韓国六句 1988
1988年5月末にMorris.は初めて韓国を旅した。当時はハングルもほとんど読めず、彼の国に関する知識もゼロに近く、それでも好奇心だけはたっぷりあったらしく、半月くらいの予定が、とうとうビザ期限一杯の1ヶ月使いきって全国をうろつきまわった。歸國して旅日記をまとめた「 サンボ通信・韓の臨時増刊号 」(1988/8/5)を出した。40頁近くになり、サンボ通信としては破格の厚さの冊子になったが、その表紙に半島の地図を背景にして旅の俳句を6句掲載した。タイトルは、プレスリーのJail house rockのもじりと、もうひとつ、ひねりをきかせたつもりだが、それはどうでもよくなった。言葉遊びもあるが、おおむね旅の興奮の記憶がある程度素直に定着されているようで、Morris.にはめずらしいタイプの作になった。



 
 

チャガルチの吾は回遊魚浪の旅
この旅は神戸港からフェリーで、釜山港に入った。旅の始まりプサン(釜山)の圧巻はチャガルチ市場(魚市場)。すっかりはまってしまい、1週間に8日の勢いで徘徊した。
 

草雲雀韓のアリスも舌足らず
キョンジュ(慶州)、プルグッサのさらに南方の掛陵を徒歩で訪ねた時、門前で図らずも、保育園のカバンを肩から提げた幼女から、アニョンハセヨ!!と舌たらずの挨拶を受ける。びっくりして挨拶を返すタイミングが遅れてしまったが、この出会いは、彼女のことばの響きと無邪気な容姿とあいまって強烈な印象を残した。旅の間中、何度も記憶を反芻しては心をほころばせた。
 

世宗路に蝶てふ子猫の恋知らず
ソウルの安宿デーウォン旅館にはナビと言う名の子猫がいた。ナビとは韓国語で蝶々のことである。そういえば19世紀の芸術家集団にナビ派というのがあって、これはヘブライ語で予言者という意味ではなかったかなどと、想像を巡らしていたが、後になって韓国人は子猫を一般にナビと呼ぶことを知った。デーウォンのナビは途中でいなくなったので、心配してアジュマに訪ねたら他家に貰われていったとのこと。
 

黄昏て青柳朱影白馬江
プヨ(扶餘)は百済の古都、白馬江の夕陽は幽玄の美を感じさせる。ここでは五行の色(黄、青、赤、黒、白)を強引に一句に閉じ込めてみた。
 

レッスンの熱情煉瓦街を染む
チョンジュ(全州)は美人の多い町で、赤煉瓦の古い民家や教会を背景に、ピアノ教室から聞き覚えのあるメロディが流れてきた。しばらくして、ベートーベンのアパッショネートだったことに気付く。
 

紅い記憶サイレンに汗風ほがひ
クヮンジュ(光州)に着いたのは6月15日。当時はまだ毎月15日を民防の日として、全国で一斉に退避訓練が行われていた。ちょうど光州博物館に到着したとたんにサイレンが鳴り、事情がわからないまま、照明を落としたホールまで係員に誘導され、暫時籠城するという得難い体験をさせて貰った。
 

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