第一部 出航から釜山、慶州、大邱、ソウル
7時起床。出発直前に思い立って、あわててシステム手帳用の日間スケジュールリフィルを作る。 余裕をもたせたつもりで6月8日の分まで作った。結果的にこれでは足りなくなったし、一日抜けてたりもしたが、結構これが役に立った。 この旅行日記も、大部分はこのスケジュール日程表のメモから記憶を呼び起こして書いたものだ。 阪神、地下鉄、ニュートラム、タクシー(送迎バスに乗り損ねた)と乗り継いで、大阪南港かもめ埠頭に着いたのが正午、「オリンピア88」大阪→釜山2等船室\18,000の切符を買っていよいよ乗船。午後1時予定通り出航。 同室は、林(ソウル出張の会社員)、富家(土建業、ソウルの親類に面会に行く青年)、ユ・ホンサン(日本旅行に来て大邱に戻るおじさん)、Jing(ソウル在住のフィリピン人ピアニスト、妻は韓国人とのこと)の5人。 富家君とユさんから韓国語の挨拶など簡単なフレーズをおさらいしてもらう。 デッキに出て海を見て、隣にいたMs.Aubin(フランス系アメリカ人、京都でデザインを勉強中)と韓国への期待から文化論!!まで話題が広がる。 とにかくオリンピック前の韓国を見ておきたいということで意見が一致した。 船内で東官道という小学生の男子(釜山の親類に会いにおじさんと同行)と、輪投げ、ゴルフのパターゲームに興じる。礼儀正しい感じのいい子だった。 夜はデッキで阪神-巨人戦をラジオで聞くもあっけなく阪神の逆転負け。
8時起床。予定通り午前10時に釜山港に到着したが、去年からサマータイムが実施されているため、韓国時間では11時入港ということになる。 入国手続きも割とスムーズに済んで、ターミナルで3万円両替する。レートは100円=579ウォン。 霧のような小雨の中を市街地に向かって歩き始める。 看板も交通標識も貼り紙もすべてハングルという当たり前のことに感激してしまう。 事務機器小売店のウィンドウにハングルの電動タイプライターを見つける。ALLというメーカーだが、どうやらSHARP製品のようだ。 海岸寄りに道をそれて、道を間違えたり、袋小路を引き返したりして、夢にまで見たチャガルチ市場へ到達。 正月に3日だけ釜山に来たとき、このド迫力の魚市場には5回も足を運んだくらいだ。半年ぶりのお目見えだったが、あいかわらずのワンダーランドですっかり興奮状態になってしまった。 市場のビルの中で、ヒラメとイカの刺身(5,000ウォン)を注文する。たっぷりの量と新鮮さに大満足。 ワサビも付いていたがコチュジャンとサンチュでも食べてみる。 荷物もあるので適当に切り上げて、国際市場を経由して街の東側にある丸金旅館に投宿する。ガイドブック(三宮図書館で借りた「地球の歩き方」86年版)に載っていた。4階の8畳くらいの部屋でバス、トイレ付きで10,500ウォン。 割と奇麗だが周りが建て込んでいて景色はよくない。 シャワーを使って、また街へ。 ラジオで大相撲千秋楽、千代の富士の優勝を知る。NHKはばっちり受信できる。 龍頭山公園の釜山タワーに上り(1,000ウォン)釜山の街を眺望。釜山と神戸はどちらも港町ということもあって、共通点が多い。しばらく韓国に来ていることを忘れてしまった。 夕食はホミという食堂でカルビタン(1,700ウォン)。これは何とか読めて、注文も簡単に通る。 初日なので早めに宿に戻り、風呂に入って11時就寝。
9時起床。10時に宿を出る。屋上の庭から、赤い薔薇の花びらが一枚、目の前に舞い下りてきた。 地下鉄チャガルチ駅のコインロッカーに荷物を預け、またチャガルチを流した後、初めての地下鉄で釜山駅へ。 この区間は数日前に開通したばかりとのこと。 駅で国鉄の時刻表(1,000ウォン)を買い、すぐ脇の食堂でピビンパ(1,500ウォン)で朝食。食べきれぬほどのキムチやナムルが付いてきて嬉しい。 39番バスで夏の海水浴のメッカ、ヘウンデ(海雲台)へ向かう。 今回の旅行のキーワードはチョンチョニ(ゆっくり、のんびり)で、今日は半日ぼーっと海でも見ていようと思ったわけ。 終点で下車しても海なんか見えず、まごついていたら、学生らしいグループの一人が英語で話し掛けてきた。 カン君というソウルの大学2年生で、仲間8人でソウルから釜山に日帰りで遊びに来たとのこと。 海岸まではちょっと歩かなくてはならないから一緒に行こうと誘われて、嬉々として付いていく。 ヘウンデはシーズン前だというのにかなりの人出で、一目でそれと分かる新婚カップルがぞろぞろとバスから降りてくるのには驚いた。 学生グループには女の子も二人混じっていたが、その中の一人なんか、服のまま砂に埋められたりしていた。 そう言えば、新婚の晴れ着やチマチョゴリの花嫁も平気で砂の上に座ってたし--- 結局学生グループが4時の汽車でソウルに帰るため立ち去るまで、ずっと一緒に浜辺にいて、片言の英語で話したり、韓国語基本会話の練習をつけてもらったりする。 このとき教えてもらった「僕は海が好きだ--ナン パダル チョアハンダ 」のフレーズは後々役に立った。 一番年長のパク君が、ソウルで必ず会おうと言って住所と電話番号をメモしてくれた。 彼らが去った後も2時間くらい浜辺を歩いたり、岩場に座り込んで海見ていた。 日本人からすると日本海だが、韓国ではトンヘ(東海)という。 僕は海が好きだ。 今日一日だけでずいぶん日焼けしてしまった。 サマータイムのため、8時になっても日が沈まない。 釜山駅に戻ったのが8時前で、近くのテキサスタウンという外人専用の通りを冷やかした後、10時頃安宿をさがす。6,000ウォンのバストイレなしの狭くて汚い宿に泊まる。どうも連れ込みホテルのたぐいだったらしく、夜中に何度も、出入りがあって、ピンクテープまがいの声まで聞こえてきて、これをBGMに出来るほど人間の出来てない僕には、寝苦しい一夜となった。
8時起床。 寝不足の目をこすりながら早々に宿を出て、釜山駅で昨日買った時刻表に赤線を引いて、英語、韓国語、身振り手振りで10時発のトンイルホ(統一号-名前がいい)キョンジュ(慶州)行きの切符(1,600ウォン)を購入。 韓国鉄道の急行列車は、セマウル号、ムグンファ(槿)号、統一号の三つに級分けされていて、統一号は鈍行よりちょっと速いくらいだ。 鈍行はピドゥルギ(鳩)と呼ばれている。 鈍行にも未練があったが、午後1時の便しかなくて見送り。 韓国の汽車に乗るのも初めてだが、外観は日本の普通列車と大差ない。 座席は向かい合わせで、いちおう急行だから座席指定になっていて、向かいに高校生くらいの眼鏡をかけた丸顔の女の子がすわった。 内気そうな子だったが、手作りの名詞(ハングル入り)を渡したらすぐ打ち解けてくれた。 英語も日本語もまったく駄目というので、半分推理になるが苗字はウォンで、ウルサンに帰るところ、市場で働いているらしい。 アイドル歌手の写真を持っていたので名前を聞いたがあいにくメモをなくしてしまった。 車窓から見える、動物や植物の名前をおしえてもらう。ハリエンジュをこちらでもアカシアと呼ぶことが強く印象に残り、その外はほとんど忘れてしまった。 正午過ぎキョンジュ到着。 駅前の観光案内所で地図をもらい、観光バスの切符(2,250ウォン)買う。 キョンジュは日本でいうと奈良に似て、名所旧跡が数限りなくあるときいていたので、とりあえず今日は観光バスで下見するつもり。 時間があったので駅前の食堂で定食(1,500ウォン)を頼む。 飯、辛い味噌汁にキムチ、玉子焼きスルメ、ナムルなどがいっぱい付いて食べきれないほど。 途中新婚旅行らしいカップルが入って来て、新婦が食事の前に部屋を借りて、晴れ着のチマチョゴリをあっという間に軽装に着替えた。彼らも観光バスに乗るらしい。 バスを待っていると、リュックを背負った学生風の青年が寄って来て、最初日本人かと思ったのだが、韓国人で、片言の英語で紹介しあう。チェン君といって、ソウルの近くのインチョン(仁川)から日帰りでキョンジュに来たとのこと。 バスでも同席して、色々話を聞く。 6月に兵役につくので、その前の思い出にこの旅行を計画したらしい。 バスの中で新たに各名所の入場料として3,300ウォン徴収される。 これは予想外で少々不機嫌になった。もうずぇーーったい観光バスなんか乗らないぞ、とはいうものの、さすがに要領よく10ヶ所以上を案内してくれたのだから、それなりのことはあった。 プルグッサ(仏国寺)や国立博物館はあとでゆっくり見るとして、大雑把な観光を済ませ、バスは5時に終点バスターミナルに到着。 チェン君は11時の汽車で帰るというので、先にガイドブックに載っていたハンジン旅館に部屋を決めてから、二人でキョンジュの見物に出かける。 市内バスでポムン湖畔の公園に出かけ、男同士では冴えないとは思ったがボートにも乗ったりした。 夕食は何にしようかと迷っていたら、チェン君が安くておいしいものを知っているが、日本人はあまり食べないから---などというので、とにかく試してみようということになった。 市場の中の小さな店でその「スンデ」というものを注文する。釜山でも見かけたことのある直径4cmはある腸詰めがとぐろを巻いてるみたいな奴で、確かに見た目は相当に不気味で、一人で頼む勇気は出なかっただろう。 これをぶつ切りにしたものと、コプチャン、カンなどが皿に山盛りで出てきたのを僕も3分の1くらい食べることができた。しかも全部で1,000ウォンだったから確かに安い。 それからデパートを冷やかしたりして10時過ぎまで歩き回った。 チェン君は日本人と親しく話したのは初めてで、すごく感激したといい、入隊前にぜひ泊りがけで自分のうちに遊びに来るよう熱心に誘ってくれた。 ハンジン旅館は、外人バックパッカーの溜まり場になっていると書いてあったとおり、二階のソファで、欧米人らしい数人の男女がいろんな訛りの英語で話していた。 風呂にはいったあと、しばらく話に混ぜてもらったが、英語が不自由なのに日本のことを色々聞かれて困ってしまった。午後2時就寝。
8時起床。 11番バスでプルグッサへ向かう。 新羅時代の創建で、当時の石塔が残されている。韓国で最も有名な寺の一つで、本堂や仏像、仏画も見るところあったが、僕は観音像のバックに描かれた円形の後背になっている千の手や、台座の木彫レリーフの笛を吹いている天女のあどけない顔などに気を取られた。 参道から裏庭に抜けるあたりは人気もなくて、リスが走り回ってるのが嬉しくてはしゃいでいた。 プルグッサで半日つぶして、92番バスで南山(ナムサン)の登り口統一殿まで行く。 この山には磨崖仏が多いというので、期待大。 ふもとの売店兼食堂で「カッラミョン」というのを注文する。ミョンというのは麺のことだと覚えていたので、どんなのが来るかと期待と不安で待っていると出てきたのはなんとカップヌードルだった。メニューはカップラーメンのことだったらしい。400ウォン也。 山の風景と樹木、草花、飛んでいる蝶などは、ほとんど日本と変わらない。 割となだらかな山道をゆっくりと歩き、途中娘を連れたキム氏に写真を撮ってもらったりしながら、2時間近くかかって、とうにか頂上近くまでたどり着いたものの、どっちに行ったら磨崖仏があるのか、途方に暮れていると、逆の方からリュックを背負った若い女性が元気良く登ってきたので、ガイドブックを見せて尋ねる。 彼女は韓国語しか解さないのに、僕が石仏を見たいということがわかると、自分が案内してあげようと、わざわざ今来た道を引き返してくれた。 申し訳ないから断ろうとしたが、それを表現するだけの語学力もなく、親切に甘えてしまう。 予想外に急な下り坂で、軽装の僕はたびたび転げ落ちそうになった。 それでも彼女がいなければ、まず見ることができなかったはずの磨崖仏数体にまみえることができたのはありがたかった。 特に夕日観音と呼ばれる一体は、その名のとおり西向きの岸壁に彫られていて、口元にはうっすらと紅を指され、折りからの夕日を受けて美しかった。 休憩時の片言会話によると、彼女はチョン・ウンスクという名で、キョンジュの中学校の教師らしい。 小柄でしっかりもので、きっといい先生なのだろうと思う。 いっしょに南山の麓にあるサムプルサ(三仏寺)に立ち寄る。 本堂の脇に大きな三体の石仏 が並んでいて、どれも微笑みを浮かべたいい顔をしていた。 本堂で彼女に韓国式礼拝法を教えてもらい、見よう見まねでやってみる。 3回跪いて立ち上がる度に両腕を大きく回して合掌し、額を床に付けて両手のひらを裏返してこれも3回耳のところに持っていく。白状するとうろ覚えである。 同じバスで駅まで戻り、別れた。彼女の親切さにはただただ感謝するしかないが、住所を聞きそびれたため、礼状も出せないことが悔やまれる。 いったん旅館に戻り、宿の主人から紹介してもらった近くの焼き肉屋に行く。 ここで勘定のことでちょっと不愉快な目にあう。山登りで疲れていたので早めに就寝。
8時起床。 郵便局に行き300ウォン切手を10枚買って絵葉書数枚書いて投函する。 ワープロが無くて寂しいという愚痴ばかり書いたような気がする。 また11番バスでプルグッサで下車し、専用のマイクロバス(往復800ウォン)に乗り、巨大石仏で有名なソクラム(石窟庵)へ。 車内で団体のアジョシ(おっさん)たちに話し掛けられ、見物も同行する。 純白の花崗岩製の丈六の釈迦如来座像は、保存も良くて見ごたえがあった。 本尊を囲むように彫られた壁のレリーフの菩薩も見事で、もう少しゆっくりと見たかったが、アジョシに急かされてしまった。 昼前にプルグッサ駅前の食堂でテンジャンチゲ(1,500ウォン)食べて、ここから2kmほど南に位置su るはずのケルン(掛陵)まで歩く。 道を間違えたのか、思ったより距離があって、ちょっとバテてしまった。 バス道から松並木の細い道を東に入り、やっとケルンの入り口付近まで来たとき、物陰から、幼稚園の鞄を肩から下げた5歳くらいの女の子が走り出てきて、少し傾き加減にお辞儀をしながら「アニョンハセヨー」と舌足らずに挨拶してくれた。 それがあんまり可愛いものだから、僕はとっさに返礼もできず、ちょこちょこと走り去って行ったその子の後ろ姿に挨拶することしかできなかった。 このことはその後何度も何度も思い出し、思い出すたびに胸がキュンとなってしまう。 すっかり気を良くしてケルンに入ると誰もいなくて200m四方の芝生の中に大きな土饅頭のような古墳と左右対称に三対のエキゾチックな石像が立っているだけだった。 古墳の基盤の花崗岩にはぐるりと干支と動物を象った十二神のレリーフがあり、相当摩滅していたが、蛇や羊などが擬人化されている様はユーモラスで、何周もしてしまった。 しばらく芝生に寝ころんで空など見て、韓国の空気を体いっぱいに充填した気分。 その後バスで国立博物館に行く。観光バスのときは時間もなく、チェン君もいっしょだったのでゆっくり見ることが出来なかった。今回が初めてのような気持ちでたっぷり楽しんで、閉館ぎりぎりまで粘る。 本館、別館、特別室の三館それぞれに特徴ある展示がなされ、館外の庭園にも石塔、梵鐘、石仏が点在して、これだけでもゆうに一時間は楽しめる。 本館入り口脇の石板阿修羅像のレリーフは、奈良興福寺の乾漆像とはまた別趣の美しさがあった。 仏像も立派なものが揃ってはいたが、韓国では仏像の鼻を削って薬にするという俗信があるためか、ほとんどが鼻ぺちゃなのは残念なところ。 夕方といっても、サマータイムのため、日没は9時前後なので、閉館後博物館の裏手から川に沿って散歩する。 投網で魚を獲っている若者がいたので、バケツの中を見せてもらう。鯉に似た大きな黒い魚と、虹鱒のような鮮やかな色彩の魚がいた。 崔氏家屋という案内板の立っている古い民家が公開されていたので入ってみると、花壇には薔薇が咲き乱れていて、ハルモニ(おばあさん)が一人、草取りをしていたので花や野菜の名前を教えてもらう。 そこを出た途端「タマネギ オーベゴン!!」という呼び声が聞こえてびっくりした。 先のハルモニから、タマネギは韓国語で「ヤンパ」だと教えてもらったばかりなので、聞き違えたかと思い、その声の出所を確かめると、やっぱり荷車一杯にタマネギを積んだアジョシがいて、不思議なので、買いに出てきた若い奥さんに尋ねたら、タマネギのことはヤンパ(洋葱)ともいうが、普通にタマネギとも呼んでいるとのこと。 これは一種の外来語なのだろうと勝手に解釈しておく。 その後あちこち歩き回り、また、だだっ広い芝生の公園に出た。片隅にソッピンゴ(石氷庫)があった。 昔、王様が夏でも氷を食べられるように保存した石の倉で、中には入れなかった。 夜もふけて、市街地に戻り、露天の古本屋を冷やかしていて、赤い表紙の中学生用の英語の辞書(つまり英韓辞典)を見つけた。 挿絵も入ってて英語も易しそうだから、日韓辞典の代わりに使えるかもしれないと思い、2,000ウォンの付値を1,800ウォンにまけてもらう。 これには100p足らずだが韓英辞典も付いていて、後でものすごく役に立った。
7時起床。 ハンジン旅館三泊分(27,000ウォン)払って、駅前の食堂でタロクッパ(1,500ウォン)の朝食。 9時35分発の普通列車でトンテグ(東大邱)へ向かう。 キョンジュ-テグ間は約80kmあるのに、料金はたった570ウォンと、嘘みたいに安い。 日本の交通料金が高すぎるのに違いない 。鈍行だから当然各駅停車で、15駅に停車したのだが、各駅の漢字名が異常に詩的で、特に大邱の手前の数駅は、並べるだけで一編の漢詩になるのではないかと思わせるほど。 省略なしで列挙してみる。 ・慶州・栗洞・毛良・乾川・阿火・林浦・松浦・永川・東永川・鳳亭・琴湖・河陽・清泉・半夜月・東村・東大邱・大邱 正午前に東大邱に到着。 大邱は韓国三番目に人口の多い割に地味な町のようで、林檎と美人が名物というのも、ほかにこれといった呼び物がない証拠のようでもある。 観光客はたいてい素通りしていくようだと、フェリーで一緒だった、大邱在住のユさんが言ってたから間違いないだろう。 僕も初めは大邱ですぐにバスに乗り換えてソウルに向かおうかと考えたのだが、チョンチョニ精神を思い出して一泊することにした。 東大邱で下車したのは、高速バスターミナルがこちらにあり、旅館も近くに多いと書いてあったからだ。 駅前の案内書で地図をもらう。なかなか美人のアガシ(娘さん)が親切に対応してくれた。美人の産地というのも、まんざら嘘ではなさそうだ。 近くのトンドンジャン旅館、風呂トイレ付きの部屋で7,000ウォンというのを1,000ウォン負けてもらい、荷物を置いて26番バスで市街地に出る。 地下道の上がり口で、前から気になっていたマルムシの蒸し焼きみたいなのを1個だけ味見させてもらう。 韓国の子供や娘たちは、これが余程好きらしく、どこの街角でも見かけたが、その異様な姿と、独特の匂いで敬遠していた。味は?というと、それ以後一度も食べようとしなかったのだから想像も付こうというもの。 ポンテギという名のこの食べ物は、蚕の繭から糸を取った後の蛹の廃物利用らしいことを後で知った。 メインストリート中央路を南に下がり、漢方薬店が軒を連ねている薬令市を冷やかす。 露天でムカデの乾物を売っていたのも、漢方薬だったからかと納得。 適当にバスに乗って、西部市場を見てまわる。韓国の市場は大きいのも小さいのも、それなりに活気がある。せっかくだからと名物の林檎を1個300ウォンで買って歩きながらかぶりついたが、季節外れのせいか、あまり美味とは言えなかった。 日暮れ前に東大邱にもどり、旅館の近くの食堂でユッケジャン(1,800ウォン)で夕食。食堂のアガシが人なつこくて、色々話し掛けてくるので、例の辞書を活用しての話がはずんだ。 宿に戻り、TVを見ていたら、なぜか勝手にビデオに切り替わり、それが、いわゆる裏ビデオで、しかも日本の「洗濯屋ケンちゃん」らしく、台詞は日本語で、ハングルの字幕が付くところがミソ。 2階の部屋で見てるビデオがこちらにも流れて来たものらしかった。得したような気になってついつい見てしまった(^。^)
7時起床。 数日前から両腕に少し湿疹が出て、ひどくなったら嫌だなと思い、東大邱駅の薬局で、患部を見せてチューブ入りの薬(1,000ウォン)買う。 セロゲンタという名で、使用説明書もハングルだけ。とにかく使ってみたら、結果は上々だった。 高速バスターミナルが工事中だったので、ちょっと戸惑ってしまったが、ソウル行きの切符(4,220ウォン)買って、9時発のバス、前から三番目の窓側の席につく。 隣に座った青年が、日本語の教本を読み始めたので話し掛ける。 シン君という大邱の大学生で、就職試験のためにソウルにいくとのこと。 日本語は最近勉強始めたばかりで、僕の韓国語とどっこいどっこいといったところ。 バスの中で2時間ほど日韓の交換授業を楽しむ。 1 時過ぎにソウル高速バスターミナル到着。 シン君に頼んで、キョンジュで会ったチェン君に電話してもらったが、チェン君は外出中とのこと。 三日後に入隊するのだから色々忙しいのだろうと思い、メッセージだけを伝えてくれるように頼んだ。 途中までシン君と一緒だったので、スムーズにソウルのど真ん中にたどり着くことができた。 地下鉄1号線チョンガク(鍾閣)下車。 西へ十分ほど歩いてガイドブックに乗っていたデーウォンヨガン(大元旅館)を見つける。 外人バックパッカーの溜まり場と書いてあったので、ハンジン旅館のようなところだろうと想像していたのだが、これが大きな間違いで、とにかくユニークな宿だった。 風呂付きの部屋なんかなくて、ドミトリー(二段ベッドが並んでいるだけ)だと、3,500ウォン、個室は5,000ウォン。 アジュマ(おばさん)のこぼれるような笑顔に誘われて、とりあえず個室に4,5日泊めてもらうことにした。 ソウルにはそのくらいしかいないつもりでいたのだ。 しかし、この宿に出会ったことで、ソウル滞在が大幅に延長し、今回の韓国旅行が1ヶ月にもなろうとは、その時は夢にも思わなかった。 日本人でここに住み着いているらしい内田君と、留学生の中野君、在日韓国人のムン君に挨拶して、ソウル国立博物館に下見のつもりで出かけた。 外観は上野の博物館に似ているが、青磁、白磁等の陶磁器が充実している。 仏像も広隆寺の本尊と生き写しの金銅弥勒菩薩を始め、僕の好きな20cm前後の金銅仏も多数あって満足だったが、一番気に入ったのが4階中国室の、宋代の木造観音菩薩立像だったのはちょっと皮肉だった。 2時間ほどで博物館は閉館になったので、仕方なく外に出て、案内書で貰った地図をたよりに、骨董品店の並んでいるインサドンギルを冷やかして、チョンノ(鍾路)の繁華街を東に歩いて、東大門市場へ。 韓国で一番大きい市場とのことだが、ちょっと見には釜山、大邱の市場と大して変わりがなかったが、確かに規模は大きくて、ビルの地階から3階までぎっしり店が並んでいるのは壮観だった。 裏通りでは子供らが遊んでいた。 犬や猫が繋がれてかわれていたりして、しばらく遊んでしまう。 韓国の猫はよく繋がれて飼われているので、ちょっとかわいそうな気もしたが、犬は下手したら食べられるかもしれないし、猫だってよく露天で売られているから、自衛上必要なことなのかしれない。 食堂の前の七輪で焼いてる魚が美味しそうなので、これとご飯を注文する。30cmくらいあるサンチというサワラに似た魚で、すごく美味しかった。 2,000ウォンは安い。 ソウルは緯度が高いせいか、夜になると少し肌寒い。 ジャケットを持ってきといてよかった。 11時に旅館に戻り、シャワーを使って、中庭で外人の宿泊客と話す。 イスラエル人のデビッドは、奥さんと乳児の家族ぐるみで旅行している。 韓国の前は札幌にいたとか。自分のことをミッキーと呼んでくれというので、奥さんはミニーと呼ぶことにした。 他にオーストラリア人や英米人もいたが、印象深かったのは、ピエヌというタイ人で、西ドイツの会社に所属していて韓国には半分仕事で住み着いてるようだった。色は浅黒くて、鍛練されたいい体をしていた。
7時起床。 歩いてソウル市庁の向かいにあるトクスグン(徳寿宮)へ。 ここはハングルの生みの親、世宗大王の像があるというので、是非来たいと思ってたところ。 開園が10時で、しばらく待たされたが、一番乗りで入園(550ウォン)。人気もなくゆっくり見物することができた。 一回りしたところで、中学生くらいの女の子二人連れがいたので話し掛けてみた。 どう見ても、十二、三歳以上には見えなかったのに、インチョンから来た高校生で十八歳ときいてびっくり。 どちらもキムという名だが、韓国人の四人に一人は金姓だから姉妹でなくてクラスメイト。 英語もほとんど通じなくて、また例の辞書が大活躍。 赤色を意味する韓国語「パルガン」の頭のppが発音できなくて、何度もやってみたがうまくいかず、彼女らに笑われっぱなしだった。これはこの旅行の課題にしよう。 これからどこに行くのか?と聞くので、予定はないというと、一緒に遊びに行こうと、さっさと歩き出したのでついていくと、地下鉄市庁前駅で切符を三枚買って、一枚を僕にくれた。 金を払おうとしたが受け取らない。 ままよと地下鉄に乗り込み、着いたところがテハンノ(大学路)だった。 ここは休みの日にはパフォーマンスが盛んに行われていると聞いていたので彼女らもそれがお目当てだろうと思った。 一時間ほど一緒に歩いて、ジュースなど飲んで別れる。 大学路の名のとおり、学生も多く、公園では芝生に座り込んで熱心にノートを取ってる姿が多く見られた。 途中、少し日本語のできるキム某氏に話し掛けられた。 これが警察官で、今日は非番だとのことだったが、職業的偏見を持っている僕は、適当にやり過ごそうとしたけど、かなりしつこくて閉口した。 アルバイトとおぼしい似顔絵描きも数人並んで、子供連れの客が記念に赤ん坊の絵を描かせたりしていた。 うまいのもいれば、下手なのもいる。 中の一人なんか腕が未熟なのか商売上手なのか、モデルのアガシとは似ても似つかぬ超美人に描いていた。 これは愛敬というものだろう。相場は一枚3,000ウォン。一日十枚もこなせば結構いい実入りになるな。 歩行者天国の道路ではフォーク・コンサートやマダン劇が行われ、日本ではもうめったにみられないsing outで盛り上がっていた。 仮面劇は、二頭の獅子(虎?)や猿が出てくる楽しいもので、バックのチャンゴや銅鑼の音楽も心を沸き立たせてくれた。 特設ステージではKBSTVの歌謡ショーが開かれるらしい。 1時過ぎには付近は身動き取れないほどの群集で埋まってしまった。 さっきの女子高校生たちの目的はこれだったんだなとやっと納得した。 この時点ではあまり韓国歌謡に関心が薄かったのと、人込みに疲れたので、地下鉄でシンチョン(新村)へ逃げ出した。 新村も学生街で、私立の一番人気延世(ヨンセ)大学と、女子の名門梨花院(イファウォン)が近くにある。 梨大(イデー)は男子禁制と聞いていたので、せめて校門だけでも拝んでおこうと行ってみたら、老若男女、誰もがぞろぞろと学内に入っていってる。もちろん僕もこれに乗じて入って行った。 模擬店が出て、アトラクションが行われ、キャンパスのそこかしこで、野宴が開かれている。文化祭みたいなものかと、石段に座っていた女学生に聞いたら「五月祭」といって、5日間ほどこんな調子で開放されるとのこと。 実にいいタイミングだった シーソーやカップルでの縄跳び、水風船投げ遊びなどを見物していると、挑戦日報のカメラマンだという若い男に話し掛けられ、林の中のテーブルに腰を落ち着ける。 キム・チャンチョンと名乗った彼は達者な日本語で色々質問してきた。 途中から彼の知り合いの梨大生イム・ジュンファ嬢も話に加わる。 大邱出身で、少し色黒の陽気な娘で、大きな目が魅力的だった。どうやらこの二人は恋人同士ではないかと思われた。 6時過ぎに、梨大を出て、いったん市庁前に戻り、ソウルで思い切りバスを利用するため、売店でバスの系統図が載ってる小雑誌「ソウルの交通」(300ウォン)を買う。 地下鉄だと簡単で確実だけど、行くところが限られているし、景色が見えないから面白くない。 バスは本数が多くて安くて、スリル(どこに行くか分からない不安と、ほとんど無謀といえる目茶苦茶な運転ぶり)に富んでいる。 トークン(5円玉を小さくしたようなバス専用のコイン、140ウォン)をどさっと買い込んで、まずは8番のバスに乗ってみる。 系統図はハングル表記しかないので、なかなか読み取れない。8番バスはどんどん北上して、ソウル市外にでそうな勢いだったので、途中のサムヨン市場で下車し、一通り見物してから、同じバスで11時ごろ旅館に戻る。 近くの食堂のテジコギ(3,000ウォン)で夕食。 デーウォン旅館には、黒白ぶちの4ヶ月くらいの仔猫がいて、目茶苦茶可愛かった。 アジュマに聞いたら「ナビ」という名だと教えられて、ますます好きになった。 ナビは韓国語で蝶ちょを意味する。そう言えば19世紀にナビ派という芸術集団があったが、これはヘブライ語で予言者の事ではなかったか。 宿泊しているイスラエル人がまた増えている。イスラエル人同士だとヘブライ語を話す。傍で聞いていると歯擦音ばかりが耳につく。
7時起床。 内田君、タイやインドなどを旅行してきた西野君、韓国は初めての小島君などとしばらく世間話をした後、83番バスでナムサン(南山)の麓にある市民図書館へ向かう。 運がよければ入れるだろうし、駄目なら南山に登ればいいやと、軽い気持ちで出かけた。 入り口で学生が入館証をもらい金を払っているのを見て、そのとおり真似して入ろうとしたが、係員が英語も日本語ともに駄目で、諦めかけていたら、学生の一人が英語で通訳してくれて、100ウォン払って4階の座席券を手に入れることができた。 日本の図書館と同じで、勉強室は受験生でいっぱいだった。 折角だから、僕も手帳のメモをまとめたり、覚えたての韓国語の単語の整理したりして、2時間ばかり勉強の真似事。 その後、休憩室で、ソファにくつろいでいた学生の一人に、英語で図書館の案内をしてくれないかと頼んでみる。 ファン君という名の彼は、少なくとも僕よりは達者な英語で、快く引き受けてくれた。 二人で開架の棚を冷やかして歩き、学生たちがたむろしているテラスで、自販機のコーヒー飲みながらしばし雑談。 というと格好いいが、お互い、意志を通じさせようと努力するだけにとどまった。 ファン君にお礼を言ってそろそろ別れを告げようとしたら、良ければもう一人の友人(ヤン君)といっしょに、ソウルを案内してあげようというので、好意に甘えることにした。 図書館を出て、南山の頂上までの石段を歩いて登り、南山タワー(1,200ウォン)、からソウル市街を鳥瞰する。 それほど高くはないのだが、一千万都市ソウルの大きさを実感できた。 タワーの下にはちゃちいゲームセンターがあって、二人がえらく乗り気で、僕までモグラ叩きやバスケットボール入れなどやらされた。結果は書かぬが花。 南山を下る途中にある、アン・ジュングン(安重根)記念館が気になっていたので、入りたいというと、二人は気を遣ってか、余り面白くないからやめようという素振りだったが、強引に見ることにした。 日本人が韓国を訪れるとき、彼我の不幸な歴史(というより日本の侵略、差別、圧政)の傷痕に目を背けては通れない。もちろん無視してやり過ごす方法も無いわけではないが---- ともあれ記念館には当時の史料、安重根の手紙や揮毫が残されていて、館外の石碑にも刻まれていた「三日書を読まないと舌に苔が生える」という言葉が強く印象に残った。 そこから歩いて南大門市場に出て、食堂でピビンパをファン君におごってもらい、バスでヨイドへ。 ヨイドはソウルの南部を東西に流れるハンガン(漢江)の中之島で、、国会議事堂や、MBC、KBSのテレビ局等があるが、中央にある幅300mの帯状の広場を見たかった 。 緊急時の滑走路として設けられたもののようだが、普段は一般に開放してあり、多くの市民が貸し自転車や、貸しローラースケートで走り回っている。 今日は平日だからそれほど人は多くなかったが、休日ともなれば、大変な人出らしい。 ローラースケートを借り(1回700ウォン)三人で滑り回った。 舗装はされているもののかなり凸凹で思うように滑れず、それでも楽しくて、結局2時間くらいも滑ってしまった。 その後ハンガン河畔でひと休み。 ハンガンの水はあまり澄んでいないが、ゆったりした流れで大陸的な感じがする。 バスで鍾路に出て、釜山で聞いて気になっていた歌のテープをファン君に頼んで探してもらう。 音痴だし、覚えてるのは「サランヘ タンシヌン---」というフレーズだけだったから心細かったが、屋台のテープ屋のアジョシはすぐ一本のテープを抜き取って、自信満々に手渡すので思わず買ってしまった。1,000ウォン也。 これは帰国してから聞いたら女性のフォークソングっぽい奴で、僕の欲しがっていたものとは違っていた。 ヤン君が詩が好きだというので「サンボ通信」に何か書かないかと水をむけると興味を持ったみたいだった。 タイトルは「ソウル通信」にしようというところまで話しは進んだがどうなることやら。 二人にワインでも飲みに行こうと誘われたが、酒は飲めないので断わり、再会を約束して別れる。 旅館に戻ったのが10時で、近くのソンドフェチプという店でフェドパブ(2,000ウォン)食べる。 これは刺し身のピビンパで、すごく気に入ってしまった。
7時半起床。 今日はピウォン(秘苑)を見ようと、歩いて地下鉄アングッ駅の近くまで行ったら、ショーウィンドウの女の子のマネキンに目が留まった。 紺色の制服がりりしくて、腰にウエストバッグと、もう一つ赤十字マーク入りの赤い小さなバッグ をつけていて、それが欲しくてたまらなくなった。 店内に入り、カウンターのアガシに身振りを交えてマネキンの腰についている小さなバッグが欲しいと頼んだら、青いウエストバッグを出してきた。 例の「パルガン」の発音がなってないせいだということがわかった。 パルガンを連呼してどうにか理解してもらえたのだが、あれは売り物ではないという。 どうしても欲しいと駄々をこねた結果、アガシも根負けしたのか、自分のを分けてあげようということになり、中身を出してしまおうとしたので、中身ごとくれとまたまた強引に頼み込んで、結局2,000ウォンで手に入れた。 中に入っていたものは以下のとおり。 ・応急バン・マッチ・メモ帳・鉛筆・小刀・赤チン・蝋燭・針と糸・釣り針と釣り糸・ハサミ・毛抜き・薬入れの袋 もちろんみんなミニチュアサイズで、その可愛いこと。 ベルトに通すようになってる本体も最高で、これだけで気分は絶好調。 店を出て、看板のハングルを読んだら「韓国ガールスカウト本部」と書いてあった。 つまりこのバッグはガールスカウトの純正装備品なのだ。 秘苑はチャンドックン(昌徳宮)の裏手にある大庭園だが、観覧は両方セット(1,800ウォン)で韓国語、英語、日本語いずれかのガイドと一緒に回る決まりで、自由に見物することはできない。 僕が行った時は、ちょうど英語のガイドの組が入場するところだったので、それに合流することにした。 全体で約20人、欧米人が主で、日本人は僕を入れて4人、韓国人が二人いた。 ガイドは韓国人アガシで、ちょっとバスガイドっぽい口調の英語での説明は分かりやすかった。 トリクシーというドイツ人の婦人が話し掛けてきた。 夫婦で韓国旅行にきているとのことだったから、旦那はどこにいると訊いたら、ホテルでベビーシッターをやってるんだと。 陽気なおばさんで、大きな一眼レフのカメラを下げて、盛んにパチパチやっていた。 秘苑は結構広くて、駆け足で見て回ったのに一時間半はたっぷりかかった。 例によって僕は、建物や名跡はおざなりにして、走り回ってるリスや、白くていい香りの樹木の花などにばかり気を取られていた。 午後からはバストレッキング。 92番バスで東の終点、チャンシンドンで下車するも、古い住宅を根こそぎ崩している最中で、ほとんど見るものはない。 しゃくなので、坂道をずんずん上がっていくとセハン学園という私立女子高があり、ちょうど下校時間だったので、近くの石段に座って女子高生ウォッチングを楽しむ。 ここは制服と私服混合で、制服はグレーのジャンパースカート、白のブラウスだけが共通で、襟や靴などはばらばらだから特に指定はないようだ。 私服の子はたいて柄物のシャツにスカートがジーンズで、さまざまなショルダーバッグを下げていた。 なぜかスポーツ新聞持って歩いてる子がいたので、ガイドブックの地図の東大門野球場を示して、ここで今日プロ野球の試合があるか聞いてみた。 あったら見に行ってもいいなと思ったのだったが、答えは「No」だった。実はこれは僕の質問の仕方がまずかったので、東大門球場は高校、大学などの試合に主に使われていて、プロ野球はオリンピックスタジアムの南にあるチャムシル球場でやってることを知らなかったのだから仕方がない。 野球観戦はあきらめることにして、同じ92番バスで西の終点ポンチャンドンまで行き、歩いて少し引き返して小さな市場でゴム草履、インスタントコーヒー、コーヒーカップなど買って10時に旅館に戻る。 半年ほどタイや中近東を回って、日本に帰る途中の毛利君というのが新しく来ていて、横浜の福田と何処か共通点があるためか、うまがあって色々話する。 夜は西野君、川村君、中野君と旅の話や写真の話に花が咲く。3時半就寝。 |