくて出来ますか。(中国新聞1971/11/28 記事中の談話)--
この大岡の発言を加藤は、昭和天皇に暗に向けられた「恥を知れ」というメッセージであると読む。私はこの読解を正当なものとみなす。「恥を知る」という一点においてのみ、「生き延びてしまった」という負い目からかろうじて身を保つことができる、という姿勢が大岡昇平の示したエチカであった。この立場からすれば、退位すらしなかった昭和天皇の存在がどのようなmのとして評価されたか、想像に硬くない。(第一章 「戦後」の終わり)


このエピソードは知らずにいたが、たしかに大岡昇平はあの戦争を見直すためにも、読まねばならないだろう。

結局のところ、国家の領土を決する最終審級は暴力である。すなわち、歴史上の直近の暴力(=戦争)の帰趨が、領土的支配の境界線を原則的に規定する。日本の領土問題にとって、この「直近の暴力」とは第二次世界大戦にほかならない。日本社会の大半の人間が見落としているのが、3つの領土問題のいずれもが第二次世界大戦後の戦後処理に関わっている、つまりこの戦争に日本が敗北したことの後始末である、という第三者的に見れば当然の事情である。
しかし結論から先に言ってしまえば、この国の支配的権力は敗戦の事実を公然と認めることができない(それはその正統性の危機につながる)がゆえに、領土問題の道理ある解決に向けて前進する能力を、根本的に持たない。こうした状況のなかで、「尖閣も竹島も北方領土も文句なしに我が国のものだ」「不条理なことを言う外国は討つべし」という国際的には全く通用しない夜郎自大の「勇ましい」主張が、「愛国主義」として通用するという無惨きわまりない状況が現出しているわけである。


そして本気で交渉しようとすれば戦争しかないということになる(^_^;)

米国に対しては敗戦によって成立した従属構造を際限なく認めることによりそれを永続化させる一方で、その代償行為として中国をはじめとするアジアに対しては敗北の事実を絶対に認めようとしない。このような「敗北の否認」(永続敗戦)を持続させるためには、ますます米国に臣従しなければならない。隷従が否認を支え、否認が隷従の代償となる。
ところで、尖閣諸島問題をめぐって米国の軍産複合体にとって最も利益のあるストーリーとは、緊張の昂進に伴って日本の防衛予算が大幅に上昇することであろう。紛争が起きてくれればなおよい。石原が例の意思表明をした記者会見の席がヘリテージ財団(米国の右派系シンクタンク)であったことは、大いに示唆的である。このような利害に対して、日本の自称ナショナリストたちは、大々的に貢献することを現に欲し、かつ行動しているのである。


石原慎太郎が、アメリカと深くつながっていたことと、あの尖閣買い取り表明には、ストレートな関連があったのか。中曽根康弘と正力松太郎に連なる売国の徒である。

そもそも「戦後」とは要するに、敗戦後の日本が敗戦の事実を無意識の彼方へと隠蔽しつつ、戦前の権力構造を相当程度温存したまま、近隣諸国との友好関係を上辺で取り繕いながら--言い換えれば、それをカネで買いながら--、「平和と繁栄」を享受してきた時代であった。この状態を承服しなかった唯一の近隣国が北朝鮮にほかならなかった。

北朝鮮をこのような視点で見ることも出来るのか。

安倍のような政治家にとって、北朝鮮による拉致事件は、永続敗戦レジームを維持・強化するための格好のネタとして取り扱われている。(第二章 「戦後の終わり」を告げるもの--対外関係の諸問題)

小泉の訪朝時の官房副長官だった安倍が、拉致事件を自分の都合で色々やってることは見え見えだった。

占領軍の「天皇への敬愛」が単なる打算にすぎないことを理解できないのが戦後日本の保守であり、このことを理解はしても「米国の打算」が国家の当然の行為にすぎないことを理解しないのが戦後の左派である。言うなれば、前者は絶対的にナイーヴであり、後者は相対的にナイーヴである。
ちなみに、天皇の戦争責任をめぐる左右のこうした構図は、憲法第九条に対する見解においては、鏡像反転したかたちで現れる。周知のように、右派は憲法第九条を戦後日本にとっての最大の桎梏とみなし、護憲左派はこれを対日占領政策のうち最も高く評価すべきものに数える。こと憲法問題に限っては、親米右派は大好きなアメリカからの貰い物をひどく嫌っており、反米左派は珍しくこの点だけについてはメイド・イン・USAを愛してやまない。


いじましいパラドックスである。

戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後レジームの根幹は、永続敗戦である。永続敗戦とは「戦後の国体」であると言ってもよい。そうであるならば、永続敗戦の構造において戦前の天皇が有していた二重性はどのように機能しているのであろうか。
それは、「敗戦」という出来事の消化・承認の次元において機能している。すなわち、大衆向けの「顕教」の次元においては、敗戦の意味が可能な限り希薄化するよう権力は機能してきた。「戦争は負けたのではない、終わったのだ」と。そのことに最も大きく寄与したのは、[平和と繁栄」の神話であった。この顕教的次元を保管する「密教」の次元は、対米関係における永続敗戦、すなわち無制限かつ恒久的な対米従属をよしとするパワー・エリートたちの志向である。先にもみたように、岸信介は「真の独立」と言い、佐藤栄作は「沖縄が帰ってこない限り戦後は終わらない(逆に言えば、沖縄返還の実現によって戦後は終わった)」と言い、中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を掲げ、安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を唱えてきた。これら敗戦レジームの代表者たちの真の意図が、これらのスローガンを決して実現させないことにあることも、すでに見た通りである。今日、永続敗戦レジームの中核を担っている面々は、もはや屈従していることを自覚できないほど、敗戦を内面化している。「第三章 戦後の「国体」としての永続敗戦)


救いのない飼育器の中の日本低国(;;)

戦後対日占領期の政治・経済・風俗・人々の意識や生活といった多様な側面を網羅的かつ客観的な筆致で描き出しベストセラーとなったダワーの著書の日本語版は、『敗北を抱きしめて』と題されていたが、その原語Embracing Defeatはダブルミーニングである。すなわち、敗戦という経験を抱きしめ、それを血肉化したということと同時に、潔く敗北を認めそれを甘受する、という意味である。しかるにこの愛想のよさは、敗北をほとんど完全に忘れているからこそ、というよりむしろ、本当のところそれを認めていないからこそ、表れることができたものにほかならない。負けた証拠のど真ん中で、負かした張本人に向かい合ってもなお思い出せない記憶、そのようなものは本来あり得ない。にもかかわらずこうしたことが起こりうるのは、この街を見舞った焼夷弾の雨が、巨大な台風か何かの天災のごときものに脳内で変換されているからである、としか考えようがない。つまり、意識としては、不可抗力の天災に遭遇しただけで、「戦争に負けては射ない」のである。負けを認めない以上、ここには反省の契機も抵抗の契機も発生しようがない。(エピローグ)

日本的虚無主義なんてのも、突き詰めればこういったものになる。

『家畜人ヤプー』は覆面作家、沼正三による長編小説。1956年、雑誌『奇譚クラブ』にて連載、その後も断続的に発表された。白色人種の「人間」、黒色人種の「黒奴」、旧日本人である家畜「ヤプー」という三段階の身分差別のある近未来を舞台としている。この作品中には、「ヤプー」(=日本人)が文字通り馬化され、白人によって乗りこなされるシーンが登場する。かつて三島由紀夫をも魅了したこの作品は、戦後日本の総体に対する正確無比の批評としてかつてない政治的リアリティを帯び始めている。本作品は単に面白おかしい「奇書」などでは断じてない。

これも再読しよう。

「発足から間もない第二次安倍政権が、早くも北朝鮮に対して強い姿勢を示す"安倍カラー"を明確にしている。拉致被害者の家族会に、安倍晋三首相は「圧力」という言葉も使いながら「必ず安倍政権で解決する」との決意を示した。また、下村博文部科学相は、拉致事件の解決に進展がないことなどを理由に、朝鮮学校に高校授業料無償化を適用しない方針を明言した。いずれも民主党政権とのスタンスの違いは明らかで、拉致被害者家族らは早期解決への期待を高めている。(産経新聞 2012/12/19)

最近は、ミサイル、ICBMといったトランプ(切り札(^_^;))を手に入れて、安倍の北朝鮮利用はエスカレートしている。
しかし、この記事は安倍の御用新聞の本領発揮としかいいようがない。
今日の日を「終戦記念日」と呼んでる限り、日本の独立はあり得ない、と言うのが著者の実感なのだろう。



【蛮政の秋】堂場瞬一 ★★★☆☆ 2015/12/10 集英社 初出「小説すばる」2015
前作「警察(サツ)回りの夏」の続編らしく、タイトルからすると、さらに冬、春と続編出しそうな気配、ちょっと憂鬱(^_^;)になってしまった。

前作で誤報した新聞記者南が、東京本社の遊軍となり、IT企業からの政治献金リストに振り回され、これまた黒幕が前作と同じ保守党代議士という、読むほどにだんだん飽きてくる筋作り。それでも昨今の日本の政治やマスコミの動きへの不満とか、インターネットへの言及などは、ついつい読まされてしまう。


食事は、食べ終えた瞬間にゴミと化すのだ。落選した議員が、速やかに一般人になるように。

これは上手い比喩だと思う。

野党の代議士二人の食堂での場面、育ちの良い方の議員が、もう一人の議員の食べ方の汚さに関してひとりごちるところ。

マスコミと政治の関係は、東日本大震災を機に大きく変化した、と富永は思っている。責任の一端は、政友党にもある。そもそも政友党とマスコミの関係も微妙なものだった……政権交代を成し遂げた時には、マスコミはこぞって政友党を持ち上げた。我々はそれで図に乗った。しかし、東日本大震災で、政友党はマスコミ対策に失敗したと言っていい。情報の出し方を誤り、マスコミを怒らせ、しまいには政権批判の嵐にさらされた。
その間にも、民自党はマスコミ対策を進めていた。メディア議連などは、あくまで表面的なものなので、裏では新聞・テレビなどの幹部に積極的な接触、働きかけを行ってきたようである。特にテレビに対しては、最近は露骨な圧力が目立つ。内閣に対する批判を「偏向的」「一方的」と逆に批判する官房長官の姿を何度見ただろう。
結局、政治家とマスコミの力関係は、政治家側が鍵を握っているのだ。スキャンダル記事がきっかけになって、政治家が役職から軽出されることは今でもあるが、そこから話が大きくひろがることはない。現内閣など、「政治とカネ」の問題で閣僚二人が辞任しているにも関わらず、明確な説明は未だにないし、首相が任命責任を問われることもないままなのだ。
誰も責任を取らない。
そもそもそういうのが日本的な決着かもしれないが、最近はその傾向がさらにめだつ。


政友党=民主党、民自党=自民党というのは自明だが、そんなことなら、あっさり本名(^_^;)使ってほしい。それはともかく、期待されて政権交代を果たした民主党のズッコケが「マスコミ対策の失敗」によるというのは、半分当たっている。それとなく安倍内閣批判もあるのだが……ちょっと不徹底か。

「記事にできない情報に価値はないですよ」
「それは、建前でしょう、あなたたちには、実際、書きたくても書けない記事もあったはずだ」
ただし、政治家から直接圧力がかかるようなことはなかったはずだ。「慮(おもんばか)って」というのが、今の日本社会を象徴するキーワードだと富永は思う。空気を読むというか、とにかく余計なことはしないで、波風を立てないようにする。


「忖度」(^_^;)

誰も責任を取らず、いつの間にか忘れられる--元々日本人は、責任の存在が曖昧な国だと言われていたが、今後はこの傾向がさらに強くなるだろう。その先にあるのは、三池たちが推し進めるメディア規制法である。唯一自由に物を言えるネットという空間--そこに流れる情報の99パーセントは役に立たないクズだが--をコントロールされたら、抉り出されるべき真実は、永遠に隠されたままになるかもしれない。ネットを100パーセント信用してはいけないとは分かっているが、不安は消えない。
いったい俺たちは、どこへ流されているのだろう。その流れを阻止すべきなのかどうか……富永は困惑の中にいた。


このあたりは、Morris.の鬱屈に通ずるものがある。


【ディストピア・ジャパン】響堂雪乃 ★★★★ 2015/10/26 デザインエッグ
"Dystopia Japan"暗黒二ホン社会観想録
知らずにいたが、ネットで過激な発言を公開、見識の高さからして、あるいは名のある論客の匿名かもしれない。本書はブログで発表したものと、その注釈を並列したもののようだ。
アフォリズムのような短い文章で、実に鋭い批判を呈している。

・テロリストなど存在しない。
・メディアは動画投稿やSNSなどネット空間がテロ工作に利用されていると騒ぎ立てるのだが、そもそもYou TubeがGoogleによって買収されているとおり、プラットフォームそのものが米国を本拠地とする多国籍企業によって提供されているのだ。
・我々が視ているものは「現実」とい括弧つきの何かなのだが、ターゲット・オーディエンスである民衆はこれによって頭脳麻痺に陥り、やがて彼らの思惑どおりウルトラナショナリズム(超過激愛国心)を醸成し、グライヒシャルトゥング(強制的同一化)が「反戦」という異端を封じ込めるのである。


そもそも、視点のレベルが違っている。

・様相はハリウッド映画のパスティーシュ(作風の模倣)むしろパロディであり、かくして「テロリスト]は軍産複合体のために戦争市場を奮起するのであり、つまり宿敵であるはずのアメリカ戦争屋の利潤に貢献するのであり、それは対立項が杜撰に捏造された証左であり、全てがスペクタクル(やらせの見世物)である証明なのだ。

一種の陰謀論にちかいのだろうが、それだけではなさそうだ。

・かつて米軍はベトコンの物資供給路であるホーチミンルートを爆撃し、クーデターによってシアヌーク政権を解体し、挙句にあのポルポトへの資金提供によりジェノサイドを惹起させ、カンボジアの国家体制そのものを崩壊せしめたのに、なぜトルコのエルドアン政権を放置するのか?そのうえテロ集団の首謀者とされるアル・バクダティの本性はサイモン・エリオットというイスラエル諜報局の出自者であり、軍産複合体を率いるマケイン上院議員との密接な人脈関係にあることは世界常識だ。

Morris.は世界常識の圏外にいたらしい(^_^;)

・与野党対立などすでにフィクションの界域であり、それは完全なるパラポリティクス(どの政党も同じ政策を推進するため有権者に政治的選択肢がない状態)の証明と言えるだろう。つまりこの先どのような政体変動があろうが、政治者はグローバル資本に教唆されるままレッセフェール(過激搾取主義)に邁進するのであり、そのようなイデオロギーの定理に倣い戦争国家を構想するのだ。
・現実として安倍晋三の中東外交には、帝人、東レ、横浜ゴム、ユニチカ、ブリジストン、クラレ、武田薬品工業、三菱電機、日本電気、富士通、理研計器、東芝、住友電工、沖電気、ニコン、島津製作所、ダイキン、トヨタ、三菱、いすゞ、スズキ、ホンダ、コマツなど軍需企業が関与し、数億円規模の献金を実施していることは周知のとおりである。

日本の政党に対する正当な意見だと思う。

・現実として今社会の様相とはツインタワー崩落直後の米国社会とあまりにも酷似しているのであり、むしろ我々の体系そのものが鮮明なデジャヴ(既視概念)なのだろう。テロ撲滅を大義とする海外派兵、セキュリティを事由とする監視の強化、新聞テレビの全面検閲、言論弾圧法の施行と個人メディアの粛清、福祉・教育・医療の縮滅による軍事費拠出、就学困難者の優先的徴兵、永続戦争のドクトリンなど、このように全てが(9・11後の米国社会と)一致するのであり、それはニホン国が支配勢力のヘゲモニー(世界覇権戦略)に取り込まれた証左なのである。
・だからこそ問題本質を政治者の人格構造に収斂させてはならないのだ。我々は表皮ではなく核心に肉薄しなくてはならないのであり、断片を考察するのではなく構造を俯瞰しなくてはならないのであり、現象を凝視するのではなく力学を抽象しなくてはならないのであり、照射された事物ではなく闇にある本質に探針を入れなくてはならないのだ。


よくわからないながらも、日本の危うさはMorris.にも感じられる。

・メディアとは戦争装置である。
・イスラム過激派が軍産複合体によって捏造されたテロ集団であり、日本人拉致事件が自衛隊派兵を目的とするメタフィクション(虚構を上塗りした虚構)であることはすでに明らかだ。開戦論を付託された報道はディスオリエンテーション(作為の世論誘導)に狂奔するのであり、やがて彼らの唱道する「非常時の論理」によって人権原理の全面が解体されるのだろう。つまり総動員体制という公的圧力によって、福祉の切捨て、言論の統制、監視の強化、検閲の常態、未成年者の徴兵が実施されるのである。


こう考えるとわかりやすい。

・「癒着(collusion)」は"詐欺的・非合法的もしくは虚偽の目的のため、複数の者によって取り結ばれる協定"と翻案されるとおり、本質としてプロパガンダとは国家と軍事体制や専制主義の価値と目的において融合した産物であり、すなわち代表議・資本集団・官吏機構・報道機関という四者合意による社会調整手段なのである。

これも否定できない。

・各国の都市スラムはおおよそ生産手段を喪失した離農者を中心に形成され、住民は壮絶な貧困に喘ぎ最低賃金を強いられるのだが、このように伝統農業の破壊とはゼロ・レイバー・コスト(限りなくゼロに近い人件費)を創出する中心手段でもあり、すなわち相手国民族を奴隷化するスキームなのであり、あらためて我々は食糧自給を放棄し存続し得た国家など人類史に一つとして存在しないという自然律を観照すべきなのである。

食糧自給を放棄した国家は存在しない。重い言葉だと思う。

・植民地行政機構である国家議会は被災地住民の救済や補償原資の確保など全く眼中に無く、救命財源のおよそ全てを外国人投資家に配分しインセンティブ(政治献金名目の成功報酬)を獲得する目論見なのだ。つまりこの体系はすでにアナルシー(無政府状態)なのであり、極東に突如現出したポストモダンの地獄なのである。
・ニュー山王ホテルで月次開催される日米合同委員会では、ニホン側の折衝者があまりにも恥知らずに売国要求を受諾するため、米国側の交渉官に激しく軽蔑されているという。しかし下部構造が上部構造を決定するマルクス的「形式性」において、行政府は民度の反映に過ぎないのだ。つまるところ我々の理性は激しく劣化しているのであり、それはまさに資本、官吏、報道、政治に連なる者達と、これに与する我々のアノミー(規範喪失)の所産なのである。
・もはや事態が啓蒙や連帯あるいは告発や抵抗によって好転する可能性など皆無であり、だからこそ我々は廃国を宿命的事実として受け入れ、汎用的(万人共通)なモデルケースではなく全く私的な生存戦略を模索するしかないと確信する今日この頃なのだ。


つまり、日本はアメリカの植民地でしかないということ。

・それは論理的狂気なのだ。
・放射線が首都圏に進捗するカタストロフにいて五輪を招致し、被害者の賠償を放棄しつつ他国の難民救済にODAを拠出し、「テロとの戦い」を絶叫しながら放射線瓦礫を拡散し、邦人救出を喚きながら児童被曝を放置し、人道支援を唱えながら武器輸出を解禁し、自由民主を訴えながら弾圧法を施行し、経済成長を唱えながら経済市場を明け渡す。
・民族主義を美化しながら外国人労働者を輸入し、好況を喧伝しながら福祉を解体し、平和主義を説きながら海外派兵を合法化し、「社会の木鐸」を自称しながらプロパガンダに狂奔し、財政再建を掲げながら租税全額を国外流出させているのであり、この国におけるシンタックス(文法構造)は3・11を起点としてオーウェル(「1984年」)世界そのままに「矛盾言語(Double Speak)」アkシているのである。
・ポスト3・11社会においては復興特別区域法案(腫瘍地域の治外法権化)、教育基本条例(世中教育の復古)、ガン登録法(医療告発者の逮捕)、特定秘密保護法(言論の統制)、著作権の非申告罪化(反乱分子粛清の容易化)、入管法改正案(奴隷移民の受け入れ)、災害廃棄物の処理に関する特別法(核の全国拡散)、自衛隊海外派遣の恒久法(戦時体制の常態化)などが成立しているのだ。つまり彼らは人権抑圧によって経済プランテーションを再編し戦争ビジネスを中心に据え集約的にマネーを抽出する構造を整備したというわけだ。


東日本震災、就中福島県発事故とその事後対策への激しい憤りは、本気である。

・行政機関におけるダブルスピークは、増税や戦争、社会保障や医療費の削減など、国民が不利益を被る場合において特に際立つ。この語法は各国で援用され、ナチス・ドイツはアウシュビッツを「ユダヤ問題の最終的解決」と表現し、米国はイラク戦争において「テロとの戦い」などのスローガンを掲げ、ニホン国は原発事故に際し「絆」、「食べて応援」などのコピーを流布した。いずれも矛盾するワンフレーズによって思考を停止させ、麗句によって社会暴力という本質が隠蔽される構造を呈している。

風評被害という逆プロパガンダ。空爆こそ無差別テロの典型ではないか。

・記者クラブは、特権的な情報の寡占と運営費の支給などにより行政府と癒着しているのであり、クライアント(広告主)である電力企業への配慮などから、原発事故にかかわる報道を自主検閲しているのだから、この国のジャーナリズムは本質としてフィクション(作り話)であると捉えなくてはならない。

この指摘も正しい。既得権としての記者クラブはジャーナリズムの魂を自ら売り渡したものであることは自明である。

・おおよそ国民の9割をしめるB層は一連のパフォーマンスによって原子炉災害がほぼ沈静化したのだと錯認し、汚染食品の流通や賠償請求あるいは健康被害に関心を持つこともなく、外国勢力がその間にもちだせるだけの社会資本を持ちだすという絵図だ。

C層(たぶん)のMorris.でも、原発の理不尽さは理解できる。

・社会学者のギュスターヴ・ル・ボンは「大衆は言説の論理に感動するのではなく、特定の言葉が作り出す響きやイメージに感銘する」と主張し、またアドルフ・ヒトラーは「大衆は無理解ですぐ忘れてしまう。だから理性で説得するのではなく、最低レベルの知的水準の者がわかるぐらい単純化された言葉で説得するのだと述べている。さらにヨゼフ・ゲッペルスは「一般市民は我々が想像する以上に原始的である。したがってプロパガンダは常に単純な繰り返しでなければならない。諸問題を簡単な言葉に置き換え、識者の反対などものともせず、その言葉を簡明な形で繰り返し主張する者こそ、世論に影響を与えることができる」と論じた。

安倍首相(黒幕は世耕?)の大衆観に通ずるものがある。

・知性とは知識の多寡や信念の「頑なさ」ではなく、常に自身を更新できる精神の「柔らかさ」だと思うのですが、スキーマ(事物を固定観念によって反射的に理解する脳の働き)を解体し再構築する行為は加齢とともに困難化します。


ウサギの逆立ち(ミミガイタイ)提言ぢゃあ(>_<)

・3・11からすでに4年が経過するのだけれど、経済問題という核心については語られることもなく、むしろそれは最大タブーとして公共圏の議論から排除されているのだと思う。様相は民族的な「シャッター反応(escapism=現実逃避)」でもあり、我々は見たいものしか見ないという閉じた循環を超越できず、むしろ「希望的盲目」に退歩しているのだが、やがて現実は楽観論者にも悲観論者にも公平の訪れるのだ。

ディストピアンの面目躍如だね。

・もはやニホンは国家の体裁すら成してないのだが、それは主権を剥奪されメタガバナンス(全体統治機能)が消失したことによるのだろう。つまり経済、財政、法治、外交などのセグメント(国家区分)を一元的に統御し全体視する機能が不在なのであり、すでに国際社会はこの体系を「破綻国家(failed state=内戦や政治の腐敗などによって行政機能が停止した国家)」と見なしているのである。
・労働者派遣事業の売上は、2003年度の2兆3614億円から2008年には7兆7892億円にまで達し、労働者が正当に受取るべき賃金が不当に搾取されている様相があきらかとなる。なお、当時の経済財政担当大臣として派遣法を改正した竹中平蔵は、退任後に大手人材派遣会社パソナへ天下り、会長職に就任し莫大な報酬を得ていることから批判が強い。


小泉・竹中のタッグにしてやられた日本 てか(>_<)

・軽薄なメディアは壮絶な汚染地での開校を復興のシンボルなどと喧伝したのであり、今や読売、朝日、毎日、日経、地方紙すべてが譫妄状態(頭がイカれた状態)と言えるだろう。つまりクロスオーナーシップ(新聞と系列局の連合)とはゲッペルスに統括された宣伝機関の復古であり、すなわちヒトラーが「人間のクズ」と蔑称した蝟集の再臨なのである。

日本の大手テレビ局たしかに新聞社系列で、その新聞がすでにしてジャーナリズムとしての誇りなど綺麗さっぱり捨て去ってる。とは、おもいたくないのだけど(^_^;)

・鳩山内閣で総務大臣を務めた原口一博は、外国特派員協会においてクロスオーナーシップを禁止すると発言したが、これに対し新聞各社は強く反発。日本新聞協会も規制撤廃を求める意見書を総務庁へ提出した。
・もともと民主党がマニフェストに公共電波のオークション導入とクロスオーナーシップの解体を掲げていたこともあり、原口発言を契機として政権へのバッシングは激化する。結果、鳩山由紀夫は退任に追い込まれ、小沢一郎は国策捜査により2年にわたり政治活動を空費したのだ。その後の菅内閣により公共電波のオークション化とクロスオーナーシップの解体は棚上げとなり、報道機関の権益は万全に確保されたのである。


たしかにあの当時のマスコミの民主党バッシングはすごかった、と、今になって思う。

・鳩山由紀夫が証言するとおり、主要な法律群はすべて「日米合同委員会(在日米軍トップと各省庁局長級との会合)」によって決定されるのだ。推論規則に従えば3・11直後の協議において東日本在住者の棄民が密約化したことは間違いないのだと思う。
・かたるまでもなくそのような植民地政府の上部構造として多国籍資本が君臨するのだ。つまるところ法律群の一切が彼らの利潤最大化を目的とするのであり、そこに人道性が介在する余地など皆無であり民族体系の存続など思慮されることなどあり得ず、すなわち全てがカネなのである。

アメリカのマネタリズムに日本の真似タリズムが操られているという構図。

・貧困とは単にモノが買えないというだけでなく、学びや経験の機会を喪失させ、希望や未来を悉く奪う暴力なのだ。
・為政者はカネより大事なものがあるなどと教説するのだが、むしろカネがないことにより尊厳や健康や友情や愛情などカネより重要なモノを失うのであり、逆説的にカネより重要なモノはないと言えるのかもしれない。おそらくサバルタン(貧困により社会低孤立に陥ること)を凌ぐ不幸など存在しないのだ。


まったく同感(;;)

・クロスオーナーシップ連合は3・11起点の構造的暴力(政治と資本が共謀する人権侵害)を隠蔽するばかりか積極的に幇助しているのだが、彼らの捏造記事や歪曲報道はいずれ各国の歴史家によって検証され、一つのアカデミズム(学問カテゴリ)を形成し人類的教訓を刻むのだろう。

太平洋戦争時の大本営発表とほぼ同じだね。

・ショック・ドクトリン(惨事便乗型外交要綱)とは、この時代におけるTOE(万能理論)なのかもしれない。
・あらためて我々はこの体系が国民国家ではなくコロニー(奴隷居住地)であるという事実を直視し、意思決定が代表議会に拠るのではなく外国資本にあるという推論規則に立ち帰らなくてはならない。それはひとつの作業仮説(誤りだったとしても検証作業によってさらに精度の高い仮説を導出できる仮説)の枠組みであり、換言するならば「いかにして支配民族はカタストロフから利潤を引き出すのか?」という思考実験なのである。
・繰り返すが米国の公文書館の内部資料において「自由民主党は米国資本のために工作資金を投じて運営する傀儡政権である」と公然と記されているのであり、つまりこの国の政治者は民衆の生命財産に関心がないどころか、それを差し出すことによりカネと地位が担保される売国奴の群れ過ぎないのだ。
・我々は植民地化と原発事故が協奏するカタストロフによって滅亡の危機に瀕しているのだが、代表議会や報道集団がこれを隠蔽し加速させるという錯乱なのであり、むしろそのような理解不能の倒錯こそがこの体系の狂気の本質と言えるのかもしれない。


こういうのを「売国奴」というのではないかい。

・もはや過激化する構造的暴力に対抗することなど不可能なのだが、だからこそ我々は生存の手掛かりを求め、自身の尊厳のため現実を凝視試験小作業を続行しなくてはならないのだ。そしてそのような欺瞞世界の突破を試みる不屈の皆様方へF・ベーコンの言葉を贈りたいと思う。
・「観察せよ、記録せよ。論理的にとことんまで考えよ、確認せよ、訂正せよ。他人と知識を交流させよ。その知識に耳を傾けよ。比較せよ。論理的に討議せよ。かくして立証せよ。自分の頭を他人の頭によってチェックせよ。自分の言葉の全てを疑え。常に真実に立ち戻れ。検証のない哲学を放棄せよ」


このベーコンの言葉は、プリントして貼っておこう。

・独裁は知性を憎悪するのだ。
・オートクラシー(専制体制)におけるメディアの役割の一つが「語彙の漸減」であるのだが、おおよそ3・11を起点として人権や人倫や公衆衛生などという言葉が抹消されているのであり、もはや人間尊厳に関わる高度概念を思惟し抽象することなど全く不可能なのだ。
・そもそも原発行政の瑕疵によって破局が引き起こされたにもかかわらず、有責者である電力企業経営者は家宅捜査されることもなく即時に無罪判決が下され、監督指導する文科相および経済産業省の官吏は引き続き高給与が支給されるばかりか、天下りに拠る退官後の不労所得まで保障されているのだ。にもかかわらず被災者たちは僅かな救命原資すら絶たれ、核が噴出する破局地帯に連れ戻されるという不条理なのだが、家禽(ヒト家畜=sheeple)化した民衆はもはやそのような理解すら覚束ないのだ。
・マックス・ヴェーバーは中国、エジプト、ニホンなどが「家産国家」であると分析した。それによると、家産制においては国政議会と官僚機構が分離されておらず、官僚機構が国家行政に関ることが慣例化し、実質的に政治中枢を担いながらも、結果責任を負うことがない。また彼らの収入は租税や国有財産を原資とするため、個人資産と公的資産の区分という概念がなく、むしろk同一視する傾向が強い。さらに官吏の身分そのものが世襲や売買などにより私物化されるなど、この傾向は近代においても顕著であるという。
・2002年、特別会計や財政投融資、また天下りや特殊法人問題など官僚利権を追求していた石井紘基議員は、右翼を自称する伊藤白水によって刺殺された。国内メディアは金銭トラブルを巡る殺人と報道したが事件の一月前から永田町界隈で犯行が噂されていたことなどから、海外メディアは政治的暗殺であると報道したのだ。
刺殺された石井紘基は、特殊法人による400兆円の債務が国民にのしかかり、官僚利権によってこの国は滅びると洞察していたのだけれど、彼の遺したオラクル(託宣)は着実に成就しているのだと思う。
・石井紘基の暗殺事件はもとより、鳩山由紀夫や小沢一郎なんど特別会計や天下り団体の廃止を主張する政治者は例外なく粛清されるのだがら、家産官僚国家(国民の生命財産を官吏の所有物とみなす体系)の暴力性は旧ソ連の比ではないのだと思う。


無責任国家日本。そして家産官僚国家日本(>_<)

・つまるところクロスオーナーシップとは統治システムそれ自体であり、「何を報道するのか、どのように報道するのか、何を報道してはならないのか、どのように歪曲するのか、全ては我々が決定する」というゲッベルスの申言どおり、本質としてこの機構はナチズムを規範とするのである。
・また電通など大手広告代理店が広告枠の割り振りにより主要メディアを掌握し、クライアント(多国籍企業)利潤行動あるいは投資行為に支障となる報道一切を排除していることは皆様方もご承知の通りだが、さらに彼らは米国務省の下部機構として対日プロパガンダすら付託されているのだ。


集団的利益共同体としての結託。

・各局が(市場原理主義が亢進する2001年頃より)異常に長時間枠のバラエテイ番組やスポーツ中継を編成する形式も、知性劣化のアルゴリズム(算法表現)により民衆意識を空無化するという「低強度戦争」の一環であり、今やメディアに関る者一切が売国奴の群れなのである。


きっと、そうなんだ。

・「日米原子力協定」とは米国が過剰生産した濃縮ウランを植民地ニホンに消費させるため制定したものであり、つまり核弾頭の製造過程で生じる放射能ゴミをMOX燃料や核燃料サイクルとして我々が再使用することを定めたものである。そもそも2000もの活断層が走る地震国に50を超える原子力プラントを建設するという狂愚もこのような外圧によるのであり放射線が首都圏を浸潤する最中それらを逐次的に再稼働するという暗愚は恫喝によるのだ。

呆れて開いた口がふさがらない。

いずれにしろこれから我々が体験するものはレッセフェール(金持ちの待遇を最大化する社会構想)と原子力災害が同期するという人類史最悪のパンデモニアム(地獄的世界)なのだ。何度でも繰り返すが彼らは社会資本を医療や避難や補償に配分するのではなく、自身が株式所有する企業群の減税や補助金や還付などに投入するよう通達したのであり、司法システムの発狂とも言える錯乱の判決(子供を高線量地域に放置して被曝させとけ)は植民地行政の体現なのである。

吐き気がしてきた(>_<)

・この国では誰もが政治について語るのですが、そもそも政治とは「社会資本の配分(徴収した税をいかに効率よく公平に再分配するか)」であるにもかかわらず、国民の99%は特別会計という本体予算の総額どころかそんざいすら知ることがなく、全く政治的無知の状態に置かれているのです。
・慄然とするのは100社にもみたない独立行政法人(旧特殊法人)などが3000社余のグループ企業を擁し、それらの運営資金として(直接的、間接的に)400兆円規模の社会資本が投入されたことだ。つまり天下りによる官吏の不労所得のため国家財政は破綻したにもかかわらず、この構造は解体されるのではなく、「独立行政法人改革」によって真逆に強化されるのである。
・我々が共有するテーゼ(立論・命題)とは破局世界をどう生き延びるかであり、その前提においてこの媒体のレゾンデートル(存在意義)とは思考材料と推論規則の提供であり(あるいは視角の提起であり)、それはつまりシミュラクラ(支配が構造化する擬似像=プラトンが「影と映像」と呼んだもの)を粉砕するa kit of Tools(工具一式)なのです。
・つまるところ情報の発信者も受信者も、それが「真」であるか「偽」であるか峻別する手段を持たず、そもそも彼らは「確証(証拠によって仮設を証明すること)」はおろか、「反証(証拠によって仮設を覆すこと)」という概念すら持たず、挙証責任などとっくに放棄しているのです。
それは「アドホック(自分がこう思う、だから正しいのだ。証明は不要である、だから黙れ、という論理)」であり、「あらゆる反証を無効とする方法論」というカルトのそれと全く相違がありません。すなわちネット言論もポピュリズム(大衆迎合主義)の一極であり、人間知性を退嬰せしめる装置として機能しているのです。


「知らしむべからず」の権化(@_@)

・換言するならば、我々は破局も団円も、楽観論も悲観論も、有効説も無効説も、全てを疑わなくてはならないのです。おそらく真理的な何かは二極を綜合した次元に顕れるのであり、頭脳作業を厭う精神は到底それに到達することなど叶わないのであり、むしろ生存を目論むのであれば常に渇いていなければならないのであり、そして荒廃の時代においてはそのような心性だけが可能性の扉を開くのです。

「全てを疑え」はデカルトのテーゼだったと思うのだが、疑いの深度を突き詰めると、もう何がなんだかわからなくなってしまう。

・一連の過剰報道は戦争法案の成立から国民の意識を逸らすためのスピン(陽動)に他なりません。昨年の特定秘密保護法審議に合わせスーパー台風襲来を喧伝したのと全く同じスキームが援用されているわけです。
様相は「モデルが現実に先行する」というボードリヤール理論そのものであるのかもしれません。いまや民衆が熟知する"現実"とは起源やオリジナルを持たいない擬似像の劣化コピーであり、すなわちシミュラクラによって成形される模造世界なのであり、すでに新聞テレビは自然災害であろうがテロリズムであろうが"現実"それ自体を生産可能なのであり、この体系は破局が公然となるまで「メディアの魔術操作」に幻惑され続けるのです。


台風や地震や大雨報道の過剰さはつまり、そういうことなのだ、と、Morris.も思っていた。マスメディアにとって、災害、異常気象、パンダの出産、芸能人不倫……などは、伝えたくない情報の目隠しとして、実に好都合なものなのだろう。

・ニホン国では135箇所の米軍基地に5万の兵員が駐留し、敗戦から70年が経過する現在においても占領統治が継続されているのだ。また「日米経済調和対話」や「日米投資イニシアティブ」などにより間断なく干渉され、金融市場や外為特別会計を通じ、国税収入を上回る社会資本が米国へ流出していることなどから、我々もまた「非公式帝国」に与していることはもはや説明するまでもないだろう。


「非行式低国」である(>_<)

・そもそも対立項である維新、民主などもあからさまな偽装野党であり、社民や共産なども自公の衛星政党に過ぎず、大半が、「経団連政党評価表」に記された軍事関連法の達成ノルマに応じカネを拝受する者たちであり、事実上の与野党連合による9条の廃棄とは政治的シンクレチズム(異なる思想が共通の利害により統合すること)と言えるだろう。

つまりは利益共同体。同じ穴のムジナ。

・いずれにしろ原発事故により国民の半数近くが放射線に晒され、被爆者支援法の充実が喫緊であるにもかかわらず、軍事費を捻出するため真逆に社会保障を解体するという狂愚であり、つまるところ脅威とは周辺国ではなく体制のデカダンスそれ自体なのである。
結局それは"一方の経済主体(一般民衆)の状態を悪化させることにより、もう一方の経済主体(支配集団)の状態を向上させる"という「パレート効率性」の体現と言えるだろう。今後我々が直面する地獄とは「爆発的な利潤が獲得できるのならば、人が死のうが国が亡びようが知ったこっちゃない」というエゴセントリズム(自己中心主義)の所産なのであり、この体系では人間精神の弛緩と退廃が激しく同時進行しているのだ。


究極の利己主義。

・いまだ国連が中立的な平和機関という幻想を抱いている者が多いのだが、これはIMF(国際通貨基金)を実働部隊とする近代の植民地機構なのであり、本質として支配レジームを保守する「戦勝国クラブ」に他ならないのである。
まして常任理事5ヶ国の武器輸出額が世界市場の80%以上を占めるとおり、国連の実体とは戦争産業それ自体なのだから、コンディショナリティ(救済条項)として武器輸入枠の拡大や自衛隊の海外派兵が要求されることは確実だろう。


国連=植民地機構(@_@) Morris.も国連には過剰期待してたようだ。

・あらためて我々はどのように孤絶し誰に唾棄されようとも眼前の脅威を直視しなければならないのであり、そしておそらく希望とは絶望の闇に開花する何かなのであり、だからこそ僕は絶望の分析者だけが希望を語り得ると信じるのだ。

この宣言こそが著者の本心なのだろうが、実行するためのハードルは絶望的に高い。

引用・出典として数多くが挙げられている。読んでみようかと思ったものだけメモとして引用しておく。

「パラドックスの悪魔」ワタナベ ケンイチ 講談社
「永続敗戦論--戦後日本の核心」白井聡 太田出版
「日本人はこうして奴隷になった」林秀彦 成甲書房
「秘密と嘘と民主主義」ノーム・チョムスキー 成甲書房
「無意識の組曲-精神分析的夢幻論」新宮一成 岩波書店
「植民地支配と環境破壊-覇権主義は超えられるのか」 古川久雄 光文堂
「国家緊急権」橋爪大三郎 NHKブックス
「新聞の時代錯誤」大塚将司 東洋経済新報社
「奪われる日本の森 外資が水資源を狙っている」平野秀樹 安田喜憲 新潮社
「日本買います 消えていく日本の国土」平野秀樹 新潮社
「悪夢のサイクル」内橋克人 文藝春秋
「なぜ疑似科学を信じるか」菊池聡 化学同人
「国家論-日本社会をどう強化するか」佐藤優 NHKブックス
「日本経済(暗黙)の共謀者」森永卓郎 講談社+α文庫
「ジャーナリズム崩壊」上杉隆 幻冬舎新書
「新自由主義の破局と決着」二宮厚美 新日本出版
「始まっている未来」宇沢弘文 内橋克人  岩波書店
「官僚天国 日本破産」石井紘基 道出版
「忍び寄る破局 生体の悲鳴が聞こえるか」辺見庸 角川文庫
「環境学と平和学」戸田清 新鮮社
「誰も知らない 世界と日本のまちがい 事由と国家と資本主義」松岡正剛 春秋社



【正しい目玉焼きの作り方】 イラスト 森下えみこ ★★★☆☆ 2016/12/30 河出書房新社
中学生以上をターゲットにした「14歳の世渡り術シリーズ」の一冊で「きちんとしたおとなになるための「家庭科」の教科書」と副題にある。

1時限目 洗濯の授業 監修 毎田祥子
2時限目 料理の授業 監修 井出杏海
3時限目 片付けと掃除の授業 監修 木村由依
4時限目 裁縫の授業 監修 クライ・ムキ


の、四部構成で、かなり下手メの(^_^;)イラスト、漫画と監修者の解説で構成されている。Morris.は3時限目の片付けと掃除だけを読むつもりだったのだが、結局通読してそれぞれの授業で教えられることがあった。ちなみにタイトルの目玉焼き(半熟)のキモは、玉子は別の器に割り入れることと、白身が固まってきたところで水大さじ一杯入れてふたして30秒。これくらいならMorris.でもやってた。

洗濯はMorris.の場合。アロハシャツ(大半がレーヨン)、Gパン、あとタオルと下着とシーツくらいでほぼ洗濯全体の99%を占める。何も考えずに洗濯機に突っ込んで、普通で洗濯してたのだが、レーヨンはできれば手洗い、洗濯機では弱流にすべきということをいまさら知った(>_<)
昨日の日記で洗濯槽の洗剤買って使ったのも、本書を見たからだ。

・遅い時間にスーパーで買った魚の切り身などやや鮮度が落ちてると感じたらさっと洗い、ぬめりや臭み、血などを流しましょう。手早く洗って、しっかりと水分を取るのがポイントです。

これはなるほど、と思った


・鶏の部位別特徴と向いてる調理
1.胸肉--低脂肪・高蛋白で柔らかい→揚げ物、ソテー、蒸鶏
2.ささみ--一番やわらかく、低脂肪、高蛋白→サラダ、フライ
3.手羽先--ゼラチンが多い→スープ、揚げ物、塩焼き
4.手羽元--手羽先より脂肪が少ない→スープ、煮込み、揚げ物
5.腿肉--筋肉質でコクがある→揚げ物、煮込み、照り焼き、唐揚げ
*Morris.の一番好きな手羽中(スペアリブ)→塩焼き、ガイヤーン(タイ風のグリルチ


鶏の部位の違いはちゃんと分かってなかったので、これはありがたかった。

・ミシン糸を手縫いに使ってもかまわないが、「縒り」の方向が逆なので右利きの人はからまりやすいかもしれません。
・糸はあまり長いと絡まりやすいのでだいたい50cmくらいを目安にしましょう。
・縫い糸はたいていは一本取り、ボタン付はニ本取りで行う。
・最後の玉止めの仕方は、最後の縫い目に針をあて、糸を三回巻いたら親指で押さえて糸を引く。結び目から0.2cmほど残して糸を切る。
・ボタン付
1.ボタン付位置の布を救い、糸端の輪に針を通して引く
2.ボタンに糸を通し、ボタン付位置の布をすくって引く
3.ボタンを引き上げてすきまを作り、2~3回糸を巻く(糸足)
4.ボタンのまわりに糸の輪を作り、針を入れて引く
5.糸足に通して玉止めし、もう一度糸足に通してから糸を切
*ポイントはボタンをかける側の暑さと同じくらいの隙間を作ること

Morris.にとって一番多い糸と針を使う作業といえばボタン付に限るみたいなものだから、これはちゃんとマスターしよう。もちろん実践せねば。

・大切なものは人によって違います。一人一人の思いと暮らし方が反映されるのが、片付けなのです。片付けは、自分にしかできません。
1.物をすべて出して、所有量を知る
2.仕分けして、物を減らす
3.適量を収納する
4.続けられるか見直しする
・掃除のシンプルな4つの手順
1.換気をする
2,掃除する場所の余計なものはどかす
3.ごみやほこりを取り除く
4.汚れを取る(磨く)
・掃除機のかけ方のポイントは
1.早く動かしすぎない。一往復5~6秒
2.腕を伸ばしすぎない。身長の半分(80cm)で動かす
3.力強く押し付けない。吸引力を感じながらゆっくり引くとよい
・酸性の汚れ(蛋白質を含む皮脂汚れや油汚れ、手垢、湯垢、食べこぼしなど)にはアルカリ性の洗剤、アルカリ性の汚れ(水垢や石鹸カス、尿漏れ)にh酸性の洗剤。
・中性洗剤は汚れに対してストレートに働きかける液性でない(その代わり肌に優しい)が、仮面活性剤で洗浄力を補っている。
・何よりも!片付けと掃除をした部屋はきれいで気持ちいい空間になるんだ、ということを体験してほしいと思います。散らかって汚れてしまった部屋を何となく元通りにする=まいなすをゼロに近づける作業ではなく、元通り以上に心地よい空間にする=プラスにすることが楽しいと思えるようになるでしょう。


やっぱり3時限目の片付けと掃除が一番役に立ちそう。「片付けと掃除は別物」ということを再認識させられたのも大きかった。
しかし、こういった家庭科の指南書みたいなものに、結構Morris.は惹かれるものがある。子供の頃階段下の押し入れにあった「暮らしの手帖」を引っ張り出して熱心に読んでたことを思い出す。
今の時代、世間はついつい、ネットにお助けを求める傾向が強まっているが、Morris.は活字媒体から離れられないだろう。



【解】堂場瞬一 ★★★2012/08/30 集英社
平成元年(1989)に社会に出た、大江と鷹西が政治家と小説家という夢に向かって突き進み、それぞれの夢を実現させたものの、昔関わった殺人事件が暗い影を落とすという、ストーリーで、現代の社会批判を含んだ意欲作。堂場はスポーツものと刑事ものの二つの流れの作品を出していたが、最近では社会批評ふうの作品に移行しているようだ。

「元々IT技術は、純粋にアメリカ生まれです。言葉の壁もなくなってきていますし、このままだと近いうちに、アメリカ資本に牛耳られますよ。日本がアメリカの奴隷になります。しかも悪いことには、誰も自分が奴隷になっていると気づかない」
「どういうことだ?」出口はにわかに興味を惹かれたようだった。かつての学園紛争の闘士は、やはり「奴隷」とか「資本」という言葉に敏感に反応するのだろうか。
「インターネットでは、誰でも情報発信できる、とか言いますよね」
「それが謳い文句みたいなものだね」
「そうかもしれませんが、所詮は人の掌の上で踊っているようなものです。誰かがそういう舞台を準備したからこそ、できるわけでそういう舞台を準備しているのは、ほとんどがアメリカの企業なんですよ」
「今のところ、ネットの世界はネットの中で完結しています」
「そこから金が生み出されることはない、と」
「これまではそうでした。でも、新しい流れが出てきています。例えば、ネットで物を売る……ネットが現実社会でsも役立つようになり始めているんです。既にこのビジネスを始めている会社がありますが、しばらくは、この動きに注目したいですね。流通革命になりますよ」(第6章 1997)


本筋とはあまり関係ない主人公とは別人たちの会話だが、いろいろ勉強してるんだろうな、と思ってしまった(^_^;)



【韓国「反日街道」をゆく】前川仁之 ★★★ 2016/04/06 小学館
前川仁之(まえかわさねゆき)1982年大阪生まれの埼玉育ち。東大教養学部中退、人形劇団等を経て立教大学文化コミュニケーション学科卒。在学中の2010年夏、自転車でスペイン横断。2014年、スペインの音楽家アントニオ=ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で]開高健ノンフィクション賞」の最終候補となる。ノンフィクション作家。

2015年3月20日から4月13日にかけて韓国を釜山から反時計回りに自転車で一周した記録である。ルートは、
金海-釜山-鎮海-馬山-晋州-河東順天-光州-長城高敞-扶安-益山-論山-扶余-公州-天安-水原-ソウル-烏頭山統一展望台-坡州-鉄原楊口杵城-束草-江陵-三陟盈徳良洞-慶州-釜山(*太字はMorris.の行ったことのない場所)

自転車で韓国一周するというのは、Morris.にはちょっと無理だろう。著者は30代という若さと、スペインでの体験もあって、この試みに挑戦したのだろうが、結構癖のある人のようだった。
Morris.がこれまで行ったことのない田舎の部分を読みたいと思ったのだが、かなり省略があり、ちょっと期待はずれでもあった。

韓国を知るために用意した道具は、二つ。我流で学んだ怪しげな韓国語と、20年近い付き合いのマウンテンバイクだ。……僕は自転車を競争に使うことには興味がなかった。自転車は、程よい距離でものを見せてくれる認識の道具であり、また人との仲をとりもつ出会いの場でもある。
雑多な教養と経験を持つ僕と、震災直後の宮城県沿岸部でもまったくひるまなかったこの自転車のコンビで、もしひどい目にあったら、それは韓国が悪いのである。喜んで嫌いになろう。そのくらいの気持ちで、2015年3月20日、僕は韓国一周のたびに出た。(プロローグ)


ね、ちょっと、ざーとらしいっしょ。

三・一という日付で総称される一連の独立運動はきわめて非暴力的に行われたとされている。1919年、という時期を見るだけで容易に想像できるように、第一次大戦後、時の米大統領ウィルソンが示した民族自決の原則を頼りにして、あとは歴史の風が独立へ導いてくれると白い帆を大らかに張った箱舟、そんな運動だった。その時に読み上げられた有名な巳未独立宣言書も、無防備なまでの理想主義に満ちている。日帝すらも憎悪の対象ではないように読める。「日本の信なきを罪せんとするものに非ず」「日本の小義なるを責めんとするものに非ず」「日本をして邪路出でて東洋の支持者たる重責を全うせしめんとし」といった具合。
「東洋の支持者」を「東洋の指導者」に言い換えるだけで、たちまち後の大東亜共栄圏を肯定する文にできる。いや、言い換えなくとも解釈の仕様によっては、「韓国人は大東亜共栄圏を期待していた!」と日本に溢れる安手の愛国本の一説を飾ることだって不可能ではない。


どうしてこんなひねくり回した論法を展開しなくてはならないのだろう?

尹東柱はいまの延世大学にあたる専門学校を卒業した後、立教大学に留学する。だが軍国主義が幅を利かせていた当時の学園に馴染まなかったらしく、帰郷の後、今度は同志社大学に転入する。
そして1944年、治安維持法違反の容疑で逮捕されるのだ。翌年2月、福岡刑務所で獄死した。生体実験の注射を打たれれていたとも言われる。彼の詩は、それを守り抜いた友人の努力が実って解放後に出版され、やがて国民詩人と認知されるに至るのだ。
一個人としては尹東柱やその他植民地支配の犠牲になった人々に対しなんら罪はない。または俺は地球市民だぜとうそぶいていられるなら、昔の日本を自分から切り離し、安全圏に立ってただ批判することもできよう。だが僕にも母語の歴史に恃んで自分を元気づけたりすることはある。母語を誇りに思う気持ちはある。その感情でもってわずかでも個人と歴史との間に回路を開いてしまったなら、明も暗も引き受けねばならない。自国の歴史の明澄な光のみを浴びて「素晴らしい日本の私」に自足する。それはただの横領だ。(第一章 原点からの旅立ち)


こういうもっていきかたは、どうもMorris.とは相性が悪い。

地域ごとに多様な展開を見せる独立運動。その現場を追ってきた僕にとって、彼らの行為はすでに「その後全国各地に波及した」といった教科書的な記述で片づけられるものではなくなっていた。知識の上では、愛されるものは国であり、救われるべきは民族だった。歩いてみたら郷土が強く浮き出てきた。分母が小さくなると数が大きくなるように、闘う相手は「日帝」という一時期の悪を越えて、より普遍的な形に膨張する。
権力に屈しない伝統。韓国人が自国の歴史に誇りを持つのなら、先人たちから継承すべきはそれだ。昨夜、光州事件の話ができたことも手伝って、僕の意識はすでに、自分が加害者の末席に座りうる「日帝」から、この先いつ被害者になるとも限らない「権力」という対象に移っていった。そしてその権力と闘ってきたこの国の人々。その歴史の財産はしかと継承されているのだろうか。それとも漢文学の富と同様、顧みられることが少なくなっているのだろうか。(第二章 道に残る抵抗の痕跡)

こういう考え方にはついていけない(^_^;)

金笠はもう、人気がなくなっているのかもしれない。一つにはおそらく、誰もが漢字をよめなくなったために。そしてそれ以上に、意地悪な僕はこれが理由だと考える。金笠が没したのは日本に黒船が来航した1863年。つまり帝国主義の波が故国に押し寄せる前に亡くなったのだ。もし、もう少し長生きして抗日詩の一つでも書いていたら、今でもあるいは今こそ「愛国放浪詩人」と英雄視されていたのではないだろうか。(第三章 花と伝統と愛郷心)

金笠(キムサッカッ)は朝鮮の放浪詩人で、詩調(シジョ)という漢字45文字形式の作品を残している。今の韓国人も彼の作品を読んでる人は少ないだろうし、一種の伝説的人物として愛されているようだ。それをことさら、反日詩を書いていたらなどと言挙げするあたりもちょっとおかしいと思う。

治安維持法を手にした日帝より「一枚上手」にさえ思える維新体制の苛烈な統治下にあっても、権力に抗う民衆の伝統は潰えなかった。1979年10月、釜山と馬山で学生を中心とする市民たちが反政府デモに立ち上がった(釜馬抗争、または釜馬事態)。政府は軍隊まで出して鎮圧したが、その直後、誰もが予想しなかった形で朴政権は幕を閉じることになる。
朴大統領が、側近の金載圭・中央情報部長官によって射殺されるのだ(十・ニ六事件)。人々が直接に勝ち取ったものではないという点で八・一五の「光復」をかすかに想起させる、最高権力者の死。直後に布かれた非常戒厳令の下で当然のように民主化への要求は高まった。翌1980年2月には金大中が復権する。(ソウルの春)。一方全斗煥・保安司令官を中心とするグループが軍の実験を掌握し(十二・十二クーデター)、虎視眈々と政権強奪の機をうかがっていた。
そして迎えた5月。
5月14日 ソウル市内の大学生7万余名よる街頭デモ
5月15日 デモの数は十万に達し、全国の大学でも同夜のデモ
5月16日 ソウルの学生たちは十分に効果があったと誤認し、軍との衝突を危惧し、運動を休止。光州では夜に「たいまつ聖行進」が行われる。
5月17日 崔大統領を操る全斗煥将軍、非常戒厳令強化、全国への拡大、ソウルのデモ主導学生、金大中や詩人の高銀など大量連行。深夜には光州でも学生連行。
5月18日 戒厳令下の光州ではデモ敢行。学生たちに、派遣された空挺部隊は常軌を逸した膀胱で応じる。「光州事態」、「光州暴動」、時と場合によって様々に呼称が変遷し、現在は「五・一八民主化運動」と正当な評価を与えられるに至った戦いの火蓋が切って落とされる。
5月19日 光州のデモは市民も立ち上がり「民衆蜂起」に。戒厳軍が市民に実弾発砲。
5月20日 バス・タクシー運転手らが車両動員してデモに加勢。
5月21日 道庁広場で戒厳軍が本格的実弾射撃。市民も武装を決意し、本格的市街戦となり、軍は撤退、光州に四日間の解放区が出現。
5月22日 指導部で意見が分かれ、無条件で事態の収拾を図ろうとするものが主導権を握る。戒厳軍との交渉を試み、拒絶される。
5月25日 穏健収拾派にかわって闘争継続を誓う新指導部誕生。
5月27日 午前3時、戒厳軍は戦車を先頭に一斉に市内に侵攻。錦南路を制圧後、道庁に立て籠もった市民軍に容赦なく射撃を加え、多数の犠牲者を出して光州は陥落。

1980年の光州事件に関してはMorris.も関心を持ってたが、この時系列でのアウトラインはありがたかった。

三ヶ月後、全斗煥は晴れて大統領の座に就いた。新大統領はこの頃、米国人記者相手にこんな発言をしている。「万一、光州事態のような事件が他の二つの都市に拡大していたら、金日成は十万の侵略軍を送りこんでいただろう」と。「北の脅威」を使って虐殺を正当化する新大統領の下で、再び軍政が始まるのである。

北の圧力を利用して、戦争法案を正当化しようとしている安倍内閣も同じ穴の狢かもしれない。

かつてひと月だけ住んで、その直後に強制執行(*2001年8月22日強制執行)が入り処分された駒場寮を思い出していた。あれは確か、車寄せだけ保存されていた記憶がある。そして跡地には巨大な総合図書館が建っていたはずだ。僕は運動や夜学活動のためにそこに住んでいいたわけではなかったが、あっという間に解体された寮の跡地を見て、敗北感のようなものを抱いたのは確かだった。

詳しい事情はわからないが、東大中退というのを自慢してるようにも思える。

旧道庁前の噴水台に到達した時はやはり胸が熱くなった。五・一八当時連日行われていた集会の写真を見た時からきわめて美しいと憧れを抱いていたあ、舞台効果が抜群なのだ。噴水台と言っても水は出ていない。青い三層の円が、巨大な燭台のように空を受けとめている。かつてはここのを壇にして、そのまわりを無数の市民が取り囲み、肩書にとらわれない自由な発言を重んじる集会が行われていたのだった。そうした光景を納めた写真は大抵の場合、遠くから俯角をつけて写されるので気づかなかったが、噴水台の二層目、三層目の円は思いの他高かった。その上に立って太極旗を広げるとき、揺るぎのないコンクリートの壇上で例外的にやわらかくはためくその旗は、こぼれ落ちてきた空の切れ端のように輝き、地球上で最小のその宇宙が起こす自由の波紋は同心円を描く噴水台の縁に均等に伝わり、群がる人々が心ゆくまま浴びることとなる。これが、広場だ。これが、街路の藝術だ。光州よ!

典型的自己陶酔的思い込みだな。

キムさんの政治不信の根底には、「北の脅威」をあおることで独裁や蛮行を正当化してきた歴代政権への恨みがあるように感じられる。
「日帝時代という悲しい歴史があったのは事実ですが……」
「それはもう、昔のことです」
「しかし今、権力が、いざとなったら歴史認識を利用して批判をかわし、それで韓国の民衆があっさり日本を攻撃する、日本を嫌うとなるようだったらこれは大変危ないと思います」
「うん。それはやっぱり彼のせいだと思いますよ」キムさんは、日本の首相の名を口にした。(第四章 民主化運動の「聖地」光州)


やっぱり韓国でも安倍は軍国主義者とみなされているようだ。

慰安婦の人間狩りだとかの作り話を盛り上げた奴らは本当に、許しがたい罪人だ。奴らのせいで、結局問題がなんなのか不明なまま苦しむ人たち、それを道具にして喜ぶ人たち、深く関わりたくないゆえに単純な相互不信に向かう両国民がいるのでは。
これが、俺が求めていた加害者の悩みなのか? 慰安婦は戦争の悲惨さを表しこそすれ、日本人の悪辣さを他国に言わせる根拠にはならないし、させてはだめだろう。こっちの人はおそらく、日本人が朝鮮民族ばかり選んで、しかも性奴隷にしたと思っている。違うのだ。(03/30 日記から)


慰安婦問題については、うかつなことは言わない方がいいと思う。

統一を双方の民衆が、つまり同じ民族たちの同胞たちが協力しあって達成できたとき、本当に無理なく信じられる建国物語が掴み取れるのではないだろうか。我々は困難な統一を勝ち取った、と。その時ようやく日帝は敗れ去る。なぜなら南北分断というもの、もとを正せば日帝を破った両大国、米国とソ連が蒔いた種なのだから。あいつに勝ったやつに勝った……と、これは責任逃れしたい日本人・僕の都合よすぎる考えだろうか。(第五章 「日帝」は不滅なのか)

朝鮮半島分断は冷戦のなせる技であることは今となっては自明のことである。光復直後の朝鮮人の不手際でもあると思うのだが、これを日本人が言うとえらいことになりそう(^_^;)。

長きにわたって無人島で、解放後しばらくして軍隊を送り込んだだけのちっぽけな島に、例えばあのダムの底に沈んだ村々を思う人々と同じくらいの気持ちを寄せられる韓国人はいるのか。素朴で、しかし強靭な、それ自身の他に目的を持たない愛郷心の向けられる先に、独島はあるか。「独島アリラン」なる民謡はあるか。独島の民話が、昔話が、伝統芸能があるか。子供の頃に「みちのくのしのぶもじずり」と聴いて、それは本当に音の通りのしのぶもじずりなんだろうと遥かに想像させられたものだが、そういう奇跡のような言葉が、「独島の」を枕になにか一つでもつなげられるか。
あるのはせいぜい、宣伝歌と、海鳥が鳴く環境ビデオと、愛国歌心育成のクルージング、そういったものばかりだろう。「独島はウリナラ(我らのくに)」というスローガンが推奨されている。それは嘘だ、と僕は思う。ナラという、僕達の奈良に通じる美しい響きの言葉が泣く。せいぜい言って、「独島はウリクッカ(我らの国家)」だ。政治的に使われ、「日帝の侵略のシンボル」という役柄を押しつけられたかわいそうな島。(第六章 休戦線ストーキング紀行)

筆者は「ホルロアリラン」をしらないのだろうか? 領土問題に関しても生半可な知識であれこれ言うのはやばい。

元々のタイトルは『朝鮮半島、春まだき』としていた。筆者の関心は日韓関係から始まって、南北統一にまで及んでいる。北も走りたいのである。だからせめてタイトルに「朝鮮半島」という、休戦線などないひとつづきの土地の名を入れたかった。思い入れのあるタイトルだったが、編集者のアドバイスに従って改名した。現状のようにした方が、通りがよくなるということだ。残念だったが、こういう形で作品のタイトルを変えたことも含めて日韓両国関係の素描になるだろうと考え、ここに記しておく。(あとがき)

これは編集者が悪い。
いろいろいちゃもんつけたみたいになったが、こういった試みには敬意を評したいという気持ちがあって、その期待から、ついつい反論めいた物言いになったと理解してもらいたいm(__)m

【韓国がわかる60の風景】 林史樹 ★★★ 2007/03/30 明石書店
林史樹 1968年大阪生れ。1990初渡韓、釜山女性と結婚。「韓国のある薬草商人のライフヒストリー」「韓国サーカスの生活誌」

タイトルにある通り60篇の記事(3pずつ)が納められているが、それぞれに韓国語の動詞が付されている。動詞がいまいち覚えられずにいるMorris.なので、先に覚えておきたいものだけを列挙しておく。動詞の後が記事タイトル

撮る 찍다(ッチクタ) 貴方もスターになれる野外撮影
保つ 챙기다(チェンギダ) 死んでもよいから健康でいたい
駆ける 쫓아가다(ッチョチャガダ) バスを追いかけて
広がる 퍼지다(ポジダ) 辛くてコクのあるチャンポン
口説く꼬시다(ッコシダ) 10回叩いて倒れない木はない
汲む 긷다(キッタ)、뜨다(ットゥダ) 山からの贈り物「薬水」
見栄を張る 허영[虚栄]을 부리다(ホヨングルプリダ) 肩書で勝負
強いる 강요[強要]하다(カンギョハダ) 自分にとってよいことは相手にとってもよい
規制する 규제[規制]하다(キュチェハダ) 殺人事件はどこに見られるか
隠す 슴기다(スムギダ) 犬肉を食べるのは野蛮か
わめく 외치다(ウェチダ) 大声を出せば勝ち
気にかかる 궁금하다(クングムハダ) 「日本といえば混浴でしょ?!」
競う 다투다(タツダ) 大リーグ報道にみる温度差
囲む 둘러싸다(クルロッサダ)  一緒に食べる意味は
抗う 황의[抗議]하다ファングィハダ) デモの記憶
味わう 맛보다(マッポダ) フライドポテトをめぐる味覚の違い
取り繕う 감싸다(カムッサダ) 自分が悪くても「ケンチャナヨ」
群れる 뭉치다(ムンチダ) みんな仲よく「韓国人」
賭ける 걸다(コルダ) 数人集まれば……
急く 서두르다(ソドゥルダ) 「即席」は大流行
歪める왜곡[歪曲]하다(ウェゴッカダ) 何をもって「歪曲」とするのか
開かれる 열리다(ヨルリダ) 韓国は「開かれた」社会か

本文の中から、印象に残ったりネタになりそうなものを幾つか引用しておく。

・チャチャン麺とは朝鮮半島で生まれた中華料理なのである。その起源ははっきりしていないが、一般的によく言われるのは仁川にある中華料理屋「共和春」が最初にメニューとして出したということである。(広がる 퍼지다 )

・事大の礼とは、互いの関係を結ぶうえで、「小を以て大に事(つか)える」際にとられる礼のことで、孟子につながる考え方である。小と大が互いに序列を認めたうえで礼をもった関係を結ぶこの考え方を、個人と個人のつきあいにおいても求めるというのである。(見栄を張る 허영[虚栄]을 부리다 )

・韓国には数字(または数字と同音)が入った名称のラーメン・クイズがある。一番地ラーメン、二百両ラーメン、三養ラーメン、サバル(沙鉢)ラーメン、オットゥギ(おきあがりこぼし)ラーメン、ユッケジャンラーメン、七宝ラーメン、八道ラーメン、ノグリ(たぬき)ラーメン、熱(ヨル)ラーメンとなる。(急く 서두르다 )

1990年代中頃であったか、韓国に吉野家が参入したことがあった--結果は惨敗であった。(敗因は)「おいしくお召し上がりいただくなら、混ぜて召し上がらないでください」というフレーズが入っていたことである。国立民族学博物館の朝倉敏夫教授は、混ぜて食べる習慣を説明するのに、この事例をよく紹介する。(混ぜるピビダ)



【昭和歌謡ポップスアルバムガイド1959-1979】監修 馬飼野元宏 ★★★★ 2015/08/18 シンコーミュージック
これは世間に数多くでているアルバムレビューの中では、やや異色なものといえる。まえがきに

歌謡曲は"流行歌"と呼ばれた昭和初期からシングル盤が主力商品であり、歌謡曲とはシングル盤で、楽曲単位で楽しむものという認識は多くの方に強くあるところでしょう。歌謡曲にとってLP盤=アルバムの存在は、熱心なファン・アイテムの域を出ず、ロックやフォーク、その他自作自演の音楽に比べ、アルバム単位で語られることがきわめて少ないのが通例でした。
ただ、現在では昭和歌謡のリバイバル的な空気の中で、多くの歌謡曲のアルバムに、隠れた名曲、名カヴァーが存在していることが、次第に認識されるようになりました。シングル曲を聴いているだけでは見えないその歌手のルーツ、目指す方向性、或いは作家陣も含めた冒険や挑戦が多く含まれており、そのようなアルバムの楽曲、コンセプチュアルなつくりを楽しむことで、より歌謡曲の魅力を理解できるのではないでしょうか。そういった意図の下に、本書ではアルバムに特化して歌謡曲の黄金時代を、いくつかのムーヴメントとともに、時系列で紐解いていく構成をとっています。(「はじめに」馬飼野元宏より)


と、あるように、これまでほとんど無視されていた、歌謡曲のアルバムを丁寧に検証・紹介するという画期的な企画であり、その内容も密度・水準の高さ、ポイントの押さえ方、文章力、人脈の広さ、見識……様々な意味で、とんでもない一冊である。
しかしMorris.は「歌謡曲の黄金時代を、時系列で紐解」く本書の構成をそのまま、「歌謡曲早わかり」として楽しんだ。目次と、主要な歌手名をピックアップして羅列しておく。

part1 ロカビリーからエレキブームまで
・ロカビリー・ブーム/平尾昌晃 水原弘
・カヴァー・ポップスと東芝音工/坂本九 弘田三枝子 森山加代子
・三人娘とポップス/美空ひばり 雪村いずみ 江利チエミ
・渡辺プロのジャパニーズ・ポップス/ザ・ピーナッツ 植木等 中尾ミエ
・日本のシャンソン/越路吹雪 丸山明宏
・ラテン・ブームとテイチク/アイ・ジョージ 渡辺マリ 日野てる子 浜村美智子
・孤高のポリドール都会派ムード歌謡/西田佐知子 園まり
・ビクターの都会派ムード歌謡~フランク永井と吉田正/フランク永井 松尾和子
・キングの欧州系歌謡とカンツォーネ/伊東ゆかり 布施明 梓みちよ
・青春歌謡とビクター/橋幸夫 三田明 舟木一夫 吉永小百合 安達明
・クラウンの青春歌謡/西郷輝彦 美樹克彦
・エレキ・ブームと東芝~和製ポップスの夜明け/加山雄三 尾藤イサオ
part2 グループ・サウンズの黄金期
・グループ・サウンズ狂乱の3年間/オックス ズー・ニー・ブー
・CBSコロムビアとブルー・コメッツの登場/ブルー・コメッツ
・フィリップスのGS/スパイダース ジャガーズ カーナビーツ テンプターズ
・東芝のGS/ワイルドワンズ ゴールデンカップス モップス
・タイガース登場/タイガース
・東芝vsコロムビア女性歌謡/黛ジュン 奥村チヨ 小川知子 弘田三枝子 いしだあゆみ
・60年代女性歌謡/中村晃子 佐良直美 仲宗根美樹 ジュン&ネネ
・ビクター艶歌ブルースの女王・青江三奈/青江三奈 森進一
・CBS・ソニーと寺山修司/フォーリブス ピーター カルメンマキ
・歌う俳優PART160年代篇/石原裕次郎 小林旭 浅丘ルリ子 倍賞千恵子
・お色気歌謡&情念歌謡&やさぐれ歌謡/沢たまき 渥美マリ 竹越ひろ子 緑川アコ 北原ミレイ 日吉ミミ
・セルジオ・メンデスとボサノヴァ・ブーム/ピンキーとキラーズ ヒデとロザンナ ペドロ&カプリシャス
・RCAの演歌新時代/藤圭子 内山田洋とクールファイブ
・ラテン・ムードコーラス/ロスインディオス ロスプリモス 東京ロマンチカ
・アフター・ロカビリー
part3 筒美京平の活躍
・平山三紀と筒美京平 都会派ポップスの隆盛/平山三紀 尾崎紀世彦
・CBS・ソニーのベテラン女性歌手再生/朝丘雪路 坂本スミ子 金井克子 内田あかり
・ディスカバー・ジャパンとワーナー叙情派歌謡/小柳ルミ子
・ソニーvsビクターPART1アイドル登場/南沙織 麻丘めぐみ 天地真理 アンルイス
・ベンチャーズ歌謡と東芝女性歌手/渚ゆう子 欧陽菲菲 小林麻美
・もと夫婦
・ちあきなおみと由紀さおり~歌謡曲の再構築/ちあきなおみ 由紀さおり
・70年代初頭の男性アイドルたち/にしきのあきら あおい輝彦
・70年代の沢田研二/沢田研二
・アフターGS
・筒美系男性アイドル~郷ひろみと野口五郎
・RCAの和製ソウル/和田アキ子 西城秀樹
part4 歌謡曲黄金時代
・ソニーvsビクターPART2花の中3トリオ/山口百恵 桜田淳子
・スター誕生!/ 森昌子
・女性アイドルPART1/浅田美代子 麻生よう子 伊藤咲子
・キャンディーズ
・異国の女の子/アグネス・チャン テレサ・テン マギー・ミネンコ
・セクシー歌謡/辺見マリ 山本リンダ 夏木マリ ゴールデン・ハーフ 安西マリア
・フォーク歌謡/チェリッシュ あべ静江
・キッズ・ポップス/フィンガー5
・70年代のGSたち
・70年代のジャニーズと男性アイドル/豊川誕 川崎麻世 城みちる あいざき進也
・ディスコ歌謡
・全日本歌謡選手権と再デビュー歌手/五木ひろし 八代亜紀 中条きよし
・平尾昌晃と少女たち/西崎みどり 畑中葉子
・少女演歌と喪失歌謡/石川さゆり 西川峰子
・ソニーvsビクターPART3フォークとディスコ/岩崎宏美 太田裕美 中原理恵
・キャニオン・NAVレコード/岡田奈々 石川ひとみ
・ピンク・レディー革命
・女性アイドルPART2/榊原郁恵 高田みづえ
・ショービズ系実力派の時代/朱里エイコ しばたはつみ 松崎しげる
・歌う俳優PART2 70年代篇/梶芽衣子 原田芳雄 松坂慶子 鶴田浩二
・宇崎竜童系女性シンガー/研ナオコ 内藤やす子  
・ソニーの女性アダルト・ポップス/ジュディ・オング

この構成だけで、すごい!!と思う。Morris.個人的には柏原芳恵が取り上げてなかったのが残念。
本書にはいろいろな美味しいおまけが付いている。

コラム
・漣健児
・ニュー・リズム
・演歌の源流
・春日八郎と望郷艶歌
・スター誕生!
・水曜劇場
・パチモン歌謡の魔力
・歌謡曲のバック・ミュージシャンたち
・渡辺有三の仕事
作曲家名鑑
・中村八大
・宮川泰
・平尾昌晃
・浜口庫之助
・鈴木邦彦
・村井邦彦
・筒美京平
・森田公一
・馬飼野康二
・都倉俊一
・樋口雄右
作詞家名鑑
・阿久悠
・作詞家たち
・作詞家・松本隆の70年代
インタビュー
・草野浩二
・酒井政利
・小澤栄三

編者のこだわりもあってか、執筆陣も強者揃い。岩切弘貴/大川俊昭/大久達郎/大森眸/小川真一/加藤義彦/ガモウユウイチ/澤山博之/鈴木啓之/高岡洋詞/野沢あぐむ・濱田高志/原田和典/高木 TDC/真鍋新一/安田謙一

いろいろ引用したいところも多かったが、とりあえず、Morris.偏愛の女性歌手二人の紹介分の一部を引用しておく。

ちあきなおみは1947年東京生まれ。世代的には黛ジュンや弘田三枝子、いしだあゆみらと同世代であるが、コロムビアからのデビューは69年「雨に濡れた慕情」で22歳と襲い。5歳でタップ・ダンサーとして日劇の初舞台を踏み、13歳でジャズ喫茶のステージに立ち、カヴァー・ポップス全盛期やビート歌謡の女性シンガーたちが華やかに活躍する時代を横目に見ながら米軍キャンプ回りや、橋幸夫・こまどり姉妹らの前座歌手として下積みを続けていたのである。
「四つのお願い」「X+Y=LOVE」などの鈴木淳作品で、若干のお色気要素を含んだアイドル的立ち位置の歌謡曲を歌っていた時期を第1期、東元晃ディレクターによる同年のレコード大賞を受賞した「喝采」にはじまり、[劇場」「夜間飛行」と続いた吉田旺=中村泰士の"ドラマティック歌謡"期を第2期とするなら、第3期は東元がコロムビアを退社しディレクターが中村一好に交替し演歌寄りのアプローチが増える75年の「恋慕夜曲」以降か。この時期には船村徹作品「さだめ川」などに挑戦、76年「酒場川」のB面となった「矢切の渡し」が7年後の83年に競作ブームを巻き起こす。やがてヒット曲を狙い続けるレコード会社と、自身の歌の指向の間で軋轢が起きる。ヒットからは遠ざかり「紅白歌合戦」出演も途切れるが、以後はビクター~テイチクと名パートナーだった東本晃の移籍と歩調を合わせるようにレコード会社を移り、マイペースでレコード制作を続けていく。ビクターではシャンソン、ファドのアルバムをリリース、85年のアルバム「港が見える丘」では、戦前から終戦直後の流行歌を現代の視点から再現を試みた。80年代の流行歌はアイドル・ポップス、演歌、ニュー・ミュージックへのジャンル分割が明確となったが、そういった時代にちあきが挑んだ洋邦併せた多彩なジャンル音楽は、ちあきによる歌謡曲の復権と再構築である。それが実を結んだのが、テイチク時代の水原弘のカヴァー「黄昏のビギン」、一幕劇のような「紅とんぼ」といった後期の傑作群であろう。流行のポップスから船村演歌、はてはファドからビリー・ホリデイまで歌う幅広さは、長い下積み時代に多様なジャンルの音楽を歌い続けてきた彼女の資質と技巧の蓄積あってのものだが、結果的にそれこそが、あらゆるジャンルを呑み込んでいく「歌謡曲」そのものと呼べるのではないだろうか。(馬飼野元宏)

平山三紀(現・みき)こそは、リアルタイムの洋楽の影響を反映させながら洗練となつかしさがどうきょしたメロディとサウンドを作り続けた、和洋折衷音楽としての歌謡曲を代表するクリエイター筒美京平にとって、最高のディーヴァだったのではないか。
……ナンシー・シナトラにも通じる、鼻にかかってドスが利いたカエル」&アヒル系のゲロゲロ声と、それを投げ出すような歌唱法。60年代の不良少女がそのまま大人になったかのような、捨て鉢で気だるく、刹那主義的で、ふてくされた表情の裏にやるせなさと寂しさがべったりと貼りついた、港町ヨコハマの夜の声である。彼女ほど"蓮っ葉"という言葉が似合う歌い手もいない。いわゆる美声ではないけれど、そのほろ苦さはどこまでも魅力的で、抱きしめたくなるような愛らしさを放っている。
日本的にグズグズと濡れた情緒ではなく、あくまで渇いたポップさのなかに一抹の情感を漂わせる彼女の歌は、洋楽の要素を日本の風土に移植しようとする筒美の試みには他の誰よりも好適だったろう。それは橋本淳が繰り返し描いたヨコハマと言う土地の性格と相似形をなしている。誰にもマネできない絶対的な正解を持つ、不世出の歌い手。こういう人を天才と呼ぶのだと思う。クレイジーケンバンドが「真夜中のエンジェル・ベイビー」をカヴァーした理由は歌い出しの」"ヨコハマ ヨコスカ"だけではないのだ。(高岡洋詞)


以上までメモしてアップしようとしたそのときに、平尾昌晃の訃報が(>_<)
これも何かの縁かもしれない。彼の紹介文も追加引用しておこう。

平尾昌晃は1937年東京牛込の生まれ。祖父は「レート化粧料」「ダイヤモンド歯磨」で知られる平尾参平商店の二代目社長・平尾聚泉。純邦楽が趣味で、謡や長唄に親しむ父を横目に、自身も童謡や民謡を好んだという。
慶応高校1年のときに「日本ジャズ学校」に通い始め、そこに来たウエスタン・バンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」(のちのオールスターズ・ワゴン)のシンガー募集に合格。米軍キャンプ回りを経て、57年にジャズ喫茶「テネシー」に出演した歳、渡辺美佐と映画監督の井上梅次に見初められ井上監督の映画「嵐を呼ぶ男」に出演。ロカビリー・ブームの立役者として活躍する中、59年には自作による「ミヨチャン」を発表、これがのちの作曲家としての原点となる。同年に発表した「おもいで」が、数年後に北海道から火がつき始め、渡辺プロの新人・布施明によって再レコーディングされる。平尾はワタナベ音楽出版の専属作曲家となり、名前も正章から昌晃へと改名。67年には布施の「霧の摩周湖」、梓みちよの「渚のセニョリーナ」で日本レコード大賞作曲賞を受賞。68年には伊東ゆかりの「恋のしずく」の大ヒットを契機に「星をみないで」「知らなかったの」と継続して提供、歌謡曲に転向した伊東の黄金時代を支えた。この年、結核を患い長期入院というアクシデントに見舞われるが、克服後の71年に小柳ルミ子のデビュー曲「私の城下町」をミリオン・ヒットさせ、さらに再デビューの五木ひろしに「よこはま・たそがれ」を作曲、これも大ヒットとなる。70年代前半は小柳・五木のメイン・ライターとして活躍、小柳を「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞に、五木を「夜空」で日本レコード大賞へと導いた。74年には「二人でお酒を」で梓みちよを大人の歌手へ変身させ、アン・ルイスに「グッドバイrマイラブ」を提供、かのjの代表作とした。アレンジャーでは布施、伊東、小柳、梓といった渡辺プロ勢では森岡賢一郎と組、五木やアン・ルイス、「必殺シリーズ」の仕事では竜崎孝路と組む。いずれも平尾メロディーの中にある日本的情感を見事にポップスに落とし込んでいる。
平尾作品の絶妙な和洋ブレンド具合は、日本人の抗えないエモーションを醸し出す。そして音の取りにくいメロディーがない。これは自身が歌い手で、特にステージシンガーとして鍛えられたことが大きいのではないか。歌い手の情感を理解しているからこそ生まれた作風なのだ。(馬飼野元宏)


NHKラジオ深夜便で、急遽平尾昌晃特集が流され、これがBGM。




【街場の憂国会議】内田樹編 ★★★★ 2014/05/10 晶文社
「日本はこれからどうなるのか」という副題で、内田を含む9名の文章が収められている。

私が時事問題について論じるときに自分に課している心構えは、「人が驚かないときに驚き、人が驚かされるときに驚かされないこと」である。それは要人警護のSPの心得とそれほど変わらないと思う。……言い換えれば、日々「風の音に」驚くということである。人が気づかない変化に気づくこと。それが巨大な危険を回避するためにもっとも有効な備えであることを経験は教えている。
本書は、昨年末の特定秘密保護法の成立を民主制の危機と受け止めた論者たちによる現状分析の本である。(まえがき 内田樹)


という理由で編まれた一冊である(^_^;)

・安倍晋三の冒険主義的なナショナリズムが企業経営者や大企業のサラリーマンから厚い支持を受けているのは、彼の主敵が「仮想敵国」ではなく、日本国内に残る「民主制の残滓」だからである。放埒な民主制は抑制され、権力は少数の「賢い」支配層に集中しなければならないという点で、首相と支持者たちの意見は一致している。
改めて言う。安倍晋三とその同盟者たちが追求しているのは、「国民国家の株式会社化」である。国の存在理由を「経済成長」に一元化することである。国のすべてのシステムを「経済成長」に資するか否かを基準にして適否を判断し、「成長モデル」に準拠して制度を作り替えることである。
・先にあわただしく国会で採決された特定秘密保護法は、憲法21条が保証する「表現の自由と集会・結社の自由」を実質的に空洞化するものだったが、意外なことに、基本的人権の抑制をめざすこの法案に多くの国民が賛意を表明した。
・「民主制より金が大事」ということは、2011年の大阪市長選のときにはすでに「常識」となっていた。
・『株式会社をモデルにして民主制を改組することは有害無益である』
・民主制は正しい政策を次々と手際よく繰り出すための政治システムではない。そうではなくて、誤った政策が手際よく社会を破壊するのを防ぐための制度なのである。
・私はプラグマティックな立場から、民主制を支持しており、そのコロラリーとして国民国家という擬制を支持している。その立場から、国家の株式会社化に反対するのである。(株式会社化する国民国家-内田樹)


*プラグマティックpragmatic 実用的なさま。実利的なさま。(「大辞林」第三版)
*プラグマティズムpragmatism 19世紀後半以降、アメリカを中心にして起こった反形而上学的な哲学思想。行動を重視し、思考・観念の真理性は行動の結果の有効性から実験的検証を通じて帰納的に導かれる。客観的に打倒するものであるとする立場。バース・ジェイムズ・デューイらが代表的。実用主義。(「大辞林」初版)
*コロラリーcorollary 「数学」における「系」。容易に引き出せる結論、推論(研究社 「新英和大辞典」) 論理的に自然に導かれる帰結や必然的な結果などを意味する表現。

Morris.の持ってる「大辞林」にはプラグマティックもコロラリーも見出しに立っていなかった(>_<) 内田の論の立て方、目のつけどころは、なかなかおもしろいし、つい納得させられてしまうのだが、カタカナ用語使い過ぎはどうにかしてもらいたい。

・安倍政権の珍しい特徴は、側近とされる人々の口から、次々と首相の「本音」が代弁されてくる点だ。最も大切なことばは、安倍首相本人の口からではなくて、近しい他人の舌の根から出てくる。
安倍さんは、おそらく、狙ってその仕掛けを演出している。
だからこそ、彼は、メディアの取材が集まる場所に自分の息のかかった人間を配置することに執心しており、就任以来、NHKの経営委員を入れ替えたり、内閣法制局の長官人事に介入したりと、もっぱら「人事」の部分で、影響力を発揮しようとしているのだ。
しかも、首相の内心は、気持ちの通じ合っている人間であれば、誰でも代弁できる。なぜかといえば、首相の内心にあるのは、「思想」や「政策」ではなくて、「気分」だからだ。これなら、誰にでも代弁できる。(「気分」が作る美しい国ニッポン-小田嶋隆)


3年前に出た本なのに、これはそのまま、森友、加計学園問題に対するものとして通用する。やっぱり小田嶋は鋭い。

・「自民党改憲草案」の分析から--「戦争の放棄」の放棄--「基本的人権」を骨抜きに--「公益及び公の秩序」が意味するもの--立憲主義の否定--安倍自民党の戦略--人事権の濫用--憲法を弱体化させる立法--「共謀罪法案」と「国家安全保障基本法案」--安倍政権が目指すもの
・自民党改憲草案で示された「義務」
国旗・国歌の尊重義務(第3条)、領土・資源の保全に協力する義務(第9条)、個人情報保護の義務(第19条)、家族の相互扶助の義務(第24条)、環境保全に協力する義務(第25条)、教育を受けさせる義務(第26条)、勤労の義務8第27条)、納税の義務(第30条)、地方自治体の役務を負担する義務(第92条)、緊急事態において国その他の指示に従う義務(第99条)、憲法尊重義務(第102条)。「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という記述と考え合わせると、ここに列挙した義務を果さない人間には、「自由及び権利」を保障しないと読めるのです。
・安倍氏はナショナリズムを政治的に利用してはいるけれども、実はナショナリズムなど彼にとってはどうでもよい。
つまり、「国民主権から企業主権へ」という視点です。
資本主義(企業や資本家)にとって、国民の生命や健康や利益を護ろうとする民主主義は、しばしば経済活動の「障壁」となります。
安倍氏自民党が憲法とそれが保証する民主主義という政治体制の破壊を目指し、ファシズム体制を志向しているのは、戦前回帰を目指す反動主義者だからでも、国威発揚を望むナショナリストだからでもなく、資本家勢力が今まで以上に利潤を追求できる国を目指しているからではないか。(安倍政権による「民主主義の解体」が意味するもの--想田和弘)


「自民党謹製憲法」が出た後の論だろうが、今は、その「犬法」すら安倍首相は無視して恣意的な「拳法」論者になりはてている。

・「民主主義」が、なにかを決定する「政治」システムであると考えるなら、参加者の意見が異なれば異なるほど、言い換えるなら、意見が「ねじれ」るほど、決定は困難になる。けれども、「ねじれ」がなければ意味がない、「民主主義」においては「決定の速さ」よりも遥かに大切なものが存在していると、ルソーは考えたのである。
もっとも「速く」決められるシステムは、独裁制だ。その意味では、世界でいちばん効率的な「政治システム」を持っているのは、北朝鮮ということになるだろう。あれ、羨ましい? (安倍さん(とお友だち)のことば 高橋源一郎)


先日紹介した中島京子「彼女に関する十二章」の中に引用されてた「もしも人間が正しいことを考え、正しいことを言い、正しいことのみを行動して、生きることができれば、それはもっとも幸福な状態に違いありません。理想国家の、理想家庭では、きっとそのようなことが可能となるでしょう。」(伊藤整「女性に関する十二章」)の理想国家にいちばん近いのが北朝鮮ということになるのかも(^_^;)

・権力は多くの場合、直接的な介入によって行使されるのではなく、現場の勝手な忖度によって最大化する。特に、バッシングを繰り返す独断的な政治家とそれを支持する運動が結びついたとき、忖度は加速する。
・森(達也)は規制のほんしつを「僕たち一人ひとりの内側にある」と考え始める。メディアの中にいる人間が勝手な忖度を繰り返し、密かに自主規制を繰り返すことで、存在しないコードが顕在化される。そして、それは視聴者も同様である。放送禁止というタブーは、空気によって醸成される。
「政治が悪い。メディアも悪い。でもその根拠は、徹頭徹尾、僕たちなのだ」(「放送禁止歌」)
・山本(七平)は、空気の支配に対して「水を差す」ことの重要性を訴える。彼は「水」を「通常性」と捉え、熱狂に抗する存在として集合的経験則を対置させる。人々を現実に引き戻す「水」によって支配的な「空気」は一瞬で崩壊する。重要なのは人々の熱を冷ます「水]である。(「空気の研究」)
・全体主義は感動を伴って蔓延する。大衆社会とメディアが一体化して感動を煽り、抗いがたい空気を作り出す。ジャーナリストや言論人は、これに対して水を差さなければならない。しかし、メディアは空気に便乗する。空気の支配を先導し、助長する。
佐村河内問題で問われているのは、偽物の醜態よりも、メディアや言論人の醜態である。しかし、佐村河内氏の記者会見後、テレビは嘲笑することに熱狂した。そして、聴覚障碍者への偏見を助長する番組を流し、自らを省みることはなかった。
これまでの感動を支えていた空気は、バッシングという空気に一変した。しかし、空気の内容は変化しても、空気の支配は変わらない。空気を煽った人間が、次の空気に巧みに乗り換える。そして「後出しジャンケン」をする。
全体主義を支える人間は、このような人間に他ならない。
空気は感動を伴って蔓延する。これに水を差すことには勇気がいる。オリンピック東京開催に違和感を表明すると、即座にバッシングの対象となる。
・今後、言論は益々萎縮して行くだろう。過剰忖度によって、言論の自由が侵され続けるだろう。しかし、私たちにできることは、常に自己を客対視し、忖度する内面に敏感になることである。そして、他者による忖度に直面した時、その力に屈しないことである。
全体主義は、大衆の熱狂によって蔓延する。長いものに巻かれてはならない。迎合してはならない。
問われているのは、戦時中に竹槍戦術が施行されているとき、「それはB29にはとどかない」と言えるかどうかである。いつの時代も、醒めた人間の常識こそが、水を差す力となる。(空気と忖度のポリティクス--中島岳志)


「忖度」「空気」「気分」「自主規制」「熱狂」これらも、「日本的情緒」の要素のようでもある。

・新右派転換の先陣を切ったイギリスでは、過半数に届かなくても相対的にほかのどの候補者よりも多い得票があれば議席を獲得できる小選挙区制を用いているのだが、結果として、この小選挙区制が、「得票における少数派」を「議席における多数派」にすり替える魔法の装置として機能した。多くの選挙区でいわゆる「死票」のほうが過半数を占める事態が生じるので、サッチャーを含め戦後のほぼすべての政権は全体として40%前後の少数派からの得票でじゅうぶんな議会多数派を形成できてしまうのだ。
・中曽根、橋本、小泉、安倍という新自由主義的経済政策を推し進めた「改革派」首相が、いずれも首相在任中に靖国参拝というナショナリズム・カードを切ったことは、単なる偶然の一致ではないことが理解できるだろう。
新右派連合とはまさに、社会契約をご破算にして富裕層の階級利益をひたすら追い求める際に、そうした政策の実効を可能にし、またその事実をおおいかくすためにナショナリズムを煽り、国家権力を集中・強大化することを可能にするものなのだ。
・"Patriotism is the refuge of a scoundrel"「愛国心は、ならず者の最後のかくれみの」--サミュエル・ジョンソン
愛国心と呼ばれるものはしばしば自己利益の追求を隠すのに使われるわけだが、国民代表性に欠ける特権的な寄生階級である保守政治エリートたちのふりかざす「愛国心」は、社会契約を反故にして自らの利益を追求することのかくれみのとして機能していることを指摘せざるをえない。(国民国家の葬式を誰が出すのか--中野晃一)


小選挙区こそが諸悪の元である。また愛国心に関する考察もまた伊藤整の60年以上前のベストセラーにすでに書かれていた(@_@)

・グローバリズムが生まれてくる背景には、成熟国家における株式会社というものが、国民国家ベースではもはや存在できないということがあります。世界はまだら模様に発展段階の国家と、成熟段階の国家が存在しているので、国境を取り払えばまだまだ株式会社が生き残る余地があるわけです。株式会社は、今後生存をかけて国民国家を打倒してグローバル化した市場を作り出そうとすることになるでしょう。
しかし、人間が生きていくためのひとつの装置として株式会社システムが生まれたのであって、株式会社が生き残るために私たちがあるわけではありません。
・コンビニエンスストアにおいて対面している売り手と買い手の関係はまさに、このアノニマス(匿名)な消費社会の先駆的なかたちだったわけで、インターネット空間は、市場のサイバー空間への拡大と、消費者のアノニマス化に拍車をかけたわけです。
・現在の日本に瀰漫する自我肥大、ナショナリズム、排他的思想の背景にあるのは、そこに生活者の思想が存在せず、観念が肥大化して生活から乖離した結果ではないでしょうか。(オレ様化する権力者とアノニマスな消費者--平川克美)


*アノニマス anonymous 無名の 匿名の
グローバリズムは株式会社(資本主義)の暴走??

・日本の社会が明らかに後退し、格差社会が浸透しつつある中で、「自分は権力側にいる」「主流側にいる」との安心感を求め、体制側から排除されることを恐れる心情から出て来ているのではないかと思う。(戦後最も危険な政権--孫崎享)

「自縄自縛」という言葉を思い出す。

・右肩上がりのとくに急な時代に生まれ育ったこの人たちが、いま社会の上辺を占めているのだが、この世代はひょっとして、未来世代を憂うことのもっとも少ない世代なのではないかと、最近おもうようになった。高度成長に青少年期を過ごした世代には、どんな深刻な問題も技術の進歩によって次の時代には解決されるという感覚が骨の髄まで染み込んでいるからだ。明日はきっともっとよくなるという時代感覚に酔いしれ、この好況が朝鮮戦争やベトナム戦争といった他国の「悲劇」に負うところが多いことは、とんと意識に上らなかった。


「この人たち」とはMorris.の属する世代である(>_<) たしかに未来への思いやりには欠け「過ぎ」ていた。

・民俗学者の宮本常一は、田舎で見かけたひとりの石垣積み工の仕事についてこんな話を伝えていた。その職工は、田舎を歩いていてよく見事な石の積み方に心打たれたそうだ。「あとから来たものが他の家の田の石垣をつくるとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする」。だから、将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいというのである。職人のこだわりはじつに未来の職人に宛てられていたのである。目先の利害ではなく。何十年先の世代に見られても恥ずかしくない仕事を、というこうした自負をもって、志操をもって、仕事をする人がとんと減ったのが現代である。
・「自立」とは「独立」のことではない。「独立」とはだれにも頼らないで自分の脚で立つこと。インディペンデンス(independence=非依存)のことだ。「自立」というのは、いざというときにいつでも相互依存のネットワークを使える用意ができているということにほかならない。そう、インターディペンデンス(interdependence=相互依存)のしくみがいつでも使えるということである。


「独立」ではなく「自立」。「インデペンデン」スではなく「インターディペンデンス」。これは重要な指摘である。

・原発事故「四つの押しつけ」(池内了)。政府と電気事業関係者と消費者たちは、第一に、原子力発電所を過疎地に押しつけた。第二に、被曝労働を下請け労働者に押しつけてきた。第三に、核廃棄物を未来世代に押しつけようとしている。第四に、汚染水を世界の人々に、生きものたちに押しつけている、というのである。だれもみずから責任をとらないで、他者に「押しつけ」るという、責任放棄の構造。これに合わせ鏡のように対応するもう一つの責任放棄の構造があるように思う。「おまかせ」の構造である。
日本社会は明治以降、近代化の過程で、行政、医療、福祉、教育、流通など地域社会における相互支援の活動を、国家や企業が公共的なサービスとして引き取り、市民はそのサービスを税金やサービス料と引き替えに消費するという仕組みに変えていった。人びとは、提供されるサービス・システムにぶら下がるばかりで、じぶんたちで力を合わせてそれを担う力量を急速に失っていった。公共的な機関への「おまかせ」の構造である。「押しつけ」と「おまかせ」の合わせ鏡。責任を担おうとしない人たちのこの合わせ鏡が、日本社会を覆っている……。


「無責任国家 日本」(>_<)

・政治とは、人びとに理を問う「説得」の術である。人を煙に巻いたりそそのかしたりする詐術であってはならない。これはデモクラシーの基本である。
・社会全体への気遣いや目配りができていれば、建築資材と労賃の高騰を招くことで東北での復興事業を大きく遅延させることが必定な"東京五輪
"の誘致など、だれも発想しなかっただろう。(フォロワーシップの時代--鷲田清一)

「ガンバレニッポン」「ALL JAPAN」の掛け声で、加熱する(させようとしている)オリンピック至上主義。東日本大震災の時点で、オリンピック開催などもってのほかだった。
今からでも遅くはない。東京オリンピック、止めたら。
2014年の時点で、これだけの論が出されてたのか、リアルタイムで読んでおくべきだった。と、今更愚痴ってもどうにもならない。少しでも未来への慮りを志向しなくては。



【彼女に関する十二章】中島京子 ★★★☆☆ 2016/04/10 中央公論社 初出「婦人公論」2014-15
伊藤整のベストセラー評論「女性に関する十二章」(中央公論社 1954)を、下敷きにした中島の本領発揮の、書評小説(^_^;)。中島の作品はほとんど読んでいるが、デビュー作「FUTON」、代表作「小さいおうち」「イトウの恋」などの、このての作品がいちばん中島の良さが活かされていると思う。本書の十二章のタイトルも伊藤整作品をそのまま踏襲している。そもそも伊藤整作品も「婦人公論」に連載されたものである。なかなか念の入った作りである。

「思い起こせば80年代でしょ。私たちの青春があったのは。あのころ、あれよね。『女の時代』とか言われたじゃないの。そこからまっすぐ、女には生きやすい時代が来るって思ってたの、私。ところが、30年が流れて周りを見渡してみると、そこらじゅうの議員がセクハラ発言してる。結婚しない女や私みたいに離婚した女が悪く言われるのは変わらないし、生きやすいどころか若い子は経済力がないから家庭を持ちたくても持てなくて、そんな中で子供でもできれば女子の負担はものすごいことになってて、赤ちゃんを育てるのと仕事をするのとを両立させるのが難しくなったり、自分が病気をしたりしてお金がかせげなくなったときに、脚を引きずって役所へ行って生活保護を申請しようとすれば、『夫はいないのか』『結婚していないのか』『育てられないなら産むな』『無責任だ』と罵られた上に、『生活保護を申請する前にソープへ行け』と言われてしまったりするのよ」
ここまで一気に読んで、ちょっと聖子はめまいがした。


50歳を迎えた聖子の古い友人からのメールだが、女性の時代どころか、福祉レス社会になりかけてしまっている、今の日本の現状(>_<)

読み進んでいくうちにだんだんわかってきたのは、<他人のために自分のエゴを否定する>型の愛というのはしばしば、日本マナステカの会長の爺さんなどによって強い者から弱い者へと押しつけられるらしい、ということだった。
「主たるもののの為に、主でないもののエゴを殺すことが日本社会の通念でありました」
と、ベストセラー作家は書く。
「妻は自分の着物を買おうとしたりしないで旦那様の酒をたっぷり買ってやる。娘は自分の身体を売って親をのんびり暮らさしてやる。兵隊は爆弾とともに敵の軍艦に飛び込んで国を救う」
「お前らはみんな、自分の欲を殺せ、そうすれば家の中や、世の中がおだやかになる、と考えるのです」
ちょっと待って。じょうだんじゃないわよ。
聖子はむくりと起き上がった。
自己犠牲の精神というのは、言葉だけ聞くと美しくかんじられるけれども、それが「主たるものの為に、主でないもののエゴを殺す」と、一方方向だけ適用されるのは、ものすごい不平等だと感じたのだった。(第六章 愛とは何か)


自己犠牲の精神、それは、あの「教育勅語」に通ずるものがありそうだ。

帰宅するなり聖子はタブレットでキンドルアプリを立ち上げ、例の60年前のエッセイ集の「正義と愛情」の章を読み出した。
「もしも人間が正しいことを考え、正しいことを言い、正しいことのみを行動して、生きることができれば、それはもっとも幸福な状態に違いありません。理想国家の、理想家庭では、きっとそのようなことが可能となるでしょう。/しかし人間というものは、正しいことばかりして生きられるものではないようです」
なるほど、正義とか正しさというのは、あんまり人を居心地よくはさせないものらしい。(第七章 正義と愛情)


正義とか、理想とかをお題目にして、その言葉とは正反対の事態を生み出すことも、ありがちなこと。

「<他人のために自分のエゴを否定する>という孔子様型の愛は、自己犠牲を称揚する日本的な情緒とつながるわけだな。言ってみれば、演歌調の情緒っていうか」
「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編むみたいな?」
「演歌や浪花節の情緒はだいたいそうだよね。女が男を立てる。子供が親を立てる。子分が親分を立てる。こういう、日本人の情緒に染み込んじゃってる自己犠牲的愛は、一見美しいんだけど、基本的に夫を敬え、親を敬え、国家を敬え、自分のことは擬制にして敬えという考え方なわけだろ。これを突き詰めちゃったのが、太平洋戦争を支えた精神構造なわけで、突き詰めるとマズい方向へ行くって、この作家、何度も書いてる」

「これが書かれた1954年っていうのは、まだ戦争の記憶が生々しい時代でしょう。だから、二度とああいう状態になっちゃいけない、自己犠牲が特攻隊まで生んで、あたら十代の若者をお国のためにとむざむざしなせたような状態になりたくないという必死さがあるわけだよね」

「整理すると、戦後、日本の非軍事化と民主化を最大目標に定めていたアメリカの政策が、『逆』、つまり『最軍事化』を進める方向に逆転したのが、『逆コース』ってことだよね。非軍事化から、最軍事化へ。すると同時に民主化のほうも、抑えられる形になっていくわけ。労働運動が既成されたりさ」

「つまり、この作家が言いたかったのはね、いつだって日本で『軍事化』が進められるときには、日本的情緒が引っ張り出されるってことだと思うんだよ」
「民主主義の根幹にあるのは、個人をだいじにしようっていう考え方でしょう。一人の人を、その人がほんとに幸せだと思えるような状態にしよう、少なくともそういう方向を目指そうっていうのが、民主主義なんだよね。だけど、日本では個人をだいじにしようとするとワガママって非難されるような雰囲気があるでしょう。つまり、それが日本的情緒だよね」
「個人をだいじにしようとすると非難される?」
「日本ってさ、みんなと違うことをしてる人を見ると非難する傾向があるじゃない。みんな横並びで同じがいいみたいな。だけど、本来、人というのは千差万別なものだよ。それを不自然に押さえつけるから、みんなと違うことをして堂々としてる人を見ると、自分の存在がちっぽけに見えて、文句つけたくなるんだ。それも日本的情緒だと僕は思う。

「日本で『軍事化』が取りざたされるときには、必ずこの、日本的情緒がセットになってやってくる。ワガママは抑えろ、大義のためには自分を擬制にしろ、権利より義務を尊べっていう声が、どこからともなく日本人の情緒に訴えかけてくる。なんだか、昔の話には思えない。最近よく聞くような声だよ。ひょっとしたら軍事力そのものよりも、軍事力が日本的情緒とセットになることこそが危険で厄介なんじゃないかって、すごく思うよ、これ読んでると」
珍しく熱弁をふるう守の隣で、何か重要なことがわかりかけたような、わかりかけたが取り逃がしたような、中途半端な感覚が聖子の胸に残った。(第九章 情緒について)


聖子とその夫のやりとり、そして伊藤整の「日本的情緒」は、昨日紹介した笠井潔の言うところの「ニッポン・イデオロギー」とほあぼそっくりそのままではないか(@_@)
最近中島が雑誌や新聞で、社会発言をしているが、それも、伊藤整60年前のベストセラーにインスパイアされたのではなかろうか。
いやあ、Morris.も、この伊藤整のエッセイ読み返してみようかな。



【テロルとゴジラ】笠井潔 ★★★☆☆ 2016/12/30 作品社
笠井の新しい論集と思ったが、新しいのは最初の章くらいで後は、あちこちに書いたものをまとめたものらしい。半分くらいは一度目にしたもののような気もする。

日米戦争を「終戦」にもちこんで延命した支配層は、念願の改憲再軍備と、戦時天皇制国家をモデルとした権威主義的国家再編を推進している。戦後の「繁栄」と同じように戦後の「平和」もまた、すでに失われている。北朝鮮と中国の軍事的圧力や泥沼化した世界内戦の脅威に対抗すると称し、特定秘密保護法や解釈改憲による集団的自衛権の行使容認、それに見合う戦争法案などが次々に強行されてきた。
1950年前後に危機感を込めて語られた「逆コース」や「戦争と軍国主義への道」は60年以上の時間が経過した今日、急速に現実化してきた。
欺瞞的な「平和と繁栄」への批判は、欺瞞的であるにしろないにしろ「平和と繁栄」がそれ自体として失われるのに応じて、しだいに無効化されてきた。その決定的なメルクマールが東日本大震災と福島原発事故だ。<68年>の戦後批判は、3・11をもって最終的に失効し、もはや歴史的な異物と化したというべきだろうか。


これが笠井流の日本の戦後のアウトラインらしい。本筋はその通りと思う。「68年」へのこだわりは、笠井の世代(Morris.もほぼ同じ)の、通奏低音みたいなものかも。

琉球処分以来、沖縄は日本に喰いこんだ刺だった。沖縄は北海道と並んで、もっとも早い時期に日本帝国が併合した新領土だが、沖縄「県」や北海「道」など日本国内の行政単位として位置づけられた点で、その後の台湾や朝鮮などの海外植民地とは性格が異なる。植民地でありながら、日本の内側に存在するという二重性が沖縄には刻まれていた。日米戦争の末期に沖縄「県」では、住民の四人に一人が死亡するという過酷な地上戦が戦われたが、それを本土決戦とはいわない。
サンフランシスコ条約による日本の独立後も、沖縄ではアメリカによる占領が続いた。沖縄の本土復帰は1972年だが、それ以降も本土からの移設で米軍基地は拡大し続けた。日本の内にあり、また外にある沖縄はほんどならぬ<本土決戦>が行われた点でも、いまなお在日米軍基地の大半が集中している点でも、日本い喰い込んだ刺であることをやめていない。戦後も、そして本土復帰後も沖縄は、アメリカの属国という戦後日本の素顔をくっきりと映し出す鏡だった。


「沖縄での地上戦を本土決戦と呼ばない」これこそ、日本人が沖縄を「本土」とは別物と思ってたことの象徴でもある。沖縄にとっては、日本こそ喉元に突き刺さった太い刺だった(いや今でも)のではないか。

天皇に拝謁するため戦死者の亡霊は、水漬く屍、草むす屍をさらした南海の果てからゴジラとなって祖国に帰還した。しかし自分たちを戦地に赴かせた神としての天皇、大元帥としての天皇はもはや存在しない。
ポツダム宣言を受諾した戦争指導層は、55年体制では岸派=自民党右派として延命した。今日にいたるまで、この勢力が靖国神社への戦犯合祀や首相の公式参拝に執着するのは、妄想的な神国思想からだけではない。戦争犠牲者が怨霊となって祟るだろう最大の裏切り者は、保身のため本土決戦を放棄して延命した戦争指導層である。自民党右派に代表される保守勢力は、靖国神社に祀り上げることで戦没兵士の怨念を封じなければならない。


日本史に繰り返し現れる御霊信仰が今の安倍政権にまで継承されてるということか。

アメリカが「同盟国」だというのは名目にすぎない。日米安保体制の成立は米による軍事占領の永続化を意味した。将来にわたってアメリカの属国であることを日本に認めさせる儀式が、サンフランシスコ条約の調印式だった。冷戦という国際条件のもとでは、日本がアメリカから真に独立できる条件は皆無で、東西対立が激化すれば日本はアメリカの戦争に巻きこまれ、アメリカを防衛する衝立として使い捨てられる。そのとき、またしても日本は廃墟と化すのではないか。

このことを、基盤とせずに日本の戦後史を語る事はできない。そして、そのことを「知っているのに知らない素振り」でやり過ごしてきたのが戦後の日本人の大多数だった。

対米戦争の敗北はニッポン・イデオロギーの敗北だった。しかし日本人の大多数は、こうした反省を致命的に欠いたまま「再建の槌音高く」戦後復興の道をやみくもに走りだした。対米戦争の敗北を科学技術や経済力の敗北、「全近代的・半封建的」な日本の敗北として捉えた点は保守も核心も基本的に変わらない。たとえば丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」や「軍国支配者の精神形態」は、ニッポン・イデオロギーの一面を批判的に捉えてはいた。しかし、その克服を日本社会の欧米並の近代化に求めた丸山の空想性は、もはや誰の目にも明らかだろう。日本の市民社会的成熟なるものは70年を費やしても、いまだに実現されていない。

市民なんてもともと日本には存在してなかった。英語シチズン(Ctizen)の翻訳語なのだろうが、「市民運動」は「市民階級」はCivil class、フランス語ならBourgeoisie(ブルジョアジー)ということになる(^_^;) もともとは「中産階級」で、Morris.のような下層階級には市民運動やる権利もないのかもしれない(^_^;)

ゴジラは2011年3月11日、圧倒的な破壊力を誇示しながら現実世界に復活したのではないか。東日本大震災や東北地方の太平洋岸を壊滅させた巨大津波と、第2次世界大戦の戦死者とに物理的な因果関係はもちろん存在しないが、国民意識の象徴的次元では両者が二重化しうる。無害化され消滅したはずのゴジラは日本海溝の底に潜んで、すでに傾きかけた「平和と繁栄」の戦後日本を蹂躙し倒壊させる機会を窺っていた。敗北した戦争も戦死者の存在も忘れはてた日本人の前に、またしてもゴジラは復活し日本に上陸したのではないか。しかもスクリーンの上にではなく、われわれが生きる現実の日本列島に。

東日本大震災。それも福島大地原発事故が、原子力という「怪物」の復讐であるという喩えは、わかりやすいだけに、誤解も生じやすいのではないか。

1953年、アイゼンハワー大統領は国連で「アトムズ・フォア・ピース」演説を行う。この時点での、アメリカによる「原子力の平和利用」提案には二重の意味が込められていた。ソ連に続いて有力国が核武装する可能性は、アメリカにとって望ましいものではない。だからアイゼンハワーは、アメリカが実質的に支配する国際機関で、新たに生産される核物質を管理するという提案をした。露骨極まりない国家エゴを粉飾するため、「原子力の平和利用」は題目としてもちだされたにすぎない。

そしてこれを最大利用したのが中曽根、正力ラインということ。

ニッポン・イデオロギーに特有である既成事実への屈服と不決断、あとは野となれ式の無責任の結果として、日本は破滅的な対米戦争という蟻地獄の底にずり落ちていった。その犠牲である「戦死者の御霊=ゴジラ」が3・11に日本を襲い、致命的な原発事故を生じさせる。巨大地震が惹き起した巨大津波としての「戦死者の御霊=ゴジラ」は、事故原発に姿態を変換して放射能を撒き散らしはじめる。巨大怪獣にも匹敵する脅威を前に日本政府、そして対米戦争の軍に相当する東京電力はニッポン・イデオロギーの徒として醜態をさらし、、危機と例外状態に直面した際の致命的な無能をさらけ出した。(第一部 テロルとゴジラ--<本土決戦>の創造的回帰としての)

笠井のいう「ニッポン・イデオロギー」は、たしかに今の安倍政権のベースにあるものだろうが、これが、無意識の中でほとんどの日本人の中に染み込んでいるというのが問題ぢゃ。

アジア的貧困の克服と近代的理念の実現は一体であると主張する知識人に、大多数の日本人は二面的な態度で臨むことになる。貧困からの解放という点で戦後知識人と立場を共有した大衆は、その実現のため戦後知識人の理念に反する方向をしばしば選択した。
たとば知識人の憲法平和主義や国連平和主義という空論を拒否し、日本人の多数派は対米従属と日米安保体制を支持し続けた。戦後日本人が求めた「平和」とは、二度と戦争に巻きこまれないことにすぎず、日本の「繁栄」に有益であれば隣国の戦争被害も黙視する、内心では歓迎するというのが朝鮮特需からヴェトナム特需にいたる暗黙の合意だった。の時代まで、憲法九条に普遍的な理想を読もうとする戦後知識人にたいし、日本人の多数派はそれに実利を託した。軽武装による経済成長という保守本流路線が、吉田首相から他中首相の時代まで、あるいは2010年の政権交代まで支持され続ける。自民党が政権を失ったのは、新しい路線が国民的に合意された結果ではない。路線なき無原則な漂流状態が到来したにすぎず、この絶妙の時期を選んでゴジラは日本列島に上陸する。

朝鮮戦争もベトナム戦争も、日本の繁栄に寄与したというのが、通念になってしまっていること自体、ニッポンのご都合主義的体質を体現している。

3・11の巨大地震と巨大津波は、チェルノブイリ級の致命的な原発事故に帰結した。水爆実験から誕生したゴジラが放射性火焔を吐くように、福島第一原発の廃墟からは放射性物質が東日本全域に撒き散らされている。この点でも3・11はゴジラの上陸だった。

環境世界に内在する神々は一神教の神とは異なり、人間にとって同格である交渉の対象にすぎない。「役に立つ」ことを目的とする点で、アニミズム的な知と近代の科学技術には似たところがある。戦後日本人が科学技術立国を唱えることができたのも、この点からは少しの不思議もない。ただし似ているようでも原理が異なる。科学真理の探求をめぐる近代化されたユダヤ・キリスト教的絶対観念によって、あくまでも科学技術は統御されている。しかし日本人は、「役に立つ」新型の呪術として科学技術を取り入れた。
アニミズム的な技術は、必要に応じて手近な材料を組み合わせる器用仕事(ブリコラージュ)だ。放射能汚染水の流出をとめるため、福島原発の技術者は水槽に木屑や新聞紙を投げこんでいたが、まさに器用仕事の発想だろう。工業生産、もの作りという点で戦後日本は、本家の欧米を凌駕する水準に達した。「役に立つ」製品、家電や自動車であれば問題は生じない。韓国や中国など新興諸国の追いあげを心配する程度ですんだ。しかし原発では事情が根本的に異なる。絶対観念なしのアニミズム的な知では、もともと歯が立ちようのない近代科学の究極形態が原子力技術だからだ。
原子力技術は「原子核の安定を強いて破壊」することで、大量のエネルギーを人工的に発生させる。この点は原爆も原子力発電も原理として変わらない。


八百万の神々と、唯一絶対神とは、相容れないものだろう。ともかく、原爆も原発も原理は同じであり、進んで「地雷を踏む(^_^;)」ことはなかったのだ。

日本社会や日本文化のアニミズム的基層は、実存的要求や超越的理念を排除するケセラセラの相対主義や現世主義として、日本の敗戦以降もしたたかに生き延びた。昨日まで「本土決戦」を呼号していた第一の立場が、転向の痛覚もなく、一夜にして「アメリカ民主義万歳」になる。大和の将兵に「一億玉砕ニ先ガケテ立派ニ死ンデモライヒタシ」と託宣して沖縄作戦に送りだし、本人は畳の上でのうのうと往生した豊田副武の心証は、まさにこのようなものだろう。

実は、Morris.の生き方の基本方針は、このケセラセラ主義だった(^_^;) 一番ラクな生き方だと思ってたのかもしれない。しかし、やっぱりこれは、根本的な間違いだったのかもしれない。

原発事故を破壊的なまでに拡大した東電や政府、技術者や官僚や政治家の心性もまた、誰も責任を摂らない組織や小田原評定や問題の隠蔽と先送りなど、第二次世界大戦の敗北に帰結したかつての日本人と少しも変わらない。丸山眞男が「無責任の体系」と、山本七平が「空気」による暗黙の支配として批判したようなニッポン・イデオロギーが、アニミズム的心性の唯一の現存形態である。

病根は深い(>_<)

福島原発の事故で「一神教的技術の生み出したモンスター」に打ちひしがれた日本人は、身についた流儀でこの体験を水に流し、さっさと忘れてしまおうとするだろう。それが頽落したアニミズム的心性の自然な反応である。原発を導入した経緯を厳密に検証することも、それを推進した関係者の責任を厳格に問うこともなく、たんに怖いものに蓋をする。理を尽くした検討の結果として放棄するという国民的な合意や決断がなされないまま、再稼働する原発がなし崩し的に増えていく。こうした事態を日本人は、またしても受け容れていくのだろうか。
どのように大規模でも、自然災害はニッポン・イデオロギーに根本的な打撃を与えることがない。頻発する災害に対処するものとして、ニッポン・イデオロギーは形成されたともいえるからだ。日本列島を焦土と化したアメリカ軍の戦略爆撃、そして原爆の被災でさえ日本人は自然災害にたいするのと同じ流儀でやりすごした。(第一部 3・11とゴジラ/大和/原子力)


無責任、責任逃れ、長いものには巻かれろ、親方日の丸……

全共闘世代が大量転向したように見える光景の背後には、日本資本主義に固有の「与えられた20年」が存在した。「与えられた20年」の空疎な繁栄に迎合したのは、「おいしい生活。」の糸井重里や無数の企業戦士などの転向活動だけではない。「与えられた20年」のイデオロギーである日本型ポストモダニズムに浮かれた新人類世代も、それ以降の世代も日本からデモを消失させた点では、転向活動家と同罪といわなければならない。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、姑息な強気。

どのように小規模なデモであろうと、デモには自由を求める大衆蜂起の夢が多かれ少なかれ宿されている。21世紀のコントロール的な考案権力は、1905年ロシア革命の血の日曜日事件のように、大衆デモを銃剣でせいあつするようなことは、とりあえずしない。その代わりに、デモ参加者を端からビデオ撮影し、膨大にデータ化し、銃剣の弾圧よりも陰湿で効果的な切り崩しをはかるだろう。
蜂起としてのデモには、公安権力の阻止線を越えていく必然性がある。阻止線を越えれば「違法」であり、暴力を独占した国家は違法行為を暴力的に制圧する。考案権力の弾圧に実力で抵抗すれば、デモもまた暴力的にならざるをえない。ただしデモ側の暴力は、公安権力の暴力には屈しないという象徴的・例示的な暴力にすぎない。(第二部 デモ/蜂起の新たな時代)


秘密保護法、戦争法案反対運動で、Morris.も久々にデモに参加したが、何か違和感を覚えたのは、どうも「本気」が欠けてたためかもしれない。

白井聡が指摘するように、「敗戦そのものを意識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識」は倒錯的である。世界戦争としての対米戦争に敗北した事実を見ようとしない、従って対米従属の必然性を正確に把捉しえない点で、帝国継承原理の改憲再軍備はもちろん平和主義を原理とする護憲非武装派も倒錯している。(第二部 「終戦国家」日本と新排外主義)

倒錯対倒錯、ではもう、そもそも何をやっても、駄目ぢゃん。

第二次大戦に際してドイツとソ連は、そして日本も数々の戦時国際法違反を重ねている。捕虜の処遇などの点で、相対的に国際法を遵守したように見えるアメリカもまた、自衛戦争の論理で正当化される暴力を無制約的に行使した。たとえば戦略爆撃による民間人の大量殺戮、その極限としての原爆投下。などなど。
世界戦争の論理に無自覚だったのは、日本の戦争指導層のみである。世界戦争としての日米戦争を、最後の国民戦争だった日露戦争に重ねあわせ、「一勝を博して講話に持ちこむ」以上の戦略もなく開戦に向けて流された日本は、致命的な惨敗を喫してアメリカの属国に転落した。世界戦争の敗北による日本の国際的地位は、70年後の今日も変わらない。「第二部 シャルリ・エブド事件と世界内戦)


まさにそのとおりの反則世界(>_<)
笠井が特に「警世家」というわけではないだろうが、彼の指摘の多くは当たっていると思う。問題は、では、何をなすべきかであり、その答えを別の論者に求めるのではなく、個々人それぞれに追求すべきなのだろう。



【観光コースではない韓国】小林慶ニ ★★★ 1994/08/01 高文研
ちょっと古い韓国案内だが「観光コースではない」というだけに、特に古びるというものでもなさそうだ。

草梁倭館は、江戸時代に日本が海外に置いた唯一の公館で、敷地面積は十万坪を越す広大なものだった。館内には館守(現在の総領事にあたる)の館をはじめ宴大庁、客舎などが建ち並び三千人を越す日本人が住んでいた。
1876年、日朝間に光華条約が結ばれたあとには日本領事館が置かれ、韓国併合後には朝鮮支配のシンボルともいえる官幣中社・釜山神社が建てられ、日本人街の中心となった。
解放後の朝鮮戦争の際は、故郷を追われた避難民が山頂までバラックを造ってここに住み着いた。名門、梨花女子大も一時ここへ避難している。しかし1953年の大火でバラックは全勝。その後公園となり、1957年に李承晩大統領の八十歳を記念して彼の号をとり「雲南公園」と名づけられた。60年の学生革命で李大統領が失脚するとまた龍頭山公園の名前に戻った。


龍頭山公園には、たしかこの倭館の記念石碑があった。ここに倭館が移ったのは1607(慶長12)とのことだが、往時には三千人以上の日本人が住んでいたとは知らなかった。かなりの規模である。

釜山のアメリカ領事館は、日本支配時代に植民地政策の先鋒だった東洋拓殖株式会社釜山市社の建物をそのまま使っている。

この建物は現在、近代歴史館に生まれ変わっている。

井州は19世紀末の「東学農民戦争」勃発の地でもある。
全ポンジュ率いる東学農民軍が、初めて政府軍を破った古戦場、黄土ヒョンは駅からタクシーで15分くらいの距離だ。現在は「黄土ヒョン戦跡地浄化公園」になっている。

信長正義さんの専門である、東学楽農民戦争、「黄土 ファント」といえば、古本屋で手に入れた金芝河の同名の詩集(韓国版)を思い出す。彼が大阪で講演会に来た時、飛田さんに頼んで、サインしてもらったのだが、現在は、たしか斎藤さん宅にあると思う。




【即興ラプソディ】山下洋輔 ★★★ 2012/02/26 日本経済新聞出版社
2部構成で一部「私の履歴」は同題で2011年6月1日~30日に連載されたもの。これだけでは100pにしかならないので、以前発表した文章のうち、自伝的要素の強いものを「ジャズマンの履歴書」の題で付け足した一冊。面白いのは1部と2部では本文の紙質が違うことだ。一部はほぼまっ白、二部はクリーム色。何となく差別化を図ってるのではと勘ぐってしまった。
一時期山下、筒井康隆、タモリ、平岡正明らのグループ活動(^_^;)にハマってたことがあり、山下の本もいくらか読んだので、二部の半分くらいは既読感があった。懐かしさもあったが、当時のワクワク感は無くなってしまっていた。
旧東欧共産圏の国でのジャズフェスティバルのこぼれ話が、改めて印象的だった。

たとえばある旧東ブロックの国では、ジャズフェス開催の期間中だけ、英語版n雑誌「タイム」や「ライフ」がキオスクに並ぶ。西側のジャーナリストは「なんだこんなに自由になっているのか」と感心する。ところがその期間がすぎるとさっさと回収される。これだけならよくある全体主義国家の対外うそつき政策だが、恐ろしいのは、その期間に西側の雑誌が買えるというので喜んで買いに来る自国の人々を秘密警察が写真に撮るという話があったことだ。
東ドイツでもジャズフェスの会場のまわりに、本来その国には居てはならないはずの長髪にジーパンという若者たちがたくさん出現した。切符を買う金もそれを手に入れる地位もない人々だ。彼らも容易にマークされるだろう。そういう人々のあぶり出しに、一役買ってしまったのではないか。年に一度の旧東側諸国でのジャズフェスは不満のガス抜きとともにそういう一面もあったのではないか。

何か共謀罪が施行され、社会に染み込んでいくと、こんな情景が日本でも起こりそうな気がしてきた。



【神の手 上・下】久坂部羊 ★★★☆ 2010/05/25 NHK出版 初出は2008年から2010年に地域新聞9紙に順次掲載。

若い末期的肛門癌患者の安楽死を行ったベテラン外科医白川を主人公に、安楽死を推進しようとするグループと反対派の争いに巻き込まれるが、その裏には、さらに大きな力が…… といった、この作者の得意分野?を扱った700pの長編。

公開延命治療の鴨志田が死んだあと、世論は安楽死容認にさらに大きく傾いた。平成新聞のアンケート調査では、安楽死の法制化を求める意見が、80%に迫る勢いだった。一年前では考えられないことだ。今や多くのメディアが無理な延命治療を批判し、安楽死に肯定的な姿勢を見せていた。それに対し、「阻止連」側の主張は、十把一絡げに「きれい事」と決めつけられ、だれも見向きもしなかった。
東(新聞記者)は、アンケートの結果を見て、世間の"空気"の恐ろしさを感じていた。いったん"空気"ができ上がると、それにそぐわない意見はすべてシャットアウトされる。この国を律しているのは、正義でも理念でも経済でもない。ただの"空気"だ。古くは戦前の軍国主義から、最近の自己責任論やグローバリズムまで、日本を動かしてきたのは、常に社会を覆う"空気"だ。


もちろんこれはフィクションだけど、安楽死法が採決・施行されても不思議がない気がする。ここでも「空気」がでてくることに、ちょっと驚かされた。

「安楽死専用薬ケルビムは、安全・快適・確実な安楽死を保証する(火)っきてきな注射薬です。主成分は、弊社開発のオピオイド系新型合成麻薬、T4A1であります。これはモルヒネの20倍の鎮痛効果を持ち、MDMAなどと同様、DA作動ニューロンの脱抑制により、大脳辺縁系の側坐核ニューロンの興奮から多幸感を引き起こすものであります」
スクリーンにT4A1の化学式、分子構造、作用機序などが図解される。続いて目の覚めるような南太平洋の海が映し出される。
「多幸感は強い反応をもたらしますが、安楽死には外見上の穏やかさが求められます。そのため、ケルビムには、セロトニンによる中枢神経の興奮を抑えることを目的として、ヤンゴナという胡椒科の植物の根から抽出したカバラクトンが配合されています。ヤンゴナはフィジーなど南太平洋地域で儀式にも用いられるもので、強い神聖作用、抗羞恥作用、鎮痙作用などを有します。これにより、ケルビムは十分に鎮静された多幸感、陶酔反応を現したのち、一歩進んだ安楽死を実現するのです」
ヤンゴナの説明のあと、ナレーションはケルビムの致死作用について解説した。
「ケルビムは分子構造の一部に、炭素と窒素の三重結合を含みます。これが水と反応してシアン化水素を発生するのです。ただし、反応には二酸化炭素を必要とするため、血液中に投与された場合、20分から30分程度の時間を要します。これがケルビムの死を、穏やかかつ荘厳なものとするのです。患者様にはケルビムによる多幸感をゆっくりと味わっていただき、ご家族にも十分な看取りの時間を保証します。致死量は成人の場合で体重当たり1ミリグラム。すなわち体重60キロの人なら6ミリリットルのケルビムで安らかに絶命していただけます」
シアン化水素が、青酸カリから発生する猛毒であることは、医師ならだれでも知っていることだ。ナレーションが敢えてそれを明言しないのは、ケルビムのマイナスイメージを少しでも和らげるためだろう。


これも、仮想の薬だ(と思いたい)が、医者ならではの説明。しかし、こんな薬が公開されたら、自殺に使われる可能性大である。

「山名先生。医療者権利院はそれでいいのですよ。医療は、あくまで我々官僚が指導します。すなわち、医療のシビリアンコントロールです。医療を医師の手に任せると、ブレーキが利かなくなりますからね」
「どうして、医療にブレーキが必要なんです。医療は進めば進むだけ、患者の利益になるのですよ」
「たしかに医療は、国民生活には欠かすことのできないものです。国民にとっての重要性は、たとえば防衛などとも同じでしょう。しかし、医療も防衛と同様、当事者に主導権を渡すと、際限のない膨張主義に陥る危険性があります。当事者は重要性しかかんがえませんからね。今、国民の医療費が年間三十七兆円という厖大な規模にあるとき、中立の立場の者が制御をかけなければ、国を滅ぼしかねない。その意味で、新見先生の構想では、医療者権利院の力が大きくなりすぎましたが、杉尾君が議長になれば、ほどよいところで止まるでしょう」
「それじゃ、まさか、あなた方が新見を……」
山名は信じられない思いで海老原を見つめた。海老原は余裕の表情で苦笑した。
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。我々も手を講じないではなかったが、新見先生は自殺だったのでしょう。まあ、タイミング的には、願ってもないことでしたが。いや、これは失言。取り消します。ふふっ」


海老原は厚労省官房長。山名は白川の同級生でJAMAの執行部長、日本の年間医療費37兆円というのは、事実なのだろう(@_@) 国民一人あたり30万円以上かあ。

白川泰正は、日本安楽死医学会からの依頼で、シンポジウムの座長を引き受け、その大役をはたしたばかりだった。
日本安楽死医学会は、安楽死法の成立を受けて、前年の10月に設立された学会である。それまでの終末期医療学会や尊厳死研究会などがひとつにまとまったものだが、学会名に「安楽死」の名称を堂々と掲げたところに時代の流れが反映されていた。
白川が進行役を任されたシンポジウムは、「選択肢としての安楽死」というテーマで……


主人公白川はそのまま著者のモデルというわけではないが、安楽死への考え方は、ほぼ当人に通じるものだろう。
「せんたくしとしてのあんらくし」というのが、語呂合わせめいておもしろかった(^_^;)

フォーラムの表舞台では、成功例しか取り上げられない。医療の学会はいつもそうだ。問題点を議論することもあるが、それは解決できる内容に限られる。安楽死が実は殺人だというような、どうしようもないことには、だれもが見て見ぬふりをする。

安楽死=殺人。これは忘れてはならない。

安楽死法は、耐えがたい苦痛に苛まれ、死ぬに死ねずに苦しんでいる人のためにできたのだ。しかし、この法律のせいで、死ななくてもいい命が葬られ、家族が一生消えない傷を負わされ、安楽死を行う医師が自殺にまで追い詰められている。
それでもこの法律がなければ、死ぬに死ねない患者が、絶望的な苦痛に堪え続けなければならない。京洛病院で自分が安楽死させた古林章太郎のあの苦悶。付き添っていた伯母、晶子の気も狂わんばかりの悲嘆。あの悲惨な状況を座視続けることができるのか。あっても困る。なくても困る。それが安楽死法。


誰もが逃れられない「死」への恐怖には、死に際の「苦痛」がかなり大きな部分を占めていると思う。



【愛と暴力の戦後とその後】赤坂真理 ★★★☆☆☆ 2014/05/20 講談社現代新書 2246
先日読んだ『
東京プリズン』(2012)の著者自注として読み始めた。

日本の近現代の問題は、どこからどうアプローチしても、ほどなく、突き当たってしまうところがある。それが天皇。そして天皇が近代にどうつくられたかという問題。
だが、天皇こそは、日本人が最も感情的になる主題なのである。


「感情的」というのとはちょっと違う気がする。

「じゃあ天皇に戦争責任はあると思う?」
「天皇陛下を裁いたら日本がめちゃくちゃになったわ!」
どうして、ここだけ即答なのだろう? しかも論点がずれてる。
「なぜ?」
私は問う。
「なぜってそうなのよ」
母がきっぱりするのは、このふたつの時だ。ひとつは真珠湾攻撃がとにかく問答無用で悪いと言う時、もうひとつは、天皇ないし天皇制は守るべきに決まっていたという時。
『東京プリズン』を書く途上でわかったのは、しかしこの論点のずらし方こそが、東京裁判で勝者によって意図的に行われたことだということだった。

「戦争」とか「あの戦争」と言ってみるとき、一般的な日本人の内面に描き出される最大公約数を出してみるとする。
それは真珠湾に始まり、広島・長崎で終わり、東京裁判があって、そのあとは考えない。天皇の名のもとの戦争であり大惨禍であったが、天皇は悪くない! 終わり。
その前の中国との十五年戦争のことも語られなければ、そのあとは、いきなり民主主義に接続されて、人はそれさえ覚えていればいいのだということになった。平和と民主主義はセットであり、とりわけ平和は疑ってはいけないもので、そのためには戦争のことを考えてはいけない。誰が言い出すともなく、皆がそうした。(第1章 母と沈黙と私)


たしかに戦後の日本人の多くは「あの戦争」はアメリカとの戦争と思っているかもしれない。

「朝鮮戦争の特需景気をきっかけに日本は復興に向かい……(某教科書)」
これが暗にいみすることはこうだ。
他人の戦争で、それが私の利益になるなら、歓迎である。
日本人は、戦争を「絶対悪」だなんて、本当は信じてはいなかったし、今も状況次第でそうは思わない。おそらく。

海外での事故や事件の報道で「さいわい日本人の犠牲者はなかった」という、物言いに似ている。多くの日本人が、朝鮮戦争を「僥倖」と受け取ったのは間違いない。

GHQが憲法の草稿を書いたのは間違いない。そうではなく「日米の合作である」と言う人もいるけれど、日本側にできたのは、細かい語句をいじることくらいであったろうと思う。
しかし、他者が他国のためにまるまる草稿をお越した、だからこそのラディカルさが、平和を希求する態度にしろ、明快なまでのラディカルさが、この憲法と第九条の魅力になっていることはほとんど疑いない。
日本語が厳密で明快なことが言えない、とは言わない。
が、日本語が厳密さを回避するように運用されてきたのは日本人の好みとしか言いようがなく、そして日本語がそれを許しやすい言語でもあるのも、たしかなことであると思う。

たとえば、「戦争を放棄する」の放棄。これはrenounseという動詞。
レノウンセは厳密に「自発的に捨てる」という意味の動詞なのだ。abandon(見捨てる)とは違うし、through awayなどと口語的な言い方にも置き換えない。
こういう単語が、私たちの憲法に、他者のしるしとして刻印されている。
「他者の言葉」で、「私はこれを自発的に捨てる」ということほど、倒錯的なことはない。(第2章 日本語はどこまで私たちのものか)

前に「東京プリズン」読んだときにも思ったのだが、日本憲法の雛形である英文と今の憲法とを対照することは必須だろう。

戦後の高度経済成長の間に日本社会から徹底的になくされていったもの。
それは、ある種の「階級社会」なのではないかと思う。
それは、戦争と軍隊が「絶対悪」として全否定されていった過程と、奇妙に寄り添っている。

「幼年学校に入るというのは、階級が変わるようなことでした」
この言葉を聞いて、私は旧日本軍の本質がわかった気がしたのだ。
それは旧武士階級そのものだったのだと。
もともと、明治政府が、市民革命ではなく、いわば武士階級内のクーデターによりなった政権だから、近代軍隊といえど下敷きは武士だった。

「士農工商」という江戸時代の固定された階級が、明治になって「農工商」階級でも「士」への上昇が可能になったということ。

歴史上、日本人がすごい力を出した時を見ると、「既存の体制が不可抗力で崩れながら、上昇の夢と平等の夢が同時存在したとき」なのだ。
明治維新と昭和の高度経済成長期。
条件を並べてみると、いかにもまれで、いかにも長続きしそうにない。
しかし、日本人はよほどこれを好むらしく、ほとんどまぐれのように確立したシステムを、なかなか手放そうとしない。
受験システムもそのひとつだ。
今日本で起きていることは、ひとつにはこの受験選抜システムに代表されるものの成就だと言えるし、成就と同時に破綻の産物だとも言える。


「受験戦争」という言葉がいみじくもその本質を表わしている。

「利潤追求集団」があって、その上にある大きな物語も「利潤追求」であったら、それはこわいことになる。蛇がその尻尾を食うような。利潤を産むことが、手段ではなく目的になる。その最たるものが「土地」で、どんな小さな空き地も放っておかれず、換金方法が考えられた。(第3章 消えた空き地とガキ大将)

バブルの本質。

Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II/ John W. Dower(1999年、『敗北を抱きしめて』)

embraceは、「抱擁する」と訳されたりもするが、「抱きしめる」という日本語よりはずっと、性的なニュアンスが強い。性交の含みさえ、そこにはある。ここにも、翻訳のギャップの問題は横たわる。

Japan desires a Security Treaty with the United States of America
日本国は欲する/アメリカ合衆国との間に安全条約を結ぶことを(安全「保障」条約とは書いていない。)1951安保条約の前文

Japan grants ando the Unitede States of America accepts to dispose United States land, air and sea forces in and about Japan.
日本国は保証し、アメリカ合衆国はこれを受け容れる/陸、空、海の武力を日本国内と周辺に配置することを。(第一条 部分)
他人の手で、ありもしない欲望を、自分の欲望として書かれること。まるで「共犯」めいた記述を。入れ子のような支配と被支配性。ほとんど、男女関係のようだと思う。誘うもの、誘発されること。条約にここまで書かれるものなのか。いや、条約とはもともと、関係の写し絵なのか。二者しか知らない直接の占領期の生々しさがここにある。占領期の甘美さも、ここにある。それこそ、性愛にたとえられるような。


「敗北を抱きしめて」は、読まねばならないな。

60年安保闘争を担ったのは、第2次世界大戦後を生身でくぐった人たちだった。
70年安保闘争を担ったのは、戦争が終わってどっと生まれたベビーブーマーたちだった。
戦争をはさんだら、それは人の種類がちがうと思ったほうがいい。
60年安保闘争とは、結局のところ、条約改定の内容より、誰がどういう姿勢でそれを出したか、ということが問題だったのではないだろうか。もっと言えば、岸信介が首相であり、そのやり方が、戦前と戦中を彷彿とさせるということが。
岸信介は、戦前と戦中の東條内閣で大臣を務め、自らもA級戦犯の容疑者として巣鴨プリズンに収監されていた人物である。
彼らの怒りは、首相の岸信介に向けられ、それはさながら、「国民の"戦争裁判"」(保阪正康)だった。


Morris.の二十歳の頃はまさに70年安保真っ最中だったわけだが、かなしいくらいに、ノンポリだった(>_<)

三島由紀夫と連合赤軍。
自殺と仲間殺しはもちろんちがう。
けれど、自殺と仲間殺しこそ、大日本帝国軍が最後に残した評判の、ふたつの側面ではなかったかと、思ってみる。世界を震撼(テリファイ)させた、帝国軍ふたつの質。それは、「玉砕」と「特攻」ではなかったか、と。それは自暴自棄のふたつの貌(かお)だったのではと。


日本帝国軍=自暴自棄(^_^;)

大日本帝国軍は大局的な作戦を立てず、希望的観測に基づき戦略を立て(同盟のナチス・ドイツが勝つことを前提として、とか)陸海軍統合作戦本部を持たず、嘘の大本営発表を報道し、国際法の遵守を現場に徹底させず、多くの戦線で戦死者より餓死者と病死者を多く出し、命令で自爆攻撃を行わせた、世界で「唯一の」正規軍なのである。
私が問いたいことはこうだ。
それは、正規軍と言える質だったのだろうか?(第4章 安保闘争とは何だったのか)

日本帝国軍=非正規軍(>_<)

国鉄分割民営化の真の目的は、社会主義運動をつぶすことにあった。
それで今、若者の雇用問題や派遣会社問題やワーキングプア問題、ブラック企業……など様々な労働問題が起きても、、対抗する労働者側の勢力は、ないのだ。
まず敵をつぶしてから、自由主義路線は粛々と継承された。小泉純一郎が郵政民営化を叫んだとき、自由主義路線が拡大されていく真の着地点は、まだ多くの人に分かっていなかった。そしてそれが過酷に感じられ始めたとき、それに対抗できる労働組合敵勢力は、もはや日本社会に存在しなかったのである。


九十歳近くになるのにまだ生存して、安倍の改憲に肩入れしている中曽根康弘こそ、原発、国鉄解体によって、今の日本の閉塞を準備した元凶だと思う。

「お笑い」や「お笑いタレント」とはなんだろうと思うとき、それはコメディではなくコメディアンでもなく「場の調停者」「場の仕切り屋」である、という言葉が浮かぶ。
それも、異質なものが出逢う場所の調停者ではなく、同室集団内部の調停者である。だから、お笑い芸人(ひな壇芸人)が会するバラエティを見ているとよく、閉鎖集団のいじめを見る気持ちになるのだ。


ほんとうに、あの連中がTV画面から去ってくれたら、と、切に願う。

戦争による桁外れの大量死は、一段高次の物語を「発明」しなければ、犬死にとなってしまう。しかし、日本人にはそれができなかったのだろう。
軍部が無計画な戦線拡大で、本来は死なずにすんだ兵士たちを大量に死に追いやったこと、あるいは兵士が前線でした残虐行為。一方で、日本人が受けた戦略爆撃や原子爆弾のあまりの非道さ,果ては天皇の位置づけ、など、自らにも説明できないことが多すぎて、口を閉ざした。それは急ごしらえの近代の無理のすべてを語るようなことで、それを断念しようとした。それを語る精力のすべてをつぎ込んで、復興と経済成長に懸けた。(第5章 1980年の断絶)


おっそろしく単純化した戦後のレジュメ。

「神を創ってそのもとにまとまり、戦(聖戦)を戦い、そして負けた」
オウム真理教とその起こした事件を、虚心坦懐に見るなら、こうまとめることが可能だろう。
そして、神が負けたから人々は神を忘れたことにして生きている、というのが私たちの生きている「戦後」である。そう言ってみたい衝動に私は駆られる。
オウム真理教を奇形的な集団と言うのなら、大日本帝国が奇形的な国家であったと言うべきであるし、実はその奇形的国家に接ぎ穂をするようなかたちで成り立っている今の日本という国も、ずいぶん奇形的であると言わなければならない。(第6章 オウムはなぜ語りにくいか)


これも単純化レジュメだが、オウムとの対比で強調されるとちょっと引いてしまう。しかし、これも、オウムへの過剰反応かもしれない。

「スポーツで青少年の健全な人格形成をする」というよくあるスローガンについて、ひとつ言いたい。競技がスポーツは、体力向上にはつながるかもしれないし、人との交流や、趣味的楽しみに、なるかもしれない。が、基本的には、視野を狭くすることが、多いと思う。ルール以外のことを考えてはダメで、人がとれない狭いエリアにボールを落とすことばかりを考えるのがスポーツで勝つことであり、たった0.01秒の差で地獄のような気分になったりするのが、すぽーつである。勝つためには手段を選ばないのも、目的合理的ではあるが、人格がよいとは言いかねる。しかし、そうなりがちなのもスポーツである。むしろ承認されたいじめの場となることがある。


「健全なる肉体に、健全なる精神が宿る」という、おなじみの標語には、反論もあるのだが、Morris.は基本的にスポーツ全般に対して、一種のアレルギーがある。

管理は上手くいったが人に活気がなくなって日本は滅んだ、ということになりかねないから。そういう空気が、私達が「閉塞感」と呼んでいるものの、正体だから。
「閉塞感」から連想するのはいじめだが、「いじめの対策」として「管理者の失態」ばかりが
追求されるのは、何かが少しちがうのではないか。
いや、もっと言ってしまえば、「管理側の論理と都合」が最優先された結果、「いじめ」は陰湿化と悪化をたどってきたのではないか。そして「管理側の論理が最優先」というのは、なにも学校組織や教師にかぎらず、
この日本社会にあまねくあるものなのではないか。(第7章 この国を覆う閉塞感の正体)

いじめと管理、空気と管理、閉塞感と管理……ここでも「空気」が。

民主主義は、占領軍によってしか、完全になされなかった。
現在の私たちは、民主主義の世の中を自明のことのように感じている。が、民主主義の本質は、日本人自身で構想されたことはなかった。
すべての枠組やイデオロギーに先立つpeopleという概念を、日本人は持ったことがあるだろうか? ないとしたら、「国民の民主主義」というのは、最初から字義矛盾ではないだろうか?
国家、イデオロギー、すべてに先立って存在する権利が人にはある。その認識こそが、「民主」主義の本質であるのならば、民主主義の体感を日本人は持ったことがあるだろうか? 私は、ない。
生まれてこのかた持ったことのない感覚を、「生得の権利」として行使できるという信念も、そのやり方も、私にはわかっていない。それを認めざるをえない。
現行憲法が押し付けであるか否かの議論より、こちらをまず噛みしめたいと私は思う。
くり返しになるが、翻訳概念である多くのことを、その訳語をつくる段階から精査しなおさないと、そもそも国際的にずれた認識のまま議論しつづけることにもなりかねない。


これも、やっぱり、「茶番」ということだろう。

(憲法は)本当は「国家構成法」とでも言ったほうがよかったのではないだろうか?
Consutitutionは、通常の法とちがい、国を規定するための法である。それは一種、特別な法だが、特別ということは「憲」という字からは伝わってこない。
「『憲』は、おきてという意味だから、憲も法も同じようなことを言っていることになりますね」
翻って、Constitutionと英語で言われた英語圏人なら、子供でも、その語のなりたちを簡単にイメージできる。それは「憲法」用の特別な単語ではなく"constitutte(構成する)"という動詞の名詞形だから。
たとえば「三権分立」は"separation of three branches(三つの枝=部門を分けておく)"。
私たちは、漢字熟語に「まとめよう」とすることに慣れすぎているのではないだろうか? それで知らない概念を、さらにわからないものにしていないだろうか?
自分が漢語と日本語を自分の好きにエンジョイするのはいい。でも、気をつけないと、自分が思うその概念が、相手にとってはまるでちがうということが、同国人同士の中でさえ起こり得、ある概念や解釈が、権力者には都合よく使われるというようなことも起こりかねない。それが起こりやすい言語を使っているのだということだけは、よくよく注意した方がいいと思う。


大日本帝国憲法の中で、「国民」に相当するものは「臣民」である(英語ではsubject)。つまりは国民は、天皇の臣下である。
そのうえ、草の根レベルに信じられたことには、臣民は、天皇の赤子(赤ん坊)である。
ここには、中国由来の概念で言う「忠」と「孝」が一緒くたに鳴ったものがある。忠は主君に対する献身。孝は、親に対する孝行。
つまり天皇は、神であり、主君であり、親である。
これは一体どういう国なのか?
神聖封建国家ではないのか?(第8章 憲法を考える補助線)


明治日本は「神聖封建国家」だったという指摘は、おおむねあたっていると思う。

私は理解した、占領期の日本とは、来る者への「お・も・て・な・し」だったのかと! 在日米軍の扱いもまた「お・も・て・な・し」だった。ならば、在日米軍のための予算の「おもいやり予算」という気持ち悪いネーミングも合点がいくというものだ。
私たちは、私たち自身を一度完膚なきまでに叩きのめし鬼畜とさえ思った相手に打って変わって優しくされたことで、彼らを愛してしまい、彼らももまた気持ちよくしてもらったことが忘れられずに、私たちを手放さない。(終章 誰が犠牲になったのか?)


実に倒錯的な、そして明白な現実。

あの2020東京オリンピック
よくできた物語は、事態に美しい止揚をもたらすようでいて、それこそが新たな犠牲を呼ぶことがある。(エピローグ まったく新しい物語のために)


東京オリンピック、やめたら。



【日本詩歌思出草】渡辺京二 ★★★☆ 2017/04/12 平凡社 初出『道標』2015-16
渡辺京二 1930年京都生れ。大連一中、法政大学社会学部卒業。評論家。熊本在住。「北一輝」「逝きし世の面影」「黒船前夜」学生時代に共産党入党、戦後脱退。文学的には中野重治の影響がおおきかったようだ。石牟礼道子の「苦海浄土」に関わった人という記憶があった。
本書は80代後半に身内の雑誌に連載したもので、かなり自由気ままに書かれている。古事記のヤマトタケルの歌や梁塵秘抄、近松、蕪村、明治大正の文語詩、伊良子清白を称揚し、茂吉、光太郎、佐藤春夫、伊東静雄、吉本隆明などの比較的マイナーな作品を採り上げている。Morris.の趣味とはずれている作品が多かったが、次の小熊秀雄作品は、現在の日本への異議申し立てのように読める。

馬車の出発の歌       小熊秀雄

仮りに暗黒が
永遠に地球をとらへてゐようとも
権利はいつも
目覚めてゐるだらう
薔薇は暗の中で
まっくろに見えるだけだ
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだらう
嘆きと苦しみは我々のもので
あの人々のものではない
まして喜びや感動がどうして
あの人々のものといへるだらう
私は暗黒を知ってゐるから
その向ふに明るみの
あることも信じてゐる
君よ、拳を打ちつけて
火を求めるやうな努力にさへも
大きな意義をかんじてくれ  『流民詩集』


この詩は以前読んだ「
小熊秀雄詩集」にも入ってたと思うのだが、改めて「今日」の状況への力強いエールだと感じた。特に最初の4行。

・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
・かごめかごめ屈(かご)めと言はれ育ち来し籠の輪の中 狭し 島国
・わが神の罠の美美しさにまなくらみたふれし森に虹たちにけり
・曼珠沙華葉を纏ふなく朽ち果てぬ 咲くとはいのち曝しきること
・ある日より現神(あきつかみ)は人間(ひと)となりたまひ年号長く長く続ける昭和 斎藤史



【漢字雑談】高島俊男 ★★★☆☆ 2013/03/20 講談社現代新書 初出『本』2010-12
「お言葉ですが」シリーズ、「中国の大盗賊」「本が好き、悪口言うのはもっと好き」など、随分この人の本には楽しませてもらってきた。

・「義援金」も連日見る。イヤな言葉だ。もとは義捐金である。捐は「棄也」。投げ出すことである。金は投げ出すものではないが義のために投げ出す、ということで「義」と「捐」とのあいだに緊張関係があり、語として成り立っている。義援金は捐が表外字なので同音「えん」の援に変えたものだが、意味をなさない。ただの駄洒落である。義のために援(たす)ける、と思う人があるかもしれぬが、人をたすけるのはそれ自体義なのだから意は「援金」で足りており、上についた「義」が意味を持たぬのである。(震災後の言葉)

ついMorris.も「義援金」を使ってしまっていた。「駄洒落」かあ(^_^;)

・「篇」と「編」とは、日本語で読むとどちらも「ヘン」だが、意味・用法が違う。「篇」は作品一つ一つをかぞえることばである。一篇、二篇、三篇……のごとく。また作品のひとかたまりをもかぞえる。「前篇」「後篇」のごとく。また、作品の篇幅(分量、長さ)をもいう。「長編」「短篇」、あるいは「小篇」「掌編」などのごとく。
「編」は糸へんがついていることでわかるように「あむ」という動詞である。本をつくることによく用いられる。編輯(編集)、編纂、共編などのごとく。これは昔の本は竹片を糸であんでつくったので、本を作ることを「編」というのである。(篇と編その他)


篇と編は使い分けがこんがらがってたが、これを読んでちょっとはっきりした気がする。たとえばノレチャラン釜山編」ではなくて「釜山篇」が正しいと言うことだ。

・新聞、雑誌はもとより書物でも「膨大な」と書いたものが大部分で、正しく「厖大な」と書いたものを見ることはめったにない。「厖大な」は数量、分量が巨大なのを言う。「厖大な蔵書」「厖大な数値」などというふうに。
「膨大」は医学用語で、「膨大する」という動詞である。病的、悪性にふくれあがることである。「腕部が膨大して」などと用いる。(篇と編その他)


パソコンで漢字変換したらまず「膨大」が出ることが原因だとも書いてあった。ワープロ時代は「FEP」と呼んでたが、今は「IME」というのかな。たしかにあの変換候補の順番や選択にはいろいろと矛盾を感じる。特にMSIME(マイクロソフトIME)の候補熟語のラインアップはひどかった。誤用も多かった。あまりのひどさに、数年前にGooogle日本語入力に切り替えてから、ほとんどMSIMEは使わずにいる。

・「輸」音はシュ。明治になって、エキスポートやらトランスポートやらの訳語の字として急に「輸」が用いられ始めた。しかし人は、なじみのない字だから読みかたがわからない。愉快の「愉」、や福沢諭吉の「諭」の類推でユと読んだ。いわゆる「百姓よみ」である。(英語が入ってきた)

・百姓よみ、とは字のつくり(旁、おおむね右側)の読みを全体の読みとすることである。百姓をばかにしたような言いかただが、昔からある一種の述語であり、国語学者も使う。このばあいは拉のつくりの立を読んでリュウである。
百姓よみの最も著名なものは、消耗をショウモウと読む件である。耗は正しくはコウで、心神耗弱はだれしもしんしんこうじゃくというのに、消耗にかぎってしょうもうという百姓読みが定着している。


「百姓よみ」は、時々目にしてたが、いまいち意味が把握できずにいた。形成文字のつくりの部分の音をついそのまま読むということか。たしかに消耗は漢字テストでも「しょうこう」とふりがなしたら間違いにされそうな趨勢である。
結局半数以上が間違って読むようになったら、慣用訓みとして、間違いではないとされる。明らかな間違いでも「数の論理」に圧倒されるわけだ。今朝の共謀罪の採決を連想した(>_<)

・奈良・平安初期に中国から、漢語(中国語)とその文字が大量に入ってきた。
中古漢語には語尾にp・t・kがつくことばが数多くあった。英語のship,hit,kickなどのような語である。これを入声(にっしょう)と総称する。「入」の音がnipなので全体の代表としたのである。声(しょう)は発音。
たとえば、重層の建築物をtapと言った。字は塔。
日本語は開音節構造なので、すべての音節は母音で終る。日本人は子音で終る語を発音できない。tapは母音uがついてタフになった。奈良時代までの日本語のハ行音はp音である。したがってタフの音はtapuである。これが平安期にはpの唇の輝きが弱くなってtafuになった。室町ごろにはfが脱落してtauタウになった。江戸時代にはこれが長音化してトーになった。
いっぽう、入声の語は日本語では、下に他の語がつくと促音化する。つまりタフがタッになる。塔頭をタッチューと言うなどがそれである。(「拉」の字いろいろ)


韓国語のパッチムと、この入声(にっしょう)とはほとんど同一な存在ではないか(@_@) 「塔」は韓国語でも「タプ」である。

「拉致」という語は中国にはない。書物・文章にもなく、口語としてもない。日本人が作った語である。しかし拉致すなわち拉をラと読んでいるのは、日本漢字音にはないことであるから、現代中国語の拉(ラー)から来ていることは確かである。(「拉」の字いろいろ)

「拉致」という漢字語は日本製なのに、「拉」の発音は日本での漢字の訓みではなく、本場中国式発音ということか。よく、こんなことに気づくもんだ。

・漢語「調」は音楽の楽調の意である。日本語では古くから「しらべ」という。多分室町後期ごろから、この「しらべ」にしらべる(調査する)の意が生じた。この「しらべる」にも「調」の字に「しらべる」の意が生じたわけである。
多分明治のごく初めごろ、これに同じくしらべる意の「査」をつけた「調査」という語ができた。investigationかresearchの訳語として作ったのであろう。
これが中国につたわった。伝えたのはおそらく、20世紀初めつまり明治の30年代ぶ」に大量に日本に来た中国人留学生だろう。
「和製漢語」とは字音で読むものを言う。対して「日本漢字語」は「手続」「場合」のような通常漢字で書かれる日本語(和語)をも含む。「調査」は和製漢語である。
「調査」はその後中国でもよく用いられる。物事を調べることは中国でも無論昔からあったが、それにこの語がぴったり合った漢字だ。毛沢東の「調査なくして発言権なし」(没有調査、就没有発言権。1927)特に有名。ここは「検査」「考察」など他の語ではぴったりしない。やはり「調査」である。今日の中国の辞書は、「調査」のばあいのみ「調」にしらべるの意がある、としている。なお「発言権」も日本でできてつたえられた語。(「調査」の由来)


この毛沢東の言葉は知らずにいたが、加計学園を巡る文書の調査、再調査のごたごた関係者、特に菅官房長官に突きつけたい。

・日本語には昔から敬語がある。日本語は敬語だらけである。(ところが)日本人は、日本語には敬語があることを、明治20年代に、英人チェンバレンに教えられた。だから「敬語」という言葉も明治20年代にできた。
日本の学者はこの敬語に飛びついた。というのは、明治の初め以来日本人は、英語など西洋の言語は精緻ですぐれた言語であり、日本語は劣ったダメな言語だと思っていた。ところが敬語という世界に類のない美しいものがあった。そこでそれ以後の学者は、日本の敬語がこんなに美しいのは日本人の心が美しいからだ、という方向へ話を持って行った。日本の敬語は身分制度の産物なのだが、そのことには目をつぶった。(敬語と訓読体)


敬語は階級社会の中では必須のものであり、ほとんど無意識に用いられていたらしい。

・訓読では「子曰」は「シノノタマハク」と読んだ。孔子の「曰」だけ特別である。ノタマハクは「宣(の)る」の語幹「の」、「給ふ」の未然形「たまは」に「ことには」の意の「く」がついたもの。(敬語と訓読体)

これも、ずっと長い間、Morris.は「シノタマハク」と誤解してた。「シノノタマハク=子ノ宣給ハク」だったのか。

・日本語は音韻構造がいたって単純な言語で、音節が111しかない。われわれ日本人はこの111の音をくみあわせて日本語をしゃべっているわけである。
この111には、漢語(中国語)からはいった音を含み、西洋語からはいった音をふくまない。これは、歴史の長さ、日本語への浸透度による区別である。
111のなかに、「しょ」のような拗音が36ある。これはすべて漢語からはいったもので、本来の日本語にはなかった音である。本来の日本語の音節は70くらいしかなかったわけだ。
日本語の音節で、その拗音と、それに撥音ンが、漢語から直接はいった音節である。
ンは外来音だから、開音節でない。
漢語自体にはないが、日本人が漢語を用いるにつれてのちの時代に生じたのが、促音ッと長音ーである。
促音は、音声が一拍分の時間絶える音(現象)である。セッカク(折角)、ソッコク(即刻)など。
長音は、音声が一拍分のびる音である。コーコー(孝行)、ヘーゼー(平生)など。
オ列長音は鎌倉時代、エ列長音は江戸時代に生じたとされる。
漢語の音節は、子音が連続することがないので英語よりは簡単である。
漢語は一語一音節。それを一字であらわす。一語一音節一字。これが漢語の基本性格で、漢字はまことに漢語にぴったりの表記法なのである。
(漢字が)日本に入ると、すべて一音節のものが、多く二音節になる。これには三つのばあいがある。
1.入声語尾P・t・kに母音がついてニ音節になった。いわゆる「フツクチキ」である。雑ザフ、一イチ・イツ、六ロク、敵テキなど。
2.主母音のあとのi・uが独立の音節イ・ウになった。倍baiバイ、雞keiケー、老lauラウ、頭teuなど。近世以後多く長音になった。
3.語尾m・n・ngが独立の音節になった。m語尾の語は、三sam、心sin、金kimなど数多い。呉音以後mと発音していたが、平安後期ごろにn(ン)に合流した。m語尾は三位(さんみ)、陰陽(おんみょう)などの連声(れんじょう)の語に痕跡をのこしている。(音節の話)


ここでも、韓国語のパッチムとの共通点というか、ほとんどパッチムの解説を読んでるみたいな気になった。

【アイネクライネナハトムジーク】伊坂幸太郎 ★★★ 2014/09/25 幻冬舎
2007年から2014年にかけて創作された6篇のオムニバス短編集。最初の2篇は伊坂が好きな斉藤和義の依頼に関わるものらしい。

「でもまあ、危ない目に遭わないでよかったよ。こんなことを言うのもなんだけれど、正義とかそういうのって、曖昧で、危ないものだから」
「はい」織田美緒は意外にも殊勝にうなずいた。「お母さんに言われます。自分が正しい、と思いはじめてきたら、自分を心配しろ、って」
「へえ」
「あと、相手の間違いを正す時こそ言葉を選べ、って。というか。先生、どうしてここにきたんですか? わたしたちが揉めているのを察知して?」(ルックスライク)


伊坂の作品にはこういった格言めいた言説が付きものだが、本作にはあまり印象的なものはなかった。

【京都「トカイナカ」暮らし】グレゴリ青山 ★★★☆ 2015/03/031 集英社インターナショナル
グレゴリ青山 1966京都生れ。26歳まで京都で過ごしたのちに、東京都、和歌山県と移り住み、現在は京都府亀岡市にて「トカイナカ」生活を満喫。

彼女は「旅のグ」のアジア旅行の漫画家として登場したが、その後、和歌山での田舎暮らし、そして京都の地元案内漫画などで間口の広い活動を展開している。「トカイナカ」は「都会」と「田舎」の合成語で、「都会から遠くない場所にありながら自然も豊かな田舎のことで」2003年頃から住んでいる亀岡な場所の謂らしい。彼女の感性には惹かれるものがある。本書は

第1部 田舎からトカイナカへ 和歌山から亀岡へ移った経緯
第2部 エンジョイ都会篇 京都の「裏」観光ガイド
第3部 エンジョイ田舎篇 家庭養蜂報告記録


という三部構成。1部の亀岡移転で、欠陥住宅を購入して大変な目にあったらしいが、それを跳ね返して何とか生活出来るようになるまでの諸々を客観的に紹介し、2部では京都のややマイナーな地域や店舗の紹介、3部では何と自宅の庭でニホンミツバチの養蜂レポートを40pにわたって紹介している。

ミツバチの社会--それは知れば知るほどにけなげで、時に残酷で、美しく甘い、実に神秘的な世界であった。
グは地球の上の人間の社会に住んでそれが自分のせかいだけど、ミツバチにはミツバチの社会があって、その世界で生きている。人間やミツバチだけでなく、猫には猫の、セミにはセミの世界が、アリにはアリの世界が、鳥には鳥のせかいが--そうだミツバチの巣を滅ぼした蛾の幼虫スムシだって蛾の世界を生きたまでのこと……地球の上にはなんて途方もない多くの"生き物の世界"が存在するのだろう。


これはニホンミツバチがスムシ(蛾の幼虫)にヤラれて全滅した後の感慨だが、こういった汎世界観はメレ山メレ子さんに共通するもののような気がする。

【リベラル再起動のために】 北田暁大、白井聡、五野井郁夫 ★★★☆ 2016/06/15 毎日新聞出版
北田暁大 1971年神奈川県生れ。東京大学教授・社会学。
白井聡 1977年 東京都生れ。京都精華大学人文学部教員。「永続敗戦論--戦後日本の核心」
五野井郁夫 1979年 東京都生れ。高千穂大学准教授・民主主義論。

白井聡は笠井潔との対談「
日本劣化論」が面白かったし、去年3月31日には講演も聴きに行ったくらいだが、後の二人は全く知らなかった。毎日新聞が昨年紙上でこの三人の座談会を掲載したことが本書の契機になったらしい。あの参院選前の時期で、まだ市民活動が勢いが残ってた時期のものと思うが、約一年が経過して状況はますます悪くなってるようだ(>_<)

安倍晋三氏は、立憲主義も三権分立も理解しておらず、ポツダム宣言も読んでいないというエピソードに見られるように、知的には極度に怠惰です。そんな彼の意向が濃厚に反映された憲法草案がまともなものになるわけがないと、本当は身内でも分かっている。しかし、周囲の誰もそれを止めようとしないのは、安倍氏が、彼にとってお祖父さん(=岸信介)の遺志の実現である改憲に異常なまでの執念を燃やしてきたことを、みんな知っているからでしょう。
この国が国民主権の国家であるかぎり、国民が認知症患者の暴走に付き合い続けなければならぬ義理など断じてないのです。(はじめに 白井聡)


安倍はすでに、自民党憲法草案も棚上げしたまま独自の路線で改憲にまっしぐら暴走してる。

白井 (民進党は)本来は、リベラルな社会民主主義といった理念で一致団結して、僕が「永続敗戦レジーム」と呼ぶもの、つまり特殊な対米従属の権力構造と対決をする集団を作らねばならない。これも分かりきった話。だが、民進党にその覚悟はない。具体的には、右派を切れない。前原誠司、長島昭久、野田佳彦といった面々がいるかぎり、このような集団には絶対になれない。

蓮舫民進党が野田佳彦を幹事長にした時点で、Morris.は民進党に期待するのはほぼあきらめた(^_^;)

北田 直接給付も「次に繋がる何か」としてやらないとまずい。全般的に、行政はお金の使い方が下手としか言いようがないと思います。同じお金を支出するにしても、どういう方式で渡すかによって効果は違うのだから。
白井 使い方を決めている人たちが、公のためではなく、自分や自分が所属している組織の利益のためにカネを使う原理がある。
要するにタカリの構造ですよ。社会有用性への貢献とか努力が報われるのではなく、権力へのアクセスがあるかどうかで、実入りが決まってくる。典型的なダメ後進国の構造そのもの。


森友問題も加計問題も原発再稼働もモロ「タカリの構造」。

北田 日本会議(多数の国会議員も加盟する右派団体)の憲法改正のターゲットは、表向きは9条と24条(家庭における個人の尊厳と、男女両性の本質的平等を謳った条文)の二本柱でしょう。しかし、彼らの機関誌などを読むと、24条の方がメインに見える。

安倍政権の閣僚で日本会議に入ってないのは公明党議員のみらしい。

白井 文化資本的な問題だと思っているんです。金がなくてもたのしめるかどうかは教養の問題であって、教養の面で富んでいれば、いろんな楽しみ方がある。
五野井 いやしかし、そもそも教養を個人が蓄積できない経済的な状況だったらどうするのかと。
白井 そこが大問題で、さまざまなサポートが必要でしょうけれども、金さえあれば解決できる問題ではない。例えば、金がなければ、タダで読める本を読めばいい。公立図書館はいっぱいありますよ。それくらいのインフラは蓄積されてきたわけで。
北田 白井さん、けっこうシビアだなぁ。
五野井 北田さんが不安に思うのは、そのインフラさえも、今は崩されてきているということです。公立図書館もツタヤの運営になったりしている。


武雄市立図書館がツタヤ運営になった時は毀誉褒貶相半ばだったが、Morris.は最初から懐疑的だった。しかし、「金がなくてもたのしめるかどうか」が教養の問題というのは、なかなかに辛いものいいである。もしかしてMorris.の身につけた(つもりの)教養は、金無しで楽しめるためのものだったのかあ、と思ってしまった。

北田 自民党の改憲草案は、さすがにあのまま本気でやる気なのかわからないけれども、学級会ノリですよね。先生がやらせたいことを学級のきまりにして、どんどん書き連ねることってあるじゃないですか。ほとんどあのノリ。
五野井 まさに学級会的な論議として、「義務を果さない者には権利がない」という近代の歩みを無視した言い方が出てきたということですかね。
北田 法哲学とかでも議論されていますが、「権利」と「義務」が対照観念であるかどうかは論争的な事柄です。ところが、この権利と義務を対照概念と捉えて、「権利がある以上は義務がある」なんてことを言い出す。普通の人はこの発想に言いくるめられてしまう。
白井 さかのぼれば明治憲法下でも、当時のそれなり以上の水準でヨーロッパの憲法を学ぶことで、立憲主義政体に見えなくもないものをいちおうは作ったわけです。けれどもそのコントロールが効かなくなって、日本がファシズムの暴走へと走った。
丸山眞男は、その理由を明治以降の日本人が中性国家の概念を理解できなかったためだと結論づけた。簡単に言えば、政教分離が分からない。国家というものは、人々の内面とか道徳に関わらない、関われないんだということが理解できないのでおかしなことになったと分析した。自民党の改憲草案は、その問題がまったくそのままの形でキャリーオーバー(繰越し、持ち越し、名残、影響)されている。
五野井 だから、宗教戦争から自由になった中性国家論的なもの、ウェストファリア体制的なものをきちんと身につけましょうよ、と提唱したのが戦後初期の丸山眞男だった。


権利と義務はたしかにものごとの裏表みたいに感じられるが、もう一度考え直す必要がありそうだ。Morris.は長いこと義務教育は、学校に通うことが「義務」だと誤解していた。
また、丸山眞男が出て来た。うーーん、再挑戦すべきかな。

白井 政府は口を開けば、「普天間基地は世界一危険な土地だから、一刻も早く閉鎖しなくてはならない。そのための辺野古移転だ」というけれど、普天間基地を世界一危険だと言い出したのは、ラムズフェルド国務長官(当時)ですよ。ラムズフェルトが現地に行って「なんじゃこりゃ! これは閉鎖しなきゃいけない!」と。つまり、東京側の権力者は一人として「こんな危ない基地はどうにかしてください」と恐れ多くてアメリカに言えなかった。


これはMorris.も知っていた。こんなふうだから沖縄独立運動を支持したくなる。

北田 もう少し社会学サイドから考えれば、立憲主義も、24条改悪も、家族であったり女性の問題、LGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender)にしても、貧困問題だって、全部が繋がっている。繋がっているけれど、自民党はバラバラに細分化して、ちょこっとずつ出してくる。このやり方が繰り返されて、野党はズタズタにされている。全部が繋がっているということを理解してもらうのは、普通の一般の市民にはやはりとても難しいんですよ。

やや上から目線が気になる発言だが、普通以下のMorris.に理解はさらに難しい(>_<)
たしかに「自民党のバラバラ攻撃と野党のズタズタ分断」が安倍一強を支えている。

左派、リベラルの人たちがSNSなどで「なぜ安倍政権の支持率が下がらないのか分からない」というような呟きを記しているのを見るたびに、溜息が漏れる。典型的に「大衆的」な私の親族--東京五輪万歳、天皇家大好き、経済よくなったと感じてる、最近の若者はだらしないと言ってのける、そういう「大衆」にとって、二次安倍政権成立後、社会は「よくなっている」のだ。中国の爆買いは気分が悪く、歴史認識問題を「ぶり返す」韓国に苛立っている。そういう人たちにどれだけ怒り、言葉を尽くして説明してもほぼ伝わらない。それを内田樹氏は「反知性主義」と呼んでいるわけだが、そうした「大衆」が有権者の多くであることは、昔から十分にありうることだ。(あとがきにかえて 北田暁大)

「反知性主義」というのがすこしだけわかったような気がした。

暗い時代の予感といえば、かつて鶴見俊輔氏が日本という漢字を「にっぽん」と発することが多くなってきたときには注意するようにと書いていたのを思い出す。儀式めいた時や非常時に入り、さらに大戦に深入りするにしたがって「にっぽん」が「にほん」をしのいで使用されるようになったのだという。

言われてみればその通りかもしれない。鶴見俊輔は時々面白い発想をする。

「あんたのまえにおるのは、情けない卑怯者のひとりですよ。このような結果になるのを知りながら、わしは口を噤んで、政府の方針に、ひとことも反対意見を述べなかった。自分に直接関係がないときだけ、あるいは弁護し、あるいはとうとうと攻撃する。そのくせ、自分に罪のかかるおそれがあるときは、口をつぐんでなにもいわない、卑怯なインテリのひとりなんです。ずっとむかしのことになるが、あのかんじんなときにさえ、わしはひとこともしゃべらなんだ」(レイ・ブラッドベリ「華氏451度」宇野利泰訳)

高校の頃一番好きなSF作家はブラッドベリだった。「華氏451度」は彼の作品の中でも印象深いものだった。五野井が引用した部分だけ読んでも思わずじーんとなった。ということで孫引きしておく。「かんじんなとき」それはいつも「今」なのだ。そして「今」はあっという間に過去になる。

潜在的なテロリズムの恐怖にさいなまれる社会では、ゼノフォビア(外国人恐怖症、外国人嫌悪)から難民とテロリストを結びつける言説が容易に流通し、人々の恐怖に乗じて支持層を拡大しようとする極右政党や極右団体が日に油を注いでいる。インターネットは不安や恐怖を助長するばかりだ。人々の日々の漠然とした不安を煽ることで恐怖を増幅させ、さらに偏見やゼノフォビアがかき立てる「わたしの人生がうまくいかないのは、すべてヤツらのせいだ」という誇大妄想から戦争への距離はかぎりなく近い。(あとがきにかえて 五野井郁夫)

北朝鮮を最大限に利用している(不安を煽り、恐怖を増幅)のが今の政権だろう。いつか来た道が目の前に近づいているようだ。



【国家の暴走】 古賀茂明 ★★★☆☆☆ 2014/09/10 KADOKAWA
「安倍政権の世論操作術」

戦争法案反対運動の時期にニュースステーションを降ろされた古賀茂明のこの本が出てから3年近く経った。この間にも安倍の暴走は加速に次ぐ加速を重ねている。

安倍政権の13本の矢(戦争するための、列強になるための)
1.日本版NSC法
2.特定秘密保護法
3.武器輸出三原則の廃止
4.集団的自衛権の行使容認
5.「産めよ増やせよ」政策
6.集団安全保障で武力行使の容認
7.日本版CIAの創設
8.ODAの軍事利用
9.国防軍の保持
10.軍法会議の設置
11.基本的人権の制限
12.徴兵制の導入
13.核武装


政治家や官僚が情報を隠して身を守るために多用するのも、「議事録がないので、公開したくてもできません」という言い訳だった。実際に議事録がないケースもあるが、公文書管理法によって比較的簡単に公文書を破棄してよいことになっているため、自分たちにとって都合の悪い文書は一定期間が過ぎると捨ててしまうこともある。といっても、実際には捨てずに、担当の課の誰かが持っていることがお多い。記録上、廃棄したことにして、「文書はありません」と言って逃げてしまうのである。
福島の原発事故後の官邸の対応を検証しようとしても、ほとんどの会議の議事録がないために、どこに問題があったのか、誰にせきにんがあるのかは曖昧なままになっている。これによって今日に至るまで、政府の中で誰一人として責任を取っていないことを見れば、議事録作成がいかに重要なことかがわかるはずだ。


森友問題と加計学園問題でも、この指摘そのままぢゃ(>_<)

2014年4月1日、武器輸出三原則が廃止され「防衛装備移転三原則」が閣議決定された。
武器産業が経済の柱になることを望んでいる経団連は2013年5月、「防衛計画の大綱にに向けた提言」で、武器の国際共同開発・生産のメリットを掲げ、防衛関係の研究開発費を増額するよう求めていた。集団的自衛権の行使容認によって、遠隔地を攻撃するミサイル、空母、無人爆撃機なども必要になるので、国内需要はぐんと拡大する。三菱重工、川崎重工、IHI、東芝、日立などは、当然ながら大歓迎だろう。
もちろん、自民党の国防族も大喜びだ。しかし、それ以上に喜んでいる輩がいる。
武器輸出を所管する経産省である。NSCでの審査のお膳立ても経産省がする。そこに巨大な利権が生まれ、武器産業への天下りポストも大幅に増えるだろう。
武器も自動車と同じで、いったん作りはじめたら止まらなくなる。作っても売らなければ儲けにならないから、世界のあちこちで紛争や戦争が起こることを望むようになる。
安倍総理は批判的なことを言われた時、「日本は戦争をするつもりだろうと言われるが、そんなことはありません」という具合に、何の根拠も示さずに、一言で否定する傾向がある。そして、「私を信じて下さい。私は国民のことを考えています。国民の命を守るために働いています」と言い続ける。これが安倍氏のレトリックである。


武器産業ほど非創造的な存在はない。安倍の「トリック」はネタバレバレなのに、「鉄面皮」と「恥知らず」と「無責任」という三本の矢でどこまでも突き進む。

安倍政権の戦略転換を支えるのは「国民は愚かで単純である」という哲学だ。具体的に言えば、
①ものすごく怒っていても時間が経てば忘れる
②他にテーマを与えれば気がそれる
③嘘でも繰り返し断定口調で叫べば信じてしまう

ということを基本にしている。


ここんところ、特に大事である。国民はもちろん、マスコミも知識人もまさにこれに乗せられている観がある。Morris.も例外ではないだろう。

米国は「安保条約を改定しよう」とは口が裂けても言わない。日米安保が、実は米国にとって非常に都合のよい条約だからだ。どこが有利なのかというと、沖縄の基地である。米国にとって沖縄の基地は、世界中に何百とある米軍基地の中でも非常に特殊な"素晴らしい"基地なのだ。
まず、ほぼ米軍の思うままに使える、基地周辺の菅政権なども全部米軍が持っている。自国の領土と同じだ。
沖縄の人達は、毎日毎日騒音などに苦しめられ、米兵の犯罪でとんでもない被害を受けている。ものすごい負担ではないか。それなのに、自国の政府に「米国だけが義務を負っていて日本は負っていない。米国に申し訳ない片務条約だ」などと言われるのだから、怒り心頭に発していると思う。これは沖縄に限ったことではない。日本にある米軍基地周辺の住民すべてに当てはまる話だ。


これもいくら強調してもしすぎることはない。辺野古も普天間も結局は米国を利することが核心となっている。

最終的な抑止力になるのは、強い軍隊ではない。国際世論であり、国際的な経済の結びつきである。現実に、これらが戦争に対する最大の歯止めになっている。
日本はまずは経済の建て直しと、国民を分断するような格差を拡大させないことが重要だ。経済に専念しつつ、当面は、日本の領土を脅かす相手にある程度の打撃を与えるだけの軍事力を維持することにすれば、国家の存立は保てるだろう。
日本がなすべき最も重要なことは、「強大な軍事力をつける」ことではなく、「国際世論を味方につける」ことである。


全く正しい意見なのだが安倍の耳に念仏ほどにも届かないだろう。

国際社会に出ていくのであれば、そうした「暴力(貧困、病気、飢餓、人権抑圧、環境破壊など)」に苦しむ途上国に支援をすることが、本当の意味での「積極的平和主義」につながるはずだ。
軍隊を引き連れて「悪い奴ら」を叩くことが積極的平和主義だというのは、とんでもない勘違いであり、あまりにも田舎者の発想である。


「田舎者の発想」(^_^;) そういえば安倍も長州閥だ。

官僚というのは、税金を使えと言われればいくらでも使う。他人のカネだからだ。人も通らない道路だろうが何だろうが、工事できるものなら何でもいいと考えている。自治体などは地元業者と癒着していて、よそ者を排除するから、ますますコストは高くなる。

元官僚である著者の発言だけに説得力ありすぎ(^_^;)

指摘したいのは、経産省や自民党の族議員たちの利権の巣窟になっている租税特別措置(租特)の大部分が、温存されるだろうということだ。租特というのは、法人税の一部を、特定の業界ごとに様々な理由をつけてまけてやる仕組みだ。
特別措置といっているのは、概ね2年の期限付きとなっっているからだ。しかし実際には何十年も続いているものが多い。では、なぜ2年ごとになっているのか。2年に一回期限が来て、この制度を廃止するかどうかという話になれば、そのたびに経産省や族議員などに業界が陳情に行かなければならず、そのたびに献金をもらったり、天下りポストをもらったりできるからだ。

「おいしい生活」って奴だな。

私は、サステナビリティという概念がキーワードだと思っている。この言葉は、企業経営者なら誰でも知っている。持続可能性と訳されるが、これを一国単位、あるいは社会全体との関係で考えた場合、その意味は、「限りある資源やエネルギーや環境、そして文化や人と人との繋がりを次世代以降にきちんと残せるような行き方」とらえればよいだろう。
今の安倍政権は、負担をすべて国民に押し付けようとしている。企業を守らなければいけないから、残業代をタダにしましょう。競争に勝ち残らなければいけないから、正規雇用を非正規雇用に変えてコストを下げましょう。企業には国際競争のために減税しましょう。消費者には、財政再建のために消費増税で負担してもらいましょう。そういうことを言っている。「何のための成長なのか」が忘れられ、まさに成長のための成長という成長市場主義になっている。これこそが、アベノミクス最大の問題として議論されなければいけない。


この三年でアベノミクスは完全に死に体というか、さすがに安倍もこの言葉を口にすることも少なくなった気がする。



【赤頭巾ちゃん気をつけて】庄司薫 ★★★☆ 1972/09/25 文藝春秋 初出「中央公論」1969年5月号
庄司薫  1937年東京生れ。日比谷高校、東大法学部卒業。「喪失」(1958)中央公論新人賞受賞。「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969)で芥川賞受賞。「さよなら快傑黒頭巾」(1969)「白鳥の歌なんか聞えない」(1970)「僕の大好きな青髭」(1975) 1974年中村紘子と結婚。

何で今頃こんなのを読んだのかというと、斎藤美奈子さんの「文庫解説ワンダーランド」に刺激されたからだ。ベストセラ-や有名文学賞受賞作は、基本的に読まないMorris.なの両方を兼ねる本作品も読まずにいたのだが、発表後半世紀近く経って初めて読んだことになる。さすがに時間の経過を感じさせられた。一気に読み終えたのだが、面白かったからではなく、とりあえず片付けてしまおうという気持ちからだった(^_^;)
神戸市立図書館ではこの作品の蔵書は6冊くらいしか無く。大倉山の中央図書館では倉庫に二冊あったのだが、単行本は館内閲覧つまり貸出できなくて、Morris.は「芥川賞全集 八巻」を借りることになった。この第八巻には

大庭みな子「三匹の蟹」(第59回 昭和43年上半期)
丸谷才一「年の残り」(第59回 昭和43年上半期)
庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(第61回 昭和44年上半期)
田久保英夫「深い河」(第61回 昭和44年上半期)
清岡卓行「アカシアの大連」(第62回 昭和44年下半期)
古山高麗雄「プレオー8の夜明け」(第63回 昭和45年上半期)
吉田知子「無明長夜」(第63回 昭和45年上半期)
古井由吉「査子」「第64回 昭和45年下半期)


の8作が収められていた。こうやって受賞者を眺めると壮観である(@_@)

ぼくは二年生の時、ぼくが特に好きな下の兄貴に、悪名高い法学部は要するに何をやってるのかときいたことがあるけれど、彼はちょっと考えたあとで、「なんでもそうだが、要するにみんなを幸福にするにはどうしたらいいのかを考えてるんだよ。全員がとは言わないが。」とえらく真面目に答えたものだ。そして本を二冊貸してくれたのだが、一冊は法哲学の本、もう一冊はガリ版ずりの思想史の講義プリントで、ぼくはこれには相当にまいってしまって夢中で読んだものだ。そしてちょうどそのすぐあとで、ぼくはそのすごい思想史の講義をしている教授に偶然お会いした。
たとえばぼくは、それまでにもいろいろな本を読んだり考えたり、ぼくの好きな下の兄貴なんかを見ながら、たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、……知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだというようなことだった。


この先生のモデルが丸山眞男であること、庄司が実際に丸山ゼミ生だったことも、美奈子さんに教えてもらった。これを知ってると知ってないでは、この文章を読んでの印象はかなり違ってくる。

みんなにやることなすこと「お行儀のいい優等生」なんてやられるとつい居直りたくもなるし、そうしてうんざりしたあげく、いっそのこと「亡命型」になってどこかの女学校のテニスノコーチを片手間にやるとか、中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(いまの先生はいいけれどおじいさんなんだ)優雅にショパンなど弾きながら暮そうかななんて思ったりもするわけだ。でも、どうしてもそうはなれないというか、そうなってはいけない、そうなってはおしまいだ、と感じるような何かがぼくのなかにある。

こうやってしらっと、中村紘子の名前を出して、5年後に実際に結婚するなんてのは、いかにも「小説より奇なり」ぢゃ(^_^;)

そうなんだ、彼らはああやっていかにも若々しく青春を燃焼させその信じるところをやれるだけやったと信じきって、そして結局は例の「挫折」をして社会の中にとけこみ、そしてそれでもおおわが青春よ若き日よなどといって、その一生を甘さと苦さのうまくまじったいわくありげなものにして生きるのだ。彼らの果敢な決断と行動、彼らの果敢な決断と行動、彼らと行動を共にしないすべての人間を非難し虫ケラのように侮辱するその行動の底には、あくまでも若さとか青春の情熱といったものが免罪符のように隠されているのだ。いざとなればいつでもやり直し大目に見てもらい許してもらえるという免罪符が。若き日とか青春といったものを自分の人生から切り離し、あとで挫折し転向した時にはとかげの尻尾みたいに見殺しにできるという意識は。もともと過去も未来も分けられぬたった一つの自分を切売りし、いつでも自分を「部分」として見殺しに出来る恐るべき自己蔑視・自己嫌悪が隠されているのだ。でもぼくにはそんなことはできな。ぼくだってもちろんこの現代社会が明らかにウサンくさくそして大きく間違っていることを知っている。だからぼくだってそれがどうしても必要だと分かればいつだってゲバ棒をとるだろう。それが自分だけのためではなくみんなを幸福にするためにどうしても必要であり他に方法はないということが、誰でもなくこのぼく自身の考えで何よりもこの胸で分った時には。でもその時にぼくは、ただ棒をふりまわして機動隊とチャンバラをしたり、弱い大学の先生を追いかけたり、そしてそのことだけでも問題提起になるなどと言いわけめいたことは言ったりセず、しかし確実に政府でも国家権力でもひっくり返すだろう。

いわゆる全共闘を中心とした東大紛争の最中に発表されたこの作品の主人公が東大入試中止年度の受験生という設定。たしかに主人公=作者と思ってしまいそうな書きぶりだが、作者はそれより一回り年上の世代で、かなりギャップがある。「免罪符」「自己嫌悪」などの言葉がほろ苦い思いとともに蘇ってきた。Morris.はこの主人公よりちょっとだけ年上、まさに大学紛争の真っ只中で学生生活を送ったのだが、典型的ノンポリで、主人公ほどには事態を把握してなかった。あの時点でこれだけの洞察は大したものである。これは、リアルタイムで読んでおくべきだったか、と、いまさらながら後悔している。しかし、庄司の「饒舌体」ともいうべき文体には馴染めそうにないし、まあ、今更他の作品を読もうとは思わない(^_^;)



【心に刻み 石に刻む】 飛田雄一 ★★★☆2016/11/04
「在日コリアンと私」という副題。

飛田雄一 1950年、神戸生まれ。神戸大学農学部修士課程修了。公益財団法人神戸学生青年センター館長。他に、在日朝鮮運動史研究会関西部会代表、強制動員真相究明ネットワーク共同代表、関西学院大学非常勤講師、むくげの会会員など。『朝鮮人・中国人強制連行・強制労働資料集』(金英達と共編)、『現場を歩く現場を綴る-日本・コリア・キリスト教』ほか。

この著者略歴とともに、冒頭の対談で、これまでの飛田さんの歩みが改めてよくわかった。ただし、本書の内容は、Morris.にはちょっと硬すぎた。戦後占領下日本での朝鮮人の強制送還に関する記事の中から、当時のデタラメさを批判している部分を引用しておく。

1945年8月15日、日本は戦争に破れ、朝鮮は開放された。その当時、36年にわたる植民地支配の結果、日本に存在した200万人をこえた在日朝鮮人の多くは、朝鮮に引き揚げたが、なお多くの朝鮮人が日本に在留することとなった。
日本は敗戦後、1952年4月28日のサンフンシスコ講和条約発効まで約7年間、GHQの占領下におかれることになったが、この間、在日朝鮮人はGHQおよび日本政府によって、不当な扱いを受けた。本来、在日朝鮮人は、日本の敗戦によって開放された人々であって、GHQも敗戦国民(日本人)と区別した取扱をしなければならなかったのである。にもかかわらず在日朝鮮人はGHQの占領下において、日本人と扱われた方が有利なときには外国人とされ、逆に外国人と扱われた方が有利なときには日本人とされたのである。この不当な扱いを象徴するのが、1945年11月1日に出された次のような「基本的指令」である。

「……朝鮮人を解放人民として処遇すべきである。かれらは、この指令に使用されている『日本人』という用語には含まれない。しかし、かれらは、いまもひきつづき日本国民であるから、必要な場合には」、敵国人として処遇されてよい」

これは硬直した納得のいかない考え方であるが、在日朝鮮人が占領下で日本国民であるとの前提に立つGHQないし日本政府によって、この時期に「日本国籍を有する」在日朝鮮人が日本から強制送還されることは全く理屈の通らないことである。
1947年5月2日には、「外国人登録法」が最後の勅令(天皇の命令)として公布されたのである。この「外国人登録法」は、現在の外国人登録法と入管法を合わせたようなもので、①入国のためにはGHQの許可が必要、②登録実施、③強制送還等を内容としていた。

軍事裁判による強制送還がGHQおよび日本政府によって意図的に行われたことは事実である。南北朝鮮情勢が極度に緊迫していた時期に、GHQの占領目的を妨害したとして南朝鮮に強制送還するというのはまさに暴挙であった。朝鮮民主主義人民共和国の国旗を掲げたことが罪に問われ、軍事裁判によって韓国に送還されることは生命も保証され得なかったであろう。(GHQ占領下の在日朝鮮人の強制送還)



【オイコノミア】NHK Eテレ「オイコミア」制作班+又吉直樹
★★★☆☆ 2014/03/30 朝日新聞出版
「ぼくらの希望の経済学」と副題にある。NHKETVで放映された番組を書籍化したもの。まだ又吉が、小説家としてブレークする以前の番組で、Morris.は全く知らずにいたのだが、本書を読んだ限りではなかなか面白い番組だったようだ。もともとMorris.は「経済学」とは無縁、また何となく苦手だと思い込んでいたのだが、経済学は社会の中で大きな意味ある存在らしいことに、遅まきながら気がついた気がする(^_^;)
又吉が複数の経済学者との対話を通じて、経済の基礎と現在日本の経済問題を分かりやすく解説する啓蒙書になっている。
「オイコノミア」とは古代ギリシア語で「家の管理、家政」の意味。「家」を意味するオイコスと、「秩序、法律」を意味するノモスからなる。これが経済学を意味するエコノミーの語源となるらしい。

大竹文雄 最初に日本銀行から発行されたお金が種となり、お金が次々と創造されていくイメージです。そのため日本銀行が発行しているお金よりも、預金の額が多くなるんです。これがお金の正体。言ってみれば、お金には実体がないものです。
又吉 実体がないんですね?
大竹 信用が、お金を支えるもののすべてです。「銀行に預ける、銀行は人に貸す。そして借りた人はまた銀行に預けて、また銀行が貸す形」ですから、何かあったときに元金を必ず返してもらえるという信用で成り立っています。


「お金」は「信用」。つまり信用されなくなった時点でお金はお金でなくなるということか。

又吉 寄付文化っていうのは、いいかもしれないですね。
大竹 そうですね。東日本大震災後も復興のために多くの人が寄付しました。復興のためだけでなく、進んで寄付するのはいいことです。世の中全体のお金の動きが良くなる。今後は、このような経済感覚を持っていくことが、日本人全体の幸せにつながる一歩かと思います。
又吉 寄付がめぐりめぐって、自分の幸せにつながる。
大竹 経済が回っていくためには、お互いを信用することは大切です。何のための経済成長かを考えると、自分だけ利益を上げようとして工場をたくさん作ればいいのではなく、一人でも多くの人が豊かな生活を楽しめるようにすることがもくてきですからね。
又吉 そうですね、我慢して貯金して、将来豊かになれないこともあります。
大竹 目的ある貯金をしないと。人生は有限です。一番怖いのは、お金に支配せてしまうことだと思います。


寄付が決め手になるとは思えないけどね(^_^;)

安田洋祐 たとえば、世界の終わりの日にお金でモノを買えるとおもいますか?
又吉 買えないですよね、
安田 お金をもらっても、使いようがありませんから、誰も受け取りませんね。では、世界が終わる前日を考えてみると、お金は使えるとおもいますか。
又吉 んー使えないですね。
安田 その通り。翌日が世界の終わりなので、お金の価値はありません。
終わりや未来が完全にわかると、協調的な行動は取りづらいのです。
又吉 うーん。最後は平穏に終わりたいですね。静かに梨を食べるとか(笑)
安田 又吉さんらしいですね。逆説的ですが終わりが見えないから、人は協力できたらい、今の環境を上手く維持できると言えます。終わりが見えちゃうとやばいんですよ(笑)


人間もいつ死ぬかわからないから、何となく生き続けていけるんだろうな。必ず死ぬということはわかっても、その日時は大抵の場合、わからない。これが哲学の素なのかもしれない。

又吉 今の状況とか環境を保有しておきたいのが、保有バイアス……。ひょっとしたら、結婚したあとの方がずっと幸せかもしれない。だけど、今の生活を変えたくないという保有バイアスが非合理なほど強くて、踏み切れない側面があるかもしれないってことですね。
*保有バイアス--一度手にした商品や生活環境などに対し愛着がわいたり、価値が高感じられるようになったりします。そのため売る、他人に渡すなどの変化を嫌うようになり、手放したくなくなる感情のことをいいます。


「保有バイアス」これは初めて知った。面白い言葉である。Morris.が結婚しなかった(できなかった(^_^;))のも、これが一つの理由だったのかもしれない。

大竹 経済学から見た結婚のメリットは、まさに「助け合い」です。これを経済学の「比較優位」で表すことができます。
*比較優位--夫婦円満の経済学「比較優位」は、得意なことに専念する方が、全体の効率が上がるという考え方です。実は、貿易などに密接にかかわっている経済学の概念です。今話題のTPPは、各国が得意分野に専念して、全体のメリットを上げようという貿易の枠組みです。これは、まさに「比較優位」の考え方で説明できます。


「比較優位」これは、前に池上彰の経済学本で知った言葉だが、TPPがそれの典型とは思いもよらなかった(@_@)

大竹 一人でも二人でも、三人でも一個で足りるものがあったら「規模の経済」が働いていると言えます。
又吉 規模の経済? 結婚の幸福感と規模ってつながるんですか?
大竹 結婚でいう規模は「家族」です。
*規模の経済--企業などが製品を大量生産することで、1個あたりの平均生産価格が下がります。その結果利益を生むことで「規模の経済」が発生します。


確かに「ひとり暮らしの不経済」を実感することは多々ある。

川口大司 21歳~80歳を対象にした「年齢別消費格差」の推計によると、日本人の消費は若者では格差が少なく、30歳ぐらいから拡大してくる傾向があります。しかし、近年2004年の調査では、20代にも消費格差が広がっている。これは若者の間で格差が広がっていることの証拠になると思います。フリーターとして働いている人も増えているので、将来の希望に対しての格差「希望格差」が、消費の格差という形で表れてきているんですね。
*希望格差--将来に希望を持てる人と持てない人の差は、バブル経済以降激しくなり、人々の「希望」が失われていきます。これは所得の階層間に移動がないことが影響する格差の真の問題です。階層が固定された社会、それが「格差社会」です。


「希望格差」……何かやりきれない言葉である。「「夢も希望ない」という幸せ」というのがMorris.のモットーだったこともあるけど(^_^;)

又吉 そんなに長い先のことまで人生設計立てられないですねー。ちなみに僕、小学校のとき『ノストラダムスの大予言』で、1999年に世界が終わるんじゃないかと思っていて。その大予言がなかったら、もっとまじめに勉強していたと思うんです。
大竹 どうせ死ぬなら、思いっきり好きなことをしようと?
又吉 2000年がきたときに「うわっ、2000年がきた!」って、びっくりしたのを覚えているんです(笑)
大竹 そこで新たな人生設計を立てても良かったかもしれないですよね。
又吉 本当ですね。

Morris.はノストラダムスとかあまり興味も関心もなかったつもりだが、常々「人世五十年」つまり、一生はせいぜい五十年と思い込んでた。Morris.は1949年生れだから、1999年はまさにMorris.五十歳になる年だったわけだ。うーん、これは偶然の一致だろうか?それともいつかどこかでノストラダムスの予言を知って、深層心理にそういった思いが定着したのだろうか? どっちにしても、21世紀になってからのMorris.の人生は「予想外」の余生であることは間違いない。

【動植物の漢字がわかる本】加納喜光 ★★★☆ 2007/01/10 山海堂
加納喜光 1940年鹿児島生れ。東大中国哲学科卒。

生き物の名はたいてい漢字表記をもつ。本書は生き物の漢字表記から、その読み方と内容を知っていただこうという真面目な意図で編集された。(はじめに)

動物360、植物398計758の漢字語が掲載されている。そのうちMorris.が読めなかったものをピックアップしておく。ざっと一割くらいだが、実は他に30くらいワープロに漢字の無いものがあって、これは省略せざるを得なかった。比較的動物のほうが読めないものが多かった。これはMorris.が動物より植物への関心が強いせいかもしれない。魚の漢字に弱いところがあるようだ。

動物編
豪猪(やまあらし) 氈鹿(かもしか) 唐丸(とうまる-鶏の品種) 矮鶏(ちゃぼ) 海獺(らっこ) 巨頭鯨(ごんどうくじら) 赤楝蛇(やまかがし) 玳瑁(たいまい) 正覚坊(しょうがくぼう-青海亀) 鯏(うぐい) 石斑魚(うぐい) 鰉(ひがい) 公魚(わかさぎ) 杜父魚(かじか) 溝貝(どぶがい) 鰰(はたはた) 鯒(こち) 櫨(はぜ) 鯊(はぜ) 細魚(さより) 旗魚(かじき) 鮗(このしろ) 拶双魚(さっぱ) 鰡(ぼら) 翻車魚(まんぼう) 醤蝦(あみ) 玉筋魚(いかなご) 鶏魚(いさき) 鱏(えい) 虎魚(おこぜ) 魳(かます) 寄居虫(やどかり) 秧鶏(くいな) 鶫(つぐみ) 鶚(みさご) 鸛(こうのとり) 鷦鷯(みそさざい) 鵤(いかる) 鵆(ちどり) 鶲(ひたき) 鷓鴣(しゃこ) 蜻蜒(やんま) 壁蝨(だに) 蚋(ぶよ) 蜈蚣(むかで) 馬陸(やすで) 水黽(あめんぼ) 歩行虫(おさむし) 螻蛄(けら) 螽斯(きりぎりす) 壁銭(ひらたぐも) 絡新婦(じょろうぐも)

植物編
満天星(どうだんつつじ) 楸(きささげ) 櫟(くぬぎ) 杜松(ねず) 榛の木(はんのき) 白膠木(ぬるで) 皀莢(さいかち) 蟒蛇草(うわばみそう) 蕁麻(いらくさ) 靫草(うつぼぐさ) 羊蹄(ぎしぎし) 苧(からむし) 射干(しゃが) 虎杖(いたどり) 鳶尾(いちはつ) 椪柑(ぽんかん) 甜菜(てんさい) 甜菜(てんさい) 萵苣(ちしゃ) 仏掌薯(つくねいも) 草石蚕(ちょろぎ) 迷迭草(まんねんろう) 鹿尾菜(ひじき) 海蘊(もずく) 海人草(あおさ) 馬尾藻(ほんだわら) 五加(うこぎ) 葛藤(つづらふじ)




【実さえ花さえ】朝井まかて ★★★ 2008/10/22 講談社
二作目「ちゃんちゃら」を先に読んだが、こちらがデビュー作らしい。
「ちゃんちゃら」は庭師、こちらは江戸の種苗屋「なずな屋」の夫婦が主人公で、ストーリーの方は和風ガーデニングをライトノベルに仕上げた風で、不自然さも目立つのだが、樹木、草花が漢字表記で大挙登場するというだけで嬉しくなる。

「庚申薔薇は凡庸だ。御殿女中のように仰々しいだけで、品がない。あれでは椿に位負けするのも無理はない。可愛いだけの野茨もつまらぬわ。風が吹いたくらいでああも易易と散るようでは、誰に愛でられる暇もないではないか。だが、このらうざを見よ。花びらが十重二十重に巻いて、あだやおろそかには花芯を見せぬ。誰にもおもねらず、天に向かって咲き誇る」

「らうざ」というのは「ROSE」つまり西洋薔薇のこと。憎まれ役の奥方の言葉だが、江戸時代にこの表現は行き過ぎかも。

「実さえ花さえ、その葉さえ、今生を限りと生きてこそ美しい」

これは著者自身の言葉かどうかわからないが、タイトルはこれからとられている。
このへんでこの著者の作品は読みどめとしたい。


【オールド・テロリストOLD TERRORIST】村上龍 ★★★☆☆ 2015/06/30 文藝春秋 初出「文藝春秋」2011年6月号~2014年9月号

Morris.にとって村上龍はときどき大当たりがある作家と言える。記憶に残ってるのは「
半島を出よ」これは上下2巻千ページもある作品だったが、本書も500pを超えている。
70歳から90歳の戦争を知ってる世代の老人たちが憂国の思いからテロを画策するというストーリー。標的が原発というのは、連載開始時期を見ればわかるように、東日本大震災のすぐ後だから、当然福島原発事故にインスパイアされたものと思う。
主人公というか語り手の40代の元週刊誌記者セキグチと、エキセントリックな若い女性カツラギ、百歳を越える満州帰りの影の実力者、などキャラのたった登場人物もさりながら、前哨戦のテロの描写のリアルさに息を呑んだ。

「当時アル・カイーダ全体としては、アメリカとアメリカ人に対して死刑を宣告するという大きな原則だけがあって、アメーバがですね、増殖と合体と分離と消滅を繰り返すように、小グループが共同でテロを計画し実行するんです。--そういった分散型の組織は、仮にテロがどこかのタイミングで発覚しても組織的な被害が最小で済みますね。」

「共謀罪」審議してる輩は、こういったテロにはどのような意見があるのだろうか? 無いんだろうな。

NHKというメディアの総本山のような場所で12人の死者を出した大事件にしては、忘れられるのが早すぎる。このところ事件の風化が異様に早いとTVで怒る識者がいたが、問題点や疑問点を示さず、犠牲者の葬儀や遺族のコメントなど情緒的な報道しかできない日本のメディアの罪は大きいとおれは思う。この国のメディアは、なんて悪い人なんでしょうと、なんて可哀想な人たちなんでしょうという二つのアプローチでしかニュースを作れない。何も対策をとらなかったら人間はどこまでも堕落して、どんな悪いことでもするという前提がない。週刊誌時代は、いったいどうしてなのだろうと考えたりしていたが、いつの間にかどうでもよくなった。要するに、そういう国なのだ。

強烈な皮肉であり、一面の真理を衝いている。

「だって、うつ病の人はめったに攻撃的になることなんかないんだよ」
おれがそう言うと、マツノ君はうなずいた。うつ病を発症したマツノ君の友人も、思いやりがあって、優しい性格だったそうだ。うつ病になりやすいのは、責任感が強く、まじめな人だ。自分で招いた不幸を他人や社会のせいにしたり、責任を他人に押しつけるような図々しい人はうつ病にはなりにくい。


小学校の頃、結構泣き虫だったMorris.は、担任の宮地静代先生に(^_^;)「泣けるのは感受性が強いからなのよ」と慰められた?ことを思い出した。

安アパートの四畳半に閉じこもってポルノサイトを眺めていたあのころ、おれがもっとも嫌悪したのは、図々しい他人だった。コンビニに売れ残りの弁当を買いに行くとき、笑い合いながら歩道いっぱいに広がって集団で歩く中高生や、公園で下手くそな楽器を演奏する男や、店内で携帯に向って大声を張り上げる女を見ると、切れそうになった。


本書の主人公にとって、Morris.は「図々しい他人」のひとりらしい(^_^;)

「誰もが生き方を選べるわけではない。上位の他人の指示がなければ生きられない若者のほうが圧倒的に多く、それは太古の昔から変わらない。それなのに、現代においては、ほとんどすべての若者が、誰もが人生を選ぶことができるかのような幻想を吹き込まれながら育つ。かといって、人生を選ぶためにはどうすればいいか、誰も教えない。人生は選ぶべきものだと諭す大人たちの大半も、実際は奴隷として他人の指示にしたがって生きてきただけなので、どうすれば人生を選べるのか、何を目指すべきなのか、どんな能力が必要なのか、具体的なことは何も教えることができない。」

テロ組織の情報ターミナルを努めていた心療内科医師アキヅキのセリフ。ここらあたりが、村上龍の「上から目線」で、いまいち共感できないところ。

アキヅキは、続けてもっと恐ろしいことを話した。
「次の、目的は何かという質問だが、それは、この日本を、そうだな、わかりやすく言うと、廃墟にすることだよ。終戦直後から復興の時期にかけて、巨大な需要があった。巨大な需要、それがすべてなんだ。焼け跡には、何もないかわりに巨大な需要がある。だから解決は簡単で、他にはどこにも方法がない。もう一度、あの時代に戻す。大震災で東北の太平洋岸は壊滅したが、政府にも民間にも、危機感は生れなかった。もっと徹底的にやらなければならない。本当の焼け野原にすべきなんだ」
アキヅキは、まるで舞台俳優のようだった。


「造反有理」!!!!

「AMAOU」は「アマチュア女王さま」の略というのが定説になっている。約五百人の、13歳から17歳の少女たちが、全国各地にある「あまおう城」と呼ばれるマンションで一種の寄宿生活を送り、演技やダンスや歌のレッスン、それにステイタスアップと称されるオーディションを受け、それらはネットで公開された。--AKB48はサイン会や握手会の整理券と抱き合わせで写真集やCDを売って稼いだが、「AMAOU」は、動画配信サービスに特化し、さまざまな広告を入れるという戦略で、さらに大量のファンを獲得した

AKB48の進化形「AMAOU」(^_^;)  村上は近未来小説で、アイドルの世代交代を予測してたようだが、いやいや、そうは問屋がおろし大根(>_<)

ミイラのような老人についての概略的な話で、かつての満州国には最初から最後まで国籍に関する法律がなく、それは人口の1%に充たなかった日本人が強硬に反対したからで、真の五族協和のためにと満州国籍を作るために努力していたグループは孤立して、身の危険にもさらされた。ただし、そのグループには、軍部、官僚、民間ともに優秀な人材が揃っていて、戦後の復興にも多大な貢献をしtが、先生とよばれるミイラのような老人は、その中枢にいて、金融、産業育成、そして外交にいたるまで重要な局面で判断を求められ、仲介や仲裁に力を発揮したものの、決して報酬は受け取らなかった。

当時「偽満」と憎しみを込めて揶揄した中国人からすれば、「満州国籍」も「偽」でしかなかっただろう。

「特攻隊がなぜ美しいか、わかるか。彼らは、二十歳そこそこの若さで、国や、故郷、そして愛する人々を守るために、喜んで犠牲となった、彼らは、七十年後の今でも、尊敬され、英雄として崇められている。崇高で、偉大なものの犠牲になる、それがいかに美しく、素晴らしいかわかるか。
そういう洗脳をされるのは、気持ちがいいものです。ある種の人たちにとっては、信じられないくらい圧倒的に気持ちがいい。自分で考える必要もないし、自分をコントロールできないと苦しんだり不安になったりする必要もない。心身を委ねる、依存する、支配される、犠牲になる、殺人も死も恐くない、逆だ、殺人は極端な行為だが、崇高な指名を帯びるとき、それは許されるだけではなく、世界を救うこともある、世界は矛盾と不正にみちている、そんな世界を盲目的に受け入れている連中を殺すのは、矛盾や不正を破壊することだ、そして、死を決意すれば、あらゆる悩みや不安や恐怖が消える、どれほど安らかになれるか、ほら、もう君はわかっているはずだと思うけどね。その種の洗脳は、甘えることを当然と考える人間が多い社会において、宗教的で、恐ろしい効果を生むんです」
山方は、洗脳者の言葉を語り、演じて見せた。


山方は元官僚だが、洗脳と自爆テロへの分析と批判の視点は正しいと思う。

カツラギは、生れてから一度も包丁を握ったことがないと言ったことがある。おそらく本当だろう。包丁など扱わないほうがいいと思う。おれは、カレーライスやピラフくらいなら作ったことがあるが、妻子に逃げられたあとはカップ麺専門になった。自分で自分のために料理を作るというのは、それだけでかなりまともな証拠なのだ。

自分で自分の料理を作るのが、当たり前の生活をしているMorris.は、ちょっと、ほっとしてしまった(^_^;)

おれの歯はボロボロで、被せものとか、ブリッジとか、複雑で安価な補修を施しているが、自分の歯は全体の半分もなかった。四十代後半から、根腐れを起こした樹木のようにぽろぽろと抜けていった。ちゃんとした歯磨きをしないことによる典型的な歯周病だ。フリーの記者時代は、編集部に泊まり込んで徹夜で原稿を書き、一段落するとカップ麺を食べて酒を飲んで仮眠を取るみたいな生活で、歯磨きなどはほとんどしなかった。歯科医からはインプラントを勧められたが、すでに仕事は失っていたのでそんな金があるわけもなかった。

歯の状態については、この「おれ」を「Morris.」に入れ替えてもほとんど問題なさそうだ(>_<) 歯磨きに関しては、数か月前から使い始めたCOOPの「ノンフォーム歯磨」は、画期的である。ン10年遅かったきらいはあるが、これはぜひ、一度試してもらいたい。

アキヅキという医師、それにミツイシの顔も浮かんできた。そして、彼らがやったこと、やろうとしていることの意味が、論理ではなく、皮膚感覚のようなものとして、針でどこかを突かれるような感じで伝わってきた。老いには抵抗できない。まだまだ元気、まだまだ若い者には負けないみたいな感じで、七十を過ぎて半裸で山を駆け上がったり、八十になって過酷な登山に挑んだりする年寄りがいるが、無意味な抵抗を試みているだけのアホだ。老いは絶対的な事実で、あきらめと自己嫌悪と怒りを生む。あきらめは老人をたとえば趣味に向かわせ、自己嫌悪は疾病や隠遁に向かうのだろう。年老いて、あきらめと自己嫌悪から逃れるためには、怒りを活用するしか無いのかも知れない。

Morris.は「老い」に関しては、「あきらめ」派ぢゃ(^_^;)

「わたしは、この国のあらゆるものを信じていない。政治しかり、経済しかり、社会システムしかり。ですが、もっとも大きな不信を抱いているのは、マスコミだ。どう思いますか。彼らは、正義を言う。権力を批判し、弱者の側に立つと言う。だが、日本で、平均してもっとも工学な給与を得ているのはマスコミの人間ですよ。フジテレビの社員の給与は世界一だとも言われている。ワーキングプアや孤独死など、貧困と孤独をテーマに特別番組を作るのが大好きな日本放送協会、つまりNHKですが、平均年収は一千万円を優に超えて、サラリーマンの平均の三倍近い。朝日新聞、日本経済新聞なども同様。講談社や小学館など、出版社も同様。すべてのマスコミは、弱者を擁護し、権力を批判する資格などない。いやいや、セキグチさん、勘違いしないでいただきたい。金を稼いではいけないということではない。金ならわたしたちも稼いでいる。彼らマスコミが偽善者だと言うつもりもないし、嘘を報じると言うつもりもないし、権力の側について事実を隠蔽していると言うつもりもない。単に、能力がないのです。事実を報じる能力がない。世界的にパラダイムが変わってしまっているのに、気づくことができない。その理由がわかりますか。あなたならわかるでしょう」
ミツイシは、慰めるようにまた励ますようにおれの肩を軽く叩き、わかっているはずだ、と繰り返した。カツラギが、じっとおれを見ている。
気がつくと、おれは感情を吐露していた。
「そうです。あの連中は、自分を否定したことがないし、疑うこともない。わからないことは何もないとタカをくくっている。わかるという前提で報道し、記事を書く。だけど、たいていのことはわからないんだ。わからないことはないというおごりがあるので、絶対に弱者に寄り添うことができないんだ。くそったれ」


マスメディアに対するあけすけな批判\(^o^)/ ほぼあたってると思うぞ。それでも出版社に「文藝春秋」を出さないあたりはご愛嬌だろう。

「ミツイシ、もういいじゃないか。セキグチ、いいか、お前が、選ばれたというのは本当だ。とにかくお前はぴったりだったんだ。88ミリ対戦車砲で原発を狙っている組織があるって、朝日新聞が書けるわけないだろう。連中は、結局、秘密保護法に負けたじゃないか。あいつらは、記事にしないで、内閣府に報告する。内閣府もバカじゃないから、箝口令が敷かれる。おれたちのことを記事にしたら、今、日本国の唯一の希望である東京オリンピックが、間違いなく中止になる。福島の汚染水だって、世界中に有名になってるし、使用済み核燃料だって、もう保管場所がぱんぱんでどこにも置けないと世界中が知ってる。88ミリ対戦車砲で原発を撃つ、なーんて、お前以外、書いてくれる人間がいないんだよ」

こういった事情で本書が書かれたという、構成になっているわけだが、本書がある意味「無視」されてるのは、何かもったいない気がしてきた。

いつの時代でも、またどの国でも、メディアは必ずポピュリズムによって屈服し、それを権力が利用する。

これは村上箴言として、上上吉。

この手の作品にありがちなことだがどうしても尻すぼみになってしまう欠点が、本作にも出てしまったようだ。
それと、発表媒体に忖度したのか(^_^;)いささか右っぽいバイアスがかかってるのが気になった。



【「対日工作」の内幕】時任兼作 ★★☆☆ 2016/10/25 宝島社

タイトルに惹かれて読んだのだが、どうもいまいち面白みに欠けた。唯一、統一教会と安倍一族の関連部分が記憶に残った。

統一教会は、文鮮明教祖が韓国で始めた新興宗教であり、政治色が強く、草創期に共産主義に対抗すべく、国際勝共連合なる政治団体を創設している。
この国際勝共連合は、米国のCIAと密接な関係にあるKCIAの公認のもとに設立され、朴正煕政権の庇護を受けつつ政治運動を拡大していった。
日本においても、早くから自民党に浸透していった。なかでも、岸信介元首相との親密さはつとに有名だ。岸氏は統一教会の日本本部の近隣に住み、文教祖と親しく、国際勝共連合の設立そのものにも関わり、集会では講演などもしている。
この団体は情報工作機関なのである。
2006年、安倍晋三官房長官(当時)、安岡興治元法相ら54名が、統一教会の偽装組織・天宙平和連合の大会に祝電を送ったことが判明している。また、のちに政調会長となる稲田朋美議員も同年および2010年に統一教会の団体である世界平和女性連合の集会に参加している。さらに、安倍氏は2014年、統一教会の関連団体である世界戦略総合研究所の会合に講師として参加。その様子は同会のホームページに写真つきで紹介されている。そして、2014年には、やはり統一教会の後援会で、萩生田光一議員(現官房副長官)が来賓挨拶を述べていた。(政治家に迫る諜報員)



【反社会品】久坂部羊 ★★★☆☆ 2016/08/31 KADOKAWA 初出「小説現代」「小説野生時代」2012-16
ちょっとブラックユーモア風味の短編7つが収められている。腰紐にそれぞれのキャッチコピーがあったのでそのまま写しておく。編集者の努力のたまものだろう。

人間の屑」弱者を「人間の屑」と呼び、首相が、ココロの病気で働かないヤツは屑だと主張する「愛国一心の会」が優勢となった社会。そこで起こったのは。
無脳児はバラ色の夢を見るか?」出生前診断の結果にショックを受けた妊婦は、夫の反対に、出産を大いに悩むが。
占領」福祉に恵まれた高齢者と、働く一方の現役世代に二極化した社会。優遇政策に社会の不満が高じたが、現役世代は圧倒的な劣勢で。
不義の子」妻の浮気相手は一卵性双生児の弟なのか。疑念に取り憑かれた医師は、妻を追求するが。
命の重さ」上司から骨髄バンクへの登録を頼まれた市役所職員。思いがけず家族の強い抵抗に直面する。
のぞき穴」海水浴場のトイレに入った少年。生殖と生命の不思議に魅入られ、未来を支える出来事に遭遇する。
老人の楽しみ」バーの酔客に心のなかで悪態をつく元医師は、人の心を読める能力を持つ少女に出遭い。

「愛国一心の会」が躍進した背景には、前政権のきれい事政治や、過剰な福祉政策への不満があった。生活保護、子育て支援、高齢者福祉など、"優しい政治"を自任する前政権が、理想的な政策を推し進めた結果、若い世代が経済的に圧迫された。まじめに働いても収入は増えず、社会保障費ばかりが増える状況となった。
単純明快な折尾の言葉は、ものごとを深く考えない人々の心にまっすぐ届いた。
折尾は自らの主張を「ネオ実力主義」と呼び、努力して結果を出せば、高い評価と報酬が得られる社会にしようと訴えた。(人間の屑)


「前政権」は民主党、「折尾」という新党党首は、小泉、安倍、橋下の混合物のようだ。

「高齢者優遇法は、具体的にどんな内容なんですか」
「ご存じないんですか。柱となるのは、高水準の年金支給と税制の優遇です。だから、今の高齢者は裕福で時間的にも余裕がある。そのため、経済も高齢者をターゲットにしたものばかりに偏ります。世の中の制度も、すべて高齢者目線で決められています」
「まるで高齢者が社会の主役みたいですね」
「そんな生やさしいものじゃありませんよ。病院だけでなく、街中、いたるところに高齢者があふれている。今や日本は高齢者に占領されているのです」

「シニアコンビニ・老村(ろうそん)」の看板が目に入った。中へ入ると、商品棚には老眼鏡、補聴器、大型爪切り、安全耳かき、吸い飲み、浣腸、湿布、腰痛バンド、のど飴、とろみ剤、先割れスプーンに使い捨てカイロ、腹巻き、お守り、迷子札、あったか靴下にゆったり下着、紙オムツに尿取りパッド、失禁パンツにリハビリパンツなど、高齢者御用達の品がずらりと並べられている。別のスペースには、杖、歩行器、シルバーカー、各種手すり、お風呂マットにシャワーチェア、電動車椅子にマッサージ機、キャスター付き点滴台、自動血圧計に簡易心電計、仏壇仏具にお墓の見本まで置かれている。高齢者向け食事の宅配、テレビやパソコンの不具合調整、ちょっとした修理や掃除、簡易型お葬式の出前で承ると書いてある。


ちょっとお遊びが過ぎるきらいあり。

『共富党宣言』
・高齢者は正当なる権利を主張すべし
・団塊の世代は今の日本を造り上げた矜恃を持つべし
・安心、安全、十分な年金保障
・現役世代のさらなる貢献実現
・少子化対策の徹底改革
これらの政策を実現するため、共富党は「全体福祉法」を提案します。


「共富党宣言」はもちろん「共産党宣言」のギャグだが、「きょうふとう」という名前もちょっと物騒ではある。

「2001年に可決された『全体福祉法』、あれがそもそものきっかけだったな」
「『全体福祉法』? 日本全体に福祉を行き渡らせる法律ですか」
「君はどこまでおめでたいんだ。全体というのは『全体主義』の全体じゃよ。法律の名前というものは、常に毒や牙を美名に変えてつけられるのだ。治安維持法然り、平和安全法制然り。全体福祉法では、高齢者を"エルダリアート"と称して、共富党が"老化大革命"を起こしたのだ。若さや健康がもてはやされる価値観を覆し、高齢者に開き直って自己の権利を主張せよと煽ったわけだ。若者から搾取して、自分たちの余生を充実させることを是とした。あの法律から、日本は"エルダリアート独裁"がはじまったのじゃよ」(占領)


法律の名前に対する薀蓄だが、安倍政権は美名どころか「テロ等準備罪」という摩訶不思議な罪名まででっち上げてしまっている。

それはイメージしていたものとは似ても似つかない、グロテスクなものだった。黒ずんで膨れた肉襞。不気味な軟体動物のようで、周囲はチンパンジーを思わせる黒い毛に縁取られていた。不潔で、不吉で、おぞましい。官能をしげきするどころか、恐怖と嫌悪しかもたらさない。私はのぞき穴から離れ、小刻みに浅い呼吸を繰り返した。

女性器がなぜ私を惹きつけるのか、理由はわからなかった。だが、後年、タオイズムの本を読んだとき、老子が『玄牝(げんびん)の門、これを天地の根(こん)と謂う』と書いているのを知り、老子も女性器に神秘を感じていたのだなと妙に納得した。男が女性期に惹かれるのは、種の保存のため本能にそういうソフトがインストールされているからかもしれない。
私の好奇心は半ばあこがれに近く、常に美しい女性器を求め続けた。女性器は脳内でどんどん美化され、理想化された。それは蓮の花のように淡い色合いで、白桃のような膨らみを持ち、観音像のようになまめかしく、ヒナ鳥のように可憐だった。

(産婦人科医になって)私はあることに気づいた。男性が女性器に惹かれ続ける理由は、男性が女性器を「見ても観ていない」からだ。

カーテンのこちら側に、象牙のような白い両脚が開かれていた。その中央に、これまで見たこともない完璧な女性器があった。予想通りだ。私は思わず息を呑んだ。これほど美しい造形は見たことがない。それは子どもを産むための臓器としても、愛を受け入れる器としても、女性が最後の最後まで秘す場所としても完璧だった。精緻でなまめかしく、均整が取れ、しかも慎ましやかだ。(のぞき穴)


これだけ即物的に書かれると身も蓋もないようなものだが、医者ならではの力技だろう。まあ渡辺淳一みたいな人もいたけど(^_^;)

【文庫解説ワンダーランド】斎藤美奈子 ★★★☆☆2017/01/20 岩波新書(新赤版)1641 初出「図書」2014-16
久しぶりに美奈子ワールドを堪能することができた。

「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(カール・マルクス 1852)の書き出し「ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(ファルス)として、と」
ルイ・ボナパルト(ナポレオン三世)はナポレオン・ボナパルト(一世)の甥。「ブリュメール十八日」は革命暦の「11月18日」で、ナポレオン・ボナパルトの軍事クーデター(1799/11/09)により「フランス革命が終わった日」のこと。
「本書は1848年2月革命によって成立した第二共和制が、1851年12月22日のボナパルトのクーデターによって壊滅するまでの歴史をのべたもの(1954岩波文庫版解説 」
「1980年代の終わりに「共産主義体制」が崩壊し、民主主義(議会制)と自由主義的市場経済の世界化による楽天的な展望が語られたとき、マルクスの「資本論」や「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」といった著作は最もその意味をなくしてしまったかのように見えた。しかし(略)1930年代のファシズムにおいても、90年以後の情勢においても貫徹するものをはらんでいる。ヒトラー政権はワイマール体制の内部から、その理想的な代表制のなかから出現した。(略)日本の天皇制ファシズムも1925年に法制化された普通選挙ののちにはじめてあらわれたのである。(略)(ナポレオンの甥という以外には何のアピールポイントもなかったルイ・ボナパルト。彼はメディアによって形成されるイメージが現実を形成することを意識的に実践した最初の政治家だといってもよい。(2008平凡社ライブラリー版 柄谷行人解説)
こここ、これって、ほとんど21世紀の日本じゃないの!?
平凡社ライブラリー版は1996年に太田市出版から刊行された同書が底本。柄谷行人の付論も95年に発表された論文に加筆したものだ。それなのに、まるで小泉純一郎政権の出現(2001)を予測していたかのような、この類似。
そして今日の第二次安倍晋三政権の発足(2011)である。岸信介の孫という以外のアピールポイントはべつにないのに、3年で頓挫した民主党政権の後、圧倒的な支持を得て成立した安倍政権。特定秘密保護法の制定から集団的自衛権の行使容認、安保関連法の成立まで、そいつが暴走しまくっている歴史の反復。いやいや日本だけではない。2016年の米大統領選で、稀代の不動産王ではあってもなんの政治的実績もないドナルド・トランプがまさかの勝利を収めたのも、まさに「ボナパルティズム」の再来だ。
後世のファシズムと連結させたのは解説としては強引であろう。が、この強引な補助線がなければ「ブリューメル」なんてたぶん絶対読まないし、ボナパルティズムと今日のポピュリズム政治の類似にも気づかなかっただろう。本文と解説の主従関係は、ときに逆転するのである。
巻末の解説は文庫の付録、読者サービスのためのオマケである。しかし、人はしばしばオマケが欲しくて商品を買う。文庫解説もまた一個の作品。本文の家来ではない。家来じゃないなら、では何か。あえていえば伴奏者だろう。(序にかえて--本文よりエキサイティングな解説があってもいいじゃない)


この序文のリキの入り方はただごとではない。「ボナパルティズム」という言葉は聞き覚えがあったが、そんな意味だとは知らずにいた。

思えば当時は、ティファニーが宝石店であることすら、多くの日本人は知らなかったのだ。(カポーティ「ティファニーで朝食を」)

まさに、Morris.もそうだったあ(^_^;) いや、食事もできる喫茶店と思い込んでた。

「今まで日本では、植民地主義に関してすべてことが悪だった、そして植民地で働いた白人たちはすべて悪い人だったような言い方をしますが、そうではないことを、私たちはこの物語の中の隠されていた部分にも発見するのです」
貧しさは自己責任論に還元され、植民地主義は半ば肯定され、物語の美質はなべて「今の日本人が失ってしまった実に多くのみごとな人の心」と解釈される。
『小公女』までダシにするんだもんな。困ったもんだな、曽野綾子。

児童文学の解説に半端な「教訓」なんかいらないのだ。必要ならば、彼らは自分のための教訓を自分で見つけサウだろう。
解説がしてやれるのは、そのための情報を提供することだけである。子どもは解説なんか読まないって、というのは大人の思い込みである。子どものときに読んだ本は一生の財産になる。児童文学の読者を一人前の大人として扱う。それを教育っていうんじゃない? (バーネット「小公女」)


ほんとうに困ったもんである。曽野綾子やら櫻井よしこやらに少女小説を語ってもらいたくはないよな。

新潮文庫版『ヨーロッパ退屈日記』(2005)の解説は、次のようにはじまる。
「『ヨーロッパ退屈日記』は、1965年の高校生にとって一大衝撃だった」
解説者は作家の関川夏央。
「ジャギュア(ジャガー)という呼び方、アーティーショー(アーティチョーク)という不思議な野菜、マルティニ(マティーニ)という夏のかおりのする。/洗髪はその頃石鹸からシャンプーにかえたりもののリンスはいまだ知らず、グレープフルーツはグレープの親玉のようなくだものだろうと想像するのみで、フランスにはレストランの辛辣な批評を兼ねたミケリンという自動車旅行ガイドブックがあるとイアン・フレミングの小説で覚えたばかり、1ポンド1008円時代を行きていた私には、まさに驚きの連続だった」
解説を読むだけでもおもしろいじゃないの!(伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」)


Morris.も伊丹十三の数冊の本には夢中になった覚えがある。関川は解説だけを集めた本を2冊も出してるくらい、多くの解説を書いてる専門家?だけに、美奈子さんに褒められて、ホッとしているだろう。

「ここで「薫」がひたすら守ろうとしているのは、「ぼくの知性を、どこまでも自分だけで自由にしなやかに素直に育てて行きたい」(第七章)と語る。知性にむけた願いである。(略)自由と他者への愛とを両立させるための最小限の倫理を、しなやかな知性によって確保すること。第三章に登場する「すごい思想史の講義をしている教授」のモデルになった、政治学者、丸山眞男の姿を想起してもいいだろう」(政治学者苅部直(かるべただし)による新潮文庫版(2012)の解説)
ちなみに作者の庄司薫が東大法学部の丸山眞男ゼミに所属していたのは有名な話。彼はまた1937年生れで、1950年ないし51年生れの主人公より一世代上に属する。この小説は佐伯(中公文庫版(1973)の解説者佐伯彰一)がいうような「ごく普通の日本の若者」の告白などでは全然ないのだ。(庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」)

「いまから三十三年前、『なんとなく、クリスタル』を初めて読んだ時、ぼくは、二つの矛盾する感想を抱いた。(略)このような小説はいままで読んだことがなかったが、このような本なら読んだことがあったからである。/それは、カール・マルクスの『資本論』だ」
ええええっ、しししし資本論!?
ハッタリにも思えるこの見立てを、高橋(源一郎)の解説は「『資本論』における「本文」と「注」の関係」に注目することで見事に論証してしまった。
「社会の仕組みを冷静に「解釈」する「本文」に対し、左側の「注」では、その実例が熱をこめて語られ」た『資本論』。それまでの経済学者は資本主義を解釈しようとしたが、マルクスは「自分が書くものは「経済学」の本ではなく、「経済学批判」の本なのだ」自覚していた。『なんクリ』の構造も同じ。「これほど深く、徹底的に、資本主義社会と対峙した小説をぼくは知らない。マルクスが生き延びていたら、彼が『資本論』の次に書いたのは、『なんとなく、クリスタル』のような小説ではなかったろうか」
いやー、マルクスも草葉の陰でびっくり仰天しただろうね。
とまれ、多少強引だとしても、この解説がエキサイティングなことは誰しも認めざるを得ないだろう。『なんクリ』の解説としても『資本論』の解説としても、だ。(田中康夫「なんとなく、クリスタル」)

だとすると、なぜ同時代の批評家は(あるいは読者は)、『赤頭巾ちゃん』や『なんクリ』の読み方を、そして評価を見誤ったのだろうか。
理由はたぶん簡単である。要するに「ナメていた」のさ。
『赤頭巾ちゃ
』が書かれた1968年と、『なんクリ』が書かれた1980年は、ともに大衆消費社会の興隆期。いいかえれば知識人が危機に瀕した時代だった。
その現実に、当時の批評家や文学愛好者は気づかなかった。自身が崖っぷちに立っているとも知らず、だからノホホンと若者文化を上げたり下げたりしていられたのである。

「ベストセラーは読まない」Morris.なので、この二冊も読まずに済ましてきた。タイトルで「ナメてた」ところもある。今更ながら読んでみようかと思ってしまった。しかし庄司薫ってMorris.より12歳も年上(1937年生れ)というのにはびっくりしたなあもう、である。3つか4つくらい年上と思ってたのだった。

そうだった、思い出したよ。コバヒデの脳内では、よく何かが「突然、降りてくる」のである。こういう箇所を読むと人は(少なくとも私は)鼻白む。しかし、小林にとってはこの「突然、降りてくる」が重要で、こうした一種の神秘体験を共有できるかどうかで、コバヒデを理解出来るか否かが決まるといっても過言でない。
小林の特に『無常ということ』や『モオツァルト』が難解に見えるのは、感動という、およそ言語化しにくい事象を扱っているためだ。そして読者は、そんな彼の書きっぷりにたじろぎ、理解はできなくても感動はするのである(たぶん)。(小林秀雄「モオツァルト・無常ということ」)


小林秀雄を「コバヒデ」と書くのは、評論家としてはかなりの大胆さである。まあ美奈子さんは自身を評論家とは思ってないかもしれないけど。「理解はできなくても感動」というのは、皮肉でもあるのだが、コバヒデの本質を突いてる。その美奈子さんは小林秀雄賞の受賞者だったりもする。

「どうして、彼の作品を、初登場以来、読み続けけているのか。私の同時代の日本に失望しているからである。/しかし、世界に先んじて原爆を二発落とされた日本を憎むことはできない。/それにしても、原爆を二発落とされて、日本よりも強いとわかってから、アメリカに従い、今はそのアメリカにいだかれて、いばって国民にむかって命令などしている。この私の国の中に暮らして、私は国民のひとりとして、自分の国に眼をそむけたくなる。/いったいどこにのがれたらいいのか。/古典として言えば、日本に残っている『風土記』と『風土記逸文』である」って、なんだなんだ、この脱線ぶりは。
そして話は、なぜか浦島太郎にリンクする。
『風土記』と『風土記逸文』に登場する浦島太郎は、動物虐待から亀を救い、海の中の外国でも乱暴をせず、故郷に帰って白髪の老人となり、老いをなぐさめとした。「こういう立派な人と肩を並べられる人は、今ここに住む一億二千万人の中に、いるだろうか。/ほんとうにわずかの人を、私は思い浮かべることができるばかりである。赤川次郎の作品の中に、私はそういう人たちと出会う期待を持ち、その期待は常に満たされてきた。赤川次郎の作品は、特に杉原爽香の活躍する成長小説は、私にとって現代の『風土記』である」
赤川次郎は『風土記』で、杉原爽香は浦島太郎。
久しぶりに読んだ「これってあれじゃん」な解説だ!
ちまちました解説のオキテなどにこだわった自分を、私はこの瞬間にちょっとだけ反省した。鶴見(俊輔)の解説は女子中高生に伝わるだろうか。伝わらないかもね。でも、いいのだべつに。どこかの知らないおじさんの「私は同時代の日本に失望している」という一文をたまたまよんでしまった中高生は、ともあれ、何かを感じるだろう。それは一種のサプライズ。解説が哲学者とのはじめての出会いにならないとも限らないのである。(赤川次郎 「三毛猫ホームズシリーズ」)

赤川次郎という大ベストセラー作家の本もこれまで読んだことはなかった。しかし、この鶴見俊輔の解説で、Morris.も杉原爽香シリーズというのを読んでみたくなった。中央図書館の文庫棚でアカを探したが赤川次郎作品は一冊も見当たらない!?、と思ったら、棚の上部にずらずらズラッと並んでいた。ざっと数えて200冊超(@_@) さすがぢゃ。杉原爽香シリーズも15冊くらいあって、一番若い22歳「瑠璃色のステンドグラス」(8作目)を中庭で一気に(^_^;)読了、24歳「暗黒のスタートライン」を借りて帰り、その夜に読了してしまった。たしかにうまいもんである。しかしこれから500作以上あるという赤川次郎本を読み続ける誘惑からはなんとか逃れたい。

戦争を描いた、特に児童文学の特徴。
1.戦争の結果は描くが、戦争をはじめた原因への言及はない。
2.被害者視点に立つあまり、庶民の戦争協力は「愚かな民の愚行」として片づけられる。
3.銃後の暮らしだけに光が当たり、戦地への想像力が働かない
戦後の反戦平和教育は、だいたいこういう方針で進んできた。おかげで日本の少年少女には少なくとも50年間は戦争を憎む心が育った。それ自体は悪くなかった。
だけどおんなじことばかりいってると、だんだん「念仏」になってくるのよね。
『少年H』(1997)につけられた解説&推薦文の山が象徴的だ。戦後民主主義的な価値観が当たり前になりすぎた結果、この物語に違和感を持たない人がそれほど増えたということである。まるで反戦平和師僧の大安売り。これじゃさすがに飽きるでしょう。
だからこそ、このすぐ後に歴史修正主義が台頭したのじゃなかったか。その傍証が、『少年H』が出版された翌年に、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言 SPECIAL戦争論』(1998)がベストセラーになったことだろう。そしてされにその10年後には--。
百田尚樹のデビュー作『永遠の0』(2006。ヒットしたのは文庫化の後)である。講談社文庫版(2009)も含め、500万部超のベストセラーだ。
『永遠の0』が爆発的にヒットした理由は簡単。戦後の児童文学や戦争教材が描かなかったもの、封印してきたものを描いたからだ。
「僕の夢、いや当時の僕と同じ子どもたち全員の夢といってもいいのが、少年航空兵として一日も早くお国のために役立つことだったし、零戦のパイロットとして戦うことだったからだ(文庫版の解説俳優の児玉清)」
『少年H』が「愚かな級友たち」の視点として片づけた価値観だが、戦中の少年の実感はむしろ児玉に近いものだったろう。
(主人公の)宮部もまた戦後民主主義的な価値観を持った人物である点に注意スべきだろう。にもかかわらず、海軍に志願し、戦闘機に乗り、新米パイロットを指導し、敵機を撃墜する。その点について彼は何も悩まない。大人のメルヘンだから当然である。
しかし、児玉清の解説はあたかもそれが戦争の真実だったかのように読者を誘導するのである。
図らずもこの解説は、特攻という非人道的な戦法を発明した日本軍の暴力性と犯罪性を隠蔽する。作品を相対化する視点がまったくないから、読者はまんまと騙される。
でもね、解説が作品に屈服したら、やっぱダメでしょ。作品の軍門に降った解説は、読者のためにも作家のためにも作品のためにもならない。だから、ここはあえていいたい。
出でよ、闘う文庫解説! 解説は作品の奴隷じゃないのだ。(軍国少年と零戦が復活する日)


「少年H」は読んだ。面白かったが、どこか胡散臭さを感じたのも事実である。「永遠の0」は、未読。今後読む気もなし。
「作品の軍門」「闘う文庫解説」軍国主義国家復活への美奈子さんのひねり技だが、鈍感力では人後に落ちない安倍政権だけに、「言葉を越えた武器」を準備しなくてはならないかもしれない。なんてことを誰かと相談したら「共謀罪」で引っ張られることになりかねない(>_<)



【憲法改正とは何だろうか】高見勝利 ★★★☆ 2017/02/21岩波新書(新赤版)1645
高見勝利 1945兵庫県淡路島生れ。北海道大学・上智大学名誉教授。専攻憲法学。

憲法改正の新しい本で新書だから、読みやすくて近々の事情もわかるだろうと、読みはじめたら、えらくとっつきにくかった。

第一章 憲法を変えるとはどういうことか
第二章 憲法改正規定はどのようにして作られたか
第三章 憲法改正手続法はどのようにして作られたか
第四章 憲法改正手続の何が問題か
第五章憲法改正にどう向き合うか--安倍首相の憲法観と立憲主義


この五章のうち第三章までは戦後日本の憲法論議の歴史解説みたいなものでどうもぴんと来ない。第四章からやっと今の問題で、あとがきを見たら、本書は10年前、第一次安倍内閣時の憲法論議に合わせて出そうとしたのが、安倍退陣でボツ?になったものを、あらためて一部追加して出したものだったらしい。

統治のあり方を変換するメタ・ルールとして、そこでは、憲法改正の手続が考えられている。それは、憲法という上位(メタ)・ルールの返還(メタ)・るーるであり、したがって、厳密には、「メタ・メタ・るーる」と称すべきものである。
ここに、憲法改正規定の「メタ・メタ・ルール」としての本質が明確となる。それは、いわば「憲法の憲法」である。すなわちそれは憲法のなかに組みこまれているが、憲法を超えるものであって、憲法そのものに変改を加える手続規定である。憲法の改正とは、したがって、憲法という通常の法律の上位に位置するメタ・ルールを変更する最高の権力作用であり、しかも、憲法というメタ・ルールに組みこまれた、いわばメタ・メタ・ルールとしての憲法改正規定に基づいて行われる権力作用である。(第一章)


もうちょっと、分かりやすく説明できないもんだろうか? 憲法が一般法律とは次元を異にした上位構造で、その憲法を改正する手続は、憲法のそのまた上位構造だと言ってるようだけど(^_^;)

憲法九六条の沿革をたどり、その立案・起草過程で展開された議論の素描から明らかなことは、「新憲法は……その改正について、「主権在国民の原理に徹した新しい手続」を設けたということである。その端的な表現が、憲法改正案は国会が発議し、国民に提案して、その承認を経なければならないとする点にある。(第二章)

1955年の保守合同後における自民党長期政権は、憲法改正を党是に掲げつつも、歴代首相は、自らの政権下では憲法改正は考えていないと言明することで、むしろ、国民投票法性の整備を自ら封印してきたのである。そのことからして、今世紀初頭に至り、自民党内で声高に叫ばれるようになる、国民投票法制の未整備は「国会」(議院内閣制のもとでは政府・与党)の「不作為」だとの論はいささか不可解である。けだし、それは、従来の政権与党(自民党)が「怠慢」であったとの不可思議な弁で、歴代首相の「封印」を解こうとするものであるからだ。

国会では冷戦終結後の変化した国際紛争の場裡へ自衛隊を派遣すべきか否か、現行憲法のもとで、一体、それがどこまで可能かが激しく論じられる。そうしたなかで、「集団的自衛権」の行使を禁ずる憲法第九条が争点となり、同条の改正を中心に、憲法改正が語られるようになる。そして、憲法改正に必要な手続法の整備がなされていないことが改めて論点として浮上するのである。(第三章)


ややこしいこった。戦後新憲法が出来た時にあるいはすぐ後に改正要項を決めておけばよかったのに……。

最低投票率制度の導入を違憲だとする根拠は--憲法改正案に対する国民の「承認」について、憲法九六条要請する国民の「過半数」とは上記「有効投票総数」であることが明白であるにもかかわらず、同条で明記されていない最低投票率を法律で設定し、その投票率に達しない国民投票の結果を無効とすることは、同条に対し法律で要件を加重するものであって、同条に違反するというものである。

0七年法に最低投票率制度を盛り込もうとしなかった最大の理由は、実は上述の違憲論ではなく、制度が設けられることで、ボイコット運動が激化することに対する恐れと思われる。
「棄権キャンペーン」が功を奏した結果かどうかはともかく、実際に、反対者の多くが棄権した結果、最低投票率に達しない場合、そこでは、進んで投票所に出かけ、賛成票を投じた数が多数を占めることになるのはいわば理の当然である。この賛成票をもって、「多数意思」「民意」が無視され歪められたと容易には語り得ないであろう。棄権者の多くは、現状のままで良い(改正の必要なし)と考え、投票所に足を運ばなかったとも言えるからである。


本書で一番腑に落ちたのがこの最低投票率制度のくだりだった。ここは大事なところである。ボイコットだって意思表示のひとつのかたちである。

国民がこの国民投票を行うためには、その前提として当該改正案の趣旨およびその具体的内容のみならず、それに対する賛否の理由が国民投票に参加するすべての者にとって明確なものとなっていなくてはならない。
憲法ニ一条の集会、結社および言論、出版等一切の表現の自由が、こうした空間の保障に資するのである。


「共謀罪」を無理やり通そうとする政府の思惑はここらあたりにあるに違いない。

内閣法制局が「法の番人」としての権威を失墜してしまった現在、憲法審査会が、法案の違憲審査を担う北欧議会の憲法委員会のような憲法保証機能を発揮すべきではないか。(第四章)

韓国には憲法裁判所があり、先般の朴槿恵訴追で脚光を浴びたが、日本でもこれに準ずる存在が必要だと思うぞ。

参院選で改憲勢力が三分の二議席に達した現在では、「衆議院・参議院憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指す」とした昨夏の自民党・参院選公約で示された手順通りに、衆参両院を圧倒支配する数の力に任せて一気呵成に憲法改正を推し進めることも可能である。そこで障害となりうる懸念材料があるとすれば、それは、何が何でも「憲法改正」との一念から「国民の合意形成」を欠き、国民投票で安倍不信任を意味する改正「反対」が「賛成」を上回ることに対する懸念だけであろう。ただ、このような「懸念」を払拭しうる格好の改正項目さえ見つかれば、苦もなく積年の悲願を達成することができよう。

安倍首相の立憲主義定義からは、「権力分立制」がすっぽり抜け落ちている。憲法で定める「国家権力の行使のあり方」を遵守する以前の問題として、「すべて権力を有する者がそれを濫用しがちなことは永久不変の経験であり」(モンテスキュー)、その経験に従うなら、「野望には野望で対抗させる」(マディソン)べく、権力分立と権力相互の抑制均衡(チェック&バランス)が憲法に仕組まれなければならないはずである。

もとより、一国の憲法が、その国の国情を全く無視した内容のものであるならば、その憲法はノミナル(nominal 有名無実の)な実効性のないものに止まらざるを得ない。しかし、それが名実ともに「憲法」だると評されるためには、普遍の立憲主義を基礎とするものでなければならないはずである。欧米の首脳の前で、わが国は西欧の立憲主義諸国と「自由と民主、基本的人権の尊重、平和主義、法の支配」等の原理を共有すると言明、他方、国民に向っては、「個人主義」に立脚する立憲主義の諸原則をGHQ伝来の「悪しきもの」と貶め、わが国固有の文化・伝統、いわゆる「日本精神」に基いて憲法を一新すべきだと説くのでは「二枚舌」だと評されても仕方あるまい。

第三の問題は、安倍首相の改憲「精神」論が改憲を自己目的とするものだという点にある。

安倍晋三という政治家の「立憲主義」「憲法」に関する言説から、その「憲法改正]理解に迫ってみた。このささやかな試みから浮かび上がってきたのは、いわゆる「心情倫理」の政治家像である。その首相にとっては、どの条項でもよい、ともかく改正に着手することが、「結果を神に託す」(ウエーバー)絶対心情の証しとなる。このような「憲法改正」それ自体を「選ばれし者」のいわば「召命」とする為政者が、いまわが国を支配しているのである。改正内容、改正がもたらす「結果]をなんら顧慮しない危険きわまりない改憲論者である。(第五章)

安倍への批判としてあたっていることだらけだが、それを無視するのが安倍の安倍たるところだから、やはりなんらかの実質的対応が必要となる。
「2020年新憲法」と大見得切ったばかりの安倍首相には、平和主義のMorris.?としても、徹底抗戦したい。まづわ、森友事案から。



【トコトンやさしい 橋の本】依田照彦 ★★★☆ 2016/12/26 日刊工業新聞社
依田照彦 1946東京生れ。早稲田大学理工学部教授。日本橋梁建設協会・土木学会・日本工学会・日本鋼構造教会理事。

Morris.は橋を見るのも、歩いて渡るのも好きなのだが、橋の種類や部分の名前には疎かった。本書はかなり初歩の初歩の解説書だが、筆者が協会の理事やってる人なので、橋の社会的意義とか、保全に関しての意見が盛り込まれていた。もちろんそれも大事なことだが、興味本位のMorris.(^_^;)としてはもう少し橋の種類や見分け方などを詳しく取り上げてほしかった。
それでも、以下の分類や構造などの知識だけでも、これから橋を見る時役立つことは間違いないだろう。
「すべての橋は地球が支えている」という言葉が何度も出て来る。橋そのものが、地球の引力に抗っていることを言ってるのだと思うが、なにか面白かった。

・橋の形(長さは大まかな最長距離)
1.桁構造
桁橋 「I桁橋」100m 箱桁橋350m
ラーメン橋 330m ラーメンはドイツ語で「額縁」主桁と橋脚・橋台を鋼結構造としたもの。
トラス橋 500m トラス(棒状部材をヒンジ(ピン)結合した三角形構造)を主桁の代わりに使う。鉄道橋に多い
2.アーチ構造
アーチ橋 300m
3.吊り構造
吊橋 2000m 放射線状のケーブルからハンガーロープを介して床を吊る構造。両端にアンカレイジケーブルを繋ぎ止める重し橋台)cf.明石大橋
斜張橋 「ハープ型」と「ファン型」850m 桁橋の進化形。塔と桁を直結。アンカレイジは不要。

・使用材料による分類
石橋・木橋・鋼橋・コンクリート橋(RC橋)・PC橋(cf.大鳥橋)
・用途による分類
道路橋・鉄道橋・歩道橋・水路橋・跨道橋・跨線橋
・通路の位置による分類
上路橋・中路橋・下路橋
・平面形による分類
直線橋・斜橋・曲線橋

上部構造--主桁(主構)・支承
下部構造--橋台(躯体+杭基礎)・橋脚

・橋長15m以上の橋、約15万橋のうち、日本には50歳を超える橋が、2016年時点で約20%、2026年には約47%になるとされています。日本の人口構成と同じように橋も急速に高齢化の道を歩んでいます。


・日本の国土の約70%が山地です。住めるところの25%が軟弱地盤で、年間の雨量が世界平均の約2倍です。国土の50%の地域で雪が降ります。活火山の数は100位上で、世界の約7%を占めています。わずか世界の0.25%の陸地で、地震常襲国です。台風も年間約11個接近・上陸しています。日本のインフラは過酷な状態に年中さらされているのです。逆に言えば、もし橋を巨大災害や老朽化から護り、長生きさせられる技術をもてたら、世界のどこでも通用する橋が作れる技術を手にしたことになります。

おしまいに「是非とも見てほしい橋リスト」があった。30ほど紹介してあったが、外国や東日本のものは省いて、西日本の橋をメモしておく。

・明石海峡大橋 兵庫県神戸市 吊橋 世界で一番中央支間の長い吊橋
・多々羅大橋 愛媛県今治市 斜張橋 日本で一番中央支間の長い斜張橋
・港大橋 大阪市 トラス橋 日本で最大、世界3位の中央支間をもつトラス橋
・眼鏡橋 長崎市 アーチ橋 日本の石造アーチの原点
・錦帯橋 山口県岩国市 アーチ橋 世界でも珍しい木造のアーチ橋
・通関橋 熊本県上益城郡 アーチ橋 頂部の横孔から水が勢いよく噴出
・かずら橋 徳島県三好市 吊橋 山に自生するカズラで組まれている
・筑後川昇開橋 福岡県大川市 可動橋 現存する最古の可動橋
・雪鯨橋 大阪市東淀川区瑞光寺内 長さ6m幅3m、卵管はクジラの骨で造られている
・佐田沈下橋 高知市四万十市 桁橋 四万十川で最大級の石造り沈下橋(潜り橋)



【ビビビ・ビ・パップ】奥泉光 ★★★☆ 2016/06/22 講談社 初出「群像」2014-15
660pの長編ドタバタSFジャズストーリ。「鳥類学者のファンタジア」のヒロインの孫娘のやはりピアニストであるフォギーとアンドロイド猫ドルフィー(本書の語り手でもある)の物語。
結局これもまた漱石の「猫」のパロディシリーズの流れだろう。

セーフティネットは、正確には「生活者セーフティーネット・パブリックサービス」、昔の生活保護制度に変わって、困窮者に最低限の生活保障を与える仕組みだとはフォギーも知っている。生活保護が金銭の補助だったのに対して、こちらは現物支給。一定限度内で食品給仕機(フードサーバー)や衣料プリンタを使えるポイントが貰える。申請してこれを受ければ、だから飢えずにはすむが、受給者は生体認証コードを発信する素子(チップ)の皮膚への埋め込みが義務付けられる。もちろん素子を埋めずとも、個人の行動を追跡(トレース)することはできるが、個別の監視には費用がかかるうえ私権(プライヴァシー)を主張する国民からの抵抗も大きい。その点、素子の埋め込みは安価に監視が行えるので、予算不足に悩む警察官僚としては「悪の温床」となりがちな蜘蛛巣地区の治安維持の切り札と考えているんだそうだ。

生活保護=保護観察になってしまう、究極の被管理状態。治安維持というのはいつかこのような状況を生み出すのかもしれない。変てこな名前つけて強引に採決しよとしている共謀罪も狙うところは同じだろう。

<白い騎兵(ホワイトランサー)>は、金融資本や軍事企業が国会を従属化におく、いわゆる「デントランド体制」に対抗する国際結社。元来は反戦、反軍活動のNGOを中核に、複数の団体が連合してできた運動体で、紛争地域の難民救援や、資本や国家の支配に抗する地域の農業団体や住民ネットワークの運営育成を支持する活動が基本であるが、それとはべつに、電脳侵入(ハッキング)を主な手段に多国籍企業の財務や取引の実情を暴き不正を糺す事業を行い、これが体制側の脅威となって、ISCOからは第一級テロリスト組織--非合法を含むあらゆる手段を使っても撲滅すべき組織の栄えある指定を受けるに到ったと云う。

サイバーテロはすでに偏在化しているのだと思う。

2016068
【無地のネクタイ】 丸谷才一 ★★★ 2013/02/15 岩波書店
没後の落ち穂拾い的エッセイ集。これは岩波の広報誌に連載されたものらしい。

たとへばロンドン、パリ、ボンの電線地中化は100%、ベルリンは99.2%、東京二十三区は3.1%、世田谷区は0.23%などと示されると、話がはつきりする。さんざん海外に旅行しながらこの対比に気づかず、気づいても気がつかないふりをしつづけた日本人全体の態度を改めて反省したくなる。

電信柱が日本の風景(特に町並み)を駄目にしているというのは、Morris.もずっと前から不満だった。この文は、新しく開発された六本木ヒルズ付近では電柱がないというところから始まっている。まあ半世紀くらいは電柱生き残りそうだ。

もともとあのスベカラクはむづかしい生れ育ちです。サ変の動詞スに推量の助動詞ベシの補助活用ベカリがついてスベカリができ、そしてこのスベカリのク語法がスベカラクだなんて文法学者は言ふ(ク語法で現代語に残つてゐるのは、「言はく」「恐らく」「老いらく」など)。この言葉は漢文で「須」を訓読するために強引にこしらへたもので、スベカラク……スベシとか、スベカラク……セヨとかの形になる。

これも、多くの識者が指摘するところ。スベカラクとスベテの混同みたいなものだろう。ともかくも、これを「全て」の意味で使うと、お叱りを受けることになっている。その点、Morris.が糾弾してやまない「手をこまねく」は、今や正しい用法である「手をこまぬく」を圧倒する勢いである(>_<)



【歌集 人の道、死ぬと町】斉藤斎藤 ★★★☆ 2016/09/16 短歌研究社
2004年から2015年の間の作品で構成された著者の第二歌集。

斉藤斎藤 1972年東京生れ。「短歌人」所属、早稲田大学卒業後定食にはつかず、フリーターになった。2003年「ちから、ちから」で第二回歌葉新人賞を受賞。2004年第一歌集「渡辺のわたし」刊行、2013年より2年間、NHK短歌選者を担当。2017年「短歌人」編集委員に就任。

いわゆる「口語短歌」のニューウエーブなんだろう。ぱらぱらと最初の方を立ち読みして、ちょっとおもしろそうかなと思って、読むことにしたのだが、色んな意味で面白かった(^_^;)
おのおのの作品でも印象に残るものがあったが、テーマ主義というか、ある事件や行事、歴史、展示会や社会運動、刑事事件などへの連作めいた作品、詞書というよりコメント風に綴られた散文、膨大な引用、実験的であったり、言葉遊びであったり、様々な手法を繰り出して飽きさせないところがあった。
「私の当事者は私だけ、しかし」と題された自作の寄って立つところを論じた一文も興味深かった。

・死ぬことと三十年後にそなえつつ生きることとはちがうよ 光
・人間をふかく信じるこいびとはぼくを信じる手間をはぶいて(2005)

・生活を旅とも思うはずかしさ掻き捨てながら生きてゆく(2006)

・人を殺す自由はあると思いたい ことばの上でかまわないから
・殺される自由はあると思いたい こころのようにほたる降る夜(2007)

・心むなしくして歌を詠む私はそういう文学方面はわからないから

これは1975年の天皇記者会見である。
(問い) また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
(天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。   

・寿命が来るまで殺さぬ理由に空の青さでは足らないか
・寿命が来るまで生きる理由に空の青さでは足らないか(2008)


こういった対句風はけっこう好きかも。

・できることな自分と結婚したかったと嫁が何やら得意げに言う
・低いほうにすこしながれて凍ってる わたしの本業は生きること(2009)

・連休が遺体に見える 連休は天気保ちそう沖縄以外(2011)


東日本大震災への弔歌だが、この距離の取り方がこの人のスタンスらしい。

・すべての菜の花がひらく 人は死ぬ 季節はめぐると考えられる
・いつもよりも生きてしまった たくさんの人が生きて死にかたづけられた町で(2012)

いずれ私の震災がやってくる。私は私の当事者でなくなるだろう。数年か、あるいは、永遠に。

・淡々と滅べばいいという思いがないと言ったら嘘になるのだ
・お前に言っても無駄だからだとお前に言っても無駄だろうから言わなかったよ
・わたしは何も失っていないわたしたちの次の世代が失われただけだ

・大きなる手があらはれて「原子力平和利用」とか気にけるかも(2013)


これは北原白秋の本歌取り
大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも (第二歌集「雲母集」)

2015年分は、2009年1月24日の笹井宏之葬儀参列(佐賀県有田市)と、同年3月20日「笹井宏之さんを偲ぶ会」(神楽坂・日本出版クラブ会館)を主題とした、一種の作家論にもなっている。

そもそも私は、笹井さんのよい読者ではなかった。
・「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい 「数えていけば会えます」
笹井宏之の作品にはじめて出会ったのは、2005年9月、第四回歌葉新人賞の選考会でだった。
彼の受賞作「数えていけば会えます」は一首一首の喚起力は圧倒的だけれど全体としてはまだバラつきがある。
次席となった宇都宮敦「ハロー・グッパイ・ハロー・ハロー」のほうが一連の構成力や世界観の強度において優れており、受賞にふさわしいと感じた。
・真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは 宇都宮敦

2003年秋から、第二回の歌葉新人賞の候補者でメーリングリストを作っていた。歌会をしたり合宿をしたり、楽しくやっていのだったが、メンバーの一人がそこに笹井さんを誘ってはどうかと提案し、わたしは反対した。

短歌は短い。三十一文字だから、ボロが出る前に書き終われてしまう。一定の技術があれば、ほんとうに思っていないことでも、ほんとうらしくかけてしまうものだ。一首一首をそれなりにしあげることは、実はそれほど難しくはない。
だから大切なのは、何を書くかではなく、何を書かないかだ。
歌詠みが歌人となるためには、それなりに書けてしまう歌を、文体を、捨てる作業が必要だ。他人に書ける歌は他人にまかせ、自分がもっとも力を発揮できる文体とモチーフを突き詰めてゆこことで、ひとりの歌人が誕生する。
でも笹井さんは、新人賞に応募し、これから歌集をまとめようかという大事な時期に、ラジオやらブログやらへの投稿を続けていた。しかも、選者の好みや媒体の傾向に合わせ、作風を使い分けてまで。
後からわかったことだが、佐賀新聞の読者文芸欄に彼は、彼の本名「筒井宏之」名義で、文語旧かなの歌を投稿していた。それも、新聞に載るとおばあちゃんが喜ぶからだなんて、ふざけた理由で。
・冬ばってん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちゃんいつもうたひよつたろ 筒井宏之
誰もがうらやむほどの才能を、彼はおしげもなく、あらゆる他人のために使ってしまったのだ。その無邪気な気前のよさが、苛立たしくも、歯痒くも、おそろしくもあった。
私は彼が、おそろしかった。


これはいささか、見当違いの「いちゃもん」ではないかと思う。引用歌は方言が使われているが文語ではないし、肉親を喜ばせようという思いを「ふざけた理由」と決めつけるのはあんまりではないかと思う。

・ていねいに剥いでゆくスライスチーズのフィルムにのこる霞ではじまる
・書いていい事とはずかしい事があり書かないでわすれてしまうあれこれ

私性(わたくしせい)。
わたしを主人公に、わたしの実体験を歌にすること。
しかし実体験を歌にすると、どうしても
三十一文字におさまりきらない経緯や場面が
削ぎ落とされることになる。
削ぎ落とされることで、
歌の前後の行間に余白が生れ、
読者に感情移入の余地が生じる。
そうしてわたしの個人的な体験は、
読者にも共有可能な「体験」となる。

だから、わたしが歌を詠むとき
わたしの体験に固執すればするほど、
ほかでもない「この私」が
誰にでもなれる「私」に
たやすく化けてしまうのだ。

つまり歌とは、日々の「棺」なのだろう。
ほかでもない私の、「この記憶」をおさめた棺を、
誰しもの、どのきおうをもおさめられる「棺」として
誰にともなく手放すこと。
だから、わたしの歌が遠い誰かに読まれ、幸運にも
遠い誰かの心をゆさぶるとき、わたしは
わたしの棺を放り出される。
行間の余白に、読者がそれぞれの思いを書き加えてゆくのを
わたしの歌が、わたしの体験から遠ざかってゆくのを
ほほえみながら、眺めているほかない
それはとってもゆかいなことだ。
それはまったくわたしには
関係のないゆかいなことだ。

とつぜんすぎるあなたの死に
びっくりしたあなたは ついにっっこり
せかいにありがとうを言いそびれ、
せかいをみちづれにしわすれた
あなたがみちづれにしわすれたせいかいで
あなたがころしわすれた わたしは
しばらく生きてゆくことになった

あなたがみちづれにしわすれたせかいの
きょうはすべてがうつくしく
それについてなにかをおもうのが
もったいないように思えている

風が吹いている

・ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす 『ひとさらい』

このせかいはいつのひか
だれにもさめぬゆめになるから
まっていて そこで


これは「弔事」と題された詩の一部だが、先の「いちゃもん」とちがって美しいものになっている。
笹井宏之の母とは古くからの知り合いということもあって、彼の歌集はほとんど持っている(もらってた(^_^;))
Morris.も斉藤と同じく「彼の良い読者ではなかった」のだが、本書のおかげで、あらためてもう一度読み返そうという気になった。



【生えている場所でわかる植物の名前図鑑】金田一 ★★★☆ 2016/04/05 世界文化社
身近な植物の図鑑も手を変え品を変え出され、とうとうこんなものまで出るようになった。「散歩やハイキングが楽しくなる! よく見かける植物311種収録!」と煽ってある(^_^;)
街路・生け垣・市街地・公園・神社・寺院・道端・草地・空き地・土手・田畑・畦・雑木林・林縁・藪・水辺・海辺の18箇所に分けて主な植物を紹介している。当然数カ所にまたがる物も多いのだが、それはともかく、こうやって場所別に分けてあると目安が付けやすい。
既知のものはおいといて、名前と実物が結びつかなかったものや、これだけは覚えておきたいものを引いておく。

街路樹-車輪梅、紅花栃の木、唐鼠黐(とうねずみもち)、隠れ蓑、黒鉄黐(くろがねもち)、馬刀葉椎(まてばしい)、珊瑚樹、
生け垣-満点星躑躅(どうだんつつじ)、要黐(かなめもち)、花衝羽根空木(はなつくばねうつぎ)、犬黄楊(いぬつげ)、白丁花(はくちょうげ)
市街地-四手辛夷(しでこぶし)、一つ葉タゴ(なんじゃもんじゃの木)、花滑莧(はなすべりひゆ、ポーチュラカ)、白妙菊(しろたえぎく)、錦木(にしきぎ)、
公園-芝桜、カルミア(西洋石楠花)、ハンカチの木、ルピナス、木大角豆(きささげ)、
神社・寺院-樒(しきみ)、姫沙羅(ひめしゃら)、多羅葉(たらよう)
道端-豚菜(ぶたな)、耐寒松葉菊(デロスペルマ・クーペリー)、野紺菊(のこんぎく)、
草地-菊芋、アメリカ栴檀草、豚草、髭剃菜(こうぞりな)
空き地-姫踊り子草
土手-酸葉(すいば)
田畑・畦-地縛(じしばり)、苦菜(にがな)、阿蘭陀耳菜草(オランダみみなぐさ)、滑莧(すべりひゆ)、
雑木林-接骨木(にわとこ)、木五倍子(きぶし)、臭木(くさぎ)、
林縁・藪 -紫華鬘(むらさきけまん)、藪枯らし、藪蘭'やぶらん)、藪豆(やぶまめ)
水辺-阿蘭陀辛子
海辺-浜大根、小判草


【長いお別れ】中島京子 ★★★☆☆
2015/05/30 文藝春秋
現代小説の手練れの平成版「恍惚の人」(^_^;)

熊谷ミチコと今村新は、アメリカ東部の大学に留学しているときに知り合い、ミチコはそのままアメリカに残り、新は帰国してそれぞれ大学に勤めた。その後、新は結婚し、ミチコとはただ一度の例外を除き、連絡もとっていなかったのだが、あのハーバードのばかったれ小僧が作ったあらゆるトラブルの種、ファエイスブックのおかげで旧交が復活した。

ぎゃはは、このFacebookへの罵倒は秀逸である\(^o^)/

二人の退職校長は軽佻浮薄な昨今のあれこれを嘆き、最後にインターネットの悪口を行った。あんなものを使う人間の気が知れない、というのだ。
「ウィキペディアなんて、誰がかいてるのかもわからんものを、信用できるかってんだ」
中村先生は鼻から煙を吐きそうな勢いで言った。
「ああいいうものはみんな、エンサイクロペディアなんか引いたこともないような馬鹿が頼るんだ」
わからないことがあれば百科事典を引いた世代が、また一人逝ったのだわ、と菜奈は思った。


Morris.はWikipediaはけっこう利用してるが、こういった不信感は常に忘れないようにしたいと思っている。

「祖父が死にました」
男の子は突然そう言った。グラント校長は話すのをやめて、静かにタカシを見つめた。
「いつ」
「おとといの朝でした」
「そうか。おいくつだったね」
「八十とか、そのくらい」
「そうか。僕の父といくらも違わない。どうか、心からのお悔みを受け入れてほしい。ご病気だったの? 苦しんだんだろうか」
「ずっと病気でした。ええと、いろんなことを忘れる病気で」
「認知症(ディメンシア)か」
「なに?」
「認知症というんだ。僕の祖母も最後はそうだった」
「十年前に、友達の集まりに行こうとしてばしょがわからなくなったのが最初だって、おばあちゃんはよく言ってます」
「十年か。長いね。長いお別れ(ロンググッドバイ)だね」
「なに?」
「『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」

本書のタイトルにも関わってる会話だが、「認知症」に関しては前から違和感を覚えていた。「痴呆症」のことを「認知症」と改名したのは2004年のことらしい。これに関しては
こちらのウェブサイトに、わかりやすい説明があった。
「人格障害」が「パーソナリティ障害」に、「精神分裂症」が「統合失調症」に改名されたことを例にあげながら、この「痴呆症」→「認知症」への改名には、疑問を呈している。

私的には、もともと、日本になかった言葉で、どうしても、ぴったりとした訳がみつからないならば、いっそのこと英語のカタカナ読みで「ディメンシア」と名称してしまうのも手かなと・・・

まさにそのとおりだと思う。何でもかんでもカタカナ語にするというのではなく、日本にそういった観念のない言葉を無理して日本語化することはないと思うぞ。アイデンティティなんかその典型。



【1★9★3★7 イクミナ】辺見庸 ★★★☆☆ 2016/03/30 河出書房新社
初出「週刊金曜日」2015/01/30~07/31連載
戦争法案反対運動が盛り上がりながらも結局強行採決になった直前までの、辺見の恨み節ともいえる。
タイトルは1937年(昭和12年)、7月7日に盧溝橋事件が起こり、11月には日本軍が上海を占領し、12月13日南京占領、そして虐殺が起きた年で、つまり日中戦争が本格的に始まったこの年を象徴的に「1★9★3★7 イクミナ=征く皆」と名付けて、寄稿した2015年に照射させている。
南京虐殺に関しては堀田善衞の「時間」という小説を素材に論を進めている。安倍晋三への批判、戦争責任問題、自分の父を通しての日本軍の深層分析、戦後作家、思想家への疑義、東日本震災、特に福島第一原発事故と対応への批判…………共感覚えるところ、教えられるところ、指弾されることも多い一冊だった。
意識的に漢字語のひらがな、カタカナ表記の多用で、ちょっと読みづらいとも思ったが、これも、作者なりの作戦なのだと思う。

『時間』(堀田善衞)は雑誌「世界」で、サンフランシスコ講和条約が発効した翌年にあたる1953年11月号から1955年1月号まで連載された。
物語『時間』の黙殺と忘却は、わたしにとって、南京の虐殺をながれた「時間」そのものの無視にもみえてならない。忘却と無視とは人間のまったく作為なき身ぶりではない。無意識的にせよ意識的にせよ、記憶と忘却は、憶えるべきものと忘れるべきものとに政治的に選択され、そうするようになにものかにうながされている。かつてたしかに在った時間を、じつはなかったというのが、いま流行っている。在ったことをなかったといい、無理やり消した時間の穴うめをするがごとく、なかったことを在ったという「芸」が、中世のあやしい魔術のように、人気をあつめているようだ。在ったことをなかったといいつのる集団は、在ったことを在ったと主張する者らを「敵」とみなし、「国賊」という下卑た古語でののしるまでに増長している。


堀田善衞は「若き日の詩人たちの肖像」「美しきもの見し人は」「方丈記私記」三冊が強く印象に残っているが、この「時間」はタイトルさえ知らずにいた。

版画家・彫刻家浜田知明は1956年に亡霊にからむ簡明なじじつを記している。「日本に於いては/日本人による/戦争責任者の裁判は/行われませんでした」。あまりにも簡単明瞭な文言にわたしはたじろぐ。そして、いまさら、度肝をぬかれる。ニッポンにおけるニッポンジンによる戦争責任者の裁判は行われなかったもなにも、圧倒的多数の人びとがじつは戦犯受刑者の「即時釈放」を望んでいたのである。
戦争犯罪者、戦争責任者を弾劾する声はきわめて弱かったのだ。いや、「戦争犯罪」「戦争責任」というがいねんと自覚そのものが希薄であった。ニッポンはなぜそうだったのか。このクニにはなにがあり、ないにがなかったのか。ニッポンがおこなったこととおこなわなかったこと。それらを念頭に稿をおこす。(序章 よみがえる亡霊)


無責任大国(>_<)ニッポン(Morris.も辺見に倣ってこの表記を用いる)の最たる行為が、この戦争責任回避だろう。

国家総力戦の精神的支柱は「挙国一致」である。
盧溝橋事件の翌年にあたる1937年8月、近衛内閣が閣議決定した「国民精神総動員実施要項」の「趣旨」には、なんのための挙国一致かが、まるで呪文のようにかたられている。

挙国一致堅忍不抜ノ精神ヲ以テ現下ノ時局ニ対処スルト共に今後持続スベキ時艱ヲ克服シテ愈々皇運ヲ扶翼シ奉ル為此ノ際時局ニ関スル宣伝方策及国民教化運動方策ノ実施トシテ官民一体トナリテ一大国民運動ヲ起サントス


「皇運ヲ扶翼シ奉ル為」の挙国一致だったわけだ。

いくら否定しても嫌悪しても、「海ゆかば」にどうしようもなく感応してしまう遠い記憶がわたしの体内にはあるようだ。
ニッポンジンのからだに無意識に生理的に通底する、不安で怖ろしい、異議申し立てのすべてを非論理的に無効にしてしまう、いや論理という論理、合理性のいっさいをみとめない、静かでとてつもなくセレモニアスな、「死の賛歌]……。濡れた
荒縄でぐいぐい胸をしばりつけてくるような圧迫。(第一章 屍体のスペクタクル)

Morris.は「海ゆかば」へのそれほどの思いはない。メロディすらうろ覚えである。

日本の歴史意識の古層をなし、しかもその後の歴史の展開を通じて執拗な持続低音(パッソ・オスティナート)としてひびきつづけて来た思惟様式のうちから、三つの原基敵範疇を抽出」すれば、「つぎつぎになりゆくいきほひ」なのだという。これは、わたしに言わせれば、主体と責任の所在を欠いた、状況への無限の適応方法をうちにもつ、丸山に言わせれば「オプティミズム」の歴史観だという。
ニッポンの昭和十年代の、地に足のつかぬまま、命じられるままに大挙集合し、つきすすみ、あばれまくる様は「つぎつぎになりゆくいきほひ」そのものではないかともおもわれる。また、いま平和憲法をかなぐりすてるのとおなじ瞠目すべき歴史的大転換点にありながら、このクニで土台からゆらぐほどの抵抗も悲嘆もないのは、歴史が、わたし(たち)という人間主体がかかわって新たに生まれたり変革されたりすべきものではなく、自然災害のように「つぎつぎになりゆくいきほひ」として、わたし(たち)の意思とはなんのかんけいもなく、どうしようもなく外在するうごきとしてとらえられているからではないのか……そううたがわざるをえない。丸山はおなじ論文で、「『歴史的相対主義』の花がどこよりも容易にさきこぼれる土壌が日本にはあった」というずいぶん重要な指摘をしている。さらに「この歴史的相対主義の土壌が『おのづからなりゆくいきほひ』のオプティミズムに培われている」ことの問題や「われわれの歴史的オプティミズムは(辺見注=過去ではなく)『いま』の尊重とワン・セットになっている」ことのニッポン的思惟様式の特殊性を説明しているのだが、これれらのこととげんざい吹きすさぶ歴史修正主義(歴史のぜんめん的ぬりかえ)の嵐が無関係だとはとうてい思えない。(第二章非道徳的道徳国家の所業)


Morris.が「明るい虚無主義」と感じてたものの根源がここにあったのかもしれない。

日中戦争期には、気まぐれで、無造作な、およそなんの理由もない、交戦の結果ですらない、非武装の民間人への一方的な殺人が日常的になされていた。多くのニッポン人がそうした殺人を「戦争」の名のもとに帳消しにし、きれいさっぱりと忘却している。そのことを「審判」(武田泰淳)はおしえている。それは、「国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間におこなう武力闘争」という「戦争」の定義をこえる、じつのところ「戦争」というのもはばかられる<非対称性の侵略行為>だったのではないか、そうわたしはいぶかしむ。「鉛のような無神経」ということばが胸に重くつかえたままである。(第三章 かき消えた「なぜ?」)

ヒト(他人)の痛みには、いくらでも耐えられる自分というものがたしかにある。

ものごとの順番として、わたしはわたしじしんに、<おまえはなぜ問いにくいことを問わなかったのだ>と問わなければならないからだ。父に、あなたは中国人(あるいは韓国人)になにをしたのか、かれらを(母やわたしを殴ったのとおなじ)その手で殴ったことはあるか、気まぐれに非戦闘員を殺したことはあるか、強姦したことはあるか、あなたがしなくても、部下の殺人、強姦を知っていて黙認したことはないか、中国人に銃剣を突きつけて近親姦を強制し、しかるのちに焼き殺したという犯罪を耳にしたことはあるか。かれらの家に火をはなったことはあるか、かれらのものを奪ったことはあるか、かれらをののしり、侮辱したことはあるか--と訊くべきだったのに、訊きそびれたのでもない、訊きあぐねたのでもない。意識的またはなかば意識的に、わたしは訊くことをついにしなかったのだ。もっと踏みこんで言うならば、「皇軍」兵士だった父の中国での行状は、じつはわたしにとって、真に「知らずにすませられなかったもの」ではなく、すくなくも父の生前は「知らずにすますことのできるもの」に、いや、さらにすすんで、「知らずにすますべきもの」にまでになっていたのではないか。私だって、あえて問わないとう「その卑劣さは生活習慣にまで入り込み、非常に深く根付いていた」のではないのか。

Morris.の父も中国戦線に徴収されたはずだが、やはり、何も語らず、何も問わずであった。

「春よ来い」の詩を書いたのとまったくおなじ人物が「大日本傷痍軍人歌」を作詞したのだというのだ。……「日本のファシズムはとても手ごわい。天皇制ファシズムはたんに思想の問題ではない。精神の問題である。連綿たる情緒でもある。正常とされるせいしんの病的な発現だよ」。ニッポンの近代権力は道徳と情緒の領域にみずからの根をはりめぐらせた。敗戦によってもそれはうちやぶられなかった、という。「やっかいなのは、"敵"が外だけでなくわれわれの内にもいることだ」。

しししんちゅうの「むし」ならぬ「むじかく」こそもんだいである。たしかにやっかいである。

父はよかれあしかれニッポンであった。言ってみれば、それは「春よ来い」と軍歌の同居にも似ていた。いたいけなものを愛でるかとおもえば、強者に卑屈なところもあった気がする。慈悲と獣性、静謐と咆哮、慰撫と殴打、屈従と傲岸、沈黙と饒舌、繊細と鈍感……が、こすれあいながら、いごこちわるく同居していた。
ニッポンは、侵略し、殺し、犯し、奪い、破壊つくした国のひとびとに、とおりいっぺんの詫びをいれたのみで、原爆を投下した国にはひたすらどこまでも卑屈にすりよっていった。(第五章 ファシストと「脂瞼(しけん))


いひおほせてなにかある(^_^;)

転向および転向声明書は、一面で、ニッポンどくとくの思想空洞化の儀式であり、装置であり、"仕掛け"でもあった。1930年代にわれもわれもと提出された転向声明書の、記されざるあて先は「國體」すなわち天皇だったのである。ニッポンの「思想」なるものは、30年代の転向ラッシュ期にすでにもろくも"ナンチャッテ"化していた、と言えなくもない。それでは「國體」はどうかといえば、すたれたかにみえて、まだいちどもすたれたことはないようにおもわれる。そしてひとびとは「國體」とはなにかを知っていて、知らない。
このクニではどのような思想・精神の基層にも、否定しようとすまいと、天皇ないし天皇制が目にはみえない神経細胞をはりめぐらせている。それはニッポン(ジン)の内面の組成と切っても切れないものであり、ニッポン型国家権力のエトスとぶんりできないだけでなく、これもニッポンどくとくの、思想転向というたわんだ内的風景ともからまりあう、じつはそらおそろしいまでに身体的なテーマである。ひとびとはそれに気づきながら気づかないふりをして、感づきながら感づかないそぶりをするのに累代なじんでくらしている。ひとびとは、だが、だいじなことをもう忘れている。つまり、天皇制がじつはながく「武装」していたという重大事を失念している。
「武装する天皇制」1945年夏に(いったん)武装解除されたことはたしかである。にもかかわらず、天皇制そのものはしっかりとのこった。人民ではなく、ただひたすら「國體」をまもるためにのみ、このクニは無条件降伏をしたのだから。げんざいは象徴天皇制とはいえ、外面の制度・内面の神経細胞として存続し、いままた目をみはるほどに活性化しているのは周知のとおり。
ふたたび戦争へとむかいかねない雲ゆきのなかで天皇制はどのように「利活用」されへんようするのだろうか。そのことを念頭におきつつ稿をすすめる。


転向というものに胡散臭さを感じていたが、これを読んで一つ納得した。「思想のナンチャッテ化」も秀逸にして的確な罵倒表現である。そして天皇制がニッポンジンにとって心理的であるとともに身体的であること、心身絡みの問題ということも。

何というむごたらしい有様であろう、毛糸の腹巻に半ば覆われた下腹部から、左右の膝頭へかけて下腹といわずももといわず、尻といわず肌といわず、前も後も外も中も、まるで墨とべにがらとを一しょにまぜて塗り潰したような、何とも彼ともいえないほどの陰惨限りなき色で一面に覆われている。その上、余程多量の内出血があると見えて、ももの皮膚がぱっちりとヘチわれそうにふくらんでいる。そして赤黒い皮下出血は陰茎から睾丸にまでも及んでいる。
好く見ると赤黒く張り切った膝の上には、釘か錐を打込んだらしい穴の跡が、左右とも十五六ヶ所も残っている。そこだけは皮膚が釘の頭ぐらいの丸さだけ破れて、肉が下からジカに顔を見せている、それがちょうどアテナ・インキそのままの青黒さだ。
(……)そして左のコメカミには、一銭銅貨大の打撲傷を中心に、五つ六つの傷跡がある。それがみんな皮下出血を赤黒くにじませている。「こいつを一つやられただけだって気絶するよ」と、その時誰かが叫んだ。
首には、ぐるりと一とまき、ふかく細引の跡が食い込んでいる。余程の力で締めたらしくくっきりと細い溝が出来ている。そして溝になったところだけは青ざめた首の皮膚とはまるで違って矢張赤黒い無残な線を引いている。左右の手首にも、首と同様円く縄の痕が食い込んで血が生々しくにじんでいた。(江口渙「陣頭にたおれたる小林の屍骸を受取る」)

多喜二は1933年2月20日に特高につかまり、築地署で拷問をうけ半日もたたないうちに殺されたのだった。


この多喜二虐殺の報告を引いているのも、日本の報道に屍体や傷、血が登場しないことへの批判でもあるだろう。まずは事実から目を逸らさぬことだ。という意味で孫引きしておいた。

主権者として「装置権を総攬」し、国務各大臣を自由に任免する権限をもち、統帥権はじめ諸々の大権を直接掌握していた天皇が--現に終戦の決定を自ら下し、幾百万の軍隊の武装解除を殆ど摩擦なく遂行させるほどの強大な権威を国民の間に持ち続けた天皇が、あの十数年の政治過程とその齎した結果に対して無責任であるなどということは、およそ政治倫理上の常識が許さない。……にも拘らず天皇についてせいぜい道徳的責任論が出た程度で、正面から「元首」としての責任があまり問題にされなかつたのは、国際政治的原因は別として、国民の間に天皇がそれ自体何か非政治的もしくは超政治的存在のごとくに表象されて来たことと関連がある。自らの地位を非政治的に粉飾することによつて最大の政治的機能を果すところに日本官僚制の伝統的機密があるとすれば、この秘密を集約的に表現しているのが官僚制の最頂点としての天皇にほかならぬ。……天皇個人の政治的責任を確定し追求し続けることは、今日依然として民主化の最大の癌をなす官僚制支配様式の精神的基礎を覆す上にも緊要な課題であり、それは天皇制自体の問題とは独立に提起さるべき事柄である。(具体的にいえば天皇の責任のとり方は退位以外にはない。)天皇のウヤムヤな居据りこそ戦後の「道徳的退廃」の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の先触れをなしたことをわれわれはもつと真剣に考えてみる必要がある。(丸山真男「戦争責任の盲点」『思想』1956年3月号)

丸山の言う「無責任の体系」も「抑圧の移譲」も、2015年夏げんざい、ニッポンのそこここですこぶる健在なのである。(第六章 過去のなかの未来)

丸山真男は読まねばと思いながら今だに果たせずにいる。1956年の時点でこのように問題点を明らかに剔抉しているのに、その後60年間も解決するどころか隠蔽の層は分厚くなるばかりである。


四海波静(しかいなみしずか) 茨木のり子

戦争責任を問われて
その人は言った
    そういう言葉のアヤについて
    文学方面はあまり研究していないので
    お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のように
噴きあげては 止り また噴きあげる

三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア

野ざらしのどくろさえ
カタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか
頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット


(問い) また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
(天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。   

(問い) 原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
(天皇) 原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。


天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組を見て実に形容しようもない天皇個人への怒りを感じた。(藤枝静男 1975年11月28日東京新聞夕刊「文芸時評」)(第七章 コノオドロクベキジタイハナニヲ?)


茨木のり子のこの詩も知らずにいた。あらためて彼女に敬礼m(__)m
現在の天皇はともかく、昭和天皇は正真正銘の当事者にして統治者だった。

きょうび、ひとびとはたいてい、おろおろとよるべなく、じっさいにはみとおしと呼べるほどたいしたみとおしもなく、まわりをキョロキョロみまわしたり、うつむいたり、他人の目の色をうかがったり、吐息をもらしたりして日々をくらしている。ゆったりとしているようで、みんな言いにくいワケがある。ワケは分類や系列化が容易なようでいて、たばねるのが不可能だ。ワケは公有ではなく私有だから。それなのに、ひとびとは公有化されたことばでワケをかたろうとする。公有化されたことばなんかで私有のワケを表現できるわけがない。

とつぜん個人の事情(ワケ)で、これがまたMorris.にもいたく心に沁みるものだった。

2015年夏にほぼかんせいしつつあるものは安保法制だけではない。ニッポンとニッポンジンのアイデンティティのすりかえも、これまでのところ成功りにすすめられている。ニッポンとニッポンジンたちは「戦争の加害者」という重苦しい歴史的アイデンティティから、そうじて「戦争の被害者」という自己認識にスムーズに転換しつつある。

まさに「メビウスの輪」ぢゃ。

「一億総懺悔」とは、敗戦直後の東久邇稔彦内閣がとなえたスローガンで、全国民の総懺悔によって天皇ヒロヒトに敗戦の失態をわびようという趣旨であった。
とうじの連合国の対日責任追及は「開戦責任」論が主流だったが、ニッポンがわはそんなことより、官民あげてもっぱら、「敗戦責任」論に意をもちいていたのだ。このことは大きい。敗戦後七十年をへても、じつに大きい。天皇も直接かかわる開戦責任の追求より、天皇に敗戦をわびること--に心がうばわれていた。この心性の延長線上に、戦後のエセ民主主義がある。それは血をながし、たたかってついにかちとった民主主義ではなく、他から投げあたえられた、それゆえ主体的"芯"を欠く、ひとまかせの、矮性のゆがんだ"民主主義"である。


安倍某が抜かした「一億総活躍」も国家の利益のために「活躍」するということだった。

ヒロヒトはなぜひとびとにむかって自発的に土下座しなかったのか。焦土にぬかずき、側近の制止をふりきってみずからわびなかったのはなぜか。それがひとの道理というものではないか。ああ、朕がわるかったと、なぜ、すすり泣いて土下座し、退位を決意しなかったのか。ニッポンとニッポンジンは、なにゆえみずからの手で、天皇ヒロヒトに土下座させる発想をもた(て)なかったのか。戦後七十年、そのような回顧をするジャーナリズムも絶無である。なぜ絶無なのだろうか。

こういったあたりまえのいけんをおおやけにひょうめいすることすら、いまのニッポンではそうとうにきけんなことになりつつある。ジャーナリズムはとっくのむかしにほおかむり(二重三重に)してすましている。

いったい、天皇ヒロヒトや安倍晋三氏をふくむ、ニッポンとニッポンジンは、これまでみずからを「戦争加害者」として認識したことがあっただろうか。そのことの罪と恥について身も世もなく痛哭して、被害者たちに心底わびたことがいちどでもあったであろうか。玉砕をしいられた南方戦線、おびただしい住民を死においやった沖縄戦の記憶が、それらの責任追及どころか、いつのまにかニッポンとニッポンジンの不幸な戦争の歴史、被害の記憶いっぱんにすりかわってしまったのはなぜだろうか。

ここにも「メビウスの輪」が。

このクニはいまだにこんな空気と記憶のぬけがらが浮遊している。ニッポンはかつて、なんとなくそうなってしまった戦争にまきこまれることとなり、父祖たちはなんとなく兵隊になり、なんとなくたくさんのひとびとを殺すことになり、また、なんとなく多くのひとびとが殺されることとなり、いつのまにか原爆が落とされることになり、気がついたら、戦争が終わっていて、焼け野原になっていた。そうだろうか? なんとなく安倍政権がたんじょうすることとなり、なんとなく秘密保護法がとおることとなり、なんとはなしに武器輸出三原則がへんこうされて防衛装備移転三原則になり、いつのまにか憲法が有名無実と化することにあいなり、ハッと気がついたら、戦争法案が可決されるということになっていた--ようにニッポンのこんにちは、「なってしまった」のだろうか。
「この驚くべき事態」は、じつは、なんとなくそうなってしまったのではない。ひとびとは歴史(「つぎつぎになりゆくいきほひ」)にずるずると押され、引きずりまわされ、悪政にむりやり組みこまれてしまったかにみえて、じっさいには、その局面局面で、権力や権威に目がくらみ、多数者やつよいものにおりあいをつけ、おべんちゃらをいい、弱いものをおしのけ、あるいは高踏を気どったり、周りを忖度したりして、いま、ここで、ぜひにもなすべき行動と発言をひかえ、知らずにはすませられないはずのものを知らずにすませ、けっきょく、ナラズモノ政治がはびこるこんにちがきてしまったのだが、それはこんにちのようになってしまったのでなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。

このフレーズは、何度でも読み返す必要あり。

げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない。(終章 未来に過去がやってくる)

本書の締め(諦めではない)の言葉である

過去がなかったら、存在が消えるのだ。さっとすべてが消滅するのだ。未来は、まだ過去のなかでわだかまっているのだ。大いなる恥として。(あとがき)

本書の一部は雑誌で斜め読みしたこともあるのだが、こうして一括して読み通すと、辺見のいらだちもあきらめも含めて、こうして発信してくれたことに賛同とエールを送りたい。
と、ともに自分がなしえることと、なすべきことをもう一度噛み締めなくてはと思うのだが、結局何もせずに終わる可能性の高さに忸怩たるばかりのMorris.である(>_<)



【上を向いて歌おう】永六輔 聞き手=矢崎泰久 2006/12/04 飛鳥新社
「昭和歌謡の自分史」という副題がある。永六輔のヒット曲をネタにした対談である。
永六輔は2016年7月7日に83歳で亡くなっている。

本書で歌詞を紹介されてる曲の一覧

「黒い花びら」中村八大 曲 水原弘 歌 (1959)
「黄昏のビギン」 中村八大 曲 水原弘 歌 (1959)
「恋のカクテル」 中村八大 曲 水原弘 歌(1960)
「夢であいましょう」 中村八大 曲 坂本スミ子 歌 (1961)
「上を向いてある乞う」 中村八大 曲 坂本九 歌 (1961)
「遠くへ行きたい」 中村八大 曲 ジェリー藤尾 歌(1962)
「いつもの小道で」 中村八大 曲 田辺靖雄・梓みちよ 歌 (1962)
「故郷のように」 中村八大 曲 西田佐知子 歌 (1962)
「おさななじみ」 中村八大 曲 デューク・エイセス 歌(1963)
「こんにちは赤ちゃん」 中村八大 曲 梓みちよ 歌 (1963)
「ウェディング・ドレス」 中村八大 曲 九重佑三子 歌 (1963)
「見上げてごらん夜の星を」 いずみたく 曲 坂本九 歌 (1963)
「娘よ」 中村八大 曲 益田喜頓・永六輔 歌(1964)
「あの人の…」 中村八大 曲 美空ひばり 歌 (1964)
「帰ろかな」 中村八大 曲 北島三郎 (1965)
「ともだち」 いずみたく 曲 坂本九 (1965)
「女ひとり」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1965)
「いい湯だな」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1966)
「銀杏並木」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1966)
「ここはどこだ」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1966)
「しあわせ」 中村八大 曲 九重佑三子 歌(1966)
「築話山麓合唱団」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1967)
「フェニックス・ハネムーン」 いずみたく 曲 デューク・エイセス 歌(1967)
「私の好きなもの」 いずみたく 曲 佐良直美 歌(1967)
「アレ野たれ死に」 小沢昭一・山本直純 曲 小沢昭一 歌 (1971)
「生きているということは」 中村八大 曲 永六輔 歌(1974)
「生きるものの歌」 中村八大 曲 中島啓江 歌(1975)
「明日咲くつぼみに」 久米大作 曲 三波春夫・小林啓子 歌(1997)
「小諸わが思い出」 小林亜星 曲 由紀さおり 歌 (1998)
「明日天気になあれ」小沢昭一 曲 小沢昭一 歌 (2002)
「どんどんドングリ」 中村八大 曲 小林啓子 歌(2006)
「明治村から」 小沢昭一 曲 小沢昭一 歌(2006)

矢崎 永さんが放送作家をしていたころ、中村八大さんのことは知っていたの?
僕が放送作家の仕事をしながら早稲田退学の夜間に通っていたころ、八大さんは、同じ早大生でいながら、すでに「ビッグ・フォー」という人気ジャズバンドのピアニストとして大スターでしたからね。

矢崎 早稲田大学に進学してからも、クラシックをやっていたわけ?
最初はそうなんです。僕が早稲田高校に通っていたころ、八大さんが弾いた「ワルソー・コンチェルト」を大隈講堂で聴いたことがある。クラシックはやっていたんだけど、ただ、大衆ジャズブームだった当時は、ピアノを弾ける人はジャズバンドから引っ張りだこで、「スウィング・プレミア」というバンドで八大さんはプロデビューするんです。その後、バンドをいくつか変わって、行き着いたのがビッグ・フォー。当時のビッグ・フォーはドラムがジョージ川口、サックスが松本英彦、ベースが小野満、そしてピアノが中村八大。日本のジャズ史に残る超豪華メンバーですよ。

当時、僕はまだ坂本九にも水原弘にも会っていなかったんだけど、たまたまウェスタン・カーニバルをやっているときに、中村八大さんと有楽町の日劇の前でバッタリ会った。そしたら、「あなたは作詞をしたことがありますか?」と聞くわけ。「いえ、ありません」「じゃあ、作詞をする気はありますか?」「はい、やります」って(笑)
矢崎 ホイホイと二つ返事をしたわけだ。
だって向こうは早稲田の先輩で、大スター。そのおそばで仕事ができると思えばうれしいじゃないですか。ただ八大さんは「明日の朝までに十曲つくらなきゃいけない」と言うわけです。夏木陽介主演の『青春を賭けろ』という映画で使う曲と詞を作らなきゃいけないんだって。トリローグループで作詞のまねごとはしていたんですが、自分の名前で書いていたわけではないし、そもそも、ひと晩で十曲つくるのは、どう考えても……。
矢崎 でも、「はい」って言ったんでしょ(笑)
永 相手は大スターですから(笑) そして、朝までにつくった十曲のうちの一つが『黒いはなびら』だった。

評論家の方々は、『黒い花びら』の♪静かに散った~というフレーズを聞いて、あなたみたいに樺さんの死や、反安保運動の終息と結び付けようとする。そして、挫折した連中が『上を向いて歩こう』を唄い、最後は『遠くへ行きたい』と遁走したんだと。その解釈はご自由ですけど、僕に言わせれば、勝手なお世話という感じ。
矢崎 歌は時代の映し鏡だとか、もっとむかしの言葉でいえば、「歌は夜につれ、世は歌につれ」なんで、まことしやかに言うもんな。
『黒い花びら』の「黒」じゃないけど、たしかに歌は時代の空気に影響されるでしょう。でも、「歌は世につれ」はあっても「世は歌につれ」ということは絶対にないと思う。
矢崎 時代が歌をつくっても、歌が時代をつくることはないってことだね。
しょせん歌だもん。されど、歌ではあるんだけど……


矢崎 (いずみ)たくちゃんんとの接点は、三木鶏郎さんの冗談工房だったよね。
たくちゃんがコンクールでグランプリをとって、才能を見込んだトリローさんがひっぱってきた。二十代半ばくらいだったと思うけど。
矢崎 年代的にいうと、八大さんと同じくらいでしょ?
中村八大さんが昭和6年生れで、たくちゃんは昭和5年生れ。なんて、二人とも、誕生日が1月20日なんですよ。
矢崎 永さんからすれば、めぐり逢うべくしてめぐり逢ったのがたくちゃんじゃないの? それにしても、人柄的には、たくちゃんと八大さんは対照的だったでしょう。
そうですね。八大さんはいい家庭でそだったお坊ちゃまでしょう。たくちゃんは、どちらかといえば苦労人タイプ。僕の少し上の世代ですけど、陸軍幼年学校で終戦を迎えて、価値観がガラリと変わったクチですよね。野坂昭如さんじゃないけど、たくちゃんもグレて、戦後の焼け野原をほっつき歩いていたそうですよ。

矢崎 これはずっとあとの話になるけど、八大さんって、亡くなる数年ぐらい前から、ずいぶん酒びたりになって、体もボロボロになっていたでしょう。
あれは、早くして才能を開花させた人の宿命みたいなものかもしれない。
矢崎 天才の宿命ねぇ……
今の時代のように、ロックをやっている人はいいですよ。メロディ・ラインなんか関係なく、アフタービートの早口言葉で唄っていればいいんだから(笑)


たくちゃんはもともと、共産党が社会改革運動として推進していた「うたごえ運動」で、ロシア民謡の歌唱指導なんかをしていたわけでしょう。だから、日本の新しい民謡づくりとして、ご当地ソングをつくることには大賛成だった。
矢崎 その『日本のうた』シリーズから、『いい湯だな』とか『女ひとり』とか、たくさんのヒット曲が生まれるわけだ。
言っておきますけどね、『いい湯だな』で僕が詞を書いたのは、群馬県の温泉を唄った歌だけ。全国の温泉地なんて回っていませんよ。
矢崎 あれ? 最後のフレーズで「登別の湯」とか「別府の湯」なんて唄っている歌詞もあるじゃない。あれ、ぜんぶ替え歌なの?
そう。正統なのは、群馬県の「草津」「伊香保」「万座」「水上」この4つの温泉地を唄った歌詞だけ。
矢崎 でも、日本全国の温泉地で、ご当地ソングとして唄われているじゃない。あれって、書作件違反にならないの?
そんな大仰な(笑)。いつだったか、歌詞を替えていいかと聞かれて、著作権は主張しませんと言ったことがある。

(作詞家を)やめると宣言したのがたしか昭和44年だから……36歳のとき。それから、30年近く、ほとんど作詞家家業からは離れることになるんです。途中いくつか、作詞した歌が世に出ているけど、以前につくった詞だとか、よほど特別な事情があってつくった詞だと思います。
矢崎 そもそも、なんで辞めたいと思ったの?
いろいろりゆうはあるけど、伏線としては、前にも話したけど、八大さんとたくちゃんの間で気をつかうようになったことですね。それと、これは嫌味になるから言いにくいんだけど、収入が増えすぎた(笑)

ここはどこだ
*にほんのうたシリーズ(沖縄)

ここはどこだ いまはいつだ
なみだは かわいたのか
ここはどこだ いまはいつだ
いくさは おわったのか

ここはどこだ きみはだれだ
なかまは どこへいった
ここはどこだ きみはだれだ
にほんは どこへいった

流された血を
美しい波が洗っても
僕達の島は
それを忘れない
散ったヒメ百合を忘れはしない
君の足元で歌いつづける

ここはどこだ いまはいつだ
いくさは おわったのか
ここはどこだ きみはだれだ
にほんは どこへいった
風のように現れ、風のように去る

矢崎 永さんが沖縄にずっと通いつづけているのは知っているけど、『ここはどこだ』という歌ができたのは、沖縄の返還前でしょう。
沖縄の返還は1972年、つまり昭和47年だから、復帰の6年前につくったことになりますね。
矢崎 沖縄には、変換前からけっこう行っていたの?
そうですね。もう亡くなられてますが、僕のお師匠さんで、宮本常一さんという民俗学者が居るんですが、その宮本先生に「日本を見るなら、沖縄から見なさい」と言われたことがあった。沖縄は基地問題にしても、いわば日本の縮図でしょう。本土に住んでいたことがあった。沖縄は基地問題にしても、いわば日本の縮図でしょう。本土に住んでいる人たちが忘れていることや、あえて目を向けようとしない"日本の本質"が沖縄に行くと見えてくる。

じつは僕が『遠くへ行きたい』という旅番組をやることになったとき、基本姿勢にしたいと思ったのは、その宮本先生からの教えなんです。
矢崎 なるほど。風のように現れ、風のように去っていく(笑)
人の一生もそうありたいですね。われわれも、そろそろ……。
矢崎 オレはまだ嫌ですよ(笑)


要するに、歌って、唄う本人が気持ちよく唄えればそれでいいんです。あの天才的なメロディー・ラインをつくった八大さんも、杓子定規なことはじつは好きじゃなかった。たとえば調律ができていないピアノが目の前にあると、その変な音をたのしみながら弾いたりしていた人なんです。
矢崎 ジャズをやっていたからね、それもアドリブで楽しんじゃう。
永 八大さんがよく言っていましたよ。「譜面とおりに正確に唄うことなんて、ちっとも重要じゃないんだ。譜面より、唄う気持ちのほうがたいせつなんだ」って。

生きているということは 昭和49年(1974)

行きているということは
誰かに借りをつくること
生きていくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう

生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあいやがて別れの日
その時に悔まないように
今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない


中村八大さんのエピソーで、もう一つ思い出したことがあった。彼には憧れていたオーストリア製のピアノがあって、コンサートのために彼と一緒に行った音楽ホールに、そのオーストリア製のピアノがたまたまあったんですよ。それを見て八大さん、とても感激しちゃって、子どものように目を輝かせて一生懸命リハーサルをやるわけですよ。
矢崎 よほどうれしかったんだ。
その八大さんを少し離れていたところで見ていた僕に、ホールの関係者が変なことを聞いてきた。「八大さんは芸大出身ですか?」って。「いえ、八大さんは早稲田です」と答えると、なぜか怪訝な顔をする。
矢崎 どういうこと?
怪訝な顔の理由がわかったのは、リハーサルのあと、われわれが食事に行って帰ってきたときです。なんと、そのオーストリア製のピアノが国産のピアノに替わっていたんです。「どういうことなんですか?」と、さっきのホール関係者を問い詰めたら、返ってきた答えが「あのピアノは、芸大出身の方しか弾けないことになっているんです」。僕も八大さんも、開いた口がふさがらなかった(笑)。
矢崎 それ、ほんとの話?
本当ですって。日本の音楽界には、そんな意識がまだはびこっているところがあるんです。




【ちゃんちゃら】 朝井まかて ★★★☆ 2010/09/16 講談社
朝井まかて 1959年大阪府生れ。甲南女子大学文学部卒業。コピーライターとして広告制作会社に勤務後独立。2008年「実さえ花さえ」でデビュー

江戸時代後期、ちゃらという身元知れずの少年が、庭師に拾われて成長し、阿片事件に巻き込まれる物語。
タイトルに釣られて読むことにした。もちろんチャンユンジョンの「チャンチャラ」つながりである(^_^;)

季節の中で風がいちばんうまいのは、夏の初めだ。それは、水面から立ち昇る涼気が木々の緑を掬いながら風になるからなのだろう。

冒頭のこの一文にはちょっと感心した。広告会社やコピーライター出身の作家がやたら目につくが、言葉への関心とセンスは必須だもんね。
庭師の物語なので、当然のごとく樹木を中心にした植物名が漢字で頻出する。解説書やエッセイでは、動植物名のカタカナ表記が蔓延する今日このごろ、こうやって漢字名が並ぶと、それだけで単純に嬉しくなった。大まかにピックアップしておく。

七竈(ななかまど) 杜若(かきつばた) 擬宝珠(ぎぼうし) 万年青(おもと) 菖蒲(しょうぶ) 唐黍(とうきび) 萌葱(もえぎ) 躑躅(つつじ) 沙羅(しゃら) 黐木(もちのき) 艶蕗(つわぶき) 真弓(まゆみ) 合歓木(ねむのき) 羅漢槙(らかんまき) 蘇鉄(そてつ) 棕櫚(しゅろ) 珊瑚樹(さんごじゅ) 柘榴(ざくろ) 枇杷(びわ) 野茉莉(えごのき) 櫟(いちい) 譲葉(ゆずりは) 五葉松(ごようまつ) 小楢(こなら) 椚(くぬぎ) 水楢(みずなら) 黄櫨(はぜ) 鎌柄(かまつか) 辛夷(こぶし) 藪椿(やぶつばき) 赤四手(あかしで) 藪手毬(やぶてまり) 夏黄櫨(なつはぜ) 沢蓋木(さわふたぎ) 酸漿(ほおずき) 葉生姜(はしょうが) 金盞花(きんせんか) 木斛(もっこく) 権萃(ごんずい) 銀木犀(ぎんもくせい) 秋明菊(しゅうめいぎく) 山査子(さんざし) 片栗(かたくり) 菫花(すみれ) 葛(くず) 現証拠(げんのしょうこ) 鳴子百合(なるこゆり) 青楓(あおかえで) 三葉躑躅(みつばつつじ) 風知草(ふうちそう)

薬商の娘で目の悪いお留都とちゃらの会話。

ちゃらは土の上に片膝をつき、鑢で板石の始末を始めた。お留都が庭に面した縁に出てきて、そっと腰を下ろした。
「何をしているの」
「裏を綺麗にしてるんす」
「裏というと、土に向けて敷く方でしょう」
「そうっす」
「ちゃらってば、そうっすばかりね」
お留都の声が先細りになったので、ちゃらは手を止めて顔を上げた。
「表は足が滑るといけねえんで、石肌を活かして鑢はかけやせん。ですが土に触れる裏は綺麗に始末をつけることで、ここは清浄な土地になりやす。そういものなんす」
「報われないことをしているって思わないの」
「報われる、報われねえってことが、それほど大切だとは思わねえです。職人にとっちゃあ、今、ここでこうしている、そのことだけが大切です」

ちゃらはお留都に懸想しているのだが、彼女は尼になる。失意のちゃらは、阿片密輸に絡んで船から落ちて水死する。
ところがドンデン返しのハッピーエンドは、あまりにもご都合主義だが、これがないと救いがないことになる。お留都より、ちゃらに懸想している庭師の娘お百合が魅力的で、もっと彼女をメインにしてほしかった。ストーリー的にはかなりご無理なところもあったが、それなりに楽しめたので、他の本も読んでみよう。



【イモムシハンドブック】安田守 ★★★☆☆ 2010/04/10 文一総合出版
昨年読んで感動した「
ときめき昆虫学」に一押しで紹介してあったので見ておかねばと思ってた。このハンドブックシリーズは定評があるが、本書は人気の高さゆえ、続編、続々編まで出てしまったらしい(^_^;) まあ、Morris.はこの最初の一冊だけで充分だろう。
世間ではイモムシ・毛虫というと端から毛嫌いする人もいるだろう、いやそちらのほうが多数派かもしれない。しかし、生きとし生けるもの、いや、世の中に存在するあるとあらゆるものは、それぞれが実に興味深く面白い存在である。
巻頭におかれている解説から「イモムシの基礎知識」をいくつか引用しておく。

本書はチョウ・ガ(鱗翅目Iの幼虫であるイモムシの入門書です。日本にはチョウ類約300種、ガ類約5500種が生息しています。本書ではチョウ類91種、ガ類135種、計226種を掲載しています。


蝶と蛾は分類学的にはほとんど同じ種と言えるくらいのものらしいが、その種類の数の差は尋常ではない。それでも蝶だけで300種近いとは思わずにいた。昆虫少年だったと自称してたのが恥ずかしい(^_^;)

・イモムシは芋虫とも書き、もともとはサトイモに発生するセスジスズメやサツマイモに発生するエビガラスズメの幼虫などを指し、そこから毛の少ない棒状の幼虫一般に使われるようになったようです。

これまた、Morris.は形状がイモみたいだから芋虫というのだと思ってた。これは確かに言われてみれば芋には似てなかった(>_<)

・イモムシは卵から孵化し、成長後は蛹、成虫へと完全変態を行います。イモムシは摂食によって皮膚がいっぱいに伸びるまで成長すると、眠の後、外側のクチクラ層を脱ぎ(脱皮)、内側に用意された新しくより大きい伸縮性のある皮膚をまとい、再び摂食することを繰り返します。脱皮回数、齢数は種や条件により異なります。

脱皮の仕組みというのも初めて知った。完全変態という言葉もついわかったつもりで使っていたが、やっぱり曖昧な理解しか持たずにいた。

・蛹にはチョウ類では、腹端を糸座で固定し胸部を帯糸で支える帯蛹と、腹端を固定しぶら下がる垂蛹の2種類があります。ガ類では、土中に潜って蛹化するもの、葉などでつくった巣の中で蛹化するもの、糸で繭をつくりその中で蛹化するものなどがいます。

「帯蛹」と「垂蛹」これだけでも覚えておこう。

・イモムシの捕食性の天敵には、鳥類、トカゲ類、クモ類、アシナガバチ類、ムシヒキアブ類、カメムシ類、カマキリ類などが、寄生性の天敵には、ヤドリバチ類、ヤドリバエ類がいます。病気を引き起こすウイルス、冬虫夏草などの菌類も死亡要因の一つです。

・イモムシは天敵に対する様々な防御方法をもっています。天敵に出会わないようにする手段として、隠蔽擬態がよく知られており、他にも巣や蓑をつくって隠れるなどの方法があります。天敵に出会った際の防御手段として、眼状紋、肉角、振動、発音などを用いる威嚇、擬死行動、あるいは体に毒毛や毒をもつという方法などがあります。

生物界は弱肉強食、食物連鎖、適者生存で回ってるようだ。芋虫の天敵は外部に有るが、人間の天敵は人間ではないかと思われる。

・飼育したイモムシや成虫は、飼育し続けるか、標本にします。野外には放さないようにしましょう。

これは、つまり、人間が飼育した生物を、自然界に帰すなかれということだろうか?


【古本屋ツアー・イン・京阪神】小山力也 ★★★★ 2016/10/20 本の雑誌社
小山力也 1967年神奈川県生れ。2008年より古本屋探訪ブログ「
古本屋ツアー・イン・ジャパン」を開始。

昔から古本屋は好きで、古本屋のガイドブックや地図は結構目を通していた。
本書は首都圏古本屋、古書店を中心に探索、紹介している著者が、2016年前半、夜行バス利用の30日近い取材で、京阪神、滋賀、奈良の古本屋200店以上を紹介している。
すべて自分で足を運び、主だった店、思い入れのある店は見開きで、他はコラム風に紹介している。
Morris.の住んでる神戸では以下の30店がピックアップされている。

[神戸エリア]
神戸学生青年センター古本市
口笛文庫
ワールドエンズ・ガーデン
あかつき書房
トンカ書店
うみねこ堂書林
上崎書店本店
やまだ書店
つのぶえ

(以上見開き)
ブックスカルボ
澤田書肆
勉強堂書店
ぴらにやカフェ
清泉堂書店
Fabulous OLD BOOKS
エメラルドブックス
マルダイ書店
サンコウ書店
古本ツインズ
ちんき堂
レトロ倶楽部
神戸古書倶楽部
1003
ハニカムブックス
文紀書房
泉堂書店
上崎書店メトロ神戸店
イマヨシ書店
古書片岡


初っ端に学生青年センター古本市を取り上げてあるのには驚かされた。しかも、実に詳細、特徴を見抜いて、わかりやすく、関心を喚起する紹介文は、恐るべきものがある。

入口近くには猫関連本を集めた箱・ガイドブック箱・コロンボノベルス箱・古書箱が集まり、小さな棚に建築・音楽が並んでいる……これは、分類が細かく行き渡っているのか! そのまま右側ソファー席に向かって、コミック・手塚治・レコード・洋書などが続き、さらに奥の廊下に向かって海外ミステリ・赤川次郎・時代小説・時代小説文庫・キリスト教と、呆れるほど続いて行く……すげぇ。左側の平台は学術書籍で囲んだ辞書で作られており、そのままフロア棚に、売れ筋本・ミステリ&エンタメ・京都・海外文学・思想・歴史・韓国・戦争・ノンフィクション・SF文庫・海外ミステリ文庫・日本文学文庫と続いていく。奥壁には大型本と共に大量の児童文学・児童書・絵本が壁に箱に集められ、なかなかの壮観を呈している。右端の文庫台は新書やノベルスや人文書によって支え作られており、紐が本の上でピンと張り詰め交錯する姿は、とてもアバンギャルドである。壁際には新書が並び、続いて日本純文学文庫・一般書と続いていく。(神戸学生青年センター古本市)

巻末にある取材日記によると、センターを訪れたのは2016年4月12日だったらしい。

4月12日(火)快晴 春寒 昨晩、夜行バスの乗車がものすごく分かり易くなった「パスタ新宿」から旅立ち、豚の細切れのような睡眠を摂りつつ、阪神高速の事故渋滞に巻込まれ、50分遅れで午前9時に三宮着。ホテルに荷物を預け、「神戸学生青年センター古本市」で取材の口火を切る。取材に徹したいのだが、やはり大量の安値の古本に接すると、己を見失ってしまう……

これに続いて口笛文庫、Morris.の住んでるアパート一階のワールドエンズ・ガーデンの紹介でこれまた、読み応え充分。店の雰囲気がものの見事に描写されている上、ポイント(本棚紹介)押さえまくり。まさに「達人」である。
20年前にこんなガイドブックが出てたら常時携帯して歩き回ったに違いないが、今は本の購入は極力禁止中なので、Morris.にとっては目の毒(>_<)である。でも、まあ紙上古本屋めぐりとしてだけでも十二分に楽しめることはうけあいである。

【民意と政治の断絶はなぜ起きた】塩原俊彦 ★★★ 201607/08 ポプラ社 ポプラ新書098
「官僚支配の民主主義」
塩原俊彦 1956生まれ。ソ連・ロシア経済政策専攻。日経新聞、朝日新聞、アエラ編集を経て、高知大学大学院准教授。

なぜ、私たちの声は届かないのか。なぜ、政治とカネの問題はなくならないのか。「ロビイスト」と「請願権」。これまで語られてこなかった切り口から、日本の民主主義の構造上の問題点、「二重の遅れ」を指摘する。権力の腐敗と民意伝達をめぐる壮絶な過去、そして新たな潮流を、歴史と民意伝達をめぐる壮絶な過去、そして新たな潮流を、歴史と各国の制度比較から読み解き、民主主義の原点と限界を暴く、衝撃の一冊が誕生(裏表紙の惹句)

おお、これこそMorris.が知りたかったことだ、と、期待に胸を膨らませて(^_^;)読み始めたのだが……

序章 民意の伝達をめぐる潮流
第1章 米国のロビイストとその規制
第2章 世界中に広がるロビイスト規制
第3章 日本のロビイスト事情
第4章 電子請願への道
第5章「ウェブ2・0」に対応する「ガバメント2・0」へ
終章 「おかみ」意識から「正しい民意へ」


どうもピンとこない文章が続く、やたら横文字の団体名や書名が出てきたり、突然大宝律令時代の話になったり、エストニアの先進性に飛んだり、どうもMorris.には着いていけないところが多かった。そして筆者の文章能力にも疑問が……

総合政策研究会という組織がある。「戦後の混乱がまだ続いていた1951(昭和26)年、会長に東大教授有沢広巳、理事長に朝日新聞論説委員(その後産経新聞専務)の土屋清という布陣で任意団体として設立」されたものであり、「その目的は日本経済の復興に向けた研究会の立ち上げと政策の提言」であった(当会HPより)。

日本のロビイストとして取り上げた団体の説明も、その団体のHPからの引用というのではあまりにも情けない。
結局最終章になって、やっといくらか注目すべき文言が現れた。

明治時代以降になると、律令制は廃止されたが、今度は近代官僚制が日本に導入された。日本の近代化後の官僚制の特徴は、「機構としての官僚制」にあると言えるかもしれない。身分制のもとで、家業・家産・家名が一体化した「家」(イエ)に慣れ親しんできた日本人は、明治維新後、各省に、いわばイエを見出した。省という機構のなかで、職位ごとに職務・権限を明記した法令のないなかで「和」を重んじながら、また、個人の利害を相互に抑制し、稟議制により個人の責任をも回避しながら、組織単位の利害を優先する官僚制を形成してきたと考えられる。
それは、各省の人事、予算、法規を担う官房部門が、省全体の規律性や連帯性を調整する役割の重要度を高め、肥大化していくという現象につながっている。私的利害の抑制については、課長職以下の行政職員が大部屋で執務にあたる「大部屋主義」を生んだ。「個室執務主義」をとる欧米や中国と大きく異なっている。
こうした理解は「公私混合」を日本の官僚制の特徴とみなす見方とも整合する。各省内部では、官房が中心となって彼らの私的利害に配慮したルールや秩序が構築され、それは天下りという形で退官後も続く。対社会という面では、国家利益の唯一の護持者としてふるまうことで、「私」の部分を隠蔽することに成功してきた。いずれにしても、ここでは、明治以降、官を律するという視角が不充分であったことが腐敗摘発を難かしくしてきたとだけ指摘しておきたい。


構造的腐敗を見えなくしている、日本的「イエ」意識。これはどこかで読んだ気もするが、それなりに大事な指摘だと思う。

官僚による長年の支配のもとで生まれた「おかみ」意識が「官」への必要以上の配慮や卑屈さを「民」に植えつけており、その結果として「民」の意見そのものがあまりにも上位者たる官僚頼みになりすぎている。「おかみ」は「御上」として意識され、「役人」や「政府」、さらに「天皇」までを指す言葉だが、「官」の支配に慣れ切っている日本の「民」はなにかにつけて安易に「官」を頼ってきた。上意下達のシステムを受け入れることに慣れすぎているのだ。

つまりMorris.を含む庶民(市民?)が、はじめからこの構造を当たり前と思ってしまってるというところに、問題の根っこがあるということだろう。

「おかみ」意識が根づいた日本では、とくに「上」から神のような超越者によって「デザイン」されたものを、上意下達を通じて形にするというアプローチを安易に受けいれてきた。このため、民意も「おかみ」を意識したものとして形成され、結局、上意下達の構造から抜け出せずにいる。あるいは「民」だけで解決できることでも、安直に「官」に丸投げし、そうした行為を疑問に思うことさえない。そうではなく、政府も組織もすべてが内部からの自発的な変化として生まれるという視角にたって、この自発性を「民」自体がしっかりと培うことが「正しい民意」の形成につながるのだと主張したい。まず、「民」が自発的に内発的に考えるという原則をしっかりと身につけなければならないのだ。「国の民」(国民)から「個人」への脱皮が必要なのである。(終章 「おかみ」意識から「正しい民意」へ)

インターネット時代になっても、この日本的構造から抜け出せない限り、民意が単なるポピュリズムでしかなくなり、おかみの優位は揺るがないままということになる。
ちょっと、がっかり(>_<)

【文学者たちの大逆事件と韓国併合】髙澤秀次 ★★★☆☆☆ 2010/11/05 平凡社新書555
高澤秀次 1952年北海道生まれ。文芸評論家。著書に「評伝 中上健次」「江藤淳-神話からの覚醒」「戦後日本の論点-山本七平の見た日本」「吉本隆明1945ー2007」「ヒットメーカーの寿命-阿久悠に見る可能性と限界」等。

1910(明治43)年、大日本帝国自立の犠牲として同時並行的に生起した大逆事件と韓国併合。天皇制国家の理想は植民地主義的想像力と結びつき、日本人の境界を規定する排除/内包の構造を創出した。その衝撃から産み落とされた「日本語文学」を再読し、事件から百年後の今、国民国家のフィクションを暴き出す。日本人、在日朝鮮人、被差別部落民、引揚者たち--「日本人」とは誰なのか?(袖書き)

同じ年に起きたこの二つの事件を素材に、戦前日本の宿痾をえぐり出す好著だった。

佐藤春夫や与謝野鉄幹といった、在野の詩人たちの身振りとは対照的に、国家官僚柳田国男は正攻法で、「想像の共同体」の確立をサポートしたイデオローグだったのだ。
すでに1910年前後に、石川啄木から最も遠くにあった柳田国男が準備しつつあった「新国学」の構想が、そのアポリアを未然に封殺するための制度的な装置(「想像の共同体」の条件整備)であったことは、もはや自明であろう。


「想像の共同体」はもちろんベンヤミンの命名によるナショナリズムの謂だが、石川啄木と柳田国男の対照という視点も興味深い。

立原正秋が特異なのは、「戸籍名だけでも生涯に六つの名前を所有していた」彼が、日本の植民地政策による創氏改名で、金井正秋なる日本名を与えられ、そのファースト・ネームによって来歴を隠し通してきたことだ。立原は植民地時代の朝鮮慶尚北道安東付近、現在の北朝鮮と中国の国境近辺に生まれた。

立原正秋はほとんど読んでいない。ただ彼が朝鮮人だということは割と早くから知ってたような気がする、その出自を隠してたこととともに。

2010年は、日本近代史の二つの汚点である、大逆事件、韓国併合からちょうど百年の節目に当たる。私たちは、この歴史的現在において、余りにも間延びした「戦後」と、ほとんど年代記的な意味を失った「元号」を持て余しながら、21世紀に生きる感覚を失いかけている。
明治の時代感覚に相応しい「理想の時代」は、司馬遼太郎が『坂の上の雲』に描いたような、「国家」の成長に「個人」の成長の物語が重なる幸福な時代のことであった。それは維新のエネルギーの持続を糧とする、日本人好みの自己肯定的な「物語」として、事後的に仮構された要素が大きい。
このとき「理想の時代」は、日本近代史の暗部に目を塞ぐ、巧まざる国民的な「隠蔽装置」にもなるだろう。事実、「戦後レジーム」からの脱却を窺う人々は、懐古的に「理想の時代」を、明治国家の躍動のうちに見出すことを繰り返してきた。だが、明治の「理想」は自由民権運動の挫折によって、事実上潰え去っていたというのが歴史的な現実である。その理想の終焉に立ち会っていたのが、北村透谷という文学者だった。


いわゆる「司馬史観」は高度成長期を生きた日本人には、口当たりの良い歴史観だったのだろう。それが「目隠し」になってたことも否定できない。

金時鐘の経験した歴史的な「離散(ディアスボラ)」感覚は、脱植民地時代の痛点である。彼は「来歴否認者」なのではない。だが彼は受け入れるべき来歴を、すでに引き裂かれていたのだ。
「堪能な"国語"の読書力を身につけ」、「内鮮一体」の「最も好ましい進展」を見せていた「皇国少年」としての履歴を、彼は「朝鮮へ押し返され」る者として肯うのである。
金時鐘が自らの「傷だらけの"朝鮮語"は癒されることがない」と語るのは、この悲劇的な断絶の実感からくる。
その癒され無さが、彼をして日帝時代に金素雲によって訳された、朝鮮近代詩のアンソロジー『朝鮮詩集』の「再訳」という、困難な試みに向かわせることになった。
2007年に完成させた『再訳 朝鮮詩集』は、日本の近代詩、戦後詩の総体への最も痛烈な問題提起なのである。百冊を超える『現代詩文庫』(思潮社)に、あるいはその他一切の詩人文庫に、『金時鐘詩集』が含まれていないことを、私たち日本人はどう受け止めてきただろうか


金時鐘による「再訳 朝鮮詩集」については、Morris.はいささか否定的評価をして、一部で顰蹙を買ったこともあるのだが、彼のオリジナル詩集の重みはいたいほど感じている。たしかに日本の詩歌出版界での金時鐘無視というのは、あまりにも理不尽なものと思われる。

脱植民地化時代の「文学」という観点から、これらの作品を読み直してみると、1959年の『日本三文オペラ』(開高健)、64年の『日本アパッチ族』(小松左京)に比して、梁石日の『夜を賭けて』(1944年)が、遅きに失した理由は見当たらない。30年の隔たりをもって描かれたこのスペース・オペラのような作品は、先行二作品との差異によって、「戦後文学」、「SF小説」に対する、脱植民地化時代の「在日・日本語文学」というジャンルを、否応なく際立たせる。
安保闘争の前夜、「1959年2月13日の閣議」で、政府はそれ(在日朝鮮人の北朝鮮帰還に関する閣議了解)を認めたのである。「地上の楽園」と宣伝された、北朝鮮への帰国にも拍車がかかる。梁石日はここから繰り広げられる、「総連」と「民団」との対立についても、アパッチ部落のその後の運命として書きよどむことがない。こうして、「戦後文学」の盲点であった「在日」性の歴史的背景と、戦後におけるその実存の根拠が、90年代半ばのこの作品によって、鋭くえぐり出されるのである


開高健、小松左京、梁石日の三作品はそれぞれ面白く読んだ。で、たしかに梁石日「夜を賭けて」は満を持して出た本命という気がした。

「金石範の小説は、日本文学の一部ではない。しかし、日本語文学の作品と言うことはできる。それは、日本語で書かれた文学作品に国際性(もっと正確に言えば民際性)をあたえる。その民際性は、日本語への愛憎によってうらうちされ、厚みのあるものとなった」(鶴見俊輔 「鴉の死」文庫版解説)

日本語で書かれたから日本文学、とは言えないという視点には虚を突かれた。

三島由紀夫は占領下の日本にあって、真の「冒険」は本質的に不可能である他はないと考えていた。戦後憲法によって、「アメリカの影」から自由でない以上、去勢された日本人に情熱的な「冒険」など、本質的にあり得ないとの認識が、逆に観念的な過激化を誘導、私兵を養い破れかぶれの「蹶起」に帰結する、三島由紀夫の行動規範になってゆくのだ。
1970年の三島由紀夫の死後、その「冒険」の不可能性の意味を受け止め、『夏子の冒険』の大がかりなパロディ化を試みた作家が登場する。その死から12年、1982年に初の本格長編『羊をめぐる冒険』を著した村上春樹である。
この作家が公然と認めるその物語構造(seek and finding)は、レイモンド・チャンドラー(『ロング・グッドドバイ』)や、スコット・フィッツジェラルド(『グレート・ギャツビー』)のそれを、模倣的に反復したものであったというのが常識であろう。だが自らそう語ることで、村上が三島由紀夫の影を隠蔽してきたことは間違いない。
「羊をめぐる冒険」は、北海道で挫折するのではなく、すでに物語装置としての「満州」での「冒険」の失敗という、植民地主義時代の歴史的痕跡に規定されていた。それを不可逆の歴史的事実として固定化したのが、他ならぬアメリカである。「満州」の記憶につながる「地下王国」の復活は、戦後体制のもとでは不可能だったのだ。
三島由紀夫の死後に、「(純)文学」(結果的に在日性の文学を排除した)はいかに可能か。村上春樹はこの問いを引き受け、自覚的なパロディとしてその延命に貢献した作家なのである。カルチャーとサブカルチャーの相互浸透を、自明の前提とする典型的な80年代作家がこうして誕生する。
脱植民地化の「都市」小説を、「北海道」を前景化することなく書き上げた村上春樹は、以後、近代「小説」から「物語」への戦略的退行によって、従来の「文学」に背を向けた巨大な読者の「市場」を開拓することになるのである。


三島由紀夫と村上春樹、ともに、Morris.には苦手の作家である(^_^;) それにしても村上作品を「小説」から「物語」への戦略的退行と捉えるあたり、すごいっ。

「昭和戦後」と「明治日本」の歴史と反復(60年周期)
1905 日韓条約、韓国統監府設置
1906 満鉄設立(金融資本大陸進出)
1907 足尾銅山、暴動罷業
1908~11 第二次桂太郎内閣とアナーキズム
1909 自由劇場起こる(新劇)
1910 柳田国男『遠野物語』
1911 大逆事件
1912 関税自主権の確立
1917 石井・ランシング協定(中国の領土保全・門戸開放)

 
1965 日韓条約調印(韓国進出の契機)
1967 資本自由化実施
1967~70 第二次佐藤内閣と全共闘運動
1969 唐十郎らアングラ演劇運動全盛
1970 三島由紀夫自決
1971 対米繊維輸出自主規制宣言
1971 全共闘運動終息と高橋和巳の死

1978 日中平和友好条約・米中国交正常化発表
 

これも確かにびっくりの対照である。60年一回りで回帰するというのが、いわゆる「還暦」と同調しているのが暗示的である。こういうのは一種のアテレコみたいな感じがしないでもないが、ここまで見事に当てはまると、うーーん、と思ってしまう。

大江健三郎の三島コンプレックスは、やはり尋常一様ではない。とりもなおさずそれは、この作家の「大逆」願望の無意識の表れ、言い換えるなら「抑圧されたものの回帰」なのだ。三島由紀夫とは全く別の意味で、あるいは三島以上に、「天皇」は大江健三郎にとって、避けて通れない「表象」だったのだ。
「純粋天皇」という表象に行きつき、そこで自己解体を遂げた三島由紀夫。あるいはそこからの自己解放を試みた大江健三郎の「戦後文学」を、だからこそ在日性の「日本語文学」の中に再度置き直してみる作業が、積み残されているとい言えはしないか。


村上春樹につづいて、大江健三郎と三島との対照。そう言えば大江もMorris.にとっては苦手作家の一人ぢゃ(>_<)

韓国併合から百年、朝鮮戦争から60年後の半島情勢は、逆に万世一系神話の犠牲となりつつある天皇家の現在を、戯画化されたお家騒動として、無言のうちに照らし出しているようにも思える。南北朝鮮の分断のきっかけを作った歴史に鑑みて、私たちは金日成とその後継者をただ笑うだけではすまないのだ。「東アジア共同体構想」も、その認識を欠いては画餅に終わるしかないだろう。
近代百年は、遠くて近い過去だ。昭和天皇の死まで、大逆事件の被告、刑死者たちの名誉は回復されなかった。そして60年前の朝鮮戦争は、なお休戦状態にあり、まだ終結していないのである。


北朝鮮の「金王朝」と万世一系神話の末裔である日本天皇を戯画化されたお家騒動と言うのもなかなかのもの。大逆事件をもう一度検証すべきだ。

本書中、「不可能性の時代」という大澤真幸氏の言葉を借用し、戦後史の時代区分として示されたこの概念を、明治時代に再導入したが、それには理由がある。大逆事件を機に顕わになった、あらゆる「理想」と「虚構」の「不可能」性を歴史的に隠蔽する『坂の上の雲』のような作品に、国民が熱狂していることが、おぞましく感じられたからである。どう見てもそれは、日本近代史の汚点から目を背ける、歴史離れの自虐的徴候なのだ。
大逆事件や韓国併合を忘却し、あるいは隠蔽して、明治という時代の「可能性」を語るなど、およそ雲を掴むような話でしかない。
「小説」はいま、「物語」や「神話」へと逆進化の過程をたどりつつ、何とか「商品」になろうと足掻いている。それは、「虚構」が「不可能」性に行きつくことを回避する反動的な回帰現象なのだ。現時点で「理想」を再構築するには、あらゆる虚妄を断ち切るしかない。ゼロ年代の想像力などという虚妄も、無論その例外ではない。
「不可能性の時代」は、そこを通過した後の「理想」の安易な反復を阻止し、逆にその可能性を絞り込むために、私たちが直視しなければならない歴史的現実なのである。(あとがき)

いやあ、本書は読み返す価値がある一冊である。

大逆事件・韓国併合関連年譜

1873(明治6)西郷隆盛・板垣退助らが征韓論となえる
1875(明8)江華島事件で朝鮮に開国迫る
1876(明9)日朝修好条規(江華島条約)調印、日本に釜山を開港
1882(明15)親日派の閔氏一族に反対する大院君の反乱(壬午軍乱)
1884(明17)日本公使、金玉均らの独立党後援失敗(庚申事変)
1885(明18)天津条約(日清両国朝鮮から撤兵)
1889(明22)朝鮮政府防穀令(米穀の対日輸出禁止)
1893(明26)日本政府最後通牒で朝鮮防穀令を廃止
1894(明27)朝鮮で減税、排日を要求する東学党の乱(甲午農民戦争)
1895(明28)下関条約で清国、朝鮮の独立認める。日本人による閔妃殺害
1903(明36)『平民新聞』創刊(幸徳秋水・堺利彦)
1904(明37)第一次日韓協約(財政・外交顧問を韓国に置く)
1905(明38)第二次日韓協約(韓国保護国化・統監府を置く)。平民社のメーデー茶話会・日露戦争講和反対(日比谷焼討事件)
1907(明40)ハーグ密使事件(韓国、万国平和会議に密使送り抗議)。韓国皇帝高宗譲位・第三次日韓協約(内政権剥奪)
1908(明41)赤旗事件(大杉栄・荒畑寒村逮捕)
1909(明42)伊藤博文(初代統監府統監)ハルビンで暗殺(安重根)
1910(明43)大逆事件(天皇暗殺計画容疑で幸徳秋水ら26人を起訴)。韓国併合(初代朝鮮総督・寺内正毅)
1911(明44)大逆事件判決(12名に死刑)・特別高等警察を置く。南北朝正閏論起り南朝を正式と定む。中国、辛亥革命起る(翌年清朝滅亡)
1912(明45)明治天皇崩御
1913(大正2)桂太郎内閣に対する憲政擁護運動激化
1917(大6)ロシア革命(翌年からシベリア出兵、22年まで駐兵)
1919(大8)3・1運動、万歳事件(ソウルの公園で独立宣言の朗読)
1920(大9)日本最初のメーデー
1923(大12)関東大震災直後に朝鮮人迫害激化、数千人を虐殺。憲兵隊による大杉栄殺害(甘粕事件)。朴烈事件(在日朝鮮人朴烈と妻金子文子が天皇・皇太子暗殺を計画として26年に死刑判決)。虎ノ門事件(難波大助の皇太子狙撃)
1925(大14)治安維持法公布(28年に改定、死刑追加)。京城府(現ソウル特別市)に朝鮮神宮を創建、以後朝鮮全土に二千以上の神社を設置
1932(昭和7)桜田門事件、李奉昌が昭和天皇の馬車に手榴弾を投擲(死刑)
1939(昭14)創氏改名令公布
1944(昭19)朝鮮人に国民徴用令施行規則公布
1945(昭20)日本の敗戦による朝鮮半島の8・15解放。米ソ、38度線分割


本当はサミルチョルの昨日紹介するつもりだったのが一日遅れてしまった。



【おとなのねこまんま】ねこまんま地位向上委員会編   ★★★ 2099/01/22 泰文堂
「あったかごはんを極うまに食べる136」
146pの「アボカドねこまんま」に惹かれて読むことにした。
1.あったかごはんにわさびじょうゆを混ぜ合わせる。
2.角切りにしたアボカドにレモン汁をかけ、角切りにしたクリームチーズと和えて、1とさっと混ぜ合わせる。


まだ、試みてないが、だんだん興味が萎んできて、このまま食さずに終わりそうでもある。

「かつぶし」「みそ汁」「バター」「たまご」「揚げ玉」「缶づめ」「スープ」「調味料と薬味だけ」「惣菜買ってきて」「瓶づめ」「昨日の残りもので」「ジャンク」「ヘルシー」「豆腐」の14ジャンル?で136ものメニューが紹介されている。
このうち「かつぶし」「みそ汁」「たまご」の三つはMorris.の定番である。
これに、梅、揉み海苔、貝割れ、白菜漬、青じそ、じゃこ、大根おろし、納豆、ナメコ、とろろ、塩辛、キムチ……
つまりほとんど何でもありで、これらを適当に混ぜ合わせる。これは韓国庶民の国民的ファーストフード「ピビンパブ」の世界ではないか(^_^;)
Morris.が猫好きなのは、まあ、自他共に認めるところだろう。だから、というわけでもないが、ねこまんまも嫌いではない。しかし、猫のえさとしてねこまんまが供されることは昨今ほとんど見かけない。

【演歌のススメ】藍川由美 ★★★☆ 2002/10/20 文藝春秋 文春文庫 282
藍川由美 1956年、香川県生れ、ソプラノ歌手。山田耕筰、古関裕而、中山晋平、古賀政男などの楽譜校訂。

1573年にイエズス会総長となったメルクリアンは、教会における歌唱は「敬虔にして快く、簡素」であるべきとの考えから、オルガン伴奏付きの多声合唱を禁止していたのだが、宣教師たちはこれに強く反発していた。巡察師ヴァリニャーノは、1579年の来日の際に二台のオルガンを持参するという矛盾に満ちた選択をした。イエズス会が禁じていたオルガンを用いる一方で、宣教師たちには、日本人に単旋律のグレゴリオ聖歌を教えるよう提案していたのである。(第一章 伝説好きの日本人)


16世紀に西洋からキリスト教とともに音楽も入ってきたということはうっすらと知っていたが、グレゴリオ聖歌というのが単旋律と言うのは知らなかった。これなら日本人にも馴染みやすかったのかもしれない。

雅楽の律旋と西洋の自然短音階の比較においても、第六音が半音異なるものは、律旋の唱歌は楽器がないときには半音下がる例があるので、音階上は「緊切なる関係を有する」。
もとももと陽旋(田舎節)や陰旋(都節)といった五音音階の伝統を持つわが民族にとって、第四音がないことは好都合だった。それゆえ、長音階で問題となる第四音と、短音階の主音を導く第七音を(和声短音階及び旋律短音階では半音高くなるため)削除し、東西ニ洋の音階の妥協の産物たるヨナ(四七)抜き音階を生じしめたのである。なお、ヨナ抜き長音階は、この後「文部省唱歌」の提携ともなった。


ペンタトニック(五音音階)は、Morris.の目下の音楽的拠り所(^_^;)になるはずだったのに、いまいち身につかずにいる。あっさりヨナ抜きレッスンにいそしむことにしよう。

医療器械や時計の修理職人だった山葉寅楠は、明治23年にアメリカ製リードオルガンの修理を手掛けたのをきっかけに、同22年に山葉風琴製造所をおこしてオルガンの大量生産に着手し、明治33年には日本楽器製造株式会社を設立してヤマハ・ピアノの普及させた。また唱歌教育では成果を挙げられなかったものの、明治20年に名古屋の鈴木政吉が本格的なヴァイオリンの製造に着手し、全盛期にはアメリカへも輸出していたという。

ヤマハの創設者の逸話である。

音楽取調掛は洋楽輸入時代に古今東西におけるピッチの問題をもっと徹底的に検証しておくべきだった。さまざまな音階の特徴と、音楽的美感を弁別しておけば、立派な和声を付けなければ曲が完成しないといった妄想にとらわれることはなかったに違いない。

ピッチ!! 音感に問題のあるMorris.にとっての禁句である。一説では人間の聞き分けられる音のピッチは半音の5/100とのことだが、とりあえずMorris.は半音の半分が聞き分けられない(>_<)。 それでも日本の義務教育におけるピッチの取扱があまりにも偏向していたことは理解できる。

咲いた桜 花見てもどる
吉野は桜 立田はもみじ 唐崎の松
ときわときわ ふかみどり(江戸末期の箏の手ほどき曲)

[桜]が世界的に有名になったのは、プッチーニ(1851-1924)がオペラ「蝶々夫人」(1904)にその旋律を取り入れたためである。国内的には大正6年(1917)に山田耕筰(1886-1965)がぽ青伴奏付き歌曲として編曲した後、大正12年(1923)に宮城道雄(1894-1956)が邦楽器による日本初の変奏曲として「さくら変奏曲」を書いた。

「桜」の元歌が、こんなんだったとは(@_@) それでも日本の国歌を「桜」にしたい気持ちは変わらない。

本居長世(1885-1945)が自作に陰旋や陽旋を用いて作曲したことは、近代の日本の歌にとって画期的な出来事であった。
長世の「十五夜お月さん」や「七つの子」といった作品が、われわれ日本人の心にこの上もなく懐かしい音楽として書いてくるのは日本の伝統的な音楽に立脚していたからであった。
かつて長世に師事していた藤山一郎は、師の作風について、「豊かなハーモニーの中に単純なメロディが浮き出ているのがすばらしい」と評していたが、長世の作品には「哀別」や「別後」等の歌曲はもちろんのこと、「青い眼の人形「カツコ鳥」といった童謡の伴奏ですら、かなりの技量が必要とされる場合がおおい。
しかし、伴奏においてもっとも重視すべき点は、いわゆる声のきかせどころを無伴奏で作曲していたことだ。これこそが、日本の伝統的な歌の手法を活かした長世作品の特長といえよう。
三味線の調子も、「本調子は本格・豪壮、二上りは変格・陽気・田舎風、三下りは変格・優美・女性的」などと特徴づけられてきた東京音楽学校に入学する前から三味線を弾いていた長世が、このことを知らなかったとは思えない。


本居長世の名前は童謡作曲家としてしか認知してなかった。

平井英子といえば、この当時、ほとんどの晋平作品を初演していた不世出の名歌手である。そんな彼女が歌った「あの町この町」が「ピョンコ節」に聞こえないのだから、晋平はこの曲を最初から「ピョンコ節」として作曲していたわけではないのかも知れない。
平井英子の演奏は、音程の確かさと発音の美しさ、リズム感の素晴らしさで群を抜いており、彼女が歌う「ピョンコ節」たるや、いくら真似をしようとしてもできないほどの至芸で、晋平の指定通り「強声部は皆少しずつ長めに」演奏しているのはもちろんのこと、拍の裏にあたる音も決して軽く歌い飛ばさないところに大きな特徴があった。


「ピョンコ節」はシャッフルなのだろう。
平野英子の「兎のダンス」など聴いてみると、確かに音程もリズムしっかりしてるが、不世出の歌手とまでは思えないのだが(^_^;)

……畢竟するに大衆の歌謡と云ふものは、疲れた人達を慰める力さへ持つて居れば、人の魂に潤ひを與へる力さへ持つて居ればそれが教訓的であらうが無からうが、何かしらそれを唄ふ人たちの胸に新しい活力をもたらし得るものなのでは無からうか。-中央公論昭和10年8月号「中山晋平自譜」(第二章 日本の音階とリズム)

中山晋平、好きっ(^_^)

わが国では楽譜に書き表しにくいような微妙な節回しを「小節(コブシ)」と総称しており、古賀はその「コブシ」を装飾音や連符を用いて五線譜に書き込んでいた。その「コブシ」と聲明の旋律型を実際に比較してゆくと、おもしろいように音型が合致する。そこで、古賀メロディの楽譜に聲明の旋律型を書き込んで『南山進流聲明考察と手引』の解説通りに歌ってみたところ、本来音域が広い上、フレーズが長くて歌いづらいはずの古賀メロディが、とても楽に歌えたのである。
1.ユリ--ある音を細かく上下動させながら歌う。
2.ステル--下降形の最終音として、まさに音を捨て去るように、音程をずりさげながら消えるように歌う。
3.ソリ--ある音から次の音に極くなめらかに移行しつつ歌う。ソリの音程差には全音一つや短三度などの例があるが「大ソリ」はソリの一般音程差よりも大きく、概ね完全四度ほどの音程差で音をずり上げるように歌い上げて、最後を軽く止める
4.マワス--ある音から半音または一音低い音に下りる場合には、後ろの音を強く押し出すようにアクセントを付けて奏する。もう一つは、ある音から連続して半音または一音ずつ低く滑ってゆく場合には、なめらかなグリッサンドのように奏する。
5.スカシ--「旋律に関する型ではなく発生法上の指定事項」。ある音から一オクターブ高い音に裏声を用いてなめらかに移行するもの。
6.口内アタリ--ごく短時間に音程を一音だけ上げてすぐ戻る場合、真ん中の音を口中で強く当り押すように発する技法。五連符や三連符の箇所では、ほとんど二番目の音が一音上るため、そのと当て押すように歌うと日本的な歌いまわしとなる。

本書読む気になったのは、この部分のためだった。

……本当はもっとゆっくりしたテンポで、感情をこめて大らかに歌って欲しかった。けれど、残念なことにテンポを速くしないと、レコードに歌詞が三番までしか入らない。だから、SP盤の録音制限時間に合わせて、心ならずもテンポをクイックに変更した。(昭和11年古賀政男コメント)

すると、SP盤の場合は、オリジナル盤といえども、必ずしも作曲者の意図通りのテンポで演奏されたわけではないということになる。


You Tubeで古いSP盤の音源を聴くと全体的に走ってるような感じを受けたが、原因はこれだったのかも。

本来ワルツは、日本の学校で教わるような「強・弱・弱」というギクシャクした動きではなく、大きな円形の流れの中で連続したうねりとして演奏されなくてはならない。
しかし農耕民族の宿命と言うべきか、日本人は「星影のワルツ」を聞きながら手拍子を売ったり、「ゲイシャワルツ」を平板に歌ってしまう傾向がある。このような拍の観念を持つ日本人にとって、ワルツやポルカといった舞曲はもっとも不得手な音楽といってよい。


20世紀初頭には、ラグタイムを行進曲風のダンスにしたフォックス・トロットが、世界の各地に広まる。フォックス・トロットは二拍子系の音楽で、テンポの速いものと緩やかなものがあり、緩やかなものはブルースに似ている。チャールストンやブラック・ボットンは、その変種である。

そしてフォックス・トロットは韓国では「演歌」の別名になる。

日本の学校では、音楽にはメロディとリズムとハーモニーという三つの要素が備わっていなければならないと教えている。この音楽の三要素とは、クラシック音楽の中でも、せいぜい古典派やロマン派を中心とする音楽にしか通用しない定義なのだが、世界各地の民謡や、調性音楽が確立する以前のヨーロッパ音楽、またいわゆる現代音楽の中に、これを完備していない作品がたくさんあることについて、いったいどう説明しているのだろうか。

何も説明していない(^_^;)

古賀政男が、明治以来のヨナ抜き音階に、仏教聲明の日本化によって生まれた歌唱法を取り入れたことで、日本の歌の一つの頂点としての「演歌」スタイルが完成したのである。
「演歌」とは、あくまでも日本人の民族的美感に適う音楽形式でなくてはならない。歌唱法もしかり。それをシンセサイザーによる安直な編曲と単調に刻まれるリズムに乗って軽々しく歌われたのでは、音楽的美意識も何もあったものではない。作品としての完成度が高い古賀メロディでさえ、誰の作品かわからないまでに編曲され尽くし、楽譜とあまりにかけ離れた勝手な節回しで歌われていることには、嘆息するばかりである。(第三章 「古賀メロ」解剖)


You Tubeで藍川由美の歌唱を聴いてみた。童謡、古い歌謡などそれなりに聴けると思ったのだが、軍歌を延々と歌うのを聴いて、いささか辟易させられてしまった。



【ステップ】重松清 ★★★☆ 2009/03/25 中央公論社 初出「中央公論」2007-09
「恋まで、あと三歩。」という副題。
3歳で母を亡くした娘ミエを一人で育てることにした男の物語、経年順にオムニバス短編集に仕上げるスタイルで、それがタイトルにもなってるわけだが、いかにも重松らしいストーリー作りである。たしかに泣かせどころの決め方は堂に入ったものだし、自分と妻の両親たち4とのつながり、話ごとに現れる心惹かれる女性、そしてパターンの違う別れ、様々なエピソードを積み重ねて行く手際の良さ。うまいもんだと思いながら、「つくりもの」感を拭えなかった。

初めて訪ねたナナさんのマンションは、手狭で古かったが、趣味のいい家具や小物が揃えられ、いかにも居心地がよさそうだった。賃貸物件で、もう十年近く住んでいるのだという。その年月のせいか、部屋のたたずまいに浮き上がっているものはなにもない。まるで生態系のの完結したビオトープのようなものだ。よけいなものが一つ加わるだけですべてが壊れてしまう。そんな気さえ、する。

終盤に登場するナナさんの住まいの描写だが「ビオトープ」という形容が印象に残った。ある意味、重松の作品こそビオトープ的な小説世界なのかもしれない。
でも、この部屋に、ちょっと心惹かれたことも告白しておく。

【警察(サツ)回りの夏】堂場瞬一 ★★★☆☆ 2014/09/30 集英社
大手新聞社甲府支局のサツ回り記者南が、幼児二人殺害事件の取材中、警察幹部の嘘情報で誤報を出し、新聞社は検証記事を出し、第三者による調査委員会を立ち上げる。

「上から降りてきた命令には逆らえない。逆らうつもりなら、辞めるしかないんだ」
「そして、辞めたらたくさんの物を失いますよね」南は、自分が少しだけ残酷になっているのを意識した。「石澤さんの警察でのキャリアは、あと少しだ。でも、退職した後には第二のキャリアが待ってますよね? それは先輩たちが切り開いてきた道かもしれないし、警察ならではの『枠』もあるでしょう? そういう物を失うわけにはいかないはずだ」
天下りは、中央官庁だけの問題ではない。地方の公務員も常に第二の人生を考えているから、一度手にした利権は離さないものだ。先輩たちが得た再就職先は、後輩に綿々と受け継がれていく。刑事部参事官にまで昇りつめた石澤なら、セカンドキャリアについても何の心配もないだろう。無事に定年を迎えられれば、だが。


誤報のもととなった幹部と南の会話。天下り構図が普遍的(>_<)であることを明らかにしている。
調査委員会のチーフとなった高石(以前新聞記者以降大学でメディア情報研究)の現在のネットメディア考察がなかなかに的を射たもので、共感を覚えてきた。

ネットの情報に入り込むノイズ……20年以上前の高石の想像では、ネットの世界を利用するのは学術関係者や公務員、情報ビジネスに携わる人間だけだった。こういう人たちならある程度の良識は期待できるし、実名での情報発信ならおかしなノイズは混じらないだろう、と。しかし現実には、誰でもネットの世界に入っていけるようになった。そしてそこで流れる情報の99%は、流される必要のないノイズだ。明らかな虚偽情報もあるし、そういう情報がスキャンダラスであればあるだけ、拡がるスピードは速い。
こういうのを防ぐために、ネットの使用を規制すべきだ、という意見もある。少なくとも高校生くらいまでは、自由にネットを使わせず、その後は例えば免許制にするとか。リテラシーのない人間、悪意のある人間は、ネットに近づけないようにするのが一番なのだ。
ただしそれは、諫山が指摘したように、国家がネット情報を規制している独裁国家と同じやり方である。日本は基本的に自由な国で、政府の介入は最小限であるべきだ、と高石は思っている。ネットに関しても同様だ。しかし、ネットの暴走がひどくなれば、「規制」を訴える人間も増えてくるだろう。一方で、非常識なメディアスクラムを非難する声がネット上で高まった。今回の一件は、新旧二つのメディアのぶつかり合いだと高石は分析している。


インターネットの普及、それも最近のSNSの浸透が、さまざまな問題を産んでいる。トランプツイッターに代表される故意の誤報(Fake News)の蔓延は、たしかにマスコミや政界財界までに大きな影響を与えるようになっている。

「新聞を旧時代のメディアだとすれば、ネットは間違いなく新しい時代のメディアだ。ネットでは全ての意見が並列、等価値で、ユーザーは自分で真偽を見定め、情報の軽重を決めなくてはいけない。それこそが、新しい時代のメディアの在り方だという意見が主流です。でもそれは理想論だ。誰も、そんな面倒なことはしたくない。結果的に、自分が見たい情報だけを求めるようになるんです。ネットニュースで閲覧される上位ジャンルは何だと思います? 圧倒的に芸能とスポーツですよ。ずっと離れて事件・事故だ。結局世の中の人は、下世話な話が大好きなんです。新聞がどうこうしたと騒いでいるのは--メディアの動向に関心があるのは、ほんの一部なんですよ。なのにあなたたちは、それを気にし過ぎる。もっと堂々としていればいいんです。一つの指針として--絶対的指針ではないとしても、新聞はこれからも存在し続けるべきなんです」
高石の自説--演説と言っていいような喋りを聞いているうちに、新里は混乱している自分を発見した。


委員会が調査を打診された当初とは、だいぶ違う話になってしまった……あの時高石は、マスコミが自分の愚かさを自覚し、変わろうとするための手助けをしたいと思っていた。しかし調査の結果炙り出されたのは……マスコミの劣化と、それを利用しようとする権力者の陰謀だった。
間違った情報を簡単に信じ込み、それをチェックすることも怠り、しかも外部の人間にミスを指摘されるとあたふたしてしまう。昔のマスコミが傲慢だったのは間違いないが、それを今のマスコミ--人の目を気にして、いつも誰かにお伺いを立てているような状態と比較したら、どちらがましなのだろう。人権問題にしてもそうだ。少なくとも、高石が記者としての一歩を踏み出した50年前は、新聞は容疑者の人権などほとんど考えていなかった。容疑者は紙面でも裁かれるもの--多くの事件記者がそう考えていた節がある。高石自身、そうだった。
その後、記事は人権に配慮するようになったといわれているが、その結果、新聞が多くの物を失ったのも事実である。その一つが、警察による情報コントロールを容易にしたことだ。警察が、「人権]を盾に容疑者の個人情報を隠してしまうことすらままある。逆に、今回の誤報のように、故意に間違った情報を流すのも簡単だ。


ネットが庶民のものであるというのは、あまりに楽観的である。便利なものの裏側には必ず何らかの代償を求められる。そして元来力を持っていた権力がそれを自分の都合の良いように使わないはずはない。

「抑止力というのは、要するに穂先に毒を塗った槍をお互いの胸元に突きつけ合うことだ」
それは違うのでは、と思ったが、新里の反論を許さずに小寺が続ける。
「目の前に毒を塗った槍がある。下手に動けば--前に進めば刺さるかもしれない。そういう時、人はどうするかな」
「下がるしかないですね」
「そういうことだ」
「--三池の前に毒槍を仕かけたと?」
「彼は頭のいい男だ。私の言ったことは全部理解しただろう」
「それは恐喝というのでは--」
「言葉を慎みたまえ」小寺がぴしりと言った。「我々はマスコミ人だ。恐喝などしない」


新聞社主小寺が代議士との心理戦の後で、部下新里との会話。「抑止力」が小寺の言うとおりのものではないとは思うものの、冷戦終わって四半世紀すぎても、いまだにアメリカの「抑止力」をくりかえす安倍晋三発言を見るたびに、この言葉への疑問が強まってくる。

ネットで新聞が叩かれるのは、「権力の監視」を謳いながら権力と癒着し、自らが権威主義的になってしまっていること、そして現在の取材・報道態勢に様々な問題があるからだ。しかしネットユーザーの心理は、新聞記者のそれとそっくりである。誰も知らない情報を早く知りたい。知った情報を誰かに伝えたい--これはもはや、「情報欲」とでも言うべき人間の本能の一つではないだろうか。同じ本能が、マスコミとネットという異なったメディアで、少し形を変えて発現しているだけかもしれない。
何だか疲れを覚えて、高石はパソコンをシャットダウンした。ネットと真面目につき合うには年を取り過ぎたと思う。周りの誰よりも早くこの世界に飛びこんだつもりだが、年を取るにつれ、活字のほうがありがたくなってきている。
る。


野次馬根性か(>_<) Morris.もちょっと疲れている。



【韓国ポップのアルケオロジー 1960-70年代】シンヒョンジュン(申鉉準)ほか著 平田由紀江訳 2016/01/31 月曜社
原著 「한국 팝의 고고학 1960」2005/03/10+「한국 팝의 고고학 1970」2005/05/15

この本の原著は韓国で見つけて即買った。カラー写真満載で、ほとんど写真見るだけで満足してたのだが、2冊合わぜて分厚い翻訳が出ていたとは知らずにいた。中央図書館3階で見つけて借り出し、原本と見比べながらやっと読み通した。どちらかというとポップ系は苦手なのだが、それでもやっぱり、歌謡曲とは無縁でないしいろいろなエピソード満載で興味深い。

興味深いのは、韓国のインディー系列の若いミュージシャンがこうした再創造の実践を行う過程で、日本から韓国に移住したミュージシャンたちや評論家たちが1960-70年代の韓国大衆音楽を再評価する実践をしているという点です。代表的なのは、ハッチ(春日博文)、佐藤行衛、長谷川陽平の三人で、彼らは一種の「名誉韓国人」となって韓国のインディー音楽ひいては大衆音楽全般に深い影響力を持っています。私の場合もこの本を書こうと考えた時期、そして本を書く過程で彼らの解釈と評価の実践から少なからず影響を受けています。(日本語版序文)

序文にHachiさんのことに好意的に触れてあったのも嬉しかった。

トロット/ポンチャックはメロディと音階が日本の流行歌(演歌)と類似しており、「倭色」という理由から批判を受けたが、以降、複雑に変容し、今日まで年齢層の高い庶民階層を中心に生命力を維持している。1960年代の大衆音楽は洋色と倭色、業界用語でいうところ「パダキ」と「ポンキ」の対立であった。

「パダキ」の「パダ」は「海=洋」、「ポンキ」の「ポン」は「イルボン」の「ポン」か(^_^;)

魯番企画はフォーク(実はポップ)出身の作曲家(ユ・スンヨプとイ・スンデ)、グループ出身の編曲家(金明吉)、そして新人女性歌手という構成であり、業界に顔が利くパク・ヨンゴル会長によって組織されていた。ディスコをはじめとするダンス音楽の熱気が高まり、「ビジュアル」が重要になった時点において、「人物」はそれほどとは言えない李銀河が10年以上もトップの地位位を守り続けた秘訣は以上のとおりだ。彼女は基本的に「歌の上手な歌手」だったが、その背後には作曲と編曲の非凡さがあった。李銀河が「ソウル歌手」の系譜を受け継いでいるとされたのも、金明吉とデヴィルスのメンバーの後ろ盾なしでは不可能だったろう。考えてみると、こうして女性歌手の背後にグループ(あるいはコンボ)出身の作・編曲家がいるというモデルは1980年以降一般化する。例えば羅美の後ろには金明坤(キムミョンゴン)がいたし、ミンヘギョンの後ろには李範煕(イボムヒ)が、そしてキムワンソンの後ろには金昌勲(キムチャンフン)がいた。


ナミ、ミネギョン、キムワンソンなどの、ダンサブルナンバーのバックには、韓国ロックミュージシャンがついていたのか。なるほど。イウナ(李銀河)のバックがデヴィルスメンバーだったなんてこともね。

大麻騒動以降、ロック・カンパニー、半島ファッション、光化門スタジオが李章煕の「ビジネスモデル」だった。しかし、1980年8月の「第二次大麻騒動」で瓦解した。「李章煕師団」も面々は、再び拘束された。李章煕は表向きは「事業が失敗した」という理由で、アメリカに逃避した。彼はその後、ロサンジェルスでラジオコリアという放送局を運営することで、人生の転機を経験した。彼がミュージシャンとして、あるいは少なくとも音楽ビジネスマンとして残っていたとすれば、韓国の音楽文化はより色彩豊かなものになっていたであろうが……

イジャンヒはMorris.の好みだが、アメリカに高飛びしたのにはそんな理由があったのか。

李正善とキム・ウィチョルが入っていったのは、明洞のカトリック女学生会館のヘバラギホールだった。ヘバラギの複雑な歴史は「最初は主にポップ・ソングを歌っていた→キム・ウィチョルが音楽集会を主導し、創作中心に変化した→李正善がここに合流する→韓栄愛とキム・ヨンミが加わり根性人組が定着する→キム・ウィチョルが抜け、代わりにイ・ジュホが加わる」という程度に要約することができる。

ヘバラギというのは固定したメンバーではなかったのね。

「徐プロ」の代表であるソパンソクは、最初は個人製作者として地球レコードを通じて所属歌手のレコードを代名制作していた人物である。代表的なケースは李正善とソヌ・ヘギョンだ。李正善は彼を「ソッポン」と呼んでいたが、チェピョンゴルにポンチャックを歌うように言った人物こそがソパンソクだったという。

ソパンソクはパンミとキムヘヨンの育ての親で、Morris.は面識がある。なかなかの大物らしい。

デヴィルス出身のソウル歌手として名前を知られていたヨンソグォンは1980年代半ばにサヌリムのキムチャンフンと共に、李銀河(!)とキムワンソン(!)を発掘するという役割も果たした。

巻末に参考文献、レコード一覧、人名索引がある。
人名索引の中から10p以上(大まか(^_^;))に取り上げられているものを挙げておく。太文字はMorris.が好きなミュージシャン。

Add4
アンゴンマ(安健馬)
アンチヘン(安治行)
イインソン(李仁成)
イウナ(李銀河)
イジャンヒ(李章煕)
イジュウォン
イジョンソン(李正善)
イジョンファン
イスマン(李秀満)
イテヒョン(李泰賢)
イナミ(李南伊)
イペクチョン(李白天)
イホジュン
イボンジョ
イミジャ(李美子)
イヨンジェ(李英載)
オセウン(呉世銀)
キー・ブラザーズ
キー・ボーイズ
キムウィチョル
キムガプチュン(金甲春)
キムギビョ(金基杓)
キムサンヒ(金相姫)
キムジョンホ
キムジョンミ(金廷美)
キムジンソン
キムセファン
キムチャンフン
キムチャンワン
キムチュジャ(金秋子)
キムデファン
キム・トリオ
キムヒガプ(金煕甲)
キムヒョンシク
キムミンギ(金敏基)
キング・パク(パクソンベ)
クエスチョンズ
クォンヨンナム
コッキリ・ブラザーズ
コムン・ナビ
コリアン・ストーンズ
ザ・メン(The Men)
サウォルグァオウォル(4月と5月)
サゲジョル(四季)
サヌリム(やまびこ)
サラングァピョンファ(愛と平和)
サンド・ベブルス
シャグリーン
ジャニリー
ジョーカーズ
シンジュンヒョン
シンビョンハ
スプーキーズ
ソユソク
ソビョンフ(徐丙厚)
ソンチャンシク(宋昌植)
チェイチョル(崔利徹)
チェソンウォン
チェヒジュン(崔喜準)
チェホン(崔憲)
チャジュンナク(車重楽)
チャンヒョン
チョウォニク
チョガプチュル(趙甲出)
チョギョンス
チョドンジン(趙東振)
チョヨンナム(趙英男)
チョヨンピル(趙容弼)
チョヨンホ
チョニングォン(全仁権)
チョンウォン
チョソンジョ(鄭成朝)
チョンミンソプ
ツウィン・フォリオ
デヴィルス
テンペスト
トゥルグクファ(野菊)
ドラゴンズ
トリッパーズ
トワ・エ・モワ
ドンギーズ
ドンバンエピッ(東方の光)
ナヒョング
ナフナ(羅勲児)
ナミ(羅美)
ナムジン(南珍)
パールシスターズ
パクインス
パククァンス(朴光秀)
パクヨンゴル
パボス(馬鹿たち)
ハンデス(韓大洙)
ハンヨンエ(韓栄愛)
ヒー・シックス(He 6)
ヒー・ファイヴ(He 5)
ビーズ
ヒョンギョンエ
ファイヴ・フィンガーズ
ファルチュロ(滑走路 Runway)
フェニックス
ブラック・テトラ
ヘバラギ(ひまわり)
メッセンジャーズ
ヤンヒウン(楊姫銀)
ヤンビョンチプ
ヤングエース
ヤングサウンド
ユンハンギ(尹恒起)
ユンヒョンジュ
ユンボギ(尹福姫)
ヨプチョンドゥル(葉銭たち)
ラスト・チャンス
ラナ・エ・ロスポ
ロック・アンド・キー
ワイルド・キャッツ



【七十歳死亡法案、可決】垣谷美雨 ★★★☆☆ 2012/01/25 幻冬舎
垣谷美雨 1959年兵庫県生れ。明治大学文学部卒。ソフトウェア会社を経て2005年「竜巻ガール」で小説推理新人賞受賞。
こんなのが出てたのを知らずにいた。

七十歳死亡法案が可決された。
これにより日本国籍を有する者は誰しも七十歳の誕生日から30日以内に死ななければならなくなった。例外は皇族だけである。尚、政府は安楽死の方法を数種類用意する方針で、対象者がその中から自由に選べるように配慮するという。
戦後、日本は急速に食糧事情が良くなり、医療も進歩した。おかげで日に日に平均寿命を更新している。
果たして、長寿は人類に幸福をもたらしたであろうか。
本来ならば喜ばしいはずの長寿が、国の財政を圧迫する原因となっただけでなく、介護する家族の人生を台無しにするような側面があることは今や誰も否めない。
今後も世界中の議論を呼ぶところだ。施行は二年後の四月一日である。(週刊新報・2020年2月25日号)


なんでもどんどん強行採決するこの頃の国会でも、さすがにこの法案は通らないだろうと思うのだが、これが現実ならばMorris.は73歳まで生きられることになる(^_^;)

早春。七十歳死亡法の施行まであと一年--。
宝田桃佳は、特養の近くのファミリーレストランにいた。
「もしもウンコがレモンの香りだったら、介護もずいぶん楽だと思いませんか?」
そういうと、亮一は笑った。
仕事を終えてから、近くのファミリーレストランで一緒に食事をするのが最近の楽しみだ。
「宝田さんの発想はユニークだね」
食事をしながら便についての会話をするなんて、この前までは考えられなかったことだ。でも今では便の処理から逃れられない環境で働いているからなのか、それとも人間が生きていく上で排泄は最も重要な機能という認識を持つようになったからなのか、便についてはところかまわずふたりの会話に上るようになっていた。


もちろん本書のモチーフは高齢化社会へのアンチテーゼであり、介護に関してもなかなかうがった考察がなされている。介護の第一難関である排泄処理に関しては、確かに「ウコがレモンの香り」にする薬品なり装置が発明されればいいのにと思ってしまった。
この著者の他の作品も読んでみよう。



【避難所】 垣谷美雨 ★★★ 2014/12/20 新潮社
東日本大震災後の避難所での人々のあれこれを、資料をもとに描き出していて、それなりに、説得力のある作品になっていた。そういえば、Morris.は神戸震災で全壊したものの、避難所生活は体験しなかった。まあ、斎藤さんのアパートが避難所みたいなところもあったけど、やはり、見ず知らずの人達の集まりとは全く違うだろう。
やっぱりMorris.には避難所生活は無理だということがわかったような気がする。


【ニュータウンは黄昏れて】垣谷美雨 ★★☆☆ 2013/01/20
バブル期にニュータウンマンション買って、にっちもさっちも行かなくなった家族の悲劇で、これはもう読む側が暗ーーーくなってしまうばかりで楽しめなかった。
というわけで、この著者の作品もこのへんで打ち止めにしよう。


【幸田文しつけ帖】幸田文 青木たま編
★★★☆ 2009/02/04 平凡社
幸田露伴の娘幸田文。今や露伴より娘の方が有名かもしれない。本書は文の娘が編集した三部作の一つである。

紙は障子のこまに寸法をあわせて、一本全部の耳を裁ち落す。裁ち屑はすぐ屑籠へ入れることは、きびしくいいつけられた。「刃物の周囲は整頓し、扱いを丁重 にすれば怪我は無い。素人は玄人にくらべてできな癖に、刃物へぞんきな扱いを見せる。大工なんぞ鉋屑の中へ切れ物をほうり出しておいたりするあ、あれは皆 置き勝手というものがほぼきまっているから、木っぱ拾いの小僧だって無闇に手を突っ込んで鑿に食われるなんてことは無い。
手習と同じくソフト・タッッチと背骨が伝授だと教えられた。背骨の押っ立った人間とはおばあさんのいうことば、脊梁骨を提起しろは父から聴くことば、露伴親子は背骨が好きらしい。(経師)


これはMorris.の仕事sにも役立つ戒めである。ゴミを出さない(常にゴミ箱に)、背骨が大事。

庭木は檜は楽だったが、紅梅は骨が折れた。抵抗が激しく手が痺れたが、結局これもこなして焚き口へ納めた。しまいには馴れて、ふりおろした刃物がいまだ木 に触れぬ一瞬の間に、割れるか否かを察知することができた。そして、斧の方がいいだろうといったら、「めっそうも無いやつだ、風呂の薪などは鉈で沢山だ」 と、刃物の位取りのことを聞かせられた。書斎の縁の下に版木がどっさり重ねてあった。「あがりがま」の少年が鎌を摑んで男に向かっているのもあったし、 「さゝ舟」の綺麗な女の子もあったし、「きくの浜松」という字の浮いたものもあった。何か思うところがあったのか、これを割れといいつかった。惜しいとは 思ったが、黙ってさくさく割った。桜だった。よく燃えた。私は梅・松・桜と灰にしたわけである。(なた)

露伴作品の版木。今残っていたらすごく貴重な資料だろうが、それを「黙ってさくさく割っ」た文の行為と文章。見事というべきか。あるいは……

叱言の効果ということ。言ったその時だけ効いたというのも、効果はあったわけだが、多くはそのまま流れてしまって、あとに残らない。そういうのは「当座の 叱言」とでもいえばいいかと思う。身にしみてずっとあとまで、忘れられないのもある。だが言われたほうも、年齢と共に成長していくから、忘れられなく叱ら れたその事柄も、いつかすっかりこなして身につけてしまい、そして忘れる。いい叱言だったといえる。功成って消えた叱言といえばいいか、身につくまで消え ずにいた叱言といえばいいか、覚えていた間が三年なら三年効いた力量、五年なら五年の力量ある叱言だったことになる。(煤はき)


叱言ひとつでここまで考えるのが文の真骨頂といえるだろう。

台所には木製のものが多くて、毎度よく磨く。おはち、鍋釜のふた、米とぎ桶、手桶水桶洗桶、俎板、しゃもじ、摺粉木、その他いろいろ。それに付合う道具が あった。かるかや束子、棕櫚束子、藁束子、ささら、これらはどこの家の流しもとにも備えられており、使い分けたのである。硬軟ともに植物製だが、私が多く 使ったのは藁で、わら束子は自分でこしらえた。
紙やすり、さめ皮、とくさ、むくの葉、いぼたのろう、松やに、椿の実、ぼろ木綿、性抜けの麻布、萎え絹などを道具にして、女たちは家庭内の木との付合い を、なんとかこなしていった。もちろん自分の手は一番の道具だったし、地から湧く水、空を吹通る風、天から来る熱などなども利用させてもらいはしたが、よ くまあこんな貧弱な手立でしのげたものだと思う。いうならば当時の木との付合いは、調法していますのお礼心を下敷にした、介抱とか介護とかいうところだっ たかと考える。以上はあくまで当時の家庭一般に行われていた、木との付合い常識である。(みがく付合い)

これはもう民俗学的名文、というか、古き良き時代を彷彿させる。

【戦争の悲劇】 版画 フランシスコ・デ・ゴヤ 谷口江里也★★★★ 2016/09/20 未知谷
「視覚表現史に革命を起した天才ゴヤの第二版画集」

フランシスコ・デ・ゴヤ 1476-1828 43歳で宮廷画家に。46歳聴覚を失う。「ロス・カプリチョス」「戦争の悲惨」「ラ・タウロマキア」「ロス・ディスパラテス」4つの版画集のほか油絵の代表作として「カルロス4世の家族」「着衣のマハ」「裸のマハ」など。

谷口江里也 1948年石川県加賀市生れ。横浜国立大学建築家卒、1976年にスペインに移住、帰国後、詩人、ヴィジョンアーキテクトとして活動。音羽信という名のシンガーソングライターでもある。

ナポレオンが不可侵条約を結んでいたスペインに侵略したのが1808年、その2年後に「戦争の悲惨」は製作された。

この版画集は、単に侵略者であるフランス軍を非難するのでも、それに抗して闘う民衆を讃えるのでもなく、人間が犯す最大の暴力であり、愚かさの極地でもある戦争そのものの非道や悲惨さを直視するものだった。
しかも、戦争が街や命ばかりではなく、敵味方を問わず、いかに人間性を破壊するかを描いた、あまりにも危険なこの作品は、結局、発表されることなくゴヤの手元に秘蔵された。この作品が日の目を見たのは、ゴヤが故郷のスペインを出て移住したフランスで客死した1828年から、35年もたった1863年に、王立アカデミーが、遺されていた80点の銅版を用いて版画集を出版したときであり、それまでは、その存在さえほとんど知られていなかった。
ゴヤはこの作品で、版画という、今日のマスメディアにつながる幻想共有媒体(メディア)を用いて、20世紀に写真家たちが模索し始めた、ドキュメンタリーという方法を先駆けた。
それはまさしく、画像と言葉、それを連続させることで、自分が見た現実そのものと、それを凝視する自分の立ち位置を他社に伝える。視覚に訴えるジャーナリズムの原点ともいうべき方法であって、ゴヤが時代を遥かにとび超えて、このような先進的な方法を展開し尽して見せたことは、視覚と知覚を研ぎ澄ました天才画家にして初めて為し得たことだったと、あらためて驚嘆せざるを得ない。
この作品でゴヤは、良い戦争などというものはないことを、敵も味方もなく、戦争においては誰もが悪人だということを、それは人が人を殺し、人間性を根底から破壊するものでしかない異常な現実であることを真っ正面から描いた。それは、人間にまつわるすべてを描き表そうとしたゴヤが、描き残さずにいられなかった、そしていつか、そんなことがこの世からなくなることを祈って描いた、黙示録にほかならない。(この本について)


「良い戦争などというものはない」まったくもってその通りである。ほぼ原寸大のこの版画集が現存していること事態が奇跡的なことなのかもしれない。

殺らなければ殺られるのは自分や家族や仲間たちなのだ。そうして戦争は人間性を根底から破壊する。本来は優しい心を持つはずの人間の特性を抹殺する。恐怖や猜疑が人を襲い、憎しみや義憤が心身を駆りたてる。誰だって戦争が始まるまでは、家族や友人たちと共に、普通の日々を送る、普通の人だったはずなのに。(3 理由があるのか、それとも)

戦争のなかでは、兵士は単なる兵力となって、名前を失い顔を失う。戦地を離れて故郷に戻れば、彼らにも家族がいて、娘や恋人だっているだろう。欲望の対象とされた人にも、当然のことながら、呼ばれるための名前があり、一人の人間としての個性や誇りがある。しかしここでは、それらのすべてが度外視される。戦争は、人が人である証さえ奪う。(10 嫌がってるんだ)

戦争の恐ろしさは、人が人を殺すことだけにあるのではない。戦争の愚かさは、相手が人であることを見失わせることだけにあるのではない。戦闘を実際に行なっている戦場の当事者だけではなく、それ以外の人々の、まっとうな判断力や、批判力を次第に奪っていくことだ。もともと明日を向いて生きていく存在である人間は、あるいは、何かにつけて自分を正当化しなければ生きづらい存在である人間は、戦時下にあって、あるいは戦争前夜にあって、聞きたくないこと、見たくないこと、恐ろしいことから自分を遠ざけ、権力が喜びそうなこと、勇ましいことや偏った大儀や美談に、ともすれば、無意識のうちにも自分を同調させていく。それが戦争を前に進める。(33 これ以上何を)

軍事裁判などの、戦時下における国家権力による裁判でも、すでに非常事態に突入してしまっている以上、正義も根拠も論理も、なにもかもが戦争を進める者たちの理屈にからめとられる。そしてそれに異議を唱えること自体が身を危うくする。だから誰もが、できればそこから遠ざかろうとする。見て見ぬふりをする。それが事態をさらに悪化させる。(34 ナイフにかけて)

フランス革命は世界史のなかでは、人権や平等といった美辞を掲げて行われたということに、建前としてはなっている。しかし、さまざまな勢力が雑多な思惑のもとに大同団結して、専制君主を倒しはしたものの、そのあとの混乱を抑えられるのは軍隊だけという状況のなかでは、そのような理念や概念は、掛声でしかなく、その意味や意義はもちろん、掛声の存在さえ、広くは知られていなかった。(36 この人だって)

この頃を境に、戦争の悲惨さと残酷さと其の規模は、桁違いに増大していく。
戦車ができ爆撃機ができ、爆弾が空から落される無差別殲滅作戦が横行し、やがて、たった一発の爆弾が何十万人もの生命を一瞬にして奪い、街を廃墟と化す核兵器さえつくられ、多くの市民が暮らす街に落されるまでに到った。(38 野蛮人!)

戦争におけるてがらとは何だろう。軍人がこれ見よがしに軍服につける勲章はいったい、何の誉れをあらわすものなのだろう。英雄とは何をした人なのだろう。
奪った命の数の多さだろうか、どれだけ多く殺したかということが、勲章の数や大きさに影響するのだろうか。それとも自らは手を下さず、敵をつくり、戦争をつくり、さあ殺せと命令した人に勲章が与えられるのだろうか。(39 てがら、死んだ人で!)

たとえ短くても、ゴヤが付けたタイトルの言葉がなければ、それが何を描いたものかは分かりづらい。しかしそこに、どんな場面を描いたものかを示す言葉が一言でもあれば、見る人は、その言葉が示す方向の中で想いを巡らすことができる。
どうやらゴヤが版画集でやろうとしているのは、技術的(テクニカル)には画と言葉という、人間の最も基本的な幻想共有媒体をミックスすることによって為し得る表現の可能性を意識的に追求することなのだろう。(53 薬がなくても生き返った)


キャプションの力というもの。その意味。

人種が違う、肌の色が違う、言葉が違う、身分が違う、宗教が違う、そして『素性が違う』。人間はなぜか、なんだかんだと理由をつけて同じ人間である他者を差別する。あるいは差別される。他者を卑しめることで自らが特別な存在であると勘違いする。他者を虐げることで強者を装う。そんな愚かさから、人は逃れられないものなのだろうか。あるいは社会は、そうやって階級や身分や血筋などの、違いをつくらなければ機能しないものなのだろうか?(61 そう、素性が違う)

差別とはつまり、人間の弱さの発露なのだろうか。

すでに白骨化している、何かを書き遺そうとして息絶えた人。手帳には、Nada(無)の文字。スペイン語の無には、哲学的な意味を含む日本語の無のようなニュアンスはなく、全く何もない、ただの無にすぎない。
誰が勝とうが負けようが、戦争がもたらすものは無。そう言いたいのは、もちろんゴヤ自身だろう。(69 無。そう言いたいのだろう)


神戸市NADA区在住のMorris.なのだが、NADAに「無」という意味があるとは(@_@)

ゴヤが生きた世紀の中頃から19世紀の初めは、まさに人類史的な激変の時代だった。なにしろこの時代に産業革命が起こり、フランス革命が起きた。そうして、社会や人間の働きのありようや営みを急激に変えた近代という時代が幕を開けた。
産業化のエンジンは、その後、ときおり軍事産業というカンフル剤を打ちながら、幾多の戦争を繰り返して、ついには原子力という、人類にとって自己破壊的なパワーを持つに至って危険極まりない自縛状態に陥り、また成長を前提として生産と消費と経済規模を拡大させ続けたことで、自然という人間の基本的な生活基盤を食い潰し、さらには金融資本を実態を離れて暴走させたことで、超現実的なまでの非人間社会的な貧富の格差を生じさせて、いたるところでクラッシュを起こしている。


産業革命、フランス革命、近代化、世界戦争、原子力--文化の加速化が人類の存在を危うくしている?

一方、国民国家という政治的な概念や仕組もまた、議会制民主主義が基本的に、国民が総体で国家を支え運営するという建前を持つため、逆に、国家の失敗の結果を国民が負わなくてはならず、また議会が、社会的強者や利権団体の調整機関に陥りやすく、選挙そのものも、政府のプロパガンダや意図的なメディア操作や制限、あるいは人気などの一時的なブームに左右されやすく、合法的に独裁的な政府を生み出すというリスクを常に抱えている。
また近代国家は、同じような言語や文化的風土や領土を共有する民族を統合した、一つの故郷包括躰としての国家の個々の繁栄を前提としているために、そこでは自ずと、産業力や軍事力を競い合う国家間の争いが激化せざるを得ないという構造的な矛盾、あるいは限界をはらんでいて、交通や通信や資本や企業が、国境を軽々と越えるなかで、どちらのエンジンもすでに推進力を失い、近代はようやくその幕を下ろし、時代はいまゆるやかに、新たな時代へと移り変わろうとしている。


何度も書くぞ。ナショナリズムは戦争の素!!

ゴヤが切り拓いた方法や視点、そして表現に対する真摯な姿勢は、時代が移り変わろうとしている今、さらなる力と意味を持ち始めている。(あとがき)

ゴヤといえば「マハ」(着衣と裸)が最初に頭に浮かぶ。宮廷画家として出発して、後期は社会風刺作品を描いたくらいは知っていたし、この「戦争の悲劇」の一部は見た覚えもあったのだが、こうやって全作品を通して見ると、圧倒されるものがあるし、それぞれへのコメントと付けた谷口氏の熱意にも共感を覚えた。



【獣眼】大沢在昌 ★★★ 2012/10/31 徳間書店 初出週刊「アサヒ芸能」2011-12
新宿鮫ももう長いこと読んでないな。これは、「神眼」を持つ男とそれを受け継ぐとされる娘と、ボディガードの男のエンターテインメントである。ちょっと疲れてたので息抜きに読むむことにした。まあ、「アサヒ芸能」連載ということで、お気楽に読めると思った。
「神眼」を持つ男の双子のかたわれの科白が、ちょっとおもしろかった。

「21世紀に入ってから、世界各地で起きた戦争には共通の理由がある。まず第一はエネルギー資源、簡単にいえば石油をめぐる争いだ。第二は、価値観の対立。グローバリゼーションと呼ばれる、価値観の均一化をおし進めようとしている西欧文化に対する反発が、争いの根底にはある。たとえばの話、アメリカ人は、どこの国であっても、自分たちが暮らす土地をアメリカに似せたがる。アメリカ型の住宅を建て、アメリカ人が好む食べ物を持ちこみ、音楽、映画、アメリカの文化風俗を広める、好悪はともかく人種のるつぼでもあるアメリカの文化風俗は、どんな国であろうと、若者にうけいられやすい特質をもっている。ハンバーガーやコーラは、それを生まれて初めて食べる若者の舌にも、なぜかおいしいと感じる味なのだ。そして若者はひとたび新しい文化に染まると、それまで培われてきた古い文化を簡単に否定する傾向におちいりがちだ。伝統的な生き方にこだわり、未来に歴史をつないでいく義務があると信じる大人たちにとって、それは最も腹立たしい変化といえる。
文化風俗による侵略は、いずれ人間の価値観を変え、何千年とつづいた国家の形を変えかねない。だが文化風俗の侵略を撃退するのは容易ではない。そこで対抗するための原理主義がうまれ、やがて武器をとるのもやむなしという思想にかわっていく。
武器を向けられた西欧文化は、驚き、そして反発する。よもや戦いで後れをとることはありえないと信じ、じっさいその通りなのだが、個を犠牲にしての攻撃は、まさに西欧文化に対する挑戦に他ならない。
考えてみたまえ。無人の攻撃機や、誘導でピンポイントを破壊するミサイルは、すべからく個人の犠牲を生じないための手段だ。多国籍軍の撤退後、その国の治安を維持するために雇われるのは、PMCと呼ばれる民間の軍隊で、そこではたとえ死者がでようとも、莫大なサラリーとのひきかえに自らが選んだ結果であって、決して国家が個人に奉仕を強制した結果ではない。ことほどさように西欧文明においては、個人が全体の犠牲をなるのを避ける傾向にある。
一方、対する側はどうか。女性や子供であっても、戦いに身をゆだねるのをためらわない。自らの体に爆弾を巻きつけ、敵もろとも自爆する。まさに、個を犠牲にする戦い方だ。そこには、宗教とつながる、彼らの価値観がある。殉じることで、あの世での幸福を約束されると信じているのだ」
「宗教の対立というわけか」
キリの言葉に、男は首をふった。
「西欧文化の侵略を『十字軍』と呼んだ者もいたが、私にいわせれば、これは宗教戦争などではない。なぜなら、どちらの宗教にもあの世の思想はあるが、西欧文化の側がそれを強く信じているなら、個の犠牲をこれほど恐れる必要はない。神を信じ、あの世での幸福を疑わないのなら、なぜひとりでも戦場に送りこむ人間を減らそうとするのか。彼らはすでにわかっている。神はいない。そしてあの世も決して存在しない、と。あるのは現世だけで、死んだ人間に何もあたえられることはないのだ。そしてその考えが広まることこそを、古い民、伝統的な生き方にこだわる人々は恐れている」
「確かに傾聴に値する説だが、それと神眼とのあいだにどんな関係があるんだ」
「まだわからないかね。西欧文化の侵略は、双方の多大な犠牲を生みつつも、全世界的に見るなら、勝利をおさめようとしている。もちろん、それも長い歴史の上では、一瞬の傾向にしか過ぎない可能性はある。百年、いや五十年後にはどう変わっているか、誰にもわからない、一度は優勢をおさめた、西欧的な価値観が大きく交代しているかもしれない」
「俺にはどうなろうと興味がない」
「現実的な反応だ。まさに西欧的ともいえる」


アメリカの侵略パタンや、中東内紛など、いかにも解りやすく解説してあって、こういう文明批評的なところも彼の人気の一因なのかもしれない。
借りもの的な感じもするけど、それはそれ。
「すべからく」の使い方がおかしいけど、これも科白の中だから、科白発した男の間違いということになるのだろう(^_^;)



【ジャーナリスト 後藤健二】栗本一紀 ★★★☆☆ 2016/12/25 法政大学出版局
「命のメッセージ」と副題にある。
イスラム国に捕らわれた二人を見殺しにしてから二年が経ってしまった。
栗本一紀は、1961年大阪生れでパリ在住の映像作家。後藤健二氏とは親交深かったらしい。友人への哀悼だけに終わることなく、ジャーナリストとの存在意義を誠実に綴っている。熱度と密度の高い一冊だった。

1998年のコソボ紛争、空爆のさなかのコソボで、紛争の犠牲になった無力な人たちを目の当たりにして、後藤さんは言葉をなくしました。殺戮や破壊による憎しみや悲しみ。飢えや死。これらを生み出す人間自身のもつ「おろかさ」といったものに自分はどう向き合えばよいのか。[ジャーナリスト]としてなにを撮って、なにを伝えるべきなのか。後藤さんは思い悩みます。
そして、自分はその「おろかさ」の原因を非難したり、批判したりすべきではないと思い至ります。自分はただ、その事実を黙々と伝え続けさせすればよい、と思い始めるのです。後藤さんはこのとき、[ジャーナリスト]という自分の職業のほんとうの意味を悟ったのです。(第二章)


後藤氏の脆さや弱さも紹介しながら、彼なりの取材姿勢の確立への共感が滲んでいる。

「取材に責任を持つ」というのは、自分が取材して得た情報をどういう方法で、だれに向かって発信するかをよく考えなければいけないということです。そのときにいちばん重要なことは、自分がどの[立ち位置]にいるか、ということです。後藤さんの場合がそうであったように、良心的なジャーナリストは一般的に弱者である市民の側に立って、彼らの心情に寄り添った報道に努めるものです。もちろん市民に寄り添う姿勢と、「戦争は悪だ」という問題意識を常日ごろからもつことは重要ですが、同時に、事実は事実として、客観的に伝える責任もあります。そのために必要になってくるのが二番目の「批判的精神」です。
「批判的精神」とは、物事をまず疑ってかかることです。ひとの言うことやひとが書いたものをそのまま「鵜呑み」にするのではなく、実際はどうなっているのかとつねに自問自答してみることです。
たとえば21世紀に入ってからのテレビ報道の制作現場では、さきほど書いた通り、戦時下に暮している一般市民とソーシャルメディアを通じて連絡を取り、市民ジャーナリストとし現地からレポートしてもらうケースが増えてきています。これは紛争地に危険が多すぎて外国人ジャーナリストが入りづらい場合はとくに有効な手段です。ところが現代では市民ジャーナリストだけでなく戦争の加害者や当事者などあらゆる勢力が、動画投稿サイトなどの映像メディアを駆使し世界に情報発信しています。ですからその情報がどのような「視点」=[立ち位置]から発信されているかを知ることはとても大切なのです。


インターネットの普及が、弱者にとって大きな力になったことを否定はしないが、それを強者、権力者が利用しないわけはないということも、しっかり自覚しておかねばならない。もともとインターネットはアメリカの軍事戦略の中で生れたものだ。

「無関心」でいることは世界の平和にとって一番危険なことです。戦争を例にとった場合、国家の「暴力行為」はかならず隠蔽されます。拷問や処刑、虐殺や弾圧--それら被害者・当事者たちの代理人としてジャーナリストは記録し、告発しなければなりません。それら戦争の犠牲者と、国際社会との中間に立つのがジャーナリストの役目です。
一般的に「戦争報道の専門家」と呼ばれるようなジャーナリストが、今後担っていくべき役割とはなんでしょうか。それを解りやすく言うなら、悲惨な戦争や戦争をできうる限り回避するために、争いの「原因と結果」をペンとカメラとマイクで記録し、世の中に発表していくことにあると私は考えます。
それと同時に、国家や大資本・権力側にいる人間がおかす犯罪を監視する役目も背負わされています。戦争に加担している晴雨や国家の利益に反する報道をしなければいけない場合の逆風は、当然たいへんなものです。日本ではメディアが「主張する」とか「闘う」「自己検証する」といった姿勢があまりなく、それがマスメディアにおいて、ジャーナリズムの可能性を見出せなくする最大の理由です。その原因には、日本独特の記者クラブ制度や、本来公共であるはずの電波がほんの数社の寡占企業によって独占されていて、業界への新規参入が難しいといた裏事情もあります。それでも、この世界から紛争や戦争がなくなるまで、私たちの"やりかけの仕事"は続いていくでしょう。
金銭の保証もなく、そして身に危険が降りかかる可能性もあるフリージャーナリストという仕事ですが、それではなぜ私たちはそれほどまでして危ない職場にむかうのでしょう? ひとそれぞれに理由はさまざまで一概には言えませんが、ひとつには、それは私たちの多くが紛争地や戦時下に生きるひとびとのありのままの姿をあなたに伝えたいと願っているからです。
「ソーシャル・インパクト・ジャーナリズム」は、これからの新しい時代にふさわしいジャーナリズムの進むべき方向を示唆しています。伝統的なジャーナリズムとはちがって積極的に人助けする、新しいタイプのジャーナリストです。戦争の悲惨さを伝えると同時に、戦火で傷ついたひとたちの実際の力にもなっていける、それはNGO的なジャーナリズムと言えるでしょう。後藤さんだけではなく、そんな彼の魂を受け継いだ社会的貢献型ジャーナリストが、今後大勢出てくることが待ち望まれます。(第五章)


日本のマスメディアの脆弱さは以前から指摘されてきたのだが、ここ数年の状況はほぼ末期症状ではないかと思われる。

シリアで後藤さんが行方不明になって約一ヶ月経ってから(12月2日)、後藤さんの家族に対し、ISから身代金要求のメールが来ました。家族はそれを外務省に通知し、秘密裏にずっと交渉していました。その情報を外務省も政府も把握していながら、安倍首相は中東訪問中の1月にエジプトのカイロで、"ISIL(イスラーム国)と対峙する周辺国に二億ドル支援する"と発表したわけです。「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に総額で二億ドル程度、支援をお約束します」(安倍総理大臣の中東政策スピーチ、2015年1月17日)
これに呼応するかのように、ISはそのすぐあとに、後藤さんと湯川さんふたりの身代金二億ドルを要求する映像をYou Tubeに投稿しました。
安倍首相によるカイロでの演説が、ISをして、法外な身代金を要求させた直接の要因であったことは疑いようがありません。この安倍外交の拙劣さこそ、ISをして、日本を敵国と見なさせてしまった原因でした。その意味では、後藤さんは、政府によって殺されたように見えます。


安倍晋三のあの発言はひどかったが、こういった指導者をのうのうとのさばらせているこの国の民草(Morris.を含む)は……(>_<)

一方、ひとりのジャーナリストの死よりももっと多くの死がそこにはあるということを、私たちは覚えておかなければなりません。数えきれないほどの一般市民の死を伝えるのがジャーナリストの仕事です。
そういう意味では、後藤さんの事件のあと、ISの残虐性や脅威ばかりがメディアで取りざたされてしまったことは、とても残念なことです。彼自身が一番伝えたがっていた、ISの支配下に暮らしている地元住民の理不尽な生き様や、アサド大統領の圧政で不条理な人生を強いられている女性や子どものことは、みんなの関心ごとから置き去りにされてしまったのです。(第六章)


理不尽、不条理、没義道、非道、人は人の痛みにはいくらでも我慢できるものらしい。

後藤さんの死から二年が経とうとする今、もう一度、後藤健二さんの死を生としてとらえ、彼が何を伝えてきたのか、何を伝えたかったのかをテーマに、後藤さんの記憶や言葉をたよりに彼の人生を再構築してみました。道半ばにして逝ってしまった友人への哀悼と鎮魂をこめて、一字一句文章を綴ったつもりです。(あとがき)

後藤健二年譜
1967年 9月22日、仙台市に三人兄弟の末っ子として誕生
1983年 法大学第二高校入学 アメフト部
1991年 法政大学社会学部卒業 日立物流に就職(三ヶ月で辞職)
1994年 東放制作に就職、翌年退社
1996年 インデペンデント・プレス設立
2000年 シエラレオネ内戦の少年兵を扱った番組でTV長編デビュー
2003年 DVD+Book ようこそボクらの学校へ」刊行
2005年 「ダイヤモンドより平和がほしい」
2008年 「ルワンダの祈り」
2009年 「もしも学校に行けたら」
2011年 ユニセフ支援の記録のため東日本大震災の被災地へ
2012年 シリア取材開始
2014年 6月 湯川氏を同行してイラク北部アルビルに渡航
    8月湯川氏がISに拘束
    10月24日 シリア入国
    11月1日 家族から外務省に行方不明になったとの通報
    12月2日 犯人グループから家族にメール
2015年 1月17日 安倍首相カイロで演説
    1月20日 身代金二億ドル要求の動画がYou Tubeに公開
    1月24日 湯川氏殺害の映像がYou Tubeに公開
    2月1日 後藤氏殺害の映像がYou Tubeに公開。

【デタラメが世界を動かしている】小浜逸郎 ★★★ 2016/05/06 PHP研究所
小浜逸郎 1947年横浜生れ。横浜国立大学工学部卒業。「新しい教科書を作る会」を支持。産経新聞への寄稿多いらしい。そういう人の意見もいちおうチェックしておこうという気分で流し読み。幾つか、共感する意見もあった。

ユネスコ記憶遺産なる事業が、公平性の見かけをまとったインチキなものでしかないということです。問題は、そんなインチキ事業が、ただ国際連合の一機関という、一見、国家を超越した権威の装いを保つだけで、各国が抱懐するそれぞれの歴史よりも、何やらより普遍的で上位の歴史認識を保証するかのような幻想をあたえてしまうという事実なのです。

世界遺産もかなり胡散臭いが、記憶というのは基本的には個人的なものなに、記憶遺産なんてのを、国際的に指定されてもなあ、と思ってたので、これには賛意を表したい。

評論家のケント・ギルバート氏は、『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』の中で、GHQが当時の日本人を洗脳するために、新聞の厳しい検閲その他の情報操作戦略=WGIP(War Guiltnformation Program)という戦略をとり、その中に中国への批判と朝鮮人への批判を禁止するという項目があります。この禁止項目に最も長く呪縛され続けている国家機関が、まさに「外(害)務省」なのです。(第一章 歴史認識というデタラメ)

GHQの日本統治のいろいろは様々なところで知ることができたが、ニュースソースがケント・ギルバートというあたりにこの著者のセンスというかレベルが思いやられる。

官僚組織というのは、一度決めた路線をけっして変えようとせず、自分たちの誤りを認めようともしません。秀才としてのプライドがそれを許さないのと、既定コースから外れた議論をもち込もうとすると、出世の妨げになるからです。(第二章 アベノミクスというデタラメ)

官僚批判もあまりにもステレオタイプぢゃ。

経済思想家・佐伯啓思氏の『経済学の犯罪』の示唆によるものですが、グローバリゼーションとは、産業や技術の発達によって不可避的に引き起こされる「現象」です。これに対してグローバリズムとは、その現象を良いこととして評価し、これを自分たちの利益のために積極的に利用する「イデオロギー(主義)」のことです。
グローバリスト、具体的には国境を超えて巨大資本を動かす力をもった人々がこれに当たりますが、この人たちは、基本的に自国の国益などどうでもよいと思っているので、自国民のためになるような行動をとりません。また、他国の主権を侵しても恬として恥じないので、それぞれの国の伝統文化やよき慣習を平気で破壊します。


ほとんどウィキペディアで教えていただける内容である。

アメリカが主唱してきた「自由は普遍的価値だ」というバカバカしくも抽象的な理念を信奉することから早く目覚めましょう。事、経済に関しては、こんな理念は成り立ちません。「自由貿易」とは、強い国が自分よりも弱い国を経済的に支配するための巧妙な宣伝文句なのです。

これはまあ、そのとおりであるな。

2015年9月に成立した労働者派遣法「改正」=「改悪」の主役は、規制改革を進める派遣会社社長・竹中平蔵氏らの一派、および、この路線をよいことと信じている安倍政権です。日本の労働行政はアメリカの悪いところを見習って、ますます亡国への道を歩んでいます。
安倍政権は、こういう実態に見て見ぬふりを決め込み、「新・アベノミクス」などと称して一億総活躍社会だの、介護離職ゼロだの、GDP600兆円だのと、虚しい目標を掲げ、その目標に対してどういう具体的手段を論ずるのかについては何も語らないのです。これで支持率50%とは、正直なところ、私は日本の民度を疑います。


「悪徳の栄え」というタイトルが頭に浮かんだ。

グローバリズムと行きすぎた金融資本主義は、たとえ直接にテロや暴動や革命に結びつかなくても、中間層を貧困層へと追い落とし、古くからの共同体的な紐帯を壊して人々を無力でバラバラな個人へと解体するでしょう。(第三章 グローバリズムというデタラメ)

これは池上彰的。

一般に中国の民衆は、自分と自分の親族しか信頼しておらず、愛国心などはもっていません。そんなものをもつにはあまりに文化風土が複雑すぎるのです。中国は昔から、時の政権がハッタリをかましては失敗し、王朝交代(革命)を繰り返してきました。しかもその王朝は、異民族の制服や混淆によって成り立っています。そう、中国とは、日本人が考えるようなまとまりのある「国家」ではなく、もともと一つの(恐ろしい)グローバル世界なのです。(第四章 国際平和というデタラメ)

これは高島俊男の受け売りだろう。

高度情報社会の到来とともに、誰もが大して考えもせずにいっぱしの意見を発信するようになりました。情報の適切な取捨選択自体がかなり高度な知性を要求されるはずなのに、そういう努力を省き、マスコミなどに吹き込まれた考えをあたかも自主的な判断であるかのように錯覚して、まず何か口に出してしまう。それは、「デモクラシー」がはびこりすぎて、よく鍛えられた思考というものに対する畏敬の念を忘れてしまったからではないでしょうか。(第五章 デモクラシー(民衆支配)というデタラメ)

自己反省かな? (^_^;)

偏見多いながら、第五章くらいまでは「正論」も垣間見えたのだが、「第六章 反原発というデタラメ」以降は噴飯物だった。


【Korean Drama phrases 韓国語ドラマフレーズ】古田富建 ★★★☆☆ 2006/05/30 国際語学社
今となっては懐かしくさえ思える、第一次韓流ブーム直後に出されたもので、単にブームに乗った初心者向けのフレーズ集。かと思った。たしかに千ちょっとのフレーズを大まかな場面にわけて並べてある。とりたてて面白いフレーズが並んでるわけでもない。
発音はカタカナ表記。いくらなんでも今さらカタカナで発音はないよな。と思った。
ところがこれが実に興味深い表記だった。
たとえば、Morris.にとって鬼門のパッチム「ㅇ」を「ンg」、「ㅁ」をちいさな「ム」、「ㄹ」をちいさな「ル」、「ㅂ」を小さな「プ」 と表記、激音のあとには「h」つけたり、濃音は太字にしたり、「오」「우」「요」「유」はカタカナの上に圏点つけたりと、色々工夫がこらされている。
これによって、今更ながらMorris.も発音矯正をもう一度やる気にさせられた。
フレーズに関しては、「今日の韓国語単語」にいくらか利用させてもらうつもり。



【文章読本X】小谷野敦 ★★ 2016/11/25 中央公論社

もとより、「文章読本」と題さなくとも、文章指南術の本は数多く書かれており、それを揶揄した斎藤美奈子(1956-)の『文章読本さん江』が2002年に筑摩書房から出ると話題になり、小林秀雄賞を受賞した。斎藤は、フェミニズム文藝評論家として、文章読本を書いて人を教化しようとする教師根性をからかい、文章なんて服だから、好きなように着ればいいのだとした。もっとも、服であれば裸体があるはずだが、文章の裸体というのはどこにあるのか。当時、斎藤にはある影響力があったので、これに怯えたのか、以後あまり文章術の本が書かれなくなったようにも思うが、林真理子はこれに対抗してか、それからほどなく、2003年に『婦人公論』の附録に「文章読本」を書いた(のち『林真理子の名作読本』文春文庫に収録)。(はじめに)

斎藤美奈子さんの「文章読本さん江」でもう今さら新しい文章読本は出ないだろうとおもってたのに、こうやって変てこなタイトルの本が出てるとは、しかも、著者が「もてない男」を出した人ということで、興味半分で読んだのだが、全くつまらんかった。第一上の引用読んだだけでも、かなりひどい文章である。「当時、斎藤にはある影響力があったので、これに怯えたのか、以後あまり文章術の本が書かれなくなったようにも思うが」などといういやみったらしさ(>_<)

芳賀徹先生が、「周知のことなどというものはない」と言ったと伝え聞いて、はっと目からウロコが落ちる思いがした。
人はかっこうをつけたがって、別に周知のことでもないものを、「周知のこと」と書きたがるもんである。--「今さら言うまでもない」といった類である。言うまでもないなら書かなければいいのに、書いてしまうのが病である。
「知れ切ったことだ」というのは小林秀雄のよく使っていた言葉だがこれも嫌味で、知れ切っているなら書かなければよいのである。(一、文章がうまくなりたくて)


役に立ちそうなのは、この「周知の通り」「知っての通り」は使わないほうがいいというところくらいだったかな。

斎藤美奈子は、『文章読本さん江』の結論部分で、文章はスタイルと言うから、服みたいなものだと書いている。これは、スタイルの語源がラテン語のスティロ(鉄筆)だから間違いだと私が指摘し、斎藤はこれを認めて感謝したことがある。なかなかできないことで立派である。それはさておいて、服だもの、好きなように着ればいい、つまり自分が好きな文体で書けばいいのだ、というのが斎藤の結論なのだが、これは二重に間違っている。(三、文体という考え方)

かなり斎藤美奈子さんにこだわりがあるらしく、スタイルの語源が鉄筆だとか、それを指摘して彼女に感謝されたとか、自慢たらしく書いてるし、二重に間違ってるなどとしつこく言い立ててるが、説得力に欠けてる。
時間のムダだった。

2016040
【鴉の死】金石範 ★★★☆   初出「文芸首都」1957年2月
金時鐘との対談や在日文学関連本で、言及されるこの作品。神戸の図書館では見つからずそのままにしてたが、2012年刊行の「コレクション 戦争と文学 1 朝鮮戦争」(集英社)に収録されてることがわかって、やっと読了。
韓国国内でも20世紀の間はほとんど実相が知られていなかった済州島四・三事件を、事件後10年目にこうやって作品化していたというのは驚くべきことだろう。結局Morris.は、発表から60年経ってから読んだことになる(^_^;)
1976年から書き始められ、1997年に完結し一万枚以上の長編「火山島」を読むべきなのだろうが、あの厚さにびびっている。その原点となったのが「鴉の死」である。

日本が破れて、米軍が本土の仁川上陸よりも約一週間おくれ九月のなかばごろこの島に上陸したとき、それは一時的なものであったにせよたしかに解放軍のような感激を青年たちに与えた。島の人びとはけげんな目つきで日本軍の占領に代るこのふしぎな異国の兵隊を見上げたものである。戦争が終わり、解放された民族としての歓びと希望を祖国の土に託して日本から帰った基俊は、それは当時の中学卒業程度のそしてYMCA英語学校の上級班でつけた程度の英語の力であったが、島民の通訳が必要であったので、それになった。その時分は基俊にとって幸福な頃だったともいえる。
しかし時勢は推移し、やがて基俊は通訳になったことを後悔するときがきた。米軍の政策と朝鮮人民との利害がいっちするものでないことがまもなくはっきりと、それはまた島民と済州米軍政庁の対立の形ではっきりと目のまえに現われたのである。米軍はつねに背後にかくれ、その代弁者たちを、たとえば警察権力とか右翼政党の突撃隊である。《西北青年会》や《大同青年団》また、《漢拏団》などという地元のテロ団体を全面におしだした。こうして青年たちのほとんどがそうであったように張龍石は組織に属し妹の亮順もそれにしたがった。丁基俊もいまは通訳をやめ、それにつづこうとしたのだが……。


そして事態は四・三事件という悲劇に続くわけだ。
【戦争と平和 : 「報道写真」が伝えたかった日本】白山真理, 小原真史★★★ 2015/07/24 平凡社
2015年7月にIZU PHOTO MUSEUMで開催された「戦争と平和 伝えたかった日本」の関連書籍。

[報道写真]とは、名取洋之助が示したドイツ語のルポルタージュ・フォト(Reportage-Foto)を伊奈信男が訳した言葉で、グラフ誌などで物事を伝える組写真を指す。
1930年代から50年代にかえ、[報道写真]は尖端的なメディアとして社会に大きな影響力を持っていた。戦争から冷戦へ激動する時代に、[報道写真]の担い手たちは他国へどのような日本の姿を伝えようとしたのだろうか。多数の写真と刊行物から、これらを望んだ社会と政策の背景に迫る。(袖書き)

戦時中の日本の対外宣伝雑誌「JAPAN」や「FRONT」の非凡なモダンさに興味惹かれていたので、その写真が掲載されてるのに釣られて読む(見る?)ことにした。興味深い写真も多く掲載されていたが、写真の説明を文章でするのも面倒なので、巻末にある、本書登場の写真家、デザイナ一覧と、関連年表を引用しておく。

木村伊兵衛(1901-74)「光画」「FRONT」日本工房、国際報道写真協会、東方社
伊奈信男(1898-1978)「ソヴェートの友」「光画」中央工房、大日本映画協会
岡田桑三(1903-78)俳優、国際光画協会、ソヴェート友の会、日本工房、東方社設立
原弘(1903-86)東京工房設立、東方社、「TRAVEL IN JAPAN」「週刊サンニュース」「太陽」日本デザイン学会、
名取洋之助(1910-62)日本工房設立、「NIPPON」「LIFE」誌契約写真家、「岩波写真文庫」
渡辺義雄(1907-2000)オリエンタル写真工業入社、日本報道写真協会、「ザ・ファミリー・オブ・マン」展
土門拳(1909-90)日本工房、リアリズム写真
山名文夫(1897-1980)プラトン社、山名文夫アド・スタジオ、資生堂広告、日本宣伝美術協会、東京アートディレクターズクラブ
河野鷹思(1906-99)松竹キネマ宣伝部、日本写真工芸社対米宣伝グラフ雑誌「VAN」日独伊親善誌「NDI」
林謙一(1906-80)東京日日新聞社、「写真週報」情報局情報官、内閣監房総務事務嘱託
金丸重嶺(1900-77)東京通関㈱、全日本写真連盟、日本広告写真協会
亀倉雄策(1915-97)共同広告、日本工房、日本デザインセンター、日本グラフィックデザイナー協会
小柳津次一(1907-94)東京学芸通信、日刊自動車新聞、中支派遣報道部写真班、INP通信社カメラマン
山端庸介(1917-66)GTサン商会、西部軍司令部報道班員、長崎の原爆投下直後に被災状況撮影
菊池俊吉(1916-90写真工房、東京光芸社、「FRONT」被爆後の広島撮影、「LIVING HIROSHIMA」
林重男(1918-39)横浜シネマ、東方社、広島・長崎撮影、反核・写真運動、
山端祥玉(1887-1963)シンガポールにサン商会と写真館、山端庸介の父、サン・ニュース・フォトズ、天皇撮影写真「LIFE」に掲載、公職追放

1930(昭和5)鉄道省内に国際観光局が設置される
1931満州事変 「光画」創刊
1932五・一五事件
1933国際連盟脱退 日本工房設立
1934(財)国際文化振興会(KBS)設立 中央工房、国際報道写真協会創立、「NIPPON」創刊
1935内閣調査局設置 「TRAVEL IN JAPAn」創刊
1936二・二六事件 「LIFE」(米国)創刊
1937日中戦争始まる、内閣情報部発足 [日本刊行壁画]がパリ万博で展示、「日本を知らせる写真展」
1938国家総動員公布、(財)写真協会設立 「写真週報」創刊、折本「日本」刊行、ベルリン国際手工業博覧会開催、プレス・ユニオン(中支邦軍報道部写真班)発足
1939第二次世界大戦始まる 写真壁画[躍進日本]がニューヨーク万博で展示
1940皇紀2600年記念式典、大政翼賛会結成、KBSの管轄が外務省から情報局へ 日本報道写真協会発足
1941太平洋戦争始まる 東方社創立、「現代日本」創刊、
1942 [FRONT]創刊
1943 写真壁画[撃ちてし止まむ]展示
1944日本本土空襲激化 大日本写真報国会発表
1945終戦 「FRONT」戦時東京号
1946 「東京・1945年秋」刊行
1947日本国憲法施行 「天皇」刊行、「週刊サンニュース」創刊
1949北大西洋条約機構結成 「LIVING HIROSAHIMA」刊行
1950朝鮮戦争勃発  「岩波写真文庫」シリーズ開始
1952サンフランシスコ講和条約発効 「記録写真 原爆の記録」刊行
1955 ニューヨーク近代美術館「ザ・ファミリー・オブ・マン」展
1956~57 「ザ・ファミリー・オブ・マン」日本巡回展



【れるられる】最相葉月 ★★★☆ 2015/01/15 岩波書店
「シリーズここで生きる」の一冊。

そそっかし屋のMorris.は、タイトルだけ見て、「らぬき言葉」のことだと思い、あの最相葉月が、言葉の乱れ(ゆれ)に関する本を書いてるのか?と興味を覚えた。実は「人生の受動と能動が転換する、その境目を、六つの動詞でつづった連作短編集的エッセイ。」(袖書き)だった。

これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものと認識している言葉と言葉の境目について考えました。
一つ一つは断片的で一見無関係なエピソードのようですが、私の中では地続きになってています。「れるられる」の風景と呼びたいと思います。(はじめに)

原発事故に関して忘れてはならないのは、組織の人間は組織が守るという基本的な姿勢を上に立つ者が示せなかったことだ。東京電力の社長は雲隠れすることなく、災害直後の混乱の中、作業員たちが全力で事故の対応にあたっていることをいち早く公の場で発表すべきだったのではないか。国民への謝罪はそれからでも遅くはない。上司や組織への不信感は組織力を低下させる。彼らの労をねぎらう一言があるとないとでは、社員や作業員の士気は大きく異なる。これは過去の惨事ストレス研究から明らかである。


福島原発事故への告発で、こういった東電の上司と現場作業員との乖離を重視する視点はあまりなかったようだ。世間や報道から逃げ隠れしたばかりでなく自社の社員をも見捨てたという意味で、東電幹部の責任は大きい。

そもそもケアという行為自体、ケアする者とケアされる者という不平等な人間関係を形成せざるをえない。前述の東日本大震災真理支援報告研修会で、福島県飯舘村から相馬市に避難して心理相談室を立ち上げた臨床心理士の下田章子さんの話を聞いた時、自分が長らく感じていた心のケアという言葉への違和感の正体がわかったような気がした。
「テレビやラジオが心のケアについて報じているのを聞いて、心のケアを受ける私は弱い存在なのだと切ない思いがしたのです。心のケアというのは支援者の言葉ではないでしょうか」
災害に関連して心のケアという言葉が初めてつかわれたのは阪神大震災の時で、以後、災害や事件・事故が起こるたびにメディアに採り上げられるようになった。

ケアするという言葉に「上から目線」を感じるということか。

東日本大震災で行われている心のケア活動の中で、過去に例を見ない困難を抱えているのが福島県である。2014年9月の時点で、長引く避難生活などで体調が悪化して亡くなる震災関連死は十の都道府県で三千人超、そのうち福島県が1758人と全体の半数以上を占め、津波や地震など直接的な影響で亡くなった人の数を上回った。
福島県臨床心理士会の成井香苗さんは「福島はポスト災害ではなく、イン・トラウマ」の状態にあると語った。不自由な避難生活、家族の別居、病院機能の停止などで心身に大きなストレスがかかり、今なお危機の最中にあるという意味だ。
「山はあるのに、自分が知る山とは違う。津波による喪失だけでなく、物質的には存在するのに心理的には存在しないという<あいまいな喪失>が放射線被害の特異性でしょう。喪失があいまいであるために問題解決に向かわないのです」
このところ福島で自己決定という言葉をたびたび耳にするようになった。支援者は被災者の自己決定を尊重しようとか、震災も4年目に入ってそろそろ自己決定する時期だといった報道を目にすることもある。人々が自ら新聞やテレビ、インターネットから情報を収集し、行政や政府機関、市民団体が主催する講演会を開き、放射線の健康リスクとそこから生じるストレスのリスクバランスを考えて行動する。国や行政のいいなりにはならないという意味で、自己決定という言葉が使われているようである。
これはまやかしではないかと、私は思う。
自己決定を尊重せよ、ではなく、正しくは、自己決定を保障する環境を一刻も早く取り戻せ、である。
震災についていえば、みんなが手を取り合って支え合おうと連帯感が高まる「災害ユートピア」の時期はとっくに過ぎ去り、被災した人々の受け入れ先でのトラブルなども増えている。


福島は今でも、災害のど真ん中にあるということ。首相が世界に向けて福島は「The situation is under control」とオリンピック招致の場で大嘘をついたところで、現実は容赦しない。国の対応はたしかにまやかしとしか言いようがない。自己決定とか風評被害とか、都合の良い理屈で物事を進めていく。

人を「してもらう/してあげる」関係に区分けするとはなんと切ないことか。しかし災害多発国であるこの国の頼もしさは、その切なさを知る人がたくさんいるということなのかもしれない。強い国とは、軍事力でも経済力でもなくそういう国をいうのではないか。(第二章 支える・支えられる)

災害多発国、日本。たしかに避けられない天災というものはあるが、人災も多い(多すぎる)のではなかろうか。

彼女の病気はバイポーラー、日本語でいう双極性生涯Ⅰ型(昔の躁鬱病)で、激しい躁状態とうつ状態を繰り返す精神病だった。
詳細は『セラピスト』に譲るが、結果的に私はこの本の執筆中、これまでの自分を振り返るうちに自分の病を知り、病名を公表することになる。双極性障害Ⅱ型といって、Ⅰ型ほど過剰ではない軽躁とうつを繰り返す精神病だ。
自分が病名を公表することで家族に迷惑がかかるかもしれないと思い、念のため本を出す前に夫にだけは相談したが、物書きなんてみんなどこかおかしい変な人ばかりなんだから別になんともないよ、と笑っていた。理解者がそばにいることはこれほど心強いものなのかと、この時ばかりは夫に感謝した。(第三章 狂う・狂わされる)


躁鬱病とは今は言わないのか。自分の病気を公表する、それも精神疾患の場合、どうしても躊躇するだろうな。やはり彼女は強い人である。

デカルト以来、自然科学は精神と身体を分離することで発展してきた。それは人間までもコントロールする技術を生み、社会の価値観や倫理観を揺さぶり、時に脅威とも感じられるようになった。
本来自由であるはずの科学研究に規制を持ち込んだのは研究者自身であるが、それは、技術が諸刃の剣であることを本人たちがもっともよく自覚していたからにほかならない。(第四章 断つ・絶たれる)


性善説と性悪説とどちらを信じるべきか、それとも、それはタブー領域なのか。考えるほどわからなくなってくる。

聞くとはいつもそうである。耳を閉じることはできないにもかかわらず、聞く耳がなければ聞こえない。言葉にしてもらわなければわからないといわれても、聞く耳がなければ聞こえない。聞く耳があって初めて聞こえる。聞き始めると聞かずにはいられなくなる。聞いてばかりでいると狂い出す。
突拍子もない例と思われるかもしれないが、新聞に寄せられる人生相談の大半は、互いに聞く耳をもたないことが原因で引き起こされるトラブルだ。話を聞いてくれない、話してもわかってくれない、言葉にしてくれなければわからない、言葉にしたがためにますます状況が悪くなった……。
聞く、聞かれる、の関係がちぐはぐなのである。(第五章 聞く・聞かれる)

「聞く」と「聞こえる」とのとんでもない径庭。

田宮虎彦は明治44年、東京に生まれた。両親の都合で生後間もなく祖父のいる高知へ移り、その後、船乗りだった父親の転勤で9歳からは神戸で過ごした。花森安治とは神戸にいた頃からの友人である。
『愛のかたみ』が出版されて半年あまり経った頃、評論家の平野謙がこれを手厳しく批評した。「群像」昭和32年10月号に掲載された「誰かが言わねばならぬ『愛のかたみ』批判」である。(第六章 愛する・愛される)

暮しの手帖に田宮虎彦の寄稿がよくあったのも、花森安治との交友があったためだったのか。平野謙という人は、戦時中の活動など含めてあまりかんばしくない評判があった。
田宮作品、読んでみようかと思った。

人間が生きていく間に「れる/られる」と立場を交互に糾いながらそのどちらをも現実のものとして受け入れなくてはならない。得てして人はその時の立場が全てと思いがちだが、相対的な関係あってのことだということを、忘れてはなるまい、難しいけど(^_^;)


【私小説 : from left to right】 水村美苗 ★★★ 1998/10/01 新潮文庫
この作品は、「日本近代文学 私小説 from left to right」という題で、福武書店発行「批評空間]第7号(1992年10月)から第12号(1994年1月)、および、太田出版発行「批評空間」(1994年4月-10月)に連載され、新潮社より刊行された単行本(1995年)に修正、加筆を施した。(付記)

彼女の二作目の作品で、横書き、英語まじりという、日本の小説としては異例の試みである。2008年の「日本語が亡びるとき」につながるものだろう。神戸の市立図書館には2冊(西図書館(単行本)と灘図書館(文庫))しか蔵書されていなかった。中央図書館に一冊もないということからして、どうも彼女は過小評価されているようだ。

だって文学などというものは、つきつめれば、今ここに見えないものへあこがれる心の深さで書くものなのでないのだろうか。あこがれる心の深さで書くものなのではないのだろうか。あこがれる心の深さだけなら、私は山を動かすくらい持ち合わせているように思えた。

自負心の強さは彼女の本領かもしれない。

生の意味、死の意味、自分がどこから来てどこへ行くかという悩み、恋の悩み--そういうもろもろの「文学的な」悩みなどは大人になってから悩めばよい。西洋文学の伝統を批判するのもShakespeareを否定するのも英語という言語そのものに反旗を翻すのも、おとなになってから好きなようにやったらよい。文学の意味などというのもその時になって考えたらよい。だが英文学の泉から育つ勢いのままに命の水を汲み上げられるのは今だけなのであった。そこには子供の知性に対する徹底的な軽蔑が一方にあり、子供の能力に対する絶対的な信頼がもう一方にあった。人生などについて書かせれば三流作家顔負けの凡庸なことしか言えるはずもない生徒たちではあったが、どんな天才にも及ばぬ吸収力で確実に何かを身につけていったのである。今私はMR.Keithの叡智に感嘆する。
そのうえMR.Keithは古典を愛しつつ古典主義者ではなかった。もちろん西洋至上主義者でもなかった。それどころか多文化主義などというものに人々がまるで無縁に暮らしていたあの時代、異文化への興味と知識と尊厳とを生徒の心に植えつけようとした革新的な先生だったのである。


「Big Mac」とあだ名の老教授の指導法への手放しの賛美。

ほの暗いのに慣れた両眼を白っぽいリノリウムの床がまぶしく刺激するなか。冷凍庫からSaran Wrapにくるんだご飯をさがし出すと、その凍ったかたまりをヒーターの上にのせた。……電子レンジは親が家をたたんだとき奈苗が引き取り、私にはこういう原始的な方法でご飯を回答するよりほかはなかったのである。

アメリカでひとり暮らししてた彼女が、Morris.と同じようにご飯をラップにくるんで冷凍して食べてたという、些細なところに反応してしまった。

家に残っている玉葱半個ととにんじんとセロリー、それに瓶詰めのオリーブの実を細かくきざんでご飯に加え、cannnde tuna と一緒にolive oilと wine vinegarと塩胡椒であえれば la salsade du riz--「お米サラダ」というパリで覚えた料理になる。私にとってはちらし寿司の代用品であった。

こういった台所ネタもね。

日本の近代小説の誕生が牛鍋と連動していたように、アメリカでThe Tale of Genjiが必読書となるのはお米が市民権を得たのと連動していた--ところが、ところが、「西洋の没落」は、英語という言葉の没落には通じなかったのである。それどころか、英語は西洋という場所からも、西洋人という人間からも解き放たれ、解き放たれることによってまさに世界の言葉となったのであった。

安愚楽鍋に引っ掛けてるわけでもないのだろうが、明治の文学を「牛鍋と連動」と書き、アメリカでの日本文学の認知が米食に連動していた、というあたりは、彼女なりのユーモアなのだろう。

--It's amazing how much we girls are alike.
ある日Sarahは「殿」に向かって笑いながら、自分と私のことを指して行った。
私たちの文学の趣味の話である。Salahも懐古趣味が強く、今の小説というものをほとんど読まなかったうえ、一番好きなのがVictorian novelsなのであった。私も英語で読むのならVictorian novelsがいちばん好きだった。そして二人ともDickensよりJane Austenの方が好きなことも、そしてそのJane Austenの中でもPride and Prejudiceがもっとも好きなこともおなじであった。その日発見したのだが、そもそも二人ともちいさいころ親しんだ本がVictorian novelsの流れをくむ、少女小説だったのである。
Salah は微笑みを浮かべて言った。
--My favorite was A Little Princess, obviously.
いつもの通り優雅に紅茶茶碗を右手にソーサーを左手にもっている。
A Little Princessが『小公女』だろうというのはすぐわかった。わからなかったのはなぜobviously--当然のことながら、とSalahが言ったかであった。
--Obviousuly?
--Oh,you know, the girl's name,Sara.
--Salah? 
--Yes,Without the "h".
あの「セーラ]がSara。私の頭の中で日本語の世界に生きていた「セーラ」が突然英語の世界に移った感覚があった。


本書の中で一番印象に残ったのがこのくだりだった。Morris.が小学生時に愛読した「少年少女世界文学全集」の中でもお気に入りだった少女小説の大部分が、オースティンを代表とするヴィクトリアンノヴェルズを源泉とするものだったとは、目から鱗の思いがした。
辻邦生との往復書簡
「手紙、栞を添えて」でも、最後にこのオースティンについてのやりとりがあった。

独立精神とは要は帰る場所がないのを引き受けて生きるということである。旧大陸に帰る場所を見いださなかった人間が集まって創ったアメリカという国は、ユ ダヤ人のような民族にこそもっともふさわしい。ふるさとは遠くにありて思ふもの……とは日本の詩人の言うことである。ふるさとからの疎外感をこのように詠 い嘆く日本の言霊に支配された私たちに、遠く海を隔てた異郷にあっても思うべきふるさとをもたぬ人の心など、想像つくだろうか。

ふるさとは戻るべき場所に非ず。(Home is not a place to return to.)
Madame Ellmanの言葉を受けて私は答えた。
--Well,I think I'd be quite lonely in Japan.
--But you know,loneliness is the very condition of a writer.
孤独こそものを書く人間の条件なり。
決然とした声であった。彼女の言うことには常にどこか哲学的なところがあった。もともとそういう頭をしているのだろうが、外国語で話す人間の常で、日常言語から乖離した言葉をあやつるせいもあるにちがいなかった。

日本語の世界も英語の世界もよく知っている彼(「Big Mac」)は、言葉そのものが人間を創ってしまうのを知っていた--というより、言葉そのものが世界を創ってしまうのを知っていた。
翻訳者として名高い彼は言語の翻訳可能性を容易に否定するようなところにはいなかった。翻訳の可能性の限界を地道に掘り起こし進んでいるからこそ、言語の本質にある、他の言語に還元できない固有性を慈しんでいるのにちがいない。実際、彼は日本語を慈しむだけでなく英語をも慈しんでいるのが感じられた。


ヒロインが「日本で日本語で小説を書く」決意をしたときに、指導者や、研究者との対話のなかで、掴んだ悟りみたいなもの。
しかし、やっぱり横書きの日本語の小説、それもところどころに英語が交じるというのは読みにくい。
Morris.の日記に限らず、ネットで見る文章がほとんど横書きなのに、こう思ってしまうのは、本書でヒロインが時々襲われる日本伝統の「底力」と同じ力なのかもしれない。
読後感を率直に言えば、小説としては上出来とは思えなかった。


【帝国の慰安婦】朴裕河(パクユハ) ★★★☆☆ 2014/11/30 朝日新聞出版
「植民地支配と記憶の闘い」という副題がある。2013年8月に韓国で出版された原著は、慰安婦支援団体などから強い反発を受け、名誉毀損で裁判にまで持ち込まれたことで、日本でも「知の自由の危機」として大きく取り上げられた。Morris.もそれで読む気になったのだが、今回読んだ日本語版は、韓国語版の翻訳ではなく、著者自身が日本語で書いた別版らしい。Morris.はこれまで、朝鮮人慰安婦問題には距離を置いていた。というか、なんとなく胡散臭さを覚えていたのだが、本書を読んで、色んな意味で整理がついたような気がする。

実は、この本はかなり前に読了したのだが、アップできずにいた。このたび、釜山にも慰安婦の少女像問題があったので、ともかく、引用だけでもアップしておくことにした。

第一部 慰安婦とは誰か--国家の身体管理、民間人の加担
第二部 「植民地」と朝鮮人慰安婦
第三部 記憶の闘い--冷戦崩壊と慰安婦問題
第四部 帝国と冷戦を超えて

「慰安婦」を必要とするのは、普段は可視化されない欲望ーー強者主義的な<支配欲望>です。それは、国家間でも男女間でも作動します。現れる形は均一ではありませんが、それをわたしは本書で「帝国」と呼びました。(日本語版のための序文)


「帝国」が「大日本帝国」を指すものではなく、こういった精神的な欲望を指すというのにはちょっと驚かされた。

『従軍慰安婦"声なき女"八万人の告発』千田夏光(1973)
千田は慰安婦を、兵士と同じように、戦争遂行を自分の身体を犠牲にしながら助けた<愛国>的存在と理解している。国家のために働いた軍人の犠牲のための補償はあるのに、なぜ慰安婦はその対象にならなかったのか、というのがこの本の関心事であり主張でもある。


千田の本が出された時期にはまだ韓国では慰安婦問題はほとんど問題視されてなかった。

「朝鮮人慰安婦」という存在を作ったのは、家父長制と国家主義と植民地主義である。
「慰安婦」を必要としたのは間違いなく日本という国家だった。しかし、そのような需要に応えて、女たちを誘拐や甘言などの手段までを使って「連れていった」のはほとんどの場合、中間業者だった。法的責任は、直接には業者たちに問われるべきである。
いずれにしても挺身隊や慰安婦の動員に朝鮮人が深く介入したことは長い間看過されてきた。そしてそのことが慰安婦問題を混乱に陥れた原因の一つになったのである。

ここらあたりが、韓国人(特に挺対協などの抗議団体)の反撥を呼んだにちがいない。

「謝罪」というものが、「憎しみ」を解くための応答の行為なら、韓国(および北朝鮮)の中にも慰安婦たちに「謝罪」すべき人たちはいる。そうした事態こそが、植民地の矛盾であり朝鮮人慰安婦問題の矛盾でもあった。「植民地化」とは、そのように、国家(帝国)に対する協力を巡って、構成員の間に致命的な分裂を作る事態でもある。(Ⅰ-第1章 強制連行か、国民動員か)


戦後のかなりの間、慰安婦という存在は日韓両国で「あってもないもの」とされてきた。

男性たちだけで構成されている軍隊に投入され、女性が家のこまごまとした仕事をして、男たちがまた会社に出て働ける役割を受け持つように、軍人たちが戦争をしている間、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だったのである。もちろんそのような補助作業のなかでももっとも大事だったのは、軍人たちの性欲に応えることであった。そこはあたかも擬似家庭のような空間でもあった。

慰安婦と兵隊の関係が疑似家庭的だった、という指摘などは、なかなかできない。韓国人であり、女性でもある著者ならではのものいいだと思う。

慰安所の役割は性欲を満たすことだけでなく、軍人たちの「心を和らげ」ることにもあった。そのとき求められるのは、会話や遊びやそれによる<癒し>であった。戦争開始後に軍が主導的に作った慰安所は、最初は性病防止などという至極現実的で殺伐とした目的から作られたようだが、時間が経つにつれて、身体以上に心を慰安する機能が注目されたのだろう。そこは、故郷に向かう郷愁と戦闘で疲弊した心を癒す、文字通りの「慰安」の場でもあった。慰安所を性欲を満たす空間としてのみ考えるのは、「士気」を高める名目で、軍隊生活を維持させようとした国家の策略が見えていなかったゆえの理解である。
慰安婦が「性」を提供する立場であったなら、兵士は「命」を提供する立場だった。どちらも国家によって<戦力>にされているのである。「将校を相手にする人は日本人と朝鮮人」「現地女は主に兵士たちが相手する」(『海南島』)のように階級化されていた


植民地化の朝鮮人は、名目上「日本臣民」であったのだから、それ以外の侵略地(中国、東南アジア)の慰安婦とは階級を異にしたということも、あっただろうと想像はつく。兵隊も慰安婦も国家によって「戦力」にされたという面もたしかにあったろう。そういった差別構造の根は深い。

「運たよ。慰安婦なるのも運た。兵隊さん、弾に当たるのも運た。みんな運た」(「プレオー8の夜明け」)
「日本人に抑圧されたよたくさんね。しかし、それもわたしの運命だから。わたしが間違った世の中に生まれたのもわたしの運命。私をそのように扱った日本人を悪いとは言わない。(証言集3)

慰安婦の体験を「運命」と話す人は、小説の中にのみいるわけではない。現実の慰安婦のなかにも、自分の体験を「運命」とみなすひとはいた。自分の身に降りかかった苦痛を作った相手を糾弾するのではなく、「運命」ということばで許すかのような彼女の言葉は、葛藤を和解へと導くひとつの道筋を示している。そのような彼女に、彼女の世界理解が間違っている、とするのは可能だが、それは彼女なりの世界の理解の仕方を抑圧することになるのだろう。

これまで慰安婦たちは経験を淡々と話してきた。しかしそれを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない。さまざまな状況を語っていた証言の中から、それぞれ持っていた大日本帝国のイメージに合わせて、慰安婦たちの<記憶>を取捨選択してきたのである。

朝鮮人慰安婦たちは、下働きに中国人やインドネシア人を雇い、そのうえインドネシア人女性を雇い入れて慰安所を運営するようなこともあった。ここに見られる状況は<帝国>の賃金対価でもある。朝鮮人慰安婦は男性や国家の被害者でありながら、大日本帝国の中で<二番目の日本人>の地位にいた。
アジア諸国では記憶されているこのような事実が、韓国のなかで<公的記憶>になっていないのは、韓国がこれまで植民地時代ときちんと向かい合ってこなかったからである。抵抗の記憶のみが、受容されるべき<公的記憶>となって、順応・協力した記憶が例外的少数のものとみなされ、否定・排除され続けているのもそのためである。(Ⅰ-第2章 「慰安所」にて--風化する記憶)


いわゆる「親日派」批判に通じるものである。

今を生きるわたしたちが耳を澄ませるべきは、ほかの誰よりも、帰ることの出来なかった人たちであるはずだ。戦場の最前線で、最後まで日本軍と行動をともにして命を失った、もはや声を出せない彼女たち。日本が謝罪すべき対象も、まずは彼女たちではないだろうか。言葉や名前を失ったまま、性と命を<天皇のために>捧げなければならなかった朝鮮の女性たち、<帝国の慰安婦>たちに。(Ⅰ-第3章 敗戦直後--朝鮮人慰安婦の帰還)

敗戦後、戦争責任を棚上げして経済成長に専念してきた日本に戦争犠牲者に「謝罪し得る権利」があるかどうかもおぼつかない。

1990年代に入り「慰安婦問題」が発生したあと、「慰安婦」をめぐる韓国における集団記憶を形成し固めてきたのは韓国の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(以下、挺対協)である。挺対協の運動は成功し、今や<強制的に連れていかれて性奴隷となった20万人の少女>の記憶は、<世界の記憶>となった。

「朝鮮人慰安婦」という存在を作ったのは、植民地の貧困、人身売買組織が活性化しやすかった植民地朝鮮の社会構造、朝鮮社会の家父長制、家のために自分を犠牲にすることを厭わなかったジェンダー教育、家の束縛から逃れたかったためなど、さまざまなものである。もっとも、その全てを考慮するとしても、朝鮮が植民地化したということこそがもっとも大きな原因であるのは言うまでもない。

植民地の悲惨さは、一方的な「連行」を強調することで説明できるようなものではない。むしろ、朝鮮人女性たちが大和撫子に扮しなければならなかったことにこそ、植民地の悲惨さはあったはずだ。

韓国が植民地朝鮮や朝鮮人慰安婦の矛盾をあるがままに直視し、当時の彼らの悩みまで見ない限り、韓国は植民地化されてしまった朝鮮半島をいつまでも許すことができないだろう。それは、植民地化された時から始まった韓国人の日本への協力--自発的である強制的であれ--を他者化し、そのためにできた分裂をいつまでも治癒できないということでもある。換言すれば、いつまでも日本によってもたらされた<分裂>の状態を生きていかねばならないことを意味する。そしてそうである限り、韓国に日本の植民地支配が作った後遺症から逃れる日は来ないはずだ。

余りにも正論すぎて、日本人であるMorris.から見ても、韓国人がこの矛盾を超克できるとは思えないほどである。

この20年間、韓国は初期の認識を中心に慰安婦をめぐる<公的記憶>を作り続け、それに亀裂を入れる話は受け付けなかった。不協和音は、日本の右翼か親日派とみなして、排除することにやっきになっていた。その結果、韓国に残っているのは、あらゆるノイズ--不純物を取り出して純粋培養された、片方だけの「慰安婦物語」でしかない。(Ⅱ-第Ⅰ章韓国の慰安婦理解)

これも一種の国家的自家撞着かもしれない。

韓国の慰安婦イメージを決定的にしたのは、おそらく90年代前半に作られたテレビドラマ「曙の瞳」だろう。17歳で日本軍慰安婦として強制連行された主人公は「独立運動家の娘」で、学徒兵の恋人がいる者として設定されている。
同じく90年代に人気だった漫画家イ・ヒョンセ(李賢世)の『南伐』も「慰安婦」をめぐる日本の残虐さを描いている


このTVドラマは未見だが、李賢世の作品は数冊読んだ記憶がある。先の「公的記憶」を補強するためのプロパガンダ作品という傾向はあったにちがいない。

少女像の姿は、韓国人が自分を重ねあわせたいアイデンティティとして、もっとも理想的な姿である。少女像がチマチョゴリを着ているのも、リアリティの表現というよりは、慰安婦をあるべき<民族の娘>とするためだ。結果として、実際の朝鮮人慰安婦が、国家のために動員され、日本軍とともに戦争に勝つためにに日本軍の世話をしたことは隠蔽される。
少女像には「平和像」という名前がついている。しかし、実際は少女像は、差別されながらも戦争遂行の同志だった記憶や許しの記憶を消去したまま、恨みだけを込めた目で、日本に対する敵対状況に列なることを要求する。
「朝鮮人慰安婦」とは、日本軍朝鮮兵と同じく、抵抗したが屈服し協力した植民地の悲しみと屈辱を、身体で経験した存在である。日本人が主体となった戦争に連れていかれ、軍が行く先々に「連れていかれた」「奴隷」でありながら、同時に彼らの無事を祈っていた同志でもあった。
協力の記憶を消し、抵抗と闘争のイメージだけを表現する少女像では、日本に協力しなければならなかった朝鮮人慰安婦の本当の悲しみは表現できない。
少女像は実際のところ運動や運動家を記念するものであって、慰安婦ではない。くしくも「デモ1000回を記念して」作られたように、大使館前の少女像はデモの歳月と運動家を顕彰するものでしかないのである。(Ⅱ-第2章 記憶の闘い-韓国篇)


「少女像」が、運動家のためのものであるように、運動そのものも慰安婦のためのものでないことは自明である。

韓国の支援団体は、慰安婦が日本による韓国の被害者を象徴する存在になるにつれて韓国社会で大きな力を持つようになっていった。挺対協の元メンバーが長官や国会議員になり、慰安婦問題関連活動でさまざまな賞を受賞するようになったのも、そのことを示している。そして今や韓国において、慰安婦問題に関しての行動や発言で挺対協に勝てる存在はないとさえ言えるまでになった。

完璧な被害者であることを確認し続けようとする欲望は、日本兵に対する愛も、朝鮮人業者や親に対する憎しみも、解放後50年も続いた韓国人自身の冷たい視線も覆い隠してきた。「慰安婦問題」とは、そのような欲望と期待が優先され、当事者たちの<今、ここ>の苦痛は十分には顧みられなかった問題でもある。


慰安婦の記憶を関係者たちが<横領>する限り、当事者主義はそこには存在しない。

「慰安婦問題」が「戦争での性暴力問題」ならば、朝鮮戦争での韓国軍の問題、ベトナム戦争での韓国の問題、米軍基地周辺の公娼を許容することで、軍隊慰安婦制度の維持に加担している韓国も、また同様に批判されなければならない。(Ⅱ-第3章 韓国支援団体の運動を考える)

これも、なかなか日本人としては、口に上せられないことだが、事実である。こういった事実を、日本の嫌韓派が得たりとばかり本書を持ち上げたりもするのだろうが、それもまた、偏見的理解に終わる公算が大きい。

戦場で軍人は、性的欲望を国家によって暴走させられ、あるいは管理される。公衆の面前で欲望を露にすることへの羞恥を忘れさせられ、人間を<もの>(商品)として扱うことを教え込まれる。それは、あるいはその前後に存在したはずの殺害に必要な、人間を<もの>とみなす練習でさえあったとも言えるだろう。そのようにして、兵士たちは日に日に<人間的>であることから遠ざけられることになる。そして慰安婦もまた、自分の身体と心の「主人」であることや他人の手段として「使わ」れることに無感覚になっていったのだろ。戦場での<集団慰安>とは、兵士にも慰安婦にも、人間らしさを忘れて初めて可能なことでもあったはずだ。「アジアの解放」という<聖なる>名分の背後にあった慰安婦と兵士の悲惨な状態は、その戦争がアジア=大日本帝国の周辺どころか帝国の中心にいた者たちにとっても、決して「解放」ではありえなかったことを教えてくれる。

法律を作って挺身隊を合法的に動員できるようにしながら、「慰安婦」はそうはしなかったのは、それが植民地での穏健統治の臨界が壊れることだったからである。
慰安婦募集で業者たちが前面に出たのは、まさにそのためである。穏健統治(皇民教育)の中に<自発的に>編入された人たちが帝国に協力しつつ、<個人的に>だましや誘拐などの犯罪行為をしたのである。結果的に、日本は自らの手は汚さずに(穏健統治を維持しつつ)植民地の人々を同族に対する加害者にした。業者が愛国者であれば、だましや誘拐さえ自己正当化出来ただろう。(Ⅲ-第1章 否定者を支える植民地認識)

支援者たちのほとんど(研究者も運動家も)は慰安所を用意した軍や国家、性の「買い手」の批判に集中し、彼女たちを商品化した「売り手」たち--彼女たちを労働させて儲けていた意味での「主人」に対しては注目も批判もしなかった。慰安婦問題で責任を負うべきは日本国家だけのような認識が定着してしまったのはそのためでもある。(Ⅲ-第4章 支援者たちの可能性に向けて)


この点でも片手落ちであった。

解放軍として迎えられ、しかもその後も数十年の間、米ソ中の冷戦体制に組み込まれた韓国と日本は、アメリカの横暴について問題提起したことはないのである。そしてそれぞれ「占領」と「解放」のあとも、そのまま日本と韓国を含むアジアに残されることになった米軍基地は、いまでも米軍のための「慰安婦」の需要を作り続けている。

「慰安婦」という存在は帝国主義(近代化)とともに組織化されたが、帝国主義崩壊後にもアジアで「慰安婦」システムが続いたのはすぐに本格化した冷戦体制のためだった。1965年の日韓協定が個人の被害が十分に考慮されないまま結ばれたのも、冷戦耐性化にいたためだったことを考えると、近現代の慰安婦たちは帝国主義に動員され、冷戦維持に利用され、しかも冷戦のために補償してもらえなかったことになる。そしてアメリカの軍基地体制を新帝国体制と呼べるなら、いまなお世界の制覇を目指す帝国に女たちは利用されていると言わねばならない。(Ⅳ-第1章 慰安婦と国家)


このあたりをしっかり読めば、著者の視野の広さと、研究家としての校正さを持ち合わせてることがわかるだろう。

日本人慰安婦たちはすでに早くからアジア各地に存在したが、彼女たちが「娘子軍」と呼ばれたのは明治30年代からだった。
「朝鮮人慰安婦」は「日本の公娼制度の最下層に組み入れられ、アジア・太平洋戦争期の『慰安所』の最大の供給源」(山下英愛 2008)になったことで生じた存在だった。

戦後とは、アメリカ主導の冷戦構造に政治的に組み込まれ、そのために帝国をめぐる検証をしないでもいい構造を残したまま、このような心理的冷戦構造を維持し続けた時代だった。そして、ひたすら高度経済成長に向けて国民が一つになったかのように見える時代が終わった時、潜在していたその対立が表面化したのが、まさに90年代であった。それは世界的なナショナリズムの時代を背景に、日本の不況ともリンクしながら、グローバリゼーションの中で失われる日本を憂慮する意識を生んだ。<美しい日本>とは、そのことにほかならない。

戦後日本は非英和憲法を掲げ、戦争を起こさないという価値観を守り続けてきた。大多数の国民が「反戦」を保てるように教育してきたのも、高く評価すべきだろう。しかし、「帝国」として存在した--植民地を支配した--ことに対する半生意識は、反戦意識ほどには日本国民の共通認識にならなかったと言えるだろう。

慰安婦問題と歴史問題を考えるのは、戦争と構造的支配がいまなお続いていて、貧困で弱い人々が動員される現実がいまだ続いているからである。国家が国民を、男性が女性を、大人が青少年を、戦争に利用するのはやめるべきだ。(Ⅳ-第2章 新しいアジアのために)


結局、引用ばかりで、短文のコメントすらまともに付けることもできなかった。
引用だけでもある程度著者の拠って立つところは理解できるだろう。全ての意見に賛成とは言えないまでも、これまでほとんど論じられてこなかった(恣意的に?)部分にまで切り込み、これだけの考察を発表したことに敬意を表したい。
「慰安婦問題」について考えていく上において、今後本書抜きでは議論できないのではないかと思うくらいなのだが、韓国ではほとんど発禁状態。こういう状態では今後とも、韓国人と「慰安婦問題」について突っこんで議論し合うということは、ますます困難になるばかりではないだろうか。一部ではそれをこそ狙っているのかもしれない。
そこに、今回の釜山の少女像問題(>_<) 故意に慰安婦問題をこじらせようという陰謀では、という疑念がますます膨らんでしまう。




【自負と偏見】オースティン 中野好夫訳 ★★★☆☆ 新潮文庫
[Pride And Prejudice] Jane Austen(1775-1817)日本では「高慢と偏見」というタイトルの方がポピュラーである。
今年の最初の読書はこれにしようと年末から決めていた。
夏目漱石が「文学論」で取り上げたことや、Morris.の好きな女性作家たちにこの作家のファンが多いことなどから、いつかは読まねばと思いながら今日まで延び延びになってた。翻訳物を敬遠してたことにもよるし、なんとなくタイトルからして堅苦しそうな古典文学というイメージに恐れをなしたということもある。
ところが水村奈苗の「私小説」でヴィクトリアンのベルエポックの代表作家オースティンこそは、懐かしの少女文学の源泉とも言うべき存在であり、作品としてもワンパターンの娯楽小説ということを教えられて、いよいよ読むことになった。邦訳も相当数あって、結局ネットで調べて(冒頭の訳文を並べたサイトがあった)この中野好夫に決めたのだ。
確かに200年前のイギリス上流から中流家庭の平凡な人間模様、特にその家の娘たちの縁談、結婚にいたるまでの紆余曲折を、平凡に描写していく。それだけなのに、途中で読みやめられない。そんな魅力があった。

「でも、まだ運がいいほうなんだわ、とにかくなにか不足があるってことは」と彼女は考えた。「何もかも完全に揃ってしまったんじゃ、あと失望するに決ってるもの。でも、今度の場合、ジェーンがいないんじゃ、きっとはじめからしまいまで、残念だ、残念だの言い通しだろうから、まあかえって、楽しいわたしの期待は、すべて実現されるだろうってわけね。一から十までいいことだらけといったような計画なんてのは、決して成功しないものよ。だから、全体としてがっかりするのがいやなら、やはりなにかちょっとばかり、不足の種をのこしておくほうがいいのよ」

ヒロインである次女エリザベスの科白。平凡な幸福の真理を慎ましく語っているようでどこかもっと深い思慮が感じられたりもする。

「いや、あの手紙を書いたときはですね。これでも完全に冷静だったつもりなんですが、あとになって考えてみると、やはりずいぶん苦い思いをこめて書いたものなんですねえ」
「そりゃ、まあ、はじめはそうだったでしょうが、おしまいは、そうでもありませんでしたわ。最後などは、憐れみの心さえあふれてましたわ。でも、もう手紙のことは忘れましょうよ。だって、書いた人の気持も、どちらもすっかり変ってしまったんですもの。だから、それにまつわる不愉快な事情などは、一切忘れることにしましょうよ。わたしの哲学(さとり)を少しばかり、いかが? つまりね、過去のことは、楽しいことだけ思い出すんですよ」
「いや、そういう哲学(さとり)を、あなたが持っているとは思えませんねえ。だって、あなたの思い出には、なに一つ心の咎めるようなことはないんでしょう。だからですね、そういう過去からくる安心感というのは、決して哲学(さとり)のそれじゃない、むしろはるかにその上の、いわば受信無垢さからくる安心感というものでしょう。ところが、ぼくの場合は、そうじゃないんです。苦しい思い出ばかり出てきて、それを払いのけることもできなければ、またそれをしてはいけないんですね。ぼくという人間は、なにもそれを主義として守ったわけじゃないが、実際において、一生利己主義者で通してきました。」


これは後半のヒーローとヒロインの会話。ここでもエリザベスの「哲学(さとり)」にくすりとさせられながら、感じいってしまう。

ジェーン・オースティンは、1775年に生まれている。1775年といえば、アメリカ独立戦争の起こった年であり、その14年後の1789年には周知のようにフランス革命が勃発ひきつづいてヨーロッパ全土を巻き込んだ大動乱の一時期は、そのままジェーンが少女時代をすごした時期にもなる。
一般文学読者にオースティン文学を解説することは、ある意味で簡単だとも言える。というのは、オースティン文学の評価は、もっぱらその6篇に代表作『分別と多感』『自負と偏見』『マンスフィールド・パーク』『エマ』『ノーサンガー・アベイ』『説き伏せられて』にかかっており、その他の作品はほとんど問題にする必要が無いからである。

最後にうまいモームの表現を引いて終わろうと思う。「どの作品にもこれといった大した事件は起らない。それでいて、あるページを読み終えると、さて次に何が起るだろうかと、急いでページをくらずにはいられない。ところが、ページをくってみても、やはり大したことは起らない。だが、それでいて、またもやページをくらずにはいられないのだ。これだけのことを読者にさせる力をもっているものは、小説家として持ちうるもっとも貴重な才能の持ち主である」(中野好夫 解説)

なんだ、モームという人(^_^;)がMorris.が感じたことをすっきりまとめてくれてるじゃないか\(^o^)/
こうなると彼女の他の作品も読まねばなるまい。
奇しくも今年は彼女の没後二百年ということになる。ということは何か記念行事があるかもしれない。それとは別にオースティンは今年のMorris.のマイブームになるかもしれない。



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