う め

「ばいりん」というのは、固有名詞だと思っていた。 

故郷、武雄市の御船山中腹にある梅の名所を「御船山梅林」でなく、単に「ばいりん」と呼び習わしていて、小学校に入る前から、毎年必ずここで梅見を楽しんでいたためだ。 

梅 「ばいりん」という響きが、梅林のことだとわかるようになっても、刷り込みというのは恐ろしいもので、なかなかイメージ変換はできずにいた。 
もともとそういった思い込みの強さは人一倍で、それがしばしば赤っ恥をかく原因ともなるのだが--- 

ともかく、梅というものは1本、2本を鑑賞するのではなく、少なくとも百本以上のマッスとして見るべきもので、その下に茣蓙を敷き、弁当を広げてでなくては梅見じゃないよな、というのが固定観念となっていた。 

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」とか「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とか、梅と桜は対抗馬のように挙げられたりするが、花見という点では、梅は桜に大きく水をあけられている。 

開花時期が、梅の見頃はまだ肌寒いというハンデが大きすぎるのだろうが、桜にはないゆかしいかおりと、枝振りの妙には捨てがたい魅力がある。和歌の世界でも、花といえばそれだけで桜を指すことが暗黙の了解になるほど、桜は花の象徴的存在に成り上がっているが、古今集以前には梅こそがその位置を占めていた。 
 

大槻文彦の「言海」には梅の語源として「熟實(うみみ)の転か?」などとあるが、「うめ」の古い表記が「むめ」ということからしても、「梅」の漢音「メイ」がそのまま訛ったのだと考える方が妥当ではないだろうか。 

梅の異名、雅名の多さも、この花への愛好の歴史を偲ばせる。 

清友、香雪、氷花、雪君、杣婆、玉骨、氷塊、逸民、孤山、石龍、君子香、香雪、百花魁、好文木、花儒者、世外佳人、雪香氷艶----  

和名だって負けていない。 

かばえぐさ(香栄草)、はつはなくさ(初花草)、かぜまちぐさ(風待草)、にほひぐさ(匂草)、はるつげぐさ(春告草)、かざみぐさ(香散見草)、くちき(朽木)、そして「花の兄」  

学名 Prunus.mume にも、和名のムメの響きがそのまま採られていて嬉しくなるのだが、英名 Japanese Apricot というのは直訳すると「日本の杏(あんず)」となり、確かに梅も杏も近縁種ではあるが、やはりこれはちゃんと区別してもらいたい。 

桜ならば、欧米の土地ででも、華やかに咲き誇ろうとかまわないが、梅は、東洋の、さらに言えば極東の独占物としておきたい気がする。 

今回に限らず、このBotanical Gardenでは、花そのものよりも名称ばかりに興味をはしらせすぎるきらいがあるが、梅は、名実ともに、いや「花も実もある」植物の代表でもあり、梅干しは日本の食文化を集約するかのようでもある。 

薬効にも優れているが、これを更に抽出してコールタール状に仕上げた「梅肉エキス」のすさまじい酸っぱさは、20年近く服用してない今でも、その名を口に上しただけで、生唾が沸き上がるのを、どうしようもない。 

●鷽 うそ宿る春色の里梅児誉美 

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