パッチワーク イン ソウル1994年10月
 

★昨年秋の韓国行き(10/12-26)は実に一年振りで、こんなに間隔が空いたのは88年に訪韓以後初めてのことだ。おまけに2週間ずっとソウルにへばりついて、とうとう一度も市外へ足をのばすこともなかった(本当は一度日帰りで水原に出たが、これも地下鉄乗り換えなしで1時間程度の距離だから大目にみてほしい)こんなのもめずらしい。つまり今回は「ソウル滞在」だったわけだ。

★韓国出発直前にフライパンの油で左手首を火傷してしまい、うっとうしかったのに加えて、コンタクトの調子が悪くて目まで痛み、何と無く体調的にはしんどい旅だった。

★15日の夜は鐘路の団成社で話題の映画「太白山脈」の鑑賞会と言うことで、日本から来たテジョン先生やソウルのソウルの留学生さんなどNIFTYの韓国語関係フォーラム会員と、初対面で映画を見た。昨年大ヒットの「ソッピョンジェ」の林権澤監督作品で、主演の二人も前作と同じ(オジョンヘとキムミョンゴン)おまけに大好きなアンソンギまで出ると言うので期待していたのだが、字幕無しの韓国映画、それも政治事件がらみのシリアスなものだったため、始めから終わりまでほとんど何も解らなかった。その後、他の会員とも合流してカラオケへ行った。ここでNIFTYのHP「カンファジャン」のYUKI会長や姐ご肌のヒョンミさんとも初めて会うことが出来た。

★翌16日は、やはりNIFTYの会員仲間である遠藤祐一さん(日本人)とキムジナンさん(韓国人)の結婚式に出席。会場は南山ハイアットホテル近くの野外結婚式場だったが生憎の雨模様で教会内で挙行。式のあと、伝統衣装の新郎新婦と一緒に撮影。これは後でNIFTY会員のDEKOさんやKypaさんから送ってもらい、いい記念となった。
 
96/05結婚式記念写真1
96/05結婚式記念写真2
★結婚式の夜は二次会とNIFTY仲間のオフミーティングを兼ねて「カンファムンガーデン」で思いきり飲み食いして、へろへろになって、またカラオケへ移動。オフと言うのも初めてだが、韓国でこんなに日本人と一緒に行動するのも、今までとは違う体験だった。みんな韓国に造詣の深い者の集まりだけに、結構話の種は尽きなかった。

★YUKI会長からHP過去ログのフロッピーをいただく。予想していたより若く、大柄な会長は、韓国歌謡に関しても僕など足元にも及ばぬ知識と、コレクションの持ち主のようだ。

★ソウルでは必ず足を運ぶカンファムンのキムスヒョン美容室にカットに出向いたのだが、その日は閉まってたので仕方なく近所の美容タウンと言う店でカットしてもらった。気のせいかもう一つうまくないようだった。ところで、この旅行中何度もキム美容室の前をバスで通り過ぎたのだが、いつも閉まっていたので、ひょっとしたら店を畳んだのかもしれない。そうだとしたらすごく残念だ。

★6月に米軍基地の跡地を利用して戦争記念館がオープンしたから是非見に行くようにと友人のヤンジェイン君から勧められて、あまり気乗りはしないまま見物した。地下鉄三角地のすぐ近くで、とにかく広く大きく、戦車や武器や飛行機がそこかしこに転がっている感じで、貧乏性の僕は、こんなことに金を使うのなら、もっと別のことをやったらいいのにと思ってしまった。天安の独立記念館と違って、こちらはユギオ(朝鮮戦争)のコーナーが大部分を占めている。

★農業博物館なんて、あることも知らなかったのだが、ふと小耳にはさんで、出かけてみた。徳寿宮の西500m辺りで、入場料はなぜか徴収されなかった。2階建ての館内には農耕の歴史の模型や、本物の農具が多数展示してあり、同じ草刈り鎌でも地方毎の差異を教えてくれたり、一年を通しての農家の仕事や行事を絵と複製で展開したりと、僕としては先の戦争記念館よりは、遥かにこちらの方が興味深かった。

★農業博物館の自販機にトラジネクターと言うのがあった。トラジ(桔梗)のことは本紙前号を参照してもらうとして、珍しかったので買ってみた。甘いのには閉口したが、いくらか土臭い野生の香りがした、と書いておこう。

★円高と言うことは知っていたが、到着したときのレートは1:7.85だった。これが20日過ぎには1:8.14までになった。僕個人としては過去最高のレートだった。88オリンピック前頃は1:4.**台だったから、5年足らずで倍近く円の価値が上がったことになる。しかし、このところの韓国の物価高はそれを凌駕する勢いなので、体感的には前と同じか、かえって韓国は高くなったと言う気がする。

★ソウルに来ると、出す出さないにかかわらずまず本屋や文具屋で絵葉書を物色するのが楽しみのひとつだったのだが、これに関しては今回は落胆するしかなかった。何と言っても絵葉書自体がめっきり減ってしまっている。いくらかあっても、これがまた変に高級化してしまって、値段ばかり張る上、デザインはモロ洋風でハングルが書いてあるものや、韓国的イラストは、ほとんど払底の状態。利益の上がらない安い葉書を駆逐しようと言う商業政策なのだろうが、実に腹立たしい。

★今回の旅行中の最大の事件は聖水大橋崩壊だろう。その日(21日)の朝、貞姫さんからの電話で起こされた僕は、寝惚けて、このニュースを聞き、すわ、北朝鮮が侵攻して来たのかと一瞬パニックになりかけてしまった。翌日バスで東隣の永東大橋を渡った際、この橋の無残な姿が目に入った。

★崔貞姫さんは、シンサドンの店舗はたたんで百貨店に常設コーナーを設け、仕事は順調の様子だった。彼女は香港、中国にも行ったり来たりしてて、ゆくゆくは大陸進出も目指していると言う雄大な計画を聞いて、ちょっと度胆を抜かれてしまった。僕の予定が変に詰まってしまったのと、彼女自身の都合もあって、今回は2度しか会えず、愛娘のミンジに会い損なったのは残念だった。

★貞姫さんと共同経営者の洪氏、それに台湾から来ていた陳さんと4人で乙支路にあるコルベンイの店に出かけた。僕は始めコルベンイはタニシだと誤解して大好物だとはしゃいでいたのだが、出てきたのはうんと大きくて、店の人に頼んで缶詰の絵を見たらどうもバイ貝のようだった。

★漢江の中州ヨイドは国会議事堂、63ビル、純福音教会などがあり、ソウルの核の一つになっているが、僕にとっては中央のとてつもなく広い道路(ヨイドプラザ)でローラースケートしたことが一番印象深い。ここで「大民芸品展」というのが開催されていたので、帰国前日の夕方見物に出かけた。数列の巨大な天幕の中に各地からの物産が並べられ、それぞれが商売しているわけで、結構種類や商品の量は多く、食堂もかなりの席があって大規模ではあったが、どう考えても「展示会」と言うよりは、もろジャント(定期市)だった。これはけなしているのではない。片隅には舞台がしつらえてあり、夜になるとアトラクションとして歌謡ショーが開かれた。誰が出るのかわくわくして待ってたが、結局全く知らない女性歌手と、メインゲストは演歌のソルンドでちょっと肩透かし食わされた。まあ、タダだから文句は言えない。それより、飛び入りの小学生のディスコダンス大会が面白かった。大半は下手だったが、一人だけ矢鱈うまい男の子がいて、彼のオジンオ(イカ)ダンスは場内を爆笑させた。

★ヨイドの川岸には新しく自然公園と言う名で、花壇、野草園、野菜園が出来ていて植物名を書いた名札があったので、植物人間(?)の僕は大喜びで見て回った。貞姫さんの話によると対岸には樹木を中心とした自然公園もあるそうだが、今回は行きそびれた。しかしこの手の公園は作るのもそうだが、維持管理していくことの方がむずかしいので、今度行くときにどうなってるか、ちょっと心配でもある。

★イテウォンには1回だけ行った。別に買うものもなかったのだが、知り合いになった店の兄ちゃんに会うのが目的だった、彼は翌週日本に行く予定で大坂で僕と会うのを楽しみにしていたらしくしきりに残念がっていた。あまり冷やかしもしなかったのだが何と無く景気の冷え込みを感じた。今までならうるさいほどしつこい革ジャンパーの呼び込みもほとんど無かったし、客も少なかった。

★街角に演劇のポスターが貼ってありタイトルが「トゥゴウンパダーー熱い海」とあったので、何とも韓国らしい題名の付け方だなあと勝手に感心したのだが、よく見ると何とこれは日本のつかこうへいの「熱海殺人事件」の翻訳ものだった。後でNIFTYで教えてもらったことだが、この作品は88オリンピック当時に初公開され「殺人事件」は剣呑だからと、削られたと言うのが真相らしい。

★20日に久しぶりに徳寿宮に行って見たのだが、これがウエディングドレスの花嫁の大群(もちろん隣にはタキシードの新郎もいたはずだが)に驚いてしまった。平日だと言うのにこの多さはただ事ではないと何人にかに尋ねてみた。どうやら日本で言う大安吉日に当たっていたらしい。とにかく一目で見渡すだけで少なくとも30組はいた。要するに写真撮影に来ているのだ。韓国の結婚式ではこの記念写真と言うのはかなり重要視されているようだ。この日は偶然ファッション雑誌のモデル撮影も行われていて、僕は「うーーん、いかんなあ」と思ってしまった。一生一度の晴姿の花嫁たちがそれぞれ、精一杯化粧して着飾っているのに、本職のモデルがそばで撮影しているというのは、どうも、ね。

★徳寿宮で、日本語で話し掛けてくるハラボジがいた。しばらくベンチで話した。日本には何度も行ったことがあると言うこのおじいさんは、日本は地震が多いから住みたくないとのこと。さらに、日本人の性格のあの落ち着きの無さは、地震に因るところが大きいというのが彼の説であった。(それなら韓国人は落ち着いているってか、と、突っ込みは入れなかった)

★「ソウルスコープ」発行人チョユヒョン君は事務所を移転して、相変わらず元気にやっていた。今度英語、日本語版を別に発行したばかりで、観光公社地下で待合わせた際、打ち合せに来ていたKBSのアナウンサーにインタビューされてしまった。彼を紹介して繰れたキムヒョヨン氏は、ソウルの会社辞めてウィジョンブ市で仕事してるらしく、電話で長男が誕生したことを知ったものの、今回は会い損なった。とにかく祝賀ハムニダ゙!!

★今年からセンターで机を並べていて、8月から延世大学に交換留学生としてソウルに住み、語学堂で韓国語を学んでいる中西さんを訪ねて大学へいったら、語学堂は移転して真新しい建物になっていた。この時は彼女に会えなかったが、電話で後日一緒に水原のイヘスク先生宅を訪れることにした。

★水原へ出かけたのは帰国の2日前だった。イヘスク先生はつい最近まで僕等を教えてて急遽10月に帰国したばかりだった。駅前で待合わせ、水原城(山城)を散策した。折角の機会だからどこかで御馳走するつもりが、自宅に招待されることになり、かえって迷惑をかけてしまった。先生宅はマンションで、想像以上に豪華な住居だった。水槽はあるわ、ピアノはあるわ、システムキッチンは最新式だし、応接室も広々としていた。アボニム(父親)はソラクサンにゴルフに出かけていて、オモニム(母親)が、歓待して下さった。焼肉に各種のナムル、もちろんキムチにスープもついて、どれもこれもほっぺたが落ちるほど美味しかったが、特に梨と牡蛎の塩辛は珍しかった。食後はオモニムも一緒に近くのカラオケで歌いまくりソウルに着いたのは、深夜だった。

★水原城の高台から市内を眺めた時、遥かに堂々たる威容の教会が見えて、もしやと思い先生に聞いたらやっぱり、あの「水原天主教会」だった。初めての韓国旅行の時、半ば道に迷いながら、建築中のこの教会を見物していたら、神父さんに招かれてジュースを飲ませてもらった上、無銭旅行者と思われたらしく、すんでのことでお金まで恵まれそうになった思い出の教会だ。完成した姿を望むかぎりでは、ソウルでもちょっと見られない巨大さだ。キリスト教には縁の無い僕だが、この教会には幸多からんことを祈りたい。アーメン

★最近の韓国語学習意欲の低下を反映してかめっきり韓国語の本を買うことが少なくなった。得意の古本屋回りも今回は1、2回という寂しさ。ほとんど唯一の収穫が「日本語漢字イルキ辞典」だった。これは韓国人が日本語を学習する際に一番苦労する日本語での漢字の読み方(韓国語では例外を除いて漢字一字に発音は一つ)と熟語を漢字別に集めたもので、以前からこの存在は知っていたものの、漢字の読み方くらい知ってるからと無視していたのだが、今回買ったものには日本語の音訓索引(以前のものにはこれがなかった)が付いてて、日本人の僕にも引きやすくなっていたのと、立ち読みしたら結構内容も面白そうだったので買うことにした。特に動詞の語幹になる漢字の欄は役に立ちそうだ。例えば「振」を見ると「振動」「振幅」「振興」などの音読みの熟語と「振り被る」「振り絞る」「振り回す」「振り乱す」など訓読みの熟語が並んでいて、もちろん全てに韓国語が付いているので、ちょっと毛色の変わった「日韓辞典」として利用できそうだ。もっとも「振り去け見る」などと言う大時代的なものも収録されているけど。

★韓国語の漫画[Dr.スクル]5冊を買ってきた。と、言っても実はこれ日本の漫画佐々木倫子の「動物のお医者さん」の完全翻訳もので、いちおうこれも学習のためという口実で購入した。原作(!!)も所有しているので、帰国後は両者を対照しながら「訳書講読」に余念が無い。いちおう舞台は韓国に移されていてH大学(北大がモデル)はチュンチョン(春川)にあることになっている。ハスキー犬チョビは「コマ」、主人公ハムテルは「キムチャンウ」、二階堂は「チョカンミン」、鶏のヒヨちゃんは「ピョンスニ」などと韓国風に変えられている。面白いのはいつも和服を着ているおばあさんの衣装が網やトーンで塗りつぶされていることだ。なるほど、こうしてしまえば、和服と韓服の差はほとんど解らない。今回の読書量の冷え込みは大部分この漫画に時間を取られたことに因る。

★ずっと韓国のビールメーカーは「OB」と「CLOWN」の二社しかなかった。ところが今年焼酎で有名な眞露がビール業界に参入し、熱いビール商戦が繰り広げられたらしい。各社の主力商品名は「アイス」(OB)、「ハイツ」(CLOWN)、「カス」(眞露)で、僕が飲み比べた感じではハイツが一番それに次ぐのがカスで、アイスは×だった。アイス飲むくらいなら、値段の安い普通の[OBメクチュ」の方がましだ。

★国鉄龍山駅の裏はソウルの秋葉原と目される「ヨンサン電子街」だ。雨の降ったある日ほとんど一日かけてこの街を見物して回った。と、言ってもキューハチしか知らない(それすらまだよくわからない)僕には、IBM互換機が殆どの韓国製コンピュータやソフトを見てもチンプンカンプンなのだったが、何しろ店が多くて、けっこう時間はつぶれた。当たり前だが韓国語のワープロソフトは充実している。いつの日かこれらのソフトを使えるようになるのだろうか? 今年こそはタイガーズにがんばってもらい、新しいマシンを購入したいものだ。

★CD買いに行ったのではと勘繰られるほどではないが、約20枚と言う僕にしてはの大量購入だった。相変わらず、新曲にはいまいち夢中になれなくて、落穂拾いみたいになってしまった。ベスト盤を買ったのはヤンスギョン、ミンヘギョン、チュヒョンミ、キムスヒ、シンスボン等で、その他ヒット曲寄せ集めのものや、イミジャ、ナフナの懐メロ集から韓国歌曲まで、ほとんどジャンル無視。新し目のものとしてはYUKI会長推薦のパクチュヨン、シンヒョボムにカンスージーの新作、イヘスク先生が気に入ってると言う「チョルラメーー展覧会」というグループくらい、その他テープもいくらか買った。

★今回買ったCDの中で一押しはパクミギョンの新作。着く早々ラジオで聞いた「イユガッチアヌンイユーー理由じゃないみたいな理由」と言う曲だけで買う気になった。やっぱりこの曲が一番いい。出だしに男声のラップが入り、カッコいいと思って、ジャケットを見たら、人気のラップ歌手キムゴンモが参加しているのだった。

★帰国前日、バスの中でラジオから心洗われるような女性歌手の声が流れて、うっとり聴いていたら、後ろの座席の女の子が低い声で歌いだした。彼女に歌手と曲名を尋ねたら、歌手名は判るが、曲名は知らないと言い、でも歌詞は知ってるからと僕のノートに走り書きしてくれた。その後、他の客に聞いてくれて題名も判明した。それがヤンヒウンの「ハンゲリョン」と言う曲だった。早速その曲の入っているCDを買ったのだが、何と彼女はあの「アチミスルーー朝露」を歌った、韓国フォーク界では超有名な歌手だった。帰国して調べたら題名は「寒渓嶺」と言う峠の名で展望台がある。そう言えば僕は90年にソラクサンに行った帰り、バスでここを通り過ぎたことがあることを思いだした。たしかこの辺りでも標高1000mを超していたはずだ。

★これは僕が直接買ったのではないが帰国してから「カンファジャン」の過去ログに紹介されていたイソニの2枚組ベストCDを11月に渡韓した枇杷木さんに頼んで買ってきてもらった。古い曲は新しいアレンジになっているし、韓国版にしてはジャケットも凝っている。選曲も悪くないが、個人的には名曲「ア、イエンナリヨ」を入れて欲しかった。

★引退したとか、香港で活動を再開したとか、某企業会長の愛人やってるとかいろいろ噂ばかりが賑やかなキムワンソンの作品中持っていなかったアルバムのテープ3本を買った。これでいちおう韓国で発売された彼女の曲は全部揃ったことになる。YUKI会長はキムワンソン学会を標榜するだけあって、過去の物は全てアナログ盤まで所持されているとか。僕も今度行ったらイジヨンの古いものを掘出してみることにしよう。

★李龍福さん宅に一泊させてもらったのだが、その夜偶然イミジャ芸能生活35周年記念特別番組をやってた。実は僕は5年前にも、プヨの旅館で偶然に彼女の30周年記念番組を見たことがある。何か因縁があるのかもしれない。ちなみに龍福氏の奥さんはどこかイミジャに似ている。

★カンスージーコンサートのポスターを見かけた。彼女はアメリカ生まれで90年に「紫色の香り」でデビューし、今や韓国では人気No.1だ。実の所僕はそれほど彼女に入れ込んではいないのだが、いちおうCDは2枚持ってる。コンサートは11月始めだったので、見るのは不可能だったが、このポスターは良かった。彼女の顔をクローズアップしたモノクロ写真で表情が実にいい。前は可愛さを前面に出していたのが、この写真は女っぽさを強調している。と、言う訳で(何がじゃ)部屋にはこのポスターが2枚ある。どうしても欲しいと言う方は相談に応じます。

★日帝の遺物として、以前から取り壊す壊さないで物議をかもしていた国立博物館(旧朝鮮総督府)が、どうやら、来年中に本当に壊されるらしい。ひょっとするとこれが見納めになるかもしれないと、今回も半日かけて見物した。建物は壊されても収蔵品はいずれ、新しい博物館で展示されることとは思うのだが、皮肉にも一番好きな観音像は中国(宋時代)のものだけに、どうなるか予断は許されない。それで、結局3階中国室の件の像の前で小一時間ほど拝ませてもらった。

★国立博物館の北にある景福宮は以前何度か見て、その後は足を向けなかったが、久しぶりにのぞいてみたら、民俗博物館が新しい建物になってて、内容も以前と比べてぐんと充実していた。結局こちらでも半日近く時を過ごしてしまった。旧博物館を会場にした「秦の始皇帝展」も開かれていたが、こちらは見ずにすました。

★すっかりはまってしまったのがチョンゲチョンノ8街のピョロクシジャン(泥棒市場)。去年見つけたのだが、今回はすっかりクセになってしまい、5回以上足を運んだと思う。20年前の神戸高架下商店街を思いだしてもらえれば大体の雰囲気はわかるだろう。東大門のもっと東側のサミルアパート側の店舗とその前に広がる露天の市場で、電気製品、衣料品、怪しげな薬品、家庭用品、古道具、骨董品、等々ごった煮状態。米軍放出の携帯食料やミリタリーグッズなどはちょっと他では見当たらない。平日でも人込みはすごいが、休日ともなると車道まで店を広げている。安物のCDやテープも多く、じっくり探したいところだが、何しろ人が多過ぎてなかなかハングルが読み切れなかった。

★斉藤さんの友達で旅行の直前にも神戸で会ったパクフンスさんに、テープをたのまれていたので、南大門にある彼の店ペイントタウンの「VAN」を訪ねた。彼の店は問屋なので深夜から早朝までが商売時だったから、その時は不在だったが、後日待合わせて、炭焼肉おごってもらい、仲間を誘ってカラオケまで付き合わせてしまった。次回には是非夜中の南大門市場を見学したい。

★ところで韓国ではポケットベルのことを「ピッピ」と呼んでいる。ずっと以前、韓国語版の「Dr.スランプ」を買ったら、ガッチャンの名前が「ピッピ」になってた。

★名前の関係で応援しているヘテタイガーズは今年は振るわなかったようで、プレイオフにも出場できなかった。94年の韓国シリーズはプレイオフで勝ち上がったLGツインズがリーグ優勝の太平洋ドルフィンズに4連勝し、あっさりVを決めてしまった。

★初めの10日ほどは前回と同じくパゴダ公園の北方にある文化旅館に泊まった。部屋も同じで、風呂付きで1万3千ウォンは今どきのソウルでは安い方だろう。欠点はテレビの映りが悪いことと、朝帰りしにくい(12時には門を閉めるので、それ以後は主人を起こさなくてはならない)ことだ。最近めっきり減ってしまった韓式旅館で中庭があり、洗濯は専従のアガシがやってくれるし、しばらく常宿にと考えているのだが、黒田福美の「ソウルの達人」にこの宿が大きく採り上げられていたので、部屋の確保が難しくなるかもしれない。

★キム美容室の近くにある光化荘には最後の4日間だけ泊まった。実はこの宿は今回出会ったNIFTY会員たちの御用達で、HP「カファジャン」の名も宿の名をそのまま使っているくらいの、縁の深さなのだった。結婚式前後には夜を徹して酒宴が開かれ、数台のノートパソコンを並べて日本のボードに書込みが行われたとか。帰国して読んでみると、その凄じさが想像される。僕も行けば良かった、いや行かなくて正解だったかも。

★仲良しのヤンジェインとファンソンウンとも数回会ったが、生憎ジェインが虫歯の治療で医者に禁酒を言い渡されている時期だったので、彼一人飲めず、カラオケに行っても、もう一つ気勢が上がらなかった。はっきりしないが、ジェインは来年の秋頃、釜山の彼女と式を挙げる模様だ。ソンウンは料理人の道をひたはしっているようだ。二人からお土産にと民俗衣装を着た新婚夫婦の土人形をもらった。いつもならこの手の土産はありがた迷惑なのだが、これは小さくて可愛いので、食器棚に飾っている。

★ヨンプン書店の文具コーナーで教育漢字一覧表の印刷されている下敷を見付け、クラスのみんなのお土産に大量に買込んだ。下敷は韓国語でチェクパッチムと言う。チェクは本で、パッチムと言えばハングル学習者にとっては仇敵とも言える文字の下段に位置する子音のことだ。ところで、このチェクパッチムにはもう一つ「漢字部首のしんにゅう」と言う意味がある。この由来がわからない。

★このところずっと、韓国はノービザで入国できるが、当然滞在期間は定められていて、普通15日間だ。今回は27日まで居られたのだが、26日の夜春待ちで堀さんの誕生宴会があると言うことで、一日帰るのを早めた。午後の便だったので、26日早朝に近くの宗廟を散歩した。見物客もまだいなくて、季節がら紅葉しかけた樹木や草が美しく、こんなにいいところだったのかと最認識した。前に来たときは観光客でごった返していたし、TVドラマのロケまであってて、まるで市場みたいだった。

★漢字表記の韓国地図が欲しいと思っていたので、本屋に寄るたびにチェックしていたが、見つからず、結局買えずに最後の日を迎えたが、何のことはない。空港の書籍コーナーに置いてあった。中央地図発行の「韓国道路地図」で実はこれもNIFTYで教えてもらっていたものだ。今までハングルで発音しか知らなかった地名も、漢字で見ると、急に理解しやすくなることがある。

★たいていKALを使うのだが、今回の帰国便は時間の都合で初めて全日空を利用した。KALの機内雑誌「MORNING CALM」をいつも楽しみに貰って帰るのだが、全日空の雑誌は「地球家族」と言ってちょっと見劣りがするな。しかし、その10月号に1930年代の女性舞踊家チェスンヒの記事があり、興味を惹かれた。

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