ひまはり
●髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま 
輿謝野晶子『戀衣』 


・ひまわりと言えばゴッホだわね。

糸杉も跳ね橋もいかにもゴッホ好みの素材だども、何というても、あのひまわりの獰猛さは、他を寄せ付けね。

わだもゴッホみてなひまわり描いて見ていと思ったけんど、その資質が大層に違うもんで、わだば板の上に仏さんやら女さんやら彫りまくった。

だげど、その心にはいづも、ゴッホのひまわりが「まだだぞ、まだだぞ」って、わだを追いかけて来ただ。(近視の某版画家談) 



・ひまわりっていえば、そりゃもう、ソフィア・ローレンに決まってるじゃございませんこと。

70年イタリアはビットリオ・デシーカ監督のお作。

競演のMM(マルチェロ・マストロヤンニ)さまも、ヘンリ・マンシーニ殿の麗しいテーマソングも素敵ざましたけど、何と申しましても、この時のローレンは彼女自身そのままひまわりに乗り移ったよう迫心の演技じゃございませんでしたこと。

延々と広がる畑一面のひまわりのシーンも、あたくしには彼女のクローズアップのように見えてましたわ。

ああ、目を閉じると、あたくしの青春の思い出が懐かしく込み上げて参りますわ‥‥‥

(某女流映画評論家談) 



・ひまわりなら、タネだよね。

どんぐりは苦いし、胡桃は固いもの。その点ひまわりのタネって、カリカリ、本当にちょうどいい大きさで、カリカリと齧ると、本当にお日さまの味がするんだぜ。

カリカリ、疑うんなら、君もちょっと齧ってみたまえ。

カリカリカリ

(リッキー<2歳♂>談) 



・「ひまわり娘」は伊東咲子さっ。

えっ知らないの? うーん、アイドルの中じゃ結構歌もうまかったんだけどね。

ヒット曲はこの「ひまわり娘」のほかに「木枯らしの二人」とか「青い鳥逃げても」くらいかな。

今一、知名度は低いかもね。だけどね。

ぼく好きだったんですよ、彼女。

この歌3番まで歌えるんですよ「だれのお〜ためにい咲いたの〜それは〜あなた〜のためよ〜熱い夏の日を〜あびて〜こんなに〜〜

(某Morgan's Barメンバー談) 



・ひまわりの名は「日廻り」から採られたことは間違いのないところぢゃろう。

しかし実際にひまわりの花が太陽の動きにつれて動くなどと言うことはない。しかるにこの俗説を信じておる者も結構多いようぢゃ。

本来この花は北アメリカ原産で、コロンブスがアメリカ大陸に発見されて後(この表現は間違っとらんとわしは信ずる)、ヨーロッパにもたらされ、中国を経て日本にも渡来したようぢゃ。

スペインやイギリスでは「太陽の花」と単純に命名されたが、フランス、ロシアでは始めから「太陽に付いて廻る花」と呼ばれたのぢゃ。

「向日葵」と言う漢字名は中国語をそのまま借用したに過ぎん。

おとなりの韓国では「ヘバラギ=太陽を願う」と呼ぶ。いささか詩的ぢゃのお。

(某民間語源学者談) 



・ひまわりと聞いて思い出されるのは、今は亡き中原淳一さんのことです。

ご承知の通り中原さんは戦前から「少女の友」に可憐な美少女を描いておられたんですが、戦争中は、ほとんど活動の場を無くされてしまい、私らファンは歯痒い思いをしたものです。

その戦争も終って間もなく発刊された少女雑誌の名が「ひまわり」。

もちろん中原さんの描く美少女も以前より明るく大きな瞳が私には眩しく感じられたものです。

ほとんど時を同じくして創刊されたファッション雑誌の名が「それいゆ」。この命名に中原さんの戦後の少女たちへの希望が託されていると申せましょう。

しかし、私個人的な意見を述べさせていただけるならば、中原さんの描くところの少女は、いくら瞳が大きかろうと「ひまわり」のイメージとは対極に位置していたのではないでしょうか。

そのことが中原さんに見えない影となっていたように思えてならないのです。

(某杼情詩人談) 



・ひまわり祭りの南光町。

そう、南光町も知らないの。

兵庫県佐用郡南光町。

ほとんど岡山県に近い田舎なんですが、ここでは昨年から「ひまわり祭り」が行われていて、何とこれには春待ちファミリーBandも参加します。

一面に広がるひまわり畑の中で洗濯板、紐バケツ、櫛カズーなどの陽気な音楽が鳴響くと言うわけ。

もちろん僕もアコーディオン弾きまくりますが、本当の僕の出番は前日のキャンプ!!

夜っぴて、飲み、騒ぎ、踊り、歌うのはもちろん「キャンプだホイ!!」

去年はちょうど台風が襲来して、その中で、僕は狂ったように「キャンプだホイ!!」を歌っていたとか。

今からわくわくです。今年は7月24日の予定。もちろん一同前日から繰り出すぜい。

キャンプだホーイ!キャンプだホーイ!キャンプだホイホイホーイ!!

(某春待ちファミリーBandメンバー談) 



・ことほど、左様に広く親しまれている「向日葵」だが、僕がこの花から連想するのは、冒頭に引いた、晶子の歌だ。

黄金日車という雅名もすごいが、なにより、この花で頭を飾ると言う発想がぶっとんでいる。

それでいて、いかにも晶子には似合いそうに思えてくるところが面白い。

晶子のことだからひょっとしたら現実の向日葵の花ではなく、大空の王=太陽を冠としてイメージしたのかも知れない。

ところで手近にあった新潮文庫版の「與謝野晶子歌集」(佐藤春夫編)を見ると、「手にとればかくやくと射る夏の日の王者の花のこがねひぐるま」となっている。

ぼくが覚えてたのと余りにも違うので、ちょっとうろたえてしまった。

なにしろ20年前くらいの読書ノートに控えてたのが、前出の形だったのだし、当然ずっと前者を愛誦していたわけで、衝撃が大き過ぎた。それよりも、何よりも新潮文庫の形では平凡で、面白くも何とも無い。

結局発表時は冒頭の形だったらしい。

新潮文庫の歌は晶子自身か、あるいは佐藤春夫他による「改悪」だったらしいようでほっと一息つくことができた。

(某サンボ通信編集者談)

●向日葵の屍意志もて直立す 

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