自歌 註讀 seasoning

【秋曲】

サンボ通信35号(1996/10/10)所載。一応タイトルには「終局」を潜ませたつもり。

魂還る黄泉の通ひ路遠囘り無間地獄の秋の夕暮れ
*三夕を意識した訳ではないが、やはり秋の巻には「秋の夕暮れ」は欠かせない。

青葡萄朱き櫨の葉銀木犀秋の色種愉し哀しも
*李陸史の「青葡萄」の冒頭に「わがふるさとの七月は/たわゝの房の青葡萄」とあるように、青葡萄はまだ熟す前の青い葡萄だから、夏の季語なのだが、この歌の場合紫や緑色に熟れた葡萄のことと解釈していただきたい。

天の川秋の契りは濃厚に星を殺めて暗闇の戀
*七夕伝説は色好みの宮廷歌人には格好の題材だから、どんどんエスカレートしていく様が八代集にもうかがわれる。逢瀬という語もこれと無関係ではないのだろう。

曼珠沙華眼を刺すばかり美しく秋の彼岸は此岸へ續く
*彼岸花はポピュラーだが、ほかに死人花、捨子花とも呼ばれるし、花のみがすっくと咲き、枯れて後葉が出ることから「葉見ず花見ず」との別名もある。それにしてもあの、人を拒絶する美しさはどうしたものだろう。

騙すより騙されてやる幸福に秋の鹿呼ぶ笛の音の優
*アメリカインディアンの言葉には「騙す」という語彙が無かったという。「インディアン嘘つかない」のギャグはこれに由来するのだろうが、騙しあいが当たり前の世の中に生きていると、時にこちらから騙されたい気持ちになるのも事実である。

去年の秋龍田の川の紅葉狩り彼の時腹を括り初めしが
*業平の百人一首歌の本歌取り。唐紅の括り染めの、単なるパロディだな、これは。

秋草野彷徨ひ迷ひ幻想に醉ひ一本芒に成上り候
*「秋草野」模様の千代紙を好んで使ってたことがある。秋の七草をはじめ秋の植物はいずれおとらず、かなしくゆかしい。中でも芒の魅力は格別で、以前サンボ通信(35号3頁参照)でも書いた通りだ。願わくば芒の下に秋死なむ。

忘れ咲き藍染め清し朝顏の漏斗を滑る秋の精粋
*朝顔の漏斗状の花を喇叭に喩えて韓国人はナパルコッ (喇叭花)と呼ぶ。朝顔の花色は赤、紫、青、白など多様で、変わり咲きも江戸時代から多く作られてきたが、僕はこの花は青以外眼中にない。

淡彩の秋明菊の涼やかさ手弱女ぶりぞ實は手強し
*秋明菊との出会いは雑誌の花模様だった。その時は名前も知らずあまりに日本的な意匠にのみ感動していた。後現物を見て名前も判明したが、菊の名を拝していてもこれはキンポウゲ科の多年草で、産地にちなんで貴船菊の名もある。

夏過ぎて人影絶えし渚愛し秋の波寄す濡れし瞳で
*秋波とは本来秋の澄んだ波の色それから転じて美女の涼しい目元の喩だが、秋波を送るとは流し目する、色目を使う意味になる。ここでは本家がえりを装ってみたもの。

一筋の絲に縛られ花の蝶彌勒秋櫻墨西哥忘れじ
*ふた昔ほど前のコスモスは本当に細い糸で地面に繋ぎ止められた蝶のように、微かな風にもひらひらとはかなげに揺れていたものだが、昨今はすっかりたくましくなって上の歌も、昔語りになってしまった。

翅毀れ鱗粉剥ちて蹌踉の秋の蝶にも矜恃を希む
*落剥を絵に描いた態の秋の蝶は見るに辛いものがある。貧すれば鈍すというが、落ち目の時に矜持を強制することは残酷なことだろうか。

秋茜群一齊に西を向く犬斬峪に銀魚の跳ねて
*子供の頃より「いのきんたん」という響きで親しんでいた堤を十年ぶりに訪れた時の実景歌である。

白圓の秋の扇は月に似て死せる女より哀れな女
*そう言えばマリーローランサンも秋の扇の似合いそうな女だ。

嵐呼ぶ男ありけり若き日の胆汁苦し秋野分待つ
*今でも台風が近づき、ニュースで最大瞬間風速40米を観測したなどと聞くと、思わずぞくっとしてしまう。

名にし負ふ倭の秋の麒麟草泡立つ程にな入れ込そ
*セイタカアワダチソウはその驚くべき繁殖力で、日本の秋の風景を一変させたほどだが、あの命名はちょっと気の毒になる。「のっぽのキリン草」ではあまりに可愛すぎるか。

風迅し水の匂も懷かしく胸騷がせる秋雨前線
*気象用語中にもずいぶん素敵な言葉がある。この「秋雨前線」などその最右翼と思うのは、やはり僕が秋好みのせいもあるだろう。

今は昔故郷の庭の秋萩の撓ふ肢體を虐げし頃
*生家は幼年時に零落しかけていたが、旅館という商売柄、庭にはそれなりの木石が配置してあったのに、僕は狼藉の限りを尽くした。思えばろくでもないことばかりしていた息子だった。

何時の世も罰する側は苛酷にて秋の官吏の掌に汗
*秋官は周の刑部省にあたる。たしかに春官ではそぐわない。

浮き沈みそれも憂き世の習事知ぬ振かも秋沙の飛翔
*あいさは鴨の仲間で棲息地により海秋沙と川秋沙がある。両者の雌と海秋沙の雄は頭上の冠毛が逆立ち、鴨らしからぬ精悍な表情を見せる。

秋刀魚燒く煙の樣に生きて死ぬ佐藤春夫は秋を祝ひき
*佐藤春夫はあの苦虫を噛み潰した様な容貌でずいぶん損をしている。彼が道造ばりの美青年だったら、今ごろ日本で一番の抒情詩人の折り紙付きだったはずだ。それは「殉情詩集」一冊を見ればわかる。

勞働の祟りを祓ふ収穫祭人も獸も秋忘ればや
*秋の祭は厄祓いに始まる。農耕民族のDEEPな業ということになろう。

月と月緑の星の繼子とて他日は知らず秋二日のみ
*地球を緑の星と書いたのは陳腐に過ぎる。秋の月の美は二日(十五夜と後の月)に限らぬとは思うものの、この断定の潔さも好きだ。

彌が上にも歸りたくなき秋の旅風船旅行空の間に間に
*「素晴らしき風船旅行」と言うフランス映画??を見て以来、空の旅への憧れがつのった。ヴェルヌの連作によく気球を使う場面が出てきてそれが伏線となっていたのかもしれないが。しかし件の映画を数年前テレビで放映されたのを再見して、もろもろの夢が雲散霧散してしまった。まことに思い出こそ妄りに検証せざるべし。

何故に心の秋ぞ深みゆく疾に調べは盡きにしものを
*良經の「心の秋」の歌を理解し得たとは思わないが、負のベクトルへの志向を美しく感じるのは、やはり心弱りなのだろうか。
 

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