すいれん
嬉野国立病院の睡蓮
 
モネに睡蓮を描いた高名なシリーズがある。学生時代、その一枚を三畳の下宿のドアに貼って毎日眺めていた。

スケッチブックの表紙だったと思うが、印象派と呼ばれるだけあって、その分割された色と輝きは、僕に強い印象を及ぼしたようだ。 

だが、睡蓮にはもっと古い記憶がある。 

小学校低学年の頃、母方の祖父が嬉野の国立病院に入院して腸の腫瘍の摘出手術を受けた。

祖母や叔父に連れられて数回見舞いに行ったが、病院の池(プール?)いっぱいに睡蓮が浮いていて、花も咲いていたから、多分夏のことだったろう。

手術直後の祖父が思ったより元気そうに現われ、あろうことか、つい先ほど摘出されたばかりの内臓の一部を、ガラス壜に入れて僕の目の前にさしだした。

別に驚かそうと言うわけでなく、孫へのサービスだったのだろうが、僕には刺激が強すぎた。

思わず目を逸らした先には、純白の睡蓮が咲き誇っていた。 

今でも、睡蓮を見ると祖父のことを思い出す。

船乗りだったと言う祖父。

神戸で祖母と出会い、一旗あげようと一緒に渡海した上海で終戦を迎え、あたふたと見も知らぬ九州の片田舎に引揚げ線路沿いマーケットに小さな本屋を開いた祖父。

競輪狂いで、祖母を散々泣かした祖父。

でも、孫にとってはいい祖父だった。 

睡蓮の和名を「ひつじぐさ−未草」と呼ぶのは、未の刻(午後2時ごろ)に開花することから付けられたのだが、厳密に言うと睡蓮の仲間には日中開いて夕方閉じる昼咲きと、夕方から咲き出して明け方に閉じる夜咲きがあるので、この名称に合わないものも多い。

僕は「睡蓮」と言う漢字表記を、長いこと「水蓮」と誤記していた。これは英名"Water Lily"からの連想だろう。 

●浮きながら數かぞへませひつじくさ  

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