いそぽのふぁぶらす
天草本 伊曾保物語
 
昭和14年(1939)3月2日発行、岩波文庫、新村出翻出、114頁、定価二十銭。三宮センター街後藤書店で300円で手に入れた。

絶版文庫ではあるが、特に古書価値があるとは言えない。

もともとこれは改造社から出されたものの文庫化で、元本はちょっと入手不能で、Morris.は朝日古典全書「切支丹文学集」2冊の中に収録してあるのを知ったので、これが安価で出ていればいいなと気をつけていた所に、思いがけず手軽な文庫を、格安に入手できてありがたかった。


イソップ物語を知らない人はまずいないだろう。

「狐と酸っぱい葡萄」「田舎の鼠と都會の鼠」「蝉と蟻(アリとキリギリスの原型)」などは「桃太郎」「花咲爺」と同じレベルで日本人に親しまれている。

簡潔で本質をついた寓話の内容にも因るのだろうが、何よりもこの話が日本に伝播した時期が意外に早かったことを忘れてはならない。

江戸時代以前にこれらの話が日本語に翻訳され、印刷されて、人々に読まれた事実を知った時は感動に近い驚きを覚えたものだ。 


その嚆矢とされるのが、この「天草本 伊曾保物語」で、文録2年(1593)九州天草のコレッジオで刊行された。

木版ローマ字綴りで当時の京阪地方の談話体口語文が生き生きと活写されている。

語学と教化の目的を兼ねて出版されたのだが、結果として日本における西洋文学の最初の翻訳となった。


原本は世界にただ一冊、大英博物館に「平家物語」などと合綴して保存されている。


イソップと言えば、紀元前6世紀頃のギリシヤの奴隷で、その動物寓話集は紀元前300年くらいにアレクサンドリアで集成されたという。

それが14世紀にコンスタンチノープルで編集され、英訳、独訳が出来たのが15世紀のこと。日本に16世紀の終りに伝わったと言うのは当時としては、破格の速さで伝播したといえる。


それにしてもイソップの時代から天草本ができるまで約2,200年、現在までだと2,600年を閲して、この物語が生き続けていると言う事実は、大袈裟に言えば人類の頼もしさみたいなものを感じさせてくれる。


肝腎の内容に一向に触れずにしまった。天草本の特長の一つはその文体にある。

引用に如くはない。

【蝉と蟻の事】
ある冬の半ばに蟻どもあまた穴より五穀を出いて日にさらし、風に吹かするを蝉が来てこれを貰うた。蟻のいふは「御邊は過ぎた夏秋はなにごとを営まれたぞ」。蝉のいふは「夏と秋のあひだは吟曲にとりまぎれて、すこしも暇を得なんだによつて何たる営みもせなんで」といふ。蟻「げにげにその分ぢや、夏秋謡ひあそばれたごとく、今も秘曲を盡くされてよからうず」とて、さんざんに嘲り、少しの食を取らせて戻いた。
(下心)
人は力の盡きぬうちに、未来の務めをすることが肝要ぢや。すこしの力と閑あるとき、なぐさみをうけいでは叶ふまい。

【犬が肉を銜んだ事】
ある犬肉村をふくんで川をわたるに、その川のまんなかで銜んだ肉むらの影が水の底にうつつたを見れば、おのれがふくんだよりも、一倍大きなれば、影とは知らいで、ふくんだを棄てて水の底へかしらを入れてみれば、本体がないによつて、すなはち消えうせて、何方をも取り外いて失墜をした。
(下心)
貪欲に引かれ、不定なことに頼みをかけて、わが手に持つたものを取りはづすなといふことぢゃ。

*この稿を書いた後に、ずっと以前に読んだ、中公新書「イソップ寓話 その伝播と変容」(小堀桂一郎)を図書館から借りて読み直したら、懇切にイソップ寓話の伝播過程が解説されていて、うろ覚えのMorris.の文章が極端に貧相に見えてきた。イソップ物語に関心のある方は、この本は必読書です。

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