HPコンテスト(韓国観光公社主催)銀賞受賞記念特別企画

バック トゥ ザ パルパル(88)第三部
Morris.の 韓国初旅行記
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第三部 扶余の夕暮全州の美女

1988/06/11(土)曇 ●陶酔の白馬江の夕暮れ●

7時起床。
荷物をまとめ、デーウォン旅館を後にする。
郵便局に寄り、パンフレット、トレーナーなどを小包で神戸に送る。
梱包料金が1,200ウォン、送料が5kg以内で11,300ウォンだった。

ソウル-プヨのバス切符 地下鉄で、南部市街バスターミナルのあるヨンサン(龍山)へ。
ここでちょっとしたアクシデント。
数日前からコンタクトレンズが曇って、気になっていたのだが(催涙ガスのせいか?)、特に今日はそれが我慢できないくらいになったので、駅のトイレの洗面所で洗っていて、ご想像どおりぽろりと落としてしまったのだ。
お世辞にも奇麗とは言いがたいトイレの床に、顔をくっつけるようにしてレンズを探していたら、若者二人が何をしているのかと、寄ってきて、一緒に探すのを手伝ってくれた。
ところがそこに一人の浮浪者風のアジョシがやってきて、制止するのも聞かず、盛大に水を流して顔を洗い始めてしまい、穴だらけの配水管からこぼれた水で、床は水浸しになってしまい、レンズを探すどころではなくなった。

本当にこの時はパニックに陥って、もう旅行は中止か、とまで思ったのだが、出発直前に、古いレンズを1個だけ薬入れと一緒に持って来ていたことを思い出し、これで何とか旅を続けることが出来た。

二人の若者に礼を言い、アジョシには日本語で悪態をついて、5分ほど歩いてバスターミナルへ。

扶余行きの切符(2,670ウォン)買って、11時発のバスに乗り込む。
ソウルとの別れも、コンタクトレンズ事件で、慌ただしいものになってしまった。

バスには、扶余へキャンプに行く大学生のグループがいて、片言の英語で話したりして、饅頭をひと箱もらう。
甘いものは天敵の僕なのに、お愛想で何とか1個だけ食べて、あとは返そうとしたが受け取らないので、鞄に入れる。

チョナン(天安)、コンジュ(公州)を経て、2時前に扶余に到着。
ユースホステルなど利用しようかと訪ねてみたが、団体が入ってて1万ウォン以上の個室しかないと言うので、パスして他の宿を探す。
博物館前のファンジル旅館というのに入ったら、13歳くらいの男の子が出てきた。
日本人だと分かると、あわてて英会話の本(付録に日本語も少し付いてた)を持って来て、一生懸命話そうとする。
「オモニがいないから、チャンカン、キダリセヨ」
を連発するのが可愛くて、僕は急ぐ旅ではないからと言って、片言でしばらく話した。
チャン・チャンヨン君と言う中学2年生。
兄と姉が一人ずついるらしい。
バスで貰った饅頭を進呈する。
30分ばかり待って、やっとアジュマが帰ってきて、風呂、トイレ無しの5,000ウォンの部屋に落ち着くことが出来た。

洗濯すまして、まず目の前の扶余国立博物館へ。入場料は110ウォン。
コンクリート造りだが、寄せ棟造りを模したシンプルな建物の中には、石器、土器、鉄器、装飾品などはもちろん、お目当ての仏像も陳列されていた。
10cm足らずの小像でも、横から見ると、あの懐かしい百済仏の特徴を認めることができて嬉しかった。
扶余は百済王朝の最後の都だが、その遺跡はほとんど壊滅状態だ。
百済仏にしても、日本にあるもののほうが質量ともに圧倒的に勝っているだろう。
それでも、この地で、小さいながら由緒正しい百済仏にまみえることができたということは、感慨一入だった。
入場料600ウォン払って、博物館裏手のプソ山城に登る。
城と言っても現在は城郭など無くて、城跡というのもはばかられるくらいの小高い山に過ぎない。
山道をたどって行くと、もうお馴染みのリスはもちろん、雉が目の前を悠然と通りすぎて行ったのには驚いた。

ナビ(蝶)の種類も多く、小さな池には糸とんぼや羽黒とんぼが飛び交っていた。

山の北側、ペンマガン(白馬江)に面した崖に建てられた百花亭からの眺めは素晴らしいものだった。
この崖は、いにしえ、百済の宮女数百人(三千人ともいう!!)が、新羅の軍勢から操を守るため、白馬江に身を投げた場所で、それが花が散るようだったと言うことから「落花岩」と名づけられたという。

すぐ下の方に、コーランサというお寺があって、本堂から読経の声が聞こえてきた。
これはすぐ般若心経だと分かったが、韓国式の発音なので、妙に訛ったように聞こえる。仏教のお経は、もともとサンスクリットなのを、中国の僧が漢字で音訳したものだ。
それを韓国でも日本でも、音読みしているのだから、似ていて当たり前ではある。

人懐こそうな寺守りのアジョシと、日本語で話しできた。
寺の裏にある薬水(若返りの秘薬?)を飲ませてもらい、ここにしか生えていないという薬草コーラン草を教えてもらった。

白馬江の夕暮れ プソ山を下って、白馬江の川岸まで歩く。

低い土堤が続いていて、ゆったりとした川の流れ、向こう岸の柳の並木、青く連なったなだらかな山々、のんびりと上下する屋形船、数頭の犬がたむろしている砂州、鱗曇に覆われた広い空。
ソウルの喧燥に馴れすぎていたせいもあるだろうが、この景色にはすっかり心を奪われた。
現実離れした南画の世界に紛れ込んでしまったのではないかと錯覚を起こさせる。

そうして、信じられないような夕陽!!!!

サマータイムのためもう9時近いと思うのだが、雲の切れ間から顔を出した太陽は、決して眩しくなくて、穏やかなオレンヂ色に風景を染め尽くしながら、ゆっくりと山の端に姿を消していった。

すっかり陶酔し切った僕は、いま一度この夕陽を見るだけのためにも、扶余にもう一泊することに決めた。

1988/06/12(日)晴 ●定林寺跡のカッチ●

9時起床。
また洗濯してから、博物館を再訪。
小仏像群を見ていて、突然、小学生時代好きだった女の子のことを思い出した。
どこか相通ずる面影があったのか、それとも仏像が幼い表情をしていたのか。

定林寺の石塔 扶余に残ってる数少ない百済の遺物、定林寺跡にある石塔と石仏を見に行く。
それらは200m四方の土塀に囲まれた、だだっ広い敷地の中に、ぽつんと建っていた。
石塔は流石に素晴らしく、堂々とした威風を誇っていたが、石仏の方はどう見ても百済仏のイメージとは程遠いものだった。
しかし、そんなことはどうでもいいことに思えた。

石塔の下段では国民学校の女の子が二人勉強していた。

周囲に跳び跳びに植えられているプラタナスの下で、姉弟らしい二人が、何かを:追いかけているので、家で飼っている鶏でも連れてきているのだろうと思ったが、何とこれがカッチ(かささぎ)のひな鳥だった。
雛といってもかなり大きくて、自由に飛ぶことのできる直前と言ったところ。
どうやらこの樹の上にある巣から落っこちてしまったのだろう。
樹上では親鳥が騒いでいた。

二人は何とかこの雛を枝の上に戻してやろうと、放り上げたりしていたが、ひな鳥はバタバタと羽ばたくものの、結局墜ちてきてしまう。
幹は二抱えくらいもあり、一番下の枝まででも2mくらいはあって、登れそうにない。
とにかく、何とかしようと、僕と女の子が下で支えて、男の子を枝に押し上げて、小枝を折った先に僕のショルダーバックの紐を結びつけ、空にした鞄の中にひな鳥を入れて引き上げることに成功した。
こう書くと簡単そうだが、これがなかなかすんなり行かなくて、苦労した。
それにしても、カッチのひな鳥なんか、間近で見ることも難しいのに、直接抱いてみることが出来るとは、忘れられない体験になるだろうと思った。
しばらく二人と話しをする。
てっきり小学生と中学生の姉弟だと思ったのに、弟は中学生、姉はテジョンの大学に通っていると知って驚かされた。

二人に別れを告げて、町を南に下り、何世紀も前に貴族が作った「宮南池」まで歩く。田んぼのなかに直径250mの人口の池だ。
中央の小島には橋が架けられて、池の周囲には巨大な柳が並木をなしている。
その柳の下を歩くと、空は雲一つなく晴れ上がっているのに薄暗い感じで、葉露でも落ちてくるのか、少し湿っぽい気がした。

ジャズソングによく、ウイーピング ウィロウなんて歌詞がよく出てくるが、ひょっとしたら、こんな現象から生まれたのかもしれない。

池の隣に、こんもりした林があって、二組の団体が野宴を楽しんでいた。
羨ましそうに見ていたら、胸に虎の入れ墨のあるアジョシが、手招きして仲間に入るよう勧めてくれた。
二十人余りで、ほとんどが三十代から四十代のアジョシで、老人と若者が2,3人混じっていた。
僕は酒は飲めないと言うと、サイダーの瓶の蓋を軽く歯で開けて紙コップに注いでくれた。
また鶏の丸焼きを、目の前にどーんと置いて、勝手に食べるようにとも言ってくれた。

チャンゴや、銅鑼や太鼓をバックに、歌と踊りが始まり、仲間がバイクにアガシを二人乗せて来て、彼女らがお酌をしたり、歌を歌ったりするたびにTシャツの胸のところに千ウォン札や万ウォン札がねじ込まれていた。
お粥とチゲもご馳走になり、太鼓を叩かせてもらい、すっかり堪能した。
別れを告げて町に戻る際に、先のアジョシの入れ墨を指差して
「これはホドリ(ソウルオリンピックのマスコットキャラクタ=虎)か?」
と、聞いたら大笑いして、そうだと答えた。

途中、高台の上に神社のような建物を見かけ、道を迷いながらたどり着いたが、門は閉まっていた。
看板には「義烈祠」とあり、これと繋がっている隣の民家を覗き込んでいたら、中からアジュマが語気を荒くして「出て行け」という素振りをする。
日本人の旅行者で、隣の建物を見たいだけだと、何回か繰り返したら、表情を和らげて、縁側に座るように言い、自分も中学2年まで名古屋にいたなどと昔語りを始めた。
庭に実っているエンドゥという、さくらんぼのような果実と、変に甘い白酒のようなもの(シッケ?)を振る舞ってくれた。
長男がソウルに下宿して大学に通っているのが、よほど自慢らしく、その話しをするときは、歯の無い口をいっぱいに開けて嬉しそうに笑う。

韓国の国花ムグンファ 結局隣の祠は見られずじまいだったが、帰り道に今回初めて韓国の国花ムグンファ(無窮花、むくげ)が咲き誇っているのを見たので満足することにした。

扶余の市場はこじんまりして、15分も歩けば見終わってしまう。
旅館に風呂が無いので、目についたモギョクタン(沐浴湯=銭湯)に入る。
入浴料1,000ウォンで、韓国の物価にしては割高だが、設備がいいし、韓国人はせいぜい週に一度くらいしか入浴はしないらしいから、そういった含みもあるのだろう。
その代わり、入るときには徹底的に磨き上げる。
専用の洗い屋もいて別途料金で垢摺りもしてくれるらしいが、僕はどうも苦手なので遠慮する。
考えてみると久しぶりの湯船なので気持ちよくなって、ついつい長居をしてしまい、外に出ると日がかなり傾いていたので、あわてて白馬江の土手へ向かう。

今日は快晴で、昨日とはずいぶん様子が違っていたが、これはこれでなかなかに美しい夕陽だった。
草の影に若いカップルが並んで座り、夕陽をバックにシルエットに浮かび上がり、うーーん、これは絵になるなと思ったが、女の子同士だった。

昨日もそうだったが、日が沈む瞬間に合わせるように、遠くの寺の鐘が響き渡り、風情を添えた。

1988/06/13(月) ●美人ならチョンジュ●

8時起床。
旅館のアジュマはぐっすり寝入っていたので、挨拶抜きで外に出る。
外はうっすらと霧がかかっていた。

バスターミナルでチョンジュ(全州)行きの切符買おうとしたら、直行のバスが出たばっかりだったらしく、切符売場のアガシがヨンサン(論山)で乗り換えるように言う。
一時間くらい待っても直行バスのほうが確実だろうとは思ったが、迷ったらそのときのことと、ヨンサン行きのバス(370ウォン)に乗り、結局ヨンサンでずいぶん時間待ちして、チョンジュ行きのバス(890ウォン)に乗ることができ、何とか11時過ぎにチョンジュ到着。

バスターミナル付近で宿探し、ハングッジャン旅館でアジュマと交渉、旅館前の飯屋のハルモニが片言の日本語で口添えしてくれて、破格の安値(秘密)で泊まれることになった。
今回の旅行中で一番広くて奇麗で、バス、トイレ、カラーTV付きの部屋だった。
シャワーを浴びて、町へ。

アリラン食堂の匙袋 バス停で、目の醒めるくらい奇麗なアガシがいたので、チョンジュ市庁に行くバスはどれなのか尋ねたら、流暢な英語で、自分もそのバスに乗るから大丈夫と言ってくれて、すぐにやってきたバスに同乗する。
バスの中で彼女の名前はチョン・ソンファで、KALの社員だと言うことを知る。
そういえば、紺地にブルーと赤のピンストライプが入ったワンピースの胸にマークが認められた。

勤務中だが、左手首を怪我して化膿しそうなので診療所に行くところだそうだ。
僕がチョンジュには名物のピピンパブを食べに来たのだと言うと、治療をすましてから美味しい店まで案内してあげるというもったいないお言葉。
またまた厚意に甘えることにして、診療所に同行し、韓国の病院の中を見ることが出来るというおまけ付きで、市庁のそばの「アリラン」という店に案内してもらった。

  アリランのピビンパ(2,500ウォン)は鋳物の器ごと加熱してあり、ご飯の上の具もたっぷりで種類も多く、流石!!と唸ってしまった。
食後に出てきたシナモンの香りのする冷たいお茶(スジョングヮ?)も美味で、これだけでもチョンジュに足を運んだ甲斐があるというもの。

腹ごしらえもすんで、市街を歩く。
さっきのチョン嬢もそうだったが、この町にはやたら美人が多い。
大邱が韓国きっての美人の産地となっているが、僕の見た限りでは、圧倒的にチョンジュに軍配を上げたい。
美人ならチョンジュ、これ自信を持って保証する。

それに通りのあちこちから、ピアノの調べが流れてくる。ピアノ教室の看板も多い。
とりたてて、特徴のない町だが、古くて大きな民家が多いことなどからしても、きっと、この町の人々は豊かな暮らしを楽しんでいるのだろう。

チョンドン・チャーチ キョンギジョン(慶基殿)という古い建物を公園にした中に市立博物館を見つけたが、今日は休館だったので、明日見ることにして、プンナムムン(豊南門)方面に向かう途中に、煉瓦造りの素晴らしいキリスト教会があった。
チョンドン・チャーチというカトリック教会で、これだけ見るとヨーロッパに来ているみたいだ。

午後からは暑くなって、ちょっとバテ気味。
南市場でトマトを買ってかぶりつく。
韓国ではトマトは完璧に果物だ。
市場でも果物屋でしか売ってない。

涼を求めて山麓の公園まで行ったが、いまいちなので、町に引き返し、キョンギジョン公園の芝生で昼寝。
学生二人が話し掛けてくる。
イ君、ホ君で、チョンジュには美人が多いと言うと、そうだろう!!と胸を張った。
暑さでバテ気味だというと、それならケコギを!!と、食べに連れて行かれそうな気配だったので、丁重にお断りする。
しかし、彼らはよほどケコギがお気に入りらしく、パワー!!と言って、力こぶを作ってみせたりした。

夕方から、市街東南部に広がる、古い韓屋の並ぶ一帯を歩きまわる。
一軒、二軒なら各地で見かけたが、これだけかたまって並んでいる地域は珍しい。
すっかり気に入って、路地の細いところをわざと迷うように歩いて、補修中のお寺に行き当たった。

看板を見ると「チョンジュヒャンギョ=全州郷校」とあったから、昔の学校の建物らしい。
庭に樹齢四百年の銀杏の樹があった。

96番バスでターミナルに戻り、例のハルモニの店で遅い夕食。
ハルモニは日本が懐かしいと言って、古い日本の歌謡曲を歌い出し、僕にも一緒に歌うようにしつこく勧めるので、とうとう僕も「宵待ち草」など合唱する破目になってしまった。

1988/06/14(火)晴 ●GO! GO! タイガーズ!!●

8時起床。
93番バスでプンナムムンへ。
この門もスウォンのパルタルムンと同じくロータリーの中央にあったが、警官もいなくて、近くまで寄って見物できた。
もっと閉門されているから中には入れない。古めかしい大砲が据えつけられていた。

朝食はパン(1,000ウォン)と牛乳にしたが、これはまずかった。

市立博物館(130ウォン)を観覧。
思ったより小規模で、収蔵品もあまりぱっとしなかったが、中庭は人影も無く静かで、ベンチでゆっくり出来た。

昨日も回った古い韓屋の並んでいる地域を眺めながら、河に沿って東に歩くと、檄月台というちいさな展望台が崖の上にあり、そこに登って見渡すと、南の方にお寺らしい建物が見えたので足を伸ばした。

僧厳寺という寺で、大きな本堂は改装中だった。
屋根と柱だけしかなく、見上げると垂木の構造が良くわかる。
ろくろっ首を思わせる彫りかけの大きな龍は迫力があった。
裏山には素朴な石仏があって、微笑を誘われる。
いつのまにかそばにいた住職が、どこから来たのかと問うので、日本からと言うと、何もいわずに合掌したので、思わず僕も両手を合わせてしまった。

南門市場から市街地に戻り、もう一回名物のピビンパを食べておこうと、あちこち捜しまわって、ソンミダンという店に入ったが、値段はアリランと同じなのに、器は冷たいし、味も辛いばかりで不満が残った。
店の前にTVに出たなどと仰々しく書いてあったので、ひょっとしたらヤバいかなと思ったのだが、案の定だった。
やっぱりマスコミで取りあげられた事を自慢するような店は、韓国でも日本でもろくな店じゃないということだろう。

デパートを冷やかしたら、中に野球のポスターが貼ってあり、ちょうど今日、チョンジュでゲームがあることを知る。
先日ソウルでは、物足りない思いをしたが、こちらは地元のヘテ・タイガーズ。何といっても名前がいい。
それに今シーズンはタイガーズは首位を突っ走っていると、売店の兄ちゃんが嬉しそうに教えてくれた。
これはもう行くしかないと決定。

少し早めに、バスで野球場のある運動公園まで出て、近所を見物して、5時半に入場することにした。
すごく立派で大きなスタジアムだったので、感心していたのだが、実は野球場はその隣のちんけな奴だった。
これなら、神戸の須磨球場の方が勝ってると思う。
スタジアムは、ソウルオリンピックのため新設された競技場らしい。

タイガーズ戦入場券 内野席(2,000ウォン)に入ったが、座席なんか無くて、剥き出しのコンクリート。
それでも熱気だけは大したもので、6時過ぎには内野席は満員、外野席もほとんど埋まってしまった。
この前の試合とはえらい違いで、野球はこれでなくっちゃと、張り切ってしまう。

僕の後ろの列には、ヘテ(製菓会社=タイガースのオーナー)の女子社員がずらりと並んで、黄色い声を張り上げていた。
相手はサムソン・スターズで、2回裏にタイガーズがホームランで先制、このときは、全員総立ちで、バンザイ!!して、僕は後ろのアガシと握手する事に成功。
勢いに乗って、この回4点を入れて試合はすっかりタイガーズペースとなり、安心して応援する事が出来た。
応援団、というより、ひとりのアジョシが黒と赤のコスチュームに身を包み、まるでプレスリーかトム・ジョーンズのステージ衣装で、実に動きのいい応援をやってくれた。
もうひとり陽気なアジュマも歌ったり踊ったりしていたが、こちらは後でちゃっかりとチューインガムなど売りまわっていた。
結局7-4でタイガーズの快勝。
ゲームの後、観客が大挙グラウンドに降りて、走り回るわ、マウンドでピッチングの真似をするわで、お祭り騒ぎだった。
しかし、これではグラウンドの傷みはひどいに違いない。

球場から旅館まで大した距離はなかったので、歩いて戻る。

1988/06/15(水)晴後曇 ●光州徘徊●

7時起床。
チョンジュ-クヮンジュのバス切符 早めに旅館を出て。近くのバスターミナルでクヮンジュ(光州)行きの切符(1,550ウォン)買い、11時には光州に着いた。

高速バスターミナルの前のビルの上部にキム・デジュンの大きな看板があったのは、いかにもこの町らしいと思った。
ターミナル近くのファソン旅館、7,000ウォンというのを6,000ウォンに値切って一泊する事にした。

光州国立博物館をまず見物しようと、ガイドブックを見ると、バスでは行きにくいようなことを書いてあって困ってしまう。
今回の旅では、極力タクシーを使わずに済まそうと決めて、これまで何とかタクシーなしでやってきたのに、うーん、どうしようかと、迷いなから、ともかく近所まで行くというただ一本の19番バスに乗った。
ところがこれが、見事に逆方向で、途中で降りて、しばらく待って乗り換えたら、ジグザグ、クネクネと1時間も引き回されて、やっと博物館前に到着。

広々とした敷地に、巨大な本館がそびえていて、これは、期待できそうだ。
入場券(200ウォン)を買い、門を潜った途端、警備員が本館を指差して、
「パリ、パリ!(急げ!)」と叫ぶ。
訳が分らないまま、それでも、走り出したら、ラウドスピーカーから、ニュース解説のような早口の放送が流れてきた。
のんきな僕は、場内案内の解説が始まったから、それに間に合うように急がされたんだろうと思った。
ところが、入館すると、中は照明が落とされて暗く、客らしい男性が数名ソファに座っていた。
階段を登ろうとすると、係員が降りるようにと身振りで制止する。
ひょっとして今日は臨時休館なのかもしれない、こんなに苦労してたどり着いたのにそれはないだろう、と、脱力しかけたが、それなら切符売るのはおかしいと思い直す。
別の係官が英語で説明に来て、アーミーがどうのこうのと言われ、やっと、今日が民防の日で、その警戒訓練にぶつかったのだと合点がいく。

2時に訓練も解除され、博物館の展示室を見て回った。
絵画、先史時代遺物、陶磁器、新安室に分かれていて、国立の名に恥じない収蔵物が展示されていた。

中でも、14世紀に沈没した中国との交易船に積まれていた美術品を収めた新安室は、見ごたえがあった。
10年程前に海底から引き上げられたもので、完全な形で保存された陶磁器などを見ると、船の沈没という不幸が、後世の幸いになることもあると、感じ入った。

19番バスで市街地へ戻る。今度は15分足らずで着いてしまった。どういう路線を走っているのだ?
道庁前から北へ広がる繁華街をぶらぶら歩いてみる。

露店ではカセットテープ2本買う。
韓国の松田聖子?と言われるイソニと、もう一つは歌謡ディスコの寄せ集め。
旅館に帰って聴いたらなかなか面白かった。

ファンシーショップで、ペコちゃんの小さなバッグを持ってるアガシを見かけたが、厚化粧で玄人っぽかったので声を掛けるのはやめにした。

ファッションビルの2階のショーウィンドウでは男女のモデルがファッション・ショーよろしく、最新流行の服を着てポーズをとっていた。
正真正銘のマヌカンだが、下の道路では多くの通行人が立ち止まって見物していた。

デパートの文具コーナーで、僕の少女趣味をくすぐるような可愛いイラストの葉書を見つけた。
高校生くらいの抒情的な少女ばかりで、横にハングルで詩が書いてあるもの、イラストだけのものなど、数種類あって1枚50ウォン。
買おうと思ったが、生憎万ウォン札しか持ち合わせて無くて、まあいいや、釜山で買ったらいいと、買わずにおいた。

光州河畔 光州川沿いに北へ上がっていくと、大きな市場に出た。
何度も書くが、市場は何度見ても飽きない。
大きなビルの1階が家具団地みたいになっていて、コレアン・チェストがずらっと並んでいた。

ここから北を見ると、川の向こうの方に教会の尖塔が見えて、阪神の芦屋駅から北を見た風景とそっくりだと思った。

近くに鳥獣専門の店が集まってる一画があり、犬、猫、兎、山羊、鶏、鶉、山鳥などが、檻や籠に入れて売られていた。
紐でくくられた小猫をかまっていると、アジュマが千ウォンで買うように言う。
日本人の旅行者だというと仕方が無いという顔をされた。

いったん、市街に戻り、ウリマンドゥ(名前がいい。我等が饅頭)の看板を見つけて肉マンを注文する。
小ぶりだが皮が薄くて、肉のたっぷり入ったここの肉マンは最高だった。

次はさっきと逆方向に歩いて行く。
翰林院の額の懸かった郷校があり、中を覗いたら、授業が行われていた。
そこから坂道をどんどん登っていくと、サジク公園に出る。
展望台から光州の町が鳥瞰できる。
光州といえば「光州事件」が反射的に思い出される。

今日一日歩いた限りでは、取り立ててほかの町と変わった雰囲気は感じなかったが、僕の意識の低さと、観察眼の無さによるものだろう。
たった一日では、土台無理なことではあるが。

疲労がすこし溜まってきてるし、両腕の湿疹が再発しかけのようだし、ビザの期限も残り少なくなったことから、明日釜山に向かうことにする。

まだ行きたいところや、見逃したところも多いが、それらは後の楽しみということにして、今回はあきらめる事にしよう。
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