未
という字
秋葉てる代
「否定の意味をもつ字は四つあります。
非・不・無、そして未。」
国語の時間にならったこと非常識、不可能、無意味
否定されるのは かなしい言葉が多い
でも 四つの中で「未」だけは
どこかちがっている
未来--まだ来ない。でも、いつかきいと来るかもしれない。
(来るだろう)
未知--まだ知らない。でもいつかきっと知るかも知れない。
(知るだろう。)
今はないけど でもいつか
否定しながら どこかに希望を残している
パンドラの箱のような「未」という字
私は今 何ももたないけれど
「未」という字にかけてみよう
未完成な 私の未来に
私は非でも不でも無でもなく
まだ「未」なのだと
*
【日本語を楽しむ100の詩】 水内喜久雄 監修 から
2021065
【院
内刑事(デカ)ザ・パンデミック】濱嘉之 ★★★ 2020/11
/13 講談社文庫:は92-22
濱嘉之(はまよしゆき) 1957年福岡県生れ。中央大学法学部
卒業後、警視庁入省。警備第一課、公安総務課、警備企画課、内閣
情報調査室、少年事件課警視総監賞
など受賞多数。2004年警視庁警視で辞職。2007年「警視庁情報館」でデビュー。「ヒトイチ 警視庁人事一課監察係」「院内刑事(デカ)」シリーズなど。危機
管理コンサルティング、TV ,雑誌のコメンテーター。
「人種とは、現生人類を骨格・皮膚・毛髪・などの形質的特徴
によって区分したものだ。コーカソイド・ネグロイド・モンゴ
ロイド・オーストラロイドの四大人種と
いう言い方が有力で、肌の色からすれば、黒色人種、白色人種、黄色人種、赤色人種、褐色人種の五種に分類される。近年は軍師人類学の発展により、ミトコンドリ
アDNAハプログループ、Y染色体ハプログループといった遺
伝子指標をもって、新たな視点から、従来の形質的人類学的な
人種の形成史が科学的に解明されつつあ るんだよ」
褐色人種というのは初めて聞いた。ネットで調べたら、18,19
世紀の分類の一つで、現在はほとんど使用されてないようだs.該
当するのは南あふりか、北アフリ カ、
西アジア、中央アジア、インド、東南アジア、ポリネシアなどに分布するとされてたらしい。
「Unitede
Nationsのどこから「国際」という誤訳、というより
も悪意のある訳が出て
きたのか。そもそもUnited Nationsの憲章は1945年6月26日に署名されている。アメリカ合衆国・イギリス・フランス・中華民国・ソビエト連
邦の連合国によるもので、その「連合国」こそUnited
Nationsの正しい翻訳じゃないですか」
「そのとおりだね。私は外務省を一切信用しないことにしてい
る」
「悪意ある誤訳をした張本人……というところですか?」
「まさにそうだね。その誤訳が、北方領土がいつまで経っても
日本に変換されない原因になっていることを、未だに国民に隠
し続けている」
たしかに「国際連合」という和訳にはどこか作為的な臭がする。ち
なみに「国際連盟」は英語では「League of
Nations」だった。
「若
者の言葉の乱れは平安時代からすでに言われていたようです
が、このヤバイも現代の言葉の乱れの
最たるものだと思います」
ヤバイは盗人などの隠語である。「やば」の形容詞化で、牢屋
そのものや看守を意味する「厄場(やば)」から、これにかか
わってしまうような危険な状況等を示 す。
若者が、「すごい、すばらしい」の意味で「やばい」を連発つする
のをたしなめる主人公の台詞。「厄場=やば」というのは、眉唾っ
ぽいけど。
「警
視庁と警察はどう違うのですか?」
「警視庁というのは東京都警察、神奈川県警と同じです」
「どうして警視庁だけ呼び名が違うのですか?」
「警察組織の要である警察庁という組織が全国四十七都道府県
警察を管理しているのですが、その警察庁よりも警視庁ができ
たのが早かったからです。警視庁は明治
時代前期、西郷隆盛が西南戦争をやった頃から存在する組織なんですよ」
警視庁と警察庁の違いは、いつまでたっても、よく分らずにいた
が、東京都の警察が警視庁ということだけ覚えとこう。
「こ
の新型コロナウイルスはいつまで続くと思われますか?」
「新型コロナウイルスがこの世からなくなることはないと思い
ます。ただし、ワクチンや治療薬の開発が進むでしょうから
二、三年後には落ち着くと思います」
「えっ、ニ、三年……そんなに長くかかるのですか?」
「人間の歴史は四千年以上、ウイルスとの闘いなのです。数あ
るウイルスの中で100%駆除できたのは天然痘だけだと言わ
れています。全ゲノム解析なんでものが
できるようになったのは、ほんの十年前のことですよ。それを考えればニ、三年である程度の対処法ができるということは、驚くべきことなんですよ」
タイトルの割にコロナと直結するエピソードの少ない作品だった
が、おしまい附近の、この「二、三年後には落ち着く」だろうとい
う台詞は、妥当かなと思ってしまっ た。
【日
本とドイツ二つの全体主義 : 「戦前思想」を書く】★★★☆
仲正昌樹 光文社新書:261
前に「戦後思想」を読んで、感心したので、戦前編も読んでみ
ることにした。
第
一章 近代化とナショナリズム 1870年代から20世
紀初頭にかけての近代化と国民化の同時進 行
第二章 二つの社会主義 労働者運動と結びついた社会主
義・アナーキズム思想の動向
第三章 市民的自由と文化的共同性 第一次大戦後
(1920年代以降)のリベラルな政治文化
第四章 全体主義と西欧近代の超克 第二次大戦前夜にお
ける「近代の超克」思想の台頭
日本とドイツに限って言えば、1870年前後から、第二
次大戦が本格化する1940年前後までの約70年間を取
ると、結構、意味のある比較をすることができ
る。何故かというと、両国とも1870年頃に、西欧的な意味での近代国家を形成し、遅ればせながら、[国民国家としての統合→帝国主義的拡張]のプロジェクト
に乗り出し、最終的に「西欧近代の超克」を目指して全体
主義体制を構築し、戦争へと突入していったからである。
(プロローグ)
たしかに「戦前」というのはどこからどこまでというのが規定
しにくい。第一次大戦と第二次大戦の間ではちょっと短すぎる
し、明治維新が1868年だから、そこら辺
りから始めることにんるんだろうな。
ド
イツ「第二帝政」成立までの60数年を概観してみると、
ドイツでは文化共同体としての「国民」と
いう理念がまず誕生し、それに実体を与えようとするナショナリズム的な社会運動が名望家や教養市民層を中心に組織化され、更にそれを現実政治が後追いする形
で、準「国民国家」が成立するに至った、と言えそうであ
る。哲学的な言い回しをすると、「理念」が「現実」を誘
導したわけである。
ドイツに比べると、日本は、国民国家という概念がなくて
も、最初からそれにかなり近い状態にあった。「国民」と
いう理念はなくても、実体的には"国民"という
共同体が成立していた。徳川幕府が成立する以前から"国民"の輪郭ができあがっていたから、対外的に政治的に結束する必要が生じてくるまで、ドイツのような抽
象的な「国民」論は必要なかったとも考えられる。
そうかな? 江戸時代以前から日本に「国民」みたいな実体、
共同概念はなかったようにも思えるけど。ドイツの場合第一次
大戦の敗戦国だったから、まずは国家の立て
直しから始めなくてはならかったのだろう。
ド
イツのナショナリズムは、宗教的な権威を帯びた王権を、
絶対的な中心とする思想体系は備えていな かった。
大日本帝国の天皇制イデオロギーは、そもそも西欧的な意
味での「宗教」と言えるのか曖昧なところがあるが、その
分だけ、その時々の状況に応じて、様々な要因を
融通無碍に組み合わせて、天皇神話を改編しながら、ナショナルな象徴として利用することが可能になる。第二次大戦時の「八紘一宇」は、"天皇神話"をかなり強
引に全世界を包摂するように拡張したものである。
「全体主義」に至る道筋は対照的だな。
森
鴎外の短編小説「かのやうに」(1911)の主人公がド
イツ留学で知った、新カント哲学者ハン
ス・ファイヒンガーの「かのやうにの哲学」(1911)に出会う。「人間の生にとって価値がある霊魂がある霊魂とか自由とか義務のようなものは、虚構にすぎな
いが、我々はそれらが存在している「かのように」振る舞
い、それらを"事実"として通用させることによって、倫
理を成立せしめている」。主人公(モデルは鴎外
自身)はこれを、日本の天皇制理解に応用しようと思いながらそれが不可能なことを知る。(第一章)
ファイヒンガーは名前すら知らないが、「かのように哲学」と
いうのは何となくおもしろそうぢゃ。
ド
イツの社会主義がコーポラティズム的に国民国家と繋がっ
ている独自の伝統と基盤を持っていたの
で、ボルシェヴィズム型の中央集権的な前衛理論やアナーキズムのような極端な外来思想の影響がそれほど広がらなかったのに対して、社会主義を容認しない天皇主
権の国家体制の下で、バクーニン=クロポトキンとマルク
ス=レーニンの代理戦争のようなところから出発した日本
の社会主義は、外からの刺激によって観念的に過
激化していく傾向が強いと言える。(第二章)
日本の社会主義が思想の代理戦争とは(^_^;)
第
一次大戦後、ドイツが海外での帝国主義政策を追求する道
を断たれたうえ、1871年に成立した
「国民国家」の枠組みを再考せざるを得なくなっているところで、日本はむしろ帝国主義政策を追求する国家として、英米仏とある意味"対等"の位置を認められた
わけである。こうした国際的な環境の違いは、国民の政治
意識に反映する。単純化して言うと、ドイツ人であること
に対するプライドを持ちにくくなったドイツと、 日
本人であることのプライドを持ちやすくなった日本、ということになるだろう。
火事場泥棒(^_^;) に過ぎないと思う。
初
期の市民社会では、一定の政治的自覚を持った教養市民を
中心に公共の場での論議がなされ、国家全
体の共通目標/政治的理想をめぐる「公論 public opinion」へと練り上げら、それが議会を通して政治に反映されていたが、産業構造の近代化と政
治の民主化がある程度まで進むと、何を考え何を求めてい
るのかよく分からない「大衆の意見=世論(public
opinion)」によって政治の方向性が左
右されるようになる。「大衆」が何を考えているか分らなくても、彼らの支持を得ないと権力の座に近付けないので、政治家たちは長期的な展望なしに、まるで宣伝
文句で一般消費財を売る時のように、刹那的に大衆ウケす
る"政策"を掲げようとすようになる--大衆社会は、大
衆の消費嗜好によって、生産の方式が決まる消費
社会でもある。いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)の始まりである。
大衆迎合主義の仮面を被った全体主義の危険性。
巨
大なタブー--森鴎外=松本清張の言い方だと、「暗黒な
塊(天皇制)」--が現前し続けたおかげ
で、政治的言論活動の許容範囲が限定されていた日本では、民主主義の展開の仕方が自ずから異なったものになった、というのは確かだろう。日本はかなり中途半端
な議会制民主主義、デモクラシー思想しか経験しないま
ま、全体主義体制にずるずると移行していったという感が
強い。
天王星、もとい天皇制=Black Hole説
シュ
ペングラーの「西洋の没落」(1918)は「文明」が一
定の周期・法則によって、頂点に上り詰
めた後没落していくよう定められているとして、西洋の最後の哲学としての「懐疑の哲学」を生み出したドイツに、文明史における特別な地位を与えている--これ
は、屈折した形でのナショナリズムの表明とみることがで
きる。
アングロサクソンからゲルマンへの移行。我田引水思考という
ことかも。
日
本にパッチワーク的に輸入された"教養"においては、共
通の基礎となる「型」の部分が具体的にど
のように構成されるべきかはっきりしなかったため、とにかく"偉大な西洋の思想家"の書いたものを雑然と呼んで参考にしてみる、ということになりがちであっ
た。高校や大学で学ぶ、あるいは知識人によって書かれ
た"教養的"な諸知識が[教養=人格形成]という高尚な
理念となかなかストレートに結びつかないというも
どかしい状態が生じることになった--その最終的帰結として、現代の日本の大学では、教養科目というのを時間つぶしの余分な知識としか考えないダメな学生や元
学生、それを容認してしまう大学教員が増えており、私は
かなり疲れている。
Morris.もずっと教養主義に毒されていたのかもしれな
い(>_<)
ハ
ンガリー出身のルカーチは、「物象化」された状態にとど
まっている限り、労働者は、自らが搾取さ
れていることに気付かず、与えられた日々の仕事をこなすだけである。革命を成功させるには、まず労働者たちに、自己自身の心身が「物象化」されていることを自
覚させ、革命的な実践主体になろうとする(階級)意識を
持たせねばならない、と主張する。彼の考え方は、むしろ
実存主義に近かったかもしれない。(第三章)
共産主義にも冥いMorris.だが、ルカーチの実践的思想
は、何となく信用できるところがあるような気がしてた。
1920
年代末から、ワイマール共和制に対して根本的疑問を投げ
かけ、「民族共同体」の樹立、「支
配民族」思想、民族の「生存圏」の確保、反ユダヤ主義などを掲げるナチスが急速に台頭し、33年には政権を掌握した。単なる「国民国家」に依拠する「ナショナ
リズムではなく「民族」という全近代的な共同体への回帰
を標榜するナチスという"新しい保守政党"が第一党にな
り得た政治・経済的な背景としては、ヴェルサイ
ユ体制に対するルサンチマン(恨み)、世界大恐慌に起因する不況の深刻化、政治の不安定などを挙げることができる。
幻想的な太古の「民族共同体」を復活させるという--あ
る意味マルクス主義の唯物史観に似た--目標を掲げなが
ら、科学・技術の粋を集めた大量殺戮兵器で武装
し、宿敵であるユダヤ人を東欧から放逐して、純粋な民族空間をつくる「東方計画」を推進したナチズムは、様々な局面において新旧を混合した折衷的なイデオロ
ギーである。
民族主義が依拠する「民族」も、社会主義の準拠する(そ
の大半が労働者である)「人民」も、いずれもドイツ語で
は<Volk>である「近代化」の
犠牲になりつつある素朴な「民衆(庶民) Volk」を救い出そうとする願望がm19世紀前半以来、「右」と「左」に分かれて発展してきたと考えれば、両者の
発想が深いところで似ていて、何かのきっかけで接近・ク
ロスするのもそれほど不思議なことではないような気もす
る。「ナチス]とは正式には、「国民社会主義ド
イツ労働者党」(NSDAP)である。
Volkが「民族」であり「人民」でもあり、ナチズムも継ぎ
接ぎ細工のパッチワーク。
北
一輝は「国家改造案原理大綱」(1919)で、「国民の
総代表」である天皇の大権によって3年間
憲法を停止して、全国に戒厳令を布き、華族制度の廃止、軍閥・財閥・党閥などの排斥、私有財産の制限、性産業の国家集中とそのための設置などを提案している。
また改造中の秩序維持を、超過私有財産・資本の徴収のた
めに、改造内閣の下に「在郷軍人団」をそしきすべきだと
している。実質的には、天皇と在郷軍人の協力に
よって社会主義を実現するわけである。
天皇という週休的な権威と軍部の力を組み合わせて、資本
主義的な既成の支配秩序を解体し、国民の共同体意識に根
ざした社会主義革命を断行するというのは、ドイ
ツのナチスやイタリアのファシスタ党に見られるような、典型的なファシズム、右の全体主義の発想である。
元軍人で北の弟子である西田税などを介して、天皇親政に
よる国家改造・半軍備・満州確保を目指す陸軍皇道派の青
年将校たちの間に徐々に浸透する。将校たちが普
段接している部下の兵士には貧しい農村出身の者が多かった。不況下での農民の苦しみをよそに利己的な金儲けに走る資本家やそれと結びついた重臣・高級官僚・軍
幹部(統制派)に対する反発から、将校たちの間に反資本
主義的な問題意識が生れていた。
226事件は草の根右翼?
"
西欧近代"を克服しようとしたがゆえに、逆説的に、西欧
近代の最大の害悪である"(西欧的な科学
技術に根ざした)軍事力による他者支配"という面で"西欧の権化"になってしまったという意味において、反西欧主義的な傾向のある西欧国であるドイツと、西欧
主義的な傾向の強い非西欧国である日本は確かに"似てい
る"。
かなりひねくれた論の持っていきかた。
「国
民国家」に代わる新たな政治の基本単位としての「人種」
あるいは「民族」に神話的・形而上学的
な意味付けを与えようとする『20世紀の神話』は、西欧近代の合理性に密かに反抗し続けてきたドイツのロマン主義的な思想の系譜の終着点になっているような感
がある。これが、民族闘争の最終的勝利、生存圏獲得に向
けての政治プログラムである『わが闘争』と結び付くこと
によって、現代史・現代思想史のブラックホール
とも言うべき「ナチズム」という終末論的な世界観が形成されたわけである。(第四章)
ここで「ブラックホール」使われてた(>_<)
戦後編と比べると、かなり無理のあるもののように思えた。
【辞
典語辞典】見坊行徳・稲川智樹 絵いのうえさきこ ★★★☆☆
2021/01/15 誠文堂新光社
辞
書の基礎知識から裏話までにわたり、辞書をよりよく使ったり
面白がったりするための足がかりを豊
富に得られる辞書をつくる、というたいへん欲張りな目標のもと本書を編纂しました。1冊の本で収めきれるものではない膨大な辞書文化について、紙幅の許すかぎ
り解説と遊び心を詰め込んでいます。
この辞典は、とりわけ国語辞典に関連する語句を見出しとし、
見出し語の範囲は、辞書学の専門的な述語から、個別の辞典の
書名、辞典の編纂者や関係者、辞典を取
り扱ったフィクション作品や架空の辞書名にいたるまで広範にわたり、項目は681におよぶ。(まえがき)
Morris.は辞書好きな方だと思う。「言海」は二回通読した
し、他の小型辞書も数冊通読している。Morris.の本棚に並
んでいる辞書で国語辞典に絞れば、 古い順に
1.
「言海」縮刷版 (1904(明37) 吉川弘文館)
2.「ABCびき 日本語大辭典」(1917(大6)年 三
省堂)
3.「大辞典 上下二冊本」1936((昭11) 平凡社)
4.[大言海」1956((昭31) 冨山房)
5.「新潮国語辞典 現代語・古語」(1965(昭40)
新潮社)
6.「大辞林初版」(1988(昭63) 三省堂)
7.「例解 古語辞典」(1989(昭64) 三省堂)
の7冊である。他に類語辞典、難訓辭典、ことわざ辞典、社会用語
辞典などの特殊辭典もあるが省く。今一番よく使ってるのは、6,
の[大辞林」。その前は、5.「新
潮国語辞典」を仇のように頻用していた。
ア
イキューさんぜん【IQ-
300】1979年シャープが発売した日本最初の電子辞書。「電訳機」の名を冠していた。標準価格\39.800。
価格にビックリぢゃ(@_@)
ア
クセント(accent)
その語のどこを高く、または強く発音するかという、語ごとの決まり、音調ともいう。
ストレスとピッチがごっちゃになりがちである。
い
ちげんごじしょ【一
言語辞書】(monolingual dictionary)一ヶ国語辞書。日本では国語辞典。英語なら英英辞典。
韓国でも「國語辭典」である。
イ
ンクリメンタルサーチ(incremental
search)デジタル検索で、検索キーワードを入力する
のに合わせて検索結果を次々と表示する機能。逐次検索とも。
これはワープロ漢字変換でおなじみだった。「AI」ってこんなも
ののことだろうと誤解してた(^_^;)
イ
ンディアペーパー(India
paper)辞書や聖書でよく用いられる、ごく薄くて裏抜けしにくい紙。インディアペーパー、インディア紙。日本では三省堂の創業者である亀井忠一が国産化
を切望し、以来を受けた王子製紙が製造に成功。1923年の
「袖珍コンサイス和英辞典」で初めて用いられたが、初版本は
関東大震災でほとんど焼失してしまっ
た。巻きタバコに用いるライスペーパーとよく似ており、戦時中の物資不足の折にはしばしば辞書のページがちぎられ巻きタバコにされたという。
ずっとMorris.は「インディアンペーパー」とおぼえてい
た。コンサイス辞典は何冊か使ったことがある。確かに薄くて強く
て裏移りしない辞書向きの紙だと納得 させる紙だった。
エッ
クスエムエル【XML】
(eXtensible Markup Language)デジタル辞書の内容を格納するデータ形式。タグを用いて、データを構造化して記述できる。
大規模な言語表示システムみたいな意味かな。Morris.の手
に終えるものではなさそうだ。
く
しざしけんさく【串
刺し検索】一度の検索で、複数のデジタル辞書をまとめて検索すること。横断検索とも。
ネット検索の醍醐味でもあるようだが、Morris.はどうして
も紙辞書に固執する傾向にある。
く
らしのてちょう【暮
しの手帖】1971年「商品テスト」で8種類の小型国語辞典をテスト。国語辞典界にはびこる盗用体質を明らかにした。
「暮しの手帖」は創刊号から実家にあって愛読してたが、71年当
時は小倉で学生生活してたので、見損なったようだ
す
みつきかっこ【隅
付き括弧】国語辞書で見出しの表記を示す攬に現在最も一般的に用いられる記号。
よく使う割に、Morris.はこの名前は初耳だった。
Morris.は「【」を「でかま」、「】」を「でう」で変換す
るように辞書登録している。
せ
「言海」
以降ほとんどの五十音順の国語辞典で、真ん中のp-じにくる見出し語の先頭の文字。このことから日本語はあ行、か行、さ行で始まる語が過半数を占める。
ちなみにMorris.の持ってる韓国語辞書で真ん中にくるのは
すべて「ㅅ(シオッ)」だった。これはSの子音にあたる。英語辞
書は2冊しか持ってないが、一冊は
L,もう一冊はMがセンターページだった。
だ
いじてん【大
辞典】平凡社の刊行した大型辭典。1933年5月に本格的な演習を始め、早くも1934年8月に発刊。1936年9月までに全26巻を出しきるという驚異のス
ピード出版で、序文もないまま刊行された。公称では総項目数
70万余りとされる。現在に至るまで最大の国語辞典なのは確
か。
Morris.はこれを上下二冊にした(無謀??)縮刷版をもっ
ている。古本屋で買ったので、付録の虫眼鏡は付いてなかった。動
植物の漢字名を調べる時に役だって
いる。何しろいページに原本4ページが収められているから、字の小ささは想像がつくだろう。
ど
うぶつえん【動
物園】「新明解国語辞典」第四版初刷から6刷まで「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間で
の生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設」とい
う激烈な語釈が書かれていた。
第7刷で「捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌と
により野生から、遊離し、動く標本として都人士に見せる、啓
蒙を兼ねた娯楽施設」と改められた。
これは動物園関係者ならずとも神経をさかなでさせる説明である。
面白すぎる辞書といっても、これは行き過ぎだろう。
ぬ
めりかん【ぬ
めり感】辞書の紙の質感として欠かせないものとされる。めくったときに指の腹に自然と吸い付くような感じ。もと「広辞苑」の用語であったが、小説「舟を編む」
で用いられることにより広まった。
三浦しおん「舟を編む」の影響は本書の各所に現れる。もとは「あ
めりかん」の駄洒落かな?
マ
ルモイ こ
とばあつめ(말모이)2019年の韓国映画。オム・ユナ監督。1942年、総督府が朝鮮語学会員を一挙に逮捕し、のちの「大辞典」の編纂が中断に追い込まれた
実際の事件に着想を得たフィクション。
そんな映画が韓国で作られていたとは全く知らなかった説明による
と辞書や朝鮮語そのものより、政治的な取締事件がテーマみたいだ
けど。
や
くもの【役
物】出版・印刷業界の用語で、句読点、括弧、各種記号などの総称。表記欄をかこむ括弧の形の違い、漢字表記につけられた小さな×や▼や=、相互参照の矢印の違
いなどにはすべて編者の伝えたい情報がこもっている。
「役物」というのは活版印刷時代の用語として知ってはいたが、普
段使う時にはあまり留意してなかった。確かに辞書の凡例は、見れ
ば見るほど、編者の努力の跡が見て とれる。
【十
五の夏 1975 上下】 :佐藤優
★★★☆ 2018/03/30 幻
冬舎 初出 「星星峡」2009-10 「ポン
ツーン」2014-17
高校一年の夏休みに、当時としては破格の東欧ソ連旅行をした
時の旅行記。まあ30年後に書かれたものだから、相当な脚
色、資料参照、糊塗も多そうだが、ともかくも
あの時期にこれだけの旅を実行したことには脱帽する。人名、地名、料理、時計、交通機関などへの克明なメモ、オタクぶり(当時はそんな言葉は使われてなかったろう
が)にも驚かされる。
第
一章 YSトラベル 1975年7月21日 エジプト航
空機 カイロ-チューリヒ-チェコスロキ ア
第二章 社会主義国 チューリヒ-プラハ-ワルシャワ-
ハンガリー
第三章 マルギット島 ハンガリー
第四章 フィフィ ハンガリー
第五章 寝台列車 ルーマニア-キエフ(ソ連)
第六章 日ソ友の会 モスクワ 日本での回想
第七章 モスクワ放送局
第八章 中央アジア サマルカンド-ブハラ
第九章 バイカル号 ナホトカ
第十章 その後
1
週間ちょうどで、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマ
ニアのビザが揃った。その間に、羽田空港
の検疫所に行って、僕はコレラと天然痘の予防接種を受けた。舟津さんは、ルーマニアのブカレストから、夜行寝台列車でキエフに入り、キエフからさらに夜行寝台
列車でモスクワ、モクスクワから飛行機で中央アジアのサ
マルカンド、ブハラ、タシケントに行き、タシケントから
ハバロフスクまで飛行機、ハバロフスクから予行
寝台列車でナホトカ、ナホトカからソ連客船バイカル号で横浜に戻ってくる日程を組んでくれた。総費用は17万円くらいだった。思ったよりもやすかったが、それ
は寝台列車は硬席、ホテルはシャワーだけのツーリストク
ラス、船は六等など、いちばん安いクラスを予約したから
だ。(第一章 YSトラベル)
そもそも当時格安チケットを取ることも、簡単ではなかったは
ずなのに、自分で旅行社を訪ね、協力者に出会い、綿密なプラ
ンをたてるあたり、すでに只者ではない。
「放
送する原稿の翻訳は、袴田さんがやってくださっていま
す」
「袴田陸奥男です」と言って、男は僕の手を強く握った。
目をあわせると、袴田氏はすっと逸らせした。
「いつも放送を聴いていただいて、どうもありがとうござ
います。まだ仕事が残っているので失礼します」と言って
部屋を出ていった。
「袴田、袴田……、どこかで聞いたことがる名字だ」と僕
は心の中でつぶやいた。レービンさんに僕の心の声が聞こ
えたようだ。
「そうです。日本共産党中央委員会副委員長の袴田里見さ
んの弟です」
「というと、日本共産党員ですか」
「違います。袴田さんは民族的には日本人ですが、国籍は
ソ連です。従ってソ連の選挙権と被選挙権を持っていま
す。ソ連共産党員ですモスクワ放送局では、西野さ
んや松本さんなどの外国人を除けば、ほぼ全員がソ連共産党員です」
「袴田陸奥男さんは、どうやってソ連に移住したのです
か。戦前にぼうめいしたのですか」
「戦前じゃないです。戦争末期にソ連軍の捕虜になりまし
た。現在は翻訳家として活躍しています。モスクワ放送で
日本語で報じられるニュースは、すべて袴田さん
の翻訳したものです。その翻訳を私が、少し書きなおして、放送用の原稿に整理します」(第七章 モスクワ放送局)
中学生の頃からソ連の国際放送を視聴し投書もしてるというオ
タクぶり。そして袴田陸奥男のことは、つい最近読んだ関川夏
央の「人間晩年図巻」に出てきたばかりだっ た。
酒
匂さんは,いろいろなことを知っていて、自分の考えもあ
るのだろうが、それを人におしつけること
はしない。こういう教師から歴史を学ぶ生徒は幸せだと思う。
「朝鮮語を勉強したことはありますか」
「ありません」
「ハングルを読めるようになるだけならば、それほど時間
はかからない」
「韓国では漢字を使うが、北朝鮮ではまったく使わないと
いう話を聞いたことがあります」
「一昔前まではそうだった。だから、韓国で出ている新聞
や雑誌は、漢字で内容を推察することができた。しかし、
現在は韓国でもハングル一本化が進んでいる。日
本語の延長ではなくまったく別の外国語として、初歩からていねいに勉強しなくてはならない。それから、韓国語と朝鮮語の間には無視できない差異がある」
「お互いに意思疎通ができないほど違いがあるのでしょう
か」
「一部の単語がわからないだけで、意思疎通には支障がな
い」
「単語に違いがあるのでしょうか」
「ある。特に固有名詞で差が大きい。こ『国家と革命』
は、当然のことながら、北朝鮮の言葉で書いてある。表紙
にモスクワ、プログレス出版所と記されているが、
表記はモスクバーになっている。北朝鮮の表記だ」
「韓国の表記だとどうなるのでしょうか」
「モスコーになる。他にもハンガリーは朝鮮語ではウェン
グリヤ、韓国語ではハンガリだ」
「北朝鮮で外国の地名はロシア語読みなんですね」
「そうだ。ヘリコプターは韓国語ではヘリコプターだあ、
朝鮮語ではベルタリョートだ」
「日本では、朝鮮語と韓国語の学習書は、どちらの方が普
及しているのですか」
「韓国語の方が多いと思う。三省堂の『わかる朝鮮語』
は、朝鮮語の表記だが、韓国語も読めるように配慮したて
いねいな作りになっている。辞書はほとんどが韓国
語ベースだが、大学書林から出ている『朝鮮語小辞典』は、単語のスペルも配列も北朝鮮の基準に基づいている」
「配列?」
「そうだ。文字の配列が、韓国と北朝鮮では異なる。ある
民族の文化を理解するためには、その国の文化をきちんと
べんきょうしなくてはならない」
「だから、酒匂さんは、英語、フランス語、ドイツ語に加
えてロシア語、朝鮮語を勉強しているのですね」
「努力はしている。しかし、きちんと理解しているのは英
語とフランス語だけだ。ドイツ語と朝鮮語になると読むこ
とはできるが、話すことはまったくできない。ロ
シア語はまったくの、入門レベルだ」(第八章 中央アジア)
帰りの船で出会った知識人との会話。とても高校生の会話とは
思えないし、全く知らない朝鮮語に関してのやりとりだけで
も、ちょっとレベルが違いすぎる。
初
めて食堂に入った。100人くらいは収容できる大食堂
だ。サーモンステーキかカニコロッケだった
ので、僕はカニコロッケを選んだ。
まず、サラミソーセージとチーズの前菜に、生のキュウリ
とトマトが出た。いずれもソ連産の食材だ。それに続い
て、スープが出た。サリヤンカだった。キュウリの
ピクルス、黒オリーブ、それに細かく切ったソーセージがたくさん入っている。これだけで、お腹がかなりふくれた。続けてメインディッシュのカニコロッケが出て
きた。大きなコロッケが2個、皿の上に載っている。僕は
日本でよく食べるカニクリームコロッケのようなものを想
像していたが、まったく異なっていた。パン粉を
つけて揚げた衣にナイフを入れると、カニ肉が噴き出してきた。材料はタラバガニの缶詰のようだ。カニ肉を堅く握って、それにパン粉の衣をつけて揚げたようだ。
マヨネーズをつけて食べるとなかなかおいしい。ソ連旅行
中にも一度も食べたことのない料理だった。ウエイトレス
はコーヒーとともにデザートのアイスクリームを
運んできた。スグリのジャムが山のようnかかっている。(第九章 バイカル号)
料理に関する知識と濃度を知るためおn一つの例として引用し
ておく。
Morris.の韓国旅行記とは、色んな意味で全く異次元の
う紀行文で、ちょっと妬ましくなった(^_^;)
職
業作家になった今日も僕は神学の研究を続けているし、ロ
シアにも関心を持ち続けている。現在は同
志社大学神学部の客員教授として後輩に神学を教えているが、授業中に15の夏のときのソ連・東欧旅行の話をときどきする。そして、若き神学生たちに「若いうち
に外の世界を見ておくと、後でそれは必ず生きる。そのこ
とをきっかけにして、自分がほんとうに好きなこと見つか
るかもしれない。ほんとうに好きなことをしてい
て、食べていけない人を僕は一人も見たことはない。ただし、中途半端に好きなことではなく、ほんとうに好きなことでないとダメだよ。15の夏にソ連・東欧を旅
行したことは、今になって振りかえると、僕が一生かけて
追いかけることになるフロマートカという神学者と出会う
ために神様が準備してくださった道だったのだと
思う」と話している。(第十章 その後)
「本当に好きなことなら、それで食べられないことはない」と
いうのは、同志社の恩師の言葉の受け売りらしいが、その言葉
はすなおに肯いたい。
【続
堕落論】 坂口安吾 「文
学季刊」1946年12月号
安吾は1941年に「堕落論」の同じタイトルで、4月に「新
潮」、12月に「文学季刊」に発表している。紛らわしいからか?
後者は続堕落論」と表記される。最近
あらためてこれを読み返す機会があって、明日、8月15日を迎えるにあたって、今一度読み返すことは無意味ではないと思い、引用しておく。
昨
年8月15日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救
われたと人々は言うけれども、日本歴
史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本
能的に知っており、我々国民またこの奥の手を本能的に待ちか
まえており、かくて軍部日本人合作の大詰めの一幕が8月15
日となった。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に福祉てく
れという。すると国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だか
ら、忍びがたいけれども忍んで負けよう、
と言う。嘘を付け! 嘘を付け! 嘘を付け!
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹
槍をしごいて戦車に立ち向かい、土人形のごとくにバタバタ死
ぬのんが厭でたまらなかったのではない
か。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせそれが言えないのだ。そして大義名分と言い、また天皇の命令という。忍び難きを忍ぶという。何というカラク
リだろう。惨めともまたなさけない歴史的欺瞞ではないか。し
かも我らはその欺瞞をしらぬ。天皇の停戦命令がなければ、実
際戦車に体当たりをし、厭々ながら勇壮
に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するがごとくに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎れ
ており、そのみずからの狡猾さ、大義名分というずるい看板を
さとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラ
クリ、また、狡猾さであろうか。我々は
この歴史的カラクリに憑かれ、そして、人間の、正しい姿を失ったのである。
(中略)
日本国民諸君、私は諸君に、日本人および日本自体の堕落を叫
ぶ。日本人および日本人は堕落しなければならぬ。
(中略)
人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何
者かカラクリにたよって落下をくいとめすにいられなくなるで
あろう。そのカラクリをつくり、そのカ
ラクリをくずし、そのせつない人間の実相を我々はまず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。
【ア
パレル興亡】黒木亮 ★★★☆
2020/02/18 岩波書店 初出「世界」
2017-19
山梨の農家からオリエント・レディ(高級アパレル会社)を興
した池田定六、同郷の芳美で同社に入り、社長の座を継ぐ田谷
毅を中心に、戦後日本のアパレル業界の変遷
を事実に即しながら描き込んだ労作である。戦後史をアパレル業界を通して体感することができる、ような気がした。
彼の作品の多くには、作品の専門用語一覧がある。そこからラ
ンダムにピックしておく。
・カ
テゴリーキラー
衣料品や家電など、特定分野(カテゴリー)の商品を大量に揃え、低価格で販売する小売業者のこと。カテゴリーキラーが進出すると、その商圏内のスーパーや百貨
店は、そのカテゴリーの縮小や撤退に追い込まれるので、
このように呼ばれる。ユニクロ、青山商事、しまむら、
ビックカメラ、ヤマダ電機、マツモトキヨシ、トイ
ザらスなどがこれに当たる。
・グ
レーディング パタンナーの起こした
型紙を、様々な体型の人に合うよ
うに、拡大・縮小し、多数の型紙をつくる(サイズ展開する)こと。これを行なう専門職をグレーダーと呼び、現在はコンピューターで行われる。
・ス
タン(洋風人台) ボディスタンドの
略称で、デザイン制作、立体裁
断、衣服の試着や陳列などに用いる人体の形をした模型。
実は、Morris.は半世紀前に大坂谷町のディスプレイ会
社に務めたことがあり、主にアパレルテンポの内装を取り扱っ
ていた。ボディスタンドも取り扱ってたが、
「ボディ」と略しても「スタン」と読んだことは一度もない。東京ではそう呼んでたのかな。
・ツ
イード
スコットランドとイングランドの境を流れるツイード河畔を発祥の地とする、太い羊毛を平織りまたは綾織りにした粗くざっくりとした風合いの毛織物。地暑で丈夫
でスポーティ感があり、背広、婦人服、コート、ジャン
パーなどに用いられる。
ツイードが地名とは知らなかった。
・撚
糸(ねん
し) 糸を1本または2本以上引き揃えて縒りをかけること。または縒られた糸のこと。強度、弾力性、風合いを出すために行なう。
・布
帛とニッ
ト 衣料品の素材は布帛とニットに大
別される。布帛は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を
絡めて、追って作った布地のこと。ニットは1本
の糸でループを作りながら編んでゆく編地で、メリヤスとも呼ばれる。ニットは布帛に比べると伸縮性に富み、皺になりにくく製造コストは安い。*これ以外にカッ
トソー(cut and sew)がある。ニット素材の
生地を裁断(cut) 縫製(sew)してつくる衣装。
FablicとKnitと使い分けてはいたものの、ちゃんと
認識してなかった。「織物」と「編物」の違いなのだろうが、
「ニット」というとつい、毛糸の編みものを
連想してしまう。
・マー
チャンンダイザー MD アパレル
メーカーの生命線である商品の企画を担う仕事。他の業界
のプロデューサーに似た仕事。
大坂天満橋のOMMビル「大坂マーチャンダイズ・マートビ
ル}を思い出した。
・ポ
リエステル
麻や絹に似せて開発された石油を原料とする合成繊維。乾きやすく、型崩れしづらく、カビや虫害に強い。幅広い衣料品の製造に使われ、日本における合成繊維生産
量の約半分を占める。
・レー
ヨン 絹に似せて作った再生繊維。昔
は人絹、スフ(スティーブル
ファイバー)とも呼ばれた。パルプやコットンリンターなどのセルロース(繊維素)を水酸化ナトリウムなどのアルカリと二酸化炭素に溶かし、それを酸の中で糸に
紡いでつくる。石油を原料とする化学繊維と異なり、加工
処理して埋めると土に還る。滑らかな肌触り、吸湿性のよ
さ、光沢、染色のしやすさなどが特徴で、明治時
代末期にヨーロッパから輸入された。上着の硬球裏地、婦人用肌着などにも使われる。
ポリエステルは化繊、レーヨンは合繊ってことか。
「ワ
ンレン」はワンレングス(フロントからうしろまでを同じ
長さに切り揃えたヘアスタイル)の略
で、長い頭髪を頭のサイドで分け、片方を肩の前に垂らすのが流行りだ。クラシックでフェミニンなイメージの「JJ」的なニュートラッドである。このヘアスタイ
ルに、パッドでいかり肩にし、ウエストを絞り、短めのス
カートをはいて、ボディラインを強調する「ボディコン」
を組み合わせたものが「ワンレン・ボディコン」
と呼ばれる。
「ワンレン」というのがいまいち理解できてなかったので、今
頃になってやっと理解した(>_<)
黒木らしく多くの参考書を読み込んで、物語に効果的に発表誌
が「世界」なのに、ユニクロのブラック企業体質にほとんど触
れてなかったことに疑問を禁じ得ない。
【三
美スーパースターズ :
最後のファンクラブ】パクミンギュ 斎藤真理子訳 ★★★☆☆
2017/11/15
韓国文学のオクリモノ//著/晶文社 2003年ハンギョレ
新聞社
同じ著者の作品は「カステラ」「ピンポン」と2冊読んでる
が、これがデビュー作らしい。これが一番面白かった。
1982年に創設された韓国プロ野球。仁川を本拠地とする三
美スーパースターズのファンクラブの少年の回想が、時にはお
ちゃらけ、時にはシリアスに語られる。読み
始めた時はコメディと思ってたのだが、後半になるほどに社会問題、労働問題、更に人間の生き方にまで発展? するあたり。脱帽である。
82
年の動きを見れば、その証拠がはっきり読み取れるから
な。
韓米頂上外交の裏取引?
そうだよ、ニュースで言ってたのは表面上のことばっか、
つまり抜け殻にすぎない。あのとき本当に取引きされたの
は、ノーランズとプロ野球だったんだよ。
ノーランズとプロ野球?
そうとも。あの頃も今も、政権を握っている連中の考えな
んてわかりきったことさ。当時のあいつらの悩みは、どう
やったら国民が、当然の任務としてもっといっぱ
い働いてくれるかってことだったんだ。それはまさに、アメリカの悩みともぴったり合致してたんだ。アメリカの主力産業が何だか考えてみろ。そうすれば答えは簡
単だから。
自動車とか石油……とか?
違うよ。そんなのはみんな抜け殻にすぎないんだから。ア
メリカの主力産業は資本主義のフランチャイズだよ、フラ
ンチャイズ! わかるかい? その一環として、
ちょうど82年が修好100周年を記念する都市d去ったこともあってノーランズとプロ野球が一緒に導入されたんだ。
当時の韓国人が、「プロ」が何なのかぜんぜん知らない
し、「セックス」なんて言葉は恥ずかしくて口にもできな
かったってことだよ。
このころすでに中央情報部では「プロ」の世界に関するイ
メージトレーニング作業を成功裡に終えていたんだ。アメ
リカの経済新自由主義を土台にして、日本の企業
経営理念やビジネス書なんかが大いに参考されたのさ。
奴らは続いて、とうてい理解できないようなプロのスロー
ガンを作り出していった。プロの世界は冷徹だ。プロは最
後まで責任をとる。プロの世界は弱肉強食だ。プ
ロの世界に言い訳は通用しない。プロは休まない。自己管理はプロの基本だ。プロは限りなく自分自身を開発する。プロは能力で語る。プロは眠らない。そして一番
大事なのは、プロだけが生き残れる。
プ
ロの数が多ければ多いほど、奴らが望んでいる世界の条件
も完璧になっていくんだからね。
世界の条件?
そうさ、俺たちはアメリカのフランチャイズなんだから。
いつだってこの点を忘れちゃいけない。「搾取」は俺たち
が思うほど辛いものじゃなかったんだ。実際の搾
取は堂々たる姿をしてて、俺たちのプライドを育んでくれたし、小さな達成感と幸せを感じさせてくれた。それは大きな拍手の音に包まれて、俺たちがおもったより
もずっと形而上学的に成立していったのさ。そこにどんな
に巨額の保証金がかけられていたかは、IMF危機で俺た
ちも気がついたじゃないか。これがこの世の条
件、韓国の条件なんだ。
つい最近読んだ「小人が打ち上げた小さなボール」の舞台ウン
ガンが仁川をモデルにして、公害と労働問題がテーマだった。
本作品とは30年の径庭があるが、深いとこ
ろで繋がっている感じがした。偶然この二作を読んだことになるが、必然だったのでは、という不思議な因縁を感じる。
今
年の夏は何でこんなに長いんだ。
と思い、そして僕は初めて、時間は本来、溢れんばかりに
たっぷりと流れているのだということを悟った。ほんとに
そのころ、時間は文字通りとうとうと流れてお
り、僕はいつも新しい歯磨きの固いチューブを力いっぱい押すような気分で自分の時間を楽しんでいた。神様は実際、人間には持ちきれないほどの長い時間を誰にで
も与えてくれている。つまり誰にでも、新しく買ってきた
歯磨きのチューブぐらい完璧な、豊かな時間があったの
だ。時間がないというのは、時間に追われていると
いうのは--金の代価として誰かに自分の時間を売ったからだった。思い返せば過ぎた5年間、僕が売ったものは自分の能力ではなかった。それは僕の時間、僕の人
生だったのだ。
考えてみれば、人生の全ての日は休日だった。
「Time is Money」などという呪いの格言を乗り
越えて「Time is Mine」を取り返そう。「毎日が
夏休み」(大島弓子)を思い出した。今の
Morris.は比較的この状態に近い(^_^;)
本書を読んで三美スーパースターズの応援歌が「沿岸埠頭」と
いうことを知った。ヨンモクくんがこの歌好きだと言ってた。
レパートリーに加えたい。
本
書の魅力は引き出しが多いことだ。スポーツ小説でもあ
り、極上のジュブナイルでもあり、主人公が
成長していくオーソドックスな教養小説であり、切ないラブロマンスでもあるし、同時に現代韓国のユニークな年代記でもあり、小説の形をとった社会批評でもあ
る。実を言うとジュークボックスでもある。(二章の各節
のタイトルはすべて、70~80年代のヒット曲のタイト
ルにちなんでいる)
そして何よりも、本書は韓国人への応援歌である。(訳者
あとがき)
訳者の斎藤真理子は安定した訳文を提供してくれるし、彼女の
作品選択眼は信用できる。
【人
間晩年図巻 1995-99】関川夏央 ★★★
2016/06/28 岩波書店
同じシリーズの2冊めだが、本元の山田風太郎の労作とは
かなりかけ離れたものになってる感じ。
採り上げられた人物も、何となくMorris.の関心外
な人が多かったのも低い評価の一因となったようだ。
それでも、関川ならではの、ユニークな視点や、エピソー
ドもいくらかあったし、おしまいの寺尾五郎の項は、在日
朝鮮人の北朝鮮への「帰国運動」と、拉致問題の裏表
を暴いてくれて教えられるところ多かった。
劇場版アニメ「ルパン三世 カリオストロの城」
(1979)に出演するとき、9歳下の監督宮﨑駿に
「おちゃらけたアドリブはいらない」と釘をさされ
た。ルパン
の造形に絶対の自身を持っていた山田康雄は大いにむくれ、反抗的言辞を弄した。しかし音入れ前の作品試写でその質の高さに瞠目、宮崎に無礼を詫びた。(山田康
雄)
声優についてはほとんど無関心のMorris.でも、山
田康雄=ルパン三世くらいは知ってたがこのエピソードは
初めて知った。
1984
年「つぐない」は150万枚、85年「愛人」50万
枚、86年「時の流れに身をまかせ」
200万枚、三曲とも荒木とよひさ作詞、三木たかし作曲であった。
85年、NHKで放送されたソロ・コンサートは官女
の再考のパフォーマンスといわれる。(テレサ・テ
ン)
テレサテンファンとしては、このコンサートは落とせな
い。
日
本共産党幹部・袴田里見の弟で、ソ連共産党と日本共
産党の連絡役を果たした袴田陸奥男は帰国しな
い道を選んだ。55年生れで、ソ連邦崩壊後のロシアで自由主義の旗頭のひとりと目されたイリーナ・ムツオヴナ・ハカマダは袴田の娘であった。(浅原正基)
これは、佐藤優の「十五の夏 1975」に登場、という
か、高校1年生の佐藤がソ連でこの人物と出会ったことが
書いてあったので印象に残ってた。
村
の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅
ベースボール遠く見て言う野菊かな
花びらの出て又入るや鯉の口
晩春や下宿のギターつたなくて
すだれ打つ夕立聞くや老いし猫
乱歩讀む窓のガラスに蝸牛
お遍路が一列に行く虹の中 風天
風天は渥美清(田所康雄)の俳号、彼の俳句の原点
は、尾崎放哉の自由律の句である。
渥美清は句会にいつもひとりで、ひっそりとやって来
た。出される避けや料理には手をつけず、腕組みして
壁の方を向き、静かに句を練った。そして座が果てる
と、 すっと消えた。(渥美清)
渥美清が俳句を嗜んでたことは知っていたが、放哉に親し
んだというのがよく分かる句である。
淡
路恵子は錦之助と再婚する前、60年に一度結婚して
いる。相手は50年代に日本のジャズシーンを
リードしたフィリピン人歌手、ビンボー・ダナオで、二人のつきあいは長かった。しかし彼はカトリックの既婚者で本国に妻と4人の子どもがいたため、正式な結婚
はできなかった。65年、夫の浮気と浪費癖が原因で
別れた。(萬屋錦之介)
ビンボー・ダナオという名が出てきたのに驚かされた。
日
米安保条約の新旧の条文を読んで、海底問題の本質を
知ろうとしたものはいなかった。当時「全学
連」の中心にいた西部邁も詠まなかった。条文を丁寧に読み、「片務性」を解消するという意味で新安保は旧安保より優れていると見たのは、石原慎太郎の周囲では
江藤淳ひとりだけだった。
79年から80年にかけて国際交流基金派遣の研究員
として二度目のアメリカ滞在をしたとき、江藤淳は日
本占領時代のGHQの検閲の実態調査のため、占領時
代の
資料が保管さrているメリーランド大学に通った。そこで彼は「全文削除」となった吉田満『戦艦大和ノ最期』のゲラを発見した。いま私たちが『戦艦大和ノ最期』
の全文を読めるのは江藤淳のおかげである。
--江藤淳の書きものにさしたる関心がなかった自分
だが、と私(関川)は前置いて編集者にいった。先日
必要に迫られていくらか読んでみた。彼の書きものは
若い
ときのものほどよく、23歳で書いたという『夏目漱石』にはおどりた。文学全集の「解説」などで、読むに値するものを多く書いた文gねい評論家は彼だけかもし
れない。(江藤淳)
60年安保で、条文を読まずに「気分」で運動に参加した
大多数とは一線を画した存在、そして、「戦艦大和ノ最
期」のゲラを発見したのが江藤淳だったというのは驚き
である。
Morris.は江藤淳が第三の新人の作品を論じた「成
熟と喪失」を高校時代に読んで衝撃を受けたことを今でも
覚えている。作品論というより「母親の喪失」という
ところに過剰反応したのだろう、と、今となっては思う。
1959
年に北朝鮮紀行『38度線の北』を書いて、在日コリ
アンの「帰国運動」を大いに後押し、あ
るいは扇動した寺尾五郎は、1999年に大腸がんで亡くなった。78歳であった。
58年9月の第十回建国記念日、金日成が「在日同胞
の帰国を援助し、帰国後の生活を保証する」と演説す
ると、在日コリアンの「帰国熱」は異常な高まりを見
せ
た。訪朝中の寺尾五郎はこの演説を平壌で聞いた。
当時の日本人の少なくない部分が、北朝鮮の生活は日
本よりましではないかと考えたのは、共産主義幻想に
加えて北朝鮮の宣伝の成果であった。
帰
国第一船のソ連籍船が新潟港を出航したのは59年
12月14日である。すでに58年11月には
「在日朝鮮人帰国協力会」が浅沼稲次郎、太田薫、鳩山一郎ら超党派で結成され、「民族主義」への好意のみならず、在日コリアンの生きにくさに同情した一般の日
本人も心情的に支援した。だが実際には在日コリアン
一世の99%が済州島、慶尚南北道など南部の出身、
また在日二世の故郷は日本であり、北朝鮮は「寒冷な
異
郷」にすぎなかった。しかし、生活に余裕ある一世らは「新国家建設」に貢献させたいと優秀な子弟を率先して「帰国」させた。
寺
尾五郎らが設立した朝鮮研究所が発行していた雑誌
「朝鮮研究」には、寺尾ゴロ、畑田巍(たか
し)、安東彦太郎らを中心に、上原專禄、藤島宇内、羽仁五郎らの進歩的歴史家と、大村益夫、梶村秀樹、菅野裕臣、長璋吉、宮田節子ら若手朝鮮研究社が寄稿して
いた。
84年佐藤勝巳は朝鮮研究所を現代コリア研究所に改
名、「朝鮮研究」も[現代コリア」と改題した。北朝
鮮のみならず韓国に対しても批評的な論調の「現代コ
リ
ア」は、僅少な部数ではあったが、2006年10月通巻476号で廃刊となるまで一定の影響力を維持した。
<
(問題は)寺尾さんのルポを受け入れる日本社会の風
潮が広く存在していたことである。その
代表例が1960年4月に発売された『北朝鮮の記録--訪朝記者団の報告』だ。朝日、毎日、読売、産経、共同の記者が北朝鮮に招待されて書いたものである。中
身は、帰国者が金日成首相の配慮のもとでいかに幸せ
に暮らしているかの紹介である。「朝鮮よいとこ」と
煽ったのは寺尾さんだけではなかった。メディアの影
響力
は、寺尾さんの本など比較にならない>「「(秘話」で語る私と朝鮮」佐藤勝巳)
佐
藤勝巳は1996年12月、新潟市での講演で、78
年に新潟市の海岸から北朝鮮に拉致された13
歳の少女がいるという元工作員の承元に基づいた石高健次報告(「現代コリア」96年10月号)を紹介した。
すると聴衆中の警察関係者が「それは横田めぐみさん
のことだ」と声を上げた。北朝鮮による拉致テロが日
本人の視野にせり上がった瞬間であった。翌97年、
「北
朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)と、それを支援する「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)が発足、佐藤勝巳は「救う
会」会長に就任した。
しかし2000年代なかば、砂糖は「家族会」の一部
と方針をめぐって対立、また「救う会」にも内紛が生
じて、2008年に「救う会」会場を辞した。
2013年
に肺炎で死亡。84歳だった。(寺尾五郎)
在日朝鮮人の「帰国運動」のことは、知るほどに胸糞の悪
くなる話である。「寺尾五郎」という名前は忘れていた
が、こういった北朝鮮の提灯担ぎは、個人にとどまら
ず、多くのメディア、思想家の間にも蔓延していた。日本政府の機会主義を利用した金日成の策謀(と断定してもいいだろう)に、手もなくのせられてしまった犠牲者を
思うと、憤懣やるかたない。これは拉致問題にも繋がって
くる。
1995
年は阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリ
ン事件の年である。その頃すでに高齢化
比率世界一の日本は人口減少前夜にあった。
私たちの消費意欲は衰えた。すなわち経済規模の拡大
が見込めない時代に入った。
ネットが普及して「紙の文化」が終焉に近づいたのも
この時期である。「情報」は事実上タダになった。
「文学」も「情報」だと考えれば、それにお金を払う
人がま
れになるのは自然だ。二百余年前に世界に先駆けて成立・隆盛した日本の出版産業は急速に退潮へと向かうのだが、やっぱり怖いから気づかないふりをしてやりすご
し、いまになって自失している。(あとがき
2016)
たしかに1995年はMorris.にも忘れられない年
だった。
【石
井桃子のことば】中川李枝子ほか
★★★ 2014/05/25 新潮社
とんぼの本
石井桃子といえば、日本の子供の本の大御所みたいな存在で、
ある意味敬して遠ざけるみたいなところがあった。彼女の代名
詞みないになってる「くまのプーさん」の世
界にいまいち馴染めなかったのが敗因? かもしれない。それでも彼女が手がけた数百冊の絵本、子供の本は壮観であることは間違いない。うさこちゃんシリーズ、ピー
ターラビットシリーズ、ファージョンとMorris.も愛読
したものも両手に余る。
しかし、「ちいさいおうち」に集約されてしまう(^_^;)
・
幸福とは思ってませんけどね 幸運だとおもっています
・私のなかには、今でも5歳の時の自分が棲んでるの
・どうしたら平和のほうえ向かってゆけるだろう、と、人
間がしているいのちがけの仕事が、「文化」なのだと思い
ます
・子供って同じ話を何度でも喜んで聞くんですね。昔話は
何百年と伝わってきた人類の宝物です
・私がいままで物を書いてきた動機は、じつにおどろくほ
どかんたん、素朴である。私は、何度も何度も心の中にく
り返され、なかなか消えないものを書いた。おも
しろくて何度も何度も読んで、人に聞かせて、いっしょに喜んだものを翻訳した
略年譜
1907(明40) 3月10日埼玉県浦和町生れ
1928(昭3) 日本女子大学英文学卒業
1929 文藝春秋社入社
1933 文藝春秋退社 犬養家で「クマのプーさん」に
出会う
1940 友人と始めた白林少年館から「たのしい川邊」
「熊のプーさん」刊行
1941 「ドリトル先生アフリカ行き」
1942 このころ「ノンちゃん雲に乗る」執筆
1950 岩波書店入社
1951 「ノンちゃん雲に乗る」ベストセラー
1954 岩波書店退社。財団研究員としてアメリカ、カ
ナダ、ヨーロッパの図書館、出版社を見学訪問
1964 「ちいさなうさこちゃん」シリーズ
1971 「ピーターラビット」シリーズ
1974 「東京子ども図書館」財団法人認可
1976 ファージョン作品集
1981 「幼ものがたり」
1995 「幻の朱い実」
1997 「東京子ども図書館」名誉理事
1998 「石井桃子全集」刊行開始
2008(平20) 4月2日逝去 享年百一
【ブ
タの丸かじり】東海林さだお
★★★☆☆ 1995/02/01
朝日新聞社 初出「週刊朝日」1993-4
丸かじりシリーズ10
東海林さだおといえば、Morris.は漫画家としてよ
り、漫筆家として評価している。特に食に関するエッセイ
に関してはその飄逸さ、視点のユニークさ、表現の多
彩さ、我田引水ぶり、奔放さにおいて際立っている。一家をなしているといえる。その中でも「丸かじりシリーズ」は一押しのエッセイ集だろう。今は無き「週刊朝日」
の連載が始まったのが1897年で、現在までシリーズは
続いているようだ。今回Morris.が読んだのは朝日
新聞社刊の単行本で、現在は文集文庫で大部分を読む
ことが出来る。久しぶりに読んで、リアルタイムで読んだおぼえがあるものもいくつかあった。そのうちの一つ、「滅びるなかれ大根おろし」の一部を引用しておく。
お
ろし界の大立者といえば、しらすおろし。なめこおろ
し。いくらおろし。特にしらすおろしは、おろ
し界の傑作だと思う。海の塩気。大地の清涼。野菜からの水気。そこの加わるかすかな海の蛋白。水気ににじむ醤油。ちりばめられた繊維の歯ざわり。点々と散財す
るかぼそい魚肉の歯ごたえ。そして全体を貫いている
大根の辛み。
かくして、もう一杯は、白玉の歯にしみとおって口中
をかけぬける。
さらに、大根の消化酵素群、ジアスターゼ、タカラー
ゼ、オキスターゼたちが、胃の中にすでに収まってい
る澱粉たちを、ホイキターゼ、ソラキターゼと消化し
て
いき、澱粉たちも、マカシターゼ、タノンダーゼと彼らを励ます。
さらに、ワサビと同じ成分の辛みのもとシニグリン
が、死ニモノグリンになって食欲を増進させてくれ
る。
大根おろしというものは、特に目立つ存在ではない
が、日本のおかず界を陰で支えている大物である。
大根をおろす作業はあまりに不安定要素が多すぎる。
左手で大根おろし器をしっかりつかみ、容器にしっか
り押しつけ、右手でしっかり大根を握り、その大根を
大根おろし器にしっかり押しつけ、しっかり上下に振
り動
かす。この""しっかり"をおろそかにすると、すべての作業が破綻する。しっかりの部分で、しっかり疲れてしまう。そのうえ、揺り動かしても、揺り動かして
も、生産される大根おろしの量があまりに少ない。
大根おろしがいかに大変かは、大根をおろしたあと、
とろろ芋をおろしてみるとよくわかる。なんでこんな
にスイスイと楽におろせるのか、不思議な気さえす
る。
30cmぐらいの長芋でもアッというまにおろせてしまい、力あまって、
「あと30本持ってこい」
と、怒鳴っているおとうさんもいる。(いないか)
いま、子供の苦労は絶滅しようとしている。お母さん
はすり鉢を使わなくなったし毛糸も編まなくなった。
布団も打ち直さなくなったし、雑巾をかけるべき廊下
もな
くなった。唯一残ったのが大根おろしである。もちろん、フードプロセッサーなどで大根をおろすことは可能だ。
一度やってみるとわかるが、これだと全然味がちが
う。繊維がザラザラと舌にあたっておいしくない。
それより何より、苦労の保存は大切である。
かろうじて滅びずに残った苦労、大根おろしの保護育
成に、全国の父母はいまこそ立ちあがらなければなら
ない。 (滅びるなかれ大根おろし)
10巻目を一区切りとして、巻末に17ページにわたる
「丸かじりシリーズ総索引」が付されている。これもすご
い。朝日新聞(週刊朝日)のリキの入れ方がわかるし、
シリーズ10冊揃えたくなる気持ちにさせられる
(^_^;)
【日
本とドイツ 二つの戦後思想】仲正昌樹 ★★★☆☆
2005/07/20 光文社新書213
仲正昌樹 1963年広島生れ。社会思想史・比較文学専攻。
東大入学と同時に統一教会に入り、11年後に脱会して学者の
道に。「貨幣空間」「ポスト・モダンの左旋
回」「歴史と赤蟻」「お金に「正しさ」はあるのか」「なぜ「話」は通じないのか」
日本の戦後史に関しては結構いろんな本に目を通しているのだ
が、ドイツとの比較でここまで両者の特徴が際立つとは思わな
かった。
対
立し合っている二つの陣営が実は同じ前提を無自覚的に共
有していることを、二項対立という。
ドイツ・モデルを拒否する右派の人たちは、「歴史教育」
に見られるドイツの道徳性が必ずしも高くないことを強調
し、それを無理に持ち上げようとする「左派の虚
妄」を叩くという戦略を取るわけだが、私に言わせれば、彼らの議論もまた暗黙の内に、左派とほぼ同じ前提の上に立っている。それは、「『過去の反省』のモデル
として採用するのなら、道徳性の極めて高い国にすべきで
ある」という前提である。
恐らく、日本の戦後責任問題については左右双方とも依然
としてかなりのパイアスがかかっていて、なかなか本当の
意味で現実主義的な見方ができないということ
と、カント、ゲーテ、ワーグナー、マルクス、ニーチェ、ヒトラー……など様々な意味で"極端"な人たちの祖国である「ドイツ]に対する「神秘的にして観念的」
というステレオタイプ化されたイメージが相俟って、冷静
な比較が妨げられているような気がする。
ドイツと日本の戦後思想は似ているように見えて、微妙な
ところで無視し得ない「違い」を示しているがその違いを
可能な限り、歴史的・政治的な事情に即して分析
することを試みるつもりである。また、そうしたドイツとの対比を通して、日本が「自らの過去」に対して曖昧な姿勢を取り続けているというのは、そもそもどうい
うことであるのか、できる限り具体的に書き出してみた
い、と少々欲張りなことを考えている。(はじめに 二つ
の「戦後」)
「二項対立」にそんな意味があるとは思えなかった
(^_^;)
絶
対的な主権が存在しない国際関係において紛争が生じた場
合、特に国家間で戦争が起ったとしても、
どちらの言い分が「正しい」か最終的に判定する審級はない。戦争の勝ち負けが決った時点で、負けたほうが勝った方に対して、何らかの形で「賠償
reparation」を行なうことで決着を付けるしか
ない。「賠償」することになる敗者の方に非があったよう
に見えるが、それは、裁判のような法的論議の帰
結ではなく、「強い者勝ち」であることを事後的に正当化したに過ぎない。国内の紛争の「解決」とは根本的に異なる。
審
級 訴訟事件を、異なる段階の裁判所で繰
り返し審判する制度における裁判所
間の審判の順序・上下の関係。日本では三審級をとっている。(大辞林)
現
存するほとんどすべての国の国家主権と法体系は、程度の
差こそあれ、もともと強い者たちによる既
得権保持のために作り出されたものである。戦前の大日本帝国憲法も、明治維新の勝者たちによって勝手に作られたものであり、別に全「国民」の自発的な[合意」
によって形成されたわけではない。
と、いうことは日本の現行憲法の既得権保持者はGHQ=アメ
リカということになるのかな。
日
本では、真っ向から対立し合っているはずの反米左派と超
保守派が、このような(現実主義ではない
という意味で)完全主義的な議論を通して"ほぼ同じ結論"に至ることがしばしばある。それこそが、二項対立である。
極左と極右が酷似してたなんてことも。
「人
道に対する罪」(ホロコースト)に対する国家の責任が最
初から極めて明確に規定されていたドイ
ツの状況と比べると、日本の場合、「人道に対する罪」をそもそも国家として受け入れたのかどうかが最初から曖昧である。判決文の中でも「人道に対する罪」とい
う言葉はつかわれていない。そのため戦前の日本が、そも
そも「人道に対する罪」を犯したのかどうか、対外的にも
はっきりしていない。
「人道に対する罪」」は日本の、韓国や台湾に対する植民
地支配や帝国臣民への同化政策のようなものには、うまく
当てはまらない。731部隊による捕虜などに対
する人体実験は、明らかに、ニュルンベルクの医師裁判で裁かれたのと同じ種類のはんざいであると考えられるが、これについても連合国側は軍事裁判の俎上に載せ
ておらず、日本の司法でも責任を追求されなかった--薬
害エイズ事件で有名になったミドリ十字の創設者である内
藤良一・元軍医中佐も731部隊の元幹部であっ た。
「東京裁判」の矛盾はいくらでも出てくるが、「悪魔の飽食」
の731部隊や岸信介などとの裏取引もその一つである。
戦
後のドイツと日本の戦後責任の捉え方の違いを、非常に"
分かりやすく"例えれば、極めてはっきり
した大悪事を犯したため周りから徹底的に追求されたせいでことの善/悪をよく理解するようになった元大悪人Aと、Aと比べるとそれほどはっきりしない中途半端
な悪事を働いたため周りから中途半端に責められて、やは
り中途半端な善/悪の基準しか持っていない元中悪人Bと
いう感じになるだろう。
おいおい、その比喩はちょっと……(^_^;)
戦
争犯罪の責任者を処罰したり、被害者に対して補償を行な
うことと、自らも負っている罪について道
徳的・宗教的に内省するのは、別のことなのである。
日本の戦争責任をめぐる論争ではしばしば、「謝罪、反
省」という個人の内面の問題と、国家全体の方針としての
法的・政治的な「解決」が渾然一体とした形で語ら
れる。
こうした不毛な混乱が未だに続いているのは、戦後日本に
ヤスパースのように議論の筋道を付けてくれる思想家がい
なかったせいではないかと思う。
中国、朝鮮/韓国、台湾、東南アジアへの日本の補償と反省の
曖昧さが、今の日韓関係のギクシャクに繋がる。
戦
後の日本では、国民すべてが悪いのか、それともA級戦犯
だけが悪いのか、という極めて単純な二項
対立図式になりがちである。
"日本的反省"のいいかげんさを表すものとして広く人口
に膾炙している「一億総懺悔」。この言葉の出所は、戦後
最初の首相に任命された皇族出身の東久邇稔彦
(1887-1990)が。1945年8月の記者会見で語ったとされる。この発言は、そもそも旧植民地やアジア諸国の人々に対して損害を与えたことに対する
「罪の懺悔」という文脈ではなく、どうして「敗戦」した
のかという文脈で出てきたものである。戦時中の「闇経
済」に見られる国民の「道義の頽廃」のせいで戦意
が上がらず、戦争に敗れた以上、敗戦で国民が苦労するのは仕方ないということである。つまり「懺悔」という一見宗教的な用語を使っているものの、「敗戦責任
論」としての「総懺悔」であって、他者に対して犯した
「罪」を悔い改めるという話では毛頭ない。戦争を始めた
こと事態が悪いという議論でさえない。東久邇発言
に限らず、終戦直後の「責任」論のほとんどは、「敗戦という嘆かわしい結果」に至った原因の説明に集中しており、ドイツの場合のように、国家の利害や戦争の勝
敗を超えた「人道に対する罪」のようなものが議論の俎上
に載せられたわけではない。
無論、一億総懺悔などで論じられた「「敗戦」には、「敗
戦のために悲惨な生活を強いられている国民の現状」とい
うことが不可避的に含意されていた。
日本での議論が、主として「国民」の「内部」にいる"犠
牲者"に対する責任にむけられ、その「内部」からは、旧
植民地であった朝鮮半島や台湾、あるいはアメリ
カの占領統治下に置かれた琉球はいつのまにか除かれていた。そのため日本での「戦争責任」論は、最初から「国民国家 nationn-state」の枠内で
の、仲間内での責任追及という閉鎖的な性質を帯びていた
のである。
権力者による責任隠蔽としての「一億総懺悔」論を批判す
る声があちこちで上がった。しかし、そうした批判論の多
くは、主として権力者に責任があることを強調
し、間接的に一般国民を「被害者」の立場に置こうとするものであった。「一億総懺悔」はその反作用として、「一般国民=被害者」という見方を強化するという逆
説的な効果をもたらした。
「一億総懺悔」というキャッチコピー(>_<)
の罪は深い。けっ!!
日
本の場合、国家の核である「天皇制」が残存していたう
え、一般国民の間でも天皇制そのものまでも
否定しようとする声がそれほど大きくならなかったこともあって、"無理な戦争をやった政府や軍閥"などの問題を飛び越えて、「天皇=国体への忠誠心を示すため
に死んだ」こと自体は貴い、という武士道的な"倫理"が
成立する余地が多少なりとも残されていた。皮肉なこと
に、もともと天皇の名の下に始まった戦争に対する
責任を追求していたはずのGHQが、日本の間接占領統治をスムーズに進めるという目的のために、旧体制の象徴である天皇を極東国際軍事法廷の戦犯から除いたこ
とによって、こうした"倫理観"が間接的に裏書きされる
ことになった。
このようにして戦犯を始めとする政府・軍首脳だけが加害
者で、天皇も一般国民も、無理やり巻き込まれた被害者で
あるという日本的な"戦争責任"論が展開するこ
とになったのである。
巧妙なすり替え技術。負のゲマインシャフトにして狡知のゲゼ
ルシャフト。
「核」
の問題に限定すれば、日本は被害者である。この被害者イ
メージの中で、一般国民が植民地政策
や戦争遂行を支えたという事実が背景に退いていき,「無辜の民を戦争に導いてしまった権力者の暴挙を二度と許さないよう監視つづける」ことが、日本国民にとっ
ての過去の反省であるという内向きの目標設定に繋がる。
一般国民もまた、アジアの諸国の戦争犠牲者と同様に、大
日本帝国の権力者たちが始めた戦争の被害者なの
である。
アジア諸国に対する加害性を、"戦争責任"論の焦点から
外してしまう傾向に関しては、国家としての戦争責任をそ
もそも認めたくない保守派と、一般国民の責任を
あまり強調したくない革新派密かに協働する図式が成立していたわけである。
ここでもまたずる賢い国民性が。
台
湾や韓国を植民地化した過程と、満州事変を機に傀儡国家
としての満州国を創設した過程、日中戦争
から太平洋戦争へと突入していく過程は、必ずしも直接的に繋がっているっわけではなく、一般国民の加担の仕方も段階ごとにかなり異なるので、一般国民のアジア
諸国に対する加害者性を歴史的に検討しようとする場合、
どこまで遡って考えるべきか、かなり難しいところがあ
る。ここ数年、日露戦争時の一般国民の熱狂、関東
大震災の際の朝鮮人虐殺、満州開拓、国家総動員体制への国民の自発的参加、従軍慰安婦問題……など、個別の問題についての研究や議論はそれなりに盛んになって
いるが、国民が東アジアへの侵略もしくは進出にどこまで
自発的に参加していたのか全体像を明らかにするような議
論の枠組みは形成されていない。(第一章 二つ
の「戦争責任」)
ここ、重要。
天
皇が統治権の総攬者であるという明治憲法の規定が効力を
失ったからといって、文化的統一体として
の「国体」が揺らぐことはないというのである。こうした和辻の文化論的な「国体」論は、政治家や法学者の間で取り沙汰されていた「国体の変更」から明らかにズ
レているが、終戦直後の日本の曖昧な状態にうまく対応し
ていたのではないかと思われる。天皇を国家元首とする
「国家」は法的に見ればもはや存在しないが、天皇
を象徴的な中心とする文化的共同体としての「国民」は継続しており、そのことを新憲法も認めている。
しかも極めて逆説的なことに、敗戦によって植民地として
の台湾を朝鮮半島を失い、沖縄が米軍による直接統治下に
移されたことによって、「日本」として残された
領域では、ほぼ「国民国家」と言ってよい状態が再現されることになった。この文化的純度の高まった「国民]をまとめる、まさに「象徴」としての役割を、少し前
まで「国・家」の家長としての位置にあった天皇が果たす
ことになったわけである。
なんたって新憲法第一条が天皇だもんな。
ド
イツに残った知識人たちは、戦後日本の知識人には考えら
れないような突き詰め方で、自文化に潜在
的に含まれる野蛮性を問題にした。--日本の戦争の原因論争で、遡って問題にされるのはせいぜい明治国家の帝国主義的な富国強兵政策までで、「日本文化」それ
自体が本格的に俎上に載せられることはほとんどない。
日本の戦前と言えばたしかに明治までしか考えてなかった。
1995
年に発表された加藤典洋の「敗戦後論」によると、戦後日
本は、内向きには対米自主性を強調
し、外向きには対米依存的な改憲派と、内向きには対米依存的で、外向きには対米自主性を強調する護憲派という形での「ねじれ」が生じている。いずれの側も、内
向きの態度と外向きの態度が矛盾しており、日本という政
治的共同体を包括的にイメージすることができない。この
ような人格分裂が生じているおかげで、日本は、
過去の問題に対して明確に謝罪することも、国際関係において主体性を発揮することもできない。加藤は、こうした人格分裂の原因を、現在の日本が、戦前との関係
を精算し切れていないことにあると見る。(第二章「国の
かたち」をめぐって)
日本という国の分裂症体質(@_@)
日
本の"マルクス主義思想"は、日本における資本主義が次
第に発展し、社会が複雑になっているとい
う現状を明確に踏まえないまま、社会の"現実"とは関係ないユートピア思想と化していった。
これは何となく納得できるぞ。
丸
山真男によると"日本の思想"は、本来的に「無構造」で
あり、何でもかんでもぶつ切りにして取り
込んでしまうので、近代/反近代の深刻な葛藤も、インパクトがなくなってしまう。日本にはもともと、マルクス主義が根本的に対立すべき、近世合理主義の論理、
キリスト教の良心、近代科学の実験操作の精神に相当する
ものが不在であったので、マルクス主義がひとり相撲する
ような格好になってしまった。結果として、マル
クス主義は、人々の生活実感とかけ離れた抽象的な理念を「公式主義」的に振り回しているというイメージのみが強くなった、というのである。
日本のマルクス主義者の側も「理論」が「現実」からの抽
象化を通して生れてくる「虚構」であるという最も肝心な
点を理解しないまま、「現実」と「理論」の間の
ギャップを、もっぱら「理論」の側から説明しようとしたため理論信仰に陥っていた。丸山はそれを「理論の物神化」と呼ぶ。
日本戦後論における丸山真男の存在の大きさは、一冊も読んで
ないMorris.でも、わかる? マルクシズムという宗教
が八百万の神の主要な一つになる。
吉
本隆明の共同幻想論は一見すると西洋の影響を受けて近代
化・合理化しているように見える我々の社
会的関係性が、実はかなり深いところで日本的な共同幻想に根ざしているとして、吉本は「日本の大衆が大きな変化を望まないのは何故か?」というそれまで本格的
に論じられてこなかった問題を提起した。それによって彼
は、正統派マルクス主義たちの教条主義的態度にも、丸山
式のあまりにも整然と定式化された近代化論にも
飽き足らなかった人たちの注目を集めることになった。(第三章 マルクス主義という「思想と実践」)
吉本もまた第三の新興宗教教祖なのだろう。
人
間は、いわゆる「マスメディア」だけでなく、電話や手紙
などの通信手段、言語を始めとする各種の
記号、絵画や映像などの芸術作品、宗教儀礼に用いる象徴など、各種のメディアを日常的に使用して互いにコミュニケーションしながら生活しているが、それらのメ
ディアは我々の「内面」に深く浸透して、我々の思考を最
も根底において想定している。現代の人間は、テレビ画像
やインターネットを通じてリアリティを獲得する
ようになった。そうしたメディア化された経験は時として、いわゆる「生の体験」を凌駕してしまう。その意味で我々は、常に何らかの形でメディアによって「再現
前化=表象 represent」された「現実」を生き
ている、といえる。
錯覚と知覚の絶え間ない入れ替わり。
マ
ルクスの『資本論』を、労働による「生産」という面から
ではなく、むしろ「商品世界」の物神的性
格(=消費へと誘導する幻惑作用)の分析という側面から読み直す道筋を開拓すると共に、唯物史観を、単純な下部構造決定論の歴史観ではなく、「失われた自然」
との絆を--商品の生産、あるいは、芸術的政策という形
で--回復しようとする人々のユートピア願望の挫折の記
録として「歴史」を見る方法論として最定義した
ことで知られるベンヤミン(1892-1940)は、デリダなどのポスト構造主義や、カルチュラル・スタディーズに影響を与えており、現代思想の中で重要な位
置を占めている。
『パサージュ論』でベンヤミンは、都市空間の中に様々な
形で「表象=再現前化」されているブルジョワジーの欲望
を、商品の発するユートピア的なファンタスマゴ
リー作用という面から分析している。ファンタスマゴリーというのは、何の変哲もないただのオブジェに光を照射することによって、スクリーン上に怪物のように巨
大な影を映し出す幻燈装置のことである。
もともと、"本来の自然"とはどういうものかイメージで
きなくなっている「私たち」が、「貨幣」と「技術」を介
して"自然"にアクセスしようとすれば、余計に
自然から「疎外」されるのは当然のことであるが、洗練された美的な表象装置によってファンタスマゴリーの磁場の中に人々を絡めとってしまう大都市の商品世界
は、その矛盾を忘れさせ、更なる自然回帰欲望を駆り立て
る。自己再生産し続ける商品世界は、ファンタスマゴリー
によって、次々と新しい流行を作り出し、大衆の
欲望を多様化させていく傾向にあるので、その内部には非常にちぐはぐなものを抱え込んでいる。豪華な商品の並んでいるアーケードの背後には、ごみ拾いや、売春
を生業としている人々、そして彼らを支配する人々や取り
締まる人々など、コインの"裏側"にあたる存在が隠れて
おり、彼らは時として"表"にも現れてくる。
ヴァーチャルリアリティカルなファンタスマゴリー??
日
本では、西欧の思想がその本来の思想史的脈絡抜きで、ぶ
つ切り的に、その時点で流行っている部分
だけ輸入されてくるという丸山真男のテーゼは、ポストモダニズムの輸入に関しても結構実証されているような気がする。
浅田彰(1957-)と共に、ポスト構造主義の日本の思
想への導入に寄与したのは、フロベールなどのフランス文
学研究と映画評論を融合させて表象文化論を切り
開いた蓮實重彦(1936-)、「内向の世代」の文芸批評家の一人として知られていたがポスト構造主義の手法を取り入れるようになった柄谷行人
(1941-)、バタイユの「過剰-蕩尽」理論を応用
し、『パンツをはいたサル』などのいかにも軽そうな本を
書いて注目を集めていた経済人類学者の栗本慎一郎
(1941)、クリステヴァのフェミニズム的な精神分析・記号論と宗教体験のフィールドワークを組み合わせて独自ん領域を開いた宗教人類学者の中沢新一
(1950-)といった、教義の哲学や政治思想を專門と
せず、多様な領域にわたって学際的に活動する人たちであ
る。
日本におけるポストコロニアルな政治思想の代表的論客で
ある姜尚中(1950-)は、丸山が戦後日本に打ち立て
ようとした「市民社会」は、極めて均質的な「国
民国家」の存在を前提にしており、在日朝鮮人のようなエスニック・マイノリティの問題を視野に入れてなかったと指摘、丸山の隠れた"閉鎖的日本性"を批判し始
めた。
上記引用に出てくる人名は、現在でも散見するが、いまいちイ
メージが定まらなかったが、一行紹介みたいでわかりやすかっ
た。
ド
イツも日本も、これまで批判的な社会思想のモデルになっ
てきた「西欧近代」自体に対する信頼が揺
らいでいるせいで"右"に行くのか"左"に行くのか、言論活動の最前線にいるはずの"知識人"たち自身にさえ分からない不確実な状態に入りつつあるように思わ
れる。もともと「西欧近代」が十分に根付いていなかった
日本の方が、ドイツよりも不確実差の度合いが高いのでは
ないかという気がする。(第四章 「ポストモダ
ン」状況)
ポストモダンというファッショナブルな消耗思想。
明
治維新の下で成立した全体主義的なものに転化した状態で
戦争に突入し、戦後も天皇制や旧国家神道
の組織の一部が残存している日本には、何をもって変わったといえるのかはっきりした基準を示しにくいという問題がある。端的に言うと、憲法九条以外に、戦前と
の違いを際立たせるものがない。そのせいで、もっぱら、
「九条」だけを軸として--他に憲法改正をめぐる重要な
争点などないかのように--[護憲=左派/改
憲=右派]の対立図式が60年近く続いてきたのである。
明確な「世界観」を持たないまま、何となく全体主義体制
に移行し、何となく民主化した日本という思想的に曖昧な
国は、西欧諸国、特に二項対立思考の本場のよう
なドイツの人々には、理解しにくいかもしれない。その西欧から見た「曖昧さ」のおかげで、日本は得をしている面と、損をした面がある。その両面性をきちんと整
理して、じかくしておくことが必要だと思う。(おわり
に)
なんちゃって民主主義国NIHON。
【幸
田文 女性作家評伝シリーズ:13】由里幸子 ★★★
2003/09/18 新典社
ちょっと前、幸田文を集中的に読んでた頃、目を通したの
だが、メモの片隅に置き忘れていた(^_^;)
幸
田露伴の教育によって培われ、前半生の苦労がさらに
磨きをかけた。肉体にくいこんでいる「哀れな
お面(自己認識)」と、父親から与えられた「眼(内部の規範)」の葛藤が幸田文をつくりあげ、文章の「佳人」、強靭な文章家を世に送り出したのではないか。
心と身体の全部をつかって見つづけたのは、結局、四
季のなかで表情をかえながら息づく生命であり、その
はての死、生と死の循環である。
少女時代の鍛錬によって、思考だけではなく身体で真
理を会得することを知った幸田文は、全身で自然の輪
廻を感じ、感動した。観念の言葉ではなく、自分の肉
体を
いったん通過した表現でしか書こうとしなかった以上、着物の着こなしと同じで、他人には絶対に真似ができない。幸田文が稀有な点は、そこにある。(はじめに
--「いのち」を見つめた人)
うーーーん、学者さんの文章だから仕方ないとしても、幸
田文の文章とはあまりに対照的である。言ってることはそ
れなりに当たってると思うけど。
始
まったばかりのテレビの料理番組に、このころ文は注
文をつけている。料理の下準備と、終わったあ
との片づけの仕方もみせてほしいというものであった。文にとって、料理とは下準備から片づけまでをも指していた。面倒な部分を無視して、何もかもきれいに用意
された食材を切って、加熱して盛れば出来上がりなど
という番組作りは、どこかおかしいと思わせるものが
あったからにちがいない。
幸田文らしいエピソードではある。しかテレビ側からする
と、「んな事言われてもなあ……(;;)」だろう。
【翻
訳目録】阿部大樹 タダジュン挿絵
★★★★ 2020/12/25 雷鳥社
阿部大樹(あべだいじゅ) 1990年新潟県生れ。精神科医、松
沢病院、市立多摩病院勤務。訳書にH.S.サリバン「精神病理私
学記」(日本評論社 日本翻訳大
賞)。R.ベネディクト「レイシズム」(講談社学術文庫)。「サンフランシスコ・オラクル」誌の日本語版翻訳・発行を行う。
全く未知の著者だが、翻訳作業の下準備の中で出会った言葉たちの
発見と驚きをメモした断片ということだが、素敵な詩集を読んだよ
うな気になった。先日これまたほと
んど偶然読んだ、松山巌の「建築はほほえむ」に通じるものを感じた。イラストもレトロなモダンアート(^_^;)でいい感じである。評点の高さは両者の力が合わ
さったもの。
こ
とばでないもの/ことばをさかのぼる/ことばのうつりかわり
/ことばがうまれるとき/ことばがき
えていくとき/ことばをかきとめる
おおまかにこの6つの章に分かたれている。
地層に埋もれた辺鄙な語を嗅ぎつけると猟犬にでもなった気分
である。野蛮な高揚。気に入ったモノにあたれば書き留めてお
く。そういう私的なノートに興味をもっ
てしまう奇特なひともいるかもしれないと、あるとき変種の編集者が仕込んだ結果が本書である。(はじめに)
まさにワード・ハンター。
・De
railroad bridge's A sad song
in de air.
De railroad bridge's A sad
song in de air.
Every time de trains pass I
wants to go samewhere.
鉄橋が ひびかせるのは 悲しい かなしいうた
鉄橋が ひびかせるのは 悲しい かなしいうた
列車がとおってゆくたびに ぼくはどっかへ 行きたくなるん
だ。
まずはアメリカ黒人ブルース。定冠詞TheをDeと表記。確かに
鉄橋を渡る時の車輪とレールの摩擦音は悲しくも旅愁を感じさせ
る。
・Who
killed Cock Robin?
だれがころした、こまどりを?
I, said
the
Sparrou, 「それはわたしよ」すずめがいった。
with my bow and
arrou, 「わたしの弓で、わたしの羽で、
I killed
Dock Robin. わたしがやったの、こまどりを」
マザー。グースより。同じリズムが全部で14連。こともが覚
えるにはちょっと長すぎるくらいに続く。最後の一連だけ韻を
踏まない。子供に覚えてもらっては困る
ようなことがあったのかもしれない。
ちなみに最終連は
All
the birds of the
air
あわれなロビンいとおしむ
Fell
a-sighing and
a-sobbing,
とむらいの鐘な りわたり
When they heard the
bell toll
そらの小鳥はいっせいに
For poor
Cok Robin
うれいにむせびなきぬれた
日本語訳はMorris.の好みで矢川澄子(^_^;)
・
Enharmonic 異名同音
ソの音を半音上げたときのG♯と、
ラの音を半音下げたときのA♭は同じ黒鍵である。
同じ音でもこのように二つの名前があることは,
楽典の勉強をかじるときには難しいばかりでも、
作曲家にとっては転調する足掛かりとなって都合がいい。
コトバはそれを実際に使う人にとって、
つまりここでは作曲家たちに便利なように作られていくのだ。
Morris.手持ちの小型英和辞典にはこの単語載ってなかっ
た。「新英和大辞典( 研究社 1960)には
Enharmonic
[音楽] 細分律(的)の(平均律においては異名同音的の;
-- change 細分律的変化[転調]、異名同音的変
化[転調]。四分音程。
とある。平均律と十二音律では表す音が違うようだ。絶対音感のあ
る人ならこの違いがわかるのだろうか? 転調の時に便利というの
は何となくわかる、ような気がす る。
・
久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬ
かも 正岡子規
far away under the skies of
America they began
baseball--ah, I could
watch it forever!
こころみにこの英訳をさらに翻訳してみようか。
とおく アメリカの空に はじまる ベースボールをみている
秋はこない。
「ひさかたの」は「天(あま、あめ)」にかかる枕詞
この歌は知ってたが、枕詞には気づかずにいた
(>_<) こうやっていったん外国語に翻訳したも
のをさらに日本語に翻訳するというのは既視感がある。
最近ソウルの高校生とe-mailで文通を交わしているのだが、相手は日本語できないので、韓国語でやりとりということになる。Morris.からの通信は最初日
本文、これをGoogl翻訳に下訳させて(^_^;)明らかな間
違いやおかしいところを辞書などで訂正して、その韓国文を
Google翻訳で日本語に直してチェッ
クする。これで大まか意味が通じそうならその韓国文を送信するわけだ。
"I could
watch it forever!"を「秋はこない」と訳しているのが著者の洒落(飽きることがない)なのかな。
・Gauche
le violoncelliste セロ弾きのゴーシュ
gauche(ゴーシュ)はフランス語で「左利き」。「不器
用な」という意味もある。左利きにあまり良いイメージがない
のは英語でも一緒で、left-
handというと「不誠実な」とか、さらには「悪意がある」なんて]意味まである。
これまた、セロ弾きゴーシュはお馴染みだったがゴーシュがフラン
ス語の左利きとは(@_@) 日本で左利きといえば酒飲みのこと
だけど……
・
odd number 奇数
even number 偶数
oddはもともと「突き出た地点]というような意味の古い印
欧語。そこから「付け足されたもの」「風変わりなもの」と意
味を変えてきた
evenは古英語の「水平な」から始まって「よく調和したも
の」の意味に。
"odd"と「奇」の共通性は、つまり西洋の言葉を日本語に翻訳
したのだろうか、大言海には朱氏からの例文があるから、中国で以
前から使われていたことになるか
ら、東西を問わず奇数は「奇しき数」といイメージがあったのだろうか?
偶数の「偶」は「ひとかた」の意味で土偶、木偶などに使われる
が、配偶のように対の意味が付加され、これから偶数になったよう
だ。 日本語なら「丁(偶数)半(奇
数)」がすっきりしてる(^_^;)
・
polka dot 水玉模様
ポルカはもともと「ポーランド風の踊り」の意味で、軽やかな
ステップからっ連想されたのか、19世紀中ごろに模様の名前
として定着した。
最近韓国ポルカ歌謡にハマっているMorris.なので、水玉模
様=polka dotの項には注目せざるを得ない。韓国語で水
玉模様はそのまま믈방울(水玉)
무뉘(模様)(ムルバンgウルムヌィ)である。
・
Computer 器械
con-(合わせて)+pute(置く)が語源のもともとは
単純素朴な言葉。中世英語の時代までは日々の動作を表す動詞
だった。ここから次第に「器械」、さら
に「計算尺」となって、そこから現在の情報操作の意味が派生している。
最近は中国人が使う「電脳」が一般的だが、初期の頃の「電子計算
機」という日本語訳は日本人のコンピュータに対する苦手意識を助
長したのではなかろうか、少くとも
Morris.の場合は「計算」というだけで怖気付いた。
・
Geometry 幾何学
もともとはgeo-(土地)と-metry(測ること)から
出来た言葉。BC300年頃ギリシャの数学者ユークリッドに
よってほとんど完成されながら、これが
アラブ世界に伝わる頃にはヨーロッパでは忘れられてしまった。1300年ころ、ユークリッドの本がアラビア語からラテン語に翻訳されたのをきっかけに、復権し
て、さらに300年が経って、その本が「幾何原本」として漢
訳されて、そうして「幾何」という不思議な響きが日本語に
なった。
これは実に面白く興味深く不可思議な記述だった。「幾何奥深
し!!」
・
Bowdlerization 改竄
シェイクスピアの原文から、卑語猥語を抜き去って出版した
Thomas Bowwdler博士に由来する言葉。一方で
「竄」の字は、穴に鼠が入るようにこっそ
り素早く字句を挿入してしまうこと。どちらも文書の勝手な変更を表すけれども、正反対の意味に由来するのが面白い。
森友学園を巡る関西財務局の公文書改竄事件から「改竄」と「忖
度」という、あまりポピュラーでなかった熟語が、人口に膾炙する
ことになった。いったん収まったかに
見えて、改竄を矯正されて自裁した赤木さんのメモが公になって、再燃しているが、調査されるべき財務大臣が「再調査する考えはない」と強弁している。森友文書に関
しては、英国式(問題になる言葉の削除)改竄が行われたことにな
る。
・
records 記録
もともとcor(心臓)の語幹から「心に留めおく」くらいの
意味だったが、19世紀末に蓄音機が発明されてからは、もっ
ぱら音楽用のレコード盤を指すようにな
る。このアナログ・レコードはその後100年ほどで衰退するわけだが、この頃にはデジタル化社会となっていて、電子記録の全般をrecordと言い表すように
なった。別々のものを指しているわけだから、それぞれに新し
いコトバが作られても良かったはず。でもそれより技術革新が
ずっと早かったために意味の「乗り換
え」が起きたことになる。
なぜか「稼ぎに追いつく貧乏無し」ということわざを思い出した。
「稼ぎを追い越す貧乏神」も(^_^;)
recordの原義はremember。後から思い出せるように
書き留める=記録することにはじまる。記録破りというのも、ここ
から派生する。
・
definition 語釈
語源を辿ると「釈」の字は「ばらばらに切り分けること」であ
る。英語では、辞書の各項目のことをdefintionとい
う。もとを辿ると「外枠」を定めるこ
と」の意味で、ばらばらにするのとは真逆であるのが面白い。
釈の本字は「釋」で、獣の爪で獣の屍体を裂くという意味らしい。
defintion(定義)はdefineは「(境界、範囲など
を)限定する、(真意、本務、立場
など)を明示する」から「定義するという意味になったもの。「釈」と"define"は「分析」と「総合」に対応する。
・
a three-days senssations 人のう
わさも七十五日
75日と3日ではかなりの差がある。西洋人は、忘れるのが速いと
いうことか。韓国語では「人の噂も三ヶ月 남의 말도
석달 (ナメマルドソクタル)」というか
ら、日本に近い。小田嶋隆が「SNS普及の現代では、何かあるといつまでも何度でも噂(特に悪い噂)が蒸し返されるから、「人のうわさは75年」という世の中に
なった」と書いてたが、そのとおりであると思う。
・INCOMPREHENSIBLE 翻訳不能な
翻訳できない言葉なんてないのだ。
これが言いたくて、私はこの本を書きました。
翻訳界のナポレオン宣言? \(^o^)/
か
きとめることで、ことばは文字になり、変化しなくなる。軽や
かに声帯から飛び出していく生きたこ
とばからすれば、死んでしまうくらいに辛いことかもしれないけれども紙に書き付けられれたことでかきとめられたことで、ことばは人間から自由になって、夜に漂
うことができるようになる。成仏というほかに、これを言い表
す方法があるだろうか?
す、すごい!! 阿耨多羅三藐三菩提m(__)m
【漂
砂の塔】大沢在昌 ★★★☆
2018/09/10 集英社 初出「小説すばる」
2016-18
「北方領土」の歯舞群島の小島で、てんかいされている、ロシ
ア、中国、日本のレアアースプロジェクトで、日本人社員が不
審な死体で発見。公安捜査員石上が、民間人
として現場に派遣され、政治的にも身分的にも不自由な中での捜査を進める。特異な舞台の意欲作と言えなくもないが、その分かなり無理な展開になったようでもある。
「ま
ずレアアースについてお話をさせてください。もし石上さ
んが詳しいのなら、しませんが……」
安田は迷ったようにいった。私は首をふった。
「レアアースというのは、17種類の元素の総称です。元
素周期表の21番スカンジウム、39番イットリウム、そ
して57番から71番までの15元素を合わせた
ものです。レアメタル47元素のうちの、電子配列が似たものをレアアースと呼び、超電導性や強磁性、半導体、触媒特性などが産業的に利用されています。このう
ち、特に現在有用とされているのが、ネオジムやサマリウ
ムなどの永久磁石の材料となるレアアースです。レアアー
スは、レアアース鉱物に含まれており、その代表
的なものが、モナザイト、バストネサイト、イオン吸着鉱などです。もともとは地下深くのマグマに含まれていたレアアースが地表近くに上昇し、他の元素と化合し
てできたのです。このレアアース鉱物には、トリウムとい
う放射性元素が含まれている確率が高く、モナザイトなど
は6から10%も含んでいます」
レアアース、レアメタルという言葉はよく聞くのに一向にイ
メージが結べずにいた。こうやって物語の中で噛み砕いて説明
してあるとよくわかる。(ような気がする (^_^;))
外
国人売春婦と薬物は、犯罪組織という接着剤で分かちがた
くつながっている。日本では、売春と薬物
では捜査員の熱意が大きく異なる。売春はかつて国が管理者に免許を与えていたこともあって、暴力団や海外の人身売買組織を対象とした捜査に偏りがちだ。薬物に
ついては、マスコミの反応も大きいことから1g、1錠で
も多い摘発を求められる。
人が国境を超えるときは、必ずモノもいっしょだ。人が売
春婦だったら、モノが違法薬物になる可能性は常にある。
大沢の代表作「新宿鮫」シリーズの主人公も麻薬への嫌悪感が
強い。大沢自身が同様なのだろう。確かに日本の警察の売春と
麻薬に対する温度差はあると思う。
「警
察官に権力があるなんて思ったこともありません。少くと
も日本の警察はそうです」
パキージンは考えるそぶりを見せ、やがていった。
「私の知る警察官は、幼稚な人間が多い。権力と正義にと
らわれすぎている。権力がふりかざす正義は、もはや正義
ではないことに気づいていない。
このパキージンの言葉は重い
【急
性ギャンブル中毒の時代】 李達富 ★★★☆☆
2020/07/15 新幹社 [自殺者3万人時代の検証」
李達富(イダルブ)1952年大阪市生野区生れ。大阪外大朝鮮語
科卒業。
名前から在日らしいし、パチンコはしないMorris.なのに、
パチンコ業界には興味があるので読むことにしたのだが、パチンコ
だけではなく、コロナ禍渦中の社会
への鋭い考察もあって読み応えがあった。
80
年代後半から90年代にかけて多くのパチンコ店の勤務体制が
変わり、通勤者を主体とした従業員
制度になった。パチンコ店から寮がなくなると、ほぼ同時に日本全国でホームレスの問題が初めてマスメディアでクローズアップされる。
ある意味パチンコ店の存在はホームレス予備軍のセフティネットに
なっていたのかもしれない。
警
察はバブル崩壊後、手っ取り早く金儲けができるとしてパチン
コ業界への利権漁りに参入するきっか
けとしてカード化を押し付けてきたのだ。
そのカード化を推進するカード会社として新たに設立された
「日本レジャーカードシステム」の大株主には、三菱商事、
NTTグループと共に、警察OBを中心に運
営される「㈱たいよう共済」が名前を連ねる。
警察とパチンご業界の綱引きはすさまじい物があったと仄聞する。
パ
チンコは供給が需要を生む典型的な産業で、店舗網の拡大は
オーナーの意思の問題であった。
持玉化によって生じた射幸性はパチンコファンの一部をマニア
化から依存症化へと進ませる背景となる。持玉化によって客の
金銭支出が不要になれば、売上は、本来
は増えない。しかし、現実は逆のことが起こる。持玉制によって一人あたりの消費額が増え始めたからだ。
元々、パチンコファンは低所得者層に多い。低所得ゆえ、パチ
ンコで負け続ければ借金に走る人も出やすい。
チラシ広告の全面解禁に続いて、パチンコのギャンブル化に拍
車をかけたのは「等価交換」と呼ばれる換金率の変更であっ
た。
交換率を6割にすると出玉率は140~150%で採算がとれ
た。等価交換だと90%の出玉率が実質上の限界である。
裏モノ(不正に大当たりの確率やその連続性を高めたパチス
ロ)の登場。出始めたのは96-7年頃。これが出始めた頃の
衝撃は凄まじかった。それまでことごく客
集めに失敗したようなパチンコ店でも、この裏モノ効果で、朝早く開店の数時間前から客が列をなした。営業中の店内は殺気立った空気が充満した。二十代の若者
に、勝てば40万というお金の魔力には抗しがたいものがあっ
た。この裏モノパチスロの登場で、パチンコ店は初めて本格的
なギャンブル場へと変質した。この裏モ
ノは勝った時は大きいが、負けた時はさらに大きかった。裏モノは連続性の大当たりを実現するために単発の大当たりの発生は抑えられた。つまり連続の大当たりを
実現するために、大当たりに当たるまではひたすらお金を注ぎ
込むようにできていた。
裏モノはその危険性が誰でも理解できたにも関わらず、何年も
全面的な取り締まりのないままに実質的に放置された。この放
置の恩恵を最も受けたのは裏モノで何年
も大儲けしたパチンコ店のオーナーだけではない。金使いの荒い裏モノのパチスロはこれまでにない規模の大きさの消費者金融市場を生み出す。アコム、武富士、プ
ロミス、アイフルといった四大消費者金融や、闇金融に従事す
る人たちはこの裏モノの放置状態に棹さして兆単位の利益を得
る。
あの頃のパチンコフィーバーぶりは門外漢のMorris.にも異
常な世界に見えた。
私
の仮説では商社がパチンコ業界に利権を求め、警察がその動き
を後押ししなければパチンコ店の本格
的なギャンブル化は起こらなかった。この仮説が妥当性を持つなら、一義的に責任を負うべきはパチンコ行政を自己都合的に行った警察である。しかし、警察がとっ
た対応は火に油を注ぐものであった。2002年前後に「四号
機」と総称される射幸性の高いパチスロが認可される。代表的
なパチスロ機は「吉宗」と「北斗の拳」 である。
パチスロ市場の拡大がもたらした全国のパチンコ店のギャンブ
ルフィーバーは四号機の登場で最高潮に達した。
そして多くの経営者がパチスロ市場のユーフォリア(幸福感)
に浸っていると、前触れもなく、2006年の4月までに四号
機を撤去するよう警察から全国のパチン
コ店に通達される。同じ年、サラ金の法改正が行われグレーゾーンの金利が廃止される。このサラ金の法改正では主に多重債務者救済が課題ととされ、パチスロを原
因とするギャンブル依存症の問題はマスメディアでは取り沙汰
されなかった。
多重債務を問題とすることによって二つの業界が潤うこととな
る。法改正によって発生した過払い金利の返還を迫られたこと
によって大手四代消費者金融は都銀傘下
にあるか、武富士のように会社自体がなくなってしまう結末を見る。こうして漁夫の利を得るかのようにしてサラ金市場を手に入れた都銀はカード化でパチンコ業界
に利権を漁った商社と同じ財閥系の金融機関であった。
もう一つの業界は弁護士業界である。過払い金利の返還手続き
の手数料で多くの弁護士が潤うこととなる。こういう銀行と弁
護士のための多重債務者救済が仕組まれ
たものかどうかは私にはわからない。
多重債務の問題とギャンブル依存症の関連が追求されなかった
ことは今日まで尾を引いている。この追求は警察の監督責任に
も行きつくので回避されたのか、そんな
ことをすると困る人たちが世論の誘導をしているのか、これも私にはよくわからない。
「わからない」を連発しながら、筆者はその通りだと確信している
のだろう。
(パ
チンコの玉代金の上昇は)この20年で、千円で遊べたのが6
千円になったことを意味する。千円
の入場料が6千円になった映画館に例えると、この料金でも映画館に足を運ぶ人は相當な映画マニアであるが、映画マニアが昂じて生活破綻する人はあまりいないだ
ろう。
負担額が数倍になってもパチンコ店に足を運ぶ人は依存症か、
その予備軍であると断じても間違いないであろう。そして、パ
チンコの場合は、依存症は生活破綻と結 びつく。
これこそまさに、パチンコの「趣味・娯楽」から「ギャンブル」へ
の移行。
ギャ
ンブル依存症対策が奏功するとカジノは事業としては破綻する
可能性が高い。日本のカジノをめぐ
る議論には巡航速度で軽く200kmが出るスポーツカーを売り出すのに「危険ですから100km以上は出さないようにしてください」といって売り込む営業マン
のようなところがある。(第一章 ギャンブル依存症と急性
ギャンブル中毒)
わかりやすい上手い(でも怖い)たとえである。
豊
かな国が移民に対して決して排斥的ではないように、心豊かな
人は他人に対して包摂的である。わた
しにとって心の豊かさは人格の成熟によって生み出されるものだ。人格の成熟は責任への自覚と反省を行動に反映する意思の有無によって形成される部分が大きい。
形式化した民主主義や大量生産、大量消費を駆動力とするグ
ローバル化した新自由主義經濟は大衆を有権者、あるいは消費
者として、その限りにおいて甘やかす。決
して人格の成熟を求めるものではない。
私の両親は済州島という親族や村の知人といった人たちとの人
間関係の交流の密度が濃い伝統社会で生れ育った。二十世紀の
初めの頃である。当時は人との会話が娯
楽であり息抜きでもあった。だから二人は人が好きで、人と話すことが好きだった。人が好きな人は人を騙せないし、人に意地悪をしない。両親はそういう人だっ
た。[第三章 介護の世界)
筆者は介護関連の仕事にも関わり。これまた鋭い考察を展開する。
不
要不急だから営業を自粛しろというのは誰にでも説得力を持つ
ものではない。一方、全国の介護事業
所でクラスターが発生しているにも関わらず、介護事業所を緊急事態宣言の間、閉めろという声はどこからも聞こえない。感染リスクの危険性が高いからといって営
業を自粛できない。老人ホームの利用が止められると本人だけ
でなくその家族も困ってしまうからだ。この場合の困り方は危
険性を顧みる余裕がないほど死活的だ。
コロナと介護施設の問題は相次ぐクラスター続出がありながらいま
いち對策が遅れがちな気がする。
私
たちの日常の行為にはパチンコに限らず不要不急のものが多
く、所得格差を反映した行動パターンの
違いも大きい。別の面から見ると現在社会の経済活動の性格の特色は不要不急をビジネス化し、一方では所得格差の広がりを背景としたビジネスの隆盛が見られる点
に求めることができる。それがなくても死活的には困らないも
のを大量に生産し続けることによって経済成長が維持される。
商品の氾濫と所得格差の拡大は經濟のグ
ローバル化によってピークに達した。その経済規模の大きさをもたらしたグローバル経済は今回のコロナ禍と地球温暖化を生み出した元凶でもある。これだけ人が好
き勝手(大量生産、大量消費、大量廃棄)をやっているのに自
然からのしっぺ返しは地球温暖化しかないと高を括っていた私
たちに、今回のコロナ禍は「行動変容」
を迫っている。グローバル化と並んで行為の依存症かが経済成長を生み出す一つの要因である。
大風呂敷を広げているのだが、これは少し違うのではないかと思
う。
人
が依存症化した行動パターンを取る理由には人間の本性に由来
するものや、当該社会における孤独と
退屈、人間や社会に対する信頼感の喪失等がその背景にある。社会単位(村社会から国民国家へ)が大きくなればなるほど、人間観での親密性や連帯性は失われる。
物質的な豊かさが実現し余暇時間がふえても何をしていいか分
らない退屈が人々の行動を惰性化する惰性から依存症への転落
は人によっては早い。パスカルは言う。
「人間の問題は、部屋で一人じっとしておれないことから生じる」と。このようにみてくると人間の幸福とものの豊かさはトレードオフ(一得一失)の関係に立つ面
を有する。
ここでパスカルが出てくるのには、ちょっと驚かされたが、引用句
もかなり意表を突いている
豊
かな国のアメリカやイギリスでコロナウイルスによる死者数が
多いのは黒人人口や移民人口の割合の
高さを反映したものだ。アメリカの保険未加入者4500万の内、貧しい黒人や移民はそもそも医療へのアクセスが困難だ。
コロナウイルスは誰にでも感染する平等性をもったウイルスだ
が感染リスクは貧困層の方が高い。つまり階級社会の不平等性
が実質的に感染リスクの不平等性を生
み、治療機会の不平等性を生んでいる。豊かな社会で貧困からの脱却がむつかしい人たちが感染リスクにさらされ、希望の持てない状況が依存症行為に走らせる。階
級闘争なき階級社会の実相がここにある。
日本でもこの傾向が無いとは言えないが、
今
回のコロナ禍が明らかにしたことの一つは先進社会がいかに余
暇時間を産業的に組織しているか、そ
して産業として提供される敢行や娯楽産業、飲食産業がなくとも、あるいはショッピングの機会がなくとも人は死活的には困らない、困るのはそういう死活的でない
ことを事業化して經濟を支える仕組みであり、その中で働く
人々である。そして、そういう先進国の仕組みがこれまで体制
の安定をもたらしてきた。古代ローマより
統治の鉄則は「パンと見世物」であった。グローバル化経済化した社会でその「パンと見世物」の供給は最大化した。しかし、その安定は不安定と表裏一体であるこ
とが、今回のコロナ禍は誰の目にも明らかのものとした。
これは鋭い指摘。
社
会の発展(物質的豊かさが行き渡ること)とその発展した社会
に生きる人々の幸福が結びついてい
た、少なくともそういう幻想が可能であった歴史観や社会観は今まででも揺らいだものであったが、今回のコロナ禍はその揺らぎがさらに加速されるきっかけとなっ
た。
揺らぎや社会的不安が政治的不安定を生み出すと権力は発動さ
れやすい。そういう中、権力が不要不急を選別し、人がそれに
異議や疑問を挟むことなく唱和しだす
と、誰かが排除され差別される可能性はいつでもどこにでも開かれている。(第六章 コロナ禍の中のパチンコ業界と介護業界)
ワクチン接種拒否者への偏見やバッシングに繋がる。
幸
い、私は在日韓国人二世として生まれ育ったので、大きな会社
や組織に属したことがなく人間関係は
限られていたので、人を傷つけるような機会はあまりなかった。人をきずつけなくてすむ人生は幸福だと思う。
物欲(所有欲)の強さ、購買欲の強さ、人口規模が経済成長を
生み支える。グローバル経済は物欲を最大化する。人によって
は物欲が充足されないで不満をためやす
い経済社会体制でもある。不満が昂じて不満のはけ口を人に向けやすくする社会でもある。物欲が心の中心にあるより、感性的なものが心の中心である方が、人に優
しい社会になると思う。私は、人の幸福と自分の幸福は分かち
がたく結びついていると考える人間である。人の幸福を願うこ
とは自分の幸福を実現することでもあ
る。私は幸福な人間になりたい。(あとがき)
突然あとがきでこんなこと表明されると日本人のMorris.は
ちょっとどぎまぎしてしまう(^_^;)
【ク
ジラアタマの王様】伊坂幸太郎 川口澄子挿画
★★★☆☆ 2019/07/05
NHK出版
書きおろしの一種のパラレルワールド。夢で怪獣と戦う戦士に
なる3人の登場人物(製菓会社員、政治家、ダンサー)の現実
生活と夢の世界を交互に描き、夢の部分は台
詞のない漫画になっている。夢はロールプレイングゲームを投影したスタイルで、ゲームには全く冥いMorris.には理解不能の部分が多かった。
驚いたのは新型コロナ感染より半年ほど前の作品なのに、鳥イ
ンフルエンザによるパンデミックが、ストーリーの重要てーま
になっていて、その流行と日本社会の対応
が、コロナ禍の日本の対応と告示していることだった。
もちろん感染症関連書によって得られたところがおおきいいだ
ろうが、それにしても、驚かされた。
「ハ
シビロコウはほとんど動きません。英語名は
shoebillで、靴のような嘴という意味で す」。
夢に出てくる指令官のような役割のこの鳥が重要なキーパーソ
ン(ぢゃなくてキーバード?)になるのだが、後でアンチヒー
ローにもなる。漢字で書くと「嘴広鸛」。
ニュー
スや話題になるのは、物事の実際の重要性や危険性より
も、多くの人たちの感情が優先される。
情報操作や誘導にかかわらず多くの人は、感情に正直なだけなのだ。
こういった警句めいたキメ台詞が伊坂作品の魅力の一つでもあ
るのだがこの感情優位の考え方はストーリーの伏線にもなって
いる。
欧
米で新型インフルエンザが見つかり、感染者が広がったと
きのことだ。そんな矢先、都内の私立高校
性が修学旅行でカナダ行に行き、新型インフルエンザに感染した。高校の校長先生が記者会見を開き……地下鉄に投身自殺。
予見的言説の始まり。
ア
ジアの農村で鶏インフルエンザの感染者が死亡した、新型
のインフルエンザの脅威は、昔から定期的
に話題に昇っていた。
小沢ヒジリは、心配する僕のことを意外そうに見た。「新
しい病気が出た、って。最初はぴりぴりしているけれど、
あれっていつの間にか収束しているんですよね」
これはサーズ、マースなどの感染症のことを指しているのだろ
う。
犯
罪防止、有害情報の抑制、個人情報保護、さまざまな聞こ
えのいい名目を盾に、情報のフィルタープ
ログラムが導入されたのが数年前だ。必要最低限の機械的な濾過、と謳い、検閲にはあたらないとされているが、政治家に都合の悪い情報も削除されている、と都市
伝説的に言われてもいた。
ネット上の情報を、論理的な反論だけでなく、揶揄や詭
弁、不振な同調者の参加などを駆使し、骨抜きにする手法
は、日々確立され、進歩している。
インターネットやSNSへの警告。
「都
内在住の男性から鳥インフルエンザが検出されたという情
報が入りました」
感染したのは誰だ、と首相暗殺の犯人を捜すかのような熱
で次々と、「感染者」の情報が発表されている。
「うちの近く、久保さん宅に救急車が停まっていたのをた
またま見かけたの……すごいガードされちゃってるの。透
明の宇宙服みたいなのを着せられて。誘導するス
タッフ。救急救命士なのかな、とにかくその人たちも同じような宇宙服で」
怖いとは何が? 鳥インフルエンザに感染することが?
もちろんそうだ、ただそれとは別の恐怖もある。「あいつ
に近づくな!"」と指を向けられ、遠巻きにされる。白い
目で見られ……
これもコロナ草創期(^_^;)に見られた風潮。
僕
からの、映像を流してほしい、という懇願に栩木社長は悩
み、息子の瑛士君に相談をした。すると瑛
士君は、「短期的には避難されても、大局的には大勢の人を救うほうを選ぶべきじゃないの」と冗談半分に。主張したらしい。栩木社長の父親が口にしていた台詞
だ。
栩木社長の父は上級国家公務員で、短期的云々の言説は「消費
税導入」に関与したことのように感じられる。
後
でわかったことだが、新型インフルエンザに対する警戒心
は、不安は、国内のあちこちで混乱と事件
を起こしていた。近隣住人が感染者だ、というデマを信じ、その家に火を放とうとした者が現れたり、自分が感染したと思い込んだ人物が、死なばもろともの精神で
繁華街に出向いて暴れたりした。外出を恐れた者たちが保
存食を買い占め、奪い合いによる騒動も起きていた。
感染を疑う人たちが病院に押し寄せ、その混乱に苛立った
人から医師が殴られる事件や、ねっと上では、感染症を撒
き散らす外国人がいる、と偽情報が拡散されたた
め、観光客が次々と襲われる事件が起きていた。
そんな中、ワクチンと治療薬がある、というニュースは非
常に有効で、まさに救いの主に近かったのだ。
人間をうごかすのは、理屈や論理よりも、感情だ。同じ罪
を犯した人に対しても、感情がさゆうすれば、まったく違
う罰を平気で与える。理屈は後からつける。
パニックを起こすのも感情だが、罪を大目に見ようという
ムードを生み出すのも感情、というわけだ。
ここの羅列もそのままコロナ禍の中継のように見える。
自
分にとって都合の悪いものを、たとえばウィルスにとって
の免疫めいたものを、1つずつ排除させ、
その免疫がなくなったところを見計らって本性を出し、襲い掛かってくる、そういった目論見を想像することはできた。
ハシビロコウ≒国家権力ってことかな?
都内の動物園に、男三人で来ていた。僕(岸)と池野内議
員は背広姿、小沢ヒジリは爽やかなジーンズ姿で、ハシビ
ロコウのいる場所の前で長いこと立っている。
プレートに説明書きがあり、この鳥の和名と英名に並び、
学名も記されていた。ラテン語で「クジラ頭の王様」とい
う意味らしい。
学名はBalaeniceps rexとなっていた。ペリカ
ン目のハシビロコウ科ハシビロコウ属とのこと。
2021049
【ペ
スト】カミュ 宮崎嶺雄 訳 ★★★☆
新潮文庫 196910/30
"La Peste" 1947年6月
高名な作品ではあるが、Morris.は未読だった。「異邦人」
は高校時代に読んだと思う。コロナ禍のなかで、この「ペスト]が
ちょっとしたベストセラーになって
ると聞いた。コミスタこうべ図書室に文庫本があったので緊急事態宣言で休館になる前の日に借りてきた。文庫本の初版は1969(昭和44)年で借りた本は
2020(令和2)年96刷となっている(@_@)。単行本は同
じ訳者で1950(昭和25)年創元社から刊行されている。
物語の舞台はカミュ自身も住んだことのあるアルジェリアのオラン
市(当時はフランス領)で、ここでペストが大流行して隔離された
街の中での経過が医師リウーと、よ
そ者タルーの手記を中心に描かれる。オランでペストが大流行した事実は無く、あくまで架空の物語である。
ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用
意な状態にあった。医師リウーは、わが市民たちが無用意で
あったように、無用意であったわけであ
り、彼の躊躇はつまりそういうふうに解すべきである。同じくまた、彼が不安と信頼との相争う思いに駆られていたのも、そういうふうに解すべきである。戦争が勃
発すると、人々はいうーー「こいつは長くは続かないだろう、
あまりにもばかげたことだから」。そしていかにも、戦争とい
うものは確かにあまりにばかげたことで
あるが、しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにならない。愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいな
ければ、そのことに気がつくはずである。
コロナの流行に関しても、Morris.も長くは続くまいと思っ
たものである。
天
災ほど観物(みもの)たりうるような何ものをもこに述べえな
いことが、どんなに遺憾なことである
かは、筆者も十分承知している。それはつまり、、天災ほど観物たりうるところの少ないものはなく、そしてそれが長く続くというそのことからして、大きな災禍は
単調なものだからである。みずからペストの日々を生きた人々
の思い出のなかでは、そのすさまじい日々は、炎々と燃え盛る
残忍な猛火のようなものとしてではな
く、むしろその通り過ぎる道のすべてのものを踏みつぶして行く、はてしない足踏みのようなものとして描かれるのである。
これって、日本語なのだろうか?
絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである。
こういった含蓄のある表現もところどころに見られるのだけど……
貧
しい家庭はきわめて苦しい事情に陥っていたが、一方富裕な家
庭は、ほとんど何ひとつ 不自由する
ことはなかった。ペストがその仕事ぶりに示した、実効ある公平さによって、市民の間に平等性が強化されそうなものであったのに、エゴイズムの正常な作用によっ
て、逆に、人々の心には不公平の感情がますます尖鋭化された
のであった。もちろん、完全無欠な死の平等だけは残されてい
たが、しかしこの平等は誰も望む者はな かった。
「ペスト」を「コロナ」に読み替えることも可能だろう。
ほ
とんどすべての者が、実際ただ茫然として手をこまねいてい
た。
12月の一月じゅう、ペストは市民たちの胸のなかに燃え盛
り、竈に火を点じ、手をこまねいた亡霊を収容所に満たし、要
するに、停止することなく、その根気のい
い急調子の足どりで進行して行った。
Morris.が目の仇にしている「手をこまねく」表記の連発。
後の例では、その使い道にも疑問を感じざるを得ない。
わ
れわれは人を死なせる恐れなしにはこの世で身振り一つもなし
えないのだ。僕ははっきりそれを知っ
たーーわれわれはみんな;ペストの中にいるのだ、と。そこで僕は心の平和を失ってしまった。僕は現在もまだそれを捜し求めながら、すべての人々を理解しよう、
誰に対しても不倶戴天の敵にはなるまいと努めているのだ。た
だ、僕はこういうことだけを知っているーー今後はもうペスト
患者にならないように、なすべきことを
なさねばならぬのだ。それだけがただ一つ、心の平和を、あるいはそれがえられなければ恥ずかしからぬ死を、期待させてくれるものなのだ。
誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。なぜか
といえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れて
いるものはないからだ。
この場合の「ペスト」は「不条理」と言い換えることが可能だろ
う。
「結
局」と、淡々たる調子で、タルーはいいった。「僕が心をひか
れるのは、どうすれば聖者になれる かという問題だ」
「だって、君は神を信じてないんだろう」
「だからさ。人は神によらずして聖者になりうるかーーこれ
が、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」
リウーは答えた。「しかし、とにかくね、僕は自分で敗北者の
ほうにずっと連帯感を感じるんだ、聖者なんていうものより
も。僕にはどうしてもヒロイズムや聖者の
徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心をひかれるのは、人間であるということだ」
「そうさ、僕たちは同じものをもとめているんだ。しかし僕の
ほうが野心は小さいね」リウーはタルーが冗談をいっているの
だと思ったが、その顔は悲しげでまじめ であった。
タルーとリウー、二人のこの物語の語り手の会話のいみするところ
は重い。
災
禍の殻竿はもう市(まち)の空をかきまわしてはいなかった。
その代り、この部屋の重くよどんだ空
気のなかで静かにうなり声をたてていたのである。
「殻竿(からざお)」というのは、長短の棒を鎖でつないだ脱穀用
の農具らしい。ヌンチャクもこれが起源ともされるようだが、ペス
トの猛威の比喩としては、ちょっと
わかりにくい。原文がそうなってるのかもしれないが、日本人でこれをすぐに理解できるものはかなり少数派だと思う。
お
そらくタルーのような人々は、自分でもはっきり定義できな
い、しかしそれこそ唯一の望ましい善と
思われる、あるものとの合体を願っていた。そして、他に名づける言葉がないままに、彼らはそれを時には平和と呼んでいたのである。
「ペスト」を「戦争」の比喩と見れば、たしかに「平和」は望まれ
てしかるべき。
ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、
数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することがで
き、部屋や穴倉やトランクやハンカチや
反故のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすためにペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な
都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということ
を。
これが結びの一節。
青
年時代から十分な文学的修練を積んだカミュの文体が、ジッド
を通じて象徴派を継承しつつフランス
古典の伝統につながっている。その彫琢された明晰な文体は一部に新古典派とさえ称せられるほどである。
この圧縮された清潔な文体は、そのかんけつさのかげには、い
たるところ、抑えられた感動の美しさがあたかも恥じらうよう
にひっそりと息づいている。心と心の触
れ合う微妙な感触っを、これほど美しく伝えうる文体をもった作家はかつてなかったのではないかと思われるほどである。
ここまでカミュの文体を賛美している訳者であるが、その訳文は、
上記の引用みるだけでも、相当ひどい気がするのMorris.だ
けだろうか。えらく読むのに手間
取ったのは、訳文の出来によるところ大きいと思う。
ペ
ストの害毒はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとられ
ることができる。死や病や苦痛など、
人生の根源的な不条理をそれに置きかえてみることもできれば、人間内部の悪徳や弱さや、あるいは貧苦、戦争、全体主義などの政治悪の象徴をそこに見いだすこと
もできよう。そして何よりも終わったばかりの戦争のなまなま
しい体験が、読者にとってこの象徴をほとんど象徴と感じさせ
ないほどの迫力あるものにし、それがこ
の作品の大きな成功の理由となったことは疑いがない。(訳者 解説)
解説のこの部分は肯定できる。
タイトルからコロナ禍の中でブームになったらしい本書だが、最後
まで読んだ人がどのくらいいたかはいささか疑問である。コミスタ
こうべでは返却期限表があり、貸出
日のスタンプが押してあるが、令和3年のスタンプを見ると、1.28/
3.17/ 4.12/ 4.19 /4.22/ 4.26/
5.3と間隔が極端に短い
のは、借りたはいいが、数ページ読んでパスした人が多かったことを証拠付けているのかもしれない。
2021年4月に岩波文庫から三野博司訳が出ているようだが、い
まさら読み返す気にはなれない(^_^;)
【幸
田露伴 ちくま日本文学 全集 27】
★★★☆☆ 1992/03/20 筑
摩書房
文庫版の文学全集ということで評判を呼んだものだが、露伴の
魅力の一端を手軽に知ろうという横着な気持で呼んだ。
「太郎坊」「貧乏」「雁坂越」「突貫紀行」「観画談」「鵞
鳥」「幻談」「雪たたき」「蒲生氏郷」「野道」「傍樹記」の
11篇が納められている。
一
通りでは無い貧苦と戦ってきた幾年の間を浮世とやり合っ
て、よく搦手を守りおおさせたいわゆるオ
カミサンであった(鵞鳥 昭和14年2月)
この文学全集の良い所は、ふりがなと注を淡い墨色で附してい
るところだ、これは読んでいて邪魔にならないし、注が見開き
の左端にあるのも、いちいち注のページを探
す手間がいらないのはありがたい。
「搦
手 弱点、また注意の届かない部分。」と
いう注にちょっと意表を突かれ た。
Morris.は搦手というと、正攻法ではなく、相手の隙を
突くやり方だとのみ思っていたが、元は城の裏門、とか敵の後
方を意味し、続いて先の注の意味になるらし い。
「旦
那これは釣竿です、野布袋(のぼてい)です、良いもんの
ようです。」
「フム、そうかい」と云いながら、その竿の根の方を見
て、
「や、お客さんじゃねえか。」
お客さんというのは溺死者のことを申しますので……
その竿を見ますとるというと、いかにも具合の好さそうな
ものです。竿というものは、節と節が具合よく順々に、い
い割合をもって伸びて行ったのがつまり良い竿の
一条件です。
吉は勝手の方へ行って、雑巾盥に水を持って来る。すっか
り竿をそれで洗ってから、見るというといかにも良い竿。
じっと二人は、検(あらた)め気味に詳しく見ま
す。第一あんなに濡れていたので、重くなっているべきはずだが、それがちっとも水が浸みていないようのその時も思ったが、今も同じく軽い。だからこれは全く水
が浸みないように工夫がしてあるとしか思われない。それ
から節廻りの良いことは無類。そうして蛇口(へびぐち)
の処を見るというと、素人細工に違いないが、ま
あ上手に出来ている。
さあ、出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と
違って釣れるわ、釣れるわ、むやみに調子の好い釣になり
ました……
「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はあ
りあしねえ、竿はこっちにあるんだから。ネエ旦那、竿は
こっちにあるんじゃありませんか」
竿はもとよりそこにあったが、客は竿を取出して南無阿弥
陀仏、南無阿弥陀仏と言って海へかえしてしまった。(幻
談 昭和13年9月)
露伴は釣の趣味があったらしいが、いかにも語り物めいていな
がら、行き届いた文の運びはさすがである。
我
儘な太閤殿下は「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」などという
句を詠じて、細川幽斎に「しかとは見えぬ
森のともし火」と苦しみながら唸り出させたという笑話を遺しているが、それでも聚楽第に行幸を仰いだ時など、代作か知らぬが真面目くさって月並調の和歌を詠じ
ている。正宗の「ささずとも誰かは越えん逢阪の関の戸埋
む夜半の白雪」などは関路ノ雪という題詠の歌で有ろうか
知らぬが、どうしてなかなか素人では無い。
(蒲生氏郷の)辞世の歌の「限りあれば吹かねど花は散る
ものを心短き春の山風」の一章は誰しも感嘆するが実に幽
艶雅麗で、時や祐けず、天吾を亡う、英雄志を抱
いて黄泉に入る悲涼愴凄の威をいかにも美しく詠自出したもので、三百年後の人をしてなお涙珠を弾ぜしむるに足るものだ。
秀吉;と幽斎の笑い話は良く出来ている。幽斎だけに幽黙
(ユーモア)横溢といえるだろう。蒲生氏郷の辞世は悪くない
が、露伴にしてはちと褒めすぎのような気もする
(^_^;)
この時代には毒飼は頻々として行われた。けれども毒飼は
最もケチビンタな、蝨ったかりの、クスブリ魂の、きたな
り奸人小人妬婦悪婦の為すことで、人間の考え出
したことの中で最も醜悪卑劣の事である。自死に毒を用いるのは恥辱を受けざるためで、クレオパトラの場合などはまだしも恕すべきだが、自分の利益のために他を
犠牲にして毒を飼うごときは何という卑しいことだろう。
(蒲生氏郷 大正14年9月)
「ケチビンタな、蝨ったかりの、クスブリ魂の、きたなり奸人
小人妬婦悪婦」罵詈雑言も、露伴の筆になるといっそ小気味良
い。
自
分がまだ年の若い頃、すなわち死にさえしなければ老とい
うことは必ず自分の身を摂取して捨て無い
ということにも気が付かないで、活溌に放縦に今日を過し得ることを幸福とも意識せぬほど幸福に暮していた時分、自分等と同じ年頃のむだ口友達、漢学者風に云う
えばすなわち談敵で、実際若い者は自己のためにも他人の
ためにも学問のためにも芸術のためにも、職業や利益生活
やまたは社会のためにも何にもならぬ談話、すな
わちむだ口を交換するのを悦ぶもので、談話のための談話、強いて弁護すれば趣味興味のための談話を交換する友団を有っていない者は無い。が、それらの談話より
好い事の生ずる場合はもちろん希有で、大抵は山の樹の葉
が風に動くように彼等の舌が動くのみで、そして山の樹の
葉の風に動いたのがなんらの結果を齎らすに至ら
ないで終るごとく終るのを常とするから、公平にその実質に適う名称を撰めばむだ口友達としてしかるべきである--そのむだ口友達と会談して、その恕談、褸談、
連綿語、突発語、奇句、警句、罵倒之辞、叱咤之辞、ある
いは慷慨憤悱、あるいは滑稽突梯、種々様々のむだ口興味
ともいうべき無邪気なしかもあさはかな、えらそ
うなしかもくだらない、超脱的で実は平凡な、気焔の強いかつ足元のおぼつかない、つまり世間の誰でも、三蔵五助どもが為すところの会談を為して、その月並的の
興味に浸っているのを好いとした折、何人かは忘れたがそ
の仲間の一人が、若い者の自分等とは到底ソリの合わぬ老
人共を冷評して、「歳をとるとケチになる」と
云った。それをおぼえていたのではあるまいか。
「歳をとるとケチになる」という本題より、その前に書かれた
若い時代の友人関係のあれこれから、Morris.は学生時
代の友人たちのことを懐かしくそしてちょっ
と気恥ずかしく思いだした。
河
水放流のために、莫大な費用と労力とを捨てて、固有の土
地を新しい川を造るために掘鑿し、いわゆ
る新中川を完成するに力めている。まことにご苦労千万なことであるが、その東京地先を埋立てて新河川を穿つ有様は、何の事は無い本来の尿道を閊えさせておいて
別に手術をして腹部に小孔をあけてそこから膀胱へ護謨の
カテテルをさし込むようなものである。実に医術は巧妙に
なった世の中であり、施政も巧妙になった世の中
である。ホニホロというものは巧に馬に騎っているがその馬は造り物で自分の脚であるいている観せ物である。吾等の小児の時はホニホロの巧妙なのに感嘆して楽ん
で観たが、今だに世上の「何とやらの何とやら実はホニホ
ロ」の芸当を感嘆して観ている楽しさを失わぬことは、ま
ことに太平の民たる余栄である。しかし医術は進
歩しても死ということを絶無にすることは出来ないから、土木が進歩しても施政が進歩しても水害が起ったとて是非はない。政治をする者や土木の技家を責めるのの
酷なことは、人が死んだからとて医師を責めるのの不道理
と同じことである。
ホニホロというのは唐人飴売りの一種らしい。(
Wikipedia)
ハ
テ何という樹だろう。楢というものは、甚だ種類が多く
て、柞(ははそ)も楢も皆楢の群の中だか
が、これもあるいはナラの類だろうか。ただ樹膚の様子が少し異っているようであるなどと思ったけれども、隣庭とは小溝一つ隔ててはいるし、彼此共に敗れては居
るが生籬がその名残を留めているので、樹下について仔細
に視ようともせずに終ってしまった。
「あれでこざいますか、ナニ旦那様、あれは「とねりこ」
というやくざの樹で、お褒めになるようなものではござい
ません、つまらないものでございます」
「ハハア、あれが「とねりこ」という樹だったの!」
自分は胸の中で、とねりこ、とねりこという樹を目の前に
知ったのは今日が初めてであるが、とねりこという名は前
から知っていたと思った。
「とねりこは田の畦で生杭にされるなんて、役にも立つ
し、枝ぶりも悪くは無いように思う。いろいろの樹が弱っ
て行くから、私はとねりこでも植えようかと思 う。」
「ハハハ、いくら風雅な方でも、とねりこを庭へお植えに
なったということは聞いた事がございません。」
その風姿からして、竹竿何ぞ珊珊たる、魚尾何ぞ簁簁た
る、という古い釣の詩の辞を思い出すと、アッ、今朝何か
の書で自分からあの樹に出会したことがあると思っ
たのは、西洋の釣りの書の中であの樹に会ったのであった、と明らかに思い得た。それらの書を引出して見ると、アッシトリーの釣竿というのがある、そのアッシト
リーがかの樹であったと見出した。ハハア、英国にはこち
らの野布袋のような佳いものが無いので、竹竿は印度竹を
六片矧にして使い、そのほかはグリーンハートや
ヒッコリーなどという樹から竿をつくり、かの樹をも竿にすると見える。なるほどあの樹は竿にならぬこともあるまい。よく撓う樹であるから、と思うと好きな路か
らなんとなくかわゆいような気がし出して、おのずからに
笑が催された。
その翌日また書斎で退屈した時に、百科辞書でアッシト
リーをしらべてみたところ、釣竿になることは書いて無
かったが、その靱性を利用してトランクを造ったり箍
にしたり、婦人の袴をつっぱる用にしたりすることを見出し、なかなか役に立つものだというkとを知った。それからまた馬車のある部分の用にも充てられることを
他の書で知って、松や杉にこそは及ばずとも、用いれば用
いどころのあるものだと悟った。
実はとねりこ一本で数日の余閑を楽んだのであった。
年をとるとケチになる。こんな下らぬ淡いことを楽んでい
られるのである。自分は自分で笑いながら自分からの評語
を自分へ受取った。「年をとるとケチになる。」
そしてとねりこを心頭から放下した。(望樹記 大正9年10月-12月)
本書の中でこの「望樹記」が一番印象的だった。「とねりこ」
という木は、名前だけは耳馴染みなのだが、実体は曖昧模糊で
ある。露伴ならではの「とねりこ」とのかか
わり合い。ブッキッシュでもあり、実践的(庭に移植する)でもある。これを「ケチ」というのなら、また善哉である。
露
伴の視線は実のところ平々凡々なところに注がれている。
文学者というと、何やら小難しい理屈を並
べて作品を作るように思われるが、彼の立場はあまりに単純で明瞭すぎて、かえってその眼の位置が、「ケチビンタな蜆ッ貝野郎」には判らないのだ。
その平々凡々な眼、生きることをどこまでも肯定するまな
ざしは、やがて露伴自身を大樹となした。この大樹は人を
して畏怖させるものではなく、人をなごませ、陰
をつくり休憩を与え、ときにはたわわな実をつけて、人の食欲を満たし、また歩き続ける勇気をもたらす。
「望樹記」は大正9年、もともと「ケチ」と題して発表し
たものである。
とねりこは露伴自身である。
一本の樹が育つには、土と水と陽が連環し、樹もまたそれ
に応えるのだ。ものはそう生きて、生を全うする。生を充
分に味わい、噛みしめることを知らぬ人はそれを
ケチと見る。五十四歳になった露伴はおだやかにこう語っているのだ。(解説「味露記」松山巌)
松山巌も何か気になる人であったが、この露伴評は、なかなか
穿ったものがある。ますます露伴に誘惑されてしまう。
【建
築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場】松山巌 ★★★☆☆
2004/04/30 西田書店
彰国社刊『「建築学」の教科書』所収「小さき場のために」へ大幅
な加筆をしたもの。
建
築は人間の生活そのものであり、自然とともにつくる風景であ
り、人と人とがともに生きる関係であ
る。いま多くの人に建築について考えて欲しい、殊に若い人たちに。この本は高校生たちに、大学ではじめて建築を学ぶ人たちに向けて書いたつもりである。建築と
はなにか、建築家はどんな仕事をするのか。そのことを考える
ためにいくつかの短い言葉を綴り、小さな絵をいくつか画い
た。絵を描くとまた言葉をいくつか加え、
それから絵をまた画き、さらに写真を添えて、ふたたび言葉を書いて……という風にして一冊の本が生まれた。(あとがき「21世紀の、われら「大工の弟子」たち
に向けて」)
新書版サイズ115ページのこじんまりとした本で、54の短文が
収められている。装幀も著者によるもので、かなりわがままな
(^_^;)造りである。本文用紙はざ
ら紙風で、嬉しい事に活版印刷で、印圧がはっきりわかる。内容もかなり自由奔放で、引用あり、散文詩風あり、レイアウトにも工夫をこらしている。「大工の弟子」は
萩原朔太郎の詩集「青猫」所収の詩で、冒頭に部分引用されてい
る。
僕
は都会に行き
家を建てる術を学ぼう
僕は大工の弟子となり
大きな晴れた空に向つて
人畜の怒れるやうな屋根を造らう。
……
僕は人生に退屈したから
大工の弟子になって勉強しよう。(萩原朔太郎「大工の弟
子」)
手持ちの「青猫」(大正12)の目次にはこの詩は見当たらない。
昭和3年の「萩原朔太郎詩集」に「青猫(以後)」として収められ
たらしい。
建
物という言葉がある。
建築という言葉もある。
よく似ている言葉だけど、少し違う。
建物とは、ある場所に建っている物のこと。
建築とは、ある場所にどのような建物を建て、どのように築
き、どのような場所にするのかを考えること。(5)
一度、建物を建てる場所から離れて、
あなたが好きだなと感じる場所を考えてみよう。
あなたが気持ちがよいと感じる場所を考えて見よう(7)
もともと明治以降、日本の建築はヨーロッパ建築のかたちをコ
ピーすることからはじまったのだ。だからヨーロッパの古い建
築を見ると、かえって日本の明治時代の
建物に似ているなと感じる人もいるはずだ。そしていつの間にか、明治時代に建てられた建物こそが、私たちは本物だと思ってしまう。(16)
Morris.が洋館とか洋風建築とか異人館とかに心惹かれるの
は、安っぽい西洋への憧れなのかもしれない。
建
築にもし、いいものとわるいものがあるとすれば、いいものと
は長いあいだ、人々に使われた建物で
ある。なぜならそのような建物は、時代の変化に耐え、激しい風雨にも耐え、なにより多くの人々に愛され、使われてきたからである。だから建てられたとき高い評
価を受けても、それが、いい建築とは限らない。長生きも芸の
うちという格言は建築にこそあてはまる。(18)
地震や繊細を乗り越えて残った建物も。
あ
なたの記憶に残る建物とは、街に立ち並ぶ建物全体ではなく、
建物のなかの小さな部分ではないか。 (19)
神は細部に宿り給う God is in the
details
人
間が作り上げた風景はすべて「恐怖」から生じたという意見が
ある。
風、雨、雪、厳寒、酷暑、
地震、雷、虫、獣、敵軍、
火事、病気、犯罪、盗み
といった、さまざまな恐怖に抗するために建物や街はつくられ
てきた。
《かつて人間は力を結集して自然に対抗したが、今度はその力
が社会の枠からはみ出し爆発の危険を始めた人間に向けられ
る。その結果生み出されるのは処罰の光景
であり、言葉をかえていえば、征服される以前の自然にも匹敵するほど強力で、恣意的な、近寄りがたい巨大な官僚支配のシステムである》(イーフー・トゥアン
「恐怖の博物誌」金利光訳)
官僚支配は処罰のシステム(^_^;)
路
傍や田畑や川岸にちょこんと立つ、なんの変哲もない小屋に惹
かれる。
写真家・中里和人はそんな、どこにでもある小屋を4年間かけ
て撮りつづけた。(28)
「小屋の肖像」(中里和人 2002)は、斉藤さんのところで見
せてもらい感動した覚えがある。
20
年ほど前のことだが、四国の土佐を旅行した折、ぶっちょう造
りという民家に出会った。
通常の雨戸は戸袋のなかに引き込まれる。ところがぶっちょう
造りの雨戸は、ちょうど中央の高さのところから雨戸は上下に
開く。上の雨戸は金具で壁から引っ掛け
られて庇となり、下側の雨戸には折りたたみ式の脚がついていて、その脚を出すと縁台になる。簡単で楽しい仕掛だった。(30)
「住
宅は住むための機械」とは、20世紀を代表する建築家ル・コ
ルビュジェが1924年に語った有 名な言葉だ。
ところが、ル・コルビュジェが住宅にとってほんとうに重要な
目的だと語ったのは、じつは第二の目的だった。
《住宅は次には沈思黙考のための肝要必須の場でもあり、そこ
には美が存在し、人間にとって欠くことのできない静謐を心に
もたらす、そんな場でもあります。……
住宅は或る種の精神のためには美の感覚をもたらすべきだと言っているのです》(「エスプリ・ヌーヴォー」山口知之訳)(35)
よくわからんが、「住むための機械」のほうがわかりやすい。
も
し建築たちに意志があるなら、建築たちは樹のように生きたい
と希っているのではないだろうか。
その土地で生き、育ち、そしてその土地で死ぬ。
建築が寄り集まったとき、
林や森のような
静謐と陽気、
秩序と多様を
もたらさないとしたら、
ひとつひとつの建築はどこか間違っている。
なんたって、建物をつくる時間より、建物を使う時間の方が
ずっと長いのだ。(36)
寄り集まった建築が森や林のようになるなんてことは、日本では
めったに見られない。
《望
みをもちましょう。でも臨みは多すぎてはいけません。》
(ウォルフガング・モーツァルト「モー
ツァルトの手紙」柴田治三郎訳)
スピードアップとは、なにかを行う過程を楽しむ余裕を失うこ
とであり、利便さとは一面で凶器であり、狂気であることがわ
かる。24時間営業するコンビニ、一年
中いつも温度、湿度、明るさの変わらない部屋、高速度の列車、車……。百年前、これらの利便さを人は想像することもなかったはずだ。(42)
コンビニのことを韓国ではピョニジョム(便宜店)と呼ぶ。
個
性的とか、芸術的とか、言い古された言葉で評価される建築は
いかがわしい。もしそれらの言葉がふ
さわしいのであれば、その建築は言い古された言葉と同じだ。(45)
韓国語でケソンチョク(個性的)と評価されたら、褒めどころがな
いと評されたことになる。女性の場合「ブス」の婉曲表現。
異
なる物と物を継ぎ、積み、重ね、組み合わせれば、そこにはど
れほど細くとも、目地は生まれる。床
のフローリングにも天井にも、窓際にもドア枠にも、棚にも引き出しにも目地はある。むしろいろいろな物を組み合わせてつくる建築は、じつは目地をつくることに
よって成り立っている。
建築の用語には「逃げ」という言葉がある。決して悪い言葉で
はない。異なる物と物を重ねたり、組み合わせるとき、ひずみ
や誤差のために、相互の間に少しのすき
まをつくる。これが「逃げ」だ。計算上は不必要だ。でも、もし逃げがなかったら、引き出しは引っぱり出すことはできず、扉は開かないだろう。(47)
「目地」と「逃げ」。この項目が本書では一番印象深かった。
建
物は、少し微笑んでいるくらいがいい。
街は、少しほころんでいるくらいがいい。
都市は少し笑っているくらいがいい。(48)
国は無い方がいい。
ひとりの人のほんとうの悲しみや怒りを他人は共有することは
できない。悲しみはつねにひとりの心のなかに沈潜し、怒りも
またそのひとりの人間の心の底から発せ
られる。だから他人の悲しみや怒りを理解しようとすることができても、共有することは不可能だ。
しかし喜びは共有できる。なぜなら喜びは人と人との関係で生
まれ、共にわかち合うときに生まれる。
誰もが善い人ばかりだったら気持ちが悪い。いろいろな感情を
人間は抱く。だからこそ悲しみや怒り、亀裂や断絶を寛容に受
け入れ、拒絶するべきすきまが、生きる
ための小さな場が必要となる。(49)
建築は、たとえそれが小さな住宅であろうとパブリックなもの
だ。
そして、そのパブリックな思想は部材と部材をつなぐ細部に表
現される。(52)
共有な場とは、じつは未完成の小さな場なのだ。
未完の建築はほほえみ、世界はゆれる。
世界はふるえる。
未完であるためのすきま、ひとりが生きる目地、継ぎ目、余
裕、余白、小さき場。(54)
いい本だった。
【見
わたせば柳さくら】丸谷才一 山崎正和 ★★★☆
1988/05/20 中央公論社 初出「中央公論文芸特
集」1986-87
季刊誌に2年にわたって連載された対談である。文春のおごり
で、二人の売れっ子? に便宜を図って楽しい行事に大名接待
した余録とも見える。
春・
「あけぼ のすぎの歌会始」「桜は死と再生の樹」
夏・
「芸能としての相撲:「胡弓を奏く祭」
秋・
「旧宮邸の美術館で」「映像的世界1987」
冬・
「企業がつくる町」「雪の日の忠臣蔵」
山
崎 朝香宮邸について書かれたパンフ
レットの中で、高橋秀爾さんが、
アール・デコの時代とは、芸術的オーガナイザーの時代だというんです。つまり、自分にはさほど才能はない芸術家が、他の芸術家や職人さんたちを上手に組合せ
て、新しい作品をつくりあげる。その例としてロシア・バ
レーのディアギレフを挙げています。ディアギレフ本人は
芸術的才能はさほどなく、本人もそれを認めてい
た。しかし、彼がいなかったら、近代ロシア・バレーというものはなかった。
丸
谷 それとまったく対応するのが、エ
ズラ:・パウンドという詩人です
ね。彼がそう大した詩人だとは、僕は思わない。でもオーガナイザーとしてのエズラ・パウンドがいなければ、イエーツやエリオットの詩もなければ、ジョイスの小
説もなかった。
山
崎 ふりかえって考えると、この芸術
上のオーガナイザーが非常によく活
躍したのは、ほかならぬ日本の中世なんですね。一番古いのは二条良基だと思うんです。彼は歌人であり、国文学者であり、有職故実にたけた文化のオーガナイザー
なんですね。やがて烏丸光広という人が出てくる。彼の周
辺に光悦とあその他いろいろな人たちが集まる。本阿弥光
悦自身も一面ではオーガナイザーでしょう。さら
に、千利休がいる。
丸
谷 別のいい方でいうと、生活を芸術
化する時代ですね。その芸術化とい
うのは、利休から始まって、日本人のもっとも得意とするところなわけですね。ヨーロッパ人にとっては、芸術は芸術、生活は生活、別のものだった。そう思いこん
でいた彼らが、世紀末このかた、日本美の原理に接触して
愕然とした。(旧宮邸の美術館で)
旧朝香宮(東京都庭園美術館)には一度だけ行ったことがあ
る。2004年7月24日と日付もはっきりしている。ここで
「幻のロシア絵本 1920-30年代展」が
開かれそれを見に行ったのだった。詳細は
「Morris.
の東京物語2」に譲るが、その18年前にここで
黒田清輝展が開かれ二人がそれを見た後での対談である。本阿
弥光悦をオーガナイザーと見る視点も面白
かったが、Morris.としては日本のアール・デコの最高傑作といわれる、この建物をじっくり見る事ができなかったことが心残りである。
山
崎 日本人
にとって、写真あるいは映像は、相当に大きな、認識論上の意味をもっていたんではないかと思うんですね。日本の伝統に欠けていたものの一つは、本当の「外界」
だった。異国趣味はありました。唐物趣味という形で、外
国のものが入ってきたことはありました。しかし、明治の
初期になるまで、西洋を見た画家はいなかった。
西洋人がリアリズムを開発したような目で、現実を見たことはいっぺんもないと思うんですね。
丸
谷 つまり、いきなりエソテリック
(秘教的 esoteric)なんで す。
山
崎 そこで、日本人は写真が入ってき
たとき、たんに現実をよく写すとい
うことで驚いたのではなく、自分の外に現実があることを発見したんです。向うに向けてシャッターを押すと、向うがこっちを向くということ、そいういうどうしよ
もない向うがあるということを知った。西洋の写真は、近
代リアリズム絵画の発展形態として生れましたが、日本に
はそれがなかったわけですから、写真でいきなり
裸のリアリティーというものを学んだのでしょう。(映像的世界 1987)
「鎖国」の後遺症かもね。
山
崎 宝塚少
女歌劇というものは、小林一三がどこまで見通してつくったかわかりませんけれども、日本の文化状況の縮図のようなものですね。
丸
谷 あれは芸者の手踊りを模範という
か型にしてつくったという感じがし ますね。
山
崎 宝塚が多くの人の支持受けている
大きな理由はたぶん、あんなに安い
値段で、日本でレヴューがみられるということです。あれをプロでやったら、昭和初年でも、おそらく費用は数十倍になるでしょう。ところがお嫁入り前の若い女
性、どうせお稽古ごとをしてすごす世代、いわば労働力と
してはタダに近い人たちを、しかも学校の生徒という名目
で集めれば……。天才ですね、こういうことを考
える人は。
丸谷 宝塚の女の子たちをああいうふうに雇って、しかも
どんどん捨て去ることができる仕組をつくったところがす
ごいと思う。優秀な例外的なスターだけは残す、
あとはどんどん捨てていく。そういう仕組を、彼は平然としてつくったわけでしょう。
山
崎 基本的にはヨナ抜きのメロディ、
一音符一字のあて方。つまり小学唱
歌だったんですね。新教育のおかげで、日本古典音楽は滅びてしまった。かといって、本当の西洋音楽ははいってきていない。したがって、小学唱歌で行くんだと、
小林は、はっきり書いているんですね。
宝塚歌劇見た後のこの対談が一番興味深かった。小林一三が後
発の阪急電車で観光(箕面や有馬)と、郊外住宅開発に着目し
たたと、宝塚少女歌劇という不思議な世界を
作ったことの本質を、現代の素人少女学芸団(おにゃんことかAKB)とかに直結する使い捨て芸能方式と見破った(それも80年代に)目の付け所はすごい。
山
崎 つま
り、夢というものは、現実について少しだけ知っているが、十分には知らない人がもち得る特権ですから。
丸
谷 うまいことをいうなあ。(笑)
(企業がつくる町)
うーーん、本当にうまいことを言うこの山崎正和の本を読みた
くなった。
【彩
りを楽しむはじめての庭木・花木 】小林隆行
★★★ 2013/02/25 日本文芸社
185種の栽培カレンダー 剪定と手入れのポイント
草花の名前はそこそこわかる方だと思うが、樹木の名前がいつまで
たってもわからない。とりあえず、木の花から覚えよう。というこ
とで一通り目を通した。要チェック のものを列記しておく
・
プラシノキ(カリステモン)
・オウバイ(黄梅)
・ジャ
カランダ(桐もどき)
・
デュランタ
・ルリマツリ(瑠璃茉莉)プルンバーゴ
・バイカウツギ
・ヒ
トツバタゴ(ナンジャモンジャの木)
・シャリンバイ(車輪梅)
・ドウダンツツジ(灯台躑躅 満天星躑躅)
・ニ
ワトコ(接骨木)
・ハイノキ(灰木)
・ハナモモ(花桃)
・ハンカチノキ
・ヒュウガミズキ(日向水木) トサミズキ(土佐水木)
・リキュウバイ(利休梅)
・オガタマノキ(招霊木)
・カナメモチ(要糯)
・カ
マツカ(鎌柄)
・キササゲ(木大角豆)
・コ
ンロンカ(崑崙花)
・タニウツギ(谷空木) ベニウツギ(紅空木)
・チャンチン(香椿)
・テイカカズラ(定家葛)
・ヒメシャラ(姫沙羅)
・ナナカマド(七竈)
・ニオイシュロラン(匂棕櫚蘭)
・ハクチョウゲ(白丁花)
・ヒ
ペリカム(未央柳 金糸梅)
・ユッカ(君が代蘭)
・キンロバイ(金露梅)
・クサギ(臭木)
・ブッドレア
・ア
ベリア(筑波嶺空木)
・フクシア
・ランタナ
*ネットいろいろ見た中では「
庭
木図鑑植木ペディア」というサイトに多くの庭
木が掲載されているようだ
【人
間晩年図鑑 1990-94年】関川夏央 ★★★☆☆
2016/05/26 岩波書店
山
田風太郎先生に「人間臨終図鑑」という著作がある。古今
東西九百余人の死に方を書いた、静かに劇
的な本だ。山田先生は1980年代なかばに筆をおかれたが、それ以降に死んだ人は書かれずに気の毒ではないか、というのが最初の発想だった。(あとがき)
臨終図巻はMorris.の愛蔵本だが、87年発行でそれ以
降の死者は見ることが出来ないことを、惜しいと思っていた。
関川がその続編を目指した心意気や良し、と
思うのだが、臨終図巻は、死亡年齢順に列記(15歳~121歳)で、増補するのは難しいし、最近は個人情報尊重という観点から、死亡前後の表現の制限が厳しい
こともあって、1990年から一年ごとにその年に死んだ人を
取り上げることにしたらしい。関川がこんな本を出していると
は知らずにいたが、すでに続編二冊が出てるらしい。
山田風太郎(2001年没 79歳)の記述を読んでみたいものである。
1990
年に死んだ人々
栃錦(春日野)清隆(64歳) 成田三樹夫(55歳)
グレタ・ガルボ(84歳) 池波正太郎(67歳) 藤山
寛美(60歳) 幸田文(86歳)
1991年に死んだ人々
江青(77歳) 中島葵(45歳) 山本七平(69歳)
相田みつを(67歳)
1992年に死んだ人々
中村曜子(65歳) 山村新治郎(58歳) 尾崎豊
(26歳) 小池重明(44歳) 長谷川町子(72歳)
大山康晴(69歳) 中上健次(46歳) 寺田ヒ
ロオ(61歳) 太地喜和子(48歳) 風船おじさん(鈴木嘉和 52歳)
1993年に死んだ人々
オードリー・ヘップバーン(63歳) 神永昭夫(56
歳) ハナ肇(63歳) 山本安英(90歳) マキノ雅
弘(85歳) 田中角栄(75歳) 逸見政孝
(48歳)
1994年に死んだ人々
安井かずみ(55歳) アイルトン・セナ(34歳) 金
日成(82歳) 吉行淳之介(70歳) 乙羽信子(70
歳)
昭
和29年秋、4度目の優勝で栃錦は第44代横綱に推挙さ
れる。昇進二場所目、30年春場所での関
脇若ノ花との取組は水入りでも勝負がつかず、一番後取直しの末、すくい投げで栃錦が勝った。年六場所となった昭和33年初場所、若乃花(31年9月場所で改
名)が横綱昇進して「栃若時代」がはじまる。
「団塊の世代」の男の子のほぼ全員が大相撲に興味をもっ
ていた時代だった。(栃錦)
「団塊の世代」であるMorris.もそれなりに大相撲には
関心があった。「栃若時代」では栃錦、「白鳳時代」は柏戸を
贔屓にしていた。
幸
田露伴が残した最良の作品とやはりいうべき幸田文は83
歳の1988年5月、脳出血を起こし右半
身不随となり言葉を失った。退院したが、自宅庭で転倒して骨折した。茨城県石岡で療養中であった1990年10月31日に文は亡くなった。心不全、86歳で
あった。(幸田文)
「幸田露伴が残した最良の作品とやはりいうべき幸田文」とい
う表現は奥歯にものの挟まったような表現であるな。ここ数年
の間に、幸田文の本十冊以上読んだと思う。
そろそろ彼女を卒業して、露伴作品を少しずつ読んで行きたいと思う。
書
家の岡本光平は、相田みつをの書と言葉は、その後に続い
た片岡鶴太郎、緒形拳、「絵手紙」の小池
邦夫とおなじ「大衆化路線」にあり、その源は東洋的文治世界を信奉していた中川一政だ、という。とすれば、おなじ「白樺派」で生涯に5万点の絵と言葉をかいた
といわれる武者小路実篤と同根であろう。
相田みつをは「便所の神様:」だといったのは小田嶋隆だ
必ずしも皮肉ばかりではない。三十代の1990年代初め
頃、アルコール中毒だった彼が吐くためにこもっ
た居酒屋のトイレで見た、「つまづいたって/いいじゃないか/にんげんだもの」に心を打たれた。同時に、相田みつをの言葉をカッコつきで「ポエム」と命名した
小田嶋は、対象世界が明らかに違う尾崎豊と結局は同じだ
として、「かつて日本人が共有していた古典教養ががまっ
たく継承されなくなった」ことが「ポエム」の流
行を呼び、それが「ポエム」が媒介する「永遠の中二病」を日本社会に蔓延させたのだと書く(小田嶋隆「ポエムニ万歳!」)。 (相田みつを)
「ポエム」、「絆」、「癒やし」、「ガンバレ」、「元気をも
らった」……けっ、である。だが、こういった安っぽいお題目
にすがらざるをえない場合や人々がいること
も否定はできないのかもしれない(^_^;)
ま
り子65歳、町子63歳、洋子58歳となる83年、まり
子と町子は、母親が昔買っておいた用賀の
土地に家を建て、桜新町の家から越すことに決めた。しかし、当然ついてくるものと思っていた末の妹洋子は、桜新町の古い家に残るといった。その家の土地は洋子
名義になっていたし、夫を見送った家を彼女は去りたくな
かったのである。妹がはじめてしめした「反抗」を意外に
思い、また不快に感じた姉たちは、以後妹との付
き合いを断った。
92年5月、長谷川町子は能血腫で亡くなった。72歳で
あった。その死が約ひと月のちまでこうひょうされなかっ
たのは、まり子の方針であった。「洋子には絶
対、知らせてはならない」と周囲厳命した
87年に母貞子が91歳で亡くなったとき、その遺産を相
続放棄していた洋子は、町子の遺産相続権も放棄した。そ
の額が膨大なので国税局がその真意を質しにき
た。(長谷川町子)
そういえば、サザエさんの版元は「姉妹社」だったな。長谷川
洋子「サザエさんの東京物語」(2008)を読みたくなっ
た。
や
がて「第一次東京五輪」と呼ばれることになるだろう
1964年東京大会で初めて正式競技となった
柔道の無差別級決勝は10月23日、一万6千にの観衆で埋まった武道館で行われた。オランダ代表、30歳のアントン・ヘーシンクと、日本代表、27歳の神永昭
夫の試合であった。
そのときヘーシンクは、寝技を解かぬ体勢のまま片手を上
げた。金メダルが決まった瞬間、興奮したオランダチーム
のひとりが上履きのまま畳の上に駆け上がろうと
したのを制したのである。敗れた神永はしばらく動かず、武道館の天井を見つめていた。
ヘーシンクは73年、39歳で全日本プロレスと契約し
た。リング上ではジャイアント馬場とタッグを組んだが、
人気は出なかった。
ヘーシンク最大の功績は、オリンピックでの柔道競技の定
着だろう。。もし東京でヘーシンクが勝っていなかった
ら、柔道は日本のローカル・スポーツとみなされた
ままで、ミュンヘン以降の復活はなかった。少なくとも大いに遅れたことはたしかであろう。その意味では、試合に敗れた神永昭夫もまた功労者であった。(神永昭
夫)
「第二次東京五輪」の開催はほぼ絶望になったのではないかと
思われる(^_^;)
日本選手敗退が柔道の国際化に結びついたというのは「負ける
が勝ち」の実践でもある。
1994
年7月8日の金日成の死は、翌9日正午、平壌放送が重々
しく伝えた。放送の声は、まるで世
界の終りを告げるかのように悲痛だった。
金日成は無謀な戦争の発動と北朝鮮軍壊滅の責任を取らな
かった。逆に、休戦後は自己の権力の確立のために政敵の
粛清をあいついで実行した。南朝鮮労働党グルー
プを手はじめに、ソ連からの帰国組、中国からの帰国組、最後に国内パルチザン派を処刑・追放してライバルを根絶やしにした。戦争指導は未熟でも、政敵除去の手
際はみごとであった。
1966年、中国で文化大革命が発動されると、それに刺
激された国内造反勢力の台頭を恐れた彼は、自分とその家
族を神聖化する政治システムへの転換をはかっ
た。北朝鮮はすでに67年には共産主義国ではなかった。カルト国家であった。
朝鮮戦争で失った労働力を補うために在日朝鮮人の「帰
国」を促し、在日コリアンと日本人妻、合計9万4千人が
それに応じた。民族主義と共産主義に人生を捧げる
つもりで見知らぬ寒い土地へ「帰国」した彼らが支払った代償は過大だった。
日本時代の韓国には、事実上独立運動はなかった。独立は
日本の敗戦によって自動的に得られたもので、解放後も新
政府樹立を名のり出るものはいなかった。そのこ
とが心的トラウマとしてコリアンの心に深く刻まれ、ひるがえって抗日運動に身を挺したと力説する金日成への劣等感と、客観的には不合理きわまる金日成へのひそ
かな支持につながった。(金日成)
関川には北朝鮮を論じた「退屈な迷宮」という快著がある。上
記の論調もその線上にある。しかし、このような言説を公にし
ている関川は、北朝鮮のブラックリストに
載っているのではなかろうか。
本家風太郎の臨終図巻があまりに良く出来ているだけに、いさ
さか見劣りすると言えなくもないが、関川流のうがちやひねり
もあって、健闘してると思う。そして関川が
書けなくなるまで、ネタは尽きないわけで、ひょっとしたら関川の死後、彼の記述を含めて継続させていく書き手が現れるるかもしれないなどと思ってしまう。
【プ
ルコギ 焼肉小説】具光然 ★★★☆☆
2007/04/04 小学館
2007年に公開された映画「The 焼き肉ムービー プルコ
ギ」の原作。 名前からして著者は在日だと思う。著者は映画の脚
本も担当している。
このところ焼き肉にはとんと無縁なMorris.である
(^_^;) せめて活字でその味を偲ぼうと思って読んだ。赤肉
料理で全国制覇を狙う「虎王」チェーンのト
ラオと北九州の白肉の名店「プルコギ」で韓老人の弟子のタツジとの対戦、紅白肉合戦(^_^;)みたいなストーリーで、それはそれなりに楽しめるが、タツジが変て
こな九州弁で語る各章の前口上めいた焼き肉談義(ウンチク)に見
るものが多かった。
コ
プチャンは、韓国語で牛の小腸ってゆー意味。小腸の外側には
ぷりぷりの脂がついとって、ここが最
高にうまい。この一番うまい脂をもったいないことに、ほとんど取り除いて腸の皮だけ出す焼肉屋も多いみたいやけど、そーいうとこは行かんほうがええとおもう。
店によって皮を開いてだすとこと、丸いまんまだすとこがあ
る。九州でよぉ見掛ける丸腸は丸いまんま。プルコギ食堂もそ
れ。
下味は、醤油ダレやらコチュジャンを使った甘辛い味噌ダレや
ら、いろいろある。オレが好きなんは、やっぱ塩ダレかな。し
ぼったコプチャンに味がまんべんなく
よぉしみこむよう、塩とゴマ油を丁寧にやさしくムンチする。あ、っと、「ムンチ」は韓国語で、手で和える、揉み込む、っていう意味やけ。
タツジの文体見本。Morris.はどちらかというとコプチャン
は開いた奴の方が好きかも。
肉
は同じ面を二度焼いてはならない。二度焼きは焼き肉の致命傷
になる。各面を一度だけ完璧に焼いて
仕上げた肉と、同じ面を何度も焼き直した肉は、見た目にはそれほど大きな違いはないのに味と食感に圧倒的な違いがあることを、タツジの舌は経験から嫌というほ
ど知っていた。
そうか、焼き肉は「二度焼き禁止」なのか。機会があれば、実践し
てみよう。
適
度に弾力のある皮を奥歯が押し潰すと、なにかがぷしゅっと勢
いよく弾けた。脂だ。突然、ヤケドし
そうなほどの熱さが口の中に広がり、その熱さをどうにかしようと舌が右往左往していると、えも言われぬ香ばしさと、やさしい塩味に引き立てられた極上の旨みが
舌の上と鼻の奥をくすぐった。タツジは目を閉じ、口の中に神
経を集中した。
脂が溶け出した皮を何度も噛みしめ、歯を心地よく刺激する独
特の食感を楽しんで、タツジは、するっと自然に皮を飲み込ん
だ。と、目を開き、旨みの余韻が仄かに
残る口の中に、すかさずニ切れ目のコプチャンを放り込む。また目を閉じる。ゆっくり咀嚼する。毎週食っとるのに食うたんびにびっくりするっちゃ。うま過ぎ、で
す。じいちゃん。
これは本文中のタツジのコプチャン称賛の辞だがこれだけ書ければ
大したものである。、
テ
ンジャンチゲ、テンジャンってゆーんは、韓国語で味噌ってい
う意味。チゲは一人用の器で出てくる
鍋のこと。ちなみにチョンゴルは数人で作りながら食べる鍋のこと。
ダシを取るんは豚肉が一番やけど、アサリとかエビ、ホタテな
んかの魚介類を入れることもあるし、牛肉、ホルモンなんかの
内蔵を煮出した汁を使うこともあるしニ
ボシでダシを取ることもある。野菜も、じゃがいも、にんじん、エノキ、ヒラタケ、長ネギ、春菊とか、いろんなモンを入れたりす。あ、豆腐も忘れちゃイケンよ。
テンジャンの具で、オレがいっちゃん好きなんは韓国のかぼ
ちゃで、韓国語でホバァってゆーの。日本の韓国料理屋なんか
やと、ズッキーニで代用しとるとこが多い
んやけど、かぼちゃっちゅーより瓜ってカンジ。ホバァは炒め物もうまいし、おひたしにしても最高やん。
プルコギ食堂のテンジャンチゲは、豚肉をゴマ油で炒めて、そ
この牛スジか、テールのスープを加えて、あとは必要な具を足
していく。
イパクサの大好物であるテンジャンチゲに関しても必要十分な紹介
になっている。ホバク(ホバッ)はMorris.の好みだが、確
かに見た目は胡瓜に似てるが、味は
甘くないかぼちゃという感じがする。日本ではズッキーニしか売ってない店が多い。たまにズッキーニ買ってホバクジョンなど作ってもいまいち美味くなかったのも、両
者は似て非なるものということなのかもしれない。
「シ
ロ肉というのは、持たざる者の、弱者の思想だと思うんです」
「肉からいきなり思想とは、これまた飛躍するね」
「食の好みは人の生きざまですから、哲学、思想以外のなにも
のでもないとおもいませんか?」
「じゃ、ま、そういうことにしとこうか。で?」
「つまり、ニーチェです」
「へーーっ、シロ肉はニーチェなんだ。興味深いね」
「もちろんニーチェは持てる者、強者の立場、今の議論でいえ
ばアカ肉側の人間として、それを指摘するわけですけど。シロ
肉信仰、これはもうルサンチマンなんで
すね。高級なアカ肉への、それを日常的に食することが許されている品性と才能を持つ人たちへの怨み、妬み、嫉み、憎しみの奔流です。シロ肉の優位性を信じるこ
とでしか、社会的惨敗者の自分の存在理由、価値、アイデン
ティティを保つことができないワケです。悲しいことなのです
が」
「シロ肉、ニーチェ、ルサンチマンね、ふん、まぁ、言わんと
することはわかるんだよ、片岡くんの言わんとすることはね。
でもさ、それって空論なんじゃないのか
な? 事実、地位も財産もあって、フランス料理に関する著書ではパリの名誉市民としても表彰されているオレがアカ肉よりもシロ肉をこよなく愛してやまないこと
を、片岡くんはどう説明してくれるのかな?」
「ぼくの言っているルサンチマンというのは目に見える物質的
な表象や現象のことではなくて、内側の本質的なレベルのこと
です。つまり、品格とか品性の問題なん です」
トラオと白肉ファンの美食評論家とのえらく衒学的対話だが、これ
は読者サービスだろう。Morris.はミノ至上とする白肉派だ
が、赤肉の美味しさは知ってるつも
り。ただ、食する機会が少ない(しつこい!!)だけ。
【天
皇機関説--昭和史発掘6】松本清張 ★★★☆
1978/01/25 文藝春秋
「昭和史発掘」全13巻」は社会派推理作家の大御所松本清張
の歴史研究の中でも異色を放っている。昭和史と言っても7巻
から13巻までの7巻はすべて二・二六事件
に直接関係するもので、1巻から6巻までもほとんどの記事が、二・二六事件の前史、あるいは事件に関連するもので占められている。つまり13巻に及ぶ大河ドラマみ
たいな「二・二六事件史」といえるだろう。
松本清張作品はそれなりに多数読んでると思うのだが、推理小
説中心で歴史物、評論はなんとなく避けていた。6巻には「京
都大学の墓碑銘(滝川事件)」「天皇機関
説」「陸軍士官学校事件」の三篇が収められていて、前からこの天皇機関説のことが気になりながらいまいち分らずにいたので、つい読んでみる気になった。奥泉光の近
作「
雪
の階 (きざはし)」が日中戦争前夜を舞台とし
て、この天皇機関説が大きな因子として取り上げられていたこ
とも誘因となったのだろう。
120p、小説で言えば中編くらいだし、平俗むけの解説書の
おもむきで、ところどころ、清張ならではの我田引水、強引な
論の持って行き方についていけないところも
あったが、非常にわかりやすかった。
昭
和10年に起った、いわゆる「天皇機関説」の問題は日本
の方向そのものを大きく決定した。この問
題を契機にファッショ勢力は全面的な攻勢に移り、日本は急速に戦争へと傾斜してゆくのである。「天皇機関説問題」は日本を破局に暴走させた切り換えポイントの
役目をになっている。
美濃部学説を、簡単にいうと、国家を主権者のある法人的
団体と見なす。日本の場合、この法人の主権者は天皇の
「大権」である。この大権は天皇が勝手に行使する
ものではなく、国民の利益の上に立って行使される。つまり、天皇の独裁の範囲を縮小し、それだけ議会の権限を拡大するという一種の議会在権的なものだった。美
濃部は、天皇の意義をその人格的存在と、法人団体の代表
的存在と、二つにわけたのである。
まず、世間に誤解を与えたのは、天皇機関説の「機関」と
いう名であった。万世一系の至尊を、機械になぞらえるこ
とは怪しからんという論が起こる。ひいては、不
敬ではないかという避難に発展する。国粋的理論はそれを極端におしすすめたものだった。
【年
の残り】丸谷才一 ★★★☆☆
1968/09/15 文藝春秋
短編中編合わせて4篇が収録されている。
・川のない街で-- 「文學界」1968年1月号
・年の残り--「文學界」1968年3月号 59回芥川賞
・思想と無思想の間--文芸」1968年5月号
・男ざかり「文學界」--968年9月号
マ
ルクス・アウレリウスの言葉が心に浮んで来た。昭和の初め英
文学者の魚崎が、ストイックな男には
ぴったりだとからかいながら推薦してくれて以来、レクラム版の『瞑想録』は彼の愛読書になっていたのである。
昨日は一しずくの精液、明日はミイラか灰。それゆえこの地上
における束の間を「自然」の意志のまま過して、やがて安らか
に憩うがよい。ちょうど熟したオリーヴ
の実が、自分を産んでくれた大地を祝福し自分を実らせてくれた樹に感謝しながら、落ちてゆくのと同じように
料理が前に置かれると、われわれは考える。これは魚の屍だ、
豚の屍だ、と。このファレルノ葡萄酒は一房の葡萄の汁にすぎ
ない、とか、あの紫の衣装は貝の血で染
めた羊の毛に過ぎぬ、とか。あるいはまた、性交とはすなわし性器の摩擦と射精の謂にほかならぬ、とか。
マルクス・アウレリウスは16代のローマ皇帝でストア派の哲学者
らしい。「瞑想録」より「自省録」の名で知られているようだ。
「ス
トアの連中がいちばん尊敬していた哲学者がソクラテスなの
は、粗衣粗食だったとか肉体的快楽を
排斥したとかいうこもあるが、例の毒杯をあおぐソクラテスというのが一種の自殺、そう見ることもできるせいも大きいんじゃないかな。第一、開祖のゼノンが自殺
してるしね
「自分で自分の首をしめて……」
「そうあれだよ」
「それからエリザベス朝演劇--シェイクスピアのころの芝居
には自殺が多いでしょう。あれだってそうだ。あのころのイギ
リスの芝居はストアの影響を強く受けて いたから」
「でも、ぼくはストアじゃないからな」
「だから……自殺は肯定しない」
「どうして?」
「自分の意志じゃなくて生れて来たんだから、自分の意志じゃ
なくて死んでゆくのが正しいと思う。首尾一貫している」(年
の残り)
「年の残り」は芥川賞受賞作で本書の腰巻(表紙の帯)には石川淳
のちょっと皮肉っぽい評が付されてあった。
あまり世評に上らなかった「思想と無思想の間」の以下の部分が
Morris.には印象深かった。
歴
史主義というのは18世紀の啓蒙思潮や自然法に逆らって生れ
た19世紀の産物で、だから歴史につ
いての考え方という面ではマルクス主義もこれにはいる。そう言えば彼の看板みたいに思われている浪漫主義も西洋の19世紀のものだし、それから民族主義や国家
主義だってそうだ。そしてこういういろいろなイズムはみな手
を握りあって、啓蒙思潮と自然法の普遍的・全人類的な考え方
に反対したのである。こう並べて来ると
黒田栄之輔の財産目録は西洋19世紀づくしになるのだが、世間ではそのことに注目しないようだ。これは彼がいつも日本、日本と言っているからみんなが言葉の表
面ばかり見て、彼の方法をみようとしないためじゃないか。
しかしこのことは、もともと国家主義というものが普仏戦争や
ナポレオンや植民地競争の時代、つまり19世紀のもので、ほ
んのすこし遅れ気味にしてこれも19世
紀の日本に舶来品としてはいって来たということを考えればよく判るだろいう。その国家という舶来品に興奮したという意味で、たとえば頭山満などは大変なハイカ
ラだったのである。ついでに言っておけば、いわゆる国士とか
豪傑とかの豪放なスタイル、あれも西洋の浪漫主義といくらか
関係づけて考えることができよう。
明治以後の日本は国家それ自体が西洋の真似に熱心で、しか
も、たとえばイギリスがインドに対しておこなったことをこち
らyは中国で真似ようという態度であった
し、だから西洋19世紀主義者黒田栄之輔は声を大にして居丈高に、なぜ悪いと開き直ることができるんどえある。こうして満州事変もシナ事変もみな肯定される
し、アメリカについてはもっぱら向うが日本を挑発して真珠湾
を攻撃させたというふうに、アメリカにみんな責任が会うrこ
とになる。日本が中国を侵略したという
倫理的な反省はちっともなくて、あれはやむにやまれぬ民族の力の発現だなんて言うのである。この民族の力という概念には、明らかにダーウィン風の「適者生存」
の反映があろう。つまりここでもまた西洋19世紀が顔をのぞ
かせるわけだ。
一方にはこういう無倫理な歴主義・国家主義があるのに他方に
は平然として、アジアの平和とか、王道楽土とか、五族協和と
か書いてある7。ぼくには、これが単な
る名目なのかそれとも本当にそう思っているのか、見当がつかないのである。それに舅はまた、大東亜戦争のせいでアジア・アフリカには独立国がふえたじゃないか
なんて威張っているけれど、この伝でゆけば日露戦争のせいで
ソビエトが出来たわけで、乃木大将も東郷平八郎も、広瀬中佐
も明石元二郎もみんな赤の協力者という
ことになってしまうだろう。だが、こんなふうに文句を言ってもはじまらないかもしれない。何しろ舅の本では、英国がインドにしたことを日本がやってはなぜ悪い
と尻をまくっているちょうど10ページさきで、英国の対イン
ド政策を「一東洋人として」口を極めて罵っているのであ
る。……(思想と無思想の間)
黒田は、戦前からマルクス主義を初め左右主義を総ざらいしたよう
な活動家?で、語り手の義父にあたる。こういった論の持って行き
方は丸谷一流のやり方である。三つ
子の魂百まで、ぢゃ(^_^;)
【泣
き虫ハァちゃん】河合隼雄 岡田知子絵
★★★ 2007/11/30 新潮社
初出「家庭画報」2005-07
河
合隼雄
1928年兵庫県生れ。臨床心理学者。京大卒業後、スイスのユング研究所でユング分析心理学の理解と実践に貢献。文化庁長官などを歴任。2007年7月逝去。
どうも心理学というのには胡散臭さを感じるMorris.な
のだが、河合隼雄にはなんとなく、好感と信頼感をもってい
た。
本書は、彼の自伝的作品で、連載半ばで亡くなってしまったの
で遺作ということになるのだろう。
お
母さんは、静かに話しかけてきた。
「ハァちゃん、ほんまに悲しいときは、男の子も、泣いて
もええんよ」
もうたまらなかった。ハァちゃんは涙の流れ出してくるの
を止められなかった。しまいには、お母さんの膝に顔を埋
めて泣いた。お母さんの膝はあたたかく、優し
かった。「男の子も、泣いてもええんよ」などということは、ハァちゃんはそれまでに誰からも聞いたことはなかった。
Morris.は小学校1、2年生の担任だった宮地静代先生
から、同じような言葉をかけられた記憶がある。かなり泣き虫
だったようだ(^_^;)
「ハァちゃん、けんかぐらいしてもええけど、嘘は絶対に
あかんで」お母さんの顔はきびしかったけれど、それだけ
で終りだった。短い、しかし腹にこたえる声の響
きだった。
けっこう嘘つきだったような気がする(>_<)
少
し考えた後で、クライバーさんは実に真剣な顔をしてハァ
ちゃんに言った。
「私は、玉手箱のなかには浦島太郎の年齢(とし)が入っ
ていたと思います。あけなかったら、トシがそちらに溜っ
て浦島はずうっと若いままだし、玉手箱をあける
とトシが出てきて、浦島は老人になります」
浦島太郎の玉手箱の中身が年齢だったというクライバーさんの
説は特別ユニークなものでもないが、幼かったハァちゃんの記
憶に残っていたというのは、かなり印象的 だったのだろう。
私
がもう言葉を使い果たしたとき
人間の饒舌と宇宙の沈黙のはざまで
ひとり途方に暮れるとき
あなたが来てくれる
言葉なく宇宙からの一陣の風のように
私たちの記憶の未来へと
あなたは来てくれる (「来てくれる」河合隼雄さんに
谷川俊太郎 2007/11/03 より)
谷川俊太郎は弔辞ならぬ弔詩も上手いなあ。二人は親交が深
く、共著も数多く出している・
こ
の『泣き虫ハァちゃん』は、夫が遺した最後の本になりま
した。世界文化社発行の「家庭画報」に連
載中、平成18年8月に脳梗塞で倒れ、そのあと書きためてあった分が掲載されましたが、まだ本人が執筆予定であったこの続きを書くことはできず、倒れてから
11ヶ月後にとうとう、意識が戻ることなく逝ってしまい
ました。
夫はこれまで思い出というものを書かない人でしたのに、
なぜこの本を書いたのでしょう。なにか、はかり知れない
運命を感じていたのでしょうか。この『泣き虫
ハァちゃん』が、夫の置き土産だったのかと思っています。(河合嘉代子)
【日
本の四季 風のたより 雲のふみ】倉嶋厚
★★★☆ 1988/12
/10 朝日出版社 初出「朝日新聞」 お天気衛星、1984-88
写真 鈴木正一郎
倉
嶋厚 1924年長野市生れ。中央気象台付属
起床技術館養成所研究科(現気
象大学校)卒業、気象庁勤務。NHK解説委員、気象キャスター。
コミスタ神戸図書室で見つけて、その写真の美しさにつられて借り
てきた。著者の名前は何となく記憶に残ってた。NHKの気象キャ
スターやってたらしいからそのとき
の記憶だろう。コラムの内容もなかなか濃いものがあった。
・
こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり
雪--津軽に降る七つの雪の呼び名。
太宰治の作品『津軽』の扉裏に「東奥年鑑より」として記されているから、古くからいわれてきたものでああろう。(七つの雪)
・「人生相見ざるは、ややもすれば参(しん)と商(しょう)
の如し」と杜甫が歌っている。会うことのないたとえにあげら
れた参と商はともに星の名で、参は冬の
星座の代表のオリオンの三つ星、商は蠍座のアンタレスで夏の星の代表である(参と商)
・スコールというのは南洋方面の強い「驟雨」のことだと日本
人の多くは思っているが、世界気象機関の用語集では「突風」
と定義されている。「しぐれ」の語源も
「し」は風、「ぐれ」は「狂い」だという説がある。雨と風が一体となって切り離せない減少を指す言葉の中に、こういう例が多いようだ。(風と菜種梅雨と)
・「はやて」は、英語ではスコール。積乱雲の横隊がスコー
ル・ラインとなって、前線から離れ、時速80km以上のス
ピードで先に進む。「はやて」は、かかると
すぐ死ぬところから疫痢の別名になったり、相場の短期間の激変の意味で使われたりもする。(春はやて)
・俳句歳時記では霧を秋の季語と限定し、春の霧を「かす
み」、夜の「かすみ」を「おぼろ」としている。しかし気象観
測では「かすみ」も「おぼろ」もない。いず
れも、霧、靄(もや)、風塵、黄砂、層雲、巻層雲、高層雲などのどれか、またはそれらの複合によって起きる。(朧月夜)
・平壌 47058、ソウル 47108、東京
47662--これは気象電報に用いられる国際地点番号で、
初めの47は朝鮮半島と日本列島の地区番号、後の
三数字が各都市の番号である。ニューヨーク派72503、モスクワは27612、シドニーは94767である。
3月23日の「世界気象デー」は1950年の
WMO(World Meteorologicak
Organizationn 世界気象機関)条約の発効日を
記念したもの。(世界気象デー)
・水に落とした一滴のインクは、ゆっくり広がって色が消える
ほどに薄まる。これが拡散現象。この場合は分子の不規則な運
動による拡散だが、大気中の拡散は、分
子よりはるかに大きな空気の塊の不規則な動き、つまり大気乱流によって行われるので、もっと大規模になる。
地球大気が無限に見えた時代は、汚染物資の拡散は自然の"毒
消し"。自浄作用と考えられていた。しかし、現代の地球大気
は、人類にとって、換気装置のない「室
内空気」である。(拡散)
・気象庁所属の気象大学校の前身は、大正11年に創立された
即効技術官養成所で、いくたの変遷を経て、昭和39年に四年
制の大学校となった。校舎は千葉県柏市
にある。学制上は文部省令による大學ではなく、それに準ずる各種学校として取り扱われているが、卒業生には打学院進学資格が認められており、人事院規則に寄る
学歴免許資格は大学卒扱い。女性の入学が認められるように
なったのは、昭和54年から。毎年、およそ15人の採用に対
して千五百人から二千人近くの受験者がい
る。学制は公務員として採用され、在学中から給料を受ける。(気象大学校)
・「集中豪雨」という言葉は、日本独特の気象用語で、英語で
論文を書くときはsevere rain storm(激し
い雨あらし)と訳すことが多い。アメリ
カの気象学会編の気象用語集では、積乱雲から降る異常な大雨を、cloud burst(雲の爆発)と呼んでいる。(雲の爆発)
・雲に関心をもった文人は多く、正岡子規の随筆『雲』、幸田
露伴の『雲のいろいろ』、島崎藤村の『雲の記』などがある。
「雲もまた自分のやうだ/自分のやうに
/すつかり途方に暮れてゐるのだ」と山村暮鳥。「あのくものあたりへ 死にたい」は八木重吉。(雲)
・1mmの雨は、一平方mあたり、一リットル、一kg。一平
方kmなら、千トン。利根川水系の6つのダムの集水域の面積
は約1600平方km で、そこに
10mmの雨が降れば、1600万トン。ただし、降った雨のダムへの流出率は、今ごろは0.5ぐらいだから、ダムに流れ込むのは、80万トンになる。(水不
足)
・大気中に存在する水蒸気をすべて雨にして、全地球表面にな
らすと、雨量は25mmにしかならない。が、地球上には一年
間に平均千mmの雨が降る。ということ
は、大気中の水蒸気は一年間に40回つまり、約9日間に1回の割合で、全部入れ替わっていることになる。雷雨、低気圧、前線、台風などの雨は、みな、その一環
であり、その「空の水道」を駆動しているのは、むろん太陽
だ。(空の水道)
・空へのぼっていく空気塊は、気圧が低くなるから膨張する。
ふくらむからには、気体は物理学上の「仕事」をする。そのた
めにはエネルギー(熱)がひつようであ
る。が、どこからも、それをもらうわけにはいかない。そこで、自分が持っていいる熱エネルギーを消費する。つまり気温を下げる。これな「断熱冷却」という。こ
の場合の「断熱」といは、周囲との熱の授受のないことをいい
表す。雲は上昇気流の「断熱冷却」で水蒸気が凝結してでき
る。上空の冷たい空気に触れて「冷やされ
て」できる、などと子供向けの図鑑などに書かれているが、これはまちがい。自分で「冷える」のだ。(断熱膨張)
・季節や地域による気候の変化の根本原因は、太陽光線の傾き
の違いである。英語で気候をクライミット
(climate)、ドイツ語でクリマ(Klima)と
い、その他のヨーロッパの各国語でも、ほぼ同じ発音の言葉なのは、ギリシャ語で「傾く」を意味する「Klinein」に由来するためである。
一方、中国や日本の「気候」は、二十四季七十二候の「気」と
「候」に発し、季節の移ろいに目を向けた言葉といわれてい
る。そして、また一方、季節を意味する英
語のシーズン、フランス語のセゾンなどは、ラテン語の「種まき(satioまたはsation)に由来する。「春生夏長秋収冬蔵」のサイクルもまた光の傾きか
ら生じたものであり、昔は「一米」と書いて「ひととし」と読
んだ(季節の由来)
・地球の半径は約6400kmだから、いまコンパスで半径
10cmの円を描き、それを地球とすれば30kmの大気の厚
さは鉛筆の線の太さになる。
人間にとって高度7km以上は致死量域だ。19km以上では
気圧減少で体液は沸騰し、15秒で死亡する。旅客機は機内の
気圧を上げているから人は死なずにおら れる。
人間は、大気という海の海底動物であり、垂直の移動には弱
い。(大気の底)
・ドラフトといえば、普通は草稿、下絵、選択などの意味に用
いられるが、気象学では、室内の細かい気流や、航空機を悩ま
す上下方向の乱気流を指す。近年は、積
乱雲の下にできるダウンドラフト(下降気流)の中のダウンバースト(下降噴流)と、着陸姿勢に入った航空機の墜落事故との関係が注目されている。(ドラフト)
【詩
のこころを読む】茨木のり子 ★★★★
1979/10/22 岩波ジュニア新書9
この本はたぶん、刊行から時をおかずして読んだに違いない。
いや、今回再読(再再読?)して、引用されている詩の半分以
上は覚えていた。Morris.にとってか
なり影響を受けた一冊ということになるだろう。
谷
川俊太郎/吉野弘/ジャック・プレヴェール/会田綱雄
/辻征夫/岡真史/安西均/黒田三郎/安水
稔和/高橋睦郎/阪田寛夫/松下育男/高良留美子/滝口雅子/新川和江/ラングストン・ヒューズ/岸田衿子/牟礼慶子/川崎洋/大岡信/工藤直子/濱口國雄
/岩田宏/石川逸子/金子光晴/石垣りん/河上肇/永瀬
清子中原中也
以上30人ほどの詩人が紹介されている。200pくらいの新
書という制約のなかで茨木が感銘を受けた詩を一つでも多く紹
介しようとした熱意が伝わってくる。複数作
品紹介されてる詩人もいるし、光晴の「寂しさの歌」だけで13p費やしているあたりも思い切りがいい。
あまりおぼえてなくて、今回印象深かったものを幾つか引いて
おく。
見
えない季節 牟礼慶子
できるなら
日々のくらさを 土の中のくらさに
似せてはいけないでしょうか
地上は今
ひどく形而上的な季節
花も紅葉もぬぎすてた
風景の枯淡をよしとする思想もありますが
ともあれ くらい土の中では
やがて来る華麗な祝祭のために
数かぎりないものたちが生きているのです
その上人間の知恵は
触れればくずれるチューリップの青い芽を
まだ見えないうちにさえ
春だとも未来だともよぶことができます --詩集『魂
の領分』
牟
礼慶子は中学校の国語の先生を長くしましたから、自分自
身の内部の暗さ、生徒たちがかかえている
暗さをともに敏感に感じとり、暗さがはらんでいる未来に、そっと手を添えているようなところがあって惹かれます。自分をつかみ直そうとする勇気ある人は、おと
なになってからも何度でも、こういう暗さに耐えることを
辞しません。
この詩は全く忘れてたが、良い詩だと思った。「触れれば崩れ
るチューリップの芽」、最近チューリップを花壇で多く見かけ
るようになり、変り咲も多いが、あの花その
ものが春の芽生えを感じさせる。
風
石川逸子
遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
人は新聞紙(がみ)と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)
近くのできごとに
人はおそろしく
私たちは小さな舟のようにふるえた
(吹いていった風)
遠くのできごとに
立ち向うのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向うのは近くの私たち
(あたりまえの歌を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった) ーー詩集『子どもと戦争』
アウシュビッツのことや、ユダヤの少女、アンネの悲惨な
生涯には、この上ない正義感で怒ることができるのに、同
じ頃、日本が中国、朝鮮、東南アジアで、ほしい
ままふるまったことには、報道のあおるがまま、大喜びでばんざいをさけんでいたし、今でも、かつてのアンネに寄せるような涙を、東洋の無数のアンネたちにそそ
いではいません。このアンバランス!
石川逸子には「黒い橋」というすぐれた作品もあって、
1937年に起こった日本軍による南京大虐殺を取り上げ
ています。
「黒い橋」も読んでみたいと思ったのだが、Google検索
ではヒットせず、神戸市立図書館には彼女の詩集は一冊も無い
ようだ。
老
後無事 河上肇
たとひ力は乏しくも
出し切つたと思ふこゝろの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるまゝに、
飢ゑ来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れさればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世になくも、
われはひとりわれを羨む。 --『河上肇詩集』
なんという颯爽とした自己愛でしょう。いやらしさが微塵
も感じられません。
『河上肇詩集』をよむとき、こちらを打ってくるのは、そ
の性格のまっ正直さ、無邪気さ、ほほえましさです。
河上肇が詩を書いてたことさえ知らずにいたが、「貧乏物語」
は読まねばと思いながら果たせずにいる
ア
ランブラ宮の壁の
岸田衿子
アランブラ宮の壁の
いりくんだつるくさのように
わたしは迷うことが好きだ
出口から入って入り口をさがすことも --詩集
『あかるい日の歌』
たいていは迷いをふっきろうとして無理するのに「迷いも
愉し」と言える心は強く、しかもこの一行を呼び出すため
の枕言葉のように、アランブラ宮のるつくさ模様
がたちあらわれるのです。
人が死んだあとはいったいどうなるのでしょう。有機物か
ら無機物に変わるだけだと思っている人もあり、人間にだ
け霊魂はあると思っているひともあり、生々流
転、またなにかに生まれ変わるのだと思っている人もあり、実にさまざまです。
これから先、いろんなことが科学的に解明されてゆくで
しょうが、死後の世界のことはついにわからずじまいで最
後まで残るでしょう。どんな敏腕なルポ・ライター
も、あの世からのルポを送ることはできません。想像力をはたらかせ、それぞれが、ただみ迷うばかりです。
でも、どうやっても、たった一つだけ、わからないことが
あるというのは、考えてみれば、素敵に素敵なことではな
いでしょうか。そんなことを感じさせ、考えさせ
てくれる詩です。
では
このへんで
この小さな本も
さようなら。
最後に引用した岸田衿子の詩への、素敵な解説。本書には、茨
木のり子自身の作品は引用されていないが、この解説がそのま
ま作品になっているような気もする。詩集
『あかるい日の歌』は長らく愛蔵してたのだが、数年前友人の娘にプレゼントした。だからこの詩も忘れてたわけではないのだが、この解説を引用したくなったので……
(^_^;)
【ニッ
ポンの歌】大越正実編 ★★★☆☆
2012/06/22 音楽出版社
「歌好きオトナ100人が選んだ!! 歌った!!」という副題。
平均1958年生まれの100人にそれぞれ好きな日本の歌30曲
を選んでもらい、それ、歌、歌手、作曲家、作詞家、編曲家別にラ
ンキング付けたもの。平均は
Morris.より10年ほど若いが、おおむね同世代に近いといえるだろう。
音楽評論家、編集者、アーチスト、何故か競馬関係者が多く、それ
ぞれのベスト30曲(かなり変動あり、偏見あり)とそれらにまつ
わる音楽体験コラムもあって、実に
面白かった。全部で2370曲というバラけ具合が一般の歌謡ベストとは際立って個性的選曲だったということが判る。一癖ありそうな連中が集まってるとも言える。
何しろ歌ベスト100の1位の帰って来たヨッパライ」が11票
(^_^;)、あと2位の「上を向いて歩こう」「スーダラ節」
「見上げてごらん夜の星を」がそれぞれ
10票、9位に7票の曲が6曲もあって、ベスト10がベスト14になってるあたりも、このバラバラバラエティぶりがわかる。
歌手ではサザンオールスターズ(65票)、吉田拓郎(57票)、
RCサクセション(30票)ということでこちらはかなりかたよっ
てるし選者の好みがわかる。以下、
坂本九、フォーククルセダーズ、荒井由実、高田渡、井上陽水、中島みゆき、ハナ肇とクレージーキャッツがベスト10。
作詞家ではやはり阿久悠(91票)で納得。あと桑田佳祐(72
票)、松本隆(62票)と続いて、岩谷時子、なかにし礼、吉田拓
郎、永六輔、山上路夫、橋本淳、忌野 清志郎がベスト10。
嬉しかったのは筒美京平が作曲家部門(76票)、編曲家部門
(61票)でともにトップになってたことだ。編曲家部門を設ける
あたりも、このセレクションの本気度を 感じることが出来る。
作曲家では桑田佳祐(72票)、吉田拓郎(60票)、以下加藤和
彦、荒井由実、いずみたく、大滝詠一、忌野清志郎、中島みゆき、
中村八大がベスト10。
編曲家は筒美に続いて、サザンオールスターズ、松任谷正隆、森岡
賢一郎、川口真、星勝、深尾一三、大滝詠一、中村八大。
近
田春夫が「京平さんは鼻歌で曲を書いているんじゃないの
か?」と言ったとか。
これは筒美京平という昭和歌謡&ポップスの巨大な才
能への最大限の賛辞だ。つまりアイドル歌手というのは一部を
除けば、必ずしも歌唱力のあるタイプば
かりではない、むしろ下手糞ぶりが味になるパターンも少なくない。そんな彼ら(彼女ら)でも筒美作品というのは無理なく、そして気持ちよくうたえるというの
だ。そういう意味での"鼻歌"である。僕らがカラオケで筒美
作品を好んで、無理なく、そしてものすごく気持ちよく歌える
のも、たぶんそういうことである。ワ
ン・アンド・オンリーの楽曲も素晴らしいのだけれども、下手糞な自分でも気持ちよくうたえてこそ名曲である。そんな名曲群を膨大に生み出し続けた筒美京平が1
位なのは順当といえる。(作曲家ベスト100の解説より)
2千数百曲の中で、毛色の変わった曲で、興味を覚えたものをいく
つかチェックしておく。
満
月の夕 ソウル・フラワー・ユニオン
タンゴ 暗黒大陸じゃがたら
海の底でうたう歌 モコ・ビーバー・オリーブ
SAD SONG ザ・ルースターズ
しらけちまうぜ 小坂忠
MR.BIG ROCK オリジナルラブ
悲しみの果て エレファントカシマシ
ILLUSION 小山卓治
世界の終わりに ミッシェル・ガン・エレファント
そ
れにしても、音楽の専門家でもない自分でさえこんなにたくさ
んの好きな曲が挙がってしまうわけ
で、ほかの筆者のみなさんは、選曲にはどれほど悩んだことでしょう。しかも、格安すぎる原稿料。本書編集者でもあるオレが会議で提案したサブタイトルは"大人
100人が赤字覚悟で選んだ このニッポンの歌が好き!"あ
るいは"大人100人が自分のお腹を痛めて選んだ このニッ
ポンの歌が好き!"ボツになりました
が、皆さんに感謝。めざせ増刷印税。(古谷徹 1958年生 ライター&宝島VOW二代目総本部長)
(「1968年をピークに"みなもと歌謡曲脳感グラフ"は下
降線を辿り、21世紀突入と同時に"脳死"を遂げている」
みなもと太郎)
漫画家みなもと太郎は1947年生れで、Morris.より2歳
年上だが、ほぼ同世代。彼が物心ついてから本書の原稿書くまでの
間の馴染みの歌1500曲を年代順
にグラフを作成したら。タイトルの通り、1968年から下がり始め21世紀以後ほとんど馴染みの曲はなくなったらしい。これはMorris.もほぼ同様だろう。
寄稿者100人の一人(佐藤剛 1952生)は1969年を「宝
島」として、この年発表に限った30曲をセレクトしていた。みな
もとは30曲それぞれに短いコメン
トを付していて、これもけっこう共感を覚えた。
・
ヨナ抜きの代表曲。どこまで行っても終わらないのは嬉しい。
(鉄道唱歌)
・"夕焼け空がまっかっか"はまあいい。2番の"上りの汽車
がピーポッポ"とは何だ。3番の"一番星がチーカチカ"も許
しがたい。しかし、恐らく、富永一朗が
ギャグに開眼したのはこの歌の出現からであろうと思っている。(夕焼けとんび/三橋美智也)
・「俺がこの曲を本気でうつと自殺する奴が出ると思う。だか
ら少し手を抜いてうたっているんだ」と当時アキラが言ってた
そうな。「何をキザな」と思っていた
が、近ごろ何となく納得できるようになった。この歌に限らずアキラの声は、空恐ろしいほどカラッポなんだよね」(さすらい/小林旭)
【違
和感】太田光 ★★★
2020/10/01 扶桑社 2018年版焼き直し
太田光 1965年5月13日埼玉県生れ。1988年、同じ
日大芸術学部演劇科だった田中裕二と漫才コンビ爆笑問題を結
成。1993年NHK新人演芸大賞で大賞受
賞。1994年テレビ朝日の「GAHAHAキング 爆笑王決定戦」で10週勝ち抜き初代チャンピオンに。
ネッ
トの書き手というのはどこまで上から目線なんだよって本
当に思う。
上から目線と言えばダメな評論家がその代表格だと思うん
だけど、ネットで簡単に思っていることを書けてしまうい
まの時代は、みんながプチ評論家になっている。
別に評論自体はしたけりゃすればいいんだけど、俺が気持ち悪いなぁと思うのは、彼らには悪意の自覚がないということ。たとえば、俺が村上春樹や宮崎駿の悪口を
言う時には「茶化してやろう」という悪意を自覚してい
る。でも、ネットの人々は自分の悪意を自覚しておらず、
むしろ正しいとさえ思っていると感じてしまう。
(毒舌)
20年以上ネットで日記を書きつづけてきたことになるが、
ネットでの書き込みが「上から目線」になりがちだということ
を再認識させられた。猛省
な
ぜ、人を殺してはいけないのか?
これは人類最大の謎のひとつだ。
生きていると、いろいろあるにせよ、少なくとも死より生
のほうが重要だと思っている人だったら、他者を殺しては
いけないという理屈は通用するだろう。でも、人
生なんてどうでもいいやと自己の生に対して否定的に思っている人間に対しては、その理屈が通用しない。だから難しい。そういう人たちは、自分の生を否定するの
と同様に、だったら他者の生を奪ってもよしとの理屈に
なってしまうだろうから。
なぜ、人を殺してはいけないのか?
わからない。だからこそ問い続けるということ。その答え
がわかった時点で、人類の進化はそこで終わりでいいくら
いの究極の問いだと思う。(モラルと道徳とルー ル)
もちろんこの疑問は、人類の思考の始まりから存在する疑問
「なぜ生まれたのか」と直結するものでもある。正解というの
は見つからないかもしれなし、そういうものだ とも思う。
俺
がなぜ憲法九条を世界遺産にとまで言うかといえば、その
存在をおもしろく感じているからだ。
日本国憲法を作った時点で、そもそもが異常な状態だった
わけでしょ?
終戦直後、焼け野原の日本。そこにやってくる占領軍とい
う名のアメリカ。その時、日本人は戦争は二度と嫌だと
思っていた。空襲も嫌だし、原爆も嫌だし、戦争な
んてうんざりだった。一方のアメリカはまったくそんなことは感じていない。本土を攻撃されていないから空襲の恐怖も知らないし、なによりも勝者なのだから。
でもそんなアメリカは勝者だからこそ、自分たちの国では
実現できない、ある種の理想を憲法九条に込めることがで
きた。二度と脅威にならないような、武器を持た
ない平和だけを追い求める理想の国を日本で実現しようというね。しかも、時が味方をする。アメリカがそう願ったタイミングが、「戦争はもう二度と嫌だ」と日本
人が痛烈に感じていた時期と重ならなければ、憲法九条は
成立しなかったはずだ。
その後、日本人はずっとごまかして生きてきた。それは戦
後75年がすぎてもそうで、なにかあると憲法九条に右往
左往している日本人は滑稽でもあるんだけど、あ
の憲法があるおかげで戦争のことについてずっと考えさせられているとも言える。俺は、そこが憲法九条のおもしろさだと思う。
幸福とはなんぞやと考えるともっと個人的な言葉になって
いく。極端な話、戦争状態にある国の子供たちのほうが平
和な国で生きているよりも幸福を感じている可能
性だってあるかもしれないし、恋愛で三角関係があったとしたら、誰かの幸福はもうひとりの不幸になる。つまり人の数だけ幸福の種類がありえるわけで、それを統
一したい、圧倒的な善で平和にするというのはもしできた
らすごいことだけど、おそらく人間にはそんなことはでき
やしない。つまり、人類全員が望む平和を実現す
ることは、とてつもなく難しい。
それでも、戦争と平和について、これからも人間は考え続
けると思う。答えなんて出ないと、なかばわかっているは
ずなのに、それでも考えるということ。哲学者も
誰も彼も、生まれた時から「なぜ自分は生まれてきたのか?」を問い続けてきたように、戦争と平和についても、考え続けるのだろう。(憲法九条)
この本読もうかと思ったのは、以前中沢新一と二人で「憲法九
条を世界遺産に」という本を出したことを覚えていたからだ。
その本は読まなかった(タイトルだけで分
かった気になってたから??)が、こちらの本はそれ以外のいろいろなテーマに関する短文のようだったので、興味本位で読む気になった。かなり恣意的な発現も多かっ
たが、一部では共感覚えるところもあった。いや、こういった
書きぶりこそがネット発言的「上から目線」なのだろう。この
ことだけでも、読んでよかった。
2021035
【夷
斎小識】石川淳 ★★★☆☆
1971/05/30 中央公論社
先日読んだ石川順二冊のうちこちらは、いろんな雑誌や新聞に寄稿
した雑文集で、内容も長短もまぜこぜである。
む
かしは人間五十年といそぎ足に見切をつけてこの世は夢まぼろ
しと観じたがつてゐたくせに、その日
常はといへば、俳諧の歳時記にあるやうなまだるつこしい四季のうつろひの中に自然と人事とにのんびり附き合つて、鼻の下ながく年月をすごしてゐたやうであ
る。……むかしの五十年を今日の相場に換算すると、百年でオ
ツリが来るかどうか。(不幸でなさすぎる 「中央公論」昭和
39年1月号)
「人世五十年」は、Morris.の「信念」に近いものだったは
ずなのに、既に20年以上長生きしてしまった(^_^;) 何度
も言ってるが、これは全く予想外の
現実である。上記の文が書かれたのが半世紀前だということを思うと、「今は昔」という言葉の普遍性(^_^;)を実感させられる。
三
好が酣中よくはなしてゐたことに、芥川龍之介は百發九十九
中、室生犀星は百發わづかに一中だが、
のべつにはづれる犀星の鉄砲がたまにぶちあてたその一發は芥川にはあたらないものだといつて、これにはわたしも同感、われわれは大笑ひした。つち澄みうるほ
ひ、石蕗の花咲き……といふ室生さんの有名な詩は三好が四十
年あまりにわたっつて「惚れ惚れ」としつづけたものである。
(三好達治 その一 「新潮」昭和39 年6月号)
石川淳と三好達治の親交ぶりは全く知らずにいた。そしてまた三好
達治が室生犀星の詩句にそんなに固執していたことも。室生の「寺
の庭」は4行しかない短い詩なので
全文引用しておく。三好は上記の石川の文章発表後に自作「石蕗の花」という詩の冒頭に「寺の庭」の二行をそのまま引用したらしい。
寺
の庭
つち澄みうるほひ
石蕗(つわ)の花咲き
あはれ知るわが育ちに
鐘の鳴る寺の庭 (室生犀星「純情小曲集」大正7)
どうにも納得しがたいやうな時期と作品とが三好に於て事実と
して無かつたとはいへない。すなわち戦中のことに係る。いく
さのはなしとなると、今さら当時のごた
ごたの蒸しかへしにおよばないでもと、他人にいはれるまでもなく、、わたしみづからよしなきことをといふ氣はする。これは何といはう。いくさといふものを丸呑
にしたやうなこの詩歌は私を当惑させた。しかもその歌ひぶり
はいかに通俗に崩したといつても、三好ほどの語法の達人の作
とはきこえぬものであつた。
かの戦中の詩歌を見なおせば、いかに格好はぶざまでも、その
衷情は痛ましくひびく。事のゆくたては何であらうと、現実の
日本のいくさといふものに、三好は烈士
の感動をもつてただちに応じたのだらう。そして、ことばの吟味にきびしい詩人が、情の激するところ、ナリフリかまはず、手あたりに雅言俗語を一つかみにして、
天にむかつて歌ひあげることを憚らなかっつたのだらう。
三好の詩といへばすこぶる佳什清唱に富む中に、今わざわざ戦
中の捨て去るべき詩歌のことにふれたのは、ただこの詩人の風
骨を傳へようとするためでもある。(中
央公論社版 「日本の詩歌 三好達治」解説 昭和42年12月)
三好達治は戦時に戦争協力詩を書いたということで戦後かなり糾弾
を受けた。
「敷
島のやまとごころを……」の歌は、その意をすこしバカ丁寧に
現代語にうつしていへば、おれはこ
の國にうまれた人間だ、この俺の心はいかなる心かと人が問ふなら、晴れた火の朝まだきに、おれがもつとも好むところの、他國の産にはない山櫻を見てくれといふ
ことになる。この「人問はば」もまた修辞である。すべての修
辞を取りはらつて、ずばりと一言でいへば、なんのことはな
い。「山櫻はおれだ」といつてゐるだけの
ことである。なんとまあ泥くさい、まはりくどい、いやらしい歌ひぶりだらう。宣長の口吻をまねていへば「えもいはぬわろき歌」である。そうじて、宣長の歌はみ
な取るべからず、もつぱらその文を見るべし。(中央公論社番
「日本の名著 本居宣長」解説 昭和45年5月)
本居宣長といえば「古事記伝」の名と、山櫻の歌しか知らない。そ
の有名歌をこれだけけちょんけちょんにくさすのは、石川ならでは
の発言だが、歌でなく文を見ろと言
われても、はいそうですかと、古事記伝読もうかという気にはなかなかなれない(^_^;)
【夷
斎風雅】石川淳 ★★★☆☆
1988/04/30 集英社 初出「すばる
(昴)」1983-1986
このところ、真山仁やら桐野夏生やら、退屈しのぎっぽい本ば
かり読んでたので、たまには頭の体操でもと、石川淳の随筆集
と、コラムめいたものとを借りてきた。本書
は随筆の方で、本人の言うところの「随筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあつた」そのままの作で、軟弱になったMorris.の頭にはいささか骨が
ありすぎて、読むのに閉口してしまった(^_^;) 降参で
あある。ところどころに散りばめられた夷齋作の狂歌と戯れ句
(付け句)の中からいくつか引いて済ます
(逃げる)ことにした(>_<)
・
荘周は夢を説いてはだますやつ
・戯作者の舌は閻魔も抜きかねる(ぬらりくらりとぬらり
くらりと)
・仲の町花のDeja
Vuに無い袖の晝三までは寄りつけもせず(浅葱裏花見)
・行先はどこも吉野と花見酒 (ぶらりぶらりと ぶらり
ぶらりと)
・井戸端に散るも立田のもみぢなり (気散じなこと 気
散じなこと)
・あるほどの物みなひとに呉竹の世を酒(ささ)にしてあ
そぶ月花
・見わたせば花の色香はのこりけり裏の木戸より死出の夕
ぐれ
・夢を切つてはとまる息の根
・腹切らぬさむらひうさんくさいやつ (赤穂浪士)
・いち早く散るもよしのの花の影見はてぬ夢を歌に残して
一番気に入ったのは、この一首
・
世の中はうそとまことの裏表さてもことばの花ざかりなり
そういえば、Morris.が唯一持ってる石川淳の選集のタ
イトルが「夷齋虛實」だった\(^o^)/
【安
倍官邸vs.NHK】相澤冬樹 ★★★☆☆
2018/12/25
「森友事件をスクープした私が辞めた理由」
相
澤冬樹 大阪日日新聞論説委員・記者。
1962年宮崎県生れ。東大法学部
卒。1987年NHK入局。山口放送局、神戸放送局、東京報道局社会部記者、徳島放送局ニュースディスク、大阪放送局(大阪府警キャップ)、BSニュース制作担当
などを経て、2012年大阪放送局に戻り、2016年司法キャッ
プとなる。2018年8月NHKを辞職し、同9月から大坂日日新
聞へ。
先日読んだ田原・望月の対談で、この著者のことを褒めてたので読
む気になった。安部総理批判がメインで、中でも森友問題を本気で
取材したNHK記者らしい。その結
果がNHK辞職ということだった。
2017
年2月17日には、国会で安倍総理大臣が「私か妻が関与して
いたら首相はもちろん国会議員 も辞める」と答弁した。
まさにこの安部総理発言(失言??)が、全ての火元だったといえ
る。言質をとられない、というのが政治家の一丁目一番地
(^_^;)なのに、この傲慢な発言。この
発言さえなかったら、改竄もなかっただろう。そして赤木さんもしなずに済んだはずだヽ(`Д´)ノ
私
は、森友事件には二つの大きな疑問点があると捉えていた。
1. 基準を満たすのか疑問がある小学校がなぜ「認可適当」
とされたのか?
2. 小学校予定地としてなぜ国有地が大幅に値引きされて売
却されたのか?
1. は認可に当たる大阪府の問題、2. は売却に当たった
国の問題だ。どちらも、府や国の公務員が行政のルールを逸脱
し、森友学園の小学校設立のため最大限
の便宜を図ったように思われる。
籠池夫妻のキャラの強さと、學校の異色さを標的にして、「本丸」
の防御壁にしたのは権力とマスコミのウインウインだった。
2018
年3月2日朝。朝日新聞が決定的な特ダネを出した。
「財務省が森友の国有地取引関連の公文書を改ざんした疑いが
ある」
改ざんが行われたのは、森友学園との国有地取引をめぐる決裁
文書だった。財務省は結局、3月12日の国会への説明で、改
ざんの事実を認めることになる。
そもそも財務省の出先機関である近畿財務局は、日頃から一事
が万事、本省にお伺いを立てる文化だ。上を恐れ、自分たちの
責任が問われないよう徹底して報告して
支持を仰ぐ。つまり、今回の改ざんのような大それたことを近畿財務局が主導することはありえない。
そのころ再び、衝撃の事実が発覚した。3月7日「近畿財務局
職員が自殺」。亡くなったのは、近畿財務局管財部定石国有管
理官のA氏。まさに森友学園との国有知
売買交渉にあたっていた担当者の一人だ。
ここらあたりは記憶力激減のMorris.でも、忘れないために
引用しておく
・
改ざんは財務局が勝手にしたのではなく、本省からの指示が
あった。佐川(前理財局超)の指示で書 き換えた。
・決裁文書の調書の内容について、上から、詳しく書きすぎて
いると言われてかきなおさせられた。
・このままでは私一人の責任にされてしまう。冷たい。
・国会答弁では関係書類はないとしているが、確かに当該書類
は1年保存だが、通例で執務資料としてのこしており、ないと
いうことはありえない。
・上司と思われる人物や複数の議員の名前、青総財務大臣につ
いての記載も。(A上席のメモ 伝聞)
この赤木メモ、出てこい!!
2018
年4月4日(水)のクローズアップ現代放送が正式に決まった
のは、3月も終わりに近い頃
だった。森友事件で2本目のクロ現。またも時間がないぞ!
今回は大坂に加え、東京から政治部・経済部・社会部と、出航
部の記者が大勢取材に加わった。しかし連携したチーム取材で
はなく、各出稿部がそれぞれに取材し
て、それぞれが共有して構わないと判断した情報だけを持ち寄る形である。大所帯で身動きが取りにくい。そして前回と違い報道局幹部の中には、明らかに後ろ向き
で、なんとか番組を骨抜きにしようとしている人たちがいる
と、私やディレクター陣は感じていた。
「ニュース7」と「クローズアップ現代」。双方に対する、あ
まりにも露骨な圧力とごたごた。私はそれまで31年間の
NHK報道人生でこんなことを経験したこと
がなかった。現場のPDたちも口々に「異常事態だ」と話していた。私が長年たずさわり、鍛えられ、愛してきたNHKの報道が、根幹からおかしくなろうとしてい
る。そんな危機感を感じる番組作りだった。
この頃からNHKは安倍擁護色に染められ始めたのだろう。
な
ぜ国有地は格安販売されたのか? その謎は解明されていない
し、誰も責任をとっていない。さらに
言えば、国有地を売ったのは森友学園に小学校を作らせるためで、小学校を無理やり認可しようとしていたのは大阪府だ。.大阪府はなぜ、そこまでして小学校を認
可しようとしたのか? 国と大阪府は、なぜそこまでして、こ
の小学校を設立させたかったのか?
森友事件とは、実は森友学園の事件ではない。国と大阪府の事
件だ。責任があるのは、国と大阪府なのだ。国の最高責任者は
安倍晋三総理大臣。大阪府の最高責任者
は松井一郎大阪府知事である。お二人には説明責任があるが、それが果たされたと思わない人は大勢いるdさろう。お二人が説明しないなら、記者が真相を取材する
しかない。
この謎を解明しないと、森友事件は終わったことにならない。
私がNHKを辞めた最大の目的は、この謎を解明することだ。
森友事件は私の人生を変えた。でも、それはいい方向に変えて
くれたと思う。何のしがらみもないというこの大阪日日新聞
で、私は森友事件の取材を続ける。謎が解 明されるまで。
その心意気やよし。
でも、Morris.は「大坂日日新聞」はこれまで読んだ記憶が
無いぞ。
相澤は他の媒体に寄稿する権利を担保してるとのことだから、週刊
文春などにも健筆を振るってもらいたい。
【我
らが少女A】高村薫 ★★★☆
2019/07/30 毎日新聞出版 初出「毎日新聞」
2017-18
2005年12月25日早朝、武蔵野野川公園で遺体が発見さ
れた67歳の女性(栂野節子)、当時これを担当した合田雄一
郎が、12年後現場近くの警察大学校教授と
なり、再びこの事件に関わることになる。合田シリーズの多分最終篇かもしれない。
世
のなかには、目撃者がいるか、もしくはホシが自首するか
しなければ誰も真相を知りようがない事件
というのがある。はっきりした動機はなく、突発的に起こり、愉快犯でもなく、後にも先にもその一回きりで終わる。目撃者はなく、有力な遺留品もなく、ゲソ痕や
凶器などはあっても犯人の絞り込みにはつながらず、
DNA鑑定にかけられる微物や指紋なども採取できない。
もちろん、どんなに悪条件が重なろうと、どこかに犯
人がいる以上、それを追わないという選択肢は警察にはないが、どんなに細大漏らさず捜査を尽くしても、神でもAIでもない警察の捜査はときに限界に突き当たる
ことはある。良いも悪いもない、世界はそんなふうに出来
ているということなのだ。そしてさらに言えば、迷宮入り
の原因は個々の捜査の未熟やミスにあるにして
も、それもまた人間が携わる警察捜査ののり代であり、そののり代で、刑事は人間の犯罪を理解するのではないだろうかーーーーーーーー(59)
高村薫の警察ものは、偏執的なディテールの積み重ねで、事件
の全体像を紡ぎ上げる手法で、読むのが疲れる。その筆力、描
写力には圧倒されるし読み応えありすぎなの
だが、どうしてものめり込むことが出来ないところがある。
本作でも12年前の事件をほじくり返して、ドラマチックでは
あるものの、真相が少しずつ明らかになることによって、多く
の関係者が不幸になるようなストーリーは、
辛いものがある。
新聞連載時は、毎回違ったイラストレーターの挿絵が付けられ
たらしい。単行本にはほんの一部しか掲載されていないが、
117pにある高杉千明の女子高生のイラスト
は強烈な印象を与えた。
登場人物の一人がADHDのゲームおたくということもあっ
て、全編にわたってゲームのキャラクタやカードや必殺技など
が羅列されて、Morris.には全くお手上
げだった。事件当時の携帯電話Mova506iなんてのは懐かしかった。
2021031
【嫌
われるジャーナリスト】田原総一朗・望月衣塑子 ★★★☆
2020/09/15 SBクリエイティブ
東京新聞記者で、菅官房長官(当時)会見のやりとりで、名を
上げた望月と、反骨のジャーナリスト田原が森友問題やコロナ
対策を中心に、現在のジャーナリズムに不満
をぶちまける対談集。
森
友・加計問題が発覚した2017年8月末ごろから、政権
にとって不都合な質問には「事実誤認」
「ご指摘はあたらない」などと決めつけ、排除するのが当たり前になった。放置すれば打ち切りや制限が常態化することは目に見えていたが、記者会は抗議しなかっ
た。(はじめに 望月衣塑子)
安倍政権(特に第二次以降)のマスコミ操作は目に余るものが
ある。記者クラブという日本独特のシステムの弊害もある。
田
原 厚労省
や感染研は、なんで、そんなに危機感が薄いの?
望
月 現在のシステムは厚労省にとっ
て、新型コロナのような緊急事態のな
い平時にじぶんたちの既得権益を守るのに最適なシステム。これを本気で変えるつもりがない。専門家がこのままコロナが拡大したらまずいと警告しても、耳を貸し
ませんでした。
田
原 それで思い出すのが、3・11東
日本大震災までの原発安全神話で
す。大津波で福島第一原発の電源が失われ、冷却できなくなって水素爆発を起こし、チェルノブイリ以来最悪の事故になった。原発周辺では一度も避難訓練をやった
ことがなかった。なぜか? 避難訓練が必要ならば
100%安全とはいえないことになる。すると住民が猛反
発して原発は立地できない。逆に、安全ならば避難訓練
は必要ない。そして、原発が立地した以上は安全に決って
いる。だから避難訓練はしない--そんな、なんとも奇妙
な理窟がまかり通っていたんだ。
望
月 日本は、最悪の事態を想定して動
くことのない国ですね、最悪の事態
をこれでもかこれでもかと想定し、今できることは何かと探しに探し、備えに備える。それで、いざ事が起こったとき、ああ、たいしたことなくてよかったね、とい
うのが本来の「危機管理」でしょう。
「原子力安全神話」にはみごとに騙されてた
(>_<) コロナに関しては騙されまいと思い
ながら……
田
原 当たり
前の話だけど、安倍晋三首相、菅義偉官房長官、加藤勝信厚生労働大臣は感染症の素人。PCR検査がどこで詰まっちゃっているか、どうすればどのくらい増えるか
なんて、わかるはずがない。厚労省の医系技官か誰かが、
そういわせた。
望
月 検査を増やせば感染者が増える。
オリンピック延期が決まる3月24
日以前はなんとか予定通りやりたといいう"政治的な思惑"から、検査数を抑えたかった。3月末から4月にかけて感染者が増えたときは、病床があふれて医療崩壊
が起こってしまうことを恐れていた。そのために検査数を
抑えたと見られかねない状況でした。
田
原 いちばんの問題は、ガチガチな利
権にこだわる厚労省を大臣の加藤勝
信がまったく動かせなかったこと。
コロナ初期の加藤厚労大臣の対応は今思ってもひどかったな
(>_<) それが今は官房長官として、相変
わらずの無能ぶりを発揮しまくっている。
田
原 一斉休
校を主導したのは今井尚哉首相秘書官といわれています。今井さんは番記者に「追い詰められたときこそ一点突破」とよく話していたそうです。危なそうなときは
ドーンと大風呂敷を広げる。一斉休校で、たしかに桜疑惑
や黒川検事長の定年延長問題が一瞬吹っ飛びまたしたか
ら。
田
原 思いつきのように決めたといえ
ば、いわゆるアベノマスクもそうだ
ね。布製マスクを一家に2枚配布する。費用は466億円かかると。
望
月 あれは今井さんの子飼いとされる
佐伯耕三秘書官が「マスク2枚で不
安がパッと消えますから」と進言したことからスタートしたといわれています。
安倍前総理の滑りまくりパーフォーマンス。
望
月 (森友
事件で)あれだけの改竄で国民を欺いておきながら、関与した官僚38人全員不起訴なんて前代未聞。とんでもない話ですよ。
検察が官邸が絡みうる事案に及び腰であることが、改めて
浮き彫りになりました。
田
原 なぜ官僚が文書改竄という違法行
為にまで手を染めてたか。僕は、
やっぱり内閣人事局の存在が決定的だと思う。つまり官邸が、国家公務員のうち審議官以上の幹部600人の人事を握ることになったんだ。
望
月 官邸からにらまれたら、局長にな
れないし審議官にもなれない。官庁
では出世ルs-とが決まっていて、この部長になった人は必ず局長になれるとい重要ポストがありますけど、そういう部課長にもなれない。その結果、官僚はつねに
官邸の顔色をうかがって、何事も忖度するようになってし
まう。(第一章)
人事権を官邸が握ったことが忖度の素。
望
月 いまの
新型コロナも当初はずっと、「症状がかぜと似ているから、疑わしい人は自宅で寝ていて、熱を測ってください、37.5℃以上が4日以上続いた人は保健所に電話
して病院へ」という話になっていた。20年5月までそう
いっていましたよね。(第二章)
Morris.の平熱は35,6℃くらいだから、37.5℃
というのは、かなりの高熱である。これが4日も続いたらほと
んどアウトぢゃ。
田
原 新聞三
大紙の紙面は電通の主導で1951年元日付から15字詰め15段組み93行という統一規格になった。これが読みやすさの追求というので80年代に13字詰め、
12字詰めと減っていき、2000年代に11字詰めに
なった。いまは12字詰め12段組みのところが多い。文
字が大きくなって行間も空いたから、1段の行数は
昔の93行から70行あまりに減った。
その結果新聞1ページ(一面全段)の文字の数は2万1千
字から1万字ちょっとまでほぼ半減した。(第三章)
【も
じ部】雪朱里+グラ フィック社編集部 ★★★☆
2015/12/25 初出「デザインのひきだし」
2011-15
[書
体見本12字と、そのポイント」
・国--
「くにがまえ」は文字のなかで一番大きく見える形。ま
た、フトコ
ロのバランスも他の漢字をつくるときの参考になる。
・永--
縦線のハライの曲がり具合やハネなどをここで決めてい
く。
・今--
「今」のような菱型の文字は小さく見えやすい。このた
め、字面を 大きめにすることが必要。
・酬--
長い縦線を多く含む、画数の多い文字。
・鷹--
横線を多く含む、画数の多い文字。「国」の横線を基準と
して、つ ぶれないよう、どこまで細くするかを考える。
・愛--
筆の入りやトメ、ハライ、転折、点、ハネ、フトコロな
ど、エレメ
ントを多く含む文字。カーブ度合いもチェック。
・東--
「東」の縦線の太さは、漢字の字面を決める基本となる。
・袋--
反り、ハネ、点、ハライなどエレメントが多い文字。
・三--
横線だけの構成による、画数が極端に少ない文字。
・力--
画数が極端に少ない文字の代表。
・鬱--
画数が極端に多い文字の代表。dここまで大きく、線はど
こまで細 くするかを検討する。
・霊--
横線が多く、字形が四角い文字。横幅が広く見えがちにな
るので、
上下の横線の長さに注意しながらデザインする。
【い
つか、あなたも】久坂部羊 ★★★☆
2014/09/20 実業之日本社 初出「月間 ジェイ・
ノベル」 2013-15
「綿をつめる」「罪滅ぼし」「オカリナの夜」「アロエのチカ
ラ」「いつか、あなたも」「セカンド・ベスト」の6篇を収め
た連作短篇集。すべて在宅医療のクリニック
での終末医療で、すべてがデッド・エンドになっている。
私
はもともと外科医ですが、三十代のはじめに外務書の医務
官という仕事に就き、海外の日本大使館
(サウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニア)に赴任したあと、老人医療の世界に入りました。そして2001年から14年まで、この小説に登場するよ
うな在宅医療のクリニックで、非常勤医師として勤めまし
た。この本にかいた連作は、ほぼすべて実話に基づいてい
ます。
在宅医療のクリニックに勤務した13年間に、私は400
人いじょうの患者さんを診察しました。
死は不条理で冷厳で、病気は残酷です。何の落ち度もない
人に襲いかかり、罪なき人を翻弄し、うろたえさせます。
当事者はその中でもがき、苦しみ、精一杯生きよ
うと努力します。(あとがき)
実際に在宅医療を13年以上やっただけにリアル感があるのも
なるほどとうなずける。
「オ
カリナの魅力は単純だけれど深い音色だな。看護師さんは
オカリナの発祥の地を知っているかな」
「いいえ」
「19世紀後半のいたりあだよ。北イタリアのドナティと
いう菓子職人が、それまで合った土笛の音階を整えたのが
はじまりと言われている。オカリナとは"ガチョ
ウの子ども"という意味で、正確にはオカリーナと発音する。
オカリーナに似た楽器は、メソポタミア地方や南米からも
見つかっている。いずれも土の笛でえ閉管式だ。むかしか
ら、土の笛にはラッパ口をつけてもいい音がしな
いと、世界中の人が知ってたんだな。日本の鳩笛なんかも同じ仲間だね。どちらも鳥の名前がついているのは偶然だが」
「音を出すのはむずかしいんですか」
「とんでもない。簡単そのものさ。吹けば鳴るんだから。
試してごらん」
手渡されたオカリナは、陶器らしい重みと柔らかみがあっ
た。そっと息を吹き込むと、柔らかい音が響く。
「ほらね。オカリーナほど簡単に音の出る管楽器はない。
でも、演奏となるといろいろテクニックがいるんだ。オカ
リーナの演奏のコツは、ベッコ、つまり吹き口の
くわえ方と、息圧、それにホルドとタンギングだ。ホールドはオカリーナの持ち方、タンギングは舌先で上顎を叩くようにして息をふるわせることだよ。オカリーナ
は正しい姿勢でしっかり持たないと、高音部がかすれる。
息圧は吹き込む息の強さだが、強く吹く必要はないんだ。
優しく、気持をこめて、できるだけ同じ強さで吹
き込む。自分の感性を表現するつもりでね」
オカリナに特に関心はないものの、学生青年センターの飛田さ
んがすっかりのめり込んでるので、ついメモしてしまった。
「じゃ
あ、塚原さんの看取りがうまくいったのは、単なる偶然
だったというわけですか」
「運命は、ときに優しいということだよ。私は無理をしな
かったからね。強いて言えば、自然に任せる勇気を持って
いたということかな」
「でも、自然に任せるって、結局、何もしないということ
じゃないですか」
「そうだよ。でもね、案外、それがむずかしいんだ」
さっきより高くなった月が、先生の後ろ姿を曖昧に照らし
ていた。(オカリナの夜)
胃瘻とは、口から食べられなくなった人に、腹部から胃に
直接、流動食を入れるためにつけるチューブのことだ。導
尿カテーテルは、自然に排尿できない患者の膀胱
に入れる管で、抜けないように先端に小さな風船がついているので、「バルーン」とも呼ばれる。(いつか、あなたも)
胃瘻(いろう)というのを、Morris.は病名の一つと思
い込んでいた。「瘻」という漢字が病だれで、痔瘻という病名
もあるので錯覚していたのだ。「瘻」が常用
漢字外ということで、新聞などでは「胃ろう」「痔ろう」などと交ぜ書き表記されている。
こ
の苦しみを乗り越えれば、やがてよくなるというのなら、
耐える意味もあるだろうs.しかし、あと
は病気が悪くなって、その先には死しかないのだ。命は何より尊いけれど、この苦しみだけの命を引き延ばすことに大義はあるのか。こんなに苦しんでいる本庄さん
から、安楽死を求められて、ほかに苦痛を止める手立ても
ないのに、それを拒絶して良心は痛まずにいられるのか。
わたしはどうしようもない思いで、三沢先生を見た。もし
本庄さんを安楽死させるなら、麻酔剤で眠らせてから、筋
弛緩剤で呼吸を止めることになるだろう。あるい
は、眠らせたああと、塩化カリウムの注射で心臓を止めるか。いずれにせよ、違法行為だから、よほどのことがないと実行できない。しかし、本庄さんの場合は、そ
の"よほどのこと"に十分、当てはまるのではないか。
今から思えば、正月三が日を過ごしたすぐあとに、安楽死
をさせてあげるのがベストだった。しかし、あのとき、そ
んなことがわかるはずもない。医療の不確定さと
は、そういうものだ。
ちまたでは、医療ドラマや小説が流行している。心温まる
ストーリーや、名医が登場したり、感動的だったり、すべ
て予定調和だ。フィクションならそれでいいのか
もしれない。だが、現実を知っているわたしには、とてもうけ入れられない。そんな絵空事で、いい気持ちになっていいのか。医療の現場では、多くの人が耐えがた
い苦痛にあえぎ、理不尽な悲しみに襲われているというの
に。(セカンド・ベスト)
安楽死という「誘惑」と対面せざるを得ない経験が何度もあっ
たのではないか、そういったことを想像させる一冊だった。
【夜
の国のクーパー】伊坂幸太郎 ★★★
2012/05/30 創元社
「さっ
きの話ですけど、クーパーの兵士は何のために鉄国に行っ
ていたんですか。鉄国は、こっちの国
の人間を連れてこささて、何をさせていたんですか」
[他国の人間にわざわざさせることとは何か」
「何ですか」
「答えは簡単だ」
「それはいったい」
「自国の人間にはさせたくないことをさせるんだ」
グローバルな出稼ぎ。移民とは棄民だったりする。日本の外国
人就労者対策も移民ですらない、非人道的措置である。
「こ
の国では毎年、数人が鉄国に送り込まれた。ただそれをみ
んなに伝えることを、国王はしなかっ た。なぜか?」
「異国でしごとをするためだと明かしたら誰もいきたがら
ないからか」医医雄が質問をぶつけた。
「それもある。ただそれ以上に、本当のことを話したら、
自分たちの身が危ないと思ったんだろう」複眼隊長は右目
を覆う布に触れた。
「国王が危険になるということ?」
「いいか、この国はずっと同じ家系が国王となってきた。
裏を返せば、国王である根拠は、『代々、受け継がれてき
たから』ということ以外にはないわけだ。能力は
関係がない。だから自分たちの国王が、鉄国に頭の上がらない、情けない人間だと分かったとたん、その座から引き摺り下ろされる。そう不安になっても不思議はな
い。自分たちの立場が危うくなると考えたんだろう。大事
なのは、真実を伝えることよりも、威厳を保つことだと気
づいた」
「だから、国王たちはクーパーという存在を振れ回り、兵
士を送り込むことをはじめた。昔な、冠人が俺に言ったこ
とがある。国王が、国をまとめるためのこつを
知っているか、とな」
「こつなんてものがあるんですか」
「あの男が言うにはな、『外側に、危険で恐ろしい敵を用
意することだ』と、そう言っていた」
「敵を用意する?」
「そうした上で、堂々とこう言うんだと。『大丈夫だ。私
が、おまえたちをその危険から危険から守ってあげよう』
とな。そうすれば、自分をみあんが頼る。反抗す
る人間は減る。冠人はそう言った」
「それが」弦が探るように言う。「クーパーなんです
か?」
「そうだ、それが、クーパーだ」
これは天皇制への言及だろうな。
【触
れもせで--向田邦子との20年】 久世光彦
★★★☆ 1992/09/28 講
談社
遅
れてばかりいた向田さんは、人より早く死んで私たち
を驚かせた。何の言い訳もなかったから、私は
明日にでも気のきいた嘘といっしょにあの人が帰って来るような気がしてならない。(遅刻)
向田邦子と久世光彦はコンビでテレビドラマのヒット作を
次々と世に送り出した。向田は昭和56年、台湾旅行中の
飛行機事故で急死。享年五十ニだった。本書は久世に
よる、追悼文集というか、あの世にむけての恋文かもしれない。
向
田さんという人は、そういうときにもお金を<
拾わなかった>のである。天から降って
くるお金を感謝して<いただいた>のである。おなじお金を懐へ入れるにしても、この姿勢の違いはあとあと心の高さ低さに関わってくる。<拾
う>ときには、人間下を向いて屈まなければな
らない。天の恵みを<いただく>ときに
は上を向く。<拾った>お金をしまい込
めば
吝嗇になり、<いただいた>お金は大切に使うことになる。それほどにお金というものは、気持の持ちよう一つできれいにもなり、汚くもなるという話
である。(財布の紐)
こういう物言いも、持てる側の視線ではないか?
こ
うして、めでたく、『寺内貫太郎一家』は誕生した。
昔の大将の名前が、それも二つも入っている。
寺内正毅と鈴木貫太郎である。商売が石屋だから寺内はぴったりだ。貫の字は重そうで、これなら台風が来ても大丈夫だし、<カンタロウ>という響き
はどこか間が抜けていて可愛らしい。(昔の大将)
Morris.はほとんどテレビドラマは見ない。それで
も小林亜星演じる寺内貫太郎のイメージは強く刻み込まれ
ている。
こ
のごろのいわゆる丸文字といのうを、私はちっとも嫌
いではない。皮肉ではなく、若い女の子の書く
舌ったらずの文章に似合った可愛らしさがある。けれど、あれは横書きでないと、およそ、様にならない。あの子たちの丸文字は、不思議なことに横に流れているの
であう。だいたい漢字にしても平仮名にしても、筆で
縦に書くように作られているものだが、丸文字は漢字
の角を取り、曲線化することによって、一つの文字か
ら次
の文字への横の流れを作っているのである。(三蹟)
たしかに丸文字は横書きが生み出したとも言えるだろう。
夷
斉石川淳先生の名言を思い出した。正確には川本三郎
に教わったことを思い出したのだが、《随筆と
は、博く書を探し、その抄をつくること》というのである。ずいぶん大胆な定義だが、なるほどと思う。何かが見えるようである。普通なら、つい<書と人を
探し>としたくなるところを、迷いもなく書に
限るのが石川淳らしい。川本三郎もエッセイを書いて
いて、この言葉が気になって仕方がないと言っていた
が、
忘れない方がいいと思う。少なくとも、広義に解して理知的であれと自分に言い聞かせ、心して損はない。(小説が怖い)
これは石川淳の『夷斉筆談』に収められている「面貌につ
いて」(「新潮」昭和25年10月号)の一節である。原
文を引いておく。何故かこれはMorris.の数少
ない蔵書『夷斉虛實』にも掲載されていた。
「士
大夫の文学は詩と随筆とにほかならない。随筆の骨法
は博く書をさがしてその抄をつくることにあ
つた。美容術の秘訣、けだしここにきはまる。三日も本を読まなければ、なるほど士大夫失格だらう。」
石川淳は小説を「小人の説」として、「大人の説」は詩と
随筆にあると言ってるわけで、久世の解釈はあまりに上っ
面(孫引きだから仕方ないか)のようだ。
向
田さんの上手さについて書いていると、自分が嫌にな
る。くどくど持って回って、比喩や形容ばかり
の自分の文章が嫌になる。自分が<上手さ>に拘っているだけに、自分より<上手い>人について書くのは面白くないし、損だと思う。目
利きの山本夏彦氏が《向田邦子は突然あらわれてほと
んどめいじんである》と書いているのを読んだことが
ある。私なら、こんなふうに言われたら、嬉しさのあ
まり 死んでしまったことだろう。(上手い)
たしかに山本夏彦は、あちこちで向田に言及して、この褒
め言葉も複数のコラムで散見した。
小
説は書き出しで、エッセイは最後の一行だと思う。
エッセイの書き出しがどうでもいいというのでは
ないが、ときにはぼんやりした出だしの方がいいこともある、しかし、終わりだけは曖昧模糊では困る。(ラストシーン)
随筆とエッセイは似て非なるものだろう。
あ
の人が好きだったものは、ここには何もない。ささく
れ立って、ザラザラした風景である。選んだわ
けではないにしても、人はどうしてこんな所で死ななければならないのか。八月の薄曇りの空の下で、私はぼんやり昔どこかで覚えた小さな歌を思い出していた。そ
れは、目の前の光景とはあまりに遠い恋歌だった。
旅にして仏作りが花売りに
恋ひこがれしといふ物語
最後に置かれた「死後の恋」からの引用。久世が事故の一
週間ほど後に、事故の現場を訪れた時の思い出である。こ
のあと夢野久作の「死後の恋」という作品に言及す
る。ロシア、ロマノフ王朝の皇女アナスタシア傳説を主題にした作品である。向田をアナスタシアに見立てるというわけではないと言いながら、久世の忸怩たる思いが伝
わってきた。
【漢
字の常識・非常識】加納 喜光 ★★★☆☆
1989/06/20 講 談社現代新書954
1989(平成元年)、にこんな本が出てるのをしらずに
いた。漢字に関する本はけっこう読んでた方だと思う。
Morris.は1987年に初めてワープロに手を染め
た。あのころの日本語ワープロの漢字変換はかなりひど
かったことを思い出す。
漢
字制限の反対側に無制限放任主義がある。常用漢字・
人名漢字表にありさえすれば、どんな読み方で
もかまわないというものである。しかも驚いたことに個人の気まぐれで行われる。
常用漢字、教育漢字、JIS第一水準、第二水準とかわけ
がわからないなかで、人名漢字表以外の漢字は禁止しなが
ら、読み方は自由というのはとんでもない話である。
漢
字の簡略化(ダイエット)は組織の構造を無視した一
種の身体改造ともいえるものだが、小さな改造
ならむしろやらないほうがよかったと思われるケースがある。たとえば「犬」の右上の点をとると大変だが、「臭」や「突」ではとってしまった。そのため犬と関連
付ける字源記憶術が失われた。
羽-習-翼のグループと、濯-曜-躍のグループを比
較してみると同じ「羽」なのに顔の造作が違うのに驚
く。
中国の簡体字に比べるとまだ日本の略字化は元の形を遺し
ているようだが、細かく見ていくと以上の例以外におかし
いところはいくらでも出て来ると思う。
音
のハイジャックが思わぬ結果を招くこともある。命が
よみがえるという意味の「甦生(そせい)」が
コウセイと読まれるようになった。「更」の音に乗っ取られたのだ。次の段階では形も乗っ取られ「更生」となった。さらに次に意味も乗っ取られ、「生活や性質を
新しい状態にかえること」となった。
間違えた音読みを「百姓読み」という。今は「百姓」とい
う言葉が使いにくくなって「慣用」になってるようだ。言
葉は生き物だから、変化して使う人が多くなると間違
い(誤用)が説明抜きで辞書に載るまでになる。
本書にはこの例が多く収録してあったので、恣意的にいく
らか引用しておく。( )内が「百姓読み)である。
漸
次 ぜんじ(ざんじ)
直截 ちょくせつ(ちょくさい)
贖罪 しょくざい(とくざい)
垂涎 すいぜん(すいえん)
絢爛 けんらん(じゅんらん)
正鵠 せいこく(せいこう)
矜持 きょうじ(きんじ)
蘊奥 うんのう(うんおく)
獰猛 どうもう(ねいもう)
隧道 すいどう(ついどう)
娘子軍 じょうしぐん(ろうしぐん)
*これ以下は百姓読みのほうが、一般的に使われてい
る(^^;)
貼付 ちょうふ(てんぷ)
憧憬 しょうけい(どうけい)
貪欲 たんよく(どんよく)
攪拌 こうはん(かくはん)
紊乱 ぶんらん(びんらん)
洗滌 せんでき(せんじょう)→洗浄(音に引かれて
漢字まで変わった例)
撒水 さっすい(さんすい)→散水(同上)
代用漢字という考えが発明されたのは1956年の国
語審議会である。その内容は、当用漢字表(当時)に
ない漢字のうち、音と意味が当用漢字と同じか似てい
るな
らば、それに書き換えてよいというもので300あまりの語例が示された。
この考えにならって、「魚貝類(魚介類)」や「風光
明美(風光明媚)」などを出現させ、漢字システムに
病理現象の種を植えつけた。
1988年、気象庁は「絹雲(けんうん)」を「巻雲
(けんうん)」に改めると発表した。これは23年前
の原状回復である。
Morris.も雲計十種などで「絹雲」という表記を見
るたびに疑問を感じていた。
「気
迫」気が迫る--まったく意味がない。実は「気魄」
のだりだったのである。「悪血(おけつ)」
は「瘀血」の代理なのである。
おかしくてたまらず大笑いすることを「抱腹絶倒」と
いう。これは「捧腹絶倒」の代わりに本人になりすま
しているものである。「捧」は両手でささげ持つ意
で、
「捧腹」は両手を腹に当て、上に持ち上げるようなかたちにすることである。
・初戦(緒戦) ・叙上(如上) ・波乱(波瀾)
・拠出(醵出) ・三差路(三叉路) ・橋頭保
(橋頭堡) ・浅学非才(浅学菲才) ・名誉棄損
(名誉毀 損) ・延々長蛇の列(蜿蜒長蛇の列)
以上はすべて( )内の漢字が元の字である。手書き、活
字拾いの時代には形の似た漢字の間違いが多かっただろう
が、ワープロだと、正しい漢字に変換されることが多
いだろう。ただし変換そのものが間違っている場合、これを見つけて糺すのはかなり難しいことになりそう(>_<)
「発
展途上国」は変な言葉であるが、それを縮めた「途上
国」」は輪をかけておかしい。途上というの
は、目的地に向かう途中とか、一つの過程の中ほどの意味である。この言葉に嫌悪感をいだくのは、言葉もおかしいが、それを使う心にひそむ暗黙の前提にある。途
上の反対はゼロか全、つまり、行程を歩きだしていな
いか、完走したかのどちらかであろう。「途上国」と
いう言葉を作った日本は完走した国ということにな
る。
論語に「堂に昇り室に入る」という成語がある。堂は
表座敷、室は奥部屋のことで、この成語は、学問や技
術がほどほどの所を進んでいき、さらに奥まで達する
とい
うことを意味する。日本に入ってくると、「堂に入る」と縮めてしまった。堂は表座敷であるから、技術の段階としては初歩から中程度にすぎない。決して奥義をき
わめることにならない。縮め方を誤ったわけである。
堂々巡りの件は、初めて知ったが、他にもいっぱいありそ
うだ。日本人の略語好きの原因は何処にあるのだろう。
イ
ディオムは係り結びが決まっている。間違えるとトン
チンカンだし、表現がぎくしゃくする。「汚名
を晴らす」「汚名を注(そそ)ぐ」ではなく、「汚名を雪(すす)ぐ」が正しい。「俎上に昇る」でなく「俎上に載せる」。「危殆に陥る」でなく「危殆に瀕す
る」。
「係り結びなんて文法用語が、漢字問題で使われるとは思
わなかった。「名誉挽回」ではなく「名誉回復」なんての
もその類かな。
漢
字は普通一字だけで完結している記号であるがわずか
ながら、二字で組み合わさってはじめて意味を
もつものがある。独り立ちすることなく、常にカップルで行動する。仮の「双生児」ならぬ「双生字」と称することにする。
「叮嚀」は双生字だが、「丁寧」と書くと双生字かど
うかはっきりしなくなる。
忸怩(じくじ)心に恥じるさま
齷齪(あくせく)こせこせすること
彷彿(ほうふつ)よく似たさま
慫慂(しょうよう)すすめ誘う
齟齬(そご)食い違う
酩酊(めいてい)酒にひどく酔う
匍匐(ほふく)腹ばいになる
邂逅(かいこう)思いがけず出会う
檸檬(れもん) 葡萄(ぶどう) 蝙蝠(へんぷく)
鶺鴒(せきれい) 傀儡(かいらい) 膀胱(ぼう
こう) 霹靂(へきれき) 袈裟(けさ) 瑪瑙(瑪
瑙)
邯鄲(邯鄲) 婀娜(あだ) 揶揄(やゆ) 坩堝(るつぼ) 蜘蛛(くも) 蒟蒻(こんにゃく) 轆轤(ろくろ) 珈琲(こーひー) 贔屓(ひいき)……な
ども「双生字」の仲間。
[陰
陽字(雄字+雌字)]カップル漢字
翡翠(ひすい)かわせみ
鴛鴦(えんおう)おしどり
鳳凰(ほうおう)
麒麟(きりん)
虹蜺(こうげい)にじ
鯨鯢(げいげい)くじら
魂魄(こんぱく)
漢字熟語に表外漢字が使われているとき、それを仮名
に変えるのがいわゆる「混ぜ書き」である。これが文
字感覚を狂わせる元凶のひとつである。
ほんとうに「混(交)ぜ書き」は許せない。なんたって
「見た目が悪い!!」。2010年に常用漢字が追加され
るまでは以下の熟語が交ぜ書きされていたらしい。(
某
ブログによる)*(かっこ内は交ぜ書き)
真
摯(真し)、破綻(破たん)、痕跡(こん跡)、親戚
(親せき)、冥利(みょう利)、語彙(語
い)、軽蔑(軽べつ)、溺愛(でき愛)、恣意(し意)、汎用(はん用)、痩身(そう身)、面罵(面ば)、牙城(が城)、危惧(危ぐ)、好餌(好じ)、失踪(失
そう)、訃報(ふ報)、含羞(含しゅう)、玩具(が
ん具)、進捗(進ちょく)、焦眉(焦び)などなど。
本来の音が訛って変な読み方をする場合がある「嫡々
(ちゃきちゃき)の江戸っ子」というときの「嫡々」
は「チャクチャク」の訛り、「呂律(ろれつ)」は
「リョ リツ」の訛りである。
「出来(しゅったい)」「天邪鬼(あまのじゃく)」
「擬宝珠(ぎぼし)」「冬瓜(とうがん)」「木瓜
(」ぼけ)」「竜胆(りんどう)」「判官(ほうが
ん)」
「反故(ほご)」なども同様。「山茶花」は「サンサカ」がひっくりかえったという変り種である。
「チャキチャキ」なんて擬音語・擬態語の一種だと思って
た。
親
友の死を「絶絃(ぜつげん)」という。春秋時代のに
友人(鍾子期)が死んだとき、残された琴の名
人伯牙は、琴の絃を断ち切り二度と弾かなかったという故事による。これとまぎらわしい言葉に「断絃」があるが、これは妻の死である。夫婦の和合を琴瑟の合奏に
たとえることから、絃が切れることで妻の死をあらわ
すようになった。ちなみに「続絃」(絃をつなぐ)は
再婚を意味するl。
これは韓国女性歌手キムスヒ(金秀姫)の隠れた名曲に
「タンヒョン(断弦)」というのがあって、
Morris.は偏愛している。ので、ちょっと気にか
かった。
「癌」
という漢字は12世紀末宋代に発明されたらしい。し
かし普及せず、新たに復活するのは日本の
江戸時代で、西洋語の訳語として使われることになった。
麻疹(はしか) 汗疹(あせも) 肝斑(しみ) 吃
逆(しゃっくり) 眩暈(めまい) 悪阻(つわり)
天矢気(てんしき 屁)
癌の英名がcancerだから、その発音をもじった漢字
という説もあるらしいが、筆者はそれには否定的だ。
「病だれに「岩」」というのが、理解しやすい。
ナ
チスのシンボルマーク逆マンジ(ハーケンクロイツ)
はもちろん漢字ではない。卍は唐代に音が「マ
ン」、意味が「吉祥万徳」という漢字に認定されている。
「逆卍」「ハーケンクロイツ」などで変換しようとして
も、見つからなかった。
欧
米では忌まわしきナチスの象徴として、禁忌されてい
る。
アニメ・ゲームなどでも使用自体を避けるか、別の
マークに置き換わっている。
代表的な例が鉄十字(✠)である。
ちなみに現在ドイツでは公の場で出すことを禁止され
ており、展示又は使用すると民衆扇動罪で逮捕され
る。(Wikipediaの注)
なるほど。
【グ
リード 上下】真山仁
★★★☆☆ 2013/10
/29 講談社 初出「週刊ダイヤモンド」
2012-13
タイトルのグリード(Greed)は「強欲、むさぼ
り」という意味で、disireよりマイナスのイ
メージが強い言葉のようだ。
「若
い頃に師と仰いでいた人から、強欲は善だ
(greed is good)だ、強欲こそが
アメリ
カンドリームの原動力だと教わりました」
2005年9月11日、郵政選挙とも呼ばれた解
散選挙で、与党が圧勝した。国民に自己責任を強
い、規制緩和とグローバルスタンダードという錦
の御旗を掲げ、日
本の莫大な資産を欧米に売り飛ばした総理を、国民は熱狂的に支持したのだ。
もちろんこれは小泉政権である。
「資
本主義のルールNo.1は、自己責任ですよ。リ
スクを取って投資して、成功しても失敗しても、
それは投資する者の責任です。また、損した人を
守る義務なんて、はなから国家にはありません」
「一方、日本は戦後ずっと国家が産業を牽引育成
し、企業がそれに従った。これはね、統制経済で
す。あるいは共産主義国家と呼んでもいい。労働
者を手厚く支援
し、社会福祉制度も整備し続けた。本来ならば資本主義が進めば進むほど、格差は広がり貧乏人が増え、彼らは社会からスポイルされるのが常識なのに、この国は政
府ばかりか企業、つまり資本家までもが家族主義
を貫いた。こんな資本主義はないでしょう」
日本が世界最高の社会主義国家だったという見解
は、バブル経済が崩壊した後、社会学者などが好
んで発言しており、目新しくはない。だが、バブ
ル経済崩壊後に、
日本に本物の資本主義が到来したという鷲津の主張は、社会学者らの意見より説得力があった。
日本が世界最高の社会主義国家というのになるほどと
思ったが、その後にホンモノノ資本主義(新自由主
義)がやってきたという主人公の主張は今の日本の姿
を見ると当 たってたようだ(>_<)
「先
進国が開発援助を続けている理由は、善意だけ
か」
「そうでないところもあるでしょう。でも、少な
くとも僕が携わっている団体は、アフリカを支え
たと考えている人ばかりの集まりですよ」
「アフリカが豊かになれば、そこに新たな市場が
生まれる。それを狙っていないと断言できるか」
アンソニーは不快そうだ。
「アフリカへの援助そのものが、ビジネスだろ
う。そして、波及効果が生まれ、やがて未開の地
が一大消費地へと進化する。支援はそのためにや
るんだ」
「それは違います。支援は、相互扶助の精神で行
われるんです」
「おまえ、相互扶助の意味を理解していないな。
先進国が支援する見返りに、ビジネスを手に入れ
る。だから相互扶助なんだ」
「おまえ、アフリカで何を見てきたんだ。最貧国
に、僅かばかりの豊かさを与えたところでどうな
る? 皆が欲望の虜になって、富を奪い合うのが
関の山だ。貧しい
時にはけっして置きなかった諍いが、至るところで始まる。」
日本のODAもしかり。
「お
客さんは金融の人かい?」
ギリシャ人とおぼしき白髪交じりの運転手は、
ルームミラーでジャッキーを見ている。
「ままね」
「あんたらのせいで、この国はメチャクチャだ
な」
そう言いながらも、喧嘩を売っているわけではな
さそうだ。
「どういう意味?」
「返済能力のない連中に住宅ローン組ませてマイ
ホームを買わせ、破産したらすぐに家から追い出
した」
「でも、マイホームを持つのは、アメリカ人の夢
じゃない。その夢を実現するチャンスを作り出し
たのよ」
それが本当に幸せかどうかは分からないが、そう
反論せずにはいられなかった。
「仕事もなく借金まみれの人間相手に、マイホー
ムを持つ夢を叶えてあげるって、おっかしいだ
ろ」
「じゃあ、運転手さんはどうなの。ちょっと頑張
れば家が持てるローンがあっても、飛びつかない
の」
「それで、今はこのざまさ」
そういう話か……。
これがサブプライムローンのわかりやすい解説ぢゃ。
「投
資銀行のそもそもの主業は、クライアントの資産
運用や投資先のアドバイスでした。あるいは新規
株式公開サポートですね。特にGCはクライアン
トの御用聞きを任じていたそうで、金融に限ら
ず、あらゆる痒いところに手が届くように粉骨砕
身を尽くすのが企業 哲学だった、とか」
発
端は言うまでもなく、サブプライムローン債に
よって組成された債務単証券(CDO)の不良債
権化
だ。世界的な金融停滞の中、ハイリスク・ハイリターンのCDOはカネのなる木として、世界中の機関投資家に売られた。
その牽引車の一つだったリーマン・ブラザーズ
が、強欲の果てに破滅する。そこから波状的な連
鎖危機が起きると、見られている。だが現段階
(2008/09
/12)で、危機の予想図を的確に描いているメディアは、ニュースを見る限り米国内ですら一つもない。
リーマンショックのリアルタイム体験。
「ア
ンソニー、この国は本気で大掃除した方がいい
ぞ。80年ほど前に起きた大恐慌の教訓をことご
と
く反故にしただけではなく、世界中にマネーという伝染病を蔓延させたんだからな」
アンソニーは上流家庭の出で、正義感に富む逸材で、
鷲津のもとに社会奉仕のための資金稼ぎを学ぶために
主人公の配下になった。
「僅
か数ヶ月で、1000兆円ものカネが国外に消え
たんや。戦後、国民が歯を食いしばり、先進国に
追いつけ追いこせで貯めてきた虎の子や。それ
を、あんたら外資は日本が死ぬのを傍観した上
に、ここぞとばかりに毟り取っていった。あの時
の思いは死んでも忘れ ん」
かつて飯島は三葉銀行という都銀に属し、不良債
権処理の最前線にいた。同時に、日本の歴史と共
に埋積し、かつ表に出ない資産や情報を守るため
に、命を張ってき
た。その男からすれば、今回の米国の金融危機は、まさに捲土重来の時なのだ。
日
本は祭り好きだというが、しょせん米国民の比で
はない。彼らは毎日のようにパーティを開くし、
と
にかくイベントが大好きだ。まるで、いつも誰かと一緒にいないと不安なように。実際、米国人は寂しがり屋が多いと思う。だから連るむし、イベントが好きなんだ
ろう。
ーー国民みんなが根無し草だからね。誰かと繋
がっていないと心配だよ。
米国人をけなし始めたら止まらなくなる英国人記
者の分析を聞いた時は、非常に頷けた。と、同時
に、現代の日本社会にも通底するもんを感じた。
ーー冗談だろ。おまえの国は、ずっと同じ民族と
文化で、延々と歴史を刻み続けてきているじゃな
いか。ざんねんだけれど、その点においては英国
すら勝てない。
英国人記者の言う通りで、既に2000年以上の
長きにわたって日本人は、代々の子孫が歴史を受
け継ぎ刻み続けてきた。にもかかわらず、北村の
世代ぐらいか
ら、"自分探し"なるものに夢中になり、誰かと繋がっていない不安に苛まれている。日本では明らかに米国社会の後を追うような現象が続いていると言わざるを得
なかった。
北村は反骨心のある大新聞の若手記者。英国記者との
会話での日米英の比較文化論はあまりに図式的。
世
界中からリーマンショックと呼ばれるようになっ
た9月15日、米国から投資銀行が消えた。皆、
商
業銀行に宗旨替えしないと生き残れなかったのだ。
そして、今なおたらい回しのような犯人探しが続
いている。
みんな本当は、犯人が分かっているはずだ。それ
は米国人全ての心に宿っていた欲望だ。それこそ
がアメリカンドリームの原動力だなんて言い訳を
しながら、何もか
も貪って喰い尽くしてしまった。
リーマンショックは、投資銀行や、サブプライム
ローンを売りつけた不動産ファンドだけが悪いの
ではない。そこを自覚しなければ、米国は何度で
も同じ過ちを繰り 返すだろう。
リーマンショック早解り。
【虚
像(メディア)の砦】真山仁
★★★☆
2007/12/14 初出単行本 2005年角川書店
中東で日本人が誘拐された。その情報をいち早く得た、民法
PTBディレクター・風見は、他局に先んじて放送しようと動
き出すが、予想外の抵抗を受ける。一方、バラ
エティ番組の敏腕プロデューサー・黒岩は、次第に視聴率に縛られ、自分を見失っていった。二人の苦悩と葛藤を通して、巨大メディアの内実を暴く。(裏表紙 惹句)
「な
あ宗佑。私はテレビというメディアを否定するつもりはな
い。テレビとは大衆に理屈抜きの娯楽と
笑いと感動を与えられる力を持っている。だが同時にテレビには、見る人を釘付けにし、映像のすべてを信じ込ませる力を持っている。これは危険だぞ。報道の体た
らくも目に余るが、それ以上に怖いのがおまえさんたち
だ。バラエティと呼ばれとる番組で、やっている事は何か
ね。自分より弱い人を血祭りに上げて笑い飛ばす。
一番ゲスな笑いだ。しかも視聴者には、今日が幸せだったらいいじゃないかという諦めを刷り込みつづけている」
15年ほど前の作品だが、テレビの劣化はこれよりだいぶ前か
ら加速してたらしい。バラエティ番組の、お笑いタレント総出
の楽屋オチめいた「笑い」は目に余る。とい
うわけで、ほとんど見ないようにしているのだが、たしかに「イジメ」に近いゲスな笑いが多発しているようだ。また先輩-、売れてる芸人への追従、おもねりも目に余
る。
少
年時代の風見は、そう思い込んでいた。父は自分が取材し
撮影した戦場の悲惨な写真を息子に何枚か 見せた。
--ジャーナリストはかっこいい仕事じゃないぞ。こんな
場所に行って話を聞き、大勢の人から話を聞くんだ。なぜ
悲惨な事件が起きるのか、人が死ぬのか。父さん
達はいつも人の命に関わっているんだ。
先般の東北地震津波原発事故の特番でも、遺体はもちろん、怪
我人すら放映されなかった。
津波の映像すら「これから津波の映像が流れます」なんてテ
ロップが出る始末(>_<) いたずらに悲惨
な、酷い映像を流せというわけではないが、「臭
い物に蓋」式の報道は、どんどん事実から遠ざかっていくように思える。
「
他
のテレビでやるような妙な小細工はやめて欲しい」
「妙な小細工?」
「別の人間の表情を見せる小窓やテロップ、後で付け足し
た笑い声に、意味不明の効果音。そういう嘘はお断りや」
最近のテレビ番組は、バラエティだけではなく、ニュース
でもやたら画面を汚す。たとえば画面の片隅に出演者の表
情を映し出す小窓。大きな映像を見ているゲスト
の表情をそこでフォローし、視聴者に注意を換気する。その上出演者がしゃべっているのに、大きな字幕でフォローする事も常識だった。
またこの10年ほどで、お笑い番組ではタレントのトーク
に、スタジオ内のリアクション以上の笑いを効果音で入れ
る傾向が強くなってきた。
コントをやってもオチの前にCMを入れたり、CM開けに
はCM前のシーンを「復習」してから次を始めるなど、涙
ぐましい努力を払って、チェンネル変更を阻止し
ようとする。
黒岩の幼なじみの落語家の言うところの「小細工」は本当に目
障り、耳障りである。
CMの入れ方に関しては明らかに反則であると思う。
ニュース番組の効果音や音楽などは無用に願いたいし、外国
ニュースのインタビューに声優を使い、オーバーな吹き替えと
いうのも考えものである。
「今
年は、再免許の年です。そして、再免許をもらうために
は、今後5年間の財務の健全性を彼らに提
示する必要があるからです」
そんな事まで総務省は見ているのか……。
再免許をちらつかせ、常に政治家の意向を押し付けてくる
というイメージしかない風見には、にわかに信じがたい言
葉だった。
「局内でリストラが進まない場合なども、半ば強制的にリ
ストラを断行させるなど、かなり積極的に総務省が、経営
に関与してくるみたいです」
「つまり最後の護送船団とは、俺たちだったって事か」
この部分は今まさに、問題になっている、東北新社と総務省の
接待問題に通じるものだろう。
本書はストーリーより、舞台になっているテレビ界への矛盾や
批判に見るところ多かった。
【君
たちはどう生きるか】吉野源三郎 ★★★☆☆
1982/11/16 岩波文庫 青185-1 初出
1937(昭和12)8 月「日本小国民文庫」
吉野源三郎 1989年東京生れ。東京帝大哲学科卒業。
編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・
ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たち
はどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編
集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力
した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本
ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。
1981年没享年八十二。(Wikipedia)
読んだことはなかったが、戦前の少年向き啓蒙の書の特別
な一冊として、この本の存在は知ってた。でも読む気には
ならなかった。それが数年前に現役(^_^;)の子
どもたちの間一種のブームになって、漫画化されてこれがまたベストセラーになったということも小耳にはさんで、へ~(@_@)と思いながら、それでももちろん読む
気
にもならなかったのだが。コミスタこうべの図書室新着コーナーににこの漫画があって、つい流し読みしたら、地の文(おじさんのノート部分)に、心ひかれて、三宮
図書館で本書を借りて来た。
ポプラ文庫など児童書のコーナーにあるものは、省略と言
い換えがあるらしい。その点、岩波文庫場は昭和12年の
初版を底本として(仮名遣いと旧漢字は変
更)いるし、巻末には30ページにわたる丸山真男の解説(「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想)がある。
コ
ペル君は妙な気持でした。見ている自分、見られてい
る自分、それに気がついている自分、自分で自
分を遠く眺めている自分、いろいろな自分が、コペル君の心の中で重なりあって、コペル君は、ふうっと目まいに似たものを感じました。コペル君の胸の中で、波の
ようなものが揺れて来ました。いや、コペル君自身
が、何かに揺られているような気持でした。
コペル君の前に茫々とひろがっている都会には、その
とき、眼に見えない潮が、たっぷりと満ちていまし
た。コペル君は、いつのまにか、その潮の中の一つの
水玉と なり切っていたのでした--
「僕、とてもへんな気がしたんだよ。」
「なぜ?」
「だって、叔父さんが、人間の上げ潮とか、人間の引
き潮とかいうんだもの。」
「……」
叔父さんは、わからない、というような顔をしまし
た。すると、コペル君は、急にはっきりした声で言い
ました。
「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、
ほんとにそう思っちゃった。」
叔父さんは、自動車の薄暗い明りの下で、びっくりし
たように、眼を見はりました。コペル君の顔がいつに
なく、いきいきと緊張しているではありませんか。
「そうか--」
と、叔父さんは言って、しばらく考えていましたが、
やがて、しんみと言いました。
「そのことは、ようくおぼえておきたまえ。たいへ
ん、だいじなことなんだよ。」(一 へんな経験)
文体見本を兼ねて、初めの章から少し長めに引用してみ
た。児童文学としてもなかなかに格調のある良い文章であ
る。
《コ
ペル君、君も大人になってゆくにつれて、だんだんと
知って来ることだが、貧しい暮しをしている
人というものは、たいてい、自分の貧乏なことに、引け目を感じなから生きているものなんだよ。自分の着物のみすぼらしいこと、自分の住んでいる家のむさ苦しい
こと、マイチにの食事の粗末なことに、ついはずかし
さを感じやすいものなのだ。もちろん、貧しいながら
ちゃんと自分の誇りをもって生きている立派な人もい
るけ
れど、世間には、金のある人の前に出ると、すっかり頭があがらなくなって、まるで自分が人並みでない人間であるかのように、やたらにペコペコする者も、決して
少くはない。--そりゃあ、理窟をいえば、貧乏だか
らといって、何も引け目を感じなくてもいいはずだ。
人間の本当の値打は、いうまでもなく、その人の着物
や住
居や食物にあるわけじゃあない。--僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらぬ人間とかんがえたりしないように、--また、た
とえ豊かな暮しをしたからといって、それで自分を何
か偉いもののように考えたりしないように、いつでも
自分の人間としての値打にしっかりと目をつけて生き
てゆ
かねばいけない。貧しいことに引け目を感じるようなうちは、まだまだ人間としてダメなんだ。--今の世の中で、大多数を占めている人々は貧乏な人々だからあ
だ。そして、大多数の人々が人間らしい暮しが出来な
いでいるということが、僕たちの時代で、何よりも大
きな問題となっているからだ》(四 貧しき友)
本文では一段下げで、上部にノートのカットのあるおじさ
んのノート部分。《 》はMorris.が便宜的に付
けてる。
この貧乏にかんする部分は、本書の重要な部分だと思う。
Morris.は漫画のなかにあった、この部分を見て、
原作を読む気になった。80年以上前に書かれた日本
の現実が、いままさに再現されているようだ。
《--
君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていなが
ら、弱いばかりにその心がけを生かし切れ
ないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸
を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結
びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠
いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。》
(五 ナポレオンと四人の少年)
ナポレオンを「英雄」視するところは、ちょっと違和感を
覚えたが、このあたりが「時代」を感じさせるところか
な。
コ
ペル君は、またノートに向って書きつづけました。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるよう
な、そいういう世の中が来なければいけないと思いま
す。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今
にそ
いういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。(十 春の朝)
ここらあたりも、今まで人類が進歩して来たとか、将来へ
の展望の希望的観測に鼻白むものがあるが、発表当時とし
ては、精一杯の表現だったのだろう。
1935
年といえば、1931年のいわゆる満洲事変で日本の
軍部がいよいよアジア大陸に進攻を開始
してから4年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。そして1937年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本小国
民文庫』が完結した7月に盧溝橋事件がおこり、みる
みるうちに中日事変となって、以後8年間にわたる日
中の戦争が始まった年でした。(作品について 吉野
源三 郎)
まさに日中戦争が始まった年の発行。日米開戦してから
は、実質的に発売停止を余儀なくされたようだ。
日
本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、
先進文明国の完成品を輸入して、それを模範と
して「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰め込み教育」とか「暗記もの」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。いまや悪名
高い、学習塾からはじまる受験戦争は「知識」という
ものについての昔からの、こうした固定観念を前提と
して、その傾向が教育の平等化によって加熱されたに
すぎ
ず、けっして戦後の突発的な現象ではありません。
この作品はこれなりに、昭和十年代の東京と日本と世
界の姿を実に忠実に映し出しています。しかもちょっ
と想像力と応用能力を働かせれば、ここに少年向きに
描か
れている「貧乏物語」が、今日でも世界的規模で考えてそのまま生きていることを見抜くのは、そんなに困難ではありません。(丸山真男 1981)
丸山自身も大学時代に本書を読み、裨益するもの多く、初
版と同じ形での復刊を早くから希望していたらしい。「少
年向きの「貧乏物語」」とは言い得て妙である。
【楡
家の人びと】北杜夫 ★★★★
1964/04/05 新潮社
半世紀ぶりの再読(^_^;)
前にも書いたが、Morris.は「どくとるまんぼ
う昆虫記」で北杜夫には親しんでいたが、この作品は
全くちがった意味で、Morris.の心をとらえた
ようで、
北杜夫がお手本?にしたトーマスマンの「ブッデンブローグ家の人々」まで、読んでしまったことを思い出す。
ま
た感冒ワクチン事件というものも起った。流感は
年が更(かわ)っても一向に衰えなかったもの
で、
新しがり屋の基一郎は、さっそく当時できたてのワクシン--ワクチンではなくワクシンと箱には書かれていた--を従業員全員に使用することを命じた。ところが
ワクシンを注射された健康者はすべて腕が赤く腫
れあがってしまったばかりか、幾人かの発熱者ま
で出た。飯炊きの伊助だけは何ともなかった。彼
は例によって注射
されるとき姿を隠していたからである。(一部4章)
何かコロナワクチンのことを連想せざるを得ない。
このあとに松井須磨子自殺のことに触れられてあるの
で、大正8年(1919)のことということがわか
る。
そ
の原は、訪れる人々の数によって、急に生気を帯
びにぎにぎしくさざめいて見せたり、突然がらん
と
人気もなくなっていやにひろびろと拡がって見せたりした。春から夏にかけて、その各々はごく見すぼらしいあまり名も知られぬ小さな植物、しかし一面に手でかき
わけてゆくほどの群落となると馨(かぐわ)しい
褥ともなる雑草たちによて、芳醇に化粧された。
お互いに葉を投げかけあって甘酸っぱい水気をひ
そませ、泡吹虫の
唾にも似た巣を点在させ、飛蝗や蜻蛉を誘きつけてくれる、ありふれていながら同時にかけがえのない珍かな子供たちの宝庫。その草むらはやがて繁茂し尽して乾き
きr,いつしか種類を変え、次第にうらぶれたも
のと変ってゆくうちに、タデとかカヤツリグサな
どのその一つ一つの形態と色彩がふしぎに鮮やか
に目に映じてく る…。[二部1章)
こういった自然描写が当時のMorris.の心をと
らえたのではなかろうか。
青山の楡病院が火事で焼けた一部の9章に「焼跡に
は、菊科の雑草がおびただしく群生していた。草花に
趣味をもつ書生の言によれば、ヒメジョオンという舶
来の雑草
で、鉄道草とも明治草とも呼ばれるそうである」という記述もある。
一
体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かに笑
い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮してゆ
く人
間とは何なのか? 語るに足らぬつまらぬもの、それとももっと重みのある無視することのできぬ存在なのであろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計
の針は進んでゆく。もっといろいろな時計があ
る。五分おきにとまってしまう時計、やたらとせ
わしく進んでしまう統計、一年に三十秒しか狂わ
ぬ時計がある。嘗て
の楡病院の時計台のそれのように、人為的に無理矢理五分ずつ針を動かされてしまう時計もある。しかし機械に過ぎぬ時計を離れて、「時」とは一体何なのか? そ
れは測り知れぬ巨大な円周を描いて回帰するもの
であろうか? それとも先へ先へと一直線に進
み、永遠の中へ、無限の彼方へと消え去ってゆく
ものであろうか?
この部分は、半世紀後でもなんとなく覚えていた。も
しかしたらMorris.の「時間感」はこれに影響
されているのかもしれない。
1899
年、クレペリンは二つの大きな主な精神病のグ
ループ、早発性痴呆(分裂病)と躁鬱病とを分
類したのである・その体系は鞏固に明晰に、次第
に修正されつつふくれあがり、1927年の第九
版では二千五百頁に誓い堂々とした二巻の書物と
なった。
この時期に徹吉(モデルは斎藤茂吉)はドイツに留学
してクレペリンに出会い、握手を求めて無視されると
いう屈辱を受けたらしい。
朝
日新聞社は毎年元旦の紙上にその年の計画を発表
するのっを常としたが、「紀元二千六百年本社の
新
事業」というのは次のようなものであった。修練橿原道場を奉献、全国官幣社に国運隆昌祈願、奉納武道大会、日本体操大会、日本文化史展覧会…。長らく人気の的
であった横山隆一の『フクチャン』は『ススメ、
フクチャン』と改題され、アララギ派の佳人斎藤
茂吉は次のような歌を寄せた。「あめの下 ひと
つなるこころ大き
かも二千年(ふたちとせ)足り六百(むつもも)の年」「もろごゑに呼ばはむとするもの何ぞ東亜細亜のこのあかつきに」
モデルとして登場させた上で、茂吉の歌、それも時世
におもねったような作を引用するあたり、複雑な家族
間の愛憎を垣間見ることが出来る。
も
しかすると、基本的な生の涯に死があるという考
えが、そもそもの誤りであり欺瞞なのではあるま
い
か。死が根本であり土台であり、生がその上に薄くかぶさっているというのが真相なのではないか。また同時に爆弾の破片が死をもたらすというのももっともらしい
欺瞞だ。それは単なるきっかけ、触媒にすぎぬ。
その無味乾燥な破片によって、死がその地底の王
国から開放され蘇ってくるのだ。生は仮の姿であ
り、死が本来の姿
なのだ。たまたま戦争という偶発事によって、それまで怠惰にたれこめていた引幕が開かれ、死はようやく暗い陰の領土から足を踏み出し、おおっぴらな天日の下、
白昼の中にまで歩みを進めるようになったまで
だ。--こんなふうに周二の思考は混乱したもの
であったが、ともあれ彼の偏頗な思考を諾い、そ
れが一貫しておらず
混沌としていればいるほど、その考えを胸に叩きこみ嘉納したのである。
周二は北杜夫自身がモデルである。つまり、若き日の
北杜夫の死生観みたいなもので、Morris.はこ
れにも影響された可能性が高い。
【ポー
ツマスの旗 外相・小村寿太郎】 吉村昭 ★★★☆
1979/12/20 新潮社
桂
首相は、伊藤枢密院議長とその補佐役として小村
外相を全権に考え、天皇に内奏した。しかし、伊
藤 は桂の推薦をかたく拒絶した。
伊藤は、全権になった場合、どのような立場に身
を置くかを十分に知っていた。日本は、陸海軍と
もに勝利をおさめたが、ロシア側は日本陸軍の兵
力がロシア軍と対
決できぬほど弱体化していることを察知し、強行な態度で会議を推しすすめるにちがいなかった。しかし、日本の民衆は戦争継続を叫び、講和がむすばれた折には多
額の賠償を得られると信じている。もしも全権と
して条約の締結にあたれば、国民の怒りを買うに
ちがいなかった。
日露戦争といえば、まるで日本が大勝利みたいなイ
メージで語られるが、実態はそんなもんじゃなかった
わけだ。
白
人の水夫たちにまじって移民として出稼ぎに行く
日本人、清国人、韓国人の姿があった。かれらは
一
様に貧弱な体をし、子供連れの者もいる。腿を露わにしてあぐらをかく男の傍で、女が乳房をあrわにして嬰児に乳をあたえたりしていた。
小村は、日本人をふくめた東洋人の貧しさを思っ
た。アフリカがヨーロッパ各国の植民地に分断さ
れたように、東洋もそれら列強の侵略を受けてい
る。日本も危機に
さらされていたが、維新後、奇跡的にそれをまぬがれ、近代国家としての道を進んでいる。しかし、危機が去ったわけでjはなく、日本は列強の間を巧みに遊泳しな
がら辛うじて独立国としての存在を保っているに
過ぎない。清国、韓国に列強の権益が拡大される
ことは、やがて日本にもそれが及ぶことを意味し
ている。
欧米列強は、軍備をととのえた日本をうとましく
思いながらも、東洋の番人として利用しようとし
ている節がある。イギリスの提案に成る日英同盟
もそのあらわれで
あり、日本はそうした思惑を逆に利用して、自らの安全を守らなければならず、それ故に、外交政策は日本の存亡を左右するものであった。
これって、小村寿太郎でなく吉村昭の視点だろう。
明
治31年、小村の前に宇野弥太郎という四歳下の
男があらわれた。かれは筑前博多の大きな魚商の
子
として生まれたが、情念時代に家出し、長崎に行って割烹料理の修行をした後、朝鮮、京城、上海と流れ歩き、さらに南米からヨーロッパへも渡り皿洗いをして過ご
した。
宇野は字の読み書きはできなかったが、英語、中
国語、スペイン語を話し、料理に長じている上に
小村の身のまわりの世話もした。小村が中米公使
として赴任する折
り、小村はかれをともなって渡米した。
宇野は算盤をはじくことはできなかったが、、棒
給を巧みにふりわけ、家計をとりしきった。かれ
は趣味人でもあって、切手蒐集と蝶の採取を楽し
みにし、狭い自室
には蒐集箱帖と標本箱が積み上げられていた。
この宇野という男には心惹かれる。
8
月29日、ポーツマスで小村全権とウイッテの間
で全条件の妥協が成ったことは、30日夜の号外
で 東京その他各地につたえられた。
戦争で失ったものは、莫大だった。動員された兵
力は108万8996名、そのうち戦死4万
6423,病気、負傷のため兵役免除となった者
約7万、俘虜と成った
もの約2千であった。消費された軍費は、陸軍12億8328万円、海軍2億3993万円計15億2321万円であった。
人々は連戦連勝の結果として講和会議に多くの期
待を寄せた。償金40億円、樺太以外に沿海州割
譲を求める声も高かったが、講和条件の要求が余
りにも小さすぎる
ことに失望し、さらにその条件すらも大譲歩を余儀なくされたことに憤りを爆発させたのだ。
人々がそのような感情をいだいたのは、政府が戦
争の実情をかたく秘していたことに原因のすべて
があった。海軍は完全に制海権を支配していた
が、陸軍は大増強さ
れたロシア軍と戦闘をつづければ勝利の確率が少く、またそれによる軍費の膨張で日本の財政が崩壊せざるを得ないことを知らせることはしなかった。
本書を通じて、書かれていることはこの構図に集約さ
れている。
講
和後駐英大使を務めていた小村は、明治41年7
月桂内閣の外相として帰国。
外相に就任した小村は、伊藤と韓国問題について
競技し、韓国を保護国とすることからさらに進め
て日本に併合させることに意見の一致を見た。そ
して42年3月
30日、韓国併合に関する意見書を桂首相に提出した。
10月26日、伊藤はハルピン駅頭で安重根に射
殺される。
7月6日、桂は韓国の併合案を閣議にはかり、そ
の決定により参内して天皇の裁可を得た。
43年春、桂は、併合の機運が熟したと判断し、
本格的な準備に入り、小村は、それをうけて危惧
されている列国の承認を得る工作にとりかかっ
た。
第三代統監に就任した陸相寺内正毅は8月13
日、小村に対して決行する旨を打電し、李完用首
相を統監邸に招いて、併合を伝えた。8月29
日、日韓両国は併合条
約を公布し、韓国は日本に併合され、朝鮮と名称を変えた。
44年1月下旬、大逆事件関係者の社会主義者幸
徳秋水ら12名の私刑が執行された。
4月21日、日韓併合の功績により、桂首相は公
爵、小村は伯爵から侯爵になった。
11月25日、自宅で死亡。
小村の葬儀は、青山斎場でおこなわれた。その日
の朝、棺に愛読のテニソン詩集と半ば近くまで
すったエジプト煙草一罐がおさめられた。
小村寿太郎の日韓併合、植民地化に大きな役割を果た
したことを忘れることはできない。
【本
のなかの旅】湯川豊 ★★★☆
文芸春秋 2012/11/30 文藝春秋 初
出「本の話」2011-12
湯川豊 1938年新潟市生れ。慶応大学仏文科
卒。文藝春秋に入社。「文學界」編集長、同社取
締役などを経て退社。2010年「須賀敦子を読
む」で読売文学
賞。「イワナの夏」「夜明けの森、夕暮れの谷」
旅
の話を読むのが好きだった、といえばそれま
でのこと。ただ私にとって旅の本のなかに
は、いつも謎
めいた魅力と問いかけがあった。それが具体的にどのようなものだったのか、書くことによってはっきりさせたいという気持ちが、この本の動機になっている。(あ
とがき)
以下の18人が取り上げられている。(太字は
Morris.が著作を読んだことのある人物)
宮
本常一/
内
田百閒/ブルース・チャト
ウィン/
吉
田健一/
開
高健/
ル・
ク レジオ/
金
子光晴/今西錦司/
アー
ネスト・ヘミングウェイ/
柳
田國男/田部重治/イザベ
ラ・ バード/
中
島敦/
大
岡昇平/アーネスト・サトウ
/笹森儀助/菅江真澄/
R・
L・スティヴンス ン
宮
本が初めて佐渡にわたったのは1958年、
民俗学の調査が目的だった。その後も足しげ
く訪れて、
次第に民俗調査が主目的ではなくなり、農業指導になり、町や村の相談役になった。地域の貧困からの解放に少しでも力になろうとした。
貧困からの解放は、どうしてもその地域の近
代化に結びつくことになる。宮本はいっぽう
でそれを推進しながら、もういっぽうで昔な
がらの共同体的な世界と、そこ
で営まれている暮らしのありように限りない愛情をいだいていた。宮本のこの二面性を、旅すること、歩くことが貫いていた。そして足で移動しなければ見えないも
のを見て、書きとめた。(宮本常一
(1907-81) 歩かなければ見えない
もの)
Morris.には、貧困な社会の豊かさ? み
たいなものへの愛好癖があるようだ。などと脳天
気な物言いをしてたら、しっかり自分が貧困層に
なってしまっていた (^_^;)
山
陽本線の新特急「かもめ」が走ることになっ
て、三ノ宮駅と神戸駅が停車駅として争った
らしい。結
果として、下りは三ノ宮駅停車、上りは神戸駅停車ということで決着がついた。
百閒は、これはおかしいとマジメな顔で批判
する。山陽本線の起点である神戸駅を片道だ
けにしろ通過駅とするのは、鉄道のあり方か
らいってよくない。自分には決
定的な解決案がある。神戸と三ノ宮の間をプラットホームでつないでしまうのだ。ホームは片庇のトタン屋根でたくさんで、ただ続いてさえいればよろしい。ホーム
の一方の出口を神戸口、一方を三ノ宮駅とす
る。これで万事が解決する、というのだ。
「春光山陽特別阿房列車」で3ページほど
使っているこの大議論でも、何かが
解体し、無意味になっていく。(内田百閒(1889-1971) 用事がないから汽車に乗る)
「かもめ」の変則停車駅のことは初耳だったが、
三ノ宮駅から神戸駅までホームでつなぐという名
案? には笑かしてもらった。この区間はよく歩
くのだが、1km以上 あ
るからホームでつなぐのは骨である。神戸駅ちかくが大きなカーブになってるのもホームにするには難点がある。三ノ宮駅と元町駅ならホームでつないでも500m
以 下のはずだから可能ではないかと思う。
定
住することではなく、移動すること、旅する
ことが人間の本然の姿なのだと、チャトウィ
ンは信じ
た。そして自分のなかの衝動に従って世界中を歩きまわって、短い生涯を終えた。しかし、旅する人はしょせんは通過者なのである。(ブルース・チャトウィン
(1940-89) 歩く人の神様)
チャ
トウィンというのは全く未知の人で
ある。旅人は通過者というのは湯川の意見だろ
う。
ル・
クレジオがスペイン語からフランス語に翻訳
した「チチメカ神話 ミチョアカン報告書」
は、それ
まで存在することさえ半ば忘れられていた。
先スペイン期メキシコ文明において、黄金は
すべて神のものだった。神を祭る寺院を黄金
で飾り、神事に使う仮面から錫杖にいたるま
で黄金で作った。神に属するも
のを、人間の価値におきかえることはできない。だから金は通貨にはならなかった。
いっぽう征服者たちは、メキシコ文明のもつ
黄金に熱狂した。黄金が狂気を呼び、王や要
人を忙殺し聖なる寺院を破壊した。1530
年、プレペチャの最後の王タン
ガショアンは、征服者スーニョ・デ・グスマンにだまされ、拷問を受け、殺害された。殺される前に王はいった。
「なぜかれらはこのすべての黄金を欲しがる
のか? まちがいなく、この神々は黄金を食
うにちがいない、だからあれほどまでに欲し
がるのだ」
黄金は神のもの。その黄金を当然のように要
求する新来の白い人びとは、傳説が伝える
神々に違いない。そう信じて、王や神官たち
は征服者の横暴を受け入れた。す
べてが破壊された後、白い人びとの真の姿に気がついたときはすでに遅かった。残された神官や貴族にできたのは、スペイン語を習い覚え、部族に伝わる神話と歴
史、もっとも大切な祭儀の姿を征服者の言葉
で書き残すしかなかった。それが「ミチョア
ンカン報告書である。
ユカタン半島の中央部の森のなかにある、ジ
ビルノカク、「夜の書」という名をもつ不思
議な寺院を訪れる。「夜を費やして人が文字
を書くというこの孤立した場
所」は世界でもっとも居心地のよい場所だ、とル・クレジオはいう。
《夜、書き、夜、読むことは、あらゆる旅の
うちでもっとも驚くべき、もっとも簡単な旅
だ。》(ル・クレジオ(1940-) すべ
ては結ばれている)
スペイン人による中南米王朝の征服は非道を絵に
描いた行為だが、異文明同士の衝突はジェノサイ
ドめいたものになりやすい。ル・クレジオは歴史
上の人と思ってたが、
まだ生きている、というか、Morris.とはたった9歳違いだったというのには驚いてしまった。
昭
和15年に刊行された「マレー蘭印紀行」。
開高健はこの本を「昭和の日本知識人の書い
たもっとも
優秀な紀行文」と高く評価ている。池澤夏樹は「類を見ない、小さな傑作」と絶賛している。
「マレー蘭印紀行」には、いつも水が流れて
いる。軽く透明な流れではない。それと正反
対の、重く、暗い色に濁った水。しかしその
濁った流れは、南洋の生命の豊
穣の源でもある。
《川は放縦な森のまんなかを貫いて緩慢に流
れている。水は、まだ原始の奥からこぼれ出
しているのである。それは、濁っている》
《小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の
闇をひろげて、夜がはじまる。
大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。
しゃらしゃらと、たよりない音をたてゝ鳴る
南十字星(サザンクロス)が、こわれおちそ
うになって、燦いている。海
と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を炒めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終ったりしている》(爪哇)
(金子光晴(1895-11975) かへ
らないことが最善だよ)
「かへらないことが
最善だよ」
それは放浪の哲学。
というのは、詩集『女たちへのエレジー』所収の
「ニッパ椰子の唄」の一節である。光晴は一番
好きな詩人かもしれない。
明
治11年(1878)5月、46歳のイギリ
ス人女性、牧師の娘で独身のイザベラ・バー
ドが、サン
フランシスコからの船で横浜港に着いた。そして少しの準備期間をおいて、6月10日に東北・北海道に向けて旅立った。
伊藤鶴吉は、安政4年(1857)、神奈川
県三浦郡菊名村に生まれた。早くから横浜に
出て英語を学び、明治10年(1877)、
横浜で通弁業を開始した。つま
りバードに雇われたのは通訳になってまもなく、ということになる。
伊藤は、バードとの旅を終えた後も、通訳と
して活躍、しだいに大きな存在になっていっ
たようである。大正2年(1913)に胃癌
のため横浜の自宅で死去。死去
の翌日(1月7日)付の「The Japan Gazette」紙は、「日本のガイドのパイオニア」で「日本を訪れた著名な外国人のほとんどに随伴した」と報
じている由。
宮本常一は「イザベラ・バードの『日本奥地
紀行』を読む」を著していて、絶好の案内書
になっている。
日本旅行の後、イザベラ・バードは1881
年、医者のジョン・ビショップ博士と結婚。
86年、夫ビショップ病没。89年から、イ
ンド・チベット方面をかわきり
にまた大旅行をはじめる。94年から96年にかけて四度も日本の訪れ、朝鮮半島や中国大陸に出かける基地とした。1904年、エディンバラで死去。(イザベ
ラ・バード(1831-1904) 東北
へ、もっと奥地へ)
中島京子の「イトウの恋」という、イザベラ・
バードとその通訳である伊藤を中心に構成した作
品が印象深かったので、伊藤の略歴などを知るこ
とができてうれしかっ
た。Morris.は2013年に中島の本を読んでいる。読書控えから。
明
治初期に日本を訪れた英国人女性イザベラ・
L
・バード「日本奥地紀行」をタネ本にしたフィクション。通訳として雇われた伊藤鶴吉の手記を祖父の遺品の中から発見した中学教師が、その謎(終結部の不
在)を追求するなかで、伊藤の孫娘と思われ
る漫画原作者と関わりを持つ。伊藤のイザベ
ラへの仄かな愛と劣等感を、「奥地紀行」に
沿って細密に描写しながら、お
もいがけない「真実」に筆を運ぶ、その手際には感服のほかなかった。「小さいおうち」「FUTON」など、過去の作品を種子として新たなものがたりを 創作
するというのもこの作家の得意技のようだ。
こうなると、件の「日本奥地紀行」も読まないと
いけないかな(^_^;)
【黙
示】真山仁 ★★★☆
新潮社 2013/02/20 新潮社 っ初出
「小説新潮」2011-12「沈黙の代償」タイ
トルで連載
このところ集中的に読んでる真山仁の農薬と遺伝
子組み換え植物などをテーマにした作品。
1960
年代にアメリカの生物学者レイチェル・カー
ソンが『沈黙の春』で農薬の危険を訴えて、
農薬
に関する社会の関心は一気に高まった。だがそのブームが収束した後は、それ以上の大きな関心事にならないまま現在に至っている。かと言って「農薬は安全」だと
思っている者も少ないだろう。ただ、適正に
使用されるのであればいいのでは、というグ
レイゾーンにいるだけだ。いやもっと言え
ば、「そういうことを考えるのが
面倒」というのが一般人の本音か。
20年くらい前、中江くんがバイトしてた薬剤撒
布の会社で「ラウンドアップ」という除草剤を
使ってて、これが雑誌で危険なものとして批判さ
れたことがあった。本書
では「ネオニコチノイド」という薬品が取り上げられている。薬と毒はある意味同じものだったりするわけで、適正な使い方という考え方もあるだろう。
2011
年に、世界人口は70億人を超えた。10億
人に達したのは1802年のことだ。それか
ら
200余年で人口は7倍になった。中でも60億人から70億人に達するのに要した時間は、わずか13年だ。
人口爆発と呼ばれる現象は、中国やインド、
ブラジルなどの新興国の経済成長によって、
より深刻さを増している。貧困層が増える分
には、世界の食糧事情を圧迫し
ないが、新興国の人口急増は消費行動の爆発的拡大を生み、結果として地球規模の食糧危機や水の枯渇という不安定要因になるのだ。
3021年現在の世界の人口は78億人となって
いる。毎年1億人くらいずつ増えてることにな
る。貧困層より、新興国の人口増加が食料危機に
直結するという指摘には
複雜な思いを抱かざるをえない。
遺
伝子組み換え作物と言えばアメリカが本家の
ように思われているが、実は中国での開発発
展の凄まじ
さが突出している。国土の砂漠化が年々進む一方で人口増加は衰えず、そのうえ近い将来には超高齢化社会の問題がとてつもないスケールで襲ってくる中国は、世界
の食料のみならず、農地まで買い漁って、人
民の"食い扶持"確保に必死だ。
国別人口世界一は中国で14億人を超え、、3位
のアメリカの5倍近い。国家体制に鑑みて、一挙
に開発がすすむ可能性は高い。
【シ
ンドローム 上下】真山仁 ★★★☆☆
2018/08/01 講談社 初出「週刊
ダイヤモンド」2015-18
真山仁 1962年大阪府生れ。同志社政治
学科卒業 新聞記者、フリーライターを経て
2004年「ハゲタカ」でデビュー。ハゲタ
カシリーズ。「レッドゾーン」「マ
グマ」「プライド」「コラプティオ」「黙示」など。
このところわりと集中的にこの人の本を読ん
でいる。国際的投資ファンドの社長鷲津雅彦
を主人公とする「ハゲタカ」シリーズでブレ
イクしたらしい。本作もこのシリー
ズの一冊で、東北大震災で原発事故をリアルタイムとした舞台に、鷲津が首都電力(東京電力)を、買収するという筋。
「知っ
てのとおり、日本の電力事業は、特殊
や。民間企業でありながら、地域独占が
認められている。
その上、燃料費が高騰すれば、それを自動的に電気料金に上乗せすることも認められている」
電気料金は、総括原価方式によって決ま
る。
電力供給に関わるすべての経費を合算し
た上に、報酬率と呼ばれる利益分を加え
て電気料金を徴収している。言い換えれ
ば、「最初から電力会社が必ず儲かるシ
ステ ムを国が保証している」わけだ。
なぜ、こんなことが許されるのか。それ
は公共性の高い事業ゆえに恒常的に経営
の安定が維持されなければならないから
だ。そのうえ電気料金の高騰をおさえる
ため だというから笑わせる。
「まがりなりにも資本主義国家の日本
で、これほどまでに統制経済がまかり
通っているのも珍しい。せやから、電力
会社は笑いが止まらんほど儲かるわけ
や」
だから、俺は首都電力が欲しいのだ。
Morris.も電発事故の後、いろいろ関
連本を読んだから、日本の電氣産業のアウト
ラインはある程度理解しているつもりだ。そ
れだけにその電力会社を「欲しい」
と言う鷲津のストレートさには脱帽。
「ア
ンソニー、被災地(むこう)の様子はど
うだ」
尋ねられて、顔を上げたアンソニーの目
はひどく充血している。よほど疲労困憊
らしい。
「メディアは、被災地の壮絶さを伝えて
いません。遺体が至る所にあります。そ
れにヘドロで汚れた街に漂う異臭が酷
かったり、途方に暮れて泣くことすらで
きなく
なってしまっている被災者がたくさんいる。なのにそれを拾い上げるメディアがない」
ヘドロ塗れの遺体なのだと理解した。
「あなたが撮ったの? 一体いつ?」
食い入るように写真を見つめているリン
が尋ねた。
「地震から三日目に、ロイター通信の記
者の友人について行ったんです。そした
らこの有様で。でも、こんな状況の写真
や映像は一切メディアに流れない」
それは当然だろう。読者の気分が悪くな
るような写真を載せる勇気など、日本の
メディアにはない。
正義感が強く、貧困地域の支援活動家で、鷲
津の配下となった米人アンソニーが東北の被
災現場に入っての、報告。あの原発事故から
10年目になる今日このごろ、特番
も多いが、日本のテレビでは、遺体や負傷者の映像は絶対放映されないし、津波の映像すら直接的に放映するのを避けている傾向にある。
聞
くところによると、50基以上もの原発
を抱えながら、まともな事故処理マニュ
アルが存在しなかっ
た可能性が高いらしい。それが事実なら原発を推進してきた政府と電力会社は、国賊ものだ。そして、そんな原発を、他国に「世界一安全」だとして売った自分もま
た国賊の一人だ。
日本はエネルギー資源のない国だ。した
がって発電のための原材料のほとんどを
輸入に頼っている。そのため自ずとコス
ト高になる。そこで発電事業者が頼った
の
が、原材料の値段が安定して安く、巨大な容量を発電できる原発だ。
原発があったからこそ、深夜でも街の
隅々まで明るく、オール電化のタワーマ
ンションも無数に誕生したのだ。
そんな恩恵に浴していたことをあっさり
忘れて、まるで国や電力会社が国民を騙
して原発を無理矢理稼働していたかのよ
うに、世間やメディアは糾弾した。
震災がもたらした悲劇は多々あるが、電
力に関しての無知の露見と得体の知れな
い怒りの蔓延も、一つの悲劇だった。
ベトナムに日本の原発を売り込みに行った、
会社再生の達人柴野の独白。「原材料の値段
が安定して安く、巨大な容量を発電できる原
発」というのは間違っていると思う が……
ま
た、総理の壁か。
「総理に何を期待しているんです」
原発発生時は菅(かん)総理だが、本作では
菅と鳩山を合成したキャラクタになている。
「総理の壁」は2005年にベストセラーに
なった「バカの壁」(養老孟司)の
ギャグだな。
「自
粛して東北が復興するんだったら、いく
らでも自粛すればいい。しかし、日本中
がいつまでも災害
の傷を抱えているのは、健全じゃないだろ」
被災地と被災者を慮ることは重要だろ
う。だからといって、何もかもが停滞し
ていては、日本経済も社会も浮上できず
に終ってしまう。
コロナ自粛の中でも、こういった物言いがさ
れてた。
東
日本大震災は、政治や社会に無関心だっ
た日本国民に衝撃を与えた。そして、恐
怖に裏打ちされた問
題意識として、エネルギー問題は矢面に立たされた。
そもそも電力問題なんて、よほど問題意
識の高い一部の人しか興味を示さないも
のだった。それが、今や原発問題だけで
はなく、電力の未来や電力会社のあり方
につ
いて、まるで専門家のように語る人が増えてきた。
無関心でいるより良い傾向なのだが、に
わか仕込み知識を振りかざして、一家言
持たれるというのは、面倒でもあった。
Morris.がそういった輩の一人ではな
かったと言い切る自信はない(^_^;)
バ
ブル経済崩壊以降、日本はそれまでの日
本的な習慣や良さをかなぐり捨てた。
言ってみれば、第二の
明治維新が起きたといえるほど大胆で乱暴に、文明開化(グローバルスタンダード)に突き進んだ。
文明開化に「グローバルスタンダード」とい
うルビは秀逸。
「そ
れにしても、今日の会見はショッキング
だったな」
「サプライズこそ、我が人生ですから」
Life is suddonly(ソウル
郊外喫茶店の壁の落書き)を思い出した。そ
してそれにインスパイアされた
Morris.の今月の標語「人生はフラッ
シュ メモリー」。
「原
発は、我が国が先進国であり続けるため
の心臓なんだ。君にその認識はあるの
か」
「私は政治家ではありません。ただの商
人です。私にとって原発は、電力事業で
ぼろ儲けするために必要不可欠なツール
に過ぎません」
「つまらん男だな。君には愛国心がない
のか」
そんなことをみだりに口にする方が、ど
うかしている。
「資源も軍事力もない弱小国家が、世界
列強と渡り合えるのは、最高峰の製品を
提供できる工業力を維持しているから
だ。それを支えるのが電力だ。温暖化な
どとい
うバカげたムーブメントにも動じない原発による発電が、日本という国家を支えている。だからこそ、たとえ事故が拡大し、国民の命が犠牲になっても原発を捨てる
わけにはいかないんだ」
国士というのは、こういう発想を持つ人
物を言うのだろう。しかし、東海林の言
葉に痺れるほど初心(うぶ)でもなかっ
た。
東海林は国有化ありきと繰り返すくせ
に、首都電力再生のための本質的な話を
避けている。国有化すれば、あとは自分
を含めた原発マフィアがいかようにでも
出来る と信じているのだろう。
東海林のモデルは中曽根だろう。
第
六部 伸るか反るか
「のるかそるか」はよく使うことばだが、こ
の漢字をあてると初めて知った。
伸
るか反るか 運を天にまかせること。成
功するか失敗するか。いぎかばちか。
のる[伸る・反る]1.(刀が)反り曲
がる。反り返る。2. 人が体を前や後
ろに曲げる。前かがみになったり」のけ
ぞったりする。(大辞林)
そうか、「反る」で「のる」とも読むのか
(@_@)
SBO(全
交流電源喪失)が起きて冷却水による核
燃料の冷却が止まった以上、メルトダウ
ンが起きた
のは間違いない。にもかかわらず水蒸気爆発が起きない事実に、多くの専門家が首をかしげていた。
「なぜ、水蒸気爆発がおきないんで
す?」
IC(イソコン 非常用復水器)とは、
原発がSBOを起こした時に最後の切り
札として、原子炉内を冷却するシステム
で、それが正しく作動するとブタの鼻か
ら蒸 気が出るという。
フクイチでメルトダウンしても爆発しなかっ
たのは、本書ではアメリカの原発メーが日本
側にも知らせずに底に水が残らないように手
直ししてたということになってい る。
事故から10年経って、廃炉作業は端緒にす
ら至っていない状態、汚染水、汚染土、の処
分先も決まらず、「原発の手に追わなさ」は
明らかに成っているというのに、ま
だ再稼働を実行しようとしている政府には、呆れるしかない。
【夢
見る帝国図書館】中島京子 ★★★☆
2019/05/15 文藝春秋 初出「別
冊文藝春秋」第238号~第340号
「福
沢諭吉がね、洋行をしたわけよ」
「あ、福沢諭吉がね。1万円札の」
「そう、そして帰ってきて言ったわけ。
『西洋の首都にはビブリオテーキがある
うがって」
「なんだか料理名みたい」
「それでみんなでびっくりして、そりゃ
作らなきゃならんてことになった」
帝国図書館の創設に福沢諭吉が絡んでいたと
はね。
今
まではさまざまの事してみたが 死んで
みるのは之が初めて 淡島椿岳
淡島寒月は膨大な蔵書を持ったほかに、
世界各国の玩具を蒐集したり、江戸の風
俗について書き物をしたり、やたら旅行
をしたりして暮らしたが、梵雲庵と名付
けて
住んだ向島の寓居を関東大震災で焼かれてそのコレクションを全部失った。失ったその日にはまた新しい玩具を買うという、懲りない人生でもあったらしいが。そし
てその二年と少し後に鬼籍に入った。先
に挙げたのは寒月の父で、やはり趣味人
の画家だった、椿岳のごきげんな辞世の
句だが、息子も、とてつもなく陽気な辞
世を 詠んだ。
針の山の景しきも見たし極楽の 蓮のう
へにものりたくもあり 寒月
幸田露伴が帝国図書館で淡島寒月と出会った
ことは知ってた。高等遊民といった感じの寒
月だけど、父子ともに素敵な辞世の歌を詠ん
だものだ。
も
し、図書館に心があったなら、樋口夏子
に恋をしただろう。
そもそも図書館がこの東京の地に「書籍
館(しょじゃくかん)」と名づけられて
産声を上げた年と、樋口夏子がこの世に
生を受けた年は、同じ明治五年であっ
た。
夏子の生前に出た唯一の著書である、お
手紙の書き方指南書『通俗書簡文』を、
図書館は万感の思い出胸に抱いた。
夏子は明治二十九年の11月二十三日に
息を引き取った。図書館は、死後に出版
された樋口一葉の本を次から次へと愛し
た。全部愛した。小説も歌も日記も手紙
もす べて愛した。
図書館には鷗外も漱石も露伴も来た。徳
富蘆花も島崎藤村も通った。田山花袋も
日参した。およそ明治の文学者で上野の
図書館に行かないものはなかった。
けれども、誰がなんと言おうと、図書館
がもっとも愛したのは、この、肩こりで
近眼の、金の苦労の絶えなかった、薄命
の女流作家であるに違いない。
帝国図書館を擬人化して、彼が一番愛したの
が樋口一葉とするあたり、中島京子ならでは
の目の付け所の良さである。
◆と
しょかんのこじ◆
きうちりょうへい作 すみやじろう絵
小粒書房 1953(長ぐつ文庫;第3
集 12)城内亮平
1014_1959, 角谷次郎
1923_1989
「あたちは こじです。
それでも なんで さみしいことのある
でしょう。
あたちには おいちゃんがいるのです。
おいちゃんは せいたかのっぽで
とくべつのおしごとを しています。
うえのにある おおきな としょかんに
かよって
としょかんのことを ほんに かいてい
るのです。」
「あたちは おいちゃんの
りゅっくさっくのなかへ はいって
いっしょに としょかんに
かよいます。
よるになると としょかんのひとは
みんな いえに かえってしまいます。
でも あたちと おいでゃんは ちがい
ます。
よるの としょかんに ねとまりをする
のです。」
「よるの としょかんには いろいろな
どうぶつが やってきます。
くまも います。
くろい ひょうも います。
きりんも しまうまも おさるさんも
います。
みんな となりの どうぶつえんから
ほんを よみに やってくるのです。」
「いちばん おもしろいのは
ほんから でてくる ひとたちです。
まじょも います。
おうさままも います。
おさむらいも おじぞうさんも いま
す。
みんな あたちと いっしょに
ほんを よんで わっはっはと わらい
ます。」
「そうしているうちに
あたちは ねむくなって
おさるさんや おさむらいや まじょと
いっしょに ねむります。
こんどは ゆめのなかに
おじぞうさんや きりんや おうさまが
でてくるのです。
おいちゃんと いっしょに
あさを むかえます。
ふろへも はいりたいから
あくびをして おもてへ でます。」
この不思議な絵本が、作者をこの作品を書か
せることになった老女の幼少時の大権に繋が
るものらしい。ともかくも、この雰囲気は素
敵である。
上
野動物園の福田三郎園長代理が、大達茂
雄東京都長官から「猛獣処分」の厳命を
受けたのは昭和十八
年八月十六日のことだった。
「言っておくがね。戦局が悪化したから
ではないよ。そのように伝えられては困
るから、気をつけてくれたまえ」
そう、大達都長官は念を押した。ではな
ぜ、という問いを、福田延長代理は胸に
しまった。
戦後、『かわいそうなぞう』という反戦
絵本がベストセラー/ロングセラーに
なったが、そのえほんには動物たちが殺
された本当の理由は描かれなかった。
そしてかわいそうだったのは象だけでは
なかった。
ホクマンヒグマ、ニホンツキノワグマ、
ライオン、ヒョウ、チョウセンクロク
マ、トラ、黒豹、チーター、マレーグ
マ、ホッキョクグマ、アメリカヤギュ
ウ、ニシキ
ヘビ、ガラガラヘビ、そして象。合計十四種、二十七頭が殺された。毒殺には硝酸ストリキニーネが用いられたが、それで死ななかったものは槍で刺殺。寝込みを
襲って首にロープを巻き付け窒息死させ
たケースもあった。生後半年にならない
ヒョウの子も殺された。
この動物園の悲劇的エピソードは、あちこち
で取り上げられるが、上野にあった図書館と
動物園の悲しい交歓なのかも。
「と
しょかんのこじ」後記から一行空けて
「この叢書は、お子様方の情操教育に寄
与すべく編まれたも
のです。『長ぐつ文庫』は一般書店では取り扱っておりません。全国の公立図書館、学校図書館にのみ所蔵されるものであります。公立図書館および学校図書館の意
義は、今日、益々たかまっていることは
言うまでもありません。」とあり、また
一行空けて唐突に始まるのが、タイトル
も何もない、詩のようなものだった。
とびらはひらく
おやのない子に
脚をうしなった兵士に
ゆきばのない老婆に
陽気な半陰陽たちに
怒りをたたえた野生の熊に
悲しい瞳をもつ南洋生まれの象に
あれは
火星へ行くロケットに乗る飛行士たち
火を囲むことを覚えた古代人たち
それは
ゆめみるものたちの楽園
真理がわわれらを自由にするところ
瓜生平吉
真理がわわれらを自由にする
-----。
どこかでその言葉を聞いたように思って
目を上げると、わたしが座っていた国立
国会図書館東京本館の目録ホールの目の
前の図書館カウンターの上部に、ギ
リシア語の原文と並んでそ
れは刻まれていた。
中島京子の作品では「小さいおうち」の系列
に入る作品がMorris.の好みで、本作
もそれに属すると思う。彼女にはできるだけ
この手の作品を書いて欲しい。
【永
田町 小町バトル】西條奈加 ★★★☆☆
2019/02/10 実業之日本社
西條奈加 1964年北海道生れ。
2005年「金春屋ゴメス」で日本ファ
ンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。
「涅槃の雪」で中山義秀文学賞、「まる
まるの毬」で 吉川英治文学新人賞
「法
律を変えて、予算を勝ち取る―それ
ができるのは、国会議員だけなの
よ」。野党・民衛党から出馬
し、初当選した芹沢小町は、「現役キャバクラ嬢」にしてシングルマザー。夜の銀座で働く親専門の託児施設を立ち上げた行動力と、物怖じしないキャラクターがメ
ディアで話題となり、働く母親たち
から熱い支持を集めたのだ。待機児
童、保活、賃金格差、貧困…課題山
積みの“子育て後進国”ニッポン
に、男社会・永田町に、
小町のパワーは風穴を開けられるのか!?吉川英治文学新人賞作家が挑む、新たな地平!
(こしまきの、惹句)
政治ドタバタ娯楽小説と思ったのだが、
意外に大真面目な著者の社会批判が展開
されて、ちょっと圧倒されてしまった。
自
ら望んで、颯爽と家庭からとび立つ
女性も増えてはいるが、まだまだ大
方の女性は、男に依存したい
という思いを、心のどこかに抱えているのではないか--。夫婦と子供のいるあたりまえの家庭という、この国が培ってきた幸福の形から、その呪縛から逃れられ
ず、はじき出されてなお、必死にと
り戻そうともがいている--小町に
はそう思える。
そして、国も政府も法律も、この型
通りの幸せこそが最善だと、未だに
大声で吹聴するのだ。これほど多種
多様な価値観が存在する世の中に
なっても、政治はまった
く追いついていないどころか、目に入れるのを忌避しているかのようだ。
安倍晋三を典型とする日本家族神話への
批判。
中
国は1950年から、「婚姻法」で
別姓が可能となり、子供の姓は
1980年に改正された同法によ
り、両親のいずれかから選択でき
る。実際は伝統に従って、父親の名
字が使われる場合が多いそうだが、
少なくとも選択の自由はある。台湾
では婚姻の際に、同姓・
別姓のいずれかを選択できるが、別姓が一般的。韓国は昔ながらの父系制のため、結婚後もそれぞれの父方の名字を名乗る、つまり別姓がふつうである。東南アジア
においても、ほとんどの国が夫婦別
姓か選択制であり、タイでは同姓・
別姓を選択でき、ベトナムは男女双
方、父方の性を名乗る。
今日の参院でも福島みずほと丸川珠代が
夫婦別姓で咬み合わない議論やってた
が、これも「家族神話」に繋がるものの
ようだ。
ク
オータ制とは、議会における男女平
等を目指して、一定数の議席を女性
議員に割り当てる、ノル
ウェー発祥の制度である。クオータとは分け前や割当という意味で、よく間違われやすいが、四分の一を表すクオーターとは別の単語だ。
これはMorris.も完全に誤解して
いた(>_<)
親
も子も、必死になっていまの生活を
守り、体裁をとりつくろう。せめて
そのあいだに、助けてくれと
声をあげてくれればと、小町は悔しくてならない。なまじ忍耐を美徳とする国民性のためか、ぎりぎりまで我慢する親や子がなんと多いことか。本当に倒れるまで頑
張ったあげくに、病院に担ぎ込まれ
て初めて貧困の実態が明らかとな
る。
病院が最後の砦となるのも、そのた
めだ。なんと貧しい国だろうと悄然
となる。もちろん金銭の意味ではな
く、若い親や子供たちが、こうも喘
がなくてはならない社
会は、どこかおかしいと思えてならないのだ。
絶対貧困と相対貧困と言われるが、今の
日本は相対貧困の温床(^_^;)と言
えるだろう。
自
由経済こそが、資本主義の根幹であ
る。この『自由』という言葉に騙さ
れてしまいがちだが、自由と
はつまり、「やりたいようにやって、好きなだけ儲けていい」ということだ。
儲けを出すためには、原価と人件費
を切り詰めて、できるだけ多く売れ
ばいい。原価を担う、農業や鉱山労
働者、あるいは下請け工場の生産物
が安く買いたたかれ
て、非正規雇用の従業員が増えるのも、実に単純な道理だ。
強者と弱者、すなわち富める者と貧
しき者が出るのは必然で、どんなに
もっともらしい方便を並べても、
『貧富の差は仕方がない』。それす
らもいわば、『自由』な
のである。
「じゃあ、小町ちゃん、自由の反対
語は何か。わかるかい?」「不自
由、でしょ?」
「間違ってはいないけど、政治的に
は違うよ。こたえは『平等』だ」
「『自由』の反對が……『平
等』?」
多くの国がスローガンに掲げている
『自由』と『平等』は、実はまった
く逆の性質を持つ。そう聞かされた
ときの驚きは、小町にとっては発見
に近いものだった。
「『平等』を是とした国が、社会主
義国家。そういえば、わかるか
い?」
ああ、とたちまち納得がいき、小町
は首振り人形のように何度もうなず
いた。
「ただね、資本主義にもいろいろあ
るんだ。国の、政治の、方向性とい
うべきかな。あえてふたつあげる
と、アメリカ型と北欧型かな」
アメリカ型とは、新自由主義経済を
差し、ネオリベラリズムとも称され
る。
市場での自由競争を徹底させる。す
なわち『市場原理主義』である。長
所としては、効率が上がり、価格が
下がり、サービスが向上する。反
面、原価と人件費を下げ
る必要に迫られて、貧困層を生む結果につながる。
「自由」の反対が「平等」というのは、
どこかで聞いたことがあるが、それでも
たしかに衝撃である。新自由主義の長所
と短所の要約もわかりやすい。
「同
じ資本主義でも、アメリカ型と対極
にあるのが北欧型でね。北欧諸国ほ
どその方面に力を入れてな
くとも、たとえばドイツやフランスには、社会保障国家を目指す政党が、保守党と並ぶほどの大きな勢力となっている。いわゆる二大政党の形だね」
それらは社会党とか民主党とか呼ば
れる存在で、選挙に勝って政権を握
ることもあれば、たとえ保守政権下
にあっても発言権は非常に強い。新
自由主義經濟の牽制役
を果たし、暴走を食い止めて、『再分配』を促すと、紫野原は言った。
「『再分配』て、何?」
「自由競争で儲けたお金を、いった
ん税金として納めてもらう。それを
国が、弱者にも行き渡るよう再分配
する。高所得者から税金をたくさん
とって、低所得者に分
けることを『所得再分配』というんだ」
「そうなるね。経済は資本主義、福
祉は社会主義、そんな感じだね」
いや、わかりやすい解説!!
「政
治って、生活に直結するのよね?
よく考えたら、すごく大事なことな
のに……どうせなら、きち
んとわかりやすく教えてほしいわ」
「それは文部科学省で、禁止されて
いるんだ」
「どういうこと? わけわかんな
い!」
「『党派的政治教育』を行ってはな
らないと、文科省の学習指導要綱に
も出ているよ。特定の政党を支持、
あるいは非難することは厳禁とされ
ていてね、これに抵触
しないようにすると、骨格しか説明できないんだ」
学校では、政治については最低限の
教育しか行わない。政治について詳
しく語ると、どうしても語り手の主
義主張が混じってしまい、それは特
定の政党への肩入れに
なりかねない。政治的発言を子供に植えつけるのはよろしくないという配慮であり、間違ってはいないのだが、おかげで日本の子供はおしなべて政治音痴になる。投
票率の低さが、如実に物語ってい
る。
ここらは斎藤美奈子「學校では教えてく
れないほんとうの政治の話」あたりから
の引用。
「ど
こかの国が潤っていれば、必ずどこ
かにしわ寄せが来る。日本の好景気
の陰には、貧しい暮らしを
余儀なくされた人々がいる。主にそれは、途上国が担っていたはずだ……いまも昔もね」
「つまり……他国にかぶせていたつ
けが、いまになって回ってきたとい
うわけ? この先も日本の貧困層
は、増えることはあっても減ること
はない?」
その恐れは十二分にあると、紫野原
はうなずいた。
「どうして貧困がこんなに増えたの
かって、最初に質問されたよね。最
大の原因をあげるなら、経済のグ
ローバル化だよ」
国をまたいで活動する巨大企業は、
もっとも有利な条件の土地に生産拠
点を構える。資金が安くすむ新興国
に工場を移し、最大限の利潤をあげ
ようとする。そんな企
業と競争しようとすれば、国内の労働賃金も上がりようがない。
経済の中心が、情報産業に移行した
ことも見逃せない。いわゆる職人や
オフィスの事務系職員は不要にな
り、かわりに保育・介護・飲食など
のサービス業は引く手数
多だが、賃金は驚くほど低く抑えられている。
コロナ禍もグローバル化の賜物にちがい
ないし、コロナの後もこの傾向は続くん
だろうな。
生
活保護の審査は非常に厳しく、たと
え受給に至っても、その後の生活が
厳しく制限される。この国に
は未だに、福祉を施しと捉えるものがあまりにも多い。施しは耻であり、弱者の象徴でもある。受給者の暮らしぶりに、いちいち目くじらを立てるのがその証しだ。
長い人生の中には、誰にだって山や
谷がある。谷に落ち込んでいるとき
に福祉の恩恵を受けて、また山を目
指すための足掛かりにする。その間
の保護が本来の目的の
はずが、周囲の冷たい視線と当人の引け目が相まって、なかなか這い上がれない。強烈な偏見が、生活保護の目的を歪めてしまっている。
福祉=施し=耻という、政府の罠に見事
にはめられている、ということだ。
【美
しい日本のくせ字】井原奈津子
★★★★ 2017/05
/26 パイ インターナショナル
井原奈津子 1973年神奈川県生れ。
くせ字愛好家。多摩美術大学卒業後、主
にエディトリアルデザインに関わる。習
字の指導、毛筆ロゴ制作や筆耕などを行
う。「く
せ字講習会」など手書き文字のワークショップも開催。
最近よく見かける、おもしろ事物蒐集本
くらいに思ったのだが、これが嬉しい誤
算というか、実に本格的な、行き届い
た、それでいて遊び心に富んだ好著だっ
た。有名無
名の人物や、店、出版物などさまざまな「くせ字」を紹介しているが、おおまかに取り上げられた人物名など
松
本人志/松本国三/中ザワヒデキ
/佐藤修悦/デーブ・スペクター
/韓流スター/サンリオ/大川お
さむ/松田聖子/『りぼん』/「ア
ンの部屋」/長谷川書店/喫茶
「花」/稲川淳二/植草甚一/新谷
雅弘/しげちゃん/映畫字幕/ひさ
うちみちお
/100%ORANGE/二井康雄/レディ・ガガ/スケシン/カレー屋/母/南伸坊
25
年ほど前、10代の終わりくらいか
ら、書類の字、雑誌に載った有名人
の字などを、ファイルにい
れたりして取っておくようになりました。
私がいままで出会った「くせ字」の
中から、とくに「この字いいよ
ね?」「気になるよね?」「すごい
よね?」という文字を選び、この本
を作りました。(まえが き)
というわけ。
警
備会社で警備員を務める佐藤さん
は、2004年新宿駅の工事現場で
誘導係になったそのさい、声か
けだけでは足りないと案内表示の文字をガムテープで作り、その文字の独創性に注目が集まった。彼の作り出すガムテープ文字は親しみをこめて「修悦体」と呼ばれ
ているが、そのいわば原点となるの
が、彼が何十年も前から書いている
この(ゴシック体(ゴナ体?)を手
本にした)手書き文字だ。(佐藤修
悦)
ガムテ-プで文字を造形すると必然的に
ゴシックになるな(^_^;) かなり
世間の話題になったらしいが、今なら
SNSで盛り上がるのだろう。
「見
よう見マねフォーリン系」広告の代
表の字といえば、これだろう。糸井
重里コピー、浅葉克己デザ
インの「おいしい生活」(西武百貨店・1982年)。最近まで「ウッディ・アレンが書いたカタコト文字」としか思っていなかったのだが、浅葉さんのインタ
ビューで「(僕が書いた)手本を見
て書いた」とあり、驚いた。(「お
いしい生活」文字の謎)
あの文字はウディアレンが書いたのは間
違いないようだが、浅葉克己が書いた文
字を手本としてウディが書いたものだっ
たというのには驚いた、両者の写真が掲
載されて
いて、見比べると確かにく似ている。それにしても糸井のコピー「おいしい生活」は、じつに「あざとい」ものだった。
雑
誌『りぼん』に1983-85年に
連載された本田恵子の「月の夜星の
朝」の主人公リオのは、
「字」がこれまた完璧だった。漫画のセリフには、活字に混じって、ときどき手書き文字が使われる。この作品のなかで書かれた字は、当時流行していた丸文字の
「おバカ」テイストを「お茶目」テ
イスト程度にとどめた、丸文字なの
に知性を感じる、いわば女子力バー
ジョンアップ型だったのである。
「りおの字」を、交換日記に、授業
のノートに、マネした。りおと同じ
中学生の頃である。さすがにりおの
ようになれるとは思っていなかった
だろうが、憧れるとマ
ネしてしまう、素直な時代だったと思う。大人の階段昇っていたシンデレラだったのだ。
少女だったと、いつの日か思うとき
が来た。(少女のバイブル『りぼ
ん』の字)
まる文字に関しての著者の観察力は大し
たものである。
丸
文字ーー70~80年代女子の文字
・1974年までに誕生し、
1978年に急増したとされる。普
及の一因として、雑誌『an・
an』などで使われた書体「ナー
ル」写研 1972)をあげてい
る。また、サンリオの『いちご新
聞』やファンシーグッズにあふれて
いたレタラーお兄さんのハイカラな
文字が、普及の大きな役割を果たし
たのではないかという新
説をあげておきたい。丸文字のピークは1982-3年というのが実感。1991年『広辞苑』に「丸文字」の見出しが立つ。
長体ヘタウマ文字ーー90年代女子
の字
丸文字から発展した。丸い中にもト
ンガリを加えた。トメハネがシッカ
リしている字『月間アクロス』(パ
ルコ出版)は、この文字の名づけ親
であり「女の子っぽい
かわいいイメージ」を拒否した、そっけないけどおしゃれなヘタウマイラスト的な文字」と分析した。
長体ヘタウマ文字のピークは
1986-8年。
中森明夫の「変体少女文字の研究」を読
んで、まる文字のことは大まか理解して
たつもりだったが、上っ面理解だった。
「美
文字練習帳」を買うときに、「売れ
ているようだから」「先生が美人だ
から」などの理由で決めて
いませんか?10年ほど前に、複数の先生がいる書道学校に通いました。子どものころ好きだったはずの習字なのにそれほど楽しいと思えず、ガッカリしていました
が、ある日、違う先生の手本で書く
機会があり、楽しい気持ちが見事に
甦ってびっくり。楽しくなかったの
は、それまでの先生の字が好きでな
かったからだと気づき
ました。美文字練習帳は「好きと思える字」で選ぶことをオススメします。(どれも好きと思えなければ練習などしない、それもアリ)
「日ペンの美子ちゃん」を思い出した。
す
ごい字がツイッターで回って来た。
稲川淳二氏の字である。手書きなの
かそうじゃないのか、なぜこ
んな風に書くのか、いったいこの文字は何なのか。端正で奇怪。形が独特なだけでなく、ここまでびっちりと機械的に整っているのも珍しい。デザイン専門学校をで
て、もとは工業デザイナーだったと
いう。有名な「バーコードリー
ダー」や「車止め」などは稲川氏の
デザインだ。
「書家」と名乗る人の字が「書」な
のではない、「その字が好きだ」
「その字を欲しい」と思わせる字が
書であり、それを書く人が書家なの
だと常々思っている。稲
川淳二氏の字は、そういった意味で私にとっては「書」なのだ。稲川氏の作品集の出版をぜひこの場を借りてお願いしたい。(稲川淳二)
これはかなり有名な話だったらしいが、
こればかりは一見に如かずなので、
紹
介されてる ページを紹介
しておく(^_^;)
G
さんの字の書き方は、定規に字の底
辺を当てるというものだ。説明する
までもないが、パッと見たと
きに「きちんと整っている」と感じるのは、この揃った底辺の「見えない線」目がなぞるためだ。この「定規法」は、日本語の横書きにおいて、崩れたバランスを整
えて見せる、ひとつの発明かもしれ
ない。かなの連綿の美しさが本来の
美しさなら、定規を使った字は人工
的な美しさ。(事務員Gさんの字)
これはMorris.も実践してみるこ
とにした。とりあえず水平に文字が並ぶ
だけでも可読性は上がる。
日
本で最初の字幕入りの映画が上映さ
れたのは1931年で、そのときの
タイトルライターは、早川富
之助・山本吉郎・大村敦の3名。後続の大井充氏は「(焼き込み字幕の)字体を作ったのは嶺田四郎、角田豊氏あたりだろう」とい。
映画に字幕がついているのは日本く
らいで、それ自体が珍しいのだが、
この字の「くせ」が多くの人にあい
されるものだったことは、日本人に
とってまたとない幸運
だったと思う。この字が消えていくのは惜しい。おそらく同じ気持ちから、字幕の字はフォント化されている。佐藤英夫氏の手書きから作られた「シネマフォント」
を初めたくさんのフォントが作られ
ている。フォントになったことで、
字詰めに気を使われていないものも
多く出回っており、なかには目を覆
うような汚いものもあ る。
大学卒業時の96年に「字幕の字を
書く人」になりたい」と、字幕製作
会社に電話をした事がある。「仕事
は少なくなっているし、もういりま
せん」と門前払い。諦
めきれず、字幕のついた映画ビデオを一時停止して字を練習、その山を持って別の映画製作会社を訪ねた。「残念だったね、いまフォント化しているよ」と。かわい
そうだと思われたのか、「そんなに
好きなら」と、その時にもらった字
幕の字が書かれたカードは宝物に
なった。
「字幕の字」の作り方(*現在は
レーザーで活字を入れる方式が広く
使われている)
1.焼き込み字幕ーー黒い髪に筆で
白い文字を書く。字幕を撮影したネ
ガと画のネガを重ねて焼く。
2.打ち込み字幕ーー白い紙に烏口
などで黒い文字を書く。字幕(タイ
トル・カード)を撮影し、銅などの
金属板に焼き付けて凸版を作るその
版を薬品が塗られた
フィルムに打ち込み、文字の部分を白く抜く。
3.薬洗式字幕ーーフィルム全体に
蝋を塗り、字幕の版を押して文字の
部分だけ蝋をはがす。薬品で洗い、
フィルムの字の部分を脱色して白く
抜く。
本気で字幕文字を職業にする気だった、
というだけで著者の思い入れが伝わって
くる。
こ
の世界、文字のいばら(?)に踏み
込んでしまったからには、その蓋を
開けねばなるまい。こんなに
気になる理由の一つは、はたして「嫉妬心」だった。「かわいい完成度」が高い。なかずる~い! 私もかつてグラフィックデザイン業界の片隅に籍を置いた身であ
る。広い意味で同業者と言える、
100%ORANGEさんへの称賛
や憧れが、多少、変質してもおかし
くないではないか。
懺悔をすませてしまうと肩が軽くな
り、「かわいい」と言えないのに
は、ほかの理由もあるのだと気づ
く。完成度の高さ、それは、雑味を
のぞいた「かわいいのエキ
ス」の純度が高いこと。歌舞伎や宝塚歌劇などで見られる、男性、女性が異性を念じる、洗練された「らしさ」の表現。女方は素晴らしく色っぽく、男役は素晴らし
くかっこいい、
100%ORANGEさんの絵や字
は「素晴らしくかわいい」それは私
にとっては、純度が高すぎるのかも
しれない。「かわいい」という言葉
のもと
の意味は「不憫だ」「気の毒だ」だったせいかどうか、「かわいい」の中に無意識に「かわいそう」を求める私の「かわいい」とは別のものなのではないか。全然か
わいそうじゃない、だから可愛いわ
けではない、と。
(100%ORANGE)
イラストレイターとしての
100%ORANGEはあまり良く知ら
ないし、紹介されてた文字にもそれほど
びびっとは来なかったが、「かわいい」
という言葉への著者の
私的思い入れに共感を覚えた。
「携
帯ギャル文字」とは半角文字や記号
を組み合わせて暗号のような文字を
作る遊びで「へた文字」と
も呼ばれる。2000年ころに生まれ、女子高校生を中心とする若い女性のあいだで流行り、携帯電話のメールで使われた。
⊃σ字、Tょωτ書レ/τあゑカゝ
わカレ)MA£カゝ?
(この字なんて書いてあるかわかり
ますか?)
ギャ
ル文字一覧のページ
を参照のこと。
こ
の「一見汚い字」を見てびっくりし
たのだ。ラフなようでも読みやすい
のは、本当は上手に書ける技
術があって、その応用で書いているからだ。字のひとつひとつは崩れていたり勝手に略したりしているが、全体としては、ある美意識が伝わって来て、書作品のよう
にも見える。
私が書いていた「キレイでかわいい
字」はわりと簡単だ。基本を踏まえ
てそれっぽく書けばそれなりに見え
る。急に、自分の字が安易でつまら
ないものに見えた。
「グランジファッション」と呼ばれる、着古したシャツや穴の開いたジーンズなどを着こなすファッションがあるのと同様に、字も「あえて汚く書いてお洒落に見せ
る」ということがあると思う。(予
備校教師の字)
敗れたジーンズやストーンウォッシュな
どのファッションを「グランジーファッ
ション」と云うのかあ。
ア
イスクリーム るる(クボタ
瑠瑠)
「きょうはあつくて とけそ
う。」って
わたしがいったら
しゅういちろう先生が
「るるちゃん
アイククリームなの。」ってきいた
「じつは
わたしはアイスクリームだったんだ
よ。」
「じゃあ なにあじ。」って
また しゅういちろう先生がきく
「ただのバニラアイスだよ。」
2013年当時小学6年生だったる
るちゃんは、2010年にアレキサ
ンダー病と診断され車いすで生活し
ている。
るるちゃんは詩を書くことが好き
で、るるちゃんの字は、るるちゃん
ならではの特徴がありながらも「詩
を伝えること」以外に何も意味を持
たない。だから、字が、
詩が、素直に此処の中に入って来るんだと思う。
個性は、出そうとしなくとも出る。
そんな、「字が字でないような書」
が私は好きだ。(るるちゃんの字)
るるちゃんの詩があまりにかわいかった
ので、全文引用。
こ
のゆる~く、ホワっとした字。押し
つけがましくなく、読みやすい。時
の流れるまま、その場のノリ
で書いている。茶目っ気、ユーモア、偉ぶらない。自分以上のものになろうとしていない。気ままだけど、人のことを考えていないわけではなく、むしろ気を使って
いる。しかしそれを感じさせない、
見えない細やかさ。高尚な弛緩文
字。褒めすぎだろうか?
(良寛の)個性的な字が、現代の
人々をも魅了し続けている。細く
弱々しく見えるものの、一本筋の
通った固定観念にとらわれない字
だ。
良寛と伸坊さん、その飄々と見える
生き方も字の形も、けっこう似てい
るではないか。伸坊さんは「現代の
良寛さん」なのではないか。熱中こ
そしないが、「こうい
う文字にわたしはなりたい」と思う。(南伸坊さんの字)
南伸坊を良寛に例えるのは、虚を突かれ
た。
筆者はくせ字も美字も達筆らしいが、文
章も達人である。うーーん、世の中には
すごい人があちこちに偏在しているらし
い。
【天
の涯に生くるとも】金素雲
★★★ 1983/05
/20 新潮社
金素雲(1908-91) 韓国の
釜山に生れる。1920円渡日。日
本語訳「朝鮮民謡集」で北原白秋の
絶賛を受ける。「朝鮮童謡選」「朝
鮮民謡選」等の翻訳で、朝
鮮の詩心を日本に紹介する一方、植民地下の祖国で児童雑誌の刊行に腐心する。戦後、1952年から13年間滞日。その間「朝鮮詩集」「恩讐三十年」等を刊行。帰国
後、韓国語による著作のほか、「精
解韓日時点」「現代韓国文学選集」
等の編纂・翻訳を通じて、日韓の心
の交流に力を尽す。
「狭間に生きる」 昭和55年[新
潮」に掲載する予定で金素雲自身が
日本語で書いたものだが途中で擱
筆。
「逆旅記」 ソウル新聞に「天の涯
に生くるとも」のタイトルで
1966年に連載されたもの。「狭
間に生きる」と重なる部分を除い
て、崔博光と上垣外憲一が共訳
あ
る日、明洞のゆきつけの喫茶店
で、李陸史(イユクサ)が詩を
1編作ったと言いながら、原稿
用紙に
書いた「青葡萄」を私に見せてくれた。その詩が気に入って日本語に訳して「東洋之光」と言う日文雑誌に載せた。
それは韓国語の詩を日本語に訳
した初めてのものであった。誰
よりも原作者の陸史が喜んだ。
「ぼくの詩がこんなによかった
かなあ。それほどとは思わな
かった…どうもほんとにありが
とう」そう言いながら、今日の
お茶代は自分が払うと言い張っ
た。後日、
北京で日本の憲兵に捕われて獄死した陸史が、その日本語で訳された自作の詩が好きだなんて、皮肉な巡りあわせだ。
金素雲の「朝鮮詩集」の中でも一二
を争う名作とMorris.が思う
「青葡萄」が日本語に訳された経緯
が興味深かった。せっかくなので、
原詩と訳詩を引用してお く。
青
葡萄 李陸史
(金素雲訳)
내 고장
칠월은 わがふるさとの七月は
청포도가 익어가는
시절 たわゝの房の青葡萄。
이 마을 전설이 주절이
주절이
열리고 ふるさとの古き伝説(つたへ)は垂れ鎮み
먼데 하늘이 알알이 꿈꾸며
들어와
박혀 円(つぶ)ら実に ゆめみ映らふ遠き空。
하늘 밑 푸른 바다가
가슴을
열고 海原のひらける胸に
흰 돛단배가 곱게 밀려서
오면 白き帆の影よどむ
ころ、
내가 바라는 손님은 고달픈
몸으로 船旅にやつれたまひ
て
청포를 입고 찾아온다고
했으니 青袍(あをごろも)まとへるひとの訪るゝなり。
내 그를 맞아 이 포도를
따먹으면 かのひとと葡萄を
摘まば
두손을 함뿍 적셔도
좋으련 しとゞに手も濡るゝならむ、
아이야 우리 식탁엔
은쟁반에
小童よ われらが卓に銀の皿
하이얀 모시 수건을 마련해
두렴 いや白き 苧(あ
さ)の手ふきや備へてむ。
ソ
ウル鍾路の「亜細亜茶房」の洪
主人が領収書も受け取らずに出
してくれた二百円が私を東京に
送って
くれて、初めての訳詩集「乳色の雲」(1940 河出書房)が出された。
この「乳色の雲」が、「朝鮮詩集」
につながっていく。
【証
言集 関東大震災の直後 朝鮮
人と日本人】 西崎雅夫 編 ★★★☆☆
2018/08/10 ちくま文庫
に-19-1
西崎雅夫 1959年東京生まれ。
明治大学在学中に「関東大震災時に
虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰
霊する会(のちに「追悼する会」と
改称)発足に参加。
1984年より公立中学の英語教諭として19年間勤務。1993年社会教育団体「グループほうせんか」代表世話人。「関東大震災朝鮮人虐殺の記録ーー東京地区別
1100の証言」(現代書館)編
著。
子どもたち、文化人、長泉寺人、市
井の人々の、震災直後の朝鮮人虐殺
の証言180編を集めた一冊。昨年
読んだ
吉
村昭の「関東大震災」に
も朝鮮人虐殺にかなり多くの頁が割
かれていたが、本書は、当事者の証
言のみで構成されていて、それだけ
に生々しく、臨場感があ
る。事実誤認や保身的部分もあるが、それらを含めて現場の状況をうかがわせるものとなっている。
そ
の夜中地震だ火事だという声が
おこった。その内朝鮮人がぴす
とるをもって15人ばかりきた
という
事だった。その夜はだれもねず、火をどんどんもしてばんをしていた。とうとう朝鮮人はこなかった。そのあした朝鮮人が殺されているというので、私は行ちゃんと
二人で見にいった。すると道の
わきに二人ころされていた。こ
わいものみたさにそばによって
見た。すると頭はわれて血みど
ろになってシャツは血でそまっ
ていた。
皆んなは竹の棒で頭をつついて「にくらしいやつだ、こいつがゆうべあばれたやつだ。」とさもさもにくにくしげにつばきをかけていってしまった。(青柳近代 高
等小学校1年女)
鮮人のころされたのを見て来た
人の話によると鮮人を目隠しに
して置いて一ニ三で二間ばかり
はなれた所より、射さつするの
だそうで、まだ死に切れないで
うめいて
いると方々からぞろぞろと大勢の人が来て「私にも打たして下さい」「私にも少しなぐらせて下さい」とよって来るのだそうだ。そして皆でぶつなり、たたいたりす
るので遂に死ぬそうである。こ
う云う話に又流言に、夢の様な
一ヶ月が過ぎた。けれどずいぶ
ん今考えると馬鹿げた事をした
と思う、今でも色々と人の作り
言葉が
時々来る。(安藤多加 高等小学校2年)
子どもたちの記憶である。
大
手町で積まれた電車のレールに
腰かけ休んでいる時だった。丁
度自分の前で、自転車で来た若
者と刺
子を着た若者とが落ち合い、二人は友達らしく立話を始めた。
「ーー叔父の家で、俺が必死の
働きをして焼かなかったのがあ
るーー」刺子の若者が得意気に
いった。「ーー鮮人が裏ヘ廻っ
たてんで、直ぐ日本刀を持って
追いかけ
ると、それが鮮人でねえんだ」刺子の若者は自分に気を兼ね一寸此方を見、言葉を切ったが、直ぐ続けた「然しこう云う時でもなけりゃあ、人間は斬れねえと思った
から、到頭やっちゃったよ」二
人は笑っている。ひどい奴だと
は思ったが、不断左う思うより
は自分も気楽な気持でいた(志
賀直哉 大正12年9月)
こんなとんでもない行為に「気楽な
気持ちでいた」というのは、唖然と
する。
(9
月2日午後2時頃)亀戸駅付近
は罹災民でハンランする洪水の
ようであった。と、直ちに活動
の手
始めとして先ず列車改め、と云うのが行われた。数名の将校が抜剣して発車間際の列車の内外を調べるのである。と、機関車に積まれてある石炭の上に蝿のように群
がりたかった中から果して一名
の朝鮮人が引摺り下ろされた。
憐れむべし、数千の避難民監視
の中で、安寧秩序の名の下に、
逃れようとするのを背後から白
刃と銃剣
下に次々と仆れたのである。と、避難民の中から、思わず沸き起る嵐のような万歳歓喜の声。(国賊! 朝鮮人はみな殺しにしろ!)[越中谷利一)
亀戸事件とも呼ばれる大量虐殺が発
生した亀戸。将校とあるから、つま
り軍部が凶行に及んだことになる。
熊
谷警察では何処から送りとどけ
られたのか、東京からだともい
われていたが、とに角何十名か
の鮮人
を署内の武術場内に保護留置しておいた。民衆は留置中の鮮人達を引きずり出して悉く私刑に処したのである。(風見章)
警察が朝鮮人を「保護留置」して
「民衆」が引きずり出して私刑を
行った。
「朝
鮮人反乱」でデマを発案した張
本人が誰であるかをわたしは知
らないが、それを流布するのに
官憲
も手伝ったことは事実です。「朝鮮人300人の一隊が機関銃を携えて代々木の原を進撃中」とか「朝鮮人の婦女子が毒物を井戸に投入しつつあり」とかいった類の
ビラが麗々しく、いたる所の巡
査の交番にはられているのをわ
たしは見ました。
朝鮮人を殺せというので「自警
団」が組織されました。八百屋
や魚屋のあんちゃんたちまで、
竹ヤリや日本刀をふりまわし
て、朝鮮人を追いまわし、われ
われ市民を
監視したり、どなりつけたりしました。わたしの下宿の主人は、錆びついた仕込み杖を引っ張りだして砥石にかけました。
それを笑ったというので、その
下宿の下宿人である若い検事と
が、わたしに食ってかかりまし
た。朝鮮人の反乱を信じない態
度が、非国民的だというので
す。その検
事はどなりました。「警察が認めていることを、君は否定するというのですか」と。東京市民の99%までが、この調子でした。こうして幾十万の朝鮮人が虐殺され
たのです。(鈴木東明)
「自警団」というとおぞましいイ
メージしかない。
国
ひとの 心さぶる世に値(あ)
ひしより、顔よき子らも、頼ま
ずなりぬ
9月4日の夕方ここ(増上寺山
門)を通って、私は下谷・根津
の方へ向った。自警団と称する
団体の人々が、刀を抜きそばめ
て私をとり囲んだ。その表情を
忘れな
い。戦争の時にも思い出した。戦争の後にも思い出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまう。あの時代に
値って以来というものは、此国
の、わが心ひく優れた顔の女子
達を見ても、心をゆるして思う
ような事が出来なくなってし
まった。(折口信夫)
折口信夫らしいというか、ぎりぎり
で正気を保っているというところ
か。
こ
の天災で、多くのものがくずれ
去った。その後の日本の崩壊
も、すでにその時に端を発して
いたとお
もえる節があった。単なる災厄ではない。明治が早幕に築きあげた新しい秩序が、ようやくその上塗りを剥がされ素地の非力を露呈しはじめたものとも考えられる。
そのどさくさにおこった朝鮮人
さわぎや、左翼書生への神経病
敵な当局、並びに一般市民の警
戒ぶりが、はっきりそのことを
ものがたっている。地震のひび
われのあ
いだから、反政府の思想運動が芽ぶき、人々のこころに不安と、一脈の共感をよびさませた。(金子光晴)
自伝「詩人」の中の一節だが、やは
り透徹した視線がある。
後
になってそれは、政府や軍部が
流したデマだと知って、がく然
とした。震災の混乱を利用し
て、階級
的対立を民族的対立にすり替えることで、大衆の不満をそらそうとしたのだ。これはナチスがとった手段と全く同じではないか。異常時の群集心理で、あるいは私も
加害者になっていたかもしれな
い。その自戒をこめて、セン
ダ。コレヤつまり千駄ヶ谷コレ
ヤン(Korean)という芸
名をつけたのである。(千田是
也)
これは有名な逸話である。
町
の在郷軍人などといった手合だ
けではなく、相当な知識層の人
も同じような不安にとらわれて
いた。
改造社では、地震直後の9月3日に目黒にあった山本社長の家で、今後の雑誌発行について会議を開いた。そのときこのいわゆる"不逞鮮人"の騒ぎが大きな話題に
なり、山本社長はもちろん、秋
田忠義というドイツ帰りの評論
家で相当教養もあり、視野の広
かった人さえも鮮人襲撃を信じ
こんでいた。そして、会議の最
中に、神
奈川との境の橋を、朝鮮人が二百人ほど隊をなしてくるという噂が入り、会も解散ということになった。私たちが、線路伝いに一時間がかりで新宿までたどりつく
と、こんどはそこで、いま立ち
去ったばかりの目黒では市街戦
の最中だと、池袋でも暴動が起
こっているなどと聞かされた。
(比嘉春潮)
改造社といえば、当時社会運動にも
目を配った比較的まともな出版社の
はずだが、そこでも情報不足だとこ
んな状態になる。
9
月2日の昼下がり、神楽坂警察
の黒い板塀に、大きなはり紙が
してあった。それは、警察署の
名で、
れいれいと、目下東京市内の混乱につけここんで「不逞鮮人」の一派がいたるところで暴動を起こそうとしている模様だから、市民は厳重に警戒せよ、と書いてあっ
た。トビ口をまともに頭にうけ
て、殺されたか、重症を負った
かしたにちがいないあの男は、
朝鮮人だったのだな、とはじめ
てわかった。このはり紙の印象
が、今日
までずっとわたくしの頭にこびりついているのである。。警察の名においてーーーー(中島健蔵)
官憲の責任は重大である。
毒
を入れられたという井戸は何で
もなかった。朝鮮の人は誰も暴
れなかったようだった。だの
に……。
「がぎぐげごといってみろ」
などといわれて、少しでもなま
りが変だと町の人に取りかこま
れてビール瓶で叩き殺されたり
したのはなぜだ。本当にどんな
悪いことをしたのだろう。なぜ
だ、なぜ
だと思いながら、私も自警団の手助けをした。地震よりその時はその騒ぎの方がこわかった。誰がそんな噂をいい出したのだろう。噂や嘘で殺されたのは本当なの
だ。その人達にも子供や奥さん
がいて人間としての生活がある
のに。
もし私が自警団の人達と回って
いて、朝鮮の人を見つけたらど
うだったろう。皆が殺そうとし
たらどうしたろう。何もかもが
信じられないようになってし
まった。 (伴敏子)
このように、まともな考え方をする
人でも、状況によってはなにをやっ
たかわからないという不安。
(9
月4日の朝、荒川京成鉄橋の中
程で)武装した自警団は、朝鮮
人をみつけるとその場で日本刀
をふ
り降しまたは鳶口で突き刺して虐殺しました。
びしょぬれになって、岸に上る
やいなや一人の男が私めがけて
日本刀をふりおろしました。刀
をさけようとして私は左手を出
して刀を受けました。そのため
今見れば
わかるようにこの左手の小指が切り飛んでしまったのです。それと同時に私はその男にだきつき日本刀を奪ってふりまわしました。私のおぼえているのはここまでで
す。
引きずられて、寺島警察署の死
体収容所に放置されたのでし
た。弟はみずをくれという私の
声を聞いて、死体置場に生き、
とうとう私を探し出し、他の死
体から離れ
た所に運び、ムシロをかぶせておきました。あまりの傷に生きかえるはずなないと、あきらめていました。しかし「水をくれ」という言葉が気になって、せめて願い
通りにしてやらねばと私に無理
して水を飲ませました。ところ
が巡査は、治療対策はおろか水
を飲ませることまで妨害しまし
た。
朝鮮に帰ってみると、私の故郷
(居昌郡)だけでも震災時に
12名も虐殺された事が判り、
その内私の親戚だけでも3名も
殺されました。(慎昌範)
よくぞまあ生き延びたものである。
亀
戸署で虐殺されたのは私が実際
にみただけでも、5,60人に
達したと思います。虐殺された
総数は
たいへんな数にのぼったと思われます。
虐殺は5日の夜中になってピタ
リと止まりました。巡査の立話
から聞いたことですが、「国際
赤十字」その他から調査団が来
るという事が虐殺をやめた理由
だったの
です。6日の夕方から、すぐ隣の消防署の車二台が何度も往復して虐殺した死体を荒川の四ツ木橋のたもとに運びました。あとから南葛の遺族から聞いたことですが
死体は橋のたもとに積み上げ、
ガソリンで焼き払い、そのまま
埋めたそうです。
死体を運び去ったあと、警察の
中はきれいに掃除され、死体か
ら流れだした血は水で洗い流
し、何事もなかったかのように
装われました。調査団が来たの
は7日の午
前中でした。(全虎岩)
隠蔽体質。
5
日に5,6人の朝鮮人が後手に
針金にて縛られて、御蔵橋の所
につれ来たりて、木に繋ぎて、
種々の
事を聞けども少しも話さず、下むきいるので、通りがかりの者どもが我も我もと押し寄せ来たりて、「親の敵、子供の敵」等と言いて、持ちいる金棒にて所かまわず
打ち下すので、頭、手、脚砕
け、四方に鮮血し、何時しか死
んで行く。死せし者は隅田川に
と投げ込む。その物凄さ如何ば
かり。我同胞が尼港にて残虐に
遭いしもか
くやと思いたり。ああ無慙なるかな。中には良き人もありしに、これも天災の為にて致方なし。
後にて聞けば、朝鮮人の致せし
事は少なく、我が日本の社会主
義者の者どもがやりしという。
(成瀬勝)
群集心理では済まされない。「天災
の為にて致し方なし」
(>_<) 人の痛み
はいくらでも耐えられるのが人間と
いうものか。
(9
月2日)水道貯水池の丘に立っ
た一人の男が、「男のある家で
は、一人ずつ出て下さァ
い……」と
怒鳴っている。やがてその傍の空地へは、大勢の男が、手に手に何かの武器を持って集まって行った。それは軍隊ででもあるように何個小隊かに分たれた。そしてこ
の丘へ登る道筋の要所要所を堅
めることになった。
あるものは猟銃を携えていた。
あるものは日本刀を背負った。
またあるものは金剛杖の先へ斧
を縛りつけた。
竹槍、鳶口、棒の先へ短刀を
縛ったもの、鉄棒、焼跡から
拾った焼けた日本刀、かくの如
く雑多な武器が、裸体にに近い
避難者の手に握られて、身を護
ろうとする一
心と、闘争を予期する恐怖とに、極端の緊張を以て道を守り、そのへんを巡回しているのは、物凄い光景である。
3日の午後、「旦那、朝鮮人は
何うですぃ。俺ァ今日までに6
人やりました。」「そいつは凄
いな。」
「何ってっても身が護れねえ、
天下晴れての人殺しだから、豪
気なものでサァ。」
「この中村町なんかは、一番朝
鮮人騒ぎがひどかった。一人の
朝鮮人を摑まえて白状させた
ら、その野郎、地震の日から十
何人って強姦したそうだ。その
中でも地震
の夜、亭主のいねえうちで、女を強姦してうちへ火をつけて、赤ん坊をその中へ投げ込んだという話だ。そんなのはすぐ殴り殺してやったが……」と言う。(西河春
海)
「天下晴れての人殺し」
(>_<)
朝
鮮人が井戸に毒を投げたといっ
た類のデマから起こった一連の
騒ぎは、青山あたりも巻き込ん
で、棒
や竹槍をもった自警団が組織され、朝鮮人らしき者は片端から尋問されていた。
騒ぎの続いていたある火、一人
の朝鮮人が寄宿舎に逃げこんで
きた。その男だけでなく仲間が
大勢いるようである。キリスト
教の学校として、非道な目に
遭っている
人を助けるのは、当然のことだろうと私は考えた。外部の者を泊めるには学院長の許可が要るので、院長に相談すると賛成してくれた。
こうしてその日から、子どもも
含めて7,80人に親オブ朝鮮
人が、難を逃れて青山学院構内
の寄宿舎に暮らすことになった
のである。地元の自警団は、早
速このこ
とを聞きつけて抗議にやってきた。「無辜の朝鮮人wど保護するのは人道上当然のことではないか」とはねつけたのはいうまっでもない。自警団の人たちは抗体で朝
鮮人の行動を、騒ぎが静まるま
で監視していたようであるが、
幸にことなく済んでホッとし
た。(郡司浩平)
こんな話があると、いくらかでも
ホッとするのだが、あくまで例外中
の例外事例である。
四
ツ木橋の下手の墨田区側の河原
では、10人ぐらいずつ朝鮮人
をしばって並べ、軍隊が機関銃
でうち
殺したんです。まだ死んでない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして、橋の下手のところに三ヶ所ぐらい大きな穴を以て埋め、上
から土をかけていた。
兵隊がトラックに積んで、たく
さんの朝鮮人を殺したのを持っ
てきました。そう、河原で殺し
たのもいます。ふつうのなんで
もない朝鮮人です。手をしばっ
て殺した
のも日本人じゃなくて朝鮮人だと思ったね。向こうを向かせておいて背中から撃ったね。軍隊が期間中で撃ち殺し、まだ死なない人は、あとでピストルで撃っていま
した。
水道鉄管橋の北側で昔の四ツ木
橋寄りに大きな穴を掘って埋め
ましたね。死体は何百だったで
しょう。9月初めだから、町中
にたおれている死体もくさっ
て、におい
がひどかった。本当にひどいことをしたもんです。(浅岡重蔵)
軍隊が機関銃で、となると、まさに
国家的犯罪である。
針
金で縛って連れてきた朝鮮人
が、8人ずつ16人いました。
憲兵がたしか二人、兵隊と巡査
が4,5
人ついているのですが、そのあとを民衆がゾロゾロついてきて「渡せ,渡せ」「俺たちのかたきを渡せ」って、いきりたっているのです。
「裏から出たぞー」って騒ぐわ
けなんです。何だってみると、
民衆、自警団が殺到していくん
です。裏というのは墓地で、一
段低くなって水がたまっていま
した。軍
隊も巡査も、あとはいいようにしろといわんばかりに消えちゃって。さあもうそのあとは、切る、刺す、殴る、さうがに鉄砲はなかったけれど、見てはおれませんで
した。16人完全にね、殺した
んです。5,60人がかたまっ
て半狂乱です。自警団ばかり
じゃなく、一般の民衆も「こい
つらがやったんだ」って、夢中
になって
やったんです。(浦辺政雄)
官民一体での暴挙であったというこ
とだ。それを傍観していた者も……
裁
判もいいかげんだった。殺人罪
ではなくて騒擾罪ということ
だっった。刑を受けたのは何人
もいた
が、ほとんど執行猶予で、つとめたのは3,4人だったと思う。私も証人として呼ばれたが、検事は虐殺の様子などつとめてさけていたようで、最初から最後まで事
件に立ち会っていた私に何も聞
かなかった。そして安藤刑事課
長など、私に本当のことを言う
なと、差しとめ、実際は鮮人半
分、内地人半分だったと証言し
ろ、それ
以上の本当のことは絶対に言うな、と私に強要した。私も言われた通り証言した。(新井賢次郎)
数千人の犠牲に対して、ほとんど実
刑を受けた者はいなかったというだ
けでも、図式ははっきりしている。
横
浜の中村町周辺は、木賃宿が密
集した町だった。2日朝から、
朝鮮人が火を抜けて回っている
という
流言が飛ぶとただちに朝鮮人狩りが始まった。根岸橋のたもとに、通称"根岸の別荘"と呼ばれる横浜刑務所があって、そこのコンクリート壁が全壊したため、囚人
がいちじ解放されていたが、こ
の囚人たち7~800人も加
わって、捜索隊ができた。
見つけてきた朝鮮人は、警察が
年齢、氏名、住所を確かめて保
護する間もなく、町の捜索隊に
とっ捕まってしまう。ウカウカ
していると警察官自身殺されか
ねないほ
ど殺気だった雰囲気だった。そうしてグルリと朝鮮人をとり囲むと、何ひとついいわけを聞くでもなく、問答無用とばかり、手に手に握った竹ヤリやサーベルで朝鮮
人のからだをこづきまわす。そ
れも、ひと思いにバッサリとい
うのでなく、皆がそれぞれおっ
かなびっくりやるので、よけい
に残酷だ。
こうしてなぶり殺しにした朝鮮
人の死体を、倉木橋の土手っぷ
ちに並んで立っている桜並み木
の、川のほうにつきだした小枝
に、つりさげる。しかも、一本
やニ本
じゃない。三好橋から中村橋にかけて戴天記念に植樹された二百以上の木のすべての幹に、血まみれの死体をつるす。それでもまだ息のあるものは、ぶらさげたま
ま、さらにリンチを加える……
人間のすることとも思えない地
獄の刑場だった。完全に死んだ
人間は、つるされたツナを切ら
れ、川の中に落とされる。川の
中が何百
という死体で埋まり、昨日までの清流は真赤な血の濁流となってしまった。
町の捜索隊による、恐るべき私
刑劇は、戒厳令が敷かれ、甲府
の連隊が治安のために乗り込ん
できた5日過ぎまで続いた。
(田畑潔)
近所の人びとが走って行くの
で、なにごとかと見ますと、警
官が一人の男を連行していくの
を一団の群衆が、朝鮮人、朝鮮
人と罵りながら取り巻いていま
す。そのう
ち群衆は警官を突きとばして男を奪い、近くの池に投げ込み、三人が太い丸太棒を持ってきて、生きた人間を餅をつくようにボッタ、ボッタと打ち叩きました。彼は
悲鳴をあげ、池の水を飲み、苦
しまぎれに顔をあげるところを
また叩かれ、ついに殺されてし
まいました。(二橋茂一)
なにしろ天下晴れての人殺しで
すからねぇ。私の家は横浜でも
いちばん朝鮮人騒ぎがひどかっ
た中村町に住んでいました。
そのやり方は、いま思い出して
もゾッとしますが、電柱に針金
でしばりつけ、なぐるける、ト
ビで頭へ穴をあける。竹ヤリで
突く、とにかくメチャクチャで
した。
何人殺ったかということが、公
然と人々の口にのぼり、私など
は肩身をせまくして、歩いたも
のだ。(美田賢二郎)
コメントつけるのもイヤになってき
た。
9
月20日頃から、自警団、その
他の殺人犯人の検挙が開始され
た。私達は、重大問題が起こる
なと心
配しながら、浦安町や行徳町方面に早朝出生して、犯人多数を連行してきた。その時、船橋町の稲荷屋という料理屋に、千葉から裁判官と検事や書記が来て二階に陣
取っていた。彼等は、連行して
来た犯人を次々と呼び出し、検
事から最初に、「君は執行猶予
にする」と予言して、取調べを
始めた。すると犯人は、素直に
犯行を認
める。そこで、隣に控えている判事の手に渡すと、判事は「お前は二人殺したか。それでは懲役二年、執行猶予三年に処する。わかったか。」「控訴するか。」と判
事が犯人に尋ね、「控訴しませ
ん。」と答えが返ると、「それ
では帰ってよろしい。」という
ような処置が行われたので、私
達はこれを一日裁判と呼んだ。
(渡辺良 雄)
これがお上と下々のやり方である。
------------------------------------------
1923
年9月1日に発生した関東大震
災。
全体の死者数は10万5385
人。そのうち東京7万387
人、神奈川3万2838人。死
者数だけを見ても未曾有の大災
害だったkとがわかる。生き
残った多くの
被災者たちは、家を失い肉親を失い火災に追われて途方にくれていた。まだラジオもない時代で、みんな情報に飢えていた。そこに「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「放火した」などの流言蜚語起
こった。
流言の拡大に積極的な役割を果
たしたのは内務省(警察や地方
行政を管轄する官庁)だった。
内務省は治安確保のために2日
に戒厳令を施行し、三日に船橋
の海軍無 線送信所から全国に
「東京附近の震災を利用し、朝
鮮人は各地に放火し不逞の目的
を遂行せんとし、現に東京市内
に於て爆弾を所持し石油を注ぎ
て放火するものあり」
という内容の打電をした。また
本書の多くの証言にもあるよう
に、地域の警察署・警官なども
流言を拡げた。こうして公的機
関によって裏打ちされた流言蜚
語が被災
地を席巻していった。
当時は新聞が唯一の情報源だっ
たが、被災地では発行不能と
なっていた。だが震災で被害を
受けなかった各地方紙は、主に
避難民から伝えられる流言蜚語
をそのまま
紙面に掲載した。そのためデマが全国に拡大した。
流言の拡大と同時に、武装した
軍隊が出動して朝鮮人を虐殺し
た。
だが朝鮮人を最も多く虐殺した
のは自警団である。本来なら町
を守り人の命を守るはずの集団
が、多くの人の命を奪ってし
まった。当時は日本人より低賃
金で働く朝
鮮人・中国人に対して、日本人労働者が排外意識を高めていた時期でもあったのだ。そこへ震災が起き、流言に煽られた自警団が各地で朝鮮人を虐殺した。
虐殺された朝鮮人は何人なの
か。当時の日本政府は実態調査
を行わなかったので、今日でも
正確な人数はわからない。
殺傷事件の犠牲者数は数千人と
思われるが、犠牲者数が今日で
も不明なのは、日本政府が犠牲
者調査を行ってこなかったため
であることを、ここであらため
て確認し
ておく。(編者解説 関東大震災時の朝鮮人虐殺とは何か?)
忘れるのが得意な日本人だが、忘れ
てはならないことがここにある。
【文
藝別冊 西原理恵子 やり逃げ人
生】新保信長 ★★★★
2018/01/30 河出書房新社
漫画家生活30周年を記念しての発刊。
「ゆんぼくん」「ちくろ幼稚園」「まあ
じゃんほうろうき」「憾ミシュラン」
「ぼくんち」「できるかなシリーズ」
「鳥頭紀行「」「毎日かあさん」「パー
マネント野ば
ら」「上京ものがたり:「オン案おこものがたり」「きみのかみさま」「とりあたまニュース」「おもしろくてもシリーズ」「この世でいちばん大事なカネの話」[大輪
は70歳~」……
サイバラファンとはいえないだろうが、
こうやってタイトルだけ並べても結構読
んでるなあ。そうか、サイバラも30年
以上やってるんだ(@_@)
本書はできるかなシリーズなどを担当し
たフリーの編集者新保信長の責任編集
で、ロングインタビュー、対談、放談、
編集者座談会、写真、評論、知人エッセ
イ、漫画、
作品総覧、名作解題、交際相関図……の盛りだくさんの内容である。
「特濃名言大全集」の中から更にピック
アップしておく。
・
体ではらえたらどんだけ楽かしら
「まあじゃんほうろうき」
・自由は有料です。お金を稼ぐとい
うことは自由を手に入れることで
す。「生きのびる魔法」
・すきだったひとをきらいになるの
はむつかしいなあ「毎日かあさん」
ここには挙げてなかったけど「カネのな
いのは首のないのと同じ」というのは今
でも忘れられない。
【誰
も気づかなかった】長田弘 ★★★
2020/05
/03 みすず書房
「愛高組新聞RENTAL」
2004-2012に連載された、短詩
「誰も気づかなかった」と、臨済宗建長
寺派の機関紙に連載された5篇の詩を合
わせたもので、未刊
行の「落穂ひろい」といったものだろう。
悲
しみがあった。
それが悲しみだと、
誰ひとり、考えなかった。
悲しみは微笑んでいたからである。
本
があった。
しかしそれが本だと、
ここにいる誰も、気づかなかった。
本は読まれなかったからである。
「世界は一冊の本」という究極の作品が
あるのだけどね(^_^;)
ど
こにも問いがなかった。
疑いがなかったからである。
誰も疑わなかった。
ただそれだけのことだった。
ど
こにも疑いがなかった。
信じるか信じないか、でなかった。
疑うの反対は、無関心である。
ただそれだけのことだった。
ど
こにも危険はなかった。
危険もまた、最初はただ、
些事としてしか生じないからであ
る。
ただそれだけのことだった。
あ
らゆることは、ただそれだけの
些事としてはじまる。
戦争だって。
ほんとうにそう思う。
何
だって正しければ正しいのではな
い。 (誰も気づかな
かった)
正しいことと正しくないことは、誰も規
定できないのかもしれない。
十
歳にもならなかった頃に読んだ本の
なかで出会った人たちが、歳を重ね
たいま、しきりと懐かしくな
るのはなぜだろう。
みんな本のなかに住んでいた。本の
なかにはいつも静かな闇があり、そ
の静かな闇の向こうに住むみんな
は、一人一人全然違うのに、みんな
おなじ名を持っていた。
「悲しい」が、みんなの名だった。 (静かな闇の向こう)
アリス、サンボ、ニルス、セドリック、
アン、ピノキオ、アン、ピッピ、ハック
ルベリー・フィン、ロビンフッ
ド…………Morris.も、幼いころ
読んだ本の登場人
物のことを思い出すたびに胸がキュンとなる。懐かしの本をテーマにして
『偏
想曲』と題した五十首を詠
んだこともある。
死
んでも、魂は、どこかにのこってい
て、ああ、そこにいるとはっきり感
じる瞬間がある。生きてるん
だ、死者は、後ろ姿だけで。 (ONE)
【感
染症と免疫力】藤田紘一郎
★★★☆ 2021/02
/10 ワニブックス
「腸内細菌博士が教える新型コロナ
予防法」という、いささかヤマ師っ
ぽい(^_^;)副題が添えられて
いる。
免
疫の主役となる白血球は、何種
類もある免疫細胞の総称です。
つまり、白血球とは免疫システ
ムを築
いている"チーム免疫"と言えます。大きく3つのグループで構成されています。
1.単球--細胞が最も大き
く、アメーバ状で病原菌を「貪
食」する。マクロファージと樹
状細胞。
2.顆粒球--細胞内に殺菌作
用のある顆粒を持つ。好中球、
好酸球、好酸基球。主に細菌や
カビを貪食、消化して殺菌す
る。
3.リンパ球--血管とリンパ
管を流れて体中をめぐる免疫細
胞。NK(ナチュラルキラー)
細胞、T細胞、B細胞など。
獲得免疫(T細胞やB細胞)
は、病原体に感染することで後
天的に得られる免疫システム
で、自然免疫から届けられる敵
の情報を分析して反撃する。こ
の獲得免疫の
主役が「抗体」。
免疫細胞が異物と認識する物質
を「抗原」と呼ぶ。人の免疫シ
ステムが抗原と特異的に結合し
て、抗原の働きを抑えるように
作用する(抗原抗体反応)。こ
のときに
作られて抗体は抗原がいなくなったたあとも血液中に残り、再び同じ抗原が体内に進入すると抗体は、抗原と特異的に結合し動きを封じ込める。
抗体は、基本的にはY字型をし
た分子量20万の蛋白質で5種
類あるがその中の「IgG」は
感染の中期から後期に出現する
抗体で、敵を倒す力も強く、ワ
クチンの
効果を発揮するのもこの抗体。
自然免疫の中で重要なのがNK
細胞で、体中を常にパトロール
しながら敵を見つけ出し、攻
撃・破壊する。
NK細胞は、ウイルスにのっと
られた細胞を自殺(アポトーシ
ス)に導く働きもしている。
(第一章 感染症と自然免疫の
力)
この第一章が一番ためになりそう
だ。免疫、抗原、抗体、ワクチンな
ど、日常的に使いながらまるで理解
できてなかったのだが、これですこ
し納得行ったような気もす
る。「アポトーシス」は先日読んだ多田富雄の本にも出てきたので、なにか嬉しかった。
多
くの人は「大腸菌」と聞くと、
「キタナイ」を思うでしょう。
しかし、大腸菌はワタシたちの
腸にす
み、大便をつくり出すために大切な働きをしてくれています。ビタミンを合成したり、腸に侵入してきた敵を真っ先に倒しにかかる番兵のような働きもします。異常
に増えすぎれば悪さを初めます
が、ほどほどには必要な細菌な
のです。
先進国の人たちは、清潔志向の
延長として抗生物質や消毒剤を
乱用してました。結果、大腸菌
の「生きる環境」を奪うことに
なってしまいました。生きる管
球を奪わ
れた大腸菌は、なんとか自分の生きる方法を模索したのでしょう。そうして、約200種類もの「奇形」の大腸菌が現れました。食中毒で多くの人の命を奪ってきた
O157は、その157番目に
見つかった奇形の大腸菌です。
つまり私たちの行きすぎた清潔
志向が、かわいそうで危険な大
腸菌の奇形腫を生み出してし
まったとい
うことです。(第四章 手を洗いすぎると自然免疫が弱くなる)
藤田紘一郎の寄生虫関連本は以前に
数冊読んでとてもおもしろかった。
その彼のコロナ本ということで読む
ことにしたのだが、ウイルスだと寄
生虫みたいに自由に書けな
いみたいで、ちょっと物足りなかったし、本書は「名前貸し」ではないかという気がした。
ほとんど関係ないけどあとがきに
あったガンジーの詩?はなかなか良
かった。
コロナ禍で右往左往する社会を
見ていると、マハトマ・ガンジ
ディーの言葉を思い出します。
信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる
もし、新型コロナの本当の姿を
知るために、「感染者数を見
る」という考えを変え、「死亡
者数のみを見る「」との信念を
持ったならば、今の社会の見え
方はまるで
違ってくるでしょう。(おわりに)
【断
言微笑】塚本邦雄 ★★★☆
1978/08/14 読売新聞社
70-80年代はかなり塚本邦雄に
はまってたので、この本も再読にち
がいないのだが、あまり記憶にな
かった。「クロスオーバー評論集」
と副題にあるように、塚本か
らすると守備範囲外の絵画、音楽、漫画などの評論に、欧州紀行+短歌などの小論を集めたもの。
「ま
た逢う日まで」が世に出たのは
昭和46年の春だつた。人人は
尾崎紀世彦の朗朗たるバリトン
に圧
倒されて目を丸くした。美しいゴリラを思はせるこの毛深い青年の、適度に雄雄しく適度にパセティックな唱法を十二分に計算に淹れた歌詞に私は舌を巻いた。これ
くらゐ非論理的(イロジカル)
で、そのくせ反論の術(すべ)
もない歌詞も珍しからう。「ま
た逢う日まで」の、コミュニ
ケーション拒否を思はす、男の
捨台詞的説
得は、それゆゑにユニークで、新鮮で、怖るべき「現代」を代弁してゐた。「別れのそのわけ」など当人にさへ判つてはゐないのだ。青春を特権として、何にも煩は
されず行使できる戦後生れの世
代が、飽和状態の自由に退屈し
て内乱幻想を捏ち上げたり兵隊
ごつこで暇潰しすると陰口を叩
かれる時代がやつと到来してゐ
た。幸福
の本質などといふ贅沢な主題を、車蝦でも調理するやうに、楽しみつつ論じ得る日に巡り会へた。そして栄耀に剥いて捨てる餅の皮さながら、愛などは「マンショ
ン」の入口の名札の名と共に消
し去り得るニュー・ファミリー
未完者が、その辺にうようよし
てゐた。ニーヴェル・ヴァーグ
以後の若い映画人、殊にクロー
ド・ル
ルーシュやフランソワ・トゥリュフォーの作中人物のやうな、不条理な突然の別離を、最も鮮烈優雅なスタイルと思ひこんでゐる十代末期から二十代前半の精神飢餓
属に、このやうな歌の受けない
はずがなかつた。筒美京平の曲
も、よほどのヴェテランだけが
マスターできるたぐひの難物
で、この切迫したメロディは、
尾崎紀世彦
なればこそ完璧に歌ひ納めたのだ。
50年は「北の宿から」に明け
暮れる。私はこの歌詞に阿久悠
の名を見て一度はわが目を疑つ
た。最も敬遠したいタイプの歌
手の一人であり、声であり、唱
法であつ
ただけに、この歌への嫌悪は激しかつた。「あなた変わりはないですか」「あなた死んでもいいですか」といふ、旧植民地風の嫌らしい擬標準語語法、それも原則と
して男言葉で、だしぬけに男に
呼びかける女、それだけでその
女の出自、来歴、現況が、むつ
と鼻先へ臭つて来る。教養程度
は勿論趣味嗜好まで反省する。
否、容貌
や音声まで限定してしまふ。この歌詞こそ徹頭徹尾、「庶民」の中に親しく生きる女として固定的なイメージを持つ、否持つやうに仕立て上げられてゐる都はるみと
いふ虚像に、これ以上考へられ
ぬくらゐ親切に編上げてやつ
た、原色混りの編み直しセー
ターであつた。(誘惑的親友論
阿久悠への頌詞)
塚本が阿久悠をこれほど評価してい
るというのは覚えてなかった。別の
本で「アカシアの雨がやむとき」の
歌詞を褒めて、作詞の水木かおりの
他の作品を聴いたが感心で
きなかったなんていってような……
「日
本民間放送連盟」では、「要注
意歌謡曲取扱い内規」とやらを
制定し、十一項目に及ぶ禁止令
が列
記してあると聞く。何でも「社会道徳に反する言動を、肯定的または魅力的にに表現」するのも第六番目に忌避されるといふが、男が女の真似をして、甘つたるい、
かつ切ない文句を連ね、不特定
多数の人人に訴へかけるのは
「社会道徳」とやらに則つてい
ゐると考へるのだらうか。
森達也『放送禁止歌』に詳しく書か
れてたような気がする。
ネットで調べたら「
毀損条項
身障者条
項
暴力・ヤクザ条項
エロ・グロ条
項
モロモロ条項」などが挙げてあった(^_^;)
地
名そのものが一つの詩歌であ
り、物語である、このような例
は、一県必ず十以上を数へ得
る。全国五
百以上の秀逸地名がひそかに、目には見えぬ光を放つてゐる様を思ひ描く時、私はあやふく涙ぐむ。一方でこれを抹殺しようとする無知無慙な簡略派や、難と易をそ
のまま悪と善に結びつけて、奇
怪な大義名分を振翳さうとする
「知識人」や指導者の行動を知
るたびに、私は慄然とする。マ
キノ町、かつらぎ町は五十が百
になり、
百が二百に及ぶ日も、遥かな将来ではあるまい。そして最期に日本は「ニッポン」に変質する。
易きに就くことを至善と錯覚
し、努力を悪徳と見なすこの無
気力で卑怯な大衆、市民、国民
は、すべてあなた任せを選び、
年中をヴァカンスとする政治を
恋ひ、惰眠
を貪るためには、魂を悪魔に譲り渡すことも辞さなくなるそして口渇で陰険な独裁者が誕生し、彼と手を組んだ特権階級が、既に完全に白痴化した一億を頤使するや
うになる。「安易」といふ名の
麻薬は、阿片やハシッシュより
無残に人人の心を蝕み、変質さ
せ、もつと効率的な安易性を教
授するためなら生命を賭ける。
そして日
本には地名も人名もなくなる。「表記」などといふ反人間的な行為も、文字と呼ぶ非人間的な伝達の具も、すべて追放される。何もないほど安らかで容易なことがあ
らうか。二十世紀の下半を費や
して呪ひ続けた。「文字の難解
性」は、文字そのものの消滅と
共に霧散し、日本と呼ぶ巨大な
檻には、言葉持てる豚がひねも
すよもす
がら、ひたすら眠り続け食べ続ける。その一人一人は、漢字制限を敢行した、あの文字殺戮者の末裔に他ならぬ。(白地図告知)
地名の変更、簡易化には
Morris.も大反対である。動
植物名のカタカナ表記についても別
の項で書いてあったが、「文字殺戮
者」というのがいかにも塚本らし
い。
伝
へ聞くところによると「クロス
オーヴァー」とは元来生物学用
語で「乗換現象」をさし、一つ
の染色
体上の因子が、それと相同の染色体上に移ること、及びそれによつて別の遺伝型を生ずることを意味するといふ。流行語風に伝播した「クロスオーバー」には原義が
いくばく投影してゐるのかさだ
かではないが、私はクロスオー
バー的才能の芸術家として、た
とへばレオナルド・ダ・ヴィン
チやアマデウス・ホフマンのや
うな、ほ
とんど超能力ともいふべき多芸多才の士の、怖るべき美学の開花ぶりが、まぶしくかつ悲しく脳裏に浮んで来る。
言語芸術家が、小説、戯曲、評
論、随筆、散文詩、韻文詩のい
づれをも完全にマスターし、い
づれを以ても一家を成すくらゐ
のことは当然のことであり、む
しろこの
平面上でなら、クロスオーヴァーせぬ方が、資格喪失を意味するのではあるまいか。(あとがき)
ダ・ヴィンチをクロスオーバーとと
らえるのは、いささか礼を失するも
ののようでもあるし、言語芸術家
(^_^;)が広い分野で一家を成
すというのも無理矢理に過ぎ
る。塚本自身いろいろ手を伸ばしながら得手不得手ははっきりしてた。
幸田露伴ほどの巨人でも、何でも
OKってわけじゃなかったようだ。
【青
魚下魚安魚讃歌】高橋治 ★★★☆
1988/01/20 朝日新
聞社 初出「クロワッサン」
1986-87
高橋治
(1929-22015)千葉
県生れ。東京大学国文科卒業。
学生時代サイデンステッカーと
しりあう。1953年松竹に助
監督として入社。小津安二郎
「東京
物語」に関わる。60年「彼女だけが知っている」で監督デビュー。1983年「秘伝」で直木賞。釣りや魚料理でテレビにも出演。好角家としても知られ、スポーツ紙
に大相撲観戦記を連載。
本書は鰯、鯵、鯖などの青魚を
中心にしたエッセイ。
万
能の指を鰯ののどもとに入れ
る。引けばエラもハラワタも
すっととれる。拇を背骨にそっ
て走らせて
開きにする。裏返して、首のところを拇指で切り、そのまま背骨を引きながら骨を外す。再び裏返して、背筋の側から皮と身の間に拇指を走らせる。反対側の身も同
様にする。以上で出来上がり。
(鰯の刺し身)
鰯の手開き。スーパーで刺身に
できる鰯を手に入れるのは至難
の業である。
背
黒、片口、シコ鰯、呼び方は
違ってもみんな同じ魚である。
背の部分が黒いから背黒、上顎
にくらべ
て下顎が妙に短いから片口と呼ばれるのだろう。別名というか、別途名称というべきか、まだ、色々とある。
煮干し、ごまめ、しらす、ちり
めんじゃこ、畳鰯、様々な形で
親しまれている食品、総て元を
ただせば、この片口鰯なのだ。
めざしにしても上等の味。その
上に、ま
だある。南蛮渡来のアンチョヴィー。これも片口で、ごまめの別称田作りは、昔、干鰯(ほしか)と呼んで、米作、綿畑の肥料にしたところから来ている。[片口
鰯)
通
常鰯は三種とされている。真
鰯、片口鰯、潤目鰯である。だ
が、もう一つ鰯の女王ともいう
べき存在 がキビナゴである。
Morris.が一番好きな鯖
についての記事が少なかったの
が物足りなかった。関西で普通
に食べられている養殖ハマチを
蛇蝎の如く嫌っているらしく、
その悪口ぶり
は、なかなかのもの。
【詩
のなぐさめ】池沢夏樹 ★★★ 2015/11/25
岩波書店 初出「図書」
2011-2015
岩波書店のPR誌に連載したも
ので、岩波文庫に収められてい
る詩作品をテーマにとりあげら
れている。
俳
句は寄物陳思であり、季語を据
えての詩である。この原理を使
えば時代と場所を隔てた句を並
べるこ
とができる。そこで蕪村と照井翠[句集『龍宮』)の二人だけからなる明暗の甚だしい小さなアンソロジーを編んでみた。
春の海終日(ひねもす)のたり
のたりかな 蕪村
もう何処に立ちても見ゆる春の
海 照井
箱を出るかほわすれめや雛二対
蕪村
津波引き女雛ばかりとなりにけ
り 照井
ほとゝぎす待や都のそらだのめ
蕪村
ほととぎす最後は空があるお前
照井
狩衣の袖のうら這ふほたる哉
蕪村
初ホタルやうやく逢ひに来てく
れた 照井
廃屋の影そのままに移る月 照
井
月天心貧しき町を通りけり 蕪
村
御所柿にたのまれがほのかがし
哉 蕪村
柿ばかり灯れる村となりにけり
照井[楽な時の俳句、辛い時
の俳句)
照井翠は岩手県釜石在住で、東
日本地震をテーマにした災害句
集が「龍宮」で、蕪村と並べる
のは無粋ではないかと思ってし
まった。
谷
川俊太郎はぼくが詩人になるこ
とを邪魔した。だってこんなに
うまく書けないもの。これが詩
だとし
たら自分が書くものは何なのか?
むずかしい言葉を使わず、漢字
くさい漢字を捨てて、つまり目
より耳を大事にして、教養より
感覚に頼って、人々の日々の思
いの中から言葉で残すべきもの
を選び出
して、精錬の過程を経て紙の上に文字として定着する。詩集を開いた人が声に出して読めるように。(何ひとつ書く事はない)
池澤夏樹は谷川俊太郎をダシに
して、自分が詩に向いてないこ
とを糊塗してるのではなかろう
か。
戦
闘的な中野重治を見よう。
今、彼のような詩人は日本には
いない。それは戦闘の必要がな
くなったからではなく、戦うべ
き相手が分散して、見えにくく
なったからではないだろうか。
あるいは
自分の一部が実は敵ということだって考えられる。世界は民主化し、金融化し、暴力の隠蔽がうまくなり、色が派手になり、フェイスブック化し、テロ化し、この国
について言えば身へ傾きつつあ
る。いや、もう右も左もないの
か。中野がいたらなんと言う
か。
「新聞にのつた写真」という
詩。(戦闘的な詩人たち)
中野重治は、一度腰を据えて読
まねばと思う。
明
治以来、西洋に対する日本人の
思いは脱臼に近いところまでね
じれていた。物質文明として圧
倒的な
威力を認めざるを得ないがしかし全面降伏はしたくない。だから和魂洋才などと苦しい説明をする。その屈折もわかるわかる分だけやるせない。やるせないという和
語を使うしかない事態だ。(西
脇さんのモダニズムとエロス)
西脇順三郎はMorris.に
とっては外国の詩人のように思
える。
(覆
されたされた寶石)のやうな朝
何人か戸口に誰かとささやく
それは神の生誕の日(天気)
南の風に柔い女神がやつて来た
青銅をぬらし噴水をぬらし
燕の腹と黄金の毛をぬらした
[雨)
なんて見事な邦訳だろう!!
(^_^;)
和
歌が詠嘆だとすれば俳諧は余
裕。芝居がかった所作を仕掛て
ふっと照れて気持ちを逸らす。
それは連
中の顔を見てのことだろうか。(おずおずと鬼貫へ).
・
面白さ急には見えぬ芒かな 鬼
貫
・面白さ球には見えぬ花火かな
Morris.
状
況はアイロニーそのものだ。
アイロニーとは知識の差に由来
する感慨である。後世のぼくら
はソ連という国をその末路まで
知っている。1915年のマヤ
コフスキーは知らなかった。二
年後に革
命が実現することさえしらなかった。ちょうど1941年12月8日の日本国民が1945年8月15日を知らなかったのと同じように。
革命期のロシアの若い詩人はス
ターだった。36歳で亡くなっ
た時、葬儀には数万人が参列し
た。早い話が彼はジョン・レノ
ンだった。(今すぐに効くマヤ
コフス キー)
マヤコフスキーといえば「ズボ
ンをはいた雲」というタイトル
のみしか知らずにいた。詩人の
死については小笠原豊樹「マヤ
コフスキー事件」を読むように
とあったの
で、読んでみたのだが、さっぱり分らなかった(^_^;)
若いということに格別の意味が
生じたのは明治期からで、青春
もそれ以来の流行語である。江
戸時代には若い奴というのは未
熟者、青二才、半人前、若造で
しかな
かった。自分自身いずれなんとかなると思っていたから煩悶などしなかった。
かつて若い人々はみな青春をこ
じらせた。速やかに抜け出すべ
き時期なのに、そこでぐずぐず
と思い悩み、何よりもそれが人
生に対する誠実な態度だと思い
込んだ。
(青春と青年と中原中也)
青春・朱夏・白秋・玄冬は中国
で古来から用い入られた四季の
芳名ではなかったろうか。
Morris.も
「seasoning」と
いう四季の歌を詠んだこともあ
る。
【寡
黙なる巨人】多田富雄
★★★☆☆ 2007/07
/31 集英社
多田富雄 1934年茨城県生
れ 免疫学者。抑制T細胞を発
見。文化功労者。能楽にも造詣
が深く脳死と心臓移植を題材に
した「無明の井」、朝鮮人強制
連行の非ガ系
「望恨歌」などの新作能の作者、大蔵流小鼓を打つ。2001年脳こうそくで倒れ重度の障害を持つ。免
「免疫の意味論」「脳の中の能
舞台」「露の身ながら」(柳澤
桂子と共著」「
免
疫学個人授業」(南伸
坊と共著)2010年没、享年
八十六
初めて読むと思ったのだが、南
伸坊との共著を20年ほど前に
読んでた(^_^;)
何
も食べなくても糞は出る。まる
で私はチューブで栄養を淹れら
れて排泄物にする、糞便製造機
のよう
ではないか。何日も溜まった糞便を排泄するのは容易ではない。冷や汗を流しながらいきんでも、mるで新(木)を強いられたように腸は動こうとしなかった。私は
腹圧のかけ方までわすれてし
まったらしい。いきんでいるう
ちに麻痺した腕は、緊張して固
まってしまう。苦しくて看護師
に浣腸をしてもらう。それでも
出ないとき
は、便を手で掻きだしてもらうほかない。看護師は、ちっとも嫌がらずにこの大変なさ漁翁をやってくれるが、私のほうは叫び出したい苦しみだ。
自分の病気の報告で、一番書き
たくない排泄に関してこんなに
率直に記述する(できる)こと
に感動を覚える。
私
は四十年余りも、大蔵流の小鼓
を習ってきた。二百番あるお能
のほとんどの曲はならった。自
分でい
うのは気が引けるが、玄人でもそんな音は出ないといわれたほど、美しい音を出してきた。毎日それを打って老後の楽しみにしてきた。庵百万円もする道具を持って
いる。
もう打つことはできない。
半身不随でも思考力は完全に
残っているわけで、それはそれ
で辛い。
私
はかすかに動いた右足の親指を
眺めながら、これを動かしてい
る人間はどんなやつだろうとひ
そかに
思った。得体の知れない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
新しいものよ、早く目覚めよ。
今は弱々しく鈍重だが、彼は無
限の可能性を秘めて私の中に胎
動しているように感じた。私に
は、彼が縛られたまま沈黙して
いる巨人
のように思われた。(寡黙なる巨人)
タイトルの拠って来るところだ
が、彼は「知の巨人」でもあっ
た。
カ
フカの『変身』は、一夜明けて
みたら虫に変身してしまった男
の話である。その驚き、戸惑
い、不
安、すべてオール・ザ・サッドンである。
私の場合もそうだった。
灰色の時間から見れば色彩のあ
る風景はなんと生命に満ちてい
ることか、沈黙から音響へ、無
意味から意味へ、諦めから希望
へ、拘束から自由への逆行性の
歩みをそ
こにもう一度映しだして見たかった。(オール・ザ・サッドン)
オール・ザ・サッドン"All
of a Sudden"と
いうのが一般的表記。「思いが
けず、突然に」で
Suddenlyと同じような
意味らしいが、
Morris.は「すべてが突然」と訳して、森羅万象世の中の出来事は必然も偶然も何でもかんでも「突然」だよな、と合点してしまってた(>_<)
ずっと以前、ソウル郊外の喫茶
店の壁の落書きに「All
is Suddenly」と書
いてあったのを同じように解釈
してえらく感心したことがあっ
たからだ。これ
も文法的には誤用らしい。これを援用して「人生はFlash Memory」という標語にしたことも(^_^;)
私
は知らないうちに答えを見つけ
ていたようだ。それは平凡だが
「歩キ続jケテ果テニ熄(や)
ム」と
いうようなことらしい。私は物理的には歩けないが、気持ちは歩き続けている。白洲さんも西行も、結局同じところに理想の死を見つけたのではないか。体は利かな
いがこれならできる。もう少し
だ、と思って、私はリハビリの
杖を握り、パソコンのキーボー
ドに向かう。そして明日死んで
もいいと思っている。(理想の
死に方)
死ヌマデ生キル\(^o^)/
愛
国心は、ほうっておいても育
つ。伝統や歴史、自国の文化を
愛する環境が培養器になるの
だ。
愛国心の教育などは百害あって
一利無しだろう。愛国心教育と
いうと、必ず戦前と同じくナ
ショナリズムに陥ることは目に
見えている。戦争を知っている
世代の人
は、こういう教育の恐ろしさに懲りているはずだ。(愛国心とはなにか)
至言である。
二
十世紀は、科学や技術の進歩は
あったが、人間は相変わらずお
ろかな戦争を繰り返していると
いわれ
ている。しかし、それでも人間だって少しは進歩している。たとえば人権という思想だ。人権は、つい五十年ぐらい前までは、普遍性を持った確立した概念にはなっ
ていなかった。しかし今では、
最大限尊重されるようになっ
た。数少ない人間のッ進歩の例
である。
戦争一般もそうだが、核戦争は
ことに重大な人権の侵害であ
る。国際社会の関心を呼ばぬは
ずはない。核だけは持たない、
使わせないという原則が、支持
されぬはず
はないし、それ以上の抑止力はない。
日本が今、核の拡散防止という
名目を自ら放棄して核武装する
ならば、平和憲法や、広島、長
崎の犠牲者はいったい何だった
のだろうか。過ちは繰り返さな
いという
誓いを、あらためて思い出して核軍備を許さないことを願う。(なぜ原爆を課題に能を書くか)
米国ジャパンハンドラーの目指
すところが那辺にあるかを注視
するべし。
【か
らだの声をきく】多田富雄 ★★★☆☆
2017/12/08 平凡社
STANDARD
BOOKS
不
変と思われていたものが異なっ
ていたり、相反するものが同一
だったりするのは相対論では日
常的に
現われる。光速に近い速度で移動する者の時間は、静止している者の時間より遅い。また進行方向からの光の波長は縮んで青みを帯び、逆方向は波長が伸びて赤色に
変異する。光のドップラー効果
である。「時も光も常ならず」
と言いたくなる。
さらにエネルギーが、質量と光
定数の二乗に等しい
(E=mc2)という相対論の
骨子となる式を漢字で表現すれ
ば、「力物一如」とでも言うの
であろうか。(科学
者の野狐禅)
漢字四字熟語(@_@)
生
命のしくみは、生成文法のよう
に、限られた要素の無限の組み
合わせとその拡大再生産に依存
してい
る。DNAの言葉で綴られた個体の総遺伝子の世界をゲノムと呼ぶが、それはほとんどひとつの言語世界に匹敵する。それぞれの言語が個別の文化を内包した独自性
を持つように、ゲノムの発想と
しての個体は、やがてそれぞれ
個性を持った「自己」を持つよ
うになる。生物学が関心を持っ
ていることのひとつは、こうし
た個体の
「自己」が何によって決定され、どういう過程をたどって成立するかという点である。[ファジーな自己 行為としての生体)
生
成文法
チョムスキーが1950年代半ばに創始した文法理論。構造言語学の表面的な言語の分析・記述を批判し文法的な文のみを無限に新しく作り出す有限個の規則の集合
として文法を捉え、抽象的な深
層構造を生成する句構造規則
と、そこから具体的な表層構造
を導く変形規則によって文生成
のしくみを説明しようとする。
また、言語
の本質を人間の生得的な創造的心的能力に認め、その多面的解明をめざす。変形文法。変形生成文法。(「大辞林」)
(>_<)
(>_<)困った
ときの「大辞林」頼み、だった
のだが、まるでわからん。過去
に学んだ?ソシュールの言語学
と真っ向から対立す
る理論らしい。
お
おざっぱな計算では、人間は約
六十兆個の細胞から成っている
という。細胞は組織(ヒスチオ
ン)と
いう機能単位を形成し、組織によって構築される構造体が臓器(オルガノン)である。人間を、他種類の臓器から成り立つ統合体とみるのが近代医学の考え方であ
る。
脳死の議論があれほどまでに紛
糾したのは、生命の階層性を無
視して、上の階層である人間の
死を拘束はするが、人間の死の
ルールは別の階層の問題だし、
別の階層
で議論され決定されるべきものだったのだ。それは自らの死というものを知り、死の主観性を基礎にして共同社会を営んできた、人間という特殊な生物の問題であっ
て、実験動物で決定できる個体
の静止の問題ではなかったの
だ。(超(スーパー)システム
の生と死)
「超(スーパー)システム」と
いう考え方は、南伸坊との共著
でも説明されて、それを読んだ
時にはなんとなく理解できたよ
うな気がしてたのだけど
(^_^;)
(麦
秋の麦畑)これは麦という植物
の、何千万という個体の集団自
殺なのである。麦は一年草だか
ら、
この季節になると必ず枯死する。麦畠は麦という植物の死体の山でもある。
麦の死は水が不足したからで
も、太陽光線が多すぎたからで
もない。麦の遺伝子すなわちゲ
ノムの中に、DNAの暗号で書
き込まれている死のプログラム
が発動し
て、茎や根の細胞が自ら死んでゆき、植物全体が枯れてゆくのである。この死のプログラムは、環境が変わると発動の時期が多少はずれるが、もともとが遺伝的プロ
グラムだから、人為的にうごか
すことはできない。麦という個
体は死んでも、次世代の麦を作
り出すための種子は残る。あと
には、麦わらという大量の死体
の束が残
る。私たちは、毎年このおびただしい数の集団自殺を目撃して、そに自然の豊かな恵みを感じているのだ。
聖書には昏いMorris.で
も知っている「一粒の麦もし死
なずば…」にダイレクトに繋が
る考え方のようだ。
時
のめぐりとともに散り落ちてゆ
く落葉を眺めて、古代ギリシャ
の医師ヒポクラテスは、アポ
トーシス
という言葉を作った。ヒポクラテスは医学の祖と言われる哲学者で、医の原理と倫理を初めて説いた人である。「アポ」は「離れる」とか「下へ」という意の接頭語
で、「トーシス」は「落ちる」
「下る」という意味の「プトー
シス」からきている。まさに散
り落ちてゆくことを意味する。
アポトーシスは、現代生物学の
最大の話題として1970年代
になって華やかに再登場した。
二十世紀末葉になって、細胞の
死の形態のひとつ、アポトーシ
スという
現象が再発見されて、大勢の生物学者が争って死の問題に取り組み始めたのである。そのおかげで、ここ十年余りの間に少なくとも一部の動物細胞がなぜ死ななけれ
ばならないのか、またどのよう
なメカニズムで死んでゆくの
か、死が生命にとってどんな意
義を持っているのかが次々に明
らかにされていった。近代科学
による死の
再発見が起こったのだ。しかもそれが、生命の成立と維持に必須の現象であることが明確にされたのである。
「死」といえば「タナトス」と
いう語が浮かぶが、「アポトー
シス」という「死」は成長のた
めに不可欠な「死」らしい。
外
的な力が働いて細胞が殺傷され
ることを、医学では「壊死」と
呼んでいる。壊死は、細胞膜が
破壊さ
れて細胞という生命の単位が崩壊してゆく、いわば細胞の「他殺」である。
アポトーシスは、外力によって
細胞が殺されるのではなくて、
細胞が自ら持っている死のプロ
グラムを発動させて死滅してい
く自壊作用による死である。
「自死」と
いうような訳語もしばしば見られる。
オタマジャクシのシッポがなく
なって蛙になるのも、幼虫がサ
ナギを経て蝶に変態するのもア
ポトーシスで細胞が死ぬからで
ある。最もすごいのはサナギ
で、サナギ
の中ではイモムシのころ体を動かすために使っていた筋肉を含む大部分の細胞が死んで、サナギの中は一時ドロドロにとけたような状態になる。その上で新たに多く
の組織細胞が新生して成虫の体
制を作り出し、サナギはやがて
蝶になって飛び立つのである。
サナギ、それは死と再生の秘義
の場である。
たしかに「蛹」というのはとん
でもない存在ぢゃ。
ア
ポトーシスの遺伝子に欠陥が生
じると、発生過程で形の異常が
生じたり、臓器の機能不全や癌
が生じ
る。癌の一部は、アポトーシスの遺伝子の発現に異常が生じて、そのため不死化した細胞である。死ななくなった細胞。
癌は異常アポトーシス不死化細
胞。なるほど(って、まったく
理解不可
(>_<))
ア
ポトーシスによる死は、一般的
に利他的な死であることが多い
ことに気づく。体の体制を作り
出すた
めの細胞の死、脳や免疫など高次のシステムを作り出しそれがまちがいなく働き得るために自ら死んでゆく細胞。性を決定し子孫を残すために必然的に訪れる死。生
命体が誕生しその働きを維持す
るためには、一部の細胞の死は
絶対に必要である。生物は死の
遺伝子を発明し、それをさまざ
まなところで働かせることに
よって高度
の生命体を作り出してきたのだ。(死は進化する)
何か全体主義、ファシズム、軍
国主義みたいで、コワい。
【絢
爛たる暗号 百人一首の謎をと
く】織田正吉 ★★★★
1978/03/05 集英社
これは出版当時に読んで大感激
したものだ。
コミスタこうべ図書室で見つけ
てつい借りて再読した。
改めて面白かったし、百首の歌
を関連付ける方法も、定家がこ
れを選んだ理由も納得できるも
のだと思う。
しかし、現在も山のように出て
いる解説書では、見事に無視さ
れているのは驚くばかりであ
る。
Morris.が新古今集あた
りの王朝和歌が好きになったの
は、この本と、塚本邦雄による
所大である。
定
家は、「百人一首」と「百人秀
歌」という一対の歌集をよく見
れば、その中に匿した選歌の意
図があ
きらかになるよう、多すぎるほどの解読の手がかりを残した。これまでに述べてきたことを要約し、主なものを項目として列挙しておこう。
・八代集とその後につづく二つ
の勅撰集の中からたがいによく
似た詞句を持つ歌を多く選び、
百首の歌は、主題、同一の語
句、対立する語句のどれかに
よって有機的
に結びあわされるように選歌し、全体が一つの作品であることを示す。
・各歌を主題別に再編集する
と、その歌題が、後鳥羽院・式
子内親王という一対の男女と定
家自身の三人にふりあてられる
よう構成する。
・流人とその関係者の歌を多く
選び、隠岐に流された後鳥羽院
を暗示する。
・紅葉の歌によって流人を象徴
し、菊の歌によって後鳥羽院を
あらわす。
・船出の歌、菊の歌の中に物名
の手法で「おき(隠岐)」を匿
す。
・後鳥羽院が愛用した水無瀬殿
の建物の名称、水無瀬を中心と
した付近の川の名が詠みこまれ
た歌、あるいはそれを暗示する
歌を多く選ぶ。
・「百人一首」(歌集)と「百
人秀歌」を二冊一対の歌集とし
て編集し、「百人一首」は百人
の歌人の歌百首、「百人秀歌」
は百一人の歌人の歌百一首で構
成、一人
で二首の歌を持つ歌人(朝康・俊頼)の歌に重要な意味を持たせる。
・「百人秀歌」の巻末五首に風
に関する歌を並べ、一人で二首
の歌を持つ朝康・俊頼の歌とと
もに、風(嵐)にとくに注目さ
せる配列とする風(嵐)は後鳥
羽院をあ
らわし、定家自身の歌には「風」の歌を自薦し、龍田川の歌二首とともに風鎮めの願いをこめる。
・「百人一首」(歌集)と「百
人秀歌」の好忠・長方の歌の関
連によって、「玉の緒絶え」が
合成され、式子内親王の歌が浮
かび上がる構成とする。
・一人で二首を持つ朝康の歌と
の連鎖によって式子内親王の歌
に注目させる。
・後鳥羽院をあらわす秋の紅
葉・菊と一対にして、春の桜・
梅で式子内親王を暗示する。
・「絶え」という語句を持つ歌
を多く選び、「玉の緒よ絶えな
ばたえね」の歌に注目させる。
・「百人一首」[歌集)には巻
頭に天智天皇、巻末に順徳院を
置き、後鳥羽院、式子内親王の
実現しようとして果たし得な
かった夢をあらわす。
・持統天皇の歌によって「新古
今集」との関連を示し、天智
--後鳥羽院の関連を暗示す
る。
再読して、式子内親王の歌を
ちゃんと読んで見たくなった
【幸
田家のことば】青木奈緒 ★★★☆
2017/02/20 小学館
初出「本の窓」
2014-16
青木奈緒 1963年東京小石
川生れ。学習院大学ドイツ文学
科卒業。ウィーンに12年留
学。2002年、009年に日
本エッセイストクラブのベス
ト・エッセイに選
ばれる。NHK放送用語委員、幸田露伴は母方の曽祖父、幸田文は祖母、青木玉は母。
幸田文マイブーム? も一段落
の今日このごろだが、幸田文の
孫娘の本である。主に祖母であ
る文の場を中心に母青木玉と文
のやりとりや、幸田家の独特の
言語空間を
エッセイにしている。曽祖父露伴のエピソードも身内の話として出てくる。
・小
どりまわし--
多少の好不調があっても一定の
レベルで保たれる手ぎわのよさ
を身につけよ。日々の暮らしの
理想のあり方のひとつ。
「水のような拡がる性質のもの
は、すべて小どりまわしに扱
う」(露伴)
法輪寺の塔の再建などの「大取
り回し」と対照的な言葉だが、
「あとみよそわか」に出てくる
露伴の家事指導の要諦でもあ
る。
・知
識とは伸びる手、わかる
とは結ぶこと
「一ツの知識がつつと水の上へ
直線の手を伸ばす、その直線の
手からは又も一ツの知識の直線
が派生する、派生はさらに派生
をふやす、そして近い直線の先
端と先端
とはあるとき急に牽きあい伸びあって結合する。すると直線の環に囲まれた内側の水面には薄氷が行きわたる。それが『わかる』ということだと云う」(文「結ぶこ
と」)
知識の結合が結氷に例えられて
いる。知識の美しさを感じてし
まった。
・古
川に水絶えず--
今の世の断捨離とは真逆の考え
方。日々の暮らしで何か必要に
なったとき、家の中にあったも
のを上手に活用する。やりくり
していくことのたとえ。
「面倒がる、骨惜しみをすると
いうことは折助根性、ケチだと
云う。露伴家ではケチというこ
とばは最大級のものである。ケ
チなやつと叱られた時は、もっ
とも蔑ま
れ最も嫌われ、そしてとどめを刺されて死んぢまったことを意味するのである」(文「あとみよそわか」)
大言海によると、「けち」は
「怪事」と書いて 1.怪しい
事、不吉、縁起がが悪いこと、
ケチがつく、ケチをつける
2. 怪事を恐れることから、
臆病、卑怯、卑劣
3.転じて、吝いこと、吝嗇、けちんぼう」となっている。
たしかに幸田家と「けち」とは
相容れないもののようだ。
・持っ
たが病--
使うあてもないのに処分しきれず、やたらと抱えこむこと。持っているだけで使わなければ無に等しい。
家の中にあるものをきちんと把
握して、使えるものをその都度
役立て、時には思い切りよく処
分していた祖母はこの病とは無
縁に一生を終えた。けれど、母
は娘時代
に戦争を体験した反動だろう、典型的な昭和ひと桁生まれの勿体ながりである。家に蓄積したものをさばききれず、埋もれながらもはやすっかり諦め顔で、「古川が
自在に操れたら言うことない
わ。水なんて思うようにならな
い最たるものだもの」と笑って
いる。
その母にしつけられた私は、右
肩上がりの高度經濟成長期に生
まれ育ったにもかかわらず、
「消費は美徳」とは無縁で、母
と似た感覚を持っている。
「持ったが病」
と「古川に水絶えず」は二律背反でありながら、切っても切れず、私はここに「されど淀むなかれ」のひとことを加えて自分への戒めとしている。
Morris.もどちらかとい
うと捨てるのが下手な方であ
る。断捨離の本も読んで、その
ときはある程度納得したもの結
局身につかなかった。、
・出
ず入らず--
良すぎもせず、奇をてらいもせ
ず、控えめながら利かせどころ
をはずさないもの選びの基準。
出ず入らずとほぼ同義のことば
に「程がいい」がある。このふ
たつは幸田の家では二大ほめこ
とばと言っても過言ではない。
たとえば、祖母の代理で何か見
立てや買
いものをしていて、どちらかで評価してもらえれば、まずは上首尾。私なら面目躍如と大いに気をよくするところだ。
「出ず入らず」にはセンスの良
さ、賢さが光っており、少しだ
け手がたい。
「程がいい」には、はんなりや
さしいニュアンスがある。
「いい塩梅」とか「可もなく不
可もなく」なども同様な意味だ
ろうけど「出ず入らず」にはか
なわない。
・知
る知らぬの種
「人の心の中にはたくさんの種
が詰まっていて、何かのきっか
けで芽吹くのだから、せっかく
出たその芽を大切に育てるよう
に」(文)
・心
ゆかせ--自分
自身の心のなぐさめ、納得のた
めの行為。自分の気持ち
をおさめるために、たいした手間でないことでも心をこめてすること。
十代の半ばですでにひとりで台
所を切りまわし、働きづめのお
正月を送った。露伴は酒飲みの
上に健啖家である。「からす
み、雲丹、このわた、紅葉子、
はららご、
カヴィヤ、鮭のスモーク、チーズ、タン、いろいろなピクルスが棚を占領し、おきまりの口取、数の子、野菜の甘煮、豆のいろいろ、ゆばに菊のり、生椎茸、鮎の煮
びたし、雉の味噌漬、だしはや
かましくて鰹節、昆布、鶏骨と
揃え、油は胡麻・椿・ヘット・
鳥と備え、これらを生かす大切
な薬味類がととのっていた」
(文「正月 記」)
お酒が進むように肴は銘々に彩
りよく盛りつけ、椀ものは熱々
をタイミングを見計らって、野
菜は煮すぎないように、蓋を
とったときに薬味がふわっと香
るようにと
細かなところまで気を配る。結果として残るのは働き者の誇りと心身の疲労、そして手荒くはできない洗いものの数々である。
幸田露伴は決して食道楽という
わけではなかったようだが、正
月の献立と、給仕を見れば、か
なりの「贅沢」といえるだろ
う。これを十代でやりこなす文
もまたすごい。
・
あなたのお庭に木が何本--露
伴が子どもたち相手に思いつい
た即興の遊び。
祖母が一緒の遊びと言えば、ど
れも単純で他愛のないものばか
り。両手の指を組みあわせてお
風呂のかたちにする「三助火を
焚け」だの、向いあって噴き出
しそうに
なるのをこらえつつ、コヨリの輪をやりとりする「白髭様のおたらい」、あるいは早口ことばの「鴨がひゃっぱっぱに小鴨がひゃっぱっぱ」。そのど
祖母、母、私が夢中になって覚
えた言葉遊びを載せておこう。
江戸しりとり唄 牡丹に唐獅子
牡丹に唐獅子 竹に虎 虎をふ
んまえ 和藤内
内藤様はさがり藤 富士見西行
うしろ向き
むき身蛤ばかはしら 柱は二階
と 縁の下
下谷上野の山かずら 桂文治は
噺家で
でんでん太鼓に 笙の笛 閻魔
はお盆と お正月
勝頼様は 武田菱 菱餅 三月
雛祭
祭 万燈 山車 屋台 鯛に鰹
に 蛸 鮪
倫敦は異国の 大港 登山駿河
の お富士山
三遍まわって 煙草にしょ 正
直正太夫 伊勢のこと
琴に三味線 笛太鼓 太閤様は
関白じゃ
白蛇のでるのは 柳島 縞の財
布に 五十両
五郎十郎 曽我兄弟 鏡台針箱
煙草盆
坊やはいいこだ ねんねしな
品川女郎衆は 十匁
十匁の鉄砲 二つ玉 玉屋は花
火の 大元祖
宗匠の出るのは 芭蕉庵 あん
かけ豆腐に 夜鷹蕎麦
相場のお金が どんちゃんちゃ
ん
ちゃんやおっかあ 四文おくれ
暮れが過ぎたら お正月 お正
月の 宝船
宝船には 七福神 神功皇后
武内
内田は剣菱 七つ梅 梅松桜は
菅原で
藁で束ねた 投げ島田 島田金
谷は 大井川
かわいけりゃこそ 神田から通
う
通う深草 百夜の情 酒と肴は
六百出しゃ気まま
ままよ三度笠 横ちょにかぶり
かぶりたてにふる 相模の女
女やもめに 花が咲く
咲いた桜に なぜ駒つなぐ
つなぐかもじに 大象もとまる
とまる麦藁 赤とんぼ 牡丹に
唐獅子竹に虎(つづく)
この江戸しりとり歌は、はじめ
の方だけはお馴染みだが、ぜっ
かくなので全文いんようしてお
く。
・魚
身鶏皮--
魚は身から、鶏は皮から焼く料理の基本。
・か
けかまい--気
遣いや遠慮のあること。「かけ
かまいない」と言えば、
考えなしのうかつな行動であり、避けるべき。
私が知る限りではもっぱら「か
けかまいない」というかたちで
使われて、わかりやすく言い換
えれば「遠慮しない」とか「気
にしない」というようなニュア
ンスだろ
う。かけかまいなく何かをする者には悪意と言えるほどのものはなく、自分の好き勝手にしていいかどうか、あと先たいして考えず、心のうちに「まあ、いいや」と
いういい加減さがある。それで
咎められなければけろっとした
まま過ぎてしまうが、ひとつこ
じれると相当面倒になる危険も
はらんでいる。ものごとが見え
る立場の
人が見れば、うかつな行動なのである。
「横着」というのが近いような
気がする。
・旨
いものは宵に喰え--
おいしいものはそのときを逃さ
ず、許せる範囲の行儀の悪さな
ら最良を味わうこと。送り主や
そのものへの敬意。
・人
には運命を踏んで立つ力がある
ものだ
誰も自ら選んで次男三男に生ま
れるわけではない。露伴からさ
んざ小さいころの苦労話を聞か
されて、自分自身も次女の生ま
れである祖母は、あるとき自分
ではどう
にもならない生まれ順による差別に不平を口にした。すると、露伴がむっつりとした口調で「人には運命を踏んで立つ力があるものだ」と言うのである。これを聞い
て祖母は、かつて自分の父親が
どれほどの思い出冷飯っ食いの
境遇に耐え忍んだかを察し、自
分の身にも父と同じだけの苦労
が課されることを思って涙す
る。
・私
の行く先ゃ花となれ--
「あとは野となれ山となれ」に
つづく文言。
おふみさんが言っていたのが、
「あとは野となれ山となれ、私
の行く先ゃ花となれ」であり、
つづけて「私ゃ代地河岸の生ま
れですからね、そう言って祝っ
ちまわな
くては」が口癖だった。
「私の行く先ゃ花となれ」は先
行きに一縷の望みを託す願かけ
であり、口にすることで自分を
鼓舞し、頑張り通す原動力にし
ようとしている。
・み
そっかす
「みそっかす」の中で祖母の幼
い日のことが切なく、激しく、
いきいきと、そして時に滑稽に
描かれている。今のことばで表
現するなら、こじらせ系とでも
言ったと
ころかもしれない。こじれるエネルギーがあったから、逆境、不遇、不満、すべてを乗り越え生き延びた。
「こじらせ系」というのは若者
ことばなのか、なんとなくわか
るような気もするし、
Morris.もそれ系要素が
あったような…(^_^;)
【み
らいめがね それでは息
がつまるので】荻上チキ ヨシタケシンスケ絵 ★★★
2019/05/24 暮しの
手帖社 「暮しの手帖」4世紀
82号~96号連載
荻上チキ 1981年兵庫県生
れ。評論家。メディア論を中心
に、政治経済、社会問題、文化
現象まで幅広く論じる。NPO
法人ストップいじめ!ナビ代表
理事。ラジオ
番組「荻上チキ・Session・22」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。「彼女たちの売春」「災害支援手帖」「すべての新聞は「偏って」いる」「いじめを
生む教室」
日
本の妖怪文化というのは、異形
の者たちとの共生の知恵だと
思っている。多くの文化とうま
く折りあ
いをつけることこそが、先人たちから受け継ぐべき知恵だと感じる。まあ、小難しいことを抜きに、とにかく「いろいろあっていい」の精神が好きでたまらない。
(誰もが笑いあえる社会)
妖怪といえば水木しげるを媒介
とするしかないMorris.
だが、多文化との交流という視
点で捉えるというのは、面白い
し、納得できる。
依
存症から回復するためには、何
かに依存するのを無理にやめる
のではなく、むしろ依存先を増
やすこ
とによって分散することが重要なのだと聞く。自立するということも同じで、人に寄りかかるのではなく、寄りかかる先を上手に分けることがいいそうだ。そんなこ
とも「理屈では」とうに知って
いた。なかなかどうして、実行
するのは難しい。振り返れば、
壊れた人間関係が死屍累々であ
る。
それにしても、そもそも人生病
を抱えていない人間なんていな
いんだろうとも思う。よく行く
コンビニの店員だって、街でよ
くすれ違う老人だって、テレビ
に出てい
るタレントだった、それぞれの人生病と向き合っている。「自分同様に、人も弱いんじゃないか」と思えるようになったのは、うつ病になって得た収穫である。(人
生病、リハビリ中)
自分の病気(うつ病)をさらっ
と公開するのは、なかなかでき
ないものだと思う。「死屍
累々」の人間関係という表現か
ら、ここに至る道の険しさが感
じ取れる。
解
釈のための理論は多様だが、
1960年代以降の現代思想
は、ひとつの潮流として「○○
中心主義」
を批判するような方法で運動や理論を形成してきた。例えば「男性」中心主義を批判する方法でフェミニズムの運動や理論が形成された。「白人」中心主義を批判す
る方法で公民権運動が形成され
た。「ヨーロッパ」中心主義を
批判する方法で多文化研究が盛
り上がっていった。「異性愛」
中心主義を批判する方法で性的
少数者の
運動や理論が形成された。「健常者」中心主義を批判する方法で障害者運動や理論が形成された。特定の芸術のみを文化として評価する「ハイカルチャー」中心主義
に対して、サブカルチャー研究
が形成された。そんな具合に。
それまで当たり前とされていた
「読み方」を疑い、別の解釈を
提示する。従来の文学研究が作
者をめぐる研究だとすれば、テ
クスト論は読者のための研究
だ。様々な
立場から読むという思考実験を繰返す。その経験は、今の仕事には大変に役に立っている。[今の仕事に巡り合うまで)
確かに世の中のメインストリー
ムへのカウンタ-が、世の中を
動かして来たことは間違いなく
て、カウンターがメインに成り
上がることもあれば、失速して
しまうことも
ある。「保守を革新し、革新を保守する」なんてスローガンが浮かんできた。
み
んなが仲良くすることはできな
い。人は人を嫌いになるもの
だ。そして大人になるというこ
とは、嫌
いな人と上手に距離を取る方法を学ぶことでもある。距離の取り方が不器用だと、人に生きづらさを押し付けることになる。
人を適度に嫌いになるために、
自分なりに守ろうとしている作
法がいくつかある。
例えば、「そのひとに付属する
ものまで嫌いにならないこ
と」。
「他人にその人を嫌いになって
もらおうと求めない」というこ
とも「嫌いになる作法」のひと
つだ。
どんな規範の言葉に呪われ、苦
しめられてきたのか。自分と合
わない相手と、規範で縛られて
無理に付き合っていないか。人
生のどのタイミングでも、重荷
を下ろす
ことは赦される。(「呪いの言葉」に向き合う)
嫌いな人と無理に付き合うこと
はないという考え方は前から
持っていた。好き嫌いは
Morris.の基本尺度(芸
術も食べ物も人も動物も景色
も)だった。
ア
ウシュビッツで生き残ろうと、
看守役になる者は、ナチスの従
順な先兵として振る舞うように
なる。
看守役は配給される食料を独占することもできた。徹底した分割統治。ガス室での虐殺も、ユダヤ人たちに実効させた。
もともと、反ユダヤ主義は長く
ドイツに存在していた。第一次
世界大戦後、ドイツ国内での不
満が高まる中で、「ユダヤ人と
いう非国民のせいでドイツが負
けた」と
いう論理が浸透していく。
そして、ひとつの歴史修正にた
どり着く。それは「ドイツは戦
場では奮闘していたが、背後か
らのひとつきで敗北した」とい
うものだ。つまり、ユダヤ人な
どの排斥
は、ナチスのオリジナルではない。ヘイトスピーチと歴史改竄主義の蔓延が、ナチスの台頭へとつながっていった。(人生に必要な場所)
権力者、権力に繋がる者は、手
を汚すことなく、蛮行を重ね
る。
ソ
クラテスは文字の発明を、怠惰
の技術だとなじった。明治の教
育者は、小説は若者を犯罪に走
らせる
と批判した。いつしか活字は教養となり、今度は漫画やアニメがバカにされた。評論家大宅壮一は、テレビ(メディア)を「一億総白痴化」と批判した。
新しいメディアは、その都度社
会から叩かれてきた。ゲームを
やると脳が駄目になるという
ゲーム叩きの時期を経て、ネッ
ト叩き、そしてスマホ叩きの時
期に移行し
ている。100年後も人類は、間違いなく新しいメディアを叩いている。(いたるところに教材あり)
韓国でナフナの「テスヒョン」
が大ヒットしていて、これが
「ソクラテス」のことだと知っ
て、あっけにとられたが、ナ
イーブな哲学者と理解すれば、
ナフナもナイーブ
な歌手だから相性が良かったのかもしれない。
ど
んなに「規格外」だと思われよ
うと、その生活を、陳腐な言葉
で自ら否定しないでほしい。ど
うか、
呪いをかけないでほしい。その規格・規範が、自分の中でどれだけ大切なものなのか、見極めてほしい。
今は「こう生きるべし」と言う
声に、次のように逆襲する。
何もかもに、その考えを押し付
けるな。何も知らないくせに、
勝手に噂するな。何もしないく
せに、土足で踏み荒らすな。何
も疑わないままに、そこから査
定する
な。こうやって生きているんだ。何が悪い。(生きづらさを取り除け)
開き直りも悪くない。
【校
閲記者の目】毎日新聞校閲グ
ループ
★★★☆
2017/09/05 毎日新
聞出版社
校正、校閲に関する本はこれま
でに数冊読んだが、本書はあく
まで「毎日新聞」のルールに
則ったものだが、それなりに裨
益するものがあった。
現
在の一般的な満年齢の数え方で
は、誕生日に一つ年を取りま
す。記事でも、普通は誕生日に
年を取る
ものとして数えて表記しています。しかし、「年齢計算に関する法律」が、出生の日から年齢を起算するようさだめており、それに従うと、誕生日の前日に1歳増え
るのです。そのため、選挙で最
も若い有権者は、18歳になる
誕生日が投票日当日ではなく翌
日の人です。
3月31日まででなく、4月1
日うまれまでがいわゆる「早生
まれ」になるのも、同様の理由
です。学校教育法施行規則に学
年が4月1日に始まることが規
定されて
いますが、同法には、「満6歳に達した日の翌日以後」に学年の初日、つまり4月1日が誕生日の子は3月31日に「満6歳に達し」ているため、翌日4月1日は小
学校に入学するわけです。
「早生まれ」という言葉はずっ
と使ってきたが、このことは
ずっと知らずにいた。
ハッ
シュタグ記号はシャープではな
い。
♯ シャープ
# こちらがハッシュタグ記号
(井桁、番号符、ナンバー記
号、ナンバーサイン、ハッ
シュ、クロスハッチ、バウンド
サイン、オクトソープ、ダブル
クロスマー ク)
混同している人が多いのは、電
話ボタンの表示が「#」なのに
「シャープを押してください」
というアナウンスがつうようし
ていることもあるかと思いま
す。まあ、
「井桁を押して」と言われても戸惑ってしまいますが…
ネットで検索してみると、
シャープの「♯東北でよかっ
た」で入力したとしても、正し
い「#東北でよかった」に誘導
されるのでこまらないのです
が、投稿する場合
には、シャープ♯ではタグ付けされないようです。
#のキーは米国で
は"pound key"(パ
ウンドキー)、英国で
は”hash key”(ハッ
シュキー)と呼ばれ
る。"pound key"の
呼称は米国
で#が質量ポンドの記号に用いられるところから。
♯と#の違い。これも難しい。
ハッシュタグの普及で、#の利
用頻度は格段に高まっただろう
ことは想像に難くない。※[米
印)と*[アステリスク)も混
同しやすい。
「雨
模様」は、降っている? 降っ
ていない?
雨模様は「あめもよう」とも
「あまもよう」とも読みます
が、「雨催(もよ)い」が変化
したものと言われており、今に
も雨が降り出しそうな曇り空の
ことです。つ
まり雨は降っていません。
「模様」も「空模様」といえ
ば、実際の天気、空の様子のこ
とですから「催い」「模様」に
変わったことが「誤解」を生ん
だのかもしれません。
辞書ではどうでしょう。本来の
意味のみを載せた新明解国語辞
典や、[雨の降る様子を言うの
は誤用」と明記した岩波国語辞
典がある一方、「最近の言い方
で」とい
う注釈をつけて、「小雨が降ったりやんだりすること」も載せる明鏡国語辞典や、注釈なしに「小雨が降ったりやんだりする天候」も載せている三省堂国語辞典もあ
ります。
Morris.常用の大辞林
(三省堂第一版)では、雨の項
には「-模様」はなく、
あ
めもよい[雨
催い] 「あまもよい」に同
じ。
あ
めもよう[雨模
様] 「あまもよい」に同じ。
となっている(^_^;) と
いうことであまもようを見ると
あ
まもよい
[雨催い] 雨の降りそうな空のようす。雨模様。あまもやい。あめもよい。
あ
まもよう [雨
模様] どんよりと曇って、雨
の降りだしそうな空のよう
す。あめもよう。
なかなか念が入ってる。
あ
まもやい
[雨催い] 「あまもよい」に同じ。
あ
まもよ [雨
催] →あめもよ(雨催)
あ
めもよ [雨
催] 雨の降っている時、あま
もよ。
つまり7本も見出しを立ててい
ることになる(@_@)。
「斉」
と「斎」ば別の字
日本に多い名字の一つ「さいと
う」さん。「斎藤」を省略した
字が「斉藤」だと誤って覚えて
いる人は少なくありません。中
には戸籍名が「齋藤」なのに、
新聞社に
「斉藤」の字で伝えてきた議員がいました。
斉…
旧字体は齊。
音読み「セイ」。「きちんとそ
ろう・そろえる」ことを表し、
「ひとしい」「ととのえる」の
訓がある。「一斉」「斉唱」な
どと使う。
斎…
旧字体は齋。
音読み「サイ」。「けがれを払
うことを表す感じで「ものい
み」の訓がある。転じて「静か
に過ごす部屋」という意味と
なったのが「書斎」の例。
これも目から鱗だった。確かに
紛らわしい。
阿
佐ヶ谷駅か、阿佐ケ谷駅か。
地名・人名にある「ケ」は形は
片仮名の「ケ」であっても片仮
名ではなく、感じの「个」から
できた、あるいは「箇」の竹か
んむりの一方を使って、記号の
ように使
われてきたものだそうです。
あくまで記号であり、記号らし
く小さな「ヶ」とするか、見や
すいように大きく「ケ」と書く
かは毎日新聞としては大きな
「ケ」に統一している。
これは前に聞いたおぼえがあ
る。どっちでもいいことにしよ
う。
社
名、商品名
・マジック→フェルトペン
・セロテープ(ニチバン)→セ
ロハンテープ
・:テトラポッド(不動テト
ラ)→消波ブロック
・バンドエイド(ジョンソン&
ジョンソン)→ばんそうこう
・万歩計、万歩メーター(山佐
時計計器)→歩数計、歩数メー
ター
・ラジコン(増田屋ホールディ
ングス)→無線操縦、無線装
置、ラジオコントロール
本書は、毎日新聞校閲グループ
運営のインターネットサイト「毎
日ことば」で
発信した文章を基にしています。
【緑
雨警語】 斎藤緑雨 中野三敏
編 ★★★☆ 1991/07
/29 冨山房百科文庫:41
「こ
の男、かたきに取てもいとおも
しろし。みかたにつきなば猶さ
らにをかしかるべく」と一葉も
言
う、一代の奇才斎藤緑雨は、貧苦と病苦に攻められながらも「小唄で人生を論」じつつ、文に巧緻を極めて、後世凌駕する者とてない、イキのいい、花のあるフォリ
ズムを、数多ものした。本書は
その全集であると共に緑雨の親
しんだ江戸文学に通達する編者
により、各条々に語句の注釈と
硬軟自在なコメントが付されて
いる。拾
い読みも通読も何ら差触りなく、遊び心の横溢する本書を、どうぞ自由にお楽しみあれ。(裏表紙の惹句)
面白いことを考えたものであ
る。Morris.も斎藤緑雨
にはかなり前から関心ありなが
ら、手持ちの「
縮
刷斎藤緑雨全集」もな
かなか精読にはいたらなかっ
た。
こんな本が出てるとはしらずに
いたが、つまみ読みにはもって
こいぢゃ。(*は中野三敏のコ
メント)
○
剣を以てするも、筆を以てする
も、強者はついに弱者を扶くる
ことなし、長く扶くることな
し。弱者
を扶くるは弱者なり、どの道のがれぬ弱者なり。同病相憐むに過ぎず。
「弱気を助け強気をくじく」な
んて、まず、無いものと思われ
る。
○
貧は強ち耻辱にあらざる可き
も、さりとて到底栄誉にあら
ず。まづしき也、とぼしき也、
憂ふるに人
さまざまの軽重ありとも、誰か心の奥を問はれて、富に優るといふ者あらんや。貧を誇るは、富を誇るよりも更に卑し。
貧乏は恥ずかしがるものではな
いが、さりとて威張れるもので
もない、という言葉はどこかで
聞いた覚えがあるが…
○
どうせ世の中は其様なものだ。
この一語は、泣ける者を慰むべ
く、怒れる者をも慰むべし。斯
くして
人口は年々増加すとも、減少することなし。めでたからずや。
未練と諦念は双生児。一世紀を
閲して、この国の人口は減少の
一途をたどっている、めでたか
らざるや?
○
それが何うした。唯この一句
に、大方の議論は果てぬべきも
のなり。政治といはず文学とい
はず。
それぢゃ駄目だと言う勇気。
○恋は親切を以て成立す、引力
也。不親切を以て持続す、弾力
也、疑惑は恋の要件也。*疑惑
は恋の推進力也。
○握手は子をなす事なし。夫婦
の愛は肉より生ず。かの婚姻な
るものを看よ、そを四隣に吹聴
して憚らず、以て儀式となすに
あらずや。(眼前口頭 明治
31)
山本夏彦がこれと似たようなこ
とを書いてた。
○
人の世に最大不必要なるもの、
唯一つあり、名けて識者とい
ふ。
天に唾する緑雨哉。
○
聚めんと欲せば、先づ散ぜよと
いふは、転んでも只では起きぬ
の同義なりと信ず。(霏々刺々
明治 32)
○赤は花の色也、火の色也、血
の色也、舌の色也、仕掛の色
也、而して古来の伝説に拠れ
ば、嘘も真赤なる者也。
○此処に虚偽と羞恥との関係を
究むるにおよばず、耻も嘘と同
じく、赤きものとぞ。(巌下電
明治33)
真っ赤な嘘、赤っ恥、赤の他
人、赤死病、赤ゲット、赤チ
ン、赤紙、赤狩り、赤字、赤
線、赤裸々、赤貧、赤面、亭主
の好きな赤烏帽子(^_^;)
○
日を見ては、赫々たる金色とい
ひ、月を見ては、皎々たる銀色
といふ。古より今に至るまで、
つひに 貨幣を離るゝ能はず。
○何人の財布の裡にか、罪悪を
潜めざるものある。財の布は罪
の府也。
○発かば正義は世の花也。靡か
ば正義は時の煙也。*堕つれば
正義は足手まといなり。
○世は米喰ふ人によりて形成せ
られ、人喰ふ鬼によりて保持せ
らる。(両口一舌 明治33)
ここらはわりと平凡。
○
使ふべきに使はず、使ふべから
ざるに使ふ、是れ銭金の本質に
あらずや。疑義を挟むを要せ
ず。
○貧人が唯一の見方は、詩人な
りと。げに然らん、詩人も唯一
の貧人なれば。
○按ずるに筆は一本也、箸は二
本也。衆寡敵せずと知るべ。
(青眼白頭 明治33)
一番有名な緑雨の一行。
○
利口さうなると、正直さうなる
とは、人間遊泳の極意也。一般
社会は此さうなるを以て、信用
の基礎
となすものゝ如し。利口なるなかれ、正直なるなかれ、凡てに語尾の明確ならんは、溺没をまねくに近かるべし。
「のようなもの」の妙。
○
流行はわれに来らず、われは流
行に恃まず、恃まざる流行のわ
れに来るものは、感冒のみ。
「流行性感冒」というのは明治
時代からあったらしい。韓国で
は「毒感」と呼ぶ。
○
時は梅に継ぐに桜を以てし、身
は貧に継ぐに病を以てす。近日
の動静を問はるゝまゝ、かく答
へてさ
て回思すれば、梅と貧、桜と病、それと定かに情趣の指しは得ざれど、おのづから一致せる者あるやに感じたるも、美名に就かんの我が悶へなるべきか。
○桜は矛盾の花なること、濃抹
なるもの、淡粧なるもの、朝な
あるもの、夕なるもの、其或時
はさめざめと泣くが如し。桜は
日本民族の花なるとゝもに、精
神病の花 なり。
○爛漫という語の桜花に冠せん
よりは、狂人に冠するの的確な
るが如き、好証憑にあらずや。
緑雨の「桜観」おもしろ。
○
信義に二種あり、秘密を守る
と、正直を守ると也。両立すべ
き事にあらず。
○喜びは一人のもの、憂ひは万
人のもの也。こゝを以て合同は
握手に非ず、反目也。提携に非
ず、衝突也。(長者短者 明治
35)
二律背反? ダブルスタンダー
ド?
○字面の最も面白からずして、
字義の最も面白きもの、薄志弱
行の一語也。薄志弱行にあらざ
れば詩は成ることなく、薄志弱
行にあらざれば詩は解すること
なし。
優柔不断 金も力もなかりけり
(>_<)
○
桜は陰陽を兼ぬといへり。恋と
無常を兼ぬといへり。晴れにし
て雨也、迷にして悟也、糸の音
にして
鐘の声也。つひに是れ罪業の花也、日本の花也。
○のに山に花は百千の色々なれ
ど、錦織るてふ都の桜の如く、
よく人を酔はしめ、狂はしめ、
警察署処分に遇はしむるもの無
し。
桜好きだったんだろうな。
○
春は木の花也、秋は草の花也。
木には上向かざるを得ず、よろ
こびの態也、霞也。草には下向
かざる
を得ず、かなしびの状也。春花の興は、盛らざるに多く、秋花の趣は、衰へたるに深し。
俳書みたいだ。
○
ちよいと見てちよいと惚れる
は、今の評者也、他人也。よく
見てよく惚れるは、今の作者
也、自身 也。
○小説家として露伴はあまりに
博識也、紅葉はあまりに汎交
也。雪の松なる露伴が識鑑と、
風の柳たる紅葉が交際とは、い
ついつともなく其身をして、作
に遠ざかる
に至らしめたるものなり。われは今ニ家に就て、これ以上を言はんことを好まず。
緑雨と露伴と鷗外は三人で合同
評論みたいな「三人冗語」を出
している。これで樋口一葉を口
を揃えて褒めまくっている。
○
惚れるは常識也、溺るゝは天才
也。藝術は色気也。即ちあまい
料簡也。
○無邪気は愛すべく、無責任は
憎むべし。されども無邪気は、
無責任の一種なり。
緑雨の真骨頂。
○
今世の智識は、新聞の智識也。
新聞の智識は雑誌の智識也。雑
誌の智識は、模擬、剽窃、翻
案、抜粋 の智識也。
今世は21世紀の今日でもあ
る。
○
飢は恋をなさず。恋は飢をな
す。こがれ死といふことあり、
恋ひに恋ひて死するにあらず、
飢ゑに飢
ゑて死するなり。(半文銭 明治35)