あぢさゐ
紫陽花
神戸大倉山、文化ホールの壁に、タイルモザイク貼りされた稚拙な紫陽花の絵。あれは智恵子の紙絵。

光太郎があれを見たらどんな気がするだろうな。 

この花を紫の太陽の花と形容したのは白楽天だとか。
ちょっと信じられないセンスだ。
七変化と言う別名は陳腐ながらも、これなら首肯できる。 

学名Hydlangeaは「水の壷」あるいは「水の器」。
土壌の酸性アルカリ性で花の色合いが決定されると聞いた。
これをネタにした推理小説を読んだことがある。 

あの薄紫やピンクや白の花びらみたいに見えるのは実は萼片で、本当の花弁は中心にあるちいさな粒だ、などという知識は無くてかまわない。 

「心変わり」という花言葉もあまりにそのまんまで、鼻白んでしまう。 

三好達治の詩「乳母車」の冒頭に出てくる「あぢさゐ色の雨」とはどんな雨なのか。
いずれ雨と紫陽花は切り離せない。
かんかん照りの中に紫陽花をおくなんてのは拷問に等しい。 

日本紫陽花の種小名であるotakusaについては、シーボルトと愛妾おたきさんの逸話が有名だが、いっそ彼の名をもじってSea-voltなんて命名するのはどうだろう?
「海の雷」というイメージはなかなか凄まじくていいと思うのだが。 

かなしさはかたまり易し濃紫陽花  

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