韓国点描
1989/10/12〜11/10


1.ケッペの唄  2.霧の春川  3.銀行の樹  4.ソウルの黒い薔薇  5.パゴダ公園の安重根  6.歌姫  7.渚のアリス  8動物園のアボジ .

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ケッペの唄
韓国点描vol.1
 
雪岳山(ソラクサン)への登山口、束草(ソクチョ)は、東海(トンヘ嵩本海)海岸38度以北に位置する港町で、南北にある二つの湖に市街が挟まれた地勢をなしている。 

北は淡水湖(永郎湖)、南は海水つまり内海(青草湖)で、松江東西の宍道湖と中海の関係に似ている。  
 

内海が東海につながるくびれた部分は200メートル足らずで、ここには橋もなく、往来は渡し舟に頼っているのだが、はたしてこれを船と呼んでいいのかどうか。 

横3m×縦5mくらいの板切れが、心細げに浮かんでいる。中央にワイヤーが這っていて、そのまま向こう岸まで繋がっているらしい。 

はじめ僕は、両岸に発動機があって、その動力で運行しているのだろうと考えたのだが、実は純然たる人力駆動で、それも棒状の尖が鉤になった金具をワイヤーに引っ掛けて、船の端から端まで歩いていくと、ちょうど船の長さ分だけ進んでいくシステムになっている。 

たいがい二人がかりで曳いて行くのだが、通勤や通学で乗客が多くなると、重さのため力が余計にいるので、乗客が任意に金具をもってワイヤー曳きの行進に加わる。一度動き出せば後は惰性でたいして力もいらない。 

二人で一つの金具を曳くカップルもいたりして、いかにものんびりした光景が気に入ってしまった。 
 

一回の料金は60ウォン、朝4時から夜11時まで休みなく動いているそうだ、料金小屋のアジュマにこの船の名前を尋ねたら「ケッペ」というこたえが返ってきた。 

ノートにハングルも書いてもらう。僕の辞書には載っていないが「ペ」は船だから、「繋船」とでもいうことになるのだろうか。 

これは束草にしかないのだとアジュマが自慢していたのでそうなのかと感心していたのだが、後日ソウル漢江の川辺で知り合ったミス金の話だと、彼女の田舎(慶尚南道サンチョン)にもあったということだから、束草の専売特許ではなかったらしい。 
 

その日は意味もなく二度往復し、翌日また乗りに行った。 

自分でも金具を引っ張ることにした。 

ところが粗忽者の僕は、金具を外すタイミングを逸して先端の金輪に絡ませてしまい、これがブレーキの役目をして、ちょうど行程の真中でケッペを立ち往生させてしまった。 

幸い金具は、すぐに取り外すことが出来たのだが、水中に落としでもしてたらと思うと、自分の軽はずみに、今さらながら冷や汗が出てくる。 

乗り合わせた客の中には急ぎの人もいただろうに、誰一人として、僕に嫌な顔をするものもいなくて、それがいっそう身にしみた。 
 

 
 
霧の春川
韓国点描vol.2
 
雪岳山系を横切るルートをとる束草発のバスは、標高千メートル近い峠を越え、1時間半ほどで、西陽江(ソヤンガン)のほとりにあるインジェに到着。 

ここから快速船で川を下って春川(チュンチョン)に着いたのは夕方近かった。両替や宿探しに手間取ったのでこの日は町の見物もせず、早めに床に就いた。 
 

翌朝、めずらしく早起きして外に出ると、一面深い霧に覆われていた。 

春川は湖水の町だ。 

正確にいえばソヤンガンに繋がる人造湖、つまりダムなのだが、それはどっちでもかまわない。 

国鉄西側の湖畔路を北へ歩いてみた。 

湖は霧で見えない。 

大きな柳が道の両側に並木をなしているのだが、これらも霧の中から一本ずつ立ち現われては消えてゆく。 

墨絵を見ているようだった。 
 

畑の畦道が湖に続いたところが船着場になっていて、筏を二つくくり付けたような渡し船が出るところだったので、何も考えずに乗り込んだ。 

客は荷物を担いだアジュマが5,6人、軽トラックが3台,どう見ても2台でいっぱいになると思ったのだが、前後のタイヤ半分はみ出す感じで器用に載せてしまったのには感心した。 

船中に貼ってあった料金表によると、大人100ウォン、子供70ウォン、自転車50ウォン、手押し車100ウォン、自動車は大きさによって6000ウォンから3000ウォン、トラクター3000ウォン、耕運機1,500ウォンとなっていた。 

もうひとつ、牛という項目があって大1000ウォン、小700ウォンとあるのを見て、実に嬉しかった。 

この日は、耕運機も牛も乗り合わせていなかったが、静かな湖畔の上を、牛を積んだ渡し舟が、霧に見え隠れしながらゆっくり進んでいくさまを想像するだけでほのぼのしてくる。 
 

結局この船は20分くらいで、湖の中にある島に僕を運んでくれた。 

船着き場からずいぶん歩いて、大きな公園に出る。 

ここは野遊会の名所らしく、食料や酒を山のように担いだ団体客が、この公園に直行する遊覧船で、ぞくぞく詰め掛けてきていた。 

この頃になると霧の魔法はすっかり解けてしまい、見晴らしは良くなったが、僕はちょっと物足りない気持ちになって、遊覧船で町に戻り、旅館に預けておいた荷物を取って、バスでソウルに向かったのだ。 
 

 
銀行の樹
韓国点描vol.3
 
ソウルに来て最初の日曜日、勇んでテハンノ(大学路)に出かけたのだが、楽しみにしていた路上パフォーマンスは、昨年からホコテンが廃止されていて見ることが出来なかった。 

仕方なくぶらぶらと道なりに北上したら、成均館(ソンギュングヮン)大学に行き当たった。 

「文化祭」の横断幕が張られていたので見物しようと校門を潜ると、古いお堂のような大きな建物があり、その脇の坂道を人々が登っていくので、ついていったら小高い丘の上にグラウンドがあり、ここで大規模な集会が開かれていた。 

斜面の芝生に腰掛けて訳も分からず見物していたら、ソウル新聞の記者という青年が日本語で話し掛けてきて、彼の説明で、これが労働者と学生が団結して民主化を進めるための決起集会であることを知ることができた。 
 
演説、応援歌、シュプレヒコール、警官隊に扮した一団にデモ隊が攻め勝つ寸劇などが農楽の伴奏入りで賑やかに繰り広げられ、お終いに旧正月や盆にしか見られないはずの輪結び戦(チャジョンノリ)まで始まったのは思わぬ儲け物だった。  

これは二組の群集が引き回す巨大な縄の先端の輪の上に男が立ち、両者がぶつかり合って気勢をあげる、喧嘩祭のいっしゅなのだが、二つの輪が合わさったままで、ずずずっと競り上がっていくさまは、見ごたえがあった。 
 

祭り見物のあと、坂を下って、先ほど見た建物にまわる。 

この大学はもともと儒教の学舎だったもので、お堂のような建物もその遺構にあたる。 

小さな潜り戸を通って、由緒ありげな棟々を見ているうちに広い中庭に出た。そこにはほぼ同じくらいの二株のイチョウの巨木が、どっしりと根を据えていた。 

双樹の枝と枝とが重なり合って、黄葉が空一面を覆い、微かな風の強弱によって、その葉を休みなく降らしていた。 

今回の旅の目的の一つ、雪岳山の紅葉狩りが、やや時機を逸したことでいくらかくすぶっていた不満が、このイチョウの圧倒的な美によって、一挙に解消した。それくらいこの双樹は佳かった。 
 

多分、一年中で一番美しい日に当たったのにちがいない。 

儒教の何たるかを知らない僕にもこの場所には、確かに精神的な美があると感じられた。 

と、そこに突然淡いピンクのチマチョゴリをまとった小柄で美しい美女が現われたので、イチョウの精ではないかと、一瞬我が目を疑ったくらいだ。 

もっともイチョウの精なら当然黄色の衣装だろうから、それは僕の希望的幻想に過ぎず、彼女は今日結婚式を挙げる新婦だった。 

近くには黒い式服の新郎や親類とおぼしい数名がいたのに目に入らなかったのだ。 

しかし現実と幻想とはいつも相反すると限ったものでもない。僕は先ほど現実と幻想の間をたゆたいながら、絶対幸福といってもいい至福の時間を幾許か所有したのだ。 

イチョウの双樹も加担するかのように、錦上華ならぬ黄金色の恵みを大盤振舞してくれた。 
 

韓国ではイチョウと銀行は、発音が同じだ。 

イチョウの木が秋になると金の葉を振り散らせるからそんな名が付いたのだと思う。 

というのは、僕の短絡的故事付けに過ぎない。 

イチョウ(銀杏)の漢字音が銀行と同じというだけのことだが、韓国の子供たちの中には、ひょっとすると僕のように早とちりする子がいるかもしれない。 

もし僕がその子の教師なら、訂正などせずに誉めてあげたいくらいのものだ。 
 

 
ソウルの黒い薔薇
韓国点描vol.4
 
ソウルでは、鍾路Y.M.C.A裏の路地にある安宿、大元旅館に十日ほど泊った。 

前二回の旅でのセジョン文化会館近くの定宿デーウォンと名前が同じというのも何か因縁のようでもある。 

ここも割と外人が多く利用する宿なのだが、宿泊人同士が団欒するスペースはなく、今回、あまり他人に干渉されたくなかった僕にとっては都合が良かった。 

宿の主人と水原(スウォン)の大学に通ってるアガシが親切で愛想の良かったことも好感の一因だろう。 
 

この宿の客で親しく接したのは二人だけで、一人は向かいの部屋の栗本君、彼は大阪の大学を一年休学して、延世大学の語学堂に通っており、ここを下宿代わりに使っているとのこと。 

韓国歌謡界に詳しく、僕の憧れのイジヨン嬢と並んで撮った写真を誇らしげに飾っていたのには、嫉妬に狂った。 
 

もう一人は、プロサッカーのライセンスを持っているガーナの黒人青年で、引き締まった身体に大きな目が印象的だった。 

名前はイサ・バラ。 

ある朝、共同の流し場で洗面していて、鏡で目が合ってしまい、思わずお互いに韓国語で挨拶したのがきっかけで、親しく話をするようになった。 
 

数日後に東京に向かう予定なので、簡単な日本語を教えてくれというので、部屋で2時間ほどレクチャーしたのだが、こちらの英語力のお粗末さが露呈する結果となってしまった。 

彼はなかなかのインテリらしく、英語教師の資格をもっているほどで、見事なクイーンズイングリッシュを操る。 

「バラは日本語でRoseのことだ」と教えたら嬉しがって、東京に行ったら「私は黒い薔薇の花です」と自己紹介するんだと張り切っていた。 

黒人贔屓の僕だが、それを割り引いてもバラはその表現にぴったりだと思う。 
 

ニューヨークで働いている兄から送ってきた小切手にサインが無くてすぐ換金できないというので、少しばかりの日本円を用立てしたのを恩に着て、日本で再会しようと何度も握手して別れた。 
 

神戸に帰って三日目に、東京のバラから電話があった。 

大阪に行くつもりの予定が変わり、翌日台湾に発つので僕と会えなくなったという。 

金を返却できないことをあまり申し訳ながるので、いつかアフリカに会いに行くからそのときはよろしく、などと、でまかせを言って電話を切った。 

もう会えない確率が高いだろうし、それはそれでかまわないのだが、ただひとつ、ソウルにどんぴしゃりとはまっていたバラが、日本でどんな咲きっぷりをしていたものかを、一目だけでもみることができなかったことが心残りではある。 
 

 
 
パゴダ公園の安重根
韓国点描vol.5
 
パゴダ公園は三一運動の記念公園で、三一運動とはつまるところ日本の植民地支配からの独立運動で、日本人の観光客がのこのこ行くところではない。 

それなのに僕はこの公園にたびたび足を運んだ。 

ここのパゴダ(石仏塔)があまりに素晴らしいためでもある。 

前回には三月一日の式典の日にまで行ってしまった。パゴダ公園 1989/03/01 韓国の通常切手 安重根の肖像  

園内にある大きな十枚のレリーフには、日本人の残虐行為が文字通り浮き彫りされていて、通り過ぎるたびに後ろめたい気持ちになるのだが、それでもパゴダ詣では止められない。 
 

ある朝、公園のベンチに座っていた三十がらみの男から「アーユージャパニーズ?」と声をかけられ、そうだと答えると、在日同胞じゃないのかと念を押した上で、日本人はここから出て行けと声を荒げた。 

僕はここのパゴダが好きだし、日本人が韓国のことを正しく知ることも必要なことだとか、ちゃんと相手に伝わったかどうか疑問だが、そのようなことを言ってるうちに、怒りは収まったようで、 

「俺はアン○○という。伊藤博文を撃った安重根と同じ姓だ。アンジュングンを知ってるか?」 

と自慢げに言うので、ちょうど手帳に入れていた2百ウォン切手(安重根の肖像画)を見せると、いやに嬉しがり、先ほどの態度とは逆に、百年の知己のように、肩を叩き握手まで求めるので、こちらとしては多少あっけにとられてしまった。 

このパゴダ公園の小アンジュングン氏に限らず、日本人と見ると食ってかかるタイプの韓国人は、どうもそれが本気かどうか疑わしい者が多い。 

単なるポーズでしかないのではないかと思うことがしばしばあった。 

逆に優しくて親切ですっかり打ち解けたつもりでいた韓国人から、何かのはずみに、日本への嫌悪を見せられることもあり、そのたびに、恨みの根の深さを思い知らされたりもして、いたたまれない気持ちにされたこともある。 

この問題はやはり一朝一夕に片付くはずの問題ではあるまい。 
 

 
 
歌姫
韓国点描vol.6
 
韓国歌謡といえば「カスマプゲ」と「釜山港へ帰れ」しか知らなかった。 

だから最初の旅行中にはあまり関心を払わず、帰る直前に釜山で偶然フォーク歌手チョニンゴンのコンサートに行ったり、土産にイソニのテープを買ったくらいだった。 

テハンノで歌謡ショーのTV中継に出くわしたのに、みすみすやり過ごしたくらいだ。 
 

それが今では、部屋ではほとんど韓国歌謡一色になった観さえある。 

去年の冬行った時はテープを5本ほど買ったが、それよりも何よりも、ジャケットが気になって、友人のファンソンウォン君から土産は何がいいと言われたとき選んだ、イジヨンの「娟」が決定的だった。 イジヨンの「娟」  

秋の旅行ではテープや歌本をだいぶん仕入れたし、ヤンジェイン君に頼んで韓国TV番組「歌謡トップ10」のビデオテープも手に入った。帰国してから吉美ちゃんのつてで、88年歌謡大賞のビデオまで見ることができて、もう韓国歌謡曲への偏愛ぶりはとどまるところを知らない。 
 

さて、韓国の歌謡界は、と、えらそうに言うほどの知識はない。 

総体的なことを知りたかったら、僕が朝鮮語を習いに行ってる六甲学生青年センターの朝鮮語講座の先輩山根さんに聞けば良い。 

おそらく今現在日本で一番そのことに詳しい人だろう。 

それで、僕は近視眼的に自分の気に入った歌手のことを書こうと思うのだが、僕の前科を知ってるものなら誰でも、どういう路線なのかは見当がつくだろう。 

そう、アイドル女性歌手なのだ。 
 

ちょっと前まで韓国には、アイドル歌手は存在しなかった、らしい。 

歌手は歌が上手ければ、容姿などどうでもいいと思ったのかどうか、最近の若手歌手でも実力派のイソニなどは、小太りのまん丸顔に、まん丸眼鏡、まるであられちゃんみたいで、美人の範疇からはかなり外れていると思われる。 

それがここ数年の間に、見てくれのいい歌手にも人気が出始めたらしく、これは日本の悪しき影響だという記事が、韓国の日刊紙に出たりもしたそうだ。 
 

目立ったところでは、88年組の三人娘、イジヨン、イサンウン、ヤンスギョンだが、僕にとっての本命はやっぱりイジヨンで、「娟」の曲はほとんどみんな好きだ。 

中でもフォーク調の「卒業」は、曲も詞も易しいので僕の愛唱曲になっている。 

イジヨンは派手ではないが文句無しの美人歌手だ。 

華奢で長髪、細面の彼女は、特に日本人受けするような気がする。僕が韓国の女性数人に聞いた範囲では、あまり好感を持たれていなかった。 

同性にはあまり受け入れられないようでもある。 

とにかく今は、遅れている3枚目のアルバムの発売を首を長くして待っているところだ。 
 

1m70cmのイサンウンは「ダムダディ」の大ヒットで一躍人気者になり、同タイトルの映画の主演までこなした。 

彼女は同性からも好かれているが、僕の好みではない。 
 

カセットの写真ではおかっぱ頭でキョンキョンみたいだったヤンスギョンは、去年冬に出した「クデヌン」の大ヒットが印象的で、お気に入りのひとりだったのだが、新曲「愛は窓の外の雨のよう」とデビュー曲「見つめられぬ貴方」のビデオを見て、どんどん好きになってしまった。キムワンソン ヤンスギョン  

このヤンスギョンが日本で活躍するというニュースを、喫茶店の週刊誌で見てびっくりした。 

フジTV系のドラマ「過ぎし日のセレナーデ」の主題歌を彼女が歌っているそうだ、目が離せない。 
 

もうひとり、これは一部の顰蹙をかいそうだが、キムワンソン。 

4年前のデビューだからアイドルとしてはちょっととうが立っているし、派手派手で、不思議な魅力のある三白眼、歌もディスコ調で、途中で声をひっくり返すのが特徴だし、吉美ちゃんに言わせると「単なるヤンキーやないの?」なのだが、僕は一時彼女のテープの中毒症状になっていた。 

韓国の歌謡番組で「気分のいい日」を踊りながら歌っていた彼女はすごく光って見えた。 
 

とりあえず、こういったアイドルにはまっているわけだが、昨年デビューのアイドルを紹介できないのが残念だ。 

「DDD」と言う歌を歌っていたキムヘリムはひょっとしたらいい線いくかもしれない。 

吉美ちゃん、89年度歌謡大賞のテープを何とか早く手に入れるんだ!! 
 

 
 
渚のアリス
韓国点描vol.7
 
馬山(マサン)の市場は海岸に沿って彎曲しながら続いていた。 

市場見物にちょっと疲れたので、脇道を抜けると、市場の喧燥とは対照的に裏さびた砂利浜が雑然と広がり、あまり美しいとは言えない海には、数隻の漁船が浮かび、その上空を無数の鴎が餌を求めて舞っていた。 
 

南の海にしては寒々しいなと思いながら海辺に近寄ると、岩陰から女の子が顔を覗かせた。 

彼女は両手で双眼鏡をにぎりしめて、笑いをこらえるようにして僕を見ているのだ。 

おもちゃだから肉眼と大差無いようなものだけれど、曲がりなりにも光学器械で観察されているのだと思い、精一杯愛敬をふりまくと、彼女は双眼鏡を離して、大きな眼で笑いかけてくれた。 
 

潮風に吹かれながら、岩の上で立ち話する。 

白の体操服に半ズボン、ズック靴に靴下も履かぬ素足で、口の周りには水飴をこびりつかせたまま、唄うようにおしゃべりをする。 

話すたびに両手をひらひらと動かすので、まるで舞踏を見せられているみたいだった。 
 

国民学校3年生で、最近釜山から引越してきたこと、だから馬山にはあまり友だちがいなくて、よくこの海岸で一人で遊んでいることのほか、色んなことを次から次に話してくれたのだが、僕の語学力では追いつけるわけもなかった。 

でもその時点ではすっかり解ったような気がしていたのだから、おかしい。 
 

もうひとつはっきり覚えているのは、彼女のあだ名のことだ。犀-コップルソ  

「みんながあたしのことを『コップルス』って呼ぶのよ」 

と、とても嬉しそうに言うので、きっと可愛い花の名前か何かだろうと思った。 
 

この少女のことは旅行中しばしば思い出しては、幸せな気分を反芻していたのだが、ソウル大公園内の動物園に行ったとき、犀の檻の前の名札に「コップルソ」と書いてあるのを見つけたときの、僕の驚きぶりは想像していただけるだろうか。 

あの花のような少女と、この獰猛で鈍重にさえも見える哺乳類とが、どこでどうやったら繋がるのか。 

深遠な疑問を抱いたまま今日に至っている。 
 

 
 
動物園のアボジ
韓国点描vol.8
 
前回の旅で知り合った科学博物館の案内嬢ミス李にまた会いに行ったら、とても喜んでくれて、同僚のアガシ二人も一緒に次の月曜日(休館日)に、ソウル郊外の南漢山城にピクニックに行く約束が出来上がった。 
 

当日、待ち合わせの徳寿宮前に、彼女はなんと幼稚園児くらいの男の子の手を引いて現れた。 

息子がいたのか、と、びっくりして尋ねたら、一緒に住んでいる姉の子だという。 

同僚二人が都合で来られなくなり、姉も急用で息子の面倒を見られなくなって、仕方なく連れてきたとのこと。 

勘ぐれば、得体の知れない日本人と、若い娘を二人だけで行動させることを危惧した彼女の姉が、御目付け役に子供を派遣したのではないかと思われる。 

トンヒョンという名のその子は、ミス李が「テレビのコマーシャルに出てくる子供に似てるでしょ」というくらいになかなか可愛い子だった。 

始め僕のヒゲを見て怖がって泣き出したが、すぐ慣れてしまった。 
 

子供連れでは、南漢山城はきついので、予定を変更してソウル大公園内にある動物園に行くことになった。 
 

平日なのであまり客は多くなかった、それでも家族連れが何組かいて、家族団欒を楽しんでいた。 

僕らも一緒に記念写真を撮ったり、疲れた子供を抱いたりして、はたから見ると、仲の良い家族と映ったかもしれない。 
 

韓国の動物園に行くのは二回目だったが、以前行ったチョンジュ(全州)の動物園に比べると、こちらは規模も大きく動物の種類も多く、なんといってもあまりに広く、全部見ることはできなかった。 
 

巨大な温室で、熱帯植物や蘭の花を鑑賞し、プールでイルカのショーを見物して、本当に家族サービスを果たしたアボジ(父親)のような気持ちになってしまった。 
 

今回の旅も僕はカメラ無しだった。ミス李はニコンの一眼レフ持参で、何枚も何枚も僕を撮ってくれ、必ず送ると約束したのだが、あれから約4ヶ月、いまだに僕の手元には写真が送られてくる気配も無い。 
 

 
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