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Morris.2021年読書控
Morris.は2021年 にこんな本を読みました。読んだ逆順に並べています。
タイトル、著者名の後の星印は、Morris.独断による、評点です。 ★20点、☆5点
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1999 年 2000 年 2001年 2002 年 2003年 2004年 2005年 2006年
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2014 年 2015 年 2016 年 2017 年 2018 2019 2020

2021124  【彼 女は頭が悪いから】姫野カオルコ 2021123 【宮 本常一の写真に読む 失われた昭和】佐野眞一 2021122 非 色】有吉佐和子 2021121 【「全条項分析」日米地位協定の真実】松竹 伸幸
2021120  【浮世の画家】カズオ・イシグ ロ 飛田茂雄訳 2021119
【沈黙する知性】 内田 樹×平 川克美
2021118 【「こ の木の名前、なんだっ け?」 樹木がより身近になる】菱山忠三郎写真と文 2021117 【一 銭五厘 の旗】花森安治
2021116【最 後の読書】津野海太郎 2021115 【幸 田露伴論考】登尾豊 2021114 【揚羽蝶】泡坂妻夫  2021113 【コクーン】葉真中顕
2021112 【Blue】葉真中顕 2021111 【ブラック・ドッグ】葉真中 顕 2021110 【ロ スト・ケア】葉真中顕 2021109 【本の運命】井上ひ さし
2021108 【シー ソー・モンスター】伊坂幸太郎 2021107 【埋 もれた牙】堂場瞬一 2021106 【花 森安治伝 日本の暮しをかえた男】津野海太郎 2021105
【平 成ネット 史ーー永遠 のベータ版)】NHK「平成ネット史取材班
2021104 【編集権発行人】山 本夏彦 2021103 【フィデル出陣】海 堂尊 2021102 【そのうちなん とかなるだろう】内田樹 2021101 【太陽の子 て だのふあ】灰谷健次郎
2021100 【風の歌を 聴け(1979)・1973年のピ ンボール (1980)】村上春樹 2021099 【紋 の辞典】 波戸場承龍 波戸場耀次 2021098 【路 地裏で考える--世界の饒舌さに抵抗する拠点】平川克 美 2021097 【感 染列島 パンデミック・イブ】吉村達也
2021096 【ポ スト・コロナ 資本主義から共存主義へという未来】廣 田直久 2021095 【安 倍三代】青木理 2021094 【コ インロッカー・ベイビーズ】村上龍 2021093 【MISSING 失われているもの村 上龍
2021092 【沖 縄戦いまだ終わらず】佐野眞 2021091 【含羞詩集】阪田寛夫 2021090 【水 を縫う】寺地はるな 2021089 【読 書と日本人】津野海太郎
2021088 【ル ポ拉致と人々 : 救う会・公安警察・朝鮮総聯】青木理 2021087 【拉 致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々】蓮 池透 2021086 【ぼ くは幽霊作家です】キム ヨンス 金衍洙 橋本智保訳 2021085 【たっ た一人の反乱】丸谷才一 
2021084 【正 しく怖がる感染症】 岡田晴恵 2021083 【赤 塚不二夫】 2021082 【こ びとが打ち上げた小さなボール】チョセヒ 斎藤真理子 訳 2021081 【右 傾化する日本政治】中野晃一
2021080 【式 子内親王私抄 ほのかな美の歌】 沓掛良彦 2021079 【サ ブカルズ】松岡正剛 2021078 【プ ロメテウスの涙】乾ルカ 2021077 【 i アイ】西加奈子
2021076 【ふ くわらい】西加奈子 2021075 【夜 の谷を行く】桐野夏生 2021074 凍 てつく太陽】葉真中顕 2021073 【エリッ ク・ホッファー自伝 : 構想された真実】E.ホッファー著 中本良彦訳
2021072 【愛 と幻想のファシズム 上下】村上龍 2021071 【秋 山道男 編集の発明家】 赤田祐一編 2021070 【中 古典のすすめ】斎藤美奈子 2021069 【忖 度しません】斎藤美奈子
2021068 【木 工少女】濱野京子 2021067 【善 医の罪】久坂部羊 2021066 【日 本語を楽しむ100の詩】 水内喜久雄 2021065 【院 内刑事(デカ)ザ・パンデミック】濱嘉之
2021064 【日 本とドイツ二つの全体主義 : 「戦前思想」を書く】 2021063 【辞 典語辞典】見坊行徳・稲川智樹 絵いのうえさきこ 2021062 【十 五の夏 1975 上下】 :佐藤優 2021061 【続 堕落論】 坂口安吾
2021060 【ア パレル興亡】黒木亮  2021059 【三 美スーパースターズ : 最後のファンクラブ】パクミンギュ 斎藤真理子訳 2021058 【人 間晩年図巻 1995-99】関川夏央 2021057 【石 井桃子のことば】中川李枝子ほか
2021056 【ブ タの丸かじり】東海林さだお 2021055 【日 本とドイツ 二つの戦後思想】仲正昌樹 2021054 【幸 田文 女性作家評伝シリーズ:13】由里幸子 2021053 【翻 訳目録】阿部大樹 タダジュン挿絵
2021052 【漂 砂の塔】大沢在昌 2021051 【急 性ギャンブル中毒の時代】 李達富 2021050 ク ジラアタマの王様】伊坂幸太郎 川口澄子挿画 2021049【ペ スト】カミュ 宮崎嶺雄 訳
2021048 【幸 田露伴 ちくま日本文学 全集 27】 2021047 【建 築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場】松山巌 2021046 【見 わたせば柳さくら】丸谷才一 山崎正和 2021045 【彩 りを楽しむはじめての庭木・花木 】小林隆行
2021044 【人 間晩年図鑑 1990-94年】関川夏央 2021043 【プ ルコギ 焼肉小説】具光然 2021042 【天 皇機関説--昭和史発掘6】松本清張 2021041 【年 の残り】丸谷才一
2021040 【泣 き虫ハァちゃん】河合隼雄 岡田知子絵 2021039 【日 本の四季 風のたより 雲のふみ】倉嶋厚 2021038 【詩 のこころを読む】茨木のり子  2021037 【ニッ ポンの歌】大越正実編
2021036 【違 和感】太田光 2021035【夷 斎小識】石川淳 2021034 【夷 斎風雅】石川淳 2021033 【安 倍官邸vs.NHK】相澤冬樹
2021032 【我 らが少女A】高村薫 2021031 【嫌 われるジャーナリスト】田原総一朗・望月衣塑子 2021030 も じ部】雪朱里+グラ フィック社編集部 2021029 【い つか、あなたも】久坂部羊
2021028 【夜 の国のクーパー】伊坂幸太郎 2021027 【触 れもせで--向田邦子との20年】 久世光彦 2021026 【漢 字の常識・非常識】加納 喜光 2021025 【グ リード 上下】真山仁 
2021024 【虚 像(メディア)の砦】真山仁 2021023 【君 たちはどう生きるか】吉野源三郎 2021022 【楡 家の人びと】北杜夫 2021021 【ポー ツマスの旗 外相・小村寿太郎】 吉村昭
2021020 【本 のなかの旅】湯川豊 2021019 【黙 示】真山仁 2021018 【シ ンドローム 上下】真山仁 2021017 【夢 見る帝国図書館】中島京子
2021016 【永 田町 小町バトル】西條奈加 2021015 【美 しい日本のくせ字】井原奈津子 2021014 【天 の涯に生くるとも】金素雲 2021013 【証 言集 関東大震災の直後 朝鮮 人と日本人】 西崎雅夫 編
2021012 【文 藝別冊 西原理恵子 やり逃げ人 生】新保信 2021011 【誰 も気づかなかった】長田弘 2021010 【感 染症と免疫力】藤田紘一郎 2021009 【断 言微笑】塚本邦雄
2021008 【青 魚下魚安魚讃歌】高橋治 2021007 【詩 のなぐさめ】池沢夏樹 2021006 【寡 黙なる巨人】多田富雄 2021005 【絢 爛たる暗号 百人一首の謎をと く】織田正吉
2021004幸 田家のことば】青木奈緒 2021003 【み らいめがね それでは息 がつまるので】荻上チキ ヨシタケシンスケ絵 2021002 【校 閲記者の目】毎日新聞校閲グ ループ 2021001 【緑 雨警語】 斎藤緑雨 中野三敏 編



2021124

【彼女は頭が悪いから】姫野カオルコ ★★★✩✩ 2018/07/20 文芸春秋

平 凡な女子大生美咲が、東大男子と付き合ったことに始まり、どんどん不条理な状況に追い込まれていく、理不尽な物語。

売れっ子の子役が堂々と、大人じみた発言 をするときのような、どこかちぐはぐな悠然さが、譲治にはある。

國枝が言うと、ダン・サーの二人の後輩は 手を叩いて笑う。雛壇芸人が司会の先輩芸人のコメントに「受けて見せる」ように。


桶で動かない赤い金魚。こんなの かんたんに掬えるぞ と、ポイを寄せると、ぱしゃと紙が破れてしまって掬えない。そんな金魚のように、美咲は抜けた。

姫 野お得意の独特な比喩の一例。

ある事項Aをマイナスに形容するさい、「Aなんていうけど、むさくるし」というように、Aにわざわざ「なんていうけど」と付けるのは、Aが立派だとか偉いとか、高いプラス評価をされている場合であ る。譲治は自分が通っていた麻布学園に、「なんていう」を付けて、「むさくるしいもんですよ」と、自らマイナスに形容をした、誇りがはみ出してい る。はみ出す誇りは、驕りと呼ばれることが多いが。

平成になると地方私立学校は、「バタビア コース」とか「特別進学コース」なんていうネーミングで進学クラスを設けて、バカ学校 のイメージ払拭作戦をとるようになったんだ。生徒じゃなく経営者側が刻苦勉励を続けた甲斐あって、平成になると、偏差値ランキングで、成り上がっ て男爵になるやつみたいな私立が、あちこちの地方で出てきた。

Morris はいまだに「偏差値」というのが理解できずにいる。

東大という学校には、家にうなるほど金の あるやつが大勢いるのである。親の年収をだが区別に比較した統計は、群を抜いて東大が ナンバーワンなのだ。

貧 富の格差が教育の格差になると、そういうことになる。

金は液体。金は流れるもの。譲治の持論で ある。「小金はこつこつ働いて得るもの、大金は流用するものですよ。P地点からQ地点へ金を流用する。Q地点の金が、次はX地点に流れて、次にはまたP地点にもどる。億単位の流用ができる地点が数ヶ所会って、一千万単位の流用ができる地点が数十ヶ所あっ て、百万単位の流用がで きる地点が数百ヶ所ある。百万以下は流用できない。こつこつ働いてゲットしないとなりません。

金融工学というやつか。

水上バスに斬られる水面のうたかたのよう な恋であったかもしれないが、それでも恋であったはずである。そもそも、恋は遍(あまね)く玉響たまゆら)なのである。

美 文である@ @;

「親父が田舎の中学校の先生だからな。村 夫子的なセコさがある。あいつには。だから女が寄らないんだよ」

そんぷうし[村夫子」 村の物知り、田舎の学者。軽い嘲笑をこめて使われる場合もある。(大辞林)

インターネットが危険なのは、すべての文 字が、均一の電子活字であることだ。対象となる事物事件等についての専門家からの意見 も、多角的視野から熟考できる社会人の意見も、若年というより幼年といってよい子供からの、幼さゆえのヒステリックな意見も、すべてが同じ電子活 字で、あたかも公的見解であるかのように表示される。不特定多数が目にする画面に。

ネッ ト世界、SNS 上での見えない発言者同士が陥る陷阱。

美咲はふだんからLINEを使っていた。フェスブックも使ってい た。両方でつばさとつながっていた。つばさが実名で報道されたことで、PCに詳しい者なら、美咲の個人情報をハッキングできる。さほど詳 しくなってもちょっと詳しければ美咲の<友だち>になりすませ、美咲にコメントを送ること ができる。電話すらかけられる。

そういった危険に、気づきながら…………

(公の場では口にしないけどさ、単細胞から ヒトまで、頭が悪いやつ、身体が弱いやつ、不自由なやつは、弱者なんだ。弱者は淘汰さ れるんだ。弱肉強食なのが自然界なんだよ。なんでこの真実を覆い隠すわけ? これ真実でしょ。ナチュラルでしょ。

強者の余裕で、弱者をかばってあげるんだ よ。上から目線? けっこうじゃない。ボランティア、慈善、福祉、みんな上から目線の賜物だろ)と和久田は思っている。

彼らは美咲を強姦したのではない。強姦し ようとしたのでもない。彼らは彼女に対して性欲を抱いていなかった。

彼らがしたかったことは、偏差値の低い大 学に通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない人間 を馬鹿にしたい欲」だけだった。

苦沙弥先生ならさしづめ 「オタンチンパレオロガス!!」で片付けるだろう (^_^;)




【宮本常一の写真に読む 失われた昭和】佐野眞一 ★★★✩✩ 2004/06/18 平凡社

これは以前流し読みした覚えがある。今回は少しゆっくり閲覧した。

宮本は晩年「日本民俗学が本当に完成 するには、部落史と芸能史、それに女性史に本格的にとりくまなきゃならん」と、よく言っ た。

戦後、林道が発達し、トラック輸送が 盛んになると、筏による送流はほとんど見られなくなった。と同時に、杉皮を干す風景も少な くなり、山間の家々も杉皮葺きが目に見えて減り、当世風のモダンな家にかわった。それは山林労働者の労力を軽減した反面、山村の過疎を促すことに もなった。廃村に追い込まれた例も少なくない。

世の中が移り変わるということは、どうし ても誰かが犠牲にたたされるものである。何万、何十万 という人びとがそれぞれ悲痛な思いを胸にひめつつ、山を降りていった、山地を歩くたび、山間にいても安穏に暮らせるような方法はなかったものだろ うかと考える

宮 本は全国の離島を訪ねまわり、昭和28年に成立した「離島振興法」にも尽力したが、山間の僻地への愛情も深かったようだ。

風景の上にも、人の上にも、時間は無 為に流れたのではない。そこには必ず人のいとなみと意志の痕跡がある。そのことを示すため に、宮本はシャッターを押しつづけた。宮本が道や橋を意識的に撮ってきたのも、そうした精神のあり方と密接に関わっている。道こそが人間の意志の 表現であり、橋こそが人間のいとなみの表現だからである。橋には吊り橋、石橋、板橋、舟橋、潜水橋、ハシゴ橋、跳ね橋と さまざまな形状がある。水 の中の飛び石は、きわめて珍しい種類の橋である。

自然と人との関わり合いに心した宮本が歩いた道と橋。飛び石の橋という と、Morrisの故郷武雄 の「ピンピン川」を思い出す。六角川の支流なのだろうが、飛び石があってこういった愛称で呼ばれたのだと思う。

都会ではもう豊かな生活が始まりつつ あったが、地方の片田舎ではこんな粗末な服装の子がまたあたりまえの時代だった。だが、そ こには貧しさゆえの卑屈さのようなものはみじんも感じられない。未来を信じきった子どもたちの笑顔は、見る者の気持ちを幸福感でいっぱいにする。 それはこの子どもたちが個々ばらばらでなく、地域というものと確固たる紐帯で結ばれていたかあであろう。彼らは「家庭の 子」であると同時に、とい うより、それ以上に「村の子」であり、「社会の子」であった。

宮本の写真には、高度経済成長とひき かえに失われてしまった昭和という時代の豊かさと幸福が、鮮明な像をむすんでいいる。そし てそれは、貧しさという時代表層を越えてなお、見る者の胸に静かに迫ってくる。(第一章 村里の暮らしを追って)

豊かさがカネとイコールではなかった時代。

宮本にとって、海は人と人とを隔てる 境界線ではなく、古くから人と人とをむすびつけるかけがえのない交通の場だった。この視点 は、渋沢敬三から見ていわば宮本の弟弟子筋にあたる網野善彦の歴史観にも通じる。

「海から見た日本」という問題意識 は、晩年、宮本を捉えてはなさないテーマだった。(第二章 島と海に見た貧しさと豊かさ)

海もまた「道」だった。

「とにかく歩くこと。歩いて見るこ と。外を見、みずからのすみずみを見ること。歩いて外を見ることで、見る目の新鮮さや驚きの にぶることを防ぐこと。つきつけられた問題にすべて取組もうとすることで、重大な見落しを防ぐこと。その勇気と気力を得つづけるために歩いて接し て取組むこと」(宮本千晴(長男)回想)

道は歩くものである。

宮本の写真は、庶民の立場西座を据え た岩波写真文庫のテイストと瓜二つといってもいいようなところがある。(第三章 街角で聞こえた庶民の息づかい)

岩波写真文庫の数冊は、貴重なビジュアル資料である。

宮本はかつて「人間は伝承の森であ る」といったことがある。宮本はイデオロギーという表層ではなく、その下に流れる日本人の無 意識の慣習、すなわち「伝承」のありようをとらえようとした。

宮本はイデオロギー的に、一方からは 極左のアナキストと見られ、他方からは天皇崇拝主義者と見られる奇妙な存在だった。学生運 動にも強い思想的影響を与え、60年代を代表する理論家の一人といわれた谷川雁がかつて述べた次 の言葉が、宮本の独自のポジションを鋭く言いあてている。

「宮本氏が一度だってストライキを指 導したりしたことはないにきまっているが、彼は事実の報告によって工作しているのだ」

宮本がアナキストとは思えないが、多面的だったことは事実だろう。

「いったい進歩というのは何であろう か、発展というのは何であろうか。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのもので あったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわ しめつつあるのではないかと思うことがある」(「民俗学の旅」)

われわれは技術の進歩と経済発展こそ が人間と社会の成長をもたらすものだと信じて、戦後の時空間をつっ走ってきた。なにごとも 変化しないことは悪であり、変化することこそが善だとかたくなに信じこまされてきた。

時間を止めることはできない。しか し、人間は立ち止まることができる。宮本の写真にわれわれが励まされるのは、宮本がそのこと を勇気をもって教えてくれているからであろう。

記録だけが残ればいい。宮本は写真と ともに、その高邁な精神も時代に渡した。(第四章 ジャーナリストの視点)

進 歩・発展によって失われたものは多い。

「記憶されたものだけが記録にとどめ られる」

宮本が晩年語ったことばだが、宮本の 写真から伝わってくるのは、それを反転させた言葉である。

「記録されたものしか記憶にとどめら れない」

宮本の写真の底には、高度経済成長期 前後の日本人の記憶と記録がおびただしく堆積されている。(おわりに)

MemoryとRecordは双生児(多分二卵性)である。





【非色】有吉佐和子 ★★★✩✩ 1970/08/20 新潮社 有吉佐和子選集8 1964 中央公論社単行本刊

進駐軍の黒人兵士と結婚し、ニューヨークのハアレムで暮すことになった日 本女性が、差別について真 剣に考えながら、たくましく生きていく物語。長い間絶版状態だったのに、最近の人権意識やBLM(Black Lives Matter)の盛り上がりを受けてか、半世紀ぶりに再刊されて、それなりに売れているということをテレビで報じていた。コミスタこうべ図書室に古い選集があったので読むことにした。

「そうなのよ、色つき(カラード)は 甘やかすのが一番いけないんだわ。リンカーンの前には、こんなこと起こりっこなかったんで すもの」

「だいたい平等なんて、考えものなの よ。だいたい使う者と使われる者の間に平等というものがある筈はないんですもの」

「解放されただけでも有りがたいと思 わなきゃならないのに、彼らはもう奴隷だったことを忘れているんだから困るわ」

「それなのよ、黒人が軍隊に入ったの も今度の第二次世界大戦が初めてでしょう?」

身をのり出して喋り出したのはリー夫 人だった。私にとっては耳新しい事実だったのでこのときは耳を立てた。

「色つき(カラード)が名誉あるアメ リカ合衆国陸軍に招集されるようになって、確かに彼らは戦争中よく働いたかもしれない。だ けど、平和になってからやったことは、どうォ? 司令部は早々に色つき(カラード)を本国に送還して除隊しなければならなかったのよ。なぜだと思 う?」

みんなが理由を聞きたそうな顔になっ たので、リー夫人は得意そうに雀斑だらけの顔をひろげた。

「日本娘と結婚するからよ! ニグロ は多産系だから必ず子供ができるわ。連合軍がどうしてそんな面倒まで見なきゃならないの?  これが理由なのよ!」

それからリー夫人が声をひそめた。

「あの女が、それなのよ! 彼女の娘 は色つき(カラード)なのよ! 可哀そうに、騙されて、子供まで産まされてしまったのよ!  ね、ニグロの兵隊なんて、まったく、なんてしょうがないんでしょう!」

これは主人公がまだ日本にいて、トム(トーマス・ジャクソン=夫)は ニューヨークに帰還し、長女メ アリーとの生活のため、東京のワシントンハイツでメイドの仕事しているときの米軍関係者の夫人同士の会話。

竹子が夫であり子であるニグロのこと を、黒、黒と云うのにはその都度私はギクリとしていた。彼女はケニイを抱きあげたときでさ え平気で、ほんまに黒い子やなあ、などと云うのである。しかし彼女の口調には黒を侮蔑した響はなかった。ケニイは慣れっこになっているのか辛そう な顔もしない。これも見事な生き方だと思ったが、生まれつき性格によるものだろうから、私に真似のできることではなかっ た。

大西洋周りでアメリカに向かう船の中で知り合った、同じ境遇の女性たちの 一人竹子は関西人である。 「ニグロ」とか「黒」とかいう言葉が頻出することも、本書がなかなか再刊されなかった理由の一つかもしれない。

私の家は――地下室だった。

何十階建てのビルが並ぶ大都会の中 で、誰が地下室に住むことなど予想できただろう。私は胸の潰れるような思いで、ハアレムの中 の灰色のビルの一つの前で、階段を降りて行くトムの後に従ったのである。

地下室という言葉は、正確には半地下 室と呼ぶべきかもしれない。トムのささやかな名誉ために、もっと詳しく説明しておこう。そ れは下半身だけ土に埋った家のようなものであった。金網を入れてかためたガラス窓が通りに面してついているので、家の中は電気をつけなくても、な んとか鈍い明りが漂っている鰻の寝床のように細長い部屋が一つと、その奥に狭いキチンと便所がある――というのが私たち のつまりこれから親子三人 が暮して行くアメリカの城なのである。

ニューヨークのトムの住まいの描写。先般話題になった韓国映画「パラサイ ト」の主人公一家のすみか が、こういった半地下だった。

終戦後8年たった日本でさえ、復興はめざまし く、人々の生活は一年一年向上していたというのに、戦争に勝った国のアメリカで、しかも世 界最大の経済都市のド真ん中に、こんな惨めな、こんなにも低い生活があろうとは、誰に想像することができただろう。ハアレム――ニューヨークの黒 人街は、実にそういうところであった。失業者が溢れていた。大人も子供も餓死だけはしないというギリギリのところで暮し ていた。だが、同じ身の上 の者ばかりが集まった中ではそれを格別の不満とも思わずにいられるのかもしれない。みんな案外暢気な顔をしていた。

貧乏でも不自由でも、「同じ身の上の者」しかいなければ、人はあまり不幸 とも思わないようだ。差別 や格差を実感することで、不満や理不尽を感じるものらしい。Morrisは1995年の神戸地震の後しばらく、そんな世界を実体験した。

私もそろそろニューヨークを見渡すこ とができていて、白人の社会にも奇妙な人種差別があることに来がついてきた。ジュウヨーク と呼ばれるくらいユダヤ人の多いところであったが、それでもユダヤ人は蔭では指さされているようであった。アイルランド人も、白人の中では下層階 級に多く属しているようであった。イタリヤ系の白人はなぜか軽んぜられていた。汚物処理車(ガベジカー)に乗っているの はイタリヤ人が多かった し、イタリヤ料理屋は二、三の例外はあったが他は最も安上がりな大衆食堂であっった。彼らの職種で代表的なものは、魚屋、床屋、洗濯屋で、それら は他の白人たちの経営するものより料金が安い。

アメリカではWASP(White Anglo-Saxon Protestant)というのが一番上等の人種?とされるようだが、半世紀前にこのように白人のなかでの差別を明記できたのは、有吉の海外留学や旅行の賜物だろう。

だがあのとき私が我を忘れて逆上して しまったのは、今から思っても当然だったと思う。妊娠で精神がかなり苛ついていたこと。志 満子のねちねちした口調で一層苛々していたところへ、あなた「たち」と見下され、鼠のような繁殖率と蔑まれ、しかもプエルトリコ人と同列に扱われ たのだから、わたしでなくても ニグロの妻なら誰でも志満子に一瞬の殺意を覚えたに違いないと思う。プエルトリコ人とい うのは、ニューヨークでは ニグロ以下に扱われている最下層の種族のことなのだから。

プエルトリコがそれほどアメリカで差別されてるとは、実感できずにいた。

得意の絶頂から失意の境涯に陥った ら、日本人でもトムと同じ変化をしめすのではないだろうか。白人であっても竹子の夫と同じよ うに酒や女に溺れ狂って捨鉢な生活にのめりこんでしまうのではないだろうか。しかもニグロの歴史は、奴隷としてアフリカ大陸からこのアメリカへ送 りこまれて以来、奴隷解放後の今に至るまで下層階級というものからは完全に抜けきれていないのである、ハアレムの黒人街 が物語るように。だからト ムの東京における喜びはハアレムから抜け出た喜びであったのだし、ニューヨークの失意は永遠に失意なのかもしれない――ここまで考えてくると、さ すがの私も同じまっ黒な失意の淵にのめりこんでしまいそうになるのだけれども、泥に足を吸い込まれそうになってもなお私 は声をあげて云いたいの だ。色のためではないのだ、と。

日本でのトムは伍長で、PXの責任者でもあり、日本人から見ると、大した ものだった。

私のお父さんはアメリカン・ニグロで す。第二次世界大戦に出征して、占領国日本に進駐し、そこで私のお母さんと出会いまし た。ですから私のお母さんは日本人です。

上の妹はバアバラといいます。3歳と2ヶ月です。下の妹はベティといいま す。1歳と1ヶ月です。バアバラはお母さんに似ました。髪と眼が黒いのでプエルトリコの子のようだと私が 云ったとき、お父さんが大変 怒りました。プエルトリコ人はアメリカ人ではないと云いました。でも、学校の先生はプエルトリコ人もアメリカ人だと云います。私のお母さんも、も うじき市民権をとればアメリカ人になります。アメリカ人という言葉は少し複雑のようです。

ベティは私とお父さんに似ましたが、 お父さんより色が薄いのです。お父さんのお祖父さんはアイルランド人だという話ですから、 それで少し色が白いのでしょう。

私は、お父さんとお母さん、バアバラ とベティの二組をよく見較べて、私の家族は素晴らしいと思います。アメリカン・ニグロの先 祖 は三百年前にアフリカからこの国へ渡って来ました。三百年の間には十の世代(ゼネレーション)があると先生が云います。そうすると、私の家では8代目に白人が、10代目に黄色人種が混ったわけなので す。だから私と、日本人似のバアバラと、少し色のうすいベティが生まれたのです。この三人が 本当の姉妹だなんて、なんてすばらしいことでしょう。

いつの日か私たちの家系にプエルトリ コの人が混ることも考えられます。プエルトリコ人はそれを歓迎するでしょう。そうすれば誰 もあの人たちをアメリカ人ではないなどとは云わなくなるでしょう。

でも私自身はプエルトリコ人とは結婚 しません。お父さんが嫌がりますから。(長女メアリ・ ジャクソンの作文”My Family"より)

この作文は出来すぎの感があるが、感動的である。

それにしても、と私は今更のように思 う。やはり問題は肌の色で はないのではないか、と。

ひょっとすると、ニグロの肌が、白人 と同じように白くても、私 たちはハアレムに住んでいたかもしれない。なぜなら、ニグロは、このアメリカ大陸ではつい百年前まで奴隷だったから。奴隷の子孫は、まだまだ奴隷 なのだ。人々は過去の記憶を決して拭い去ろうとはしない。ちょうど、罪人の眷属が目ひき袖ひきされていつまでも罪人の眷 属だと後ろ指さされるよう に、私は、子供の頃にそれの似た記憶を幾つか持っていた。

金持ちは貧乏人を軽んじ、頭のいいも のは悪い人間を馬鹿にし、 逼塞して暮す人は昔の系図を展げて世間の成上りを罵倒する。要領の悪い男は才子を薄っぺらだと云い、美人は不器量ものを憐れみ、インテリは学歴の ないものを軽蔑する。人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思い たいのではないか。それで なければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。

ハアレムに住み、『エボニ』を眺めて、つ まりニグロばかりの中で暮 してみると、眼のさめるように美しい人もいるし、驚くほど頭のいい学生にも出会う。愚鈍な人間も多いけれども、白人だって日本人だって馬鹿な男の 数は決して少なくないのだ。だから、黒い「から」というのは口実(エクスキューズ)なのではないだろうか――では何なの か。前に考えたように奴隷 であった過去を今も背負っているからだと確信する根拠もないままに、私はただ重い躰を動かしながら、部屋を掃除し、洗濯をし、子供たちの衣類の手 入れをしていた

主人公は、差別の原因を、いくつも考え付いて は、否定したり、展開した りしている。被差別のなかにあるだけに説得力がある。

人間の世界には人種差別よりもっと大 きな差別があるのではない かと考えていた。オジョウチャマとサムの育てられ方の違いは、一方が白人と日本人、一方がニグロと日本人の混血だからということではない。確かに サムは黒いけれども、だから惨めなのではない。色の故ではない。では何なのか。

私はいまこそはっきり云うことができ る。この世の中には使う人 間と使われる人間という二つの人種しかないのではないか、と。それは皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なものではないだろうか。使う 人は自分の子供を人に任せても十分な育て方ができるけれども、使われている人間は自分の子供を人間並に育てるのを放擲し て働かなければならない。 肌が黒いとかしろいとかいうのは偶然のことで、たまたまニグロはより多く使われる側に属しているだけではないのか。この差別は奴隷時代から今もな お根深く続いているのだ。

サムは4人兄弟の末っ子で唯一の男子である。 オジョウチャマは、ユダヤ 人の大学教授と国連に仕事を持つ日本女性夫婦の一人娘で、主人公はここのベビーシッターをしている。

「ユダヤ人と日本人の夫婦よ! どこ に取柄があって? ユダヤ 人の家には行くものじゃないって私たちの間では言われているわ」

白人だけの世界にもこういう差別意識 があることには驚かされ た。志満子の夫もイタリヤ人としてニグロの妻たちの憫笑を買っていた。プエルトリコ人の中にも殆どスペイン人と見分けのつかない者がある。日本人 もやはりニューヨークでは少数民族(マイノリティ)に属しているのだろうか。ニグロのように、プエルトリコ人のように、 あるいはまたイタリヤ人、 アイルランド人やユダヤ人のように。

私が混乱したのは、つい先刻まで、こ の世の中には使う人間と使 われる人間という二つ人種があるだけなのだと考えていたのが、またぐらぐらと揺り動かされ出したからである。ナンシイは使われている側の人間だっ たが、彼女自身の意識ではユダヤ人にも日本人にも優越していた。

ナンシーは看護婦でオジョウチャマの育児の専門家として雇われていて、たぶんWASPに属していて、ユダ ヤ人差別意識が思わず発露 してしまっ たのだろう。

国連の仕事をしているレイドン夫人関 係のお客をするときは、お 客さまは人種的に多彩だった。文字通り国際的で、ネパールだのコンゴなどの皮膚の黒い人たちも交っていた。日本という小さな国の中でもレイドン夫 人と私のように性格の違う女がいるのに、こういうごく小さな国際的な集まりの中ではそれぞれが実に典型的な性格を顕わし て一国を代表している。私 はこの種類のパアティのおかげで、印度人はおそろしく雄弁で議論好きだということを知ったし、南米諸国の人々は享楽的で、深刻な問題を語りあうに は不真面目すぎるということも知った。

アフリカのニグロはアメリカのニグロ を軽蔑しているらしいの。 彼らはアメリカのニグロを――

私には全く解せなかった。何故だろ う、どうしてだろうと思う一 方で、その理由は私に分かりすぎるほどよく分っていた。なぜならこの私もトムやシモンを心の底で軽蔑していたから。私はやはり心のどこかでニグロ の妻であることを恥じている。自分から人にそれを告げるのは嫌であった。私は自分ではメアリーを優秀な娘だと信じ、誇ら しく思っていたが、それを 自慢する相手は同じニグロの夫と子を持つ竹子だけだったのではなかったろうか。

チュニジアの青年が、白い眼を無理に 動かして、喘ぐように云っ た。「アメリカのニグロについてはアメリカの国内問題です。我々は 内政干渉するべきではないと考えます」

ガーナの青年も云った。「私に関心が ないわけではありません。 しかしながら、我々は自 分たちの国の中に多くの問題を抱えています。強いて云うなら、アメリカのニグロの問題は彼ら自身が真剣に考えるべきだと思っています。明らかに彼 らは白人たちより劣っていますし、それらは彼らの怠慢の故ではないかと私は考えます」

彼らは教養ある(ウエル・エデュケイ テド)黒人であった。女性 に対する礼は失しなかった。チュニジアの青年は、改めて私に恭しく答えた。

「ジャクソン夫人、アメリカのニグロ も独立すべきなのではない でしょうか?」

ガーナの青年は、すかさず同意して、 それから朗らかに笑い出し た。アフリカのニグロはアメリカのニグロを軽蔑している。そしてア メリカのニグロもアフリカ人を軽蔑している。

今夜の黒いお客たちは、国へ帰れば指 導者になる人たちなのだ。 彼らは使われているアメリカのニグロたちを同族と看なすことはできなかっただろう。そしてアメリカのニグロたちは 文明国の国民だという誇りを 持っていて、プエルトリコの貧民たちを蔑むと同じように、未開のアフリカの野蛮人たちより自分を優位と思いこんでいるの だ。

そうなのだ。チュニジアの青年が叫んだように、私も屡々そう 思っていたように、問題は色ではないのだ。レイドン夫人もそう云っていたではないか、アメリカの人種差別は階級闘争なのだと!

このアフリカ新興国の幹部候補生青年たちのア メリカの黒人への差別が本 書の白眉と言えるかもしれない。こうした図式は現在も続いている。いや、世界的に普遍化していると言えるだろう。

私は、私もニグロなのだから、向かい に住んでいる八人の子持ち のルシルと同じようにニグロの世界で精一杯働かなくては嘘だ。でなければ、私の誇りとするメアリイとも交いあうものを失ってしまうかもしれない。 私はエリザベス・Y・レドン嬢と別れて私の息子のサムのところへ戻らなければなら ないのだ。トムの眼には失われている輝きを、私はそうしてサムの瞳に必ずいつか取戻してみせる。ああ、私はサムを抱いてエンパイア・ステイト・ビ ルに登るのだ。

これが、物語の結語である。主人公はベビーシッターをやめて、黒人が多 く働く向上の仕事を始める決心をする。エンパイア・ステイト・ビルは比喩ではなく、本当に近いうちに子供連れて、一度も登ったことにないこのビルに上りにいく ことにしたのだった。



2021121

【「全条項分析」日米地位協定の真実】松竹 伸幸 ★★★✩ 2021/02/22 集英社新書:1055

松 竹伸幸 1955年長崎県生れ。ジャーナリスト、編集 者、專門は外交・安全保障。「改憲的護憲論」「9条が世界を救う」「集団的自衛権の深 層」「対米従属の謎」

米軍の日本駐留に際し、日本の法 令が適用されない場合の特権と免除の内容、範囲を定め1960年に締結された日米地位協定。本 書は協定の全文を解説し問題点 を明確にする。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊 の地位に関する協定」 Status of Forces Agreement(SOFA)

前から「日米地位協定」のことは気にかかってたのだが、なかなかちゃ んと読むのは難しいと思って た。この新書は、地位協定全条項と、その前身である行政協定と現行の条文とを対比して、どの部分が改定されたか、拒否されたか、何が問題か、などを条項ごとに 解説している。目次から各条項のタイトルと筆者が付けたサブタイトル?を引いておく。

第 一条 軍隊構成員等の定義--禍根を残した「軍属」の曖昧さ

第二条 基地の提供と返還--既得権益を確保したアメリカ

第三条 基地内外の管理--排他的権利は温存された

第四条 返還、原状回復、補償--全面改訂を求めたが叶わず

第五条 出入と移動--唯一、国内法適用の可能性があっ たのに

第六条 航空交通などの協力--軍事優先で米軍が管制を実施

第七条 公益事業の利用--米軍に与えられた優先権

第八条 気象業務の提供--はねつけられた「全文修正」

第九条 米軍人等の出入国--日本側はコロナの検疫もできず

今 日(2021/12/16)の国会でも問題になった、成田空港でコロナ陽性反応の出た米軍関係者が隔離もされず、民間機で沖縄に渡った事例でも、防衛 相が米軍に対して「善処を願う」ですませてしまうしかない情けなさ(>_<)

第十条 車両の免許と識別--一字一句変わらず

第十一条 関税と税関検査-- 包括的免除を付与

第十二条 物品・労務の調達--自由に、税を課されずに

第十三条 国税と地方税の支払--広範囲に免除した上に

第十四条 特殊契約者--全条削除を求めたが叶わず

第十五条 米軍公認の諸機関--自由な設置と免税と

第十六条 日本国法令尊重義務--法令尊重と法令適用は異なる

日本の観測によれば、日本政府が1960年の安保国会で表明した建前さえ 投げ捨て、米軍にはそもそも日本の法令は適用しないと明言しはじめたのは、70年代のことです。そのウラには、72年に沖縄が返還され、それまでと 異なり自由に基地が使えなく なったアメリカが、地位協定の解釈をどんどん自国寄りにしていった事情があると思われます。

米本土においては、有事に備えた 訓練であっても、国民の暮しや環境に悪影響を与えないようなルールがあるのです。それが日本で は実施されていないし、日本政府も現状でよしとしているということです。国民の暮しよりも有事対応を優先させるというのが、日米地位協定が日本に もたらしたものだと言えるでしょう。

第十七条 刑事裁判権--NATO並みの建前と実態と

第十八条 民事請求権--不十分な救済の仕組み

第十九条 外国為替管理--原則と特例と

第二十条 軍票--不要になった規定をなぜ残すのか

第二十一条 軍事郵便局--郵政大臣の管理権は及ばず

第二十二条 在日米人の軍事訓練--一般市民を予備役に編入して

第二十三条 軍及び財産の安全措 置--米軍の財産には捜査権も及ばず

第二十四条 経費の分担--特例が原則になっていいのか

1996年度から開始されたSACO関連経費は沖縄の米軍基地を整 理・縮小するという名目の予算です。しかし、実際には辺野古の新基地建設にあらわれているよう に、県内で基地をたらい回しし、基地を強化するために使われています。防衛費とは別枠扱いになっているので、防衛費が圧縮されることを気にせずに 支出できるという特質があります。現在、辺野古の新基地建設のために海を埋め立てている途上で軟弱地盤があることが 見つかり、3500億円異常と見込んでいた総工費に ついて政府は一兆円が必要にな ると言明しましたが(沖縄はニ兆6000億円と試算)、いくらでもおカネがつぎ込める のは、これが防衛予算の枠外だからです。

在日米軍というのは、日本が必要経費に加え、五割を上乗せした費用を払っても足らないほど、この 日本の防衛に貢献しているのか どうかです。その検証を抜きにして議論することは禍根を残すことになります。在日米軍の基本的な任務が日本防衛ではないことについては、アメリカ の国防総省幹部その他のいくつもの発言があります。尖閣諸島の防衛をしないことについても同じです。在日米軍が日本 の防衛にどれほど真剣なのかと いう問題こそ、旺盛な議論が求められるでしょう。

第二十五条 合同委員会--組織の性格を明確にすべきだ

合同委員会の「あり方」の問題点

1.地位協定の実施に関する「すべて の事項」を協議するとの定め。日本の各省庁の代表が名前を連ねている。

2.地位協定で合同委員会が「決定す る」ことが許されているのは基地の提供に関する事項だけなのに、広範な分野で決定を行っている こと。

3.合同委員会合意は非公表が原則な のに、非公表にすることだけは公表されたのですか、笑い話のようなものです。

合同委員会合意が公表されないため、秘密裏に国民の権利と暮しを侵害する取り決めがされているの ではないかという疑惑が生れま す。

軍人を相手に結んだ外交取り決めに拘束力があるのかと問えば「法的拘束力はない」と答え、合意に 法的効力のないことの確認を求 められると遵守義務があるかのように答える。支離滅裂とはこのことです。合同委員会を協議期間として残すなら、軍人を代表者から外し、国務省の役 人を代表者とする--。合同委員会にはこのような改革 を加えることが必要でしょう。

1959年に行政協定改定の交渉を開始す ることが決まった時、おそらく日本の官僚のなかでは、これで主権を奪われた現状から脱出するこ とができるのではないかと、ある種の期待が膨らんだのではないでしょうか。その期待を胸に、省庁を横断して行政協定の問題点を洗い出す作業を行 い、整理していった。しかし、当時の岸信介首相がめざしていた日米安保条約の改定は、アメリカが日本の国土を基地と して自由に使うことに制約を加 えるものどころか、自衛隊をアメリカの軍事作戦と一体化させることすら想定したものだったので、政府に仕える官僚として行政協定の本質的な部分に は手を付けられないとあきらめざるを得なかった。


日米関係の実態は整理して言うと 「占領延長型」「有事即応型」「国民無視型」の三つになるでしょうか。日米関係は「占領延長 型」、同時に朝鮮戦争のさなかに結ばれた安保条約は、新安保条約になって以降も冷戦のなかでソ連を仮想敵とし、現在になっても北朝鮮との戦争が終 了せず、いつでも戦時体制に移行する即応体制がとられるなど、「有事即応型」の運用がされてきました。さらに、日本 においては政府が、日本国民に 被害を与えるようなことがあっても、米軍による無制限な運用を許容しているように見えます。 仮想敵に圧力をかける有事即応型を優先させ、その結 果、国民の人権、暮しが圧迫される「国民無視型」の地位協定運用になっているのです。その縮図が沖縄の実態です。

問題は、日米両国の間に存在する 支配・従属の構造だと思います。従属国家である日本の有権者は民主主義の外にある存在なので す。日本政府の立場から見ると、有権者である日本国民よりも、支配者であるアメリカに目を向けざるを得ず、軍事がからんでしまうと日本は民主主義 国家ではなくなってしまうということです。

軍事にかかわる問題になると日本 に決定権がないとうのは悲しい現実です。そこから抜け出すのは容易ではないにしても、必ずやり 遂げなければならないことです。日米地位協定を根本的に変える闘いと、現行協定の下でも日本の主権を貫く闘いと、その双方が不可欠です。(あとがき)

結局この本読んでも、条項の理解には程遠い(T_T) Occupied Japanは まだ続いていることだけわかった。


2021120

【浮世の画家】カズオ・イシグロ 飛田茂雄訳 ★★★    20061130 早川epi文庫 イ-1-4 39 

原題:An Artist of the Florating Worlld 1986

戦時中、国策に沿った絵を描いたということで、戦後、世間から敬遠された画家 とその家族、元の弟子 などをめぐる物語。

「ほんとうに残念です。ときどき思うんで すが、本来なら命を捨てて謝罪すべきなのに、自分の責任を直視できない卑劣な人間がた くさんいるんじゃないでしょうか。だからこそ、うちの大社長みたいな方が崇高な責任を果たさざるを得ないのです。戦時中の地位にまたぬけぬけと就 いている人がずいぶんいます。彼らの一部は戦犯も同然です。彼らこそ謝罪すべきだと思います」

「あなたの言おうとすることわかる」とわ たしは言った。「しかし、戦争中に祖国の為に戦ったり、忠誠心をもって働いた人々を戦 争犯罪人と呼ぶわけにはいかんでしょう。このごろ世間では、やたらに人々を戦犯呼ばわりしているようだが」

「でも、わが国を誤った方向に引きずり込 んだ人々がいることは確かです。彼らが自分の責任を認めるのは、ごく当たりまえのこと ではないでしょうか。彼らが過ちを認めまいとしているのは、卑怯です。そして前国民にそういう過ちを押し付けた人々の場合はそれこそ卑劣きわまる 態度です」

長 崎生まれだが、幼いときに英国に移り、英国人の作家として一家をなしたイシグロの作品を読むのはこれで2冊めだが、事件を描いても、社会問題を取り上 げても、淡々とした筆致で水彩画を思わせる。それが彼の魅力なのだろうが、Morrisの好みとは、少しずれている。戦争責任で も、何をもって責任と するのか、個人の価値観の違いもあるし、保身もあろうし、家族のこともあるだろう。

「彼 はいつも、世の中でいちばんいいものは夜に集まってきて、夜明けとともに消えていく、と言っていた。人々が浮世と呼んでいるのはな、小野、儀三郎 が大事にすべきと心得ていたそういう世界だ……画家がなんとか捉えることのできる最も微妙で、最も繊細な美は、夕闇が訪れた あとのああいう妓楼の なかに漂っている、そして、こんな晩にはそういう美が多少ともこの別荘に流れ込むんだ」

タイトルにある「浮世」は、妓楼に代表される夜の歓楽と酒の世界であると説明 されるが、「浮き世」 と「憂き世」の混じり合った世界であることは否定できない。



2021119
【沈黙する知性】 内田樹×平 川克美 ★★★ 2019/11/11 夜間飛行

小 学生時代からの友人同士の二人の対談。

平川克美 以前、君がブロ グで白川静先生の「思想は富貴の身分から生まれるものではない」という言葉を引いてた よね。つまり、うまい世渡りをして富を蓄え、満足しているようなところからは思想は生まれないということね。

内田樹 世論には「最後の 一人になっても、自分はこの言葉を語り続ける」という個人がいない。僕は世論をそう定 義する。そして、今のメディアは「世論」を語る装置になっていると思う。

平川 「上から目線」の発 言というのは、監視塔からの監視と同じで、見られている側からは目線の出所がわからな いというところにポイントがあるんだ。つまり「上から」の目線というのは、単に「上から」の目線ということではなくて、「監視塔からの目線なんだ よね。

内田 そう、ミシェル・ フーコーの言う通り「パノプティコン」は看守がいなくても機能する。「看守が、見ている かもしれない」と思うだけで囚人たちは行動の自由を失ってしまうから、別に看守が24時間監視している必要はないんだ。監視塔 が無人であろうと「パノプティコン」は機能する。

平川 「自主規制」とか 「忖度」とかが横行するのは、まさにパノプティコンが機能しているという証拠だよ。

今の時代の問題は、「批評性」が欠如して いるということなんだよ。「批評性」が欠如しているから、「批評」が蔓延してしまうと いうパラドックスだな。

内田 「一億総批評家時 代」なんだ。

平川 そして、こうした時 代を作るのに、インターネットは手を貸してしまった。(0章 耳を傾けるに足る言葉はどこにある)

フーコーの 「監視社会」は実際に監 視がおこなわれていなくても、監視されているかもしれないという恐怖心によって、人々が自主規制、忖度、自縄自縛状態に陥るというもの。インターネットが 新時代のパノプティコンに成り代わったということか。

平川 感情的ということの 最大の特徴は、それが長時間続かないということだからね。怒りであろうが、悲しみであ ろうが、時間の経過と共に風化していくのが人の常ですよ。そして、そこで何が行われていたことがわかったときには、この環状は、反対感情に容易に 転化してしまう。戦中、戦後に世界中で起きたことだよね。(第一章 知識人はなぜ沈黙するか)

満足というのも短期間しか続かない。「持続する志」は大江健三郎のエッセイの タイトルだけど。

内田 家族解体は、日本の 経済的反映の帰結なんだよ。貧しいから家族がひしと抱き合って暮らしていた。ゆたかに なったらみんな個室に閉じこもってバラバラに好きなことができるようになった。家族解体と経済成長はトレードオフなんだよ。

「引 きこもり」の人たちは、社会関係のなかで、自分が変化することそのものに対する恐怖があるんじゃないかな。実際には、人間はどんな状況にも結構すぐに 適応できるんだから、新しい環境に身を置くこと自体はたいした問題じゃない。でも、環境に適応する過程でその「自分が変わるこ と」への不安と恐怖がな んだかあるように見えるんだよ。

平川 自分が自分でなく なってしまうということに対する畏れがあるんだろうね。今の自分をずっと守りたいという のは、新種の「保守思想」とも言えるかもしれない。

内田 人には人の取り柄が あり、自分には違う取り柄がある。それでいいじゃない。年収や地位が敬意と人の価値と の間に相関関係があると思うところが根本的におかしいんだよ。

平川 おかしいよね。た だ、おかしいんだけど、地位と収入が人間の価値を決めるという資本のプロパガンダが効い ているんだね。そうしないと、市場が活性化しないからね。(第二章 日本の衰退を止めるには)

ひきこもりが「新保守思想」というのはブラックジョークだね。

平川 村上春樹は、目に見 えないものや、聞こえないけれど迫ってくるものにリアリティを与える作家だと思う。そ の意味では、上田秋成とか泉鏡花とかにつながる系譜の上にいると言えるね。

内田 この間、井筒俊彦の 本を読んでいたら、「スーフィズム」というのが出てきたんだよね。イスラムの神秘主義 のことなんだ。

平川 画家のゴッホは、例 えば、麦畑とかをものすごく個性的なタッチで描くわけじゃないですか。ヒマワリなんか もギラギラとひん曲がったように描く。でもね、あれはレトリックというか、いわゆる絵画の修辞として描いたのではなくて、ゴッホはほんとうにああ いうふうに見えていたんじゃないかと思うんだよね。

推敲をしなくてはいけないような詩と一瞬 にして書けた詩というのは、まったく別物だという気がする。なかには直感的に一筆書き のようにしてすぐれた作品っを作り上げてしまう詩人がいる。天才といわれるような詩人は、どちらかといえば、後者のような書き方ができるひとなの かもしれないと思う。

ゴッホが実際にああいうふうに見えていた とすれば、ゴッホのエピゴーネン(模倣者)たちはゴッホの「ように」描いたに過ぎないわけですね。その場合、ゴッホにとってはリアリズムなんだけ ど、エピゴーネンたちに とっては抽象画のようなものになるわけだね。

ゴッホには世界が、あの絵のように見えていた、というのは、どこかよそでも聞 いたような気がする が、人それぞれ感覚の差異はあるわけで、同じ色を見ても、同じ音を聞いても、同じ物を食べても、それぞれが微妙に、あるいは大いに違っているだろうことは何と なくわかっている。

内田 村上春樹的に書く作 家はたくさんいる。でも、そういう模倣者たちはローカルな書き手で終わって、村上春樹 ひとりが世界性を獲得した。多少文体が似ていても、村上春樹とそのエピゴーネンたちでは、見ているもの、書いているものが違う。

村上春樹は「羊男」にほんとうに自分が書 きつつある物語のなかで出会った。だから自分の「地下二階」で「羊男」に会ったことが ある読者は、「あ、これ知ってる」ッて思う。結局さ、世界中どこでも神秘主義っていうのは基本的に「井戸の中に入っていって、そのなかで変容す る」話なんだようね。つまり、それは、人間の「類型的経験」なんだよ。

平川 どんなにローカルな 話を書いていても、それが人類史的に普遍的な体験と接合されていれば、文化的な背景が 異なっていても、時代が違っていても読者の琴線に触れることができる。

内田 世界性を持つ作家と いうのは、決して「元型」を知識として知って、それをなぞって書いているのではない。 そうではなくて「元型」をそのつど個人的に蘇生させているんだと思う。

村上春樹がすごいのは、スパゲッティを作 るところとか、アイロンをかけるところとか、芝生を刈るところとか、そういう物語の流 れと関係ない細部がほんとうによませるんだよ。日常的な道具を使って日々のどうということのない労働をしている人間をものすごく魅力的に描けると いうこと。これが世界作家に共通する才能だと思うんだよね。

平川 村上春樹の作品に出 ているディテールは、忘れていることさえ忘れているような記憶を、呼び覚ましてくれる ような気がする。そして台詞のひとつひとつがものすごくうまい。「ページの余白のよううな佇まいだった」となかなか書けない。

内田 つまり、こうした表 現ができるというのは、ふだんんからものごとを非常によく観察していると同時に、道具 とかモノに「共感]する能力があるということだと思うな。付 喪神じゃないけど、自分のまわりにある道具とかモノがどれも生命を持つもののように感 じていて、そのものたちの生活感のようなものを表現しよとすると、ああいう比喩になるんじゃないかな。

こういう並行世界の話って、想像力豊かな 作家はつい思っちゃうんじゃないかな。村上龍もかつてはそうだったよ。「69」も現実の1969年ではなく、村上龍的に「あったかもしれ なかった世界」を描いているんだと思う。北朝鮮が日本に侵攻する「半島を出よ」もそ う。そういうことが起こった世界で、日本人がどういうふにふるまうかをありありと想像できる能力は、すぐれた作家に固有のものだと思う。

平川 現代のような時代に おいては、すべてのものが「なんの役に立つの?」「それはいくらなの?」という、いわゆる等価交換的な価値観に落とし込まれてしまっ ているわけだけど、その点、文学というのは、一見、なんの役にも立たないことが延々と書き綴られている。

リアリティという場合、ほとんどの場合 が、実効性があるかどうかを価値基準としている。経済合理性のないものは、リアリティが ないかのように言う。でも、それは今、すぐに役に立つのかどうか、今合理的かどうかというよに、今この瞬間のことだけしか考量していない無時間モ デルのなかでのリアリティに過ぎない。時間のスパンを長くとれば、今役に立っているものは実際には害毒でしかなかったという こともあるだろうし、 今合理的に見えるものが、実はとんだ思い違いだったということはいくらでもある。

原発だってそうだよね。短期的には、たし かに低廉でクリーンなエネルギーという宣伝文句がリアリティを持つかもしれないけれ ど、長期的に見れば事故を想定するのが当たり前のことで、そうあんらば取り返しのつかない事態になること、それを収束されるためにはとんでもない コストを負担しなければならいことはわかるはずだしわかっていたと思う。

リアルであること。つまりあるがままの現 実と、リアrティというのは全く違うものだね。(第三章 「ありえたかもしれない世界」について考える知性--村上春樹の世界)

Morris はどうしても、村上春樹が読めずにいたが、実はこの対談や他の本で、とうとう初期の作品2つを読むことになったのだが…… 

考 量 あれこれ考え合わせて判断すること。「あらゆる要素を考量する」(大辞林)

内田 教育や医療というの は、民営化すると必ず瓦解するね。必ずそうなる。考えてみれば、医療というのは本来、 弱い人のためのものでしょう。保険の審査で「お前は病気だから保険には入れない」というのはどう考えても筋違いだよ。

平川 アメリカの医療は、 医学的には最先端かもしれないけれど、医療政策としては失敗している。保険に入ってい ないと、入院したら「一晩で百万円」といった金額を請求されてしまうからね。アメリカは本質的にリバタリアンの国なんだ。「自己責任でやれ」「日 頃から病気にならないように鍛えておけ」というわけだ。

内田 「自助の精神」とい うのは、言葉としてはきれいだけど、日本で根づかせるのは難しいと思うね。「自助」を 「事故利益の追求」「医療も教育も自己責任」というふうに解釈したら、日本はがたがたになってしまう。そういう人間が権力のトップに立ったら、彼 には個人的な善意以外では、人を救ったり支援したりする義務が発生しないんだから。

「自助」。ちょっと前の総理大臣が就任するやいなやこの言葉を連発してた (>_<)

平川 アメリカで成功者が みんなリタイアしたあと、自分をそだててくれた町に寄付をする。寄付をするということ が、成功者の条件であるような文化は捨てたもんじゃないと思う。

内田 一神教信仰が深く根 づいている社会だと、才能というのは天から贈与されたものだと言うふうに考えられてい る。でも日本人はそういう「天からの贈り物」として自分の能力を捉える習慣がないでしょう。

平川 才能のことを英語で は「ギフト」というものね。

天才というもの。

内田 神話も宗教も文学 も、あらゆる民族的な文化資源を歌って舞って身に付けるんだから。すごいでしょう? 能を嗜むだけで、教養人としての基本は 身につく。能が式楽と して、江戸時代の武士の嗜みだったのは、趣味でやってたんじゃないんだよ。一番効率のいい教養教育だったからなの。

平川 なるほど。そのサブ カル的なものとして歌舞伎が出てきたんだ。

能が文化の凝 縮したもので、そのサ ブカルが歌舞伎というのは妙に説得力がある。

内田 呪いにしても祟りに しても、神にしても悪魔にしても、結局は人間が発明した概念なんだよ。だからそこには 徹底的に人間的な意味がある。

神そのものは人知を超えているけれど、 「人知を超えた神という概念」は人間が創り出したもの、これぞ人知の結晶という他ない。 人間は自分たちが生きているこの宇宙に意味の骨組みを与えるために、そういう概念を発明したんだよ。

平川 そして、その対極に あるのがお金だったわけだ。お金というのも、ひとつの偶像だからね。しかも、とても使 い勝手のいい偶像だった。何しろ、なんとでも交換可能なものだから。言い方を変えれば、何にでも変身できる偶像ですね。お金の万能性とはそういう ことですね。

神と金。どちらとも縁遠いMorrisである^^;

平川 その次に来るのがテ クノロジー。科学技術信仰ですね。技術がすべてを解決するなんて、ありえない話だと思 うんだけど、この話には妙な説得力があって、若い人ほどそういう考え方を信じ込んでしまう。

金だけがすべてじゃないよ、というのは汎 神論的な価値観だということになる。金以外にも、大切なものはいくらでもあるというわ けで、しかし、実際にはなんとなく「金がすべて」という一神教的な考え方に、日本人が飛びついてしまった。お金とか技術とかいうものに一元的に還 元してゆくような思想をどう解体していくのかが、この国の課題なんだと思うな。

多神教(八百万の神)だった日本人が、金という一神教に鞍替えした結果が格差 社会だった?。

平川 町内会も国民国家も 体育会運動部の組織も、その家父長制のエートスを残したまま現在にまで続いている。天 皇制にしても日本という家のお父さんに権威を集中させているわけで。

内田 天皇はお母さんかも よ。

日本はもとも と母系社会だったのか もしれない。

平川 グローバリズムが壊 したのは、家や会社だけじゃなくて、あらゆるコミュニティや、伝統や、文化といったも のを、根こそぎにしていった。そして、人と人とのつながりを分断して、勝者と敗者を、金銭一元的な理由で腑分けしてしまった。

君と話していると、もうグローバリズムは 終わったんじゃないかと安心してしまうんだけれど、実際に世の中に出ていくと、まわり はグローバリストだらけなんだ。

内田 いやいや、大丈夫だ よ。遠い目をして「終わったね」と言っておけばいいんだ。こういった「終わったね」発 言の感染力は結構強いから()(第四章 グローバリズムに「終わり」はあ るか)

コロナの感染がグローバリズムを体感させてくれた。

内田  上の世代は本質的にはそれほど傷ついていないし、下の世代は戦争なんかしらない。戦中世代だけが深いトラウマを負ってるんだ。この人たちからする と、「軍国日本にもいくばくかの真実がある、いくばくかの美がある」と考えないと、やっていられない。その戦中派の思想家の 代表選手が吉本隆明と 江藤淳、それから僕の直感では伊丹十三なんだよね。この三人が、僕の考える「戦中三人男」なんだ。

吉 本隆明、江藤淳、伊丹十三の「戦中三人男」。うまいことをいう。

平川 日本にはかつて終身 雇用と年功序列という制度があった。それが1990年ごろ、一夜にして「成果主義」だと言い 出した。

内田 この問題を一番真剣 に考えていたのが戦中派なんだ。言い換えれば「転向論」は吉本自身のルサンチマンを動 機にして書かれたものだと思う。戦前の左翼知識人の転向を分析することによって、戦後派知識人を批判するわけだけど、それは同時に吉本らの戦中派 世代の立ち位置をどうやって基礎づけるかとい問題でもある。そういう意味では、江藤淳と吉本隆明は通じるところがあると思 う。

江藤淳の「成熟と喪失」を読み返さねばと思いながら果たせずにいる。

平川 「モチベーション」 と「マネージメント」と「パフォーマンス」という言葉を使ったら罰金という

ルールで会議をしたら、全員一言もしゃべ んなかったんだそうだよ() そこで僕がね、その三つの言葉に変わる言葉を提案したんだ。それは「やりくり」「折り合い」「摺り合わ せ」の三つ。

僕の言いたい「平場の常識」というのは、 「伝わる言葉」ということなんだ。

内田 外来語の抽象言語だ けで語ると、平川くんが言うところの「インチキ」になってしまう。外来語で抽象概念を 操作するけれども、そのつど土着の言語に着床させて根を張っていかないと、ただの空語になってしまう。

生活用語を哲学用語に転用できるのは、生 活言語と抽象言語が分かれていないからなんだ。言語的には単相だということ。それに対 して日本は重相なんだよ。

外来語にもいろいろあって、無理やり日本語(漢語)にすることでほとんど通じ なくなるものもあれ ば、アイデンティティみたいにどうしても日本語に訳できずそのままカタカナ語で済ましてるものもあるが、最近は横着になってカタカナ語全盛になってしまってい る。

平川 僕がこんなに小林秀 雄にこだわるかとうと、実は最近、内田樹は小林秀雄だと思っているんだよ。君の立ち位 置は晩年の小林秀雄とすごく似ているように見える。

内田 小林秀雄は、欧米渡 来の学問適正化や文学的知見を、とにかく日本人の日常語に落とし込んでいった。小林秀 雄には、ものすごく強靭な歯と消化器官があって、それでバリバリ噛み砕いていった。そうしてできた「おかゆ」みたいなものを知識人予備軍の青年た ちが読んでいたように思うんだ。

小林秀雄とはソリが合わない。

内田 イギリスにはカズ オ・イシグロがいるね。僕はなんとなく彼がイギリスにおける吉本隆明的ポジションに立っ ているんじゃないかって気がしているんだ。

執事が、彼の主人だったダーリントン伯爵 のことを述懐する「日の名残り」という小説で、自分の主人が体現していたイギリス貴族 のもっとも最良な部分、フェアプレイ精神や「ノブレス・オブリージュ」、敗者への寛容が、政治的に利用されて、断罪されたまま歴史のなかに埋葬さ れてしまう。それに対して執事は「それはちょっとおかしいんじゃないですか」と異議申し立てをするんだ。でも、彼は生活言語だけしか持っておらず、思想の言葉 は使えない。その苛立 ちが「日の名残り」のひとつの主題だと思うんだけど、それを読んで、僕は「あ、カズオ・イシグロって、吉本隆明なんだ」と思ったんだ。

平川 イギリスでもアメリ カでもフランスでも吉本が翻訳されないというのは、結局彼の問題意識がそれらの国の知 識人たちの間ではなかなか共有しにくいものだからかもしれないね。

内田 日本以外の国は抑圧 が強すぎて、吉本隆明が自国の歴史に対してやったような鋭い切り込み方ができなかっ た。つまり、吉本隆明の翻訳が存在しない理由は「欧米の地域性が、吉本の世界性に追いついていない」からなんだよ。

平川 カズオ・イシグロ は、政治的に誤った行動に導かれた人物の内部で生き続けている上質な情感を拾い上げよう としているように思える。上質な情感は、上質な人間性のなかにしか宿らない。

「日の名残り」は読んだ。面白かった、というか、丸谷才一を連想してしまっ た。

平川 「俺の詩は受験勉強 だ」と思ったから、スパッとやめた。

内田 君の詩はうまかった よ。平川克美は、石沢玄という筆名を持つ、現代詩人だった。

平川 そう、うまかった。勉強したからね() でもそこには何もなかったんだよ。言葉 の世界のなかだけで構築したものだから。

平川は詩を書いていたらしい。ちょっと読んで見たい気もする。





【「この木の名前、なんだっ け?」というときに役立つ本 : 樹木がより身近になる】菱山忠三郎写真と文 ★★★☆  2015/03/31  主婦の友社
いつまでたっても、樹木の名前が身につかないMorris.なので、この手の本を見るとつい手に とってしまうのだが本書は場所別に分けてシンプルな説明でわかりや すかった。それよりも、個人的インデックスとして、Morris.がはっきり認知していない(見てもすぐ忘れれる)樹木のみを選択して、心覚えにしておきたい。 従って、衆知の樹木(桜、松、欅、公孫樹……等)は省いている。Googleの画像一覧ページにリ ンクを張っておく。

町なかでよく見られる樹木
ナ ンジャモンジャ 一つ葉タゴ 
タ ラヨウ 多羅葉
ボ ダイジュ 菩提樹
モッ コク 木斛
サ ンシュユ 山茱萸
イ チイ 一位
野原や里山でよく見られる 樹木
イ ヌシデ 犬四手
ア カシデ 赤四手
ハ シバミ 榛
オ ニグルミ 鬼胡桃
コ ナラ 小楢
ク ヌギ 椚
エ ノキ 榎
ク ロモジ 黒文字
ア ブラチャン 油瀝青
ダ ンコウバイ 檀香梅
ウ ワミズザクラ 上溝桜
イ ヌザンショウ 犬山椒
ヌ ルデ 白膠木
ヒ サカキ 姫榊
サ カキ 榊
キ ブシ 木五倍子
ミ ズキ 水木
海岸近くでよく見られる樹 木
サ ンゴジュ 珊瑚樹
ス ダジイ すだ椎
ウ バメガシ 姥目樫
タ ブノキ 椨の木
山地でよく見られる樹木
ア カヤシオ 赤八汐
ネ ジキ 捩木
ナ ツハゼ 夏櫨
シャ サンボ 小小ん坊
サ ラサドウダン 更紗灯台
リョ ウブ 令法
ハ イノキ 灰の木
サ ワフタギ 沢蓋木
ハ クウンボク 白雲木
オ オバアサガラ 大葉麻殻
ガ マズミ
ハ クサンボク 白山木
オ オカメノキ 大亀の木
ア ズサ 梓
ア ラカシ 粗樫
シ ラカシ 白樫
ブ ナ 樗
ヤ マグルマ 山車
カ ツラ 桂
シ キミ 樒
マ ルバノキ 丸葉の木
ナ ナカマド 七竈
バ クチノキ 博打の木
サ ンショウバラ 山椒薔薇
キ ハダ 黄膚
ソ ヨゴ 冬青
ツ リバナ 吊花
モ クレイシ 木茘枝
イ タヤカエデ 板屋楓
チ ドリノキ 千鳥の木
メ グスリノキ 目薬の木
ア ワブキ 泡吹
ケ ンポナシ 玄圃梨
イ イギリ 飯桐
ヒ メシャラ 姫沙羅
カ ヤ 榧
モ ミ 樅
ツ ガ 栂
コ ウヤマキ 高野槇
サ ワラ 椹
ネ ズミサシ 鼠刺し


2021117
【一銭五厘 の旗】花森安治 ★★★★ 1971/10 /01 暮しの手帖社
これも津野海太郎の「花森安治伝」を読んで再読する気になった。
                           
民主主義の<民>は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの <民主主義>だ
政府が 本当であろうとなかろうと 
今度また ぼくらが うじゃじゃけて 見ているだけだったら
70年代もまた <幻滅の時代>になってしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困ることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎりの限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

ぼくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん 白ではない 黄でも緑でも靑でもない
僕らの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後へひかない(見よぼくら一銭五厘の旗 8号第2世紀 昭和45年10月)


一銭五厘は、赤紙(召集令状)のはがきの値段である。本書のタイトルになっている。花森としては、戦争時に大政翼賛のしごとに携わってた ことへの忸怩たる思い もあったのだろう。

酒は毒薬でも、麻薬でもない。ふつうの飲料である。その味は、好む人もあれば、好まぬ人もある。
味は二のつぎ、自分勝手の別天地に急ぎたくて、麻薬を飲むように、酒をのむから、酒を毒薬と考えなければならない人も出てくる。
わかっちゃいるけど、やめられない人が多すぎる。わかっていてもやめられない人に、いくらわかってもらっても、仕方があるまい。
一つの提案がある。
酒の上だから、といって、大目にみることをやめよう。
アメリカのウィスコンシン州法である。酔っぱらいは汽車にも電車にもバスにも乗せない。シラフでのっても、車内でのんで酔っ払った ら、すぐ引きずりおろ す。車内で酒を売ってはならない。
さしあたり、これを日本で実行してはどうだろうか。
いま、私たちに必要なものは、車内で泥酔して乱暴を働く人間に立ちむかってゆく勇気ではない。酔っている人間を、特権者扱いしない勇 気である。
酒は麻薬でも毒薬でもない。ふつうの飲みものの一つだからである。(酒とはなにか 64号昭和37年5月)


酒にはかなり飲まれた方である(^_^;) 日本人の酒と酔っぱらいへの寛容さをいいことに、すっかり甘えていたとも言える。寄る年波の せいか、すっかり酒に も弱くなったが、それでも時々、酒に飲まれる事無きにしもあらずである。死ぬまでなおらないのかも。

政党や政治に、けじめがなくなったときが、独裁者のいちばん生まれやすい ときである。
独裁者は、どこの国でも、いつでも、国民に歓呼されて、登場してくる。
いまの政治家は、そのことを忘れていはしないだろうか。
ひょっとしたら、今は<迎合の時代>かもしれない。
政治家は選挙民に迎合する、経営者は社員に迎合する、親はこどもに迎合する、教師は生徒に迎合する。
そこから生まれるものは、その日暮しの無定見と、やり場のない倦怠感と、焦燥感である。(もののけじめ 1号第2世紀 昭和44年7 月)


「迎合」という言葉を「忖度」と言い換えれば、そのまま今の時代のことになる。

いずれにしても、なんの役にも立たないばかりではなく、ときには私たちに 無用の神経を使わせて いる、こんな迷信を、いつまでもはびこらせていることはありません。そのための方法として、私たちは、運勢歴をはじめとして、いっさいの暦から、六曜を 削ってしまうことを提案いたします。(大安佛滅 68号 昭和38年2月)

六曜とか、三隣亡とか、丙午とか、一粒万倍日なと、暦のうえのあれこれは、迷信にまちがいないし、不必要なものだとMorris.も思 う。しかし、「大安」と 「佛滅」はしぶとく生き残っている。冠婚葬祭や、起工式などで、これを無視するのはなかなかに難しそうだ。先日新装開店したスーパーマルハチのオープンもあと で暦で確認したら「大安」だった(^_^;)

どうも、例の「茶道」というものの、たどってきた道を、ひょっとして、日 本料理も、これからた どるのではないでしょうか。
いまの「日本料理」を作る側全体が、もっともっと、正面切って、私たちの「おそうざい」が移り変ってゆくすがたをみつめ、徳川でも明 治でもない、いまの暮 しのなかで、どうすれば、ほんとに役立つものを作ることができるか、それを真剣に考えてほしいのです。(日本料理を食べない日本人 44号 昭和33年5 月)


この文章が書かれてから60年以上経っている。今の日本で一番食べることの難しいのが日本料理かもしれない。

必要なものは、美しい。
機械を美しいとみる感覚は、茶をいれるのに必要な道具をすっかりそこに並べておく感覚に通じている。
機械の美しさは、機能の美しさである。
機械は機械の美しさをもって、はいってきてほしい。
機械は機械の美しさを、つきつめてほしいし、花は花の美しさを、そっとしておいてもらいたい。
それを見わけられる感覚。
リクツやゼニをぬきにして、素直に、美しいものを美しいとみる、その感覚が、ほしい。(美しいものを 95号昭和43年6月)


柳宗悦の「民芸」に通じるものがあるような気がする。「美しい」は、人によって違うかもしれない。Morris.が美しいと思うものが、 他人と違っていても、 それはそれでかまわない。

煮干しのよしあしを、店先きで見わけるのには、まず姿をみる。おじぎして いるのはいいが、そっ くりかえっているのはいけない。
ほんとにいい煮干しは、青いというより、白くひかっている。
煮干しをモチあみで焼く。目ざしをやくようなものだが、そのつもりでいるとなにしろ小さいから、すぐ黒こげになってしまう。焼けたの を、まないたの上にお いて包丁で頭と尾を切る。さくさくと切れる。これに味塩をふるなり、しょう油でからめるなり、それだけである。
それが、口に入れると、まるで上等のあられみたいに、小気味よく歯のあいだに砕けて、まったく香ばしい。
おつまみによし、白いごはんによしである。(煮干しの歌 76号昭和39年9月)


煮干しの見分け方から、簡単酒の肴。思わず実行に移してしまった(^_^;)

世界中の国が、ある年の、ある日を期して、いっせいに武器を捨てたら、も ちろん戦争はなくなっ てしまう。冷たい戦争などというが、あれはお互いうしろに武器をちらつかせてのことで、もし武器を一切捨ててしまえば、あんなものは、ちょっとした仲たが いにすぎない。
世界中に、武器があるかぎり、戦争はなくならない。
世界中の国が、一切の武器をすてなければならない。
日本国憲法第九条。
日本国民は……武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。
ぼくは、じぶんの国が、こんなすばらしい憲法をもっていることを、誇りにしている。
全世界が、武器を捨てる。
全世界から戦争がなくなる。
それがどいういうことか、どんな国だって、わからない筈はないのである。
ぼくは、人間を信じている。
ぼくは、人間に絶望しない。
全世界百三十六の国に、その百三十六の国の国民ひとりひとりに、声のかぎり訴える。
武器を捨てよう。(武器を捨てよう 97号昭和43年7月)


「武器をさらば」(ヘミングウエイ)はいまだに読んでいないが、「武器を捨てる」ことが、戦争を無くす一番の方法であることは疑いを得な い。しかし、これは難 しいことでもある。

・この本の112pまでは、わりに写真が多いので、その写真はグラビヤ印 刷にした。しかし、文 字は、あとの頁とおなじように、活版印刷である。言いかえると、はじめの三分の一は、写真をグラビヤで印刷した上に、活版で文字を刷りこんだ、つまり二度 刷りということである。というのが、活字については、いささか好ききらいがあって、明治のころの築地活版のあの字体が好きなのであ る。ことに、いろは平か なにいたっては、ほれぼれする。これは若いときから、しみついたもので、いまさらどうしようもない。それが事志に反して、昭和のはじめごろから、活字の書 体は細く細く、活版印刷は軽く軽くなってきて、ついにあの写真植字の字体にまで、なり下ってしまった。雑誌の場合は、それでも、時間 のこともあり、値だん のこともあって、腹の虫をおさえているが、じぶんの本には、あれは金輪際使いたくない、という執念が、そつそつ写真と文字の二度刷りという、分相応のこと をしでかしてしまった。
・そのほか、紋切り型のことは、はぶく。(あとがき 昭和46年9月)


このあとがきみるだけで、花森安治の凄さ(すばらしさ)を感じてしまった。本書の出た70年代は、活字から写植印刷に移行する時代だが、 もちろん本書は活字印 刷で、しかも一部はグラビヤと活版の二度刷りという手間をかけるあたり。花森の美学だろう。

2021116
【最後の読書】津野海太郎★★★☆☆  2018/11/30 新潮社  初出 Webでも考える人

「花森安治伝」読んで、津野海太郎の本読む気になった。

1973年に「植草甚一責任編集」という看板をかかげて、片岡義男や 高平哲郎たちと創刊し た「ワンダーランド」(のち「宝島」と改名)という雑誌は
「タブロイドのタテをすこしちぢめ、ヨコに大きくひろげたAB判。そこに、デザイナーの平野甲賀と相談して、新聞用の小さな一号 活字で組むことにし た。そ のころ新聞でつかわれていた文字はきわめて小さかった。いまはずっと大きくなっている。面積でいえば二倍はあるだろう。その小さな活字を一行30字×54 行×4段で組む。したがって1ページに6480字、四百字詰め原稿用紙にして16枚、三十枚の短編小説が見開き2ページにぴたり とおさまる勘定にな る」 (「おかしな時代」津野海太郎 2008)
すくなくともこの段階では、うまくいったぞ、と当年とって35歳の私は大いに悦に入ってたはずだ。しかし、こんなに小さな字の雑 誌が楽々と読めるのは つよ い視力をもっと若い連中しかいない。あえて見ないふりをしていたのではない。若い「目の力」をもってしても見えないものがある。そのことに気がついていな かっただけ。

けっきょく問題は、往年の私がそうだったように、現場で本をつくる編集者のほとんどが、小さな活字の本は老人には読めない、読め てもきわめて読みにく い、 という現実に気がついていないことにあるのだ。(4 目のよわり)

「ワンダーランド」は当時、すごくおしゃれな雑誌だと感心した記憶がある。
文字の小ささに関しては、Morris.が40代から50代にかけて作ってたミニコミ「サンボ通信」でも、同じような傾向があった。 特に最終ページの「雑 記」の文字はかなりに小ささで、武雄の熊さんから「とても読めたもんじゃない。年寄りの目のことも考えてくれ」と苦情が来たことを思い出す。

長い時間をへて、古井由吉さんも私も、どうやら同じ岸辺にたどりつい たみたいです。
ざっといって、同じ点はふたつ。読んだだことをすぐ忘れてしまう。あっけにとられるほど過酷な記憶力のおとろえ。そしてもうひと つが、「先もないの に、そ んなに本ばかり読んでどうするの」という内心の声を、しばしば感度よく聴きつけてしまうこと。
小説なら硬軟を問わず、つまらないと思ったらその場で読むのをやめるし、おもしろければ最後まで読み、たのしませてもらったこと に感謝する。
年をとるにつれて小説(フィクション)を楽しむ力が失われ、それにつれて、いつしか歴史や伝記や回想録や日記などを好んで読むよ うになった。(5 記 憶力 のおとろえを笑う)

記憶力の減退に関しては、人後に落ちない。面白くない本は途中で中断する癖をつけよう。
                         
E.G.ヴァイニング(明仁天皇の家庭教師)の「旅の子アダム」 (1942)は1948年 に星野あい訳で刊行された。盲腸炎で入院した病床の明仁皇太子 が、出たばかりの訳書を侍従がこの本を朗読して聞かせているのをヴァイニング夫人が見かけた。それと同じ頃、皇太子の13歳の誕生パーティで、侍従のひと りが「道は吟遊詩人の家だ」という作中の一節を朗読することもあったようだ。その一節を新しい立松和平訳から引いておきます。
「道というのは神聖なものだね。道を修繕して後の時代に残しておくことは、貧しい人に施しをしたり、病気の人の看護をすることと と同じことだよ。道は 太 陽にも、風にも、みな同じようにさらされている。道は人間を一に集めたり、遠くに運んだりする。国中の各地をつなぐ。それからこれが重要なんだが、道 は吟遊 詩人の家だ。たまにはお城を家にすることがあっても、本当の家は道なんだよ」


「道は吟遊詩人の家だ」というのは、素敵な詩句だ。「金融資人」にはわかるまい(^_^;)

2003年「婦人之友」社百周年の催しで講演者として招かれ、同席し た美智子皇后と話す機 会があった。
あれこれ話すうちに、スキラ社というスイスの美術出版社が刊行する画集の、「スキラ版」として知られる特殊な判型のことが話題に のぼった。
B5判(週刊誌大)をタテに9cmほど短くした正方形に近い判型。それがスキラ判です。当時のスイスの高度な印刷や製本技術とあ いまって、その洗練さ れた 美しさが、1960年代から70年代にかけて、デザイナーや編集者のあいだで人気をあつめていた。
その印象がつよかったので、1997年に私たちが創刊した「季刊・本とコンピュータ」という雑誌で、この判型をそのまま踏襲させ てもらった。ふつうの 読者 は「スキラ判」ときいても、たいていはなんのことかわからないですよ。ところが美智子皇后はごくあたりまえのこととしてスキラ判の魅力について語った。 「あれ」と思いました。本とのつきあいの深さが並みではないと感じたのです。


天皇制そのものへの疑問はあるものの、美智子さんに関してはあまり悪い印象は持っていない。「スキラ判」というのは知らずにいた。

「日本少国民文庫」は山本有三の企画で、吉野源三郎を実質的な編集長 として、石井桃子、吉 田甲子太郎、大木直太郎を編集同人に、1935年に全16巻のシ リーズとして新潮社から発刊された。皇后は、その中の「世界名作選」の(1)と(2)についてだけ熱心に語っている。
「そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でもないことを教えてくれました。 (略)人と人との関係 にお いても。国と国との関係においても」
いま天皇夫妻とおなじように年老いた私は、この皇后のことばに、なんのためらいもなく共感できる。長く「単純でない」時間がたっ たのです。(6 本を 読む 天皇夫妻と私)


この「少国民文庫」の「世界名作選」2冊が、今は無き元町の古書店「つの笛」の階段脇の百円均一コーナーっで見かけたことを思い出し た。(迷った末に買わ なかった(^_^;))

私はともかく、いまの日本には、紀田さんクラスかそれ以上の蔵書家 だって何十人、いやおそ らくは何百人もいるだろう。その代表が、井上ひさし(想定される 所蔵冊数は14万冊)、谷沢永一(13万冊)、草森紳一(6万5千冊、山口昌男(冊数不明)、渡部昇一(15万冊)といった人たちーー。1929年生れの 矢沢から38年生れの草森まで、その全員が紀田さんもふくめて、おなじ1940年代に幼少期をすごしているのだ。
戦中戦後の本への飢えが欲望のバネとなり、そこに洋書輸入の自由化、全集ブーム、さらには高度経済成長下で激化した本の大量生 産・大量消費の風潮がか さ なって、通常の「規模をはるかに超える」個人蔵書の巨大化がすすんだ。
そして前世紀が終わりに近づくにつれて、この種の飢えの記憶や、本へのやみくもな欲求が薄れ、日常の読書する習慣までがしだいに おとろえはじめた。資 産家 のコレクターや情報マニアをのぞくと、紀田さんのあげる伝説的蔵書家が、今後もつぎつぎに現れるとはとうてい思えない。そう考えると、紀田さんの私的図書 館の崩壊のうしろに、こうした戦後日本型「本とのつきあい方」の終わりの光景がまざまざと見えてくるのです。(7 蔵書との別 れ)


戦後の飢餓的読書状況が蔵書家を産んだというのは、半分くらい当たってると思うが、今後、こういった蔵書家は激減するのはまちがいな いところだろう。

ようするに映画館時代の映画とのつきあいは「一期一会」が原則だった のである。そこには、 ここで見逃したらもうあとはない、という緊張がたえずつきまとっ ていた。
そして、その緊張感に後押しされて、映画的な記憶力ともいうべきものが、いやおうなしに強化される。淀川長治、植草甚一、小林信 彦、和田誠といった人 たち の、映画の細部についての異様なまでの記憶力。かれらにつづく蓮實重彦や川本三郎や瀬戸川猛資たちもふくめて、あれはすべてビデオやDVDやネット動画以 前の、町の映画館で鍛えたものだったのです。
山田稔は、つまるところ、映画は自分ひとりで映画館で見るーーひとりの「孤独」な人間が家をでて、映画を見たあと、近所の酒場や ビヤホールで、たった いま スクリーンで出会ったばかりの、おなじように孤独な未知の人びととの「連帯」の味を反芻しながら、黙々と一杯やって帰宅する。そのプロセスのすべてが私に とっての「映画」なのだ。(8 手紙と映画館が消えたのちに)


映画は映画館で見るものという「高説」は、理解できるが、実行できなかった。今やネットフレッックスなどの配信サイトが主導権を握ろ うとしている。 Morris.はこちらにも距離をおいたまま、結局映画から遠ざかるばかりである。

2014年、丸谷たちのあとをつぐかのように、「池澤夏樹=個人編 集」と銘打って登場した 河出書房新社版「日本文学全集」。
父の世代たちが身につけていた古典の分厚い教養が、息子の世代になると、ほとんど跡形もなく失われてしまっている。これはやっぱ りまずいよ。なにはと もあ れ、みずからの無知無能に抗して、小説家や詩人にしかできないしかたで古典をいまに復活させてみようじゃないか。作家にしかできない古典復興。つまりは生 きのいい現代語訳をーーと、そう最初に呼びかけたのが福永武彦の息子の池澤直樹だっというのも、たいへん印象的だった。(10  古典が読めない!)


海外作品の翻訳は割とたくさん読んだほうだが、日本の古典の現代語訳はほとんど読んでいない。池澤夏樹の試みは評価できると思いなが ら、結局読まないだろ うな。

随筆や日記のようなやわな文章は書けないし書きたくもない。若いあい だはそれですむし、じ じつ、すんでいた。でも歳をとるとそうはいかない。若者や壮年と ちがって、老人の日常(リアル)は基本的に「何でもないこと」だけでできているからね。その「何でもないこと」をうまく表現できないと、なんだか腑ぬけた ようなものしか書けなくなってしまう。(12 八十歳寸前の読書日記)

Morris.はここ20年くらい、この日記(Morris.日乘)を書き続けてきたわけで、はじめから腑抜けである。

「人はどれぐらい食べて、どれぐらい糞をするのか? とんでもない量 だ。おぞましい。我々 は死んでとっととこの世から去っていくのにこしたことはない。 我々が自分たちが大量に排泄するものであらゆるものを汚染しているのだ。(ブコウスキー 中川五郎訳)
いまの私がこの一節を切実な笑いとともに読んだのは、便秘や頻尿になやみ、ときにトイレをあられもな「汚染」してしまうじぶんの 行状に、うんざりされ ているせい。
私にかぎらず、おそらく大多数の老人が、あいつもこいつも、程度の差はあれ、こうした糞尿問題に直面しているにちがいない。
金子兜太には「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ」の句があるし、深沢七郎にも「生まれることは屁とおなじ」という対談集が あった。(13 いつし か傘 寿の読書日記)


「人間はうんこ製造機」という名言(迷言? 明言?)がある。

「福祉という柵を設けて、「ふつうの」人間と同じように生き「られな い」と私達の決める人 を、そこに閉じこめてしまう。そして、自分は、福祉のお世話にな んかならないで済む世界に、ぬくぬくと生きている。もし私が、そんな福祉の対象になる立場に置かれたとしたら、どんなにつらいだろうか」(「福祉という 柵」須賀敦子)(17 柵をこえる)

この柵を越えつつあるような気がしなくもない今日この頃……

老人と老人以前とでは、たんなる事実として、その集積の量がちがう。 しかも心身の衰えに並 行して、未来を想像する力も遠慮なく失われてゆくので、古い本だ けでなく、新しい本までも、思わず知らず、過去に積みかさなったおびただしい体験のあいだを往ったり来たり点検しながら読んでしまう。未来より過去にかた むく。そういう読み方がしだいにしっくり感じられるようになった。(あとがき)

津野はMorris.のひと世代上である。つまりMorris.はこれから徐々に引用した状況に近づいていくということだろう。

【幸 田露伴論考】登尾豊 ★★★☆☆  2006/10/10 学術出版会 
登尾豊 1942年福岡生まれ。東大大学院人文科学中 退。熊本大学教授。「新日本古典文学大系 明治編 幸田 露伴集」(岩波書店 平成14年)

評論家でなく、研究者による論考だけに、難物かと思った のだが、こが、実にに簡にして要を得た明晰な分析、行き 届いた引用、見事な名文で、「おもしろくてために なる」読書を堪能させてもらった。

今 日<文学>という語の指し示すほとんど 全分野にわたって露伴には仕事がある。小説の ほかに詩(長編叙事詩から短詩まで)、短歌、俳句・戯曲・評論・随筆・文学研究(国文学・中国文学に関する研究・考証・解題・校訂。評釈)・翻訳があり--の みならず、彼の著作は<文学>以外の領 域にもおよぶ。繁を避けて言えば、古今東西・聖俗・ 人文・社会・自然--森羅万象が彼の興味の対象で あっ た。そうして注意しておかなければならないことには、彼の意識においては、創作も研究も文学であったし、今日言うところの<文学>以外の事柄につ いて語ることもやはり文学であった。人間の真実を写 すことも天下国家を論じることも真理を探求すること も、彼の文学の範囲内であったのである。
露伴を単に小説家と規定することにはためらいがあ る。文学者と呼ぶのが彼には最もふさわしい。彼は近 世的な文学概念を抱いて生きた最後の一人であったと 言うこ とができよう。

たしかに露伴を小説家と呼ぶのははばかられる。文士も文 人もいまいちぴったりしない。文学者とでも言うしか無い のかもしれないが、ここは真の「知の巨人」というこ とにしておこう(^_^;)

い ま仮りに少年少女向け読み物に<おもしろいも の>(感動を主眼とするもの) と<ためになるもの>(有益を主眼とするもの)の二種類があるとすれば、露伴はつねに後者を心がけたのであり、たとえある作品が前者の様相を呈し ている場合にも核には後者の要素があって、< おもしろくてためになる>になっている。(露 伴と少年文学 昭和53)

「面白くてためになる」というのは講談社の子供向け雑誌 の謳い文句だったと思うが、Morris.の読書の規範 でもある。

露 伴の想像力は、自由な跳梁から沈潜、やがて創作現場 からの離脱という変遷をたどっている。
露伴の文体は語る文体である。彼は事件や人物を描く のではなく、語る。ところで、語りは語り手が対象を 完全に掌握していることを前提に成り立つ。
露伴の小説の読者は、あるいは現に「目で聴いてい る」のかもしれない。露伴の文章には音楽性もある。 (露伴の想像力と文体 昭和55) 

「語り」としての文学。語りは「騙る」でもあるが、露伴 になら騙されてもかまわない気にさせられる。
                                                                                                            < 良か らぬてぐす>を買い当てた露伴も不幸であったが、唯一度の結婚生活が荒涼と不毛であった照子もまた不幸であった。彼女の本性にうすうす気づきながら眼を つぶった点で、一半の責任は露伴にもあろう。それに しても、子供の教育のためという世にありがちな再婚 の動機も潔癖とは言えまいが、二人の子持ちの鰥夫に 嫁し ながら最初からその責任を放棄したような照子の結婚の動機がどうにも不透明である。(露伴の再婚 昭和62)

露伴の再婚相手は、露伴にとっても先妻の娘、文にとって もババつかみだったようだ。

日 本語の文法という骨格を崩さずに外国語もとりいれて 日本の詩歌を存続させようというところに日本 語廃止論や人種改良論の対極にある<反近代>があり、それは<国粋保存>と呼んでもいいものであった。露伴は近代化に際して日本の主 体性放棄を警め、また西洋を崇拝して日本の伝統を全 く無価値とする時潮を批判する姿勢でものを書き始め た。
西洋の彫刻にに対抗するのに日本には仏像がある、と いう自負は西洋崇拝に対する苛立ちでもある。当時の 日本人はアメリカ人フェノロサに日本美術のよさを教 えて もらわねばならなかった情ない国民であった。
露伴の西洋理解は、いわゆる見て来た西洋ではない。 だから、彼の批評は日本の近代化の不徹底や皮相性を 嗤うものではなく、主体性喪失の軽薄さを警めるもの で あった。彼には西洋と日本との差が時間の差としてだけでな質の差としても見えており、時間の差を縮めることはできるとしても、日本を西洋と同質にすることの不 可能と馬鹿馬鹿しさが分っていた。
分断が彼を置き去りにした後、真に不幸だったのは、 内部に批判者をなくした分断の方であるという見方が 成りたつ。(反近代の作家・幸田露伴)


「反近代」という言葉は、露伴を評するにあたっては、否 定ではない。もう一つの近代だった。

明 治になる前の年に生まれた露伴は、日本近代文化史の ちょうど一サイクルを生きたことになり、彼の 生涯は日本の近代と重なってあったことになる。六十年近く前、彼は文明開化一辺倒の風潮に対する批判をひっさげげ文壇に登場したのであったが、彼亡き後、第二 の露伴は現われなかった。明治の前半までに自己形成 を行った文学者たちにはほぼ共通してあった聖子か即 近代化という風潮への懐疑はもはや消えていた。露伴 の死 は明治精神の終焉でもある。
戦後のそうした風潮は、とうぜん、露伴文学の新しい 読者を生まなかった。理由はもう一つ考えられる。国 語の民主化という美名のもとに行われた文化破壊的な 国語 政策である。この下で育った世代は露伴は難しいと敬遠し、露伴の文明批評に触れる機会がなくなった。その結果、彼は名のみことごとしく読まれることの少ない大 になってしまった。[露伴・その軌跡 昭和53)


第二の露伴\(^o^)/ そりゃあ無理な注文である。 戦後の「国語改革」というのは、悔やんでも悔やみきれ ぬ、極め付きの愚策だったと思う。それでも、露伴の ファンは、伏流となってつながっていくものと信じたい。

露 伴の活動はいわゆる上の文学・下の文学の双方におよ んだ。彼はまた、儒学を修め、仏書を読み、易 や仙道に凝ったこともある。一方、聖書も読み、西洋文学も読み、自然科学も学んだ。巨大な宇宙を内に蔵したと言えよう。西洋的要素も排除したわけではなかった が、三つ子の魂が彼を東洋的な文人として終始させ た。それは自ずからのものであったろうが、西洋に学 び西洋の真似をしているうちに日本の真面目を失って 行く時 代にあっては、時代批評・文明批評として心ある読者を魅きつけたのである。(露伴案内 平成9)

斎 藤茂吉は「露伴先生に関する私記」(雑誌「文学」  昭和12)で「露伴にむかふとき先づ満腔の火 を以てせよ」の述べた。
露伴その人が<満腔の火>をもって人生 や文学に対し、sの<火>が強かったか らで、中途半端な興味や生半可の覚悟で向って行った ので は焼きつくされるだけであろう。
露伴の研究課題・論点は無限にある。それぞれが主体 的に見つけ、設定し、それぞれの露伴像を刻めばい い。ただ、その過程で忘れてならないことは、露伴に ついて 書かれた文献以上に露伴の読んだものを読む努力である。例えば仏教の経典を読まないで露伴の世界観や作品世界の仏教的構造を論じられるものではないのである。 [露伴研究のために 平成4)


卒論や研究対象に露伴を選ぶというのは、相当の覚悟が必 要である。というか、限りなく「不可能」に近い (^_^;)

「五 重塔」は、西洋化されて行く日本の近代に対する露伴 の懐疑の表現である。この懐疑が彼を反近代 の作家たらしめた。日本の近代化即西洋化とし、文学の西洋化の跡を追ってきた従来の文学史観が「五重塔」を理解せず、露伴文学をもてあつかってきたのも無理で はない。しかし、近代が自我尊重の時代であるならな おのこと、さまざまの考えかたの存在を許し、それら すべてを包みこむところにこそ真の近代があるのでは ない か。露伴は現実の近代に批判的に対峙することによってかえって魂の孤独を確認し、近代を所有したという逆説が成りたつ。日本近代文学の実質は、おそらく、近代 と反近代とのかかわりあう総体としてあったので、反 近代の文学をも近代近代文学として評価しうる新しい 文学史観の登場が要請される。
「五重塔」のもつ反近代的な文明批判は、今日もなお 存在理由を失ってはいない。……この八十年の歩みの なかで、われわれは多くのものを得たかわりに多くの もの を失ってきた。高度経済社会、機械文明のなかで精神は危機に臨み、人間性は解体されて行く現代。繁栄の現代における精神の荒廃。これが、反近代的な文明批判を 正当に評価しないできた---新時代・文明開化謳歌 路線を推し進めてきたことの当然の報いなのだ。近代 主義と反近代の文明批評とを止揚しないできた憾みが ここ にあるので、露伴の批判は今日もなお生きつづける。
「五重塔」で大我につながりうるかたちで個人我とい うものを考えた露伴とエゴイズムの悪を見つめ て<則天去私>を標榜するにいたった晩 年の漱石と の似通いに注目してみるがいい。にもかかわらず今日、一方は近代文学史の主脈として位置づけられ、他方は高峰ではあっても離れ山として扱われ、あまつさえ、明 治末期以後の露伴文学の展開は文学史の県外に放置さ れている。
日本の近代文学の実質は近代と反近代、言いかえれば 西洋と非西洋がかかわりあう総体としてあったので、 非西洋といえども、積極的に評価しううる視点が必要 であ る。
反近代の文学の再評価は、一時的なブームに終っては ならないし、従来の近代文学史観を温存したままでの 「落穂ひろい」であってもならない。かといって、近 代百 年の流れに目をつむった復古調の喜劇である必要は全くない。それは結局<近代>の意味を問い直し、<文学>の概念をひろげる努力でな ければならぬ。そうすることが時間の最末端を生きる われわれの位置を明らかにし、われわれの可能性の場 を拡大する。露伴文学の再評価もそういう文脈でなさ れね ばならないし、またその時期に来ている。(「五重塔」論 昭和45)


「五重塔」は複数回読んだが、ほとんど読めてなかったこ とがわかった(>_<)
それにしても、露伴の良い読者にはなれないとしても、こ れからもちょこちょこと、露伴をかじり読み続けよう (^_^;)
【揚羽蝶】泡坂妻夫 ★★★  2006/11/30 徳間書店 初出「問題小説」「小説宝石」2004-06
「揚羽蝶」「雪月梅花」「紋の華苑」「鳥居と兎」
「精神感応術(テレパシー)」「おじいちゃんのシンブル」「小さなサーカス」「コロスケの貯金箱」
8篇の短編が収められている。はじめの4篇が紋に関するもの、あとの4篇が奇術、マジックに関するもの。
泡坂は紋上絵師、推理作家、マジシャンという三足の草鞋で知られている。Morris.は紋章師としてしか認知してなかったが、津野 海太郎の本で、彼の小説に 触れてあったのでつい読む気になった。

「それで、袱紗というのも昔からあったんだろう」
「うん、贈答品や引出物の習慣は古くからあったからね。もっとも、昔のは今みたいな袱紗じゃない」
紋亀さんは袱紗の歴史を勉強したようだった。
「昔のは油単といって、ひとえの紙や布に油を引いたものだった。主に、水気や油を防ぐために、長持ちや唐櫃(からびつ)に掛けて 使ったのが起こりだとい う。贈答品は進物盆に乗せて相手の家に届けるんだが、むき出しのままでは持って歩けない。そこで贈答品に魔除け日除けのため小さな風呂敷が掛けられた。調 べてみると、近世になってから武家の間で贈答が多くなると、風呂敷は袷に仕立て、表は家の紋を入れ、裏には友禅染めや刺繍で、だ んだんと豪華になって綴れ 錦の布を使うようになる。これが掛け袱紗だ」
「じゃ、はじめ袱紗はものを包む布じゃなかったんだ」
「そう。包むのは別の風呂敷でこれにも紋が染め抜かれている。昔は贈り物は酒や肴が多く、白生地なども使われていた。こうした品 は進物盆に乗せ、袱紗を掛 け、紋章入りの風呂敷に包んで持ち運びをした。受け取る方はお移りといって、半紙とかマッチのようなちょっとした品を盆に入れ、袱紗を裏返しにして盆の上 に返したものだ」
「うん、思い出した。昔、うちのお婆さんがその儀式を行っていたのを見たことがある」
「そののち、品物の贈り物はすたれて、金券や商品券を贈る習慣が生まれた。それで金封を袱紗で包むようになる。おれを掛け袱紗に 対して手袱紗という。昭和 になると、金封専用の代付き袱紗が売り出された。これは進物盆を省略したもので、金封が折れ曲らないように、金封と同じ大きさの塗り板を添えた商品だ」
「なるほど、相手に金一封を渡すにも、いろいろな定法があるもんだね」
「そう。全て相手が快く贈り物を受け取ってもらうような工夫だね。いつも相手の身になって物ごとを考える。日本人の美しさだと思 う」
「それを教えるだけで袱紗教室は意義があるね」


袱紗などという和装小物に関して、これだけ念の入った説明ができるあたり。

平安貴族の好みによって紋が形作られる。荒々しい猛獣や猛禽類は遠慮願い、そのかわり神秘的な天文や美しい自然、植物や花などを もとに紋を作った。そのと き、
1.素材の形を単純化すること
2.素材の形を丸く収めること
3.左右対称を心がけること
それによって紋は美しくなり識別がしやすく、覚えやすく、描きやすくなった。
これがのちに、江戸時代に至って紋が大発展するもとになったのである。(鳥居と兎)


このあたりのことは、Morris.愛蔵の「家紋の話」(新潮選書 1997)に詳しい。

「シラミの字なんてあ、あるんですか」
「ああ、字引にもちゃんと載っている。風の字の片身をおろしたような虱と書くんだ」
「杜野さんは指でそらに虱という字を書いて見せた。
「風とシラミとは、どういうつながりがあるのかしら」
杜野さんは答えができず、わたしの顔を見た。
「中国でシラミのことを半風子と言うから、そこから来た字でしょう」(小さなサーカス)


白川静の「字統」では「虱」は見出しに出ず、「蝨」の項に「字はまた虱に作り、風の一部を欠くものであるから、また「半風子」とい う」となっている。泡坂説は ちと怪しい気がする。
【コクーン】葉真中顕 ★★★☆  2016/10/光文社
cocoonは繭

「行路病院」
「身寄りもお金も行く場所もない、そういう人が最後にたどり着く病院のこと。あの病院に入院しているのは、人生で取り返しの付か ない失敗をしてしまって、 何も彼もなくしてしまった人たちなの。行き倒れになった人のことを「行路者」と言うから、行路病院。この国にはああいう病院がいくつもあるのよ」
行路病院--、そんなものが存在すること自体、私は知らなかった。
「あの、でも、お金がないんじゃ、入院代や治療費は?」
「そうね、もちろんボランティアでやっているわけじゃない。生活保護よ。日本は憲法で生存権を保障している素晴らしい国でしょ う。中国では絶対あり得ない ことだけれど、無一文の人が入院すれば、行政は生活保護を認定して医療費を払うの。そして生活保護は、制度上、医療費に上限がないから、病院は取りっぱぐ れることはない。やり方によっては、普通の患者を入院させるより効率よく儲かるようになるの
たぶん最初は誰かの善意だったのよ。社会からはじかれて行き場のない人たちを積極的に受け入れようとう100%の善意。けれど、 やがて誰かがそれが儲かる ことに気づいた。儲かると気づけば、もっと儲かるように工夫する者が顕れる。行き場のない患者を待つのではなく、ホームレスや自己破産者といった人たちを 積極的に探し出し、病院へ送り込む者が現れる。病院も病院で、できるだけ診察報酬を取れるように検査や投薬は可能が限り多く、そ して労力のかかるケアは可 能な限り少なくしようとする。「人間が創意工夫を凝らすのを止めることはできないの。」 こうしてシステムはできあがっていく。今や行路病院は、単独では なくいくつもの病院とつながりネットワークを組んで、患者をトレードし合ったりもしているの。現在の医療制度では、長く入院した 患者の医療費は安く設定さ れることになる。だから、適当なタイミングで別の病院に転院させる。すると転院先では新患者扱いとなって、高い医療費を取れるようになる」


実際にこれに類似する施設があるのではないかと思うくらいリアルな描写である。

太陽の塔。
その胴体画面についている、ぐにゃりと割れた太陽の顔がこちらを見据えている。屋根から突き出た塔の先端を見上げると金ぴかの顔 がある。目の部分にキセノ ン投光機が設置され、夜になると光を放つといいう。ここからは見えない塔の裏側には、黒い太陽の顔がある。これら三つの顔はそれぞれ、現在、未来、過去を 表すのだという。更に塔の地下には第四の顔とも呼ばれる「地底の太陽」というオブジェが展示されていて、それは人間の心や祈りの 根源を表すのだそうだ。
「はは、なんじゃ、あらぁ、ごっついのぉ」
マンザイが手をかざして塔を見ながら笑った。
「うん」
俺もつられて笑う。
本当、なんなんだ、あれ? 有名な芸術家が造ったらしいけど、全然意味がわからない。ちっとも格好よくなんかないし、どっちかと いえば不気味だけど、確か にすごい。マンザイ言うところの「ごっつい」だ。こんなの見たら、笑ってしまう。


幼い二人が70年万博でみた「太陽の塔」への率直な評価。「ごっつい」はやはり賞賛と見るべきだろう。

のちに「失われた20年」などと称される長い不景気がはじまり、それ とときを同じくするよう に、俺の身体の方にも、あちこちにガタがきはじめた。
長期の仕事は見つからず、派遣会社に登録し、工事現場を転々とするよりなくなった。そうこうするうちに、21世紀になっていた。 車は空を飛ばず、宇宙旅行 は当たり前ではなく、派遣会社からの連絡を受ける携帯電話だけが実現した新世紀に。
バブル崩壊後に社会に出てきた若い世代が、就職できず不安定な派遣労働者になることが社会問題化したようだけれど、実際に困窮し ている派遣労働者には、俺 みたいな境遇の中高年のほうがずっと多かった。
俺はなんのために生きているんだろう--そんな、馬鹿みたいな問いが頭に浮かぶ。導かれる答えは「否」。なんのためでもない、生 きている意味なんてない。 そういう人生だ。
強いて俺が「いいもの」に触れることができたと思えたのは、1970年の夏、マンザイと一緒に万博に行ったあの日だけだ。でもそ れは手ざわりだけで、結 局、掴むことはできなかった。どこかで「いいもの」を手にするチャンスはあったのだろうか。
せめて高校に通っていれば、転職をしていれば、結婚をしていれば--いくつものifがあったような気がするけれど、もし仮にもう 一度やり直しても、俺は同 じ人生を歩んでしまう気がする。
結局、選択肢などない一本道だったのだ。この世界はきっと巨大な装置で、俺はコンベアに載った部品のように、決まったルートを運 ばれているだけなのだ。そ う思えてならない。


Morris.も、人生をやり直したいとは思わない。

父は最期に思い知ったと思う。この世界は狂った神様がつくっ た<悪の世界>なん だ、とね。だから人間は、こんなにも不完全で愚かしく悪をなす。父は炎に焼かれる中でその<智慧(グノーシス)>の片鱗に触れたはずなんだ。
僕たちをつくった神様が狂っているとして、じゃあどこかに別のもっとちゃんとした神様はいないのか。父が信じたような、本当の善 なる神様はいないのか。あ るいは救世主は現れないのか。考えて、考えて、考えた末に、俺は<智慧(グノーシス)>を手にしたんだ。いるんだよ。本当の神様は、狂った神 様がつくった<悪の世界>ではなく、、僕たち人間の内側にいるんだ。そして、その神様の御子である救世主も、僕たち の中から現れるんだ、きっ と」
ベムラーは一通り話し終えると、その大きな口でにたあっと笑って尋ねた。
「宏道くん、僕の話は面白いかい?」
狂っているのは神様ではなくこの男だと思い知るのは、もう少しあとのことだ。


偶然だが、近読んだ複数の本にグノーシス派が取り上げられていた。異端はその中にいる人にとっては正統であり、その他の教え全てが異 端ということになる。

オウム真理教事件を下敷きにした悪夢の時代の物語だが、どうも歯真中作品ではストーリーより、頻繁に挟み込まれる社会矛盾や暗部の叙 述にばかり目が行ってしま う


【絶 叫】葉真中顕 ★★★  2014/10/20 光文社 

テレビで発達障害についての特集で紹介されていた「アスペルガー 症候群」という発達障害の特徴 は、ぴったりと純に当てはまった。
知的な能力は普通進かむしろ優秀なくらいだが、いわゆる「空気を読むこと」が極端に苦手で、コミュニケーション上のトラブル を起こしやすい。言外のニュア ンスが分からないので、ときに無礼なことを言ってしまうこともある。こだわりが強く、日常のパターンに変化があると強い不安を感じる。これらは主に生まれ つきの脳の気質上の特徴により引き起こされるのであり、必ずしも本人に悪意があってやっているわけではない。むしろ、本人は 生きづらさを感じていることが 少なくない--
番組では、ベートーベンや、ゴッホ、アインシュタインといった名前を挙げ、歴史上の偉人の中にもこのアスペルガー症候群だっ たのではないかと推測される人 物が多くいると紹介していた。


最近よく使われる「発達障害」の一種だろう。いわゆる「天才」と呼ばれる人の中に、この精神障害者がいることは否定できないが、 必ずしも、その障害が、才能に 寄与したとは言えないだろう。

アニマルホーダーというのは、まともな飼育ができないのに、大量 の動物を病的に集めてしまう人 のことだ。日本では単に迷惑な隣人の奇行と思われがちだが、欧米では依存症と同じような精神疾患だと捉える研究が進んでいるのだそうだ。
アニマルホーダーの多くは、心的な問題を抱え、社会的に孤立しており、動物を集めるという行為が、心の傷や孤独を紛らわせる ことと一致してしまっている。 薬物依存症患者が麻薬を止められないのと同じように、彼らは動物を集めることを止められない。だから、公権力が介入して無理矢理止めさせても、また別のと ころへ言って同じ問題を起こす可能性が高いのだという。


毎日鳩に大量の餌を与える人も同じような人なのだろう。やめられないのだ。

相手は話し合いにすら応じようとしなかったのだ。綺麗事を言って 手をこまねけば、近隣の人たち はその間ずっと迷惑を被ることになる。

Morris.の嫌悪する「手をこまねく]表現。特にこの「こまねけば」は醜い、と思う。「こまぬく」は「こま抜く」で、「こま 抜けば」は使えぬではないが、 普通は「こまぬいていては」とか「こまぬいたままでは」といった使い方するだろう。「こまねく」の「ねく」という動詞は日本語に存在しないから、当然「ねけ ば」なんて表現もあってはならないと思う。

「カインド・ネット」は、俗に「囲い屋」と呼ばれる貧困ビジネス です。
彼らは、ホームレスの人などに声をかけ「生活保護を受けて、生活を安定させましょう」「保護費で入れる三食付きの格安物件が あるんです」「ここで住んでく れたら私たちも支援がしやすいのです」などと言葉巧みに誘導して、生活保護を受けさせた上で自分たちの管理するアパートに住まわせます。それで、手数料、 家賃、食費、光熱費、など様々な名目をつけて、毎月の保護費から必要以上の経費を徴収するんです。


この手の話は、大阪の西成区あたりではよく聞かれたものだ。今もあるのだろうと思われる。

綾乃なりに一生懸命愛そうとしたつもりだった。けれど上手く愛す ることができなかった。
優しい夫はそんな綾乃を責めずに許そうとした。
「きみは、少し頑張りすぎなんだ。僕も手伝うから、もう少し気楽にやりなよ」
「駄目よ、ちゃんと私が頑張んなきゃ」
「いや、いいんだよ。ちゃんとしていることや頑張れることは、立派なことだけど、ときにちゃんとできなくてもいいし、頑張れ なくってもいいんだ」
「駄目! 絶対に駄目! 私はちゃんとしたいの!」
「そんなに自分を追い詰めないでくれ。自然なお産ができなくてもいい、母乳が十分でなくてもいい。家事を失敗してしまっても いい。子どもがぐずるのはきみ のせいじゃない。子どもが言うこときかないのはきみのせいじゃない。もちろん子どものせいでもない。何から何までちゃんとできなくてもいいんだ」
「よくない! そんなこと、あなたが決めないで! 私はちゃんとしたいの!」
「いいんだよ。きみはただそこにいるだけで、いいんだよ」
やめて!  お願いだから、もうやめて!
優しい言葉で私を許さないで! 正しい言葉で私を諭さないで! 綺麗な言葉で私を包まないで!私はそれに耐えられない。


「ちゃんとする」
ちゃんと(副詞) 完全できちんとしている さま。1. まじめなさま。 りっぱなさま。 2. 秩序正しく。まちがいなく。規則どおり。3. 十分。4. 危なげなく堅固なさま。しっかりと。 5. すばやく。さっと。ちゃっと。 (大辞林)

それが掛け捨てにしろ、積み立てにしろ、保険に入るということ は、保険会社を胴元とするギャン ブルに参加するのと同じことだ。保険の加入者は、ほとんどの場合、掛け金以上の保険金を受け取れない。つまり、損をしてしまう。
それでも、万が一、個人ではどうにもならないような事態が発生したときのために、損を承知で加入するのが保険というものだ。 働き盛りの人が家族を受取人と して加入する掛け捨ての生命保険はその最たるものだろう。


保険=ギャンブル説(^_^;) これはわかりやすい。

三陸沖を震源とするマグニチュード9の巨大地震と、それに伴う余 震と海嘯は、東北地方を中心 に、いくつもの街を破壊し、数多の人の命を奪い、果ては福島県の沿岸に建つ原子力発電所で炉心溶融及び原子炉建屋の爆発事故まで引き起こした。
政府と電力会社は情報をコントロールしようと嘘をつき、巷には悲しみとデマと不安があふれた。
人智を絶する自然現象は、物理、社会、精神のあらゆる面で、人とそのつくりしものの脆弱さを露呈した。


東北大震災は多くの作家にとって、避けては通れない体験だった。葉真中のような、社会問題をテーマにする作家ならなおさらだろ う。それにしては、いささか舌足 らずの言挙げのように見える。ついつい集中的に読み続けてきたが、このへんで打ち止めにしておこう。


2021112
【Blue】葉真中顕 ★★★☆☆  2019/04/30 光文社

本作は描き下ろし作品です。またこの物語は平成30年間の文化・風俗を俯瞰し ながら、児童虐 待、子供の貧困、モンスターペアレント、外国人の低賃金労働など、格差社会の生んだ闇をテーマとした作品です。(後記)

平成元年に生れ、平成の終わりの年に死んだ無国籍の男Blue。彼に関わる登場人物が各章のタイトルになっている。

アメリカにいるとどうしても日本の出来事に疎くなる。
同調圧力が極端に強くてみんな周りのことばかり気にしている。本当は見栄っ張りのくせに、身近な誰かが目立つことは許さない。有名人の醜 聞や他人の悪口が 大好きなくせに、自分が悪者にはなりたくない。そんな狭い了見の人々が蠢く、狭い国の狭い世間。それは国が豊かなときも、貧しくなっても変わらない。(北 見美保)


かなりステレオタイプな日本批判。

「プロジェクトX]は戦後の日本で、商品開発や公共事業などさまざまな分野で 後世への遺産とな るような成果をあげた「プロジェクト」の内実を描いたドキュメンタリーだ。
戦後の焼け野原から復興を遂げた日本が先進国の仲間入りを果たし、大きく発展した時代。仕事に情熱を捧げ、場合によっては命さえ落とし、 何かを成し遂げた 名もなき人々の姿は胸を打つ。
しかしあの番組が人気を博すのは、希望を過去にしか見出せないことの裏返しなのかもしれない--そんなことも思ってしまう。(藤崎文吾)

Morris.はあの番組ほとんど見てないが、神戸大震災の後、JR六甲道駅の復旧工事と取り上げた回はついつい見てしまった。震災当時六甲 道駅のすぐ近くに 住んでて、高架のホームごと落ちてしまった液の状態を当時見てショック受けてたから、見ることにしたのだと思うが、復興の美名の下、駅建設工事時の手抜を隠蔽 するために、破損部分を検証なしに急いで取り除く工事のやり方が目について仕方なかった。

現在のK政権は、高い支持率を背景に行政にも強い睨みを利かせている。自衛隊 のイラク派遣や有 事法制の制定など賛否の割れる政策を異論を押さえて実行し、今夏の参院選を乗り切ったことで、今後は、最大の目玉政策である郵政民営化を断行すると見られ ている。
警察は官僚機構の末端組織であり、国民の付託を受けた代議士には弱い。彼らの意向に抗い続けるのは難しいのだろう。

K政権は小泉政権である。

三代川修は昭和50年、1975年生れ。彼は自分がいつか何者かになるという 確信だけは抱いて いた。この自己実現欲求と根拠のない万能感が、若者なら普遍的に持つものなのか、あるいは生まれた時代が三代川の精神にインストールしたものなのかは、わ からない。(三代川修)

「自分探し」とか流行った時代である。

平成15年、この頃、社会のあらゆる事象が強固な固体(ソリッド)から寄る辺 なき液体(リキッ ド)への溶け出した。
そしてヒチは自分の価値を自分で決めなければならなくなった。全てのナンバーワンは、その人の主観上のオンリーワンに過ぎなくなってし まった。
それは人が自由に、しかし孤独になったということだ。その不安に堪えられず保守的な価値にすがる人たちのバックラッシュがそこかしこで起 きた。(For  Blue)


スマップの「世界に一つだけの花」の歌詞にある「オンリーワン」を評価する風潮には馴染めなかった。

今年44歳になる綾乃にとって平成初期は中学高校時代にあたる。「オリーブ」 を毎号読んでい た。小沢健二を、正確には彼が同級生の小山田圭吾と組んでいたバンド、フリッパーズ・ギターを知ったのも「オリーブ」だった。レンタルCDショップで借り て、日本の歌手とは思えないキュートでおしゃれなサウンドに魅了された。その反面、「オリーブ」みたいな雑誌を読んでフリッパーズ・ギ ターを聴いているこ とが恥ずかしく思えてしまい、学校や部の友達には内緒にしていた。あれは綾乃だけの秘密の聖域だった。(奥貫綾乃)

小山田圭吾といえば、東京五輪で過去のいじめでバッシング受けたことで、初めてその名を知った。

ついさっき副所長の三島美沙子が言っていた言葉がよみがえる。
--どうしても子供を上手く愛せない人というのは、一定数いるんです。
それは私だ--
子育てに悩んでいたとき誰にも相談しなかった。理想的な相手と、理想的な結婚をしたと思っていた。理想的な家庭をつくるつもりでいた。だ から悩んでいると いうことを認めたくなかった。人を頼りたくなかった。そして子供に暴力を振るうようになってからは、そのことが後ろめたく、なおさら人には言えなくなっ た。(奥貫綾乃)


[愛さないの 愛せないの」という浅川マキの歌を思い出した。

外国人技能実習制度は「労働力は欲しいが外国人に定住されては困る」という日 本人の本音を反映 したかのような、歪な制度だ。きちんとした労働ビザを発行することをせず、実習生は在留できる期間が制限され、職業選択の自由はなく、職場に割り振られた あとは転職もできない。
これをいいことに最低賃金以下で働かせたり、労働法規違反の長時間残業を強いる企業が続出した。発展途上国からやってきた実習生たちは、 情報を遮断され、 自分たちに守られるべき権利があることすら知らず、理不尽に耐え続ける場合がほとんどだった。その上、監理団体に仲介させるため、中間搾取が発生し、利用 する企業の側も余計なコストを払わなければならなかった。(For Blue)


全くその通りの非道い制度である。

綾乃にとって音楽は、雑誌やテレビ、あるいはレンタルCDショップで出会うも のだった。CDを 買うこともあったけれど、大抵はレンタルして、高校生の頃まではカセットテープに、大人になってからはMDにダビングした。MDなんて、あったことすらも う忘れそうだけれど、警察官になった年、冬のボーナスで買ったのは、確かMD付きコンポだった。(奥貫綾乃)

MDコレクションはMorris.の音楽生活の大きな部分を占めていた。今はそれを再生する装置も使えなくなったままである。

リエンに用意された仕事は二つ。一つは週四日、家からバスで15分ほどのとこ ろにある産廃工場 でひたすら粗大ゴミを仕分ける仕事だ。ゴミの中にはガラス片や突起物が混ざっていることも多く、油断すると怪我をしてしまう。なかなかの重労働だった。
もう一つは週末だけの外国人スナックでのホステスだ。これはこれで、酔客の相手をしなければならず、やはり重労働と言えた。
ただ労働時間はさほど長くなく、工場労働は夕方までだし、スナックの仕事は夜だけだ。週に一日程度は丸々休める日もあった。そして二つの 仕事を合わせた給 料はシェアハウスの賃料を抜いた手取りで20万円を越えた。「亀崎ソーイング」の4倍以上だ。もっと稼ぎたければ性風俗店も紹介できると言われたが、それ は断った。(ファン・チ・リエン)

ファン・チ・リエン。かつて日本に外国人技能実習生として働きに来ていた女性だ。
私はこの夏、ベトナムのB省の農村を訪れた。ブルーが好きだったあの写真の景色を見るために。リエンと連絡がつき、一晩だけ家に泊めても らった。
彼女は大きく立派な家に夫と二人で住んでいた。義父母はすでに亡く、二人いる子供は共にハノイで暮らしているという。長男は大学卒業後、 アメリカの企業の ベトナム支社に就職。結婚して、もうすぐ子供も生まれるらしい。長女の方は医師となり病院勤務をしつつ、独立開業のための資金を貯めているという。ベトナ ムでも女性の社会進出は進んでいるようだ。
ひとしきり話したあと、私はしばらく湖を見つめた。
ブルーが見たがったという湖を。
水面は深くしかし透き通るように青い。切りがかかった空気までその青に染まっている。向こう岸に見えるガジュマルの樹の影は、写真のそれ と少しかたちが変 わっている。
早朝のわずかな時間だけ顕れるという美しく幻想的な景色。こうして生で見ると息を呑まずにいられない。
地元の人はこの湖を"運命の湖(ホー・ディン・マイ)"と呼ぶのだという。
運命。
ブルー、私はあなたのことをほとんど何も覚えていない。
それでも、あなたは私の運命だった。
あなたは生きている。平成を生き延びその次の時代を。満ち足りた心で。
私たちは再会し、二人でベトナムへやって来た。この湖を見るために。
それが私の真実だ。(For Blue)


物語の大きな小道具(^_^;)となる風景写真の撮影地を訪れた語り部の美しい虚偽のハッピーエンド。

2021111
【ブラック・ドッグ】葉真中顕 ★★☆☆ 2016/06/14  講談社 初出[小説現代」 2015-16

ペット業界や動物愛護の問題を取り上げた社会小説かと、思ったら、途中から常軌を逸した展開になり、漫画みたいなキャラとご都合主義のオンパ レードで、ちょっ としらけてしまった。実際、漫画とコラボレートした作品だったらしい。

日本でペットの遺棄や殺処分が社会問題になって久しいが、取材を進める中でわ かってきたのは、 その背景には、ペットを売る業者と買う飼い主の間に、一種の共犯関係があるということだ。
業者は儲け優先でペットを生産・販売し、飼い主は気軽にペットを買い、最後まで責任をもって飼わずに棄ててしまう。問題の根本は、どちら もペットを一般消 費財と同じように扱っていることなのだ。


近年、コロナ禍でこの傾向が高まったとも言われている。

思えば大学時代、理系の学部にも血液型性格診断を気にする友達は結構いた。血 液型と性格に相関 関係がないことは、科学的な検証で何度も確かめられているのに、だ。それどころか、非科学的としか言いようのない怪しい宗教や、自己啓発セミナーやらには まり込んでしまう者も少数ながらいた。

Morris.は血液型占いも星座占いも四柱推命も、信じない、というか関心がない。

同じ環境で淘汰圧を受けた生物種は、遺伝的な距離に拘わらず同じ特性を身につ けることがある。 これを収斂進化という。哺乳類であるクジラが、魚類と同じヒレや尾を持つのはその一例だ。この収斂進化は犬と人間の間にも起きている。それを雄弁に物語る のが眼球の白い部分--白目--の存在だ。
イヌ科動物は白目を持つが、人間以外の霊長類には白目がない。この白目という特徴は、視線の方向を周りに知らせてしまう反面、非血縁集団 とも協力して行動 する高い社会性を育む。それは霊長類ではなくイヌ科の特徴なのだ。
白目とそれによってもたらされる社会性がなければ、現在の人類の繁栄はなかったろう。犬は人間にとっての、最も古いゆうじんであり、師で もあるという。 18世紀以降、人間は血統の名のもとに、犬種の特徴を強調するための選択飼育と交配を繰り返した。
結果、何が起きたか? 犬はさまざまの先天性の疾患を抱えるようになった。特定の形質だけを強調する人為的交配は、必ず予期せぬ疾患を生 む。無理に大型化 した犬には股関節整形不全を始めとする骨格障害がつきまとい、無理に小型化した犬には難産や水頭症、呼吸不全など無数の困難がつきまとう。


猫の場合、猫種によって見かけの違いはかなり多様だが、体長・体重の差はせいぜい1:3
くらいまでだろう。犬だと超大型犬と超小型犬だとその大きさの違いは1:20くらいにもなるのではなかろうか。たしかにこれはあまりにも不自 然である。

ヒトは驚くほど頑なで考え方を変えない動物だ。地動説が信じられるようになっ たのは、科学的な 正しさが証明されたからではない。地動説が信じられるようになったのは、科学的な正しさが証明されたからではない。天動説を信じるものが死んでいったから だ。新しい世界は、古い世界の住人の死によってもたらされることは、すでに歴史が証明している。

アメリカ人のかなり多くが進化論を信じていないと聞いたことがある。Morris.も結構思い込みが強い石頭だから、なかなか新しいことに馴 染めない傾向あ り。

2021110
【ロスト・ケア】葉真中顕 ★★★☆☆ 2013/02/20 光文社
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞。本作がデビュー作。
ミステリーというより、介護を初めとする社会の底辺を描いてその矛盾を抉りだす、批判の書のように思えた。

福祉のアウトソーシングと、そのための財源としての介護保険。そこには当 然、利権と権限が生ま れる。社会制度を改革しつつ、省益も拡大できる。善し悪しはともかく、いかにも役人が考えそうなことだ。同じ穴の狢としてそう思う。
「介護ビジネス」という言葉の座りの悪さに気づいた。「介護」と「ビジネス」。相容れようのないものを掛け合わせてしまったキメラの ようなグロテスクさ。 だsが、極端な高齢化を迎えているこの国には、そのキメラを作らなければならない事情があるのかもしれない。
介護事業が大きな利益をあげるようになると、信じられないような制度改正が行われた。企業に支払われる介護報酬が引き下げられたの だ。自分たちで賭場を開 いておきながら、プレイヤーが勝ち始めると、ルールを変えてチップを払わない。企業の側から見れば、役人たちの振る舞いはそんなヤクザな胴元に近い。
ヘルパーなどの介護の仕事はハードである。肉体的にも精神的にも負担が大きい。それに加えて、介護報酬が削られ続ける中、待遇は悪く なっていく。そのよう な職場に人が集まるワケがない。介護業界は慢性的な人手不足に悩まされている。


日本の刑事裁判の有罪率は99.9%。有罪の確信を得たものだけを起訴す る。ごくごく一部の例 外的な否認事件を除けば、裁判官も弁護士も有罪を前提として公判に臨む。
このような法廷で行われるのは、父権主義的(パターナリスティック)な「裁き」だ。検察官が被告人の罪を問い、弁護士は被告人がいか に反省しているかを述 べ、裁判官歯被告人を諭して改心をうながす。その証左に判決を告げたあと裁判官が被告人に「説諭」と呼ばれる説教を行なう独特の慣習がある。聖書に誓うこ とのない日本の裁判は、しかしきわめて宗教的で道徳的だ。法律上の犯罪(クライム)だけでなく、人としての罪(シン)も裁く。こう いったあり方の司法にお いては、結果的に判決は同じでも、どんな罪を自覚させ背負わせるかで裁きの意味が代わる。
その根拠は「罪悪感」だ。
ときに原罪説は性悪説として語られることもあるが、大友には、これ以上ない性善説に感じられた。
なぜ人は悪をなすのか?
なぜ悪をなしてはいけないのか?
問うことがすでに答えだ。善を求めている。
人は強制されなくても人を助けるし、誰かの役に立ちたいと考える。人は教わらなくとも、人を慈しむことや愛することを知っているし、 人を傷つけることをた めらう。そして、もし悪をなしてしまったときは、罪悪感に苛まれる。
正しい者は一人もいない。だが、いや、「だからこそ」人の性は善なのだ。


検察官は「独任官庁」とも呼ばれ、一人ひとりがその判断と責任に基づいて 国や政府からも独立し て権限を行使することができる。その一方で各々が恣意的に強権を発動することのないように「検察官同一体の原則」があり、検事総長を頂点とする指揮系統に は絶対服従が求められる。
日本では起訴権を持っているのは検察官だけであり、たとえ警察が事件の犯人を逮捕しても検察官が起訴しなければ無罪放免となる。裁判 の有罪率の高さと合わ せれば、この国では犯罪かどうかを決めるのは検察官といっても過言ではない。

椎名は続ける。
「天気予報で明日の天気はわかりますよね? でも、一週間後の天気を予測するのはかなり難しくなります。一年後になるともう占いと一 緒。株価も競馬もプロ 野球の優勝チームも、まあ未来のことってのは大抵の場合、どんな高等数学を駆使しても正確に予測なんてできないわけです。ただ、例外的にかなり先まで安定 した予測ができることもあります。その一つが、人口です。人口推計というのは、十年、二十年くらいなら大きく外れることはまずないん です。今、高齢化だな んだって言ってますけど、こうなることは二十年、いやもっと前に分かっていたんです」

毒殺とは死体の中に決定的な証拠を残す殺害方法であり、解剖すれば必ず露 見する。
しかし、その逆も真であり、解剖せずに毒殺を見破ることはきわめて難しい。そして、現在の日本では、予算、人員、設備の不足により、 解剖可能な死体の数に は限りがある。圧倒的多数の変死体は、検視だけで事件性なしと判断されて解剖されないのだ。

身体の不自由な殺しやすい者を狙った犯行。--目的は殺害それ自体。他人 の生殺与奪の権を握 り、幼稚な万能感に浸りたいがための卑劣な連続殺人。--こんな筋読みが大友にはあった。そして、そのような犯行に及ぶ者は良心が欠落したサイコパスでは ないかという予感を得ていた。
しかし実際に逮捕された斯波は、介護の負担が重く本人も家族も苦しんている者を選んで殺したと主張した。「ロスト・ケア」などと名付 け、殺人であると同時 に介護であり、本人と家族のために殺したとまで言っているのだ。目的は殺害それ自体だが、大友が想定していたものとは全く意味が違う。
「検事さん、あなたたちがどんな判断を降そうとも、僕は正しいことをしました」
この日も斯波はそう力強く言い放った。
これは犯罪(クライム)を犯したことは認めたとしても、罪(シン)は背負わないという宣言だ。

僕はずいぶん迷ったすえに生活保護を申請することにしました。生活保護を 受けるって、人間失格 の烙印を押されるような気がしてずっとためらっていたんですよ。まあ、結果としては杞憂でしたけど。たっだえ受けられなかったんですから。背に腹はかえら れないと思って、いを決して申請にいったのに。
福祉事務所の窓口で、「働けるんですよね? 大変かもしれませんが頑張って」と励まされただけでした。だけど僕にはこれ以上、何をど う頑張ればいいのかわ かりませんでした。
このとき、僕は思いあたったんです。「この社会には穴が空いてる」って。

「お前はつらい介護から逃げ出すために父親を殺したということだ。どれだけ事情を並べても、お前が身勝手な犯罪者であることに変わり はない!」
「検事さん、あなたがそう言えるのは、絶対穴に落ちない「安全地帯」にいるとおもっているからですよ。あの穴のそこでの絶望は、落ち てみないとわからな い」


検事さん、あなたたちが法律で僕をどのように裁こうとも、僕は正しいこと しかしてません」
斯波は力強く言い切った。
大友は息を呑む。
これは黄金律だ。
奇しくもフォレストが経営する老人ホームにモットーとして掲げられていた聖書の一節。
    人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい
自らがして欲しいことを人にせよ--全ての法と倫理に通じる根本原則。知識としてそうだと知らなくても、この男の行動原黄金律に他な らない。だsからこ そ、堂々と自分は正しいと主張するのか。この男はまさに辞書的な意味での「確信犯」じゃないか。


「検事さん、なんて素晴らしい模範解答だ! 生きていてこそ? 善性?  そんなことが言えるあ なたは、やっぱり安全地帯にいるんですよ。豪華客船の上から、寄る辺なく溺れる者に命だ善だと説教してるんですよ。素晴らしい、本当に素晴らしい! 僕も できるならそんな立場になりたかった。もし死が救いでなく諦めだとしたら、諦めた方がましだという状況を作ってるのは、この世界(あ なたたち)だ! もし 僕が本当は父を殺したくなんかなかったとしたら、殺した方がましだという状況を作ったのは、この世界(あなたたち)だ!

「43人も殺してるんですよ? 僕は死刑になる。法律に詳しくなくたって 分かりますよ」
斯波はさらりと自分の未来を予言した。そしておそらくそれは正しい。
「僕が人殺しなら、あなただって人殺しですよ。検事さん、もしあなたの言う通り、人が人を殺すことに無条件で罪悪感を覚えるなら、そ れに蓋をしてるのはあ なたも一緒だ。つまりね、検事さん、こういうことですよ。「この世には罪悪感に蓋をしてでも人を殺すべきときがある」」
「違う! お前のような個人の人殺しと、法システムによる死刑は全く別ものだ!」
「同じですよ、検事さん。死刑で犯罪者を殺すのは、世のため人のためなのでしょう? だから正しい。だから罪悪感に蓋ができる。僕 だって世のため人のため に、老人を殺したんです。何も違いません」


「お前の本当の目的は、お前の起こした事件が、広く世に知られることだ!  実の親への嘱託殺人 から始まる哀しき殺人鬼の物語を、この国の人々に突きつけることだ! 
愛情だとか、絆だとか、そんな言葉だけの虚飾を剥ぎ取る物語を。この社会に綺麗事では片つけられない歪みがあり、穴が空いていること を知らしめる物語を。 豊かな先進国で暮らしていると思い込んでいる人々の目を覚まさせる物語を。お前は公開の法廷という場を利用して、そんな物語を語った。
お前自身は死んだとしても、お前の物語を目の当たりにして、目を覚ました人々がすこしでも良い方向にこの社会を、いやこの世界を変え る。それがお前の目的 だ!
お前が本当に望んでいるのは、人が人の死を、まして家族の死を願うことのないような世の中だ! 命を諦めなくてもいい世界、お前とお 前の父親が落ちたとい う穴が開いていない世界だ!違うか!?」


コメントなしで、長文の引用のみということになってしまった。事情は察してもらいたい(^_^;)

2021109
【本の運命】井上ひさし★★★  1997/04/10 文芸春秋 初出「本の話」1996
他の本でこの本の紹介があったので、読むことにしたのだが、ちょっと期待はずれだった。
別の学者の「基礎色彩語」に関するネタを孫引きしておく

哲学者の菅野盾樹によると、「基礎色彩語」は言語ごとにそれぞれ 様々であるらしい。つ まり私た ちは「切れ目のない連続体=混沌とした無秩序(色彩の連続性)」の中に、「言葉=色彩語」を持ち込むことで、自分の周りを整理し、生きて生きやすいように 世界を手馴づけるわけですね。
どんなズボラな言語でも、最低、白黒の区別はつける。色彩連続体を白と黒の二色で文節して秩序づけるわけです。
さらに、色彩基礎語を三つ持つ言語であれば、三つ目はきまって赤になる。以下基礎色彩語を四つもつ言語なら四つ目は黄色か緑 のどちらかであり五つ 持つ言語 であれば、その五つ目は必ず靑である。六つ目はきっと茶色、七つ目は、桃色、紫色、橙色、灰色のうちのどれか一つ、ということになるらしい。


【シー ソー・モンスター】伊坂幸太郎 ★★★☆☆ 2019/04 /10 中央公論社 初出「小説 BOC]2016-18

本書は、文芸誌「小説BOC」の創刊にあたり、8組の作家によっ て紡がれた「螺旋プロジェ クト」の 一作です。<朝井リョウ、天野純希、伊坂幸太郎、乾ルカ、大森兄弟、澤田瞳子、薬丸岳、吉田篤弘>が、ある"ルール"のもと、古代から未来までの 日本を舞台にそれぞれ独立した物語。各作品はそれぞれ独立した物語ですが、全作品を通して読むと、物語が壮大な絵織物(タペ ストリー)となってつなが りあう瞬 間tが立ち現れます。(巻末「螺旋年表」前文)
伊坂だけは二作(昭和後期(バブル期)と近未来)を担当している。前者が「シーソー・モンスター」、後者が「スピン・モンス ター」である。(発行者側 のコメン ト)


「ここからが彼らしいところなんだけれど、どこの会社かは言わな いんだよな。私が、彼との 関係を気 にして、たとえば息子の、ようするに君の会社に配慮するようなことがあったらよくないと思ったんだろう。君自身のためにもならないと言ってたな。生真面目だ ね、本当に植木と一緒で、手を加えないで済むならそれが一番だから、と分かるような分からないようなことを言ってたよ」

薬品会社勤務の主人公の父が、大病院の院長と親しくしながら、息子の得になるその関係を秘密にする。こういったストイック(禁欲 的)な登場人物は伊坂作品 にはよく 出てくる。

わたしは、情報機関の能力としてはアメリカと対等、できれば追い 抜くべきだという気持ちが 強かった のかもしれない。
上司にはなだめられた。「日本の野球がいくらがんばっても、メジャーリーグに太刀打ち出来ないように、さすがに難しいよ。出 し抜くなんて夢のまた夢 だ」
「そのうち日本人もメジャーリーグで活躍するんじゃないですか」わたしがムキになって言えば、「言うのはかんたんだけどね え。夢物語だよ」と鼻であし らわれ た。
わたしはこころの中で上司を冷たくけいべつしかけたが、彼の発した「煎じ詰めれば、バランスの問題」という言葉には納得する 部分もあった。


主人公の妻は過去に国家公安組織に所属していたことがあり、日米の諜報機関の格差に苛立っている。メジャーリーグの話題で、舞台 設定の時代色を出してい る。

「いい人」と「悪い人」といった区分は人間にはない。どのような 人間にもいい面と悪い面が あるとも 言えるが、「いい」と「悪い」が何を指すのかも難しい。わたしがやってきた仕事では、「国家にとって有害な人物」と[無害な人物」といったジャッジはよくして いたが、それにしても明確な物差しがあるわけではない。東西冷戦の中、東と西の区別すらグレーな部分が存在する。

こういったデリケートな問題を、AIなどにまかせると怖いことになりそうだ。

「このあいだね、南海泡沫事件ってテレビでやってたの。18世紀 のイギリスでね、国の借金 が多すぎ るからそれを引き受ける会社を用意したんだって。それが南海会社。貿易で儲けるつもりの会社だったんだけど、うまくいかない。で、株を発行し始めてね。会社の 責任者、ジョン・ブラントには二つの原則があったんだって」
「二つの原則?」
「一つ目。あらゆる手段を使って株価を上昇させることが、会社の利益を増やす唯一の方法である」
その頃から、株取引と株価の話があったのか、と私はそちらのほうに感心しそうになった。
[2つ目は?
「混乱すればするほどいい。自分たちが何をしているのか、人々が理解できないようにしろ」
「混乱するほどいい?」
「実際、南海会社は、見かけだけでいいから、株価を上げるための仕組みを作って、それを実践したの。株価が上がれば、人はそ の株を買うでしょ、そうす るとまた 株価が上がる。儲かりそうだから、みんなが株を買う。今の日本と似ていない? 儲かりそう、という雰囲気で誰も心配しない。不動産は高騰して、贅沢三昧の人が たくさんいて」
「それでどうなったの」
「南海会社に便乗して、よく分からない、小さい株式会社がたくさんできてね、泡みたいな泡沫会社が乱立して、国がこれを禁止 した途端、株価暴落、株を 持ってい る人たちもみんな大損。南海会社の株も一緒に暴落。でね、これが南海泡沫事件と呼ばれているんだって。サウス・シー・バブル」
「夢は泡」そんな諺がなかっただろうか。
「さすがに、破綻しないように対策は打ってると思うけれど」
「暴走している列車を見れば、誰だって、止めなきゃ、と分かるkdれど、止め方がなくて、どこかにぶつかるのを待つしかない でしょ。それに、泡の中に いると、 泡かどうかは分からないものだから」
「日本経済はいつか悪くなるのかな」想像もつかなかった。(シーソー・モンスター)


元祖バブルが18世紀のイギリスにあったという、大ネタをこうやってさりげなく教えてくれるあたりも伊坂作品の美味しいところで ある。「南海泡沫事件」 (^_^;) 最後のセリフで物語の舞台の時代が特定できる。

「あの、どうして居場所が」
「どこもかしこも防犯カメラばかりだ。知ってるだろうが、誰がどこを移動しているかなんてのは、パスカの情報でもばれる」
身分証明書、財布、ネット通信端末といった機能が一枚のカードに収められているパスカは非常に便利で、世界中の大半の人が 使っているが、導入時より政 府機関か らの監視に使われる恐れがある、とは言われていた。正式には肯定も否定もされていないようだが、僕はさほど気にかけていなかった。世の犯罪がそれで取り締まれ るのなら、少々、行動範囲が補足されていたところで構わない、むしろ重大事件の犯人がそれで見つけられるのなら大歓迎、と いった感覚だった。おそらく 多くの人 がそうだろう。自分が故意に犯罪に手を出すことはない、と自信があるからだ。


2つ目のストーリーの舞台は近未来である。ここに出てくるパスカは、世界中で使われているらしい。スマホ(情報端末)そのもの が、カードになったみたいな 感じであ るが、当然マイナンバーカードへの伊坂の考えが反映していると思われる。しかし、情報機器やネット世界の変化は、20年先でも現在の推測とはとんでもなくかけ離れ たものになるだろうということだけは確信できる(^_^;)

「とにかく、噂ってのは、自然に広がることもあるけどな、故意で流した奴がいる場合も多い。スピン・ドクター、スピン・コン トローラーがどこにだって いる」
「スピン・ドクター?」
「誰かに特定のイメージを持たせるために、情報を操作するのがスピンだ。政治家がよくやる。専門家は昔、スピン・ドクターと 呼ばれた」


デマ、プロパガンダ、フェイクニュースなどもスピンにつながるものだろう。英語spinは「(糸を)紡ぐ、(話などを)作る、話 す」というのが元の意味だ が「独楽 を回す、旋盤を回してものを作る」さらには「めまいする」もspinを使うらしい(>_<)

「記憶はだいたい歪む」中尊寺は静かに言った。
「歪む?」
「記憶なんてものは不正確この上ないんだよ。感情を伴えば、それに応じて、修整される。思い出すたびに、加工される。それに 比べて、カメラでの録画は 純然たる 事実の記録だ。間違えようがない」
人の記憶は信用出来ない。だけど自分の記憶なら。
「人は、自分にとってつらい経験や、なかったことにしたい出来事は、自然と修正するもんだ。俺にだってそういうことはある。 だから、おまえのその記憶 も」
自分が捏造したというのか。


画像も映像もデジタルデータならそれなりに変造可能、それも全く完全にそれができたりしそうだ。人の記憶もデジタルデータも信用 出来ないということ。

「ウェレカセリは無数の情報を手に入れて、分析した結果、分かっ たのかもしれないな」
「何をですか」
「争いが起きないことには何も進まない、ってことを」
「だからそれをやろうとしているんですか」
「動物のことは知らねえけど、人間同士を戦わせるのに必要なのは」
「何ですか」
「陣地を決めることだよ。領土ができたら争いが起きる。どの時代、どの場所でもな、国境が近い国同士ではトラブルが起きる。 仲の良い隣国なんて存在し ない。あ の絵本作家が言っていた通りだ。一番手っ取り早いのは」中尊寺が人差し指を出し、上から下へと空気を切るような動きを見せた。「線を引くことだ」
「線を」
「ここから向こうは敵だ、ってな。そのための壁だろ」
パスカに目を戻す。東京を分断する壁ができる。そう言われても、簡単には理解できない。
壁ができたくらいで、対立が起きるものなのだろうか? 


ウェレセリカは超コンピュータ(神レベル?)みたいな存在。争いが人類を進化させるという、否定したくてもなかなか否定が難しい 命題であるが、この命題の アンチ テーゼを正当化していくことこそ、平和主義の根源である。

僕の中の別の僕が、諦めに満ちた声で、答えを口にする。「対立す るための乗り物に過ぎな い」
「乗り物?」
「生き物は、遺伝子がいきながらえるための乗り物に過ぎないとは、昔から言われているだろ。それと同じように、僕は、対立を 繰り返すための乗り物だっ たんだ」


生き物はその遺伝子の乗り物だという説はわりと普遍化しているようだ。わかりやすいもんな(^_^;) でも、Morris.は 違うような気がする。

「恐ろしい事件や感動的な出来事が起きれば、人の心は動く。むか し、無差別爆撃にショック を受けた 芸術家が絵を描いた。その絵を観た人間の心がまた動く。未来を創るのは、情報と事実だけじゃない。むしろ、人の感情だ」中尊寺敦は、スポーツ解説をするよう な、無責任な口ぶりだったが、その裏に熱が篭っているのは感じられた。「人が何を表現して、その表現から何を感じるのか。そ れは、完全には計算できな い。そも そも、人間の感情は論理的ではないしな。たとえば」
「たとえば?」
「そんなことを言ったら喧嘩になる、と分かっているのに、感情を抑えられずに、言ってしまうことがある。そうだろ? 人の感 情は、計算通りにはいかな い」
「おまえたちは、海と山なんだろ」
返事はできなかった。日向恭子の姿が頭に浮かぶ。
「ぶつかり合うだけじゃなくて、その中でいろんなものを生み出しているのかもしれないな」(スピンモンスター)


海と山、水と油、犬と猿、磁石のN極とS極……不倶戴天の敵というのが本作のテーマでもあるのだが、これらの対立が文明を豊かに もしたともいえる。「多文 化共生社 会」とは別レベル問題。*磁石のSとNはお互い引き合う関係だから、比喩としては不適切かも……
【埋 もれた牙】堂場瞬一 ★★★ 2014/10 /04 講談社 初出「インポケット」2013-14

1993年といえば、インターネットが一般に普及する前の時 代だ。ネットで何でも情報 が手に入 ると思われがちだが、実は普及前の「過去」には弱い。ネットの普及後には、データを蓄積していくのは難しいことではなくなったが、それ以前のデータはアナ ログが多いからだ。紙に書かれたデータをわざわざデジタル化して、ネットにアップロードするほど暇な人間は多くない。小 熊が面倒に思ったように、 官公庁で も、昔の資料のデータ化はあまり進んでいなかった。

Google検索でも、ある時代から以前の情報は極端に少なくなる。デジカメ(さらにスマホ)以前の画像も同様。

「勝村さんは、地方出身の人の方が好きなんですね。東京はそ ういう街でしょう? 元々 地方出身 者が集まってるわけだし」
「ああ、そうですね」ある意味、東京というのは日本最大の「田舎」なのかもしれない。実際、「東京出身」よりも、地方か ら出て来て東京に住み着い た人のほ うがわりあいとしては多いのではないだろうか。「田舎」という言い方がまずければ、「地方出身者の集まり」。


東京=日本最大の田舎。このフレーズは使えそう(^_^)


【花 森安治伝 日本の暮しをかえた男】津野海太郎 ★★★☆☆  2013/11/20 初出「考える人」2010-12
Morris.は花森安治には小学生の頃から親しみを感じていた。実家の階段下押入れに、「暮しの手帖」のバックナン バー(創刊号から)があって、写 真やイラ ストも多いので、流し読み、拾い読みして、だんだん本文も読めるようになっていった。記事の何%かは、Morris.の長きにわたる独り「暮らし」を支えた部 分があったかもしれない。

1911(明44) 10月25日、神戸市須磨平田町 に、6人きょうだいの長男として 生まれ る。父は貿易商、母は小学校教師
1924(大13)雲中小学校卒業
1930(昭5) 旧制松江高等学校入学
1933 東京帝国大学美学部美術史科入学。「東京帝国大学新聞」入部。部員に田宮虎彦、扇谷正造、杉浦明平、田所 太郎
1935 山内ももよと結婚
1936 在学中から佐野繁次郎が手がけるパピリオやPR雑誌を手伝う
1938 徴兵を受けて満州へ。翌年4月結核で帰国、40年除隊
1943 再び入隊するも23日間で招集解除。山名文夫らと国策宣伝の仕事を担う
1944 大政翼賛会文化動員部副部長
1945 田所太郎が編集長田所のつてで「日本読書新聞」に身を寄せる。大橋鎮子にである。
1946 編集長花森、社長大橋で、衣装研究所(銀座8丁目日吉ビル)設立。
1948 「美しい暮しの手帖」創刊
1951 「思いつき工夫の手帖」
1953 麻布に「暮しの手帖研究室」ができる。設計図は花森が引く
1954 26号に初めての商品テスト(ソックス)
1960 57号商品テストで石油ストーブを取り上げ、英国アラジン製品がダントツ一位
1961 「いの一番」発売。花森が命名、ロゴ作成
1965 82号から定価160円から220円に改定
1966 2月失火で自宅全焼、麻布のマンションに転居
1968 石油ストーブの初期出火時は水で消えるという水掛け論争。公開実験の結果暮しの手帖に軍配。96号全ペー ジを「戦争中の暮しの記録」に あてる
1969 暮しの手帖百号を迎え、2世紀に
1970 2世紀8号に「見よぼくら、一銭五厘の旗」掲載(翌年単行本化)
1978 1月14日心筋梗塞のため死去。享年六十六
1986 暮しの手帖第3世紀
1988 「花森安治の仕事」酒井寛
1997(平9) 「花森安治の編集室」唐澤平吉
2002 暮しの手帖 第4世紀に
2010 「「暮しの手帖」とわたし」大橋鎮子
2011 「花森安治戯文集(全三巻)」、「花森安治の青春」馬場マコト
2013 「花森安治伝」津野海太郎


1951年発行の「思いつき工夫の手帖」は古本屋の百円均一台で見つけて結構読み込んだ覚えがある。今でも押入れ探せば あると思う。
津野海太郎は花森との知見はなかった(デモの時に見かけたことはあった?)らしいが、娘や手帖社とのつながりを使って、 メモや新しい資料を手に入れ て、ユニー クな花森論を展開している。
【平 成ネット 史ーー永遠 のベータ版)】NHK「平成ネット史取材班 ★★★☆  2021/04/20 幻冬舎 
本書は平成31年(2019)1月にNHK、Eテレビ ジョンで放送された「平成ネット 史 (仮)」と番組誕生イベントをもとに、大胆な加筆修正を行いまとめたものです。

マサチューセッツ大学の研究によれば、「ウソの拡散力は 事実の100倍」であるという データモ あります。刺激的な情報を人に教えたくてつい拡散してしまうのです。本物と見分けがつかないほど精巧な「フェイク動画」まで作られる時代になっています。

この「100倍」という数次の根拠がよくわからないが、そう言わるとそうかなと思ってしまうところがフェイクっぽくもあ るけど。デジタルの世界ではウ ソとホン トの差が「全くわからなくなる」危険すらある。

世論工作をする業者がいる。ある特定の世論を作るサービ スを提供している業者があり、 おそらく それにはPR会社、広告会社も絡んでいるでしょう。

最近話題になったDAPPIなんてのも、その一つだろう。

SNSではパーソナライズされて情報フィルターをかけた り、仲の良い友人たちとだけつ ながる空 間を作る事ができます。そもそも人間は、自分の考えに合う情報ばかりを集めたがる傾向が強いです。このように、いわゆる不寛容な社会や、自分の考えとは合 わない情報を避けて行く状態は「フィルターバブル」と呼ばれます。
考え方や好みの似た人々が集まったSNSでは、発信した情報に賛同・同調する人たちが多く、反響が大きくなる「エ コーチェンバー」(反響室)と呼 ばれる状 態になりやすいです。そのような状況では異論をはさみにくく「同調圧力」に飲み込まれやすくなります。


「同調圧力」はお馴染みだが、「フィルターバブル」とか「エコーチェンバー」は知らずにいた。人間は自分の見たいものし か見ず、知りたいことしか知ろ うとしな いという物言いは半分常識みたいになっている。
本書ではインターネットの歴史そのものより、そこから派生する「フェイクニュース」の話が興味深かった。

[フェ イク ニュース区分]
1.プロパガンダ--政府、企業、NPOなどが人に影響をおよぼすための手段
2.釣りタイトル--本質から外れた、刺激的で目立つ見出し。広告収入を得るため
3.スポンサドコンテンツ--記事に見せかけた広告
4.風刺、架空の話--社会批判、ユーモアを交えた作り話
5.誤報--公共的機関にも間違いはある。訂正が必要
6.党派的情報--中立を装って、自党、機関のイデオロギーに有利な情報
7.陰謀論--恐怖や不確実さから、複雑な事実を単純化して提示。間違いだと証明しにくく、反証すると陰謀論の信頼 性を増してしまう
8.ニセ科学--奇跡の治療法、地球温暖化の否定等々
9.誤情報--事実と間違いが入り混じった情報。発信者が誤りに気づいていない(だまされていたり)ことも
10..偽情報--完全な捏造コンテンツ。広告収入目当てか政治的影響を与えることが目的

その他「誤った引用」「なりすまし」「ミスリーディング」「改竄コンテンツ」なども。


こういう風に種類分けされるとわかりやすい。
巻末にカラー1pの「平成ネット史年表」(1989-2019)があり、これがなかなかウィットに富んでいて面白かっ た。懐かしく思い出すこともあっ たが、全 く知らない言葉や、事象も多かった。

【編集権発行人】山 本夏彦 ★★★☆☆ 1976/03 /11 ダイヤモンド社 初出「小説新潮(社会望 遠鏡 欄)」、「室内」

山本夏彦はコミスタこうべの書架に30冊くらいあるので、主だった一冊本や写真コラムなど再読させてもらった。本書 はかなり初期の一冊である。「一つ 事しか 言っていない」と何度も言ってる(^_^;)夏彦だが。本書もほとんどデジャヴ状態。それなのに、読むたびに感心するのはなぜだろう?

「まざあ・ぐうす」(鵞鳥おばさん)という本を、か ねがね私はさがしている。もう一度 見たいと 思っている。マザー・グースはイギリスの古いわらべうたを集めて一冊にしたものである。北原白秋が訳した。
どうしてそれを思いだしたかというと、「マザー・グースの唄」と題する小冊子が出たからである(平野敬一著 中 公新書)。
私はこの小冊子で、谷川俊太郎氏がマザー・グースのうちの五十幾篇かを翻訳していることを知った。けれども私が さがしているのは、白秋訳の「まざ あ・ぐう す」である。

「これこれ小意気なお娘御(むすめご)。お前は何処(どちら)へおいでです」
「お乳しぼりに参ります」(略)--白秋訳

かわいこちゃん どこへゆく?
まきばへ うしの ちちしぼり--俊太郎訳

同じものを二人はこう訳している。平野氏はその相違を指摘して、時代の違いが歴然と出ている、日本語は変化が激 しいから、翻訳の寿命にも限りがあ ると言っ ているが、白秋がこれを訳した当時でも「お娘御」なんて誰も言いはしなかった。お娘御はすでに口語ではなかった。ここでは歌のなかの言葉として採用されて いる。したがって、古いというならそのころから古く、いま古くなったわけではない。かわいこちゃんのほうは、い ま新しいから、そのうち古くなる恐 れがあ る。
翻訳にも寿命があるということを、私は認めないではないが、寿命はなるべく長いほうがいいと思っている。
「まざあ・ぐうす」のなかの幾篇かは、初期の「赤い鳥」に出たという。白秋は熱中して長短あわせて百余篇を訳し て、のちにアルスから本にして出し た。さら にのちに、春陽堂から文庫本の一冊にして出した。春陽堂は昔は聞こえた版元だったが、昭和になってから衰えて、文庫本も出たり出なかったりした。むろん、 すぐ絶版になった。

背骨まがりの天のじゃく
背骨まがりの旅をして
背骨まがりの石段で
背骨まがりの6ペンス拾い
背骨まがりの猫を買い
背骨まがりの鼠をとらせ
背骨まがりの豆んちょの家に
背骨まげまげ納まった

背骨まがりは、つむじ曲りのことだと白秋は付記している。この歌を読んだとき、弱年の私は笑った。そしてこの歌 の一番しまいを、背骨まがりの豆の よな 家で、背骨まげまげおっちんだ、いつの間にか誤って記憶した。
このごろはつむじ曲りと言わない。へそ曲りと言う。こんな言葉は昭和初年までなかった。私の記憶では昭和十年代 に言いだされ、あっというまに普及 して、つ むじのほうを征伐して、今ではつむじ曲りと言うと、へそ曲りですかと訂正されるほどになったから、私は私の目の黒いうちは、つむじ曲りと言いつづけて、へ そ曲りとは言うまいぞと固く決心しているくらいである。俗に猖獗をきわめるというが、へそは
猖 獗をきわめている。
私は背骨まげまげおっちんだというところが気にいっている。背骨曲りは、おっちぬのである。そして、ひょっとし たら、本ものの「まざあ・ぐうす」 のなかで も、おっちんでいはしまいかと、私はいまだに疑うのである。白秋訳のなかではそうなっているかもしれないと、それを観たがるのである。(背骨曲り)

Morris.もかなり以前からマザーグースには関心持っていたが、やはり
「マザー・グースの唄」(平野敬一著 中公 新書)によって蒙を啓かれたところ 大きい。 そして白秋の「まざあ・ぐうす」は、本書発行のすぐ後(1976/05/30)に、角川文庫として発行されている。これには、鈴木康司によるイラスト(カ バーはカラー作品、本文には75点のモノクロ)が付されて、これがまためちゃくちゃ素晴らしい。さらに英語原文 全テキストも併載されていて、言う 事なしで あ る。角川文庫再刊は夏彦のこのコラムに触発されたところ大きいと思う。原文では骨曲りは「おっちんで」はいないが、日本語訳としては「おっちんだ」の方に軍配を挙げた い。

取次店と言うのは「問屋」に似て非な るものである。本の世界で最も大き な存在だ が、だれも知らない。広告しないからである。現代は広告しないものは存在しない時代である。出版の広告はひとり版元がして、大取次も本屋もしない。しない から広告片手にかけつても、「さあ」と気のない返事をするのである。(人生は短く本は多い)

読書習慣の消滅、出版不況の上、Amazonによる書籍販売などによって、取次店は二重苦、三重苦になっているので はないかと思われる。 Morris.のよう な図書館専属読書人の存在も(^_^;)

私は子供たちに、自分の目で見て、自分で考えて、自 分の言葉で言えと教えるのは無益だ と思って いる。それが万人に可能なことだと、もし先生たちが思うなら幻想である。可能だと思わないで言うなら、何ものかに媚びるものである。人は他人の目で見て、 他人の言葉で語って、それを自分の言葉だと思い込む存在である。(習慣重んずべし)

そのまま斎藤緑雨が言いそうなご意見である。

少年には老年と死が想像できない。人間はそれだけの 想像力を持たない。また、近ごろの 寿命がの びたと喜ぶものがあるが、むしろ悲しむべきである。人間五十年というサイクルが、にわかにのびるのは不吉だというような話をした。
ゆりかごから墓場まで面倒をみようというなら、それだけ税金を収めなければならない。いうまでもなく、福祉国家 は重税国家である。のびた寿命十余 年分を、 国に面倒みさせてまぬかれるなら、そのぶん納税しなければならない。個人が負担するのではない。息子たちの時代の全員が負担するのだから、それは割安であ る。割安だろうと、金なら一銭でも出すまいと惜しんで、責めを他に転じて、正義は自分にあると彼らは言いはって きかない。
私は彼らの残忍かつ酷薄な心事に注目して驚いている。けれども彼らをここまで育てたのは、ほかならぬ我らであ る。してみれば我らの前なる老年は、 それにふ さわしいものに違いない。(我らの前なる老年)


半世紀前の文言である(@_@) Morris.は本気で「人世五十年」を信じでいた。「
の びた寿命十余年」どころか、すでに二十三年の余得である (>_<) 耳 の痛い言葉でもある。

貝塚茂樹さんは、正月は門松を立てる がよい、立てないと正月はこない、 虚礼だと いうものがあるが、そうではないと十何年前に書いた。同じ主旨の文章を、何度も書いていたから思いつきの発言ではなく、本気で言っているのだろうと思う。
貝塚説も、その機微に付したわが説も、隣人を動かす力はない。門松ばかりのことではない。言論はひとを動かさな い。
以前、我々が戸ごとに門松を立てたのは、隣の家が、またその隣の家が立てたからである。町内の全員が立てるの に、ひとり立てないのは、よほどの貧 乏人か、 よほどのつむじ曲りか、そのどちらかである。今はだれも立てないから、立てるほうが怪しまれる。(門松立てるべし)

門松が昔は、個人の家の前に立てられたことを知らない人の方が多くなってるかと思う。つい年賀状を連想した。そした らこの後に年賀状のことも書いて あった。

自家用車というものは、私の少年のころ、昭和初年か らすでにあった。ただし、それは金 持ちか上 つがたの邸にあった。お抱えの運転手がいて、それが操縦した。主人じきじき運転するが如きことはなかった。
そのころでも、自動車だけなら貯金すれば買える人もあったろうが、運転手が抱えられない。運転手一人がいて、女 中が何人かしかいないのはおかし い。すなわ ち、並の月給取りは自動車を買おうとしなかった。その発想が生じなかった。万一生じて、万一買ったら、目ひき袖ひき近所のひとに笑われただろう。
マイカーを持つことの愚は、しばしば言われる。何より自他の生命に危険で、不経済で、せっかく友人と会っても酒 がのめない。一台ふえれば、それだ け往来の さまたげになる。つまり傍迷惑で、これが最大の悪、車は買わないほうがいいというより、買ってはならぬものである。
君子なら思わず眉をひそめることを、今回故意に私が言うのは、いくら自動車を買うなと理を説いても、断じてきか ないからである。そのくせ線香の一 本もあげ ないで、ご先祖とは全く円を切ったような顔をしているからである。なにご先祖は死なぬ。死ぬものか。(ご先祖様は生きている)


前半は「分を知れ」ってことだろう。夏彦の旧弊保守色全開といったところ。後半の車への「けんつく」には両手を挙げ て賛成する。

つかぬことをいうようだが、樋口一葉女史の父君は甲 州の人で、安政年間に江戸へ出て、 勤倹貯蓄 すて八丁堀の同心の株を買って士分になった。なったのが慶応三年、維新の直前である。明日にも幕府は瓦解しようというのに、侍の株を買うのは無益ではない かとなが年私は釈然としなかったが、幕府は倒れても、警察制度は残る。薩長政府は、警察署長以下二、三の幹部を 薩長の者にして、あとは去りたい者 だけ去ら せ、そっくり残したのである。それが開架探偵帳の時代である。したがって、平次の時代の制度は開化に残り、明治、大正を経て、七人の刑事の時代にもなお 残ったのである。
一葉女史の父君は、それで士分になったのである。はたして制度は残ったから、東京府少属として新政府の警察に仕 え、そのかたわら金貸しをしたので ある。一 葉女史が貧乏したのは、この父君が亡くなったあとである。それまでは何不自由ない身の上だったという。(銭形平次380回)


樋口一葉のこととなると、途端に微に入り細に入り論じる文人、論客が多い。露伴、鴎外、緑雨に倣うとういことなのか な?

作り話が実話にきこえるのは、そのなかに本当の部分 があって、それがうその部分を覆う からであ る。よしんば本当ばかりを語っても、本当にきこえるとは限らないとは、私だけの説ではないつとに式亭三馬いわく「まことはうその皮。うそはまことの骨。ま こととうその仲之町、迷うも吉原、さとるも吉原」。

近松門左衛門の虚実皮膜論の三馬流戯れ歌。この狂歌は上上吉原。

一世代は戦前は三十年だった。戦後はそれを十年にち ぢめた。戦前派、戦中派、戦後派が それで、 互いに経験が違うから言語は通じないと言い合った。その戦中派も焼跡派、疎開派に分れるという。疎開派はさらに集団疎開派、縁故疎開派に分れて、互に食い ものが違うから理解を絶するという。
同時代というものをもっと長い目で見てはどうか。わが国ではまだ少ないけれど、七十翁と十代の娘が結婚する例が 西洋にはある。結婚できるのだか ら、二人は 同時代にいる。
三宅雪嶺に「同時代史」という大著がある。同時代史とはいい題である。過去百年以上の人物を、同時代人として見 ていたかと記憶する。
たとえばこの三宅雪嶺の夫人は旧姓田辺花圃である。花圃は一葉と同門である。娘時代に「藪の鶯」という小説を書 いて単行本にして、名声と筆墨料を 得た。目 の前にそれを見て、貧しい一葉は小説家を志したのである。名と富を得たいと願ったのである。一葉なら私には熟知の人である。
実は百年あまりは指呼の間で、まだ歴史になんぞなっていないのである。
私は「共通の言葉」こそすべてだと思うものである。古往今来、これを普及させたものが天下をとった。「君には 忠、親には孝」という言葉は、しばら く天下を とったが、今は失った。この二十年、その代りを我々は争ってまだ手にいれない。たとえば女子供まで、共産党の言葉で話すようになれば、天下は共産党の手に 帰したのである。
私たちはまだ、万人共通の言葉を持たない。全員こぞって、うなずきあう言葉を持たない。万人共通の言葉とは、新 旧両時代が共に言える言葉である。 「君には 忠」の新式である。それは君には忠と同じく疑わしいものであるが、だれも疑わないものである。疑えば爪はじきにされるものである。私にとってそれは望まし いものではないけれど、この世の中にとっては望ましいものである。(君には忠)


時代裂く語。

言葉は売買されて久しいというより、売買されない言 論はなくなってしまった。新聞雑誌 で、また テレビ、ラジオで語れば金をくれる。くれれば、くれた人が言わせたいだろうことを、察して言うよりほかない。各界名士は、毎日それを言うから名士なのであ る。
それなら迎合しているとみせて、実はそうでなくて、それが分る人には分って、大ぜいには分らぬように言わなけれ ばならぬ。
すなわち二重である。言論が売買されれば、それは二重三重になる。それを志して、私がしばしば失敗するのは、未 熟なせいである。短気なせいであ る。
むかし、絵かきや詩人は、王侯貴族に養われた。御伽衆や能役者は、殿様にかかえられた。
養われて詩人は、王様をたたえる詩を吟じた。それは二重だったにちがいない。太郎冠者は殿様を愚弄した。ただし それは舞台上の殿様で、見物中の殿 様ではな い。見物中の殿様は喜んで笑った。
してみれば、今も昔も芸とはこういうもので、今はばか殿様が死に絶えたから、結構な世の中だと言うものがある が、大ぜいが殿様になっただけのこと である。
芸は一人のパトロンを失って、パトロンは分散して大衆になってしまった。つまり一人の気にいられればよかったも のが、大ぜいの気にいられなければ ならなく なったのであある。
情報が豊富な時代だそうだが、あれは重複であって、豊富ではない。(男の血の道)


忖度も芸のうち? コメンテンターなんてのはこの最たるもの。

だれも注文したものがないのに、出せば売れるだろう と、勝手に印刷し勝手に発行するの が出版と いう仕事である。もし売れなかったら、それは欲ばって、あてがはずれただけのことで、どこへも尻の持って行きどころがない。発注者がいないのだから、債務 は生じても賠償は生じない。これが他の商売と全く違う特色である。
これから出る文庫本は、いちどきにたくさん売れるものばかりになるだろう。単行本もそうなるかもしれない。けれ ども発売早々5万部も売れる言論 は、万人に 喜ばれる言論である。そんなに大ぜいに喜ばれる言論なら、胡乱なものにきまっている。迎合をこととしたものにきまっている。
文庫本というものは、もと五百部千部刷って、それを一年も二年もかけて売ったものである。少なくとも、それを許 したものである。(輪転機と言論の 間)

文庫今は昔。
【フィデル出陣】海 堂尊 ★★★☆☆  2020\07/30 文藝春秋 初出「週刊文春」2018-19
病院を舞台にした一連の作品にはまってたこともある、海堂尊が、チェ・ゲバラを主人公にした「ポーラースター」を発 表。これも2冊読んで、それなりに 感心した が、3冊目がなかなか出ない。と思ってたら、ゲバラの盟友、フィデル・カストロを主人公にした作品を書いてたらしい。本書で、チェ・ゲバラが登場するのは最後 の2p目である(^_^;)

アマギは続けた。「キューバと日本は似ています。島 国で近くの大国の影響下にあり、日 本を近代 国家にする明治維新というクーデターが怒った1868年、キューバでは第一次独立戦争の狼煙が上がりました。二つの島国は手を取り合い、海洋国家連合を作 ればいいんです」
「米国がこの時期、汎米会議を招集したのも国際政治パズルのワンピースなのか?」
「そうです。リメンバー・アラモ、リメンバー・メイン、リメンバー・パールハーバー。米国はいつも被害者面で正 義の鉄拳を振り上げ、自分たちの利 のため戦 争を仕掛ける。真相を覆い隠すため強大な敵を仕立て、米国の下に一致団結させるのが外交の基本ラインです。大戦が終わりファシズムが倒れたので、今度は新 たな敵として国際共産主義という虚妄を作り上げ、中南米を再び「パックス・アメリカーナ」の下に手懐ける出先機 関こそが、米州OASなのです」 (8 動乱 のパナマ 1948年3月)


アマギは日系の同志で、アメリカのラテンアメリカ侵略と、戦後日本のアメリカの統治を比較して批判している。

カストロ一家が二度目のニューヨークに到着したのは 49年秋だ。当時はトルーマン大統 領の二期 目にはいっていた。それは米国の大転換期だった。
FDRの病死で唐突に政権を承継した丸眼鏡の実務家、トルーマンはFDRの経済政策は継承し外交面は反共へ変更 した。だが逆に経済政策は方針を変 え外交政 策は不変で行くべきだった。全体主義的なニューディールは壊滅的不況に対する緊急的案処方箋で、第二次大戦という戦争バブルで不況を解約した現在は自由放 任の膨張経済に舵を切るべきだったし、外交路線を変更した結果、共産主義と資本主義が境界をせっする地域で戦争 が勃発し世界は再び戦禍に塗れた。 (15  キューバの嵐 1949年)


FDR はルーズベルト大統領。 米国の対 応次第では、東西冷戦を回避できたかもしれないということだろうが、結局は後世からの目線である。

米国という国は建国以来、属国に対し ワンパターンの対応を繰り返してい る。故に キューバとアメリカの物語を読めば、現代日本の置かれた状況を理解する一助になるだろう。

Morris.は逆に本書やポーラ・スターシリーズから、中南米の歴史を紐解く一助にしている。

国民は不況にあえぐが、政府と官僚は統計データを捏 造し、国民に真実を見せずにごまか しに終始 し、米国への貢納を完遂する。そんな手法は革命前の腐敗したグラウ、プリオ、バチスタ政権とそっくりだ。そんな不誠実政権を増長させた責はメディアにもあ る。軽減税率を適用してもらった新聞は政権の茶坊主になり、「桜を見る会」疑惑追求の最中、政治部キャップが雁 首揃えて首相と会食するなど、権力 に阿る姿 は醜悪だ。
政治家にとっては言葉が命のはずなのに、その言葉に責任が伴わない。そんな政治家がトップにいられる日本は奇矯 な国だ。
ここまで野放図でずぼらで集会な政権を増長させたのは、テレビ、全国紙などを筆頭とした大メディアの大罪でもあ る。現在の日本の惨状は、独裁者が 官邸経済 官僚(KKK)と結託し、メディアとの共同謀議で作り上げた、腐臭を放つ老廃物の集合体だ。


明らかに安倍政権批判である。
巻末16pにわたる参考文献(約400点)には圧倒された。

【そのうちなん とかなるだろう】内田樹 ★★★  2019/07/11 マガジンハウス 
やたら多くの本を出している内田樹の、自伝的エッセイ(大部分はインタビュー)

養老孟司先生から始まって、高橋源一郎、関川夏 央、矢作俊彦、橋本治、鷲田清一、三砂 ちづる、 中沢新一、鈴木邦男、姜尚中……ほんとにたくさんの人と知り合いました。大滝詠一さんと知り合えたのも対談企画のおかげでした。
「誰とでもすぐ友だちになれる」というのは生きる上でとてもたいせつな能力です。もしコツがあるとすればそ れは、相手の一番いいところを探して、 そこに フォーカスしてお付き合いするということじゃないかと思います。
人に質の高いものを生み出してほしいと思ったら、いいところを探し出して、「これ、最高ですね」「ここが、 僕は大好きです」と伝えたほうがいいに 決まって いる。(批判するより褒める)


何か自己啓発本みたいだな。それでも、他人の悪いところ、弱点より、長所、特長を見る姿勢は大切だろう。

わかったのは、ただ文法規則や単語を丸暗記させ るのは非効率で、言語の本質について本 格的に学 術的な説明をしたほうが学生たちの理解は早いということでし た。「冠詞とはどのような世界観の産物か」「相(アスペクト)とはどのような時間意識を持つものにとって意味があるのか」というように言語の根源から説明 すると、がくせいたちはすっとわかってくれる。
フランス語文法は、「フランス語話者たちからは世界はどう見えているか」を理解しようとしないと理解できな い。そういうことです。
勉強は自学自習なんです。
脳は本質的に活動が好きですから、使い方を覚えれば、高速で回り出す。外国語学習の脳部部位を彼らは6年間 使ってこなかったのですから、脳だって 使われた がっています。
本来、外国語を学ぶというのはとても知的に高揚する経験のはずなんです。母語とは違う単語、違う文法規則、 違う音韻の言葉があるというだけで、視 界が広が り、世界が開けてゆくような気分がする。
人間は学ぶことをほんとうは願っている。教師がするのは「学びのスイッチ」を入れることだけです。


大学の転部・転科試験をフランス語で受験するための大学生向けの授業やったときの感想である。外国語学習 (Morris.の場合は韓国語)への、ヒン トになっ た。

家事労働の量そのものは父子家庭になってからの ほうが圧倒的に増えたはずなのですが、 誰からも 「これはあなたの仕事でしょ」と命令されたり、確認されたりしないでする家事はほんとうに気楽なものでした。
人間をつかれさせるのは労働そのものではなく、労働をする「システム」を設計したり、合理化したりすること だということをそのときに学びました。

1976年に4歳年上の女優と結婚、1989年に離婚して一人娘は自分が育てることになった。現在は娘は独立、 内田は教え子と再婚しているらしい。

90年代後半、インターネットで、いろんなこと ができるらしいと伝え聞いたので、その 手のこと に詳しいフジイくんというゼミ生に、ホームページをつくってもら いました。
こういうことについて、僕は「餅は餅屋」主義です。そういうことが得意という人に丸投げする。その代わり、 そちらが苦手なことで僕が苦もなくでき ることは 代行 する。
餅は餅屋がこね、魚は魚屋が三昧におろす。そういうふうに手分けするほうが「ひとりでなんでもできる」より はるかに効率的ですし、だいいちいろい ろな特技 の人 と知り合うことができて、楽しいじゃないですか。

ホームページを始めたのは、発信したいことが山のようにあったからです。
とりあえず、これまで書いた論文や講義ノートをアップし、身辺雑記を書き、本を読んだら書評、映画を見たら 映画評、音楽を聴いたら音楽評……とあ りとあら ゆる ことをネットで公開してゆきました。
ホームページの想定読者は兄と平川克美くんの二人でした。この二人に読んでもらうために書いていたようなも のです。この二人が読んで「面白い」と 言ってく れる かどうか、それが自分の書き物の質評価の手がかりでした。


ホームページ始めた時期はほぼMorris.と同時期だったらしい。

「どうしてやりたいのか、その理由が自分で言え ないようなことはしてはならない」とい うルール がいつのまにかこの社会では採用されたようです。僕はこんなのは 何の根拠もない妄説だと思います。
「あなたがほんとうになりたいもの」、それが「自分らしい自分」「本来の自分」です。
僕がやったことは全部「なんだかんだ言いながら、やらなかったことは「やっぱり、やりたくなかったこと」で す。
この本はできたら若い方に読んでいただいて、「こんなに適当に生きていてもなんとかなるんだ」と安心してほ しいと思います。(あとがき)


タイトルは植木等の名曲からの拝借で、Morris.は植木等大好きだけど、日本の政治が無責任なのも、その影響下 にあるのではないかと思うと複雑な気に なってし まう。
【太陽の子 て だのふあ】灰谷健次郎 ★★★☆☆  1986/02/25 新潮文庫 は-8-3 1978年9月理 論社より 発行
70年代後半から80年始めは灰谷健次郎ブームだった。Morris.も「うさぎの眼」とこの「太陽の子」はリ アルタイムで読んだ。記憶に残っている のは「太 陽の子」だった。当時は沖縄への関心も知識も乏しかった。40年を閲して、すこしは沖縄の歴史もしるようになった時点で、読み返してみることにした。と、言う とえらそうだが、実はコミスタこうべ図書室に灰谷作品が並んでいて、懐かしさ半分で手にとったというのが本当か もしれない(^_^;)

梶山先生は園田君に向かって言った。
「645年大化の改新、1543年ポルトガル人が鉄砲を伝える。1603年徳川家康が江戸に幕府をひらく、 1947年新憲法実施、そういう調子で 歴史の事 柄だけをおぼえる勉強はどこかおかしくないか。今、生きているぼくたちの方から歴史をたどる勉強を、はじめようやないか。若杉のおとうさんの生い立ちを調 べていけ ば、第二次世界大戦ながなんだったkということが、少し、わかるかも知れない。もちろん、若杉や大峯だけが勉強の場でない。みんなのおとうさんおかあさ ん、お じいさんおばあさん、その他身近な人たちの小さな歴史を、こつこつ集めていく。そして、みんなで考える。ぼくはそんな勉強をしたいんだ」
梶山先生の目が、きらきら光っていた。ふうちゃんは梶山先生のことばをまた思い出していた。
ふうちゃんは、梶山先生に叱られているような気がした。
両親がなぜ神戸にきて働いているのか、深く考えたことはなかった。てだのふあ・おきなわ亭という琉球料理の 店が、なぜ神戸にあるのか、そんなこと は一度も 考えたことがなかった。
55歳になるろくさんのおじさんが、なぜ独身なのか、一度、結婚をして奥さんに死に別れたからとかんたんに 考えていたが、ほんとうにそうなのだろ うか。ろ くさ んがアダンの風車を握りしめて泣いていたのは、戦争で亡くなったミチコさんという赤ん坊を思い出したからだけなのだろうか。
ギッチョンチョンと昭吉くんは集団就職で神戸にきた。梶山先生流にいうと、なぜ、沖縄の人は、集団就職など といって中学を出たばかりの子が遠い他 県で働か ねばならないのだろう。
てだのふあ沖縄亭にくる人たちのことは、なにもかもよく知ってるつもりだったけれど、梶山先生のような見方 をすると、結局なに一つ知っていなかっ た…… と、 ふうちゃんは思わざるを得なかった。
ギッチョンチョンの部屋にいって、沖縄戦の写真などを見せてもらった。集団自決の写真を見て吐いた。いろい ろな写真の中に、おとうさんやおかあさ ん、ゴロ ちゃんやろくさんがいるような気がした
それは怖い世界だった。知ることが怖い世界だった。
ふうちゃんはあれ以後、沖縄を知るために積極的にギッチョンチョンの部屋にいっていない。それを今、梶山先 生に叱られているような気がしたのだっ た。 (33)


「沖縄戦」そのものへの言及は比較的抑え気味だったことが分る。歴史を学ぶときに、古代から現代に向かってでは なく、現時点からさかのぼって学ぶべき だという のは、Morris.の持論でもある。これは確信でもある。

「うち、キヨシ君のために、だいぶ泣いたやろ。 もうキヨシ君のために出す涙は品切れ や。キヨシ 君が 死んだって、もう泣いてやらへんで」
キヨシ少年は、皮ごと甘栗をバリバリと噛んだ。
しばらくして、キヨシ少年はぽつんといった。
「ほんまやなあ。涙に品切れがあったら、かなしみはどんな人間にも平等にあるちゅうことになるやろ。涙が品 切れになったら幸福になる。そんなん やったらえ えのにな」
「ほんまや」と、ふうちゃんもあいづいちを打った。(43)


灰谷節というか、登場人物たちの神戸弁が、すんなり風景に溶け込んでいる。年をとると涙もろくなるというが、人 間、死ぬまで涙が品切れになることはな いだろ う。

「この手を見なさい。よく見なさい」
ろくさんは上着をとり、寒いのにシャツまではいだ。浅黒い皮膚が出て、その胴には手が一本しかついてなかっ た。
「手榴弾でふっとばされた。敵の手榴弾ではない。わしはただの大工で兵隊ではなかった。沖縄を守りにきてく れていた兵隊がわしたちに死ねといっ た。名誉の ために死ねといって手榴弾をくれた。国のためテンノウヘイカのために死ねと彼らはいった。わたしたちはみんなかたまってその真ん中で手榴弾の信管を抜い た。そして、みんな死んだんだ」
ふうちゃんが吐き気をもよおしたあのむごい光景が、今またそこにあった。
ふうちゃんはしっかり眼を開いていた。悲鳴をあげたり吐いたりするのではなく、今しっかりとその光景を見な くてはならないと、ふうちゃんは思っ た。
「ええか、この手をよく見なさい。見えないこの手をよく見なさい。この手でわしは生まれたばかりの吾が子を 殺した。赤ん坊の泣き声が敵にもれたら 全滅だ、 おまえの子どもをしまつしなさい、それがみんなのためだ、国のためだ--わしたちを守りにきた兵隊がいったんだ。沖縄の子どもたちを守りにきた兵隊がそう いったん だ。みんな死んで、その兵隊が生き残った。……この手をよく見なさい。この手はもうないのに、この手はいつまでもいつまでもわしを打つ」
「あんたは子どもを殺したわしに手錠をかけることができるかね。悪いことをしないで平和に暮らしているひと たちのしあわせを守らなくてはならない とあんた はいったね。わたしたちはなにも悪いことはしないで暮らしていたんだがね。あんたが悪い人だとは思わない。しかし、あんたを見ていると、日本の国を守ると いいながら、罪もない人たちをころしていかねばならなかった日本の兵隊を思い出す」
さすがに男たちはことばをなくしていた。
「法の前に沖縄もくそもないとあんたはいった。そのことを心から望んでいるのが沖縄の人間だと知ったら、あ んた方はんというだろう。……」


沖縄戦で、腕を無くし、幼い娘を自分の手で殺したという記憶をもつろくさんの「叫び」。映画「パッチギ」で、笹 野高史演じる在日ハラボジが、子どもの 葬式で日 本人に向かって絞りだす叫びに通底するものを感じた。他者の「痛み」はなかなか我が身には伝わらない。

「ミチコさんはろくさんのおじさんとずっといっ しょに生きているよ」
眠っていたとばかり思ってたおかあさんが、ぽつんといった。
「…………」
「生きている人だけの世の中じゃないよ。生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はや さしい気持ちを持つことができるのよ、 ふうちゃ ん」
「ろくさんのおじさんががんばって生きてはるのは、ミチコさんをいつまでも自分の個々の中に生かしておきた いからよ。わかる、ふうちゃん
「わかる」
と、ふうちゃんはいった。
「おとうさんが病気になったのは、おとうさんの中に死んだ人がたくさん生きているからだよ。おとうさんは地 球の上に住んでいる人の中でいちばんや さしい 人……」
おかあさんの声が涙声になった。(48)


沖縄に家族で里帰りする直前でおとうさんが自殺するというラストシーンは辛すぎる。もうひとつのストーリーを 願ってしまった。



【風の歌を 聴け(1979)・1973年のピ ンボール (1980)】村上春樹 ★★★「村 上春 樹全作品 1979-1989 1」1990/05/21 講談社

数篇の短編を除けば、Morris.は村上春樹作品をほとんど読んでいない。一冊にデビュー作と第二作を収 めたこの「全作品 1」で、この二つの作品 (Morris.には、ふたつ合わせて一つの作品のように思えた)を初めて読んだことになる。
最近読みあさっている昭和戦後史関連本の中に、やたら村上春樹作品が採り上げれてるので、そのチェックのた めに? 読む気になったのかもしれない。
40年以上前の作品であり、Morris.と村上春樹が同年生れで、戦後史の同じ日々を同じ世代として過ご したことからしても、何か懐かしさを覚える ところな くもなかったが、それ以上にとんでもなくかけ離れた、感性と生き方をしてたことがわかったような気もしている。

かつて誰もがクールに生きたいと考える時代 があった。
高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、 何年かにわたって僕は実行した。そしてある 日、僕は 自分 が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。
それがクールさとどう関係しているのかは僕にはわからない。しかし年じゅう霜取りをしなければならない 古い冷蔵庫をクールと呼び得るなら、僕だっ てそう だ。 (30)

これが村上春樹流のユーモアなのかもしれないが、どうも性に合わない(^_^;)

あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉 えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。(風の歌を聴け 38)


「そんな風(かぜ)」とつい読んでしまった。正しい訓みかもしれない。

タクシーの運転手は、ねえ、荷物をシートに 置かないで下さいよ、と不機嫌そうに言っ た。車内の 空気はヒーターと煙草でむっとして、カー・ラジオは古い艶歌をがなり立てていた。跳ね上げ式の方向指示器くらい古くさい歌だった。葉を落とした雑木林はま るで海底 のサンゴのようんみ道の両脇に湿った枝を広げていた(4)

比喩が秀逸といわれるが、この「跳ね上げ式の方向指示器」というのは、懐かしさを禁じ得なかった。村上は艶 歌アレルギーがあるらしい。

ゲームはやらないの? と彼女がたずねる。
やらない、と僕は答える。
何故?
165000,というのが僕のベスト・スコアだった。覚えてる?
覚えてるわ。「私の」ベスト・スコアでもあったんだもの。
それを汚したくないんだと僕はいう
何故来たの?
君が呼んだんだ。
呼んだ?……そうね、そうかもしれない。呼んだのかもしれないわ。
ずいぶん捜したよ。
ありがとう。 何か話して。
信じてくれないかもしれないけど、今は双子と暮している。コーヒーをいれるのがとてもうまいんだ。
なんだか不思議ね、何もかもが本当に起ったことじゃないみたい。
いや、本当に起ったことさ。ただ消えてしまったんだ。
辛い?
いや、無から生じたものがもとの場所に戻った、それだけのことさ。(22)


主人公が固執する彼女(ピンボール機)と再会した時の、会話部分をパッチワーク風に引用。この会話部分は確 かに洒落てる。

ピンボールの唸りは僕の生活からぴたりと消 えた。そして行き場のない思いもきえた。も ちろんそ れは 「アサー王と円卓の騎士」のように「大団円」が来るわけではない。それはずっと先のことだ。馬が疲弊し、剣が折れ、鎧が錆びた時、僕は「ねこじゃらし」が茂った草原に横に なり、静かに風の音を聴こう。そして貯水池の底なり養鶏場の冷凍倉庫なり、どこでもいい、僕の辿るべき 道を辿ろう。(1973年のピンボール 25)

「大団円」という大時代的言葉はたしかにアーサー王物語に相応しく、それをこういう風な使い方ができるのも 上手いと思う。そして、この二作目にデ ビュー作「風 の音を聴 け」の タイトルをさりげなく挿入する技巧(あざとさも言う)も人気の秘密かもしれない。
先に書いたように、ひとつながりの作品として、それなりに楽しんで? 読んだわけだが、これを機に、彼の後 続の作品を読むことにはならないと思う。
【紋 の辞典】 波戸場承龍 波戸場耀次 ★★★★  2020/12/10 雷鳥社

家紋の特徴は、円と線のみで描かれることにあります。円 を描くための道具は竹製コンパスの「分廻 し」、直線を引くための道具は「溝引き定規」と「ガラス棒。これらを使って墨と筆で表します。
葛飾北斎の「略画早指南」には、分廻しとっ定規を使ったデッサン方法が記されています。「万物はつまるところ方と円 に尽きる」という北斎の言葉通り、どんなに 複雑に構成されているように見える図象も、分解していけば最終的には方(四角・線)と円が残るということです。(まえがき)


・十大家紋--「片 喰」「木瓜」「鷹の羽」「藤」「桐」 「柏」「蔦」「橘」「茗荷」「沢瀉」これら十種類のモチーフか ら派生した紋が日本全世帯の約六割の紋を占めていると言われる。

・紋切り型--紋型の型紙つくりが遊びに発展して、江戸 時代におりがみとはさみを使って家紋を切り 抜く「紋切り型」が生まれました。昭和初期まあで学校の手工の教科書でも扱われ、障子や襖に穴が開いた時に桜の形に切った和紙を貼って、穴を塞ぐのにも使われ ていました。

53歳の2010年工房を立ち上げ、息子と二人でデザイ ンのしごとをゼロからスタート。竹製のコン パスをデジタルツールに変えて家紋を描き初め、2011年にオリジナル技法の「紋曼荼羅」を確立。
本書は、よく知られている紋、デザイン性の高い紋など、数多ある紋の中から厳選し、全ての紋を美しさにこだわって描 きました。(あとがき)


文庫版サイズハードカバーの蔵本で、見開き右ページに4.5cm四方の黒四角内に白抜きで家紋。左ページ全体黒地にCG でその紋に使われた全ての円と線を極細線白 抜きで表示、紋の部分をやや太い線で構成がひと目で分かるようになされている。それ自体が美を現出している。
142の家紋といくつかの派生紋、さらに新たに自作した5つの創作紋が付されている。
収録されている家紋は円と線の数順に並べられている。もっとも少ない線の紋は、「日月」「蛇の目」の円二つ、直線ゼロ。 最も多いものは円が2107、直線ゼロの 「鳳凰の丸」。直線で一番少ないのは「三つ鱗」の6本、多いのは「三本開き傘」の66本(+円308)、創作紋「日本橋麒麟像」では円2582、直線ゼロである (@_@)

紋の要素を。「割り」「開き」「構成」に分け、
具象的対象を「楽器」「玩具」「器具」「器材」「建造 物」「甲殻類」「昆虫」「魚」「植物」「食 物」「図符」「天文地文」「動物」武具」「文字」「文様」そ れぞれの索引まで作成している。
実に念のいった一冊である。
特に「構成」は、家紋の基本形や変化のさまを、機能によって分類・解説したもので。
「阿吽」「揚羽」「合せ」「入れ子」「追い」「踊り」 「角字」「重ね」「杏葉型」「組む」「車」 「石持地抜き」「胡蝶」「下り」「上部花+下部葉」「隅立て」「揃い」「立ち」「抱き」「違い」「鉄砲」「通し」「飛び」「同心円」「並び」「走り」「離れ」 「菱」「平」「複合」「浮線」「浮線綾」「筆字」「真向き」「丸」「対い」「向う」「結び」「持合い」「盛り」「八 重」「横見」「寄せ」「割り」
それぞれの解説と、該当する紋も付記されているのだが、引用は略(^_^;) なんとなく想像がつくものも多いというこ とで……m(__)m

Morris.の頭では手に負えない(^_^;)分野だが、コンピュータの基本原理は「0と1」で全てをまかなうと聞い た覚えがある。家紋(その他全てのデザイン も)が円(○)と線(ー)のみで造型されるとしたら、両者には通底するものがあるような気がする。
家紋への関心は以前からあって、新潮選書の「家紋の話」(泡坂妻夫)は手放せずにいる。
泡坂も、戦争、会社勤めの後、二十歳からか行の上絵師になって、その後ミステリー作家になった。
こちらの本で紹介されてた「石持(白抜き丸)」と「黒餅(黒丸)」は、円ひとつで描かれる紋である。日の丸もその一つと いえるかもしれない。

【路 地裏で考える--世界の饒舌さに抵抗する拠点】平川克 美 ★★★☆  2019/07/10 ちくま新書1420
内田樹の刎頚の友で、小田嶋隆との対談などでおなじみになった人物。

第一章 路地裏の思想
第二章 映画の中の路地裏
第三章 旅の途中で(温泉を巡る言説)

然り読んだのは第一章のみ。あとはほぼ流し読みだった。
 
74年から90年代初頭までの18年間は日本の黄金 期で、もはや日本に英雄は不要だった。力道山 も、長嶋茂雄も、矢吹丈も、発展途上国に必要なヒーローたちであり、日本ではその役割を終えていた。あたらしい時代の影のヒーローは、会社であり、その会社を 支えていたのは、世界からエコノミックアニマルと揶揄されるサラリーマンであった。
「釣りバカ日誌」は、こういった時代背景のもとで生まれてきた。主人公である浜崎伝助は、ヒーローを必要としな い時代のシンボルとして登場したアンチヒーロー なのである。
ハマちゃんが、長期間サラリーマンに支持され続けている理由のひとつは、現実のサラリーマンはプロモーションシ ステムから逃れることはできないという「現実」 によっている。通勤の電車の中で、喫茶店のカウンターで「釣りバカ日誌」を読みふけっているときだけ、一瞬、サラリーマンは、プロモーションシステムから自由 になれるのである。(経済成長していく時代のシンボル--「あしたのジョー」から「釣りバカ日誌」まで)



たしかに「釣りバカ日誌」の主人公ハマちゃんはすごいキャラである。平川はMorris.と同世代(一歳下)だか ら、読んでた漫画も共通しているようだが、たしか に「釣りバカ日誌」連載が始まった1979年は、Morris.が「漫画離れ」した時期にあたる。

1947年から49年までの出生数の平均は269万 人(団塊の世代)。一方2016年の出生数は百 万人を割り込んでいる。団塊の世代がまとめて退場する時代がすぐ目の前にきている。
「いまだけ」を充足させるために等価交換を加速させる大量生産、大量廃棄は、人口増大期のモデルである。右肩下 がりの時代には、それにふさわしい交換経済を導 入する必要がある。成長よりも持続を主眼にした経済である。
問題解決には、現代社会のパラダイムとは別の、例えば現代でも残っている文明非接触の人びとの生活や、社会が時 間の経過に伴って変化することのなかった古代社 会のシステムの中に、ヒントを見出すことはできるかもしれない。それは、貨幣経済以前の、ヒントが生き延びていくための全体給付のシステムである。(成長より も持続を主眼にした経済--乞食(こつじき)の思想)


これって先日紹介した「ポスト・コロナ」のベーシック・インカムに通じるのではないか。

70年代以降、日本に消費主義の時代が訪れ、核家族 化が進行し、気が付けば戦前的な封建的価値観は 陳腐化し、個人主義的な考え方が消費者全般に広がっていった。衣食足りて日本人は、民主主義を知り、l個人に目覚めた。
日本という国家も、日本国民も過去の失敗から学び、普遍的な価値を共有し、少しましな方向へ向かっていると信じ ていた。
ところが、考えてもいなかった劣化現象が進行していた。「反知性主義」という、言葉というものに対する信頼が急 速に衰えるという現象が起きてきたのである。


内田樹篇「日本の反知性主義」にも、平川、小田嶋が登場していた。

言葉というものは、貨幣と似ている。貨幣の流通性に 対する信頼が失われれば、貨幣はたちまち紙くず へと変貌する。ハイパーインフレーションである。
第二次安倍政権以降、言葉は重みを失い、憲法の条文も空言となった感がある。私は自分が生きている間に、これほ どまでに言葉が毀損される時代が来ることを、う かつにも予想していなかったのである。(言葉がインフレ化した時代)


言葉が政治家によってハイパーインフレを起こした(>_<)

「パンとサーカス」はローマの詩人ユウェナリスが、 浮かれる世相を揶揄した言葉だ。
国民にはパンとサーカスを与えておけば、政治の不作為に異を唱えることはないし、問題に気づくこともないという ような為政者の不遜を感じる。


安倍菅政権は、給付金(パン)と、五輪(サーカス)で、めくらましできると思ってたのかな?

私には、この度の五輪も万博も、一発逆転を賭けて有 り金を叩いてやけっぱちの賭博をやっている ように見える。その先に見え隠れしているのは巨大なカジノ施設である。いやあ、博打で儲けるのは胴元だけさ。国民は胴元にはなれない。(やけっぱちの祭典-- 五輪・万博・カジノ)

「博打で儲けるのは胴元」で、政治家が胴元になろうとしたというわけ。

あらためて憲法を読みなおしてみる。そこにあるの は、かなり積極的な平和主義である。
積極的平和主義。世界から戦争はなくならず、これが見果てぬ夢にすぎないと思うものにとっては陳腐化した理想論 に思えるのかもしれない。そもそも、安部首相の 言う「積極的平和主義」なる言葉は、安全保障のために、自衛隊を展開するということであり、言い換えるなら平和のために、戦争をするという、自家撞着の言葉で ある


安倍晋三が「積極的平和主義」を口にしたとき、とてつもない違和感を覚えたものである。「自家撞着」という言葉はこ ういうときのためにある。

言うまでもないことだが、憲法を法案に適応させるの ではなく、憲法に抵触しないという前提で法案を 作成しなくてはならない。このあまりにも常識的な、憲法--法案の関係が倒立している。
現実に起きている犯罪に正当性を与えるために刑法を変える、というのと同じ倒錯したロジックがまかり通っている ことに、当事者たちが気づいていない。あるい は、気づかないふりをしているというわけだ。


これは絶対に「ふりをしている」。

かくして、今の内閣による憲法の、恣意的な解釈が行 われたあたりから、<法>の言葉 は、もはやその効力を失った。条理の通らぬ言葉が、担当大臣の口から次から次へと吐き出されても、辞任することはない。森友問題においては、官僚は明らかに嘘 とわかる答弁を国会で繰り返して、謝る気配はない。犯罪あるいは、犯罪を疑われる行動をしても、身内であれば見 過ごされる。
こうしたネポティズム(縁故主義)、人治主義的なプロセスが蔓延することで、失われるのは<法>の 言葉に対するひとびとの信頼であり、< 法>はやがてその既判力を失墜することになるのだろう。
<法>の言葉に限らず、あらゆる言葉に対する信頼を醸成することは、社会の公正さや秩序を維持する ことと密接に関連する。この内閣がしたことは、 そうした歴史的努力を反故にしてしまうほどの、言葉に対する信頼の破壊であると言わざるを得ない。(積極的平和主義という倒立)


「今の内閣」というのはもちろん安倍内閣である。国会での百回を超す虚偽答弁が明らかになっても辞めようとはしな い。

「記憶にございません」という言葉をわたしたちは幾 度も聞かされてきたが、誰もこれを本当のことだ とは思っていないだろう。誰も、人間の記憶のあるなしに関しては検証不可能だからである。ロッキード事件での国会証言以後、この言葉は真相隠蔽のためのストッ クフレーズになっている。

1976年2月16,17日に国会証人喚問で、小佐野賢治(国際航業社主)が発言して以来、国会で使われた回数は膨 大なものになっている。森友公文書改竄事件で も。佐川局長(当時)はこれを連発していた。

わたしたちは、ポスト・トゥルースの時代(真実が力 をもたなくなった時代)に生きている。その意味 は、真実が語られなくなったのではなく、真実を見ようとする意志が、「嘘を嘘と知りつつ騙されることの快楽」にとってかわられた世界だということである。

トランプの影響が大きかったが、日本の政治家もひけをとるものではなかった(>_<)

英語の場合、Fakeの反対語はTruthというこ とになる。しかしTruth(真実)ほど、あい まいな言葉もないだろう。
長い時間を貫いて指南力を持ちうる言葉の中に、真実は宿っている。遠い過去には死者がおり、未来にはまだ生れぬ ものが待機している。彼ら究極の他者が、言葉の 真偽を見分けるだろう。
優れた芸術作品がいつも未来に向けて開かれているのに対して、嘘つきはいつでも、「いま。ここ」を切り抜けるた めにだけエネルギーを使っている。(ポスト・ トゥルースの時代--嘘と真実のあいだ)


嘘つきっぱなし!!

日本少子化の原因は、結婚年齢の上昇であるというこ とが極めて 明瞭である。戦後の75年間で、結婚年齢が6歳前後も上昇したのかについて、私はその理由を、日 本の経済発展にともなう家族システムの変容にあると推論した。日本の伝統的な家族システムは大家族に見られるよ うな長子相続型の権威主義的家族であったのに見 られるような、絶対核家族システムへと変容した。

これは平川の持論らしい。

消費者とは、金だけが一元的な価値であるような存在 である。そこには、人間関係のしがらみも地縁血 縁による縛りもなく、出自も学歴も規制力を持たない。消費者とは、金さえあれば、個人としての自由を満喫できると信じることができる存在であり、日本の歴史の 中で初めて登場した、自由を謳歌できる個人主義的な存在であったのだ。ただし、お金さえあれば、という前提を忘 れていけない。

Morris.には徹底的に「前提」が不足している(>_<)

家父長システムの崩壊は同時に、相互扶助的な地域コ ミュニティの崩壊や、貧富格差の拡大をもたらす 結果にもなっていった。
こうした、戦後経済の発展プロセスの中で、金銭合理主義的な考え方が強くなり、生産性の低い部分が切り捨てられ ていく風潮が蔓延した。社会全体が高齢化してゆ く中で、高齢者は非効率切り捨ての風潮とともに、厄介者のような扱いを受けることがしばしばである。


切り捨て御免下さい

大人が大人の顔付を失ったのは、平均寿命が大幅に伸 びたということもあるだろうが、やはり消費者万 能の時代の中で、大人の価値観が喪われていったということが大きかったのではなかろうか。消費者にとって重要なことは、アクティブで、生産性が高く、した がって可処分所得が高いということである。貫禄とか風格とかいうものは、金銭だけが価値基準である「消費者」の 前では、ほとんど意味を持たない。
どのような人間が大人であるのか。おそらくは、自分以外の他者が自分を必要としており、自分が必要とされている ことを引き受けるということで、ひとは大人にな るのではないかと思う。
ひとは自分で考えるほど、自分のために生きているわけではないのだ。
ひとは自分を必要としているもののために行動するとき、そのパフォーマンスが最大化する。本来的に他者と共生し てゆかなくてはならないという義務感があるの かもしれない。誰も、ひとりで生れてきたわけではないし、ひとりで死ぬこともできない。娑婆で暮らしている限り、そこには他者がおり、誰もがどこかで他者を必 要として生きている。


中 原中也の「春日狂想」を思い出し た。

人口減少時代を生き抜いていくために必要なことは、 ひとも国も大人にならなければいけないというこ とである。(消費者の時代が失った大人の風貌)

「大人国」というと、ガリバー旅行記第二話「ブロブディンナグ国」である。Morris.まもなく七十三歳にしてい まだに「お子ちゃま」である (>_<)
【感 染列島 パンデミック・イブ】吉村達也 ★★★  2008/12/22 小学館
新型コロナウイルスが出現する10年以上前に発表された作品である。それを念頭に読んでみると、なかなか先見の明が あると思わされた。

「ウイルスは細菌に較べてもうんと小さくて、あまり にも小さすぎるから自分でタンパク質を作ること ができない。だから宿主を探して、その細胞の中に入り込み、宿主のタンパク質合成能力の助けを借りて増殖するんだけど……」

Morris.には、ウイルスと細菌と黴菌の区別が未だに判然としない。みんな微生物だろうが、ウイ ルスが一番小さいのかな。

「失礼ながら、ぼくに言わせると政治家も官僚もワク チンみたいなもので、いつも後手後手なんだ。け れども、この先は、後手後手の対応は絶対に許されない。意思決定の遅延一秒につき、何万人という日本国民を殺すことにつながると思ってほしい」

火事でも初期消火が重要なのに、日本のコロナ対策は後手後手どころか、検査の足を引っ張ったり、水際作戦を故意に遅 延させたり、五輪を優先したり、と、ひどいもの だった。

「いまやH5N1型鳥インフルエンザだけでなく、人 間が引き起こした地球環境の破壊にともなって、 ウイルスの変異と強毒化は想像もつかないレベルにまでエスカレートしてきていると思うのです。ハンタウイルス肺症候群がいい例じゃないですか。あれは乾燥地域 が大雨にさらされることによって、いままで少数しかいなかったシカネズミが、文字どおりネズミ算的に増えたこと で起きた感染症です。その大雨はエルニーニョ現 象によって引き起こされ、エルニーニョ現象は、人間が引き起こした地球温暖化の産物です。けっきょく悪魔のウイルスを作っているのは、我々人間なんですよ。そ して地球を大切にしない傲慢な人間たちが、ウイルスによって本格的に罰せられはじめた」
ハンタウイルスとは、1950年に起きた朝鮮戦争で米軍兵士に流行した腎機能を冒すウイルスで、北朝鮮と韓国の 間を流れる漢江(ハンガン)が訛ってハンタと名 づけられた。RNAウイルスの典型的な特徴である変種の多さは、このウイルスでも例に漏れず、ハンタウイルス症候群もその変種のひとつだ。 


環境破壊も新型ウイルスもつまりは人類が引き起こした「人災」ということか。
ハンタウイルスというのも初耳だったが。韓国のハンガン(漢河)は北朝鮮を流れていないと思うのだけど…… 

【ポ スト・コロナ 資本主義から共存主義へという未来】廣 田直久 ★★★☆☆  2020/08/30 河出書房新社
廣田直久 1938年生れ。東大法学部卒業。川崎製鉄入社、司法書士合格して弁護士登録。「紛争解決学」「壊 市」「地雷」「デス」「蘇生」「先取り経済の総決算 --1000兆円の国家債務をどうするか」「ベーシック 命をつなぐ物語」

日本でコロナ禍が始まって4ヶ月くらいの時期に書かれた一冊だが、今読んでも示唆に富む内容である。

私は、地球上で76億人の人びとが生活しさまざ まな仕組みをつくって共存している事実に着目して、 経済の仕組みや社会の仕組みを「共存」という価値観から構築することを「共存主義」と言っているが、この道は、資本主義のものの見方、考え方を根本的に規定す る認識の枠組みを革命的・劇的に変化させるパラダイムシフトを展望している。
この本は、ポスト・コロナのパラダイムシフトを展望している。(はじめに)

「資本主義か」ら「共存主義」へというのが著者の願いらしい。「共存党」旗揚げしたら応援したい。

10万円一律支給のあと、政府の財政出動に関す る選択肢の一つが、これ以上の財政出動はしないと投 げ出すことである。口では救済措置をとると言いながら実際にはしないということも含まれる。そこまで考えると、投げ出すという可能性は決して低くない。
その根拠は、現政権の基本的なスタンスが新自由主義だからである。さすがに新型コロナウイルス禍を前にし て、自己責任論を持ち出すことはできないだろうが、最 後は自己責任でやってくれと言い出さない保障はない。
この国の底辺に通奏低音のように流れている棄民政策にも油断してはならない。
断っておくが、シンガタコロナウイルス禍は、自己責任ではない。また、棄民政策をとられたら、ひとたまりも ない。(第一章 10万円一律支給に続く事態)


この文章が書かれた後、安倍政権は投げ出したし、その後の菅政権に至っては、「自助」を真っ先に掲げた (>_<) ほぼ棄民政策だっったと言えるだろ う。

ここで大きな問題は、ペスト禍が中世から近世へ の歴史的な変更を促したような大きな時代の変革があ るかどうかである。(第三章 ペスト禍後とコロナ禍後との異同)

それほど大きな時代変革は考えにくいが、少なくとも産業構造の変化は避けられまい。

首相や都知事がテレビにさかんに登場して「不要 不急のことは控えてください」という言葉を連発し た。
この「芙蓉という言葉を聴いて傷つく人が多いのではないかと、私は思っている。多くの人は意識していないか もしれないが、この「不要」という言葉は、潜在意識 の深いところにもぐり込んで、人の心を傷つけてしまうのではないだろうか。
だいたい私は、世の中に不要なものはないと思っている。しかし、この言葉を聞くと、「私は不要な人間か」と 思ってしまう。したがって、この「不要」という言葉 によって受けたダメージを回復することは難しいのではないかと思っている。


当時は割と平気で使っていたが、たしかに「不要不急」という言葉には刺があった。

コロナ禍によって、誰しもが、ヒトという動物は 案外弱いということを知ったのではないだろうか。

災害のたびにそう思い知る。が、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のだ。

V字型の回復よりも将来構想という方向に切り替 えるならば、そこには多くの選択肢があるだろう。そ のときに必要なのは、自らの力量を正確に把握し、世の中の、あるいは歴史の流れを読み込んで、選択を誤らないとに専心することだと思う。すなわち多くの選択肢 の中から最も適切な選択が出来るかどうかである。(第四章 V字型回復はあり得るか)

言うは易く行うは難し、である(^_^;)

職種によっては不要となる職種については、コロ ナ禍が起こる前から懸念されていたことである。すな わち、人工知能(AI)が人間の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)を迎える2045年には、多くの人が職を失うという予測がある。少なくともコロ ナ禍後には大幅なシフトの編成があり、労働力が偏在する可能性は高いと思われる。(第五章 労働)

IT企業やらAIなどとは縁遠いMorris.である。PCとの付き合いは結構古いんだけど、いつまでたっても 初心者である。

コロナ禍が長引けば、投げ出して棄民政策に走ら ない限り政府は、なし崩し的にベーシック・インカム に近い政策を取らざるを得ないとうことになるのではないだろうか。
例えば、この原稿を書いている2020年4月22日現在でも、休業した飲食店に営業補償しようとか、賃借人 に家賃補償しようとかいう案が出てきている。そうす ると、その補償の根拠が求められることになるだろう。それならば、ここできちんとベーシック・インカムを考察しておく必要がある、と私は思っている。
このシステムはマネーゲームと相容れない。ベーシック・インカムを導入するほどの信認という裏づけが必要な のだから、実体のない通貨の流通は認められない。民 間銀行による信用創造は禁止される。また、金融商品の投機的取引も先物取引も禁止ということになるだろう。政府だけが通貨を発行することができるというのが、 信認のキモである。国が発行する通貨そのものがベーシック・インカムの財源である以上、これは当然のことと されるだろう。したがって、銀行業務、証券業務は大 幅に縮小することになる。


著者はベーシック・インカムにかなり肩入れしているようだ。Morris.は大いに期待しているぞ(^_^;)

地球上にホモ・サピエンスが出現したのは20万 年前と言われているが、農耕や牧畜がはじまった、1 万年前までの間は、ずっと狩猟採集時代で、ヒトは自然の中にあったものを、タダで、ときには力を合わせて獲得していた。狩猟によって獲得した獲物をインカムと いうのには若干違和感があるが、得られる獲物というインカムを平等に分け合った。つまり、ベーシック・イン カムは保証されていたのである。
しかし、そいういうことが見えにくくなったのは、農耕牧畜がはじまった以降の社会制度、つまりシステムで あって、私たちは、農耕牧畜以降のシステムしか見てい ないので、ベーシック・インカムのことを久しく忘れていたのである。


農耕文化が、狩猟採集時代の自由さを奪い、富の偏在、科学技術向上、近代社会を産みだしたという言説は、あちら こちらで目にする。

ベーシック・インカム財源の代表的な意見は、通 貨発行益を財源にすれば良いというものである。ここ で重要なポイントは、政府がこの特権握っているということである。例えば、一万円札の製造コストは25円に過ぎないから、差し引き9975円が、通貨発行益に なるわけだが、この9774円の通貨発行益をベーシック・インカムの財源にすれば、増税や予算の削減などを 心配する必要はないということになる。

是非実行されんことを、祈る。

国の通貨の流通を保障しているのがその国の国力 だと言えば理解できるだろう。つまりその国の国力が 担保になっているわけだが、国力を測る目安は、経済力もあれば政治力もあれば文化力もあり、その総合を国力と言ってよいと思う。その中で最も端的で露骨なのが 軍事力であろう。

日本国憲法は軍事力を基本的に否定しているわけで、これをどこまでも盾にして、非軍事的国領アップに突き進むべ きだ。

コロナ禍が長引けば、ベーシック・インカムは一 つの選択としてあり得るし、共存主義にパラダイムシ フトすることもあり得るのではないかと思っている。(第七章 ベーシック・インカムは有りか)

このことは本書で繰り返し述べられている。こういったパラダイムシフトなら歓迎する。

コロナ禍に襲われる前は、政治的無関心(アパ シー)という病は膏肓に達していたとしても、コロナ感 染拡大におののいている今となっては、政治的無関心を続けることはできない。この政治的な関心度の高まりがコロナ終息後までもつくだろうか。その程度と方向と が、独裁制か民主制かの選択を決めるだろう。
独裁制は集約装置が弱く発生装置が強い。これに対して、民主制は集約装置が強く発生装置が弱い。
10万円一律支給という政策が形成されるとプロセスのいては、集約装置が働かず、発生装置ばかりが働いてい たということになる。これは、独裁制に親和性のある プロセスであったということである。


コロナ禍が政治的関心を喚起したとは思うのだが、直近の衆院選が、今後を左右することだけは間違いない。選挙は 義務でなく権利である。権利を行使してもらいたい。

政党が国民と国家の媒介者であることは、政党の 日常的な活動のことを言っているのだが、選挙のとき も同様である。選挙のときには、この機能が外に向かって大きく開かれ、有権者にアピールするような政策が強調される。
政党は、集約装置と発声装置を持っているが、この二つの装置がうまく動かなくなると、国民の間に政敵無関心 がはびこり、議会制民主主義は形骸化してくる。
緊急事態が発生すると、政策決定が急がれるので、どうしても発声装置の働きが強くなり、集約装置を稼働させ ることがおろそかになる。したがって、独裁制の方向 に行きがちになる。しかし、そういうときこそ衆知を集め、集約装置をフル回転させるひつようがあるのではないだろうか。そうでなければ、緊急事態が終息した後 でも、惰性が続いて、独裁制に走る可能性が高くなる。
独裁制は情報が偏りやすく、そのために集約装置が麻痺してしまうからである。そしてそこに独裁者の利害や、 思想や傾向がからんで、発声機能を狂わせ、とんでも ない方向にも突き進む可能性が高くなる。そうなったら、それをセーブすることは極めて難しい。独裁制は、システムが独裁者の独断をセーブすることができる仕組 みになっていない。
これに対して、民主制ならば、システムの中にセーブする方法が制度自体の中に織り込まれているので、民主制 の方が独裁制よりも安全なシステムであると思う。
アテネの衆愚政治がソクラテスを死刑にした例をあげれば分かるように、民主主義はともすれば衆愚政治に陥り やすい。(第九章 独裁制か民主制か)

民主主義には欠点も多いが、独裁に比べれば確実に好ましい。

私はかねがね不思議に思っていることがある。そ れは、なぜやりもしない戦争のために、世界中の国々 が毎年莫大な美さんを計上するのか、というまことに素朴な疑問である。
中米のコスタリカは、1948年の内戦の翌年に憲法が施工されて、常備軍が廃止された。そして1983年に は永世非武装中立を宣言し、今日に至っている。
<戦争をして、そのくだらなさがわかったつもりだからもうやらないという嫌戦論が日本。戦争はしな かった、これからもまた、やらないだろうからという戦 力不要論がコスタリカである>(「中南米の奇跡コスタリカ」寿里淳平)(第十章 戦争か平和か)

そして戦争を知らない国民が大部分を占めるようになった日本では、嫌戦論が流行らなくなってきているようだ。体 験してなくても、知ることは出来るはずだ。ただし、 その気になったら、である。

10万円の一律支給は、生活困窮者への30万円 支給案を取りやめて、切り替えられて出てきた案であ る。
私はここに多数の非困窮者が少数の困窮者を追いつめてしまう構図が見えて、何か引っかかるところがある。
私がなぜ決まったことを問題にするのかというと、それは、多数者が少数者を知らず知らずに追いつめてしまう ことに鈍感になること、それに危惧を覚えるからだ。

実を言うと、Morris.は当時、30万円もらえるかなと仄かかな期待を抱いていた(^_^;) 金持ちも困 窮者も一律10万円支給というのは、あまりにムダの 多いバラまきだったし、困窮者にとっては「焼け石に水」だった。

少し考えれば分かることだが、コロナ禍が起こる 前から資本主義は終わりつつあり、資本主義の枠組の 中で解決できない問題が続出してきた。例えば、地球温暖化問題は、利益優先の経済活動とう資本主義の枠組だけでは解決ができない。資本主義の枠組を超えること によってはじめて、解決の見通しが立つのである。コロナ禍も、資本主義の枠組を超える問題であり、したがっ て、ベーシック・インカムのような資本主義の枠組を 超える発想がなければ乗り越えていくことができないだろう。(おわりに)

昨日丸山公園ベンチで読了した一冊というのがこの本だった。耳かき一杯くらいの希望をもらった(^_^;)
【安 倍三代】青木理 ★★★  2017/01/30 朝日新聞出版 初出「AERA」2015-16
安倍晋三の父安倍晋太郎、祖父安倍寛を論じながら、結局は安倍晋三批判の書というべきだろう。
安倍晋三の祖父というと、岸信介ばかりがクローズアップされるが、父方の祖父阿部寛という人物は、岸信介とは対 照的な骨のある政治家だったようだ。

「批判されると、すぐに「絶対ありません」。さ らに批判されると「丁寧に説明する」。丁寧に説明し ないヤツに限ってそう言うんだよ。きちんと説明していれば、そんなことをいう必要がないんだから。」(世相漫画家 弘中健次の晋三評)

「丁寧に説明しないヤツに限ってそう言う」まさにそのとおりである。

貧富の格差への憤り。失業者対策の必要性の訴 え。生活が不安定な勤労者や農家、中小企業経営者に寄 せる配慮。その一方、大資本や「財閥特権階級」に向けられた厳しくも辛辣の視線。「富の偏在は国家の危機を招く」などという訴えは、現在も通用するまさに慧眼 の警句であり、思わず、皮肉の一つも言いたくなる。税制面でも経済政策でも大企業や富裕層を優遇し、そこが 潤えば"トリクルダウン"によって庶民にも潤いが垂 れ落ちてくるのだと訴えるどこぞの政権に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい、と。

戦中の政治家(阿部寛)にしてこの姿勢。一番聞きたくない言葉「トリクルダウン」ヽ(`Д´)ノ

戦争遂行のためと称して全政党が解散を余儀なく され、大政翼賛会という国策推進組織に一本化された 1942(昭和17)年の第21回衆議院選挙。寛これにも抗って翼賛会の非推薦で出馬し、特高警察などの熾烈な監視と弾圧を受けながら、2度めの当選を勝ち取 るのである。
翼賛政治を非推薦で闘った政治家たちが、戦後日本政治の主翼を担ったのは間違いない。その顔ぶれは与野党を 問わない。鳩山一郎、芦田均、三木武吉、西尾末広、 河野一郎、大野伴睦、片山哲、二階堂進……。三木武夫もそうだったし、本来ならば、阿部寛もその一人に名を連ねていてもおかしくはなかったのである。

1942年の翼賛選挙。これに比べれば、今回の衆院選は、楽勝(^_^;) である。少なくとも暴圧はない。だ からこそ、投票すべし。

翼賛選挙の際に商工大臣だった岸信介は翼賛態勢 協議会の推薦候補として山口2区から出馬してトップ 当選を果たした。
しかし岸の身にも間もなく重大な変化が訪れる。1944(昭和19)年7月、日本の敗北を決定づけたサイパ ン陥落をめぐり、首相の東条と商工大臣の岸の間に生 じた不協和音。サイパンが米国の手に落ちれば日本本土がB29の攻撃射程に入ると考えた岸は、対米戦争はもはやこれまでと「早期終戦」を訴えた。東条は岸に辞 職を迫ったが、岸はこれを拒否して閣内不一致が現出し、東条内閣は崩壊に追い込まれたのである。
岸の真意が奈辺に会ったのか、いまなお判然とはしていない。岸研究者原彬久は、岸のこうした振る舞いは「先 物買い」だったのではないのか、との見方を紹介して いる。敗色濃厚の状況を察知していち早く東条政権に反旗を翻し、戦争責任を逃れようとしたのではないかという分析であり、原は「慧眼の岸ならば、あり得る話で ある」と記している。
真相は分からない。閣僚を辞した岸は、ただちn故郷・山口に舞い戻って「防長尊攘同志会」なる政治組織をつ くって雌伏の時を過ごす。その最中、山口県の各地を 遊説しつつ、旧・日置村に足を運んで寛を見舞ったのである。
いまとなっては、寛を見舞った真意も確認する術はない。岸が寛を見舞ったのは、1945(昭和20)年春の ことだった。

岸信介は「鵺」、阿部寛は「鷹」というイメージがある。

もし寛がせめてあと20年生きて政治活動を続けていたら、いったいどうだったろうか。同じ翼賛選挙を戦い抜 き、互いに信頼を寄せていたという三木武夫のように 首相の座にまで上り詰めたかどうかもちろん分からない。ただ、戦後日本政界にもっと確かでもっと鮮やかな足跡を残しただろう。それは息子の晋太郎や孫の晋三に さまざまな政治的影響を与え、現代日本の政治状況も、政界の風景も、現在とは少し違ったものになったのでは ないだろうか。(第一部 阿部寛)


空想は罪ではないが、歴史に「レバタラ」は虚しいかも。

寒村の野山を駆け回って育った幼少期。早くに両 親を失ってしまった天涯孤独の悲哀。特高で散る寸前 だった戦中体験。「異端者」として自ら票田を開墾した苦労。そうしたことごとが重なり合い、培われた懐の深さとバランス感覚。
だからこそ、日本社会の「異端」である在日コリアンの人びとも晋太郎に惹かれ、熱心に支援したのではなかっ たか。もちろん、決して美化できるような話ばかりで はなく、「反共」で切り結ばれた時代背景もあったろうし、双方に現実的な思惑もあったろう。政治家としては政治資金と評が欲しい、片や事業化としての打算もあ る。そんな関係。
「先生(晋太郎)はね、どうして在日の方と仲がいいかっていったら、旧制六高時代の同級生に崔(チェ)さん という方がいらっしゃってね。とっても仲が良かった んです」(長年秘書を務めた女性談)
ここに登場する「崔さん」というのは、のちに釜山日報の社長などを経て韓国国会議員も二期務めた崔世卿 (チェセギョン)のことである。崔は韓国最大の放送局 KBSの第三代目社長も務めている。植民地支配からの解放後の韓国で最高のトップエリートの一人といってもいいだろう。(第二部 安倍晋太郎)


確かに安倍晋太郎は息子安倍晋三よりは総理にふさわしかったような気がする。在日コリアンとの繋がりに関して は、本書で初めて知った。

(戦後最長政権となった安倍政権の)支持率は 50~60%前後という安定域で推移しているが、その 支持理由を尋ねると「ほかに適当な人がいないから」とう回答が最も多い。
さらにいうなら、政治改革の美名の下に小選挙区比例代表制が導入されたことにより、自民党の中では党執行部 の力が飛躍的に高まった。かつての自民党は派閥が あっとうてきな存在感を誇り、派閥間で激しい権力争いが繰り広げられ、「次の総理総裁」の座を虎視眈々とうかがう者たちが群れをなしていたが、いまはそうした 動きもほとんど見られなくなってしまった。これも「安倍一強」を支える大きな要因となっている。


たしかに安倍晋三長期政権は、悪運に恵まれてたと言うべきかもしれない。

そんな安倍政権を「二つのムチ」 (ignorantと言う意味での「ムチ」と、shameless という意味の「無恥」)に侵されていると痛烈批判したのは、晋三の恩師でもある成蹊大の名誉教授加藤節だった。「地盤があった看板とカバンがあれば、未熟なも のでも政治家になっていく。だから政治はどんどん劣化する。明らかに世襲のなせるわざです」(第三章 安倍 晋三)

本書は安倍批判だけではなく「世襲政治家」批判の書でもあった。


【コ インロッカー・ベイビーズ】村上龍  ★★★☆ 1980/10/28 講談社
1072年コインロッカーに捨てられて生き残った二人、キクとハシは横浜の施設で育ち、西九州の離れ島(た ぶん軍感島)の夫婦にもらわれる。
島のオートバイ男ガゼルが二人に教えた呪文が「ダチュラ」

DATURA でも発音はダツラとなってま すね。朝鮮アサガオのことらしいですね、ナスの一種だと 書いてあります。キクはがっかりした。片っ端から人を殺し物を壊し続けたくなる時のおまじないが、ナスの一種か。店員がポケットから眼鏡を鳥dした。ちょっと 待ってください、小さな字で何か書いてあります。目が悪いものでね、あ、毒物って説明がありますね。 「毒物だって?」キクは顔を上げた。
「朝鮮アサガオの総称、別名キチガイナスビとも言われる、アルカイドを全体に含み、幻聴、幻覚、気分変 化、妄想、見当識喪失を引き起こし猛毒の植物である、特 に中南米でボラチェロと呼称されて栽培されるものは、トロパン系アルカロイドのアトロビン、スコポラミンの重要な医療資源とされている。
毒物かあ、と呟いた店員は、緑色の薄い本を箱から出した。背表紙には精神発言薬総覧、と書かれている。 索引で「ダチュラ」を捜す。あったぞ!と店員は叫んだ。
ガバニアジド、米国で開発された新種の抗鬱剤、1984年、急増したウツ病患者の多くは、イプロニアジ ドに代表される気分高揚剤に飽きたらず、もっと強力な興 奮剤を求めた。そこで、三環系抗鬱剤、MAO阻害剤に次ぐ第三の精神高揚剤が密かに研究された、そして誕生したのがガバニジアドである。開発に成功したのは多 国籍薬品企業のグリアだが、グリアは成分を一切明らかにしなかった、ガバジニアジドは内臓障害も依存症 もない強力な精神高揚剤として市場に出回るや爆発的な売 れ行きを示した、皮肉な副作用が発見されたのは半年後である、多量を服用すると自衛力が薄れ凶暴性を帯びることを英国の精神科医が指摘し企業グリアに対して、 ガバニアジドの成分を発表しろと迫った、グリアは企業秘密を盾にこの申し入れに応じなかったが、本国ア メリカで3件の殺人事件が発生するに及んで上院で公聴会 が開かれた、3件の殺人は何れもガバニアジドの多量服用が原因による見当識喪失状態でなされたものであった、校長会で、英国の精神科医ゴールドマン博士がある 疑いについてグリアを追求した、博士の主張は、ガナニアジドの主成分が、神経兵器「ダチュラ」であると いうものだ、「ダチュラ」を希釈して使用しているという 疑いはガバニアジド発売当時からあったが、ゴールドマン博士は精神兵機「ダチュラ」を希釈服用させたラットとガバニアジドを大量に駐車したラットの行動類似例 を78件紹介し、グリアを追求した。ラットは何れもまれに見る凶暴性を帯び仲間に襲いかかった、グリア は「ダチュラ」使用を認めガバニアジドは直ちに市場から 回収された、なお、この事件で「ダチュラ」を不法に民間に流したとして米海軍の生物兵器関連部隊長が逮捕されたと言われている。
「ダチュラ」って兵器らしいですね、店員は本を閉じた。キクは「精神発現薬総覧」という本を買った。


植物ダチュラに偏愛といっていいくらいの感情を持ってるMorris.としては見逃せなかった。
【MISSING 失われているもの】村 上龍 ★★★  2020/03/20 新潮社 初出 村上龍メールマガジン「JMM」2013-19 「新潮」2020年1月号

自分をモデルにした、現実と幻想をないまぜにした、一種の自叙伝といえるかもしれない。同じエピソードが繰 り返し繰り返し変奏される。Femme  fatale(ファムファタール 運命の女」とも言うべき女性、つまりは「母」なのだろうが、その母が朝鮮から引きあげるあたりは変にリアルだったりする。
「家具デザイナー」の回想部分には村上龍のデビュー前後の暮らしぶりがコンパクトに描かれていて興味深かっ た。

「あなたはこれからいろいろな女と出会う よ」
それが彼女の最後の言葉だった。食事をおごってもらったり、安アパートに電話を引いてもらったい、カ ラーテレビを買ってもらったり、生活を援助してもらった。 感謝していたし、きれいな人だったので、自分は結婚するんだろうなと思っていたのだが、別れた。人生における最大の失敗だったとあとになって気づいた。彼女の 最後の言葉通り、いろいろな女と出会い、付き合ったが、女たちは、若くして成功した作家としてのわたし と出会い、付き合ったのだ。米軍基地の街で育ち、上京し てからも何となく懐かしくて米軍基地の街に住み、デタラメな生活を続け、さまざまな問題を起こし、幻覚剤を大量に服用して警察に留置され、基地の街に住めなく なって、逃げるように東京西郊の街に移り、風呂もなくトイレ共同の安アパートに住み、ほとんど大学にも 行かず、単に小説らしきものを書いていた二十歳そこそこ の自分と、出会い、付き合うことができた女は、あの家具デザイナー以外、どこを探してもいないということに気づかなかった。

【沖 縄戦いまだ終わらず】佐野眞一 ★★★☆☆  2015/05/25 集英社文庫 初出 集英社クォータリー 「kotoba(コトバ)」2012-13 2013年5月「僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記録」(集英社インターナショナル」より刊行 

佐野眞一長編ルポはほとんど読んでるつもりだたのだが、これは読んでなかった。文庫化されたのが翁長知 事誕生直後ということで、これに関する第六章を加筆してい る。

日本人はなぜ、沖縄県民の痛みに思いを いたさないのか。
それはおそらく、沖縄戦で「集団自決」させられた零歳児まで「英霊」として靖国神社に合祀される" 栄誉"と、援護金という経済的恩恵の二重の欺瞞によって、沖 縄戦の真実が目隠しされ、沖縄の戦後史が出発点から捏造されてきたことと同じ根から生まれている。
それを反省するどころか、古傷に潮をすり込むように、オスプレイ配備を着々と進める日本政府の歴史 的鈍感さに、私はあらためて強い怒りを感じた。(第二章 孤 児たちの沖縄戦)


「集団自決はなかった」という修正主義がかなりおおっぴらに展開されていた。もってのほかである。しか もこれは政府の欺瞞にはじまるということはきちんと押さえて おかなくては。
オスプレイは性能、危険性以前に、あのフォルムが醜いという第一印象が今だに残っている。

官房長官の菅が、「もし仲井眞さんが当 選したら、沖縄にユニバーサルスタジオをプレゼントする」と 約束したのも笑止千万だった。これは沖縄のカジノ計画に賛成している仲井眞への援護射撃のつもりだったのだろうが、どうみても逆効果だった。
菅は秋田県の雪深い村から集団就職で上京し、働きながら大学の夜間部に通った苦労人だが、権力の座 に長くいたせいか、最近とみに傲慢になったような気がする。


総理就任した時にPRに使われた菅(当時官房長官)の苦労譚を、佐野ともあろうものが、まるまる信じて いるかのような書き方をしているのは、解せない。佐野はあと で「しまった!」と思っただろう。

そもそも私は、通産官僚から沖縄総合事 務局、沖縄電力理事、沖縄県副知事、沖縄電力社長、そして沖 縄県知事と天下りして、その都度庶民にはおよそ手の届かない巨額の大正金を手にした仲井眞という男を最初から信用していなかった。

仲井眞って裏切り者というイメージが強かったが、天下り男でもあったのか(@_@) 

2014年11月の沖縄知事選でオール 沖縄の翁長知事誕生の後、時の安部総理は11月21日に国会 を解散し、12月14日に総選挙をすると発表。自公の大量議席数を味方に、野党陣営の準備が整わないうちに総選挙に出る。いかにも安倍らしい姑息な作戦だっ た。
衆院選んの投票率は52.6%と戦後最低だった。それにもかかわらず、いやそれだからこそというべ きか、自公勢力は定数の2/3議席を突破して盤石の態勢を築 いた。この議席数は会見を発議できるだけの勢力である。
われわれは二つの選挙通して、本土と沖縄の政治的温度差が開くばかりの現実をあらためて目の当たり にした。
政治にまったく期待していない日本と、政治に期待せざるを得ない沖縄。あえて言わせてもらえば、こ れはもう完全に別の国である。


14年の衆院選で2/3議席獲得した時の自民党支持率は1/4でしかなかったことを思うと、小選挙区の 矛盾に突き当たるのだが、国政選挙の投票率が5割台しかない というのは、どこかまちがっている。

沖縄は日本で初めて行われた地上戦から はじまって、戦争末期には集団自決の悲劇を経験し、多くの戦 争孤児を生んだ。
そして戦後は、米軍の銃剣とブルドーザによる問答無用の土地接収による基地化と、レイプ、殺人など 数多くの米軍犯罪を生んだ苦難の歴史をもっている。
それを沖縄の人々は、自分のなかの負の等高線として自らの身体のなかにしっかりきざみつけてきた。
これに対して本土の人々は、日本のわずか0.6%の面積しかない沖縄に、米軍基地の74%がしゅう ちゅうしている事実についてずっと見て見ぬふりをしてきた。
日本と日本人は、戦後の反映と安全が、沖縄の人々の擬制の上に成り立ってきたことにあまりにも無自 覚だった。
かつて本土の人々は沖縄とそこに住む人々を明らかに見下していた。独立問題に関しても、あんな貧し い島が独立なんて出来っこないよと高をくくっていた。
近い将来、沖縄が南のスコットランドになり、日本が他国の誰からも相手にされない極東の孤児にな る。悩ましいのは、それが悪夢だとはかならずしも言えないこと である。

差別は今でも歴然として「ある」といえる。

翁長が沖縄県知事に正式に就任したのは 2014年12月10日だった。だが、年内の翁長・安倍会談 は実現しなかった。安部総理だけでなく、菅官房長官も翁長との年内の面会に一切応じてこなかった。安倍はすでに敗戦がきまっているのに、住民に集団自決を強制 した太平洋戦争当時の日本軍と同じ愚を犯すつもりなのか。

あれにはMorris.も強い憤りを感じてた。デニー知事もほぼ同様の仕打ちをされたこともヽ (`Д´)ノ
【含羞詩集】阪田寛夫  ★★★ 1997/10/18 河 出書房新社 
雑誌「あげぼの」(聖パウロ修道会発行)1991~93に連載されたものをもととするらしい。
先日読んだ何かのアンソロジーで感心した「挨拶の下手な人に」があったので、つい読む気になった。

    さ よなら

少女歌劇という言葉が生きていた頃
女学生は手紙の最後を小夜奈良と結んだ
やすらはでねなましものをさよふけて
の、小夜福子
いにしへのならのみやこのやへざくら
の、奈良美也子
どちらも男装の麗人として世に聞こえていた
小学生のぼくはさよならの語源はこれだと
半ば信じ半ば疑ってもいたが
好きな女の子の家の前をわざわざ通って
露骨にとを閉(た)てて逃げこまれた夕方
ぼくの心こそ小夜奈良だった
その夜半ぼくは
かたぶくまでの月を見た


    おまちどおさま

四月三日
雨があがって
もしやと出かけたら
パラソルさして先に桜が待っててくれた
焦がれてるのはこっちなのに
言わせてもらった
年に一度のぜいたくなせりふ
「おまちどおさま」

やっぱり最初の「挨拶の下手な人に」が一番よかった(^_^;)

【水 を縫う】寺地はるな ★★★  2020/05/30 集英社 初出「小説すばる」2019-20
寺地はるな 19977年佐賀県生れ、大阪在住。2014年「ビオレタ」でポプラ社小説新人賞受 賞。「大人は泣かないと思っていた」「正しい愛と理想の息子」「夜 が暗いとはかぎらない」
刺繍の好きな弟、可愛い物が嫌いな姉。 母は離婚して姉弟を育てながら仕事もしている。祖母(母の 母)も同居していて、弟とはとりわけ仲が良い。父は友人の縫製工 場で、デザイナーまがいの仕事させてもらっている。
高校の課題図書らしい。

「刺繍は世界中にあって、それぞれ 違う特徴があるんです。
紺野さんが「へえ、そうなん」とふたたび身を乗り出す。
「たとえば日本にはこぎん刺しっていうのがあるんですけど、これってもともと布を丈夫にして暖 かくするために糸を重ねたのがはじまりらしくて」
「ほう」
「あとね「背守り」って知ってます? 赤ちゃんの産着の背中に刺繍する習慣があったんですっ て。いわゆる魔除けです。鶴とか亀とかね、そういう図案を」
「ほう、ほう」
紺野さんが大きく頷く。姉はきっとこの人のこういうところを好きになったんだろう。自分がもの すごくおもしろい話をしているみたいで、悪い気はしない。
日本だけじゃない。ルーマニアのある地方では「ミラーワーク」と呼ばれる鏡を縫いこんだ刺繍の 技法がある。娘が悪いもの9を反射して身を守ってくれる、と考え られているのだ。
「刺繍はずっと昔から世界中にあって、手法はいろいろ違うのに、そこにこめられた願いはみんな 似てるんです。それってなんか、おもしろいでしょ」
世界中で、誰かが誰かのために祈っている。すこやかであれ、幸せであれ、t.
高校生になってからいろいろな刺繍に関する本を読んだりしているうちに、もっとくわしく刺繍の 歴史を知りたいと思うようになった。そこにこめられた人々の思い を、暮らしを、もっと知りたいと。

紺野さんというのは姉の婚約者である。引用部分は、弟が刺繍のことをじぶんなりに調べて得た知識の 披瀝。
【読 書と日本人】津野海太郎 ★★★☆☆  2016/10/20 岩波新書(新赤本)1626
カウンターカルチャー時代の「Wonderland」の編集者で、黒テントの演出者、晶文社の取締で 「季刊 本とコンピュータ」の編集長も務めた津野海太郎は、 Morris.にとって雲の上の人のようでもあり、なんとなくつかみどころのない存在でもあった。本書は従来あまり取り上げられなかった読者論を自分なりに整理 し、20世紀と21世紀の読書世界の現状と課題までを取り上げた啓蒙的一冊。

平安期を代表する建築様式である「寝殿 造り」が、室町期に「書院造り」という新様式に取って代わら れた。寝殿造りと書院造りの最大のちがいは、前者の「局」に代わって、壁や引き戸で周囲から劃然と区切られた「部屋」が、この国の建築に本格的に登場したこ と。それにともなって畳敷きの部屋、角柱、床の間、引きちがいの「ふすま」、違い棚など、今日まで つづく和風建築の基本がかたちづくられ、そのことで「じぶん だけの閉じた小さな部屋」という菅原道真の夢がやっと現実のものになった。(2 乱世日本のルネサンス)

つまり室町以前には日本の建物には「個室」がなかったという指摘。従って一人静かに読書という形態は取 れなかったということ。

生きるための基礎技術としての「読み書 きソロバン」をまなぶうちに、一歩そこから踏みこんで「われ われはこの社会でどう正しく生きていけばいいのか」と考え、じぶんからすすんで儒教や歴史や経済などの「かたい本」を習慣的に読むような人々の層ができてく る。いわば「学者読み」のさらなる拡大、その大衆化です。
江戸時代中期のはじめぐらいまでの儒教思想家は、下級の公家や武士や浪人や僧侶の家に生まれた者が ほとんどでした。林羅山、山崎闇斎、中江藤樹、伊藤仁斎、荻 生徂徠などですね。それが時代がすすむにつれて、富永仲基(醤油製造・漬物商)、安藤昌益(町医者)、石田梅岩(百姓・商人)、三浦梅園(儒医)、山片蟠桃 (両替商)、賀茂真淵(神職)、本居宣長(木綿商・町医者)といった、豪農や上層商人をふくむ庶民 出身の学者たちが江戸思想史の中心を占めるようになっていっ た。


江戸時時代の思想家を出自で、これだけ明確に二分化してあるとわかりやすい。

18世紀末、天明から寛政にかけての時 期に平仮名による内外の古典の自学自習本が続々と刊行されて ゆく。蔦屋重三郎も「孝経平仮名附」「略解千字文」「絵本二十四孝」などの平仮名による大衆啓蒙本を出した。(3 印刷革命と寺子屋)

江戸時代で最も興味を覚える出版者蔦屋重三郎が自学自習本を出していたとは知らなかった。 黄表紙の派 手な隆盛のうらには、自習書による庶民の識字率の向上があっ たわけだ。

福沢諭吉「学問のすゝめ」全十七編が完 結したのが1876(明治9)年。4年後の合本のまえがきに 「仮に初編の真偽版本を合して22万冊とすれば之を日本の人口3千5百万人に比例して国民160名の中一名は必ず此書を読たる者なり」とある。

あの時代に22万冊というのは、それだけで凄い。著作権などお構いなしに海賊版があふれたに違いない。

「あひびき」は19世紀ロシアのツル ゲーネフの「猟人日記」(1852)中の一編。36年後 1888(明21)に24歳の二葉亭四迷が翻訳して「国民之友」に発表。この二十数枚の小品が、国木田独歩(17)、島崎藤村(16)、田山花袋(16)、蒲 原有明(13)、柳田国男(13)などの若い読者たちに、いまとなっては想像もつかないほどの強烈 な衝撃をあたえることになります。
感度の良い少年読者たちは「あひびき」によって、新しい文章でなければ表現できない感情、美しさ、 微妙さ、精緻な思考の動きなどがあることに気づき、そのこと に鋭敏に反応した。(4 新しい時代へ)


言文一致というより、二葉亭四迷の翻訳そのものの影響力の大きさ。きちんと読んでみよう。

1923(大12)年の関東大震災で日 本の出版産業は壊滅的な被害を受けたものの、回復は迅速で、 震災に続く4年間に以下の3つの大きなできごとがたてつづけに生じ、それに牽引されて、あやうくつまずきかけた出版産業の資本主義的再編があらためて開始しな おされることになった。
1百万雑誌の登場 1924(大13)講談社が大衆総合誌「キング」創刊。すべての国民を読者対象 とする「百万雑誌」
2.円本 1926(大15 昭和元)年、改造車が「現在日本文学全集」63巻の配本開始。他社も 此れに追随して全国的な「円本ブーム」がはじまる
3.岩波文庫登場 1927(昭2)年、これまで少数の人びとが占有してきた人類の知的資産を安価 な小型本として大衆に手わたす、という理想をかかげて「岩波 文庫」登場
この三つがほぼ同時に出現したことは、この国の読書史上でも有数の大事件といっていいでしょう。
1930(昭5)年をさかいに円本ブームが急にいきおいを失う。その結果、売れのこった膨大な在庫 がゾッキ本屋をつうじて古本屋や露店などの二次市場に流れ、 十銭から三十銭ほどの値段で叩き売りされる事態を招いてしまった。そして皮肉なことに、この「ブーム終了後」の徹底的な価格破壊によって、「経済的に余裕のな い階層の人々でも容易に買える」という当初の理想が、ようやく現実のものになったのである。(5  20世紀読書のはじまり)


「円本」の一円にも手が出なかった貧しい層にも手が届くようになったのが、ブームの冷え込みによるダン ピングだったというのは確かに皮肉だが、金がなくても本が読 める図書館の普及も忘れてはならない。


「教養」というのはドイツ語の「ビル ドゥング(人間形成)」の訳語で、この当時は、みずからの人間 としての品位(人格)を読書によって内側から高め、バランスのとれた理解力を身につけることを意味していた。

大正デモクラシーにはじまる教養主義。Morris.は未だにこの教養に「毒」されているのかもしれな い。

本にはじつはふたつの顔がある。ひとつ は商品化としての顔。そしてもうひとつが公共的な文化資産と しての顔です。出版社は本を売り買いする小品として生産し、図書館はその本から商品性をはぎとって、だれもが自由に利用できる公共的な文化資産としてあつか う。だから書展では金を支払って買わなければならない本も、図書館に行けばタダで読めてしまう。こ のふたつの顔の実現不可能とも思える共存を、出版社と図書館 の双方がそろっておおやけに承認した。「見知らぬ他人たちとともに本を読む」という20世紀読書の基盤には、ひとつには、そうした二重性をゆるす寛容さと大胆 な制度的決断があったのです。(6 われらの読書法)

読書生活のほとんどを図書館に負っているMorris.は、この矛盾は嘉すべきことに思える。

「読書の黄金時代」としての20世紀は、そのまっただ中で、せっかく社会に広く根づいた読書習慣が 戦争で破壊されるという手ひどい体験を、いわば世界規模で、 とことん味わわざるをえなかったのです。(7 焼け跡からの再出発)


新自由主義経済の「自由」はなによりも 「大きな政府」が企業に押しつける規制からの自由を意味しま す。したがって図書館のような公共事業にはとことん冷たい。その冷たさが自治体の役人や政治家、はては住民(利用者)の多くにまで共有され、図書館の内外で、 いつしか「図書館に企業の経営手法を積極的にとりいれよう、それは文句なしにいいことなのだ」とい う判断が力をもつようになった。そんな空気のなかで、図書館 予算を大幅に切りつめ、専任の図書館員を派遣や契約社員におきかえ、ついにはわれわれの社会に図書館があることの意味など本気で考えたこともないような外部企 業に運営を丸投げしてしまう--そんな無茶なことまで平気でやってのけるようになってしまったので す。

TSUTAYAとの提携で話題を呼んだ、佐賀県武雄市の市立図書館がその典型だった。

このままの方針があと十年もつづけばど うなるか、図書館が図書館としての役割をはたせなくなるだろ うことは、あまりにも明白なのです。そうしないための方法はおそらくひとつしかない。図書館の有料化です。これまでこの国が保持してきた、「人びとの読者生活 を充実させるべく書店(有料)と図書館(無料)がそれぞれの役割を分担する」というサービス原則を 捨て、年会費制にせよ読書データの商業利用にせよ、図書館そ のものを金を産むシステムに変えてゆく。そのことを前提に図書館の運営を外部企業の手にゆだねてしまう。かならずそうなるというのではなないですよ。しかし、 このままほうっておけば、たぶんそこまでいってしまうのではないだろうか。(8 活字ばなれ)

「図書館の有料化」(@_@) 突然この文句には驚かされた。此れに続く文脈からすると、津野は武雄図 書館のようなやり方には反対してるようなのだが、どうもわか らない。

吉田健一の「本のこと」という小さな文 章なのです。60年代初頭に発表されたこの文章で、吉田は 「本は道具である」とまず断定し、かさねて「この道具を使ふのに専門的な知識が必要でないといふのが本の重要な特徴の一つである」とのべている

本は道具、それも、基礎的、根本的で、誰もが使える道具といえる。

「紙の本」なら幼いころに使い方をまな べば、一生そのままでやっていける。でも電子リーダーはそう はいかない。なにしろ、たえまない新製品の投入やハードやソフトのバージョンアップのたびに、老いも若きも、その使い方を繰り返し再学習するしかなくなるので す。
もちろん技術的な困難もあるでしょうが、それ以上に、「これが電子本リーダーなのだ」という基本の 形がきまり、「これさえあれあもう十分」と読者が感じるよう になれば、肝心の商品の売れ行きはいやおうなしに激減せざるをえない。そちらの恐れのほうがはるかに大きい。そこで、そうさせないために新製品の発売やバー ジョンアップを頻繁におこない、他社製品との激烈な競争を勝ち抜くべく、ハデな宣伝でユーザーの欲 求を煽りつづける。つまるところ、アップルやグーグルやアマ ゾンに代表される今日のグローバルIT企業にとっては、みずからの商品を鋏や箸なみの枯れた日用品として成熟させずにいることこそが、安定した経営の必須条件 なのです。


コンピュータに代表されるIT企業の狙いはそこにあるのだろう。ワープロ専用機、MSDOSの時代か ら、新製品に振り回されっぱなしのMorris.には、腹立た しいというかやりきれないものがある。

「グーグル・ブックス」は「紙の本」と いう形式で保存されてきた人類の知的資産をじぶんたちの手で 根こそぎデジタル・データ化し、それへのアクセス権を独占して、グローバルな情報権力をにぎろうとする欲望だけだったのです。
こうして見てくると、20世紀後半にめばえた「電子本」の未来が、21世紀の最初の10年間に、ご く少数の巨大IT企業の支配下におかれてしまったことがわか ります。つまりはハリー・ポッターと新自由主義経済による世界制覇の時代ですよ。


ハリーポッターには、読みもせずに嫌悪感があった。新自由主義に通じるものがあるのかも。

著者の死後50年たって著作権が消滅し た作品(おもに文学)をボランティアの手で電子化し、綿密な 校正をへて、無料でダウンロードできるようにした日本で最初の私設電子公共図書館--それが「青空文庫」です。1997年にノンフィクション作家、故富田倫生 の呼びかけによってはじまった。(9 「紙の本」と「電子の本」)

「青空文庫」。一時期数度参照利用したこともあるが、最近は触れずにいた。再利用も考えてみよう。

本のと大量生産と読み書き能力の飛躍的 向上によって、知識人と大衆、男と女、金や権力をもつ者とも たない者の別なく、社会のあらゆる階層に読書する習慣がひろがり、「だれであれ本を読むというのは基本的にいいことなのだ」という新しい常識が定着した。それ がほかならぬこの世紀においてだったからです。洋の東西を問わず、そんな時代は、かつて一度もな かったし、これからもないだろう。そう考えて私は、この本で 20世紀を「読書の黄金時代」という、いくぶん大げさすぎるかもしれないことばで呼ぶことにした。(あとがき)

21世紀は読書の黄昏の季節なのだろうか。Morris.は、死ぬまで20世紀人間だろう。

【ル ポ拉致と人々 : 救う会・公安警察・朝鮮総聯】青木理 ★★★☆ 2011/01 /25 岩波書店
北朝鮮拉致問題については、ある程度の関心はあって、関連本もいくらか読んだはずだが、この本は見 落としてた。
2002年の小泉訪朝には驚かされたし、金正日が「拉致」認めたことにもびっくりした。被害者が帰 国するということにも同前である。しかし、その後の経過、特に家 族会、と救う会のやり方に違和感を覚えたこともあって、だんだん関心が薄れて言ったきらいがある。
本書を読んで、なぜそんなに感じたのがわかったような気になった。

それは、戦後日本があまり経験した ことのない類のナショナリズムだったのではなかったか。特に朝鮮 半島や中国に対しては、常に加害者としての内省を迫られ 続けていた日本が、戦後初めて「被害者」の立場になったことに勢いを得た、どこか鬱屈感と歪みの伴った「反朝鮮ナショナリズム」とでも言うべきものだった ように思うのだ。

たしかにナショナリズムを刺激するに余りある衝撃的な出来事ではあった。

佐藤勝巳1929年、新潟県生れ。 共産党に入党、60年から[日朝協会」の新潟支部事務局長に就 き、在日朝鮮人の祖国基幹事業支援に最前線で奔走。後に新潟で「救う会」の原型を立ち上げることになる呉服店主・小島晴則も、当時は共産党員として帰国事業を 現場で支えた。
佐藤は64年上京して寺尾五郎が主宰する日朝研究所への出入りを始める。70年代から佐藤が中 心となっていた研究所は84年に「現代コリア研究所」に改称、季 刊誌「現代コリア」に衣替えしたが、佐藤の"右ブレ"傾向には拍車がかかる。
56年生れの西岡力は大学在学中から研究所に出入り、韓国留学を経て研究所に正式入所。西岡の 立ち位置とファナティックぶりは佐藤のそれと近似形だ。そう した二人が「救う会」の中軸を担うようになったことは、拉致被害者の家族でつくる「家族会」や、それを支援する人々に色濃い影響を及ぼすことになった。
北朝鮮による拉致事件に世間の注目がさほど集まっていなかった時期、現代コリア研究所は熱心に 「家族会」を支援した。しかし一方で、そのファナティックで 過激極まる言説が「家族会」に浸透し、反北朝鮮ムードの燃え上がった世論もこれに共鳴し、日本国内の浅薄で感情的なナショナリズムを煽る一因ともなった。


この佐藤勝巳のことが、最近読んだ複数の本に登場してた。ロクなもんじゃなかったみたいだな。

「要するに佐藤氏と西岡氏は「拉致 イベント屋」なんです。拉致問題で急速に力を得た安倍氏という政 治家なども後ろ盾として、拉致問題を自分たちの政治信条に利用したばかりか、カネになるイベントに変えていったにすぎないんです」匿名を条件に語った「救う 会」の元幹部。

同じ穴の狢(むじな)

日朝首脳会談後の政界では、「救う 会」と「家族会」の両者が熱烈な支持を寄せた安倍晋三の人気が一 気に高まった。安倍が小泉の後継者として宰相の座を射止めたのも、沸騰した反北朝鮮ムードと「救う会」、「家族会」の支持があったことは大きい。

ネット右翼の発想である。

誤解を恐れずに記せば、拉致問題は 結局のところ、政治やメディア、社会によって「流行もの」のよう に食い荒らされ、消費され尽くしてしまったのではなかっ たか。それも、一見勇ましき過激な言説を好む、無責任で軽薄な扇動屋の如き連中によって--。そんな思いが、私の中に燻って消えない。そうして日朝交渉と 拉致問題が出口なき隘路に落ち込んでしまったのは、誰よりも拉致被害者と家族の人々にとって最 大の悲劇にほかならない。

10年前に結論は出てたようだ。



2021087
【拉 致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々】蓮 池透 ★★★☆  2015年 講談社
蓮池透 1955年新潟県生れ。東京理大工学部卒業後東京電力入社。1978年に北朝鮮に拉致され た菊池薫の実兄。「家族会」の事務局長など。

著者の名前は、拉致問題ニュースでしばしば目にして、かなり過激な発言が多かったし、はっきり言っ て悪い印象しかなかった。それが斎藤美奈子さんの本で彼の本を読 んで面白かったという感想があったので、ころっっと転向して読むことにした。なるほど、なるほど(^_^;)である。本文引用のみで、Morris.のコメントは 無しにする(^_^;)

私たちを政治利用する国会議員は、 党派を問わず、タカ派と呼ばれる人に多い。見分け方は簡単であ る。そういう人は、間違いなくブルーリボンバッジをつけている。そして、必ずといっていいほど、北朝鮮に対して強硬な主張をする。
拉致問題を最も巧みに利用した国会議員は、やはり安倍晋三氏だと思っている。拉致問題を梃にし て総理大臣にまで上り詰めたのだ。

北朝鮮による日本人拉致問題とは、日朝両国の不正常な関係という政治情勢下で引き起こされた不 幸極まりない出来事である。それが北朝鮮の国家的犯罪行為である のは論をまたないが、歴史の彼方を見渡せば、朝鮮半島に対する日本の植民地支配という罪も重く横たわっている。その後の冷戦体制と南北分断、そして、日朝、南 北の敵対関係が、北朝鮮による拉致という犯罪行為の土台にはある。つまるところ、国家と政治対 立の狭間で、拉致も含む数々の不幸が産み落とされた。

2002年9月17日、小泉首相が電撃訪朝を結構し、金正日総書記との日朝首脳会談が行われ た。金総書記の口から発せられた、「拉致被害者5人生存、8人死 亡、その他の人は確認されていない」という言葉を日本側は鵜呑みにし、小泉首相は日朝平壌宣言に署名した。
長年にわたって閉ざされてきた拉致問題の扉を初めて開いたという点では賞賛される行動かも知れ ない。が、日朝国交正常化っを急ぐあまり、拉致被害者の人権や生 命を軽視し、家族、そして国民の世論を甘くみていたといわざるをえない。

いま考えてみると、私たちを飯倉公館に移動させたのは、マスコミから隔離するためだったという ことがわかる。さらに、もっと大きな日本政府の目論見が透けて見 えてくる。日朝国交正常化を進めるに当たり、その前に立ちはだかっているのは拉致問題。それを一刻も早く片づけたかった。つまり、拉致問題は邪魔な存在だった のである。

2004年5月22日、小泉首相は再度北朝鮮を訪問し、日朝首脳会談を行った。その結果、弟の 子どもたち二人と池村保志さんの子どもたち3人、計5人が帰国し た。このときの日本政府の思惑は、子どもたちの帰国によって日朝交渉に弾みをつけようとしたものだろう。
夜の11時頃、小泉首相は「家族会」と5人の被害者の前に現れた。面談の口火を切った横田滋代 表の口から、儀礼的な慰労の言葉のあと、「今日は最悪の一日でし た」という驚愕の言葉が飛び出したのだ。あとに続いた増元照明さんや飯塚繁雄さんも、「総理はプライドをお持ちなのですか」「総理は子どもの遣いですか」と、 容赦のない言葉を浴びせた。
もしあのとき「家族会」が小泉首相を称賛し、「今日はありがとうございます。今度は私たちの番 ですから、よろしくお願いします」と礼を尽くしていたら、その後 はどうなったであろうか。小泉首相は、さらに三度目、四度目と訪朝して、この問題に取り組んでくれたかもしれない。その可能性を断ち切ったのが我々だったと考 えると慙愧の念に堪えない。

安部首相も、首相に就任する前あ、いわゆる「段階論」を提唱していた。「まず5人の家族を返 せ。それをクリアしたならば国交正常化交渉に入り、その交渉のなか で残りの方々の問題を扱っていく」と。
ところがその後、「拉致問題の解決なくして、国交正常化なし」に変わってしまった。安部首相の いう「全員生存を前提にする」「日朝平常宣言に則り国交正常化を 目指す」というのが矛盾である。
事態の膠着が世論の過激化を促し、過激になった世論が目的を失ってさらに過激化するという悪循 環である。

田中均氏は小泉純一郎政権のアジア大洋州局長として、「ミスターX」と呼ばれる北朝鮮側代表者 との水面下の交渉を重ね、2002年、小泉首相の電撃訪朝を実現 させた。その意味では「功」は極めて大きなものがある。それ以降、田中氏ほど日朝間に太いパイプを持った外交官がいたかといえば、いない。
田中氏は強硬にこう語ったという。「(5人が帰朝しなければ)日朝間の信頼関係が崩壊してしま う。(今後の)日朝協議の継続が不可能になる」
現実には、田中氏の意に反して5人は日本に留まった。日朝間の信頼関係にヒビが入ったのは事実 としても、それより拉致被害者が母国で元通り暮らすほうが、はる かに価値あることではなかったk.
その後、小泉首相の再訪朝などしばらく日朝協議は続くが、やがて田中氏の指摘通り膠着状態に なってしまった。しかし、それは5人が帰朝しなかったことが原因で はなく、経済制裁などが大きな要因になったと考えている。

「家族会」は1997年3月25日に結成された。発起人となったのは、石高健次氏(朝日放送プ ロデューサー)、阿部雅美氏(産経新聞)、兵本達吉(日本共産党 参議院議員秘書)の3名であった。
そこに、佐藤勝巳氏を中心とする支援組織「救う会」が突然現れた。煩雑な事務方を、ボランティ がで面倒を見てくれるというのだ。まったく経験のない私たちに とっては、非常にありがたい存在に見えた。
実に運動慣れしている「救う会」のメンバーだが、その幹部は右翼的な思想を持つ人ばかりだ。
いま振り返ってみても、「救う会」n真の狙いはいったい何だったか、根底には拉致問題を利用し 国民の反北朝鮮感情を煽り、ひいては北朝鮮国家の転覆・崩壊を目 指す深謀があったのではないか。
石高健次氏は「「家族会」は「救う会」の下部機関になってしまった。その証拠に、運動方針はす べて「救う会」が策定している。「家族会」はそれを追認している だけ。「救う会」に乗っ取られた」と、半ば諦めの境地を吐露していた。
「救う会」のメンバーには、いわゆる政治活動を生業にしている人がいる。そういう人にとって は、拉致問題が解決してもらっては困るのである。

佐藤氏は2008年、西岡力氏との権力争いに破れ、会長を辞任、西岡力氏が会長代行に就任。佐 藤氏は2013年12月死去するまで「家族会」「救う会」批判を 繰り返した。

「家族会」を聖域化し、日本政府の意向を忖度した結果、北朝鮮に対する強硬姿勢が問題の解決を 早めるとミスリードしてきたマスコミ……今後もその報道姿勢を続 けるとしたら、「家族会」に見果てぬ夢を追わせるという意味で罪深いといえる。
すべてのマスコミ人にお願いしたい。視聴率至上主義の放送のあとに生まれる、不幸な結果に対し て、ぜひ想像をたくましくしてほしい。

田原総一朗氏が「朝まで生テレビ!」の放送中に「横田めぐみさんらの拉致被害者は生きていな い。外務省もそれをよく知っている」としゃべったところ、有本夫妻 から1000万円の慰謝料を求める民事訴訟が神戸地裁に提起された。地裁は「合理的根拠のない発言で我が子の生存を願う感情を害した」と訴えを認め、田原氏に 対して100万円の支払いを命じた。田原氏は、有本夫妻が高齢であることなどを慮って、控訴せ ずに支払いに応じた。
拉致問題に関して、日本政府の政策や「家族会」の意向に異論を唱えることがタブー化している。
まだ帰国していない拉致被害者の安否については「わからない」というのが本当だ。
ところが、日朝協議における北朝鮮の報告にしても「死亡などという報告をしたら許さない」とい う風潮になっている。被害者への同情と北朝鮮への怒りの相乗効果 によって、偏狭なナショナリズムが高揚している。そのような世相では、一層、北朝鮮が真実を語れなくなる。
拉致被害者の安否に関わる報道に、マスコミが慎重になるのは当然のことではあるが、「家族会」 や日本政府の意向を忖度して、萎縮してもらっては困る。

2004年6月、弟夫婦は上京し、赤坂プリンスホテルにおいて、北朝鮮での横田めぐみさんに関 する情報を、洗いざらい横田一家に伝えた。「たとえ、めぐみさん の消息にとってネガティブな情報であったとしても、断腸の思いで話した」と、弟は当時を振り返る。
その一部始終を、日本テレビが報道ドラマスペシャル「再開~横田めぐみさんの願い~」として 2006年10月3日放映された。
改めてその内容を記す。
1.めぐみさんは、精神的にかなり病んでいた
2.めぐみさんのDVが激しく、娘のウンギョンさんはたびたび同じ招待所に住む弟の家に避難し てきた
3.めぐみさんは、髪の毛を切ったり、服を燃やすなどの奇行をくりかえしていた
4.何度かの自殺未遂をしている
5.北朝鮮当局に「日本に帰して」「お母さんに会わせて」と盛んに訴えていた
6.夫の金英男氏は、めぐみさんとの結婚は当局に騙されたと言っていた
7.めぐみさんは2回、招待所からの脱走を試みて、拘束された
8.めぐみさんは、ウィジュ(義州)にある49号予防院(精神病院)へ送られることになった
9.その際、夫の金氏は「何があっても一切の異議を申し立てない)」との誓約書を書かされる
10.1994年3月、病院に向かうめぐみさんが乗ったクルマを見送った。それ以来会っていな い
11.夫の金氏は、数年後に再婚し、息子をもうけた

北朝鮮当局は「当初は義州の病院へ収容する予定であったが、当日になって急遽、平壌の病院に変 更した」とはっぴょうしている。
以上の内容を、横田早紀江さんは、いかなる場所においても「知らない」と否定する。

2000年3月に私たちは、北朝鮮に対する人道的なコメ支援に講義するため外務省前での座り込 み行為に出た。河野洋平外務大臣は「支援をして相手を交渉のテー ブルにひきだす。それがなければはじまらない」と語っていた。いま考えれば、まさに正論であるのだが、そのときの私たちには、そのようなことを聞く耳はなかっ た。
なぜ日本政府は方針を転換してしまったのか。その大きな原因は自分たちの言動にあったことを肝 に銘じておかなければならない。


これ以後は蓮池透と青木理の対談。

青 木 あのこ ろ、「家族会」や「救う会」は完全にタブー化されていて、批判や反論がほとんど不可能なメディア状況に陥ってまいました。「家族会」はもとより、周辺で支援す る「救う会」メンバーの言説までがタブー化されてしまっていた。相当に乱暴でファナティックと しか思えない主張を繰り返しているのに、「北朝鮮と真摯な交渉を 継続すべきだ」などと訴えただけで「弱腰だ」「北朝鮮の思惑に乗せられるのか」など、はては「北のスパイだ」などというバッシングを受けてしまう
蓮池 青 木さんの記事を読んで、サンクチュアリという言葉とファナティッ クという言葉に非常にショックを受けたのです
青木  2002年の日朝首脳会談からしばらくあとまでは、「家族会」のな かでは蓮池さんが最も過激というか、政府に対してもメディアに対しても、かなり教養なことをおっしゃっていました。それが徐々に変わられた。

蓮池  「家族会」を作ってから小泉訪朝までに5年間は、正直何だったのだ ろうと思います。メディアの嗅覚が鈍かったのではなく、朝鮮総連への遠慮みたいなものがあったのでしょう
青木 メ ディア組織のなかでは、北朝鮮というのは一種のタブー的な存在と いうか、薄い膜がかかったような対象だったわけです。日朝首脳会談で、それは決壊しました。タブーが決壊するのは別に悪いことではありませんが、今度は「家族 会」や「救う会」をタブー的な存在に祭り上げる一方、北朝鮮に関しては何を書いてもいい、何を いってもいいという、完全なるバッシングの対象になってしまいま した。

蓮池 と ころで青木さんは、小泉政権について、どのような評価をされてい ますか。
青木 私 は小泉政権そのものをあまり評価していません。しかし、日朝首脳 会談に関して言うと、近年の日本外交では最も能動的で、最もドラマチックな成果を残したと評価しています。
外交官として大きな仕事をして一旗揚げたいという山師的な考えもあったのでしょうが、田中均は 日超首脳会議という大成果をあげたわけです。
にもかかわらず、安部首相や「救う会」の人々は田中均さんを口汚く罵った。彼がいなければ日超 首脳会議は開かれていあにかもしれず、つまりは拉致問題も前進し なかったのかもしれないのに、なぜあれほど罵声を浴びせるのか……私にはまったく理解不能です

蓮池 動 機は何でもいいので、政府には)とにかく行動してくれ、といいた い。唯一行動したのは小泉さんで、二階も訪朝しました。直談判しようとしたことは素直に評価したいです。きっと安倍さんは、訪朝することなどないでしょう
青木 振 り返ってみれば、拉致問題を膠着状態に陥らせた最大の責任は安倍 さんにあると思うのです。そもそも彼は、いったい何をしてきたのか。日朝首脳会談を実現に導いたのも、金正日に拉致を認めさせて謝罪させたのも、彼の仕事では まったくない。日朝首脳会談後の北朝鮮バッシングムードを煽り、それに乗っていっただけです。
安倍さんは日朝首脳会談を跳躍台として、政界の階段を一挙に駆け上った。以後も「対話と圧力」 といいながら、対話のルートすら作ることができず、やってきたこ とといえば北朝鮮への圧力をひたすら強め、勇ましい発言を繰り返すばかり。拉致担当の大臣を置いたり、拉致問題対策本部を強化して予算を付けたりしているけれ ど、そのカネが何に使われているのかといえば、広報用の大型トラックを走らせたり、アニメを 作ったり……それで何かが進展したのならまだしも、時間ばかりが経 過している。

青木 横 田めぐみさんはいま、どうなっていると思いますか
蓮池  1994年に精神科の病院に入院して以降はわかりません。弟は、横 田さん夫妻に話は下のですが、早紀江さんは「信じない」というばかりで……
青木 娘 さんを奪われた母親としては当然の心情だと思います。誤解を恐れ ずにいえば、早紀江さんは運動そのものが生きがいになっている印象も受けます。滋さんは、もう少しご自分を客観視されているところがあるようですね
蓮池 い ま、めぐみさんが生きているの死んでいるのといっても、どちらに しても証拠がない。生きていることを前提にするのは、心情的には当然でしょう。しかし、政府が同じような考え方をしていてはダメです

青木 国 際政治は時の運みたいなところもあります。日朝首脳会談実現の背 景には、南北の和解という素地があった。金大中という政治家は戦略家でした。もちろん相当なマキャベリストだし、韓国内でもさまざまな評価はあるけれど、南北 対話を実現しつつ日本との関係を改善し、日超対話の道筋を後押しした。大きな絵を描きながら 個々の政策を決める構想力がありました。

青木 北 朝鮮の立場になってみると、日朝首脳会談は手痛い失敗でした。絶 対的権力者である金正日が拉致を認め、謝罪までしたというのに、日朝関係は改善するどころか、悪化の一途をたどってしまった。金正日にしてみれば大恥をかかさ れたようなものだし、その下にいた交渉実務者たちにしてみれば悪夢です。ああいう国ですから、 場合によっては粛清される。いや、実際に粛清されてしまったかも しれない……

蓮池 韓 国に対して戦後補償で渡した5億ドルを、いまの相場で北朝鮮に渡 そうとしても、核開発をしている国に対して実行するのは絶対に無理ですね。
青木 た だ、これは暴論ですが、日本にとっては北朝鮮が独裁体制のうちに 国交正常化を進めたほうが得なのですよ。1965年の日韓国交正常化へとこぎつけた際には、韓国が朴正煕による独裁体制だったからこそ、5億ドルの経済協力資 金で済んだともいえる。


安倍もそうだが、菅も「拉致問題は最大の課題」と口ばっかり。岸田新総理も今日の記者会見で、拉致 問題を取り上げて「無条件で金正恩と会談するのにやぶさかでな い」みたいなこと言ってたけど…………

【ぼくは幽霊作家です】キム ヨンス 金衍洙 橋本智保訳 ★★★☆☆ 2020/10 /20 新泉社 2005年発表。
나는 유령작가입니다; 김연수

昨年のMorris.のベスト読書本、「夜 は歌う」の作家ということで、期待して読んだ。期待は裏切られなかった。以下の9 篇が収められている。

・簡単には変わらないであろ う、冗談--北村(プクチョン)、憲法裁判所の白松、離婚した女性との 偶然の出会い
・あれは鳥だったのかな、ネズミ--イギリスで歴史学を学ぶ日本人青年と韓国人姉妹、妹の 自殺
・不能説ブーヌンシュオ)--中国人民志願兵士だった老人(占い師)が若い小説家に語る回 想。朝鮮戦争、看護婦との交流
・偽りの心の歴史--19世紀、朝鮮に逃げた恋人の捜索を依頼されたアメリカの探偵の依頼 者にへの書簡小説
・さらにもうひと月、雪山を越えたら--88年韓国ナンガ・バルバット遠征隊、
・南原古詞に関する三つの物語と、一つの注釈--「春香伝」のパロディ
・伊藤博文を、撃てない--ハルビンに障害者の弟の嫁探しに来た韓国人、伊藤博文と安重根 と禹徳淳。
・恋愛であることに気づくなり--植民地時代。インテリ女給と雑誌記者と医学生。
・こうして真昼の中に立っている--朝鮮戦争中の統治権力交代するたびに行われた反逆者の 死刑


彼女が泣いた場所を確かめ、憲 法裁判所の裏にある樹を見に行こうと思った。
三十四歳の僕にとって、人生はまだ不可解なのだ。僕は傘を後ろに反らし、雨に濡れながら白 松を見上げた。一つの枝は北漢山のある北の方に、もう一つの枝は漢江 のある南に向かっている一本の樹が、ぼんやりと僕を見下ろしていた。根元から分かれた二つの枝は、病んだ人のように鉄製の支え柱に寄りかかっていた。それだけ でも足りないのか、さらに細い針金でくくりつけられていたので、互いに抱き合った格好に なっていた。
天然記念物第八号という名の白松が、、僕の頭に濡れた葉を垂らしていた。僕は樹を見上げて 問い続けた。なぜ放っておかないのだろう。鉄製の柱と針金に支えられ て六百年も持ちこたえている? 他の木はとっくに死んでしまったのに、ひとりだけ生き延びて天然記念物になるなんて。ひょっとしてこれも冗談だろうか。おい、 白松よ。これも冗談なのか? 時が経てば必然になるのか? 幼い白松も天然記念物になるの か? 僕たちが出会ったり別れたりするのも、あの日迷子の子どものよ うに路地をさまよったのも、いずれは必然になるのか? 白松の葉の隙間を縫うようにして雨水が僕の顔に落ちたが、それで開けていた目が痛くなったが、僕は顔を 背けなかった。ずっと問い続けようと思った。僕自身、力尽きるまで持ちこたえてみようと 思った。六百歳を過ぎた天然記念物と、たかが三十四歳にしかならない退 屈な人間のうち、どちらの冗談がもっと笑えるか、問いただして見たかったから。(簡単には変わらないであろう、冗談)


この白松は、2013年5月23日に、Morris.が偶然遭遇((^_^;)したという意味 で印象深い。そ の日のデジカメ画像

他人のすべてを理解するなんて ありえるのだろうか。いや、そもそも人間は理解されうる存在なのか。 生涯を病に苦しみ孤独に生きた元禄時代の俳人、内藤丈草は独り身の侘び住まいをこう歌った。「春雨や抜け出たままの夜着の穴」。しとしとと春雨が降らなけれ ば、夜着の中にいる孤独な丈草を揺さぶるもんはなかったはずだ。丈草は、春雨に心を動かさ れ外に出たあと、体の形を残した「夜着」の穴を見たのだ。人は誰でも そうした暗い穴っを持っている。それは理解するとかしないとかの問題ではない。ただの穴なのだ。暗い穴の中では互いを騙したり、騙されたりすることはない。

キムヨンスは日本の文学に関しても造形が深い、と言うか、古典から現代文学からの幅広い引用が 見られる。この丈草の句の捉え方も穿ったものがある。「夜着」とは掛 布団と思っていたが、辞書見たら、もう一つ綿入れの着物風の夜具でもあるらしい。この句では後者と見るべきだろう。

歴史学は僕にとって真実に近づ くための道具だった。ところが、歴史を学べば学ぶほど、嘘がばれるの ではなくて、ばれたものが嘘になるということを知った。

CMライター杉山登志の遺書に 触発されて、イギリスに歴史学を学びに出た主人公の独白。「リッチで ないのにリッチな世界などわかりません。ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません。『夢』がないのに『夢』を売ることなどは……とても嘘をついても ばれるものです」
と「ばれたものが嘘になる」の対比は意図的なものだろう。


「自分が経験した過去の記憶を 記すのに、歴史家は本当に有利な立場にいるのか確信が持てない。むし ろ大多数のひとびとよりも不利な立場にいるのではないだろうか」。フランスの歴史家ジョルジュ・デュビーの言ったことは正しいと、僕は思う。人生は取り返しの つかないものだという点で、僕たちはみんな不利な立場にいる歴史家と同じだ。くだらない事 実でも、厳かで意義あるものになっていくのだ。仕方がない。(あれは 鳥だったのかな、ネズミ)

歴史(個人史にしろ社会史にしろ)への懐疑と諦念がキムヨンスの歴史小説を決定付ける。

「少しお訊ねするが、この梅花 の笛の音はどこから聞こえてくるのですか/ひと晩のうちに、風邪に吹 かれてこの関の山に満ちてしまった(借問梅花何処落/風吹一夜満関山)」。寒い辺境に梅の花が落ちるはずがない。ひと晩で野原に数えきれないほど落ちたのは若 い兵士たちだった。

漢詩の引用も多いが。死んだ若い兵士を梅の花の隠喩とみる視点に胸を衝かれた、

再度、捜索隊がやって来たと き、わしはまだ自分が生きていることを、そして彼女はすでに死んでいた ことを知った。捜索隊に体を引きずられながら、わしは彼女のために詩を詠んだ。「このとき互いに見つめ合うだけで何の消息も伝えられない/願わくは月の光とと もにあなたのそばに流れて行って照らしたい/雁は遠くに飛び立つが月の光を越えることはで きず/魚は水中に入ったり出たりするが、水に波紋をなすだけだ/昨夜 静かな淵で花が落ちる夢を見た/ああ、春が過ぎようとしているというのに家に帰れない(此時相望不相聞/願逐月華流照君/鴻雁長飛光不度/魚龍潜踊水成文/昨 夜閑譚夢落花/可憐春半不遷家)」。
戦争はたしかに面白いが、戦争 の話はつまらんからね。戦争そのものには真実味があるが、戦争の話に は真実などないんじゃよ。人生とは生きていくものであって、誰かが話して聞かせるもんじゃない。抗日戦争、解放戦争(国共内戦)、 朝鮮戦争に至るまで、あわせて三 度の戦争を経験したわしの体は、戦史なぞ に耳を貸したりするものか。

三度の戦争を経験した中国人老人の回顧録。

人の肉体が休みなく変わってい くように、人間の運命もまたひと所に留まることなく動き続ける。変わ らないのはすでに死んだ者の運命だけだ。さから運命を言葉にすることはできやしない。口に出した途端に変わってしまうからな。不能説。不能説。
歴史というものは、書物や記念碑に記録されるものではない。人間の歴史は人間の体にきろく されるのだ。それこそが真実だ。震える体が、あふれ出る涙が物語るも のこそが歴史なのだ。
人は本に書かれていれば嘘ばかり並べ立てても信じるくせに、なぜ口で話すことは信じようと しないのか。人間の運命や歴史とはつまるところ、いまここで起きてい ることに全身全霊で耳を傾けることだというのに、テレビやラジオから聞こえてくる言葉だけを鵜呑みにしておる。身をもって歴史を体験してきた者たちが、一様に 不能説と言っても、歴史を作る側はそこに論理を適用し、それとなく文脈をつなぎ合わせて、 もっともらしい話を作り上げる。子どもたちはまさにそうした話を学校 で学び、また記念館に行って見学するのだ。何の疑いもなく、中国人民志願軍は砥平里(チピョンニ)戦闘で攻勢的に退却したのだと、そしてソウルから主導的に撤 兵したというふにな。君が読んでいる歴史書とて同じだろう。互いを傀儡軍と呼び、撃滅させ たと言い張るのだ。そういう歴史書は信じるくせに、和紙の話は嘘だと いって唾を吐きかける。(不能説)


本書の9篇の中で、この「不能説」に一番強く惹かれた。傑作「夜は歌う」が、1930年代中国 延辺、満州での民生団事件を扱ったもので、その取材、研究のため現地 に赴いたほどの熱の入れ方だけに、中国と朝鮮半島の歴史関係にも詳しい。しかしこの作品の醍醐味は歴史の多義的な捉え方、そしてフィクションをフィクションとして 成り立たせるための細部の描写力。すごいものがある。

北極が羅針盤の針を引き寄せる ように、黄金は人間を引きつけます。これは万有引力のようなもので、 東洋と西洋のどちらにも適用する原理です。(偽りの心の歴史)

金は磁石には引きつけられないのに、人間を引きつけるのか。アメリカのゴールドラッシュに太平 洋を越えてやって来た中国人を主人公アメリカの探偵が依頼人に送った 手紙の一節。「"Gold is universal gravitation"黄金は万有引力」(^_^;)
金メダルに固執するのも引力、金欲も引力、金の切れ目も引力の切れ目なのか。

この作品集は「韓国史について の小説」であり、「小説についての小説」、さらには「物語についての 小説」である。歴史と小説、それをどう物語るかは、作家キムヨンスが長いあいだ探求してきたテーマである。
本書に収録された9つの作品は、こうした実験のもとで書かれた作品としてひとくくりにでき る。韓国近現代史という縦糸と、韓国文学史という横糸で織り上げた、 ダイナミックで躍動感あふれる空間を演出している。
幽霊作家とはゴーストライターという意味で、影となって小説という虚構の時空間を動かす存 在だ。(訳者あとがき)

うっかりしてた。Morris.の中ではゴーストライターが「幽霊作家」とは結びつかずにい た。確かにストレートに訳すればそうなるのだが……
【たっ た一人の反乱】丸谷才一 ★★★   1972/04/20 講談社
これは70年代に読んだ覚えがある。再読したのに特に意味は無い。

野々宮教授に言わせると--現 代文明の最大の悪弊の一つは官僚主義で、これはアメリカだろうと、ソ ビエトだろうと変らず、つまり資本主義体制にも共産主義体制にも共通していることから見てもその災厄がどんなに大きいかが判る。なかでもひどいことになったの は日本の場合で、藩閥政府が長いあいだ幅をきかせた結果、封建的なものと官僚的なものとが いっしょくたになり、西欧近代の官僚制度の美点のほうはついに移植さ れずに終った。その日本でも一番よくないのは大学の官僚主義で、本物の官僚ではない素人が真似をしているのだから基本的な訓練を経ていない目茶苦茶なもので、 規則と前例と事なかれ主義の親分子分の関係と対面と顔の立てあいと屁理屈と……その他もろ もろの悪徳の巣窟である。大学院学生の暴力の問題を大学教授の服装に すりかえる論法などはこういう大学官僚の手口の典型的な一例と言って差支えない。

学生運動の余韻醒めやらぬ時期の大学の擬似官僚主義。ともかくも、日本の官僚主義批判は、当時 から文学者には定着していたらしい。

女中とはつまり一種の奴隷にほ かならない。ということで、第一、奴隷でもなければ、靴をみがいた り、チャーハンをこしらえたり、風呂場のタイルをこすったりという、そんな下らない仕事ばかりしてはいられないではないか、とぼくはまず思ったのだ。もちろん これはずいぶん乱暴な説のような気もするし、また至って平凡な当たり前の意見にすぎないと も思われるが、こんなことを誰も言わないし、新聞のコラムにも書いて ないのは、それが自明の理であるせいか、暴論であるためか、あるいはまた差し障りがあるので遠慮しているのかと考えると、どうも何となく、遠慮してかんがえな いのではないかと疑われる。ぼくはそう考えて、何か大変な心理を発見したような気になった けれども、しかし発見の喜びというようなさわやかなものは別になく、 むしろ反対に、おれは長いあいだその奴隷を酷使していたわけだし、最近は生れてはじめてその奴隷の仕事を自分ですることになったわけだという悲しみがあった。
奴隷ないし奴隷的なものだからみんなはこれほど女中になりたがらないのだと判って、この 二ヶ月ほどの事情がまことにすっきりと納得がゆく。が、そのすぐあとで 浮んで来た考えは思いがけないもので、ぼくをはなはだしく驚愕させることになった。それは女中という名の奴隷によって成立していたのがいわゆる市民的家庭では ないか、という重大な疑惑なのである
たとえばハンザ同盟の諸都市というような、典型的な市民社会の健全で着実な市民社会の基礎 が、実は奴隷の労働であると見なすのは恐ろしい冒涜のようで、とても 堪えられなかったからである。
これは市民社会という概念について、在来みんなが、別によく考えた上でではなく漠然といだ いていた、明るくて晴れやかなイメージとまったく対立するもので、危 険な思想というしかない。ぼくはそんなものとかかりあいになるのは何とか避けようとして、また靴みがきをはじめた。
こういう眼で改めて眺めると、黒人奴隷を家畜のように使役したせいで栄えたアメリカ南部の 社会は近代市民社会の原型、すくなくともその悪趣味な戯画のように見 えてくる。さらに、市民社会の基本的な型というのはもっと古くギリシァのころに決っていたので、総人口の半分だったか、3分の1だったかそれとも4分の1だっ たかが市民で、残りは奴隷であり、参政権や財産権やその他すべての権利を持つのは市民だけ であったあのギリシァの都市国家のころ決定されていたのだ、市民とは 常に封建的な存在であったのだ--ちょうどぼくの曽祖父が、封建的な敵と闘いながらしかし自分自身すこぶる封建的であったと同じように、ということさえ考えら れる。ぼくは、自分が育った家の大勢の女中やそれから二人の下男のことを思い浮べ、昔は もっと人数が多かったと聞いた事も思い出し、自由民権の闘士、士族と勇 敢に争いつづけて一歩もあとにひかなかった意地っ張りな実業家、つまりぼくの曽祖父と、古代アテネの哲学をたしなむ商人と、アメリカ南部の極悪無残な地主とを 三重写しにして、典型的な市民の肖像を作ってみた。


丸谷お得意の、雑学的文明批評。面白いのでつい読まされてしまう(^_^;)    

【正 しく怖がる感染症】 岡田晴恵 ★★★☆☆  2017/03/10 ちくまプリマー新書:274/筑摩書房
 岡田晴恵 1963年生れ。白鴎大学教育学部教授。専門は感染疫学、公衆衛生 学。ドイツワイマール大学医学ウィルス研究所に留学。国立感染症研究所な ど。「知っておきたい感染症」「感染症は世界を動かす」「人類vs.感染症」

コロナ禍で、すっかりおなじみになった、専門家の中で岡田晴恵が一番まともなことを言って る気がしてた。その彼女がコロナ発生のちょっと前に、子ども(高校生以 下)向けに書いた、入門書である。

感染症とは、うつる病気で す。以前は伝染病とも呼ばれました。
感染症を起こす病原微生物(病原体)は、細菌やウィルス、真菌や原虫、寄生虫などのご く一部です。
感染症を予防するためには、身体に病気を起こす微生物を侵入させないことが、まず第一 です。対応の第一歩は、感染経路を知り、それを遮断することです。(まえ がき)

Morris.の世代は「伝染病」と言われると納得(^_^;) 予防はまず幹線路、ぢゃ なかった、感染経路の遮断、と明解である。

第一章 昆虫が運んでくる 感染症[デングイルス感染症/マラリア/重症熱性血小板減少症 (SFTS)]
第二章 接触することでうつる感染症 [梅毒/エボラ出血熱]
第三章 吸い込んでうつる感染症 [結核]
第四章 母子感染で重篤化する感染症 [先天性自家ウイルス感染症/風疹]
第五章 飲み込んでうつる感染症 [コレラ]
第六章 傷からうつる感染症 [破傷風]
第七章 動物からうつる感染症 [狂犬病]

コロナは、2、の接触と、 3、の吸い込みの両方兼ねるみたいだが、最近の見地では接触感染は例外的 らしいから、基本的には感染経路としては「結核」に近いのかな。

日本では現在はマラリアの流行はありませんが、世界中の熱帯・亜熱帯地域で流行してお り、2013年の統計によると、年間2億700万人が感染しており62万 7千人が死亡しているとされています。
マラリアの病原体はマラリア原虫(寄生虫の一種)で、それを持つハマダラカに吸血され て感染します。
歴史に記された最古の感染症で紀元前4世紀にヒポクラテスが記録に残し、アレクサン ダーダイオウの死因もマラリアだったと考えられている。ローマ帝国の衰退の 原因にマラリアが挙げられる。(マラリア)


今日現在の世界のコロナ感染者が2億2千7百万、死者が467万人、ということは、死亡率 はマラリアよりコロナがかなり高いことになるな。

・樋口一葉(奈津、夏子) は24歳で夭折、その原因は肺結核、なかでも、非常に進行の速い奔馬性結 核でした。
15歳で兄、17歳で父を結核で亡くし、長女である一葉は母と妹を支えることになりま す。
一葉の肩には結核性のリンパ節の腫れがあり、次第に喉が腫れ、発熱を繰り返すようにな ります。
一葉の文学には、市井の女の苦悩や葛藤が、冷徹なまでに写実的に描き出されています。 しかし、その写し絵の主人公の女たちは、状況になんら解決の糸口を見つけ ようとはせず、むしろ運命と受け止めて終わっています。「たけくらべ」の美登利は今は水仙のような美しさで描かれても、間もなく訪れる闇に飲まれていくことは 変わらないのです。死を虚無的なまでに認識するに至った一葉にとって、人生とはそのよ うなもの、運命とは変えがたいものであったのかもしれません。
一葉が結核という病に生を縮め、貧困と階級社会の矛盾に抗うことを放棄し、運命と受け 止めたとき、彼女の作品は、哀愁とせつなさを結晶化させ成立していったよ うに思われます。白いなずなの花の揺れる田舎道。田んぼと畑の曲がりくねった道を上野の図書館に急ぐ一葉。桜は花開き、散って新緑となります。四季のうつろう 風に綿銘仙の着物の女流作家が暮らしたのは、わずか100年ばかり前です。(結核)


これはコラムの形で、挟みこんである文章だが、樋口一葉が結核で夭逝したということから、 一葉の小説論にまで持っていく当たり、著者の教養の広さを感じてしまっ た。

コレラは、病原体であるコレラ菌に汚染された水や食物を口から摂ることによって感染し ます。これを経口感染といいます。
日本では、当たり前に水道の水を飲むことが出来ますが、世界でそのような国は多くはあ りません。むしろ、飲めない国・地域の方が圧倒的に多く、そのような国や 地域では、信用できる水を購入する(ペットボトル入の水でも、ボトルのキャップが開封された形跡はないか確認も必要)、煮沸する、適切な浄水器を使用するなど の対応が求められます。
コレラは19世紀になって初めて、世界的ナ大流行を起こしました。それまでは、インド のガンジス川流域のベンガル地方に風土病として古くから存在していまし た。18世紀末、イギリスのインド支配が始まると、状況は激変します。
最初の世界的流行は1817年で、それ以降、はっきりとしたパンデミックは1923年 までに6回記録されています。(コレラ)


コレラ感染地域での安全な水の求め方が、すごく事細かくく実践的なところにも、彼女の目配 りが感じられる。

人口密度の高い都市に新型 ウイルスが侵入すれば、人の集団の中で感染伝播が途切れることなく繰り返 されて、感染爆発を起こします。そして、世界同時の大流行に見舞われることになります。
現代の日本社会で新型ウイルスが発生すれば、多くの人々が同時に感染・発症して医療機 関に殺到することになります。そこでは、医師や看護師などの医療従事者 が真っ先に感染して倒れ込むことにもない、感染者は医療サービスを受けることが極めて困難になります。一方、運送業者が感染して倒れれば、薬も食糧も届かず、 治療もできなくなるのです。……病院内では外来から病棟に院内感染が拡がり、基礎疾患 をもった患者さんが感染して重症化してしまうことにもなります。家庭でも 枕を並べて一緒に寝こむことになり看病できる人もいなくなるのです。
このような新型ウイルスの同時大流行は、多くの人々が同時期に病欠することから、さま ざまな社会機能にまで大きな影響を与えます。生活必需品の流通が滞った り、電車やバスなどの平常の運行が困難となったり、ライフラインの維持に関わる重大な二次被害が発生します。また世界同時大流行では、国内外のどこからも支援 を受けることもできませんん。膨大な健康被害に加え、社会機能の麻痺・崩壊につながる という点で、他の感染症の流行とは比較にならない悪影響をもたらすのが新 型ウイルスです。社会全体に関わる危機管理問題として扱われます。
新型ウイルスの第一波の流行にはワクチンは間に合いません。ですから、感染しない自衛 をすることが必要になります。ですからかんせんしない自衛をすることが必 要になります。絶対に感染しないという姿勢で臨むことがひつ王になります。を
対策の一つとして食糧・生活必需品の備蓄、少なくとも2週間分(できれば一ヶ月の備蓄 をお願いしたいのです。流行時に出歩かなくても、基礎的な生活を維持でき る最低限の物も備蓄することが大切です。
「新型ウイルスの発生は、戦時突入と同じです」と私に教えてくださったのは、阪大の奥 野良信先生です。病原性の強い感染症の大流行は、まさにそのような厳しい 中で、意志を持って、あらゆる知恵で生き残る術を考えなばならないということです。(あとがき)

先にも書いた通り、コロナ出現以前の刊本だが、「新型ウイルス」を「コロナ」に置き換えて も、そのまま通用する、実効的な対策と問題点が挙げられている。実は引用 の「新型ウイルス」は、原文では「新型鳥インフルエンザウイルス」のことを論じている。それにしても、先見の明というか、見識はさすがであある。
コロナ禍の後のメディアへの露出度が高すぎバッシングめいた外野の声も上がったが、時が経 つにつれてそれも静まったように思う。露出度もいくらか減少したが、今現 在でもMorris.は彼女の発言には共感を覚えるところが多い。
【赤 塚不二夫】★★★ スペクテイター//VOL.38(2017SPECIAL ISSUE)//幻冬舎(発売)
この「スペクテイター」という雑誌は、灘図書館の開架に6冊ほど並んでて、気になりなが ら、ついつい読まずじまいになってた。先日はじめて「秋山道男」特集を読ん で、それなりに面白かったので、続けてこの赤塚不二夫特集である。知る人ぞ知る存在の秋山道男と比べると、有名すぎるくらいのギャグ漫画家である。はっきり言って 70年代を代表する漫画家だった。本誌にはその70年代の名作から3作品が収められてい る。それだけでも懐かしさいっぱいだが、フジオプロの主要メンバー、アシス タント、編集者などの証言がわんさか詰め込まれている。6pにわたる年譜からの抜粋と、赤塚語録の一部を引用しておく。

略年譜

1935 0歳 9月14日満州国熱河省に父藤七、母りよの第一子として生誕。本名藤 雄。
1945 9歳 終戦。父はシベリアへ。一家は取り残される
1946 10歳 佐世保へ引き揚げ、母の実家大和郡山に身を寄せる
1950 14歳 父戻り、父の実家新潟へ転居
1953 18歳 東京小石川のエビス化学工業に務める
1956 20歳 エビス退社、8月トキワ荘に正式に入居
1958 23歳 「ナマちゃんの日曜日」(漫画王)に発表少年誌デビュー
1961 26歳 アシスタントの稲生登茂子と結婚
1962 26歳 4月「おそ松くん」(少年サンデー)連載開始。6月「ひみつのアッ コちゃん」(りぼん)連載開始
1964 28歳 夏トキワ荘の仲間が作ったスタジオ・ゼロに参加
1965 29歳 フジオ・プロ設立
1966 30歳 イヤミの「シェーッ!」を真似する子どもが大量発生。
1967 31歳 4月「天才バカボン」(少年マガジン)連載開始。11月「もーれつ ア太郎」(少年サンデー)連載開始
1970 34歳 フジオ・プロ、下落合ひとみマンションに移転
1971 35歳 初夏、アメリカ・ニューヨーク二ヶ月滞在
1972 37歳 実験的パロディ漫画誌「まんがNo.1」創刊。10月「ギャグゲリ ラ」(週刊文春)連載開始
1973 38歳 11月登茂子夫人と離婚
1975 40歳 11月和田誠編集「赤塚不二夫1000ページ」刊行
1979 43歳 1月猫の菊千代と暮らし始める
1986 52歳 12月鈴木真知子と再婚
1993 57歳 8月「これでいいのだ」刊行
1998 62歳 3月食道がんを告白。11月紫綬褒章受章
2002 66歳 4月脳内出血で緊急手術。一命を取り留めるものの以後闘病生活
2008 72歳 8月2日肺炎にて死去

{赤塚不二夫語録]
・手塚治虫超えた人間いないんだよ。超えられたら大天才よ
・ミュージカルって、ハリウッドが考えた究極のナンセンス映画だと思う
・杉浦茂さんの漫画が好きで好きで。あのセンスはすごい
・バカは正論を言う。それが「天才バカボン」の発想だったね
・マンガは芸術ではなく、大衆娯楽です
・死ぬってことが、怖いとおもっていないわけ。死ぬまでバカやっていたい
・ぼくは戦争がキライだから、軍隊はいらないという単純な考えだ

僕が思うには、赤塚不二夫はマイルス・デイビスなんですよ。普通だったらマイルスが演 奏の中心にいて、トリオとかクインテットとかじゃないですか。でも、要す るにロックバンドの編成になるわけですね。で、マイルスはコンダクター兼ソロイストなんだよ。バンドのメンバーの一員なんだけど、スゴイのは、ギター・ソロで あろうとパーカッション・ソロであろうと、発せられた音は全部マイルスなんですよ。 で、そのときマイルスが何をやっているかというと、サックス持って、そいつ の横にいて、威圧してるんです。その緊張感の中にいるのは、手にもっている楽器が違ってもマイルスなんですよ。…… 根本敬のインタビューより


巻頭に置かれていたこの根本敬の言葉が赤塚作品の本質を突いていると思う。


【こ びとが打ち上げた小さなボール】チョセヒ 斎藤真理子 訳 ★★★☆☆  河出書房新社 1978年単行本刊
これもいつか読まねばと思いながら、やっと読めた一冊。

以下12篇の連作短編集。
メビウスの輪」「やいば」 「宇宙旅行」「こびとが打ち上げた小さなボール」「陸橋の上で」「軌道 回転」「機械都市」「ウンガン労働者家族の生計費」「過ちは神にもある」「クラインのびん」「トゲウオが僕の網にやってくる」「エピローグ」

「私、知らなかったのよ」
キョンエが言った。
「それが君の罪」
ユノが言った。
「知らずにいた人たちの全ての罪だ。君のおじいさんは恐ろしいほどの力を思いどおりにふ るってきた。今ぐらい、大勢の人が一人の要求に従って働いたことは、こ れまでなかっただろうな。君のおじいさんはあらゆる法律を無視した。労働教養m精神的・身体的自由の拘束、賞与と給与、解雇、退職金、最低賃金、労働時間、夜 間及び休日勤務、有給休暇、年少者の使用なんかだ。今言った不当労働行為のほかに、労組活 動の抑圧、職場閉鎖脅迫なんかについても違法事例が数えきれないぐら いある。僕、こびとのおじさんの娘が読んでいた本を見たんだ。君のおじいさんが言ったことがそこに書いてあったよ。今は分配のときじゃなくて、蓄積のときなん だって。そして君のおじいさんは亡くなった。誰に、いつ、どうやって、分けてやるの? 君 のおじいさんは、死んだこびとのおじさんの息子と娘と、あの幼い同僚 たちに与えるべきものをも何も与えなかった。そして君はそれをしらなかったんだろ? 知らなかったから、休暇にはおじいさんが所有している美しい島に行って過 ごして、真っ赤な自家用車に乗って、毎日、肉や新鮮な野菜が並ぶ食卓について、あったかい ベッドで男の子のことを考え、その子を引っ張りだすために気の毒な子 どもたちを売ったんだろ? 君はそろそろ自分で、自分の罪から抜け出すべきだ。今までは君たちのためにこびとのおじさんの息子や娘や、その幼い同僚たちが犠牲 を払ってきた。今からは彼らのために、君が犠牲を払う番だよ、わかる? 家に帰って大人た ちにそう言いな」
だが、キョンエは何も言わなかった。ユノはキョンエを見た。キョンエは嘔吐していた。
キョンエが書いたおじいさんの墓碑銘を、ユノは読んだ。
「何事につけても怒りを抑えることを知らず、欲望のためにのみ生きた者ここに眠る。金と権 力への欲望によって彼は死んだ。生涯を通じて一人の友もなく、わが国 の経済発展のために大きな業績を残したと自負したが、国民生活の内実に寄与したことはひとつもなかった。彼が死んだとき、誰も泣かなかった」
キョンエは翌日、黒い服を着ておじいさんの葬儀を見守った。キョンエはまだ幼かった。ユノ も同じだった。しかしユノは大学に入ったらキョンエと結婚しようかと 思った。三年目を過ごしながら、ユノは自分たちの課題を思いうかべた。愛情、尊敬、自由、正義、理想、がそれだった。(軌道回転)
 

韓国版「無知の罪」-- この作品の場合、無知なのは富者の側。

ヨンヒは聴覚障害を起こしていた。織布作業現場の騒音がヨンヒを苦しめていた。その夜の作 業場の温度は摂氏39℃だった。機械は休むこと無く動いている。ヨン ヒの青い作業服は汗に濡れていた。ヨンヒがうとうとしている間に何台かの機械が止まってしまった。班長がヨンヒの横に来て、腕をグッと刺した。ヨンヒははっと 気を取り直して止まった機械を直した。ヨンヒの作業服の腕のところに一転、真っ赤な血がに じんでいた。夜中の3時だ。2時から5時までがいちばん辛いとヨンヒ は言う。涙に潤んだ目でヨンヒはあたりを見回した。その視線の抱きで、彼女の大きい兄ちゃんが見習い技師として働いている。僕は技師が手入れした機械に油をさ し、工具をそろえた。


居眠りする女工に安全ピンを突き刺して注意する班長。そして、それを黙視している兄(;;)

「こびとだ」とみんなが言っ た。父さんが車道を渡るとき、車の中の人たちはわざとクラクションを鳴 らした。彼らは父さんを見て笑った。ヨンホは地雷を作って彼らが通る道の地下に埋めてやると言っていた。「大きい兄ちゃん」ヨンヒが言った。「お父ちゃんをこ びとなんて言った悪者は、殺してしまえばいいのよ」。心に秘めた大きな憎悪のために、薄い 唇が震えていた。ヨンホが埋めた地雷が爆発する音を、僕はよく夢の中 で聞いたものだ。彼らの乗用車は炎に包まれ、その中で彼らが泣き叫んだ。

障害者差別が、このように「見える化」している場合もあれば、見えないところで、より深化して いることもある。

僕は父さんから譲り受けたもの のために苦しんでいた。僕たちは愛なき世界に生きている。高度な教育 を受けた人々が僕らを苦しめていた。彼らはデスクの前に座り、低賃金で機械を動かす方法ばかり考えている。必要なら、僕らの飯に砂を混ぜることもためらわない 人たちだ。排水処理場の底に穴をあけ、浄水場を経由していない排水を海に流すような人たち だ。ヨンヒは会社の人たちが、組合支部長を誰も知らないところへ引っ 張っていったと言った。ひどいときには一日三十人あまりがいっせいに解雇された。

ローカル単位での新自由主義は70年代の韓国で先行実践されていた。

父さんが思い描いた世の中につ いてもう一度考えてみた。父さんが夢見た世界では、過剰な富の蓄積は 愛の喪失と判断され、愛のない人は家に降り注ぐ陽射しもさえぎられ、風も吹かず、電線も水道管も切れてしまうという。その世界の人々は愛情によって働き、子ど もを育てる。愛情によって公平さを保ち、雨を降らせ、風邪を吹かせ、それが小さなキンポウ ゲの花にも吹くようにしてやる。父さんは愛を知らない人々を罰するた めの法律を制定すべきだと信じていた。僕はそれが不満だった。しかしその夜、僕は僕の考えを修正することにした。父さんは正しかったのだ。
皆、過ちを犯していた。例外はありえなかった。ウンガンでは神も例外ではなかった。(過ち は神にもある)


後の解説にもあるが「ウンガン」は仁川(インチョン)をモデルにした都市。愛を知らない人々を 罰するための法律(^_^;) Morris.の永遠のアイドル、イ ジヨンが88年に歌謡大賞新人賞を受賞した「あ たしはまだ愛を知らない」を思い出してしまった。

労働教会の牧師は富というもの を、生産という泉から湧き出る水にたとえ、それが人々の手から手へ移 動しなければ一か所に澱んで腐ってしまうと言った。それを聞いた誰かが真剣な声で「歴史と同じですね」と言ったが、彼は眼鏡を押し上げながら、「皆さんが知っ ておくべきなのはそのことではなく、富の生産者がまさに自分たちだという点なのです」と 言った。「社会調査研究会」でのことだ。その日「私は皆さんとみなさん の同僚たちが一生けんめい富を生産しているのを見てきました」と牧師は言った。「けれども、自分が生産した富をちゃんと分配してもらった人をまだ一人も見たこ とがありません」。一種の意識化教育であり、僕の頭に発電機を設置したのが彼だった。
彼が作った6ヶ月の教育プログラムに参加して、僕は多くのことを学んだ。僕は産業社会の構 造と人間社会の組織、労働運動の歴史、労使間の当面の問題、労働関係 法などを学んだ。政治、経済、歴史、神学、技術についても学んだ。全部で14人が毎週土曜日の午後に集まり、日曜の夕方まで寝食をともにして学んだのだ。教育 を受ける者たちは、電気、鉄鋼、化学、電子、澱粉、紡績、木材、工作廠、アルミニウム、自 動車、ガラス、造船、被服などの工場から来ていた。みな、貧しい家の 息子や娘たちだ。涙に濡れた飯を食べたことがあるという一つの共通点だけで、もう僕らは親しくなることができた。


朴正煕独裁政権下で、こういった文言を発表したということはには驚かされる。

ウンガンにやってきたチソプ は、多くの面で牧師や「科学者」と似ていたが、ひとつだけまったく違っ ていた。彼自身が労働者だったことだ。彼の表現を借りるなら、彼自身が大勢の一人だったということだ。幸福洞の家が壊された直後、血を流しながら空き地を引き 立てられていった彼の後ろ姿を、僕ら一家は見ていた。追われるようにソウルを出た彼は方々 の工場を転々と渡り歩き、臨時工として働いてきた。
父さんと仲の良かったチソプが、父さんに経済的拷問を強いた時代にあって労働運動家になっ たのは、決して偶然ではない。こびと一家が彼にとって一つの観察対象 だったのかどうか、それはわからない。大事なのは、彼があたたかい愛情をもって父さんとつきあってくれたことだ。あのころ彼が「月の世界」と呼んでいた美しい 世界は、彼の頭の中だけに存在していた。彼は、それを頭の外で現実にするために勇気をもっ て行動する人間になってウンガンにやってきたのだ。
僕は会社の偉い人が、僕らはみな同じ一つの船に乗っているということを悟ってくれたらと 願っていた。しかしだめだった。彼らは彼らだけの別の船に固執し、一方 的な要求をするばかりだった。僕は正当な手段によらず、機会、資源、無知、残忍さ、幸運、特恵などによって莫大な収入を得ている人たちに対する怒りを抑えるこ とができなくなっていた。


こびとの理解者であり、労働者にして運動家のチソプは、作者のあらまほしき分身だった。

僕は「科学者」を訪ねて行っ た。「クラインのびん」が窓ぎわに置いてあった。
僕はそれを覗き込んだ。
「わかりました」
早口で僕は言った。
「このびんは、内側が外側で外側がそのまま内側なんです。中と外の区別がないから、内部を 内部として仕切ることができない。ここでは閉じ込めるということが意 味をなさない。壁づたいに行けば外に出られます。つまり世界においては、閉じ込められていると思うこと自体が、錯覚だ」(クラインのびん)


本書のはじめに、メビウスの輪(二次元世界)が取り上げられている。世界を裏返してさらに裏返 し、無限の世界を三次元モデル、クラインの壺で終結させるあたり、作 者の思惑通りかな。

われわれにとって70年代と は、破壊と偽の希望、侮辱、暴圧の時代だった。
私は今も、朴正煕・全斗煥・金鍾泌ら、この国にクーデターの扉を開いた第一世代の軍人たち が武力で権力を握り、血なまぐさい独裁を続けなかったら、「こびとが 打ち上げた小さなボール」は生れなかっただろうと思っている。
いわば人間の基本的な権利が抹殺された「刃の時間」に、私は小さなペンで小さなノートに文 章を書きつけ、これらの作品一つひとつは小さくとも、必ずや破壊に堪 えて生き延び、温かい愛情と血のにじむ苦痛の物語を読者に伝えるものであってほしいと願った。
全部で12篇からなる「こびと連作」は、一つひとつではバラバラの力にすぎないが、私に とって本とは、バラバラに分裂した力を集め、統合する現場であった。小 さなノート何冊かに分けて書かれ、小さな戦いに参戦してきた、しかし誰にもまだ明らかな正体をつかまれたことのない小部隊を私は招集した。
この「こびと連作」は発行後、何度かの危機を迎えたが、死なずに生き延びて読者たちに伝え られてきた。この作品はずっと読者たちによって引き継がれ、完成に近 づいていると感じる。(作家のことば--破壊と偽の希望と侮蔑の時代)


あの時代に、これだけの作品をゲリラ的に発表し続けた作家の挟持と自信。

朴正煕の抑圧的な軍事政権が 20年近くにわたって続いていた韓国社会とは、それ自体がグロテスクな 病身であった。1970年代に生きることを余儀なくされた知識人と芸術家は、透明な健常者の視点のもとに社会を描くことの困難に向かい合うことから、創作を開 始しなければならなかった。
つねに沈黙を余儀なくされてきたサバルタン(従属的社会集団)を前にして、彼らの声をいか に再組織していくかという問題に深く関わっている。片輪ものの視座の もとに、障害者の身振りをなぞることでしか表現が可能とされなかった時代というのが、韓国の1970年代だったのである。
「こびと……」には、1970年代の韓国社会に横たわっていた数多くの問題が取り上げられ ている。貧困と身障者差別。土地の再開発と強制執行。劣悪な労働条件 と自然破壊。キリスト教信仰と労働争議。ここでは明確には語られてはいないが、こびとの一家が身を寄せ合うように生きてきた貧民窟の来歴がもし語られることが あったとすれば、おそらくそこには朝鮮王朝時代から続いている被差別民問題や、朝鮮戦争時 における北からの難民の問題も、当然そこで言及されることになるだろ う。(解説--病身の眼差し 四方田犬彦)


どうも、四方田の韓国に関する言説には、何だかなあと思うことが多かったのだが、この解説は納 得できるものだsった。

撤去民の問題や労働運動という 深刻なテーマを正面から扱い、しかもそれを幻想をまじえた独特の物語 り世界に仕上げたこと。貧民層・中間層・富裕層それぞれの声が連なるポリフォニックな構成。そして書類やアンケート調査の結果を挿入したノンフィクション風の 手法などすべてが斬新だった。
物語の後半では、仁川をモデルとした工業都市ウンガンが舞台となる。仁川は70~80年代 労働運動の根拠地であった。キリスト者のグループに助けられて、御用 組合ではない民主的な組合が作られていったが、彼らへの弾圧はすさまじかった。
作者自身は、本書が二百刷を迎えた際に「これは恥ずべき記録だ」と語り、このような作品が 未だに読まれ続けなければならないのは、韓国社会が本質的に何も変化 し ていないためだという旨の発言をしている。
「こびと」の世界は、過去へも未来へも通じている。朝鮮半島の奴隷制度の発祥は百済滅亡に までさかのぼる。人を人として扱わなかった長い歴史全体への異議申し 立てのように、こびとは重い鉄のボール空へ打ち上げる。重力の法則に抗って打ち上げられたボールは今も、別の法則によって宇宙のどこかを旅しているのかもしれ ない。それは決して日本に住む私たちとも無縁ではないはずである。
バブルとその崩壊を経てすら揺るがなかった(と信じていた)平等神話が崩れた今、日本に生 きる我々にとっても、自らの70年代、80年代を振り返り、我々が誰 を蹴散らしてきたか、いま、誰が蹴散らされているか思いをはせるべきときがきているのかもしれない。
本書には一部先行訳がある。1971年から活動している神戸のサークル「むくげの会」の有 志が7篇を選んだ絵訳出し、1980年に「趙世煕小品集」として刊行 したものだ。今回の翻訳にあたって参考にさせて頂いた。(訳者あとがき 斎藤真理子)


斎藤真理子の翻訳の才は、これまで読んだ数冊の韓国小説で思い知らされてはいたが、この解説を 読んで、文学そのものの読解力、視点の確かさを改めて思い知らされ た。

:*本書の原文にはこびと(난 쟁이 ナ ンジャンgイ)、いざり(앉 은뱅이 アンジュ ンベンgイ)、せむし(꼽 추 ッコプチュ)、めくら(장 님 チャンgニム)など今日からみれば不適切と思われる表現があるが、 作品が書かれた時代はいけいや作品勝ちを鑑みるとともに、差別する 側・される側双方の生々しい息遣いや、厳しい時代を生き抜いた生涯を持つ人々への敬意を伝えるため、そのまま訳出した。訳者、河出書房新社

これは出版社からの、但し書きだが、障害者に限らず、いわゆる「差別語」への「言葉狩り」とも 言うべき、自主規制、言い換え、などには、のっけから「全面否定す る。というのがMorris.のスタンスである。
【右 傾化する日本政治】中野晃一 ★★★★  2015/07/23  岩波新書:新赤版 1553
中野晃一  1970年生れ。東大哲学科、英オックスフォード大学哲学・政治 コース卒業。専門は比較政治学、日本政治、政治思想。「戦後日本の国家保守主義」「グローバルな規範」「ヤスクニとむきあう」

新書なのに、読み終えるのにかなり時間かかってしまった。。通読、チェック読み、メモ取りなが らと、結局3回読んだことになる(^_^;)
このところ、日本戦後史関係の本を多く読んでるが、本書は、戦後の自民党中心の政治史を、「右 傾化」というフィルター越しに抽出する形でかなり批判的に論じてい る。
いつもにまして引用が多いが、それだけMorris.の「メモ欲」が亢進したということだ。

新右派転換の萌芽期から今日に 至るまで、主導的な役割を果たした主要な政治リーダーとして、中曽根 康弘、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉、そして安倍が挙げられる。そしてその間の揺り戻しとしては、1989年参議院議員選挙における土井たか子が率いた日本社会 党の勝利、1994年の社会党の村山富市を首班とした自社さ政権、1998年参議院選挙に おける自民党の過半数割れ、2007年の参議院選挙によるねじれ国会 から2009年に誕生した民主党政権がある。

日本の政治が、右と左に振幅しながら、次第に振り子の位置が右にずれていってるというのが、筆 者の基本的見方らしい。

新自由主義が欲望や情念を煽る 「消費」文化を礼賛するかたわら、国家主義が「国民」とその道徳を解 き、「行きすぎた」自由や個人主義をいさめ、はたまた他国との緊張関係を利用してナショナリズムを焚きつけて、トランスナショナルなパワーエリートと一般市民 の間に開くばかりの階級格差から注意を逸らす、というマッチポンプ的な共犯関係である。
理念的な親和性と利害の合致に支えられている以上、新自由主義と国家主義は表面上の矛盾に もかかわらず、かえってこのように政治的には強固な補完性を示すので ある。グローバル化で生活が苦しくなった一部の中小企業経営者や労働者が、ナショナリズム言説に誘惑される一方で、逆にまた、靖国参拝や歴史修正主義に眉をひ そめる中間層が構造改革路線やアベノミクスへの期待から小泉や安倍を支持しつづけるという 現象が起きるのである。


「マッチポンプ」なんて言葉、まだ生き延びてるんだあ(@_@) 

歴史修正主義に導かれる復古主 義的な国家主義が前面に躍り出る一方で、自由市場や自由貿易を看板に しているはずの新自由主義も、事実上「企業主義」ともいうべき偏りを覆い隠そうともせず、ひたすらグローバル企業の「自由の最大化」すなわち寡頭(少数派)支 配の境界を追求するものへと変質していった。(序章 自由化の果てに)

家電メイカーのナショナルが、パナソニックに改名したのは2008年。「明るいナショナル」と いうキャッチフレーズでは、ナショナリズム強調し過ぎで世界進出に差 し障りがあるための措置かとMorris.は思ってたのだが、実はアメリカで、ナショナルが、先に登録されてて使えなかったかららしい。

東京オリンピック直後の 1965年にそれまで維持してきた均衡財政が崩れて初めて国債が発行され、 その後1975年から本格的な赤字国債の発行が始まる。その結果、税収を上回る歳出を国債の発行によってまかなう財政赤字体質が深刻化していったのである。こ うして充分な税収をあげられないまま公共支出の増大が進むという状態が、旧右派連合のいわ ば持病として浮かび上がってきた。
冷戦が終焉に向かうなか、硬直的な55年体制が解凍されたかのように、多元的で流動的な政 党間競争や有権者の自由で移り気な選択で特徴づけられる「政治の自由 化」の幕が上がったのである。
民主主義の古典「ポリアーキー」においてロバート・ダールは、民主化には二つの座標軸(次 元)があると指摘し、それらを「自由化」と「包括性」と呼び、双方が 実現している政治体制をポリアーキーと称した。(第一章 55年体制とは何だったのか)


Morris.は「国債」=「国の赤字」と思ってた(^_^;) 

中曽根は「文化」を強調した大 平と比較して、「経済」の論理が先行したのであった。中曽根は大平ほ どに語る文化論を持たなかったなか、1985年のプラザ合意を受けた円高や土地政策における規制緩和などの内需拡大策などがあいまって不動産価格や株価の高騰 によるバブル景気を発生させてしまった結果、多分に利己的で新自由主義的な金満消費者「文 化」が花開いてしまったことも否めない。それは大平のビジョンとはお よそかけ離れたものであった。

筆者は大平をかなり高評価しているようだ。

中曽根が活用した臨調や国鉄債 権管理委員会などは、単なるブレーンや政府審議会の役割を超えて、官 僚制や利益団体はおろか族議員や派閥の領袖がにらみを効かせる与党や国会に先手を打ち、首相の威光を背景に、マスコミを利用し世論を味方につけつつ、利害調整 や意思決定を推し進めるという点で、「既得権益」が支配する旧右派連合における合意形成型 の政策過程に「改革派」首相が強力なリーダーシップを発揮して切り込 む、という構図を演出する新右派転換の舞台そのものとなった。

中曽根にははじめから否定的。

新自由主義改革の政治手法と並 んで、以後の新右派転換の展開に大きな影響を残したのが、国鉄改革が 与えた労働運動への打撃である。国鉄における最大の労働組合は国労であったが、その国労は自治労、日教組と並んで総評のもっとも主要な労組であり、また社会党 左派と結びつきが強く、平和運動などの政治闘争にもっとも積極的に参加してきた労組でも あった。つまり保守政権と敵対し、結果的に外からタガをはめる役割を 担ってきた革新勢力の土台を構成するともいえる存在だったのである。

労組つぶしということが中曽根の本心だったのだろうが、国鉄解体には、未だに憤懣やるかたなし である。

1989年といえば、1月に昭 和天皇が死去、元号が平成と改められ、6月4日に北京で天安門事件が 発生、11月にベルリンの壁が崩壊し、冷戦の終焉が加速度的な進捗を見せていくことになる。この年7月の参院選における自民党の歴史的大敗、この時以来、こん にちに至るまで四半世紀以上、自民党は単独過半数を確保できないままとなっている。

象徴的な年というのはあるとも言えるしないとも言える。結果論かな。

小沢は自らが生まれ育った旧右 派連合を壊しつつ新右派転換をさらに推し進めた、いっそう矛盾の深い 「古い政治体質の改革派リーダー」であった。
小沢の新右派転換ビジョンである「日本改造計画」の、日本を「普通の国」に改造しようとい うその発想は、軍事面へと転化しはじめた国際協調主義の一つの到達点 といえた。
「日本改造計画」のゴーストライター北岡伸一は、のちに安倍晋三のブレーンとして集団自衛 権の行使を容認する解釈改憲を引っぱっていくことになる。


小沢一郎への視点も厳しいところがある。

社会党村山富市委員長を首班に 戴く、自社さ政権は、「反小沢」の一点で結集した新右派転換からの揺 り戻しであった。
首相として村山が明確に自衛隊、日米安保条約、日の丸・君が代などについて従来の立場から 180度の転換を示したことは、社会党がアイデンティティを失ったこ とと受け止められた。


あれはやっぱり社会党の自殺行為だった。

2000年10月に発表された 「米国と日本--成熟したパートナーに向けて」(いわゆるアーミテー ジ報告)。米英の「特別な関係」を手本に日米同盟はより平等なものと発展していくべきでり、日本が集団的自衛権の行使を禁じていることはその制約となっている と主張したこの報告書の勧告は、小泉政権下での有事法制の整備などにつながっていった。 (第二章 冷戦の終わり)

「アーミテージ報告」という名前はよく聞くが、これでちょっとわかった。

2005年、不人気を極めた森 喜朗が辞意を表明し総裁選挙が行われると、森派会長として政権を支え ていた小泉がメディア旋風を巻き起こし、橋本、麻生、亀井を破って当選した。
森政権には最後まで民主的正当性の点で疑問がつきまとった。内閣支持率が一桁にまで落ち込 み、保守本流に人材が払底したなか、自民党は起死回生の人気浮揚策と して、最大限に視聴者参加型の幻想を振りまく仕掛けで総裁選を実施した。
実際には党所属の国会議員や党員でなければ選挙権はないわけだが、あたかも自民党がテレビ をハイジャックしたかのように、父・角栄譲りの庶民的な語り口に長け た田中眞紀子とタッグを組んで小泉が全国遊説する姿や、四候補がそろって所信表明や討論を行う様子が延々と映しだされた。

小泉もあまり好きでないようだ。今まさに、自民党総裁選始まっているが「自民党員や議員しか選 挙権のない」いわばコップの中の嵐なのに、マスコミがしきりに取り上 げ、煽り、大騒ぎするのにのせられてはなるまい。それより、国政選挙には投票すること!!

ロゴス(理性)よりパトス(情 念)に訴えるパフォーマーとしての小泉の天性の才能がそこにはあっ た。もともと「政策は支持しない」とうそぶきながら清和会の留守を与る長として森政権を守りつづけていたのが、舌の根も乾かぬうちに派閥や自民党を「ぶっ壊 す」と絶叫する改革派として絶賛を浴びるというように、小泉には、論理破綻を飾らぬ本音に 見せかけ支持に換える、独特の「明るいシニシズム」があったのであ る。首相在任中、小泉はたびたびこの「才能」により難局を乗り切り、また政治の質を劣化させた。

小泉「劣化推進」総理。

中曽根の臨調以来、三次にわた る行革審、そして橋本の行政改革懐疑などにおいて、しばしばNHK, 日本経済新聞、讀賣新聞など報道機関のトップ級が委員として政策過程に参加するようになっており、小泉はメディアとりわけテレビがつくり上げた総理の要素が あった。こうしたマスコミ世論の支持を支えにして、小泉は強力なリーダーシップを発揮する ことができたのである。
その一つが小選挙区制で、これによって、自民党の公認候補は一人に絞られることになり、派 閥の力が弱体化し、代わりに党中央の総裁・幹事長が公認と政治資金に ついて強大な裁量権を手にするようになった。かつて最後の最後まで小選挙区導入に小泉が反対していたことは皮肉というほかない。


小選挙区こそ諸悪の元ヽ(`Д´)ノ

小泉はさらなる新自由主義改革 に邁進した。
しかし社会的公正の視点を欠いた新自由主義の立場からの恩顧主義への攻撃はまた、格差社会 の形式を加速することにも直結していた。「小さな政府」路線は補助金 と地方交付税の削減が税源移譲を大きく上回り、これらの改革は合わせて地方経済に大きな打撃を与え、中央との格差を広げる結果を生んだ。


旧右派の「恩顧主義」と新右派の「改革路線」どっちもどっち。

小泉はさらに、小渕がネガティ ブリスト化した派遣労働の規制をいっそう緩和し、製造業でも解禁に踏 み込んだ。
小選挙区制では自公合わせて49%の票で75%の議席を得るという、多数派ならぬ「少数派 支配」装置としての小選挙区制の効果がフルに発揮された。


派遣労働緩和の罪は大きい。「大貧民」ゲームを思い出した。

安倍の急速な出世は、北朝鮮による拉致被害問題とも切り離すことができない。2002年9 月の小泉電撃訪問と日朝平壌宣言以降、日本が戦後初めて「被害者」の 立場となったことに勢いを得た、どこか鬱屈感と歪みの伴った「反北朝鮮ナショナリズムが燃え盛り、対北朝鮮強硬派として鳴らした、安倍の人気はうなぎ上がりと なったのである。


これは青木理と蓮池透の本の紹介時に詳しくやりたい。

2012年総選挙で自民党は 2005年と同じ地滑り的圧勝を遂げ、政権復帰した。そして「日本を、 取り戻す」を選挙戦のキャッチコピーとして自民党を率いていたのは安倍だったのである。
彼らは「ショック/ドクトリン」そのままに、震災・原発事故の責任を全て民主党になすりつ け、茫然自失の国民心理に乗じて「戦後レジーム」からの脱却を企図す る「チャンス」をものにした。


「コロナ・ドクトリン」を画策している奴が必ずいるんだろうな。

民主党への支持がメルトダウン を起こし、多党乱立、低投票率となった結果、自民党は小選挙区制の 「マジック」によって議席数上での圧勝を得たのであった。
いうなれば、オルタナティブとして育ったはずであった民主党が有権者に忌避されつづけ、多 党乱立状態のなかうんざりした有権者が投票所に向かわなければ、積極 的な支持を獲得せずとも自民党は勝ち続けることができる政治システムができあがったのである。
また2014年に突如安倍が解散総選挙を仕掛けたときも、戦後最低記録を大幅に更新する 52.7%の投票率のなか、自公連立与党で2/3を維持する圧勝を再現 した。
自民党はおよそ6人に1人の有権者にしか積極的に支持をうけていないのであるが、有効な対 抗勢力が存在しない今や、自公合わせて衆議院で2/3、参議院で過半 数を確保できるのである。


ここでも小選挙区の罠が(>_<) 何度も言うぞ。選挙の投票 4・6・4・ 9!!

こうして一口に「一党優位性の 復活」あるいは「一強多弱」といっても、有権者の信頼を大きく損ねた 民主党には生気が見られず、連立与党の公明党がひたすら自民党の補完勢力として政権に安住する道を選んだところに、さらに自民党はその周囲を物欲しげに回転す る「衛星政党」の維新の会とみんなの党という潜在的な連携相手を得たのであった。新右派連 合が支配する安倍自民党による政治のさらなる右傾化を可能にする政党 システムが現出したのである。

与党の利益配分に与る公明党、物欲しげな維新の会……(>_<) 

第二次安倍政権は前回の失敗に 学び、新右派転換のもたらした格差社会などに対する批判がメディアに よって喧伝さたりしないように細心の注意を払ってすたーとすることになった。
傷跡のまだ生々しい大震災と原発事故も、当面は民主党政権の対応の不備をあげつらうことで 歴代の自民党政権や安倍政権が責任を免れる言説が広く流布していた。
硬軟取り混ぜたメディア対策の陣頭指揮を担うことになったのは、郵政選挙で自民党のメディ ア戦略を担当し第一次安倍内閣で広報担当の首相補佐官を務めた世耕弘 成内閣官房副長官、小泉の懐刀だった飯島勲内閣官房参与、そして安倍の参謀にして第一次内閣で総務大臣の経験がある菅義偉内閣官房長官であった。


安倍政権のメディア対策は強引だったが、それに迎合したマスコミにも、ガッカリ、だったな。

アベノミクスの最大のポイント は、日本銀行の独立性を事実上撤回し、政府と直接連携し2年で2%の インフレ目標を「公約」に掲げた黒田東彦を総裁に据え、大規模な量的・質的金融緩和に乗り出し、円安・株高を仕掛けたところにあった。「官製相場」の色彩を強 めつつ2015年4月に日経平均株価が15年ぶりに2万円台っを回復した。
財界がアベノミクスによって大いに潤ったのは事実であり、「トリクルダウン」が不発に終わ り実質賃金が低迷するなか、財界と安倍自民党の蜜月は続いている。序 章でふれた「世界で一番企業が活躍しやすい国」がまさにつくられようとしているのである。

三本の矢の「トリプルダウ」ン(>_<) Morris.はこの「トリクルダウ ン」という言葉を聞くたびに虫酸が走る。

自民党の「日本国憲法改正案」 では、「緊急事態」条項の創設のほかにも、基本的人権が「公益及び公 の秩序」によって制限されるものとしており、二十条の政教分離規定についても形骸化し首相らの靖国神社公式参拝を可能にするような仕掛けが盛り込まれている。

「人犬主義」

「積極的平和主義」は、もとは といえば小沢が専守防衛を独善的な「消極的平和主義」「一国平和主 義」と糾弾するなかで、その裏返しとして対置された概念だが、正式な定義がないため中身がいかようにも変わりえるものであった。はっきりいえば「日本が武装 (軍事的抑止力を強化)していげばしていくほど、世界は平和になる」という歯止めのない 「夢見る抑止論」にすぎないからである。

「攻撃的平和主義」「功利的平和主義」「暴力的平和主義」「軍事的平和主義」「忍従平和主義」 「韜晦平和主義」…………

集団的自衛権の行使を含めた一 連の新しい安保法制は、国家安全保障会議や特定秘密保護法と一体と なって運用されることになり、結局は、憲法違反の集団的自衛権解禁という事実が厳然として残ることから、今後九条を含めた大幅な明文改憲へと不可避的に進まざ るを得ないと考えられる。
偽装請負や不払い残業(サービス残業)などの違法行為を先行させておいてkら「実態に合わ なくなった」労働法規を「改正」するべきと主張する財界の論法に酷似 しているといえよう。


イソップ寓話の狼のやり方。

オルタナティブとして育ったは ずの民主党の崩壊により、戦後かつてないまでに政治システムがバラン スを失い、首相官邸に集中した巨大な権力だけが抑制の利かないかたちで新右派統治エリートの手に残り、今それがさらに憲法の保障する個人の自由や権利を蝕む半 自由の政治へと転化し、またその度外れの歴史修正主義で日本の国際的孤立を招きつつあるの である。これが右傾化する日本の政治の現実ではないか。だとするなら ば、対抗勢力を欠いたままでは、安倍政権の後も小休止をはさんで、さらにとめどなく右傾化が進んでいくことになる。(第三章 「自由」と「民主]の危機)

「「自由」と「民主」の危機」を招いているのが「自由民主党」というのが、なんとも (>_<)

ダールが提示した「自由化」は 「反対」や「公的異議申し立て」とも言い換えられ、政権与党に反対し 競合する政治勢力を許容し、ひいては政権の座をめぐる多元的な政党間競争を常態化させることを意味しており、もう一つの「包括性」とは参加ないし大衆化のこと で、政治参加の機会が広く市民に与えられているかを問題にする概念である。

だ・か・ら・あ、参加(投票)してねm(__)m

2009年の民主党による政権 交代は、ダールのいう包括性ないし参加の次元で大きな進展があったわ けではなく、政権交代はまさに「政権党」の交代に限定された「民主的刷新無き政権党交代」にすぎなかった。民主党による政権交代の脆弱性は、まさしく自由化の 動きが民主的刷新に下支えされることがなかったことに起因していた。確固とした社会的基盤 を欠いたため、ひとたび政治の自由化に反発する政治権力の抵抗に遭う や新政権は急激に失速し、もろくも変節し分裂した。
民主党政権の誕生にもっとも執拗に抵抗を続けたのは検察庁であった。小沢を標的とした国策 捜査であり、検察庁が主導しマスコミが煽った「政治とカネ」の問題 は、野党時代からほぼ一貫して民主党だけを揺さぶりつづけ、鳩山が首相を辞任する一因となったばかりか、やがては小沢の処遇をめぐり民主党を完全に分断するこ とに成功した。


現在日本最大党は「支持政党無か党」である。この党員を「包括性」にとりこむのは難しすぎる。

マスコミもまた、記者クラブ制 度などを民主党の掲げる自由化によって脅かされた存在であり、従来の 政治権力を維持するべく、民主党内閣への強い拒絶反応を示した。そもそも報道各社政治部の上層部の多くは自民党幹部の番記者上がりで湿られ、民主党の政策イニ シアティブには概して冷淡であった。

記者クラブという、異様な選良的既得権益システムを、大手マスコミは手放そうとしないだろう。

本来ならば政権交代を機会に、当然検証の対象とするべき前政権(自民党長期政権)の政治・ 政策上の責任を追求することを怠った。
政治を自由化しようとする民主党政府は政治報道において早々に孤立無援の状態に陥ったので ある。
連合からの支援を受ける民主党に対して、情報産業に限らず財界全体も冷淡であった。
アメリカは、政権交代と民主党の掲げる日本政府の自由化にまったくといっていいほど準備を 欠いていた。


民主党が政権を維持できなかった理由たち(^_^;)

民主党による政権交代の失敗 は、その「頂上作戦」、言い換えれば「民主的刷新なき自由化」の限界に 起因している。パンケーキ組織の実態は、旧態依然の「個人商店の連合体」すなわち個々の政治家の後援会組織の連盟にすぎなかったのであり、その点、もともと党 組織のあり方として保守名望家政党の自民党と選ぶところがなかった。

民主党が個人商店主の足の引っ張り合いだったというのは、よく分かるが、パンケーキ政党という のは???だった。そもそもMorris.はホットケーキとパンケー キの違いすらわからないのだ。

[リベラル左派連合再生の条 件]
1.小選挙区制の廃止
    そもそも日本で小選挙区制を導入した経緯では、意図的に死票の多い制度をつくり、政党制の寡占化を「二大政党制化」の美名の下に進め、わざと寡占市場をつくっている。その 意味で、有権者と政党政治家の関係を自由市場における売買になぞらえるアナロジーは最初か ら破綻している。
2新自由主義との訣別
    新自由主義は、実は自由主義でも何でもないのであり、むしろ新自由主義改革がもあらした政治経済の寡頭支配は、暴力や貧困、格差など、こんにち個人の自由や尊厳を脅かす最 大の要因となっている。グローバル企業の自由の最大化にすり替えてしまった「自由」概念を リベラル勢力が奪い返し、経済的自由に限らない豊かな個人の自由の意 味を再構築していくことである。
3、「団結」から「連帯」へ
    旧来型の同一性(アイデンティティ)に依拠した「団結」から、相互の他者性を受け入れてなお「連帯」を求め合うかたちへと、左派運動のあり方、言い換えれば集合文化(エト ス)の転換を進めるべき。教条主義、独善との訣別


言うは易く、行うは難し。

新右派転換が時間を書けて壊し てきた自由民主主義の諸制度を立て直すとともに、リベラル勢力が新自 由主義ドグマと訣別し、左派勢力が自由化・多様化をいっそう進めることによって民衆的基盤を広げたとき、はじめてリベラル左派連合による反転攻勢が成果を挙げ ることになるだろう。(終章 リベラル再生は可能か)

お先、まっしぐら。

【式 子内親王私抄 ほのかな美の歌】 沓掛良彦 ★★★☆  2011/11/20 ミネルヴァ書房
沓掛良彦 1941年生れ 比較文学、西洋古典文学。中国・福州大客員教授。東京外大名誉 教授。狂詩・戯文作者。枯骨閑人。古今東西の女流詩人・歌人の研究家。 「讃酒詩話」「詩林逍遥」「壺中天酔歩」「大田南畝」「和泉式部幻想」

「私抄」というタイトル は、保田與重郎の『和泉式部私抄』、堀田善衞の『定家明月記私抄』などから 拝借したものだが、、これは実証的な国文学の研究書ではなく、気ままな古典随想であり、「わたしの式子内親王」ともいうべき内容の本なので使わせてもらうこと とした。
馬場あき子『式子内親王』、竹西寛子『式子内親王・永福門院』のニ著が、依然として式 子内親王研究における古典的な位置を占めている。未だにわたしはこの二人 の女性文学者の描いた式子像から脱することができないままである。
本書が、国文学者でも和歌の専門家でもなく、これまで東西の古典詩を気ままに読みあ さってきた男による、異色の式子内親王論として読まれることがあれば、著者 としてはよろこびこれに過ぐるはに。
本書にはこれまで多くヨーロッパや中国の古典詩を読んできた者の立場から、和歌という ものが、日本文学の枠を外して、東西の古典詩における抒情詩のひとつとし て眺めたらどう見えるか、ということを思い切った形で述べてみた二章をも収めた。(まえがき)


式子内親王は新古今を代表する閨秀歌人の第一人者。、百人一首の「玉の緒」の歌だけで、別 格という思いがあった。塚本邦雄の鑑賞など拾い読みしてたが、まとまった ものは読まずにいた。本書は、専門的研究科でないことを強調しているので、却って読む気になった(^_^;)

式子内親王は後白河院を父 とし、閑院流と言われる藤原氏の一族、権大納言藤原末成の娘で高倉三位と 呼ばれた成子を母として生まれた。生年は久安5年(1149)、没年は1201年で53年の生涯であった。(第一章 式子内親王小伝)

ほとゝぎすその 神山の旅まくらほのかたらひし空ぞわすれぬ
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかゝる雪のたま水
まどちかき竹の葉すさぶ風の音にいとゞみじかきうたゝねの夢
桐の葉もふみわ けがたく成りにけりかならず人をまつとなけれど
わすれてはうちなげかゝるゆふうべかなわれのみしりてすぐる月日を
あはれともいはざらめやと思ひつつ我のみしりしよをこふるかな
玉の緒よたえな ばたえねながらへばしのぶる事のよわりもぞする
生きてよもあすまで人はつらからじこの夕暮れをとはゞとへかし
日にちたびこゝろは谷になげはてゝあるにもあらずすぐる我が身は
我が恋はしる人 もなし塞く床の涙もらすなつげのを枕
たそがれの荻の葉風にこの此のとはぬならひをうちわすれつゝ
静かなる暁ごとに見渡せばまだふかき夜の夢ぞかなしき

上のランダムに掲げた十二首は、わたしの心に深く刻み込まれ、もはや忘れようにも忘れ られない歌である。四百首ほど伝わっている式子の歌の中ではよく知られた 作であり、その代表的な作でもある。


筆者のベスト12。こういった紹介はわかりやすくてありがたい。太字にしたのは Morris.もたぶんベスト10に入れるだろうと思う歌である。本書には、全体に わたって、何度も重複する歌を含めて多くの歌の引用がある。伝えられてるのが400首として、大雑把に1/3くらいは引用されてるのではないかと思う。全てを孫引 きするのも何なので(^_^;) Morris.の印象に残ったもののみ引用しておくこと にする。

その白玉、水晶のごとく清 冽・澄明な美しさを、かすかに艶なるもののただよう「ほのか」の美の世界 を、また「忍ぶ恋」の歌にひそむ暗い情熱を、わたしはいつまでも饒舌に語り続けねばならないだろう。だがものには限度がある。式子の歌の魅力については、式子 の遠い裔である現代の歌人水原紫苑氏が、「は かなくてすぎにしかたをかぞふれば花に物思 ふ春ぞへにける」との 一首を引いて、「おのれを強く閉ざしながら、却って魂の肉声を、時代をはるかに隔てた 読者にも伝え得る歌の魅力--そ れこそが式子の世界であり、「はかなくて」の一首が教えたるものなのである。」(「春ぞ経にける--式子の歌とその魅力」)と言う。(第二章 式子内親王、そ の歌の魅力)

水原紫苑の歌の響きには、たしかに式子内親王に通ずるところがある。

たゝきつるくひなのおとも ふけにけり月のみとづる苔(こや)の扉(とぼそ)に
人とはぬ都の外の雪の中(うち)も春はとなりとちかづきにけり
我が宿は爪木こりゆく山賤(やまがつ)のしばしばかよふ跡ばかりして
さびしさは馴れぬものぞ柴の戸をいたくなとひそ岑の木がらし
秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへも閉ぢよつたのもみぢば
わすれてはうちなげかるゝゆふべかなわれのみしりてすぐる月日を

「松の戸」の幽閉生活を彼女に強いたもの、それは俗世に生きるふつうの人間の生活がゆ るされぬ「斎内親王」という身分とともに、以仁の妹であるという世間の目 であったろう。(「式子内親王伝」石丸晶子)


現実世界で彼女の身辺に起 こった不幸な出来事や悲運、不遇な境遇が、式子をひたすら歌の世界へとい ざなうことになった。現実世界、外界への絶望が深ければ深いほど、その歌の世界が憂愁の色を帯びたものとなるのも、また当然であろう。式子の秀歌は、そのほと んどが、現世的不幸代償として得られたものだと言っても過言ではあるまい。身辺に積み 重なった悲運や不遇が、彼女を現実拒否の方向へと追いやり、現実世界では なく、ひたすら歌の世界にすがりそこに沈潜して生の充実をはかることへと向かわせたのだと思われる。そこから、透明で純度が高く、無限の寂しさと哀愁をたたえ た歌が生まれたのである。

万葉集から王朝和歌を通じて、これほど孤独・孤絶の意識をするどく自覚して、それを美 しく詠い上げた歌人はほかにはいない。ここに確かに歌人としての式子独自 の世界があると言っても、異を唱える者はいなかろう。(第三章 閉ざされた世界、孤絶)


「梁塵秘抄」で知られる後白河天皇の第三皇女で、十歳で加茂神社の斎宮になったのだから、 望まなくても孤絶状態でしかない。

のこり行く有明の月のもる かげにほのぼのおつるはがくれのはな
ほのかにもあはれはかけよ思ひ草下葉にまがふ露ももらさじ
たのむかなまだみぬ人をおもひねのほのかになるゝよひよひのゆめ
はかなしや枕さだめぬうたゝねにほのかにまよふ夢のかよひぢ
はるあきの外の色なるあはれかなほとらほのめくさみだれのよひ
吹きとむるおちばが下のきりぎりすこゝばかりにや秋のほのめく

歌語として用いられた「ほのか」、「ほのめく」といったことばは、事物や現象を明晰、 明瞭に言いあらわすことよりも、すべてをおぼろげに暗示し、ほのめかし、 感覚的に表現することを好む日本的抒情表現のひとつだと言ってよいかと思われる。(第四章 「ほのか」な世界)


「仄」という漢字は、崖の下に人がいる形で、「傾く」「傍ら」と言った意味を持つらしい。 「ほのか」の象形文字ならぬ象徴文字のような気がする。

袖の上にかきねの梅はおと づれて枕にきゆるうたゝねの夢
夢の中(うち)もうつろふ花に風ふけばしづごゝろなき春のうたゝね
はかなしや枕さだめぬうたゝねにほとかにまよふ夢のかよひぢ
まどちかき竹の葉すさぶ風の音にいとゞみじかきうたゝねの夢(第五章 うたたね)


うたた寝は「仮寝」に同じだが、響きは相当に違う。「いよいよ」「特別に」の意味の「うた た」を呼び寄せるところがある。

さらぬだに雪の光はある物 をうたた有明の月ぞやすらふ

かへりこぬむかしを今とおもひねの夢のまくらににほふ立ちばな
いかにせむ夢路にだにも行きやらぬむなしき床の手枕の袖
まちまちて夢かうつゝかほとゝぎすたゞ一声のあけぼのゝそら
はじめなき夢をも夢としらずしてこのをはりにやさめはてぬべき
静なる暁ごとに見渡せばまだふかき夜の夢ぞかなしき

わが国の歌人で夢を詠った歌人といえば、誰しもまず想起するのは小野小町であろう。伝 存するかぎりでは、確実に小町の作とわかっている歌は二十首ほどしかない が、なんとそのうちの夢の歌が十三首を占めているのである。式子内親王が夢を詠った作品は十七首にすぎないが、そのほとんどが秀歌であり、痛ましいまでに美し い歌として、この稀有な歌人の内面を映し出していて、一読忘れ難い印象を与えるのであ る。(第六章 夢の歌人としての式子内親王)


小野小町と式子内親王なら知名度の点では圧倒的に小町だろうが、小町の歌ってそんなに少な いのか。
小町の夢の歌ならやっぱりこれかな。
うたた寝に恋しき人を見て しより夢てふものはたのみそめてき  小町

わすれてはうちなげかゝるゆふべかなわれのみしりてすぐる月日を
あはれともいはざらめやと思ひつつ我のみしりしよをこふるかな
恋ひこひてそなたになびく煙あらばいひしちぎりのはてとながめよ
思ふよりみしより胸にたく恋のけふうちつけにもゆるとやしる
生きてよもあすまで人はつらからじこの夕暮れをとはゞとへかし
君ゆゑといふ名は立てじ消えはてむ夜半の煙のすゑまでもみよ
さゞれ石のなかの思ひの打ちつけにもゆとも人にしられぬるかな

隠すこと、秘めることは同時にそれをあらわすことだという、わが国独自の恋の美学があ るが、式子の歌はまさにその典型であろう。しかも式子の場合は、そこに自 虐的なまでの「耐える」という強い姿勢が加わっているところがその特色をなしていると言ってよい。(第七章 「忍ぶ恋」の歌)

「自虐の詩」ならぬ「自虐の歌」ね(^_^;)

抒情詩としては、中国の古典詩とりわけ唐・宋の詩、ギリシア上代の抒情詩、新古今と不 思議なほどよく似た側面をもつヘレニズム時代のアレクサンドリアの詩人た ちのエピグラム、ギリシア文学の「本歌取り」をその詩法のひとつとした古典ラテン抒情詩などが、その芸術性や詩的完成度において、新古今とよく拮抗し得る水準 に達しているのではないかと思う。
『新古今集』のような高度に錬成され、洗練のきわみにある言語芸術を、中世初期という 時代にもっていた日本人が、マラルメなどの「純粋詩」という観念に振りま わされて、フランス象徴派の詩を、あたかも人類が到達し得た言語芸術、詩文学の極致のように崇めること自体がおかしいのだ。六朝の詩も新古今も知らないフラン ス人がそう思い込むのは彼らの勝手だが、日本人までがその尻馬に乗って大騒ぎすること はないと思う。
新古今とヘレニズム時代のギリシア詩には、文学現象としても、またその詩風・歌風にお いても、どこか相似たところ、共通したところが見られるということであ る。実際、文学現象としての類似という点に関して言えば、過ぎ去った王朝文化の残影の中に生まれ、古典を強く意識してその伝統を背負った古典主義の文学、文学 的教養を前提として成り立った、洗練された巧緻微細な人工的な文学としての『新古今 集』と、ヘレニズム時代のギリシア詩との間には不思議なほどの共通点が認め られるのは、なんとも興味深いことである。
「詞(ことば)は古きを慕う」尚古主義・古典主義が支配し、詩の作者は同時に前代の詩 の読者でもあり、その再創造者でもあるという現象が見られたのである。詩 を作る者としてのその文学的な立場は、新古今の歌人たちのそれとまさに同じであった。
ローマの叙情詩などは、全体として見ればギリシアの詩の本歌取り的な要素が強い。「換 骨奪胎、点鉄成金(錬金術)」こそはローマの詩人たちの詩作の本領であり 技法であって、ホラティウスの叙情詩集『歌章(カルミナ)』などは、その好例である。


筆者の専門である西洋古典文学との比較文学的感想。比較文化論って、楽しそうだ。良い道楽 だな。
【サブカルズ】松岡正剛 ★★★★ 角川文 庫:22141:千夜千冊エディション

松岡正剛は雑誌「遊」の時代から端倪すべからざる存在だったが、インターネット上に繰り広 げられた「千 夜千冊」は、これまた、とんでもない世界を構築している。その質量ともに充実 しまrくりの書評(を超えてる?)は、とっくに千冊どころか1700冊に 到達している。ここ数年、全貌の書籍化も進み、本書はテーマ別の文庫版の一冊である。

顧客(customer) から消費者(sonsumer)へ。カスタマーはお店に来てくれるお得意 さんだが、新アメリカのコンシューマーは「財とサービスを費やす多数派」になった。どうしてこんなシナリオがアメリカで実現できたのか。
1893年にシカゴで起業したシアーズ・ローバック社はシアーズ・カタログによる販売 をはじめ、1908年からは自動車も売り出し、1925年にはシアーズ・ デパート開店。
シアーズがカタログで成功を収めたのは、そのページに商品のパッケージの図を掲載した からだ。食品メーカーや日用品メーカーや化粧品メーカーである。気まぐれ な顧客たちを「欲望に疼く勝者」に衣替えさせたのは、これらメーカーの特定商品がつくりだす「物語」だった。
シアーズ・カタログやP&Gのクリスコがまさにそうだったのだが、これらは多 様な移民の多い北アメリカ住人を「アメリカに同化させる」ための< 欲望同化商品>(同化政策)でもったということだ。アメリカン・ファーストであること、みんなをアメリカに同化させることでもあった。このことこそアメ リカの慾望社会のディシプリン(規律 訓練 discipline)だったのである。
グーグルやアマゾンはシアーズ・カタログの全面的ネット化を先行して、区切りをとっぱ らった「連絡期間」として勝ちまくっているだけになってきた。慾望消費は 「情報の消費」に切り替えられてばかりいるだけだ。
アメリカのビジネス動向とポップカルチャーを向いて仕事をしてきた日本は、この先いっ たいどうするのかということだ。一番おバカな経団連の方針と一番ずるい電 通の戦略ばかりを呑んでいるようでは、先はおぼつかない。(スーザン・ストラッサー「慾望を生み出す社会 2011」 第1701夜 2019/03/15)

ほんの一部の引用見ただけで、その密度の濃さ、分析の確かさ、論理の鋭さが一目瞭然、さら には日本の実情への叱咤まで(^_^;) すごいなあ。

精神医学や社会病理学で は、長いあいだ「嗜癖」(addictionn)と「中毒」 (poisoninng)と習慣(habit)と「依存」(dependence)とを、ときに区別し、ときにごっちゃにしてきた。ぼくなら、すべてはアディ クションとみなしていいと断言したいのだけれど、そうはいかないらしい。
かくていまでは、「お酒が好きだ」と「アルコール中毒」が、「惚れっぽい」と「性相過 多」とが、仲を引き裂くかのごとくに截然と分断されるようになったのであ る。タバコ好きなどは、すべて危険な習慣だとみなされつつある。(アン・ウィルソン・シェフ「嗜癖する社会」 第1681夜 2018/08/01)

これは翻訳の問題でもありそうだな。「アルコール中毒」と「アルコール依存症」とはかなり イメージが違ってくる。

多くのブルースシンガー が、最初は黒人の旅芸人(ミンストレル)として、ついではロバート・ジョン ソンのようなプロミュージシャンとして、また白人のカントリーシンガーとして、活躍を始めた。折からのレコードの発達もブルースの流行を手助けた。グルーブと は、もともとレコードの溝をあらわす言葉なのだが、その粗野なレコード盤がもたらす波 打つ溝から出てくるような音は、頓にブルースぽかったのである。メイ ミー・スミスの《クレイジー・ブルース》の録音(1920)が決定的だった。
ジャズを胚胎したのは世紀末のニューオリンズである。農地でブルースしていた黒人音楽 とフランス移民のあいだのクレオール・ミュージックとが混じって、うずう ずした様相を見せていった。ルイジアナ行政法がダウンタウンのクレオールと黒人バンドをアップタウンに一緒くたにさせたのも大きかった。(ジョン・リーランド 「ヒップ 2010) 第1751夜 2020/09/14)


音楽分野にも博識なんだ(@_@) 「グルーブ」の原義がそんなところから出たなんてこと も知らずにいた。

・杉浦日向子(日本絵画の 伝統的継承者)
・井口真吾(陰影のない無の庭に住むZ-CHANで無機的な小宇宙をつくった男)
・蛭子能収(本当に常識を知らないマンガ家の皮肉な力)
・輪和一(不気味なシュルレアリストの日本回帰の怪奇)
・やまだ紫(マンガをフェミニンな詩文学にしてしまった才能)
・丸尾末広(無残絵の伝統をうけつぐ悪夢を描くレトロアート)
・かわぐちかいじ(歴史的必然を追求する物語作家がつくる緊張)
・成田アキラ(テレクラ專門マンガから超愛哲学を生むセックス魔)
・内田春菊(自分の人生を隠しだてせずに日本社会の弱点をえぐる柔らかい感性)
・水木しげる(婆やと戦争からすべてを学んだ妖怪戦記作家)
・山岸凉子(同性愛を謎の関数にしてすべて歴史を描けてしまえるストーリーテラー)
・岡野玲子(仏教も陰陽道もこの人によって要請文化に変貌した)
・秋里和国(感動作「TOMOI」でゲイとエイズを先駆した)
・青木雄二(欠点だらけの主人公を成功させた「ナニワ金融道」)
・つげ義春(不条理なカルト・マンガを描きつづける日本のウィリアム・バロウズ)
・吉田秋生(ベトナム戦争をアクション・ミステリーの大長編にした麻薬のような力)
・森園みるく(自分では絶対にストーリーをつくらないエッチマンガの谷崎潤一郎)
・藤子不二雄(オバQとドラえもんだけでアメリカのマンガ量を抜く二人怪物)
・土田世紀(マンガ編集の舞台裏にメロドラマを加えた禁じ手の人)
・小林よしのり(「東大一直線」と「おぼっちゃまくん」を捨てて作者の演説台をマンガ に取り入れた「あぶない男」)
・手塚治虫(他者に対するコミュニケーションの秘密を掌握する限りなく偉大なクリエー ター)
・宮崎駿(原作「風の谷のナウシカ」のラストこそこの作家の思想である)
・石井隆(on案の秘密をハードボイルドに実写する天才)
・大友克洋(ついにアメリカを制圧した「未来不能哲学」の王)
・士郎正宗(アメリカ映画とSFXの業界が最も影響を受けた作家)
これは何かに似ている。どこかわれわれの近くにあるっ感覚に似ている。何だろう、何だ ろうと左見右見(とみこうみ)しているうちに気がついた。これは、日本人 がセザンヌやジシャガールやミロを見る目に、またはゴダールやジム・ジャームッシュやタランティーノを見る目に近いものなのだ。著者はその該博な知識をもっ て、次の著作では日本人が見るバスキアやハンス・ベルメールの目付きになってもらいた い。(フレデリック・L・ショット「ニッポンマンガ論 1998」 第 184夜 2000/12/05)


異国人による日本の漫画家評定。当たりハズレあるけど面白い。それを裏返して、日本人の西 洋文化視点に裏返すところも松岡らしい。

ひとつには日本の近未来に 対してディストピア性を付与し、そのトポスあはくまで海外や宇宙ではなく て日本列島のどこかのゾーン性に依拠するのだという発想をもたらし、もうひとつには、そこに異様なほどのナンセンス性を加えることになったのだ。これが《美少 女戦士セーラームーン》と《ものけ姫》の両方がともに迎えられる日本のポップカル チャー(ハイ&ロー・カルチャー?>)というものになった。
日本人には一方に"兎おいしふるさと"の「原郷」があって、他方には縄文の森やタタラ 場のような「異世界」がある。島田雅彦は多摩川べり郊外住宅で、向こう側 に読売ランドという異様な明るい世界があることを見て育ったのだが、それもまた「異世界」なのだ。それは滝田ゆうの「ぬけられます」であり、つげ義春の「ねじ 式」で、また新宿ゴールデン街なのだ。つまりは荒木経惟の、あの寫眞なのだ。
ここには「原郷」と「異世界」の歪んだ関係こそが昨今の日本なのだろうという判断が出 てくる。斎藤環風にいえば「解離」がある。しかしこの歪曲や解離はアタマ で判断しているだけではカタチにはならない。それを言葉や映像に表現してみるしかない。そして、それをしてみると、それをすればするほど、この「原郷」と「異 世界」という二つの歪曲的解離的関係が同時にあらわされるということになってくるの だった。こうした同時性をとことん描く気になったのが、日本映画会のニュー ウェーブ派であり、アニメ演出家たちだったのである。(スーザン・J・ネイピア「現代日本のアニメ2002」 第1251夜 2008/07/04)


これだけの引用の中に、Morris.の知らない人名や語彙が頻出する。アニメに関しては 完全無知なだけにお手上げである。

なにしろ鉄腕アトムやゴジ ラは「核」と「原水爆」と「被災」の申し子あるいは副産物なのである。日 本そのものが最も悲劇的だった被曝の本質を抱えているキャラなのである。それなのに、アトムもゴジラも、平気で大暴れをしながら破壊と救済の両方の力を暗示す る。これにアメリカ人は驚いた。
宮﨑駿の《千と千尋の神隠し》はアメリカでは《スピリテッド・アウェイ》というタイト ルで大ヒットした。日本ではこの映画は「失われた文化をめぐる転移と喪失 の物語」としてうけとられ、資本主義へのアンチテーゼとも、ディストピア・アニメとも解釈されたが、アメリカでは伝統世界に対するノスタルジーよりも「異世界 への強烈な誘い」が評判になった。
日本のアニメにはどこか無常感が漂っている。日本人はどこかに浄土を感じている。それ が日本的ノマドだ。そこには行く先における多神多仏性が関与する。しかも 異世界において花鳥風月や雪月花か守られる。日本人は模倣感覚が横溢している。日本児は見立てやものまねやモドキが大好きなのだ。フェイクやキッチュを平気で 盛っていけるのだ。そこからカラオケ感覚やコスプレ感化も躍り出る。
日本人は不可解をそのままにしておく傾向がある。決してロジカルな解決をしたがらな い。いいかえれば未完成に価値をおく傾向がある。
もともと日本人は狭い住宅や道路でも愉快に暮らし存分に遊んできた。そこにはわかや俳 諧の短詩型にはまりやすいという小さめの美意識、茶室感覚や坪庭や扇子に 見る日本的ミニマリズムが去来する。
まさに日本は万葉以来の寄物陳志(物に寄せて思いを表す)の国なのである。モノは 「物」であって「霊」であり、物語とは「モノ・カタアリ」なのである
だいたいこんなところだ。ただし、これらをもって「クール・ジャパン」という冠りをか ぶせるのは当たらない。(アン・アリスン「菊とポケモン 2010」 第 1634夜 2017/07/07)


「菊とポケモン」はもちろん「菊と刀」のパロディだろうけど、これをサカナに、松岡式日本 文化論を開陳している。たしかに「クールジャパン」なんてのは論外ぢゃ。

中森明夫は「おたく」をネ クラなマニア少年とみなした……、斎藤環は二次元コンプレックスの持ち主 を「おたく」と見た……。岡田斗司夫は「おたく」を個人創作手芸の職人と見立てた……、宮台真司は学者やマニアの趣味に対して「おたく」の趣味はごくごく個人 的で理解付可能をかこっていると説明した……、上野俊哉は「おたく」にはカウンターカ ルチャーがないと批判した……云々。江藤淳は文学潮流がマンガなどの下位 文化に絡まって反転していく動向を「文学のサブカルチャー化」ととらえ、吉本隆明は下部構造がもはや上位文化を決定しえなくなっている事態をアルチュセールの 見方をひねって「重層的な非決定」という用語で説明した。
本書の見方は80年代文化論として「おたく」を解釈するというもので、他の議論の仕方 とは一線を画していた。
1983年中森明夫はかれらを総じてずばり「オタク」と命名した。それは気まぐれな命 名ではなく、むしろ当時の社会文化状況の反映だったと分析したのが本書で ある。
83年には東京ディズニーランドが開演。任天堂ファミコン。フジテレビの「オールナイ トフジ」。「無印良品」1号店。糸井重里の「おいしい生活」(82年)。 上野千鶴子「セクシー・ギャルの大研究」、浅田彰「構造と力」、中沢新一「チベットのモーツァルト」(83年)。NHK橋田壽賀子「おしん」。田中角栄、ロッ キード裁判判決、実刑。YMO武道館コンサート。寺山修司没(43歳)。
筑紫哲也が編集長をしていた「朝日ジャーナル」1984年まで連載された「若者たちの 神々」では、浅田彰・糸井重里・藤原新也・鈴木邦男・椎名誠・如月小春・ 村上春樹・坂本龍一・森田芳光・ビートたけし・野田秀樹・新井素子・村上龍・戸川純・橋本治・高橋源一郎・大竹伸朗・タモリ・山口小夜子・井上陽水・中上健 次・桑田佳祐・田中康夫というふうにリスティングされた。けっこう話題になった。だが 沢田研二・宇崎竜童らのミュージシャン、宮﨑駿・押井守らのアニメー ター、浅葉克己・サイトウマコトらのデザイナー、安藤忠雄・隈研吾らの建築家、大友克洋と多くの少女漫画家、繰上和美・横須賀功光(のりあき)・アラーキーの 写真家、橋爪大三郎・赤坂憲雄・粉川哲夫・鎌田東二らの思想戦線、頭脳警察などのロッ クバンド、向田邦子以降の脚本家、高木仁三郎など多くの科学技術者、松田 優作らの役者陣、高山宏・荒俣宏らの文学活動、原田大三郎らのメディアアーティスト、イッセー尾形らのコメディアンなどは看過されていた。
「神々」の後続として85年から始まった「新人類の旗手」は遠藤雅伸・中森明夫・小曽 根真・木佐貫邦子で始まり、秋元康・滝田洋二郎。藤原ヒロシ・西和彦・平 田オリザで了ったのだが、あまり評判にならなかった。人選もゆきとどいていなかった。活躍期に"ゆらぎ"はあるが、たとえば大島弓子、林真理子、いとうせいこ う、佐野元春、忌野清志郎、ドラクエの堀井雄二、ダンサーの勅使川原三郎、香山リカや 山崎晴美、それに写真家の都築響一、ピテカントロプスの桑原茂一、スタイ リストの北村道子、EP4の佐藤薫なども入ってよかったのではないか。
大塚は高校時代にみなもと太郎のアシスタントをしていた経緯で、1981年に筑波を卒 業すると、徳間書店のアルバイト編集長をへてフリーエディターとしてセル フ出版の「漫画ブリッコ」に関わったらしい。セルフ出版の末井昭の編集力が際立っていた。末井はエロ雑誌のサブカル化を試みて、ヌードグラビア以外のページに 嵐山光三郎、安西水丸、鈴木志郎康、赤瀬川原平、平岡正明らを登場させた人物で、とく に81年創刊の「写真時代」はサブカルマガジンの先頭を切って、栗本慎一 郎・呉智英・粉川哲夫らが執筆や対談で気を吐き、荒木経緯惟や森山大道の写真作品は、継続してはここでしか見られないという特色を発揮した。
やがて日本はバブル文化に浸るようになって、「おたく」も「キャラ萌え」も片隅に追い やられ、そのくせ消費市場のほうでは以上の同床異夢あるいは異床同夢をこ とごとく取り込んで"商品化"していった。いま日本中に搖動しているユーチューバーの自撮り映像や「ゆるキャラ」やおびただしいライトノベル群はその残像であ る。
日本はどうして「おたく化」の夢を見たのか。その論点は本書の序章で解きあかされてい る。
(1)60年と70年の二回にわたる学生運動
(2)学生運動には頓挫した連中
(3)かれらは「おたく文化」成立以前のサブカルチャーの思想的援護者だった。
(4)その足下から「おたく」第一世代が生れその活動にふさわしいステージとジャンル をつくっていった。
(5)こうしたなか、高校生や大学生が大衆的ポップカルチャー以前の孤児的大衆として 醸成されていった。(大塚英志「「おたく」の精神史 2007」 第 1752夜 2020/09/26)


Morris.はおたくではないと思う。が、おたくの世界には好奇心と共感を覚えるところ 多かった。
それにしても引用に散りばめられた、綺羅星のごときスター群像。それらを眺め回すだけで目 が眩みそうになる。大塚英志がみなもと太郎のアシスタントしてたなんて、 目からウロコだった。

セル画は表面線画をトレー スしたのち、裏側から厚く塗りつぶす着色をほどこすとになっている。この セルをオモテの方から見ると塗りムラもタッチもない「つるつるの絵柄」をつくることができる類いまれな技法になっている。このセルアニメの特性が、アニメー ター一人ずつの技量をこよなく均質化させ、実際には気が遠くなるほど手間のかかる膨大 な制作作業を、みごとに分業化させる魔法の杖になった。
日本アニメは過激な戦闘シーンを導入し、性的関心をぞんぶんに引きおこす美少女を配 し、過度の光フラッシュや(ポケモンのように)、異様な文字群を(エヴァン ゲリオンのように)、好んで持ち込んだ。森川によると、手塚治虫の「奇子」を見ればわかると言う。手塚が「セル画肌」とでもいうべき感覚を新たなエロスとして 発見したからではないか。森川はさらに、手塚の「ブラック・ジャック」におけるピノコ に着目した。18歳であるのにずっと幼児語のような喋り方をする。つまり は、ピノコは「萌え」の母型ともいうべき美少女なのだ。
実は鉄腕アトムこそ、そのような「萌え」の手塚的アーキタイプ(原型)出会ったという ことにもなってくる。
アキハバラは首都東京のなかの「ロケ・オタク」になっていたのだった。誰あ計画したの でもない。誰かがこっそり仕掛けたのでもない。90年代前後から始まって いた「趣味の固有化」や「趣向の街区化」が勝手にもたらした格別の遷移だったのである。(森川基一郎「趣都の誕生 2003」 第1248夜 2008/06 /19)


先にも書いたように、Morris.はアニメ音痴(^_^;)である。それでも、こういっ た技法や、製作論は面白い。ピノコが「萌えの素」だったというのにも賛 成。

大塚英志が「物語消費論」 で、80年代の日本は商品よりも物語を消費しているのでないか、その物語 はポストモダンが否定した「大きな物語」に近いものではないかと解読したことを受けて東浩紀は90年代のオタク文化では「大きな物語」の消費ではなく、むしろ 「データベース消費」がおこっていると指摘した。その現象を「動物化」と呼んだのはア レクサンドル・コジェーヴの用語を借りたからだ。90年代の日本の若い世 代が、物語消費ではなくデータベース消費に傾いていったというのは、SNSの波及にともなって始まりかけていた現象で、東はいちはやくその傾向を読み取ったの だった。
大泉は東の先見の明に敬意を表しつつ、自分の「綾波レイ萌えからマルチ萌え」へと至っ た萌えの正体は、ひょっとしたら彼女たちの「自己犠牲性」に宿していたの ではないかと思うようになっていた。
本書の最後のページに綾波レイについての60以上の"定義"が列挙されている。
綾波レイとは、決して解かれることのない謎。
綾波レイとは、日本中のマザコン男とサディストのために供された贄。
綾波レイとは、かつて誰からも心の底から愛されたことのない孤独。
綾波レイとは、はにかんで頬を染める十四の女の子。
綾波レイとは、無意識の底にひそむパンドラの匣の鍵穴。
綾波レイとは、本物より美しいフェイク。
綾波レイとは、使徒の流す涙。(大泉実成「萌えの研究 2005」 第1684夜  2018/08/30)


綾羽レイが「エヴァンゲリオン」の登場人物というのは文脈からわかるのだが、一作も見てな いのでなんとも言えない(^_^;) でもその熱意? は認めざるを得な い

日本のサブカルチャーの変 遷が、ほとんど本気で議論されてこなかったといことで、そこをあえて浮上 させてみようとすると、どこかで痛々しくなっていくか、そうでない場合はクール・ジャパンのようにおめでたくなっていくということだ。しかし、いったん座りな おして江戸の浮世をめぐるサブカル現象や川上音二郎や宮武外骨や夢二や宇野千代や大宅 壮一などを背景に、そこから昭和を経て今日のアニメに及ぶ表現をびっしり 組み合わせていけば、そうとうな議論が涌出されるはずだと感じた。とくに津野海太郎と山田風太郎だろう。
結局サブカルズをめぐるこの手の議論は「そのつどスタイル」をどんなふうに社会文化論 にしていけるかということにかかっている。江戸期に「粋」や「通」や「お 侠(きゃん)」や「野暮」があったように、「ハイカラ」「お嬢さん」「かわいい」「キモい」「おたく」「コギャル」「アッシー」「キャラ萌え」「がでいりして きたわけだし、そんな用語以上に、あしたのジョー、草間彌生、コム・デ・ギャルソン、 スーダラ節、赤塚不二夫、かっぱえびせん、ユーミン、松本隆、雪見だいふ く、忌野清志郎、電撃文庫、きゃりーぱみゅぱみゅが躍如していたわけである。あきらめないほうがいい。(あとがき 荷風だってサブカルだった)


あとがきにまで綺羅星のごとき……(^_^;) 

【プ ロメテウスの涙】乾ルカ ★★★  2009/04/25 文芸春秋
乾ルカ 1970年ん、北海道生れ。短大卒業後銀行員を経て、資格予備校でアルバイト をしながら、小説の執筆を始める。2006年「夏光」でオール讀物新人種。巧 みなストーリーテリングと独特のグロテスクな美意識で異彩を放つ。

全く未知の作家だが、灘図書館の開架で何気なく手にとって、数ページ読んで面白そうな のだ読むことにしたのだが、ちょっと期待はずれだった。ただ、ところどころに 印 象に残るフレーズがあったので、引用しておく。

日一日生きては起こっ た出来事を脳は記憶していく。運送屋の配達員が荷物をトラックに積み込むよう に、海馬にそれらは蓄積される。棚が広くきちんと分類されている人は、思い出も引き出しやすい。あるいはてんやわんやの状態でも探し出すコツを心得ている人 は、目的のものを見つけられる。
人は忘れる動物だというが、真に忘れているわけではない。ただそれがどこに収納さ れてしまったのかを思い出せないのだ。見つけられないことと、無くなってしま うこととは違う。忘却は、正確には探索の抛棄か、探索自体が不可能になってしまった状態だ。例えば手前の棚が倒れてその奥にいけなくなってしまった、というよ うな。

こういった説明は以前にも聞いたことがあるが、Morris.の「忘却力」から類推す るに、記憶細胞が年とともに死滅していくという説のほうがなっとくできる。 「海馬」とうのも細胞でできてるのだろうから……(^_^;)

青い薔薇が自然界に存 在しないように、不死の生物も存在しない。死こそがもっとも雄弁な生の証明で あると祐実は信じている。それは主義主張というようりはどこか美学に近いものだ。

このへんの表現は何となくかっこいいとうか、好き。

空気の薄い高高度から 見上げる空を、何かで百倍に希釈したような青。
あるいは深く澄んだ湖の底から仰いだような。
完全に澄んだ水には生物は棲めない。高い場所も同じだ。本当にきれいなところでは 人は生きられない。
それとも、人がそこに生きるからこそ世界は汚れていくのか。(多分、どちらとも だ)


これも、なかなかかうがった見方のようだが、いささか陳腐。

死刑囚は過去にアナ フィラキシーショックを起こしている。アレルゲンにレセプターが反応し、ヒスタ ミンが放出される--祐実はアナフィラキシーショックの状態を頭の中でさらう-- 顔面紅潮、浮腫、呼吸困難、血圧低下、末梢循環障害--生命に関わる症状が現 れる。
眠るように逝かせるわけではないから、完璧な安楽死とは言いがたいがあ、長らく続 いてきた苦痛を終わらせてやることはできる。


コロナワクチンの副反応でおなじみになった「アナフィラキシー」という語が、10年以 上前に説明とともに採り上げられてることに、今頃読んでるMorris.はつ い反応してしまった。

精神医療に携わる同窓の女性精神科医二人が、一人は日本で異常な身体行動を取る少女の 診療に行き詰まり、もう一人はアメリカの刑務所で何度も死刑執行されながら生 き延びている患者(受刑者)に安楽死を試みる。両者の患者に時空を超えた因縁があり、「前世療法」とか、輪廻転生とかを、恣意的に駆使してのご都合主義全開の解決 法はMorris.の好みとは違うと思った。ご都合主義でも山田風太郎みたいに面白 かったら、いいんだけどね。
【 i アイ】西加奈子  ★★★☆ 2016/11/29 ポプラ社
西加奈子1977年、テヘラン生れ。カイロ・大坂育ち。2004年「あおい」でデビュー。 07年「通天閣」で織田作之助賞、13年「ふくわらい」で河合隼雄物語 賞、15年「サラバ!」で直木賞受賞。ほか「さくら」「きいろいゾウ」「円卓」「漁港の肉子ちゃん」「舞台」「ふる」「まく子」

アイリッシュ系メリカ人男性と日本人女性夫婦の養子として幼児期に引き取られたシリア人ア イ。父の仕事関連で日本に暮らすようになり、孤立しながら親友のミナと出 会い、少しずつ心を開いていく。

2年生の終わりになると、 アイは再びiに出会った。i×i=-1、というあの不可思議な数だ。ig 英gでimaginary number、「想像上の数」というkとおも、大学に入ってから知った。想像上の数、なんて魅力的で不思議な響きだろう。
それでも高校生のときに感じたあの密やかな安堵と絶対的な絶望は、まだヴィヴィッドに アイの心の中にあった。
「この世にアイは存在しません。」


虚数の「i」と自分の名前アイが同じ発音なので、自分の存在も「虚」なのではないかと悩 む。

Reading  Lolita in Tehran(テヘランでロリータを読む)アーザル・ナ フィーシー 市川恵理訳 2006 白水社

アメリカに渡ったミナがアイに送った本。以下はその引用

楽しみを奪われ、笑うこと を奪われ、何かを思うことを奪われる少女たち、ただ人間として健やかに暮 らしてゆきたいという、その願いさえも聞き入れられない少女たち。
今アイが、そしてミナが享受している、いや、享受しているとさえ思ってもいないことを 禁じられ、少しでもそれを望むと罰せられ、辱められ、命すら奪われる娘た ちは、でも、過去だけにいるのではない。


テヘランもイスラム教の国だから、女性の活動は極端に制限されている。タリバンが制圧した アフガニスタンでは、、

「お前、大学で何ならった んだよ。数学科の人間が言う台詞じゃないぞそれ! あったほうが便利って ことかもしれないけど、でも形にしたからにはあるんだよ。それを証明するのが数学者だろうが!」
複素解析論の対馬というその教授は、普段はとても無口な人だった。今、津島ははっきり アイの目を見ていった。
「アイは存在する」


数学教授津島の言葉で、アイが自分の存在を確認したわけではないが、きっかけにはなったよ うだ。
【ふ くわらい】西加奈子 ★★★☆  2012/08/30 朝日新聞出版 初出「小説トリッパー]2011-12

福笑いが、この世で一 番面白い遊びだと思っていた。
小さな頃、母が買ってきた雑誌についてきた付録が、鳴木戸定(なるきどさだ)が触 れた、最初の福笑いだった。
当時、定は4歳になったばかりだった。定の誕生日は、1月1日だ。

これが冒頭の三行。なかなか上手い。
定は猟奇的旅行作家の父と幼い頃から世界中の辺境を周り、数奇な体験をしてきた。父は その旅行中に鰐に半身を食いちぎられて死ぬ。定は長じて、出版社に入り、小説 家担当の編集者になる。

「言葉を組み合わせ て、文章が出来る瞬間に立ち会いたい、という守口さんの気持ち、本当に分かりま す。私はそれが、私以外の誰かが作った、ということに、とても感銘を受けるんで す。言葉そのものを作ったのが誰か分からないけれど、その言葉を組み合わせるこ とによって、文章が、その人そのものに思えてきます。」
守口廃尊というプロレスラー兼物書きへの言葉。 

【夜 の谷を行く】桐野夏生  ★★★ 2017/03/30 文藝春秋 初出「月間文藝春 秋」2014-16
桐野夏生  1951年金沢市生れ。成城大学卒。93年「顔にリ降りかかる雨」 で江戸川乱歩賞、98年「OUT」で日本推理作家協会賞、99年「柔らかな頬」で直木賞、2003年「グロテスク」で泉鏡花文学賞、04年「残虐記」で柴田錬三郎 賞、05年「花萌え!」で婦人公論文芸賞、08年「東京島」で谷崎潤一郎賞、09 年「女神記」で紫式部賞、10年「ナニカアル」で島清恋愛文学賞、読売文学賞、 15年紫綬褒章

連合赤軍事件の一員だった西田啓子は山岳味とから逃げ出したものの死体遺棄などで 5年の実刑を受ける。服役後ひっそりと社会生活を営む中、永田洋子の死を機会に当 時の記憶を反芻する。

啓子の若い頃はど こでも論争が盛んだったのに、今は論争自体が雰囲気を壊すようになってしまっ た。

70年代の若者は、たしかに論争してたな。Morris.も70年代の若者だった はず。

啓子は、急ぎ図書 館で新刊本を二冊借りてから、和菓子屋に戻った。ショーケースが桃の花で飾ら れ、 雛あられや桜餅が並んでいるのを見て、桃の節句が近いことを知る。雛祭りには縁も興味もないが、道明寺を四個買って、手土産とした。

これは単に「道明寺」というのが桜餅の一種であるということを知らなかったの で……

唐突に、1982 年に、中野武男により永田洋子に下された判決文を思い出した。
「被告人永田は、自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な正確とともに強い猜疑 心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な可逆趣味が 加わ り、その資質に幾多の問題を蔵していた。」


す、凄い。いまどきこんな判決文出したら、SNS大炎上だな(^_^;)
【凍 てつく太陽】葉真中顕 ★★★☆☆  2018/08/25 幻冬舎

昭和20年--終 戦間際の北海道・室蘭。逼迫した戦況を一変させるという陸軍の軍事機密「カン ナカ ムイ」をめぐり、軍需工場の関係者が次々と毒殺される。アイヌ出身の特高刑事・日崎八尋は、「拷問王」の異名を持つ先輩刑事の三影らとともに操作に加わること になるが、事件の背後で暗躍する者たちに翻弄されてゆく。陰謀渦巻く北の大地 で、八尋は特高刑事としての「己の使命」を全うできるのか--民族とは何か、 国家 とは何か、人間とは何か。魂に突き刺さる、骨太のエンターテインメント!(腰帯の惹句)

斎藤美奈子さんが本作に触れてたので読む気になった。上の惹句とはかなり印象が 違った。登場人物がかなり作り物めいてるし、ご都合主義横溢(^_^;)のストー リー展開だったが、それでも読んで良かったという気持ちにさせられた。

「今、ソヴィエト でスターリンが何をしているか知っているか。粛清と弾圧だよ。彼は理想を共有 した はずの同士たちうぃ次々、殺しているんだ。最高指導者となったスターリンは権力を自身に集中させた。政敵は排除し、人民には過酷な生産目標を課した。それでも 人心を掌握し続けるために、民族主義、大ロシア主義を掲げ、人民の愛国心を煽 るようになった。構成国の多様な言語を禁止しロシア語に統一し、少数民族は保 護の 名目で強制移住させた。彼に意見する者、従わぬ者に待っているのは、死だ。国に残っていた私の友人や、私が師と仰いだ人たちも、殺されたよ。共産主義の理想を 掲げ革命を成し遂げたはずの国家がやっていること、結局、形を変えた帝国主義 だ。
理想を掲げ、異論を認めず民族主義や愛国心をテコにして国民にはその理想のた めに死ねと迫る。従わぬ者は弾圧してやはり殺す。なあ、日崎、私の国ときみの 国 は、よく似ているとおもわないかい」
八尋は苛立ちを覚えつつ、口を開いた。
「大日本帝国が掲げる大東亜共栄圏や八紘一宇の理想は、共産主義のような血の 通わぬ空論ではない。日本は確かに帝国主義をとっているが、それは武力による 覇道 ではなく、徳によって人を治める王道だ。欧米のそれとは、根本的に違う。それに日本には陛下がいる」
「天皇はスターリンのような傲慢な独裁者とは違うと言えば違う。ただ、どんな 大義を掲げようと、どんな者が統べようと、自己を拡張してゆく欲望とその裏返 しの 滅びの恐怖によって駆動する、まやかしの国家という点で、よく似ているということだ」
「まやかし、だと」
「そうだ。まあ、それは日本やソヴィエトに限ったことじゃないがね。アメリカ やイギリスも、名も知らぬアフリカの小国も、すべての国家はまやかし、共同幻 想 だ。国だけじゃない、民族や宗教もそうだよ。全部まやかし、それ自体に価値などない」

冤罪で収監された網走刑務所で同室になったカミサマ(実はソ連のスパイ)と主人公 の会話。まやかし国家論には共感を覚えた。

「日崎、きみはア イヌの血を引いているのだろう」
八尋は無言のまま頷いた。
「アイヌは非常に興味深い民族だ。きみの祖先はここ北海道で、長く狩猟採集っ を中心とした生活を続けてきた。彼らは集落で生活していたが国家という概念を 持た なかった。彼らは神を信じていたが宗教という概念を持たなかった。そして彼らは血縁者集団を形成していたが民族という概念を持たなかった。その証拠に「アイ ヌ」と言う言葉の本来の意味は「人間」だ。
狩猟採集社会では、大規模な富の蓄積が発生しない。いいか、国家、宗教、民 族、これらの概念の共通点は「敵」と「味方」を分けるということなんだよ。ア イヌに はそんなものはいらなかった。それを、愚かな農耕民が破壊した。それが大日本帝国であり、ロシア帝国やソヴィエト連邦だ」
「国のお陰で、アイヌは近代的で豊かな暮らしができるようになったはずだ」
八尋の反論を、カミサマは苦笑で受け流した。
「農耕民の言う豊かさというのは、単なる富の蓄積に過ぎない。しかしそれは本 当に人を幸福にするのか。保存可能な穀物を育てることで、農耕民は富を蓄積で きる ようになった。それが結果として持つ者と持たざる者を分けることになる。支配階級が誕生し、人々は平等ではなく鳴る。また、蓄積した富は奪うこともできる。自 分と他人、敵と味方を分けるまやかしが生まれる。国家、宗教、民族だ。これら を獲得した人間は当然の帰結として争うようになる。戦争こそが、農耕民の最大 の発 明だ。大規模な富の蓄積は、確かに文明を発展させたかもしれない。人の寿命は延び、人口は爆発的に増えた。だが、それは幸福と関係があるのか。ピラミッドを造 るために使役される奴隷、資本家に搾取されるために働く労働者、戦場で犬死に する兵士、彼らの人生は、自然の恵みを分かち合う民のそれより、本当に豊かで 幸福 なのか。国家がアイヌから奪った暮らしの中には、私たちが失った本当の豊かさがあったのではないか」


これもカミサマと主人公の会話。「戦争こそが、農耕民の最大の発明」というのは、 本書で一番の決め台詞である。作者オリジナルではないような気がする。

ずっと傍らで黙っ て聞いていたヨンチュンが口を挟んだ。
「あんたの話は何だか難しいけど、わかる気がするよ。俺は皇国臣民ってやつに なりたくて内地に渡ってきた。でもよ、朝鮮人は、大日本帝国の国民ってことに なっ ているのに、戸籍からして別なんだ。まあ、半島で生まれた俺が、天皇陛下の子だってのも無理がある話だよな。確かに、国だの民族だのっては、誰かが勝手にそう 決めているだけの、まやかしかもしれねえ」


主人公によって逮捕され、網走刑務所で同室になった、朝鮮人ヨンチュンは作中一番 好ましいキャラクターだった。

「おそらくこの 男、東京の理化学研究所、理研の研究者です。あそこは自然科学の総合研究所で すが、 研究成果を系列会社で商品化し、その売り上げにより、潤沢な研究資金を賄っているんdねす。所属する研究者は束縛されることなく好きな研究ができることから、 「科学者の楽園」なんて言われることもあります。
理研の主任研究員で、世界でも有数の物理学者でもある仁科芳雄博士が中心に なって行われるため、仁科の頭文字を取って「ニ号研究」と名づけられたそうで す。新 型兵器の開発研究です」


理研は現在も生き延びている。ネットで見たら、創立者に渋沢栄一の名前があった。 3年もしたら1万円札の顔になるらしい。今日試刷が始まり見本が公開されてたが、 あまり使いたくない((^_^;)デザインである。
理研は戦争中、実際に新型兵器(原爆)の研究もしてたらしいが、完成には程遠かっ たらしい。

水だけは豊富に あったが、そこら中に病原菌がうようよしており、簡単にマラリアや赤痢に罹患 した。 かすり傷でも傷口はすぐに膿み、生きている者の身体にも蛆がわいた。

これはガダルカナルの激戦地で飢えに苛まれた時の描写。

芋虫の方は、石の ナイフでお尻に切込みを入れて、小枝を突き刺し、焚き火の周りに刺し、炙る。 蛇や 虫を食おうと言い出したのは、ヨンチュンだった。ヨンチュンの故郷、朝鮮半島の農村では、蛇は精力の源とされ常食しており、また蚕のさなぎを煮て食べるポンテ ギという料理もあるという。そのためか、まったく抵抗なく「芋虫も焼きゃ食え るだろ」と言った。
こちらは脱走後、北海道の山奥での描写。ポンテギはどうしても食べられずにいる Morris.である。

--ここ北海道の 自然派ね、厳しいのではないよ。豊穣なんだ。
農業技術を村人に教える父が、繰り返し言っていたことを思い出す。
寒冷帯にありながら、湿潤ではっきりした四季のあるこの北の大地には、多様な 動植物が育まれている。アイヌが本格的な農業を行わず狩猟採集を中心とした生 活を 営んでこられたのは、この自然の恵みがあってこそのことだろう。


アイヌというと、刺青やイヨマンテ(熊祭)とか独特の模様を連想するが、江戸時代 から差別され、明治になると大日本帝国国家の政策で、ホロコーストに近い仕打ちを 受けたアイヌ文化。沖縄を中心とした琉球民族の文化は、今ならまだ幾らかでも伝承 可能かもしれない。

ヨンチュンがおも むろに口を開く。
「ガキの頃、俺はよくチョゴリを着せられた。両親が死んだ頃からかな、約人の 締め付けが厳しくなって、普段から国民服を着なきゃならなくなった。日本に来 てか らは、朝鮮人飯場の薄っぺらい作業着と地下足袋さ。刑務所に入ってたときは囚人服、で、今は進駐軍(アメちゃん)からもらった、こいつさ」
ヨンチュンは着ていたジャンパーの襟元をひらひらさせて続ける。
「案外、服みてえなもんかもしれねえよ、国だの民族だのってのは。裸で歩き回 るわけにはいかないから服を着る。その服が気に入ってんなら大事にすりゃいい さ。 でもよ、俺たちは服に着られているわけじゃねえし、服のために生きてるわけじゃねえ。いざとなったら、自分の都合に合わせて、適当に着たり脱いだりしたってい いんだ。まあ、要するにだな。関係ないってことさ。俺は俺、おまえはおまえだ ろ」


やっぱりヨンチュンが良い(^_^) 

【エリッ ク・ホッファー自伝 : 構想された真実】E.ホッファー著 中本良彦訳 ★★★☆  2002/06/05 作品社 原著 Truth Imagined 1983

市井の哲学者、港湾労働などブルーカラーの仕事続けながら、独特の思索を表し た著書で、注目を集める。としろうが「波止場日記」呼んでたのを見て関心を覚 え、自伝 を呼んでみることにした。

Eric Hoffer 略年譜
1902 7月25日、ニューヨークのブロンクスにドイツ系移民の子とし て生まれる
1920 母と死別、突然視力を失い、15歳まで失明状態
1930 父が亡くなり天涯孤独となる4月ロサンゼルスに渡る。10年間 さまざまな職を転々とする
1936 モンテーニュの「エセー」と出会う
1941 サンフランシスコに居を定め、港湾労働者となる
1951 リリー・ファビリと出会うThe True Believer 「大衆運動」刊行
1967 CBSテレビに出演、全米でホッファーブーム
1969 Working and thinking on the  Waterfront「波止場日記」刊行
1983 5月20日死去(81歳) 自伝Truth Imagined 刊行

ユダヤ人が世界で最初の比類のない語り手であったという事実が、彼らが現 在、諸科学や社会事象の理論家として卓越した先駆者の役割を果している原 因なのかもし れないと私は思う。真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを探るうえで必要不可欠な才能だからである。
ユダヤ人は特別な民族である。彼らは神を見つけ出し、その数に比して歴史 的に大きな役割を担ってきた。ユダヤ人の神は他の神と違い、怠惰な貴族で はなく、働き 者の職長である。そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を招き 寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。


ユダヤ系が多方面で権力に絡んでいるアメリカで、ホッファーが人気になったの はこうしたユダヤ人聖別的文言が大きな要因になったのだろう。

財産を失った のは--いくらか失ったことだ!
すぐ気をとりなおして、新しいものを手に入れよ。
名誉を失ったのは--多くを失ったことだ!
名声を獲得せよ。
そうすれば、人々は考えなおすだろう。
勇気を失ったのは--すべてを失ったことだ!
そのくらいなら生れなかった方がいいだろう。(ゲーテ「温順なクセーニエ ン」高橋健二訳)

ホッファーが好んだゲーテの言葉。孫引き(^_^;)

自己欺瞞なく して希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損な われやすい が、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設する には、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最 高の存在になるのである。
先のゲーテの言葉をホッファー流に解釈するとこうなる。

オーストラリ ア移住の前衛を務めたのは元受刑者だったし、シベリアに定住したのは流罪 者や囚人だっ た。アメリカでも初期と後期の居住者は失敗者や逃亡者、重犯罪人だったし、宗教的情熱に突き動かされた開拓者だけが例外である。
弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ。われわれ は、人間の運命を形作るうえで弱者が支配的な役割を果たしているという事 実を、自然的 本能や生命に不可欠な衝動からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見な ければならないのだ。

パラドックス思考?

弱い少数派で あるユダヤ人や、銀行取引が発達するなかで、いまだ封建君主の支配下に置 かれていた商 人階級が果たした役割を考えると、どうも貨幣は弱者が発明したもののように思われる。絶対権力者はつねに金を嫌悪してきた。人びとが高邁な理想によって動機づ けられることを期待し、自分の支配を維持するために結局、恐怖に訴える。 貨幣が支配的役割を果たさなくなったとき、自動的な進歩は終わりを告げ る。通貨の崩壊 は文明の崩壊の予兆である。金と利潤の追求は、取るに足りない卑しいことのように思われがちだが、高邁な理想によってのみ人びとが行動し奮闘する場所では、日 常生活は貧しく困難なものになるだろう。
慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世において永遠のよ そ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろ う。

金融経済がひとり歩き(暴走)している現在を、ホッファーはどうみるだろう か?

20世紀はま ぎれもなく、"情熱"が猛威を振るった「極端な時代」であった。そして 21世紀を迎え た今も、各種の紛争からテロに至るまで「不適応者(ミスフィット)」の"情熱"が歴史を動かし続けている。半生記を経た今もホッファーの洞察は、その有効性 を、ほとんど失っていないように思われるのである。(訳者あとがきより)

おいおい、である(^_^;)

2021072
【愛 と幻想のファシズム 上下】村上龍 ★★★☆☆  1990/08/15  講談社文庫 初出 「週刊現代」1984-86  単 行本1987年8月

世界恐慌 を迎えた1990年、日本でもパニックとクーデターが誘発する。暗躍 する巨大国際企業集団 「ザ・セブン」にサバイバリスト鈴原冬ニをカリスマとする政治結社「狩猟社」が全面対決を挑む。人々は彼をファシストと呼んだが、飢餓状況に追い込まれた日本 でクーデタを企てるまでになり……。これはかつてない規模で描かれた 衝撃の政治経済小説である。(裏表紙の惹句)

35年前に書かれた作品で、未読だったが、予想外に面白く、興奮させられ た。雑誌掲載時期からすると5年先くらいの近未来小説で、このての作品は たいてい、舞台設 定の時期を過ぎると、事実との齟齬や矛盾が露呈して、読むに堪えないのが一般的だが、舞台設定から30年を過ぎて、読んでも充分楽しめる作品というのはすごいこと だと思う。    

日本の現 状は経済的にも文化的にも危機にある。その危機は幕末や敗戦にも匹敵 するが、現状況の断面 が危機にあるのではなく、破局へのゆるやかな過程にあるという意味であらゆる過去とは特殊なところである。原因は敗戦にある、戦後のすべてが原因だ、GHQや 歴代政府や各政党や労組や教育やマスコミや文学といった個別のセク ションでは戦後全体に原因がある。その検証は必要だがそのためには大 東亜戦争後だけではな く、幕末維新から現代までを含めなければならない、更にアジアでの戦争とアメリカ化の問題を文化の面からも探らねばならない、そしてその検証には人類学や情報 科学の手を借りなければならないだろう。

舞台設定からなかなかの大風呂敷である(^_^;)

「私は国 家に使える官僚だからな、私は戦前の大蔵官僚で深井英五という男が好 きなんだが、深井英五 は井上準之助の金解禁に付き合わされて、人間性と官僚性ということで悩んだんだ。私達は官僚テクノクラートという職業に誇りを持っている。国を動かすのは私達 だ、たとえ鈴原冬二が独裁者となっても実務に当るのは私達だ。国を動 かす、それが仕事だ、どんな指導者が現れようとそれは変わらない、そ れは人類が考えだした 中で最も優れた機構だ。なあトウジ、強力な独裁者になってくれ、美しくムダのない統治体型を作ってくれ、ギャアギャアと非能率な弱者は全部殺してくれ、そした ら私達は全面的に協力するぞ、ナチの東方政策も正しいんなら我国の大 東亜共栄圏も正しいんだ」

大蔵官僚で冬二のブレーンになる高榎通孝の独白。深井は昭和初期に日銀総 裁を務めた実在の人物。高柳はかなりの右寄り官僚だが、あの時代はまだ政 治の実務を担って いるという自恃があったようだ。

「最後に 言っておきたいのですが、僕達は基本的に、強い子孫なのです、いいで すか? 僕達の祖先 に、子供の時死んでしまった人はいないんです、それを忘れないでください」
約五分の一が拍手して、記者会見は終わった。


主人公の「優生学」的発言。

「国際通 貨に関しては、実は、銀行家や大蔵官僚でもわっかっている奴は一人も いないよ、これは伝統 なんだ、民間の銀行や商社の連中にはわかっている奴もいる、これは明治の開国からの我国の伝統なんだ、貿易に直接かかわる人間だけが通貨を理解できるんだ。、 当時国際通貨について理解できていたのは長崎の貿易省だけだね、奴ら はそれをわざとわかりにくく幕府に報告していたんだよ、数字をゴチャ ゴチャにして、国際為 替レートをわざとわかりにくくして、利益を隠していたんだな」

これも高榎の国際経済談義。Morris.にはちんぷんかんぷん (>_<)。

「近代が 嘘っぱちだなんてそんなのは当たり前のことだ、だが、大事なのは、近 代をリードした奴ら は、嘘だとしっていながら近代を作り上げたということだ、奴らは本当のことを知っていた、だからみんなが喜ぶ嘘がつけたのだ……大切なのはあんたがこれから、 後の世に、事実となっていくことを作っていく、ということだ、いいか ね、すべては制度になっていく、あんたも制度をつくるんだろう、だ が、あんたには、跳躍し てもらいたい。」

裂坂という右翼の一匹狼の台詞。必要悪としての政治というのは、権力の常 套手段だけど。

「昭和 30年に、わたしはいわゆる保守合同というものをやったのだが、その 制作は新憲法に矛盾して はいなかった。戦前から親しく付き合っていた官僚仲間はわたしを売国奴呼ばわりしたものだ、わたしは戦前、革新官僚を代表して、自由経済より、国家統制をえら んだからね……無理なのだ、日本には、自由経済は無理なのだ、本当の 自由経済を行なうためには膨大なストックと、信用制度が必要だ、日本 にはない、わたしは 60年代に大平正芳が通産省で民間主導などとたわ言を言っていた時に、こんなことを予想していたような気がするのだ、日本は統制経済でしかアメリカとは戦えな い」

冬二をかくまう、老政治家の台詞。これにはモデルあるのかもしれないが不 明。

「暴力を 肯定するのですか?」
「肯定する、なぜなら、暴力を一切排除した上で解決できることなど、 現在なにも存在しないからです、対立した価値観、対立した利害を調停 できる言葉などもう世 界中どこを捜しても残っていないではありませんか」
俺がそう答えた時、NHKの記者はとても寂しそうな表情になった。
「民主主義は疲労困憊している」


冬二のインタビューのやりとり。このときすでに冬二は次の行動を用意して いる。

「狩猟社 は、かねて、日本政府の対アメリカ従属政策を強く批判してきました、 国民のみなさん、アメ リカは救世主などではありません、アメリカ議会は、1985年のシーレーン共同防衛監視決議依頼、87年には在日米軍の地位協定の改定決議、88年には金融の 自由化監視決議、そして去年は対日穀物戦略の承認決議と、内政干渉な どという事態を超えた圧力をかけてきております」

反米は作者の本音でもあるだろう。地位協定の勉強しなくては。

飛駒は得 意そうにいう。
「情報のない人間は、情報があればどんなものでもそれにとびつく、そ れだけです、日本は特に、どんなデタラメでも国際的なデタラメだった ら本当にちょろいです よね」

冬二の若いブレーンの台詞。なかなかうがった発言である。

「今まで に世界を支配した国は、エジプト、イタリア、ギリシャ、スペイン、ポ ルトガル、イギリス、 アメリカ、そんなもんだろ? で、例えば進化の過程でも、周囲の環境に適合しすぎた奴はもうそれっきりになっちゃうのと同じでさ、その価値観が世界を支配す るっていうのはぴったりと環境にマッチするってことだからね、その価 値観が世界を支配するっていうのはぴったりと環境にマッチするってこ とだからね」

飛駒は、 膨大な人物のファイル作成も同時に始めていた。全国のデータベース会 社を脅してデータを奪 い、要人に関してはさらに詳細に調べられ、ファイルされた。
9ヶ月後には全国民の3分の1のフィリングが完了すると飛駒は豪語し ていた。このリストは、政権奪取後の狩猟社に対する抵抗を不可能にし てしまうはずだ。その ファイルには、現住所・電話番号・出生地・戸籍、家族・親族関係・家庭生活に関する全記録に始まって、結婚歴・離婚歴、学歴、学業成績、職歴、職種・地位・団 体加入の有無など社会的地位及び活動に関する全記録、年間収入・財産 状態・信用・納税額などの経済記録、公的扶助受給の有無、精神病を含 む病歴、身体の障害な どの記録、趣味・嗜好、支持政党・宗教、交通事故・犯罪に関する記録が含まれる。
このファイルはもちろん「クロマニヨン」にもラインでつながってい て、狩猟社に対した批判、抵抗を示した者・団体は、以前よりもはるか に早い段階で潰されてし まう。      


マイナンバーカードの究極の目標ってこんなもんだろう。        

私はこの 作品でシステムそのものと、そのシステムに抗する人間を描こうとした が、それは大変な作業 で、困難の連続だった。
私には自分でもわからないのだがシステムへの憎悪といったものがあ り、これまでの作品でもそのことは必ずメインテーマとなってきた。
そして、本書でついにシステムを全面的に支え、ある時にはシステムそ のものとなる経済と出会ったのである。(あとがき)


村上は当時経済の勉強もかなりしたらしい(^_^;)

【秋 山道男 編集の発明家】 赤田祐一編 ★★★☆☆   スペクテイター Spectator//VOL.46(2020EXCITING ISSUE)//幻冬舎(発売)
伝説の編集者というべきか、実は名前すら知らずにいたのだが、なかなかす ごい人のようだ。
Morris.とほぼ同世代である。見開きの年表から略年表作ってみた。  

1948 千葉県松戸市生れ
1965 水道橋の都立工芸高校デザイン科入学 同じクラスに南伸坊
1967 工芸高校卒業 若松プロにスカウトされる
1969 映画製作を通じて上杉清文と出会う
1971 高円寺の印刷屋に間借りして「無限會社 面白商會」設立
1972 若松プロを離れ、マッチラベルデザイナー、アングラ演劇 AD、花屋・米屋・乾物屋店員、クイズ作家、装丁家、ぬいぐるみアク ター、テキ屋ほか"何で も屋"荒戸源次郎と出会う
1973 荒戸主宰の劇団「天象儀館」に参加
1976 「妖精文庫」の装丁
1978 「秋山道男オフィス」スーパーエディターを名乗る
1979 「熱中なんでもブック」(西友子供向けPR誌)
1980 西友のスーパープランニング
1983 「無印良品」一号店立ち上げ時の宣伝担当
1985 アイドル誌「活人」(毎日新聞社) 「高級芸術家協会」南 伸坊、上杉清文、末井昭ほか
1986 社名を「スコブルコンプレックス會社」に。雑誌「スコブ ル」計画(未刊)
1996 映画「ファザーファッカー」出演 NHK大河ドラマ「秀 吉」出演
1998 NHK朝ドラ「天うらら」出演
2007 映画「東京タワー」企画・PD
2010 前立腺がん見つかる フリーランスに
2018 9月19日自宅で永眠 享年六十九。


「スコブ ル」が活け録りたいのは、<破格な生の輝き。生きざま、生きが い、生きこな し>。<ヒトとモノ・コト・ヒト・トキとの愛のある快楽>。<おだやかな生活に潜む怒涛の福音>。破格な人物のパーソナルバ リュー(個人的価値観、個々の感動)が読者にとっての感動となり、そ れらの「細部の輝き」が共鳴・交感することによって、「スコブル」独 特のスペクタクルは産 まれるのです。
「スコブル」は、破格な個人の「我が真実の価値」、「我が内なる流 行」、「我が人生の大好物」の大集積となるため、ついついその人物の ホントーの姿がホコロビ 出てしまう。人物の未知の部分であり、中々うかがい知ることのできない人間的な存在感(肌ざわり、艶&色気、センス、感情、生きざま、呼吸& 血脈)を新発見できてしまう。いわば編集の発明ともいうべき人間性暴 露誌「スコブル」。
スコブル痛快な、心打つ、すぐれた、耳寄りな、よろこばしい、かっこ いい、気になる、必要な、恋しい、尊い、めずらしい、けだかい、ここ ろよい、のん気な、希 望のある、甘美な、セクシーな、信じられる、暗い(けど胸にくる)、痛々しい(けど目が離せない)、せつない、みずみずしい、かわいい、悠然とした、不敵な、 だらしない、しがない、残酷な、開かれた、懐かしい、得する、ハマ る、使える、ありがたい、親密な……ヒト・コト・ヒト・トキ。
「スコブル」。それは、つまり、
21世紀へと持ち運ぶに値する20世紀のネタは、すべてココに集る!
ということになり、これはもう、スコブルお値打ちな一冊!
愉快な生き方の見本、破格な人生の手本。「スコブル」
ヒトとモノとの愛のある快楽。「スコブル」
世に先駆けて福を呼ぶ。「スコブル」
(さあ、もういいから、愉快な生き方を掴み、破格な人生を送ろ う!!! (1986 未刊誌「スコブル」企画書より)


「スコブル」というのは宮武外骨の雑誌の一つである。秋山は外骨が好き だったらしい。それにしてもこの企画書の熱量は尋常ではない。

--秋山 さんは、評論家平岡正明氏と同じ共同墓地に眠っているんですね。上杉 清文さんのお寺にあ る。
南伸坊 「大衆墓場」って言ってたね。頭がシャレの構造になってるん だろう。(2020/03/15)

いいなあ、大衆墓場(^_^)/

--「熱 中なんでもブック」の傑作付録"へっ ちゃら御守"は、秋山さんに相談されましたか。
上杉清文 急に頼まれて、私が作ったんですね。「ちょっと描いてみて ください」って言われて、私と秋山さんが具体的に文字や記号や絵を書 いて、それを奥村靫正 さんがデザインしたんですよ。
--いろんな効能をミックスしてある、史上最強の御守ですね
上杉 一番効くやつがいい、とか言ってました(笑) 秋山さんってそ ういうこと言うからね。(2020/03/06)

この「へっちゃら御守」は本誌にも再録してあった。最近コピー機能付きの モノクロプリンタ-買ったばかりなので、色紙にコピーしてベッドの横の壁 に貼っておいた。 これでMorris.も「へっちゃら」である\(^o^)/

秋山道男  なにはともあれ、われわれはモテなければならない。だって、ぼくら は「ねじ巻き」なんだ から。みんなの心にねじを巻く。気持よくさせちゃう。世の中にねじを巻く。ねじを巻くと、動き出す。元気に動き出す。それが面白い。それをしたい。えーと、い つまでもここで、しゃべってんのも何だから、ぼ、ぼく、それをしにい きます。仕事しに。(「コピー・パワー2」198)

これはインタビューに見せかけた秋山の作文らしい。吃音の傾向も本当に あったらしい。

悲しいこ ともありました。苦しいこともありました。そんなとき、ふと口をつい て出る歌謡曲の一 節……在日日本人の心の夜空に驀進する銀河鉄道哀愁列車! 戦後昭和市の激流の中に、砂漠のような東京で、傷だらけの人生は、こまっちゃうナ、といった感じ の、君たちがいて僕がいた。歌謡曲は、人生のホンダラ行進曲なのだ。 (1978「ウィークエンドスーパー」1978年2月号の歌謡曲特 集"それゆけ! 日本  歌謡曲"の秋山の企画書より)

同時代人にはよく分かる。
【中 古典のすすめ】斎藤美奈子 ★★★☆  紀伊國屋書店 初出 「scripta」2006-2020
去年読んだ「日 本の同時代小説」(岩波新書)と少しかぶるところのある一冊 だが、こちらはちょっと物足りないところがあった。
「中古典」は古典未満の中途半端に古いベストセラーを指す、美奈子さんの 造語らしい。Morris.は基本的にベストセラーは読まないということ にしていたので、 本書で取り上げられた48冊のうち、読んだことのあるのはほぼ3分の1くらい。
本書の特徴というか見どころは、それぞれの著作に「名作度」「使える度」 で★の数で採点していることだ。初出は★5つ採点だったのが、本書では ★3つの採点で、そ れでもなかなか思い切った企画だと思う。
[名作度]★★★-すでに古典の領域 ★★-知る人ぞ知る古典の補欠  ★-名作の名に値せず
[使える度]★★★-いまも十分読む価値あり ★★-暇なら読んで損はな い ★-無理して読む必要なし

両方とも★★★ イチ押し本\(^o^)/ 太字はMorris.が読ん だ本
住井すゑ 「橋 のない川」 山本茂実「あゝ野麦峠」  北杜夫「ど くとるマンボウ青春記」  鎌田慧「自動車絶望工 場」 灰谷健次郎「兎 の 眼」 橋本治「桃尻娘」 堀江邦夫「原発ジ プシー」  森村 誠一「悪 魔の飽食」 黒柳徹子「窓 ぎわ のトットちゃん」 

両方とも★ ほとんど読む価値のない本(>_<) 大文字は Morris.が読んだ本
遠藤周作 「わたしが捨てた女」 中根千枝「タテ社会の人間関係」 イザヤ・ベ ンダサン「日 本 人とユダヤ人」 土居健郎「「甘 え」の構造」 井上ひさし 「青 葉繁れる」 小池真理 子「知的悪女のすすめ」 鈴木健二「気くばりのすす め」 渡辺淳一「ひとひらの雪」 盛田昭夫・石原慎太郎「「NO」と言える日本」 中野孝次「清 貧の思想」   

「橋のな い川」は文壇ではあまり話題にされてこなかった。西光万吉が戦争協力 に走ったこと、今井正 監督の手で映画化された「橋のない川」第二部(1970)に差別 映画のレッテルが貼られたことなど、背景には部落解放運動をめぐる事情がからんでいたらしい。作品そのものには関係ない話しである。
特に中高生はみんな読んだほうがいいと私は思う。2016年、障害者 差別解消法やヘイトスピーチ対策法とともに部落差別快勝推進法が施行 されたのはなぜか。今 日も 差別が解消されていないからである。差別への感受性が鈍っている時代にこそ効くストレートパンチ。「橋のない川」はそういう小説だ。(「橋のない川」)


前から読まねばと思いつつ、7冊本というのにびびってた。やっと去年読了 して、読んで良かった(^_^;)

私自身、 何度も読みかけては挫折した。なので、本書は第四章「「である」こと と「する」こと」から 逆順に読むのが完読するコツなのだ。
<日本国憲法十二条「この「憲法が国民に保障する自由及び権利 は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならないと記され ている。この規定は基 本的 人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法だい九十七条の宣言と対応しておりまして、自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向って 投射したものだといえるのです。つまり、この憲法の規定を若干読みか えてみますと、「国民はいまや主権者となった。しかし主権者であるこ とに安住して、その権 利の 行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっているわけなのです>(丸山真男「日本 の思想」)


これもいちおう読了したのだが、第四章すら、理解できたとは言いがたい (>_<)

「どくと るマンボウ」シリーズは、内容的に見れば私小説に近い。私小説と自伝 的エッセイとのちがい は、対象にする向き合い方の違いである。うっかり思弁的、文学的 な表現をしてしまった後は、「なーんちゃって」とでもいうように、あわててバカ話をし、笑いに逃げこまずにいられない。こういうのを韜晦、あるいは諧謔というのだ ね。(「どくとるマンボウ青春記」)

どくとるマンボウシリーズはほとんど読破した(中高時代に)のではなかろ うか。一冊挙げるなら「どくとるマンボウ昆虫記」である。

悪いが私 の感想は、あなたが「甘え」の構造じゃ、であった。論旨は不明瞭。あ ちこちに話が飛ぶ。思 いつきの域を出ない。文章がまどろっこしい。
「甘え」とは、親子、夫婦、師弟、親しい友人同士など、二者の関係の 中で一方が他方に(あるいは相互に)精神的に依存するような関係をい う。それすなわち好意 があ ればこそ成り立つ関係であり、「甘ったれ」や「甘やかし」とは異なる。大和魂も天皇制イデオロギーもその意味では「甘え」である。以上が本書のざっとした主張であ る。
日本は慣れ合い社会である、の一言ですむ話だと思いますけどね。
日本人論とはそもそも「こじつけ芸」みたいなものである。正しいかど うかではなく、おもしろいかどうか、だまされるかどうかで判断すべき 物件といえる。日本人 論も 若者論もたいして約には立たないという例証だろう。(「「甘え」の構造)

うーーん、、Morris.はやはり高校時代に読んで、ほとんど信奉者み たいになってた。「日本は慣れ合い社会」「こじつけ 芸」……Morris.は見事に騙され れたようだ。これって「甘え」というより、Morris.の「読みが甘」かったということか。

当時のト ヨタは見習工を「臨時工」、季節工を「機関工」、実習生を「養成 工」、未成年を「赤線」と 呼んでいた。本工である正社員以外に、労働者感に身分制度を設 け、賃金を低く抑えることがトヨタ式の合理的な経営だった。過労で倒れた同僚は何の保障もなくクビになる。労災による死亡事故が起きても、<重大災害が発生 して遺憾に思う>という社長声明と、<ご冥福を祈りま す>という労組のメッセージが掲示板に張り出されるだけ。『蟹 工船』式のドラマは起き ず、 来る日も来る日も、単純反復労働と人間性を剥奪された日々が続く。
1972年は、田中角栄内閣が誕生し、ときならぬ列島改造論に日本中 が湧いていた頃である。当代随一の花型企業の裏を暴いたレポートは、 経済大国への道を歩み つつ ある日本の産業界に冷水を浴びせたのである。
いま振り返ると、潜入ルポは想像以上にハードルが高い仕事だったの だ。同じ方法論で書かれた本は多いとはいえず、最近では横田増生『ユ ニクロ潜入一年』 (2017)が目立つ程度。大企業を敵に回す仕事は、リスクも引き受けることを意味する。(「自動車絶望工場」「)

名著のほまれ高い一冊で、いろんな本がこの本を褒めて、引用も多いので、 ついつい読まないで読んだような気になってた。「潜入ルポ」なんて簡単に 言っても、実行す るのは大変である。そして美奈子さんの言うように、大企業、大組織、公的機関、政治団体、宗教団体などとなると、ルポライターのリスクは計り知れない。報復、制 裁、ヘタしたら粛清の対象にもなりかねない。読者の側もその点を肝に銘じ ておかねば。

彼女は自 分の手で書くことにこだわった。アイドルとしての過去と決別すること で「永遠のアイドル」 になった山口百恵。『蒼い時』は意外にも「闘いの書」であった。 内容に保守的な部分が含まれているとしても、自身が求められてきた象に完全と立ち向かう姿勢はアグレッシブというほかない。(山口百恵「蒼い時」)

「菩薩の自伝」いまさらながら読んでみようかな。

隊長の石 井四郎はじめ、731部隊の隊員は、戦後、一切の責任を問われること なく、医学界や製薬業 界、あるいは自衛隊に復帰した。GHQに人体実験データを渡すこ とと引き替えに、彼らが戦争責任を免れたことは、後に常石敬一『七三一舞台--生物へ来犯罪の真実』(1995)や青木冨貴子『731』(2005)が明らかにし ている。731部隊は軍医、医学者、研究者などの軍属で構成されてお り、慢性的な人手不足を補うために、内地からスカウトした優秀な少年 たちに教育を施す「少 年隊 員」の制度も設けられていた。『悪魔の飽食』の発表時には、こうした事実を知る人がまだ相当数、存命だった。だからこど、本書の取材は可能に成った。しかしまた、 だからこそ、攻撃の標的にもされたのではなかっただろうか。「あの本 を潰せ」くらいの指令がどこからか出ていたとしても不思議ではない。
731部隊の研究はその後さらに進み、「NHKスペシャル・731部 隊の真実--エリート医学者と人体実験」(2017・08・13)な どにその一部が反映さ れて いる。2018年には、国立公文書館に保管されていた731部隊員3600人余の指名と階級が公表された。唯一残る最大の問題は、今日にいたるまで、この事実を日 本政府が公式に認めていないことである。その意味でも『悪魔の飽食』 の歴史的役割はまだ終わっていないのである。(「悪魔の飽食)


これは、ほぼリアルタイムで読んだはずで、それなりに強い印象を受けた。 昨年コミスタこうべ図書室で見つけて、再読した。人体実験、細菌戦、化学 兵器……個々の行 為も問題だが、組織としての詳細は未だに未公開だし、政府も隠蔽してるふしがある。

『窓ぎわ のトットちゃん』は大人になった著者が、子どものころの自分と自分を 肯定してくれた環境 を、最大限の愛情をもって描き出した本である。小林校長がトット ちゃんを肯定し、受け入れたのと同じように、著者も過去の自分を肯定し、受け入れる。だからこの本には一切の反省がない。校内暴力などで学校が荒れた時代に生まれ た、楽園のような学校の物語。すべてを肯定する物語は、すべての人を 勇気づける。だから本書は世界中で受け入れられたのだ。(「窓ぎわの トットちゃん」)

ベストセラーは読まないというのを、読書の決まりにしてたので、この本も 読まずにいて、やっぱりコミスタこうべで見つけて、初めて読んだ。なんて 面白くて、素敵 で、個性的なんだろう。多くの人が世界中で愛読されたのも納得できる……と手放しで褒めるのも一種のノスタルジーなのだろう。

この本は きわめて周到に、戦略的に書かれているのである。本書の三原則を列挙 すれば、こうなるだろ う。
1.自慢と自虐はワンセット。
2.悪口はヒガミやネタミとともに。
3.視点は常に低いほうに置く。(林真理子「ルンルンを買っておうち に帰ろう」)


今や、紫綬褒章受勲されて、日本文藝家協会理事長とのこと。 Morris.は浅丘ルリ子を描いた「Ruriko」しか読んでない。

「清貧の 思想」に、その後の経済政策と合致する点があるからだ。90年代後半 以降の政府は、「財政 の健全化」をうたって緊縮経済路線に舵を切り、とりわけ2001 年に発足した小泉純一郎政権は、構造改革、規制緩和、小さな政府などを標榜する新自由主義経済への道を走り出した。緊縮財政とは「節約の美徳」の国家版にほかなら ない。自分で自分の首を絞めるとも知らず、多くの人が緊縮財政を支持 したのは、「清貧の思想」に染まっていたせいではないか。あるいは政 府が国民の「清貧の思 想」 につけ込んだのか。
<日本人は今とかく金銭欲、物欲、所有欲の権化のように見られ がちでありますけれども、日本文化はもtもとはそういう欲望とまった く無縁な、むしろそれ らの 欲望の否定の上に成立って来たものだったのです>。こういう思想は、為政者に利用されやすいのであれう。戦時中の「贅沢は敵だ」がそうだったでしょ。貧困を 「自己責任」に期する現代もそう。
ああ、麗しき清貧。でもやっぱ、それって「持てる時代」「持てる者」 の寝言よね。(「清貧の思想」)

これも★一つなのだが、タイトルに惹かれて読んだ覚えがある。内容は完全 に記憶の外だが、「清貧」とうい言葉にも騙されていたらしい。

2011 年の東日本大震災と福島第一原発の事故は、人々の意識を変え、本の読 み方も変えた。 2020年はおそらく、新型コロナウイルス感染症(COVID-19) の都市として記憶されるはずである。世界中が未知のウイルスを前に、 都市を封鎖し、交通を遮断し、経済活動をストップさせた。そんな状況 の中で注目を集めたのが、 カミュ『ペスト』(1974)であり、デフォー『ペストの記憶』(1722)であり、小松左京『復活の日』(1964)であり、ボッカチオ『デカメロン』 (1353)である。たとえ大震災に見舞われても、疫病が世界を覆い 尽くしても、人は何かしら古典や中古典を探し出して読む。それが人類 の健全な営みってものであ る。(あとがき)

「ペスト」は今年になって読んだ。ペストとコロナはかなり違う、というの が感想(^_^;)

【忖 度しません】斎藤美奈子 ★★★☆☆  2020/09/220 筑摩書房 初出PR誌「ちくま」 2015-17
美奈子さんの社会時評めいたものは数冊読んできた。専門分野の書評や 読書案内に比べると、いくらかぎこちなさも目立つがその姿勢には共感 するところが多い。本書で は、社会の問題を絞って、問題提起や解決に繋がると思われる書物を紹介しながら、持論も開陳するという形をとっている。

< 東京の場末の町で生まれ育った者にとって、「反インテリ志向」 は、あらかじめの宿命として 気が付くとビルトインされている「天質」のようなもの>と語る小田嶋隆は「ヤンキー」なる語を無自覚に振り回すインテリ層を痛烈に批判し、<反知 性主義をめぐる議論は、知性云々を軸にした対立であるよりは「分 断」のストーリーなのだと思っている>と書く。それは学歴 や偏差値や戦後民主主義とうい 名の「優等生思想」によってもたらされる分断なのだと。
反知性主義(今日の意味での)を批判するインテリ層は、まず自分 の胸に手をあてて、知性や教養が嫌われた理由を真摯に考えるべき ではあるまいか<反知性 主義に対抗するために重要なのは、知性を復権することだ。それは主に読書によってなされる>(「知性とは何か」佐藤優)>などと説いたところで、 状況を変える足しになるとは、正直、とても思えない。(「反知性 主義」を批判するあなたの知性 2015.9)


反知性主義に関してはア・ピース・オブ警句で小田嶋隆の論じ方に共感 を覚えていたMorris.なので美奈子さんが彼の意見をそれなりに 評価しているのは嬉しかっ た(^_^;) 佐藤優への手厳しい牽制球にも(^_^;)

蓮池 透「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」。かつ て「家族会」の事務長を務めて いた、あの「蓮池兄」の著書である。身も蓋もない糾弾調のタイトル。あまり期待せずに読みはじめたのだが、これがめちゃくちゃおもしろい。私はかつて蓮池兄が 大嫌いだったが、その理由もよーくわかった。それは蓮池透のキャ ラクターというより彼の利用のされ方によるものだったのだ。
<いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用 されてきた。その典型例は、実は安部首相によるものなのである。 まず、北朝鮮を悪として偏狭な ナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思考を持つ人々から支持を得てきた。アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史のなかで、唯一「被害国と主張でき るのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用して きた。しかし、そうした「愛国者」は、果たして本当に拉致問題が 解決したほうがいいと考えてい るのだろうか?>。
家族会が発足したのは1997年。が、メンバーは高齢者が中心 で、活動に不慣れ。そこに現れたのが「救う会」だった。佐藤勝巳 を中心とした支援組織で、煩雑な 事務作業を無償サポートするという。
「救う会」の佐藤勝巳は、もともとは西岡力らとともに「現代コリ ア研究所」という民間団体を主宰していた人物である。青木理 が<反金正日政権のイデオ ローグ>と呼ぶように、彼らの主張はトンデモ右翼の妄想に誓いものだが、「家族会」は佐藤らに急激に感化されていき、連盟のアピールも「右ブレ」して いった。<佐藤氏を「救う会」のトップにしたのは間違い だった。あの連中は、拉致問題や[家族会」をくいものにしたんで す><要するに佐藤 氏と西岡氏は『拉致イベント屋』なんです>
そして蓮池は書く。<拉致問題を最も巧みに利用した国会議 員は、やはり安倍晋三氏だと思っている。拉致問題を梃にして総理 大臣にまで上り詰めたの だ>。
佐藤ら反北朝鮮のイデオローグ率いる「救う会」と「家族会」が反 北朝鮮ムードを先導し、彼らが熱烈に支持した安倍の人氣が高ま り、<冷静で合理的な視座 をなぎ倒したナショナリズムと評すべき感情が拡散し、それtが安倍という若き政治家を宰相の座にまで押し上げた>(「ルポ 拉致と人々」青木理)。(誰 が北朝鮮をねじ曲げたのか 2016.4)


拉致問題に対する日本政府のやり方には、疑問だらけだったが、安倍元 総理がこの問題を利用しまくったのはまちがいなさそうだ。青木理の 「ルポ 拉致と人々」は必読 である。
佐藤勝巳の名前は、関川夏央の「人間臨終図巻」にも出てた。ロクなも んじゃなさそうだ。

野 党、特に左派リベラル陣営の戦い方に、じつをいうと、私はだいぶ 前からウンザリしているのであ る。
選挙のたびに彼らはいう。ここで勝たなきゃ日本は終わりだ! だ けど、結局負けるよね。なのに敗因を真摯に検証するでもなく、政 府与党の悪口に明け暮れて、や がて次の選挙がくる。と、また「今度こそ勝たなきゃ日本はおしまいだ」という。で、また負ける。
作戦がないんだもん。勝てるわけがないのだ。希望的観測で「次こ そ勝つ」という幻想にすがり、精神論をブチ上げるだけ。これでは まるで旧日本軍ではないか。 (だからリベラルは負けるんです2016.7)


衆院総選挙が近づいている今日このごろ、美奈子さんと同じ思いを持っ て、うんざりしているのはMorris.も同じである。どーせ負ける んです (>_<)

東京 五輪を結果的に「成功」に導くのは、手放しの礼賛派ではなく「ど うせやるなら」派だろうという のだ。この人たちは<初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ 整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコス トを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできない と結論づけて、むしろそれまで かかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する>。(「反東京オリンピック宣言」あとがき小笠原博毅)
五輪をめぐる状況は、すでに言論統制も産んでもいる。13年の 夏、全国紙に五輪開催反対論を書いたところ、定期的に仕事をして いた媒体から原稿依頼が一切来な くなという裏話を、小笠原は明かしている。当時はまさか四大全国紙すべてが、五輪の協賛企業になるとは思っていなかった、と。これを大政翼賛と呼ばずして、な んと呼んだらいいのだろう。(呪われた東京五輪はアンコントロー ラブル 2016.10)

そのオリンピックも先日終わってしまった。マスコミの五輪偏重報 道は目を覆うばかりだったし、選手村やボランティアや警備などの 感染も相当なものだった。パラ リンピックは中止になるというMorris.の予想もハズレてしまった(>_<)

中曽根が新右派転換への第一歩を踏み出し、小沢が明確なビジョン を示し、橋本が官邸主導型政治のしくみをつくる。
--こうしてみると、2000年以降に小泉や安倍が大暴れするた めのお膳立ては、90年代までにほぼ整っていたってことだ!
「新自由主義」と「国家主義」は、<利己的な行動に倫理的 なお墨付きを与えることから、とりわけ強者にとって開放的な側面 を持つ>点で親和性が高 い、と中野晃一はいう。また、新自由主義経済の受益者(グローバル企業のパワーエリート(世襲政治家や高級官僚)の」利害は一致する。「自由な経済」と「強い 国家」は相反するように見えて、じつは相性がよいのである。
政治の右傾化は日本のみならず、冷戦終結後の世界的な傾向だっ た。アメリカも韓国も中国も。<対共産主義の勝利に酔いし れた自由民主主義が、ライバルを 失い独善に陥り、瞬く間に劣化していったかのようであった>と中野は嘆く。彼がいう「新右派転換的」な政策は「改革」と呼ばれ、メディアがなべてこれを 支持したことも見逃せない。(戦後日本の右旋回はいつ起きたのか  2015.12)

「右傾化する日本政治」(中野晃一)は、現在読書中である。

保阪 正康は<院外闘争が日本の歴史上かつてみられないほど高 まった>理由は、< 結局は岸首相の体質や肌合いに対する国民の怒り>だったと述べている。また大井浩一は、A級戦犯である岸信介が政権をとっている点だけとっても< その後はパターン化し、次第にマンネリ化していく「戦前の再帰」 論も、「60年安保」の時点においては実質的な効力を持ってい た>と述べる。戦前を想起 させる岸信介への嫌悪は、相当強かったのである。
で、2015年。岸信介の孫によって強行された集団的自衛権の行 使容認(2014)と、それを前提とした安保法制案。首相個人へ の強い反発。国会前に集結した 人の波。60年安保との類似が見つかる反面、違いも大きい。(今こそ知りたい「60年安保」 2016.1)


60年安保の頃Morris.は11歳だった。「アンポハンタ イ!!」のシュプレヒコールは、九州の片田舎の小学生だった Morris.の耳にも残っている。

野中 広務も村山富市も、裏で小沢一郎が音頭を取り、細川内閣が熱心に 推進した小選挙区制には反対 だった。
<小選挙区になれば、51が生き残り、49がつぶされる。 そうすると、中選挙区のようにそれぞれ多様な国民の意思が反映さ れない。(略)民主主義の議会 を構成するのに、そんな制度で民意が封殺されるのは良くない><しかも世襲制度をより長く、強くしていく。そう思いましたね>と野中はい い、村山は次のように述懐する。<小選挙区制は社会党には 不利だということも分かっていたから党内は反対が強かっ た>。しかし、小選挙区制に反対 する勢力には「守旧派」のレッテルが貼られ、マスコミもそれに同調した。そいして93年7月の総選挙後(社会党は細川政権に参画する前提として「小選挙区」を 呑まされた>あげく、<できるだけ比例代表の定数を 増やすことが目標となった>のだと。
そうだった。あのときは小選挙区制が「善」だったのである。(政 治家の回想録が語る、永田町の90年代 2017.8)


小選挙区は諸悪の元(>_<)

中村 政則は「坂の上の雲」を「安心(コンフォータブル)史観」をベー スにしたエンターテインメント だという。それは<高度経済成長の社会的背景もあってか中堅サラリーマンや中小企業経営者の間で圧倒的な人気を博し、「日本もすてたものではない」とい う安心感をあたえた>が、半面、大きなマイナスも伴った。 第一に歴史の暗部(暗い話、残酷な話、戦争犯罪や植民地差別など の問題)を避けて、史実の悪用 や曲解を招いたこと。第二に、軍事技術の先進・後進を進歩の程度を測る基準としたために、新技術を作り得ない民族や国民を「遅れている」とみなしたこと。加え て、戦争の犠牲者である民衆の姿もほとん視野にははいっていな い。
司馬史観の限界を中村は問う。司馬史観の最大の特徴は「明るい明 治」と「暗い昭和」のちう二項対立。さらにはその分岐点は日露戦 争だとして、日露戦争までの 40年は上り坂、日露戦争から後の40ねんは下り坂としている点である。その「単純な二項対立史観」が最大の問題だと彼はいう。「40年サイクル説」が日清戦 争の評価を謝らせ、日本の近代史上、もっともリベラルだった大正 期を欠落させたのではなかったか。
この話はものすごく腑に落ちる。「上り坂/下り坂」史観には私も 毒されているからな。(明治150年と「司馬史観」の罪  2018.2)


Morris.もこのコンフォータブル感に乗せられて、司馬の長編小 説のほとんどを(夢中で)読了している(^_^;)
               
北海 道の歴史はちがう(カッコ内はいわゆる日本史)
縄文時代(縄文時代)→続縄文時代(弥生・古墳・飛鳥時代)→擦 文時代(奈良・平安時代)→アイヌ文化時代(鎌倉・室町・安土桃 山・江戸時代)→明治時代(ア イヌ民族は「未開の民」だったのか 2017.7)


先日E-テレの「バリバラ」2.4時間特集で、アイヌの特集があっ た。葉真中顕の「凍てつく太陽」は読まねば。「バリバラ」はとんでも なくすごい番組である。パラ リンピック見るより100倍障害者のことがわかる。

禁教 時代のキリスト教徒はこれまで一般に「隠れキリシタン」と呼ばれ てきた。しかし、禁教が解かれ た後も、というか現在でも、「隠れキリシタン」の信仰は九州の一部で受け継がれている。そこで両者を区別すべく、禁教時代のキリシタンを「潜伏キリシタン」 と、現在まで残った宗教を「かくれキリシタン」と呼ぶのが一般化 しつつある。
2018年2月に発行された宮崎賢太郎「潜伏キリシタンは何を信 じていたのか」は、夢とロマンに包まれた従来のキリシタン像は幻 想にすぎないと退け る。<キリスト教がどのような宗教であるか説いてくれるひとりn指導者もいない悪条件下で、仏教や神道が偽りの宗教であり、キリスト教以外に救いはない とはっきり理解できていたのであろうか>。
まず、キリシタンの急増期、なぜ短期間に多くの日本人が改宗した のか。多神教の世界に生きる日本児がいきなり一神教に改宗できる はずもない。結論からいう と<従来の神仏信仰の上に、さらにキリシタンという信仰要素をひとつ付け加えたにすぎなかった>。
キリシタン大名の主な改宗の目的は南蛮貿易だった。(世界遺産登 録の裏でゆれる長崎キリシタン論争 2018.6)


八百万の神のいる日本では、キリストもマリアも新参の神さんの一人で しかなかった??

今日 の感染症流行の最大の原因は、人口の増加と大量輸送を背景とした グローバル化の進行である。
<医療体制が充実し、衛生環境が行き届いている先進諸国で あっても、ウイルスの危険と無縁ではいられない>と、岡田 晴恵は警告する。<むし ろ、人口の過密、高速大量輸送を背景とし不特定多数の人々が集まっては離散する都市の特性が、感染症に対するリスクを高めている。>(人類の感染症史と 新型ウイルス  2020.4)
付記:20年8月11日現在新型コロナウイルスの世界での感染者 数は累計で約2千9万人、死者は約74万人、国内の感染者は約5 万人、死者は1053人であ る。

*2021年8月11日現在の世界での感染者数は約2億4百万人、死 者約432万人、国内感染者数約約107万人、死者数約1万5千人。
【木 工少女】濱野京子 ★★★☆☆  2011/03/14  講談社 
濱野京子 熊本県生れ、東京で育つ。「フュージョン」(BBY賞)、 「トーキョー・クロスロード」(坪田譲治賞)「その角を曲がれば」 「レッドシャイン」「アギー の祈り」

灘図書館で児童図書の棚の横を通り過ぎる時、ふとタイトルが目につい て手にとった。主人公は小6の女の子だが、内容的にはYA図書になる のだろう。なかなかおもし ろかった。

わた し、当年とって十二歳、立石美樂は高校に住んでいる。峯川村銀の 星高校、略して銀高。山奥にあ る高校だ。銀高は日本でも絶滅危惧種に指定されている「村立」の全寮制高校で、職員宿舎も高校の敷地内にある。この春、銀高の英語教師になったオヤジと二人で 引っ越してきた。それで、高校に住んでいるというわけだ。

ヒロインの自己紹介。

「人 工林と天然林ってどう違うの?」
「それは、自然のままなのが天然林で、植林してるのが人工林で しょ?」
「じゃあ、原生林は?」
「天然林と原生林の違いはね、木が大きくなっていく段階で、 ちょっと人の手が入ったのが天然林。たとえば、自然に種がまかれ た木だけれど、少し手入れをすると か、あと薪とかにりようするとかね。まったく手が入らないのが原生林」
「ここまで育てるには、いろいろ手をかけなくちゃいけないんだ。 地拵えをして植林、下刈り、除伐、枝打ち、間伐……」
見上げたまま聞く言葉はよくわからなかった。でも、今、いちいち その言葉の意味を聞いて、山田の言葉を中断してはいけないような 気がして、わたしは黙ってい た。
「そうして何十年もたってから伐採をする。樹齢百年なんてものも ある。つまり、おれが山で仕事して、植えた木は、自分で伐採でき ない。そういう仕事なんだ」


林業に進む高校生による植林の説明。小学生向けの説明なのでわかりや すい。

デン さんは、工具の説明を初めからしてくれた。ノコ、カンナ、げんの う(金槌の一種)、差し金。わ たしはそれまで、ノコにいろんな種類があることも知らなかった。オヤジが、前に使ってたことがある、ギザギザが両側についていて先の方に向けて広がっているの は両刃ノコ。そのギザギザの大きさが両サイドでは違うことにも、 気がついていなかった。細かいギザギザは、横挽き歯、粗いほうが 縦挽き歯。縦挽き歯は木目に そって切る時につかう。横挽き歯のほうは、杢目に対して直角や斜めに切る時。
「ねえ、何でノコの歯って、反ってるの」
「よく気がついたな。それを、アサリという。それがあるから、摩 擦が少なくなるし、木くずを出しやすくなる」


デンさんは木工家具や木工品の作家で、ヒロインがここで木工の手ほど きを受ける。というのがタイトルになるわけだが(^_^;)ノコなん か、長いこと使ってない。
少女みたいな担任先生、何でも出来るお嬢様同級生、ヒロインをペット にしている女子高校生など、登場人物がそれぞれユニークで、出来のよ い少女漫画読んだような読 後感。他の作品も読んでみようかな。 

2021067

【善 医の罪】久坂部羊 ★★★✩ 202010/25 文 藝春秋

オランダ人を母にもつ女医白石ルネ が、脳死状態の患者に施した処置が「安楽死」と告発さ れ、彼女をやっかむ医師、看護師、病院、弁 護士、遺族らの思惑で病院を終われ、裁判を闘う、久坂部お得意?の安楽死・尊厳死を問う物語。

ルネがどう答えようかと迷ってい ると、山際は問わず語りに続け た。

「オランダの安楽死法は知ってる と思うが、徹底してるぞ。子ど もでも、十二歳以上なら本人が望めば安楽死ができるんだ。それこそ個人の尊重じゃないか。日本も個人の尊重とか口ではいうが、子どもより親の意見 が通るだろう。逆に患者が高齢のときは、息子や娘の 意向が通る。それが世間の意に沿うからだ。結局、本 人より家族、家族より世間が優先されるん だ」

オ ランダの安楽死法は知らないが^^; Morrisは安楽死には反対ではない。少なくとも無用の延命治療はお断りである。

――日本の紅葉は、世界一だわね。

車椅子に乗ったオルガが、感慨深 げにつぶやいた。治療に未練の あるルネは、盛の紅葉などほとんど眼に入らなかった。

オルガは静かに続けた。

――葉の一枚一枚が、輝いて見える。 末期の眼ね。

はっとした。末期の眼は死にゆく ひとが、見るものを特別美しく 感じることだ。ルネが顔を上げると、あたりの風景が一変した。色の粒子が輝き、葉の輪郭が指で辿れるほどにくっきりと見えた。末期の眼は死にゆく 当人だけでない。周囲の者にも当てはまるのだ。なぜ なら、母と一緒に見る紅葉は、これが確実に最後なの だから。


末 期がんの母親オルガが、治療薬 を拒んで、オランダに里帰りした後、日本に戻ってルネと最後の季節を楽しむ場面。末期の眼が、その場にいる人にも波及するということは信じてもよいと思っ た。

寺崎は用意した文書から目を上 げ、まっすぐに裁判長を見つめて 言った。

「人の死は、神聖かつ厳粛なもの です。人生の総決算であり、締 めくくりであります。形式上の手続きを優先して、非人間的な検査を行ったり、患者の治療に深い関わりのない第三者の合意を調達したりすることが、 ふさわしいとはとても思えません。人の命はかけがえ のないものではありますが、だれしも死を拒絶するこ とはできません。であれば、せめてそれを穏 やかなものにするのが、医師の務めではないでしょうか。それを容認しないとなれば、医師は患者を悲惨な延命治療に導く残忍な案内人にならざるを得 ません。患者と家族と医師自身にとって、こんな過酷 かつ不合理なことがあるでしょうか」

熱意を込めた問いかけに、裁判官 は表情を動かさなかったが、傍 聴席には明らかに共感の空気が広がった。寺崎は静かに言葉を継いだ。

「医療の現場には、常に不確定要 素があり、予測不能な事態も起 こり得ます。特に今回の事例では、抜管後に患者がうめき声をあげるという思いがけない状況が発生し、被告人はその場で必死に考え、可能なかぎり望 ましい処置を施しました。それを結果論的な判断で、 法の枠に当てはめることは、断じて適切とは考えられ ません。あの場面で、いったいだれが、被告 人がとった以上の対応ができたでしょう。被告人の脳裏にあったのは、患者と家族のためによかれという思いだけでした。100%の善意からベストを尽くした被 告人を、殺人罪に問うのはあまりに過酷であり、理不 尽と言わざるをえません。万一、被告人の処 置が殺人罪に当たると判断されたなら、医療現場は大混乱に陥り、適切な治療が行われなくなる危険性も無視できません。被告人および、横川氏の臨終 に関わった医療者に、殺意はもちろん、悪意は皆無で あって、被告人らの行為はすべからく、善意から出た のは明らかであります。以上により、被告人 は無罪であることを、強く主張いたします」

寺崎は陳述を終えたあと、5秒ほど動かず、真摯な目線を裁判 長に向け続けた。厳粛な空気が広がり、傍聴席が静か な感動に包まれるのをルネは感じた。

この弁護士の陳述はそのまま久坂部の 思いなのだろう。Morrisも完全に同意したい。

しかし、この後、歳を越しての判決は

「主文。被告人を懲役三年に処す る。この裁判確定の日から五年 間、その執行を猶予する。訴訟費用は被告人の負担とする」

というものだった。ルネは回りの励ましも あって控訴を決心するが、心の底では、裁判では自分の思いが はたされないだろうことを薄々 気づいている。


【日 本語を楽しむ100の詩】 水内喜久雄 監修 ★★★☆☆  2010/04/08 たんぽぽ出版 
たいとるの通り、言葉遊びの傾向の日本の詩を100篇集めたも の。今日まで連続して紹介してきた。1/4くらいは知ってる作品 で、全く未知の詩人は10人くらい、 歌謡曲やJPOPSの歌詞も10篇くらいあった。
評点は当然好きな詩の点数である。

う つくしい こと ば    まど・みちお

たのしそうに 口にしあっている
--ともだち
という うつくしい ことばを

ともだちで ないものには
しらんぷり しておこうよ
という いみにして……

しみじみ つぶやきあっている
--にくしん
という しみじみした ことばを

あかの たにんなどは
ほっとこうよ
という いみにして……


それにしても、まどみちおさんのこの詩は、やさしい言葉なのに、 とんでもなく鋭(エグ)い。
こういうのを「真綿で首を絞める」というのだろう(^_^;)
都民ファーストとか、ガンバレニッポン!! とか、個人主義も ヒューマニズムも、つまりはエゴイズム。
地球に優しいエコロジーなんてのも、つまりはホモ・サピエンス の"エゴロジー"に過ぎない(>_<)
それでも、夢と希望、愛と真善美を幻視することくらいは許されて ありますように!!

2021066
挨 拶の下手な人に    阪田寛夫

昨夜(ゆうべ)辞書をひいておどろいた
挨(あい)は押し合う
拶(さつ)も押し合う
挨拶とは押し合いへし合いのことだった
ドリトル先生の両頭獣「pushumi-pullyu」を
井伏鱒二氏はオシツオサレツと訳されたが
人類も挨拶をする珍獣か
昔この字を習うとき
手偏に「ム矢三くタ」
むやみに食うから挨拶できない
なんて教わったんだけど
今朝からぼくはおしくらまんじゅう
押されて泣くな、とがんばってる


ワ ルツをどうぞ    阪田寛夫

トラック            つんだった
きしゃ            しゅっぽっぽ
でんしゃ        がったんこ
サーカスだんちょう        じんたった
しょじょじのタヌキ        ぽんぽこぽん
ブンブクチャガマノタヌ キ        ぶんちゃっちゃ
ただのタヌキ        だ・だ・だ
てんてんてんまり        とんでった
おてらのおしょさん        なんまいだ
こうどうかんでは        ずっでんどう
かくれんぼするこ        じゃんけんぽん
ずいずいずっころばし        とっぴんしゃん
かたあしとびで        けんけんぱー
ゆうひのワルツ        まっかっか
きみのさいふは        すっからかん
ネコ            ふんじゃった


最 新かぞえ唄    岩田宏

一つとせ
火と氷とを釜に入れ 釜に入れ
かいまぜたならばどうなるか どうなるか

二つとせ
ふたをとらずにおべんとうの おべんとうの
中身をたべたらえらいひと えらいひと

三つとせ
岬は突き出た陸地です 陸地です
突き出た海なら入江です 入江です

四つとせ
夜は昼より楽しいな 楽しいな
眠ればからなず夢をみる 夢をみる

五つとせ
今は昔のつづきだが つづきだが
昔は今のつづきではない つづきではない

六つとせ
ムアkデの体は足だらけ 足だらけ
ムカデの靴屋は大繁盛 大繁盛

七つとせ
名なしは権兵衛だけだろか だけだろか
トカゲもカラスもカもヘビも カもヘビも

八つとせ
山羊のお乳を人が飲む 人が飲む
人のお乳も人が飲む 人が飲む

九つとせ
こどもはそのうち親になる 親になる
親はこどもにはなれません なれません

十とせ
トウナスとカボチャはおなじ物 おなじ物
ウドンとソバはちがう物 ちがう物

岩田宏81932-2014)は好きな詩人の一人である。小笠原 豊樹名義でSF、ミステリー、ロシア文学、詩集などの翻訳に盟約 が多い。言葉遊びを多用した、自由 な精神に満ち溢れた詩には惹かれた。再読しようと、図書館の蔵書サイトで検索したら、単独の詩集は神戸市の図書館には一冊もないことがわかった (>_<)



音 の歳時記    那珂太郎

一月    しいん

二月    ぴしり

三月    たふたふ

四月    ひらひら

五月    さわさわ

六月    しとしと

七月    ぎよぎよ

八月    かなかなかな

九月    りりりりり

十月    かさこそ 

十一月    さくさく

十二月    しんしん



実はこの詩には、各月ごとに数行の散文詩が付されていたのだ。そ れをとっぱらって、月名とその擬態語や擬音語のみを並列というの は「暴
挙」かもしれない。 しかしこれはこれで、なんとも魅力的な詩作 品になっているとMorris.は思う。



未 という字    秋葉てる代

「否定の意味をもつ字は四つあります。
 非・不・無、そして未。」
国語の時間にならったこと非常識、不可能、無意味
否定されるのは かなしい言葉が多い
でも 四つの中で「未」だけは
どこかちがっている
未来--まだ来ない。でも、いつかきいと来るかもしれない。 (来るだろう)
未知--まだ知らない。でもいつかきっと知るかも知れない。 (知るだろう。)
今はないけど でもいつか
否定しながら どこかに希望を残している
パンドラの箱のような「未」という字
私は今 何ももたないけれど
「未」という字にかけてみよう
未完成な 私の未来に
私は非でも不でも無でもなく
まだ「未」なのだと


* 【日本語を楽しむ100の詩】 水内喜久雄 監修 から



2021065
【院 内刑事(デカ)ザ・パンデミック】濱嘉之 ★★★ 2020/11 /13 講談社文庫:は92-22
濱嘉之(はまよしゆき) 1957年福岡県生れ。中央大学法学部 卒業後、警視庁入省。警備第一課、公安総務課、警備企画課、内閣 情報調査室、少年事件課警視総監賞 など受賞多数。2004年警視庁警視で辞職。2007年「警視庁情報館」でデビュー。「ヒトイチ 警視庁人事一課監察係」「院内刑事(デカ)」シリーズなど。危機 管理コンサルティング、TV ,雑誌のコメンテーター。

「人種とは、現生人類を骨格・皮膚・毛髪・などの形質的特徴 によって区分したものだ。コーカソイド・ネグロイド・モンゴ ロイド・オーストラロイドの四大人種と いう言い方が有力で、肌の色からすれば、黒色人種、白色人種、黄色人種、赤色人種、褐色人種の五種に分類される。近年は軍師人類学の発展により、ミトコンドリ アDNAハプログループ、Y染色体ハプログループといった遺 伝子指標をもって、新たな視点から、従来の形質的人類学的な 人種の形成史が科学的に解明されつつあ るんだよ」

褐色人種というのは初めて聞いた。ネットで調べたら、18,19 世紀の分類の一つで、現在はほとんど使用されてないようだs.該 当するのは南あふりか、北アフリ カ、 西アジア、中央アジア、インド、東南アジア、ポリネシアなどに分布するとされてたらしい。

「Unitede  Nationsのどこから「国際」という誤訳、というより も悪意のある訳が出て きたのか。そもそもUnited Nationsの憲章は1945年6月26日に署名されている。アメリカ合衆国・イギリス・フランス・中華民国・ソビエト連 邦の連合国によるもので、その「連合国」こそUnited  Nationsの正しい翻訳じゃないですか」
「そのとおりだね。私は外務省を一切信用しないことにしてい る」
「悪意ある誤訳をした張本人……というところですか?」
「まさにそうだね。その誤訳が、北方領土がいつまで経っても 日本に変換されない原因になっていることを、未だに国民に隠 し続けている」


たしかに「国際連合」という和訳にはどこか作為的な臭がする。ち なみに「国際連盟」は英語では「League of  Nations」だった。

「若 者の言葉の乱れは平安時代からすでに言われていたようです が、このヤバイも現代の言葉の乱れの 最たるものだと思います」
ヤバイは盗人などの隠語である。「やば」の形容詞化で、牢屋 そのものや看守を意味する「厄場(やば)」から、これにかか わってしまうような危険な状況等を示 す。


若者が、「すごい、すばらしい」の意味で「やばい」を連発つする のをたしなめる主人公の台詞。「厄場=やば」というのは、眉唾っ ぽいけど。

「警 視庁と警察はどう違うのですか?」
「警視庁というのは東京都警察、神奈川県警と同じです」
「どうして警視庁だけ呼び名が違うのですか?」
「警察組織の要である警察庁という組織が全国四十七都道府県 警察を管理しているのですが、その警察庁よりも警視庁ができ たのが早かったからです。警視庁は明治 時代前期、西郷隆盛が西南戦争をやった頃から存在する組織なんですよ」

警視庁と警察庁の違いは、いつまでたっても、よく分らずにいた が、東京都の警察が警視庁ということだけ覚えとこう。

「こ の新型コロナウイルスはいつまで続くと思われますか?」
「新型コロナウイルスがこの世からなくなることはないと思い ます。ただし、ワクチンや治療薬の開発が進むでしょうから 二、三年後には落ち着くと思います」
「えっ、ニ、三年……そんなに長くかかるのですか?」
「人間の歴史は四千年以上、ウイルスとの闘いなのです。数あ るウイルスの中で100%駆除できたのは天然痘だけだと言わ れています。全ゲノム解析なんでものが できるようになったのは、ほんの十年前のことですよ。それを考えればニ、三年である程度の対処法ができるということは、驚くべきことなんですよ」


タイトルの割にコロナと直結するエピソードの少ない作品だった が、おしまい附近の、この「二、三年後には落ち着く」だろうとい う台詞は、妥当かなと思ってしまっ た。

【日 本とドイツ二つの全体主義 : 「戦前思想」を書く】★★★☆  仲正昌樹 光文社新書:261
前に「戦後思想」を読んで、感心したので、戦前編も読んでみ ることにした。

第 一章 近代化とナショナリズム 1870年代から20世 紀初頭にかけての近代化と国民化の同時進 行
第二章 二つの社会主義 労働者運動と結びついた社会主 義・アナーキズム思想の動向
第三章 市民的自由と文化的共同性 第一次大戦後 (1920年代以降)のリベラルな政治文化
第四章 全体主義と西欧近代の超克 第二次大戦前夜にお ける「近代の超克」思想の台頭


日本とドイツに限って言えば、1870年前後から、第二 次大戦が本格化する1940年前後までの約70年間を取 ると、結構、意味のある比較をすることができ る。何故かというと、両国とも1870年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクト に乗り出し、最終的に「西欧近代の超克」を目指して全体 主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。 (プロローグ)


たしかに「戦前」というのはどこからどこまでというのが規定 しにくい。第一次大戦と第二次大戦の間ではちょっと短すぎる し、明治維新が1868年だから、そこら辺 りから始めることにんるんだろうな。

ド イツ「第二帝政」成立までの60数年を概観してみると、 ドイツでは文化共同体としての「国民」と いう理念がまず誕生し、それに実体を与えようとするナショナリズム的な社会運動が名望家や教養市民層を中心に組織化され、更にそれを現実政治が後追いする形 で、準「国民国家」が成立するに至った、と言えそうであ る。哲学的な言い回しをすると、「理念」が「現実」を誘 導したわけである。
ドイツに比べると、日本は、国民国家という概念がなくて も、最初からそれにかなり近い状態にあった。「国民」と いう理念はなくても、実体的には"国民"という 共同体が成立していた。徳川幕府が成立する以前から"国民"の輪郭ができあがっていたから、対外的に政治的に結束する必要が生じてくるまで、ドイツのような抽 象的な「国民」論は必要なかったとも考えられる。


そうかな? 江戸時代以前から日本に「国民」みたいな実体、 共同概念はなかったようにも思えるけど。ドイツの場合第一次 大戦の敗戦国だったから、まずは国家の立て 直しから始めなくてはならかったのだろう。

ド イツのナショナリズムは、宗教的な権威を帯びた王権を、 絶対的な中心とする思想体系は備えていな かった。
大日本帝国の天皇制イデオロギーは、そもそも西欧的な意 味での「宗教」と言えるのか曖昧なところがあるが、その 分だけ、その時々の状況に応じて、様々な要因を 融通無碍に組み合わせて、天皇神話を改編しながら、ナショナルな象徴として利用することが可能になる。第二次大戦時の「八紘一宇」は、"天皇神話"をかなり強 引に全世界を包摂するように拡張したものである。

「全体主義」に至る道筋は対照的だな。

森 鴎外の短編小説「かのやうに」(1911)の主人公がド イツ留学で知った、新カント哲学者ハン ス・ファイヒンガーの「かのやうにの哲学」(1911)に出会う。「人間の生にとって価値がある霊魂がある霊魂とか自由とか義務のようなものは、虚構にすぎな いが、我々はそれらが存在している「かのように」振る舞 い、それらを"事実"として通用させることによって、倫 理を成立せしめている」。主人公(モデルは鴎外 自身)はこれを、日本の天皇制理解に応用しようと思いながらそれが不可能なことを知る。(第一章)

ファイヒンガーは名前すら知らないが、「かのように哲学」と いうのは何となくおもしろそうぢゃ。

ド イツの社会主義がコーポラティズム的に国民国家と繋がっ ている独自の伝統と基盤を持っていたの で、ボルシェヴィズム型の中央集権的な前衛理論やアナーキズムのような極端な外来思想の影響がそれほど広がらなかったのに対して、社会主義を容認しない天皇主 権の国家体制の下で、バクーニン=クロポトキンとマルク ス=レーニンの代理戦争のようなところから出発した日本 の社会主義は、外からの刺激によって観念的に過 激化していく傾向が強いと言える。(第二章)

日本の社会主義が思想の代理戦争とは(^_^;)

第 一次大戦後、ドイツが海外での帝国主義政策を追求する道 を断たれたうえ、1871年に成立した 「国民国家」の枠組みを再考せざるを得なくなっているところで、日本はむしろ帝国主義政策を追求する国家として、英米仏とある意味"対等"の位置を認められた わけである。こうした国際的な環境の違いは、国民の政治 意識に反映する。単純化して言うと、ドイツ人であること に対するプライドを持ちにくくなったドイツと、 日 本人であることのプライドを持ちやすくなった日本、ということになるだろう。

火事場泥棒(^_^;) に過ぎないと思う。

初 期の市民社会では、一定の政治的自覚を持った教養市民を 中心に公共の場での論議がなされ、国家全 体の共通目標/政治的理想をめぐる「公論 public opinion」へと練り上げら、それが議会を通して政治に反映されていたが、産業構造の近代化と政 治の民主化がある程度まで進むと、何を考え何を求めてい るのかよく分からない「大衆の意見=世論(public  opinion)」によって政治の方向性が左 右されるようになる。「大衆」が何を考えているか分らなくても、彼らの支持を得ないと権力の座に近付けないので、政治家たちは長期的な展望なしに、まるで宣伝 文句で一般消費財を売る時のように、刹那的に大衆ウケす る"政策"を掲げようとすようになる--大衆社会は、大 衆の消費嗜好によって、生産の方式が決まる消費 社会でもある。いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)の始まりである。

大衆迎合主義の仮面を被った全体主義の危険性。

巨 大なタブー--森鴎外=松本清張の言い方だと、「暗黒な 塊(天皇制)」--が現前し続けたおかげ で、政治的言論活動の許容範囲が限定されていた日本では、民主主義の展開の仕方が自ずから異なったものになった、というのは確かだろう。日本はかなり中途半端 な議会制民主主義、デモクラシー思想しか経験しないま ま、全体主義体制にずるずると移行していったという感が 強い。

天王星、もとい天皇制=Black Hole説

シュ ペングラーの「西洋の没落」(1918)は「文明」が一 定の周期・法則によって、頂点に上り詰 めた後没落していくよう定められているとして、西洋の最後の哲学としての「懐疑の哲学」を生み出したドイツに、文明史における特別な地位を与えている--これ は、屈折した形でのナショナリズムの表明とみることがで きる。

アングロサクソンからゲルマンへの移行。我田引水思考という ことかも。

日 本にパッチワーク的に輸入された"教養"においては、共 通の基礎となる「型」の部分が具体的にど のように構成されるべきかはっきりしなかったため、とにかく"偉大な西洋の思想家"の書いたものを雑然と呼んで参考にしてみる、ということになりがちであっ た。高校や大学で学ぶ、あるいは知識人によって書かれ た"教養的"な諸知識が[教養=人格形成]という高尚な 理念となかなかストレートに結びつかないというも どかしい状態が生じることになった--その最終的帰結として、現代の日本の大学では、教養科目というのを時間つぶしの余分な知識としか考えないダメな学生や元 学生、それを容認してしまう大学教員が増えており、私は かなり疲れている。

Morris.もずっと教養主義に毒されていたのかもしれな い(>_<) 

ハ ンガリー出身のルカーチは、「物象化」された状態にとど まっている限り、労働者は、自らが搾取さ れていることに気付かず、与えられた日々の仕事をこなすだけである。革命を成功させるには、まず労働者たちに、自己自身の心身が「物象化」されていることを自 覚させ、革命的な実践主体になろうとする(階級)意識を 持たせねばならない、と主張する。彼の考え方は、むしろ 実存主義に近かったかもしれない。(第三章)

共産主義にも冥いMorris.だが、ルカーチの実践的思想 は、何となく信用できるところがあるような気がしてた。

1920 年代末から、ワイマール共和制に対して根本的疑問を投げ かけ、「民族共同体」の樹立、「支 配民族」思想、民族の「生存圏」の確保、反ユダヤ主義などを掲げるナチスが急速に台頭し、33年には政権を掌握した。単なる「国民国家」に依拠する「ナショナ リズムではなく「民族」という全近代的な共同体への回帰 を標榜するナチスという"新しい保守政党"が第一党にな り得た政治・経済的な背景としては、ヴェルサイ ユ体制に対するルサンチマン(恨み)、世界大恐慌に起因する不況の深刻化、政治の不安定などを挙げることができる。
幻想的な太古の「民族共同体」を復活させるという--あ る意味マルクス主義の唯物史観に似た--目標を掲げなが ら、科学・技術の粋を集めた大量殺戮兵器で武装 し、宿敵であるユダヤ人を東欧から放逐して、純粋な民族空間をつくる「東方計画」を推進したナチズムは、様々な局面において新旧を混合した折衷的なイデオロ ギーである。
民族主義が依拠する「民族」も、社会主義の準拠する(そ の大半が労働者である)「人民」も、いずれもドイツ語で は<Volk>である「近代化」の 犠牲になりつつある素朴な「民衆(庶民) Volk」を救い出そうとする願望がm19世紀前半以来、「右」と「左」に分かれて発展してきたと考えれば、両者の 発想が深いところで似ていて、何かのきっかけで接近・ク ロスするのもそれほど不思議なことではないような気もす る。「ナチス]とは正式には、「国民社会主義ド イツ労働者党」(NSDAP)である。

Volkが「民族」であり「人民」でもあり、ナチズムも継ぎ 接ぎ細工のパッチワーク。

北 一輝は「国家改造案原理大綱」(1919)で、「国民の 総代表」である天皇の大権によって3年間 憲法を停止して、全国に戒厳令を布き、華族制度の廃止、軍閥・財閥・党閥などの排斥、私有財産の制限、性産業の国家集中とそのための設置などを提案している。 また改造中の秩序維持を、超過私有財産・資本の徴収のた めに、改造内閣の下に「在郷軍人団」をそしきすべきだと している。実質的には、天皇と在郷軍人の協力に よって社会主義を実現するわけである。
天皇という週休的な権威と軍部の力を組み合わせて、資本 主義的な既成の支配秩序を解体し、国民の共同体意識に根 ざした社会主義革命を断行するというのは、ドイ ツのナチスやイタリアのファシスタ党に見られるような、典型的なファシズム、右の全体主義の発想である。
元軍人で北の弟子である西田税などを介して、天皇親政に よる国家改造・半軍備・満州確保を目指す陸軍皇道派の青 年将校たちの間に徐々に浸透する。将校たちが普 段接している部下の兵士には貧しい農村出身の者が多かった。不況下での農民の苦しみをよそに利己的な金儲けに走る資本家やそれと結びついた重臣・高級官僚・軍 幹部(統制派)に対する反発から、将校たちの間に反資本 主義的な問題意識が生れていた。


226事件は草の根右翼?

" 西欧近代"を克服しようとしたがゆえに、逆説的に、西欧 近代の最大の害悪である"(西欧的な科学 技術に根ざした)軍事力による他者支配"という面で"西欧の権化"になってしまったという意味において、反西欧主義的な傾向のある西欧国であるドイツと、西欧 主義的な傾向の強い非西欧国である日本は確かに"似てい る"。

かなりひねくれた論の持っていきかた。

「国 民国家」に代わる新たな政治の基本単位としての「人種」 あるいは「民族」に神話的・形而上学的 な意味付けを与えようとする『20世紀の神話』は、西欧近代の合理性に密かに反抗し続けてきたドイツのロマン主義的な思想の系譜の終着点になっているような感 がある。これが、民族闘争の最終的勝利、生存圏獲得に向 けての政治プログラムである『わが闘争』と結び付くこと によって、現代史・現代思想史のブラックホール とも言うべき「ナチズム」という終末論的な世界観が形成されたわけである。(第四章)

ここで「ブラックホール」使われてた(>_<)
戦後編と比べると、かなり無理のあるもののように思えた。
【辞 典語辞典】見坊行徳・稲川智樹 絵いのうえさきこ ★★★☆☆  2021/01/15 誠文堂新光社 

辞 書の基礎知識から裏話までにわたり、辞書をよりよく使ったり 面白がったりするための足がかりを豊 富に得られる辞書をつくる、というたいへん欲張りな目標のもと本書を編纂しました。1冊の本で収めきれるものではない膨大な辞書文化について、紙幅の許すかぎ り解説と遊び心を詰め込んでいます。
この辞典は、とりわけ国語辞典に関連する語句を見出しとし、 見出し語の範囲は、辞書学の専門的な述語から、個別の辞典の 書名、辞典の編纂者や関係者、辞典を取 り扱ったフィクション作品や架空の辞書名にいたるまで広範にわたり、項目は681におよぶ。(まえがき)


Morris.は辞書好きな方だと思う。「言海」は二回通読した し、他の小型辞書も数冊通読している。Morris.の本棚に並 んでいる辞書で国語辞典に絞れば、 古い順に
1. 「言海」縮刷版 (1904(明37) 吉川弘文館)
2.「ABCびき 日本語大辭典」(1917(大6)年 三 省堂)
3.「大辞典 上下二冊本」1936((昭11) 平凡社)
4.[大言海」1956((昭31) 冨山房)
5.「新潮国語辞典 現代語・古語」(1965(昭40)  新潮社)
6.「大辞林初版」(1988(昭63) 三省堂)
7.「例解 古語辞典」(1989(昭64) 三省堂)

の7冊である。他に類語辞典、難訓辭典、ことわざ辞典、社会用語 辞典などの特殊辭典もあるが省く。今一番よく使ってるのは、6, の[大辞林」。その前は、5.「新 潮国語辞典」を仇のように頻用していた。                         

ア イキューさんぜん【IQ- 300】1979年シャープが発売した日本最初の電子辞書。「電訳機」の名を冠していた。標準価格\39.800。

価格にビックリぢゃ(@_@)

ア クセント(accent) その語のどこを高く、または強く発音するかという、語ごとの決まり、音調ともいう。

ストレスとピッチがごっちゃになりがちである。

い ちげんごじしょ【一 言語辞書】(monolingual dictionary)一ヶ国語辞書。日本では国語辞典。英語なら英英辞典。

韓国でも「國語辭典」である。

イ ンクリメンタルサーチ(incremental  search)デジタル検索で、検索キーワードを入力する のに合わせて検索結果を次々と表示する機能。逐次検索とも。

これはワープロ漢字変換でおなじみだった。「AI」ってこんなも ののことだろうと誤解してた(^_^;)

イ ンディアペーパー(India  paper)辞書や聖書でよく用いられる、ごく薄くて裏抜けしにくい紙。インディアペーパー、インディア紙。日本では三省堂の創業者である亀井忠一が国産化 を切望し、以来を受けた王子製紙が製造に成功。1923年の 「袖珍コンサイス和英辞典」で初めて用いられたが、初版本は 関東大震災でほとんど焼失してしまっ た。巻きタバコに用いるライスペーパーとよく似ており、戦時中の物資不足の折にはしばしば辞書のページがちぎられ巻きタバコにされたという。

ずっとMorris.は「インディアンペーパー」とおぼえてい た。コンサイス辞典は何冊か使ったことがある。確かに薄くて強く て裏移りしない辞書向きの紙だと納得 させる紙だった。

エッ クスエムエル【XML】 (eXtensible Markup Language)デジタル辞書の内容を格納するデータ形式。タグを用いて、データを構造化して記述できる。

大規模な言語表示システムみたいな意味かな。Morris.の手 に終えるものではなさそうだ。

く しざしけんさく【串 刺し検索】一度の検索で、複数のデジタル辞書をまとめて検索すること。横断検索とも。

ネット検索の醍醐味でもあるようだが、Morris.はどうして も紙辞書に固執する傾向にある。

く らしのてちょう【暮 しの手帖】1971年「商品テスト」で8種類の小型国語辞典をテスト。国語辞典界にはびこる盗用体質を明らかにした。

「暮しの手帖」は創刊号から実家にあって愛読してたが、71年当 時は小倉で学生生活してたので、見損なったようだ

す みつきかっこ【隅 付き括弧】国語辞書で見出しの表記を示す攬に現在最も一般的に用いられる記号。

よく使う割に、Morris.はこの名前は初耳だった。 Morris.は「【」を「でかま」、「】」を「でう」で変換す るように辞書登録している。

  「言海」 以降ほとんどの五十音順の国語辞典で、真ん中のp-じにくる見出し語の先頭の文字。このことから日本語はあ行、か行、さ行で始まる語が過半数を占める。

ちなみにMorris.の持ってる韓国語辞書で真ん中にくるのは すべて「ㅅ(シオッ)」だった。これはSの子音にあたる。英語辞 書は2冊しか持ってないが、一冊は L,もう一冊はMがセンターページだった。

だ いじてん【大 辞典】平凡社の刊行した大型辭典。1933年5月に本格的な演習を始め、早くも1934年8月に発刊。1936年9月までに全26巻を出しきるという驚異のス ピード出版で、序文もないまま刊行された。公称では総項目数 70万余りとされる。現在に至るまで最大の国語辞典なのは確 か。

Morris.はこれを上下二冊にした(無謀??)縮刷版をもっ ている。古本屋で買ったので、付録の虫眼鏡は付いてなかった。動 植物の漢字名を調べる時に役だって いる。何しろいページに原本4ページが収められているから、字の小ささは想像がつくだろう。

ど うぶつえん【動 物園】「新明解国語辞典」第四版初刷から6刷まで「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間で の生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設」とい う激烈な語釈が書かれていた。
第7刷で「捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌と により野生から、遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓 蒙を兼ねた娯楽施設」と改められた。


これは動物園関係者ならずとも神経をさかなでさせる説明である。 面白すぎる辞書といっても、これは行き過ぎだろう。

ぬ めりかん【ぬ めり感】辞書の紙の質感として欠かせないものとされる。めくったときに指の腹に自然と吸い付くような感じ。もと「広辞苑」の用語であったが、小説「舟を編む」 で用いられることにより広まった。

三浦しおん「舟を編む」の影響は本書の各所に現れる。もとは「あ めりかん」の駄洒落かな?

マ ルモイ こ とばあつめ(말모이)2019年の韓国映画。オム・ユナ監督。1942年、総督府が朝鮮語学会員を一挙に逮捕し、のちの「大辞典」の編纂が中断に追い込まれた 実際の事件に着想を得たフィクション。

そんな映画が韓国で作られていたとは全く知らなかった説明による と辞書や朝鮮語そのものより、政治的な取締事件がテーマみたいだ けど。

や くもの【役 物】出版・印刷業界の用語で、句読点、括弧、各種記号などの総称。表記欄をかこむ括弧の形の違い、漢字表記につけられた小さな×や▼や=、相互参照の矢印の違 いなどにはすべて編者の伝えたい情報がこもっている。

「役物」というのは活版印刷時代の用語として知ってはいたが、普 段使う時にはあまり留意してなかった。確かに辞書の凡例は、見れ ば見るほど、編者の努力の跡が見て とれる。

【十 五の夏 1975 上下】 :佐藤優  ★★★☆   2018/03/30 幻 冬舎 初出 「星星峡」2009-10 「ポン ツーン」2014-17
高校一年の夏休みに、当時としては破格の東欧ソ連旅行をした 時の旅行記。まあ30年後に書かれたものだから、相当な脚 色、資料参照、糊塗も多そうだが、ともかくも あの時期にこれだけの旅を実行したことには脱帽する。人名、地名、料理、時計、交通機関などへの克明なメモ、オタクぶり(当時はそんな言葉は使われてなかったろう が)にも驚かされる。

第 一章 YSトラベル 1975年7月21日 エジプト航 空機 カイロ-チューリヒ-チェコスロキ ア
第二章 社会主義国 チューリヒ-プラハ-ワルシャワ- ハンガリー
第三章 マルギット島 ハンガリー
第四章 フィフィ ハンガリー
第五章 寝台列車 ルーマニア-キエフ(ソ連)
第六章 日ソ友の会 モスクワ 日本での回想
第七章 モスクワ放送局
第八章 中央アジア サマルカンド-ブハラ
第九章 バイカル号  ナホトカ 
第十章 その後 


1 週間ちょうどで、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマ ニアのビザが揃った。その間に、羽田空港 の検疫所に行って、僕はコレラと天然痘の予防接種を受けた。舟津さんは、ルーマニアのブカレストから、夜行寝台列車でキエフに入り、キエフからさらに夜行寝台 列車でモスクワ、モクスクワから飛行機で中央アジアのサ マルカンド、ブハラ、タシケントに行き、タシケントから ハバロフスクまで飛行機、ハバロフスクから予行 寝台列車でナホトカ、ナホトカからソ連客船バイカル号で横浜に戻ってくる日程を組んでくれた。総費用は17万円くらいだった。思ったよりもやすかったが、それ は寝台列車は硬席、ホテルはシャワーだけのツーリストク ラス、船は六等など、いちばん安いクラスを予約したから だ。(第一章 YSトラベル)

そもそも当時格安チケットを取ることも、簡単ではなかったは ずなのに、自分で旅行社を訪ね、協力者に出会い、綿密なプラ ンをたてるあたり、すでに只者ではない。

「放 送する原稿の翻訳は、袴田さんがやってくださっていま す」
「袴田陸奥男です」と言って、男は僕の手を強く握った。 目をあわせると、袴田氏はすっと逸らせした。
「いつも放送を聴いていただいて、どうもありがとうござ います。まだ仕事が残っているので失礼します」と言って 部屋を出ていった。
「袴田、袴田……、どこかで聞いたことがる名字だ」と僕 は心の中でつぶやいた。レービンさんに僕の心の声が聞こ えたようだ。
「そうです。日本共産党中央委員会副委員長の袴田里見さ んの弟です」
「というと、日本共産党員ですか」
「違います。袴田さんは民族的には日本人ですが、国籍は ソ連です。従ってソ連の選挙権と被選挙権を持っていま す。ソ連共産党員ですモスクワ放送局では、西野さ んや松本さんなどの外国人を除けば、ほぼ全員がソ連共産党員です」
「袴田陸奥男さんは、どうやってソ連に移住したのです か。戦前にぼうめいしたのですか」
「戦前じゃないです。戦争末期にソ連軍の捕虜になりまし た。現在は翻訳家として活躍しています。モスクワ放送で 日本語で報じられるニュースは、すべて袴田さん の翻訳したものです。その翻訳を私が、少し書きなおして、放送用の原稿に整理します」(第七章 モスクワ放送局)


中学生の頃からソ連の国際放送を視聴し投書もしてるというオ タクぶり。そして袴田陸奥男のことは、つい最近読んだ関川夏 央の「人間晩年図巻」に出てきたばかりだっ た。

酒 匂さんは,いろいろなことを知っていて、自分の考えもあ るのだろうが、それを人におしつけること はしない。こういう教師から歴史を学ぶ生徒は幸せだと思う。
「朝鮮語を勉強したことはありますか」
「ありません」
「ハングルを読めるようになるだけならば、それほど時間 はかからない」
「韓国では漢字を使うが、北朝鮮ではまったく使わないと いう話を聞いたことがあります」
「一昔前まではそうだった。だから、韓国で出ている新聞 や雑誌は、漢字で内容を推察することができた。しかし、 現在は韓国でもハングル一本化が進んでいる。日 本語の延長ではなくまったく別の外国語として、初歩からていねいに勉強しなくてはならない。それから、韓国語と朝鮮語の間には無視できない差異がある」
「お互いに意思疎通ができないほど違いがあるのでしょう か」
「一部の単語がわからないだけで、意思疎通には支障がな い」
「単語に違いがあるのでしょうか」
「ある。特に固有名詞で差が大きい。こ『国家と革命』 は、当然のことながら、北朝鮮の言葉で書いてある。表紙 にモスクワ、プログレス出版所と記されているが、 表記はモスクバーになっている。北朝鮮の表記だ」
「韓国の表記だとどうなるのでしょうか」
「モスコーになる。他にもハンガリーは朝鮮語ではウェン グリヤ、韓国語ではハンガリだ」
「北朝鮮で外国の地名はロシア語読みなんですね」
「そうだ。ヘリコプターは韓国語ではヘリコプターだあ、 朝鮮語ではベルタリョートだ」
「日本では、朝鮮語と韓国語の学習書は、どちらの方が普 及しているのですか」
「韓国語の方が多いと思う。三省堂の『わかる朝鮮語』 は、朝鮮語の表記だが、韓国語も読めるように配慮したて いねいな作りになっている。辞書はほとんどが韓国 語ベースだが、大学書林から出ている『朝鮮語小辞典』は、単語のスペルも配列も北朝鮮の基準に基づいている」
「配列?」
「そうだ。文字の配列が、韓国と北朝鮮では異なる。ある 民族の文化を理解するためには、その国の文化をきちんと べんきょうしなくてはならない」
「だから、酒匂さんは、英語、フランス語、ドイツ語に加 えてロシア語、朝鮮語を勉強しているのですね」
「努力はしている。しかし、きちんと理解しているのは英 語とフランス語だけだ。ドイツ語と朝鮮語になると読むこ とはできるが、話すことはまったくできない。ロ シア語はまったくの、入門レベルだ」(第八章 中央アジア)


帰りの船で出会った知識人との会話。とても高校生の会話とは 思えないし、全く知らない朝鮮語に関してのやりとりだけで も、ちょっとレベルが違いすぎる。

初 めて食堂に入った。100人くらいは収容できる大食堂 だ。サーモンステーキかカニコロッケだった ので、僕はカニコロッケを選んだ。
まず、サラミソーセージとチーズの前菜に、生のキュウリ とトマトが出た。いずれもソ連産の食材だ。それに続い て、スープが出た。サリヤンカだった。キュウリの ピクルス、黒オリーブ、それに細かく切ったソーセージがたくさん入っている。これだけで、お腹がかなりふくれた。続けてメインディッシュのカニコロッケが出て きた。大きなコロッケが2個、皿の上に載っている。僕は 日本でよく食べるカニクリームコロッケのようなものを想 像していたが、まったく異なっていた。パン粉を つけて揚げた衣にナイフを入れると、カニ肉が噴き出してきた。材料はタラバガニの缶詰のようだ。カニ肉を堅く握って、それにパン粉の衣をつけて揚げたようだ。 マヨネーズをつけて食べるとなかなかおいしい。ソ連旅行 中にも一度も食べたことのない料理だった。ウエイトレス はコーヒーとともにデザートのアイスクリームを 運んできた。スグリのジャムが山のようnかかっている。(第九章 バイカル号)


料理に関する知識と濃度を知るためおn一つの例として引用し ておく。
Morris.の韓国旅行記とは、色んな意味で全く異次元の う紀行文で、ちょっと妬ましくなった(^_^;)

職 業作家になった今日も僕は神学の研究を続けているし、ロ シアにも関心を持ち続けている。現在は同 志社大学神学部の客員教授として後輩に神学を教えているが、授業中に15の夏のときのソ連・東欧旅行の話をときどきする。そして、若き神学生たちに「若いうち に外の世界を見ておくと、後でそれは必ず生きる。そのこ とをきっかけにして、自分がほんとうに好きなこと見つか るかもしれない。ほんとうに好きなことをしてい て、食べていけない人を僕は一人も見たことはない。ただし、中途半端に好きなことではなく、ほんとうに好きなことでないとダメだよ。15の夏にソ連・東欧を旅 行したことは、今になって振りかえると、僕が一生かけて 追いかけることになるフロマートカという神学者と出会う ために神様が準備してくださった道だったのだと 思う」と話している。(第十章 その後)

「本当に好きなことなら、それで食べられないことはない」と いうのは、同志社の恩師の言葉の受け売りらしいが、その言葉 はすなおに肯いたい。
【続 堕落論】 坂口安吾 「文 学季刊」1946年12月号
安吾は1941年に「堕落論」の同じタイトルで、4月に「新 潮」、12月に「文学季刊」に発表している。紛らわしいからか?  後者は続堕落論」と表記される。最近 あらためてこれを読み返す機会があって、明日、8月15日を迎えるにあたって、今一度読み返すことは無意味ではないと思い、引用しておく。

昨 年8月15日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救 われたと人々は言うけれども、日本歴 史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本 能的に知っており、我々国民またこの奥の手を本能的に待ちか まえており、かくて軍部日本人合作の大詰めの一幕が8月15 日となった。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に福祉てく れという。すると国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だか ら、忍びがたいけれども忍んで負けよう、 と言う。嘘を付け! 嘘を付け! 嘘を付け!
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹 槍をしごいて戦車に立ち向かい、土人形のごとくにバタバタ死 ぬのんが厭でたまらなかったのではない か。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせそれが言えないのだ。そして大義名分と言い、また天皇の命令という。忍び難きを忍ぶという。何というカラク リだろう。惨めともまたなさけない歴史的欺瞞ではないか。し かも我らはその欺瞞をしらぬ。天皇の停戦命令がなければ、実 際戦車に体当たりをし、厭々ながら勇壮 に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するがごとくに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れ ており、そのみずからの狡猾さ、大義名分というずるい看板を さとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラ クリ、また、狡猾さであろうか。我々は この歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、正しい姿を失ったのである。
(中略)
日本国民諸君、私は諸君に、日本人および日本自体の堕落を叫 ぶ。日本人および日本人は堕落しなければならぬ。
(中略)
人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何 者かカラクリにたよって落下をくいとめすにいられなくなるで あろう。そのカラクリをつくり、そのカ ラクリをくずし、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。



【ア パレル興亡】黒木亮 ★★★☆  2020/02/18 岩波書店 初出「世界」  2017-19

山梨の農家からオリエント・レディ(高級アパレル会社)を興 した池田定六、同郷の芳美で同社に入り、社長の座を継ぐ田谷 毅を中心に、戦後日本のアパレル業界の変遷 を事実に即しながら描き込んだ労作である。戦後史をアパレル業界を通して体感することができる、ような気がした。
彼の作品の多くには、作品の専門用語一覧がある。そこからラ ンダムにピックしておく。

カ テゴリーキラー  衣料品や家電など、特定分野(カテゴリー)の商品を大量に揃え、低価格で販売する小売業者のこと。カテゴリーキラーが進出すると、その商圏内のスーパーや百貨 店は、そのカテゴリーの縮小や撤退に追い込まれるので、 このように呼ばれる。ユニクロ、青山商事、しまむら、 ビックカメラ、ヤマダ電機、マツモトキヨシ、トイ ザらスなどがこれに当たる。

グ レーディング パタンナーの起こした 型紙を、様々な体型の人に合うよ うに、拡大・縮小し、多数の型紙をつくる(サイズ展開する)こと。これを行なう専門職をグレーダーと呼び、現在はコンピューターで行われる。

ス タン(洋風人台) ボディスタンドの 略称で、デザイン制作、立体裁 断、衣服の試着や陳列などに用いる人体の形をした模型。


実は、Morris.は半世紀前に大坂谷町のディスプレイ会 社に務めたことがあり、主にアパレルテンポの内装を取り扱っ ていた。ボディスタンドも取り扱ってたが、 「ボディ」と略しても「スタン」と読んだことは一度もない。東京ではそう呼んでたのかな。

ツ イード  スコットランドとイングランドの境を流れるツイード河畔を発祥の地とする、太い羊毛を平織りまたは綾織りにした粗くざっくりとした風合いの毛織物。地暑で丈夫 でスポーティ感があり、背広、婦人服、コート、ジャン パーなどに用いられる。

ツイードが地名とは知らなかった。

撚 糸(ねん し) 糸を1本または2本以上引き揃えて縒りをかけること。または縒られた糸のこと。強度、弾力性、風合いを出すために行なう。

布 帛ニッ ト 衣料品の素材は布帛とニットに大 別される。布帛は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を 絡めて、追って作った布地のこと。ニットは1本 の糸でループを作りながら編んでゆく編地で、メリヤスとも呼ばれる。ニットは布帛に比べると伸縮性に富み、皺になりにくく製造コストは安い。*これ以外にカッ トソー(cut and sew)がある。ニット素材の 生地を裁断(cut) 縫製(sew)してつくる衣装。

FablicとKnitと使い分けてはいたものの、ちゃんと 認識してなかった。「織物」と「編物」の違いなのだろうが、 「ニット」というとつい、毛糸の編みものを 連想してしまう。

マー チャンンダイザー  MD アパレル メーカーの生命線である商品の企画を担う仕事。他の業界 のプロデューサーに似た仕事。

大坂天満橋のOMMビル「大坂マーチャンダイズ・マートビ ル}を思い出した。

ポ リエステル  麻や絹に似せて開発された石油を原料とする合成繊維。乾きやすく、型崩れしづらく、カビや虫害に強い。幅広い衣料品の製造に使われ、日本における合成繊維生産 量の約半分を占める。

レー ヨン 絹に似せて作った再生繊維。昔 は人絹、スフ(スティーブル ファイバー)とも呼ばれた。パルプやコットンリンターなどのセルロース(繊維素)を水酸化ナトリウムなどのアルカリと二酸化炭素に溶かし、それを酸の中で糸に 紡いでつくる。石油を原料とする化学繊維と異なり、加工 処理して埋めると土に還る。滑らかな肌触り、吸湿性のよ さ、光沢、染色のしやすさなどが特徴で、明治時 代末期にヨーロッパから輸入された。上着の硬球裏地、婦人用肌着などにも使われる。

ポリエステルは化繊、レーヨンは合繊ってことか。

「ワ ンレン」はワンレングス(フロントからうしろまでを同じ 長さに切り揃えたヘアスタイル)の略 で、長い頭髪を頭のサイドで分け、片方を肩の前に垂らすのが流行りだ。クラシックでフェミニンなイメージの「JJ」的なニュートラッドである。このヘアスタイ ルに、パッドでいかり肩にし、ウエストを絞り、短めのス カートをはいて、ボディラインを強調する「ボディコン」 を組み合わせたものが「ワンレン・ボディコン」 と呼ばれる。

「ワンレン」というのがいまいち理解できてなかったので、今 頃になってやっと理解した(>_<)
黒木らしく多くの参考書を読み込んで、物語に効果的に発表誌 が「世界」なのに、ユニクロのブラック企業体質にほとんど触 れてなかったことに疑問を禁じ得ない。

【三 美スーパースターズ : 最後のファンクラブ】パクミンギュ 斎藤真理子訳 ★★★☆☆   2017/11/15 
韓国文学のオクリモノ//著/晶文社 2003年ハンギョレ 新聞社

同じ著者の作品は「カステラ」「ピンポン」と2冊読んでる が、これがデビュー作らしい。これが一番面白かった。
1982年に創設された韓国プロ野球。仁川を本拠地とする三 美スーパースターズのファンクラブの少年の回想が、時にはお ちゃらけ、時にはシリアスに語られる。読み 始めた時はコメディと思ってたのだが、後半になるほどに社会問題、労働問題、更に人間の生き方にまで発展? するあたり。脱帽である。

82 年の動きを見れば、その証拠がはっきり読み取れるから な。
韓米頂上外交の裏取引?
そうだよ、ニュースで言ってたのは表面上のことばっか、 つまり抜け殻にすぎない。あのとき本当に取引きされたの は、ノーランズとプロ野球だったんだよ。
ノーランズとプロ野球?
そうとも。あの頃も今も、政権を握っている連中の考えな んてわかりきったことさ。当時のあいつらの悩みは、どう やったら国民が、当然の任務としてもっといっぱ い働いてくれるかってことだったんだ。それはまさに、アメリカの悩みともぴったり合致してたんだ。アメリカの主力産業が何だか考えてみろ。そうすれば答えは簡 単だから。
自動車とか石油……とか?
違うよ。そんなのはみんな抜け殻にすぎないんだから。ア メリカの主力産業は資本主義のフランチャイズだよ、フラ ンチャイズ! わかるかい? その一環として、 ちょうど82年が修好100周年を記念する都市d去ったこともあってノーランズとプロ野球が一緒に導入されたんだ。
当時の韓国人が、「プロ」が何なのかぜんぜん知らない し、「セックス」なんて言葉は恥ずかしくて口にもできな かったってことだよ。
このころすでに中央情報部では「プロ」の世界に関するイ メージトレーニング作業を成功裡に終えていたんだ。アメ リカの経済新自由主義を土台にして、日本の企業 経営理念やビジネス書なんかが大いに参考されたのさ。
奴らは続いて、とうてい理解できないようなプロのスロー ガンを作り出していった。プロの世界は冷徹だ。プロは最 後まで責任をとる。プロの世界は弱肉強食だ。プ ロの世界に言い訳は通用しない。プロは休まない。自己管理はプロの基本だ。プロは限りなく自分自身を開発する。プロは能力で語る。プロは眠らない。そして一番 大事なのは、プロだけが生き残れる。


プ ロの数が多ければ多いほど、奴らが望んでいる世界の条件 も完璧になっていくんだからね。
世界の条件?
そうさ、俺たちはアメリカのフランチャイズなんだから。 いつだってこの点を忘れちゃいけない。「搾取」は俺たち が思うほど辛いものじゃなかったんだ。実際の搾 取は堂々たる姿をしてて、俺たちのプライドを育んでくれたし、小さな達成感と幸せを感じさせてくれた。それは大きな拍手の音に包まれて、俺たちがおもったより もずっと形而上学的に成立していったのさ。そこにどんな に巨額の保証金がかけられていたかは、IMF危機で俺た ちも気がついたじゃないか。これがこの世の条 件、韓国の条件なんだ。


つい最近読んだ「小人が打ち上げた小さなボール」の舞台ウン ガンが仁川をモデルにして、公害と労働問題がテーマだった。 本作品とは30年の径庭があるが、深いとこ ろで繋がっている感じがした。偶然この二作を読んだことになるが、必然だったのでは、という不思議な因縁を感じる。

今 年の夏は何でこんなに長いんだ。
と思い、そして僕は初めて、時間は本来、溢れんばかりに たっぷりと流れているのだということを悟った。ほんとに そのころ、時間は文字通りとうとうと流れてお り、僕はいつも新しい歯磨きの固いチューブを力いっぱい押すような気分で自分の時間を楽しんでいた。神様は実際、人間には持ちきれないほどの長い時間を誰にで も与えてくれている。つまり誰にでも、新しく買ってきた 歯磨きのチューブぐらい完璧な、豊かな時間があったの だ。時間がないというのは、時間に追われていると いうのは--金の代価として誰かに自分の時間を売ったからだった。思い返せば過ぎた5年間、僕が売ったものは自分の能力ではなかった。それは僕の時間、僕の人 生だったのだ。
考えてみれば、人生の全ての日は休日だった。


「Time is Money」などという呪いの格言を乗り 越えて「Time is Mine」を取り返そう。「毎日が 夏休み」(大島弓子)を思い出した。今の Morris.は比較的この状態に近い(^_^;)
本書を読んで三美スーパースターズの応援歌が「沿岸埠頭」と いうことを知った。ヨンモクくんがこの歌好きだと言ってた。 レパートリーに加えたい。

本 書の魅力は引き出しが多いことだ。スポーツ小説でもあ り、極上のジュブナイルでもあり、主人公が 成長していくオーソドックスな教養小説であり、切ないラブロマンスでもあるし、同時に現代韓国のユニークな年代記でもあり、小説の形をとった社会批評でもあ る。実を言うとジュークボックスでもある。(二章の各節 のタイトルはすべて、70~80年代のヒット曲のタイト ルにちなんでいる)
そして何よりも、本書は韓国人への応援歌である。(訳者 あとがき)

訳者の斎藤真理子は安定した訳文を提供してくれるし、彼女の 作品選択眼は信用できる。

【人 間晩年図巻 1995-99】関川夏央 ★★★  2016/06/28 岩波書店
同じシリーズの2冊めだが、本元の山田風太郎の労作とは かなりかけ離れたものになってる感じ。
採り上げられた人物も、何となくMorris.の関心外 な人が多かったのも低い評価の一因となったようだ。
それでも、関川ならではの、ユニークな視点や、エピソー ドもいくらかあったし、おしまいの寺尾五郎の項は、在日 朝鮮人の北朝鮮への「帰国運動」と、拉致問題の裏表 を暴いてくれて教えられるところ多かった。

劇場版アニメ「ルパン三世 カリオストロの城」 (1979)に出演するとき、9歳下の監督宮﨑駿に 「おちゃらけたアドリブはいらない」と釘をさされ た。ルパン の造形に絶対の自身を持っていた山田康雄は大いにむくれ、反抗的言辞を弄した。しかし音入れ前の作品試写でその質の高さに瞠目、宮崎に無礼を詫びた。(山田康 雄)

声優についてはほとんど無関心のMorris.でも、山 田康雄=ルパン三世くらいは知ってたがこのエピソードは 初めて知った。

1984 年「つぐない」は150万枚、85年「愛人」50万 枚、86年「時の流れに身をまかせ」 200万枚、三曲とも荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲であった。
85年、NHKで放送されたソロ・コンサートは官女 の再考のパフォーマンスといわれる。(テレサ・テ ン)

テレサテンファンとしては、このコンサートは落とせな い。

日 本共産党幹部・袴田里見の弟で、ソ連共産党と日本共 産党の連絡役を果たした袴田陸奥男は帰国しな い道を選んだ。55年生れで、ソ連邦崩壊後のロシアで自由主義の旗頭のひとりと目されたイリーナ・ムツオヴナ・ハカマダは袴田の娘であった。(浅原正基)

これは、佐藤優の「十五の夏 1975」に登場、という か、高校1年生の佐藤がソ連でこの人物と出会ったことが 書いてあったので印象に残ってた。

村 の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅
ベースボール遠く見て言う野菊かな
花びらの出て又入るや鯉の口
晩春や下宿のギターつたなくて
すだれ打つ夕立聞くや老いし猫
乱歩讀む窓のガラスに蝸牛
お遍路が一列に行く虹の中  風天

風天は渥美清(田所康雄)の俳号、彼の俳句の原点 は、尾崎放哉の自由律の句である。
渥美清は句会にいつもひとりで、ひっそりとやって来 た。出される避けや料理には手をつけず、腕組みして 壁の方を向き、静かに句を練った。そして座が果てる と、 すっと消えた。(渥美清)


渥美清が俳句を嗜んでたことは知っていたが、放哉に親し んだというのがよく分かる句である。

淡 路恵子は錦之助と再婚する前、60年に一度結婚して いる。相手は50年代に日本のジャズシーンを リードしたフィリピン人歌手、ビンボー・ダナオで、二人のつきあいは長かった。しかし彼はカトリックの既婚者で本国に妻と4人の子どもがいたため、正式な結婚 はできなかった。65年、夫の浮気と浪費癖が原因で 別れた。(萬屋錦之介)

ビンボー・ダナオという名が出てきたのに驚かされた。

日 米安保条約の新旧の条文を読んで、海底問題の本質を 知ろうとしたものはいなかった。当時「全学 連」の中心にいた西部邁も詠まなかった。条文を丁寧に読み、「片務性」を解消するという意味で新安保は旧安保より優れていると見たのは、石原慎太郎の周囲では 江藤淳ひとりだけだった。

79年から80年にかけて国際交流基金派遣の研究員 として二度目のアメリカ滞在をしたとき、江藤淳は日 本占領時代のGHQの検閲の実態調査のため、占領時 代の 資料が保管さrているメリーランド大学に通った。そこで彼は「全文削除」となった吉田満『戦艦大和ノ最期』のゲラを発見した。いま私たちが『戦艦大和ノ最期』 の全文を読めるのは江藤淳のおかげである。

--江藤淳の書きものにさしたる関心がなかった自分 だが、と私(関川)は前置いて編集者にいった。先日 必要に迫られていくらか読んでみた。彼の書きものは 若い ときのものほどよく、23歳で書いたという『夏目漱石』にはおどりた。文学全集の「解説」などで、読むに値するものを多く書いた文gねい評論家は彼だけかもし れない。(江藤淳)


60年安保で、条文を読まずに「気分」で運動に参加した 大多数とは一線を画した存在、そして、「戦艦大和ノ最 期」のゲラを発見したのが江藤淳だったというのは驚き である。
Morris.は江藤淳が第三の新人の作品を論じた「成 熟と喪失」を高校時代に読んで衝撃を受けたことを今でも 覚えている。作品論というより「母親の喪失」という ところに過剰反応したのだろう、と、今となっては思う。

1959 年に北朝鮮紀行『38度線の北』を書いて、在日コリ アンの「帰国運動」を大いに後押し、あ るいは扇動した寺尾五郎は、1999年に大腸がんで亡くなった。78歳であった。
58年9月の第十回建国記念日、金日成が「在日同胞 の帰国を援助し、帰国後の生活を保証する」と演説す ると、在日コリアンの「帰国熱」は異常な高まりを見 せ た。訪朝中の寺尾五郎はこの演説を平壌で聞いた。
当時の日本人の少なくない部分が、北朝鮮の生活は日 本よりましではないかと考えたのは、共産主義幻想に 加えて北朝鮮の宣伝の成果であった。


帰 国第一船のソ連籍船が新潟港を出航したのは59年 12月14日である。すでに58年11月には 「在日朝鮮人帰国協力会」が浅沼稲次郎、太田薫、鳩山一郎ら超党派で結成され、「民族主義」への好意のみならず、在日コリアンの生きにくさに同情した一般の日 本人も心情的に支援した。だが実際には在日コリアン 一世の99%が済州島、慶尚南北道など南部の出身、 また在日二世の故郷は日本であり、北朝鮮は「寒冷な 異 郷」にすぎなかった。しかし、生活に余裕ある一世らは「新国家建設」に貢献させたいと優秀な子弟を率先して「帰国」させた。

寺 尾五郎らが設立した朝鮮研究所が発行していた雑誌 「朝鮮研究」には、寺尾ゴロ、畑田巍(たか し)、安東彦太郎らを中心に、上原專禄、藤島宇内、羽仁五郎らの進歩的歴史家と、大村益夫、梶村秀樹、菅野裕臣、長璋吉、宮田節子ら若手朝鮮研究社が寄稿して いた。
84年佐藤勝巳は朝鮮研究所を現代コリア研究所に改 名、「朝鮮研究」も[現代コリア」と改題した。北朝 鮮のみならず韓国に対しても批評的な論調の「現代コ リ ア」は、僅少な部数ではあったが、2006年10月通巻476号で廃刊となるまで一定の影響力を維持した。


< (問題は)寺尾さんのルポを受け入れる日本社会の風 潮が広く存在していたことである。その 代表例が1960年4月に発売された『北朝鮮の記録--訪朝記者団の報告』だ。朝日、毎日、読売、産経、共同の記者が北朝鮮に招待されて書いたものである。中 身は、帰国者が金日成首相の配慮のもとでいかに幸せ に暮らしているかの紹介である。「朝鮮よいとこ」と 煽ったのは寺尾さんだけではなかった。メディアの影 響力 は、寺尾さんの本など比較にならない>「「(秘話」で語る私と朝鮮」佐藤勝巳)

佐 藤勝巳は1996年12月、新潟市での講演で、78 年に新潟市の海岸から北朝鮮に拉致された13 歳の少女がいるという元工作員の承元に基づいた石高健次報告(「現代コリア」96年10月号)を紹介した。
すると聴衆中の警察関係者が「それは横田めぐみさん のことだ」と声を上げた。北朝鮮による拉致テロが日 本人の視野にせり上がった瞬間であった。翌97年、 「北 朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)と、それを支援する「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)が発足、佐藤勝巳は「救う 会」会長に就任した。
しかし2000年代なかば、砂糖は「家族会」の一部 と方針をめぐって対立、また「救う会」にも内紛が生 じて、2008年に「救う会」会場を辞した。 2013年 に肺炎で死亡。84歳だった。(寺尾五郎)


在日朝鮮人の「帰国運動」のことは、知るほどに胸糞の悪 くなる話である。「寺尾五郎」という名前は忘れていた が、こういった北朝鮮の提灯担ぎは、個人にとどまら ず、多くのメディア、思想家の間にも蔓延していた。日本政府の機会主義を利用した金日成の策謀(と断定してもいいだろう)に、手もなくのせられてしまった犠牲者を 思うと、憤懣やるかたない。これは拉致問題にも繋がって くる。

1995 年は阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリ ン事件の年である。その頃すでに高齢化 比率世界一の日本は人口減少前夜にあった。
私たちの消費意欲は衰えた。すなわち経済規模の拡大 が見込めない時代に入った。
ネットが普及して「紙の文化」が終焉に近づいたのも この時期である。「情報」は事実上タダになった。 「文学」も「情報」だと考えれば、それにお金を払う 人がま れになるのは自然だ。二百余年前に世界に先駆けて成立・隆盛した日本の出版産業は急速に退潮へと向かうのだが、やっぱり怖いから気づかないふりをしてやりすご し、いまになって自失している。(あとがき  2016)


たしかに1995年はMorris.にも忘れられない年 だった。
【石 井桃子のことば】中川李枝子ほか   ★★★ 2014/05/25 新潮社  とんぼの本

石井桃子といえば、日本の子供の本の大御所みたいな存在で、 ある意味敬して遠ざけるみたいなところがあった。彼女の代名 詞みないになってる「くまのプーさん」の世 界にいまいち馴染めなかったのが敗因? かもしれない。それでも彼女が手がけた数百冊の絵本、子供の本は壮観であることは間違いない。うさこちゃんシリーズ、ピー ターラビットシリーズ、ファージョンとMorris.も愛読 したものも両手に余る。
しかし、「ちいさいおうち」に集約されてしまう(^_^;)

・ 幸福とは思ってませんけどね 幸運だとおもっています
・私のなかには、今でも5歳の時の自分が棲んでるの
・どうしたら平和のほうえ向かってゆけるだろう、と、人 間がしているいのちがけの仕事が、「文化」なのだと思い ます
・子供って同じ話を何度でも喜んで聞くんですね。昔話は 何百年と伝わってきた人類の宝物です
・私がいままで物を書いてきた動機は、じつにおどろくほ どかんたん、素朴である。私は、何度も何度も心の中にく り返され、なかなか消えないものを書いた。おも しろくて何度も何度も読んで、人に聞かせて、いっしょに喜んだものを翻訳した

略年譜
1907(明40) 3月10日埼玉県浦和町生れ
1928(昭3) 日本女子大学英文学卒業
1929 文藝春秋社入社
1933 文藝春秋退社 犬養家で「クマのプーさん」に 出会う
1940 友人と始めた白林少年館から「たのしい川邊」 「熊のプーさん」刊行
1941 「ドリトル先生アフリカ行き」
1942 このころ「ノンちゃん雲に乗る」執筆
1950 岩波書店入社
1951 「ノンちゃん雲に乗る」ベストセラー
1954 岩波書店退社。財団研究員としてアメリカ、カ ナダ、ヨーロッパの図書館、出版社を見学訪問
1964 「ちいさなうさこちゃん」シリーズ
1971 「ピーターラビット」シリーズ
1974 「東京子ども図書館」財団法人認可
1976 ファージョン作品集
1981 「幼ものがたり」
1995 「幻の朱い実」
1997 「東京子ども図書館」名誉理事
1998 「石井桃子全集」刊行開始
2008(平20) 4月2日逝去 享年百一

【ブ タの丸かじり】東海林さだお  ★★★☆☆ 1995/02/01  朝日新聞社 初出「週刊朝日」1993-4
丸かじりシリーズ10 

東海林さだおといえば、Morris.は漫画家としてよ り、漫筆家として評価している。特に食に関するエッセイ に関してはその飄逸さ、視点のユニークさ、表現の多 彩さ、我田引水ぶり、奔放さにおいて際立っている。一家をなしているといえる。その中でも「丸かじりシリーズ」は一押しのエッセイ集だろう。今は無き「週刊朝日」 の連載が始まったのが1897年で、現在までシリーズは 続いているようだ。今回Morris.が読んだのは朝日 新聞社刊の単行本で、現在は文集文庫で大部分を読む ことが出来る。久しぶりに読んで、リアルタイムで読んだおぼえがあるものもいくつかあった。そのうちの一つ、「滅びるなかれ大根おろし」の一部を引用しておく。

お ろし界の大立者といえば、しらすおろし。なめこおろ し。いくらおろし。特にしらすおろしは、おろ し界の傑作だと思う。海の塩気。大地の清涼。野菜からの水気。そこの加わるかすかな海の蛋白。水気ににじむ醤油。ちりばめられた繊維の歯ざわり。点々と散財す るかぼそい魚肉の歯ごたえ。そして全体を貫いている 大根の辛み。
かくして、もう一杯は、白玉の歯にしみとおって口中 をかけぬける。
さらに、大根の消化酵素群、ジアスターゼ、タカラー ゼ、オキスターゼたちが、胃の中にすでに収まってい る澱粉たちを、ホイキターゼ、ソラキターゼと消化し て いき、澱粉たちも、マカシターゼ、タノンダーゼと彼らを励ます。
さらに、ワサビと同じ成分の辛みのもとシニグリン が、死ニモノグリンになって食欲を増進させてくれ る。
大根おろしというものは、特に目立つ存在ではない が、日本のおかず界を陰で支えている大物である。
大根をおろす作業はあまりに不安定要素が多すぎる。
左手で大根おろし器をしっかりつかみ、容器にしっか り押しつけ、右手でしっかり大根を握り、その大根を 大根おろし器にしっかり押しつけ、しっかり上下に振 り動 かす。この""しっかり"をおろそかにすると、すべての作業が破綻する。しっかりの部分で、しっかり疲れてしまう。そのうえ、揺り動かしても、揺り動かして も、生産される大根おろしの量があまりに少ない。
大根おろしがいかに大変かは、大根をおろしたあと、 とろろ芋をおろしてみるとよくわかる。なんでこんな にスイスイと楽におろせるのか、不思議な気さえす る。 30cmぐらいの長芋でもアッというまにおろせてしまい、力あまって、
「あと30本持ってこい」
と、怒鳴っているおとうさんもいる。(いないか)
いま、子供の苦労は絶滅しようとしている。お母さん はすり鉢を使わなくなったし毛糸も編まなくなった。 布団も打ち直さなくなったし、雑巾をかけるべき廊下 もな くなった。唯一残ったのが大根おろしである。もちろん、フードプロセッサーなどで大根をおろすことは可能だ。
一度やってみるとわかるが、これだと全然味がちが う。繊維がザラザラと舌にあたっておいしくない。
それより何より、苦労の保存は大切である。
かろうじて滅びずに残った苦労、大根おろしの保護育 成に、全国の父母はいまこそ立ちあがらなければなら ない。 (滅びるなかれ大根おろし)


10巻目を一区切りとして、巻末に17ページにわたる 「丸かじりシリーズ総索引」が付されている。これもすご い。朝日新聞(週刊朝日)のリキの入れ方がわかるし、 シリーズ10冊揃えたくなる気持ちにさせられる (^_^;) 
【日 本とドイツ 二つの戦後思想】仲正昌樹 ★★★☆☆  2005/07/20 光文社新書213
仲正昌樹 1963年広島生れ。社会思想史・比較文学専攻。 東大入学と同時に統一教会に入り、11年後に脱会して学者の 道に。「貨幣空間」「ポスト・モダンの左旋 回」「歴史と赤蟻」「お金に「正しさ」はあるのか」「なぜ「話」は通じないのか」

日本の戦後史に関しては結構いろんな本に目を通しているのだ が、ドイツとの比較でここまで両者の特徴が際立つとは思わな かった。

対 立し合っている二つの陣営が実は同じ前提を無自覚的に共 有していることを、二項対立という。
ドイツ・モデルを拒否する右派の人たちは、「歴史教育」 に見られるドイツの道徳性が必ずしも高くないことを強調 し、それを無理に持ち上げようとする「左派の虚 妄」を叩くという戦略を取るわけだが、私に言わせれば、彼らの議論もまた暗黙の内に、左派とほぼ同じ前提の上に立っている。それは、「『過去の反省』のモデル として採用するのなら、道徳性の極めて高い国にすべきで ある」という前提である。
恐らく、日本の戦後責任問題については左右双方とも依然 としてかなりのパイアスがかかっていて、なかなか本当の 意味で現実主義的な見方ができないということ と、カント、ゲーテ、ワーグナー、マルクス、ニーチェ、ヒトラー……など様々な意味で"極端"な人たちの祖国である「ドイツ]に対する「神秘的にして観念的」 というステレオタイプ化されたイメージが相俟って、冷静 な比較が妨げられているような気がする。
ドイツと日本の戦後思想は似ているように見えて、微妙な ところで無視し得ない「違い」を示しているがその違いを 可能な限り、歴史的・政治的な事情に即して分析 することを試みるつもりである。また、そうしたドイツとの対比を通して、日本が「自らの過去」に対して曖昧な姿勢を取り続けているというのは、そもそもどうい うことであるのか、できる限り具体的に書き出してみた い、と少々欲張りなことを考えている。(はじめに 二つ の「戦後」)


「二項対立」にそんな意味があるとは思えなかった (^_^;)

絶 対的な主権が存在しない国際関係において紛争が生じた場 合、特に国家間で戦争が起ったとしても、 どちらの言い分が「正しい」か最終的に判定する審級はない。戦争の勝ち負けが決った時点で、負けたほうが勝った方に対して、何らかの形で「賠償  reparation」を行なうことで決着を付けるしか ない。「賠償」することになる敗者の方に非があったよう に見えるが、それは、裁判のような法的論議の帰 結ではなく、「強い者勝ち」であることを事後的に正当化したに過ぎない。国内の紛争の「解決」とは根本的に異なる。

審 級 訴訟事件を、異なる段階の裁判所で繰 り返し審判する制度における裁判所 間の審判の順序・上下の関係。日本では三審級をとっている。(大辞林)

現 存するほとんどすべての国の国家主権と法体系は、程度の 差こそあれ、もともと強い者たちによる既 得権保持のために作り出されたものである。戦前の大日本帝国憲法も、明治維新の勝者たちによって勝手に作られたものであり、別に全「国民」の自発的な[合意」 によって形成されたわけではない。

と、いうことは日本の現行憲法の既得権保持者はGHQ=アメ リカということになるのかな。

日 本では、真っ向から対立し合っているはずの反米左派と超 保守派が、このような(現実主義ではない という意味で)完全主義的な議論を通して"ほぼ同じ結論"に至ることがしばしばある。それこそが、二項対立である。

極左と極右が酷似してたなんてことも。

「人 道に対する罪」(ホロコースト)に対する国家の責任が最 初から極めて明確に規定されていたドイ ツの状況と比べると、日本の場合、「人道に対する罪」をそもそも国家として受け入れたのかどうかが最初から曖昧である。判決文の中でも「人道に対する罪」とい う言葉はつかわれていない。そのため戦前の日本が、そも そも「人道に対する罪」を犯したのかどうか、対外的にも はっきりしていない。
「人道に対する罪」」は日本の、韓国や台湾に対する植民 地支配や帝国臣民への同化政策のようなものには、うまく 当てはまらない。731部隊による捕虜などに対 する人体実験は、明らかに、ニュルンベルクの医師裁判で裁かれたのと同じ種類のはんざいであると考えられるが、これについても連合国側は軍事裁判の俎上に載せ ておらず、日本の司法でも責任を追求されなかった--薬 害エイズ事件で有名になったミドリ十字の創設者である内 藤良一・元軍医中佐も731部隊の元幹部であっ た。

「東京裁判」の矛盾はいくらでも出てくるが、「悪魔の飽食」 の731部隊や岸信介などとの裏取引もその一つである。

戦 後のドイツと日本の戦後責任の捉え方の違いを、非常に" 分かりやすく"例えれば、極めてはっきり した大悪事を犯したため周りから徹底的に追求されたせいでことの善/悪をよく理解するようになった元大悪人Aと、Aと比べるとそれほどはっきりしない中途半端 な悪事を働いたため周りから中途半端に責められて、やは り中途半端な善/悪の基準しか持っていない元中悪人Bと いう感じになるだろう。

おいおい、その比喩はちょっと……(^_^;)

戦 争犯罪の責任者を処罰したり、被害者に対して補償を行な うことと、自らも負っている罪について道 徳的・宗教的に内省するのは、別のことなのである。
日本の戦争責任をめぐる論争ではしばしば、「謝罪、反 省」という個人の内面の問題と、国家全体の方針としての 法的・政治的な「解決」が渾然一体とした形で語ら れる。
こうした不毛な混乱が未だに続いているのは、戦後日本に ヤスパースのように議論の筋道を付けてくれる思想家がい なかったせいではないかと思う。


中国、朝鮮/韓国、台湾、東南アジアへの日本の補償と反省の 曖昧さが、今の日韓関係のギクシャクに繋がる。

戦 後の日本では、国民すべてが悪いのか、それともA級戦犯 だけが悪いのか、という極めて単純な二項 対立図式になりがちである。
"日本的反省"のいいかげんさを表すものとして広く人口 に膾炙している「一億総懺悔」。この言葉の出所は、戦後 最初の首相に任命された皇族出身の東久邇稔彦 (1887-1990)が。1945年8月の記者会見で語ったとされる。この発言は、そもそも旧植民地やアジア諸国の人々に対して損害を与えたことに対する 「罪の懺悔」という文脈ではなく、どうして「敗戦」した のかという文脈で出てきたものである。戦時中の「闇経 済」に見られる国民の「道義の頽廃」のせいで戦意 が上がらず、戦争に敗れた以上、敗戦で国民が苦労するのは仕方ないということである。つまり「懺悔」という一見宗教的な用語を使っているものの、「敗戦責任 論」としての「総懺悔」であって、他者に対して犯した 「罪」を悔い改めるという話では毛頭ない。戦争を始めた こと事態が悪いという議論でさえない。東久邇発言 に限らず、終戦直後の「責任」論のほとんどは、「敗戦という嘆かわしい結果」に至った原因の説明に集中しており、ドイツの場合のように、国家の利害や戦争の勝 敗を超えた「人道に対する罪」のようなものが議論の俎上 に載せられたわけではない。
無論、一億総懺悔などで論じられた「「敗戦」には、「敗 戦のために悲惨な生活を強いられている国民の現状」とい うことが不可避的に含意されていた。
日本での議論が、主として「国民」の「内部」にいる"犠 牲者"に対する責任にむけられ、その「内部」からは、旧 植民地であった朝鮮半島や台湾、あるいはアメリ カの占領統治下に置かれた琉球はいつのまにか除かれていた。そのため日本での「戦争責任」論は、最初から「国民国家 nationn-state」の枠内で の、仲間内での責任追及という閉鎖的な性質を帯びていた のである。
権力者による責任隠蔽としての「一億総懺悔」論を批判す る声があちこちで上がった。しかし、そうした批判論の多 くは、主として権力者に責任があることを強調 し、間接的に一般国民を「被害者」の立場に置こうとするものであった。「一億総懺悔」はその反作用として、「一般国民=被害者」という見方を強化するという逆 説的な効果をもたらした。


「一億総懺悔」というキャッチコピー(>_<) の罪は深い。けっ!!

日 本の場合、国家の核である「天皇制」が残存していたう え、一般国民の間でも天皇制そのものまでも 否定しようとする声がそれほど大きくならなかったこともあって、"無理な戦争をやった政府や軍閥"などの問題を飛び越えて、「天皇=国体への忠誠心を示すため に死んだ」こと自体は貴い、という武士道的な"倫理"が 成立する余地が多少なりとも残されていた。皮肉なこと に、もともと天皇の名の下に始まった戦争に対する 責任を追求していたはずのGHQが、日本の間接占領統治をスムーズに進めるという目的のために、旧体制の象徴である天皇を極東国際軍事法廷の戦犯から除いたこ とによって、こうした"倫理観"が間接的に裏書きされる ことになった。
このようにして戦犯を始めとする政府・軍首脳だけが加害 者で、天皇も一般国民も、無理やり巻き込まれた被害者で あるという日本的な"戦争責任"論が展開するこ とになったのである。

巧妙なすり替え技術。負のゲマインシャフトにして狡知のゲゼ ルシャフト。

「核」 の問題に限定すれば、日本は被害者である。この被害者イ メージの中で、一般国民が植民地政策 や戦争遂行を支えたという事実が背景に退いていき,「無辜の民を戦争に導いてしまった権力者の暴挙を二度と許さないよう監視つづける」ことが、日本国民にとっ ての過去の反省であるという内向きの目標設定に繋がる。 一般国民もまた、アジアの諸国の戦争犠牲者と同様に、大 日本帝国の権力者たちが始めた戦争の被害者なの である。
アジア諸国に対する加害性を、"戦争責任"論の焦点から 外してしまう傾向に関しては、国家としての戦争責任をそ もそも認めたくない保守派と、一般国民の責任を あまり強調したくない革新派密かに協働する図式が成立していたわけである。

ここでもまたずる賢い国民性が。

台 湾や韓国を植民地化した過程と、満州事変を機に傀儡国家 としての満州国を創設した過程、日中戦争 から太平洋戦争へと突入していく過程は、必ずしも直接的に繋がっているっわけではなく、一般国民の加担の仕方も段階ごとにかなり異なるので、一般国民のアジア 諸国に対する加害者性を歴史的に検討しようとする場合、 どこまで遡って考えるべきか、かなり難しいところがあ る。ここ数年、日露戦争時の一般国民の熱狂、関東 大震災の際の朝鮮人虐殺、満州開拓、国家総動員体制への国民の自発的参加、従軍慰安婦問題……など、個別の問題についての研究や議論はそれなりに盛んになって いるが、国民が東アジアへの侵略もしくは進出にどこまで 自発的に参加していたのか全体像を明らかにするような議 論の枠組みは形成されていない。(第一章 二つ の「戦争責任」)

ここ、重要。

天 皇が統治権の総攬者であるという明治憲法の規定が効力を 失ったからといって、文化的統一体として の「国体」が揺らぐことはないというのである。こうした和辻の文化論的な「国体」論は、政治家や法学者の間で取り沙汰されていた「国体の変更」から明らかにズ レているが、終戦直後の日本の曖昧な状態にうまく対応し ていたのではないかと思われる。天皇を国家元首とする 「国家」は法的に見ればもはや存在しないが、天皇 を象徴的な中心とする文化的共同体としての「国民」は継続しており、そのことを新憲法も認めている。
しかも極めて逆説的なことに、敗戦によって植民地として の台湾を朝鮮半島を失い、沖縄が米軍による直接統治下に 移されたことによって、「日本」として残された 領域では、ほぼ「国民国家」と言ってよい状態が再現されることになった。この文化的純度の高まった「国民]をまとめる、まさに「象徴」としての役割を、少し前 まで「国・家」の家長としての位置にあった天皇が果たす ことになったわけである。


なんたって新憲法第一条が天皇だもんな。

ド イツに残った知識人たちは、戦後日本の知識人には考えら れないような突き詰め方で、自文化に潜在 的に含まれる野蛮性を問題にした。--日本の戦争の原因論争で、遡って問題にされるのはせいぜい明治国家の帝国主義的な富国強兵政策までで、「日本文化」それ 自体が本格的に俎上に載せられることはほとんどない。

日本の戦前と言えばたしかに明治までしか考えてなかった。

1995 年に発表された加藤典洋の「敗戦後論」によると、戦後日 本は、内向きには対米自主性を強調 し、外向きには対米依存的な改憲派と、内向きには対米依存的で、外向きには対米自主性を強調する護憲派という形での「ねじれ」が生じている。いずれの側も、内 向きの態度と外向きの態度が矛盾しており、日本という政 治的共同体を包括的にイメージすることができない。この ような人格分裂が生じているおかげで、日本は、 過去の問題に対して明確に謝罪することも、国際関係において主体性を発揮することもできない。加藤は、こうした人格分裂の原因を、現在の日本が、戦前との関係 を精算し切れていないことにあると見る。(第二章「国の かたち」をめぐって)

日本という国の分裂症体質(@_@)

日 本の"マルクス主義思想"は、日本における資本主義が次 第に発展し、社会が複雑になっているとい う現状を明確に踏まえないまま、社会の"現実"とは関係ないユートピア思想と化していった。

これは何となく納得できるぞ。

丸 山真男によると"日本の思想"は、本来的に「無構造」で あり、何でもかんでもぶつ切りにして取り 込んでしまうので、近代/反近代の深刻な葛藤も、インパクトがなくなってしまう。日本にはもともと、マルクス主義が根本的に対立すべき、近世合理主義の論理、 キリスト教の良心、近代科学の実験操作の精神に相当する ものが不在であったので、マルクス主義がひとり相撲する ような格好になってしまった。結果として、マル クス主義は、人々の生活実感とかけ離れた抽象的な理念を「公式主義」的に振り回しているというイメージのみが強くなった、というのである。
日本のマルクス主義者の側も「理論」が「現実」からの抽 象化を通して生れてくる「虚構」であるという最も肝心な 点を理解しないまま、「現実」と「理論」の間の ギャップを、もっぱら「理論」の側から説明しようとしたため理論信仰に陥っていた。丸山はそれを「理論の物神化」と呼ぶ。


日本戦後論における丸山真男の存在の大きさは、一冊も読んで ないMorris.でも、わかる? マルクシズムという宗教 が八百万の神の主要な一つになる。

吉 本隆明の共同幻想論は一見すると西洋の影響を受けて近代 化・合理化しているように見える我々の社 会的関係性が、実はかなり深いところで日本的な共同幻想に根ざしているとして、吉本は「日本の大衆が大きな変化を望まないのは何故か?」というそれまで本格的 に論じられてこなかった問題を提起した。それによって彼 は、正統派マルクス主義たちの教条主義的態度にも、丸山 式のあまりにも整然と定式化された近代化論にも 飽き足らなかった人たちの注目を集めることになった。(第三章 マルクス主義という「思想と実践」)

吉本もまた第三の新興宗教教祖なのだろう。

人 間は、いわゆる「マスメディア」だけでなく、電話や手紙 などの通信手段、言語を始めとする各種の 記号、絵画や映像などの芸術作品、宗教儀礼に用いる象徴など、各種のメディアを日常的に使用して互いにコミュニケーションしながら生活しているが、それらのメ ディアは我々の「内面」に深く浸透して、我々の思考を最 も根底において想定している。現代の人間は、テレビ画像 やインターネットを通じてリアリティを獲得する ようになった。そうしたメディア化された経験は時として、いわゆる「生の体験」を凌駕してしまう。その意味で我々は、常に何らかの形でメディアによって「再現 前化=表象 represent」された「現実」を生き ている、といえる。

錯覚と知覚の絶え間ない入れ替わり。

マ ルクスの『資本論』を、労働による「生産」という面から ではなく、むしろ「商品世界」の物神的性 格(=消費へと誘導する幻惑作用)の分析という側面から読み直す道筋を開拓すると共に、唯物史観を、単純な下部構造決定論の歴史観ではなく、「失われた自然」 との絆を--商品の生産、あるいは、芸術的政策という形 で--回復しようとする人々のユートピア願望の挫折の記 録として「歴史」を見る方法論として最定義した ことで知られるベンヤミン(1892-1940)は、デリダなどのポスト構造主義や、カルチュラル・スタディーズに影響を与えており、現代思想の中で重要な位 置を占めている。
『パサージュ論』でベンヤミンは、都市空間の中に様々な 形で「表象=再現前化」されているブルジョワジーの欲望 を、商品の発するユートピア的なファンタスマゴ リー作用という面から分析している。ファンタスマゴリーというのは、何の変哲もないただのオブジェに光を照射することによって、スクリーン上に怪物のように巨 大な影を映し出す幻燈装置のことである。
もともと、"本来の自然"とはどういうものかイメージで きなくなっている「私たち」が、「貨幣」と「技術」を介 して"自然"にアクセスしようとすれば、余計に 自然から「疎外」されるのは当然のことであるが、洗練された美的な表象装置によってファンタスマゴリーの磁場の中に人々を絡めとってしまう大都市の商品世界 は、その矛盾を忘れさせ、更なる自然回帰欲望を駆り立て る。自己再生産し続ける商品世界は、ファンタスマゴリー によって、次々と新しい流行を作り出し、大衆の 欲望を多様化させていく傾向にあるので、その内部には非常にちぐはぐなものを抱え込んでいる。豪華な商品の並んでいるアーケードの背後には、ごみ拾いや、売春 を生業としている人々、そして彼らを支配する人々や取り 締まる人々など、コインの"裏側"にあたる存在が隠れて おり、彼らは時として"表"にも現れてくる。


ヴァーチャルリアリティカルなファンタスマゴリー??

日 本では、西欧の思想がその本来の思想史的脈絡抜きで、ぶ つ切り的に、その時点で流行っている部分 だけ輸入されてくるという丸山真男のテーゼは、ポストモダニズムの輸入に関しても結構実証されているような気がする。

浅田彰(1957-)と共に、ポスト構造主義の日本の思 想への導入に寄与したのは、フロベールなどのフランス文 学研究と映画評論を融合させて表象文化論を切り 開いた蓮實重彦(1936-)、「内向の世代」の文芸批評家の一人として知られていたがポスト構造主義の手法を取り入れるようになった柄谷行人 (1941-)、バタイユの「過剰-蕩尽」理論を応用 し、『パンツをはいたサル』などのいかにも軽そうな本を 書いて注目を集めていた経済人類学者の栗本慎一郎 (1941)、クリステヴァのフェミニズム的な精神分析・記号論と宗教体験のフィールドワークを組み合わせて独自ん領域を開いた宗教人類学者の中沢新一 (1950-)といった、教義の哲学や政治思想を專門と せず、多様な領域にわたって学際的に活動する人たちであ る。
日本におけるポストコロニアルな政治思想の代表的論客で ある姜尚中(1950-)は、丸山が戦後日本に打ち立て ようとした「市民社会」は、極めて均質的な「国 民国家」の存在を前提にしており、在日朝鮮人のようなエスニック・マイノリティの問題を視野に入れてなかったと指摘、丸山の隠れた"閉鎖的日本性"を批判し始 めた。


上記引用に出てくる人名は、現在でも散見するが、いまいちイ メージが定まらなかったが、一行紹介みたいでわかりやすかっ た。

ド イツも日本も、これまで批判的な社会思想のモデルになっ てきた「西欧近代」自体に対する信頼が揺 らいでいるせいで"右"に行くのか"左"に行くのか、言論活動の最前線にいるはずの"知識人"たち自身にさえ分からない不確実な状態に入りつつあるように思わ れる。もともと「西欧近代」が十分に根付いていなかった 日本の方が、ドイツよりも不確実差の度合いが高いのでは ないかという気がする。(第四章 「ポストモダ ン」状況)

ポストモダンというファッショナブルな消耗思想。

明 治維新の下で成立した全体主義的なものに転化した状態で 戦争に突入し、戦後も天皇制や旧国家神道 の組織の一部が残存している日本には、何をもって変わったといえるのかはっきりした基準を示しにくいという問題がある。端的に言うと、憲法九条以外に、戦前と の違いを際立たせるものがない。そのせいで、もっぱら、 「九条」だけを軸として--他に憲法改正をめぐる重要な 争点などないかのように--[護憲=左派/改 憲=右派]の対立図式が60年近く続いてきたのである。
明確な「世界観」を持たないまま、何となく全体主義体制 に移行し、何となく民主化した日本という思想的に曖昧な 国は、西欧諸国、特に二項対立思考の本場のよう なドイツの人々には、理解しにくいかもしれない。その西欧から見た「曖昧さ」のおかげで、日本は得をしている面と、損をした面がある。その両面性をきちんと整 理して、じかくしておくことが必要だと思う。(おわり に)

なんちゃって民主主義国NIHON。


【幸 田文 女性作家評伝シリーズ:13】由里幸子 ★★★  2003/09/18 新典社

ちょっと前、幸田文を集中的に読んでた頃、目を通したの だが、メモの片隅に置き忘れていた(^_^;)

幸 田露伴の教育によって培われ、前半生の苦労がさらに 磨きをかけた。肉体にくいこんでいる「哀れな お面(自己認識)」と、父親から与えられた「眼(内部の規範)」の葛藤が幸田文をつくりあげ、文章の「佳人」、強靭な文章家を世に送り出したのではないか。
心と身体の全部をつかって見つづけたのは、結局、四 季のなかで表情をかえながら息づく生命であり、その はての死、生と死の循環である。
少女時代の鍛錬によって、思考だけではなく身体で真 理を会得することを知った幸田文は、全身で自然の輪 廻を感じ、感動した。観念の言葉ではなく、自分の肉 体を いったん通過した表現でしか書こうとしなかった以上、着物の着こなしと同じで、他人には絶対に真似ができない。幸田文が稀有な点は、そこにある。(はじめに --「いのち」を見つめた人)


うーーーん、学者さんの文章だから仕方ないとしても、幸 田文の文章とはあまりに対照的である。言ってることはそ れなりに当たってると思うけど。

始 まったばかりのテレビの料理番組に、このころ文は注 文をつけている。料理の下準備と、終わったあ との片づけの仕方もみせてほしいというものであった。文にとって、料理とは下準備から片づけまでをも指していた。面倒な部分を無視して、何もかもきれいに用意 された食材を切って、加熱して盛れば出来上がりなど という番組作りは、どこかおかしいと思わせるものが あったからにちがいない。
        
幸田文らしいエピソードではある。しかテレビ側からする と、「んな事言われてもなあ……(;;)」だろう。
【翻 訳目録】阿部大樹 タダジュン挿絵 ★★★★ 2020/12/25 雷鳥社
阿部大樹(あべだいじゅ) 1990年新潟県生れ。精神科医、松 沢病院、市立多摩病院勤務。訳書にH.S.サリバン「精神病理私 学記」(日本評論社 日本翻訳大 賞)。R.ベネディクト「レイシズム」(講談社学術文庫)。「サンフランシスコ・オラクル」誌の日本語版翻訳・発行を行う。

全く未知の著者だが、翻訳作業の下準備の中で出会った言葉たちの 発見と驚きをメモした断片ということだが、素敵な詩集を読んだよ うな気になった。先日これまたほと んど偶然読んだ、松山巌の「建築はほほえむ」に通じるものを感じた。イラストもレトロなモダンアート(^_^;)でいい感じである。評点の高さは両者の力が合わ さったもの。

こ とばでないもの/ことばをさかのぼる/ことばのうつりかわり /ことばがうまれるとき/ことばがき えていくとき/ことばをかきとめる

おおまかにこの6つの章に分かたれている。

地層に埋もれた辺鄙な語を嗅ぎつけると猟犬にでもなった気分 である。野蛮な高揚。気に入ったモノにあたれば書き留めてお く。そういう私的なノートに興味をもっ てしまう奇特なひともいるかもしれないと、あるとき変種の編集者が仕込んだ結果が本書である。(はじめに)


まさにワード・ハンター。

・De railroad bridge's A sad song in de air.
De railroad bridge's A sad song in de air.
Every time de trains pass I wants to go samewhere.

鉄橋が ひびかせるのは 悲しい かなしいうた
鉄橋が ひびかせるのは 悲しい かなしいうた
列車がとおってゆくたびに ぼくはどっかへ 行きたくなるん だ。


まずはアメリカ黒人ブルース。定冠詞TheをDeと表記。確かに 鉄橋を渡る時の車輪とレールの摩擦音は悲しくも旅愁を感じさせ る。

・Who killed Cock Robin?  だれがころした、こまどりを?
    I, said the Sparrou, 「それはわたしよ」すずめがいった。
with my bow and arrou,  「わたしの弓で、わたしの羽で、
    I killed Dock Robin.  わたしがやったの、こまどりを」
マザー。グースより。同じリズムが全部で14連。こともが覚 えるにはちょっと長すぎるくらいに続く。最後の一連だけ韻を 踏まない。子供に覚えてもらっては困る ようなことがあったのかもしれない。


ちなみに最終連は

All the birds of the air    あわれなロビンいとおしむ
    Fell a-sighing and a-sobbing,    とむらいの鐘な りわたり
When  they heard the bell toll    そらの小鳥はいっせいに
    For poor Cok Robin    うれいにむせびなきぬれた


日本語訳はMorris.の好みで矢川澄子(^_^;)

・ Enharmonic 異名同音
ソの音を半音上げたときのG♯と、
ラの音を半音下げたときのA♭は同じ黒鍵である。
同じ音でもこのように二つの名前があることは,
楽典の勉強をかじるときには難しいばかりでも、
作曲家にとっては転調する足掛かりとなって都合がいい。
コトバはそれを実際に使う人にとって、
つまりここでは作曲家たちに便利なように作られていくのだ。


Morris.手持ちの小型英和辞典にはこの単語載ってなかっ た。「新英和大辞典( 研究社 1960)には
Enharmonic  [音楽] 細分律(的)の(平均律においては異名同音的の;  -- change 細分律的変化[転調]、異名同音的変 化[転調]。四分音程。
とある。平均律と十二音律では表す音が違うようだ。絶対音感のあ る人ならこの違いがわかるのだろうか? 転調の時に便利というの は何となくわかる、ような気がす る。

・ 久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬ かも 正岡子規
far away under the skies of  America they began  baseball--ah, I could watch it forever!
こころみにこの英訳をさらに翻訳してみようか。
とおく アメリカの空に はじまる ベースボールをみている  秋はこない。
「ひさかたの」は「天(あま、あめ)」にかかる枕詞


この歌は知ってたが、枕詞には気づかずにいた (>_<) こうやっていったん外国語に翻訳したも のをさらに日本語に翻訳するというのは既視感がある。 最近ソウルの高校生とe-mailで文通を交わしているのだが、相手は日本語できないので、韓国語でやりとりということになる。Morris.からの通信は最初日 本文、これをGoogl翻訳に下訳させて(^_^;)明らかな間 違いやおかしいところを辞書などで訂正して、その韓国文を Google翻訳で日本語に直してチェッ クする。これで大まか意味が通じそうならその韓国文を送信するわけだ。
"I could watch it forever!"を「秋はこない」と訳しているのが著者の洒落(飽きることがない)なのかな。

・Gauche le violoncelliste セロ弾きのゴーシュ
gauche(ゴーシュ)はフランス語で「左利き」。「不器 用な」という意味もある。左利きにあまり良いイメージがない のは英語でも一緒で、left- handというと「不誠実な」とか、さらには「悪意がある」なんて]意味まである。


これまた、セロ弾きゴーシュはお馴染みだったがゴーシュがフラン ス語の左利きとは(@_@) 日本で左利きといえば酒飲みのこと だけど……

・ odd number 奇数
even number 偶数
oddはもともと「突き出た地点]というような意味の古い印 欧語。そこから「付け足されたもの」「風変わりなもの」と意 味を変えてきた
evenは古英語の「水平な」から始まって「よく調和したも の」の意味に。


"odd"と「奇」の共通性は、つまり西洋の言葉を日本語に翻訳 したのだろうか、大言海には朱氏からの例文があるから、中国で以 前から使われていたことになるか ら、東西を問わず奇数は「奇しき数」といイメージがあったのだろうか?
偶数の「偶」は「ひとかた」の意味で土偶、木偶などに使われる が、配偶のように対の意味が付加され、これから偶数になったよう だ。 日本語なら「丁(偶数)半(奇 数)」がすっきりしてる(^_^;)

・ polka dot 水玉模様
ポルカはもともと「ポーランド風の踊り」の意味で、軽やかな ステップからっ連想されたのか、19世紀中ごろに模様の名前 として定着した。


最近韓国ポルカ歌謡にハマっているMorris.なので、水玉模 様=polka dotの項には注目せざるを得ない。韓国語で水 玉模様はそのまま믈방울(水玉) 무뉘(模様)(ムルバンgウルムヌィ)である。

・ Computer 器械
con-(合わせて)+pute(置く)が語源のもともとは 単純素朴な言葉。中世英語の時代までは日々の動作を表す動詞 だった。ここから次第に「器械」、さら に「計算尺」となって、そこから現在の情報操作の意味が派生している。


最近は中国人が使う「電脳」が一般的だが、初期の頃の「電子計算 機」という日本語訳は日本人のコンピュータに対する苦手意識を助 長したのではなかろうか、少くとも Morris.の場合は「計算」というだけで怖気付いた。

・ Geometry 幾何学
もともとはgeo-(土地)と-metry(測ること)から 出来た言葉。BC300年頃ギリシャの数学者ユークリッドに よってほとんど完成されながら、これが アラブ世界に伝わる頃にはヨーロッパでは忘れられてしまった。1300年ころ、ユークリッドの本がアラビア語からラテン語に翻訳されたのをきっかけに、復権し て、さらに300年が経って、その本が「幾何原本」として漢 訳されて、そうして「幾何」という不思議な響きが日本語に なった。

これは実に面白く興味深く不可思議な記述だった。「幾何奥深 し!!」

・ Bowdlerization 改竄
シェイクスピアの原文から、卑語猥語を抜き去って出版した Thomas Bowwdler博士に由来する言葉。一方で 「竄」の字は、穴に鼠が入るようにこっそ り素早く字句を挿入してしまうこと。どちらも文書の勝手な変更を表すけれども、正反対の意味に由来するのが面白い。


森友学園を巡る関西財務局の公文書改竄事件から「改竄」と「忖 度」という、あまりポピュラーでなかった熟語が、人口に膾炙する ことになった。いったん収まったかに 見えて、改竄を矯正されて自裁した赤木さんのメモが公になって、再燃しているが、調査されるべき財務大臣が「再調査する考えはない」と強弁している。森友文書に関 しては、英国式(問題になる言葉の削除)改竄が行われたことにな る。

・ records 記録
もともとcor(心臓)の語幹から「心に留めおく」くらいの 意味だったが、19世紀末に蓄音機が発明されてからは、もっ ぱら音楽用のレコード盤を指すようにな る。このアナログ・レコードはその後100年ほどで衰退するわけだが、この頃にはデジタル化社会となっていて、電子記録の全般をrecordと言い表すように なった。別々のものを指しているわけだから、それぞれに新し いコトバが作られても良かったはず。でもそれより技術革新が ずっと早かったために意味の「乗り換 え」が起きたことになる。


なぜか「稼ぎに追いつく貧乏無し」ということわざを思い出した。 「稼ぎを追い越す貧乏神」も(^_^;) 
recordの原義はremember。後から思い出せるように 書き留める=記録することにはじまる。記録破りというのも、ここ から派生する。

・ definition 語釈
語源を辿ると「釈」の字は「ばらばらに切り分けること」であ る。英語では、辞書の各項目のことをdefintionとい う。もとを辿ると「外枠」を定めるこ と」の意味で、ばらばらにするのとは真逆であるのが面白い。

釈の本字は「釋」で、獣の爪で獣の屍体を裂くという意味らしい。 defintion(定義)はdefineは「(境界、範囲など を)限定する、(真意、本務、立場 など)を明示する」から「定義するという意味になったもの。「釈」と"define"は「分析」と「総合」に対応する。

・ a three-days senssations 人のう わさも七十五日

75日と3日ではかなりの差がある。西洋人は、忘れるのが速いと いうことか。韓国語では「人の噂も三ヶ月 남의 말도 석달 (ナメマルドソクタル)」というか ら、日本に近い。小田嶋隆が「SNS普及の現代では、何かあるといつまでも何度でも噂(特に悪い噂)が蒸し返されるから、「人のうわさは75年」という世の中に なった」と書いてたが、そのとおりであると思う。

・INCOMPREHENSIBLE 翻訳不能な
翻訳できない言葉なんてないのだ。
これが言いたくて、私はこの本を書きました。

翻訳界のナポレオン宣言? \(^o^)/

か きとめることで、ことばは文字になり、変化しなくなる。軽や かに声帯から飛び出していく生きたこ とばからすれば、死んでしまうくらいに辛いことかもしれないけれども紙に書き付けられれたことでかきとめられたことで、ことばは人間から自由になって、夜に漂 うことができるようになる。成仏というほかに、これを言い表 す方法があるだろうか?

す、すごい!! 阿耨多羅三藐三菩提m(__)m

【漂 砂の塔】大沢在昌 ★★★☆  2018/09/10 集英社 初出「小説すばる」  2016-18
「北方領土」の歯舞群島の小島で、てんかいされている、ロシ ア、中国、日本のレアアースプロジェクトで、日本人社員が不 審な死体で発見。公安捜査員石上が、民間人 として現場に派遣され、政治的にも身分的にも不自由な中での捜査を進める。特異な舞台の意欲作と言えなくもないが、その分かなり無理な展開になったようでもある。

「ま ずレアアースについてお話をさせてください。もし石上さ んが詳しいのなら、しませんが……」
安田は迷ったようにいった。私は首をふった。
「レアアースというのは、17種類の元素の総称です。元 素周期表の21番スカンジウム、39番イットリウム、そ して57番から71番までの15元素を合わせた ものです。レアメタル47元素のうちの、電子配列が似たものをレアアースと呼び、超電導性や強磁性、半導体、触媒特性などが産業的に利用されています。このう ち、特に現在有用とされているのが、ネオジムやサマリウ ムなどの永久磁石の材料となるレアアースです。レアアー スは、レアアース鉱物に含まれており、その代表 的なものが、モナザイト、バストネサイト、イオン吸着鉱などです。もともとは地下深くのマグマに含まれていたレアアースが地表近くに上昇し、他の元素と化合し てできたのです。このレアアース鉱物には、トリウムとい う放射性元素が含まれている確率が高く、モナザイトなど は6から10%も含んでいます」


レアアース、レアメタルという言葉はよく聞くのに一向にイ メージが結べずにいた。こうやって物語の中で噛み砕いて説明 してあるとよくわかる。(ような気がする (^_^;))

外 国人売春婦と薬物は、犯罪組織という接着剤で分かちがた くつながっている。日本では、売春と薬物 では捜査員の熱意が大きく異なる。売春はかつて国が管理者に免許を与えていたこともあって、暴力団や海外の人身売買組織を対象とした捜査に偏りがちだ。薬物に ついては、マスコミの反応も大きいことから1g、1錠で も多い摘発を求められる。
人が国境を超えるときは、必ずモノもいっしょだ。人が売 春婦だったら、モノが違法薬物になる可能性は常にある。


大沢の代表作「新宿鮫」シリーズの主人公も麻薬への嫌悪感が 強い。大沢自身が同様なのだろう。確かに日本の警察の売春と 麻薬に対する温度差はあると思う。

「警 察官に権力があるなんて思ったこともありません。少くと も日本の警察はそうです」
パキージンは考えるそぶりを見せ、やがていった。
「私の知る警察官は、幼稚な人間が多い。権力と正義にと らわれすぎている。権力がふりかざす正義は、もはや正義 ではないことに気づいていない。


このパキージンの言葉は重い
【急 性ギャンブル中毒の時代】 李達富 ★★★☆☆   2020/07/15 新幹社 [自殺者3万人時代の検証」
李達富(イダルブ)1952年大阪市生野区生れ。大阪外大朝鮮語 科卒業。
名前から在日らしいし、パチンコはしないMorris.なのに、 パチンコ業界には興味があるので読むことにしたのだが、パチンコ だけではなく、コロナ禍渦中の社会 への鋭い考察もあって読み応えがあった。

80 年代後半から90年代にかけて多くのパチンコ店の勤務体制が 変わり、通勤者を主体とした従業員 制度になった。パチンコ店から寮がなくなると、ほぼ同時に日本全国でホームレスの問題が初めてマスメディアでクローズアップされる。

ある意味パチンコ店の存在はホームレス予備軍のセフティネットに なっていたのかもしれない。

警 察はバブル崩壊後、手っ取り早く金儲けができるとしてパチン コ業界への利権漁りに参入するきっか けとしてカード化を押し付けてきたのだ。
そのカード化を推進するカード会社として新たに設立された 「日本レジャーカードシステム」の大株主には、三菱商事、 NTTグループと共に、警察OBを中心に運 営される「㈱たいよう共済」が名前を連ねる。

警察とパチンご業界の綱引きはすさまじい物があったと仄聞する。

パ チンコは供給が需要を生む典型的な産業で、店舗網の拡大は オーナーの意思の問題であった。
持玉化によって生じた射幸性はパチンコファンの一部をマニア 化から依存症化へと進ませる背景となる。持玉化によって客の 金銭支出が不要になれば、売上は、本来 は増えない。しかし、現実は逆のことが起こる。持玉制によって一人あたりの消費額が増え始めたからだ。
元々、パチンコファンは低所得者層に多い。低所得ゆえ、パチ ンコで負け続ければ借金に走る人も出やすい。
チラシ広告の全面解禁に続いて、パチンコのギャンブル化に拍 車をかけたのは「等価交換」と呼ばれる換金率の変更であっ た。
交換率を6割にすると出玉率は140~150%で採算がとれ た。等価交換だと90%の出玉率が実質上の限界である。
裏モノ(不正に大当たりの確率やその連続性を高めたパチス ロ)の登場。出始めたのは96-7年頃。これが出始めた頃の 衝撃は凄まじかった。それまでことごく客 集めに失敗したようなパチンコ店でも、この裏モノ効果で、朝早く開店の数時間前から客が列をなした。営業中の店内は殺気立った空気が充満した。二十代の若者 に、勝てば40万というお金の魔力には抗しがたいものがあっ た。この裏モノパチスロの登場で、パチンコ店は初めて本格的 なギャンブル場へと変質した。この裏モ ノは勝った時は大きいが、負けた時はさらに大きかった。裏モノは連続性の大当たりを実現するために単発の大当たりの発生は抑えられた。つまり連続の大当たりを 実現するために、大当たりに当たるまではひたすらお金を注ぎ 込むようにできていた。
裏モノはその危険性が誰でも理解できたにも関わらず、何年も 全面的な取り締まりのないままに実質的に放置された。この放 置の恩恵を最も受けたのは裏モノで何年 も大儲けしたパチンコ店のオーナーだけではない。金使いの荒い裏モノのパチスロはこれまでにない規模の大きさの消費者金融市場を生み出す。アコム、武富士、プ ロミス、アイフルといった四大消費者金融や、闇金融に従事す る人たちはこの裏モノの放置状態に棹さして兆単位の利益を得 る。


あの頃のパチンコフィーバーぶりは門外漢のMorris.にも異 常な世界に見えた。

私 の仮説では商社がパチンコ業界に利権を求め、警察がその動き を後押ししなければパチンコ店の本格 的なギャンブル化は起こらなかった。この仮説が妥当性を持つなら、一義的に責任を負うべきはパチンコ行政を自己都合的に行った警察である。しかし、警察がとっ た対応は火に油を注ぐものであった。2002年前後に「四号 機」と総称される射幸性の高いパチスロが認可される。代表的 なパチスロ機は「吉宗」と「北斗の拳」 である。
パチスロ市場の拡大がもたらした全国のパチンコ店のギャンブ ルフィーバーは四号機の登場で最高潮に達した。 
そして多くの経営者がパチスロ市場のユーフォリア(幸福感) に浸っていると、前触れもなく、2006年の4月までに四号 機を撤去するよう警察から全国のパチン コ店に通達される。同じ年、サラ金の法改正が行われグレーゾーンの金利が廃止される。このサラ金の法改正では主に多重債務者救済が課題ととされ、パチスロを原 因とするギャンブル依存症の問題はマスメディアでは取り沙汰 されなかった。
多重債務を問題とすることによって二つの業界が潤うこととな る。法改正によって発生した過払い金利の返還を迫られたこと によって大手四代消費者金融は都銀傘下 にあるか、武富士のように会社自体がなくなってしまう結末を見る。こうして漁夫の利を得るかのようにしてサラ金市場を手に入れた都銀はカード化でパチンコ業界 に利権を漁った商社と同じ財閥系の金融機関であった。
もう一つの業界は弁護士業界である。過払い金利の返還手続き の手数料で多くの弁護士が潤うこととなる。こういう銀行と弁 護士のための多重債務者救済が仕組まれ たものかどうかは私にはわからない。
多重債務の問題とギャンブル依存症の関連が追求されなかった ことは今日まで尾を引いている。この追求は警察の監督責任に も行きつくので回避されたのか、そんな ことをすると困る人たちが世論の誘導をしているのか、これも私にはよくわからない。

「わからない」を連発しながら、筆者はその通りだと確信している のだろう。

(パ チンコの玉代金の上昇は)この20年で、千円で遊べたのが6 千円になったことを意味する。千円 の入場料が6千円になった映画館に例えると、この料金でも映画館に足を運ぶ人は相當な映画マニアであるが、映画マニアが昂じて生活破綻する人はあまりいないだ ろう。
負担額が数倍になってもパチンコ店に足を運ぶ人は依存症か、 その予備軍であると断じても間違いないであろう。そして、パ チンコの場合は、依存症は生活破綻と結 びつく。


これこそまさに、パチンコの「趣味・娯楽」から「ギャンブル」へ の移行。

ギャ ンブル依存症対策が奏功するとカジノは事業としては破綻する 可能性が高い。日本のカジノをめぐ る議論には巡航速度で軽く200kmが出るスポーツカーを売り出すのに「危険ですから100km以上は出さないようにしてください」といって売り込む営業マン のようなところがある。(第一章 ギャンブル依存症と急性 ギャンブル中毒)

わかりやすい上手い(でも怖い)たとえである。

豊 かな国が移民に対して決して排斥的ではないように、心豊かな 人は他人に対して包摂的である。わた しにとって心の豊かさは人格の成熟によって生み出されるものだ。人格の成熟は責任への自覚と反省を行動に反映する意思の有無によって形成される部分が大きい。 形式化した民主主義や大量生産、大量消費を駆動力とするグ ローバル化した新自由主義經濟は大衆を有権者、あるいは消費 者として、その限りにおいて甘やかす。決 して人格の成熟を求めるものではない。
私の両親は済州島という親族や村の知人といった人たちとの人 間関係の交流の密度が濃い伝統社会で生れ育った。二十世紀の 初めの頃である。当時は人との会話が娯 楽であり息抜きでもあった。だから二人は人が好きで、人と話すことが好きだった。人が好きな人は人を騙せないし、人に意地悪をしない。両親はそういう人だっ た。[第三章 介護の世界)


筆者は介護関連の仕事にも関わり。これまた鋭い考察を展開する。

不 要不急だから営業を自粛しろというのは誰にでも説得力を持つ ものではない。一方、全国の介護事業 所でクラスターが発生しているにも関わらず、介護事業所を緊急事態宣言の間、閉めろという声はどこからも聞こえない。感染リスクの危険性が高いからといって営 業を自粛できない。老人ホームの利用が止められると本人だけ でなくその家族も困ってしまうからだ。この場合の困り方は危 険性を顧みる余裕がないほど死活的だ。

コロナと介護施設の問題は相次ぐクラスター続出がありながらいま いち對策が遅れがちな気がする。

私 たちの日常の行為にはパチンコに限らず不要不急のものが多 く、所得格差を反映した行動パターンの 違いも大きい。別の面から見ると現在社会の経済活動の性格の特色は不要不急をビジネス化し、一方では所得格差の広がりを背景としたビジネスの隆盛が見られる点 に求めることができる。それがなくても死活的には困らないも のを大量に生産し続けることによって経済成長が維持される。 商品の氾濫と所得格差の拡大は經濟のグ ローバル化によってピークに達した。その経済規模の大きさをもたらしたグローバル経済は今回のコロナ禍と地球温暖化を生み出した元凶でもある。これだけ人が好 き勝手(大量生産、大量消費、大量廃棄)をやっているのに自 然からのしっぺ返しは地球温暖化しかないと高を括っていた私 たちに、今回のコロナ禍は「行動変容」 を迫っている。グローバル化と並んで行為の依存症かが経済成長を生み出す一つの要因である。

大風呂敷を広げているのだが、これは少し違うのではないかと思 う。

人 が依存症化した行動パターンを取る理由には人間の本性に由来 するものや、当該社会における孤独と 退屈、人間や社会に対する信頼感の喪失等がその背景にある。社会単位(村社会から国民国家へ)が大きくなればなるほど、人間観での親密性や連帯性は失われる。 物質的な豊かさが実現し余暇時間がふえても何をしていいか分 らない退屈が人々の行動を惰性化する惰性から依存症への転落 は人によっては早い。パスカルは言う。 「人間の問題は、部屋で一人じっとしておれないことから生じる」と。このようにみてくると人間の幸福とものの豊かさはトレードオフ(一得一失)の関係に立つ面 を有する。

ここでパスカルが出てくるのには、ちょっと驚かされたが、引用句 もかなり意表を突いている

豊 かな国のアメリカやイギリスでコロナウイルスによる死者数が 多いのは黒人人口や移民人口の割合の 高さを反映したものだ。アメリカの保険未加入者4500万の内、貧しい黒人や移民はそもそも医療へのアクセスが困難だ。
コロナウイルスは誰にでも感染する平等性をもったウイルスだ が感染リスクは貧困層の方が高い。つまり階級社会の不平等性 が実質的に感染リスクの不平等性を生 み、治療機会の不平等性を生んでいる。豊かな社会で貧困からの脱却がむつかしい人たちが感染リスクにさらされ、希望の持てない状況が依存症行為に走らせる。階 級闘争なき階級社会の実相がここにある。


日本でもこの傾向が無いとは言えないが、

今 回のコロナ禍が明らかにしたことの一つは先進社会がいかに余 暇時間を産業的に組織しているか、そ して産業として提供される敢行や娯楽産業、飲食産業がなくとも、あるいはショッピングの機会がなくとも人は死活的には困らない、困るのはそういう死活的でない ことを事業化して經濟を支える仕組みであり、その中で働く 人々である。そして、そういう先進国の仕組みがこれまで体制 の安定をもたらしてきた。古代ローマより 統治の鉄則は「パンと見世物」であった。グローバル化経済化した社会でその「パンと見世物」の供給は最大化した。しかし、その安定は不安定と表裏一体であるこ とが、今回のコロナ禍は誰の目にも明らかのものとした。

これは鋭い指摘。

社 会の発展(物質的豊かさが行き渡ること)とその発展した社会 に生きる人々の幸福が結びついてい た、少なくともそういう幻想が可能であった歴史観や社会観は今まででも揺らいだものであったが、今回のコロナ禍はその揺らぎがさらに加速されるきっかけとなっ た。
揺らぎや社会的不安が政治的不安定を生み出すと権力は発動さ れやすい。そういう中、権力が不要不急を選別し、人がそれに 異議や疑問を挟むことなく唱和しだす と、誰かが排除され差別される可能性はいつでもどこにでも開かれている。(第六章 コロナ禍の中のパチンコ業界と介護業界)


ワクチン接種拒否者への偏見やバッシングに繋がる。

幸 い、私は在日韓国人二世として生まれ育ったので、大きな会社 や組織に属したことがなく人間関係は 限られていたので、人を傷つけるような機会はあまりなかった。人をきずつけなくてすむ人生は幸福だと思う。
物欲(所有欲)の強さ、購買欲の強さ、人口規模が経済成長を 生み支える。グローバル経済は物欲を最大化する。人によって は物欲が充足されないで不満をためやす い経済社会体制でもある。不満が昂じて不満のはけ口を人に向けやすくする社会でもある。物欲が心の中心にあるより、感性的なものが心の中心である方が、人に優 しい社会になると思う。私は、人の幸福と自分の幸福は分かち がたく結びついていると考える人間である。人の幸福を願うこ とは自分の幸福を実現することでもあ る。私は幸福な人間になりたい。(あとがき)


突然あとがきでこんなこと表明されると日本人のMorris.は ちょっとどぎまぎしてしまう(^_^;)

【ク ジラアタマの王様】伊坂幸太郎 川口澄子挿画  ★★★☆☆ 2019/07/05  NHK出版 
書きおろしの一種のパラレルワールド。夢で怪獣と戦う戦士に なる3人の登場人物(製菓会社員、政治家、ダンサー)の現実 生活と夢の世界を交互に描き、夢の部分は台 詞のない漫画になっている。夢はロールプレイングゲームを投影したスタイルで、ゲームには全く冥いMorris.には理解不能の部分が多かった。
驚いたのは新型コロナ感染より半年ほど前の作品なのに、鳥イ ンフルエンザによるパンデミックが、ストーリーの重要てーま になっていて、その流行と日本社会の対応 が、コロナ禍の日本の対応と告示していることだった。
もちろん感染症関連書によって得られたところがおおきいいだ ろうが、それにしても、驚かされた。

「ハ シビロコウはほとんど動きません。英語名は shoebillで、靴のような嘴という意味で す」。

夢に出てくる指令官のような役割のこの鳥が重要なキーパーソ ン(ぢゃなくてキーバード?)になるのだが、後でアンチヒー ローにもなる。漢字で書くと「嘴広鸛」。

ニュー スや話題になるのは、物事の実際の重要性や危険性より も、多くの人たちの感情が優先される。 情報操作や誘導にかかわらず多くの人は、感情に正直なだけなのだ。

こういった警句めいたキメ台詞が伊坂作品の魅力の一つでもあ るのだがこの感情優位の考え方はストーリーの伏線にもなって いる。

欧 米で新型インフルエンザが見つかり、感染者が広がったと きのことだ。そんな矢先、都内の私立高校 性が修学旅行でカナダ行に行き、新型インフルエンザに感染した。高校の校長先生が記者会見を開き……地下鉄に投身自殺。

予見的言説の始まり。
       
ア ジアの農村で鶏インフルエンザの感染者が死亡した、新型 のインフルエンザの脅威は、昔から定期的 に話題に昇っていた。
小沢ヒジリは、心配する僕のことを意外そうに見た。「新 しい病気が出た、って。最初はぴりぴりしているけれど、 あれっていつの間にか収束しているんですよね」


これはサーズ、マースなどの感染症のことを指しているのだろ う。

犯 罪防止、有害情報の抑制、個人情報保護、さまざまな聞こ えのいい名目を盾に、情報のフィルタープ ログラムが導入されたのが数年前だ。必要最低限の機械的な濾過、と謳い、検閲にはあたらないとされているが、政治家に都合の悪い情報も削除されている、と都市 伝説的に言われてもいた。
ネット上の情報を、論理的な反論だけでなく、揶揄や詭 弁、不振な同調者の参加などを駆使し、骨抜きにする手法 は、日々確立され、進歩している。


インターネットやSNSへの警告。

都 内在住の男性から鳥インフルエンザが検出されたという情 報が入りました」

感染したのは誰だ、と首相暗殺の犯人を捜すかのような熱 で次々と、「感染者」の情報が発表されている。

「うちの近く、久保さん宅に救急車が停まっていたのをた またま見かけたの……すごいガードされちゃってるの。透 明の宇宙服みたいなのを着せられて。誘導するス タッフ。救急救命士なのかな、とにかくその人たちも同じような宇宙服で」

怖いとは何が? 鳥インフルエンザに感染することが?
もちろんそうだ、ただそれとは別の恐怖もある。「あいつ に近づくな!"」と指を向けられ、遠巻きにされる。白い 目で見られ……


これもコロナ草創期(^_^;)に見られた風潮。

僕 からの、映像を流してほしい、という懇願に栩木社長は悩 み、息子の瑛士君に相談をした。すると瑛 士君は、「短期的には避難されても、大局的には大勢の人を救うほうを選ぶべきじゃないの」と冗談半分に。主張したらしい。栩木社長の父親が口にしていた台詞 だ。

栩木社長の父は上級国家公務員で、短期的云々の言説は「消費 税導入」に関与したことのように感じられる。

後 でわかったことだが、新型インフルエンザに対する警戒心 は、不安は、国内のあちこちで混乱と事件 を起こしていた。近隣住人が感染者だ、というデマを信じ、その家に火を放とうとした者が現れたり、自分が感染したと思い込んだ人物が、死なばもろともの精神で 繁華街に出向いて暴れたりした。外出を恐れた者たちが保 存食を買い占め、奪い合いによる騒動も起きていた。
感染を疑う人たちが病院に押し寄せ、その混乱に苛立った 人から医師が殴られる事件や、ねっと上では、感染症を撒 き散らす外国人がいる、と偽情報が拡散されたた め、観光客が次々と襲われる事件が起きていた。
そんな中、ワクチンと治療薬がある、というニュースは非 常に有効で、まさに救いの主に近かったのだ。
人間をうごかすのは、理屈や論理よりも、感情だ。同じ罪 を犯した人に対しても、感情がさゆうすれば、まったく違 う罰を平気で与える。理屈は後からつける。
パニックを起こすのも感情だが、罪を大目に見ようという ムードを生み出すのも感情、というわけだ。


ここの羅列もそのままコロナ禍の中継のように見える。

自 分にとって都合の悪いものを、たとえばウィルスにとって の免疫めいたものを、1つずつ排除させ、 その免疫がなくなったところを見計らって本性を出し、襲い掛かってくる、そういった目論見を想像することはできた。

ハシビロコウ≒国家権力ってことかな?

都内の動物園に、男三人で来ていた。僕(岸)と池野内議 員は背広姿、小沢ヒジリは爽やかなジーンズ姿で、ハシビ ロコウのいる場所の前で長いこと立っている。
プレートに説明書きがあり、この鳥の和名と英名に並び、 学名も記されていた。ラテン語で「クジラ頭の王様」とい う意味らしい。


学名はBalaeniceps rexとなっていた。ペリカ ン目のハシビロコウ科ハシビロコウ属とのこと。


2021049
【ペ スト】カミュ 宮崎嶺雄 訳 ★★★☆  新潮文庫 196910/30 
"La Peste" 1947年6月

高名な作品ではあるが、Morris.は未読だった。「異邦人」 は高校時代に読んだと思う。コロナ禍のなかで、この「ペスト]が ちょっとしたベストセラーになって ると聞いた。コミスタこうべ図書室に文庫本があったので緊急事態宣言で休館になる前の日に借りてきた。文庫本の初版は1969(昭和44)年で借りた本は 2020(令和2)年96刷となっている(@_@)。単行本は同 じ訳者で1950(昭和25)年創元社から刊行されている。
物語の舞台はカミュ自身も住んだことのあるアルジェリアのオラン 市(当時はフランス領)で、ここでペストが大流行して隔離された 街の中での経過が医師リウーと、よ そ者タルーの手記を中心に描かれる。オランでペストが大流行した事実は無く、あくまで架空の物語である。

ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用 意な状態にあった。医師リウーは、わが市民たちが無用意で あったように、無用意であったわけであ り、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。戦争が勃 発すると、人々はいうーー「こいつは長くは続かないだろう、 あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争とい うものは確かにあまりにばかげたことで あるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいな ければ、そのことに気がつくはずである。


コロナの流行に関しても、Morris.も長くは続くまいと思っ たものである。

天 災ほど観物(みもの)たりうるような何ものをもこに述べえな いことが、どんなに遺憾なことである かは、筆者も十分承知している。それはつまり、、天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、そしてそれが長く続くというそのことからして、大きな災禍は 単調なものだからである。みずからペストの日々を生きた人々 の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る 残忍な猛火のようなものとしてではな く、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである。

これって、日本語なのだろうか?

絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。


こういった含蓄のある表現もところどころに見られるのだけど……

貧 しい家庭はきわめて苦しい事情に陥っていたが、一方富裕な家 庭は、ほとんど何ひとつ 不自由する ことはなかった。ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴイズムの正常な作用によっ て、逆に、人々の心には不公平の感情がますます尖鋭化された のであった。もちろん、完全無欠な死の平等だけは残されてい たが、しかしこの平等は誰も望む者はな かった。

「ペスト」を「コロナ」に読み替えることも可能だろう。

ほ とんどすべての者が、実際ただ茫然として手をこまねいてい た。
12月の一月じゅう、ペストは市民たちの胸のなかに燃え盛 り、竈に火を点じ、手をこまねいた亡霊を収容所に満たし、要 するに、停止することなく、その根気のい い急調子の足どりで進行して行った。

Morris.が目の仇にしている「手をこまねく」表記の連発。 後の例では、その使い道にも疑問を感じざるを得ない。

わ れわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなし えないのだ。僕ははっきりそれを知っ たーーわれわれはみんな;ペストの中にいるのだ、と。そこで僕は心の平和を失ってしまった。僕は現在もまだそれを捜し求めながら、すべての人々を理解しよう、 誰に対しても不倶戴天の敵にはなるまいと努めているのだ。た だ、僕はこういうことだけを知っているーー今後はもうペスト 患者にならないように、なすべきことを なさねばならぬのだ。それだけがただ一つ、心の平和を、あるいはそれがえられなければ恥ずかしからぬ死を、期待させてくれるものなのだ。
誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。なぜか といえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れて いるものはないからだ。


この場合の「ペスト」は「不条理」と言い換えることが可能だろ う。

「結 局」と、淡々たる調子で、タルーはいいった。「僕が心をひか れるのは、どうすれば聖者になれる かという問題だ」
「だって、君は神を信じてないんだろう」
「だからさ。人は神によらずして聖者になりうるかーーこれ が、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」
リウーは答えた。「しかし、とにかくね、僕は自分で敗北者の ほうにずっと連帯感を感じるんだ、聖者なんていうものより も。僕にはどうしてもヒロイズムや聖者の 徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心をひかれるのは、人間であるということだ」
「そうさ、僕たちは同じものをもとめているんだ。しかし僕の ほうが野心は小さいね」リウーはタルーが冗談をいっているの だと思ったが、その顔は悲しげでまじめ であった。


タルーとリウー、二人のこの物語の語り手の会話のいみするところ は重い。

災 禍の殻竿はもう市(まち)の空をかきまわしてはいなかった。 その代り、この部屋の重くよどんだ空 気のなかで静かにうなり声をたてていたのである。

「殻竿(からざお)」というのは、長短の棒を鎖でつないだ脱穀用 の農具らしい。ヌンチャクもこれが起源ともされるようだが、ペス トの猛威の比喩としては、ちょっと わかりにくい。原文がそうなってるのかもしれないが、日本人でこれをすぐに理解できるものはかなり少数派だと思う。

お そらくタルーのような人々は、自分でもはっきり定義できな い、しかしそれこそ唯一の望ましい善と 思われる、あるものとの合体を願っていた。そして、他に名づける言葉がないままに、彼らはそれを時には平和と呼んでいたのである。

「ペスト」を「戦争」の比喩と見れば、たしかに「平和」は望まれ てしかるべき。

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、 数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することがで き、部屋や穴倉やトランクやハンカチや 反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすためにペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な 都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということ を。


これが結びの一節。

青 年時代から十分な文学的修練を積んだカミュの文体が、ジッド を通じて象徴派を継承しつつフランス 古典の伝統につながっている。その彫琢された明晰な文体は一部に新古典派とさえ称せられるほどである。
この圧縮された清潔な文体は、そのかんけつさのかげには、い たるところ、抑えられた感動の美しさがあたかも恥じらうよう にひっそりと息づいている。心と心の触 れ合う微妙な感触っを、これほど美しく伝えうる文体をもった作家はかつてなかったのではないかと思われるほどである。


ここまでカミュの文体を賛美している訳者であるが、その訳文は、 上記の引用みるだけでも、相当ひどい気がするのMorris.だ けだろうか。えらく読むのに手間 取ったのは、訳文の出来によるところ大きいと思う。

ペ ストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとられ ることができる。死や病や苦痛など、 人生の根源的な不条理をそれに置きかえてみることもできれば、人間内部の悪徳や弱さや、あるいは貧苦、戦争、全体主義などの政治悪の象徴をそこに見いだすこと もできよう。そして何よりも終わったばかりの戦争のなまなま しい体験が、読者にとってこの象徴をほとんど象徴と感じさせ ないほどの迫力あるものにし、それがこ の作品の大きな成功の理由となったことは疑いがない。(訳者 解説)

解説のこの部分は肯定できる。
タイトルからコロナ禍の中でブームになったらしい本書だが、最後 まで読んだ人がどのくらいいたかはいささか疑問である。コミスタ こうべでは返却期限表があり、貸出 日のスタンプが押してあるが、令和3年のスタンプを見ると、1.28/ 3.17/ 4.12/ 4.19 /4.22/ 4.26/ 5.3と間隔が極端に短い のは、借りたはいいが、数ページ読んでパスした人が多かったことを証拠付けているのかもしれない。
2021年4月に岩波文庫から三野博司訳が出ているようだが、い まさら読み返す気にはなれない(^_^;)


【幸 田露伴 ちくま日本文学 全集 27】   ★★★☆☆ 1992/03/20 筑 摩書房
文庫版の文学全集ということで評判を呼んだものだが、露伴の 魅力の一端を手軽に知ろうという横着な気持で呼んだ。
「太郎坊」「貧乏」「雁坂越」「突貫紀行」「観画談」「鵞 鳥」「幻談」「雪たたき」「蒲生氏郷」「野道」「傍樹記」の 11篇が納められている。

一 通りでは無い貧苦と戦ってきた幾年の間を浮世とやり合っ て、よく搦手を守りおおさせたいわゆるオ カミサンであった(鵞鳥 昭和14年2月)

この文学全集の良い所は、ふりがなと注を淡い墨色で附してい るところだ、これは読んでいて邪魔にならないし、注が見開き の左端にあるのも、いちいち注のページを探 す手間がいらないのはありがたい。
「搦 手 弱点、また注意の届かない部分。」と いう注にちょっと意表を突かれ た。
Morris.は搦手というと、正攻法ではなく、相手の隙を 突くやり方だとのみ思っていたが、元は城の裏門、とか敵の後 方を意味し、続いて先の注の意味になるらし い。

「旦 那これは釣竿です、野布袋(のぼてい)です、良いもんの ようです。」
「フム、そうかい」と云いながら、その竿の根の方を見 て、
「や、お客さんじゃねえか。」
お客さんというのは溺死者のことを申しますので……
その竿を見ますとるというと、いかにも具合の好さそうな ものです。竿というものは、節と節が具合よく順々に、い い割合をもって伸びて行ったのがつまり良い竿の 一条件です。
吉は勝手の方へ行って、雑巾盥に水を持って来る。すっか り竿をそれで洗ってから、見るというといかにも良い竿。 じっと二人は、検(あらた)め気味に詳しく見ま す。第一あんなに濡れていたので、重くなっているべきはずだが、それがちっとも水が浸みていないようのその時も思ったが、今も同じく軽い。だからこれは全く水 が浸みないように工夫がしてあるとしか思われない。それ から節廻りの良いことは無類。そうして蛇口(へびぐち) の処を見るというと、素人細工に違いないが、ま あ上手に出来ている。
さあ、出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と 違って釣れるわ、釣れるわ、むやみに調子の好い釣になり ました……
「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はあ りあしねえ、竿はこっちにあるんだから。ネエ旦那、竿は こっちにあるんじゃありませんか」
竿はもとよりそこにあったが、客は竿を取出して南無阿弥 陀仏、南無阿弥陀仏と言って海へかえしてしまった。(幻 談 昭和13年9月)


露伴は釣の趣味があったらしいが、いかにも語り物めいていな がら、行き届いた文の運びはさすがである。

我 儘な太閤殿下は「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」などという 句を詠じて、細川幽斎に「しかとは見えぬ 森のともし火」と苦しみながら唸り出させたという笑話を遺しているが、それでも聚楽第に行幸を仰いだ時など、代作か知らぬが真面目くさって月並調の和歌を詠じ ている。正宗の「ささずとも誰かは越えん逢阪の関の戸埋 む夜半の白雪」などは関路ノ雪という題詠の歌で有ろうか 知らぬが、どうしてなかなか素人では無い。
(蒲生氏郷の)辞世の歌の「限りあれば吹かねど花は散る ものを心短き春の山風」の一章は誰しも感嘆するが実に幽 艶雅麗で、時や祐けず、天吾を亡う、英雄志を抱 いて黄泉に入る悲涼愴凄の威をいかにも美しく詠自出したもので、三百年後の人をしてなお涙珠を弾ぜしむるに足るものだ。


秀吉;と幽斎の笑い話は良く出来ている。幽斎だけに幽黙 (ユーモア)横溢といえるだろう。蒲生氏郷の辞世は悪くない が、露伴にしてはちと褒めすぎのような気もする (^_^;)

この時代には毒飼は頻々として行われた。けれども毒飼は 最もケチビンタな、蝨ったかりの、クスブリ魂の、きたな り奸人小人妬婦悪婦の為すことで、人間の考え出 したことの中で最も醜悪卑劣の事である。自死に毒を用いるのは恥辱を受けざるためで、クレオパトラの場合などはまだしも恕すべきだが、自分の利益のために他を 犠牲にして毒を飼うごときは何という卑しいことだろう。 (蒲生氏郷 大正14年9月)


「ケチビンタな、蝨ったかりの、クスブリ魂の、きたなり奸人 小人妬婦悪婦」罵詈雑言も、露伴の筆になるといっそ小気味良 い。

自 分がまだ年の若い頃、すなわち死にさえしなければ老とい うことは必ず自分の身を摂取して捨て無い ということにも気が付かないで、活溌に放縦に今日を過し得ることを幸福とも意識せぬほど幸福に暮していた時分、自分等と同じ年頃のむだ口友達、漢学者風に云う えばすなわち談敵で、実際若い者は自己のためにも他人の ためにも学問のためにも芸術のためにも、職業や利益生活 やまたは社会のためにも何にもならぬ談話、すな わちむだ口を交換するのを悦ぶもので、談話のための談話、強いて弁護すれば趣味興味のための談話を交換する友団を有っていない者は無い。が、それらの談話より 好い事の生ずる場合はもちろん希有で、大抵は山の樹の葉 が風に動くように彼等の舌が動くのみで、そして山の樹の 葉の風に動いたのがなんらの結果を齎らすに至ら ないで終るごとく終るのを常とするから、公平にその実質に適う名称を撰めばむだ口友達としてしかるべきである--そのむだ口友達と会談して、その恕談、褸談、 連綿語、突発語、奇句、警句、罵倒之辞、叱咤之辞、ある いは慷慨憤悱、あるいは滑稽突梯、種々様々のむだ口興味 ともいうべき無邪気なしかもあさはかな、えらそ うなしかもくだらない、超脱的で実は平凡な、気焔の強いかつ足元のおぼつかない、つまり世間の誰でも、三蔵五助どもが為すところの会談を為して、その月並的の 興味に浸っているのを好いとした折、何人かは忘れたがそ の仲間の一人が、若い者の自分等とは到底ソリの合わぬ老 人共を冷評して、「歳をとるとケチになる」と 云った。それをおぼえていたのではあるまいか。

「歳をとるとケチになる」という本題より、その前に書かれた 若い時代の友人関係のあれこれから、Morris.は学生時 代の友人たちのことを懐かしくそしてちょっ と気恥ずかしく思いだした。

河 水放流のために、莫大な費用と労力とを捨てて、固有の土 地を新しい川を造るために掘鑿し、いわゆ る新中川を完成するに力めている。まことにご苦労千万なことであるが、その東京地先を埋立てて新河川を穿つ有様は、何の事は無い本来の尿道を閊えさせておいて 別に手術をして腹部に小孔をあけてそこから膀胱へ護謨の カテテルをさし込むようなものである。実に医術は巧妙に なった世の中であり、施政も巧妙になった世の中 である。ホニホロというものは巧に馬に騎っているがその馬は造り物で自分の脚であるいている観せ物である。吾等の小児の時はホニホロの巧妙なのに感嘆して楽ん で観たが、今だに世上の「何とやらの何とやら実はホニホ ロ」の芸当を感嘆して観ている楽しさを失わぬことは、ま ことに太平の民たる余栄である。しかし医術は進 歩しても死ということを絶無にすることは出来ないから、土木が進歩しても施政が進歩しても水害が起ったとて是非はない。政治をする者や土木の技家を責めるのの 酷なことは、人が死んだからとて医師を責めるのの不道理 と同じことである。

ホニホロというのは唐人飴売りの一種らしい。(Wikipedia)  

ハ テ何という樹だろう。楢というものは、甚だ種類が多く て、柞(ははそ)も楢も皆楢の群の中だか が、これもあるいはナラの類だろうか。ただ樹膚の様子が少し異っているようであるなどと思ったけれども、隣庭とは小溝一つ隔ててはいるし、彼此共に敗れては居 るが生籬がその名残を留めているので、樹下について仔細 に視ようともせずに終ってしまった。
「あれでこざいますか、ナニ旦那様、あれは「とねりこ」 というやくざの樹で、お褒めになるようなものではござい ません、つまらないものでございます」
「ハハア、あれが「とねりこ」という樹だったの!」
自分は胸の中で、とねりこ、とねりこという樹を目の前に 知ったのは今日が初めてであるが、とねりこという名は前 から知っていたと思った。
「とねりこは田の畦で生杭にされるなんて、役にも立つ し、枝ぶりも悪くは無いように思う。いろいろの樹が弱っ て行くから、私はとねりこでも植えようかと思 う。」
「ハハハ、いくら風雅な方でも、とねりこを庭へお植えに なったということは聞いた事がございません。」
その風姿からして、竹竿何ぞ珊珊たる、魚尾何ぞ簁簁た る、という古い釣の詩の辞を思い出すと、アッ、今朝何か の書で自分からあの樹に出会したことがあると思っ たのは、西洋の釣りの書の中であの樹に会ったのであった、と明らかに思い得た。それらの書を引出して見ると、アッシトリーの釣竿というのがある、そのアッシト リーがかの樹であったと見出した。ハハア、英国にはこち らの野布袋のような佳いものが無いので、竹竿は印度竹を 六片矧にして使い、そのほかはグリーンハートや ヒッコリーなどという樹から竿をつくり、かの樹をも竿にすると見える。なるほどあの樹は竿にならぬこともあるまい。よく撓う樹であるから、と思うと好きな路か らなんとなくかわゆいような気がし出して、おのずからに 笑が催された。
その翌日また書斎で退屈した時に、百科辞書でアッシト リーをしらべてみたところ、釣竿になることは書いて無 かったが、その靱性を利用してトランクを造ったり箍 にしたり、婦人の袴をつっぱる用にしたりすることを見出し、なかなか役に立つものだというkとを知った。それからまた馬車のある部分の用にも充てられることを 他の書で知って、松や杉にこそは及ばずとも、用いれば用 いどころのあるものだと悟った。
実はとねりこ一本で数日の余閑を楽んだのであった。
年をとるとケチになる。こんな下らぬ淡いことを楽んでい られるのである。自分は自分で笑いながら自分からの評語 を自分へ受取った。「年をとるとケチになる。」 そしてとねりこを心頭から放下した。(望樹記 大正9年10月-12月)

本書の中でこの「望樹記」が一番印象的だった。「とねりこ」 という木は、名前だけは耳馴染みなのだが、実体は曖昧模糊で ある。露伴ならではの「とねりこ」とのかか わり合い。ブッキッシュでもあり、実践的(庭に移植する)でもある。これを「ケチ」というのなら、また善哉である。

露 伴の視線は実のところ平々凡々なところに注がれている。 文学者というと、何やら小難しい理屈を並 べて作品を作るように思われるが、彼の立場はあまりに単純で明瞭すぎて、かえってその眼の位置が、「ケチビンタな蜆ッ貝野郎」には判らないのだ。
その平々凡々な眼、生きることをどこまでも肯定するまな ざしは、やがて露伴自身を大樹となした。この大樹は人を して畏怖させるものではなく、人をなごませ、陰 をつくり休憩を与え、ときにはたわわな実をつけて、人の食欲を満たし、また歩き続ける勇気をもたらす。
「望樹記」は大正9年、もともと「ケチ」と題して発表し たものである。
とねりこは露伴自身である。
一本の樹が育つには、土と水と陽が連環し、樹もまたそれ に応えるのだ。ものはそう生きて、生を全うする。生を充 分に味わい、噛みしめることを知らぬ人はそれを ケチと見る。五十四歳になった露伴はおだやかにこう語っているのだ。(解説「味露記」松山巌)


松山巌も何か気になる人であったが、この露伴評は、なかなか 穿ったものがある。ますます露伴に誘惑されてしまう。

【建 築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場】松山巌 ★★★☆☆  2004/04/30 西田書店
彰国社刊『「建築学」の教科書』所収「小さき場のために」へ大幅 な加筆をしたもの。

建 築は人間の生活そのものであり、自然とともにつくる風景であ り、人と人とがともに生きる関係であ る。いま多くの人に建築について考えて欲しい、殊に若い人たちに。この本は高校生たちに、大学ではじめて建築を学ぶ人たちに向けて書いたつもりである。建築と はなにか、建築家はどんな仕事をするのか。そのことを考える ためにいくつかの短い言葉を綴り、小さな絵をいくつか画い た。絵を描くとまた言葉をいくつか加え、 それから絵をまた画き、さらに写真を添えて、ふたたび言葉を書いて……という風にして一冊の本が生まれた。(あとがき「21世紀の、われら「大工の弟子」たち に向けて」)

新書版サイズ115ページのこじんまりとした本で、54の短文が 収められている。装幀も著者によるもので、かなりわがままな (^_^;)造りである。本文用紙はざ ら紙風で、嬉しい事に活版印刷で、印圧がはっきりわかる。内容もかなり自由奔放で、引用あり、散文詩風あり、レイアウトにも工夫をこらしている。「大工の弟子」は 萩原朔太郎の詩集「青猫」所収の詩で、冒頭に部分引用されてい る。

僕 は都会に行き
家を建てる術を学ぼう
僕は大工の弟子となり
大きな晴れた空に向つて
人畜の怒れるやうな屋根を造らう。
……
僕は人生に退屈したから
大工の弟子になって勉強しよう。(萩原朔太郎「大工の弟 子」)


手持ちの「青猫」(大正12)の目次にはこの詩は見当たらない。 昭和3年の「萩原朔太郎詩集」に「青猫(以後)」として収められ たらしい。

建 物という言葉がある。
建築という言葉もある。
よく似ている言葉だけど、少し違う。
建物とは、ある場所に建っている物のこと。
建築とは、ある場所にどのような建物を建て、どのように築 き、どのような場所にするのかを考えること。(5)

一度、建物を建てる場所から離れて、
あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。
あなたが気持ちがよいと感じる場所を考えて見よう(7)

もともと明治以降、日本の建築はヨーロッパ建築のかたちをコ ピーすることからはじまったのだ。だからヨーロッパの古い建 築を見ると、かえって日本の明治時代の 建物に似ているなと感じる人もいるはずだ。そしていつの間にか、明治時代に建てられた建物こそが、私たちは本物だと思ってしまう。(16)

Morris.が洋館とか洋風建築とか異人館とかに心惹かれるの は、安っぽい西洋への憧れなのかもしれない。

建 築にもし、いいものとわるいものがあるとすれば、いいものと は長いあいだ、人々に使われた建物で ある。なぜならそのような建物は、時代の変化に耐え、激しい風雨にも耐え、なにより多くの人々に愛され、使われてきたからである。だから建てられたとき高い評 価を受けても、それが、いい建築とは限らない。長生きも芸の うちという格言は建築にこそあてはまる。(18)

地震や繊細を乗り越えて残った建物も。

あ なたの記憶に残る建物とは、街に立ち並ぶ建物全体ではなく、 建物のなかの小さな部分ではないか。 (19)

神は細部に宿り給う God is in the  details 

人 間が作り上げた風景はすべて「恐怖」から生じたという意見が ある。
風、雨、雪、厳寒、酷暑、
地震、雷、虫、獣、敵軍、
火事、病気、犯罪、盗み
といった、さまざまな恐怖に抗するために建物や街はつくられ てきた。
《かつて人間は力を結集して自然に対抗したが、今度はその力 が社会の枠からはみ出し爆発の危険を始めた人間に向けられ る。その結果生み出されるのは処罰の光景 であり、言葉をかえていえば、征服される以前の自然にも匹敵するほど強力で、恣意的な、近寄りがたい巨大な官僚支配のシステムである》(イーフー・トゥアン 「恐怖の博物誌」金利光訳)


官僚支配は処罰のシステム(^_^;)

路 傍や田畑や川岸にちょこんと立つ、なんの変哲もない小屋に惹 かれる。
写真家・中里和人はそんな、どこにでもある小屋を4年間かけ て撮りつづけた。(28)


「小屋の肖像」(中里和人 2002)は、斉藤さんのところで見 せてもらい感動した覚えがある。

20 年ほど前のことだが、四国の土佐を旅行した折、ぶっちょう造 りという民家に出会った。
通常の雨戸は戸袋のなかに引き込まれる。ところがぶっちょう 造りの雨戸は、ちょうど中央の高さのところから雨戸は上下に 開く。上の雨戸は金具で壁から引っ掛け られて庇となり、下側の雨戸には折りたたみ式の脚がついていて、その脚を出すと縁台になる。簡単で楽しい仕掛だった。(30)


「住 宅は住むための機械」とは、20世紀を代表する建築家ル・コ ルビュジェが1924年に語った有 名な言葉だ。
ところが、ル・コルビュジェが住宅にとってほんとうに重要な 目的だと語ったのは、じつは第二の目的だった。
《住宅は次には沈思黙考のための肝要必須の場でもあり、そこ には美が存在し、人間にとって欠くことのできない静謐を心に もたらす、そんな場でもあります。…… 住宅は或る種の精神のためには美の感覚をもたらすべきだと言っているのです》(「エスプリ・ヌーヴォー」山口知之訳)(35)


よくわからんが、「住むための機械」のほうがわかりやすい。

も し建築たちに意志があるなら、建築たちは樹のように生きたい と希っているのではないだろうか。
その土地で生き、育ち、そしてその土地で死ぬ。
建築が寄り集まったとき、
林や森のような
静謐と陽気、
秩序と多様を
もたらさないとしたら、
ひとつひとつの建築はどこか間違っている。
なんたって、建物をつくる時間より、建物を使う時間の方が ずっと長いのだ。(36)


寄り集まった建築が森や林のようになるなんてことは、日本では めったに見られない。

《望 みをもちましょう。でも臨みは多すぎてはいけません。》 (ウォルフガング・モーツァルト「モー ツァルトの手紙」柴田治三郎訳)

スピードアップとは、なにかを行う過程を楽しむ余裕を失うこ とであり、利便さとは一面で凶器であり、狂気であることがわ かる。24時間営業するコンビニ、一年 中いつも温度、湿度、明るさの変わらない部屋、高速度の列車、車……。百年前、これらの利便さを人は想像することもなかったはずだ。(42)


コンビニのことを韓国ではピョニジョム(便宜店)と呼ぶ。

個 性的とか、芸術的とか、言い古された言葉で評価される建築は いかがわしい。もしそれらの言葉がふ さわしいのであれば、その建築は言い古された言葉と同じだ。(45)

韓国語でケソンチョク(個性的)と評価されたら、褒めどころがな いと評されたことになる。女性の場合「ブス」の婉曲表現。

異 なる物と物を継ぎ、積み、重ね、組み合わせれば、そこにはど れほど細くとも、目地は生まれる。床 のフローリングにも天井にも、窓際にもドア枠にも、棚にも引き出しにも目地はある。むしろいろいろな物を組み合わせてつくる建築は、じつは目地をつくることに よって成り立っている。
建築の用語には「逃げ」という言葉がある。決して悪い言葉で はない。異なる物と物を重ねたり、組み合わせるとき、ひずみ や誤差のために、相互の間に少しのすき まをつくる。これが「逃げ」だ。計算上は不必要だ。でも、もし逃げがなかったら、引き出しは引っぱり出すことはできず、扉は開かないだろう。(47)


「目地」と「逃げ」。この項目が本書では一番印象深かった。

建 物は、少し微笑んでいるくらいがいい。

街は、少しほころんでいるくらいがいい。

都市は少し笑っているくらいがいい。(48)


国は無い方がいい。

ひとりの人のほんとうの悲しみや怒りを他人は共有することは できない。悲しみはつねにひとりの心のなかに沈潜し、怒りも またそのひとりの人間の心の底から発せ られる。だから他人の悲しみや怒りを理解しようとすることができても、共有することは不可能だ。
しかし喜びは共有できる。なぜなら喜びは人と人との関係で生 まれ、共にわかち合うときに生まれる。
誰もが善い人ばかりだったら気持ちが悪い。いろいろな感情を 人間は抱く。だからこそ悲しみや怒り、亀裂や断絶を寛容に受 け入れ、拒絶するべきすきまが、生きる ための小さな場が必要となる。(49)

建築は、たとえそれが小さな住宅であろうとパブリックなもの だ。
そして、そのパブリックな思想は部材と部材をつなぐ細部に表 現される。(52)

共有な場とは、じつは未完成の小さな場なのだ。
未完の建築はほほえみ、世界はゆれる。
世界はふるえる。
未完であるためのすきま、ひとりが生きる目地、継ぎ目、余 裕、余白、小さき場。(54)


いい本だった。

【見 わたせば柳さくら】丸谷才一 山崎正和 ★★★☆  1988/05/20 中央公論社 初出「中央公論文芸特 集」1986-87
季刊誌に2年にわたって連載された対談である。文春のおごり で、二人の売れっ子? に便宜を図って楽しい行事に大名接待 した余録とも見える。

・ 「あけぼ のすぎの歌会始」「桜は死と再生の樹」
・ 「芸能としての相撲:「胡弓を奏く祭」
・ 「旧宮邸の美術館で」「映像的世界1987」
・ 「企業がつくる町」「雪の日の忠臣蔵」

山 崎 朝香宮邸について書かれたパンフ レットの中で、高橋秀爾さんが、 アール・デコの時代とは、芸術的オーガナイザーの時代だというんです。つまり、自分にはさほど才能はない芸術家が、他の芸術家や職人さんたちを上手に組合せ て、新しい作品をつくりあげる。その例としてロシア・バ レーのディアギレフを挙げています。ディアギレフ本人は 芸術的才能はさほどなく、本人もそれを認めてい た。しかし、彼がいなかったら、近代ロシア・バレーというものはなかった。
丸 谷 それとまったく対応するのが、エ ズラ:・パウンドという詩人です ね。彼がそう大した詩人だとは、僕は思わない。でもオーガナイザーとしてのエズラ・パウンドがいなければ、イエーツやエリオットの詩もなければ、ジョイスの小 説もなかった。
山 崎 ふりかえって考えると、この芸術 上のオーガナイザーが非常によく活 躍したのは、ほかならぬ日本の中世なんですね。一番古いのは二条良基だと思うんです。彼は歌人であり、国文学者であり、有職故実にたけた文化のオーガナイザー なんですね。やがて烏丸光広という人が出てくる。彼の周 辺に光悦とあその他いろいろな人たちが集まる。本阿弥光 悦自身も一面ではオーガナイザーでしょう。さら に、千利休がいる。
丸 谷 別のいい方でいうと、生活を芸術 化する時代ですね。その芸術化とい うのは、利休から始まって、日本人のもっとも得意とするところなわけですね。ヨーロッパ人にとっては、芸術は芸術、生活は生活、別のものだった。そう思いこん でいた彼らが、世紀末このかた、日本美の原理に接触して 愕然とした。(旧宮邸の美術館で)


旧朝香宮(東京都庭園美術館)には一度だけ行ったことがあ る。2004年7月24日と日付もはっきりしている。ここで 「幻のロシア絵本 1920-30年代展」が 開かれそれを見に行ったのだった。詳細は「Morris. の東京物語2」に譲るが、その18年前にここで 黒田清輝展が開かれ二人がそれを見た後での対談である。本阿 弥光悦をオーガナイザーと見る視点も面白 かったが、Morris.としては日本のアール・デコの最高傑作といわれる、この建物をじっくり見る事ができなかったことが心残りである。

山 崎 日本人 にとって、写真あるいは映像は、相当に大きな、認識論上の意味をもっていたんではないかと思うんですね。日本の伝統に欠けていたものの一つは、本当の「外界」 だった。異国趣味はありました。唐物趣味という形で、外 国のものが入ってきたことはありました。しかし、明治の 初期になるまで、西洋を見た画家はいなかった。 西洋人がリアリズムを開発したような目で、現実を見たことはいっぺんもないと思うんですね。
丸 谷 つまり、いきなりエソテリック (秘教的 esoteric)なんで す。
山 崎 そこで、日本人は写真が入ってき たとき、たんに現実をよく写すとい うことで驚いたのではなく、自分の外に現実があることを発見したんです。向うに向けてシャッターを押すと、向うがこっちを向くということ、そいういうどうしよ もない向うがあるということを知った。西洋の写真は、近 代リアリズム絵画の発展形態として生れましたが、日本に はそれがなかったわけですから、写真でいきなり 裸のリアリティーというものを学んだのでしょう。(映像的世界 1987)


「鎖国」の後遺症かもね。

山 崎 宝塚少 女歌劇というものは、小林一三がどこまで見通してつくったかわかりませんけれども、日本の文化状況の縮図のようなものですね。
丸 谷 あれは芸者の手踊りを模範という か型にしてつくったという感じがし ますね。
山 崎 宝塚が多くの人の支持受けている 大きな理由はたぶん、あんなに安い 値段で、日本でレヴューがみられるということです。あれをプロでやったら、昭和初年でも、おそらく費用は数十倍になるでしょう。ところがお嫁入り前の若い女 性、どうせお稽古ごとをしてすごす世代、いわば労働力と してはタダに近い人たちを、しかも学校の生徒という名目 で集めれば……。天才ですね、こういうことを考 える人は。
丸谷 宝塚の女の子たちをああいうふうに雇って、しかも どんどん捨て去ることができる仕組をつくったところがす ごいと思う。優秀な例外的なスターだけは残す、 あとはどんどん捨てていく。そういう仕組を、彼は平然としてつくったわけでしょう。
山 崎 基本的にはヨナ抜きのメロディ、 一音符一字のあて方。つまり小学唱 歌だったんですね。新教育のおかげで、日本古典音楽は滅びてしまった。かといって、本当の西洋音楽ははいってきていない。したがって、小学唱歌で行くんだと、 小林は、はっきり書いているんですね。


宝塚歌劇見た後のこの対談が一番興味深かった。小林一三が後 発の阪急電車で観光(箕面や有馬)と、郊外住宅開発に着目し たたと、宝塚少女歌劇という不思議な世界を 作ったことの本質を、現代の素人少女学芸団(おにゃんことかAKB)とかに直結する使い捨て芸能方式と見破った(それも80年代に)目の付け所はすごい。

山 崎 つま り、夢というものは、現実について少しだけ知っているが、十分には知らない人がもち得る特権ですから。
丸 谷 うまいことをいうなあ。(笑) (企業がつくる町)


うーーん、本当にうまいことを言うこの山崎正和の本を読みた くなった。
【彩 りを楽しむはじめての庭木・花木 】小林隆行 ★★★ 2013/02/25 日本文芸社
 185種の栽培カレンダー 剪定と手入れのポイント
草花の名前はそこそこわかる方だと思うが、樹木の名前がいつまで たってもわからない。とりあえず、木の花から覚えよう。というこ とで一通り目を通した。要チェック のものを列記しておく

・ プラシノキ(カリステモン)
・オウバイ(黄梅)
ジャ カランダ(桐もどき)
・ デュランタ
・ルリマツリ(瑠璃茉莉)プルンバーゴ
・バイカウツギ
ヒ トツバタゴ(ナンジャモンジャの木)
・シャリンバイ(車輪梅)
・ドウダンツツジ(灯台躑躅 満天星躑躅)
ニ ワトコ(接骨木)
・ハイノキ(灰木)
・ハナモモ(花桃)
・ハンカチノキ
・ヒュウガミズキ(日向水木) トサミズキ(土佐水木)
・リキュウバイ(利休梅)
・オガタマノキ(招霊木)
・カナメモチ(要糯)
カ マツカ(鎌柄)
・キササゲ(木大角豆)
コ ンロンカ(崑崙花)
・タニウツギ(谷空木) ベニウツギ(紅空木)
・チャンチン(香椿)
・テイカカズラ(定家葛)
・ヒメシャラ(姫沙羅)
・ナナカマド(七竈)
・ニオイシュロラン(匂棕櫚蘭)
・ハクチョウゲ(白丁花)
ヒ ペリカム(未央柳 金糸梅)
・ユッカ(君が代蘭)
・キンロバイ(金露梅)
・クサギ(臭木)
・ブッドレア
ア ベリア(筑波嶺空木)
・フクシア
・ランタナ


*ネットいろいろ見た中では「庭 木図鑑植木ペディア」というサイトに多くの庭 木が掲載されているようだ

【人 間晩年図鑑 1990-94年】関川夏央 ★★★☆☆  2016/05/26 岩波書店

山 田風太郎先生に「人間臨終図鑑」という著作がある。古今 東西九百余人の死に方を書いた、静かに劇 的な本だ。山田先生は1980年代なかばに筆をおかれたが、それ以降に死んだ人は書かれずに気の毒ではないか、というのが最初の発想だった。(あとがき)

臨終図巻はMorris.の愛蔵本だが、87年発行でそれ以 降の死者は見ることが出来ないことを、惜しいと思っていた。 関川がその続編を目指した心意気や良し、と 思うのだが、臨終図巻は、死亡年齢順に列記(15歳~121歳)で、増補するのは難しいし、最近は個人情報尊重という観点から、死亡前後の表現の制限が厳しい こともあって、1990年から一年ごとにその年に死んだ人を 取り上げることにしたらしい。関川がこんな本を出していると は知らずにいたが、すでに続編二冊が出てるらしい。 山田風太郎(2001年没 79歳)の記述を読んでみたいものである。

1990 年に死んだ人々
栃錦(春日野)清隆(64歳) 成田三樹夫(55歳)  グレタ・ガルボ(84歳) 池波正太郎(67歳) 藤山 寛美(60歳) 幸田文(86歳)
1991年に死んだ人々
江青(77歳) 中島葵(45歳) 山本七平(69歳)  相田みつを(67歳) 
1992年に死んだ人々
中村曜子(65歳) 山村新治郎(58歳) 尾崎豊 (26歳) 小池重明(44歳) 長谷川町子(72歳)  大山康晴(69歳) 中上健次(46歳) 寺田ヒ ロオ(61歳) 太地喜和子(48歳) 風船おじさん(鈴木嘉和 52歳)
1993年に死んだ人々
オードリー・ヘップバーン(63歳) 神永昭夫(56 歳) ハナ肇(63歳) 山本安英(90歳) マキノ雅 弘(85歳) 田中角栄(75歳) 逸見政孝 (48歳)
1994年に死んだ人々
安井かずみ(55歳) アイルトン・セナ(34歳) 金 日成(82歳) 吉行淳之介(70歳) 乙羽信子(70 歳)


昭 和29年秋、4度目の優勝で栃錦は第44代横綱に推挙さ れる。昇進二場所目、30年春場所での関 脇若ノ花との取組は水入りでも勝負がつかず、一番後取直しの末、すくい投げで栃錦が勝った。年六場所となった昭和33年初場所、若乃花(31年9月場所で改 名)が横綱昇進して「栃若時代」がはじまる。
「団塊の世代」の男の子のほぼ全員が大相撲に興味をもっ ていた時代だった。(栃錦)


「団塊の世代」であるMorris.もそれなりに大相撲には 関心があった。「栃若時代」では栃錦、「白鳳時代」は柏戸を 贔屓にしていた。

幸 田露伴が残した最良の作品とやはりいうべき幸田文は83 歳の1988年5月、脳出血を起こし右半 身不随となり言葉を失った。退院したが、自宅庭で転倒して骨折した。茨城県石岡で療養中であった1990年10月31日に文は亡くなった。心不全、86歳で あった。(幸田文)

「幸田露伴が残した最良の作品とやはりいうべき幸田文」とい う表現は奥歯にものの挟まったような表現であるな。ここ数年 の間に、幸田文の本十冊以上読んだと思う。 そろそろ彼女を卒業して、露伴作品を少しずつ読んで行きたいと思う。

書 家の岡本光平は、相田みつをの書と言葉は、その後に続い た片岡鶴太郎、緒形拳、「絵手紙」の小池 邦夫とおなじ「大衆化路線」にあり、その源は東洋的文治世界を信奉していた中川一政だ、という。とすれば、おなじ「白樺派」で生涯に5万点の絵と言葉をかいた といわれる武者小路実篤と同根であろう。
相田みつをは「便所の神様:」だといったのは小田嶋隆だ 必ずしも皮肉ばかりではない。三十代の1990年代初め 頃、アルコール中毒だった彼が吐くためにこもっ た居酒屋のトイレで見た、「つまづいたって/いいじゃないか/にんげんだもの」に心を打たれた。同時に、相田みつをの言葉をカッコつきで「ポエム」と命名した 小田嶋は、対象世界が明らかに違う尾崎豊と結局は同じだ として、「かつて日本人が共有していた古典教養ががまっ たく継承されなくなった」ことが「ポエム」の流 行を呼び、それが「ポエム」が媒介する「永遠の中二病」を日本社会に蔓延させたのだと書く(小田嶋隆「ポエムニ万歳!」)。 (相田みつを)


「ポエム」、「絆」、「癒やし」、「ガンバレ」、「元気をも らった」……けっ、である。だが、こういった安っぽいお題目 にすがらざるをえない場合や人々がいること も否定はできないのかもしれない(^_^;)

ま り子65歳、町子63歳、洋子58歳となる83年、まり 子と町子は、母親が昔買っておいた用賀の 土地に家を建て、桜新町の家から越すことに決めた。しかし、当然ついてくるものと思っていた末の妹洋子は、桜新町の古い家に残るといった。その家の土地は洋子 名義になっていたし、夫を見送った家を彼女は去りたくな かったのである。妹がはじめてしめした「反抗」を意外に 思い、また不快に感じた姉たちは、以後妹との付 き合いを断った。
92年5月、長谷川町子は能血腫で亡くなった。72歳で あった。その死が約ひと月のちまでこうひょうされなかっ たのは、まり子の方針であった。「洋子には絶 対、知らせてはならない」と周囲厳命した
87年に母貞子が91歳で亡くなったとき、その遺産を相 続放棄していた洋子は、町子の遺産相続権も放棄した。そ の額が膨大なので国税局がその真意を質しにき た。(長谷川町子)


そういえば、サザエさんの版元は「姉妹社」だったな。長谷川 洋子「サザエさんの東京物語」(2008)を読みたくなっ た。

や がて「第一次東京五輪」と呼ばれることになるだろう 1964年東京大会で初めて正式競技となった 柔道の無差別級決勝は10月23日、一万6千にの観衆で埋まった武道館で行われた。オランダ代表、30歳のアントン・ヘーシンクと、日本代表、27歳の神永昭 夫の試合であった。
そのときヘーシンクは、寝技を解かぬ体勢のまま片手を上 げた。金メダルが決まった瞬間、興奮したオランダチーム のひとりが上履きのまま畳の上に駆け上がろうと したのを制したのである。敗れた神永はしばらく動かず、武道館の天井を見つめていた。
ヘーシンクは73年、39歳で全日本プロレスと契約し た。リング上ではジャイアント馬場とタッグを組んだが、 人気は出なかった。
ヘーシンク最大の功績は、オリンピックでの柔道競技の定 着だろう。。もし東京でヘーシンクが勝っていなかった ら、柔道は日本のローカル・スポーツとみなされた ままで、ミュンヘン以降の復活はなかった。少なくとも大いに遅れたことはたしかであろう。その意味では、試合に敗れた神永昭夫もまた功労者であった。(神永昭 夫)


「第二次東京五輪」の開催はほぼ絶望になったのではないかと 思われる(^_^;)
日本選手敗退が柔道の国際化に結びついたというのは「負ける が勝ち」の実践でもある。

1994 年7月8日の金日成の死は、翌9日正午、平壌放送が重々 しく伝えた。放送の声は、まるで世 界の終りを告げるかのように悲痛だった。
金日成は無謀な戦争の発動と北朝鮮軍壊滅の責任を取らな かった。逆に、休戦後は自己の権力の確立のために政敵の 粛清をあいついで実行した。南朝鮮労働党グルー プを手はじめに、ソ連からの帰国組、中国からの帰国組、最後に国内パルチザン派を処刑・追放してライバルを根絶やしにした。戦争指導は未熟でも、政敵除去の手 際はみごとであった。
1966年、中国で文化大革命が発動されると、それに刺 激された国内造反勢力の台頭を恐れた彼は、自分とその家 族を神聖化する政治システムへの転換をはかっ た。北朝鮮はすでに67年には共産主義国ではなかった。カルト国家であった。
朝鮮戦争で失った労働力を補うために在日朝鮮人の「帰 国」を促し、在日コリアンと日本人妻、合計9万4千人が それに応じた。民族主義と共産主義に人生を捧げる つもりで見知らぬ寒い土地へ「帰国」した彼らが支払った代償は過大だった。
日本時代の韓国には、事実上独立運動はなかった。独立は 日本の敗戦によって自動的に得られたもので、解放後も新 政府樹立を名のり出るものはいなかった。そのこ とが心的トラウマとしてコリアンの心に深く刻まれ、ひるがえって抗日運動に身を挺したと力説する金日成への劣等感と、客観的には不合理きわまる金日成へのひそ かな支持につながった。(金日成)


関川には北朝鮮を論じた「退屈な迷宮」という快著がある。上 記の論調もその線上にある。しかし、このような言説を公にし ている関川は、北朝鮮のブラックリストに 載っているのではなかろうか。

本家風太郎の臨終図巻があまりに良く出来ているだけに、いさ さか見劣りすると言えなくもないが、関川流のうがちやひねり もあって、健闘してると思う。そして関川が 書けなくなるまで、ネタは尽きないわけで、ひょっとしたら関川の死後、彼の記述を含めて継続させていく書き手が現れるるかもしれないなどと思ってしまう。
【プ ルコギ 焼肉小説】具光然 ★★★☆☆  2007/04/04 小学館
2007年に公開された映画「The 焼き肉ムービー プルコ ギ」の原作。 名前からして著者は在日だと思う。著者は映画の脚 本も担当している。
このところ焼き肉にはとんと無縁なMorris.である (^_^;) せめて活字でその味を偲ぼうと思って読んだ。赤肉 料理で全国制覇を狙う「虎王」チェーンのト ラオと北九州の白肉の名店「プルコギ」で韓老人の弟子のタツジとの対戦、紅白肉合戦(^_^;)みたいなストーリーで、それはそれなりに楽しめるが、タツジが変て こな九州弁で語る各章の前口上めいた焼き肉談義(ウンチク)に見 るものが多かった。

コ プチャンは、韓国語で牛の小腸ってゆー意味。小腸の外側には ぷりぷりの脂がついとって、ここが最 高にうまい。この一番うまい脂をもったいないことに、ほとんど取り除いて腸の皮だけ出す焼肉屋も多いみたいやけど、そーいうとこは行かんほうがええとおもう。 店によって皮を開いてだすとこと、丸いまんまだすとこがあ る。九州でよぉ見掛ける丸腸は丸いまんま。プルコギ食堂もそ れ。
下味は、醤油ダレやらコチュジャンを使った甘辛い味噌ダレや ら、いろいろある。オレが好きなんは、やっぱ塩ダレかな。し ぼったコプチャンに味がまんべんなく よぉしみこむよう、塩とゴマ油を丁寧にやさしくムンチする。あ、っと、「ムンチ」は韓国語で、手で和える、揉み込む、っていう意味やけ。


タツジの文体見本。Morris.はどちらかというとコプチャン は開いた奴の方が好きかも。

肉 は同じ面を二度焼いてはならない。二度焼きは焼き肉の致命傷 になる。各面を一度だけ完璧に焼いて 仕上げた肉と、同じ面を何度も焼き直した肉は、見た目にはそれほど大きな違いはないのに味と食感に圧倒的な違いがあることを、タツジの舌は経験から嫌というほ ど知っていた。

そうか、焼き肉は「二度焼き禁止」なのか。機会があれば、実践し てみよう。

適 度に弾力のある皮を奥歯が押し潰すと、なにかがぷしゅっと勢 いよく弾けた。脂だ。突然、ヤケドし そうなほどの熱さが口の中に広がり、その熱さをどうにかしようと舌が右往左往していると、えも言われぬ香ばしさと、やさしい塩味に引き立てられた極上の旨みが 舌の上と鼻の奥をくすぐった。タツジは目を閉じ、口の中に神 経を集中した。
脂が溶け出した皮を何度も噛みしめ、歯を心地よく刺激する独 特の食感を楽しんで、タツジは、するっと自然に皮を飲み込ん だ。と、目を開き、旨みの余韻が仄かに 残る口の中に、すかさずニ切れ目のコプチャンを放り込む。また目を閉じる。ゆっくり咀嚼する。毎週食っとるのに食うたんびにびっくりするっちゃ。うま過ぎ、で す。じいちゃん。


これは本文中のタツジのコプチャン称賛の辞だがこれだけ書ければ 大したものである。、

テ ンジャンチゲ、テンジャンってゆーんは、韓国語で味噌ってい う意味。チゲは一人用の器で出てくる 鍋のこと。ちなみにチョンゴルは数人で作りながら食べる鍋のこと。
ダシを取るんは豚肉が一番やけど、アサリとかエビ、ホタテな んかの魚介類を入れることもあるし、牛肉、ホルモンなんかの 内蔵を煮出した汁を使うこともあるしニ ボシでダシを取ることもある。野菜も、じゃがいも、にんじん、エノキ、ヒラタケ、長ネギ、春菊とか、いろんなモンを入れたりす。あ、豆腐も忘れちゃイケンよ。
テンジャンの具で、オレがいっちゃん好きなんは韓国のかぼ ちゃで、韓国語でホバァってゆーの。日本の韓国料理屋なんか やと、ズッキーニで代用しとるとこが多い んやけど、かぼちゃっちゅーより瓜ってカンジ。ホバァは炒め物もうまいし、おひたしにしても最高やん。
プルコギ食堂のテンジャンチゲは、豚肉をゴマ油で炒めて、そ この牛スジか、テールのスープを加えて、あとは必要な具を足 していく。


イパクサの大好物であるテンジャンチゲに関しても必要十分な紹介 になっている。ホバク(ホバッ)はMorris.の好みだが、確 かに見た目は胡瓜に似てるが、味は 甘くないかぼちゃという感じがする。日本ではズッキーニしか売ってない店が多い。たまにズッキーニ買ってホバクジョンなど作ってもいまいち美味くなかったのも、両 者は似て非なるものということなのかもしれない。

「シ ロ肉というのは、持たざる者の、弱者の思想だと思うんです」
「肉からいきなり思想とは、これまた飛躍するね」
「食の好みは人の生きざまですから、哲学、思想以外のなにも のでもないとおもいませんか?」
「じゃ、ま、そういうことにしとこうか。で?」
「つまり、ニーチェです」
「へーーっ、シロ肉はニーチェなんだ。興味深いね」
「もちろんニーチェは持てる者、強者の立場、今の議論でいえ ばアカ肉側の人間として、それを指摘するわけですけど。シロ 肉信仰、これはもうルサンチマンなんで すね。高級なアカ肉への、それを日常的に食することが許されている品性と才能を持つ人たちへの怨み、妬み、嫉み、憎しみの奔流です。シロ肉の優位性を信じるこ とでしか、社会的惨敗者の自分の存在理由、価値、アイデン ティティを保つことができないワケです。悲しいことなのです が」
「シロ肉、ニーチェ、ルサンチマンね、ふん、まぁ、言わんと することはわかるんだよ、片岡くんの言わんとすることはね。 でもさ、それって空論なんじゃないのか な? 事実、地位も財産もあって、フランス料理に関する著書ではパリの名誉市民としても表彰されているオレがアカ肉よりもシロ肉をこよなく愛してやまないこと を、片岡くんはどう説明してくれるのかな?」
「ぼくの言っているルサンチマンというのは目に見える物質的 な表象や現象のことではなくて、内側の本質的なレベルのこと です。つまり、品格とか品性の問題なん です」


トラオと白肉ファンの美食評論家とのえらく衒学的対話だが、これ は読者サービスだろう。Morris.はミノ至上とする白肉派だ が、赤肉の美味しさは知ってるつも り。ただ、食する機会が少ない(しつこい!!)だけ。



【天 皇機関説--昭和史発掘6】松本清張 ★★★☆  1978/01/25 文藝春秋 
「昭和史発掘」全13巻」は社会派推理作家の大御所松本清張 の歴史研究の中でも異色を放っている。昭和史と言っても7巻 から13巻までの7巻はすべて二・二六事件 に直接関係するもので、1巻から6巻までもほとんどの記事が、二・二六事件の前史、あるいは事件に関連するもので占められている。つまり13巻に及ぶ大河ドラマみ たいな「二・二六事件史」といえるだろう。
松本清張作品はそれなりに多数読んでると思うのだが、推理小 説中心で歴史物、評論はなんとなく避けていた。6巻には「京 都大学の墓碑銘(滝川事件)」「天皇機関 説」「陸軍士官学校事件」の三篇が収められていて、前からこの天皇機関説のことが気になりながらいまいち分らずにいたので、つい読んでみる気になった。奥泉光の近 作「雪 の階 (きざはし)」が日中戦争前夜を舞台とし て、この天皇機関説が大きな因子として取り上げられていたこ とも誘因となったのだろう。                                                     
120p、小説で言えば中編くらいだし、平俗むけの解説書の おもむきで、ところどころ、清張ならではの我田引水、強引な 論の持って行き方についていけないところも あったが、非常にわかりやすかった。

昭 和10年に起った、いわゆる「天皇機関説」の問題は日本 の方向そのものを大きく決定した。この問 題を契機にファッショ勢力は全面的な攻勢に移り、日本は急速に戦争へと傾斜してゆくのである。「天皇機関説問題」は日本を破局に暴走させた切り換えポイントの 役目をになっている。
美濃部学説を、簡単にいうと、国家を主権者のある法人的 団体と見なす。日本の場合、この法人の主権者は天皇の 「大権」である。この大権は天皇が勝手に行使する ものではなく、国民の利益の上に立って行使される。つまり、天皇の独裁の範囲を縮小し、それだけ議会の権限を拡大するという一種の議会在権的なものだった。美 濃部は、天皇の意義をその人格的存在と、法人団体の代表 的存在と、二つにわけたのである。
まず、世間に誤解を与えたのは、天皇機関説の「機関」と いう名であった。万世一系の至尊を、機械になぞらえるこ とは怪しからんという論が起こる。ひいては、不 敬ではないかという避難に発展する。国粋的理論はそれを極端におしすすめたものだった。

【年 の残り】丸谷才一 ★★★☆☆  1968/09/15 文藝春秋 
短編中編合わせて4篇が収録されている。
・川のない街で-- 「文學界」1968年1月号
・年の残り--「文學界」1968年3月号 59回芥川賞
・思想と無思想の間--文芸」1968年5月号
・男ざかり「文學界」--968年9月号

マ ルクス・アウレリウスの言葉が心に浮んで来た。昭和の初め英 文学者の魚崎が、ストイックな男には ぴったりだとからかいながら推薦してくれて以来、レクラム版の『瞑想録』は彼の愛読書になっていたのである。

昨日は一しずくの精液、明日はミイラか灰。それゆえこの地上 における束の間を「自然」の意志のまま過して、やがて安らか に憩うがよい。ちょうど熟したオリーヴ の実が、自分を産んでくれた大地を祝福し自分を実らせてくれた樹に感謝しながら、落ちてゆくのと同じように

料理が前に置かれると、われわれは考える。これは魚の屍だ、 豚の屍だ、と。このファレルノ葡萄酒は一房の葡萄の汁にすぎ ない、とか、あの紫の衣装は貝の血で染 めた羊の毛に過ぎぬ、とか。あるいはまた、性交とはすなわし性器の摩擦と射精の謂にほかならぬ、とか。

マルクス・アウレリウスは16代のローマ皇帝でストア派の哲学者 らしい。「瞑想録」より「自省録」の名で知られているようだ。

「ス トアの連中がいちばん尊敬していた哲学者がソクラテスなの は、粗衣粗食だったとか肉体的快楽を 排斥したとかいうこもあるが、例の毒杯をあおぐソクラテスというのが一種の自殺、そう見ることもできるせいも大きいんじゃないかな。第一、開祖のゼノンが自殺 してるしね
「自分で自分の首をしめて……」
「そうあれだよ」
「それからエリザベス朝演劇--シェイクスピアのころの芝居 には自殺が多いでしょう。あれだってそうだ。あのころのイギ リスの芝居はストアの影響を強く受けて いたから」
「でも、ぼくはストアじゃないからな」
「だから……自殺は肯定しない」
「どうして?」
「自分の意志じゃなくて生れて来たんだから、自分の意志じゃ なくて死んでゆくのが正しいと思う。首尾一貫している」(年 の残り)


「年の残り」は芥川賞受賞作で本書の腰巻(表紙の帯)には石川淳 のちょっと皮肉っぽい評が付されてあった。
あまり世評に上らなかった「思想と無思想の間」の以下の部分が Morris.には印象深かった。

歴 史主義というのは18世紀の啓蒙思潮や自然法に逆らって生れ た19世紀の産物で、だから歴史につ いての考え方という面ではマルクス主義もこれにはいる。そう言えば彼の看板みたいに思われている浪漫主義も西洋の19世紀のものだし、それから民族主義や国家 主義だってそうだ。そしてこういういろいろなイズムはみな手 を握りあって、啓蒙思潮と自然法の普遍的・全人類的な考え方 に反対したのである。こう並べて来ると 黒田栄之輔の財産目録は西洋19世紀づくしになるのだが、世間ではそのことに注目しないようだ。これは彼がいつも日本、日本と言っているからみんなが言葉の表 面ばかり見て、彼の方法をみようとしないためじゃないか。
しかしこのことは、もともと国家主義というものが普仏戦争や ナポレオンや植民地競争の時代、つまり19世紀のもので、ほ んのすこし遅れ気味にしてこれも19世 紀の日本に舶来品としてはいって来たということを考えればよく判るだろいう。その国家という舶来品に興奮したという意味で、たとえば頭山満などは大変なハイカ ラだったのである。ついでに言っておけば、いわゆる国士とか 豪傑とかの豪放なスタイル、あれも西洋の浪漫主義といくらか 関係づけて考えることができよう。
明治以後の日本は国家それ自体が西洋の真似に熱心で、しか も、たとえばイギリスがインドに対しておこなったことをこち らyは中国で真似ようという態度であった し、だから西洋19世紀主義者黒田栄之輔は声を大にして居丈高に、なぜ悪いと開き直ることができるんどえある。こうして満州事変もシナ事変もみな肯定される し、アメリカについてはもっぱら向うが日本を挑発して真珠湾 を攻撃させたというふうに、アメリカにみんな責任が会うrこ とになる。日本が中国を侵略したという 倫理的な反省はちっともなくて、あれはやむにやまれぬ民族の力の発現だなんて言うのである。この民族の力という概念には、明らかにダーウィン風の「適者生存」 の反映があろう。つまりここでもまた西洋19世紀が顔をのぞ かせるわけだ。
一方にはこういう無倫理な歴主義・国家主義があるのに他方に は平然として、アジアの平和とか、王道楽土とか、五族協和と か書いてある7。ぼくには、これが単な る名目なのかそれとも本当にそう思っているのか、見当がつかないのである。それに舅はまた、大東亜戦争のせいでアジア・アフリカには独立国がふえたじゃないか なんて威張っているけれど、この伝でゆけば日露戦争のせいで ソビエトが出来たわけで、乃木大将も東郷平八郎も、広瀬中佐 も明石元二郎もみんな赤の協力者という ことになってしまうだろう。だが、こんなふうに文句を言ってもはじまらないかもしれない。何しろ舅の本では、英国がインドにしたことを日本がやってはなぜ悪い と尻をまくっているちょうど10ページさきで、英国の対イン ド政策を「一東洋人として」口を極めて罵っているのであ る。……(思想と無思想の間)


黒田は、戦前からマルクス主義を初め左右主義を総ざらいしたよう な活動家?で、語り手の義父にあたる。こういった論の持って行き 方は丸谷一流のやり方である。三つ 子の魂百まで、ぢゃ(^_^;)

【泣 き虫ハァちゃん】河合隼雄 岡田知子絵 ★★★ 2007/11/30 新潮社 初出「家庭画報」2005-07
河 合隼雄 1928年兵庫県生れ。臨床心理学者。京大卒業後、スイスのユング研究所でユング分析心理学の理解と実践に貢献。文化庁長官などを歴任。2007年7月逝去。

どうも心理学というのには胡散臭さを感じるMorris.な のだが、河合隼雄にはなんとなく、好感と信頼感をもってい た。
本書は、彼の自伝的作品で、連載半ばで亡くなってしまったの で遺作ということになるのだろう。

お 母さんは、静かに話しかけてきた。
「ハァちゃん、ほんまに悲しいときは、男の子も、泣いて もええんよ」
もうたまらなかった。ハァちゃんは涙の流れ出してくるの を止められなかった。しまいには、お母さんの膝に顔を埋 めて泣いた。お母さんの膝はあたたかく、優し かった。「男の子も、泣いてもええんよ」などということは、ハァちゃんはそれまでに誰からも聞いたことはなかった。

Morris.は小学校1、2年生の担任だった宮地静代先生 から、同じような言葉をかけられた記憶がある。かなり泣き虫 だったようだ(^_^;)

「ハァちゃん、けんかぐらいしてもええけど、嘘は絶対に あかんで」お母さんの顔はきびしかったけれど、それだけ で終りだった。短い、しかし腹にこたえる声の響 きだった。


けっこう嘘つきだったような気がする(>_<)   

少 し考えた後で、クライバーさんは実に真剣な顔をしてハァ ちゃんに言った。
「私は、玉手箱のなかには浦島太郎の年齢(とし)が入っ ていたと思います。あけなかったら、トシがそちらに溜っ て浦島はずうっと若いままだし、玉手箱をあける とトシが出てきて、浦島は老人になります」


浦島太郎の玉手箱の中身が年齢だったというクライバーさんの 説は特別ユニークなものでもないが、幼かったハァちゃんの記 憶に残っていたというのは、かなり印象的 だったのだろう。

私 がもう言葉を使い果たしたとき
人間の饒舌と宇宙の沈黙のはざまで
ひとり途方に暮れるとき
あなたが来てくれる
言葉なく宇宙からの一陣の風のように
私たちの記憶の未来へと
あなたは来てくれる (「来てくれる」河合隼雄さんに 谷川俊太郎 2007/11/03 より)


谷川俊太郎は弔辞ならぬ弔詩も上手いなあ。二人は親交が深 く、共著も数多く出している・

こ の『泣き虫ハァちゃん』は、夫が遺した最後の本になりま した。世界文化社発行の「家庭画報」に連 載中、平成18年8月に脳梗塞で倒れ、そのあと書きためてあった分が掲載されましたが、まだ本人が執筆予定であったこの続きを書くことはできず、倒れてから 11ヶ月後にとうとう、意識が戻ることなく逝ってしまい ました。
夫はこれまで思い出というものを書かない人でしたのに、 なぜこの本を書いたのでしょう。なにか、はかり知れない 運命を感じていたのでしょうか。この『泣き虫 ハァちゃん』が、夫の置き土産だったのかと思っています。(河合嘉代子)
【日 本の四季 風のたより 雲のふみ】倉嶋厚  ★★★☆ 1988/12 /10 朝日出版社 初出「朝日新聞」 お天気衛星、1984-88
写真 鈴木正一郎
倉 嶋厚 1924年長野市生れ。中央気象台付属 起床技術館養成所研究科(現気 象大学校)卒業、気象庁勤務。NHK解説委員、気象キャスター。

コミスタ神戸図書室で見つけて、その写真の美しさにつられて借り てきた。著者の名前は何となく記憶に残ってた。NHKの気象キャ スターやってたらしいからそのとき の記憶だろう。コラムの内容もなかなか濃いものがあった。

・ こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり 雪--津軽に降る七つの雪の呼び名。 太宰治の作品『津軽』の扉裏に「東奥年鑑より」として記されているから、古くからいわれてきたものでああろう。(七つの雪)

・「人生相見ざるは、ややもすれば参(しん)と商(しょう) の如し」と杜甫が歌っている。会うことのないたとえにあげら れた参と商はともに星の名で、参は冬の 星座の代表のオリオンの三つ星、商は蠍座のアンタレスで夏の星の代表である(参と商)

・スコールというのは南洋方面の強い「驟雨」のことだと日本 人の多くは思っているが、世界気象機関の用語集では「突風」 と定義されている。「しぐれ」の語源も 「し」は風、「ぐれ」は「狂い」だという説がある。雨と風が一体となって切り離せない減少を指す言葉の中に、こういう例が多いようだ。(風と菜種梅雨と)

・「はやて」は、英語ではスコール。積乱雲の横隊がスコー ル・ラインとなって、前線から離れ、時速80km以上のス ピードで先に進む。「はやて」は、かかると すぐ死ぬところから疫痢の別名になったり、相場の短期間の激変の意味で使われたりもする。(春はやて)

・俳句歳時記では霧を秋の季語と限定し、春の霧を「かす み」、夜の「かすみ」を「おぼろ」としている。しかし気象観 測では「かすみ」も「おぼろ」もない。いず れも、霧、靄(もや)、風塵、黄砂、層雲、巻層雲、高層雲などのどれか、またはそれらの複合によって起きる。(朧月夜)

・平壌 47058、ソウル 47108、東京  47662--これは気象電報に用いられる国際地点番号で、 初めの47は朝鮮半島と日本列島の地区番号、後の 三数字が各都市の番号である。ニューヨーク派72503、モスクワは27612、シドニーは94767である。
3月23日の「世界気象デー」は1950年の WMO(World Meteorologicak  Organizationn 世界気象機関)条約の発効日を 記念したもの。(世界気象デー)

・水に落とした一滴のインクは、ゆっくり広がって色が消える ほどに薄まる。これが拡散現象。この場合は分子の不規則な運 動による拡散だが、大気中の拡散は、分 子よりはるかに大きな空気の塊の不規則な動き、つまり大気乱流によって行われるので、もっと大規模になる。
地球大気が無限に見えた時代は、汚染物資の拡散は自然の"毒 消し"。自浄作用と考えられていた。しかし、現代の地球大気 は、人類にとって、換気装置のない「室 内空気」である。(拡散)

・気象庁所属の気象大学校の前身は、大正11年に創立された 即効技術官養成所で、いくたの変遷を経て、昭和39年に四年 制の大学校となった。校舎は千葉県柏市 にある。学制上は文部省令による大學ではなく、それに準ずる各種学校として取り扱われているが、卒業生には打学院進学資格が認められており、人事院規則に寄る 学歴免許資格は大学卒扱い。女性の入学が認められるように なったのは、昭和54年から。毎年、およそ15人の採用に対 して千五百人から二千人近くの受験者がい る。学制は公務員として採用され、在学中から給料を受ける。(気象大学校)

・「集中豪雨」という言葉は、日本独特の気象用語で、英語で 論文を書くときはsevere rain storm(激し い雨あらし)と訳すことが多い。アメリ カの気象学会編の気象用語集では、積乱雲から降る異常な大雨を、cloud burst(雲の爆発)と呼んでいる。(雲の爆発)

・雲に関心をもった文人は多く、正岡子規の随筆『雲』、幸田 露伴の『雲のいろいろ』、島崎藤村の『雲の記』などがある。 「雲もまた自分のやうだ/自分のやうに /すつかり途方に暮れてゐるのだ」と山村暮鳥。「あのくものあたりへ 死にたい」は八木重吉。(雲)

・1mmの雨は、一平方mあたり、一リットル、一kg。一平 方kmなら、千トン。利根川水系の6つのダムの集水域の面積 は約1600平方km で、そこに 10mmの雨が降れば、1600万トン。ただし、降った雨のダムへの流出率は、今ごろは0.5ぐらいだから、ダムに流れ込むのは、80万トンになる。(水不 足)

・大気中に存在する水蒸気をすべて雨にして、全地球表面にな らすと、雨量は25mmにしかならない。が、地球上には一年 間に平均千mmの雨が降る。ということ は、大気中の水蒸気は一年間に40回つまり、約9日間に1回の割合で、全部入れ替わっていることになる。雷雨、低気圧、前線、台風などの雨は、みな、その一環 であり、その「空の水道」を駆動しているのは、むろん太陽 だ。(空の水道)

・空へのぼっていく空気塊は、気圧が低くなるから膨張する。 ふくらむからには、気体は物理学上の「仕事」をする。そのた めにはエネルギー(熱)がひつようであ る。が、どこからも、それをもらうわけにはいかない。そこで、自分が持っていいる熱エネルギーを消費する。つまり気温を下げる。これな「断熱冷却」という。こ の場合の「断熱」といは、周囲との熱の授受のないことをいい 表す。雲は上昇気流の「断熱冷却」で水蒸気が凝結してでき る。上空の冷たい空気に触れて「冷やされ て」できる、などと子供向けの図鑑などに書かれているが、これはまちがい。自分で「冷える」のだ。(断熱膨張)

・季節や地域による気候の変化の根本原因は、太陽光線の傾き の違いである。英語で気候をクライミット (climate)、ドイツ語でクリマ(Klima)と い、その他のヨーロッパの各国語でも、ほぼ同じ発音の言葉なのは、ギリシャ語で「傾く」を意味する「Klinein」に由来するためである。
一方、中国や日本の「気候」は、二十四季七十二候の「気」と 「候」に発し、季節の移ろいに目を向けた言葉といわれてい る。そして、また一方、季節を意味する英 語のシーズン、フランス語のセゾンなどは、ラテン語の「種まき(satioまたはsation)に由来する。「春生夏長秋収冬蔵」のサイクルもまた光の傾きか ら生じたものであり、昔は「一米」と書いて「ひととし」と読 んだ(季節の由来)

・地球の半径は約6400kmだから、いまコンパスで半径 10cmの円を描き、それを地球とすれば30kmの大気の厚 さは鉛筆の線の太さになる。
人間にとって高度7km以上は致死量域だ。19km以上では 気圧減少で体液は沸騰し、15秒で死亡する。旅客機は機内の 気圧を上げているから人は死なずにおら れる。
人間は、大気という海の海底動物であり、垂直の移動には弱 い。(大気の底)

・ドラフトといえば、普通は草稿、下絵、選択などの意味に用 いられるが、気象学では、室内の細かい気流や、航空機を悩ま す上下方向の乱気流を指す。近年は、積 乱雲の下にできるダウンドラフト(下降気流)の中のダウンバースト(下降噴流)と、着陸姿勢に入った航空機の墜落事故との関係が注目されている。(ドラフト)

【詩 のこころを読む】茨木のり子 ★★★★  1979/10/22 岩波ジュニア新書9
この本はたぶん、刊行から時をおかずして読んだに違いない。 いや、今回再読(再再読?)して、引用されている詩の半分以 上は覚えていた。Morris.にとってか なり影響を受けた一冊ということになるだろう。

谷 川俊太郎/吉野弘/ジャック・プレヴェール/会田綱雄 /辻征夫/岡真史/安西均/黒田三郎/安水 稔和/高橋睦郎/阪田寛夫/松下育男/高良留美子/滝口雅子/新川和江/ラングストン・ヒューズ/岸田衿子/牟礼慶子/川崎洋/大岡信/工藤直子/濱口國雄 /岩田宏/石川逸子/金子光晴/石垣りん/河上肇/永瀬 清子中原中也

以上30人ほどの詩人が紹介されている。200pくらいの新 書という制約のなかで茨木が感銘を受けた詩を一つでも多く紹 介しようとした熱意が伝わってくる。複数作 品紹介されてる詩人もいるし、光晴の「寂しさの歌」だけで13p費やしているあたりも思い切りがいい。
あまりおぼえてなくて、今回印象深かったものを幾つか引いて おく。

見 えない季節    牟礼慶子

できるなら
日々のくらさを 土の中のくらさに
似せてはいけないでしょうか
地上は今
ひどく形而上的な季節
花も紅葉もぬぎすてた
風景の枯淡をよしとする思想もありますが
ともあれ くらい土の中では
やがて来る華麗な祝祭のために
数かぎりないものたちが生きているのです
その上人間の知恵は
触れればくずれるチューリップの青い芽を
まだ見えないうちにさえ
春だとも未来だともよぶことができます  --詩集『魂 の領分』


牟 礼慶子は中学校の国語の先生を長くしましたから、自分自 身の内部の暗さ、生徒たちがかかえている 暗さをともに敏感に感じとり、暗さがはらんでいる未来に、そっと手を添えているようなところがあって惹かれます。自分をつかみ直そうとする勇気ある人は、おと なになってからも何度でも、こういう暗さに耐えることを 辞しません。

この詩は全く忘れてたが、良い詩だと思った。「触れれば崩れ るチューリップの芽」、最近チューリップを花壇で多く見かけ るようになり、変り咲も多いが、あの花その ものが春の芽生えを感じさせる。

       石川逸子

遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)

遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
人は新聞紙(がみ)と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)

近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)

近くのできごとに
人はおそろしく
私たちは小さな舟のようにふるえた
(吹いていった風)

遠くのできごとに
立ち向うのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向うのは近くの私たち

(あたりまえの歌を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった)   ーー詩集『子どもと戦争』

アウシュビッツのことや、ユダヤの少女、アンネの悲惨な 生涯には、この上ない正義感で怒ることができるのに、同 じ頃、日本が中国、朝鮮、東南アジアで、ほしい ままふるまったことには、報道のあおるがまま、大喜びでばんざいをさけんでいたし、今でも、かつてのアンネに寄せるような涙を、東洋の無数のアンネたちにそそ いではいません。このアンバランス!
石川逸子には「黒い橋」というすぐれた作品もあって、 1937年に起こった日本軍による南京大虐殺を取り上げ ています。


「黒い橋」も読んでみたいと思ったのだが、Google検索 ではヒットせず、神戸市立図書館には彼女の詩集は一冊も無い ようだ。

老 後無事    河上肇

たとひ力は乏しくも
出し切つたと思ふこゝろの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるまゝに、
飢ゑ来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れさればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世になくも、
われはひとりわれを羨む。 --『河上肇詩集』

なんという颯爽とした自己愛でしょう。いやらしさが微塵 も感じられません。
『河上肇詩集』をよむとき、こちらを打ってくるのは、そ の性格のまっ正直さ、無邪気さ、ほほえましさです。


河上肇が詩を書いてたことさえ知らずにいたが、「貧乏物語」 は読まねばと思いながら果たせずにいる

ア ランブラ宮の壁の       岸田衿子

アランブラ宮の壁の
いりくんだつるくさのように
わたしは迷うことが好きだ
出口から入って入り口をさがすことも    --詩集 『あかるい日の歌』

たいていは迷いをふっきろうとして無理するのに「迷いも 愉し」と言える心は強く、しかもこの一行を呼び出すため の枕言葉のように、アランブラ宮のるつくさ模様 がたちあらわれるのです。
人が死んだあとはいったいどうなるのでしょう。有機物か ら無機物に変わるだけだと思っている人もあり、人間にだ け霊魂はあると思っているひともあり、生々流 転、またなにかに生まれ変わるのだと思っている人もあり、実にさまざまです。
これから先、いろんなことが科学的に解明されてゆくで しょうが、死後の世界のことはついにわからずじまいで最 後まで残るでしょう。どんな敏腕なルポ・ライター も、あの世からのルポを送ることはできません。想像力をはたらかせ、それぞれが、ただみ迷うばかりです。
でも、どうやっても、たった一つだけ、わからないことが あるというのは、考えてみれば、素敵に素敵なことではな いでしょうか。そんなことを感じさせ、考えさせ てくれる詩です。
では
このへんで
この小さな本も
さようなら。


最後に引用した岸田衿子の詩への、素敵な解説。本書には、茨 木のり子自身の作品は引用されていないが、この解説がそのま ま作品になっているような気もする。詩集 『あかるい日の歌』は長らく愛蔵してたのだが、数年前友人の娘にプレゼントした。だからこの詩も忘れてたわけではないのだが、この解説を引用したくなったので…… (^_^;)
【ニッ ポンの歌】大越正実編 ★★★☆☆  2012/06/22 音楽出版社
「歌好きオトナ100人が選んだ!! 歌った!!」という副題。
平均1958年生まれの100人にそれぞれ好きな日本の歌30曲 を選んでもらい、それ、歌、歌手、作曲家、作詞家、編曲家別にラ ンキング付けたもの。平均は Morris.より10年ほど若いが、おおむね同世代に近いといえるだろう。
音楽評論家、編集者、アーチスト、何故か競馬関係者が多く、それ ぞれのベスト30曲(かなり変動あり、偏見あり)とそれらにまつ わる音楽体験コラムもあって、実に 面白かった。全部で2370曲というバラけ具合が一般の歌謡ベストとは際立って個性的選曲だったということが判る。一癖ありそうな連中が集まってるとも言える。
何しろ歌ベスト100の1位の帰って来たヨッパライ」が11票 (^_^;)、あと2位の「上を向いて歩こう」「スーダラ節」 「見上げてごらん夜の星を」がそれぞれ 10票、9位に7票の曲が6曲もあって、ベスト10がベスト14になってるあたりも、このバラバラバラエティぶりがわかる。
歌手ではサザンオールスターズ(65票)、吉田拓郎(57票)、 RCサクセション(30票)ということでこちらはかなりかたよっ てるし選者の好みがわかる。以下、 坂本九、フォーククルセダーズ、荒井由実、高田渡、井上陽水、中島みゆき、ハナ肇とクレージーキャッツがベスト10。
作詞家ではやはり阿久悠(91票)で納得。あと桑田佳祐(72 票)、松本隆(62票)と続いて、岩谷時子、なかにし礼、吉田拓 郎、永六輔、山上路夫、橋本淳、忌野 清志郎がベスト10。
嬉しかったのは筒美京平が作曲家部門(76票)、編曲家部門 (61票)でともにトップになってたことだ。編曲家部門を設ける あたりも、このセレクションの本気度を 感じることが出来る。
作曲家では桑田佳祐(72票)、吉田拓郎(60票)、以下加藤和 彦、荒井由実、いずみたく、大滝詠一、忌野清志郎、中島みゆき、 中村八大がベスト10。
編曲家は筒美に続いて、サザンオールスターズ、松任谷正隆、森岡 賢一郎、川口真、星勝、深尾一三、大滝詠一、中村八大。

近 田春夫が「京平さんは鼻歌で曲を書いているんじゃないの か?」と言ったとか。
これは筒美京平という昭和歌謡&ポップスの巨大な才 能への最大限の賛辞だ。つまりアイドル歌手というのは一部を 除けば、必ずしも歌唱力のあるタイプば かりではない、むしろ下手糞ぶりが味になるパターンも少なくない。そんな彼ら(彼女ら)でも筒美作品というのは無理なく、そして気持ちよくうたえるというの だ。そういう意味での"鼻歌"である。僕らがカラオケで筒美 作品を好んで、無理なく、そしてものすごく気持ちよく歌える のも、たぶんそういうことである。ワ ン・アンド・オンリーの楽曲も素晴らしいのだけれども、下手糞な自分でも気持ちよくうたえてこそ名曲である。そんな名曲群を膨大に生み出し続けた筒美京平が1 位なのは順当といえる。(作曲家ベスト100の解説より)


2千数百曲の中で、毛色の変わった曲で、興味を覚えたものをいく つかチェックしておく。

満 月の夕 ソウル・フラワー・ユニオン
タンゴ 暗黒大陸じゃがたら
海の底でうたう歌 モコ・ビーバー・オリーブ
SAD SONG ザ・ルースターズ
しらけちまうぜ 小坂忠
MR.BIG ROCK オリジナルラブ
悲しみの果て エレファントカシマシ
ILLUSION  小山卓治
世界の終わりに ミッシェル・ガン・エレファント


そ れにしても、音楽の専門家でもない自分でさえこんなにたくさ んの好きな曲が挙がってしまうわけ で、ほかの筆者のみなさんは、選曲にはどれほど悩んだことでしょう。しかも、格安すぎる原稿料。本書編集者でもあるオレが会議で提案したサブタイトルは"大人 100人が赤字覚悟で選んだ このニッポンの歌が好き!"あ るいは"大人100人が自分のお腹を痛めて選んだ このニッ ポンの歌が好き!"ボツになりました が、皆さんに感謝。めざせ増刷印税。(古谷徹 1958年生 ライター&宝島VOW二代目総本部長)

(「1968年をピークに"みなもと歌謡曲脳感グラフ"は下 降線を辿り、21世紀突入と同時に"脳死"を遂げている」  みなもと太郎)

漫画家みなもと太郎は1947年生れで、Morris.より2歳 年上だが、ほぼ同世代。彼が物心ついてから本書の原稿書くまでの 間の馴染みの歌1500曲を年代順 にグラフを作成したら。タイトルの通り、1968年から下がり始め21世紀以後ほとんど馴染みの曲はなくなったらしい。これはMorris.もほぼ同様だろう。
寄稿者100人の一人(佐藤剛 1952生)は1969年を「宝 島」として、この年発表に限った30曲をセレクトしていた。みな もとは30曲それぞれに短いコメン トを付していて、これもけっこう共感を覚えた。

・ ヨナ抜きの代表曲。どこまで行っても終わらないのは嬉しい。 (鉄道唱歌)
・"夕焼け空がまっかっか"はまあいい。2番の"上りの汽車 がピーポッポ"とは何だ。3番の"一番星がチーカチカ"も許 しがたい。しかし、恐らく、富永一朗が ギャグに開眼したのはこの歌の出現からであろうと思っている。(夕焼けとんび/三橋美智也)
・「俺がこの曲を本気でうつと自殺する奴が出ると思う。だか ら少し手を抜いてうたっているんだ」と当時アキラが言ってた そうな。「何をキザな」と思っていた が、近ごろ何となく納得できるようになった。この歌に限らずアキラの声は、空恐ろしいほどカラッポなんだよね」(さすらい/小林旭)




【違 和感】太田光 ★★★  2020/10/01 扶桑社 2018年版焼き直し
太田光 1965年5月13日埼玉県生れ。1988年、同じ 日大芸術学部演劇科だった田中裕二と漫才コンビ爆笑問題を結 成。1993年NHK新人演芸大賞で大賞受 賞。1994年テレビ朝日の「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」で10週勝ち抜き初代チャンピオンに。

ネッ トの書き手というのはどこまで上から目線なんだよって本 当に思う。
上から目線と言えばダメな評論家がその代表格だと思うん だけど、ネットで簡単に思っていることを書けてしまうい まの時代は、みんながプチ評論家になっている。 別に評論自体はしたけりゃすればいいんだけど、俺が気持ち悪いなぁと思うのは、彼らには悪意の自覚がないということ。たとえば、俺が村上春樹や宮崎駿の悪口を 言う時には「茶化してやろう」という悪意を自覚してい る。でも、ネットの人々は自分の悪意を自覚しておらず、 むしろ正しいとさえ思っていると感じてしまう。 (毒舌)


20年以上ネットで日記を書きつづけてきたことになるが、 ネットでの書き込みが「上から目線」になりがちだということ を再認識させられた。猛省

な ぜ、人を殺してはいけないのか?
これは人類最大の謎のひとつだ。
生きていると、いろいろあるにせよ、少なくとも死より生 のほうが重要だと思っている人だったら、他者を殺しては いけないという理屈は通用するだろう。でも、人 生なんてどうでもいいやと自己の生に対して否定的に思っている人間に対しては、その理屈が通用しない。だから難しい。そういう人たちは、自分の生を否定するの と同様に、だったら他者の生を奪ってもよしとの理屈に なってしまうだろうから。
なぜ、人を殺してはいけないのか?
わからない。だからこそ問い続けるということ。その答え がわかった時点で、人類の進化はそこで終わりでいいくら いの究極の問いだと思う。(モラルと道徳とルー ル)


もちろんこの疑問は、人類の思考の始まりから存在する疑問 「なぜ生まれたのか」と直結するものでもある。正解というの は見つからないかもしれなし、そういうものだ とも思う。

俺 がなぜ憲法九条を世界遺産にとまで言うかといえば、その 存在をおもしろく感じているからだ。
日本国憲法を作った時点で、そもそもが異常な状態だった わけでしょ?
終戦直後、焼け野原の日本。そこにやってくる占領軍とい う名のアメリカ。その時、日本人は戦争は二度と嫌だと 思っていた。空襲も嫌だし、原爆も嫌だし、戦争な んてうんざりだった。一方のアメリカはまったくそんなことは感じていない。本土を攻撃されていないから空襲の恐怖も知らないし、なによりも勝者なのだから。
でもそんなアメリカは勝者だからこそ、自分たちの国では 実現できない、ある種の理想を憲法九条に込めることがで きた。二度と脅威にならないような、武器を持た ない平和だけを追い求める理想の国を日本で実現しようというね。しかも、時が味方をする。アメリカがそう願ったタイミングが、「戦争はもう二度と嫌だ」と日本 人が痛烈に感じていた時期と重ならなければ、憲法九条は 成立しなかったはずだ。
その後、日本人はずっとごまかして生きてきた。それは戦 後75年がすぎてもそうで、なにかあると憲法九条に右往 左往している日本人は滑稽でもあるんだけど、あ の憲法があるおかげで戦争のことについてずっと考えさせられているとも言える。俺は、そこが憲法九条のおもしろさだと思う。
幸福とはなんぞやと考えるともっと個人的な言葉になって いく。極端な話、戦争状態にある国の子供たちのほうが平 和な国で生きているよりも幸福を感じている可能 性だってあるかもしれないし、恋愛で三角関係があったとしたら、誰かの幸福はもうひとりの不幸になる。つまり人の数だけ幸福の種類がありえるわけで、それを統 一したい、圧倒的な善で平和にするというのはもしできた らすごいことだけど、おそらく人間にはそんなことはでき やしない。つまり、人類全員が望む平和を実現す ることは、とてつもなく難しい。
それでも、戦争と平和について、これからも人間は考え続 けると思う。答えなんて出ないと、なかばわかっているは ずなのに、それでも考えるということ。哲学者も 誰も彼も、生まれた時から「なぜ自分は生まれてきたのか?」を問い続けてきたように、戦争と平和についても、考え続けるのだろう。(憲法九条)


この本読もうかと思ったのは、以前中沢新一と二人で「憲法九 条を世界遺産に」という本を出したことを覚えていたからだ。 その本は読まなかった(タイトルだけで分 かった気になってたから??)が、こちらの本はそれ以外のいろいろなテーマに関する短文のようだったので、興味本位で読む気になった。かなり恣意的な発現も多かっ たが、一部では共感覚えるところもあった。いや、こういった 書きぶりこそがネット発言的「上から目線」なのだろう。この ことだけでも、読んでよかった。


2021035
【夷 斎小識】石川淳 ★★★☆☆  1971/05/30 中央公論社
先日読んだ石川順二冊のうちこちらは、いろんな雑誌や新聞に寄稿 した雑文集で、内容も長短もまぜこぜである。

む かしは人間五十年といそぎ足に見切をつけてこの世は夢まぼろ しと観じたがつてゐたくせに、その日 常はといへば、俳諧の歳時記にあるやうなまだるつこしい四季のうつろひの中に自然と人事とにのんびり附き合つて、鼻の下ながく年月をすごしてゐたやうであ る。……むかしの五十年を今日の相場に換算すると、百年でオ ツリが来るかどうか。(不幸でなさすぎる 「中央公論」昭和 39年1月号)

「人世五十年」は、Morris.の「信念」に近いものだったは ずなのに、既に20年以上長生きしてしまった(^_^;) 何度 も言ってるが、これは全く予想外の 現実である。上記の文が書かれたのが半世紀前だということを思うと、「今は昔」という言葉の普遍性(^_^;)を実感させられる。

三 好が酣中よくはなしてゐたことに、芥川龍之介は百發九十九 中、室生犀星は百發わづかに一中だが、 のべつにはづれる犀星の鉄砲がたまにぶちあてたその一發は芥川にはあたらないものだといつて、これにはわたしも同感、われわれは大笑ひした。つち澄みうるほ ひ、石蕗の花咲き……といふ室生さんの有名な詩は三好が四十 年あまりにわたっつて「惚れ惚れ」としつづけたものである。 (三好達治 その一 「新潮」昭和39 年6月号)

石川淳と三好達治の親交ぶりは全く知らずにいた。そしてまた三好 達治が室生犀星の詩句にそんなに固執していたことも。室生の「寺 の庭」は4行しかない短い詩なので 全文引用しておく。三好は上記の石川の文章発表後に自作「石蕗の花」という詩の冒頭に「寺の庭」の二行をそのまま引用したらしい。

寺 の庭     

つち澄みうるほひ
石蕗(つわ)の花咲き
あはれ知るわが育ちに
鐘の鳴る寺の庭   (室生犀星「純情小曲集」大正7)

どうにも納得しがたいやうな時期と作品とが三好に於て事実と して無かつたとはいへない。すなわち戦中のことに係る。いく さのはなしとなると、今さら当時のごた ごたの蒸しかへしにおよばないでもと、他人にいはれるまでもなく、、わたしみづからよしなきことをといふ氣はする。これは何といはう。いくさといふものを丸呑 にしたやうなこの詩歌は私を当惑させた。しかもその歌ひぶり はいかに通俗に崩したといつても、三好ほどの語法の達人の作 とはきこえぬものであつた。
かの戦中の詩歌を見なおせば、いかに格好はぶざまでも、その 衷情は痛ましくひびく。事のゆくたては何であらうと、現実の 日本のいくさといふものに、三好は烈士 の感動をもつてただちに応じたのだらう。そして、ことばの吟味にきびしい詩人が、情の激するところ、ナリフリかまはず、手あたりに雅言俗語を一つかみにして、 天にむかつて歌ひあげることを憚らなかっつたのだらう。
三好の詩といへばすこぶる佳什清唱に富む中に、今わざわざ戦 中の捨て去るべき詩歌のことにふれたのは、ただこの詩人の風 骨を傳へようとするためでもある。(中 央公論社版 「日本の詩歌 三好達治」解説 昭和42年12月)


三好達治は戦時に戦争協力詩を書いたということで戦後かなり糾弾 を受けた。

「敷 島のやまとごころを……」の歌は、その意をすこしバカ丁寧に 現代語にうつしていへば、おれはこ の國にうまれた人間だ、この俺の心はいかなる心かと人が問ふなら、晴れた火の朝まだきに、おれがもつとも好むところの、他國の産にはない山櫻を見てくれといふ ことになる。この「人問はば」もまた修辞である。すべての修 辞を取りはらつて、ずばりと一言でいへば、なんのことはな い。「山櫻はおれだ」といつてゐるだけの ことである。なんとまあ泥くさい、まはりくどい、いやらしい歌ひぶりだらう。宣長の口吻をまねていへば「えもいはぬわろき歌」である。そうじて、宣長の歌はみ な取るべからず、もつぱらその文を見るべし。(中央公論社番 「日本の名著 本居宣長」解説 昭和45年5月)

本居宣長といえば「古事記伝」の名と、山櫻の歌しか知らない。そ の有名歌をこれだけけちょんけちょんにくさすのは、石川ならでは の発言だが、歌でなく文を見ろと言 われても、はいそうですかと、古事記伝読もうかという気にはなかなかなれない(^_^;)

【夷 斎風雅】石川淳 ★★★☆☆  1988/04/30 集英社 初出「すばる (昴)」1983-1986
このところ、真山仁やら桐野夏生やら、退屈しのぎっぽい本ば かり読んでたので、たまには頭の体操でもと、石川淳の随筆集 と、コラムめいたものとを借りてきた。本書 は随筆の方で、本人の言うところの「随筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあつた」そのままの作で、軟弱になったMorris.の頭にはいささか骨が ありすぎて、読むのに閉口してしまった(^_^;) 降参で あある。ところどころに散りばめられた夷齋作の狂歌と戯れ句 (付け句)の中からいくつか引いて済ます (逃げる)ことにした(>_<)

・ 荘周は夢を説いてはだますやつ
・戯作者の舌は閻魔も抜きかねる(ぬらりくらりとぬらり くらりと)
・仲の町花のDeja Vuに無い袖の晝三までは寄りつけもせず(浅葱裏花見)
・行先はどこも吉野と花見酒 (ぶらりぶらりと ぶらり ぶらりと)
・井戸端に散るも立田のもみぢなり (気散じなこと 気 散じなこと)
・あるほどの物みなひとに呉竹の世を酒(ささ)にしてあ そぶ月花
・見わたせば花の色香はのこりけり裏の木戸より死出の夕 ぐれ
・夢を切つてはとまる息の根
・腹切らぬさむらひうさんくさいやつ (赤穂浪士)
・いち早く散るもよしのの花の影見はてぬ夢を歌に残して


一番気に入ったのは、この一首

・ 世の中はうそとまことの裏表さてもことばの花ざかりなり

そういえば、Morris.が唯一持ってる石川淳の選集のタ イトルが「夷齋虛實」だった\(^o^)/
【安 倍官邸vs.NHK】相澤冬樹 ★★★☆☆  2018/12/25 
「森友事件をスクープした私が辞めた理由」
相 澤冬樹 大阪日日新聞論説委員・記者。 1962年宮崎県生れ。東大法学部 卒。1987年NHK入局。山口放送局、神戸放送局、東京報道局社会部記者、徳島放送局ニュースディスク、大阪放送局(大阪府警キャップ)、BSニュース制作担当 などを経て、2012年大阪放送局に戻り、2016年司法キャッ プとなる。2018年8月NHKを辞職し、同9月から大坂日日新 聞へ。

先日読んだ田原・望月の対談で、この著者のことを褒めてたので読 む気になった。安部総理批判がメインで、中でも森友問題を本気で 取材したNHK記者らしい。その結 果がNHK辞職ということだった。

2017 年2月17日には、国会で安倍総理大臣が「私か妻が関与して いたら首相はもちろん国会議員 も辞める」と答弁した。

まさにこの安部総理発言(失言??)が、全ての火元だったといえ る。言質をとられない、というのが政治家の一丁目一番地 (^_^;)なのに、この傲慢な発言。この 発言さえなかったら、改竄もなかっただろう。そして赤木さんもしなずに済んだはずだヽ(`Д´)ノ

私 は、森友事件には二つの大きな疑問点があると捉えていた。
1. 基準を満たすのか疑問がある小学校がなぜ「認可適当」 とされたのか?
2. 小学校予定地としてなぜ国有地が大幅に値引きされて売 却されたのか?
1. は認可に当たる大阪府の問題、2. は売却に当たった 国の問題だ。どちらも、府や国の公務員が行政のルールを逸脱 し、森友学園の小学校設立のため最大限 の便宜を図ったように思われる。


籠池夫妻のキャラの強さと、學校の異色さを標的にして、「本丸」 の防御壁にしたのは権力とマスコミのウインウインだった。

2018 年3月2日朝。朝日新聞が決定的な特ダネを出した。
「財務省が森友の国有地取引関連の公文書を改ざんした疑いが ある」
改ざんが行われたのは、森友学園との国有地取引をめぐる決裁 文書だった。財務省は結局、3月12日の国会への説明で、改 ざんの事実を認めることになる。
そもそも財務省の出先機関である近畿財務局は、日頃から一事 が万事、本省にお伺いを立てる文化だ。上を恐れ、自分たちの 責任が問われないよう徹底して報告して 支持を仰ぐ。つまり、今回の改ざんのような大それたことを近畿財務局が主導することはありえない。
そのころ再び、衝撃の事実が発覚した。3月7日「近畿財務局 職員が自殺」。亡くなったのは、近畿財務局管財部定石国有管 理官のA氏。まさに森友学園との国有知 売買交渉にあたっていた担当者の一人だ。


ここらあたりは記憶力激減のMorris.でも、忘れないために 引用しておく

・ 改ざんは財務局が勝手にしたのではなく、本省からの指示が あった。佐川(前理財局超)の指示で書 き換えた。
・決裁文書の調書の内容について、上から、詳しく書きすぎて いると言われてかきなおさせられた。
・このままでは私一人の責任にされてしまう。冷たい。
・国会答弁では関係書類はないとしているが、確かに当該書類 は1年保存だが、通例で執務資料としてのこしており、ないと いうことはありえない。
・上司と思われる人物や複数の議員の名前、青総財務大臣につ いての記載も。(A上席のメモ 伝聞)

この赤木メモ、出てこい!!

2018 年4月4日(水)のクローズアップ現代放送が正式に決まった のは、3月も終わりに近い頃 だった。森友事件で2本目のクロ現。またも時間がないぞ!
今回は大坂に加え、東京から政治部・経済部・社会部と、出航 部の記者が大勢取材に加わった。しかし連携したチーム取材で はなく、各出稿部がそれぞれに取材し て、それぞれが共有して構わないと判断した情報だけを持ち寄る形である。大所帯で身動きが取りにくい。そして前回と違い報道局幹部の中には、明らかに後ろ向き で、なんとか番組を骨抜きにしようとしている人たちがいる と、私やディレクター陣は感じていた。
「ニュース7」と「クローズアップ現代」。双方に対する、あ まりにも露骨な圧力とごたごた。私はそれまで31年間の NHK報道人生でこんなことを経験したこと がなかった。現場のPDたちも口々に「異常事態だ」と話していた。私が長年たずさわり、鍛えられ、愛してきたNHKの報道が、根幹からおかしくなろうとしてい る。そんな危機感を感じる番組作りだった。

この頃からNHKは安倍擁護色に染められ始めたのだろう。

な ぜ国有地は格安販売されたのか? その謎は解明されていない し、誰も責任をとっていない。さらに 言えば、国有地を売ったのは森友学園に小学校を作らせるためで、小学校を無理やり認可しようとしていたのは大阪府だ。.大阪府はなぜ、そこまでして小学校を認 可しようとしたのか? 国と大阪府は、なぜそこまでして、こ の小学校を設立させたかったのか?
森友事件とは、実は森友学園の事件ではない。国と大阪府の事 件だ。責任があるのは、国と大阪府なのだ。国の最高責任者は 安倍晋三総理大臣。大阪府の最高責任者 は松井一郎大阪府知事である。お二人には説明責任があるが、それが果たされたと思わない人は大勢いるdさろう。お二人が説明しないなら、記者が真相を取材する しかない。
この謎を解明しないと、森友事件は終わったことにならない。 私がNHKを辞めた最大の目的は、この謎を解明することだ。
森友事件は私の人生を変えた。でも、それはいい方向に変えて くれたと思う。何のしがらみもないというこの大阪日日新聞 で、私は森友事件の取材を続ける。謎が解 明されるまで。


その心意気やよし。
でも、Morris.は「大坂日日新聞」はこれまで読んだ記憶が 無いぞ。
相澤は他の媒体に寄稿する権利を担保してるとのことだから、週刊 文春などにも健筆を振るってもらいたい。

【我 らが少女A】高村薫 ★★★☆  2019/07/30 毎日新聞出版 初出「毎日新聞」 2017-18

2005年12月25日早朝、武蔵野野川公園で遺体が発見さ れた67歳の女性(栂野節子)、当時これを担当した合田雄一 郎が、12年後現場近くの警察大学校教授と なり、再びこの事件に関わることになる。合田シリーズの多分最終篇かもしれない。

世 のなかには、目撃者がいるか、もしくはホシが自首するか しなければ誰も真相を知りようがない事件 というのがある。はっきりした動機はなく、突発的に起こり、愉快犯でもなく、後にも先にもその一回きりで終わる。目撃者はなく、有力な遺留品もなく、ゲソ痕や 凶器などはあっても犯人の絞り込みにはつながらず、 DNA鑑定にかけられる微物や指紋なども採取できない。 もちろん、どんなに悪条件が重なろうと、どこかに犯 人がいる以上、それを追わないという選択肢は警察にはないが、どんなに細大漏らさず捜査を尽くしても、神でもAIでもない警察の捜査はときに限界に突き当たる ことはある。良いも悪いもない、世界はそんなふうに出来 ているということなのだ。そしてさらに言えば、迷宮入り の原因は個々の捜査の未熟やミスにあるにして も、それもまた人間が携わる警察捜査ののり代であり、そののり代で、刑事は人間の犯罪を理解するのではないだろうかーーーーーーーー(59)

高村薫の警察ものは、偏執的なディテールの積み重ねで、事件 の全体像を紡ぎ上げる手法で、読むのが疲れる。その筆力、描 写力には圧倒されるし読み応えありすぎなの だが、どうしてものめり込むことが出来ないところがある。
本作でも12年前の事件をほじくり返して、ドラマチックでは あるものの、真相が少しずつ明らかになることによって、多く の関係者が不幸になるようなストーリーは、 辛いものがある。

新聞連載時は、毎回違ったイラストレーターの挿絵が付けられ たらしい。単行本にはほんの一部しか掲載されていないが、 117pにある高杉千明の女子高生のイラスト は強烈な印象を与えた。
登場人物の一人がADHDのゲームおたくということもあっ て、全編にわたってゲームのキャラクタやカードや必殺技など が羅列されて、Morris.には全くお手上 げだった。事件当時の携帯電話Mova506iなんてのは懐かしかった。


2021031
【嫌 われるジャーナリスト】田原総一朗・望月衣塑子 ★★★☆  2020/09/15 SBクリエイティブ
東京新聞記者で、菅官房長官(当時)会見のやりとりで、名を 上げた望月と、反骨のジャーナリスト田原が森友問題やコロナ 対策を中心に、現在のジャーナリズムに不満 をぶちまける対談集。

森 友・加計問題が発覚した2017年8月末ごろから、政権 にとって不都合な質問には「事実誤認」 「ご指摘はあたらない」などと決めつけ、排除するのが当たり前になった。放置すれば打ち切りや制限が常態化することは目に見えていたが、記者会は抗議しなかっ た。(はじめに 望月衣塑子)

安倍政権(特に第二次以降)のマスコミ操作は目に余るものが ある。記者クラブという日本独特のシステムの弊害もある。

田 原 厚労省 や感染研は、なんで、そんなに危機感が薄いの?
望 月 現在のシステムは厚労省にとっ て、新型コロナのような緊急事態のな い平時にじぶんたちの既得権益を守るのに最適なシステム。これを本気で変えるつもりがない。専門家がこのままコロナが拡大したらまずいと警告しても、耳を貸し ませんでした。
田 原 それで思い出すのが、3・11東 日本大震災までの原発安全神話で す。大津波で福島第一原発の電源が失われ、冷却できなくなって水素爆発を起こし、チェルノブイリ以来最悪の事故になった。原発周辺では一度も避難訓練をやった ことがなかった。なぜか? 避難訓練が必要ならば 100%安全とはいえないことになる。すると住民が猛反 発して原発は立地できない。逆に、安全ならば避難訓練 は必要ない。そして、原発が立地した以上は安全に決って いる。だから避難訓練はしない--そんな、なんとも奇妙 な理窟がまかり通っていたんだ。
望 月 日本は、最悪の事態を想定して動 くことのない国ですね、最悪の事態 をこれでもかこれでもかと想定し、今できることは何かと探しに探し、備えに備える。それで、いざ事が起こったとき、ああ、たいしたことなくてよかったね、とい うのが本来の「危機管理」でしょう。

「原子力安全神話」にはみごとに騙されてた (>_<) コロナに関しては騙されまいと思い ながら……

田 原 当たり 前の話だけど、安倍晋三首相、菅義偉官房長官、加藤勝信厚生労働大臣は感染症の素人。PCR検査がどこで詰まっちゃっているか、どうすればどのくらい増えるか なんて、わかるはずがない。厚労省の医系技官か誰かが、 そういわせた。
望 月 検査を増やせば感染者が増える。 オリンピック延期が決まる3月24 日以前はなんとか予定通りやりたといいう"政治的な思惑"から、検査数を抑えたかった。3月末から4月にかけて感染者が増えたときは、病床があふれて医療崩壊 が起こってしまうことを恐れていた。そのために検査数を 抑えたと見られかねない状況でした。
田 原 いちばんの問題は、ガチガチな利 権にこだわる厚労省を大臣の加藤勝 信がまったく動かせなかったこと。


コロナ初期の加藤厚労大臣の対応は今思ってもひどかったな (>_<)  それが今は官房長官として、相変 わらずの無能ぶりを発揮しまくっている。

田 原 一斉休 校を主導したのは今井尚哉首相秘書官といわれています。今井さんは番記者に「追い詰められたときこそ一点突破」とよく話していたそうです。危なそうなときは ドーンと大風呂敷を広げる。一斉休校で、たしかに桜疑惑 や黒川検事長の定年延長問題が一瞬吹っ飛びまたしたか ら。
田 原 思いつきのように決めたといえ ば、いわゆるアベノマスクもそうだ ね。布製マスクを一家に2枚配布する。費用は466億円かかると。
望 月 あれは今井さんの子飼いとされる 佐伯耕三秘書官が「マスク2枚で不 安がパッと消えますから」と進言したことからスタートしたといわれています。


安倍前総理の滑りまくりパーフォーマンス。

望 月 (森友 事件で)あれだけの改竄で国民を欺いておきながら、関与した官僚38人全員不起訴なんて前代未聞。とんでもない話ですよ。
検察が官邸が絡みうる事案に及び腰であることが、改めて 浮き彫りになりました。
田 原 なぜ官僚が文書改竄という違法行 為にまで手を染めてたか。僕は、 やっぱり内閣人事局の存在が決定的だと思う。つまり官邸が、国家公務員のうち審議官以上の幹部600人の人事を握ることになったんだ。
望 月 官邸からにらまれたら、局長にな れないし審議官にもなれない。官庁 では出世ルs-とが決まっていて、この部長になった人は必ず局長になれるとい重要ポストがありますけど、そういう部課長にもなれない。その結果、官僚はつねに 官邸の顔色をうかがって、何事も忖度するようになってし まう。(第一章)


人事権を官邸が握ったことが忖度の素。

望 月 いまの 新型コロナも当初はずっと、「症状がかぜと似ているから、疑わしい人は自宅で寝ていて、熱を測ってください、37.5℃以上が4日以上続いた人は保健所に電話 して病院へ」という話になっていた。20年5月までそう いっていましたよね。(第二章)

Morris.の平熱は35,6℃くらいだから、37.5℃ というのは、かなりの高熱である。これが4日も続いたらほと んどアウトぢゃ。

田 原 新聞三 大紙の紙面は電通の主導で1951年元日付から15字詰め15段組み93行という統一規格になった。これが読みやすさの追求というので80年代に13字詰め、 12字詰めと減っていき、2000年代に11字詰めに なった。いまは12字詰め12段組みのところが多い。文 字が大きくなって行間も空いたから、1段の行数は 昔の93行から70行あまりに減った。
その結果新聞1ページ(一面全段)の文字の数は2万1千 字から1万字ちょっとまでほぼ半減した。(第三章)

も じ部】雪朱里+グラ フィック社編集部 ★★★☆  2015/12/25 初出「デザインのひきだし」 2011-15

[書 体見本12字と、そのポイント」
-- 「くにがまえ」は文字のなかで一番大きく見える形。ま た、フトコ ロのバランスも他の漢字をつくるときの参考になる。
-- 縦線のハライの曲がり具合やハネなどをここで決めてい く。
-- 「今」のような菱型の文字は小さく見えやすい。このた め、字面を 大きめにすることが必要。
-- 長い縦線を多く含む、画数の多い文字。
-- 横線を多く含む、画数の多い文字。「国」の横線を基準と して、つ ぶれないよう、どこまで細くするかを考える。
-- 筆の入りやトメ、ハライ、転折、点、ハネ、フトコロな ど、エレメ ントを多く含む文字。カーブ度合いもチェック。
-- 「東」の縦線の太さは、漢字の字面を決める基本となる。
-- 反り、ハネ、点、ハライなどエレメントが多い文字。
-- 横線だけの構成による、画数が極端に少ない文字。
-- 画数が極端に少ない文字の代表。
-- 画数が極端に多い文字の代表。dここまで大きく、線はど こまで細 くするかを検討する。
-- 横線が多く、字形が四角い文字。横幅が広く見えがちにな るので、 上下の横線の長さに注意しながらデザインする。


【い つか、あなたも】久坂部羊 ★★★☆  2014/09/20 実業之日本社 初出「月間 ジェイ・ ノベル」 2013-15

「綿をつめる」「罪滅ぼし」「オカリナの夜」「アロエのチカ ラ」「いつか、あなたも」「セカンド・ベスト」の6篇を収め た連作短篇集。すべて在宅医療のクリニック での終末医療で、すべてがデッド・エンドになっている。

私 はもともと外科医ですが、三十代のはじめに外務書の医務 官という仕事に就き、海外の日本大使館 (サウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニア)に赴任したあと、老人医療の世界に入りました。そして2001年から14年まで、この小説に登場するよ うな在宅医療のクリニックで、非常勤医師として勤めまし た。この本にかいた連作は、ほぼすべて実話に基づいてい ます。
在宅医療のクリニックに勤務した13年間に、私は400 人いじょうの患者さんを診察しました。
死は不条理で冷厳で、病気は残酷です。何の落ち度もない 人に襲いかかり、罪なき人を翻弄し、うろたえさせます。 当事者はその中でもがき、苦しみ、精一杯生きよ うと努力します。(あとがき)


実際に在宅医療を13年以上やっただけにリアル感があるのも なるほどとうなずける。

「オ カリナの魅力は単純だけれど深い音色だな。看護師さんは オカリナの発祥の地を知っているかな」
「いいえ」
「19世紀後半のいたりあだよ。北イタリアのドナティと いう菓子職人が、それまで合った土笛の音階を整えたのが はじまりと言われている。オカリナとは"ガチョ ウの子ども"という意味で、正確にはオカリーナと発音する。
オカリーナに似た楽器は、メソポタミア地方や南米からも 見つかっている。いずれも土の笛でえ閉管式だ。むかしか ら、土の笛にはラッパ口をつけてもいい音がしな いと、世界中の人が知ってたんだな。日本の鳩笛なんかも同じ仲間だね。どちらも鳥の名前がついているのは偶然だが」
「音を出すのはむずかしいんですか」
「とんでもない。簡単そのものさ。吹けば鳴るんだから。 試してごらん」
手渡されたオカリナは、陶器らしい重みと柔らかみがあっ た。そっと息を吹き込むと、柔らかい音が響く。
「ほらね。オカリーナほど簡単に音の出る管楽器はない。 でも、演奏となるといろいろテクニックがいるんだ。オカ リーナの演奏のコツは、ベッコ、つまり吹き口の くわえ方と、息圧、それにホルドとタンギングだ。ホールドはオカリーナの持ち方、タンギングは舌先で上顎を叩くようにして息をふるわせることだよ。オカリーナ は正しい姿勢でしっかり持たないと、高音部がかすれる。 息圧は吹き込む息の強さだが、強く吹く必要はないんだ。 優しく、気持をこめて、できるだけ同じ強さで吹 き込む。自分の感性を表現するつもりでね」

オカリナに特に関心はないものの、学生青年センターの飛田さ んがすっかりのめり込んでるので、ついメモしてしまった。

「じゃ あ、塚原さんの看取りがうまくいったのは、単なる偶然 だったというわけですか」
「運命は、ときに優しいということだよ。私は無理をしな かったからね。強いて言えば、自然に任せる勇気を持って いたということかな」
「でも、自然に任せるって、結局、何もしないということ じゃないですか」
「そうだよ。でもね、案外、それがむずかしいんだ」
さっきより高くなった月が、先生の後ろ姿を曖昧に照らし ていた。(オカリナの夜)

胃瘻とは、口から食べられなくなった人に、腹部から胃に 直接、流動食を入れるためにつけるチューブのことだ。導 尿カテーテルは、自然に排尿できない患者の膀胱 に入れる管で、抜けないように先端に小さな風船がついているので、「バルーン」とも呼ばれる。(いつか、あなたも)


胃瘻(いろう)というのを、Morris.は病名の一つと思 い込んでいた。「瘻」という漢字が病だれで、痔瘻という病名 もあるので錯覚していたのだ。「瘻」が常用 漢字外ということで、新聞などでは「胃ろう」「痔ろう」などと交ぜ書き表記されている。

こ の苦しみを乗り越えれば、やがてよくなるというのなら、 耐える意味もあるだろうs.しかし、あと は病気が悪くなって、その先には死しかないのだ。命は何より尊いけれど、この苦しみだけの命を引き延ばすことに大義はあるのか。こんなに苦しんでいる本庄さん から、安楽死を求められて、ほかに苦痛を止める手立ても ないのに、それを拒絶して良心は痛まずにいられるのか。
わたしはどうしようもない思いで、三沢先生を見た。もし 本庄さんを安楽死させるなら、麻酔剤で眠らせてから、筋 弛緩剤で呼吸を止めることになるだろう。あるい は、眠らせたああと、塩化カリウムの注射で心臓を止めるか。いずれにせよ、違法行為だから、よほどのことがないと実行できない。しかし、本庄さんの場合は、そ の"よほどのこと"に十分、当てはまるのではないか。

今から思えば、正月三が日を過ごしたすぐあとに、安楽死 をさせてあげるのがベストだった。しかし、あのとき、そ んなことがわかるはずもない。医療の不確定さと は、そういうものだ。
ちまたでは、医療ドラマや小説が流行している。心温まる ストーリーや、名医が登場したり、感動的だったり、すべ て予定調和だ。フィクションならそれでいいのか もしれない。だが、現実を知っているわたしには、とてもうけ入れられない。そんな絵空事で、いい気持ちになっていいのか。医療の現場では、多くの人が耐えがた い苦痛にあえぎ、理不尽な悲しみに襲われているというの に。(セカンド・ベスト)

安楽死という「誘惑」と対面せざるを得ない経験が何度もあっ たのではないか、そういったことを想像させる一冊だった。
【夜 の国のクーパー】伊坂幸太郎 ★★★  2012/05/30 創元社

「さっ きの話ですけど、クーパーの兵士は何のために鉄国に行っ ていたんですか。鉄国は、こっちの国 の人間を連れてこささて、何をさせていたんですか」
[他国の人間にわざわざさせることとは何か」
「何ですか」
「答えは簡単だ」
「それはいったい」
「自国の人間にはさせたくないことをさせるんだ」


グローバルな出稼ぎ。移民とは棄民だったりする。日本の外国 人就労者対策も移民ですらない、非人道的措置である。

「こ の国では毎年、数人が鉄国に送り込まれた。ただそれをみ んなに伝えることを、国王はしなかっ た。なぜか?」
「異国でしごとをするためだと明かしたら誰もいきたがら ないからか」医医雄が質問をぶつけた。
「それもある。ただそれ以上に、本当のことを話したら、 自分たちの身が危ないと思ったんだろう」複眼隊長は右目 を覆う布に触れた。
「国王が危険になるということ?」
「いいか、この国はずっと同じ家系が国王となってきた。 裏を返せば、国王である根拠は、『代々、受け継がれてき たから』ということ以外にはないわけだ。能力は 関係がない。だから自分たちの国王が、鉄国に頭の上がらない、情けない人間だと分かったとたん、その座から引き摺り下ろされる。そう不安になっても不思議はな い。自分たちの立場が危うくなると考えたんだろう。大事 なのは、真実を伝えることよりも、威厳を保つことだと気 づいた」
「だから、国王たちはクーパーという存在を振れ回り、兵 士を送り込むことをはじめた。昔な、冠人が俺に言ったこ とがある。国王が、国をまとめるためのこつを 知っているか、とな」
「こつなんてものがあるんですか」
「あの男が言うにはな、『外側に、危険で恐ろしい敵を用 意することだ』と、そう言っていた」
「敵を用意する?」
「そうした上で、堂々とこう言うんだと。『大丈夫だ。私 が、おまえたちをその危険から危険から守ってあげよう』 とな。そうすれば、自分をみあんが頼る。反抗す る人間は減る。冠人はそう言った」
「それが」弦が探るように言う。「クーパーなんです か?」
「そうだ、それが、クーパーだ」

これは天皇制への言及だろうな。

【触 れもせで--向田邦子との20年】 久世光彦 ★★★☆ 1992/09/28 講 談社

遅 れてばかりいた向田さんは、人より早く死んで私たち を驚かせた。何の言い訳もなかったから、私は 明日にでも気のきいた嘘といっしょにあの人が帰って来るような気がしてならない。(遅刻)

向田邦子と久世光彦はコンビでテレビドラマのヒット作を 次々と世に送り出した。向田は昭和56年、台湾旅行中の 飛行機事故で急死。享年五十ニだった。本書は久世に よる、追悼文集というか、あの世にむけての恋文かもしれない。

向 田さんという人は、そういうときにもお金を< 拾わなかった>のである。天から降って くるお金を感謝して<いただいた>のである。おなじお金を懐へ入れるにしても、この姿勢の違いはあとあと心の高さ低さに関わってくる。<拾 う>ときには、人間下を向いて屈まなければな らない。天の恵みを<いただく>ときに は上を向く。<拾った>お金をしまい込 めば 吝嗇になり、<いただいた>お金は大切に使うことになる。それほどにお金というものは、気持の持ちよう一つできれいにもなり、汚くもなるという話 である。(財布の紐)

こういう物言いも、持てる側の視線ではないか?

こ うして、めでたく、『寺内貫太郎一家』は誕生した。 昔の大将の名前が、それも二つも入っている。 寺内正毅と鈴木貫太郎である。商売が石屋だから寺内はぴったりだ。貫の字は重そうで、これなら台風が来ても大丈夫だし、<カンタロウ>という響き はどこか間が抜けていて可愛らしい。(昔の大将)

Morris.はほとんどテレビドラマは見ない。それで も小林亜星演じる寺内貫太郎のイメージは強く刻み込まれ ている。

こ のごろのいわゆる丸文字といのうを、私はちっとも嫌 いではない。皮肉ではなく、若い女の子の書く 舌ったらずの文章に似合った可愛らしさがある。けれど、あれは横書きでないと、およそ、様にならない。あの子たちの丸文字は、不思議なことに横に流れているの であう。だいたい漢字にしても平仮名にしても、筆で 縦に書くように作られているものだが、丸文字は漢字 の角を取り、曲線化することによって、一つの文字か ら次 の文字への横の流れを作っているのである。(三蹟)

たしかに丸文字は横書きが生み出したとも言えるだろう。

夷 斉石川淳先生の名言を思い出した。正確には川本三郎 に教わったことを思い出したのだが、《随筆と は、博く書を探し、その抄をつくること》というのである。ずいぶん大胆な定義だが、なるほどと思う。何かが見えるようである。普通なら、つい<書と人を 探し>としたくなるところを、迷いもなく書に 限るのが石川淳らしい。川本三郎もエッセイを書いて いて、この言葉が気になって仕方がないと言っていた が、 忘れない方がいいと思う。少なくとも、広義に解して理知的であれと自分に言い聞かせ、心して損はない。(小説が怖い)

これは石川淳の『夷斉筆談』に収められている「面貌につ いて」(「新潮」昭和25年10月号)の一節である。原 文を引いておく。何故かこれはMorris.の数少 ない蔵書『夷斉虛實』にも掲載されていた。
「士 大夫の文学は詩と随筆とにほかならない。随筆の骨法 は博く書をさがしてその抄をつくることにあ つた。美容術の秘訣、けだしここにきはまる。三日も本を読まなければ、なるほど士大夫失格だらう。」
石川淳は小説を「小人の説」として、「大人の説」は詩と 随筆にあると言ってるわけで、久世の解釈はあまりに上っ 面(孫引きだから仕方ないか)のようだ。

向 田さんの上手さについて書いていると、自分が嫌にな る。くどくど持って回って、比喩や形容ばかり の自分の文章が嫌になる。自分が<上手さ>に拘っているだけに、自分より<上手い>人について書くのは面白くないし、損だと思う。目 利きの山本夏彦氏が《向田邦子は突然あらわれてほと んどめいじんである》と書いているのを読んだことが ある。私なら、こんなふうに言われたら、嬉しさのあ まり 死んでしまったことだろう。(上手い)

たしかに山本夏彦は、あちこちで向田に言及して、この褒 め言葉も複数のコラムで散見した。

小 説は書き出しで、エッセイは最後の一行だと思う。 エッセイの書き出しがどうでもいいというのでは ないが、ときにはぼんやりした出だしの方がいいこともある、しかし、終わりだけは曖昧模糊では困る。(ラストシーン)

随筆とエッセイは似て非なるものだろう。

あ の人が好きだったものは、ここには何もない。ささく れ立って、ザラザラした風景である。選んだわ けではないにしても、人はどうしてこんな所で死ななければならないのか。八月の薄曇りの空の下で、私はぼんやり昔どこかで覚えた小さな歌を思い出していた。そ れは、目の前の光景とはあまりに遠い恋歌だった。

    旅にして仏作りが花売りに
    恋ひこがれしといふ物語


最後に置かれた「死後の恋」からの引用。久世が事故の一 週間ほど後に、事故の現場を訪れた時の思い出である。こ のあと夢野久作の「死後の恋」という作品に言及す る。ロシア、ロマノフ王朝の皇女アナスタシア傳説を主題にした作品である。向田をアナスタシアに見立てるというわけではないと言いながら、久世の忸怩たる思いが伝 わってきた。
【漢 字の常識・非常識】加納 喜光 ★★★☆☆  1989/06/20 講 談社現代新書954
1989(平成元年)、にこんな本が出てるのをしらずに いた。漢字に関する本はけっこう読んでた方だと思う。
Morris.は1987年に初めてワープロに手を染め た。あのころの日本語ワープロの漢字変換はかなりひど かったことを思い出す。

漢 字制限の反対側に無制限放任主義がある。常用漢字・ 人名漢字表にありさえすれば、どんな読み方で もかまわないというものである。しかも驚いたことに個人の気まぐれで行われる。

常用漢字、教育漢字、JIS第一水準、第二水準とかわけ がわからないなかで、人名漢字表以外の漢字は禁止しなが ら、読み方は自由というのはとんでもない話である。

漢 字の簡略化(ダイエット)は組織の構造を無視した一 種の身体改造ともいえるものだが、小さな改造 ならむしろやらないほうがよかったと思われるケースがある。たとえば「犬」の右上の点をとると大変だが、「臭」や「突」ではとってしまった。そのため犬と関連 付ける字源記憶術が失われた。
羽-習-翼のグループと、濯-曜-躍のグループを比 較してみると同じ「羽」なのに顔の造作が違うのに驚 く。


中国の簡体字に比べるとまだ日本の略字化は元の形を遺し ているようだが、細かく見ていくと以上の例以外におかし いところはいくらでも出て来ると思う。

音 のハイジャックが思わぬ結果を招くこともある。命が よみがえるという意味の「甦生(そせい)」が コウセイと読まれるようになった。「更」の音に乗っ取られたのだ。次の段階では形も乗っ取られ「更生」となった。さらに次に意味も乗っ取られ、「生活や性質を 新しい状態にかえること」となった。

間違えた音読みを「百姓読み」という。今は「百姓」とい う言葉が使いにくくなって「慣用」になってるようだ。言 葉は生き物だから、変化して使う人が多くなると間違 い(誤用)が説明抜きで辞書に載るまでになる。
本書にはこの例が多く収録してあったので、恣意的にいく らか引用しておく。(  )内が「百姓読み)である。

漸 次 ぜんじ(ざんじ)
直截 ちょくせつ(ちょくさい)
贖罪 しょくざい(とくざい)
垂涎 すいぜん(すいえん)
絢爛 けんらん(じゅんらん)
正鵠 せいこく(せいこう)
矜持 きょうじ(きんじ)
蘊奥 うんのう(うんおく)
獰猛 どうもう(ねいもう)
隧道 すいどう(ついどう)
娘子軍 じょうしぐん(ろうしぐん)
*これ以下は百姓読みのほうが、一般的に使われてい る(^^;)
貼付 ちょうふ(てんぷ)
憧憬 しょうけい(どうけい)
貪欲 たんよく(どんよく)
攪拌 こうはん(かくはん)
紊乱 ぶんらん(びんらん)
洗滌 せんでき(せんじょう)→洗浄(音に引かれて 漢字まで変わった例)
撒水 さっすい(さんすい)→散水(同上)

代用漢字という考えが発明されたのは1956年の国 語審議会である。その内容は、当用漢字表(当時)に ない漢字のうち、音と意味が当用漢字と同じか似てい るな らば、それに書き換えてよいというもので300あまりの語例が示された。
この考えにならって、「魚貝類(魚介類)」や「風光 明美(風光明媚)」などを出現させ、漢字システムに 病理現象の種を植えつけた。
1988年、気象庁は「絹雲(けんうん)」を「巻雲 (けんうん)」に改めると発表した。これは23年前 の原状回復である。

Morris.も雲計十種などで「絹雲」という表記を見 るたびに疑問を感じていた。

「気 迫」気が迫る--まったく意味がない。実は「気魄」 のだりだったのである。「悪血(おけつ)」 は「瘀血」の代理なのである。
おかしくてたまらず大笑いすることを「抱腹絶倒」と いう。これは「捧腹絶倒」の代わりに本人になりすま しているものである。「捧」は両手でささげ持つ意 で、 「捧腹」は両手を腹に当て、上に持ち上げるようなかたちにすることである。

・初戦(緒戦) ・叙上(如上) ・波乱(波瀾)  ・拠出(醵出) ・三差路(三叉路) ・橋頭保 (橋頭堡) ・浅学非才(浅学菲才) ・名誉棄損 (名誉毀 損) ・延々長蛇の列(蜿蜒長蛇の列)


以上はすべて( )内の漢字が元の字である。手書き、活 字拾いの時代には形の似た漢字の間違いが多かっただろう が、ワープロだと、正しい漢字に変換されることが多 いだろう。ただし変換そのものが間違っている場合、これを見つけて糺すのはかなり難しいことになりそう(>_<)

「発 展途上国」は変な言葉であるが、それを縮めた「途上 国」」は輪をかけておかしい。途上というの は、目的地に向かう途中とか、一つの過程の中ほどの意味である。この言葉に嫌悪感をいだくのは、言葉もおかしいが、それを使う心にひそむ暗黙の前提にある。途 上の反対はゼロか全、つまり、行程を歩きだしていな いか、完走したかのどちらかであろう。「途上国」と いう言葉を作った日本は完走した国ということにな る。
論語に「堂に昇り室に入る」という成語がある。堂は 表座敷、室は奥部屋のことで、この成語は、学問や技 術がほどほどの所を進んでいき、さらに奥まで達する とい うことを意味する。日本に入ってくると、「堂に入る」と縮めてしまった。堂は表座敷であるから、技術の段階としては初歩から中程度にすぎない。決して奥義をき わめることにならない。縮め方を誤ったわけである。


堂々巡りの件は、初めて知ったが、他にもいっぱいありそ うだ。日本人の略語好きの原因は何処にあるのだろう。

イ ディオムは係り結びが決まっている。間違えるとトン チンカンだし、表現がぎくしゃくする。「汚名 を晴らす」「汚名を注(そそ)ぐ」ではなく、「汚名を雪(すす)ぐ」が正しい。「俎上に昇る」でなく「俎上に載せる」。「危殆に陥る」でなく「危殆に瀕す る」。

「係り結びなんて文法用語が、漢字問題で使われるとは思 わなかった。「名誉挽回」ではなく「名誉回復」なんての もその類かな。

漢 字は普通一字だけで完結している記号であるがわずか ながら、二字で組み合わさってはじめて意味を もつものがある。独り立ちすることなく、常にカップルで行動する。仮の「双生児」ならぬ「双生字」と称することにする。
「叮嚀」は双生字だが、「丁寧」と書くと双生字かど うかはっきりしなくなる。

忸怩(じくじ)心に恥じるさま
齷齪(あくせく)こせこせすること
彷彿(ほうふつ)よく似たさま
慫慂(しょうよう)すすめ誘う
齟齬(そご)食い違う
酩酊(めいてい)酒にひどく酔う
匍匐(ほふく)腹ばいになる
邂逅(かいこう)思いがけず出会う

檸檬(れもん) 葡萄(ぶどう) 蝙蝠(へんぷく)  鶺鴒(せきれい) 傀儡(かいらい) 膀胱(ぼう こう) 霹靂(へきれき) 袈裟(けさ) 瑪瑙(瑪 瑙)  邯鄲(邯鄲) 婀娜(あだ) 揶揄(やゆ) 坩堝(るつぼ) 蜘蛛(くも) 蒟蒻(こんにゃく) 轆轤(ろくろ) 珈琲(こーひー) 贔屓(ひいき)……な ども「双生字」の仲間。

[陰 陽字(雄字+雌字)]カップル漢字

翡翠(ひすい)かわせみ
鴛鴦(えんおう)おしどり
鳳凰(ほうおう)
麒麟(きりん)
虹蜺(こうげい)にじ
鯨鯢(げいげい)くじら
魂魄(こんぱく)

漢字熟語に表外漢字が使われているとき、それを仮名 に変えるのがいわゆる「混ぜ書き」である。これが文 字感覚を狂わせる元凶のひとつである。


ほんとうに「混(交)ぜ書き」は許せない。なんたって 「見た目が悪い!!」。2010年に常用漢字が追加され るまでは以下の熟語が交ぜ書きされていたらしい。(某 ブログによる)*(かっこ内は交ぜ書き)

真 摯(真し)、破綻(破たん)、痕跡(こん跡)、親戚 (親せき)、冥利(みょう利)、語彙(語 い)、軽蔑(軽べつ)、溺愛(でき愛)、恣意(し意)、汎用(はん用)、痩身(そう身)、面罵(面ば)、牙城(が城)、危惧(危ぐ)、好餌(好じ)、失踪(失 そう)、訃報(ふ報)、含羞(含しゅう)、玩具(が ん具)、進捗(進ちょく)、焦眉(焦び)などなど。  

本来の音が訛って変な読み方をする場合がある「嫡々 (ちゃきちゃき)の江戸っ子」というときの「嫡々」 は「チャクチャク」の訛り、「呂律(ろれつ)」は 「リョ リツ」の訛りである。
「出来(しゅったい)」「天邪鬼(あまのじゃく)」 「擬宝珠(ぎぼし)」「冬瓜(とうがん)」「木瓜 (」ぼけ)」「竜胆(りんどう)」「判官(ほうが ん)」 「反故(ほご)」なども同様。「山茶花」は「サンサカ」がひっくりかえったという変り種である。


「チャキチャキ」なんて擬音語・擬態語の一種だと思って た。

親 友の死を「絶絃(ぜつげん)」という。春秋時代のに 友人(鍾子期)が死んだとき、残された琴の名 人伯牙は、琴の絃を断ち切り二度と弾かなかったという故事による。これとまぎらわしい言葉に「断絃」があるが、これは妻の死である。夫婦の和合を琴瑟の合奏に たとえることから、絃が切れることで妻の死をあらわ すようになった。ちなみに「続絃」(絃をつなぐ)は 再婚を意味するl。

これは韓国女性歌手キムスヒ(金秀姫)の隠れた名曲に 「タンヒョン(断弦)」というのがあって、 Morris.は偏愛している。ので、ちょっと気にか かった。

「癌」 という漢字は12世紀末宋代に発明されたらしい。し かし普及せず、新たに復活するのは日本の 江戸時代で、西洋語の訳語として使われることになった。
麻疹(はしか) 汗疹(あせも) 肝斑(しみ) 吃 逆(しゃっくり) 眩暈(めまい) 悪阻(つわり)  天矢気(てんしき 屁)


癌の英名がcancerだから、その発音をもじった漢字 という説もあるらしいが、筆者はそれには否定的だ。
「病だれに「岩」」というのが、理解しやすい。

ナ チスのシンボルマーク逆マンジ(ハーケンクロイツ) はもちろん漢字ではない。卍は唐代に音が「マ ン」、意味が「吉祥万徳」という漢字に認定されている。

「逆卍」「ハーケンクロイツ」などで変換しようとして も、見つからなかった。

欧 米では忌まわしきナチスの象徴として、禁忌されてい る。
アニメ・ゲームなどでも使用自体を避けるか、別の マークに置き換わっている。
代表的な例が鉄十字(✠)である。
ちなみに現在ドイツでは公の場で出すことを禁止され ており、展示又は使用すると民衆扇動罪で逮捕され る。(Wikipediaの注)


なるほど。

【グ リード 上下】真山仁  ★★★☆☆ 2013/10 /29 講談社 初出「週刊ダイヤモンド」 2012-13

タイトルのグリード(Greed)は「強欲、むさぼ り」という意味で、disireよりマイナスのイ メージが強い言葉のようだ。

「若 い頃に師と仰いでいた人から、強欲は善だ (greed is good)だ、強欲こそが アメリ カンドリームの原動力だと教わりました」

2005年9月11日、郵政選挙とも呼ばれた解 散選挙で、与党が圧勝した。国民に自己責任を強 い、規制緩和とグローバルスタンダードという錦 の御旗を掲げ、日 本の莫大な資産を欧米に売り飛ばした総理を、国民は熱狂的に支持したのだ。


もちろんこれは小泉政権である。

「資 本主義のルールNo.1は、自己責任ですよ。リ スクを取って投資して、成功しても失敗しても、 それは投資する者の責任です。また、損した人を 守る義務なんて、はなから国家にはありません」
「一方、日本は戦後ずっと国家が産業を牽引育成 し、企業がそれに従った。これはね、統制経済で す。あるいは共産主義国家と呼んでもいい。労働 者を手厚く支援 し、社会福祉制度も整備し続けた。本来ならば資本主義が進めば進むほど、格差は広がり貧乏人が増え、彼らは社会からスポイルされるのが常識なのに、この国は政 府ばかりか企業、つまり資本家までもが家族主義 を貫いた。こんな資本主義はないでしょう」
日本が世界最高の社会主義国家だったという見解 は、バブル経済が崩壊した後、社会学者などが好 んで発言しており、目新しくはない。だが、バブ ル経済崩壊後に、 日本に本物の資本主義が到来したという鷲津の主張は、社会学者らの意見より説得力があった。

日本が世界最高の社会主義国家というのになるほどと 思ったが、その後にホンモノノ資本主義(新自由主 義)がやってきたという主人公の主張は今の日本の姿 を見ると当 たってたようだ(>_<)

「先 進国が開発援助を続けている理由は、善意だけ か」
「そうでないところもあるでしょう。でも、少な くとも僕が携わっている団体は、アフリカを支え たと考えている人ばかりの集まりですよ」
「アフリカが豊かになれば、そこに新たな市場が 生まれる。それを狙っていないと断言できるか」
アンソニーは不快そうだ。
「アフリカへの援助そのものが、ビジネスだろ う。そして、波及効果が生まれ、やがて未開の地 が一大消費地へと進化する。支援はそのためにや るんだ」
「それは違います。支援は、相互扶助の精神で行 われるんです」
「おまえ、相互扶助の意味を理解していないな。 先進国が支援する見返りに、ビジネスを手に入れ る。だから相互扶助なんだ」
「おまえ、アフリカで何を見てきたんだ。最貧国 に、僅かばかりの豊かさを与えたところでどうな る? 皆が欲望の虜になって、富を奪い合うのが 関の山だ。貧しい 時にはけっして置きなかった諍いが、至るところで始まる。」


日本のODAもしかり。

「お 客さんは金融の人かい?」
ギリシャ人とおぼしき白髪交じりの運転手は、 ルームミラーでジャッキーを見ている。
「ままね」
「あんたらのせいで、この国はメチャクチャだ な」
そう言いながらも、喧嘩を売っているわけではな さそうだ。
「どういう意味?」
「返済能力のない連中に住宅ローン組ませてマイ ホームを買わせ、破産したらすぐに家から追い出 した」
「でも、マイホームを持つのは、アメリカ人の夢 じゃない。その夢を実現するチャンスを作り出し たのよ」
それが本当に幸せかどうかは分からないが、そう 反論せずにはいられなかった。
「仕事もなく借金まみれの人間相手に、マイホー ムを持つ夢を叶えてあげるって、おっかしいだ ろ」
「じゃあ、運転手さんはどうなの。ちょっと頑張 れば家が持てるローンがあっても、飛びつかない の」
「それで、今はこのざまさ」
そういう話か……。


これがサブプライムローンのわかりやすい解説ぢゃ。

「投 資銀行のそもそもの主業は、クライアントの資産 運用や投資先のアドバイスでした。あるいは新規 株式公開サポートですね。特にGCはクライアン トの御用聞きを任じていたそうで、金融に限ら ず、あらゆる痒いところに手が届くように粉骨砕 身を尽くすのが企業 哲学だった、とか」

発 端は言うまでもなく、サブプライムローン債に よって組成された債務単証券(CDO)の不良債 権化 だ。世界的な金融停滞の中、ハイリスク・ハイリターンのCDOはカネのなる木として、世界中の機関投資家に売られた。
その牽引車の一つだったリーマン・ブラザーズ が、強欲の果てに破滅する。そこから波状的な連 鎖危機が起きると、見られている。だが現段階 (2008/09 /12)で、危機の予想図を的確に描いているメディアは、ニュースを見る限り米国内ですら一つもない。


リーマンショックのリアルタイム体験。

「ア ンソニー、この国は本気で大掃除した方がいい ぞ。80年ほど前に起きた大恐慌の教訓をことご と く反故にしただけではなく、世界中にマネーという伝染病を蔓延させたんだからな」

アンソニーは上流家庭の出で、正義感に富む逸材で、 鷲津のもとに社会奉仕のための資金稼ぎを学ぶために 主人公の配下になった。

「僅 か数ヶ月で、1000兆円ものカネが国外に消え たんや。戦後、国民が歯を食いしばり、先進国に 追いつけ追いこせで貯めてきた虎の子や。それ を、あんたら外資は日本が死ぬのを傍観した上 に、ここぞとばかりに毟り取っていった。あの時 の思いは死んでも忘れ ん」
かつて飯島は三葉銀行という都銀に属し、不良債 権処理の最前線にいた。同時に、日本の歴史と共 に埋積し、かつ表に出ない資産や情報を守るため に、命を張ってき た。その男からすれば、今回の米国の金融危機は、まさに捲土重来の時なのだ。


日 本は祭り好きだというが、しょせん米国民の比で はない。彼らは毎日のようにパーティを開くし、 と にかくイベントが大好きだ。まるで、いつも誰かと一緒にいないと不安なように。実際、米国人は寂しがり屋が多いと思う。だから連るむし、イベントが好きなんだ ろう。
ーー国民みんなが根無し草だからね。誰かと繋 がっていないと心配だよ。
米国人をけなし始めたら止まらなくなる英国人記 者の分析を聞いた時は、非常に頷けた。と、同時 に、現代の日本社会にも通底するもんを感じた。
ーー冗談だろ。おまえの国は、ずっと同じ民族と 文化で、延々と歴史を刻み続けてきているじゃな いか。ざんねんだけれど、その点においては英国 すら勝てない。
英国人記者の言う通りで、既に2000年以上の 長きにわたって日本人は、代々の子孫が歴史を受 け継ぎ刻み続けてきた。にもかかわらず、北村の 世代ぐらいか ら、"自分探し"なるものに夢中になり、誰かと繋がっていない不安に苛まれている。日本では明らかに米国社会の後を追うような現象が続いていると言わざるを得 なかった。


北村は反骨心のある大新聞の若手記者。英国記者との 会話での日米英の比較文化論はあまりに図式的。

世 界中からリーマンショックと呼ばれるようになっ た9月15日、米国から投資銀行が消えた。皆、 商 業銀行に宗旨替えしないと生き残れなかったのだ。
そして、今なおたらい回しのような犯人探しが続 いている。
みんな本当は、犯人が分かっているはずだ。それ は米国人全ての心に宿っていた欲望だ。それこそ がアメリカンドリームの原動力だなんて言い訳を しながら、何もか も貪って喰い尽くしてしまった。
リーマンショックは、投資銀行や、サブプライム ローンを売りつけた不動産ファンドだけが悪いの ではない。そこを自覚しなければ、米国は何度で も同じ過ちを繰り 返すだろう。


リーマンショック早解り。
【虚 像(メディア)の砦】真山仁 ★★★☆  2007/12/14 初出単行本 2005年角川書店
中東で日本人が誘拐された。その情報をいち早く得た、民法 PTBディレクター・風見は、他局に先んじて放送しようと動 き出すが、予想外の抵抗を受ける。一方、バラ エティ番組の敏腕プロデューサー・黒岩は、次第に視聴率に縛られ、自分を見失っていった。二人の苦悩と葛藤を通して、巨大メディアの内実を暴く。(裏表紙 惹句)

「な あ宗佑。私はテレビというメディアを否定するつもりはな い。テレビとは大衆に理屈抜きの娯楽と 笑いと感動を与えられる力を持っている。だが同時にテレビには、見る人を釘付けにし、映像のすべてを信じ込ませる力を持っている。これは危険だぞ。報道の体た らくも目に余るが、それ以上に怖いのがおまえさんたち だ。バラエティと呼ばれとる番組で、やっている事は何か ね。自分より弱い人を血祭りに上げて笑い飛ばす。 一番ゲスな笑いだ。しかも視聴者には、今日が幸せだったらいいじゃないかという諦めを刷り込みつづけている」

15年ほど前の作品だが、テレビの劣化はこれよりだいぶ前か ら加速してたらしい。バラエティ番組の、お笑いタレント総出 の楽屋オチめいた「笑い」は目に余る。とい うわけで、ほとんど見ないようにしているのだが、たしかに「イジメ」に近いゲスな笑いが多発しているようだ。また先輩-、売れてる芸人への追従、おもねりも目に余 る。

少 年時代の風見は、そう思い込んでいた。父は自分が取材し 撮影した戦場の悲惨な写真を息子に何枚か 見せた。
--ジャーナリストはかっこいい仕事じゃないぞ。こんな 場所に行って話を聞き、大勢の人から話を聞くんだ。なぜ 悲惨な事件が起きるのか、人が死ぬのか。父さん 達はいつも人の命に関わっているんだ。


先般の東北地震津波原発事故の特番でも、遺体はもちろん、怪 我人すら放映されなかった。
津波の映像すら「これから津波の映像が流れます」なんてテ ロップが出る始末(>_<) いたずらに悲惨 な、酷い映像を流せというわけではないが、「臭 い物に蓋」式の報道は、どんどん事実から遠ざかっていくように思える。

他 のテレビでやるような妙な小細工はやめて欲しい」
「妙な小細工?」
「別の人間の表情を見せる小窓やテロップ、後で付け足し た笑い声に、意味不明の効果音。そういう嘘はお断りや」
最近のテレビ番組は、バラエティだけではなく、ニュース でもやたら画面を汚す。たとえば画面の片隅に出演者の表 情を映し出す小窓。大きな映像を見ているゲスト の表情をそこでフォローし、視聴者に注意を換気する。その上出演者がしゃべっているのに、大きな字幕でフォローする事も常識だった。
またこの10年ほどで、お笑い番組ではタレントのトーク に、スタジオ内のリアクション以上の笑いを効果音で入れ る傾向が強くなってきた。
コントをやってもオチの前にCMを入れたり、CM開けに はCM前のシーンを「復習」してから次を始めるなど、涙 ぐましい努力を払って、チェンネル変更を阻止し ようとする。

黒岩の幼なじみの落語家の言うところの「小細工」は本当に目 障り、耳障りである。
CMの入れ方に関しては明らかに反則であると思う。
ニュース番組の効果音や音楽などは無用に願いたいし、外国 ニュースのインタビューに声優を使い、オーバーな吹き替えと いうのも考えものである。

「今 年は、再免許の年です。そして、再免許をもらうために は、今後5年間の財務の健全性を彼らに提 示する必要があるからです」
そんな事まで総務省は見ているのか……。
再免許をちらつかせ、常に政治家の意向を押し付けてくる というイメージしかない風見には、にわかに信じがたい言 葉だった。
「局内でリストラが進まない場合なども、半ば強制的にリ ストラを断行させるなど、かなり積極的に総務省が、経営 に関与してくるみたいです」
「つまり最後の護送船団とは、俺たちだったって事か」


この部分は今まさに、問題になっている、東北新社と総務省の 接待問題に通じるものだろう。
本書はストーリーより、舞台になっているテレビ界への矛盾や 批判に見るところ多かった。

【君 たちはどう生きるか】吉野源三郎 ★★★☆☆  1982/11/16 岩波文庫 青185-1 初出 1937(昭和12)8 月「日本小国民文庫」

吉野源三郎 1989年東京生れ。東京帝大哲学科卒業。 編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たち はどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編 集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力 した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本 ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。 1981年没享年八十二。(Wikipedia)

読んだことはなかったが、戦前の少年向き啓蒙の書の特別 な一冊として、この本の存在は知ってた。でも読む気には ならなかった。それが数年前に現役(^_^;)の子 どもたちの間一種のブームになって、漫画化されてこれがまたベストセラーになったということも小耳にはさんで、へ~(@_@)と思いながら、それでももちろん読む 気 にもならなかったのだが。コミスタこうべの図書室新着コーナーににこの漫画があって、つい流し読みしたら、地の文(おじさんのノート部分)に、心ひかれて、三宮 図書館で本書を借りて来た。
ポプラ文庫など児童書のコーナーにあるものは、省略と言 い換えがあるらしい。その点、岩波文庫場は昭和12年の 初版を底本として(仮名遣いと旧漢字は変 更)いるし、巻末には30ページにわたる丸山真男の解説(「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想)がある。

コ ペル君は妙な気持でした。見ている自分、見られてい る自分、それに気がついている自分、自分で自 分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、コペル君の心の中で重なりあって、コペル君は、ふうっと目まいに似たものを感じました。コペル君の胸の中で、波の ようなものが揺れて来ました。いや、コペル君自身 が、何かに揺られているような気持でした。
コペル君の前に茫々とひろがっている都会には、その とき、眼に見えない潮が、たっぷりと満ちていまし た。コペル君は、いつのまにか、その潮の中の一つの 水玉と なり切っていたのでした--

「僕、とてもへんな気がしたんだよ。」
「なぜ?」
「だって、叔父さんが、人間の上げ潮とか、人間の引 き潮とかいうんだもの。」
「……」
叔父さんは、わからない、というような顔をしまし た。すると、コペル君は、急にはっきりした声で言い ました。
「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、 ほんとにそう思っちゃった。」
叔父さんは、自動車の薄暗い明りの下で、びっくりし たように、眼を見はりました。コペル君の顔がいつに なく、いきいきと緊張しているではありませんか。
「そうか--」
と、叔父さんは言って、しばらく考えていましたが、 やがて、しんみと言いました。
「そのことは、ようくおぼえておきたまえ。たいへ ん、だいじなことなんだよ。」(一 へんな経験)


文体見本を兼ねて、初めの章から少し長めに引用してみ た。児童文学としてもなかなかに格調のある良い文章であ る。

《コ ペル君、君も大人になってゆくにつれて、だんだんと 知って来ることだが、貧しい暮しをしている 人というものは、たいてい、自分の貧乏なことに、引け目を感じなから生きているものなんだよ。自分の着物のみすぼらしいこと、自分の住んでいる家のむさ苦しい こと、マイチにの食事の粗末なことに、ついはずかし さを感じやすいものなのだ。もちろん、貧しいながら ちゃんと自分の誇りをもって生きている立派な人もい るけ れど、世間には、金のある人の前に出ると、すっかり頭があがらなくなって、まるで自分が人並みでない人間であるかのように、やたらにペコペコする者も、決して 少くはない。--そりゃあ、理窟をいえば、貧乏だか らといって、何も引け目を感じなくてもいいはずだ。 人間の本当の値打は、いうまでもなく、その人の着物 や住 居や食物にあるわけじゃあない。--僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらぬ人間とかんがえたりしないように、--また、た とえ豊かな暮しをしたからといって、それで自分を何 か偉いもののように考えたりしないように、いつでも 自分の人間としての値打にしっかりと目をつけて生き てゆ かねばいけない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。--今の世の中で、大多数を占めている人々は貧乏な人々だからあ だ。そして、大多数の人々が人間らしい暮しが出来な いでいるということが、僕たちの時代で、何よりも大 きな問題となっているからだ》(四 貧しき友)

本文では一段下げで、上部にノートのカットのあるおじさ んのノート部分。《  》はMorris.が便宜的に付 けてる。
この貧乏にかんする部分は、本書の重要な部分だと思う。 Morris.は漫画のなかにあった、この部分を見て、 原作を読む気になった。80年以上前に書かれた日本 の現実が、いままさに再現されているようだ。

《-- 君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていなが ら、弱いばかりにその心がけを生かし切れ ないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸 を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結 びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠 いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。》 (五  ナポレオンと四人の少年)

ナポレオンを「英雄」視するところは、ちょっと違和感を 覚えたが、このあたりが「時代」を感じさせるところか な。

コ ペル君は、またノートに向って書きつづけました。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるよう な、そいういう世の中が来なければいけないと思いま す。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今 にそ いういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。(十 春の朝)


ここらあたりも、今まで人類が進歩して来たとか、将来へ の展望の希望的観測に鼻白むものがあるが、発表当時とし ては、精一杯の表現だったのだろう。

1935 年といえば、1931年のいわゆる満洲事変で日本の 軍部がいよいよアジア大陸に進攻を開始 してから4年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。そして1937年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本小国 民文庫』が完結した7月に盧溝橋事件がおこり、みる みるうちに中日事変となって、以後8年間にわたる日 中の戦争が始まった年でした。(作品について 吉野 源三 郎)

まさに日中戦争が始まった年の発行。日米開戦してから は、実質的に発売停止を余儀なくされたようだ。

日 本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、 先進文明国の完成品を輸入して、それを模範と して「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰め込み教育」とか「暗記もの」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。いまや悪名 高い、学習塾からはじまる受験戦争は「知識」という ものについての昔からの、こうした固定観念を前提と して、その傾向が教育の平等化によって加熱されたに すぎ ず、けっして戦後の突発的な現象ではありません。
この作品はこれなりに、昭和十年代の東京と日本と世 界の姿を実に忠実に映し出しています。しかもちょっ と想像力と応用能力を働かせれば、ここに少年向きに 描か れている「貧乏物語」が、今日でも世界的規模で考えてそのまま生きていることを見抜くのは、そんなに困難ではありません。(丸山真男 1981)

丸山自身も大学時代に本書を読み、裨益するもの多く、初 版と同じ形での復刊を早くから希望していたらしい。「少 年向きの「貧乏物語」」とは言い得て妙である。


【楡 家の人びと】北杜夫 ★★★★  1964/04/05 新潮社
半世紀ぶりの再読(^_^;)
前にも書いたが、Morris.は「どくとるまんぼ う昆虫記」で北杜夫には親しんでいたが、この作品は 全くちがった意味で、Morris.の心をとらえた ようで、 北杜夫がお手本?にしたトーマスマンの「ブッデンブローグ家の人々」まで、読んでしまったことを思い出す。

ま た感冒ワクチン事件というものも起った。流感は 年が更(かわ)っても一向に衰えなかったもの で、 新しがり屋の基一郎は、さっそく当時できたてのワクシン--ワクチンではなくワクシンと箱には書かれていた--を従業員全員に使用することを命じた。ところが ワクシンを注射された健康者はすべて腕が赤く腫 れあがってしまったばかりか、幾人かの発熱者ま で出た。飯炊きの伊助だけは何ともなかった。彼 は例によって注射 されるとき姿を隠していたからである。(一部4章)

何かコロナワクチンのことを連想せざるを得ない。
このあとに松井須磨子自殺のことに触れられてあるの で、大正8年(1919)のことということがわか る。

そ の原は、訪れる人々の数によって、急に生気を帯 びにぎにぎしくさざめいて見せたり、突然がらん と 人気もなくなっていやにひろびろと拡がって見せたりした。春から夏にかけて、その各々はごく見すぼらしいあまり名も知られぬ小さな植物、しかし一面に手でかき わけてゆくほどの群落となると馨(かぐわ)しい 褥ともなる雑草たちによて、芳醇に化粧された。 お互いに葉を投げかけあって甘酸っぱい水気をひ そませ、泡吹虫の 唾にも似た巣を点在させ、飛蝗や蜻蛉を誘きつけてくれる、ありふれていながら同時にかけがえのない珍かな子供たちの宝庫。その草むらはやがて繁茂し尽して乾き きr,いつしか種類を変え、次第にうらぶれたも のと変ってゆくうちに、タデとかカヤツリグサな どのその一つ一つの形態と色彩がふしぎに鮮やか に目に映じてく る…。[二部1章)

こういった自然描写が当時のMorris.の心をと らえたのではなかろうか。
青山の楡病院が火事で焼けた一部の9章に「焼跡に は、菊科の雑草がおびただしく群生していた。草花に 趣味をもつ書生の言によれば、ヒメジョオンという舶 来の雑草 で、鉄道草とも明治草とも呼ばれるそうである」という記述もある。

一 体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かに笑 い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮してゆ く人 間とは何なのか? 語るに足らぬつまらぬもの、それとももっと重みのある無視することのできぬ存在なのであろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計 の針は進んでゆく。もっといろいろな時計があ る。五分おきにとまってしまう時計、やたらとせ わしく進んでしまう統計、一年に三十秒しか狂わ ぬ時計がある。嘗て の楡病院の時計台のそれのように、人為的に無理矢理五分ずつ針を動かされてしまう時計もある。しかし機械に過ぎぬ時計を離れて、「時」とは一体何なのか? そ れは測り知れぬ巨大な円周を描いて回帰するもの であろうか? それとも先へ先へと一直線に進 み、永遠の中へ、無限の彼方へと消え去ってゆく ものであろうか?

この部分は、半世紀後でもなんとなく覚えていた。も しかしたらMorris.の「時間感」はこれに影響 されているのかもしれない。

1899 年、クレペリンは二つの大きな主な精神病のグ ループ、早発性痴呆(分裂病)と躁鬱病とを分 類したのである・その体系は鞏固に明晰に、次第 に修正されつつふくれあがり、1927年の第九 版では二千五百頁に誓い堂々とした二巻の書物と なった。

この時期に徹吉(モデルは斎藤茂吉)はドイツに留学 してクレペリンに出会い、握手を求めて無視されると いう屈辱を受けたらしい。

朝 日新聞社は毎年元旦の紙上にその年の計画を発表 するのっを常としたが、「紀元二千六百年本社の 新 事業」というのは次のようなものであった。修練橿原道場を奉献、全国官幣社に国運隆昌祈願、奉納武道大会、日本体操大会、日本文化史展覧会…。長らく人気の的 であった横山隆一の『フクチャン』は『ススメ、 フクチャン』と改題され、アララギ派の佳人斎藤 茂吉は次のような歌を寄せた。「あめの下 ひと つなるこころ大き かも二千年(ふたちとせ)足り六百(むつもも)の年」「もろごゑに呼ばはむとするもの何ぞ東亜細亜のこのあかつきに」

モデルとして登場させた上で、茂吉の歌、それも時世 におもねったような作を引用するあたり、複雑な家族 間の愛憎を垣間見ることが出来る。

も しかすると、基本的な生の涯に死があるという考 えが、そもそもの誤りであり欺瞞なのではあるま い か。死が根本であり土台であり、生がその上に薄くかぶさっているというのが真相なのではないか。また同時に爆弾の破片が死をもたらすというのももっともらしい 欺瞞だ。それは単なるきっかけ、触媒にすぎぬ。 その無味乾燥な破片によって、死がその地底の王 国から開放され蘇ってくるのだ。生は仮の姿であ り、死が本来の姿 なのだ。たまたま戦争という偶発事によって、それまで怠惰にたれこめていた引幕が開かれ、死はようやく暗い陰の領土から足を踏み出し、おおっぴらな天日の下、 白昼の中にまで歩みを進めるようになったまで だ。--こんなふうに周二の思考は混乱したもの であったが、ともあれ彼の偏頗な思考を諾い、そ れが一貫しておらず 混沌としていればいるほど、その考えを胸に叩きこみ嘉納したのである。

周二は北杜夫自身がモデルである。つまり、若き日の 北杜夫の死生観みたいなもので、Morris.はこ れにも影響された可能性が高い。
【ポー ツマスの旗 外相・小村寿太郎】 吉村昭 ★★★☆  1979/12/20 新潮社

桂 首相は、伊藤枢密院議長とその補佐役として小村 外相を全権に考え、天皇に内奏した。しかし、伊 藤 は桂の推薦をかたく拒絶した。
伊藤は、全権になった場合、どのような立場に身 を置くかを十分に知っていた。日本は、陸海軍と もに勝利をおさめたが、ロシア側は日本陸軍の兵 力がロシア軍と対 決できぬほど弱体化していることを察知し、強行な態度で会議を推しすすめるにちがいなかった。しかし、日本の民衆は戦争継続を叫び、講和がむすばれた折には多 額の賠償を得られると信じている。もしも全権と して条約の締結にあたれば、国民の怒りを買うに ちがいなかった。


日露戦争といえば、まるで日本が大勝利みたいなイ メージで語られるが、実態はそんなもんじゃなかった わけだ。

白 人の水夫たちにまじって移民として出稼ぎに行く 日本人、清国人、韓国人の姿があった。かれらは 一 様に貧弱な体をし、子供連れの者もいる。腿を露わにしてあぐらをかく男の傍で、女が乳房をあrわにして嬰児に乳をあたえたりしていた。
小村は、日本人をふくめた東洋人の貧しさを思っ た。アフリカがヨーロッパ各国の植民地に分断さ れたように、東洋もそれら列強の侵略を受けてい る。日本も危機に さらされていたが、維新後、奇跡的にそれをまぬがれ、近代国家としての道を進んでいる。しかし、危機が去ったわけでjはなく、日本は列強の間を巧みに遊泳しな がら辛うじて独立国としての存在を保っているに 過ぎない。清国、韓国に列強の権益が拡大される ことは、やがて日本にもそれが及ぶことを意味し ている。
欧米列強は、軍備をととのえた日本をうとましく 思いながらも、東洋の番人として利用しようとし ている節がある。イギリスの提案に成る日英同盟 もそのあらわれで あり、日本はそうした思惑を逆に利用して、自らの安全を守らなければならず、それ故に、外交政策は日本の存亡を左右するものであった。


これって、小村寿太郎でなく吉村昭の視点だろう。

明 治31年、小村の前に宇野弥太郎という四歳下の 男があらわれた。かれは筑前博多の大きな魚商の 子 として生まれたが、情念時代に家出し、長崎に行って割烹料理の修行をした後、朝鮮、京城、上海と流れ歩き、さらに南米からヨーロッパへも渡り皿洗いをして過ご した。
宇野は字の読み書きはできなかったが、英語、中 国語、スペイン語を話し、料理に長じている上に 小村の身のまわりの世話もした。小村が中米公使 として赴任する折 り、小村はかれをともなって渡米した。
宇野は算盤をはじくことはできなかったが、、棒 給を巧みにふりわけ、家計をとりしきった。かれ は趣味人でもあって、切手蒐集と蝶の採取を楽し みにし、狭い自室 には蒐集箱帖と標本箱が積み上げられていた。

この宇野という男には心惹かれる。

8 月29日、ポーツマスで小村全権とウイッテの間 で全条件の妥協が成ったことは、30日夜の号外 で 東京その他各地につたえられた。
戦争で失ったものは、莫大だった。動員された兵 力は108万8996名、そのうち戦死4万 6423,病気、負傷のため兵役免除となった者 約7万、俘虜と成った もの約2千であった。消費された軍費は、陸軍12億8328万円、海軍2億3993万円計15億2321万円であった。
人々は連戦連勝の結果として講和会議に多くの期 待を寄せた。償金40億円、樺太以外に沿海州割 譲を求める声も高かったが、講和条件の要求が余 りにも小さすぎる ことに失望し、さらにその条件すらも大譲歩を余儀なくされたことに憤りを爆発させたのだ。
人々がそのような感情をいだいたのは、政府が戦 争の実情をかたく秘していたことに原因のすべて があった。海軍は完全に制海権を支配していた が、陸軍は大増強さ れたロシア軍と戦闘をつづければ勝利の確率が少く、またそれによる軍費の膨張で日本の財政が崩壊せざるを得ないことを知らせることはしなかった。


本書を通じて、書かれていることはこの構図に集約さ れている。

講 和後駐英大使を務めていた小村は、明治41年7 月桂内閣の外相として帰国。
外相に就任した小村は、伊藤と韓国問題について 競技し、韓国を保護国とすることからさらに進め て日本に併合させることに意見の一致を見た。そ して42年3月 30日、韓国併合に関する意見書を桂首相に提出した。
10月26日、伊藤はハルピン駅頭で安重根に射 殺される。
7月6日、桂は韓国の併合案を閣議にはかり、そ の決定により参内して天皇の裁可を得た。
43年春、桂は、併合の機運が熟したと判断し、 本格的な準備に入り、小村は、それをうけて危惧 されている列国の承認を得る工作にとりかかっ た。
第三代統監に就任した陸相寺内正毅は8月13 日、小村に対して決行する旨を打電し、李完用首 相を統監邸に招いて、併合を伝えた。8月29 日、日韓両国は併合条 約を公布し、韓国は日本に併合され、朝鮮と名称を変えた。
44年1月下旬、大逆事件関係者の社会主義者幸 徳秋水ら12名の私刑が執行された。
4月21日、日韓併合の功績により、桂首相は公 爵、小村は伯爵から侯爵になった。
11月25日、自宅で死亡。
小村の葬儀は、青山斎場でおこなわれた。その日 の朝、棺に愛読のテニソン詩集と半ば近くまで すったエジプト煙草一罐がおさめられた。


小村寿太郎の日韓併合、植民地化に大きな役割を果た したことを忘れることはできない。

【本 のなかの旅】湯川豊 ★★★☆  文芸春秋 2012/11/30 文藝春秋 初 出「本の話」2011-12
湯川豊 1938年新潟市生れ。慶応大学仏文科 卒。文藝春秋に入社。「文學界」編集長、同社取 締役などを経て退社。2010年「須賀敦子を読 む」で読売文学 賞。「イワナの夏」「夜明けの森、夕暮れの谷」

旅 の話を読むのが好きだった、といえばそれま でのこと。ただ私にとって旅の本のなかに は、いつも謎 めいた魅力と問いかけがあった。それが具体的にどのようなものだったのか、書くことによってはっきりさせたいという気持ちが、この本の動機になっている。(あ とがき)

以下の18人が取り上げられている。(太字は Morris.が著作を読んだことのある人物)

宮 本常一/内 田百閒/ブルース・チャト ウィン/吉 田健一/開 高健/ル・ ク レジオ/金 子光晴/今西錦司/アー ネスト・ヘミングウェイ/柳 田國男/田部重治/イザベ ラ・ バード/中 島敦/大 岡昇平/アーネスト・サトウ /笹森儀助/菅江真澄/R・ L・スティヴンス ン

宮 本が初めて佐渡にわたったのは1958年、 民俗学の調査が目的だった。その後も足しげ く訪れて、 次第に民俗調査が主目的ではなくなり、農業指導になり、町や村の相談役になった。地域の貧困からの解放に少しでも力になろうとした。
貧困からの解放は、どうしてもその地域の近 代化に結びつくことになる。宮本はいっぽう でそれを推進しながら、もういっぽうで昔な がらの共同体的な世界と、そこ で営まれている暮らしのありように限りない愛情をいだいていた。宮本のこの二面性を、旅すること、歩くことが貫いていた。そして足で移動しなければ見えないも のを見て、書きとめた。(宮本常一 (1907-81) 歩かなければ見えない もの)


Morris.には、貧困な社会の豊かさ? み たいなものへの愛好癖があるようだ。などと脳天 気な物言いをしてたら、しっかり自分が貧困層に なってしまっていた (^_^;) 

山 陽本線の新特急「かもめ」が走ることになっ て、三ノ宮駅と神戸駅が停車駅として争った らしい。結 果として、下りは三ノ宮駅停車、上りは神戸駅停車ということで決着がついた。
百閒は、これはおかしいとマジメな顔で批判 する。山陽本線の起点である神戸駅を片道だ けにしろ通過駅とするのは、鉄道のあり方か らいってよくない。自分には決 定的な解決案がある。神戸と三ノ宮の間をプラットホームでつないでしまうのだ。ホームは片庇のトタン屋根でたくさんで、ただ続いてさえいればよろしい。ホーム の一方の出口を神戸口、一方を三ノ宮駅とす る。これで万事が解決する、というのだ。 「春光山陽特別阿房列車」で3ページほど 使っているこの大議論でも、何かが 解体し、無意味になっていく。(内田百閒(1889-1971) 用事がないから汽車に乗る)


「かもめ」の変則停車駅のことは初耳だったが、 三ノ宮駅から神戸駅までホームでつなぐという名 案? には笑かしてもらった。この区間はよく歩 くのだが、1km以上 あ るからホームでつなぐのは骨である。神戸駅ちかくが大きなカーブになってるのもホームにするには難点がある。三ノ宮駅と元町駅ならホームでつないでも500m 以 下のはずだから可能ではないかと思う。

定 住することではなく、移動すること、旅する ことが人間の本然の姿なのだと、チャトウィ ンは信じ た。そして自分のなかの衝動に従って世界中を歩きまわって、短い生涯を終えた。しかし、旅する人はしょせんは通過者なのである。(ブルース・チャトウィン (1940-89) 歩く人の神様)

チャ トウィンというのは全く未知の人で ある。旅人は通過者というのは湯川の意見だろ う。

ル・ クレジオがスペイン語からフランス語に翻訳 した「チチメカ神話 ミチョアカン報告書」 は、それ まで存在することさえ半ば忘れられていた。
先スペイン期メキシコ文明において、黄金は すべて神のものだった。神を祭る寺院を黄金 で飾り、神事に使う仮面から錫杖にいたるま で黄金で作った。神に属するも のを、人間の価値におきかえることはできない。だから金は通貨にはならなかった。
いっぽう征服者たちは、メキシコ文明のもつ 黄金に熱狂した。黄金が狂気を呼び、王や要 人を忙殺し聖なる寺院を破壊した。1530 年、プレペチャの最後の王タン ガショアンは、征服者スーニョ・デ・グスマンにだまされ、拷問を受け、殺害された。殺される前に王はいった。
「なぜかれらはこのすべての黄金を欲しがる のか? まちがいなく、この神々は黄金を食 うにちがいない、だからあれほどまでに欲し がるのだ」
黄金は神のもの。その黄金を当然のように要 求する新来の白い人びとは、傳説が伝える 神々に違いない。そう信じて、王や神官たち は征服者の横暴を受け入れた。す べてが破壊された後、白い人びとの真の姿に気がついたときはすでに遅かった。残された神官や貴族にできたのは、スペイン語を習い覚え、部族に伝わる神話と歴 史、もっとも大切な祭儀の姿を征服者の言葉 で書き残すしかなかった。それが「ミチョア ンカン報告書である。

ユカタン半島の中央部の森のなかにある、ジ ビルノカク、「夜の書」という名をもつ不思 議な寺院を訪れる。「夜を費やして人が文字 を書くというこの孤立した場 所」は世界でもっとも居心地のよい場所だ、とル・クレジオはいう。
《夜、書き、夜、読むことは、あらゆる旅の うちでもっとも驚くべき、もっとも簡単な旅 だ。》(ル・クレジオ(1940-) すべ ては結ばれている)


スペイン人による中南米王朝の征服は非道を絵に 描いた行為だが、異文明同士の衝突はジェノサイ ドめいたものになりやすい。ル・クレジオは歴史 上の人と思ってたが、 まだ生きている、というか、Morris.とはたった9歳違いだったというのには驚いてしまった。

昭 和15年に刊行された「マレー蘭印紀行」。 開高健はこの本を「昭和の日本知識人の書い たもっとも 優秀な紀行文」と高く評価ている。池澤夏樹は「類を見ない、小さな傑作」と絶賛している。
「マレー蘭印紀行」には、いつも水が流れて いる。軽く透明な流れではない。それと正反 対の、重く、暗い色に濁った水。しかしその 濁った流れは、南洋の生命の豊 穣の源でもある。
《川は放縦な森のまんなかを貫いて緩慢に流 れている。水は、まだ原始の奥からこぼれ出 しているのである。それは、濁っている》

《小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の 闇をひろげて、夜がはじまる。
大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。 しゃらしゃらと、たよりない音をたてゝ鳴る 南十字星(サザンクロス)が、こわれおちそ うになって、燦いている。海 と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を炒めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終ったりしている》(爪哇)  (金子光晴(1895-11975) かへ らないことが最善だよ)

「かへらないことが
最善だよ」
それは放浪の哲学。


というのは、詩集『女たちへのエレジー』所収の  「ニッパ椰子の唄」の一節である。光晴は一番 好きな詩人かもしれない。

明 治11年(1878)5月、46歳のイギリ ス人女性、牧師の娘で独身のイザベラ・バー ドが、サン フランシスコからの船で横浜港に着いた。そして少しの準備期間をおいて、6月10日に東北・北海道に向けて旅立った。

伊藤鶴吉は、安政4年(1857)、神奈川 県三浦郡菊名村に生まれた。早くから横浜に 出て英語を学び、明治10年(1877)、 横浜で通弁業を開始した。つま りバードに雇われたのは通訳になってまもなく、ということになる。
伊藤は、バードとの旅を終えた後も、通訳と して活躍、しだいに大きな存在になっていっ たようである。大正2年(1913)に胃癌 のため横浜の自宅で死去。死去 の翌日(1月7日)付の「The Japan Gazette」紙は、「日本のガイドのパイオニア」で「日本を訪れた著名な外国人のほとんどに随伴した」と報 じている由。

宮本常一は「イザベラ・バードの『日本奥地 紀行』を読む」を著していて、絶好の案内書 になっている。

日本旅行の後、イザベラ・バードは1881 年、医者のジョン・ビショップ博士と結婚。 86年、夫ビショップ病没。89年から、イ ンド・チベット方面をかわきり にまた大旅行をはじめる。94年から96年にかけて四度も日本の訪れ、朝鮮半島や中国大陸に出かける基地とした。1904年、エディンバラで死去。(イザベ ラ・バード(1831-1904) 東北 へ、もっと奥地へ)


中島京子の「イトウの恋」という、イザベラ・ バードとその通訳である伊藤を中心に構成した作 品が印象深かったので、伊藤の略歴などを知るこ とができてうれしかっ た。Morris.は2013年に中島の本を読んでいる。読書控えから。

明 治初期に日本を訪れた英国人女性イザベラ・ L ・バード「日本奥地紀行」をタネ本にしたフィクション。通訳として雇われた伊藤鶴吉の手記を祖父の遺品の中から発見した中学教師が、その謎(終結部の不 在)を追求するなかで、伊藤の孫娘と思われ る漫画原作者と関わりを持つ。伊藤のイザベ ラへの仄かな愛と劣等感を、「奥地紀行」に 沿って細密に描写しながら、お もいがけない「真実」に筆を運ぶ、その手際には感服のほかなかった。「小さいおうち」「FUTON」など、過去の作品を種子として新たなものがたりを 創作 するというのもこの作家の得意技のようだ。

こうなると、件の「日本奥地紀行」も読まないと いけないかな(^_^;)
【黙 示】真山仁 ★★★☆  新潮社 2013/02/20 新潮社 っ初出 「小説新潮」2011-12「沈黙の代償」タイ トルで連載 
このところ集中的に読んでる真山仁の農薬と遺伝 子組み換え植物などをテーマにした作品。

1960 年代にアメリカの生物学者レイチェル・カー ソンが『沈黙の春』で農薬の危険を訴えて、 農薬 に関する社会の関心は一気に高まった。だがそのブームが収束した後は、それ以上の大きな関心事にならないまま現在に至っている。かと言って「農薬は安全」だと 思っている者も少ないだろう。ただ、適正に 使用されるのであればいいのでは、というグ レイゾーンにいるだけだ。いやもっと言え ば、「そういうことを考えるのが 面倒」というのが一般人の本音か。

20年くらい前、中江くんがバイトしてた薬剤撒 布の会社で「ラウンドアップ」という除草剤を 使ってて、これが雑誌で危険なものとして批判さ れたことがあった。本書 では「ネオニコチノイド」という薬品が取り上げられている。薬と毒はある意味同じものだったりするわけで、適正な使い方という考え方もあるだろう。

2011 年に、世界人口は70億人を超えた。10億 人に達したのは1802年のことだ。それか ら 200余年で人口は7倍になった。中でも60億人から70億人に達するのに要した時間は、わずか13年だ。
人口爆発と呼ばれる現象は、中国やインド、 ブラジルなどの新興国の経済成長によって、 より深刻さを増している。貧困層が増える分 には、世界の食糧事情を圧迫し ないが、新興国の人口急増は消費行動の爆発的拡大を生み、結果として地球規模の食糧危機や水の枯渇という不安定要因になるのだ。


3021年現在の世界の人口は78億人となって いる。毎年1億人くらいずつ増えてることにな る。貧困層より、新興国の人口増加が食料危機に 直結するという指摘には 複雜な思いを抱かざるをえない。

遺 伝子組み換え作物と言えばアメリカが本家の ように思われているが、実は中国での開発発 展の凄まじ さが突出している。国土の砂漠化が年々進む一方で人口増加は衰えず、そのうえ近い将来には超高齢化社会の問題がとてつもないスケールで襲ってくる中国は、世界 の食料のみならず、農地まで買い漁って、人 民の"食い扶持"確保に必死だ。

国別人口世界一は中国で14億人を超え、、3位 のアメリカの5倍近い。国家体制に鑑みて、一挙 に開発がすすむ可能性は高い。


【シ ンドローム 上下】真山仁 ★★★☆☆  2018/08/01 講談社 初出「週刊 ダイヤモンド」2015-18
真山仁 1962年大阪府生れ。同志社政治 学科卒業 新聞記者、フリーライターを経て 2004年「ハゲタカ」でデビュー。ハゲタ カシリーズ。「レッドゾーン」「マ グマ」「プライド」「コラプティオ」「黙示」など。

このところわりと集中的にこの人の本を読ん でいる。国際的投資ファンドの社長鷲津雅彦 を主人公とする「ハゲタカ」シリーズでブレ イクしたらしい。本作もこのシリー ズの一冊で、東北大震災で原発事故をリアルタイムとした舞台に、鷲津が首都電力(東京電力)を、買収するという筋。

「知っ てのとおり、日本の電力事業は、特殊 や。民間企業でありながら、地域独占が 認められている。 その上、燃料費が高騰すれば、それを自動的に電気料金に上乗せすることも認められている」
電気料金は、総括原価方式によって決ま る。
電力供給に関わるすべての経費を合算し た上に、報酬率と呼ばれる利益分を加え て電気料金を徴収している。言い換えれ ば、「最初から電力会社が必ず儲かるシ ステ ムを国が保証している」わけだ。
なぜ、こんなことが許されるのか。それ は公共性の高い事業ゆえに恒常的に経営 の安定が維持されなければならないから だ。そのうえ電気料金の高騰をおさえる ため だというから笑わせる。
「まがりなりにも資本主義国家の日本 で、これほどまでに統制経済がまかり 通っているのも珍しい。せやから、電力 会社は笑いが止まらんほど儲かるわけ や」
だから、俺は首都電力が欲しいのだ。


Morris.も電発事故の後、いろいろ関 連本を読んだから、日本の電氣産業のアウト ラインはある程度理解しているつもりだ。そ れだけにその電力会社を「欲しい」 と言う鷲津のストレートさには脱帽。

「ア ンソニー、被災地(むこう)の様子はど うだ」
尋ねられて、顔を上げたアンソニーの目 はひどく充血している。よほど疲労困憊 らしい。
「メディアは、被災地の壮絶さを伝えて いません。遺体が至る所にあります。そ れにヘドロで汚れた街に漂う異臭が酷 かったり、途方に暮れて泣くことすらで きなく なってしまっている被災者がたくさんいる。なのにそれを拾い上げるメディアがない」
ヘドロ塗れの遺体なのだと理解した。
「あなたが撮ったの? 一体いつ?」
食い入るように写真を見つめているリン が尋ねた。
「地震から三日目に、ロイター通信の記 者の友人について行ったんです。そした らこの有様で。でも、こんな状況の写真 や映像は一切メディアに流れない」
それは当然だろう。読者の気分が悪くな るような写真を載せる勇気など、日本の メディアにはない。


正義感が強く、貧困地域の支援活動家で、鷲 津の配下となった米人アンソニーが東北の被 災現場に入っての、報告。あの原発事故から 10年目になる今日このごろ、特番 も多いが、日本のテレビでは、遺体や負傷者の映像は絶対放映されないし、津波の映像すら直接的に放映するのを避けている傾向にある。

聞 くところによると、50基以上もの原発 を抱えながら、まともな事故処理マニュ アルが存在しなかっ た可能性が高いらしい。それが事実なら原発を推進してきた政府と電力会社は、国賊ものだ。そして、そんな原発を、他国に「世界一安全」だとして売った自分もま た国賊の一人だ。
日本はエネルギー資源のない国だ。した がって発電のための原材料のほとんどを 輸入に頼っている。そのため自ずとコス ト高になる。そこで発電事業者が頼った の が、原材料の値段が安定して安く、巨大な容量を発電できる原発だ。
原発があったからこそ、深夜でも街の 隅々まで明るく、オール電化のタワーマ ンションも無数に誕生したのだ。
そんな恩恵に浴していたことをあっさり 忘れて、まるで国や電力会社が国民を騙 して原発を無理矢理稼働していたかのよ うに、世間やメディアは糾弾した。
震災がもたらした悲劇は多々あるが、電 力に関しての無知の露見と得体の知れな い怒りの蔓延も、一つの悲劇だった。


ベトナムに日本の原発を売り込みに行った、 会社再生の達人柴野の独白。「原材料の値段 が安定して安く、巨大な容量を発電できる原 発」というのは間違っていると思う が……

ま た、総理の壁か。
「総理に何を期待しているんです」


原発発生時は菅(かん)総理だが、本作では 菅と鳩山を合成したキャラクタになている。 「総理の壁」は2005年にベストセラーに なった「バカの壁」(養老孟司)の ギャグだな。

「自 粛して東北が復興するんだったら、いく らでも自粛すればいい。しかし、日本中 がいつまでも災害 の傷を抱えているのは、健全じゃないだろ」
被災地と被災者を慮ることは重要だろ う。だからといって、何もかもが停滞し ていては、日本経済も社会も浮上できず に終ってしまう。

コロナ自粛の中でも、こういった物言いがさ れてた。

東 日本大震災は、政治や社会に無関心だっ た日本国民に衝撃を与えた。そして、恐 怖に裏打ちされた問 題意識として、エネルギー問題は矢面に立たされた。
そもそも電力問題なんて、よほど問題意 識の高い一部の人しか興味を示さないも のだった。それが、今や原発問題だけで はなく、電力の未来や電力会社のあり方 につ いて、まるで専門家のように語る人が増えてきた。
無関心でいるより良い傾向なのだが、に わか仕込み知識を振りかざして、一家言 持たれるというのは、面倒でもあった。


Morris.がそういった輩の一人ではな かったと言い切る自信はない(^_^;)

バ ブル経済崩壊以降、日本はそれまでの日 本的な習慣や良さをかなぐり捨てた。 言ってみれば、第二の 明治維新が起きたといえるほど大胆で乱暴に、文明開化(グローバルスタンダード)に突き進んだ。

文明開化に「グローバルスタンダード」とい うルビは秀逸。

「そ れにしても、今日の会見はショッキング だったな」
「サプライズこそ、我が人生ですから」

Life is suddonly(ソウル 郊外喫茶店の壁の落書き)を思い出した。そ してそれにインスパイアされた Morris.の今月の標語「人生はフラッ シュ メモリー」。

「原 発は、我が国が先進国であり続けるため の心臓なんだ。君にその認識はあるの か」
「私は政治家ではありません。ただの商 人です。私にとって原発は、電力事業で ぼろ儲けするために必要不可欠なツール に過ぎません」
「つまらん男だな。君には愛国心がない のか」
そんなことをみだりに口にする方が、ど うかしている。
「資源も軍事力もない弱小国家が、世界 列強と渡り合えるのは、最高峰の製品を 提供できる工業力を維持しているから だ。それを支えるのが電力だ。温暖化な どとい うバカげたムーブメントにも動じない原発による発電が、日本という国家を支えている。だからこそ、たとえ事故が拡大し、国民の命が犠牲になっても原発を捨てる わけにはいかないんだ」
国士というのは、こういう発想を持つ人 物を言うのだろう。しかし、東海林の言 葉に痺れるほど初心(うぶ)でもなかっ た。
東海林は国有化ありきと繰り返すくせ に、首都電力再生のための本質的な話を 避けている。国有化すれば、あとは自分 を含めた原発マフィアがいかようにでも 出来る と信じているのだろう。

東海林のモデルは中曽根だろう。

第 六部 伸るか反るか

「のるかそるか」はよく使うことばだが、こ の漢字をあてると初めて知った。
伸 るか反るか 運を天にまかせること。成 功するか失敗するか。いぎかばちか。
のる[伸る・反る]1.(刀が)反り曲 がる。反り返る。2. 人が体を前や後 ろに曲げる。前かがみになったり」のけ ぞったりする。(大辞林)

そうか、「反る」で「のる」とも読むのか (@_@)

SBO(全 交流電源喪失)が起きて冷却水による核 燃料の冷却が止まった以上、メルトダウ ンが起きた のは間違いない。にもかかわらず水蒸気爆発が起きない事実に、多くの専門家が首をかしげていた。
「なぜ、水蒸気爆発がおきないんで す?」
IC(イソコン 非常用復水器)とは、 原発がSBOを起こした時に最後の切り 札として、原子炉内を冷却するシステム で、それが正しく作動するとブタの鼻か ら蒸 気が出るという。

フクイチでメルトダウンしても爆発しなかっ たのは、本書ではアメリカの原発メーが日本 側にも知らせずに底に水が残らないように手 直ししてたということになってい る。
事故から10年経って、廃炉作業は端緒にす ら至っていない状態、汚染水、汚染土、の処 分先も決まらず、「原発の手に追わなさ」は 明らかに成っているというのに、ま だ再稼働を実行しようとしている政府には、呆れるしかない。
【夢 見る帝国図書館】中島京子 ★★★☆  2019/05/15 文藝春秋 初出「別 冊文藝春秋」第238号~第340号

「福 沢諭吉がね、洋行をしたわけよ」
「あ、福沢諭吉がね。1万円札の」
「そう、そして帰ってきて言ったわけ。 『西洋の首都にはビブリオテーキがある うがって」
「なんだか料理名みたい」
「それでみんなでびっくりして、そりゃ 作らなきゃならんてことになった」


帝国図書館の創設に福沢諭吉が絡んでいたと はね。

今 まではさまざまの事してみたが 死んで みるのは之が初めて 淡島椿岳
淡島寒月は膨大な蔵書を持ったほかに、 世界各国の玩具を蒐集したり、江戸の風 俗について書き物をしたり、やたら旅行 をしたりして暮らしたが、梵雲庵と名付 けて 住んだ向島の寓居を関東大震災で焼かれてそのコレクションを全部失った。失ったその日にはまた新しい玩具を買うという、懲りない人生でもあったらしいが。そし てその二年と少し後に鬼籍に入った。先 に挙げたのは寒月の父で、やはり趣味人 の画家だった、椿岳のごきげんな辞世の 句だが、息子も、とてつもなく陽気な辞 世を 詠んだ。
針の山の景しきも見たし極楽の 蓮のう へにものりたくもあり 寒月


幸田露伴が帝国図書館で淡島寒月と出会った ことは知ってた。高等遊民といった感じの寒 月だけど、父子ともに素敵な辞世の歌を詠ん だものだ。

も し、図書館に心があったなら、樋口夏子 に恋をしただろう。
そもそも図書館がこの東京の地に「書籍 館(しょじゃくかん)」と名づけられて 産声を上げた年と、樋口夏子がこの世に 生を受けた年は、同じ明治五年であっ た。
夏子の生前に出た唯一の著書である、お 手紙の書き方指南書『通俗書簡文』を、 図書館は万感の思い出胸に抱いた。
夏子は明治二十九年の11月二十三日に 息を引き取った。図書館は、死後に出版 された樋口一葉の本を次から次へと愛し た。全部愛した。小説も歌も日記も手紙 もす べて愛した。
図書館には鷗外も漱石も露伴も来た。徳 富蘆花も島崎藤村も通った。田山花袋も 日参した。およそ明治の文学者で上野の 図書館に行かないものはなかった。
けれども、誰がなんと言おうと、図書館 がもっとも愛したのは、この、肩こりで 近眼の、金の苦労の絶えなかった、薄命 の女流作家であるに違いない。


帝国図書館を擬人化して、彼が一番愛したの が樋口一葉とするあたり、中島京子ならでは の目の付け所の良さである。

と しょかんのこじ◆ きうちりょうへい作 すみやじろう絵  小粒書房 1953(長ぐつ文庫;第3 集 12)城内亮平  1014_1959, 角谷次郎  1923_1989

「あたちは こじです。
それでも なんで さみしいことのある でしょう。
あたちには おいちゃんがいるのです。
おいちゃんは せいたかのっぽで
とくべつのおしごとを しています。
うえのにある おおきな としょかんに  かよって
としょかんのことを ほんに かいてい るのです。」
「あたちは おいちゃんの
りゅっくさっくのなかへ はいって

いっしょに としょかんに
かよいます。
よるになると としょかんのひとは
みんな いえに かえってしまいます。
でも あたちと おいでゃんは ちがい ます。
よるの としょかんに ねとまりをする のです。」
「よるの としょかんには いろいろな
どうぶつが やってきます。
くまも います。
くろい ひょうも います。
きりんも しまうまも おさるさんも  います。
みんな となりの どうぶつえんから
ほんを よみに やってくるのです。」
「いちばん おもしろいのは
ほんから でてくる ひとたちです。
まじょも います。
おうさままも います。
おさむらいも おじぞうさんも いま す。
みんな あたちと いっしょに
ほんを よんで わっはっはと わらい ます。」
「そうしているうちに
あたちは ねむくなって
おさるさんや おさむらいや まじょと いっしょに ねむります。
こんどは ゆめのなかに
おじぞうさんや きりんや おうさまが  でてくるのです。
おいちゃんと いっしょに
あさを むかえます。
ふろへも はいりたいから
あくびをして おもてへ でます。」


この不思議な絵本が、作者をこの作品を書か せることになった老女の幼少時の大権に繋が るものらしい。ともかくも、この雰囲気は素 敵である。

上 野動物園の福田三郎園長代理が、大達茂 雄東京都長官から「猛獣処分」の厳命を 受けたのは昭和十八 年八月十六日のことだった。
「言っておくがね。戦局が悪化したから ではないよ。そのように伝えられては困 るから、気をつけてくれたまえ」
そう、大達都長官は念を押した。ではな ぜ、という問いを、福田延長代理は胸に しまった。
戦後、『かわいそうなぞう』という反戦 絵本がベストセラー/ロングセラーに なったが、そのえほんには動物たちが殺 された本当の理由は描かれなかった。
そしてかわいそうだったのは象だけでは なかった。
ホクマンヒグマ、ニホンツキノワグマ、 ライオン、ヒョウ、チョウセンクロク マ、トラ、黒豹、チーター、マレーグ マ、ホッキョクグマ、アメリカヤギュ ウ、ニシキ ヘビ、ガラガラヘビ、そして象。合計十四種、二十七頭が殺された。毒殺には硝酸ストリキニーネが用いられたが、それで死ななかったものは槍で刺殺。寝込みを 襲って首にロープを巻き付け窒息死させ たケースもあった。生後半年にならない ヒョウの子も殺された。


この動物園の悲劇的エピソードは、あちこち で取り上げられるが、上野にあった図書館と 動物園の悲しい交歓なのかも。

「と しょかんのこじ」後記から一行空けて 「この叢書は、お子様方の情操教育に寄 与すべく編まれたも のです。『長ぐつ文庫』は一般書店では取り扱っておりません。全国の公立図書館、学校図書館にのみ所蔵されるものであります。公立図書館および学校図書館の意 義は、今日、益々たかまっていることは 言うまでもありません。」とあり、また 一行空けて唐突に始まるのが、タイトル も何もない、詩のようなものだった。

とびらはひらく
おやのない子に
脚をうしなった兵士に
ゆきばのない老婆に
陽気な半陰陽たちに
怒りをたたえた野生の熊に
悲しい瞳をもつ南洋生まれの象に
あれは
火星へ行くロケットに乗る飛行士たち
火を囲むことを覚えた古代人たち
それは
ゆめみるものたちの楽園
真理がわわれらを自由にするところ     瓜生平吉

真理がわわれらを自由にする -----。
どこかでその言葉を聞いたように思って 目を上げると、わたしが座っていた国立 国会図書館東京本館の目録ホールの目の 前の図書館カウンターの上部に、ギ リシア語の原文と並んでそ れは刻まれていた。


中島京子の作品では「小さいおうち」の系列 に入る作品がMorris.の好みで、本作 もそれに属すると思う。彼女にはできるだけ この手の作品を書いて欲しい。

【永 田町 小町バトル】西條奈加 ★★★☆☆  2019/02/10 実業之日本社
西條奈加 1964年北海道生れ。 2005年「金春屋ゴメス」で日本ファ ンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。 「涅槃の雪」で中山義秀文学賞、「まる まるの毬」で 吉川英治文学新人賞

「法 律を変えて、予算を勝ち取る―それ ができるのは、国会議員だけなの よ」。野党・民衛党から出馬 し、初当選した芹沢小町は、「現役キャバクラ嬢」にしてシングルマザー。夜の銀座で働く親専門の託児施設を立ち上げた行動力と、物怖じしないキャラクターがメ ディアで話題となり、働く母親たち から熱い支持を集めたのだ。待機児 童、保活、賃金格差、貧困…課題山 積みの“子育て後進国”ニッポン に、男社会・永田町に、 小町のパワーは風穴を開けられるのか!?吉川英治文学新人賞作家が挑む、新たな地平! (こしまきの、惹句)

政治ドタバタ娯楽小説と思ったのだが、 意外に大真面目な著者の社会批判が展開 されて、ちょっと圧倒されてしまった。

自 ら望んで、颯爽と家庭からとび立つ 女性も増えてはいるが、まだまだ大 方の女性は、男に依存したい という思いを、心のどこかに抱えているのではないか--。夫婦と子供のいるあたりまえの家庭という、この国が培ってきた幸福の形から、その呪縛から逃れられ ず、はじき出されてなお、必死にと り戻そうともがいている--小町に はそう思える。
そして、国も政府も法律も、この型 通りの幸せこそが最善だと、未だに 大声で吹聴するのだ。これほど多種 多様な価値観が存在する世の中に なっても、政治はまった く追いついていないどころか、目に入れるのを忌避しているかのようだ。


安倍晋三を典型とする日本家族神話への 批判。

中 国は1950年から、「婚姻法」で 別姓が可能となり、子供の姓は 1980年に改正された同法によ り、両親のいずれかから選択でき る。実際は伝統に従って、父親の名 字が使われる場合が多いそうだが、 少なくとも選択の自由はある。台湾 では婚姻の際に、同姓・ 別姓のいずれかを選択できるが、別姓が一般的。韓国は昔ながらの父系制のため、結婚後もそれぞれの父方の名字を名乗る、つまり別姓がふつうである。東南アジア においても、ほとんどの国が夫婦別 姓か選択制であり、タイでは同姓・ 別姓を選択でき、ベトナムは男女双 方、父方の性を名乗る。

今日の参院でも福島みずほと丸川珠代が 夫婦別姓で咬み合わない議論やってた が、これも「家族神話」に繋がるものの ようだ。

ク オータ制とは、議会における男女平 等を目指して、一定数の議席を女性 議員に割り当てる、ノル ウェー発祥の制度である。クオータとは分け前や割当という意味で、よく間違われやすいが、四分の一を表すクオーターとは別の単語だ。

これはMorris.も完全に誤解して いた(>_<)

親 も子も、必死になっていまの生活を 守り、体裁をとりつくろう。せめて そのあいだに、助けてくれと 声をあげてくれればと、小町は悔しくてならない。なまじ忍耐を美徳とする国民性のためか、ぎりぎりまで我慢する親や子がなんと多いことか。本当に倒れるまで頑 張ったあげくに、病院に担ぎ込まれ て初めて貧困の実態が明らかとな る。
病院が最後の砦となるのも、そのた めだ。なんと貧しい国だろうと悄然 となる。もちろん金銭の意味ではな く、若い親や子供たちが、こうも喘 がなくてはならない社 会は、どこかおかしいと思えてならないのだ。


絶対貧困と相対貧困と言われるが、今の 日本は相対貧困の温床(^_^;)と言 えるだろう。

自 由経済こそが、資本主義の根幹であ る。この『自由』という言葉に騙さ れてしまいがちだが、自由と はつまり、「やりたいようにやって、好きなだけ儲けていい」ということだ。
儲けを出すためには、原価と人件費 を切り詰めて、できるだけ多く売れ ばいい。原価を担う、農業や鉱山労 働者、あるいは下請け工場の生産物 が安く買いたたかれ て、非正規雇用の従業員が増えるのも、実に単純な道理だ。
強者と弱者、すなわち富める者と貧 しき者が出るのは必然で、どんなに もっともらしい方便を並べても、 『貧富の差は仕方がない』。それす らもいわば、『自由』な のである。
「じゃあ、小町ちゃん、自由の反対 語は何か。わかるかい?」「不自 由、でしょ?」
「間違ってはいないけど、政治的に は違うよ。こたえは『平等』だ」
「『自由』の反對が……『平 等』?」
多くの国がスローガンに掲げている 『自由』と『平等』は、実はまった く逆の性質を持つ。そう聞かされた ときの驚きは、小町にとっては発見 に近いものだった。
「『平等』を是とした国が、社会主 義国家。そういえば、わかるか い?」
ああ、とたちまち納得がいき、小町 は首振り人形のように何度もうなず いた。
「ただね、資本主義にもいろいろあ るんだ。国の、政治の、方向性とい うべきかな。あえてふたつあげる と、アメリカ型と北欧型かな」
アメリカ型とは、新自由主義経済を 差し、ネオリベラリズムとも称され る。
市場での自由競争を徹底させる。す なわち『市場原理主義』である。長 所としては、効率が上がり、価格が 下がり、サービスが向上する。反 面、原価と人件費を下げ る必要に迫られて、貧困層を生む結果につながる。


「自由」の反対が「平等」というのは、 どこかで聞いたことがあるが、それでも たしかに衝撃である。新自由主義の長所 と短所の要約もわかりやすい。

「同 じ資本主義でも、アメリカ型と対極 にあるのが北欧型でね。北欧諸国ほ どその方面に力を入れてな くとも、たとえばドイツやフランスには、社会保障国家を目指す政党が、保守党と並ぶほどの大きな勢力となっている。いわゆる二大政党の形だね」
それらは社会党とか民主党とか呼ば れる存在で、選挙に勝って政権を握 ることもあれば、たとえ保守政権下 にあっても発言権は非常に強い。新 自由主義經濟の牽制役 を果たし、暴走を食い止めて、『再分配』を促すと、紫野原は言った。
「『再分配』て、何?」
「自由競争で儲けたお金を、いった ん税金として納めてもらう。それを 国が、弱者にも行き渡るよう再分配 する。高所得者から税金をたくさん とって、低所得者に分 けることを『所得再分配』というんだ」
「そうなるね。経済は資本主義、福 祉は社会主義、そんな感じだね」


いや、わかりやすい解説!!

「政 治って、生活に直結するのよね?  よく考えたら、すごく大事なことな のに……どうせなら、きち んとわかりやすく教えてほしいわ」
「それは文部科学省で、禁止されて いるんだ」
「どういうこと? わけわかんな い!」
「『党派的政治教育』を行ってはな らないと、文科省の学習指導要綱に も出ているよ。特定の政党を支持、 あるいは非難することは厳禁とされ ていてね、これに抵触 しないようにすると、骨格しか説明できないんだ」
学校では、政治については最低限の 教育しか行わない。政治について詳 しく語ると、どうしても語り手の主 義主張が混じってしまい、それは特 定の政党への肩入れに なりかねない。政治的発言を子供に植えつけるのはよろしくないという配慮であり、間違ってはいないのだが、おかげで日本の子供はおしなべて政治音痴になる。投 票率の低さが、如実に物語ってい る。


ここらは斎藤美奈子「學校では教えてく れないほんとうの政治の話」あたりから の引用。

「ど こかの国が潤っていれば、必ずどこ かにしわ寄せが来る。日本の好景気 の陰には、貧しい暮らしを 余儀なくされた人々がいる。主にそれは、途上国が担っていたはずだ……いまも昔もね」
「つまり……他国にかぶせていたつ けが、いまになって回ってきたとい うわけ? この先も日本の貧困層 は、増えることはあっても減ること はない?」
その恐れは十二分にあると、紫野原 はうなずいた。
「どうして貧困がこんなに増えたの かって、最初に質問されたよね。最 大の原因をあげるなら、経済のグ ローバル化だよ」
国をまたいで活動する巨大企業は、 もっとも有利な条件の土地に生産拠 点を構える。資金が安くすむ新興国 に工場を移し、最大限の利潤をあげ ようとする。そんな企 業と競争しようとすれば、国内の労働賃金も上がりようがない。
経済の中心が、情報産業に移行した ことも見逃せない。いわゆる職人や オフィスの事務系職員は不要にな り、かわりに保育・介護・飲食など のサービス業は引く手数 多だが、賃金は驚くほど低く抑えられている。


コロナ禍もグローバル化の賜物にちがい ないし、コロナの後もこの傾向は続くん だろうな。

生 活保護の審査は非常に厳しく、たと え受給に至っても、その後の生活が 厳しく制限される。この国に は未だに、福祉を施しと捉えるものがあまりにも多い。施しは耻であり、弱者の象徴でもある。受給者の暮らしぶりに、いちいち目くじらを立てるのがその証しだ。
長い人生の中には、誰にだって山や 谷がある。谷に落ち込んでいるとき に福祉の恩恵を受けて、また山を目 指すための足掛かりにする。その間 の保護が本来の目的の はずが、周囲の冷たい視線と当人の引け目が相まって、なかなか這い上がれない。強烈な偏見が、生活保護の目的を歪めてしまっている。


福祉=施し=耻という、政府の罠に見事 にはめられている、ということだ。
【美 しい日本のくせ字】井原奈津子  ★★★★ 2017/05 /26 パイ インターナショナル
井原奈津子 1973年神奈川県生れ。 くせ字愛好家。多摩美術大学卒業後、主 にエディトリアルデザインに関わる。習 字の指導、毛筆ロゴ制作や筆耕などを行 う。「く せ字講習会」など手書き文字のワークショップも開催。

最近よく見かける、おもしろ事物蒐集本 くらいに思ったのだが、これが嬉しい誤 算というか、実に本格的な、行き届い た、それでいて遊び心に富んだ好著だっ た。有名無 名の人物や、店、出版物などさまざまな「くせ字」を紹介しているが、おおまかに取り上げられた人物名など

松 本人志/松本国三/中ザワヒデキ /佐藤修悦/デーブ・スペクター /韓流スター/サンリオ/大川お さむ/松田聖子/『りぼん』/「ア ンの部屋」/長谷川書店/喫茶 「花」/稲川淳二/植草甚一/新谷 雅弘/しげちゃん/映畫字幕/ひさ うちみちお /100%ORANGE/二井康雄/レディ・ガガ/スケシン/カレー屋/母/南伸坊

25 年ほど前、10代の終わりくらいか ら、書類の字、雑誌に載った有名人 の字などを、ファイルにい れたりして取っておくようになりました。
私がいままで出会った「くせ字」の 中から、とくに「この字いいよ ね?」「気になるよね?」「すごい よね?」という文字を選び、この本 を作りました。(まえが き)

というわけ。

警 備会社で警備員を務める佐藤さん は、2004年新宿駅の工事現場で 誘導係になったそのさい、声か けだけでは足りないと案内表示の文字をガムテープで作り、その文字の独創性に注目が集まった。彼の作り出すガムテープ文字は親しみをこめて「修悦体」と呼ばれ ているが、そのいわば原点となるの が、彼が何十年も前から書いている この(ゴシック体(ゴナ体?)を手 本にした)手書き文字だ。(佐藤修 悦)

ガムテ-プで文字を造形すると必然的に ゴシックになるな(^_^;) かなり 世間の話題になったらしいが、今なら SNSで盛り上がるのだろう。

「見 よう見マねフォーリン系」広告の代 表の字といえば、これだろう。糸井 重里コピー、浅葉克己デザ インの「おいしい生活」(西武百貨店・1982年)。最近まで「ウッディ・アレンが書いたカタコト文字」としか思っていなかったのだが、浅葉さんのインタ ビューで「(僕が書いた)手本を見 て書いた」とあり、驚いた。(「お いしい生活」文字の謎)

あの文字はウディアレンが書いたのは間 違いないようだが、浅葉克己が書いた文 字を手本としてウディが書いたものだっ たというのには驚いた、両者の写真が掲 載されて いて、見比べると確かにく似ている。それにしても糸井のコピー「おいしい生活」は、じつに「あざとい」ものだった。

雑 誌『りぼん』に1983-85年に 連載された本田恵子の「月の夜星の 朝」の主人公リオのは、 「字」がこれまた完璧だった。漫画のセリフには、活字に混じって、ときどき手書き文字が使われる。この作品のなかで書かれた字は、当時流行していた丸文字の 「おバカ」テイストを「お茶目」テ イスト程度にとどめた、丸文字なの に知性を感じる、いわば女子力バー ジョンアップ型だったのである。
「りおの字」を、交換日記に、授業 のノートに、マネした。りおと同じ 中学生の頃である。さすがにりおの ようになれるとは思っていなかった だろうが、憧れるとマ ネしてしまう、素直な時代だったと思う。大人の階段昇っていたシンデレラだったのだ。
少女だったと、いつの日か思うとき が来た。(少女のバイブル『りぼ ん』の字)


まる文字に関しての著者の観察力は大し たものである。

丸 文字ーー70~80年代女子の文字
・1974年までに誕生し、 1978年に急増したとされる。普 及の一因として、雑誌『an・ an』などで使われた書体「ナー ル」写研 1972)をあげてい る。また、サンリオの『いちご新 聞』やファンシーグッズにあふれて いたレタラーお兄さんのハイカラな 文字が、普及の大きな役割を果たし たのではないかという新 説をあげておきたい。丸文字のピークは1982-3年というのが実感。1991年『広辞苑』に「丸文字」の見出しが立つ。
長体ヘタウマ文字ーー90年代女子 の字
丸文字から発展した。丸い中にもト ンガリを加えた。トメハネがシッカ リしている字『月間アクロス』(パ ルコ出版)は、この文字の名づけ親 であり「女の子っぽい かわいいイメージ」を拒否した、そっけないけどおしゃれなヘタウマイラスト的な文字」と分析した。
長体ヘタウマ文字のピークは 1986-8年。


中森明夫の「変体少女文字の研究」を読 んで、まる文字のことは大まか理解して たつもりだったが、上っ面理解だった。

「美 文字練習帳」を買うときに、「売れ ているようだから」「先生が美人だ から」などの理由で決めて いませんか?10年ほど前に、複数の先生がいる書道学校に通いました。子どものころ好きだったはずの習字なのにそれほど楽しいと思えず、ガッカリしていました が、ある日、違う先生の手本で書く 機会があり、楽しい気持ちが見事に 甦ってびっくり。楽しくなかったの は、それまでの先生の字が好きでな かったからだと気づき ました。美文字練習帳は「好きと思える字」で選ぶことをオススメします。(どれも好きと思えなければ練習などしない、それもアリ)

「日ペンの美子ちゃん」を思い出した。

す ごい字がツイッターで回って来た。 稲川淳二氏の字である。手書きなの かそうじゃないのか、なぜこ んな風に書くのか、いったいこの文字は何なのか。端正で奇怪。形が独特なだけでなく、ここまでびっちりと機械的に整っているのも珍しい。デザイン専門学校をで て、もとは工業デザイナーだったと いう。有名な「バーコードリー ダー」や「車止め」などは稲川氏の デザインだ。
「書家」と名乗る人の字が「書」な のではない、「その字が好きだ」 「その字を欲しい」と思わせる字が 書であり、それを書く人が書家なの だと常々思っている。稲 川淳二氏の字は、そういった意味で私にとっては「書」なのだ。稲川氏の作品集の出版をぜひこの場を借りてお願いしたい。(稲川淳二)

これはかなり有名な話だったらしいが、 こればかりは一見に如かずなので、紹 介されてる ページを紹介 しておく(^_^;)

G さんの字の書き方は、定規に字の底 辺を当てるというものだ。説明する までもないが、パッと見たと きに「きちんと整っている」と感じるのは、この揃った底辺の「見えない線」目がなぞるためだ。この「定規法」は、日本語の横書きにおいて、崩れたバランスを整 えて見せる、ひとつの発明かもしれ ない。かなの連綿の美しさが本来の 美しさなら、定規を使った字は人工 的な美しさ。(事務員Gさんの字)

これはMorris.も実践してみるこ とにした。とりあえず水平に文字が並ぶ だけでも可読性は上がる。

日 本で最初の字幕入りの映画が上映さ れたのは1931年で、そのときの タイトルライターは、早川富 之助・山本吉郎・大村敦の3名。後続の大井充氏は「(焼き込み字幕の)字体を作ったのは嶺田四郎、角田豊氏あたりだろう」とい。
映画に字幕がついているのは日本く らいで、それ自体が珍しいのだが、 この字の「くせ」が多くの人にあい されるものだったことは、日本人に とってまたとない幸運 だったと思う。この字が消えていくのは惜しい。おそらく同じ気持ちから、字幕の字はフォント化されている。佐藤英夫氏の手書きから作られた「シネマフォント」 を初めたくさんのフォントが作られ ている。フォントになったことで、 字詰めに気を使われていないものも 多く出回っており、なかには目を覆 うような汚いものもあ る。
大学卒業時の96年に「字幕の字を 書く人」になりたい」と、字幕製作 会社に電話をした事がある。「仕事 は少なくなっているし、もういりま せん」と門前払い。諦 めきれず、字幕のついた映画ビデオを一時停止して字を練習、その山を持って別の映画製作会社を訪ねた。「残念だったね、いまフォント化しているよ」と。かわい そうだと思われたのか、「そんなに 好きなら」と、その時にもらった字 幕の字が書かれたカードは宝物に なった。
「字幕の字」の作り方(*現在は レーザーで活字を入れる方式が広く 使われている)
1.焼き込み字幕ーー黒い髪に筆で 白い文字を書く。字幕を撮影したネ ガと画のネガを重ねて焼く。
2.打ち込み字幕ーー白い紙に烏口 などで黒い文字を書く。字幕(タイ トル・カード)を撮影し、銅などの 金属板に焼き付けて凸版を作るその 版を薬品が塗られた フィルムに打ち込み、文字の部分を白く抜く。
3.薬洗式字幕ーーフィルム全体に 蝋を塗り、字幕の版を押して文字の 部分だけ蝋をはがす。薬品で洗い、 フィルムの字の部分を脱色して白く 抜く。


本気で字幕文字を職業にする気だった、 というだけで著者の思い入れが伝わって くる。

こ の世界、文字のいばら(?)に踏み 込んでしまったからには、その蓋を 開けねばなるまい。こんなに 気になる理由の一つは、はたして「嫉妬心」だった。「かわいい完成度」が高い。なかずる~い! 私もかつてグラフィックデザイン業界の片隅に籍を置いた身であ る。広い意味で同業者と言える、 100%ORANGEさんへの称賛 や憧れが、多少、変質してもおかし くないではないか。
懺悔をすませてしまうと肩が軽くな り、「かわいい」と言えないのに は、ほかの理由もあるのだと気づ く。完成度の高さ、それは、雑味を のぞいた「かわいいのエキ ス」の純度が高いこと。歌舞伎や宝塚歌劇などで見られる、男性、女性が異性を念じる、洗練された「らしさ」の表現。女方は素晴らしく色っぽく、男役は素晴らし くかっこいい、 100%ORANGEさんの絵や字 は「素晴らしくかわいい」それは私 にとっては、純度が高すぎるのかも しれない。「かわいい」という言葉 のもと の意味は「不憫だ」「気の毒だ」だったせいかどうか、「かわいい」の中に無意識に「かわいそう」を求める私の「かわいい」とは別のものなのではないか。全然か わいそうじゃない、だから可愛いわ けではない、と。 (100%ORANGE)


イラストレイターとしての 100%ORANGEはあまり良く知ら ないし、紹介されてた文字にもそれほど びびっとは来なかったが、「かわいい」 という言葉への著者の 私的思い入れに共感を覚えた。

「携 帯ギャル文字」とは半角文字や記号 を組み合わせて暗号のような文字を 作る遊びで「へた文字」と も呼ばれる。2000年ころに生まれ、女子高校生を中心とする若い女性のあいだで流行り、携帯電話のメールで使われた。
⊃σ字、Tょωτ書レ/τあゑカゝ わカレ)MA£カゝ?
(この字なんて書いてあるかわかり ますか?)


ギャ ル文字一覧のページ を参照のこと。

こ の「一見汚い字」を見てびっくりし たのだ。ラフなようでも読みやすい のは、本当は上手に書ける技 術があって、その応用で書いているからだ。字のひとつひとつは崩れていたり勝手に略したりしているが、全体としては、ある美意識が伝わって来て、書作品のよう にも見える。
私が書いていた「キレイでかわいい 字」はわりと簡単だ。基本を踏まえ てそれっぽく書けばそれなりに見え る。急に、自分の字が安易でつまら ないものに見えた。 「グランジファッション」と呼ばれる、着古したシャツや穴の開いたジーンズなどを着こなすファッションがあるのと同様に、字も「あえて汚く書いてお洒落に見せ る」ということがあると思う。(予 備校教師の字)


敗れたジーンズやストーンウォッシュな どのファッションを「グランジーファッ ション」と云うのかあ。

ア イスクリーム    るる(クボタ 瑠瑠)

「きょうはあつくて とけそ う。」って
わたしがいったら
しゅういちろう先生が
「るるちゃん
アイククリームなの。」ってきいた
「じつは
わたしはアイスクリームだったんだ よ。」
「じゃあ なにあじ。」って
また しゅういちろう先生がきく

「ただのバニラアイスだよ。」

2013年当時小学6年生だったる るちゃんは、2010年にアレキサ ンダー病と診断され車いすで生活し ている。
るるちゃんは詩を書くことが好き で、るるちゃんの字は、るるちゃん ならではの特徴がありながらも「詩 を伝えること」以外に何も意味を持 たない。だから、字が、 詩が、素直に此処の中に入って来るんだと思う。
個性は、出そうとしなくとも出る。 そんな、「字が字でないような書」 が私は好きだ。(るるちゃんの字)


るるちゃんの詩があまりにかわいかった ので、全文引用。

こ のゆる~く、ホワっとした字。押し つけがましくなく、読みやすい。時 の流れるまま、その場のノリ で書いている。茶目っ気、ユーモア、偉ぶらない。自分以上のものになろうとしていない。気ままだけど、人のことを考えていないわけではなく、むしろ気を使って いる。しかしそれを感じさせない、 見えない細やかさ。高尚な弛緩文 字。褒めすぎだろうか?
(良寛の)個性的な字が、現代の 人々をも魅了し続けている。細く 弱々しく見えるものの、一本筋の 通った固定観念にとらわれない字 だ。
良寛と伸坊さん、その飄々と見える 生き方も字の形も、けっこう似てい るではないか。伸坊さんは「現代の 良寛さん」なのではないか。熱中こ そしないが、「こうい う文字にわたしはなりたい」と思う。(南伸坊さんの字)


南伸坊を良寛に例えるのは、虚を突かれ た。
筆者はくせ字も美字も達筆らしいが、文 章も達人である。うーーん、世の中には すごい人があちこちに偏在しているらし い。

【天 の涯に生くるとも】金素雲  ★★★ 1983/05 /20 新潮社
金素雲(1908-91) 韓国の 釜山に生れる。1920円渡日。日 本語訳「朝鮮民謡集」で北原白秋の 絶賛を受ける。「朝鮮童謡選」「朝 鮮民謡選」等の翻訳で、朝 鮮の詩心を日本に紹介する一方、植民地下の祖国で児童雑誌の刊行に腐心する。戦後、1952年から13年間滞日。その間「朝鮮詩集」「恩讐三十年」等を刊行。帰国 後、韓国語による著作のほか、「精 解韓日時点」「現代韓国文学選集」 等の編纂・翻訳を通じて、日韓の心 の交流に力を尽す。

「狭間に生きる」 昭和55年[新 潮」に掲載する予定で金素雲自身が 日本語で書いたものだが途中で擱 筆。
「逆旅記」 ソウル新聞に「天の涯 に生くるとも」のタイトルで 1966年に連載されたもの。「狭 間に生きる」と重なる部分を除い て、崔博光と上垣外憲一が共訳

あ る日、明洞のゆきつけの喫茶店 で、李陸史(イユクサ)が詩を 1編作ったと言いながら、原稿 用紙に 書いた「青葡萄」を私に見せてくれた。その詩が気に入って日本語に訳して「東洋之光」と言う日文雑誌に載せた。
それは韓国語の詩を日本語に訳 した初めてのものであった。誰 よりも原作者の陸史が喜んだ。
「ぼくの詩がこんなによかった かなあ。それほどとは思わな かった…どうもほんとにありが とう」そう言いながら、今日の お茶代は自分が払うと言い張っ た。後日、 北京で日本の憲兵に捕われて獄死した陸史が、その日本語で訳された自作の詩が好きだなんて、皮肉な巡りあわせだ。


金素雲の「朝鮮詩集」の中でも一二 を争う名作とMorris.が思う 「青葡萄」が日本語に訳された経緯 が興味深かった。せっかくなので、 原詩と訳詩を引用してお く。

 青 葡萄    李陸史  (金素雲訳) 

내 고장 칠월은        わがふるさとの七月は
청포도가 익어가는 시절  たわゝの房の青葡萄。

이 마을 전설이 주절이 주절이 열리고   ふるさとの古き伝説(つたへ)は垂れ鎮み
먼데 하늘이 알알이 꿈꾸며 들어와 박혀  円(つぶ)ら実に ゆめみ映らふ遠き空。

하늘 밑 푸른 바다가 가슴을 열고  海原のひらける胸に
흰 돛단배가 곱게 밀려서 오면    白き帆の影よどむ ころ、

내가 바라는 손님은 고달픈 몸으로  船旅にやつれたまひ て
청포를 입고 찾아온다고 했으니    青袍(あをごろも)まとへるひとの訪るゝなり。

내 그를 맞아 이 포도를 따먹으면  かのひとと葡萄を 摘まば
두손을 함뿍 적셔도 좋으련      しとゞに手も濡るゝならむ、

아이야 우리 식탁엔 은쟁반에     小童よ われらが卓に銀の皿
하이얀 모시 수건을 마련해 두렴   いや白き 苧(あ さ)の手ふきや備へてむ。


ソ ウル鍾路の「亜細亜茶房」の洪 主人が領収書も受け取らずに出 してくれた二百円が私を東京に 送って くれて、初めての訳詩集「乳色の雲」(1940 河出書房)が出された。

この「乳色の雲」が、「朝鮮詩集」 につながっていく。
【証 言集 関東大震災の直後 朝鮮 人と日本人】 西崎雅夫 編 ★★★☆☆  2018/08/10 ちくま文庫 に-19-1  
西崎雅夫 1959年東京生まれ。 明治大学在学中に「関東大震災時に 虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰 霊する会(のちに「追悼する会」と 改称)発足に参加。 1984年より公立中学の英語教諭として19年間勤務。1993年社会教育団体「グループほうせんか」代表世話人。「関東大震災朝鮮人虐殺の記録ーー東京地区別 1100の証言」(現代書館)編 著。

子どもたち、文化人、長泉寺人、市 井の人々の、震災直後の朝鮮人虐殺 の証言180編を集めた一冊。昨年 読んだ吉 村昭の「関東大震災」に も朝鮮人虐殺にかなり多くの頁が割 かれていたが、本書は、当事者の証 言のみで構成されていて、それだけ に生々しく、臨場感があ る。事実誤認や保身的部分もあるが、それらを含めて現場の状況をうかがわせるものとなっている。

そ の夜中地震だ火事だという声が おこった。その内朝鮮人がぴす とるをもって15人ばかりきた という 事だった。その夜はだれもねず、火をどんどんもしてばんをしていた。とうとう朝鮮人はこなかった。そのあした朝鮮人が殺されているというので、私は行ちゃんと 二人で見にいった。すると道の わきに二人ころされていた。こ わいものみたさにそばによって 見た。すると頭はわれて血みど ろになってシャツは血でそまっ ていた。 皆んなは竹の棒で頭をつついて「にくらしいやつだ、こいつがゆうべあばれたやつだ。」とさもさもにくにくしげにつばきをかけていってしまった。(青柳近代 高 等小学校1年女)

鮮人のころされたのを見て来た 人の話によると鮮人を目隠しに して置いて一ニ三で二間ばかり はなれた所より、射さつするの だそうで、まだ死に切れないで うめいて いると方々からぞろぞろと大勢の人が来て「私にも打たして下さい」「私にも少しなぐらせて下さい」とよって来るのだそうだ。そして皆でぶつなり、たたいたりす るので遂に死ぬそうである。こ う云う話に又流言に、夢の様な 一ヶ月が過ぎた。けれどずいぶ ん今考えると馬鹿げた事をした と思う、今でも色々と人の作り 言葉が 時々来る。(安藤多加 高等小学校2年)


子どもたちの記憶である。

大 手町で積まれた電車のレールに 腰かけ休んでいる時だった。丁 度自分の前で、自転車で来た若 者と刺 子を着た若者とが落ち合い、二人は友達らしく立話を始めた。
「ーー叔父の家で、俺が必死の 働きをして焼かなかったのがあ るーー」刺子の若者が得意気に いった。「ーー鮮人が裏ヘ廻っ たてんで、直ぐ日本刀を持って 追いかけ ると、それが鮮人でねえんだ」刺子の若者は自分に気を兼ね一寸此方を見、言葉を切ったが、直ぐ続けた「然しこう云う時でもなけりゃあ、人間は斬れねえと思った から、到頭やっちゃったよ」二 人は笑っている。ひどい奴だと は思ったが、不断左う思うより は自分も気楽な気持でいた(志 賀直哉 大正12年9月)


こんなとんでもない行為に「気楽な 気持ちでいた」というのは、唖然と する。

(9 月2日午後2時頃)亀戸駅付近 は罹災民でハンランする洪水の ようであった。と、直ちに活動 の手 始めとして先ず列車改め、と云うのが行われた。数名の将校が抜剣して発車間際の列車の内外を調べるのである。と、機関車に積まれてある石炭の上に蝿のように群 がりたかった中から果して一名 の朝鮮人が引摺り下ろされた。 憐れむべし、数千の避難民監視 の中で、安寧秩序の名の下に、 逃れようとするのを背後から白 刃と銃剣 下に次々と仆れたのである。と、避難民の中から、思わず沸き起る嵐のような万歳歓喜の声。(国賊! 朝鮮人はみな殺しにしろ!)[越中谷利一)

亀戸事件とも呼ばれる大量虐殺が発 生した亀戸。将校とあるから、つま り軍部が凶行に及んだことになる。

熊 谷警察では何処から送りとどけ られたのか、東京からだともい われていたが、とに角何十名か の鮮人 を署内の武術場内に保護留置しておいた。民衆は留置中の鮮人達を引きずり出して悉く私刑に処したのである。(風見章)

警察が朝鮮人を「保護留置」して 「民衆」が引きずり出して私刑を 行った。

「朝 鮮人反乱」でデマを発案した張 本人が誰であるかをわたしは知 らないが、それを流布するのに 官憲 も手伝ったことは事実です。「朝鮮人300人の一隊が機関銃を携えて代々木の原を進撃中」とか「朝鮮人の婦女子が毒物を井戸に投入しつつあり」とかいった類の ビラが麗々しく、いたる所の巡 査の交番にはられているのをわ たしは見ました。
朝鮮人を殺せというので「自警 団」が組織されました。八百屋 や魚屋のあんちゃんたちまで、 竹ヤリや日本刀をふりまわし て、朝鮮人を追いまわし、われ われ市民を 監視したり、どなりつけたりしました。わたしの下宿の主人は、錆びついた仕込み杖を引っ張りだして砥石にかけました。
それを笑ったというので、その 下宿の下宿人である若い検事と が、わたしに食ってかかりまし た。朝鮮人の反乱を信じない態 度が、非国民的だというので す。その検 事はどなりました。「警察が認めていることを、君は否定するというのですか」と。東京市民の99%までが、この調子でした。こうして幾十万の朝鮮人が虐殺され たのです。(鈴木東明)


「自警団」というとおぞましいイ メージしかない。

国 ひとの 心さぶる世に値(あ) ひしより、顔よき子らも、頼ま ずなりぬ
9月4日の夕方ここ(増上寺山 門)を通って、私は下谷・根津 の方へ向った。自警団と称する 団体の人々が、刀を抜きそばめ て私をとり囲んだ。その表情を 忘れな い。戦争の時にも思い出した。戦争の後にも思い出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまう。あの時代に 値って以来というものは、此国 の、わが心ひく優れた顔の女子 達を見ても、心をゆるして思う ような事が出来なくなってし まった。(折口信夫)


折口信夫らしいというか、ぎりぎり で正気を保っているというところ か。

こ の天災で、多くのものがくずれ 去った。その後の日本の崩壊 も、すでにその時に端を発して いたとお もえる節があった。単なる災厄ではない。明治が早幕に築きあげた新しい秩序が、ようやくその上塗りを剥がされ素地の非力を露呈しはじめたものとも考えられる。 そのどさくさにおこった朝鮮人 さわぎや、左翼書生への神経病 敵な当局、並びに一般市民の警 戒ぶりが、はっきりそのことを ものがたっている。地震のひび われのあ いだから、反政府の思想運動が芽ぶき、人々のこころに不安と、一脈の共感をよびさませた。(金子光晴)

自伝「詩人」の中の一節だが、やは り透徹した視線がある。

後 になってそれは、政府や軍部が 流したデマだと知って、がく然 とした。震災の混乱を利用し て、階級 的対立を民族的対立にすり替えることで、大衆の不満をそらそうとしたのだ。これはナチスがとった手段と全く同じではないか。異常時の群集心理で、あるいは私も 加害者になっていたかもしれな い。その自戒をこめて、セン ダ。コレヤつまり千駄ヶ谷コレ ヤン(Korean)という芸 名をつけたのである。(千田是 也)

これは有名な逸話である。

町 の在郷軍人などといった手合だ けではなく、相当な知識層の人 も同じような不安にとらわれて いた。 改造社では、地震直後の9月3日に目黒にあった山本社長の家で、今後の雑誌発行について会議を開いた。そのときこのいわゆる"不逞鮮人"の騒ぎが大きな話題に なり、山本社長はもちろん、秋 田忠義というドイツ帰りの評論 家で相当教養もあり、視野の広 かった人さえも鮮人襲撃を信じ こんでいた。そして、会議の最 中に、神 奈川との境の橋を、朝鮮人が二百人ほど隊をなしてくるという噂が入り、会も解散ということになった。私たちが、線路伝いに一時間がかりで新宿までたどりつく と、こんどはそこで、いま立ち 去ったばかりの目黒では市街戦 の最中だと、池袋でも暴動が起 こっているなどと聞かされた。 (比嘉春潮)

改造社といえば、当時社会運動にも 目を配った比較的まともな出版社の はずだが、そこでも情報不足だとこ んな状態になる。

9 月2日の昼下がり、神楽坂警察 の黒い板塀に、大きなはり紙が してあった。それは、警察署の 名で、 れいれいと、目下東京市内の混乱につけここんで「不逞鮮人」の一派がいたるところで暴動を起こそうとしている模様だから、市民は厳重に警戒せよ、と書いてあっ た。トビ口をまともに頭にうけ て、殺されたか、重症を負った かしたにちがいないあの男は、 朝鮮人だったのだな、とはじめ てわかった。このはり紙の印象 が、今日 までずっとわたくしの頭にこびりついているのである。。警察の名においてーーーー(中島健蔵)

官憲の責任は重大である。

毒 を入れられたという井戸は何で もなかった。朝鮮の人は誰も暴 れなかったようだった。だの に……。
「がぎぐげごといってみろ」
などといわれて、少しでもなま りが変だと町の人に取りかこま れてビール瓶で叩き殺されたり したのはなぜだ。本当にどんな 悪いことをしたのだろう。なぜ だ、なぜ だと思いながら、私も自警団の手助けをした。地震よりその時はその騒ぎの方がこわかった。誰がそんな噂をいい出したのだろう。噂や嘘で殺されたのは本当なの だ。その人達にも子供や奥さん がいて人間としての生活がある のに。
もし私が自警団の人達と回って いて、朝鮮の人を見つけたらど うだったろう。皆が殺そうとし たらどうしたろう。何もかもが 信じられないようになってし まった。 (伴敏子)


このように、まともな考え方をする 人でも、状況によってはなにをやっ たかわからないという不安。

(9 月4日の朝、荒川京成鉄橋の中 程で)武装した自警団は、朝鮮 人をみつけるとその場で日本刀 をふ り降しまたは鳶口で突き刺して虐殺しました。
びしょぬれになって、岸に上る やいなや一人の男が私めがけて 日本刀をふりおろしました。刀 をさけようとして私は左手を出 して刀を受けました。そのため 今見れば わかるようにこの左手の小指が切り飛んでしまったのです。それと同時に私はその男にだきつき日本刀を奪ってふりまわしました。私のおぼえているのはここまでで す。
引きずられて、寺島警察署の死 体収容所に放置されたのでし た。弟はみずをくれという私の 声を聞いて、死体置場に生き、 とうとう私を探し出し、他の死 体から離れ た所に運び、ムシロをかぶせておきました。あまりの傷に生きかえるはずなないと、あきらめていました。しかし「水をくれ」という言葉が気になって、せめて願い 通りにしてやらねばと私に無理 して水を飲ませました。ところ が巡査は、治療対策はおろか水 を飲ませることまで妨害しまし た。
朝鮮に帰ってみると、私の故郷 (居昌郡)だけでも震災時に 12名も虐殺された事が判り、 その内私の親戚だけでも3名も 殺されました。(慎昌範)


よくぞまあ生き延びたものである。

亀 戸署で虐殺されたのは私が実際 にみただけでも、5,60人に 達したと思います。虐殺された 総数は たいへんな数にのぼったと思われます。
虐殺は5日の夜中になってピタ リと止まりました。巡査の立話 から聞いたことですが、「国際 赤十字」その他から調査団が来 るという事が虐殺をやめた理由 だったの です。6日の夕方から、すぐ隣の消防署の車二台が何度も往復して虐殺した死体を荒川の四ツ木橋のたもとに運びました。あとから南葛の遺族から聞いたことですが 死体は橋のたもとに積み上げ、 ガソリンで焼き払い、そのまま 埋めたそうです。
死体を運び去ったあと、警察の 中はきれいに掃除され、死体か ら流れだした血は水で洗い流 し、何事もなかったかのように 装われました。調査団が来たの は7日の午 前中でした。(全虎岩)


隠蔽体質。

5 日に5,6人の朝鮮人が後手に 針金にて縛られて、御蔵橋の所 につれ来たりて、木に繋ぎて、 種々の 事を聞けども少しも話さず、下むきいるので、通りがかりの者どもが我も我もと押し寄せ来たりて、「親の敵、子供の敵」等と言いて、持ちいる金棒にて所かまわず 打ち下すので、頭、手、脚砕 け、四方に鮮血し、何時しか死 んで行く。死せし者は隅田川に と投げ込む。その物凄さ如何ば かり。我同胞が尼港にて残虐に 遭いしもか くやと思いたり。ああ無慙なるかな。中には良き人もありしに、これも天災の為にて致方なし。
後にて聞けば、朝鮮人の致せし 事は少なく、我が日本の社会主 義者の者どもがやりしという。 (成瀬勝)


群集心理では済まされない。「天災 の為にて致し方なし」 (>_<) 人の痛み はいくらでも耐えられるのが人間と いうものか。

(9 月2日)水道貯水池の丘に立っ た一人の男が、「男のある家で は、一人ずつ出て下さァ い……」と 怒鳴っている。やがてその傍の空地へは、大勢の男が、手に手に何かの武器を持って集まって行った。それは軍隊ででもあるように何個小隊かに分たれた。そしてこ の丘へ登る道筋の要所要所を堅 めることになった。
あるものは猟銃を携えていた。 あるものは日本刀を背負った。 またあるものは金剛杖の先へ斧 を縛りつけた。
竹槍、鳶口、棒の先へ短刀を 縛ったもの、鉄棒、焼跡から 拾った焼けた日本刀、かくの如 く雑多な武器が、裸体にに近い 避難者の手に握られて、身を護 ろうとする一 心と、闘争を予期する恐怖とに、極端の緊張を以て道を守り、そのへんを巡回しているのは、物凄い光景である。
3日の午後、「旦那、朝鮮人は 何うですぃ。俺ァ今日までに6 人やりました。」「そいつは凄 いな。」
「何ってっても身が護れねえ、 天下晴れての人殺しだから、豪 気なものでサァ。」
「この中村町なんかは、一番朝 鮮人騒ぎがひどかった。一人の 朝鮮人を摑まえて白状させた ら、その野郎、地震の日から十 何人って強姦したそうだ。その 中でも地震 の夜、亭主のいねえうちで、女を強姦してうちへ火をつけて、赤ん坊をその中へ投げ込んだという話だ。そんなのはすぐ殴り殺してやったが……」と言う。(西河春 海)


「天下晴れての人殺し」 (>_<)

朝 鮮人が井戸に毒を投げたといっ た類のデマから起こった一連の 騒ぎは、青山あたりも巻き込ん で、棒 や竹槍をもった自警団が組織され、朝鮮人らしき者は片端から尋問されていた。
騒ぎの続いていたある火、一人 の朝鮮人が寄宿舎に逃げこんで きた。その男だけでなく仲間が 大勢いるようである。キリスト 教の学校として、非道な目に 遭っている 人を助けるのは、当然のことだろうと私は考えた。外部の者を泊めるには学院長の許可が要るので、院長に相談すると賛成してくれた。
こうしてその日から、子どもも 含めて7,80人に親オブ朝鮮 人が、難を逃れて青山学院構内 の寄宿舎に暮らすことになった のである。地元の自警団は、早 速このこ とを聞きつけて抗議にやってきた。「無辜の朝鮮人wど保護するのは人道上当然のことではないか」とはねつけたのはいうまっでもない。自警団の人たちは抗体で朝 鮮人の行動を、騒ぎが静まるま で監視していたようであるが、 幸にことなく済んでホッとし た。(郡司浩平)


こんな話があると、いくらかでも ホッとするのだが、あくまで例外中 の例外事例である。

四 ツ木橋の下手の墨田区側の河原 では、10人ぐらいずつ朝鮮人 をしばって並べ、軍隊が機関銃 でうち 殺したんです。まだ死んでない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして、橋の下手のところに三ヶ所ぐらい大きな穴を以て埋め、上 から土をかけていた。
兵隊がトラックに積んで、たく さんの朝鮮人を殺したのを持っ てきました。そう、河原で殺し たのもいます。ふつうのなんで もない朝鮮人です。手をしばっ て殺した のも日本人じゃなくて朝鮮人だと思ったね。向こうを向かせておいて背中から撃ったね。軍隊が期間中で撃ち殺し、まだ死なない人は、あとでピストルで撃っていま した。
水道鉄管橋の北側で昔の四ツ木 橋寄りに大きな穴を掘って埋め ましたね。死体は何百だったで しょう。9月初めだから、町中 にたおれている死体もくさっ て、におい がひどかった。本当にひどいことをしたもんです。(浅岡重蔵)


軍隊が機関銃で、となると、まさに 国家的犯罪である。

針 金で縛って連れてきた朝鮮人 が、8人ずつ16人いました。 憲兵がたしか二人、兵隊と巡査 が4,5 人ついているのですが、そのあとを民衆がゾロゾロついてきて「渡せ,渡せ」「俺たちのかたきを渡せ」って、いきりたっているのです。
「裏から出たぞー」って騒ぐわ けなんです。何だってみると、 民衆、自警団が殺到していくん です。裏というのは墓地で、一 段低くなって水がたまっていま した。軍 隊も巡査も、あとはいいようにしろといわんばかりに消えちゃって。さあもうそのあとは、切る、刺す、殴る、さうがに鉄砲はなかったけれど、見てはおれませんで した。16人完全にね、殺した んです。5,60人がかたまっ て半狂乱です。自警団ばかり じゃなく、一般の民衆も「こい つらがやったんだ」って、夢中 になって やったんです。(浦辺政雄)


官民一体での暴挙であったというこ とだ。それを傍観していた者も……

裁 判もいいかげんだった。殺人罪 ではなくて騒擾罪ということ だっった。刑を受けたのは何人 もいた が、ほとんど執行猶予で、つとめたのは3,4人だったと思う。私も証人として呼ばれたが、検事は虐殺の様子などつとめてさけていたようで、最初から最後まで事 件に立ち会っていた私に何も聞 かなかった。そして安藤刑事課 長など、私に本当のことを言う なと、差しとめ、実際は鮮人半 分、内地人半分だったと証言し ろ、それ 以上の本当のことは絶対に言うな、と私に強要した。私も言われた通り証言した。(新井賢次郎)

数千人の犠牲に対して、ほとんど実 刑を受けた者はいなかったというだ けでも、図式ははっきりしている。

横 浜の中村町周辺は、木賃宿が密 集した町だった。2日朝から、 朝鮮人が火を抜けて回っている という 流言が飛ぶとただちに朝鮮人狩りが始まった。根岸橋のたもとに、通称"根岸の別荘"と呼ばれる横浜刑務所があって、そこのコンクリート壁が全壊したため、囚人 がいちじ解放されていたが、こ の囚人たち7~800人も加 わって、捜索隊ができた。
見つけてきた朝鮮人は、警察が 年齢、氏名、住所を確かめて保 護する間もなく、町の捜索隊に とっ捕まってしまう。ウカウカ していると警察官自身殺されか ねないほ ど殺気だった雰囲気だった。そうしてグルリと朝鮮人をとり囲むと、何ひとついいわけを聞くでもなく、問答無用とばかり、手に手に握った竹ヤリやサーベルで朝鮮 人のからだをこづきまわす。そ れも、ひと思いにバッサリとい うのでなく、皆がそれぞれおっ かなびっくりやるので、よけい に残酷だ。
こうしてなぶり殺しにした朝鮮 人の死体を、倉木橋の土手っぷ ちに並んで立っている桜並み木 の、川のほうにつきだした小枝 に、つりさげる。しかも、一本 やニ本 じゃない。三好橋から中村橋にかけて戴天記念に植樹された二百以上の木のすべての幹に、血まみれの死体をつるす。それでもまだ息のあるものは、ぶらさげたま ま、さらにリンチを加える…… 人間のすることとも思えない地 獄の刑場だった。完全に死んだ 人間は、つるされたツナを切ら れ、川の中に落とされる。川の 中が何百 という死体で埋まり、昨日までの清流は真赤な血の濁流となってしまった。
町の捜索隊による、恐るべき私 刑劇は、戒厳令が敷かれ、甲府 の連隊が治安のために乗り込ん できた5日過ぎまで続いた。 (田畑潔)

近所の人びとが走って行くの で、なにごとかと見ますと、警 官が一人の男を連行していくの を一団の群衆が、朝鮮人、朝鮮 人と罵りながら取り巻いていま す。そのう ち群衆は警官を突きとばして男を奪い、近くの池に投げ込み、三人が太い丸太棒を持ってきて、生きた人間を餅をつくようにボッタ、ボッタと打ち叩きました。彼は 悲鳴をあげ、池の水を飲み、苦 しまぎれに顔をあげるところを また叩かれ、ついに殺されてし まいました。(二橋茂一)

なにしろ天下晴れての人殺しで すからねぇ。私の家は横浜でも いちばん朝鮮人騒ぎがひどかっ た中村町に住んでいました。
そのやり方は、いま思い出して もゾッとしますが、電柱に針金 でしばりつけ、なぐるける、ト ビで頭へ穴をあける。竹ヤリで 突く、とにかくメチャクチャで した。
何人殺ったかということが、公 然と人々の口にのぼり、私など は肩身をせまくして、歩いたも のだ。(美田賢二郎)


コメントつけるのもイヤになってき た。

9 月20日頃から、自警団、その 他の殺人犯人の検挙が開始され た。私達は、重大問題が起こる なと心 配しながら、浦安町や行徳町方面に早朝出生して、犯人多数を連行してきた。その時、船橋町の稲荷屋という料理屋に、千葉から裁判官と検事や書記が来て二階に陣 取っていた。彼等は、連行して 来た犯人を次々と呼び出し、検 事から最初に、「君は執行猶予 にする」と予言して、取調べを 始めた。すると犯人は、素直に 犯行を認 める。そこで、隣に控えている判事の手に渡すと、判事は「お前は二人殺したか。それでは懲役二年、執行猶予三年に処する。わかったか。」「控訴するか。」と判 事が犯人に尋ね、「控訴しませ ん。」と答えが返ると、「それ では帰ってよろしい。」という ような処置が行われたので、私 達はこれを一日裁判と呼んだ。 (渡辺良 雄)

これがお上と下々のやり方である。
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1923 年9月1日に発生した関東大震 災。
全体の死者数は10万5385 人。そのうち東京7万387 人、神奈川3万2838人。死 者数だけを見ても未曾有の大災 害だったkとがわかる。生き 残った多くの 被災者たちは、家を失い肉親を失い火災に追われて途方にくれていた。まだラジオもない時代で、みんな情報に飢えていた。そこに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」 「放火した」などの流言蜚語起 こった。
流言の拡大に積極的な役割を果 たしたのは内務省(警察や地方 行政を管轄する官庁)だった。 内務省は治安確保のために2日 に戒厳令を施行し、三日に船橋 の海軍無 線送信所から全国に
「東京附近の震災を利用し、朝 鮮人は各地に放火し不逞の目的 を遂行せんとし、現に東京市内 に於て爆弾を所持し石油を注ぎ て放火するものあり」
という内容の打電をした。また 本書の多くの証言にもあるよう に、地域の警察署・警官なども 流言を拡げた。こうして公的機 関によって裏打ちされた流言蜚 語が被災 地を席巻していった。
当時は新聞が唯一の情報源だっ たが、被災地では発行不能と なっていた。だが震災で被害を 受けなかった各地方紙は、主に 避難民から伝えられる流言蜚語 をそのまま 紙面に掲載した。そのためデマが全国に拡大した。
流言の拡大と同時に、武装した 軍隊が出動して朝鮮人を虐殺し た。
だが朝鮮人を最も多く虐殺した のは自警団である。本来なら町 を守り人の命を守るはずの集団 が、多くの人の命を奪ってし まった。当時は日本人より低賃 金で働く朝 鮮人・中国人に対して、日本人労働者が排外意識を高めていた時期でもあったのだ。そこへ震災が起き、流言に煽られた自警団が各地で朝鮮人を虐殺した。
虐殺された朝鮮人は何人なの か。当時の日本政府は実態調査 を行わなかったので、今日でも 正確な人数はわからない。
殺傷事件の犠牲者数は数千人と 思われるが、犠牲者数が今日で も不明なのは、日本政府が犠牲 者調査を行ってこなかったため であることを、ここであらため て確認し ておく。(編者解説 関東大震災時の朝鮮人虐殺とは何か?)


忘れるのが得意な日本人だが、忘れ てはならないことがここにある。

【文 藝別冊 西原理恵子 やり逃げ人 生】新保信長 ★★★★  2018/01/30 河出書房新社
漫画家生活30周年を記念しての発刊。
「ゆんぼくん」「ちくろ幼稚園」「まあ じゃんほうろうき」「憾ミシュラン」 「ぼくんち」「できるかなシリーズ」 「鳥頭紀行「」「毎日かあさん」「パー マネント野ば ら」「上京ものがたり:「オン案おこものがたり」「きみのかみさま」「とりあたまニュース」「おもしろくてもシリーズ」「この世でいちばん大事なカネの話」[大輪 は70歳~」……
サイバラファンとはいえないだろうが、 こうやってタイトルだけ並べても結構読 んでるなあ。そうか、サイバラも30年 以上やってるんだ(@_@)
本書はできるかなシリーズなどを担当し たフリーの編集者新保信長の責任編集 で、ロングインタビュー、対談、放談、 編集者座談会、写真、評論、知人エッセ イ、漫画、 作品総覧、名作解題、交際相関図……の盛りだくさんの内容である。
「特濃名言大全集」の中から更にピック アップしておく。

・ 体ではらえたらどんだけ楽かしら 「まあじゃんほうろうき」
・自由は有料です。お金を稼ぐとい うことは自由を手に入れることで す。「生きのびる魔法」
・すきだったひとをきらいになるの はむつかしいなあ「毎日かあさん」

ここには挙げてなかったけど「カネのな いのは首のないのと同じ」というのは今 でも忘れられない。
【誰 も気づかなかった】長田弘 ★★★  2020/05 /03 みすず書房
「愛高組新聞RENTAL」 2004-2012に連載された、短詩 「誰も気づかなかった」と、臨済宗建長 寺派の機関紙に連載された5篇の詩を合 わせたもので、未刊 行の「落穂ひろい」といったものだろう。

悲 しみがあった。
それが悲しみだと、
誰ひとり、考えなかった。
悲しみは微笑んでいたからである。

本 があった。
しかしそれが本だと、
ここにいる誰も、気づかなかった。
本は読まれなかったからである。


「世界は一冊の本」という究極の作品が あるのだけどね(^_^;)

ど こにも問いがなかった。
疑いがなかったからである。
誰も疑わなかった。
ただそれだけのことだった


ど こにも疑いがなかった。
信じるか信じないか、でなかった。
疑うの反対は、無関心である。
ただそれだけのことだった。


ど こにも危険はなかった。
危険もまた、最初はただ、
些事としてしか生じないからであ る。
ただそれだけのことだった。


あ らゆることは、ただそれだけの
些事としてはじまる。
戦争だって。            
   

ほんとうにそう思う。

何 だって正しければ正しいのではな い。       (誰も気づかな かった)

正しいことと正しくないことは、誰も規 定できないのかもしれない。

十 歳にもならなかった頃に読んだ本の なかで出会った人たちが、歳を重ね たいま、しきりと懐かしくな るのはなぜだろう。
みんな本のなかに住んでいた。本の なかにはいつも静かな闇があり、そ の静かな闇の向こうに住むみんな は、一人一人全然違うのに、みんな おなじ名を持っていた。 「悲しい」が、みんなの名だった。    (静かな闇の向こう)


アリス、サンボ、ニルス、セドリック、 アン、ピノキオ、アン、ピッピ、ハック ルベリー・フィン、ロビンフッ ド…………Morris.も、幼いころ 読んだ本の登場人 物のことを思い出すたびに胸がキュンとなる。懐かしの本をテーマにして『偏 想曲』と題した五十首を詠 んだこともある。

死 んでも、魂は、どこかにのこってい て、ああ、そこにいるとはっきり感 じる瞬間がある。生きてるん だ、死者は、後ろ姿だけで。     (ONE)

【感 染症と免疫力】藤田紘一郎  ★★★☆ 2021/02 /10 ワニブックス
「腸内細菌博士が教える新型コロナ 予防法」という、いささかヤマ師っ ぽい(^_^;)副題が添えられて いる。

免 疫の主役となる白血球は、何種 類もある免疫細胞の総称です。 つまり、白血球とは免疫システ ムを築 いている"チーム免疫"と言えます。大きく3つのグループで構成されています。
1.単球--細胞が最も大き く、アメーバ状で病原菌を「貪 食」する。マクロファージと樹 状細胞。
2.顆粒球--細胞内に殺菌作 用のある顆粒を持つ。好中球、 好酸球、好酸基球。主に細菌や カビを貪食、消化して殺菌す る。
3.リンパ球--血管とリンパ 管を流れて体中をめぐる免疫細 胞。NK(ナチュラルキラー) 細胞、T細胞、B細胞など。

獲得免疫(T細胞やB細胞) は、病原体に感染することで後 天的に得られる免疫システム で、自然免疫から届けられる敵 の情報を分析して反撃する。こ の獲得免疫の 主役が「抗体」。
免疫細胞が異物と認識する物質 を「抗原」と呼ぶ。人の免疫シ ステムが抗原と特異的に結合し て、抗原の働きを抑えるように 作用する(抗原抗体反応)。こ のときに 作られて抗体は抗原がいなくなったたあとも血液中に残り、再び同じ抗原が体内に進入すると抗体は、抗原と特異的に結合し動きを封じ込める。
抗体は、基本的にはY字型をし た分子量20万の蛋白質で5種 類あるがその中の「IgG」は 感染の中期から後期に出現する 抗体で、敵を倒す力も強く、ワ クチンの 効果を発揮するのもこの抗体。

自然免疫の中で重要なのがNK 細胞で、体中を常にパトロール しながら敵を見つけ出し、攻 撃・破壊する。
NK細胞は、ウイルスにのっと られた細胞を自殺(アポトーシ ス)に導く働きもしている。 (第一章 感染症と自然免疫の 力)


この第一章が一番ためになりそう だ。免疫、抗原、抗体、ワクチンな ど、日常的に使いながらまるで理解 できてなかったのだが、これですこ し納得行ったような気もす る。「アポトーシス」は先日読んだ多田富雄の本にも出てきたので、なにか嬉しかった。

多 くの人は「大腸菌」と聞くと、 「キタナイ」を思うでしょう。 しかし、大腸菌はワタシたちの 腸にす み、大便をつくり出すために大切な働きをしてくれています。ビタミンを合成したり、腸に侵入してきた敵を真っ先に倒しにかかる番兵のような働きもします。異常 に増えすぎれば悪さを初めます が、ほどほどには必要な細菌な のです。
先進国の人たちは、清潔志向の 延長として抗生物質や消毒剤を 乱用してました。結果、大腸菌 の「生きる環境」を奪うことに なってしまいました。生きる管 球を奪わ れた大腸菌は、なんとか自分の生きる方法を模索したのでしょう。そうして、約200種類もの「奇形」の大腸菌が現れました。食中毒で多くの人の命を奪ってきた O157は、その157番目に 見つかった奇形の大腸菌です。 つまり私たちの行きすぎた清潔 志向が、かわいそうで危険な大 腸菌の奇形腫を生み出してし まったとい うことです。(第四章 手を洗いすぎると自然免疫が弱くなる)


藤田紘一郎の寄生虫関連本は以前に 数冊読んでとてもおもしろかった。 その彼のコロナ本ということで読む ことにしたのだが、ウイルスだと寄 生虫みたいに自由に書けな いみたいで、ちょっと物足りなかったし、本書は「名前貸し」ではないかという気がした。
ほとんど関係ないけどあとがきに あったガンジーの詩?はなかなか良 かった。

コロナ禍で右往左往する社会を 見ていると、マハトマ・ガンジ ディーの言葉を思い出します。

信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる

もし、新型コロナの本当の姿を 知るために、「感染者数を見 る」という考えを変え、「死亡 者数のみを見る「」との信念を 持ったならば、今の社会の見え 方はまるで 違ってくるでしょう。(おわりに)
【断 言微笑】塚本邦雄 ★★★☆  1978/08/14 読売新聞社
70-80年代はかなり塚本邦雄に はまってたので、この本も再読にち がいないのだが、あまり記憶にな かった。「クロスオーバー評論集」 と副題にあるように、塚本か らすると守備範囲外の絵画、音楽、漫画などの評論に、欧州紀行+短歌などの小論を集めたもの。

「ま た逢う日まで」が世に出たのは 昭和46年の春だつた。人人は 尾崎紀世彦の朗朗たるバリトン に圧 倒されて目を丸くした。美しいゴリラを思はせるこの毛深い青年の、適度に雄雄しく適度にパセティックな唱法を十二分に計算に淹れた歌詞に私は舌を巻いた。これ くらゐ非論理的(イロジカル) で、そのくせ反論の術(すべ) もない歌詞も珍しからう。「ま た逢う日まで」の、コミュニ ケーション拒否を思はす、男の 捨台詞的説 得は、それゆゑにユニークで、新鮮で、怖るべき「現代」を代弁してゐた。「別れのそのわけ」など当人にさへ判つてはゐないのだ。青春を特権として、何にも煩は されず行使できる戦後生れの世 代が、飽和状態の自由に退屈し て内乱幻想を捏ち上げたり兵隊 ごつこで暇潰しすると陰口を叩 かれる時代がやつと到来してゐ た。幸福 の本質などといふ贅沢な主題を、車蝦でも調理するやうに、楽しみつつ論じ得る日に巡り会へた。そして栄耀に剥いて捨てる餅の皮さながら、愛などは「マンショ ン」の入口の名札の名と共に消 し去り得るニュー・ファミリー 未完者が、その辺にうようよし てゐた。ニーヴェル・ヴァーグ 以後の若い映画人、殊にクロー ド・ル ルーシュやフランソワ・トゥリュフォーの作中人物のやうな、不条理な突然の別離を、最も鮮烈優雅なスタイルと思ひこんでゐる十代末期から二十代前半の精神飢餓 属に、このやうな歌の受けない はずがなかつた。筒美京平の曲 も、よほどのヴェテランだけが マスターできるたぐひの難物 で、この切迫したメロディは、 尾崎紀世彦 なればこそ完璧に歌ひ納めたのだ。
50年は「北の宿から」に明け 暮れる。私はこの歌詞に阿久悠 の名を見て一度はわが目を疑つ た。最も敬遠したいタイプの歌 手の一人であり、声であり、唱 法であつ ただけに、この歌への嫌悪は激しかつた。「あなた変わりはないですか」「あなた死んでもいいですか」といふ、旧植民地風の嫌らしい擬標準語語法、それも原則と して男言葉で、だしぬけに男に 呼びかける女、それだけでその 女の出自、来歴、現況が、むつ と鼻先へ臭つて来る。教養程度 は勿論趣味嗜好まで反省する。 否、容貌 や音声まで限定してしまふ。この歌詞こそ徹頭徹尾、「庶民」の中に親しく生きる女として固定的なイメージを持つ、否持つやうに仕立て上げられてゐる都はるみと いふ虚像に、これ以上考へられ ぬくらゐ親切に編上げてやつ た、原色混りの編み直しセー ターであつた。(誘惑的親友論  阿久悠への頌詞)


塚本が阿久悠をこれほど評価してい るというのは覚えてなかった。別の 本で「アカシアの雨がやむとき」の 歌詞を褒めて、作詞の水木かおりの 他の作品を聴いたが感心で きなかったなんていってような……

「日 本民間放送連盟」では、「要注 意歌謡曲取扱い内規」とやらを 制定し、十一項目に及ぶ禁止令 が列 記してあると聞く。何でも「社会道徳に反する言動を、肯定的または魅力的にに表現」するのも第六番目に忌避されるといふが、男が女の真似をして、甘つたるい、 かつ切ない文句を連ね、不特定 多数の人人に訴へかけるのは 「社会道徳」とやらに則つてい ゐると考へるのだらうか。

森達也『放送禁止歌』に詳しく書か れてたような気がする。
ネットで調べたら「 毀損条項   身障者条 項   暴力・ヤクザ条項   エロ・グロ条 項   モロモロ条項」などが挙げてあった(^_^;)

地 名そのものが一つの詩歌であ り、物語である、このような例 は、一県必ず十以上を数へ得 る。全国五 百以上の秀逸地名がひそかに、目には見えぬ光を放つてゐる様を思ひ描く時、私はあやふく涙ぐむ。一方でこれを抹殺しようとする無知無慙な簡略派や、難と易をそ のまま悪と善に結びつけて、奇 怪な大義名分を振翳さうとする 「知識人」や指導者の行動を知 るたびに、私は慄然とする。マ キノ町、かつらぎ町は五十が百 になり、 百が二百に及ぶ日も、遥かな将来ではあるまい。そして最期に日本は「ニッポン」に変質する。
易きに就くことを至善と錯覚 し、努力を悪徳と見なすこの無 気力で卑怯な大衆、市民、国民 は、すべてあなた任せを選び、 年中をヴァカンスとする政治を 恋ひ、惰眠 を貪るためには、魂を悪魔に譲り渡すことも辞さなくなるそして口渇で陰険な独裁者が誕生し、彼と手を組んだ特権階級が、既に完全に白痴化した一億を頤使するや うになる。「安易」といふ名の 麻薬は、阿片やハシッシュより 無残に人人の心を蝕み、変質さ せ、もつと効率的な安易性を教 授するためなら生命を賭ける。 そして日 本には地名も人名もなくなる。「表記」などといふ反人間的な行為も、文字と呼ぶ非人間的な伝達の具も、すべて追放される。何もないほど安らかで容易なことがあ らうか。二十世紀の下半を費や して呪ひ続けた。「文字の難解 性」は、文字そのものの消滅と 共に霧散し、日本と呼ぶ巨大な 檻には、言葉持てる豚がひねも すよもす がら、ひたすら眠り続け食べ続ける。その一人一人は、漢字制限を敢行した、あの文字殺戮者の末裔に他ならぬ。(白地図告知)


地名の変更、簡易化には Morris.も大反対である。動 植物名のカタカナ表記についても別 の項で書いてあったが、「文字殺戮 者」というのがいかにも塚本らし い。

伝 へ聞くところによると「クロス オーヴァー」とは元来生物学用 語で「乗換現象」をさし、一つ の染色 体上の因子が、それと相同の染色体上に移ること、及びそれによつて別の遺伝型を生ずることを意味するといふ。流行語風に伝播した「クロスオーバー」には原義が いくばく投影してゐるのかさだ かではないが、私はクロスオー バー的才能の芸術家として、た とへばレオナルド・ダ・ヴィン チやアマデウス・ホフマンのや うな、ほ とんど超能力ともいふべき多芸多才の士の、怖るべき美学の開花ぶりが、まぶしくかつ悲しく脳裏に浮んで来る。
言語芸術家が、小説、戯曲、評 論、随筆、散文詩、韻文詩のい づれをも完全にマスターし、い づれを以ても一家を成すくらゐ のことは当然のことであり、む しろこの 平面上でなら、クロスオーヴァーせぬ方が、資格喪失を意味するのではあるまいか。(あとがき)


ダ・ヴィンチをクロスオーバーとと らえるのは、いささか礼を失するも ののようでもあるし、言語芸術家 (^_^;)が広い分野で一家を成 すというのも無理矢理に過ぎ る。塚本自身いろいろ手を伸ばしながら得手不得手ははっきりしてた。
幸田露伴ほどの巨人でも、何でも OKってわけじゃなかったようだ。

【青 魚下魚安魚讃歌】高橋治 ★★★☆  1988/01/20 朝日新 聞社 初出「クロワッサン」 1986-87
高橋治  (1929-22015)千葉 県生れ。東京大学国文科卒業。 学生時代サイデンステッカーと しりあう。1953年松竹に助 監督として入社。小津安二郎 「東京 物語」に関わる。60年「彼女だけが知っている」で監督デビュー。1983年「秘伝」で直木賞。釣りや魚料理でテレビにも出演。好角家としても知られ、スポーツ紙 に大相撲観戦記を連載。

本書は鰯、鯵、鯖などの青魚を 中心にしたエッセイ。

万 能の指を鰯ののどもとに入れ る。引けばエラもハラワタも すっととれる。拇を背骨にそっ て走らせて 開きにする。裏返して、首のところを拇指で切り、そのまま背骨を引きながら骨を外す。再び裏返して、背筋の側から皮と身の間に拇指を走らせる。反対側の身も同 様にする。以上で出来上がり。 (鰯の刺し身)

鰯の手開き。スーパーで刺身に できる鰯を手に入れるのは至難 の業である。

背 黒、片口、シコ鰯、呼び方は 違ってもみんな同じ魚である。 背の部分が黒いから背黒、上顎 にくらべ て下顎が妙に短いから片口と呼ばれるのだろう。別名というか、別途名称というべきか、まだ、色々とある。
煮干し、ごまめ、しらす、ちり めんじゃこ、畳鰯、様々な形で 親しまれている食品、総て元を ただせば、この片口鰯なのだ。 めざしにしても上等の味。その 上に、ま だある。南蛮渡来のアンチョヴィー。これも片口で、ごまめの別称田作りは、昔、干鰯(ほしか)と呼んで、米作、綿畑の肥料にしたところから来ている。[片口 鰯)


通 常鰯は三種とされている。真 鰯、片口鰯、潤目鰯である。だ が、もう一つ鰯の女王ともいう べき存在 がキビナゴである。

Morris.が一番好きな鯖 についての記事が少なかったの が物足りなかった。関西で普通 に食べられている養殖ハマチを 蛇蝎の如く嫌っているらしく、 その悪口ぶり は、なかなかのもの。
【詩 のなぐさめ】池沢夏樹 ★★★ 2015/11/25  岩波書店 初出「図書」 2011-2015
岩波書店のPR誌に連載したも ので、岩波文庫に収められてい る詩作品をテーマにとりあげら れている。

俳 句は寄物陳思であり、季語を据 えての詩である。この原理を使 えば時代と場所を隔てた句を並 べるこ とができる。そこで蕪村と照井翠[句集『龍宮』)の二人だけからなる明暗の甚だしい小さなアンソロジーを編んでみた。
春の海終日(ひねもす)のたり のたりかな 蕪村
もう何処に立ちても見ゆる春の 海 照井
箱を出るかほわすれめや雛二対  蕪村
津波引き女雛ばかりとなりにけ り 照井
ほとゝぎす待や都のそらだのめ  蕪村
ほととぎす最後は空があるお前  照井
狩衣の袖のうら這ふほたる哉  蕪村
初ホタルやうやく逢ひに来てく れた 照井
廃屋の影そのままに移る月 照 井
月天心貧しき町を通りけり 蕪 村
御所柿にたのまれがほのかがし 哉 蕪村
柿ばかり灯れる村となりにけり  照井[楽な時の俳句、辛い時 の俳句)


照井翠は岩手県釜石在住で、東 日本地震をテーマにした災害句 集が「龍宮」で、蕪村と並べる のは無粋ではないかと思ってし まった。

谷 川俊太郎はぼくが詩人になるこ とを邪魔した。だってこんなに うまく書けないもの。これが詩 だとし たら自分が書くものは何なのか?
むずかしい言葉を使わず、漢字 くさい漢字を捨てて、つまり目 より耳を大事にして、教養より 感覚に頼って、人々の日々の思 いの中から言葉で残すべきもの を選び出 して、精錬の過程を経て紙の上に文字として定着する。詩集を開いた人が声に出して読めるように。(何ひとつ書く事はない)


池澤夏樹は谷川俊太郎をダシに して、自分が詩に向いてないこ とを糊塗してるのではなかろう か。

戦 闘的な中野重治を見よう。
今、彼のような詩人は日本には いない。それは戦闘の必要がな くなったからではなく、戦うべ き相手が分散して、見えにくく なったからではないだろうか。 あるいは 自分の一部が実は敵ということだって考えられる。世界は民主化し、金融化し、暴力の隠蔽がうまくなり、色が派手になり、フェイスブック化し、テロ化し、この国 について言えば身へ傾きつつあ る。いや、もう右も左もないの か。中野がいたらなんと言う か。
「新聞にのつた写真」という 詩。(戦闘的な詩人たち)


中野重治は、一度腰を据えて読 まねばと思う。

明 治以来、西洋に対する日本人の 思いは脱臼に近いところまでね じれていた。物質文明として圧 倒的な 威力を認めざるを得ないがしかし全面降伏はしたくない。だから和魂洋才などと苦しい説明をする。その屈折もわかるわかる分だけやるせない。やるせないという和 語を使うしかない事態だ。(西 脇さんのモダニズムとエロス)

西脇順三郎はMorris.に とっては外国の詩人のように思 える。

(覆 されたされた寶石)のやうな朝
何人か戸口に誰かとささやく
それは神の生誕の日(天気)

南の風に柔い女神がやつて来た
青銅をぬらし噴水をぬらし
燕の腹と黄金の毛をぬらした [雨)


なんて見事な邦訳だろう!! (^_^;)

和 歌が詠嘆だとすれば俳諧は余 裕。芝居がかった所作を仕掛て ふっと照れて気持ちを逸らす。 それは連 中の顔を見てのことだろうか。(おずおずと鬼貫へ).

・ 面白さ急には見えぬ芒かな 鬼 貫
・面白さ球には見えぬ花火かな  Morris.


状 況はアイロニーそのものだ。
アイロニーとは知識の差に由来 する感慨である。後世のぼくら はソ連という国をその末路まで 知っている。1915年のマヤ コフスキーは知らなかった。二 年後に革 命が実現することさえしらなかった。ちょうど1941年12月8日の日本国民が1945年8月15日を知らなかったのと同じように。
革命期のロシアの若い詩人はス ターだった。36歳で亡くなっ た時、葬儀には数万人が参列し た。早い話が彼はジョン・レノ ンだった。(今すぐに効くマヤ コフス キー)


マヤコフスキーといえば「ズボ ンをはいた雲」というタイトル のみしか知らずにいた。詩人の 死については小笠原豊樹「マヤ コフスキー事件」を読むように とあったの で、読んでみたのだが、さっぱり分らなかった(^_^;)

若いということに格別の意味が 生じたのは明治期からで、青春 もそれ以来の流行語である。江 戸時代には若い奴というのは未 熟者、青二才、半人前、若造で しかな かった。自分自身いずれなんとかなると思っていたから煩悶などしなかった。
かつて若い人々はみな青春をこ じらせた。速やかに抜け出すべ き時期なのに、そこでぐずぐず と思い悩み、何よりもそれが人 生に対する誠実な態度だと思い 込んだ。 (青春と青年と中原中也)


青春・朱夏・白秋・玄冬は中国 で古来から用い入られた四季の 芳名ではなかったろうか。 Morris.も「seasoning」と いう四季の歌を詠んだこともあ る。


【寡 黙なる巨人】多田富雄  ★★★☆☆ 2007/07 /31 集英社
多田富雄 1934年茨城県生 れ 免疫学者。抑制T細胞を発 見。文化功労者。能楽にも造詣 が深く脳死と心臓移植を題材に した「無明の井」、朝鮮人強制 連行の非ガ系 「望恨歌」などの新作能の作者、大蔵流小鼓を打つ。2001年脳こうそくで倒れ重度の障害を持つ。免
「免疫の意味論」「脳の中の能 舞台」「露の身ながら」(柳澤 桂子と共著」「免 疫学個人授業」(南伸 坊と共著)2010年没、享年 八十六

初めて読むと思ったのだが、南 伸坊との共著を20年ほど前に 読んでた(^_^;)

何 も食べなくても糞は出る。まる で私はチューブで栄養を淹れら れて排泄物にする、糞便製造機 のよう ではないか。何日も溜まった糞便を排泄するのは容易ではない。冷や汗を流しながらいきんでも、mるで新(木)を強いられたように腸は動こうとしなかった。私は 腹圧のかけ方までわすれてし まったらしい。いきんでいるう ちに麻痺した腕は、緊張して固 まってしまう。苦しくて看護師 に浣腸をしてもらう。それでも 出ないとき は、便を手で掻きだしてもらうほかない。看護師は、ちっとも嫌がらずにこの大変なさ漁翁をやってくれるが、私のほうは叫び出したい苦しみだ。

自分の病気の報告で、一番書き たくない排泄に関してこんなに 率直に記述する(できる)こと に感動を覚える。

私 は四十年余りも、大蔵流の小鼓 を習ってきた。二百番あるお能 のほとんどの曲はならった。自 分でい うのは気が引けるが、玄人でもそんな音は出ないといわれたほど、美しい音を出してきた。毎日それを打って老後の楽しみにしてきた。庵百万円もする道具を持って いる。
もう打つことはできない。


半身不随でも思考力は完全に 残っているわけで、それはそれ で辛い。

私 はかすかに動いた右足の親指を 眺めながら、これを動かしてい る人間はどんなやつだろうとひ そかに 思った。得体の知れない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
新しいものよ、早く目覚めよ。 今は弱々しく鈍重だが、彼は無 限の可能性を秘めて私の中に胎 動しているように感じた。私に は、彼が縛られたまま沈黙して いる巨人 のように思われた。(寡黙なる巨人)


タイトルの拠って来るところだ が、彼は「知の巨人」でもあっ た。

カ フカの『変身』は、一夜明けて みたら虫に変身してしまった男 の話である。その驚き、戸惑 い、不 安、すべてオール・ザ・サッドンである。
私の場合もそうだった。
灰色の時間から見れば色彩のあ る風景はなんと生命に満ちてい ることか、沈黙から音響へ、無 意味から意味へ、諦めから希望 へ、拘束から自由への逆行性の 歩みをそ こにもう一度映しだして見たかった。(オール・ザ・サッドン)


オール・ザ・サッドン"All  of a Sudden"と いうのが一般的表記。「思いが けず、突然に」で Suddenlyと同じような 意味らしいが、 Morris.は「すべてが突然」と訳して、森羅万象世の中の出来事は必然も偶然も何でもかんでも「突然」だよな、と合点してしまってた(>_<)  ずっと以前、ソウル郊外の喫茶 店の壁の落書きに「All  is Suddenly」と書 いてあったのを同じように解釈 してえらく感心したことがあっ たからだ。これ も文法的には誤用らしい。これを援用して「人生はFlash Memory」という標語にしたことも(^_^;)

私 は知らないうちに答えを見つけ ていたようだ。それは平凡だが 「歩キ続jケテ果テニ熄(や) ム」と いうようなことらしい。私は物理的には歩けないが、気持ちは歩き続けている。白洲さんも西行も、結局同じところに理想の死を見つけたのではないか。体は利かな いがこれならできる。もう少し だ、と思って、私はリハビリの 杖を握り、パソコンのキーボー ドに向かう。そして明日死んで もいいと思っている。(理想の 死に方)

死ヌマデ生キル\(^o^)/

愛 国心は、ほうっておいても育 つ。伝統や歴史、自国の文化を 愛する環境が培養器になるの だ。
愛国心の教育などは百害あって 一利無しだろう。愛国心教育と いうと、必ず戦前と同じくナ ショナリズムに陥ることは目に 見えている。戦争を知っている 世代の人 は、こういう教育の恐ろしさに懲りているはずだ。(愛国心とはなにか)


至言である。

二 十世紀は、科学や技術の進歩は あったが、人間は相変わらずお ろかな戦争を繰り返していると いわれ ている。しかし、それでも人間だって少しは進歩している。たとえば人権という思想だ。人権は、つい五十年ぐらい前までは、普遍性を持った確立した概念にはなっ ていなかった。しかし今では、 最大限尊重されるようになっ た。数少ない人間のッ進歩の例 である。
戦争一般もそうだが、核戦争は ことに重大な人権の侵害であ る。国際社会の関心を呼ばぬは ずはない。核だけは持たない、 使わせないという原則が、支持 されぬはず はないし、それ以上の抑止力はない。
日本が今、核の拡散防止という 名目を自ら放棄して核武装する ならば、平和憲法や、広島、長 崎の犠牲者はいったい何だった のだろうか。過ちは繰り返さな いという 誓いを、あらためて思い出して核軍備を許さないことを願う。(なぜ原爆を課題に能を書くか)


米国ジャパンハンドラーの目指 すところが那辺にあるかを注視 するべし。

【か らだの声をきく】多田富雄 ★★★☆☆  2017/12/08 平凡社  STANDARD  BOOKS

不 変と思われていたものが異なっ ていたり、相反するものが同一 だったりするのは相対論では日 常的に 現われる。光速に近い速度で移動する者の時間は、静止している者の時間より遅い。また進行方向からの光の波長は縮んで青みを帯び、逆方向は波長が伸びて赤色に 変異する。光のドップラー効果 である。「時も光も常ならず」 と言いたくなる。
さらにエネルギーが、質量と光 定数の二乗に等しい (E=mc2)という相対論の 骨子となる式を漢字で表現すれ ば、「力物一如」とでも言うの であろうか。(科学 者の野狐禅)


漢字四字熟語(@_@) 

生 命のしくみは、生成文法のよう に、限られた要素の無限の組み 合わせとその拡大再生産に依存 してい る。DNAの言葉で綴られた個体の総遺伝子の世界をゲノムと呼ぶが、それはほとんどひとつの言語世界に匹敵する。それぞれの言語が個別の文化を内包した独自性 を持つように、ゲノムの発想と しての個体は、やがてそれぞれ 個性を持った「自己」を持つよ うになる。生物学が関心を持っ ていることのひとつは、こうし た個体の 「自己」が何によって決定され、どういう過程をたどって成立するかという点である。[ファジーな自己 行為としての生体)

生 成文法  チョムスキーが1950年代半ばに創始した文法理論。構造言語学の表面的な言語の分析・記述を批判し文法的な文のみを無限に新しく作り出す有限個の規則の集合 として文法を捉え、抽象的な深 層構造を生成する句構造規則 と、そこから具体的な表層構造 を導く変形規則によって文生成 のしくみを説明しようとする。 また、言語 の本質を人間の生得的な創造的心的能力に認め、その多面的解明をめざす。変形文法。変形生成文法。(「大辞林」)
(>_<) (>_<)困った ときの「大辞林」頼み、だった のだが、まるでわからん。過去 に学んだ?ソシュールの言語学 と真っ向から対立す る理論らしい。

お おざっぱな計算では、人間は約 六十兆個の細胞から成っている という。細胞は組織(ヒスチオ ン)と いう機能単位を形成し、組織によって構築される構造体が臓器(オルガノン)である。人間を、他種類の臓器から成り立つ統合体とみるのが近代医学の考え方であ る。
脳死の議論があれほどまでに紛 糾したのは、生命の階層性を無 視して、上の階層である人間の 死を拘束はするが、人間の死の ルールは別の階層の問題だし、 別の階層 で議論され決定されるべきものだったのだ。それは自らの死というものを知り、死の主観性を基礎にして共同社会を営んできた、人間という特殊な生物の問題であっ て、実験動物で決定できる個体 の静止の問題ではなかったの だ。(超(スーパー)システム の生と死)


「超(スーパー)システム」と いう考え方は、南伸坊との共著 でも説明されて、それを読んだ 時にはなんとなく理解できたよ うな気がしてたのだけど (^_^;)

(麦 秋の麦畑)これは麦という植物 の、何千万という個体の集団自 殺なのである。麦は一年草だか ら、 この季節になると必ず枯死する。麦畠は麦という植物の死体の山でもある。
麦の死は水が不足したからで も、太陽光線が多すぎたからで もない。麦の遺伝子すなわちゲ ノムの中に、DNAの暗号で書 き込まれている死のプログラム が発動し て、茎や根の細胞が自ら死んでゆき、植物全体が枯れてゆくのである。この死のプログラムは、環境が変わると発動の時期が多少はずれるが、もともとが遺伝的プロ グラムだから、人為的にうごか すことはできない。麦という個 体は死んでも、次世代の麦を作 り出すための種子は残る。あと には、麦わらという大量の死体 の束が残 る。私たちは、毎年このおびただしい数の集団自殺を目撃して、そに自然の豊かな恵みを感じているのだ。


聖書には昏いMorris.で も知っている「一粒の麦もし死 なずば…」にダイレクトに繋が る考え方のようだ。

時 のめぐりとともに散り落ちてゆ く落葉を眺めて、古代ギリシャ の医師ヒポクラテスは、アポ トーシス という言葉を作った。ヒポクラテスは医学の祖と言われる哲学者で、医の原理と倫理を初めて説いた人である。「アポ」は「離れる」とか「下へ」という意の接頭語 で、「トーシス」は「落ちる」 「下る」という意味の「プトー シス」からきている。まさに散 り落ちてゆくことを意味する。
アポトーシスは、現代生物学の 最大の話題として1970年代 になって華やかに再登場した。 二十世紀末葉になって、細胞の 死の形態のひとつ、アポトーシ スという 現象が再発見されて、大勢の生物学者が争って死の問題に取り組み始めたのである。そのおかげで、ここ十年余りの間に少なくとも一部の動物細胞がなぜ死ななけれ ばならないのか、またどのよう なメカニズムで死んでゆくの か、死が生命にとってどんな意 義を持っているのかが次々に明 らかにされていった。近代科学 による死の 再発見が起こったのだ。しかもそれが、生命の成立と維持に必須の現象であることが明確にされたのである。


「死」といえば「タナトス」と いう語が浮かぶが、「アポトー シス」という「死」は成長のた めに不可欠な「死」らしい。

外 的な力が働いて細胞が殺傷され ることを、医学では「壊死」と 呼んでいる。壊死は、細胞膜が 破壊さ れて細胞という生命の単位が崩壊してゆく、いわば細胞の「他殺」である。
アポトーシスは、外力によって 細胞が殺されるのではなくて、 細胞が自ら持っている死のプロ グラムを発動させて死滅してい く自壊作用による死である。 「自死」と いうような訳語もしばしば見られる。
オタマジャクシのシッポがなく なって蛙になるのも、幼虫がサ ナギを経て蝶に変態するのもア ポトーシスで細胞が死ぬからで ある。最もすごいのはサナギ で、サナギ の中ではイモムシのころ体を動かすために使っていた筋肉を含む大部分の細胞が死んで、サナギの中は一時ドロドロにとけたような状態になる。その上で新たに多く の組織細胞が新生して成虫の体 制を作り出し、サナギはやがて 蝶になって飛び立つのである。 サナギ、それは死と再生の秘義 の場である。


たしかに「蛹」というのはとん でもない存在ぢゃ。

ア ポトーシスの遺伝子に欠陥が生 じると、発生過程で形の異常が 生じたり、臓器の機能不全や癌 が生じ る。癌の一部は、アポトーシスの遺伝子の発現に異常が生じて、そのため不死化した細胞である。死ななくなった細胞。

癌は異常アポトーシス不死化細 胞。なるほど(って、まったく 理解不可 (>_<))

ア ポトーシスによる死は、一般的 に利他的な死であることが多い ことに気づく。体の体制を作り 出すた めの細胞の死、脳や免疫など高次のシステムを作り出しそれがまちがいなく働き得るために自ら死んでゆく細胞。性を決定し子孫を残すために必然的に訪れる死。生 命体が誕生しその働きを維持す るためには、一部の細胞の死は 絶対に必要である。生物は死の 遺伝子を発明し、それをさまざ まなところで働かせることに よって高度 の生命体を作り出してきたのだ。(死は進化する)

何か全体主義、ファシズム、軍 国主義みたいで、コワい。
【絢 爛たる暗号 百人一首の謎をと く】織田正吉 ★★★★  1978/03/05 集英社
これは出版当時に読んで大感激 したものだ。
コミスタこうべ図書室で見つけ てつい借りて再読した。
改めて面白かったし、百首の歌 を関連付ける方法も、定家がこ れを選んだ理由も納得できるも のだと思う。
しかし、現在も山のように出て いる解説書では、見事に無視さ れているのは驚くばかりであ る。
Morris.が新古今集あた りの王朝和歌が好きになったの は、この本と、塚本邦雄による 所大である。

定 家は、「百人一首」と「百人秀 歌」という一対の歌集をよく見 れば、その中に匿した選歌の意 図があ きらかになるよう、多すぎるほどの解読の手がかりを残した。これまでに述べてきたことを要約し、主なものを項目として列挙しておこう。
・八代集とその後につづく二つ の勅撰集の中からたがいによく 似た詞句を持つ歌を多く選び、 百首の歌は、主題、同一の語 句、対立する語句のどれかに よって有機的 に結びあわされるように選歌し、全体が一つの作品であることを示す。
・各歌を主題別に再編集する と、その歌題が、後鳥羽院・式 子内親王という一対の男女と定 家自身の三人にふりあてられる よう構成する。
・流人とその関係者の歌を多く 選び、隠岐に流された後鳥羽院 を暗示する。
・紅葉の歌によって流人を象徴 し、菊の歌によって後鳥羽院を あらわす。
・船出の歌、菊の歌の中に物名 の手法で「おき(隠岐)」を匿 す。
・後鳥羽院が愛用した水無瀬殿 の建物の名称、水無瀬を中心と した付近の川の名が詠みこまれ た歌、あるいはそれを暗示する 歌を多く選ぶ。
・「百人一首」(歌集)と「百 人秀歌」を二冊一対の歌集とし て編集し、「百人一首」は百人 の歌人の歌百首、「百人秀歌」 は百一人の歌人の歌百一首で構 成、一人 で二首の歌を持つ歌人(朝康・俊頼)の歌に重要な意味を持たせる。
・「百人秀歌」の巻末五首に風 に関する歌を並べ、一人で二首 の歌を持つ朝康・俊頼の歌とと もに、風(嵐)にとくに注目さ せる配列とする風(嵐)は後鳥 羽院をあ らわし、定家自身の歌には「風」の歌を自薦し、龍田川の歌二首とともに風鎮めの願いをこめる。
・「百人一首」(歌集)と「百 人秀歌」の好忠・長方の歌の関 連によって、「玉の緒絶え」が 合成され、式子内親王の歌が浮 かび上がる構成とする。
・一人で二首を持つ朝康の歌と の連鎖によって式子内親王の歌 に注目させる。
・後鳥羽院をあらわす秋の紅 葉・菊と一対にして、春の桜・ 梅で式子内親王を暗示する。
・「絶え」という語句を持つ歌 を多く選び、「玉の緒よ絶えな ばたえね」の歌に注目させる。
・「百人一首」[歌集)には巻 頭に天智天皇、巻末に順徳院を 置き、後鳥羽院、式子内親王の 実現しようとして果たし得な かった夢をあらわす。
・持統天皇の歌によって「新古 今集」との関連を示し、天智 --後鳥羽院の関連を暗示す る。

  
再読して、式子内親王の歌を ちゃんと読んで見たくなった

幸 田家のことば】青木奈緒  ★★★☆  2017/02/20 小学館  初出「本の窓」 2014-16
青木奈緒 1963年東京小石 川生れ。学習院大学ドイツ文学 科卒業。ウィーンに12年留 学。2002年、009年に日 本エッセイストクラブのベス ト・エッセイに選 ばれる。NHK放送用語委員、幸田露伴は母方の曽祖父、幸田文は祖母、青木玉は母。

幸田文マイブーム? も一段落 の今日このごろだが、幸田文の 孫娘の本である。主に祖母であ る文の場を中心に母青木玉と文 のやりとりや、幸田家の独特の 言語空間を エッセイにしている。曽祖父露伴のエピソードも身内の話として出てくる。

小 どりまわし-- 多少の好不調があっても一定の レベルで保たれる手ぎわのよさ を身につけよ。日々の暮らしの 理想のあり方のひとつ。
「水のような拡がる性質のもの は、すべて小どりまわしに扱 う」(露伴)


法輪寺の塔の再建などの「大取 り回し」と対照的な言葉だが、 「あとみよそわか」に出てくる 露伴の家事指導の要諦でもあ る。

知 識とは伸びる手、わかる とは結ぶこと
「一ツの知識がつつと水の上へ 直線の手を伸ばす、その直線の 手からは又も一ツの知識の直線 が派生する、派生はさらに派生 をふやす、そして近い直線の先 端と先端 とはあるとき急に牽きあい伸びあって結合する。すると直線の環に囲まれた内側の水面には薄氷が行きわたる。それが『わかる』ということだと云う」(文「結ぶこ と」)


知識の結合が結氷に例えられて いる。知識の美しさを感じてし まった。

古 川に水絶えず-- 今の世の断捨離とは真逆の考え 方。日々の暮らしで何か必要に なったとき、家の中にあったも のを上手に活用する。やりくり していくことのたとえ。
「面倒がる、骨惜しみをすると いうことは折助根性、ケチだと 云う。露伴家ではケチというこ とばは最大級のものである。ケ チなやつと叱られた時は、もっ とも蔑ま れ最も嫌われ、そしてとどめを刺されて死んぢまったことを意味するのである」(文「あとみよそわか」)

大言海によると、「けち」は 「怪事」と書いて 1.怪しい 事、不吉、縁起がが悪いこと、 ケチがつく、ケチをつける  2. 怪事を恐れることから、 臆病、卑怯、卑劣  3.転じて、吝いこと、吝嗇、けちんぼう」となっている。
たしかに幸田家と「けち」とは 相容れないもののようだ。

持っ たが病-- 使うあてもないのに処分しきれず、やたらと抱えこむこと。持っているだけで使わなければ無に等しい。
家の中にあるものをきちんと把 握して、使えるものをその都度 役立て、時には思い切りよく処 分していた祖母はこの病とは無 縁に一生を終えた。けれど、母 は娘時代 に戦争を体験した反動だろう、典型的な昭和ひと桁生まれの勿体ながりである。家に蓄積したものをさばききれず、埋もれながらもはやすっかり諦め顔で、「古川が 自在に操れたら言うことない わ。水なんて思うようにならな い最たるものだもの」と笑って いる。
その母にしつけられた私は、右 肩上がりの高度經濟成長期に生 まれ育ったにもかかわらず、 「消費は美徳」とは無縁で、母 と似た感覚を持っている。 「持ったが病」 と「古川に水絶えず」は二律背反でありながら、切っても切れず、私はここに「されど淀むなかれ」のひとことを加えて自分への戒めとしている。


Morris.もどちらかとい うと捨てるのが下手な方であ る。断捨離の本も読んで、その ときはある程度納得したもの結 局身につかなかった。、

出 ず入らず-- 良すぎもせず、奇をてらいもせ ず、控えめながら利かせどころ をはずさないもの選びの基準。
出ず入らずとほぼ同義のことば に「程がいい」がある。このふ たつは幸田の家では二大ほめこ とばと言っても過言ではない。 たとえば、祖母の代理で何か見 立てや買 いものをしていて、どちらかで評価してもらえれば、まずは上首尾。私なら面目躍如と大いに気をよくするところだ。
「出ず入らず」にはセンスの良 さ、賢さが光っており、少しだ け手がたい。
「程がいい」には、はんなりや さしいニュアンスがある。


「いい塩梅」とか「可もなく不 可もなく」なども同様な意味だ ろうけど「出ず入らず」にはか なわない。

知 る知らぬの種
「人の心の中にはたくさんの種 が詰まっていて、何かのきっか けで芽吹くのだから、せっかく 出たその芽を大切に育てるよう に」(文)

心 ゆかせ--自分 自身の心のなぐさめ、納得のた めの行為。自分の気持ち をおさめるために、たいした手間でないことでも心をこめてすること。
十代の半ばですでにひとりで台 所を切りまわし、働きづめのお 正月を送った。露伴は酒飲みの 上に健啖家である。「からす み、雲丹、このわた、紅葉子、 はららご、 カヴィヤ、鮭のスモーク、チーズ、タン、いろいろなピクルスが棚を占領し、おきまりの口取、数の子、野菜の甘煮、豆のいろいろ、ゆばに菊のり、生椎茸、鮎の煮 びたし、雉の味噌漬、だしはや かましくて鰹節、昆布、鶏骨と 揃え、油は胡麻・椿・ヘット・ 鳥と備え、これらを生かす大切 な薬味類がととのっていた」 (文「正月 記」)
お酒が進むように肴は銘々に彩 りよく盛りつけ、椀ものは熱々 をタイミングを見計らって、野 菜は煮すぎないように、蓋を とったときに薬味がふわっと香 るようにと 細かなところまで気を配る。結果として残るのは働き者の誇りと心身の疲労、そして手荒くはできない洗いものの数々である。


幸田露伴は決して食道楽という わけではなかったようだが、正 月の献立と、給仕を見れば、か なりの「贅沢」といえるだろ う。これを十代でやりこなす文 もまたすごい。

・ あなたのお庭に木が何本--露 伴が子どもたち相手に思いつい た即興の遊び。
祖母が一緒の遊びと言えば、ど れも単純で他愛のないものばか り。両手の指を組みあわせてお 風呂のかたちにする「三助火を 焚け」だの、向いあって噴き出 しそうに なるのをこらえつつ、コヨリの輪をやりとりする「白髭様のおたらい」、あるいは早口ことばの「鴨がひゃっぱっぱに小鴨がひゃっぱっぱ」。そのど
祖母、母、私が夢中になって覚 えた言葉遊びを載せておこう。

江戸しりとり唄 牡丹に唐獅子

牡丹に唐獅子 竹に虎 虎をふ んまえ 和藤内
内藤様はさがり藤 富士見西行  うしろ向き
むき身蛤ばかはしら 柱は二階 と 縁の下
下谷上野の山かずら 桂文治は  噺家で
でんでん太鼓に 笙の笛 閻魔 はお盆と お正月 
勝頼様は 武田菱 菱餅 三月  雛祭
祭 万燈 山車 屋台 鯛に鰹 に 蛸 鮪
倫敦は異国の 大港 登山駿河 の お富士山
三遍まわって 煙草にしょ 正 直正太夫 伊勢のこと
琴に三味線 笛太鼓 太閤様は  関白じゃ
白蛇のでるのは 柳島 縞の財 布に 五十両
五郎十郎 曽我兄弟 鏡台針箱  煙草盆
坊やはいいこだ ねんねしな  品川女郎衆は 十匁
十匁の鉄砲 二つ玉 玉屋は花 火の 大元祖
宗匠の出るのは 芭蕉庵 あん かけ豆腐に 夜鷹蕎麦
相場のお金が どんちゃんちゃ ん 
ちゃんやおっかあ 四文おくれ
暮れが過ぎたら お正月 お正 月の 宝船
宝船には 七福神 神功皇后  武内
内田は剣菱 七つ梅 梅松桜は  菅原で
藁で束ねた 投げ島田 島田金 谷は 大井川
かわいけりゃこそ 神田から通 う 
通う深草 百夜の情 酒と肴は  六百出しゃ気まま 
ままよ三度笠 横ちょにかぶり
かぶりたてにふる 相模の女  女やもめに 花が咲く
咲いた桜に なぜ駒つなぐ 
つなぐかもじに 大象もとまる
とまる麦藁 赤とんぼ 牡丹に 唐獅子竹に虎(つづく)


この江戸しりとり歌は、はじめ の方だけはお馴染みだが、ぜっ かくなので全文いんようしてお く。

魚 身鶏皮-- 魚は身から、鶏は皮から焼く料理の基本。

か けかまい--気 遣いや遠慮のあること。「かけ かまいない」と言えば、 考えなしのうかつな行動であり、避けるべき。
私が知る限りではもっぱら「か けかまいない」というかたちで 使われて、わかりやすく言い換 えれば「遠慮しない」とか「気 にしない」というようなニュア ンスだろ う。かけかまいなく何かをする者には悪意と言えるほどのものはなく、自分の好き勝手にしていいかどうか、あと先たいして考えず、心のうちに「まあ、いいや」と いういい加減さがある。それで 咎められなければけろっとした まま過ぎてしまうが、ひとつこ じれると相当面倒になる危険も はらんでいる。ものごとが見え る立場の 人が見れば、うかつな行動なのである。

「横着」というのが近いような 気がする。

旨 いものは宵に喰え-- おいしいものはそのときを逃さ ず、許せる範囲の行儀の悪さな ら最良を味わうこと。送り主や そのものへの敬意。

人 には運命を踏んで立つ力がある ものだ
誰も自ら選んで次男三男に生ま れるわけではない。露伴からさ んざ小さいころの苦労話を聞か されて、自分自身も次女の生ま れである祖母は、あるとき自分 ではどう にもならない生まれ順による差別に不平を口にした。すると、露伴がむっつりとした口調で「人には運命を踏んで立つ力があるものだ」と言うのである。これを聞い て祖母は、かつて自分の父親が どれほどの思い出冷飯っ食いの 境遇に耐え忍んだかを察し、自 分の身にも父と同じだけの苦労 が課されることを思って涙す る。

私 の行く先ゃ花となれ-- 「あとは野となれ山となれ」に つづく文言。
おふみさんが言っていたのが、 「あとは野となれ山となれ、私 の行く先ゃ花となれ」であり、 つづけて「私ゃ代地河岸の生ま れですからね、そう言って祝っ ちまわな くては」が口癖だった。
「私の行く先ゃ花となれ」は先 行きに一縷の望みを託す願かけ であり、口にすることで自分を 鼓舞し、頑張り通す原動力にし ようとしている。

み そっかす
「みそっかす」の中で祖母の幼 い日のことが切なく、激しく、 いきいきと、そして時に滑稽に 描かれている。今のことばで表 現するなら、こじらせ系とでも 言ったと ころかもしれない。こじれるエネルギーがあったから、逆境、不遇、不満、すべてを乗り越え生き延びた。


「こじらせ系」というのは若者 ことばなのか、なんとなくわか るような気もするし、 Morris.もそれ系要素が あったような…(^_^;)
【み らいめがね それでは息 がつまるので】荻上チキ ヨシタケシンスケ絵 ★★★  2019/05/24 暮しの 手帖社 「暮しの手帖」4世紀 82号~96号連載

荻上チキ 1981年兵庫県生 れ。評論家。メディア論を中心 に、政治経済、社会問題、文化 現象まで幅広く論じる。NPO 法人ストップいじめ!ナビ代表 理事。ラジオ 番組「荻上チキ・Session・22」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。「彼女たちの売春」「災害支援手帖」「すべての新聞は「偏って」いる」「いじめを 生む教室」

日 本の妖怪文化というのは、異形 の者たちとの共生の知恵だと 思っている。多くの文化とうま く折りあ いをつけることこそが、先人たちから受け継ぐべき知恵だと感じる。まあ、小難しいことを抜きに、とにかく「いろいろあっていい」の精神が好きでたまらない。 (誰もが笑いあえる社会)

妖怪といえば水木しげるを媒介 とするしかないMorris. だが、多文化との交流という視 点で捉えるというのは、面白い し、納得できる。

依 存症から回復するためには、何 かに依存するのを無理にやめる のではなく、むしろ依存先を増 やすこ とによって分散することが重要なのだと聞く。自立するということも同じで、人に寄りかかるのではなく、寄りかかる先を上手に分けることがいいそうだ。そんなこ とも「理屈では」とうに知って いた。なかなかどうして、実行 するのは難しい。振り返れば、 壊れた人間関係が死屍累々であ る。
それにしても、そもそも人生病 を抱えていない人間なんていな いんだろうとも思う。よく行く コンビニの店員だって、街でよ くすれ違う老人だって、テレビ に出てい るタレントだった、それぞれの人生病と向き合っている。「自分同様に、人も弱いんじゃないか」と思えるようになったのは、うつ病になって得た収穫である。(人 生病、リハビリ中)


自分の病気(うつ病)をさらっ と公開するのは、なかなかでき ないものだと思う。「死屍 累々」の人間関係という表現か ら、ここに至る道の険しさが感 じ取れる。

解 釈のための理論は多様だが、 1960年代以降の現代思想 は、ひとつの潮流として「○○ 中心主義」 を批判するような方法で運動や理論を形成してきた。例えば「男性」中心主義を批判する方法でフェミニズムの運動や理論が形成された。「白人」中心主義を批判す る方法で公民権運動が形成され た。「ヨーロッパ」中心主義を 批判する方法で多文化研究が盛 り上がっていった。「異性愛」 中心主義を批判する方法で性的 少数者の 運動や理論が形成された。「健常者」中心主義を批判する方法で障害者運動や理論が形成された。特定の芸術のみを文化として評価する「ハイカルチャー」中心主義 に対して、サブカルチャー研究 が形成された。そんな具合に。
それまで当たり前とされていた 「読み方」を疑い、別の解釈を 提示する。従来の文学研究が作 者をめぐる研究だとすれば、テ クスト論は読者のための研究 だ。様々な 立場から読むという思考実験を繰返す。その経験は、今の仕事には大変に役に立っている。[今の仕事に巡り合うまで)


確かに世の中のメインストリー ムへのカウンタ-が、世の中を 動かして来たことは間違いなく て、カウンターがメインに成り 上がることもあれば、失速して しまうことも ある。「保守を革新し、革新を保守する」なんてスローガンが浮かんできた。

み んなが仲良くすることはできな い。人は人を嫌いになるもの だ。そして大人になるというこ とは、嫌 いな人と上手に距離を取る方法を学ぶことでもある。距離の取り方が不器用だと、人に生きづらさを押し付けることになる。
人を適度に嫌いになるために、 自分なりに守ろうとしている作 法がいくつかある。
例えば、「そのひとに付属する ものまで嫌いにならないこ と」。
「他人にその人を嫌いになって もらおうと求めない」というこ とも「嫌いになる作法」のひと つだ。
どんな規範の言葉に呪われ、苦 しめられてきたのか。自分と合 わない相手と、規範で縛られて 無理に付き合っていないか。人 生のどのタイミングでも、重荷 を下ろす ことは赦される。(「呪いの言葉」に向き合う)


嫌いな人と無理に付き合うこと はないという考え方は前から 持っていた。好き嫌いは Morris.の基本尺度(芸 術も食べ物も人も動物も景色 も)だった。

ア ウシュビッツで生き残ろうと、 看守役になる者は、ナチスの従 順な先兵として振る舞うように なる。 看守役は配給される食料を独占することもできた。徹底した分割統治。ガス室での虐殺も、ユダヤ人たちに実効させた。
もともと、反ユダヤ主義は長く ドイツに存在していた。第一次 世界大戦後、ドイツ国内での不 満が高まる中で、「ユダヤ人と いう非国民のせいでドイツが負 けた」と いう論理が浸透していく。
そして、ひとつの歴史修正にた どり着く。それは「ドイツは戦 場では奮闘していたが、背後か らのひとつきで敗北した」とい うものだ。つまり、ユダヤ人な どの排斥 は、ナチスのオリジナルではない。ヘイトスピーチと歴史改竄主義の蔓延が、ナチスの台頭へとつながっていった。(人生に必要な場所)


権力者、権力に繋がる者は、手 を汚すことなく、蛮行を重ね る。

ソ クラテスは文字の発明を、怠惰 の技術だとなじった。明治の教 育者は、小説は若者を犯罪に走 らせる と批判した。いつしか活字は教養となり、今度は漫画やアニメがバカにされた。評論家大宅壮一は、テレビ(メディア)を「一億総白痴化」と批判した。
新しいメディアは、その都度社 会から叩かれてきた。ゲームを やると脳が駄目になるという ゲーム叩きの時期を経て、ネッ ト叩き、そしてスマホ叩きの時 期に移行し ている。100年後も人類は、間違いなく新しいメディアを叩いている。(いたるところに教材あり)


韓国でナフナの「テスヒョン」 が大ヒットしていて、これが 「ソクラテス」のことだと知っ て、あっけにとられたが、ナ イーブな哲学者と理解すれば、 ナフナもナイーブ な歌手だから相性が良かったのかもしれない。

ど んなに「規格外」だと思われよ うと、その生活を、陳腐な言葉 で自ら否定しないでほしい。ど うか、 呪いをかけないでほしい。その規格・規範が、自分の中でどれだけ大切なものなのか、見極めてほしい。
今は「こう生きるべし」と言う 声に、次のように逆襲する。
何もかもに、その考えを押し付 けるな。何も知らないくせに、 勝手に噂するな。何もしないく せに、土足で踏み荒らすな。何 も疑わないままに、そこから査 定する な。こうやって生きているんだ。何が悪い。(生きづらさを取り除け)


開き直りも悪くない。

【校 閲記者の目】毎日新聞校閲グ ループ ★★★☆  2017/09/05 毎日新 聞出版社
校正、校閲に関する本はこれま でに数冊読んだが、本書はあく まで「毎日新聞」のルールに 則ったものだが、それなりに裨 益するものがあった。

現 在の一般的な満年齢の数え方で は、誕生日に一つ年を取りま す。記事でも、普通は誕生日に 年を取る ものとして数えて表記しています。しかし、「年齢計算に関する法律」が、出生の日から年齢を起算するようさだめており、それに従うと、誕生日の前日に1歳増え るのです。そのため、選挙で最 も若い有権者は、18歳になる 誕生日が投票日当日ではなく翌 日の人です。
3月31日まででなく、4月1 日うまれまでがいわゆる「早生 まれ」になるのも、同様の理由 です。学校教育法施行規則に学 年が4月1日に始まることが規 定されて いますが、同法には、「満6歳に達した日の翌日以後」に学年の初日、つまり4月1日が誕生日の子は3月31日に「満6歳に達し」ているため、翌日4月1日は小 学校に入学するわけです。


「早生まれ」という言葉はずっ と使ってきたが、このことは ずっと知らずにいた。

ハッ シュタグ記号はシャープではな い。
♯ シャープ
# こちらがハッシュタグ記号  (井桁、番号符、ナンバー記 号、ナンバーサイン、ハッ シュ、クロスハッチ、バウンド サイン、オクトソープ、ダブル クロスマー ク)
混同している人が多いのは、電 話ボタンの表示が「#」なのに 「シャープを押してください」 というアナウンスがつうようし ていることもあるかと思いま す。まあ、 「井桁を押して」と言われても戸惑ってしまいますが…
ネットで検索してみると、 シャープの「♯東北でよかっ た」で入力したとしても、正し い「#東北でよかった」に誘導 されるのでこまらないのです が、投稿する場合 には、シャープ♯ではタグ付けされないようです。
#のキーは米国で は"pound key"(パ ウンドキー)、英国で は”hash key”(ハッ シュキー)と呼ばれ る。"pound key"の 呼称は米国 で#が質量ポンドの記号に用いられるところから。


♯と#の違い。これも難しい。 ハッシュタグの普及で、#の利 用頻度は格段に高まっただろう ことは想像に難くない。※[米 印)と*[アステリスク)も混 同しやすい。

「雨 模様」は、降っている? 降っ ていない?
雨模様は「あめもよう」とも 「あまもよう」とも読みます が、「雨催(もよ)い」が変化 したものと言われており、今に も雨が降り出しそうな曇り空の ことです。つ まり雨は降っていません。
「模様」も「空模様」といえ ば、実際の天気、空の様子のこ とですから「催い」「模様」に 変わったことが「誤解」を生ん だのかもしれません。
辞書ではどうでしょう。本来の 意味のみを載せた新明解国語辞 典や、[雨の降る様子を言うの は誤用」と明記した岩波国語辞 典がある一方、「最近の言い方 で」とい う注釈をつけて、「小雨が降ったりやんだりすること」も載せる明鏡国語辞典や、注釈なしに「小雨が降ったりやんだりする天候」も載せている三省堂国語辞典もあ ります。


Morris.常用の大辞林 (三省堂第一版)では、雨の項 には「-模様」はなく、
あ めもよい[雨 催い] 「あまもよい」に同 じ。
あ めもよう[雨模 様] 「あまもよい」に同じ。

となっている(^_^;) と いうことであまもようを見ると
あ まもよい  [雨催い] 雨の降りそうな空のようす。雨模様。あまもやい。あめもよい。
あ まもよう [雨 模様] どんよりと曇って、雨 の降りだしそうな空のよう す。あめもよう。

なかなか念が入ってる。
あ まもやい  [雨催い] 「あまもよい」に同じ。
あ まもよ [雨 催] →あめもよ(雨催)
あ めもよ [雨 催] 雨の降っている時、あま もよ。

つまり7本も見出しを立ててい ることになる(@_@)。

「斉」 と「斎」ば別の字
日本に多い名字の一つ「さいと う」さん。「斎藤」を省略した 字が「斉藤」だと誤って覚えて いる人は少なくありません。中 には戸籍名が「齋藤」なのに、 新聞社に 「斉藤」の字で伝えてきた議員がいました。
… 旧字体は。 音読み「セイ」。「きちんとそ ろう・そろえる」ことを表し、 「ひとしい」「ととのえる」の 訓がある。「一斉」「斉唱」な どと使う。
… 旧字体は。 音読み「サイ」。「けがれを払 うことを表す感じで「ものい み」の訓がある。転じて「静か に過ごす部屋」という意味と なったのが「書斎」の例。


これも目から鱗だった。確かに 紛らわしい。

阿 佐ヶ谷駅か、阿佐ケ谷駅か。
地名・人名にある「ケ」は形は 片仮名の「ケ」であっても片仮 名ではなく、感じの「个」から できた、あるいは「箇」の竹か んむりの一方を使って、記号の ように使 われてきたものだそうです。
あくまで記号であり、記号らし く小さな「ヶ」とするか、見や すいように大きく「ケ」と書く かは毎日新聞としては大きな 「ケ」に統一している。


これは前に聞いたおぼえがあ る。どっちでもいいことにしよ う。

社 名、商品名
・マジック→フェルトペン
・セロテープ(ニチバン)→セ ロハンテープ
・:テトラポッド(不動テト ラ)→消波ブロック
・バンドエイド(ジョンソン& ジョンソン)→ばんそうこう
・万歩計、万歩メーター(山佐 時計計器)→歩数計、歩数メー ター
・ラジコン(増田屋ホールディ ングス)→無線操縦、無線装 置、ラジオコントロール

本書は、毎日新聞校閲グループ 運営のインターネットサイト「毎 日ことば」で 発信した文章を基にしています。


【緑 雨警語】 斎藤緑雨 中野三敏 編 ★★★☆ 1991/07 /29 冨山房百科文庫:41

「こ の男、かたきに取てもいとおも しろし。みかたにつきなば猶さ らにをかしかるべく」と一葉も 言 う、一代の奇才斎藤緑雨は、貧苦と病苦に攻められながらも「小唄で人生を論」じつつ、文に巧緻を極めて、後世凌駕する者とてない、イキのいい、花のあるフォリ ズムを、数多ものした。本書は その全集であると共に緑雨の親 しんだ江戸文学に通達する編者 により、各条々に語句の注釈と 硬軟自在なコメントが付されて いる。拾 い読みも通読も何ら差触りなく、遊び心の横溢する本書を、どうぞ自由にお楽しみあれ。(裏表紙の惹句)

面白いことを考えたものであ る。Morris.も斎藤緑雨 にはかなり前から関心ありなが ら、手持ちの「縮 刷斎藤緑雨全集」もな かなか精読にはいたらなかっ た。
こんな本が出てるとはしらずに いたが、つまみ読みにはもって こいぢゃ。(*は中野三敏のコ メント)

○ 剣を以てするも、筆を以てする も、強者はついに弱者を扶くる ことなし、長く扶くることな し。弱者 を扶くるは弱者なり、どの道のがれぬ弱者なり。同病相憐むに過ぎず。

「弱気を助け強気をくじく」な んて、まず、無いものと思われ る。

○ 貧は強ち耻辱にあらざる可き も、さりとて到底栄誉にあら ず。まづしき也、とぼしき也、 憂ふるに人 さまざまの軽重ありとも、誰か心の奥を問はれて、富に優るといふ者あらんや。貧を誇るは、富を誇るよりも更に卑し。

貧乏は恥ずかしがるものではな いが、さりとて威張れるもので もない、という言葉はどこかで 聞いた覚えがあるが…

○ どうせ世の中は其様なものだ。 この一語は、泣ける者を慰むべ く、怒れる者をも慰むべし。斯 くして 人口は年々増加すとも、減少することなし。めでたからずや。

未練と諦念は双生児。一世紀を 閲して、この国の人口は減少の 一途をたどっている、めでたか らざるや?

○ それが何うした。唯この一句 に、大方の議論は果てぬべきも のなり。政治といはず文学とい はず。

それぢゃ駄目だと言う勇気。

○恋は親切を以て成立す、引力 也。不親切を以て持続す、弾力 也、疑惑は恋の要件也。*疑惑 は恋の推進力也。
○握手は子をなす事なし。夫婦 の愛は肉より生ず。かの婚姻な るものを看よ、そを四隣に吹聴 して憚らず、以て儀式となすに あらずや。(眼前口頭 明治 31)


山本夏彦がこれと似たようなこ とを書いてた。

○ 人の世に最大不必要なるもの、 唯一つあり、名けて識者とい ふ。

天に唾する緑雨哉。

○ 聚めんと欲せば、先づ散ぜよと いふは、転んでも只では起きぬ の同義なりと信ず。(霏々刺々  明治 32)
○赤は花の色也、火の色也、血 の色也、舌の色也、仕掛の色 也、而して古来の伝説に拠れ ば、嘘も真赤なる者也。
○此処に虚偽と羞恥との関係を 究むるにおよばず、耻も嘘と同 じく、赤きものとぞ。(巌下電  明治33)


真っ赤な嘘、赤っ恥、赤の他 人、赤死病、赤ゲット、赤チ ン、赤紙、赤狩り、赤字、赤 線、赤裸々、赤貧、赤面、亭主 の好きな赤烏帽子(^_^;)

○ 日を見ては、赫々たる金色とい ひ、月を見ては、皎々たる銀色 といふ。古より今に至るまで、 つひに 貨幣を離るゝ能はず。
○何人の財布の裡にか、罪悪を 潜めざるものある。財の布は罪 の府也。
○発かば正義は世の花也。靡か ば正義は時の煙也。*堕つれば 正義は足手まといなり。
○世は米喰ふ人によりて形成せ られ、人喰ふ鬼によりて保持せ らる。(両口一舌 明治33)


ここらはわりと平凡。

○ 使ふべきに使はず、使ふべから ざるに使ふ、是れ銭金の本質に あらずや。疑義を挟むを要せ ず。
○貧人が唯一の見方は、詩人な りと。げに然らん、詩人も唯一 の貧人なれば。
○按ずるに筆は一本也、箸は二 本也。衆寡敵せずと知るべ。 (青眼白頭 明治33)


一番有名な緑雨の一行。

○ 利口さうなると、正直さうなる とは、人間遊泳の極意也。一般 社会は此さうなるを以て、信用 の基礎 となすものゝ如し。利口なるなかれ、正直なるなかれ、凡てに語尾の明確ならんは、溺没をまねくに近かるべし。

「のようなもの」の妙。

○ 流行はわれに来らず、われは流 行に恃まず、恃まざる流行のわ れに来るものは、感冒のみ。

「流行性感冒」というのは明治 時代からあったらしい。韓国で は「毒感」と呼ぶ。

○ 時は梅に継ぐに桜を以てし、身 は貧に継ぐに病を以てす。近日 の動静を問はるゝまゝ、かく答 へてさ て回思すれば、梅と貧、桜と病、それと定かに情趣の指しは得ざれど、おのづから一致せる者あるやに感じたるも、美名に就かんの我が悶へなるべきか。
○桜は矛盾の花なること、濃抹 なるもの、淡粧なるもの、朝な あるもの、夕なるもの、其或時 はさめざめと泣くが如し。桜は 日本民族の花なるとゝもに、精 神病の花 なり。
○爛漫という語の桜花に冠せん よりは、狂人に冠するの的確な るが如き、好証憑にあらずや。


緑雨の「桜観」おもしろ。

○ 信義に二種あり、秘密を守る と、正直を守ると也。両立すべ き事にあらず。
○喜びは一人のもの、憂ひは万 人のもの也。こゝを以て合同は 握手に非ず、反目也。提携に非 ず、衝突也。(長者短者 明治 35)

二律背反? ダブルスタンダー ド? 

○字面の最も面白からずして、 字義の最も面白きもの、薄志弱 行の一語也。薄志弱行にあらざ れば詩は成ることなく、薄志弱 行にあらざれば詩は解すること なし。


優柔不断 金も力もなかりけり (>_<)

○ 桜は陰陽を兼ぬといへり。恋と 無常を兼ぬといへり。晴れにし て雨也、迷にして悟也、糸の音 にして 鐘の声也。つひに是れ罪業の花也、日本の花也。
○のに山に花は百千の色々なれ ど、錦織るてふ都の桜の如く、 よく人を酔はしめ、狂はしめ、 警察署処分に遇はしむるもの無 し。

桜好きだったんだろうな。

○ 春は木の花也、秋は草の花也。 木には上向かざるを得ず、よろ こびの態也、霞也。草には下向 かざる を得ず、かなしびの状也。春花の興は、盛らざるに多く、秋花の趣は、衰へたるに深し。

俳書みたいだ。

○ ちよいと見てちよいと惚れる は、今の評者也、他人也。よく 見てよく惚れるは、今の作者 也、自身 也。
○小説家として露伴はあまりに 博識也、紅葉はあまりに汎交 也。雪の松なる露伴が識鑑と、 風の柳たる紅葉が交際とは、い ついつともなく其身をして、作 に遠ざかる に至らしめたるものなり。われは今ニ家に就て、これ以上を言はんことを好まず。


緑雨と露伴と鷗外は三人で合同 評論みたいな「三人冗語」を出 している。これで樋口一葉を口 を揃えて褒めまくっている。

○ 惚れるは常識也、溺るゝは天才 也。藝術は色気也。即ちあまい 料簡也。
○無邪気は愛すべく、無責任は 憎むべし。されども無邪気は、 無責任の一種なり。

緑雨の真骨頂。

○ 今世の智識は、新聞の智識也。 新聞の智識は雑誌の智識也。雑 誌の智識は、模擬、剽窃、翻 案、抜粋 の智識也。

今世は21世紀の今日でもあ る。

○ 飢は恋をなさず。恋は飢をな す。こがれ死といふことあり、 恋ひに恋ひて死するにあらず、 飢ゑに飢 ゑて死するなり。(半文銭 明治35)





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