李博士の2002年宇宙の旅
パクサアルバム
1996年、9月1日日曜日、ほとんど李博士の追っかけ状態のNIFTYタバンアリランの3人組(あしやん、うり丸、Morris.)は関空で一行を出迎えた。勝手に盛り上がり、太鼓たたきくわ、大極団扇振りまわすわ、トゥルルルルルルルルルリッヒ〜〜状態で、これがほんまの「カンクウナムジャ」(わかる人はエライ)。
予定時間を大幅に遅れて到着した李博士、キーボードのキムスイルさん、ユンユミさんの一行は驚きながらも、ま、喜んでくれたので、行った甲斐があるというもの。心斎橋のホテルまでジャンボタクシーに同乗させてもらって、Morris.は博士とスイルさんに挟まれて、怪しげなハングンマルを駆使してしゃべり続けると言う、おいしい状況で、キムスイルさんのフリークであるMorris.は主に彼と話した。スイルさんは目が不自由なので、音楽はほとんど耳から覚えたそうで、10代後半にギター、20代前半はドラム、後半にアコーディオン、キーボードを始めたのは31歳の時というのはちょっと驚き。鞄の中からウォークマン取り出して聞かしてくれたのが日本の歌謡曲(イソンエの歌う「長崎は今日も雨だった」「アカシアの雨がやむとき」など)だった。日本の古い演歌が好きだと言いながら、何曲ものイントロを完璧に口ずさんでは曲名を尋ねられたが、結局美空ひばりの「港町十三番地」しかわからなかった。日本語の挨拶もいくらか覚えたいが「おおきに」ってどういう意味だとか聞かれて大阪弁で「カムサムニダ」のことだというと、韓国の地方別の方言をユーモラスに使い分けて見せて くれたりもした。冷房があまり聞かないのでMorris.秘蔵のキムワンソンうちわであおいだとき、彼女の名前を聞くとスイルさん「このての歌手は嫌いだ」と攻撃、じゃあどんなのが好きかと言うと答えはなんと「ポルカ」でありました。そういや、一時ポルカ風のリズムって流行ってたような気もする。ポンチャクの語源とされる「ポン、チャッチャ、ポン、チャッチャ」のリズムを軽快にしたような奴のことだろうと勝手に解釈。
李博士にはうり丸さんがいろいろアプローチしてて、Morris.も時々話に加わったが、今でもソウルで週に3度は営業(誕生祝賀パーティや結婚式の余興)してるというので、是非一度参加したいと頼む。好きな歌手はいるのかという質問には、自分のスタイルが気に入ってるので特に好きな歌手はいない、わしがナンバーワンじゃとの矜恃を披露してくれた。でも、本当に二人とも歌が本当に好きで、会話の途中でも、のべつ歌ってくれるんで、わしらはもう、嬉しうて嬉しうて‥‥‥
ホテルのロビーでも30分くらい話ししたし、何とMorris.は韓国で100個ほど作り、最後の1個という李博士写真焼き込みのマグカップにサインまで入れてもらってしまった。これはもう、家宝じゃ。
当日の会場、京橋のIMPホールは思ったより広くて椅子席とフロアがあったので、李博士としてもやりやすいハコのようだった。隣に座った女の子二人も李博士がお目当てで特にキムスイルさんが好きと言うので意気投合。対バンが多いので心配したものの、李博士は特別待遇で2部に分けての出演で、若者中心の客のノリも予想以上に良かったと思う。1部ではうり丸さん、2部ではMorris.があいのてをふられたのだが、Morris.は?やっぱりうり丸さんみたいにはうまくいかない。終了後楽屋口で白井さんとも面通ししたし、買ったばかりのCD(「李博士の2002年宇宙の旅」\1,200)にもサイン貰い、ソウルでの再会を約束して、大満足のわしら3人は京橋の一杯飲み屋で祝杯をあげたのだった。
今回のCDは7曲(16分19秒)と短めのミニアルバムだが、ジャケットのデザインといい、構成といい、サウンド的にもなかなかの傑作。是非一家に一枚常備されることをお勧めする。

[E-PAK-SA 2002 E-PAK-SA7S SPACE ODYSSEY]
KIOON SONY KSC3 907 1.I LOVE FIFA WORLD CUP 2.
2002年宇宙の旅「ビバビバ李博士」「カラオケHERO」「I LOVE SOCCER」「アリラン」 3.李博士の部屋「I LOVE YOUジョワジョワ」「S・O・S」 \1,200

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